江戸時代、士農工商の中に入らなかった、えた・ひにん。
そして、水平社運動をえて後の部落問題まで繋がった。
ここで、えた・ひにんとは、どういう人達だったのか?
確か、犯罪者をえた・ひにん、扱いしたと習ったが、何故
それが、部落問題まで発展したのでしょうか?差別される
って、部落側の方に差別される要因が有ったのでしょうか?
自分の地方にも、「部落」という言葉はあるが、あくまでも
〜村や集落と言う意味でしか有りません。
2 :
日本@名無史さん:03/04/01 13:44
2ゲット。
確かに。
もうちょっと突っ込んだことを教えてもらいたいですよね。
3 :
日本@名無史さん:03/04/01 13:55
白土三平の『カムイ伝』っていうマンガが面白いぞ。
非人の暮らしがよく分かる。
4 :
日本@名無史さん:03/04/01 14:39
新平民
5 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/01 22:19
「今昔物語集」に都や鎮西の餌取の法師の往生譚がいくつか載っている。
6 :
日本@名無史さん:03/04/01 22:47
餌取と陵戸が後のエタになったとものの本にあった。
牛馬の皮を剥ぎ製造しているもののうちのあるものが
副業的にか特権的にか鷹や鶏のためのエサ肉売りをし
それが餌取と呼ばれたそう。
陵戸は天皇家の陵墓を管理する世襲の人たち。
7 :
日本@名無史さん:03/04/01 22:49
8 :
日本@名無史さん:03/04/01 22:55
エタは先天的?非人は後天的?
9 :
日本@名無史さん:03/04/01 22:58
>>3 僭越乍ら、あの漫画から「えた・非人」ついて学ぶは無理かと…
10 :
日本@名無史さん:03/04/01 23:10
>>6 ねー、昔の古墳の中の遺体って豚の皮で巻かれてるってホント??
同和関連は人権板へ移動。
朝鮮関連はハングル板へ移動。
えたは朝鮮半島から拉致してきた人たちの子孫とおもわれる。
たびたび朝鮮人を奴隷にするために倭が軍隊を送ってきたと三国史記に
あるし、日本書記でも神功皇后が命令したレイプ殺害奴隷化など記録が残ってる。
ひにんは社会からドロップアウトした人たち子孫で江戸時代にできた。
神功皇后って実在?
13 :
日本@名無史さん:03/04/02 12:10
>>11 > ひにんは社会からドロップアウトした人たち子孫で江戸時代にできた。
社会からドロップ・アウトした土着した朝鮮人ってコトか?
明治維新後の戦争で、日本に来た朝鮮人とは違うのか?
14 :
日本@名無史さん:03/04/02 12:17
いまでいえば民族系銀行から賄賂もらって
公的資金投入にゴーサインして国益を私益化する
某売国奴政治家みたいなもんだよ
穢多、非人、河原者、神人、寄人、供御人
革田、万歳、芸能、傀儡子
散所、別所、公界えーと他にもたくさん。
こういうのを無視するなら日本史やる意味ない。
>>11 日本に「奴隷」と言う制度が有ったのか?
同和問題も朝鮮問題も根源が江戸時代まで溯れる
事が可能なら、日本史でも問題はないかと。
17 :
日本@名無史さん:03/04/02 13:51
18 :
日本@名無史さん:03/04/02 13:55
社会における疎外された部分にのこる
南朝の天皇の影
19 :
日本@名無史さん:03/04/02 13:56
『異形の王権』だよね
>>11 >ひにんは社会からドロップアウトした人たち子孫で江戸時代にできた。
君の国籍は問わないが、君には歴史の勉強も必要だが、それ以前に日本語の
勉強が必要だね。
21 :
日本@名無史さん:03/04/02 14:11
というより大昔に成り上がったエタの頭目が天皇家。
だから木地師とか地神盲僧とか竹細工師とか、あやしい関係がいっぱい。
22 :
日本@名無史さん:03/04/02 14:23
野非人ってのもある。
23 :
日本@名無史さん:03/04/02 14:40
てか後醍醐政権がズッコケて天皇に権威もへったくれもなくなり
そのまわりにいて天皇に依存していた連中の職業的『穢れ』の観念が決定的になり
社会的賎視の下におかれるようになったと。
遊女ももともとは<聖>なる職業だったが
南北朝以後セックスをなりわいとすることが賎業化する。
<聖>から<賎>への転化・逆転だね。
24 :
日本@名無史さん:03/04/02 15:28
「破戒」の主人公のモデルになった人物は
ササラと呼ばれる芸能系賎民だったが
藤村は小説の中で穢多にしてしまった
その方が全国的にわかりやすいってことで
>>21 「エタ」の頭目というより「諸職(しょしき)」の元締めでしょうな。
古墳時代の大和政権期の伴造(専門職人集団制度)が、
少しずつ変化していき鎌倉期ごろから一部の職人達が徐々に賎視されていく。
特に大和政権の影響の強かった畿内とそれより西側では賎視が中世に著しく進んだ。
俺は関西在住なので小学校の時から「同和・道徳」授業を受けていたし、
学区内に被差別部落があった。
関東では関西ほど職業に対する賎視がなかったようで、
被差別部落そのものの存在を知らない人が結構いるみたいだね。
>>22 それ知らねえや。
>>23 後醍醐天皇自身が密教に傾斜していた事と、
密教系寺院が支配していた職人集団との関係だね。
屠殺(とさつが一発変換できんとは…)に関わる人は、
殺傷という「業」を負うためそれを償う為に仏教に帰依していく。
また殺しは「穢れ」でもあるので、それを清める為に神社との関係も深まる。
大学は京都だったんだけど、京都には河原者に対する差別が強くあって
しかも現在も河原者出身者への差別が残っており
市バスには差別撲滅運動のステッカーが貼ってある。
26 :
日本@名無史さん:03/04/02 19:10
>>25 で小学校の時から「同和・道徳」授業を受けていたし、
> 学区内に被差別部落があった。
オレも関西だけど、
どの地域の誰が部落なのか、未だに認識していな
> また殺しは「穢れ」でもあるので、
読めん。
京都じゃ、伏見辺りが部落らしいが、
ホンマかいな?
ま、東北・北海道には部落がないわけで。。。
28 :
日本@名無史さん:03/04/02 19:26
じゃあ部落ごとに得意な分野が違うのか?
革職人の部落とか芸能関係者の部落とか。
どうも諸説あって正確な歴史がわかっていないのが本当のところじゃない。
やっぱ江戸時代の制度化が決定的だったと思う。
29 :
日本@名無史さん:03/04/02 19:26
>>27 東北・北海道自体部落みたいなもんだからな。
>>29 おれ九州の人間だが、おまいみたいな香具師は氏んでいいよ。
>>30 まあ、もちつけ!
ところで本願寺との関係もよく言われるな
32 :
日本@名無史さん:03/04/02 19:58
死なないし、事実を言ってるだけだし。
>27は九州とか言ってるけど実は東北人なんじゃないの〜?
それともいわゆる偽善者ってやつか(w
33 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:40
>>26 被差別部落は賎視された職業集団が住んでいたところがほとんど。
明治以後、産業形態が徐々に変化していって職業集団そのものが
消滅していったから現在どこが被差別部落なのかは分かりにくい。
「穢れ」は「けがれ」と読む。
伏見は職人の町だったから。
古墳時代には秦氏という渡来人の一族が職業集団を率いてやってきた。
彼らは伏見に集住し、様々な技術を朝廷に提供した。
特に機織り(はたおり)や土木技術に優れていて、
上古において彼らなしには長岡京や平安京は成立し得なかった。
>>27の意見は基本的に間違ってないみたいだね。
俺は研究者じゃないので断言できないけど、
大和朝廷やその後の天皇を頂点とする京都の支配が及ぶのが遅かったのが一つの要因らしい。
蝦夷と言われた人々やアイヌの人々には「穢れ」という概念がなかったみたいだ。
推測だけでこれ以上発言するのは学問板には相応しくないので控えます。
34 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:45
>>28 職業集団は基本的に集住するケースが多かったみたいだね。
だから部落・町・村ごとに得意分野を持っていた。
>どうも諸説あって正確な歴史がわかっていないのが本当のところじゃない
各被差別部落がどのように形成されたかによって
それぞれ違うので全体で語るのは不可能だと思う。
江戸期の非人は固定身分ではなかったらしい。
困窮した人々がそれまでの仕事では食べていけなくなって、
地方から都市に流入して物乞になったり日雇い労働者等になって非人とされた。
こういったケースは江戸中期以降特に増えた。
36 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/02 22:05
>>27 無いというか、狩猟などが盛んで皮剥ぎなどに対する違和感が少なく鎌倉周辺
を除けば犬神人などがほとんど居なかったようです。
>35
そういえば「今昔物語集」に財産を望んだ僧が裕福な乞食の娘と結婚する羽目
になり自身も乞食になってしまったという話がありました。
37 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:15
>東北・北海道自体部落みたいなもんだからな。
これ実は意外と当たってるんじゃないかな。
別所と言う部落カテは平定した奥州のエゾを内地へ拉致って来て置いた地らしい。
そういう目で見たら東北は総部落と言えるかも。
ま、自分も東北出身だけどね。
38 :
かつての受験生:03/04/02 22:29
>>1-
>>36 興味深く読ませていただきました。
で,いっそう解んなくなりました。エタ・ヒニン(変換できない・当たり前か)
って一体何なの?
古代・中世からのセンミン制度から現在も残る被差別部落にいたるまで
どなたか解りやすく教えてくれると嬉しいです。
因みに私は差別が激しいといわれる関西の阪神間で生まれ育ったのですが
いわゆる山の手育ちで同和教育に対して全くピンとこなかった人間です(鈍感かも)。
>>36 今昔物語集のエピソード 衝撃的です。財産ある乞食???
