高貴なお生まれだけど
最期が悲惨だったお姫様について語ろう
2 :
日本@名無史さん:03/06/08 01:04
広末涼子
早稲田裏口疑惑
クスリ疑惑であぼーん。
3 :
日本@名無史さん:03/06/08 01:04
讃良さま
4 :
日本@名無史さん:03/06/08 01:05
難波小野王なんかはどう?
5 :
日本@名無史さん:03/06/08 01:06
藤原薬子ちゃんってあんなに可愛いのに政治に手を出したばっかりに‥
6 :
日本@名無史さん:03/06/08 01:10
恵美押勝の御令嬢なんて、最期は悲惨で、ここに書けやしない。
7 :
日本@名無史さん:03/06/08 01:24
井上内親王(聖武天皇の皇女)は、
お嬢様から皇后になったけど、その後、まっさかさまに・・
みなのもの、このスレを立てた涼姫じゃ☆
もう7つもレスがついてうれしいぞよ。
悲劇の姫の名前とともに
その人生も書いておくれ。
9 :
日本@名無史さん:03/06/09 15:28
中宮定子(藤原定子)
ひたすら悲劇なだけのお姫様ではないけれど、最初は幸せだったのに、あとから力をつけた道長・詮子方面の人たちに苛められてしまって出家未遂をして―これ以上は残酷すぎて書けないです。
でも、いくら傷ついたとはいえ出家未遂をしたあたり、誰より彼女が一番墓穴を掘ってしまったのでは…とも思いますね。
そのへんは多少自業自得の部分もあるかな、と。
定子がお好きな方には怒られてしまうかもしれませんが…
10 :
日本@名無史さん:03/06/09 15:58
頼朝の娘・大姫。
許嫁の義高(木曽義仲の嫡男)を父の頼朝に殺され、その傷心から
立ち直れないまま早世。
悲惨というよりは悲劇的な例かな。
11 :
日本@名無史さん:03/06/09 16:00
サーヤ
12 :
日本@名無史さん:03/06/09 16:03
大祝鶴姫
13 :
日本@名無史さん:03/06/09 16:11
没落直前までの栄耀栄華と、最期のみじめさとの落差が激しいのが、
十一代将軍家斉の娘・溶姫(諧子)。
生母は、家斉晩年の寵愛を一身に集めたお美代の方。加賀百万石の
十三代藩主・前田斉泰に嫁ぎ、十四代・慶寧を産む。
将軍の娘にして藩主の生母ということで、溶姫の権勢は大変なもの
だったが(ただし本人は驕らない人柄だったらしい)、幕府が倒れ
ると、夫の斉泰は、徳川家出身の妻を邪魔者扱いする。
明治元年、江戸の藩邸から金沢にお国入りした溶姫は、その直後に
急死。お国入りの際に溶姫付きの女中や家臣が江戸に追い返された
ことや、溶姫が健康で病気の記録が全く残っていないことなどを考え
合わせると、普通の死に方だったとは思えない。一服盛られたか、
周囲の白眼視に耐えかねて自害したか。
14 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/09 23:28
紀静子・大納言の姫君と作者の姉(by更級日記)・小宰相・・・どれも微妙にずれるか。
15 :
日本@名無史さん:03/06/10 20:26
小野小町
16 :
日本@名無史さん:03/06/10 20:41
ヤマトタケルの征西途中に行きずりで子供まで作らされて
置いてけぼりの砧姫(きぬたひめ) 福岡県遠賀郡のお話
17 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/11 00:12
悲惨な人物スレでも書きましたが、花山院の女王の最後は悲惨過ぎる。
18 :
日本@名無史さん:03/06/11 01:49
悲劇と言えば、なんてったって平徳子(建礼門院)でしょ。
清盛の娘に生まれ、入内して安徳帝の母になったまではいいが、一族は
滅亡、目の前で母と息子は水死、自分は自殺に失敗。
おまけに死後は、兄の宗盛に犯されただの、義経に犯されただのと噂を
立てられ、それをネタにしたポルノ映画まで作られてしまった。
19 :
日本@名無史さん:03/06/11 07:50
カヤ
こんないいコ捨てんなよ!
土屋桃子
21 :
日本@名無史さん:03/06/11 11:28
どんな高貴で美しい姫でもやがてばばあになり死ぬ、
ということでは普遍的に悲惨だな。
22 :
日本@名無史さん:03/06/11 16:04
秀次に嫁いで処刑された「東国一の美人」と言われた駒姫。
照姫
24 :
日本@名無史さん:03/06/11 16:35
26 :
日本@名無史さん:03/06/11 16:59
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ヽ. ヽ、 ,.ィ ヽ,
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お市の方
信長の妹。浅井長政に嫁ぐ。
長政滅亡後は柴田勝家に嫁いだが、北ノ庄落城時に自害。
厳密にはお姫様じゃないけど、満州国皇帝溥儀の夫人で最後は麻薬中毒で
死んだ人がいたけど名前が思い出せない。
28 :
日本@名無史さん:03/06/11 17:30
んじゃ、清姫をあげておきます
29 :
日本@名無史さん:03/06/11 20:29
>>27 それは、婉容
満州族のお姫さま。
日本人だと愛新覚羅浩。華族のお嬢様で政略結婚で愛新覚羅溥儀の弟、愛新覚羅溥傑に嫁ぎました。
宝塚の草笛由子というスターに似ているといわれた美しい女性だったそうです。
溥傑 はやさしくて、夫婦としては幸せだったけれど満州国では満州族には日本人としてから疎まれ
日本人からは下に見ていた満州人に嫁いだので蔑まれたそうです。
戦後直後の混乱をくぐりぬけ幸せに暮らしていたのに愛娘が殺されたりと不幸が続きました。
×日本人としてから疎まれ
○日本人として疎まれ
31 :
日本@名無史さん:03/06/11 21:05
十市皇女とか、大伯皇女とか。天武天皇の娘は、けっこう悲惨
な人生送ってる子が多いような気がする。
32 :
日本@名無史さん:03/06/20 02:07
高円宮承子女王は、現在、日本において法律で認められた唯一5人の女王の一人。
性的な意味合いの文章になってしまうかも知れないので、
このスレッドの雰囲気には そぐわないとは思います。申しわけありません。
歴史の読み物の本に、お姫さまが「はだか」で磔にされるシーンがありました。
中学3年のときでした。学校からの帰りに、古書店で立ち読みしたのでした。
不謹慎ながら、性的な興奮を感じてしまいました。
若かったので、感受性や好奇心が強かったせいもあるのでしょうが、
心臓が飛び出そうなくらいに動転しました。
以来、戦国時代等に、お姫さまが磔になった、という話に、
関心を持ち続けています。
「はだかで」というのが史実かどうかを知りたいのですが、ご存じの方は
いらっしゃいますか?
>33
最低。そのお姫さまの気持ちになってみろ。
そういうこと言いたきゃ他のそれっぽい板で相応しいスレ見つけて言え。
35 :
日本@名無史さん:03/06/22 00:36
こういうスレ覗いてるくせに説教すんな
36 :
日本@名無史さん:03/06/22 00:45
誰か答えてあげなよ。
裸で磔になったお姫様伝説について。
犬の嫁になった話なら。
南総里見八犬伝。
38 :
日本@名無史さん:03/06/22 00:50
39 :
日本@名無史さん:03/06/22 01:28
>38
素直ですな
>>35 >こういうスレ
って、ここはエロ板じゃないから別にそのくらいの説教
たれていいと思うけど。一応学問板だし21禁板でもないし(w
逆にエロネタばっかりのマンネリスレ化ほどつまらんものはない。
>>33 なんていうかエロだけなら別にかまわないけど、
その姫さんの場合、その時に殺されてるのが後味悪い。
裸で磔に縛られたあと、下ろされて無罪放免なら
羞恥プレイで済むけど、裸にされた上に槍とかでぶっ刺されたの見て萌える、
ていうのは確かに今までのスレッドに沿う内容ではない。
っつうかそれ史実じゃないと思うよ。読み物でしょ?
史書以外の歴史モノなんて、大げさに書いた者勝ちの脚色大行進だから。
当方一応日本史中世専攻だけど、少なくとも有名な事実としてはないと思う。
42 :
日本@名無史さん:03/06/22 20:49
戦国時代末期の豊前の城井鶴の磔の場合は鶴が入っていた牢屋の一つだけの窓から
わざわさ鶴に磔の柱を作っている作業を見せたそうな。えぐいのう。鶴が磔になっ
た理由はよく知らんのでだれか教えてな。
読点入れてくれよー、あと改行も普通にしてよ。読みにくい。
44 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/22 21:51
>>37 『今昔物語集』や『唐物語』にもありますね。『南総里見八犬伝』も元々は
支那の伝説の翻案されたもの。というよりは『西遊記』といいかつての本格
小説にはそれなりの原拠や理論があったものですが。
45 :
日本@名無史さん:03/06/22 21:54
ドラマ「大奥」の菅野美穂。だれかモデルにたった姫が実在するのかな?
46 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/22 21:56
47 :
日本@名無史さん:03/06/27 04:27
漏れは鎌倉在住なんだけど
悲劇の最後をとげたお姫様なら
地元にたくさんうまってるよ
49 :
日本@名無史さん:03/06/28 15:24
城井鶴は架空の人物ではなかったっけ?
なお、名前は千代とも言われている。豊前宇都宮氏の姫で黒田氏に殺された・・ことになっている。
50 :
コーヒーと夕方:03/06/28 21:47
>>43 読点の件、ごめんなさい。
>>49 架空の人物の可能性は、有り得ますな。そもそも、「鶴」なる名前の姫様は、日本
全国に非常に多いですね。途中で歴史が解からなくなったら、「鶴」にてまとめた
のかな?
51 :
日本@名無史さん:03/07/02 08:01
松平信安子爵令嬢・義子
父・信安は上山藩主の家系だが、放蕩で資産を使い果たし、明治44年、
宮内省から爵位返上を命じられた。
信安・信英(爵位を継げなかったためにグレて前科二犯に)二代の放蕩
のせいで一族は零落。義子は身を売るようになり、それがもとで奇病に
冒され、治療にゆく途中、市電から振り落とされて死去した。
52 :
日本@名無史さん:03/07/12 04:32
だっき姫、というのが古代にいたそうなのですが?
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
54 :
日本@名無史さん:03/07/12 11:29
55 :
日本@名無史さん:03/07/13 01:00
で、その、だっき姫とやらの悲劇を語ってくれや。
56 :
日本@名無史さん:03/07/13 12:41
あと…定子の女二宮、女美子内親王。
生まれてすぐに母を亡くして、優しかった祖母も亡くして…
最期は病気になって9歳で死んじゃった人。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
58 :
日本@名無史さん:03/07/18 05:52
藤原仲麻呂の娘はどう?
一番かわいそうなのは・・・
あたち♪
60 :
日本@名無史さん:03/07/27 04:01
間人皇女って伯父と別れて兄のもとへ…
(^^)
62 :
日本@名無史さん:03/08/02 13:39
初めてスカートをはいた皇女は誰になりますか?
63 :
日本@名無史さん:03/08/05 17:46
んじゃ定子の妹の原子姫
夫からはそれほど寵愛されず、意味不明(毒殺)な
死に方までして、ある意味で姉姫より悲惨かも
,,,--─===─ヽ/へ
/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ
...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
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67 :
日本@名無史さん:03/08/11 16:08
初めてドレスをお召しになられた日本の姫は?
69 :
日本@名無史さん:03/08/12 11:54
>>63 毒殺ですか…。
御堂関白家の誰かがやらかしたのでしょうか、それとも…
そういえば、枕草子に、彼女が夫からの手紙の返事を照れながら書くシーンがありましたが…
あのあとはあまり寵愛されなかったんですね。。
おっとりしすぎて、物足りなかったとか…そんな感じだったのでしょうか。
70 :
日本@名無史さん:03/08/13 00:12
>>69 鼻や口から血を出して、尋常じゃ無い死に方だったそうです
当時は宣耀殿の(女成)子女御方の呪詛と騒がれていました
でも、原子姫は多くの御子を持つ宣耀殿方には寵の上では劣っていたし
恨むというなら原子姫方の方こそ...といった感じで
宣耀殿の女御は三条帝より年上だったようですし、やはり気配りが良く
母上のように世話をしてくれていたからですか...
もう少し三条帝(当時は春宮)が大人になったら原子姫を
寵愛されたのではないかと思います...
若くして不慮の死を遂げた薄幸の姫様の雰囲気むんむんです
豊島氏の姫君照姫伝説はガイシュツ?
落城の時石神井公園の池に身を沈めてアボーン
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
73 :
日本@名無史さん:03/08/17 02:07
皇女には大和言葉である訓読みで名をつけるのが常識であった。
(注意:男子も同様。昔で読み方が分からないものは我々が音読みする場合あり。)
もちろん皇位につく可能性のない傍系の者に対しては特に問題がないが、
皇太子の長女に『愛(あい)』と音読みを使ったことで伝統は完全崩壊した。
74 :
日本@名無史さん:03/08/17 02:09
ムカデ姫・・検索しろ。
76 :
日本@名無史さん:03/08/22 02:47
井上内親王
>>67 おそらく確実なところでは明治天皇皇后・一条美子(昭憲皇太后)ではないかな。
ただしお姫様という事に限らなければ、長崎辺りで早くから洋装していた女性は
いたかもね
大河ドラマ『秀吉』に出てきた淀殿のコスプレ(w)は確実な史料に載っているか
どうかは知りませんです
78 :
日本@名無史さん:03/08/31 04:53
北条時政の娘
実家のために夫を殺されたもの
阿野全成室
畠山重忠室
平賀朝雅室
稲毛重成室
吾妻鏡の記述が欠落しているので確かではないが
足利義兼室(北条に圧迫され狂乱を装った夫に斬られたとの説)
政子も息子・娘・孫を目の前でどんどん殺されたんだから
幸せな一生とはとてもいえないだろうな
80 :
日本@名無史さん:03/09/02 04:43
がいしゅつだが最上の駒姫、まぁ今日知ったのだが俺山形出身なこともあってその生涯とゆうか父の気持ちになったら泣きそうになりますた。義光は愛娘を助けるために必死だったんだろうなと。
81 :
日本@名無史さん:03/09/02 05:01
松浦○子さん
旧華族でありながら最期は六畳一間のアパートでの孤独死だった
82 :
日本@名無史さん:03/09/02 06:25
>>79 足利に嫁いだ女性の話は東スポの怨霊コラムにもあったが
ホンマかねえ
それにしては足利の当主はその後も北条から嫁さん貰い続けてるが
>>82 お腹の中から蛭がでてきた話か。
井戸の横にその説明は書いてあったが、有名な話だったのかな。
84 :
日本@名無史さん:03/09/02 10:30
>>78 31じゃないけど回答。
大宝元年(701年)に亡くなられています。『続日本紀』に記録があります。
『万葉集』の大津皇子の死(686年)に送る歌からこの死に至るまで、彼女の記録は全くなく、
後半生は謎に包まれています。
また、他の皇女の死亡の記述には官位があるのに、彼女には官位の記述が無く、
「謀反人の姉」として余りいい扱いをされていなかったのでは?と言う説もあります。
平安時代の記録ですが『薬師寺縁起』なる史料に「大伯皇女が名張に昌福寺を建てた」と言う
記述があり、人々から忘れ去られて弟の冥福を祈る日々を送っていたのでしょう。
85 :
日本@名無史さん:03/09/02 12:06
最期が悲惨ってわけじゃないけど悲劇といえばこの姫かな?
公武合体で、家茂のもとに嫁いだ和宮。
彼女の墓を調査したとき、ガラス製のネガ版が彼女の胸に抱かれていた。
写っていたのは家茂とも、熾仁親王(和宮の元許嫁)とも言われているが、真相は不明である。
そのネガを調べようと、研究者が朝日の下で透かしたところ、長い間、土の中にあったので成分が変わってしまい、そのネガに写っていた人物が消えてしまったのだ。
おそらく、それが一番よかったのだろう。墓にまで持っていった想いを、研究者といえども白日の下にさらすべきではない。
http://homepage2.nifty.com/amida/newpage15.html
>>85 和宮は家茂愛してたと思うよ。
家茂和宮に錦織とか送ってるし。
あんまヒエヒエて印象無い。
>墓にまで持っていった想いを、研究者といえども白日の下にさらすべきではない。
いいこと言うなぁ
>>85 同感、伝わっているエピソード的には家茂の可能性が高いけど
それが作り話だったら死後まで徳川のために働かされる和宮を不憫に思った
侍女あたりがひっそりと親王の写真を棺にいれたのかもね。
この発掘現場にいた関係者に話を聞いたことがあるけど
「何で日の弱い夕方だからって直射日光にあてるなんて真似をしたのか
今でもわからない」
きっと消えるのが運命だったんだよ。和宮の想いがそれを望んだんだね
醜い女にも、悲劇の姫君の資格はあるでしょうか?
どうか、私の話に少しばかりお付き合いくださいませ。
私は、開化天皇の子孫、丹波道主王(たにはのちぬしのおおきみ)の末娘、
竹野媛(古事記では、円野比売の命、まとのひめのみこと)と申します。
すめらみこと(垂仁天皇)は父上に御后として、私たち、5人姉妹(古事記では4人)を求め、
私たちは都に上ることになりました。
五人姉妹のうち、一番上の姉君、日葉酢媛はいたくおおきみに気に入られ、
皇后となりました。そして、残りの姉君たちも一番上の姉君ほどではないですが
気に入られ、后として迎えられました。
ところが、わたしだけが“いと凶醜し…もとつぬしにかえしたまへ”
とのおおきみの御言葉をいただき、国に返されることとなったのです…
行きとはうって変わった息苦しいような帰途…
私はあまりの屈辱と絶望で胸がいっぱいになり、道の半ばで輿をとめると、
“同兄弟(はらから)の中に、姿醜きによりて、還さゆること、
ちかきさとに聞こえむは、いとやさしきこと(恥ずべきこと)”と思い
山背の国の相楽にて首を吊ろうとしました。
でも、何故か死ぬことができず、旅を続けましたが
山背の乙訓に来たとき、とうとう與から降り、険しい淵に身を投げて死にました。
(日本書紀では與から落ちて)
私が身を投げた為に、以後、その地は堕国(おちくに)といわれるようになりました。
91 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:06
じつは話はこれで終わりではありません。
以後は伝承の域を出ませんが、わたくしの魂は恨みを残して死んだので成仏できず、
魂魄はなおうつしよにとどまりて、おおきみとその朝廷に恨みを晴らさんとして
なお堕国→乙訓の竹林の中をさまよっておりました。
その内、わたくしの名、竹野媛の竹に感応したのでしょうか?
我が魂は竹の精となり、後にかぐや媛という名で生まれかわりました。
……
………
………
恨みを晴らせて今は満足しています。
乙訓も観光の名所になりましたし…
想うなら、訪いても来ませ 我が宿は、群竹(むらたけ)茂る乙国の里
92 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:31
和宮親子は家茂を愛したよ。じゃなきゃ江戸に戻ったりなんてしないよ。
自己突っ込み
稲毛重成室は夫より先に死んでた
重成がその菩提を弔うために架けた橋にまつわって頼朝が落馬したんだった
死んだ後、自分の夫が妹の夫を殺す企てに参加して結果殺されるのを見なかったんだから
幸せか
大奥萌え
95 :
日本@名無史さん:03/09/27 01:26
三笠宮の女王殿下とらぶらぶに…
96 :
日本@名無史さん:03/10/02 01:37
三条天皇の皇女・当子内親王
97 :
日本@名無史さん:03/10/02 01:39
昭和天皇の皇女、照宮成子さん。いい人だったらしいけれど、36歳で亡くなった。
98 :
日本@名無史さん:03/11/03 00:35
承子タン ハァハァ・・・
99 :
日本@名無史さん:03/11/03 00:36
照姫ってほーんとに東京の一地域の伝説の人だし、落城の時
池にアボーンとか良くある話だし、今やコスプレ地域おこし祭りに
担がれているお姫様。
100 :
日本@名無史さん:03/11/03 00:49
100ゲット!
歴読や歴旅の「戦国の女性」特集増刊とか買えば、
悲劇のお姫様のテンコ盛りですよん。
101 :
日本@名無史さん:03/11/22 05:59
照宮をどうして昭和天皇は援助しなかったの?
102 :
日本@名無史さん:03/11/22 08:12
民間人になったんだから自活するのが当然。
イヤなら飢えて氏ねw
103 :
日本@名無史さん:03/11/22 09:51
自分の娘だろ?
苦労してるなら可能な範囲で支援をするべき
104 :
日本@名無史さん:03/11/22 10:05
一介の民間人に特別扱いは不要。
ホントに生活できなかったのなら、一般人同様に福祉の世話になれ。
105 :
日本@名無史さん:03/11/22 10:10
天皇の娘だからといって特別扱いしなかったところが皇室のすばらしさ
天皇の娘だからといって甘えずに頑張って美談を残した照宮もすごい
106 :
日本@名無史さん:03/11/22 10:26
どっちもただの穀潰し
107 :
日本@名無史さん:03/11/22 10:27
いまどき何が照宮だよw
照宮、逝ってよし!!
チョン曰く「皇族はすべて否定すべし」
109 :
日本@名無史さん:03/11/22 10:34
やっぱり同族の出世は妬ましいんだね。
チョンらしいやぁ
110 :
日本@名無史さん:03/11/22 10:43
いずれにせよ、朝鮮人の子孫が国の象徴とは笑う
チョン曰く「皇族は全てチョン。悉く誹謗すべし。」
112 :
日本@名無史さん:03/11/25 21:14
市姫【お市の方】なんてどう?
信長の妹。浅井家に嫁ぎ、浅井家滅亡後(このとき、長政と自害したかったらしい)
織田家に戻り、信長の死後、柴田勝家に嫁ぐ。
だが、勝家が秀吉に攻められ、勝家と共に自害。
あと、細川ガラシャ。
親は、明智光秀なのに・・。
113 :
日本@名無史さん:03/11/25 21:16
お市様と紫式部。それからチョン州に住む貴族。
114 :
日本@名無史さん:03/11/25 21:36
愛子様なんかどう?
2ちゃんねらに言いたい放題罵詈雑言
好きで皇室に生まれたわけじゃないのに・゚・(ノД`)・゚・。
115 :
日本@名無史さん:03/11/30 22:07
罵詈雑言くらいどってことないだろう
116 :
日本@名無史さん:03/12/01 23:10
満州国皇帝の姪の愛新覚羅慧生
無理心中の犠牲になった。
>>116 実は暗殺で 心中に偽装したと言う説もある
真偽はともかく そんな話が出るのも悲劇的
山名豊国の娘が城外に晒されたと言うのは
司馬遼太郎の創作なのかな
119 :
日本@名無史さん:03/12/08 20:50
前田利家の娘で秀吉の妾 麻阿
2歳下同母妹の豪 妾の娘の異母妹の菊ともに秀吉の養女なのに、秀吉の妾に囲われる。
養女と妾 あまりに運命が違う。会ったときどうしてたんだろうか?
会うこともないくらい身分も違ったか?そんな扱いを受けた麻阿に萌え
>>119 麻阿は秀吉没後は万里小路充房正室。
そんなに酷い扱いを受けていたとは思えない。
121 :
日本@名無史さん:03/12/09 00:24
>120
両親にではなく、秀吉に
ちいさい頃から知ってる同じ長屋の娘を妾に ってところが萌え
122 :
日本@名無史さん:03/12/09 01:05
>>117 今更、女性の彼女を暗殺して誰の、何の得に?
そうすると妹はなぜ無事?
123 :
日本@名無史さん:03/12/09 01:07
>>119 現代の感覚とかなり違うから。
太閤さまの、といえば当時、いい顔だったと思うがな。
淀殿と松の丸殿の盃争いなど、みんな鼻息荒いじゃないか。
124 :
日本@名無史さん:03/12/09 01:20
>123
でも、妹は太閤の娘 自分は妾 側室って嫡子を生まない限り、使用人扱いって知ってるよね。
あまりに不憫なので、仮病で実家で引き取り、太閤死亡後に万里小路充房に嫁がす、で男児を産むも
どん百姓の中古腹なので世継ぎになれず、まぁ前田に引き取られたんだが・・・
家族(やさしい兄)には、恵まれたが、男には恵まれず
>>119-124(122除く)
お麻阿が万里小路家を離縁されたのは、
実は予想外の貧乏暮らしに耐えかねて・・・
という話も聞いたことがありまつ。
『利家とまつ』では麻阿は養女という設定になっていたな・・・
麻阿に関しては母親を松としない説も結構有力。
だから秀吉の側室にすることに前田家はあまり抵抗がなかったということらしい。
126 :
日本@名無史さん:03/12/21 00:55
男子を嫁の実家が引き取るなんてよっぽどだ。女子なら嫁が連れていくこともあったようだが。
>1166
中京も宋王朝も充分理由有りすぎというのが
リアルですね。
秀吉の側室にされた姫は、みんな悲劇のヒロインだと思うぞ。
129 :
日本@名無史さん:04/01/02 19:31
>125
結局、やらさなかったらしいが。
130 :
日本@名無史さん:04/01/02 20:18
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
みんなも遊びにいこうよ!!フォウ!
┌────────┐
│J 謹賀新年 │
│O 臣民たちよ . │
|K %%%%%%%% |
|E 6|-○-○ | . |
|R | > | │
| \ ∇/ ..|
| / \ |
│ | | │
│あけまして .│
│ おめでとう!! │
└────────┘
明けましておめでとう!チバック帝国千葉です
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1072942920/l50
織田徳は?
姑にいびられ、讒言し旦那を死に追いやる。
上杉謙信の姪の華渓院
謙信の死後兄と夫が跡目を争い、兄に城を攻められて自害
まだ24歳だったらしい
133 :
日本@名無史さん:04/01/04 12:37
>>132 父親も叔父にアボーンされたわけだし・・・
あぼーん
135 :
日本@名無史さん:04/01/08 10:59
愛子さま
>>135 でも愛子様は成長しても決して美形とは言えないだろうから叩かれてもおかしくないと思う。女の子が父親に似るのは可哀想なものよ(雅子様に似ればまだ美形だったかも・・・)。
137 :
日本@名無史さん:04/01/08 18:43
天皇に即位することを運命づけられているという点では愛子様は悲劇のヒロインかもしれないな
138 :
日本@名無史さん:04/01/15 20:29
平 祐子
平 清盛の娘。盛子の双子の妹
かなりな美貌の持ち主だったらしい。
8歳まで占い師の予言により尼寺へ預けられる。
9歳で盛子が嫁に行くと思い出されたように清盛の館へ迎えられる。
漢文の師である大江広元と恋に落ちるが異母である時子に引き裂かれる。
高倉天皇御幸の際、謁見した姫君の内で最も気に入られた姫君であったが
これも時子の陰謀により高倉室にはなれなかった。
その後強引に冷泉何とかの嫁になる。
139 :
日本@名無史さん:04/01/16 01:09
石長姫
140 :
日本@名無史さん:04/01/16 08:36
伏見宮隆子女王(幾佐宮)
貞敬親王十一女 宮家の姫宮に生まれながら25歳までどこにも嫁がず宮家にいる
17歳年下の妹が一橋家に降嫁する日に兄(実は年上の甥)と乳母たちとともに駆け落ち。
だが、明石で与力同心にみつかり帰京。
伏見宮より除籍。剃髪して瑞龍寺にお預け。そのまま18年後に逝去。
その五年後に妹の中宮寺宮が弟の朝彦親王に愁訴し、免罪の勅許がでる。
そのあと、墓を伏見宮墓地に改葬。
ちなみに駆け落ち相手の兄は出家の身であった済範親王(のちの晃親王)
>>138 盛子に比較してずいぶんひどい扱いですね
双子の片割れだったからかな?
