被差別地区の成立を歴史的に研究スレ

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いわゆる被差別地区は、やはり関西に多い(多かった、というべきか)。
ただ一口に被差別地区といっても、その成立時代,背景,過程,性質は
多様である。
関西に多いのは、秀吉・家康それぞれの統治政策,御所の存在,
地理的特性なども無縁ではないだろう。

偏重的な思想は一切排除し、純粋な歴史的検証の視点からの考察を望む。
2日本@名無史さん:03/07/03 00:38
川嶋家は童話でも紀子が皇室に嫁げばハレになる。だから根拠ない。
雅子の曽祖父小和田金吉は参加。
3日本@名無史さん:03/07/03 00:38
>>3以降の方へ
申し訳ございませんが、この度は私が「2ゲット」させていただきました。
多くの方が2を希望しておられたと存じますが、誠に申し訳ございませんでした。

私は「2ゲット」の為に、これまで多くの苦労を積んで参りました。
「2!!!!!」と気合を入れてカキコしたものの、「16ゲット」だった事もございました。
このような失敗談も、今では良き思い出。
2ゲッターの為の修行を1年以上積み、これだけの長文を記しても
なんら問題無く皆様の憧れである「2」をゲット出来るまでに至りました。
これも>>3以降の皆様のお陰でございます

それでは、2をゲットさせていただきます。
「2」。
4日本@名無史さん:03/07/03 00:42
>>1
低脳が嬉しがって糞スレ立てるな

えた、ひにんってどういう人達だったの?2
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052662387/l50
5日本@名無史さん:03/07/03 00:42
6>>1よ明治まで穢多、非人の呼称がなかったってしっとるか?:03/07/03 00:45


1871(明治4)年、いわゆる「身分解放令」が出されたときの賤民階級の人口は、

穢多28万311人、
非人2万3480人、
その他7万9095人、

計38万2886人でした。


7日本@名無史さん:03/07/03 00:46
なぜ、部落問題が解決しないかといったら部落地区に住んでいるから
部落民扱いされる。高級住宅地に住めばいや平家の落人伝説の地で
生まれ育った川嶋教授の娘が皇室に嫁いだようにそこから脱出すれば解決する。
誰も5代前まで調べないし、言わなければわからんだろう。



8皇室にもブラクの血が:03/07/03 00:47
小和田家の歴史という本が発売されましたが、この本に書かれていない
爆弾極秘情報をお教えしたいと思います。

まず、小和田新九郎と小和田新六匡安と小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡)
が、兄弟であることには間違いない。新六の息子が小和田郡蔵。匡春(道助)の息子
が勝治であることも間違いない。勝治の弟が兵五郎であることも間違いなし。
小和田兵五郎の息子が小和田匡利(道蔵)であることも間違いないのである。

さて、問題はその先、小和田匡利(道蔵)の3男となっている小和田金吉。
こいつがクセものである。雅子様の父が小和田恒。祖父が毅夫。ヒ祖父が小和田金吉
であるが、この金吉、1867年生まれのあたりの人になるがこの人の代に
村上を離れ新潟に移住したんだって。だが、この人が村上を離れた年もわからない。
村上にいるとき何してた人かもわからない。(足軽ということになっている)
だがここで爆弾情報。どうも金吉の父は小和田匡利(道蔵)となっているが
そうではないらしい。宮内庁が隠蔽してるのはこの金吉の父の名前がわからない
ということと、金吉が童話ブラク出身という点らしい。(ある筋から聞いたほんとの話です)
松浦平吉についで2人も皇室にブラクの血が入ったわけ。

9皇室にもブラクの血が:03/07/03 00:48

小和田新九郎と小和田新六匡安と小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡)
が、兄弟であることには間違いない。新六の息子が小和田郡蔵。匡春(道助)の息子
が勝治であることも間違いない。勝治の弟が兵五郎であることも間違いなし。
小和田兵五郎の息子が小和田匡利(道蔵)であることも間違いないのである。
さて、問題はその先、小和田匡利(道蔵)・・・・