36さん始め博学な方が多いですね。自分の無学さが恥ずかしいです。
39 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/02 22:42
>38
当時(院政期)には清水寺周辺に乞食非人の類が多く居住しており、
中には非人頭とでもいうべき豪勢な暮らしぶりのものもいました。
僧が結婚した娘も乞食の頭の娘であったそうです。巻第二十九の第二
十八話は誘拐した美女をおとりに(清水界隈は女を品定めすることが
多かった地域)屋敷に入れた人を殺害していた乞食の悪行譚。
最後は涙ものの展開になっています。
40 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:10
41 :
日本@名無史さん:03/04/03 00:09
えた、ひにん、東夷
42 :
日本@名無史さん:03/04/03 01:24
世襲の非人もいたらしいよ。
43 :
日本@名無史さん:03/04/03 01:44
>>38 >古代・中世からのセンミン制度から現在も残る被差別部落にいたるまで
>どなたか解りやすく教えてくれると嬉しいです。
これを分かり易く説明するのは相当難しいと思う。
なので
>>17に貼ってあるスレで、紹介されている本を読んで。
最初に読むのは市立図書館レベルで置いてある初学者向けの本が良いと思う。
44 :
かつての受験生:03/04/03 02:16
>>43 アドバイスありがとうございます。
ところで随分以前に網野氏の著作(タイトル失念)を読んで左翼っぽいなと感じた覚えがあります。
どうなんでしょう、中世史研究や部落問題研究での学術的な意味合いでの網野氏の評価って。
今月末の人事異動で早く退勤できる部署に替わりそうなので
モリモリ読書したいと思ってます。
あと、「こいつの本は電波系だぞ」ってな要注意書籍も教えてくださると感謝。
教えて呉の助で恐縮です。
ところで皆さんドクターとかマスターの方が多いんですか。
日本史スレって本当知識豊富な方多いですよね。
45 :
日本@名無史さん:03/04/03 05:12
俺は単なる趣味人だけど
勉強になることが多いな
46 :
日本@名無史さん:03/04/03 05:18
俺の先祖は得た避妊
今風に言えば手に職を持ってるわけだから、金持ちになる事もできる。大山崎油座。
職業選択の自由なんか無い時代だし、宗教的なものだから部外者は参入できない。
ユダヤ人の金貸しみたいなもんだ。6公4民な百姓より自由かもね。
で、四民平等で既得権を失って貧乏になると。
関東にも同和予算で食ってる村とかあるけど、知ってる人は少ない。
48 :
日本@名無史さん:03/04/03 05:45
徳川も先祖はエタというかそれに近いものだったらしい。
つーか戦国武将はみんな避妊
だから下克上という
hhh
51 :
日本@名無史さん:03/04/03 06:24
学者は飢饉でも部落民の人口が減少しなかったのをどう見てるの?
野非人が増えたというだけのことだったのだろうか。
>>44 「左翼っぽい」という言葉が何を指すか分からんけど、
非常に温いナショナリストである俺が読んで「左翼臭い」と思ったことはないよ。
網野氏が部落問題を語るときには身分とか階級という側面からではなく、
職業としての側面からなので物凄く面白い。
俺は研究者じゃないので難しい階級闘争について語ってある本や、
進歩主義史観がどうのこうの言っている本は読まない。
「穢多(えた)」「非人」と言われた人たちの実態を知りたいというだけなら
網野氏の本は最適だと思う。
電波系は分からん。
面白くなかったら読まないので著者や書名も忘れてしまう。
以下オススメ網野氏の著作
『日本社会の歴史』(岩波新書) 縄文以前から現代まで通した日本社会史
『日本の歴史をよみなおす』( ちくまプリマーブックス)中世を中心にした様々な職業の人々の話
『日本の歴史01 日本とは何か』(講談社)「日本」「日本人」の誕生と日本列島に住む人々について
53 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/03 08:41
ただ網野先生の場合少し理想化しておられるようなところがありませんかね。
石井進先生や保立道久先生は慎重さに欠けるというか大胆な仮説について
批判しておられたような。引用されることが多く、それと同じくらい批判される
ることも多い方でしょう。(注:「批判」は部分的なもの)
参考文献としては「中世の民衆と芸能」と「近世の民衆と芸能」がいい。
>>53 俺は研究者じゃないので何とも言えないけど、
色々な資料から自分なりの仮説を立てるのは必要じゃないかと思う。
その仮説は批判にさらされる事で、説得力のある部分とそうでない部分がハッキリし
より磨かれたものになるんじゃないだろうか。
資料を完全に無視した仮説は聴くに耐えないけど、
資料を前提にその人の大胆な仮説は聴く人の想像力を豊かにする。
色々な立場からの仮説を聴く事で偏見と衒学から自由になると思う。
網野氏の著作を読んで興味を持ったら、違う立場から同じテーマを取り上げた人の著作を
読んでみると良いかも。
55 :
日本@名無史さん:03/04/03 09:07
「部落問題をなくすには天皇制廃止を・・・」ってスレがあるけど、
部落を制度化し定着させることで被支配民の人心のコントロールに
使ったのは徳川幕府で、天皇制のせいではないよね。
むしろ、差別されている人たちにとっての心のよりどころが
「俺たちは幕府に好きなようにされている農民と違って、天皇に
直接お仕えしているんだ」ってことだったんでしょう?
56 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/03 09:19
>54
面白いのですが、突っ込まれる姿が他より目立つということ。
>55
徳川幕府もどこまでやっていたのかという気はしますが、被差別民が
親王の末裔という伝承や土御門家のお墨付きを掲げて誇りのより所と
していたのは確か。なお被差別民同士でも差別はあり、例えばゴゼが
民間陰陽師の家に行くのを嫌がった時にはお墨付きが出されました。
57 :
日本@名無史さん:03/04/03 09:23
というか天皇もエタも どっちも半島出身者だったからだよ。
エタのかなりの部分が朝鮮出身ということは、彼ら自身の伝承でも
あった。 アイヌなどが西国に移住させられた部分も居たが。
これが単なる徳川の身分政策によるもので、もともとは同じ日本人
というのは怪童と日教組の宣伝。
>もともとは同じ日本人
「日本人は単一民族ニダ」は大日本帝国だろ…
この辺の研究が困難だったのは童話以前に国が嫌がったから。
多様な文化=多様な民族で単一民族の否定に繋がる。
59 :
日本@名無史さん:03/04/03 09:48
縄文顔の半島出身者ねぇ
60 :
日本@名無史さん:03/04/03 09:53
文化的な多様性を保ってきた伝統に,むしろ日本人は誇りをもつべきなのに
明治国家はそれを嫌がったということか.それはいえるかもね.
具体的な地名出しちゃいかんが西成区の場合たかが100年の歴史。
一体日本で一番古い部落地区はどこで何時代までさかのぼれる??
62 :
日本@名無史さん:03/04/03 10:19
63 :
日本@名無史さん:03/04/03 10:26
陵戸起源の部落ならその古墳の築造時まで遡れるんじゃない。
64 :
日本@名無史さん:03/04/03 10:28
日本史板では俘囚説は出てこないの?
65 :
日本@名無史さん:03/04/03 10:31
>>64 いわゆる別所は数多ある部落カテゴリーのひとつでしかない。
66 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:18
いまだに部落から抜け出せなくて政府から金貰ってるのは、何故?
67 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:33
>>被差別民同士でも差別はあり
エタのほうが格が上だって知り合いの人が言ってた。
エタ・非人以外にも被差別民はいるよ。
大まかには非人の部類に入るのかな??
それから、人権の本に出てくる神社に行けないっていうのも
違うよ。神社も正確には格付けがあるらしいから、天皇に近い
上位の神社は駄目なのかもしれないけど、スサノオや子安荒神
(鬼子母神?)鍛冶の神、ダキニ(?)なんかは被差別部落自身
に古い神社が存在してるし、お祭りもあると思う。
もちろん、明治時代の国家神道のときにできたお祭りもあるのかも
しれないけど。それか、後醍醐天皇が作ったのかもしれないけど。
後醍醐天皇ゆかりの神社とか・・・・
お祭りに参加できないっていうのは、農村の中に数件エタの家がある
みたいなとこじゃないかと思う。ヘンな言い方だけど、かなり古い
歴史があって規模の大きな部落には神社あると思うんだな。
それに一部の非人と寺社は関係深いでしょ。
このへん専門家じゃないからわかんないけど、どーでしょう。
>>66 そう言う話がしたいのなら、人権板に逝けよ。
69 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:42
東光寺、白山神社ですか。
70 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:43
>>66 >>部落から抜け出せなくて
部落って言うのは単なる貧困とかスラムとか低所得者を指すもの
ではないから抜け出すっていうもんでもないからだとおもう。
お祭りとか地域の文化もあるし。
でも、若い人はかなり出てると思うよ。過疎化してるのは事実でしょう。
71 :
日本@名無史さん:03/04/03 12:17
>67
明治時代に国家神道という原理主義カルトのおかげで日本文化は破壊された
ので、そのへんのことは判りにくくなってしまってるねぇ
神社には神人が付物だし、これが御師になったり散所になったり傀儡師に
なったり毛坊主になったり冠婚葬祭を全て担う本物の宗教だったからね。
(もちろん佛教や修験道と習合していたが)士農工商でも実際には武士に
頭を下げさせる商人がいたようにエタでも農民より実質的に地位が上な
場合もあった。 神社との関係もさまざまで、その神様の職分によりエタ
が本体のような神社もあったし、エタを入れない神社もあった。
個別的に述べるのは面倒くさいので略するけど、広範な信仰を獲得した
神社はエタの働きによる宣伝が大きいね。
72 :
日本@名無史さん:03/04/03 13:01
>>士農工商でも実際には武士に 頭を下げさせる商人がいたよ
うにエタでも農民より実質的に地位が上な場合もあった。
武士にも色んなランクがありますね。下級武士(今でいうところの
公務員かな?)は、生活レベルは高くないようです。(江戸の傘はり
浪人なんてよく時代劇に出てきますが・・武士は食わねど高楊枝なんて
いうのもあるし)私の住んでるとこではサラリーの代わりに荒地をもら
って開拓したり、川の治水事業を部落民とともに取り組んだりしてたそ
うです。
氾濫しやすい川岸に竹を植林し、台風時の河川の決壊を防ぐことを考
えたり。その竹を使用して、竹細工を作ったり、食用に竹の子を取っ
たりもしてたみたいですよ。
73 :
日本@名無史さん:03/04/03 13:24
>>エタでも農民より実質的に地位が上な場合
身分的には下で卑しい仕事とされていたが、実質的には
お金持ちだったエタもいたのでしょう。そういうところ
が実際は貧しい農民の妬みを買って差別を厳しくしたと
いうことはあると思います。
いわゆる宗教的には悪で卑しいのですが、人間にとっては必用
なものであるから、需要があり、お金は儲かるという仕事
かな?現代で言うと性風俗産業とかは、そうなのかな。
74 :
日本@名無史さん:03/04/03 13:28
でも吉原でエタとばれると無視されたそうじゃん。
75 :
かつての受験生:03/04/03 13:31
>>52-53 ありがとう。
週末にでも本屋か図書館行ってきます。
大学受験用の日本史は真面目に勉強したつもりでしたが
この分野を勉強することはほとんどなかったので。感謝!!
