1 :
日本@名無史さん:
2兵衛
3兵衛
4 :
日本@名無史さん:04/03/26 22:59
>>1 神子田正治を忘れているぞ。
竹中半兵衛は自分の後任の参謀役として神子田正治を高く評価していた。
◆神子田 正治 みこだまさはる ◆
尾張海西郡・鯏浦の神子田肥前守の子。半左衛門正治。織田信長が尾張を統一したときに父と共に配下に入った
軍学の天才で軍師としての才能は竹中半兵衛や黒田官兵衛を凌ぐといわれた
桶狭間の戦いや美濃・斉藤攻めに参戦し手柄を上げる。木下藤吉郎に請われて家臣となる
藤吉郎が羽柴秀吉と名を変え長浜城主となったとき千五百石。更に播磨攻略後に五千石を賜る
本能寺後に備中・庭瀬城主一万二千石となった
しかし小牧・長久手での判断の誤りで豊臣軍に損害を与え、所領召上げの上追放された
三年間諸国を放浪し、九州討伐の陣にあった秀吉に帰参を懇願したが許されず切腹を命じられた
あまりにも功名心が強かったために秀吉に疎まれたという
竹中半兵衛か黒田官兵衛の子孫が
和泉元や(←なぜか変換できない)のおかんだってテレビでやってた気が。
で、>1は何でこのスレ立てたの?
7 :
日本@名無史さん:04/03/27 16:00
くゎんのひょうえ
8 :
日本@名無史さん:04/03/27 16:10
「くゎんのひゃうゑ」だろ。
9 :
日本@名無史さん:04/03/27 21:36
華屋与兵衛
10 :
日本@名無史さん:04/03/27 21:48
合計81兵衛
金の脳ゲットォォォォォォォォォ!
メロンパン入れになってま〜す!
11 :
日本@名無史さん:04/03/27 21:59
パラソル半兵衛
12 :
日本@名無史さん:04/03/27 22:09
うっかり八兵衛
13 :
日本@名無史さん:04/03/27 22:11
山本権兵衛
ドン兵衛
15 :
日本@名無史さん:04/03/28 01:41
兵衛〜 兵衛〜 兵衛〜
たそがれ清兵衛
17 :
日本@名無史さん:04/03/28 07:31
後藤又兵衛
18 :
日本@名無史さん:04/03/28 12:56
キツネどんべい
19 :
日本@名無史さん:04/03/28 12:57
ジャングル黒べえ
20 :
日本@名無史さん:04/03/28 13:38
サントリー伊右衛門
21 :
日本@名無史さん:04/03/28 18:03
竹中半兵衛ってなにがすごいの?
稲葉山乗っ取りの逸話は創作っぽいし、わりと早く死んじゃったし。
22 :
日本@名無史さん:04/03/28 18:26
23 :
日本@名無史さん:04/03/28 22:15
武市半平太と黒田アーサー
24 :
日本@名無史さん:04/03/28 22:22
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
. |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l |
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゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| |
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【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
25 :
日本@名無史さん:04/03/29 01:23
竹中直人と伊武雅刀
26 :
日本@名無史さん:04/03/29 01:36
竹中って、なんか全身にオイル塗ったボディビルダーが
スッポンポンで立ってるような気色悪さがあるな。
秀吉ではよだれ垂らしたりちんこ見せたりしてたもんなぁ
28 :
日本@名無史さん:04/03/29 10:28
古谷一行の竹中半兵衛には納得いかん
しかし、あの頃の大河は良かったな。
今の大河は腐れすぎ
30 :
日本@名無史さん:04/04/01 09:10
竹中半兵衛と黒田官兵衛の事、教えてくださ〜い。
>>27 まさに出すものすべて出した、歴史的な大河ドラマだったなw
( ・∀・)つ〃∩兵衛ー兵衛ー
この前の年末にTBSでやった秀吉ドラマで、
両兵衛が姉川合戦に従軍してたという新事実を見て感動しますた。
黒田官兵衛がいたから、浅井朝倉連合軍を破ったのでつね。
軍師とやらは、近代軍隊の参謀とは違う。近代軍隊の参謀は、作戦を作るのが仕事で
ある。しかし、軍師とやらの主な仕事は、
1,吉凶を占う。作法を指示する。
2,コネ・血縁を利用して、多数派工作を行う。
おそらく、竹中は美濃の、黒田は山陽での多数派工作に活躍した人物であろう。
ちなみに、封建社会の戦争は、ほとんど多数派工作で勝敗が決定する。
35 :
日本@名無史さん:04/04/01 12:49
>>34 そういうやり方は兵士にとっても有り難いね。
信長が死んだとき、現地の小領主の連合体を主力とする、織田家の諸軍団は
危機に陥った。川尻配下の小領主は反乱、信孝配下の小領主は退散。滝川配下
も、北条家の圧力で瓦解。尾張・美濃系の多い柴田軍団は何とか結束するも、
攻勢から守勢。
現地小領主の多い秀吉軍団も、反乱・退散の危機にあるはずであった。
しかし、秀吉軍団は、天下取りのチャンスと気勢を上げる。
おそらく、黒田は、広言したに違いない。「ピンチではなく、天下取りのチャンスだ。」
小領主達の信長死後の疑心暗鬼は、黒田の言葉で晴れる。小領主達は
「あの黒田様が秀吉殿に着いていくのか。この軍団に私も残ろう。」
37 :
◆T29vot8HiE :04/04/01 14:33
半兵衛の息子の重治って何気に生き残ってたっけ?
38 :
日本@名無史さん:04/04/01 14:59
重治って半兵衛本人だろ。
39 :
日本@名無史さん:04/04/01 15:20
そっか息子の名前忘れた。
それ自体いなかったかも。
もう完璧に忘れてる。
40 :
日本@名無史さん:04/04/01 15:30
竹中重門っていたけど。
誰だっけ?
菩提山城主?
竹中直人
>>39 >>40がいうように吉介重門がいる
父・重治の死後、幼くして家督を継いだ重門は
小牧長久手合戦のとき、齢13にして兵100を従え秀吉の元に参じている。
関ヶ原合戦では当初西軍であったが岐阜城落城後は東軍について先鋒を預かり
戦後、隠れていた小西行長を捕らえた。
後年は林羅山のもとで和漢を修め
秀吉の一代記「豊鑑」を記した文化人でもある
43 :
日本@名無史さん:04/04/01 21:38
>>42 重門って関が原の戦いで右翼先鋒を強制された奇特な武将だよね。
黒田長政、おまいが先に行け!
44 :
日本@名無史さん:04/04/01 22:14
黒田長政は、半兵衛の子孫をいろいろ気遣っていたって云うけど?
45 :
日本@名無史さん:04/04/01 22:47
黒田長政は、しょせんボンクラ二代目のイメージが強いですよ。
竹中重門に右翼強制したのは、如水の方だと思います
48 :
日本@名無史さん:04/04/02 21:43
竹中半兵衛と黒田官兵衛は、どっちがすごいんだ?
重門は家康・秀忠に非常に信任されて、長崎奉行になったけど、すき放題やったため切腹させられた
50 :
日本@名無史さん:04/04/02 23:39
剃刀と鉈のイメージ
「その時」の黒田官兵衛は感動したね。
凄い野心家だったように言われてるけど
これって秀吉のせいでついたイメージなんだよね。
実際は凄い誠実な人でさ。
秀吉の毛利攻略から北条滅亡まで一番活躍したにもかかわらず
たったの12万石しかもらえなかったのに、
文句一つ言わなかったのが、男らしくてエライ。
秀吉からは恐れられて冷遇されたけど、敵の北条から感謝されて日光一文字を
もらったって話はジーンときたよ。
文句言ったら殺されます。
TBS痛すぎるな。
子供が間違った知識もつからやめろよ。
だいたい秀吉が戦嫌いってなんなんだよ。アホか。
>51
戦国後期の人だけに、血と泥の成り上がり者ではなくて、貴族的な人だったんだろね。
秀吉ぐらいまでの人々は、「奪い取り、所有する」ことに喜びを感じたのだろうが
黒田汝水や前田慶次郎のような貴族的な精神の持ち主は、「自分を試し、名を残す」
ことに喜びを感じるのだろうね。
56 :
日本@名無史さん:04/04/03 14:22
>>55 >戦国後期の人だけに、血と泥の成り上がり者ではなくて、貴族的な人だったんだろね。
三戦板の人ですか?
戦国時代って信長が前期、秀吉が中期、家康が後期とか思っている?
57 :
日本@名無史さん:04/04/03 14:25
>>56 「黒田汝水や前田慶次郎のような貴族的な精神の持ち主」ってところに
三戦臭がプンプンしますねw
58 :
日本@名無史さん:04/04/03 14:38
前田利家も大河化。
ならば、軍師系が主役でNHK大河化してもらいたいが、何が足りないんだろうね。
というか利家が失敗作だったから、二度とザコはやりません。
61 :
日本@名無史さん:04/04/03 17:48
黒田半平
これ最強
>>34 そう言うのは言わないお約束。
だったら、戦国時代でも高貴な武将は、お歯黒してたなんて書かないといけなくなる。
と言うことになると、とても気持ち悪い戦国武将を想像しなければならなくなる。
63 :
日本@名無史さん:04/04/03 21:23
司馬遼太郎の「関が原」なんかドラマ化してほしいな
>56
君の想像と金魚の論はかなり違うようだね。君は誰を批判してるの?
>>65 56ではないが。
56はあんたへの批判にしか、見えないし。
ちゃんと反論できないからって、ごまかしちゃだめだお。
67 :
日本@名無史さん:04/04/04 14:30
>>55 黒田家って別に成り上がりでもなんでもないんですが。
当時の素性すらわからないような武将と比べれば、格段に家柄はいい。
>>58 司馬遼の播磨灘物語とか?
68 :
日本@名無史さん:04/04/04 17:56
黒田如水
黒田官兵衛
黒田孝高
竹中半兵衛
竹中重治
こいつら軍師と言うより
監視役じゃないの?
と思ったり
69 :
日本@名無史さん:04/04/04 22:41
W主役で半兵衛→官兵衛みたいな流れで大河やんないかなぁ
70 :
日本@名無史さん:04/04/05 13:23
たしか黒田家の家紋って、半兵衛への恩義のために同じ紋なんだよね?
71 :
日本@名無史さん:04/04/05 14:26
「決戦」では、九州を制圧して天下取りに乗り出してるが
そんな事は不可能やて・・・
>九州を制圧して天下取りに乗り出してるが
そんな気無かったと思う。
大友義統が毛利輝元の要請で挙兵したからそれを食い止めただけだし、
西軍の立花宗茂を穏便に済むように取り計らってくれたりしてる。
「その時歴史が動いた」でも全然領土欲の無い人だった。
↑要請じゃなかった。スマソ。
74 :
日本@名無史さん:04/04/05 17:56
>70
信長に疑われたとき、長政を助けたから?
75 :
日本@名無史さん:04/04/05 18:54
>>56-57 なんでも三戦板住民にするの止めてくれないか?
三戦板住民だってここまでバカじゃない。粗方無双厨だろうよ。
76 :
日本@名無史さん:04/04/05 19:42
堺屋太一さんが言っていたと思うけれども、
半兵衛と官兵衛をそれぞれ現代人に喩えて…、
半兵衛…エリート銀行員から新興商社にトラバーユした人
官兵衛…立案能力が命、の辣腕官僚
らしいです。
何となく、納得できそうで納得できないのは、やはり、どこと無くしっく
りこない喩えだからでしょう…。
皆はどんな風に喩えますか?
:.,' . : : ; .::i'メ、,_ i.::l ';:.: l '、:.:::! l::! : :'、:i'、: : !, : : : : : :l:.'、: :
'! ,' . : i .;'l;' _,,ニ';、,iソ '; :l ,';.::! i:.! : '、!:';:. :!:. : : : :.; i : :'、:
i:.i、: :。:!.i.:',r'゙,rf"`'iミ,`'' ゙ ';.i `N,_i;i___,,_,'、-';‐l'i'':':':':‐!: i : : '、
i:.!:'、: :.:!l :'゙ i゙:;i{igil};:;l' ヾ! 'i : l',r',テr'‐ミ;‐ミ';i:'i::. : i i i : : :i 三戦板のみんなにあやまれっ!!
:!!゚:i.'、o:'、 ゙、::゙''".::ノ i゙:;:li,__,ノ;:'.、'、 :'i:::. i. !! : : !:
.' :,'. :゙>;::'、⊂‐ニ;;'´ '、';{|llll!: :;ノ ! : !::i. : : : : i :
: :,' /. :iヾ、 ` 、._. ミ;;--‐'´. /.:i;!o: : : :i : あやまれよぉぉぉぉーー!!
: ; : ,' : : i.: <_ ` ' ' ``'‐⊃./. :,: : : O: i. :
: i ,'. . : :', 、,,_ ,.:': ,r'. : , : : !: :
:,'/. : : . :;::'、 ゙|llllllllllllF':-.、 ,r';、r': . : :,i. : ;i : :
i,': : : :.::;.'.:::;`、 |llllH". : : : :`、 ,rシイ...: : ; : :/:i : i:!::i:
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78 :
日本@名無史さん:04/04/05 20:17
:.,' . : : ; .::i'メ、,_ i.::l ';:.: l '、:.:::! l::! : :'、:i'、: : !, : : : : : :l:.'、: :
'! ,' . : i .;'l;' _,,ニ';、,iソ '; :l ,';.::! i:.! : '、!:';:. :!:. : : : :.; i : :'、:
i:.i、: :。:!.i.:',r'゙,rf"`'iミ,`'' ゙ ';.i `N,_i;i___,,_,'、-';‐l'i'':':':':‐!: i : : '、
i:.!:'、: :.:!l :'゙ i゙:;i{igil};:;l' ヾ! 'i : l',r',テr'‐ミ;‐ミ';i:'i::. : i i i : : :i
:!!゚:i.'、o:'、 ゙、::゙''".::ノ i゙:;:li,__,ノ;:'.、'、 :'i:::. i. !! : : !:
.' :,'. :゙>;::'、⊂‐ニ;;'´ '、';{|llll!: :;ノ ! : !::i. : : : : i :
: :,' /. :iヾ、 ` 、._. ミ;;--‐'´. /.:i;!o: : : :i : なぜだ?なぜだよぉー!!?
: ; : ,' : : i.: <_ ` ' ' ``'‐⊃./. :,: : : O: i. :
: i ,'. . : :', 、,,_ ,.:': ,r'. : , : : !: :
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i,': : : :.::;.'.:::;`、 |llllH". : : : :`、 ,rシイ...: : ; : :/:i : i:!::i:
;'. : :..:::;':::::;':::::`.、 |ソ/. : : : : : : ;,! ,/'゙. /.:::: :,:': :./',:!: j:;:i;!;
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79 :
日本@名無史さん:04/04/05 20:21
そもそも秀吉は官兵衛を全く重用してなかった気がするんですけど。
ここまで美化されるのはわけがあるの?
>そもそも秀吉は官兵衛を全く重用してなかった気がするんですけど。
官兵衛の策使いまくってるんですけど。
81 :
日本@名無史さん:04/04/06 00:00
>>79 如水のほうが目立たないようにふるまっていたから。
「竹中半兵衛と黒田官兵衛を凌ぐ軍学の天才」といわれ、天下取り以前の秀吉軍団において
一戦隊の長として重きを成した神子田正治が、自己主張の強さゆえに秀吉に憎まれ
秀吉が権力を手に入れて正治の力を必要としなくなったとたんに殺されたのを
目の前で見てきているから、控えめにせざるをえないのでしょう。
本能寺の変の知らせを聞いて思わず
「チャンスですぞ」
とか口を滑らせて言っちゃって秀吉に無駄に警戒されるような人ですから。
83 :
日本@名無史さん:04/04/06 03:55
>>76 本当に自分の世界でしか物事を語れない人なんだな
まあそうでなきゃインターネットで万博なんて考えもしないか
官兵衛の言うとおりにやってたら天下取れちゃったんだから警戒するのも
わかるんだけどなぁ。
五大老の次席ぐらいにして欲しかった
秀吉にその器量があれば豊臣の時代ももう少し続いただろうに。
85 :
日本@名無史さん:04/04/06 10:06
イエズス会の記録のなかでの官兵衛の表記は“Quanfio^ye”
86 :
日本@名無史さん:04/04/06 15:19
黒田官兵衛=くろだかんひょうえ
中川瀬兵衛=なかがわせひょうえ
山本権兵衛=やまもとごんのひょうえ
竹中半兵衛=たけなかはんびょうにん
とまあこういう読み方もあるらしいね。
官兵衛は、とても性格がいいと思う。家臣だってあまり殺してないし。
秀吉って劉邦に似てる。
功臣を恐れて冷遇した所なんてソックリ。
蜂須賀正勝も功績の割りに領地少ないし、前野長康なんか切腹させられてる。
秀吉ってほんと器が小さい。
前野って秀次事件だっけ?
