1 :
日本@名無史さん:
庶民で苗字帯刀を許されていた人々について語ってください。
亨和元年(1801年) お触書の発布
領主により苗字・帯刀を許可された庶民
1.郷士のように由緒あって以前から許されていたもの
2.奇特の行為によって褒賞として新たに許されたもの
3.町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの
2 :
日本@名無史さん :03/07/28 22:32
百石〜数百石風情で威張る中下級武家より名主の上位層の方がマシ。
3 :
日本@名無史さん:03/07/28 22:35
>>2 庄屋の上位、下位の区別はどの辺から?本間様に勝てるのは将軍様ぐらいか!
2だけど、漏れの家は国人領主層が在地化した名主。
筒井順慶の国替えの際に着いていかなかった武士でした。
その後、羽柴秀長公直参になりました。
大阪夏の陣では、秀長公の恩顧のために大阪方で成人男子は皆討死しました。
夏の陣の後、縁故の者が名跡を継ぎ、現在に至っています。
5 :
日本@名無史さん:03/07/28 22:51
>>4 国人領主層というのは何ですか?詳しく教えてください。
在地の武士。特に、南北朝〜室町時代、諸国の在地領主の一般的称呼となり、
国衆などを含めてもいう。守護は補任されてくるのに対して使う呼称。
国人領主層も、大和盆地の中はかなり興亡が激しく、領地が度々移り変わったり
することもある。今の在所に落ち着いたのは、大阪夏の陣の後らしい。
7 :
日本@名無史さん:03/07/28 23:11
8 :
無料動画直リン:03/07/28 23:11
9 :
日本@名無史さん :03/07/28 23:14
>>3 庄屋じゃあいないかな?
商人なら、鴻池・三井・住友なんかは凄いんだけどね。
鴻池は尼子氏の武将、山中鹿之介の子孫で、世が世なら
大名になっていても可笑しくなかった名家。
10 :
日本@名無史さん :03/07/28 23:17
地侍=村落に土着の武士
11 :
日本@名無史さん:03/07/28 23:58
あるホームページからの引用ですが。
>>郷士と名主は、飽くまで豪農の形態の延長と思われがちだが、名主は飽くまで地侍衆の帰農した姿で、
郷士は、武将の家臣団が浪人し土着したものである。地侍とは、戦国の文献史料でも、正規の武士とは異なる表記となっている。
これは、土地を所有する階層で、どちらかと言えば地生えの豪農である。戦国期、農地の生産性が成長した為に現われた新興勢力である。
郷士の先祖となるのは、元々の守護領国制から来た武士の次男、三男であり、領地を所有する階層であった。彼らは、主家没落後に浪人となる。
尤も、時代劇のような長屋住まいの都市型の浪人でなく、領内に持っていた直営田に潜伏した、不労所得者。それが、郷士の始まりの姿なのである
>大阪夏の陣では、秀長公の恩顧のために大阪方で成人男子は皆討死しました。
夏草や兵共が夢のあと
13 :
日本@名無史さん:03/07/29 00:12
>領内に持っていた直営田に潜伏した、不労所得者。
これが後々、はなしをややこしくする。
14 :
日本@名無史さん:03/07/29 00:31
漏れの先祖の場合、徳川将軍が鷹狩に行く為に設けた旧東金
街道の使役に現場監督として従事したわけだが・・・・。
おかげで、武家としての体面を保てるだけの土地をもらい
ましたとさ。
まぁ明治期、傍流×3の漏れのうちはしがない小地主だったわけだが。
15 :
日本@名無史さん:03/07/29 00:48
>>初耳。載ってる資料教えて。
17 :
日本@名無史さん:03/07/29 02:31
>>13 武士階級(というか特権身分)の人たちは基本的に搾取者なんだから問題ないだろう。
名主=農民(搾取される側) 郷士=武士(搾取する側) 最初はこうだったんだろ。幕末
なると全然違いそうだけど。
>>17 武装解除を拒否した武士。
往々にして桃山江戸初期にかけて自分たちの誇りをかけて、
統一政権に押付けられた外来の封建領主団と戦った。
それまでに数百年に亙って自前の勢力圏を築いてきたんだから、
何らかの衝突が起こらない方が珍しかったといえる。
強いて衝突するより新しい封建制に丸ごと取り入れるものも多かったが、
不幸にして衝突し鎮圧された後では一族への差別的待遇が待っていた。
19 :
日本@名無史さん:03/07/29 09:40
今、田舎の方に行くと元庄屋の家だったという家って分家筋じゃないか?本家って東京とかに出てきちゃってる
ってパターン多くないか?家もそうだけど祖父とか父の子供の頃教育のために東京に送っちゃってそのままって感じ。
墓の所有権とかは東京にいる本家で祭祀は分家がやっていて田舎じゃ本家顔、これからどうなっちゃうんだろう。
20 :
日本@名無史さん:03/07/29 09:48
21 :
日本@名無史さん:03/07/29 21:21
うちの先祖は戦国時代に武士だったが、主家没落後は仕官せずに農地経営に専念し、惣肝煎りとして身分上は農民だったが名字帯刀であった。
江戸中期に先祖が私財をなげうって用水路を引いたら、領主は褒美として下馬御免の特権をくれた。しかし仕官していない先祖はこの特権を発揮したことが一度もなかった。
太閤検地でうちの先祖のように農業経営を選ぶと身分は百姓となるが、名字帯刀を保持したまま村役人になる者が多かった。武士身分を選ぶと土地の所有が出来ないので、誰かに仕官して領地や俸禄を貰うか、誰にも仕えずに無収入の浪人になるしかなかった。
22 :
日本@名無史さん:03/07/30 01:38
>21
そんな単純なはなしではないでつYO
23 :
日本@名無史さん:03/07/30 03:11
>>21 この苗字帯刀というのは改めて領主より許可をもらったのですか?
それとも戦国期からの惰性?
24 :
日本@名無史さん:03/07/30 03:31
終戦後、アメリカに見つかるとヤバイとかで
先祖伝来の刀、槍、陣笠まで埋めてしまった爺さんの父。
実家は庄屋だったというが・・・。なぜに陣笠まである?
26 :
日本@名無史さん:03/07/30 03:42
>>24 家も名主で終戦後刀埋めたけど全部掘り返して持っていってしまったと・・・。何で埋めた場所わかったんだろう・・・。
27 :
日本@名無史さん:03/07/30 03:47
日本、特に天皇がアメリカとの約束を一方的に守ったから。
アメリカは日本との約束を・・・・・・・・・・???????
28 :
日本@名無史さん:03/07/30 03:48
29 :
日本@名無史さん:03/07/30 03:56
苗字帯刀を許されてたみなさん、門形式はなんですか?うちは薬医門で江戸後期の建築です。
30 :
日本@名無史さん:03/07/30 13:35
苗字帯刀を許された御用商人・本陣の子孫の方何か書き込んで!
31 :
日本@名無史さん:03/07/30 17:47
いずれにせよ、庄屋層なら戦後の農地改革で一気に傾いているな。
8割がた取られたからねえ。
32 :
日本@名無史さん:03/07/30 17:53
でもなんだかんだいって、いまでも住んでる地域を仕切ってるじゃん。
33 :
日本@名無史さん:03/07/30 18:27
>>31-32 農地改革もあるが昭和大恐慌ってのもかなり多いのでは?銀行などやってりゃなおさら、大きめの庄屋
だった家は間違いなくやられています。
>>19 のように分家筋が大きな顔してるのでしょう。
34 :
日本@名無史さん:03/07/30 19:32
亨和元年(1801年) お触書の発布で町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などは苗字帯刀を許可と書いてあるけど
苗字帯刀でない庄屋もいるわけで、どういうわけだい?
>>23 戦国からの惰性です。
>>29 うちは明治と戦前に火事で焼けて蔵以外は新しいです。
>>31 まったくです。今では昔うちの小作だった家の方が金持ちだったりする。恐慌では結構損したらしく、婆様は郵貯真理教徒です。満鉄株でも大損したらしく、株と博打には手を出すなと叩き込まれています。
>>32 うちもまだ区長と民生委員やてます。
36 :
日本@名無史さん:03/07/30 21:26
>>35 >>戦国からの惰性です
戦国期の有力な地侍ですね!うちもそうですが、苗字帯刀のお墨付きはもらいましたか?苗字帯刀の許可ではなく。
37 :
日本@名無史さん:03/07/30 22:16
>>35 うちは明治と戦前に火事で焼けて蔵以外は新しいです。
うちの場合、蔵以外も焼けてはいないが、門は構えだけ残し土塀は
寿命で崩壊。金がなくて江戸調の土塀は作れずブロック塀になっている。
門と母屋の屋根は銅吹だが、、、
これは本家の話し。分家の私はしがない貧乏サラリーマンですわ。
38 :
日本@名無史さん:03/07/30 23:14
>>33 大都市に進出した庄屋はごく一部。
戦前の銀行も大商人か官立が最も多い。
アメリカの都合が良いように誤魔化しちゃいけない。
GHQの農地略奪で大部分の庄屋が所有権を徹底的に侵害された。
39 :
日本@名無史さん:03/07/30 23:32
生家がこの階層だった私の父親は、農地解放など一連のGHQの施策は
日本を弱体化させるためのものだと言っていた。
ちなみに彼は学校で剣道部であったが、日本軍国主義の温床であるとか
いうGHQによって剣道は禁止されてしまった。
同じような話しを聞いた人は多いのでは?
40 :
日本@名無史さん:03/07/31 00:52
>>31 そんなの、ただの大地主。
少なくとも江戸〜戦前まで閉鎖的農村の中心だった地縁は強いと思う。
家も取られたが小作からただ同然で大半帰ってきた。
近隣の親戚、知り合いの家も大体そんなもの。
中心であった養蚕、煙草農家が昭和40年代にほぼ消滅。
落ちぶれは農業が大して儲からなくなったのが多きい。
42 :
日本@名無史さん:03/07/31 02:18
>>23>>35>>36 苗字帯刀は惰性ではありません。
少なくとも苗字帯刀は公式に許可されていない場合はできません。
あと口約束のみで許可をもらうことはありません。
>>38 東京に進出したとかそういう大げさなことではなく大学に行かせる為東京に送りそのまま就職したというパターン
戦後は長男が全て相続できるわけじゃないから、長男は東京の家をもらい次男は田舎の家をというパターン、僕の
知り合いに2軒ほどありますけど。
>>戦前の銀行も大商人か官立が最も多い
そんなことはないだろ、田舎の大地主なら何らかの形で参加しているはず、銀行と鉄道は大地主ならば関与している。
44 :
日本@名無史さん:03/07/31 07:39
なんかアメリカがやったことを、
無理にでも弁護してる人が何人かいる。
45 :
日本@名無史さん:03/07/31 07:43
>>43 図書館に行って戦前の銀行について調べてみれば?
日本中の所有地を事実上強制で取上げられた農家の全てが、
戦前の時点で銀行に出資していたから土地を手放したなんて出鱈目だ。
アメリカがやった事は自由を踏みにじる強奪行為。
それで没落した人が多かったのは事実。
46 :
日本@名無史さん:03/07/31 08:06
>>45 >>日本中の所有地を事実上強制で取上げられた農家の全てが、
戦前の時点で銀行に出資していたから土地を手放したなんて出鱈目だ
そんなこたー一言も言ってねいだローに全部なんて一言も言ってないよ!!大地主の事、取り付け騒ぎで破産しかかった
家が多かったという事、農地改革とは別問題。何年もかかって銀行の借金を返したという事その中には土地を売った
という部分も入ってるという事、昔の銀行家は今の銀行家と違って金を返したという事、知らないの?大地主の(銀行家)
の家の前で金返せの大合唱知らないの?
47 :
日本@名無史さん:03/07/31 08:58
農地改革で被害を受けた地主っていったってほとんどは地租改正以後の成り上がり(言葉が適切でないかも規模拡大といったところか)だろ!
実際5町歩以上だっけ農地改革の対象になったのは?元々はそんなもんだろ普通に地主は。
48 :
日本@名無史さん:03/07/31 09:07
真剣に調査したことがないので真相は分かりませんが、昔祖母に聞いた話によると実家は刀鍛冶で城に刀を納めていたとか。
それで苗字帯刀も許されていたそうです。
そうゆうケースもあるのでしょうか?
結構大きな家だったそうです。
戦後は没落して今は見る影もありません。
49 :
日本@名無史さん:03/07/31 09:34
50 :
日本@名無史さん:03/07/31 09:47
何でそこまで見事な詭弁を弄して誤魔化すかな。
それとここで5町歩って何ヘクタールか言ってみな。
そんな小さな土地、先祖代代開墾して来た土地まで、
有無を言わさず奪って行ったわけだ。
取り付け騒ぎも物凄い詭弁だな。
日本中の地主が銀行を経営していたかの如く書いてる。
こりゃブッシュ大統領が日本が議会を持っていなかったと言うのも当然か。
こんなことを言う奴がアメリカ人の耳触りが良い事ばかり、
御注進してたんだろ。
アメリカで市民から武器と先祖代代開墾した土地を取上げて、
彼らの雇い人に分け与えるのと同じ事をやったんだ。
51 :
日本@名無史さん:03/07/31 09:57
藩によっても違うと思うけど、
うちの場合、家の記録じゃ代々苗字あるけど、藩の公式記録じゃ
村役人になった代だけ苗字付き。
戦国時代は武装農民て感じだったらしいけど、
藩の記録だと、どっから来ていつから住んでるのか解からんとある。
江戸の始めに名乗り帯刀を許されて、水路掘削の現場監督を騎乗で勤めた。
で、工事完工のご褒美に、藩主から杯と甲冑一式貰った。
江戸期の身分は御百姓。専業農家じゃなくて水路でお米も運んでた。
幕末は肝煎。明治になって村長。次の代が村議会議員。今は普通の市民。
52 :
日本@名無史さん:03/07/31 10:12
>>50 5町歩って何ヘクタールか言ってみな だいたい5町歩=5ヘクタール よって5*3000坪=15000坪
地域、時代によってばらつきがあるから一概にはいえんが、1町の農地を所有した家の年収が、江戸中期で13両前後一石1両(いい加減すぎるか)
が当時の基準であるから、5公5民として26石、5町歩あれば130石ぐらいか(天領ならもっといく)・・・突っ込まれやすいほどいいかげんだが
養蚕なんぞやればもっといくな!これでも結構ハイレベル階層な気が・・・・どっか計算間違えたかな?
>>日本中の地主が銀行を経営していたかの如く書いてる 大地主には多かったんじゃないの!普通の地主は知らん。
53 :
日本@名無史さん:03/07/31 10:31
>>52 天領なら下がるかも!年収を基準にしているから、4公6民だと108石ぐらい。
54 :
日本@名無史さん :03/07/31 18:54
>>48 刀鍛治・医師などの特殊技能者は苗字帯刀の者が多かったんじゃないの?
≫54
藩・幕府・朝廷のご典医なんかは
身分が高い家柄の人(上級藩士の子弟とか)がなったけど
藩主御典医なら最低でも中士以上だろうな。
いつでも直答できる身分でないと主治医は出来ん。
朝廷の場合は、丹波とか和気を含む代々医者の家でしょ?
たぶん、朝廷の場合は地下家(下級貴族)
まあ俺が言いたいのは医師(身分が高い)は苗字帯刀が許されたんじゃなくて
最初から苗字帯刀だったんじゃないかなって事。
付け足し<町医師の場合は知らないけど
身分の高い医者もいるし身分の低い医者もいる。
訂正<誤・医師(身分が高い)
正・身分が高い医師
61 :
日本@名無史さん:03/07/31 22:43
確かに権力者のお抱えの医師はそれなりの身分・権威は保障されてるな、
朝廷の侍医にしろ藩のご典医にしろ。
俺が言いたいのはフィクションの世界の武士と893だけ矜持を持っていて
その他はそれが解らない糞って構図が違うってこと。
アメリカ擁護は関係ない。
庄屋名主と従属農民は家族なんだよ。てめえが儲かるからって恩を仇
で返す奴なんていない。江戸マンセーとか居るが実際はここの関係が
江戸崩壊を妨げた。幕府の政策は糞でも。
母方は木挽き大工で女の内職がてらに土地借りてたが一応取得した後
返して、また格安で借りた。
集英社の通史でも実質効果無かったと書いてるな。
63 :
日本@名無史さん:03/08/01 04:25
先祖は130石程の村の庄屋だったらしい。
村の世帯や人口は5倍近く増えているのに石高は変化なし。
この程度の石高で蔵が3,4棟あったらしいけど、
表高よりもかなり裕福だったんだろか?
>54
なるほど。レス、ありがとうございます。
当時、刀鍛冶にはどのような家の者がなっていたのでしょうか?やはり士農工商の時代だから代々その職を続けていたとは思うのですが、江戸時代のいつ頃かの時点でその職を始めたと思うので。もし分かる人、いらっしゃれば教えてください。
65 :
日本@名無史さん :03/08/01 07:04
>>57 名工・名医には、一代名跡もあったと思われ。
66 :
日本@名無史さん:03/08/01 07:06
>54
名字は許されても帯刀は無理
67 :
日本@名無史さん:03/08/01 07:08
名主階級で苗字帯刀を許されていた人数は多いの?
68 :
日本@名無史さん:03/08/01 10:27
>>64 当時の刀鍛冶は基本的に職人です。
つまり才能が必要なので、代々刀鍛冶の家とかいうのは基本的にありません。
流派は弟子経由で続きます。
その弟子も出身は様々です。
69 :
日本@名無史さん:03/08/01 11:57
うちの曾祖母の家系は御殿医でしたが、城付きだったんだが(領地替えの時はいっしょにいかず留まる)なんだか武家屋敷町に
屋敷があるにもかかわらず維新後は平民だったんですが、なんでだろう?苗字帯刀とかは許されてなかったのだろうか?
71 :
日本@名無史さん:03/08/01 15:49
>69たぶん御典医の分家(明治以後)で本家は士族だと思う
もしくはあなたの先祖が士族身分を要らないと言ったのか
普通の場合御典医・藩医は藩士がやる仕事だから(代々ならなおさら)
72 :
日本@名無史さん:03/08/01 16:32
藩医・御殿医(お抱え)と町医者(民間)は身分が違うからな
73 :
日本@名無史さん:03/08/01 17:46
(一)
泪羅(べきら)の淵に波騒ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血潮湧く
(二)
権門上(かみ)に奢れども 国を憂うる誠なく
財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし
(三)
ああ人栄えて 国滅ぶ 盲(め)しいなる民 世に踊る
治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり
(四)
昭和維新の春の空 正義に結ぶ益荒男(ますらお)が
郷里百万 兵足りて 散るや万朶(ばんだ)の桜花
(^^)
75 :
日本@名無史さん:03/08/02 03:02
御典医は代々の家柄だけではありません。
一代限りも多いのです。
76 :
日本@名無史さん:03/08/02 05:54
夢みがちな庶民のスレはここでつか?
77 :
日本@名無史さん:03/08/02 20:43
>>76 豊臣期以前は、武士と百姓の境なんて曖昧なんですよ。
長男が百姓の家を継いで、次男が武士になるという例もありますしね。
幕藩後期になって名字帯刀を認めるのは
村役人層、いわゆる社会的権力ですな
こういった人々の協力なしには農村を支配できなくなった領主権力側が
彼らのかつての家格を認めたに過ぎないわけ。
だから「庶民で名字帯刀を許可された」という言い方は、本質を言い当てていないように思うねえ。
78 :
日本@名無史さん:03/08/02 22:08
>>52 この計算、よくわかりませんねえ(w
中田の石盛が反別1石3斗として、5町歩で持高は65石。
幕末期になると地主による土地集積が進むので
この程度の持高だと大した地主ではないです。
80 :
日本@名無史さん:03/08/02 23:03
>>78 かなりアバウトな計算なんで!時代と地域(生産性)の違いが大きいのでサンプルによってかなり変動するようです。
>>この程度の持高だと大した地主ではないです
その通りだと思います(相対化した場合はたしかに大した事はないでしょう)。ただ地主階級とは言えるでしょう。
多くの地主はこの程度では?
81 :
日本@名無史さん:03/08/02 23:46
>>80 持高を見るのが普通のやり方だと思うのですが
あなたの計算は収入を見ておられたので、不思議だなと思った次第です。
持高20石以上を地主と見ることが多いですから
中田5町歩あれば地主です。
ただ銀行とかの経営に関与できそうな豪農とは言えないと思いますが。
82 :
日本@名無史さん:03/08/03 00:13
江戸時代なら苗字帯刀というより苗字帯刀長屋門裃可がそれなりの家の
証だろ。旗本クラスと変わら無いからな。
83 :
日本@名無史さん:03/08/03 00:37
>>82 地域にもよるのでしょうが
一般的に名主・庄屋クラスの家で長屋門はそれほど珍しいものではないです。
それから御家人でも上下格というのがありますから
上下着用可=旗本クラスとはならないと思います。
やはり苗字帯刀がひとつのメルクマールではないでしょうか。
84 :
日本@名無史さん:03/08/03 01:01
メルクマールってなによ?
85 :
日本@名無史さん:03/08/03 01:17
>>84 メルクマール=試金石
漏れの母方の家の場合、幕末に上総・下総地方に乱立した新藩
の陣屋代わりに、所有していた屋敷が使われたそうな。
藩知事が廃止されてから、分家の屋敷として使用されるように
なった。
ちなみに長屋門は戦前には国の有形文化財でした。
太平洋戦争の戦火が焼けちまって今はないけどね。
86 :
日本@名無史さん:03/08/03 01:24
>>80 >>81に書き忘れましたが
近江国膳所藩領では実質年貢率は10数%〜20%程度という研究もありますから
実収入で計算するなら
建前の年貢率である5公5民を使うのはマズイと思います。
>>84 Merkmal ドイツ語で指標とか目印とかいう意味です。
研究者の間では、ごく一般的に使う言葉ですが。
87 :
日本@名無史さん:03/08/03 01:31
>>83 御家人の「かみしも」は与力の職務上しか知らなかったですが
その他にも有ったんですね。勉強になりました。
>>85 どうでもいいことなんですが
有形文化財というのは、文化財の概念あるいは分類だと思うのですが。
有形文化財の中で重要なものを、国が重要文化財とか国宝に指定するわけで
国の有形文化財というのは何だか妙です。
ちなみに登録有形文化財というのがありますが
これは平成8年に始まった制度ですから、戦前には存在しないものです。
89 :
日本@名無史さん:03/08/03 01:45
>>88 詳しいね、あんた (^^)
実際、戦前の証明写真と関係官庁から送られてきたという書類
があるということを聞いただけなので、確かなことではないが (藁)
かつて母親の家で女中頭として働いていたおん年101
才の田舎のよそのおばあちゃんに聞いた話を鵜呑みにした漏れがアフォ
だった。よく調べてからまた書き込むや。スマソ。
江戸後期〜幕末庄屋だった(590石1っ斗4升)岡山県です。
「備中村鑑」って奴によると普通に苗字名乗ってたみたいです。
門はなかったみたいだけど、年貢米収める倉(家では乾の庫って呼んでいる)と
代官が泊まる時に使った上便所と五右衛門風呂があったそうです。
今は折れた脇差と(普通の刀はもてなかったのでしょうか?帯刀御免でない?)裃と位牌ぐらいしかありません
どうやら家の地方では庄屋は世襲ではなく、選挙で決めていたみたいです。
備中村鑑見ていると凄い家が結構ありますね!(公儀苗字御免人とか)
91 :
日本@名無史さん:03/08/03 03:36
うちの先祖は城下町に長屋門の屋敷を構え
馬に乗っていた。
すばらしい
92 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:19
>>81 申し訳ございません。手元の資料に収入しかなかったもので・・・・。
>>ただ銀行とかの経営に関与できそうな豪農とは言えないと思いますが。
そうです。普通の地主だろうということです。(大地主でない、いわゆる規模拡大してない地主、また多くの地主はこの程度だろうということです。)
>>近江国膳所藩領では実質年貢率は10数%〜20%程度という研究もありますから
実収入で計算するなら
建前の年貢率である5公5民を使うのはマズイと思います。
的確な突っ込みありがとうございます。以後そのようにいたしますのであしからず。
93 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:20
しかしお前らすげー話してるな。
いくつだ?いったいお前ら。
俺は56だが。
94 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:24
先祖は、輪番で惣庄屋を行っていました。
元は、複数の地侍の一人であったようです。
95 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:27
96 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:28
ギャハハハ
97 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:40
>>1 佐藤の苗字が爆発的に今のように広まったのは1800年頃というしね
98 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:44
惣庄屋とは、庄屋を支配していた者、
俺の先祖の場合は、八ヵ村を支配していた。
99 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:49
>>83 >>地域にもよるのでしょうが
そうでしょうね!うちの田舎に行くと(天領)名主階級の家はほとんど薬医門(禅宗の影響か?)で板塀です。
幕末以降の成り上がり(???田舎は怖いです)明治時代頃に建てたらしい巨大な長屋門がわずかにあるばかり
ですし白塀はほとんど見ません。旧本陣などの門は長屋門の長屋を取り除いたような不思議な形をしています。
文章で表現しづらいのですけど、廊下の一部分というか門を入ると2,3メートル位壁、天井に囲まれてる感じです。
101 :
日本@名無史さん:03/08/03 08:41
明治期の高利貸しが偽系図を作って自慢してたのが全てです
102 :
日本@名無史さん:03/08/03 10:01
>>94>>98 一般的には大庄屋とか割元とか言いますね。
ひょっとして熊本藩でしょうか?
