明治維新とは一体なんだったのか?2

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1
 知れば知るほど、学校で習った知識とかけ離れていく、明治維新

引き続き、第2弾いって見よう。

前スレ

 明治維新とは一体なんだったのか?1
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1045723543/l50
2:03/05/20 13:46
 江戸260年の歴史を終わらせた、明治維新
果たして明治維新とは一体なんだったのか?

 薩長連合を組んでまで、無理矢理尊皇攘夷で倒幕して、
明治維新を起こさなくても、当時の歴史的な流れから見
たら、必然的に明治維新的なことが起こっていたはずだが?
3日本@名無史さん:03/05/20 13:53
 
 






  お ぐ りこ

   
    うずけ

 
         す け


4日本@名無史さん:03/05/20 14:27
ゴジラvsキングコング
5日本@名無史さん:03/05/20 14:31











      爽 vs   スーパーカップ
6心と心のふれあいを大事にしたい関西人:03/05/20 16:21
1さんにお聞きしたいんだけど、前スレで、明治維新は市民革命だとする説があったけど、
それについてのあなたの意見、疑問を聞かせてほしい。
7日本@名無史さん:03/05/20 17:03
関連スレ

明治維新の思想的原理とは何であったか?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1029594444/
8日本@名無史さん:03/05/20 18:18
関連スレ

明治維新ってよくわからない。
http://mentai.2ch.net/history/kako/974/974385670.html
9ミカドブランド:03/05/20 22:11
まず考えなければいけないことは、幕府の権威がどのように低下していったか、
という構造的な問題です。
 その中の一つとして幕閣の権力のありかたを見てみましょう。
 一部の例外を除いて幕閣は小大名や旗本、御家人から抜擢されました。
 幕府を擁護する人たちのいうように、幕末においては特に、優秀な人材が揃っていたようです。
 しかし彼らがその高い能力を存分に振るうことは困難でした。
 何故なら彼らが新たな政策を打ち出そうとしてもその所領の小ささゆえに財源が不足していたからです。
 在野に彼らの理想に共鳴し協力したいという、有能で信頼のおける人材がいても、
とてもではないけれど、家臣に取り立てることなど出来ませんでした。
 歴代幕閣の中でも特に優秀だったと思われる田沼意次は、
その問題を発展めざましい商業からの資金調達によって、
解決しようとしました。
 商人たちにとっても、安全保障、幕府主導の信用の醸成、公共事業の受注といった、
見返りがあれば、そのために必要な投資をするにはやぶさかではなかったと思われます。
 しかし本来課税対象ではなかった分野に対する公平な課税というものは、
体制のなかで確立することは困難でした。
 田沼は失脚し、改革のために集めた資金は、本来、税といってもよいものだったのが、
賄賂という汚名を着せられることになったのです。
 このことは、その後の幕閣にも足かせとなってしまいました。
 政治とは多くの力を集めて、目的を遂行するものであり、
清濁合わせ飲むことはある程度しかたないことなのに、
必要以上に清廉潔白であろうとせざるを得なかったのです。
 やがて先送りしてきた諸問題が山積みとなったため、
幕閣に実行力のある大大名を起用せざるを得なくなった時に登場したのが、
井伊直弼です。
 彼は開国を断行し、反対意見を出した有為の人材を処罰しました。
 そしてそれに対する報復を受けたのです。
 これもまた以後の幕閣の実行力をそぐことになりました。
 こうして政治の主導勢力が機能を失っていたことからも、
「御一新」は必要なことだったと思われ、
それが明治維新という形となったのやむをえないのではないでしょうか。
10日本@名無史さん:03/05/21 05:21
封建主義の殻から抜け出し、産業革命を成し得た西洋先進諸国の世界侵略の中で
日本もまた時代の流れとして、変わらざるを得ず、旧態全とした幕政では開国し
て近代産業を取り入れたとしても、今までの歴史が手かせ足かせとなって成功は
しなかっただろう。
いい意味でも悪い意味でも歴史の必然は明治政府でなければ、近代化は進展しな
かったんではないか。
11日本@名無史さん:03/05/21 07:03
明治政府の樹立は結構なことだが、薩長藩閥政治でなっければ
近代化に成功しなかったという意味なら、賛成できんな。
12日本@名無史さん:03/05/21 09:54
>>11
 それはそうだ、薩長でなければ出来なかったと言う訳ではない。
 ただ薩長主導の藩閥政治は弊害もあったが、これは倒幕に力を尽くした
 両藩の論功行賞からも多少は致し方のないところではないのかな。
 藩閥政治ではあったが、人材登用の面でも有能であれば最後まで抵抗した
 幕府方の榎本武楊や大鳥圭介などの人材も多く取り込んでいる。
131:03/05/21 13:17
>>6
 市民と言う言葉自体、ヨーロッパ産です。また、明治維新(倒幕)
を直接起こしたのは、町民ではなく下級武士です。だから、明治維新=
市民革命説には、首を傾げます。
14日本@名無史さん:03/05/21 13:48
全てはペリー来航から始まった。
15日本@名無史さん:03/05/21 17:11
史実として薩長にしか出来なかったのだが・・・
人材をスポイルする弊害が大きかった為に、江戸時代には多くの才能がその芽を摘み取られていった。
薩長だけが、260年の伝統に絡みとられる事無くこの体制を打倒出来たのだ。
16日本@名無史さん:03/05/21 18:07
明治維新は暗黒時代の始まり。

ウリナラを見習え。
17日本@名無史さん:03/05/21 19:42
またキショイ奴が飽きもせずにオナニースレを立てたかw
本当に低脳だな、このスレの1は
お前のオナニー見せつけるためにインターネット使うなよ、
吐き気がするぜ、まったく!
18日本@名無史さん:03/05/21 21:22
>>15
土佐の存在はあぼーんですか?(´・ω・`)
まあ勤王党の獄やらでいっぱい死んじゃったからなぁ・・・。
19日本@名無史さん:03/05/21 23:05
どんな組織でもできたての時は人事は論功行賞だ。
それがわからんやつは多分引き篭もりの世間知らず。
20心と心のふれあいを大事にしたい関西人:03/05/22 01:04
>13
>市民と言う言葉自体、ヨーロッパ産です。

「市民」は「ブルジョア」の翻訳で「ブルジョア」とは「都市に住む金融、商工業者の上層部」
という意味です。日本史の用語では「町人」に相当します。
「ブルジョア」を「町人」ではなく「市民」と訳してしまったことが混乱の第一歩だったのです。

>また、明治維新(倒幕)を直接起こしたのは、町民ではなく下級武士です。

大きな社会体制の変革には「指導者」「軍事力」「資金」の三つが必要です。
多数の下級武士は、尊皇攘夷の大義名分を信じて「軍事力」として利用されたのです。
一部の下級武士と公卿(=指導者)は、開国と倒幕による近代化が必要だと理解していましたが、
それをおおっぴらに言うと、多数の下級武士の支持を得ることができないので、
表向きは尊皇攘夷を訴えていたが、その本質は開国=倒幕だった。
そして、これがもっとも大事なことなのに教科書にも参考書にも書かれていないのですが、
「指導者」に活動「資金」を提供していたのは大商人(町人=ブルジョア=市民)だったのです。
戊辰戦争の初期のころは三井、しばらくして島田、小野などが資金援助してました。





21日本@名無史さん:03/05/22 01:06
開国近代化は必然
薩長の権力掌握は偶然
常識でつ
22心と心のふれあいを大事にしたい関西人:03/05/22 02:03
20の続き

開国によって商人が物を輸出するようになって
国内が物不足になりインフレになり、
庶民やもともと貧しい下級武士もさらに生活苦に陥った。
多数の下級武士は経済的な因果関係からも攘夷すべきだと思い、
また、貿易で利益を上げる商人を憎んでいました。
だから「指導者」と「資金」を提供する商人の関係は、目立たないように
つながっていた。
 したがって、倒幕後、維新政府が開国和親を宣言したのは当然である。
 1さんがどうしても納得できないなら、フランス革命も初期のころは、
ラファイエットやミラボーなどの自由主義貴族が前面に立っていたことを思い起こしてほしい。
 あるいは、イギリスで、ピューリタン革命から名誉革命にかけて、
表向きは貴族(領主)の議会での政争に見えても、市民(ブルジョア)革命
と呼ばれるのは、政治権力に市民(ブルジョア=日本史における町人)が強い影響力を持つにいたったからである。
 倒幕、廃藩置県を通じて、商人(資金提供者)と指導者の結びつきは深まっていった。
ここで悲劇は起きる。指導者の中で、「商人、新興経済人などとの癒着を深め、
腐敗していくもの」と、「正義感を強く持ち、貧民や軍事力を提供してくれた貧しい下級武士の救済を優先すべきだ」
と思っているものにわかれる。しかしながら、前者は、俗物的で腐敗していたが、
その政策は国益の範囲内で、時代の流れに沿うものだった。大隈は最も腐敗した人物だが、
政策面において開明派と評価されている。 

倒幕後、西郷がなぜ征韓論に走り、それに敗れて下野し、廃藩置県で再び
政府に戻り、そしてまた下野したのかについては、いずれまた。
23日本@名無史さん:03/05/22 02:13
>>21
開国近代化の必要性は幕府も薩長も理解していただろうし、
薩長の権力掌握は偶然的要素も大きかっただろう。
だが幕府主体の開国近代化はムリ。
自民党の族議員に、公共事業の廃止を自主的に実行させたり、
共産党員にブルジョワを擁護されるみたいなものだからね。
24山崎渉:03/05/22 02:36
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
25日本@名無史さん:03/05/22 07:22
20は明治維新を市民革命だと主張しているのかな?
新政府の主体が幕府であっても幕藩体制の存続なんて
無理な状態になっていたんだから、必然的に市民社会へ
移行したんではないのか。
薩長による暴力革命か、幕府による無血革命かの違い。
26ミカドブランド:03/05/22 08:41
>25
 9に書いたように通常の幕閣に改革を遂行するのは力不足でした。
 そこで井伊のような強い権力を持った幕閣が登場したわけですが、
とても無血で時代を切り開くようなものではありませんでした。
 幕藩体制でなくなったら、幕府でないわけで、
幕府主導による革命とは一体どういうものなのでしょうか?

27日本@名無史さん:03/05/22 10:12
なぜ幕府の無血革命などと寝ぼけたことをいうのかな、革命と名の付く以上、暴力に
よってもあるいは無血であっても、価値観の大転換を伴うことは明らか、幕府の行おう
としたことは、頂点に将軍を横滑りで持っていき、諸藩の藩主を議員として合議制で
近代化を推し進めようとしたもの、このような旧態全とした制度で革命と呼ばれるもの
が行えるか、少し考えれば分かるだろうに、薩長の藩閥政治に批判もあるだろうが、主
体が地方の下級武士であり、彼らであったればこそあのような大胆な明治維新という革命
が断行出来たのは、偶然の賜物ではない時代の必然性だったことを感ずる。
28日本@名無史さん:03/05/22 11:12
>>23
>開国近代化の必要性は幕府も薩長も理解していただろうし、
もし理解していたとしたら、
どうやって開国近代化するつもりだったの?

>自民党の族議員に、公共事業の廃止を自主的に実行させたり、
>共産党員にブルジョワを擁護されるみたいなものだからね。
薩長はむしろ自民党内の不満分子程度の存在。
彼らは幕藩体制を根本から否定する思想をもっていなかった。
29日本@名無史さん:03/05/22 11:21
>>27
>なぜ幕府の無血革命などと寝ぼけたことをいうのかな
誰もそんなこと言ってないだろ?
薩長が近代化に敵対し続けるなら最後は軍事的に殲滅する必要がある。

そもそも明治維新は「革命」などではない。
上からの近代化は極めて権威主義的行為で、強力な権力が必要。
当時、この上からの近代化を推進できる機構は幕府以外に存在しなかった。
薩長は幕府を乗っ取ったからこそ近代化を行うことができたというのが実態。
30ミカドブランド:03/05/22 11:39
 幕府に権威がなくなったから天皇をかついだわけで、
幕府を乗っ取ったわけではないと思います。
31日本@名無史さん:03/05/22 11:53
全部九条兼実の陰謀
尊皇派も薩長もこいつに利用されただけってのが常識だな。
あと町人農民は関係なし。
32日本@名無史さん:03/05/22 12:25
×幕府に権威がなくなったから天皇をかついだわけで、
○幕府の権威を簒奪するため天皇をかついだわけで、
33日本@名無史さん:03/05/22 12:40
>幕府主導による革命とは一体どういうものなのでしょうか?

イギリスの名誉革命みたいなものですよ。もし薩長のクーデター
が成功せず、旧幕側が新政府の中核になったとしたら、イギリスの
土地貴族が政治の主体でありつづけながら、同時に重商主義政策
が進められたのと同じような展開になっていたのではないかとおもわれる。
フランス革命のような暴力革命だけが革命ではない。
34日本@名無史さん:03/05/22 12:41
>>33
むしろプロイセンでは?
35日本@名無史さん:03/05/22 12:51
岩瀬や橋本を葬っているような連中が自滅しただけの花氏。
36日本@名無史さん:03/05/22 13:00
優柔不断で無能で八方美人な阿部が元凶だな。
最初から幕府が断固として開国してれば問題はなかった。
37ミカドブランド:03/05/22 13:03
東側の政権が重商主義政策を取るのには無理があります。
幕閣は薩長に比べ、商人との協力が下手でした。
 特に小栗の拙劣な貨幣政策は大阪の商人を苦境に陥れました。
 西側からの全国統一が自然な流れだったと思います。
38日本@名無史さん:03/05/22 13:09
>>37
金流出問題の原因は岩瀬だろ。
小栗はアメリカに乗り込んで為替問題を解決してる。
当時の薩長にこんな高度な外交交渉ができる人材がいる?
岩倉使節団なんて欧米から馬鹿猿扱いされてるね。
39日本@名無史さん:03/05/22 13:13
井伊や南紀派連中が牛耳っている幕府では川路や岩瀬といった能吏の登用はありえない。
40日本@名無史さん:03/05/22 14:08
>>27
 明治維新が革命じゃなかったら一体どういうのが革命なのかね。
 
41あぼーん:あぼーん
あぼーん
42日本@名無史さん:03/05/22 20:15
>倒幕後、西郷がなぜ征韓論に走り、それに敗れて下野し、廃藩置県で再び
>政府に戻り、そしてまた下野したのかについては、いずれまた。

どうでもいいが何故誰もこの事実誤認につっこまない?
43日本@名無史さん:03/05/22 20:23
>>38
肥前の大隈や副島は外交上手かったよ。
岩倉使節団かダメダメだったのは認めるけど。
44心と心のふれあいを大事にしたい関西人:03/05/22 20:57
>29
>上からの近代化は極めて権威主義的行為で、強力な権力が必要。
>当時、この上からの近代化を推進できる機構は幕府以外に存在しなかった。
>薩長は幕府を乗っ取ったからこそ近代化を行うことができたというのが実態。

それならなぜ、新政府は毛利幕府、あるいは島津幕府とならなかったのか。
明治維新は上からの近代化とよく言われるが、フランス革命においても、
旧支配階級出身が活躍していて、
初期のころはラファイエットやミラボー、恐怖政治のとき、ロベスピエールと組んでいたサン.ジュスト、
そしてナポレオンもみな貴族なんだよ。
45日本@名無史さん:03/05/22 21:41
>>44
横レスで申し訳ないが

>それならなぜ、新政府は毛利幕府、あるいは島津幕府とならなかったのか
「幕府」という大小領主がそれぞれ徴税・分配を行う体制では
日本全体の近代化や外交に大きな支障がある。
その為徳川幕府後、同じ「幕府」体制ではなく中央主権体制である太政官体制になった。
そこでの人事は倒幕に功績のあった者を優遇したので藩閥政府になった。
前スレの初めの方でそういう議論があったと思うので、
まだ見てなかったら一度読んでみたら?
46日本@名無史さん:03/05/23 01:36
>29
>上からの近代化を推進できる機構は幕府以外に存在しなかった。
 そんなことあるもんか、それは幕府領のみに通用する機構ってことだろう、
 そんなこと言ったら肥前の鍋島なんかは怒るぞ、鍋島は独自で近代化を推
 し進めて幕府以上のものを作りあげてるじゃないか。
>薩長は幕府を乗っ取ったからこそ近代化を行うことができた。
 あたりまえじゃないか、腐れ幕府を潰したからこそ諸々の改革が出来て近
 代化が進みわずか数十年で世界に伍する国になれたんじゃないか。
47日本@名無史さん:03/05/23 02:22
幕府による開国近代化をさんざん邪魔したDQNが、
幕府を乗っ取ってみたところ幕藩体制は財政的に維持困難な状態だった。
ところが将来の見取図を持ち合わせていない腐れ薩長は、
経済の困窮を顧みず、幕府の財産の山分けに熱中し、
国家を破綻寸前に追い込んでしまう。
結局、薩長は権力にしがみついているためには、
幕府が行おうとしていたことを行わざるを得なかった。
48日本@名無史さん:03/05/23 02:37
薩長は藩内では開国近代化を幕府以上に推し進めていたし、
幕府は莫大な借金で、山分けする財産の欠片もない罠。
そして薩長は中央集権国家の建設を最初から、目的としていた。
49日本@名無史さん:03/05/23 02:54
幕府の開国近代化は欧米の丁稚になることに他ならないから、薩長が反発するのも当然だな。
あんなクズに政権を任せられんだろうし。
50日本@名無史さん:03/05/23 03:17
薩長の鹿鳴館路線は欧米の丁稚じゃないのか?
51日本@名無史さん:03/05/23 03:27
>>48
へ〜
>薩長は藩内では開国近代化を幕府以上に推し進めていたし
具体的にはなに?

>そして薩長は中央集権国家の建設を最初から、目的としていた
「最初」とはいつ?
その「中央集権国家」とはどのようなもの?
いつ誰が「中央集権国家」建設プランをつくったの?
その「目的」を示した綱領や宣言にあたるものはなに?
52日本@名無史さん:03/05/23 06:21

ところで江戸城の金蔵から小栗らが持ち出して、赤城山中に埋めたといわれる
数百万両は中々見つからないね、数代に渡りいまだに掘り続けてる人もいるら
しいけど・・・?今この金が見つかれば、この不況も多少はよくなると思うんだ
けどなあ。
53日本@名無史さん:03/05/23 08:26
>51
やっと幕府も気づいた罠、中央集権国家でなければならないことを。
でももう遅すぎた、尊王思想の広まりの中で誰が日本の主人である
かってことを、何も中央集権国家とはどのようなもの?その建設プ
ランを作ったのは誰?君失礼だけど歴史を勉強してないの、武家が
政権を取る前は都から派遣されて国司が政務を司っていた中央集権
国家じゃなかったけ??薩長ならずとも歴史を勉強すれば天皇を中心
に据えれば自ずから中央集権国家になり国がまとまる事は自明の理。
54日本@名無史さん:03/05/23 15:33
>>53
武家政権が何百年続いたと思ってるんだ?
政権を握ったはずの後醍醐天皇は国をまとめたか?
55日本@名無史さん:03/05/23 18:50
お聞きしたいのですが
「大日本帝国」という呼称を使いはじめたのはいつからなのでしょうか?
明治維新期からなのですか?それとも大日本帝国憲法が制定されてからですか。
もし後者なら明治維新期は自国の呼称はなんとしていたのでしょうか。
教えてください。
56日本@名無史さん:03/05/24 01:24
薩摩も長州もなかっ!! うちら日本人ぜよっ!!!!
by龍馬
57日本@名無史さん:03/05/24 01:28
斉昭&直弼
58日本@名無史さん:03/05/24 01:39
ペリーに無理矢理開国を強制され、その屈辱をごまかすために
近代化しようとしたのが明治維新da
59日本@名無史さん:03/05/24 06:00
>>54
>武家政権が何百年続いたと思ってるんだ?
 何百年続いたって時代の波がそれを許さなければ、仕方がないじゃないか。
>政権を握ったはずの後醍醐天皇は国をまとめたか?
 建武新政の失敗のことか?これは尊氏が裏切ったため。為に後の世まで逆賊
 の汚名を付けられ、墓までも鞭打たれる始末。
60日本@名無史さん:03/05/24 07:17
尊氏の謀叛以前に後醍醐帝は性格破綻者だからなぁ。
讒言に乗せられて大塔宮を切るわ、正成の和睦案は蹴るわ、
勝ち戦をぶち壊すわで滅茶苦茶だもの。
尊氏なんてそんなに大した武将でもないのだから、
建武の中興破綻の責は帝にあると言っても良い。
要するに優柔不断な尊氏とマキャベリスト直義に天下の人心が集まる位
帝に人望がなかった、と。
61日本@名無史さん:03/05/24 23:57
>>51
>具体的にはなに?

大型の反射炉、炭坑の掘削、湾口の整備、西洋の武器の輸入、洋書や医学書の輸入などなど。

>「最初」とはいつ?

思想的な始まりはかなり古い。だが具体的な文字として残っているのは、
長州の場合は四境戦争で獲得した土地を天皇に返すと言った時かな、
この時日本全土の封建体制を解消し、土地を天皇(国家)のもと一元的に管理する方針を、
岩倉三条に語っている。
薩摩も同時期、大久保がこれより大人しい意見だが、似たようなことをいっている。
62あぼーん:あぼーん
あぼーん
63ミカドブランド:03/05/25 10:51
 幕府の行おうとしたこと、やろうとしたこと、というのは、
国家の上に立つものなら当然やらなければならないことばかり。
 意見を具申すると「これからやろうとしていたんだ、バカ!」
と言い返した、低能上司にそっくり。
64あぼーん:あぼーん
あぼーん
65日本@名無史さん:03/05/25 15:17
>63

事実を歪曲しているぞ。幕府が上司なら、上司がすでに始めた改革を
難癖つけて頓挫させ、奪った権力でその上司の改革を横取りしたのが
薩長ではないか。手段をえらばぬところは薩長とおなじだな。
↓これでいいのか・・・?↓ 佐幕派は完全に息の根を止められたな・・・↓

幕末の上野戦争で有名な、幕府軍の彰義隊の墓所が6月で閉鎖されます。
ニュースソースは、朝日新聞5月22日付夕刊など
インターネットの場合、http://www.asahi.com/culture/update/0522/007.html

今から約130年前の、ほぼ同時期に、
幕府軍と薩長軍の双方の慰霊施設が建てられました(複数)。
(その中で、代表的なものを比較すると)
薩摩長州軍の戦死者を祀るために建立された「靖国神社(旧名:招魂社)」は、
現在も実質上、政府の手厚い保護を受けてきれいに整備されています。
他方、旧幕府軍側の英霊を祭る「彰義隊墓所」は、
政府や自治体からの援助は全くなされずに、約130年経過した今、
朽ち果てて、この度、遂に閉鎖されることになりました。

彰義隊墓所が閉鎖されると知って、
その悔しい気持ちと、英霊を偲ぶ想いで、先日線香をあげに行ったのですが、
更に酷かったのは、墓所の管理人(隊士の子孫だそうだ)の態度でした。
英霊のため線香をあげようと墓前へ向かうのに、管理人はあからさまに
人を見下した視線で「余計なことするな、早く帰れ」の表情と仕草。
墓参で訪れた人を煙たがって馬鹿にするような(今の)管理人では、
閉鎖されてしまうのは、当然の流れ・成りゆきだと言えるでしょう。
これでは、彰義隊など幕府軍側の英霊が、成仏できません・・・・・・(脱力感)
67日本@名無史さん:03/05/25 15:47
開国近代化政策の意見具申なら早くから長井雅楽が行っているし、幕府に
好意をもって受け入られている。維新を起こした連中はその頃は
攘夷の無謀さもわからず愚かな言動を繰り返していただけ。
高杉は上海、伊藤と井上はロンドンの繁栄を見て攘夷の無謀を
やっと理解するほどの低脳ぶり。この程度の連中でも改革に成功
したんだから、近代化の主体は誰でもよかったんでしょう。
68日本@名無史さん:03/05/25 15:51
高杉は英国公使館を襲撃した気違いテロリストだしな。
69日本@名無史さん:03/05/25 16:50
長井雅楽を抹殺したのは松下村塾の基地害どもだし
70日本@名無史さん:03/05/25 17:27
>>68
高杉も長生きしてたら、参議とか、○○卿なんて地位について、
爵位までもらったんだろうな。
恐ろしい。
71ばしりすく:03/05/25 18:06
高杉は違うんじゃない。どっかでか逃げ出す所もあるけど、参議なんて枠にしばられたくないと思うけど。
どないなもんでしょ。
72日本@名無史さん:03/05/25 18:17
公金横領あたりまえな奴だから、山縣あたりと一緒に、江藤新平に
パクられたんじゃあないの。
73ばしりすく:03/05/25 18:23
横領位小さい小さい。山縣とは次元が違いすぎる。山縣こそ自分本位の小役人でしょう。
74日本@名無史さん:03/05/25 18:46
>>66
上野市民も国も冷たい・・・
存続できんの?
75日本@名無史さん:03/05/25 19:00
>>74
自分の家を「上野彰義隊墓所」と称していた小川さんが引っ越すだけ。
墓跡はそのままだし史料類は台東区に寄贈されるというから、
実際はほとんど影響ないのでは?
76日本@名無史さん:03/05/25 19:49
高杉は生き残っても結局反政府側に回るタイプだろう。
坂本と中岡も生きてたら西郷と大久保みたくなってたと思うよ。
77日本@名無史さん:03/05/25 21:12
坂本と中岡はまあ分かるが
高杉は井上馨の更に極悪バージョンになってたに一票。
78あぼーん:あぼーん
あぼーん
79日本@名無史さん:03/05/25 23:23
動乱期と平時では求められる資質が違う!

ここでウダウダ言っている連中はみんな動乱期には何もできないただの評論家だ!

そう!俺もそのひとりだ!
80日本@名無史さん:03/05/26 17:52
彰義隊墓所はもう一箇所ある。
81日本@名無史さん:03/05/26 18:03
だって庶民の国だもの。命がけで政治改革を実行しようとする
奴はおらんわな。
82日本@名無史さん:03/05/27 18:22
やはり明治維新はまちがいだったな。良質なエリート層育成保持の若芽を完全に摘み取ってしまった。
83日本@名無史さん:03/05/27 23:39
明治維新はまちがいだったなって、良質なエリート層があの第二次長州征伐での
長州の庶民兵に対し、あの体たらくでわな、はからずも幕府の組織のもろさを露
呈してしまった感じはいなめないな、そんな事なかれ主義に染まったのエリート
と云われる幕臣が近代化を進めたとしても、明治維新以上のまちがいを重ねただ
ろうな。
84あぼーん:あぼーん
あぼーん
85日本@名無史さん:03/05/28 16:03
また登場かよ、、age
86あぼーん:あぼーん
あぼーん
87日本@名無史さん:03/05/28 16:36
明治維新とは


大東亜戦争で某国の危機を招くまでの助走期間である。
88日本@名無史さん:03/05/29 22:12
>>1
明治維新とは

 間 違 い
89日本@名無史さん:03/06/02 00:02
>>67-9
いいながれだ。
90日本@名無史さん:03/06/02 00:03
明治維新@近代化

だろ?
91日本@名無史さん:03/06/02 01:40
青春の一ページ
92日本@名無史さん:03/06/08 03:36
              |彡 |   \\\\\\\|
             ヽ |へ、_  _,へ\\\\/
              | __   __  | / )
              |           |/ ノ
              |   ( / _ )      /
              ヽ       ヽ   |    明治ゲッツ!!
               ヽ ヽー‐‐‐ァ   /\
              //ヽ ヽ-‐'  / /\ \
            / /   ヽ_ /   / /   \
          /   \  |\  /|  /\      \
   (⌒\  /     (⌒ヽ |二| | /  \      \
 __ゝ  ヽ    ___ ゝ \  \| /   /       |
(        ヽ─ ( l )     ヽヽ  /  /   /     |
  ̄ ̄( ̄丿  |    ̄ ̄( ̄ ゝ  \ /    /       |
93日本@名無史さん:03/06/13 15:02
>明治維新とは
>大東亜戦争で某国の危機を招くまでの助走期間である。

同時期に市民革命やったドイツとイタリアが、日本と組んで世界大戦しちゃいました。
94日本@名無史さん:03/06/14 03:28
クチだけじゃない薩長の働きが明治維新です。
95日本@名無史さん:03/06/14 03:48
明治維新とは、史上まれに見る、見るも無残な、不完全なプロレタリア
革命なのであった。
一応、読点の打ち方が大江健三郎式。
96日本@名無史さん:03/06/14 03:49
近代化への布石だったと思うけど残念だったのは
民主主義を自国で得られるチャンスを逃したことかな?

