八甲田山「雪中行軍隊」の悲劇について語る

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1日本@名無史さん
まさに雪地獄。
2日本@名無史さん:03/08/06 19:12
3ぼるじょあ ◆yEbBEcuFOU :03/08/06 19:24
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4ぼるじょあ ◆yEbBEcuFOU :03/08/06 19:24
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5日本@名無史さん:03/08/07 21:14
映画でみた。
6日本@名無史さん:03/08/07 21:27
未だに明らかになっていない問題点がいくつかある。

1)弘前隊が青森隊の悲劇を目撃しないはずはない。弘前隊は何を見て
  そして、なぜそれを隠そうとしたのか?
2)なぜ弘前隊は勝ち誇ったりしなかったのか?
3)発見されなかった銃の行方は?
7日本@名無史さん:03/08/07 22:48
駄賃がほしくてそんなことをいっとるんだろう
8日本@名無史さん:03/08/07 22:59
ここで見たことを語ってはいけないから、黒溝台で戦死してもらった。
9日本@名無史さん:03/08/07 23:01
伊東中尉が生き残ってゲロしますた
10日本@名無史さん:03/08/07 23:07
暑いね〜
11日本@名無史さん:03/08/07 23:09
>>6
逆じゃないか?
12日本@名無史さん:03/08/07 23:24
八甲田で見たことは、誰にも言ってはならぬ。
13日本@名無史さん:03/08/08 00:47
>>11
何が逆なん?
14日本@名無史さん:03/08/08 14:07
>>13
遭難した方が行軍中の部隊の姿を目撃した可能性はあるが、行軍中の部隊が
遭難して埋もれしまった人達を目撃することは難しいだろう。三十一連隊の
行軍の事を五連隊はしっていたが、五連隊の行軍の事は公表されていなかっ
たのだから。
15日本@名無史さん:03/08/08 19:29
>>14
将校は両方の行軍を知っていたし「途中で出会うはずなのに、出会わない。
妙だ」と思っていたはずだ。雪の中部隊の指揮をしながら、最悪の状況を
考えてもいただろう。
16日本@名無史さん:03/08/08 21:10
どうもこれは謎なんですね。
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2002/sechukougun/0127.html

福島大尉は見たとは言ってないんですよ。
17日本@名無史さん:03/08/08 21:20
見ていたとしても明言はしないだろう、その方が無難だし
18日本@名無史さん:03/08/08 22:20
結局見ていた…。で、助けていたら全滅の危険があったので、見ていなかった
ことにした…。ということか。
19日本@名無史さん:03/08/08 22:42


おにぎりが凍ってしまったのか?



20日本@名無史さん:03/08/08 22:50
♪ゆきーのしんぐん こおりをふんで
♪どーこがかわやら みちさぇしれずー
カンジキ隊交代!

21 :03/08/08 23:00
こんなもん喰えるかー!
22日本@名無史さん:03/08/08 23:06
なぁに、一食くらい抜いた方がええんだぁ!
23夕べは夜明けまで待つべきでした!:03/08/08 23:30
山中を徘徊しながら落伍者をその場その場へ置き去りにしてきた200人以上の大部隊と
ひとつにまとまって一人の犠牲者も出さず前進し続けた30人に満たない小部隊、
どちらの方が目撃されやすいかなんてそれこそ一目瞭然だと思うが。

両隊遭遇の疑惑については
「雪の八甲田で何が起こったのか」
ttp://www.aomoritosyo.co.jp/kh02_kyodo/mokuroku/syousai/0101/yukinohakkouda.html
における著者の大胆かつ説得力ある仮説が興味深いかと。
24日本@名無史さん:03/08/08 23:44
>>23
雪の恐さを知らないと見える。
25日本@名無史さん:03/08/08 23:46
温泉につかって一杯ていうのはこんなこととか
26日本@名無史さん:03/08/08 23:51
隊長! どうしても、どうしても田代への道が解りません!
27日本@名無史さん:03/08/08 23:56
あいかわらず、日本軍はアホやな
28日本@名無史さん:03/08/08 23:58
青森湾だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぁ
29日本@名無史さん:03/08/09 00:03
雪中行軍になんで握り飯なんか食料にするんだ?
オレは雪国育ちではないので、よくわからんが。
30GET! DVD:03/08/09 00:07
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31日本@名無史さん:03/08/09 00:08
今は自動車でドライブすると一瞬で踏破できるんだけどね(w
でも、最近でも近くで自衛隊員が二酸化炭素中毒で死んでいるからな。
山を甘く見るとイカンということか。
32日本@名無史さん:03/08/09 00:09
雪中行軍隊! 前へ 進めっ!

33日本@名無史さん:03/08/09 00:10
>>29
知識がないヤツが沢山行軍に参加したんだよ。また、指導をすべき将校
も、事前の調査であまりに簡単に踏破できたから、安心しきっていたわ
けだ。
34日本@名無史さん:03/08/09 00:12
バタリアーン! フォアード スタッツ!
35日本@名無史さん:03/08/09 00:14
山の上で、津軽と南部に別れて決闘したんだよ。
36日本@名無史さん:03/08/09 00:16
行軍あい分かれて撃ち合うなどと言う事があってはならぬ。
37日本@名無史さん:03/08/09 00:22
でも、この行軍の失敗は日露戦争で結構生かされたんだよ。これがな
かったら、もっと凍死者が出たかも。
非理性的な下士官の威勢の良い発言に引きずられる悪習は駆逐できな
かったけどね。
38日本@名無史さん:03/08/09 00:23
>>36
陸軍と海軍が合い分かれて打ち合えば面白かっただろうな。
39日本@名無史さん:03/08/09 00:29
>>24
>雪の怖さを知らないとみえる
噂に聞くが、北海道の人間でも毎年のように吹雪の時には、自宅前で遭難する人間が居るって本当?
40日本@名無史さん:03/08/09 01:55
これが逆の200名が生還して、40名が死亡だったら日露戦争はもっと悲惨だったでしょうね。
ロクな装備も無しに、次々と凍死して行く兵士たち。
大本営はその報を聞いて、「根性が足りないからだ」とか言って、さらに無謀な兵士投入をした挙句、
日本は露助に占領されていたかも・・・5聯隊と、(軍部に謀殺された)31聯隊の英霊に、感謝!

<5聯隊の出身地>http://www.fgo.jp/~nonno/kanda1.htm
岩手県139 宮城県46 青森県5
東京都 山口少佐 1         神奈川 水野中尉 1
熊本県 興津大尉 1         秋田県 神成大尉 1
北海道 中村中尉 1         山形県 大橋中尉 1
佐賀県 今泉少尉 1         長野県 今井曹長 1
石川県 永井軍医 1

31聯隊の出身地は良く分かりませんが、青森と宮城が多いそうです。

5聯隊にも雪国(北海道・日本海側の県・青森)の出身者が結構居る。
雪国出身者の意見・経験を活かせなかったのは神成文吉大尉の器量の無さか、師団長の甘さか。
なににしても、事前の『ピクニック』の成功が順調過ぎたのが悲劇の始まりだろな。

<八甲田雪中行軍遭難事件に新事実>http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/0613/nto0613_7.html
福島泰蔵大尉の失敗は、農民の口封じをした事かも・・・このせいで上層部に殺された可能性も出ている。
すぐに新聞記事にでもなっていれば、死なずに済んだかも・・・無理か(^^;

色々な要因もあったが、やっぱり最大の原因は山口?
<雪中行軍隊の悲劇>http://www.general-staff.com/rikusan/hakkouda.html
でもその山口少佐は生き残ってるんですよね(後に、重度の凍傷を負った手で、銃を使って自決しているw)
41日本@名無史さん  :03/08/09 03:36
>東京都 山口少佐 1

この男が冬山を甘く見たのは、あまり雪の降らない
東京出身だったことと無縁ではないだろうな。
今と違って冬山の恐怖なんて知られていなかった時代だし。
42日本@名無史さん  :03/08/09 03:41
>でもその山口少佐は生き残ってるんですよね

それは山口少佐が人事不省に陥っても
部下が最後まで上官の彼を庇おうとしたからでしょ。
彼が一兵卒だったら間違いなく山中で凍死していた筈。
43日本@名無史さん:03/08/09 05:50
雪山で実弾による交戦訓練で殺しあったのを隠しているだけでしょ?
44日本@名無史さん:03/08/09 10:00
>43
ネタなの? 映画くらいしか見てないから詳しい事を知らない
ので教えて。
45日本@名無史さん:03/08/09 10:24
指揮系統の予定と実際との違い=雪に素人の上官がいきなり指揮を執る、
無謀と優柔不断の混在=決断の鈍さ、
装備準備の不十分さと決行、

敗戦まで、持ち込まれたような…。
46日本@名無史さん:03/08/09 12:40


神風特攻隊って、間抜けだね。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1060222954/
47日本@名無史さん:03/08/09 16:28
まんま、この辺でまんまにすんべ!
48日本@名無史さん:03/08/09 19:57
>>45
あと

「退却を決断する勇気が足りない」
「やたら面子を重んじる気風」
「己を知らず、敵も知らないのに(この場合は雪国の気象ね)蛮勇だけは
あり、一件勇敢な意見が全体の流れを左右する」
「美談によって悲惨な状況を隠そうとする」
「背嚢を積極的に燃やせば、もっと助かる兵士がいたかも知れないのに、
非合理的精神主義がそれを妨げている事に気づきもしない。後の軍旗の
問題や、ガダルカナル・インパールの歩兵銃の問題に繋がる」
「敗因を寒冷地における服装や装備などの比較的些末な事柄だけに限定し
て考え、以上のような根本原因を思考だにしない」
49日本@名無史さん:03/08/09 20:58
死の八甲田山にはワラタ
50日本@名無史さん:03/08/10 08:09
 山口少佐の自決は謎です。
重度の凍傷で両手は使えなかったはず。
銃で自決はできない。
51日本@名無史さん:03/08/10 08:11
殺されたのでせう。泣き叫ぶ見苦しさをみて武士の情?
52日本@名無史さん:03/08/10 22:39
よりにもよって山の神様の日に
命知らずの馬鹿なまねにもほどがある!!
53日本@名無史さん:03/08/10 22:48
マタギはぁ〜。
54日本@名無史さん:03/08/11 01:18
昔…八甲田山の南の、十和田湖の近くで冬の深夜に自動車で移動してたら、
車がいきなり厚い積雪部分に突っ込み、にっちもさっちも動かなくなって
遭難しそうになった…。
55日本@名無史さん:03/08/11 02:14
山口少佐の死因は、やはり病状悪化による死亡説が有力。
山口少佐の死因やら2挺の銃やらについては諸説入り乱れてるが、現時点では、
川口泰英『雪の八甲田で何が起ったのか』北方新社、2001年
が一番レベルの高い研究ではないだろうか。
56日本@名無史さん:03/08/11 21:33
おら もう 自分の思いどおりに歩く
57日本@名無史さん:03/08/12 15:11
案内人どのに対し、かしら右!
58日本@名無史さん:03/08/13 08:23
随行の大隊本部が命令とはどういうことですか?
59日本@名無史さん:03/08/13 12:03
>>40
福島大尉は群馬県新田の船会社の息子

>>15
両者は面識もないし、計画も知らない
福島大尉の甥っ子が伯父の行軍計画書から日誌その他を分析したので
ほぼ間違いない

福島大尉は陸軍に入隊後、測量士として各地を転々とし、八甲田山系
の測量のため弘前に赴任した。35年1月、八甲田山外周の測量を目
的として30名の部下を引き連れて出発した。大隊決済、連隊決済は
行われていない。
これに対して歩5第2大隊では、冬期行軍訓練を計画。着任間もない
神成大尉の指揮官教練をも目的として特別演習中隊を編成。
こちらは連隊決済とされ、編成は演習行軍司令部第2大隊本部、行軍
中隊指揮官神成大尉にて210名の正規1個中隊を編成した。
雪中行軍の命令下達の序列は山口少佐・興津大尉・神成大尉の順
演習内容は田代経由三本木までの徒歩行軍。

この事件当時の現場状況は未だ不明。一応だが明治35年1月24日
(遭難日)は旭川で氷点下41度という日本列島で最も寒い日が記録
された日。つまり当日の状況再現が行えていない。
60日本@名無史さん:03/08/13 12:41
199人の凍死者を出して、冬季の装備の重要性を陸軍首脳が認識した事は
有名。沙河冬営でマイナス30度の寒気の中で、15万人が数ヶ月過ごし
凍傷患者をほとんど出さなかったのは、5連隊の犠牲者のおかげ。この
事故がなければ日本軍は戦わずして全滅していただろう。

寒さ対策と対照的なのが、かっけ対策。森鴎外を始めとする陸軍衛生部は
かっけ細菌説に囚われて対策を行わず、味方を2万人殺して、6万人を戦闘不能
にした。海軍が10年前に抜本対策(麦飯・パン食)を取入れていたのにね。
61名無し転がし:03/08/13 12:59
軍歌ぁ―っ!



……雪の進軍ーっ……。
62日本@名無史さん:03/08/13 18:45
握り飯を捨てたものは拾っておいて、後で焚き火をしたとき焼いて食え!!
63夕べは夜明けまで待つべきでした!:03/08/13 19:09
>>59
両隊が同じタイミングで八甲田に入山したのは全くの偶然だが
先に31連隊が出発していることを5連隊の人間は新聞で知っていたはず。

あと行軍隊の指揮は当初神成大尉でなく
婦人の出産が重なって急遽不参加となった同じ大2大隊の原田大尉が
行う予定だったと何かで読んだ記憶が。
64日本@名無史さん:03/08/13 21:31
これに大隊本部が随行する計画書を作ってくれ。
65日本@名無史さん:03/08/13 21:47
天は我々を見放したああああああああああああああああ!!!!!!
66日本@名無史さん:03/08/13 22:01
なにぃ、案内人だとぉ?
軍には軍の方針がある!
軍隊にはこう言うモノ(コンパス)があるのだ、案内人などいらん!
しゅっぱーつ!!
67日本@名無史さん:03/08/14 21:32
佐藤特務曹長 先頭に立て
68ドリーム仮面 ◆1BpHlrONwc :03/08/14 23:41
ちなみに5連隊で始めに狂死するのは大竹まこと

ってしょーもないトリビアは置いといて、数年前青森の遭難記念館みたいなとこに
見学に行きました。こじんまりしてたけどなかなか考えさせられたなあ。
69ドリーム仮面 ◆1BpHlrONwc :03/08/14 23:43
203高地に始めに到達するのが新沼ケンジで、
八甲田で始めに死ぬのが大竹まこと

おいらの明治史は最近までこの二つの事実しか頭の中になかった。
70山崎 渉:03/08/15 12:20
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
71日本@名無史さん:03/08/15 13:26
>>69
>203高地に始めに到達するのが新沼ケンジ
違うよ203高地の頂上で軍旗を振ったのはあのねのねのメンバー
新沼ケンジは二龍山に最初に登った
72日本@名無史さん:03/08/15 14:08
>>71
たしか滋賀県を訴えたDQN
73日本@名無史さん:03/08/16 00:01
31連隊のラッパ兵さんですが、(映画では誰がやってましたでしょうか?)
日露戦争にも福島大尉と一緒に出征しました。幸い生き残って帰還しました。
 私の知り合いのかたがその人の親類でして、ちょっと話を聞いてる
んですが、八甲田山より黒溝台会戦の話の方をよくしてたらしいです。
74日本@名無史さん:03/08/18 03:20
で、事故の内容はよく分かったけど、福島大尉が上層部に
謀殺されたってのはどゆこと?ソースあったらキボンヌ!

あと、映画はテーマ曲がよかったね。
音楽担当、芥川の息子だっけ?
75夕べは夜明けまで待つべきでした!:03/08/20 01:17
上層部に謀殺されたなんて話は少なくとも自分は聞いたことがない。
つか戦地に出征しての名誉の戦死であれば謀殺とは言えないのでは?

ただ神成隊遭難発覚で5連隊本部が大騒ぎしてた時に
旅団長の友安少将は色街で遊興に興じてたとかいう話を
後から聞かされた福嶋大尉が
表立った反友安の糾弾活動を行った結果前線から左遷された、
なんて話を読んだのはここの軍事板の過去スレだったか。
76日本@名無史さん:03/08/20 03:20
>>75
乃木の息子を死なせた人だね。
たしか立見鑑三郎にとばされたね。
77日本@名無史さん:03/08/22 00:05
【雪の進軍】死の八甲田【氷を踏んで】@軍事板
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1060834084/l50

相互リンクあげ。
日本史板は日本史板らしく、軍事板は軍事板らしく、
このスレッドは必ず成功させねばならない。
78日本@名無史さん:03/08/22 01:23
明治35年1月24日 旭川−41℃…


日本にもバナナでクギが打てる日があったのか…



79日本@名無史さん:03/08/24 14:53
江川氏の「日露戦争物語」もこれを記述しないとダメだよね。江川はどー漫画に
描くのかな?
80日本@名無史さん:03/09/22 01:56
おい、軍事板が落ちてるぞ!!
81日本@名無史さん:03/09/22 05:22
>>78

明治35年て100年前かあ

やっぱ今は地球温暖化で旭川−41度なんて有り得ないの?
82日本@名無史さん:03/09/26 21:02
保守age
83日本@名無史さん:03/09/26 21:15
雪の進軍
吹雪を衝いて
何処に居るとも
見当もつかず
此処はどの国
みな敵の国
84日本@名無史さん:03/09/26 23:34
君のためには鬼神も
取りひしぐべき丈夫も
国のためには火水にも
入らば入るべき武士も
今日の寒さは如何にせん
零下を下る十八度
85日本@名無史さん:03/09/28 11:31
子供の頃青森の筒井に住んでいて、幸畑の墓地なんかは遊び場だった。
こんな悲惨な出来事があったとは露知らず・・・。
墓標の上を飛び越えたりして・・・。ホントにごめんなさい。
86日本@名無史さん:03/10/07 18:24
温泉につかって一杯てのはこんなことか
87日本@名無史さん:03/10/08 12:36
つか雪はコエーよ?
俺はカナダ育ちだけど何度死に掛けたことか。
7年ぐらい前にも東京でそれなりに雪振ったときに
23区内で遭難しかけたし
88日本@名無史さん:03/10/08 13:57
雪山登ったことのある香具師はいるかな?
学生時代に野球部の冬合宿で真冬の北八つ登ったけど、
雪山は疲労がすさまじい。
夏山の3倍は疲れる。すぐに足の筋肉がパンパンになる。
夜は寒くて眠れるもんじゃない。
完全装備・ガイド付きの一泊二日で、
下山した時はみな夢遊病者のようになっていた。

卒業して10年になるが、同期で飲むと学生選手権の
話よりも冬の北八つ登山の話になる。
しみじみと「よく全員無事に帰ってきたよな。。。。」
89日本@名無史さん:03/10/08 14:10
夏山は高校のワンゲルで登ったけど冬はのぼてないなぁ
ホントは登るはずだったんだけど顧問の爺さんがぎっくり腰で倒れてさぁ
つか、夏でも俺らしにかけてたし、冬登ったら確実に死んでたな
90日本@名無史さん:03/10/08 21:02
とりあえず今日的な教訓をあえて探すなら、
「遠足に行く時は、幹事がちゃんと下見することと、忘れ物をしないようにしましょう。」
ってことか?
91日本@名無史さん:03/10/11 15:18
あやしい・・・
入院したのに死亡時刻がハッキリしない山口・・・
何故か死んだ次の日に火葬された山口・・・
風貌も小説通りDQNの山口・・・
あやしい・・・
まるで大阪の食い倒れ人形のような神成・・・
本当に舌を噛んだのか?神成・・・
あやしい・・・
どう見ても本人が5尺に足りない福島・・・
本当に5尺3寸で募集したのか?福島・・・
あやしい・・・
これだけの犠牲者を出した連隊を抱えながら後に大将にまで登りつめた立見・・・
逆賊桑名藩出身なのに立見・・・
あやしすぎるのでageてみる・・・
92日本@名無史さん:03/10/14 16:01
5連隊の生き残りで名前は確か小原伍長だったか・・・凍傷で足切断だったと思うが、彼が昭和30年代に八甲田での話をテープに残してたね。NHKで見た。
神成大尉が部下の前で「天は我々を見放したぁぁぁぁぁぁ!」と叫んだとき、指揮官が部下の前で諦めの態度をとるとは何事かと無性に腹が立ったと言っていた。
93日本@名無史さん:03/10/15 00:18
小原伍長は両足切断アーンド手の指全部取れてます。

以下生き残り11名の症状。

倉石 一  大尉   無傷
伊藤格明  中尉   無傷
長谷川貞三 特務曹長 無傷
後藤房之助 伍長   両手指及び両足切断
小原忠三郎 伍長   両手指及び両足切断
松村文哉  伍長   両手足切断
後藤惣助  一等卒  両手足切断
山本徳次郎 一等卒  左足切断
阿部卯吉  一等卒  両手指及び両足切断
及川平助  一等卒  無傷
阿部寿松  一等卒  両足切断

だそうです。
94日本@名無史さん:03/10/15 01:45
痛そうだ
95日本@名無史さん:03/10/15 23:31
相当痛かったらしいです。
麻酔の効きが不完全で大変だったと、
生き残りのお孫さんがHPで書いてました。
96日本@名無史さん:03/10/16 00:30
倉石 一  大尉   無傷
伊藤格明  中尉   無傷
長谷川貞三 特務曹長 無傷

彼らは、黒溝台で戦ったのかなあ。
無事だったのかな。
97日本@名無史さん:03/10/16 00:32
>>96
倉石大尉は戦死、伊藤中尉は生き残ったはず。
長谷川特務曹長はどうだったかな
98日本@名無史さん:03/10/16 00:33
生き残った人たちの 写真見た事歩けど だるまみたいで 悲惨だった
99日本@名無史さん:03/10/16 01:03
ガクガクブルブル・・・
100日本@名無史さん:03/10/16 03:33
>>98
ぐぐってみ、お孫さんのポームページが出てくるから。
かなり優遇されていたみたいだよ。
1箇所の療養所に集められて、そこで療養しつつ、
恩給を貰って生活していたと書いてあった。
たのまれて、議員だか、市長さんもしたけど、
通勤が辛くてちょっとやって辞めさせてもらったって。
それほど酷い待遇はされなかったような感じです。
101日本@名無史さん:03/10/16 17:46
>>98
四、五人並んで椅子に座ってる写真か?
みんな足がないんだよな
ショッキングだったよ
10298:03/10/16 19:59
>>101
僕が見たのはそれです。
恐かった。
103日本@名無史さん:03/10/17 01:35
成功した31連隊も福島大尉以下多くの戦死者を出している

彼らもまた八甲田の白魔に取り憑かれていた。
104日本@名無史さん:03/10/17 02:41
ゆきーのしんぐん こーおりをふんでー♪
105日本@名無史さん:03/10/17 15:15
おにぎりの中に唐辛子をひとつ入れてれば凍らなかったのになあ…。
106日本@名無史さん:03/10/29 20:29
age
107日本@名無史さん:03/10/30 06:14
>>100
お孫さんのホームページを見たいのですが、詳しい情報をお願いします。
108日本@名無史さん:03/10/31 01:07
>>107
http://homepage2.nifty.com/abem/index.htm
これででると思うよ。
ただしグロ画像満載だよ。っつっても古い写真だから
たいしたこと無いけど。
109日本@名無史さん:03/10/31 05:44
>>108
有難うございます。
写真の大半は遭難資料館等で既知のものでしたが、独り言のコーナーは興味深く拝見しました。
110日本@名無史さん:03/10/31 19:14
>>92のレス見たが、
「天は我々を見放した…」
は、余りにも名言なので新田の創作だと
思ってたけどマジ言ったのね…。
小原伍長は頭に来たろうが、
神成大尉、余程無念だったと漏れは思う。

行軍が成功したかどうかは別問題としても、
計画の段階から何一つ思い通りにさせてもらえず
挙句に目の前でバタバタ死んでいく部下をどうにも
できなかったんだから、死んでも死に切れない
位悔しかったんじゃない?
確かに上官の発言にしては不謹慎だが、前後の話を繋げると
こうなることは分かってた、みたいに聞こえるし、その時点で
本当の責任者は誰なのか皆分かってたろうし…。

仮に成功しても手柄は上官の山口少佐のものになるだろう。
山口も直前の試験登山ですっかり冬山を舐めて、その辺を計算して
面倒なことは神成大尉にやらせて自分は物見遊山で
「おいしいとこどり」
しようとしたようにしか見えない。それを知ってた神成大尉は
本当は
「天は我々を見放した。だからこういう馬鹿がついてきた」
とでも言いたかったのでは?
111夕べは夜明けまで待つべきでした!:03/11/01 01:50
>>110
いくら何でも小説、映画の創作部分を鵜呑みにし杉。

日露後に行われた伊藤中尉による講演は
かなり山口少佐に批判的、神成大尉に同情的な内容だったみたいだけどね。
112日本@名無史さん:03/11/01 04:45
>>111
レスありがと。
これでもなるべく小説は見ないで調べられる限りで
書いたつもりなんだが…。
確かに5連隊自体は田代越えは初めてでも
雪中行軍は過去に何回も成功させてるし、
いくら31連隊に刺激されたとはいえ、大隊決済までされた
正規の演習にしては正確な目的も不明だし、
どうしても推測に頼ってしまうのはご指摘の通り。

ただ、山口少佐の功名心が大惨事の原因とは思っているので、
もし漏れの知識や認識に誤りがあったら是非指摘して欲しい。

元々資料が少ないので煽り意外は大歓迎だよ。よろしく。
113okkii:03/11/03 07:21
天候急変の際には露営を想定していながら、雪中露営の経験はなかったようだ。
雪の上で炊事すればどうなるか、容易に想像できると思うが。
また、雪濠を掘っているが、上を覆うものがない以上強風は防げても寒さは無理、
トンネルを掘るなり、カマクラのようには出来なかったのか。
114日本@名無史さん:03/11/03 10:37
小説を鵜呑みにするわけではないが、
積雪が凄すぎて地面まで掘り切れなかったのが正解では?
いくらなんでもそこまで馬鹿では(w
山の雪ってサラサラで固まらないんじゃなかった?
街頭も無い真っ暗闇の−10℃以下の吹雪の中で200人分の
かまくらは無理かと・・・
115okkii:03/11/03 20:27
>>114
レス有難う御座います。
地面まで掘り切れなかったのでしょうが、それがため、炊事係は大変な苦労をするはめになりました。
行軍隊全体でスコップ(円匙)が10個ではたいしたことは出来なかったでしょうね。

>山の雪ってサラサラで固まらないんじゃなかった?

(雪壕の)周囲は吹雪を遮るために雪塊を積み重ねた。との記載が「吹雪の惨劇」の
中にあります。トンネルなら多少深く掘ればなんとかなるんじゃないかな。

このような悪天候の場合、その場を動かず体力の消耗を防ぎ、天候の回復を待つのは
、この当時おいても分かっていたはずですが。
116日本@名無史さん:03/11/03 21:16
>>115
確か、1日目に穴を掘ったけど、山口少佐がすぐ出発すると判断した事で、
外に出たんだよね。
117日本@名無史さん:03/11/03 22:19
ウールの下着(らくだ)って、当時は高くて普通の庶民は買わなかった。
綿シャツで冬山行くなんて、考えただけで凍死する。
気の毒な軍隊さんだね。
118日本@名無史さん:03/11/03 23:34
>>117が凍死しますた
119えここ(東北電力):03/11/03 23:48
見せてやろう!
シベリアのブリザードにも勝る
東北地獄というものを!
120日本@名無史さん:03/11/04 00:20
昨日青森をドライブして、ラジオを聞いていたら、この地区で遭難
して死んじゃっている人の報道があった…。怖いね。
121日本@名無史さん:03/11/04 00:21
えここ

 ワロタ
122でんこ(東京電力):03/11/04 02:19
おしえて君で悪いんだけど、
どうして5連隊があんな泥縄式に行軍演習を敢行したのか
よく分からないんだよね。小説みたいに旅団長の思いつきで
ろくな準備期間も与えず雪山で連隊同士を競わせるとも思えないし。
1 よく言われている「露軍に陸奥湾及び幹線道路を封鎖されたときの
進撃路の発見」で、地図だけ見て最短ルートを選んだ。
2 31連隊の行軍理由が「測量」だそうだが、測量=地図作りだから
「出し抜かれると思って」焦った。
3 上の人が書いているが、東京出身の山口少佐が箔を付けたかった。
(直前の交代劇を見ても、指揮官は神成大尉でなくてもよかったようだ)
4 どこかでみたが、「人体実験」。最高司令官の立見中将が特に譴責も
されず、戦争後は大将になっているところからして、参謀本部辺りから
極秘で来た話とか・・・

誰か5連隊の雪中行軍の本当の理由知らない?
123okkii:03/11/04 23:43

>>122
私の理解している範囲内で(^-^;

対ロシア戦を強く意識した行動でしょうね。
ロシアとの戦いになるとその戦場は満州、清国、シベリアあたりでしょう。冬場の寒さは大変なものです。
日本軍は日清戦争時、満州地域において多数の凍傷者を出し戦闘にも多大の影響があったはず、耐寒訓練は軍の緊急事項だったと思います。
「青森聯隊遭難 雪中行軍」には雪中行軍の目的として次のように記載されています。

「八甲田山田代に向って一泊行軍を行い、その経験に基づき雪中青森より三本木平野に進出し得るや否やを判断し、若し進出し得るとせば
戦時編成歩兵一大隊のため青森屯営三本木間行軍計画並びに大小行李特別編成案を立てるにあり」

前年に同じルートで雪中行軍の計画をしているが、実行されず今回は満を期しての行軍だったはず(いろいろ問題はありますが)、泥縄式とは思いません。
東奥日報の1月17日付に31連隊の雪中行軍の概略が記事になっている、21日には弘前を出発した記事もあり5連隊は知っていたと思うが行軍の目的が違い、対抗意識は無かったと思います。

山口少佐は日清戦争時、遼東の戦いに参加し冬場も経験しており、厳しい寒さ及び凍傷等のことも知っていたはずだが、それが生かされず残念です。


その他のことはいずれ又。。。明日が早いのですみませんが、おやすみなさい
124夕べは夜明けまで待つべきでした!:03/11/05 00:12
ちゅーか、5連隊としては通常の演習の延長上にしか過ぎなかったのでないかと。
結果的に大惨事になったから後から色々な憶測が成り立つだけの話で。

>>112
ひとつの中隊に大隊長が随行するという変則的な編成ゆえの
指揮系統の混乱が遭難の遠因になったのは否定できないとはいえ、
そもそも各所各所での山口少佐の指示が神成大尉の意に反するものだったかどうかは
当の神成大尉本人にしかわからないはず。
小説や映画ではその方がよりドラマチックだから故意にそういう描写をしてるけど。

例えば田茂木野で道案内を断ったのが山口少佐自身であると明確に記述した記録はないはず。
125日本@名無史さん:03/11/05 00:22
よくよく考えてみると軍隊が行軍演習するのは極めて普通のことなんだよな。
あらためて「目的は?」と聞かれても答えに窮するのでは? 当たり前すぎて。

たまたま大惨事に発展したからこそ「雪中行軍の本当の目的は何だったんだろう?」などといろいろ詮索されてはいるが、実際はそれほど難しい話ではなかったんじゃないかな。
126125:03/11/05 00:24
>>124
うおっ、同じ趣旨の書き込みが!
重複スマソ
127日本@名無史さん:03/11/05 02:09
>>124
>そもそも各所各所での山口少佐の指示が神成大尉の意に反するものだったかどうかは
>当の神成大尉本人にしかわからないはず。

と言うか、そもそも指揮権は山口少佐にあります。
その次に先任大尉の某、その次が神成大尉です。
この行軍はもともと、神成大尉が着任してすぐなので
山口少佐の監督の元に演習となったのですから、
元々神成大尉が判断すると言う事は無いはずです。
逆に神成大尉は山口少佐にお伺いを立てる立場ですよ。
128日本@名無史さん:03/11/05 15:57
最近ですが、八甲田山関連で更なる犠牲者がいた事を知りました。
映画『八甲田山』のスタッフの一人が映画撮影の後遺症での数年後
亡くなったのだそうです。
129日本@名無史さん:03/11/06 00:10
>>128

たたり?
130夕べは夜明けまで待つべきでした!:03/11/06 00:15
「意に反する」ってのは指示行為そのものでなく指示の中身に対してね。

おっしゃる通りでそれゆえに小説や映画における
両者の意見が食い違って最終的に山口(山田)少佐がゴリ押しする
みたいなのはまず作劇上のフィクションにすぎず
実態は上官の采配を神成大尉が先頭に立ってただ忠実に遂行していた、
と考えるのが妥当なんじゃという話。

ただそれだと前述した伊藤中尉の講演内容と多少齟齬が生じる部分もあるけど。
131日本@名無史さん:03/11/07 20:38
いや、中隊編成で指揮官神成大尉。
山口少佐以下大隊部員はあくまで随行という形で
連隊決済が降りたのでは?
山口少佐が指揮権を欲しければ最初から
大隊編成(200人位のミニ大隊)にすれば
良かっただけの話で、
混成中隊に大隊部員が随行すると言う
滅多に見られない編成になったのは
多少の誇張はあれほぼ小説通りの経緯が
あったと考えてもよいのでは…。

ちなみに自分は>>110のレスがいいとこ突いてる
ようには思うんだけどな。
132okkii:03/11/07 20:56
昨年10月に青森駐屯地内にある歩兵第五聯隊兵舎を初めて見せていただきましたが、建物の色にはびっくりでした。
屋根も外壁も全てがピンクなんですね。明治時代の兵舎が、まさかまさかのピンク色とは;;;;予想外でした。
色もあせてきているはずですがもともとの色は赤なんですかね?

そういえば五連隊の軍服のエリは赤でしたね。どうも私より100年前の人のほうが自由な色彩感覚をもっているようです。
133日本@名無史さん:03/11/07 21:11
>>131
改行する際やけに短い字数の揃い方、
3点リード「…」の後に句読点「。」を付ける等々特徴的な文章のクセ、
これは酷い自作自演ですね。
134okkii:03/11/07 21:28
自作自演?
うーん、私にはうなづける内容のように思えるんですがね(^-^)
確固たる証拠もなしに133みたく決め付けるのは
(・A・)イクナイ!!とはいえ131とそのレス先の110では
こらま誰が見たって限りなく黒に近いグレーだわな。

頷ける内容かどうかはこの場合さして関係ないんでない?
これ以上詮索はせんけど。
136日本@名無史さん:03/11/08 03:03
「八甲田山」は研修でやった。
その講師は神成大尉に対してかなり批判的で「福島大尉=良い子ちゃん、神成大尉=困ったちゃん」ということだった。
その例
・福島大尉はあくまで成功するためにじっくり計画を立てて、少人数で編成を組んだのに、
神成大尉は出発までほとんど準備計画した形跡がない。「神成さん、あなたは一体なにをやってたの?」
・で、福島大尉の編成が終わったあとで、神成大尉もその福島の真似。「単なる真似では上司は決済しないよ」
・福島大尉は自分の計画が認められなければ仕事を引き受けない、という強い意志があったのに、
神成大尉は山口少佐に大隊にしろ、と言われてあっさり計画変更。「ちゃんと計画を立ててないから、こういういい加減なことになる」
・神成大尉組は途中で山口少佐に指揮権を奪われてしまったが、上司が来れば口を出すのが普通。
山口少佐は断るか、あらかじめ釘を刺しておくべきであった。
・「天はわれわれを見放した」の発言は指揮官として絶対許されない。
指揮官は最後の最後まであきらめてはいけない。当時長島のメークドラマとかいうのがあって、それまで
長島をバカにしていたが、最後は優勝してしまった。指揮官としては大切なことだとわかった。
実際、神成大尉の発言で、それまでがんばっていた部下が切れたようにばたばた倒れていった。
137日本@名無史さん:03/11/08 03:06
ところで新田次郎の小説って
短編と長編ではずいぶん経過が違うね。
138日本@名無史さん:03/11/08 03:54
え?
「八甲田山」は2バーヂョンあったでつか!!
ちなみに文庫本はどっちですか?137殿!
139日本@名無史さん:03/11/08 08:52
>>137
仕方ないよ、フィクションだからね。

>>138
自分の読んだ本では、
後書きのところに長編と短編の違いが書いてあった。
確か、八甲田山と何かの遭難モノがセットになった本が短編モノで、
八甲田山一冊の本が長編だったような・・・。
うろ覚えですけどこんな感じでした。
140日本@名無史さん:03/11/08 09:45
>>136
まあ、講師の批判は
小説の神田大尉に対する批判ならこういう批判でもいいんだけど
史実の神成大尉に対してとするとほとんど言いがかりになるな。
まあ、講師にとっちゃ心構えの実例を示したかっただけでその話が真実であるかはどうでもいいんだろうけど

141日本@名無史さん:03/11/08 11:49
>>131
明治陸軍の編成を理解してからレスしてくれ
当時は4編成式を採用している
1個中隊は200名編成で、これに大隊司令部10名で210名
200名は正規1個中隊による連隊決済演習の典型。
この場合は演習計画指揮官として大隊長、演習中隊指揮官が隷下
の中隊長となるのが常識。
命令下達(めいれいかたつと読む)の序列は下記の通りになる。
大隊長(山口少佐)−専任大隊副官(倉石大尉)−大隊副官(興津大尉)
−中隊指揮官(神成大尉)

道に迷った責任は山口少佐、部隊崩壊の責任は神成大尉が軍隊の常識。
142日本@名無史さん:03/11/08 12:58
講師とか研修って何のことですのん?
143日本@名無史さん:03/11/08 14:02
おはようこざいます。疑惑の>>131です(藁
そりゃ似てまつよね。真似したんだから。いや、改行ペースだけだけど。
IEでも40字位なら綺麗に左に揃うけどいちいち数えるのが面倒だったんで。

>>141
レスありがとうございます。
趣旨がよくわからないのですが、
>当時は4編成式を採用している
というのは1個大隊=4個中隊の意味でつか?
@中隊が200人位編成が当然と言いたいのか、
@演習部隊は正規一個中隊が基本だからおかしいと言いたいのか
(自分は便宣上混成中隊と書いたから)、
@中隊編成の演習には必ず10名程度の上部部員が同行して
210人程度になるのが普通なのか?
(特殊な編成でもなんでもない、大騒ぎする自分がDQNだと)
@自分が200人程度のプチ大隊を臨時編成すれば言いといったのが
気に障ったのか?

命令下達も知ってるし、その序列も知ってますが、
>道に迷った責任は山口少佐、部隊崩壊の責任は神成大尉が軍隊の常識。

これは通常の戦闘等で司令部と部隊が離れているときは
そうでしょうが、このように司令部が同行して司令官が
直接命令を発している場合、迷子も全滅も司令官の責任になるのでは?

つまりこの事件は上官と部下の齟齬が原因ではなく、
最上級将校の山口少佐の判断ミスに尽きると、
こういうことでよろしいのですか?
144141:03/11/08 14:48
私の表現が悪かったかもしれません。
明治から昭和14年に至るまで日本軍は1個中隊を200名として
4個中隊で1個大隊を構成します。あなたはプチ大隊(200名)
としたものですから現在の自衛隊基準で語られているのかと思った
だけです。

軍隊において中隊長は特殊な役職です。英語でカンパニーと呼ぶ
のですが、その指揮官はキャプテンとなります。
中隊は歩兵戦闘において部隊掌握義務が発生する義務があり、兵
隊への直接命令権を有する単位です。これに対して大隊は連隊決
済された物を整理した上で中隊に命令下達するのが仕事で、中隊
長への命令は行うが、兵隊の掌握義務はありません。
(実際は、中隊長のミスは大隊長の管理不行き届きになる)

この事件に関して申し上げると予想を遥かに超えた悪天候により
道を見失い、寒さによる思考能力、運動能力、体温低下により行
動不能に陥ったため全滅に至ったと考えるべきじゃないでしょう
か?
軍事行動の失敗責任は山口少佐の判断ミスではないでしょうか?
神成大尉の責任は部隊がバラバラになり、誰が何処にいるのか判
らない状態にした事ではなでしょうか?選抜中隊兵士の死者も生
存者も中隊行動地点とは別の地点にいたのですから統率責任を問
われます。
145日本@名無史さん:03/11/08 18:38
>真似したんだから

(´,_ゝ`)プッ
146日本@名無史さん:03/11/08 20:44
えここだけはガチ!
147日本@名無史さん:03/11/08 21:42
>>132五連隊の軍服のエリが赤
 陸軍では、昭和13年に九八式軍衣が制定されるまで、軍服の襟に兵科の色を示す兵科章を付けていました。
兵科の色
 歩兵:赤
 騎兵:萌黄(緑)
 砲兵:山吹(黄)
工兵:鳶
 シ重兵:藍
 憲兵:黒
 航空兵:紺青

蛇足
 『♪万朶の桜か襟の色』(歩兵の本領)
 『♪緑に映える襟の色』(騎兵の歌)
 『♪襟には栄ゆる山吹色に』(砲兵の歌)
 『♪鳶の名永久に光あり』(工兵の歌)
 『♪襟に輝く藍の色』(シ重兵の歌)
『♪淡紺青の襟めざし』(航空百日祭)
148136:03/11/08 23:57
>>140
なるほど、題材は小説の方。
史実とは異なるのかな。

まあ、いつの時代も上司との関係は「宮仕え」の永遠のテーマ、ということで。
ただ、なるほどそういう考えもあるのか、ってのは思った。
映画では「かわいそ、かわいそ」って感じで神田大尉は悲劇の主役ですからな。
149日本@名無史さん:03/11/09 00:08
>>144
>神成大尉の責任は部隊がバラバラになり、誰が何処にいるのか判
>らない状態にした事ではなでしょうか?選抜中隊兵士の死者も生
>存者も中隊行動地点とは別の地点にいたのですから統率責任を問
>われます。
この部分については
解散命令が出てそれそれが独自に生き延びよということになったと証言する生存者がいる一方で
いや解散命令は出ていないと主張する 生存者もいたりして
あの極限状態の中どういう統率状態だったかが未だにはっきりしてなかったと思います。

150okkii:03/11/09 08:00
>>147
レスありがとうございます。
そうでしたか、兵科によって襟の色が決まっていたのですね。勉強になります(感謝)。
そうすると兵舎の赤色も関係があるのかな?