76 :
日本@名無史さん:03/04/03 14:41
77 :
日本@名無史さん:03/04/03 14:53
吉原は、おいらんさんとかは凄そうですね。
江戸時代は身分というか、職業のイメージの問題かもしれませんね。
どんな職業も社会から需要がある限りは、TOP層の人は
物質的には豊かだったのかもしれません。賎視はあっても。
79 :
日本@名無史さん:03/04/03 15:07
江戸時代は、士農工商えた・非人とピラミッド構造ができていた
そうですが、それぞれの職業や身分でもまた封建的かつ世襲的な
ピラミッド構造があったのかもしれないですね。農民なんかはそーだし。
商人や吉原の遊女なんかは比較的努力や才能で出世できたのかな?
仏教界も本山とか末寺とか封建制があったのでしょ。
80 :
日本@名無史さん:03/04/03 15:28
身分制度と物質的豊かさ(=つまりはこれを可能にする貨幣経済の発達)
が釣り合わなくなったことが封建制度崩壊へのエネルギーにつながった
って書いてる人いたけど、これは商(あきない)が卑しいとされていな
がらも、貨幣を多く持つことが即ち力をもつことだという認識になった
ときのことかな。そうすると、卑しい行為である商(あきない)に武士
は頭があがらず、ってなりうるってこと?
81 :
日本@名無史さん:03/04/03 15:38
弾左衛門は灯心の製造と商いの専売特許を持ってたみたいだけど、
そうすると、商人との違いって何なのでしょう・・・・?
82 :
日本@名無史さん:03/04/03 15:53
それなら農民との違いも疑問になるよ。
今も昔もネズミやモグラを殺したことのない農民はいないと思うが。
小動物の殺生は牛馬のそれと違って穢れはないということなのかな。
83 :
日本@名無史さん:03/04/03 16:21
>>82 積極的に殺しはしないんじゃない?
死んじゃったものの死体から皮を作るのがどうよってことじゃない。
84 :
日本@名無史さん:03/04/03 18:57
>>79 >江戸時代は、士農工商えた・非人とピラミッド構造ができていた
>そうですが、それぞれの職業や身分でもまた封建的かつ世襲的な
>ピラミッド構造があったのかもしれないですね。
非人には非人頭(ひにんがしら)がいた。
上の方でも書いたけど江戸期における非人は、
元々農民や浪人などだった人が困窮して「日雇い」になった者が多かった。
非人は非人頭から鑑札(社員証明書みたいなもの)を受け取り
仕事を斡旋してもらう代わりに「アガリ」を払った。
現代で言えば非人組織は人材派遣会社で、
非人頭は派遣会社のコーディネイター、非人は派遣社員にあたる。
江戸町奉行はこの仕組みを認める代わりに、
非人頭に非人を管理させ治安維持を図った。
非人は日雇いを続けて生活していけるようになると、
非人は商家や武家の下っ端になることもあった。
その場合は非人頭に鑑札を返して、
それ以後は無関係となった。
非人以外にも芸能関係や神人等の職業集団も同じようなシステムだった。
85 :
日本@名無史さん:03/04/03 19:00
入門書として推薦。
「身分差別社会の真実」講談社現代新書
>>80 江戸初期においては左程でもなかったみたいだけど、
戦争がなくなり平和な時期が続いて生産技術や流通システムが成熟化し
貨幣経済が浸透した17世紀後半から「金がモノを言う」ようになったみたい。
『日本の歴史17 成熟する江戸』(講談社、吉田伸之)は、
三井家の台頭や
>>84に書いたようなことについて詳しく書いてあるよ。
俺も今読んでいるけど非常に面白い。
87 :
日本@名無史さん:03/04/03 19:22
貨幣経済が浸透して「マネー イズ パワー」になると、
血統による身分的支配(まあ、武士でしょうな)という
ものの維持が形骸化され困難になってくるでしょう。
商人と武士が結託してしまうという一因でしょうね。
88 :
日本@名無史さん:03/04/03 19:43
マックスウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」
は西洋の話だけど、資本主義・貨幣経済の発展について書いてあるよ。
でも、難しすぎて意味わからん。
エタ・非人の職業は、税を物納で納めてたの?
貨幣経済が発達すると貨幣で納めてたのかな・・・?
農民は、年貢(米)ですよね。
江戸初期には、軍需産業従事者はいつ再発するやもしれぬ
戦に備えて、税は免除されてたらしいけど。
そういや、火縄銃職人って産業構造の転換を余技なくされたのでは?
火薬(硝石)の取り扱いも、東海地方に限定されたんでしょ。
>>88 エタの主な職業のひとつ、皮の加工の例で。
当時としては立派な軍需産業なわけで、物納してました。
戦国期や江戸初期には他領から城下へわざわざエタを招いたり、
他の身分のもの似たようなことを禁じたりと、軍事技術ですから囲い込もうとするわけす。
また、明治になると身分開放とともに、こういった皮加工の特権も失います。
エタのままでいいから、こういった特権を残して欲しいと訴えた元エタ身分のものもいたそうです。
地域や時代の変遷によっていろんなパターンがあると思いますが一例として。
>>88 >エタ・非人の職業は、税を物納で納めてたの?
職業によると思う。
穢多・非人といってもその仕事内容は多様で、
穢多・非人以外にも芸能や露店、行商などを仕事としていた人は
ものを作るんじゃなくてサービス業だから、
それぞれの「頭(かしら)」が責任を持って納税していた。
>農民は、年貢(米)ですよね。
そうだね。
年貢は村ごとに課されていて、その村の人が集まって
その年の各農家ごとの年貢負担を決めていた。
ただ、天災等で不作の年は自分の家が負担すべき年貢を納められなかったりする。
そういう時は同じ村の大きな農家(名主、庄屋など)から米を借りてそれを納めたり、
米を買って納めたりした。
当然、利子は付くので利子をつけて借りたものは返す。
でも、返せない場合は土地を持っていかれてしまう。
土地を失った農民は大きな農家で小作に従事したり非人となる。
名主・庄屋はこうして小作経営を行うようになったり金融業者化していった。
>>90 ちょっと訂正
>それぞれの「頭(かしら)」が責任を持って納税していた。
はそれぞれの「頭(かしら)」が責任を持ってお金で納税していた。
米でも納めていたようだ。
享保五年に幕府は「えた年貢金納令」というものを出す。
理由はエタなど被差別身分者は穢れているので、米ではいかんという。
でも二年後には撤回され、従来通り金納でも米納でも良くなった。
自ら米を作っていたエタも少なからずいたそうだが、
農村などではサービスの対価を金より米で受け取ったりしたのだろう。
ソースは「身分差別社会の真実」講談社現代新書
93 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/03 21:32
「今物語」にある下級官人が革堂で見かけた美女に声をかけたが(相手は嫌が
っているようには見えなかったのに)断られたので後をつけて行ってみると河
原者の家であったので非常に残念ではあったが諦めた、という話がありました。
94 :
日本@名無史さん:03/04/03 21:39
このネタは日本史ではある意味タブーなので、
あんまり本当の事を突き詰めようとしない方が良いかなと。
個人の人権の問題もあるしね。
95 :
日本@名無史さん:03/04/03 21:59
>>94 もう、日本にはプライバシーなんてないね。
96 :
日本@名無史さん:03/04/04 02:00
年貢払ってたんだ。
免除されてたと思ってたよ。
97 :
日本@名無史さん:03/04/04 02:54
>>88 火薬といえば、花火の火薬はどこから調達してたの?
たまやかぎやもエタだっけ?
98 :
日本@名無史さん:03/04/04 04:47
>96
年貢というより、商人が払ってた冥加金に近いかな。
収穫の何割とかいうのではなく、独占を認めてもらうための
権利金みたいなもん。 支払い先もいろいろ、公家の飯の種
でもあった。
99 :
日本@名無史さん:03/04/04 10:21
えたひにんって まともじゃない人間っていみなら天皇みたいなもんだよ。
天皇=エタ=世間の秩序の例外=朝鮮起源=在日=右翼=天皇マンセー
=金正日=土井タカコ=社会党=プロ市民=社会の寄生虫=A新聞
100 :
日本@名無史さん:03/04/04 10:23
100げっとぉ〜!
101 :
日本@名無史さん:03/04/04 10:49
>>97 戦国時代は、遠くはチリやインドから輸入してました。
102 :
日本@名無史さん:03/04/04 11:02
>>97 江戸時代、鎖国してからは尿でつくってたらしい。
103 :
日本@名無史さん:03/04/04 11:07
遊女って、貧しい家庭のオンナがする仕事だったの?
104 :
日本@名無史さん:03/04/04 11:10
私は友杉さんのスカートを盗みました。
105 :
日本@名無史さん:03/04/04 11:14
>>103 江戸時代や明治時代には そうだね。
それ以前は 必ずしもそうではない。 貧乏だから遊女になったのも
いるが、別の理由でなったのもいる。 めんどいから終り
106 :
日本@名無史さん:03/04/04 15:30
おい。“えみし”は朝廷支配各地に何人連れてこられたと思ってる。ちゃんと記録残ってるだろ。
107 :
日本@名無史さん:03/04/04 17:40
1000年ごろ、古代律令制が事実上崩壊していた時期に、川原や坂など税のかからないところに住む人たちがいました。
彼らの存在を放置しておけばますます秩序は乱れて生きます。
そこで、京都の天皇の荘園で、彼らに死体の除去や清掃などの役割を与え、社会の一部に取り込もうとしました。
そのため最初は「清め」と呼ばれていました。もともと社会のはみ出し者だった彼らは、
そのような役割を与えられて庶民の目に頻繁に留まるようになり、自分たちとは違う種類の、
接触すべからず存在だという意識が芽生えてきた。
そして、他の荘園でも河原や坂に住んでいる人々に同様の役割を与えることが広まっていった。
その後、長い時間をかけて彼らは職業で分化していった。
彼らが関西に多いこと、特定の職業についていることはそのためです。
108 :
日本@名無史さん:03/04/04 22:04
っちゅうか、
子孫が残るっちゅうこたぁ、
「つがい」になれるというワケで・・・・
>>107 じゃぁ、今リストラで溢れたモノに、
有機農業してもらったら、日本の自給率も上がり
温暖化や水問題にも貢献してもらえてエエじゃないか
109 :
日本@名無史さん:03/04/04 23:39
110 :
日本@名無史さん:03/04/05 00:12
明治時代、製紙女工にも部落の人はいなかったらしい、部落民は、女工よりもっと危険で、
重労働のいる、マッチ女工でしか、就職が認められなかったらしい
111 :
日本@名無史さん:03/04/05 00:15
>>109 マジで聞きたいです。
糾弾話とかじゃなくて。いわゆる差別ネタじゃないものを。
112 :
日本@名無史さん:03/04/05 01:38
古墳時代からのものが律令性で固定された。それが基本になっている。
こう考えるのは起源を古くしすぎ?