103 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:08
亨和元年(1801年) お触書の発布まで苗字帯刀って禁止されてなかったのですか?
>>103 江戸時代のお触書や政令はなぁなぁな部分が多いからな。
>>103 さっき質問を受けた990だが、庶民が苗字を禁じられていたのは、
享和元年(1801)7月の苗字帯刀の禁令から明治3年(1870)9月の
平民苗字許可令までの69年間だよ。
禁令以前は、庶民も普通に苗字を名乗ってた。
また、禁令中も、例外的に苗字帯刀を許された庶民もいた。
俺の家に天正14年(1586)に書かれた書物があるが、そこに載ってる
全ての庶民が苗字を名乗っている。
>>105 文書に苗字を記載されないだけで、ほとんどの人は苗字を持っていたよ。
107 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:25
普通は大肝煎っていわね?
8箇所はすくねーわな
普通十数カ所なんだが
108 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:27
庶民必至だな藁
持ってても名乗れなきゃ意味ねーだろアホ
>>106 補足すまん。
>>103 禁令中は苗字の公称は原則禁止されたが、私称はごく普通に行われていた。
本家さんは某藩の商人でしたが、殿様の娘が嫁に入りました。
111 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:31
武家の子孫スレの不毛な議論は持ち込まないでほしい。
112 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:32
お前ら必至すぎて笑える
幼稚園児みたいだな藁
113 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:34
>>112 ウルチャーイ!もれの先祖はぶしなんだー!
笑うなードゲザしろー!
114 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:36
武家スレの2を誰か立てて。
115 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:37
「美少女戦士セーラームーン」
10月からTBS系で実写版ドラマとして放送
117 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:39
キャスト
セーラームーン/月野うさぎ
沢井 美優(みゆう)
セーラーマーキュリー/水野亜美
浜 千咲
セーラーマーズ/火野レイ
北川 景子
セーラージュピター/木野まこと
安座間 美優(みゅう)
セーラーヴィーナス/愛野美奈子
小松 彩香 他
スタッフ
制作…中部日本放送(CBC)電通 CAZBE 東映エージエンシー 東映
原作…武内直子(講談社コミックスなかよし)
プロデューサー…岡崎剛之(CBC)
竹沢寿之(CAZBE)
矢田晃一(東映エージエンシー)
坂田雄馬(dentsu)
白倉伸一郎(東映)
丸山真哉(東映)
脚本…小林靖子 他
監督…田崎竜太 他
118 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:39
119 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:43
120 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:45
ついでに士農工商など、新政府の陰謀スレも立てよっか。
121 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:47
>>114 ちゅーか勃てたい香具師が勃てろ!
なんで頼むわけ?おこちゃま?
122 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:49
123 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:54
>>121 2ちゃんねるのシステムも知らずに、でかい口聞いてんじゃねーぞ!
君が立ててみろよ、できるっかな?
124 :
日本@名無史さん:03/08/04 02:02
>>123 何がシステムじゃボケ!
リロードわかりまちゅかぁ?
一番下にいくと新規作成とありまちゅのでそこで自分でちゅくってねぇ
125 :
日本@名無史さん:03/08/04 02:03
スレタイはどうするの?
126 :
日本@名無史さん:03/08/04 02:04
>>124 かちゅ使いなんでわからん。
新スレを必要と思っている人いるのかな。
>>124 なんだこいつ、2ちゃん専用ブラウザも知らないのか。
128 :
日本@名無史さん:03/08/04 02:09
>>125 私は「旧武家」の末裔です 二人目
内容
江戸時代における身分は大切。江戸時代の身分は脈々と今日まで続いている。
私の家系は仙台藩の上級武士だが、明治以降は将官や官僚を多く輩出した。
現在、私がお金に苦労せず、高級住宅地の持ち家一戸建てに住み、ゆとりある
暮しが日々出来ているのも先祖の恩恵である。平民の人は苦労し、努力しても
私のレベルにはとうてい及ばない。
129 :
日本@名無史さん:03/08/04 02:13
はよー作れボケ!!
130 :
日本@名無史さん:03/08/04 02:13
>>128 じゃあ、それで立てられたら立ててみるか。
131 :
日本@名無史さん:03/08/04 02:14
>>130 漏れは立て過ぎでたてらんねーから4649
立てますた
何だか農家出身の古参兵が
新兵(ひょっとしたら武家出身かもしれない)をいたぶっている図のようなんだが。
135 :
日本@名無史さん:03/08/04 04:28
俺は名主の子孫。親たちにはご先祖様が果たせなかった夢、国会議員とくに首相になりなさいと、格下の家が貴族院議員、衆議院議員を出し
うちもというときに、2代つづきで若くして当主が死んだ。昔ほどの土地があれば・・・・。
136 :
日本@名無史さん:03/08/04 05:24
何坪?
137 :
日本@名無史さん:03/08/04 05:48
138 :
日本@名無史さん:03/08/04 08:29
大庄屋って何坪くらいもってたんですか。
10万坪くらいかな?
139 :
日本@名無史さん:03/08/04 08:53
>>136 >>138 うちは大庄屋ではないけど天領なんで。土地の広さは数字では分からないけど、車で走ると30分ぐらい、いまでも田圃だらけで
人家はまばらです。
140 :
日本@名無史さん:03/08/04 12:27
>>138 近世の農民経済を見るときには
基本的には所持する田畑の面積ではなく、石高を使います。
大庄屋といっても地域によって格差があると思いますが
例えば庭瀬藩小田郡大庄屋の石井家ですと、寛政期には270石を所持しています。
これを石盛1石で計算すると27町歩ということになります。
141 :
日本@名無史さん:03/08/04 13:27
>>140 大庄屋で270石って少なくないか?地域差かもしれないけど、ちょっと大きな庄屋なら200から300石はありそうな気が・・・。
142 :
日本@名無史さん:03/08/04 14:14
>>141 薩摩藩とか長州藩とかのように領国支配が貫徹している地域と
畿内近国や関東のような非領国地域とでは違いますし
また地域間の生産力の差もあります。
ですから270石で多いのか少ないのか
そういうことは一概に言えないのですよ。
まあこういう議論は学術的にはあまり意味がないと思います。
143 :
日本@名無史さん:03/08/04 14:20
自己レスです。
>>142は
「領国支配が貫徹する地域」よりも
「一円支配が行われている領国地域」の方が良いですね。
訂正しておきます。
144 :
日本@名無史さん:03/08/04 19:16
大庄屋と庄屋はどうやって区別するんですか。石高ですか?
145 :
日本@名無史さん:03/08/04 19:32
今でも米が余っているのに皆、米ばかり作っていたら米が余って仕様がない
だろう
146 :
日本@名無史さん:03/08/04 19:52
>>144 庄屋はひとつの村の責任者ですが
大庄屋は、領内の村々を組とか領とか呼ばれるいくつかのグループに分けて支配する場合
そのグループのリーダーとしておかれたものです。
石高で区別するものではありません。
140さん岡山の人?当方岡山です!
岡山成羽の西江とか広兼は凄いですよね!
149 :
日本@名無史さん:03/08/04 22:09
>>147 申し訳ありませんが、岡山ではありません。
父方は美濃、母方は河内、いずれも庄屋(名主)ですが
父方は明治初期に、母方は農地改革で没落して
今はほとんど何も残ってません。
ちなみに妻の実家は長州の士族だったりします。
150 :
日本@名無史さん:03/08/05 02:37
お前の家に鮫鞘はあるか?
鮫鞘は高級品だけどさ、鮫皮細工は江戸時代には普通にある。
152 :
日本@名無史さん:03/08/05 05:47
田が10町くらいしかなくっても、名跡がものをいってる名主もある。
鞘で鮫皮巻きなんてあるのか?
154 :
日本@名無史さん:03/08/05 18:03
君らの手放した都市近郊の土地に小作人がマンション建てて悠々暮らしてます
アメリカ∩( ・ω・)∩ ばんじゃーい
155 :
日本@名無史さん:03/08/05 19:42
大土地所有者の復活求む
イギリスみたいに3億坪とかの
坪で農地の面積を語るのはトーシローだわな(w
,,,--─===─ヽ/へ
/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ
...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
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160 :
日本@名無史さん:03/08/06 21:15
>>157-158-159 てめーーーー!!神聖なこのスレを汚すなーーーー。出て行けーーー。
161 :
日本@名無史さん:03/08/06 21:49
漏れの苗字と同じ地名があるってかつてそこの領主だったってことでいい?
162 :
日本@名無史さん:03/08/06 21:52
名主の名字を苗字として貰う領民も多かったから。
話が少し違うが、全国の藤原さんを考えて見ればいい。
165 :
日本@名無史さん:03/08/07 00:36
譜代名子とかは普通に貰ってるね。
両親亡くなった人が兄弟として育てられ一族のご意見番だったりする。
166 :
日本@名無史さん:03/08/07 00:57
全国の藤原さんの多くは、かつて藤原氏の氏人だったか、たまたま発祥地
の地名が藤原だったんだろう。
153>ありますよ!世間一般で鮫皮とされているものの中には、エイの皮もあります。
鞘に鮫皮を巻いて、その上から蝋色(漆の種類)をかけて砥ぎだした物です。
なかなかの洒落物ですね!僕は子供の時からおばあちゃんに「昔は庄屋で、家の屋号はOO屋で…」と
聞かされ歴史に興味をもち史学科に入るも近世文書読むのが苦痛以外の何者でもなく
結局、院で近世美術史を研究することになってしまった(笑)
ここの板にいる方はやっぱり文書が読める方が多いのでしょうか?
>>167 古文書を読むには一種の慣れが必要ですから
最初は全然読めなくても、ある時突然読めるようになることが多いようです。
ただ読めるようになるまでの時間は個人によってまちまちですので
学部段階で1年かかっても満足に読めなければ、投げてしまうでしょうね。
美術史といっても、史料を読む必要が全くないというわけではないでしょうから
またボチボチと勉強されたらいかがですか?
169 :
日本@名無史さん:03/08/07 13:08
>>105 >>庶民が苗字を禁じられていたのは、 享和元年(1801)7月の苗字帯刀の禁令から明治3年(1870)9月の
平民苗字許可令までの69年間だよ。
それまで、地侍の子孫なんかで田舎にいる人なんて庶民でも刀とか差してたのかな?
170 :
日本@名無史さん:03/08/07 19:54
寛延元年(1748)11月3日に「御料村々百姓町人苗字帯刀禁止」の触が出ている。
したがって
>平民苗字許可令までの69年間だよ。
これは間違い。
享保13年の日光社参の時には
名主は触次・宰領(人足のリーダー)として参加しているが
彼らは脇差の帯刀を特に認められている。
だから「公的」には長刀の帯刀はもちろん脇差帯刀も禁止されている。
もちろん実態としては、刀を持ち歩いていた者もいると思うが
身分の問題を考える際には
「公的」にどうであったかという視点が重要。
171 :
日本@名無史さん:03/08/07 20:19
>>170 領主により苗字・帯刀を許可された庶民
3.町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの
これはどういうことなんですか?町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄に苗字帯刀が許されている様に書かれていますが、
許されてない人も多いですよね?
173 :
日本@名無史さん:03/08/08 03:06
八王子千人同心は基本的に百姓身分のため宗門人別帳に記載された。
ただしその役目である日光勤番のときのみ苗字帯刀を許された。
174 :
日本@名無史さん:03/08/08 03:10
江戸時代の法令で気をつけなければならないのは、
現在の法令と違い一度発布されても時間がたつと守らなくなるため何度も発布される。
読み方は「なえあざたてわき」でいいですか。
「くのうたてわき」と関係ありますか?
177 :
日本@名無史さん:03/08/09 00:56
大庄屋の方語ってください!
178 :
日本@名無史さん:03/08/09 01:19
漏れの家は代々、天領で大庄屋をやっていたのだが(世襲ね)、
在地の代官と馬が合わなく仲違いしていたという。
家格も石高も下級旗本の代官より上となれば、「アホらしくて
代官の命令なんか聞いてられっか」って気持ちになるのも当然
だわな。(藁)
経済的には、庄屋>御家人、大庄屋>下級旗本 でしょうな。w
どこぞの「武家の末裔スレ」では必死になってるがね。(藁藁)
ただの庄屋でも士族よりは格が上。
十分、旧家を誇れますわな。w
179 :
日本@名無史さん:03/08/09 01:22
>>178 天領って途中で大庄屋なくなった気が・・・・・・。
180 :
日本@名無史さん:03/08/09 01:58
だからこのスレでも言った者勝ちなんだよ。
素直に信じちゃいけません。
でもつっこんだらつっこんだで反論するのが快感な連中だから、あげ足をとってもいけません。
無視が一番です。
181 :
日本@名無史さん:03/08/09 02:25
>>178 お前、下品で笑える。野村沙知代と同じ匂いがする。
生貧でも武士のように品位を保て。って百姓階級にいってもムダか。
182 :
日本@名無史さん:03/08/09 02:39
無駄だね。だって祖先が社会不適合者だってのを自慢してる馬鹿だもん。
祖先が祖先なら子孫も子孫だね。
恥の上塗り家系だよ。
でも心配しなくても大丈夫。
この先祖話はただの妄想の産物だからね。
馬鹿一匹確捕の必要はあるけどさ。
183 :
日本@名無史さん:03/08/09 03:08
門地・学歴のないゴキブリが何を言いってんだか w
人様を勝手に「百姓」呼ばわりするんだから、相当
自分に自身があるんだね。(藁)
最低でもMARCH出てから言ってくれ w
ん?俺? 郷士出身の地底卒ですが、なにか?
184 :
日本@名無史さん:03/08/09 03:13
コピペごくろうさん
マーチ程度じゃ自慢にならん
俺は華族当主の次男で東大出てるから
地底で郷士ですか
かわいそうに
ま・け・ぐ・み
185 :
日本@名無史さん:03/08/09 10:34
旧華族で東京帝国大学を卒業された方を何人か存じ上げておりますが
>>184のような露骨なことはおっしゃいませんね。
やはり戦後生まれは駄目ですな。
186 :
日本@名無史さん:03/08/09 10:43
相変わらず、後ろ向きのスレだな。
オマエラ、今を生きろ!!
187 :
日本@名無史さん:03/08/09 12:23
185は183のなりすましだろ?
ま・け・い・ぬ
188 :
日本@名無史さん:03/08/09 15:13
>>184 底辺校の工房が必死だな(藁)
まぁ、Fランク大学合格に向けて頑張れや。w
>>187 すぐにこういう邪推をする人がいるのが愉快ですね。
>>185は私が書いたものです。
地底卒は正しいですが、郷士ではありませぬ。
年収900万円弱
「かちぐみ」ではないかもしれませんが、大敗はしていないと思います。
190 :
日本@名無史さん:03/08/09 15:38
なぜ184に対して187のようなレスが生まれるのか?中卒Bの書き込みと思われる。
188はいちいち書くところが愉快。
てかそもそも184は嘘だと思うが。
嘘つきと馬鹿の集まるスレですね。
191 :
日本@名無史さん:03/08/09 17:16
江戸時代には水のみ百姓でも実は先祖代々の苗字があったって本当?
192 :
日本@名無史さん:03/08/09 17:33
>>191 水のみ百姓たっていろいろいるだろう、庄屋(地侍)の分家筋なら当然名字はもってるだろうし。
193 :
日本@名無史さん:03/08/09 18:04
>>1以外で苗字帯刀を許された人って献金献金献金?
194 :
日本@名無史さん:03/08/11 23:27
( ´,_ゝ`)
195 :
日本@名無史さん:03/08/11 23:34
>>191 大丈夫!心配しなくても君の家は名字の無い家系だったよ。
196 :
日本@名無史さん:03/08/12 02:14
苗字帯刀なんかより、「淫行御免」のほうがずっとええ
197 :
日本@名無史さん:03/08/12 11:04
>>196 庄屋階級なんて実際はそうだろう!奥さんなんて5,6人いたらしいし。
198 :
日本@名無史さん:03/08/12 23:49
庄屋門について語りましょう。
199 :
日本@名無史さん:03/08/13 10:37
庄屋さんには、士族コンプあった人おおいかもと思えてならないんです。
だって、最近まで除籍に平民の記載がされていたわけですし。
200 :
日本@名無史さん:03/08/13 12:00
>>199 まあ、そうかもね。ほとんど武士として扱われていた家も多いだろうし、武士道は庄屋階級に浸透してたらしいし・・・だいたいは戦国期には武士だし。
憤懣はあるだろうね!
201 :
日本@名無史さん:03/08/14 00:16
庄屋層を「階級」と呼ぶことに少し違和感を感じます。
庄屋を含む村役人層を「階級」と規定している研究があればご教示下さい。
202 :
日本@名無史さん:03/08/14 08:18
村役人層という階級でしょう。
|悲しいときー! | |日本の現人神が実は麻郷出身で維新前、奇兵隊の足軽だった事実がバレた時!
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧ ∧_∧
( ゚Д゚) ( ´д`)
⊂○ ○ヽ ||”○-○””””|
| | ̄ ( )( π ) ( )
/ /\\ .||_____|
/ / > / / / ) )
(_) > (_) (_)
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
205 :
日本@名無史さん:03/08/15 19:08
実際問題としては農村の中には厳然たる階級差があるでしょう!
206 :
日本@名無史さん:03/08/15 20:18
だから匿名さんのご意見ではなく
先行研究をご教示いただきたいわけなのだが。
207 :
日本@名無史さん:03/08/15 21:38
ほとんどの研究がそうだけど
208 :
日本@名無史さん:03/08/15 21:52
>>207 ひとつで良いから具体例をあげて下さい。
209 :
日本@名無史さん:03/08/15 21:58
>>208に追加しておくと
例えば
京大の朝尾直弘『近世封建社会の基礎構造』(お茶の水書房、1967年)は「庄屋層」と書いているし
東大系だと
久留島浩『近世幕領の行政と組合村』(東京大学出版会、2002年)は
「村役人層」とか「村落上層農民」などと書いている。
210 :
日本@名無史さん:03/08/15 22:05
>>202は
>村役人層という階級でしょう。
と書いているが
それならば「村役人階級」と書くはずで
わざわざ「層」という語を用いるのは、「階級」ではないことを示すためだ。
だから「庄屋階級」という言葉を使っている研究を示してほしいわけよ。
211 :
日本@名無史さん:03/08/15 22:35
>>210 >わざわざ「層」という語を用いるのは、「階級」ではないことを示すためだ。
なんでそうなるの?
思い込みだよ。
212 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:00
「階級」という語はタームとしてきちんと定義されているわけだが
「層」だとそのような定義はない。
村役人を「階級」と規定しているなら
きちんと定義されている「階級」の語を使うのが研究者のとるべき態度だ。
まあとにかく「庄屋階級」という語を使っている研究を
ひとつで良いからあげてくれ。
213 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:42
>>212 >きちんと定義されている「階級」の語を使うのが研究者のとるべき態度だ。
なんでそうなるの?
思い込みだよ。
214 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:52
>>213 まあとにかく「庄屋階級」という語を使っている研究を
ひとつで良いからあげてくれ。
215 :
日本@名無史さん:03/08/16 00:03
ここは研究者というよりマニアやオタクが書いてるんでしょ。
重箱の隅をつっつくようなタームの指摘も野暮だと思うけど・・・
216 :
日本@名無史さん:03/08/16 00:09
>>215 多分そうだとは思うのだが
最近はここらで遊んでいたと思われる工房が史学科に進学してきたりして
ちょっと困ったことになったりするものだからね・・・
217 :
日本@名無史さん:03/08/16 00:48
>>216 研究者の方なら庄屋の苗字帯刀について詳しく解説してください。
地侍が帰農し庄屋になったら苗字帯刀が許されるなどという話がありますけど、これは本当なんですか?etc
聞くときの態度は〜
>>218 これは失礼しました!どうぞ、御教授ください。
帰農したのは自侍だけじゃあるまいよ。
221 :
日本@名無史さん:03/08/16 02:12
>>217 土豪が庄屋になるというパターンは、結構あるかと思いますが
その実態は史料的制約もあって不明な部分が多いです。
ただ苗字帯刀の点に限定していうと
地域的な差があろうかと思いますが
近世初期の公的な文書に庄屋が苗字を使う例を
私はほとんど見たことがありませんし
帯刀に関しても脇差をさすことが認められているだけです。
なお私的な文書では、結構苗字を使っていたりしますが
これは苗字帯刀御免という問題とは別の範疇の話になります。
このような状況に変化がみられるのは近世中期以降です。
領主側が大庄屋や庄屋に苗字帯刀を認めるようになりますが
それでも彼らはあくまで農民であって武士になるわけではありません。
大庄屋や庄屋をひき続いてつとめます。
この点は農民を代官に登用する「在地代官」とは異なります。
庄屋が在地代官に取り立てられた場合
彼は村の人別帳から抜かれてしまいますし
庄屋は別人(たいていは息子)がつとめることになります。
在地代官の場合は1代限りの武士身分になるわけです。
222 :
日本@名無史さん:03/08/16 04:17
>>216 だからなんで層と階級が違うのか説明してよW
223 :
日本@名無史さん:03/08/16 12:18
>>221 詳しい説明ありがとうございます。このスレにはあなたのような専門家が必要です。ですからあなたをかってに教授と呼ばせていただきます。
そこで教授いくつか疑問点があるのですが、
1、 苗字帯刀を許されていない庄屋は脇差のみはゆるされていたのか?
2、
>>1 にあるように1801年以降は全ての庄屋は苗字帯刀を許されていたのか?
3、
>>1 にあるように郷士は庄屋などと同じように庶民に規定されていますがどういうことでしょうか?
よろしくお願いします。
224 :
日本@名無史さん:03/08/16 12:27
>>223の2について
明治 4年 某県資料では 庄屋○兵衛とあり、
苗字は表記されていませんでした。
明治で、〜県となっていたことから、かなり印象に残っています。
ちなみに、この庄屋は「農」です。
これは、明治になっても庄屋の苗字が公式には認められていなかった例です。
225 :
日本@名無史さん:03/08/16 12:44
226 :
日本@名無史さん:03/08/16 12:59
227 :
日本@名無史さん:03/08/16 14:51
>>224 国民が姓を名乗ることを義務づけられるのは明治8年。
明治4年段階では。平民も姓を名乗ることが許されたに過ぎない。
したがって名乗っていない者も存在した。
むしろ課税・徴兵への警戒から名乗らない者の方が多かったという説もある。
228 :
日本@名無史さん:03/08/16 15:18
>>223 1 旅行の際には庄屋でなくても脇差の携行は許されています
ただ帯刀とは大刀をさすことであって
脇差は帯刀の範疇に入りません。
2 庄屋に苗字帯刀を認めることもあるという触であって
すべての庄屋が認められたわけではありません。
3 申し訳ありませんが、質問の意味がよくわかりません。
229 :
日本@名無史さん:03/08/16 15:29
>>228 3,について
>>1 の文に「領主により苗字・帯刀を許可された庶民」とここに庶民とあり次の行に郷士のように・・・・とあるものですから
郷士は庶民なの?と思ったわけです。
230 :
日本@名無史さん:03/08/16 15:45
>>229 私は郷士の存在しない地域の研究をしていますので
郷士についてはあまり詳しくないのですが
一般に郷士の存在形態は非常に多様とされています。
ポイントはやはり人別帳かと思います。
つまり村の人別帳に入っておれば農民ですし
家臣の人別に入っておれば武士です。
家臣と区別して郷士だけの人別が作られているなら
中間的な身分と言うことになろうかと思います。
231 :
日本@名無史さん:03/08/16 16:30
>>230 親切にありがとうございます。教授以後もよろしくお願いします。
232 :
日本@名無史さん:03/08/17 14:55
教授さん、さっそくですが庄屋門とはなんでしょう?武家の門とは何が違うのですか?庄屋門は苗字帯刀を許されてた庄屋のみが建てられたのですか?
