ソ連軍が日ソ中立条約を無視して敗戦間際の日本・満州に侵攻、
直後に降伏して、既に無抵抗の日本人に対し残虐な殺戮を繰り返し、
婦女子を強姦しまくるなど、悪魔の所業を働くなどして、
現地民間邦人200万人中20万人を虐殺。
その上、「ダモイ(帰国)」の言葉で兵士を騙して、凍てつくシベリアに拉致・移送。
奴隷のように強制労働を強いた極悪非道の行い。
鉄道建設では枕木の数ほどの死人が出たという。
60万人中6万人が死亡とされているが、実際はもっと多いと推測されている。
生きて日本に帰れた兵士は骨と皮だけになっていた。
2 :
日本@名無史さん:03/08/11 11:53
また、この手のスレかよ。
世界史板にも同じようなのがたってるけど、いい加減にしたら?
3 :
日本@名無史さん:03/08/11 11:58
劇団四季 ステージガイド 異国の丘
http://www.shiki.gr.jp/applause/ikoku/siberia.html ・・・終戦の6日前、ソ連は日ソ中立条約を破って侵攻を始め、9月3日の停戦までに、
無抵抗の関東軍を武装解除し、市民たちを蹂躙(じゅうりん)し、捕虜としたあげく、
貨物列車に乗せてシベリアに移送してしまった。そして「抑留」と称して、厳しい強制労働
を課したのである。その数は60万人とも65万人とも、あるいはそれ以上とも言われている。
ソ連は、当初から戦後の経済復興のために、日本軍兵士を労働力として使う計画だった
という。満州国に莫大な資本を投下して築き上げた重工業プラントや機械設備を解体して
持ち去り、それを抑留兵士の無償の強制労働で建設したのである。森林を伐採し、鉄道を
敷設し、病院や公共施設を建造する工事にもかり出された。・・・
抑留兵士たちは、ソ連から「すみやかな帰還」を約束されていると信じていた。シベリアへ
移送される列車の中でも、ダモイ(帰国)の船が出るナホトカへ向かっていると思い込む者
が多かったが、実際は逆向きの奥地へ、北や西へと移動していたのであった。
シベリアは冬はマイナス60度にもなり、反対に夏は38度の熱暑という寒暖の差が激しい
気候。ラーゲリ(収容所)のほとんどは暖房設備も行き届かず、連行された夏服のまま
防寒着も不足していた。不潔な環境で様々な病気が流行したが、医療設備も不完全で、
十分な治療を受けることはできなかった。
最初の冬が越せず、6万人が死亡したといわれるのも当然であった。続出する死亡者を
埋葬するための作業隊が作られ、遺体は白樺の根元に埋められた。
4 :
日本@名無史さん:03/08/11 12:05
6万人を超える犠牲者
◆ ソ連の東洋アカデミーのキリチェンコ研究員は、シベリア抑留について「64万人を抑留
し、そのうち6万4000人が死亡した」と述べている。
一方、昭和30年6月17日の外務省発表は、終戦当時に満州、北朝鮮、千島、南樺太に
居住していた軍民合わせて272万6000人のうち57万5000人がソ連軍によってシベリア、
外蒙古、中央アジアに移送されたとしている。
これとは別に留守業務部の資料では54万1500人が移送されたとなっていて、正確な
抑留者の人数は今もって分からない。
◆ しかし、昭和21年12月19日に締結された「日本人引揚に関する米ソ協定」によって
開始された抑留者の送還は、昭和25年4月22日にソ連側から47万1000人の送還を
もって完了したと発表された。
実際には昭和29年3月までに1231人、昭和30年4月に88人、そして昭和31年12月26
日に最後の引揚者1025人が帰国したので引揚者の総数は47万3000人余りとなった。
◆ 外務省発表を根拠にすれば、未帰還者は10万2000人、留守業務部の資料を根拠に
すれば未帰還者は6万8500人になる。この数字は現地からの逃亡・行方不明、戦犯と
して中国に引き渡された数を含んでいるから、抑留中に死亡した数は6万人を下らないと
判断するのが妥当と思われる。
シベリア抑留の記録
http://www.azaban.com/kajika/komatsuzaki/991111.htm
反ソ・反露厨、必死だな(w
6 :
日本@名無史さん:03/08/11 12:18
民主運動とは
さて、昭和22年になると収容所内で「民主運動」というものが台頭してきた。民主運動は
当初、旧軍隊組織に対する反発から始まり、次第に反動闘争(共産主義ソ連一辺倒)と
いう大きなうねりとなっていった。
民主運動を主導したのはソ連政治部将校で、その手段として「日本新聞」が大きな役割を
果たした。日本新聞とは、ハバロフスクで発行されていた日本語新聞で、”ソ連軍が日本人
捕虜に与える新聞”(第一面に記載)という性格をもっていた。
民主運動の目的
ソ連当局にとって民主運動のねらいは、1)日本人捕虜に共産主義の考え方を叩き込む
こと、2)前職者の告発、そして、3)捕虜を労働にかりたてること、にあったと思われる。
ここで前職者とは、参謀、特に情報参謀、特務機関、憲兵隊、警察などの職を一度でも
経験した者のことをいうそうである。”反動”すなわち軍国主義、ファシズム思想をもつ者
という意味であろうか。
アクチーブが中心になって反動を批判攻撃するために、しばしば激しい”吊し上げ”が全員
参加で行われた。ここで反動とは、前職者、軍国主義者に限らず、共産主義ソ連の反対者
全般と言うことになるが、反動がほとんどいなくなった後では、アクチーブ自身の地位安泰
のために、ささいな言いがかりをつけて反動を無理やり作り出すといった状況が見られた。
反動は永久に帰国させない、というおどしをかけられ、事実帰国を遅らされる者が相次いだ。
こうして多くの者は、次々と自己批判をして”ダモイ(帰国)用民主主義者”となっていった。
反動から民主主義者へ転向した証しを示すには積極的な活動をする必要があった。まだ
残る反動を吊し上げて罵詈雑言を浴びせること、あるいは前職者の密告、そしてでっち上
げまで行われた。
シベリア抑留(団塊の世代一代記)
http://www.terra.dti.ne.jp/~akimasa/html/itidaiki/sibir.htm
7 :
日本@名無史さん:03/08/11 12:25
日本で強制労働させられた中国人も半数しんだらしいね。
まあ、因果応報ってやつだよ。
9 :
日本@名無史さん:03/08/11 12:36
◆ 満州から送られた抑留者は千人規模の部隊編成で収容所に着き、収容所の人員は
千五百人規模が基準になっている。
やがて本格的な冬がやってきた。イルクーツクはソ連全土のなかでも屈指の寒冷地で、
一月の平均気温は零下二〇度まで下がる。厳寒の冬期には零下三〇度から四〇度近く
まで下がることもあった。ほとんどの兵士は夏の軍服を着用していたので、シベリアの寒
さが身にしみて堪えた。
◆ 寒さと飢えに苦しみながら、千五百人の日本人捕虜は重労働を課せられた。イルクー
ツク第一収容所だけで、九十七人が栄養失調で死亡している。遺体はゴザに乗せられて、
丘の向こうの凍土に掘られた共同墓地に埋められた。シベリア全土の収容所で、このよ
うな悲劇が繰り広げられていた。栄養失調は、エネルギーの収支が赤字になるとそれを
補うために身体の成分を消費して、体重が減少し、やがて全身の脱力感が現れ、末期に
は昏睡状態になって死亡する。身長の高い者ほどエネルギーの消費が多いので、死亡率
が高かった。望郷の思いを抱きながら、シベリアの土となった人たちを思うと言葉も発する
ことも出来ない。
10 :
日本@名無史さん:03/08/11 12:37
◆ 捕虜たちを苦しめたのは、寒さと飢えだけでない。ソ連全土の収容所に吹き荒れた
「シベリア民主運動」という思想教育の嵐があった。この運動に日本人捕虜の一部が加担
し、同胞の上に権力を振るうことになる。ソ連政治将校と一緒に収容所を回る日本人オルグ
は、最初は予備士官学校出の幹部候補生が多かったと言う。
一般の兵士には、初めて聞く社会主義の理論は、難解で取り付き難かったのであろう。
もとっも幹部候補生たちの社会主義の理解度は、兵士たちと五十歩百歩で、やがて兵士
の中から筋金入りのマルクス主義者が生まれるに従って淘汰されていく。
◆ 生かじりの行き過ぎた洗脳によって、軍隊方式のオルグたちは、戸惑う同胞たちに
「反ソ分子」の烙印を押し、理不尽な「つるし上げ」大会に引き出すことも発生した。なか
には頬ヒゲを生やしていただけの理由で「資本主義の残滓が抜けきらない」とオルグや
アクチブ(活動家)から罵倒され、酷寒の最中に丸裸にされて営倉に入れられ、ソ連政治
将校に救出された例もある。長期にわたった抑留は、日本人の人間性まで破壊した。
怨念を超えたシベリアの旅
http://www.azaban.com/kajika/furusawa/991006.htm
11 :
日本@名無史さん:03/08/11 12:41
>>8 何人が何年で何人死亡しましたか?
ソ連(ロシア)は賠償もしくは“経済支援”という名の賠償を
日本に対して行いましたか?
12 :
GET! DVD:03/08/11 12:42
長文コピペってウザイよね。今時、反ソ厨なんてアフォでつか?