嫁ぎ先も、ずいぶん下級の公家のように思えるが(ん?冷泉家はこの頃はまだないはずだが)
大江とケコーンできてたら鎌倉でハッピーな生活が待っていたかも知れないのにね
壇ノ浦であぼーんしたのだろうか、、、
冷泉家って・・・
時代的には、定家の時代ですが
143 :
日本@名無史さん :04/01/17 20:09
>>141、142 藤原隆房の妻でした。
しかし、強引に結ばれた後も夫の小督への浮気で心休まる日はなかったという。
144 :
日本@名無史さん:04/01/17 20:28
新田涼子ということで・・・。
悪妻のイメージが強すぎるけど築山殿(徳川家康の正妻)も条件に合うかと。
147 :
日本@名無史さん:04/01/18 02:31
有名じゃなくても、
お姫様→女郎ってなった人はみんな悲劇のプリンセスだと思う。
148 :
日本@名無史さん:04/01/29 14:14
照姫ってコスプレ地域おこし祭りに担がれているお姫様
149 :
日本@名無史さん:04/02/09 03:23
歴読や歴旅の「戦国の女性」特集増刊って、廃盤?
150 :
日本@名無史さん:04/02/09 06:26
151 :
日本@名無史さん:04/02/24 11:22
恵美押勝の娘 絶世の美女だったらしいがね 哀れな最後
水鏡にでてくるこの姫の名前誰か知りませんか?
155 :
日本@名無史さん:04/02/26 03:40
雅子妃こそ不憫なり。
21世紀のこの時代に、世継ぎに恵まれないだけで精神まで病まねばならぬとは・・・。
156 :
日本@名無史さん:04/02/26 04:27
,. ´  ̄ ̄ ` 、
/ ,.へ , へ __ \
,. -'⌒〜^ 7 ヽ / ヽ `ヽ\
/ / / ∧ V/! i 、 ヽ
. / / , / / i | V/ l i l ヽ ヽ ヽ
/ ! / / /i l |'´ ̄ `| ! .l i i ',
| l l l‐!.i、.l l | .| l _!___ l l !
| l i | l i___i`トl、.l !,ィ'i"__| l i |
| l l i 「ハし:::::`ト、 レィiし::::::「 `i .i l |
ヽ.|\K ! {i iトー''/ iトー''ソ i} レ'i. |
| \(___)ー─' `ー‐'‐(___) ! !
| i、,.-ー〜'" ,. -〜'"/ i l | 余が誰かわかる香具師はヲタであるぞ
| |、\ \ __ ___ / /入ノノ |
. | l>X <ヽ. _ \ / レ'___/へ. |
. | i/ `ー--ヘ i/´ ̄ ̄ ̄ヽ i--─‐'' l |
| l ,.- レ/ V== 、 /,l |
. | .l\_//"/ il ヽ >X <i .|
_| |> X < / .|l V,/ > l |
|  ̄~/ こヽ/ |l Vこ`ヽ>,─‐┐
|二i iコ { ,丁/ |! ,.へ V丁 }二i i二|
ヽ____ > / |i / V-'' __/
/ /// |l / ヽヽヽ´ ヽ
/ / / / .|i /ヽ /i ヽヽ i
./ 〈 〈_/./ |i / i / il 〉 〉 !
157 :
日本@名無史さん:04/02/26 21:27
158 :
日本@名無史さん:04/02/27 04:32
書き込んだのはモーヲタだな。
159 :
日本@名無史さん:04/02/27 06:31
,. ´  ̄ ̄ ` 、
/ ,.へ , へ __ \
,. -'⌒〜^ 7 ヽ / ヽ `ヽ\
/ / / ∧ V/! i 、 ヽ
. / / , / / i | V/ l i l ヽ ヽ ヽ
/ ! / / /i l |'´ ̄ `| ! .l i i ',
| l l l‐!.i、.l l | .| l _!___ l l !
| l i | l i___i`トl、.l !,ィ'i"__| l i |
| l l i 「ハし:::::`ト、 レィiし::::::「 `i .i l |
ヽ.|\K ! {i iトー''/ iトー''ソ i} レ'i. |
| \(___)ー─' `ー‐'‐(___) ! !
| i、,.-ー〜'" ,. -〜'"/ i l | 余を愚弄するか雑種よ
| |、\ \ __ ___ / /入ノノ |
. | l>X <ヽ. _ \ / レ'___/へ. |
. | i/ `ー--ヘ i/´ ̄ ̄ ̄ヽ i--─‐'' l |
| l ,.- レ/ V== 、 /,l |
. | .l\_//"/ il ヽ >X <i .|
_| |> X < / .|l V,/ > l |
|  ̄~/ こヽ/ |l Vこ`ヽ>,─‐┐
|二i iコ { ,丁/ |! ,.へ V丁 }二i i二|
ヽ____ > / |i / V-'' __/
/ /// |l / ヽヽヽ´ ヽ
/ / / / .|i /ヽ /i ヽヽ i
./ 〈 〈_/./ |i / i / il 〉 〉 !
160 :
日本@名無史さん:04/02/27 19:42
早くも終了の予感・・・
161 :
日本@名無史さん:04/02/27 21:38
お姫様age
162 :
日本@名無史さん:04/02/27 21:42
悲劇のお姫様伝説は秀吉関連を漁るとザクザクとポチがここ掘れわんわん状態。
163 :
日本@名無史さん:04/02/28 10:23
>>162 じゃ、ますますこのスレッド不要ということか?
164 :
日本@名無史さん:04/02/28 16:15
悲劇に限定するとそうなるかも、オールラウンドな展開が難しいかもね?
165 :
日本@名無史さん:04/02/28 16:25
>>165 ハゲます城のつる姫さまとか。
138を書いた人って吉屋信子の小説からそのまんまもってきた?
167 :
日本@名無史さん:04/02/29 00:15
姫スレは何処も彼処もネタ切れぽいなあ・・・
169 :
日本@名無史さん:04/02/29 22:17
171 :
日本@名無史さん:04/02/29 23:41
172 :
日本@名無史さん:04/03/03 12:19
妖怪僧侶に嫁ぐはめになった麻由美姫
恵姫のほうが悲惨。
174 :
日本@名無史さん:04/03/03 13:30
175 :
日本@名無史さん:04/03/05 22:46
終わりそうなので、age!
176 :
日本@名無史さん:04/03/08 20:59
中2日あいたのでage!
( ・∀・) 甲斐姫へ げんきですか。 殿下の側室になってください
(゚Д゚#) うるさい死ね 妾にさせるな殺すぞ
( ・д・) ごめんね 三成はじめて斡旋するから、ごめんね
(゚Д゚#) うるさいくたばれ、妾にさせんな
178 :
日本@名無史さん:04/03/08 23:48
>>145遅レスだけど「元」お姫様、中高年期の築山殿に一票。
セクースレス+更年期障害っておとこのひとにはわからん辛さだと思う。
気が狂わんばかりの辛さ。
立花ァ千代も十分に悲劇的な姫だと思う。
>>177 ワロタ
>>179 婿養子の宗茂とは性格不和で、結局追い出されるような形で別居したんだっけ。しかも宗茂、関ヶ原の合戦で西軍に付いたために改易されちゃうし(後に復帰するが)
地元では自殺説もあるらしい。
181 :
日本@名無史さん:04/03/09 16:01
>>180 そういえば柳川城、忍城ともに水の城だな
ともに城を舞台に戦ったァ千代姫と甲斐姫の不思議な共通項。
183 :
日本@名無史さん:04/03/14 12:31
まだ落ちてないのか・・・
>138
吉屋信子の創作を真に受けるとは‥イタすぎ
人物自体はいたかもしれないが その辺はぜーんぶフィクションの域を出ない
185 :
日本@名無史さん:04/03/18 22:49
( ・∀・) ジュリアおたあへ げんきですか。 側室になりませんか?
<`Д´# > ウリはキリシタンだから妾にはならないニダ
( ・д・) ごめんね 家康キリシタンはじめて側室にするから、ごめんね
<`Д´# > ふぁびょーん! ウリを妾にしようとするチョーパリに謝罪と賠償を要求するニダ!
( ・∀・) ・・・・・遠島へ流罪ね
<::)Д`# > アイゴー・・・
186 :
日本@名無史さん:04/03/18 23:29
↑
なんか韓国をバカにしてないか?
すごく不愉快なんすけど。
188 :
日本@名無史さん:04/03/19 00:26
とりあえず、おまえら全員に謝罪と賠償を請求する。
189 :
日本@名無史さん:04/03/19 00:52
190 :
日本@名無史さん:04/03/19 09:59
>>153 藤原仲麻呂の娘は児従・東子・額といるが、
水鏡のは2番目の東子(あずまこ)じゃないの。
平資盛の娘の妙は平家で没落後、江口の遊女に身を落とし
「江口の君」と呼ばれる。西行法帥との和歌問答の話で有名。
192 :
日本@名無史さん:04/03/23 23:49
姫様…つーか奥方ですが。
1858年(天正13)、秀吉打倒を画策していた飛騨の三木氏に対し、金森長近を遣わして討伐をした。
落城した松倉城主の三木秀綱は、奥方と共に彼女の里である信州波多を目指して落ち延びようと決心。
奥方と侍女は徳本峠を超え、自分は安房峠を超えて共に落ち合う事を約束したが…
秀綱は、安房峠を越えた先の乗鞍山麓にある峠の農家で、粟飯を馳走になった礼にと
金銀の小粒を茶碗一杯に差し出したところ、欲に目が眩んだ村人に殺害されてしまう。
そしてもう一方の奥方は、徳本峠を越えたものの、侍女もろとも木こりの手で身ぐるみを
剥がされて殺されてしまった。
なお、長野県安曇村にある「安曇村資料館」には、木こりが身ぐるみを剥いだという
件の奥方の打掛や小袖、短刀や鏡が展示されており、この話が単なる伝説で無いことを
物語っている。
>>192 (((((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
>>193 ガクブルついでの後日談ですが。
峠の農家で殺される前に、大野川村に達した秀綱だったが、ついに追っ手に発見されてしまう。
しかしその時、村では蚕に桑を与えている時期で、ある村人が桑の入った大きな籠に秀綱を隠し
難を逃れさせた。
その後、大野川の村では毎年、蚕が大当たりしたため、これは秀綱様のお陰であるといって
神社を作ってその徳を称えた。
そして先にも述べた、秀綱を殺害した峠の農家は、悪い病で一家全滅し、峠の村も蚕が当たらず
秀綱の霊の祟りを恐れて、こちらも神社を建ててその霊を祀った。
なお、こちらの神社は現在も「秀綱神社」として安曇村に鎮座している。
また、奥方と侍女を殺害した木こりの家も、代々悪い病気が出て死に絶えた…と言い伝えられている。
195 :
日本@名無史さん:04/03/28 19:14
>194
三木家自体は木こりに殺されてもいいような香具師らなんだが
子を殺し、兄弟を殺し、で
196 :
日本@名無史さん:04/04/05 22:06
>>153 同意
>>160 によると藤原仲麻呂の娘、東子かな?
「続日本記」によると仲麻呂が恵美押勝の乱に敗れて
容色並ぶものなき美貌を伝えられた仲麻呂の息女は
千人の兵に死に至るまで輪姦されたらしい
まー悲劇といっても自殺とか病気とか不遇で早死にするとか
いろいろあるだろが、こういう戦に破れた大権力への反逆者の身内ほど
むごたらしいものはあるまいよ
歴氏に埋もれてるだけでこの他にも沢山あるのだろうね・・
197 :
マイティ・ジャック ◆P1AWcg9OTs :04/04/18 22:30
深度3000急速浮上〜♪
198 :
日本@名無史さん:04/04/28 22:46
井上内親王って、ほんとに呪っていたの?
>154
ほんとか?
200get
201 :
日本@名無史さん:04/05/07 18:12
お姫様じゃないけど、ガラシャって人。
夫に二回も裏切られて最後は無残だったんですよ。
なんか鬱。
ガラシャは充分にお姫様と呼ばれる資格があると思うが?
204 :
日本@名無史さん:04/05/10 17:58
明治天皇皇后
昭憲皇后とか
夫はしたい放題で、夜の床は絶対に呼ばれなかったとか
名義だけの正妻って可哀想だな
205 :
日本@名無史さん:04/05/12 02:19
御維新がらみの話だけど、「綺麗な簪さして振り袖着てぽっくり履いて良い暮らしだったのよ」
「・・・大きい姉さんは・・・」ってウチのばあちゃん(明治生まれ)が言ってた。
明治維新が無ければ、ばあちゃんもお姫様待遇で苦労のない人生だったんだろうなと思うよ。
206 :
日本@名無史さん:04/05/27 02:05
昭憲皇后はめちゃくちゃ美人ですよ
ただし体が弱かったのでしょうがない
宣教師が描いた信長の肖像画があるけど、
現代でも十分美男子で通用しそうな顔立ちだったな。
面長で目鼻立ちがはっきりしてた。
とすると信長に似ていたといわれるお市の方も
やはり現代でも通用する美人だったのだろうか。
208 :
日本@名無史さん:04/06/06 15:32
かぐや姫。
15夜に月の使者が迎えに来るのだが、かぐや姫はその乗り物から降ろしてくださいと使者に頼む。
かぐや姫は降ろされるのだが、もはや人間の姿をしていない。かぐや姫は人間の姿に戻してくださいと頼みこむ、しかし使者に無視される。
かぐや姫の姿は手も足も目も口も鼻も耳もない、ピンク色の肉のかたまりだった。
かぐや姫はみかど、みかどと悲しげに叫ぶのだが、それをみた兵士たちは「おのれ、化物め!」と一斉に斬りつける。
あとには無残に切り刻まれた肉のかたまりが転がっているのだった。
209 :
日本@名無史さん:04/06/06 18:05
前のほうで書かれてた元華族令嬢の松浦ナントカさんの
名前を教えてくんろ
210 :
日本@名無史さん:04/06/07 00:56
まつらただこ。
かの’松浦屏風’の、旧九州松浦藩の姫君。
211 :
日本@名無史さん:04/06/07 01:15
追加。
(’ただ’は僅に似た字だが、パソコンで出ない。申し訳ない。)
昭和皇太后の兄嫁。旧華族から宮家に嫁ぎながら、夫が亡くなり、
小梨だったため、宮家から出される(これは慣例)。
莫大な財産を渡されるが、満鉄の株券だったため、終戦で紙切れ。
その後は、前出の通り。気の毒な方だ。
212 :
日本@名無史さん:04/06/08 00:26
>211
「子無きは去れ」を地で行くか・・・。
いくら満鉄の株券が終戦で紙切れ同然になっても
せめて豪邸の一軒でもあれば違っていただろうに・・・。
お気の毒だが、おそらく本人の経済観念の無さもあったのでは?
213 :
日本@名無史さん:04/06/08 00:38
>>211 僅ではなく‘董‘でした。
うろ覚え、失礼。
214 :
日本@名無史さん:04/06/21 23:04
お姫さまスレ圧壊の危機につき緊急浮上!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/⌒ヽ、
<==○ν_
(,,;`Д´,)
(___つ┃|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 772 |
| | / ̄ ̄|
,,,,…'''゙゙゙ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙゙゙゙̄'''''……,,,,,,,, /__ |
〜〜γ゙゙゙゙ ━━━ ゙゙゙゙゙゙゙| |''''|…,,,,〜〜
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
215 :
日本@名無史さん:04/07/22 22:42
昭和天皇の長女なんて、戦後に支援なしで苦労しすぎて若死にだよ。かわいそうすぎる。
216 :
日本@名無史さん:04/08/22 13:26
>211
彼女は宮家に嫁入りしたのではなく、臣籍降下した侯爵夫人。
それと、皇族には子供の無い未亡人は離家する習慣なんて無い。東伏見宮妃は
戦後の降下まで皇族の身分を保った。
松浦さんが離家したのは個別の事情だろう。また、世継ぎに恵まれなかった事情
は不明だが、ご主人の邦久侯爵は軍人ながら体が弱く(そのために東伏見の祭祀
は弟の伯爵にいった)、原因はそのへんにあったのかもね。
217 :
日本@名無史さん:04/08/27 15:15
こういう話題には仲麻呂の娘の話がよく出てくるけど、
具体的にどんな最後だったんですか?
詳しく載ってるページとかあります?
218 :
日本@名無史さん:04/08/27 15:17
お姫さまもオナーニしてたんですか?
219 :
日本@名無史さん:04/08/27 16:46
松浦のおばあちゃんが亡くなったのって、もう17年くらい前かな?
おばあちゃんだけど、背筋がピンとしてて、貧しくともとても品のいい方
だったみたい。ゴミ収集所なんかでゴミが散らかってると、自ら掃いて
キレイにしてたらしい。身寄りがなく、葬式も近所のボランティア何人かで
形式的に簡単に行われた。
一般のおばあちゃんとしても悲しい死に方だな。
221 :
日本@名無史さん:04/08/29 01:20
222 :
日本@名無史さん:04/08/29 19:15
仲麻呂さんの娘さんのカワイソ話は、ぐぐってみたけど載っていないね。
図書館いかないとダメかな。
223 :
日本@名無史さん:04/08/29 19:41
吉原の泡姫かな
お堀に囲まれ逃げられないように完全包囲されてたし。
いきんなおまえらしばかれたいんか
おれは天下の大将軍あさおやぞ
225 :
日本@名無史さん:04/08/29 23:48
仲麻呂さんの話すごくききたいよ〜。
>226
学校で教えてくれない日本史ですな。
考えてみれば有ったかどうか解らない強姦を、南京事件に関してのみは教えるんだよなあ。
229 :
日本@名無史さん:04/08/31 11:31
北白川宮能久親王のはじめのお妃様の光子さん。
子供ガできないために離縁したみたいだけど、それからどうなったか知ってる方
いらっしゃいますか?
230 :
日本@名無史さん:04/08/31 11:50
佐渡の豚姫曽我ひとみは
231 :
日本@名無史さん:04/09/01 00:37
>228
じゃあ、公平を期して古今東西の強姦史を小5〜中3の5年間でみっちり
やりましょうか。
尼港事件とか仏印独立戦争とかベトナム戦争とか色々あるしなあ。
233 :
日本@名無史さん:04/09/11 13:27:13
恵美押勝とその娘を主人公にした大河ドラマ放送してほしいよ。
最終回は2時間スペシャルで時間枠も深夜にすべきか。
18禁アニメにして(*´Д`*)/ヽァ/ヽァ
235 :
日本@名無史さん:04/10/01 22:16:30
>>231 インポかレイパーを生むかのどっちかだな…。
従軍慰安婦と南京の珍殺団による集団強姦おwみっちりやればよい
239 :
日本@名無史さん:04/10/18 00:38:51
八十宮吉子様
霊元天皇の皇女で
1歳の時、七代将軍徳川家継と婚約したが、
翌年家継は七歳であぼーんしてしまったため、
わずか2歳で寡婦になってしまった。
将軍の正室は再婚が許されず、
一度も見た事のない婚約者の菩提を弔うために落飾して
処女のまま寂しく一生を終えた。
あとは四代将軍家綱正室の浅宮顕子
乳癌を患い、透き通るような色白の乳房は
暗紫色のイチジクのように腫れ上がり、
病気にかかったのが夏だったため、汗による悪臭と患部の激痛に
悶え苦しみ死んでいったという。その頃には別の箇所にも癌が転移してたらしい。
生前家綱に何度も医師による触診を薦められたらしいが、
「命惜しさに下賎なものに肌を触れられるなら死んだ方がマシ」と拒み続けたとか。
240 :
日本@名無史さん:04/10/19 19:02:14
そもそもホンのちょっと前の時代までは「戦」に破れた方の男は強制労働か皆殺し、
女は強姦、輪姦、娼館送りなんて当然の事だったからな
ここ半世紀くらいで急にこの手の事が糾弾されるようになったけど・・・
241 :
日本@名無史さん:04/10/20 23:49:21
今の女は「法に守られている幸せ」ってのをほとんど理解してないよな
242 :
日本@名無史さん:04/10/22 21:53:52
姫フェチとしてはタマラン
243 :
日本@名無史さん:04/10/23 01:03:20
>>216 河原敏明の「昭和の皇室をゆるがせた女性たち 」によると
松浦薫子さんは久邇侯爵の後妻になって26歳の時に未亡人に
なったみたいです。
子どもがいなくて三条西家から養子をとったのだけど、
まだ幼くて実家で育てられることになったので
今の価値にして三億ぐらいの満鉄の株券を貰って久邇家を去ることになった。
まだ若かったから回りからは再婚を勧められたみたい。
お母さんは久我家出身で久我美子さんの親戚にあたるそうです。
244 :
日本@名無史さん:04/10/23 01:13:15
>>243 それがどうした、俺は満洲重工業の株
何万株か数えたことないがかなりもっとるぜ。
今は全部紙切れだ。ひいおじいさんの遺産のひとつだが、
許せないのはひいおじいさんの義兄弟から(姉婿)
かなり株を買ってることだ。(裏書みれば分かる)
245 :
日本@名無史さん:04/10/23 01:14:28
松浦薫子って4畳半一間のアパートで孤独死してたって人だっけか?
美人だったらしいね。
246 :
243:04/10/23 01:38:23
>>245 久邇侯爵と一緒の写真が載ってたけど、昔の美人顔だった。
結婚生活は幸せだったみたいです。
葬式には学習院時代の友人は来たけど
松浦家の人は来なかったそうです。
247 :
日本@名無史さん:04/10/23 02:44:12
愛新覚羅慧生(傅傑さんの長女)も世が世なら姫君だからここに入れてもいいのかな?
「天城山心中」などと言われたが、実はストーカーに追い回された上での射殺だったん
だよな。
あとサーヤが出てきてないのはなぜ?
248 :
中原小麦 ◆/VPZmsXbLY :04/10/23 02:46:37
__,.へ i _,.-==ニ`゛ヽ、 /
__,,.ヘ 〃i _,.-‐`ヽ \- 、_ / /ヽ
_,,. -'" ヽ // _ゝ'" ┌┘ヽ ヽ `゛く / ヽ
\//.'" └┐┌トく \ /
/{ l _,.-'" ̄`ヽ└/ i `ヽ `ヽ/
ヽ ヾ _,.'" / | / l ヽ `、
ヽ`ー--‐‐'" l レ l `、 /
`ー---,' / i |`゛'''"´i ノl i \/く
,,. -‐ニ二く / / _/-‐-|ヽ! レ'_,!,,,,,,ノ_!.l `、く
// `/ l, '"/_,,,,_ 、 ヽ _ _,,,,,,_ノヽ `、く⌒`ヽ
/ / Σト、 , ト〃,::;;;r;、` ´〃:;;c、ヽ, l `、ゝ`ヾヽ
| { ,ハ/ヽl 〈l {!:::;;;::i} {!:::;;;:::j} l〉l ト' } |
ヾ / ! ゞ=一' ::. `゛ミツ / | リ
{ l !.::::::::. _______________ .::::.ノ, l 〃
l i '、 i `´ `´ `i ∠ノ l /
ヽハ ヽ. i i ∠_ノ ハ,ノ
\ハ--、、 ヽ ,ノ / /i/ レ' むぎむぎ。小麦ちゃんだよ
,--/ -{_丶 `ー-一' ,.イレ'レ
/⌒\ / / `ー、-`ー---‐ '---=ニi/⌒ヽ/⌒ヽ/⌒
ヽ \ l ヽ ○ | l_ ,へ
\ /l }_________________j `ー---<'
/⌒ / ヽ / i 〃`ヽ ヽ
.( l___/! /| l 〃__○__| i
\ | l `ヽ / ヾ l〃/ `ー、_\ / l
249 :
日本@名無史さん:04/10/23 03:30:49
平時忠の姫君なんてどうよ。
相手が源義経だなんて、あんまりだ。
あと清盛の姫君の廊御方。
兄が源義経だなんて、あんまりだ。
250 :
日本@名無史さん:04/10/23 09:23:13
姫でも高位でもないけど悲劇の女性ったら私は静御前だなぁ。
まるで物語りを地で行ってる人生だもん・・・
大好きな人と雪山にまで入って苦労しつつ別れた後
妊娠に気づき、敵陣で舞まで舞わされても屈しないけれど
生んだ子供は奪われて海に捨てられる。
その後京都に帰されるまでが吾妻鏡に記載されてるだけで
その後の人生は不明。
私は彼女の性格からして絶対に義経を追ったと思うけど
会えないで終わったと思うし、旅の途中に好きな人の
訃報を聞いた時の気持ちを考えたらもう・・・本当に気の毒の一言。
四国や長野、埼玉、福島、北海道と彼女の墓と伝えられてる物
があるけど何故か京都にだけはない。どんな最後だったんだろう
251 :
日本@名無史さん:04/10/24 21:47:19
若いお姫様の転落人生って萌える
252 :
日本@名無史さん:04/10/24 22:37:52
強姦被害者がよく自殺なんて話があるが、あれは強姦されたことが
嫌で死ぬわけではなく、強姦されて激しく快感を覚えた自分の体に
嫌悪して死ぬのだそうですよ。
ちなみにこれは知り合いの弁護士から聞いた話です。
その弁護士が連続強姦魔から聞いた話を又聞きしました。
強姦魔の話では、強姦をするときに女性が自分が感じてしまっている事への戸惑いと
快楽に身を任せる表情とが入り混じってたまらないと言います。
どんな美人でも最後には泣きながら自分から腰を振るそうです。
嫌だとは思いながらも体は感じすぎてしまい、拒絶できない。
むしろ自分から求めてしまうそうです。
強姦魔によると、美人が泣きながらも苦悶の表情で、
「イク」と言うのがたまらないと言います。
一度知ったら誰であろうと絶対に辞められるわけないとも言っておりました。
テレビや映画でたまに出てくるレイプシーンなどは嘘らしいです。
経験者に言わせると完全に作り物でありえないと言います。
まぁプロデューサーや映画監督がレイプ経験者ばかりのわけはないですから当然と言えば当然ですが。
よく、暴れて挿入されてもレイプ魔を罵っていたり、逆に放心状態で無反応状態になる描写が多いですが、
あれは嘘だそうです。実際には、挿入した瞬間から既に痙攣しイキまくる女性が大半だそうです。
最初の段階で、泣きじゃくって半狂乱になるのは本当にあるらしいですけどね。
ただし、半狂乱の状態というのは体力の消耗が激しいので5分と続かないそうです。
美人に限って、挿入中におしっこを漏らしたりハデに潮をふいたりするらしいです。
イキ方がハンパなく気持ち良さそうで、病み付きになるそうですよ。
253 :
日本@名無史さん:04/10/25 17:09:43
( ・∀・)つ〃∩ ヘェー ヘェー
漏れも今女に生まれ変わったらレイプされたいもんなあ
男でもレイプされるから要注意だぞ。
男がそれにはまったきっかけの多くは男性による男性のレイプだからな。
255 :
日本@名無史さん:04/10/28 21:39:41
ひめみこ
十市のひめみこ
>>250 下から2行目。
諸国を回遊する遊行芸能者の行き倒れ伝承などと重なり
各地に墓が。
小野小町とにたようなもの。
258 :
日本@名無史さん:04/11/02 11:57:00
姫始め
252もボブサップみたいなマッチョ連中に掘られながら随喜の声をあげる
んだろうな。
260 :
日本@名無史さん:04/11/03 00:35:21
出雲国風土記にあったなあ。朝鮮人に拉致された
姫の話が。
262 :
日本@名無史さん:04/11/04 02:21:11
263 :
日本@名無史さん:04/11/04 08:21:50
>247
愛新覚羅慧生さんが心中した相手に送った熱烈なラブレターを本で読んだことがあるが・・・
ストーカーと言っていいものかね?