113 :
日本@名無史さん:03/04/05 01:41
埴輪も死の穢れ??
114 :
日本@名無史さん:03/04/05 03:00
>>112 律令により固定されたというより、律令に関わり無く長く続いて
きた社会の基本的仕組みでしょ
無税の川原に棲みついたとかいう起源の集団はじつは少数者。
差別の起源を偶発的なもの、新しいものにしようという勢力の
宣伝で取り上げられているだけ。
古墳時代どころかもっと古い職能集団が起源のものも多いでしょ
115 :
日本@名無史さん:03/04/05 04:52
>114
中国史料だと毛人は倭人と別国・別人種扱いだけど、この毛人と倭人の
支配関係が起源かね。渡来人による先住民の弾圧。
宋書倭国伝 倭王武の上表文
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、
渡りて海北を平らぐること九十五国」
116 :
日本@名無史さん:03/04/05 06:01
そういうのではなくて製鉄民とか土師とかいった特技をもった集団が
一般的な農民から区別されていたというだけではないの。もともとは
差別というより畏れられてたんじゃないかな。 普通のリーマンが
エンジニアに対するような気持ちだったような気がする。
倭人・毛人・東鯷人とかいう区別の中に夫々こういった職能集団は
いたろうし、その中核をなす人々の起源は問題ではなかったのでは。
技術があればチョパ〜リでもチョンでもチュンでも、鉄を造れれば
OKみたいなもんでしょ
117 :
日本@名無史さん:03/04/05 06:51
意見がバラバラで全然統一されてねーな。
中国や朝鮮の差別制度と似たような起源なんじゃないのか。
118 :
日本@名無史さん:03/04/05 07:55
中国はでかすぎるし、民族の出入り混合も桁違いだから
日本や朝鮮とは直接比較できないんじゃないかな。
朝鮮の賎民については、まだよく判ってないんじゃないの。
白丁とか火田民とか日本の植民地時代に少し研究されたけど、
(韓国の文献を調べたわけではないが)戦後になっても
韓国ではまともに研究されてないんじゃないの。 士大夫
(両班)さまの研究するものではないから。近頃まねごと
みたいな研究はあるけど(どこの真似かは言うまでもないよね)
これは本家の社会学の方法論や史観に基づいているんだから、
どことなく似てるように見える。 でもね、個人的意見だけど
日本の社会と韓国(朝鮮)の社会は、社会構造・差別制度など
根本から違ったものだとおもうよ。
119 :
日本@名無史さん:03/04/05 08:41
今で言えば珍走団や遊び人プーを村八分にして蔑視するみたいなもんか?
>>119 江戸時代の無宿人を取り締まって非人頭の配下にするというような例に当てはまるかも知れんが・・
俘囚説 =在日外国人を住居を制限して3K労働のみで働かせる
特殊職能民=町金とか風俗で儲けまくってる奴を普通のサラリーマンが差別する
まあ、無理に例えるとこういう感じにもなるかと。
121 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/05 09:40
>119
生活に必要とされていたのが大きな違いです。それに差別というものに
は畏怖の念がつきものですが、彼らにはそれは湧かないでしょう。
そもそも差別と軽蔑は別のもの。
工との区別が付きにくいのですが?エタヒニンは工と変わらないような
人間も多いということですか
123 :
日本@名無史さん:03/04/05 09:55
じゃあ今で言う闇金業者やパチプロ、風俗経営者みたいな奴らか。一応畏怖されてるだろ。
(俗に親が子供に「将来ああなってはいけません!」って諭す職業ね)
江戸以前は差別されながらも儲かっていたのに、明治になって納税制度が
変わって急に貧乏になったとか。
124 :
日本@名無史さん:03/04/05 09:56
あとホスト、風俗嬢も追加ね。
なるほど部落民とかはもともとは特権階級だったから江戸や明治には
嫌われていたわけなんですね、でも今も国から金貰ってる特権階級だから
差別は無くならないんですね。
関東育ちなので、部落差別なんて小説のネタだとしか感じないのですが
126 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/05 10:12
「天狗草子」などには餌取(エトリ)が天狗の弱点と記されているので
そういったものに対処する「能力」もあるとみられたようです。
>123
それもまた違うような。ケガレに関る特殊技能で生きて居ましたし、なに
よりザンバラ髪という外見が異様な印象を与えていた。
中世に冠を被らず、髪も結わなかったのは被差別民や坊主など一部の「特
別な」人間だけ。近世なら髪を結わなかった者たち。
勝海舟も「(散切り頭の)薩長の連中はごみ拾いのように見えた。」と記
しています。
絵画史料を見てみると妖怪というものは中世からほとんど髪を結っていな
いんですね。○○坊主や○○女が多いのもそのためでしょう。
当時の人々はエタの姿=化け物じみたものと考えていたはず。そしてだか
らこそ天狗にも対抗出来た。
127 :
日本@名無史さん:03/04/05 10:33
>>123 納税制度というより、生業に関するある意味特権を失ったからでは?
制度的にも、またケガレ意識の変化の上でも、他からの参入が容易になった。
でも、所謂、部落出身者は差別により他の業種へはなかなか出て行けない。
まあ、こう綺麗な言い方で全てを説明できる問題でも無いんだが・・
128 :
日本@名無史さん:03/04/05 11:06
>125
関東でも街道筋をよく見ると発見できるよ。
日光街道の周辺なんかは、まだわかり易いね。
129 :
日本@名無史さん:03/04/05 11:47
明治になっての困窮化は江戸時代からの職業システムの崩壊と
穢れ意識からくる差別からの就職の困難→貧困・スラム化かな。。。
それと、不況が問題だと思う。
基本的に田畑を持たないから、自給もできないし。
不況期に零細農民や部落民の生活を明治・大正時代の政府は救えなかった。
(一説によると、明治維新にも部落民は関与していて、平等を夢に維新に
協力したのだけど、明治になって政府はうまく実現できなかったので
反乱をおそれて移民として棄民したりしてたみたい)
130 :
日本@名無史さん:03/04/05 11:52
しかしユダヤ陰謀論ならぬ部落陰謀論も出てきそうだな。
>糾弾話とかじゃなくて。いわゆる差別ネタじゃないものを。
どこまでが差別ネタなのか、人権版向きなのか、線引きが難しいですが、
当地の現状です。
まずいだろと思ったら誰か止めてください。逃げます。
当地では、みなさん普通の職業についてらっしゃいます。
大企業や役場には、部落出身者の方を優先的に受け入れる枠があるのだそうです。
当地にも「隣保館」があります。これは設備の良い集会所みたいなものです。
これは差別撤廃のための役所の取り組みの一環として組まれた予算の中で作られたと
聞いています。普通に地区の集会所として利用できますが、現実には利用しにくい
雰囲気があります。
ほとんどの家の玄関には「身元調査お断り」のステッカーが貼ってあります。
貼らないといけないような雰囲気があるので貼ってる人が多いようですが、
我が家は張っておりません。
中学校では「差別は江戸幕府の政策」と再三にわたって教わりました。
中学・高校では差別撤廃をテーマにした映画の上映が2年に1回くらいありました。
後になって、要請がなければ差別問題にそんなに授業時間を割きたくはなかったのだと
聞かされました。
日本中でこの程度の差別関連の授業が行われているのだと信じておりましたが
少数派だと知ったのは最近でございます・・・。
とりあえずこんなとこで。
132 :
日本@名無史さん:03/04/05 13:24
何故、差別と言われるのか?確かに、技能集団で有る事は
分かります。それが何故差別につなっがたのでしょうか?
お隣の半島では、職人=卑しい者とされていますが、技能集団
が卑しくて、差別されているのでしたら、日本の職人文化と言う
物がどうして生まれたの?
>>132 ケガレに関する職に従事するものが差別された、
あるいは、ケガレに関する職を被差別者に従事させたということで、
職人自体が差別されていたわけではない。
134 :
日本@名無史さん:03/04/05 14:06
>>133 よく分かりませんが。穢れを被差別者に従事させた
処で、何故=差別に繋がるのか?穢れの職業と言えど
無くてはならない仕事の筈。表では、穢れと言う事で
差別されても、裏では感謝されている筈だが。
>>134 裏で感謝されても表で差別してたら、それは差別だろう。
当時にあって差別することとは、社会的に批判されることではなく、
むしろ制度であり推奨されるべき社会規範だったわけで。
136 :
日本@名無史さん:03/04/05 14:46
穢れは古代では畏敬と感謝の念をもたらす職業集団。
死牛馬処理とかね。
ところが、
鎌倉中期以降、産業文化の発達で、合理的精神が庶民に広まってきた。
「穢れって汚れた仕事だ」と差別意識が出てきた。
鎌倉新仏教はそのような差別と戦い、思想的緊張感があった。
中世自治の村では、各村の農民自身が本村と被差別枝村をわけた。
生活レベルに差があったわけではない。職能穢れ差別かな。
秀吉の検地帳では、同じ帳面に「カワタ」と記載された。
江戸時代から、帳面が別になり、差別化が進み、
江戸中期から、差別化政策が取られた。
137 :
日本@名無史さん:03/04/05 14:49
明治になり、死牛馬処理とかの特権が失われ、資本が入ってきた。
日清日露で大資本が軍需として革製品に入ってきて、壊滅的打撃。
水平社発足のきっかけはこんなところかも。
>114
>古墳時代どころかもっと古い職能集団が起源のものも多いでしょ
つまりそれぞれの職能集団が、個別に差別され、それが後の被差別部落につながるということですか。
ある職業が差別され、ある職業が差別されない基準は何ですか。
>差別の起源を偶発的なもの、新しいものにしようという勢力の宣伝で取り上げられているだけ。
むしろ通説では江戸時代起源説が強かったのですから、1000年ごろに起源を持ってくるのは
通説より古くなるわけでして、政治宣伝というのは変ですね。
139 :
日本@名無史さん:03/04/05 18:17
明治時代も幸徳秋水の平民社とかは、部落問題を取り上げてたらしいよ。
ただ、日露戦争への反戦、大逆事件などで潰されたらしい。
困窮した人々はロシア革命の影響を強く受け、マルクス主義、共産主義に
傾いた。共産主義者の活動が活発になるなかで、政府は困窮者の一部を
金で雇い、金で動く右翼を作った。そうして、反共政策に利用したらしい。
実際、殺害されたのはアカ。まっこのころの共産主義者は暴力革命とかも
いってたし、現政権転覆の恐れがあるから危険視されてたのは事実だけど。
天皇も殺そうとしてたからね。
140 :
日本@名無史さん:03/04/05 18:25
穢れは現代の感覚では理解しずらいんじゃないかな。
途上国に行くと例えば写真を撮られることを非常に嫌がる。
なんでかというと、魂を抜かれてしまうかららしいよ。
無理やり撮影すると逆上されたりする。観光客が襲われたり
してたじゃん。「カメラ」が彼らにとってはありえないほど
恐ろしいんだろう。
昔の日本人も「死」や「死体」に対する「薄気味悪さ」とか「霊」の
観念が今と違ってただならぬほど強烈だったんでしょう。
141 :
日本@名無史さん:03/04/05 19:27
じゃあ河原に住んでいた人や芸能関係者も差別されていたのはなぜ?