14 :
日本@名無史さん:03/08/11 12:48
>>13 ウザイなら立ち寄らなければいいんだよ。
それとも気になって仕方がないのかな?今時、アフォまるだしの親ソ厨としては。(ワラ
15 :
日本@名無史さん:03/08/11 13:18
>>8 マスコミなんかは「強制連行」って言うけど、正確には「徴用」ね。
日本人に対し工場などで働く「徴用」はすでに昭和16年には始まり
朝鮮人、中国人に対しては昭和18年末から。
徴用に何度も応じない者のみ強制収容した場合もあったが、その数は
非常に少なかった。
ソ連の機密文書解禁で多くの事実が判明しつつあり、60万と言われた
「シベリア連行」も100万近いというロシア人学者もいる。
軍人だけでなく、民間人もいたことが判明している。
死亡者も6万と言われたが、モンゴルや北朝鮮でなくなった人も多く
10万はくだらないというのが事実に近い。
中国人労働者の数は600~800で比較にならない。
比較にならないものを持ってきて、「相殺」しようとするのがサヨクの
常套手段。
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゙!llllllllllllllllll!!!!!゙゙° `゛ ゙゙゙!!!!!!!!!!゙゙° : ゙”゚゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙”
・終戦約1週間前の昭和20年8月9日、ソ連は突如、日ソ中立条約を一方的に破り、日本
に宣戦布告、ソ連軍が大挙して満州になだれ込んできた。ソ連兵たちは、軍人はおろか日
本開拓民に対しても強姦、暴行、殺人、略奪と悪業の限りをつくし、8月14日には、内蒙古
の葛根廟の原野で日本開拓移民の避難民がソ連軍の猛攻を受け、婦女子約一千名が
殺害されるという痛ましい事件も起こっている。だが、満州でのソ連軍の狼藉にも増して、
その悲惨さの規模という点で許し難いのは、シベリア抑留といいう暴挙である。ソ連は日本
がポツダム宣言を受入れた8月15日を過ぎて、戦闘状態を解いて、停戦、降伏をした関東
軍の兵士、並びに民間人を大量にシベリアに連行、長期にわたり抑留し、過酷な労働に従
事させた。大本営は、ポツダム宣言受諾直後の8月16日、関東軍に対して戦闘を中止し、
ソ連と休戦交渉をするように命令を出した。この命令に従い、山田乙三大将は、連合軍の
一員としてのソ連に対して、停戦と降伏を行うよう全軍に命じた。実際、英、米、中国などの
連合国は、日本のポツダム宣言受諾を全面降伏とみて、第一線の指揮官に停戦命令を
発令している。ところが、ソ連軍は停戦後も停戦命令を出すどころが、逆にに侵攻を促し、
対日開戦後、たった一週間で、日本本土の四倍に近い土地を奪った。まさに悪質な火事
場泥棒である。
1.日本の軍人のみか、日本居留民や満州人に対しても暴虐、暴行を加えた。戦争法規
では「戦争による害敵手段は戦闘員に対して行使すげきで、かつその害敵手段は人道上
の考慮が払われ、戦争目的達成に必要なき非人道的行為は禁止されるべきである」と規定
されている。民間人、軍人を問わず、無差別に暴力を加えたソ連は、この点だけで重大な
国際法違反である。
2.関東軍の兵士、満州の日本居留民を長期にわたり、シベリアで抑留した。
ポツダム宣言第9項には「日本軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に
復帰し、平和かつ生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし」とある。
それ以前に、国際捕虜条約でソ連は勝手に日本人を捕虜扱いできない決まりになって
いる。にもかかわらず、ソ連は大勢の日本の軍人、民間人を連行、長期にわたり過酷な
労働に従事させた。
3.抑留日本人に対して、ソ連国内法に基づいて刑を科したことである。国際法ではいか
なる人も他国の法律で裁いてはならない決まりになっている。
4.抑留日本人の洗脳、戦犯のデッチアゲ、労働強化などの政治工作を実施した。それ
により抑留日本人は肉体的苦痛だけでなく、精神的な苦痛を味わわされた。のみならず
「戦犯に仕立てる者」「中共に引き渡す者」「日本に帰国させる者」に区分けされ、処遇を
決められた。
●スターリンの罪はいくら告発しても告発しきれない。悪質かつ最大の戦争犯罪人は
スターリンである。
●許せぬ日本人墓地破壊命令
●ソ連による抑留日本人105万人、虐殺40万人の衝撃
●満州で無法の限りを尽くしたソ連軍
●在満法人を襲った生き地獄
●アルハンゲリスキー著 「シベリアの原爆」 邦題「プリンス近衛殺人事件」
・シベリアでのソ連の犯罪を告発したもの。
・ヒトラーの悪行さえかすんでしまう、スターリンの悪行を白日の下に晒すことになった。
・日本人捕虜の大量死亡を隠し、国際世論をかわすためにクレムリンが日本人の埋葬地
さえ後に破壊したという聞くに絶えない事実が明らかにされた。
●アルハンゲリスキー氏とは
・1929年生れ、70年代には政府機関紙「イズべスチャ」の副編集長に就任した花形ジャ
ーナリストで、ソ連ジャーナリスト同盟議長、ソ日協会副会長などの要職も務めた輝かし
経歴の持ち主。この経歴を見てもわかる通り、アルハンゲリスキー氏はソ連政府・ソ連
共産党からの信任も厚く、現役記者時代にはクレムリンの奥深くまで取材を自由に許さ
れ、ブレジネフやフルシチョフの謦咳に接する機会を何度も持っていた。いうなれば、ソ
連体制内で功なり名を遂げた人物。この老ジャーナリストが、なぜ、故国の恥部を晒し、
日本人も及ばないほど激しく追求し、弾劾・告発するに至ったか。その答えは、彼の少
年時代に遡る。アルハンゲリスキー氏は、少年時代からソビエトの共産主義体制や
共産党の教義に内心で疑問を抱いていた。ソ連の現体制に懐疑的な考えを抱きながら、
アルハンゲリスキー氏が少年兵として独ソ戦に加わったのは13歳の時だった。・・・・
独ソ戦は彼の家族も奪った。父親、兄弟のほとんど全員を失い、遺骨はおろか、消息
までも一切わからない。記憶を取り戻したアルハンゲリスキー氏が親兄弟の行方を知
りたい一心で、国防省関係の文書保管所に入ったのが、そもそもの始まりである。
肉親の消息は杳として知れなかったが、数々の機密文書に触れるうちに、ソ連の圧制に
苛まれ、圧殺された近衛文隆氏に関する機密文書に遭遇し、日本兵のシベリア抑留問
題に横たわる暗部に触れた。
●今立鉄雄氏ー「日本しんぶんー日本人捕虜に対するソ連の政策」
・「終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約2百72万6千人の日本人
がいたが、このうち約107万人が終戦後、僅か9ヶ月間にソ連の為、シベリアに送られた。
推定ながら、シベリアの野に失った40万人の人々とその遺族の胸中を思いやっている」
●ウイリアム・ニンモ(米国の研究者)著ー「検証ーシベリア抑留」
・「1945年8月ソ連の管理下にあった日本人の人数は、272万6千人、確認済みの死者
は25万4千人、行方不明・推定死亡・その他は9万3千名で、事実上、約34万人の日本
人がソ連によって殺された」
●アルハンゲリスキーの解明
・マリクがモロトフに宛てた文書では、「1946年12月4日付け政府決定に従い、ソ連から
の日本人の本国帰還が緒に就いた。本国帰還該当者105万2,467人のうち既に
10万 1,075人が送還された」
・1947年3月5日付けの対日理事会でビジョン米代表が、日本捕虜帰国の現状に言及し、
ソ連領内にまだ105万301人の日本人が残留していると述べたところ、1947年3月27
日付けのマリクからモロトフ宛ての書簡では、ビジョンに反論するため「1947年3月5日
現在ソ連内にいた軍人及び民間人の日本人は総計約70万人」としたのである。折りしも
東西冷戦が本格化した時期で、以後、鉄のカーテンに阻まれ、抑留者の数、死者の数と
も曖昧にされていく。
なぜ、こんな隠蔽工作をしたのかといえば、1945年から1947年にかけて大量の日本人
がシベリアの地で死亡したからだ。とくに1945年から46年にかけての冬、シベリア全土
を異常な寒気が襲い、日本人抑留者の命を次々と奪った。防寒服も防寒用の靴もなく、
布テントに収容され、しかも食料も十分に与えられなかった日本人捕虜たちはひとたまり
もなくシベリアの冬将軍の餌食をなった。
22 :
日本@名無史さん:03/08/11 15:33
●シーボルト(対日理事会の米代表)
・夥しい数の日本人捕虜がシベリアで虐殺されたとして、日本側の資料を用い、次の数字
をあげている。1945年だけで、27万2349人が死んだ。1945年から1949年までの
4年間で、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、実に37万4041人にのぼる。
37万人を超える日本人捕虜がシベリアで殺された。死亡原因は疾病、野外留置、衣服の
不足、栄養失調、極寒時の強制行進、過酷な労働とされている。広島、長崎の原爆を
上回る我が同胞が、まさにスターリンによって虐殺された。
http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/marxsyugi1.html#前野 徹 「第四の国難」 扶桑社
23 :
日本@名無史さん:03/08/11 15:43
レビュー
内容(「BOOK」データベースより)
大戦終結後、ソ連は大量の日本人を強制抑留し、シベリアの奴隷とした。その中に、
五摂家筆頭近衛家、元首相近衛文麿の嫡子、眉目秀麗のプリンス、近衛文隆がいた。
果てしなく続く「尋問」という名の苛烈な洗脳。ソ連首脳部はいったい何を目差していた
のか。シベリア抑留の真実とは。ソ連崩壊後、ロシア人ジャーナリストにより奇跡的に
入手された膨大な新史料による衝撃のノンフィクション。
内容(「MARC」データベースより)
シベリア抑留者の中に、近衛家の嫡男がいた。果てしなく続く「尋問」という名の苛烈な
洗脳。ソ連首脳部の目的は何だったのか。シベリア抑留の真実とは。ソ連崩壊後奇跡的
に入手された膨大な新史料を元に描く。
26 :
日本@名無史さん:03/08/11 16:47
【シベリア抑留】 元ウクライナ人捕虜から入手した日本人捕虜についての情報
「チェルニフチ市のヴァシリ・ミハイロヴィチ・ザクレフスキー氏の証言」
私たちはここから鉄道建設のために作業大隊で強制的に連れて行かれた。ここでは一日に
2~3人の捕虜がまるで野ウサギのように射殺されていた。死体は頭を金槌で割られ、
埋める前に掘った穴の中でもう一度機関銃で撃たれた。そして墓地は有刺鉄線で囲まれて
おり、見張り台でソ連兵が監視していた。
「チェルニフチ市のウィポブィ氏の証言」
2~3日後、同じ所に20~25人の日本人捕虜が輸送されてきた。日本人を見たのはこれが
初めてだった。彼らはほとんど皆、金歯があった。この日からものすごい苦痛の叫び声を毎晩
聞くようになった。ソ連兵たちが日本人を殴りつけた上、金に換えるために金歯を折って取り
出していたのだということが後になって分かった。この行為は暗闇の中で行われた。金歯を
抜き取った後にソ連兵は電気を点灯した。赤い共産党サディストの拷問を受けた血だらけの
日本人が私たちの目に入った。そこから私たちは貨車でドゥディンカ経由ノリリスク収容所へ
連行された。その時日本人は一緒に連行されなかった。
『異国の丘』とソ連・日本共産党(1)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia.htm
27 :
日本@名無史さん:03/08/11 17:04
長 文 コ ピ ペ 厨 は 氏 ね
長 文 コ ピ ペ 厨 は 氏 ね
28 :
日本@名無史さん:03/08/11 17:06
長 文 コ ピ ペ 厨 は ウ ザ イ
長 文 コ ピ ペ 厨 は ウ ザ イ
29 :
日本@名無史さん:03/08/11 17:32
シベリア抑留先で、ソ連に媚びて、うまい汁吸ってた日本人将校たち。
例えば、満州の兵隊の活用をソ連に申し出た瀬島とかは、
赤いナポレオンといわれ、ソ連兵より日本兵の恐怖と恨みを受けていた。
将校より下士官のほうが、うまく立ち回った奴は多いんじゃないか
31 :
日本@名無史さん:03/08/11 18:09
でも全盛期のロボス閣下もなかなか優秀だったんでしょ?