264 :
日本@名無史さん:04/11/13 22:50:16
姫奴隷凌辱
265 :
日本@名無史さん:04/11/14 21:40:16
戦に負けた側の姫様は悲惨だったろうなぁ
勝った側の偉い人の側室になったなんてのはマシな方だったんだろうなぁ。
>>266 藤原経清の妻とか?たしか安倍の女だったかな。で藤原清衡の母ね。清衡を連れて清原氏に再嫁。
268 :
日本@名無史さん:04/11/15 21:13:05
このスレに黒田清子さんが加わりますた。
269 :
日本@名無史さん:04/11/16 05:54:47
ワロタ
270 :
日本@名無史さん:04/11/16 06:04:20
南野陽子が騎乗位でガンガンに腰振って悶えてる役があったがあれは誰なんだい?
>>33 今更でごめんなさい。
漫画は知りませんが、その類の話はあります。
宇都宮家の話を元に作られたのかな?
272 :
日本@名無史さん:04/11/16 22:54:34
>>265 下克上のケースなんてもっと悲惨になりそう
元君主の妻や娘を成り上がり下郎がやりたい放題犯し放題
妻や姫の屈辱度は敵国に負けたケースよりも凄いと思う
斉藤道三と三芳野
274 :
日本@名無史さん:04/11/17 00:01:43
信長が死んだ後、北政所の侍女になったお鍋の方
元家臣の侍女になるなんて気の毒すぎ。
秀吉も面倒ぐらい見てやれよ。
275 :
日本@名無史さん:04/11/17 01:42:50
>263
彗生さんは検死報告書によると後ろから撃たれていたし、付きまといを
止めるよう、学習院の先輩や御学友等と一緒に相手の男に頼んだりもした。
(先輩は「世が世ならば、声はおろか顔もマトモに見れない相手ダゾ!」とまで
言った)ラブ・ロマンスは当時のマスコミによって、かなり捏造された部分
もあるしなぁ……。
>>274 雑用や身の回りの世話をする侍女というより、
サロンでのお話相手的な役向きでしょう。
ご隠居しながら一緒にお茶飲んだり遊興のお相手したり。
お鍋は太閤の醍醐の花見にも行ってるようだしね。
277 :
日本@名無史さん:04/11/19 06:12:30
>>265 (;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ
>>272 (;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ
278 :
日本@名無史さん:04/11/19 06:34:58
お姫様はウンコしないよ
一見ウンコーに見えるアレは、香木なんだよね
280 :
日本@名無史さん:04/11/21 00:20:47
そうだったのか・・・さすが高貴なお姫様だ
出すモノまで下郎とは違うのか!
>>270 源氏物語の、朧月夜の君
下は光源氏役の天海祐希
東宝の映画「千年の恋 光る源氏の物語」ですね
282 :
日本@名無史さん:04/11/21 22:01:06
↑あれって東映じゃなかったっけ??
284 :
日本@名無史さん:04/11/22 02:35:22
南野ハァハァは実生活でも凄いんだろうな
南野といえば「武田信玄」の湖衣姫だろーが。
286 :
日本@名無史さん:04/11/22 19:49:26
>>284 落武者についていくのか。他の財界人の側室になるのか
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
ナンノってナベツネの愛人だったの? (w
288 :
日本@名無史さん:04/11/22 22:09:50
南野は今ビョン様に熱を上げている。番組の企画で会って腰が砕けていたよ。
お姫様とは違うかも知れないが、
戊辰戦争の神保雪子なんかもかなり悲劇では?
それはやはり範囲以外では・・・。
中野竹子やら西郷頼母一族の女たちやら山本八重やら
ぞろぞろと家臣の女オンパレードになり、
照姫様の立つ瀬もなかろう。
しかもそのうちの八重さんは
バツ一(あまりに気が強くて夫と釣り合いがとれず離婚したらしいが)
のち新島襄と再婚、どう見ても 悲 劇 の 女 性 とは言いがたいしw
照姫様は戊辰戦争の後どうなってしまったのでしょうか?出家?
手許の頼りない事典では、「明治二年、実家飯野藩預けとなる。(略)
東京小石川の保科家で五二歳で死没」とある。(1833〜1884)
山本八重が会津開城のおりに残した和歌、
「あすの夜はいづくの誰か眺むらん 馴れしみ空に残す月影」
平明な詠みかただけど、感情のこもったいい歌だと思う。
照姫も豊前中津藩十万石奥平昌服に一度は嫁いで
5年後には離縁して会津藩邸に戻ってる。
亡くなったのは明治17年、牛込の山川邸に滞在中死去。
(柴佳子著・会津藩の女たち)
↑
この本には穴山梅雪夫人見性院や信松尼・松姫のことも書いてあるよ。
2人は保科正之とその母・お志津の方を庇護してたものね。
295 :
日本@名無史さん:04/11/29 00:27:31
やっぱりお姫様は仇に凌辱され墜ちていく事こそが醍醐味
となれば
茶々姫(淀殿)でつよ。
父も母も養父も祖父祖母、兄を秀吉に殺され孤児になったあと秀吉の側室に。
跡継ぎをうんだあと、子とともに城を枕に自害。
秀吉がらみの姫のなかで一番栄華を誇ったのは確かだけどバックグラウンドと最後がかなり悲惨・・・。
297 :
日本@名無史さん:04/12/05 14:25:49
お姫さまで文字通り、姫始めをしていた人が裏山鹿ぁ
298 :
日本@名無史さん:04/12/05 23:01:44
315 :日本@名無史さん :04/12/05 22:39:00
鶴岡八幡に奉納された静御前の舞のことが書かれていますがそれはきれいごとで、
本当は頼朝・政子が彼女を辱めるために全裸で舞わせ、その後御家人たちで輪姦
したというものだそうです。
300 :
日本@名無史さん:04/12/06 22:51:29
過去の歴史においては、悲惨な女人凌辱場面は掃いて捨てるほどあったろうなぁ
302 :
日本@名無史さん:04/12/07 04:15:43
親子どんぶりされた挙句に夫のせいで首切られちゃった母子は哀れであった
>>304 藤原薬子さんですか?それとも花山院にお仕えしてる方ですか?
豊臣秀次の妻妾である、一ノ台局(31)とお美屋ノ前(13)、
右衛門ノ後殿(35)とお松ノ前(12)母子です。
ちなみに最上義光の娘・駒姫も秀次に嫁いでますが、
嫁ぎ先に着いて間もなく「妻だから」で一緒に処刑されてしまってます。
秀次はひどい悪行が原因で自害させられたようですが、
当時の宣教師によると、秀次は謙虚で慎重、キレやすいと言う事は無いという事だったので、
陥れられたとする説もあるようですね。
>>307 岡崎信康と同じで、でっち上げられたご乱行。
一の台とお宮は知ってるけど、右衛門ノ後殿って誰の娘?
現代日本のオナゴは幸せだな
ほとんどがその本当の価値を理解して無いが・・・
大丈夫。男も同じようなもんだから。
男は苦難の時代だろうが・・・
レイプ
レイパー
レイペスト
男もレイプされるそんな世の中じゃ
ポイズン・°・(ノД`)・°・
で、あるか
ほのぼのレイプ
いくら出生の近道だからって、小姓になるのはいやだなあ。
男色の観点から歴史を見ることを忘れているから、
性的な虐待といえば女となるけど、当時は悲劇の若様とかいたんだろうなあ。
318 :
日本@名無史さん:04/12/13 02:02:45
まつも少女時代に半ば無理矢理レイプ(手篭め)されて、子供が出来ちゃったんで
利家が止む無く引き取ったんだろう
ただ、その後たまたま二人は上手くいった・・・ってだけっぽい
319 :
日本@名無史さん:04/12/13 02:04:15
サーヤかな
クロちゃん毛深いから
>>308 右衛門ノ後殿って誰の娘?
播磨の村井善右衛門の息女ですよ。
これでいいかしら?
321 :
日本@名無史さん:04/12/13 03:10:00
チャーミー
艶っぽくなったね。
322 :
日本@名無史さん:04/12/13 03:51:19
石川梨華ちゃんてなんでチャーミーって言われてるの?
323 :
日本@名無史さん:04/12/13 17:31:17
細川ガラシャ
幸福な結婚生活を送っていたのに
父・光秀が謀反を起こして敗死したので、離縁された。
復縁したが、不自由な生活でやがてキリスト教を信じるようになる。
最後は人質になるのを拒み、自殺。
324 :
日本@名無史さん:04/12/13 17:35:50
岡田有希子
投身自殺 脳味噌ドバーが写真週刊誌に掲載される 往年18
325 :
日本@名無史さん:04/12/13 17:47:49
淀君
>>323 前回のトホホでやってたね。玉子幽閉中に忠興が側女を置くようになってたことはスルー。
二人が食事中に覗き見ていた庭師だか屋根職人を忠興が切り捨て、玉子の食膳に
その首を置いて少しも動揺しない彼女に忠興が「蛇のような女だ」と言い、
「罪のない者を殺すのは鬼。鬼の女房には蛇がお似合い」と言い返した逸話もスルー。
327 :
日本史名無し:04/12/13 20:34:58
十市皇女。
自殺説が濃厚。
山辺皇女。
夫(大津皇子)が死罪にとわれたとき
殉死した。
328 :
日本@名無史さん:04/12/13 22:52:11
南野陽子
可憐です
お姫様ではない
331 :
日本@名無史さん:04/12/14 07:00:09
当時は十二歳くらいからもう適齢期
25はババァだ
>>323 ガラシャの最後を自殺といったら、天国に行けない・・・。
お付きの者に自分を刺させたんだっけ>ガラシャ
>>333 そだよー。
ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
確か、他の大名夫人は逃亡したのに、ガラシャだけ犠牲になったんだよね。
ガラシャが死を選択したのは、貞節とか宗教とか人生観とか
色々な解説があるけど、一言で済ますことのできない
奥深さがありそう。
敬虔な宗教者でもある三浦綾子さんの著作なら
その辺りが明確かなーと思って読んでみたけど、
やはりわからない女性だった・・・。
>>336 朱なる十字架を読んでみた。三浦さんの作品とまた違うガラシャ像だった。
なぜ氏を選んだかは複雑だね。この作品で見る限り、忠興による細川の御家大事の犠牲にされたと感じた。
姫が下衆に犯られる
・・・萌えるな
忠興とお玉の長男忠隆の正室は前田利家の七女・千世で、
お玉とともに大阪の屋敷に暮してたんだけど
関が原のとき、前田家に逃れて無事だった。
(お玉が実家への避難を勧めた、または前田家の促し、とも)
「姑が自害しようとしてるに、婚家から逃げ出すとは」
と忠興は怒って、息子夫婦に離縁を命じた、けれど
妻を庇った忠隆は勘当されて一生浪人、
千世とも離縁させられた・・・。
忠興って息子にも激しい人だったんだね。
340 :
日本@名無史さん:04/12/31 07:23:52
さぁ今日は姫納め
341 :
名無しさん:04/12/31 11:48:09
徳川秀忠の長女千姫
理由は、千姫は好きでもない秀頼と結婚させられ二人の間に愛はなく子もなかった。
そして秀頼が自害後、本多忠刻と愛し合い結ばれ一男一女を産む。
しかし夫は31歳の若さで病死、その上長男甲松も3歳で病死。その上姑もこの年に亡くなり、実の母お江も54歳で亡くなる。
千姫は悲しみのあまり娘をつれて実家に帰った。
娘の勝姫は、池田光政と結婚し、8人の子を産んだ。
千姫は、70歳で卒。
>>339 当時は豊臣・徳川と両天秤だったころ。
それが関ケ原戦以降、豊臣のコネである忠隆夫婦の扱いが難しくなってしまったという
事情もあるのですよ。
でも家は断絶せず、忠隆の子(千世の子ではない)は別家となり現在に到っています。
テレビでお馴染みだった細川隆元や隆太郎はこの家の末裔。隆元だったか「本来は
ウチが細川の本家だったのに…」と漏らしたことがあるとか。
343 :
日本@名無史さん:05/01/09 00:02:44
お姫様は悲惨になればなるほど萌えるね
344 :
日本@名無史さん:05/01/14 02:11:35
稲森常盤に早速萌えちゃったよ
345 :
日本@名無史さん:05/01/19 23:48:03
姫ーーーっ!
346 :
日本@名無史さん:05/01/22 22:01:36
ひめみこ
347 :
日本@名無史さん:05/01/25 09:32:42
稲森、エロい!!
常磐御前の役職は「九条院の雑仕」
つまり今風に言えば宮家の下働き、といったところだから
正確に言えば姫様ではないと思われ
>>348 だが、都の美少女千人の中からさらに選び抜かれた美女だった。
351 :
日本@名無史さん:05/01/26 06:28:52
ぼるじょあ◆yEbBEcuFOU むかつく。何か無性にぶっ頃したい。
と思ったら日付が古いな。
352 :
日本@名無史さん:05/01/27 14:27:47
優先されるのは「美女」で「姫の格好をしてる」でよい
353 :
日本@名無史さん:05/02/06 00:43:45
姫奴隷
354 :
日本@名無史さん:05/02/07 02:22:07
中越徳子も中々エロいね
照姫
石神井城落城の際に三つの家宝を持って池に身投げした。
今ではそこは「三宝寺池」と呼ばれている。
姫の入水自殺には色んな説があります。「豊島泰経(としまやすつね)が城主で
あったときに太田道潅の率いる軍にせめられ、豊島泰経は生き延びたが、娘の照姫は
愛馬に乗ったまま入水した。 」等。
毎年照姫の霊を慰める為の「照姫まつり」がある事は知ってましたが…コスプレって…?
私が何故この姫様を「悲劇」と思ったのかは、この事実を知ったのが「日本の怖い話」
と云う本に「心霊スポット」として紹介されてたからです。
356 :
日本@名無史さん:05/02/09 02:09:08
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
落城時に姫や奥方が入水するなんて、白米城伝説みたいに
全国どこにでもあるありがちな伝説。後づけも多いよ。
照姫の伝説もごく最近クローズアップされて宣伝されてる。
照姫まつり、なんて言っても今年でやっと18回目
行列のための公募とかもあって、
町おこしイベント&コスプレ祭だと思う。
>>357 355です。
18回目?!
本を見た限りではかなり昔から「照姫まつり」をやって居るように書かれてたのですが。
行列…コスプレ…。
一回くらい見に行ってみようかと思っていたのですが…何だか躊躇われますね。
ただの「慰霊祭」だと思ってたんですけど…物凄い物が見れそうです。
>>358 照姫祭のHPを見てみるよろし。
照日上人の塚・・・と伝承されてたものが、昭和後半に
何時の間にか姫塚になってしまったらしいです。
こういうのって、教育委員会とかが「○○伝説跡地」って
札をたてて、それらしくしてしまうのでしょうね。
練馬城にも落城時に姫が入水したという伝説があるそうです。
>>359 http://takonet.com/syakujii05.html を見ると照日上人は明治時代の人のようですが、実在ははっきりしてるん
ですかね?それ自体が「伝説」なんてことはないですかね?
まあよくわかりませんが。
ついでにこのページによると、伝説が間違っているってことになってるけど、
伝説はまあ伝説なわけで、複数のお互いに矛盾した伝説があることは、
別に不思議でもないわけで、一応、教育委員会が立て札を立ててるって
ことは、間違いではなくて、別の伝説があるのかもしれないなんて思ったり
するわけですが、そこんとこどうなんでしょうね?
361 :
日本@名無史さん:05/02/17 00:10:06
結局は生臭坊主よりも姫の方が萌える、って事なんだろうな
住人のやる気が違う
行田とかでも最近は三成より姫君を押し出すようになったし
ま、攻めてきた香具師とか知恵伊豆では萌えないのは確かだが・・・
>>360 河川や池沼を臨む城の落城秘話には、女性の入水伝説は
つきものだもん、誰かが身を投げたってことはあったかも
しれないけどね。
昭和58年に当時101歳の土地の古老から採取した昔話と
塚を結び合わせて、地域振興策にしました・・・とさ。
お坊さんの時代行列じゃあ、絵にならないもんねー。
違うスレの人気者、甲斐姫だって
文献あたれば???だらけの姫なんだけどね。
>>364 う〜ん。まあ事実か事実でないかと言われれば、事実でないだろうけど、
「伝説」が最近出来た、あるいは改竄されたのか、それとも古くからあったものか、
ちょと疑問に思ったもので。俺は「合理的な解釈」にも怪しげなものは結構あると
思ってるので。「照日上人」が「名無しの姫」と合体して「照姫」になったのか?
別人が名前の類似で混同されたのか?とかいろいろ疑問あるのでつ。
まあ「日本史」板とはズレるけどね。
明治20年代の新聞連載小説「照日の松」
照日姫は公家の娘、流罪となった父を捜す旅に出る。
途中盗賊に襲われ、豊島泰経の弟・泰明に助けられて
妻になる。姫に横恋慕した太田道灌が石神井城を攻め落城・・・。
369 :
日本@名無史さん:05/02/27 16:14:55
>>324 岡田有希子ちゃんはたしかに悲劇かもしれないけど、
もっと歴史的な女性で、投身自殺の例ってありますか?
真間の手古奈
>>341 好きでもない秀頼と結婚させられって、当時政略結婚なんて当たり前でしょ。
かわいそうでもなんでもない。
山辺皇女
やっぱお姫様だよね
374 :
日本@名無史さん:05/03/03 15:21:35
豪と八郎秀家
375 :
日本@名無史さん:05/03/11 02:28:54
お姫様が大好きです
376 :
日本@名無史さん:05/03/14 00:06:25
斉藤道三の娘にして織田信長の正室であるのに、輿入れ後の
消息が全く不明であるのは、ある意味不幸じゃないのかな?>濃姫
いろんな説があるけど、死んだとも離別したともないのはなぜだろう。。。
377 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 09:42:37
姫様ってだけで勃つ
379 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:59:02
>>378 そういうことは信長や信忠の重臣を見てから言った方がいいと思われ
離縁にせよ、謀殺にせよデメリットのほうがはるかに大きい
381 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 00:28:37
菊地桃子の濃姫は堺で商人をやってたよな
某土豪の娘の桑姫って人がキリシタンになって
人目から隠れて織物を織って暮らしたって伝説がありまして
今現在その史跡は「桑姫神社」としてなぜか神道習合されてます@長崎
383 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:57:30
おかめ姫
384 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:01:21
悲劇の姫君は上杉謙信(虎姫)
女なのに、兄がダメポだったばかりに
お家の事情で、男武者にさせられた。
385 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 00:03:48
高円宮の承子姫、イギリスへ短期留学の予定だったのに、本格的留学に変更になっちゃった(涙
386 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 18:44:26
悲劇のお姫様
::: ,.- .., :
. : ,゙ ゙ ' ‐ ‐ ‐/⌒ヽ' ' ゙ ', ..:::..
. ∧ : .! ,.γ⌒ヽ ; ::
< '7 ,'゙ ゙'‐-ヘ, ノ.,⌒)
レt-! . ,' '''''' '''''' ~ ^ヾ_ノ
!‐‐┼- (●), 、(●)、 ;
!‐┼- ,,ノ(、_, )ヽ、,, ー┼-
!.‐十 `-=ニ=-´ ‐┼-
,.!- ヽ、 `ニニ´ ゙メ、
',.と ゙ ッ‐,-.,.,.,.,.,.,.,n‐ッ, ‐ ' ゙
. ` !、 ./ ゙' -∠ィ^'゙ ゙ヽ、
`.7 .,‐^- 、 ゙ヽ、 i
387 :
日本@名無史さん:2005/04/23(土) 21:26:27
age
388 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:18:26
お姫様は愛子様
信長の叔母、おつやの方。
「我れ女の弱さの為にかくなりし」って、あんたよくやったよとねぎらってやりたい。
390 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 03:44:48
お姫様は眞子タン
391 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 22:26:13
お姫様は佳子タン
392 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 02:58:54
くだらん
お前がな
売り奈良
395 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:14:17
ほほう
396 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 02:18:09
かぐや姫
397 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 03:34:54
安珍清姫伝説
398 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 03:46:55
清姫伝説は悲惨ですな
399 :
日本@名無史さん:2005/06/24(金) 02:15:55
どういう話?
400 :
日本@名無史さん:2005/06/24(金) 02:19:40
401 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 05:08:59
眞子ちゃんに婿入りしてみようかな
402 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 18:41:17
一条直子姫は?
裏切って殺された姫や、男騙して死ぬことになった姫の名前教えてください
404 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 10:46:07
野村サッチーって福島のお姫様なんでしょ(本人曰く)?
405 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 23:33:30
252
犯人の妄想だ。女がレイプでイクはずがない。
レイプ常習犯のあれが小さいか 普段モテないからだ。
406 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 04:39:30
和宮
407 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 04:57:50
川上慶子姫より悲惨な姫はあるまい
408 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 11:18:10
伏見誓寛(和子)。
曽祖父に徳川慶喜、貞愛親王、鍋島直大をもつが誕生翌年に母を亡くしその四年後父が戦死。その後14歳で出家。
409 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 15:52:22
・黄梅院(名前不詳):信玄が駿河を攻めたばっかりに舅の氏康の怒りを買い追い出される。
泣く泣く愛する夫や4人の子供とも生き別れその後病没
・三条夫人(名前不詳):信玄が倅を信じられなかったばっかりに息子は幽閉され死亡
娘も婚家から戻され病没、自分も愁いの中永眠。死後数百年経った今では、
心無い?作家や歴史家のおかげで史実とは正反対のプライドが高い嫌な女というイメージが
出来上がってしまっっている
・信松院(武田松):信玄がまだ幼いから可哀相だと親ばかぶりを発揮してなかなか輿入れさせず
しまいには信長と完全対立の最中急死したばっかりに信忠との婚約があやふやに。
数年後婚約者の手により実家が滅亡するというオチ付き
後、信忠からの意向もあり?彼の許に行こうとするが、信忠も二条城で自刃。
半年後、出家。
でも、3人ともなんだかんだ言っても相手に大事にされていたから悲劇になるかは微妙…
410 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 19:01:13
松姫は異議あり!
結果からみれば信忠とのことは悲劇かもしれないけど
大名の姫という身分なのに、対織田以外では外交政略に使われていないし
一門や家臣の家に無理やり嫁がされることもなかったし、信忠が死後も
名家の女が大好きな秀吉や武田家大好きな家康の餌食になることもなく
一生を終えているから、この時代の姫の中ではむしろ幸せだと思うよ。
411 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 19:18:36
信忠=松村雄基
松姫=鈴木保奈美
菊姫=伊藤かずえ
憶えてる人、いる?
何だか、すっかり概出の「知ってて当たり前じゃん」的なレスを
ほうぼうで見かけるのは夏休みのせいかな・・・
>410
そう、松姫は自我を貫いて生きた。ある意味不幸では無かったと思うよ。
誰かに隷属する妻という立場を拒否し、新天地で信仰と自活の道を
進んで得ようとした。
愛憎苦から逃れて、静まった心境で穏やかな後半生だったと思う。
松姫=悲劇、貞節を貫き・・・・の通り文句はもう飽きた。
413 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 19:31:47
>三条夫人
禿同
都の高貴な姫なのに、夫の側室達の面倒見も良かった人なのに、ナンノ売りでの大河の陰謀だ
414 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 20:03:38
>>411 ノシ。来月CSで再放送するってよ。
>>412 最初の2行は余計。知らない人がいるのもまた当たり前。
引きこもってばかりいないで、たまには外の人間とも交われw
>>411 三国、日本史板、時代劇板、普通に語られてるよ。
時代劇板には専用スレもあります、そちらへもドーゾ。
>>413 女性戦国史みたいな読み物では、もうマトモに修正されているじゃん、
実像は悪役ではありません!三条夫人・・・ってさ。。
ヤフの歴史トピで必死に擁護もされてる。
>>415 レスを入れるのは日本語が理解できるようになってからにしようね
於松の話が出てくると、いつもなんでこうなるのっ?
「三条夫人真実のお人柄」って解説案内板が菩提寺に立ってるよね。
すごい、久々にレスが伸びてる!
板地違い話で恐縮だが、ヤフトピや菩提寺の話が出ていたから言わせてくれ
ヤフや濃姫サイトBBSで三条夫人を擁護する人のレスは酷いな
気持ちはわかるが、もう少し文章表現を考えられないのかな…
勝頼までか山梨県民まで非難しているしさ、正直引いた。
菩提寺だって、墓が荒れたのは根本的に住職や檀家の責任なのだから
関係ない山梨県民(と一つに括るのは問題なんだが)にまで責任転化する
なんて筋違い。まっ、判官贔屓もホドホドにって感じだな。
このスレにはそういう人がいなくて良かったよ。
421 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 04:43:24
甲斐国甲府生まれ信濃国高遠育ち。
母親死亡後も高遠城で暮らし、信玄最初で最期の西上の際にも
高遠で合流。父親死後は甲府に移る。
423 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 11:31:59
>>420 そういやいたね、信玄公まつりでも湖衣姫コンテスト何たらとか
勝頼がこれみよがしに諏訪御寮人の17回忌をやったとかほざいている
変な椰子。山梨南部出身の俺としては甲府と一緒にすんなって思ったけどw
そもそも信玄公まつりは、あくまで観光事業みたいなもんだ。
コンテストに関しても、信玄公が大切にされた正室で、
名門三条家の姫でもある彼女を、そんなもんの引き合い材料にするという
失礼極まりないことはできないって意見もあるんだよ、実は。
>>420 最近の戦国女性特集では同情的に書かれてるものが多いのにね。
「新田次郎の小説で悪妻として描かれ、大河ドラマにもなったので
悪女の印象が流布してしまったけれど・・・」と前置きつきで
でも実像は悲劇的な生涯を送った公家の姫君・・・って。
擁護の書き込み、熱心な気持ちからなのだろうけど
最近はちゃんと名誉回復しつつあるのにな、と思うよ。
>>423 コンテストで選ばれるのは湖衣姫(便宜上そう呼ぶ)のみだったんじゃ?