233 :
日本@名無史さん:03/08/17 18:53
>>232 近世の民家は非常に多様性を持っていますから
そういうものが存在する地域もあるのでしょうが
私は「庄屋門」という用語を聞いたことがありません。
「破風」だとか「うだつ」だとか
屋敷の屋根の部分で格式を示す地域は
摂津北部から丹波にかけて、甲府盆地、長野県南信地方(本棟造)、奈良盆地から大阪南部(大和棟)などがありますが
この場合、屋敷の格式と苗字帯刀がストレートに結びつくものではありません。
建築史は私の専門から遠いところにありますので
私にはこれくらいのことしかわかりません。
あとは専門の方にお任せします。
234 :
日本@名無史さん:03/08/17 19:56
>>233 教授さん、わざわざありがとうございます。
庄屋門について詳しい方いらしゃいませんか?
235 :
日本@名無史さん:03/08/17 20:14
庄屋門とは庄屋屋敷の門。
236 :
日本@名無史さん:03/08/17 20:49
>>234 庄屋門という言葉は、どの地域の言葉なのでしょうか?
それがわかれば、少しは調べようもあろうかと思うのですが。
237 :
日本@名無史さん:03/08/17 21:03
>>236 庄屋門・・・・わりと使う言葉だと思うが・・・。
お前らの先祖はいくら頑張ってみつけてもモンペ姿よモ・ン・ペッ
も〜ダッサダサだね。
そんな先祖を持つお前らもよく行きてられるなっと。
239 :
日本@名無史さん:03/08/17 21:40
240 :
日本@名無史さん:03/08/18 00:36
>>239 山袴の一種で、もともとは東北地方のもののはずです。
近世にも使われていたのではないかと思いますが
いま手元に資料がありませんので、調べておきます。
241 :
日本@名無史さん:03/08/18 00:52
>>238238 名前:武家
モンペの起源も知らないモンペ物ですね。
これからはモンペ君と呼びます。呼ばれたらいい返事で
「はい!」と言うように、わかりましたかモンペ君。
ところで、おまいは誰に対して言ってるの?
243 :
日本@名無史さん:03/08/18 03:47
「庄屋」西日本
「名主」関東
「十村とむら」北陸
「肝煎」東北
「地頭」九州
だったかしら?
244 :
日本@名無史さん:03/08/18 03:53
その庄屋の苗字帯刀の件だけど、これって建前って事ですか?武士が帰農(というか仕官しないもしくは出来なかった場合でしょ)しても簡単に
刀を捨てますかね?建前上は許されてなくても黙認されてたと言うことじゃないんですか?時代が下るにつれてそういう事は無くなったかもしれません
けど・・・・・実際はどうなの?
245 :
日本@名無史さん:03/08/18 04:26
そもそも武士が帰農など出来たのか?
未開墾地でも、既に持ち主が居たはずだし、
長く農業しなかった人間が出来たとも思えんし、
もし帰農できたとすれば、
もともと自分の土地を保有していたものに限られるのでは?
(つまり元元地侍として居た村に帰ってきたということか?)
246 :
日本@名無史さん:03/08/18 04:47
>>243 熊本県の民謡『おてもやん』に「きもいりどん」というのが出てくるんだが、
注釈には、「村の有力者、婚姻、祭事、年貢の世話人」と振ってあった。
九州でも 「肝煎」と言ってたんではないの?
248 :
日本@名無史さん:03/08/18 11:42
>>245 ごく大雑把に言うと
戦国期の有力農民の多くは領主(国人・大名)の被官となっているから
武士と農民の中間とも言うべき曖昧な状態にある。
これを武士と農民にはっきりと区分したのが
豊臣秀吉のいわゆる「兵農分離」です。
庄屋の多くはこの結果農民となったのであって
農民としての性格をまったく持っていなかった者が
浪人して農民になったわけではないのです。
249 :
日本@名無史さん:03/08/18 12:31
>>240ですが、もんぺのこと少しだけ調べてみました。
菅江真澄の遊覧記に「ののもっぺ」という語が見えるそうですので
近世から使われていたようです。
>>243 十村は他藩でいう大庄屋です。
>>247 この「肝煎」はあなたが書いておられるように「世話人」という意味だと思います。
なお名主・庄屋・肝煎の名称については
一般的には東国は名主、西国は庄屋、東北は肝煎と呼ばれるとされますが
東国で庄屋と呼んでいる場合も、西国で名主と呼ぶ場合もあります。
250 :
日本@名無史さん:03/08/21 02:32
町年寄ってなんですか?本陣の苗字帯刀はどうなってるのですか?これも庄屋と同じで認められることもある程度ですか。教授さんお願いします。
251 :
日本@名無史さん:03/08/21 02:45
さぁ・・・
近所の本陣をしてた家は、明治になって旧藩主の家から嫁をもらってる。
少なくとも藩主に直答しても差し支えない程度の身分は貰ってたのだろう。
252 :
アバウトな処遇:03/08/21 02:51
平安時代からあった家なのでずっと苗字。
ちなみに全国で数十軒しかないです。
苗字の大辞典にしっかりと載っています。
桓武平氏の一派です。
江戸時代は農業しながらマターリと暮らしていたらしいです。
藩の家臣ではないが、苗字は許されていたという、
よくわからん扱いだったようです。
田舎に山と畑と田んぼが残っています。
253 :
日本@名無史さん:03/08/21 09:35
>>250 町年寄というのは村における庄屋に当たる存在です。
本陣は少しややこしいです。
私の知っている本陣の場合
本陣職として、宿泊する大名などに対して苗字を使うことは認められていますが
それ以外の局面、たとえば村役人として領主などに届出をするときには苗字を使っていません。
こういう局面においても苗字を使うことを認められたのは幕末のことです。
同時に帯刀も認められています。
254 :
日本@名無史さん:03/08/21 12:10
255 :
日本@名無史さん:03/08/23 08:03
家は文化三年に苗字帯刀が許された農民で、庄屋と同じ地位(庄屋ではない)
だったらしいのですが、そういうのはなんっていう身分なのですか?
言い忘れた
名字帯刀が許された経緯は藩の財政難の為金を徴収されてその見返りに許されたらしいです
金納郷士ってやつだと思ってましたがこのスレ見てると郷士はただ単に名字帯刀を
許された農民とは違って武士階級が帰農したものってことですよね?
257 :
日本@名無史さん:03/08/23 09:42
>>255-256 そういうタイプの郷士もあります。
それから
>>248にも書きましたが、
元来農民的性格を持っていた場合も多いですから
帰農というイメージは捨てた方がよいと思います。
258 :
日本@名無史さん:03/08/23 09:51
>>255 >庄屋と同じ地位
よくわからないけど村方三役のうちのどれかでは?
259 :
日本@名無史さん:03/08/23 09:57
>>257に書き忘れましたが
庄屋というのは「身分」ではないです。
庄屋だろうが水呑だろうが、「身分」は農民です。
260 :
日本@名無史さん:03/08/23 09:59
261 :
日本@名無史さん:03/08/23 10:00
>260
それはどこの地方の話?
レスありがとうございます
>>257 そうですね
今後気を付けます
>>258 村方三役ですか
祖父も伝え聞きしたようでしてあまり分からないみたいですし
昔の文章を解読できるひとがいないのでほとんど分からないのですが
一応住民名簿(らしきもの)とか祖父宅に残ってますのでなんらかの役人的仕事はしてたっぽいです
>>260 庄屋格って名誉職みたいなものですか?
264 :
日本@名無史さん:03/08/23 13:45
水戸領の郷士は
1 旧族郷士・・佐竹時代の豪族の子孫
2 献金郷士・・藩に献金した商人、豪農
3 功績 ・・大山守(大庄屋)や庄屋で功績があった百姓
の分類がされています。
265 :
日本@名無史さん:03/08/23 14:35
「穢多」庄屋も、存在することになる。
非人庄屋は、ありえないと思うが。
庄屋は身分ではなく、役ならそうでしょう。
266 :
日本@名無史さん:03/08/23 16:23
>>265 一村立ての「かわた」村は少数ながら存在します。
したがって、そこの庄屋は「かわた」(「穢多」)身分です。
267 :
日本@名無史さん:03/08/23 21:24
268 :
日本@名無史さん:03/08/25 07:20
江戸の町名主は苗字帯刀を許されていたようですけど、なんで?大庄屋と同列扱い?
269 :
日本@名無史さん:03/08/27 01:26
樽屋、奈良屋、喜多村だっけ?
270 :
日本@名無史さん:03/08/29 07:50
夏目家とか。
271 :
日本@名無史さん:03/08/29 10:50
>269
それは町年寄では?
272 :
日本@名無史さん:03/08/29 11:39
苗字帯刀を許された庄屋と唯の庄屋には歴然とした格式の違いがあるんですか?久しぶりに教授降臨しませんかね!
庄屋 = ×苗字帯刀
大庄屋 = ○苗字帯刀
275 :
日本@名無史さん:03/08/30 19:24
277 :
日本@名無史さん:03/08/31 01:05
>>276 >>274についてはこれまでも説明してきましたが
庄屋でも苗字帯刀を認められている例はありますので
この認識は間違っていると書いた次第です。
>>275については、これ以上の説明が必要だとは思いませんが。
278 :
日本@名無史さん:03/08/31 01:18
江戸郊外現在の世田谷あたり、井伊家領地の年寄家は名字帯刀は当然だが鉄砲も所持している。
279 :
日本@名無史さん:03/08/31 04:35
普通の庄屋で苗字帯刀を認められていたのは結構いたのかな?庄屋の何パーセントぐらい?
280 :
日本@名無史さん:03/08/31 04:57
名字がダメでも帯刀が許された例もあるし、
名字は許されても帯刀がダメな例もある。
281 :
日本@名無史さん:03/08/31 10:20
>>280 百姓が帯刀だけを許されるのは珍しいと思います。
具体例をご教示下さい。
282 :
日本@名無史さん:03/08/31 14:47
>>281 脇差だけを許されるということはあるのですか?確か前に脇差は苗字帯刀の範疇に入らないとか書いてあった気が・・・。
283 :
日本@名無史さん:03/08/31 20:55
旅には道中刀の携行を町人でも認められていたりするってこと。
284 :
日本@名無史さん:03/08/31 20:57
>>279 藩によって扱いが全然違う上に時代によって増減があるはずなので、歩留まりを正確に出すのは無理。
285 :
日本@名無史さん:03/09/02 09:49
286 :
日本@名無史さん:03/09/02 09:55
287 :
日本@名無史さん:03/09/02 20:44
常州鹿島郡の旗本領の村の人別帳では、苗字帯刀御免・苗字御免・
帯刀御免の家々があり、必ずしも村役人層だけではなかったよう
な感じがします(たぶん献金による功績か)。
村文書として苗字御免の名主が近隣の他領の村宛に文書をだすと
きは、自らの苗字は名乗らず名主*左衛門としていました。
288 :
日本@名無史さん:03/09/04 19:57
>>287 公式のどういうときに苗字を記載するんですか?
289 :
日本@名無史さん:03/09/04 21:01
>288 村々の代表者が地頭所役所に嘆願等の文書を差し出すときには
苗字御免の百性は苗字を記載しています。勿論、地頭所から村へ発給
れた文書には、苗字御免百性は苗字が記載されていました。
小生の先祖は帯刀ではなく脇差御免という文書を県から頂いています
(明治初期)。
290 :
日本@名無史さん:03/09/05 15:27
291 :
日本@名無史さん:03/09/05 20:19
どうでもいいけど学園祭の色でペアになったクラスに
「帯刀」って人が居た。
292 :
日本@名無史さん:03/09/05 20:21
>>290 この県とは、廃藩置県以前の、直轄県のことではないかと思いますが。
293 :
日本@名無史さん:03/09/05 20:44
292> 旧幕時代は幕府直轄領でありその後知県事をへて県になった地域です。
名主兼勧農役補であり勤役中脇差免許となっています。
294 :
日本@名無史さん:03/09/06 18:48
>>293 幕領を接収して成立した直轄県では
だいたい明治2年頃までは旧来の統治機構をそのまま継承しています。
したがって帯刀免許とかがあっても不思議はないと思います。
295 :
日本@名無史さん:03/09/08 22:01
ふと思ったのだが・・・公家って苗字帯刀なの?
296 :
日本@名無史さん:03/09/08 22:10
あのね...キミ。絶句しちゃったよ。
297 :
日本@名無史さん:03/09/08 22:15
いい気分でウンコしようと思ってたのに、引っ込んじゃったよ。
298 :
日本@名無史さん:03/09/08 22:56
299 :
こんな奴らと一緒か?:03/09/08 22:58
決まってんだろ!ボクぇ!
ちゃんと答えられたらトリビア100へぇは行くな。
301 :
日本@名無史さん:03/09/09 02:59
苗字帯刀は町人・百姓身分に対する特典。
公家は関係ない。
302 :
日本@名無史さん:03/09/13 19:12
そちに苗字帯刀を許す!カアーカッカッカー目出度いのう。
303 :
日本@名無史さん:03/09/13 19:59
苗字帯刀を許された庄屋VS下級武士
いい勝負ですか?
304 :
日本@名無史さん:03/09/13 20:11
>>303 苗字帯刀を許されても庄屋は百姓身分ですから
下級武士との比較において、庄屋の苗字帯刀に何らかの意味が見出せるものではありません。
305 :
日本@名無史さん:03/09/16 13:55
龍馬の生家は商家と聞いておりますが、土佐藩士に成れるのですか?。
307 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:12
>>306 藩士というか郷士ね!金で買ったんだよ郷士株を。
308 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:20
当時の藩士が海援隊なんて発想でるわけもないしね。やっぱり郷士株買ったんだろうね。
309 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:22
勝海舟の家も買ったんだろ。祖父が、座頭市かなんかで貯めた金で旗本株を。
それで、海舟の父が、勝家に養子だろ。
>>307 そうですか、有り難う。
勝海舟さんのお祖父さんも按摩さんをして居られて、ご家人株を買われた
そうですね?。お金で買えたのですね。
311 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:45
>>310 按摩さんというか盲人の職業集団「当道」
(按摩・琵琶法師等等)の最高位「検校」です。
312 :
日本@名無史さん:03/09/17 01:17
検校は高利貸しをする権利を持っていました。
313 :
日本@名無史さん:03/09/17 09:22
>>1 名主の意味は名字を持ってるから、つまり名の主だから名主ときいたことがあるんだが。
名字と苗字は別物
315 :
日本@名無史さん:03/09/17 23:15
庶民で苗字帯刀は俺。しかも太刀だぞ。買ったうひゃうひゃ!!
町人、農民、は苗字がないと言われているが、本当は隠し姓ガアッタ
ヨウデスが、昔お宮サンのお堂の寄進に苗字も載った農民の名前を写
真で見ましたが、何方か説明して下さい。
317 :
ty270410:03/09/17 23:44
室町時代には庶民も結構苗字を持っていたようです.
江戸時代に苗字が禁止された後も,公には苗字を名乗りませんでしたが,
私的には苗字を持ち続けた地方があります.
(私的にも苗字を捨てた地方もあるようです.)
正式の苗字帯刀とは,
>>1に書いてあるとおりと思います.
318 :
日本@名無史さん:03/09/18 00:03
319 :
日本@名無史さん:03/09/18 01:50
>318
検索ぐらいしましょう
320 :
日本@名無史さん:03/09/18 02:06
>>319 中世に発生した「名字」は豪族が支配した土地(名田)の名前から出ているが、「苗字」は比較的新しく近世における同族の家名のことである。
だそうだが・・・・名主と何の関係があるの?名主は名字はいいけど苗字はだめ(というか許可が必要ということ?)ということ?
研究者じゃないんで良く分かりませんので詳しく説明ねがいます。
321 :
日本@名無史さん:03/09/18 02:16
322 :
日本@名無史さん:03/09/18 02:25
全く…、その昔道の者と呼ばれた選民も朱塗りの公刀持ちですぞ。
それにどんな身分の人も蔭姓はありました。
323 :
日本@名無史さん:03/09/18 04:41
>320
314には名主のことなんてないが…
324 :
日本@名無史さん:03/09/19 12:34
バカ晒しage
325 :
日本@名無史さん:03/09/19 13:56
明治維新以降、それ以前の歴史が歪曲されたり、隠蔽されたりしている。
それでこんなスレも出るんですな。
明治維新は革命ではないというが、よく見ると驚くべき革命ですよ。
壬申戸籍の封印を含めてそれまでの歴史を封印して日本を塗り替えて
しまった。
維新の立役者が殆ど賎民に近い人たちだったからこうなったのだろう。
とは言っても皇族、公家以外は遡れば皆奴隷だから仕方ないかもしれない。
326 :
日本@名無史さん:03/09/19 21:07
皇族、公家って何%いたと思ってるの? 奴隷? なにそれ?
暗黒史観?
328 :
日本@名無史さん:03/09/27 13:34
329 :
日本@名無史さん:03/09/27 19:16
>>327 縄文時代まで遡れば
皇族・公家とか奴隷とかは意味を失うと思うが。
330 :
日本@名無史さん:03/10/06 12:49
江戸期に門や式台がある家は、苗字帯刀を許されていたと視て間違いない?だいたい庄屋屋敷の式台って何に
使ったの?まさか主人がそこから入る分けないか?
331 :
日本@名無史さん:03/10/07 04:52
苗字帯刀を許された庄屋は、先祖が武家の場合だけではないの?
332 :
日本@名無史さん:03/10/07 05:04
>>325 >壬申戸籍の封印を含めて
それって昭和43年のことだろ
333 :
日本@名無史さん:03/10/07 07:05
>>331 庄屋なんて、殆どは先祖は武家(というか地侍)でしょ。
334 :
日本@名無史さん:03/10/07 08:46
>333
「地侍」って何? 郷士のようなもの?
335 :
日本@名無史さん:03/10/07 09:18
336 :
日本@名無史さん:03/10/10 04:41
俺の家は南北朝時代に兵庫から新潟に土着した。俺の親父で20代目。
江戸時代に名字帯刀となり、現在でも近所の古老からは「旦那様」と呼ばれる。
分家と呼ばれる家は近所に5軒あり、孫分家や曾孫分家など含めるとその数は途方も無い。
新潟には1000町歩を超える大地主が江戸時代多くいたが、
我が家は400町歩程だったようだ。
農地改革や地租改正で土地のほとんどを失ったが、
現在でも家の敷地面積は3000坪を保持し、山林もほどほどに所有している。
江戸時代中期から後期にかけて新潟県内の金持ちを相撲番付風にしたものがある。
「越後ぢまん」と「越後国持年鑑」だ。
それによると我が家は400町歩を保有していても前頭。
行司は米沢藩お抱えだった渡辺三左衛門家で、勧進元は市嶋徳次郎家。
その他新発田の白勢家や田上の田巻家などが三役などが上位にいる。
面白いのが「横綱」が存在しなく、「大関」が番付の最上位となっている点。
ちなみに俺の祖祖母は渡辺三左衛門家の出で、祖母も渡辺三左衛門家の分家から嫁いだ。
338 :
日本@名無史さん:03/10/10 11:56
>337
ローカルすぎてよくわからん。
一つ教えてあげる、相撲に横綱ができたのは幕末近く。
それまでは大関が最高位。
常識だとおもうけど…
339 :
日本@名無史さん:03/10/11 02:26
>>338 ちまたでは酒田の本間様がすごかったと評判だけど
それ以上に金持ちだったのは新潟の大地主たちです。
なかでも
>>337にあるの渡辺家や市嶋家は別格ですね。
340 :
日本@名無史さん:03/10/11 04:28
本間さまには及びはせぬが、せめてなりたや殿さまに
341 :
日本@名無史さん:03/10/11 04:54
↑国が燃えるか?
342 :
日本@名無史さん:03/10/23 02:16
財力よりも血統がものをいっている名主もある。
旧国人領主層なら、財力は大したことはなくても、名主階級の上位層に位置付けされる家がある。
343 :
日本@名無史さん:03/10/23 03:05
>>342 世襲や2,3家で交代で庄屋やる家がそうじゃない?
344 :
日本@名無史さん:03/10/23 03:56
>>342 >>名主階級の上位層 普通の名主と何が違うの?苗字帯刀ってこと?
345 :
日本@名無史さん:03/10/23 06:58
>>344 大庄屋とか(その他有り)呼ばれる庄屋を取りまとめる者達などがそう。
漏れの地域では、庄屋はたいがい苗字帯刀。
346 :
日本@名無史さん:03/10/23 09:23
>>345 どの辺すか?差し障りのない範囲で教えてください。うちは天領なんで大庄屋なかったらしい。あればうちだなが!叔父の口癖。
347 :
日本@名無史さん:03/10/23 21:02
畿内だよ。
大庄屋は苗字帯刀が許され、庄屋は苗字だけが許されている
349 :
日本@名無史さん:03/10/23 21:59
帯刀どころか、槍も許されているが、何か?
350 :
日本@名無史さん:03/10/23 23:45
>>350 「
>>348…というのが一般的である。」と、どこかのサイトに
書いてあっただけ。いつの時代、どの地域かは不明
352 :
日本@名無史さん:03/10/24 22:18
みんな、もっと真面目に語ろーぜ!
353 :
日本@名無史さん:03/10/31 00:23
明治になって名字を許されたんじゃなく、明治になって名字を強制されたんだろ?
これも創氏改名の強制。
354 :
日本@名無史さん:03/10/31 00:28
>>353 ウスラバカだな
「改名」にならんだろがそれでは
355 :
日本@名無史さん:03/10/31 07:27
平戸藩は名字帯刀の家が異様に多かったと聞きますが
詳しい人いませんか〜?
356 :
日本@名無史さん:03/10/31 07:32
長崎の50%は名字帯刀ですよ。
357 :
日本@名無史さん:03/10/31 07:33
江戸も50%は名字帯刀です。
さすが天領です。
358 :
日本@名無史さん:03/10/31 08:32
360 :
日本@名無史さん:03/10/31 14:51
361 :
日本@名無史さん:03/10/31 16:40
天領地域は幕末には富農あたりは苗字が許されてたらしいけど、帯刀は厳しかったの?
>361
先祖が武家だったなら苗字帯刀は許されたよ。
うちは天領地域だけれど、安土桃山時代までは武家の大身だったらしく、
苗字帯刀が許されていた。
363 :
日本@名無史さん:03/11/02 16:31
>>362 庄屋なんてほとんど元武士だろ!庄屋の殆どは苗字帯刀ということかな?
ほとんどが苗字帯刀・・・なのは大庄屋です。
365 :
日本@名無史さん:03/11/03 00:34
>>354 それなら、朝鮮で日本がやったのも、創氏改名じゃねーぞ。
朝鮮人に対し「創氏」は強制だったが、しかし「改名」に関しては任意の自己申告制だったんだ。
そもそも「創氏」と「改名」をくっつけて「創氏改名」と一つの精度のように言う事自体、糞だな。
366 :
日本@名無史さん:03/11/03 02:12
>>354 意味不明
自己申告だろうがなんだろうが「創氏改名」。
368 :
日本@名無史さん:03/11/03 08:41
つまり、創氏改名はチョソにだけ強制したんじゃ無いって事だな
369 :
日本@名無史さん:03/11/03 09:30
創氏改名は強制じゃなかったのか、それとも日本人にも朝鮮人にも平等に強制したのか、どっちかだな。
370 :
日本@名無史さん:03/11/03 16:43
創氏改名は朝鮮に対してのみ。
義務ではなく、建前では強制ではない。
ただし実際は不明。
それは現在たとえばリストラでも依願退職の形式になっていたり、
サービス残業せざるを得なかったりするのと同じで、
地域の行政や自治会による圧力は否定できない。
371 :
日本@名無史さん:03/11/03 16:48
またネタスレ化してきたな
372 :
日本@名無史さん:03/11/07 23:11
>>370 そんな事言ったら、何だってそうなるさ。世の中建て前と本音で出来ている。
タテマエであろうと何だろうと、法的に強制ではなかったのであれば、バカチョソの言ってる事は間違い気違い
373 :
日本@名無史さん:03/11/08 00:06
374 :
日本@名無史さん:03/11/08 00:10
>>372 もう少し社会勉強が必要ですね。
社会人になれませんよ。
375 :
日本@名無史さん:03/11/09 16:56
庄屋などで苗字帯刀が許された人の子孫のみなさん刀などは残ってますか?うちは全て戦後に持ってかれた口ですが。
376 :
日本@名無史さん:03/11/10 00:47
>>375 農地「改革」以降の没落で、売り払ったところが多いと思われる。
377 :
日本@名無史さん:03/11/12 15:06
苗字帯刀の禁令が“1801年”に出されたことを隠そうとする輩がいるよな
378 :
日本@名無史さん:03/11/12 16:40
380 :
日本@名無史さん:03/11/12 19:47
381 :
日本@名無史さん:03/11/12 19:53
>>379 河内国の旗本領大庄屋が延享3年(1746)に帯刀を許されたという史料がある(参照『枚方市史年報』第6号)。
禁止されていないのなら、許可をする必要もないですね。
382 :
日本@名無史さん:03/11/13 20:15
383 :
日本@名無史さん:03/11/14 11:38
>>382 身分的には下級武士より下なのに上級武士だった・・・どういう事?