じゃあそれやシトレより少し劣るくらいか。
それにしても第二次ティアマトのツィーテン元帥にしろ帝国の最高クラスの
指揮官ってあんまり優秀なのがいない気がするね。
32 :
日本@名無史さん:03/08/11 18:41
田中のイメージがナポ時代プロイセン=旧式戦術とかだからじゃねーの?
あの時代消耗戦を企図するプロイセンと殲滅そのものを目的とするフランス軍の
戦略思想の新旧の差があったから。それをもろに喰らったのがブラウンシュヴァイク公や
ホーエンローエ公といった老将達だったし。多分このへんから元帥クラスを時代遅れの
ザコにしたんじゃねーの?
33 :
日本@名無史さん:03/08/11 19:14
>29
瀬島がゴミなのは事実だが、奴は強制労働を申し出る立場にはない。
対日謀略責任者だったコワレンコが文芸春秋に、経緯を公表したが、
それによると、瀬島ら部隊はソ連軍に無抵抗に拘束され、そのまま連行された。
瀬島が自著等でソ連と日本軍の扱い等についてソ連担当者と交渉したかの
如く言っていることについてコワレンコは、
「自分を大物に見せるために虚偽であり、(その他諸々の理由で)瀬島という男には
虚言癖があるのではないか」と批判していた。
いずれにせよ、シベリア強制労働は、ヤルタでの密約により既に決定していたことだから、
現地の人間の交渉が影響を及ぼしたということはあり得ない。
この点ははっきりさせておかないと、ソ連やその支持者につけいる余地を与えてしまう。
34 :
日本@名無史さん:03/08/11 20:51
35 :
日本@名無史さん:03/08/12 20:28
>>29 まだこの手の俗説信じてるやついるんだなw
ま、知ってて言ってるのかもしれんが
36 :
日本@名無史さん:03/08/14 17:54
『正論』 9月号
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2003/0309/mokuji.html 昭和史第一級資料『終戦の真相』掲載!
迫水久常・書記官長が語った昭和天皇と最後の御前会議
元鈴木内閣書記官長 迫水 久常
に終戦間際の状況が詳述されているんだが、
陸軍が本土決戦を含む徹底抗戦を断固主張してる中、瀬島がなんとか終戦受け入れを
できないかと言ってきたそうだ。あのクラスの陸軍軍人としては一般的な発想ではない。
阿南は一貫してポツダム受諾反対だったし、クーデターの動きすらあった時代だ。
瀬島ソ連スパイ説などというとんでも論が出ていたりするのだが、もしスパイなら、
ソ連侵攻前の降伏受諾などという発想はないはず。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
38 :
日本@名無史さん:03/08/15 16:56
強制労働の一方で必ず人体実験をやっていたと俺は確信している。
「ワイド」で草野仁も言ってた。
39 :
日本@名無史さん:03/08/15 22:11
厚生労働省によるイルクーツク州マラトバ村のシベリア抑留者遺骨収集事業に
参加して、135体の遺骨を収集した。遺骨は7月28日、東京・千鳥ケ淵
戦役者墓苑に引き渡された。
戦友の塚穴にかがみ、頭蓋骨をこの手で抱いたとき、涙がとめどなく流れた。
死んでもなお祖国日本へ帰る一念からか、頭は北向きではなく、すべて東向きに
並べられていた。
また死者の最後の供物であろう一杯のカーシャ(おかゆ)が胸骨の上に白く
固まり、しょうのう軟膏、手作りナイフ、真っ二つに切断された解剖頭蓋骨など
を目のあたりにするとき、この抑留は一大悲劇であることを痛感した。
荒木正則(80) 産経新聞(8月15日)より
40 :
日本@名無史さん:03/08/15 22:13
天皇家の苗字は地家です。
山口県田布施町麻郷地家出身だからです。
地家寅吉がかぞえ5歳の時、父地家作蔵が離婚し
母 スヘについて行きました。その年に後南朝の末裔
大室弥兵衛とスへが再婚いたしました。だから地家寅吉
は大室寅吉となりました。
1867年10月下旬行方知れずになっていた寅吉は大室寅之祐
と名を改め京都から麻郷に亡命するため1度は故郷田布施町
に帰ってきます。
薩長の軍隊を麻郷に集め王政復古の大号令を1867年12月9日に
麻郷村井神の高松八幡宮で岩倉らとしめやかに執り行い
1868年1月に京都に向かって鳥羽伏見の戦い後、薩長勝利
によって
1868年1月15日京都御所で大室寅之祐を明治天皇と改め
そこから先は史実どおりです。
大室寅之祐は元奇兵隊の足軽で伊藤博文の力士隊に所属
していましたから伊藤は明治天皇の上司でした。
41 :
日本@名無史さん:03/08/17 21:36
42 :
日本@名無史さん:03/08/17 21:47
?
>>40 初めて聞きましたが明治天皇は皇族の人じゃないんですか?
43 :
日本@名無史さん:03/08/19 21:31
また、ソ連は旧日本工場の機械類などを大量にソ連に運び去りました。
「清津では、日本製鉄所その他工場の設備機械等の一部を運び去り、日本高周波
城津工場では、工場運営に必要な程度を残して、工作機械や部分品、製品を運び、
价川日鉄鉱業所から倉庫にあった機械器具、事業用品を運んだ。日本高周波城津
工場で撤去をおこなうとき、気概のある工場長(双浦人民委員会長・金采俊氏)は、
『これ以上運ぶなら私を殺してからやってくれ』とソ連兵の前に立ちふさがり、その
搬出をくいとめたと伝えられている」(森田芳夫『朝鮮終戦の記録』、同前より重引、
61頁)、等々。
しかし何より深刻な結果をもたらしたのは、ソ連軍による20万トンのコメの供出命令
でした。20万トンというのは、当時の北朝鮮の年間産米高の4分の1に相当するという
のですから莫大な量です。
ところで、「当時ソ連軍が何人駐留していたか、公式の統計はない。13万人という説
も20万人という説をある。しかし仮に最大20万人いたとしても、1人1日700グラム
(当時の朝鮮人の配給量、3合)食うとして、20万人ではせいぜい年間5万1000トン
の消費である。その4倍もの20万トンも取り上げた目的は明白である。本国への搬出
である。
(萩原遼『朝鮮戦争──金日成とマッカーサーの陰謀』、文芸春秋社、59頁)。
http://homepage2.nifty.com/ingnet/kita1.htm
44 :
日本@名無史さん:03/08/20 17:22
戦争犯罪の償いのために、男は懲役、女はマンコで無料奉仕ってことでしょ
南京大虐殺と従軍慰安婦etcの日本に被害者づらする資格無し!
46 :
日本@名無史さん:03/08/21 19:50
ロシア民族というのは卑怯・愚劣・悪質・鬼畜の極悪種族だな。
絶種しないといかん。
47 :
日本@名無史さん:03/08/21 21:20
>>45 チミは低能未熟だね。
戦争犯罪はソ連がしたの。南京大虐殺も従軍慰安婦というものも存在しない。
あったのは便衣隊の処刑と慰安婦の管理のみ。
アホ
>>47 コヴァ発見、(・∀・)オチャノンデカエレ!!
50 :
日本@名無史さん:03/08/23 16:29
石射猪太郎氏(外務省東亜局長)の回想
南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、
続いて上海総領事からの書面報告が我々を慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取り締まりの用を為さない。
制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。一九三八(昭和一三)年一月六日の日記にいう。
上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。
嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。(略)
51 :
日本@名無史さん:03/08/23 17:23
占領地における極悪非道ぶりはソ連軍と日本軍が双璧だな。
原因は兵士に対する奴隷的扱いと狂信か?
52 :
日本@名無史さん:03/08/23 18:21
露助は眼鏡の存在をしらなかったらしい。
ラーゲリで眼鏡で火をおこした日本兵を魔法使いといった。
あとほとんどの兵が字を読めなかっつた。
思想板でやれ、このあほども
今度は日本が中国・アメリカ・その他連合国を訴える時だ!
55 :
日本@名無史さん:03/09/09 21:25
ゴロツキ民族・ロシア人は死ね!
56 :
日本@名無史さん:03/09/09 21:36
日本兵は自国民に対してもゴロツキ同然でしたが、何か?
57 :
日本@名無史さん:03/09/09 21:46
58 :
日本@名無史さん:03/09/09 21:49
どっちもゴロツキ。
自国民をリンチするくらいだから、占領地での乱暴な所行は当然。
59 :
日本@名無史さん:03/09/09 21:50
>>50 嘘か本当かわからんが、まだ報告し、遺憾と言ってるだけまし。
赤軍の場合はスターリンや地区司令官が強姦を容認、奨励していた。
60 :
日本@名無史さん:03/09/09 22:09
61 :
日本@名無史さん:03/09/09 22:11
まあ、どっちもどっちってことでファイナルアンサー
62 :
日本@名無史さん:03/09/09 22:53
つか、Y村少佐でしたっけ暁に祈る事件は?