今年は一般公募者が姫役だったから徒歩だったのかな?
水泳のハギトモが扮したときは輿だったね。
425 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 05:14:12
どうも、日本の小説って、
正室=高慢で側室いびりをする女
側室=可憐ではかなげな美女
という設定多くない?まあ、その方が面白いかもしれないけどさ
逆なのは秀吉の北政所と淀殿くらいかな
>>425 >逆なのは秀吉の北政所と淀殿くらいかな
淀君が北政所いびった事あったっけ?あと北政所は可憐な美女ではない。
淀殿が後継者の母として勢力を得たから、
北政所は大阪城から身をひいた経緯はあるのだろうけど
双方の間にいびりやいじめなどという下世話なことはなかろう。
御殿の奥向きなので、侍女たちのいさかいやけん制はあったろうがね。
黒百合話や杯争いは興味本位の稗史としかとれないし、
2人が顔をあわせることなんてそうそう無かったのではないか。
内面にうずまく女の葛藤やドロドロはあったでしょうが。
428 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:32:32
夫より、年齢や家柄が上の妻も悪く書かれていることが多い気が…
実家の勢力を鼻にかけて婚家を見下す・・・ってのも多いね。
織田の徳姫なんてそういう描き方をされる事が多い。
家と家との結びつきで、格式の違いがわかり易い時代だし
嫁ぐにあたっては実家から家来侍女を引き連れてきてもいるので
ついつい態度がでかくなるのは当然かも。
両家お手切れになったら、実家に戻ることもできたしね。
430 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:54:41
>>429 手切れになったら、ぬっころされる可能性もあるし
「勝手に帰れ」って追い出され、そこらレイプの可能性も
姫のヒーメン
432 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:50:12
しずくの国のミルロ姫
By Hudson
BUGってハニー
435 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:26:55
大河でも出ていたけど大姫。
義高の死を知りあまりの衝撃に病がちになり
精神も病んで正気に戻ることなく20歳で死亡。
彼女の一生は悲劇そのものに思う。
436 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:05:21
>>435 水絶ちして自殺未遂したり、再婚話が出た時に崖から飛び降りてやると
言ったりと、気性は母譲りっぽいよね。
彼女は、政子が直接授乳して育てたらしいので無理もないけど…
437 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:30:07
姫様ってだけで勃つ
438 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 02:47:42
清姫
439 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 17:12:50
お市の方
26で夫の長政が自刃し、
子供の万福丸が殺される。
その後柴田勝家と再婚したが、
6ヵ月後秀吉に敗れ2人で自刃する。
ゆかな姫
441 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 11:22:21
>>9 >8 中宮定子(藤原定子)
>ひたすら悲劇なだけのお姫様ではないけれど、最初は幸せだったのに、
あとから力をつけた道長・詮子方面の人たちに
苛められてしまって出家未遂をして―これ以上は残酷すぎて書けないです。
でも、いくら傷ついたとはいえ出家未遂をしたあたり、誰より彼女が一番墓穴を掘ってしまったのでは…とも思いますね。
そのへんは多少自業自得の部分もあるかな、と。
確かにその通り。平安人にもどこか同情票稼ぎのパフォーマンスくさいと思われただろう。
彰子が中宮になったときも「太皇太后・皇太后・中宮三人とも出家して神事が不可能」
というのが大義名分になったしね。
それにトドメを刺したのが実ちゃん(藤原実資)。日記の中でも
「中宮が宮中に戻ってきた、天下甘心せず」
「出家の分際で孕んだ、世の人に横川の皮聖(要するにエロ尼僧)と言われる」
「実は中宮様は出家しておられない?アホ言うな!」
とけなし放題。
あと定子さん、恨むなら兄貴と弟にしてくださいね。法王闇討ち犯の。
442 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 11:24:27
フローラ姫
443 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 02:10:20
444 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 02:12:51
おじゃデレラ
>>443 三条擁護さんに伝えてくだされ。
円光院もいったし、三条夫人についての本も読んでる。
「三条夫人真実のお人柄」の看板の主旨も理解しているから、
もうそんなに必死にならないでー!!!
と。
446 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 22:33:32
つうか、その人このスレに来ないかな。
三条夫人にかなり詳しそうだから、高尚なお話をしてくれるのだろうな。
誰か誘導ヨロシコ
447 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 22:52:04
戦国時代の姫さまといえば、今で言う極道の妻みたいなもんだぞ。
仁義なき戦い♪の戦国時代、まさにしのぎを削ってタマの取り合い
ならぬクビの取り合いをしてたんだから。
濃尾連合の織田や、甲州会の武田、三矢会の毛利・・・すべて広域指
定暴力団のボスばかり。
「おあん物語」には姫様の仕事も書かれてるぞ。家臣郎党が取ってき
た敵の生首を洗って化粧したり、髪を研いだりするのが戦国の姫様の
作法の基本である。
逆に負ければ、同じ目にあうんだから当時は悲劇だとはいっとれなか
ったのでは?
人殺しなんて、必要に応じていっぱいしましたけど、何か?
阿虎(不識庵)
>>446 とても感情的なお人のようなので痛いぞ。
>>447 おあむは姫というクラスじゃないだろ。
三百石の部将の娘
450 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:48:26
再来年の大河は風林火山に決定したね。
井上靖が原作だけに、三条夫人の扱いは微妙だろうけどw
できれば、今回はきちんと考証して欲しいな。
ヒステリックな三条夫人も、諏訪御寮人との熱愛設定も
いい加減お腹いっぱいで飽きたし。ワンパターン化しちゃってるから
たまには斬新な切り口の信玄と武田家の女性達を見てみたい。
正妻と側室が仲悪い振りをして(本当は仲が良い)信玄を困らせるとか…。
>>450 いいな、それ
紋切り型の悪妻と愛妾、善玉と悪玉、ではつまらんよな
>>450 原作は長いものではないので、読んでみれば。
歴史ロマンだよ。
「父を討った人の囲いものになりたくて、
はるばるやってくるとは、まったく、国は滅びたくないもの」
三条夫人はこんな台詞を言うキャラです。
特にいい人じゃないけどさ、別にいいじゃん。
考証ったってもう発表されて長い時間たってる文芸作品だし
作者が構築して想像した登場人物の性格の何を考証をするの?
あのさ、自分が好きで理解してて愛してるなら
それでいいんじゃない?
>正妻と側室が仲悪い振りをして(本当は仲が良い)信玄を困らせるとか…。
想像したら笑える。
三条夫人は、武田家の奥は彼女のおかげで争いもなく、うまくまとまっていたと
快川も記録に残しているような女性だから、信玄が女に手を出してもまたいつもの病気が
始まったと大きくかまえていたんじゃないかなと…。
なんとなくだけど、俺はお濃さんと三条夫人ってダブルな。
でも、貴一信玄では三条夫人に紺野美紗子を配役した手前、
傲慢言ってもそれは寂しさ哀しさから・・・って理由づけして
悲劇の人にしてくれたじゃん。「先陣」も賜ってたしさwww
あのドラマのせいで・・・って言うけど
「都のお姫様が山深い国にきて、長女・長男を亡くし可哀想に」って
同情的な見方をしてた人もいたんじゃないの?
455 :
450:2005/09/06(火) 01:21:53
>>452 ごもっともです。
原作も読んだことありますよ。本も持ってます。
誤解されているようですが、私はここで言われている擁護の人では
ありませんので、矛盾するようですが原作に出てくるようなキャラの三条夫人でも
かまわないとも思います。その方が原作も引き立つのかもしれません。
でも、おぼろげながら想像できてしまうんですよ。三条夫人の設定が。
実際は脚本次第だと思うのですが、信玄に関するドラマでの彼女って
いつもお決まりパターン。都から山国にやってきて云々。
側室と仲が悪くて、プライドばかり高くて家臣にも嫌がられて等など。
たまには少しぐらい違うキャラがあっていいんじゃないかなと思って
レスしてみただけですから、史実の彼女はこうなんだーと頭ごなしに
力説する気もありません。
ただ、せっかくこの時代にしては珍しく彼女に関する確かな記録が
残っているのですから、たまには少しぐらい実際の彼女像を入れて
あげてもいいような気がします。
>>454 というか、根本的に三条夫人はそういうことを言うようなキャラではなく
おっとりとしたやさしい、春の陽だまりのような人だったそうな(by快川紹喜)
それが、いつしかあのようなキャラに・・・。
それを全国的に広めてしまったのが貴一信玄らしい。
また、貴一信玄の場合、八重のキャラが強烈過ぎた結果
三条夫人への誤解に一役買ってしまった節もあるのではないかなと…。
同情的な見方をする人もいただろうけど、ナンノ人気も相まってか?
諏訪御寮人(=ナンノ)を苛める嫌な人って感じで受取る人の方が
多かったのかもしれない。
>>456 「五十年間法輪を転ず 涅槃菊に先立つ紫・・・」
その法語なら知っている。
しかし、貴人が亡くなったさいの葬送儀式で導師である僧侶が述べる言葉は
個人を敬い偲ぶ意味からも美辞麗句で礼賛される。
そういうことも含んでおくべきだと思う。
南野陽子は棒読み大根だったことしか覚えていない。
ドラマでの設定人格など本気にするものではないし。
三条夫人マンセーではないが、それらを含んで考えてもそこそこ評価に
値する女性だったんではないかな?
彼女が産んだ子供達も、評価は悪くない。
ドラマでの設定も、本気にするものではないのはわかるが、本気にする人が
いるのもまた現実。自分を基準にした見方は如何なもんだろうか?
459 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 03:12:53
大河ドラマを史実だと思い込んでいる人は多いよ。
田舎の年寄りには大河は特別だからね。
田舎の年寄り、時代劇ニワカ、虚構の世界を鵜呑みにする半端な史実厨
NHK大河効果でどどーんと観光誘致するんんだろうから、
湖衣姫行列は由布姫行列に変更かwwww
信玄公祭り関係者、どうする?
462 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:00:08
三戦板にあったおもしろ情報。真偽は不明
その行列自体自粛傾向になるかもしれないっていう噂が有るよ。
最近は三条夫人も史実考証が進みかなり名誉も回復してきたし
長野県人の諏訪御寮人を変に持ち上げてきた風潮に、口にこそ出さないけど
心の中ではかなり抵抗を感じている人が、甲府は勿論だけど県内にも
かなりいるみたいだから、多分、信玄公祭りでの諏訪御寮人の扱いも
小さくなっていくかも…。
(でも、甲州商人魂はしたたかだし、変に割り切り上手だからな〜w)
ちなみ:今年の信玄公祭りでも、湖衣姫というのは小説で創作された名で
諏訪御寮人としか伝わってなく本名は不明ときちんと説明がなされていた。
竜宝系末裔の宗家当主信邦さんが甲府にいるから、関係者も気を使って
このあたりは変化していくかも…
>>462 はいはい、向こうで読んだよ。
世の中の歴史好きなんて少数派だ。
三条と諏訪氏の扱いについて、長野・山梨両県民がどう思ってるかなんて
・・・関心ないや興味無しがほとんどであろう。
歴史好きだって、感情的に取り沙汰してるのはごく一部だろう。
山梨県民も長野県民も必死だなw
違うよ、自分は三多摩都民。
勝沼町のぶどうの丘のワイン試飲飲みまくりが大好きです。
466 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 01:23:18
つうか、自分の世界にどっぷり浸らせておいてやれよ。
>>457の異議有りレスだけで、このスレ住人の理論でいくと三条夫人についての
史料は信用できないということになるだとさ。
そして、史料や本をきちんと読んだことはあるのか、多方面の角度から
彼女を検証しているのかとお決まりの感情的なご意見。
こんなお子様を叩いても気の毒ってもんだろ。
痛い通り越して肝い人のようなので了解
468 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:08:25
山内豊福と典子姫の娘は両親に自殺されたから悲劇
>>466 >史料は信用できない
そうじゃないだろwww
葬儀のとき故人を送るさいには、浄土に送り込むためにも
その人の事跡や性格を褒め称えて送り出すのが普通なので、
快川が三条を褒め称えているのも、割り引いて考える必要があるってことだよ。
三条についての史料が信用できない、なんて断言して無いだろ。
470 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 12:58:58
>>458 彼女のご子息が信玄殿と激しく対立したあげくお亡くなりになったおかげで
信玄殿死後、家督の相続でしこりを残し、結果武田は弱体化し、
彼女の娘婿殿その1は、上杉家督争いで勝頼の引っ張りだしに成功。
武田との縁斬りの大義名分を手にいれ、険悪の仲になってくださり、織田家と
縁続きになりたいと、自ら書状をよこされ、その2殿も、勝頼を舐めてかかって
くれていたおかげか長篠ではさっさと兵を引き上げてくださり、討伐時も見事な
時期に寝返ってくださったおかげで、さした苦労や損害も受けず武田家を
滅亡に追いやることができました。
故に、三条の御方には心からとても感謝しております。ハイ。
そんなストレートに言わなくても・・・w
日本で最初の悲劇のお姫様といえば、狭穂姫(佐波遅姫)は古事記では結構有名。兄貴がアホな事を企まなければ彼女は死なずに済んだかもしれない。
473 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 23:44:28
>>472 新宮三万石 水野忠央の妹ってどうだろ。
一人は大奥入りで二人は旗本の妾。
兄の出生のために貢ぎ物。
大河板でも三条夫人好きが活躍中。
しかも、スレまたぎで同じような事を長文してる。
確かに、痛いを通り越して肝く、妄執さえ感じる。
無ちゃんにエサを与えないように。
大奥関連の本読めばスキャンダル人物で登場するよ、家慶侍妾のお琴の方。
自分で検索して調べたら。
屯玖珠
検索したが上手く引っかからなかったので
478 :
日本@名無史さん:2005/10/19(水) 19:15:44
高貴なお生まれだけど最期が悲惨という点では知子女王が悲劇だね
いきなり父親に結婚できるなら今すぐしなさいと言われ結婚した夫は女関係が派手で
極めつけは戦後高齢出産で母子共にあぼーん
479 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 18:29:45
>>478 さらに死んでも子供たちはそれほど悲しまなかったという
母親としてこれほど悲しいことは無い
>>474 確かにいるね、痛すぎる三条厨。
考えが歪んでるので気持ち悪ぅ。
再来年の放送が始まったらもの凄い痛い嵐が・・・。
481 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 19:38:24
いろいろなネット書店の書評でも暴走中。>三条夫人ヲタ
良い本か悪い本かは、三条夫人の扱い方で決まるらしい。
482 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:49:28
うそ?
ヤフや2ちゃんで叩かれてるから、
そっちに進出してんの?
創作と文芸の意味を理解しない最低の馬鹿だな。
じゃあ、馬鹿ヲタにとって最高の本は「円光院三条夫人」か?
なんで、物語の創意というものがわからないんだ?
誇大古代妄想狂の気がありそうだから、医者の行ったほうがいいな。
483 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 01:00:00
まぁ小説をもとにまるで事実のように
戦国女性の特集とかで誰々が悪女だったとか書いてる研究者もどきもいるからなぁ
ヤフーの戦国女性のトピにでてくる三条夫人オタはかなり痛いけどね。
そんなのは研究者じゃなくて、
歴史読本執筆レベルの「歴史作家」だろ?
ヤフーのヲタの書き込み文を読んでると
ほんとに不気味ささえ感じるwww
485 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 03:09:51
悲劇じゃなきゃダメ?
そしたら、上代では十市皇女と大津親王の妻(名前忘れた)かな
平安だと、嵯峨帝の皇太子時代の正妃、高津内親王など。どうも早死にも檀林皇后の背後にいた方々が、絡んでる気がする
486 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 11:28:17
備前常山城主 上野隆徳室 鶴姫
487 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 04:32:19
平安でもう一人、平城帝の皇太子時代の妃、藤原薬子の娘
夫を実の母に取られて、どうしてたんだろう…
488 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 19:13:27
高津内親王の息子は池沼だったらしい。
489 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 04:44:56
どんなふうに?
490 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 05:29:56
松浦(まつら)なんとか
華族の出だけど家賃3万のボロアパートで餓死
事実は小説より奇なり
491 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 10:50:34
>>490 松浦ゆきこ? だったっけ?
子爵家の令嬢だったと記憶。
父が上級子爵、母が上級侯爵だったんじゃね?
香淳皇后の次兄だかに嫁ぐんだが(当時の次兄は珍しいバツイチだった)
次兄が入浴中に心臓麻痺でアボ~ン
懐妊していなかったので宮家から籍を抜かれる。
満鉄の株券を持たされてたんだが敗戦で紙屑。
クニ宮系の人の紹介でした再婚相手だが、
華族のお姫様ってだけで愛なんか無しのロクデナシだったとか。
結局は離婚したのかな?
病人の付添婦とかして生計をたてたりしてた。
(それでも学習院の同窓会には粗衣で出席)
晩年は学会員だったようだ。
葬儀も学会が仕切ったそうで、質素な式に学習院時代の友人も驚いたとか。
学会葬じゃ成仏もできてなさそう☆
492 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 18:57:19
高津内親王は異母兄弟婚だから池沼が生まれても仕方がない。
493 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 11:26:39
>>492 皇族そのものが近親婚で続いてるからね。
天皇、東宮が叔母・姪と結婚なんてのが当然のように続いていた。
従姉妹、又従姉妹なんてのもあったしね。
494 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:18:11
>>845 高津内親王は50歳台で死んだから早死にとはいえないのでは?
496 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:53:49
845
ではないですが、高津内親王の長生き説にびっくりです
本来誰よりも、立后するに相応しい女性だし、罪人の血を引く、橘家の妃よりは格が上なはずだし
てっきり、早逝したものと思ってました
檀林皇后は、嵯峨帝と同い年くらいだから、内親王は年下だと記憶
この時代、藤原家の内部紛争で、誰もが関わって、不幸な結末を迎えた方が
多いから、てっきり内親王も、不幸な最後かと思ってました。スイマセン
497 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:58:02
>>491 上級子爵とか上級侯爵という位はありません。
なにか悪い本で得た知識でしょうか。
498 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 09:33:02
>>496 まあ后を廃されたということだから
幸福ではなかったような。
杉本苑子の「壇林皇后私譜」に憧れて
嵯峨野の壇林寺に行ってしまったが、間抜けなことであった。
お守り購入押し付けを断固拒否したのがせめてもの救いだな。
500 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 10:08:16
↑オイラも仕方ないから、お札だけ購入した苦い思い出アル
501 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 05:04:56
時代劇板のテレ朝風林火山スレにも、痛い三条厨が出没。
三条厨というか諏訪氏敵視厨かw
503 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 22:55:02
age
三条ネタはもういい。いちいち嬉しそうに報告に来るのも痛い
ところで定子厨ウザ
最近厨とその厨アンチの叩き合いで当のお姫様の話題じたいが嫌になってくるケースが多い
来年正月の風林火山、大河の功名が辻、再来年大河の風林火山
痛い大嵐が吹き荒れるのだろうな・・・。
506 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 02:00:48
諏訪御寮人は信濃の名族・諏訪頼重の娘。諏訪氏は一時には勢力を諏訪だけでなく
佐久、伊那郡にも拡大した。信玄は諏訪氏をだまし討ちで滅ぼした。
諏訪氏は美男・美女が多かったらしい
507 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 02:28:43
>>506 諏訪頼重は幽閉の後に自刃だよ
信玄は自刃の話を聞いてかなり驚いたらしいから騙し討ちとはまた違うと思う
508 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 02:50:33
宮筋の姫君なんぞ、平安の昔から悲惨なものだったらしいよ
何しろ財力がないからね。
臣籍に下った宮家なら、まだ後ろ盾を作ったりして生きていけるアテもあるが
そうでない無品親王の姫君なんぞ、親が死ねば金もないしどうにもならないからね
その血筋を当て込んだ身分の低い男に無理やり妻にされたり、尼さんになったりするしかなかったそうだ
家系図とか見ると内親王って尼さんばかりだもんね
内親王?女王じゃなくて?
506なんて適当なうえに今さらなレス
津軽家の満天姫(家康養女・前夫は福島正之)と辰子(石田三成娘)・・・
二人とも波乱万丈を絵に描いたような人生だな。
辰子は波瀾万丈で日陰の身ではあったけれど
この時代、敗者の子供は殺されるのが普通だったことを考えると
比較的幸せな人生だったかも知れない。
満天姫は伯父さん(=家康)に振り回された生涯でしたね・・・
辰子の子は津軽の家の後継者となったわけだ。
515 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 12:31:31
足利於莵丸次女恒子は於莵丸がまだ生きているのになぜ平民の養女になったのだろうか。
516 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 12:34:48
↑愛だよ。
>>514 満天姫が確か自分の子供として守ったんだよね。
系図に生母は、満天姫となってたから。
息子も息子でこの母親を生涯、大切にしたみたいだし。
518 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 17:16:42
晋の趙盾の「君姫氏無かりせば則ち臣は狄人なり」に似たような話だな。
519 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 21:53:43
>>508 身分の低い男相手でも結婚できればいいんじゃね。
皇族というステータスがあるから、男は選び放題。
身分の低い男、といっても、諸大夫品ではないか。最悪でも侍品。
足利義輝・義昭の母の慶寿院
関白の娘として生まれながら最期は息子に殉じて炎の中で死んだ
足利市内の和菓子店の銘菓、古印最中は美味しいよ。
ただ商品名の由来が後北条の虎朱印からなんだよね。
足利市でさえ蔭の薄い・・・カワイソスな足利氏・・・
522 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 23:17:43
age
523 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 01:46:57
今週末、板東の地から姫路城見学に行くんだよん。
千姫についての情報はたくさんあるから
それより督姫のことを知りたいのだけれど、
毒饅頭事件なんてオカシナ逸話が流布してるくらいだし
圧倒的な千姫人気でもあるし、
地元にいっても督姫についての詳細とかあまり伝わってないんだろうね。
524 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 02:45:27
伝わっているいない以前に姫路って督姫の地元なのかな〜と思う。
確かに現存の姫路城をあのようのしたのは旦那の輝政だから
何かしら話があってもおかしくないけど
輝政死後、池田家は岡山が本拠地になった関係から彼女も岡山へ
移動だから千姫関係なく姫路での影は薄くて当然だと思うよ。
督姫に関しての史料は小田原市や岡山市(ここは池田文庫もあるし)に
行けば確実にいろいろあると思うけど?
勿論鳥取にもあるだろうし、北条家(主に氏直)や池田家(主に輝政)関係の本にも
出てくるし、関八州古戦録の小田原城攻めの部分にも出てくるよ。
>>523 毒饅頭事件の逸話は確かにおかしな捏造話なんだが
こういう話が生まれてしまうぐらいに先妻中川娘との子である
利隆との仲はあまり良好ではなかったともいわれている。
しかし、利隆との仲は兎も角も、輝政死後池田の所領を減らされないように
するためなのか、はたまた息子かわいさのあまりなのか両方なのか
家康に懇願してしっかり各息子にそれなりの所領を与えてもらい
池田家の所領も減らずに済んだのだからそれなりに賢い女性だったと思われ
家康が娘の中でも特に可愛がったというのはこのあたりも関係しているのだろう
そして、氏直との件は可哀相に思うが、再婚先の輝政や姑、さらに大姑にも大事にされ
多くの子供にも恵まれたのだからかなり幸せな女性だったと思う。
525さんの下2行に同感。
三成が各武将達に妻女を人質として差し出せと命令した時も
輝政をはじめ池田家は督姫を隠したりしながら必死に守ったという話も
残っているよね。実際のところは不明だけど…。
父親に所領の件を懇願した理由が池田家所領減封阻止のためなら
もしかしたらこの時の恩もあるのかもしれないね。
やったー、久々にスレが続いて良かった。
督姫もそうだけど、
徳川家の女性には嘘くさい噂話が多いよね。
徳川家の方針からして、身分の高い女性を貶めようとする悪意を感じてしまう…
亀姫は?
そういえば、日光江戸村制作の亀姫ドラマがあったよなー。
主演はあの「姫将軍」の人。
>>423 俺も山梨南部出身なので、勝頼の事績についてはフーンだな
しかし同郷人とこんなところで巡り会うとはw
531 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 21:08:34
>>528 女系を認めるのが怖かったのでは、池田や浅野が毛利の宍戸的立場になるのが。
亀姫のブサな肖像画に萎え
>>420 三条ヲタは個人サイトにまでいっとるから手に負えないべさ
今日、功名が辻で、お市の子どもの一人の万福丸が長政の側室の子どもになっていたけどあれは設定なの?
確かお市の実子だと思ったんだけど。
教えてチャソですまそですが教えてください。
537 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:51:59
>>536 最近万福丸母側室説もあるそうな。
具体的な史料は知らないので詳しい方の補足を待ちたい。
確かお市が浅井に嫁いだ年には諸説があって
その年によって生母が変わってくると思ったけど?
万福丸母側室説って何十年も前からあるような気がス
>>537〜
>>539 教えてくれて、ありがとうございます。
設定かと思ってたんだけどそういう諸説があったんですね。
末の男児(側室の子)は落ちのびて仏門に入ったとは聞いていたけど。
この説が本当なら、お市の末娘の小督が女腹ではないかと言われたのも頷けそう。
543 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 21:49:17
この前大分の杵築城に行ったら、浅井長政の息子で、浅井直政とゆう人の鎧が残っていてびっくりした。
よく覚えてないが、小笠原かどこかの藩士として仕えたらしい。
>>540 その弟こそ実はお市が生母じゃないかという説もあるらしいよ
で、そのお市も生き延びた説があってお市の喉仏を
代々大事に保管している家があるらしい。(ずっと前に本で
読んだから詳しい内容まで覚えていない。ゴメンナサイ)
これが本当だとしたら、お市は世が秀吉の時代になっていくのを
どういう気持ちで見ていたんだろうね…。
>>542〜
>>544 詳細な情報ありがとうございました。
様々な諸説はあるみたいですが幼い子が生きていてくれたことがある意味凄いことだと思います。
信長は身内でも裏切り者は許さない人間だと知ってからそう思うようになりました。
>>544 >>544さんの言う説が本当なら、お市の方が晩年、幸せに暮らしてくれたらと願っています。
秀吉に対して恨みはあったかもしれませんが、孫までは恨みはないと思います。
豊臣家の行く末と娘の淀殿と孫の秀頼を案じていたのではないでしょうか?