384 :
日本@名無史さん:03/11/14 12:19
385 :
日本@名無史さん:03/11/14 15:12
藩によって大分違うのかね?一般的にはどうなんだろう?
386 :
日本@名無史さん:03/11/14 19:27
>江戸期、百姓から身分上昇するには、学問をして藩儒か藩医になるか、武芸で名をあらわすしかなかった。
司馬遼太郎は「在地代官」の存在を知らなかったのだな。
387 :
日本@名無史さん:03/11/16 14:58
>382
容儀が上級武士並みでも身分は農民。悲しいです庄屋さん・・・
389 :
日本@名無史さん:03/11/16 17:19
庄屋=苗字
大庄屋=苗字帯刀
391 :
日本@名無史さん:03/11/16 19:56
>>390 そう単純なものではないでしょう。
『ヒストリア』186号に姫路藩に関する論文が出ているが
これによると加古郡新野辺村の庄屋吉左衛門は
文化12年に苗字帯刀を許されている。
392 :
日本@名無史さん:03/11/16 20:18
大庄屋と庄屋の違いってなに?
393 :
日本@名無史さん:03/11/16 20:24
いくつかの村を束ねて、庄屋を支配するのが大庄屋
394 :
日本@名無史さん:03/11/16 20:49
>>390 ただの庄屋でも苗字帯刀を許されているのは結構いる。その傾向は江戸後期になるほど強まるわけだが
それが特定の藩なのか日本全体に当てはまるのかという問題。先祖が武家だと苗字帯刀が許される云々という
議論が時々あるが庄屋というのは元々ある制度を流用しただけで、つまり自侍や落武者など開拓民の長でしょ。
だから、その議論はあまり意味が無いかと・・・。
395 :
日本@名無史さん:03/11/16 21:46
>自侍や落武者など開拓民の長でしょ。
庄屋の大半はもともと侍身分というのはわかるが
落武者が庄屋になった例はそれほど多くないと思う。
396 :
日本@名無史さん:03/11/16 22:41
>>395 そうだな、椎葉(平家)や米良(菊池氏)などのように落武者なら
庄屋というより小領主だな。武家身分を保持しており、
米良の菊池は維新後男爵になった。
397 :
日本@名無史さん:03/11/16 23:21
武田家滅亡の時、武田家重臣の馬場美濃守信春の一族は、
直参の家臣を従え、落ち武者狩りを撃退するため武装した一団として落ち延び、
土着して大庄屋になっている。
399 :
日本@名無史さん:03/11/17 03:59
>>389 嘘だろ?
それから消防じゃないんだから5W1Hで書けよ。
400 :
日本@名無史さん:03/11/17 04:06
>>398 それ俗説でしょ?
どこまで信憑性あるか。
401 :
日本@名無史さん:03/11/17 04:25
402 :
日本@名無史さん:03/11/17 05:05
>>401 戒名ではわからないでしょ。
金持ちかどうか、あるいは身分があるかどうかくらいがわかるだけで。
403 :
日本@名無史さん:03/11/17 07:15
>>401 戒名は遡ってつけることもできるわけだし。
404 :
日本@名無史さん:03/11/17 07:31
疑うときりが無いね書状は偽造できるし・・・でも庄屋やってれば戦国期にはそれなりの家でしょ。
405 :
日本@名無史さん:03/11/17 09:40
>404
それも何の根拠もないな…
406 :
日本@名無史さん:03/11/17 11:35
407 :
日本@名無史さん:03/11/17 12:13
>>404 どうして?
国人・土豪層を敵にすれば、今までの功績が一気に吹っ飛ぶよ。
だから現地の政治に熟達し、武力を有していたものを味方にする必要があった。
庄屋格・大庄屋格は金で買えるが、庄屋・大庄屋になれるのは家柄が必要だったよ。
少なくとも北部九州では、と言うか私の知っている範囲では、と言っておくね(w
409 :
日本@名無史さん:03/11/17 17:19
>>407 庄屋って国人・土豪層でしょ?特に土豪!
410 :
日本@名無史さん :03/11/17 19:46
>>409 だから、国人領主層などの名跡がある庄屋と
新参富農層が取り立てられて庄屋になったものがある。
一概には言えない
411 :
日本@名無史さん:03/11/17 20:01
>>410 それは分かってるが・・・今話題になってるのは地侍・落武者であって新参庄屋は江戸時代になってからの話。
412 :
日本@名無史さん:03/11/17 20:10
庄屋については
>>410の理解が正しいと思うが
そもそも
>>01の出典は何なのだろう。
『徳川禁令考』には、享和元年酉七月百姓町人共苗字帯刀之儀ニ付觸書という
幕府が出した全国法令が出ているが
百姓町人苗字相名乗并帯刀致候儀、(百姓・町人苗字相名乗りならびに帯刀致し候儀)
其所之領主地頭より差免候儀者格別、(その所の領主・地頭より差し免じ候儀は格別)
用向等相達候迚、(用向など相達し候とて)
御領所者勿論、他領之者共江猥ニ苗字を名乗らせ、(御領所はもちろん、他領の者共へ猥に苗字を名乗らせ)
帯刀いたさせ候儀ハ有之間敷事ニ候間、(帯刀いたさせ候儀はこれあるまじき事に候間)
堅可為無用候、右之通、可被相觸候(堅く無用たるべく候、右の通り、相触れらるべく候)
このような文言なので、これは領主など支配者に対して出されたものだ。
>>01があげているのは、この触を受けて、どこかの領主が出した個別法令と思われるので
全国の事例として一般化できないと思うのだが。
413 :
日本@名無史さん:03/11/17 20:17
414 :
日本@名無史さん:03/11/17 20:29
>>413 出典という言葉に誤解があるようですね。
私が知りたいのは、どの史料に出てくるのかということです。
415 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:07
>>412 でもそのお触れが出たということは無断で苗字帯刀している人間がちらほらいたということかな?
416 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:38
>>415 それはそうだと思うが
私が問題にしているのは
>>01の内容が一般化できるかということなんだが。
幕府が全国に出した法令なら、一般的に論じて良いわけだが
そうでないなら、法令が出された藩・地域の状況を踏まえて議論しないと無意味だ。
417 :
日本@名無史さん:03/11/20 20:19
土方歳三や近藤勇は、清河のとこへいく前から
刀もっていなかったっけ? もぐり?
419 :
日本@名無史さん:03/11/21 01:50
420 :
日本@名無史さん:03/11/21 07:27
土方家って苗字帯刀許されてたの!?
土方の家は苗字帯刀を許されていたよ。
土方家は苗字帯刀ではなかったが石田村ではお大臣と称される家柄
423 :
Mizunomi100勝:03/11/21 21:17
苗字が帯刀って人がいました
424 :
日本@名無史さん:03/11/21 21:21
親戚の日野宿の名主佐藤家は苗字帯刀だがこれは寄場名主という役職故なのか?それとも
この地方は名主に苗字帯刀を許していたのか?それとも過去に何かしらの功績があったんだろうか?
>>424 八王子千人同心の家柄じゃなかった?
いざという時の江戸防衛のため置かれた屯田兵みたいなものだから。
426 :
日本@名無史さん:03/11/23 20:29
427 :
日本@名無史さん:03/11/24 12:34
郷士はどうよ?
戦国の激動にもまれ、続く幕藩体制では立身出世の機会も奪われ
あれよあれよと明治維新になっちまった口なんだが・・・。
428 :
日本@名無史さん:03/11/25 07:07
>>427 郷士は時々話題になる。ただ今までの郷士論をまとめると
・郷士制度を採用している藩とそうでない藩がある。
・郷士といっても武士に近いものから庶民に毛が生えたようなのまでいる。
・兵農分離が進まなかった地域に多い。だが、ほとんどは金納郷士。江戸初期よりの郷士は名門。
・郷士は維新後士族の班に列した。
・郷士でも苗字帯刀が許されていないこともある。(苗字帯刀が許されていない郷士は平民か?)
・十津川郷士のように自称もいる。維新後士族の班に列したが・・・。
429 :
日本@名無史さん:03/11/25 17:51
>十津川郷士のように自称もいる。
十津川郷士は扶持を与えられており、自称という根拠がよくわからない。
どなたかその根拠を教えていただけませんか?
>ほとんどは金納郷士
これも根拠がよくわかりません。
どなたかご教示願えると幸いです。
430 :
日本@名無史さん:03/11/25 18:44
>>429 十津川郷士・・・街道を行く「十津川街道」司馬遼太郎
ちなみに扶持を受けていたのは四五名のみ士族に列したのは全村。
金納郷士は「翔ぶが如く」だったけな?・・・まあ、二次資料だけど。
おそらく薩摩や土佐の郷士の件が引っかかるんだろうけど・・・例外だよね!薩摩などは、人数は多いけど。
>>430 十津川の全郷民が士族となったのは
文久3年中川宮朝彦親王に願い出て禁裏守護にあたり
維新期には戊辰・北越戦争を転戦したという功績によるので
事例としてはかなり特殊だと思う。
また金納郷士については
歴史小説に依拠するのはいかがかと思う。
432 :
日本@名無史さん:03/11/26 23:24
>>431 いろいろ詳しそうなので聞くが・・・
697 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 03/11/14 22:29
郷士はほとんど士族になってるはずだが・・・ネタ?それとも多田郷士?
700 名前: ◆L9iTGTI77g 投稿日: 03/11/15 14:14
697>んなことない。見てると郷士でも「上席」格以外は平民。
そうなの?
433 :
日本@名無史さん:03/11/27 00:00
>>432 明治5年の太政官布告第44号で
郷士家筋由緒アル者ハ士族ニ入籍
とされているが
これでどの程度が士族になったのか、私にはわからない。
山川出版社の『日本史広辞典』は「多くは士族とされた」としている。
434 :
日本@名無史さん:03/11/27 00:25
>>433 サンクス!郷士家筋由緒アル者というのが分かれ目なのかな?
435 :
日本@名無史さん:03/11/29 06:22
>433
私の母方の生家は郷士だったが、戦国時代まで有力武家の一族だったらしく、
「士族」になっている。
家系を見ると美濃の土岐氏の庶流と記されている。
436 :
日本@名無史さん:03/11/29 09:57
>>435 近世後期になると、さまざまなところで由緒が主張されるようになり
由緒書や系図がさかんにつくられている。
したがってこういうものは、史料としては価値が低い、容易に信用してはいけない、というのが
研究者の間では基本となっている。
だからあなたのところが有力武家の一族だったというのも
どれだけ信用できるかは
信用できる関連史料を見てみないと何とも言えない。
ただ「士族」とされたのは、「家系」のおかげなのだろうとは思うが。
437 :
日本@名無史さん:03/11/29 18:59
薩摩の郷士はれっきとした藩主直属の藩士だよ。
明治になり、一時は卒族とされたが、その後すぐに士族に編入された。
しかし、私領の陪臣郷士(知覧とか)は知りません。(平民かな?)
>436
そういうことは十分に理解してますよ。
439 :
日本@名無史さん:03/12/13 15:32
>>436 >>382 で家系は出来星大名よりはるかにつややかで・・・とあるけど。小説家の戯言?
家系捏造はあるが、室町期や戦国期からそれなりの勢力のある家だとは断言できないのかね?
>>439 司馬氏がなにを根拠にあのようなことを書いているのか私にはわからないが
研究者の立場から言うと、
ある由緒書や家系図が信用するに値するかは
関連史料を見ないことには何とも言えない。
司馬氏は家系捏造に関しては知ってる。「美濃浪人」の中に詳しくあり、林大学頭の話とともに書いてある。
>>関連史料を見ないことには何とも言えない。
その関連資料が問題でしょ。家系図、由緒書などが信用できないとなると・・・
江戸期からの庄屋資料ぐらいしか無くないですか?家系図が一応信用できないものとしても
近隣村の資料とともに照合していくしかないような・・・。
>>441 江戸期からの庄屋資料ぐらいしか無くないですか?
近世史料を見ても仕方ないと思う。
中世史料から、家系図や由緒に書かれていることに矛盾がないかなどを調べるべきだと思うが。
443 :
日本@名無史さん:03/12/15 19:54
天領では江戸中期に大庄屋が廃止されたそうですが、その時の家は苗字帯刀などはどうなったのでしょうか?
格式が落とされ特権を剥奪されたのでしょうか?
444 :
日本@名無史さん:03/12/15 20:10
>>443 18世紀後半以降の幕領では、惣代庄屋による郡中運営が行われるようになりますが
彼らの多くは苗字帯刀を許された存在です。
詳しくは久留島浩氏の研究(『近世幕領の行政と組合村』東京大学出版会、2002年)などをご覧下さい。
445 :
日本@名無史さん:03/12/15 20:15
446 :
日本@名無史さん:03/12/15 20:18
そもそも、(郷)士と百姓の区別が室町期までは明確でなかったわけだし。
田を所有しているものでなければ、戦の費用を賄えなかったからだが。
まあ、江戸期の「ドン百姓」てのは、室町期以前でもいわゆる雇われの身で、
江戸期の自作農は士族と実質それほど差があるとは思えない。
447 :
日本@名無史さん:03/12/16 14:40
>>444 うちは天領庄屋の家系だが郡内で惣代庄屋の家なんて聞いたことが無い。
>>447 郡中というのは、ひとつの代官所に属する村々全体をさします。
したがって通例は複数の郡にまたがります。
449 :
日本@名無史さん:03/12/17 21:58
>>清河八郎は出羽の浪人である。生家は裕福だった。田畑五百石余を保有して酒造業を営み、
山林収入、砂金採取による収入もあった。庄内藩から名字帯刀も許されていた。そこに生まれ
た八郎は、十八のとき江戸にのぼり、東条一堂、安積艮斎、千葉周作に学ぶ。
浪人で田を持ち酒造業・・・どういうことでしょう?
>>449 >このページは、歴史に関して疑問に思ったことを私なりに調べ、その結果を報告するところです。 「こんなことも知らないのか」「全然間違っとる」とおっしゃることも多いでしょうか、ご容赦を。
このように書かれてますが。
451 :
日本@名無史さん:03/12/17 22:40
>>450 「自分の言ってる事は常に全部正しい」「自分は博学である」と書くことは無いと思うが・・・
揚げ足取りみたいですまん。
452 :
日本@名無史さん:03/12/18 00:50
>>449 浪人というのは本来間違い。
しかし幕末は誰でも刀を差せば浪人と称していた。
453 :
日本@名無史さん:03/12/21 14:49
幕末に名字帯刀は濫発されたそうですが資料があまり残ってないんですがどういうこと?
うちの地方だけ?代官所資料などはどこへいけば見られますか?
454 :
日本@名無史さん:03/12/22 13:10
日本刀の条件は、「折れず」「曲がらず」「良く切れる」ことだと言われます。
しかし、この条件には矛盾があります。つまり「折れない」と言うことは鉄が柔らかくなくてはいけません。
また「曲がらない」と言うことは鉄が堅くなくてはいけません。
1本の刀に柔らかくもあり、堅くもある鉄と言う矛盾する条件を解決するため、
比較的柔らかい鉄を、堅い鉄で包み込むと言う手法を用いました。
つまり、もなかのようにあんこを皮でくるむような形です。
これにより、外側の鉄は堅いので曲がらず、中には柔らかい鉄がくるまれてるので、衝撃を吸収して折れないのです。
外側の鉄を「皮鉄(かわてつ)」、内側の鉄を「芯鉄(しんてつ)」と呼びます。また、刃の部分を別に鍛え刃鉄として組み合わせることもあります。
また、「銃砲刀剣類等所持取締法」によると、「日本刀とは武用または観賞用として、
伝統的な製作法によって鍛錬し、焼き入れを施したものをいう」とあります。
つまり、和鉄を使って折り返し鍛錬で鍛えた堅い鉄と柔らかい鉄を組み合わせて制作されたものとなります。
従って、洋鉄で作られたもの、戦時中などのスプリング刀、鉄を打ちのばして刀の形にしただけのものは日本刀とは言えません。
また、基本的に所持出来ません。
朝鮮刀と日本刀の製法を比べたら真似かどうかわかる。
朝鮮刀の製法は?
455 :
日本@名無史さん:03/12/24 23:36
>>435-436 都会では田舎の保守性が分からないが、田舎では苗字だけで戦国期に流れて
来たものか昔から居たものか分かるほど保守的。作られた由緒でも新参者はたいした由緒
は作れない。
>>455 あなたのおっしゃる都会と田舎というのは現代の二分法でしょう。
現在の大都市近郊は、近世においては充分に田舎ですよ。
457 :
日本@名無史さん:03/12/25 05:49
>>456 意味の無い議論、現在都会化された元田舎に田舎の保守性のみならず家制度の
名残さえないのでは?もはや由緒もなにもあったものじゃないでしょ。都会化された時点で
多数の住民を抱え名門家をささえる地盤が薄らいでゆく。つまり、都会で名門なんて言ってる
人間は世間知らずということ。住民が増えれば増えるほど上には上がいる。
・・・話が大幅にずれたが良く考えると意味が分からないんですがどういうこと?現在の
大都市が近世において田舎・・・でも、その大都市には伝承など殆ど残ってないか振り向かれない
でしょ!別に由緒を現在に創作してるわけじゃないんだから・・・意味が分からん。
>別に由緒を現在に創作してるわけじゃないんだからしてるわけじゃないんだから・・・意味が分からん。
まさに、その通りです。
近世に作られた由緒を問題にしているのだから
「都会では云々」と現在の概念を導入して論を立てること自体
そもそも意味のないことなのですよ。
459 :
日本@名無史さん:03/12/25 13:27
460 :
日本@名無史さん:03/12/25 17:08
>>458 あー齟齬がわかった。俺としては現在田舎に帰ると作られたかどうかは分からないが
由緒を聞くことが出来それは戦国期から周りの同族の資料からだとしても元禄の頃は言われ
てるわけだ。ただ、田舎ではこういう事が江戸期に言えるということが由緒を表してる。戦国期
に流れ着いてきた一族がそんな由緒を持ち出してきても「流れ者が何を言ってるか」となり
相手にされない。現実に近場に幕末から勃興した家が家は何々の子孫であると名乗っても
あそこは法螺吹いてるとなるぐらい保守的。田舎とはそういうところ。
>>「都会では云々」と現在の概念を導入して論を立てること自体
そもそも意味のないことなのですよ。
今の田舎ではまだその保守性が残っていて今の都会にはそれがないということ。現在の概念
云々とは関係ない。
>>460 まあ由緒論は最近はやりですから、勉強してみて下さい。
462 :
日本@名無史さん:04/01/05 21:39
教授さんひさしびりです!最近現れてる?ところで幕末になると名字帯刀が緩み帯刀してた輩が
志士とか郷士と名乗り活躍してたけど、その後その人たちはどうなったんですか?優秀な人たちは
どこかの藩に召抱えられたのかな?位階やらも濫発したとか言う話もあるし・・・。
463 :
日本@名無史さん:04/01/17 12:55
名字帯刀許可の紙残ってる?
使い捨てでごわす。
薩長以外は塵芥同然ではごわはんかの。
うちは室町時代にあった合戦や戦国の合戦に参戦しているんだが、
郷土史を読むと江戸期は大庄屋だったと書いてある。もちろん苗字つき。
これは帰農したことになるのかな。一応有力戦国大名と戦って負けてます。
466 :
日本@名無史さん:04/01/22 01:08
苗字帯刀age
467 :
日本@名無史さん:04/01/22 07:00
>>464 薩摩で庶民に苗字帯刀ということはあったのかな?郷士多すぎ。
468 :
日本@名無史さん:04/01/23 21:16
上州の郷士は苗字帯刀を許されていたので士族になったという。
資料では家筋由緒ある郷士は士族とすとあるから戸籍が藩に有るものは郷士ということかな?
とすると自称郷士が多かったと言うことか?まあ、幕末には農民上がりの志士・浪人・郷士が多かった
ということかな?
>戸籍が藩に有るものは
近世には戸籍は存在しないのだが。
470 :
日本@名無史さん:04/01/23 21:34
多摩で近藤勇に剣術を習っていた百姓供は道場に通う時は、
羽織袴に両刀たばさみだとよ。
471 :
日本@名無史さん:04/01/23 21:57
日本中おんなじ農村構造というわけではなかろう。
多摩はどうか知らんが、奈良盆地の一部ではかなりの自治権を認められた
名主層がおり、藤堂藩支配地では士分扱いだった者たちがいる。
472 :
日本@名無史さん:04/01/23 22:04
先祖が関東地方の豪農(世襲の総代名主)なんですが、
隣藩(4万石)の大名家と同じ家紋(裏紋も一緒)
です。
もとは同じ一族だったということでしょうか?
先祖は関東管領上杉氏の系統だと伝えられています。
>>472 何度も繰り返しますが、家紋だけで先祖はわかりません。
郷士は藩主には仕えず、農業で自営していた武士といえる。
江戸時代は藩主に仕えた藩士が武士とされたため、普段は農業に従事する郷士は、身分下に見られた。
しかし、郷士も二本差しであり武士。
であるから、たとえ藩主に仕えていなくても、郷士身分は藩主からの許可が必要。
誰もが勝手に郷士になれるわけではない。
また、郷士の中の富裕郷士は、明治以降は士族になっているものも少なくない。
475 :
日本@名無史さん:04/01/26 14:57
>>474 >>郷士の中の富裕郷士は、明治以降は士族になっているものも少なくない
いままでの経過では士族になっていない郷士がほとんどないんだが・・・
家は代々神職で苗字も公称していたと爺様が言っていた。(爺様も神職だった)
帯刀のことはよく知らないが、武士に準ずると日本史で習ったのでやはり
差してたのかな?んなわけないか。
477 :
日本@名無史さん:04/01/30 21:51
酒造家が苗字帯刀許されてたって本当?
478 :
日本@名無史さん:04/01/30 22:39
>>476 してたんじゃないの。
俺の家も某官幣大社の神職だけど普通に名字名乗って刀もくさる程あるし。
朝廷からも官位を賜っていたし。
479 :
日本@名無史さん:04/01/30 22:41
>家は代々神職で苗字も公称していたと爺様が言っていた
宗教家は難しいよ。士族に列するクラスからセンミンまで色々。
ちなみに、戦前、村社とかになった神社の神職は士族の場合が多いね。
>いままでの経過では士族になっていない郷士がほとんどないんだが・・・
維新の功績か、由緒が認められない場合は殆どが士族にはならないよ。
但し、明治に入ってから、下級武士の株を急いで購入した農民も多い。
士族編入する時の名簿に但し書きが書かれているよ。明治二年、○○養子。
480 :
日本@名無史さん:04/01/31 01:09
>>479 >>維新の功績か、由緒が認められない場合は殆どが士族にはならないよ。
藩籍があれば由緒は認められるのでは?
481 :
日本@名無史さん:04/01/31 10:46
>>藩籍があれば由緒は認められるのでは?
そう単純なものではなかったみたい。
藩籍があっても無禄の場合とか、色々。。。
結構編入しているのは少ないよ。太政官布告?(じゃ無かったかも)見てみ
そのへんのやり取りも載っているから。
482 :
日本@名無史さん:04/01/31 12:52
>>481 御教授ありがとうございます・・・結構くわしいですね!興味を持って調べてるんですが
編纂された本でその辺のことに詳しい本を見たことがないんですがご存知ですか?
やはり個別的に探して行くしかないですかね。
うちの先祖、名主なんですが、私的資料や口伝では郷士というのも時々みますが
族籍は平民です。郷士の場合卒→士族、卒→平民と言うパターンですか?それとも
じかに平民ですか?苗字帯刀の名主が広義の意味で郷士と呼ばれることもままある
らしいので・・・なんともいえないんですが。
基本にかえってお寺に行こう。
484 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:32
485 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:44
修行しろ
486 :
日本@名無史さん:04/02/03 16:27
tututu
壇寺に先祖の記録が残っていれば教えてくれるのでは?
489 :
日本@名無史さん:04/02/04 22:01
>>482 名主階層の郷士は平民でしょうか。
難しいですね。そもそも、本来は村落在住の士籍=郷士なんだけど
幕末には農兵隊徴募の代わりに士格になっている名主階層もいる(小藩・天領の寄合地域では比較的多い)
農兵は武装も兵隊も自弁の代わりに名主クラスでも騎乗が許されたりする。
そういうのが一時期郷士になって、今でも伝承で郷士だったりする。
地域の農兵隊の史料を見るのも一つの手ではある。
490 :
日本@名無史さん:04/02/05 11:01
俺の祖先、どうせ明治になって苗字つけたんだろうけど、よりによって
山田。
せめて田中にして欲しかった。
苗字話したときの「プッ」という表情が相手に浮かぶ悲哀を味わうのは
山田姓くらいのもんだろうなあ。
そうか?山田にも偉人はいるだろ?山田長政とか
492 :
日本@名無史さん:04/02/05 11:05
でも、普通の人の印象はおじゃまんが・・・。
あとトリックの仲間由紀恵とか?