死体処理兼革職人とは関係ないじゃん。
142 :
日本@名無史さん:03/04/05 20:09
まずはじめに河原や坂などの無税の地に住んでいた人たちがいて、
彼らは社会秩序の外にいた。彼らを社会に取り込むために、
死体処理や清掃の仕事を与えた。こうして庶民が彼らの姿を見ながら、
社会の隅っこにいる存在だと思い、差別意識を持ち始めた。
これが最初に起こったのが1000年ごろの京都の天皇の荘園で、
だんだんそれが他の荘園に広まっていった。
そして彼らは徐々に職業分化していった。
143 :
日本@名無史さん:03/04/05 20:38
桓武天皇が東征したときの戦争捕虜。
戦争捕虜を王族の奴隷とするのは東アジアの伝統。
死体・汚物処理などの「穢れ」とされた仕事を与えられた。
仏教思想の不可触選民として位置づけられた。当時の呼び名は「らんそう」。
権威主義の塊であった空海も人間以下の存在として蔑んでいた。
公式文書には登場しないこれらの人々を初めて正式に制度化したのが徳川氏で、
以降連綿と続いている日本史の闇。
144 :
日本@名無史さん:03/04/05 20:59
>>143 俘囚説は、今は、否定されてるのでは。
中世発生説で良いのかと。
145 :
日本@名無史さん:03/04/05 21:08
>143
>王族の奴隷
普通、奴隷とは売買されるものなんですけど、彼らは売買されなかったんですか。
また、奴隷なら当然いつも使用人の近くに住んでいるわけですが、
「不可触選民として位置づけられた」のであれば、
辺境の地に住んでいないといけないのですが、矛盾しませんか。
146 :
日本@名無史さん:03/04/05 21:12
中世日本において
農民=堅気のサラリーマン(もしくは公務員)、きちんと定住してるし
納税(年貢)も納めてるもんね。
それ以外=なんか、いかがわしそう・・・
みたいなイメージじゃないの?
それと主食穀物を作る農民は、やはり大切にされてたからじゃ?
まっ、殺さず生かさずだろうけど。
農民以外の仕事をさけずませる事で、労働意欲とかを煽ってた
のはあるかも。
>>143 キミみたいな電波厨房がいると日本史板のレベルが下がって困る。
頼むから人権板に帰ってくれ。
148 :
日本@名無史さん:03/04/05 21:28
定住農耕民と、それに依拠する支配者以外の、
ソフトウェアを多く抱えた多能な人々ってことで良い??
とすると、これからの日本では大きく活かされるのかな?
149 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/05 22:00
>146
ちょっと近いかも。それ以外はそのまま旅芸人や行商人(今では珍しい)に
喩えていいでしょう。中世に商人といえば普通連雀などの行商人のことで、
定住していれば町人と呼ばれた。
ケガレと関係なくても共同体の外から来ればそりゃあ胡散臭い。
150 :
日本@名無史さん:03/04/05 22:22
漂泊民=賤民という図式を誤って定着させたという点では
網野善彦の罪は重いな。
網野自身はそういうつもりはなかったのかもしれないが。
そもそも定住しているからこそ、被差別部落民なのであって、
純粋な漂泊民は一般的な差別などとはまったく次元の違う存在だろ。
151 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/05 22:28
>150
まあ確かに「塵袋」に「商人=エタのような悪人」とある以上違いますね。
何時の間にか話が部落からずれていた。
152 :
日本@名無史さん:03/04/05 22:40
集村形態である惣村が形成されるまでは農夫とはいえ、
必ずしも定住生活を送ってはいなかったし、
近代においても木地師のような山人が農繁期に援農という形で
農作業に従事していた事例もある。
また、江戸時代以降に活発になった開拓事業によって開けた
新開地の新百姓が“四つ”として差別された事例もある。
この場合は小規模の散村型定住農で神事も行われない
きわめて近代的な農業である。
そしてその成員も卒族(足軽身分)から平民といった具合である。
ご当地の古老に聞き取り調査をした所、リストラされたんだそうだ。
入植したのは天保年間で人返し令が発布された時期かな。
153 :
日本@名無史さん:03/04/05 23:08
江戸時代、弾家のエタは長吏を名乗っていた。
弾左衛門は長吏頭。しかし幕府の文書では穢多・穢多頭。
北条の頃なら小田原の長吏頭、太郎左衛門が代表格。
戦国時代長吏は厚遇されていた。
長吏の元は寺社の役職。
江戸時代でも旦那場、勧進場という縄張りを認め捕方まで勤めた。
弾家の長吏は非人を支配下におき番太を引き連れて。
賎視と権力(警察権)財力という複雑な対立を造り農民、町人の
「やっかみ」をこれらの階層に向けさせた。
弾家の小頭クラスは実態は富農と変わらない。
足利や佐野の小頭は中田以上で十町歩以上持ってた。
関東では強大な弾家支配により解りづらいだけ。
154 :
日本@名無史さん:03/04/05 23:15
なんかスレの最初の頃と違い、議論のレベルが上がってきたな。
>>152>>153 あんた、素人じゃないな(w。ニヤニヤ
ハンセン病患者やサンカも語ってやれよ
断片的な文献の発表会で、とても議論とは思えないんだけど。
てか、>1は知りたいことと違うカキコばっかりで困っていると思うぞ。
157 :
日本@名無史さん:03/04/06 00:54
非差別部落社会では、かつて、自分の娘をゆき倒れた人や旅人の世話をさせて、
その人と交わらせた(同じ部落内だと血が濃くなるのので)という歴史がある
と物の本で読んだ事がありますが本当ですか、
だれか教えて下さい
158 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:03
『耳嚢』にもあったなそんな話。
159 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:21
>158さん
このことをなんていうんですか
160 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:22
161 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:25
>160
こういう行為を『みみぶくろ』というんですか?
162 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:27
江戸時代の怪談・奇談・事件などを書いた本の名前。
163 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:29
「エタ」と「長吏」って厳密には違うんじゃないですか?
164 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:29
おまえ,「みみぶくろ」も知らないのかよ.
165 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:41
八切止夫のいってることは正しいのだろうか?
昔、アマチュアの歴史家を名乗る男性が、実家近辺を
よく散策したり、墓石なんかを丹念に調べ上げてた
そうだが、関係者だったらどうしよう。もしかして
本人だったりして。。。
166 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:41
行き倒れや旅人の介抱というのは善根宿だろう。
疫病あるいは失火によって一般部落内から村八分になって
村落外に弾き出された被差別家が聖(ひじり)と見なされていた
行き倒れや旅人(この場合はまれびとかな)の面倒を見て功徳を積む、と。
これに源氏や南朝の御落胤伝説がミックスしている感じだな。
まぁ、未開部族社会でも同様のケースはあるのだが、
この場合は遺伝的な事情によるのではなく、異人王信仰による招請婚で
部族長の妻子あるいは巫女がその任にあたった。
167 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:45
>>163 「穢多」や「皮多」は穢多以外の者から名付けた僭称。「長吏」とは、
穢多頭「矢野弾左衛門」による自称。要するに穢多が自分自身を「長吏」
と呼んだということ。
168 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:53
多分、職業の種類は多種多様だよね。
ひとくくりに、エタ・非人っていえない・・・
169 :
日本@名無史さん:03/04/06 01:56
良スレ上げ
170 :
日本@名無史さん:03/04/06 02:02
>>167 「武蔵国風土記稿」なんか見ると、
「長吏○軒」とかいう記述が確かにある。
「自称」とは決めつけられない。
あきらかに「穢多」とは別個に「長吏」という身分が存在したのでは?
171 :
日本@名無史さん:03/04/06 02:47
>>170 穢多⊃長吏。穢多にも色んな職種があった。密偵、関所、刑場の管理は(自称)
「長吏」が行った。これも穢多身分。京都や関西あたりでは、斬首刑の首打ち
人も穢多(長吏)のお仕事。(江戸では首打ちは同心=足軽身分のお仕事。)
死馬や死牛の解体・皮剥ぎや皮革製造業も穢多(皮多)のお仕事。ただし、
関東では穢多頭・矢野弾左衛門の支配下に非人頭・車善七が入るだけで、
穢多と非人は別身分。一般人でも罪を受けて非人に落とされた。しかし、
穢多は由緒正しい、親子代々不動の身分。成りたくても成れる物ではない。
172 :
日本@名無史さん:03/04/06 02:52
えたとひにんって二系統ですよね。皆さんの解説が一系統なのが解せません。
>僭称
(p
>172
穢多:中世以来の河原者、屠者。
非人:平人からの転落者、乞食など社会からの没落者。
平人身分に戻ることが出来る。
174 :
日本@名無史さん:03/04/06 04:22
というより、もっと多元的なものでないの。 徳川幕府の基本的な
士農工商という枠組みに外れたものを言ってるんでしょ
室町時代やそれ以前の身分制度はもっと多様だし、起源の問題は
そういった非主流派はどういうものか、どのようにして生じたか
と考えれば、アプリオリに二系統あったと考えるのは間違い。
穢多非人と単純にわけて考えるのは、教科書に毒されすぎ。
175 :
日本@名無史さん:03/04/06 04:48
非人頭 車善七が穢多頭 矢野弾左衛門の支配を受けていたという事
は、非人は穢多の下に置かれて更に差別されていたということかな?