ある意味、複雑ですね。
お市にとったら、徳川も豊臣もどちらも身内ですからね。
お濃さんと二人、どこぞの庵の縁側で茶でもすすりながら
権力に溺れて見境を無くしていく秀吉を笑っていたりしてな
案外と茶々が側室になった背景も密かに茶々と連絡を取って
復讐のためにと諭すブラックお市もあり得たかもしれん
お姫さまじゃないけれど、五・一五事件で殺された犬飼毅首相の娘の犬飼道子の
祖母は、松方家と後藤象二郎の子孫で、娘時代は高輪のお屋敷で多くのお女中に
仕えられて過ごしていたけれど、性格破綻者みたいな人に印をあずけたのが原因で
家は破産状態になり、最後は中野区の什器1つない六畳間で死体が発見されたという。
松方コレクションで有名な松方家も、主な財産が満鉄株だったので戦後の没落ぶりは
悲惨だったらしい。
私の彼の家も、地方都市の株屋(証券会社みたいなの)だったで、かなり目利きだったんだ
ろうけど、満鉄の株で大損をし、それに富裕税や財産税がかかり、没落したという。
それでも市街地に大きな旧家があるし、電力会社の配当金で生活できるんだから
金持ちの方。でも、彼は堅実に東京で働いています。
戦国個人サイトで気持ち悪いの見ちゃった。
○○が××だというのは作家の創作であり間違いで、史実では○○です。
・・・とか書きながら、人物紹介に小説の作中名を掲げてるんだよ。
うえっぷ。
まぁ、某吉乃ファンサイトよりはましだよ
あそこの管理人は、吉乃の家系が先祖かなんか知らんけど、頭膿んでるよな
>>550 功名にも(国盗り物語)にも生駒氏は出てこないわけだけど、
そんなことで功名や司馬を叩いてたりする?
○○夫人ヲタが藤原ていの旦那を叩いてるようなことはあるのは?
>>551 国盗り物語の方は、作者が吉乃の事知ってたけど信憑性に薄いっていうので
敢えて出さなかったって言明しているからね。
叩いてたりはしないけど、同人かと思う様な吉乃と信長と帰蝶の話とか平気でアップしてたりはするな。
>>551 その人は武功を信じきっていて疑わない。
どうしても吉乃が信長の最愛の人でないと嫌みたいだよ
比叡山の焼き討ちも吉乃が死んだからで、山崎の合戦も
生駒が明智に着けば光秀は勝てたみたいなことまで平気で
いってのけるような痛いお人。
ヤフーでは信忠のまわりが斎藤縁者や美濃衆でがっちりと固められ
生駒関係者はいたの?状態だったのを知ってか知らずか
美濃攻略中の信長にとって濃姫は不要な存在になったから返したとまで
思い込んでいたご様子です。
生駒氏の名を「吉乃」と記してある某古文書
(真贋の評価を全く受けていない)を、さも信憑性のある資料として
それを根拠にしてWikiに書き込んでる目出度い人もいるもんな。
555 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 14:24:53
>>553 >信忠のまわりが斎藤縁者や美濃衆でがっちりと固められ
>生駒関係者はいたの?状態だった
これで考えると、おねみたいに目立たなかっただけでお濃は
生きていたっぽい感じがするんだよな。
仮に早死説を取ったとしても、死後も養子信忠の周りが斎藤や
美濃関係者ってことは、信長は死んでなおもあくまで正室はお濃という
ポリシーを曲げることはなかったんだろ。
お濃の弟といわれる新五も信忠付きだったし、新五の息子も信長の乳兄弟だった
池田に厚遇で召抱えられて末裔が今に至っているから、愛し合っていたどうのと
いう部分は兎も角も、お濃の存在意義は信長の中では大きかったと思うな。
池田といえば恒興の長男之助の最初の奥さんは信長の養女だけど、
この養女って道三の娘だか孫にあたる伊勢家の姫にあたる人で
信長はこの姫を凄く可愛がっていたって話もあるよね。
後年、義昭に嫁いだ信長秘蔵の姫が彼女ではないかって説も
あるらしいけど、詳しい人がいたら解説お願いします。
557 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 18:10:34
そんなことより勝長の生母はお濃説(つまり勝長こそ真の嫡男)に
ついて真面目に語って考証してホスイ
>>556 由孝の父由成の墓誌には、「・・・祖妣斎藤山城守女先考諱由之号出羽守・・・」
とあって、由孝の曾祖母は斎藤道三の娘であると書いています。
ただ、「寛政重修諸家譜」には池田由之の母は伊勢兵庫頭某女とあり、
倉敷市にも「池田元助の室は伊勢兵庫頭貞良の女、斎藤山城守竜興の外孫女
由之を生み卒す。一説に斎藤義興の女とするは誤なり」とあります。
これについては一応次のような関係になるのかと理解しています。
斎藤道三というと日本歴史上でも有名人ですが、その子女になるともう名前すら
判らないのです。
斎藤道三┬義龍
├濃
└女
||─由之─由成┬由孝…
|| └熊子(大石内蔵助の母)
池田恒興┬元助(之助)
└輝政
http://www.kct.ne.jp/~kshimizu/saito.htm
>>557 えぇぇぇぇ、そんな説があるの?
確かに勝長の生母は不明だけど。
でも、そうなら、真の嫡男であっても幼少時に武田に無理矢理人質にされたんで
信忠を廃嫡して嫡男にしなかったって言うのも説明がつく
おいおい、真の嫡男を岩村城になどやらないだろー。
561 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 00:51:03
>>560 それはどうだろうか?勝長の生年にもよるだろうが
勝長が生まれた頃は奇妙が嫡男として内外に認知されて
いただろうから、変なお家騒動を起こさないためと
奇妙に万が一のことがあった時のスペア確保という意味では
むしろ離していた方が得策とも取れると思うが・・・。
あと、信長は勝長を養子に出す事も最初は断固断り続けていたと
いう話もある。ただ叔母であるおつやのたっての頼みだったことや
どっちつかずが許されていた東濃を自分の手中に丸く収めておくためにも
信長は断りきれずに渋々承諾したらしい。
結果、勝長は信玄に渡されてしまうのだが、それを知った信長は
顔色を真っ赤に変えての半端でない逆上だったという逸話も残っている。
この逸話が本当だとしたら周囲の人間ですらわかるぐらい顔色を
変える程の逆上なのだから、勝長は養子に出してもかまわないレベルの
息子では無かったとも考えられないかなと。
>>561 遠山景任に嫁いだ信長叔母の名は実際のところ不詳のはずだ。
>信長は勝長を養子に出す事も最初は断固断り続けていたという話〜
〜叔母であるおつやのたっての頼みだった・・・
ここの辺りの話は何に残っていて誰の著書に記載してある話なのか?
おつやって便宜上使っているだけじゃないの?
戦国女性の本でも彼女はおつやの方って書かれている
ものが多いよ。そのくらいは察してあげれば?
561ではないですが、信長が断り続けていたとか叔母のたっての頼み話は
確か岩村城址周辺(岐阜東部)に残る逸話・伝承の類だったと思います。
私は違う調べものでたまたま覗いたサイト(たまたまなので覚えてません。
すみません)で似たような内容を読んだことがあるのですが
そこでは地元ではこういう逸話も残っているで結んでありましたよ。
多分、岐阜県史関係の本や地元の歴史家さんが書いた本とかには
逸話・伝承として似たような話が書いてあるかもしれないです。
>>561 もし、実際に信長がそこまで怒り狂ったのだとしたら、織田掃部が北畠粛清の
どさくさに紛れて理由不明で殺された(自刃させられた?)事と何か関係ありそうですね。
彼は岩村城開城の時に間に入って交渉にあたったと言われていますから
もしかしたら、この時の恨みを晴らすためにしたのかなと思いました。
佐久間・林・安藤の追放でもわかるとおり、信長は根に持つタイプっぽいですし。
>>563 言い方がきつかったのかもしれないが、自分も歴読や歴旅の戦国女性特集や
戦国女性史の本を何冊か持っているけれど、
・「おつや」「おなお」等の呼称が地元で伝承されているようだけれど
実名は不詳。よって文中では遠山御前や遠山夫人と記す。
みたいな文章がほとんどだったと記憶している。
便宜上ならむしろ、遠山夫人のほうが通じやすいと思っているので。
近江國輿地志には、成菩提院に信長が御台と宿泊して
その夜、御台は無事にご平産された(=安産だった)という
謎の記述についてはどうよ?
567 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 03:21:07
・・・・・・・・・オマイラ、がんばって歴史を覆せ・・・・・・
>>566 もしこの御台が濃姫と断定されれば、勝長でないにしても
信長との間に子供がいたことになるのは、ほぼ間違いないと思う。
ただ、その年代がまだ確定されていないから何ともだけど
前後の状況推測から永禄11年頃みたいで、話の流れに沿って勝長を
当てはめてみると、通説享年(15・6歳)から逆算してみると
生年がほぼ合うから、この時に生まれたのは勝長の可能性はかなり
高くなると思う。そして確かに間違いなく嫡子ってことにもなるよね。
もし、仮に本当に彼が嫡子だったとしたら、やっとこさ生まれた濃姫との
子供でしかも息子だもん。そりゃ、信長が顔色変えて激高するのも
無理は無いよ。遠山夫人を残酷にも逆さ磔にしたのも頷けてしまうかも。
信忠が信長の御台に書状を送ってるのって、信忠が岩村城を攻めてたころじゃなかったかな?
もし勝長が濃姫の実子だとしたら、その関係で書状を送ったとか?
だからこそ、「書状を送った」なんて事わざわざ文献に残してるとか?
570 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 19:36:59
>>557 ソース厨では無いけれど、濃姫の謎がますます複雑になるばかりなので
誰がその説を語っているのか、説明に使用された文献等はあるのか、
マジに教えて欲しいです。
井上 力さんが著書「もう一つの戦国時代」の中でそのことを
文献を用いて書いていましたよ。
使用文献は信長公記や近江國輿地志、信長記等です。
井上力・・・
「秀忠の父は酒井忠次」とか言ってた人。
津田(織田)源三郎勝長の別名は織田信房
織田に戻ってきて元服した時にもらった名前らしいのだが
この房という字は総にもなるそうだ(by広辞苑)
そして女房という言葉でもわかるとおり、常に傍らにいる人とか
置く人という意味を持ち、總とも書く。
こじつけだが、房(総)を上総介の総、源三郎の三郎を三郎信長の
三郎に当てはまるという解釈もできなくはないかなと。
そうなると、信長が生存時に元服した息子達の中で彼だけは
父親の名前を二つも貰ったことになるから、信長公記中にある
返還時の信長の彼に対する厚遇ぶりやかわいがりぶりを加味して
考えると、人質生活への労いもあるだろうが、子煩悩とはいえ
信長にしては少し異常さも感じるね。
(特に織田の膝元でもある尾張犬山に城を即与えたこと)
牛一も嫡男信忠でさえ、さしてあまり書いていないのに勝長の部分は
詳細に書き残しているのも引っかかるなと。書いた当時は高齢だったはず
なのだが、詳細に覚えているということはそれだけ安土での親子対面や
信長の行動が印象深かったのだろうとも考えられる。
そこまで信長が喜び、また厚遇し、戻ってきたばかりにも関わらず
尾張に城を与えることや信忠の与力に付けることを重臣達も意見した
節がないということは、少なからず信雄以上信忠以下もしくは信忠と同等の
立場だったのだろうから、母親も最低限お鍋以上の権限を持っていたような
女性、すなわち御台ということになるだろう?
お鍋といえば、他板のスレに書いてあったことですが
信長元服時におとなを務め、徳川時代は酒井家の家老を
務めた家では「濃姫の本名はお鍋」という話が頑なに信じられ
語り継がれているって末裔さんのブログに書いてあるそうですよ。
元服時におとなを務めたような家なら、もちろん濃姫の顔を
知っているでしょうから、側室のお鍋と混合するなんてことは
まずないと思うので、興味深い話な反面謎は深まるばかりです。
>>573 犬山城を与えたのは俺も疑問に思ってたよ。
息子でも幼少の時に養子に出しほとんど面識もなく
宿敵武田経由で戻ってきたばかりの人間なら安土城下で
しばらくは監視するのが普通だろ。
まっ、武田討伐に従軍させて試した感はあるけどな。
576 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 07:37:36
尾張に城を持たせ、与力として信忠に付け、姓も津田と織田。
元服も牛一が書き残すほどに盛大だったようだ。
これだけでも信雄や信孝以上だったのは容易に推測できる。
武田に長く置かれていた背景もあることだし、下女やそこらの女に
産ませた息子ならここまでの扱いをするとは思えんな。
にしても、勝長の母親だけはなぜ埃すら出て来ないかな〜
>574
まぁ、当時の女性の本名が伝わる方が不思議なんで、今じゃ吉乃で通ってる信忠、信雄、五徳の母親だって、
前野家には「類」ってのが伝わってるし、本名らしいからなぁ。
濃姫の本名が「鍋」でも驚きはしないよ。
別に、側室の「お鍋の方」とたまたま同じ名前だってあり得るだろうしね。
信長は実際に「お濃」と呼んでたらしいし、混同したりはしなかっただろうし。
ただ、濃姫とか帰蝶とかって方が華やかではあるよね。
松竹梅や千代、亀、鶴等の目出度い名なら頻繁に命名されるが。
「鍋」は確かに煮炊きに必要で、
煮炊き=食べること=生命に関わる大事で、その理由から命名はあるけど
鍋という女性名称は他に見聞したことがない。
だいたい、高畠(畑とも)氏の名は「お鍋」といっても
それは信長の側にあがってからの呼称であって幼児からの名ではない。
信長独特のユーモアから(鍋は大事)、信高の小洞、信吉の小杓と同様に
つけられたようなもの。
鍋という名の妻妾がたまたま織田家に二人いたというのも苦しい。
高畠氏には信長側室となって産んだ子もはっきりしているし
自筆書状も残り、位牌・法名も残っている。
本能寺後は大阪城内にいたとか、晩年は淀殿からの少ない扶持で
寂しく暮らしたというような話もあるけれど
比較的晩年のはっきりした数少ない女性だね。
>>577 その「類」という名も吉乃同様に武功夜話からじゃないの。
>578
武功夜話には類という名は出てこないよ。
吉乃って名前が出た時、前野家じゃ類しか伝わってなかったから、
なんでそんな知らない名前が出てきたんだって事になったくらいだし。
581 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:27:49
当時は本名+方をつけて呼ぶことはまずなく、その人に縁がある
場所・物・実家の名称等+方で呼ぶことが普通で、信長もお鍋のことは
お鍋ではなく小倉と呼んでいたらしい。
だから、おとなをつとめたような家に伝わるようにお濃の本名がお鍋だと
すると、崇福寺にあるお鍋の方直筆といわれる書状も実はお濃が書いた
ものかもしれん。同じ岐阜市内にはお濃の遺髪を埋葬したといわれる墓も
現存しているからね。
583 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:08:06
ほほう、となると大徳寺には濃姫の墓が2つあるわけか。
岡田正人氏に伝えておくよwww
ん? 582はそういう意味じゃなく、「お鍋」のものとして伝わってる小倉の手紙が
実は本名が「お鍋」かもしれない濃姫の手紙の可能性もあるってことで、
お鍋が一人しかいなくて同一人物の墓が二つあるっていう意味じゃないんじゃないの?
他に「お鍋」の直筆の手紙が残っていれば比べる事も出来るんだろうけどね。
花押とかはどうなんだろう?
でも、可能性としては低いと思うんだ。
>>571 この井上という人は民間の研究者で、自費出版?を続けてる人のようですね。
図書館にあるかな・・・・無いだろうなw
>>584 自分の持ってる桑田忠親の著作の中に、おなべの自筆書状が載ってます。
崇福寺あてのその書状は、黒印状とキャプションがついてるのだけれど
白黒の口絵写真なもので印判の内容までは読み取れない・・・。
>>585 うちの地元の場合(神奈川)もう一つの戦国時代(上下巻)
もう一つの桶狭間他もう一つシリーズ(?)(いずれも講談社系列)なら
図書館・市内の大学は勿論、周辺自治体の図書館・大学の図書館にも
常備されてるよ。
587 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:47:17
そもそも信長には小倉と呼ばれていた彼女が
なぜお鍋の方と呼ばれるようになったんだろ?
奇妙、茶筅、五徳、鍋、杓
そういう名づけが好きだったんだよ〜
みんなも知ってるくせにー。
いや、そうじゃなくて、信長は「小倉」と呼んでいたのに、
なんで、後世「お鍋の方」と呼ばれるようになったのかってことでしょ?
信長は御台と側室の事を、それぞれ「お濃」「小倉」と呼んでいた
その二人の本名は、どちらも「鍋」なのか?
それとも、そのおとなをつとめた家に間違った伝承が残っているのか?
後者の可能性の方が高いとは思うけど、当時、成人する時に目上の人から
名前を貰う事って別に珍しくない訳で、信長の元に上がって御台から名前を貰ったとしたら
考えられない事じゃないかなという気もする。
590 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 13:50:19
そうじゃなくて、高畑氏のことを信長自身は【小倉】と呼んでいたのに
なぜ【お鍋】になったのかってことだと思う。
591 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 13:51:00
ごめんダブった
お鍋の方こと小倉の本名も不明であくまで高畠氏女でしかないのに
お鍋の方だから本名もお鍋という見方自体が短絡的すぎだったわけで
一度リセットして考える必要があるのは確か
しかし、歴史学者や研究者はそういうのをなぜか嫌がる傾向に
あるから研究があまり進まないのもまた現実
そんなはずはない、あり得ない、誤って伝わっているだけでしょと
そこで終わらせてしまったら、史学の発展もそこで終わる
593 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:37:47
日本の場合、教授の面子や家の面子も絡むからなw
葵や菊への異常な気遣いもいい加減終わらせて欲しいね
>566
近江國輿地志のその箇所が原文でどんな風に書かれているか分かる?
知ってる人がいるなら、よければ教えてほしい。
一昨日と昨日、近くの公立図書館行ってみたんだけど、置いてなくてさ、
原文読んでどんな感じか知りたいんだ。
>>594 確か概出のもう一つの戦国時代の中に原文まんまが載っていたとオモ
乱暴に聞えるかもしれないけど、マジなレス
濃姫に鍋という名が「あったとしたら」
そんなこととっくに活字になって流布してるだろう。
>>574 「酒井家 濃姫」で検索したら、その末裔かもしれない人のブログが
ほんとにあっさり当たりましたがw
>自分の先祖が○○家で酒井家の三番家老・・・だったらしい。
定かではないが。(←本人さんのつぶやき)
>織田家の家臣でもあったらしい。織田家には○○という家臣がいるそうだから。
適当です。(←本人さんのつぶやき)
濃姫の名のことも>残ってる言葉、という書きこみですね。
でも、比較的「・・・らしい」調のライトな文体で文献等の引きも無いので
574氏の元ネタとは異なるのかも。
で、勝長の話はどうした?
濃の本名よりこっちの方が興味ある。
みんなオレ様推論だからね。
>>582 「小倉」と呼んでいたということも、
小倉氏の後家だから的な認識での呼び方かとも憶測できる。
601 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:03:48
>>598 これだけはガチ
本能寺寸前の息子達の評価
信忠>>>勝長>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>信孝>>>>>信雄
有能な息子が二人とも死んだおかげで織田家はボロボロですがな
↑そういう意味では本能寺の変は完璧なクーデター
>>597 それ、ちょっと見てみたけど
何の確証もなく、家系図や文献調査した結果なわけでもなく
ただの日記のノリで書いてるだけなんじゃ?って感想。
先祖の名字が内藤、織田家には内藤という家臣がいたらしい
きっとそれが先祖なのかも・・・って語りは鵜呑みにはしにくい。
>604
自分も読んだから、どうかなぁと思った口。
ただこの場合気になるのは、おそらく若いであろうブログ主でさえ知っているくらい
「濃姫の本名は鍋」
ってことが伝わってきていたという事だな。
何の関係もない家でそれが伝わっていたとしたら、それはそれで変だと思う。
うちもずっと先祖をたぐると武田に行き着くけど(傍流ね)、そんな家でも
実は……っていう話は伝わってたりするし、先祖の覚え書きみたいな古い文献にも
それが書かれていたりする。
まぁ、今じゃ結構メジャーな説になってる事だけど、その先祖の覚え書きのころは
歴史学なんかがあった時代とは違ってたりするんで、それこそ我が家にとっての「実は……」
だったんだろうと思う事もある。
そういう流れで伝わってきた事なら、結構あり得るのかもね。
606 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 21:17:08
姫スレに怪文書はつきもの
先祖自慢、家柄自慢スレへどうぞ!
なんか急に書き込みが無くなったな。
勝長についての事、もう少し知りたいんだけどな。
急激に何もなくなった。
自作自演・・・?っぽいレスもなきにしもあらずだし。
ほんとに姫スレにありがちな流れかも。
610 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 01:13:43
というか、書き込みがなくなったとか自作自演何たらと
皮肉をいうぐらいなら、自分からも何か話題を振ればいいだけでは?
2ちゃんにへばりついてる人ばかりではないし、反応が鈍くなったり
興味が無いほうに話題が移ったり、スレが下がれば自然と書き込みも
来る人も減るもんだよ。
わざわざアゲて言うwww
そうやっておまいもわざわざ煽るな。
スレが下がれば人が減ると言っているのだから
また来るように上げてくれたと解釈しておけばよろし。
613 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 17:03:13
どの姫スレも殺伐とするのは女の書き込みが多い故?
南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は
昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの朝香の宮と言う奴だ。
南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだね。
そうやって在日である天皇家は、日本の名誉を著しく傷付けるような指導を日本国民に対してして来た訳だ。
そんな天皇制にしがみ付いている奴はバカか狂人かのどっちかだね。
あるリベラルな知識人が二十年ほど前に、先の戦争は国民にも責任があると言ったことをヒントに、
天皇には責任が無いみたいなズレたことを言い出した右翼がいるが、
国民主権国家となってから、その天皇制を廃棄しないでいたことは今度は本当に国民の責任である。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.htm
ここは風俗嬢の不幸な身の上を語るスレですか?
来年は三条夫人オタや正妻ヲタが大挙投入される予定です。
617 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 00:48:10
今日は南房総一泊旅行に出発。
三山進氏の著書を購入して十数年、念願の青岳尼供養塔に参るぞ!
嬉しさのために記念アゲ
三条ヲタがあんまり荒らすようなら通報しろ
>>549 それをわざわざ、ここに書くお前もかなり気持ちわるいがな
うっしっし
そこのサイトに言って恋w
>>619 549なんて大昔のレスに反応するなよw
624 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 13:55:11
俺とお前と大五郎
627 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 19:39:37
来年は諏訪の姫かね。三条の方のが人気か?
釣ろうたって、そうはいかんぜよ
うっしっし
>>629 なんか、アニマル浜口を思い出す
義経の正妻に、悲劇の姫票をイピョウ。
政略結婚(時代的にありがちだけど)だし、旦那には愛妾いるし、良縁だと思った旦那は
追われる身になるし、旦那のせいで実家が取り潰しになるし、都落ちする時にゃ旦那に置いて行かれるし。
最期は娘と旦那と自害。
散々だ。
九郎は愛人沢山いるじゃん
『女好きの旦那』女房ってのは、河越重頼の娘だけじゃないけどね。
後世にほとんど名前(存在)が知られてないのが可哀相。
義経と言えば、静御前
義経と言えば、武蔵坊弁慶
みたいな。
政宗の嫁の愛姫なんかも悲劇だよな
ほぼ豊臣方の人質生活でさ
>>633 でも息子は伊達を嗣いだし
実家も再興してもらったしかなりましな方じゃない?
同じような立場なら武田信玄息女・上杉景勝正室の菊姫の方が悲惨。
自殺説もあるし。
バ景勝が変な扱いしたのかい?
愛姫、先に側室から秀宗が生まれて悔しかっただろうに
636 :
日本@名無史さん:2006/05/22(月) 19:47:07
>>635 猫の家系は宇和島も吉田も結局絶えて
結局、宇和島侯爵家の宗城公も愛姫の子孫だし
>>630 自分も義経正妻に1票かねえ。
最後の数年は二人で苦労したイメージだ。結構好きって人多いよね。
>>634 自殺説はどんな本で読んだりすした?
自殺説って興味深いけど、自分の知ってる限りでは
戦国女性史研究で著名な某氏が郷土史家から聞きました・・・で
著書に掲載したのが流布の元のような気がする。
(米沢ではどこまでの周知されてるかは不明だけど)
誰か他の歴史家がそれを研究したことも聞かないし、
以降はその記述を(論証もしない)作家達が写してるだけのような気もする。
>>638 つ 『戦国女系譜』楠戸義昭
この本には上杉家の家譜か何かに載っていたと言うことで紹介していたかと
640 :
638:2006/05/25(木) 12:40:21
>>639 「戦国女系譜」なら自分も読んでる。
地元の研究者がそういう論を唱えてる・・・認識でいるけどね。
景勝の側室・四辻氏の懐妊に嫉妬と憤りで自害・・・って
如何にも劇的で変に物語めいた話というのが感想。
あくまでも私感だけど、後継ぎ大事なことは充分承知の戦国武家の女が
40才過ぎて側室の懐妊に嫉妬で(嫉妬感はあっただろうけど)抗議の自害って、
今さら「ふーん」な感はある・・・。
ふ〜ん
酒人内親王
自分の母親と弟を殺した首謀者かもしれん男が後の夫・桓武天皇。
内親王でありながら皇后になれず。
一人娘・朝原内親王も薄幸の女性。ちなみに酒人内親王はこの娘に先立たれている。
643 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:21:53
太田皇女
自分が早死にしたために息子を妹に殺された
早死にしていなかったら皇后になり息子が天皇になっていた
644 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:14:15
age
645 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:45:26
愛内里菜
646 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:37:25
>>643 妹は持統天皇、息子は大津皇子ですね。彼女が早死にしなければ確実に歴史が変わっていたでしょう。
647 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:56:20
沖田総司
若く美しいまま病を得て亡くなった新撰組の姫君
山南敬助
ほっそりとはかなげな容姿。ドカタ王子と心がすれ違い、自ら命を絶った新撰組の姫君
ヒラメガオの沖田ソウシ
姫云々以前に男じゃねえか
650 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:35:47
やっぱり大姫だろう
お小姫も捨てがたい
源頼朝の長女、大姫。
7歳の時に許嫁を実父に殺されたショックで伏せりがちになり
その後何回か来た縁談もキッパリ固辞し続け
19歳の若さで病死。
(つд`゚)゚。
あ、スマソ。すぐ上で出てたorz
654 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 08:55:15
↑
アホ
656 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 00:15:00
うわお
657 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 01:51:32
南部に嫁いだ蒲生氏の姫の墓からは無数のムカデが湧き出てきたそうな。
658 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 23:31:48
いつの話?