あれはまた別では。
他は否定しない。ていうか竹中の所領も少ない。
90 :
日本@名無史さん:04/04/06 21:43
ということは、同じ軍師系で所領少なくても、本多正信とは正反対ということかな。
緊張関係(対秀吉)と兄弟関係(対家康)で。
91 :
日本@名無史さん:04/04/07 00:00
>>80 官兵衛の策を使いまくってるなら具体的に列挙してくだされ。
92 :
日本@名無史さん:04/04/07 02:43
>>85 その表記から推定される「官兵衛」の当時の発音は[kwaNΦj⊃:je]
>>80じゃないけど、
>>91 備中高松城水攻め
考えたのは秀吉、官兵衛の両方の説があるけど
いざやってみると全然うまくいかない。水が止まらず困っていたところ、
船にデカイ石を積ませ、それを沈没させるという官兵衛の策で見事成功。
本能寺の時冷静に分析し秀吉に今後の方針を指示
街道沿いに領民に食料を用意させる
夜でも行軍できるように街道沿いに、かがり火を配備なんてのも官兵衛のアイデア
天王山では毛利から借りた旗を使い
秀吉軍は毛利まで味方につけたと錯覚させ、明智勢を混乱させ
一気に勝敗が決まる
毛利との外交をまかされ従属させる
北条がなかなか降伏せず悩んだ挙句
官兵衛に助けを求め、見事開城させる
そっちこそ
>そもそも秀吉は官兵衛を全く重用してなかった気がするんですけど。
の根拠を教えて。
上にあげた以外にも四国、九州平定戦で軍監として参加するよう命じられ活躍してる。
重用されて無いなんて事ないと思うよ。
94 :
日本@名無史さん:04/04/07 08:49
>>93 使える男だから使った。でも信頼は置けない。
ってそんな感じじゃない?
重用するのと、厚遇するのはまた別問題。
>>94の言うとおりなんだけど
>>79は官兵衛のこと馬鹿にしてるだろ。
>ここまで美化されるのはわけがあるの?
↑このあたり。
さらに
>官兵衛の策を使いまくってるなら具体的に列挙してくだされ
なんて言ってるからさ。
官兵衛ファンとしてちょっとムカついた。
>>94 >>79は厚遇だなんて言ってないじゃん。
俺も
秀吉は官兵衛を全く重用してなかった。って所のソース教えてもらいたいな。
_,,..、-―-- .,
,..-''" `ヽ
三|三 ,. '" _,,... - __ ヽ、
イ `< / ,..=-‐''~ ̄_ ~'''- 、 ヽ
 ̄ , ′ /,,..-'''"~ ̄::: ̄~'''-ヽ, ヽ
∧ / ,、'7:::,:'//:::,:´/∧::、:::゛,:::::ヽ、 ゙',
/ \ / .......//,:///!',:://// ',:::!!:::!i::::ヽ:, ...゙,
l ........./n,V:;l;j]トi、」ト:{:{ }!}」j:,l!:}:::!l:゙, ...〉
└┼┘ ゛, .......,';「rll:´kr_テ'::「` | ヽノ_」Lメl::;;ll!l:l./
.|_|_| ゛、../ ハ l!::l| 「!-'lj r'::/`/イ,:ノノ |!'
__ ,ソ//:::|!:::l!  ̄ '-" ,'::イ!../'
/ /://::;;ハ::::ll\ _ ' ,,::':::,!l:|
>>79・・・
´⌒) ノ:イ/:/;/;;`ヾ、_ ` 、 _ .イ::く;;ノメ!、
-' ,. '"',イ;'::/;/;;;-'"(⌒ヽ ,,_!ヽ、;;;:!:::!::| ヘヽ
_,,-"/..'/:::/;;;-'" !_ヽ/´,,‐''_`、`''-.,,:! ゙';ヽ、
.,-'":;; ',/,,',.-< ゙'〈 '",-'┐ ,,'"ス、 ゙;:、、、
,.-'"::;;/.'/',/^ヽ``、、 ゙, <ノ ノ' / ,ハ, ゙;:'; ヾ、
../"/:;;/ '‐'/,「`ヽ、 ` 、 = __ ゙、 'v'"/`、' 'l ',::', ヾ、
l' /::;'" ,.:';:"/;;! `.ー、~''ーニ.,ハ, ハ'" ヽ, ゙, !::;! ヾ!
!:/ /:/ /:/;ト、 ...゙, | _| \_,ノ::.\= 、._ l ,!、 l::;! ll
!:! ,//' /::/::ハ ',.. ゙',l ,-',-ト、 `'ー-、ヽ, 7./l ト`、, !ノ 丿
'、 // /:/:,/_,,l ゛、.. ゙',. ヽ:Vヾ、、、_ ~///,ノ l;;:',ヾ'
/,' ,!::/!ll`i;;;| ヽ.. ヽ `/: ヽ ニニ‐=/ノr' ,' l;!l,:l 'ヾ;、
,!:! !::l'l:!l::!;;:::ハ ヽ、. ソ' : ........,~7, ,l / !;;!ll!! ヾ;、
98 :
日本@名無史さん:04/04/08 08:26
>98
半兵衛はともかく、
官兵衛は仕事はできるが、
部下にしたくない典型的なタイプだな。
100get
官兵衛が野心家だなんてのは創作だよ。
オマイラ「その時」見てきなさい。
あんないい人いませんよ。
102 :
日本@名無史さん:04/04/08 17:22
いい人でもうまいこと成功するっていう見本?
>>101 「その時歴史が動いた」ほど、うそ臭いのは無い。都合の悪い部分を隠してナンバー2なんて平気で言ってる。
智謀なんかより野心家として警戒されてたのは確か。
その時のほうが情報新しいから信憑性あると思うけどな。
昨日だっていままでの説をひっくり返してたじゃん。
九州分捕るなんて話信じてる奴まだいたの?
大友義統(西軍)が挙兵したから戦っただけ。
東軍派の城攻めてないだろ?政宗と一緒にするな。
106 :
日本@名無史さん:04/04/08 20:02
孝高にとって本能寺の変も光成の挙兵もすべて手の内の中の様な。
情報収集と分析力にたけ、トライアンドエラーではなくオペレーションリサーチ
によるシミュレートを幾重にもくりかえし考え最善の策を取る。
おしむらくは、秀吉のあまりのうろたえぶりと、自分の息子の活躍を計算に入れなかった
灯台下暗しとはこのことだな。力と器量があってももっとも必要な運がなかった。
107 :
日本@名無史さん:04/04/09 16:57
半兵衛=仕事できる、それ以外黙り
官兵衛=仕事できる、しかし口出しまくり
半兵衛の活躍信じてる奴まだいたの?
ほとんど創作なのにおめでたい人ですね。
官兵衛の活躍信じてる奴まだいたの?
ほとんど誇張と創作なのにおめでたい人ですね。
>66・56
信長を前期なんて、金魚は主張してないよ。
現代でもだ、2代目、3代目と代を重ねて来ると、人間は貴族的になってくるんだよ。
白い巨塔の、成り上がり財前五郎と、2代目東・竹内の差なんてのはどこの職場でもあるだろ?
私の職場でも、2代目は、「無理しない・ソツなく」
1代目は「馬力と当たりはずれ」という傾向が顕著だ。人間って、
そんなもんだろ?
もちろん、例外も多いけどね。
111 :
日本@名無史さん:04/04/10 11:16
>>110 おまえは
>>55で
> 黒田汝水や前田慶次郎のような貴族的な精神の持ち主は、「自分を試し、名を残す」ことに喜びを感じるのだろうね。
と主張しているわけだが、前田慶次郎がなんの「2代目、3代目」と言ってるんだ?
武士が2代目、3代目になると貴族なら、戦国時代は貴族でいっぱいだなw!
2代目というより、2代目的といった方が良いね。誰にでも、父も祖父もいるから。
さて、物質的条件が人の心を動かすのか、人の心が物質的条件を変えていくのかは、
卵と鶏の関係と同じ。
やはり、乱世も収束に向かいつつある時代には、人の心の荒々しさもおさまり
つつあり、2代目的な傾向が大きくなる。
前田慶次郎は、単に跡継ぎ争いに負けただけで奇行に走ったのかも知れないし、
黒田官兵衛も宇都宮一族を虐殺している。
しかしだ、「無欲な知性的な貴族精神」をカッコええという精神があったからこそ、
前田慶次郎も黒田官兵衛も「伝説」が生じるわけである。
>>109 どこがほとんど誇張と創作なのか教えてくれや。
資料希望。逃げないで教えてね。
114 :
日本@名無史さん:04/04/11 07:03
115 :
日本@名無史さん:04/04/11 13:25
- ― ニ´_ゝ`)スイマセンちょっと通りますよ
ビュン- ―ニ -ニ三三
-ニ三 ― ニ-三三
- ―ニ―三三
116 :
日本@名無史さん:04/04/11 22:40
半兵衛を馬鹿にする奴は、俺がゆるさん
半兵衛の活躍なんて絵本太閤記にしか載ってません。
絵本太閤記なんて三国志演義なみのフィクション本です。
残念でしたね。
118 :
日本@名無史さん:04/04/12 03:35
半兵衛は今で言えば有名企業から招いた顧問のようなもんかな
秀吉が急成長中の中小企業の社長として
だからお飾りでもかまわんかった
ゲリラ戦ではなくて大規模な戦闘での指揮方法をきくために
地場だけのマーケティングしかやったことない中小企業が全国展開するに
あたって全国規模のマーケティングの経験者をよんだようなもん
( ゚д゚)ポカーン
カンベエの能力・功績は多数の資料から誰もが認めるが
ハンベエは殆どロクな資料が無いんでしょ
ハンベエが高い評価を得てるのはコーエーのせいだな。
太閤記のせい
太閤立志伝のせい
太閤立志伝2のせい
2のハンベエは反則ぎみに強かった。
序盤から最強クラスの陣形使えてウマー。
関ヶ原の戦いが一番典型的なのだが、封建時代の戦争は、多数派工作が中心。
裏切りが多発したら、陣形やら鉄砲やらも無力。
この点で活躍したのが官兵衛・半兵衛なのだろう。
ちなみに、中国の三国志も似た時代。「人材募集」ってのは、封建領主募集って
のが実態。当時の軍は、公務員の国軍ではなく、領主の私兵連合軍だったのだ。
軍師と言えば、昔は山本勘助だったのに、光栄のせいで地味な香具師になってしまった。
128 :
日本@名無史さん:04/04/24 18:06
半兵衛は秀吉の影に徹したから
記録に残らなかっただけじゃないの
129 :
日本@名無史さん:04/04/29 09:46
豊臣秀長は官兵衛と組んでから、
山崎の合戦、賤ヶ岳の戦い、四国征伐、九州征伐と
大いに功名を立てることになるが、
足軽の家で生まれた秀長がどこで軍学を学んだかとなると、
やはり官兵衛からということになるだろう。
秀長と同じ出自である秀吉に、官兵衛を軍師にする以前から
同じようなブレーンが付いていたと考えるのは自然なことで、
その代表的な存在として太閤絵巻の作者が、
学のある半兵衛を選んだのだろう。
130 :
日本@名無史さん:04/05/02 17:39
光栄は、官兵衛の野望を精作汁!
131 :
日本@名無史さん:04/05/02 18:07
>>86 正假名遣ひで正しく書けば、
黒田官兵衞=くろだ・くわんひやうゑ
中川瀬兵衞=なかがは・せひやうゑ
山本權兵衞=やまもと・ごんのひやうゑ
竹中半兵衞=たけなか・はんひやうゑ
なほ、歴史的假名遣ひには反映されてゐないが、平安中期以前の表記に從へば、「權兵衞」は「ぐをんのひやうゑ」が正しくなる。
132 :
日本@名無史さん:04/05/03 17:37
半兵衛ほど温和な人も珍しいな
(後藤又兵衛と渡辺勘兵衛)
135 :
日本@名無史さん:04/06/02 08:26
保守
136 :
日本@名無史さん:04/06/11 18:49
半兵衛は信長の命令に背いて(よく考えるととてつもなく危険な行為)
黒田長政をかくまったのは史実なので
心優しい人間だったのは間違いないだろう。
何しろ当時は友情に殉じた大谷吉継が変人扱いされた時代。
保身のためなら親子供すら殺すのが普通だったんだから・・・
ケケ中平蔵 と 黒田 東彦
138 :
日本@名無史さん:04/06/12 01:06
講談モノので、竹中半兵衛と黒田官兵衛を合体させた
軍師が出てくるやつ、誰か知りませんか?
信長とか秀吉が改名して登場するの。
異本太閤記
140 :
日本@名無史さん:04/06/12 11:09
官兵衛を調べようと思ったら、
官兵衛の事を書いたやつに漫画家の本山一城ってのが必ず批判してくる。
なら本山の本を読もうと思ったら全部廃販。
秀吉関連の資料で合戦などで存在は確認できるが、
それ以上はどうすれば調べられるんだ?
141 :
日本@名無史さん:04/06/12 16:00
KURO NGMS
142 :
日本@名無史さん:04/07/04 21:00
赤合子が欲しくなった。
143 :
日本@名無史さん:04/07/04 21:06
「あの時、素直に情報を出していれば・・・・。」
歴史はいつも繰り返し。
144 :
日本@名無史さん:04/07/05 11:05
本山のことか。
竹中重治の事を知りたければ豊鑑でも読みなされ…
・稲葉山城攻略
・堀秀村調略
ぐらいは書いてある
でもねぇ、一般に流布してるような功績は殆ど創作だから…
稲葉山城攻略にしたって、義父の安藤守就に従って参加したクーデターだったようだし
しかも16人じゃなくて、2000人ぐらいで実行した訳で…
あと、秀吉直臣じゃなくて信長から付けられた目付だしねぇ
日本国民の年金資金を勝手に流用して
株価維持PKO指揮していたろ?
榊原の不正蓄財ってのは絶対に無いんだな?
官僚の天下りが厳しく?なってるんで
外資の手先と成り下がり外資から
バックマージンを取る売国奴がおるらしいが
竹中は大丈夫だろうな?
147 :
日本@名無史さん:04/08/14 00:33
関が原の準備中に、北九州を席巻。
もし、関が原が半年続いていたら、
官兵衛の天下も?
それってネタ元はなんでしょう?