494 :
日本@名無史さん:04/02/05 15:58
名主って結局武士と身分が違うだけ?財力は上だな。でも身分が違うのは大きい・・・。
495 :
日本@名無史さん:04/02/05 16:29
>>490 山田も田中も目糞鼻糞
山、田、中の組み合わせで一番良いのは中山だろう。
山中ってのもダサいね
ダサいかダサくないかは人それぞれ
497 :
日本@名無史さん:04/02/05 21:22
田が付く名字はダサい
498 :
日本@名無史さん:04/02/05 22:16
>名主って結局武士と身分が違うだけ?財力は上だな。でも身分が違うのは大きい・・・。
当時、本当に武士と名主の身分差って認識されていたのかな?
今で言えば、県の社宅に住む県庁職員。ほとんど見る機会はないでしょう。
でも、名主は村の有力者。日常的に見るのは名主層。当時の農民で城下になんていった事が無いのも多かったろうから
農村の庶民の見る武士といえば、御用で名主宅にくる下級役人か田舎郷士、それに名字帯刀の豪農。。。
>県の社宅
言葉を知らない厨房と見える。
500 :
日本@名無史さん:04/02/05 22:53
>>498 下級役人(武士)ってどこから入れたのかな?この前テレビで田舎の大きな屋敷やってたけど
殿様用玄関、上級武士用玄関、主人玄関とあったけど、どこから入るんだろう。
天井からだろ
502 :
日本@名無史さん:04/02/05 22:58
殿様用玄関は1回ぐらいしか使ったことがないとか・・・。
503 :
日本@名無史さん:04/02/08 03:08
最近、盛り上がらんね!このスレ。
504 :
日本@名無史さん:04/02/08 05:13
つかさ御手洗(みたらい)って名字は昔、罪犯した人が恥をしるようにってムリヤリつけられた名字だってのを聞いたことがあるんだけどほんと?ほんとだったら今生きてる御手洗さんは何かしたわけじゃないのにかわいそ…。
505 :
日本@名無史さん:04/02/08 05:20
明治期につけられた苗字はほとんどがいいかげんにとにかくつけろで
つけられたものだからそんなに落ち込むことはないよ
506 :
日本@名無史さん:04/02/10 03:44
江戸町名主は苗字帯刀許されてたようだけど町名主は村名主より格上ということかな?
>>506 苗字の使用はどうであったろうか。
町年寄のうち樽屋と奈良屋は屋号であって、苗字とは認められていない。
享保十八年(1733)と思われる町奉行所の書上によれば、
町奉行支配の者として、あかがり(ニクヅキに五胡十六国のテイ)・後藤・本阿弥の三家とともに
町年寄喜多村が苗字を許されていた。
さらに勘定奉行支配の者として銀座の大黒長左衛門、
賄方支配の者として菓子師の大久保主水、檜物師の細井藤十郎。
納戸支配の者として呉服師の上柳庄次郎・三島吉右衛門・橋本甚三郎が許されている。
書上によれば、町奉行支配の町人のなかで、
この他にも苗字を使用している町人は多いとしている。
ただし、いずれも「自分と内証にて唱え」てきたもので、公式には認められていない。
(吉原健一郎『江戸の町役人』吉川弘文館、1980年)
508 :
日本@名無史さん:04/02/10 16:40
>>507 サンクス!506は歴史書ではなく夏目漱石のことについて書かれた本の中に
あったものです。町名主は苗字帯刀や玄関を持つことを許され、奉行所に入る時だけは
両刀をはずさなければ成らないetc
509 :
日本@名無史さん:04/02/20 22:32
戦国期武士だった庄屋は苗字帯刀を認められたというのは本当ですか?庄屋の殆どは
戦国期武士では?
510 :
日本@名無史さん:04/02/22 00:24
郷士ネタで盛り上がろうよ!最近書き込みなくて・・・。
511 :
日本@名無史さん:04/02/22 19:01
>>509 俺の家の場合、地頭→国人領主→庄屋の口だな
512 :
日本@名無史さん:04/02/23 00:07
>>509 庄屋なら名字の家は多いと思うが、帯刀は戦国期から有力(村を領地として村民の殆どが領民のような)な家や、領主と主従関係を持っていたが百姓身分を選んだ家ぐらいしか許されなかったと思う。
513 :
日本@名無史さん:04/02/23 00:20
屋号と苗字の関係はどうなの?
514 :
日本@名無史さん:04/02/23 01:55
幕末に献金と引き換えに濫発したんでないの?
上杉家の転領で解雇され出家した後
新しく来た藩主に息子が農地を貰って、そのまま苗字帯刀許されたらしい
ずっと名主をやってたらしいが実質郷士?
516 :
日本@名無史さん:04/02/23 21:48
>>515 新潟か福島ですか・・・。
上杉家は首切りしなかったから米沢藩は石高の割りに武士が多く慢性的に貧乏で、下級武士は農地を与えられて城勤めをせずに農業をしていたと聞いたことがある。
関ヶ原戦後の減封では一律に家臣の石高を半分にしたそうだし、そんなお先真っ暗な主家を見限って地元に残ったのかもしれないね。新しい領主から名字帯刀を許されて、「領地」を「所有地」として安堵されたのかもしれないよ。
「領地」を「所有地」として安堵されたのかもしれないよ。
領主階級の知行地と
百姓の保有する土地とは
基本的に意味の違うものなのだが。
518 :
日本@名無史さん:04/02/28 07:22
うちは名主で江戸末期に立てられた薬医門があるんだが、薬医門がある=苗字帯刀が許されてた
ということはないの?
519 :
日本@名無史さん:04/03/14 00:36
520 :
日本@名無史さん:04/03/21 00:18
由緒百姓は苗字帯刀許されてたの?というか由緒百姓ってなに?
うちは名字帯刀を許されていた質屋ニダ
522 :
日本@名無史さん:04/03/31 20:21
江戸時代の金持ちランキングだと、酒造家>質屋 この二つが金持ちだったらしい。
なんか悔しい
524 :
日本@名無史さん:04/04/07 11:31
かたなもってたらあぶないんだよ。
いけないよ。
525 :
日本@名無史さん:04/04/08 02:30
伊・黒・野・久・島・阿・津・鎌・足・富・士・加・鹿・桑・神・佐・桜・玉・坂・岡・波・名・豊・井・今
高・和・松・三・福・摩・磨・香・内・竹・那・宇・留・江・泉・益・部・寺・亀・荒・尾・紀・気・木・永
長・武・小・稲・輪・芦・代・白・真・辺・角・墨・山・浜・口・越・宿・須・境・堺・酒・茂・菅・塩・釜
沼・月・奈・分・栗・崎・平・瀬・牛・有・岩・多・賀・戸・塚・敷・柏・草・栖
一文字でも入ってればあなたの近い祖先遠い祖先はかなりの確率で九州人です。
これどうよ。
526 :
日本@名無史さん:04/04/08 12:05
うちの先祖が苗字帯刀を許されていたかどうかはどう調べりゃいいんだよ・・・ちなみに酒造家兼名主でした。
527 :
日本@名無史さん:04/04/08 12:18
>>525 入ってますが、先祖は奥州二本松藩士です。
>>525 うちも入ってますが、先祖は幕臣で本国伊賀。
529 :
日本@名無史さん:04/04/12 10:19
最近盛り上がんないね!
530 :
日本@名無史さん:04/04/20 19:08
日本人の殆どが士族の子孫がということになってるらしい(殆どは嘘名わけだが・・・)ですけど名主の子孫のほとんどが苗字帯刀だったと
ならないのはなぜ?こちらのほうがかなり信憑性が高いと思うぞ!
531 :
日本@名無史さん:04/04/28 02:15
苗字帯刀を許されていたという場合の帯刀とは、武士のように大刀と小刀を二本差すことを許されていたということなんですね。
幕末の郷士は、ほとんどがそうであるし、幕末に活躍した志士というのは大半が苗字帯刀を許された郷士だったんですね。
532 :
日本@名無史さん:04/04/28 03:23
>>531 幕末に活躍した志士(農耕賞出身)は勝手に帯刀してた椰子も多かったらしいが・・・
533 :
日本@名無史さん:04/04/28 21:53
まあ、浪士というか浪人なら、勝手に帯刀しても問題はなかった。身分制度が緩んでいたからね。
534 :
日本@名無史さん:04/04/28 23:00
庄屋の次男三男が帯刀して江戸や京都目指したなんて話もあるよな
535 :
日本@名無史さん:04/04/28 23:26
幕末の志士は富農が大名直属の奉公人に金で潜り込み
元〜家中と名乗って帯刀し浪士というのも多い。一応直臣だし。
将軍家の清掃員である御掃除等、末端御家人でも陪臣よりは上。
536 :
日本@名無史さん:04/04/29 00:43
>>530 名主なら苗字はあっただろう。
しかし、帯刀はちょっと疑問。
うちは名主の家の分家筋だけど、江戸時代の古地図があって、
これにはちゃんと苗字が記載されている。
近隣の村々の名主の苗字は全て記載されている。
537 :
日本@名無史さん:04/04/29 13:10
世襲の庄屋なら脇差ぐらい差してんじゃない?後、江戸期に門を作るためには苗字帯刀の許可が必要だったらしい・・・
でも現存する庄屋門の多くは明治期にたてられたもの。
538 :
日本@名無史さん:04/04/30 05:02
苗字帯刀が許された場合と、苗字を私称する場合の違いは、
苗字が許された場合は、苗字のほかに姓も持つこと。
つまり苗字を許された場合は、苗字のほかに、源平藤橘その他の姓が与えられる。
私称の場合は、姓はない。
539 :
日本@名無史さん:04/04/30 05:08
名主、庄屋でも、脇差ではなく、帯刀(大刀と小刀)が許されたのは、
真偽は別として、先祖が武家という証拠(系図、その他)があり、
藩に仕える藩士としての武士に準ずる郷士として認められた家だけ。
540 :
日本@名無史さん:04/04/30 10:17
>>538 要するに、名主・庄屋でも、私称の場合がけっこうあったという事なのかな?
541 :
日本@名無史さん:04/04/30 11:14
家の田舎だと庄屋はだいたい酒造家で蔵名(?)を名乗ってる!蔵名○衛兵など・・・苗字と姓は私称・公称分からないが
ある!蔵名に姓一字採用してるのもある。
542 :
日本@名無史さん:04/04/30 11:35
既出かもしれんが士分以外で苗字帯刀を許されるのは一代限り
544 :
日本@名無史さん :04/04/30 16:05
農家だが、当たり前のように昔から苗字があったし刀も所有していて、尚且つ火縄銃もある
とくに刀は、山岡鉄州から贈られた物まであるぞ
545 :
日本@名無史さん:04/04/30 17:19
司馬りょうの菜の花の沖、読んでみいな。苗字帯刀のことよおく書いてあるぞな。
546 :
日本@名無史さん:04/05/03 03:44
天領の庄屋・名主は藩領より格式が高いということで幕末には苗字を名乗ってたという・・・これは公称ということ?
547 :
日本@名無史さん:04/05/03 11:14
私称
548 :
日本@名無史さん:04/05/04 06:40
代々苗字帯刀なら士分でしょう。苗字帯刀を許されるということは一代限りだから出てきた語句
549 :
日本@名無史さん:04/05/04 07:27
550 :
日本@名無史さん:04/05/04 08:47
村の人別に載っているなら百姓であって、武士ではない。
苗字帯刀は武士であるかどうかの指標にはならない。
>>557 >>558のいうとおり、そういうのは士分とはいえない。
その例でも「一代限りの」苗字帯刀の継続という以上のものではない。
何故ならば、もし献金が滞ったり何らかの罪に問われたりしたならば、
この権利は剥奪される可能性があるから。永代の権利という「身分」
として保障されたものではないのではないかな。
552 :
日本@名無史さん:04/05/11 17:14
江戸時代における「武士」の規定は、苗字帯刀ではない。
武士とは、幕府から録をもらう幕臣か、藩主から録をもらう藩士のこと。
だから苗字帯刀を代々許されていても、農業などで自活していた場合は、
武士とはされず、武士に準じる身分として郷士とされた。士の字がつくため、
一応、広義では武士だが、武士を幕臣や藩士に限定する狭義では武士ではなかった。
553 :
日本@名無史さん:04/05/12 00:20
江戸時代、名主・庄屋クラスなら明治に普通は戸長・副戸長クラス
戸長制度、殆んどの都道府県で何度も改正されてるから一枚位書類残ってるだろ。
選挙権も大概持ってる。
連続してる伝統だ。
554 :
日本@名無史さん:04/05/12 01:16
>>553 家の先祖は庄屋で戸長になったけど明治15年前後からだね!それまではなぜか分家の人がやってた。
江戸期も庄屋は世襲だったんだが・・・。
>>554 特殊な例を言われても答えようがない。
自分で調べなさい。
初心者質問スレから誘導されてきました
482 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/05/12(水) 00:41
うちの先祖は代々商人で、安政年間の地図にも商家として載っています。
そこには、「海老屋」という屋号と名前が書いてありました。
文久3年に建てられた墓が残っているのですが、その墓石には「○○家
代々乃墓」と刻まれているんです。
江戸時代に苗字が許されていたのって、武士だけだと学校で習った記憶が
あるのですが、なぜ江戸時代の商人に苗字があるのでしょうか?
ちなみに、○○は今でも我が家の苗字です。
東海道の宿場町なので、御用商人だったのかもしれません。
長年の疑問が解決して嬉しい。
557 :
日本@名無史さん:04/05/12 12:01
大庄屋で交代制の場合の苗字帯刀はどうなりましょう?
558 :
日本@名無史さん:04/05/21 07:59
>>429-430 十津川郷士で扶持を受けてたというのも伝承のみで資料はなかったんじゃなかったっけ。
559 :
日本@名無史さん:04/05/28 03:22
町年寄ってなに?
560 :
日本@名無史さん:04/06/01 01:20
>>上士=名主 下士=村方三役 自作農=足軽 江戸時代末期に、郷士にシフトされた農民の身分推移だよ
去年他スレにあったものですが・・・意味が分からんのですが。郷士って下級武士では?
561 :
日本@名無史さん:04/06/01 02:24
郷士の定義は藩によって違うが大きく分けると3つ
藩士ではあるが城下に住まず郷村に住した者
幕藩体制に組み込まれなかった中世土豪の末裔
献金等によって苗字帯刀を許された取立郷士
城下に住む城士より低身分とされたが
生産現場の利権に結びつき富を蓄えた者が多い
薩摩藩では鹿児島以外の外城の城下に住む藩士も郷士と称した
また、郷村に住む郷士は村役人を兼ねていた
562 :
日本@名無史さん:04/06/01 02:33
>>561 >>幕藩体制に組み込まれなかった中世土豪の末裔
組み込まれて無い場合は建前上は庶民ですか?もうひとつ、郷士にシフトというのは献金でということでつか?
564 :
日本@名無史さん:04/06/01 14:19
中世土豪の子孫ですが名主でしたщ
565 :
日本@名無史さん:04/06/01 14:46
566 :
日本@名無史さん:04/06/08 21:00
貧乏な地域では名主でさえ苗字帯刀が無かったとか・・・という発言が過去あったんですが。このスレの流れに
反してる。間違いですよな?
567 :
日本@名無史さん:04/06/08 21:04
>>566 畿内近国が貧乏な地域だったとは思えないが
苗字帯刀を許されていない庄屋などいくらでもいる。
苗字帯刀というのは「リースされた権利」だと思っていたのだが…間違いかな?
569 :
日本@名無史さん:04/06/08 21:58
>リースされた権利
意味がよくわかりませんが。
570 :
日本@名無史さん:04/06/08 21:58
571 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:00
みんなが献金するわけではないわさ。
572 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:03
>>571 献金(=恐喝、借金踏み倒し)では?小藩の勘定方など豪農出身で持ち込みらしいが。
573 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:07
苗字帯刀なんてうれしくもないだろ。
借金の返せないから苗字帯刀を許すなんて言われてもな。
>>571 領主が返済繰り延べの代わりにとか
あるいは踏み倒す代わりにとかで
苗字帯刀を許すということはあるが
その場合も主立った者が許される場合が多いように思う。
575 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:13
天領の場合は代官に献金?それとも征夷大将軍(将軍様だと誤解されそうなので)?
576 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:14
苗字帯刀の苗字なんだが、元々はみんなには苗字はあったらしく、
そのお触れが出て、使えなくなったというのが正しいんじゃないの??
だって日本で一番多いのは鈴木、佐藤でしょ。明治になっていきなり許可されて、
鈴木が断然多いってのはおかしい。田中とか山田とか福田とかなら・・
577 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:18
578 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:22
しかしなー地侍や土豪の子孫である庄屋が苗字帯刀も許されんとは・・・よく武装蜂起しなかったな。
579 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:24
580 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:28
581 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:28
>>576 幕末の戊辰の戦いで徴収された農民兵の名簿を見ると
苗字のある人とない人がいる。
582 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:31
街道筋の庄屋なら本陣かねてるとこが多いから帯刀を許されてる。
>>580 苗字の公称にどれほどの価値を感じるかどうかということですよ。
584 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:34
>>581長州の庄屋は戦国期の元家臣だからいろいろあるんじゃない?
>>582 街道筋といっても、宿駅ではない村の方が多いのだが。
586 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:43
587 :
日本@名無史さん:04/06/08 22:50
初心スレッドで門好きで顰蹙かったものですが、苗字帯刀を許されてないなら門構えも許されてないということですか?
苗字帯刀と門がリンクするのは地域によりけりかと。
>>589 少なくとも私が研究対象としている地域だと
苗字帯刀を許されないと門構えを許されないという話を聞いたことがないのだが。
>>590 研究者の方ですか。では門構えを許されるのはどのような家でしょうか?
592 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:06
門構えは家の格式であり苗字帯刀は格式もあるが名誉かな。
594 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:12
>>593 門の種類で決まっているでしょう。大きさではないな。
595 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:15
>>591 門だけが家格の指標ではない。
例えば丹波国桑田郡や船井郡あたりだと
門構えより破風の方が重視される。
>>594 長屋門(武者窓付き)>長屋門>薬医門=高麗門>棟門 こんな感じでしょうか?
598 :
日本@名無史さん:04/06/08 23:20
冠木門あまり見ませんよね。薬医門も・・・長屋門は結構ある。
止まってしまった。門について語りませんか?
>>598 冠木門も東京都下に残っています。
冠木門は後から屋根を乗せている例が多いので判りづらいかも。
602 :
日本@名無史さん:04/06/09 01:19
豪農の門構えなんてほとんど明治以後に立てられたものだから門で格式なんてわからないべ
603 :
日本@名無史さん:04/06/09 01:22
関東では長吏小頭クラスでも長屋門許可されてたのいた。
戦後になると小作農だったものが個人的に門を作るようだが。
逆に格式の家は没落して門もないよ。
前他スレで出てたけど、板塀と土塀って家格と関係があるのか?
607 :
日本@名無史さん:04/06/13 07:53
608 :
日本@名無史さん:04/06/14 06:54
やはり、大河の壬生郷士八木何某は庶民ヘアー&無刀だ・・・郷士だろ?どういうことだ?
後、壬生郷士はどこの藩所属ですか?分かる方・・・
609 :
日本@名無史さん:04/06/26 10:21
薩摩の郷士で上級郷士は城下士よりも家格が低いのか
610 :
日本@名無史さん:04/07/21 11:52
足軽の場合は帯刀云々はよく話題になるが最近は帯刀してた派が優勢かな。
611 :
日本@名無史さん:04/07/28 19:46
苗字帯刀で武士身分以外の場合斬捨て御免は許されたのでしょうか?
612 :
日本@名無史さん:04/07/28 21:55
>>608 京なら幕府領だろ、幕府領だからこそ京での宿舎に選ばれても文句はいえない。
614 :
日本@名無史さん:04/07/28 22:02
615 :
日本@名無史さん:04/07/28 22:05
>>612 武士にも大藩殿様から浪人までいたように、
農民にも殿様御成りの大庄屋から小作の貧農まで位がありますから。
616 :
日本@名無史さん:04/07/28 22:46
617 :
日本@名無史さん:04/07/30 11:22
浪人は武士ですよ。
浪人は人別帳に記載されないから無宿だなどという
乱暴な議論を立てる人がときどきいますが
浪人改帳というものが作成されており
主君に使えていない武士身分として幕府は把握しています。
618 :
日本@名無史さん:04/07/30 13:45
619 :
日本@名無史さん:04/07/30 13:52
>>618 ここでは近世のことを論じております。
苗字帯刀の特権が消滅する近代のことはどうでもよろしい。
620 :
日本@名無史さん:04/07/30 14:51
621 :
日本@名無史さん:04/07/30 15:00
>>620 江戸時代に浪人は武士身分であり
苗字帯刀は当然認められていた。
維新後に士族であったかどうかはどうでも良い。
622 :
日本@名無史さん:04/08/10 01:56
農民じゃない庄屋ってのもいたのでしょうか?
うちは庄屋だったと聞いているのですが、御用商人だと言われました。
623 :
日本@名無史さん:04/08/10 02:13
>>622 いるでしょ町名主なんて言葉があるくらいだもの!後、土佐だと郷士が庄屋とかやるみたいね。
>>623 どうも。
ちなみに、名字帯刀してたと聞きますた。
ということは、うちの先祖は農地解放とか関係なさそうですね。
財産はかなりあったみたいだけど、商人だし。
良かった良かった^^
626 :
日本@名無史さん:04/08/10 03:11
薩摩の郷士は残念ながら、城下士最下層(西郷とかの軽輩等)より制度上の家格
は低い。ちなみに身分的に藩の士分であり与力・足軽、私領士(陪臣)よりは上。
元々、幕藩体制後に重要拠点に配された郷士はそこそこの家格がある家が多かった。
しかし、重豪のリストラ政策で明確に城下士より下という制度が出来た。
郷士の悲惨さが語られているのは、江戸の後期からのことで後世の小説や土佐の
坂本龍馬をはじめとする郷士と混同され、より拍車が掛かったように思える。
明治維新以後、薩摩に残った土地も金もある郷士が県会議員等の有力者となった
例も多い。
627 :
日本@名無史さん:04/08/10 03:16
うちは江戸でっせ。
628 :
日本@名無史さん:04/08/14 02:19
薩摩は庶民に苗字帯刀させるようなことはなかったのか?
629 :
日本@名無史さん:04/08/14 17:36
千人同士や牧士たちも武士のようで武士になかなかなれなかったので(幕末に宗門改
帳上、武士になる)苗字帯刀に近いのでは?
630 :
日本@名無史さん:04/08/14 21:03
安島帯刀
631 :
日本@名無史さん:04/08/15 01:28
632 :
日本@名無史さん:04/08/15 01:32
水戸だよ
633 :
日本@名無史さん:04/08/15 17:09
薩摩藩小松帯刀
634 :
日本@名無史さん:04/08/18 07:11
うちは江戸初期の墓に苗字が彫ってあるが・・・苗字許されてたのか?
635 :
日本@名無史さん:04/08/28 08:41
自侍の子孫=庄屋・名主
武士の子孫が帰農したの=郷士 苗字帯刀が認められなくても郷士なの?
636 :
日本@名無史さん:04/09/04 19:35
天領では苗字帯刀が許されることが少なかったそうですが、なぜ?
637 :
日本@名無史さん:04/09/04 22:40
牢奉行石出帯刀の子孫の情報あります?
638 :
日本@名無史さん:04/09/05 03:42
千葉一族です
639 :
日本@名無史さん:04/09/14 04:47:31
壬生郷士って士族になったの?
640 :
日本@名無史さん:04/09/24 00:44:48
郷士株と苗字帯刀、買値はどの程度でしょうか?
641 :
日本@名無史さん:04/09/24 18:09:50
文政年間、徳島藩における苗字帯刀の値は100両です。
642 :
日本@名無史さん:04/09/29 18:34:32
苗字帯刀を許された庄屋が郷士なの?それとも庄屋の中で郷士だけが苗字帯刀を許されるの?