659 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 00:18:26
鬼と化した祐姫さん
>634
wiki読むとめためた大事にされてる気ガス
661 :
日本@名無史さん:2006/10/03(火) 20:31:22
豊臣秀次の遺児、お菊姫もかなり悲劇的な生涯ですね。
奇跡的に助けられたのに、夫の為に密偵になり男装までして
頑張ったのに大阪城落城後は捉えられて打ち首。
二十歳の花の盛りだったのに(涙)。
>>661 小説だかドラマだか知らないけど、フィクションを史実に持ち込むのはやめなよ
663 :
日本@名無史さん:2006/10/03(火) 20:58:15
>>663 そういう地域の伝説を持ち出すとキリが無いよ。
ただの塚が著名人の墓になってまことしやかな伝説が・・・なんて
日本中にゴロゴロしてる。
有名な人の伝説しか信じられないなんて可哀想な人ですね。
菊姫の事は彼女の夫、山口兵内の名で検索すると複数出てきますよ。
少なくとも真間の手古奈よりは実在が立証されている人物だと思いますが。
ちなみに秀次の遺児の中には真田幸村の側室になった姫も
いらっしゃいますよ(これも真田幸村 秀次でググると複数出て参ります)
真間の手古奈は万葉集よりさらに昔の伝承じゃん。
時代が違いすぎて例に出すのもおかし杉
真田幸村の側室で秀次の娘
なほ(御田姫)、幸信を産んだ姫だろ。
これは伝説なんかじゃないだろーがw
人名辞典にも載ってる姫だしな。
て言うか何故菊姫の事をそんなに「伝説」と言い切る?
そんな事いったらこのスレの中にだって
「伝説」だけの姫も沢山いるでしょうに。
目の敵にする理由が判りません。
伝説だったら伝説でいいけど伝説と断ること。
>>662にも「確かに伝説ですけどね」と答えておけばよかった。
それをさもしらじらしくソースぶって「つ」で出すから
わかってない子だと思われる。
それをさらに開き直るから目の敵にされるのです。
なんかきつい書き方になったから書き直すけど、
「・・・伝説」ってスレだから伝説は伝説でいいのよ。
ただ、
>>661は伝説のつもりか史実のつもりか曖昧な書き方で、
そこを
>>662が「史実じゃない」とつっこんだんだから
「最初から伝説のつもりでしたが曖昧でしたね」と
かわしとけば目の敵にはされずに済んだということ。
真田幸村や秀頼の墓が九州にあるし
>>382 めっちゃ遅レスだけど、桑姫は大友義統の次女といわれてるような
それで大友家滅亡で身を隠したと
673 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 19:51:08
2005/05/27 18:15:14話の脚色が強い。(p2048-ip01sizuokaden.shizuoka.ocn.ne.jp)
...昔の方が史実に忠実、と思われがちですが、三条夫人の悪妻化はかなりひどい。彼女の墓所のある円光院から抗議が来たくらいですから。
このIPのおばはん、色んなところに出張してたようなきがする
674 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:15:55
いち小説の性格設定ごときで大騒ぎするなよ、三条ヲタ。
あれはただの小説なんだよ、いい加減それくらい理解しろよな。
三条ヲタの中には、正統武田家のご子孫に近い人々もいらっしゃる。
>>675 正統武田家ってなんだ?
逸見・秋山・加々見・三枝あたりのことか?
三枝嫡流は滅びてるやん
>>675 彼らの場合三條ヲタとはまた違うだろうて。
まだこの話題に粘着している時点でヲタもヲタ叩きも同レベルにしか思えん。
>>677 お聖様竜宝の流れ、高家武田の末ご子孫のひとたちだろ。
新田原作大河放送時にも色々意見をしていたという。
681 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 11:07:28
宗家という言葉も知らんのかw
養子が入っとるクセに
683 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 13:03:55
これはこれは逸見様
わざわざおいで頂きまして恐縮でございます。
いつもの逸見《今井》氏の末裔の方でしゅか
養子や不明な子供ぐらい、天皇家や徳川源氏もやってることですよ
それがどしたん?逸見さん
687 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 16:50:59
遅レスだが愛親覚羅慧生さん(遺簡集では新でなく親)は心中相手と
相思相愛で、学習院寮長宛には覚悟の遺書も送付している
その遺書は、無理心中や誘拐と思い込みたい母浩さんらにより闇に葬られた
遺簡集「われ御身を愛す」は鏡浦書房から出ておりベストセラーとなったが
今では既に絶版(
>>263が読んだのは多分これだろう)
以降慧生さんの身内によるでっちあげの誘拐ストーカー説が広く流布
なお、遺簡集の熱烈なラブレターの一部はネットで拾うことができる
688 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 16:54:45
伊予の鶴姫様は残念だった・・・長生きして瀬戸内の三島大社で巫女をして欲しかった・・。
鶴姫といえば後藤久美子のドラマ。懐かしー。
竜宝の母である三条夫人が悪女風に描かれてるのがご不満で、
新田次郎に文句言ってたのだよね。
「風林火山」原作でも三条は由布姫にイケズするんだけど、
演じるのが池脇千鶴だから、童顔でイケズはしないかも。
690 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 19:38:34
アンカーぐらいつけろ。
そしてまだ三條ネタを引きずりたいなら別でやれ。
>>690 一部の三条夫人贔屓の、諸板や他媒体での書きようは
たくさんの人が見ているものだし、
もう何年も同じような内容でヒステリックに書き込んでいるから
反感をもつ人が多いのも当然だと思うけど?
なんで三条ネタになると、感情的に敏感になるのかわからん。
戦国の悲劇の姫の一人じゃん。
三条擁護はいつも同じIPの奴だと思うが
693 :
日本@名無史さん:2006/10/12(木) 10:48:55
>>691 そういう意味ではなくスレ違いだと言いたいんじゃないの?
ここは様々な姫について語るスレで贔屓者をウヲッチしたり
議論し続けるようなスレじゃない。
そういうことはwatch板にスレをたててやればいいことで
三條夫人や武田家に関係することはなにも書いてなくて、あのヲタは
どうのなんていう部分のみの議論は本来史板でやることではないよ。
史板と看板あげてても内容は玉石混交。
マジなレスにもあるけれど、憶測妄想の書き込みも多いよな。
気取ることも無かろう。
個別姫スレが多様にあって、ここは最近過疎っているし。
695 :
日本@名無史さん:2006/10/12(木) 16:52:33
俺も戦国時代に産まれたかったな
蝶よ花よと育てられた姫様を戦に勝ち強姦し性奴隷にするのは日本男児の本懐
日本人の戦争の最大の目的は古来から性奴隷の獲得
697 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 16:04:24
梅宮さま
699 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 16:00:13
横須賀の海の伝説、知ってる人いない? 海を沈めるために、姫様が身投げしたっていう。
700 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 16:02:55
↑
×沈める
○静める
海神を鎮めるため身を投げた女伝説って多いよな。
ヤマトタケルの時代から。
702 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 16:08:41
そうなんだ〜。組曲横須賀っていう曲で歌われてるんだけど、聞くたびに泣いちゃって。
703 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 17:52:41
日本人って他国の皇女や皇后を強姦したり虐殺した事実を無視するよね
悲劇の皇后の原因が日本人にしかない真実が他の国には有るのを理解するべき
日本人がしたのは雅子を強姦して遺体を強姦して四肢を切断して精液で汚したのと同じ
まあ、アメリカだって元いた人々を蹂躙し、奴隷の力を使って今の国の基礎を築いたのに、平気の平左だし
そういうのは、世界中で歴史作りの基本なんでしょう
706 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 15:55:45
淀君---自殺
707 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 04:01:03
あげ
サーヤ→2ちゃんで頻発する容姿叩き
709 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 10:14:13
710 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 10:55:14
>>703 人豚の故事をしらべてから言え
半島・遊牧民系は中華でも扱い悪かったぞな
711 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 11:28:42
まさか朝鮮のあの皇后の事じゃないよな?ww
>>678 三枝守友が名跡をついどるやん
弟が生きて家名を残してるし
713 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:25:34
ベタだけどしいていえば定子かな。。。
つか、閉鎖して四年くらいになるけれど昔定子のサイトがあったよね☆
すごい良いサイトだったからもう一度見たい!無理だけど。泣
どうして閉鎖したんだろう…
714 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:45:01
元紀宮
今上唯一の皇女に生まれながら降嫁先は貧乏キモオタ家柄なし。
窒素の孫や3DKの娘が妃殿下なんて言われて優雅に暮らしてるのに
百均で買い物する元内親王なんて悲劇過ぎる
でも、彼女はこれからコミケに行きまくるからww
716 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 11:19:20
>>714 ご本人もオタじゃなかったっけ?
相手も別に貧乏でもキモでもなかったし。
717 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 22:55:49
足利氏姫なんてどうですか?悲劇というよりは
波乱の人生っぽいですが。
>足利氏姫
名前は「氏」?それとも「氏姫」?
検索すると、うじひめかうじのひめという読みが出てきますね。
何だかよくわからないな・・
gg@tertwetgr
drewwerew
sadasd
wewrer
sdsdfdyu
trereghjuyrty
erwtyilkhuitrer
yhrtyyughertte
721 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 00:15:24
ほー
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
>>722 こんなチャンネルがあったのか。
ぜんぜん知らなかった。
sl:]fgsdf
rewewef
fsdsdsdf
thjt
erert
werwer
ggfgget
uytytiy
725 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 00:00:07
もうすぐ照姫祭りなんてありますが、
「照姫伝説」は明治大正時代の小説由来の創作話ですからねー
726 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 19:44:15
越後松平光長の娘で福井松平光通の正室の国姫
祖母の勝子から世継ぎを産むことを期待される(忠直の血をひく者が越前を継ぐから)が
夫との間には女子二人しか出来ず
挙げ句の果てには夫に隠し子(後の糸魚川松平直堅)がいたことが判明して
祖母が「彼女が産んだ男子を世継ぎにする」起請文をとるまでにいたり
ついには男子を産めないことを理由にして自殺してしまう
隠し子を作ってしまった光通にも問題はあるが男子出産を過度に期待した勝子も悪い
その後光通も自殺し、跡目を直堅か庶弟昌親か庶兄昌勝かで問題が起こる。
結局昌親が継ぐが反対も多かったので昌勝の子綱昌が継ぐが乱心を咎められ除封
昌親が吉品に改名し存続は許されるが領地は半減されてしまう
国姫が男児を産んでいれば直堅を次男扱いにするなどして家督相続は問題も起きず
除封や領地半減などは絶対にあり得なかっただろうな
三条夫人が信玄に愛され子にも恵まれ、美しく温和で
悪妻じゃないことはもう充分にわかっているからさー。
菊の紋やお湯殿の上日記から考え付いた、
職業作家ではない人が趣味で書いたような小説を根拠に
三条夫人は皇女・・・とか言うのは止めてくれ。
それは三条ヲタの新しい戦略。
三条夫人は出自が皇女説もある貴い女性なんですよ、
その真実に迫る小説までちゃんとあるんです!
そういうアピールです。
729 :
日本@名無史さん:2007/06/24(日) 08:34:40
松姫が連れて逃げた3人の姫はどうなったの?
勝頼の姫は高家・宮原家に嫁ぎました。
盛信の姫は出家し八王子の寺で亡くなりました。
小山田の娘は内藤家の側室になり、跡目の生母になりました。
以上
731 :
日本@名無史さん:2007/06/25(月) 21:47:12
>>730 ありがとうございます。
盛信の姫だけ何故…
そのうえ、盛信の姫は二十代で若死にしました。
733 :
日本@名無史さん:2007/06/27(水) 06:50:51
そのサイトの内容は知らないけど。
自分は信松院が出版した「信松尼公記」を
まだ購入できた者なんで。
736 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 09:33:14
お江の二番目の夫との子で淀殿に引き取られた姫はどうなった?
737 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 09:54:29
【前回選挙前】
, - ,----、
(U( ) サラリーマン大増税は行いません!
| |∨T∨ 郵政民営化だけで全て解決です!
(__)_) どうか自民党に投票お願いします。
↓
【選挙勝利2日後】
↓自民党
∧_∧ サラリーマン大増税するのなんて解ってただろw
( ´∀`) 勝っちまえばこっちのもんwww口約なんて破る為にあるんだよ!w
( /,⌒l ギリギリまで税金絞り取ってやるからしっかり払えよ底辺どもwwwww
| /`(_)∧_0.
(__)(´∀`; )⊃⌒⊃ ←国民
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【2007夏選挙前】
, - ,----、
(U( ) 消えた年金対策はしっかりやります!
| |∨T∨ 責任取らせます。給料下げます。
(__)_)
↓
【選挙勝利後】
↓自民党
∧_∧ WE法案を早速導入するのは解ってただろw
( ´∀`) 反対しても強行採決するから無駄無駄www
( /,⌒l ついでに消費税も10%に上げるからしっかり払えよ奴隷どもwwwww
| /`(_)∧_0. は?消えた年金・・・?なにそれ。領収書持ってこいボケwww
(__)(´∀`; )⊃⌒⊃ ←国民
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
738 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 13:48:06
>>736 普通に九条家に嫁いだ。豊臣家縁者ではあるけど、家光の姉だし
離婚も自害強要もされなかった。
>>736 >>738 むしろ九条家や、そこから養子が入った二条家などは幕府との関係が深くなって
二条家辺りは歴代当主は将軍偏諱をもらうという外様大大名並の待遇になってる。
お玉ちゃんカワイソス(´・ω・`)
741 :
日本@名無史さん:2007/09/02(日) 17:20:10
前田の嫁さんも後期は悲惨だったな
742 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 19:01:53
>>738 完子は、母の姉淀君に養育されて九条幸家に嫁いだけれども、
義弟豊臣秀頼没後は、今度は母の3度目の夫で義父に当たる
将軍徳川秀忠の養女になっている。
完子の男子は九条家、二条家を継いだが、
徳川幕府によって断絶していた松殿家の再興を認められるなど、徳川氏によって庇護された。
完子の異父妹徳川和子が後水尾天皇に嫁ぐに際し、九条家が働きかけを行ったことでも有名。
完子と母の婚家徳川家の仲は、きわめて良好だった。
743 :
日本@名無史さん:2007/09/09(日) 10:11:01
>>741 おまつ?それとも秀忠とお江の娘で前田に嫁いだ人の事?
珠姫だっけ。お江の娘たちはあまりみんな幸せじゃない感じ。
744 :
日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:15:03
>>743 珠姫は、夫婦仲は良かったようだし、
早世だったということ以外はそれほど不幸ではないような・・・
夫に2度死に別れた千姫や、夫がもの狂いで改易、江戸へ戻ってきた勝姫、
亡くなったときに夫は相撲見物に出かけたという初姫は、あまりに気の毒だけどね・・・
お江与の娘とはいっても、後水尾天皇の中宮となった徳川和子や
豊臣完子は幸せだったと思うけれどもね。
746 :
日本@名無史さん:2007/09/17(月) 00:00:16
転載
> 『隠れ家』の伝説
>それは城を追われた姫と家来の中間(ちゅうげん)の逃避行の話である。
>二人は、納庫への道を急いでいたが、足助の大多賀で一軒の家に立ち寄り小休止をした。
>その家は今でも「隠れ家」と称されるが、追っ手が来ても自分たちのことを内密にしておいて欲しい旨を頼み、
>その後駒ヶ原の方面を目指した。
>追っ手は隠れ家に来て、金銭を交換に件の二人連れのことを聞き出し、納庫の森田という所において
>その二人を捕らえてしまった。
> 姫はその場で牛馬による股裂きの刑に処せられた。
>相手の家来は駒ヶ原の「牛渡し」と言う所まで連れ戻されてそこで処刑されたという話である。
>「隠れ家」では、瓜を作ると中味が血の色になってしまうので、その後「瓜だけは作らない」と言うことである。
> 家来の処刑されたその場にはかつて「仲間塚」があったが「段戸山牧場」の造成の折に無くなったらしい。
747 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 09:01:35
へっ
748 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 21:12:46
悲劇のお姫様は近衛(大谷)正子姫に他ならない
東本願寺の大谷光明伯爵と貞明皇后の異母妹九条(糸壬)子との次女として産まれ近衛文麿の息子近衛文隆と結婚するも
結婚直後夫がシベリアに抑留されて十数年後夫は死亡。実質21歳から未亡人生活を送ることになり夫の土葬グロ遺体と涙の対面をする。
しかも夫は結婚前芸者に息子を産ませていたという衝撃の事実が判明する。
749 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 23:39:57
持統天皇の母親ほど悲惨な死に方をした姫はなかなかいないだろう
さらに娘の太田皇女、孫の大伯皇女(名前間違っていたらスマソ)にも悲劇は連鎖する
750 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 01:19:43
悲劇だったかどうかはわからないけど、爺さんの田舎に大蛇姫伝説がある。
加賀の白山から大蛇に守られた姫様がやって来て御殿山に住み着いた。
寂しいがる姫様を村人が毎晩宴で唄って踊って慰めたという話。
岐阜の山間の村に伝わる昔話です。市内の祭りで大蛇の舞いをやります。
半年ほど前に上野晴郎氏の「円光院三条夫人」を見かけたので
まだあるかと思い東京駅そばの書店に出かけた。
残念ながら、すでに売れていたのだが
大河便乗出版らしい、カルチャーセンター講師程度の女性執筆で
「武田家の女たち」風のものがあったので、仕方なく買ってみた。
大失敗w
諏訪御料人の実名を「由布姫」と書いているお粗末さ。
新選組研究者の大河便乗戦国女本と同レベル。
752 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 20:33:24
三糞のごり押しの犠牲者
>>750 いつ頃からある伝承なんだろう?
岐阜の山の中は実際色々と落ち延びてそうなんだよな。
754 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 00:24:15
前田利家の娘 麻阿姫。
>>754 猿とセックスさせられた人だっけ?
いくらなんでもひどいよな。
756 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 15:06:48
>>755 まあ、秀吉の側室&言い寄られた女は何も麻阿姫一人に限らないから・・・
@佐久間十蔵
麻阿姫の婚約者。柴田勝家家臣で、幼い麻阿姫は人質よろしく勝家の北ノ庄城に入る。
柴田勝家が討たれた際、この婚約者も自害。麻阿姫は乳母の機転で北ノ庄城を脱出。
A豊臣秀吉
麻阿姫の最初の夫。北ノ庄城を脱出した麻阿姫は父前田利家の元へ戻るが、
秀吉治政下で秀吉に逆らった男と婚約していた麻阿姫を嫁がせるには汚点があり、
思い余った利家はかつての婚約者の敵豊臣秀吉の側室に麻阿姫を差し出す。
麻阿姫は秀吉の側室の一人として秀吉から京に邸を貰い、「加賀殿」と呼ばれる。
B万里小路充房
麻阿姫の二度目の夫。秀吉に嫁したことで反逆者の婚約者という汚名を奪回した麻阿姫は、
35歳も年上の夫秀吉の許しを得て、醍醐の花見の後公家の万里小路充房と結婚する。
充房は麻阿姫より10歳年上、織田信長の娘を正室としており、麻阿姫は側室。
麻阿姫は里の加賀で晩年を送り、麻阿姫の子利忠も加賀に伴われて
前田を名乗っていることから万里小路充房とは離縁したと見られていたが
万里小路家の墓地から麻阿姫の墓碑が見つかり万里小路家においても供養されてきたことが分かった。
757 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 18:17:27
>750って柴田一門っぽくね?加賀から逃げるなら白山を越えて飛彈または美濃でしょ。
758 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 22:07:27
麻阿っていう名前いいよね。娘が生まれたら名前を麻阿ってつけたい。
759 :
日本@名無史さん:2008/01/09(水) 01:07:51
悲劇の皇后なら韓半島の平和の国母
野蛮な日帝陸軍が殺したのは世界中で有名
ホロン部の方で塚
真夜中に過疎スレの保守お疲れさまですw
761 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 23:32:37
幻の湖に出てきた浅井家の家臣の娘。
762 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 23:37:00
日本人として謝罪するよ、本当に恥ずべき謝罪しきれない過ちだけど
ジャンヌダルクより非道い死に方をした日本の姫っているの?
↑
ジャンヌダルクは死ぬ前に輪姦されまくり
火あぶりのあと大衆にアソコを晒されたらしい
北条氏照の正室に嫉妬されて殺された、三田家の姫。
織田信澄に嫁いだ光秀の娘。夫の父謀反、実父謀反、夫は疑われて没
>>766 織田信澄がそもそも祖母土田御前の助命嘆願によるところが大きく、
本来、父と共に殺されてもおかしくない身の上だった。
まあ、もともと織田家の不安要素だった上に(わきの甘い信長は厚遇したが)
明智光秀の娘を妻にしたのが不幸のもとだったな。
768 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 20:15:27
>>122 超遅レスだけど
心中した恋人の男が嫉妬深くてストーカーみたく付き纏ってきて。
そのお姫様は一度彼と別れようとしたんじゃなかったかな。
俺の読んだ資料でははっきり殺されたとは書かれてなかったけど、無理やり心中させられたんじゃないかと思わせる内容だった
769 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 23:42:51
徳川篤守の娘たち
771 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 08:21:36
>>768 愛新覚羅慧生
父親は愛新覚羅溥傑(最後の皇帝溥儀の弟)、母親は日本人の嵯峨浩だね。
嵯峨浩の自著である「流転の王妃の昭和史」にこの話が出てくる。
それによれば、どうも心中相手の大久保がつきまとっていたような感じではある。
ただ、母親の自著だけあって、娘はあんな男と交際などしていなかった、
一方的に呼び出されて拳銃で撃たれた、
日本と中国の架け橋となるべきわが子があんな男に殺されていいものか、
というような内容になっていて、母親の著だけにどこまで本当かよくわからないのだが。
772 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:42:40
そんなこと言うくらいなら、しかるべき旧皇族か旧華族の名門の息子と婚約させ、
大学などに通わせなければ、素性の怪しげな平民風情にストーカーされなかったのだ。
脇が甘いんだよ、ヒロは。
>>772 「ヒロ」は今の殿下と紛らわしいのでやめませんか?
しかし、慧生の死は日本にとってはラッキーだったのではないか。
彼女がもし健在だったら、「日本と中国の架け橋」の名のもとに、
中共の犬として日本の隷属化に奔走した結果、
日本は現在よりも遥かに中共の言いなりになってしまっているかもしれない。
775 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:57:41
■シラキとは『知らす城』のこと
古代の半島東南部に、志羅紀(シラキ)という倭人国が存在した。天日矛の祖国・シラキの国号の意味が、
ついに明らかになった。
シラキとは、『知らす城』の意味である。つまり、「首都」という意味の言葉なのである。
シラキとは金城(現在の慶州)の別名であった。古代日本人は、金城とその周辺地方をシラキと呼んでいたのだ。
なんと、1世紀頃まで、つまり漢朝の時代まで、シラキは半島南部の全域を支配していたらしい。
紀元前1世紀の半島にあった漢朝の地方領である真番郡・臨屯郡の南方に位置した韓(カラ)という国。
実は、この韓(カラ)こそが、神武天皇の皇兄=稲飯命によって建てられた志羅紀(シラキ)なのである。
日本海側から東シナ海側に至るまで、4世紀以降からミマナ・クタラと呼ばれるようになる地域まで、
シラキ領土だったのだ。
大和朝廷が半島南部を支配するために置いていた官庁・任那日本府は、3世紀頃までは金城(シラキの都)に
置かれていたのである。
しかし、3世紀頃から、北方の太白山脈からワイ族(朝鮮人の先祖)という異民族が志羅紀領の北部に
侵入するようになり、やがて志羅紀はワイ族に乗っ取られた。こうしてワイ族国・新羅が誕生したのである。
神功皇后の『新羅征伐』は、ワイ族に奪われた日本領土・シラキを取り返すための軍事行動だったのだ。
けして侵略ではなかったのだ。
776 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:03:30
>>774 愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の次女嫮生(慧生の妹)
は普通に日本人と結婚して兵庫で主婦をしていたよ。
歴史の表舞台に出ることもなく。
母嵯峨浩は「日中の架け橋」として満州国皇弟に嫁いだだめ、
それを口に出したのだろうが、
実際にはもはや愛新覚羅家は中国の皇帝ではない一般人、
嵯峨家も侯爵家などではない一般人だから。
>>776 ちょっとまった
>主婦をしていた
過去形になっているが、こせいさん死んだん?
778 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 16:26:57
去年NHKにでてたよ。だんなさんと一緒に
780 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 21:43:23
かなり年上夫に嫁ぎ30代で小梨未亡人になった姉と夫がチベット(?)で死んで20代で未亡人になり3人の幼子と残された妹が悲劇
781 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 21:08:23
星子タン。
782 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 23:23:58
母親がレイプされて生まれた楠本高子が最も悲劇
しかし当時でもハーフにハァハァできる人いたんだ・・・
さらに高子も師の子供を産んでいる
楠本イネ(高子の母)は結構美人だったらしいからね。
しかもレイープ犯(高子の実父)石井宗謙は、
イネの父親・シーボルトの弟子。
そんなことで、「先生のお嬢タソ(;´Д`)ハァハァ」となったのかもしれん。
最もあとでこれがバレて石井は仲間から村八分にされたが。
蛇足だが松本零士のご先祖様が高子の最初の夫と同僚だったため、
高子と会った折、DNAレベルまで達する深い印象を受けた結果、
ついつい高子が漏れの作品の登場女性のモデルになっちゃう時もあったなと、
松本零士が語ったとか語らなかったとかw
しかし数奇な運命を辿った美人母・娘・孫娘とはいえ、
姫君でないのがスレチになってしまう所。
784 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 22:03:09
>>783 じゃあメーテルは高子に似ているのか・・・?
松本零士的こじつけではそうなるw
しかしメーテルのモデルについては年々言ってること変わってるからな
786 :
日本@名無史さん:2008/02/24(日) 02:52:40
松平初姫
787 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 12:49:11
篤姫の前の御台さまの一条秀子って謎が多すぎ
悲劇のお姫様というより
謎のお姫様ですな>一条秀子
実は一条家の姫じゃなくて、そこら辺の浮浪児を連れていったとか
大変な身体+精神障害があったとか・・・
789 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 13:07:15
家斉の娘の淑姫。だんながホモで寂しい結婚生活だった。
790 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 13:19:27
将軍徳川家光の正室鷹司孝子もかな。
嫁いだ当初、家光はホモで相手にされず。
30過ぎてから家光は突然に側室を手当たり次第作りだしたため、
孝子がこれに嫉妬したところ中の丸に移されてしまった。
以降、家光が生存していた頃は将軍御台所であるにもかかわらず
「徳川実紀」にも数えるほどしか登場しない。
ところが、家光が死ぬと一転。
4代将軍家綱は孝子を嫡母として尊重。
家綱は特に伯母の千姫や姉の千代姫(徳川光友正室)を重んじ、頻繁に付け届けをしていたが、
その際には必ず孝子にも付け届けを欠かさず、また「徳川実紀」に書かれる際の順は必ず
本理院(孝子)、天樹院(千姫)、千代姫であり、
孝子が将軍の伯母や姉よりも尊重されたことは明らかである。
それを見るにつけ、家光生存時の孝子の扱い方があまりに酷いことが分かる。
791 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 14:11:25
竜馬がゆくやおーい竜馬で出てくる加代って姫さんはほんまにいたの?wikiないかwiki
792 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 17:40:45
一条秀子姫ってググってもほとんど何も出てこないね
小説にはなっているようだがアマゾンでも売り切れw
793 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:09:05
駒姫だろ
駒姫ほど悲劇なお姫様はこの世にいない
794 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:20:43
>>788 そこらへんの浮浪児ならむしろ健康優良児にするだろ
しかも鷹司家に嫁いだ崇子とか他に娘がいたはずなのに
そして崇子は跡取りを始め複数の息子を産んだという
>>789 まじ?早死でもないのに子供が一人もいないからある意味納得だけど種無しの可能性も否定出来ないし・・・
かといって側室の話も聞かないし・・・
ところで家斉の娘で流産でも妊娠したことがあるのは何人いる?