149 :
日本@名無史さん:04/08/25 23:15
あげ
>147
なら九州の人がほとんどがキリシタンになって日本から独立してたかも
151 :
日本@名無史さん:04/09/16 23:09:19
152 :
日本@名無史さん:04/09/25 00:09:57
読み通りに関ヶ原で徳川が破れていたら、九州を制圧しつつあったキリシタン黒田が
天下を獲って、九州に幕府を開いていたかも。
そしたら、西洋文明を受容して、日本史は違った展開を辿ったかもしれない。
秀吉は大陸征服後、キリシタン大名を朝鮮に転封しようと考えて事前に九州に集めていたし、
信者も九州に多かったし、息子の長政もキリシタンだったし。
まず、マニラのスペイン総督府と親密になり、通行路の台湾は日本領有となりそう。
当然、西欧との交流・貿易の活発化によって、モルッカ諸島の香料をオランダと争奪する
ことになり、インドネシア(ジャワ島は除く)は日本領になりそう。
やがて船舶を中心に鉄鋼需要、石炭需要が高まり、オーストラリアも日本領に。
西洋文明を受容した日本には、地理的にみてもイギリス、オランダはかなわない。
史実でも、日本が鎖国しなければ、日本町の発展などで、東アジア貿易は日本が独占する勢いで
オランダ商人も恐れていたほどだった。オランダは日清貿易を独占することによって
富を蓄積していたから、鎖国がなければ、インドネシア争奪でもオランダに負けることは
なかっただろう。
それと、日本がキリスト教国になっていたら、日米戦争もなかったかもしれない。
特にカトリック国になっていたら、日本を攻撃すればローマ法王庁を敵に回すことになり、
米国は中南米との関係が悪化する。
プロテスタント国になっていたら、オランダと協力してマニラ攻略でシーレーン確保し、
米国がフィリピンを領有して日本と対立することはない。そして、オランダとは通常の貿易競争
でインドネシアから平和的に駆逐。
日本は破門じゃ
154 :
日本@名無史さん:04/10/07 22:23:55
破産の間違いたろ
155 :
日本@名無史さん:04/10/08 03:10:43
神子田正治ってこのスレ読んで始めて知った。
時代小説なんかでも出てこないし、
ぐぐって56件しかヒットしない。
「壮心の夢」って短編集の小説に出てくるよ。
内容はネットで調べられる列伝を長くしたって感じだから
読む価値はほとんど無いけど。
157 :
日本@名無史さん:04/10/17 23:20:36
あと
小幡小幡勘兵衛景憲
と
山本勘助
もいるよね
とりあえず名前が。共に軍師でイメージ似てるし秀吉にからむ。日本史詳しくない
人にはまぎらしいもよう。よく見るとタブってんの「んべえ」だけなんけどねw
>>136 それが縁で黒田家は明治時代まで竹中家と親交があったらしいね
いや、今でも親交があるのかもしれないけど
160 :
日本@名無史さん:04/11/11 01:06:54
竹中の系統で福岡藩士になった家があったんじゃなかったか?
>>160 黒田家筑前福岡藩主、竹中家豊後府内藩主
黒田騒動を扱った本に両家に関する記述が載ってた
163 :
日本@名無史さん:04/11/14 19:17:07
↑ 官兵衛の子孫であるという記述が抜けてるな
164 :
日本@名無史さん:04/11/14 19:21:56
↑ 官兵衛の子孫じゃないんだから当然だ
↑ でも、黒田元子爵家なんだろ?
166 :
日本@名無史さん:04/11/15 15:15:47
官兵衛がキリシタンだったから
公表できないのかな?
167 :
日本@名無史さん:04/11/15 16:07:37
黒田孝高、長政父子は、関ヶ原で小早川秀秋に日和見をけしかけたりとかして、勝敗の
行方を意のままにして魚父の利を得ようとした。
168 :
日本@名無史さん:04/11/15 16:51:31
キリシタンなんてもう関係ないだろ。
近所の旧隠れキリシタン集落はDQNや前科者が多いけど、
誰も差別なんかしてないよ。
169 :
日本@名無史さん:04/11/16 12:03:44
ハンベー、カンベー、チューズデー
170 :
日本@名無史さん:04/11/16 14:11:03
秀吉の軍師としては同時期にいないんですよね?
秀吉にだれかしらの軍師がつくようにする、天命ですかね。
俺は、秀吉が健康に注意して長生きしていて、
二人の軍師がともに活躍するという歴史も見てみたかった気もする。
171 :
日本@名無史さん:04/11/16 14:53:00
秀吉に軍師がいるとすれば
その任を果たしていたのは、実は蜂須賀さんや秀長かと。
172 :
日本@名無史さん:04/11/16 20:03:05
蜂須賀・秀長は軍師というより参謀でしょう。
蜂須賀は元親分だろうが・・。
あ、お頭か。
174 :
日本@名無史さん:04/11/23 20:21:53
秀吉は官兵衛を恐れて豊前に12万石しか与えなかった。
関が原の時、豊家を見捨てたのはそれに関係はあるのでしょうか?
>174
親族でも縁者でもなく、濃尾や長浜時代からの家臣でもないにも関わらず、
12万石与えたのはかなりの厚遇だと思う。
秀吉との縁が薄くてこれ以上もらったのは小西行長ぐらいだろ?
176 :
日本@名無史さん:04/11/23 23:05:04
伝説は置いといてさ、四国や九州での戦いで
官兵衛が果たした役割は小さくなかったと思うけど。
大阪城の縄張りとか。
178 :
日本@名無史さん:04/11/23 23:43:04
>>177 半兵衛死亡時を考えるとどうもそれに近い。
羽柴秀長>蜂須賀正勝>前野長康>竹中重治だった。
179 :
日本@名無史さん:04/11/24 18:46:32
>169
俺的には面白いと思うぞ。
>>174 検地高の違いもあると言われているよ(無税の別所得のような感じ)。
つまり12万石と言っても、検地を甘くしている(16〜18万石説)。
その他に、蔵入地を数万石任されていたようだ。
実質20万石前後の所領だとの説もある(子飼の武将のトップクラスと遜色ない)。
181 :
日本@名無史さん:04/12/08 15:34:00
黒田長政は、城井宇都宮攻めのときに敵方に捕まった事がある。
182 :
日本@名無史さん:04/12/08 17:16:37
「福岡」の由来は官兵衛さん。関ヶ原後、長政とともに筑前国に入封した際、城下を出身の備前国福岡にちなんでムリヤリに改名したとの事。博多だけは商人衆の反対もあり、残ったらしい。父祖の出自は高貴でもなんでもなく、薬商人。重隆以前の系譜がわからん、、
183 :
日本@名無史さん:04/12/08 17:25:27
たんなる土豪の出だろ
184 :
日本@名無史さん:04/12/08 17:28:43
でし
185 :
日本@名無史さん:04/12/08 18:51:20
>子飼の武将のトップクラスと遜色ない
といっても子飼の武将の領地の検地も甘ければいたちごっこ…。
>>167 他家を継いだばかりの若造の秀秋に家中を動かすだけの権限があったかどうか?
隆景の残した家老格の人間達が広家と謀って日和見を決めこんだんじゃね?
>>186 日本史板で絡むねえ、いたっちごっこの言葉の使い方もどうかなあ?
早くから、差出検地や太閤検地によって、掌握の度合いが高い畿内や織田家旧領に
比べて、制圧間もない九州で、しかも差出検地だった豊前の石高の方が甘い可能性
が高いのはおかしくないだろう?
慶長6年(1601)実施された細川氏の検地では豊前一国約24万石と言われているよ。
(細川氏は別に豊後に約6万石前後あり)
面積はそれ程変わらないのに、隣の福岡藩は52万石なんだね。
福岡藩には平野が多いけど、豊前の場合、谷が多くて日照量も少ないからな・・・
>>187 隆景の残した家老格の人間など殆ど毛利に帰ってしまってる訳だが。
秀秋の権限は知らん。
192 :
日本@名無史さん:04/12/26 16:12:56
>>182>>183 >父祖の出自は高貴でもなんでもなく、薬商人。重隆以前の系譜がわからん、、
>たんなる土豪の出だろ
祖先は近江源氏 佐々木氏の末裔との噂は嘘なの?
193 :
日本@名無史さん:04/12/26 16:37:11
それは近世のオフィシャルなもの
194 :
日本@名無史さん:04/12/26 17:37:18
>>193 ってことは、土豪だけ?
元同じ土豪でも毛利家みたく、名門じゃなかったんですね?
195 :
日本@名無史さん:04/12/26 23:23:20
俺は竹中半兵衛一族の子孫だぜ。
直系じゃなく傍系だけどな。
ま、別にどうでもいい話だけどな。
197 :
日本@名無史さん:05/01/12 00:02:19
>>182 どうして「姫路」にしないんだ?
あまり思い出したくないのか?
198 :
日本@名無史さん:05/01/12 20:04:33
姫路って意味わからんじゃん
福岡なら一般名詞的地名だし縁起よさそうじゃん
そうだな!
200 :
日本@名無史さん:05/02/01 17:14:55
祝! 200get
☆ ∵∴∴☆※☆∴∵∴ ./
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201 :
日本@名無史さん:05/02/20 16:20:06
竹中半兵衛は過大評価されすぎ。
202 :
日本@名無史さん:05/03/12 17:22:45
そう思うよ。
203 :
日本@名無史さん:05/03/12 17:52:02
初期の能力成長期の秀吉に組織論や、軍の編成、兵法書(理論)
などをかみくだいて教え、実践もまじえて鍛えた点が重要。
あの秀吉の師に近いというところがミソでは。
過大評価はいかんが。
メジャーリーグで活躍する選手が
「基礎を教えてくれた中学時代の監督に感謝してます!」と
言うようなものか・・・。
205 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 13:13:48
1578年2月、別所長治が寝返り、
続けて播州の周辺大名が、小寺と糟谷武則と、長治の叔父別所重棟を除いて軒並み寝返った。
続けて4月、山中鹿之助ら尼子勢の立てこもる上月城が、
毛利と宇喜田の連合軍3万に包囲され、
後背の加古川にある糟谷と重棟の城が宇喜田の水軍に襲われた。
総勢1万の軍勢である織田軍の秀吉にとっては第二の金ヶ崎ともいえる状況。
ここで官兵衛は重棟の阿閉城に入り、
武則と重棟を合わせても寡兵をもって宇喜田の水軍8000を撃破。
だが、一方の尼子勢が立てこもる上月城から、織田軍は撤退。
官兵衛は見捨てられぬと主張したといわれるが、尼子軍団は見殺しとなった。
このあたりの細かい状況の変化や、官兵衛や他の武将の動きがわかる人いないですか?
206 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 15:26:44
>>203 そういうことをやったという論拠は何?
史書にそんなことは書いてないと思うが。
想像でモノを言ってませんか?
207 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:53:31
小説の読みすぎやろね。
竹中半兵衛が「秀吉に組織論や、軍の編成、兵法書(理論)
などをかみくだいて教え、実践もまじえて鍛えた」などという話は
一級史料には載っていない。
208 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 07:49:47
小説に書かれているということは事実である蓋然性が極めて高い、ということだ。
司馬遼太郎をはじめ、小説家は非常によく勉強をしており、むしろその学力、教養は学者などより上。
そのことは邪馬台国論争において最も権威を持つのは松本清張の説であること、NHK「そのとき歴史は動いた」など
定評のある学術番組において、学者などよりも堺屋太一氏や童門冬餌先生など、一流の作家が招待されることからも明らか。
そもそも、史料などはいくらでも隠蔽、歪曲できることは、アジア諸国から歴史問題で厳しく指弾されている現代日本人ならば
よくよく分かっているはず。
つまらない史料などよりも、第一級の人々の頭脳に賭けるのは当然のこと。
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/V\ ,J
>>208 /◎;;;,;,,,,ヽ
_ ム::::(;;゚Д゚)::| ジー
ヽツ.(ノ::::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U'
210 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 00:07:26
司馬なんかは「武将言行録」みたいな三級史料に載ってる話を
まことしやかに引用しているので性質が悪い。
史学論文ならいざしらず歴史小説だし・・・・
>>210 非常に結構なことだと思うが。
つーか、そんなことで小説家を叩いてるお前の方がたちが悪い。
とりあえず『黒田家文書』は買った?
写真図版がすばらしいよ。
214 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:15:02
>>213 『黒田家文書』について、詳しく教えて。
福岡市博物館で売っている本の事?
>>214 そうです。
値段は高いけど、収録文書全てを写真図版に載せてくれてるのが(・∀・)イイ!!
216 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 22:19:30
竹中平蔵と亀井静香
217 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:48:36
>>212 どこがどう「非常に結構なこと」なんだ?
218 :
日本@名無史さん:2005/06/24(金) 00:54:29
ごめんね。思いつきで書いただけっす。
219 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:31:38
バカやなあ。
おまえがな。
竹中って垂井で幕末まで残ってるんでしょ?
文書とか残ってないの?
教えてエロイ人
222 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:34:43
>如水が領内の温泉に湯治に行った時のこと。その地の家来が次々と手土産を持参してきた。
まず、千石取りの家臣が、干し菜を一把持ってきた。日頃から倹約を奨励していた如水はたいそう喜んだという。
次に、五百石取りの家臣が、酒を一升持ってきた。如水はこれも喜んで受け取った。
すると次に、百石取りの家臣が、鯛を白木の折に乗せて持ってきた。如水はそれを見ると、
「お前のような小禄の身分でこんな物を持ってくれば、武具も十分に揃えられないし、まして家族も十分に養えないだろう」
と叱った。
家臣は慌てて答えた。
「鯛は町人からの貰い物です」
それを聞いた如水は、
「ならば、白木の折ごと店に売るがよい」
と命じたという。
223 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 18:46:02
半兵衛は戦術の天才
官兵衛は軍略の天才
戦術より軍略に長ける秀吉に必要だったのは半兵衛だった。
だから如水は朝鮮出兵以外は用済みで九州に流された。
官兵衛が秀吉についたのって、
彼にとってよかったのか悪かったのか微妙なところだな
半兵衛は楽しかったんだろうと思うけど
225 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:48:01
>半兵衛は戦術の天才
小説の読みすぎじゃないでしょうか?
226 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:53:57
稲葉山城を乗っ取った手腕とか、半兵衛の戦術はすごいと思うけど
個人的には官兵衛の軍略を押したいけど
稲葉山城乗っ取りは義父の安藤守就に従って参加しただけ
228 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 23:15:59
230 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 23:33:17
一級史料を頼む!
竹中氏って幕末まで続いてるのに文書伝わってないのかなぁ?
前にも聞いたような気がするけど、誰か教えてちょ
>>227 稲葉山攻略がパチだという証拠を見せてくれ!!!
234 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 13:02:25
雑魚だという証拠があるわけではなく、才能があると認めるだけの
証拠がほとんどないというだけの話。
ほとんど当時の記録に残ってないというからな
当然雑魚である証拠もない
236 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 14:54:34
竹中半兵衛のお墓が陣没した兵庫県三木市にあるんですけどね、
三木市内に2カ所あるそうなんですよ。
ひとつは平井ぶどう園の中なんですけど、もうひとつがどこにあるかわからないんです。
インターネットで色々調べても、志染町安福田のどこかということしかわかりません。
地元の年寄りにも聞いてみたけどわからないとのこと。
別所氏の所領だったためか敵側の竹中半兵衛について興味を持つ方は少ないようで。
で、みなさんの中で志染町安福田にある墓の所在をご存じの方はおられますか?
>>236 俺が行ったのはぶどう園の方かな?
なんかの田んぼみたいなのが一面広がってる中の一角に木が生い茂っているところがあって、
そこに墓があった。なんかしみじみとしたのを覚えてる。
結局
竹中半兵衛=謎の人ですか!?
>>228 安藤守就の書状から
付近の寺社関係に残されてる書状では、安藤守就が稲葉山周辺を半年近く占拠している事がわかってる
残されてる史料からは、竹中重治の関与すら見出すこと出来ません
しかし娘婿である事から、参加したのではないか?と言うだけ
つか16人で乗っ取りの話は絵本大功記ですよ?
豊鑑や家譜にさえ触れてません
>>239 アリガトウございます。
信憑性の低い史料しかないのに半兵衛は評価が高いのですねw
今、俺の中では・・
竹中半兵衛の解釈=水戸黄門の解釈です。。
241 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 16:59:04
>>237 それはぶどう園の方ですね。
白い壁に囲われているところでしょう?