ちなみに167の「僭称」は「賤称」のあやまり。
「穢多」
中世・近世の賤民身分の一階層。
農業などのほかに牛馬の死体処理・皮革業などに従事。罪人
の逮捕・処刑・見張りなど末端の警察業務にも使役させられた。
「かわた(皮多)」,「ちゃせん(茶筅,茶筌)」,「鉢屋」,「ささら(簓)」,
「かわや(皮屋,革屋)」,「さるかわ(猿皮)」,「しらびょうし(白拍子)」
などとも呼ばれる。穢多は代々のものであるが、非人は一代限り
とされ身分は穢多の下に置かれた。穢多の下の身分を作ることに
より、巧みに不満の捌け口が作られていた。
非人が一代限りなら、非人の子供はいったいどうなるんだろう?親の
元の身分に戻るのかな?
176 :
日本@名無史さん:03/04/06 08:26
歌舞伎役者も身分的には穢多だったのか?
177 :
日本@名無史さん:03/04/06 08:43
上に誰かが書いてる教条的な意味での穢多ではないが、
人外の人という広義の意味では穢多だよ。
いかに教科書的解釈が、現実の複雑な社会関係から遊離しているか
よくわかる質問ですね。 一代限りのはずの非人の子供はどうなる
のかというのも、教科書を鵜呑みすると困るという見本ですね。
178 :
日本@名無史さん:03/04/06 09:57
先祖がキリシタンだった人たち、つまり転んだキリシタンも
宗門人別制度の中では、「穢多・非人」の中に入れられた。
明治時代の始めに、それが忘れられていたから、「穢多・非人」
がキリシタンになったと誤解され、廃仏毀釈が消えた、大東亜戦争
が終わった後、キリスト教ブームを消そうとして、仏教の側が
かなりおかしな噂を流した。
70歳以上の人なら、知ってる人が多い。
あぼーん
180 :
日本@名無史さん:03/04/06 10:36
>>非人が一代限りなら
実際は世襲もあったし。
単なる失業者は一代限りだったのかもしれないけど。
無宿者とかいうやつ??
181 :
日本@名無史さん:03/04/06 10:48
やっぱ、、「穢多・非人」は大まかな総称であって
実際は職業とか成り立ち、各藩の扱いによって事細かに
違うのでしょう・・・・
182 :
日本@名無史さん:03/04/06 10:57
江戸時代は、藩ごとに法律が違うのだから、
地方によって扱いが違うのではないですか?
江戸なんて地方からの出稼ぎ人がいっぱいいたらしーし。
あぼーん
184 :
日本@名無史さん:03/04/06 11:11
「サンカ」について教えてください
185 :
日本@名無史さん:03/04/06 11:19
186 :
日本@名無史さん:03/04/06 11:37
「忍者」の起源について知ってる方いたら教えてください。
187 :
日本@名無史さん:03/04/06 11:38
188 :
日本@名無史さん:03/04/06 12:40
>>1 思い込み厨の伊達遠江守家中よりは、立派な人たちだと思う。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
193 :
日本@名無史さん:03/04/06 12:52
>>27 東北にも部落の様な地域があったようです。私は東北人ですが、親から聞きました。
194 :
日本@名無史さん:03/04/06 14:47
>>1 >>確か、犯罪者をえた・ひにん、扱いしたと習った
それは、ネタでは?
195 :
日本@名無史さん:03/04/06 15:00
思い込み厨・・・・・
196 :
日本@名無史さん:03/04/06 15:00
犯罪を犯した人間がエタ・ヒニン身分に落とされた事例は
古文書で山ほど目にしているけど?
197 :
日本@名無史さん:03/04/06 15:52
山窩
さんか
日本の山間部を生活の基盤とした,漂泊性の強い少数集団であったが,第2次
大戦あたりを境にして不明となった。サンカは散家,山稼,山家などとも書か
れてきたが,民間ではポン,ノアイ,オゲ,ヤマモンなどと呼んでおり,とく
に平地の住民からは異端的に見られていた。その生活の実体は十分につかめて
はいないが,現在までによるべき民俗学的研究は,柳田国男《“イタカ”及び
“サンカ”》(《人類学雑誌》第27巻第6号,第8号,第28巻第2号。《定本柳田
国男集》第4巻所収,1967),後藤興善《又鬼と山窩》(1940),三角寛《サンカの
社会》(1965)などであろう。その種族的系統については,渡来人説や落人(おち
うど)説,中世の傀儡(くぐつ)の後裔説などがあり一定していない。生産技術
や社会関係,信仰といった生活様式が平地民とやや異なるために,そのいくつ
かの要素には注目すべきものがある。まず住居は山では洞窟に住み,移動のと
きには小屋とかテントを張って家族単位に生活し,その住居をセブリと呼んで
いた。言葉のいくつかは集団固有のものを用い,それを兵庫県地方ではサンシ
ョコトバといっていた。サンショとは中世の散所(さんじよ)にあたり,芸能や
宗教などにたずさわった者と根をひとつにすると推定されている。生産物とし
ては細工物が多く,箕,籠,簑や笠,下駄などを作り,里におりては食料その
他と交換した。移動には冬は南の暖かいところ,夏は北の涼しいところに居を
かまえたといい,川漁にたずさわる集団も多かったようである。なかには九州
のミツクリカンジン(箕作勧進)のように,戸籍を持たぬ者が多く,集団から脱
落して平地におりた者がはじめて戸籍を持った例もある。集団ごとに統一的組
織があって,頭目とか親分のようなリーダーが統率し,掟も強固であったよう
で,それが平地の人間に奇異な印象を与えた。平地の者と交渉するのは,物々
交換のときや病人の出たときなどで,継続的に深い交際を持つことはなかった。
198 :
日本@名無史さん:03/04/06 15:53
さんか(続き)
第2次大戦後に急に姿を消したのは,日本経済の工業化にともなって彼らの
生産物の需要が減少したことと,山間部の開発が進んだためらしい。
しかし今日にいたるまで山窩の生活の本拠であった山間に,その墓場らしいも
のも見いだされておらず,また宗教的施設も確認されていないが,中国地方の
山地のように,箕作(みつくり)の末裔と称する者が墓に石塔を立てないで,
平たい石を1枚ほど置くのみという伝承もあるので,平地の生活に混入した
山窩の文化要素の追究は可能であろう。また医療にしたがう人のなかには,
山窩に請われて病人を助けた経験や伝承を持つ者もあり,その結果として
山の幸を恵んでもらったとか,医術が急に上達して名医になったとかの話
もあるので,異郷人としての山窩を通して,日本人の異人観をさぐるいと
ぐちとなりうる。
199 :
日本@名無史さん:03/04/06 15:54
犯罪を犯してなくてもエタ.ヒニンだった人たちはどういう人たちなのかが本題。
200 :
日本@名無史さん:03/04/06 16:13
埴輪作りも死の穢れ?
古墳作りやミイラ作りも・・・?
エジプトでもそーなの??
>>197-8 第二次大戦末期、政府(というより軍の意向で)がさんかの定住政策を行って、
さんかは消滅しました。さんかを徴兵や勤労動員させるためには、定住させて
戸籍を持たせないとどうにもならないからね。
私の祖母は信州の山村出身ですが、子供の頃は隣家に年に一度さんかが
やってきて、薬草・れいし・熊の肝などの漢方薬原料と米を交換していた
そうです。
202 :
日本@名無史さん:03/04/06 19:04
つーか、サンカってまともな歴史学では存在否定されてるんだけど。
部落史でも荒井貢次郎だったかな、大御所が一部民俗学や三角寛の著作を
徹底批判する論文を書いてる。
>>200 エジプトに「穢れ」の観念あったのかな?
中国や朝鮮半島では漁民に対する賎視があったみたいだね。
中国では商人も賎視の対象だったかな。
朝鮮半島でも商人は賎視されたのだろうか?
204 :
日本@名無史さん:03/04/06 20:37
>203
その賎視は穢れの観念とつながり、差別の対象となるものだったんですか。
205 :
日本@名無史さん:03/04/06 21:40
基本的に外科医は世界共通で昔は身分低いからね。今はエリートだが。
内科医は違うみたいだけど。
206 :
日本@名無史さん:03/04/06 22:01
>>203 商いが賎なるか否かでその国の文化は大きく違うらしいね。
207 :
日本@名無史さん:03/04/06 22:07
>>エジプトに「穢れ」の観念あったのかな?
よく、わかんない・・・・けど、ミイラ職人はどういう地位
なのだろう?賎民はいたみたいだよ。
208 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/06 22:55
>207
けして低くは無かったはずですが。しかし「ケガレ」という概念を世界的に
広げようとすると無理が生じて来るので拡散しないうちに止めておいたほう
がいいかと。
209 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/06 22:55
勿論、ミイラ職人といってもピンからキリまで居ました。
210 :
日本@名無史さん:03/04/06 22:57
旧約聖書にはあるよ。「ケガレ」・・・
211 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/06 23:08
>210
厄というか似た概念ならいくらでもありますよ。キリスト教圏でも例え
ば男子なら誕生から30日後に、女子なら60日後に教会に連れて行か
れた。しかし○○(あちらの用語)=(日本の)ケガレかといえばそれ
は違う。言葉が違えば概念も違う。
そもそも日本国内の概念ですら地域と時代によって変化しているのに、
それを諸外国にまで当て嵌めようとするのは無謀というものです。
結局のところ日本人の考えている通りの「ケガレ」はケガレという単語
(を使用してきた文化圏)にしかありません。
( ;‘e‘)<ふぬ
213 :
日本@名無史さん:03/04/07 14:54
私の地元(広島県沿岸部)では部落民のことを「ヨツ」と呼んでいます。
子供の頃に両親、祖母から教わった部落民に関する情報。
・部落民に向かって「ヨツ」と呼んではいけない。
集団で襲ってきて家族全員半殺しにされるそうです。
・どこから来たのかわからない人間。
確かに日本人でないような顔の特徴です。
・生業は漁業。
・町が部落民用に格安の団地を提供しています。
家賃はひと月で2千円くらいだったような・・・。
214 :
日本@名無史さん:03/04/07 16:01
>213
大阪でもヨツと呼ぶ人が多いですね。
>・どこから来たのかわからない人間。確かに日本人でないような顔の特徴です。
日本人ですよ。私は中世起源説を信じています。過去レスにあったと思います。
>町が部落民用に格安の団地を提供しています。
部落民は差別され、貧困者が多いのですが、現金を支給するわけにもいかないので、
生活にかかる費用の一部を自治体や政府が負担し、部落民の経済的負担を少なくしているのです。
これについては、逆差別であるとの批判が強いです。
215 :
日本@名無史さん:03/04/07 16:18
維新後やその後の恐慌時に貧困者は救えなかったのか?救わなかったのか?
救おうという運動は、潰されてしまう。
戦争と関連が深いのか?満州国も?
そうしたら、もう日本のみの問題でもないのか?
国際的軍需産業の債務消化のためか?そこまでくると陰謀論?