643 :
日本@名無史さん:04/09/29 18:38:37
苗字帯刀と郷士は別物。
644 :
日本@名無史さん:04/09/29 23:35:16
645 :
日本@名無史さん:04/10/09 20:22:56
646 :
日本@名無史さん:04/10/10 07:15:39
苗字帯刀を許された庄屋(大庄屋)が郷士と呼ばれることが多いような気がするが・・・
647 :
日本@名無史さん:04/10/11 11:17:13
648 :
日本@名無史さん:04/10/11 11:20:13
苗字帯刀
苗字帯刀というと江戸時代の武士階級の特権、というふうに教科書では教えている。
ここから庶民は苗字が無かったんだ、刀を持てなかったんだと思われがちだが、本当は少し違っている。
この場合の「苗字」というのは、公の場や公文書で名乗る権利のこと。
武士以外の身分の者でも先祖代々の苗字を持っているものは多く、私文書など他の場面では苗字を使っていた。
また有力な村役人(名主・庄屋など)や大商人には武士と同等の苗字を名乗る権利が与えられていた。
そして「帯刀」。
武士以外が刀そのものを持てなかったのではなく、規制があったのは長さに関すること。
脇差や長脇差(は規制されたこともある)は許されており、買うお金さえあれば多くの人が持っていた。
旅に出る時は護身用の必携品でもあった。
越後のちりめん問屋一行が持っていてもおかしくはなかったのである。
649 :
日本@名無史さん:04/10/11 12:42:37
「 郷士の士族編入は明治5年の太政官布告から。
その後段階を追って明治33年の郷士を平民に移籍する太政官布告により再度平民に編入している。 」
ってどういうことですか?詳しい方詳細を教えてください。
650 :
日本@名無史さん:04/10/11 20:05:29
農村部では身分はあやふやになっていたらしいと聞いたんだけど…ほんと?
>>648 う〜ん、ちょっと説明が間違ってます。どっかのサイトから持ってきた文章のようですが。
> 武士以外の身分の者でも先祖代々の苗字を持っているものは多く
多くないです。やはり苗字を持っている家は少数派です。
地方に行けば分かります。親戚でもないのに同じ苗字の家が一つの集落に集まっている、というのはざら。
由来を調べると、大抵は地区名とかその地区の有力者から取ったというところです。なぜなら特に農村部では苗字など必要ないからです。
> 私文書など他の場面では苗字を使っていた
これはほとんどの場合字(あざ)名を冠に持ってきているだけ。地名です。
もちろん本当に隠し苗字を持ってくることもありますが、稀です。
明治になって平民も苗字を登録するようにとの太政官令が出されましたが、改めて苗字を考えるのが面倒だったのか、なかなか進みませんでした。そこで再度太政官令を出して強制的に全国民に苗字をつけました。
648さんの説は、怪しげな「名字辞典」「名字で先祖が分かる〜」みたいな本を書いている人がことさらに取り上げる話です。本を売るためですね。そりゃ誰だって自分の苗字がたかだか100年ちょっとの歴史しかないなんて思いたくない。
あと、「帯刀」というのは元々太刀を差すことです。一般人が脇差を持っていたからといってそもそも「帯刀」とはいいません。
648さんの説明では「苗字帯刀」は身分を問わず全民衆が行っていたように読み取れてしまいます。
ただ、一般に「苗字帯刀」が誤解されているのは事実です。例外もあるということです。
>>651 私的に苗字を名乗る例がそれほど多いとは思えませんが
苗字御免とされているものは、そのなかのまた一部ですので
私的な苗字使用はある程度存在したということは否定できないと思います。
それから維新後の平民の苗字許可の問題ですが
最初は苗字を名乗ることを許可したのであって、強制はしませんでした。
これに対し、平民があまり苗字を名乗ろうとしなかったのは
新たな負担増を警戒したからだといわれています。
近世後期に豪農が献金によって苗字御免となった例をたくさん見てきたからでしょう。
だからこれを例証に用いるのはいかがなものかと思います。
維新後の事例で近世を論じることが危ないのは
郷士が士族になるとかならないとか、そういう議論でも感じることです。
永代苗字帯刀御免になっても、近世においては百姓はあくまで百姓身分です。
武士身分になるわけではありません。
このあたりを維新後の士族や卒族と絡めて議論する向きがあるようですが
近世における身分把握の問題は
あくまで近世の枠組みのなかでとらえるべき問題かと思います。
653 :
日本@名無史さん:04/10/16 14:14:54
なんか大人の良スレになってきていい感じ。
654 :
日本@名無史さん:04/10/16 14:17:47
国によって色々だよ。
655 :
日本@名無史さん:04/10/16 14:25:28
>>652 >>郷士が士族になるとかならないとか
ここがあいまいなんですが・・・>>649みたいなことで複雑化してしまったのか・・・
郷士自体の言葉が本来、士であるはずのものが北条、武田などの遺臣が帰農した場合身分的には農民ではあるが郷士
と称することがあるから・・・。などetc
656 :
日本@名無史さん:04/10/16 14:43:02
657 :
日本@名無史さん:04/10/16 14:46:04
>>655 近代の士族というのは、あくまでも近代の制度です。
それでもって近世の身分把握を論じようというのは
議論としてはおかしいと指摘しているのです。
郷士が士族になるのかならないのかは
近世の「苗字帯刀」の問題とは基本的には別個の問題なのです。
これを論じたければ、郷士スレを立てるべきでしょう。
658 :
日本@名無史さん:04/10/16 14:49:15
>>657 前あったんだよ!郷士スレ・・・あれまくってというか粘着さんがいてぼろぼろになってしまった。よって>>1
の1に郷士があるからこのスレで議論しましょう!最初に断りを入れてくれれば結構ですから。
659 :
日本@名無史さん:04/10/16 18:43:06
信濃は帰農しても郷士とはいわない。
660 :
日本@名無史さん:04/10/17 19:42:12
江戸初期から許されていたのと末期から許されたのでは価値が全然違いそう。
661 :
日本@名無史さん:04/10/22 07:59:08
なえあざたてわき
苗字がこうだからルーツはとか、先祖の身分がどうだのがどれだけいい加減な事か
でもタブー的であるからしてメジャーなマスコミではつっこまない
663 :
日本@名無史さん:04/10/22 09:08:33
>>662 タブーになる人なんてのは極少数であって、探るのはめんどうくさいし
どうでもいい事だし。
タブーってBだけじゃないよ
嘘の先祖だって他人がつっこむと喧嘩になるから避けてるよ
田舎では先祖は武士とか嘘も多い
特に東北はゆうめい。これはある世代の人ならよく知っている
666 :
日本@名無史さん:04/10/22 16:50:38
先祖は百姓なのに、武士とかにして、系図も適当に捏造してってのが多いのは
よくあった事なのだが、まぁ犯罪じゃないし、追求してもいざこざするし、そういう事
にしておくのが暗黙のルールなのさ
668 :
日本@名無史さん:04/10/22 23:49:17
岩手だけど、ウチの親戚でも安倍貞任の子孫とか奥州藤原氏の子孫とかゴロゴロいる。ウチも新田の子孫を自称しているよ。
ウチも含めてみんな江戸初期から名字帯刀の家なんだけどね。
少なくともウチは詐称だよ。
669 :
日本@名無史さん:04/10/23 18:44:53
>>668岩手だと盛岡藩の方でしょうか?幕末には10両だせば侍になれるといわれたお国柄ですからなあ。
拙者の家は、南部一門の四戸家の出身です。明治以降は零落して任侠のお客分(食客)になってたそう
です。
670 :
669:04/10/23 18:53:10
>>668 新田家の子孫さんで思い出したけど、盛岡藩の記録「雑書」にとある農家の天井裏から義貞公の感状が
でてきて褒美を与えられた話がのっておりました。ひょっとして・・・。
実際には東北は敗残者の祖先ばかりだからな。
つーか、東北に住んでいること自体が現在進行で敗残者だってことだがw
672 :
668:04/10/23 19:05:42
いえ違うと思います。
ウチのご先祖はどうやら斯波御所に仕えていたようなのですが、主家滅亡時に屋敷に閉じこもって傍観していたようです。多分その言い訳として「我が家は新田氏の子孫だから足利一門の斯波氏を助けるわけには逝かない」とか言ったのでしょう。
言い訳はいいから
由来捏造は歴史的に1500年も日本に従属してきた劣等民族東北人がプライドを満たすために編み出した基本的特質。
昔から
東北人息をするように嘘をつき
といわれている。
歴史小説を読んでると、剣術の道場主は
農民出身でも当たり前のように苗字帯刀してる
印象がありますが、道場を継ぐ際に養子になって
武士身分になってたりするんでしょうか?
676 :
日本@名無史さん:04/10/23 20:59:27
史学の常識だから知っているとは思うが、近世以前では農民と武士の身分差が曖昧で、ほぼ富農=武士と言って良い状態だったからね。
で、検地の時、百姓身分を選んで土地の所有を続けた家はたいてい、江戸時代を通して名字帯刀の家だよ。
逆に検地の時、武士身分を選べば土地の所有は認められなかったわけ。
だから農村に行くと身分は農民だけど名字帯刀の家というのは結構ある。新撰組の近藤勇なんかもそうだろ?
677 :
日本@名無史さん:04/10/23 21:55:45
>>676 常識ではないと思うが・・・武士と地侍は区別されてた気が・・・
検地の時も特権は認めたが苗字帯刀は少ないのでは?幕末に金と引き換えに濫発したのが殆どだと・・・。
明治になると系図捏造が・・・
苗字も、その土地になんもゆかりもないの付けて、今頃になって家は〜姓だから
ルーツは〜とか本気汁で思い込む
Bの人でも先祖侍にしてる人いるし、「東京に来たら先祖は殿様って言っても
大丈夫」とか言ってた人がMXテレビに出てた
>>676 677が言うとおり、侍と地侍は違う。
すでに鎌倉時代には武士と百姓は区別されてた。
御成敗式目しらべてみそ。
680 :
日本@名無史さん:04/10/26 16:31:56
まあ、戦国期は地侍が大多数であったとは思うが。
681 :
日本@名無史さん:04/10/26 17:41:03
>>679 侍と郎従・凡下は区別されているが
侍と地侍は区別されているとは言えない。
682 :
日本@名無史さん:04/10/31 18:49:24
苗字帯刀を許された名主で帯刀した写真が残ってるのですが頭は丸坊主でちょん髷を結ってないんですが、田舎の方に行くと
髪を結うなんて風習はなかったのでしょうか?
683 :
日本@名無史さん:04/10/31 20:35:01
>>682 出家していたのではないでしょうか。
庄屋・名主のご隠居が出家するというのはよくあることです。
684 :
日本@名無史さん:04/10/31 20:52:32
>>679 確かに鎌倉までの武士は殆どが出自がしっかりした開発領主系であった。
しかし、南北朝期からいわゆる成り上がり者が武士化する。
685 :
日本@名無史さん:04/10/31 20:56:47
開発領主自体、成り上がり者ではないかと。
686 :
日本@名無史さん:04/10/31 21:20:32
鎌倉まで野武士は中央貴族や地方でも名族の子孫であることが絶対条件だったよ。
687 :
日本@名無歴さん:04/11/01 00:33:34
こんばんは、スレ違いですが教えてください。
我が家は甲斐郡内で官社に列しられていた神社の神職家で、
現在も神職です。御師なのですが江戸時代には三代将軍の子宝うんぬんの
祈祷が上手くいったと言う事で(うる覚えですが)その後、従五位下若狭守に
叙任されました。
それはされおき、裏紋というのはどんな意味があったのですか?
ちなみに我が家は表は笹竜胆で裏は三段菱です。
688 :
日本@名無史さん:04/11/01 08:03:12
裏稼業するときには裏紋使ったんだよ。
表の神職の時は笹竜胆。裏稼業のアレの時は三段菱・・・。
689 :
日本@名無史さん:04/11/02 22:49:50
>>683 なるへそ!ありがと・・・でも出家していたら帯刀する必要も無いような。
>>689 写真を撮っているわけですから
帯刀御免という格式を示したかったのではないでしょうか。
691 :
日本@名無史さん:04/11/02 23:28:16
高知の坊さんは頭に簪刺すんだよ、勇気あるな〜
692 :
日本@名無史さん:04/11/11 22:49:47
>>690 魂抜かれるーーーとか思わなかったのかいな?
田舎の一般ピープルの系図捏造なんて田舎の郷土史研究してればよくある事
東北が有名だが
695 :
日本@名無史さん:04/11/27 16:37:47
東北で多いの?
696 :
日本@名無史さん:04/11/27 20:41:18
家系図に「累世苗字○○、帯刀御免」「諸式士分也」と書いてあったのですが、郷氏かな。
城下からはほど遠い山の中だし。近所のじい様曰く「ここら一帯は、○○(うちの苗字)さ
んの、小作だったんだよ」とか言ってたことがあったが…。
最近流行りの本百姓ってやつではないかな?
697 :
越中やもり:04/11/27 23:51:56
越中、加賀藩高岡城下を作る為にまず造られた町の1722年の町割り図面を
見たところ、各家の名前の左下に持分という小さな字が書いてあるのを見まし
たが、これはどんな意味を持っているんでしょうか、数十軒あるなかで持分と
書いてあるのは4軒ほどしかありません。加賀藩2代目前田利長の命により
造られ、木材と廻船の特権を与えられた町です。
どなたか、明るい方お教えください。
698 :
日本@名無史さん:04/11/29 12:53:42
699 :
日本@名無史さん:04/11/29 13:13:44
>>696 庄屋ぽい。
>>697 加賀の城下町の商家は前田以前の加賀の土豪の格によって割り振られたらしいと聞いたことがあるが・・・
700 :
日本@名無史さん:04/11/29 13:26:30
700
701 :
日本@名無史さん:04/11/30 01:03:04
702 :
越中やもり:04/11/30 01:37:17
>>699さんへ。
貴重な情報、有り難うございます。
越中高岡城下の木町という町です。1609年利長は富山城が焼失した為、高岡を
造るにあたり、資材の集荷地として利便性に富む木町に特に木材業の特権
を与え専業権として保護し、他町の木材業の扱いには厳しく対処しています。
戦略的にも北部の海上からの、また能登方面からの敵の侵入を阻止する為の
重要なポイントであるため、藩政として重要視していたものと私は考えて
います。持分ですが恐らく、その土地が自己所有である、との意味だと思い
ますが、江戸時代の町人の土地所有はどの程度のものであったか、又、木町は
加賀藩の重要な町であったため、持分以外の人達は貸与えられていたものなの
か、そのあたりを知りたいと考えます。
詳しい方、宜しくお願い致します。
703 :
日本@名無史さん:04/11/30 06:34:31
>>701 累世苗字○○、帯刀御免」「諸式士分也」は矛盾してるっしょ。大庄屋や土豪庄屋みたいなもんじゃない?
704 :
日本@名無史さん:04/11/30 16:52:54
705 :
日本@名無史さん:04/12/04 23:39:27
>>687 >御師なのですが江戸時代には三代将軍の子宝うんぬんの祈祷が上手くいったと言う事で(うる覚えですが)その後、従五位下若狭守に叙任されました。
数年前の郷土史の雑誌に、貴家と思われる神職家の江戸時代から明治までの歴史に関する論文が載っています。
その論文には、3代将軍徳川家光の側室於楽の方が4代将軍家綱を懐胎した時、於楽の方の弟の増山正利(ましやままさとし、後に2万石西尾藩主)を通して貴家が御祈祷を仰せつけられた、
これ以降、代々幕末まで将軍家御祈願所の御師となった、という貴家の由緒書の内容が書かれています。
貴家の由緒書には、於楽の方の母である増山紫の再婚相手の七沢(ならさわ)作左衛門清宗は、貴家と親戚であった、
そして、貴家の当時の当主の祖父は甲斐武田家家臣であったが、この兄弟の家が井伊家家臣となっており、その推挙もあった、と書かれています。
貴家と井伊家との関係が非常に濃密であった事を示す文書が多数残されている、と論文には書かれています。
「従五位下」「若狭守」は、神職として、京都の吉田家を通して朝廷から頂いた官位だと思います。
代が替わる毎に京都まで行って、吉田家を始め、天皇家、関係する朝廷の貴族の一人一人に多額の費用を払って頂いていたと思います。
>それはされおき、裏紋というのはどんな意味があったのですか?
ちなみに我が家は表は笹竜胆で裏は三段菱です。
「三段菱」という紋は、「三階菱」(小菱+中菱+大菱)か、「松皮菱」 (小菱+大菱+小菱)のどちらかの紋だと思いますが、どちらでしょうか。
次のホームページで確認なさって下さい。
http://www.otomiya.com/kamon/kika/hishi.htm
706 :
日本@名無史さん:04/12/05 17:18:58
庄屋の子供は帯刀出来るのかな?小説だと脇差差してたりするが・・・
707 :
日本@名無史さん:04/12/05 17:32:04
脇差は庶民でも差せたのではないかな。
弥次喜多の二人も助さん格さんも道中差を差して旅してるし、
ヤクザの長脇差ってのも、大っぴらに帯刀するための長「脇差」でしょ。
708 :
696 :04/12/06 14:49:06
先日祖母の話を聞いたところ、祖母が家に嫁ぐ前は祖父は刀を持ってたそうです。
まあ、帯刀してたって意味じゃなく、先祖から伝わってきた物を所有していたのでしょう。
祖父の兄のもあったそうです。
でも、「戦中、金属がなくてね。お国にお出ししたそうだよ」と言っていましたが。
709 :
日本@名無史さん:04/12/06 16:57:45
>>708 うちは戦後警察が来て武器蔵の中身全部持ってかれたそうな・・・庄屋なのに武器蔵があったそうな。
710 :
日本@名無史さん:04/12/06 22:57:51
ぶっちゃけ士族っつーても、うちは負け組みだからなぁ。
父方:仙台の枝藩藩士。戊辰のあとお殿さん一家とともに屯田兵。
すげぇ苦労したそうだ。今も当時一緒に北海道いった家の人たち
と付き合いあるが、総じて貧乏。うちは摺上原の戦い前からガンガったのになぁ。
母方:会津藩士。明治以降は警官やら兵隊さんやら。苦労したそうだ。
両方にいえるのは「貧乏」。お百姓さんでも官軍参加した家は勝ち組よ。
711 :
日本@名無史さん:04/12/06 23:03:12
戦争中なんかもっと悲惨。郊外の農家の子はまだ白い米食ってた。
ところが都市生活者だった祖母は、ろくに食うものも食わず、
ひぃひぃばあちゃんの嫁入り道具やら着物やら(貧乏だけど
そういう代々のものはもっていたそうだ)闇米と交換しなきゃ
いけない始末。
712 :
日本@名無史さん:04/12/06 23:07:28
結局一番かね持ってるのは、俺の母方の実家(江戸期から
酒田で商家やってた。北前船で結構羽振りよかったらしい)
です。やっぱり金だよ、金。
713 :
日本@名無史さん:04/12/06 23:18:28
>>707 旅行するときは護身用の脇差しさせたね。
博打打ちが旅人姿なのはおおっぴら長脇差しさせるようにだね。
714 :
日本@名無史さん:04/12/13 04:18:55
ちげーよ!それぜってーちげーよ!
715 :
日本@名無史さん:04/12/20 23:00:13
郷士を名乗る家が2chには多いが郷士って名字帯刀許されてないのもいたの?
716 :
日本@名無史さん:04/12/21 00:20:27
本陣は許されてたように書いてあるのが多いが。夜明け前の主人公は途中で許されたわけだが・・・
717 :
日本@名無史さん:05/01/02 16:50:18
だからケースバイケースだよ。
一般論ではなかなか語れない。
718 :
日本@名無史さん:05/01/12 13:54:24
黙認されてたというケースはあるのかな?
719 :
日本@名無史さん:05/01/12 19:42:58
720 :
日本@名無史さん:05/01/20 00:49:11
伊達市ですね、道南の
721 :
日本@名無史さん:05/01/20 10:44:12
>>719 ということは庄屋などの名字帯刀許可は1688年以降ということ?それ以前は特権ではなかったてことでよろしいか?
722 :
日本@名無史さん:05/01/25 21:22:40
元々は誰でも名字帯刀した
723 :
日本@名無史さん:05/01/27 14:21:20
724 :
日本@名無史さん:05/01/29 01:32:24
↑ 勉強してから書いてね
725 :
日本@名無史さん:05/01/29 01:54:12
愛知の瀬戸物づくりの陶工は加藤氏。
後陽成天皇に陶器を献上したは加藤景延は筑後守に任ぜられている。
726 :
日本@名無史さん:05/01/29 09:19:13
細川護煕総理も今では茶碗を焼いている
727 :
日本@名無史さん:05/01/29 11:04:11
阿弥陀講といって、女性だけで月一回集まって、長ぁーい数珠を繰りながら南無阿弥陀仏を念じ、女人往生を祈るサークルをやってます
728 :
日本@名無史さん:05/02/01 17:33:15
徳川家康直々に名字帯刀許された家ってある?
729 :
日本@名無史さん:05/02/02 15:21:56
ある
730 :
日本@名無史さん:05/02/02 20:27:03
731 :
日本@名無史さん:05/02/05 21:11:50
下郎
732 :
日本@名無史さん:05/02/06 14:55:58
>>1 郷士ってのは庶民扱いなんだな。領主により苗字・帯刀を許可された庶民
^^^^
一概にそうとは言えない。
藩によって制度が異なるから決め付けることは出来ない。
実際に藩によって維新後の士族の範囲が違っている場合もある。
小藩のわりに妙に士族が多いところは、郷士はもちろん神官等苗字帯刀なら
入れてしまったりしているらしい。
逆に藩の方針で藩士を帰農させてしまったために平民になってしまい、藩の
重役が故郷に住めなくなった藩もあるとか何かで読んだ。
734 :
日本@名無史さん:05/02/06 16:07:16
>>733小藩では名字帯刀の豪商・豪農あたりも士族になれたのかな?
735 :
日本@名無史さん:05/02/17 10:58:02
なれない
736 :
日本@名無史さん:05/02/17 12:31:48
金で買って成れたんじゃないの?
幕府の御家人株でさえ買えたんだから。
ちなみに官位も金で売られていた時代があった。
欧州の貴族階級もそう。
737 :
日本@名無史さん:05/02/19 12:17:13
今でも売ってる
笠間良彦著「下級武士 足軽の生活」に載っている1万石(正確には1万石以上1万一
千石未満)の大名の明治初の家臣数は、最大は多度津藩の1263名から最小の西大平藩
の71名までなんと17.8倍差があります。
ただし表高が1万石でも実習に相当に差があるので、浅見雅男著「華族誕生」を見ると、
ほぼ同時期の各藩の現石(租税収入)が載っています。そして最大の黒石藩の8020石
から最小の七戸藩の1620石まで4.95倍とかなり差があります。
多度津藩は7400石と確かに高収入で、西大平藩は3250石と実収は少ないものの、
その差はわずか2.3倍です。
つまり家臣1名あたりの現石高は多度津藩5.9石に対して、西大平藩45.8石と実
に7.8倍の大差があります。
他に七戸藩5.6石、千束藩5.2石、麻生藩11.6石が突出しています。
ほとんどの藩は19石から47石の範囲内に収まり、他にこれから外れるのは反対方向
で黒川藩55.3石のみです。(千束藩と黒川藩の差は10.6倍)
つまり多度津藩、七戸藩、千束藩、麻生藩は、実収に対する家臣の数が極端に多いこと
になり、本当にこんなに家臣が居たのか疑問。もしかして苗字帯刀以上は全部家臣に数え
ているのでしょうか?
薩摩の如く異常に郷士が多いのか、はたまた領民に士籍を売りまくったのでしょうか?
七戸藩などは本藩からの援助でもっていたのかも知れません。
西大平藩は大岡越前の子孫、七戸は南部の分家。
多度津藩は丸亀藩の、千束藩は小倉藩のそれぞれ分家だし
麻生藩はもともと20300石が10000石になったという事情がある。
いずれも特殊例かと。
741 :
日本@名無史さん:05/02/28 21:14:35
本を写すより勉強しなさい
742 :
日本@名無史さん:05/02/28 21:18:43
西大平藩は隣町
743 :
日本@名無史さん:05/03/01 22:36:30
名字帯刀ってのはどういった経過で庶民に付与されるようになったのかな?いつごろから名誉なことになったのか?
744 :
日本@名無史さん:05/03/02 14:12:57
武士しか入れない料亭などは苗字帯刀の名主・豪商・郷士あたりは入ることができたのかな?
745 :
日本@名無史さん:05/03/05 05:43:12
>>437 俺知覧出身。先祖は佐多氏(知覧島津家)の家臣で
島津氏の陪臣だけど明治維新以後、戸籍は士族だよ。
746 :
日本@名無史さん:05/03/07 18:39:52
アメリカあたりで羽織袴で帯刀して歩いてみたい・・・。
褌着用に丁髷も忘れるな
748 :
日本@名無史さん:05/03/08 12:58:48
丁髷はちょっと・・・
髷なしで人前に出るのは、今でいうと素っ裸で町を
歩くような恥ずかしいことだったらしいぞ
750 :
日本@名無史さん:05/03/10 18:33:38
テレビでやってたけど江戸時代はお触書なんてほとんど守られてなかったそうだ・・・勝手に帯刀してるの多そうだな。
特に地主階級は。
751 :
日本@名無史さん:05/03/11 00:05:57
家は岸和田の殿様に金を貸した商人だったそうな。
それで、苗字帯刀を許されたらしいが、戦争で証文あぼーん。
これって証文無事なら金返せっていえるのか?殿の子孫に。
753 :
日本@名無史さん:05/03/11 15:29:56
>>728 関八州長吏頭の浅草弾左衛門は、徳川家康から直々に苗字帯刀を許されたんじゃなかったっけ?