・・・・分家の小和田金吉は新潟の吏員になり、その後に高田税務署の税吏になっている。
そして息子の小和田毅夫が旧制高田中学の校長や高田市の教育委員を務めている。
そして毅夫の息子が小和田恒であり、その娘が雅子妃である。
また小和田毅夫の妻となった田村静(雅子妃の祖母)は、
元新潟県議で自由民権運動家として有名な田村寛一郎です。

このAとBがつながらないといってるわけね。それもそのはずで金吉が生まれたのは1867
年で小和田匡利(道蔵)が生まれた年と照合してぜんぜんあわないということ。

小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたら
つじつまが合う。
つまり1868年時点で(もし生きていたら)
小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡) 74歳
匡春(道助)の次男 勝治        48歳?
勝治の弟兵五郎(5男として)      42歳?
小和田兵五郎の息子(3男)が匡利(道蔵)15歳?
匡利(道蔵)の次男金吉         1才


10日本@名無史さん:03/07/03 00:49
やはり、まともに反論できませんようで。皇太子妃は部落出身でいいですね?
11日本@名無史さん:03/07/03 00:50
>>10
金吉の父は実は不明なんだ。佐藤朝泰の『閨閥』という本見てごらん。
金吉の父の名は意図的に書かれていない。
金吉は朝鮮サ●カで半島から渡ってきた。
正田美智子さまの曽祖父正田作次郎もサ●カ。(作次郎が正田家をのっとった)
川嶋の場合、紀子様の父が和歌山県で平家の落人伝説の某地出身で童話。
松浦平吉も童話。
橋本龍太郎の曽祖父も士族橋本順三郎と言っているのはウソでエ●の長吉。
西武の堤、森総理の祖父もサ●カ。九条節子の曽祖父は公家ではなくて中国人。だから
昭和天皇には中国人の血が16分の1ほど流れている。
明治天皇の祖父は海賊。



12日本@名無史さん:03/07/03 00:51
川嶋家は和歌山市本町8丁目で、その前は有田
郡清水町、ここは平家の落人ばかりの村です。
浄土真宗で和歌山市北ノ新地の宗
善寺に墓がある。
つまり川嶋が童話です。

13日本@名無史さん:03/07/03 00:51
しかしまー,なんというか.
「ハレ」と「ケ」が繰り返されるリズムは,天皇とその一味が日本にやってくる(or出現する)
よりもずっと以前から,古代の日本人の間にすっかり浸透し定着していたわけで,
なにも天皇とその一味の専売特許ってわけじゃないからなあ.
(連中は,あとからやってきて「ハレ」の地位を盗んだだけだ)

>>1が本気で「ケガレ」の起源を考えたいなら,天皇だけを相手にしていてもしょうがないんじゃ
ないかという気がするが.天皇の存在は,この場合,本質ではなくて,現象にすぎないでしょ.

>>1
ウヨって部落問題が解決されると困る人たちのことでしょう。
だって彼らは朝からロクに働きもせず、家賃もただ同然で国の
補助金を狙って自分たちは差別されていると逆に差別を利用しては脅迫し、
ゆすりとたかりで生きているんだからさあ。藁
15日本@名無史さん:03/07/03 01:22
天皇家と被差別民。表裏一体の聖と俗の最たるものだろ。
16日本@名無史さん:03/07/03 01:29
>>11
>九条節子の曽祖父は公家ではなくて中国人。
どういう説なん?
17日本@名無史さん:03/07/03 01:50
んで、成立原因とちがうやん。
18日本@名無史さん:03/07/03 23:43
何か、別の板で読んだ様な文章ばっかりだ。
コピペの嵐か?
19日本@名無史さん
天皇が臨席する「全国植樹祭」がムダであることが明らかになった。天皇陛下がじきじきに植樹をするところは、もともと森林であったところを、わざわざ伐採しているのだ。環境保全のためというのを装って、実は環境破壊を全国で展開しているのだ!
まさにムダの極致である。こんな無駄な行事が、なぜ存続しているのかというと、天皇が全国に顔を見せることが出来る非常に少ない機会の一つであるからである。
天皇が全国に回るたびに、その地方の森林は伐採され、環境を破壊される。しかも莫大な国家予算と地方予算を浪費するのだ!