植民地になる可能性があったけどその後の歩みを思うと
もっとどろどろの内戦になって歴史に血を刻んで
民主主義を勝ち取って欲しかった。
97日本@名無史さん:03/06/14 03:51
>>95 大江健三郎式ならこうだろ(プ
明治維新、とは、史上、まれに見る、見るも、無残な、不完全な、プロ、レタ、リア
、革命なの、であった。
98日本@名無史さん:03/06/14 04:46
かゆ、うま…
99日本@名無史さん:03/06/14 05:11
>96
一応大正デモクラシーとかあって、少しずつ民主主義が進んでいたんだ。
どこで狂っちゃったんだろうね。
100日本@名無史さん:03/06/14 06:22
「西洋の衝撃」への迅速なレスポンス。
押し寄せる「近代」に対し、旧来の東アジア型幕藩体制では対応できないことをいち早く喝破。
「欧米の植民地」として「近代」に組み込まれることを回避すべく、近代的な国民国家を速やかに形成した「東アジアの奇跡」

幕藩体制内での「西洋の衝撃」に対する改革者は井伊直弼。
幕藩体制ではドラスティックな改革はできないことを喝破し、長州藩という革命藩をつくったのは「高杉晋作」
それに乗ったのが「西郷、大久保」

明治維新後の専制的諸制度の立ち上げに功労があったのは「大久保」長州の広沢、木戸、ほか、岩倉、三条、寺島、大隈、板垣、後藤、・・・・。
101日本@名無史さん:03/06/14 06:30
民主主義と近代化はまったく次元の異なる概念。
近代化をはじめた江沢民中国も民主主義は採用していない。

「民本主義」の代表的な事例はやはり、議会で多数を占める政党が内閣を組織する、憲政の常道。
政友会も、民政党も、基本的には国際協調主義、議会主義、自由主義。
しかし、31年関東軍が勝手におこした満州事変を収拾できず、満州国を承認しない犬養政友会内閣は5.15事件で首相が暗殺され、政党内閣は終焉。
次に、国際協調主義をとる海軍主流に元老西園寺は期待をかけたが、これも、2.26事件で倒壊。
陸軍バカ「祭政一致」林内閣誕生。
この間、大阪毎日新聞、朝日新聞などは、国際協調主義、自由主義、議会主義を唱える政党を攻撃しまくり、日本陸軍の「侵略」を褒め称えていました。

以上、駆け足の20年代「大正デモクラシー」から、30年代「侵略」のイントロっす。
102日本@名無史さん:03/06/14 06:36
20年代のメインアクター「政党」は基本的には、国際協調主義、自由主義、議会主義。
30年代は、関東軍、日本陸軍、朝日新聞、毎日新聞がテロによって政党総裁の首相や閣僚、海軍主流の首相などを殺しまくり、中国大陸への大々的な侵略を開始したんです。
朝日毎日が「テロ」や「侵略」を大々的に後押ししたのは日本人は忘れてはいけません。
30年代でも、政友会鳩山派、民政党町田派は、軍国主義化に必死に抵抗していました。
103日本@名無史さん:03/06/27 22:39
>>101
納得
104日本@名無史さん:03/06/28 00:36
>同時期に市民革命やったドイツとイタリア

大大名による天下統一が市民革命?
105日本@名無史さん:03/06/28 10:17
マスコミが今言う「あの時は仕方なかった」「政府からの圧力があった」
なんてのは、dでもない大嘘だかんね。
106日本@名無史さん:03/06/30 23:15
>>67-9
でおわったな
107山崎 渉:03/07/12 12:53

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
108日本@名無史さん:03/07/13 23:14
 大英帝国並びに日本国のサムライ達に告ぐ 我々は薩摩藩である!
 いわゆる修好通商条約と呼ばれた不平等条約が偽りのものであることは誰の目にも明らかである!!
 なぜならば協定は日本国の名を語る幕府の売国奴によって結ばれたからだ
 我々はいささかも戦いの目的を見失ってはいない! それは間もなく実証されるであろう!!
 我々は日々思い続けた! 亜細亜諸国の自主独立を信じ、戦いの業火に焼かれていった者たちのことを!
 そして今またあえてその火中に飛び入らんとする若者のことを!
 亜細亜諸国の心からなる希求である独立に対し白人国がその強大な軍事力を行使してささやかなる
 その芽をつみ取ろうとしている意図を証明するに足る事実を私は存じておる・・・!
 見よ! これが我々の戦果だ! このエンフィールドの銃剣は亜細亜人を弾圧するために開発された
 このエンフィールドの銃剣が亜細亜人の血を吸い続けた事実をもってしても呪わしき白人国の悪意を否定できる者がおろうか!!
 顧みよう! なぜセポイ独立戦争が勃発したのかを! なぜ我らが鎌倉武士と共にあるのかを!!
 我々は3年間待った・・・ もはや我が軍団にためらいの吐息を漏らす者はおらぬ!
 今、若人の熱き血潮を我が血としてここに改めて私は大英帝国に対し宣戦を布告するものである!
 繰り返し心に聞こえてくる祖国の名誉のために!! 薩摩藩、万歳!!
109日本@名無史さん:03/07/13 23:49
銀河帝国イースの歴史書によると、
調教師グラバーを通じて調教された長州種を使い、原日本人を家畜にするために、伝統的な朝廷と幕府を破壊しし、日本人管理のために政府と称する、畜産公社を設立した事件。
公社の仕事
原種全体の改良は難しいので、原種調教用に適した固体を選抜し育成する。
タイヘヨー事件以来原日本をベースのものは手を良く噛むので、ハントーの外見の似たチョーセン種を使うようになった(日本種と違って餌は鉄の丸い玉)。
これは、白人にとっても危険な性質もあるので取り扱い注意し、要らなくなったら処分する。
白人のイメージする家畜とは、どんなものかを知らなければ原日本人が家畜人になりきれないので、大規模畜産と肉食を通じて原日本人を啓蒙する。
家畜として白人さまを崇めるさせるために、救い教なるものを世間に広める。
家畜が野生主に襲われないように、ケーサツと言う番犬を育成する。
他の畜産公社との競合のためにグンタイと言う番犬も育成する。
音感を5つから7つにし、白人の命令を聞きやすく改良する。
110山崎 渉:03/07/15 11:39

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
111日本@名無史さん:03/07/18 20:09
明治維新とは坂本龍馬がたった一人で為し遂げた市民革命です!!
112日本@名無史さん:03/08/01 16:03
   
113山崎 渉:03/08/02 01:42
(^^)
114 :03/08/03 16:41


【一山】 福 島 県 をはやらせませんか?【百文】
http://that.2ch.net/test/read.cgi/event/1059846901/
115 :03/08/06 15:40
  _n
 ( l    _、_
  \ \ ( <_,` )
   ヽ___ ̄ ̄  )   ウツクシマ!!
     /    /
   _、_
 ( ,_ノ` )      n
 ̄     \    ( E) フクシマ!!
フ     /ヽ ヽ_//
http://that.2ch.net/test/read.cgi/event/1059846901/l50
【一山】 福 島 県 をはやらせませんか?【百文】 ☆
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118日本@名無史さん:03/08/09 14:40
 倒幕派が起こした行動は、どんな詭弁を用いても
反乱行為で有り、到底正当化できる行為では無い。

 

 
119日本@名無史さん:03/08/09 15:23
何で薩長が近代化を邪魔するんだ?
史実で近代化を邪魔していたのは薩長の敵だろ

まあ、必ずしも近代化が絶対なる正義だと言うつもりは無いが
120日本@名無史さん:03/08/09 20:29
近代化とぴえば、島津と鍋島だろう。
121118:03/08/13 14:09
>>119
 本気で、後世の日本国内の為に尽力したのなら、文句は
言えないが、天下をとった後の行動を見る限りは、国賊以
外の何者でもないが
122日本@名無史さん:03/08/13 16:12
それ(句読点)野生生物板のコテハンだよ
123山崎 渉:03/08/15 12:45
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
124日本@名無史さん:03/08/21 21:42
薩長の発狂。これ。
125日本@名無史さん:03/08/21 21:54
攘夷に狂った薩長は日本近代化の邪魔者でしょ
126日本@名無史さん:03/08/21 22:25
明治維新は大いなる攘夷だ。
今こそ暴戻なる夷狄を再び討ち果たす聖戦を再開するのだ。
127日本@名無史さん:03/08/21 22:38
いい加減に近代化とか民主主義とか、市民革命なんてものを無条件に有難がる迷妄からは脱却しようぜ。
経済が国境を容易に溶解させている現代には、新しいスタイルを持つ独裁者が世界を支配する。

彼等が従来の独裁者たちと大きく異なる点は、表舞台に立って権力を振りかざす必要が無い事だ。
彼等は莫大な資本を手足として、ハシタ金で雇った自分の代理人に政治と戦争をやらせる。
手駒たちがいくばくかの金銭と引き換えに自分の命を落とす激闘は、すべて雇い主たちを危険に晒す事なく肥え太らせる目的で執り行われる。

近代化や民主主義などという価値観は、独裁者達に高性能な手駒と、さらなる富を潤沢に供給する為のお為ごかしに過ぎないのだ。


128日本@名無史さん:03/08/21 22:41
>>127
デンパ受信中
129日本@名無史さん:03/08/21 22:43
あのなぁ、そういう奴もテメェの女房子供に往生させられたりしてんのよ。
独裁者なんてものこそ、お為ごかしの幻なのよ。
130日本@名無史さん:03/08/21 22:45
僕らは正義が大好きです
131日本@名無史さん:03/08/21 22:54
現代の独裁者達は、経済力で社会を動かしている。
例えばIMF理事達の素性について調べてみろ。
米国の政策は、一見すると横暴で理不尽極まりない様相を呈する事があるが、
それは米国政府が愚かだからではない。
米国政府は、彼等の利潤追求の為の猟犬に過ぎない事に気づけば、
米国の理不尽な政策の全てが、周到な準備と綿密な下準備に基づく一貫した行動である事も見えて来る。
民主主義を妄信するものには、それが見えていない。
民主主義思想とは、民衆を絵空事の理想で世界の実相を包み隠す為の詐術なのだ


132日本@名無史さん:03/08/21 22:57
国家社会主義ドイツ労働者党員や、北朝鮮の拉致を手伝った社民党の政治家や、オウム真理教の出家信者達も、
聞く所によると正義が大好きな人たちだったらしい。
133日本@名無史さん:03/08/21 23:01
>民主主義思想とは、民衆を絵空事の理想で世界の実相を包み隠す為の詐術なのだ

包み隠されてるのに何でキミが知ってんの?
キミが知るくらいだったらみんな知ってるだろうし、
そうだとしたら民主主義を唱える香具師も、別に包み隠そうとか、包み隠せるとは思ってないのでは?
134日本@名無史さん:03/08/21 23:05
真の正義は民主主義には無い。
多数決を意思決定の原理とする民主主義には、重大な欠陥がある。
ある一つの議題に関して、その問題に精通するエキスパートの人数は、殆どの場合門外漢や無能者の合計数を下回る。
この比率が逆転しているケースは、極めて稀な事だ。

つまり大抵の場合、多数決という手法はエキスパートのみによる判断よりも愚劣な選択に走る可能性が高まる。
民主主義とは、馬鹿に社会を任せる制度なのだ。

金にモノを言わせて貧しい馬鹿どもを操る事が可能な存在にとっては、民主主義ほど自由自在な権限を持たせてくれる制度もなかろう。


135日本@名無史さん:03/08/21 23:06
だからデンパなんだってば!
136日本@名無史さん:03/08/21 23:07
137日本@名無史さん:03/08/21 23:11
民主主義や近代化などという迷妄を正義だなど錯覚する馬鹿どもは、デンパであるという事が分かったのか?
民主主義や近代が正しいなんて、何の根拠もない妄想だ。
138無料動画直リン :03/08/21 23:17
139日本@名無史さん:03/08/21 23:18
まあ、人権とか平等なんつっても、就職先の雇い主に楯突くのは色々と難しいものがあるもんだわな。
カネを持ってる奴は持ってない奴の意志を容易に支配出来るが、その逆は非常に困難だ。



140日本@名無史さん:03/08/21 23:21
キャラ的、内容的にもう少し華があれば人気デンパになれるよ
141日本@名無史さん:03/08/21 23:25
>>140
さっきから何一つ反論出来てない癖に、知った風な事ばかり言うなよ。
142日本@名無史さん:03/08/21 23:27
電波障害
143日本@名無史さん:03/08/21 23:28
民主主義を疑えるだけの知性も持ち合わせない無能どもに、一体何の反論が可能だというのだ?
144日本@名無史さん:03/08/21 23:30
だって、学校で民主主義が正義だって先生が言ってるもん。
よく新聞にも、民主主義が大事だって書いてあるよ。

145日本@名無史さん:03/08/21 23:32
ベタベタの自演やなw
146日本@名無史さん:03/08/21 23:32
皆が民主主義は正しいと言ってるから、民主主義は正しい。
疑いを抱くのはデンパだ。
147日本@名無史さん:03/08/21 23:33
>>145
無根拠な中傷はもういいから、少しくらい反論を試みろ
148日本@名無史さん:03/08/21 23:33
おやすみ
149日本@名無史さん:03/08/21 23:35
>>148
逃げるなよ。
口だけ野郎
150日本@名無史さん:03/08/21 23:36
民主主義者は、民主主義批判に対する反論の一つも返せない無能である事を自ら証明しますた。
おやすみ坊や
151日本@名無史さん:03/08/21 23:47
やっぱ武士道だろう
どんな社会体制にしても、階級は発生する。
平等を目指した共産主義国ですら、人事官僚が赤い貴族と呼ばれる特権階級と化した。
世の中には、必要であるにも関わらず、やりたがる者が稀な仕事が存在する。
原発や屠殺やゴミ回収の職場は、デスクワークよりも人気を集めないものだ。
どんな社会でも、働かなくては飢え死にする労働者達に対して人事権を握る立場の者が支配的なポジションとなるのは自明の理なのだ。
152日本@名無史さん:03/08/21 23:59
武士道マンセー
民主主義真理教在家信者FUCK!!
153日本@名無史さん:03/08/22 00:06
>151 意味不明だよ。もっと説明してくれ。
武士道とゴミ回収とどうつながる?
154日本@名無史さん:03/08/22 00:12
>>153
武士道とは、階級を否定する出鱈目な妄想に陥る事なく、
あくまで支配者としての言行を徹底して研ぎ澄ます思想だからだよ。
いかなる社会でも階級は発生する以上、必要なのは人権やら平等などではない。
望ましき資質を備えた支配者こそが必要なのだ。

155日本@名無史さん:03/08/22 00:17
民主もとより適用すべからず
君主もまた固守すべからず


by大久保利通

薩摩武士マンセー

チェストー
156日本@名無史さん:03/08/22 00:19
勝てば官軍だろ。勝った側は自分たちは望ましき資質をそなえているって言うに決まっている。
157日本@名無史さん:03/08/22 00:21
>>156
資質がなければ、始めから勝てる事がない。
支配者とは、生存競争の勝者の事だ。
158日本@名無史さん:03/08/22 00:23
ウザイぞ、ダサツマ!
159日本@名無史さん:03/08/22 00:25
かつて薩摩武士を制圧した三河武士の末裔は、260年の泰平の内に力を失っていった。
だから最後には、力を涵養し続けた薩摩武士の軍門に下ったのだ。
160日本@名無史さん:03/08/22 00:27
>>158
目障りなら、実力で薩摩武士を排除すればいい。
それが出来ないなら己の無力を呪いつつ、ままならぬ境遇を甘受しているがいい。
世界は強者のものだ。
161日本@名無史さん:03/08/22 00:27
こんなところに居やがったのか堕殺魔
162日本@名無史さん:03/08/22 00:28

幻覚症状にお悩みかね?
それは不憫な事だな
163日本@名無史さん:03/08/22 00:30
>>160
愛知と鹿児島の現状を鑑みれば、どっちが勝ち組か一目瞭然だな。
164日本@名無史さん:03/08/22 00:32
愛知県民の45%は、九州からの移住者。
愛知は薩摩の植民地。
165日本@名無史さん:03/08/22 00:35
つか、明治以降は日本全体が薩摩の植民地と化したのだが。
江戸時代を通して薩摩の下級武士だった大久保利通の子孫が、今や皇族に居る時代さ
166日本@名無史さん:03/08/22 00:35
なんで愛知が出てくるのやら。
167日本@名無史さん:03/08/22 00:37
僕の薩摩の友人は、人としての佇まいに美しさがある。
168日本@名無史さん:03/08/22 00:38
>>164
そのデータはどこから出てきたんだ?
169日本@名無史さん:03/08/22 00:42
>>165
日本全体がダサツマの植民地?
長州閥に対抗できなかったくせによく言うよw
170日本@名無史さん:03/08/22 00:45
長州との絡み技が仕掛けられますた(w
171日本@名無史さん:03/08/22 00:46
>>166
三河だからでしょ。
>>164
愛知県に住んでた頃、学校の郷土史の時間に統計データで書いてあった。
普通に「チェストー」というかけ声も頻繁に耳にして不思議に思っていたのだが、それで納得。
>>169
薩摩から武器を貰わなければ幕府にやられていたヘタレの分際で、喉元過ぎれば熱さを忘れてるようだな。

172日本@名無史さん:03/08/22 00:47
つか、薩摩と長州じゃ役者が違う。
長州の方が一枚も二枚も上手 とか仕掛けてみるテスト
173日本@名無史さん:03/08/22 00:49
薩摩は神
薩摩 イズ ゴッド
民主主義者は東目送りと言う事で


174日本@名無史さん:03/08/22 00:49
薩摩ってチョンの手下のくせにエラそうなこと
いうんじゃねえ
175日本@名無史さん:03/08/22 00:50
長州なんてどうでもいい。
薩摩より目立つのは収賄だけだ。
176日本@名無史さん:03/08/22 00:52
>>174
日本の偉人をチョン認定したがるのは、歴史上の偉人に事欠くチョンの習性。
177日本@名無史さん:03/08/22 01:02
民主主義を疑え。
民主主義社会の中では、自分に施された洗脳を自覚するのは困難だ。

178日本@名無史さん:03/08/22 01:05
>>177
チョンもたまにはいいこと言うね!
179日本@名無史さん:03/08/22 01:07
>>164
は?九州からの移住者は全員薩摩人になるのか?
つーか、45%が九州から来たって話自体うそくさいが。
180日本@名無史さん:03/08/22 01:08
チョンは自分に施された洗脳を疑う事などない。
つまり、民主主義者がチョンなのだ
181日本@名無史さん:03/08/22 01:10
おまはんなぁ、もうちったぁまともな日本語しゃべれんか?
182日本@名無史さん:03/08/22 01:11
>>179
愛知県で学校に通ってたら、郷土史の授業でそういう風に教わるよ。
九州からの移住者の中にどれだけ鹿児島人が居るのかは知らないがね。
詳しくはお国自慢板かまちBBSででも聞いてきたら?

183日本@名無史さん:03/08/22 01:13
民主 is チョン
184日本@名無史さん:03/08/22 01:14
チョン民主主義人民共和国マンセー
185日本@名無史さん:03/08/22 01:14
九州人だって大陸や南洋諸島からきた連中の混血だがな。
186日本@名無史さん:03/08/22 01:15
大陸=ムー
187日本@名無史さん:03/08/22 01:16
九州人なんて地理的に考えてもチョンの親戚みたいなもんだろ。
188日本@名無史さん:03/08/22 01:19
マジレスすると、九州人は地域によって民族的な系統が異なる。
薩摩の場合はほぼチョンとは無縁。
薩摩にいるチョンといえば、島津義弘がつれてきた職人の末裔くらいだよ。
189日本@名無史さん:03/08/22 01:21
そろそろ明治維新の話に戻らないか?
190日本@名無史さん:03/08/22 01:22
>>188
九州内で交流してれば自然にチョンの血も混ざってくるだろ。
191日本@名無史さん:03/08/22 01:23
島津自身がチョンじゃん。
192日本@名無史さん:03/08/22 01:25
長州は人種的にチョンだがな。
大内もチョンを名乗っていたようだし。
193日本@名無史さん:03/08/22 01:27
>>190
九州における民族の交流は、あまり均質ではない。
チョンとの混血は福岡で顕著だが、他の県では微々たるもの。
鹿児島は九州の中でも歴史的に他の地域との格差が最も大きい。
島津家は秦氏という説もあるが、朝鮮民族が形成される以前から日本に居た家系なのだから、チョンにはなりようがない。
194日本@名無史さん:03/08/22 01:32
秦氏という説以外にどういう説があるんだ?
195日本@名無史さん:03/08/22 01:34
民主主義者には、明治維新の価値など理解できない。
近代化はあくまで生存の手段に過ぎず、近代が目的である訳ではない。

まず近代を疑え
196日本@名無史さん:03/08/22 01:39
>>194
藤原氏を自称していた時期もあるし、その後は源氏を名乗っていた。
東漢氏である可能性も指摘されている。

秦氏だという説は、かつて秦氏である惟宗姓を名乗っていた形跡があるからだ。
しかし、これだけ自称をころころ変えているのに、秦氏に限っては事実だと見なす理由もない。

島津氏の先祖の素性については、実の所全く分からないも同然だ。

197日本@名無史さん:03/08/22 01:41
どこの馬の骨ともわからない下賎の出か
198日本@名無史さん:03/08/22 01:43
島津って関東から移住してきたんだろ?
199日本@名無史さん:03/08/22 01:47
下賎かどうかも分からない。
東漢氏や秦氏なら、エリートも多い。
歴史上の事実としてはっきりしているのは、いつの間にか近衛家に仕える家系となっており、その頃は藤原氏を名乗っていたという事。
しかし藤原氏を自称しながら、秦氏由来の姓である惟宗と名乗っていた事だ。

200日本@名無史さん:03/08/22 01:49
島津家の先祖については、薩摩藩の歴史スレでやったら?
ここは明治維新の話をする為のスレだよ。
201日本@名無史さん:03/08/22 01:49
東漢氏だという説の根拠は?
202日本@名無史さん:03/08/22 01:51
>>199
その時から既に節操がなかったんだな。
203日本@名無史さん:03/08/22 01:56
>>202
グッジョブ
204日本@名無史さん:03/08/22 02:01
認めちゃえばラクになるのに。
うちの殿様の先祖はチョンです、って。
205日本@名無史さん:03/08/22 02:11
>>199
藤原氏である。
じゃなくて、「自称」藤原氏なわけね。
206日本@名無史さん:03/08/22 02:20
朝鮮人だと認めたくないばかりに「下賎かどうかも分からない」かw
207日本@名無史さん:03/08/22 02:30
忠久が惟宗なんて定説だよ
てゆうか他に名乗ってない
208日本@名無史さん:03/08/22 09:58
>>202=203
極端なジエン御苦労さん                          と言ってみるか

まあ、自称源氏のどこの馬の骨とも分からぬ乞食坊主が末裔の徳川よりは
惟宗・比企と出自がしっかりしている島津がまだましじゃん。
209日本@名無史さん:03/08/22 12:08
203だけど202とは別人202の名誉のためにいっておく。
惟宗ならやはりチョンだね。
210日本@名無史さん:03/08/22 12:33
あほか、
どうして「自称惟宗」に限って無検証で信じるんだ?

それから秦氏はチョンと無関係だぞ。
半島に一度でも足を踏み入れたら最後、例外無く末代までチョン認定という事なのか?馬鹿馬鹿しい


そもそも、族譜を大切に受け継ぐ習慣を持つチョンが、島津みたいにコロコロ氏素性を言い換えて正体不明になったりする訳ないだろうが。
211日本@名無史さん:03/08/22 12:37
>1

何なんでしょ。(by松嶋奈々子)
212日本@名無史さん:03/08/22 12:39
>どうして「自称惟宗」に限って無検証で信じるんだ?

だって「惟宗・比企と出自がしっかりしている島津がまだましじゃん」
と言ってるわけだろ?「出自がしっかりしている」ということは
少なくともあんた自身は惟宗氏の後裔の可能性がかなり高いと
思ってるのだろう。
それに対してモノを言ったまでだが?

>それから秦氏はチョンと無関係だぞ。

そんなことどうして断言できるんだ?チョンではないという証拠は?
213日本@名無史さん:03/08/22 12:46
新羅人と周辺諸国の民族が混血を進めて形成されたのがチョン民族だ。
秦氏が日本に移住してきたのは、チョンが半島に出現するよりもっと昔の話だ。

秦氏の正体は不明だが、新羅人ではない。

214日本@名無史さん:03/08/22 12:48
本日の馬鹿スレはここですか?
215日本@名無史さん:03/08/22 12:49
>チョンではないという証拠は?

いつも不思議なのだが、どうしてチョンは「悪魔の証明」を求める癖が直らないのだろう?
216日本@名無史さん:03/08/22 12:50
たとえそうだとして、朝鮮を形作った新羅人や周辺民族にも先祖は
いただろう。秦氏の先祖が彼らの先祖と同根だったという可能性は
あるのではないか?
217日本@名無史さん:03/08/22 12:57
新羅人と、百済の被支配層は韓族。
いわゆる百済人は百済の支配層で、韓族とは別な民族。

正体不明の秦氏を仮に百済起源だと仮定しても、後世のチョンとは無関係。

百済滅亡時に来日したのは、支配層だけだからだ

218日本@名無史さん:03/08/22 13:00
なんで百済起源だとしか仮定しないの?
新羅起源という説もあるようだが?
219百済ない人:03/08/22 13:02
明治維新関連スレを探しています。
このあたりで見かけた方は、どうか教えて下さい。
220日本@名無史さん:03/08/22 13:06
惟宗姓を秦氏ではなく、東漢氏と見なす説を無視する理由も分からんな。
221日本@名無史さん:03/08/22 13:16
>>218
新羅説を採ると都合が悪いから
222日本@名無史さん:03/08/22 13:21
秦氏の正体が定かでないというのに、なぜ秦人の末裔だという自称を無視する?

半島経由で来日した可能性のある帰化人は、無条件でチョン認定なのか?

223日本@名無史さん:03/08/22 13:24
>秦氏の正体が定かでないというのに、なぜ秦人の末裔だという自称を無視する?

つーか正体が定かでないから、自称を信じられないのだろ?
224日本@名無史さん:03/08/22 13:26
チョンが主張している事って、
「チョンである可能性を完全否定出来ない奴は全員チョンである」 
と言ってるだけ。

論理もへったくれも無いから、いちいち本気にする必要は無い。

じきに気にならなくなる。
225日本@名無史さん:03/08/22 13:29
>チョンが主張している事って、
「チョンである可能性を完全否定出来ない奴は全員チョンである」 
と言ってるだけ。

ということは君がチョンということになりそうだが?
君自身、他人を無根拠にチョン認定しているのだから。
226日本@名無史さん:03/08/22 13:30
>>223
彼らの自称にどんな疑いがあるというのだ?
根拠も無くむやみに疑う訳でもなければ、
秦氏の自称のおかしな点を説明出来る筈だよな?
227日本@名無史さん:03/08/22 13:31
つーか自称に説得力がなければ疑うのは歴史学の常識では?
228日本@名無史さん:03/08/22 13:35
事実との矛盾点が見つかってるのであれば、自称に説得力が無いとみなす事は可能だが、
秦氏が秦人の末裔だとすれば、一体何が疑問となるのだ?
229日本@名無史さん:03/08/22 13:36
>秦氏の自称のおかしな点を説明出来る筈だよな?

彼らは秦の始皇帝の裔をもって「自称」している。
然るに、中国国内では始皇帝の末裔は悉く殺害されたとされており
始皇帝と秦氏を繋いでいる部分の人名の存在がまったくもって
確認できない。十二分におかしいのではないか?
230日本@名無史さん:03/08/22 13:40
粛清を逃げ伸びた者は、わざわざ追っ手に対して名乗り出たりはすまい。
何もおかしな話ではないが。
231日本@名無史さん:03/08/22 13:44
逃げ延びたのなら逃げ延びたでもいいが、人名が系図上にそもそも
確認できない。
信じるに足る根拠がない以上、疑問をもつのが当然だろう。
可能性が1億分の1でもあれば信じるというのは、学問上はおよそ
まともな立場ではなかろう。
詭弁を弄すのならば相手にはできないな。


232日本@名無史さん:03/08/22 13:47
>>231
災難を逃れて命からがら逃げ出す際に家系図を紛失した者は、
自動的に言動が信用できないチョン認定となる訳かね?
233日本@名無史さん:03/08/22 13:51
家系図を紛失したのではなかろう。家系図は「ちゃんと」ある。
秦氏の系図では始皇帝と秦河勝が繋がっている。
問題は中国側の史料の始皇帝の子孫の部分に当該人名が
まったく見当たらないということに尽きる。
234日本@名無史さん:03/08/22 13:56
>>233
あほか

皆殺しにした筈の子孫が隠れひそんで居る事に気づけば、当然追っ手が放たれる。

追っ手の側が、秦人を全員マークしていなかったというだけだろう。
住基ネットも無い時代の出来事なのだから、そういう可能性はいくらでもある。

235日本@名無史さん:03/08/22 14:02
そうした仮定に仮定、仮想に仮想を重ねた話は学問上は普通信じられては
いない。
史料と照らして辻褄が合うか否かのほうが遥かに真実味がある、と学問上は
考えられている。
秦氏の系図に関して言えば、始皇帝以降、秦河勝に至る人名そのものにも
疑問はある。中国なり半島なりの当時の人名とまったく構造が異なっている。
日本人が後世の付会で捏造したとしか思えない名前が続いている。
それだけでも信じるには値しないはず。
236日本@名無史さん:03/08/22 14:04
逃げてきた連中が日本にやってきて秦氏を名乗りだすのか?
237日本@名無史さん:03/08/22 14:06
秦氏に伝わる系図が怪しい事と、秦人亡命者であるか否かは別問題。

始皇帝の子孫でさえなければ、チョン認定なのか?

中原から逃げ出した秦人は少なくないと思うが。


238日本@名無史さん:03/08/22 14:09
>>235
チョン説にはどんな根拠があるのかね?
239日本@名無史さん:03/08/22 14:09
自称の一部がウソなり捏造であるとすれば、自称のその他の部分にも
疑惑を持たれてしまうのは普通のことだろう。
始皇帝の子孫というのはウソだが、秦人の末であるというのは事実
だというのであれば、そのように主張する人間が根拠を示さなければ
ならないはず。
240日本@名無史さん:03/08/22 14:17
>>239
仮にチョンであるとするなら、チョンだと自称すれば済む。

素直にチョンだと名乗れなかった理由でも判明しない限り、秦人と名乗った理由が分からなくなる。

系図の疑惑を以って、秦人だという点まで疑う根拠などない。


241日本@名無史さん:03/08/22 14:24
朝鮮人と名乗れなかったというより、秦の始皇帝だと名乗ったほうが
有利だったのだろう。日本が古代から、朝鮮を中国より軽んじていたのは
事実であり、且つ王族の末裔を称して渡来した人々を総じて厚遇したのも
事実。秦に始皇帝に繋げたのは名字のハタの音を秦にあてたところから
来たものだと推測はできる。
242日本@名無史さん:03/08/22 14:26
× 秦の始皇帝だと名乗ったほうが
○ 秦の始皇帝の末裔だと名乗ったほうが
243日本@名無史さん:03/08/22 14:28
でもさ、明治維新の志士達って、ほとんどが妾をもってたらしね。
伊藤博文なんて、処女ハンターで有名だったっていうし。

確か、西部の堤某とか議員の三木武吉とかも明治生まれで
何人かの妾を持ってたっていうし。

この頃はこういったことが普通だったの?
244日本@名無史さん:03/08/22 14:37
243=論破されたダサツマ=チョンの手下
245日本@名無史さん:03/08/22 14:44
>>243

そういうことだろ。今でもあるだろうが大ぴらにしにくくなっただけ。
目を海外に転ずれば、アラブでは一夫一妻ではない。
246日本@名無史さん:03/08/22 14:48
たしかに243って行を空けて文章を書くスタイルが
上のほうの島津=秦人派と同じだね。
247日本@名無史さん:03/08/22 17:59
論破されたダサツマ?
そんなの見当たらないが?

>>241は自ら自説を推測だと断りを入れている。
チョン説陣営では、自説に都合の良い仮定のみは許容するのかね?

248日本@名無史さん:03/08/22 18:08
>論破されたダサツマ?
>そんなの見当たらないが?

おまえのことじゃんw

249日本@名無史さん:03/08/22 18:18
>>248
裏付けの伴っていない勝利宣言は聞き飽きた。
チョンを名乗るよりも秦人を名乗る方がメリットがあると言うなら、
何故チョンを名乗るチョンが居るのだ?
チョンを名乗るチョンが実在する以上、秦氏が出自を騙っていると断定する材料にはならない。

250日本@名無史さん:03/08/22 18:20
横レスですが
正直者とずるい奴がいるというだけのことでは?
251日本@名無史さん:03/08/22 18:25
>>250
秦氏が正直者なら秦人で、ずるい奴ならチョンだという事であるのだろう。
だが、秦氏が正直者なのか、或いはずるい奴なのかをどうやって判定したのかが疑問となる。
252日本@名無史さん:03/08/22 18:25
島津はずるい香具師ですか?
253日本@名無史さん:03/08/22 18:35
>>251
でも250は
>チョンを名乗るよりも秦人を名乗る方がメリットがあると言うなら、
何故チョンを名乗るチョンが居るのだ?

