1 :
日本@名無史さん :
03/12/01 21:13 幕末佐賀藩でアームストロング砲の製造が、本当に可能だったのか? 司馬遼太郎の小説「アームストロング砲」以来、無批判に製造説が広まっている。 日本史学者でも無責任に追随する椰子がいるが、いいかげんすぎないか? 文献史、軍事技術史、製鉄史的にアームストロング砲を語れ!!
2 :
日本@名無史さん :03/12/01 21:14
小泉を叩くのは高卒の僻み
奥さん、奥さ〜〜〜〜ん!!!
4 :
日本@名無史さん :03/12/01 21:23
文久三(1863)年に試製着手したとされるタイプは、 6ポンド錬鉄製後装施条砲。 この製造が果たして可能であったか? ちなみに南軍(南部同盟)がフルコピーに失敗したタイプでもある。
5 :
日本@名無史さん :03/12/01 21:33
サヨは何故、母国を貶める発言で喜ぶのか? サヨは、日本人が世界に誇れるもの(良い意味で)は何もない事にしたいらしいね。 これじゃぁ、ウヨ以外の一般人もカチンとくるよ。
>>5 記録で見る限り、確実に佐賀藩で製造していた鋳鉄製ボムカノンと
アームストロング砲の間には超えがたい技術的なヒアタスがあるから。
確かな史料の裏付けもなしに、何を世界に誇るのか?
7 :
日本@名無史さん :03/12/01 23:06
無思想ってありうるの?
弥助砲は凄いよね
9 :
日本@名無史さん :03/12/01 23:49
反射炉が欲しいですね。
10 :
日本@名無史さん :03/12/02 04:33
集成館あっての近代化だよね。
11 :
日本@名無史さん :03/12/02 05:09
福沢の私塾が後の慶応大学になったように あるいは開成学校が大学南校、帝国大学と変遷をとげたように 佐賀藩精錬方が後の東大工学部になったことは良く知られている
12 :
日本@名無史さん :03/12/02 05:37
佐賀藩が製造したアームストロング砲って現存してるんだろうか?
>>12 佐賀藩が「所有」していたアームストロング砲で現存しているものはない。
佐賀城内の写真でアームストロング砲が写っているものが、佐賀の乱前らしい。
司馬遼太郎は佐賀藩がアームストロング砲を数門のみを輸入して、あとは製造したように表現しているが、
実際は百門以上を英国に発注し、確実に40門以上は輸入している(後装施条砲のみ)。
14 :
日本@名無史さん :03/12/02 09:53
>>5 どこぞの国のように何でもかんでも自慢できるものは全て我が国が生み出したと
言い張る事が自慢になる?
実際に誇れる物なんて幾らでもあるのに、そうでない物まで自慢する必要は無いよ。
ところで佐賀藩は嘉永3年(1850年、黒船前!)に蘭書を元に日本初の耐火煉瓦
造りの洋式製鉄所を作り、反射炉も作っている。
しかも目的は大砲作成の為の製鉄で、手本とした「ゲシュキュントギーテレイ」
(「ロイク国立鉄製大砲鋳造所における鋳造法」)には、反射炉・高炉だけではなく、
オランダの大砲製造工場の図面が載せられていた。
これらの点からみれば佐賀藩製アームストロング砲は可能だったと思うし、
佐賀藩にその気があった事は間違いないだろうと考える。
>>14 >佐賀藩にその気があった事は間違いないだろうと考える
これには同意。
国立科学博物館の鈴木さんも「日本人である限り、目の前に実物があればコピーを試したはず」といっていた。
ただし、技術テキスト(「ロイク国立鉄製大砲鋳造所における鋳造法」)に示されていた反射炉は、18世紀後半に成立した技術を19世紀前半に記述したもの。つまり、ナポレオン戦争時代の「鋳鉄製」大砲を製造するためのもの。
しかし、初期の後装アームストロング砲は、産業革命後期の技術を元に成立したもの。錬鉄を製造できるパドル炉と、それを鍛造するための蒸気機関駆動の大型ハンマーが必要。
佐賀藩が建造した築地・多布施の2カ所の反射炉は、構造上パドル錬鉄を製造できない。蒸気ハンマーは蒸気船建造のために小規模なものを輸入したらしいが、文久年間より前に幕府に献上している。
つまり、性能的に安定した初期後装アームストロング砲のフルコピーは不可能ではなかったかと。
製鉄史関係者には、手持ちの技術で試作した鋳鉄製後装施条砲もどきを、アームストロング砲製造としているのでないかという主張もある。
つうか最近は「製造してない」説がほとんど定説だと思ってが、 製造説を取る日本史学者なんているのか?
17 :
日本@名無史さん :03/12/02 10:57
佐賀に行って子孫に当たれよ。
18 :
日本@名無史さん :03/12/02 11:38
無理。 アームストロング砲はアームストロング社製だからアームストロング砲。 佐賀藩製だったら佐賀砲。 上手く作れてたら、はなわが歌っていたかもな。
>>16 >製造説を取る日本史学者なんているのか?
さすがに、表立って「製造した」という「学者」は、最近見ないね。
ただし、「製造してない」説がほとんど定説というわけではなく、避けているだけ。
最近は佐賀県立博物館の図録でも、製造の「実否は明かでない」に変わってきている。
面白い傾向があって、
軍事史関係では、「製造」について全く無視している
製鉄史関係では、文献史が引用しているので試作したことは否定しない(出来ない)が、技術的にフルコピーができたはずがないとする。
日本史(政治史)関係では、無批判に引用して、それを根拠に佐賀藩の科学・軍事技術を語る
20 :
日本@名無史さん :03/12/02 12:13
助けて下さい!! ぼくのアームストロング砲が発射されそうです!
技術者があまりに勉強しすぎて狂って殺傷沙汰おこしたのは本当らしいね。
>>19 そもそも製造説の出所はどこか知ってる?
>>21 >そもそも製造説の出所はどこか知ってる?
昭和9(1934)年刊行『鍋島侯爵家御蔵版 佐賀藩銃砲沿革史』
海軍少将秀島成忠が鍋島侯爵家の委嘱を受けて、「佐賀藩の銃砲に関する沿革を記述するを目的とし」編纂されたもの
実は製造説の根拠文献はこれしかない。製造にふれた論文の引用文献を手繰ってもすべてこれに行き着いてしまう。
昭和8年以前に刊行された軍事史(銃砲史)、製鉄史関係の文献をかなり調査したが、佐賀藩のアームストロング砲製造の記述があるものはない。
当時の佐賀藩の技術者が書き残した記録でも、輸入し佐賀藩が「保有」したアームストロング砲の記述は多量にあるが、「製造」に関した記述は一切ない。
>佐賀藩精錬方が後の東大工学部になったことは良く知られている 知らないから教えてくれ
24 :
日本@名無史さん :03/12/02 18:13
>>1 糞スレたててんじゃねぇよ、ひきこもりデブ!
25 :
日本@名無史さん :03/12/03 00:30
放置されて気の毒な20のいるスレ
26 :
日本@名無史さん :03/12/03 03:02
間違い無く製造した。 なぜなら俺の先祖が肥前忠吉一門でじいちゃんのじいちゃんの父が安式砲作成に関わったから。
27 :
日本@名無史さん :03/12/03 03:18
日本の学者って、書斎にこもって文献いじくり回して 訳のわからない新説珍説創りすぎだよな。 もっと現場行って足で調べろっていうの。
28 :
日本@名無史さん :03/12/03 03:22
あのね、頑張って足で調べてんだけどね 歴史遺産・文化財に対する理解が低いからね、破壊され放題なの。 古代遺跡や中世荘園のことだけ言ってるんじゃないよ。 近世・近現代の様相すら平気で壊しやがるの、一部行政や一部民間は。
29 :
日本@名無史さん :03/12/03 03:25
このスレッドの本島藤太夫のごときは、まだ文献こねくってる段階だろ? それでこんなスレ立ててなにしてるやら。 はやく現地に行って、>26のような人たちの話拾い集めろっていうの。 >28 いいわけは屁の突っ張りにもならない。
30 :
日本@名無史さん :03/12/03 03:44
パドル炉無し、というとこで結論出てるのでは。 40門も輸入すりゃ無理して自分で作るほどのこともなさそう。
いいわけ、ってか。よくも言ってくれるよ。 じゃあ、今度はちゃんと聞き取り調査に協力してくれよ。
佐賀にはまだ大砲埋まってんじゃなかったっけ? なんでも佐賀の乱の後政府の嫌疑を避ける為に埋めたとか。
>>26 御鋳立方で鉄溶解を担当した刀工橋本新左衛門(あるいは古川家)にゆかりの方ですか?
明治に入ると海軍で「安式砲」と略称されるようですが、幕末当時は「アムンストロング銃」とオランダ読みされていて「アム銃」と略されていたようです。当時の「銃」が、本来の「gun」と同じ使い方をされていたようで、その点でも興味深いです。
佐賀藩が、手持ちの技術で、なにがしかの鋳鉄製後装施条砲を試作した可能性は、全くには否定できません。しかし、それを「アームストロング砲」と呼んで良いでしょうか。
>27
そうそう、史料いじくりまわすだけで、銃砲史や製鉄史をきちんと調べないから、
編纂物をまるまる基本資料として信用して、混乱することになる。
>>28 そうですね。
佐賀の反射炉跡も遺跡ととして残ってるようですが、
本格的な発掘調査はされていないようです。
前の特展の時に、一部の遺物は県立博物館で展示されてましたが、
>>29 文献はこねくり完了。
現地調査はほぼ完了。
>>22 の文献の登場以前には、
アームストロング砲の「事実」は地元でも知られていなかったようで、
「使用だけでなく製造もしたのか」と驚きをもって迎えられていた。
>>30 そうですね。試作はともかくとして。
武雄領の大砲方は、旧式4ポンド青銅砲の全てを
6ポンドアームストロング砲に装備改変してます。
輸入記録と装備記録の門数もだいたい合致するみたいで。
>>32 大正時代の博覧会の時に、今の佐賀神社前で、地面から大砲が
出てきたそうです。鉄製砲かどうかはわかりません。
維新後、主要装備は政府に差し出したようで、
記録で見る限り、まともな装備は残ってなかったようです。
37 :
日本@名無史さん :03/12/03 11:28
皮肉な物言いをしたが、期待してるよ。 史家は健脚たるべし。
「アームストロング砲っぽいもの」を製造しますた
39 :
日本@名無史さん :03/12/03 18:47
まだ生きてんのかよ、このスレ。
40 :
本島藤太夫 :03/12/03 18:54
41 :
日本@名無史さん :03/12/03 21:52
佐賀藩の支藩や諫早家はアームストロング砲は持たなかったの? なぜ武雄多久家が佐賀藩最強とされたの?
>>41 支藩では蓮池藩が実戦参加してたと思います。アームストロング砲の装備は不明ですが、
当時最新鋭とされたヘンリー=スペンサー連発銃は装備してます。
武雄領の御親類鍋島家にはアームストロング砲が装備されいました。
教導部隊というか実験部隊の性格があったようですね。常に装備は最新鋭だったようです。
武雄市の資料館にはアームストロング砲の照準器といわれるものが残っています。
銃砲関係資料は武雄の方が、本藩よりも豊富ですね。
武雄・蓮池が常に先頭にあったのは、本藩での慶応の軍制改革と関係がありそうですが…
43 :
日本@名無史さん :03/12/03 22:30
>>42 すごく佐賀藩史に詳しいですね。
研究者の方ですか?
>>43 隣接領域のセミプロ(研究職ではない)です。
銃砲史に興味があり、のめり込む結果になりました。
この論題で九州方面の研究誌に投稿予定です。
地元のアームストロング砲ファンからの猛反撃が予想されますので、
カウンターのカウンターそのまたカウンターをブチ込めるように、
ここで胆を練っております。
45 :
日本@名無史さん :03/12/04 08:56
佐賀県庁とかに調査協力要請してるのかな? 意外な知嚢が出てきたりするぜ?
何故佐賀藩しかアームストロング砲を持ってなかったのですか? 薩摩とかは持っててもおかしくなさそうだが、輸入ルートの関係? 32を書いたものですが、武雄は穴場で 今も大砲や鉄砲を地面から掘り掘り調査してたような。
>>45 その辺は、付かず離れず。
新しい佐賀県立歴史資料館が来年出来ますので、それにぶつけるつもりで。
私は主に銃砲史からのアプローチですが、近年では文献史の専門家も製造疑問説を
記されてます。
小宮睦之(2001)「アームストロング砲佐賀藩製造についての疑問
−文献史料を中心にして−」
『佐賀の歴史と民俗』福岡博先生古希記念誌
元の佐賀県立博物館副館長でいらっしゃったようですが、恐ろしく地元に対して
気を使った表現をされてます。
私はガチで行きたいとと思いますが。
>>46 >佐賀藩しか
所有してなかったかどうかは確認中ですが、可能性は低いようですね。
輸入を検討していた藩は多いようです。
幕府はアームストロング砲の輸入を検討していたようですが、
発注までしていたかどうか。当時の英国との関係では難しいでしょうね。
アームストロング砲より高性能なクルップ製鋼鉄後装砲は輸入しました。
というか、海外発注の軍艦の備砲でした。
>輸入ルート
佐賀藩では、
>>45 の文献に出てますが、長崎のグラバーです。
>武雄
今ではないですが、昭和初年頃に鍋島家ゆかりの庭園から、貴重な青銅砲が
出土しています。
49 :
日本@名無史さん :03/12/04 13:02
50 :
日本@名無史さん :03/12/04 13:05
アームストロング砲は若松城砲撃でもつかわれたの?
51 :
日本@名無史さん :03/12/04 13:08
52 :
日本@名無史さん :03/12/04 13:27
「人群墸墻(人々の垣根)の如く余が輩の行装を観る、北行に在りてや、 都鄙を論ぜす我軍の休止する地の人民はなはだ携る所の小銃に注目す、 蓋し、七連発即ち、私篇施弥(スペンセル)銃は皇国未だ知るもの無 ければなり」
要するにアームストロング砲って物は前田慶次と一緒 単なるかぶき者 破壊力はある でも、アームストロング砲の場合は戊辰に貢献しようとした形跡があるから かぶき者としても一格落ちるんじゃない 前田のようにかぶいて一生を通せばよかったが 剣心に壊されるし 何をやらせても中途半端だね
>>49 あ、佐賀新聞で特集が載ってたんですね。ありがとうございます。
地元で正しい理解が広まると、反発も少ないかな。
56 :
日本@名無史さん :03/12/05 13:29
はなわが違法コピー防止のキャンペーンタレントに起用されました。 現在テレビCMにも堂々出演中です。 でも言ってるそばから本人がこの様です ↓ ↓ ↓ はなわ TITLE:突然失礼します。 投稿日 : 2003年11月21日<金>23時59分 嘉門さんのファンの皆様 初めまして。僕はベースギターで自己満足の唄を歌っている、 はなわと言います。今回皆様にお伝えしたいことがありまして、書き込みをさせて頂きました。 僕は今『エンタの神様』という番組の中で、毎週ガッツ石松さんの唄(ガッツ伝説)を歌っています。 僕の勉強不足で同じような唄を嘉門さんが以前歌っておられたという事実を正直全く知りませんでした。 しかもタイトルまでほとんど同じ事に自分でもビックリしています。その事実を知り、 いてもたってもいられず先日、嘉門さんにお忙しい中、貴重な時間をもらいお話しさせて頂きました。 嘉門さんはとてもいい方で、笑っていただき、先輩としていろいろ今後のアドバイスまでしてもらいました。 嘉門さんの所属レコード会社「DAIPRO-X」さんに対しても謝罪させて頂きました。 そしてファンの皆様に対してもしっかりとした形で謝罪したく、この場を借りることにしました。 テレビの関係上、だいぶ先の放送分まで収録してしまっているので、御理解よろしくお願いします。 どうもすみませんでした。 はなわ
57 :
日本@名無史さん :03/12/05 13:32
アームストロング砲よりクルップ砲の方が信頼がおけた。
58 :
日本@名無史さん :03/12/05 14:15
「はなわ」を砲撃
59 :
日本@名無史さん :03/12/05 17:41
60 :
日本@名無史さん :03/12/05 21:43
>>58 やめろ、可哀想だろ。
「はなわがピョンヤンを砲撃」に変更しろ!