皆さんお名前のない方がほとんどですが、内容のあるご発言が多くありもったいないように感じています。
また、皆さんの識別もしたいし何人の方が出入りしておられるのかも知りたいのです。できることならなんらかのお名前をご記入されたらと思うのですが;;;


151日本@名無史さん:03/11/09 10:39
神成中隊だけで雪中行軍していたら、とっとと引き返していたと思うよ。
そうすれば199人死亡という悲劇はなかったが、2年後の沙河で
数万人の凍傷患者を出して、日本軍は闘わずして敗北していたと思われ。

それにしても北海道・東北に師団があるのに、明治35年まで
冬季の夜間行軍や露営訓練をロクにしていなかったというのは驚き。
152日本@名無史さん:03/11/10 00:30
それは無いな。
現に福島隊は同じ状況で成功したのだから、
その5倍近い人数を擁して失敗(敢えて失敗というが)したら、
「腰抜け」「卑怯者」の謗りを免れなかったろう。
そうなれば余程冷静に判断できる上官でもいない限り
5連隊は翌年には連隊の面子をかけて
さらにとてつもない計画をぶちあげていた可能性が高い。
疲労凍死というものがある以上、仮に暖冬だったとしても
もっととんでもないことになったかもしれない。
暖冬なら雪崩の恐れもあるし。
結果として教訓は残したろうね、どの連隊がやらかしたかは分からないが。

まあ、推測だけど。

あと、1個中隊単独での行軍であれば指揮官は神成大尉では
なかったはず。彼は半年前に中隊長になったばかりで
いわば「若葉マーク」
参加したとしても副官格程度でしょう。

ついでに、
5連隊だけでも国内が治まって対半島問題が高まった明治20年初頭から
そこそこの冬季演習は毎年のようにやってるよ。
他の師団の事は知らないけど(w
153okkii:03/11/12 05:59
>>現に福島隊は同じ状況で成功したのだから、
その5倍近い人数を擁して失敗(敢えて失敗というが)したら、
「腰抜け」「卑怯者」の謗りを免れなかったろう

このあたりが難しいところなんでしょうね。
おそらくは盛大な歓送を受け、成功を期して営門を出発して5時間たらずで
引き返すなんてことは面子、威信上からも出来にくかったのだと思います。

天候が急変して先の見通しが出来にくかったのですから、その場(小峠)で露営したらどうだったのか。
隊員の体力も十分にあり、積雪量もさほどのこともなかったはずで地面まで
掘り進むことも出来、炊飯も可能と思われる。
一泊後に再度状況判断して進退を決めればと思うのですが。

すべては結果論の提案でした。


154日本@名無史さん:03/11/12 12:33
>天候が急変して先の見通しが出来にくかったのですから、その場(小峠)で露営したらどうだったのか。


これって、「のぞみ」に乗って東京ー大阪を1泊2日の出張にでかけて
東京を出た途端気分が悪くなって新横で降りて引き返そうか悩やむくらい恥ずかしかったりして。
で、せめて名古屋までは行こうと頑張って、結局安城あたりで倒れて緊急停車させて
もっと恥ずかしい思いをしたんだけど・・・(わr
155日本@名無史さん:03/11/12 15:58
池沼出現
156日本@名無史さん:03/11/12 20:50
池沼って何?
ハン板でよく見かけるけど素でわからない
157okkii:03/11/13 05:08
>で、せめて名古屋までは行こうと頑張って、結局安城あたりで倒れて緊急停車させて
もっと恥ずかしい思いをしたんだけど・・・(わr

うまい例えですね(笑)
陸軍はこの悲劇を美談にすり替えましたが、この例えではどうなるのかな?
158日本@名無史さん:03/11/13 21:06
この話はしゃれにならないから止めろ。
くるぞ。
159日本@名無史さん:03/11/13 22:06
>>158
くるって何が?
160日本@名無史さん:03/11/13 23:09
>>158
打通さんか?(w
161日本@名無史さん:03/11/14 00:16
池沼とか打通さんとかって何よ?
162okkii:03/11/14 06:10
>この話はしゃれにならないから止めろ。
くるぞ。

気に入りませんでしたか?失礼しました。
くるぞとは行軍隊の亡霊が出てくるぞってことですね。遭難現場では今でも
そのようなことが言われているようですが;;;

私は「八甲田山死の彷徨」を読んでこの事件に関心を持ちました。
実際の事件ではどうだったのか、どこが創作でどこが現実にあったことなのか、
行軍に参加した人たちのその後はどうだったのか、等々に興味を持っております。

ただ、乏しい資料しか持ち合わせておりませんし、私の認識があさはかなものだったり、間違って
いたりすることもあるでしょう。気が付かれればご指摘いただければと思います。
163日本@名無史さん:03/11/14 06:52
>>162
前後の文脈がまるで読み取れてねーw
ことの子細は自分も全然知らんが大体どういうことかぐらいは解るぞ。
164日本@名無史さん:03/11/14 12:42
幽霊?そいや昔、八甲田山の幽霊がTVで
放映、紹介されたとき、俺現地までたし
かめに行ったなあ。
おみやげ屋のおばさんは、あれはTVのやらせ
と言っていたW
自分たちは何も見ていないし、TVの映像は
学生を使って撮ったとか。
165okkii:03/11/14 19:43
>気が付かれればご指摘いただければと思います。

これは文章としておかしいですね。
気が付かれればご指摘いただきたく思います、に訂正です。

>前後の文脈がまるで読み取れてねーw
ことの子細は自分も全然知らんが大体どういうことかぐらいは解るぞ。

すみませんが私にも解かるようにご説明いただけませんか?
166日本@名無史さん:03/11/16 04:01
okkiiさん。出ると言うのはユーレイよりもっと恐ろしいもののことです、
2ちゃん的には・・・(W
 コテハンは煽られ易いので詰まらんレスはスルーしたほうがいいですよ。
正直言ってあんまり知識無いようなので突っ込み放題だし(スマソ)

あと、いつも朝早くにレスしてますが、お豆腐やさんかなにかですか(WW

167okkii:03/11/16 06:28
>166
ご指摘ありがとうございます。気をつけます。

>あと、いつも朝早くにレスしてますが、お豆腐やさんかなにかですか(WW

いえいえ、歳なものですから(笑)そうですね私の投稿は朝が多いですね、気が付きませんでした(^-^)

168日本@名無史さん:03/11/16 14:43
>>166
> okkiiさん。出ると言うのはユーレイよりもっと恐ろしいもののことです、
> 2ちゃん的には・・・(W

思い込み厨の伊達遠江守家中だろ?(w
169okkii:03/11/17 06:41
山口 ユ少佐の評判がどうも芳しくないですね。
要領が悪く、同期の連中に比べて出世は遅れぎみだったとの記述をどこかで見た覚えがあります。
頑固な性格だったのかな?(よく分かりませんが)

年齢の面で見ると
行軍時、山口少佐45歳、行軍指揮官の神成大尉が34歳、倉石大尉も神成大尉と同年輩と思われる。
大橋中尉28歳、水野中尉25歳、永井軍医26歳等々

山口少佐にとって不幸だったのは同年輩の相談する相手、忠告してくれる相手がいなかったことか?
170日本@名無史さん:03/11/17 11:31
普通戦場ではそうだろ
軍人はそのような訓練を受けているはずだが
171日本@名無史さん:03/11/17 21:22
映画「八甲田山」のビデオかDVDって発売されているのかな?
あったら是非見てみたいな。
172okkii:03/11/17 22:38
DVDが発売されていますよ。
「八甲田山 完全版」4800円です。


>軍人はそのような訓練を受けているはずだが
そうですね。
戦場で一々相談していたのでは指揮官として適性が疑われます。

ただ私は、山口少佐の参加は教育主査としての側面もあったと思っているのです。
そうであるならば、局面局面での神成大尉らの判断に対し助言を与えることは
あっても良いと思います。
それが若い人を押しのけて、自らが先頭に立って間違った判断を繰り返すとは;;;
173日本@名無史さん:03/11/17 23:59
>>172
部下と功績を競うような、ある意味では大人気ない側面を持つ人物と言う可能性はどうで
しょうか?
実は数年前の漏れの上司にそういう人がおりまして。
「部下が成功すれば、対外的にはあんたの功績になるんだから順調に進行している時は
黙って見守っててくださいよ」と思ってる時に限ってしゃしゃり出てきてその場の空気を読ま
ないどころか、物事を一気にぶち壊すようなことを天然で発言するような方でした。
174日本@名無史さん:03/11/18 00:31
>>173
状況はいろいろあるだろうが
部下が順調だと思ってるときでも上司から見たら違っているということもあるので
部下に口出すことが功績を競っていると決め付けるわけにはいかんだろう
あなたのケースの場合は無駄に発言する上司だったんだろうけど
175okkii:03/11/18 05:44
>>174
部下を育てるといった場合にはある程度任せることも重要ですね。
ひやひやすることもあり、口出ししたくもなりましょうが、その結果責任は
自らが取るといった大人の姿勢が求められます。
部下の立場からすると、上司を選ぶことは出来ないのでしょうから大変ですね。
今どういう状況なのかよく上司に説明し何も言わなくて済むようにもって
いきましょうか?


176日本@名無史さん:03/11/18 07:36
>>172

ビデオで見たがまずまずだった。
原作本も是非読んでほすぃー。
177日本@名無史さん:03/11/18 09:05
山口ユ少佐に限らず歴史に名を残した人物を無理から非難している
あなたたちは歴史に何の功績も残さず死んでいくのでしょうか?
誰かのために命をかけて何かしたことはありますか?
もっと人を敬う心を持つべきだと思います。
178日本@名無史さん:03/11/18 10:36
>>177
>もっと人を敬う心を持つべきだと思います。

なるほど。もっと牟田口や富永も敬え、ということでつね?(w
179日本@名無史さん:03/11/18 13:12
177みたいな香具師はどこにでもいる。
特に公務員に多いな。
人の命より序列や秩序を重んじる事勿れ主義者。
こういう香具師が日本をダメにした。

180日本@名無史さん:03/11/18 16:29
>>179
それは、全てあなたの思い込みです。
181okkii:03/11/18 18:48
>山口ユ少佐に限らず歴史に名を残した人物を無理から非難している

私は山口少佐に対し含むものがあるわけではありません。手持ちの資料等から
そのような判断をしております。
無理から非難している、とおっしゃるのであればどのような判断基準でのご発言か
お尋ねしたいです。新しい資料でもあればご提示ください。認識を改めるのにやぶさかでは
ありません。逆にうれしく思いますよ、山口少佐のために。
182okkii:03/11/18 22:41
>それが若い人を押しのけて、自らが先頭に立って間違った判断を繰り返すとは;;;
どうも私の発言は言葉が過ぎますね。

それが若い人を押しのけて、自らが先頭に立って行軍を指揮するというのであれば
山口少佐同行の本来の目的とはだいぶ違うのでは。

に訂正させてください。言い過ぎて見たり、足りなかったりと難しいですねホント(^-^;
183okkii:03/11/19 17:54
>>137 ところで新田次郎の小説って短編と長編ではずいぶん経過が違うね。

この短編の小説の題名を知りたいのですが、ご存知の方おられます?
184日本@名無史さん:03/11/19 18:33
山口少佐の名前は何と読みますのん?
185okkii:03/11/19 20:37
ユ(しん)と読みます。私も雪中行軍の中で始めて知りました。
186日本@名無史さん:03/11/19 22:15
>>183
新潮文庫「強力伝・孤島」に収録されている「八甲田山」です。
187日本@名無史さん:03/11/20 01:29
映画初めてみました、今日。
娯楽作品としては一級品ですな。
撮影どーやってやったのか気になる。
あの頃の秋吉久美子はかわいかったんですね。
健さんはもちろんカッコよかった。
「動乱」もよかったけどね。

あと2キロ…家から駅くらいまでか。
直線距離ならほんまにすぐなんですけどね。

原作も読もっと。
188okkii:03/11/20 05:40
>>186
有難うございます。さっそく古本屋さんで探してみます。

>>187
DVD「八甲田山 完全版」に撮影に至る足取り、製作意図、ロケーション、
エピソード等詳しく書かれた説明書が添付されています。
出演者、スタッフ共たいへんな苦労をした撮影だったことがわかりますよ。
189日本@名無史さん:03/11/20 09:15
映画「八甲田山」は1977年の夏に公開されて、
当時の日本映画の記録をことごとく塗り替えたほどの映画です。
娯楽作品としては間違いなく一級品でしょう。
彷徨の雪の山中で、山口ユ少佐が放った「天は我らを見放した」の台詞は、
その年の大流行語になりました。
それと劇中でしばしば唄われる軍歌「雪の進軍」も流行しました。
絶対につまらない筈がない映画です。
190189の訂正です:03/11/20 09:17
>絶対につまらない筈がない映画です。

絶対に面白くない筈がない映画です。
191日本@名無史さん:03/11/20 11:00
>>189
>彷徨の雪の山中で、山口ユ少佐が放った「天は我らを見放した」の台詞は、
>その年の大流行語になりました。
叫んだのは作中の神田大尉
192189:03/11/20 12:45
>>191
そうでしたか。
スマソ。
193日本@名無史さん:03/11/21 14:42
日本医事新報(No.4071〜4074)という雑誌に、山口少佐の死因について考察した
エッセイがあったので、ちょっと紹介してみよう。
筆者は弘前大学の麻酔科教授で、山口少佐の主治医であった中原貞衛氏によって
書かれた私家版の小冊子「第5連隊惨事 奥の吹雪」を詳細に検討し、山口少佐は
中原氏により安楽死させられた可能性が極めて高いと結論づけています。
次のような内容でした。
・山口少佐は判断ミスで200名近い将校の命を失った責任を感じており、また自身も
四肢の切断は避けられず、自決の希望があった。(自決の薬を求める記録あり)
・しかし、少佐は両腕両足が強い凍傷に侵されており、自殺は不可能であった。
もちろん巷間伝えられるピストルでの自殺はまったく無理である。
・中原氏は山形県の病院に勤務していたが、立見師団長の命により、特別に山口氏の
主治医に任命された。
・中原氏はクロロフォルム使用の経験があり、クロロフォルムを用いた安楽死と、
青森の病院が発表した少佐の死亡時の記録の「チアノーゼ、心臓麻痺」はよく一致する。
・以上より、中原氏は、児玉陸軍大臣と立見師団長による、少佐の安楽死の命令に従って、
クロロフォルムを用いた安楽死を行ったものと考えられる。
194日本@名無史さん:03/11/21 21:53
映画のラスト近くで、弘前連隊を目の前にして、健さん扮する徳島大尉が
「軍歌ぁ、雪の進軍」と命じるとこがかっちょよすぎてちびりました。表
情だけで演技できる俳優って、やはりすごい…。
195日本@名無史さん:03/11/21 23:19
秀麗な岩木山を背景にした「軍歌ぁ、雪の進軍」のシーンはいいね。
196okkii:03/11/22 05:06
興味深い内容ですね。
山口少佐の死は公式には病死となっているが、
連隊から家族への説明では自殺となっているようです。
この二つの説明と責任問題も絡みいろいろな憶測を生んだのでしょうね。

ご紹介のエッセイにもあるように、少佐自身は両腕両足が強い凍傷に侵されており
ピストルを扱える状態にはなかった。出来るとすれば舌を噛み切ることだけでしょう。

2月1日に駐屯地内の青森衛戍病院に収容され、2日の午前中に兄の
成沢中佐、午後3時30分には侍従武官の宮本大佐の見舞いを受け、
午後9時4分に死亡。翌日には火葬。病院のカルテには死因の記載なし。


なにか手際が良すぎるように感じられて仕方がなかったのですが、
ご紹介の説、納得させられるものがあります。有難うございます。
197okkii:03/11/22 05:12
訂正です
196は193に対するレスです。
198okkii:03/11/22 14:21
昨年初めて遭難現場を訪れたときには道路工事中だったせいか、第一露営地の石碑は無くはっきりした場所は不明、
第二露営地は石碑はあるものの、案内板はありませんでした。
後藤伍長発見の地も不明、見落としたのかもしれませんが(T^T)。

馬立場の案内板も古く文字のはっきりしないものもあります。
この大惨事を後世まで残すのであれば青森市なり県なり費用を負担し
更新する必要があるように思いました。
199168:03/11/24 05:00
okkiiさん、最近良く勉強されてますね。最初は完全な受け売りみたいでしたが
この頃はあなたがまめにレスをまとめているのでスレが彷徨せずに済んでるようです。
 地味で、伸びるスレでは無いと思いますが頑張ってくださいね。
本当はこれは>>1の仕事なんだけどwww
 それから豆腐屋発言失礼しましたwww
200okkii:03/11/24 06:19
>>199
とんでもない。
大変恐縮ですがそう言っていただければほんとうにうれしいです。

自分で感じたことを前後のつながりも考えず発言しているので
今後どうなりますやら(^-^;
今後ともよろしくお願いしますね。


186さんにご紹介いただいた「強力伝・孤島」今日コンビニで受け取ります。
内容がたのしみです。
201okkii:03/11/24 21:46
「強力伝・孤島」の中の「八甲田山」を読んでいます。
19ページほどの短編ですが、引っ張り込まれるような迫力ある描写はさすがです。

作者得意の雪山の分野に限った小説ですが、これが16年後に
「八甲田山死の彷徨」の下地になっているのでしょうか。
202日本@名無史さん:03/11/24 22:02
僕は 「黒い雪洞」が怖かった。
203日本@名無史さん:03/11/25 15:55
>>199>>200のレスが好き。
お豆腐屋さん発言はそれはそれで面白かったんだけど。
どちらもいい人だぁ。
204日本@名無史さん:03/11/27 18:55
しかし、仮にだが、5連隊が何とか無事に田代に着いていたとして、
その後の天気を考えると、1家族が一冬過ごす程度の備えしかなかった
田代温泉は一体どんな目にあわさせたんだろうか…?
205okkii:03/11/28 05:13
興津景敏大尉と軽石三蔵二等卒の写真は美談として有名ですが、本当は
違うのでしょうね。
遭難直後の「青森連隊遭難 雪中行軍」と「第五聯隊遭難始末」には
興津景敏大尉と軽石三蔵二等卒は別々の場所で発見され、大尉と共に発見
されたのは吉田春松一等卒となっています。
ところが7月に発行された公式文書たる「遭難始末 歩兵第五聯隊」では大尉と
共に発見されたのは軽石三蔵二等卒と記述されております。
幸畑の遭難資料館、駐屯地内の防衛館の資料、雪中遭難記録写真集
いずれも同様の説明書きです。

これは美談に便利なように大尉の従卒である軽石二等卒にすり替えられた
のではと思います。詳しく調査の上、史実に基づいた説明、表現に
改めるべきではないでしょうか。

とは言いながらも躊躇する思いもあるんですね。

明治天皇はこの写真をこの説明で見ておられるようですし、
軽石二等卒の銃は振天府(皇居内に設けられた戦利品陳列所)
に献納されております。
すでに100年も経ち、全てのことは歴史となっております。
暴き立てることが必ずしも良いこととは思えないのです。
皆さんはこのあたりのことをどのように感じられますでしょうか。

206日本@名無史さん:03/11/28 05:21
207okkii:03/11/28 05:42
>>204
そりゃ大変だ、一泊の場合は持参したもので賄ってもらえても何日もとなると、
うーん酒はまず、一滴も残らんでしょうね
私がその家族なら多額の請求書を送り付けますね。
一人素泊りいくらとね(笑)
208166:03/11/30 14:42
okkiさん、>>205のレスはさすがですが、
>>207で・・・・・・やっちゃいましたねWWW

管理していた家族が仮に5人だとして、3月一杯まで田代にこもる
としても、単純計算で1月下旬当時には約300人分強の食料しかなく
薪炭に至っては(ry
そこに200人余の凍えた集団がやってきて急に泊めろと言われても
予約も入ってないし・・・

結果的に死傷者数は減るかも知れないが民間人を巻き込んだ、それこそ大惨事に
なっていた可能性が高いと思われます。
とても酒の事を考えてる余裕はないでしょうWW

まあ、無事だったら私も連隊宛に割り増しで請求書を送りますがWWW
209日本@名無史さん:03/11/30 19:28
>>208
おまえうざい。
210okkii:03/11/30 19:45
エヘヘ、やっちゃいましたか(^-^;なるほどね。
民間人を巻き込んでの大惨事になったら陸軍も国民になんて説明するのかな。
現実を覆い隠すのに苦労するでしょうね。


話は変わりますが、弘前第31連隊屯営跡はどうなっていますか?
住宅地、幼稚園、桔梗野小学校など本によって異なっています。
見に行ければ良いのですが、いささか遠いすぎますので;;;
211166:03/12/01 03:12
okkiiさん
私は土地の者では無いのでその質問には答えかねます。
本当に知りたいのなら地元の教育委員会に問い合わせることをお勧めします。
おそらく所有権等で線引きが無茶苦茶になっているので役所では相手にして
もらえません。
教育委員会はそれしか仕事がないので大抵の場合真摯な問い合わせには
必ず詳しい学芸員が対応すると思います。
ただし、向こうも面子があるので半端な問い合わせでは足元をすくわれかねませんが、
あなた位勉強されている方なら向こうも誠実に対応すると思います。

答えになっていませんが私の半端な知識より確実と思うので・・・
212日本@名無史さん:03/12/01 03:17
なんだこいつら?異常者系か?
213okkii:03/12/01 06:49
そうでしたか、無理な質問をしましたねm(__)m
どなたかご存知の方がおられればお教え願いたいのですが。
214日本@名無史さん:03/12/01 07:07
>>212
お前のほうが異常者 馬鹿は書くな
215日本@名無史さん:03/12/01 14:25
ここスレッドが寂れていく典型的なパターンを踏んでるね。
誰それのせいとまでは言わんけどせっかく良いスレだっただけに残念。
今後は軍事板の方に鞍替えさせてもらうかな。
216okkii:03/12/01 21:38
第四旅団長 永安治延少将ですが、かなりいい加減な人物のようです。
1月27日、後藤房之助伍長発見の日ですが、本来ならば弘前の旅団司令部に
いるはずですが、誰にも行き場所を言わずに浅虫温泉の花街にいたことが
わかっています。
東京朝日新聞への投書では
「同旅団長は山口県人にして将官中、特に無能且つ性質放漫、常に大言を
得意に吐き散らすを以って、あだ名を野砲と云う」
とありまったくもって散々な評価です。
いわゆる長州閥で能力も無いのに勝手に昇進していった典型的人物のようです。
彼を注意できる立場にあるのは立見師団長だが、もと桑名藩士であった師団長
には山口県人はやりにくかったのでしょうか?。
単身赴任であったことをいいことに、好き勝手に振舞っていたがそれが福島副長
との衝突になっていったようです。
「八甲田山から還ってきた男」によると、それがため永安旅団長は罰として
予備役に編入されたとなっているが、私には疑問です。
当時、少将の定年は58歳となっており、まさに友安少将は明治36年に58歳を
迎えており、それがための予備役だったはずですが。
いずれにせよこんな上司では部下はたまったものではないです。
明治新政府では薩長出身者が幅を利かしていますが、その流れの中で
どうにもならない人物も多くいたのでしょうね。

217okkii:03/12/01 21:53
訂正です。
予備役となっている箇所はいずれも後備役(こうびえき)に読み替えてください。
失礼しました。
218日本@名無史さん:03/12/02 23:44
>>217
おまえうざい。
219日本@名無史さん:03/12/03 01:02
>>216
世の中、完璧な人間ばかりではないでしょーよ
いい加減な人間もいて当然
薩長藩閥にしても明治維新の経緯から見て彼らが幅を利かせるのは当然の流れ
(藩閥に属さぬ人間がそれに反発するのもまた当然)

おまえさんの投稿を見ていると「青臭いというか健全というかなんだか眩しいなぁ」という感じがするよ

以下抽象的かつスレ違いですが
世の中には「純白でなければならない」というある種の脅迫観念にとらわれている人が多いみたいで、少しでも濁りがあると不安になったりオドオドしたり批判したりする。
おれなんか灰色で一向に構わんけどね(朝鮮併合とか満州国とかイラク派兵など)
220okkii:03/12/03 06:07
>いい加減な人間もいて当然
永安旅団長の所在が不明のため、初動捜索が遅れたとの指摘があります。
世の中必ずしも公平でないのは承知をしておりますが、いい加減な人間の為
人生を狂わす、あるいは死んでいくといことがあればこれを当然とは思えない
し、指摘し批判すべきと考えています。

>「青臭いというか健全というかなんだか眩しいなぁ」
うーん、現実の私は必ずしも健全ではないのですが、若くして亡くなった
多くの隊員たちの気持ちを考えるといい加減な発言はしたくないと思って
しまうのです。

>おれなんか灰色で一向に構わんけどね(朝鮮併合とか満州国とか
これも最初のレスと同じようなことですが、
我々日本人から見れば何も感じませんが、韓国人、中国人の立場からすると
大変な被害、災難、屈辱であったのでしょうね。未だに外交上で影を引きずっています。
戦後五十数年、私などはもういい加減にしてくれ!と言いたくなりますが;;;(余計なことを言ったかな)
221日本@名無史さん:03/12/03 06:23
金曜ロードショウでやってて、
俺裏番組見ててさ
CMになるとチャンネル変えてみるんだけど
いつ見ても雪の中なんだよな。
222通りすがりの名無し:03/12/03 22:14
どっちの肩を持つつもりも無いが、okiiが青臭いなら>>119は世の中を
斜に見すぎてると思う。
実際大惨事と言うのは普段見過ごしているようなどうでもいいミスが、
偶然一度に重なって、だれも想定していなかった状態になることが多い。
だからこそ思いつきや先入観に囚われず、一見どうでもいいようなことを
1つ1つ積み重ねて行くのが歴史を学ぶものの最低限のモラルと違う?
だからこそ専門スレでは部外者から見たらどうでもいいことの応酬になるわけだし。
okkiはちょっと断定的なところもあるけどちゃんと資料も当たってるし、
そうは、戦後史観に毒されてのいないように自分にはみえけど。
むしろ朝鮮問題と満州問題とイラクは派兵をグレーソーンに一括りににしてしまう
>>119こそこの板の住人なのかと・・・?

>>119のように話を一般論に回帰させて論者の資質を問題にする態度は
どうかと思うぞ、
また、okkiも「かもしれない」とか「の可能性が高い」という、あくまで
仮説なんだよ、という歴史学のお約束を踏まえて発言した方がいらん誤解を
招かずにいいと思う。

とにかくここは日本史板なんだよ、とだけいっておきたい。
223okkii:03/12/04 01:05
ご注意いただき有難うございます。歴史学のお約束の件、了解しました。

>>216の中で「同旅団長は山口県人にして・・・」とありますが、実は私も
山口県人なのです。
郷土の大先輩だから、こりゃいったい何をやってんだ!
と余計に強く言ってしまいました。
今の世に生きる私からすれば、かなりいい加減な人間に見えてしまったのです。
ただ、残されたもので判断あるいは想像しているので実像とは
ズレがあるかもしれませんが;;;
224日本@名無史さん:03/12/04 01:09
当時の長州人はいい加減ごわしたぞぃ
225日本@名無史さん:03/12/04 01:16
>>223
おまえうざい。
226okkii:03/12/04 05:46
>当時の長州人はいい加減ごわしたぞぃ
はい、永安旅団長も福島副長に「その件は任したぞ、よきに計らえ」と
たびたびやったようですね。
「八甲田山から還ってきた男」によると、福島大尉は非常な勉強家、努力家
で指導力も抜群。
私などは恐れ多くて近づけない雰囲気ですが、その副長と旅団長のコンビは
水と油、うまくはいかない様に思われます。副長の方にもう少し処世術でも
あれば;;;ですが。
歴史の皮肉といったものですかね
227日本@名無史さん:03/12/04 08:11
もう我慢の限界、
漏れも軍板の方に移るわ。
228日本@名無史さん:03/12/04 14:55
動くのはいいが、軍板のスレってだいぶ前に落ちてなかった?
229日本@名無史さん:03/12/04 22:15
>>226
おまえうざい。
230okkii:03/12/05 00:16
番外編っす。

雪中行軍体験ツアー募集
期 日:豪雪の日、朝6時出発ぅ
目的地:田代の方だっち

兵卒組:雪靴を履き、かんじき隊から出発ぅ!。鳴澤で露営す、各自穴掘り始めぇ
    なお、凍死の恐れあるで、寝ちゃいかんのだ!そうそう忘れとった、
    ここは幽霊スポット各自気をつけえぇ(どうしろとゆうのだ?)

将校組:各自スノーボードで出発、楽ちん楽ちんで酢ヶ湯温泉で宴会昼食だ!
    でも飯なんかくっとられん混浴じゃ、じゃが昔の娘ばかり(ガクッ)

    >>227の漏れも、>>229のうざいさんもいっしょにいかが?

悪乗りでした(忘れてくだはれ)
231日本@名無史さん:03/12/05 02:25
このスレも、いつ見ても寒いね。
雪中行軍してるんか?
232日本@名無史さん:03/12/05 08:56
八甲田山は山スキーによく使ってるよ。
2月なんかは顔まで埋まりながら滑るので、気持ちいい。
行軍のコースはスキーには向いてないので使ったことはないけど、地図上では
あんまり面白くない道と思われます。

酢ヶ湯温泉は、ピリピリして、肌に痛いっす。
233日本@名無史さん:03/12/05 19:24
>>230
 幽霊が出るという噂は嘘だと、みやげもの屋のおばさんが言っていたなぁ。
酸ヶ湯に入ったとき、若い娘がいたぞ。脱衣所が違うから混浴じゃないと
おもったんじゃないのか?ちと可哀想だった。でも、たまにいるらしい。
234okkii:03/12/05 22:31
>2月なんかは顔まで埋まりながら滑るので、気持ちいい。
想像もできん滑り方だ、一歩間違えると二の舞になりそう。

>酢ヶ湯温泉は、ピリピリして、肌に痛いっす。
どうも朕は鈍いのか、あまり感じんかった。ただあの打たせ湯はぁ気持ちよかったす。
湯船の中ほどに男性はこれから先は行っちゃいけんと書いてあったが、
その看板あたりに男どもが集まっていた(もちろん朕もだ)

>酸ヶ湯に入ったとき、若い娘がいたぞ。
そういういい思いは回数いかんとのぅ、山口県からじゃとっても無理じゃのぅ


どうもいかん。狂いぱっなしだ。次回からまともな発言に戻るのでここまではお許しあれ。
235日本@名無史さん:03/12/06 03:27
緒方拳さんがやった役は、隊から離れて自力で田代温泉まで行って
助かったそうですが、これは史実なんですか?
236okkii:03/12/06 05:30
映画の役は村山伍長、実在の村松文哉伍長ですが田代元湯で2月3日に
発見され、助かっています。
蛇足ですが、隊の元々の目的地は約300m離れた新湯のほうでした。
237日本@名無史さん:03/12/06 05:36
当日は、地元の人々も恐れて山には入らぬ「山ノ神の日」であったらしい。
恐ろしい話だ。
238日本@名無史さん:03/12/06 14:52
>>236
どうもありがとうございます。
映画では、田代まであと2`の地点までは到達してたようですが
普通の条件なら、徒歩30分くらいですよね。本当に残念なことです。

青森県のHPで、H16・八甲田山雪中行軍遭難資料館新築工事入札と
載ってました。ぜひ、訪れたいと思います。
239日本@名無史さん:03/12/06 15:51
独りで会話するのはやめようぜ。
みっともないことこの上ない。
240日本@名無史さん:03/12/06 16:28
↑私は>235と>238ですけど、どのレスのこと言ってるの?
241日本@名無史さん:03/12/06 16:29
>240
自分自身の事を戒めているんだよきっと。
242okkii:03/12/06 19:23
>>238
どういたしまして。

H16・八甲田山雪中行軍遭難資料館新築工事入札の件、確認しました。
期間が16.3.20ですね、私もぜひもう一度行って見たいのですが、
飛行機代、ホテル代と頭の痛い問題がありまして、どうなりますやら(^-^;

この板、ID導入される予定ねーの?
とてもじゃないがこんな茶番に付き合っておれん。
244日本@名無史さん:03/12/07 01:54
>>243
君以外のまともな神経の人らならもうとっくの昔に撤退してるよ、
だから今こんな惨状なんであってw
245okkii:03/12/07 08:19
映画「八甲田山」の配役とモデルになった人たちの氏名を書き出しました。
ただ、判明しない配役があります、間違いもあるかも。

役 名     演 技 者       モ デ ル        
 
友田少将    島田 正吾   第四旅団長少将 友安 治延
中林参謀長   大滝 秀治    師団参謀長大佐 林  太一郎 

第31連隊関係
児島大佐    丹波 哲郎    歩兵大佐    児玉 軍太
門間少佐    藤岡 琢也    歩兵少佐    門司 敬亮  
徳島大尉    高倉  健    歩兵大尉    福島 泰蔵
田辺中尉    浜田 晃    歩兵中尉    田原 三十郎  
高幡少尉    加藤 健一    歩兵少尉    高畑 慶金治  
船山見習仕官  江幡  連    見習仕官    船山 重雄
長尾見習仕官  高山 浩平    見習仕官    福井 重記
倉持見習仕官  安永 憲司    見習仕官    高倉 壮次郎 
松尾伍長    早田 文次    ?
川瀬伍長    吉村 道夫    ?
斉藤伍長    前田  吟    歩兵伍長    斉藤 卯之助
佐藤一等卒   桶浦  勉    一等卒     佐藤 亀三
加賀二等卒   久保田 欣也   二等卒喇叭手  加賀 竹治郎
徳島大尉の従卒 渡会 洋幸    二等卒     山上 長治  
246okkii:03/12/07 08:29
すみません、文字列がずれました。
こういう場合、どうすればよいのか教えていただけませんか?
247日本@名無史さん:03/12/07 13:55
2ちゃんねる専用ブラウザ使ってますか?
専用ブラウザなら、レスのプレビューができます。
勝手にズレ直しておきました。
248日本@名無史さん:03/12/07 13:55
役 名       演 技 者      モ デ ル        
 
友田少将     島田 正吾     第四旅団長少将 友安 治延
中林参謀長    大滝 秀治    師団参謀長大佐 林  太一郎 

<第31連隊関係>

児島大佐     丹波 哲郎    歩兵大佐    児玉 軍太
門間少佐     藤岡 琢也    歩兵少佐    門司 敬亮  
徳島大尉     高倉  健     歩兵大尉    福島 泰蔵
田辺中尉     浜田 晃      歩兵中尉    田原 三十郎  
高幡少尉     加藤 健一    歩兵少尉    高畑 慶金治  
船山見習仕官  江幡  連     見習仕官    船山 重雄
長尾見習仕官  高山 浩平    見習仕官    福井 重記
倉持見習仕官  安永 憲司    見習仕官    高倉 壮次郎 
松尾伍長     早田 文次    ?
川瀬伍長     吉村 道夫    ?
斉藤伍長     前田  吟    歩兵伍長     斉藤 卯之助
佐藤一等     桶浦  勉    一等卒       佐藤 亀三
加賀二等卒    久保田 欣也  二等卒喇叭手  加賀 竹治郎
徳島大尉の従卒 渡会 洋幸   二等卒      山上 長治 
249日本@名無史さん:03/12/07 15:27
おお、見やすい。
>>245 >>248 good job
このスレ、八甲田山雪中行軍事件の、いい資料になりつつあるから、地道に頑張ってちょ。
250okkii:03/12/07 17:57
>>247
有難うございます。恥ずかしながらPCに弱く、2ちゃんねる専用ブラウザの
設定、解凍等ができません(泣)
第五連隊関係その他の資料も出来てはいますが、来週にでも知人に見てもらいますので
しばらくお待ちください。
251日本@名無史さん:03/12/07 18:57
専用ブラウザは他にもいろいろ便利ですから、是非導入されてください
資料は気長に待ってますので宜しくお願いします
252日本@名無史さん:03/12/08 22:54
>251
どうにか出来た様ですが疲れました。ホント。?の点はご存知の方、発表してください。
 
役 名      演 技 者 モ デ ル
〈第5連隊関係〉    
津村中佐     小林 桂樹     歩兵中佐     津川 謙光
山田少佐     三国 連太郎   歩兵少佐      山口   ユ
神田大尉     北大路 欣也   歩兵大尉      神成 文吉
倉田大尉     加山 雄三     歩兵大尉      倉石  一
中村中尉     芦沢 洋三     特別小隊長中尉 中野 弁二郎
野口見習仕官  山西 道宏     ?
藤村曹長     蔵   一彦     ?
江藤伍長     新   克利     歩兵伍長      後藤 房之助
高橋伍長     海原 俊介     歩兵伍長     高橋 他一
渡辺伍長     堀   礼文    軍曹        渡辺 幸之助
平山一等卒   下條 アトム   ?
谷川曹長     森川 利一     ?
沖津大尉     玉川 伊佐夫   歩兵大尉     興津 景敏
永井軍医     竜崎  勝     三等軍医     永井 源吾
進藤特務曹長  江角 英明     特務曹長     佐藤 勝輝
田村見習仕官  日和田 春生   ?
井上見習仕官  仲野  裕     ?
長谷部一等卒  佐久間 宏則   神成大尉従卒、二等卒  高橋 庄治郎
花田伍長     伊藤 敏孝     ?
村山伍長     緒方  拳    歩兵伍長     福山 勉吉

253okkii:03/12/08 23:11
うーん、ずれてるな
〈その他〉
神田大尉の妻  栗原 小巻              神田 みよ
徳島大尉の妻  加賀 まりこ     当時未婚の為、実在しない
滝口 さわ     秋吉 久美子    宇樽部村、山本 留の妻 山本 ハル            
西海 勇次郎    船橋 三郎     東奥日報記者  東海 勇三郎
滝口 伝蔵     花沢 徳江     山本 留の父親、 ?
沢中 吉平     山谷 初男      熊ノ沢部落 案内人 沢内 吉助
福沢 鉄太郎   丹古母 鬼馬二   熊ノ沢部落 案内人 沢内 鉄太郎
沢田 留吉     青木  卓      熊ノ沢部落 案内人 福沢 留吉
大原 寅助    永妻  晃       熊ノ沢部落 案内人 小原 寅助
254日本@名無史さん:03/12/09 00:25
おっ、だいぶ見やすくなりました
後藤 房之助伍長は銅像になってる方ですね

村長さん…加藤 嘉…田茂木野村の老人 作右衛門(原作名)

これは実在した人なんですかね?
255okkii:03/12/09 13:44

>254
田茂木野村の老人が忠告したとの記述は、「吹雪の惨劇」「日露戦争第一巻」「遭難始末 歩兵第五連隊」
および明治35年2月8日付の「萬朝報」に見られます。
事実あったことなんでしょうね。
ただ、いずれも氏名等の記載はなく村民、古老、農民となっていますので、名前はわかりませんがね。
256okkii:03/12/09 23:33
>252
間違い発見。
村山伍長のモデルは村松文哉伍長でした。スマン。

長谷部一等卒(役名)は神成大尉の従卒という設定ですが、実在の従卒の高橋 庄治郎は
18日に行われた予行行軍には参加しているが、本番には行っていません。
257okkii:03/12/10 06:01
>256
コンパスが寒さの為に使い物にならなかったということがありましたね。
知り合いの水産会社の冷凍庫がたしかマイナス三十何度だったと思います。
そこでテストをして見たいのですが、当時のコンパスに類似したものは
手に入りますかね?
258日本@名無史さん:03/12/10 22:44
>コンパス
ん〜、専門メーカーに問い合わせるのが早いかも・・・
259okkii:03/12/11 05:29
>258
ありがとうございます。
今、あらためて映画「八甲田山」の田茂木野の老人が忠告する場面を見ておりました。
山田少佐がコンパスを取り出し「案内人などいらん」と怒鳴る場面ですが、
コンパスの形はほとんど見えませんでした。懐中タイプとはおもいますが。

ネットで検索するといくつかありました。真鍮製とアルミ製がありますが、
真鍮製のほうなんでしょうね。800円から1200円程度でした。
アウトドアショップにもあるようですね。あれば今日にでも購入して
水産会社の冷凍庫に放り込んでおきます。結果は後日報告しますね。
260日本@名無史さん:03/12/12 15:51
遺体捜索は5月までかかったとあるが、ちゃんと全員発見されたのですか?
261okkii:03/12/12 21:58
>260
5月28日に三階滝上方において発見された上等兵で全員です。

もっともその頃になると識別するのに衣服等で判断するしかなく
遺族に引き渡したあとで間違いに気が付き、遺骨を交換したこともあったようです。
262okkii:03/12/12 22:23
コンパスの件ですが真鍮製を購入、昨日午前11時頃に冷凍庫に入れております。
今日取りに行くつもりだったのですが、仕事が忙しく(言い訳ですが)行きそびれました。

しかしまぁ、コンパスを見た感じではこんなのは少々気温が下がっても凍りつくような感じはしません。
よほど湿気が多かったのか、コンパスのタイプが違うのか?
その店にはオイル式というのがありました。オイル式は指針が安定していて使い勝手は良いです。
オイル式ならマイナス二三十度になれば凍結するかもしれません。
これもテストしたほうがよいですかね。
263日本@名無史さん:03/12/12 23:36
>>261
そうでしたか。遭難のシーンを観てると、日航ジャンボ機事故を思い出してしまいました。
一箇所でなく広範囲だったから捜索も大変だったでしょうね。
>>262
コンパスのことはよくわかりませんが、現在のものは相当な低温でも耐えられるのでは
ないでしょうか?
登山スレできいてみるとか?




