マルチというより資料貼りだろ
<波佐見金山
明治に入ってからの発見だとネットにはありましたが、幕末と
関係するんでしょうか。
age
>>175 単語でググっても無意味。
金山の成り立ちと、あの近辺の攻防史から当たらないと駄目駄目。
178 :
549:04/03/09 12:53 ID:???
保守
バットウサィィィィィ!
なんでこの時代は製造会社の名前で砲や銃を呼ぶのですか?
182 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/03/16 23:34 ID:CMlpIsF8
>>181 う〜ん、何故でしょうね。
考えてもみませんでした。
飛行機は今でもそうじゃん
B-17もB-29もB-52もまとめて「ボ−イング爆撃機」とは呼ばんよ。
現代だと最初に会社名、型番、愛称という順番だが・・・
セポイの反乱の時の時とエンフィールド銃と第一次大戦の時のエンフィールド銃は
違うけど、どうも混同してしまう。
6時にメッサーシュミット!
ってのは?
F4FもF6Fもグラマン
後上方に川崎!
々 に中島!
々 に九州!
・・・・・・
馴染まんな(;´Д`)
188 :
名無し三等兵:04/03/26 01:24 ID:F9+g7WOe
age
カタリナ飛行艇→コンソリってのも
コルセア→シコルスキーは…
佐賀人は、渡来してきた、チョンの子孫だから、本家本元と同じで捏造が好きなんだよ。
そのうち、「アームストロング砲の起源は、ウリナラの藩ニダ。」とか言い出しそうだな。(ワラ
保守して置きます。
ほと
194 :
奈砲れおん:04/04/03 14:02 ID:YkdyQLnb
age
画期的な技術が導入されたときは
「ゼロックスしといて」
などという言葉に会社名が使われる場合もある。
そりゃけっこうなジジババだぞ>>ゼロックスしといて。
類
・「ラッタッタで出前」
・「ファミコン」
・ホチキス
「ここは悪いインターネットですね」
ニンテンドー
も似たようなものかな?
要は代名詞。
あと電子レンジの温めを「チン」っていうな。
我が国の場合、軽飛行機は全部「セスナ」だしねぇ。
「パイパー社製のセスナ機が墜落して云々」と言うのがニュースで
出る事もあるしなぁ。
203 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/04/08 21:47 ID:q0huuGx9
「現在佐賀県立博物館の前庭に、かって品川砲台に備えつけられ、のち旧渋谷鍋島
侯爵邸内に所在したと伝えられる鉄製24ポンドカノン砲が復元・保存されている。
近年の産業考古学的研究によれば、この鉄製大砲の原型は、佐賀藩の鋳造によるも
のでなくアメリカ Bellona Foundry 社製との説が有力である。」
斉藤利生「松濤の二十四ポンド砲に対する疑問」
ずいぶん昔から指摘はされていたんですがね…
>203
ところで、アームストロング砲の『砲弾』は展示されてるのでしょうか。
アームストロング砲の場合、鋳造(鉄)前装式の時から、
現代の無反動砲弾のように、ライフリングに合わせて施条された「榴弾」があります。
この場合の「榴弾」は、グレープショットやキャニスターでは無くて、
火薬の入った、現代の榴弾と同じ設計思想の物です。
205 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/04/08 23:52 ID:q0huuGx9
>>204 佐嘉神社に復元アームストロング砲と一緒に砲弾の復元品も飾ってありましたが、
形状から考えるともっと後の時代のものと思われます。
何か混乱があるのでしょうね…
206 :
204:04/04/09 00:24 ID:???
207 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/04/09 18:11 ID:cYFD4LFG
>>206 なるほど、面白いページをありがとうございます。
アム砲の砲弾は、下の文献にいい挿図が載ってます。
有坂〓蔵(1916):兵器沿革図説(東京帝国大学工科大学紀要7-1),東京帝国大
学,東京. 原書房 復刻(1983):兵器沿革図説.