61 :
日本@名無史さん :03/12/05 21:56
本島藤太夫はもうこないのかな?いろいろ聞きたい・・。
62 :
日本@名無史さん :03/12/07 04:20
佐賀はすごいぞって言いたいスレだな。
63 :
本島藤太夫 :03/12/07 10:33
てすと
>>61 火曜までネット環境になし。
申し訳ありません。
65 :
日本@名無史さん :03/12/07 15:05
佐賀はすごいぞ!
なぜに歴史板の住人が「はなわ」を知っているんだ?
先生。その後、脚の具合はいかがですか?
テスト
69 :
日本@名無史さん :03/12/09 11:33
____
_|_ _|_
◎ へ ( <_,` ) <
>>1 糞スレたててんじゃねぇよ \ ≫ ̄ ̄ ̄ ̄彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒ \
彡____人 )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ )
◎-●一( * * ヽミ | |
((_ _ (( ( ;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ〉 | |
‘,'.∴・,‘・(ε (( ヽ-=_二__ ̄ \ | |
,'.・∵ ヽ_____ ノ  ̄\ / /
(__)) ヽ .\__/_丿
| | オタク ヽ .| |
| |______) | |
| 〉三三三[□]三) | |
/(_)\:::::::::::::::::::::::::| \ ヽ
|秋葉原 :::::::::/::::::::/ \ |
(_____)::::::/:::::::/ / ノ
あげ
保全あげ
保全あげ
73 :
日本@名無史さん :03/12/21 16:15
まだこのスレ生きてんのかよ、とageてみる
74 :
日本@名無史さん :03/12/21 16:25
アホが見ーるー 佐賀のスーレー アホが見ーるー 佐賀のスーレー アホが見ーるー 佐賀のスーレー アホが見ーる 佐賀のスレー
75 :
本島藤太夫 :03/12/22 08:51
一応、生きてますが…
76 :
日本@名無史さん :03/12/22 08:54
77 :
日本@名無史さん :03/12/22 12:59
佐賀の場合は、勝ち組の尻馬に乗っただけという感じもあるな。 敢えて負け組につく事を選んで傾いているという雰囲気をかもし出しているのは、長岡のガトリング野郎だろう。
78 :
日本@名無史さん :03/12/22 21:22
今となっては、 アームストロング砲でなくてもいいから 中世ヨーロッパや近代インドの王国が持ってたような 個性的な砲の法が魅力的。
79 :
日本@名無史さん :03/12/22 22:19
佐賀藩が本気を出したならアームストロング砲100門とスペンサー銃で 瞬く間に長州薩摩ぐらい平らげ得たであろう
80 :
日本@名無史さん :03/12/22 22:28
熊本藩がアームストロング砲持っていなかった? 確か、それで熊本藩に対して長州は苦戦し、 敗北寸前になったけど、将軍家茂が死んで 熊本藩が兵を引き上げて、長州が小倉を 落とせたのでは?
81 :
日本@名無史さん :03/12/22 23:03
>>80 幕府やその他小藩も持ってる藩もあったよ。
使いこなせたのは佐賀藩だけらしい
>>81 武雄領の砲兵隊は、青銅山砲からアームストロング砲に装備改変後は、
小隊編制で運用していたようですね。上野を砲撃したのもこの部隊です。
83 :
日本@名無史さん :03/12/23 17:15
鍋島直正は死の直前に戦国時代に生まれていたら楽しかったろうと言っていたが もし幕末が列強の圧力が無く戦国状態なら 佐賀藩は熊本藩飫肥藩と同盟を結び薩摩を押さえつつ、久留米柳川筑前藩豊前藩を 瞬時に制圧し豊後の小藩を平らげ日向口と肥後口から薩摩に攻め入り 九州を統一しただろう
84 :
日本@名無史さん :03/12/23 22:21
長岡藩はアームストロング砲を所有してたの?
85 :
本島藤太夫 :03/12/24 11:33
>>84 ガトリング砲は有名ですが…
手元に資料がないので、はっきりしたことはわかりません。
ネットで検索すると、アームストロング砲を所有していたというページもありますね。
小銃装備はフランスのシャスポーだったと思うので、幕軍と似た装備だったら、後装施条砲はクルップだったかも知れません。
アームストロング砲は1860年代最強だったという話がよくありますが、同じイギリス製でも性能的にはブレーケリー砲やホイットワース砲の方が優秀だったようです。クルップ砲は性能・信頼性ともに上回っていました。
しかし、アームストロング砲の特長は、これらの砲に用いられた新技術であるベッセマーの鋳鋼法を用いずに、産業革命後期に成立したパドル炉による錬鉄技術を用いた点です。
クリミア戦争後のW.アームストロングがいった「軍事技術を現在の工業技術のレベルまで引きあげるときがきた」という発言にそのことがよく現れています。
86 :
日本@名無史さん :03/12/24 11:51
ネットで調べてみると、アームストロング砲は砲身が破裂しやすかったので、 英国では陸海軍ともに正式採用はしなかったとあったんだけど、 佐賀藩製だとされるアームストロング砲は破裂しなかったんだろか? もし破裂しなかったのなら、アームストロング砲ではあり得ないので、 佐賀藩オリジナル設計の大砲と考えられる可能性はあったりするんだろうか? 別に佐賀藩マンセーなわけではないんだけど。
>>86 >ネットで調べてみると、アームストロング砲は砲身が破裂しやすかったので、
>英国では陸海軍ともに正式採用はしなかったとあったんだけど、
アームストロング砲がイギリス海軍で制式化され最初に実戦使用された薩英戦争
では、トラブルが多発していますが、砲身破裂の例はありません。
雷管で発火させる火門が曲がったり、閉塞栓が取れなくなって発射できなくなった、
閉塞器まわりのマイナートラブルのようです。もっとも、これで一時的にイギリス
軍の制式から外されましたが…
>佐賀藩製だとされるアームストロング砲は破裂しなかったんだろか?
佐賀藩製アームストロング砲がそもそも無かったのではないかと考えているわけですが…
>もし破裂しなかったのなら、アームストロング砲ではあり得ないので、
>佐賀藩オリジナル設計の大砲と考えられる可能性はあったりするんだろうか?
記録からみると、当時の佐賀藩が有していた製砲に関する技術水準は、19世紀前半
までのものと考えられます。つまり、鉄製砲については鋳鉄による前装滑腔の
ボムカノンまでの段階。世界的に見ても、鋳鉄による実用後装施条砲は実現しませんでした。
ちなみに、文久三年に佐賀藩が試製したとされる初期の後装アームストロング砲の特徴は以下のとおり。
・後装施条砲の形式であること、
・砲身材料がパドル錬鉄であること、
・ケーシングによる層肉強化砲身であること、
・後部閉塞は鎖栓と組合わせた螺式であること、
ageときます。
89 :
日本@名無史さん :03/12/25 18:41
佐賀銀行の取り付け騒ぎは大丈夫かな…
90 :
日本@名無史さん :03/12/25 19:00
だめぽ・・・・・・ぬるぽ
権威付けか諧謔で佐賀藩がつくった新式大砲をアームストロングと名づけたのでは?
92 :
日本@名無史さん :03/12/25 19:28
佐賀の乱・・・政府軍出動後5日間で鎮圧 西南戦争・・・激闘200日 佐賀人では薩摩に勝てる訳が無いねw
>>22 にも書いたんですが、昭和9年の『佐賀藩銃砲沿革史』より前には、
〈アームストロング砲を製造した事実〉は佐賀でも知られていませんでした。
どっちかっていうと「造くとったんか」と驚かれたようです。
試製したという記述も『沿革史』にしかないですし、顕彰目的で書かれた編纂物で
ある『沿革史』そのもの怪しいのではないかと考えます。
〈佐賀銀行〉お見舞いage
私のフェイズドプラズマキャノンのほうがはるかに強力よ
age
保全
98 :
日本@名無史さん :03/12/30 03:52
>>92 西南戦争は政府軍は佐賀藩のアームストロング砲を使って薩摩を制圧した
よって佐賀>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>薩摩
>>98 >西南戦争は政府軍は佐賀藩のアームストロング砲を使って薩摩を制圧した
主力野戦砲は、大阪工廠製の四斤山砲だったようです。8センチクルップ野砲を急いで発注したようですが、間に合いませんでした。
6ポンドアームストロング野戦砲はどうも重すぎたようですね。
>>85 で書いたようにアームストロング砲が性能的に他を圧倒したという訳ではないようですし。
ちなみに、四斤山砲の原型はフランス製の前装施条砲ですが、軽量で使いやすかったようです。
100 :
日本@名無史さん :03/12/30 08:49
はなわ = 現人疫病神 はなわ = 生きた不良債権 はなわ = 人間廃棄物 はなわ = 一人放映ノイズ はなわ = 歌う寄生虫 はなわ = カースト地底人 はなわ = 人面廃墟 結論 はなわに関わるだけで“ツキ”が落ちます。 この貧乏神を早く追い出しましょう!!
101 :
日本@名無史さん :03/12/30 09:32
薩摩軍を制圧したのは、雨だよ。 紙で包装された弾薬が雨に濡れて台無しになったから、旧式銃主体の薩摩軍は弾薬不足に悩まれる事になった。 佐賀の大砲?ププッ
アームストロング・オズマ・・・・知ってる?
103 :
本島藤太夫 :03/12/31 00:03
>>101 まあ、西南戦争における薩摩の敗退は、装備以前も問題かと。
徴兵された農民でも、武士ではかてんってことやね。 山縣が正しかったって事だ。
105 :
日本@名無史さん :03/12/31 03:37
銃の撃ち合いでは、新式銃の性能と兵力の差で官軍も薩摩側に拮抗できた。 しかし、曲がりくねった山道の至近距離から突然斬りこんでくる薩摩武士には、銃を撃つ暇もなく潰走するしかなかった。 この膠着状況を打開したのは、武士主体の抜刀隊が前線に投入されて、農民兵の銃撃を支援する体制が整ってからの事。 ところがここで調子に乗った抜刀隊が単独で突出すると、たちまち薩摩軍に叩きのめされて敗走している。
106 :
日本@名無史さん :03/12/31 04:07
アームストロング砲が西南戦争で使われたのは事実だよ。政府軍の至宝とされた。
107 :
日本@名無史さん :03/12/31 04:28
至近距離で一進一退を繰り返す両軍がお互い至近距離に陣地を構築して睨み合ってる時、 暇を持て余したのか、薩摩武士が官軍の陣地に大声で話しかけたという。 その武士が言うには、「薩摩武士は何も恐れたりしないが、嫌なものなら三つある。1に雨(弾薬を濡らして駄目にするから)、2に赤帽(士族主体で新式装備の近衛兵)、3に大砲だ。」 だという。 どうやら薩摩軍にとっては、雨>侍>アームストロング砲という序列らしいw
新年age
age
保全
111 :
日本@名無史さん :04/01/08 23:51
「仙台藩もアームストロング砲を持っていたという説がある」って何かに のってた。なんだったかな〜
112 :
日本@名無史さん :04/01/12 01:06
保全age
113 :
日本@名無史さん :04/01/12 05:40
あんまり保全が続くようだとスレスト依頼するよ。
114 :
本島藤大夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/21 13:46
115 :
日本@名無史さん :04/01/21 15:57
ふむ。保全協力age
116 :
日本@名無史さん :04/01/21 19:17
佐賀の科学は日本一ィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ! ところで、その科学力を作ったのって誰? 全く聞かないんだけど。
117 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/21 19:46
>>117 >ところで、その科学力を作ったのって誰? 全く聞かないんだけど。
西国雄藩の中でも幕末における科学技術はトップといって良いと思います。
その絶対にして唯一の推進者は、十代藩主の鍋島直正(閑叟)です。
幕末の〈蘭癖大名〉の中でもピカイチかと。
もっとも、軍事技術にきわめて傾斜していたのが、佐賀藩の特徴でしたが…
118 :
日本@名無史さん :04/01/22 00:02
119 :
日本@名無史さん :04/01/22 00:30
司馬の小説に、薩英戦争で英艦隊に装備されていたアームストロング砲は初日の戦闘で砲身が破裂するなどの故障が相次ぎ、 その為に薩摩軍の砲撃の餌食にされて退却したってな事を書いてあったな。 いくら射程距離が何倍もあっても、たった一日で使い物にならなくなるというのは寿命が短すぎるだろう。 アームストロング砲崇拝は結構だが、程々になw
120 :
日本@名無史さん :04/01/22 01:59
>>119 >87にも書いてますが、
アームストロング砲がイギリス海軍で制式化され最初に実戦使用された薩英戦争
では、トラブルが多発していますが、砲身破裂の例はありません。
雷管で発火させる火門が曲がったり、閉塞栓が取れなくなって発射できなくなった、
閉塞器まわりのマイナートラブルのようです。もっとも、これで一時的にイギリス
軍の制式から外されましたが…
まあ、実践で使えないんじゃ役立たず。 軍艦にとってはただの飾りだった訳だ。
123 :
日本@名無史さん :04/01/24 01:52
佐賀軍は連発式のスペンサー銃が標準装備だったみたいだけど、スペンサー銃は生産してたの?
124 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/24 23:55
>>123 >佐賀軍は連発式のスペンサー銃が標準装備だったみたいだけど
いいえ、前装エンフィールド(エンピール)銃が標準といってよいかと思います。それと後装スナイドル銃。
スペンサー銃は主に蓮池藩(支藩)に装備されたようです。武雄領とともに実験部隊の性格が強いかと…
>スペンサー銃は生産してたの?