このことへの反駁にはなっていると思うが?
ウソツキがいるからといって世の中に正直者が存在しないということには
ならないだろ。
ま、ダサツマの発想では理解できんのかもしれんがね。
254日本@名無史さん:03/08/22 18:43
>>253
あくまでチョン説を支える仮定を恣意的に採用してるだけだから、
チョン説に説得力を与えている訳ではない。

チョン説では、秦氏の自称が事実である可能性についての指摘を仮定として切り捨てている。
だから、自分の方でも根拠のない仮定を恣意的に採用しているなら、説得力に格差がある訳ではないのだ。
255日本@名無史さん:03/08/22 18:49
>>254
>あくまでチョン説を支える仮定を恣意的に採用してるだけだから、

そうではないだろ。
「チョンを名乗るよりも秦人を名乗る方がメリットがあると言うなら、
何故チョンを名乗るチョンが居るのだ?」
という質問に対しては、ウソツキチョン(ここではかならずしも秦氏に
限定した話ではなく一般論)がいるからといって、正直者が皆無に
なるとは限らない。つまり「チョンを名乗るチョン」がいても
なんの不思議もないという反駁になっているわけだろ。
これは恣意でもなんでもなかろう。
256日本@名無史さん:03/08/22 18:51
あっちのスレでもこっちのスレでもダサツマは負け犬かよ
257日本@名無史さん:03/08/22 18:55
>>255

チョンと名乗っているチョンは、チョンと名乗る方にメリットを見出したから、チョンと名乗っているのだ。
秦人を名乗るよりも、チョンと名乗る事にメリットを見出したのなら、
秦のブランド力など正直者の称号ほどの有り難味も無いという事だ。

所詮その程度のご利益しか無い秦ブランドを、嘘つき呼ばわりされるリスクを犯してまで騙りたがると断定する理由はなかろう。

258日本@名無史さん:03/08/22 18:57
>>256
負けていたのは、おまいだろ?
さっさとあっちに戻って何か言い返してきたら?
259日本@名無史さん:03/08/22 18:57
>チョンと名乗っているチョンは、チョンと名乗る方にメリットを見出したから、チョンと名乗っているのだ。

きみさあ。世の中、全員が損得で動くわけじゃねえだろうに?
薩摩ではどうだかしらんがさ。
260日本@名無史さん:03/08/22 19:10
>>259
正直者というのは、正直者という評判が自分に伴う事によるメリットを期待して、正直を貫いているのだ。
正直者もまた、嘘つきと同様に損得勘定で動いているのだよ。
261日本@名無史さん:03/08/22 19:32
まあそこまで言うのならそれでもいいが、ならば>>249で言った
ことは引っ込めるわけだな?
秦人を騙るチョンがいるかたわらで、(正直者という評判が自分に
伴う事によるメリットを期待して)チョンであると自ら名乗る
チョンがいてもいいわけだ。
逆にいえば、チョンを名乗るチョンがいるということは、
真実はチョンでありながら秦人を騙るチョンの存在の可能性を
否定する材料にはまったくならないね。
262日本@名無史さん:03/08/22 19:45
>>261
その通り。
秦人と名乗る事に関して言えば、嘘をつく事と正直に名乗る事のメリットを比較しても、
どちらが有利なのかで見解が分かれる程度の些細な差に過ぎない。

つまり、秦氏が正直者なのか嘘つきなのかは分からないのだ。
秦氏の系図に事実との矛盾点があったとしても、秦氏が常に嘘ばかり言ってると断定する理由にはならない。


263日本@名無史さん:03/08/22 19:56
で、ウソをいっていないという根拠は何かあるの?
264日本@名無史さん:03/08/22 19:59
>>263
はい、また悪魔の証明を求める愚を犯してしまったね。
そろそろ学習しろよ。
265日本@名無史さん:03/08/22 20:26
はあ?結局なんの根拠もないわけか?
266日本@名無史さん:03/08/22 20:46
悪魔の証明というのは「○○ではない証拠」は用意出来ないという、
議論の際の基本的な注意事項だよ
267日本@名無史さん:03/08/22 20:50
じゃあ言い換えるよ。
ウソをいってない証拠→秦氏が秦人である証拠
は何なんだよ?
268日本@名無史さん:03/08/22 20:51
>>266
アホですか?
悪魔の証明とは世の中に「ない」ことを「ない」と証明することですよ。
何が〇〇ではない証拠だよ。
知ったかぶりってかっこ悪いねw
269日本@名無史さん:03/08/22 21:08
266はあほです。
夕方、ほかのスレでもあほを晒していました。
270日本@名無史さん:03/08/22 21:08
>>268
秦氏がチョンであるという証拠が存在しない現状では、「チョンがなりすます秦氏(以下チョン秦)」などというモノノケの実在を信じる理由はない。
妖怪「チョン秦」が居ない証拠なんてものは、悪魔の証明だから出せないよ。
この場合、秦氏が嘘をついていない証拠とは、チョン秦が存在しない証拠と同義だ。



271日本@名無史さん:03/08/22 21:19
>>269
おまいはきっと幻覚でも見たんだろう。
暑かったからな
272日本@名無史さん:03/08/22 21:26
268にはレスしないのかえ?サツマイモさん
273日本@名無史さん:03/08/22 21:30
>>268には>>270で噛み砕いて解説してるから、今はそのレス待ちだろ。
274日本@名無史さん:03/08/22 23:50
別に古代の半島人が先祖なら何の問題も
無いだろうw
今の半島人の考え方は、李朝時代に培われたのだから
275日本@名無史さん:03/08/24 09:34
「秦人は乱に苦しみ、東方へ亡命してくる者が多かった。
彼らは馬韓の東に住んでいたが、その数が多く栄えたので、
馬韓ではこれを忌み嫌った」
これは「三国史記」の「新羅本紀」に描かれた記事である。
仕方なく馬韓では秦人たちに東の地を割いて与えてしまう。
 こうして建てられた国が、後に新羅となる秦韓(辰韓)であるという。
やがて彼らやその血筋が、対岸の緑の島、新天地日本へ流れ流れて来たといういきさつはうなずける。

秦韓が建国されてからますます秦人がこの地に移り住んだようだ
半島にできた外国人の国が秦韓だったのは文献に出ている事実
なぜ韓国人は任那日本府も認めないどころか、秦人の作った国も認めようとしないのだろうか?
276日本@名無史さん:03/08/24 10:46
>>275
秦氏=チョンとか書いてる香具師は韓国人なんかじゃないだろ
ただ煽りたいだけの無知・無学なつまらん人間
277日本@名無史さん:03/08/24 11:04
つーか最近では秦氏は新羅系の渡来人とする説が
有力なんじゃないの?
278日本@名無史さん:03/08/24 11:24
新羅は元々秦の末裔を称していたような。
しかし、このスレは明治維新を論ずるスレのはずだが。
279日本@名無史さん:03/08/24 12:34
新羅がもともと秦人の末裔だとすると現代韓国人も秦人の末裔でいいのか?
それとも王家だけの話なのか?
280日本@名無史さん:03/08/24 19:02
秦人の末裔が混じってたとしてもごく一部だろ?
移民が大勢押し寄せてきて、その移民だけで国を作ったなんて
考えられない。
281日本@名無史さん:03/08/24 19:11
将軍・秦開の子孫が秦氏の先祖なのではないのか?
秦開は秦人だったそうだし、東北部に派遣されているし
符号点が多い
282日本@名無史さん:03/08/24 19:13
東北部とは朝鮮なのか?
283日本@名無史さん:03/08/24 19:21
秦開を朝鮮に派遣したのは戦国時代の国の一つ燕
284日本@名無史さん:03/08/24 20:22
285日本@名無史さん:03/08/24 23:27
するとつまり朝鮮民族は異民族である秦人の王に支配されていたわけだ。
つくづく劣等民族なんだな、
自分達の中からまともに国を統治する能力を持った王も現れないのか?
286日本@名無史さん:03/08/25 20:32
秦氏=秦人で決着がついたようだな
287日本@名無史さん:03/08/25 20:36
>>285
日本の天皇家だって外国から来た王だろ。
288日本@名無史さん:03/08/25 20:44
>>286
どこがw
289日本@名無史さん:03/08/25 20:46
>>288
「秦人は乱に苦しみ、東方へ亡命してくる者が多かった。
彼らは馬韓の東に住んでいたが、その数が多く栄えたので、
馬韓ではこれを忌み嫌った」
これは「三国史記」の「新羅本紀」に描かれた記事である。
仕方なく馬韓では秦人たちに東の地を割いて与えてしまう。
 こうして建てられた国が、後に新羅となる秦韓(辰韓)であるという。
やがて彼らやその血筋が、対岸の緑の島、新天地日本へ流れ流れて来たといういきさつはうなずける。

秦韓が建国されてからますます秦人がこの地に移り住んだようだ
半島にできた外国人の国が秦韓だったのは文献に出ている事実
なぜ韓国人は任那日本府も認めないどころか、秦人の作った国も認めようとしないのだろうか?

290日本@名無史さん:03/08/25 20:49
>>289
それが事実だとして、秦氏が秦人か否かということは
まったく別問題じゃないか?
鬼の首でも取ったつもりですかさず過去レスをコピペした
ようだが。
291日本@名無史さん:03/08/25 20:49
つまり新羅王国は外から来た王(秦人)によって作られた国なり
朝鮮民族はずっと外国から来た王に支配されつづけていた劣等民族なり
秦氏は秦人出身なり、チョンにあらず
292日本@名無史さん:03/08/25 20:51
>>291
その朝鮮民族出身の王がいまの天皇家というわけだな
293日本@名無史さん:03/08/25 20:51
>>290
ところで秦氏がチョン出身だという文献はあるのかい?
294日本@名無史さん:03/08/25 20:56
>>291
秦氏は決して新羅王家の出身などではないよ。
技術者集団であって、特に支配階級というわけではない。
つまり支配されていたチョンの末裔。




295日本@名無史さん:03/08/25 21:02
>>294
技術を持っていれば支配者階級ではないのですか?
幼稚ですね
文献の一節なり、もっとまともな根拠を出して欲しいところですねw
というか一回に人夫何万人も連れてこられる一介の技術者なんているのか?
296日本@名無史さん:03/08/25 21:43
何万人も連れてきたなんて事実かよ?
297日本@名無史さん:03/08/25 21:49
秦が付く地名はかつてチョソ部落だったことを意味する
太秦とか秦野とかね
298日本@名無史さん:03/08/25 22:06
公平に見て
秦氏が始皇帝の子孫を名乗ったのは
文字通り始皇帝の子孫というよりも
自らの出自は秦人であると紹介したような気がする
秦人といっても異国の日本ではよく分からないだろうから
始皇帝の名を出したと考えていいのではないかな?
もしかすると単なる秦人ではなく、始皇帝の一族の出身だったかも知れないが
どっちにしろ朝鮮族出身なのに始皇帝の子孫を名乗るとは思えない
少なくとも秦人だったことは確かだろ
秦人だとすると新羅の王族の出か?
権力闘争に敗れて日本に逃れてきたか?
歴史のロマンを感じるところであるな
299日本@名無史さん:03/08/25 22:13
勝った勝ったと必死で連呼するのは、負け犬
勝敗は見れば分かる事だ。
300日本@名無史さん:03/08/25 22:26
新羅の王族なら別に新羅を棄てる必要はなかったんじゃないか?
他所の国へ行くよりも自国にいたほうが良いではないか?
王族なのだから。
権力争いに敗れた?秦氏の先祖に比定できるような王族でもいるの?
いずれにせよ新羅で浮かばれなかったから日本に来たのは多分事実だろうね。
新羅では威張ることのできなかった階層の人なのじゃないのか?
301日本@名無史さん:03/08/25 22:35
>>300
幼稚だな
王族だから安泰だとでも?
しかもなんだこの安易で低レベルな推測は?
>新羅では威張ることのできなかった階層の人なのじゃないのか?
少しは自分でも調べてから書き込めよ、厨房が
302日本@名無史さん:03/08/25 22:38
>王族だから安泰だとでも?

そんなことは誰も言ってないだろ。亡命せざるを得なかった王族の子孫
などという話からしてまったくの空想・妄想なのではないのか?
そうでないというのならどういう名前のいかなる履歴の王族なんだ?

303日本@名無史さん:03/08/25 22:40
横レスだけど秦人の子孫だという根拠は何かあるの?
304日本@名無史さん:03/08/25 22:43
>>301
なにをそんなに怒ってるんだ?
血圧あがってるだろ?それこそ厨房ではない大人がこんな匿名の
掲示板でそんなに熱くなるなよ。一銭にもならんぞ、こんなところで
頑張ったって。こんなところで真剣になってるとヒキコモリか何か
だと思われるだけだぞ。
305日本@名無史さん:03/08/25 22:45
>>302
http://www2.wbs.ne.jp/~jrjr/nihonsi-1-5-1.htm

>●秦氏
 『日本書紀』の応神天皇14年の条に「是歳、弓月君、百済より来帰り」という記述がある。
ここに登場する弓月君(ゆづきのきみ)という人物が、最も代表的な渡来系氏族・秦(はた)氏の始祖と言われているんだよ。
『日本書紀』には百済と書かれているけれど、実際は新羅の豪族だった可能性が高い。
 弓月君は127県の人夫(3万〜4万人と言われている)を率いて北九州に上陸し、大規模な氏族集団・秦氏として定着。
306日本@名無史さん:03/08/25 22:49
>『日本書紀』には百済と書かれているけれど、実際は新羅の豪族だった可能性が高い。

それはなぜですか?

>弓月君(ゆづきのきみ)という人物

弓月君って日本名?朝鮮っぽくも大陸っぽくもないと思うのだが?
名前からして胡散くさいと思うのはおかしいですかね?
307日本@名無史さん:03/08/25 22:53
いや、なかなか高度な展開になっているぞ
確かに秦人だった可能性大だ
308日本@名無史さん:03/08/25 22:55
>>307
自作自演カッコワルイ
309日本@名無史さん:03/08/25 22:56
中国古代の秦王朝が卵生説話をもち、
鳥トーテムをもつ部族であったらしいことは、
中国神話の研究家白川静氏*33が指摘するところである。
秦の卵生説話は『史記』の秦本紀に見え、
その祖女脩が機織りをしていたとき、
玄鳥(黒い鳥。一説に燕とされるが、それに限らないと思われる)
が落とした卵を呑み、子の大業を生んだという。
大業の子の大廉は鳥俗氏の祖であり、その玄孫の中衍は身体が鳥で人語をよくしたと記される。


310日本@名無史さん:03/08/25 22:57
鳥部里は、『和名抄』では愛宕郡鳥戸郷とあげられ、
現在の京都市東山区の地域内となっている。
その遺称地としては、清水寺の西南の鳥辺山・鳥辺野がある。
この地名の由来としては、吉田東伍博士のように、
捕鳥または鳥飼の部民の居住地とされるが、
鳥戸郷は深草郷の二、三キロほど北にすぎず、
秦氏の一族も居住していたとみられる。
確実なところでは、鳥部郷の粟田朝臣弓張の戸口の秦三田次が史料に見える
(天平十五年正月七日付「優婆塞貢進解」)。

  大陸を遠く離れて、しかも秦始皇の時代から千年ほども隔ててなお、
わが国の秦氏が鳥トーテムの名残を伝えているとみたら、始皇帝の後裔という出自を全くの仮冒として否定することは、
できないのではなかろうか。
311日本@名無史さん:03/08/25 22:58
>>307
なぜ秦人だった可能性大なんだ?
根拠がないのでさっぱりわけわからんぞ。
312日本@名無史さん:03/08/25 23:01
>>311
まず秦氏が始皇帝の子孫を名乗っている
新羅王朝は実は秦人が作った国である
秦氏の祖先と目される弓月君は新羅の豪族である可能性が高い
秦氏は秦人と同じ鳥トーテムを氏族であった
313日本@名無史さん:03/08/25 23:04
>>311
さてこれらの事実>>312に対する秦氏がチョン出自の根拠は何かあるか?
314日本@名無史さん:03/08/25 23:16
チョン派は尻尾を巻いて逃げ出したようだなw
315千恵子:03/08/25 23:22
316日本@名無史さん:03/08/26 00:02
>>306にも答えてください。
317歳三さん:03/08/26 00:08
明治維新が果たして市民革命と言えるのかどうか、大学のとき講義を聴いたが
忘れた。それよりも今は酒が飲みたい。近藤さん、沖田、斬りこみに行くぞ。
新撰組だ!
318日本@名無史さん:03/08/26 20:44
弓月君の名は日本に来たから名乗った名前
弓月君を名乗る前は「融通王」

元東京文理化大学(現筑波大学)の佐伯好郎文学博士は
秦氏は単に新羅人でも、秦の始皇帝の子孫でもなくユダヤ人であると研究結果を発表しています。

319日本@名無史さん:03/08/26 20:54
なにかを融通してくれる人?
320日本@名無史さん:03/08/26 21:24
秦氏が朝鮮系だと何かまずいことでもあるのか?
321日本@名無史さん:03/08/26 21:30
>>320
まずいとかまずくないとかじゃなくて
朝鮮系ではないんだよ、頭悪いの?お前
322日本@名無史さん:03/08/26 21:34
320じゃないが、朝鮮系というのが通説だろ?
323日本@名無史さん:03/08/26 21:36
>>322
その通説とやらの根拠を述べてみよ
324日本@名無史さん:03/08/26 21:46
「朝鮮派」は根拠を述べろというとお決まりの「沈黙」ですかw
325日本@名無史さん:03/08/27 05:26
根拠もあげられずに朝鮮系と言っている方が秦氏が朝鮮系じやないと何か都合が悪いのか?
326日本@名無史さん:03/08/27 07:42
何だ何だ、維新の話はしてないのか。
仕事でマレーシアの華僑と仲良くしてる。
そいつと話をしてたんだが、
日本は明治維新があって良かったね、すごいよ、
と羨ましがっていた。
マレーシアの歴史の教科書は小学校からそう記載してるんだそうだ。
327日本@名無史さん:03/08/27 10:25
>>326
マレーシア人は日本が近代化した事をメイジイシンと呼んでいるんだろ。
このスレでは明治維新とは
薩長が徳川氏にとって代わった政変劇を指している。
もともとそういう意味だが。

328日本@名無史さん:03/08/27 11:49
夏目漱石の猫よむと、御一新前と御一新後でいかに文化が変化したかを、愚痴ってるので面白い
329世界@名無史さん:03/08/27 12:02
漱石はロンドンに留学したが、日本とのあまりの差にショックを受け
ヒッキーになってしまった人。その彼が今や5000円札。
いまヒッキーが増えてるのも当然かもね。
330世界@名無史さん:03/08/27 12:39
あ!
331日本@名無史さん:03/08/27 21:45
漱石が5000円札なんて言っている
>>329みたいなヴァカが増えるのも当然かもね。
332日本@名無史さん:03/08/27 22:11
結局、秦氏の起源がくだら説にせよ、シラギ説にせよ、ユダヤ説にせよ朝鮮系ではない事が完全に証明されたわけだ!完勝だな
333日本@名無史さん:03/08/27 22:13
秦氏が朝鮮系だと何かまずいことでもあるのか?
334日本@名無史さん:03/08/27 22:22
>>333>>321同じ事何度も書かせるなよ、物分かり悪い奴だな
335日本@名無史さん:03/08/27 22:23
で、結局秦氏は何系なわけよ?
336日本@名無史さん:03/08/27 22:24
結局、長州藩というキチガイカルト集団が、
勢いだけでやっちゃったクーデタってことだな。
337日本@名無史さん:03/08/27 22:25
>>336
薩摩も忘れるな
338:03/08/27 22:27
良いHP見つけました!必見の価値有りです!!
http://plaza.rakuten.co.jp/ryouzanpaku/
339日本@名無史さん:03/08/27 22:28
そんな事断言出来れば学会で発表してるよ。ただ朝鮮系の可能性は0
340日本@名無史さん:03/08/27 22:30
>>337
薩摩は、そのキチガイカルトにだまされた田舎者集団。
341日本@名無史さん:03/08/27 22:36
>>339
それじゃ、朝鮮系ではない、という証拠もないわけだろ
342日本@名無史さん:03/08/27 22:43
>>341 過去レス読めば朝鮮系の可能性は無いことは理解できるだろ? 本当に物分かり悪いね
343日本@名無史さん:03/08/27 22:43
日本人全員、長州人の掌の上ってことだ。
344日本@名無史さん:03/08/27 22:45
>>342
過去レス読んでもわからねえから聞いてるんだろ。
本当に説明がへただな、おまえは。
345日本@名無史さん:03/08/27 22:46
やっぱり、近代日本はキチガイカルトということだな。
じゃねえと、こんな極東の黄色人種国家が、
世界第2位の経済大国になれるわけがねえ。
346日本@名無史さん:03/08/27 22:50
吉田松陰 → カルト宗教の開祖
高杉晋作 → リアルのキチガイ
伊藤博文 → セックス狂
木戸孝允 → テロリスト
347日本@名無史さん:03/08/27 22:53
教訓:カルトは常に勝利する。
348日本@名無史さん:03/08/27 22:56
そういえば、長州閥の出先機関=帝国陸軍も、かなりカルトだったな。
349世界@名無史さん:03/08/27 22:59
>>346
木戸はテロリストではない、、、いや親玉だったか…。
350日本@名無史さん:03/08/27 23:01
帝国陸軍がカルトなら、日本人総カルト状態だな。
351日本@名無史さん:03/08/27 23:02
明治に限らずキチガイ変人の国だな。


ま、俺はそんな祖国が好きだったりする。
352日本@名無史さん:03/08/27 23:03
小泉純一郎も一種のカルトかもな。
少なくとも変人なのは確かだ。
おもしろい国だよ。
353日本@名無史さん:03/08/27 23:04
キチガイやカルトでないと、歴史は動かせない。
354日本@名無史さん:03/08/27 23:08
薩摩を見ているとね、
自民党にだまされて与党に鞍替えして
滅んでいった社民党を連想するね。
355日本@名無史さん:03/08/27 23:09
勝つことがカルトなら、俺はカルトでいい。
負け犬よりはマシだ。
356日本@名無史さん:03/08/27 23:36
>>348
帝国陸軍が真のカルトになったのは
皇道派(薩摩と佐賀の残党)のせい。
357日本@名無史さん:03/08/28 00:34
北一輝みたいな早稲田中退のキチガイ思想家にだまされて、
あれだけの将校がクーデタ起こすわけだから(以下略
358日本@名無史さん:03/08/28 02:41
結論:日本史=カルト史

3591:03/08/28 02:48
_______________日本を守れ!!!!_______________

携帯のこんなサイトを見つけました!
http://www.leap-yuki.com/r/u.htm
360厨房太郎:03/08/28 04:21
北一輝は早稲田中退ではなく聴講生に過ぎないと思ったが
よって高卒DQNに騙されたわけで、当時の高卒は侮れないですな
361厨房太郎:03/08/28 04:22
高卒じゃないか、中卒になるのか?
362日本@名無史さん:03/08/28 09:56
大学予科を出てれば中卒でなく予科卒、大学中退ってところか。
363_:03/08/28 10:07
だから出てないって、<大学。入学もして無い<北は
364日本@名無史さん:03/08/28 10:47
そんな奴があれだけ社会に影響を与えたのか、それはそれで大したもんだな。
365日本@名無史さん:03/08/28 15:22
当時の早稲田は、正規学生/聴講生の区別がそれほどあったのかな。
366日本@名無史さん:03/08/28 17:02
明治維新とは日輪革命である。
367日本@名無史さん:03/08/28 17:10
カルトでなければ生きていけない。

368日本@名無史さん:03/08/28 17:14
結論としては島津はチョンということですね。
369t:03/08/28 18:44
も前らね、当時は現代ほど学歴で全てが決まった時代じゃないんだよ

>365
早稲田で英語勉強しようとしたらしいが、全然物にならずに半年くらいでやめたらすい
370世界@名無史さん:03/08/28 19:34
英語をモノにできない恨みが排他的な国粋主義に奔らせたのか。
371日本@名無史さん:03/08/28 19:39
>368
朝鮮派は根拠もあげられずに忘れた頃に煽るだけの低脳と判明しますた
百済系であろうと新羅系だろうと(新羅の支配層は秦人)
もちろん元東京文理化大学(現筑波大学)の佐伯好郎文学博士の説
のユダヤ系もチョンではないw
372日本@名無史さん:03/08/28 19:52
証拠は?
373日本@名無史さん:03/08/28 19:54
>>372
なんの?
374田原総一朗(歴史のプロ):03/08/28 19:56
>>371

はずれ   
375日本@名無史さん:03/08/28 20:02
百済起源の場合では

新羅人と、百済の被支配層は韓族。
いわゆる百済人は百済の支配層で、韓族とは別な民族。

正体不明の秦氏を仮に百済起源だと仮定しても、後世のチョンとは無関係。

百済滅亡時に来日したのは、支配層だけだからだ

新羅起源説の場合は

「秦人は乱に苦しみ、東方へ亡命してくる者が多かった。
彼らは馬韓の東に住んでいたが、その数が多く栄えたので、
馬韓ではこれを忌み嫌った」
これは「三国史記」の「新羅本紀」に描かれた記事である。
仕方なく馬韓では秦人たちに東の地を割いて与えてしまう。
 こうして建てられた国が、後に新羅となる秦韓(辰韓)であるという。
やがて彼らやその血筋が、対岸の緑の島、新天地日本へ流れ流れて来たといういきさつはうなずける。

秦韓が建国されてからますます秦人がこの地に移り住んだようだ
半島にできた外国人の国が秦韓だったのは文献に出ている事実
なぜ韓国人は任那日本府も認めないどころか、秦人の作った国も認めようとしないのだろうか?

もちろん
元東京文理化大学(現筑波大学)の佐伯好郎文学博士の説
のユダヤ系もチョンでありえる訳が無いだろw


376日本@名無史さん:03/08/28 20:06
さて、これだけこちらが側がチョンではないという根拠を出しているのだから
秦氏=チョンを主張している輩も何か根拠を出してくれないか?
馬鹿の一つ憶えで沈黙するだけじゃなくてさあw
377日本@名無史さん:03/08/28 20:12
>百済滅亡時に来日したのは、支配層だけだからだ

そんなこと断言できないだろ。
378日本@名無史さん:03/08/28 20:14
秦氏の先祖とされる日本に渡来してきた方の名前は
融通王といいます。
融通王は日本に3万〜4万の人夫を連れてきています
支配層の出ではなくて何なんでしょう?
379日本@名無史さん:03/08/28 20:25
>>376
あほらし。自己満足もいいとこだな。
380日本@名無史さん:03/08/28 20:27
秦氏の先祖融通王は月氏の出であるという説が濃厚
月氏とは秦漢時代に中央アジアに活躍した遊牧民族
人種については、チベット人、モンゴル人、トルコ人、イラン人と諸説あり
一定していない
融通王が弓月君を名乗ったは月氏出身を思わせる
ttp://www.tabiken.com/history/doc/F/F265L200.HTM
381日本@名無史さん:03/08/28 20:29
だって秦氏=チョンと言ってる奴って全然勉強してないんだもの。
話にならないよw
382日本@名無史さん:03/08/28 20:46
>>377
主人に気に入られていた奴婢なら、ひょっとすると一緒に亡命させてくれたかもね。
えてしてそういう例外的な事例は生まれるものだ。

383日本@名無史さん:03/08/28 20:51
>>382
まあ、そんなことがあったとしても
秦氏とは無縁
秦氏の先祖は王を名乗る立場の方だったのだから
支配層なのは一目瞭然
384日本@名無史さん:03/08/28 20:52
明治維新の話はどこに行っちまったんだ?
385日本@名無史さん:03/08/28 20:56
>融通王は日本に3万〜4万の人夫を連れてきています

その数字って俄かには信じられないが?
どう考えても多過ぎるでしょう?
386日本@名無史さん:03/08/28 20:59
>秦氏の先祖は王を名乗る立場の方だったのだから
支配層なのは一目瞭然

まったく意味不明だね。出自を良いように仮冒したいのは
当然だろう。低い身分出身だとあえて名乗ってきたのなら
信じるにも足ろうが、そうでないのだから信じる材料には
ならない。
387日本@名無史さん:03/08/28 21:00
>>386
低い出自の人が何万人もの人夫を連れてきたら
天皇に多額の金銀を贈ったりできると思いますか?
388日本@名無史さん:03/08/28 21:04
>>387
というか「何万人」などという数字をそもそも信じることができない。
古文書の数字などあてにはならないだろう。
時代がはるかにくだって戦国時代の合戦の軍勢の人数などでも
実際とはまったくかけはなれた数字が記載されていることはよくある。
ほとんど神話時代に近い時代の人夫の数にどうして信頼がおけるのか?
389日本@名無史さん:03/08/28 21:08
>>388
そんな事言い出したら歴史なんて何も信用できないね
なんでこの板にいるの?君
390日本@名無史さん:03/08/28 21:09
朝鮮出身だと名乗るのは、低い出自を自称する事を意味する訳ね。
ナルホドナルホド
391日本@名無史さん:03/08/28 21:09
>>388
ところで、お前は秦氏はチョンだと思っているのか?
392日本@名無史さん:03/08/28 21:19
>>389
>そんな事言い出したら歴史なんて何も信用できないね

そんなことはない。世の中には合理的推論というものがある。
なにもかも闇雲に否定しようというのではない。
当時の日本・朝鮮の人口、航海技術等々から考えても
何万などという数字はどう考えても常識はずれの数字だろう?
393日本@名無史さん:03/08/28 21:20
自分の先祖の出自に疑問を持っている人がカキコしているの?
394日本@名無史さん:03/08/28 21:23
薩摩芋が自分のところの殿様はチョン出身ではないと
言い張るために悪あがきをしているの。
395日本@名無史さん:03/08/28 21:24
>>394
で、秦氏=チョンだという根拠は見つかったのかな?
低脳くん
396日本@名無史さん:03/08/28 21:26
秦氏=チョンとカキコしている香具師の方が空しく見えます
397日本@名無史さん:03/08/28 21:27
低脳だって、ぷぷぷ
おまえは低能だろ。
398日本@名無史さん:03/08/28 21:28
>>396
自作自演の応援レスご苦労です
399日本@名無史さん:03/08/28 21:29
>>397
ワカッタ、ワカッタ。
分かったから早く根拠ダセよ
無駄なレスして流すなよ、卑怯者w
400日本@名無史さん:03/08/28 21:30
百済起源の場合では

新羅人と、百済の被支配層は韓族。
いわゆる百済人は百済の支配層で、韓族とは別な民族。

正体不明の秦氏を仮に百済起源だと仮定しても、後世のチョンとは無関係。

百済滅亡時に来日したのは、支配層だけだからだ

新羅起源説の場合は

「秦人は乱に苦しみ、東方へ亡命してくる者が多かった。
彼らは馬韓の東に住んでいたが、その数が多く栄えたので、
馬韓ではこれを忌み嫌った」
これは「三国史記」の「新羅本紀」に描かれた記事である。
仕方なく馬韓では秦人たちに東の地を割いて与えてしまう。
 こうして建てられた国が、後に新羅となる秦韓(辰韓)であるという。
やがて彼らやその血筋が、対岸の緑の島、新天地日本へ流れ流れて来たといういきさつはうなずける。

秦韓が建国されてからますます秦人がこの地に移り住んだようだ
半島にできた外国人の国が秦韓だったのは文献に出ている事実
なぜ韓国人は任那日本府も認めないどころか、秦人の作った国も認めようとしないのだろうか?