264okkii:03/12/13 07:18
登山スレは気が付きませんでした。ありがとうございます。
そこで早速問い合わせしたところ、下記のレスを頂きました。


裏板兼文字板:紙
枠:鉄
上面:ガラス
芯針:鉄
磁針:鉄

現代のようにオイル等入ってません。
空洞のまんまです。
湿気て凍結すれば使い物になりません。



今のものとはだいぶ違うようですね、疑問の一つが解消しました。
さて、冷凍庫のコンパス、どうしましょう?
265日本@名無史さん:03/12/13 17:51
なるほど・・・私も勉強になりました。
冷凍庫のは、しばらく続けてみてはどうですか?
266okkii:03/12/14 21:40
>>204
これについては、166さんがお答えにおられますが、資料がありましたので付け加えます。

「第五聯隊遭難始末」に、「田代の番人家族3人と炭焼き人夫15人住居しあり、米5、6俵と
濁酒5樽と鮭1本貯えあり」とあります。

これが確かだとすると、米だけの大雑把な数値ですが
1俵60kg×5俵=300kg、1食=1合=150g、総員228人
単純計算で1人9食分、手持ちの食料が2日分ですから計5日分、つまり、28日までは
十分にあるということになります。

連隊本部の救援隊の活動が本格化するのは26日からです。悪天候が続き田代まで到着
するのは不明ですが、少なくとも凍死兵士等の犠牲者は出なくて済んだのではないかと思う
のですが。
家族にとって大変な目にあうことに違いはありませんので請求書は送られることになるでしょう(^-^)
267日本@名無史さん:03/12/14 21:47
このスレから、強い電波が感知されました。
268白髪:03/12/16 09:27
すでに御存知の方も多いかと思いますが、念の為。
福島隊が第五聯隊の凍死兵二名を目撃し、軍銃二梃を収容したことは事実で、
そのことは一月二九日の早暁に田茂木野で福島大尉から
第五聯隊捜索隊長の木村宣明少佐に報告され、
軍銃もその際に引き渡されていました。
そのことを書いた報告書が2002年一月下旬
(事件からちょうど百年目)に、弘前大松木明知教授によって発見され、
内容と写真とが公開されました(同教授著『八甲田雪中行軍の研究』2002)。
とかくの臆測や論議のあった問題のひとつに、答が出たわけです。
269白竜:03/12/16 09:37
追記
上記「報告書」は、木村少佐から第五聯隊本部に提出されたもので、
陸軍省にも報告されました。
270okkii:03/12/16 22:54
>269
そうでしたね。このことがもっと早く判っていれば高木勉氏の書かれた本の
内容も変わっていたでしょうに。

まだまだこういった報告書なり資料が防衛研究所図書館には眠ってるんですかね?
271日本@名無史さん:03/12/17 01:09
★★フェラのやり方教えてください★★
http://wow.bbspink.com/test/read.cgi/hneta/1069429466/

(*゚∀゚)=3
272斎藤伍長:03/12/17 19:49
中隊長殿!!!
自分は>>271を背負っていきたいのでありますが
その許可を!!!
273okkii:03/12/17 23:13
>272
斉藤伍長に命ずぅ!!
>>271を背負い、駒込川まで背負ってゆけぃ!!
>>271は駒込川を泳ぎ、連隊本部へ救援隊の依頼に行けぇ〜〜えぃ!!!
274okkii:03/12/18 00:30
雪中露営について
露営を決めたのは31連隊は午後9時、5連隊は午後8時15分で、どうしようもなく、やむを得ざる状況になった後のことです。
豪雪の中、風は荒れ狂い、真っ暗で、しかも疲れ果てたのちの作業は大変だったことでしょう。

行軍結果において大変な違いがありますが、両連隊ともぎりぎりの状況の中での露営をしております。
露営だけを捉えた場合の巧拙はいえないように思いました。

福島大尉のその後の報告の中に、簡単に書けば次のような記述がありました。
「露営に決めたならば、日が暮れないうちに取り掛かり、積雪を地面まで堀開し、その内部を広げよ」

後知恵でどうしょうも無いとは分かりつつ、疲れ果てる前に、暗くなる前に、なんとか・・・・・と思ってしまうのですが。









275日本@名無史さん:03/12/21 15:11

合 掌
                               _ ノ
                             ( (   (. )
                            . -‐ ) ‐- .
                          .´,.::::;;:... . . _  `.
                          i ヾ<:;_   _,.ン |
                          l      ̄...:;:彡|
                               }  . . ...::::;:;;;;;彡{
                          i   . . ...:::;;;;;彡|
           ,: ' " `丶        .    }   . .....:::;::;:;;;;彡{
          , :´  .   `、          !,    . .:.::;:;;;彡j:::::::::::::::.......
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       ,'    . ■■■■  ; `.           ̄ ̄
   ,, -'''" .   .  ■■■■  . ' ';゛`'丶.、.......
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 i       ヽ、..._,.__■■■■.,,__,.,..ノ.:::::::::   !::::::::::::...
. ヽ、                      ,: '.:::::::::
    `=ー--、....,,,,,______,,,,,... --‐=''´..::::::
      ``" '' 'ー───‐―‐' ''' "´
276okkii:03/12/21 19:22
>275
すばらしいです。実にいい。時間かかったでしょ?

熱いお茶におにぎり、一番欲しかったものでしょうね。



2週間ほど前から鎮魂の意味を兼ねて出身地、氏名等詳細を、写経ならぬ転写しております。
だいぶ出来上がってきてますが、昔の文字は読めんわからんで四苦八苦してます。
こうやっているうちに、何かが見えてくるのではないかと思っていたんだが、これまでのところ
何もわからん。もう少しなのでこのまま続けるが無駄な努力だったかな。
まぁ、切り口を変えた上で書き出したいとは思っていますが。
277okkii:03/12/21 19:32

追記
遭難死した兵士の出身地の詳細はわかっていますが、生還した11名がわかりません。
郡、市、村、番地まで知りたいのです。
ご存知の方、よろしくお願いいたします。
278275:03/12/21 21:50

     ただのコピペですよ!写経ガムバッテください!
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            ∧_∧
            ( ´∀` )
       _____(つ日_と)___
      / \        ___\
     .<\※ \______|i\___ヽ.
        ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ
        \`ー──-.|\.|___|__◎_|_i‐>
          ̄ ̄ ̄ ̄| .| ̄ ̄ ̄ ̄|
               \| 青森リンゴ|〜
279日本@名無史さん:03/12/22 21:35
誰かさんの日記になっているスレは、ここでつか?(w
280okkii:03/12/23 07:44
>278
そうでしたか(笑)
写経はくたびれますよ、元々の資料に間違いがありますし、転記でミスも出ますので
逐一確認しながらですが。
コタツに入ってのんびりと出来ればいいのですが、我が家にはコタツがないのです(泣)



>279
エヘヘ(^-^;、それってもしかして、オレ?
だって誰も書かないんだも〜ん(ぶりっこちゃんだ!)
281okkii:03/12/25 20:12
遭難死者の出身地別一覧

岩手県139名(+生存者6名)
            東磐井郡  19
             岩手郡    17
            和賀郡    13
            膽沢郡    13
            紫波郡    12
            西磐井郡   11
            江刺郡    11
            気仙沼郡  11
            下閉伊郡  11
            稗貫郡     9
            盛岡市     6
            上閉伊郡   5
            簸貫郡     1

宮城県46名(+生存者1名)
            栗原郡    17
            登米郡    17
            本吉郡     9
            遠田郡     1
            刈田郡     1
            仙台市     1



282okkii:03/12/25 20:13
青森県5名(+生存者1名)
            弘前市     2
            上北郡     2
            南津軽郡   1

山形県1名(+生存者2名)
            米沢市     1

秋田県1名(+生存者1名)
            北秋田郡   1

その他7名
            北海道札幌区   1
            長野県西筑摩郡 1
            石川県金沢市   1
            東京都下谷区   1
            神奈川県鎌倉町 1
            石川県金沢市   1
            佐賀県小城郡   1
            熊本県熊本市   1

283okkii:03/12/25 20:59
>281
岩手県、宮城県出身者で構成された部隊であることは
わかっていましたが、書き出して見ると両県ともほとんどが
郡部出身者で占められているようです。

市の出身者は岩手県では139名中、6名。宮城県では46名中、1名。

現在とはだいぶ様子が変わっていますが、地図上で確認しますとやはり郡部地域の出身者が多い
ように感じました。
なにか事情があってこうなっているのか、このあたりのことをご存知の方がおられましたらお教え
願えればと思います。

尚、族籍は岩手県では士族2名、平民137名。宮城県では士族1名、平民45名でした。
すみませんが間違いがありました。東京都は東京市に訂正してください。
284okkii:03/12/25 21:20
だぶって書いてあるのがありますぅ(^-^;

石川県金沢市ですが1つは消してくだちゃい(泣)
いかんいかん、だいぶ脳が腐ってきている。前からって?
そんなことはありえんのだ!(と、威張る)

こんなあほなことばかり書いているから日記だといわれるのだ(やれやれ)
285okkii:03/12/26 19:55
>262
11日に水産会社の冷凍庫に入れていたコンパス、今日思い出して受取りにいったのですが、
庫内は正月用の製品でいっぱいでどこにあるのか不明。
マイナス45度の庫内は1分間でギブアップ、捜索は社員の人に依頼して退散する羽目に。

結局今日のところは分からずじまいでした(泣)。次回は防寒対策を万全にした上で再度;;;;
見つかるかな?
286日本@名無史さん:03/12/26 22:39
確かに日記化してるが、このひと、ひょっとするとひょっとするぞヽ( ´ー`)ノw
287日本@名無史さん:03/12/27 04:19
288okkii:03/12/27 07:20
>287
貴重な情報、ありがとうございます。

さっそく参加しようと思ったら、クレジットカードが会社名義のため使えない(泣)
指定された銀行の口座もない。期限の31日までには口座開設が間に合わない(号泣)

かくなる上は友人に落札してもらうしかないかな。
289okkii:03/12/27 08:10
>281
またまた間違い発見(泣)

下閉伊郡11を、10に訂正。
上閉伊郡5を、6に訂正。

はなはだ、誠に、まったく申し訳なく。。。。ごめんちゃい
290okkii:03/12/27 21:03
シルバコンパスのカタログを見ております。

ルーペ付
スケール付
偏差対応目盛付
人工サファイヤの軸受け
スウェーデン鋼の磁針
オイル封入
温度対応範囲−40℃〜+60℃
定価3300円

随分と進歩したものですね。
291okkii:03/12/31 08:12
今回の行軍の目的の一つに、行李の運搬方法の研究があります。
橇を運搬具として使用し、兵卒に牽引させることですが、18日の
予行行軍では平地では順調であったが標高400m足らずの小峠に
至る人跡未踏地域では相当苦労をしております。
行軍通過予定地の馬立場は732m、雪は益々深く橇を通過させるのには
相当な困難が予想されます。


提案ですが馬橇を使ってはどうだったのだろうか?。
馬橇なら簡単に通過できたかというと、そうではありません。
結果において隊員が肩に担いで運搬しておりますが
行李の運搬が出来ないようでは今回の行軍目的は意味を成さないと考えるからです。

又、馬橇ではこれ以上前進できない場合の撤退の決断がつけ易いとも思います。
カンジキ隊で踏み締めた道をどこまで進めるかは不明ですが馬を放棄してまで
行進するとは思われないからです。
その場合、一旦引き返し問題点を解決した上で再度出直したのではないかと考えるからです。

神成大尉の遺した原稿によると駄馬編成の場合の頭数も考慮されておりますし
(歩兵1大隊あたりの行李運搬編成の場合)その後の救助活動に馬橇が使われております。
もっとも、田茂木野から遭難地までは人夫での運搬とはなっておりますが。


すみません、時間がなくなりました(^-^;このあとは又のことで。。。
今年はこれで終わりますが、来年もよろしくお願い致します。
どうぞ皆さん、良いお年をお迎えください。
292okkii:03/12/31 17:01
>291
もう書きたくなかったが、改めて読み直すとまったくもってヘタな文章だ!

来年の課題はこれだな。
293okkii:04/01/01 08:12
明けましておめでとうございます。
本年も感じるままに気ままに発言して行くつもりです、よろしくお願いいたします。

歴史の板ということで発言される方は少ないのですが、最近、一人でかき乱している
ような錯覚(?)に陥ることもあります(^-^;
ここを訪れた方は少しでいいですから、足跡(記入)を残していただきたいなぁ、と思う
今日この頃です。
294okkii:04/01/01 09:49
>281
新年早々に訂正す(泣)。


遭難死者の出身地別一覧の

岩手県139名(+生存者6名) を 岩手県139名(+生存者5名)

宮城県46名(+生存者1名) を 宮城県46名(+生存者2名)

に各訂正してください。



いつになったら完全になるのやら。。。。



295日本@名無史さん:04/01/01 11:25
>>293
新年早々、思い込み乙(w
296日本@名無史さん:04/01/01 17:48
みてるよ。でもくわしくないから語れない
あんた見たいな人は日本史板では稀有な存在だな
昔はもっとちゃんとしてたらしいが・・悲しい
297okkii:04/01/01 19:10
>295
>296
おお!お二人さん居られましたか、良かったですo(^^o)(o^^)o
最近ここでは一人ぼっちで寂しくて人恋しくてハイどうしたもんかと
ひそかに悩んでおります。

詳しくなくっても、ご自身の思いを好きに語る板ですので、それでいいと
思いますけど。
あとは出来る限りフォローしますのでよろしくお願いしますね、ね、ね(^.^*)
298日本@名無史さん:04/01/01 19:26
          
      ∧_∧         あけましておめでとうございます
      ( ´∀/ ̄ ̄ ̄ ̄/   書き込みしなくても、ROMしてる人はたくさんいます
    __(__つ/       /     ご安心を!
       \/____/ ̄ ̄ ̄ ̄      
299okkii:04/01/01 19:30
287さんにご紹介いただいた時事日報の明治35年の新聞ですが、
オークションはだめでしたo(;△;)o

知人に頼んであったのですが3320円まで上がるとは予想外。いや、あっしのほうが
甘かったのか、しかたありません(−−;

また、なにかありましたらご紹介くださいね。ご報告とお願いでした。
300okkii:04/01/02 07:16
>291の続きですが、
馬橇を使った行李の運搬では小峠大峠あたりまでの行進が限界で
撤退を余儀なくされてしまい、結果において大惨事は避けられたのでは
ないかというのが私の推論でした。
301okkii:04/01/02 11:38
一般にある計画を立てる際、不測の事態も含めあらゆる対策を立てるものです。
今回のように初めてのことに対しては特にそうです。
出発時間と到着時間について神成大尉はきっとつぎのように考えたんでしょうねぇ。

屯営田茂木野間5.7kmは休憩も入れて1時間。田茂木野田代間の14.3kmは人跡未踏で
あることを考えるとこれだけで7時間半は必要。途中の休憩昼食を考えるとプラス1時間半。
合計10時間。
日没の午後4時40分までには田代に着きたいとすると、屯営出発時間は午前6時40分。

実際の出発時間とだいたい合致するのですが、不測の事態の予備時間は余り考慮されて
はいないように感じられるんですけどねぇ。福島隊と比較しますね。

福島隊の出発時間,行程距離、到着時間

20日、午前5時20分発   28km   午後03時19分小国着
21日、午前8時00分発   08km  午前11時35分切明着
22日、午前6時30分発   18km  午後02時55分銀山着
23日、午前7時00分発   18km  午後04時27分宇樽部着
24日、午前6時30分発   24km  午後06時54分金ヶ沢着
25日、午前7時30分発  26km  午後04時11分三本木着
26日、午前8時00分発  16km  午後02時40分増沢着
27日、午前6時30分発

犬吠峠を悪天候下に越えるのに苦労した24日以外は随分と早い内に目的地に着いています。
これを見ると何かアクシデントが発生しても、大事ににならないうちに対処出来たのではないで
しょうか。

遭難地域で天候が激変したのは午後5時以降であり、もう1時間早く出発していれば、別の結果が
と思えるのです。

('_'?) お前ならどうするかって?いやいやすべてあと知恵で、こんなこと考えられもせんですハイ。
302日本@名無史さん:04/01/02 21:35
BSフジで放送中
303日本@名無史さん:04/01/02 21:56
BSフジ見てます。
青森第五連隊は、判断ミスが重なってどうしようもなくなってしまっています。
「天は我々を見放した〜」
304日本@名無史さん:04/01/02 23:20
このスレ見て興味持って来たんで、漏れはビデオ借りてきたよ。

「天は我々を見放した〜!」

この映画、すごいキャストだな。大竹まことまで出てる。

305日本@名無史さん:04/01/03 01:24
日露戦争で全員死亡
南無・・・
306日本@名無史さん:04/01/03 02:01
>>305
そこは史実ではないよ
307日本@名無史さん:04/01/03 04:51
映画の最後に出てきた人は実際に行軍で生き残った方なんでしょうか
308okkii:04/01/03 07:33
>307
緒方拳さんの役は村山伍長でした。
モデルは村松文哉伍長ですが生還者の一人です。
2月2日午後4時、田代温泉元湯で発見収容されています。
309日本@名無史さん:04/01/03 13:09
>>308
307の答えになってないような気がするんだが。
310okkii:04/01/04 21:49
>309
うーん(笑)
307の質問を改めて見ると、いろいろな意味に取れますね。文字どうり受けると、

行軍の生き残りの兵士が映画に出演したのか?

ということになるんだが、この映画の製作が始まったのは昭和49年。最後の生き残りの
小原忠三郎伍長が亡くなったのは昭和45年です。
映画の中の人物は緒方拳さんですよね?ということであのようなお答えになったのですが。。。
311okkii:04/01/05 04:54
倉石一大尉はゴム長靴を履いていて凍傷に侵されずに助かっています。
大尉は上京した際に購入したとのことですが、当時は輸入品しか無く、
高価なものだったのでしょうね。

国内では大正8年に世界長と月島化成が製造が始めたのが最初のようです。
当時の輸入先は?、
普及したのはいつ頃?
等をゴムの業界紙に問い合わせしていますので分かればお知らせしますね。
312okkii:04/01/05 06:05
今、気が付きましたが村松文哉伍長の発見の日を>>236では2月3日とお答えし、
>>308では2月2日午後4時とお答えしております。

「第五聯隊遭難始末」では2月3日、「遭難始末 歩兵第五聯隊」では2月2日午後4時
となっており、その違いに気が付かなかった為ですが、どちらが正しいのだろうか?
要調査ですね。
313日本@名無史さん:04/01/05 09:49
あけましておめでとう。
楽しくROMさせてもらっています。
なんか資料ゲットしたら、私もUPしたいけど、なかなかないですわな。
314日本@名無史さん:04/01/05 13:20
ひと〜り上手と呼〜ば〜ない〜で〜
315okkii:04/01/05 20:55
>313
その資料ゲットが悩みの種でしてδ(⌒〜⌒ι)
ネット上で検索したり、図書館回り、町の本屋さんに出かけたりとしましたが
手元にある資料は一般的なものが多いですね。欲しい資料はすでに絶版、廃版になった
りして手にはなかなか入りません(+_+)

しかたが無いのでコンパス、ゴム長靴などの付属品的なものに話題を求めたり;;;
ホントどなたか譲っていただけません???安くですよ(=^^=)
316okkii:04/01/07 22:31
古い資料ですし、遭難直後のことでもあるんでしょうけど間違いが多いですね。、色々出て
きますよ間違いが(オレはもっとひどいけど(;^_^A)

そこで間違いの大発表だぁー!
先ずは隊員名です。

左側が「青森歩兵第五聯隊 雪中行軍」の編成表。
右側が「青森歩兵第五聯隊 雪中遭難記録写真集」の中の名簿表です。

佐々木宿太郎=佐々木忠太郎
佐々木乙三郎=佐々木乙次郎
菅原原之進  =菅原辰之進
今野清助   =金野清助
斉藤安右衛門=記載なし
斉藤哲次   =斉藤哲治
武田新吉   =武田蔵吉
澤藤兼松   =野藤兼松
阿部宇吉   =阿部卯吉
中野聴次郎  =中野聡二郎
岩井徳五郎  =岩井得五郎
藤川喜太郎  =藤川善太郎
大松荘七    =大松庄七
佐々木清次郎=佐々木清治郎
317okkii:04/01/07 22:32
菅原原之進  =菅原辰之進
今野清助   =金野清助
斉藤安右衛門=記載なし
斉藤哲次   =斉藤哲治
武田新吉   =武田蔵吉
澤藤兼松   =野藤兼松
阿部宇吉   =阿部卯吉
中野聴次郎  =中野聡二郎
岩井徳五郎  =岩井得五郎
藤川喜太郎  =藤川善太郎
大松荘七    =大松庄七
佐々木清次郎=佐々木清治郎
及川豊三郎  =及川礼三郎
内川卯之吉  =内川卯三吉
鈴木清右衛門=鈴木清左衛門
鈴木興四郎  =鈴木与四郎
小野寺熊次郎=小野寺熊治郎
大坪平次郎  =大坪平市郎
佐藤竹雄    =佐藤武雄
永井源吾   =永医源吾
菅原厚治   =菅原厚次

以上、どちらが正しいかは全くわかりましぇ〜ん(´〜`)
次はわかっていることです。
318okkii:04/01/07 22:35
「青森歩兵第五聯隊 雪中行軍」18ページに
23日午前6時30分屯営を出発せしが・・・・とあるのは6時55分が正解。

「雪の八甲田で何が起こったのか」31ページに
結局、救援に向った二個小隊(88名)の隊員達は、無駄に先行して・・・・の
88名は間違いでしょうね。

二個小隊、鈴木小隊と大橋小隊のことですが、
鈴木小隊、つまり第六中隊からの参加者は44名ですが、興津大尉と、小山田特務曹長は
臨時移動大隊本部員として隊から離れておりますし、14名は既に輸送員として橇を引っ張って
おり、命令が出た時の隊員数は28名だったはずです。

同様に、大橋小隊、つまり第七中隊からの参加者も44名ですが、田中見習士官と長谷川
特務曹長は本部員、14名は輸送員で隊から離れており、やはり28名です。
ということで、行李運搬の援助のために引き返したのは合計56名だと思います。
但し、橇隊を指揮していた炊事係下士の所属がわかっていませんので、
引き返したのは56名以下というのが正解かも(^^; )

重箱の隅を突付くな!!   へへぃ申し訳ありましぇんですm(_ _)m
ということで次はまたの機会に。
319okkii:04/01/07 22:41
>317
コピーした資料が一部だぶっていますね。
これが私らしいところで、またまた申し訳ありましぇんですm(_ _)m
320日本@名無史さん:04/01/07 23:07
映画おもしろかったあげ
321日本@名無史さん:04/01/07 23:24
質問なんだが、映画で
崖を上ろうとして、転がり落ちて
かなりの人が死んでるんだが、
あれは史実なの?
322日本@名無史さん:04/01/08 00:20
強行させた三国連太郎(役名分からず)は自殺したけどあれって史実なの
323日本@名無史さん:04/01/08 00:22
>>322
凍傷のため、指でピストルを握れる状態ではなかったらしい
ということは。。。
 三国連太郎てもう死んでるよ
325okkii:04/01/08 01:05
>>321
残された記録から話が前後する場面もありますが概ね史実のようですよ。

残された記録も生存者の記憶と遺体発見の位置、様子から記録されたもので
供述に食い違いもあるようです。


>>322
>>323
実在の山口ユ少佐のことですね。
公式には病死、遺族には自殺と説明しているようですが、
>>193の説もあり、はっきりしたことはわかっていません。
326日本@名無史さん:04/01/08 01:55
>>323>>325
サンクス
327日本@名無史さん:04/01/08 19:24
今日でも(8度程度)でも
風吹けば、かなり寒いよ
−41度って想像もつかん
328日本@名無史さん:04/01/09 03:27
映画も小説も知らないが

>残された記録から話が前後する場面もありますが概ね史実のようですよ
そんな資料ありますか?
まあ大勢というのがどの程度を指すのか分かりませんが
329okkii:04/01/09 06:58
>328
はい。「吹雪の惨劇 第二部」を参考に致しました。概略を転記しますね。

1月24日午前2時30分、鳴沢の露営地を出発し、帰営の途に就こうとしましたが、
路を間違い渓谷に陥った。前進かなわず、部隊は鳴沢の断崖をよじ登り、前夜の
露営地に引き返すべく行進をはじめた。

ここで、南野長次郎二等卒が渓谷に転落し、最初の犠牲者になった。
その後、佐藤吉治二等卒、小野寺善四郎一等卒、佐々木千太郎二等卒、黒沢慶介
二等卒、高橋多吉二等卒、小野寺辰之進一等卒、瀬川利吉二等卒、瀬川利吉二等卒、
佐藤吉内二等卒等が次々連鎖反応的に鳴沢渓谷に転落していった。

その後、佐藤勝輝特務曹長(映画の中では進藤特務曹長)が進路を知っていると称し、
方向を転じ、自ら先頭に立って進んだが、また道を失した。部隊は方向を転じ豪雪の中を
鳴沢の高地へと這うようにして進んだ。ここで、小田島鉄五郎伍長が足を滑らし転落した。

映画の中では、進藤特務曹長の誘導後に転落者が多く出ていますが、史実はその前だっ
たようです。概ねと申し上げたのはこのあたりを指しております。

330okkii:04/01/09 21:06
>327
皮下脂肪が少なく、寒さにはまったく弱い私が、行軍に参加していれば、
まんず、初日の馬立場あたりでドロップアウト1号になっていて、後の人の
お笑いネタになっていたかも(;^_^A
あの時代に生まれなくてヨカッタなぁ(´ー`)ホントに。

最低気温の記録を調べて見たのが下の表だが、
それにしてもなんとまぁ最悪の日に、最悪の場所へ、別に山の神の日に
行かんでもいいじゃないか!農民も止めたじゃないか!少しは人の言うこ
とを聞いたらどうなんじゃ!(おお、次から次へと愚痴がでるわ)


1 旭川(北海道) −41.0℃ 1902年1月25日
2 倶知安(北海道) −35.7℃ 1945年1月27日
3 帯広(北海道) −34.9℃ 1922年1月31日

これは気象官署の記録ですが、部外観測所の記録としては、
美深(北海道)の−41.5℃(1931年1月27日) があります。

ちなみに世界の記録は
南極Vostok基地で観測された−89.2℃(1983年7月21日) です。
331日本@名無史さん:04/01/09 21:34
−89.2℃って。。。
332okkii:04/01/09 22:37
>331
とてもとても、想像すらできないっす (-。- )
333日本@名無史さん:04/01/10 19:20
最悪の日に、最悪の場所へ逝くからこそ演習の意味があるのではないだろうか。

そもそも数日前に最悪でない場所へ予行行軍をしているし、その予行行軍だけで
目的達成と判断されていたらあとでもっと悲惨な目にあったと思われる、まあ
何度も書かれてることだけど。
334333:04/01/10 19:26
訂正
最悪の日に、最悪の場所へ行くから

2chのやり過ぎかw
335okkii:04/01/10 20:31
>333
うーん、訓練ということからすると、より厳しいところで行うのは
間違ってはいませんね。ただし、それなりの準備をした場合という
条件付きにはなると思いますが。
それなりの準備をしたつもりだったのが、知りうる限りの最悪の日
だったとは(また愚痴が出そうだ(´ー`)フゥー)
336日本@名無史さん :04/01/10 23:54
新田次郎の小説を読んだ 映画が観たくなった

山口少佐の死因についてはいろいろいわれていますが、神成大尉はどうだったのでしょう。
舌をかんだのは事実なんでしょうか?
あと神成は(ジンセイ)でいいんですよね。
337日本@名無史さん:04/01/11 00:06
カンナリだろ。
338日本@名無史さん:04/01/11 00:21
>>335
遭難も数日にわたってるしその捜索隊も危険に見舞われたりしているから
日にちが最悪だったとかで左右される問題でもないような。
かといって季節が適するまで訓練しないというわけにはいかんし
339日本@名無史さん:04/01/11 01:31
昨日ビデオを借りてきました (なかなか置いてあるとこないんだな)
なんで高倉健は遭難と知ってて中止し救助に向かわせなかったか不思議
自分の隊がすべて優先か
340日本@名無史さん:04/01/11 01:59
>>336
「かんなり」ですね。彼の地元に近いところに住んでいますが、
彼の地元には神成性の人がたくさんいます。
341日本@名無史さん:04/01/11 01:59
性>姓
342日本@名無史さん:04/01/11 02:49
>>339
高倉隊に北大路隊を救助しろなんて滅茶苦茶な要求だ。
宿営予定地までたどり着くのが先決でしょ。
あの状況で救助活動なんか始めたら自分たちまでのたれ死ぬと思うが。

というか映画は創作だらけなのでご注意あそばせ。
343okkii:04/01/11 08:58
>336
舌を噛んだとの記録は知る限りではないですね。
軍医が舌に注射をしたとの新聞記事はありますが;;;。
神成大尉の死因は凍死ということでしょうねぇ。


>>335
そうですね、私の書き方がまずかったですね。

22日の出発なら田代新湯に到着するのに問題はなかったはずです。
(行李は無理で、隊員の背によって運ばれていますが)
天候が激変したのは23日の午後5時以降ですので、まぁなんとか帰営
はできたでしょう。

最低気温を記録したのは25日ですが23日の夜から天候は激変しており
24日以降の出発では小峠大峠から先には行けなかったのではないかと
思っているのです。

ご指摘のとおり捜索隊も危険に見舞われて26日には大峠まで(小峠に
おいて−14℃)。27日には大滝平まで進出し後藤伍長を発見したが、
それ以上進めず撤退。案内人を付け、武器さえ携帯していない救援隊
でさえこの有様。

行李を牽引しながら、極寒の中、案内人もつけず、猛吹雪で先も見えず
では小峠さえ行けたか疑問です。いくら勇猛果敢な山口少佐でも
撤退を余儀なくされたのではないかと思うのですが;;;。

それでも山口少佐なら行っただろうって? もうどうしょうも無いす(T_T)
344336:04/01/11 13:29
337 340 343 レスありがとう
愛せない愛知県に住んでいて初めてみた苗字だったんで
ttp://www.myj7000.jp-biz.net    (3904位)

検索してたら新しいサイトをみつけた
ttp://www2.odn.ne.jp/aac37770/MainR.html
ガイシュツ?
345okkii:04/01/11 14:37
>329
訂正
鳴沢の露営地→平沢の露営地
346okkii:04/01/11 14:46
>343
もう一つ訂正
>>335>>338
347okkii:04/01/11 16:32
救助されたものの手足の切断手術を受けるのに麻酔があまり効かず、相当辛苦したとの
述懐が生存者からありました。
当時の日本の医学水準がどの程度のものであったかは、門外漢の私にはさっぱりです。
そこで、麻酔薬の歴史について調べましたので記載しておきます。


1842年 アメリカのLongがエーテルを初めて首の腫瘍摘出に使用
1843年 wellsらが笑気を抜歯に使用
1846年 Mortonがエーテルを抜歯に使用
1847年 イギリスのSimpsonがクロロホルムを無痛分娩に使用
1956年 ハロタンを新しい吸入麻酔薬として使用

国内では、
1850年 「済生備考」にはじめて'麻酔'という文字が見られる。
1855年 本邦初のエーテル麻酔が行われる
1857年 クロロホルム麻酔紹介される
1861年 クロロホルム麻酔行われる
1878年 本邦に初めてコカインが輸入される(病院用見本品)
1885年 コカインの臨床使用開始
1891年 米国から笑気の吸入器を持ち帰り抜歯に用いた
1896年 歯科学会で神翁の麻酔器を使い笑気の吸入実験行われる
1901年 本邦初の脊椎麻酔の症例報告及び世界初のモルヒネくも膜下投与


この遭難事件において、手足の切断手術を受けた生存者は、クロロホルムとエーテルを
混合した全身麻酔を受けております。
348日本@名無史さん:04/01/11 23:25
生存者でも五体満足だった人っているの?
349okkii:04/01/11 23:52
>348
生存者11名中、3名が五体満足でした。
倉石  一大尉
伊藤格明中尉
長谷川貞三特務曹長  の三名です。
350日本@名無史さん:04/01/12 01:20
映画で「兵は木綿の軍服云々」という台詞があるだろ?
なんであんな間違いをやらかしたんだろうね?
351日本@名無史さん:04/01/12 03:54
倉石大尉は毛糸の靴下に軍靴その上にゴム靴

伊藤中尉は毛糸の靴下に藁靴

長谷川特務曹長は木綿の足袋と藁靴で下士卒と同じだけど、炭焼き小屋に
運良く到達した後、靴を脱ぎ外套の毛皮で足を包んでいた

あと三人とも毛糸の手袋、濡れた場合は懐で温めてから着用したと言う話し
下士卒は綿の手袋であっさり凍るためほとんどのものが捜索隊発見時(死者生存者ともに)
手袋を装備していない

装備とちょっとした注意が生死を分けたみたいである、まあ長谷川特務曹長の場合は
炭焼き小屋に辿り着けたという運もあるが
352okkii:04/01/13 06:25
「八甲田雪中行軍の光と影」を読んでいます。
これは弘前大学 松木明知教授の記念講演を本にしたもの。
この中で私にとって未知の情報がありましたので、ご紹介がたがた、お願いです。
皆さんには既知のことかもですが(;^_^A

明治32年に弘前から大鰐を経由して秋田県小坂を経て、十和田湖に向っての雪中行軍を実施している。

以上ような簡単な記載だけですので、どのような内容であったのか、明治31年10月に着任したばかりの
福島大尉がどう絡んでいるのか、等々まったく不明です。
ただ、重要な参考資料にはなったはず。この雪中行軍をもっと詳しく知りたいと思っております。
どなたかご存知の方がおられればお教え願いたいのですが、よろしくお願いいたしますm(_ _)m

私が承知している福島大尉絡みの演習及び行軍は次のようなものです。
明治33年1月   雪中掩蔽構築試験
明治33年2月    弘前市西南の原野で雪中露営演習
明治34年2月   岩木山雪中強行軍(二泊三日)
明治34年8月   夏季強行軍(弘前から五戸に至る四泊五日264km)
353日本@名無史さん:04/01/13 22:00
明日明後日の天気図は事故当時の天気図に似るのではないかage
354日本@名無史さん:04/01/14 03:30
>>352
>以上ような簡単な記載だけですので、どのような内容であったのか、明治31年10月に着任したばかりの
>福島大尉がどう絡んでいるのか、等々まったく不明です。

その明治32年の雪中行軍についてはどの部隊か知りませんが明治30年代には雪国の部隊では雪中行軍
はしばしば行われていたみたいなので(青森に限らず北海道山形仙台新潟などで)、恐らく福島大尉が直
接参加しているのでなければほとんど関係無いと思います。ただ報告書には目を通していると思う。

距離なら明治31年2月の新発田〜米沢〜新発田(8泊9日約270Km)が凄いと思う。
小説では八甲田山雪中行軍は唐突に計画されたように書かれているとか聞いたが実際には
それまでの雪中行軍の積み重ねの上実施されたもので、雪国の部隊では別に珍しい作戦でもなんでもない
と思うし、当時の人間もそんな風に軽く考えていたのかもしれない。
355okkii:04/01/14 06:21
>354
ありがとうございます。言葉が足りませんでしたが、この雪中行軍部隊も同じ31連隊
のことでした。
仰るとおり雪国の部隊として冬季に雪中行軍はしばしば行われていたようですが、
こういった雪中行軍に関する詳しい資料が私にはありません。

第五連隊の遭難事件以外の雪中行軍についても調べてみたいと思っていますが、
こういった報告書、資料は公開されているものなのでしょうか?
ご紹介いただいた明治31年2月の行軍についても、どのような経由経過で、又、
資料でご存知なのかもお尋ねしたいのです。よろしくお願い致します。
356日本@名無史さん:04/01/14 22:19
昨日映画を見たんだけど、健さんが欣也の遺体を発見したシーンって
亡霊ってことになるんでしょうか?
そうだとしたら、ここは当然フィクションなんですよねぇ?
357日本@名無史さん:04/01/15 01:22
>>356
両大尉に面識はない。
31連隊は5連隊の雪中行軍なんか知らない。
宿営地に着いたら5連隊の捜索隊がうろうろしていてびっくり。
358日本@名無史さん:04/01/15 17:03
>>355
私も一次資料で見たわけではなく何かの本で見た程度なので詳細は分かりませんが
自分のメモによると

明治31年2月 新発田歩兵第16連隊
新発田〜喜多方〜米沢〜新発田 269Km 8泊9日

となっています。
これじゃ役に立たないのでぐぐってみたがめぼしいのは見つからず
雪中行軍で検索をかけると今度は八甲田ばかりw しかもフィクション
359356:04/01/16 00:52
>>357
え、そうなんですか?
一番感動したシーンだったのに・・・(´・ω・`)ショボーン
360日本@名無史さん:04/01/16 06:55
>358
お手を掛けます。
新発田歩兵第16連隊で検索しても、これというものもありませんし、
なかなか難しいですね。
なにか事件事故でもあれば詳細な記録もあるのでしょうが、日常繰り返している
訓練の一環としての雪中行軍では。。。。
発見者の松木明知教授に聞いてみるのが一番かな。
361okkii:04/01/16 21:33
>359
ショボーンなんてされてはいけません
小説も映画も創作ですので読者に感動を与えるため、必要とあれば
新たに人物、ストーリーを創ったり、誇張があったりで、史実とはだいぶ
違ってしまうことがあります(o^^o)

ご指摘のシーンは原作のほうにもなく、映画の中だけのことのようですね。

362日本@名無史さん:04/01/17 02:48
創作話のついでに一言。
村人が高倉健に「こんな寒い夜は滅多にねーだ」と言って宿泊を勧めるシーンがある。
健さんは「御好意はありがたいが軍には軍の方針がありますので」と言って断る。
しかし実際の31連隊はほとんど毎日民家に泊まったそうだ。
酒も飲めたらしい。
以前は映画を鵜呑みにして「31連隊すげー」と思っていたが考えてみればそーだよな。
雪ん中で10日も続けて野営なんか出来るはずねーや。
363日本@名無史さん:04/01/17 03:51
>>362
(´・ω・`)ショボーン
364okkii:04/01/17 05:14
>363
またまた、ショボーン とさせちゃった(^−^;

ですからね;;;;ヘ(^0^)ヘ
365日本@名無史さん:04/01/17 10:27
>>357
途中で兵卒の遺体を発見して銃だけ持ち帰ったという話ですね。
たしか、最近この事実が確認されたという事です。
だから、宿泊地に帰る前に事件は知っていたと見るべきでしょう。
ついでに軍事板のリンクです。

【雪の進軍】死の八甲田【氷を踏んで】
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1060834084/
366○okkii:04/01/17 17:03
>365
えーと、その発見された資料によると、

福島大尉は、雪原で歩兵銃二挺と兵士二名の凍死遺体を確認はしたが、
その理由が分からなかった、と田茂木野の哨所において、捜索隊長の
木村少佐に対し述べています。

従って、この資料が事実を現しているとすると、大尉は田茂木野に着いて
初めて事件を知ったことになる、と思いますが。
367日本@名無史さん:04/01/17 17:20
演習自体は普通のことだったんだと思いますよ。
北国の部隊が冬はずっと営舎にこもってるわけにもいかんでしょ。
実際にほとんどの遭難者は直後に回収できてるんだし(←当然、捜索に行った部隊
は遭難しなかったわけだ)。単に「あまりに天候が悪けりゃスキー場でだって遭難す
るよ」程度の話なんですよ。
368日本@名無史さん:04/01/17 17:46
新聞紙を靴に詰めたり、服の下に着込んだりするだけでだいぶ違うはずだが、
当時の日本軍はそんなことも知らなかったのか。
369okkii:04/01/17 18:41
>367
この遭難事件の一番大きな原因が天候のせいであることは我々の認識は一致
していると思います。
ただ歴史の板ですので、史実の追求と同時に、なんとか助かる道はなかったのか、
細かい点にまで、あれこれ検討しておりまして、その中で、当時の雪中行軍、露営のこと
については、遭難した第五連隊、成功した第三十一連隊のことしか分からず、それ以外
の部隊の訓練がどのようなものだったのか、それを知ることがこの両連隊の評価をする上
で必要と考えております(えらく硬い表現になりましたが、実際はちゃらんぽらんです(^-^;)

>演習自体は普通のことだったんだと思いますよ。

私もそのように思いますが、重箱の隅を突付きたい方ですので当時の人たちの行っていた
普通が、100年後の私にはどう映るのかも興味があるんですよ(=^^=)




370日本@名無史さん:04/01/17 19:58
ロシア新兵80人が肺炎に 氷点下25度、防寒着なし

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040117-00000025-kyodo-int
371日本@名無史さん:04/01/18 06:46
>368
個人単位であれば新聞紙や油紙、唐辛子などを用意していたものもいます。

ただ部隊軍隊としては、冬山に対する十分なマニュアルは存在していなくて
この事件の後に整えられていきます。
372okkii:04/01/18 07:47
>370
数時間程度で肺炎になる寒さなんですね、氷点下25度って。
寒さ対策が万全のはずのロシア軍でも規律が低下するとこうなるとは。

八甲田の遭難地周辺の気温もそれに近いものだったのでしょう。
満足な防寒もノウハウもなく、ただ運命の糸に導かれるまま、これからの、
残り多くの、全てはこれからだった人生を失ない、氷鬼となっていった多くの
兵士の無念さはいかばかりであったか(涙)、
又、残された妻子、親の思いは。。。


いつになく、ロマンチストなオッキーでした。
373日本@名無史さん:04/01/18 16:00
八甲田山の遭難者の場合は軍の支給品以外の防寒装備を個人で用意すれば
良かったのに、上記のロシアと違って防寒装備を整えることは可能だと思うのだが、
上官だけでなく下士卒も冬山を舐めたかそれとも用意する金も無かったのか

私の場合は母親が秋田の山の部落の出身なので冬山吹雪の恐ろしさはさんざん
教え込まれているので、冬山には可能な限り近寄らないつもりだが。

そういえばうちってスキーに行ったこと無いけどやっぱそれは母親のせいなのか?
374okkii:04/01/18 20:17
>373
>上官だけでなく下士卒も冬山を舐めたかそれとも用意する金も無かったのか

両方両方。温泉地へ一泊、観光遊山気分で出かけた隊員も。
おそらく、それまでの雪中行軍訓練がそれで済んでいたようなものだったのでは。
これがもし、福島大尉が隊長ならどうであったのか?、隊員の意識からして違って
いたのでは?