しかも一代限りじゃなく、代々世襲で苗字帯刀が許されてたはず。
755 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 18:36:16
保守
756 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 17:06:49
幕末と初期では意味合が違う感じだが詳しい人折らんのか?
757 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 12:02:19
age
>>756 初期
→幕府体制がまだ固まっていなかった→浪人溢れる(宮本武蔵なんていい例)→苗字帯刀のありがたみはあまりない
中期〜後期
→幕府体制が固まり身分制度も明確→苗字帯刀は非常に意味がある
末期
→黒船やらで融資をつのる→その代わり苗字帯刀乱発→ありがたみない
759 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 19:50:59
上州なんて農民だか武士だか分からん奴がうようよしてたらしいが・・・
760 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 22:07:03
>>710 出張先で見かけた斗南藩記念館。
あれ、会津藩のなれの果てなんでしょう?
761 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 22:19:55
>>760 そうだよ。
みんながみんな斗南へ行ったわけじゃないけどね。
蝦夷地にも領地(瀬棚郡など)を持っていたし、
それとは別に北海道開拓(余市や琴似屯田兵村など)などに従事した人もいる。
762 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 23:04:39
先祖は苗字帯刀だと聞かされていましたが
今の今まで、苗字対等だと思ってますた。orz
逝ってきまつ。
763 :
日本@名無史さん:2005/05/15(日) 19:33:15
保守
764 :
日本@名無史さん:2005/05/15(日) 20:56:03
ママンの実家が苗字あったよ。江戸時代初期から。
帯刀も許されてたらしい。郷士なのかな?
ママンの性格はちなみに恐ろしくきつい。家は商売やってるんだけどね。
みあいでケコーン。貧乏人の家に見合いで来るかと公言して顰蹙買った。
>>764 1.2chをやる子
>>764がいる
想像すると、ママンは現在50歳以上
2.見合いでケコーン
「見合い」をする時点で60歳超えもあり
現在50歳なら団塊世代よりちょっと後、戦後生まれ
年頃になると昭和50年、オイルショック後
見合いでケコーンは考えられん
現在60歳なら戦争末期、戦後直後生まれ
年頃になると昭和40年、高度成長時代真っ只中
良家の娘がビンボーな子息と見合いとは考えられん
現在70歳なら戦中生まれ
年頃になると朝鮮戦争勃発前
まだ物資不足で良家から農家へと嫁いだ者も多かった
どう?
766 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 12:17:50
浮上age
767 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 20:01:59
江戸時代が後百年続いていたら武士だったかもしれませんね。
>>738 七戸藩とは何ぞや?アホな事書くな!
南部盛岡藩の蔵米を食む別格諸家の一つ。明治二年に七戸城跡に、藩庁を作っただけ!現実は同じ盛岡藩別格の新田領。
維新後のどさくさに紛れて、一族を大名にしようと目論んだが…あぼーん
769 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 09:26:46
天領にも苗字帯刀の庄屋とかいたのですか?
その場合誰が許可するんでしょう?
まさか将軍親裁のわけないし、老中まで上がるとも思えません。
遠国奉行は奉行?
勘定奉行配下は奉行レベル?郡代・代官レベル?
実は農民出の手代が認めてるとか?誰かご存知ないですか?
770 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 09:43:07
>>769追加、あとその場合って幕臣と言えるのでしょうか?
もう一つ、江戸時代の武士って軍役で一定数以上の家臣を抱える義務が、建前上はあっ
たんですよね。
それを逆手にとって、富裕な農民・町人に家臣を地位を売ったとかってことはないのでしょ
うか?御家人株はよく売られていたようですが。
それとも陪臣では売り物にならなかったのでしょか?
771 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 11:11:16
保守
772 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:35:56
藩にもよるけど名主も非常時に軍役を負担させることがあったみたい(あくまで想定だろうけど)。幕末かな?
藤堂藩の無足人なんかは、名字帯刀の名主そのものだが、軍役を負う。
774 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 22:02:37
郷士といっても農村の武士と農民の苗字帯刀があるからこの辺は微妙。
776 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 09:20:45
鈴木長右衛門(士族・地主階級)─┬ 一郎(次期家長)
├ 二郎(分家の予定)
├ 三郎(鈴木家の遠縁に養子)
├ 四美(嫁入り)
└ 五美(いかず後家)
これだとどこまでが士族?
>>776 扶養家族のうちは全員士族
一郎はずっと士族
二郎は分家したら平民
三郎は養子先が士族なら士族、平民なら平民
四美は婚家が士族なら士族、平民なら平民
五美はずっと士族
>>776 >士族・地主階級
士族とは明治以降の呼称だよね。ごくごく一部の士族を除いては没落し
地主階級になっていない。
江戸時代の地主階級は、これもごくごく稀な一部の例外を除いては平民になっている
士族≠地主階級
779 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 20:53:49
庄屋、名主とか言っても、江戸初期からずっと庄屋(名主)だったとは限らない
初期の富裕な家(庄屋クラス)が没落して、変わって台頭してきた家に取って替わられる。
こんな例は珍しくない。むしろ普通じゃねぇの?
780 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:55:54
↑庄屋スレと間違ってこっちに入れちゃった。ごめんね。
旗本領は江戸後期になると、苗字帯刀を許される例が多いよね
781 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 00:06:38
>>780>>旗本領は江戸後期になると、苗字帯刀を許される例が多いよね
詳しく教えてください。。。
苗字帯刀を許された庄屋(名主)でも公的には農民だから
維新後は平民だわな
783 :
779:2005/06/29(水) 20:43:45
>>781 江戸後期にもなると旗本の家計は火の車だったから、知行地の百姓に便宜を
はかって貰って、その見返りに名字帯刀御免の許状を与えたりしてた。
>>783 後学の為に、2〜3実例を挙げてもらえませんか?
じゅうぶん有り得るとは思いますが、実例を知らないので
伊能忠敬がそうちゃうん。
酒田の本間様とか・・。
786 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:10:54
>>784 俺、糞さいたま(浦和、大宮、与野、岩槻)市民なんだけど、このあたりは旗本領が多かったから
旗本領主(殿様)から名字帯刀を与えられてた家は、まあ、あったんじゃないかと
思うんだけどね。あっ、岩槻以外ね!
それらしき実例を持ってる家は知ってるけど、ここでは晒せないよね。ごめんね。
あと、埼玉の県南とかは県北と比較すると、由緒のある家ははるかに少ないから、
領主から苗字帯刀を許されていたからといっても、その家が他の百姓よりも家筋が
良いとは限らない(村内での地位が、成り上がってる家が結構あるから)。
これは
>>779で当てはまることだと思うんだけど。
逆に武蔵七党の発祥地で、その後裔が近世になっても土着帰農した家が多かった
児玉郡、秩父郡とかは村内で圧倒的な力を持っていた家が幕末まで村内での勢力を
保っていたケースはかなり多い。
ただ、今は過疎とかで絶家となった旧家は県北などに多い。
その逆に県南の旧家?は不動産でガッポリだ!
787 :
784:2005/07/01(金) 15:44:41
>>785-786 ありがとうございます。旗本=殿様だから、大名が自分の領民を士分に取り立てるのと、
旗本が知行地の人間を士分に取り立てるのは、法理論上は同じことだとは思っているのですが。
さらに調べてみたいと思います
788 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 05:49:53
649 日本@名無史さん 04/10/11 12:42:37
「 郷士の士族編入は明治5年の太政官布告から。
その後段階を追って明治33年の郷士を平民に移籍する太政官布告により再度平民に編入している。 」
ってどういうことですか?詳しい方詳細を教えてください。
そんなことあったんだね。明治期になっての族籍移動って士族→平民(分家によって)や功績によって→華族ぐらいだと思ってた。
平民にされた郷士は反乱や陳情はしなかったのか?なぜわざわざ平民に戻したのか?・・・後以前教授と呼ばれてた人がいるけど
今も出現してるの?
789 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 06:54:44
苗字帯刀を許された庄屋の先祖の帯刀した写真が残ってるけれどもいつごろ撮ったものなのだろうか?
790 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:34:06
>>789 写真が日本にやってきたのは、明治維新のほんのちょっと前。
てことはペリー来航やら財政破綻やらでもう幕府ダメポの頃。
当時、普通の庄屋レベル(苗字帯刀無し)から融資を募り、
その見返りに苗字帯刀の免状を乱発した。
なのでうちは苗字帯刀!っていうのも、
「いつの年代か」で評価が分かれる。
おそらく
>>789の写真は明治のはじめだと思われる。
791 :
楠木正行:2005/07/20(水) 22:44:27
帯刀正行
792 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:31:04
保守
793 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 02:25:13
わが家の家系も某東北地方の寒村で肝煎を務めており、
祖母の口癖が「名字帯刀御免の家柄に恥じるようなことはするな」でした。
門構えはなく、規模もそれほど大きくはないのですが、茅葺きの家屋にはいまも現役で
上段の間などが残されています。
また、藩主代替わりのたびに行われる領内の巡行では大小の二本差しに裃姿で
御成先の先導役を務めたと市史に載っています。
当時の公文書も教育委員会等に現物が残っているのですが、苗字が記載されていました。
やはり地域によってかなり状況が違うものなんですね。
794 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 03:41:58
家の方はまだ千人同心の家が残っている。
795 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 14:39:56
age
796 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 00:16:44
縦脇
797 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:25:06
ん?
798 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 15:15:52
苗字帯刀が許されてない庄屋なんているの?
799 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 16:16:49
名字帯刀(たてわき)って読んだ
800
>>798 不埒の筋ありとかで、先祖が取り上げられてた事ならあるよ。
跡継いだ孫の代に許されたけど、その間20年くらい取り上げられてた。
802 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:23:15
804 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 06:10:42
>>798 普通は庄屋程度では苗字帯刀にはならない
805 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 09:15:41
806 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 12:16:58
嫌朝鮮半島の古代史スレは乱立してるのに
なぜ、近世百姓スレはここだけなのか?
808 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 04:08:18
>>807 100人いれば・・・
10人が工・商・町人・差別部落・僧、
10人が武士、残り80人が農民。
農民の中の一握りが庄屋。
庄屋の人口は武士の人口よりも少ないからだと思われ
809 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 05:41:38
木下犀潭(きのしたさいたん)
1805〜1867年、肥後菊池郡の生まれ。
名は業廣。晩年、村と号した。
幼くして俊敏、記憶力が強く、22歳で学業優秀につき苗字帯刀を許され、
木下姓を名乗る。後に時習館訓導を勤め、禄百石を賜った。
幕府より昌平黌教官への話があったが、未だ藩公の恩に報いていないとして、
これを辞した。門弟に井上梧陰、竹添井井、古荘嘉門等、多くの優れた人材を輩出。
また、犀潭の次男は京都帝国大学初代総長を務める等、一門にも俊才が多かった。
慶応3年、63歳で病没。墓所は熊本市内の龍田山にある。
810 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 05:55:46
811 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 04:09:06
>>809 学業優秀なだけで苗字帯刀にはならない、つーかなれん。
引き抜き→仕官→武士身分とかいう理由があるはず。
812 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 05:06:59
813 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 02:24:22
>>812 名家(本来名家とはいえないがw)の傍流が帰農し、その末裔が仕官しただけ。
名家の子孫だから苗字帯刀できるわけがない。
814 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 04:01:19
>>809 コイツはなんで木下姓を名乗ったんだろう?
江戸時代の木下氏といえば豊臣の流れをくむ一族、
わざわざ幕府の役人から睨まれそうな姓を名乗ることないだろうに。
815 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 09:28:13
816 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 09:31:39
足守木下家は北政所所縁の家。豊臣方というより、徳川方。
817 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 11:19:41
>>814はネタか?
”苗字”の成り立ちっていうもんを勉強してこい
818 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 11:23:39
>>817 もともと苗字をもっていて、
今まで名乗れなかっただけ、ということだろ?
819 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:15:43
>>814 >江戸時代の木下氏といえば豊臣の流れをくむ一族、
>わざわざ幕府の役人から睨まれそうな姓を名乗ることないだろうに。
木下姓を名乗ると睨まれるのか!
んなこたーないぞ、おい(w
820 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 02:37:29
苗字帯刀を許されていない郷士っていたの?
821 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 02:46:56
>>820 つ苗字・帯刀はしょうがないので許してやるが給料はやらん自給自足汁!=郷士
822 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:19:48
中学のときのババア担任(女:50くらい)が嫌な香具師でなー
成績いいヤツとかマジメなヤツには滅法やさしく
言う事を聞かないヤツとかうるさいヤツには厳しかった
ま、簡単にいうとエコ贔屓がすごいババアだったんだけど
そんで自分の家は苗字帯刀の大庄屋だったとか
近所から○○様って言われているとかっていうんだよな
最近になって郷土史とか興味をもつようになって読んでるんだけど
ババアの家のことなんて一言も書いてないw
なにかで会う機会が会ったら話してみたいけどなw
>言う事を聞かないヤツとかうるさいヤツには厳しかった
それあたりまえ。
824 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:52:47
>>823 そりゃそうだが(^^;
言い方が難しいがとりあえず意地汚いババアで
誰からも相手にされない友達のいない自慢コキタイプということ
郷土史ではババアの家は幕末に30戸くらいの村の百姓代になってたようだけど
どう考えても庄屋とか大庄屋ではないし
明治以降に繁栄したとは思えないんだよなw
30戸くらいの村の連中からとりあえず○○様って呼ばれただけってことは分かった
825 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 23:38:39
>>824戸数自体にはあまり意味はないでしょ豊かな地域で30戸小作人があれば結構な御大尽だと思いますよ。
826 :
.:2005/11/24(木) 01:04:04
>>825 >戸数自体にはあまり意味はないでしょ
今なら機械もあり1戸が何町歩も耕作できるが
昔は戸数≒石高、といっても間違いではない
>豊かな地域で30戸小作人があれば結構な御大尽
30戸程度では( ´,_ゝ`)プッだぞ、おいw
827 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 03:20:55
>>826まあ、日本全体でに見ればwかも知れんが田舎だとね・・・
828 :
.:2005/11/24(木) 04:15:26
>>827 田舎だと何?
田舎だと30戸で"結構な御大尽"といいたいのか?
いっとくけど、米中心の時代に田舎とか都市部とか関係ないぞ
829 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 16:29:15
830 :
.:2005/11/24(木) 19:54:33
>>829 田舎だと何?
田舎だと30戸で"結構な御大尽"といいたいのか?
831 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 21:37:45
832 :
.:2005/11/24(木) 21:41:10
>>830 釣りか?
「戸数自体にはあまり意味はない」
「豊かな地域で30戸小作人があれば結構な御大尽」
こんなことを平気で言う香具師だからな・・・
>昔は都市と田舎の格差は現代以上だぞ。
ソースよろ。
833 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:00:58
>昔は都市と田舎の格差は現代以上だぞ。
ソースよろ。
大丈夫か?
834 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:05:53
米換算自体はあまり意味が無いのでは?養蚕etc
後、ソース事態も信憑性のあるものは少なく(そうとまでは言い切れないが)やはり最終的には地道な精査しかない。
835 :
.:2005/11/25(金) 01:40:35
>>834 養蚕にしても陶作にしてもあくまでも中心は米を中心とした農作物。
とりあえず食わなきゃ始まらないから。
って
>>831はどうしたw
836 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 03:19:19
>>835>って
>>831はどうしたw
逃げたんだろ!どうも日本史版は粘着質なのが多くてすぐ逃げられる。昔は専門家が多かったのにな。
>>835>養蚕にしても陶作にしてもあくまでも中心は米を中心とした農作物。
言いたい事が良く分からないけど、佐久と秩父との米作、養蚕の相互互助(?)というのもあるから米を中心とは
よくわからん。
837 :
.:2005/11/25(金) 03:51:55
>>836 貨幣基準≒米(農作物)ってこと。
石高も結局は1石=1人を1年間食わせるだけの領地、って意味で。
衣食住で一番重要なのは食。
極端な話、家もなく着る物もなくてもメシさえあれば生きていけるし、
いくら立派な家に住もうと、立派な着物を羽織ろうと食い物がなければ生きていけない。
養蚕とか陶作とか炭とかも産業として成立していたけど、
食べられる(=豊かになる)から文化(=贅沢品)へ行く。
都市部がいい暮らしをしていた、と勘違いしていた
>>831だが、
それはもう勘違いも甚だしい。
明治以降の東北の冷害とかと関連付けているんだろうがな。
むしろ、江戸期は田舎の方が豊か。
838 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 15:39:10
良くは分からないですけど本間様は約3千町歩で小作人約3000人を要してたわけですが戸数≒石高とすると
小作人が食べていくだけで精一杯ということですか?
839 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 18:12:11
あんまり釣られるなってw江戸期は田舎の方が豊かなんてwww
840 :
.:2005/11/25(金) 18:15:55
>>838 おまいが
>>831本人だろうけどやっぱアフォだなw
1町歩=1石と思ってるのか…1町歩が何石かまるで分かってないな。
メートル法しかしらないバカにも分かるよう、やさしく教えてやろう。
以下は太閤検地以後に定められたものだ。
1合は1人1食で食べる量。なので3合=1人が1日で食べる量となる。
1年360日×1合×3回=1080合≒1石(1000合)=1人が1年間に食べる量。
1反=1石、
1町歩=10反、ここまでいいか?
3,000町歩=30,000反=30,000人だろーがwww
それからな、何が本間様だwww何が3千町歩だwww
市嶋や渡辺など越後の豪農をググってみろ。
841 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 18:34:08
俺は831ではないが
あんたが戸数≒石高と言ったような・・・3000人なら3000石という単純計算になるが>826はあんたではないのか?
俺が馬鹿なのか?
842 :
.:2005/11/25(金) 19:07:14
>>841 真性のバカか?
>>826をよく読め、
機械もない時代、1戸で耕作できる限界ってもんがあるだろw
どこに1戸≒1石ってあるんだよwwww
843 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 19:15:33
>>842真性の馬鹿みたい俺
意味が分からん。戸数≒石高なら1戸≒1石にしか思えない。それとも戸数に家族が含まれ人数分で割るのか?
それなら一人当たりの耕作面積はより少なくなる。
844 :
.:2005/11/25(金) 19:22:49
>>843 おいおいジジ・ババ・女・子供・赤子までみんな働くのかよw
チンパンジーに算数を教えても無駄だな、こりゃ。
845 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 20:27:52
>1合は1人1食で食べる量。なので3合=1人が1日で食べる量となる。
これは現代の感覚ですね。
近世の扶持米は1人1日5合が基本ですよ。
女扶持は少ないけどね。
847 :
.:2005/11/25(金) 21:06:05
>>845 そうとう読解力がないアフォですねw
そういう揚げ足取りがあるだろうと予想していたので、
>>840に【以下は太閤検地以後に定められたものだ。】
と前置きしてるんだがなwww
ここは日本史板だぞ、おいw
チンパンジーはカエレ
848 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 21:14:08
論理的には無茶苦茶なのに勢いだけで勝ち誇る朝鮮人みたいな奴がいるな。
ここは日本史板だぞ?
849 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 21:23:09
>>845 扶持米が1日5合ってのは食う分以外も含まれてるからだろ。人は米のみで生きるに非ず。
ところで近世は1日2食だったんでない?
850 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 21:41:32
>>849 篠田統『米の文化史』によれば
16世紀初期の気比神宮の社家文書に
家造作のたいく(大工)は中食は四合同夕めしは三合、中酒あるへし
とあるそうです。
また近代陸軍では1日精米6合となっています。
昔の人は今からは想像のつかないくらい米を食うのです。
なお近世の食事は基本的には三食かと思います。
851 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 22:29:52
論理矛盾に答えてないぞ。↑は結局2人でのループなのか?
852 :
850:2005/11/25(金) 22:50:11
おそらく地域差があるでしょうが
戸数≒石高とは言えないことの方が多いのではないでしょうか。
例えば17世紀後半の摂津国嶋上郡の諸村を見ると
30軒で村高492石6斗5升という村もあれば
72軒で村高359石4斗2升4合という村もあります。
史料の出典は天坊幸彦『高槻通史』です。
853 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 22:51:15
>>847 そう馬鹿に出来る数値でもないぞ!
詳しい数値は忘れたが
小伝馬町の牢の一人あたりの食事の分量は、かなりの量だと記憶している。
854 :
.:2005/11/26(土) 03:23:59
>>850 >家造作のたいく(大工)は中食は四合同夕めしは三合、中酒あるへし
>とあるそうです
「〜だそうです」、でそのソースは?
>近代陸軍では1日精米6合となっています。
>昔の人は今からは想像のつかないくらい米を食うのです。
金なら幾らでも使えるが、メシは限度があるんだぞ、おいw
学校で習わないのか?w
しかもな、苗字帯刀≒刀狩〜兵農分離〜明治4年までだろw
なにが近代陸軍だよw
>>852 ほんの一部の例外を出して「〜とはいえない」
詭弁者がよくやる手だな、おいw
855 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 04:44:33
なんだか歴史を勉強し始めたばかりの厨房みたいなのが・・
旧陸軍の米支給は食事目的だけじゃなく給料も兼ねてるのに・・・
どうやれば1日6合なんて(ry
>>845 >>1合は1人1食で食べる量。なので3合=1人が1日で食べる量となる。
>これは現代の感覚ですね。
>近世の扶持米は1人1日5合が基本ですよ。
はっ?
現代人が1日に3合も食べられると思ってるの?
ご飯炊いたことある?ないでしょ?1日3合ってすごい量だよ?
現代人はラーメンとあればパンもあるから1日3合なんて食べられない
けど昔は米が主食だから1合食べる
なんか
>>831以降イタイのが1人いるね
>旧陸軍の米支給は食事目的だけじゃなく給料も兼ねてるのに・・・
∩___∩ /)
| ノ ヽ ( i )))
/ ● ● | / /
| ( _●_) |ノ / <二本差しの精鋭部隊?
彡、 |∪| ,/
/__ ヽノ /´
(___) /
858 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 07:40:05
精米1合は約150 g
ご飯にすると約2倍の300 g程度
ココイチのカレー普通盛のライスは300 g
>はっ?
>現代人が1日に3合も食べられると思ってるの?
ココイチに通う奴らは人間離れした大食いなのか。
859 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 08:05:01
860 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 09:54:14
>戸数≒石高
混乱の原因はこの書き込み。
この部分だけ取り上げれば、何も考えてないとしか思えない。
書いた後で本人も気づいたから、勢いで押し切ろうとしてるだけだろ。
子供のやることだから大目に見てやれってこった。
>戸数≒石高
普通の人は戸数≒石高でまぁ納得する罠
コンバインも田植え機もない時代、1戸が
耕せる田圃には技術的な限界がある
1戸あたりどれぐらいを管理していたのかは
知らないが、仮に1戸が5反管理していたら
戸数≒石高から1戸≒5石となる。
戸数≒石高だ!なんて言われて
1戸≒1石なんていう発想は普通の人はせんよ
つまり
>>831は真性ってことだ
862 :
.:2005/11/26(土) 12:52:55
【感想】
>>831以降、
俺は微積分をやっているのに、
足し算・引き算の香具師が紛れてきたってことww
初歩の初歩も知らないチンパンジーは来て欲しくないなw
チンパンジーは放置しといて、
頻繁に出る”酒田の本間”に突っ込んでやるが、
”酒田の本間”も”越後の伊藤”も明治以降に発展だからなw
江戸時代はカスもカス。
863 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:29:04
>>854 ソースソースというけど
あなたこそ「戸数≒石高」を示すデータなりソースなりを示すべきではないですか。
村明細帳と高反別帳を付き合わせれば
その村の戸数と石高の関係は割り出せるはずです。
やってみれば、私の言っていることの正しさは自ずと明らかになるかと思います。
なお先の大工の話は典拠は書いたはずですが。
864 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 15:54:12
>>854は戸数≒石高ではなく1日に1人が食べる米の量にこだわっているだけかも知れないので
もう少し付け加えておきます。
明治4年以前の慶応4年2月7日に出された東征軍の糧食規定には
一 白米四合 金一朱 泊駅
一 白米二合 銭百文 休駅
右之通一人ニ付手当可有之候事
とあって、1回の食事に白米2合を食べていたことがわかります。
865 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 16:08:56
866 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 16:41:40
素朴な質問で問題を蒸し返すのはなんですが>>852で30軒で村高492石6斗5升という村もあれば
とありますが492石あれば「御大尽」とは言えないのですか?