日本人捕虜同士の虐待もひどかったとかいうはなしですけどさ
モンゴルの抑留ってどうなんでしょ?
もれは胡桃沢氏の黒パン俘虜記くらいしかよんでまへんけど。
63 :
日本@名無史さん:03/09/09 22:58
皆、もっときちんとした話しようよ。
頭悪すぎ・・・。
ちなみに俺の祖父はシベリアに送られた。
だから興味もって来て見たらこれ??
確かに、ロシアがした事は酷いかも知れないけど、日本だっていろいろな事してる。
戦争ってそういうものじゃない?
お互い言葉じゃ通じ合えないから力でさ・・・
悲しいよね。
歴史上の事物を傷つけるのってきちんと見えてないからじゃないかな>ALL
ソ連に捕虜を自由に使っていいよって最初に言ったのは、終戦末期の近衛じゃなかったかな?
終戦直後に瀬島が交渉したときも、捕虜の使役を申し出ていたはず。
ソ連は日本政府の申し出に素直に従っただけとも言える
65 :
日本@名無史さん:03/09/09 23:21
>>64 使役申し出というのはソ連の仲介要請のための交換条件案としてあっただけ。
実際にはソ連は冷酷にも交渉を参戦のための時間稼ぎに使ってただけで、
中立条約を無視して強引に対日侵略してきた。
強制労働というのは、ヤルタの密約で既に決定されてたことであって、
日本側の意向など関係ない。
また瀬島が密約したなどという暴論は、戦後蛆のようにわいて出て
日本社会に巣食っていた容共主義者たちの捏造。
ソ連軍の捕虜にされてた瀬島如きに、ソ連との“交渉”などできるはずもない。
ソ連の拉致強制労働はエリツィンも謝罪済みの極悪戦争犯罪として既に歴史的に確定済み。
66 :
日本@名無史さん:03/09/09 23:25
>66
心外です。今日はじめてきたのに・・・
こんな低俗の集まりだとは思いませんでした。
うそ臭い話はよせって、本当の話だよ・・・もう祖父はなくなったけどね・・・
分かりにくいから名前だしときます。
皆さんも出したら?
ソ連の戦争犯罪の言い訳にはならないって言っていますけど、言い訳しているわけでは有りません。
戦争は嫌い。なんでそこまでソ連を嫌うわけ??
68 :
日本@名無史さん:03/09/09 23:41
>>67 だからお前はソ連軍の強姦スレ見てオナニーでもしてろ。
69 :
やはり遺伝か・・・。:03/09/09 23:54
637 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:03/08/29 16:17
征服者であるキプチャク汗国の王(汗)とその貴族、およびその家来どもから
すれば、ロシア人の農民などを人間と思わず、労働をしたり生産したりする
動物と見ていたかのようだ。
638 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:03/08/29 16:33
>>637 モンゴルの征服勢力はロシア白人奴隷の売買も行ってますた
639 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:03/08/29 20:21
それで奴隷に売られて、特にガレー船を漕ぐ奴隷として重宝された。
英語のslaveの語源はスラヴ。ロシア、英国に差別ニダとか言わないのかな。
641 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:03/09/09 21:41
>>638 アレキサンドル2世の農奴解放まで、領主による農奴の売買はあったよ
ゴーリキーの『鼻』などに出てくる
今のロシア人にモンゴルの血が流れてる?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1025879631/
70 :
日本@名無史さん:03/09/09 23:57
ソ連は満州侵攻を囚人にやらしたんだろ
あいつらまじ最悪
71 :
日本@名無史さん:03/09/10 21:56
ロシアはやっぱすげーよ。
近代に文化・芸術・学術でこれほど遺産を残してる国って他にはフランスとドイツ
くらいだろ。
ロシア自民党員が暴れているな
73 :
日本@名無史さん:03/09/13 22:27
私も今日初めてここを見たんですけど
もっとこの事を知って欲しいってのはあるけど
なんでみんなこんなに感情的なの?
瀬島は終戦間際に交渉している
長崎に落ちた観測装置を、第三の原爆と勘違いして、それをソ連に渡そうとした。
ただの機械としったソ連が、意図的にだまそうとしたと思って激怒したようだ。
瀬島がシベリアに連れて行かれたのはその後。
白熊を擁護してどうするのだお前ら
先祖が聞いたら泣くよ つーか早く領土かえして欲しい
76 :
日本@名無史さん:03/10/03 19:26
77 :
日本@名無史さん:03/10/06 11:16
シベリア抑留での死亡率10%
ヨーロッパ東部戦線の独ソ双方の捕虜の扱いと比べたら天国
78 :
日本@名無史さん:03/10/07 10:22
79 :
日本@名無史さん:03/10/17 13:47
80 :
日本@名無史さん:03/10/17 14:02
>>23 『 プリンス近衛殺人事件』
卑劣なソ連軍の捕虜とされたプリンス近衛文隆は、その出自ゆえに、ソ連軍の狡猾な計略
の最大標的とされた。ソ連は連日、文隆に苛酷な洗脳工作を試みていた。
文隆をソ連のスリーパー(工作員)として日本に送り返すためだ。
スリーパーになることに同意さえすれば、祖国に帰還できるのだ。
しかし文隆が頑として応じず最後まで拒絶し続けた。
一方、日本の拉致・強制労働の被害者返還運動は高まり、
ソ連は返還せざるを得ない状況になりつつあった。
このまま拷問を恨んでるはずの文隆を帰国させれば反共の闘士になりかねない!
危機感を感じたソ連軍は拉致・強制労働日本人の返還前に、
文隆を極秘裏に虐殺したのである。
【シベリア抑留】ソ連軍による拉致強制労働の実態
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1060569789/
81 :
日本@名無史さん:03/10/17 14:20
第二次大戦末期、停戦への仲介を懸命に模索し、中立国であるソ連にも当然依頼したのだが、
それに関連して昭和天皇が発言された。
「ソビエトは信用できないから。」
そしてスウェーデンなどにも依頼した。
昭和天皇の疑念は見事なまでに実証された。
ソビエトは仲介要請をいつまでもはぐらかせて日本が降伏してしまわないよう、
対日侵略のための時間稼ぎをし、駐ソ日本大使がソ連外務大臣に中立条約の
遵守を要請したなんとその場で、日本大使を公然と侮辱し、
「あなたたちはまだそんなことを言っているのか!
我々はこの場であなた方に対して宣戦布告する!!」と通告、
日ソ中立条約を公然と無視し、満州に侵略、
既に武装解除した日本兵を次々殺戮すると同時に
日本婦女子を子供から老人まで手当たりしだい強姦していったのである。
まさに悪魔の所業だった。殺害・自殺などが続発する地獄のような惨状と化した。
結局満州では邦人が20万人以上死亡してしまった。
更に日本兵をダモイ(帰国)という言葉で騙してシベリアに連行、
極寒の中を強制労働させ、60万人中6万人以上が死亡した。
>>45 まだ南京大虐殺信じてる馬鹿いたのかw
南京に20万人も住んでなかったし殺されたのは便衣隊が殆ど。
ゲリラは即殺していいのは国際常識だっての。それに
南京大虐殺を見たと東京裁判で証言したマギー神父は実は一人しか
殺されてる所を観た事ないし、その男は日本軍の歩哨の質問に
急に逃げ出したから撃たれただけ。
83 :
日本@名無史さん:03/10/17 23:53
大戦当時、米露ともに「田中上奏文」が本物だと思いこんでたのだが、
米が捏造だと東京裁判の証拠収集の時点で気付いたのに対し、
ソ連=ロシアは今日ですら、研究者のほとんどが今だに本物だと信じ込んでるらしい。
●謀略文書・田中上奏文
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-4.html スターリンらは、忠臣蔵のイメージなのか、日本人というのは復讐心に富んだ民族であり、
大戦時の不法行為への復讐を復興後やるに違いないと偏見を持っており、
日本軍人を大量に捕虜にして強制労働させ、衰弱死させて、その力を決定的に割こうと
いう国際法にも人道にも反する野蛮な計画を立てていた。だから、米よ、お前等もなぜ
そうしないのか?という見当違いのソ連の疑問につながっている。
この田舎者・鬼畜民族の発想は常軌を逸しているね。ドイツや満州での鬼畜強姦作戦も
同じ発想に基づくサディスティックな衝動だった。
“スターリンが対日参戦を決意した日”
―ソ連の戦後対日政策はここから始まった
日露関係疎遠の遠因・スターリンの歪んだ日本観は、三冊の本から形作られた
横手慎二 『中央公論』03・10月号
http://www.chuko.co.jp/koron/back/200310.html
85 :
日本@名無史さん:03/10/26 15:23
シベリア抑留者の体験した飢えと寒さは想像を絶すると思う。合掌。
一方、カムチャツカに抑留された者は、飢えと寒さに無縁だった。
山にはキノコがあり、川には鮭が遡ってくる。温泉(千島火山帯)はある。
作業中の事故で死んだ者はいたが、飢えと寒さで死んだ者はない。
本人から直接聞いた話だ。
シベリア拉致抑留を容認はしないが、こういう事実もあった。
父がシベリアに抑留されてた。悲しすぎて事実を娘に語ることはできなかった。母から一部聞いたことはあるけれどね。あんたら若者は幸せだよ。
そこでごたく並べておいで。でもしっかりと頭にいれときな。あんた達が今太平楽を言ってられるのも、どんな形であれ、あそこで死んでいった人たちがいるからだよ。
87 :
日本@名無史さん:03/10/26 22:57
>>86 あんたのオヤジには同情するけど
そういう言い方されるとムカツクなw
何もあんたにそんなに偉そうに言われなくてもなw
他にも一杯神でいるんだけどな
倭奴は奴の字がはいるとおり奴隷v民族
奴隷はつべこべいわず働くべし、戦争犯罪への謝罪もこめて
さんざん残虐行為をくりかえしてきたくせに・・・
90 :
日本@名無史さん:03/11/07 10:51
チャンコロとチョンと露助だと今一番日本に迷惑をかけてるのはチャンコロなわけだが
91 :
日本@名無史さん:03/11/07 12:37
>>89 世界史上類を見ない恥知らず民族・鮮人は大和の大地から追放しなければ
ならない。かつてこの民族が人類の進歩に貢献したことがあっただろうか?