あそこはカーナビにも出るし、三木市の観光マップにも出てるんですよね…。
242 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 21:07:38
半兵衛は野心もないし
出世欲はかなり薄いから
ずっと長生きしてても
官兵衛みたいに左遷されることもなく
秀吉の側近として優遇されてたことでしょう
243 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 21:12:03
野心がないとかいう話もほとんど想像の域を出ないだろう。
まあなあ
最終的にクロカンみたいな事はせずに死んじゃったんで
「野心なし」って事になったっぽいよな
245 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 21:40:51
出世欲が薄いとかいう話も、厚遇されたような形跡がないところから
出てる話だと思うんだが、本当のところはどうだかわからんよね。
後世の人間が思ってるほど能力があったわけでも成果を出したわけでも
ないから厚遇されなかっただけの話かもしれん。
246 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 08:03:00
竹中半兵衞の安福田(あぶた)の墓なら神戸新聞三木東販売所のMC紙に紹介されています。
墓は私有地の中にあるため勝手に入れません。立派な墓ですが、地震で上部が崩れてしまってます。
管理人が高齢のため、管理が良き届いていないようです。
247 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 18:03:39
兵庫県加古川市の郷土史の本を読んでいたら、おもしろい記事を見つけた
播州の地侍の項で秀吉の三木城攻めのおり、降伏した支城の志方城に立て
こもっていた武将の中に家老の竹中氏が出てくるのだが。ちなみに城主の
櫛橋氏の妹があの黒田官兵衛に嫁いでいたというのを聞いたことがある。
竹中半兵衛と播州の竹中氏、黒田官兵衛と櫛橋氏なにかがつながっている
ような。
http://www.kobe-np.co.jp/syuppan/index.php3?cat=history (神戸新聞総合出版センター)
東播磨の歴史2中世
東播磨の歴史を考える実行委員会編 A5 276P
地誌『峰相記』に記された中世寺院と地域の様子、加古川流域の荘園の開発、
東播磨を揺るがした三木合戦などをテーマに、地元研究者らが執筆する中世編
10講。
定価(税込): 2100 円
播磨戦国史 群雄たちの興亡
播磨学研究所 四六上製 264P
嘉吉の乱のあと応仁の乱を経て、かつてない騒乱の時代を迎えた播磨。
なかでも赤松氏に代わって守護となった山名氏と守護奪回を狙う赤松勢
の攻防は熾烈をきわめ、国人たちを巻き込んでさまざまな相克を巻き起こす。やがて秀吉の西国攻めという大きな潮流によって、その争いに終止符が打たれるまでの戦国播磨の様相を、多彩な執筆陣が明らかにします。
定価(税込): 1890 円
半兵衛、官兵衛言うな。慶次も利益って言え。夏厨かよおまえらは。
>>248 諱は人を呼ぶ時にはまず使わないってのをご存じない?
じっさいどんな呼び方が多かったんだろう
「○○守どの」とか役職名?
苗字? それとも半兵衛とか官兵衛とか?
まず役職や官名だろう。
美濃守なら美濃殿。
修理進なら修理殿。
他に居城など住まいの名で呼ばれる場合もある。
あとはやっぱり半兵衛や鹿之助の様な字(?)。
諱で呼ぶのは主君や親だと思うんだけど。
>>251 大名が将軍家に拝謁する時でも、呼ばれるのは官名か叙任してない場合通称(半兵衛とか)だと思われ。
ちなみに、拝謁時の呼び出しなどで摂津守は「津の守」(つのかみ)と呼ばれたとどこかで読んだ。
253 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:30:41
>>249 えええ???じゃあ教科書に「織田信長」って載せちゃいけないの???
>>253 当時の通念と現代の表記をごっちゃにしてどうするよ
当時も現代も織田信長は織田信長だが。
梵天丸だよ
257 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:03:40
上総介だよ
258 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 09:55:36
三郎でしょ
259 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 11:07:36
吉法師かと
三郎か
信玄や謙信は普通に信長って呼ぶ希ガス
262 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 15:49:44
信長は晴信とか影虎って呼んでる黄ガス
官兵衛でも孝高でも如水でもシメアンでも分かればいいんじゃないでしょうか。
264 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:16:25
保守
265 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:06:06
官兵衛=くわん(ぴょうえ)
秀吉は「くわん」と呼んでたよ。
266 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:39:26
ざっと読んできて『孝高の九州制圧に野心は無かった』とする意見がありましたが本当にそうだったのでしょうか?
九州での合戦は大友義統を食い止めただけじゃなく、その後藤堂高虎に小早川秀秋の広島城を攻める旨を記した書簡を送っているし、
更に安岐城を開城させたのを皮切りに富来城、臼杵城、久留米城、柳川城と次々に開城させています。
やはりこれは関ヶ原の混乱に乗じて領土を拡大し、あわよくば家康と一戦交えるつもりだったんじゃないでしょうか?
久留米城は関ヶ原敗報聞いたからでは?
柳川城は宗茂を説得してのだし
>>266です。
久留米、柳川は関ヶ原終戦後ですね。そして柳川は宗茂を説得しての開城。
とゆうかこの時落とした城はほとんど(全て?)説得による開城です。つまり自軍の兵をほとんど失わずに九州制圧を果たしました。
関ヶ原ほどの合戦なら例え勝った側も多大な被害を被っていると踏んで、自軍を温存して決戦を挑もうとしたと思うのですが…
>>268 それは東軍としてでは?
黒田勢単独で行った行動でないと思うけど
>>269 はい。嫡子長政が東軍に属して関ヶ原に在陣してる以上、建て前として東軍に与している姿勢を見せなければならなかったはずです。
ただ問題はもし東軍と戦った場合にその長政をどうするつもりだったのか、ということなんですよね…ここまで自分の考えを晒してそりゃないよってなもんなんですが…
ちなみに長政から戦勝報告を受けた際に、家康が長政の右手を取って謝意を述べたと伝えたら『なぜ空いた左手で内府(家康)の命を奪わなかった?』と冗談を言ったそうです。
271 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 03:17:48
で、その「東軍と戦う」っていう根拠はどこから来てるんだ?
273 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 11:14:24
単純に東軍が勝ったからじゃないの?その東軍に勝てば実質天下を取ったようなもんだし。西軍が勝っても同様
274 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:27:14
伊達政宗
身長160cm弱
片目コンプレックスで対人恐怖症
小心者で引き篭もり
女子供を皆殺しにする残虐性
戦利品の馬や牛も皆殺しにする基地外っぷり
何もしていない弟を殺害する器量の小ささ
自分より力の強いものに絶対服従の情けなさ
下の二つなどは、信行を幾度と許し今川との対決に踏み切った信長と比べると政宗の人間の矮小さがにじみ出ています。
おそらくは弟に謀反を起こされた場合、秀吉に対抗した場合、誰も政宗にはついていかなかったのではないか?
政宗がいかに家臣に慕われていなかったが伺えますね。
275 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 05:31:15
>>270 現実的には長政は一人っ子でスペアーがいないから、親父が長政と敵方になるのも
長政が家康殺すのも無理。長政が殺された時点で後継者がいなくなるので
276 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 20:14:12
官兵衛は信長に反旗を翻した荒木村重を説得してくるといって
ホラを吹き、有岡城に監禁されたことがあり
脚に障害をもつようになってしまった
その監禁生活ではネズミなどを食いながら
なんとか生きながらえたという
才には長けるが自分の力を披瀝したがるところが
あり秀吉にも警戒されたのでは
277 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:42:37
278 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:58:30
結局天下取るまでの秀吉が凄すぎたんだと思うね
だから後世の人達は「秀吉一人であそこまでのし上がれるわけない」とか
「竹中や黒田のお陰」とか「秀吉は劉備タイプ」のような人柄重視の見方をされるんでは?
しかし実際の日本って戦争してた時代が少なく短いから、いわゆる「軍師」なるものはいなかったんだぞ
信長だって奇襲とハイテク技術で勝ってただけだし
そういった意味で黒田や竹中の活躍をやたらクローズアップするのは間違ってると思う
やっぱ秀吉の才気ってのが凄かったんだろう
279 :
1:2005/09/11(日) 19:29:43
既出であろうが、竹中半兵衛が秀吉の軍師であったというのは江戸時代の講談師
が作り出したフィクション。実際竹中が存在し秀吉の家来であったことは確かで
あったとはいうが、軍師ではない。
秀吉自身が軍師の性格を備えたこともあり、軍師は後々までもたなんだというのが
事実らしい。
280 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:36:09
>>280は、紹介した本を読んで啓蒙されたやうです
>>278 っていうかこの2人のクローズアップによる本当の被害者は、蜂須賀小六だろうなw
283 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 00:58:05
黒田って名門の家柄なのか?
284 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 01:01:06
時期による。
もとは小寺といって薬を売って生計を立ててた貧乏浪人。
江戸・明治期は名家といえるだろう。
285 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 01:06:01
へぇ〜
秀吉とかもそうだけどほんと下層の人間がそこまでのし上がるからには相当頭良かったんだね
286 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 01:59:19
黒田家52万石・公爵家の名門も戦国期に降職・如水・長政の三代の活躍があってこそで
一代でのし上がった秀吉とはスケールが落ちるけどね。
287 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 04:11:04
蝦夷共和国にも竹中半兵衛の子孫がいたよね。
竹中重固。
288 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 04:22:21
>>284 元から小寺姓だったっけ?
確か主君の小寺政職に貰ったんだよね
黒田孝高の剃髪理由ってなんだっけ?
幸せってなんだっけ?
291 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:47:22
>>283 秋月の黒田家は、血は秋月家だったと記憶。福岡の黒田より名門。
>>291 は?
そうだっけ??分家じゃねぇの???
293 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:48:24
>>292 元々は分家だったけど、なぜか秋月家から養子。
294 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:56:54
そのあとにまた他家から養子が来てたと思ったが?
295 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 11:19:18
>>289 文禄2年(1593)
朝鮮での戦役が講和に進み停戦中だった頃、官兵衛が東莱の城で浅野長政と碁を打っていた時に朝鮮派遣軍の奉行をしていた石田三成、増田長盛、大谷吉継らがやって来た。
取次ぎが来訪を告げたが、
「構わぬ、しばらく待たせておけ」
と言って、官兵衛は碁を打ち続けた。
碁が終わって、官兵衛が三奉行を呼んだ時は遅かった。三奉行は怒って帰ってしまっていた。
官兵衛は早速使者を向けて詫び、来意を尋ねたが、
「急ぎの碁を打たれよ」
と、三成は使者を追い返した。
三成らは我ら三奉行を軽侮するものだと九州名護屋の秀吉に訴えた。
秀吉は怒ったものの、
「官兵衛には人を人とも思わぬ振る舞いがあるが、一方においてはそれが長所でもある。今度は三奉行も堪忍し、改めて協力して軍議せよ」と取りなした。
ところが三奉行が立腹して秀吉に通告したと聞いた官兵衛は、これでは軍監の任を解かれるに違いないと一存で帰国してしまったのである。
これを三奉行は、さらに自分たちが軽侮されたと解釈して怒り、秀吉に通告した。
「許しを乞わず、私(わたくし)に帰朝するは曲事(ひがごと)なり」
と、今度は秀吉も激怒して官兵衛の登城を差し止めた。
秀吉の逆鱗に触れ切腹をも覚悟した官兵衛は剃髪し、これを機に改めて隠居を奏上、『如水円清』と号した。
長くてごめんね
296 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 16:07:11
297 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:49:28
>>295 黒田って小物だなぁ
結局秀吉にガクブルじゃん
298 :
日本@名無史さん:2005/09/16(金) 04:56:18
>>297 まぁ逆らったところで何の得もないからね
299 :
日本@名無史さん:2005/09/16(金) 13:46:55
>287
重固は鳥羽伏見のときの陸軍奉行。幕軍を現地で指揮した。
薩摩軍三千に対し幕軍一万五千の圧倒的兵力を有しながら京都に入れず敗退。
300 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 05:07:59
>>284 いちおう黒田家って尼子の支族ということで宇多源氏佐々木氏の末裔って
ことになっていたと思う。足利家の内紛(船岡山の戦いだっけ?)で
卑怯なふるまいがあったとかで近江を追われて播磨に落ちてきた。
そこで目薬売りを始め、その息子の代で中国でいうちょっとした軍閥みたいに
なって小寺家の重臣になって小寺を名乗ることを許された。
官兵衛の代で、主家小寺家を織田信長の側につけたのに、荒木村重の謀反で
主家が毛利に寝返り、官兵衛も騙されて荒木に売り渡された。主家に裏切られた
こともあり秀吉に救出されて、もとの黒田を名乗ることにした。
ってことになってますね。
301 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 05:26:31
>>300 蛍の分家か?捏造が恥ずかしかったのか、でも、蛍一族とは養子のやりとりとかしてないね。
302 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 04:54:03
官兵衛って確か長政以外に子供いたよね?
関が原が長引けば、黒田が九州を。
みたなこと言う人いるけど、九州には島津が軍丸々残ってるよね。
無理だろと。
304 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 11:38:56
無理でもないんじゃない?
305 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 11:49:17
関ヶ原の時の島津は、中がバラバラだったから
関が原の前に戦か何かがあって兵士達が疲れていたから
義久は関が原に行かなかったらしいし、
義弘も不在だから先手を打てば・・・。
307 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:54:09
関ヶ原の時、官兵衛はほとんどの城を戦わずして開城させていった。
◎官兵衛に攻められたら負ける
◎官兵衛に負けても恥ではない
◎官兵衛に開城すれば全城兵の命が保証される
…みたいに信じられていたむきがあるのかな
中央の関ヶ原の勝敗が伝わってから、抵抗は無意味と降伏する奴も多かった希ガス
309 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 01:45:35
>>302 朝鮮出兵のときに海で遭難して死んだと漏れは記憶してる。
>>305 伊集院の反乱が主な要因でしたね。
関が原の戦いが一日で勝敗がつかずに長期戦になった場合、
官兵衛は内紛状態の島津は無視して中国地方から京を目指す
というのは想定の1つではあったんじゃないんかなぁ〜
官兵衛が秀秋を養子に出すように言ったのは、お節介なのか
本当に豊臣家の邪魔だと判断したのかどっちだろう?
後者だと思うんだが前者の意見が書いてあるサイトがあったもんで。
>310
秀秋を養子に出したいと言ったのは秀吉。
どの家の養子にしたら良いかと相談されたので官兵衛は毛利家と答えた。それだけの話。
なるほど、dクス。
313 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:54:48
違うやろ
【もののふは、いくさ場で死んでこそ本望】
竹中半兵衛の言葉らしいが人となりが伺えるべ
>>295 それ如水のヘタレっぷりじゃなくて長政のふてくされっぷりを表すエピソードじゃなかったっけ?
切腹を覚悟して剃髪するかな?
316 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:48:40
317 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 00:38:57
黒田三十六計age
関ヶ原において島津が北上するのは不可能。
何故なら加藤清正が居るから。
薩摩→肥後コースを取れば文字通り清正が壁となって立ちはだかるし、
薩摩→日向→豊後のコースを取れば、県(延岡)を過ぎた辺りで肥後から分断される。
>318
実際、関ヶ原のときは島津&相良が清正の支城を攻めたが落とせず、
島津は住民を攫って薩摩に逃げてるからね。住民が肥後に戻されたのはそれから数十年後(^^;)
320 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 14:48:38
黒田孝高は、遠く離れた九州を支配下に治めて三巴の戦いにしようとした事をいわれています。竹中重治は早世しなければ、歴史が変わっていたかもね
半兵衛が秀吉死後まで健在で豊臣家の宰相を務めていれば
家康も全く手が出せなかったであろう
322 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 06:43:14
黒田が皇女を嫁にしなかった?
黒田を扱った小説でお薦めを教えて
吉川の黒田如水と、司馬の播磨灘物語は除きで
324 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:08:11
age
>323
岳宏一郎いいよ
>>321 半兵衛が羽柴家の宰相をつとめたことは一瞬たりともない。
つか、そんな大きな仕事をした実績は全くない。
黒田官兵衛もそう。
その立場は秀長か、蜂須賀小六。
秀吉の京都奉行時代を考えれば羽柴/豊臣家の執政が
誰なのかはよくわかる。
前野長康も
家康を信じるよりは黒田官兵衛を信じるべきだったのだろうか
329 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 10:37:43
緊急age
330 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 22:47:19
竹中半兵衛って背が高かったの?性格も良かったみたいだし、今で言うイケメンだったのかな?