もちろん
元東京文理化大学(現筑波大学)の佐伯好郎文学博士の説
のユダヤ系もチョンでありえる訳が無いだろw
401日本@名無史さん:03/08/28 21:30
392には答えないのか?
402日本@名無史さん:03/08/28 21:31
で、秦氏=チョンの根拠はマ〜ダ?
403日本@名無史さん:03/08/28 21:35
>>401
別に否定も出来ないからね
そういう事もアリだろう。
だけど何万人という瑣末な数字を論じたところであまり意味がない
ここは秦氏が支配者階級の出であることが認めれられるかどうかが
本題なのだから。
何万人だろうが何千人だろうが大勢の人を連れてきて天皇に拝謁し
金銀を贈り帰化させてやっているのだから支配者階級だったのは一目瞭然
人数が何万人だろうと何千人だろうと本題には問題なし
404日本@名無史さん:03/08/28 21:44
絶対に根拠を出せないでいるチョン派の完敗ですなw
405日本@名無史さん:03/08/28 21:45
>>403
「秦の始皇帝の末裔だという自称」「何万人もの人夫を連れてきた」
結局のところ、秦氏の先祖にまつわる話というのは眉唾ものの話が
多いということだわな。
中国系かもしれないし朝鮮系かもしれない。出自不明の氏族と
考えたほうが妥当なのではないかね?
406日本@名無史さん:03/08/28 21:46
秦氏が朝鮮出身だと困る人がいるらしい
407日本@名無史さん:03/08/28 21:48
>>404
チョン派というのは島津一派のことと考えてよろしいか?
408日本@名無史さん:03/08/28 21:49
>>405
だから新羅でも百済でも支配者層は韓族ではないのだよ
それに始皇帝の末裔話も上で述べたように辰韓を建国した人たちは
秦人という文献がある以上、無視できない
つまり始皇帝の一族とつながりのある出自だと読み取れる
409日本@名無史さん:03/08/28 21:50
日本人は別に、自分の先祖がチョンだなんて与太を信じたりはしない。
百済系日本人、高句麗系日本人、朝鮮系日本人なら、ちゃんとそういう言い伝えを先祖代々受け継いでいる筈だからだ。
島津家でも、多分真実は密かに言い伝えられている筈だよ。



410日本@名無史さん:03/08/28 21:50
>>407
たのむからバカはネットやらないでくれ
411日本@名無史さん:03/08/28 21:52
>>408
そういう可能性もあるかもしれないが、普通に考えれば始皇帝の
子孫なんぞという話はホラに近いものだろう。
外国に来てしまえば言った者勝ちというか。
412日本@名無史さん:03/08/28 21:52
秦氏=チョンと言ってる奴は根拠を出しなさい
話はそれからだ。
413日本@名無史さん:03/08/28 21:55
天皇家もチョン島津家もチョン。
日本の古い家系はみんなチョン。

だから日本の起源はチョン。
414日本@名無史さん:03/08/28 21:57
>>413
納得できる根拠を出しなさい
それからバカの一つ憶えのようにチョンチョン書くなよ
朝鮮人
415日本@名無史さん:03/08/28 22:02
>>414
そういう君はいったい何者かね?
416日本@名無史さん:03/08/29 08:52
畠氏の話はスレ違いってんだろボケ。
417日本@名無史さん:03/08/29 09:06
【古代】弥生人(渡来人)のルーツ[その2]
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052142376/
+++++薩摩藩の歴史+++++
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1047897164/

誘導
418日本@名無史さん:03/08/30 20:56
誘導するのはいいけど、肝心の明治維新の話題が全然出てこないのはどうしてだ?
話したいことがあるなら、どうぞ話題ふってくれないか?
419日本@名無史さん:03/08/30 20:57
秦氏は朝鮮人です
420日本@名無史さん:03/08/30 21:00
秦氏は月氏みたいだ
http://members.jcom.home.ne.jp/victor/roots/roots1.html#Anchor-27087

 紀元5世紀前半(応神天皇第14年)、中央アジアのユダヤ的基督教国である弓月国の巧満王の子(融通王)が1万8670人の民を率いて日本列島に渡来、帰化した。秦氏である。
 秦氏は、多くの神社を創建している。それらの神社には古代ユダヤ的基督教文化の名残と思われるものが多く見られる。神社の構造、神官の衣装、神輿等々。
421日本@名無史さん:03/09/05 21:54
秦氏が朝鮮出身だと困る人がいるらしい
422日本@名無史さん:03/09/05 21:59
証拠が無いから、マトモな学者は困るだろうな。
423>420:03/09/05 22:25
月氏はスキタイ系だが?
424たねおみ:03/09/06 08:56
おまいら属国日本論を知らないな
425日本@名無史さん:03/09/06 09:09
関係ないけど俺の曾おじいちゃんが子供の頃にはちょんまげ頭の人いたらしいぞ
426.:03/09/18 16:55
427日本@名無史さん:03/09/21 09:50
明治維新とは、九州と四国の人間で、本州を乗っ取った、
いや、尾張愛知の人間が打ち立てた日本の権力を奪取したということ。
428日本@名無史さん:03/09/21 13:57
長州は?
429日本@名無史さん:03/09/21 14:12
初めはみんな自分の殿様を将軍にして自分はその陪臣になって
栄華を極めようとしたのよ。
430名無し募集中。。。:03/09/28 18:51

キタ━━━(^▽^)━( ^▽)━(  ^)━(  ;)━(^  )━(▽^ )━(^▽^)━━━シナイヨ!!!!!
431日本@名無史さん:03/10/09 00:47
432日本@名無史さん:03/10/16 21:20
433日本@名無史さん:03/11/06 20:03
434日本@名無史さん:03/11/06 20:20
九州と四国の人間が選択されたのはなぜ?
435日本@名無史さん:03/11/06 20:43
日向 伊勢 出雲
436日本@名無史さん:03/11/08 16:57
>>434
江戸時代に最も差別・抑圧されてた地域だからでしょ。
薩摩、長州、土佐なんて島流しの地だった。
今でもそうだけどさ。
437日本@名無史さん:03/11/08 17:01
徳川政権になー。
特に土佐は、チョウソカベの遺臣とか、字も読め教養もあるのが
給料もロクにもらえず、荒地の開墾をやらされてたらしいね。
438日本@名無史さん:03/11/08 17:03
モロトミ ヤスミツ 【ヨコチン大使】

〜伝説から神話へ〜

体育館で自らヨコチンを曝け出し、「汚い」「触るな」と虐められ泣かされていた。

その日を境にあだ名は【ヨコチン大使】になる。

「先生。○○君がヨコチン大使って言うねん」と朝の会で皆の前で泣き叫んでいた。

彼はまるで銀幕スターだった。銀シャリ食べたい。
439日本@名無史さん:03/11/08 21:18
440日本@名無史さん:03/12/06 12:30
441日本@名無史さん:03/12/07 11:06
公開 映画ラストサムライを見る方必見
剣道と日本刀

内容
江戸時代以降の剣道と日本刀
稽古と実戦などを見ると、映画「ラストサムライ」の楽しみが
倍増し感動あたえます。

歴代日中剣道史
(軍刀編を見る事) 
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/index.htm
442日本@名無史さん:03/12/07 17:02
この板で通説を否定してる奴らは古文書とかの原文を解読して主張しているの?
それとも、誰かに訊いたとか、他人の受け売りレベル?

443日本@名無史さん:03/12/09 17:42
 新撰組の掲げていた「誠」の旗。
この「誠」とは、何を指していたのでしょうか?
444日本@名無史さん:03/12/10 18:19
 当時は、強盗押し込み等が有り、治安が不安定になって
組織されました。
 しかし、犯人が討幕派だったのかどうかは怪しい。
仮に、討幕派の人間だとしても何故治安を乱すような事を
したのかも疑問です。
445日本@名無史さん:03/12/10 19:21
>>443
藤田まこと
446日本@名無史さん:03/12/16 17:57
初めの目的は尊皇攘夷運動だったんだが終わってみれば
文明開化の風が吹く?結局中央と地方の権力闘争って
ことになるんじゃないの。やったことは幕府の焼き直してきなことばかりのよう
447あぼーん:あぼーん
あぼーん
448日本@名無史さん:04/01/06 13:41
>>442
 あー、2ちゃんに何を期待しているかは知らんが。
 根拠なんてないよ。受け売りですらなく、
 会津人と長州人が単に罵倒し合う為のスレだから。
 だからみんな捨てハンなんだしな。
449日本@名無史さん:04/01/06 15:59
>>446
幕府の開国とは違うだろ。
弱腰の幕府方式は、清のように領土割譲させられて列強に属国化されるだけじゃん。
450日本@名無史さん:04/01/06 16:14
>>449
太政官の対外方針も幕府を踏襲したもんだぞ。
幕府の開国と太政官の開国とで違うのは幕府が
開港したのは天領なので貿易の旨味は全部幕府が
持っていき、物価上昇などの負は庶民や諸大名が
負ってしまう徳川磐石態勢。太政官による中央集権
なら利益も不利益も全部負うことになる。
これも倒幕の要因の一つ。
451日本@名無史さん:04/01/06 16:19
2ちゃんでの幕末の評価なんて、各人の好き嫌いと先入観が先行してるな。
幕府嫌いってヤツは薩長ヲタだし、薩長嫌いってヤツは佐幕ヲタ。
まず結論が先にあって、それを合理化するための理屈をこねたるって感じだ。
452日本@名無史さん:04/01/06 16:59
明治維新とは

しかし天皇は再び3月7日東京に向かい、この28日着。結局正式な遷都の布告は
なく、「天皇が東京にいる間は太政官も東京に置く」というなんとも玉虫色の
宣言がなされただけでした。しかも京都市民に向けて「東国は未開の地である
から度々行幸して教化するが、決して京都を見捨てたりしないので安心するよ
うに」というメッセージまで出されます。要するに日本の首都はどうも法的に
厳密なことをいうとまだ京都であり、天皇が東京に「滞在」している間だけ、
臨時に東京が首都とみなされるということのようです。

453日本@名無史さん:04/01/06 17:12
>>451
 そのとおりだね。だから幕末関係スレは全部罵倒スレになる(藁
 まぁみんな罵倒が楽しくてやってんだろうし。
454日本@名無史さん:04/01/15 01:34
age
455日本@名無史さん:04/01/15 21:27
つくづく平価のおかげです。
456日本@名無史さん:04/01/20 02:43
明治維新が薩長による政権強奪=クーデターだったってのはいいとして、何故それが生半可な革命なんぞ目じゃない程の大改革を日本に巻き起こす事になったの?
どこかでクーデターだったのが革命にすりかわったんだと思うけど、どこですりかわったのかとんと判らん。誰か説明してくれー。
457日本@名無史さん:04/01/20 02:46
俺は幕府も薩長も天皇も嫌い。薩長が一番ましだけど。
明治〜昭和の大日本帝国憲法も嫌い。
458日本@名無史さん:04/01/20 02:52
鉄砲玉のつもりだった下級武士が何時の間にか政権を乗っ取って、建て前だった革命を本気でやり始めた。
抵抗勢力は幕府と一緒にあらかた潰れてしまっていた。
攘夷だ攘夷だと建て前で騒ぎ立てたのが、何時しか日本全体に「植民地にされない為には!」というコンセンサスを作り上げてしまっていた。
クーデターの為の鉄砲玉のつもりだった革命家きどりのガキどもが何時の間にか母屋を乗っ取って、そいつらが本気で革命しだした。

違う?
459日本@名無史さん:04/01/20 05:01
革命じゃないだろ。
薩長を裏で操ってたのは英国のパークスだし、
「植民地にされない為には!」というコンセンサスなんてどこにある?
460日本@名無史さん:04/01/20 05:04
>>467
あ り え な い 。それは。
バストダンジョンでリリカのおっぱい値を800近くまで調教強化してやらないと、そのフラグは立たない。
仮にフィリオナをメンバーから外してリリカを集中調教しても、アナルバイブが使えないその段階では
スカリバーはまだ手に入れられないはず。 妄 想 で つ か ?
とりあえずアンダー草原で淫獣マリリスを大量に調教して淫度をどんどん稼いどけ。
展開が不安ならバックアップ取っておくのを忘れんなよ。説教くさくなってスマソ・・・。ついな・・・。
461日本@名無史さん:04/01/20 14:38
>>459
はぁああ?
廃藩置県、徴兵令、廃刀令、(少し時代は下るが)三権分立、議会と憲法etx……。
どれ一つとっても革命と呼ぶに値する大改革じゃないか。バカは寝てろ。
462日本@名無史さん:04/01/20 15:05
age
463日本@名無史さん:04/01/20 15:09
>>460
コピペワロタ
464日本@名無史さん:04/01/20 23:49
>>456
 みんな過去に同じ事を言っているけど、再度言えば不平等条約による
経済混乱で、騒ぎが武士や知的階級だけですまなくなってしまった。
465日本@名無史さん:04/01/21 15:02
>>464
廃刀令や欧化政策、鹿鳴館建設に四民平等……。
地租改正や廃藩置県だけならともかく、その他の徹底した欧化政策・武士解体政策を見ると、どーも経済的な理由でしかたなくやったとだけは言えない気がするんだがねぇ。
徴兵令は奇兵隊以来の規定路線だった気もするし、やはり欧米への知識を深めた勤王志士に何らかの思想が芽生えていたとみるべきでないかね。
それが伊藤・井上らのロンドン留学の時か、岩倉使節団の時かは知らないけど。
466日本@名無史さん:04/01/21 15:38
>日本人は別に、自分の先祖がチョンだなんて与太を信じたりはしない。
>百済系日本人、高句麗系日本人、朝鮮系日本人なら、ちゃんとそういう言い伝えを先祖代々受け継いでいる筈だからだ。
>島津家でも、多分真実は密かに言い伝えられている筈だよ。

沖縄人以外の日本人はすべてチョン。
467日本@名無史さん:04/01/21 19:18
 薩長の馬鹿どもが、後先を考えず権力だけを欲しがり、
其の挙句、半島を併合しその後の日本の歴史上に修復不
可能な汚点を残した。
 左翼やテロリストが政権を牛耳ればこういう事になると
言う見本を提示した、出来事である。
468日本@名無史さん:04/01/21 19:48
>>467
 山県有朋は左翼でつか?
 
469日本@名無史さん:04/01/21 20:12
半島を併呑したことがなんで汚点なのだ?
朝鮮ごときどうでもよかろう。
470日本@名無史さん:04/01/24 14:12
>>469
 半島を併合した事実は汚点ではないのか?
471日本@名無史さん:04/01/24 18:25
明治維新とは

しかし天皇は再び3月7日東京に向かい、この28日着。結局正式な遷都の布告は
なく、「天皇が東京にいる間は太政官も東京に置く」というなんとも玉虫色の
宣言がなされただけでした。しかも京都市民に向けて「東国は未開の地である
から度々行幸して教化するが、決して京都を見捨てたりしないので安心するよ
うに」というメッセージまで出されます。要するに日本の首都はどうも法的に
厳密なことをいうとまだ京都であり、天皇が東京に「滞在」している間だけ、
臨時に東京が首都とみなされるということのようです。
472日本@名無史さん:04/01/24 21:53
もういいので、どうか京都で天皇をお引き取りください
473日本@名無史さん:04/01/24 22:35
>>470
領土を増やした事がなんで汚点なんだ?
474日本@名無史さん:04/01/24 22:38
>>470
チョソを植民地奴隷として使役し半島から収奪したのなら許せるけど、
実際はチョソを日本人と同等以上に扱い日本の資金を半島に貢ぎまくった。
どう考えても汚点。
475日本@名無史さん:04/01/24 22:51
>>474
君ね、自分で何言ってんのかわかってんの?。汚点は君の脳の中にあるな。
476日本@名無史さん:04/01/24 22:58
日本が殖民地化した朝鮮や台湾には産物も無いからな。
欧州諸国が産物の多い国を植民地化していった事とは内容が違う。
477日本@名無史さん:04/01/24 23:13
>>476
・・・・・・・・・・・。
あきれたよ。お前の頭は腐っている。
この日本から外に出るなよ。日本人の恥を世界に晒すようなものだ。
478日本@名無史さん:04/01/24 23:22
恒久的支配を前提にしていたために寛大すぎたせいで
現地民を必要以上に増長させてしまったのは失敗です
479日本@名無史さん:04/01/24 23:59
この戦争ネタ…粘着性……
わあおっ!
日本の侵略戦争を影で操るのは長州(山口)県人スレを立てた1さんじゃないでつか!。
だめでつよ!。こんなトコを荒らしちゃ。自分の立てたレスに戻ってきて、ぼくらのおもちゃになって欲しいでつ!。
480日本@名無史さん:04/01/25 00:49
>>477は何にあきれてるの?
>>476の発言「朝鮮や台湾には産物も無い」が朝鮮人としてのプライドを傷つけたの?
481日本@名無史さん:04/01/25 01:00
>>480
 それすら解らないとは・・・
 「チョソを日本人と同等以上に扱い」って文章だが、同等に扱う
 ことがなぜ悪いんだ。その差別意識を恥じないのか。
482日本@名無史さん:04/01/25 02:11
>>481
イギリス人は全インド人に大英帝国の国籍を与えたか?
フランス人は自分たちはアフリカ人と同祖であると主張し、
セネガルとの国家・民族併合政策を進めたか?
他民族の野放図な国内流入やそれに伴う混血を抑制するのは国家として不可欠な措置。
しかしかつての日本は朝鮮に対してはなぜかその措置を一切とらなかった。
483日本@名無史さん:04/01/25 08:53
>>482
 お前、生まれてくる時代を間違えたな
484日本@名無史さん:04/01/25 22:31
>>483
チョン臭人必死だな
485日本@名無史さん:04/01/26 11:39
明治維新は皇族・公家の生活向上運動に他ならない。

と私は考える。ミンシュウ?何それ?
486日本@名無史さん:04/01/26 22:27
たしかに明治維新においては世を嫉む貧乏公家の恨み辛みが一気に噴出した。
悲惨な境遇にあった公家の恨みが維新の原動力の一つだったことは事実だね。
487日本@名無史さん:04/01/28 22:56
>>461 >>465
開国近代化とそれに伴う諸改革を進めていたのは幕府。
薩長は「攘夷」と「王政復古」を口実に幕府を乗っ取っただけ。
改革を進めるのが幕府であろうと薩長であろうと、
近代化の過程で幕藩体制の封建的な諸制度は必ず解体されるんだよ。
488日本@名無史さん:04/01/28 23:14
>>487
参勤交代の復活とか衣冠制の旧習への復帰とかやってるあの幕府が?
489日本@名無史さん:04/01/28 23:47
>>487
 だから薩長が解体したんじゃん。
 待ってたら幕府が自ら変わる前に植民地になっちまうだろ。
 薩長に潰されるか外国に潰されるかどっちかしなないだろうに。
 国家百年の計なんて悠長な事は言ってられない。ロシアが南下し始めた
 結果、起こった日露戦争に間に合わなければあぼーんだ。
490日本@名無史さん:04/01/29 00:32
>>487
幕府が目的としていたのは、幕藩体制の強化だぞ、
それにより、統一政府が出来る可能性はあるが、封建的な諸制度を解体など予定もしてないし、
そんな状況になるなら、改革を止めているよ。
491日本@名無史さん:04/01/29 01:30
>>489
>封建的な諸制度を解体など予定もしてないし
それは薩長ね。
薩長は近代日本建設に関する何の青写真も持っていなかった。
「封建的な諸制度」の解体の必要性を認識していたのは幕府の改革派でしょ。

>>490
上からの近代化には強力な権力が不可欠。
幕藩体制の強化と近代化はなんら矛盾しない。
492日本@名無史さん:04/01/29 01:39
>>491
>薩長は近代日本建設に関する何の青写真も持っていなかった。

幕藩体制の解体、廃藩置県は薩長の基本方針。
桂は新政府樹立前から、構想していた、新政府が始まるとともに伊藤博文などは、
廃藩置県を提案している。
なにも持っていなかったのは、幕府であって、薩長ではない。

>幕藩体制の強化と近代化はなんら矛盾しない。

詭弁、幕藩体制の強化が近代化に繋がるわけではない。
そして近代化など幕府は目指していない。封建体制の維持に必至だった。


493日本@名無史さん:04/01/29 01:42
>桂は新政府樹立前から、構想していた
ソースは?
494日本@名無史さん:04/01/29 01:44
>幕藩体制の解体、廃藩置県は薩長の基本方針
初耳なんだけど、その具体的な内容は?
495日本@名無史さん:04/01/29 01:59
廃藩置県の研究、著者は松尾
496日本@名無史さん:04/01/29 02:06
>>494
初耳ってあんた基礎知識もないの?
常識の部類に入るのだが。
王制復古というものは、統一政権の樹立を意味し、
幕藩体制の解体と新たに郡県制による統治を目指していたのは常識。
そもそもなんの為に王制復古なんてお題目をつけたと思っているんだよ。
497日本@名無史さん:04/01/29 03:56
>>496
用語が混乱してるけど、
「幕藩体制=封建制」という側面を問題にしてるのならば、

幕末の「幕権強化・幕府の絶対主義化」は「封建体制の強化」を意味しない。
幕府の横須賀製鉄所建設や郡県制構想などの近代的統一国家を指向した諸改革は、
封建体制(幕藩体制)の行き詰まりを止揚するためのもので、
これは幕権強化路線と表裏一体。

逆に「徳川幕府の否定」は「封建体制の解体」を意味しない。
倒幕派は、徳川と天皇を取り替え、
下級公家や外様藩が権力を掌握できる体制を欲しただけ。
王制復古とは、鎌倉以前の王代の古政への復古を目指したもの。
「統一政権」といえば統一政権だけど、積極的に封建体制を否定する思想は皆無。
「諸事神武創業の始に基づき云々」という王政復古の基本思想は、
カルトじみてるとしか言いようがない。
498日本@名無史さん:04/01/29 03:58
>>492
桂などの倒幕派が、
封建体制一般(徳川体制ではない)を解体する方針を持ってたとするならば、
その基本方針とやらをぜひ知りたいね。
499日本@名無史さん:04/01/29 07:17
>>498
 じゃあなんで明治政府は近代化したんだよ
 逆にお前に聞きたいよ
 薩長が封建制維持なら幕府開かなきゃなんないじゃんw
500日本@名無史さん:04/01/29 10:12
>>497
>幕府の横須賀製鉄所建設や郡県制構想などの近代的統一国家を指向した諸改革は、

おいおい、何時何処で、幕府が郡県制構想を志向した諸改革をおこなったんだよ。
具体的に一つでもあげてみろ。

>幕末の「幕権強化・幕府の絶対主義化」は「封建体制の強化」を意味しない。

説明になってない、横須賀製鉄所も幕権の強化以外目的ではないし、
封建体制の維持、幕藩体制の維持にしか力を使っていない。

>下級公家や外様藩が権力を掌握できる体制を欲しただけ。

それだけなら天皇を担ぎ出す必要はない、幕府への政治参与を強化するだけでもいいし、
毛利幕府でも島津幕府でも構わなかった、それ以外にも雄藩連合でもよかった。
だがそれら全てを捨て、一元的に管理できる体制を築く体制を作った理由にはならない。

>「統一政権」といえば統一政権だけど、積極的に封建体制を否定する思想は皆無。

だから勉強不足なんだよおまいは。
佐幕派の小説だけじゃなくて、学術書も読んで勉強しろ。
統一政権をつくり、国難にあたるというのが薩長の目的。
その為に西洋の絶対王制の代りに選んだのが、天皇だっただけ。

>>498
全ての土地を天皇に返し、政府がそれを一元的に管理する体制。
具体例としては桂は長州征伐や戊辰戦争で獲得し、天皇に認められた領土を、天皇へと返還する事を申し出ている。
これらを見ても分かるように、自藩の勢力拡大を目指したのではない。
501日本@名無史さん:04/01/29 10:56
>百済系日本人、高句麗系日本人、朝鮮系日本人なら、ちゃんとそういう言い伝えを先祖代々受け継いでいる筈だからだ。

地名には少なからず残ってるけどな。
俺の住んでる関東は高麗とか「こま」とかそういう系統の地名が多いよ。
坂東を完全支配するため朝廷から送られた開拓民に当時の朝鮮半島
からの移民を使ってたんだろうね。
502日本@名無史さん:04/01/29 11:00
最近気づいたが。
維新当時、明治天皇は15歳だったんだな。
503日本@名無史さん:04/01/29 11:07
>日本が殖民地化した朝鮮や台湾には産物も無いからな。
>欧州諸国が産物の多い国を植民地化していった事とは内容が違う。

日本の場合、特に防衛上の理由で領土増やしてたんです。
だから日本列島から遠い地域なんか植民地に持ってもしょうがないんです。
実際植民地というより、日本管理地域といったほうがいいかもしれない。

純粋に移民が目的だったのは北海道ぐらいだな。
504日本@名無史さん:04/01/29 11:11
>「封建的な諸制度」の解体の必要性を認識していたのは幕府の改革派でしょ。
それはないんじゃないか。
武力によって思い知らせてやらないと権力者は権力に固執してたと思う。
やはり歴史が大きく変わるときには血が流れるってことだな。
505日本@名無史さん:04/01/29 11:13
>初耳なんだけど、その具体的な内容は?

形式上、古代の律令体制に戻したから
実際も中央集権体制になったよね。
506日本@名無史さん:04/01/29 15:53
【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です。
507日本@名無史さん:04/01/29 16:59
小説だけ読んでイメージで語る奴を相手にしてもしょうがないよ。
508日本@名無史さん:04/01/29 17:09
革命か改良か変革か?
509日本@名無史さん:04/01/29 17:23
>>498
>桂などの倒幕派が、
>封建体制一般(徳川体制ではない)を解体する方針を持ってたとするならば、
>その基本方針とやらをぜひ知りたいね。

んなもの無いだろ。
松陰も桂もバリバリの封建主義者だからな。
長州が封建制を解体するために倒幕したかのようなレトリックを
弄してる香具師は、ただのアフォ。
510日本@名無史さん:04/01/29 21:47
参勤交代を復活させ大奥の権勢を断固維持しようとしていたあの幕府。
511日本@名無史さん:04/01/29 22:34
>>509
文字も読めない馬鹿は消えろ。
桂は倒幕前から、封建体制の解体を目論んでいたのは歴史的な事実。
512日本@名無史さん:04/01/29 22:58
桂ヲタってヴァカ?
513日本@名無史さん:04/01/29 23:09
現実が認められない佐幕ヲタが哀れでならん。
そうすることで自我を保っているのだろうが、なんとも可哀想だ。
514日本@名無史さん:04/01/29 23:10
戦うことより御土産に心を砕いた旗本兵を主力としていたあの幕府。
515日本@名無史さん:04/01/29 23:29
「甘く玉を我方へ奉抱候御儀、千載の一大事にて、
自然万々一も彼手(幕府)に被奪候ては、
たとへいか様の覚悟仕候とも、現場の処、
四方志士壮士の心も乱れ、芝居大崩と相成り、
三藩(薩長芸)の亡滅は不及申、終に皇国は徳賊の有と相成、
再不可復の形勢に立至り候儀は鏡に照らすよりも明了に御座候」

慶喜に天皇を奪われたら長州藩は滅亡する…
この危機感が木戸の行動の動機。
516日本@名無史さん:04/01/29 23:36
>>515
 天皇を得た者が勝つのは昔からだろw
 天皇を奪われた途端に弱弱幕府になったじゃんw
517日本@名無史さん:04/01/29 23:38
で、桂の封建体制解体基本方針!においては、
封建的な経済体制をどのような経済体制に変革しようとしてたの?
518日本@名無史さん:04/01/29 23:45
誰が桂が経済体制の変革を模索したなどといったのだ。
519日本@名無史さん:04/01/29 23:54
>>518
経済を変えずして封建体制の解体を目論むことができると思う?
もしも木戸が目的意識的な封建体制変革者であるならば、
幕藩体制の基礎である封建的経済体制の解体プログラムを持ってなければおかしい。
520日本@名無史さん:04/01/30 00:17
>>519
わけわからんな。
体制に合わせて経済が変革するのであって、
経済を変革する事によって体制を変えられるわけじゃない。
少なくとも桂にとって、封建体制の変革は、経済体制の変革を意味しない。

そもそも幕藩体制の基礎が封建的経済体制なわけじゃない。
経済が幕藩体制に合わせて成長しただけ。
521日本@名無史さん:04/01/30 00:18
単に太政官への権力集中をもって封建制の解体だとするのは、
戦前のかなり粗雑な皇国史観だね。
そんなことを言ったら、尊皇運動は全て反封建運動ということになってしまう。

また、仮に朝廷を中心とする中央集権化が封建体制の解体なら、
将軍を担いで中央集権化コースを進んだ場合でも、
封建体制は解体されることになる。
522日本@名無史さん:04/01/30 00:25
>>521
>そんなことを言ったら、尊皇運動は全て反封建運動ということになってしまう。

間違いではないな。王制復古と封建体制は相容れない。

>将軍を担いで中央集権化コースを進んだ場合でも、

その道に進まないから、幕府は駄目なわけだが。
最大の領主がそんなこと出来るわけがない。
ましてや現実には長州一藩にすら蹴散らされた幕府が、藩を潰すなど夢のまた夢。
523日本@名無史さん:04/01/30 00:37
>長州一藩にすら蹴散らされた幕府
長州が軍事的に幕府に勝ったと思ったら間違い。
軍事的な見地では将軍慶喜が戦闘を放棄なければ長州に勝ち目は無かった。
錦旗をつくり大見得をきった岩倉の一か八かの謀略の成果で、
その意味で薩長の勝利はかなりきわどい。
当時の状況では幕府主導の近代化コースのほうが可能性が高かったと言えるね。
524日本@名無史さん:04/01/30 00:55
>>520 >>522
要するに君の見解では、
「封建体制とは鎌倉〜徳川幕府のことで、かつ、
封建体制とは経済構造を度外視した概念である」
ということになる。
525日本@名無史さん:04/01/30 01:00
>>523
軍事的に有利なら、長州征伐に成功している。
だが10万にもおよぶ兵力を動員しても、数千の長州に負けたのが現実。
よって幕府主導など夢のまた夢
526日本@名無史さん:04/01/30 01:06
>>524
経済構造は封建体制の必要条件の一つかもしれないが、
十分条件ではない。
また経済構造により封建体制が維持されてきたわけではない。
527日本@名無史さん:04/01/30 01:12
>>526
>経済構造は封建体制の必要条件の一つ
だから木戸は幕藩体制下の当該必要条件をどう批判し、
どのように解体・変革しようとしてたわけ?

>経済構造により封建体制が維持されてきたわけではない
へ〜、じゃ何によって維持されてきたの?
528日本@名無史さん:04/01/30 01:26
>>527
>どのように解体・変革しようとしてたわけ?

なんで解体、変革しなければならんのだ。
旧体制を支える柱の一つであることと、
新体制がそれを解体、変革する必要性は別個の問題だ。

>へ〜、じゃ何によって維持されてきたの?

権威と権力とそれを支える武力、


529日本@名無史さん:04/01/30 01:41
>>528
>なんで解体、変革しなければならんのだ。
そう。つまり君の言うとおり、
木戸は幕藩体制を支える封建的な社会・経済構造そのものを
解体・変革しようとせず、その必要性も認識していなかった。
彼は単に徳川と天皇をすり替えただけ。

>権威と権力とそれを支える武力、
その武力は何によって維持されてるのさ?
530日本@名無史さん:04/01/30 01:46
>>529
>木戸は幕藩体制を支える封建的な社会・経済構造そのものを
>解体・変革しようとせず、

なんでそうなるんだよ、社会的な構造と経済構造は別個だ。
桂は社会的な構造の変革を目指していたが、経済的な構造の変革の必要性は認めていなかっただけだ。

>彼は単に徳川と天皇をすり替えただけ。

それなら幕藩体制を崩壊させる必要はない。毛利幕府でも作ればいいだけ。


>その武力は何によって維持されてるのさ?