92 :
日本@名無史さん:03/11/07 18:40
抑留者が一番驚いたのは、ソ連軍に体罰が無かったこと。元日本軍兵士が、
些細なことで下級兵士に体罰を加えていると、ソ連兵は怒ったそうだ。
「ダモイを遅らせるぞ」とも言ったらしい。また、ソ連軍は直属の上司で
ないかぎり敬礼の義務はなく、決まりを守る者はたとえ将官であろうと、
1兵卒が警告の為に発砲できた。日本の場合、階級が上の者を見たら、必ず
敬礼をする義務があり、それが行き過ぎた体罰とかに繋がっていた。
ただ、ソ連軍兵士は将校でもないかぎり、九九すらできずに教育程度は低く、公のモノは勝手に盗むのはあたりまえだったようだ。また、日本兵への盗み
は「当たり前」と捉えられていたようだ。
人種差別はほとんどなかった。元日本人が元兵士の格好で、普通の民家にた
とえそれが盗品であっても、売りに行くと、暖かく(値引き交渉はあったが)
受け入れられたという話だ。日本兵は住民に基本的には同情されていた。
ろくなものを食わなくて可哀想だと、パンを恵んでくれる年寄りのソ連
の老人も多かった。
日本の場合、異端の者を差別するのは2chを見ても明らか。ここの書き込
みにもそれが現れている。だから、大日本帝国は世界帝国になれなかった…
のかもね?
93 :
日本@名無史さん:03/11/09 20:03
>>92 確かにそういう一面もあったろうけど
それのみを取り出して書くとソ連擁護にみえるな
94 :
日本@名無史さん:03/11/09 22:10
>>93 いちおうソ連軍の悪い事も書いたつもりだけど…。特に、満州での略奪や
強姦はひどいよね。また、ソ連内部でもやられると分かっていながら、し
かも戦略的に囮にしているわけでもない意味のない突撃なんかやらせたり、
将校のこれもまた無意味な粛正とかがあったのは事実だ。
でも、向こうにも日本より良い部分があったのは事実なので、それを書い
ているだけ。
共産主義だからね。
元々ロシア軍時代の士官はみな殺されたんだろ
96 :
日本@名無史さん:03/11/20 00:30
韓国や北朝鮮、中国人は日本恨んでいるのに
日本人がロシア人をどうも思ってないのはこの事実知らないから?
まぁ、あんま学校で教えないから仕方なにのかな。
日本の教育と韓国などの日本憎しの教育はどちらがいいのかな?
俺らは知らないでいいコトなのかな?
とりあえずノルマを果たさない兵士は銃殺かラーゲリ逝きです。
体罰はありませんが無断後退や命令違反は即銃殺です。
人種差別は無かったかもしれませんが民族単位での強制移住もお手の物です。
98 :
日本@名無史さん:03/11/20 19:30
人種差別はあったみたいですよ。
モスクワ郊外の高級将校捕虜収容所では、日本人とドイツ人の待遇に明らかに
違いがあり、日本人が抗議すると、ロシア兵は「ドイツ人は白人だからな」
と言って取り合わなかったそうだ。
2年くらい前の「文藝春秋」に出ていたな。
統計では民族別の被抑留者の死亡率で分けるとドイツ人の死亡率は60%以上で、
ダントツ№1なんだが。個別的逸話はともかく全体として
ロシア人は同じドイツ人を同じ白人というどころか、人間とすら
見なしていなかったと思うが。
100 :
日本@名無史さん:03/11/20 20:24
ドイツ人は虜囚とはいえ誇りを持っていたので事ある毎に抵抗するが、
日本人は素直に奴隷のように労働するのが対照的だった。
東北の百姓の子供出身の二等兵には誇りなんてものはなかっただろうな
ドイツ兵捕虜はジュネーブ協定を知っていたが、日本兵捕虜は知らなかった。
敵の悪い部分だけを出して、自分の都合の悪い部分は隠す、価値観をいう「歴史」
宣伝とはそういうものだろ。そう作為するのはなんらかの政治的意図がある。
真実は体験したものだけが語れる。
それも体験した個人に限定したもので普遍的ではない
104 :
日本@名無史さん:03/11/20 22:59
>>92 しらじらしい嘘を書くな!
26 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:03/08/11 16:47
【シベリア抑留】 元ウクライナ人捕虜から入手した日本人捕虜についての情報
「チェルニフチ市のヴァシリ・ミハイロヴィチ・ザクレフスキー氏の証言」
私たちはここから鉄道建設のために作業大隊で強制的に連れて行かれた。ここでは一日に
2~3人の捕虜がまるで野ウサギのように射殺されていた。死体は頭を金槌で割られ、
埋める前に掘った穴の中でもう一度機関銃で撃たれた。そして墓地は有刺鉄線で囲まれて
おり、見張り台でソ連兵が監視していた。
「チェルニフチ市のウィポブィ氏の証言」
2~3日後、同じ所に20~25人の日本人捕虜が輸送されてきた。日本人を見たのはこれが
初めてだった。彼らはほとんど皆、金歯があった。この日からものすごい苦痛の叫び声を毎晩
聞くようになった。ソ連兵たちが日本人を殴りつけた上、金に換えるために金歯を折って取り
出していたのだということが後になって分かった。この行為は暗闇の中で行われた。金歯を
抜き取った後にソ連兵は電気を点灯した。赤い共産党サディストの拷問を受けた血だらけの
日本人が私たちの目に入った。そこから私たちは貨車でドゥディンカ経由ノリリスク収容所へ
連行された。その時日本人は一緒に連行されなかった。
『異国の丘』とソ連・日本共産党(1)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia.htm
105 :
日本@名無史さん:03/11/20 23:23
>>104 そういう人もいたって事だ。ところでそれが、組織的ソ連軍の犯行なのか?
そうじゃないなら、個人の犯罪ってことだろ。
731のマルタにソ連の人もいたんだからなー。
106 :
日本@名無史さん:03/11/21 18:46
>>105 その、「日本も悪いことやったんだから」
というのがね・・・。それ自体否定しないが
シベリア抑留と全く関係ないことだ。
それで残虐行為が相殺されるわけじゃない
極東のソ連兵士は、シベリア流刑の罪人でしょ
108 :
日本@名無史さん:03/11/22 11:08
俺は元抑留者数人から聞いたことあるけど、待遇はラーゲリによって千差万別だったらしいね。
バム鉄道の建設に従事した人は悲惨な目にあったらしいし、森林伐採も大変だったらしい。
逆に露天掘りの炭坑労働なんかは比較的楽だったと聞いた。
まあ、労働内容だけでなく、気候や土地柄などの要素によっても違うんだろうけどね・・。
>105
馬鹿か?
抑留自体国家的犯罪じゃないか。
紳士的な連中であるわけないだろ。
「本当なのだ、この国は身も心も嘘と偽りにささげている。ロシアを支配しているのは欺瞞だ」
ここでいうロシアは「帝政ロシア」か「ソ連」か、それとも今のロシアか。この有名な文章を書いたのはフランス
の外交官だったマルキ・ド・キュスティーヌで、19世紀半ばのことだから、正解は「帝政ロシア」。だが「どの時代
のロシアにもあてはまる」という答えも、おそらく正解だろう。
石油会社ユコスを率いる政商ミハイル・ホドルコフスキーとウラジーミル・プーチン大統領の一騎打ちをみる
がいい。体制や国名が変わっても、ロシアという国の体質に変わりはない。
私が初めてモスクワに赴任したのはブレジネフ政権末期の80年代前半で、すでに体制のほころびが見えは
じめていた時代。ソビエト体制はロシアの過去を引きずっていると論じるときに、キュスティーヌの名言はよく
引用された。
たとえばアメリカの歴史学者リチャード・パイプスは「ロシアの警察的メンタリティーは体制が変わっても変わ
らない」と論じている(キュスティーヌ流に言えば「ロシアでは恐怖が思考を押しのけ、マヒさせる」)。そして
ホドルコフスキー逮捕劇の舞台裏に関する最近の議論(ロシアの資本主義もプーチンの「管理された民主主義」
も、実はまやかしではないかという深刻な議論)も、私にはとてもなじみ深いものに思える。
私はソ連時代を知っている。今のロシアはソ連とは違う。見た目も雰囲気も違う。
同じように、ソ連の体制も帝政ロシアとは大きく異なっていた。パイプスはソ連のシステムを帝政ロシアの
抑圧的体質の延長とみていたが、それは違う。ソ連の恐怖政治に比べれば、帝政ロシアのやり方は素人芸に
等しかった。だが今回のような危機的状況が訪れると、時代や体制の違いを超えた共通項が浮かび上がる。
権力第一、経済は二の次 アンドルー・ナゴースキー(元モスクワ支局長
大物実業家ホドルコフスキーが逮捕された裏側にソ連時代から変わらないこの国の権力者の体質が見える
ニューズウィーク日本版 2003年11月19日号
http://www.nwj.ne.jp/public/toppage/20031126/lwcontents.html
捕虜を労務に提供するといのは日本側から申し出たこと。
112 :
日本@名無史さん:03/11/26 12:08
>>111 はあ・・・未だにそんな珍説信じてる馬鹿がいるんだな
113 :
日本@名無史さん:03/11/30 02:00
つーか何?
本当に今時親ソ連な人がいるの?
114 :
日本@名無史さん:03/12/04 16:20
ロシアとは国際法上はまだ戦争中だろ?
千島列島、南樺太の進行して領土を取りかえそう。
戦後初の自衛隊出動には良い内容だと思う。
115 :
日本@名無史さん:03/12/04 18:05
>>114 綺麗なロシア人レイプしまくっていいですか?
