とりあえず会津若松城天守は砲弾くらいまくってボロボロにはなったものの、
倒壊や炎上はしなかったな。
着発信管じゃなかったからね。
濡れ雑巾で覆い井戸にまで運んで捨ててたのじゃなかったかな。
間に合わなくて亡くなった人もでたけれど。
>>492 アームストロング砲では着発信管が使われた。
焼玉の話だろ?てか、焼玉って炸裂弾か?
焼玉はその名の通り、”焼いた鉄球”でしょ。
炸裂弾は、震天雷とかが近いのでは?
会津戦争当時の炸裂弾
旧式の滑腔砲の炸裂弾は導火線式の信管使用。
アームストロング砲の砲弾は現在の砲弾に近い着発信管使用。
497 :
159:2007/06/19(火) 23:39:15 ID:???
ただ会津までアームストロング持っていったかなあと。
>>497 持って行った。
小田山に運び上げて城に撃ちまくった。アームストロング砲
なんか変だなーと思って検索してみると「アームストロング砲の砲弾が着発信管
ではなかったって」いうサイトがゴロゴロ出てきたw でもこれは間違いだから。
戊辰の戦いではアームストロング砲以外の滑空砲が沢山使われていて(むしろ
多数が滑空砲)導火線式信管を付けた砲弾がこれらの滑空砲で使われていた。
どうもその滑空砲で使われた砲弾の処理の話が混同されて「アームストロング砲
で着発信管が使われなかった」という変な風説が流布してるようだけど。