>>323 坂口安吾の「二流の人」っていうのもある
332 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 10:46:32
はんべーさん、いい人だよ
333 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 15:26:11
官兵衛さんの父、兵庫助さんはいつ頃なくなったか知っている人いますか?
半兵衛があと30年長生きしていれば歴史は変わっていた。
如水は優秀すぎて領地をもらえなかったというが、デタラメ。
言われているほどの人物じゃない。
335 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 21:18:07
そうだね。半兵衛様が生きてたら、後の秀吉の暴挙も無かっただろうし、豊臣家も消滅しなかっただろうな。ほんとに惜しい人だったな、半兵衛様。
336 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 23:26:23
竹中家ってその後どうなったの?
確か息子が一人いたけど・・・どうなったんだ?
半兵衛の威光で家康から何万石かもらう。
半兵衛は「半兵衛の功績に頼るな。自分で生きれ。」と教えていたのにw
そして幕末。半兵衛の子孫は幕府軍の指揮をとるが散々たる結果。
半兵衛の子・重門は家康から6000石しか貰ってませんけど・・・。
それも、うち5000石は秀吉からの知行の安堵でしかないし、関ヶ原の戦後、
小西行長を捕らえたとして貰ったのが、たかだか1000石。
どっちかというと、秀吉の一代記「豊鑑」を著した人物として有名ですよね。
石が間違っていたスマン
341 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 23:50:35
そして竹中平蔵になりますた!?
342 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 00:50:00
>>341 竹中平蔵はは実は鬼の平蔵で残忍な性格で
祖先は長谷川だった(嘘)
ちょいとおまいたち
如水たんの事を忘れてやしないかい?
あぁそんなのもいたね
345 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:23:32
仮名同士だな。
如水の12万石が少ない、というのもおかしな話だし。
当時、側近中の側近、蜂須賀小六でさえ18万石。
しかも如水は豊前を自分で検地して
自己申告するという特権も与えられている。
当時の秀吉は、自分の身内には厳しく、外様には甘い政策を選ばざるを得なかった。
如水は、譜代ではなく外様の範疇に入っていたわけだ。
豊前は江戸時代には32万石にカウントされていた国。
きっちり計られていたら、当時の黒田の所領は20万石に相当する。
十分に報われていたし、必要以上に恐れられてもいなかった。
20万石じゃなくて20万石以上、だな。
すくなくとも表高どおりの12万石ではないことはあきらか。
関ヶ原の動員数5400人はどう切り詰めても
12万石の大名にはそろえられない。
竹中半兵衛って秀吉の家臣じゃなくて
信長が秀吉の監視役につけた与力じゃないかなぁー
って思うんだけど、どうかな?
349 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 08:02:43
主君が殺されて呆然としている時に「殿にも運が向いてまいりましたな」なんて
平然と言われたら、自分が死んだ時にも同じことやるんじゃないかと警戒するよ。
350 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 21:14:45
>>349 まぁ、小寺政職もやられたわけで・・・ってのもあったかと
351 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:37:10
関ヶ原のときの黒田家って18万石じゃなかったっけ?
それなら全兵力を挙って出兵すれば5400人くらいになりそうだが
>>348 いや、半兵衛に限らず、蜂須賀正勝も前野長康も黒田官兵衛も、みんな与力ですから。
353 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 07:34:00
>>352 そだね。秀長、福島、加藤ぐらいだけが家臣だったと思う。
だから、気兼ねなく秀吉の息子には仕えなかったわけだ。
354 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 11:47:03
半兵衛氏は当時としては晩婚だったの?
355 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 09:38:33
同じ軍師でも竹中半兵衛は高潔な人
黒田官兵衛は野望の人
俺が秀吉なら半兵衛を重用する
356 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 16:20:27
>>49 切腹になったのは、半兵衛の叔父・竹中重光の孫の重義。
半兵衛の息子は5千石の旗本だけど、叔父の家は豊後国府内藩2万石の大名。
357 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:05:36
竹中が病で弱りだして死んだから黒田を使ったんじゃないの?
>355
主君を追い出して城を乗っ取った半兵衛。
主君に裏切られたにも関わらず、その息子を迎え入れて庇護した官兵衛。
どちらが高潔かねぇ?
360 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 00:08:33
かんべーは、はんべーに恩があったからだろ?
361 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 01:15:52
半兵衛は少数で稲葉山を制圧した際の相手はたいして才能のない16歳の子供だった
実働18年
半兵衛の活躍の記したもの多くは偽書と疑われるている
織田か毛利の選択で織田を選び、本能寺後の進言から推測される判断力と先見の明
鳥取城の兵糧攻め、高松城の水攻め、毛利氏との和睦などの天下統一に至るまでの多く
の献策
一年間の投獄に耐えた忍耐力
長政に家督をゆずるものの関が原の際に軍を動かすなど現役で活躍しているので実働33年
以上のことから官兵衛が上と考えます
どうですか?
秀吉が中国地方に入って活躍していたころの、家臣順位ってこんな感じ?
側近
@半兵衛
A官兵衛
B蜂須賀
C前野
D秀長
E浅野
独立して一部隊を任せられる中堅部将
@御子田正治
A宮部
B仙石
C谷、戸田勝隆、亀井、毛利吉成(勝信)など
秀吉本隊にあって動く部将
一柳、加藤光、尾藤、宮田、堀尾、
木村隼人、中村一、脇坂etc
363 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 02:04:22
山内は?
>>359 半兵衛はその城を返還しているし、あの信長の命にそむいて官兵衛の息子を
かばいとおしたわけだが?
>>361 状況が違うものを比べて「どっちが上か」なんて意味がないと思うけど。
下っ端の秀吉が1軍団を任されるまでになるには、本人の才知と信長の優れた人事が
あったにせよ、それだけであそこまではいけない。
半兵衛たち家臣の貢献があればこそで、その時代は秀吉より信長に時代の焦点が
あたっていたため、その当時の秀吉周辺の記録が少ないだけで判断するのは
いかがかと思う。
実際、美濃3人衆なんて半兵衛のコネがなきゃ、当時の秀吉には転向させる力は
なかったわけだし。
どっちも優れた人物ってことでいいんじゃねーの。
365 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 03:07:17
366 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 03:08:13
>>364 半兵衛は貢献しただろうが他にも秀長や蜂須家や前野もいた官兵衛の時にも当然いたわけだが
官兵衛は多くの献策をしているが半兵衛はそういったものがない
秀吉は天下人だったのだから当時の記録は多いはず当然その軍師についても詳しい記録があっていいはず
美濃三人衆の一人は半兵衛の義父だったのに対して官兵衛は中国攻めの際その話術のみで
諸勢力を懐柔していった点だけでも官兵衛が上だと考えられる
367 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 03:16:28
稲葉山城を奪取したのも半兵衛の義父の安藤守就で、半兵衛はそれに
付き従っただけというのが真相らしいね。
美濃三人衆の調略にしても、半兵衛がどこまで関与しているかは
まったくもって不明でしょう。
半兵衛にまつわる確実な事蹟なんてほとんど無いんだよ。
368 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 03:19:35
やっぱり官兵衛が上で決まりですね
369 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 06:09:29
まあ、長生きしただけでも官兵衛の勝ちですかね。
370 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 08:02:45
人間的には半兵衛の勝ち
半兵衛は信長の家臣で秀吉のもとに居た。
だからある程度自由に動けて、指摘もしやすかった。
官兵衛は秀吉の家臣。
372 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 15:05:24
>>370 官兵衛が人間性で半兵衛に劣っていると考える理由が分からない
373 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 07:15:49
↑じゃ官兵衛はどうよ?半兵衛には諸説エピソードがあるみたいだけど、官兵衛のエピソードは?
374 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 07:20:12
>>367は初めて聞いた。
安藤って信長に追放されたりしててイメージ悪かったけど、
若い頃は野心と智勇を兼ね備えた傑物だったのか。
375 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 17:17:16
>>352 始めは与力だが長浜をもらってから直臣にしたんじゃなかったけ?
>>374 野心家だから追放されたんじゃないか
376 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 22:59:22
>>366 >美濃三人衆の一人は半兵衛の義父だったのに対して官兵衛は中国攻めの際
>その話術のみで 諸勢力を懐柔していった点だけでも官兵衛が上だと考えられる
それを言うなら、官兵衛はその当時は小寺姓を名乗っており、周囲のほとんどの
豪族が小寺氏とは赤松つながりだし、官兵衛とは顔見知り。
しかも、いまや将軍を奉じて日の出の勢いの信長の威勢をバックに背負っており、
播磨の小さな諸豪族が京で一番勢いのある勢力に従うのは戦国時代依然から
当たり前の慣習。
ましてや播磨の諸豪族は信長と敵対関係にあったわけでもなければ、毛利氏の
家臣でもない。
官兵衛が「話術のみで諸勢力を懐柔」って、小説の読みすぎ。
官兵衛が「話術のみで説き伏せた」と言える相手がいるとしたら、せいぜい
小寺政職と小寺家中の同僚ぐらいだ(しかも後に見捨てられたし)。
それならば、美濃の諸豪族にとって信長は敵対関係にあったわけだし、当時は
名前だけで相手を屈服させるほどの大勢力でもない。
しかも信長は戦争で美濃勢に決定的勝利を得たこともないばかりか、しばしば
敗北している。
「尾張の織田氏の代理人が美濃の豪族をくどく」ほうが、「京と将軍家を押さえた
織田氏の代理人が播磨の豪族をくどく」よりはるかに難しい。
それにレスを追ってみていると「官兵衛>>>>>>>半兵衛」をしきりに
結論付けたがる特定の人物の自作自演っぽいカキコがあちこちに見受けられるな。
活躍した時代も、背後のバックボーンも違う二人をなんで無理矢理優劣付けたがるんだ?
官兵衛と半兵衛は二人とも優劣付けがたい優秀な人物であり、叛くことを許さない
あの信長に逆らってまで自分の息子をかくまってくれた半兵衛に、官兵衛と長政は
終生感謝していたというだけで十分だろ。
377 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 23:16:20
半兵衛のエピソードが載っている「太閤記」や「武功夜話」や「豊鏡」では誇張されているので
信憑性に欠ける
官兵衛は秀吉政権下で1,2を争う功労者にも関らず冷遇され、そのくせ秀吉は官兵衛が隠居を申し出ると
それを許さずその知略を必要とするなどの扱いを受けたがまったく反発することはなかった
>377
官兵衛は一族縁者でもなく、濃尾時代からの家臣でもないのに12万石(実質18万石というが)与えられて、
それで冷遇なんていったら他の大名の立場が無いな。
でも実績を見たらナカナカなんだが、やっぱりアレだったんかねぇ・・・
380 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 23:40:30
「殿にも運が向いてまいりましたな」が、命取りだったんだよww
殺されてないだけ優遇だと思うが
382 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 21:03:30
>>378 小早川は70万石
敵対していた佐々でさえは50万石
一国を与える約束されていた官兵衛は豊前6郡12万3000石
冷遇されていたといってもいいんじゃないですか?
>382
一国与える約束って何? どっから出てきたの、そんな話?
>>382 比べる相手が悪くないか?
小早川は秀吉の養子の秀秋を嫡子として養子に迎えてるから領地与えやすかっただろうし。
それと小早川が九州平定の功でもらったのって30万石ぐらいじゃなかったっけ。
あと12万石(実質18万石)ってそんなに少ないわけじゃないよ。
黒田関係の本で読んだが当時の万石大名200家あまりの中の18万石って23番目らしいし。
毛利、徳川とかの大身、秀吉の近親や譜代とかがいて上から23番目だよ、立派じゃないか。
385 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 03:09:08
>>376 >「尾張の織田氏の代理人が美濃の豪族をくどく」ほうが、「京と将軍家を押さえた
織田氏の代理人が播磨の豪族をくどく」よりはるかに難しい。
あなたも小説の読みすぎ。同時代の史料で竹中半兵衛が美濃衆を調略したことが
書いてあるものなんていまだかつて一つもないはず。
386 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 22:28:29
このスレはまさにこの本のPRのために作られた
「竹中半兵衛と黒田官兵衛 秀吉に天下を取らせた二人の軍師」
PHP文庫 嶋津義忠:著 780円 2006年02月01日発売
天正18年(1590)、豊臣秀吉は戦国乱世の時代に終止符を打ち、天下統一を成し遂げた。
この偉業を支えた二人の名軍師が、竹中半兵衛重治と黒田官兵衛孝高である。
わずかな手勢でやすやすと美濃・稲葉山城を盗り、そのあとで城を主に返して隠棲した
無欲の天才・竹中半兵衛。
秀吉が織田家臣団の中で台頭する時期、戦場における半兵衛の貢献は計り知れないほど
大きかった。
一方、播磨の国人に仕える一家老でありながら、天下への志を抱いた智謀と誠実の人
黒田官兵衛。
本能寺の変に際して中国大返しを実現させ、官兵衛は秀吉に天下人への道を開いた。
「二兵衛」と並び称された半兵衛と官兵衛は、置かれた環境は異なり、性格も正反対だった。
にもかかわらず、互いの才を認め合い、相手を信頼し合って、秀吉の天下取りを補佐した。
二人が抱き続けた志と友情は、今日の我々の胸を打つ「熱さ」を帯びている。
不世出の軍師二人の人生を描いた力作長編小説。
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=4-569-66590-X
>>361 >半兵衛は少数で稲葉山を制圧した際の相手はたいして才能のない16歳の子供だった
当時の16歳なら十分に大人
それに、年齢を言うなら稲葉城奪取時の半兵衛は20歳じゃん
>386
>一方、播磨の国人に仕える一家老でありながら、天下への志を抱いた
「天下への志」なんてどこから出てきたんだろうなぁ。
まさか山名禅高との逸話のことじゃねぇだろうな?
389 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 13:54:24
栃尾刈谷田川の戦い ○謙信軍 対 ●反乱軍
謙信の初陣。病弱な兄、晴景に変わって出陣した。
実戦経験の無い謙信だったが、油断していた敵を畳掛け、初陣とは思えない華々しい勝利を飾った。
これによって家中の期待が高まり、上杉家は謙信が継ぐ事になった。
北条征伐 ○上杉軍 8万人 対 ●北条軍 9万
関東管領として、北条を征伐した戦。 関東豪族のほとんどが上杉謙信の側についた。
北条軍は撃破されまくり、殺されまくりで小田原城に追い詰められる。
北条軍は小田原城落城寸前まで追いやられるものの信玄が助けに入ったため助かる。
関東管領として始めての戦であった。
川中島の戦い ○上杉軍1万3千 対 ●武田軍2万
無敵の武田騎馬軍団も毘沙門天の化身上杉謙信には勝てるわけがなかった。
啄木鳥戦法も軍事の天才謙信には見破られ、武田軍は山本勘助や弟ら重臣を失う。
車がかりの陣で武田軍は追い詰められ、死者四千六百三十人、負傷者七千五百人を出す大被害を追った。
謙信は単騎特攻して信玄と一騎打ちするなど大活躍を見せた。
唐沢山城救援戦 ○上杉軍13 対 ●北条軍3万
上杉側の関東の豪族、佐野昌綱を救援するため、北条の大軍の中を数騎で特攻。
謙信の威勢に恐れをなした北条軍は怯えて近づく事が出来なかった。
手取川の戦い ○上杉軍2万 対 ●織田軍4万8千
最大勢力の織田も軍神上杉謙信の前では赤子同然だった。
能登畠山を軽々と滅ぼし、謙信に怯え逃げる織田軍を追撃。
織田軍は二千人近くの死傷者を出して、大敗する。
信長自身、近習ら数十騎とともに命からがら美濃へ逃げ帰ったという。
もし謙信が寿命で死んでいなかったら信長は滅んでいただろう。
松川の戦い ○上杉軍2千 対 ●伊達軍4万
この20倍にも及ぶ戦力差を本庄繁長の巧みな戦術で克服し、奇跡的な大勝利を得ている。
伊達軍は大量の死傷者を出して大敗、撤退する。
この戦いを捏造と言う伊達厨がいるが、もちろん負け惜しみから来る妄想なので注意が必要である。
こんなスレにもこのコピペがw
クロカンってクロスカントリーのことだと思ってました。
392 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 01:40:59
>>361 >当時の16歳なら十分に大人
確かに16歳は当時の認識では大人かもしれないが、実際は政務や戦闘経験も
ほとんど無い上にたいした才能もない幼さの残る青年だと思う
393 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 23:36:05
だって戦国の話じゃん。今と比較する方が変
394 :
日本@名無史さん:2006/02/07(火) 07:37:33
ハヤシヤサンペーとハザマカンペー
>>392 まるで見てきたようにw
なんでそこまで執拗に自作自演を繰り返して「黒田>>>>>>>竹中」に
したがるんだ?