〈試作〉はしたかも知れません。量産に成功したという記録はありません。
スペンサー銃は「佐賀の七連発として恐れられた」という記述もありますが、撃ち尽くした後の再装填に時間がかかったみたいで、結局単発銃と変わらなかったという記述もあります。
125 :
日本@名無史さん :04/01/25 01:13
彰義隊戦争の際、団子坂口を攻めた佐賀藩はスペンサー7連発銃を故障予防のため単発銃として使用。 ネタ元は兵頭二十八原作の漫画「イッテイ」の中の記述。
126 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:26
軍事板@ 幕末のアームストロング砲
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1074655015/l50 にあげておいた資料をこちらにも引用します。
以下、かなり長いです。
【文献史的考察の基礎】その1
〈アームストロング砲佐賀藩製造説〉の根拠は、海軍少将秀島成忠が鍋島侯爵家の委嘱を
受けて編纂した昭和9(1934)年刊行の『佐賀藩銃砲沿革史』の記載だけです。(原書房で
復刻版が出ています)
『沿革史』の記述のほとんどは『松之落葉』の内容と合致しますが、アームストロング砲
製造に関する以下の部分は、この問題の基本史料といえる『松之落葉』に記載が無いか、
異なる内容になっています。(思文閣出版『幕末軍事技術の軌跡 佐賀藩史料「松之落葉」』)
〈アームストロング砲佐賀藩製造説〉が成立するためには、基礎資料である『松之落葉』
との記載を食い違いを説明する必要があります。
127 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:31
【文献史的考察の基礎】その2 『沿革史』の〈アームストロング砲製造〉に関する記載事項 「文久三年六月大銃製造方に於て六tt(ポンド)アルムストロング砲の試製あり(石黒記)」p286 「(直正)公は能く時勢を達観して豫め最新式とも云うべき施條野砲及後装銃を購入又は製造に全力を注ぎ遂にアルムストロング式後装砲を製造するに至れり」p302 「文久三年○月○日アルムストロング砲の試製着手」p340 「(元治元年)○月○日…四十封度(ポンド)後込アルムストロング砲を製造す」p340 「(慶応元年以後月不詳)九封度アルムストロング砲線長三尺七寸八分線数三十八條六封度アルムストロング砲線長三尺九寸二分廻線三十條製造」p341 「同(慶応三)年同(十二)月二十一日…六封度アムストロング砲試放せし処四度十分及四度三十三分十二丁及十五丁に於て殆ど命中せり 六封度アムストロング砲の製造要目左の如し 一、惣量四十貫六百五十六匁 一、全長五尺○二分六四 一、孔長四尺四寸三分○八 一、孔径二インチ五 一、線数三十及三十二 一、廻度六尺二寸七分」p341
128 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:34
【技術史的考察の資料】その1 それから『沿革史』の中の「精錬方研究事項」として記述されているものの中にアームス トロング砲製造法に関する記述があります。重要な資料ですが、読みにくいので私が現代 語訳しました。pp370-374(ひたすら長いです) 〈アームストロング砲佐賀藩製造説〉が成立するには、以下の製法による製造が可能であったことの証明が必要になると思います。 「英制大小銃論(1860年オランダ人フレメン著)からは,車台アホイト製式,火管(ボイ ス・フーヂー・パトロン類)製法,大砲製造に最良の鉄質選定法,イギリス製施条砲(ア ームストロング砲製造方式)。 これら研究事項のうちイギリス製施条砲アームストロング砲製造方式は最も苦心惨憺し たもので,当時参考とした原訳書はまことに佐賀藩が製造したアームストロング砲の基 礎となったものであるので,その大要を以下に抄記する。
129 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:35
【技術史的考察の資料】その2 『英国式施条砲の研究大砲製造に最良の金属は,イギリスにおいて最も多くの研究 が必要なものであった。鋳鉄および青銅製のタガをはめて鋳鉄砲身を補強する方法, 鉄線を巻いて砲身を補強する方法,砲身に管状の部品を焼き固めて補強する方法,あ るいは鋼鉄で砲身を製造方法などがあり,その利害得失には各説があった。製造容易 であったが,試射に於いて破裂することが多い単肉鋳鉄砲身は次第に不利となった。 青銅製砲身は単肉鋳鉄砲身よりは有利であるが,高価であること,大口径・強装薬に 耐えにくいこと,発射の際に弾丸により砲身内腔が摩滅しやすい,などの欠点があっ た。しかし,施条砲では強装薬を用いないので内腔の摩滅のおそれが少なく,また後 装砲であれば内腔の熱発生を防げるので,青銅製砲身で十分であるとの説もあった。 しかし,マニュアルによって製造された青銅製砲身を試射すると他の金属材料に劣っ た。当時イギリスで最も先進的な施条砲はアームストロング砲とウイットウォース砲 であった。特に,アームストロング砲はイギリス官製で,他国でも製造している。 イギリスでは施条砲の呼称に未だ旧称を用い,口径は弾丸重量の単位であるポンドで 表現する。しかし,施条砲では円錐弾を発射するので,球形弾より重量が大きくなる。 同じポンド数で表現された滑腔砲の口径と比較すると施条砲の口径はかなり小さなも のになる。これに注意し混乱を防ぐことが必要である。』
130 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:37
【技術史的考察の資料】その3 『アームストロング砲の多くはウールウイッチ製作場で製造され,アンテルソン氏がこ れを監察した。アームストロング氏はニューカストルの自製の製鉄場をもち,そこで も大砲を製造している。この砲の製造には全く別種の機械装備を用い,従来の製砲と 大きく異なるので,ここに概略を記す。 良質の細長い錬鉄材―その大きさは砲の大小によって異なり100ポンド(約45.4キロ グラム)弾丸用の砲では長さ90フィート(約27.4メートル)より短くない―を用意 し,これを狭長炉の中に入れる。錬鉄材が白く発光まで熱せられた時に炉口を開き, 研磨した鉄筒の外周に徐々にこれを巻き込む。巻き終わると鉄筒を立て,錬鉄材を外 す。巻いた錬鉄材は大炉の中に入れ白く発光するまで熱し,直立した鉄筒中に入れて 蒸気ハンマーで鍛造し,短い筒とする。 次にこの筒を回転台にあげて内外面を研削―よって少しの傷も認められない―する。 同じ様な第二筒もまた鍛造し,第一筒と入れ子にはめ込んで大炉の中に入れ十分に焼 きはめる。さらに第三筒を鍛造し,第一筒・第二筒ともに焼きはめて,砲身とする。 第一筒と第二筒の焼きはめにあたっては雌ネジ部に近接して赤熱した第二筒をはめ込 む。第三筒を焼きはめる時は,注水して砲身を冷やし固定する。』
131 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:39
【技術史的考察の資料】その4 『砲尾は,数層の錬鉄によって層成する。この部分には鉄の横繊維は用いずに竪繊維― 装薬のガス圧に耐えるためである―を用い,蒸気ハンマーで筒状にはめ込み研削成型 して,砲身と接着する。さらにこの部分に二重の第二筒を焼きはめる。この方式によ る鉄の耐抗力は,1立法インチ(約16.39立方センチ)あたり33トンにのぼる。雌ネ ジ部と砲尾は研削成型して,細かく検査し,回転台にのせる。これは同時に4挺を直 立して鑚孔する。1挺の砲にそれぞれ2回の鑚孔が行われ,1回に6時間ほどかかる。 最初の鑚孔は口径の10分の1ほどの孔をあけ,2回目の鑚孔で口径いっぱいの孔をあ ける。 砲身に施条を入れるには〈平空の鑚盤〉を用いる。5時間ほどかけて38本の施条を順 番に入れていく。条溝の深さは18分の1インチ(0.14センチ),溝の片側は直角に立 ち上がり,もう片側は丸みを帯びる。10フィート6インチ(約3.2メートル)かけて 条溝は一周する。後部薬室にあたる部分は条溝はなく,砲身よりやや径が大きい。 薬室の最前部は径をやや大きくしている。発射にあたって砲弾の鉛を条溝に食い込ま せ,砲身内腔の摩耗を少なくさせるためである。 砲尾の上面には方形の孔がある。この孔は火門と小室を設けた鋼鉄製の閉塞器で閉じ る。その後ろの砲尾端には雌ネジの螺旋が切ってある。』
132 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:41
【技術史的考察の資料】その5 『閉塞器の前面には銅輪がかませてあり,薬室後端の銅輪と接合して密閉する。この閉 塞器の製造は特に精密ものでないと,その砲の威力は発揮できない。閉塞器は同口径 の砲での互換性が必要である。閉塞に用いる銅輪は,小型の蒸気ハンマーで鍛造し, 適度の強度をもたせる。およそ100回の発射したら,修理が必要となる。閉塞器には 銅製の火門が設けてあり,装填にあたってはここに火管を差し込む。砲には緩衝剤を 塗り,炉に入れて適温で酸化させた後に研磨を加える。そのため砲身は美しい黒色で 仕上がっている。 砲身が完成して,照準器をつける。これは,近距離用と遠距離用の2種類がある。 近距離用のものは,ねじ込み栓の高い所に照星があり―われわれのカノン砲と同じで ある―,後部には照門があって強い〈弾子,ヘール〉で維持されている。50ヤード(約 45.7メートル)ごとに目盛りが切ってある。 遠距離用のものは,右側に照準器をセットして着弾誤差を修正する。 照門の覗き孔は大裁針の孔より小さい。以前はこの孔に4個の切れ目が入っていたが, 正しい照準に害があるので,新型のものでは省かれている。 100ポンド(約45.4キログラム)弾丸を使用するアームストロング砲は,口径7イン チ(約17.8センチ),全備重量70ポンドウエイト(約3800キログラム)である。砲 身の中位に照準器を設けず,極めて重要な閉塞器を装薬とともに後部に置いているた めである。 アームストロング砲の製造に要する時間は,錬鉄材を炉に入れ,研削・焼き固めを経 るまで6〜7週間である。附属機器を完備した完成品として,年間1000挺を生産して いる。』
133 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:43
【技術史的考察の資料】その6 『砲の価格は著しく高価なものであるが,その性能により兵士の数を省け,長く使用で きることを考えれば,他の種類の砲の価格と比較しても安いものであろう。 使用する弾丸は中空弾で,口径の約3倍ほどの長さの円錐形である。円柱をなす部分 に2条の鉛ベルトを付けていて,それが条溝に食い込むようになっていて,砲身内腔 と弾丸の間には隙間ができない。装薬の発射には通常,火管を用いている。 野戦砲には一種類の弾丸だけを用いる。この弾丸は,実体弾・榴弾・焼夷弾などの性 質を合わせ持っている。この弾丸は,破片子49個をまとめて成形した内部に1.5オン ス(約42.5グラム)の爆薬を入れ,発火には信管を用いている。弾丸の先端部の雌ネ ジには通常信管を用いているため,閉塞にも使える。(以下略)』」
134 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:46
【〈佐賀藩製造説〉成立の背景として】 『沿革史』の序文では「当時精鋭無比と称せられたる後装施條式アームストロング砲まで も模造し得た事は、世間殆ど之を知る者がない」として、昭和9年以前に〈アームストロ ング砲佐賀藩製造説〉が存在しなかったことを窺わせています。 ちなみに同じく序を寄せている陸軍中将工学博士南部麒次郎は〈佐賀藩製造説〉について は全くふれていません。 なお、編者である秀島本人の『沿革史』紹介文(『肥前史談』)の記述は以下のとおり。 「石黒氏の遺書によれば其着手せし項目如左(中略)若し是等の研究完成して実際に 応用せらるるの機運に遇ひ仮すに時日を以てし維新大変革起らずして右事業を継続せしな らば佐賀市は実に文化の中心地となりて士民雲集其の繁盛市街を現出せいならんと云ふも 敢て誇張の言に非らずと信ずるなり」 これにより秀島は、精煉方の洋学者であった石黒直寛(寛次)が記した諸記録によって〈佐 賀藩製造説〉が成立したことを示し(この史料は現存しない)、もし明治維新が無ければ佐賀こそ文化の中心地であったと嘆いています。
135 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/28 21:49
【技術史的考察の資料】補足 その1〜その6を整理したアームストロング砲の製造項目は以下のとおりです。 1:後装施条砲の形式であること、 2:砲身材料がパドル錬鉄であること、 3:ケーシングによる層肉強化砲身であること、 4:後部閉塞は鎖栓と組合わせた螺式であること、 これが〈アームストロング砲佐賀藩製造説〉におけるアームストロング砲の定義といって 良いでしょう。問題はこれが実際に製造できたかどうか??? 以上で終わりました。長々と申し訳ありませんでした…
>>126-135 産業史や軍事史にはとことんうといと思い知らされる。予備知識がないから頭に内容が入ってこない(;´Д`)
俺的には東芝の創始者なからくり義右衛門が佐賀藩のお抱え技術者だったってことを最近知って驚き
137 :
日本@名無史さん :04/01/29 20:55
>>本島さん 質問があるのですが、幕末に蒸気船を自力で作ったのは佐賀・薩摩・宇和島ですよね。 この3藩の蒸気船が完成したのはほぼ同時期だと思うのですが、 その中でも1番早かったのはどこなんでせうか。 なんかどの藩の紹介にも「日本で初めて蒸気船作った」がついてくる気が(w
138 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/01/30 22:51
>>137 手持ちの資料では、
鹿児島 安政二(1855)年8月 蒸気船「?」運行
宇和島 安政六(1859)年2月 蒸気船「雲行丸」運行
佐賀 慶応元(1865)年9月 三重津造船所で蒸気船「凌風丸」完成
です。日本で最初に蒸気船を完成させたのは、薩摩藩となります。二番、宇和島。
いずれも嘉永(1853)六年に幕府が達した「大船建造解禁」を受けてのようです。
ただし、佐賀では蒸気船ではなく、安政元(1854)年12月に造船所の起工から始め、
安政(1858)五年には海軍学校を整備し、オランダから軍艦電流丸を輸入しています。
その後、汽缶製造所を建設して幕府注文の蒸気缶を完成させています。
どうも、鹿児島・宇和島と佐賀とは蒸気船建造の方向性が違っていたようですね…
>>138 ありがとうございます、同時期だと思ってたら10年も離れてるんですね…。
ついでに軍事板で
>私としては、〈アームストロング砲伝説〉から早く解放されて、正当に佐賀藩科学技術が評価されることを望みます。
>〈アームストロング砲製造〉を付け加えなくとも、彼らの業績は日本史に冠たるものですから。
と書かれてますが、実際どういう業績を彼らは残したんでしょう。
反射炉とか蒸気機関車の模型とかは結構聞きますが、138の後ろの方で書かれてる造船所起工とかは詳しく知らない物で、
佐賀藩の科学力は日本一ィィィィィィと言われても、どれくらい凄いのかいまいちピンとこない。
もしくは佐賀藩の業績が詳しく記されてる本ないですか?
140 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/02/01 03:05
>>139 >佐賀藩の業績が詳しく記されてる本ないですか?
実は「佐賀藩の科学力は日本一ィィィィィィと言われて」る割には、良い本ないです。
平成11年度の佐賀県立博物館特別企画展の図録が解かり安いと思いますよ。
>実際どういう業績を彼らは残したんでしょう。
・反射炉の建設、長崎警備での大規模砲台の建設
・蒸気船の建造、造船所の建設、海軍の立ち上げ
・理化学研究所(精煉方)の設置、翻訳のシステム化
・洋式軍備の国産化、大量輸入、etc
その背景にあるのは嘉永以来の一貫した〈開明化〉です。
幕府や他の雄藩でも、上記の項目の幾つかはやってましたが、途中でよれてます。
佐賀藩の場合、藩主(十代直正)が〈開明化の鬼〉で、よれることなく連続・拡大しています。
ただし、軍事技術に極端に特化していたことが特徴ですが…
かといって幕末に政治的な動きはほとんどしていないのですが、直正は何を考えていたのでしょうね?
141 :
日本@名無史さん :04/02/01 04:23
関ヶ原以来の因縁が尾を引く薩長に比べ、土肥はいつでも幕府に尻尾を振れるポジションをキープしておく方がお家安泰。 結局、主体的に討幕の機会を狙っていた薩長と幕府とを両天秤にかけていた訳だ。
直正が生まれる10年ぐらい前にフェートン号事件があった。 長崎警備を担当していた佐賀藩にとってはたった一隻の船にケチョンケチョンにされたことは末代まで伝わる恥だったわけで。 フェートン号事件のことを側近から何回も聞かされた直正は、自然と列強の脅威というものを強烈に意識するようになった。 結果、軍備増強にせっせと励んだ。直正にとっては国内情勢<国際情勢だったと思われる。
>>140 > ただし、軍事技術に極端に特化していたことが特徴ですが…
> かといって幕末に政治的な動きはほとんどしていないのですが、直正は何を考えていたのでしょうね?