明治34年3月、山形の軍医(第三十二連隊?)からの報告で、
外国製黒色総ゴム製靴(オーバーシューズ)、なるものがあるらしいが
手に入らないので試すことが出来ない、との記述があります(われ八甲田より生還す)

当時、おそらくは高価で、地方では手に入りにくいものだったのでしょうねぇ。
ただ一人履いていた倉石大尉は上京の折、購入したということですし。
しかし、総ゴム製でないゴム靴なんてあんのかな?

>そういえばうちってスキーに行ったこと無いけどやっぱそれは母親のせいなのか?

さては、冬山はこわいこわいと、刷り込まれたな\(^0^)/
そういえばオレも捻挫して以来、スキーやったことがないなo(;△;)o
375日本@名無史さん:04/01/19 16:31
新田次郎の作り話がなきゃなんて事もない話でしょ。
100人単位の死者が出た事件なんて古来いくらでもあるし、特に歴史に影響も
ないので史料がなくて当たり前。興味ないのみんな。

板違いなんだよ。
376日本@名無史さん:04/01/19 16:52
>>375
>興味ないのみんな。
すくなくともあなたは興味あるみたいですね。
377日本@名無史さん:04/01/19 18:07
>>375
>特に歴史に影響もないので史料がなくて当たり前。
史料の多少と、歴史としての重要性に相関関係はないと思われ。

>板違いなんだよ。
板違いとは思えませんが。
378377:04/01/19 18:09
>>375>>376に訂正。失礼しました。
379okkii:04/01/19 20:08
>375
雪中行軍隊の悲劇について語る、板ですよね、ここは('◇')?。
それに関係したことがらについて述べているつもりなんだが。
まぁ、ときには脱線するけどね、お許しあれ「(^^; )
380日本@名無史さん:04/01/19 20:13
その後軍がやったスキーがストック一本だったんだよね。
この間NHKでやってた。
381日本@名無史さん:04/01/20 01:50
佐々成政
382日本@名無史さん:04/01/20 04:33
>381
1584年
厳寒の積雪期に家臣らを引き連れて北アルプス(立山連峰・後立山連峰)を踏破した。
いわゆる「さらさら越え」
383日本@名無史さん:04/01/20 20:18
>375
釣り?それともマジDQN?
八甲田山の遭難事故は一回の山岳遭難事故としては史上最高の犠牲者で、
それだけでも研究価値はあるぞww
あと、がんばれokkii!脱線すんなwww
384日本@名無史さん:04/01/20 21:18
♪アルプス山を踏跛せしー
♪歴史は古く雪白しー
385日本@名無史さん:04/01/20 22:13
佐々成政
の防寒大丈夫だったのか?
386okkii:04/01/20 23:17
どなたかが言っておられましたが、
たまたまの偶然と、判断ミスが積み重なって大惨事になるってこと、ありますよね。
第五連隊雪中行軍の場合、次のようなことなんでしょうか。

1, 田代までの一泊ということで、参加将校兵卒共、安直に考え、防寒がおろそかであった。
2, 出発した日が大寒波の直前だった。
3 ,案内人をつけなかった
4, 小峠において、帰営すべきとの軍医の意見を無視した。
5 ,雪中露営の経験が無かったのか、あるいは不足していた。
6 ,食料、新炭の不足、天幕も用意すべきであった。
7, 指揮官の判断の誤り

考えてみれば、このうち一つ二つでも逆であれば、助かったのではないか。
なんともまぁ最悪のシナリオです。
逆に成功した三十一連隊、田原中尉の報告の中に次のような記述があります(抜粋)。

○手袋靴下は毛糸製にして、二枚重ねて使用する。
○襟巻き、腹巻を着用する。
○眼鏡、懐炉、耳袋を携帯する。
○大風雪に遭うときは穴を堀り、その中で天候の回復を待つ。
○缶詰は出発の前にあけて置く。
○西洋蝋燭は火付きが良く、露営の際便利である。予め石油を用意すれば更に良い。

行軍後の報告内容ですが、細かい具体的な内容です。第五連隊の行軍には余り見られない
ものばかり。


私ごとですが、入院しますので数日間留守です。発言できませんのであとをよろしく(^^; )


387日本@名無史さん:04/01/20 23:36
ハインリッヒの法則
労災事故について1件の重大事故の影には29件の軽傷事故があり
300件の無傷の事故がある。

まあ、軍の体質自体が事故起こしがちだったんでしょう。
388日本@名無史さん:04/01/21 04:57
>>383
ハンニバルのアルプス越えは?

あれは遭難じゃないか?犠牲者は4桁を上回るが
389日本@名無史さん:04/01/21 16:03
象を連れってっちゃなぁ・・・・
390日本@名無史さん:04/01/22 16:48
秋吉久美子の夫は「銀座」に働きに出ているの?
それとも銀山?
391日本@名無史さん:04/01/22 17:35
>>390
「銀山」。十和田湖西岸にあって、現在『秋田県鹿角郡小坂町十和田湖字銀山』と
呼ばれている場所。南部藩時代から続いている銀の採掘鉱があった。

映画で徳島隊が出発前の装備の点検をしている場面があるんだけど、(前田吟に、
徳島大尉が、距離の測定を正確に行うように指示を出しているシーン) ちょうどそのとき
十和田湖方面に斥候に出ていた佐藤一等卒が帰隊して、途中、銀山へ宿泊が可能だと
いうことを報告した後、「案内人は頼めるのか?」という徳島の問いに答えた佐藤一等卒が
「入営までは自分は銀山で働いておりました。その必要は必要ありません」と答えていた。
当時としては、近隣の庶民が現金収入を得られる貴重な場所だったのかも知れない。
392日本@名無史さん:04/01/22 19:06
>>391
ども。
今まで何度もスカパーで映画を見ているんだけど
いつも途中からなんで最初のほうは一度も見てないです。(笑
徳島隊は常に行軍中という感じで。

感覚としては「働きに出る」ところと言ったら東京。
東京の銀座かなとも思いましたが、
あの年代でそんな出かせぎがあったなかとも思いました。

映画では気付きませんでしたが
ウェブで検索して、行軍した地図を見ると弘前の部隊に比べ、
青森の部隊はなんか出発してすぐ遭難した感じで
言っちゃ悪いですが、かっこわるいと思いました。
(大人数で動きが鈍いし、いろんな不運が重なったようですが)
393日本@名無史さん:04/01/22 20:12
>>390
たしかにあのセリフ「銀座」と聞こえる!小説読むまで、私も「銀座」だと思っていますた。
394日本@名無史さん:04/01/23 00:50
先日の土曜、八甲田に行って来ました。(正確には酢ヶ湯温泉)
運良く雲一つない快晴で、見晴らしも素晴らしく快適なドライブでした。
通ってみてわかったんですが、あの辺って何処に行っても大きく地形や風景が変わらないんですね

今年は暖冬で雪も少ないというのに身長並に積もった雪があり
当時を考えると、その凄さが思い浮かびます。
395日本@名無史さん:04/01/24 00:03
>>393
台詞が聞こえにくいことは多々あるが、おれの場合「銀山」は普通に聞こえたな。
396日本@名無史さん:04/01/25 05:09
装備云々てよく言われてるけど、具体的にどんな感じだったんだ?
木綿のシャツに小倉の軍服って、言ってみれば長袖Tシャツに学ランみたいなもん?
手套は軍手だと思えばいいの?
で、足回りは靴下2枚重ねて藁沓(郷土資料館のたぐいでしか見たことない)?




それじゃあ死ぬ罠
397日本@名無史さん:04/01/25 14:01
>>396
木綿の襦袢と袴下(たぶん裏はネル)
羅紗の軍服
羅紗の外套

化学素材のない時代、綿か毛か絹しか選択肢がないわな
398okkii:04/01/27 22:18
無事に病院から帰営(脱走)致しました(^.^*)
昼も夜も病室に縛り付けになっておりまして、いささかくたびれました。

102年前の今日(1月27日)この時間帯、第31連隊は豪雪猛吹雪の中、
悪戦苦闘しながら田茂木野を目指し、行軍している最中であり、この後、
露営、長い一夜がまさに始まろうとしております。

また、この日の午前10時に後藤伍長が発見されており、駐屯地内は大混乱、
救援隊が組織され、5連隊の捜索が本格化します。。。。。黙祷(−−)

399白髪龍:04/01/27 23:06
>>398
okkiiさん、入院と聞いて、心配しておりました。お加減はいかがですか?
あなたはこのスレッドでは、ちょうど31連隊雪中行軍隊の
福島大尉のような役どころで、いまあなたに、なにかがあれば、
全員凍死です。どうか、御自愛下さい。
400日本@名無史さん:04/01/27 23:15

401日本@名無史さん:04/01/27 23:20
つーか、okkiiはなんで八甲田山好きなんだ?
本でも書く気か?
402okkii:04/01/28 07:25
>399
ありがとうございます。狭心症でしたがすっかり良くなりました、4月に再度検査のため、
入院しますがそれで終わりのはずです。ご心配をお掛け致しました。


>401
なんで好きなんですかねぇ。
「八甲田山死の彷徨」を読んだのが最初ですが、これは小説ですので史実はどうだったのか
に興味を持ったのです。多くの人が亡くなり、、さぞかし無念であったろうと、感情移入の激し
い私としては捨てては置けないと思ったのかな?、気が付いたらこうなっていました(^.^*)

本を書くなんてとんでもない、そんな恐ろしいことはまったく考えておりませんですハイ。
403白髪龍:04/01/28 09:55
>352
okkiiさん
「八甲田雪中行軍の光と影」では
「明治32年に弘前から大鰐を経由して秋田県小坂を経て、十和田湖に向っての雪中行軍」
とありますが、併掲されている「写真9」では小坂のあと、三戸(らしい所)と青森と
に白丸があり、その両者の間はどうやら東北本線らしくみえます。三戸に出て
そこから汽車で青森経由で弘前に帰ったというわけなのでしょうか?
404日本@名無史さん:04/01/28 11:28
今の極地用軍服って完璧なのか?
ゴアとかシンサレート使った近代的なものなのか?
405羅漢同盟:04/01/28 12:02
>>404
う〜ん、米軍なんかはシンサレートやポーラテックなんかつかってるが、
日本の自衛隊は、わからん。ゴアは使ってないのは確か。
同じ機能の国産代用品だったはず。
私物ではゴア入ったもの、使うらしいが。
406okkii:04/01/28 21:53
>403
私にも分かりませんが、白丸が宿泊地点をあらわしているとすれば、
三戸から青森まで一日の行軍には長すぎますのでお説の通り汽車を
利用したのではないかと思います。
当時の雪中行軍訓練では肝要な点を抑えれば良く、必ずしも完全踏破を
目的としてはいない様に思えます。

ちなみに、第五連隊の当初の雪中行軍の計画では、屯営三本木間を三日間で踏破
することでしたが、帰営は汽車を利用するはずです。
又、三十一連隊も十和田湖畔の通過が難しければ船を利用することも考えております。

この明治三十二年の雪中行軍が、どのような目的をもって実行されたのか詳細を知りたい
ものですね。

407日本@名無史さん:04/01/28 22:48
昔は化学繊維はなくても、毛皮とかフェルトとかあったろうに。
408日本@名無史さん:04/01/29 01:25
フェルト?
軍は羅紗を使ってるんだからそれでいいじゃん。
フェルトなんかより暖かいよ。
羅紗って知ってます?
メルトンともいう毛織物つまりウール。

毛皮なら外套の取り外し式防寒襟として軍の制式にもあった。
もし>>407が猟師のような全身毛皮スタイルのことを言ってのだったらそれは無理というもの。
どうやって調達するんだい?

ちなみに日露戦争では毛布を改造したごっつい外套が支給されている。
409日本@名無史さん:04/01/29 05:44
どうも初めまして。とある画像掲示板から来ました。
5連隊生存者の写真をみようと、アドレスをクリックした途端、パソがフリーズ。
再起動してもダメで、壊れたのか・・・と((((;゚Д゚)))ガクガクブルブルしておりましたが、
昨日立ち上げたら治ってました(´ー`)ノ

まてよ?1月27日って・・・まさに雪中行軍の日じゃぁ・・・

お線香あげておきました・・・合掌・・・
410日本@名無史さん:04/01/29 06:04
102年前の今日の記録です。

第31連隊雪中行軍隊は、この時間帯、田茂木野から青森駅前に向けて
疲れ切った足を引きずりながら行進しております。到着時間午前7時20分。

一方、第5連隊の救助隊はこの日も悪天候に悩まされ、救助活動、硝所構築の
作業も意のままにならず、辛うじて神成大尉の凍死遺体のそばに、第8硝所を
構築し神成大尉を収容。救助隊員は午後7時、田茂木野等に引き返し、分宿。
411okkii:04/01/29 06:09
名無しですみません>410も私でした(;^_^A

コンパス話の続編です。
生還した長谷川特務曹長の談話の中に磁石の関する部分があります。

磁石を出して見れども、磁針は傾いてまったく用をなさず、
いかに揺するも、その効果なし。
(救出後)病院に於いて(見るに)その磁石は用をなせりと。

やはり、凍結でした(+_+)
412日本@名無史さん:04/01/29 09:07
軍の需要でテンとか狸が大量に飼育されたんだよな。
413日本@名無史さん:04/01/29 11:22
ここは凄いインターネットですね
414日本@名無史さん:04/01/29 21:30
415日本@名無史さん:04/01/30 00:28
雪の進軍
作詞・作曲:永井 建子
著作権:消滅(詞・曲)

一、
雪の進軍氷を踏んで
どれが河やら道さえ知れず
馬は斃(たお)れる捨ててもおけず
ここは何処(いずく)ぞ皆敵の国
ままよ大胆一服やれば
頼み少なや煙草が二本

二、
焼かぬ乾魚(ひもの)に半煮(はんに)え飯に
なまじ生命(いのち)のあるそのうちは
こらえ切れない寒さの焚火
煙(けむ)いはずだよ生木が燻(いぶ)る
渋い顔して功名噺(ばなし)
「すい」というのは梅干一つ

416日本@名無史さん:04/01/30 00:56
♪雪の進軍 行李を引いて どれが川やら道さえ知れず
♪人は倒れる 捨てても置けず ここは何処ぞ みな雪の国
♪ままよ大胆 一泊やれば 頼み少なや テントが2張り
417okkii:04/01/30 12:18
102年前の今日(1月30日)の記録です。

この日天気晴朗、第7以南の硝所の構築に掛かる。
賽の河原付近にて、中野中尉以下36名の遺体を発見、全員を第8硝所に収容。
第8硝所に死体検案所を設ける。田茂木野第8硝所間に電信開通。

第31連隊は青森駅前の旅館を午前7時に出発。
石江、新城、戸門、を経て鶴ヶ坂にて昼食、
その後、大釈迦、杉沢を経て、午後4時8分浪岡に到着、

418日本@名無史さん:04/01/30 19:49
419okkii:04/01/30 20:49
第31連隊にあって、第5連隊になかったものに、鉈と鋸があります。
もし、これらが第5連隊に十分にあったならば、ということでタラ・レバの物語です。

平沢の第1露営地周辺には森林、小樹木があったとのことですから
掘削した雪濠の中に、切り出した木材を並べ、その上でカマドを
設置したなら炊飯もそれほど苦労もせず、また、隊員たちも半煮えではない
暖かくおいしい夕食を楽しんだはず、もちろんお酒も。
また暖の材料としての薪にも困らず、1雪濠に数箇所の焚き火も可能になる。
雪濠内に木材を並べて腰を降ろし、火に当たり手足の凍傷を癒し、仮眠も可。
従って早朝の出発をする理由もなくなり、天候の回復を待つゆとりも。

ここまでは自己独断的、非常に甘いストーリーも描けるのですが、この最悪の
天候は数日間続きます。そうすると、このあとがどうにもわかりません。

以下のストーリーは、どなたかご自由にやっちゃってください(;^_^A
420日本@名無史さん:04/01/31 02:08
>>419
タラ・レバでも、実際工夫のしようはあったとおもいますよね。
ナタもノコもなくても、銃剣で木を切り倒すことは無理だったのでしょうか?
枝なら十分切れそうだし、幹は弾をたくさん撃ち込んで蹴り倒すとか・・・。ムリ?
映画ではでっかい鍋をかついでましたが、その中に直接薪を入れて焚き火は出来なかったのでしょうか?

お馬鹿な空想でスミマセン。
421okkii:04/01/31 05:51
102年前の今日(1月31日)の記録です。

この日天気晴朗、鳴沢の炭焼き小屋にて生存者、三浦武雄伍長、阿部卯吉一等卒を発見。
鳴沢では水野中尉以下33名の死体発見。
午後4時頃、駒込川の断崖絶壁の下に山口少佐以下9名の生存者を発見、苦労の末
午後12時過ぎまでに第8硝所に収容。

第31連隊は浪岡を午前7時30分出発。
女鹿沢、藤崎、撫牛子を経て午後1時、和徳に到着。
その後、弘前市内を万歳の歓呼の声、歓迎の小旗の振れる中、喇叭の吹奏で迎えられ、
午後2時5分、帰営した。


>420
なるほどなるほど、釜とは気が付きませんでしたv(^-^)。
ただ、持参したのは銅平釜2、鉄鍋2ですので少し(だいぶ)足りない?
山刀が5振りありますが、せいぜい枝を切り落とす程度かな。
422日本@名無史さん:04/01/31 09:01
ヴォートカを一人2瓶くらい持っていけばよかったんじゃないの?
423日本@名無史さん:04/01/31 10:53
酔っぱらって裸になって凍死します
424okkii:04/01/31 17:18
>422
体の中から暖めるんだね、酒好きには最高だね。。。。けど天候が回復するのは30日とすると、
その間飲みっぱなし?1週間も?2瓶じゃ足たらんぞ(∂∂)♪。

最後にはアルコール中毒になってギブアップするか、>423さんの言われるように、裸になって凍死する
のが関の山か(´`;)
425日本@名無史さん:04/01/31 23:02
>>420
というか
焚き火はやってたんだけど数が少なかったから交代制だった
426日本@名無史さん:04/01/31 23:03
>>422
食い物くわないと余計に体力を消耗しますよ
427okkii:04/02/01 17:12
気象について分かる範囲で調べてみました。
天気予報が始まったのは明治17年6月1日。ということでこの日が気象記念日となっています。

「全国一般、風ノ向キハ定マリナシ天気ハ変ワリ易シ、但シ雨天勝チ」

これが日本で始めて発表された天気予報でした。予報をしたのは、当時日本にただ一人いた外国人
気象技術者クニッビングです。
そのころの天気予報は1日1回だけ、全国を対象とした簡単な内容です。

青森測候所は明治15年1月1日設立されております。
同測候所の明治35年1月23日の記録によると、この日は、雪で西方の軟風、夜は疾風となり、
気温は最低冷下8度7、最高零下4度5であった。積雪量は青森1・50b、幸畑2.40b
田茂木野3・10b、大峠4・00b。気象概況は23日より北海道から東北地方にかけて、
強烈な勢力の寒気団にすっぽりとつつまれている。
24日は全国の気圧が著しく上昇し、各地の温度が急速に下降した。北海道は記録的な寒さに襲われた。


以上ですが、疑問があります。
1、第5連隊は出発に先立って天気予報を調べたのか?
2、あるいは23日と予定は決まっているので、予報など見向きもしなかったのか?
3、そもそも、青森地方の天気予報はあったのか?


ちなみに現在の観測体制ですが、
昭和52年1月1日からアメダスが運用開始されて青森県内の観測体制は4要素(気温、風向風速、日照時間
、降水量)22地点となり現在に至っています。
また、昭和54年12月1日から積雪深計が順次設置されて現在の積雪観測は15地点となっています。

疑問について、ご存知の方がおられれば、お答えください。
428日本@名無史さん:04/02/01 17:13
寒いときに酒を飲むと血管が開いて体温の発散が早まり凍死の可能性が飛躍的に増します
凍傷の可能性は減るかもしれませんが

樹の枝ならともかく樹や幹を切り倒しても生木では暖は取れないというか燃えない
銃剣は刺すものであって切るものではないから斧や鋸のように使うことは不可能

タラレバなら例え半煮えであっても食べておくこと、缶詰や餅も凍り付いているのを
口の中で溶かしながら食べておけば少しはましだったかもしれない

あと体を動かして体を温めようとしたことが大きなミスだったと思う雪濠の
中でじっとしていれば凍傷は防げないかもしれないが凍死はあるていど
防げたと思う。
429428:04/02/01 17:19
あと最初の日の露営時に寝ておけば、結果はかなり変わったはず
430okkii:04/02/01 17:43
>428
> 寒いときに酒を飲むと血管が開いて体温の発散が早まり凍死の可能性が飛躍的に増します。

そうでしたね、忘れてました(^-^;

> 樹の枝ならともかく樹や幹を切り倒しても生木では暖は取れないというか燃えない

福島隊も生木が燻るため、結膜炎の隊員が続出したとのことでしたので、わかっては
いたのですが。。。枯れた木や枝をさがしましょうか。
史実でも、やはりさがしに行っているのですが、雪が深く道具もなく思ったほどの材料は
手にしておりません。

> あと体を動かして体を温めようとしたことが大きなミスだったと思う

そうですね、大きなミスです。本当は雪洞でも掘ってその中で体力の温存をし、天候の
回復を待つ、これしかなかったと思います。
431okkii:04/02/01 18:08
>429
眠ることは凍死につながる、とのことで第5連隊、第31連隊とも許してないんでね。
結果から見れば、寝た方が良かったかも。
現代のように寝袋でもあれば最高ですが。
432日本@名無史さん:04/02/02 02:01
雪が沢山あるのだから”かまくら”を造れば。
雪壕ってかまくらみたいなものかな。
433428:04/02/02 04:53
>432
このときの雪壕はただ穴を掘ったみたいのもので かまくら とは違うと思う

ちなみに雪壕には横穴と縦穴があるが縦穴は作るのが楽だけど温度は低い風を
多少防げる
横穴は作るのに手間はかかるが、中の温度は0度より下がらず風を遮断できる
かまくらは横穴で八甲田の場合は縦穴
434428:04/02/02 05:05
>431
どれぐらいの気温というか体感温度時で凍死するかはよく分かりませんが
初日は雪壕を作って一応火もあったのだから仮眠は取れたと思う、何もな
いような場所で、あの装備で熟睡すれば確実に低体温症で死亡だろうが。
435okkii:04/02/02 05:57
102年前の今日(2月2日)の記録です。

犬崩沢の炭小屋で、長谷川特務曹長以下4名の生存者発見
次いで田代元湯にて於いて最後の生存者、村松文哉伍長を発見
山口少佐死去。


>432
第5連隊の掘った雪壕は、幅2m、長さ5m、深さ2.5mで40名が入れる程度のもの。

寒気激烈、風雪いよいよ激しく、指先は凍えといった状況では、”かまくら”造りはたいへんかも。
その点、トンネルのような雪洞なら、なんとかなったのでは、と思ってしまうのですが。
436日本@名無史さん:04/02/02 12:42
>>435
圧雪してない積雪に横穴は掘れません。

かまくらも雪に多少の熱を加える材料がないと作れません。
437okkii:04/02/02 13:11
>436
略しましたが、カンジキで踏み固めた上でのことです。
雪の深さは分かりませんが、雪洞を掘るに不足はなかったと思われます。
また、雪質にも問題はなかったはずです。
438日本@名無史さん:04/02/02 13:34
パーティー(数人の)にスノーソーが1本、スコップは各人、ツェルト一枚、
これが雪洞泊を前提とした装備。
もちろん、マットとシュラフは必須。
冬用テントあっても、雪洞掘れたらその方が快適だよ。
雪洞掘れたら贅沢というモノさ。
439日本@名無史さん:04/02/02 16:16
>>437
初日に野営した所の雪の深さは6〜7m掘っても地面が見えないほどの深さだったそうです
440日本@名無史さん:04/02/02 16:47
>>437
だから無理だってば、10人くらいで青森いって踏み固めながら横に掘ってみ。

それが出来ないからみんな死んじゃうのよ。
441okkii:04/02/02 19:09
>440
縦に6〜7m掘っても壁が崩れないのであれば、その地点から横に雪洞を掘っても
いけるのではないかと思ったのですが、机上の空論でしたか(;^_^A

でも、いいですね、これだけ多くの皆さんがおられたとはヾ(@^▽^@)ノ
今後ともよろしくお願いしますね。私もいささかネタ切れになりつつありますので
お助けのほどを。。。ね。

442日本@名無史さん:04/02/02 19:26
>>435
田代湯元温泉って、目的地の夫婦が住み込んで守っている田代温泉
じゃないよね。谷底のひなびた温泉だ。温泉につかりながら救助を
待っていたろうが…腹が減っただろうな。
443okkii:04/02/02 22:06
>442
腹はねぇ。。。どうしょうもないかねぇ( ̄◇ ̄)ゞ
朝昼晩、温泉を飲めば、少々具合の悪いところは完治してしまいそうだが。。。
なんの答えにもなってないねぇね(^^; )

目的地の夫婦の住んでいる一軒家まで、5,6町(545m〜654m)だったが
空き家と思って元湯にとどまっていたらしい(300mと表示した資料も)
やはり、答えになってねぇ(ガッカリ)
444okkii:04/02/04 04:51
遭難兵士は生きていたのではなかったのか
これは「雪の八甲田でなにが起こったのか」の中で作者の川口泰英氏の説ですが、
私も、やはりなにかあったのではないか、と考えます。

弘大医学部麻酔科の松木明知教授によって、新たな資料が発見され、福島大尉は遭遇した
事実を、救助隊の木村少佐に対し報告していることが判明しており、川口泰英氏が著書の
中で、遭遇に関し、疑念を持たれたことがらの大半は、氷解したのではないかと思います。
しかしながら、次の点については未だはっきりしたことは、不明のままです。

1、「手を触れるべからず」との福島大尉の命令。
2、福島隊の隊員、松橋伍長は「この事だけは絶対言えないのだ」と死ぬまで秘密にしていたことがあった。
3、他の隊員、嚮導人及び記者も、その後この行軍のことについて、口が重かった。

通常、倒れている人を発見すれば、なにもせずに、通り過ぎるということはしないでしょう。
福島隊の中には見習い医官2名もいたわけですから、遭難兵士がいれば医官はその場で
できるだけの治療を試みたはずです。しかしこの兵士らの場合、絶望的な状況だったのでしょう。

自らの行軍隊員の疲労も甚だしく、凍傷患者が続出し、意識もはっきりせず、夢遊病者の
ように・・・といった極限の状況の中で、遭難兵士を救助する選択肢は大尉にはなかったと思われる。
また、隊員、嚮導人らも大尉の命令をやむをえないことと受け止めたのでは。

松橋伍長の「この事だけは絶対言えないんだ」の中身は、福島大尉の木村少佐への報告で、
未だ死にきってはいないにも係わらず、凍死体を見たと報告した点ではなかったか。
そのことが他の隊員、嚮導人及び記者の口を重くした原因になった。
嚮導人がながく口を閉ざしていたのは、福島大尉の命令もあるが、以上の余りにも厳しい現実の
前に沈黙せざるを得なかったのではないでしょうか。

資料がなく、検証もできませんが、その後の関係者の言動から、このような推測も有りうるかな
と、推理してみました。
445日本@名無史さん:04/02/04 13:16
446okkii:04/02/05 04:35
昭和45年の今日(2月5日)午後4時20分,
最後の生き証人、小原忠三郎元伍長が肝硬変のため亡くなられています。享年90歳。
3月26日、「吹雪の惨劇」の作者、小笠原孤酒氏の手によって幸畑の陸軍墓地に分骨され、
ここに行軍隊員210名全員が終結を完了。
447白髪龍:04/02/05 10:02
>446
終結(人生の)であり、集結(墓地への)でもありますね。
448okkii:04/02/05 20:21
>447
は-い。
あの事件以来、実に68年ぶり、全員が集合したことになりますね。
現在その墓地、資料館とも整備、工事の真っ最中のはず。

青森市のホームページによると、
幸畑墓苑、八甲田山雪中行軍資料館ともに今年7月オープン。
ぜひもう一度参拝したいと思ってはいますが。。。
449日本@名無史さん:04/02/06 05:07
450okkii:04/02/06 05:34

102年前の今日(2月6日)、神成大尉、鈴木少尉の遺体が荼毘に付されています。
山口少佐に比べてずいぶんとゆっくりですが、火葬場も混み合っていたんでしょうね。
それにしても少佐の場合はずいぶんと。。。
.
>449
清楚な資料館になりますね。
見落とした資料も多々あるようなので、ぜひぜひもう一度
451日本@名無史さん:04/02/07 00:14
資料館新築されたらオフ会やるか?
452okkii:04/02/07 07:02
>451
おー、いいすねv(^-^)
皆さんの賛同があればぜひやりたいです。
ただ、クリアしなければならない問題もあります(;^_^A
(前回、強引に一人でいったものだから未だに尾を引きずっています。うちの奥さん、だれか説得してくれ!)
453日本@名無史さん:04/02/07 10:52
冬の八甲田を歩いてみないか
454日本@名無史さん:04/02/07 18:09
>>453
山岳のプロと、万全な装備があればチャレンジしてみたいね。
455okkii:04/02/07 18:21
>453
ハッ、歩いてみたいと思います!
少し準備の時間を頂きたくあります。んでもって、ホッカイロを長靴の中、膝、腰、肩。
魔法瓶に熱いお茶を入れて、各ポケットに飴玉、キャラメル、チョコレート。
温泉に入るのだから、タオル、石鹸、シャンプー、整髪料、スキンクリーム、クシも必要だな。
着替えも入れなくってば、あと、正露丸、風邪薬。露営に備えて寝袋、ラジカセランタン、携帯電話も。
そうそう、保温弁当を3食とも持って\(^0^)/

お待たせしました。Okkii準備完了であります!
ん?誰もいない?
456日本@名無史さん:04/02/07 19:48
5聯隊と31聯隊の辿ったルートの
八甲田の地図どっかない?
457日本@名無史さん:04/02/07 21:33
いま、もっとも簡単に手に入るのは、
新潮文庫の新田次郎『八甲田山死の彷徨』に
添付されている地図でしょう。
458日本@名無史さん:04/02/07 21:42
なぜ馬立場という小山を超えたのかな?
そう高くないが急峻だ、迂回しても良さそうだが。
ソリも引き上げたんだろうな。
459okkii:04/02/08 08:50
>458
想像ですが、田茂木野ー田代ー三本木間の道が馬立場を通るようになっていたのでは。
また、馬立場は風が強い為、積雪が少なく、凍ってはいるものの、比較的通行しやすかったのではないかと思います。
25日に田茂木野方面を目指して引き返してくる際も馬立場を通っていますが、自分達の位置及び田茂木野方面の
確認に高地が必要だったのでしょう。

460日本@名無史さん:04/02/08 12:11
映画では”かんじき”の装備の違いが強調されていたが、初歩の装備
だと思う。5連隊は行軍にあたってあまりにも装備を軽視しすぎた?
461日本@名無史さん:04/02/08 16:35
ttp://toshi-joe.tsukaeru.jp/hakkouda.html
「八甲田山遭難悲話」のホームページです。映画「八甲田山」の音楽
をBGMにして、当時の行軍記録、参加将校の写真、美談集等が掲載
されてたので参考までに貼っておきますね。皆さんご存知かもしれま
せんが。
462日本@名無史さん:04/02/08 17:25
新田次郎氏の本にある地図は明治時代のもので、微妙に等高線とかが
違っているんですよね。だから、神成大尉が迷ったとも言えるのかも
ねぇ。上のリンクの地図と下の現在の地図を見比べてみてください。
かなり違います。

↓国土地理院2万5千分の1
http://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/nph-mm.cgi?mesh=6140071&res=0&offset=0&method=l?10,822

ちなみに、雪中行軍遭難者銅像があるのが当時の馬立場。田代平温泉が
目的地の温泉。田代元湯が一人だけたどりついた温泉です。
463日本@名無史さん:04/02/08 19:49
関学大生の捜索難航=「凍傷6人、衰弱も」と無線

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040208-00000618-jij-soci
464日本@名無史さん:04/02/08 21:48
>>463
俺も思った。
彼らは今まさに第5連隊実体験中。
465日本@名無史さん:04/02/09 16:29
関西大生、全員救出されたみたいだね。よかった。
やはり冬山はあなどれませんね。
466日本@名無史さん:04/02/09 20:02
なぜ雪山の登山が「競技」として認知されてるんだ?
毎年必ず何名か遭難するが、奴等は救助してもらえるのが当たり前のような顔をしていてむかつくぜ。
この競技は世間に迷惑をかけすぎだろ。
467okkii:04/02/10 05:56
>465
自己責任が問われてしかるべきだと思います。
今回も天気予報を無視あるいは軽視したのが原因のようですが、
102年前と違い、無線で連絡がつき、雪洞を掘り、救助を待って
いたのが全員の生還につながったようです。
それにしても、まぁ良かったです(´ー`)
468okkii:04/02/10 06:27
「吹雪の惨劇 第一部」の初版は昭和45年7月の発行。そして「吹雪の惨劇 第二部」は
4年後の昭和49年9月に初版が発行されています。
その15年後の平成元年8月に筆者の小笠原孤酒氏は亡くなられていますが、第二部の内容から
第三部の発行を予定されておられたのは必定です。

そして亡くなられるまでの期間、おそらくはその未完となっている第三部の資料集めに、奔走されたことでしょう。
そして、それらの資料は日の目を見ることもなく、小笠原孤酒氏のゆかりのいずこかに眠っていると思うのです。

筆者はこの著書の中で、『隊員同士の会話』という手法を多く取り入れ、集めた資料を本人に語らせています。
ここに語られているのは、妻、子供、父母、兄弟、婚約者、エピソード、養子、女中、郷里の祭り、
各将校の在学考科表、等々で微に入り細に入りといった内容です。これらの内容が史実であるのか、
筆者の創作も入っているのか、残念ながら私にはわかりません。しかし、承知しているいくつかの内容は
符合することがほとんどで綿密な考察に基づいた記述であることはわかります。

願わくば、日の目を見ることもなく眠っているであろう資料を探し出し、世に公開してもらいたいものです。
さらに「吹雪の惨劇 第三部」として発行が叶うものであれば、筆者への供養、これに勝るものはないと
思われますが、いかがでしょう。
469日本@名無史さん:04/02/10 13:42
>>466
生還した場合は捜索にかかる費用は当人負担でしょ。

ヘリ3台とかを3日程待機させたので1億くらい請求行くんじゃないの。
470日本@名無史さん:04/02/10 14:38
>>469
朝のニュース曰く、民間ヘリを使用したわけじゃないので請求なしだと。



知事が言っていたらしい。
471日本@名無史さん:04/02/10 15:09
結構やばげな状況だったのに防災ヘリとか出したんですか。
「14人」って人数が効きましたかねぇ。
民間じゃないってことは逆に「山岳救助の素人」ってことですからね。
なんでそんな危険を冒して公共物使ったのか興味有りますね。
472日本@名無史さん:04/02/10 15:20
費用請求されたとしても、最近の大学の部活動なら、山岳遭難保険に
加入してるんじゃない?
473日本@名無史さん:04/02/10 16:11
経費ヘリ3500万らしい
474日本@名無史さん:04/02/10 18:00
しかし山岳部じゃなくてワンゲルだろ。
やっぱなめてたんじゃないの。
475日本@名無史さん:04/02/10 18:19
実際に、馬立場から田代元湯まで
歩いた人いる?
476日本@名無史さん:04/02/10 19:44
>>471
空自の救難隊も素人ですか…
477日本@名無史さん:04/02/10 20:14
田代元湯がダムに沈むそうですが、
公共事業縮小で延期になった?
478日本@名無史さん:04/02/10 21:54
関大の件、あるマスコミは無謀と非難、フジの登山家さんは不可効力と全く反対の意見。
どっちなんだろう。

費用は海は海上保安庁という国の機関なのでただ、山の方は民間人も捜索隊などに参加するので金がかかるとか言うけどな。
479日本@名無史さん:04/02/10 22:27
今の若い奴らは知らないだろうが、70年代の登山ブームの時なんか、
1年にこういった遭難騒ぎがいくつかあって、必ず何人か死んでたよ。
無謀な冬山登山に昔は結構チャレンジする人がいたんだ。ただ…昔は
今みたいに人工衛星による気象予報がなかったから、自分でラジオ放送
から天気図をつくりそれで判断してたんだよね。
480日本@名無史さん:04/02/11 01:56
映画「八甲田山」が公開されたのは中三の時でした。
最初「雪山で兵隊が大勢亡くなった」ということしか知らなくて、
「なんか冬に東北の方の雪山で戦闘があって、戦死者が大勢出たんだな。」
なんて思ってたのですが、
後になってから「演習で亡くなった」と知ってびっくり。
練習でそんな大量の死者を出しちゃったのかよー!って。
481okkii:04/02/11 07:32
冬山登山をされる方は「八甲田山死の彷徨」の読破を必修としてもらいたいと、
遭難報道を見ながら思ってしまいました。




ポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認する神成大尉が「吹雪の惨劇」に描かれています。
そこで当時の時計事情についてです。

明治6年の定時法移行後に機械式懐中時計が少しづつ普及しはじめました。
国産は明治28年からですが、それまでは輸入品のみです。

第一次世界大戦後から腕時計が主流となって行きます(現在のような腕時計の国産は大正2年からです)。
欧米では1900年初頭には懐中時計が主流で、腕時計は殆ど出ていないのですが、
日本では明治35年に腕時計の使用が始まり、ちょっとしたブームとなったようです。
ただ、腕時計といっても懐中時計に腕巻き皮を付けたものですが、欧米よりかなり早くに
腕時計化がはじまりました。
 
明治30年(1897)の読売新聞の漫画「当世百馬鹿」に腕時計を見せたがる人の図があり、
1904年の日露戦争では日本の軍人が腕時計をした写真が残っています。
482okkii:04/02/11 18:31
>475
実際に、馬立場から田代元湯まで歩いた人いる?

反応がないってことは、どなたも歩いてはいないってことかな。かくゆう、私も資格なしです(^^; )。
平沢の第一露営地付近から、新湯に行こうとはしたのですが、途中、木の根っこに

「田代元湯〜田代平温泉間は橋流失のため、通行できません」

と書かれた古い看板が立て掛けてあり、ここでUターンしてしまったのです。
元湯だけでも行っておけば。。。。残念だ!