ちなみに斎藤龍興はすでに初陣を果たしており、浅井氏・織田氏との戦闘を
経験し、1563年新加納の合戦においては竹中重治の献策で織田軍に大勝利、
あわや織田信長を討ち取るところ追い詰めている。
美濃の諸豪族たちの活躍があったとはいえ、若い身で豪族たちの離反に
苦労しつつも、浅井・織田相手に一歩も引いていない。
安藤守就・竹中重治らに城を奪われたのは、その後。
若さゆえに失敗もいくつかあったが、「政務や戦闘経験もない幼さの残る青年」
にはほど遠い人物であり、その後も畿内や越前を転戦しつつ織田軍と執拗に
戦い続けた。
「斎藤道三=(美濃国譲り状)=>信長=>秀吉」を正統な覇者とする書物や
その軍師・竹中重治の行為を正当化する書物の中で「斎藤義龍=>斎藤龍興」が
悪く書かれてしまっただけで、決して無能な人物ではなかった。
396 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 04:04:15
397 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 04:37:45
のび太かも?
のび太たちが戦国時代へ行ったら、どんな映画のタイトルになるんだろう?
激しく、スレ違いか。。。
399 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 13:11:06
ドラえもん、のび太の天下布武
ドラえもん、のび太と官兵衛、官兵衛、あっかんべえ
海音寺潮五郎の本は良かったね
ドラえもん、のび太の嗚呼壮烈岩屋城
>>402 立花宗茂(の影武者):のび太
銀チヨタン(の影武者):しずか
で夫婦喧嘩で飛び出していった本物が戻ってくるまで
城を守っているほうが面白い。
あれ、岩屋城関係ねーやw
スネオの戦国時代自慢
↓
悔しいのび太、ドラえもんに懇願
↓
タイムスリップ、高橋紹運に出会う
↓
のび太、紹運の高潔な人柄に惚れる。
↓
のび太、紹運と共に玉砕することを決意する
ドラえもん、のび太の成長に涙、共に玉砕する。
って感じで。子供たちの情操教育にはいいと思う。
これなら官兵衛もカラませれるし!
あー、うん、声変わっちまったら、どうでもいいよな、ドラえもんも。
それでいいよ。
官兵衛は出なくていい。ツラがキモいから。
それよりキテレツ黒田三十六計の方がいい。
なんか官兵衛の親父辺りがキテレツ斎でも違和感ないなw
408 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 22:20:11
age
409 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 15:41:05
か
410 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 00:42:13
>>そうだね。半兵衛様が生きてたら、後の秀吉の暴挙も無かっただろうし、豊臣家も消滅しなかっただろうな。
>>ほんとに惜しい人だったな、半兵衛様。
馬鹿丸出し。生きてても暴挙するよ
411 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 01:45:51
言っとくが日本の戦国時代には軍師なるものは存在しなかったんだぞ
ほとんど後世の創作
竹中半兵衛だって過大評価されすぎ
まともに軍隊すら指揮したことない青臭い武将がそんな活躍できるわけねーだろ
書物なども読める人間も限られてたんだぞ
412 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 03:44:45
他がもっとたいしたことないから結局は自動的に優秀と言う事になるわけで
身は褒貶毀誉の間に有りと雖も 心清きこと水の如し
これの正確な白文を教えて下さいませんか
そんなこたぁない。
「軍師」であろうがなかろうが、秀吉の生涯のうち前半は
半兵衛、後半は官兵衛の入れ知恵のおかげだったのは事実。
官兵衛は播磨攻め以降も結構活躍してるしね。
四国攻めとかも大活躍
417 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 00:23:30
419 :
市松:2006/04/07(金) 21:00:18
信長の時代、平然と信長にたて突いて、稲葉山城を渡さず、直臣として仕えず、松寿丸を匿う半兵衛は、権勢や権力に媚びない孤高の士。官兵衛はどうも生臭すぎる。
どっちかというと難病にかかって捨て鉢になったことが
怪我の功名的になったイメージがあるんだけどな。
息子に小便もらしを強制したエピソードとか見ると、
ちょっとメンヘル入っていたのは確実だし。
421 :
市松:2006/04/08(土) 19:06:51
自分は竹中半兵衛を尊敬してやまないけど、友達付き合いをするなら絶対に官兵衛だな。
422 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:25:23
十面埋伏の陣って、中国のパクリ????????????
423 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:36:20
竹中半兵衛音頭を踊れない奴は半兵衛について語るな!!!!!!!!1
424 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 20:11:27
黒田官兵衛の史料なら『大日本史料』
慶長9年3月20日(グレゴリウス暦1604年4月19日)
にまとめて載ってます
425 :
市松:2006/04/09(日) 15:04:29
竹中半兵衛音頭?知らなかった・・・。ぜひ知りたい!教えてください!
426 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 22:01:47
竹中半兵衛音頭をご教授願いたいのですが。
427 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 22:23:46
下の郷土史の本を読んでいたら、秀吉の播州攻めのおり三木城の支城で
降伏開城した志方城(黒田官兵衛の義兄の櫛橋氏の城)の家老で
竹中氏というのが出てくるんだが。半兵衛と親戚かな?
官兵衛つながりですごく怪しいんだが
↓(神戸新聞のHPから買える)
東播磨の歴史2中世
東播磨の歴史を考える実行委員会編 A5 276P
地誌『峰相記』に記された中世寺院と地域の様子、加古川流域の荘園の開発、東播磨を揺るがした三木合戦などをテーマに、地元研究者らが執筆する中世編10講。
定価(税込): 2100 円
428 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 16:42:42
黒田は切れ者過ぎてヤバいな
ありえない仮定だが本州の中核(中国〜上方〜関東)のどこかに大身を得ていたら
秀吉没後の天下取りは堅かっただろう
黒田は小早川の評がいいとこを衝いてる
官兵衛は秀吉に目をつけられたから慌てて隠居したと言うのが定説。
秀吉は自分の次に天下を取るのは官兵衛であると予見したとか。
その話は真にうけてもどうかと思う
432 :
tk:2006/04/23(日) 17:09:46
黒田官兵衛は竹中半兵衛より欲深かったみたいです。と、いうか半兵衛さんの場合
はただ戦略をたてて戦争を実際にやってみるのが好きだったみたいで・・・。だから
権力とかそういうものに全く興味がなく、でも官兵衛は普通に欲があって、だから天下
を独り占めする秀吉の下にいるのが嫌だった、というのが真実みたいですよ。
つうか何度もがいしゅつだが
半兵衛の活躍が書かれている史料を(ry
>>432 某サイトの受け売りみたいなレスですな。
孝高はごうつくばりというよりチャンスがあれば狙う
といった感じがする。
>>431 秀吉が本当に警戒したのは、黒田官兵衛のバックに居る中国地方の武将。
すなわち小早川秀秋や吉川広家ら毛利家と黒田官兵衛のタッグ。
毛利の石高を背景に、黒田の豊臣家における人脈を駆使して切り崩されるのを恐れた。
実際に小早川秀秋や吉川広家をそそのかし、西軍を切り崩したのは黒田長政。
彼の能力もさる事ながら、官兵衛が仕込んだ養子縁組よって、付け家老を2人も送り込むなど関係を強化。
冷や飯食いだった広家の家督相続に尽力し、師父と敬われたのも官兵衛の人徳。
官兵衛の深謀遠慮と着々と打っていた布石が開花したのが、関ヶ原での長政の活躍に繋がる。
436 :
日本@名無史さん:2006/04/29(土) 16:22:11
竹中半兵衛の子孫はいるんですかね?
437 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:07:45
この2人の両方の血を引いている人がライターをやってるみたいだね。
438 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:47:09
秀吉はひとたらしの名人、どうすれば喜ぶかをよく知っている
黒田官兵衛の性格では
「その方の働き見事であった、百万石与えるから忠勤を励め」と言うより
「奴は危険だ、力を与えれば天下を奪うに違いない」と言われた方が満足する
基本無欲で善人だけど野心家って言うのがカコイイな>黒田如水
それは経久のことかーっ!!
いくらなんでも松まであげることはないと思うんですよ。
>>427 黒田の弟しってますか?播磨で城をもってますよ○山城の城主
442 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:12:11
黒田家のキリスト教への信仰って、どんな動機と規模だったんだろう。
長政の改宗は、如水の直接の影響だろうし、如水自身がイエズス会の
毛利領での布教を支援したり、かなり活発に活動してるよね。
毛利秀包の改宗も如水の影響じゃなかったかと思う。
高山右近経由で改宗したみたいだけど、その後の黒田家の様子がわからない。
ご存知の方がいれば、是非是非、ご教示ください。
長政が棄教してキリスト教を迫害したっていうこと
しかしらんなぁ〜。実際どうだったんだろ?
大河でやっと二人そろったね。
446 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 14:04:54
鶴屋半兵衛作号の由来
豊臣秀吉の重臣(軍師)であった竹中半兵衛の子孫である14代竹中丹後守民部彦八郎重固(徳川幕府最後の陸軍奉行。
海軍奉行は勝 海舟)の娘15代竹中つる(明治7年7月25日生)が明治25年頃より雛人形製作を始める。
その後16代竹中幸輔、17代竹中重男と雛人形製作を継承し、現在に至る。
また17代竹中重男の妻、竹中温恵が昭和45年以来、15代竹中つるの雛づくりを参考に、鶴屋半兵衛として製作にあたっている。
ttp://www.ningyou-kousei.co.jp/turuya.html
447 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 21:03:16
官兵衛の兵衛は「兵衛尉」の略だと聞いたことあるが本当なのか?
>>446 へぇー。しかし名軍師の子孫が陸軍奉行とは出来杉だw。優れた人だったんかな。
それとも半兵衛の七光り?wかな。
ウンコかー と保守
451 :
市松:2006/05/22(月) 21:17:56
竹中重固は、陸軍奉行としてはあまりにもお粗末過ぎる。
大河では長政匿ったのは一豊になってたね
さすが主役マンセーの糞脚本
その大河のおかげでこのスレの存在を初めて知った私が通りますよ、と
スレざっと読んだ。なかなか面白かった。で、ちょっと疑問に思ったことが。
亀レスにもほどがあるとは思うが
>>239 >残されてる史料からは、竹中重治の関与すら見出すこと出来ません
>しかし娘婿である事から、参加したのではないか?と言うだけ
>>367 >稲葉山城を奪取したのも半兵衛の義父の安藤守就で、半兵衛はそれに
>付き従っただけというのが真相らしいね。
これなんだけど、竹中半兵衛重虎の名で、寺に出した禁制が残っているよね。
だから少なくとも乗っ取り首謀者グループの一人であったと思ってたんだが、
「史料からは関与すら見出せない」「付き従っただけ」ということは、
最近では研究が進んで、半兵衛が出した禁制が偽文書ということになったんだろうか?
それとも研究が進んで、重虎と重治は別人だとわかったんだろうか?
それと馬鹿馬鹿しい疑問と思われるだろうけど、
>>420 >どっちかというと難病にかかって捨て鉢になったことが
捨て鉢になってたかどうかわかんないけど、たいていの小説やドラマでは
半兵衛の病気って結核ってことになってる。
これは史料に残ってるものなのか?
素人なりに色々調べたんだが、わからなかったので。
>>362を修正して、山内一豊や既にいた七本槍を加えるとどうなりますか?
456 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 08:36:11
吉川元春の急死は秀吉の内意を受けた如水の仕業なの?
信長謁見直前に重治に変えたんだっけ?
458 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 20:56:54
高松城の水攻めって、官兵衛の発案じゃなくて秀吉のオリジナルなの?
459 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:22:10
>>456 もしそうだとしたら元就は長男も次男も接待受けて
死んで本当かわいそうだね。
462 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:23:08
母里太兵衛公の居城があった嘉穂町に黒田武士という日本酒があるよ
あまり旨くないけど…
水攻めは中国のパクリ。まあ、本場中国では味方に裏切られて大失敗したわけだが。
464 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 13:02:30
またお前か
465 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 14:27:57
孝高は野心家。長政が関ヶ原の後、軍功をねぎらいにきた家康を殺さなかった事に対して咎めた逸話あり
466 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 18:25:38
467 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 16:24:14
>>465 自分が天下取っても後継者が長政しかいなかった時点で、
一代限りになることは確定済と孝高もわかっていたはず、
家康に長政を高く売るための逸話だと思われる。
で、疑問なのは、本当に、妾いなかったのかな。
妾っ子が有能だったら本気で天下取りにいってたかも。
468 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 01:26:56
>>467 まぁ妾の一人や二人いなかったわけじゃないと思うけど、少なくとも側室となる女は置かなかったからね。
身体的な問題も含めて、あんまり性欲とか無かったんだろうな。その辺が信長・秀吉・家康やその他の大大名と異なる点だよな。
というか、孝高は基本的に(戦国武将としては)所有欲とか独占欲が希薄だったんだろうな。
469 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:58:48
黒田騒動 1956年
BS-2 6月27日(火) 後1:00〜後2:49
幕府が外様大名取りつぶしとキリスト教徒弾圧を強行していたころの九州。
黒田五十二万石の新任家老・倉橋十太夫が殿の側室と結託して幕府に反逆を企てるが、重臣・栗山大膳は自ら不忠者の汚名をうけながらも主君を守りぬく。
「伊達騒動」「加賀騒動」と並ぶ日本三大お家騒動のひとつ「黒田騒動」を壮大なスケールで描いた意欲作。
黒田騒動にその人ありと後世に伝えられる栗山大膳の苦衷誠実、豪胆な生涯を片岡千恵蔵が力演。
〔企画〕マキノ光雄、玉木潤一郎
〔製作〕大川博
〔監督〕内田吐夢
〔原作〕北条秀司
〔脚本〕高岩肇
〔撮影〕吉田貞次
〔音楽〕小杉太一郎
〔出演〕片岡千恵蔵、大友柳太朗、三浦光子、高千穂ひづる、中原ひとみ ほか
そもそも、竹中半兵衛の方は、実際にいたかどうかも怪しいんじゃないの?
いたこと自体が確認できる一次史料はあるのかい?
それはないだろ。
竹中重治が実際に居なかったというのは初めて聞いた
473 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 13:59:40
へえ
山勘と混同してないか?
半兵衛の息子が書いた、三国志をパクったような小説のおかげで有名になれた
476 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:09:28
大きな勲功があったのなら、もうちょっと禄高を厚遇されてて
しかるべきだな。
477 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/07/13(木) 19:07:07
黒田官兵衛の播州調略は、キリスト教かぶれの影響があるのでは?
初期のあの孤軍奮闘のエネルギーの出どころて、流行りのキリスト教に若さ故にハマってしまった官兵衛の、「布教魂」のような衝動が、
「織田贔屓」というかたちでスパークしたのではないでしょうか?
478 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/07/13(木) 19:14:34
479 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/07/13(木) 19:54:47
過去レスをちゃんと読んでいませんでした。すみません。
>>477 その頃はまだ官兵衛はキリスト教にさほど触れてないんじゃ?