徴税、敷いて言えば土地と農民かな。

531日本@名無史さん:04/01/30 02:50
幕末漫才スレだなw
532日本@名無史さん:04/01/31 10:04
>>530
>徴税、敷いて言えば土地と農民かな。
だから土地と農民、つまり封建的な土地所有関係に基づく経済構造が封建制の基礎なんでしょ。

>桂は社会的な構造の変革を目指していたが、経済的な構造の変革の必要性は認めていなかっただけだ。
したがって、経済の変革の必要性を分かってなかった桂は封建制の解体を事前に意図していたわけではない。

>それなら幕藩体制を崩壊させる必要はない。毛利幕府でも作ればいいだけ。
薩長が旧幕府領に依拠して中央政府としての役目を果たすことは不可能な状態だった。
戦費がかさんだ薩長政府の財政は旧幕府時代よりさらに悪化し破綻寸前で、
幕藩体制を崩壊させないという選択肢は残ってなかった。
廃藩置県により全国の租税と軍隊を一挙に掌握したのは、
経済的現実に追いつめられ生き延びるためにとった必死の打開策だった。
533日本@名無史さん:04/01/31 10:12
長州が降服したら幕府は速攻で問答無用に大量の長州人を斬首する気だったろう。
死に物狂いで抵抗してくるとは予想だにせず驚いて逃げまくったわけだが。
534日本@名無史さん:04/01/31 10:53
5万の幕府軍が一千程度の天狗党相手に攻めあぐねていたのをみれば、
10万の幕府軍が数千の長州にも負けるだろうことは予見できたと思うが。
535日本@名無史さん:04/01/31 12:20
まさに窮鼠猫を噛む。
長州は刃物をもった基地外ネズミ。
536日本@名無史さん:04/01/31 19:54
基地外と罵倒したところで鼠を仕留められなかった体たらくぶりは変わらないが。
537日本@名無史さん:04/01/31 22:27
関ヶ原〜禁門の変まで負け続け、
何百年も徳川に圧迫され続けた長州が、
初めて反撃できたのが征長戦なんだよな。
鼠が有頂天になるのも無理はないか。
538日本@名無史さん:04/01/31 23:02
>>537
幕末以前は関ヶ原しか思い浮かばないバカはだまってろ
539日本@名無史さん:04/01/31 23:22
明治維新は、澱んだ息苦しい程の空気を、新鮮なものにしたかっただけ。
みんなあるだろ、いたたまれなくなって抜け出したくなった事が。
それの全国版でいいんじゃない。
540日本@名無史さん:04/01/31 23:44
>>532
>だから土地と農民、つまり封建的な土地所有関係に基づく経済構造が封建制の基礎なんでしょ。

それは経済構造じゃないよ、統治形態の問題、それを経済というのなら、天皇のもとに土地を返し、
封建的な土地所有を解体を目論んでいた桂は、経済問題も認識していたということになる。

>したがって、経済の変革の必要性を分かってなかった桂は封建制の解体を事前に意図していたわけではない。

したがって桂は封建性の解体を目的にしていたことになる。

>戦費がかさんだ薩長政府の財政は旧幕府時代よりさらに悪化し破綻寸前で、

間違いですね、旧幕より数百倍はマシです。
明治政府はなんだかんだいっても、殆ど借金をしていないのです。
幕府の財政がよかったっていうのは、商人から500万両を越える借金をしたり、
諸外国から生糸の優先輸出で数百万ドルの金をかりたり、北海道の開発権を担保に借りようとしていたからです。

さらにいえば諸藩の借金(金が余っていたのは長州など極々一部)は明治政府が受け継いだわけで、
短期的にはもっと苦しくなるんです。
そもそも金銭的な問題だけなら、解体せずとも、幕府がやったように新政府に米を納めさせる事だって出来るんですよ。
それらを行わず、あくまで解体させた理由もわからないのですかな?
また版籍奉還や廃藩置県の建白書は、明治初年度から盛んに提出されてます。
(トップバッターは初物食いの伊藤博文で、これが一番最初に出された建白書だったと記憶してます)
財政的な理由がなかったとはいいませんが、それはあくまで反対派を説得する為の方便でしかありません。

臨機応変で、あらゆる事象に即時対応していった明治政府ですが、
こと幕藩体制の解体に関しては残念ながら、維新前からの目標を漸く達成しただけなんです。
541日本@名無史さん:04/02/01 00:15
>>539
逆だ。
艶やかな庶民文化が花開いた江戸時代と、
北朝鮮のような澱んだ体制となった明治〜昭和を比較して見ろ。
薩長は自藩の澱んだ空気を全国にまき散らしただけ。
542日本@名無史さん:04/02/01 00:42
江戸庶民だけ(ようは平城市民)がそこそこ裕福だけど、
北関東や東北(いわば地方農村な)では餓死者が累々というまさに北朝鮮的な時代が江戸時代
543日本@名無史さん:04/02/01 04:44
>>540
将軍様マンセー的カルト史観だな。
ここまでくるとほとんど宗教だ。
544日本@名無史さん:04/02/01 08:03
大奥が隠然たる政治力を持っていたあの幕府マンセーなカルト
完全に宗教だな。
545日本@名無史さん:04/02/01 19:42
>542
御意。
東北地方は、米本意よりも家畜を食する習慣があればまだ救われた
という記事を何処かで拝読した。
546日本@名無史さん:04/02/02 00:18
323 :日本@名無史さん :04/01/31 00:45
木戸は、禁門の変で幕兵にとらえられた際、
その場でウンコを漏らし、
便所に行かせてくれと泣きながら哀訴し、
幕兵があきれて放免したためかろうじて逃げ延びた。
実に長州らしい逸話だ。
547日本@名無史さん:04/02/04 17:48
遅レスだが、木戸が江戸開城前から版籍奉還、廃藩置県を目指していたのは事実。
1868年2月に版籍奉還の建白書を出してる。江戸開城は同年4月。

木戸は徴兵制(=武士の特権剥奪)も提案してるし、完全に封建体制の崩壊を狙っていたっぽい。
548日本@名無史さん:04/02/04 22:53
>>547
だから、何度も指摘されてるように、
木戸がその経済的裏付けをどう理解してたのかってのが問題なんだろ。
木戸が具体的な近代国家構想をもってたと言い張るのなら、
その近代国家構想とそこに至るプロセスを明示した綱領を出してみろ。
549日本@名無史さん:04/02/04 23:11
>>548
 粘着だねぇキミもw。
 木戸が洋行から帰ってきてからだよ。
 近代化構想を具体化し実行したのはね。
 幕末時代にこだわる事で論破しようとしてるがミエミエw。

 
550日本@名無史さん:04/02/04 23:14
>>548
547ではないのだが、経済問題と制度問題は別。
勝手に君だけが一緒にしているだけ。
近代以前は経済は制度にあわせて変化するだけで、経済が制度を変化させているわけじゃない。
特に日本では、制度の方が重要。

また経済であげるなら、薩長の自由貿易と、幕府の統制貿易の違いというものもある。

551日本@名無史さん:04/02/04 23:19
幕府は貿易を独占し、利益を1人占めにしていた。
それに反発した薩長が幕府を討伐したという経済的な側面がある。
フランスはその幕府に肩入れし、独占的に貿易をしようと目論んでいた。
それに不満だったイギリスが、幕府を見限り、自由貿易を望んでいる薩長に行為的に動いたのは周知の事実。
もっともイギリスは、フランスのように莫大な援助などはしていないけどな。
552日本@名無史さん:04/02/04 23:36
日本では明治維新以来次第に銀行資本と産業資本の結合した独占資本の形は発達したが、
生産の格式はおくれた半封建の中小企業を基礎とし、軽工業を基礎とし、
植民地賃銀といわれる低賃銀で男女の勤労者を働かして来た。

土地の関係も徳川時代と変りない地主小作の関係がつづき、
年貢を米、麦等現物でおさめ、耕作方法も機械化されていない。
一般人民がどんなに無権利であったかを思い出せば、
日本に近代市民社会の無かったことは明瞭である。

ほんの一握りの大地主、財閥が封建的に支配して来たが、
その権力は日本の経済、政治を民主化させる実力をもたず、
己の利益のために侵略戦争をひき起し、日本を破壊した。
553日本@名無史さん:04/02/04 23:38
>>551
もともとはオールコックの意見だね。
英国は幕府の貿易独占反対をネタに長州にとりいった。
554日本@名無史さん:04/02/04 23:43
>>522
まあ、そうとも言えるわな
555554:04/02/04 23:44
>>522じゃなくて>>552
556日本@名無史さん:04/02/04 23:46
>>552
耕作の機械化ってマジで言っているのか。
当時耕作方法が機械化された国なんてあるのかよ。
アメリカだって、戦後になってからやっとだ。

そもそも一般人民が無権利なんてどこの馬鹿が言っているのだ?
そういったアホな教授や講師は実名を晒し上げてもよし。

>己の利益のために侵略戦争をひき起し、日本を破壊した。

戦争マンセー右翼が攻撃していたのは常に財閥と地主



557日本@名無史さん:04/02/04 23:47
今時age・sageで自作自演できるとおもっているとは。
558日本@名無史さん:04/02/04 23:51
とりあえず幕府をたおしとこ、後はそれから考えようって感じだよ
559日本@名無史さん:04/02/04 23:52
>>557
おまえもなー
560日本@名無史さん:04/02/04 23:58
>>558
幕府はもう存在するだけで、害悪だったからな。
561日本@名無史さん:04/02/04 23:59
>>551
>それに不満だったイギリスが、幕府を見限り、自由貿易を望んでいる薩長に行為的に動いたのは周知の事実。
大英帝国のとなえる「自由貿易」って何?
幕府は内地通行権を禁止し、欧米外商を居留地に封じ込めていた。
さらに兵庫商社や国益会所構想など外商の貿易利権独占を突き崩すことを指向していた。
英国はこうした事態に危機感を感じて反政府勢力に接近しただけ。
英夷にそそのかされて内戦を始めた長州は、どう言いつくろっても国賊。
562日本@名無史さん:04/02/05 00:01
幕府が長州に降服して皆殺しになれと言うのは無理な要求だ。
563日本@名無史さん:04/02/05 00:01
>>560
で、その後の害悪が薩長になるわけだな
564日本@名無史さん:04/02/05 00:04
そして結局日本はつぶれた
565日本@名無史さん:04/02/05 00:20
>>561
>大英帝国のとなえる「自由貿易」って何?

幕府のみが貿易をする体制の解除。諸藩にも自由に貿易をさせるべきだという意見。

>さらに兵庫商社や国益会所構想など外商の貿易利権独占を突き崩すことを指向していた。

違う、これにより、利益を仏蘭西にのみ与えようとしていたのだ。
勿論仏蘭西にそそのかされてな。独占突き崩す相手は、英国をはじめとする諸外国で、
それらを排斥したあとに、貿易を独占するのが仏蘭西の目的。
借款の条件にも生糸の独占輸出などが盛りこまれている。

つまり幕府そのものが売国奴と言っても過言じゃない。
薩長は英国を利用しただけだが、幕府は仏蘭西に操られていた。
なお英国のみならず、米蘭も薩長よりの判断をし、仏蘭西だけが幕府を援助していた。
566日本@名無史さん:04/02/05 00:20
幕府兵や彦根兵のへタレぶりで「幕府は逝かんなあ」という印象が流行ってしまったのも痛い。
567日本@名無史さん:04/02/05 00:21
「旧幕府の悪弊暗に新政に移り、昨日非とせし者今日却て是とす、是其一なり」
某薩摩藩士が長州を非難して書いた改革意見書の一節。
568日本@名無史さん:04/02/05 00:25
>>565
中央政府が自国の貿易政策をコントロールするのは当然の権利だろ。
日本全体の国益を無視して自藩の特殊利益を守るため、
外国と結託して中央政府を攻撃した長州って、
今でいえば朝鮮総連みたいなものじゃない?
569日本@名無史さん:04/02/05 00:26
>>561
「幕府は内地通行権を禁止し、欧米外商を居留地に封じ込めていた。」
こんな状態で諸外国がいつまで我慢してくれると思うんだ?。
幕府が英国に見限られるのは至極当然だったろうな。
570日本@名無史さん:04/02/05 00:30
>>568
 少なくても長州は英国に参戦要請を出してないよ。
 幕府は仏国の参戦を希望していた様だけどね。
571日本@名無史さん:04/02/05 00:30
>>568
幕府が中央政府って誰が決めたんだよ。
国益に反していたのはむしろ幕府、存在自体が害悪って言われても仕方ないね。
572日本@名無史さん:04/02/05 00:31
幕府が長州を皆殺しにすることを諸藩は望まなかった。
573日本@名無史さん:04/02/05 00:33
>>570
つーか長州に至っては、恩を売りたくないから借金すらしてない。
幕府は借金のかわりに、仏蘭西に内政介入されまくり。
ほんと売国奴。
574日本@名無史さん:04/02/05 00:34
>>568
自藩の特殊利益って何だよw。
利益を守ろうとしてたのは幕府の方じゃんw。
働かなくても禄で飯が食える武士社会。
575日本@名無史さん:04/02/05 00:43
幕府が貿易を独占した事により、日本国内はハイパーインフレ。
米などの物価が最大で八倍にまで高騰。
そしてその貿易の利益を独占した幕府。
ほんと日本の国益の為に努力した中央政府だわw
576日本@名無史さん:04/02/05 00:44
>>573
明治政府は維新当初会計基立金300万両を募集してるね。
一種の御用金だけど、地租で引き当てる事実上の借金。
577日本@名無史さん:04/02/05 00:49
>>576
 幕府が勝手に結んだ条約を引き継いでやったんでね。
 幕府が諸外国から借りた金を返さないいけなかったんだよ。
 悪いのは幕府だろ。
578日本@名無史さん:04/02/05 00:54
>>576
長州は一切借金をしてないということは代らないわな。
そして新政府は、すぐに諸藩に借金を禁止した、外国に付けこまれるからな。
そして新政府がした借金は、幕府がした借金に比べれば微微たるもので、前倒しで返し切っている。
物凄く計画的に借りているわけだ、幕府のように返せる宛てもない借金を何度もしていない。
579日本@名無史さん:04/02/05 00:59
当初薩長は幕府直轄領にうえに政府の基礎をおいた。
八百万石の御朝廷ってやつだね。
800万石すら名目収入で実態は極貧状態だったにもかかわらず、
旧士族の録は支給し続けなければならない。
苦し紛れに太政官札を大量発行するも暴落して、
物価高騰、国内大混乱、政府の信用失墜。

結局薩長は行き詰まってた幕藩体制をさらに危機的状態に追いつめ、
自ら自爆し、自己変革しなければならないはめになった。
580将軍:04/02/05 01:01
ここは妥協したいと思う。、
諸藩を取り潰して、すべて天領にして郡県制とか道州制でもしいて、徹底した中央集権化を図る。
憲法等は西周などに任せておく。そうすれば、薩長と大差ない国家ができると信じたい。
私を大統領とする共和制で良いのではないかな。

>>577
幕府も困っている。ある時は諸君ら賊藩の賠償を肩代わりをさせられたのではないか?
普段は中央政府とみなしていない私のところの藩に、
尻拭いさせるのは不義と思う。
581日本@名無史さん:04/02/05 01:02
>>579
過去ログ読め、桂は最初から幕藩体制の解体を目論んでいる。
ついでにそれはすべて幕府の負の遺産が原因。
582日本@名無史さん:04/02/05 01:05
>>578
福沢も嘆いてるけど、
維新当初の薩長には殖産興業という発想が無かった。
ただ緊縮財政があるのみ。
そして延々と緊縮財政路線を突っ走っていたら、
明治政府は早々に破滅してたんだよ。
583日本@名無史さん:04/02/05 01:06
>>580
 そもそも将軍が嫁さん欲しさに「攘夷します」と約束したのが事の発端でしょ。
なんで出来ない約束をしたのか答えてくれよ。
584武田伊賀正生:04/02/05 01:07
>>580
拙者が一橋様より償金支払い不可の布告を仰せ遣い東下しますた。
585日本@名無史さん:04/02/05 01:09
>>580
>幕府も困っている。ある時は諸君ら賊藩の賠償を肩代わりをさせられたのではないか?

なら最初から英国などが求めているように、
下関を開港させればよかったじゃないか、もしくは他の港をね。
だけど、貿易の独占を企む仏蘭西にそそのかされ、賠償金を払う事を決断。
まあここまではいい。
だが、結局賠償金が払えず、結局英国の予定通り開港するとはなに考えてんだ。
払い損じゃねーか。
586将軍:04/02/05 01:10
天誅などの手段を使う、
諸君ら怨念に凝り固まったテロリストが吠えるから。
テロリストは恐ろしいよ。
青公家を誑かす狐とテロリストの名コンビ
587日本@名無史さん:04/02/05 01:10
馬鹿な長州人から新政府を救ったのは大久保と大隈という結論でいいでつね?
588日本@名無史さん:04/02/05 01:13
>>582
薩長の藩政を知ってて言っているのか?
殖産産業により藩政を豊にして、幕府を打ち破ったんだぞ。
なんで殖産産業をやらなかったのかの理由はただ一つ、金がなかったから。
幕府や諸藩がこさえた莫大な借金の返済と、武士の俸給に四苦八苦。
そして外国からの借金が危険なので、外国から借りるわけにもいかなかった。
589関鉄之助:04/02/05 01:14
>>586
井伊に天誅を加えたからこそ一橋様が世にでることができたのでつ。


590将軍:04/02/05 01:16
>>589

私的には毒竜の血を引く者は駄目と思う。
591日本@名無史さん:04/02/05 01:16
>>581
廃藩置県後の政府収入の30%以上の額が、
華族家禄、皇族典録、士族家禄などに消えていった。
これは幕藩時代の藩侯家禄などをそのまま承継したもの。
木戸が封建制の解体を目指していた?
笑わせるなと言いたい。
592日本@名無史さん:04/02/05 01:17
>>587
その二人の地盤の大蔵省そのものが長州閥の傘下だったりする。
実務は井上が実質しきっていたしね。
>>586
柄の悪い憲兵隊使って思想弾圧していた幕府がそれをいうのか?
593将軍:04/02/05 01:19
>>592

ほら、毒は毒をもって制すると言うじゃない?
違ったかな?
594日本@名無史さん:04/02/05 01:20
>>591
行き成り全て廃したら内乱になるだろうが、賢い香具師は段階的に徐々に権利を奪っていくんだよ。
595斉昭:04/02/05 01:21
大奥の無駄使いを止めさせ、政に口を出さないよう沈黙させるのぢゃ。
596日本@名無史さん:04/02/05 01:23
>>593
つまり天誅は幕府という猛毒を退治する為の、必要悪だろ。
597日本@名無史さん:04/02/05 01:45
>>592
でも大隈は了見の狭い井上を見限って大蔵省から追放してしまう。
その後大久保が殖産興業政策へ舵を切った。

長州人は権力を集中させる段階までは燃料になるけど、
その権力を用いて何かする段になると何の役にも立たない。
598日本@名無史さん:04/02/05 01:55
>>597
つか大隈に追い出されても、井上は大久保がすぐに拾っただろ。
明治6年の政変により、最終的に彼の緊縮財政策が通り、
その結果実際経済の舵取りは井上がずっと取仕切る事になった。
てか、銀行や企業の多くは、井上が渋沢と共に立ち上げたわけだが。
599日本@名無史さん:04/02/05 02:10
で、将軍が約束した「攘夷します」に関しては、都合悪いから無視かいw
600日本@名無史さん:04/02/05 02:15
薩摩だけでなく公武合体の越前・土佐まで開港論で統一しようというときに、
只幕府は諸藩の発言権を封じたいが為だけに横浜鎖港を強硬に主張した。
601日本@名無史さん:04/02/05 23:26
>>600
 神戸港開港を拒絶し、なおかつ横浜鎖港を実行しようとしたんだっけか。
 時代に逆行して鎖国時代に戻ろうとする幕府。
 幕府は開国派であり近代化を目指したと発言するヤツに聞きたいですな(藁。
 これで幕府主導の近代化ができるのかね?と。
 
602日本@名無史さん:04/02/06 20:56
てゆーか開国を断行したのは井伊大老だよ
その頃の長州は攘夷基地害だった
603日本@名無史さん:04/02/06 21:01
彦根電波はもう秋田
604日本@名無史さん:04/02/12 22:16
揚げ
605日本@名無史さん:04/02/13 17:40
坂本龍馬と、薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前佐賀藩の責任。

坂本龍馬と、薩長土肥・明治新政府(=後の大日本帝国≒現政府)は何をもたらしたか。

○敗戦により、異国に占領される。
○敗戦により、アメリカ軍の基地・関連施設が、日本本土に租借・建設され、日本はアメリカの半植民地となる。
○敗戦後つくられた新憲法は、連合軍総司令部(GHQ)の民生局の職員が1週間で、にわかに、つくった、まがいものとなった。
日本国憲法の原文は英文でMade in USA。
○敗戦により、国軍が持てなくなる。
○太平洋戦争末期、アメリカ兵・ソ連兵に、下は女学生から、上は主婦まで、レイプされまくって、多数の混血児が生まれた。
○戦災により、歴史的文化財が数多く破壊。
○敗戦により異国の属国となり、祖先を敬わない若者が急増。
○あわや天皇が戦犯として処刑される事態に。
○処刑は免れたが、今でも欧米ではヒトラー・ムッソリーニ・ヒロヒトは3大汚物、人類の敵。
○朝鮮を併合してしまい、朝鮮人が大量に本土に流れ込む。
○朝鮮と深く関わりすぎ、今でもつきまとわれる結果に。
○中国と深く関わりすぎ、今でもつきまとわれる結果に。
○敗戦により建国された北朝鮮が、日本人拉致事件を起こす。
○肥前佐賀藩出身・大隈重信によってつくられた早稲田大学のサークルが、性犯罪史上最悪の連続集団強姦事件を起こした。

よって諸悪の根源は薩摩・長州・土佐・肥前佐賀の存在そのものに起因し、
全ての責任は坂本龍馬と、薩長土肥人にある。

※薩摩・長州・土佐・肥前佐賀=危険なテロリスト・悪の枢軸・略して薩長土肥
606日本@名無史さん:04/02/13 17:54
明治政府は渋沢を切ったのがまずかった。
民間にとってはよかったのかも知れないが。
607日本@名無史さん:04/02/13 20:52
605 は強引な所もあるがなかなか面白いと思った。
608日本@名無史さん:04/02/13 22:02
つーか軍部は永久に薩長藩閥人事を持続させた方が良かったんじゃないか?
東北出身者に首脳部への介入を許したことが大東亜の敗戦を招いたようにも思われるな。
609日本@名無史さん:04/02/17 11:23
>>1
クーデター以上革命未満といったとこじゃないでしょうか?
610ツバキ:04/02/20 08:53
幕藩体制が長く続き、大名に金を貸してとれない商人、出世できないサムライ
就職のできないサムライの2,3男、医者として認められなかった外科医、いろいろ
不満がペリーの艦隊の来航により爆発した。
611日本@名無史さん:04/02/20 13:18
ところでわしは、いつ将軍になれるんだ?
612日本@名無史さん:04/02/20 16:08
>>605
一理あるがそれ以前に幕府がもっと賢ければ他に道もあっただろうとも思う。

613日本@名無史さん:04/02/20 21:09
>>608
んな事ない。
そこまでの下地を作ったのは、薩長の馬鹿共ですよ。
614日本@名無史さん:04/02/21 01:53
なぜ何の根拠もなく断言するのか?これが会津の習性なのだろうか?
615日本@名無史さん:04/02/26 23:31
薩長ばかり叩くのは会津厨だろ。
そのくせドラマと漫画と会津の本しか読まないから知識もしょぼい。
会津厨の根拠ある反論なんて見たことないしなw
616日本@名無史さん:04/02/28 21:18
s
617日本@名無史さん:04/02/29 10:22
薩長を美化してるのは薩長厨だろ。
そのくせ、捏造され美化された、ドラマと漫画と薩長の本しか読まないから知識がデタラメ。
薩長厨の根拠ある反論なんて見たことないしなw

ドラマ「奇兵隊」とか、長州を美化しすぎ、
反政府テロリストの長州が、あんなに、まともで美しいわけないだろ。
618日本@名無史さん:04/02/29 10:53
>>617
ドラマ「奇兵隊」って・・・
だからドラマばっかり見ているから
ドラマベースでしか話しができないんじゃないの?
ドラマどーでもいいんだよ。ドラマは作り話しで事実じゃないんだからさ
619日本@名無史さん:04/02/29 11:28
>>615
薩摩は批判されて当然。
久光は馬鹿だし、大久保は日和見、西郷は世情に疎い軍事馬鹿。
生麦事件など起こしやがって無駄な賠償金をとられてしまった。
首謀者の引渡しに応じなかった卑怯者の集まりじゃないか。
620日本@名無史さん:04/02/29 11:52
慶喜は償金支払いの拒否を主張した。
621日本@名無史さん:04/03/05 02:49
>617
「風光る」は、人を敵か味方かでしか見れない妄想女に特有の
偏見に満ちた糞マンガだから読んじゃダメだよー。
622日本@名無史さん:04/03/19 01:26
日米戦争敗戦により、日本はアメリカの半植民地・属国・軍事拠点となり、
現政府は、アメリカの傀儡政権・親米政権・売国奴政府だからな。


これも全て、薩摩藩と長州藩が、徳川から政権を無理やり奪って、つくった明治帝国が、日米戦争をやったせい。


第十五代将軍・徳川慶喜が計画した、大君国家になっていれば、こんな事にはならなかったよ。


薩摩人と長州人は、永久に日本人に謝罪し続けろ。
623日本@名無史さん:04/03/19 03:10
明治維新っていうのは、要は西の連中が300年来の恨みを晴らしたってことだろ。
関ヶ原の“延長戦”。

でもさ、動機は不純でも、露に勝ったり、それなりに立派だったんじゃないの?
624日本@名無史さん:04/03/19 03:19
>>623
江戸時代二百数十年の間に関ヶ原の因縁なんて消えています。
徳川と各大名家や大名家同士の姻戚関係見るとみんな親戚だよ。
625日本@名無史さん:04/03/19 03:25
戊辰戦争時の八戸南部藩当主、信順は薩摩重豪の五男だったりするし。
626日本@名無史さん:04/03/19 03:29
>>624
でもさ、徳川の世でイイ目を見れなかった外様連中による革命だろ?
薩摩だか長州だかでは、毎年年頭に家臣が「殿、今年の徳川征伐は如何いたします?」
って聞いて、殿が「まぁ、今年はまだいいだろ〜」なんて答える、笑っちゃうような行事もあったんだろ。

徳川倒してテメエが天下を、ってことは元を辿れば関ヶ原じゃん?

まあ、どーでもいいんだけど……。
ようは、薩摩や長州がただ天下を取りたかっただけ、って話。
627日本@名無史さん:04/03/19 03:38
>>626
薩長の中にそういうサムライもいれば、そうでないサムライもいた。
628日本@名無史さん:04/03/19 03:45
戊辰戦争知りたいならラストサムライ見ればいい。
629日本@名無史さん:04/03/19 03:47
>>626
江戸初期は徳川も外様大名を多々廃藩したが幕末まで残っているような有力大名はほとんど松平性を名のっている。
外様大名は国家政治に参加できないというだけで独立国ですから。
幕府の親藩とは立場が違います。
630日本@名無史さん:04/03/19 04:04
そんな難しいことはどーでもいいと思うんだよね。
徳川の下でイイ目みれなかったのは確かだろ?

それが時代の波に乗って天下目指すのは当たり前、っていうか、メチャわかりやすい感情じゃない?
反体制っていうのは、古今東西、そのままじゃオイシクない連中が考えるコトじゃん?
631日本@名無史さん:04/03/19 04:09
>>630
徳川の下でイイ目を作れたんだよ。
632日本@名無史さん:04/03/19 04:16
幕末の歴史かな?薩長が結びつく以前は薩賊会奸だったし薩摩は転向主義かよ。
633日本@名無史さん:04/03/19 07:24
融通無碍でごわす。
634日本@名無史さん:04/03/19 09:18
薩摩は現実主義。
635日本@名無史さん:04/03/22 17:57
リストラクチャリング
636日本@名無史さん:04/03/22 18:00
中国人の起源は韓国ニダ!
637日本@名無史さん:04/03/24 15:48
>戊辰戦争知りたいならラストサムライ見ればいい。
西南戦争だろ。
638日本@名無史さん:04/03/28 09:39
慶応四年正月 小栗作戦が実行された場合の日本の近代史。

1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。
     近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
     桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
     薩長の乱がおこる。(〜68) 鎖国回帰を主張する
     復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の
     建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 薩摩藩・長州藩の起こした薩英戦争・馬関戦争により、関税率が下がる。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。
     軍制改革がすすむ。
1868 徳川慶喜氏が大君(=大棟梁=大統領)に就任する。小栗らと連携し
     反乱鎮圧と近代化に尽力。
     政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および
     政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が
     解消される。
     廃藩置県が実施される。
1869 四民平等になる。鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。すでに日本は世界屈指の
     平和国家にして民主主義国家に。
639日本@名無史さん:04/03/28 12:01
幕末の幕府はすでに開放的になっていて、長州の長井雅楽や薩摩の島津久光の
幕政改革案を受け入れている。維新を起こした連中は自分たちが権力を握る
ために無用の内戦をしたんだよ。時代の流れだとか歴史の流れという
やつがいるが、そういう奴が薩長のテロリストやナチドイツを支持して
世をだめにすんだよ。
640日本@名無史さん:04/03/28 12:10
曙太郎(34)が暴走ファイトの末に敗れた。
2回に武蔵(31=正道会館)を押し倒し、レフェリーの制止を振り切って
後頭部に反則パンチを乱打。この行為で試合は約10分間中断した。
再開後は果敢に前進して元横綱の片りんを見せたが、
武蔵の蹴りとパンチにポイントを奪われ、3−0の判定で完敗。
昨年12月31日のボブ・サップ(29=米国)戦の1回KO負けに続いて2連敗となった。
突然の出来事だった。2回20秒すぎ、曙は左のど輪で武蔵をコーナーに押し込んだ。
バランスを崩した武蔵がしりもちを付く。しかし、元横綱は攻撃を止めなかった。
真上から右手を後頭部にたたき落とす。レフェリーが右手をつかんで制止すると、
今度は左手で2度パンチを振り下ろした。
220キロの体重を乗せたパンチに、武蔵は一瞬気を失った。
本来ならば完全な失格負け。ドクターもストップを要求した。
しかし、意識を取り戻した武蔵本人が試合続行を強行に主張。
曙に減点1が科せられた上で、武蔵のダメージ回復を待って約10分後に試合は再開された。
最終3回、曙は勝負をかけた。武蔵をロープに押し込み、右アッパーを突き上げた。
秘密兵器の左ひざ蹴りも見せた。スタミナも落ちなかった。進化は見せた。しかし、武蔵は強かった。
ローキックに前進を止められ、右フックをカウンターで打ち込まれた。判定は2〜3ポイント差。
減点がなくても完敗だった。
「身長差があったので、武蔵は腰を落としただけだと思ってパンチを打った。
相撲では行司が割って入ってストップすることないので(レフェリーの制止は)分からなかった。
武蔵さんとK−1に申し訳ない」。試合後、曙は反則攻撃を謝った。
その上で「蹴りをだいぶもらいました。右カウンターも効いた」と武蔵の強さを素直に認めた。

641日本@名無史さん:04/03/28 12:22
>>639
幕府がいくら開放的になったとしても本当の改革ではない
自分たちの存在を否定するよ廃藩置県や四民平等を幕府主導で行われたはずがない

幕府の改革は自民党の改革路線みたいなものですべて案だけでそのうち内部の反対派に
実行する前に骨抜きにされるのがオチ。
日本は近代化する必要に迫られていた幕末にすでに無用に長物以外の何物でもなくなった
幕府主導の近代化にこだわる必要もない。
確実に改革するには頭を変えるのは必然だろう