483日本@名無史さん:04/02/11 18:38
田代元湯は、秘湯って感じでHPにいろいろあります。
旅館もあったみたいですし。
484日本@名無史さん:04/02/11 18:55
>>481
神成大尉が腕時計派だったら、手首がひどい凍傷になっただろうな。
冬山登山でも、襟元の金属性ジッパーが当って首に凍傷をおこす場合もあるから。
485日本@名無史さん:04/02/11 19:14
>>482
かなり昔だけど、第一露営地あたりから、歩いてだったらあるよ。
なかなか熱いお湯でいいかんじだった。旅館も当時はすでに自炊し
かできなかったと思った。お客さんは結構いてびっくりしたが、
脱衣所の右下に、「混浴だと期待して来たのに、ババアばっかりで
がっかりした」なんて落書きが…。そんなもん期待する場所じゃな
いぞ(笑)
486日本@名無史さん:04/02/12 04:00
田代元湯に関する色々なサイト見てみましたが、
ホントに秘湯中の秘湯という感じの所なのですね。
通信手段も無く、常駐している人も居なくて、一人で行くのはちと怖い。
…そうか、彼等はここを目指していたんですね…。
487okkii:04/02/12 06:13
>486
いえ、目指していたのは新湯のほうです(元湯と書かれたサイトが多いですけど)
田代平温泉と表示されたのが元の田代新湯です。
当時は一家族の住居と夏季浴客のための棟があったようです。
488日本@名無史さん:04/02/12 18:35
>>476
素人でしょ。
山岳救助の民間ヘリみたくいっつも訓練してる訳じゃないから。

「軍隊で鍛えてるから大丈夫に違いない」な〜んて甘い考えをする人が
まだこのスレにいるとは驚きです。
489日本@名無史さん:04/02/12 20:10
目指してたのは田代平温泉の方だったのか
490okkii:04/02/13 05:42
第5連隊絡みの史跡は多く残されていますが、福島隊の史跡としては、熊ノ沢の雪中行軍記念碑のみで
さびしいものがあります。
昨今はハイキングブーム、山歩きと称して多くの人々が山に入っています。
福島隊の通った弘前から十和田湖周縁の道は、写真を見る限り、風光に恵まれており、これをぜひ、雪中行軍の道
として整備してはいかがかと思うのです。

屯営跡地を出発点として、堀越村、唐竹、黒倉山(現在の矢捨山)、十三森台、葡萄台、小国、琵琶平、切明温泉、
岩獄森(現在の岩ヶ岳)、元山峠、銀山、第1猿ヶ鼻、第2猿ヶ鼻、発荷、休屋、そして宇樽部まで。

福島隊が立ち寄って記念写真を取った堀越村の菊池邸、大尉らの泊まった銀山の宿は幸いにも現存しており、
観光スポットにもなりましょう。

明治の陸軍草創期に、このような歴史のひとこまがあったことを、後世の人にも知っていただきたいものです。
また、町おこしの一環として、観光資源として、意義のあることだと思います。
491476:04/02/13 12:44
>>488
一応救難専門部隊なんですけど・・・
墜落したパイロットを山だろうが海だろうが、
一刻も早く救出するつー目的で存在する部隊だし。

そりゃ、陸自の師団飛行隊とかは素人だろうけどさ。
492日本@名無史さん:04/02/13 21:18
ひとこと多いと、こういうことになるわけでつね。。。

493白髪龍:04/02/14 13:50
okkiiさま
2002年に弘前大松木教授によって発見・発表された第五聯隊木村少佐による報告書中に、福島大尉の言として、
「午後四時頃、(……)通路ノ左右ニ各一人ノ兵卒凍死セルヲ見ル。(……)内一名ハ確ニ喇叭手ナリシガ 云々」
とあります。ところで、二体の凍死体のうち片方は喇叭手だったということは、すでに新田次郎氏の小説中にも
書かれています。単なる偶然の一致とも思われません。新田氏は、いったい何処で(あるいは何から)その情報を
得たのでしょうか? のちに川口泰英氏の本に引用されている何人かの関係者(行軍隊員・記者・案内人)の
証言にも、「喇叭手」ということは出て来ていないようです。新田氏の作品以前に「喇叭手」のことに触れた
証言が、何かありましたでしょうか? 御教示いただければ幸いです。
494白髪龍:04/02/14 15:41
さきほどお訊ねの書込みをした直後に、
東奥新報HPで

「午後二時ごろ曇りながらも太陽の光に恵まれる。
この時一挺(ちょう)の三十年式歩兵銃を拾ふ。
不思議なるこの銃、而(し)かも風雪強烈の原頭に
些細(ささい)の柴木に托(たく)されたるまま
銃口を真上にしてあった。…(中略)氷山を越して
枯草まじりの雪中に体半分埋もれたる兵士二名の死体あり、
一人は喇叭(らっぱ)手らしく、今一人は防寒外套(がいとう)
を着け…これと数米突(メートル)離れて倒れ打伏して
顔はみえざりしも正しく軍装を整えたる兵士で…」
 青森歩兵第五連隊と逆回りで八甲田越えに挑んだ
弘前歩兵第三一連隊の伍長だった泉舘久次郎が、
遭難事件から三十年以上たった一九三五年にまとめた
小冊子「八ツ甲嶽の思ひ出」(二十二ページ)に、以上の記述がある。

という記事をみつけました。新田氏の拠ったのは、これかもしれませんね。
他にも、お気づきのことがあれば、おしえてください。
495日本@名無史さん:04/02/14 18:12
ラッパはずそうとしたら、唇ごと取れたんだろ
496okkii:04/02/15 05:46
>494
「八ツ甲嶽の思ひ出」は知りませんでした。有難うございます。
このことを新田次郎氏が知っておられれば、これに拠ったのかもしれませんね。


新田次郎氏は「八甲田山死の彷徨」を起草する際、「遭難始末 歩兵第五聯隊」を資料としておられますが、
その中に、救助隊によって4月3日、賽の河原で発見された春日林太夫二等卒は、喇叭を身辺に置いていた、
との記述がみられます。
新田次郎氏がこのことを念頭において書かれたのであれば、福島隊と結びつけることもあったかな、とも思います。


雪中行軍に参加した喇叭手は二名で、もう一名は芳賀卯一郎二等卒です。同じく賽の河原で発見された時の
状況は「銃ヲ帯革ニ堅ク挟ミテ保持シタル儘斃ル」となっており、喇叭のことには触れられておりません。
よって、凍死体の傍には無かったものと思われ、福島隊が発見したのは、春日林太夫二等卒ではなかったかと
思われます。
497白髪龍:04/02/15 07:20
okkiiさん
御教示有難うございました。
第五聯隊の二人の喇叭卒についてくわしくわかりました。
泉館久次郎のについては、この前書きました東奥日報の
遭難100年記念特集記事
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2002/sechukougun/0127.html
に、
 同書の存在は研究者らには知られていたが、実物は
 ほとんど確認されていなかった。所有していたのは
 元陸上自衛官(第九師団第五連隊勤務)の
 渡辺昭治さん(69)=埼玉県川越市=で、昨夏、
 同師団に寄贈している。
とあって、なかなか得難いもののようですね。でも、新田次郎は
『八甲田山死の彷徨』執筆に際して、誰かから借覧したのかもしれません。
あるいは、おっしゃるように、遺体発見位置から推定して、ああ書いたのか。 
いずれにせよ、早速の御回答、感謝いたします。
498日本@名無史さん:04/02/16 14:54
>>476
ひつこいですねぇ。
山の遭難に関しては民間の救助ヘリが一番の専門家なので多くの場合ここに
依頼がいくのですよ。
貴方が自衛隊がよいと思うなら今から「遭難したら自衛隊のみでお願いしま
す」と遺言されて山に入られると良いでしょう。
捜索費用も請求されないようですしね。
499日本@名無史さん:04/02/16 16:01
>>498
ひつこいのは498だとおもわれ・・・
500500:04/02/16 20:15
天は我々を見放した
501okkii:04/02/17 06:22
>477 田代元湯がダムに沈むそうですが、公共事業縮小で延期になった?

お答えが随分と遅れてしまいましたm(_ _)m
駒込ダムはその目的を、青森市街地を洪水被害から守ること、既得用水の補給等駒込川の流水の正常な機能の維持を図ること、
及び発電、ということで計画されているものです。。
昭和57年度に実施計画調査に採択され、これまでダム建設の位置の選定、ダムの規模、地形・地質等々の調査解明が行われ、
平成12年11月、駒込ダムのダムサイト及びダム形式について、国の承認を得ています。

建設位置は馬立場の銅像の東、約1km地点。その川沿いには既存の道路がなく、斜面の状況は約50度前後の急勾配、
また、地質的には基礎岩盤を構成する岩相が複雑に分布、といった悪条件のため、測量や調査及び設計等については
実施していますが、工事用道路やダム本体工事は未だ手付かずの模様、完工時期も不明となっています。

今のところ、ここまでしか分かりませんでしたが、全国的にダム工事見直しが叫ばれている昨今、
この工事がこのまま進んで行くのかどうか、今後とも注視していく必要がありそうです。


(私見)
田代温泉を水没させるなんて絶対ダメ、許さん(*'へ'*) 
なぜならば、おれは1回も入浴してないのだ、1回もだ!(うん、なんとりっぱな意見だ)
502日本@名無史さん:04/02/17 20:35
神成さんって、読み方は?

かみしげ?
かみなり?
503日本@名無史さん:04/02/17 21:02
かんなり
504日本@名無史さん:04/02/18 20:12
新田さんの小説、夢と現実が交錯する所がなぜか臨場感あって泣ける。
助けが来たと思ったら妄想だったあたりは哀切きわまりありませんね。
505okkii:04/02/19 07:00
第31連隊員の平均体重は出発時、15貫966匁(59.87kg)
帰営後の平均体重は15貫850匁(59.44kg)となっています(八甲田山から還ってきた男)

622g減少してはいますが,このぐらいは少し運動をすれば減る程度のこと。
11泊12日の雪中行軍をしたとは思えないほどです。

一月二十七日、増沢を出発し、一月二十九日、田茂木野にたどり着くまで、
眠らずの四十数時間は相当体力を消耗、体重もかなり減少したはず、
にも拘らずこの程度の減少であったのは、それまでの行軍で逆に体重が
増えていたのではないかと思われる程です。

二十日に屯営を出発してからの行軍自体は、苦労の連続だったのでしょうが、
早めに宿泊予定地に着き、給養、睡眠を十分に摂っていた証しになると思われます。
こんなところにも福島大尉の余裕のある行軍ぶりが伺えて興味深いです。
506okkii:04/02/19 20:57
>504
その夢と現実がわからなくなり、いわゆる妄想を全員が見るということは、
このあたりまでが人間の冷静な判断の限界だったというでしょうか。

小説では集団幻覚と表現していますが、極度の疲労の末のこと。
ここまでくると、どうにも救いがない感じで、読んでいてつらいですo(;△;)o
507日本@名無史さん:04/02/19 21:04
この時の師団長立見尚文は名将中の名将。

戊辰戦争では、雷神隊(幕府軍第三連隊の別名)を率い、
官軍に手痛い打撃を与えてた。

日露戦争では、ロシア八個師団に囲まれ窮地に陥った秋山好古率いる第一騎兵旅団を
救出する。
508日本@名無史さん:04/02/19 21:55
>506
その部分もさることながら、神田さんが亡くなる直前の個所も泣きました。
夢から覚めた時、やっとここに助けが来たと思ったら、やはり夢だったなんて。
ところで田代に行く道が間違っていたと気づいた時、
同じ道を返すことは不可能だったんですか?
509日本@名無史さん:04/02/19 22:08
>>508
ホワイトアウトになると来た道どころか自分がどっちの方向に歩いているかも確認できないで彷徨することになる
まあ銃剣なり雪に埋もれないものを突き刺して目印にすることもできなくもないが
当時の軍隊でそれやるのは不可能に近いだろうな
510okkii:04/02/19 23:09
>509
方向を知ることのできる、随一の味方のコンパスも凍結では動くことはまったく不可。
天候が回復するまで、雪の中にもぐり込むしかなかったのに;;;
511日本@名無史さん:04/02/20 15:03
この八甲田の遭難が明治35年
明治初期より欧米人による日本山岳登頂のこころみがあり、
それに触発された日本人による近代アルピニズムの輸入がはじまった。
 明治24年 ウェストンが冬期富士山に登頂(積雪期なら明治8年)
 明治28年 気象研究家・野中至が厳冬期の富士山に初登頂
 明治38年 小島烏水らによる「日本山岳会」創立
それと並行して、軍隊においても陸地測量部による三角点設定のための登頂が相次いだ。
 明治26年 白馬岳、前穂高岳、御嶽山、八ヶ岳に登頂
 明治27年 千島探検隊による占守島での越冬(後に南極探検を試みた白瀬も参加)
 明治40年 測量官柴崎芳太郎らが剱岳に初登頂
この様に民間、非用兵部門においては山岳・厳寒地に対するノウハウはある程度蓄積されていた筈だ。
しかし、それらを集約して研究し、軍隊のスキルに反映させる能力が欠けていたのではないか。
軍のプライドと秘密主義・専制主義の害、田茂木野で道案内を断ったのが山口少佐の言動が全てを物語っている気がする。
512日本@名無史さん:04/02/20 19:04
>>511
そりゃ専門家という存在を無視した素人論だな
一部の優秀な山登りが出現したとて数年でノウハウが伝播するわけではない

一部の優秀な部隊が出現すれば数年で国民全体を超精鋭の民兵とすることができるというようなもの
513428:04/02/21 05:35
関係無いかもしれないけど、当時の軍部の官僚軍人のトップは
みんな雪を見たこと無いような連中だから雪山の恐ろしさなんて考えていなかったのでは?

寒さの危険性は知っていたかもしれないけどね
514okkii:04/02/21 08:27
>511
貴重な資料有難うございます。このように発表していただけると、当時の記録状況がわかり助かります。
読んでみて感じたことを。

「われ、八甲田より生還す」によれば、福島大尉は弘前に着任後、東西の雪中訓練、戦闘に
ついての文献を取寄せ、片っ端からから読破していたとのこと。
ご紹介の寒冷地での文献があったかどうかについては不明ですが、蓄積されたノウハウは
取り入れようとしたことは事実のようです。

ただ、こういった研究は未だ始まったばかり、陸軍としても北国の連隊がそれぞれ独自に研究しており
一つの連隊の研究または調査報告が即、他の各連隊に取り入れられる状況ではなかったようです。

ご指摘の山口少佐の言動については、どうなんでしょうねぇ、硬直した威厳主義も見え隠れしますが。
関大の遭難した学生の言葉に自分だけは大丈夫だと思ったとの反省がありましたが、山口少佐も
同様に考えたのでしょうね。
515511:04/02/21 12:41
>>514
山岳のノウハウは文献だけで習得できる物ではありませんし、
スポーツとしての登山技術を即用兵に転用できる物でもありません。
登山でも初心者の育成過程として、最初から困難な山に挑ませない、
優秀なリーダーの下に中堅メンバーがいて初心者の率を多くしない、
荷物は多くしない、行程・目標に固執せず柔軟な対応をする、
といった配慮が必要です。
青森歩兵第五連隊の場合はどうでしょう、
まず軍の命令(非公式だったのかな?)として遂行を求め、
ほとんど予測不能の地帯の踏破を命じ、
実績のない上官が多くの兵を引率し、
銃などの不用かつ重い装備を持たせ、
エスケープルートの構想もなくただ突入した。

軍が本当に極寒地における用兵ノウハウを欲するなら、
もっと段階を踏んで研究・実践すべきでしたね。
こんなのは、物の手順を知らない人間の思い付きに見えます。
516日本@名無史さん:04/02/21 13:21
>>515
日露戦争を想定してなきゃもっとゆったりとした訓練を計画したかもしれんけど
軍事訓練だから
517okkii:04/02/22 16:12
第五連隊の出発前日、軍医から参加将校に対し、凍傷予防とその処置法についての注意がありました.
その中に「手、指、鼻、足其ノ他全身諸部ノ寒冷凍結スル際ハ、先ズ雪片次ニ布片ニテ摩擦シ、
其部赤色ヲ呈スルニアラザレバ、火気ニ暖メ又ハ温湯ニ入ルベカラズ」と、述べられた箇所があります。

ところが、現在の処置法によると、
1、手、足、耳たぶ、鼻先といった部分的な凍傷の時は、最初患部をぬるめのお湯で徐々に温めます。
2、次に熱めのお湯(42℃前後)で20〜30分凍傷の部分を温浴し、血液の循環を良くしてから新鮮な布で
   覆って早く医師の診察を受けます。雪や布で摩擦したり、炭火等で直接暖めてはいけません。

となっており、処置の方法がまったく逆です。当時未だ試行錯誤の状態だったということでしょうか。



追伸、 唐辛子を購入しました。
「われ、八甲田より生還す」に唐辛子の粉を足に擦り付けて寒さに耐える法、が紹介されています。
本当に効果があるものかどうか実際に確かめたいと思います。寒波の来るのを待って実行するつもり。
乞う、ご期待!
518日本@名無史さん:04/02/22 22:53

今夜の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ 二・二六事件 煙突男
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1077438324/
519428:04/02/23 07:35
>唐辛子の粉を足に擦り付けて寒さに耐える法

秀吉時代には凍傷対策として朝鮮での明との戦争時に重宝されています。

このとき日本が唐辛子を朝鮮に持ち込み、朝鮮でも唐辛子の栽培が始まりました。

唐辛子の粉末を足にこすり付けて血行を良くする方法は雪国では割と当たり前に言われている
ことだと思うのですが・・・

でもここ(神奈川在住)の友人たちは誰も知らなかったみたいだ
520日本@名無史さん:04/02/23 18:48
>>517
唐辛子を触った手で首筋などを触るとヒリヒリするよ。
目なんかこすった時には大変だ。
気をつけろー
521okkii:04/02/23 19:54
>519
いやぁ、雪国では当たり前でしたか、知らないもんだから(^^; )
なにごとも経験ですので、片足だけでも。。。

>520
はい、了解です。しかしなんだか恐ろしいことになりそうですね(^.^*)
522日本@名無史さん:04/02/23 21:12
俺はトラックの運転手なんすが、豪雪地帯で地吹雪にあうと、
ホワイトアウトっていうんすか、
とにかく高速道路ですら前方がわからなくなることあるっす。
そんで雪が横向きだから平衡感覚もなんなるっす。
八甲田山の方々も前は見えないし方向も平衡感覚もなくて、
その他に寒さと空腹と疲労が追い討ちかけてたんすね。
長距離を夜通し走ってると、眠気で一瞬頭が真っ白になるっすよ。
俺は車ん中だから止まって寝れば問題ないっすが、
お亡くなりの方の多くは眠って雪の中に倒れてしまい、
そのまま凍死してしまったんでしょうか。
八甲田に行くことあったら手を合わせて来ます。話それてスマソ
523日本@名無史さん:04/02/23 21:14
731部隊では凍傷実験(人体実験)をやってるよね。
腕を寒風で凍らせておいて、いろいろ治療方法を試みるという。
524ほん怖クラブ:04/02/23 23:20
さあ、今夜も恐怖幽便を読んでみよう。ハイ、吾郎さん!

これは越後の平野部に住む僕のおじさんの子供の頃の恐怖体験の話です。
昔は雪がかなり積もったけど、今は温暖で降っても積もることが少なくなったそうです。

南側に広がる田んぼは雪で白いグランド状態に変化し、小さい川も埋もれる程で、
温度が下がった時は日が照らなければ、かんじきも履く必要も無く、思いのまま
歩けたそうです。さーて探検だと、どこまでも南進した。平坦なので、どんどん
歩けた。急に吹雪になってホワイトアウトの状態になった。戻らなきゃと思って
逆方向、つまり足跡をたどって北に向かった。すぐ東側は線路が走り、西の先には
工業団地が見えるはずなので迷うことはないと思った。だが、自分の足跡が新雪で
埋まってわからなくなり、勘で歩くしかない。そろそろ家並みが見えてもいいはず
なのにまるで見えない。どうやらグルグルと回っているようだ。やばい、このままでは
疲れはてて死んでしまうと思ったそうです。その内、ようやく見覚えのある木々に到達し、
帰るべき方角が修正できて、家が集まっている方向に向かうことができたけど、
想像通り見当違いの方角をさ迷っていたそうで、吹雪は本当に怖いと思ったそうです。

あ、雪女が現れて云々があるんですが割愛しました。
525日本@名無史さん:04/02/23 23:31
旭川
猛吹雪
女子中高生
ミニスカ
第5連隊よりすごい
526428:04/02/24 09:47
>525
いろんな意味でそりゃ凄いな

というか女性ってあんな足をさらすような格好で寒くないのだろうか?
527okkii:04/02/24 14:28
>>523
石井部隊でしたかね、人間を丸太に例え、1本2本と呼んでいたのは。
戦争になればこんな狂気沙汰の行為も許されると思ってしまうのか。
恐ろしいことです。


>>526
そりゃあ皮下脂肪でしっかり防寒されているので強いはずだ。
五連隊がもし、女性ばかりだったら・・・
ふと、アザラシやセイウチを思い浮かべたが、これ以上書くと
セクハラか(∩_∩)
528日本@名無史さん:04/02/24 23:10
スターリングラードの攻防戦の再放送を見たけど、ドイツ兵が
かっちんかっちんに凍っていた映像は凄かった。白黒だけど
バナナが凍って真っ黒になっている感じ・・・
八甲田山の兵隊もそうだったんかなあ。かわいそうに。
529日本@名無史さん:04/02/25 02:52
>>522
23日の北アの安房トンネル付近もすごかった。とにかく人間の方がどんどん
山に近付いているから、車のままでも普通に遭難しかねない。
1月の大雪の時も北陸高速の駐車場でひとり死んでいるから気をつけて下さい。
だいたい吹雪の時の雪は空気を大量に含んでいてアワのようだから、
腰までの深さでも、歩くのはもちろん、立っていることもつらい。
530日本@名無史さん:04/02/25 11:38
731部隊のOBがつくったのがミドリ十字
エイズやC型肝炎ウイルスを蔓延させたのは人体実験が目的か?
531日本@名無史さん:04/02/25 20:21
>>529
お気遣いありがとうございます。北陸方面にはまず行かないんすが、
山形や岩手はしょっちゅうっす。この前も吹雪にやられました。
そうか……吹雪の中を歩くんでは普通の何倍も体力使うから、
八甲田の兵の苦しみは想像できないもんすね。
歩き疲れても吹雪の中で立ったまま休むんでは余計寒い、本当に救いがないなァ。
532okkii:04/02/26 21:25
捜索隊の隊長木村宣明少佐から福島大尉宛の手紙が残されております。その中に

「御内示之件、敬承。先般モ右ノ風説ヲ耳ニシタル事アリ。取締上、十分注意相成居候ヘ共、尚連隊長迄申上、・・・・」

の一文があります。御内示之件の中身が気になります。このことをどのように理解したらいいのでしょう。
尚、封筒に書かれた日付は5月29日です。遭難兵士の捜索が全て終った翌日に、この手紙はしたためられております。

福島大尉が木村少佐に内示することといえば、
1、 救助に関する助言
2、 遭遇に関すること

他に、銃を焼き背嚢を燃やしたとする風説、もあろうかと思われますが、福島大尉が進言(内示)することではない
ように感じます。「風説ヲ・・・」以降の文書からは遭遇に関することしか思い浮かびません。

福島隊は八甲田で第五連隊の凍死兵を発見したものの、自らも遭難一歩手前と思われる極限の状況の中、救助
することもかなわず、結局、放置したまま行進し、田茂木野に辿り着いています。福島大尉はことの一部始終を
木村少佐に報告していますが、この「遭遇はしたものの救助せず」がおおやけになれば、とかくの風説は避けられない,
との判断を陸軍はしたのではなかったかと思うのです。
それがため一切遭遇しなかったことにしようとしたのではなかったか。

そうする上で問題のある新聞雑誌等はこれを回収し、ことの隠蔽化を図ろうとしたのでは、と考えるのです。
(事実、東奥日報の行軍日誌を掲載した紙面の1月28日以降8日分連続して欠けていますし、遭難事件を記載した本も
かなり回収されたようです)
他に資料もなく、偏見に満ちたものかもですが、このようなこともありうるかなと思いました。
533日本@名無史さん:04/02/27 14:50
ありうるもなにも国防に関わる重大機密を情報操作するのなんか当たり前のことで
それが何だって言いたいのかよく分からないんですけど。
534okkii:04/02/28 00:16
>533
先ずはレスをいただき有難うございます。最近は言いっぱなしが多いものですから
内容はともかく反応をいただけることはありがたいです。今後ともお付き合いくださいね。

さて、その肝心のお話ですが、
このような重大な事件になればなるほど、真実の姿を明かにし、今後の教訓にすることが非常に大切であります。
軍に限らず私たちは自分の不利になること、或いは責任を問われることについては臆病であり、出来る事なら
掩蔽したいと考え勝ちです。だがそれではこの悲劇がその後の行軍に生かされることは望めません。
すべての史実を机上に出し、その中から問題点を明らかにしてその可否を論じることは、歴史を語るものとして
当然だと思いますが、いかがでしょう
情報操作を当たり前と考え、その裏にある真実に思いを致さないということでは史実には近づけないように思われます。
今回の投稿とは余り関係のないことを述べておりますが、私の基本的な考え方を知っていただきたく、あえて申し上げました。

まぁ、私の投稿は後に読み返して見て、なんだこれはと、取り消したくなることも。また身の細る思いをすることもあり、
その点はご容赦いただきたく思いますが(;^_^A
最近はネタ切れのため、今後少々怪しげな説を持ち出し、皆さんを煙にまこうとするかもです。
今後ともお気づきの点があればどしどしご指摘ください。そしてこの板を活性化していきたいと思っています。
535okkii:04/02/28 06:55
102年前の今日、鈴木守登少尉の葬儀が出身地の青森県上北郡法奥沢村で
村葬式として執り行われております。
八甲田山に近い山村で生まれ育ったが、八甲田山に登ったことはなかったとの記述がありました。
この行軍隊員中もっとも田茂木野に近い行路上で、1月31日遺体が発見されております。
536534:04/02/28 11:46
だからあなたが勝手に真相を暴こうとすることも、新田二郎が適当な想像
を交えて商業本を出版することも自由ですが、「軍が軍機を秘密にするのは
当たり前(秘密ではない軍事機密ってなんだよ)」ってことだけですよ。
そんなとこ責めてもしょうがないでしょ、それが軍隊なんだから。
537日本@名無史さん:04/02/28 15:46
死者が出れば家族がある以上隠し通せる物でもないので事故そのものについては公表しただけということですな。

現在でも自衛隊機が墜落などした場合その事故そのものと、死者・負傷者の好評はされるけど、原因や対策などは
殆ど公開されていませんからね。

もちろん内部的には原因究明も対策も講じられいるはずですが。
538日本@名無史さん:04/02/28 22:13
八甲田山で訓練を受けた福島大尉も日露戦争で戦死。
日露戦争も八甲田山以上の悲劇だ。
539okkii:04/02/28 22:28
>536
攻めてもしょうがない、とはとても思えませんね。
例えば軍の発表が自らのミスを覆い隠し、責任を転移してしまっているとします。
それをそのまま受け入れる場合と、それを指摘し糾弾し、改善を求める場合とは雲泥の差でしょう。
もっとも、今回は102年前の事件ですので、改善を求めると言ったってどうしょうもありませんが。

>537
ええ、単なる技術的な問題で、その対策も確実に行い、今後は問題なしということであれば何も問題はありません。
しかし、人為的イージーミスに起因するような場合が一番問題で、内部でしかも身内同士の対策はえてして安易に
流れることも多いかと。考え過ぎかもしれませんが。

>538
ほんとうに、
日露戦争さえなければ、八甲田の悲劇もなかったでしょうし、多くの人々の人生を狂わることもなかったかと。





二つの連隊の遺跡を知りたく「戦争遺跡の辞典」を借りてきましたので関連する事項だけ書き出しておきます。

  名  称                  所在地
歩兵第五連隊兵舎         青森市浪館字近野45
幸畑陸軍墓地            青森市大字幸畑字阿倍野163
歩兵第五連隊第二大隊記念碑         〃
第八師団長官舎          弘前市白金町

第五連隊だけですね。第31連隊がらみのものは、なしで寂しいものがあります。
尚、第八師団長官舎は大正6年建設でした。
540横レス:04/02/29 08:34
他者による検証がなされうるかどうか解らないのに、
軍とかが、「しっかり検証している」といいきれる精神構造がうらやましい。
541同じく横レス:04/02/29 10:35
ここって本当に歴史関係の板なの?
このokkiiって人は歴史ってものについてどんな哲学を持ってるの?
後づけの知識で昔のことを非難するのは容易いけど、このokkiiって人は何がしたいの?
542okkii:04/02/29 15:24
>541
段々とつまらなくなりましたね。
匿名の掲示板でも大人のお付き合いができると思っておりました。
失礼しました。
543日本@名無史さん:04/02/29 18:29
文字だけでコミュニケーションをとるのは難しいからね。
okkiiは間違ったことは言ってないんだけどね。
ただ、都合の悪いことを隠したがるのは人の世の常であり、なおかつ当時は情報公開などちゅう概念のない時代だからねぇ。
その点に多少の理解を示すような表現を盛り込んでおけば随分ソフトな感じになって良いと思う。
逆に一切の理解を示さず、ただ現代人的感覚で100年前の話を批判ばかりしていては読む側としては「何この人?」という印象を受けてしまう。
とくに「糾弾」なんて言葉はキツイからねぇ。
544日本@名無史さん:04/02/29 19:24
okkiiさん
まぁ、めげずに投稿を続けてくだされ。
545540:04/02/29 20:09

「人事担当特務曹長殿!! 私の発言はokkii上等兵殿擁護のつもりであります。
 あそこまで徹底されると、自分ら初年兵にも励みになります。
 今後ともよろしくであります。」
546日本@名無史さん:04/02/29 21:27
>>541
> このokkiiって人は何がしたいの?

デムパ発信。
547日本@名無史さん:04/03/01 00:35
>>542
自分の気に入らないレスが入るとその態度では、あなた自身「大人」とは言えまいよ。

歴史から教訓を引き出すことには抵抗は感じないが、それを超えて、歴史に対して
裁判官になろうとするのには違和感を覚える、という人もいるだろう。
まあ、歴史に対して何らかの形で評価をしなければ、そこから教訓を導くことは
できんのだけどね。「糾弾」「弾劾」は軍事版あたりで議論してほしいよ。
548日本@名無史さん:04/03/01 01:25
もしかして、軍板の方で「平成の登山知識で明治の山岳行軍を語る素敵な方」って
揶揄されてたugenは、ここのokkiiなんですか? 辻褄は合いますね。
549428:04/03/01 03:20
>>okkiiさんへ

>>536のいうように軍が軍機を秘密にするのは当たり前、そこを責めても仕方が無い
逆に軍機が秘密ではなく民間にまで漏れるようでは責めるべきですが。

ただ536は八甲田のこの事件について言っているのではなくあくまで軍隊の軍機に関する
意見なので536は533でも言ってるように536でもう一度繰り返している。okkiiさんが一方的に
噛み付いているようにも見えます。ただ口頭ではなく文字での議論なのでこのようなすれ違いは
良く起こりますが。

ただ533には悪いが八甲田の情報操作は国防を理由とした情報操作ではなく福島大尉らの安全を守るためが
主たる理由だと思います、現在でも緊急時に他人を見す捨ても法律上罪にはならないが、それでもマスコミ等に
見捨てたことを書かれたりしたらどんな嫌がらせを受けるか…
マスコミに煽られて変な行動をするような人間がいる限りこの手のタイプの情報操作は無くならないと思います。

>>539
>内部でしかも身内同士の対策はえてして安易に流れることも多いかと。
一般の組織、銀行や教師公務員などは特にその傾向が高いと思われますが、軍隊の場合は
事故への現場の人間の対策意識は高いと言われています、まあ当たり前のことですが。

>>541
荒らし煽り釣りの匂いもしますが533=536?に一方的に噛み付いた上に
>>543も言っていますが
>現代人的感覚で100年前の話を批判ばかりしていては読む側としては「何この人?」という印象を受けてしまう。
>とくに「糾弾」なんて言葉はキツイからねぇ。
ここ2〜3のレスはこのような印象を与えかねないと思います、
>後づけの知識で昔のことを非難するのは容易いけど
541はこの点には賛成しますが。

>>547
>歴史から教訓を引き出すことには抵抗は感じないが、それを超えて、歴史に対して
>裁判官になろうとするのには違和感を覚える、という人もいるだろう。
この意見には激しく同意で、私は違和感を感じます。

>>542
こんなレスを付けてしまっては同じ名前で書きこむのは辛いかもしれませんがこのスレッドは
あなたでもっているような物なので早めに戻ってきてください、私も以前変なレスを書いて後で
後悔したことがあるので。
551日本@名無史さん:04/03/01 17:53
okkiiさ〜ん!カンバ〜ック !
552日本@名無史さん:04/03/01 18:58
今年の七夕は「okkiiの機嫌が直りますように」とでも書くか。
553日本@名無史さん:04/03/01 21:28
>504あたりから一時的に涙腺にきくスレだったのに・・・
554日本@名無史さん:04/03/01 21:48
横合いからすんません。
「隠蔽」という言葉で断罪する前に、何故そういう扱いがされたかをもう少し
考えた方がよいような。これね、解釈の仕方によっては「友軍を見捨てた」
ってことになりかねないわけですよね。そのまま公表したら軍規・軍紀の
問題にもなるし、31連隊側(特に福島大尉)の責任を問わないと収拾が
つかなくなる。そこでは31連隊側も極限状態にあったという言い訳、あるいは
部隊が異なる・任務が異なるという言い訳は通用しない可能性も大きい。
こういう状況下では、誰のどういう行為が非難に値するんでしょうね。
私は過去の行為を裁くことを一概に否定はしないのですが、一歩間違えば後知恵
による傲慢ということになりかねない、そこを注意すればいいんだと思いますよ。
555日本@名無史さん:04/03/01 21:52
昭和のファシスト軍部とちがって、この頃までの軍隊はまだ、まあ許せますけどね。
軍服も、愛嬌ありますし。そんな、まだ青春期日本の1コマの出来事なんでしょうね。
556日本@名無史さん:04/03/02 21:20
ども、522のトラックドライバーっす。荒れてますね。

>歴史から教訓を引き出すことには抵抗は感じないが、それを超えて、歴史に対して
>裁判官になろうとするのには違和感を覚える、という人もいるだろう。

つーかokkiiさんは裁判官になろうとしてるんすか?
俺にはそんなに偉そうってか傲慢な書き込みには見えないっすけど。
もしokkiiさんのご先祖とかその親類が八甲田で亡くなっていたとしたら、
やっぱり感情として怒りを感じるのは当然と思うっす。
違うとしたって、悲劇の原因を求めるうちに、
だんだん腹が立ってくるのも自然なんじゃないっすかね。
俺とは無関係な人たちだけど、俺だって気の毒だと思うもん。
557日本@名無史さん:04/03/03 07:08
>>556
547に対して言いたいことはわかります。人間ですからね。
私も感情を交えずに歴史を語ることは不可能だと思います。

ただ、だとしても、554の言うように、
腹を立てるとか気の毒に思うにしてももう少し客観的に原因や責めるべき
点を把握した上で腹を立てないと、的外れなことを責めることにもなり
かねないわけで。
せっかく歴史板なんですから、そこのとこは突き詰めとかないと。

あ、あと、これって荒れてるんですかね?
私は皆さん冷静に議論されていると思うんですが。私だけ?(^^;)
558日本@名無史さん:04/03/03 15:01
実際に帝政ロシアと戦争になり津軽海峡を海上封鎖されてから無理矢理「八甲田
山系縦断」なんてせざるを得なくなれば一個師団全滅なんてこにもなりかねない
わけで、そのための試験的行軍で犠牲者がでてもそれは仕方のないことで、その
結果をもとに遭難しない対策をたてるとか、消耗が大きすぎるので二度とそんな
真似はしないとかなるわけですが、そんなことは軍機も軍機、ロシアに遭難の事
実が伝われば「冬季に青森の海岸線させ抑えれば後方支援は有り得ないのでここ
に橋頭堡を築ける」なんて思わせてはいけないわけで、隠すのは当然の然。

そもそも軍人が戦争で死のうが訓練で死のうが構わないというか、「死んでも仕
方ないから作戦を遂行する」のが任務なわけで、その結果あまりにも消耗が激し
ければ作戦の効率上再考せざるを得ない事態に追い込まれるわけでして、一般人
の登山とは目的が違うから「なんでこんな無茶を・・・・」と言われても、平和
に生きる市民から見れば軍隊のやることなんて全て非常識なわけだ。

私言わせれば「いもしない敵を想定して、銃やら、大砲やら、ミサイルやらの発
射訓練をするなんてちょ〜非常識、つか、税金の無駄遣い」って感じ。
559日本@名無史さん:04/03/03 23:19
>>558
私言わせれば最後の2行はちょ〜非常識だけどな。
銃の訓練を非常識と呼ぶ思考が全く理解できんですわ。
560558:04/03/04 14:25
>>559
そうですねちょっと極端ですね。軍隊の存在自体認めてないみたいですものね。

認めてないんですけどね。

じゃあ、こんな感じで、

攻撃用ヘリを最高速に近い速度で飛ばしながら訓練生が操縦する2機が交互に
追い越しし合うような演習をするのはどう考えても非常識。
一般人の常識で言うなら「相手を視認した時点で回避行動をするべき」状況で
事故が起こり操縦士2名が亡くなっても軍隊としては普通のことなので、原因
も対策(そんな訓練はしないって以外に対策なんてないけど)公表しないのと
一緒の事だ。
561sage:04/03/06 06:00
okkiiは、このスレを見放した。
562日本@名無史さん:04/03/06 08:49
いいんでないの。本人もネタ切れだって言ってたし。無理に変なこと書くよりね。

漏れは現在「露軍により陸奥湾一帯が封鎖された場合の連絡路の確保」ってやつの
現実度を検討中。むしろ軍事板向きかな。
563日本@名無史さん:04/03/08 01:04
564日本@名無史さん:04/03/08 06:12
極寒の猛吹雪の中で、当時の装備で大部隊の移動なんて出来るはずないじゃないか
3,000人いたら3,000人死んでるよ。戦争以前だよ。
軍隊なんだから死んで当然なんてことがあるものか。
問題は、まずは少人数で行うべき研究を、大部隊の訓練にして得点を稼ごうとした
大ばかものの上司が同行したこと。これに尽きる。
また、日露戦争前なら隠蔽はしかたないかも知れんが、その後も歴史の闇にしてし
まおうとしているもっと大ばかもの達がいて、それを、ちゃんと残そうとして来た
ものたちの歴史がある。これもまた歴史だよ。
そして、今日でも冬山で、あるいは冬道路で、遭難や事故は続いている。
八甲田山は貴重な教訓として、いったい何人の命を救ったかわからない。
その遭難の研究は、歴史学の偉大な業績として讃えられるべきだと思う。
565日本@名無史さん:04/03/08 12:20
>>564
熱くなってるとこ悪いが後生の人間が真実を知ろうとすることは誰も否定して
いない。
なぜいきなり大部隊をつっこんだのかいまいち不明だが、数名程度なら天候次
第で踏破可能なことは最初から分かっている(地元のひとは往来できているの
だし、案内人の手配もつけようと思えばつけたのだから)。
566日本@名無史さん:04/03/08 18:34
>>564
泣かせるねえ・・・・・・・。
567日本@名無史さん:04/03/08 20:20
当時はスキー板はなかったのかい
568日本@名無史さん:04/03/09 10:21
>>564
たたえられるべきねえ。それは否定できまいよ。
でもそれはokkiiのやってることとは何も関係ないぞ。
569日本@名無史さん:04/03/09 15:54
>>564
小説の話ですか?
吹雪の惨劇の小笠原資料については、本人が生前十和田市に資料館建設
を条件に寄贈を申しいれましたが、当時十和田市には、その余裕なく、断りました
怒った孤酒さん、県内の全マスコミに電話して、所持資料をすべて焼却、現在
資料は一点も残っていません。

ちなみに行軍ルート現在の様子は
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CTO-75-16&PCN=C3&IDX=12

画面左端中央やや下が遭難者銅像のある馬立場。
その下のU字カーブが鳴沢。半径800メートルを三日かけていったりきたり。
まさに彷徨。
571日本@名無史さん:04/03/22 20:18
572隠蔽とか軍機って?:04/03/23 10:29
東京朝日新聞明治三十五年一月三十日
弘前聯隊兵の雪中行軍  二十九日青森特報
 廿六日三本木を發せる歩兵第三十一聯隊雪中行軍隊三十八名の一昨日山中に露營
し昨日八甲田山巓に上り無事本日午後七時当地に着せり明日浪岡に一泊弘前に歸る
筈八甲田山巓にて歩兵第五聯隊の凍死者二名を見たる由

東京朝日新聞号外明治三十五年一月三十一日
凍死大隊事件公電
弘前第三十一聯隊の一部三本木より田代に行軍中二十八日道を失ひしも無事田代田
茂木野に着せり其途中二名の死者を発見せり

と三十日には陸軍省が31連隊が五連隊の死者を発見していることを報道機関に
公電している。高木さんはこれを知っていて、読者は新聞の原典をよまんだろう
とたかをくくってるんだよん。福島大尉が遭難者を見ていることは秘密でも軍事
機密でもないよん。

573おまけ:04/03/23 10:30
ついでに明治三十五年三月十五日付け児玉源太郎陸軍大臣發桂太郎内閣総理大臣
宛「歩兵第五聯隊第二大隊雪中行軍遭難顛末書」(国立公文書館蔵)による行軍
の目的は、
「雪中青森ヨリ田代ヲ經テ三本木平野ニ進出シ得ルヤ否ヤ判斷スル為田代ニ向ケ
一泊行軍ヲ実施シ其實驗ニ基キ戰時編成歩兵一大隊ヲ以テ青森屯營ヨリ三本木ニ
至ル行軍計畫並ニ大小行李特別編成案ヲ立ツルニ在リ」
だから、田代まで行って24日青森に帰ってきて、其の結果に基づいて十和田市
(三本木)にいく計画を立てようってとこで遭難しちゃった。やはり明治二十五
年の歩五による「十輪田黒石地方雪中行軍の記録」(偕行社記事 第九八号 
明治二十五年七月刊)で冬季の八甲田越えは十年前に無理と結論されていたわけ
で、無理なものをどうしたらできるようにするか研究するのが五聯隊としての
テーマだったと思う。特に陸軍は無理偏に拳骨らしいから。
それよりも「♪零度をく〜だる18度」の中で米を研いで、ご飯を炊いた
(半熟飯にせよ)というほうが驚き。結局帝国陸軍はインパールでも、ガダル
カナルでも米を持っていって、水で米とぎするという作業をえんえんやらかす。
被服の問題よりこっちのほうは・・・・(以下自主規制)

>>517現在の処置法
okkiiさん、ぬるま湯治癒という現在の凍傷の処置法が731部隊吉村寿人班長
の研究成果により確定されたことは公然の秘密です。現在氏の論文は国立公文書
館で公開されていますが、さすがに研究者にとって都合のいい症例数が豊富です。
574日本@名無史さん:04/03/24 08:48
>>572
軍機というより報道規制みたいなものでは

米のほかお餅や缶詰などもあった
餅は凍り付いて歯が立たず、缶詰は持ってると凍傷、銃剣か何かでこじ開けよう
としたが開けることはできなかった。

このような状況では水分の少ない食料が適しているのでしょうね

米は一応パンに比べ栄養価が高く保存に適し輸送にも便利で調理が簡単
なので決して劣っているわけではないのですが、まあ糧食は環境や状況に合わせて
選択すべきということでしょう
575日本@名無史さん:04/03/24 10:00
>>574
> 米は一応パンに比べ栄養価が高く保存に適し輸送にも便利で調理が簡単
> なので決して劣っているわけではないのですが

と言いつつ、米常食民族で軍隊を大遠征させたことのある国は日本くらいなんだが。
576岩手県民だから:04/03/24 10:10
生存者阿部卯吉の証言では餅は、アワ餅だったと。岩手県って戦後まで米は
作れなかったはず。明治に軍隊に入って初めて米を食べたんだね。
ちなみに缶詰は牛缶だね。伝説の大倉組製のかしら?
577日本@名無史さん:04/03/24 19:13
>>575
君の思い込みや想像を聞いてるんじゃないよ
578日本@名無史さん:04/03/24 22:27
やれやれ、また始まったか。
579日本@名無史さん:04/03/25 09:22
まあベトナムやインドネシア中国があるからなあ思い込みや想像といわれても
仕方が無い
580チベットは解放?:04/03/25 09:31
>>579

ベトナムやインドネシア中国は国内問題といえなくも無い?・・・・
581日本@名無史さん:04/03/26 09:41
>>572
ってことは、あなたの言いたいのは、
okkiiが最初に「軍による隠蔽はけしからん」って騒いでたこと自体が
アホだった、ということか。
582日本@名無史さん:04/03/26 10:12
>>579
なるほど。ベトナム軍やインドネシア軍がモンゴルや約60年前の日本同様に海外へ大規模
な遠征軍を送った史実があったんですね。
東南アジアの歴史に疎いので存じませんでした。
それから、中国は中学校の地理で揚子江以南が米作地帯でそれより北では小麦粉が主で
あると教わったのですが、それも教科書会社か教員の単なる思い込みや想像に基づいて
いたようですね。
それはともかく、それらの事実を無知な私にぜひ教えていただけないでしょうか。
583>>572:04/03/26 10:59
軍による隠蔽って言ってるのは高木さん。記事の回収だとか、緘口令がしかれた、とか、記者が立ち退きされた
などとありもしない作り話を書いていたわけです。それをパクリの専門家、川口氏が受け売りして書いたわけで、
別にOKKIIを口撃しとるんじゃないよん。川口の他人の仮説までパクリってのは目に余るなって事ですな。
それでも3刷りとは、ますます天狗になるわけだ。
OKKIIには返ってきて欲しいから、情報提供ってことで。

(ノ・◇・)ノ
すれ違いだが、オレは絶対アンナちゃんはヤンキーだと思う。
http://www.police.pref.aomori.jp/syo/mutu/
584日本@名無史さん:04/03/26 14:39
>>582
中国は長江流域の国もたくさんあります。中国は現在のように黄河長江両方を
統一してる国もありますがそうでない時期も多々あります。

三国時代の呉や西晋以後の南朝、モンゴルと争った南宋、明の初期など
東南アジアでもアユタヤ朝や玩朝、シュリーヴィガヤ朝など

ちょっとぐぐれば見つかると思うので正確なことが知りたければ調べてみては
また南宋や南朝の板は世界史板にあったと思うのでそちらで聞いてみては
いかがでしょうか10万クラスの遠征軍の記録が見つかると思います。

これ以上は一応スレ違いになりそうなので

ただ近代以前は現地調達、遠征地に近い土地を策源地とするので稲作地帯に
遠征する軍は米が糧食になるんですけどね
585日本@名無史さん:04/03/26 17:38
>>581
>>583
・・・つまりokkiiはパクリのパクリだってことになるのか?
それとも>>532のokkiiによる隠蔽説はokkii独自の説なのか?