官兵衛がキリスト教に触れるのはたしか、
荒木村重か高山右近あたりの影響だったと思うけど。
482 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/07/14(金) 21:18:50
『播磨灘物語』では官兵衛は布教してなかったと思うが…。
484 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/07/14(金) 22:03:51
>>483 布教するわけにもいかないので、「織田贔屓」という的に調略のエネルギーが収斂されたのかも?とか考えました。
それとも、小寺藤兵衛は毛利贔屓、小寺(黒田)官兵衛は織田贔屓。というスタンスの作戦をとったのでしょうか。
軽くググったら、洗礼を受けたのは天正十一年と出た。
もちろん、キリスト教のことを知ったのはもっと早いだろうけど、
布教するほど熱狂するのはこの頃くらいからじゃない?
486 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 23:21:19
ウホ
荒木に牢屋にぶりぶり入れられた時に
キリスト教に感化されたって聞いたなぁ…。
それよりキリスト教に熱中しすぎるとムリヤリにでも
布教するよ。経験者が言うから間違いない。
488 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/07/15(土) 14:20:18
創成期の、はりきりまくってるイエズス会に触れたのですしね
489 :
宇治小町 ◆B7kUnNEEkc :2006/07/29(土) 11:00:53
490 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 06:30:37
491 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/08/06(日) 15:55:05
>>490 3,800円 .. ちょと高いデチォーorz
〃
(´ρπ・)゜゜゜・。
( エーン
>490
ロマン語るなら誰でも凄い武将になる罠w
最強とか名軍師とか書いてある時点で買う気がしない
竹半って信長公記にあまり載ってないよね。
信憑性の薄い武功夜話では大活躍だけど。
495 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 22:33:05
半兵衛伝説は黎明期の秀吉の勢いと半兵衛自身の人柄やミステリアスな部分が相まって尾ひれがついた
官兵衛は秀吉の地位が半ば確立された後に参入したから人々の興味を引かなかったのかも
496 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 00:23:34
官兵衛もいわゆる「軍師」という存在とは実像はだいぶ違うと
思うんだが。
何たってあっかんべえだからな
678:宇治小町◆Coro/vD7aI 08/07(月) 22:14
本日ハケーンすた、面白いカキコ ♪
497:08/07(月) 00:27 [sage]
何たってあっかんべえだからな
竹中半兵衛と黒田官兵衛
2chスレ
>座布団どぢょー
499 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 08:34:15
大河ドラマには黒田長政が10月から登場するそうだ
官兵衛(斉藤洋介)の息子には見えないイケメン設定らしい
何をたくらんでいるんだ、大石静?
厳しい教育をしつつも愛に溢れたシメオンの姿を描くんだと予想
>>499 それは長政が千代に惚れるか感謝して、山内家と一緒に関ヶ原で戦うことになるな
ドラマでは、松寿丸のとき信長に殺されそうになったのを匿ってくれたのが
山内家という設定だったはず。
今回は秀吉が十分策士で腹黒いので、官兵衛がなんか出てるわりに目立たんな。
え?長政は山内に匿われた事になってんの?なんだそれ?
503 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 19:44:30
朝ドラ風味な大河ドラマでつまらん
オバちゃんがターゲットなんだろうけど
上杉征伐に同行した豊臣恩顧の武将を
家康方に引き込んだのが長政と一豊だから、
出てくる必然性はあるのでは。
505 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 06:20:44
>>503 それ以前に半兵衛の臨終時のセリフが「私が生涯愛した女子は千代殿でした」
の時点でダメダメ。恋愛中毒の少女漫画みたい。
ちょっと興味ある奴なら「オマエ妻子持ちだろ!!」ってわかると思うんだが
NHKの考証組はなにをしているのか…。
506 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 07:46:51
べえ
507 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 23:35:18
おばさんの少女趣味が炸裂だよな
大河に限らずそんなドラマばかりだが
508 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 03:13:04
age
509 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:11:22
半べえって美青年だったってホント?
510 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:30:47
直方
511 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 21:02:19
>>509 肖像画見る限りは・・・・あんまり美少年じゃないんじゃない?
512 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 14:47:55
513 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 12:05:47
黒田官兵衛って顔長いイメージがあるんですけど(息子の長政も)・・・。
大河ドラマの「功名が辻」最初の方で竹中半兵衛を
紹介していた映像って見た?
尾張兵らしき連中が地面に張られた綱で転んで、
美濃兵にやられるってシーン
あれじゃ、十面埋伏陣どころか、ただのゲリラ戦法・・・
それでナレーションはヌケヌケと「軍略家」と紹介
大河ファンとして、情けなく感じたよ・・・
515 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 01:19:20
Gacktがあの喋り方でヘンテコな演技したら許さんぞ
516 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 12:55:39
ほー
961 :定ちゃん ◆u/PWq663t2 :2006/11/07(火) 06:32:31
牲川(にえかわ)というのが、定ちゃんの本当の苗字です。
嘘です。
嘘ですが、ずい分昔。叔父さん(宍粟市在住)に、牲川(にえかわ)
というかたとのお見合いを勧められたことがあります。
その時、叔父さんは「家柄が釣り合う」と言っていました。
定ちゃんの本当の苗字は黒田ではありまてん。でも、叔父さんは
黒田官兵衛の子孫だと言っています。幕末は、○○カガミノカミだったとか ..
定ちゃんは、叔父さんの言葉を聞いて、心底バカバカすぃ〜(WwWwwww)
と思いました。黒田官兵衛の血筋の真偽。ではなく。
今時、「家柄」に優越感を持とう!とする発想が、です。
叔父さんは、特に威張りたがる性格でもなく温厚で親切ですが、
『い、家柄て!田舎臭ぁ〜わら〜』と、生理的に反感を感じたものです。
しかし、定ちゃんも老いさらばえまちた。
優越感を持てる取り柄もありまてん Orz
結局、牲川さんとお見合いはしませんでしたが、牲川さんと釣り合う黒田官兵衛の子孫。って ..
どの程度なん?って、ふと思いまちた。
最初聞いた時は、「へーんな苗字!犠牲の牲やんか!キショッ!」と思いました。
でも、ふと、ついでにググってみたのです。でも、よくわかりません。
現代の牲川さんが出てくるばかりです。
どなたか ..
962 名前:定ちゃん ◆u/PWq663t2 :2006/11/07(火) 06:36:03
どなたか。
「 牲川 」という苗字の人物のひと、黒田官兵衛と何か関わりがあったのか?
ご存知のかた。居おられましたら教えてください。
よろしくお願い致します ..
518 :
定ちゃん ◆u/PWq663t2 :2006/11/07(火) 19:00:11
> 幕末は、○○カガミノカミだったとか ..
↑ もちろん冗談です。
でも、片方は本当です。
「 幕末 」が冗談なのか、「 加賀守 」が冗談なのか。
わたしの苗字は、シャチハタを特注する必要があるような変わったものではありません。
その時代の歴史小説では、多少その地域に登場します。
先祖が気になる。って、家柄や優越感ではなく。
ロマンなのかなぁ?です。
519 :
日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:42:14
あ
520 :
日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:48:39
戦国最大の謎の一つ「本能寺の変」。織田信長の遺体が発見されなかったことを筆頭に、
光秀嫉妬説、秀吉黒幕説、千利休黒幕説、はたまた足利義昭陰謀説など…諸説入り乱れ
定説がない。それは、明智光秀がたとえ信長を打ち倒したとしても、当時の状況からし
て秀吉、家康など信長配下の軍事力に屈することが目に見えていたはずだからである。
この謎を究明していた所、奇妙な事が判明した。光秀が信長を討った後の行動には不信
な点があったのだ!なんと何かを察知した光秀が、城から持ち出した財宝を逃走中どこ
かに隠したというのだ!今回この他にも取材陣は光秀の子孫とされる人物に接触!財宝
の在りかを示すとも取れる“先祖代々伝わってきたという歌”の情報を入手!!しかし
、その歌は祟りがあると恐れられていた・・・果たしてこのミステリーは解明できるの
か!?
■テレビ東京 : 新説!?みのもんたの日本ミステリー!〜失われた真実に迫る〜
2006年12月6日夜9時00分〜10時48分
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery/
521 :
日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:00:54
>505
大河で半兵衛って色恋についてへんなキャラ設定?
”秀吉”のときは
超年上の野際陽子演じる光秀の母とだし。。。
522 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:35:24
「徳川家康殿」
「いや、前田利家どのだろう」
「蒲生飛騨守どのではないのか」
「どれも違うな」
「ではどなたが?」
「黒田のちんばよ」
523 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:04:01
ん?
524 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:14:47
>>520 普通に皇室だろ
別のテレビでやってたが、二万の軍勢の行軍の騒音はもの凄くて、とてもじゃ
ないが奇襲なんて無理らしい。
信長が天下布武の総仕上げとして大々的に洛中閲兵式を天皇の前で行い、毛利
を滅ぼす一大デモンストレーションだったんだろう。右大臣返上して暦まで改
変を要求してたんだからもう皇室の政治機能なんて無意味。
いろいろ突っ込みたいところだが、
せめて朝廷って言え
526 :
日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:50:02
聞きたいんですけど
光秀討ちに戻るときに、毛利側から旗借りて
合戦で毛利も味方についたのかと思わしたってやつで
毛利側に信長死んだ情報が伝わる前に和睦結んだといってますけど
死んで、作戦で旗使いたいとかいうちゃんとした理由ないのに
どうやって旗借りたのか分かんないです。。
毛利側としたら明らかにおかしいと思うんです
なぜ旗必要なのか。
他の合戦でも、味方から旗借りて有利に進めるのが
その時代当たり前だったからすぐ借りれたんでしょうか
要は、官兵衛が何て言って借りたのか
全然知識ないんで、知ってる人おねです。。
一部の講談では秀吉&官兵衛が正直に毛利側に本能寺の変のことを伝えて、
そのことに感激した小早川隆景が和睦に反対する毛利諸将を説得するという件がある(もちろん事実は異なる)
旗指物云々は隆景が秀吉に明智討伐の兵を貸そうかとしたところ、
官兵衛が旗だけ有れば相手の戦意を挫くのに十分、と答えたという逸話
安全に撤退するために和睦の印しとして毛利の旗を借りたというのは無いのかな?
官兵衛はシンガリだったみたいだし。
529 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:04:04
私は竹中半兵衛の子孫だったらしい。
明治時代に名字と家系図を他人に売り、新たな名字をゲットしたので
正式には子孫と言えないようですが。
530 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 21:00:03
そんな事より今日の“その時歴史が動いた”黒田如水だからおまいら見れお。
531 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 23:07:27
“その時歴史が動いた”見ました。
で、思ったんですが、
黒田如水が天下統一してたら日本は今頃カトリックの国になってたかもしれないですね。
(如水→洗礼名シメオン)
となると、鎖国もなし、近代化に遅れることもなかったかも。
というか
黒田如水がキリスト教国(スペイン、等)の回し者だったという可能性はないでしょうか??
独自の情報網を持っていた事といい、関が原の合戦時に用意できた金銭の
多さを考えると、あながちその可能性も否定できないと思います
533 :
531:2007/02/28(水) 23:42:06
「天皇のロザリオ」という本があるのですが
この本を一読すれば
『クロカンはスペイン、キリスト教国の回し者だった説』
もあながち荒唐無稽な想像とはいえないのではないでしょうか
534 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 00:09:22
>>531 近代化に遅れを取ったって?
オランダ・スペイン・ポルトガルなんてあっちゅーまに廃れましたがw
アメリカに次ぐNO2になってる日本がなんで今さら近代化の遅れを嘆かなきゃいけないんだ?
むしろ「現代化」に遅れたカトリック諸国こそ歴史のifを考えるべきだね
535 :
531:2007/03/01(木) 00:51:10
>オランダ・スペイン・ポルトガルなんてあっちゅーまに廃れましたがw
いや、そんな分かりきったことを書かれても困るというか・・
ま、言いたかったことはクロカンのようなキリシタン大名を通じて
キリスト教国に乗っ取られる可能性があったってことです。
キリシタン大名は金銭、武器と引き換えに
日本人を奴隷として欧州に売りっぱなしてたようですし。
まあ一種の奴隷貿易ですね。
これ以上はスレ違いなので止めときます
536 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 01:39:38
>>535 だからないっつーのw
秀吉がとっくに予見して排除しとろうが
意味不明なif論争吹っ掛けるの止めてくれる?
馬鹿?
537 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 01:41:15
>黒田如水が天下統一してたら
ありませんw
万に一つもありません
日本がカトリックの国に?
ありませんw
538 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 01:46:26
>独自の情報網を持っていた事
そんなもん戦国じゃ普通ですよ
徳川を筆頭に戦争に強いヤツラはみんな持ってた
いちいちキリシタンの陰謀論を持ち出すには安い理屈w
じゃ忍者もキリシタンだったんだwww
>関が原の合戦時に用意できた金銭の多さ
実際にいくら持ってたんですか?w
織田信長を始め、経済と戦争を結び付けてた優秀な武将は結構たくさんいましたよ
そもそも武士=武装農民といった考え方が短絡的。
西日本には商業を基盤にした武士がたくさんいた
商人だって武装してたわけで西国ではむしろ武装商人=武士
539 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 01:53:19
あとやっぱりね
>>535が馬鹿だと思うのは、天下統一というのは武力だけじゃ無理なんだよね
頭がゲーム脳というかさ
織田信長が一番頭を痛めたのはなんだと思う?
それは「権力の正統性」だったんだよ
一介の地方政権あがりの信長が日本を統べるには武力だけじゃ民衆が支持しないんだよ
考えてみ? 北朝鮮が武力で日本を占領したとする。
で、小泉総理は命からがら逃げてゲリラ政府を立てるとする
お前はどっちの味方になりますかってことだ
これなら馬鹿でも分かるだろ
540 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 01:59:10
黒田家には秘伝の目薬収入があるんだよ、舐めんなよw
541 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 04:24:24
信長はキムジョンイルは全然違うからな
542 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 11:03:51
こういう陰謀説が出てくるような恐怖感が
秀吉や光成を恐れさせたんだろうな。
関ヶ原が、小牧長久手のような長期戦になっていたら
黒田如水にも十分チャンスがあったよ。
三成挙兵からわずか1ヶ月余で、中津城の僅か3千の兵を元に
豊後・豊前・筑後を次々に切り取り、しかも降伏させた将兵を次々に傘下にし、
1万を優に越える軍団を形成するという韓信ばりの超凄腕。
さらに加藤清正・島津は本国に主力を温存していたから、彼らと連合を組めば、
西軍・東軍に匹敵する強大な九州軍団が完成したことになる。
>>543 いや、地理的に難しいだろうよ。
そもそも九州から武力で東上して畿内を押さえて確実に天下を握ったのは
神武天皇東征が日本史上最初で最後。
幕末の薩長にしても、作戦の最初のうちから京都に本拠地を構えていて、
どちらかと言うと、江戸から政権を畿内に「奪還した」というほうが正確だ。
九州はやはり都落ちの地だった。九州や西国勢力が、
東上の機会を伺ってもたついているうちに、
東国勢力があっさり上洛するというのが少なくとも中世以降の一貫したパターン。
ザックリ言いすぎ。本拠じゃなくとも、九州勢力を利用した尊氏を忘れている。
> そもそも九州から武力で東上して畿内を押さえて確実に天下を握ったのは
神武天皇東征が日本史上最初で最後。
足利尊氏と薩摩島津藩がいますよ。
547 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 16:50:41
情勢を考えれば、島津、毛利、長宗我部などの力を得て徳川と対決することは可能だった。
一気に京都まで行けている。
では何故関が原の直後にそれをやらなかったんだ?