軍事技術に特化していたのは、幕府から長崎警備を任されていたからだと思います。
直正は、長崎警備を主体とした海防を最重要視し、
政治は幕府が行ってくれという意識だったのではないかと。
直正はどっち寄りか分からない行動を多々取っている。 井伊直弼と仲が良かったり。 幕府に攘夷を進言したかと思えば開国を進言したり。 幕府から何回も京都に参内しろと言われても色々理由つけて行かなかったり。 でも長州に武器貸さなかったり。しかし長州征伐やる気なしだったり。 そんなんだから薩長側、幕府側どっちからも望まれると同時にどっちからも疑われており、 鳥羽伏見の後には「佐賀藩攻めようぜ」な意見すら薩長にはあった。 しかしいざ薩長側に加わると、最大限の礼を持って迎えられたりしている。 「京にいる薩長土の兵なんざ足軽銃隊40人で倒せる、何故なら佐賀藩の軍備は日本一ィィィィだから」 みたいな発言をウキウキしながら語っていた彼は、 今の時代で言えば単なる軍ヲタだったのかもしれない。
145 :
岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/01 15:18
>>142 さん レスありがとうございます。
長崎警備が完了というか無意味化した後、佐賀藩の軍事装備の内容がかなり変化している
んです。
文久以降、旧式化した鋳鉄製カノン砲(海岸砲台用)の製造を取止め、野戦砲である青銅
製前装施条砲の生産に移行し、大量の施条銃を輸入・装備しています。アームストロング
砲もこの流れの中で輸入されたようです。つまり、陸戦向きに装備を充実させているのです。
内戦の準備をしているとしか思えないのですが、その間、政治的にはほとんど何も動いて
いない。おそらく、佐賀藩単独で薩摩・長州のそれぞれを上回り、薩長2藩連合に対しても
かなりの戦力を拘束できる軍事力を持ちながら、本当に何もしていないんです。よく、「割
拠を目指した」と説明されることが多いですが、どうも理解できません。
146 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/02/01 15:24
>>145 あっ、コテトリップ間違えました。
>>143 >軍事技術に特化していたのは、〜
島津斉彬が持っていたような産業化の構想がほとんど無いと云う意味です。
どうも、民生技術に生かす気はなかったらしい。その意味での「極端に特化」です。
147 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/02/01 15:27
>>144 >今の時代で言えば単なる軍ヲタだったのかもしれない。
そうかも知れませんね。う〜ん…
何を考えていたのか、本当によくわからない。
148 :
日本@名無史さん :04/02/03 04:40
>佐賀藩単独で薩摩・長州のそれぞれを上回り、 電波
軍備的に佐賀>薩摩、佐賀>長州なのは事実だろ
>動かなかった理由 単純に、幕末の更に末期になってくると病気によって伏せがちになってたからかも。 藩主の座は息子に譲っててもなお隠然たる権力を持っていたのは直正だったので、 直正が動かないことには藩も動けない。 あと数少ない政治的な動きとしては京都守護を申し出たり、息子の直大を参与会議に参加させるよう働きかけたりしてるんだが、 これはどっちも断られてる。 てことは、直正は単なる外交オンチで動こうにもその能力がなかっただけなのかもしれない(w まあでもやろうと思えば藩士を使うなりなんなりしてもっと京都に働きかけを出来たはずなので それをやらなかったのはなんでだろうねぇ、ありきたりだが割拠を目指してたのか。 なんにせよ政治的にはゼロの状態からの戊辰での巻き返しは見事。
151 :
日本@名無史さん :04/02/03 08:08
>>149 ソース出せよ、電波。
ここの所日本史板をウロチョロしてる佐賀厨がアームストロング砲だの何だのと喚いているが、
軍備というのは最新兵器をチョロっと持っていれば優勢という事にはならない。
座学だけが取り得のヘタレ佐賀藩士が15000人居ても、強大な敵との実戦経験を経た薩長には勝てない。
薩摩藩士だけで48000人も居るのに、佐賀程度の軍備で太刀打ちできる訳ないだろ。
百発百中の大砲が一門と、百発一中の大砲が百門で撃ち合いをさせる。 最初の一撃で、百発百中の前者は百発一中の大砲を一門破壊できるが、 残りの九十九門を破壊する前に破壊される。 百発一中の砲弾が百発降り注ぎ、その中の一発が命中するからだ。 最新兵器が百倍の性能差を実現していても、それだけでは百倍の兵力差を覆す事は出来ないってこった。
誰も全面戦争して佐賀が薩摩に勝てるとは言っておらず ただ「軍備」面で上回っていると言っているだけなのに 薩摩厨は何を興奮しているんだろう。
154 :
日本@名無史さん :04/02/03 09:49
興奮してるのは佐賀厨だろ。 軍備では薩摩の方が充実してる。 最新兵器をチョロっと持つ事では覆らない格差だよ。 それが、軍備というものだ。
百発百中の大砲を一門保有する事が、百発一中の大砲を百門持つ事以上に軍備を充実させる事だと思ってる軍事音痴が逃げ込んでるスレはここですか? 薩摩軍が三倍居るなら、保有する兵器が三倍の性能差でも勝てませんよ。
イギリス艦隊によって初日の砲撃戦で砲台がほぼ全滅した薩摩軍は、 麻を茹でる細長い樽を夜通し国中からかき集め、黒く塗って擬装砲に仕立てた。 夜が明けて、昨日よりも大きな砲身がズラリと据え付けられた砲台を見たイギリス軍は仰天し、 形ばかりの砲撃を行いながらそそくさと退却した。 実戦で勝敗を左右するのは、単に兵力でも装備でもない。 兵力も装備も、所詮は味方が戦意を維持する為の支えに過ぎない。 戦いに勝つのは、最後まで戦意を失わなかった方なのだ。 イギリス軍は初日に旗艦艦長および副長を討ち取られ、頼みの新型砲は次々に故障し、 捕虜や日本通からは上陸戦なくして薩摩には勝てないと口を揃えられ、 しまいには一夜にして薩摩の砲台が復活したのを見て、ついに心が折れたのだ。
157 :
日本@名無史さん :04/02/03 12:06
たった一隻のフェートン号に人質を取られただけで心が折れたヘタレ佐賀藩士では、薩摩に勝てまい。 スペンサー銃やアームストロング砲もヘタレが持てば、薩摩武士が黒く塗った樽ほどの役にも立たない。
↓以下本島氏による薩摩と佐賀の比較
159 :
日本@名無史さん :04/02/03 12:44
樽>アームストロング砲
160 :
日本@名無史さん :04/02/03 13:51
_ .'´ヘ ヘ ! ノリノ)))》 i从! ´‐`ノリ ちくしょう・・・ .__,冖__ ,、 __冖__ / // `,-. -、'ヽ' └ァ --'、 〔/ / ,. ‐ ''  ̄ ̄" ‐ ヽ_'_ノ)_ノ `r=_ノ / ゙ ヽ .__,冖__ ,、 ,へ / ,ィ ,-―'`ヽ `,-. -、'ヽ' く <´ 7_// ,ヘ--‐ヽ‐゙へ ヽ、 ヽ_'_ノ)_ノ \> / ,\__,,. ―i ̄ ', '., \ .\ ヾ, n 「 | / i7´ l´ i i i ヽ ヽ .',゙., ll || .,ヘ / i/ .i i i i i ヽ , , ll ヽ二ノ__ { i .l l | l l l l l l ヽ ', i .i l| _| ゙っ  ̄フ .i i i i i .l l .l .l i i l i i |l (,・_,゙> / .i i i i i i i l_ 、l| i | i i | | .l l ll __,冖__ ,、 > | i_,,,.L.|+‐||ii.l''「,l., ./iト-| ,,|,」|_l .i .| | l .l l l| `,-. -、'ヽ' \ .| | | i,| i,.|.ii ', ゙,ヽ /ii.| / | /レii.l .i l .l .| .| | |l ヽ_'_ノ)_ノ トー .l |ヽl il__ii_i_ i ヾ,/ ノ レ__|/ ii l l /レ | | | ll __,冖__ ,、 | | | .l Or" ̄~~` '" ̄`Ol /l/ .| | l ll `,-. -、'ヽ' i l ト ゙ , 、 .lノ /| |, |, ', |l ヽ_'_ノ)_ノ {l l .lヾ、 ,―-┐ l |/ | | ', l ヾ、 .n. n. n l l l lヽヽ. l l イ /| | l、l ..|! |! |! l i i .l. `' , ヽ___ノ ,. ‐ " / | / | lli .| ヾ ..o o o ,へ l .|、 lヽ .l, ` ‐ ._ ' ヽ|/ | /-| /_ .| / ii / ヽヽl ヽ ヽ l ` ‐ ,_|_,./ |.レ レ ゙| /
樽に騙されずに本格的に攻撃されたら薩摩は壊滅したということか・・・ 運が良かったな。
162 :
日本@名無史さん :04/02/03 17:17
上陸戦に欠かせない海兵隊も居ない、 その上アームストロング砲は故障だらけで、どうやって薩摩武士との白兵戦に勝てると思うんだ? だいたい海岸に近づいたら、生き残った本物の大砲の餌食だぞ。 確かに薩摩は強運だが、その運は実力で招き寄せたのさ。 船一隻の姿を見ただけで戦意喪失した佐賀藩士みたいなヘタレでは、到底無理な話だ。
163 :
日本@名無史さん :04/02/03 18:51
_ .'´ヘ ヘ ! ノリノ)))》 i从! ´‐`ノリ ちくしょう・・・ .__,冖__ ,、 __冖__ / // `,-. -、'ヽ' └ァ --'、 〔/ / ,. ‐ ''  ̄ ̄" ‐ ヽ_'_ノ)_ノ `r=_ノ / ゙ ヽ .__,冖__ ,、 ,へ / ,ィ ,-―'`ヽ `,-. -、'ヽ' く <´ 7_// ,ヘ--‐ヽ‐゙へ ヽ、 ヽ_'_ノ)_ノ \> / ,\__,,. ―i ̄ ', '., \ .\ ヾ, n 「 | / i7´ l´ i i i ヽ ヽ .',゙., ll || .,ヘ / i/ .i i i i i ヽ , , ll ヽ二ノ__ { i .l l | l l l l l l ヽ ', i .i l| _| ゙っ  ̄フ .i i i i i .l l .l .l i i l i i |l (,・_,゙> / .i i i i i i i l_ 、l| i | i i | | .l l ll __,冖__ ,、 > | i_,,,.L.|+‐||ii.l''「,l., ./iト-| ,,|,」|_l .i .| | l .l l l| `,-. -、'ヽ' \ .| | | i,| i,.|.ii ', ゙,ヽ /ii.| / | /レii.l .i l .l .| .| | |l ヽ_'_ノ)_ノ トー .l |ヽl il__ii_i_ i ヾ,/ ノ レ__|/ ii l l /レ | | | ll __,冖__ ,、 | | | .l Or" ̄~~` '" ̄`Ol /l/ .| | l ll `,-. -、'ヽ' i l ト ゙ , 、 .lノ /| |, |, ', |l ヽ_'_ノ)_ノ {l l .lヾ、 ,―-┐ l |/ | | ', l ヾ、 .n. n. n l l l lヽヽ. l l イ /| | l、l ..|! |! |! l i i .l. `' , ヽ___ノ ,. ‐ " / | / | lli .| ヾ ..o o o ,へ l .|、 lヽ .l, ` ‐ ._ ' ヽ|/ | /-| /_ .| / ii / ヽヽl ヽ ヽ l ` ‐ ,_|_,./ |.レ レ ゙| /
薩摩厨はほんとどこにでも湧いてくるな。ほどほどにしろよ。
165 :
日本@名無史さん :04/02/03 19:46
もっと悔しがれ
166 :
日本@名無史さん :04/02/03 20:05
フェートン号の海賊行為を前にして、抗いもせずにむざむざ自発的に屈服したヘタレ佐賀如きが、 分際も弁えず軍備最強などと寝言をほざくからだよ。 射は君子の技という。 平時においていくら的の真ん中を射抜く達人でも、命をやりとりする実戦の場で動揺する小物ではろくに命中させられない役立たずと化すからだ。 臆病者がヘッピリ腰で持つ新式銃、臆病者がブルブル震えながら放つ新式砲のどこが軍備と言えるのか。 佐賀では、薩摩に決して勝てない理由が厳然と存在するんだよ。
え、このスレって佐賀のハードを語ってるんであって 薩摩の中の人のスレじゃないよ!?
168 :
日本@名無史さん :04/02/03 20:58
あ〜…変なのが住みついたか…とりあえずフェートン号から戊辰までは50年経ってるから例えに出すのはおかしいと思われ あとその攻撃的な口調をやめてくれよ、荒れる
50年じゃないや、60年だ
時代の趨勢を見た佐賀藩のほうが賢いな。
171 :
日本@名無史さん :04/02/03 21:33
あ〜 軍備と兵器コレクションの違いも理解できないのか? こんな事だから、佐賀は駄目なんだよ。 何が佐賀の軍備だよ・・・プ 時代の趨勢? たった一隻の海賊にホームで降参する事がか? まったく、ヘタレの思考様式は想像を絶するね。
172 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/02/03 22:44
こんばんわ。 えらく賑やかになりましたね… 佐賀の人からは当然反発喰らうと思ってましたが、 薩摩の人から怒られるとは思いませんでした。
駄薩摩が暴れれば暴れるほど、佐賀の優秀性が際立つな。
174 :
日本@名無史さん :04/02/03 23:12
いったい佐賀がどう優秀なんだよ?w 念の為に教えておくと、別に薩摩は佐賀と張り合ってヘタレコンテストにエントリーしてた訳じゃないから、 ランク入りはしてないぞ。
>>172 佐賀マンセーが甚だしい厨が寝言ばかり言うのが面白くて、からかわれてるだけだよ。
この馬鹿は、あちこちのスレで脈絡を無視して佐賀マンセーしてるんで、粘着荒らしとしてマークされてる名無し君。
実のところ別に彼と同レヴェルで張り合って薩マンセーしてる訳ではないので、貴方は気にせずに続けておくんなさい。
176 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/02/03 23:33
>>174 >>145 の「おそらく、佐賀藩単独で薩摩・長州のそれぞれを上回り、薩長2藩連合に対し
てもかなりの戦力を拘束できる軍事力を持ちながら、」という私の書き込みに対して御怒り
かと思いますが、「薩長2藩も無視し得ない軍事技術力を持ちながら、」と訂正させて頂く
と、如何でしょうか?