216 :
日本@名無史さん:03/04/07 17:53
不況の際に困窮者を救わず、戦争に利用したのか?
戦争はなぜおこったの?
なんか話を別方向へもってこうとしている香具師がいるぞw
>救おうという運動は、潰されてしまう。
ガイシュツの中に「人夫頭」があったと思うんだが、それは現在では土木会社として
残っている。
公共事業では、そういった会社はものすごいゴリ押しをして仕事を受注しちゃう。
そういった会社の社長=地区の部落の権力者なんだから、
自分たちの飯の種である部落を無くすわけがない。
>逆差別であるとの批判が強い
実際にその予算を配分している役場の職員と話をしてみればよい。
役所は「出せ」と要求されたものを出しているだけです。
江戸時代、明治時代に関しては、どのような人々で、どのような生活や生業だったのかは、学術的には明らかなの?
賎業とされたものは、江戸時代にいろいろあったのに、何でこの二つだけが現在でも語られるの。
茶せんとかあったかな・・・
非人頭の支配下だったんでないの?
(ひにんが変換できないことに気づいたよ)
ここも人権板化してきたな
>>221 218みたいに直ぐ釣られる厨がいるからね。
223 :
日本@名無史さん:03/04/08 17:42
>219
>賎業とされたものは、江戸時代にいろいろあったのに、何でこの二つだけが現在でも語られるの
この二つって何の事言ってるんですか。
224 :
日本@名無史さん:03/04/08 18:24
>>217 んでも、明治・大正・昭和が重要だと思うのよね。
225 :
日本@名無史さん:03/04/08 18:27
騎馬民族が征服したときの土着民の末裔でないの?
226 :
日本@名無史さん:03/04/08 18:27
大政奉還して江戸時代が終わってもう100年以上経ってるし。
明治・大正・昭和の時代でしょ。問題は。
227 :
日本@名無史さん:03/04/08 18:33
明治・大正・昭和と戦争だよ。
228 :
日本@名無史さん:03/04/08 19:05
えた・ひんに を日本史板で語る場合に、どうして近代が重要なのよ?
229 :
日本@名無史さん:03/04/08 19:08
まあ、人権板みたいに憎悪むき出しでなければなんでもいいよ。
変に天皇制と絡めるのだけはやめようぜ。
>>229 起源を何処かにするか意見の分かれるところだろうが、
何故天皇制と絡めてはいけないんだ?
誰かを煽ってるの?
>>224 >明治・大正・昭和が重要
現在における様々な同和問題にとってその時代が重要といってるのなら、
人権板に逝くべし。
部落を日本史的観点から、考察するのにその時代が重要なかぎをにぎって
いるというのなら、わかるが。。。
しかし明治以降の部落の歴史については、かなりの資料がそろっており
今更ここで、討論するような不明確な部分は少ないんじゃないの。
ここは、日本史学問板なのだから、社会問題を討論する場じゃないよ。
232 :
日本@名無史さん:03/04/08 19:17
そーだね、社会問題としてじゃないなら。スまぬ。
233 :
日本@名無史さん:03/04/08 19:17
>>230 それ専用のスレがあるからだよ。
何もこのスレでも同じことをやらなくてもいいじゃん。
234 :
日本@名無史さん:03/04/08 19:18
おいらは、東北の出身だが、高校時代、別に差別とかはなかったけど、
クラスメートの一人を「○×部落」と言って何かとからかう奴がいた(当人達
非常に仲が良かったので、じゃれてたんだろう…)が、後でからかってた奴自身が
在日朝鮮人と判明。
進学校だったし、僕の育った町自体、差別意識が薄い(東北全体も?)ところ
だったので、何とも思わず、普通に付き合ってたけど、今思うと、在日くん
にしてみれば、被差別民同士で、仲間意識あったのかな…
>>230 229は
ウヨ、サヨ、天皇厨が騒ぐとスレが荒れるから、警戒してるんだろう。
天皇制を語ってはいけないと言ってるのでなく、変に絡めてはいけない
といってるんだぜ。
せっかくの良スレなんだから、もちついていこう。
>>234 だから、そういうこと語るスレは人権板にあるってw
237 :
日本@名無史さん:03/04/08 19:29
んでは、もちついて・・・・・
部落は城の近く(おそらく、武具や馬具の需要のため?)にあるのですが
城に対して某方角(東西南北のいずれかです)にあることが
2chを見ていて気づいたのですが、何か風水学とか陰陽とか
の影響を受けてるのでしょうか?
238 :
日本@名無史さん:03/04/08 19:45
楽市楽座は関係あるの?
239 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:05
差別用語を並べるスレッドはやめてください。
240 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:07
>>237 それは無いとおもう。 街道に沿ってある種類の部落が多いから
街道の分布と相関がある。 ひょっとして江戸しか見ていないの
じゃないの。 あと処刑場の傍にあった職業の部落や革製品を
つくる職業とか焼き場の分布を調べてみましょう。
すぐに単純な風水や陰陽道の法則に当てはまらないことがわかり
ますよ。
241 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:18
>239
穢多・非人は「差別」用語ではないよ。 単なる歴史上の用語。
それを差別用語にしたのは、それを差別と騒ぐことにより利益を
得るプロ市民・似非左翼と特権を拡大したい一部の特権被差別者。
実は大部分の新平民は溶け込んで消えてしまってるよ、とくに
流動の激しい都市部では。 日本史板では某板のように政治的
用語ではないとおもうよ、全体の流れとしては。 まあ一部
政治的・教条的な人がいるけどあんまり相手にされてないでしょ
242 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:26
とはいえ、歴史を語るとき以外は使わないほうがいいよ。
ここは歴史を語るスレだから別にいいんだけど。
243 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:28
>>240 そうなのですか・・・・
どうもです。
農民以外の商工サービス業ですね。
244 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:29
本人が一時的にというのは宮家だけでなく皇位にも例があるのでOKでしょう。
ただし、臣籍などに下ってその子供や孫となると、よほどの特殊事情がないと
難しいと見るべきでしょう。
このスレの結論としては、現実的問題として、臣籍に下った者の中から
選ぶということなので、これらの情勢を考慮しますと、
臣籍に下ってから代を余り経ていない者が最優先となります。
さすがに何百年も前に臣籍に下った家系は優先度がどんどん低くなることでしょう。
ということで、戦後しばらくして臣籍へと下った旧皇族の方々が唯一候補となります。
あとはその中から選べばよいことだと思います。そのばあいになにを重要視するかは
意見が異なるかと思います。
245 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:37
>>245 激しくな。
天皇と非差別職種の関係は「伴造(とものみやつこ)」からあるんだから、
必要な場合には天皇が絡んでくると思うんだが。
ただ、ここは日本史板なのであくまでその当時の政治・社会との関連制がない場合に
天皇を意味なく取り上げるのは避けるべきだと思う。
247 :
日本@名無史さん:03/04/08 21:41
>>243 農民以外の商工サービス業というのは ちょっと違うと思われ。
大抵の商工業はちゃんと商人・職人(大工など)など所謂「士農工商」
といわれる範疇だった。 ここで問題になってるのは、教科書的な
皮革業とかと、街道の雲助・関所の下働き・穏忘というような職業を
していた人。 ただ行商人のように区別の曖昧なのもいた、何を行商
するかによって「商」に含まれるか非「商」(広義のエタ)に含まれる
かの違いがあったので教条的にはわりきれないものなのです。
だから分布も(風水などの)教科書的にはなりようがないということ
なのです。 川や谷などの地形自体と分布とは関係がありますが。
職人の中でも、皮革関連とか死体に関わるものが
被差別視されていったのかな?
あと弾左衛門が自分の特権を守ろうとしたことで、
差別を固定化させた一面があったのでは?
穢れの本場ってインドじゃないか?日本のとは内容が違うのかな。
インドはカーストの本場でもある。3000種類にも分かれてる。
七福神はインドの神様だし、日本にカースト制度が入った可能性はあるのでは。
>>249 インドにも穢れってあるのか。
川沿いで坊さんが修行する映像や写真を見かけるけど、
あれは関係あるのかな?
>250
不浄の左手は食事に使わないって聞いたことあるでしょ。
ばっちいガンジス川で沐浴するのは、「流れる水は清浄」という思想だとか。
流れない水は不浄。なんか理屈っぽいなぁ…
清め、禊などはユダヤ教起源だとベンダさんが言ってた気がする。
252 :
日本@名無史さん:03/04/13 04:43
えったとひにんは管理の都合でのみ上下関係がつくられたのでしょうか?職種の差だけですか?呼称の違いも、きになるのですが
全く何も無いところに差別を造ったのではないだろうね。
人権問題もそうですが、何故そこまで繋がるようになったのか
と言う過程を書いて欲しい。突然人権問題に行くのでは困ります。
天皇に繋げるのもそうですが、まともな人権を持っていないのは
天皇も同じです。
エタ・ヒニンが江戸時代において自ら、プライドを持っていた
のなら、いきなり差別と言うのも変です。
ちなみに、エタを江戸時代以前に日本に密入国してきた半島人
と言う説を盗ると、昔も今のような事をして来たので、周りから
差別されたのでは?となると、明治期に新平民になったのは最大
の誤りと言う事になります。
255 :
日本@名無史さん:03/04/15 15:39
>254
>何故そこまで繋がるようになったのかと言う過程を書いて欲しい。
とりあえず被差別部落の起源は
>>107 >>142 の中世起源説でいいと思うよ。
その後、各荘園でそれぞれ職業分化していった。そして江戸時代に差別が制度として確立された。
その過程を説明するのは、半ば権力者が恣意的にやった部分も多いので、合理的に説明するのは難しい。
ていうか
>エタを江戸時代以前に日本に密入国してきた半島人
>と言う説を盗ると、昔も今のような事をして来たので、周りから
>差別されたのでは?となると、明治期に新平民になったのは最大
>の誤りと言う事になります。
…まともに相手していいのか?