時代の流れを理解しないで無用の長物というか社会の害悪以外に何物でもない幕府でも
改革ができたなどと言っている奴が出来もしない改革路線の小泉内閣を支持して
改革に必要な貴重な時間を無駄にするんだよ
642日本@名無史さん:04/03/28 12:28
>>639
長井の航海遠略策は、元々の幕府の貿易振興策とまったく同じ内容で、
幕府の無条件開国方針に追従しただけ。だから長井は潰されたろ。
久光の改革案は、兵を連れていったら幕府がビビって受け入れただけ。
お前の様に、無知な人間が世をダメにするんだよ。もっと勉強しろ。
643日本@名無史さん:04/03/28 12:29
民主党マンセー
644日本@名無史さん:04/03/28 12:36
イギリスが議会政治の模範とされるのは貴族政治の伝統を維持しているから
だよ。斬新主義で改革が可能なのはイギリスで証明されてる。
自民党の改革がすすまないのは利権集団だから。幕府は大名旗本の
集団で利権にこだわる必要のない存在。だから大政奉還を受け入れる
ことができたんだよ。武士と村社会体質の自民はまったくのべつもの。
645日本@名無史さん:04/03/28 12:40
>>644
身分制度自体が利権になっている事に気づいていないらしい。
武士は良いよな。仕事しなくても禄が貰えてさ。
646日本@名無史さん:04/03/28 12:51
自民の利権は政治経済と密接につながっていて改革を不可能にするものだけ
ど、土地貴族の存在は政治から利権屋を制限することができる。
利権でも質がまったく違う。
647日本@名無史さん:04/03/28 12:56
制限するんじゃなくて、いっしょにツルむんだろ。
それが改革の邪魔になるんじゃんw。利権は利権だよ。
648日本@名無史さん:04/03/28 13:11
イギリスの産業革命は幕末の100年前に起こっている
イギリスが貴族階級が残っていても先進国として勢力を持っていたのは
まさに先に力を持った時間の差によるもの
当時の日本に幕府主導による改革をゆっくり見守る時間的余裕はなかった
649日本@名無史さん:04/03/28 13:12
武士の俸禄は利権というより特権だから貴族の責務意識を
うむけど、長州の利権屋がつくりだした政府は、自分の出世
のことしか考えない品性下劣な奴の巣窟になってむちゃくちゃ。
も一度維新をおこして奴らをころしまくったらよくなるかもな。w
650日本@名無史さん:04/03/28 13:30
>>649
ププッ
特権が責務意識を生むって?
幕臣に責務意識がないから新撰組が活躍したんだろ。
冗談つもりなの。それともネタ?
651日本@名無史さん:04/03/28 13:49
チャンバラするのが武士だと思っているのか?
武士は行動に責任がともなうから簡単に刀を
抜かなかったんだよ。幕末暴力を振るっていた
のは武士とはいえないいかがわしい連中がほとんど。
奇兵隊には鼻つまみ者が入っていったんだよ。
「あいつがこんどはいったか」とささやきあったそうな。
652日本@名無史さん:04/03/28 13:59
幕府に漸進的改革が可能であるという論調は、「改革」を利権の再配分としてはとらえず、
単に総量の低下を阻止するシステムの確立であると認識することになる。

したがって、現代の自民党との差異を強調することは無意味。
653日本@名無史さん:04/03/28 15:13
>>651
刀抜いてるじゃん。
幕臣で作った京都見まわり組ってなにかね?旗本ってのうが売りだろ。
お前の論理は変。無理に詭弁をろうするから変になるんじゃないの?。
654日本@名無史さん:04/03/28 15:28
開国近代化は必然
薩長の権力掌握は偶然
常識でつ
655日本@名無史さん:04/03/28 15:46
>>654
それじゃ
廃藩置県、市民平等はどうでつか?
幕府にやれたとは到底思えないでつが?
656日本@名無史さん:04/03/28 16:38
幕府じゃ何も変わらないね。
657日本@名無史さん:04/03/28 16:42
刀抜くには理由が必要といっているだけ。テロリスト取り締まる
のだから当然だろう。
658日本@名無史さん:04/03/28 16:54
47 :日本@名無史さん :03/05/23 02:22
幕府による開国近代化をさんざん邪魔したDQNが、
幕府を乗っ取ってみたところ幕藩体制は財政的に維持困難な状態だった。
ところが将来の見取図を持ち合わせていない腐れ薩長は、
経済の困窮を顧みず、幕府の財産の山分けに熱中し、
国家を破綻寸前に追い込んでしまう。
結局、薩長は権力にしがみついているためには、
幕府が行おうとしていたことを行わざるを得なかった。
659日本@名無史さん:04/03/28 17:46
プッ
幕府が続いてたら、破綻寸前じゃなくて破綻して滅ぼしてしまうもんな。
実薩長が国家財政で最も苦労したのは、幕府が諸外国にしていた
巨額の借金の返済だ。徳川の財産の山分け?。負債の山分けだろ?
やっぱり幕府じゃダメだろうな。
660日本@名無史さん:04/03/28 17:52
ラストサムライの見すぎ君は嫌だねぇ。
661日本@名無史さん:04/03/28 18:06
100 :日本@名無史さん :03/10/15 10:26
在日朝鮮人がこれだけ多くなり、日本の国土が汚れてしまったのも、
薩長が日韓併合なんてばかげた政策を実行したおかげ。
朝鮮を属国化するならまだしも、なんで併合なんだ?
馬鹿じゃねえの?
662日本@名無史さん:04/03/28 18:08
223 :日本@名無史さん :03/10/19 01:44
まるで借金が悪のような幼稚な観念を持ってるみたいだけど、
近代化の初期の段階で外国からの投資や技術移転は不可欠だったんだよ。
薩長が引き継いだ借金もほとんどは横須賀製鉄所建設のためのプロジェクトファイナンス。
お馬鹿ぞろいの明治政府でも借金を返済できたのは、
幕府が残した多大な遺産を丸ごと引き継いだからにほかならない。
663日本@名無史さん:04/03/28 18:52
借金だらけの幕府のどこに多大な遺産があったのかソースだしてみ?
作り話をコピペすんのやめとけw
664日本@名無史さん:04/03/28 21:05
>>663
ソースは特番とかの埋蔵金じゃね?w
665日本@名無史さん:04/03/28 21:07
>>664
思わず納得しちゃうじゃんw
赤城山の埋蔵金が発掘されないのは、薩長が手に入れたからだな。
それで目撃者の小栗は消された訳かw。
666日本@名無史さん:04/03/28 22:17
>>663-665
自作自演乙w
667日本@名無史さん:04/03/29 12:32
幕府は財政赤字なのに買い過ぎなんだよ。正直幕臣養うだけで赤字だよ。
668日本@名無史さん:04/03/31 07:13
論点が錯乱してる。
幕府と薩長の対立は武士階級内での抗争。
薩長は反徳川であっても反幕藩体制ではない。

また、幕藩体制の「存立基盤」つまり封建的な社会構造は、
既に幕末期には財政的に維持不可能になっていた。
このことを幕府側は的確に理解していたけど、薩長は全く理解していない。

幕府は、欧米に国を開き、近代的な生産様式を導入し、さらに、
封建的な秩序を中央集権的な国家へ止揚することを模索。
このような一連の改革策に誤りはない。

逆に、薩長は当時日本が置かれていた現状を全く理解せず、
将来を展望できる人材も皆無。
近代化の動きに逐一敵対し英国の手先となって内乱を起こす。

薩長は幕府を乗っ取った後に、かつて幕府を悩ましていた問題にぶち当たり、
自己変革を余儀なくされただけ。
669日本@名無史さん:04/03/31 09:50
薩長の目的は、幕藩体制の解体だろうが、
朝廷のもと、日本を一元的に管理する、強力な中央集権国家を目的としていた。
だからこそ、政権を渡した幕府を強引に滅ぼしたわけだ。

そして薩長こそ近代化にもっとも積極的な藩で、
幕府は開国派とは名ばかりで、旧態依然の体制を維持する事に執着していた。
670日本@名無史さん:04/04/08 03:29
実際問題、倒幕以前の西郷や大久保の頭の中には
封建制の解体を含めた将来のビジョンは無かったと思われる。
特に西郷は「倒幕」しか考えてなかっただろうね。
671日本@名無史さん:04/04/23 20:04
日本の曙です
672日本@名無史さん:04/04/23 20:29
関が原合戦や木曽川工事のルサンチマンってのも原動力としては否定できな
いだろうな。事実薩長の天下になってから、秀吉の像が建てられたり、宇喜
田(浮田)の末裔が、八丈島から迎え入れられたりしてるわけだから。

横浜の西洋艦隊(とりわけフランス)の脅威を意識してた連中もいるにはい
るが、西郷ですらパークスに恫喝されるまでは、江戸城総攻撃をあきらめよ
うとしなかったくらいだしな。

自由民権運動が、薩長藩閥に対する土肥勢力のルサンチマンが原動力だった
こととパラレルに映るな。
673日本@名無史さん:04/04/23 21:42
と馬鹿が申しております。
674日本@名無史さん:04/04/23 22:09
>672
>西郷ですらパークスに恫喝されるまでは、江戸城総攻撃をあきらめよ
>うとしなかったくらいだしな。
「その時歴史は動いた」を真に受けているアフォ発見
675日本@名無史さん:04/04/23 23:26
>>670
西郷は馬鹿だからそんなものはないけど、
木戸や大久保にはあったよ。彼等にとっては倒幕は統一政権を築く為の第1歩。
676日本@名無史さん:04/04/24 01:05
>>675
木戸はともかく、大久保にはどんな構想があったと考えられてるの?
677日本@名無史さん:04/04/24 06:45
武士階級を解体する事で財源確保しなくてはならないし、
幕藩体制じゃ駄目だということはどっちも分かっていた。
実際幕府側も旗本解体論者の原市之進が旗本に暗殺されている。
678日本@名無史さん:04/04/24 09:02
>>676
王政復古あるのみ
もっともこれは岩倉が捏造した構想なんだけどね
薩長は本気で律令時代に日本を逆行させようと妄想してた
要するに一種のカルトだね
679日本@名無史さん:04/04/24 09:50
妄想すな、どっちも勢いにのって倒幕にはしっただけで後づけ
680日本@名無史さん:04/04/24 10:00
>>678
お前が勝手にそう妄想してるだけだろw
最近、こういうアフォなカルト思考君が増えて困るな。
681日本@名無史さん:04/04/24 10:10
>>680
煽りはいいから、具体的な大久保の近代国家構想を出してみろ。
682日本@名無史さん:04/04/24 11:29
>>681
そりゃ言い出しっぺの>>675に聞いてくれよ。
683日本@名無史さん:04/04/24 12:15
青写真がなかったから欧米視察に出かけたんだろ。
684日本@名無史さん:04/04/24 12:41
>>683
何度も視察団を送り欧米を熟知してた幕府に比べると、
倒幕派は頭が50年遅れてた。
685日本@名無史さん:04/04/24 12:45
>>684
何度も視察団を送り欧米を熟知してたのは、一部の幕臣だけ。
そんな人材がいるのに、活用しなかった幕府の頭は腐っていた。
ま、倒幕されてもしょうがないよね。
686日本@名無史さん:04/04/24 13:41
身分の壁とか前例重視とか、幕府はいかんね。
現代の官僚も同じなところがイタイ。
687日本@名無史さん:04/04/24 13:52
薩長を叩いている人は、どうせ社会に受け入れられず引きこもっている
寂しいやつが、自分を敗れた幕府側にオーバーラップさせて、自らの怨念を
ここで言っているだけで、しょせんは愚痴。
考慮する価値なし。

薩長の藩閥政治を後世の価値観で否定しても意味がない。
そもそも、封建制度からいきなり完全に平等かつ民主主義に変わるなんて不可能。
(現代ですら実現していないというのに)
徳川氏の身分制度を打破し、多少なりとも理想に近づいただけでも
当時においては画期的なことと考えるべき。

SFの父H.G.ウェルズも、その歴史書「世界文化小史」において
中世から近代へと驚異的な飛躍を遂げた日本人を賞賛している。
688日本@名無史さん:04/04/24 14:02
>>687
禿同

社会に適応できない奴ほど「あのころはよかった」「こんなはずではない」と言う。
引き篭もりのキモオタも「オレは本当はもっと評価されてしかるべきだ!受け入れらてしかるべきだ!友達がたくさんいるはずだ!恋人がいるはずだ!
・・・・そうならないのは社会が悪いんだ(=オレが悪いんじゃない)」という、自分を認めない現実に対する憎悪をもっている。
それを、官軍に敗れて平民に落とされた幕府になぞらえて、ここで自分の怨念を延々と粘着カキコし、だれかに聞いてもらいたいだけ。

徳川幕府がよかったなんて言ってるが、ほとんどの人間は農民や町人の子孫であり、もし徳川幕府が現代も続いていればインターネットでグチを書く
言論の自由などあろうはずもなく、とっくに社会から脱落して野垂れ死にしている。
689日本@名無史さん:04/04/24 14:05
>>687
禿同。歴史上の一断面だけ切り取ってきて、
会津や幕府が正義とのたまう痛いヤシが多すぎ。
ま、ほとんどが煽りなんだけどね。
690日本@名無史さん:04/04/25 10:52
煽りはいいから、具体的な大久保の近代国家構想を出してみろ。
691日本@名無史さん:04/04/25 11:30
>>690
大久保は具体的な国家構想を記した資料を残してないはず。
というか、深く考えてなかったと思われ。とりあえず王政復古して強い国を作ろう、くらい。

木戸の方は建白書とか日記を見る限り、議会設立までの大まかな構想はあったみたいだ。
でも枠組みまでで、経済的なことまでは考えてない。外国を真似れば何とかなると思ってたんじゃないかな
692日本@名無史さん:04/04/25 12:02
島津も毛利も功績もないのに、公爵になってるところがイカンなあ。
特に久光など藩主だったこともないのに、息子とは別家を立てて公爵に
なるとは、お手盛りもいいところ。
功績があるとしたら、主に下級藩士だけだろう。
693日本@名無史さん:04/04/25 13:08
>>688
>「オレは本当はもっと評価されてしかるべきだ!受け入れらてしかるべきだ!友達がたくさんいるはずだ!恋人がいるはずだ!」
>・・・・そうならないのは社会が悪いんだ(=オレが悪いんじゃない)」
ん〜、いい悪いは別として、これこそ悲壮な討幕運動に身を投じた薩長の下級武士・農民たちの深層心理でしょ。

明治維新とは、徳川時代に「社会に受け入れられず引きこもっている寂しいやつ」が、
「自らの怨念を」晴らすため行った単なる復讐劇だから、
大久保たちにまともな「近代国家構想」なんてなかったんだよ。

外様として僻地に封じられてた薩長の知識水準が低かったのは当然なんだから、
薩長が近代化の先鋒であったかのような幻想を無理に持つ必要はないし、
いたずらに幕府を貶めるのも誤り。
日本の近代化が幕府によって着手され幕府が育てた人材によって為し遂げられたことは、
もっと強調されるべきだと思う。
694日本@名無史さん:04/04/25 15:04
明治維新て突き詰めれば、日本という概念で国民と国を一つにまとめたのが
一番重要なとこだろう。これがないと国のために頑張るといった精神や、出自
に関係なく優秀なものが上になるという社会制度を受け入れられないから。
技術的なことだけなら幕府も有力藩も熱心に近代化していた訳だし。
薩長だとか、幕府だとかより、各自がこれを分かっていたかどうかが、評価の
分かれめだな。
慶喜なんかは分かっていただろうし、西南戦争を起こした連中なんかは分かっ
ていなかったんだろうな。
695日本@名無史さん:04/04/26 00:16
日本という概念が無いから藩閥ができた
696日本@名無史さん:04/04/26 00:47
>>695
徳川合衆国から統一日本になったので藩閥が出来たんだろう。
697日本@名無史さん:04/04/26 00:54
薩摩や長州がなぜ朝廷と結んで幕府を滅ぼし得たかといえば、
それは天明の大飢饉を契機とした天皇の権力強化が背景にあ
ったからだ。
698日本@名無史さん:04/04/26 00:57
全く意味が不明。
699日本@名無史さん:04/04/26 00:59
すべて岩倉卿のおかげ。薩長はもっと岩倉卿を崇め奉るべき。
700日本@名無史さん:04/04/26 01:00
>>697
そうですか大飢饉を左右したのは天皇ですか。
701日本@名無史さん:04/04/26 01:01
>>699
薩長の走狗の岩倉卿ですからな。
702日本@名無史さん:04/04/26 01:09
薩長以上に過激な公卿が朝廷内部にいなかったら絶ッッ対無理。だったろうからな。
703日本@名無史さん:04/04/26 01:10
天明の大飢饉によって衰退の度を加えた幕府は、当時の光格天皇
以降、国の大事をつぶさに報告せよという天皇の勅命に服従する
ようになった。幕末に至り、ペリー来航を機とした国際条約締結
に当たり、日本国としての外交および条約締結権を有する天皇よ
りの勅許を得る必要性が浮上した。幕府は、公武合体政策や幕府
領の朝廷への寄進によって滅亡を食い止めようとしたが無駄であ
った。
704日本@名無史さん:04/04/26 01:17
薩長ヲタは岩倉こそ持ち上げるのが筋だ。
どれだけ協力してもらったか忘れるんじゃない!
見返りうんぬんは些細なことだ。
705日本@名無史さん:04/04/26 01:22
国会議事堂に岩倉卿の像を造るべきだな。
首相官邸も。というか、日本中につくるのが筋じゃないか?
明治維新を成し遂げた偉大な公卿として。
706日本@名無史さん:04/04/26 01:31
日本史板のバナーには竜馬よりも岩倉を起用したらイイ
絶妙。日本史のキーパーソン。
707日本@名無史さん:04/04/26 01:38
歴史家はもっと岩倉に焦点を当てないと何も見えてはこない
これだけは教えといてやる。
公卿の利害と新政府との結びつきをもっと研究しなさい
708日本@名無史さん:04/04/26 01:45
結局庶民はな〜〜〜んもしてないわけだ。
気づいたらいつの間にかみたいな。
709日本@名無史さん:04/04/26 02:13
>>707
その辺はタブーなのよ、昔から。
恐喝やら天皇毒殺やら偽勅やら偽錦旗やら、
悪事のオンパレードに光を当てるわけにはいかないだろ。
710日本@名無史さん:04/04/26 02:19
新政府作りには邪魔な人だったんでしょ。
711日本@名無史さん:04/04/26 07:22
薩長を称賛ている人は、どうせ社会に受け入れられず引きこもっている
寂しいやつが、自分を勝った薩長側にオーバーラップさせて、うだつの
あがらない自分を直視せず、英雄豪傑と自分を同一視して自分は優れている
と思い込んでいるだけ。しょせんは妄想。
考慮する価値なし。

徳川の政治を後世の価値観で評価しても意味がない。
そもそも、封建制度からいきなり完全に平等かつ民主主義に変わるなんて不可能。
(現代ですら実現していないというのに)
徳川氏自身が身分制度を打破し、多少なりとも理想に近づいていたのを
薩長が藩閥政治を敷いて歴史を逆行させてしまった。
徳川の政策は、当時においては画期的なことと考えるべき。

マウントバッテン卿は、チンチクリンな日本人を見て、
「日本古来の風俗を守れば似合うのに」と鹿鳴館文化に毒された
日本人の姿を見て軽蔑している。
712日本@名無史さん:04/04/26 09:08
>710
新政府作りに一番熱心な人だったんだよ。
なにせ大政奉還後の朝廷を薩長に売り渡すなんて芸当は
自分(と三条)くらいにしかできなかったんだし。
明治政府は感謝しないわけにはイカンでしょう。
713日本@名無史さん:04/04/26 10:17
壱、山口では年に一回は岩倉祭りを開催すること
弐、国会では自称を麿とすること
参、国営放送で岩倉自作自演の明治維新を放送すること
四、とにかく政府を挙げて岩倉卿を崇め、靖国神社のご神体を岩倉の毛髪その他にすること
714日本@名無史さん:04/04/26 10:19
日本って異常・・
715日本@名無史さん:04/04/26 10:34
>>1

幕末の攘夷書生や処士が鎖国の継続こそ勅じょうであるととなえて大あばれし、
結果として太政官政府ができると、開国をしてしまった。

当時長州の書生の身から代官になった井上馨は知り合いに
「御前,いつ、攘夷はおとりやめろという勅じょうがでましたか?」

というと、井上はそれを言うな、という表情で、噛みつくように
「あのときは、ああでなきゃいかんかったんだ」といった。

よって明治維新とは単に田舎サムライのクーデターでしかない。
716日本@名無史さん:04/04/26 11:01
岩倉スレが閑散とし、内容も不毛なのでこっちを盛り上げてくれ。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1070766215/l50
717日本@名無史さん:04/04/26 11:47
明治維新なんて、ただの尊攘ブームの集大成だろ
718日本@名無史さん:04/04/26 12:19
日本の議会政治は岩倉によって頓挫させられたわけだ。
719日本@名無史さん:04/04/26 21:10
山県もお忘れなく
720日本@名無史さん:04/04/26 22:24
>>715
説明とその結論がかけ離れ過ぎて意味不明
721日本@名無史さん:04/04/26 22:28
>>720
勉強不足だぞ。本でも読め。
722日本@名無史さん:04/04/26 22:34
西洋史観でいえばクーデターだろうね。
日本人には天皇がいらっさいますから
723日本@名無史さん:04/04/26 22:36
>>721
勉強したってアフォの論理は意味不明だろ
724日本@名無史さん:04/04/28 11:45
本気で攘夷とか思っちゃってた、薩長がイギリスにぼろくそに負けて、
ころっとイギリスの傀儡になっちゃったと。
幕府はフランスを取り込んで、対抗したけど...
結局イギリス日本会社ともゆうべき明治政府ができ、いくつかの戦争を通じ
せっせと貢ぎ続けた。第二次大戦を通じ、株主はアメリカに代わり現在に至る。と
725日本@名無史さん:04/04/28 19:39
神戸事件の顛末などをみると、
薩長のイギリスに対する従順な傀儡っぷりに情けなくなる。
726日本@名無史さん:04/04/28 19:57
英米に従属する影で伊東は密かにドイツに傾倒し、
後継者たる松岡が英米を排し徹底的な親独を実現させた。
長州は単なるアングロサクソンの狗ではない。
727日本@名無史さん:04/04/28 19:59
ヒトラーの傀儡となった松岡が日本を破滅させ、
アングロサクソンによる日本占領を実現させたわけだが?
728日本@名無史さん:04/04/28 20:01
松岡の後継者宮元が反米闘争でがんがったことも見落としてはならない。
729日本@名無史さん:04/04/28 20:05
原爆や東京大空襲の責任者の鬼畜ルメイに勲章を進呈して、
アングロサクソンに媚びを売ったのも長州人だったな。
730日本@名無史さん:04/04/28 20:06
長州は駒ではなくてピエロだよ。
731日本@名無史さん:04/04/28 20:19
長岡の山本が三国同盟反対で長州の松岡が推進派だったというのも歴史の皮肉だろう。
732日本@名無史さん:04/04/28 20:26
>>731
松岡スレに帰れよ。スレ違いだぞw
733日本@名無史さん:04/04/29 11:46
幕府崩壊→明治維新=個人で例えるとオタクが脱オタして一般人に身なりも考え方もなったようなもの。
          それを国家レベルで行ったのが明治維新。
734日本@名無史さん:04/04/29 13:29
ガツガツした欲にまみれた連中に外国が後押ししたインチキ革命みたいなもんだよw<維新
735日本@名無史さん:04/04/30 07:21
1867年(慶応3年)に孝明天皇が急になくなられ、十五歳という年少の天皇として
明治天皇が即位なさらなかったら、徳川幕府をなくすことはできなかったかもしれない。

この年の12月9日の夜に小御所会議があって、山内容堂などの唱える
「徳川慶喜を加えての新政府」という意見にみんなが賛成しそうになった。

その時、山内が調子に乗りすぎで
「この会議に徳川慶喜を加えていないのは悪質な陰謀であり、
天皇がお若いのをいいことにして権力を盗もうとしている」
という主旨のことを言ってしまったのだ。

この「天皇が若いのをいいことにして」という発言を岩倉にとがめられて、
山内はあやまってしまう。ここから一挙に話は幕府を武力で討伐することに
流れて明治維新へと突き進んだ。

この時の会議には、尾州侯徳川慶勝、越州侯松平慶永(春嶽)、藝州侯浅野茂勲、
薩州侯島津忠義、それに土州侯山内容堂が入っているが、超大名である徳川慶喜がはずされていた。

確かに山内容堂の言うように、陰謀によって徳川慶喜がはずされたという感じは否めない。

もしこの時に決を取って、多数決で決めるとしたら、圧倒的に山内賛成派が多く、
徳川慶喜は新政府に残ったはずであった。
つまり明治政府は公武合体の形になったわけで、その後の日本の姿も大いに違っていたはずである。

つまり、明治維新とは一部の徳川憎きの外様の思惑が見え隠れした復讐劇的クーデターだ。
日本の将来を考え、民衆に負担を強いる事無く欧州列強に対抗できる国家をつくろうなどとは
考えていなかったと思われる。

この期に便乗して、政権奪取、長年の恨みを晴らしてやる程度の低脳な部分が垣間見えるな。
後に西郷が憤りを感じ結果的に中央から離れ、一旗上げる事態になったのも頷けると言うものだ。
736日本@名無史さん:04/04/30 07:36
>>735
>対抗できる国家をつくろうなどとは
>考えていなかったと思われる。

根拠は?。みんなに証明できる様にソースを示せ。
それがなきゃ単なる妄想w
737日本@名無史さん:04/04/30 07:56
>>736
徳川打倒のため無用な内乱を行い、欧州諸外国に莫大な借金をし首が廻らなくなり、
結果、民衆に負担をかけただけでなく、不平等条約を受けることになってしまった。

このような状況証拠をみれば容易に想像できると言うものだ。変な例えだが、現在では
状況証拠だけで死刑の判決がだせるのである。冷静に当時をみれば解かるというもの。
738日本@名無史さん:04/04/30 09:42
>>737
不平等条約も莫大な借金も徳川幕府が勝手にやったもので、
明治政府とは無関係だろ。お前のいう状況証拠自体が妄想の産物だし。
ソースを出せない妄想なら、言い訳せずに書き逃げしたほうが良いぞw。
739日本@名無史さん:04/04/30 09:47
明治政府が諸外国から戊辰戦争の軍資金を借りた事実はありませんが。なにか?
740坂本:04/04/30 11:32
暇潰しじゃ!
741日本@名無史さん:04/04/30 14:43
頑張って長文書いたのにわずか数行で論破される735に会津魂を見た。
ガンバレ!!>735www
742日本@名無史さん:04/04/30 20:52
>>735
きっと一晩中考えて作った文章だったんだろうなぁ・・
哀れな奴
743日本@名無史さん:04/05/01 09:54
>>739
長州は貯金で乗り切ったけど、薩摩が少し借りてたと思われ。
まあ幕府や諸藩に比べれば微微たるものだ。

>>737
最初に無理難題押しつけて長州征伐を慣行した幕府が一番国賊って事だな。
それも頼まれもせずに、外国や諸外国から借金してまで。
その上、ボロ負けだっけ(プ
744日本@名無史さん:04/05/01 21:04
>>743
無理難題って、なに?
第一次は禁門の変に対する制裁で勅命だね。長州も家老が切腹して詫びてる。
第二次の幕府軍はお笑いだけど。
745日本@名無史さん:04/05/01 21:13
>>744
無理難題は用意していたんだけど、長州が呼び出しに応じなかったからw。
出さずに終わった。もっとも、長州もなんとなく解ってたので応じなかった
んだけど。第二次は、その呼び出しに応じなかった事を理由に征伐しよう
としたんだっけ?
746日本@名無史さん:04/05/01 22:15
>>744
10万石削減やら、藩主の出頭、
また藩主を隠居させ、幕府の息のかかった人間を藩主に据えるとかかな。
これよって長州同情論が産まれ、特に隣国では幕府に対する反感が強まった。
747日本@名無史さん:04/05/02 00:12
>>738
>不平等条約も莫大な借金も徳川幕府が勝手にやったもので、
>明治政府とは無関係だろ。
オヒオヒ。
その徳川が「勝手にやった」「不平等条約」とやらの絶対遵守を
頼まれもしないのに自主的に諸外国に誓ったのは誰だと思う?
ほかでもない薩長だ。
幕府が当初締結した条約が孕んでいた不平等性を正すどころか、
むしろ卑屈なまでに欧米にすり寄ってそれを是認したのが明治政府。
748日本@名無史さん:04/05/02 00:26
降伏したら皆殺しになることは明らかなのにおめおめと降伏するほど長州も馬鹿ではない。
749日本@名無史さん:04/05/02 00:33
>747
オヒオヒ
不平等とはいえ一度結ばれてしまった国際条約を一方的に破ったら、その国は国際的な信用を失うだろ。
中国国民党の「革命外交」となんら変わらんぞ。
さらに言えば、明治政府はその後の外交努力でちゃんと不平等条約を改正させてる。
750日本@名無史さん:04/05/02 00:50
>>749
攘夷を叫んでいた薩長が国際的な信用を気にすること自体がインチキ臭い。
また、そもそも薩長はクーデタ勢力なんだから、
前政権が結んだ条約を尊主する義務はどこにもない。
751日本@名無史さん:04/05/02 00:51
>>747
そんな事したら、条約履行を迫る諸外国と戦争になるぞ、
君と違って明治政府の高官は馬鹿じゃないから、そんな無茶はしない。

だからこそ条約を簡単に結んでは駄目なんだよ、

そして不平等条約の改正を明治政府が外交上の一番の命題として、必至に努力したのを忘れるな。
つまり幕府の負の遺産を返済していたのが明治政府って事だ。
752日本@名無史さん:04/05/02 00:55
>>750
はあ?
不当に上陸した欧米人を殺傷したものですら、明治政府は切腹させてますよ。
幕府と違い国際的な信用には非常に敏感でした。

そしてクーデターであれ、なんであれ、日本の統治権を得たのだから、
前政権の不祥事も引き継ぎ必要がある。
753日本@名無史さん:04/05/02 00:56
倒幕後はじめて条約改訂の必要性に気づいた薩長政府は
岩倉使節団で条約の改正を試みるけど、全く相手にされず失敗に終わる。
結局この問題を半世紀近く解決できなかった。無能としか言いようがない。
754日本@名無史さん:04/05/02 00:59
>>752
そんなに「国際的な信用には非常に敏感」な香具師が、
生麦事件や下関砲撃事件を起こすかヴォケ。
755日本@名無史さん:04/05/02 01:02
幕府は条約改正の実現どころか努力すらしてないような。
756日本@名無史さん:04/05/02 01:02
ここで幕府は不平等条約を結んだから悪い云々とかほざいている奴は
不平等じゃない条約の名前をあげてみろ。
757日本@名無史さん:04/05/02 01:04
>>753
それだけ改正難しいものを幕府は無知だから簡単に結んでしまったのだよ。
万死に値する。
そしてタイなんか第一次大戦後にやっとだし、中国なんて1930年頃にやっとだ。
>>754
実行者が違うだろ。
758日本@名無史さん:04/05/02 01:06
薩長は幕府との戦争に勝つために、
欧米追従の植民地奴隷路線を採らざるを得なかった。
薩長が倒幕のために外国に媚びへつらったことが問題の根元だね。
759日本@名無史さん:04/05/02 01:07
>>756
お互いに最恵国待遇を与えている条約なんて、珍しくもなんともありません。
それに幕府の外交下手は、不平等条約締結のみならず、
払わなくてもよかった借金をあえて背負い、その借金を払えず、関税を引き下げられるなど、
救い様がないレベルに達している。

貿易の独占を狙う、フランスと手を組み、日本を売った売国奴こそ幕府。
760日本@名無史さん:04/05/02 01:08
薪や水の供給だけで、貿易や外国人立ち入りは拒否すべきだという意見は
幕府内でも斉昭などが強硬に主張していたが。
761日本@名無史さん:04/05/02 01:09
>>752
神戸事件や堺事件では、
何の非もない土佐藩士がフランス人の前で見せ物として処刑されてる。
これが攘夷派のやることか?
欧米の傀儡となった国賊が誰かということをこの事件は端的に物語ってるね。
762日本@名無史さん:04/05/02 01:12
>>757
岩倉や井上のような馬鹿が外交やってたんだから、
改正できるわけないだろ。
自分の無能さを幕府のせいにするのもいいかげんにしろ。
763日本@名無史さん:04/05/02 01:14
>>758
笑わせる。フランスと手を組み、数々の売国行為を繰り返したのが幕府。