佐嘉神社の復元砲弾は、もっと新しい日露戦争くらいのものかと思われます。原型
は県立博物館にある鍋島報效会の寄託品らしいですが、やっぱ混乱があるような…
幕末当時の『国産鋳造前装ライフル砲(青銅)』の技術レベルについては
世界銃砲史に載っておりました。
(アームストロング砲の国産化については記述無し。鉄鋳造の失敗例は記述有)
慶応三年(1867)に来日したフランス軍事教導団のシャノワヌ大尉は、
江戸の、武田斐三郎の設計した製造所を褒めている。
国産鋳造青銅前装ライフル砲について、鋳造技術の精巧さは称賛した上で、
銅の成分分析の必要性を述べている。(強度検査を主眼に置いた分析)
ただし、ライフリングそのものについては多くが「正常でない」としている。
また、砲架や砲車などは軍事運用のレベルに達していない。
・・・このように分析しています。
佐賀藩の場合も、「技術的に出来ない事を確認した」だけでも重要で、
とても意味のある事だったと思います。
明治に始まる製鉄業は、本を参考にするだけでは追いつけない彼我の差を、
前もって知った上での出発となったわけですから。
幕府・薩摩・佐賀が参加した万博では、クルップの巨大砲と超巨大鉄鋼塊を
みせつけられて、彼我に横たわる技術的な断絶が、
文字道理通り『一目瞭然』となったわけで、当然といえば当然でしょうが。
209 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/05/10 15:25 ID:iUh/0geN
>>208 >佐賀藩の場合も、「技術的に出来ない事を確認した」だけでも重要で、
>とても意味のある事だったと思います。
同意です。
ボムカノンの鋳造には成功していますが、解禁後はイギリスから多様な銃砲類を多
数輸入していますからね。自らのぎじゅつレベルを認識できたのだと思います。
砲はともかく榴弾の国産は国産出来たのかねぇ。
確か薩英戦争時に薩軍が旧式砲から発射する自作の炸裂弾を使って英軍指揮官を爆殺してるが(当の英軍は日本製ではなくロシア製の砲弾だと思ったらしい)本格的な信管にはそれなりにノウハウがいるからなー。オウムも雷管で失敗してたしね。
当時の佐賀藩が着発式の砲弾に取り付ける雷管を当時量産できたか激しく疑問。
黒色火薬程度ならともかく感度の高い火薬も砲弾の量産が可能なほど手に入ったのか怪しいし。
薩摩は、「工業的」な火薬製造工場を所持していました。
薩英戦争では使用機会が発生しませんでしたが、
電気発火方式の「機雷(当時は水雷と呼称)」も、三基のみだが実戦配備していた。
この機雷も、薩摩で生産した物です。
火薬(装薬)に関しては、1886年にフランス陸軍が正式採用した「B火薬」が、
最初の無煙火薬であり、
爆薬のニトロセルロースも1866年にようやく安定化に成功したばかり。
この当時は、軍事目的はまだまだ黒色火薬が全盛時代ですから、
黒色火薬が「時代後れ」とは言えないと思います。
薩摩がイギリス支那派遣艦隊旗艦「ユーラリアス」の艦橋に命中させたのは、
西洋風に言うと100ポンド砲もしくは200ポンド砲のどちらかだといわれています。
「海軍創設史」篠原宏、にも「炸裂弾」との記述がありますが、
詳細は判りません。
また、発着信管ですが、球弾用の「スプリンガルド信管」系のものでしたら、
構造も複雑ではないので、当時の日本でも生産可能だったのではないかと思います。
しかし、ライフル砲弾用の物となると、まだ欧州でも最新技術に属する物でしたから、
正式な技術移転無しに、生産というのはどうでしょう。
薩英戦争後に、イギリス艦隊が放ったアームストロング砲の砲弾のうち、
30発余りの榴弾の不発弾が薩摩藩によって回収されていますので、
これが後に研究材料となる事も、考えられなくは無いでしょうが・・・。
212 :
210:04/05/14 21:40 ID:???
>>211 いやいや、詳しいですね。
正直、幕末は詳しくないんで参考になります。
薩摩の炸裂弾は大昔に読んだ「江戸時代技術史」か何かに大雑把に書いてあったと思ったんですが、あれは確か球弾用だしなー。
旋条砲用となると一発二発ならともかく実践で使用するってレベルではとてもじゃないけど無理だと思うわけですわ。
213 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/05/15 14:38 ID:0mzTL4g+
アム砲の砲弾なら、グラバーを通じて榴弾、散弾(多分、榴散弾)をかなり
まとまった数、輸入していますので、佐賀藩が自作したことはないと思われ
ますね。
佐賀藩と反射炉:新日本新書501:長野暹/著
新日本出版社:2000年06月 ISBNコード:4-406-02748-3
206P 18cm \997円(税込)
*私は未読ですが、他の本を探していたら見つけました。
215 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :04/05/18 15:09 ID:qA4uDtQ3
>>214 一昨年あたりから立ち上がった「幕末佐賀科学技術史研究会」の主要メンバーですね、長野先生…
ランス
保全あげ
アームストロングは死んでもラッパをはなしませんでした。
保守
アームストロング砲なら
>>216 時期的に気分が高揚して来てるのは理解できるし、何を隠そう漏れも
そうだが、スレ違い板違いも甚だしいw
223 :
名無し三等兵:
鍋島【閑叟公】直正=ゲル長官