116 :
日本@名無史さん:03/12/23 08:32
118 :
日本@名無史さん:03/12/29 00:43
日本軍も、南京で15万の中国市民を虐殺したしね。
まあ、因果応報ってやつだよ。
15万か。かなり控えめだね。40万と書いてる教科書もあるのに。
121 :
日本@名無史さん:03/12/29 19:10
15万という中途半端さがいいね。
肩の力抜けよ( ´,_ゝ`)
122 :
日本@名無史さん:03/12/30 11:36
123 :
日本@名無史さん:03/12/30 11:36
124 :
日本@名無史さん:03/12/30 11:37
18 名無しさん 2003/02/08(Sat) 11:37
瀬島龍三は、賠償金ビジネスで国庫を枯渇させ、KGB,CIAの二重スパイをつとめた。
さらに中曽根内閣の顧問となってバブルを煽り大東亜、経済戦争両方の
敗戦の戦犯となった。
あまつさえ2回の敗戦の責任者にもかかわらずいまだに贅沢をむさぼり、
それを糾弾する勢力(石井議員など)を抹殺。
そして真の愛国者石井議員を暗殺し、中曽根、江藤隆美、小杉隆ら売国奴
勢力をかばっている。
国際勝共連合と言う名前の韓国、米国の下請け組織の上部組織として君臨。
実にすばらしい瀬島先生
20 名無しさん 2003/02/08(Sat) 11:38
戦後長らく韓国では軍人政権がつづき、最初は日本の陸士卒業あるいは参謀本部で
瀬島氏の部下であった韓国人たち、その後は韓国の陸士を卒業したそのまた「後輩たち」に
よって政権がつくられた。「瀬島氏は日本の陸士で後輩にあたる朴大統領と直接親交を
深めていたので、朴大統領の崇拝者で韓国陸士出身のチョンドウファンやノテウからも
軍人の先輩として尊敬された」にあったのである。
(元浦項製鉄会長の朴泰俊氏の証言、『沈黙のファイル』五一ページ)。
瀬島氏の、韓国権力層ならびに児玉誉志夫氏や読売新聞の渡辺恒雄社長らに
つながる人脈と利権の構造には、想像以上の奥行があったわけである
(同書、三○一ページの証言)。
125 :
日本@名無史さん:03/12/30 11:38
31 名無しさん 2003/02/08(Sat) 11:43
「金大中拉致事件はKCIAの犯行」と発表してアメリカに亡命した韓国人ジャーナリスト
文明子と、米国務省韓国部長ドナルド・レイナードは、拉致事件が政治決着した裏で、
田中首相にワイロが渡ったことを暴露した。
アメリカに亡命、後にフランスで失踪(拉致殺害説あり)した元KCIA部長金炯旭は
米下院公聴会で、金大中拉致事件の首謀者がKCIA部長李厚洛であること、李厚洛の
朴正煕政権の政治資金調達に日本企業が深く関わっていることを証言した。
在米韓国広報官長李在鉉(アメリカに亡命)の告発によって、円借款で行われた
ソウル地下鉄建設計画に絡んで、新韓碍子と日商岩井との関係、車両契約を受注した
日立製作所の賄賂問題が発覚した。
ロッキード事件に前後して相次いで表面化した、韓国の政治家や情報機関・財閥と、
日本保守政界と政商・利権右翼・企業グループの癒着構造を、「日韓癒着」と呼ぶ。
32 名無しさん 2003/02/08(Sat) 11:44
「日韓癒着」の起源は、朴正煕政権の発足直後にさかのぼる。
「日韓条約」締結交渉は、竹島の領有権や戦後補償の額をめぐって何度も決裂したが、
韓国の密使が児玉誉士夫に接触したことで、10年以上続いた交渉は急転直下妥結した。
自民党内の反対派を説き伏せるのにどれだけの金が闇で動いたのかは見当もつかない。
条約締結で、岸派・佐藤派と伊藤忠商事が、賠償利権を手中にした。
伊藤忠の瀬島龍三と朴正煕は陸士の先輩後輩の間柄である。
かつてフジサンケイグループ総帥の鹿内信隆(元陸軍)は、朴正煕との対談番組で
「日韓癒着と騒がれているのは、日韓の傷口が癒されている証拠だ」と揚言した。
元産経新聞社員で、許永中事件に連座して逮捕された「政財界のフィクサー」こと
福本邦夫は、産経退社後、政治家秘書として国際勝共連合の結成に関与したという。
現在も、フジテレビ社長村上光一は統一教会信者と噂され、産経新聞主筆住田良能は
KCIAエージェントと噂されている。
「日韓癒着」は戦後日本のコアの部分だ。朴正煕は日本を腐らせた。
126 :
日本@名無史さん:03/12/30 11:39
33 名無しさん 2003/02/08(Sat) 11:44
・韓国軍事クーデター:朴正煕政権成立(昭和36年5月16日)
KCIA創設(初代部長:金鐘泌)
・対韓賠償5億ドル決定(1962年、昭和37年12月)
韓国賠償ビジネス:瀬島龍三と金鐘泌の出会い。政財界のパイプ役を児玉誉士夫がつとめた。
・ケネディ大統領暗殺(1963年、昭和38年)
・金大中氏拉致事件発生
※日本はスパイ天国である。外国のスパイに対応する機関も法律も皆無に等しく、
主権を侵害され拉致されたヒトを取り戻す知恵も力もない。
首謀者がKCIA(韓国中央情報部)部長、李厚洛であったことは米下院フレーザー委員会の
五年後(1978年)の報告を待たねばならなかった。
この中で朴正煕政権を支えた巨額の政治資金調達システム(李厚洛が窓口になっていた)に
日本企業が深くかかわっていたことも明らかにされた。
(米国に亡命した第四代KCIA部長金炯旭の証言による。)
45 名無しさん 2003/02/14(Fri) 01:08
瀬島龍三どうして生きてるのかね?
日本遺族会はこいつを抹殺するべきでは?
英霊をたくさん創り出した元凶なんだから。
52 名無しさん 2003/02/19(Wed) 00:43
アメリカから産経新聞への金の流れは「ヘリテージ財団」経由
台湾から産経新聞への金の流れは「マスコミ総合研究所」経由
127 :
日本@名無史さん:03/12/30 11:40
http://www1.doshisha.ac.jp/~twatanab/watanabe/masukomi/97.5.html たえず社会の表舞台を歩くこの【瀬島龍三】氏の実相を知ることなしに、私たちは戦前・戦後と
つづく日本支配層の人脈と、政財界とマスコミの裏権力を知ることはできない。
「治安維持法」人脈にいつまで日本の「運営」をまかせておくのか。「収容所で特別待遇され、
使役にでる一般兵士を見送るだけであった【瀬島龍三】氏が兵隊たちの死を心から悼んでいるとは
思えなかった」(『沈黙のファイル』二七○ページ)と、かつてハバロフスクの収容所でいっしょ
だった元関東軍兵士に評される瀬島龍三氏。氏のこの性格と言動は当然行革委員としての氏の
やり方にも顕著である。
【瀬島龍三】は天皇制を擁護することが【自己の戦争責任を問われない唯一の手段】であることを
知悉しているから、京セラの稲盛和夫会長が個人資産で設立した「稲盛財団」の会長を引き受ける
とき(一九八四年)、「この財団が【皇室と関係をもつ】こと」を就任の条件とする(『幾山河』四六○ペー ジ)。
皇室を大事に思うのは「思想の自由」の範囲内だとしても、瀬島龍三氏の場合は、自己保身
のためだけだ。瀬島龍三氏のこの種の反市民主権性は徹底していて、電電公社の民営化に
あたっても瀬島龍三氏は「自民党・財界・全電通」の三者の取りまとめだけに腐心する
(『幾山河』三八八ページ)。瀬島龍三氏らの日本の情報ネットワーク構想には「国家」の
もっとも重要 な構成員である国民の「コミュニケーションする権利」への配慮がまるでない。
すごい妄想だなw
129 :
日本@名無史さん:04/01/03 10:16
対日工作の回想 (著) イワン・コワレンコ(清田彰訳) 文藝春秋
瀬島龍三氏はシベリア抑留中、何をしたのか?
日本共産党、日本社会党の果した役割は?
創価学会・公明党、自民党との真の関係は?
中川一郎の死の背後に、何があったのか?
日本のジャーナリズムの“友人たち”は何をしたのか?
日ソ関係のすべてを知る男「闇の司祭」の手記
130 :
日本@名無史さん:04/01/03 10:19
131 :
日本@名無史さん:04/01/03 10:20
瀬島龍三氏が会長を務める日本戦略研究フォーラムの
政策提言委員 高市 早苗 (衆議院議員)
が失業しました
瀬島先生のお力で再就職先を世話してやってください
高市 早苗と工藤雪枝の共通点
経済関係(特に数的処理)の教育を受け、経済の専門家を自認
しかし何故か経済分野で全く活躍していない
アナクロ愛国保守主義者
瀬島の日本戦略研究フォーラム政策提言委員
まともな論説が無いな。
ここの連中は、ソ連の策略にはまったような感じがする。
まともな論説が無いな。
ここの連中は、ソ連の策略にはまったような感じがする。
二十投稿してしまった。
ごめんなさい。
135 :
日本@名無史さん:04/02/08 03:39
136 :
日本@名無史さん:04/02/13 20:28
「日露」を「日ロ」と書く売国メディアの魂胆
http://society.2ch.net/test/read.cgi/mass/1076668539/ 以下の記事を読んでいただきたい。
【歴史】日露戦争は「無益な戦争」=ロ報道官が100周年談話
ロシア外務省のヤコベンコ情報局長は6日、日露戦争(1904~05年)の開戦100周年に際して談話を発表、
「日露戦争」は長年にわたって、2国間関係の発展に否定的な基調をもたらした」と述べ、20世紀を通じた
日ソ・日ロ関係停滞の背景に、日露戦争の影響があるとの認識を明らかにした。同局長は、日露戦争が
「日本軍による旅順港への奇襲攻撃で開始された」ことを指摘した上で、「双方に大量の人命と物質的損害
を招いた。ロシアは戦争の結果、南サハリンを奪われた」などと述べ、日露戦争は日ロ双方にとって無益
だったと分析した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040207-00000487-jij-int この文章を読んで不思議に思わない人間は間違いなく頭がいかれているだろう。
自らの南下拡張政策が招いた(日本人にとっての“民族存亡の戦争”)「日露戦争」を“無益”だったと表現しているところ
にロシア要人の馬脚が現れてるということはさておき、「日ロ関係停滞の背景に、日露戦争の影響がある」だってさ。
おかしいだろ?「日露関係停滞・・・日露戦争の・・・」とするのが普通のはず。意識的に帝政ロシアと今のロシアとを区別
して、“日ロ”関係から日露戦争が連想されることがないようにしようとする、薄気味悪い魂胆がメディア界に垣間見れる。
日本の敗戦後、「征露丸」が「正露丸」と変わったのと同じ背景だ。
政治体制の変化をもって表記を変えるというのなら、ナチスドイツと統一民主ドイツを同じ【独】と表記するのはおかしい
はずだ。現在の日独関係は日ド関係と表記するべきではないか!それが嫌なら直ちに「日露」にしろ!
