■□■漏れの先祖は庄屋様!■□■

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9331:2005/09/17(土) 20:06:49
あと、下士も一領具足ら長宗我部遺臣の末裔ばかりじゃないですよ。 それこそ掛川以来やそれ以前(姫路や長浜)から山内家に仕えた足軽や徒の末裔の大半も下士です。
934日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:04:17
高知藩の藩士について詳しく教えていただきありがとうごじあます。
上士、下士、郷士という区分けでしょうか。
ちなみに、下記の区分とはどういう風に対応するんでしょうか。
家老/中老/馬廻/小姓組/留守居組(他藩の中小姓組に相当。留守居役とは別)
/白札/郷士御用人/郷士/用人/徒士/足軽/組外/
大庄屋/庄屋/地下浪人
935日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:10:23
能登の時国家は、庄屋だったんでしょうか。
並の庄屋ではないですよね。

明治期は、やっぱり、平民なのでしょうか。
(喜連川氏は、石高なら士族なのに、華族になっていますよね。)
9361>934:2005/09/17(土) 23:26:15
いえいえ。 郷士は下士の一部です。 白札(旧慣郷士・郷士御用人・用人からの昇格者と留守居組からの降格者)が準上士身分の下士最高位で、郷士御用人はその次ぎに位置しました。 郷士と郷士御用人がどう違うのかは知りません。
9371:2005/09/17(土) 23:32:42
留守居組は他藩の中小姓組に相当し、上士最下位で、切米15石〜20石でした(←貧しかった!)。 「留守居役」は役職であって留守居組とは全く別物で、武市半平太を除けば馬廻以上が「留守居役」就きました。
9381>935:2005/09/17(土) 23:35:44
私の母方の祖母方の曾祖父方の高祖母は時国家の娘でした。 豪農だったらしいですが、庄屋や大庄屋だったかは知りません。
939662:2005/09/17(土) 23:51:39
各藩には江戸後期に、新田開発や献金とかで郷士に取り立てられた者も多いんじゃない?
同じく、献金とかで苗字帯刀御免も多いな。

>>935
喜連川は五千石だけど四位、十万石格。古河公方足利義氏の跡を受け継いだ名流。
スレ違いだけど、旗本岩松氏(新田氏の本流)は男爵になってる。
1>935
マジ?凄いねw
940玄洋社:2005/09/18(日) 01:43:38
私の母方の父方の祖母方の実家は摂津源氏でした。
私の父方の母方の祖父方の祖母方の家の嫁の実家は村上源氏でした。
941662:2005/10/06(木) 21:27:08
とりあえずage

先祖の墓石とかを調べてる人は蜂に気をつけてね。
冬ならいいんだろうけど、寒いし雪が積もったりで、冬も大変なんだよな。
942662:2005/10/06(木) 21:40:15
間違った!

ネタもないけど、せっかくだから・・・戒名が時代と共に長くなる例なら『大悲願寺過去帳』
(福生市史史料)を見るとわかる。
村内有力者の先祖の2字戒名に、享保頃、道号が追贈されてたりする。
ついでの戒名ネタでした・・・。
943日本@名無史さん:2005/10/08(土) 00:03:27
ウチは家系図400年ぐらい前から。両替商兼大地主だった。つまり商人。だけど初代の頃から苗字・帯刀あり、今も刀がある。これって先祖は武士?
944662:2005/10/08(土) 01:26:49
>>243
戦国時代の酒田の商人(豪商)たちで言えば、酒田三十六人衆と知られ、また地侍でもあった。
でも、徳川期酒井氏の支配下で武士としての特権(帯刀、飼馬)は奪われた。
有名な本間家は、酒田で新たに台頭してきた新興の商人。
945日本@名無史さん:2005/10/08(土) 05:56:03
父方が鹿島鍋島藩士。
戦中、金属類強制徴収の際に土間を掘って鎧刀を隠した非国民w

母方が三代前に本家から分家させられた貧乏農家。
本家は豪農で戦前、息子らを海外遊学させるほど。奥州藤原氏の流れ。
遠縁には米沢藩家老がいる。
946玄洋社:2005/10/12(水) 01:57:34
>>943
「初代の頃から苗字・帯刀あり」というソースは何から?
947日本@名無史さん:2005/10/12(水) 02:11:57
ウチの先祖は名主だったが、江戸後期から苗字帯刀を
許されるようになった。
農民とはいえ、藩行政の一端を担っていたわけだから、
名主は、武士からも一目置かれていたとも考えられるね。

今は無いけど、刀を相当所有してたらしい。
948玄洋社:2005/10/12(水) 02:58:34
>>947
おまいら勘違いしてないか?