583がこのスレの流れの中で何が言いたいのかわからない・・・。
586日本@名無史さん:04/03/27 02:38
>>584
例として挙げられた国々も、日本軍みたいに不毛のジャングルや米飯が凍る冬の八甲田よ
り高緯度のシベリアのような場所へは遠征してないようですね。
いくら距離が長くても、同質の食糧が現地で確保できるところなら問題ないのでしょう。
また、米作民族は北アフリカみたいに水の少ないところへ遠征するのも難しそうですね。
飲み水以外に炊飯用の水が必要になるというのはパン食に比べると不利だと思うんです。

> ただ近代以前は現地調達、遠征地に近い土地を策源地とするので稲作地帯に
> 遠征する軍は米が糧食になるんですけどね

日本軍も、南支・仏印・タイ・ビルマ位で止めておけば問題はなかったのにね。
587日本@名無史さん:04/03/28 14:12
>>586
いや不毛のジャングルへはかな〜り遠征しまくっているぞ
不毛のジャングルという言葉が具体的にどこを表しているかは分からないけど

ただシベリアに米持って遠征は・・・
中国の明あたりなら米をある程度持っていっているとは思うがどんな資料を使って
調べればいいのか見当もつかん

日本軍は現地調達ではなく本国から輸送だから、何処へ遠征しようと基本は
米食だぞ、現在はともかく

兵站を現地調達に頼るのはナポレオンあたりまでだと思うぞ
588日本@名無史さん:04/03/28 17:32
福島大尉は日露戦争の黒溝台の戦いで戦死。
八甲田山の雪中行軍の成果があったと言えるのだろうか?
589日本@名無史さん:04/03/29 02:26
>>587
> 兵站を現地調達に頼るのはナポレオンあたりまでだと思うぞ

いや、牟田口が最後だと思われ。(w
590日本@名無史さん:04/03/29 06:35
>>588
>八甲田山の雪中行軍の成果があったと言えるのだろうか?
そこが謎だ、気温→凍傷→凍死で考えた場合だが
遭難時が−20度ならば奉天や黒溝台会戦の頃も同程度の気温
その状況でも極寒に慣れたロシア軍と互角以上に戦闘をしてる
そこで考えなければならないのが

1)遭難事故から4年程度で装備改変が出来たのか?
これは旅順攻略に青銅砲まで持ち出さねばならず
服装の改変が決定したいたにも関わらず、予算その他の問題で
そこ至らなかった日本が出来たとは全く思えない
2)両会戦には日本全国の将兵が参加してる
温暖な気候で育った者が寒冷地出身者と同等の装備で済むはずがない
とするなら1)の装備基準を温暖地方の者でも耐えられる
工夫をしていなければならない事になる

そこで考察するにあたり
1)遭難時の装備でも体力を維持出来る環境なら死にはしなかった
2)会戦時に問題になる程の凍傷、凍死は発生しなかった
3)恐らく装備改変は出来なかったと思われる
4)服装等工夫をした記述はあるが、それは遭難の教訓に
  寄与されなくても行ったのでは

以上の事より、悲しい事だが直接的には無駄であったのではないかと
ただ、ハンニバルは温暖地出身だから別にしても
ナポレオン ヒットラーと同じ過ちを日本軍が繰り返していれば
日露戦争は日本のボロ負けになっていたはず
ならばこの事故により寒冷に対する上層部の意識改革は出来たのでは
と思いたいものである
591日本@名無史さん:04/03/29 10:10
雪中行軍の經驗
弘前の第八師團は寒地にあることとて該師團設置以來縷々雪中に於ける
行軍演習を試み同冬以來も幾度か之を擧行し殊に昨日頃よりは第五第
三十一兩聯隊の歩砲輜重兵聯合して對抗演習を始めたる筈にて既に種種
有益なる經驗を積みたる由なるか 雪中の戰鬪は北清地方に於て經驗な
きにあらさるも同地方は寒氣殊に○しくして地上の雪積殆と全く氷結せ
るため行軍其他に左迄の困難を見さりしも青森縣下は北清地方に比すれ
は寒氣稍緩くして積雪容易に氷結せす 一歩一歩脛を没する有様なれは
却て甚しき困難を感する由にて膝頭まで雪中に没するときは容易に行進
するを得す 現にこ種小部隊の對抗演習をなしたるとき一軍は敵の陣地
に向け散兵行進を行ひたるに其距離僅かに千五百米突なるも目的地に達
する迄に二時間を費したりといふ 此事若し實戰の場合なりしならは全
軍の将士悉く敵のために狙撃せれるべく此經驗よりするも右の如き雪中
にては到底戰鬪を開始し得へからさることを確めたりと云ふ

(○字判読不能)
青森の雪の経験が満州で役に立ったかはとっても疑問。
592↑は時事新報明治三十三年二月廿ニ日号:04/03/29 10:13
明治35年2月2日陸軍少将中岡黙を長とする歩兵第五聯隊遭難
ニ關スル取調委員會が設置され、4月20日その報告が陸軍大臣に
提出されている。

計畫及準備
大隊長ノ爲セシ計画ハ適當ニシテ雪國ニ衛戍スル軍隊ニ於ケル至
當ノ処置ナリトス 其準備ニ就テモ概ネ完全ナリシ 即屯營ヨリ
田代ニ達スル距離ハ五里強ノ熟慮地ナリシニモ拘ハラス先ツ予行
行軍ヲ試シ其安全ヲ保シ又途中不虞ノ災害ヲ顧慮シ露營ノ心算ヲ
立チ 薪炭及其設備ニ要スル駄載器具ヲ携行セル 精米ノ外携帶
口糧及餅ヲ携行セル 寒地着隊ヲ編成シ踏雪ノ準備ヲナセル等之
ナリ 其他防寒並ニ衞生上ノ注意周到ナリシモ尚完備ヲ求ムレハ
次ノ欠点アルヲ指摘セサルヲ得ス 即チ兵卆ニ小倉服ヲ着用セシ
メタルコト並ニ該地方雪中ノ状況ニ慣熟シタル嚮導ヲ使用セサル
ニアリ 然レトモ大隊長ハ正當ナル理由ヲ以テ処置 茲ニ出テシ
ヤ計ルヘカラサルモ 死亡者ノ遺稿並ニ生存将校ノ言ニ依リ判斷
スルトキハ或ハ正當ノ理由ニ非サルヤノ感ナキ能ハス
593津川聯隊長の責任については:04/03/29 10:14
嚮導ヲ携行セサリシヲ黙認セルハ不注意ナルコト
此事項ニ關シテハ聯隊長ハ左ノ如ク言ヘリ
 嚮導ノコト平常ハ必要ナキモ 雪中ハ時々甚シキ地形ノ變化ヲ
見ルヲ以テ完全ヲ言ヘハ幸畑若クハ田茂木野ヨリ若干ノ地方人ヲ
携行スルハ利益アリシナランカ 然レトモ生存将校ノ言ニ依レハ
既ニ其議モアリタレトモ 如何ニ状況變化スルモ小峠田代間ハ三
里ニ足ラヌ地域ニシテ殊ニ熟地ナルヲ以テ其要ハナカルヘシトノ
自信力ヨリ携行セサルニ決セリト 是レ其當時ニ在テハ敢テ理由
ナシトハ斷定スルヲ得ス 好シ嚮導ヲ携行シタリトスルモ其當時
ノ状況上必スシモ安全ナリシカ否亦斷定スル能ハス 現ニ最モ山
ニ精通セル幸畑村ノ焼炭夫三名カ自分ノ鼻先キナル炭小屋往復ニ
於テ行衛ヲ失ヒタル 尚横内村ノ猟夫カ田代ノ歸途鳴澤ニ於テ惨
死セル如ヲ以テ之ヲ証スルニ足ル 唯尚爲スヘキ処置ノ存セリト
云フニ過キサルカ如シ
594津川聯隊長の責任については:04/03/29 10:15
行軍隊の當然歸營スヘキ日ヨリ三日間ヲ徒費シテ救護隊ヲ編成シ
其実施ハ二十八日ニシテ四日間ヲ費セリ 此間糧食ノ欠耗セルコ
トハ分明ナルニ拘ハラス適當ナル消息ヲ通スル救護ヲ爲スノ措置
ヲ採ラス 專ラ下級将校ニ救護ノ事業ヲ委シ置キタルハ緩怠ト云
ハサルヲ得ス 若シ一歩ヲ進メ其処置迅速ナラシメハ幾分カ此災
害ヲ輕減シ最大極度ニ達セシメス 若干ノ生存者ヲ得タリシヤモ
側ルヘカラス 惜ムヘシ其時期ヲ失シ緩慢ニ流レタリ
595結局:04/03/29 10:18
行軍ノ計畫準備及実施ニ至テハ多少批難アルヲ免カレサルモ 
之カ爲直接此遭難ニ利害ノ感及セシモノト認メ難ク且ツ主ト
シテ大隊長ノ責任ニ属スヘキヲ以テ聯隊長ノ責任ヲ問フヘキ
モノニアラストスルモ善後処分ハ緩慢ニ失シ爲ニ或ル災害ヲ
増大ニセシメタルニ非サルヤハ聯隊長其責ヲ免カル能ハサル
モノト判定ス 仍チ此項ニ對シテハ相當ノ処分相成リ然ルヘ
キモノトス


注意
雪中行軍ナルモノヲ平時ニ於テ研究シ置クコトハ我國軍隊ノ
最モ必要ナル所ニシテ將來益々奨励セサル可ラサルモ其計畫
準備及実施ヲ輕忽ニシテ擧行スルトキハ不測ノ禍害ニ罹ルコ
トハ今囘ノ事ヲ以テ後者ノ鑑誡ト爲スニ足ルヘシ 爾來雪中
行軍ニアリテハ其用意慎重周密ヲ要セサル可カラス

で、訓導ノ道ヲ失フ科  輕謹慎四日
596591訂正:04/03/29 10:19
現にこ種→現に此の種   
597日本@名無史さん:04/03/29 12:08
あんま雪ふらないもんな、満州は
八甲田もただ寒いだけで雪降らなければ遭難なんてしないだろうし
598そうねー:04/03/31 10:04
明治33年制軍衣のあとは明治38年制軍衣。
日露開戦は2がつだから、満洲は春。
陸軍の冬用黒服でいったものだから、黄土地帯では目立ちすぎた。
で、夏服は白服だから益々目立つって事でカーキ色になっただけのはず。
防寒外套は明治38年制で、毛布製毛皮襟プラスメリヤス製覆面になった。
明治37年の冬は防寒外套が間に合わず、長じゅばんの上から黒冬服、
夏用カーキ軍服、外套で戦っているので、八甲田の戦訓から服装の改善が
行われたという事ではないような気がする。

むしろ八甲田の戦訓で冬は戦闘せず冬営するものと(ロシアも)思い込んだ
陸軍が、黒溝台でミシチェンコの奇襲に会って壊乱寸前になったので、
悪影響の方が強かったのでは?
599日本@名無史さん:04/04/05 12:37
600日本@名無史さん:04/04/05 12:41
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601ぷろじぇくと八甲田山・死の彷徨:04/04/08 09:33
昭和50年12月映画八甲田山撮影班はかつて五聯隊が遭難した
その場所にいた。
撮影は徳島隊から始まり、翌51年1月神田隊も八甲田に突入した。
210人による行軍の撮影はまさに70年前の再現といってよかった。
役者たちは唯ひたすら監督の指示を、そして吹雪を待ちつづけた。
その日雪は降らなかった。
撮影は中止となり、昼食となった。
「こんなものが食えるか」
昼食として地元の温泉旅館から届けられた弁当はすべて凍っていた。
「一食くらい抜いたほうが酒がうまい」
「今夜は温泉に入ってゆっくりだからな」
まだ笑いもでる余裕だった。

事件は翌朝おこった。
「脱走兵だー。脱走兵が出たぞー」
助監督が走った。
602ぷろじぇくと八甲田山・死の彷徨2:04/04/08 09:34
朝6時。点呼をとると数人足りない。
本物の遭難か。スタッフは騒然となった。
雪中の一軒の宿。フロントは出ていったものはいないと言う。
逃げるべき場所はなかった。
宿のすべてが捜索された。
昼前、大広間の座布団置き場に高いびきで寝込んでいたエキストラが見つかった。
撮影監督木村大作の鉄拳が飛んだ。
木村は俳優たちからカメラの位置がよくわかるようにと赤のヤッケに、赤のスキーズボン。
そして赤のキャップをかぶっていた。以後、赤のキャップは彼のシンボルとなった。

人々はだれいうともなく噂した。

冬の八甲田には赤鬼がいる。
八甲田の赤鬼は雪より怖い。と。
♪風の中のス〜バル。砂の中の銀河〜♪

つづく?
603日本@名無史さん:04/04/18 20:58
保守
604日本@名無史さん:04/04/26 09:33
保全
605日本@名無史さん:04/05/01 14:50
606日本@名無史さん:04/05/08 00:14
連休に八甲田に行ってきました。
まだ雪が残ってたよ。
雪原を歩いて伍長の像へ。
ここで大量遭難が有ったのかと思うとガクブルです。
ふもとの資料館がまた凄い。
当時の装備の貧弱なこと。。。
機会があったらぜひ行ってみてください。
607日本@名無史さん:04/05/16 22:56
保守
608日本@名無史さん:04/05/28 20:28
age
609日本@名無史さん:04/06/12 14:09
間違ってこのスレをクリックしまった記念カキコ。
映画でしか見てないけど、司令官の無責任さと立ったまま凍死する兵隊
が印象に残ってまつ。
610日本@名無史さん:04/06/12 19:35
資料館って改装したん?
611日本@名無史さん:04/06/12 19:38
寒さに勝てる歩兵隊というのは存在しないのかな
612日本@名無史さん:04/06/13 09:43
okkiiが復活したりしませんように(祈
613日本@名無史さん:04/06/17 09:51
>>610
7月でしょう。
614日本@名無史さん:04/06/17 11:29
八甲田山の著者は我が長野県出身の新田次郎。
他にも西駒ケ岳遭難物とか書いてるよ。
615八甲田で見たことは言ってはならぬ!:04/06/17 11:46
実は、映画八甲田山のテーマは「月の沙漠」のパクリであることは誰にも言ってはならん!
616日本@名無史さん:04/06/25 10:17
617日本@名無史さん:04/07/15 20:25
分隊長!

暑くて死にそうです!
618日本@名無史さん:04/07/15 20:53
おまえたちはクーラーに当たりたくてそんなことをいっとるんだろう!!
619日本@名無史さん:04/07/19 21:05
八甲田山<完全版> 日本映画総合チャンネルで放送します。
ttp://www.nihon-eiga.com/prog/104332_000.html
というか夕べも放送してました。
620日本@名無史さん:04/07/19 22:00
>>619
みたよ。
森谷監督が縁起を担いで2時間48分(2・4・8で末広がり)にしたという解説があったね。
確かに長い映画だった、雪・・・雪・・・雪・・・・・。
ダイナマイト50キロで起こしたと言う人工雪崩、さすが実写の迫力だったな。

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2004/0721/nto0721_12.asp

ちなみに、写真の人物はなぜか社民党青森県連の前の代表。
622okkii:04/08/09 21:22
お久しぶりです。長い間お休みし、申し訳ありません。m(_ _)m

再度の発言には抵抗もあり、また気も引けるのですが
時間が経つごとに出来れば復帰したいと思えるようになりました。
また温かい(手荒い)激励のお言葉もいただきました。ありがたくしあわせなことと感謝致します。

今後の書き込みについてですが、もう少し緩やかといいますか、のんびりゆっくりいきたいと。
以前のような日記的書き込みはいずれ限界が来ますし、私自身きついものがあります。
(別に強制されてはいないのですが)。
皆さんとの対話の中で一歩一歩進めていければと思っております。
623okkii:04/08/09 21:37
他で公開したものですが何かの資料になれば幸いです。

【雪中行軍記 (東奥日報記者 斉藤武男著)】
二つの雪中行軍について書かれていますが、その内の明治34年の行軍について要旨を記述します。

実施年月日  明治34年2月19日〜26日
参加隊員    第31連隊混成中隊223名(名簿では226名)

  2月19日、午前7時弘前屯営より黒石に向けて出発。午前11時黒石着同40分より黒石方面に展開する
         兵力未詳の敵を想定し、この敵に対し追撃等訓練開始、午後4時30分終了。本郷竹鼻に宿営。

  2月20日、午前6時新城に向けて本郷発。午後2時新城着。この日氷点下8℃の中、北軍南軍に分かれての
         演習は夜中まで掛かる。午後11時30分終了。全軍油川に宿営。

  2月21日、蟹田に向って後退する敵を想定し追撃進行。蟹田付近の高地にて演習。午後4時蟹田村着、宿営。
    
  2月22日、午前5時全軍今別に向って出発、蟹田の西端において山路を通る隊と海岸を通る隊に分かれる。
         山路の隊は、深雪の中、小国村を経由して午後2時30分今別着。海岸を通る隊も海風烈しく
         寒気身を刺し、辛苦の末午後6時30分今別着。
624okkii:04/08/09 21:39
>623
  2月23日、午前6時30分山道を今泉に向って今別発。午前9時、山道に入る、山道の積雪四尺以上
         七尺五六寸以下にして人跡なし、気温は今別出発時は氷点下3℃、午後1時〜3時頃の間は
         氷点下9℃を昇降する。非常に困難な山道行進の後、午後7時30分今泉着。

  2月24日、午前10時十三湖に向って今泉発。鯵ケ澤の敵兵(仮想)を撃破する目的。正午12時、相内にて
         昼食、十三湖は風烈しく波浪は岸を打ち行進することを得ず、山下に沿い通過し十三村に入る。
         この夜は夜行軍の予定。午後10時十三村出発。寒気加わる中、夜12時富萢着、小休憩後再び行進。
         翌25日午前2時3時頃の気温氷点下6〜7度℃に下降。午前7時、越水村に入り朝食。食後直ちに出発、
         舞戸村に達したのは午前11時。この頃、隊員の疲労甚だしく、他の予定を切り上げて帰営に変更する。
         弘前帰営は26日午後7時頃。



      尚、この第31連隊混成中隊は馬渡大尉が指揮しており、福島大尉の名はありません。
625白髪龍:04/08/10 01:27
okkiiさんの復帰、大歓迎です。おりしも弘前大名誉教授の松木明知氏も八甲田遭難関係の新著『雪中行軍山口少佐の最後』を完成された模様で、「真実」はすこしずつすこしずつ、しかし着実に明らかになりつつある気がします。
626:04/08/10 02:12
「真実」は「事実」の敵であると古来申しまして。。。
627okkii:04/08/11 06:11
>625
ありかとうございます。ぽつりぽつり書き込んでいきますのでよろしく(^^; )

松木明知氏の新著とは興味深いですね。
『雪中行軍山口少佐の最後』の出版等の情報がわかればご案内ください。

先日、「明治四十四年度雪中行軍日誌」なるものをネットのオークションで落札しました。
長野県松本に駐屯していた第五十聯隊の雪中訓練を記録した、わずか10ページ程度の
ものですが、これは読めん(どうしょo(;△;)o)
なんとか解読して記述したいとは思いますが;;;
628日本@名無史さん:04/08/11 08:44
軍歌!
「雪の進軍」
629日本@名無史さん:04/08/11 10:27
氷を踏んで。
630okkii:04/08/13 04:49
ニュース映画でしょうか、2月・4月には雪中行軍遭難映画が公開されています。
当時のことだから白黒の無声映画ですが、このフィルムは残されているのかな?


雪中行軍遭難映画 1902.02.18 新京極河村座 白黒 無声
雪中行軍(噫青森歩兵五連隊) 製作=国活(角筈撮影所) 1921.04.01 浅草大勝館 白黒 無声
631okkii:04/08/13 05:01
>630
訂正。
4月の雪中行軍遭難映画は1921年でした。
632日本@名無史さん:04/08/13 11:29
山田甲八って誰?
633日本@名無史さん:04/08/13 16:43
津軽地方の農協関係者です。
634日本@名無史さん:04/08/13 19:16
山口少佐の死因はなんだったの、知ってる人教えて
635日本@名無史さん:04/08/13 20:09
安楽死
636日本@名無史さん:04/08/14 14:25
>>635
アリガトン
637okkii:04/08/14 23:00
>>634
山口少佐の死因は公式には病死です。
しかし、家族に対しては自殺と説明したようで、遭難の責任問題も絡んで
いろいろと憶測を生んでいます。
>635さんが端的に安楽死とお答えなのは、弘前大学の松木明知教授の説です。
同教授によると、山形衛戍病院の中原軍医が、立見第八師団長の命を受けて、
クロロホルムによる安楽死をさせた、との説を展開しておられます。

同教授の新著『雪中行軍山口少佐の最後』が完成したとのこと。楽しみですね。
638日本@名無史さん:04/08/15 06:56
>>637
情報ありがとうございます
『雪中行軍山口少佐の最後』、ぜひ読んでみます
639日本@名無史さん:04/08/18 07:45
ああ、何だokkiiとかいうの、また出てきたのか?
もうほとぼりが冷めたとでも?

>>542のように大人のお付き合いができないokkiiには
来てほしくないな。
640日本@名無史さん:04/08/18 07:52
>>622
> 時間が経つごとに出来れば復帰したいと

「隠蔽」云々について他者との議論を放棄してキレて逃げた件について
ちゃんと君の見解をまとめたまえ。復帰だの言うのはそれからだ。
641日本@名無史さん:04/08/18 08:04
>>640
まあまあ。どうせここは彼の日記スレなんだから原則論など持ち出しても無意味ですよ。
642日本@名無史さん:04/08/18 08:44
okkiiみたいな自説への反論は受け付けませんってタイプの人は
掲示板じゃなくて自分でホームページ持てばいいのにね。
最近はブログとか日記とか、無料で簡単に解説できるんだから。
643:04/08/19 14:17
それはも前だろ
644okkii:04/08/19 19:18
明治44年1月(1911年)、オーストリアの軍人レルヒ少佐がわが国にスキーを紹介、講習会等を開き普及を
図っております。
これが日本のスキーの始まりとされていますが、それ以前にもわが国にスキーは入って来ていたようです。
ここでご紹介するのは、それらの記録です。

文化5年(1808年)   間宮林蔵は樺太探検をし、その報告書「北蝦夷図説」に樺太地方の
            土民がスキーに似た雪具をつけた図を掲載。(スキーといえるかどうか;;;)
明治23年(1890年)  北海道開拓当時、外国人の中にスキーを用いて滑るものあり。
明治28年(1895年)  日清戦争の戦利品として満州からスキーを持ち帰った。
明治37年(1904年)  青森県人がノルウェー製スキー2台を東京丸善を通じて輸入。
明治41年(1908年)  北大のスイス人講師が母国からスキーを持参し、学生達に試乗させる。
明治42年(1909年)  ノルウェー国王が八甲田遭難事件の見舞いとして、スキー2台を送る。


遭難事件以前にもあることはあったようですね。ほんの一部の人の興味対象のようなものだったのでしょうが。
645日本@名無史さん:04/08/19 19:27
>>644
スキーや登山関係については以前軍事板のスレでいい加減なこと書いて
非難されて、そこでも逃げ出してましたよね。
そういう話題は避けておいた方が無難ですよ。
646日本@名無史さん:04/08/19 20:01
あれ、あがってると思ったら、まだ厚顔無恥にも書くつもりなんだ。

>>644
「隠蔽」の件については頬っかむりか?
よくそんなことで軍の隠蔽体質云々なんて偉そうなこと言えたもんだね。
再開するなら釈明してからにしなよ。「大人」なんだろ?

>>645
あれも
「平成の登山知識で(あるいはそれすら無しに)明治の山岳行軍を語る」
って揶揄されてた。
こっちとやってることが一緒だね。
今の知見から過去を断罪すれば自分は裁判官のように偉い気分になれる。
そういう気分を味わいたい人間なんだろな、okkiiってのは。

ここでokkiiに問いを発してる内に俺も同じ種類の人間になりかねん。
気をつけんとなw
647日本@名無史さん:04/08/19 20:11
もう十分にokkii化してるよ
648日本@名無史さん:04/08/19 21:57
okkiiもアンチも、実社会で満たされてないおっさんって感じだわな。
649日本@名無史さん:04/08/19 22:24
確かに
650:04/08/20 00:01
みんな、粘着質な「大人」ですね。。
特に646は、何がしたいの?
651646:04/08/20 01:20
>>650
暇潰し。無職なんで、時間だけは有り余ってるからね。
652646:04/08/20 06:44
>>651
おいおい、悔しいからって他人を騙るなよw
653646:04/08/20 06:55
おっと、忘れるとこだった。

>>650
矢印君と呼ぼうか。
okkiiに「大人」として>>542前後の話のけじめをつけてほしいね。
自分が「大人」であり正しいと思って戻ってきたんなら、
ちゃんと議論の続きをしようよ。
654日本@名無史さん:04/08/20 08:15
このokkiiって自称郷土史家っぽい感じだな。
二次史料しか見ずに講釈垂れるじいさま。
自称郷土史家は2ちゃんじゃ満足しないか。
とすると自称郷土史家くずれが適切かな。
歳はくってないのかな。先が思いやられる。

傾向としてはサヨ入ってる?
とりあえず軍と自衛隊を批判しとけみたいな。
ウヨは馬鹿だけど、サヨも始末に負えん。
上の方に責任押し付けて満足するあたりは
サヨウヨ言うよりアレなのかなあ。
655日本@名無史さん:04/08/20 08:16

大人の歴史学ごっこなんだから放っておいてあげなさいよ。
公開オナニーみたいなもんだけど見なけりゃいいだけなんだからさ。
656655:04/08/20 08:21

>>654

だからさぁ・・・・・・
657日本@名無史さん:04/08/20 10:56
>>632
不覚にも笑ってしまった
658okkii:04/08/20 12:58
1月23日に第五連隊で雪中行軍を行ったのは3組あったようですね。
立見師団長の談話の中で述べられています。
数泊の組もあったようですが、詳しいことは何もわかっていません。
どなたかご存知の方はおられませんか?

659さだかではないが:04/08/21 01:45
たしか、第一大隊が青森練兵場、第二大隊が田代一泊、第三大隊が東岳二泊だったと
660okkii:04/08/21 06:05
>>659
おお、ご存知の方がおられましたか、有難うございます。
そうですか、なるほどなるほど。
661okkii:04/08/21 07:57
新刊本の紹介です。(とはいっても7月の出版ですが)
「八甲田 死の雪中行軍真実を追う」 三上悦雄  河北新報出版センター

「吹雪の惨劇」2巻までしか出版されず苦労が報われなかった小笠原孤酒さんの
功績を残すとの触れ込み。「吹雪の惨劇」同様のセリフ入りです。
662日本@名無史さん:04/08/21 08:02
五連隊の雪中行軍隊が遭難したとき
真っ先に派遣された部隊の所属は
第一大隊なのかな?
663七志:04/08/22 10:21
okkiiさん、お帰りなさい!
実は同志たちと心配してました。
先日、行ってきましたよ!八甲田!
幸畑の資料館は新しくなってましたが資料館というよりはメディア重視といったところでした。。
七勇士の御子孫にもお逢いして来ました。
個人的にお話したいですが、此処でのメアド公開は危険ですね^^;
664okkii:04/08/22 13:03
>>663
ほんとにもう恐縮です。もうしわけありません。

そうですか、新資料館・八甲田に行かれたのですね(うらやましいっす)
しかし、よくまあ七勇士の御子孫にもお逢いできましたね。
出来ればその時のお話をお聞きしたいです。

メアド公開はこの板では無理ですが、青森chなら。。。
私の発言はすべてokkiiで行っておりますので、ぜひさがして下さい。

私は山口市の住人です。こちらにお越しの際はぜひ一報ください。
お会いしたいものです。
665>>662:04/08/23 04:53
三神救援隊は第二大隊の留守部隊により編成され、後藤伍長発見の一報を受けて
第三大隊の塩沢義雄大尉率いる150名の増援隊が田茂木野に向いました。
666okkii:04/08/24 06:58
私も常連の方に教えていただいたのですが、国立国会図書館で
下記の4点の資料がダウンロード出来ます。
>623でご紹介した雪中行軍記はここで手に入れたものです。
一般には入手しがたい本もあります。ぜひ皆さんの資料の中に。。。


1、雪中行軍記          斉藤武男編     明治34年4月
2、第五聯隊遭難始末記    北辰日報社編   明治35年3月
3、雪中の行軍 遭難実記   福良竹亭       明治35年3月
4、遭難始末            歩兵第五聯隊   明治35年7月
667okkii:04/08/26 06:29

これも、

青森市史研究あおもり7
青森市市民文化部生涯学習課市史編纂室 H16年刊行
「研究ノート 資料で見る雪中行軍−新規資料発見と研究史の整理」
http://www.city.aomori.aomori.jp/shogai/shishi/main.html


青森県史研究 第7
青森県環境生活部文化・スポーツ振興課県史編纂室 H14 刊
「雪中行軍はなぜ有名になったのか 遭難事件の処理過程から」
http://www.pref.aomori.jp/info/history/



668okkii:04/08/28 23:00

1989年、 8月28日22時52分、小笠原孤酒さんが亡くなっておられます。
「吹雪の惨劇」の作者ですが、5部までの予定で草稿をおこされ、2部までは出版したものの、
資金等自由にならず、失意の中、病気のため死去、享年63歳。黙祷!
669okkii:04/08/31 06:21
ヤフオクで「八甲田山 雪中行軍の写真発見か?」と称する写真を
落札しました。
「大日本青森懸弘前市土手町仙台白崎写真館弘前支店 小西吉郎」
と印刷されています。100人以上の隊員が銃も持たず行進しているように
見えますが、入手後詳しいことがわかればお知らせいたします。
670日本@名無史さん:04/08/31 08:51
八甲田山の慰霊碑はマジでヤバいので近づかないように
671日本@名無史さん:04/08/31 18:33
どうヤバイの?
672:04/09/01 01:16
フジTVのやつはアルバイトを使ったヤラセだから安心するように。
それより現場はレイ○の多発地。たまに女の子が夜泣きながら山から下りてくる。
673日本@名無史さん:04/09/02 20:34
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
674okkii:04/09/03 06:50
>625
ご紹介いただいた松木名誉教授の新著「雪中行軍山口少佐の最後」情報です。
10月に出版されるようですね、他の板で教えていただきました。
残念ながら非売品とのことです。青森、弘前、八戸の図書館には寄贈されるようですが。

既刊として、
八甲田雪中行軍の医学的研究」2001年
八甲田雪中行軍の研究」   2002年
があり、今回が3部作の最後となります。

しかし、非売品とは(*'へ'*)
675日本@名無史さん:04/09/04 13:30
広い畑の乾いた土を♪
みどりの日液が笑って通るケキキキキ♪
676:04/09/04 15:49

白い地獄の凍った空を
白いからすが笑って通る♪


677five:04/09/06 16:48
okkiiさん、「雪中行軍山口少佐の最後」は8月に完成していますヨ。
著者から1冊いただきました。
678okkii:04/09/06 18:38
>677
あっ、そうですか、大変失礼いたしました。
しかしなんとまあ、著者から1冊ゲットですかぁv(^-^)ヤッタネ♪うらやましい。
ソノなにかあれですね、私の場合は有償でいいんですが、なんとかなりませんかねぇ(∩_∩)

679five:04/09/07 00:20
>678
2チャンネルの書き込みは初めての経験でしたが、あることをネットで検索していたら
偶然このサイトに行き当たりました。ちょっとお節介かとも思ったのですが事実をお知
らせしました。なお「日本の古本屋」などで検索すればそのうち入手できるかも。ちな
みに前著2冊は現に掲載されています。
680okkii:04/09/07 06:32
>679
fiveさん、丁重なお答え有難うございます。
「日本の古本屋」はしばらく覗いておりませんでしたが、気をつけて見なければ(^^;
「八甲田雪中行軍の研究」は先程発注致しました。小遣いに問題がありまして、
2冊両方とまではいきませんでしたが。

お節介なんてとんでもありません。なにか気づかれた点、情報、なんでも結構です、
ご指摘ご指導いただければありがたく思います。今回は有難うございました。
681九千坊:04/09/08 01:14
見えない畑の向こうには♪
陽だまりの中キュウリが成っている♪
何処が畑か?肥溜めばかり♪
682:04/09/08 01:26
田代は高原野菜の名産地。
きゅうりは成らない。
683九千坊:04/09/17 02:39:07
白い姫やんに横取りされて♪ 痩せた日液が畑に叫ぶ♪
一杯食べて見たいのに♪ 独り占めしようと考えていたのに♪
餓えているのにヨダレも出ない♪
684おたちゅう〜:04/09/19 04:59:09
有事の死ぬ日がもしもあるなら♪ 畑の下に埋めておくれ♪
次の春には肥やしになって♪ 姫やん野原に落ちて逝けるように♪
そっと大地に還っていこう♪
685日本@名無史さん:04/09/24 14:33:29
闇夜の八甲田山中にあやしい光、ツキヨタケが群生
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040924-00000203-yom-soci

な、なぜ?
686日本@名無史さん:04/10/10 23:06:37
知るか
687日本@名無史さん:04/10/10 23:06:52
あぼーん
688日本@名無史さん:04/10/17 22:42:18
age
689okkii:04/10/21 06:30:35
おひさしぶりです(=^^=)
松木明知著「八甲田雪中行軍の研究」を手に致しましたので、興味のある記述のみご紹介しますね。
但し、著作権に抵触しないと思われる範囲ですよ(^^;
31連隊の福島隊が第5連隊と遭遇したことは、松木教授の発見によって明らかにされ、皆さん御承知の通りですが、
その木村少佐の報告書の全文が記されておりましたので、これを現しておきます。

      在田茂木野木村少佐報告(二十九日朝ノ報告)
唯今、歩兵第三十一連隊雪中行軍隊司令福島大尉来訪。該隊行軍ノ状況ニ付左ノ件々ヲ承知セリ。
  該中隊ハ、二十六日午前八時三本木ヲ発シ、増沢ニ至リ宿営。翌二十七日午前六時増沢ヲ発シ、田代ニ向ヒタリ。
  此日ヨリ増沢ノ土民六名ヲキョウ導トナシ、(田代ニアル温泉ナリ)新湯ヲ行軍目標トナセシモ、之ヲ発見スル能ハス。
  午後九時頃雪中ニ露営セリ。此日ノ露営ハ頗ル危険ニシテ困難。実ニ寒気ハ氷点下十度ニ達シテ、一ノ掩蔽物ヲ
  得サリキ。翌午前八時露営地出発。途中田代ヨリ田茂木野ニ至ル通路上ノ頂界線ニ於テ、三十年式歩兵銃ノ雪中
  ニ立チアルヲ見、之レヲ収容セリ。此時午後一時ナリシカ、約千突ヲ進ムヤ、更ニ一挺ヲ発見セリ。既ニシテ前進、
  午後四時頃、八甲田山ノ東南麓ヲ通過スルトキ、通路ノ左右ニ各一人ノ兵卒凍死セルヲ見ル。其服装ハ背嚢ナク唯
  背負袋ヲ携帯セシノミ。内一名ハ確ニ喇叭手ナリシガ、大尉ハ其等ノ現象ニ対シテ理由ヲ発見シ得ザリシト、而シテ
  其屍体ノ所在地ハ田茂木野ヨリ約二里半ノ所ナリトノ事ナリ。田茂木野到着ハ今午前一時ニシテ、当地ニ二時間ノ
  休憩ヲナシ、青森ニ向ケテ発程サルヽ予定ナリ。
  此行軍隊ハ将校三名、見習士官十名、見習医官二名、下士候補生十九名、及喇叭手二名、従卒二名、新聞記者
  一名ヨリ編成サレシカ。患者ハ唯三本木に於テ一名ヲ出セシノミニシテ、他は悉ク健全。好ク其目的ヲ達成サレタル
  モノト云ウベシ。
以上ハ、其概況ニ過ギス、猶一行ハ、本日青森ニ於テ滞在ノ予定ニ付、或ハ更ニ詳細ノ状況、直ニ御聴聞ノ期モ可有
之ト存候。小銃二挺ハ当地ニ於テ受領致候。

注意: 句読点は著者による。キョウ導は漢字変換が不可のためm(_ _)m
教授の変換ミスを発見しましたが、直しておきましたよ(=^^=)
690重箱隅:04/10/21 10:06:51
>31連隊の福島隊が第5連隊と遭遇したことは、松木教授の発見によって明らかにされ

たわけではなく、防研で資料見ていた研究者にとっては当たり前だのクラッカー。
みんな東京行くのが面倒だっただけだったりする。
691okkii:04/10/23 06:44:54
先日ヤフオクで第五連隊の軍服が出てましたね。
かなりの「美品」でおそらくは複製なんでしょうが、36,600円で落札されました。