それにいちいち日露戦争と日ロ関係を変換し直すのは大変だ。w 普通に「にちろ」を一発変換すると、自動的に「日露」
になっちゃうからね。不便なのにわざわざ「日・ロ(ろ=カナ変換)」しなくちゃいけないようだし。
137 :
日本@名無史さん:04/02/13 22:04
>>136 おまえの文章を読んで「こいつ頭がいかれてる」と思わない人間は間違いなく頭がいかれているだろう。
138 :
日本@名無史さん:04/02/14 21:49
>>1 悲劇悲劇悲劇ひまわりの悲劇。
ひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわり
ひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわり
ひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわり
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ひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわり
ひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわり
139 :
日本@名無史さん:04/02/15 20:11
>>111 :日本@名無史さん :03/11/23 12:15
捕虜を労務に提供するといのは日本側から申し出たこと。
確か日本の外務省の役人が切羽詰ってかいたんだよな
クソったれが!
140 :
日本@名無史さん:04/02/15 20:25
抑留地での分捕り
森林伐採の重労働に従事させられた
毎日のように慣れない伐採で死人が出た
捕虜の食事よれロシア人将校の飼犬がよほどいいものを食わされていた
ときどき、将校の目を盗んでは犬の横腹を蹴り上げて犬の餌を分捕って食った
ナホトカの港湾建設に強制労働
石切り場で建設用の石を切り出し運搬の重労働
爆破作業もあり危険この上なかった
厳寒地で小便がそのまま凍った
痔を患うものが多く悲惨だった
食い物は少なく道脇の草を飯盒で煮て喰った
ロシア兵は腕時計を非常に珍しがり捕虜から分捕っていた
141 :
日本@名無史さん:04/02/24 07:08
ソ連軍にしろ、アメリカ軍にしろ、旧日本軍にしろ、自衛隊にしろ、
所詮、どん百姓出の賤民を二束三文で寄せ集めてつくった軍隊だから、当然、蛮行は多い。
どん百姓出の賤民は育ちが悪い上に、武士の情けなんてないからな。
(ソ連軍が一番、貧乏ドキュソが多そう。)
欧米の真似をして、日本で、百姓などの庶民から本格的に正規軍の兵を募ったのは、幕末の長州藩の奇兵隊などが最初だったが、
それまでの武士の軍隊と比べて、
百姓兵は幕末の内戦で攻め込んだ各地での蛮行(略奪・強姦・虐殺等)がひどかった。
(戦国時代の武田軍なんかは、一部の例外を除き、幹部は全員、名門である武家の出身者。)
士族出身者で編成された薩摩藩部隊は、武士の情けと言える美談がいくつかあるが、
百姓兵の長州藩・奇兵隊なんかは美談ゼロで、蛮行の記録しか残っていない。
軍隊は、名門である武家の出身者で編成しないとだめという事だ。
142 :
日本@名無史さん:04/02/24 11:58
日本側が、捕虜は自由にこき使ってもらって結構ですと申し出た結果の悲劇だよ
70万の兵員を日本はここで捨てたわけだ
たしかこういうの棄兵というよね
これに比べたらいまの拉致問題なんか屁でもなかろう
士族出身者で>編成された薩摩藩部隊は、武士の情けと言える美談がいくつかあるが、
百姓兵の長州>藩・奇兵隊なんかは美談ゼロで、蛮行の記録しか残っていない。
長州嫌いのダサツマさんですか(・∀・)ニヤニヤ
>欧米の真似をして、
農民を主力とした編成した革命軍を組織する思想(農兵論)は,西洋の専売特許ではなく
明和事件(1767年)で刑死した山県大弐も唱へてゐる.
国事に農民階級をも対等に参加させる編民の思想は,世襲身分制の否定論や文官優位論とならんで,
『粒子損論』の柱であった.
吉田松陰は『柳子新論』に触発され多くの着想を得たことが,書簡のやりとりから知られる.
その門人の久坂玄瑞や高杉晋作が,
農民や非人をふくんだ奇兵隊をつくったことは,たんなる偶然ではない.
s/粒子損論/柳子新論;
モスクワで「シベリア抑留写真展」 ロシア学生が企画
【モスクワ=内藤泰朗】「多くの日本人が命を落としたシベリア抑留とは何か」-。知られざる自国の歴史の一ページ
を学んで未来に役立てようと、日本を学ぶロシアの学生たちが中心となって企画した「シベリア抑留写真展」が16日、
モスクワで始まった。ロシア側が自国史の暗部であるこの問題の展示を主催するのは初めて。若者たちは、相互理解
を深め、日露関係の発展につなげてほしいと願っている。
写真展は同日、モスクワ中心部にある国立東洋学研究所図書館の閲覧室で始まった。会場の壁には、シベリアの
原野や極東の森林に放置されて荒れ果てた日本人墓地を整備し、「友よ安らかに眠れ」と書かれた慰霊碑を前に手を
合わせる日本の遺族や友人たちの姿や、元抑留者の画家、故吉田勇さんが描いた強制収容所(ラーゲリ)での厳しい
暮らしぶりの絵画を写したものなど、写真48点がロシア語の解説付きで展示されている。
その多くは、第2次大戦で対日参戦した旧ソ連が投降した日本軍兵士らを連行し強制労働させたシベリア抑留に
関係する写真だが、100年前の日露戦争で捕虜として日本で死んだロシア人将兵たちの墓の写真もあった。
「ロシアではシベリア抑留という悲劇の存在すら知らない人が多い。一方、日本側がかつて敵だったロシア将兵たち
をいかに手厚く葬り、尊敬の念をもって扱っているかもほとんど知られていない。半世紀以上の時を経た記憶を風化
させないために、さらに日露の信頼関係が高まることを願ってこの企画を考えた」
研究所の建物内にある東洋大のロシア人女子学生は写真展を主催した理由を、こう説明した。
シベリアに抑留された日本人約60万人のうち約5万3000人もが死亡したといわれるが、うち約1万3000人の死
はいまだに確認されていない。
展示写真は、シベリア抑留など日露間の問題を扱う露民間団体、「相互理解協会」(アレクセイ・キリチェンコ会長)
の協力で集めたという。
研究所内での展示は1週間だけだが、場所を移して継続する方針だ。インターネット上で写真を閲覧し、シベリア
抑留の歴史を知ることができるホームページ(www.rikai.narod.ru)も開設。将来は抑留者の子孫など日本の若い世代
との交流や意見交換なども考えたいと夢をふくらませている。(03/18 09:15)
http://www.sankei.co.jp/news/040318/kok027.htm
148 :
日本@名無史さん:04/03/19 21:16
>>142 近衛草案だろ。ロシア側に渡ってないからそれは事実無根。
未だにこんな虚妄をまき散らすバカサヨがいるから困る
米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言
14.1.10/7.18改定
以下は正論00年5月号で紹介された「リンドバーグの衝撃証言」の抜粋です。
チャールズ・リンドバーグ(1902~74)はニューヨーク・パリ単独飛行や息子の誘拐・殺害事件で有名なあの彼です。
日米開戦後、彼は軍の技術顧問として南太平洋で戦闘任務についた。
この間の日記の邦訳版が昭和49年新潮社から新庄哲夫氏の訳で出版されたが現在絶版になっているものを訳者の了解を得て正論に抜粋を載せたものです。
・・・・・・・・・・・・・リンドバーグ日記の抜粋・・・・・・・・・・
*各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。
*あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残りのの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。
*捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。
*将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。
*一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。
*捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。
151 :
150 つづき:04/03/31 00:49
*2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われ
たが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフ
で首を切り裂く手本を示した。
*爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃物
を投げ込む。
*捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。
金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り面白半分
に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。
*日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、
太平洋戦線を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。事実この点に関する成績
が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。
*リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で「どこかで見たような感じ、そう南太
平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい
日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。
ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかした
のだ」と。
*2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われ
たが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフ
で首を切り裂く手本を示した。
*爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃物
を投げ込む。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/beigunzangyaku.htm 孤高の鷲〈下〉―リンドバーグ第二次大戦参戦記 学研M文庫
チャールズ リンドバーグ (著), Charles A. Lindbergh (原著), 新庄 哲夫 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4059011150/249-7534127-5484316
152 :
日本@名無史さん:04/04/05 00:13
ソビエト社会帝国主義者の蛮行=戦争犯罪行為を、教科書に載せられないものか。
東京書籍 大阪書籍 … こいつらじゃ無理か
やっぱ 扶桑社 に期待するか
153 :
日本@名無史さん:04/04/05 16:15
シベリアへ強制連行された人々は、日本兵の捕虜がほとんどであるが、そのほかに、
満蒙開拓団員としてソ満国境近くに入植していた農民、義勇軍兵、「満州国」の官吏、
「満鉄(南満州鉄道株式会社)」や「満業(満州重工業開発株式会社)」、
「満拓(満州拓殖公社)」などの国策会社職員、さらには従軍看護婦、軍関係の事務職員
であった婦女子も含まれていた。
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec05/cont00/docu196.htm シベリアに抑留された日本人婦女子は従軍看護婦を中心に約5千人だそうだが、
彼女らはその後どうなったのだろうか?生きて日本に戻れたのか?