>いったい佐賀がどう優秀なんだよ?w
軍事技術、特に製砲関係では日本で最も優れていたと考えますが…
アームストロング砲製造の話は別ですが。
実戦力としての評価はまた別の話でしょうが…
>>176 別に怒ってる訳じゃなくて、件の佐賀厨をからかって遊んでるだけです。
あまり気にしないで下さい。
まあ、実戦の経験と将兵の覚悟が十分にリンクしている軍備なるものと、単なる兵器コレクションとの区別だけ出来ていれば、それで良いです。
現代で例えたら、米英軍と自衛隊のような違いかな。
実戦経験が豊富な米英軍は戦力、もしくは軍備と言える代物だが、殺し合いの経験と覚悟が不足している今の自衛隊は、同じ意味での戦力には成り得ていない。
強敵との実戦を何度も重ねていた薩長と比べ、佐賀にはそういう要素が決定的に欠如している。
こういう格差が生じていた以上、少々の兵力差、兵器の差程度のアドバンテージでは薩長に勝つ事などありえない。
佐賀厨の中の人にはそれが分からんのです。
178 :
日本@名無史さん :04/02/04 05:23
本島氏いいなぁ、同人誌でいいから本出してくれれば俺買うぞw 佐賀藩関係はほんといい本ないんだよな〜
そりゃまあ、バーサーカー薩摩兵(鳥羽街道では縦隊で突撃してくる幕府歩兵隊の後装式シャスポー銃の弾雨の中を、一個中隊約八十名が密集隊形で先込めミニェー銃を−当然立ち撃ち−撃ち続け、結局撃ち勝っている)や、攘夷戦争 、蛤御門の変、保守派との内戦、四境戦争を戦いぬいて経験豊富な長州藩諸隊には一歩譲るだろうけれど、佐賀藩兵もそうそう侮ったもんじゃないと思いますがね。 最終的に佐賀藩の出征将士は五千百余名、人的損害はわずかに戦死七十五、負傷百十三。 それも、函館湾の海戦で轟沈した朝陽艦(旧幕府海軍から接収、佐賀藩士が操船)で出た死傷者が過半を占めます。 陸兵も旧式装備の弱い敵とばかり戦っていたわけでもありませんよ。北関東では鳳啓助、じゃなかった大鳥圭介指揮下の旧幕府歩兵と、佐賀藩部隊の主戦場となった羽州秋田戦線では常勝庄内藩兵と激戦を繰り広げています。 相応に適切な指揮統率の下、優良装備の有効活用がなされた結果、人的損害を抑える戦いが出来ていた、と評価するわけにはいきませんか? 単なる飾り武者ではなかった、と思うのですがね。
181 :
日本@名無史さん :04/02/04 22:57
軍板からきたが、、、 佐賀藩は長崎伝習所のおかげで(これは薩摩もか)海については特に強かったはず、新政府軍の海軍参謀は佐賀藩士だったような。 明治海軍も初期は薩摩と佐賀の功績が大きい、だから派閥が出来て融和させる為に色々苦労したようだ。 兵器コレクションに知識と訓練が加わったらそれなりの者になるのは西南戦争等の官軍を見ても分かるんじゃないか? 何にせよヘタレとか臆病者とか侮蔑的な表現するのは戦った人達に対して失礼だし的外れな意見、釣りにマジレス失礼 予防として言っておくと薩長が強いことはじゅ〜うぶん理解してます
佐賀藩を弱いとは思わないが、軍事的にどう考えても、薩長にかなうとは思えない。 そもそも国力が違う。 ろくに借金もせずに、幕府相手に戦争やってた藩が異常であって、 世間的には十分強藩の中に入ると思われ。
薩長肥はどこも借金踏み倒しと密貿易で儲けてる
184 :
日本@名無史さん :04/02/05 00:24
亀山社中もヤバイ荷で荒稼ぎぜよ〜
185 :
日本@名無史さん :04/02/05 16:35
佐賀藩は鳥羽伏見まで日和見だったが。薩長の軍事力だけで旧幕府勢力や東北諸藩を短期間で壊滅できなかったのでないか?。 佐賀藩の軍事力が温存され内戦を短期間で収束出来たことは、外国の干渉を受けず終結して幸いしたことだと思う。 これで薩長は遅れてきたのに薩長土肥と政権に、大隈や江藤など政権に入れてやった。 佐賀藩の軍事力は東日本の内戦が始まるまで諸藩は知らなかった。
186 :
日本@名無史さん :04/02/05 19:16
日和見の佐賀が旗幟を明らかにせずに居座れば、薩長はおちおち国元を空にできない。 敵か味方かはっきりしない奴を背後に、東海道方面の攻略に専念できないというだけ。 ヘタレ幕軍などは薩長だけでも倒せるが、佐賀を放置して背後を襲われる訳にはいかない。 新政権における佐賀の貢献とは、薩長に歯向かわなかった事に尽きる。
187 :
日本@名無史さん :04/02/05 19:26
薩長には佐賀を攻めろという意見もあった。 もしも佐賀が薩長に従わなければ、長岡と同じ末路。 後装銃を前装銃で撃退し、世界最強の海軍を樽で撃退する薩摩に勝てる者など居ない。
188 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/02/10 14:19
気になる記録を見つけたもので… 精煉方に属していた、からくり儀右衛門(田中久重)の伝記である『田中近江大〓』に含 まれる「翁手記の年譜」には、安政五年(1858)に「アルムストロング六封度筒」という 記載があるそうです。 当時の精煉方は開発に先立ち、蒸気機関車、蒸気船または大砲などの雛形を試製していま す。早い段階で、アームストロング砲の雛形も試製していたのかも知れません。 今津健治『からくり儀右衛門―東芝創立者田中久重とその時代―』ダイヤモンド社p.128
>>183 借金を踏み倒された商人は訴えられなかったの?
190 :
日本@名無史さん :04/02/10 19:13
佐賀藩は当代一の機械技術者、からくり儀右衛門を招請したそうです。 最初は断ったそうですが、蒸気船、蒸気機関の制作の話を聞いて招請に応じたそうです。 やはりエンジニアでったんですね。精錬方の経験が弟子達と共に東芝の創業に繋がったのでしょう。
「○○は××より強い」とか「何某より誰某のがえらい」 とかいう話専門の人は歴史関係の板より少年漫画とか ロボットアニメの板にでもいったほうが周りも本人も 幸せなんじゃないかな
>191 野生動物板を勧めるべきでしょう。あそこはそんなスレばかーしです。
age
194 :
日本@名無史さん :04/02/17 18:02
_ ___ ∧∧ _
/⌒\ \ 〔〔 |Ξ (,,゜Д゜)つ /⌒^\\ 愛國戦隊大日本〜
//⌒\ |◎| _/ ||Ξ/ つ¶¶ / /⌒\|◎|
http://www.gainax.co.jp/soft/daicon/dai.html#story / )|日|\/__\|/ ̄ ̄ ̄ ̄\ _____.|日|\_
http://www3.alpha-net.ne.jp/users/unot/zakka/aikoku.htm / ● ___ \|/ ● ●/\  ̄\__〉
/ Y Y )ヽ Y Y \..\ _/^~ /^|/^|__
| ▼ | | /. )).| | ▼ |/\\ /^/.^/_⊃
|_人__ノ⌒| |/ノノノ\__人 、_人_| \\______ __/^/^/^/⊃
/ ̄ \__| ||  ̄/目>、 ___ノ\. /| ̄ |  ̄  ̄ ||γ〜〜〜 |
/ / ./|___||_/ ̄/{三|三|三}| \/|||‐‐‐‐‐‐\ ⊂二⌒) γ /
/__/_./ \_|ロ/ ̄{三|三|三}ロ| ^^|____\_||{ ヽーー/
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( ̄()|⌒| )|| / / / /ミ三\_人__/三{.|
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( ̄()/)/ ̄ / / / / ./ |:::::|::::|\ \
^( ̄)/ /__/_/ / / \__/ \ \
195 :
日本@名無史さん :04/02/17 18:16
>>191 佐賀マンセーが完膚なきまでに叩きのめされた途端、分別くさい事を言い出すなよw
>192 虎とライオンどっちが強いかとかやってるんですか? なんか大昔のローマにいたアホのようですね
197 :
日本@名無史さん :04/02/17 21:29
このスレにも、薩摩最強という幕末史の常識を否定しようとして、 下らない屁理屈ばかり垂れ流していたアホが粘着していたんだよ。
>197 いや、佐賀長州薩摩幕府どこが強いかとか、 その話題自体がアホっぽいだろ。 どうせ強い→エライで完結してその先の考察は無いんだろ? バキでも読んでろ。
age
200 :
日本@名無史さん :04/02/22 01:10
>>198 いくら悔しがっても、薩摩最強の座は揺るがない。
だからもっと悔しがれ。
201 :
日本@名無史さん :04/02/22 01:34
佐賀は薩摩より弱い。 そして佐賀は薩摩より偉くない。 で、ファイナルアンサー。 別に佐賀が薩摩よりは見栄えしないからといっても良いじゃないか。 過去は過去。事実は事実だ。 佐賀人は過去のみすぼらしさに拘泥する事無く、未来を築く事だけを考えて生きていけば良い。 それは、君たち現代佐賀人の責務だ。
202 :
日本@名無史さん :04/03/12 22:58
佐賀人は、渡来してきた、チョンの子孫だから、本家本元と同じで捏造が好きなんだよ。 そのうち、「アームストロング砲の起源は、ウリナラの藩ニダ。」とか言い出しそうだな。(ワラ
203 :
日本@名無史さん :04/03/26 08:43
あげ
204 :
◆T5NknG5JW2 :04/03/27 19:40
205 :
日本@名無史さん :04/03/29 00:50
佐賀県は地形的に古代より日本の玄関(大陸と一番近いところ)明治維新 までそれは続いた。海外との扉は長崎出島だけだったのでそこに地理的に 近く、支配警護していた佐賀藩はやはり明治まで日本の玄関口で新しい文化に 対し日本でもかなり進んでいたところでしょう。 今の日本人の大勢を占める弥生人や文化文物はここにまず入ってきた。 渡来人も、その渡来人も多くの文化文物を日本にもたらし、日本の 発展に大いに寄与した。薩摩などは縄文人が多く住む縄文文化的な 所と対照的かな。刀伊入寇、蒙古襲来では多くの肥前武士が死にもの 狂いで日本を守った。
206 :
日本@名無史さん :04/03/29 01:06
実際江戸時代には、蝦夷地や琉球経由の貿易も盛んだったよ。 蝦夷地名物だった蝦夷錦なんて、実は清朝官僚が小遣い稼ぎに売り払った官服だし。 そんなのが満州から樺太、北海道を経由して日本国内で流通していた。 一方ロシアが日本への航路を開拓しようとしたきっかけは、アイヌが日本から購入した漆器を見て、 オランダが秘密にしていた日本に到る航路が案外ロシアから近い事に気づいたから。 それから江戸時代を通じて最も繁栄したと言い伝えられる加賀の御用商人銭屋吾兵衛が突然取り潰されてのも、 真相は藩ぐるみの密貿易が公儀に嗅ぎつけられたので口を封じられたからだと言われている。 真偽は不明だが、銭屋吾兵衛はタスマニア島の三分の一ほどの土地を所有していたという伝説も残っている。 他の諸国が鎖国で時代に乗り遅れていた一方で、佐賀だけが先進的だったなどという事実は無いよ。
207 :
日本@名無史さん :04/03/30 02:39
佐賀は最強。 薩摩の嫉妬はみっともないな。
208 :
日本@名無史さん :04/03/30 04:28
何で薩摩が佐賀みたいな雑魚に嫉妬しなきゃならないんだ? ・・・ふと思い出したが、ハングル板あたりではチョンがしきりに 「日本人は韓国に嫉妬している」という世迷言を言い出すのを思い出した。 格下の相手に嫉妬する奴なんて居ないっつーのw
209 :
日本@名無史さん :04/03/30 04:36
佐賀なんて、薩長が攻め込まれそうになった途端に倒幕に走ったヘタレ蝙蝠だろ。 薩長を恐れて倒幕軍の先陣を勤めた御三家なみの醜態、笑止なり。 中立を貫こうとして抗戦を辞さなかった長岡藩の方が、よっぽど根性見せてるよ。
210 :
日本@名無史さん :04/03/30 04:38
訂正 >佐賀なんて、薩長が攻め込まれそうになった途端に倒幕に走ったヘタレ蝙蝠だろ。× 佐賀なんて、薩長から攻め込まれそうになった途端に倒幕に走ったヘタレ蝙蝠だろ。○
佐賀厨が立てた糞スレなんてageるなよ・・・ いい加減にもう飽きた。
./ ,. ' '、 ノ か ム ぜ 薩 | / ', / は こ た リ っ 摩 :l. / , i :i、 |、 ゙, ノ' っ う つ ム た に ヽ./ /! ./l lヽ :i ', i`) き な む リ .い .は ./! /|:! | ./ | ! ヽ l ヽ ! l り っ り ム ム り / | /!//''|l‐=/、 ! l ,ゝ- ‐‐ヽ、 | | 言 た よ リ .リ あ (, l, :l.|: /_ ァテゝ、ヽ ! ヽテ = 、ヽ ! l わ ら !!.ム よ う l . :!|:!:|, i` .}{ i゙! ` ´ }.{; 'ィヾ,. ∧ :} /. せ . リ . な ,ゝ ! ! :i '' "´, ‐'='' ´ | i`:} / / て ん (. / ', ` i ヒ/ /ソ ゝ. も て > /人 | 、 ヤ‐ヽ ,イ l /!/ _ ゝ ら \ _ / ' ':, ヽ. ' ‐ ' ,/ /,r, |i' |' ` ). う 'レ'⌒´ ゝ, ` 、 ,. ' _// ‐‐ 、 ム わ // >:t' ,. '´ /' _>-‐- 、,_ヽ // /ノ,._'´ 丿 iヽ , '´ ` / - ' /-) _' i' ノ‐ ' ヽ、 '
213 :
日本@名無史さん :04/03/30 09:15
薩 摩 厨 必 死 だ な
214 :
日本@名無史さん :04/03/30 09:17
サツマ人って、なんか全身にオイル塗ったボディビルダーが スッポンポンで立ってるような気色悪さがあるな。
215 :
日本@名無史さん :04/04/06 11:45
薩摩は強いぞ。何と言っても一藩だけで当時最大大国だった英国と戦ったんだからな。
216 :
日本@名無史さん :04/04/06 11:56
>>215 でも結果敗北。無謀な戦をしただけ。というか無謀すぎ。
イギリス軍vs鹿児島県警で戦ったようなもの w
217 :
日本@名無史さん :04/04/06 15:05
薩英戦争は英艦隊が敗走して薩摩の勝ちなのだが。 ヘタレ佐賀軍が戦わずして英艦一隻に降伏したフェートン号事件と混同してないか?
219 :
トロちゃん元帥 :04/04/08 14:07
220 :
トロちゃん元帥 :04/04/08 14:09
>>219 まぁ司馬遼太郎なんざ胡散臭いと思ってたがねっ!!!