私の小遣いでは手も足もでませんでしたo(;△;)o
692日本@名無史さん:04/10/24 10:52:18
>>691
レプリカは中田商店製18000円が広く流通している。
36600円なら当時の品だろう。
尤も官給品かどうかは知らんけどね。
下士卒でも除隊の記念に軍装店(普通は将校の軍服を仕立てている店)で個人的に軍服を仕立てる人も居たらしいからその可能性が高いだろうね。
官給品よりも生地や仕立てが上等なのが特徴で、しかも私物なので襟を高くしたりポケットを付けたり自由にできる。
693okkii:04/10/24 20:53:35
>>692
ありがとうございます。
ただ、中田商店製では無さそうですよ。
質問に対して「内ポケットの裏に製造会社らしき印が入っています。丸に入高となんとか貞吉」
と答えています。
ご指摘の除隊記念の可能性が一番高いのかもしれませんね。

http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k9459045
694okkii:04/11/02 20:48:09
ヤフーの歴史カテに「八甲田山死の行軍を語る」トピが誕生しました!!
出来たばかりで、来られる方も少ないのですが、なんとか盛り上げていきたいと思います。
こちらにおられる方もぜひ発言していただきたく;;;お願いしますねホントに(^-^)


695okkii:04/11/06 07:52:09
「衛生調査報告」の中に山口ユ少佐の携行品についての記述があります(八甲田雪中行軍の研究)

図嚢(革製の袋)
時計磁石1個
金入1個
手帳1


このうち「時計磁石」を著者は時計機能のついた磁石であろう、と述べておられます。
懐中時計は明治28年から国産化され、普及されてきております。
明治35年頃に欧米に先立ち、腕時計の使用がブームになったようです。ただ、腕時計といっても
懐中時計に腕巻き皮を付けたものです(現在のような腕時計の生産は大正に入ってからです)。

ここでいう「時計磁石」とは、腕に巻く為の革バンドの付いた「時計のような形の」タダの磁石ではないかと
思うのですがいかがでしょう。
時計トピで教えていただいたのですが、そういうものがあったそうです。
696okkii:04/11/06 08:06:00
>695
訂正です、この文章はおかしいm(_ _)m
この真意は、時計と磁石の双方の機能を持ったものは見当たりませんでしたので
「時計のような形の」タダの磁石ではないかと思っている、ということです。
697okkii:04/11/13 22:10:08
「八甲田雪中行軍の研究」には、私にとって未知の事柄が多く興味深いのですが、その中に
山口少佐発見時の状況について、詳細な記述がありますので転記しておきます。

雪中ニ臀座(尻をついて座っていることー著者)シ、下半身ハ全ク雪中ニ埋没シ、両下肢ヲ直伸シ、
両手ヲ其上ニ置キ、全身著シク疲労シ、身躰自在ナラズ、顔面帯黄色ニシテ、枯燥し、著シク憔悴、
眼窩陥凹顴骨(かんこつ、頬骨のことー著者)突隆シ、眼瞼口唇鼻翼ニハ、黄色ノ脂垢乾着シ、
嗜眠状ヲ呈スルモ、之ヲ呼起シテ慰問スレハ、明瞭ニ応答ス。其声力ナクシテ低微ナリ、足部ノ
被服及藁靴ハ固ク氷ス。両手ハ手套ヲ着セズ、左右前摶ノ下半部悉ク蒼白色ニシテ腫大シ、厥冷硬固、圧痕ヲ印スル能ハス。(句読点―著者)

下半身は雪中に埋没し凍りつく、両手は膨れ上がりこれも凍り硬固。極限の状況とはいえ恐ろしい(≧∇≦)〃
698まさに。。。:04/11/17 13:52:16
699白髪龍:04/11/18 11:30:29
okkiiさん
いつもながら、ご苦労様です。心より敬意を表します。
ところで689で、松木明知『八甲田雪中行軍の研究』から引用なさった木村少佐報告書ですが、
同書には同ページに現物の写真も載っていて、対照検討できますね。それによると、okkiiさんが松木教授の変換ミスとおっしゃっているのは、
「雪中ニ立チアルヲ」が「雪中行軍ニ立チアルヲ」となっている箇所のことでしょうね。
それはいいのですが、次の3箇所については、いかがなものでしょう。
 写真「氷点下十点」→松木氏「氷点下十点」→okkiiさん「氷点下十度」(原文のままで変換ミスではない。当時はこういう言い方もあったか)
 写真「サレシカ 患者ハ」→松木氏「サレシカ、患者ハ」→okkiiさん「サレシカ。患者ハ」(句読点を補うなら文脈からいって句点ではなく読点が正しい)
 写真「他ハ悉ク」→松木氏「他ハ悉ク」→okkiiさん「他は悉ク」(これは単なるケヤレスミスで平仮名の混入)
厳密をむねとなさっているokkiiさんですので、あえて指摘させてもらいました。
700okkii:04/11/18 23:09:20
>699
白髪龍さん、ご指摘有難うございます。
いやはやまったく面目ありません(^^;
私の見つけた教授のミスは、ご指摘の「雪中行軍ニ立チアルヲ」でした。
それにしても氷点下十点とは・・・
白髪龍さん、今後ともご指導のほど、よろしくですv(^-^)


>697
これが例の腕時計用方向磁石ですか!あったんですね。
せっかくご紹介いただいたのに、気が付いたのはさきほどで、オークションは終了。
ほんとうに湿気を帯びれば凍りつくものか、テストをしたかったのですが、残念でした。
701日本@名無史さん:04/11/19 10:31:32
俺は lucky penguins ですよ!
702okkii:04/11/23 21:04:45
>700
>697は>698でした。重ね重ね失礼しました。

>698の情報はlucky penguinsさんということですね?こちらでもよろしくです^^
同様の磁石がオークションに出れば再度ご紹介ください。ぜひ落としたいと思います。



>669で「八甲田山 雪中行軍の写真発見か?」と称する写真を落札。入手後、
詳しいことがわかればお知らせいたします、と約束していた事を思い出しましたm(_ _)m
他では述べていたのですが・・・。

http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d51287703
写真を拡大すると次のように見えます。
 1、全隊員、防寒外套着用、歩兵銃は持っておりません。
 2、隊員の間に馬が見え、橇を引いています。
 3、馬は10頭ほどが確認できます。
 4、内、2頭が引いている橇の上に、砲車の車輪のようなものが見えます。
   車輪の直径は傍の隊員の身長から推測して、1.2mほどです。
 5、1頭は背に木箱を乗せています。
 6、隊員の履いている靴は雪沓のように見えます。
 7、隊員は背嚢を背負っています。
 8、帽子には二本の白い線が入っています。
 9、周りに多くの農家でしょうか、家が確認できます。その家の前に大きな倉庫が2棟あります。
10、背景に山並みがありますが特別高い山はないようです。
11、写真を撮るためか、全員止まっています。
隊員の表情から緊迫感は伺えません、おそらく訓練ではないかと思っています(^−^)


703日本@名無史さん:04/11/24 14:10:45
Okkiiさん、ラッキーペンギンは701だけです
704okkii:04/11/26 07:06:30
朝日新聞「重要紙面の75年 明治12年〜昭和29年」を入手しました。
明治35年1月30日付の三面に遭難事件が収録されていますのでこれを転記致します。
(読みやすくするため、句点等を入れておきます)

  ●行軍隊兵凍死の後報(青森)
変死せしは、歩兵第五聯隊中の歩兵少佐山口ユ、歩兵大尉神成文吉、倉石一、興津景敏、歩兵中尉中野弁二郎、大橋義信、伊藤格明、
水野忠宣(華族)、歩兵少尉鈴木守登、陸軍三等軍医永井源吾其他下士卒百九十九名にして伍長一名助かりたるのみなり。歩兵第五聯隊は
今日より十八箇所に屯して屍體を捜索す。



  ●行軍隊兵凍死とその地勢
青森衛戍歩兵第五聯隊第二大隊長、山口歩兵少佐の率ゐる将校下士卒二百十名より成れる雪中行軍の一隊が、一泊の豫定にて去る二十三日
営所出発。八甲田山に向かひしに、翌二十四日を過ぎ二十五日に至るも帰営せず、因りて本聯隊は捜索隊を出して山口大隊長以下二百十名の中、
軍曹一名の外、凍死せる大惨状を発見せること既電のごとし、茲に此行軍に関係せる地図を掲げて参考に供す。
(略図は省略します)

一隊二百九名の凍死古今未曾有の惨状なり、その原因は一泊行軍の目的なるを以って糧食の準備足らず、暖を取るの燃料に乏しかりと云うも
亦一は当時異常の酷寒と大雪に襲われしに因るもの丶如し、読者は記憶するならん、本月二十五日札幌発電は昨夜来、近年稀なる寒気にて
摂氏寒暖計零度以下二十度七、上川地方は氷点下四十一度に降ると報じ、此外奥羽各地よりの電報は頻々として大雪、鉄道通ぜずと伝へしを。
氷点下四十一度の気温は本邦に於いて未だ見ざる所のみならず、北海道の如き緯度四十度内外にして四面海を以って囲める邦土に在りては
稀有の現象なりと云うへり。又右の酷寒は行軍部隊の出発せる翌二十四日より気温著しく降り始め、二十五日午前六時に於いて右の最低気温
を示せるなり。以って惨状の因る所を察すべく、去迚は又此椿事あらしめたる天然以外の責めは何處に帰すべきか、其は続報を得、事情を悉して
後に吟味すべきが、左に別項電報に見ゆる遭難将校の官職等を記す。
(将校名、官職名等は省略します)
705日本@名無史さん:04/12/15 18:17:33
天は>>1を見捨てたか・・・
706okkii:04/12/21 20:07:51
雪国の履物について調べてみましたが、いろいろありますね。
○ 雪沓
   爪先を包む藁沓、ひざ下までの深沓などがある。
○ 雪下駄 
   雨の時に履く下駄よりも、歯の厚い、高さの低い、丈夫な下駄。
   前に歯がなく、後歯だけの「箱下駄」というものもある。鼻緒の結び目が台裏にあるので雪が行きやすく、緒もぬれる。
   そのため、台裏の緒の結び目に金具で蓋をしたもの。歯を後ろだけにし、台裏をくりぬいて緒を立て、板で蓋をしたもの
   等があった。
   秋田や岩手の雪の多い地方では「猿下駄」が使用されたようです。後が一枚歯で前は斜めに反りあがっており、くりぬか
   れた下駄で雪がつきにくい。雪下駄には、台に爪皮をつけたものや歯に滑り止めの金具やクギを打ち付けたものがあり、
   凍った道には便利だったようです。(佐藤国雄著「雪国大全」)
○ カンジキ、
   かんじきは古訓なり、里俗かじきという。たて一尺二、三寸、よこ七寸五、六分。ジャガラの木の枝にて作る(鈴木牧之著「北越雪譜」)
○ スカラ(すかり)
   かんじきを大型にしたもの。たて二尺五、六寸より三尺余、よこ一尺二、三寸、山竹をたわめて作る
   直径80cm短径40cmくらいのもので、新雪の深いとき、雪ふみ、雪道作りに使用する<すかり>の前の部分につけた縄を
   ひき上げながら歩行する(北越雪譜)

カンジキは小型で、スカリは大型。円形と楕円形があった。円形は山地で多く使われ、楕円形は平地で使われた。普通、雪中
を歩くときにカンジキをはき、さらに雪が深いときにスカリを用いた。スカリはカンジキをはいた上につけた。
  http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/korenaani/f/031.html
  http://www.d1.dion.ne.jp/~unizun/kanjiki.html

○ 踏みだわら
   会津や秋田で使用されたもの。米俵の一方の口を開いたような形で、直径三十センチほどの二個一組。双方に足を入れ、
   上端を手で握って足を上げるときに助け、雪を踏みつけて通路をつくる。秋田では底から縄の紐を出し、歩くときそれを引っ
   ぱり上げて踏みつける。軽くて暖かで、雪がつかなくて便利な雪道つけであった。(雪国大全)
707日本@名無史さん:04/12/22 23:31:00
ネットで百科で、「長靴」を検索したら、
>ゴム製の長靴は,1905年(明治38年)にアメリカから輸入されたのが最初
って、書いてあったけど、倉石大尉は、何を履いてたんだ?
708okkii:04/12/25 06:11:19
>707
倉石一大尉は上京した際に購入したとのことですが,これ以上のことは分かりません。
ゴム長靴の歴史等について、調べて見ますのでしばらく時間を下さいね(^^;
709日本@名無史さん:04/12/25 17:52:51
710okkii:05/01/01 00:18:31
皆様、明けましておめでとうございます。\(^0^)/
最近書き込みが少なくなり申し訳ありません。出来うるなら皆さんとの対話の中で進めて行ければ
いいと思うのですが(^^;



ゴム長靴の歴史の中でいつから輸入されたか、については意外にわからんですね。今、わかっている
のは次のとおりです。

○ 明治34年3月、山形の軍医からの報告で、外国製黒色総ゴム製靴(オーバーシューズ)なるものが
   あるらしいが手に入らないので試すことが出来ない、との記述があります(われ八甲田より生還す)

○ 国内での製造は大正8年頃、世界長・月星化成・ミツウマなどが最初のようです。


>709さんがご紹介された倉石大尉の長靴は、形だけを見ると今のものと変わらんですね。長靴の内側
には防寒用の毛皮等は付いていないようですが、それまでの藁沓などと比較すると水はしみ込まないし
快適なものだったでしょうね。図書館等で調べて見ますので、もう少し気長にお待ちくださいませ(^^;
しかしこの写真、以前に見ているのですが全く憶えていません。最近老化が激しくて;;;(T_T)

711okkii:05/01/09 22:50:07
缶詰について考えてみます。
行李隊が積載していた物に中に『缶詰肉35貫』とあります。個数は推測になりますが、1個150gと仮定すると
約860個。全隊210名ですから4食分ということでしょう。200gと仮定すれば約650個、3食分となります。

この缶詰肉が利用されたのは第一日目の平澤露営地においてですが、一人当たり1個を配布しています。
第二日目の鳴沢露営地では、缶切を失くしていたのか、凍えた手のためか、缶を開け牛肉を口にした者は
僅かだったようです。このような極寒では体力の維持が肝要で空腹はもっとも避けなければならないとしたもの。
飯はなく、餅は凍え、牛缶これまた開かずでは;;;(泣)銃剣で突き刺すなりしてなんとか開ける手段はなかった
ものか!寒さに打ち勝つためにも絶対必要だったのに(T_T)


明治10年10月10日、石狩缶詰所が創業、サケ缶詰の生産を開始。業界ではこの日を『缶詰の日』としている。
陸軍中央糧抹廠が牛缶の製造を開始したのは明治33年から。民間で缶詰の量産体制に入ったのは明治34年から。
ついでに、缶切りのいらないイージーオープン缶が登場したのは昭和40年代に入ってからです。

712日本@名無史さん:05/01/12 14:22:30
八甲田連峰吹雪の惨劇の第二部だけ手に入った、第一部も欲しいけど
春まで道路封鎖で銅像茶屋は休業中_| ̄|○
713日本@名無史さん:05/01/12 21:37:21
>712
休業中はどこかの本屋さんが,代行して販売してくれるといいのですが^^;
古本市場・日本の古本屋・古書店案内、等を検索してみたのですが、今現在
出てないようです。春までお待ちくださ〜い♪
714日本@名無史さん:05/01/13 15:51:47
そろそろ大寒ですね。。。。
この時期というと、よく映画「八甲田山」が放送されませんか?
見始めるともう最後まで見てしまって、、、、すごい映画ですよね?

あと八甲田山って自衛隊員が遭難していませんでしたか?
あれって、雪中行軍隊に引っ張られたんですか?
715日本@名無史さん:05/01/13 20:01:53
八甲田雪中行軍に関する幽霊話。怖い話聞かせて。
716日本@名無史さん:05/01/13 20:08:58
一時期、営業関係の仕事で秋田の鹿角とか小坂とか、
青森県境の十和田ちかくにいました。冬営業者で山越えとかする
時、すごかったよ〜。明治なら遭難する。
717716:05/01/13 20:10:30
営業車
スマソ
718okkii:05/01/13 20:15:28
>714
>すごい映画ですよね?

ホントに。私も何度見たことか(=^^=)見るたびに何か新しい発見があるんですよ、得がたい映画だと思います。



>あれって、雪中行軍隊に引っ張られたんですか?

そのようなことはないと思います。が、遭難事件は事実ありました。
平成9年7月12日、陸上自衛隊第五普通科連隊の隊員23人が田代平に於いて訓練中、高濃度の二酸化炭素による
酸欠のため倒れ、内3人が死亡した事件です。もともと現場は危険な場所として地元の人は近づかないところでした。
719okkii:05/01/14 21:16:14
>716
いい経験されたと思います^^;
道路を示す標識等がなければ白魔の餌食になり、彷徨しかねない状況だったのでしょうね。
今は道路の除雪もしっかりし、ナビ・携帯・ラジオから各種の情報も得やすく安全性は高くなっております。
しかし、色々と悪条件が重なるってこと、ありますよね、悪魔に魅入られたように。
『準備不足・100年に一度あるかないかの悪天候・幾度も繰り返した判断の誤り』

これを現代風に考えてみると
『ガス欠・豪雪のため他に通行車なし・山中で携帯不通・行き先を誰にも言っていない・食料なし・防寒衣料なし』

となればやはり遭難必至か( ≧∇≦)。
720日本@名無史さん:05/01/14 23:47:39
誰か当時の軍服の資料を知りませんか?

私もなんとかして、あの軍服を身に付け、雪の八甲田に突入したいのです。
721日本@名無史さん:05/01/15 00:31:13
>>720
他人に迷惑かけるから止めましょう(w

きちんとした防寒具とスキーとテントと…ならOKか?
722日本@名無史さん:05/01/15 00:39:29
>>721
漏れの先輩は、それで遭難してチンダ
723日本@名無史さん:05/01/15 00:49:59
オレは…南八甲田あたりで、軽の自動車で深夜山道踏破しようとしたら、
もの凄い降雪量で坂道でにっちもさっちも進まなくなり、マジ遭難寸前だったw

しょうがないので、ギア入れて車外に出る+人力押すで自動車の方向をなんとか
変えて脱出することできた…。
724通常の名無しさんの3倍:05/01/16 20:46:54
先週の週刊ビジュアル日本の歴史という雑誌に
八甲田山の事が載ってました。地図で死体発見
場所や行軍ルートが解り易く載ってました。
それを見ての感想・・・
同じとこぐるぐる回ってるよなぁ・・・
もう少し方向変えれば助かってるのに・・・
725日本@名無史さん:05/01/18 19:42:18
>>724
田代温泉まではもうすぐだったのにね。
あまりにも凄い吹雪だったから、方向感覚は失われちゃったんだと思われ。
目印もなかったんだろうな。合掌。
726通常の名無しさんの3倍:05/01/18 21:34:16
>>725
そうですね。
山口少佐は何故あの時点で帰営を命令したのだろうね。
第一露営地で朝まで待って後2キロの田代を目指していれば・・・
(*-人-)合掌
727日本@名無史さん:05/01/20 00:23:57
それより、どうして帰れなかったのかね
通ってきた跡とかって、消えちゃうもんなの
728日本@名無史さん:05/01/20 00:35:25
消えちゃうもんなの
729日本@名無史さん:05/01/20 01:16:39
200人が行軍した跡でも消えちゃうほどの風雪だったわけだね。
730日本@名無史さん:05/01/20 01:30:12
>>720
もっと具体的に何をしたくてどんな資料が欲しいのか書いてくれたら答えるよ。
どの程度リアルに再現したいかによる。
本気でやるなら相当金かかるよ多分。
軍服は中田のレプリカが着られれば良いけど外套はオーダーメードということになるだろう。
おれ当時の服制と服装規則には詳しいから力になるよ。
731日本@名無史さん:05/01/21 00:58:45
>>122
そんな程度じゃ手ぬるいっ!
732日本@名無史さん:05/01/21 22:58:54
第5聯隊雪中行軍出発103周年まで後2日
733日本@名無史さん:05/01/22 21:07:14
いよいよ明日営舎を出発します。
734okkii:05/01/22 21:19:10
明朝6時半集合、この時間帯には準備は終わってるでしょうか。

ゆっくりおやすみなさい
暖かい布団は今晩限り・・・(-_-)
735通常の名無しさんの3倍:05/01/22 22:38:30
>>734
壮行会で飲んでた頃でしょうね。
その壮行会で山口少佐から行軍に誘われた某大尉は五体満足で
よかったね。
736716:05/01/22 22:50:24
>>719
標識あってもヤバイくらいで、、。
秋田方面から大館へ抜ける途中は片側一車線の峠道
なんですが、冬の夜はヤバすぎです。兎に角ガソリンは満タン
、寝袋と食料は車中に常備でした(車故障した時にそなえて。)
なお、携帯は峠では焼くにたたずです。
737日本@名無史さん:05/01/22 23:48:37
一食くらい抜いた方が酒がんめぇ
738日本@名無史さん:05/01/23 01:12:23
冬に鹿角さいぐほうが
だめだべ
739通常の名無しさんの3倍:05/01/23 10:26:35
もうすぐ小峠・・・橇隊が遅れがちです。
740日本@名無史さん:05/01/23 10:33:32
リアルタイムで雪中行軍が語られているぞ。
ちょっとワクワク。
741日本@名無史さん:05/01/23 10:35:21
って事は今夜から明日未明に掛けて発狂死が一名出てくるのか。
742日本@名無史さん:05/01/23 11:46:24
うわーーー八甲田、行てぇぇぇぇ。
743日本@名無史さん:05/01/23 12:11:54
こんなものが喰えるかっ!
744通常の名無しさんの3倍:05/01/23 12:14:34
 先ほど永井軍医から帰営すべしとの進言があったが
山口大隊長は進軍を命令しますた。
昼食をとって現在進軍中。
745日本@名無史さん:05/01/23 12:20:00
橇の遅れが目立つな、各小隊から援護を出すか。
746日本@名無史さん:05/01/23 13:54:51
>>743
あとで火で暖めて食べるから拾っておきなさい
747通常の名無しさんの3倍:05/01/23 14:04:00
神成中隊長殿、もうすぐ中ノ森を通過します。
748日本@名無史さん:05/01/23 15:08:52
設営隊からの連絡はまだ無いのかっ!!
749日本@名無史さん:05/01/23 16:11:25
午後4時ごろ
5連隊 先頭が馬立場到着

ほぼ同時刻
31連隊 この日の目的地宇樽部に到着
750okkii:05/01/23 16:15:42
>748
今、設営隊出発!。
連絡はまだまだ先のようです^^;
751日本@名無史さん:05/01/23 16:38:40
お、おまえはっ
藤村曹長ではないかっ
田代への斥候に向かったのではないのかっ?
752日本@名無史さん:05/01/23 16:43:03
753日本@名無史さん:05/01/23 18:07:00
温泉につかって一杯って、こういう事だったでありますか・・・・・・
754日本@名無史さん:05/01/23 18:08:36
午後6時頃
橇隊がようやく本隊に追いつく
設営隊からの連絡無し
神成大尉は大隊長の命令で斥候に赴く
755日本@名無史さん:05/01/23 18:13:13
本隊が鳴沢に足を踏み入れたとき、
吹雪の中を迷い歩いた設営隊が偶然、最後尾に追いつく
その時点で大隊長は橇の放棄を決意
輸送隊員が背負って物資を運搬する。
756日本@名無史さん:05/01/23 18:14:53
誰が指揮官なのだ?
この雪中行軍の指揮官は私ではなかったのか・・・・?
いや、そんなことはもうどうでもいい・・・・
私が田代への道を切り開くのだ・・・・
757okkii:05/01/23 18:41:43
五連隊、鳴沢。
風雪いよいよ激しく視界きかず、地吹雪は不気味なほど荒れ狂い、
寒気は益々厳しく、手足の感覚が・・・
758通常の名無しさんの3倍:05/01/23 18:54:13
漏れ、陸軍名物「二斗焚き」背負わされてるけどめちゃくちゃ重い・・・
はぁ・・田代温泉に早く浸かりてぇ・・・
759okkii:05/01/23 20:05:43
5分、 田代の方向の確認に出ていた水野偵察隊が帰ってきた。
     しかし、猛吹雪のため確認できず、との報告。
760通常の名無しさんの3倍:05/01/23 20:06:52
斥候に出ていた水野中尉が戻ってきました。
進路発見できず、露営の進言をしています。
761通常の名無しさんの3倍:05/01/23 20:08:09
>>759
・:*:.・ (゚ロ゚;グハッ
被ったww
762okkii:05/01/23 20:13:09
15分, やむをえず、この平澤の地に露営を決める。
763徳島:05/01/23 20:17:42
我々がもし天に抗する気力がなければ、天は必ず我々を滅ぼすだろう。
諸君、必ず天に勝て。
764日本@名無史さん:05/01/23 20:41:14
「天は我々を見放した」と絶叫して、部下たちを萎えさせた神田大尉とはえらい違いですな
765日本@名無史さん:05/01/23 21:01:11
命令

一、中隊は此の南側に於いて露営せんとす。
二、本部及び炊事の位置は彼処とす。
三、各小隊は現在の行進序列を以て其の設備に就くべし
四、中橋小隊は直ちに兵卒十五名を派遣し輸送隊に助力し、且つこの地点に誘導すべし。
766日本@名無史さん:05/01/23 21:04:00
そこで>>753ですよ
767日本@名無史さん:05/01/23 21:06:29
雪濠で火を起こしたため、下の雪が解けて鍋がひっくり返りました。
でも現在の自衛隊の訓練では普通に雪濠で焚き火をしているわけですが。
何が悪かったのですか?
768日本@名無史さん:05/01/23 21:13:48
地面が露出するまで掘った上に設置しないとだめなんじゃないの?
陸軍名物「二斗焚き」はでかいし重いし
769日本@名無史さん:05/01/23 21:15:42
積雪は5メートルもあるのに
スコップを使っての手作業じゃ無理でしょ
770日本@名無史さん:05/01/23 21:34:05
よりによって、雪深い鳴沢の地を露営場所に決めたのは山田
771日本@名無史さん:05/01/23 21:43:01
http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=61400700&slidex=0&slidey=0
↑具体的にどこが露営地として適切だろうね。
ちなみに、地図中央上方の549mの温泉マークが目的地の温泉。
772日本@名無史さん:05/01/23 22:05:45
うぅぅぅ、小便したい
誰か漏れのちんちんをつまみ出してくれ
773日本@名無史さん:05/01/23 22:15:24

( ´ー`)つ  ホレ、早く出せ。ちんちん、どこにあるだ?
774日本@名無史さん:05/01/23 22:20:32
新田の小説によると
神田大尉の探し出していた露営場所は平沢森。
地図上では低い山を下れば目的地の田代温泉。
775日本@名無史さん:05/01/23 22:23:54
(´・ω・`) リプレイは終了?
776日本@名無史さん:05/01/23 22:24:16
>>771の地図でいくと、第一露営地は鳴沢と大崩沢の間でやや大崩沢に近い平坦地。
畑の記号があるあたりか?

目的地は田代温泉とあるが、現在たくさんの温泉地があり、実際の目的地は>>771
549m地点。
777日本@名無史さん:05/01/23 22:35:03

||||||||||||||||||||||||||llllllllllllllllllllll|||||||llllllllll;;;]lllllllllllllll|||||||||||||||||lllll||||||||||||||||||||||
                 __ll_||_ll           /  |
                 (,,;(,,;;) (( ) ̄ ヽ_____/    |
          r,==ニニニγ ̄ヽ\f ̄ ̄(二二ニニニ==、--、 (ニニニニ==-
          |l  |l |l , ―- 、ノ  l  r‐ュ r‐ュ |l |l_l |l_l /
         ()ハ()〈)γ⌒ヽ ヽ/  |「「| |「「|〈)〈)二()ハ()ニニ)
              λ  人/    ノ__ノノ__ノ     、/
             l二ニ二_,,ノ_ノソ―'''''"" ̄ノ,__,,ノノ
             人_ ノ__ヽ  _:::::::―''''"
             !|_|,;/ |l|_l ̄ 

ハインドで救出( ゚д゚)ニャー
778日本@名無史さん:05/01/23 22:36:55
リプレイっていっても今ごろ雪濠を一所懸命掘ってるだけだしなぁ
次は
「神田大尉っ!神田を呼べっ!」あたりか
779日本@名無史さん:05/01/23 22:52:39
                      ___  <雪濠を掘るモナ
                     / |
                 ∧__∧ヽ/   ミミ
                (´∀`//  ミ     ミミ ヽ
                (   //つ      (::;:;:;:;)::::;:;)__
 _______     /  //)       (;;:;):;:;;:;:;::;::):;::)
           ノ   (__ ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           ヽ    ノ
            ヽ_ノ
780日本@名無史さん:05/01/23 22:58:03
            ヽ         ノ
            ノ __         ノ         
            ノ l \         (
            ノ \×       ( _________ 
           ノ  ∧_∧     /
           ノ  ( T∀T)\ <   地面が見えないモナ・・・
           ヽ  (    つ  ノ \
            ヽ | | |  ノ     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            ヽ (__)_)  ノ
781通常の名無しさんの3倍:05/01/23 22:59:32
  ∧_∧
  ( ・∀・)   | | ガッ
 と    )    | |
   Y /ノ    人
    / )    <  >__∧∩
  _/し' //. V`Д´)/
 (_フ彡        /  ←>>780

寝たら氏ぬぞ!!
782日本@名無史さん:05/01/23 23:00:28
>>778
小説では午前二時露営地出発となっている
783日本@名無史さん:05/01/23 23:07:21
                 ぬるぽしてないのに、ガッされた・・。                 
         """ """"""""""O""""""""""""""""""""""
    """"""""  ,'⌒⌒ヽ'⌒o,'⌒ヽ⌒⌒ヽ_____"""""""""""
  """"""   ノ⌒ヽ~~~~~~~。~~,'⌒ヽ~~~~/      ヽ___""""""""
 """"" / ̄ヽ ノ    ∧_∧ ~~~~    ~~~~~~~~~~/     ヽ  """"""
""""/⌒ヽ、~~~~~~   (; ´∀`∩            ~~~~,'⌒ヽ;;;;;  """""""""
"""""" / ̄ ̄ヽ、   ~~~~~~~~~~        ,'⌒ヽ'⌒ヽ ̄ ̄^  """""""""
 """"""     ソ⌒/ ̄ ̄ ̄ ソ⌒ヽ'⌒⌒ヽ⌒ヽ       """"""""""
   """""""""                      """"""""""""
       """""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

784通常の名無しさんの3倍:05/01/23 23:16:50
  ☆ チン

        ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ ___\(\・∀・)<  調理班、ごはんまだー?
             \_/⊂ ⊂_)_ \_______
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
        |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :|
        |  青森りんご  .|/
785日本@名無史さん:05/01/23 23:23:27
              o__ノ
                   || お..彡
                   || に..彡
                   || ぎ..彡
                   || り...彡  ∬  ∫  ∬  ∬ ∫  ∬
       ∧,,_∧  ∬∬ || 100彡 ∬  ∫ ∬  ∬ ∫  ∬
     (´・ω・`) (二)゙..|| 円彡 ∬   ∬  ∬    ∬  ∬ 
   ┌─┴―┴──┐||"""    /■\  /■\  /■\
   |   手作り     |..||   . ( ・∀・ )( ・∀・ )( ・∀・ )<不謹慎だけどマジオススメ!
   |  ほかほか  |..||   i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
786日本@名無史さん:05/01/23 23:46:41
・゚・(つД`)うぅ・・凍って喰えません・・
足踏みしながら軍歌歌うしかない・・・ガクガクブルブル((;゚Д゚))ガクブルガク
787通常の名無しさんの3倍:05/01/23 23:54:57
■各地の気象(23時)
気温(℃) 風向/風速
青森 -0.5 西南西/3m
弘前 -4.8 南西/2m
八戸 -3.6 南南西/

今日は暖かい日といえるんでしょうか?
788日本@名無史さん:05/01/24 03:03:12
このままここにじっとしていたら、おそらく夜明けまでに全員が凍傷で動けなくなる!
帰営だ! 神田大尉、直ちに出発!!
789okkii:05/01/24 06:42:42
田代を知っていると称した佐藤特務曹長の案内で田代に向けて進む。
790日本@名無史さん:05/01/24 07:02:40
そして駒込川本流の暗い谷間に迷い込む
791通常の名無しさんの3倍:05/01/24 07:32:38
第4小隊長水野中尉が従卒と共に死亡・・・最初の将校の死であった。
792okkii:05/01/24 07:35:49
前進不可。
やむをえず、目的地を鳴沢に転じ、支流を遡り、山腹の斜面を登らんとする。
793okkii:05/01/24 12:04:50
小丘を越え鳴沢上流の山陰を目指して進む。
794日本@名無史さん:05/01/24 14:37:02
「本当に発狂して裸で走り回るのか」試したりしては、いけません。
795okkii:05/01/24 18:35:21
風雪怒号寒波厳しく隊員の多くが凍傷にかかり、手足自由にならず、
そのまま放尿する者ありに至り、下半身の凍傷を酷くする。
顔面は暗紅色、睡魔に襲われ路傍に斃れる隊員続出す。
796okkii:05/01/24 19:22:17
ここ(鳴沢の南方)に露営する!
797okkii:05/01/24 19:47:30
『小便したい、誰かボタンをはずしてくれ!』
798okkii:05/01/24 19:55:31
山口大隊長『火を焚くことは許さん!足踏みをして暖をとれ!』
799okkii:05/01/24 20:09:55
福島隊、戸来村字金ヶ沢に6時54分到着、各隊員研究課題の報告中。
まもなく風呂、暖かい食事が始まる。
800日本@名無史さん:05/01/24 20:11:53
スコップないので雪濠も掘れん
801日本@名無史さん:05/01/24 20:26:27
手がかじかんでいるからマッチが擦れず火も起こせない
802通常の名無しさんの3倍:05/01/24 22:12:36
「大隊長殿、このまま時間を経過する事はかえって多くの隊員を失う事になります。朝まで待たずに
今直ぐ出発させて下さい。この場所は鳴沢のry・・・」
803通常の名無しさんの3倍:05/01/24 22:15:41
神成大尉の名台詞は明日の明け方ですかな??
804日本@名無史さん:05/01/24 22:34:00
>>802
そう興奮するな、明るくなってから出発しよう。
805日本@名無史さん:05/01/24 22:40:20
(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャヒャ 水泳ダッペ
806日本@名無史さん:05/01/24 22:56:01
三十一連隊の徳島大尉が明日か明後日にはやってくる。
徳島大尉に会えば生きる道が開ける。
807okkii:05/01/24 23:03:43
>803
前後の関係から、明日午前5時半〜6時頃と思われ。
(その時間帯に誰かやっちゃってください)
808通常の名無しさんの3倍:05/01/24 23:14:44
>>807
あの台詞は、貴殿にお願いしたい。 ε=(o_ _)o〜† パタッ
809okkii:05/01/25 05:46:56
佐藤特務曹長『この惨状は駒込川に飛び込んで行くと、簡単に原隊に報告できる、おれが行って来る』
(名セリフの時間です、発言希望の方どうぞ!)
810okkii:05/01/25 06:01:35
『天はわれわれを見捨てたらしいッ。俺も死ぬから、全員昨夜の露営地へ帰って、枕を並べて死のう!!』
。。。゛(ノ><)ノ
811日本@名無史さん:05/01/25 06:38:41
映画の名セリフ。
流行語にもなったな。
812日本@名無史さん:05/01/25 06:59:45
考えてみれば雪の中を全裸になってアヒャヒャ状況とは恐ろしい。
映画の役者さんもマジで死ぬ思いだったそうな。

5連隊、31連隊の首脳部のパニック状況はどうだったのだろうか?
813日本@名無史さん:05/01/25 07:04:28
>>810
天は我々云々は明け方近い時間だったのですね。
814通常の名無しさんの3倍:05/01/25 07:16:18
>>810
モ、モゥ... (ノ××)ノ~☆ ダメダ...(o_ _)o)) バタッ
815okkii:05/01/25 07:20:40
>813
別の資料によれば、時間が少しおかしい。
4時半〜5時頃が正確のようだ(スマン)

816okkii:05/01/25 07:30:44
それにしても田茂木野方向とは全く逆の南に向かって進み、
例の名セリフを発している。
コンパスは凍結、極度の疲労で思考も・・・≧▽≦
817okkii:05/01/25 07:41:27
倉石大尉
「渡辺軍曹は部下7名を率いて田代に通ずる道を求めよ」
「高橋伍長は5名を指揮し田茂木野方向を確かめ、村民を雇い救援に
来るべき処置を成し、且つ連隊に現況を報告せよ」
818日本@名無史さん:05/01/25 10:07:43
819okkii:05/01/25 13:08:33
1時頃、帰路を発見した高橋伍長を先頭に
鳴沢谷底より馬立場に通ずる進路に出た!