>>793 どこの駒姫なんでしょうか?
795 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:33:50
>>794 鷹司輔煕と一条崇子との嫡男鷹司輔政は
権大納言を極官として19歳で父より早く早世。
ほかの崇子の男子は夭折していたのか、
九条家から煕通を養子に迎えている。
崇子の子は鷹司家を継いでいないので、
跡取りを産んだとまでは言えない。
796 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 20:21:24
>>794 加賀藩主前田慶寧の母は徳川家斉の娘溶姫。
家斉の大勢いた娘の中で、成人するまで育ち、
他家へ嫁いだ姫は10人ほどいるが、
夫が早世という例も結構多い。
14歳で婚礼、15歳で未亡人になった泰姫とか。
797 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 02:58:19
>>795 崇子は菊亭脩季と三条治子も産んでいまつ
他の息子は夭折したが(崇子が産んだ娘は治子のみ)
ちなみに崇子はだいぶ年下であったようで
しかし任子が死んだとき崇子は既に結婚していたようだw
798 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 10:04:21
>>791 加代は家老の娘。モデルは竜馬の初恋の平井加尾らしい。
平井加尾は三条実美の兄嫁に仕えた人。
799 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 10:24:36
これだけ一条家の他の姫の記録はあるのに
将軍家に嫁いだ秀子姫の記録が少ないのはやはり不自然だな
800 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 13:38:22
一条秀子は嫁いですぐに亡くなったから
史料が少ないんじゃないのか?
嘉永元年6月10日 最初の正室鷹司任子、没。
嘉永2年11月22日 二度目の正室一条秀子と婚礼
嘉永3年6月24日 一条秀子、没
秀子との結婚生活は7ヶ月ほど。
801 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 14:02:02
一条秀子(1826-1850)
関白左大臣一条忠良女。
通名は、寿明(すめ)君。
最初の正室鷹司任子が没した後、
姉小路が再び摂関家から将軍家定に継室をと交渉、婚儀が定まる。
24歳のとき、2歳年上の将軍徳川家定と婚礼。
ところが、翌年、25歳で没した。澄心院。没後、従二位が贈られた。
京を出るときは何事もなかった秀子が早々と没したことで、
21歳で早世した最初の正室任子と合わせ、
将軍家定の夫人になることは不吉だと言われたらしい。
秀子は早世だったことから身体障害を言われる向きもありますが、
秀子は任子や篤姫ともども寛永寺に葬られていますので、
そのうち墓が発掘されれば異常な低身長だったかどうかというのは
確かめられる可能性があります。
802 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 15:38:22
秀子の姉の知君は池田家嫡子に嫁ぎ長男を産むも夫や長男に先立たれた
また別の姉の通子は紀伊連枝の西条松平家に嫁いだ
他にも何人か嫁いだ姉妹がいる
803 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 15:43:16
「骨は語る」とかいう本では一条秀子は発掘されてなかったっけ?
たしか歴代御台や月光院とかの頭蓋骨とか載ってた本だけど。
先週、寛永寺裏の谷中墓地にある御台達の墓を見に行ったら
大工事中で灯篭とか敷石が殆ど、どかされて掘り返されていた。
6代将軍の実母の墓なんかも掘り返されていて以前の名残が無くなっていた。
また元に戻すなら良いが…
804 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 16:01:42
>>803 「骨は語る」に出てくるのは、発掘された
増上寺に葬られた歴代将軍やその妻たち。
徳川秀忠、徳川家宣、徳川家継
徳川家重 、徳川家慶、徳川家茂
崇源院、桂昌院、 天英院
月光院 、静寛院等。
寛永寺のほうは当時まだ発掘されていなかった。
改葬のために寛永寺のほうの遺骨の鑑定も
これからやるんじゃなかったけ?
>>803 一条秀子ではなくて、その前の鷹司任子ですな
寛永寺の方の徳川家墓所については
某墓参りHPでの情報によると墓地を整理する方向のようで、
古い墓に関してはまとめて統合される可能性が高いようです・・・
806 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 16:12:54
>>805 いや鷹司任子も寛永寺に葬られているので
増上寺発掘を基にした「骨は語る」には出てこない
徳川家定は寛永寺に葬られているので
その3人の正室たちもすべて寛永寺に葬られている
807 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 17:04:25
>古い墓に関してはまとめて統合される可能性が高いようです・・・
数年前までは古いままだったから見ておいて良かった。
どうもあの辺り(御台所の墓所や六代将軍生母墓)はコンパクトにまとめて
分譲で売り出しそうな予感。
あの近辺のみやたら古い墓が更地になっていて驚いたから。
場所によっては半分近く更地になってる地区も。
維持費がかかるとはいえ歴史的なものなんだから大切にとって置けば良いのに。
以前の御台所の墓所なんて門越しに見るだけでも圧巻だった。
今は敷石まではがしてしまってもったいない。
808 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 17:05:07
>古い墓に関してはまとめて統合される可能性が高いようです・・・
数年前までは古いままだったから見ておいて良かった。
どうもあの辺り(御台所の墓所や六代将軍生母墓)はコンパクトにまとめて
分譲で売り出しそうな予感。
あの近辺のみやたら古い墓が更地になっていて驚いたから。
場所によっては半分近く更地になってる地区も。
維持費がかかるとはいえ歴史的なものなんだから大切にとって置けば良いのに。
以前の御台所の墓所なんて門越しに見るだけでも圧巻だった。
今は敷石まではがしてしまってもったいない。
810 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 20:49:20
しかし任子の兄弟大杉だな
大奥’68のビデオで確認したら
家定の3人の御台所がテーマで2話分あった。
鷹司任子は寂しさから東叡山の坊さんとやっちゃって妊娠して母にアポンされる。
秀子は任子の母に井戸に突き落とされてアポン。
敬子役は三田佳子で秀子殺害の真相を暴く。
あまりにも無茶苦茶な設定でワロタw
カンテ〜レ大奥ですからなw
(しかも大奥の研究がほとんど進んでなくてやりたい放題の1968年製)
813 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 08:52:55
>>806 任子は増上寺じゃなかったっか?
遺骸も将軍達や和宮とともにちゃんと発掘されて、顔も復元されてたはず。
遺髪も綺麗に残っていて、「骨は語る」で頭頂部で団子状に纏められた髪型の彼女の頭蓋骨の写真見たよ。
増上寺の公式HPにもちゃんと任子(天親院)の名前あるし。
815 :
日本@名無史さん:2008/03/15(土) 23:59:44
>793
豊臣家に嫁いだ最上義光の娘?
小田茜のことだよ。
違う坂上香織だね。駒姫。
>>816 小田茜は「太平記」の高時の妻だったと思う
819 :
日本@名無史さん:2008/03/18(火) 17:06:43
小田茜は片岡鶴太郎らとともに自害してた
北条高時の妻ではなく
(正室だった安達氏は出てこない)
都から迎えた愛人の役だった(架空の人)
820 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 09:14:00
>>790 家綱は孝子が死んだときに何の反応もせずスルーしたって話は、俗説?
821 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:05:58
家綱は、鷹司孝子のために、江戸寺出てきた孝子の実弟鷹司信平のために
紀州徳川家より正室を迎えさせ、翌年には徳川縁者として松平姓を与えて
鷹司松平家を創設させてやっている。
家光が信平を寄合として放置していたのに比べると破格の待遇。
822 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 17:30:47
>>820 以下、「徳川実紀」の内容。
延宝2年6月6日、本理院(孝子)が不予となると、
老臣たちがしきりに様態を伺いにやってきた。
同8日、本理院が没すると、諸大名が江戸城へ参集。
家綱は、阿倍正邦を寺勤番に、本多忠刻を御法会奉行に
任じて、本理院(孝子)の葬儀を盛大に行った。
本理院は家綱の養母ではないという理由で
家綱は服喪に当たらないとされたのは事実である。
孝子を冷遇していた家光が家綱を後継者に定めた際、
正室孝子との養子縁組をしなかったためらしい。
家綱はそれでも、毎月行う東照宮代参をこの月はとりやめた。
家綱のときに孝子の3回忌、綱吉の時に孝子の13回忌が
盛大に執り行われており、
家光の息子たちが孝子を冷遇したというのは出鱈目。
孝子といえば幸薄い→木村多江のイメージだな
坂口良子も良かった
824 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 15:30:07
悲劇のお姫様と言えば
細川ガラシャ…。
辛すぎる人生。
825 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 21:21:33
ここは三○こと菊○に殺された坂○泉○だろ
スレ違いだが
826 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 14:14:23
奈良時代、聖武天皇と県犬養橘広刀自との間に生まれた井上内親王、不破内親王姉妹は
藤原氏やその系統の皇族とドロドロの皇位継承戦やったんだよね。
姉妹の弟、安積親王は藤原氏がからんだと思われる謎の死を遂げ、
一方 井上内親王は伊勢の斎宮から帰った後高齢出産で他戸親王を生む。
不破内親王は藤原氏の血筋である孝謙天皇を「密かに盗み出した女帝の髪を、ドクロに仕込む」呪いをかけ・・・
それが女帝の怒りを買い「厨真人厨女」(台所の飯炊きババァ)なる名前に改名させられて追放された。
後年、井上内親王は夫、白壁王の即位に伴って皇后に上り詰めたが、濡れ衣で息子ともども非業の死を遂げる。
不破内親王は息子が起こした政変に連座して、配流されたまま歴史から消える。
まさに悲劇のお姫様伝説だ。
そして井上内親王が政変に巻き込まれなければ他戸親王が位を継いだことは確実で、そうなれば
異母兄弟の山部親王が桓武帝として即位することもく、平安遷都もなかっただろう。
そう考えれば実に感慨深い。
それにしても「厨真人厨女」・・・
なぜ日本史板で、「厨房」の意として定着しなかったのだろうか。
>厨真人厨女
古代史に詳しい香具師ばかりじゃないし ここ
しかし孝謙天皇は藤原仲麻呂(仲末呂:『続日本紀』天平宝字8年9月条)とか和気清麻呂(別部穢麻呂)とか
自分の意に叶わなくなった人物を改名させておとしめるのが好きだよね こういう天皇は前後に例がない。
側転武功のパクリじゃね?
側転武功も、巨根男を寵愛していたんだよな。
奈良時代は残虐な処刑とか行われたたみたいだし、中国に近い雰囲気を感じる。
831 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:01:50
残酷な処刑?
橘奈良麻呂の変で首謀者たちが棒打ち拷問で殺されたこと?
これだったら戦国や江戸期の火炙り釜茹で磔獄門鋸引きのほうがよっぽど残酷じゃん。
ちなみに橘奈良麻呂の変に連座して拷問死した道祖王は、ホモを理由に廃太子されたそうな。
雅な平安宮廷に比べ、奈良宮廷は確かにドロドロ。
832 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:15:52
道祖王が聖武天皇の喪中に密通した相手って、
男なの?
833 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:18:59
道祖王は、小姓と密通したらしい。
女とヤりまくったり、小姓と不倫したり、調子こいて宮中や政府の秘密事項を
軽々しく外部に喋ったりしている……
ことを某氏にでっちあげられて廃太子ケテーイなんだよ>道祖王
836 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 10:14:44
「続日本紀」
「先帝遺詔立道祖王。昇爲皇太子而王諒闇未終。陵草未乾。
私通侍童。無恭先帝。居喪之礼。曾不合憂。機密之事。皆漏民間。
雖屡教勅。猶無悔情。好用婦言。稍多很戻。忽出春宮。夜獨歸舍。
云臣爲人拙愚。不堪承」
道祖王が密通したのは「侍童」とある。
婦人の言葉を好んで用いるとか、中国の影響の強い文章。
当時、天皇は女帝の孝謙天皇、実権を握っていたの光明皇太后で、
まさに婦人たちによる政治の時代だったのだが。
837 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 20:05:42
つまり道祖王は、オカマ言葉を使うホモだった!
最低やな
839 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:45:33
悲劇の☆お姫様伝説☆
このスレの主役は「お姫様(性別;女)」
ホモの話はほかでやろう。
840 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 19:27:18
紀皇女
841 :
日本@名無史さん:2008/05/06(火) 04:07:29
滝山城主大石源三氏照と青梅谷三田家の笛姫の、悲恋伝説
842 :
日本@名無史さん:2008/05/06(火) 05:19:12
源頼家女・竹御所
実のところ、若い夫と幸せウハウハだったかもしれないが、レールを敷かれた人生ってこの人のことを言うような気がする。
843 :
日本@名無史さん:2008/05/07(水) 13:59:14
一条秀子姫、どんなにがんばってもデータが乏しい、、、。
小さい、脚が悪い、までは調べましたが、精神障害や浮浪児説はどこからでしょうか?
(浮浪児なら、京方のいやがらせでそういう子を選んだのでは。)
悲劇、なら、江戸でどのような扱いを受けたものか、が気になりますね。
844 :
日本@名無史さん:2008/05/07(水) 15:20:31
将軍御台所に浮浪児を差し出すことはありえないでしょう
一条家では将軍徳川慶喜の室になるはずだった一条忠香(秀子の兄)の女
千代君があばたになったためにわざわざ今出川家の娘を養女にしてよこしたくらいですから、
摂家が将軍家にわざわざ精神異常や身体異常のある姫君を送ったとも思えないのですが。
秀子姫は婚礼からわずか7か月で没してしまいました。
そのために秀子姫輿入れを京に働きかけた姉小路が非難されたり
病弱でまともではない姫だったという説が独り歩きしたようですが。
845 :
日本@名無史さん:2008/05/09(金) 18:18:08
十市皇女。
高市と両想いだったとは思わないが。
846 :
日本@名無史さん:2008/05/09(金) 18:33:27
「万葉集」に残る高市皇子の十市皇女への挽歌3首
これにより高市皇子は十市皇女に恋愛感情を持っていたとされるけれど
親しい姉妹の死を悼んだ歌ともとれるし2人の間には姉弟愛以外何もなかったのかも
大伯皇女も弟大津皇子が死んだときに悲痛な歌を残しているしね
みもろの神の神杉(かむすぎ)已具耳矣自得見監乍共寝(いね)ぬ夜ぞ多き
神山(みわやま)の山辺真麻木綿(まそゆふ)短か木綿かくのみ故に長くと思ひき
山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
>>842 この人は悲劇だと思う。
実父を北条氏に殺され、父を死に追いやった祖母に男子を産むよう命じられ、
16歳も年下の摂家将軍に嫁いで33歳で難産の末に男子を死産、共に死去。
これにより源氏将軍の血は女系でも絶えた。
848 :
日本@名無史さん:2008/05/09(金) 21:58:15
紫式部の墓にポッキー置いて来た。
849 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 20:44:26
悲劇、までいかないけど、利家とまつ夫妻の娘で秀吉の側室になった人。
同じ秀吉のもとへ養女として行ったいった姉妹の豪姫はすごい甘やかしだったのに、
数多の側室の一人、としての扱いは、、、。つか、側室仲間が強力なのが
多くて気苦労を思うと、、、。
850 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 21:33:57
>>849 秀吉の側室になった前田利家の娘=摩阿姫のことか。
摩阿姫は柴田勝家家臣佐久間十蔵の婚約者で、
秀吉勝家の北の庄城を攻めたとき摩阿姫は城から逃れている。
婚約者は勝家に殉じた。
秀吉と争った人物が婚約者がいたという点、秀吉政権下で摩阿姫に新たな嫁ぎ先は見つからず、
思い余った利家は摩阿姫を当の秀吉の側室に差し出す。
だけど、利家は摩阿姫をなかなか秀吉の城へやらない。
正室ねねやほかの側室たちがいる秀吉既存の城へは摩阿姫をやるつもりはない、
利家は秀吉に対し摩阿姫だけのために京に屋敷を用意させている。
摩阿姫は醍醐の花見など豊臣家の行事には側室の一人として参加したけれども、
摩阿姫は秀吉が自分のために用意した京の邸に住み、ほかの秀吉の妻とは同居はしなかったんだね。
醍醐の花見の後、摩阿姫は高齢の秀吉の許しを得て、
公家の万里小路充房と再婚、晩年は加賀で暮らしている。
>>849 それって幸せだったんじゃないの?
最高権力者とセックスでき、後継ぎを産む機会を与えられた。
一方妹は家来筋で政治的無能者の妻にされ、二人も愚鈍の遺伝子を持つ子を産まされた挙げ句、
夫は謀反人、二人の子は連座して土民にまで身を落とした。
852 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 21:50:18
摩阿姫も豪姫も、実家の前田家が安泰だったから、
老後は里の前田家に戻って姉妹仲良く暮らしましたよ。
摩阿姫は息子、豪姫は娘をそれぞれ前田家に伴って
摩阿姫の息子は前田姓を名乗っていますし。
853 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 22:18:16
花山天皇の皇女。
やんごとないお姫様なのに野犬に喰いちらかされ非業の死
あまりにも痛ましい
854 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 22:29:41
855 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 23:04:20
とはずがたりの二条。
母親が後深草院の新枕の人だったので、14歳で院の愛人にさせられる。
その後父親が死んで、生んだ皇子も死んで、院の皇后にはいじめられる。
院の弟にストーカーされて手篭めにされたあげく、御所を追い出される。
最後は野垂れ死に、ってかんじだったような。
856 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 23:06:00
857 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 23:11:50
駒姫とお菊が好き
858 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 23:16:02
>>855 二条ははじめから院の愛人という扱いでもなかったような。
父親は正式な女御にしろ後深草院に要請していたようだし。
結局、父親が死んでしまったのでこれはならず。
以後、西園寺実兼、性助法親王らさまざまな男性との恋愛に没頭。
30歳近くになった二条は旅に出、鎌倉で歓待を受ける。
帰京後は「増鏡」により永福門院に「三条」という女房名で
出仕したことが分かる。
さすがに名門久我家の娘に生れて野垂れ死に、は言いすぎ。
散々セックスしまくったのに妊娠しなかったの?
860 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 23:29:44
>>662 お前、馬鹿なヤツだな
お前が言うようなフィクションじゃない
ウィキにものってる
どこまで真実か確かめようが無いが
ここは伝説でいいスレなんだから無問題
マイナーな伝説でもない
861 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 23:33:54
662 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 20:48:08
こんな昔の書き込みに今頃レスがつくなんて
日本史板ってすごいな
>>851 あんたちょっとひねくれてるよ
>>857 駒姫は最上義光の娘のことだけど、お菊はどのお菊?
結構いっぱいいるぜ?
>>843 まともな研究者の書いた資料本を少しは読むように。
>>846 大河板のウッドベキアみたいな奴だな。嬉しげに知識のご披露www
そんなん、偉そうに紹介されんでも図書館に大量にある
万葉集の解説本や読み物を読んでいれば知っていることです。
>>848 それはいけない。
カラスが食い散らかしたりするから、お供え物は持ち帰ろうね。
>>849 加賀殿おまあの呼称も知らないのかwww
>>855 後深草院二条って清華の家の出だろうと、
やはりお姫様って感じがしない。
ここ、「伝説の」」ってスレタイあるのに
なーんだか微妙にズレてる人物の名が出てるのな。
スレタイの読めない人が約1名・・・
865 :
日本@名無史さん:2008/05/11(日) 16:01:09
>>850・851・852さんありがとうございました。
名前、摩阿姫でしたね。私、知らなかったんですが、幸せだったようで
良かったです。。。それにしても、みなさん、詳しいなあ!!
>>859 二条は3人の男性との間に子がいた。
後深草院との間に男子1名(二条の外戚四条家が養育するが、夭折)。
西園寺実兼との間に女子1名(西園寺実兼が引き取り、正室の子として養育。
亀山法皇最晩年の寵妃昭訓門院か)。
性助法親王との間に男子1名(法親王没後に出生。この男子がどうなったかは分からない)。
これ以外の男性とも関係はあったようだけど。
867 :
日本@名無史さん:2008/05/18(日) 22:27:51
珠姫
夫婦仲が良かっただけに、あの最後は悲惨。
しかし、日本の姫で本当に子作りマシーンに成っちゃったのは、
そうはいないよね。
868 :
日本@名無史さん:2008/05/18(日) 23:00:31
それなら振姫はもっと悲惨。
最初に嫁いだ蒲生家では、お家騒動の末に追い出され、
浅野長晟と再婚したが、光晟を産んですぐに高齢出産で死亡。
息子や孫に悉く先立たれた姑の冬姫も悲惨だが。
869 :
日本@名無史さん:2008/05/19(月) 18:49:15
>>867 kwsk
普通にお産かお産関連の病気でなくなったと思っていたけど、何か悲劇があったの?
>>867ではないけど追記
珠姫は確かに夏姫のお産でなくなったのだけど
死ぬ間際に夫に会いたがった珠姫と夫・利常の間を
よりによって珠姫の乳母が妨害工作したらしく
利常の寵が衰えたと誤解した珠姫はそれで死期を早めたらしいです。
というような話が
磯田道史氏の『殿様の通信簿』辺りに書いてあります。
871 :
日本@名無史さん:2008/05/19(月) 21:06:02
>>870 ありがとう。
そんな経緯だったんだね。昔の女性は出産は死の不安と隣り合わせだし、いろいろ悲劇も多かったんだ…。
872 :
日本@名無史さん:2008/05/26(月) 01:42:24
旦那は怒って、乳母を蛇攻めにして処刑したんだって。
しかし15歳から24歳までで、8人出産!しかも旦那には
単身赴任もあった筈なのに。
何にせよ『おてんば珠姫さま』を見てると、そんな事に成る
とは思えない(マンガじゃん!)。
873 :
日本@名無史さん:2008/05/27(火) 06:02:17
川田亜子タソ
逆にめちゃくちゃ幸せな人生だった姫って誰だろうな。
千代姫(徳川家光娘)あたりか
876 :
日本@名無史さん:2008/06/04(水) 23:59:50
秀忠の娘は和子以外は全員薄幸な人生を送っている。
和子も薄幸とまでは言わないが幸福とも言えない人生だ罠 夫超浮気者だしw
珠姫は夫の愛には恵まれた物のそれが災いして多産による早世・・・
878 :
日本@名無史さん:2008/06/07(土) 23:12:03
京極忠高は初姫が死ぬときに相撲見物に出かけていたというが、これは初姫が急な病だっただけだろう。
改易の危険があるのに譜代に過ぎない忠高が将軍家の娘を無碍に扱うとは思えない。
879 :
日本@名無史さん:2008/06/07(土) 23:50:37
あれは細川忠興の流したデマだろ。
秀忠を怒らしたなら、初姫も常高院も死んだ後に出雲に加増転封はない。
無嗣で死んだ後も京極家は特別に再興を許されてるし、
初姫の嫁ぎ先として姫の死後も重視されてたのでしょう。
>879
伝聞情報を書状に書き残しただけなのにデマ流し扱いかよ、ひでぇw
初姫の墓所が伝通院なの何でだろ
882 :
日本@名無史さん:2008/06/14(土) 21:06:10
>>843,844にあった一条秀子だけど、他の徳川将軍家の正室と共に墓が
発掘調査されてそれによると推定身長130cmだそうだ。
立っても駕籠より小さかったなんてのは小説だが、当時の女性の平均身長や
今回共に発掘された人達の平均から考えても低身長なのは言える。
陰口とかあったのかな。(足が悪かったかどうかはまだわかってないみたい)
883 :
日本@名無史さん:2008/06/14(土) 22:06:08
>>875 物心つく前に嫁いだことと同じ頃に母親が早世した
以外はかなり幸福な人生ぽいよな千代姫
885 :
日本@名無史さん:2008/06/15(日) 06:52:37
>>884 でも20代前半で子供を産み終えていることは夫とのセックスが無かったことじゃ・・・
しかも二人の娘は早死しているし
886 :
日本@名無史さん:2008/06/15(日) 12:23:30
>>883 あ、すまん書き忘れてた。
他の人(七人)の平均身長は「約147cm」。
個々の身長までは記載されてなかった。
887 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 21:39:24
浅野長晟と振姫の関係は家康と朝日姫の関係に似ている。
888 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 22:22:25
六畳一間のアパートで孤独死してた人いたなあ。
大名の末裔で、天皇の親戚筋でもあったと思った。
889 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 07:51:35
向正義!
890 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 14:03:03
木村由姫
891 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 22:49:07
>>888 松浦ただ子のこと?
ただは、憧の右上にくさかんむりをつけた字。パソコンで出ないや。
前の皇太后さんの兄嫁だったのに、夫が早世して小梨だったから慣例に
基づき宮家から出され、巨万の富を渡されたはずが、それが満鉄の株券。
終戦とともに紙切れになり、それから困窮の歴史。
さいごは某有名な学会の信者になって、六畳一間にばかでかい仏壇…
で孤独死で発見されたんだよね。
有名な、九州の松浦屏風の殿様の家のご出身です。
若い頃は確かにまあ上品なきれいな人だよ。
へえ、統合失調症の人ってよく妄想でそういう話するけど
本当にそういう境遇の人っているんだな。
893 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 21:43:56
今日の日本史サスペンス劇場は珠姫だった。
894 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 21:58:58
お盆とオリンピックで、すっかり忘れてたわ>日サス
古事記のサボヒメ伝説はなかなか悲劇的
最上の駒姫。
彼女は勿論、父である最上義光の親心が切ないと思った。
母親である大崎夫人も、彼女の死後間もなく亡くなった(自殺説も有り)らしいし。
897 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 08:52:45
豊臣秀次を見込んで娘を側室に献上した
最上義光の見当違いだったな
豊臣家との縁組を切望するなら
まだ娘を秀吉の側室にでもしていたほうがましだった
それもこれも結果論な訳であって。
あのときの状況から見ると若くて関白の秀次に目があると見た人は多かったであろう。
駒姫が悲劇のお姫様なのは禿敷く同意
899 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 14:17:03
頼朝の長女大姫。
900 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 15:33:40
ホリケン、意外と演技力あるな。
901 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 18:28:18
明治天皇の第7内親王北白川宮房子内親王。
902 :
日本@名無史さん:2008/08/18(月) 21:10:46
旦那が暴走車を運転しての悲劇だっけ
写真ではおとなしそうな顔してるのにな
北白河宮成久王
903 :
日本@名無史さん:2008/08/18(月) 21:38:03
少年時代の成久王は、神がかって美しい。
自動車事故のときは飲酒運転だった、当時は気付けってことで
飲酒運転は悪いとされてなかったけど。
904 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:26:43
俺の勤務先に、清朝の愛新覚羅の一族の女性がいるよ。
勤務先の台湾の現地法人で働いていて駐在員と結婚して
来日した。今は、同じ部で一般職で働いていて、コピー
取りやらお茶汲みもしてるよ。
いくら旧清朝の皇族といっても、今じゃただの人だから
仕方ないかもしれないが、リーマンの嫁で共働きって
カワイソス。
905 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:36:15
ラストエンペラーが中年ナースのヒモで終わったことを考えろ。
906 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:59:00
>>897 伊達工作員発見!