四ヶ国艦隊の時でも、
英国が要求する開港ではなく、賠償金を選んだのはフランスにそそのかされたから、
そして当然のごとく金に困り、フランスに借款を申しこむ、その結果生糸などを、
独占的にフランスに買い上げられるようになった、さらにそれでも借金が払えず、関税の引き下げや、結局開港をさせられるなど、
フランスの走狗となり、日本の権益を諸外国に取られていたものこそ幕府。
764日本@名無史さん:04/05/02 01:16
>>761
幕府と違い、攘夷が口だけで、現実を見据えていたという事だ。
>>762
その二人ですら出来なかったのだから、幕府の罪が重いのだよ。
765日本@名無史さん:04/05/02 01:18
あのよー
幕末初期中期の攘夷論と維新後の明治新政府をごっちゃにしないでくれる?
何年経過していると思うんだよ。
「生まれたばっかの赤ちゃんが寝小便たれた→だからそいつは30歳になっても寝小便たれ」
みたいな三段論法は、どう考えてもアフォだぞw。
766日本@名無史さん:04/05/02 01:20
>>763
だから幕府の外交方針にウダウダ文句があるなら、
幕府が結んだ条約を破棄して、新しい対外的関係を結べばいいだけ。
なぜ、そうしない?
767日本@名無史さん:04/05/02 01:21
>>766
それでヨーロッパ諸国が納得すると思う?
768日本@名無史さん:04/05/02 01:24
>>767
薩長は外交が上手いんだから納得させられるだろ
769日本@名無史さん:04/05/02 01:25
列強の武力干渉を受けて立つ覚悟で新政府は条約の白紙撤回を宣言すべきだった。
770日本@名無史さん:04/05/02 01:27
>>766
だからずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと改正を要求してるじゃん。
けど欧米が幕府を騙して手に入れた利権を簡単に手放すわけないでしょ。

ついでに関税収入ってのは大きいよ。当時の英国なんて収入の半分は関税だし、
他の欧米諸国でも2割から3割はある。
けど日本は、最初20%で、後に5%まで引き下げられた。
この結果関税収入が殆どなくなり、その結果地租を税の中心にしなければならなかった。
天領の増税ってのも、(外様はむしろ減税になっているくらいだけどな)もとを正せば幕府の馬鹿の尻拭いだ。
771日本@名無史さん:04/05/02 01:27
もし不平等条約を結ぶのが悪で馬鹿で売国奴なら日米安保条約を結んでいる現政府も悪で馬鹿で売国奴だな
772日本@名無史さん:04/05/02 01:27
>>768
薩長は神様じゃありませんよ
773日本@名無史さん:04/05/02 01:28
>>771
当然それを黙認してる国民も悪で馬鹿で売国奴。
774日本@名無史さん:04/05/02 01:29
NATO脱退を宣言したフランスは実に立派だ。うん。
775日本@名無史さん:04/05/02 01:29
>>770
薩長がいつの時点から不平等条約の改正を要求してるのか説明してごらん。
それがこの問題のポイント。
776日本@名無史さん:04/05/02 01:29
>>771
あれは日本にそれほど損はないぞ、むしろ損というならアメリカじゃないかな。
不平等条約だけど、アメリカだけが一方的に日本を保護する義務があるという、
気分的なものを無視すれば、むしろ+。
777日本@名無史さん:04/05/02 01:30
つまり薩長も馬鹿だということだな。
778日本@名無史さん:04/05/02 01:31
>>775
倒幕前から、幕府の外交にケチをつけているな。
つまり不平等条約の締結が統幕の一因ということだよ。
779日本@名無史さん:04/05/02 01:32
条約改正は国内世論の圧力が大きく、幕府に対する攘夷鎖港の圧力の流れをくんだものといえる。
780日本@名無史さん:04/05/02 01:34
幕府がせめて横浜を閉じるぐらいできれば、薩長の維新は難しかっただろう。
781日本@名無史さん:04/05/02 01:34
>>778
だから薩長が条約の「不平等」性について明確な認識をもったのはいつ?
782日本@名無史さん:04/05/02 01:35
幕府を馬鹿にしておきながら条約改正に失敗してる明治政府て何?
783日本@名無史さん:04/05/02 01:36
国際的にその正当性が認められている幕府を倒すために
内乱を起こした薩長は国際的テロリストだろ
784日本@名無史さん:04/05/02 01:38
幕府に条約改正が期待できるのだろうか。
785日本@名無史さん:04/05/02 01:40
幕府(岩瀬)が結んだ条約が不完全だったのは責めてもしょうがないこと。
なんたって日本が初めて結んだ対外条約なんだから。
しかしその後薩長政府が最初に対外関係を取り結んだ時は、
国際関係に関わる諸問題をリセットするいい機会だったんだから、
日本側として対等な関係を要求すべきだったね。
786日本@名無史さん:04/05/02 01:41
幕府がアメリカと結んだ日米和親条約の内容はそれほど悪いものではない。
国際法についても疎く、国力の差も歴然としてるのにあんな条約を結べた幕府の外交能力をむしろ素直に賞賛したい。
787日本@名無史さん:04/05/02 01:42
>>781
当然倒幕前から、西南雄藩は、独自に外国と貿易してましたからね。
788日本@名無史さん:04/05/02 01:43
幕府の交渉役もNOというべきところではちゃんとNOといっている。
明治〜現代のヘタレ外交官にも見習って欲しい。
789日本@名無史さん:04/05/02 01:44
和親条約は薪や水の提供と漂流民の引渡しの取り決めであって、
不平等な通商や治外法権が規定されたのは後の修好通商条約だったような。
790日本@名無史さん:04/05/02 01:49
>>785
だからそんな簡単に改正出来るのなら、明治政府は苦労してない。
条約履行を約束しなければ、欧米が無理難題を押しつけるのは火を見るより明らか。

>>786
評価できるのは阿片禁止くらい。後は欧米のいいなり。
791日本@名無史さん:04/05/02 01:49
>>784
渡米した小栗が外交交渉で為替レートを是正させてるように、
幕府の外交力はあなどれないと思う。
対して当初の明治政府には小栗のようなマトモな人材が皆無だった。
陸奥がいなかったら条約の改正はもっと遅れてただろう。
792日本@名無史さん:04/05/02 01:50
幕府はちゃんと改正(改悪)してるぞ小栗が!
親分のロッシュ様にもボコられて5パーセントの関税に。
793日本@名無史さん:04/05/02 01:51
実は薩長は条約が不平等であることを岩倉使節団を送るまで知らなかった。
794日本@名無史さん:04/05/02 01:54
物資の海外流出で物価が上がって、貿易に対する拒否感情は維新前に既にあったが。
795日本@名無史さん:04/05/02 01:56
>>791
そもそも4:1くらいのどうしようもない、通貨レートを何年も放置していたのが俺には信じられん。
これによって日本の財産がどれだけ失われたか。

>>793
んなわけねーだろ。
修好通商条約締結当初から、不平等だっていって各藩が騒いでいたのにさ。
796日本@名無史さん:04/05/02 01:58
>>795
横から失礼。
各藩は何が不平等だと思ったんだろうか。
各藩が文句をいったののは、幕府の専横ではなかろうか。
797日本@名無史さん:04/05/02 01:58
明治政府も維新から何年もたってポーツマス条約なんてヘタレな条約むすんでるしな。
798日本@名無史さん:04/05/02 01:59
>>794
だな米価は八倍。
フランスに独占的に生糸が変われたから、生糸もそのぐらい。
その他の物資も数倍というインフレがおきてた。
江戸庶民より、フランスの機嫌が大事だった幕府。
799日本@名無史さん:04/05/02 02:00
>>790
>評価できるのは阿片禁止くらい

おまえの主観なんかきいてねえよ、この馬鹿野郎。
800日本@名無史さん:04/05/02 02:02
>>796
専横だったら、「弱腰」の幕府を非難する形にはならんだろ。
801日本@名無史さん:04/05/02 02:03
知らなかったのは最恵国待遇の件。
大久保と伊藤はアメリカと交渉するためわざわざ天皇の委任状を取りに帰った。
1対1で交渉やっても意味無いのにね。
802日本@名無史さん:04/05/02 02:03
>>799
もちつけ
803日本@名無史さん:04/05/02 02:03
>>795
>修好通商条約締結当初から、不平等だっていって各藩が騒いでいたのにさ。
ソースだせ
804日本@名無史さん:04/05/02 02:03
>>799
んじゃ安政条約でなんか一つでも評価できるものがあんのか?
805日本@名無史さん:04/05/02 02:04
幕府が条約結んだ当初は外国人を居留地に封じ込めることに関心が向いていて、
領事裁判権や関税自主権はそれほど大きな問題とは考えられていなかった。
また、法治国家としての体裁も整っていない段階だから、
完全に対等な関係というのはそもそも無理だったんだよ。
ちなみに同時期の天津条約などと比べると、日本の通商条約は
かなり外商にとって不利な内容となっており、
内地通行権を禁じたことが揺籃期の日本の産業を保護し、
民族的防壁として役立ったと評価する意見もある。
806日本@名無史さん:04/05/02 02:10
ポーツマス条約
日露戦争において終始優勢を保った日本は、この条約において、戦争中に軍事費として投じてきた、国家予算の約4倍にあたる20億円を埋め合わせるはずの賠償金はとることができず、戦時中に増税による耐乏生活を強いられてきた国民の怒りを買った。
807日本@名無史さん:04/05/02 02:10
>>800
通史的解釈では、大老井伊の締結が疑問視されたのでは。
で、強行攘夷派は、安易に夷狄と条約を結ぶ事を弱腰と非難した。
本当に条約不平等が、争点になったのか?
808佐々木只三郎:04/05/02 02:11
>>775
岩倉使節団が派遣された一つの理由が条約改正だった。
むろんそれ以前から条約改正の交渉は行われていたから維新直後からだよ。

>>791
小栗の能力を高くし過ぎるな。小栗は「幕府に金がないから紙幣を作ろう」と
言い出し、春嶽公に「んな事したら相場が混乱するだろ」とどやされた事があるぞ。

ちなみに欧米が日本に出した条約改正の条件は
「日本が欧米列強並の文明国になったらね」だった。
明治政府が、何が何でも急速な近代化に拘った最大の理由だよ。
これが、そう簡単に達成出来るわけないだろう。
809日本@名無史さん:04/05/02 02:14
>ちなみに欧米が日本に出した条約改正の条件は
>「日本が欧米列強並の文明国になったらね」だった

これって幕府に対しても同じでは?
明治政府についてはなにかと屁理屈をごねて弁護するくせに、幕府だけを一方的に攻撃するのはフェアじゃないね。
810日本@名無史さん:04/05/02 02:15
条約締結後に物価上昇に対しての対策として横浜鎖港論がもちあがっていたが。
実際幕府は談判の使節を送ったが相手にされなかったらしい。
811日本@名無史さん:04/05/02 02:17
>>809
幕府はその条件に対し何もしていない。
ついでに言うが、オレは幕府を攻撃しとらんぞw。
ついさっきココ来たばっかだし
812日本@名無史さん:04/05/02 02:22
>>811の補足な
条約改正の件は、幕府でも交渉していたが、身分制度がある以上文明国とは
認められず、どだい無理だった。努力はしてたんだが…
813日本@名無史さん:04/05/02 02:24
>>807
通史的解釈では、不平等性が問題になり、倒幕派を勢いつかせたわけだが?
814日本@名無史さん:04/05/02 02:24
尊攘派(後の倒幕派)は、幕府が外国と条約を結んだこと自体に反対してただけ。
しかし世の中を知らないこのお馬鹿集団が、
パークスにそそのかされて中央政府を転覆するためのクーデタを引き起こす。
薩長は欧米の承認なしには延命できない脆弱な存在であるため、
パークスの指示通り旧来の条約を丸飲みし、
さらに同様の不平等条約を他の国とも結びまくった。
・・こうした経過を見れば、明治政府に幕府を批判する資格はないよな。
815日本@名無史さん:04/05/02 02:27
>>812
身分制度ってどういう意味の?
イギリスやプロシアにも貴族制度はあったんだが。
816日本@名無史さん:04/05/02 02:28
>>813
だからいつ「不平等性が問題に」なったの?
たとえば吉田松陰が領事裁判権問題をネタに幕府を非難してる?
817日本@名無史さん:04/05/02 02:29
>>813
すまん、不勉強だ。そういうことを言っているのは誰だ。
ちょっと代表的な人だけでも教えてくれ。
818日本@名無史さん:04/05/02 02:36
ほぼ同時期に崩壊する仏第二帝政に引き寄せられていく幕府が
疫病神に魅入られてたのは間違いない!!
819日本@名無史さん:04/05/02 02:38
幕府は条約改正による平等な貿易より鎖港による貿易の統制・縮小の方に力を入れていた。
820日本@名無史さん:04/05/02 02:52
幕府はアメリカ人に鉄道敷設権すら与えていた。明治政府が取り消したがな。
小栗等、一部にまともな人もいたが組織が腐っていたので無意味。
821日本@名無史さん:04/05/02 02:53
>>815
スマソw。オレも外交史を図書館でサラ読みしただけだから、
どこの国にどう交渉した良くわからん。
ただ、欧米が条約改正を阻止する為、
身分制度や幕藩体制(幕府を日本の代表としておきながら、
この件では徳川家も諸藩の一つに過ぎないとしたりした)
などにケチつけたのは確か。
ケチのつけ方も国によってバラバラで、とにかく難癖をつけ
無理難題を突き付けて条約改正阻止したっぽいわ。
幕府はお手上げ状態となり、明治政府は相当振り回されている。
822日本@名無史さん:04/05/02 02:58
まぁ、振り回されてもがんばった分明治政府は凄かったが…。
欧米の方がど汚いぞ〜。足下見まくりだからな。
823日本@名無史さん:04/05/02 03:07
>>821
自信ないが、身分制度とは、
被差別民・人身売買の存在あたりかね。
明治五年には人身売買が禁止されていたりするし。
824日本@名無史さん:04/05/02 03:11
>>823
被差別民というならヨーロッパにジプシーやユダヤ(ウェバーは賤民と言い切った)もいるし、アメリカだって黒人に公民権が認められたのはずっと後では?
825日本@名無史さん :04/05/02 03:40
>>824
異教徒や他人種は、当時同じ人間じゃない
問題は、同族でやってるって事じゃないの?
826日本@名無史さん:04/05/02 03:44
>>813の珍説晒しあげ
827日本@名無史さん:04/05/02 08:38
>>823
それもあるかも?。少なくとも明治政府の時はそれを言われていた。
遊女(というのかわかんないが)が、人身売買だと言われ、
遊女の解放(政府が遊女の借金チャラにした)を行ったり
銭湯(当時は混浴が基本)の混浴を差して、淫乱国家と言われ、
あわてて銭湯の男女別を実施した。
828日本@名無史さん:04/05/02 08:42
遊女=人身売買=奴隷とまで言われていたぞw
829八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/05/02 13:02
>>828
その段階ではすべての西欧列強各国に奴隷はいたのですけどね。
830日本@名無史さん:04/05/02 13:27
イギリスには今でも貴族がいますが、問題なしでつか?
議会で居眠りしてまつ。
831日本@名無史さん:04/05/02 13:28
奴隷の所有が許されるのは白人だけだ。
832日本@名無史さん:04/05/02 14:08
念のための確認。

通商条約は、幕末に勅許が下っている。
まさかそれを偽勅だ、などといってしまっては
それこそ国際的な信用を失う。

不平等性の認識は、個人的に太政官制成立期ぐらいではないかと予想する。

半未開と認識されていた日本にたいして、欧米は条約改正を拒む為
如何様な理由でもつけられるだろう。
833日本@名無史さん:04/05/02 22:36
>>816-817
昨日は寝てしまったすまん。

で、質問は政権握る前から不平等性についてのべ、とくに治外法権に意見している有名人ってことでいいね。
それなら岩倉使節団の団長の岩倉具視でどう?
彼は大政奉還前から、治外法権について反対していた。
外夷を裁けないのは、国辱とか過激な事を言って、治外法権には反対の立場を新政府成立前から表明していた。
それと同時に条約は遵守せねばならんとも言っている。

これは明治政府が諸外国との条約を遵守し、同時に改正へ最初から動いていたのと合致すると思う。

幕末維新の領土と外交?という本に、岩倉の書いた文書が孫引きされていたと思われ。
流石にそれの元ネタの名前までは憶えていないが、ご希望なら調べられなくもない。
834日本@名無史さん:04/05/03 04:50
>>827-828
娼妓解放令はマリア・ルーズ号の副産物でついてきたもんだけど
これはペルー商船側の弁護士が言ってきただけで別に国からはどっからも言われてないぞ?
実際その後も公娼制(貸座敷)が出来て実態として前と変わらず遊郭はあるし。
835796=807=817:04/05/03 21:50
>>833
いくつか気になる点を。

私が疑問視したのは、>>795
>修好通商条約締結当初から、不平等だっていって各藩が騒いでいた
であり、政権を握る前から、とされると若干趣旨が違う。
岩倉が大政奉還前から反対していたとしても、締結と奉還の間には10年もあり、
状況は大分異なる。

またできれば岩倉が大政奉還前から指摘していたことを裏付けるソース
を明確に挙げていただけると嬉しい。
あなたが論拠として示した安岡氏の引用(氏は孫引きしていない。)は、
明治二年二月の国事意見書であると思われる。
836日本@名無史さん:04/05/03 22:55
明治ねぇ。庶民はこの時代を、

「上からは明治だなどというけれど
     治明(おさまるめい)と下からは読む」

            なんて言われてたわけだ。
837日本@名無史さん:04/05/03 23:06
明治政府は庶民を裏切り続けた。
「御一新」「世直し」への期待が裏切られ民心は新政府から離れていた。
明治2年だけでも151件にも及んだ激しい農民一揆はそれを如実に物語っているだろうな。
838日本@名無史さん:04/05/03 23:16
明治2年じゃあ、まだ函館戦争やってただろ。
明治政府は何も手をつけてねぇよw
839日本@名無史さん:04/05/03 23:17
・政治を天皇に戻し(尊王)
・幕府の外圧に屈した開国政策を正すため(攘夷)

こその明治維新だったのに、いざ成功してみても

・政治を天皇に戻し(尊王) 
 →政府・(官僚)が政治を動かし
・幕府の外圧に屈した開国政策を正すため(攘夷) 
 →開国政策を推し進め脱亜入欧州

やってることは幕府と変わんないじゃん
なんか意味あったの???
840日本@名無史さん:04/05/03 23:18
>>835
>岩倉が大政奉還前から反対していたとしても、締結と奉還の間には10年もあり、

複数の質問があったので、一緒にしてしまいましたね。
諸藩に意見を聞いた時に、確か反発する意見があったと思うのだが、
すまん、ソースがよくわからん、なんかで見た憶えがあるのだが。
間違いだったら、私のミスだすまん。

で、慶応三年か四年だったと思うぞ、最初の方に年号が記載されていたと思われ。
複数の時代の文を引用してたけど、これは確か慶応って書きこんであったと思われ。
つか明治二年だと、言っている事が矛盾してしまう。
手元にあるのなら、ちょっと調べてもらえますかね。
私の場合、県立図書館までいかないと無理なので、ちょっと今日明日ってわけにはいかないので。

参考資料が違うって事はないと思うけど、
ひょっとしたら、幕末維新期の外交と貿易だったかも。
以前同時に借りて読んだから、混乱しているのかもしれない。
841日本@名無史さん:04/05/03 23:25
>>841
攘夷ってのはね、拝外主義じゃないんだよ。
外国からの圧力に抗するだけで、文化や技術の受け入れには反対してないの。
過激派長州の人でも、吉田松蔭は外国から開国を迫られれば断固拒否するが、
自ら開国するのはには賛成しているの。
高杉なんて、アメリカも攘夷して英国から独立したとか言っててね、
そもそも使っている意味が違うんだよ。
四ヶ国艦隊事件でも、攘夷決行といいながら、英国からアームストロング砲を輸入しているくらい。
そして脱亜入欧はずっと後に出来た思想で、当初はそんな事は考えてなかったと思われ。

ついでに尊皇ってのは中央集権国家の成立が目的。
842日本@名無史さん:04/05/03 23:29
>>838
なにもしていないだと!
年貢(税)をどんどん引き上げ、終いには幕府と同等の負担。
戊辰戦争の莫大な出費で発行した不換紙幣は4800万両。
結果、極度のインフレを巻き起こしただろ。
843日本@名無史さん:04/05/03 23:33
>>841
勉強になったよ
さんくす
844796=807=817:04/05/03 23:36
>>840
p.36-37 
中山忠能への密奏「王政復古大挙の議」が慶応三年。
しかし、内容は、外国にどういう態度をとるかはっきりさせねばならないときに、
幕府には任せて置けない。という程度の内容の引用(『岩倉公実記』)であり、
少なくとも引用の中で条約のことは述べていない。

明治二年の国事意見書は
治外法権では恥ずかしいので、条約改正を目指すという、内容。

『幕末維新の領土と外交』でよければ、再引用も出来ますが、
『幕末維新期の外交と貿易』は手元にないのであしからず。
845日本@名無史さん:04/05/03 23:37
>>842
終いには幕府と同等の負担だってさw
つまり幕府もずーっと圧政を行っていたんだ。ふーん
846日本@名無史さん:04/05/03 23:37
明治政府は別に農民のために成立させた訳じゃないし。
その主な目的はこれから来たるべき国際社会に対して国家体制を
整えること(中央集権と軍備増強)と振興のブルジョワジーを
育成することだったんだから。
847日本@名無史さん:04/05/03 23:45
>>846
もしそうなら、公武合体の新政府を作っていただろうな。
>>845
税が同じでも、極度のインフレがプラスされている。
この戊辰の戦の出費が重なり、各藩の首が廻らなくなり朝廷直轄の「県」に
してもらった方がいいと考えて、版籍奉還の上書提出が続いたんだよ。
848日本@名無史さん:04/05/03 23:46
>>844
年数か本の覚え間違えかな、ちょっと確かめてくる。
数日まってくれ、ひょっとしたら連休明けまでしまっているかも知れないが、その時はすまん。
849日本@名無史さん:04/05/03 23:48
>>847
幕府が使い物になるなら、それを目指しただろうね。
諸藩も元々反幕だったわけじゃないし。
850日本@名無史さん:04/05/04 00:05
>>847
インフレの原因って、国内戦が大きく影響したのは納得だけど、
貿易の影響もあったのでは?。機械工業で作られた製品が輸入され
日本の手工業がダメージを受けたと聞いた事あるけど?。
物価の異常急上昇は外国貿易が始まった時からだし、
そのへんはどうよ?
851日本@名無史さん:04/05/04 00:11
>>849
遣米使節団の中に旧幕臣からも相当数の人が派遣されていたはず。
特に女性の派遣は少数(5人)であったが、特に山川捨松(後の大山巌元帥の夫人)は、
会津藩士の子として生まれている。
852日本@名無史さん:04/05/04 00:18
>>850
当時はインフレのため貿易で大損害を受けたのは、むしろフランスやイギリスの方だと思われる。
なにせ、金の値打ちが全くといっていいほど無いのに、同じ為替レートで貿易をしていたんだからね。

だから、後にフランスなどから「金札」「贋貨」を「正金」と交換する様に要求されている。
853日本@名無史さん:04/05/04 00:24
>>852
それは、日本の金の質が悪く、外国の金貨の方が良質だったって事?。
うーん、オレの知っている本では逆の事が書いてあったが…。
でも、それだど外国が日本との貿易に積極的だった理由が解らなくなる。
貿易にうま味がなく、土地も狭い日本にあれだけ拘った外国って?。
もちっと詳しくしりたいので、詳しく解説した資料ってある?。
854日本@名無史さん:04/05/04 00:30
>>853
紙幣=補助紙幣
正金=金・銀

つまり日本の札を金・銀に交換してくれっていう要求。日本の紙幣には価値がなく
貿易赤字が膨らむ一方だったんだろうね。
855日本@名無史さん:04/05/04 00:30
良く覚えてないけど、幕府が諸外国の金貨に合わせて
小判の質を落とす改悪をやったって話しがあるぞ。
856日本@名無史さん:04/05/04 00:33
>>854
おお、解ってきた。紙幣じゃあしょうがない。
金が無いのに紙幣を出せば、んな紙幣は信用できないもんな。
あんがと、勉強になった。
857日本@名無史さん:04/05/04 00:56
>>833
でも岩倉使節団が本気で「治外法権には反対」だったようには見えない。

アメリカでは交渉と呼べるような事を何もやってないし、
イギリスではおずおずと条約問題を話題にしようとしたところ、
イギリス側に一喝されて縮みあがり以降条約改定を諦めてしまった。

岩倉は国内では威勢がいいけど欧米人の前では子猫になるタイプらしい。
858日本@名無史さん:04/05/04 10:22
岩倉使節団は当時巷で、

「条約は結び損なひ 金は捨て
   世間へ大使 なんと岩倉」  

  とか、狂歌を唄われていたそうな。

まぁ、国力を充実させなければ、大国が相手にしてくれないのは当たり前だったろうけどね。
859ツバキ:04/05/04 12:24
 部屋住みといわれるサムライの2,3男が大量に出、就職もできずモンモンとしていた。
そこに突然ペリーの艦隊が江戸湾に現れ幕府就職組は右往左往する。そこを見抜いた
出世できないサムライ、就職のできない、2,3,4,5男のサムライは立ち上がり。
幕府就職組を攻める。各藩でも同様で役付きになれない2,3,4,5男は立ち上がり
全国的な騒動となる。

860日本@名無史さん:04/05/04 19:57
>まぁ、国力を充実させなければ、大国が相手にしてくれないのは当たり前だったろうけどね。

これはまったく正しい事なのだが、不平等条約を結んだ幕府は悪い!なんてほざいている厨房にはわからないらしい。
国力の差が歴然としている中で幕府官吏の外交上の立ち回りはむしろ賞賛できると思うのだが。
861日本@名無史さん:04/05/04 20:20
物価混乱の原因は関税自主権が無い為であるが、
当事の不平は自主権回復ではなく港を閉じろというのが
その主張だった。
862日本@名無史さん:04/05/04 21:12
  /      `'´  ヽr''´      ト. ト. i     i
 '    /        ト.   ー--Hi-H- l    |l
 i   /  ,   l  ,レl´!|    ,|,! / リ l |i |  |  ,l!      へぇ〜だよぅ
 l.  ,'  i ___,,iレ'´l|. l }!/  //レ /|,! リ !  ,! /
  !  i   |  i !| /! l' /イ / 弋フ~厂/' /'/           へぇへぇ〜だよぅ
  l | i|!.  ! l.!_レっ´厂 ´    `¨, , 'イ、イ'′
  ll |lハ  ', l|^ー-‐'            jィl       へぇへぇ〜だよぅ
. . | !| ヽ.r‐v  ' '      r―1      / .|l
  . |l |  .{´(ゝ_       l.  j   ,.イ! ‖
.   |. |  l lー‐‐ .__    ヽ_'_,. ィl  l!.  |           メ / )`) )   へぇへ〜だよぅ
  .l |   !ハ   ヽl 、}` ̄ ̄ | l! l|  |  |         メ ////ノ
  l! | 〃|.ヽ   ヽヽ      !_l! l|  |.   l        メ /ノ )´`´/彡
     ! /,r''´:.l ヽ.  ', iー---‐'' >―‐- 、 !        /   ノゝ /       へいへいへぇ〜だよぅ
     く:...:...:...! ',  i l` ̄ ̄'´:...:...:...:...:...:.ヽl      /| 、_,,ィ '__/,;'"´``';,.
  .  }:...ヽ:...:..|i i  | |:...:...:...:...:...:...:...:...:...:.....'l    /;;;;;;\ _/  |ニニニニ|
863858:04/05/05 23:38
>>860

ある意味それは言えるが、それ以前に列強の脅威に対し、全くと言っていい程に何の対策も無かったのはイタイ。
切羽詰らないと何もしない国民性(これは現代の我々も同じかな)と言ってしまえば、それまでだが……。
864日本@名無史さん:04/05/06 14:07
明治政府は幕府時代の条約の完全遵守を誓ってこれを承継したのみならず、
明治初年にスウェーデン・ノルウェー・スペイン・北ドイツ連邦などと、
新たな不平等条約を締結してるんだよね。
しかも幕府は外国船による日本沿岸での海運を決して認めなかったんだけど、
北ドイツとの条約では沿岸貿易権を承認させられてしまってる。

幕府を責めてる香具師は、明治政府が新たに不平等条約を結び、
新たな権益を外国に与えていることをどう考えるんだろ?
865日本@名無史さん:04/05/06 14:16
明治元年の時点で欧米主要国とは不平等条約を結んじゃってたのに、
スウェーデン=ノルウェーやスペインが平等な条約に調印してくれると思う?
866八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/05/06 14:55
>>865
ならば結ぶのをやめたら良かったのでは?
867日本@名無史さん:04/05/06 22:34
[明治2年6月]ロシア兵樺太函泊を占領、明治政府が抗議しなかったため兵営陣地を構築
[明治2年8月]イギリス公使パークス、樺太放棄を勧告
そして明治政府は唯々諾々と樺太を放棄してしまう.....
868日本@名無史さん:04/05/07 15:11
国の一部を前倒しで売って国権を手に入れたんだからなw
幕府がそれに応じてフランスなどから武器を買い入れて応戦したら更に酷い事に。
引いた幕府の方が余程国の心配をしているように見える。

しょせん、薩長などはそんな程度の連中よ。
869山埼渉:04/05/07 16:25
>>幕府の方が余程国の心配をしているように見える。
>>しょせん、薩長などはそんな程度の連中よ。

その幕府の権力基盤は封建領主階級。
薩長は徐々に商人と接近し、土地支配ではなく経済活動をする者と結んでいった。
三井は一時期幕府と薩長の二股をかけていたが戊辰戦争が始まると薩長支持を明確にした。

封建社会をつぶして近代国民国家を作るという大きな国家目標に向かっていたのは、
薩長の一部の指導者とその活動資金を与えていた三井などの経済人。
870日本@名無史さん:04/05/07 17:14
特に司馬遼太郎の小説で、西郷も龍馬も米国のワシントンを新しい
日本の指導者の雛型のように語ってる下りが出てくるけど、
なぜ、将軍・大名は廃したのに
天皇(錦の御旗)を廃して大統領制を導入しようとしなかったか、分からん。
俺は右ヨでも左ヨでもないけど、民主主義として不十分だった気がする。
871日本@名無史さん:04/05/07 17:50
>封建社会をつぶして近代国民国家を作るという大きな国家目標
大きな国家目標ってなに?
何度も指摘されてるみたいだけど、
薩長にそんな目標を持ってた指導者はいないだろ。
むしろ幕府のほうが幕藩体制を崩して中央集権国家へ進もうとしてた。
872日本@名無史さん:04/05/07 20:41
新政府の薩長閥と幕府の南紀閥のどっちが第三者の参画できる余地があるのだろうか。
873日本@名無史さん:04/05/07 21:43
>>871
>むしろ幕府のほうが幕藩体制を崩して中央集権国家へ進もうとしてた。

明治政府は明治4年には廃藩置県、その2年後には徴兵令を実現させている。

それに引き換え
中央集権の構想があるんなら幕府のアホは黒船来航から10年以上もの間一体何をしとたんだ?
結局最後まで変革には全く手が付けられとらんじゃないか。
幕府は西南戦争のような大きな反発をあえて感受してでも改革を断行する気概はあったのかね? 
874日本@名無史さん:04/05/07 22:03
閑話休題。
GW中に上野の西郷像を見に行った。目の前にはきらびやかな看板と渋滞。
西郷はこんな世の中を作るために命を賭けたのかと思うと、感慨深かった。
875日本@名無史さん:04/05/07 22:12
また馬鹿な薩長ヲタが出てきたね。
876日本@名無史さん:04/05/07 22:18
戦場では幕軍は逃げ捲くり。捕虜は殺し捲くり。