221 :
佐賀人の捏造技術力を示す貴重な資料 :04/04/08 19:00
「佐賀藩鋳造」のはずが… 大砲レプリカ米国製 誤り指摘を20年放置 佐賀県立博物館(佐賀市城内)が「佐賀藩鋳造」と紹介している幕末期の大砲のレプリカ(複製品)の原物が「米国製」と分かり、 近く説明板を訂正することが七日、明らかになった。誤りは約二十年前に専門家が指摘していたが、同館は放置。 お粗末な文化行政に批判が強まりそうだ。 博物館によると、レプリカは鉄製のカノン砲(長さ三・二メートル、重さ二・四トン)。 一九七七年、同県機械金属工業会連合会の協力で、東京の戸栗美術館の大砲をモデルに製造。 「幕末の佐賀藩の科学技術力を示す貴重な資料」として博物館の広場に展示されてきた。 ところが、八二年に防衛大の斎藤利生教授(軍事技術史)が、同美術館の原物に刻まれたアルファベットを調査。 米国の工場名の略称であることを突き止め、論文に発表した。教授は発表前に佐賀を訪れ、口頭で誤りを指摘したが、博物館は対策を講じなかった。 博物館は、近くに新しい歴史資料館が開館することを機に、斎藤論文をあらためて検証。「反論できる材料はない」として訂正を決めた。 佐賀県立博物館の田平徳栄副館長は訂正が遅れたことを謝罪し、理由を「(論文の)学術的な評価がどうなるか見守っていた。 文章をどう修正するか難しく、時間がかかる」と弁明。七月末までに正しい説明板を設置する考えを明かした。 斎藤教授は「長年、訂正してほしいと思っていたのでよかった。佐賀藩の技術力の高さまで否定するものでは全くない」と話している。 歴史書などによると、カノン砲は一八五三年のペリー来航で、江戸幕府が江戸湾防衛のため、佐賀藩に製造を命じ、品川の砲台に多数設置させたとされる。(西日本新聞)
222 :
日本@名無史さん :04/04/08 19:04
./ ,. ' '、 ノ か ム ぜ 弥 | / ', / は こ た リ っ 助 :l. / , i :i、 |、 ゙, ノ' っ う つ ム た に ヽ./ /! ./l lヽ :i ', i`) き な む リ .い .は ./! /|:! | ./ | ! ヽ l ヽ ! l り っ り ム ム り / | /!//''|l‐=/、 ! l ,ゝ- ‐‐ヽ、 | | 言 た よ リ .リ あ (, l, :l.|: /_ ァテゝ、ヽ ! ヽテ = 、ヽ ! l わ ら !!.ム よ う l . :!|:!:|, i` .}{ i゙! ` ´ }.{; 'ィヾ,. ∧ :} /. せ . リ . な ,ゝ ! ! :i '' "´, ‐'='' ´ | i`:} / / て ん (. / ', ` i ヒ/ /ソ ゝ. も て > /人 | 、 ヤ‐ヽ ,イ l /!/ _ ゝ ら \ _ / ' ':, ヽ. ' ‐ ' ,/ /,r, |i' |' ` ). う 'レ'⌒´ ゝ, ` 、 ,. ' _// ‐‐ 、 ム わ // >:t' ,. '´ /' _>-‐- 、,_ヽ // /ノ,._'´ 丿 iヽ , '´ ` / - ' /-) _' i' ノ‐ ' ヽ、 '
223 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/04/08 21:41
「現在佐賀県立博物館の前庭に、かって品川砲台に備えつけられ、のち旧渋谷鍋島 侯爵邸内に所在したと伝えられる鉄製24ポンドカノン砲が復元・保存されている。 近年の産業考古学的研究によれば、この鉄製大砲の原型は、佐賀藩の鋳造によるも のでなくアメリカ Bellona Foundry 社製との説が有力である。 斉藤利生「松濤の二十四ポンド砲に対する疑問」
224 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/04/08 22:09
昔から指摘はされていたんですがね…
225 :
日本@名無史さん :04/04/09 02:04
技術水準比較。 弥助砲&村田銃を独自開発するポテンシャルを持っていたインテレクチュアル薩摩>>>>(超えられない壁)>>>>>起源捏造ウリナラマンセー佐賀チョン。
226 :
死語の世界へようこそ :04/04/10 22:56
「オヤマカチャンリン」 (大山弥助が冗談を言う、の意味)
大山巌元帥の偉業を語るスレはここですか?
228 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/04/12 11:41
できたら、ハードについて語ってほしいです。
229 :
日本@名無史さん :04/04/16 00:41
糞スレだらけの佐賀関連スレでここが一番マシなので、上げとく。
230 :
日本@名無史さん :04/04/16 03:02
>>214 それってコピペなのか?同じ文章で「サツマ人」が「竹中直人」に
なってるの昨日どっかで見た。
231 :
日本@名無史さん :04/04/16 04:35
そのコピペは、どこかの馬鹿が随分気に入ってるようだ。 あちこちでバリエーションを見かけるよ。
232 :
日本@名無史さん :04/04/29 17:25
佐賀にはアームストロングしか語る話題なし
233 :
日本@名無史さん :04/05/10 12:25
235 :
日本@名無史さん :04/05/17 13:58
↑そうだな。名称が変更されているんだ。
236 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/05/17 23:37
保全あげ
238 :
日本@名無史さん :04/06/09 16:18
www
239 :
日本@名無史さん :04/06/23 17:07
240 :
日本@名無史さん :04/06/28 13:40
241 :
日本@名無史さん :04/07/01 19:20
あげ
242 :
日本@名無史さん :04/07/02 16:28
砂糖がいさっとる
243 :
日本@名無史さん :04/07/05 17:57
lきj
244 :
日本@名無史さん :04/07/20 15:15
age
245 :
日本@名無史さん :04/08/01 12:41
はなわ藩
246 :
日本@名無史さん :04/08/08 14:25
ww
247 :
日本@名無史さん :04/08/10 14:55
あげw
248 :
日本@名無史さん :04/08/13 11:40
アームストロング船長?
249 :
日本@名無史さん :04/08/17 12:30
一つだけ間違い無いこと。それは、福岡藩よりマシだったっつ〜こと。
そう思うか?
251 :
日本@名無史さん :04/08/17 15:14
薩摩の大砲は天下無敵男色砲だ /ヾ ゝイ丿 / / / / / / ∧ ∧ / // ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ シコ ( ゚Д゚)、 / /< お呼びでつか 捧げ 筒 筒 筒!!! / ヽ、 / / \______ シコ ( ) ゚ ゚/ヽ、/⊂// \ ヽ、 ( /⊂// \ ⌒つ / (  ̄/ / | |O○ \ | | \ \ | ) | ) / / / / / / ∪ ∪
252 :
日本@名無史さん :04/08/17 16:39
佐賀の日進小学校って所の出身なんだが、(30年前) 校庭に昔の反射炉とか、アームストロング砲とかありましたよ。 学校のシンボルになってて、 110周年〜130周年祭で10年おきに空砲撃ってます。 そのつど衝撃波で校舎の窓ガラスが壊れるんですが、 校舎自体もボロボロでいつか壊れるんんじゃないかとハラハラした思い出があります。
よく歴史の本とかに載ってる反射炉の図があるところ、 そこがまさに今の日進小学校のある場所です。
254 :
本島藤大夫 ◆ditZSI9Xmw :04/08/17 22:46
>>252 >>253 んっ、「日新小学校」では? まあ、どうでも良いですが…
築地反射炉跡地であることを示す反射炉のモニュメントがありますね。
脇に置いてあるのは、復元された鋳鉄製24ポンドカノンです。
前装滑腔式で、製作時点においても、既に時代遅れになっていました。
255 :
日本@名無史さん :04/08/17 22:52
ちんこううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう
256 :
日本@名無史さん :04/08/17 23:46
肥前諫早藩家老早川家から未使用のアームストロング砲の砲弾が発見されたそうな
257 :
日本@名無史さん :04/08/18 11:42
山梨の人間が歩いた後はペンペン草しか生えない 佐賀の人間が歩いた後はペンペン草も生えない
258 :
日本@名無史さん :04/08/18 18:26
>254 「日新小学校」でした。すみません・・。 しかも24ポンドカノンだったんですねぇ。 知識不足でした。
>>258 いえいえ、こちらこそ失礼しました。
8月にオープンした県立佐賀城本丸歴史館には、新たな資料を基にした
反射炉の断面模型やジオラマが展示してありました。
機会があったら、御覧になられるとよろしいでしょう…
あげますか。
261 :
日本@名無史さん :04/09/11 21:27:57
http://www.fsinet.or.jp/~yukio/rekishi/reindex.htm 佐賀では実に面食らうことが多かった。佐賀駅で駅員に長崎行きの発車時刻を聞いたところ時刻表
を見ろと突然どなり返すし、佐賀県立博物館を訪ね所蔵品の目録を見せて欲しいといったところその
ようなものはないと全然取り合ってくれなかった。公立の博物館ならば収納品目録くらいはあるでし
ょうと食い下がると無いものは無いと肩を震わせながらなぜ怒るのか分からないくらい怒った。品物
ならば準備もあり当然といえるが目録を見たいと言われて博物館の学芸員が訪問者に怒り狂うのは日
本広しといえども佐賀県立博物館だけであろう。長崎県博物館の館員からは佐賀博物館に行ってみる
と告げると博物館は図書館と違い閉鎖社会ゆえ十分気をつけるようにと忠告受けてなければ喧嘩にな
るところであった。この若い学芸員を冷静に見ていると面識のない訪問者は余所者であり排除の対照
であり典型的な佐賀人の気質をそなえており県職員として県民の資質をすべて備えており誠にふさわ
しい人だと逆に感心してしまった。
友人が酒を飲むと話す事がある。昭和三二年諫早は未曾有の水害に襲われ諫早市街は壊滅し死者も
五〇〇名に達し「諫早」の地名が初の全国区になった大災害であった。友人は米屋をしていたが店も
濁流に洗われ商品の米が流されて行くのを見ながらも身を守るのが精いっぱいだったそうで水害後、
住の確保と商店の再開に奔走する日々の中、多くの取引先は災害は仕方がない大変でしょうと新たな
商品を回してくれたり欠損金で処理したり長期の支払いで了承してくれたそうである。ただ佐賀市の
商人だけは厳しい督促し水害の為、今は払えないが少し待ってくれと言っても拒絶し裁判の申し立て
であった。商店の復興に猫の手も借りたい時期、弁護士も雇えず一人汽車に乗り佐賀の裁判所まで出
向かなければならなかったそうである。この様な話は至るところで語られ現在でも佐賀藩諫早領で佐
賀人を誉める人は皆無であろう。
262 :
日本@名無史さん :04/10/03 15:06:16
保守
263 :
日本@名無史さん :04/10/25 10:28:42
佐賀の人間が歩いた後はペンペン草も生えない
264 :
日本@名無史さん :04/11/13 22:47:43
保守age
265 :
日本@名無史さん :04/11/27 02:12:22
これで、よく落ちないな
266 :
日本@名無史さん :04/12/04 15:34:20
るろうに剣心でも出ただろ?
267 :
日本@名無史さん :04/12/18 15:06:26
まだあったのか?
268 :
日本@名無史さん : :04/12/20 22:49:05
講談社文庫・司馬遼著改訂版本「アームストロング砲」出版記念上げ。
>>268 おぉ,どの辺が「改訂」されてるのですか?
>>269 主に表紙のデザインと活字のポイント数。
271 :
日本@名無史さん :04/12/22 16:56:20
腕に装着
272 :
日本@名無史さん :04/12/22 17:07:34
佐賀って存在感ないな。
幕末随一の文明藩、佐賀藩の鍋島閑叟(なべしまかんそう)は、若い秀才たちに 極端な勉学を強いた。近習秀島藤之助は、世界最新の高性能大砲の製造を命じられ、 頭脳の限り努力する。酷使された才能は弊れたが、完成したアームストロング砲は、 彰義隊を壊滅させ、新時代を開いた。風雲の中に躍動する男たちを描く、傑作9編を収録。 幕末随一の文明藩、佐賀藩の鍋島閑叟は、若い秀才たちに極端な勉学を強いた。 近習秀島藤之助は、世界最新の高性能大砲の製造を命じられ、頭脳の限り努力する。 酷使された才能は弊れたが、完成したアームストロング砲は、彰義隊を壊滅させ、 新時代を開いた。風雲の中に躍動する男たちを描く、傑作9編を収録。
275 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/12/23 23:17:48
>>274 >完成したアームストロング砲は、彰義隊を壊滅させ、新時代を開いた。
ふ〜ん,小説では,〈佐賀藩製〉のアームストロング砲が上野で使われたかどうかは解らない,と書いてあったと思いますが…
こうやって〈錯誤〉が再生産されていくのかな〜
佐賀人の歴史観はチョン並だな。 史実よりもウリナラマンセーの方が重要なんだね。
277 :
日本@名無史さん :04/12/24 09:26:01
「巨人の星」に登場したのは、アームストロング・オズマ・・・・・・関係ないか。
278 :
日本@名無史さん :04/12/24 19:17:16
w
砲弾は自作ですか、輸入ですか
>>279 アームストロング砲の砲弾は,全て輸入と思われますが…
>>280 ありがとうございます
では攘夷など夢のまた夢ですね
>>281 佐賀藩がアム砲を輸入する直前は,自製砲は鋳鉄製要塞砲(24・36ポンド)から青銅製軽量砲(4ポンド)へ転換しています.
長崎防備から陸戦準備へと砲配備がシフトしていたようです.
また,幕末ギリギリでは,その青銅4ポンド砲も輸入アム砲に装備改編されています.
明らかに内戦を意識していたように思われるのですが…
>>282 勘違いだったらすみません。>青銅製軽量砲(4ポンド)って
フランス原産の4斤山、野砲のことですか?だとしたら弾丸重量は4kgですが。
>>283 青銅製軽量砲(4ポンド)
四斤砲とは違うようです.
最初から4ポンド砲として鋳造されたものと,3ポンド軽砲を4ポンド重砲に改造したものがあるようです.どちらも前装施条砲のようですが…(『松之落葉』より)
どうも,本来は4ポンド球形弾に合致する口径を「4ポンド」と呼んでいるみたいなんですが…
同じポンド数でも,球形弾より椎の実弾の方がより重いと書いてありますから.
>>284 本島様お答えありがとうございます。ちがうものでしたか。
>最初から4ポンド砲として鋳造されたものと,3ポンド軽砲を4ポンド重砲に改造したものがあるようです.どちらも前装施条砲のようですが…
>(『松之落葉』より)
日本設計の砲、と言う事でしょうか?
ちなみに球形弾と同口径の椎の実弾は砲弾重量がおよそ3倍になるそうです。
>同じポンド数でも,球形弾より椎の実弾の方がより重いと書いてありますから.
これはしりませんでした。なぜなんでしょうね?
286 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/12/26 13:13:15
>>285 レスありがとうございます。
>日本設計の砲、と言う事でしょうか?
原型は、オランダかイギリスでしょうね…
「野戦砲」としてありますが、ホイッスル(榴弾砲?)みたいです。
ちなみに、6ポンド・9ポンド「アルムストロング野戦銃」としてありますので、
きちんと区別していたのでしょうね。
>>同じポンド数でも,球形弾より椎の実弾の方がより重いと書いてありますから.
>これはしりませんでした。なぜなんでしょうね?
「ポンド」は本来は砲弾重量の単位でしょうが、「口径」表記として使われていた
ようです。だから、同じポンド「口径」でも椎の実弾の方が重いことになると。
幕末にイギリスから輸入した技術書にも表記が混乱気味と書いてあるそうですから、
この時期には向こうでも砲の規格を弾重量で表すか、口径表示にするか、過渡的な
状況だったのかも知れませんね。
本島様ふたたびのお答えありがとうございます。 兵器技術の転換期にはいろいろ混乱があるようですね。
288 :
日本@名無史さん :04/12/31 20:37:55
ぉ
289 :
日本@名無史さん :05/01/13 14:57:23
ま
290 :
日本@名無史さん :05/01/13 15:03:21
ン
の
292 :
日本@名無史さん :05/01/31 17:02:32
あげ
293 :
日本@名無史さん :05/02/13 12:28:42
gh
佐賀はその当時は場所柄長崎を守るために軍事的な要地で 800門ぐらいの砲を持ってたらしい でもって長崎に近いので貿易とかもして経済力もあって 西洋人から仕入れた知識で秘密科学研究所を作って 蒸気機関の研究とか鉄を溶かす反射炉の研究をやって成功させてる つまり長崎が貿易港であったので軍事力も経済力も科学力もあった なので倒幕派の戦力として重用されたというのが事実だろう あと大名としては外様だったのもあるだろうね 長州も薩摩も肥前もそうやって海外とかからの知識とか 武器とかお金を手に入れて幕府を倒したはず
295 :
日本@名無史さん :05/03/07 15:57:08
ほうほう
296 :
日本@名無史さん :2005/03/21(月) 22:02:49
へぇへぇ
297 :
日本@名無史さん :2005/03/21(月) 22:31:44
十代藩主鍋島直正に先見の明があったんでしょう。でも薩長にうまく利用されただけでは?