苗字を有し刀を所有している≠苗字帯刀
苗字を公文書などで名乗ることが出来、刀を差すことが出来る=苗字帯刀
949日本@名無史さん:2005/10/12(水) 03:24:10
>名主は、武士からも一目置かれていたとも考えられるね

激しく笑える。所詮は「一端」に、どうして敬意を払えるよ。お前の意識は江戸時代のご先祖そのままだな。利用されていたとも知らずに、おめでたい奴。
950日本@名無史さん:2005/10/13(木) 00:55:34
>>948は良い事言った。
苗字有してる農民自体、本百姓・長百姓等以上の階層。
現在子孫一番居るであろう従属百姓は譜代・門クラスの幹部はその家の姓を名乗るが他は明治新姓。
951日本@名無史さん:2005/10/13(木) 01:00:04
百姓の話なんかどうでもいい。
952日本@名無史さん:2005/10/13(木) 01:45:16
そもそも庄屋の先祖は、ほとんど武士だろ?
武士が養子になったケースだってあるだろうし。
953日本@名無史さん:2005/10/13(木) 01:46:48
武士から落っこちた人の話なんかどうでもいい。
954日本@名無史さん:2005/10/13(木) 02:00:24
庄屋スレなのに?
955玄洋社:2005/10/13(木) 02:08:05
>>952
一般的に寄生地主→庄屋が多い
あとは武士→帰農のパターン
秀吉みたく成り上がったのはごく僅か

956日本@名無史さん:2005/10/13(木) 03:28:24
大庄屋・庄屋だった豪農は明治以降
寄生地主と化し、小作のことはもちろん、中小自作農のことも
水利などで苦しめた。
957936〜938:2005/10/13(木) 03:48:04
自分が立てた土佐関連スレと勘違いして、1にしてしまった。
私は1じゃないです。 スマソ。
958936:2005/10/13(木) 03:59:06
ついこないだ知ったが、土佐の郷士御用人は無役の郷士より
一ランク上だった。
理由は、藩の役人として仕事をし、郷士としての知行とは別に
用人としての禄を貰っていた。
微禄だったけど。
郷士御用人は郷士から白札や留守居組になり損ねた家も、
大半が旧慣郷士だったから(坂本龍馬の家は他譲郷士でも郷士御用人だったようだが)、
18世紀以降に豪農らが株を取得して大量発生した他譲郷士とは違う。
959日本@名無史さん:2005/10/13(木) 04:34:00
超僻地である高知の話なんか聞きたくないよ
藩主である山内も賎民出身だし
960日本@名無史さん:2005/10/13(木) 11:13:34
>>956
戦後の豪農はGHQの農地改革でかつての財力はないよ
どこも半分以上、小作人にとられちゃったんじゃない?
961日本@名無史さん:2005/10/13(木) 12:22:39
半分以上?
何をいっとるかいな。
962日本@名無史さん:2005/10/13(木) 12:46:18
半分ですむわけがない。