義光公だけでなく駒姫まで貶めようとしても無駄な事。
駒姫が日本史上最も悲劇的なお姫様である事は日本の常識。
907 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 07:56:17
黄梅院(武田信玄長女)
2〜3年前の戦国姫スレに比べると程度が落ちたね、こういうスレ
もうネタ切れなんだろうけど
”悲劇の”と限定せずに姫様総合スレにすりゃいいのにと思う
残り100レス切ったんだから頑張りましょうよ
古代編
・十市皇女
実家と夫が壬申の乱で争い、夫は自殺
その後実家に子供と共に連れ戻されるが、伊勢神宮参詣途中で突然死
高市皇子との再婚を許されなかったため憤死したという説もあるが謎
・井上内親王
幼少時に伊勢斎宮に剪定され、親と引き離されて伊勢暮らし
弟が突然死(変死?)したことでようやく都に帰ってくる
どマイナー皇族・白壁王と高齢結婚し、政局に巻き込まれることなく、運良く二児にも恵まれる。
実家に後継者がいなかったことから、夫白壁王が即位し皇后となるが
その翌年、突然息子と共に流刑にされる(おそらく無実の罪)。
流刑先で息子と同日に変死。
・不破内親王
井上内親王の同母妹。
新田部親王の息子・塩焼王と結婚、早くから聖武天皇の後継者争いに関わる。
夫は藤原仲麻呂の乱で戦死、その後は息子2人(1人説もあり)と共に陰謀に巻き込まれて幾度も流刑される。
最後はどこでどう死んだかも不明。
・正子内親王
嵯峨天皇皇女、淳和天皇皇后、母親は橘嘉智子
「承和の変」で息子(恒貞親王)を排斥されてしまう。ちなみに承和の変には実母橘嘉智子も荷担していた
可能性が高いとされる。母親に猛攻議するが、なしのつぶて。
その後は、その息子と共に出家して、世を忍ぶお経三昧の日々。
恒貞親王以外の子供達には全員先立たれる。
・藤原高子
在原業平との仲を裂かれて(?)無理矢理年下の清和天皇の后にされる。
清和天皇との間には後の陽成天皇を儲けるも、かなり年上だったためか余り相手にされなかった模様。
陽成天皇は実兄の藤原基経によって天皇の座から追放される。
更に高子自身も坊さんとの密通を疑われて「太皇太后」の称号も剥奪され、零落の晩年。
・昌子内親王
朱雀天皇の唯一の遺児。早くに両親に死に別れる。
その血の高貴さから従兄弟の冷泉天皇の皇后となるも、 この冷泉天皇が超弩級のキ(ry
昌子内親王自身も精神膠着状態に陥り、別居。
913 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 17:08:32
昌子内親王は、美人だったと記録にあるね。
914 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 19:16:08
知子女王
古代史編(後編)
・藤原定子
詳細略
・当子内親王
三条天皇の鍾愛の姫 なのだが伊勢の斎宮に飛ばされてしまう。
父の退位によって京に戻る。その後藤原道雅との恋に落ちるが
これが意外にも父の逆鱗に触れて出家させられてしまう。
その6年後に衰弱の末病死
・花山天皇の皇女(名前不明)
その当子内親王の元彼・藤原道雅によって斬殺される
皇女が謀反や陰謀に巻き込まれたわけでもなく犯罪に巻き込まれて殺されるのはかなりの珍事。
ちなみに
道雅は当子内親王と無理矢理別れさせられてから自暴自棄になってDQN化していたらしい。
・藤原多子(二代后)
詳細略
・建礼門院
詳細略
916 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 20:45:51
近代天皇の内親王
明治天皇
*房子内親王(北白川宮妃殿下)
北白川宮=悲劇の宮、夫&子供を事故、戦地で失う。
*聡子内親王(東クニ宮妃殿下)
嫁ぐ前から、反逆児的な人物だった夫。次男が震災で亡くなっても
女がらみで留学先から戻らず、兄大正天皇が病気になっても戻らず
怒りの電報を打つ。夫は、商売失敗、宗教設立、女問題で世間を騒がせる。
謙信公と伊勢姫の話は切ない(´・ω・`)
中世編(戦国時代除く)
・藤原伊子
摂関家の分家である松殿家の出身。「后がね」の姫として大事に育てられるものの
源義仲が上洛するに及び、とち狂った父親により義仲の側室に差し出される(義仲の強奪説もあり)
義仲が去った後、今更天皇の后にするわけにもいかず、今度は政界の黒幕オヤジ源通親の側室にさしだされる。
通親は伊子より22歳上。しかし、通親も1202年に死去し、父親の失地回復には貢献できず。
その5年後に死去。通親との間に曹洞宗開祖・道元を生んだとされるが、異説もある。
・大姫(源頼朝の娘)
詳細略
・竹御所(源鞠子)
源頼家の遺児の一人。頼家の横死後、祖母の北条政子の元で成長する。
北条政子は実父・頼家、兄・公暁の横死にも関わっていると言われる。
成長後、唯一の源頼朝末裔になってしまっていたため四代鎌倉将軍・九条頼経と政略結婚させられる。
但し夫は16歳も年下。
頼朝の血を継ぐ後継者誕生を周囲から期待され、結婚4年目にして33歳で懐妊するが、
高齢出産のために難産で死去。
・後嵯峨天皇の皇女(名前不明)
生母は体子内親王(後堀河天皇皇女) でありながら、生没年も名前も不詳という謎だらけの皇女。
だいたい生母の体子内親王自体、高位の女性でありながら正式に立后されてないなど謎だらけ。
『増鏡』によると、その後乳兄弟の四条隆康と密通したが、産後の肥立ちが悪く早世したとされる。
・懽子内親王(宣政門院)
後醍醐天皇の第一皇女で、母親は中宮・西園寺禧子。
伊勢斎宮に選定されるも、父親が引き起こした南北朝の動乱に巻き込まれ、伊勢への下向もままならず、
そうこうしているうちに父が隠岐島に流刑になり、そのまま斎宮を退下。
更に追い打ちをかけるように3年後に母の西園寺禧子が死去。
喪に服しているときに暴走オヤジ帰還。喪中なのに光厳天皇の后にさせられる。
当然ながら光厳天皇の後宮は居心地が悪かったようで、父の死を理由として出家し後宮をさる。
光厳天皇との間には2女を儲けるも、子供達の没年も不明。オヤジの暴走に巻き込まれっぱなしの人生。
920 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:59:19
・懽子内親王(宣政門院)
誰にも告げずに院御所を抜け出し、仁和寺で出家した際、
夫の光厳上皇が悲しんで贈った歌も載せといてくれ
南朝と北朝の橋渡しの犠牲になった姫宮だけど
夫の光厳上皇には愛されていたようだよ
そういや異母兄の宗良親王が「新葉和歌集」の中で
足利尊氏が攻めてくるというので後醍醐天皇に付き添って比叡山に遁れる際
都に残る異母妹宣政門院に別れの挨拶に訪れたシーンがある
思えばあのときが最後の別れだったという歌も残っている
何年もたってからも異母兄に思い出されるほど
風情のある女性だったように思われる
921 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 21:20:25
竹御所の父、頼家が温泉地で暗殺されたとき「吾妻鏡」で
「フグリとりて〜」みたいな暗殺方法で死んでるけど。
これって、金玉を切り取られて死んだってことだよね。
922 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 21:27:29
>>921 頼家は金玉を切り取られた後斬殺された。
ただ、これを載せているのは「吾妻鏡」ではない。
都の貴族藤原兼実の日記「玉葉」。
幕府の公式記録である吾妻鏡には頼家の死の場面は描かれず、
故意に省いた可能性が高い。
>>920 光厳天皇も苦難続きの人だったからなあ。
六波羅一行の死に様を見る羽目になったり、正平の一統で
切り捨てられたりと、結構悲惨
924 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:55:12
十市皇女 壬申の乱の犠牲者。
中世編
・西園寺嬉子(今出川院)
西園寺公相の娘で10歳で亀山天皇に入内、
先に入内していた中宮・洞院佶子を皇后に突きだして中宮となる。
家格では西園寺家>洞院家であり、かつ似たようなケースで藤原定子vs藤原彰子の件もあり
嬉子優位と周囲には見られたが、その当時天下一の美貌といわれた佶子の前に敗北、
更に入内6年後に父もなくなり、有力な後見役を失って宮廷を去り出家。
鎌倉幕府・室町幕府関連人物で不幸そうな姫を捜したがよく分からなかった
守護大名まで見ていったら不幸な姫がいろいろいそうにも思えるが。
では不幸な姫に事欠かない
戦国時代編
・慶雲院(近衛尚通娘、足利義晴正室、足利義輝生母)
五摂家の姫に生まれ、足利将軍の正室となる…といえば聞こえはいいが、
戦国時代まっただ中のこの時代では貧乏暮らしの実家であり、苦労の多い嫁ぎ先だったと思われる。
息子が三好三人衆+松永久秀によって斬殺されたときに共に殺される(或いは自害)が
五摂家出身の姫で将軍正室だったという人物がこのような最期を遂げたのは前後に例がない。
・武田信玄の5人の娘
長女:黄梅院
→父親の謀略のために婚家先の不興を買い、離縁されて実家に帰される。出家後若くして病死。
戦国時代の政略結婚夫婦としては珍しく仲良かったのに…
次女:見性院
→夫は本能寺の変の混乱の中土民に襲われて死に、一人息子も夭折する。
武田家断絶を危惧して、縁者の生んだ徳川家康五男・信吉の後見人となるが信吉も夭折してしまう。
今度は徳川秀忠の隠し子・幸松をかくまって実子同様に育てる。幸松は後に保科家養子となり、
見性院は幸松に看取られて死にたかったがその要望はかなえられなかった。
三女:真理姫(真竜院)
→政略結婚で木曽義昌に嫁ぐ。しかし、織田信長に鞍替えした義昌に切れて、離縁、
以後木曽谷の山籠もり生活にはいる。その後、息子の木曽義利が改易されたことに対し、
徳川幕府に延々と運動をして木曽家の大名復活を計るが、願いが叶えられることはなかった。
徳川家も既に3代将軍治世末期になった1647年に98歳で死亡。
四女:松姫(信松尼)→詳細略
五女:菊姫(上杉景勝正室)→詳細略
・お市の方:詳細略
・淀殿:詳細略
妹2人については波乱の人生とは言えるが、晩年を見ると「不幸」とは言えないかと。
・細川ガラシャ:詳細略
・前田千世
前田利家とまつの七女。最初の夫はガラシャの息子である細川忠隆、なのでガラシャの嫁になる。
五大老の姫で、嫁ぎ先も申し分ないと思われた が 関ヶ原の合戦が転落の始まり。
姑の言うことに従い、実姉の豪姫にかくまわれるが、これが舅で戦国有数のDQN・細川忠興の怒りを買うことになる。
自分をかばってくれた夫共々、細川家から追放されてしまう。
その後は義理の祖父・細川幽斎の援助で京都で細々と暮らす。
そこまでして添い遂げた忠隆とも後に離婚して、金沢に帰された。
金沢に帰ってからは前田家家臣と再婚し平穏に暮らした様子なので、晩年までは不幸ではなかったようだ。
928 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:37:29
>>925 西園寺嬉子は入内したとき9歳。
一方、亀山天皇は13歳、この年齢にして早くも子を作るほど早熟な天皇だった。
亀山天皇は年上の妃17歳の佶子との間とのセックスに没頭していて、
まだセックスできない幼い妃に目もくれなかった。
嬉子はやがて里がちになり、父の没後、出家。
だが、このことがのちのち尾を引き、父の後を継いで関東申次となった西園寺実兼は
妹の嬉子の不遇から亀山天皇をどうしても許せず、佶子の皇子である後宇多天皇に后を奉らず、
皇統を外されていた亀山天皇の兄後深草上皇の子伏見天皇を天皇に立て、
後宇多天皇の后候補と言われていた自分の娘も伏見天皇の中宮にしてしまった。
南北朝に分かれた原因はここに一因がある。
皇后定子と中宮彰子の件は全く関係なし。
佶子が天下一の美貌だったという史料もなし。
929 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:41:24
>>918 竹御所
当時の女性は閉経するまで40過ぎでも子供を産んでいたから
33歳の出産が特に高齢出産ではないよね
当時の妊婦の出産死亡率はかなり高く
もっと若くても出産で死んでいる例はいくらでもあるから
930 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:52:43
何と言っても盗賊に犯された後に殺されて野良犬に喰われた花山天皇の娘
931 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:56:40
>>929 初婚の初産で33歳だったら高齢出産だと思うぞ
932 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:03:37
更級日記の作者も初産は30代だったな。
紫式部も30近い。
竹御所の場合は
・自分の父親を殺した張本人(しかもそれが実の祖母)に養育された
・回りの(0・∀・)ワクテカが高まる中死んだ
という2点が悲劇なんだと思われ
信玄の娘たちの中で一番上と一番下が一番不幸な件について
いや、亭主と不仲な余り自殺した一番下が一番不幸かw
935 :
934:2008/08/24(日) 00:27:42
あ、菊姫の亭主擁護は要りませんからw
お前のレスが一番要らない件について
戦国時代の不幸な姫
*駒姫:詳細略
*華陽院(徳川家康の祖母):詳細略
*禰々御料人:去年の大河で有名人に。詳細略
*北条夫人(武田勝頼夫人):詳細略
昔はどちらかというと悪女扱いだったが
*築山殿(徳川家康先妻)
も不幸な姫に入れてもいいかも知れない
あと「姫」と言うには微妙だがw
一瞬一気に上位に上り詰めたが、その後不幸のどん底に落とされた
*旭姫
*豊臣とも(日秀尼)
も不幸な人物だ罠
938 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 03:25:18
菊姫自害説なんて米沢の郷土史研究家の与太説なんだが。
それらが近年広がってきて、菊姫が気の毒。
来年の大河でどう描くかは知らんけど、
大河便乗の適当歴史本では面白おかしく自害説を展開するだろうから、
この2ちゃんでも、ニワカな知ったか野郎が自害説を書き込むのだろう。
戦国時代の悲惨な姫と言えば
宗像氏のお色姫と菊姫!
・・・菊姫って実は縁起の悪い名前か?
そういえば淀殿の別名も「菊姫」。
前田利家の早死にした娘も「菊姫」。
大友義統(宗麟の嫡子)の正室で、
流転の人生を送った女性の名は「菊姫」。
大坂の陣後に処刑された豊臣秀次の娘は「菊姫」。
姫ではないが皿屋敷系怪談のヒロインも「お菊」。
無念の死により祟り霊となった
(※後世のファンによる与太話も含む)
宗像「菊姫」と武田「菊姫」は説明不要。
女性名の「菊」は男性名の「勝」
(細川「勝」元、柴田「勝」家、上杉景「勝」・綱「勝」等)同様、
いわゆる「名前負け」する文字ではないかと思う。
>>938 スイ〜ツ(笑)韓流(笑)脚本家だから、きっと大喜びで採り上げる可能性大。
しかも「景勝は酷薄な香具師」と言わんばかりの書かれぶりになりかねん。
菊姫も景勝もある意味で「悲劇の人物」かもしれないとふと思った。
>>941 あと、武田信「勝」、羽柴秀「勝」、豊臣秀「勝」とかもいる。
これ以上はスレチなので、戦国後期の不幸な公家の姫編
*一の台:菊亭晴季の娘、豊臣秀次の正室。詳細略
*桂岩院:四辻公遠の娘、上杉景勝の側室。詳細略
*お与津御寮人:四辻公遠の娘、後水尾天皇の側室。詳細略
>*一の台
不思議なのは秀次にはもう一人正妻がいるんだよな
最近wikiで偶然知ったのだが。
池田恒興の娘(輝政姉)といわれているが。ちなみにこの人は三条河原の惨劇に遭わずに助命されている。
>>939 >宗像氏のお色姫と菊姫
詳細知った時何かぞっとした。妙な生々しさがあるというか。
双六やってていきなり母親の喉笛に噛みついたとか想像するとすごく怖い。
どちらの姫もカワイソス
>>942 上杉景勝の妻女については史料自体が乏しいし、
このスレタイ通りの「悲劇の☆お姫様」でもないと思うが。
まあ、子宝に恵まれなかったり若死にしたりしてはいるが
大儀院・菊姫は生年の崩し字の解釈で、
生まれた年にふた説があるが
どっちをとっても40代で死亡したことは変わらない。
若死にという年でもないと思う。
947 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 18:42:16
家臣に慕われたし、弟でお家再興できたし幸せな結婚だったと思うよ>菊姫。
子供はできなくても常高院のように家中で大切にされた人だと思う。
948 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 21:07:16
>>942 お与津事件は後世言われるほどの事件でもなかったような
お与津の兄はこの件で流されたがすぐに都へ戻ってきているし
兄の娘はなぜか後水尾上皇の愛妾になってるし
三姉妹というと、どうしても浅井三姉妹が有名すぎるが
島津義久三姉妹もなかなか。
久保・家久に嫁いだ三女しか知らないや
あとの二人はどんなの?
>>950 長女:同族の薩州島津家の当主に嫁いで、男の子5人(4人説もあり)に恵まれる割合に幸せな結婚生活
だったのだが
夫が死んで、豊臣秀吉に九州が制圧されてから、長男(実の息子じゃない説もある)が島津本家からの
独立を企むなどどんどん不穏な雰囲気に。朝鮮出兵の時、その長男が
「朝鮮出兵するのに、義弘おじさんの配下なんてヤダヤダ、単独で行くもん」
…と主張したのが、秀吉の逆鱗に触れ、逆に領地も取り上げられる。
長男は小西行長にお預け(すぐに謎のあぼーん)、他の息子もみんな秀吉配下の武将に囚われる。
自分も名護屋城に引き出されるが、後に一人のみ鹿児島に帰された。以後一家離散。父・義久に先立って死亡。
次女:同族の島津彰久(後の佐土原藩主・島津以久の跡取り息子)に嫁いで、息子を儲けるが、そのすぐ後に
夫の彰久が朝鮮半島で客死。更に妹が家久との不仲で跡取りを儲けられないために、
自分の息子が島津家の家督相続問題に巻き込まれる。結果は家久の前に完敗。息子は発狂の末に毒殺。
孫達にも次々に先立たれ、唯一残った孫も最晩年にお家騒動に巻き込まれ幽閉される中、先を案じつつ亡くなった。
(ちなみにこの孫も後に暗殺された)
952 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 07:51:12
>>948 間に生まれた梅宮は、内親王になれずに奈良の寺の尼になってる。
そこが、大正天皇の三笠宮の双子説の内親王がいたとされる。
953 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 11:16:40
女官が生んだ皇女が内親王宣下されないのは当然だわな。
同じく女官腹の妹二人は内親王宣下されてるけど
光子内親王は徳川家綱と婚約の話が合って東福門院の養女になって
常子内親王は近衛家に降嫁したから宣下された特殊例だからな。
同母の天皇さえいないのに内親王になれるわけがない。
東福門院が後の明正帝を産む前と、
産んだ後にできた子では、扱いに差異が生まれて当然。
955 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 19:56:02
>>954 江戸時代の皇女の多くは門跡に入れられ内親王宣下を受けない
摂家や宮家、そして将軍家などに嫁ぐ場合のみ嫁入りの直前
成人してから内親王宣下を受ける
子供のうちから内親王宣下を受けるのは
余程身分の高い母親を持つ皇女のみ
956 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 20:06:53
>>952 ちがうな。
梅宮は子供のころから強制的に寺に入れられていたのではない。
13歳の時に10歳年上の摂家の鷹司教平と結婚し、その正室に収まっている。
そのまま幸せな家庭を築くと思いきや、まもなく夫教平と離婚。
その後、世の無常を感じたのか、22歳の時に自分の意思で出家した(法名;文智大通)。
その翌年には京の修学院に草庵を結んだ。
のちに父後水尾上皇が修学院に離宮を築くことになり、文智は奈良の地に移った。
為さぬ仲の東福門院と交流があり、東福門院が将軍徳川家綱に願って
文智が門主を勤める円照寺に知行二百石が与えられた。
東福門院との交流はその後も続き、文智は東福門院の最期も看取っている。
>>951 ありがとう
亀寿が一番ましな人生を送ったように見えてきたよ・・・
あくまでも創作である杉本苑子の「月宮の人」だが
ここにいる者の薀蓄を聞いてるより、よほどタメになる。
960 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 12:59:45
何で、梅宮は奈良の寺にいったんや・
961 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 15:50:06
珍子内親王のその後は?
珍子・・・
まあそんなにつっこんでやるなよ。
ちなみに遙か後の世ではあるが「義珍」という名前を持った武将もいたことだし。
1001まで後39レスかな?
江戸時代編
・千姫:言わずと知れた徳川秀忠と小督(お江与)の方の長女
2人の夫に先立たれ(そのうち一人は実家との戦争による自害)、次々と近親者が死ぬという不幸に襲われるが
晩年はそれなりに安寧だったかも。
・国姫:松平光長の娘、松平光通の正室。
実家からの余計な口出しで夫婦仲がまずくなり、いたたまれずに自殺に追い込まれてしまった。
965 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 19:05:24
国姫って千姫の妹勝姫が死に追いやった感じだよね。
966 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 20:28:18
男子を産めなかった正室などごまんといるしさ
国姫に男子がなく側室腹の庶子は許さないというなら
他家から養子でも貰えばよかったんだ
江戸時代の大名家など養子だらけ
改易になるし何をやってんだか
967 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:16:20
佐治なにがしと離縁させられて家康に嫁ぐことになった朝日姫は気の毒ではある。だが、40を越え、百姓仕事で肌はどす黒く、不美人で姥といっていい朝日を閨で愛撫するはめになった家康の苦労は偲ばれる
>>966 だからその養子という策も大姑の勝姫に封じられてしまったから
969 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 08:04:44
勝姫は国姫の実祖母じゃなかった?
ところで国姫が産んだ娘はいずこに?
970 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 13:00:07
勝姫って、結構気が強くて夫も不幸に導いた気がしてならん。
姉妹は、のんびりした気質が多いのに。
971 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 13:31:35
旦那はガチの基地害だからあんまり関係ないような。
勝姫は晩年に長女と過ごせてまあまあいい人生だったのではないか
972 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 14:44:44
諸説あるが、勝姫の息子をホモ時代の家光の後継者にすると
秀忠は約束していたらしい、それが反故にされて姫は恨んだらしいが。
前田利常の息子(母親は家光の姉・珠姫)も一時候補者だったらしい
最もホモ相手候補者なのではとも噂されたようだがw
(参考『遊びをする将軍踊る大名』山本博文)
家光・勝姫姉の珠姫は早くに両親と別れて政略結婚させられ、多産のために早世した姫様
微妙に不幸とは言いにくいかも知れないが、さすがに生ませ杉だな
利 常 自 重 汁w
974 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 21:01:53
>>969 勝姫は国姫の実祖母
孫娘に多大な期待をかけすぎてしまったんだろうな。
今に見ていてください、うちの孫娘は必ずやります、後継ぎを産んで見せます、
私がここまで応援しているのだから、お前(国姫)必ず頑張りなさいよ、って。
努力してもやれることとやれないことがあるのに期待ばかりが大きすぎた。
国姫の2人の娘
長女の布与姫は佐賀藩主鍋島綱茂の正室となった。
子供はなく、綱茂の後は養子(綱茂弟)をとることになったが、
布与姫は寂光院となり晩年は穏やかだったよう。
次女の市姫は嫁ぐことなく夭折している。
975 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 21:17:04
>>970 勝姫は10歳で忠直に嫁ぎ、15歳のときに第一子の光直を産んだのをはじめ
所生の3人の子はすべて10代のころに産んでいる
23歳の時に夫は蟄居を命じられ3人の子を連れて実家の江戸城へ帰ってきた
10歳で嫁いだ勝姫が夫の性格を変えたとは思えん
むしろ気狂いの夫のそばにいたために性格が変わったんだろう
江戸城へ帰れば3代将軍家光の実姉として待遇は良かったし
婚家での地獄を見たので楽園だったろう
姉の千姫のように再婚することもなかった
>>972 秀忠が庶兄秀康の系統に将軍位をやる気だったとは考えがたい
秀康は家康から徳川姓を名乗ることすら許されなかったからね
ましてや息子の忠直はまともではなかった
息子が将軍になったら何するか分からん
976 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 21:55:09
忠直は、大分で静かに余生を送ったらしいから勝姫にも原因アリじゃ?
977 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 21:57:34
>>975 秀忠の同母弟の忠吉にすら許されなかったからね。
978 :
日本@名無史さん:2008/09/05(金) 10:57:22
何が許されなかった?
次スレどうする?
実は建てようとしたがはじかれました(´・ω・`)
なので
>>980よろしく
次スレのタイトル案として
・日本史のお姫様
あげときます
(理由は
>>909参考)
高貴なお生まれながら、
性格や逸話などが個性的な姫君たちについて、
思う存分語りましょう。
…辺りでしょうか?
984 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 23:57:47
駒姫伝説 悲劇のお姫様を語る
これでしょう
駒田伝説か
戦国時代になるが宇都宮鎮房の娘・鶴姫も悲惨
つか、黒田官兵衛親子黒すぎる
ちなみに官兵衛が鎮房・鶴姫をだました「長政とのケコーン話」だが
長政はその後2回ケコーンしているが、最初の1回は家康の養女と政略結婚するために離婚したそうな。
相手は蜂須賀家政の娘だったが、結局蜂須賀家も家康側についたから何のために離婚したのかよく分からない。
この長政元嫁も実家にかえってからどうなったかよく分からない。
988 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 02:22:01
姫と
989 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 04:27:26
次スレは、無しということか
990 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 07:40:34
>>987 鶴姫の話がなぜ途中で途切れている?
鶴姫は父親の和議の条件として黒田長政へ嫁ぐため
長政のもとへ向かったところ黒田親子の騙しにより実父は殺され
鶴姫も13歳にして磔にされ殺されたのが悲劇。
長政の最初の妻は豊臣秀吉の養女だったから
保身の長政はなんだってしただろう
離縁ならまだまし
長政に殺されなかっただけでも
991 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 08:58:02
やっぱし、築山御前だろ。
浜松城に家康の銅像を作る会の発起人全員が
短期間のうちに事故や病気で全員死亡してしまった。
これ、本当の話です。
浜松には築山御前の怨念が今も漂っているのです。
992 :
次スレ:2008/09/07(日) 10:29:39
993 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 10:52:30
おつ
1000 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 12:49:59
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。