877山埼渉:04/05/07 22:31
>>なぜ、将軍・大名は廃したのに
>>天皇(錦の御旗)を廃して大統領制を導入しようとしなかったか、分からん。

徳川時代270年間を上回る権威を新政府が持つためには、
それよりずっと古い皇室の権威を利用するのが得策と考えたのでしょう。

878日本@名無史さん:04/05/07 22:34
>>844
すまん、俺の勘違いだった。訂正ありがとね。
全て最初に書かれた年号だと思ってた。
879日本@名無史さん:04/05/07 22:38
>>871
中央集権国家の成立。その為の旗に天皇を使うってのが大筋の目標。
木戸は倒幕前からその方針を明らかにし、長州征伐で獲得した領地を天皇に返そうとしたのもその目標の為と言われている。
薩摩では大久保が、木戸ほど具体的ではないにしろ、そういった形の目標があったとされている。
880日本@名無史さん:04/05/07 23:00
>>870
倒幕派がなぜ大統領制を導入しなかったか?
答えはアメリカ合衆国の制度をろくに知らなかったから。
西郷や龍馬がワシントン的「民主主義」を求めてたかのような司馬の話は単なる創作。

当時実際に大統領制導入プランをもってたのは薩長ではなく幕府。
小栗は「天下を郡県となし大樹をもって大統領となさん」としていた。
幕府中心に近代化を進めた場合は、天皇の権威に依存する必要がないから、
薩長の場合のような天皇を神格化する異常な国家にはならなかったはず。
881日本@名無史さん:04/05/07 23:05
権威が無い権力の限界を感じたから慶喜がさじをなげたんだろうな。
882日本@名無史さん:04/05/07 23:07
民主主義を盲信してる馬鹿は次々に湧いて出てくるなあ・・・
何でわざわざ大統領制なんかにせにゃならんのだ。
883日本@名無史さん:04/05/07 23:16
なんで大統領制などというカルトな体制を作らねばならん。
世界で大統領制を敷いている国の殆どは、軍事独裁国家。
民主性がある程度ある方が、むしろ珍しい。

そもそも大統領制など、国王などあらかじめ権威がある存在がない国が、
仕方なしに行っているだけだ。
884日本@名無史さん:04/05/07 23:19
フランスなんて王家を血祭りに挙げてすったもんだの末大統領制になったわけだし。
885日本@名無史さん:04/05/07 23:27
公武合体派は一種の議会制民主主義を目指していたのではないだろうか?
886日本@名無史さん:04/05/07 23:28
>>885
そうだよ。
887日本@名無史さん:04/05/07 23:29
その公武合体派による参与会議を潰したのが慶喜というのも一種の皮肉。
888日本@名無史さん:04/05/07 23:30
>>873
(親兵)設置は明治4年2月10日の三職会議で正式に決定され、同月13日に三藩に命じられた。
8千人の親兵が結集したのは同年6月末のこと。翌5年に近衛兵と改称。
 この軍事力を背景に廃藩置県が断行されたんすよ。

良く言えば、(封建)を脱し、中央集権化を図り、近代国家へ踏み出した(廃藩置県)だった。

しかし、近代化のためには元武士達に保証した秩禄を賄う財源を確保するのにも、
税制改革が必須の課題となっていた。
それには封建的土地所有を廃し、地租を統一的に吸い上げるのがよいと提案した者がいた。
彼は旧幕臣の神田孝平。その第1段が明治5年の壬申地券だった。

結局明治政府は、旧幕臣たちの力なくては何も出来ない「烏合の衆」だったわけだね。
889日本@名無史さん:04/05/07 23:34
烏合の衆を日本という一つの枠組に収めるという芸当は南紀派の強い幕府ではまず無理だ。
890日本@名無史さん:04/05/07 23:35
つまり有能な人材は、幕府にはろくに使ってもらえなかったという事だな(w
滅びた方がよかったね。
891日本@名無史さん:04/05/07 23:39
薩長以外は公武合体で動きだしてたんだけどね。ここんとこが残念でならない。
892日本@名無史さん:04/05/07 23:42
敵に情けをかけるというか、旧幕臣方は日本の行く末を考えて行動してたんだね。
権力を我が手にと、突っ走った連中とは大違いだな。
893日本@名無史さん:04/05/07 23:43
幕臣が有能と叫べば叫ぶほど、幕府そのものがカスという事がよくわかる。
薩長を扱下ろすほど、その薩長にあっさり滅ぼされた幕府の無能っぷりが明らかになるようにな。

なんで彼等はこんなアホな事をしているのだろう。
むしろ敵を褒め称え、部下を無能にした方が、幕府も総体的に地位が上がるだろうに。
佐幕派というより、ただの薩長のアンチ過ぎないのではないかと最近思うよ。
894日本@名無史さん:04/05/07 23:44
>>892
つまり彼等は薩長を幕府より信じられると判断したって事だね。
薩長になら任せられると。
895日本@名無史さん:04/05/07 23:45
慶喜に清濁併せ呑む度量があれば薩長も幕府も糾合して維新が出来たかもしれないが・・・
896日本@名無史さん:04/05/07 23:49
>>894
は?……

このような状況になってしまったからには、己に出来ることを最大限日本国の為に
行うぞ!という意気込みは感じるがね。
897日本@名無史さん:04/05/08 00:01
福沢 諭吉は
「今日本の有り様を見るに、文明の形は進むに似たけれども、文明の精神たる
人民の気力は日に退歩に赴けり」 と嘆いていたね。

当時は徴兵令も一家の柱である若者への夫役強制としか映らなかった>当時
そして地租改正反対一揆などが勃発。そこで第2の維新「自由民権運動」が
高揚することになっていったんだな。
898日本@名無史さん:04/05/08 00:01
幕府とか薩長より
土佐・越前などの連中がそういったしがらみに囚われずに日本という枠組から
ものを見ることが出来たと思うが。
899日本@名無史さん:04/05/08 00:04
>>898
土佐・越前なんてお呼びじゃない。
900日本@名無史さん:04/05/08 00:08
>>893
そうしたいんだけど薩長の褒めるべきところが見あたらないんだよな。
どこを褒めたらいいの?
901日本@名無史さん:04/05/08 00:10
討幕派と幕府の差は結局、諸藩にたいして討幕派は精力的に自派に組みこもうと
活動していたのに、対する幕府は佐幕に近い諸藩に対してすら>>899のような感じだった
ことではないだろうか。
902日本@名無史さん:04/05/08 00:11
>>896
だから己に出来ることを最大限日本国の為に行わせてくれた薩長政府の方が
自身の才能の埋没させていた幕府よりも信頼出来るってこったろ?
903902:04/05/08 00:14
おっと
×自身の才能の埋没させていた
○自身の才能を埋没させていた
904日本@名無史さん:04/05/08 00:17
どうしようもない幕府を見限ったってことじゃないの?
実際どうしようもなかったし。
905日本@名無史さん:04/05/08 00:27
>>902にしろ>>904にしろ、
薩長を美化する用語って何時も具体性を欠くんだよな。
「日本の為」とか「自身の才能」とか「どうしようもない幕府」とか言ってみても、
恣意的でほとんど意味がないだろ。
906日本@名無史さん:04/05/08 00:30
>>902
福沢諭吉とともに開国貿易論を主張していた神田孝平を政府交換に抜擢し、
税制問題を解決せざるをえなかった>新政府

鎖国の継続こそ勅じょうと唱えていた長州は一体何者だったんだ?
やる事なすこと全てその場しのぎじゃん。信頼なんてするわけない。
907日本@名無史さん:04/05/08 00:30
近代化に成功し具体的に結果を残している薩長。
なにも結果を残していない幕府、具体的以前に妄想でしか語れない。
908日本@名無史さん:04/05/08 00:30
909日本@名無史さん:04/05/08 00:32
>>906
鎖国なんて長州は考えていませんよ、
下関開港に賛成しているくらいです。
鎖国継続なんて、ただのデマ。
910日本@名無史さん:04/05/08 00:34
長州が外国積極的に貿易していた時期に、横浜鎖港とか考えていた幕府。
911日本@名無史さん:04/05/08 00:35
>>902
ちなみに幕府は開国したんよ。その開国した幕府をゆさぶり、これを倒すために
ぶち上げた>攘夷思想

しかし、実権を握ったら旧幕臣を登用して税制改革などにやっきになった。
だったら最初から幕府に協力しろやってとこだな。
912日本@名無史さん:04/05/08 00:36
使える人材なら、旧敵方からも抜擢し、さらには西洋からも教えを乞う新政府。
使える人材を活用できず、敵方どころか内部からも抜擢できなかった幕府。
913日本@名無史さん:04/05/08 00:41
>>911
攘夷思想ってのは、欧米に屈服しない、占領されないって思想で、必ずしも鎖国を意味しません。

薩長が一番恐れていたのはそれ、だから幕府が決めていた鉄道の敷設も断り。
外国からの借款も出きる限りせず、僅かにしてもそれも前倒しで返却。
極力外国に付け入る隙を与えないようにしています。
幕府がなにも考えずに、ポンポン外国から援助を受けていたのとは正反対です。
914日本@名無史さん:04/05/08 00:44
外様雄藩の開国派大名にとって、幕府は唯の障害物に過ぎなかった。
何しろ外様には御政道に容喙させず、下手な言動に及べばそれだけを理由として取り潰す事もある。
ペリー来航の際、老中首座の阿部正弘は天下に広く対策を諮ったが、300の諸侯の内明確な開国論を唱えた藩は殆ど皆無で、
大抵の藩は言語不明瞭な回答にとどまった。
幕府が諸藩に御政道についての意見を求める前例は絶えて久しく、諸藩にとっては腹の内を探って危険思想の疑いを抱いた藩を取り潰そうとでもしているのかという警戒が働いたからだ。
明らかに開国派である筈の島津斉彬でさえ、この時には曖昧な事しか言えなかった。
江戸幕府というのは、そういう風に改革のブレーキとなっていたんだよ。
915日本@名無史さん:04/05/08 00:44
倒幕派は徳川と天皇とすり替える以外は、なんら発展的な思想はもちあわせていなかった。
尊攘派のイデオローグである真木和泉などは、封建制こそ万世不易の良制であるとし、
これを変革しようとしている幕府に対して、あらんかぎりの誹謗中傷を行っている。
要するに、維新の背景にあるのは、思想というよりも、
何百年も抑圧された薩長の鬱屈した感情の暴発。
916日本@名無史さん:04/05/08 00:47
>>913
その薩長の新政府も、当時誰にもうけ入れられなくなっていったな。

真の維新は、第2の維新といわれている「自由民権運動」

(自由民権運動は、明治初期の専制政治を排して、国会・憲法をつくり、
政治的自由と民権を求めようとした全国的な政治運動)
917日本@名無史さん:04/05/08 00:56
長岡の老中牧野なんかが参勤交代や衣服制の復活させていたが。
918日本@名無史さん:04/05/08 00:58
>>914
イギリスは日本の居留地制度に不満を持っていて、
オールコックやパークスが長州などの外様に接近し、
幕府による貿易独占の打破を吹き込んだ。
つまりイギリス流の植民地分断政策によって、
外国貿易の利権にあずかりたいという外様諸藩の私欲が刺激され、
倒幕派が形成されたらしい。
919日本@名無史さん:04/05/08 01:06
諸藩の支持を取りつける努力の差が印象の差になって
雪崩をうって幕府から諸藩が離れていったのだろう。
920日本@名無史さん:04/05/08 01:28
御政道批判という口実で政治への介入を禁じて来た幕府が開国派から障害物としてしか見られなかったのは、幕府の自業自得。
倒幕派は障害を排除しただけだよ。
921日本@名無史さん:04/05/08 01:33
>>919
諸藩は日和見に徹してた。
将軍慶喜が敵前逃亡するようなヘタレだったため雪崩現象が起きただけで、
積極的に薩長に同調して支持したわけではないでしょ。
922日本@名無史さん:04/05/08 01:35
>>920
誰が開国派なんだよ?
923日本@名無史さん:04/05/08 02:50
>>921
雪崩現象が起こったから慶喜が逃げたんだろ。
逆にすんなよ。
924日本@名無史さん:04/05/08 02:53
>>915
真木和泉は久留米の神官じゃん。薩長じゃねえし。
925日本@名無史さん:04/05/08 02:57
明治維新とは一体なんだったのか?2

   夢
926日本@名無史さん:04/05/08 03:03
>>918
逆だろ、イギリスは日本の貿易の7割を独占していた概ね満足していた。
だが1割強しか貿易していなかったフランスが、貿易独占を企み幕府に近づき、
様々な援助と引き換えに、フランスに便宜を図っていった。

フランスの援助で有頂天になった幕府が図に乗り、第二次長州征伐を慣行して、内戦に持ちこんだんだよ。
フランスの目論みとは違い、幕府がへタレだったから、あっさり幕府が崩壊してしまったがな。

賠償金の支払いなど、フランスの「助言」で誤った政策は多い。
日本を売った売国奴こそ幕府。
927日本@名無史さん:04/05/08 03:04
>>925
寝てろ
928日本@名無史さん:04/05/08 04:03
>>923
藻前が逆。
慶喜が先頭に立って大阪城で徹底抗戦してたら薩長に勝ち目はなかった。
しかし慶喜が逃げたことによって岩倉の偽錦旗が政治的意味を獲得し、
薩長が諸藩を糾合することができた。
明治維新とは岩倉のペテンと慶喜の怯懦から生まれた茶番劇のようなもので、
目的意識的な変革じゃないんだよ。
929日本@名無史さん:04/05/08 05:53
幕府に邪魔をされた開国派外様大名といえば、
島津斉彬、伊達宗城、黒田長溥、鍋島閑叟あたりに決まってるだろ。
御政道に口を出すだけで藩の運命さえ左右するような幕府の体制では、
近代化の必要が分かっている開国派にとって幕府など単なる障害物に過ぎない。
930日本@名無史さん:04/05/08 07:31
諸藩にとって幕府が勝てば政権に南紀閥の連中がのさばるのは明確だったし、
新政府はこの段階では未知数な魅力があったし、幕府よりは期待されていただろう。

931日本@名無史さん:04/05/08 08:46
維新政府は、革命的な要素をもっていながらも その行った事は権力の移動だけ。
人民と共に新しい社会を作り上げてゆこうという考えはまったくといって良いほど無かった。
民衆はあくまで支配されるもの、愚鈍で無知蒙昧な者という考えから抜け出せはしなかった。
それが、しだいに自由民権という 政府の全く意図しない流れとなって現われてくるのである。

明治維新は、確かに西郷や大久保・木戸らによって行われたもので、権力を握る為にはどうしても戦闘が必要であった。

戦略上の観点から民衆を味方につけていたが 国内が平定され民衆の力が必要でなくなると 
あっさりと民衆を切り捨てた。彼らの革命の思想の中には、民衆というものの存在などはじめから無かった。
あったのは、支配されるべき愚民の存在だけだ。そして、この思想は明治政府の基本的な考え方として受け継がれていった。
932日本@名無史さん:04/05/08 09:52
民主主義を盲信してると、そんな風にしか見えないのかも知れないな。
別に大多数の民衆を愚民としていようが、実際に愚民だったのだからそんな事は当然だという事実は覆せない。
いつの世にも例外なく、愚民は個体数において賢人を凌駕しているものだ。
だから、多数決に基づいた政策決定ではダメなのだよ。
民主主義者にはそこの所が理解出来ていない。
民主主義者は、例外なく愚民だからだ。
933日本@名無史さん:04/05/08 11:55
ザビ家の残党がいるスレッドはここで良かったですか?(´・ω・`)エエジャナイカ
934日本@名無史さん:04/05/08 12:26
>>929
その連中の幕藩体制否定論の概要とソースをおしえてよ。
彼らはなぜ開国派である幕府を開国の「障害物」とみなしたの?
また、どのような方法で障害物である幕府をとりのぞき、
どのような形で「開国」「近代化」を進める考えだったの?
935桓武平氏:04/05/08 12:49
維新の最大の功績は、第二の中国にならなくてすんだ事だね。ま、そう
ならなかった要因の他にあったと思うが。思うのは革命といわず、維新というのは
これはどうして?
936日本@名無史さん:04/05/08 13:11
幕藩体制は世襲だし、薩摩は芋づるだし、どっちもどっち。
長州は人材がいないから問題外。
937日本@名無史さん:04/05/08 13:53
愚民と言えば薩長のトップも正直言えば愚民。
狡猾ではあったが。

愚民でない奴がいたのかw?
938日本@名無史さん:04/05/08 14:29
>>935
>第二の中国にならなくてすんだ事
第二の中国にならなくてすんだのは安政の条約のおかげ。
外国の商業活動が開港場10里以内に限定されたため、
欧米資本が日本国内の生産・流通機構を蚕食することができなかった。
つまり幕府が結んだ条約が、非関税障壁としての役割を果たし、
国内市場を欧米の進出から守ったと言える。

>革命といわず、維新というのはこれはどうして?
同じ武士階層内での権力簒奪戦だったから。
また、革命というのは極めて目的意識的行為で、
体制変革のための綱領があってしかるべきなんだけど、
維新に際しての倒幕派は将来の青写真を全く持っていなかった。
徳川と薩長を交換しただけのクーデターにすぎない。
939日本@名無史さん:04/05/08 16:03
>>938

革命って言ってもいいんだけどね。
刺激的なことばだから別なのを考えたんだろう。
940日本@名無史さん:04/05/08 17:14
>>938
革命とクーデターを分けることは知ってるみたいだから聞きますが
倒幕、これだけで革命といえませんか?

安政の仮条約は欧米の経済進出を認めているんですが・・・。
関税主導権もなく、開放場所の治外法権も認めています
やむなしに結んだ、不平等条約です。南京条約に似てるじゃないですか。
中国の場合は国内情勢が悪かった事もあり、南京条約の後もイギリスに侵食されていきました。
これらの条約は植民地化のステップと考える事が妥当であり、
維新の効果でここまで食い止めることができたと思われます。


>革命といわず、維新というのはこれはどうして?
わかりません(ぉぃ
ただ自国の歴史に革命って言葉をほぼ使ってないんですよね。
メイジ革命・・・牛乳の新商品みたいだし
いくつか類義語があるはずだから『維新』に何か想いがあったのかも
941日本@名無史さん:04/05/08 17:45
明治維新を革命といわないのは何故か?

革命とは政治的指導層がごっそりと異なる階級に移行することであるのだが、
明治維新では上級、下級の違いはあれども同じ武士階級中心の政権であった
ため革命という文字を使わない。

例)フランス革命=アンシャンレジームでは貴族階級→新政権では新興のブルジョワジー階級
   ロシア革命=革命前夜は貴族階級→新政権ではプロレタリアート(労働者階級)

ちなみにロシア革命では満足なブルジョワ革命を経験していなかったため新政権でも
古い封建的体質を持っていたから改めて70年後にブルジョワジ革命を必要とした。

では日本のブルジョワ革命はいつだったのだろうか?
日本では太平洋戦争終戦後、その一切を占領軍がやったといっても過言ではない。
942日本@名無史さん:04/05/08 18:15
天皇を打倒して別な体制がとってかわったなら革命だが、
天皇の臣下の役職が変更になっただけだから維新なのだよ、
愚民ども。
943日本@名無史さん:04/05/08 18:41
>>940
>これらの条約は植民地化のステップと考える事が妥当であり、
>維新の効果でここまで食い止めることができたと思われます。
維新の効果ってなに?
維新によって不平等条約問題はなんら解決しなかったばかりか、
明治政府独自に不平等条約を結びまくったんだから、
明治政府が「植民地化」をくい止めたかのように表現するのは誤りだろ。
944日本@名無史さん:04/05/08 18:57
>革命といわず、維新というのはこれはどうして?
「諸事神武創業の始に原づき」という馬鹿げた復古思想が薩長のスローガンだったから。
薩長にとっては革命ではなくて復古つまり元に戻したという意識だったんだろうね。
維新をあえて「革命」と言うならばイスラム原理主義革命に近いと思う。
945日本@名無史さん:04/05/08 19:16
すでに>>942も指摘しているが、
「革命」という用語を用いる時は、留意してもらいたい。
そもそも革命がrevolutionの訳語として定着したのはおそらく、明治以後だろう。
同時代的には、定着以前に「革命」などといいつつ、天皇を担げるわけがない。

現在我々が明治維新を「革命」だ、と称するのは構わないが、
それとて資本主義論争の焼き直しの感がある。
946日本@名無史さん:04/05/08 19:17
詭弁だな。
幕府の力でも不平等条約に甘んじるしかなかったのが実情だ。
新政府は富国強兵を促進し、不平等条約をはねつけられる実力を持つ事を目指したのだ。
幕府はその障害にしかならなかったので排除されただけだよ
947日本@名無史さん:04/05/08 19:27
表面的には新政府側の方が幕府よりも諸藩に対して融和的姿勢を見せていたし、
高圧的な幕府に諸藩が密かな反感を抱いていたのも大きい。
もう少し幕府が諸藩に対して融和的な態度をとっていれば新政府に支持は集まらなかっただろう。

948日本@名無史さん:04/05/08 19:39
>>943
維新の親欧思想が植民地化の抑止力になってる。
日本人が反欧米感情を持つと軍事介入のきっかけを作られやすい。
明治政府のやった事は半植民地化とも思えるわけだけど、
軍事介入を防ぐには必然的な事だったでしょ。
鹿鳴館のような欧化主義ってのは『笑劇』と嘲笑されたわけだが、
あえて軍事介入までして植民地にしてやろうとは思わせなくさせたわけだ。
949日本@名無史さん:04/05/08 19:46
セポイの反乱や太平天国の乱とほぼ同時期に明治維新が起こったのは偶然ではない。
950日本@名無史さん:04/05/08 19:57
このスレには明治維新史学会のヤシがたくさん参加しているようだな。
正直に前へ出ろ。手を挙げろ!
951日本@名無史さん:04/05/08 20:03
明治維新を輸入しようとする勢力が挫折してしまった清朝や李朝の没落と停滞が、
結論を明示している。
952日本@名無史さん:04/05/08 20:06
>>950
そんな三度の飯より明治維新が好きそうな会があるんだw
953日本@名無史さん:04/05/08 20:48
>>948
そもそも欧米は日本を軍事力に植民地化しようとする意図がなかったんだよ。
倒幕派は、いたずらに列強の脅威を煽ったあげく、
自分が英国の走狗となって内乱を起こしたんだけど、
もし英国が日本を植民地化するならばこの維新の混乱が絶好のチャンスだった。
維新後の薩長が英米にたいして卑屈な植民地奴隷として振る舞ったことを、
日本人は恥と思わなければならない。
954日本@名無史さん:04/05/08 21:05
>>953
自分の文章が矛盾だらけなのに気づけないほどのお馬鹿さんですか?
955日本@名無史さん:04/05/08 21:10
チョンに矛盾の概念を理解する事は不可能だよ。
インド大反乱や阿片戦争の意味も分からないから、
明治維新の価値も理解できないのだろう。
956日本@名無史さん:04/05/08 21:42
>>953
英国が国際社会で初めて対等同盟を結んだ国は明治日本ですが。なにか?
957日本@名無史さん:04/05/08 21:46
>>952
知らないのか、結構有名だぞ。
958日本@名無史さん:04/05/08 21:48
1943年に英国は蒋介石の国民政府に租界の返還と治外法権の撤廃を認めている。
959日本@名無史さん:04/05/08 21:56
>>928
お前が逆だってw
津藩や淀藩が裏切って、勝ち目が無くなったから慶喜が逃げたんだろ。
鳥羽伏見の戦いが起こる前から、慶喜が江戸に逃げたとほざくアフォw。
960日本@名無史さん:04/05/08 21:57
どっちかつーと反革命だな明治維新は。
961日本@名無史さん:04/05/08 22:01
水戸藩は裏切ったというか、慶喜ほったらかしてさっさと市川らの討伐の為に東帰した。
962日本@名無史さん:04/05/08 22:05
民主主義者は愚民なので、明治維新を革命か反革命かなどと的外れな解釈に結び付けたがる。
維新は維新であって、革命でも反革命でもない改革なのだよ、
愚民ども。
963日本@名無史さん:04/05/08 22:06
王政復古。時代を逆行させる反動だね。
維新当初の薩長は国家神道体制の構築に夢中になってて、
殖産興業や富国強兵なんて意識はまるで無かった。
福沢諭吉のような旧幕府側の知識人が大隈や井上等を指導して、
なんとか近代的な中央政府をつくることができた。
964日本@名無史さん:04/05/08 22:06
世界史的にいえば。
「日本国は王朝連合国家から、王朝統一国家になった。」でしょ。
965日本@名無史さん:04/05/08 22:09
世界史的にいえば。
「日本国は欧州の諸王連合国家の連合に先立て統一国家を作った。」かな。
966日本@名無史さん:04/05/08 22:10
横井や西のような幕府とか薩長といったしがらみに囚われないで仕事ができる人材を
活用できる政府が日本という国家には必要だった。
967日本@名無史さん:04/05/08 22:11
>>964
神聖ローマ帝国→ドイツ連邦→ドイツ帝国の流れに似とるね。
968日本@名無史さん:04/05/08 22:13
幕府の公武合体路線の延長で近代化を進めても、
大枠では明治国家と似た国家になってただろうね。
異なるのは天皇の位置づけと、
チョソと日本人の融合政策を行うか否かかな。
969日本@名無史さん:04/05/08 22:14
どうして王政復古が時代に逆行した事になるのか答えてみろ。
民主化こそ原始への退化ではないか。
970日本@名無史さん:04/05/08 22:18
>>969
(´ _ゝ`)フーン
971日本@名無史さん:04/05/08 22:20
三十年戦争以後の神聖ローマ帝国は国家の体をなしていません。
ウィーン会議後のドイツ連邦も諸君主国の寄合的なものです。
同時期の幕藩制国家と比較するのは、かなり乱暴かと。

国家の統一度の強弱でいえば、こうなのでは?
ドイツ帝国>幕藩制国家>>>(壁)>>>神聖ローマ帝国・ドイツ連邦
972日本@名無史さん:04/05/08 22:21
>>968
長州の反乱も沈められない幕府には纏め役は難しい。
973日本@名無史さん:04/05/08 22:21
天皇を中心とした国家を目指そうと言い出したのは他でもない慶喜の実家水戸なんだが・・・
天皇神格化は確かに達成されたし、廃仏毀釈も全国規模で行われた。
黄泉の烈公もご満悦かもしれない。
974日本@名無史さん:04/05/08 22:22
国内ではお寺や神社をブチ壊し、
海外では岩倉使節団が日本政府のノータリンぶりを晒して回ってたんだから、
明治政府の中核部分がろくなもんじゃなかったってことは事実。
幕府時代の官僚組織と人材が温存されてたことが日本にとって幸いだった。
975日本@名無史さん:04/05/08 22:27
政策決定の全てを多数決に委ねる民主主義は、
人類が万物の霊長たる所以である筈の知性そのものに反逆する愚民独裁体制に他ならないのだよ。
976日本@名無史さん:04/05/08 22:28
幕府が倒れたお陰で出て来たともいえるわけだし、
幕府に人材の温存などという概念があったいうには
人材を潰し捲くりだったし。
977日本@名無史さん:04/05/08 22:30
>>974
その官僚たちが何をするにも賄賂を要求してた事しらんだろ。
幕府の官僚組織なんて腐り果ててるんだよ。
芸州公など記録で愚痴をたれてんぞw。
幕府の人材で使い物になったのは蘭学関係を専門にしていた一部の幕臣のみ。
しかも、その幕臣は先祖代々のご家人ではなく能力で登用された勝海舟らだけ。
978日本@名無史さん:04/05/08 22:33
尚歯会を弾圧した時点で、幕府は単なる改革への抵抗勢力と変わらない事を示した。
倒幕は必然。
979日本@名無史さん:04/05/08 22:34
>>976
てか幕府は人材の宝庫。
キラ星のごとき人材がいくらでもいる。
逆に倒幕派には高度な見識を持った人材が皆無。
船中八策を書いた龍馬を持ち上げるのが関の山だろ。
980日本@名無史さん:04/05/08 22:35
>>977
どうでもいいけど勝は無能だよ。
981日本@名無史さん:04/05/08 22:36
979はネタですよね、もしくは薩長の自作自演。
982日本@名無史さん:04/05/08 22:38
幕臣が人材の宝庫なら、長州軍5000名くらい捻りつぶせよな
983日本@名無史さん:04/05/08 22:39
見定める方向は幕府も薩長も同一だったろう。
984日本@名無史さん:04/05/08 22:40
維新が有能な人材の幕府による圧殺から救ったのかもしれない。
985日本@名無史さん:04/05/08 22:42
>>980
勝は色々やっとるよ。あんたがしらんだけで。
986日本@名無史さん:04/05/08 22:44
>>985
で、あんたは何を知っているの?
987日本@名無史さん:04/05/08 22:46
人材があったが、活用できなかったって事か、やっぱ薩長による維新が必要だな。
人材を活用できる体制こそ必要だ。
988日本@名無史さん:04/05/08 22:49
幕府が外様とかなんだとか難癖をつけずに人材を登用できるように改新するとかできれば別に幕府であっても可能だと思うが。
989日本@名無史さん:04/05/08 22:51
>>988
外様や朝廷はヴァカだらけでまともな人材がいないんだよ。
小栗や川路に匹敵する人材がいたらあげてみろ。
990日本@名無史さん:04/05/08 22:53
>>987
いいねぇ、そういう自意識過剰的な思い込み。現代日本もそんな感じ。
良い人材は沢山いるが、企業に飼い殺し状態。皆、生き残る(勝ち組)
になるのに必死だもんな>スレ違いかな、スマソ。
991日本@名無史さん:04/05/08 22:54
小栗や川路のどこが傑物なんだ。木戸や大久保の足元にも及ばない小物じゃないか。
いや伊藤や大隈にも劣る。
992日本@名無史さん:04/05/08 22:56
次スレはいらないかな。
993日本@名無史さん:04/05/08 22:56
フランスと通じ莫大な借款をし、さらにまた返せる当てもない借款を結ぼうと企んだ小栗。
人材とかいう以前に、日本を亡国の淵に叩きこんだアホですな。
994日本@名無史さん:04/05/08 22:57
>>991
はいはい。伊藤博文は大物でちゅー。
995日本@名無史さん:04/05/08 22:58
極端に言えば大村を陸軍奉行だとか橋本を側用人に登用できるほどの度量が幕府にあれば維新は幕府というか、
この幕府の革新派が握っただろう。
996日本@名無史さん:04/05/08 22:59
>>991
小栗なんかを、日本屈指の名宰相である伊藤と並べないでくれ。
997日本@名無史さん:04/05/08 23:02
>>993
フランスからの借款は横須賀製鉄所を担保とするプロジェクトファイナンスで、
純然たる経済行為。現に借金を引き継いだ明治政府も完済できてる。
こうしたことは日本に産業資本を根付かせるためには不可欠だったんだよ。
ちなみに北海道を担保にしたというのは勝がながしたネタ。
998日本@名無史さん:04/05/08 23:02
薩長藩閥政府は権力基盤が極めて不安定だったため、
民権派などに譲歩せざるを得なかった。
それゆえ明治時代は元勲にとっては全然理想的な状況ではなかった。
帝国憲法義解などを読むと、伊藤は民主主義の実現ではなく、
臣民に与えた権利を自在に剥奪できる体制を構築することに細心の注意を払っている。
国家総動員法や治安維持法によって立憲主義的要素の封殺が完了した昭和の戦時体制こそ、
明治の元勲が夢見た理想国家だっだといえる。
ちなみに明治の元勲の理想が現在でも純粋な形態で息づいてる国は、
もちろん北朝鮮である。
999日本@名無史さん:04/05/08 23:03
1000
1000日本@名無史さん:04/05/08 23:03
>>994
大物というか、比べるべきではなかろう。
小栗ごときとは格が違う。
10011001
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