結局何が何でも徳川を倒そうと言う士気がなければダメなんだよ
いくら毛利、島津を力を得ようとも、所詮は大将なしの烏合の衆で、官兵衛でも苦戦すると思う。
関が原が長引けばどうなったか分からんよ、根回し次第で勝つ可能性はあった。
烏合の衆を問題にするなら、むしろ家康に勝ってからのほうが深刻w
>>546 足利尊氏の場合は、九州に落ちてすぐに軍団を集めて直ちに反攻している。
九州に『居つかずに』直ちに折り返したわけで、
そうしないと九州勢の東上天下取りは非常に難しいようだ。
九州島の中に「居付いてしまう」というのが、どうやら歴史を通じての致命傷らしく、
九州南朝勢も、グズグズしているだけで、態勢をひっくり返すには至らなくなった。
黒田はと言えば、1580年代には既に中津入りしているわけで、
1600年には十分に九州勢として「居付いて」しまっている。
こうなってしまっては無理というのが歴史の経験のようだ。
薩摩に関しては、九州勢力糾合では全然足りなかったことが明白。
結局、長州や土佐のみならず、畿内より東の越前や尾張まで糾合した、
「西日本ドリームチーム」レベルまで大糾合させてはじめて明治維新は可能になった。
中部地方まで(部分的でも可)なんとか押さえてしまえば、天下は握れるというのも、
また日本史を貫く真実でもある。
関が原で、息子に美濃のどこかでもどさくさに紛れて占領させるという脳内史でも描くか?w
>>550 根回し次第で勝つ可能性があったなんて・・・
それなら官兵衛でなくとも、誰にでも天下を獲る可能性があったというわけじゃん
あほくさ
553 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 10:02:35
>>551 だから如水なら西日本ドリームチームが作れるわけだ。
>>551 > 九州に『居つかずに』直ちに折り返したわけで、
主力は小弐や菊池の九州武士団
> 薩摩に関しては、九州勢力糾合では全然足りなかったことが明白。
ひどい勘違いをしているようだが、九州勢力糾合なんてしていない。
鳥羽伏見の官軍側に薩摩藩以外の九州の藩は参加していない。
鍋島も上野戦争の段階になってようやく官軍に参加した。
555 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 14:33:13
黒田如水なんて天下の趨勢からしたら小物だよ
あくまで「秀吉が恐れたほどの・・・」って形容が付くがゆえに有名なだけであって
その時点で天下を取るタマじゃないってこった
>>554 すまんかった。
>>551の「全然足りなかっ『た』」というのは、
英語でいう仮定法のつもりだったんだよ。九州勢を全面糾合した歴史的事実は無いし、
仮に島津が糾合したとしても、それだけでは絶対に無理だっただろうというのが趣旨。
それから、
「直ちに折り返す」というのはリーダーに必要であるだけで、
兵卒は地場の勢力というのでも構わない。
リーダーが九州に「居付いてしまった」ら最後、いわんや
九州在地勢力をリーダーとする上京はまず無理というのが、歴史の語るところだろう。
つまり、在地の永続的地元リーダーとして九州にどっかり根を下ろすと、
その時点で畿内奪取は限り無く困難になるらしいのだ。
なぜかの理由付けは難しい。
中国地方の勢力の上洛天下取りの困難さについてなら、
「畿内に対して『半島』だから」という地政学的説明が可能だが。
「半島の先の島(九州)」が「大陸部分(畿内)」を直接支配するのはより難しいのかもしれない。
日本史に適用するのは著しいミニアチュアだけどなw
557 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 11:04:19
既出だけど、竹中家のその後。
江戸時代は、5000石の交代寄合(参勤交代をする無役の旗本)で江戸城の詰所は柳間。
旗本とは言え、大名並みの待遇が受けられました。
反町茂雄著「一古書肆の思い出 4」の496p−499pにも詳しく
このお家から出た古典籍や、伝聞ですが終戦直後の同家の様子も記されています。
蔵書印は「竹裏館文庫」で、反町さんは、貴重なものが多かったと証言しています。
私は、竹中半兵衛の事跡については、
戦国期を生き抜いた子孫らが先祖の功績として家名を誇るために
江戸時代にキャンペーンをはったものと理解しています。
558 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 22:37:47
ほー
559 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 06:50:13
竹中重門の一族かよ。
560 :
日本@名無史:2007/04/02(月) 14:11:23
少し話ずらさせて下さい。
重門の書いた「豊鏡」は嘘ばっかじゃないですか?
秀吉の言うように書いたっていう説ありますし・・・
あと、「豊鏡」に半兵衛の稲葉山城の話が載ってないのは
謀反人として伝えられることを恐れたからで、嘘だったからって言うわけじゃないそうです。
561 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 15:19:08
>>560 義父の安藤守就に協力しただけじゃないの?
562 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 05:40:36
秀吉が後年、半兵衛の話しをしきりにしたという記述でもあればなー。
563 :
日本@名無史さん:2007/06/22(金) 21:28:30
564 :
日本@名無史さん:2007/06/23(土) 01:16:31
新聞配達のバイクの音はどれくらいの距離から聞こえ出すか?
光秀の軍勢はどれくらいの距離まで気づかれずに本能寺に近づけたか?
566 :
日本@名無史さん:2007/07/19(木) 18:21:16
べえ
567 :
日本@名無史さん:2007/07/19(木) 22:16:35
竹中工務店
568 :
日本@名無史さん:2007/08/02(木) 12:49:55
ひとりも殺さず、知略だけで浮浪者から一豪族に成り上がったのが官兵衛のおじいさんだっけ?
569 :
日本@名無史さん:2007/08/13(月) 00:01:51
>>568 秘薬の目薬販売がようやく軌道に乗った頃の話か?
はんべえ、かんべえ以外に○んべえを教えて下さい
「のんべえ」とか「どんべえ」くらいしか思いつかないな
あかんべえ
573 :
日本@名無史さん:2007/09/13(木) 00:23:38
あげ
574 :
日本@名無史さん:2007/09/14(金) 21:05:12
じんべえ
575 :
日本@名無史さん:2007/09/14(金) 23:30:33
神子田 正治
576 :
日本@名無史さん:2007/09/15(土) 02:54:33
すけべえ
577 :
日本@名無史さん:2007/09/16(日) 09:04:40
飯田 覚兵衛(加藤清正の家老)
花房 助兵衛(宇喜田秀家と喧嘩別れ)
578 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 08:30:58
ほう
579 :
日本@名無史さん:2007/10/30(火) 23:51:50
★沖縄戦で緊急シンポ 小林よしのり氏招き
・教科書検定撤回をめぐる動きが問題になっている沖縄戦の真相に迫ろうと、緊急
シンポジウム「沖縄戦を子供たちにどう伝えるか」が11月15日午後6時半から、
東京・神田美土代町のベルサール神田で開かれる。
扶桑社の中学歴史・公民教科書の継続発行を支援する「教科書改善の会」
(屋山太郎代表世話人)が主催。『沖縄論』の著書がある漫画家の小林よしのり氏
▽伊藤隆・東大名誉教授▽中村粲・獨協大名誉教授▽八木秀次・日本教育再生
機構理事長−らが話し合う。
教科書改善の会は「沖縄県民には、教科書検定で沖縄戦の悲惨さ自体が否定
されるのではないかという誤解がある。沖縄に共感する教育を話し合いたい」と
している。
入場料1000円。(一部略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071030-00000944-san-soci
580 :
日本@名無史さん:2007/10/30(火) 23:54:29
半兵衛は秀吉を出世させた軍師
官兵衛は秀吉に天下を取らせた軍師
半兵衛は陳平
官兵衛は張良
583 :
雪の大尚蔵:2007/11/29(木) 22:36:07
おのおの方!本日(旧暦霜月大潮)は黒田官兵衛(如水・孝高)生誕の日でござる
584 :
スーパーキモイマン:2007/11/29(木) 22:37:34
我が主君の主君よw生誕おめでとう。
585 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 14:41:24
おちんちんアロンアルファ
586 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 08:19:33
重治いいよ。
587 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:06:40
重治押すよ
588 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 23:05:07
どっかに
半兵衛が死んだとき、秀吉は人目も憚らずその亡骸にしがみついて泣いた
みたいに書いてあった。
小説にか!
591 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 19:17:18
本山一城は黒田官兵衛の子孫
を鼻にかけた最低ヤロー
592 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 19:11:44
だから黒田は末裔まで死ねよ
594 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 21:51:33
595 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 12:48:23
関が原のときの、九州制圧の手際をみると
官兵衛は絶対家康にさえ、自分の戦の采配は負けていないと
思ってたんだろうな、って思う。
自分の作戦の正しさに即、自分の命を賭ける逡巡のなさには脱帽。
自分の才能を世の中に余すところなく表現することが最優先ってかんじ。
でも、その潔さが日本を束ねる器ではなかったともいえるけど。
まぁ地方の戦乱を楽しむ小物ってことですね
古谷一行が今わの際で竹中直人に遺した言葉覚えてる人いますか?
598 :
日本@名無史さん:2008/07/03(木) 21:27:16
竹中半兵衛の子孫って方はどこにいらしゃるのでしょうか・・
和泉元彌
600 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 23:48:14
601 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 20:07:10
如水は最強のナンバー2
半兵衛も好きだし、官兵衛も好きだな。
半兵衛は稲葉山を落した後の行動がいいし、官兵衛は関ヶ原のどさくさにまぎれて北九州を席捲したところがいい。
どちらも秀吉の幕僚だろ。それなりの人物だったってことだ。
603 :
日本@名無史さん:2008/11/29(土) 15:22:16
私も。
司馬遼太郎の播磨灘物語はいいよー
大河になればいいね♪
大河やるのはいつなんでしょうか?
605 :
日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:45:15
ダース兵衛ダー
>>596 それはちょっと…
美濃・近江辺りから播磨まで遠征するってのは、今なら日本がインド辺りに侵攻するような感覚。
信長・秀吉による天下統一は、今なら世界征服に相当する大計画であり、朝鮮出兵は火星に進出するような感覚なのです。
>>596 …恐らく、承知の上で仰られたのだと思いますが。
(敬称略)
『播磨灘物語』の影響かもしれないですけど…
黒田官兵衛って、本当に生臭いイメージの方だったんでしょうか…?
オレの中では「病弱じゃない竹中半兵衛」のようなイメージが少しあるんですけど…変ですかネ?
608 :
日本@名無史さん:2009/01/30(金) 08:15:54
ネットや書籍で一通り調べたつもりなのですが、わからなかったので教えてください。
竹中半兵衛重治
の幼名って何ですか?
609 :
日本@名無史さん:2009/01/30(金) 12:09:47
椀を兜にするとかクロカンぱねぇよ。
>>608 残念ながら、不明です…
吉助(子・重門の幼名)や、
竹之助(孫・重常の幼名)
…とかの可能性も0ではないかも。尤も、吉助と付けたのは秀吉だけど…
612 :
608:2009/01/31(土) 15:18:54
>>611さん
回答ありがとうございます。
やっぱり不明なんですか…orz
弟の幼名「久作」が伝わっているのになんで不明なんだろう…
ところで、息子(重門)の幼名が「吉助」とありますが
「左京」とはまた別に秀吉に付けられたってことでしょうか?
黒田官兵衛は本当に秀吉から左遷されたのか?
加藤清正が熊本に25万石、
小西行長が八代に24万石、
…確かに石高は少ないけど、豊前8郡のうち6郡
で12万石って、当時としては少なくないのでは?
朝鮮の役で北九州が重要になるのは清正・行長の例でわかってる事だし…
穿ち過ぎですかね?
614 :
日本@名無史さん:2009/02/07(土) 21:44:14
615 :
日本@名無史さん:2009/03/07(土) 03:04:38
半兵衛は神道流を遣うか?
もし半兵衛がいなければ黒田長政はこの世に存在しなかったので福岡の黒田藩はなかった。
「もしも」はきりが無いからやめようよ・・・
もし、黒官が有岡城に行ってなかったらとか
もし、半兵衛が病気じゃなかったらとか
618 :
日本@名無史さん:2009/03/27(金) 01:23:26
もしも氏真が超有能で天下とってたらとか
619 :
日本@名無史さん:2009/03/27(金) 19:28:21
もしも、このスレが立たなかったら
620 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 23:13:42
なんだよ!
621 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 19:11:09
人志松本でも官兵衛話クソワロタw
622 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:34:23
>>458 >>463 備中高松の水攻めの件について
信長が浅井を守る小谷城を攻めた時、信長が
虎御前山から姉川までの一里半、土塁を築け!という
あまりにも長い堤防をつくるように藤吉朗に命じた。
藤吉朗は、戦に土木工事を持ち込むという信長のこの発想を、
このときに体で学んだものだと思われる。
中国地方の軍団長となってからは
播磨(兵庫県)の三木城や因幡(鳥取県)の鳥取城では城の外をぐるりと土塁で囲い込んだし、
備中(岡山県)の高松城では北近江の土木工事をそのまま規模を大きくしてやり、
一里もの巨大な堤防を築いて川の水を堰き止め、地上に人工湖を現出させて城を水中に孤立させ、
「水攻め」をした。
余談だが、半兵衛の戒名は深竜水徹(1579亡)
晩年の黒田の名前は如水(1589年隠居時)
水徹と如水に必ずしも関連性があるのか?とは言い切れないし
資料は少なく半兵衛は伝説的に描かれ、
二人が一緒にいた時間というのは短かかったわけだが、
人徳というか、尊敬の念のようなものがなければ、
重治の死後、わざわざ黒田が竹中の一族を囲うようなことはしなかったと思う。
黒田は竹中から影響を与えられた人物の1人ですよ。
623 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 22:27:28
この二兵衛がすごいといっても、秀吉の「軍師」としては、
蜂須賀小六
に止めを刺すのではないだろうか。
ものの本では二兵衛に次ぐ「第三の軍師」とされているが、
別の本では、秀吉(木下藤吉郎)の不足している面を補った
「大人の調整役」とされていたが、こちらの方が腑に落ちる。
二兵衛に対しても、小六は「大人」として振る舞い、
二兵衛もそれを受け入れていたのではないか。
624 :
;:2009/05/24(日) 11:51:53
小六はがさつな野伏のイメージがついて損をしてる。川角太閤記の影響大。
625 :
竹中半兵衛:2009/05/30(土) 20:33:06
6月7日(日)に私がこの世を去った兵庫県三木市に現れると噂になっておる。
626 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 23:55:59
本日、午後から有給をとり三木市にある半兵衛の墓に行ってまいりました。
感慨深かったなぁ〜。
627 :
日本@名無史さん:2009/07/22(水) 22:52:57
半兵衛ってぶっちゃけ過大評価だよな
資料不足ってだけ。
…行間を読め。
630 :
日本@名無史さん:2009/08/16(日) 22:22:34
資料不足ってより死ぬの早いし。
631 :
日本@名無史さん:2009/08/17(月) 14:05:57
死んでないし
632 :
日本@名無史さん:2009/08/17(月) 18:15:42
竹中半兵衛は生きていた。
大陸に渡って愛新覚羅ヌルハチになった
>>6 竹中半兵衛も和泉母も地元民だが、同じにして欲しくないし、子孫として繋がって欲しくない
634 :
日本@名無史さん:2009/10/02(金) 15:55:36
あげ
635 :
日本@名無史さん:2009/10/08(木) 18:43:18
あげあげ
竹中半兵衛は生きていた。
でもすぐ死んだ。
死んだらあかん!
638 :
日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:12:02
ん?
黒田家の商圏て姫路からどの辺りまで広がってたんだろうね?
小西さんとこは堺を中心に瀬戸内海〜北九州までのルート持ってたような記述を見たけど。
640 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 13:33:49
竹中半兵衛は死んだふりして本能寺の変を引き起こしたんだょ
641 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 19:43:10
642 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 21:10:10
どっちもカッコええ
漫画の乱で竹中半兵衛が連載されているけど女の様な容姿は漫画作者の創作キャラ設定かと思ったけど実際に半兵衛は女人の様な容姿だったんだな
>>643 肖像画はそうでもないんだけどな
っていうかソースは何?>女のような顔
646 :
日本@名無史さん:2010/03/26(金) 09:36:13
史料にそう書いてあるわけではなく講談・小説の類の話だろ。
647 :
日本@名無史さん:2010/03/26(金) 13:19:47
竹中半兵衛と黒田官兵衛は同一人物では。
648 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 12:40:29
なんで?
649 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 21:42:45
黒田はんべい
650 :
日本@名無史さん:2010/08/13(金) 10:18:47
ドラマ化決定したな
黒田家の血筋が絶えたのは
城井の怨念?