ソ連軍侵攻後の満州では、ソ連軍司令部から日本人看護婦の提供要求がなされ、
出向いていったら慰み者にされたという確実な証言がある。
時間を置いて「何人か寄越せ」という要求が次々と来て、数人ずつ出向いていったが、
いつまで経って帰ってこない。そのうち、一人が銃撃を浴びながらも決死の逃亡を図り、
実態を知らせに帰ってきたと。
154 :
日本@名無史さん:04/04/24 20:12
ロスケに報復しろ
155 :
日本@名無史さん:04/04/25 13:33
新日曜美術館[再] '04 4月25日(日) 20:00~21:00 NHK教育
シベリヤ抑留体験を描いた画家・香月泰男
▽戦後故郷で格闘した27年、逃れられぬ悲惨な記憶
加賀乙彦 安井雄一郎
【司会】はな 山根基世
▽45アートシーン・志村ふくみのつむぎ織り
日経日曜「美の美」
香月泰男 「シベリアの祈り(上・下)」 掲載。
香月泰男(かづき・やすお)画集 “生命(いのち)の賛歌”
http://www.shogakukan.co.jp/kazuki/
156 :
日本@名無史さん:04/05/01 22:22
158 :
日本@名無史さん:04/05/02 03:14
159 :
日本@名無史さん:04/05/02 06:11
まさに鬼畜米英だな。
神聖なる大日本帝国の名誉まで歴史捏造で侮辱しやがって。
160 :
日本@名無史さん:04/05/02 07:07
この間パリに商用で行った。
行った感想。
「こいつらは有色人種を心底憎んでいるんだな、、、」
戦争なったら(喜びながら)殺しまくるだろうなーという現実を
肌でひしひしと感じました。
日本、平和すぎ。なんのかんのいっても守られすぎ。
徴兵制度あって当然だと思うが。
161 :
日本@名無史さん:04/05/02 12:24
近代民主主義の家元でもそんな感じかね。
アングロサクソンといいゲルマンといい、どいつもこいつもダメな奴らだな。
ドイツ人とフランス人は団結してスラヴ人を殺し捲くった。
自分用の一発を残して弾が尽きるまでスラヴ人を撃ち続けた。
奴等の人種戦争のやり方とはこういうものだ。
なにこのスレ。
コピペ専用スレですか?
168 :
日本@名無史さん:04/05/05 01:35
★女性も裸、軍用犬で威嚇 米紙、虐待の詳細を報道
【ロサンゼルス3日共同】駐留米軍によるイラク人虐待問題で、米紙ロサンゼルス・
タイムズは3日、同軍が女性を裸にしたり、軍用犬で威嚇するなど、精神的、肉体的に
拘留者を執拗に虐げていた実態を軍の内部報告書を基に報じた。
報告書は軍が今年2月にまとめたもので、米誌ニューヨーカー(インターネット版)が
2日に存在を明らかにしたが、虐待の詳細に関する報道は初めて。イラクを含むアラブ
社会の反米感情が一層悪化するのは必至だ。
同紙によると、バグダッド西方の旧アブグレイブ刑務所内で昨年10-12月の間、
米軍関係者らが拘留者の指や性器などに電線を取り付け、電気ショックを与えると
脅したり、軍用犬を使って威嚇し、重傷を負わせていた事実が判明。
イラク国民の大半を占めるイスラム教徒は、伝統的に犬を不浄の動物とみなしている上、
女性を含む多数の拘留者の裸やみだらな行為をビデオ撮影していたことも分かり、
保守的なイスラム教徒の怒りに火を付ける内容となっている。
河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2004/05/2004050401000329.htm ◆女性も裸で撮影、性行為強要も…米軍のイラク人虐待
讀賣新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040504-00000111-yom-int
イラク人虐待:奨励する米軍内部報告書が存在 米誌報道
バグダッドのアブガリブ刑務所に拘束中のイラク人を米兵が虐待していた問題で、
米陸軍情報機関や中央情報局(CIA)の担当者が尋問での情報入手を容易に
するため虐待を奨励していたとする、イラク駐留米軍による内部報告書の存在が
2日、明らかになった。米誌「ニューヨーカー」(電子版)が報じた。
報告書は、虐待事件に関連して軍情報機関幹部2人と、同刑務所で尋問を
担当していた民間人1人を処分するよう勧告しているという。
同誌によると、虐待容疑で摘発された米兵らも、軍情報機関などからの依頼を
受けたことを、家族への手紙や米軍の事情聴取で明かしている。
同誌が入手した報告書は53ページ。サンチェス駐留米軍司令官の指示で
2月下旬に陸軍少将が内部調査を行ってまとめた。それによると、昨年10月から
12月にかけ、「数々のサディスティックで露骨かつ野放図な犯罪的虐待」が、
第372陸軍憲兵中隊の兵士によって行われた。具体的には
▽化学薬品や冷水を浴びせたり、椅子で殴打する▽ほうきの柄で性的暴行を行う
▽軍犬をけしかけて脅す--など。
報告書によると、陸軍情報機関の将校やCIAの担当者らが、尋問で情報を
聞き出しやすくするため、イラク人拘束者の「身体的・心理的状態を設定する」よう、
看守役の憲兵らに「積極的に依頼した」という。同誌によると、「状態を設定する」は
隠語で、尋問対象者の意志を挫くことを意味している。
事件にかかわった女性兵士は陸軍犯罪調査局の事情聴取に対し、軍情報機関
などの指示で、拘束者に口を割らせるよう虐待を行ったと宣誓供述した。摘発された
男性兵士も「刑務所内の軍情報機関の担当エリアで、道徳的に問題のあるさまざまな
行為が行われるのを見た」と証言。尋問がうまくいった場合、情報機関側は
「よくやってくれた。いい情報がとれた」と感謝したという。
(以下略)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/bebe/news/20040503k0000m030079000c.html
170 :
日本@名無史さん:04/05/18 10:03
【ジュネーブ条約と捕虜待遇】旧日本軍以外、どこが守った?
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/140212.html これを見て米軍司令官アーサー・マッカーサーは「彼らはもはや正規軍ではない。投降してもPOW(戦時捕虜)
の特権はない」と宣言する。
POWとは、ジュネーブ条約で不当な尋問や拷問から保護され、良好な給養(食事)や収容施設が保証される。
つまり、この解釈によってアギナルド軍の捕虜は拷問してもいい、処刑してもいい。何でもありになった。
米上院公聴会での証言によると「水療法」という拷問がよく行われたという。二十リットルの海水か泥水を飲ませ
、それでも白状しないとその水腹を殴る、あるいは寝かせて巨漢の兵士が腹の上に飛び降りる。「口から二メート
ルも水を噴き上げて」絶命した記録もある。
非協力的、というだけで十一人の道案内人がなぶり殺しにされたとか、米兵が殺されると、同数の捕虜が見せ
しめ処刑されたとか。(以下略
これで「約二十万人が虐殺」(公聴会)されたが、それを正当と主張する根拠はマッカーサーが下したジュネー
ブ条約の適用解釈によるものだ。
ちなみに彼の息子が後のGHQの主、ダグラス・マッカーサーになる。この息子も日本の無条件降伏のさい、
英国のモンゴメリー将軍とともに日本軍捕虜の待遇に妙な解釈を打ち出した。
降伏した日本兵をPOWと呼ばず、JSP(Japanese Surrendered Personnel=降伏日本軍人)と命名したのだ。
理由はひとつ、POWにすればジュネーブ条約によって何十万もの兵士に良好な収容施設と食事を与える義務が生じる。
しかし、JSPにすれば「日本軍指揮官が軍紀、及び給養の責任を負う」ことになって、せこい話だが、経済的
な負担を免れるからだ。
だから日本兵は自分たちで捕虜収容所を建て、畑を耕して飢えをしのいだ。ベトナムのカプ・サンジャック、
シンガポールのチャンギーなどその例に暇(いとま)がないが、中には人も住まないレンパン島に収容というか
放置され、食糧もないまま一千人余が餓死したケースもあった。父アーサーの血を濃厚に受け継いだやり口である。
173 :
日本@名無史さん:04/05/27 01:04
幼年期過ごした草津 71年ぶり訪問
鳥取の男性、抑留体験語る
第二次世界大戦後、シベリアで旧ソ連軍に強制連行され1997年に帰国した蜂谷弥三郎さん(85)=鳥取県気高町
=が25日、少年時代を過ごした滋賀県草津市穴村町を71年ぶりに訪問。同町の穴村会館で市民ら約100人に
抑留体験などを語った後、常盤小の同級生と再会し、思い出話に花を咲かせた。
蜂谷さんは八日市市の出身で9歳から14歳まで穴村町で暮らした。1942(昭和17)年に北朝鮮に渡り、旧日本
陸軍の施設に勤務していたが、1946(昭和21)年にスパイ容疑で旧ソ連軍に連行され、シベリアの収容所に7年間
拘束された。1997(平成9)年3月にようやく帰国が実現し、以来妻の実家のある鳥取県で暮らしている。
同町内会の招待で蜂谷さんの訪問が実現した。蜂谷さんは、強制労働収容所での寒さや飢え、旧ソ連軍から受け
た虐待などを語り、「地獄のようだったが、日本に帰りたい一念で耐えしのいだ」と振り返った。
講演終了後、蜂谷さんは常盤小時代の同級生4人と再会。蜂谷さんは「町の様子はすっかり変わったが、当時の
授業や校歌は覚えている」と笑顔で話した。同級だった吉田静枝さん(86)は「元気で会えて、本当にうれしい」と思い
出を語り合った。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004052500171&genre=K1&area=S10
174 :
日本@名無史さん:04/05/27 09:53
>>149 オマエ知らないのか?アホか?
天下のNHK様がその事実を示す証拠文書を紹介してたんだぞ!
175 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:51
日本軍の将校は部下の待遇改善要求を、殆ど出さない連中だが。
176 :
日本@名無史さん:04/05/28 20:57
177 :
日本@名無史さん:04/06/11 22:28
179 :
日本@名無史さん:04/06/11 22:57
アカって怖いですね
180 :
日本@名無史さん:04/06/14 14:17
シベリア鉄道の赤軍戦車移動はドイツ敗戦後確認済みですが、対応しない
アホ軍部支持者かいな、関東軍幹部が先に逃げだすのだからな!
将校、士官が部下の待遇改善要求殆どださず、自分らの待遇改善のみだが。
181 :
日本@名無史さん:
age