298 :
日本@名無史さん :2005/04/06(水) 12:35:03
HANAWA
299 :
日本@名無史さん :2005/04/24(日) 22:07:11
佐賀の人間が歩いた後はペンペン草も生えない
300 :
日本@名無史さん :2005/04/24(日) 22:20:48
とりあえず佐賀を探そう・・・
301 :
日本@名無史さん :2005/05/16(月) 10:22:44
302 :
日本@名無史さん :2005/05/29(日) 20:39:00
303 :
日本@名無史さん :2005/06/13(月) 14:36:49
諫早の人間が、佐賀藩嫌ってるの、何故?
304 :
日本@名無史さん :2005/06/13(月) 15:36:57
アームストロング大名vsガトリング家老
諫早は今長崎県だけど当時は佐賀の範疇だったから。 今時佐賀と一緒にされるって嫌やん。
306 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 23:29:19
佐賀の人間が歩いた後はペンペン草も生えない
307 :
日本@名無史さん :2005/07/01(金) 10:21:55
佐賀って存在感ないな。
唐津藩最強!!
309 :
日本@名無史さん :2005/07/06(水) 17:38:47
佐賀県内は、 今の新唐津市の一部が譜代の唐津藩領と天領、 鳥栖市の一部が対馬藩の飛地の田代領だったね。 その他は鍋島本藩領と三支藩領(蓮池・小城・鹿島)だね。
310 :
日本@名無史さん :2005/07/06(水) 21:42:12
クスノキ,クリーク,田んぼ,雷魚,江藤新平,山本常朝「武士道といふは 死ぬことと見つけたり」・・・・ 佐賀人は「鹿児島県人」が嫌い。というか,小ばかにしている。 江藤が,「佐賀の乱」を起こすに当たって,いろいろあったのが原因とか。 また,江藤新平は大変尊敬されているが,同じ佐賀出身の「大隈重信」に ついては,「あの人は,佐賀を出て行った人・・・」などど,とても冷たい。 「佐賀県人が通ったあとは,草木も生えない」とは,他県が佐賀をばかに するときに使うが,佐賀県はこれをかえって誇りに思って使う。
311 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 17:09:48
ようするに、軍ヲタだったんだろ。 宮崎駿の雑草ノートに出てきた、仮想小国の航空基地外の国王みたいにさ。 それでも一応ものになっただけ、水戸の厄介丸なんかよりましだ。 はて、ところで、誰か上で言ってたこと 「佐賀は極端な軍事技術一点主義」、これは他の藩も一緒じゃないのか? 薩摩の集成館だって、基本的には軍需工場だったわけだし。 (ガラスなんかいじってたのは知っているけど) 民需部門の産業革命を主題にすえてた藩なんて無いだろ?
312 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 22:18:41
>本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw とっくの昔に新聞に特集された知識をさも自分が発見したように 吹いてる馬鹿
313 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :2005/07/17(日) 09:53:54
314 :
日本@名無史さん :2005/07/27(水) 07:51:40
佐賀藩はアームストロング砲、フランスボーム砲常備 藩士足軽はスペンサー銃常備、さらに小隊長以上はレミントン銃だろ。 名実ともに最強の藩だったんだな
315 :
日本@名無史さん :2005/08/01(月) 18:03:47
腕っ節が強い砲??
>315 そうかもしれませんね。 薩長側の江戸無差別テロは葉隠の精神に反しています、 もし佐賀藩が旧幕府に味方すればどうなったでしょうか。 スレ違いなことを書いてすみません。
317 :
日本@名無史さん :2005/08/13(土) 00:33:16
唐津藩と佐賀藩はながまさというひとが 幕府の要職だったので敵同士になるの? それとも藩同士は関係無いの?
>>316 戦の無い時代に
虚弱体質のコンプレックス野郎の事務方侍が
戦がない事を前提に作った妄言混じりの観念論たる「葉隠」が何だって?
319 :
日本@名無史さん :2005/09/14(水) 00:35:10
wwwww
320 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 13:21:59
>>316 大和魂で軍艦に喜んで特攻していくのはあなたですね。
321 :
日本@名無史さん :2005/10/05(水) 19:38:17
世界銃砲史 上、下巻 岩堂憲人 各巻500ページ超 読め。最高の名著 火縄銃から幕末の鋳鉄体制、高炉の発達、外国の銃砲 幕府の鉄砲隊の体制について詳しく調査したものから、戦艦大和の46センチ砲まで マジでものすごい分量の銃砲史が載ってる。特筆すべきは銃砲の注釈以上に その時代の鋳鉄体制や世界状況(なぜ幕府が負けたかを薩長と幕府の銃砲隊の体制の違いから検証してる) 大砲、鉄砲に関してあれ以上の本はないね。近代歴史書としても優秀。
保守
323 :
日本@名無史さん :2005/10/13(木) 05:56:00
324 :
日本@名無史さん :2005/10/26(水) 18:32:41
325 :
日本@名無史さん :2005/11/09(水) 01:23:36
ageますかね。
326 :
日本@名無史さん :2005/11/15(火) 14:33:42
落ちんな!
327 :
日本@名無史さん :2005/11/30(水) 00:37:43
保守
328 :
日本@名無史さん :2005/12/11(日) 00:20:08
しつこくあげとく
329 :
日本@名無史さん :2005/12/21(水) 23:52:07
age
330 :
日本@名無史さん :2005/12/22(木) 04:05:28
佐賀藩士というのは長崎警備の大役を奉じながら、いざ長崎を荒らしたイギリスの海賊船一隻相手に怯えて戦いもせずに屈服したヘタレ。 後装銃装備の幕府軍伝習隊を前装銃の部隊で返り討ちにする命知らずの薩摩には絶対に勝てない。
331 :
日本@名無史さん :2005/12/22(木) 12:21:17
age
332 :
日本@名無史さん :2006/01/08(日) 18:04:11
保守
333 :
日本@名無史さん :2006/01/29(日) 16:16:32
age
334 :
日本@名無史さん :2006/01/29(日) 17:17:43
そうだよなあ 佐賀県には今でも吉野家もないぐらいだからな うそだったのかも
335 :
日本@名無史さん :2006/01/29(日) 17:19:10
牛丼作る技術がないんだろ?
336 :
日本@名無史さん :2006/02/11(土) 01:38:34
保守がてらに・・ アームストロング砲って当時の最新兵器だったのか疑問な気がしてきた。 最新兵器なら輸出規制みたいなのはなかったのか?
337 :
日本@名無史さん :2006/02/11(土) 03:18:12
イスラエルや中国みたくコピー兵器を作る国あるやろ。
338 :
日本@名無史さん :2006/02/11(土) 03:35:13
佐賀では絶対造れないと思います。理由は、佐賀だからです。
339 :
日本@名無史さん :2006/02/16(木) 07:31:40
340 :
日本@名無史さん :2006/02/16(木) 09:16:34
家康が大阪城に打ち込んだ大砲はアームストロング砲?
>>339 そこ、見てきたが、89ミリという砲弾直径、先込施条砲の
砲弾特有のリベット(ライフリングとかみ合わせて装填する)
などから、アームストロング砲弾じゃなくて、フランス式四斤
砲弾じゃないかと思われる。
佐賀藩が野戦で使った6ポンドアームストロング砲は口径65
ミリ、元込式だから砲弾には鉛の鋲じゃなくて帯が巻いてある。
アームストロング砲の弾頭信管は着発式だったはず。
仏式四斤砲弾の弾頭信管は単純な導火線じゃなくて曳火信管。
発射薬の爆炎が弾丸と砲腔の隙間をすり抜けて砲身内で弾頭の
信管の開口部に入って点火、事前に切っておいた信管内の導火
線の長さに応じて時限的に爆発する。
オリジナルは砲弾と信管に螺旋が切ってあってねじ込む方式
だったのが、国産品は螺旋が切ってなくて木片を隙間に叩き
込んで固定したわけだろう。
>>340 マジレスすれば、稲富一夢が国友村に作らせた50匁大鉄炮
(口径33ミリ、銃身長2メートル強)が「徳川軍砲兵隊」で
いちばん多く使用された「大砲」。
約1600メートルまで照準射撃できる照尺付き。
342 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 23:35:13
保守
343 :
日本@名無史さん :2006/03/20(月) 00:16:04
340>それはカルバリン砲です
344 :
日本@名無史さん :2006/03/25(土) 15:30:10
江藤三平?とかいう香具師は斬首されると聞いてたちどころに失禁したそうだね。
345 :
日本@名無史さん :2006/04/02(日) 03:22:31
保存
346 :
日本@名無史さん :2006/04/22(土) 16:29:39
347 :
日本@名無史さん :2006/05/09(火) 22:20:46
保守
348 :
日本@名無史さん :2006/05/10(水) 19:39:03
死にたい 死にたい 死にたい 死にたい 死にたい 死にたい 死にたい 死にたい 死にたい 死にたい 死のうよ 死のうよ 死のうよ 死のうよ 死のうよ 死のうよ 死のうよ 死のうよ 死のうよ 死のうよ
349 :
日本@名無史さん :2006/05/13(土) 07:54:56
あげ
350 :
日本@名無史さん :2006/05/13(土) 11:37:12
鍋島藩と佐賀藩って名称的にはどっちが正しいの?
351 :
日本@名無史さん :2006/05/13(土) 22:17:19
一般的にいうと、藩名は地名でいうから、佐賀藩かな。 薩長土肥で薩摩藩 長州藩 土佐藩だが、何故か肥前藩とはいわないが…
352 :
日本@名無史さん :2006/05/14(日) 19:21:42
「藩」という言葉は、江戸時代も使われていたが、正式には明治時代から。それまでは、「○○家中」と言った。島津家中とか、雅楽頭御家中とか。 また、国持大名は国名で呼ばれたりした。島津=薩州、毛利=長州など。 尚、明治に藩を公式用語にした時には、藩庁所在地の名前を付けた。尾張家=名古屋藩、毛利家=山口藩、島津家=鹿児島藩など。
354 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :2006/05/20(土) 22:08:27
>>353 そのページ,反射炉の解説は思いっきり間違えてますな…
355 :
353 :2006/05/20(土) 22:49:54
356 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :2006/05/21(日) 14:38:00
>>355 >反射炉は製鉄する炉と思われがちであるが実際は炭素分を多く含んだ銑鉄より鋼を作る
>過程の作業に用いられるものであり脱炭素過程である。現在は銑鉄に酸素を吹き込み鋼
>を生産する。
反射炉は鋳鋼(溶けた鋼鉄)を生産する設備ではありません.反射炉はそれより三段階前
の技術で,鋳造製品を生産するために金属を溶解して鋳型に流し込むための溶解炉です.
その溶解過程で多少銑鉄の精錬(脱炭)効果は期待できますが,銑鉄を鋼鉄に転換する
ための炉ではありません.
鋳鉄であるか練鉄(可鍛鉄)であるか鋳鋼であるかは,砲身材料と科学技術の水準に密接
に結びつきますので…
>反射炉は銅の精煉に用いられる炉で鉄の生産には向かない。
鉄の鋳造に反射炉が向いていない訳ではありません.19世紀前葉までヨーロッパでも反射
炉で盛んに鋳鉄砲を生産していましたから.銅の溶解炉から発達してきた事は間違いあり
ません.
>356 So what?
358 :
日本@名無史さん :2006/06/06(火) 01:43:23
hage
359 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 06:41:12
「巨人の星」に登場したのは、アームストロング・オズマ・・・・・・関係ないか。
360 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 21:37:05
ストロング小林は?
361 :
日本@名無史さん :2006/07/11(火) 23:18:57
誰?
362 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 17:47:20
>>330 おまえみたいなバカばっかだんだろうな・・・旧日本軍
363 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 17:54:34
ホモ
364 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 19:08:59
アームストロングといや日清戦争! 巨峰ばかりでは役にたつわけねえだろと、出撃寸前に副砲に小砲だが一分間に何発も撃てるアームストロング速射砲を各艦多数装備させた結果、期待どうり大活躍したね。
365 :
日本@名無史さん :2006/08/06(日) 14:08:52
保守
366 :
日本@名無史さん :2006/08/22(火) 23:00:02
ほげ
367 :
日本@名無史さん :2006/08/23(水) 19:49:46
やっぱり最強兵器は長岡藩のガトリング銃
368 :
日本@名無史さん :2006/08/23(水) 20:01:39
旧日本軍はバカどころか実際は世界一の教養水準で知られていたのが実情。 一番下っ端の兵隊はどこの国でも貧しい平民が主体だが、 そんな階層でも識字率が殆ど100パーセントを維持していたのは日本軍だけ。 日本兵なら誰でも手紙や日記を読み書きして新聞を読むのが普通だが、 アメリカ軍でもイギリス軍でも将校よりも下っ端でそういう知的な生活習慣を持つ者は稀だった。
369 :
日本@名無史さん :2006/08/23(水) 20:34:01
長岡のガトリング砲は故障が多くて使い物になってないと聞いたが。 それから操作員の姿勢が直立に近いので簡単に撃ち殺されたとか。
日本オタの米英の叩き方が酸っぱい葡萄っぽく感じます。
>>368 敵の手に日記が渡って機密だだもれ
って事態も日本軍特有だよね
372 :
日本@名無史さん :2006/09/26(火) 20:09:04
吉野家あるぞ〜!!34号線沿いに。
373 :
日本@名無史さん :2006/10/17(火) 00:17:12
保守
374 :
日本@名無史さん :2006/10/20(金) 09:25:14
佐賀!
375 :
日本@名無史さん :2006/10/20(金) 13:07:55
まあ、日本軍では皆が日記をつけていたから、 戦勝国やその手先による必死な反日宣伝が結局は通用しなかったという効能も絶大だった。
史家に言わせると終戦時に 証拠隠滅のため記録の大量焚書があって 多くの謎が謎のままになって困るらしいけどな
377 :
日本@名無史さん :2006/10/20(金) 18:35:00
佐賀すげー
378 :
:日本@名無史さん :2006/10/20(金) 19:50:45
チョン鮮半島に最も近い県 佐賀!!