3時、馬立場に達する。
820日本@名無史さん:05/01/25 13:27:23
救助隊が来たぞ!
821okkii:05/01/25 18:58:53
喇叭を吹けぃ!
よく見るんだ、あれは樹木だ!救援隊じゃないっ。
822okkii:05/01/25 19:19:43
日も暮れ進路がわからん!
ここで(中ノ森)露営するぅ。
823日本@名無史さん:05/01/25 20:51:58
弘前隊「今日の行軍は楽だったな」
824日本@名無史さん:05/01/25 20:57:31
今日は一月二十五日だな

一日、二日の遅れはあるだろう
何から何まで予定通りには行かない。
825日本@名無史さん:05/01/25 21:00:05
本当は救助隊に対してラッパを吹いたが、
なかなか近づいてこないから変だと思ったら樹木であることに気づいたらしいね。
826日本@名無史さん:05/01/25 21:11:35
極寒のさなかにラッパ・・・・・

(つД`) 唇がひっついて剥れそう
827通常の名無しさんの3倍:05/01/25 22:32:45
(; ´Д`)大隊長殿がまたも人事不詳に・・・
828日本@名無史さん:05/01/26 00:30:31
自己責任でつ
829通常の名無しさんの3倍:05/01/26 00:35:58
( ・∀・)σ)Д`)オラオラ!寝ると氏ぬぞ〜
830日本@名無史さん:05/01/26 05:31:17
号令も点呼なく露営地を出発
831日本@名無史さん:05/01/26 05:53:58
弘前隊 午前六時三本木出発
832日本@名無史さん:05/01/26 14:29:43
「俺ア、もう自分の思い通りに歩く・・・」
833okkii:05/01/26 20:13:50
倉石大尉一行は、中ノ森北側で露営、
神成大尉一行は、按ノ木森北側にて露営に決す
834okkii:05/01/26 21:14:08
この日、三神少尉を隊長とする救援隊62名は、田茂木野から小峠・大峠に
至るも行軍隊を発見できず、田茂木野に引き返し、村落露営を行う。
835通常の名無しさんの3倍:05/01/26 21:28:50
[田茂木野]                             λ........トボトボ
836七志:05/01/26 21:51:38
>>833
okkiiさん!
それってホントですか!?
確かに案内板には「先頭部隊は午後五時、この地の凹地に到達した」と書いてますね。
しかし、その先頭に両大尉がいたと認識してましたが・・・
837okkii:05/01/27 00:24:05
川口泰英著「雪の八甲田で何が起こったのか」を鵜呑みにしています(苦笑)。

82ページをご覧ください。26日夜明け後、両大尉は二隊に分かれ云々まではよろしいですね。
その後に両隊は再会しますが、その再会は翌27日と思っているのです。つまり26日の露営を
それぞれの隊が分かれてしたのではなかろうかと。

ここに一日のズレが生じますが、83ページに、
『こうして一泊二日の予定だった雪中行軍は五日目に突入した(著者)』とし、
倉石大尉の「実況談」として、『廿七日 時間不明、一名の伍長来たり・・・ここに先に別れし
神成大尉・・・互いに談合の上、二隊に分離し道を・・・』
84ページには、『・・・26日の説明として揚げられているが、27日のことと思われる(著者)』
87ページなは、『二隊に分かれたのは27日であることは、ほぼ間違いない・・・』
としています。

後藤伍長が大滝平で発見救助されたのは27日午前10時頃、と考えればその数時間前に
両隊が分かれた、とすれば辻褄が合うと思うのですが。
838okkii:05/01/27 06:47:40
6時、三神救援隊、田茂木野を出発。
839okkii:05/01/27 11:44:23
後藤房ノ助伍長発見!
(村上軍医の報告書では11時)
840日本@名無史さん:05/01/27 13:15:10
おい二等兵。裸になって伍長と寝るのだ。人肌で暖めてやれ。
841日本@名無史さん:05/01/27 19:58:46
午後8時頃、この現況を一刻も早く伝えるため三神少佐、
        走りに走り連隊長の官舎に到着。
       『水、水』と連呼。
842okkii:05/01/27 20:16:18
福島隊、田代平にて露営す。
『こら、眠るな!火を燃やしつづけろ』
843七志:05/01/27 21:12:47
福島大尉は7人の案内人中、5人に「新湯に行き、家主・小山内文次郎を連れて来い」と言い、
更に「携帯品は此処に置いていけ」と言って
小原さんと福村さんを“人質”にしたんですよね。

そんな鬼の様な大尉をベタ誉めするセミナー講師さんがいるってんだから驚きですよねぇ
844okkii:05/01/27 21:37:36
>843
『目的達成の為には何をしても許される』幹部研修ではこんな感じで
教育されましたよ私も^^;

ビジネスの世界にあっても、人間らしい感情・優しさ・愛情等の常識を
もって接していきたいですね。
845通常の名無しさんの3倍:05/01/27 23:28:17
第一露営地点から出た後、某者が田代への道を知っているといって
教導役を始めた時、そのルートが違うと知っていながら何故神成大尉は
訂正できなかったのでしょうか?ここがどうしてもわからない。(~ヘ~;)
846日本@名無史さん:05/01/27 23:33:54
さんざん上司が指揮権奪っているんだし、知っていると自信持って言われたら、
修正できんだろ。
847日本@名無史さん:05/01/28 05:43:00
伊藤中尉の回述ではそうだが
鵜呑みにしていいものか
848okkii:05/01/28 06:52:53
津川連隊長、連隊挙げての救援活動を命令。各将校以下、夜を徹して準備に奔走。
今朝7時より順次、田茂木野に向けて屯営を出発。

>846
そうでしょうねぇ、神成大尉も帰路に自信は持てなかったでしょうし。
849日本@名無史さん:05/01/28 20:03:35
神成大尉は最初の自分の教導で谷にぶつかってしまい後戻りしたことで、
完全に発言力を失ったのでしょう。
新田氏の小説では意図した行動だということになっているが、
本当は暗くて道を誤った結果だった。
850日本@名無史さん:05/01/28 22:50:24
結局、五連隊の雪中行軍は失敗だったということでオケ?
851日本@名無史さん:05/01/29 00:24:23
>>850
日露戦争の時に、きちんとした防寒対策ができたから、この点では
陸軍は失敗を生かすことができた。
852日本@名無史さん:05/01/29 00:30:08
ロシア軍に日本人はロシア人でも驚く位薄い防寒服を着ていると
酷評されてるけど。
853日本@名無史さん:05/01/29 07:01:48
弘前隊 午前二時田茂木野到着 八甲田山を踏破
854okkii:05/01/29 19:53:14
弘前隊、喫食後午前4時20分青森に向け出発。

救援隊、午前6時以降順次、昨日より取りかかっている哨所の構築・雪道の開設の為、各宿営地より出発。
この日、第八哨所まで構築する。ただし、宿営の設備不可のため、捜索隊員は夕方田茂木野に帰り宿営。

この日、兵営・田茂木野間に電線を架設。通信が可能となる。
855日本@名無史さん:05/01/29 20:35:11
>>850
小説には書いてないけど、雪濠の中で酒が配られています。
酒を飲んだことで兵が眠気を催すなどの弊害があり、
明らかに失敗だったと言えますね。
856日本@名無史さん:05/01/29 20:55:49
一番好きな軍歌をよかったら投票してください
http://www.37vote.net/music/1106975632/
857okkii:05/01/30 08:08:49
第七以南の哨所構築及び捜索救助に各宿営地出発。
午前9時(午前11時とする資料も)、賽の河原付近にて中野中尉以下36名の死体発見。
その収容に日暮れまで掛かる。今晩より捜索隊員は各哨所に宿営(露営)する。

この日休日天気も良好のため、見物人が大勢田茂木野に押しかけ混雑、捜索の妨害と
なるため明日より一般人の立ち入りを禁止する。

訂正:電信の開通は今日夕方でした、スマン。
858日本@名無史さん:05/01/30 12:41:55
今日の八甲田は物凄く吹雪いてる。
寒いんだろぅな。
859日本@名無史さん:05/01/30 13:11:50
連隊に報告に行くぞ! 俺について来たい者はついて来い。


そして川にドボン
860>>851:05/01/31 00:05:16
日露戦争の防寒対策は雪中行軍の失敗から学んだものではありません。
行ってみたら寒かったので、慌てて37年式軍服を臨時に制定したのです。

そもそも五聯隊は、一泊行軍だからといって地図すら持っていかなかったのです。
とはいっても、地図のないところで戦をするのがガダルでもニューギニアへと続く
我が皇軍の伝統なので、失敗を生かさないということにかけては、現在にも通る
ものがあるといえましょう。

>855
酒は臭気を発しており、飲めなかった模様。
861okkii:05/01/31 07:19:36
午前9時、炭焼小屋にて三浦上等兵・阿部一等卒を発見救助。
862okkii:05/01/31 13:22:18
午後2時、弘前隊、弘前市民の大歓迎の中、31連隊に帰営。
午後3時、鳴沢において水野中尉以下33名の死体を発見
863日本@名無史さん:05/01/31 15:37:52
(。T人T。)
864日本@名無史さん:05/01/31 15:58:57
六甲山でも遭難するらしいぞ。
865okkii:05/01/31 16:32:57
午後4時、 向こうの崖の下に誰かいるぞぉ〜!
866okkii:05/01/31 16:57:15
駒込川の断崖絶壁の下に人影を発見、山口少佐・倉石大尉・伊藤中尉以下9名を救助。
全員を第8哨所に収容したのは午後12時過ぎ。
この日までに発見された遺体は70余。
867日本@名無史さん:05/01/31 19:10:20
>>860
37年式軍服って開戦とほぼ同時に制定された戦時服のこと?(たしか勅令第70号あたり)
あれは防寒服でなく簡易型の軍衣と茶褐色の夏衣袴だじょ
868通常の名無しさんの3倍:05/01/31 23:58:28
本日八甲田山のDVDを買いますた。
秋吉久美子が・・(ry
869日本@名無史さん:05/02/01 00:06:32
結局、防寒服は何にも変わっとらんわけでしね。
870通常の名無しさんの3倍:05/02/01 00:47:25
>>869
199人は無駄死にだったのか??
ちーんΩヾ(-"-;)南無南無。。。
871okkii:05/02/01 09:17:28
天候悪し、捜索進まず。
第8哨所に収容した山口少佐以下生存者を衛戍病院に収容。
同じく第8哨所収容の遺体は、田茂木野の死体収容所に。
その後、身だしなみを整え、棺に入れ、五連隊の雪覆場に送られる。
872>>870:05/02/02 02:31:00
というわけでもなく、あまり知られていないが捜索隊が出した凍傷負傷者(一酸化炭素中毒を含め)300名強は、
陸軍軍医部にとって、その治療法上有効な経験になりました。
873日本@名無史さん:05/02/02 15:34:32
谷底の大隊長以下十余名は、如何なる気持ちでその場に居続けたのだろう。
874okkii:05/02/02 21:09:38
午後9時、山口少佐、青森衛戍病院内で死亡。
    (ピストルによる自殺説、クロロホルムを使い死亡させたとする説、等有り)
875日本@名無史さん:05/02/02 21:11:25
朝日新聞の記事は他新聞と比べて一番まともではないだろうか?
日本が右傾化しないように社説で繰り返し述べている。
はき違えた愛国心を煽るようなマスコミを信じてはいけない。
売れさえすればいいという軽薄な商魂の論説ばかりが、
国を危うくするのは太平洋戦争で懲りたであろう。
機会ある毎に日本の過去の過ちに対する反省を促し、
関係諸国との友好を深めようとしているのが朝日新聞である。
なまじ知った歴史の一部で全てがわかった顔をすると恥をかくだけだ。
のうのうと生きていられるのは平和憲法のおかげであることは間違いない。
できもしない自主防衛を唱えていては過去の過ちを繰り返すだけである。
不利なことがわかっていながら、国民を煽って戦争に突入し、
買い物も切符が無ければ買えもしないような生活をさせながら、
運用される資金はすべて軍事行動向け。
動力になるべき燃料もなく、資源も無い日本が何の大義もない戦争を
推し進めるのは狂気の沙汰としか言い様が無い。
進軍ラッパをもう一度聞きたいのか?
876通常の名無しさんの3倍:05/02/02 22:04:59
山口少佐は映画の中では何回か煙草を吸うシーンがありましたが
煙草好きだったという事実はあったのですか??
877okkii:05/02/03 06:00:15
>873
何度か考えたことがありますが、特に大隊長の場合、救いのない暗澹たる思いに・・・(涙)

田茂木野での古老の忠告・小峠での軍医の進言・午前2時半猛吹雪の中を平澤露営地出発・
凍結佐藤特務曹長の言葉。等々、生死を分ける岐路での判断の甘さ・間違い。

亡くなった隊員・肉親遺族の思い、陸軍・第五連隊の大事な兵卒を多数失ったこと、国民の
怒り、自分の妻・養女の行く末、そして冬山のこと。

考える時間は十二分にあっただけに、等々の問答を繰り返していたのではないでしょうか、
そして自分を責めていたのでは(T_T)

>876
どうなんでしょうねぇ^^。
少佐の煙草についての記述が見えないのです。
神成大尉・倉石大尉・津川連隊長については吸っていたようですが。

だれかお答えくださ〜い!
878okkii:05/02/03 06:19:34
前日訪青した天皇派遣の宮本侍従武官、遭難現場視察。
今日午後より天候崩れ始める。
山口少佐、火葬。
879通常の名無しさんの3倍:05/02/03 21:11:19
>>877
レスヽ(´ー`)ノ ありがとう
自分も新田次郎の〜彷徨でこの事件に興味を持ったんですけど
「雪の八甲田で何が起こったか?」は読むべきでしょうか?
880日本@名無史さん:05/02/04 03:29:57
>>879
川口泰英著『雪の八甲田で何が起こったのか』は
客観性を重んじ、資料を広く踏まえた好著ですので、
購読をおすすめします。
ただし、この本は2001年の刊行で、その翌年に
発見公表された第五聯隊木村少佐の「報告書」は、
当然ながら参照されておらず、
「なぜ福島大尉が遭難者目撃の事実や、収容してきた銃の
ことを、報告しなかったか」について述べている考察・推測は、
「じつは福島大尉は木村少佐に報告もし、銃も引き渡している」
のであってみれば、その箇所だけは、訂正して読むべきです。
881okkii:05/02/04 07:33:39
>879
は〜い(^-^)
本については880さんのおっしゃってる通りで、
私もお勧めします。


昨夜以降、天候頗る悪し風雪怒号。捜索活動出来ず。
882日本@名無史さん:05/02/04 11:19:02
>>879
もっと新しい著作としては、2004年夏に出た
故三上悦雄著「八甲田 死の雪中行軍真実を追う」河北新報出版センター 刊
があります。
これは、このスレッドでも、だいぶ前にokkiiさんが、
>「吹雪の惨劇」2巻までしか出版されず苦労が報われなかった小笠原孤酒さんの
>功績を残すとの触れ込み。「吹雪の惨劇」同様のセリフ入りです。
と、紹介されていましたね。セリフ入りは私も閉口ですが、
「木村少佐報告書」のことも、2002年九月に急逝された著者の
この本では、すばやくとりいれてあります。
883日本@名無史さん:05/02/04 15:04:21
セリフ入りよりも、「余談だが」という司馬調に閉口した
884日本@名無史さん:05/02/04 15:25:31
この映画怖かった
885okkii:05/02/04 21:08:11
これは以前紹介したものですが、国立国会図書館からダウンロードできる資料もあります。
明治時代の書物は読みにくいものですが、挑戦する価値はありますよ^^

http://kindai.ndl.go.jp/index.html

雪中行軍記          斉藤武男編
第五聯隊遭難始末記    北辰日報社編
雪中の行軍 遭難実記   福良竹亭
遭難始末            歩兵第五聯隊  

上記の中で特にお薦めは、『雪中の行軍 遭難実記』です。著者は報知新聞記者ですが、
事件発生と同時に東京から派遣され、屯営・衛戍病院・田茂木野での戦場さながらの捜索
隊の様子など分かりやすい言葉で書かれ、当時の緊迫した厳しさがよく伝わってきますよ。

886通常の名無しさんの3倍:05/02/04 21:41:50
皆様、v(o'(ェ)'o)v ありがとうございます。
早速書店で探してみます。キョロ(ω・`))(´・ω・`)(( ´・ω)キョロ
887okkii:05/02/05 07:05:18
今日も昨日同様の悪天候、捜索活動不可。
高橋第11哨舎・本多第6哨舎の両哨所が強風のため壊れる。
888日本@名無史さん:05/02/05 09:13:51
氷の花が咲いてる
889日本@名無史さん:05/02/05 21:25:10
夢の中でお兄さんに「お前は死んでいた」といわれる場面は、
読んでいても死の恐怖が胸に迫ってくる。
890日本@名無史さん:05/02/06 12:08:41
>885
『雪中の行軍 遭難実記』 読みました。
山口少佐らの救出劇やその証言、生存者の病院での様子、
倉石大尉の証言など生々しくて、とても興味深かったです。

ここまで読ませて貰いましたが、過去レスに
>日露後に行われた伊藤中尉による講演・・・とあったのですが、
伊藤中尉って八甲田について講演されてたんですか。
その内容とかって残ってないでしょうかね。ちょっと興味があるので・・・
891日本@名無史さん:05/02/06 12:23:07
伊藤中尉の講演なんて初耳だな
892okkii:05/02/06 19:05:39
>890
もう読まれましたか、すばらしいです(^-^)
他の3冊といっしょに、プリントアウトされて資料に加えていただければと思います。



伊藤中尉の口演ですが、昭和10年8月28日青森市の善知鳥神社において行っています。
その概略です。

○あの悲惨劇は実に、山口大隊長が軽率にも雪中行軍の指揮官である神成大尉に
  相談もせず、命令を発したのが原因。

○世間では焚く薪がなくなったので銃を焚いたと言っているが銃は兵士の魂である、
  焚いた事実はない。

○山口大隊長が各兵士に自由行動を命じたと世間では言っているが決して左様な
  命令は出していない
893okkii:05/02/06 19:54:13
>856さんがご紹介された軍歌人気投票ですが『雪の進軍』がトップ爆走中!
白髪龍さんも投票されていますね(^-^) 有難うございます。


今日も昨日同様の悪天候、捜索活動不可。哨所間の移動も自由にならず。
894通常の名無しさんの3倍:05/02/06 20:05:39
(≧∇≦)ノ ♪♪馬は倒れる捨ててもおけぬ
895特撮板からネタ振り:05/02/06 20:23:46
>>894
それ、食べてもいいかな?
896日本@名無史さん:05/02/06 21:47:45
>892
ご存知でしたか〜さすがですね!ご教授ありがとうございました。
ちょっと伊藤中尉に興味がありまして、
日露戦争で戦傷後、どうなったのかなぁと思って。

このスレで知った『吹雪の惨劇』を図書館で借りて読んだのですが、
上段に第5連隊、下段に31連隊の行軍が書かれてて、最初ビックリしました。
神成、福島両大尉以外の将校や兵たちの事も結構描写されてて、
なかなか良かったです。未完なのが残念ですね。

この本では山口大隊長も、あの映画ほど悪いイメージでは無いですね・・・
897896:05/02/06 21:49:39
すみません、896=890です。
898日本@名無史さん:05/02/06 22:03:59
有毒ガスに巻かれたっていう話は論破されたのかな。
あまりに遺体が散り々になってるので、何かあったとは思うのだが。
899日本@名無史さん:05/02/06 23:26:24
吹雪いてる状態で有毒ガスというのは無理がある
900日本@名無史さん:05/02/06 23:53:12
大隊長が屁をこいた
901okkii:05/02/07 06:43:49
この日、死体1を発見。
セントバーナード犬、捜索に加わる。

阿部壽松一等卒、手足切断の手術を受ける。
昨日、神成大尉・鈴木少尉、火葬される。


『お前たちは靖国神社に合祀されることになったのだ。迷うな。心安らかに眠れ。定刻軍人として
見苦しい振る舞いはこの連隊長が許さんっ。青森第五連隊の雪中行軍隊、回れ右。前へ進め!』

902日本@名無史さん:05/02/07 10:47:58
良い台詞だが誤字一つで間抜けな場面に
903日本@名無史さん:05/02/07 11:48:51
>>902
海軍で言うところの「五分前の精神」ってやつかもしれんぞ。(w
904okkii:05/02/07 19:25:04
やっちゃいましたか(笑)877にもあるですよ、困ったもんで^^
『ボケよ回れ右、前へ進め!』
905日本@名無史さん:05/02/07 19:28:49
>>892
講演ではなく口演か
微妙だな。
906日本@名無史さん:05/02/07 21:47:47
いいなぁ、残業なしなら入隊したい
907日本@名無史さん:05/02/08 02:26:27
最近興味を持ち始めた無知女ですが、まだ映画しか見てないので書籍を読んでみたいと思ってます。
色々小説などがある中実話に近くわかりやすいお勧めの本などありますでしょうか??
908okkii:05/02/08 07:04:00
今日3名の遺体を発見。
後藤房之助伍長、手足切断の手術を受ける。

>907
大歓迎ですよ^^
お勧めの本となると「雪の八甲田で何が怒ったのか」「吹雪の惨劇」
「遭難始末 歩兵第五聯隊」などでしょうか。

「八甲田山死の彷徨」を読み、興味をもたれる方が多いのですが、
創作部分も結構あります。
史実とはどこが違うのか調べて見るのも面白いですね。
909okkii:05/02/08 07:09:26
>908
またやっちゃった^^;
「雪の八甲田で何が起ったのか」でした。

>892
講演ではなく口演になっているんですよ原文では(笑)
910907:05/02/08 08:56:53
>>908okkiiさん
ご丁寧にありがとうございますm(__)m
大変参考になりました!さっそく本屋さんで探してみたいと思います☆
911日本@名無史さん:05/02/09 01:34:11
さっき、八甲田山DVD観て(っдT)前田吟さん高倉健さんの嗚咽名演技に泣かさました。
912日本@名無史さん:05/02/09 12:42:44
>907
「日露戦争」の第1巻(児島襄/文春文庫)
記述はそんなに多くないけど、なかなか読み応えあったかも。
913okkii:05/02/09 23:33:16
>912
『八甲田山の悲劇』(P77〜P172)という小題名で記載されておりますね。
『吹雪の惨劇』同様、登場人物は実名、セリフ入り。
非常によく書かれていると思いますが、この本も小説なので創作もあります。
その点を承知でしたら、参考になり、楽しめる書物だと思います。


この日より22日まで、小原忠三郎伍長、手足切断手術を受ける。
914日本@名無史さん:05/02/10 19:59:41
大竹まことが橇隊の一番前にいた
915日本@名無史さん:05/02/11 15:09:25
愛犬スポポビッチと八甲田を眺めながら散歩!軍歌 雪の進軍を口ずさみさみ♪♪♪
916okkii:05/02/12 08:48:03
本日快晴。
鳴沢露営地付近で、興津景敏大尉以下11名の死体を発見。
917okkii:05/02/13 08:07:09
鳴沢露営地南方で柴山捨治上等兵以下4名の死体発見。

駒込川から死体が流出するのを防ぐため水柵の設置作業を始める。
918okkii:05/02/13 10:14:50
皆様へお知らせ・お願いです。
雪中行軍関係の掲示板はここ以外にもあります!
ぜひぜひ覗いてください。そして活発な発言をいただければと(笑)


八甲田山死の行軍を語る
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=hac9cedbb3bbe0a4n9t73a4r8la4k&sid=1835208&mid=1&type=date&first=1


TOSHIBOとおかしな仲間たち
http://s02.as.wakwak.ne.jp/bbs/mkres5knx/mkres5k.cgi?toshibo


△△△△△八甲田山スレッド△△△△△
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/rmovie/1066799985/l50


八甲田山死の雪中行軍
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1105881646
919428:05/02/14 04:10:36
久々にきたがまだ続いていたんだ嬉しいな、一年ぶりぐらいかな

山口少佐の死因、拳銃自殺説があるが、手足凍傷切断するかという状況でピストルを握れるものなのか
という単純な疑問がある、恐らく包帯でぐるぐるだろうし指は動かないのではと思う。
920okkii:05/02/14 18:40:44
>919
お帰りなさ〜い♪
続いてはいるのですが、レスも900を超え残り少なくなってます。せっかくのご意見や発表が
表示できなくなりそうで、むなしくさみしい思いも。。。゛(ノ><)ノ
まぁ〜その際にはまた新しく立ち挙げましょうか^^;

>恐らく包帯でぐるぐるだろうし指は動かないのではと思う。

そう思います。誰かの協力がない限り少佐一人では自決は困難でしょう。
中原軍医がクロロホルムjを使い死亡させたとする説を松木教授が発表しておられますが、
これが一番有力なのかな?


賽の河原の西方面で菅原久右衛門二等卒の死体発見。
救援隊に加わったアイヌ人弁開一行は、駒込川青岩の下流で
小野寺熊次郎伍長以下4名の死体を発見
921日本@名無史さん:05/02/14 20:49:10
アイヌ人は、酒を飲んで体を熱くしてから、極寒の川にもぐり死体を発見していったんだよね。
彼らは北海道でもこんな漁をしていたのかいな?
922428:05/02/14 22:09:32
正直川の中はあんまり寒くないと思う水温が0℃を下回ることは無いから

それに対し地上はマイナスになる上に風速が1メートル上がるごとに体感温度は1度下がる
気温風速装備発汗によっては川のほうが安全ということも可能性としてはある

川に入って上がったらすぐに水分を落とさないと風が強い時の冬は危険

冷凍倉庫などは八甲田に匹敵する温度であっても風が無いから死ぬほど寒いと感じないように
風が弱ければあまり寒さは感じない、遭難箇所は山から風が吹き降ろしてくるような風の通り道で最悪
923日本@名無史さん:05/02/14 23:40:22
>正直川の中はあんまり寒くないと思う水温が0℃を下回ることは無いから 

>それに対し地上はマイナスになる上に風速が1メートル上がるごとに体感温度は1度下がる 
>気温風速装備発汗によっては川のほうが安全ということも可能性としてはある 

             . ィ 
.._ .......、._    _ /:/l! 
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 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ 
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ  またまたご冗談を 
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈 
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ / 
   //:::::       ',    /    ,:'゙ 
924日本@名無史さん:05/02/15 03:49:33
>>922
理論上はありえるだろうけど池ならともかく川は流れがあるから現実の自然の環境や装備においては
起こりにくいと思うぞ
925okkii:05/02/15 20:05:25
構築中の駒込川幸畑付近の水柵完成。
926通常の名無しさんの3倍:05/02/15 22:01:39
オッキーさん、注文した「雪の〜」まだ来ません_| ̄|○
927白髪龍:05/02/16 00:02:51
>>926
こういった地方出版の本は、大きい本屋にも在庫がなくて、版元からの取り寄せになるのが
普通です。
現にAmazonの通販リストでは、「4〜6週間で発送」と記されています。
あまり聞いたことのないような出版社の場合には、Webでその社名を検索し、
電話番号を調べた上、直接電話かFAXで、在庫の有無を確かめ、注文したほうが、
はるかに速く確実に、数日で解決します。電話代と送料はかかりますが。
(版元によっては送金用振替用紙を同梱して、現物を先に送ってくれることさえあります。)
928okkii:05/02/16 15:55:23
どちらの書店に注文されたのでしょうか?
白髪龍さんがお答えのように、在庫確認されたほうが確実でしょうね
ちなみに紀伊国屋新宿店には在庫あり、でしたよ。

いずれにせよ、もうちょっとの辛抱でっせ(笑)

929通常の名無しさんの3倍:05/02/17 22:44:53
>>927->>928
(●´ー`)<ありがとぅ
地方の結構大きい書店に注文してます。
気長に待ちます(´ー`)y━~~
930日本@名無史さん:05/02/20 12:01:50
中隊長殿!!
931okkii:05/02/20 18:55:30
(-_-)zzz ははっ!うとうとしてました。だるまストーブの前で^^;
今日は長州も雪がちらついて、ちいと寒うおますよ(笑)
身から出たさびでお疲れでしたが、元気でいきましょう!

捜索を開始後3週間、大多数の遭難者は収容したため、救助隊の規模を縮小する。
今後の捜索は青森隊のみで行うこととし、弘前諸隊は青森隊に順次引継ぎ交代し、
帰弘するものとする。
932本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :05/02/20 22:03:45
お初に,お邪魔致します.

「川に飛び込んだ伝令」,今泉三太郎見習士官が当地出身と初めて知りましたので,書き込み致します.

今泉三太郎(いまいずみ さんたろう)
佐賀県小城郡三日月村(現:三日月町)大字金田で,小城鍋島藩物成38石であった今泉家の長男として,
明治12年9月27日に生まれ,設立間も無い陸軍士官学校に入学.明治34年11月22日第13期(416名)
として卒業,と同時に第5連隊に配属.
933okkii:05/02/20 23:13:24
>932
本島藤太夫さん、大歓迎ですよ♪
そうですか、三日月のご出身で(超羨)、詳しい経歴を有難うございます。

せっかくですのでお聞きしたいのですが、
今泉見習士官の出身地には記念碑的なものは残されておりませんでしょうか?

もしあるのであれば、それほど遠くでもありませんので、ぜひお伺いしたいと思うのですが(o^^o)
934通常の名無しさんの3倍:05/02/20 23:58:34
>>931
( ̄◇ ̄;)エッ?オッキーさん長州の方なんですか?
自分はお隣の石見の国です。アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
935okkii:05/02/21 06:30:31
おっ!石見の国は毎週行ってますよ。
益田市周辺のお得意先を回って注文とりです(笑)

近くの同志は初めてですね、石見はどちらで?

936通常の名無しさんの3倍:05/02/22 22:10:45
>>935
貴殿がよく来られているM田市です。ww
職場は隣の隣のH田市ですがww

いやー驚きました。
937okkii:05/02/23 06:02:58
いやーこちらこそ驚きました。

そうですかー、私、Y口市から通っておりまして^^
落ち着いたいい町ですよね。
いつの日かお会いしたいものです。
938日本@名無史さん:05/02/23 14:48:26
雪の八甲田で∠(^ー^)
939日本@名無史さん:05/02/23 18:58:06
うちの会社が八甲田山進軍中です。
無能な指導者の下進軍中です。
先月多数の同僚が倒れました。
鬱になる者、自殺する者が絶えません。
940okkii:05/02/23 21:29:40
>939
察するに肩叩き・転勤・配置換え・リストラ。まさに険しい台風真っ只中って感じでしょうか。
実情を知らない部外者の私には窺い知れない、苦汁に満ちた苦しみがあるのでしょう。

しかし荒天はいつまでも続きませんし、こういった試練を乗り越え、その後発展していった
企業は数知れません。

健康に留意されご自愛の上、粘り強く対応されますように。
941日本@名無史さん:05/02/23 23:34:16
当時、気象衛星があれば…
942日本@名無史さん:05/02/24 00:29:43
気象衛星があっても、受信できないわな
943日本@名無史さん:05/02/24 02:10:39
>>940
貴方に指揮官頼みたいょ・・
アリガトね。
944通常の名無しさんの3倍:05/02/24 21:46:20
今日やっと「雪の八甲田で〜」が来ましたヽ(▽⌒ヽ)(ノ⌒▽)ノ ゎ〜♪
今からじっくり読んでいきます。(・∀・)ニヤニヤ 
945通常の名無しさんの3倍:05/02/26 23:35:45
ε=(・o・*)フゥ
ただいま約半分読了。引用文のカタカナの多さにも大分なれますたW
946本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :05/02/27 17:08:45
>>933
okkiiさま,ありがとうございました.

>今泉見習士官の出身地には記念碑的なものは残されておりませんでしょうか?
三日月町の山領バス停のそばに「今泉三太郎之碑」というものがあるそうです.
まだ,現地確認していないので,今度行ってみます.
947okkii:05/02/27 22:41:06
>945
もう半分読まれましたか^^明治期の書物は読みにくいですよねぇ。
訳の解らん文字がいろいろ出てきますので(笑)
ただこの本は著者が読みやすく解説しておられますので、まだよい方ですよ。
原本は当て字や誤字があったりで・・・(泣)

>946
さまは止めてください、それほどのものではありませんので^^。
「今泉三太郎之碑」とは興味深いですね。ぜひ続報をお願いしますね。



948日本@名無史さん:05/02/27 23:45:23
この前、札幌市内は吹雪。その中を歩いて大学まで行った。
友人たちと「すごい雪だったなぁ〜」と話し合っていたら、
漏れが「まったく八甲田山死の行軍みたいだな」と言ったら
友人たちは「なにそれ?」「八甲田なんて山、北海道に
あったけ?」・・・・そうだよなぁ。普通の昭和60年生まれに
は知らないよなぁと思っていたら、漏れの先輩が「お前が
無事だったということは、神に見捨てられなかったんだな」
との言葉にはホットしました。
949okkii:05/02/28 19:59:21
>948
わたしもホットしました(笑)
20歳ぐらいの若い人ですと、何かよほどのことがない限り知る機会は少ないのかもしれませんね
歴史上重大な事件ですし、資料館も新築したのですから、もう少し青森県・青森市あたりがアピール
しても良いのではと思いますけどね^^
950通常の名無しさんの3倍:05/02/28 23:42:08
>>947
オッキーさん、やっと全部読み終わりました。
新田次郎氏の「八甲田山死の彷徨」のみ
読んだだけでは解り得ない色々な事がわかりました。
お勧めいただいて感謝です。
自分が興味を持ったのはP.201からの『美談の真相』
でしょうか・・・未読の方もいらっしゃると思いますので、詳細は
述べませんが・・・
この本に多々引用されていた「遭難始末」にも興味が湧きました。
951okkii:05/03/01 20:48:23

>950

お疲れでした^^;
「遭難始末」は第五聯隊の公式文書です。救助の体制・記録等が
詳しく記されており、ぜひ一冊は手元に置いていただきたいですね。

ただ、この本の購入は多少難しいです。
『古本屋』を検索して見たのですが、ちょっとどうかな、と思うほど高い!

お薦めは、遭難現場の馬立場に「銅像茶屋」があります。
そこで販売していますので送ってもらうのが良いかもです。
参考までに銅像茶屋は『吹雪の惨劇』『雪中遭難記録写真集』
の発行元です。
ただし、冬場は雪のため休業で、今年は4月第1週からの開店予定です。
952日本@名無史さん:05/03/04 14:12:09
首都圏に住んでいます。園に娘(5歳)を送りながら「雪の進軍」を歌ってしまいました。
娘が園で歌って「そんなの知らない」といじめられないか心配です。
「おかあさんが変な歌を歌うからだ」と言われたらどうしよう。
ちなみに天は見放さなかったようで、無事に転ばないで園につきました。よかった。
953日本@名無史さん:05/03/04 16:45:28
>952
ええなー!そんな母さん!
俺なんか芥川のあのメロディー口ずさむと
嫁に「暗いからやめな」って言われるよ。
954日本@名無史さん:05/03/04 19:41:45
>953
オレは右翼とおもわれW
関係ねぇってW
955okkii:05/03/04 20:47:31
>946
本島藤太夫さん、今泉三太郎見習士官の資料は『月刊ぷらざ』からですね?
ふとしたことで知ったもので、発行元から送っていただきまして^^;
下記の板に一部始終を書いておりますのでご覧戴ければと思います。
石碑の写真が載っていますね、古いもののようですが立派なものです。
いつ頃の建立でしょうか、石碑の裏に書いてないですかねぇ。

八甲田山死の行軍を語る
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=hac9cedbb3bbe0a4n9t73a4r8la4k&sid=1835208&mid=1&type=date&first=1
956okkii:05/03/05 07:40:40
>952
ニュースよると滑って怪我をされる方が多いとか、ご無事でなによりです^^

>娘が園で歌って「そんなの知らない」といじめられないか心配です。

いや〜きっと園内で流行するのでは(o^^o)
そのときの先生の困惑した顔が(笑)
957通常の名無しさんの3倍:05/03/05 20:46:23
>>951
エ!!( ̄(工) ̄ノ)ノ
>遭難現場の馬立場に「銅像茶屋」があります。

しがないサラリーマンじゃあ青森までは遠いですww
でもいつかは現地に行きたいですね。
オッキーさんはもういかれたんですよね・・・

958日本@名無史さん:05/03/06 19:37:35
>957
私が行ったのは3年前。「自分だけ好きなことしてから」との罵声を後に残して^^;
二泊三日のあいだ、遭難現場 ・幸畑の陸軍墓地及び資料館・自衛隊駐屯地内の防衛館・旧青森第五聯隊跡
ついでに酸ヶ湯温泉・ロープウェイ・宗像志功記念館・八甲田丸・三内丸山遺跡・浅虫温泉等々
(調べて見たら随分と行ってますね)

次は何時来れるやら分からないので時間の許す限りたくさん見てやろうと動きまくり、撮りまくりといった状態で。
結果、肝心の遭難現場でのきめの細かい調査見学は出来ずじまい、ぜひもう一度いきたいのですが、やはり
青森は遠いです(笑)
959okkii:05/03/06 19:42:50
>958
960okkii:05/03/06 19:51:54
>959
失礼しました。
うっかり押し間違いました~~
>958は名無しですしm(_ _)m

>ただし、冬場は雪のため休業で、今年は4月第1週からの開店予定です。

これは「銅像茶屋」に問い合わせして書いたものですが、ここのところの大雪で
遅れるかもしれませんね。

961本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :05/03/07 21:00:27
>>955
そのとおり『月刊ぷらざ』で初めて知りました。
「今泉三太郎君之碑」は、今度確認に行ってまいりますね。
962日本@名無史さん:05/03/09 13:02:29
怪情報

八甲田山の田代元湯付近の登山道入口から赤倉岳へのルートを
上ると、第五連隊の方々にあえるという噂があった。
ちなみにその噂の登山道は閉鎖中です。

銅像茶屋のトイレに夜置き去りにされて第五連隊の方々と
遭遇し、精神病院に入院している女性がいるという噂もあります。

田代元湯はそろそろダム建設で入れなくなるらしいです。
963okkii:05/03/09 17:50:20
>田代元湯はそろそろダム建設で入れなくなるらしいです。

なんと!そりゃまずい。元湯がダメってことは新湯も?
第五連隊の方々に合ったらダム工事の邪魔するように言っといて(^^o)

964日本@名無史さん:05/03/10 09:45:51
>>962
銅像茶屋じゃなくて陸軍墓地だと聞いたな。
相手の男が怖くなって置き去りにして逃げたと。
その話を母親が友人にしたら「それうちの甥だわ」と言われたらしい。
965日本@名無史さん:05/03/10 19:11:14
所詮は日本で住民が一番サルに近い東北人だから、モルモット代わりに何人死んでもよか
ったんだよ。
東北人以外で遭難した士官は惜しい人材だったかもしれないけど。
966日本@名無史さん:05/03/11 16:38:49
>>965
旅順には第二師団と第八師団を送るべきだったな。
そしたら乃木将軍は名将の名だけをほしいままにできたのに。
967通常の名無しさんの3倍:05/03/11 21:42:55
1000まであとわずか・・・
もし今現在に映画「八甲田山」を創るとしたら
キャストはどうします?

徳島大尉:佐藤浩市
神田大尉:真田広之
児島大佐:松平健
山田少佐:???
倉田大尉:???
村山伍長:大杉連
968日本@名無史さん:05/03/11 21:49:51
加齢臭のプンプンするようなキャストは勘弁
969日本@名無史さん:05/03/11 23:07:53
>>962
行軍隊が目指したのは、元湯じゃなくて、台地の上の方の温泉だったのでは?
970日本@名無史さん:05/03/11 23:30:41
もし、今現在に映画「八甲田山」を創るとしたら ・・・。

徳島大尉: 唐沢 寿明
神田大尉: 上川 隆也
山田少佐: 伊武 雅刀
倉田大尉: 江口 洋介
村山伍長: 稲垣 吾郎

こんな感じになるとオモ。

971日本@名無史さん:05/03/12 10:54:39
>>970
「白」つながりですか? このキャスティングは。(w
972日本@名無史さん:05/03/14 21:57:31
∠( ̄− ̄)中隊長殿!
973okkii:05/03/15 06:33:28
>967>970>972
(へぇ〜い)
わすも出して欲しいだすがやぁ、いやいや主役は皆に任せるだが、田茂木野の老人
『作右衛門』これをお願いしたいだ!

神   田 「一月の末か、二月の初めに、この村の者で(地図を示し)ここから、田代へ出て・・・・
       増沢を通り、三本木へ行った者はないか」
作右衛門 「(地図など見もせず吐き捨てるように)そんな馬鹿者はいねえよ」
伊   藤 「馬鹿者だと!」
作右衛門 「雪は深いし、風も強い、とても歩けたものじゃねえ」
神   田 「その雪や風の状態をもう少し詳しく教えてもらいたい。雪はどの程度で風はどれほど強いか、
       また寒さはどの程度までこたえるか」
作右衛門 「大峠を越えたら、その先は白い地獄だよ」
神   田 「白い地獄着!?」
作右衛門 「四年前に村の若い者が、田代温泉に行くといって出かけたが、六人とも吹雪に飲み込まれ、
       賽の河原でみんな死んだ。十三年前には幸畑の者が十一人だ・・・・一月と二月の八甲田は、
       一度踏み込んだら、生きては帰れない・・・・白い地獄だよ」


なんともカッコええ、しかしこりゃちとセリフが長いなぁ、憶えられそうもないが、台本見ながらじゃいけんか^^;
974日本@名無史さん:05/03/15 06:38:27
975通常の名無しさんの3倍:05/03/15 07:06:37
>>973
オッキーさん美味しい役ですねw

それなら自分は・・・
「これじゃまるで雪の遠足だな・・・」
の従卒でww
976okkii:05/03/15 14:02:05
>975
美味しい役をもう一つ、(ゴホンゴホン、結核がひどくなってきたわいフッフッフッおれは平手御酒か)

         小峠にて。
         食事を終わった神田と伊藤が気難しい顔をしている。
         指揮班の二人のところへやって来ている永野軍医。

永 野 「いずれにしても行軍は中止、直ちに帰営すべきです」
         神田、なにもいわない。
永 野 「天候は明らかに急変している。自分は昨夜青森測候所を訪れ、ここ数日の天気を訊き合わせたところ、
     優勢な低気圧が太平洋岸を北上している」
伊 藤 「低気圧が太平洋岸を?」
永 野 「(頷き)もし昼頃に北西の風が強くなるようだと、天候の異変と考えていいということだ」
         伊藤、チラッと神田を見る。
         神田は依然として考え込んだままなにもいわない。
永 野 「(その様子に)自分は大隊本部付であり、直接の指揮官にこれ以上どうこうはいえないので、大隊長殿に
     直接意見具申をします」
         神田ハッとして顔を上げ永野を見る。


カッコええ!最高だよ(ε^*)チュチュチュ♪
(しかしこの役は、きりりと引き締まった男前じゃないと似合いそうにもないが)
おれでは役不足だとでも・・・・・だがそこはそれ演技力とやらでなんとか(汗)
977okkii:05/03/15 20:32:45
>969
レスが遅れましたm(_ _)m 御指摘通りで新湯の方でしたね。
ダムに沈む前に一度は入っておきたいのですが。

>976
希望役名が抜けてますね、まぁ言うまでもないでしょう(笑)

しかしだんだん残りが;;;
978日本@名無史さん:05/03/15 22:55:30
俺は鉄の嫁さん
979okkii:05/03/16 06:56:05
>978
鉄の嫁さんは、たしかスポンポンで・・・・

鉄がよろこぶかナ ヾ(@^▽^@)ノ

おれが鉄なら、深田恭子タイプの子がええんじゃが(何を考えてるんじゃエロ爺!)【自爆】

980日本@名無史さん:05/03/17 22:04:26
前のレスにもありましたが、田代元湯を目指したというのは疑問。
 狭すぎて、200人もの人が宿泊できる建物がない。仮に元湯に着いても
大部分は野営せざるを得ない。あの時の気象から云えばそれでも犠牲者はでたと思われます。
 元湯に、至るには駒込川に馬立場から下って行き更に駒込川を渡河しなければならない。
200人が安全に宿営できるには田代平を下って柏まで出なければ危ないと思われます。
 

 
981日本@名無史さん:05/03/17 23:22:13
>>980
ん?以前も書いたけど、田代元湯じゃなくて、台地の上の方の温泉だったのでは?
自動車で行くこともできた方の…。秘湯度は圧倒的に元湯の方が↑だけど。
982日本@名無史さん:05/03/17 23:54:49
>>981
台地の上の方と言いますと、現在の地図でいうと、549と書かれてる所でしょうか?
それとも、田代平の八甲田温泉でしょうか?
 元湯は今でも車では行けませんね。途中で降りて歩いて行かなければなりません。
ダムのおかげで水没するんですか。残念です。
 どっちにしろ、野営したら確実に犠牲者が出たと思われますが、いかがでしょうか。
983日本@名無史さん:05/03/18 00:20:14
>>982
温泉の周りに集まれば暖かいんじゃないかなぁ
984名無しの古参 ◆VpKHzOu04Y :05/03/18 00:40:05 ID:??? BE:107568858-
ホワイトアウトか?

こういう事故というか事件は今でもあるな。

岐阜県の冠山って
あんまり高い山じゃないけど
遭難して死んだ人いるから

スレ違いだけど
山の天候は本当によめん。
985日本@名無史さん:05/03/18 18:41:35
>>982
http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=61400700&slidex=2000&slidey=400
↑そう。549と書いている方の温泉だと記憶しています。
986日本@名無史さん:05/03/18 21:40:21
>>985
やっぱり、目的地は「元湯」じゃないんでないでしょうか。
だとしたら、 いつ頃から、「元湯説」というものがでてきたのでしょうか?
 549の南側に、現在「深沢温泉」というのもあるのですがこちらの方は
どうなんでしょうかね。
987日本@名無史さん:05/03/18 22:20:40
深沢温泉はできて20年ほどの温泉みたいですね。

元湯は確か…遭難した一人が逃げ込んだトコだったのでは?
これも不正確ですけどね。
988日本@名無史さん
映画では、村が歓迎の準備してるのに、まだ来てないって場面がなかったっけ?