耕作地は一定面積までに制限されたんだから。

ただ、平地じゃない山などは改革対象外だったから、全部残ったはず。
963日本@名無史さん:2005/10/13(木) 14:11:59
うちは半分以上って聞いてるもんで
庄内の米どころ
964日本@名無史さん:2005/10/13(木) 14:25:39
誰か知らんが
あっそ
965日本@名無史さん:2005/10/13(木) 17:46:59
米どころといえば新潟だな。
新潟の大地主がすごかったのはそれだからなのか。
966日本@名無史さん:2005/10/13(木) 22:07:58
この間TVを観ていたら、掛川市で菖蒲園などを経営されている加茂さんという方が紹介されていました。
御覧になった方おいでかしら。
昔ながらのお宅なんですが、一般公開されている母屋の2階を現代的に改装してお住まいになり、孫をお持ちの歳ながらピアノを爪弾き、亡き奥様の御趣味は絵画。
ちょっと現代英国の貴族にありそうなライフスタイルだと思いました。
967玄洋社:2005/10/14(金) 02:31:38
>>956
江戸時代の大庄屋・庄屋は地租改正後に没落したケースが多い。
地租改正後に土地集積で財を成した人、君臨し続けた大庄屋・庄屋も
戦後の農地解放で没落した。
968日本@名無史さん:2005/10/14(金) 02:57:21
ただ、農地改革、財産税で財産をむしり取られてしまった庄屋でも、自ら自作農を宣言したり場合は、農地など、結構手元に残った者は多い。
また、宅地を多く持っている庄屋の場合は、宅地は農地改革の対象外とされた地域が多く、今でも富裕な者もいる。
969日本@名無史さん:2005/10/14(金) 03:21:25
ほうほう。
都市部だとそういうのはありそうだな。
970日本@名無史さん:2005/10/14(金) 05:36:52
不在地主の土地は全部小作人に分配されちゃったけど
那須の鍋掛農場なんか主人が疎開したまま居ついちゃったもんで
在村地主ってことでかなりの面積を接収から免れた
随分小作人には恨まれたらしいよ

日本の馬産を支配する社台ファームは千葉社台牧場が母体
成田空港用地に引っ掛かって高値で売ったのが飛躍の始まりだ
もともとは社台牧場千葉分場で北海道に住む長男の名義だったが
これが病気で事実上千葉にいた三男が経営してるってことにして
農業委員会で大揉めに揉めた末に在村地主ということになった
971日本@名無史さん:2005/10/14(金) 06:36:14
>>960
農地改革で地主は2町5反以上の田を持てなかったんじゃないっけ?

>>967
うちの地方でも江戸時代に庄屋だった家の多くが明治になってから没落してる。
長屋門がわびしく残っている家はまだしも、夜逃げのようにどこかへ引っ越して行った家もあったようだよ。


ところで次スレは?
972日本@名無史さん:2005/10/14(金) 07:08:06
スレの名前からして存在意義がないからこれで終わりでいいよ。
できるとは思わんが、学術的に語りたいんだったら続ければ。
973日本@名無史さん:2005/10/14(金) 08:42:55
>>972
2ちゃんって言う時点で学術的も何もないと思うがなwwwwwww
974日本@名無史さん:2005/10/14(金) 09:37:53
統合しちゃえばいいじゃん。続きは以下で

苗字帯刀
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1059398495/
975日本@名無史さん:2005/10/14(金) 12:32:25
それがいい。
そっちに含んでしまえばマシな話で進むだろう。
976日本@名無史さん:2005/10/14(金) 16:40:44
庄屋で苗字帯刀が許されなかったのなんているの?
977日本@名無史さん:2005/10/14(金) 17:41:32
あるんじゃないの?
なんて中途半端なことを言う不勉強な奴でも書き込めるから
糞スレになるんだけどな
978日本@名無史さん:2005/10/14(金) 18:32:20
>>977まあ、そういうなって!漠然とした興味のある大多数と少数の専門家で成り立ってるカルチャースクールみたいなもんだから。
979日本@名無史さん:2005/10/14(金) 19:14:10
「少数の専門家」じゃなくて「少数の専門家ぶってる奴」だろ☆

なぁ〜、>>977
980日本@名無史さん:2005/10/14(金) 20:07:41
どっちの案も採用

とりあえず自称でいいから庄屋の子孫現れろや
つまんねーぞおまえら
981日本@名無史さん:2005/10/14(金) 20:14:06
網元の子孫なら。
ちなみに、網元としてエスタブリッシュトする前は海賊だったらしいのですが。orz
982日本@名無史さん
>>981いいじゃん!山賊より海賊の方がかっこいい。。。