379 :
日本@名無史さん :2006/10/21(土) 23:35:48
佐賀県の噂 私は信じない 佐賀県庁の黒い疑惑 私はそうは思わない 佐賀県民の血税を 佐賀県の使途不明な会計により 佐賀県庁が極秘裏に談合なんて そんなことはまったく起きていない むしろ 佐賀県による悪い噂 佐賀県 庁 知事 古川康 ナウイ 汚職 金 ゲッツ 談合 贈収賄 つぶれそう 個人情報流出 隠蔽 江頭2:50伝説 「1クールのレギュラーよりも、1回の伝説」 良い 悪い 好き 嫌い なんてことが言われないように佐賀県ガンバレ! 佐賀県民ガンバレ! 佐賀県庁ガンバレ! 千葉!滋賀!佐賀! ここは危ない佐賀ってろ! これが男の佐賀 佐賀しものはなんですか? 佐賀県なよ! 佐賀県は世界一の佐賀県庁生産国 佐賀県に関する 怪しい関係のカップル 調査
ニュー速の佐賀県爆撃はここの兵器によるものだったのか
381 :
H.S :2006/11/01(水) 00:15:29
たまたま見かけましたので、私が知っている事についてお話しします。 武雄領家老であった祖先が、領主の命で反射炉と南蛮砲の研究と製造に携わった 事は間違いないと聞いております。 反射炉は上手くいったそうですが、大砲においては非常に壊れやすい代物だった そうです。 朝鮮総督府で書記官をしていました祖母が、この事について詳しく知っていたの ですが、祖母は13年前に他界しております。
382 :
日本@名無史さん :2006/11/04(土) 20:11:16
おそらく当時、日本一の天才「からくり儀右衛門」こと、 田中久重(東芝創業者)のおかげだよ! 彼が居なければ、アームストロング砲量産は無理だったと思われます!
383 :
日本@名無史さん :2006/11/22(水) 23:32:48
>アームストロング砲量産 スレタイ読んだ?
384 :
日本@名無史さん :2006/12/11(月) 04:11:50
保守
385 :
日本史@名無しさん :2006/12/18(月) 22:43:59
佐賀藩がアームストロング野砲を製造できたかどうかの議論もあるでしょうが、 元もとの野砲や砲弾はどうなっているのでしょう?ある人の意見では当時火薬ガスを密閉するために 錫などの軟質金属円盤を砲弾の後方にセットしたというし、別の人によれば通常の後装砲と同じように 銅などのリングを施条に食い込ませたと言う。英国にはオリジナルの砲や砲弾が残っているはずですよね。 それらについてなにかご存知の方がおられるならば、佐賀藩が製造したかどうか議論の元の 英国製野砲、砲弾について是非教えて頂きたい。
386 :
日本@名無史さん :2007/01/11(木) 01:43:31
ほす
387 :
日本@名無史さん :2007/01/13(土) 17:36:47
アームストロング砲の榴弾は着弾してから爆発するまで数分間あった。 鶴々城に着弾した榴弾を婦女子が安全な場所に運んだ。
388 :
日本@名無史さん :2007/02/18(日) 00:24:06
はげ
389 :
日本@名無史さん :2007/02/18(日) 00:45:24
おいらのアームストロング砲をケツ毛バーガに出し入れしてえ ざます
390 :
日本@名無史さん :2007/03/15(木) 23:58:14
ほげ
392 :
日本@名無史さん :2007/05/08(火) 00:55:26
393 :
日本@名無史さん :2007/05/12(土) 02:10:22
安式砲は克式のようなルツボ鋼を使用した鋳鋼垂直焼嵌式では無く錬鉄を 巻金で補強しているから佐賀藩でも製造できたと思う。
394 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :2007/05/12(土) 10:29:24
>>393 おぉ,久々にまともな書き込みですな…
>錬鉄を巻金で補強しているから佐賀藩でも製造できたと思う。
巻金と云うか,パドル錬鉄で鍛造した筒を重ねて(ケーシングして)層成砲身(バレル)にしてるわけです.
そのバドル錬鉄は,炉内で銑鉄を人力攪拌(パドル)して錬鉄(可鍛鉄)に精錬し,それを圧延機で不純物
(スラグ)を押し出して棒状の製品に仕上げます.
アルンストロンゲ銃のバレルは,その棒状の錬鉄を細長い加熱炉に入れて軟らかくして,芯鉄に巻き付けて
蒸気ハンマーで鍛造して筒状に仕上げます.
長さと径が違う筒を入れ子に重ね合わせて,バレルを形成(層成)します.だから,薬室(チャンパー)周
辺が最も太く,砲口が最も細くなっています.
さて,1861年式6ポンド後装アームストロング砲は上記のような工程によって製造されるわけですが,幕末
佐賀藩がパドル炉・蒸気駆動圧延機・加熱炉・蒸気ハンマーを所有した形跡は文字記録の上では窺えません.
パドル炉は反射炉を改良・発展したものですが,小型化して室内タイプとなり,反射炉とは炉床や作業口の
構造が異なっていて,連装型反射炉とはサイズが違い過ぎます.
佐賀藩が築造した築地と多布施の反射炉は,ナポレオン戦争後のテキストに基づいた連装2基4炉の野外タイ
プで,パドル錬鉄の製造は出来ません.
蒸気ハンマーは,佐賀藩で造船機械用のものを輸入していますが,やはり持て余したのか,他の工作機械と
一緒に幕府に献上しています.
圧延機・加熱炉については,記録が全くありません.
以上のことから,6ポンド後装アームストロング砲のフルコピーを佐賀藩で製造できたとは考えられません.
まぁ,フルコピーは,南北戦争当時の南部連合でも失敗したらしいですが…
395 :
日本@名無史さん :2007/06/10(日) 23:34:31
保守
396 :
日本@名無史さん :2007/06/21(木) 00:28:34
あげ
ほしゅ
398 :
日本@名無史さん :2007/07/07(土) 16:59:26
禿げ
>>387 499 :名無し三等兵 [sage] :2007/06/20(水) 00:29:03 ID:???
なんか変だなーと思って検索してみると「アームストロング砲の砲弾が着発信管
ではなかったって」いうサイトがゴロゴロ出てきたw でもこれは間違いだから。
戊辰の戦いではアームストロング砲以外の滑空砲が沢山使われていて(むしろ
多数が滑空砲)導火線式信管を付けた砲弾がこれらの滑空砲で使われていた。
どうもその滑空砲で使われた砲弾の処理の話が混同されて「アームストロング砲
で着発信管が使われなかった」という変な風説が流布してるようだけど。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1174502072/491-499
400 :
日本@名無史さん :2007/08/26(日) 20:59:27
なるほど・・・・
401 :
漢文の科学書 :2007/08/30(木) 08:13:44
アームストロング砲は可能でしょう。江戸中期ですでに子供向けの優しい数学書が出版されていた 国なのだから。わたしが小学生の頃愛読していた本に、「算法少女」という児童文学書がある。 ネットが普及してから検索したところ、ちくま学芸文庫から再刊されていることがわかった。 「算法処女」じゃなかった「算法少女」は江戸時代に実際に出版された数学書である。医師の父親 と娘が協力して作った、漢文で書かれたやさしい数学問題集なのだ。これにインスピレーションを受けた ある現代作家が児童文学書として書いたのが、わたしが読んだ「算法少女」なのだ。 江戸時代の算法家たちは、神社に算額と呼ばれる額(絵馬を大きくしたようなもの)を奉納し、自分 はこんな難しい問題が解けたが他にわかる人はいるだろうか、とその能力を自慢して競い合った。 もちろん算額は漢文で書かれていた。ある町医者が趣味で算法を研究していて、娘に手ほどきをしていた。 娘は天分がありめきめき上達する。その娘が神社に参拝したとき、上級武士が奉納した算額の解答に間違い があるのを見つけてしまう。それがきっかけで、その娘のことが江戸の算法家たちの間で評判になり、 ある算法好きの殿様の耳に入る。そのため、殿様お抱えの算法家の娘と問題を解き合う、つまり御前試合を する羽目になって・・というお話。
402 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :2007/09/02(日) 15:01:05
>>401 築地反射炉での洋式鋳鉄砲(ボムカノン)の試作にも和算の専門家が参加してますから,
冶金においてもその有効性は示唆されるとは思います.
しかしながら,それをもって佐賀藩でのアームストロング砲製造が可能であったかは,
別の問題と思われますが…
403 :
日本@名無史さん :2007/09/18(火) 12:55:03
様々な書物、ここもだが アームストロング砲=後装式施条砲と捉えているが 実際は アームストロング砲=アームストロング社製の大砲 というのが当時の海外も含めた正しい呼び方。 これが混同されている。
マッチロック≠火縄銃と同じことだから、対応関係を厳密考えてもしょうがないと思う
九州の知識、佐賀藩をなめるなよ!
406 :
日本@名無史さん :2007/09/19(水) 15:29:46
現物を模倣しそれらしい物を作る事は可能だったでしょう。 問題はそれが実戦に耐える代物か否か。 答えは否でしょう。 明治期に入っても日本で後装砲を量産したのは先のこと。
407 :
日本@名無史さん :2007/09/22(土) 21:27:24
>>403 アームストロング式後装施条砲ということでよろしいか?
408 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 13:09:06
ですね。 アームストロング式前装施条砲もたくさんあったというか、こちらの方が多い でしょ。 また60年代末頃にはクルップ等アームストロング社以外からも後装施条砲が登場 している。
佐賀の反射炉シンポで科学博の鈴木さんが, 「前装を含めたライフル砲の総称がアームストロング砲」 と云っていてビックリしたことがあります. 佐賀藩だと,ブレ−ケリ−後装施条砲を輸入してますね. 前装式ですがウイットワ−ス砲も輸入してます. それから,輸入艦船の艦載砲として前装アームストロングも多数ありました.
410 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 16:15:11
幕末当時の洋式軍事知識低さ、混乱により文献も疑わしいものも多々あり、しかし 前後の脈略を考えればある程度補正できるのですが、後世にて部分的引用だけがひ とり歩きしそれがまた混乱を酷くしてます。 大砲とは離れますが、兵力数にしても現代風に戦闘要員だけを表したもの、小物、 人足まで加えた総数を表したものも混在、これなどは文献全体を読めばどちらの数 か判るのですが、抜粋だけされると判りませんね。
411 :
日本@名無史さん :2007/10/16(火) 12:16:53
だね
412 :
日本@名無史さん :2007/10/16(火) 15:50:16
だよ
413 :
日本@名無史さん :2007/11/20(火) 00:00:40
ホス
414 :
日本@名無史さん :2007/12/22(土) 10:25:56
保守
415 :
日本@名無史さん :2008/01/24(木) 23:09:31
干す
あげ
幕末佐賀藩の参考図書教えて。
418 :
日本@名無史さん :2008/04/16(水) 01:49:59
ハゲ
419 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 00:17:29
hoshu
420 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 17:59:58
421 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 19:35:05
肥前の妖怪、洞ヶ峠の鍋島閑艘を、宰相に叙勲するので、上坂して公方を助けて欲しい
アームストロング砲の参考図書教えてください。
423 :
日本@名無史さん :2008/08/24(日) 16:23:38
保守
424 :
日本@名無史さん :2008/08/25(月) 06:38:31
長州砲
保守
426 :
日本@名無史さん :2008/10/12(日) 21:14:12
はげ
ほす
428 :
日本@名無史さん :2008/11/21(金) 01:45:05
429 :
日本@名無史さん :2008/11/26(水) 00:28:36
ドカーン
430 :
日本@名無史さん :2008/12/12(金) 22:26:13
オズマと言わざるを得ない
431 :
日本@名無史さん :2009/02/01(日) 22:52:32
船長
全部嘘!佐賀だぜ。 佐賀ってダサいよな
434 :
日本@名無史さん :2009/04/09(木) 21:28:27
保守
435 :
日本@名無史さん :2009/04/25(土) 09:13:49
>>433 嘘というわりには、佐賀市には世界遺産の話が持ち上がっているんだが。
436 :
日本@名無史さん :2009/05/02(土) 07:59:47
戦前までは佐賀藩が造った大砲が何門か残っていたらしいが、 戦時供出で鋳潰されてしまった。
宮崎あたりで野砲兵連隊に配備したんだったっちぇ・・。
438 :
日本@名無史さん :2009/06/09(火) 04:04:55
ホゲ
明治38年制定の・・・・。 明治31年制定の・・・・。
440 :
日本@名無史さん :2009/06/28(日) 10:47:21
>>440 捏造もいいところだな。佐賀人は会津人並みのメンタリティーしか持ち合わせていないのか。
442 :
日本@名無史さん :2009/10/30(金) 01:09:36
薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬 薄給激務ブラック会社悲惨密製薬
アームストロング船長
445 :
日本@名無史さん :2010/01/23(土) 10:02:16
446 :
日本@名無史さん :2010/02/12(金) 07:25:22
447 :
日本@名無史さん :2010/02/12(金) 07:27:27
448 :
日本@名無史さん :2010/02/12(金) 07:28:29
鹿児島(笑)ごときが、なんで天下の佐賀にヌンチャクしてんだw
449 :
強姦野郎が言いそうなセリフだねw :2010/02/12(金) 07:30:21
187 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/02/05(木) 19:26 薩長には佐賀を攻めろという意見もあった。 もしも佐賀が薩長に従わなければ、長岡と同じ末路。 後装銃を前装銃で撃退し、世界最強の海軍を樽で撃退する薩摩に勝てる者など居ない。 ★純粋日本人ではない鹿児島の芋ってのは、ホントあれだなあ ゎらぃ★
450 :
強姦野郎が言いそうなセリフだねw :2010/02/12(金) 07:34:34
31 名前:名無し野電車区 投稿日:2007/09/16(日) 18:29:47 ID:lk6uNE3z
■一人当たりの県民所得■ 平成8年〜平成16年推移 (単位:1,000円)
出典:平成16年度県民経済計算@内閣府経済社会総合研究所
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/kenmin/h16/main.html -------------------------------------------------------
1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004
-------------------------------------------------------
大分県 2,690 2,765 2,734 2,697 2,799 2,632 2,577 2,646 2,653
福岡県 2,792 2,808 2,768 2,678 2,714 2,630 2,586 2,603 2,570
佐賀県 2,597 2,574 2,559 2,581 2,559 2,457 2,417 2,463 2,453
:
熊本県 2,460 2,492 2,413 2,418 2,494 2,439 2,380 2,365 2,366
宮崎県 2,415 2,437 2,439 2,420 2,429 2,346 2,341 2,348 2,340
:
長崎県 2,380 2,365 2,362 2,320 2,346 2,275 2,245 2,212 2,190
鹿児島 2,276 2,267 2,287 2,287 2,337 2,265 2,229 2,219 2,207 ★★★
-------------------------------------------------------
九州 2,529 2,544 2,522 2,483 2,523 2,442 2,402 2,408 2,391
九州経済の新たな盟主は、新幹線とは無縁。独自の創意工夫で躍進続ける、大分県
現状でも高速鉄道があるのに集客できず、破産寸前の自治体が、
一時のカンフル剤として、新幹線クレクレの物乞いをしている。余計な借金だけ貯めこんで、ますます泥沼
九州新幹線のおかげで鹿児島経済が飛躍的に潤ったなんて声は、まったく聞こえてこない・・・
いったい何をしに行くのか鹿児島・・・
スカイマークも撤退し、青春18きっぷもまともに使えず、博多鹿児島間運賃二倍に跳ね上がり、
選択肢がどんどん狭まる鹿児島、、、若者の足もサヨウナラ
船長
452 :
日本@名無史さん :2010/06/25(金) 06:57:15
安式砲
453 :
日本@名無史さん :2010/06/26(土) 09:54:25
佐賀市営球場が廃止された跡地に日新小学校を移転させれば、 築地反射炉跡の完全調査も、その後の有効活用もできたのに残念。
旧佐賀市営球場って本庄校区じゃない?
当時のアームストロング砲と言えば 特定の物ではなく 最新式の大砲全般を指す言葉としても使われていた どちらにせよ佐賀藩が強力な武器を持っていたことに変わりない そんなに佐賀に嫉妬するなよww
456 :
日本@名無史さん :
2010/09/03(金) 18:40:10 age