867 :
859 :2005/11/26(土) 17:03:00
過去レスよく読んだら
>>840と
>>826 は同一の人ですね^^;
>>826の
>昔は戸数≒石高、といっても間違いではない
これはありませんね、人口数≒石高の間違いでしょう
このあたり1戸の耕作可能な面積と食糧が混同されてて判りにくいですな^^;
30戸の小作人を抱えていればそれなりの庄屋かと
30戸くらいの村の百姓代ならたいしたはないですね^^
>>864の1回の食事に白米2合は、成人男子の軍役を行う人の食糧で
1反1石=1,000合(1年に一人が消費する米の量)は
赤ちゃんから老人までの平均ですので差は出るでしょう。
PS:大化の改新(645年)の時に、米1石を生産する面積を1反と定めた
それを360で分割した単位が1坪である。
太閤検地より1反=5間×60間=300坪の変更。
868 :
850:2005/11/26(土) 17:32:36
平均反収1石というのは正しいと思います。
しかしまあ、そもそも百姓代は平百姓の代表に過ぎませんから
戸数が30戸だろうが100戸だろうが
領主支配の末端に位置づけられる庄屋・名主や年寄・組頭とは大きく異なります。
戸数とか石高とかを問題にする理由がよくわかりませんね。
869 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 17:35:55
余計わけわかめなのだが。人口数≒石高 一石≒一人が一年で食べる量 だとみんな食ってくだけで精一杯。年貢は?
870 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 17:40:35
>861-862を意訳するとこんな感じかな。
「俺様は大雑把な話をしてただけ。なのに、細かいところを突いて来んじゃねえよアホ!ボケ!カス!」
子供なんだから見逃してやれよ。大人気ないぞおまいら。
なんか
>>831必死だなw
よっぽど悔しかったんだろう
872 :
859:2005/11/26(土) 17:52:32
869さん
>>852の30軒で村高492石6斗5升という村の例でいけば
30戸×5人=150(村の人口)
492−150=342石が年貢±余剰米です。
米以外にも他の農作物や工芸品(藁細工・織物等)蚕などで
副収入を得ていたんでしょうね。
873 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 18:06:39
人口数≒石高が耕作面積って言ってるんでしょ。>>872では耕作可能面積以上の米が収穫されてる事になるが・・・
874 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 18:13:56
地域によって差はあるが、庄屋や年寄も世襲ってのは少なかったんじゃない?
これらの村方役人を選ぶ権利は領主でなく村方にあったわけで、百姓代と
それほど大きな溝はないんじゃないか?
時代が下るにしたがって庄屋層は体制側に徐々に取り込まれていったみたいだけど、
同様に時代が下るにしたがって世襲庄屋の家の多くがも没落して、村の富裕層が
その役を務めるようになっていったわけで。
875 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 18:15:24
村単位では人口数≒石高とはならないってこった。
876 :
859:2005/11/26(土) 18:20:32
人口数≒石高はあまり良い表現ではなかったですね
1年に一人が消費する米の量≒石高に変更で^^;
877 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 18:22:15
どんどん混乱の渦が広がっている悪寒。
878 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 18:23:56
>>876>>1年に一人が消費する米の量≒石高に変更で
それは当たり前でしょ。
879 :
859:2005/11/26(土) 18:35:27
混乱の渦が広がっている・・・すまんorz
1年に一人が消費する米の量≒1石
石高は米の生産量です
880 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:07:13
>>874 少ないか多いかは地域差によるでしょうね。
>>824は
>郷土史ではババアの家は幕末に30戸くらいの村の百姓代になってたようだけど
と書いているので、村役人にはなっていないと見た方がよいと思います。
もちろん村役人でなくとも、「社会的権力」たり得ますが
その家の持高がどれくらいあったかとか、金融関係はどうなっているかとか
そういうことが明らかにされないと、何とも言えません。
881 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:12:14
うちは農家だけど結構土地持ってたみたいだけど、えらかったんか?
屋号があったと聞いたことあるけど、そんなんあるの?
882 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:15:46
>>881 屋号というのは一般的なものです。
公式に苗字を使えるかどうかが
「えらい」かどうかのひとつの目印です。
883 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:16:30
ほう、せnきゅう
884 :
.:2005/11/26(土) 19:32:36
>>859よ、
ここは学術的に日本史を論じる板であってな、
バカにされたからといって浅はかな知識を論じるところではないぞwww
チンパンジーはチンパンジー同士馴れ合ってろ。
もしくは半年ROMってろ。
885 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:39:55
>880
>>郷土史ではババアの家は幕末に30戸くらいの村の百姓代になってたようだけど
>と書いているので、村役人にはなっていないと見た方がよいと思います。
百姓代は村方三役の一つで村役人だぞ。
886 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:50:58
>>885 狭義の村役人ではないと書くべきでしたね。
百姓代を置かない村もありますし
庄屋・名主や年寄・組頭は就任や退役の際に領主の許可が要りますが
百姓代についてはそういった手続きは必要ありません。
また庄屋などには村から給与が出ますが、百姓代は無給です。
したがって百姓代と庄屋等は性格が異なります。
こういうことは高校の日本史で習うことだと思いますが。
887 :
859:2005/11/26(土) 20:03:13
>>884 :.:さん
あなたとは会話が成り立ちません
さびしい事です。
888 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:03:53
そこまで詳しく教えないよ。
889 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:07:28
890 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:13:13
>>889 話を元に戻しましょう。
幕末の戸数30戸の村の百姓代の社会的地位が問題となっているわけですよね。
畿内近国だと、まあ大したことない地位と言ってよいかと思います。
東北とかだとどうだかよく知りませんが。
891 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:30:20
>畿内近国だと、まあ大したことない地位と言ってよいかと思います。
>東北とかだとどうだかよく知りませんが。
客観的にいえるのは、百姓代が有力農民層だったってこと。それが今の価値観に
照らした上で大したことあるかないかは、それぞれの価値観で勝手に決めること。
漏れの知ったことじゃない。
だからお前は馬鹿なんだ。
892 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:35:22
>>891 「有力」をどう定義するかという問題があるかと思います。
百姓代と庄屋などとの間には
家格の点で差がある場合も多いのではないでしょうか。
893 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:49:03
>百姓代と庄屋などとの間には
>家格の点で差がある場合も多いのではないでしょうか。
具体例を分析しない限りは結論は出んよ。分析すれば当然差がある村とない村が出るわな。
畿内近国なら、他地域と比べて家格の差がない場合が多かろう。そういう地域だからな。
894 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 21:29:50
>>893 個別の事例を論じるには、スペースが足りないかと思います。
まあ、そもそも百姓代と大庄屋は隔絶した存在ですし。
895 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 22:14:16
我が家の場合だと、某藩の刀工で代々働いていた家だが、同姓の他家の方の曽祖父が書いた論文には
「〇〇は我家の弟子にして親族にもあらず」とある。当方・素人なのでよく分らないが、この場合、1の方がいうような
「苗字帯刀」とようなものと同類と見てもいいのでしょうかね?
896 :
895:2005/11/26(土) 22:17:30
(つづき)
既に5.6代前から苗が付いてる所をみると、明治以前という事なので、
少々気になる話なわけですが・・・
897 :
.:2005/11/27(日) 02:05:17
やっとまともな人が出てきたなwww
>>893 具体例として百姓代格で苗字帯刀は聞いたことがない。
まぁ、現代に照らすと
百姓代=村長、庄屋=市長、以上の差はあるな。
…というとまたバカが湧きそうなので、
あまりにもバカなのはスルーする。
>>895 >同姓の他家の方の曽祖父が書いた論文には
>「〇〇は我家の弟子にして親族にもあらず」とある。
何を言いたいのか分からん。
898 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 08:04:56
>894
>個別の事例を論じるには、スペースが足りないかと思います。
論じずに結論を導こうとするなら馬鹿そのものだ。
>そもそも百姓代と大庄屋は隔絶した存在
1代で平の百姓から大庄屋になった例を知ってるが、そんな状況を
「隔絶」と表現するかはあくまでお前の主観で決めること。
>具体例として百姓代格で苗字帯刀は聞いたことがない。
>まぁ、現代に照らすと
>百姓代=村長、庄屋=市長、以上の差はあるな。
程度が低いにもほどがある。お前社会経験ゼロじゃないのか。
899 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 08:12:51
>895
刀工で苗字があるなら普通に士族だったと考えればいいのではないでしょうか。
藩に召抱えられているわけですし。
>「〇〇は我家の弟子にして親族にもあらず」
偶然師匠と同じ姓だったか、特に目をかけられて同じ姓を名乗ることが許された
ということでは。
900 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 08:45:16
900
901 :
850:2005/11/27(日) 08:52:44
>1代で平の百姓から大庄屋になった例を知ってるが
例外はどこにでもあるものですよ。
村長と市長という喩えはともかく
一般的には
>>897の指摘は正しいと思いますが。
902 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 09:19:26
>901
例外かどうか、史料を漁って確かめろ。
それをせずに結論を導こうとするなら馬鹿そのものだ。
903 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 09:39:35
大庄屋はさすがに苗字がないことは考えにくいが、庄屋ではある場合とない場合がある。
庄屋と百姓代の身分差を議論するのに、大庄屋を持ち出しても意味ないだろうに。
だからお前は馬鹿なんだ。
904 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 11:13:47
天領では大庄屋は途中で廃止されてるが・・・苗字帯刀を許されていた家は取り上げられたのかな?
割元庄屋なんてのが出現するが大庄屋ほどいたのかな?ほとんど聞かないんだが・・・新撰組で登場する佐藤家とか
905 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 11:52:16
>苗字帯刀を許されていた家は取り上げられたのかな
永代名字帯刀御免を受けているなら取り上げられることはないでしょう。
>天領では大庄屋は途中で廃止されてるが・
?
906 :
.:2005/11/28(月) 03:11:05
>>904 >天領では大庄屋は途中で廃止されてるが・・・苗字帯刀を許されていた家は取り上げられたのかな?
廃止前に天領で苗字帯刀になった家は、
○○藩御預××や、△△藩◇◇になり苗字帯刀を許されるケースがほとんど。
>>905 >永代名字帯刀御免
3代苗字帯刀と同じく、
有って無いようなものだぞ、おいw
907 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 19:36:12
>904
名字帯刀は役でなく家に対して、奉公の褒美に許されるもの。許す側は懐が痛むわけでは
ありませんが、自らの権威の末端を担わせることになるわけで。
与えられた側に落ち度がないのに取り上げては一種の契約違反と周囲が見かねないから、
取り上げようがないのではないでしょうか。
908 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:49:10
>>907 >>1> 3.町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの
と役柄と書いてあるが。
909 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 22:04:45
あ、ほんとだ。失礼。
910 :
.:2005/11/29(火) 00:58:15
>>907 >与えられた側に落ち度がないのに取り上げては一種の契約違反と周囲が見かねない
イタタタタタ…。
財政赤字に苦しむ藩が、日本各地で借金を棒引きすることがたびたび起こった。
”一種の契約違反と周囲が見かねない”ことが頻繁に起こっていたんだがなw
維新後に没落した旧家のほとんどが、コレが原因の1つだしwww
911 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 06:11:37
>907を読む限り、苗字を取り上げられない根拠としてわざわざ
>許す側は懐が痛むわけではありませんが、
と書いてある。
1で書いてあることを気づかず自説を展開した>907はほめられたものじゃないが、
懐が痛むから仕方なく権威が下がることを承知で契約違反しまくった事例を
挙げるのは、程度の低さとしては同類だろ。
907が痛いということですね
913 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 05:40:11
全員だろ。
914 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 10:26:28
苗字帯刀を許されてない庄屋って多いの?戦国期武士だった家なんかプライドがあるだろうから脇差ぐらい差してそう。
脇差しは帯刀御免とは少し違うと思う。
916 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 11:37:47
江戸期の田舎と言うのはどの程度支配がいきわたっていたのか?戦国期のままというのも天領あたりではありそうだがな。
帯刀はしなかったものの
刀槍弓鉄砲など保有していた家は多い
918 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 21:49:58
詳しい人に聞いた。出典は数万石の某藩の藩政史料。
こっそり二本差ししてたのがバレて処罰された町人がいたり、
口論の末に農民にボコられた武士が処罰された例もあるんだってさ。
旅行中に限り庶民が脇差を携帯するのを許された。
石松君が旅姿をしているのも刃物を身につけたいが為。
と言う話は聞いたことがあるがな。
920 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 22:59:05
いまでも893が拳銃持ってるし、昔だって許可なく大小持ってる奴が
いなかったわけがないな。
921 :
.:2005/12/03(土) 01:51:26
>>914 >苗字帯刀を許されてない庄屋って多いの?
>戦国期武士だった家なんかプライドがあるだろうから脇差ぐらい差してそう。
その為の刀狩なわけだが?
922 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 22:58:10
人としての最低条件ですな、苗字帯刀は
923 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 09:37:45
>>921豊臣政権の5大老のところは刀狩してないはず
924 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:38:57
age
925 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 02:05:51
hoshu
926 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 04:17:55
廃刀令 知らない地域あったかも
927 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 06:44:31
年貢取立てすら行われないような山の中ならあったかもしれない。
928 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 09:26:19
>>923 藤木久志さんの『刀狩り』には前田利家や毛利輝元が行った刀狩りのことが書かれてますよ。
ただし藤木さんは秀吉の刀狩りそのものが
農民の徹底的な武装解除ではなかったという立場ですが。
929 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 11:57:24
先祖が唯の庄屋なのだが戦前まで武器蔵があり日本刀などが大量にあったそうですなんで?
うちもだ・・。
深い悲しみとする先の戦争の時にお国に供出したんそうなんだが・・。
931 :
.:2006/01/01(日) 05:42:15
>>929 武器庫ってwwww
いまどき小学生ぐらいしか引っ掛からないネタだぞ
932 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 06:27:44
先祖が唯の庄屋なのだが戦前まで兵器蔵があり手榴弾などが大量にあったそうです^^
先祖が唯の庄屋なのだが戦前までウラン蔵がありプルトニウムなどが大量にあったそうです^^
935 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 07:54:39
戦国期武家だった家で庄屋になったのならありるだろうに。昔なんかの本で白川郷(?)の庄屋の家に言ったら武器蔵があり
甲冑などがたくさんあって気味が悪かったと言う話を読んだ覚えがある。
東京葛飾の農家です。
関東大震災の時、刀かかえて井戸端で不寝番したのが曾爺さん
先祖が唯の朝鮮人なのだが現在まで武器蔵があり携帯可能な兵器などが大量にあるそうですなんで?
938 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 02:17:59
age
sage
sage
941 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 16:38:53
ume
942 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 16:03:31
943 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 11:16:14
乱発ってあるけどどの程度乱発なの?庄屋の7,8割は苗字帯刀とかそういうレベル?
944 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 15:57:55
調べる人がいないからわからんだろ。苗字帯刀の記録なんて公式に資料として残ってんのかな?武士の家系のごとく自己申告
だと信憑性が。。。うちは庄屋の家系で苗字帯刀を許されていたらしいが史料は無いぞ。戦前まで刀はあったそうだが
どこで調べればいいのだろうか?
>>944 1.何藩?
2.治めた面積は?
〜の家系で〜らしいっていうのはほぼガセでこの
>>944レス以降消えそうだがなw
946 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 17:09:01
>>945 天領。面積は分からんが元禄頃の検地の記録だと200石年貢を納めたらしい。
947 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 17:10:09
ちなみに庄屋だったことは確か。確実に!
948 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 17:13:27
寺の過去帳辺りで情報集めて広げれば?
949 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 17:20:25
>>948寺が檀家2000軒とか言うふざけた寺で江戸期でも相当な檀家数らしく、それも過去帳はなんでも死亡順に全檀家
が載ってると言う使い物にならない代物で。やる気に慣れません。
苗字の記載についても微妙なんですよね、天領の場合はわりと土地持ちの百姓まで記載されてたりするんで。
>>949 残ってるだけ贅沢
天領の百姓は墓石に苗字
952 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 23:07:30
age
953 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 01:27:14
庄屋・御用商人とかではなく苗字帯刀を許されたのってのはどんなのがあるんだ?
954 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 10:51:01
百石〜数百石風情で威張る中下級武家より名主の上位層の方がマシ
955 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 17:09:35
マシというか生活レベルが格段に違うだろ。だいたい下級武士なんて武士とはいえないようなもんでしょ
>>954 それだけ知行貰えりゃかなりの武士だよ。
名主の上位層の方がマシって事はない。
成り上がりの名主も多いし。
957 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 19:45:20
成り上がりはむしろ生活水準は高いだろうな。
958 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 20:02:31
>958
里正は名主、庄屋の事で
よく使われる表現だけど晒して大丈夫?
960 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 22:59:30
自慢できるご先祖様なので全然OKでつ
961 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 23:52:11
ahr
962 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 18:35:21
age
963 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:45:47
age
964 :
日本@名無史さん:2006/03/17(金) 21:16:17
一般民衆も旅などに出かける時のみ、短刀や脇ざしをもっても良いとされていたよ。
>>946 天領は基本的に苗字・帯刀は許されない
>>951 墓石は天領に限らず普通は戒名
>>964 2本差し(帯刀)に関して制限しているのであって
脇差には触れてないだけ
966 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 06:27:17
>>965>>天領は基本的に苗字・帯刀は許されない
そうなの?逆に目が届かないから戦国期のまま帯刀ってことはないのかな?
967 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 06:49:43
>>965 自分の祖先の江戸時代の墓たちには名字と名前が彫られています(戒名は別)
これはどうして?
>>965 ところが、天領百姓の墓石数は旗本領の百姓より多いし
苗字彫られてる墓石も多い。
天領百姓は経済的には恵まれれてたろうから
金の掛かる墓石も造立出来たのかも。
次スレ立たないかな、、
969 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 11:41:16
>>965 天草では18世紀半ばに大庄屋制が復活して、苗字帯刀が認められる。
また他の幕領でも、寛政期以降「郡中取締役」が設けられ
これに任じられた者の多くは苗字帯刀を許された。
渡辺尚志編 『近世地域社会論―幕領天草の大庄屋・地役人と百姓相続―』や
久留島浩『近世幕領の行政と組合村』などを読みなさい。
>>966 天領は直轄でも○藩預でも苗字・帯刀は基本的にない
例外は直轄でも○藩預でも○○役などに任命されて許されるケースのみ
ただ、このケースに非常に稀で仮に100町歩地主でも許されない方が圧倒的に多い
詳しくは過去ログね
■□■漏れの先祖は庄屋様!■□■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1059398904/ >>967>>968 どの宗派だろうがどの身分だろうが戒名を彫るのが一般的で
明治以前の墓に名前を掘ったなんぞ聞いたことがない
明治以降に作り直した可能性が大だろうね
とりあえず写真を撮ってうp&どの宗派なのかよろ
「墓は遠くにあってうpできない」とか理由をつけてうpしない場合、ネタとみなします
>>969 最初にいうけど、乱発した幕末はとりあえず例外だらけで却下ね
それと大庄屋としての苗字・帯刀なのか、召抱えなのかはっきりしない以上答えようがない
またマイナーな郷土歴史家の著作を鵜呑みに(ry
>>970 「幕末」は一般的にはペリー来航以降を指すと思うがね。
いずれにせよ、久留島・渡辺をマイナーと言い切る人に
何を言っても無駄かも知れないが(藁
972 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 00:48:30
>>971 ペリー→天領地主から徴収→代わりに苗字・帯刀
このケースがあるので最初にいったわけで
「18世紀半ば」からではないのはバカでもわかるわけで
それから
>天草では18世紀半ばに大庄屋制が復活して、苗字帯刀が認められる。
「直轄でも○藩預でも○○役などに任命されて許されるケース」に該当
>寛政期以降「郡中取締役」
召抱え
いちいち書くのもアレなのでスルーしようと思ったけど
なにやらアツくなるタイプのようでこれ以降アホレスをしてもらいたくないので書いとくね♥
それより俺の興味は
>>967>>968なんだがな
>>972 落として見たよ
削ってあるのでどこがなになのか説明よろ
あと、俺も曹洞宗なのでちょっと言うけど
居士と大姉が連名で削ってあるところは戒名で死んだその代の夫婦の墓
これはバカでも分かる罠
で左側に「慶安二年」のところに苗字があるといいたいんだよね?
俺の言う「墓石は戒名」というのは入っている人を指しているわけ
この場合は、居士と大姉が連名だけど「そこに実名はありえない」
でも墓に入っている人ではなく立てた人の名前だから名前でも問題ない
それと苗字は「おおっぴらに公文書などで名乗ってはならない」のであって
墓に彫ろうが神社になにかを寄進する際に名乗ろうが問題なし
>>972 続き
それから院号なしの4文字戒名なので格は落ちるけど
○○○○居士と××××大姉ってことはそれなりに裕福な方の家柄
普通は信士・信女だし、武士でさえ信士・信女が多い
ま、地域や菩提寺にもよるけどね
976 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 01:12:56
>>974まあ、左側面から苗字 世襲名夫婦 次に死亡年月日(これは旦那の) 表は戒名
上記の意味がよく分かりませんが・・・片方が死んだ場合。戒名はその時に作り生きてる方は赤で塗っとく。
江戸時代もそうしてたかは分かりませんが・・・
形式的には、ずーーと続いているらしく祖父の墓なども側面に苗字名前死亡年月、表に戒名
時々、裏に子供の名前が連ねてる時もあります。
977 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 01:15:48
>>975江戸初期は○○○○居士、後期になるとOO軒OOOO居士、明治以降はOO院OOOO居士
ただ、分家の末端までOOOO居士なので地方的に居士乱発かな?という気はありますね。現在では
分家筋はOOOO居士で本家に近づくほどOO院OOOO居士かつかなりいい字が使われてるようです。
978 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 01:23:28
あ、初期じゃないか中期かな写真の墓が戒名が確認できる最初の墓で、その前は祠みたいな墓で、そこに何人か
入ってるという話です。
>>970 地域によって格差はあるが、自分の足と目で確認したらいい。
或いは、郷土史の石造物編(近世)とか近年盛んに出されてるから
図書館で確認してみたら?
>>972 その墓石の形態だと造立年代は慶安じゃない。供養塔だと思う。
慶安頃の4字居士は、旗本クラスの戒名。一概には言えないだろうが。
>978の「祠みたいな墓」
それこそ古い墓石かもしれないね。石殿などと言われる墓石だと思うが。
980 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 02:35:39
982 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 12:02:41
>>973 取締役に関する理解が少し違うような。
幕府側は彼らを幕臣として召し抱えているわけではない。
取締役もあなたの言う
「○○役などに任命されて許されるケース」だろう。
それから藩領の大庄屋は苗字帯刀を許されていることが多いが
これも○○役という認識なのか?
もしそうならば、藩領と大庄屋復活以降の天草に差はないことになり
あなたの言う意味での苗字帯刀を許されたものは
藩領でもほとんどいないことになってしまうだろう。
983 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 17:35:05
>>980 そう、それが石殿。
石祠、石室とか呼び方は色々あるけど。
墓石としては普通に考えて、富裕階層が用いたと思うけど。
供養塔は普通の家でも珍しくない。後の子孫が、先祖の墓を立てたりとか。
石殿右手の残欠墓は、五輪塔の火輪みたいのがあったね。
987 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 03:16:57
>>982 藩領は村方三役の上に庄屋、その上に大庄屋があった
大庄屋は苗字・帯刀が許された
天領の大庄屋は一時廃止→のちに復活
廃止時には大庄屋は存在しなく、苗字・帯刀が許されなかった
989 :
988:2006/03/22(水) 04:46:22
>>988 × 藩領は村方三役の上に庄屋、その上に
○ 藩領は村方三役の庄屋の上に
>>985 >微妙な時代だからどっちでやってもいいと思うけど。
江戸時代
近代史板に逝くべきスレがこっちに乱立してるが
差出人 : 前園顕子
送信日時 : 2006年3月17日 23:18:15
宛先 :
件名 : ロマネコンティーより好きなんです。
私は前園顕子、32歳独身
総合病院内肛門科勤務、毎日(*)を拝見しております。
私は自称AM女です。仕事も午前中しかしませんし
名前のイニシャルもAMなのです。そして、さらにアヌスマニアなのです。
実は、私はある貴重なアヌスを探し求めています。
それは滅多にないような形をして色をして匂いのするものなのです。
もしかすると貴方かもしれないのです。貴方はアヌス毛は生えていますか?
私はいままでに沢山のアヌスを拝見させていただいてきましたが、
いまだに私の求めているプレシャスアヌスに出会えていないのです。
それで、無礼なこととは思いますが貴方にメールを差し上げました。
一度お逢いして拝見させていただけないでしょうか?
もちろん、拝見料はお支払いします。
それと、もし貴方が私の求めているプレシャスアナルの場合は
舌でテイストさせていただきたいのです。
もちろん、テイスト料もお支払いいたします。
良い御返事を期待しています。
苗字帯刀
なえあざたてわき