とりあえず、本気で知りたいと思うなら
このスレだけでも素直な気持ちで読むべし
まともに勉強したいと思うならいろんな本を読むべし
259 :
日本@名無史さん:03/04/16 14:11
ハンセン病患者隔離説ってのもあるよ。
もののけ姫でも扱ってたな。
260 :
日本@名無史さん:03/04/16 14:49
>1さんへ
半島渡来人説は、現在完全に否定されています。
「部落問題研究所」を検索され、そこの出版物での勉強を薦めます。
時代ごとのもあるし、現在の問題のもあります。
「部落の歴史と解放運動・前近代篇」 部落問題研究所/編・部落問題研究所 1985.12
「部落の歴史と解放運動・近代篇」 部落問題研究所/編・部落問題研究所出版部 1997.12
「部落の歴史と解放運動・現代篇」 部落問題研究所/編・部落問題研究所出版部 1997.12
この三冊で最新の研究成果がつかめると思います。
図書館にもあると思います。
三冊とも眼からウロコです。中世起源説で街道批判もきちんとなされています。
ぜひ、皆様も御一読を。
261 :
日本@名無史さん:03/04/16 14:52
>>259 被差別民の中に障害や病気の人もいました。
古くは聖なる存在でもあった様で、
清水坂にハンセン氏病患者や障害者が生活しており、
彼らは興福寺などの大寺院の直轄民でした。
天皇落胤伝説も持っていました。
262 :
日本@名無史さん:03/04/16 15:35
えた
江戸時代には非人と呼ばれた人々とともに士農工商の下におかれ
居住地も制限されるなど不当な差別を受けた
主に皮革業に従事し、犯罪者の逮捕や罪人の処刑などに使役された
明治四年の太政官布告で法的には平民とされたが、なお「新平民」と呼ばれた
263 :
日本@名無史さん:03/04/16 15:45
ひにん【非人】
1.江戸時代、えたとともに士農工商の下におかれた被差別階層
また、それに属する人。遊芸や刑場の雑役などに従事した
2.仏語。人間でないもの。
天竜八部衆や悪魔などをいう
3.出家遁世した僧。世捨て人。また非常に貧しい人
264 :
日本@名無史さん:03/04/16 15:45
メルヘンの歴史を卒論にしたいといったら教授に小一時間説教くらいました
むしろそういうたいどのほうが差別だと思うんだが
265 :
日本@名無史さん:03/04/16 16:46
学術的なアプローチまでも禁忌とするのはおかしな話だな。
日本人は差別ボケしてるのかも知れん。
266 :
日本@名無史さん:03/04/16 17:01
百済から連れて来られた奴隷でしょ。
267 :
日本@名無史さん:03/04/16 17:09
>266
>>145 :日本@名無史さん :03/04/05 21:08
>143
>王族の奴隷
普通、奴隷とは売買されるものなんですけど、彼らは売買されなかったんですか。
また、奴隷なら当然いつも使用人の近くに住んでいるわけですが、
「不可触選民として位置づけられた」のであれば、
辺境の地に住んでいないといけないのですが、矛盾しませんか。
>258
毛人は半島人だなんて言ってないぞ。日本語読めないのか。
>264
「百姓に歴史がありますか。豚に歴史がありますか」
と言った国史学者を思い出した。
269 :
日本@名無史さん:03/04/17 12:50
>>268 115
毛人は東日本人だっけ。
その学者は、皇国史観の平泉氏かな?
(^^)
271 :
日本@名無史さん:03/04/18 01:35
普段のレポートや授業の態度を見ていて、必ずしも態度が
良好とはいえない人物がそういう論題を選んできたりする
と、説教したりやめさせようと試みる気持ちはわかる。
もちろん、264がどういう人物で、どういう説教を受けた
のかは知らないが。
273 :
日本@名無史さん:03/04/18 21:33
死穢に関わる人が差別されたのでは?
274 :
日本@名無史さん:03/04/18 21:49
日本における部落差別はカーストや奴隷制度のような縦差別ではない。
言うならば横差別。
常民と同じ空間に居てほしくない、見える所に居てほしくない、
自分たちと係わってほしくないというものだ。
275 :
日本@名無史さん:03/04/18 21:54
でもアウトカーストとは近いんじゃない?
スードラとは明らかに違うけどね。
276 :
日本@名無史さん:03/04/18 21:58
同和教育では、江戸時代の産物とされているが、それより古いと思えてならない。
同和教育のウソを証明する人は誰ですか?
277 :
日本@名無史さん:03/04/18 22:18
>>常民と同じ空間に居てほしくない、見える所に居てほしくない、
自分たちと係わってほしくないというものだ
死穢に関わるのが駄目なら、古墳造営者とか埴輪作りとかも
そうなのかな。だったら、地位がいつごろから転落したか
わかるのでは?
それと、職業上、悪臭がしたり、危険だったり、職業病になったり、
時の政権のスパイ工作員や武器職人(←一般人と関わらせない)だったり、
呪術や霊魂と関係が深かったりする人ってこと??
でも、農民の労働意欲をかきたてるために差別したっていうのは
あると思うな。
でないと、サービス業とか第三次産業のほうが儲かるようになったら
農民逃亡しちゃうし。これは、貨幣経済の発展とも関係あるだろうけど。
実際、江戸時代は隠れて江戸に上京してた人って多数いるんでしょ。
だから、人返し令とか出したのでは?
278 :
日本@名無史さん:03/04/18 22:33
>>大化の薄葬令以降、奈良時代末から平安時代初めにかけ、朝廷側の死体
に対する 「ケガレ」観念が大きく変化した
らしーんだけど、大化の薄葬令の後、古墳関係者の仕事はどうなった
んだろう?産業構造の変遷?
279 :
日本@名無史さん:03/04/18 22:39
でも、蝦夷とかの収容地もそうならもっともっと昔だな。
280 :
日本@名無史さん:03/04/18 22:39
>>276 >>142 >まずはじめに河原や坂などの無税の地に住んでいた人たちがいて、
>彼らは社会秩序の外にいた。彼らを社会に取り込むために、
>死体処理や清掃の仕事を与えた。こうして庶民が彼らの姿を見ながら、
>社会の隅っこにいる存在だと思い、差別意識を持ち始めた。
>これが最初に起こったのが1000年ごろの京都の天皇の荘園で、
>だんだんそれが他の荘園に広まっていった。
>そして彼らは徐々に職業分化していった。
>277
>自分たちと係わってほしくないというものだ
それが原点なんだけど、どっかで接点がないと差別の仕様がないでしょ。
地域的、社会的に辺境の存在でありながら、何らかの仕事をして庶民とたまにかかわりを持つ、
それは要するに異端者に対する警戒心から、排除意識、差別意識へとつながっていったんだと思う。
281 :
日本@名無史さん:03/04/18 22:44
教えてクレヨンですみませんが、お願いします。
白土三平「カムイ伝」というマンガ。
主人公のカムイらは非人とよばれていたけど、
牛馬の革処理してたし、ほんとはエタなのでは?
283 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:13
江戸時代より前、寺社仏閣に隷属していた長吏集団の連中は差別の対象になっ
ていたのか?
家康が江戸に入府し、小田原の太郎左衛門を斥けて、無名の弾左衛門を長吏頭
にしたときは、どうだったのだろう?一体、いつから差別階級に置かれたの
か?
やはり、町奉行堀直之からお仕置役を拝命してからだろうか?
しかし、5000石程度はあったんだっけ、弾左衛門は?
だとすると、差別という視点だけでえたを語るのも一面的だよな。
284 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:14
死穢に関しては、大化の薄葬令あたりから差別やケガレの観念が強まってるっぽい
ね。
その時代、時代の価値観の変化や時の政権が発布した法律や禁止令
も関係してる?
江戸時代は、法律で居住の移転や婚姻の自由を禁止したから、差別を強めた一因があると
思う。
でも、困窮化などは明治・大正・昭和の政治と戦争が関係深い?
285 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:38
弾左衛門の石高は一万石じゃなかった?
286 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:54
弾左衛門の支配は関東が中心だったが、関西のほうはどうなっていたんだろ?
287 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:56
13代目は神戸出身。
12代目は長野だったかな。
288 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:58
弾左衛門の支配下には寛政12年の段階で関東で
長吏:約5600人
非人:約2000人
猿飼:約60人
だそうです。一大勢力ですね。
289 :
日本@名無史さん:03/04/19 00:02
大化の薄葬令で死穢の観念が強まり、殯(もがり)儀礼に関する遊部や土師氏
の地位が失墜したとか?
なんか、天皇の葬儀に関連してる人達がいるって聞いたけど。
土師氏は、古墳とかの死にたずさわる仕事をしていたことを嫌がって
隠すために改名した程だからよほど、死穢の恐怖って強かったんだね。
法律で、その職業が禁止されると地位が低くなるってあるんじゃない?
例えば、戦国の世が終わって江戸時代になって武器職人が規制されたり
とか。
290 :
日本@名無史さん:03/04/19 00:09
13代目弾左衛門直樹は摂津国住吉村、今の神戸市東灘区だそうです。墓も
その地にあるそうです。
明治維新で賤民制廃止令で名目上被差別階層から脱却したが、同時に、特
定の商売の独占権も奪われていって零落していったというのは皮肉ですな。
291 :
日本@名無史さん:03/04/19 00:31
低視聴率覚悟で大河ドラマ「弾左衛門」をやってくれないかな。
292 :
日本@名無史さん:03/04/19 00:50
>>290 間違い。
最後の弾左衛門直樹も含め「矢野藤原家」の墓は浅草のお寺にある。
(直樹は養子入りしたので、出身地に墓があるわけない)
ちなみに永代管理料がちゃんと納められ続けてるそうなので、
子孫云々が関係者の間で色々と詮索されている。
ただ住職の口が堅いらしく、真相を探るのは難しいらしい。
293 :
日本@名無史さん:03/04/19 00:55
矢野家の子孫の一人は杉並区役所に勤務。
東大教養学部で教えている子孫もいる。
294 :
日本@名無史さん:03/04/19 01:20
維新で商工業者からの徴税権を失ったが、
兵部大丞川村純義に談判して明治3年に兵部省皮革製造伝習御用を任ぜられた。
4年の解放令を受けて皮革類の入手困難の事情から工場閉鎖。
7年には兵部省との契約を一方的に打ち切られ(輸入品切り替えの為)没落、
22年に失意の中病死する。
しかし、その近代的皮革製造技術は谷沢右衛門を介して大坂西浜に伝えられる。
弾支配下の関東における皮革類入手が困難を極めたのに
本願寺の勢力が強い大坂での入手が容易だったのはなぜかな?
また、軍靴輸入に際して仲介役をつとめた商人がいた筈だが、
それは何処の誰だったんだろうね?
295 :
日本@名無史さん:03/04/19 01:23
ちゅーか、維新自体に関わってるんだけどね。
その後もウヨ、サヨにわかれて関わってる。
296 :
日本@名無史さん:03/04/19 01:25
屠勇隊か。
297 :
日本@名無史さん:03/04/19 01:27
>>294 製靴業の利権を横取りしたのは渋沢栄一なんかともつながってた西村勝三だろ。
この人はもちろん部落とは無関係。
298 :
日本@名無史さん:03/04/19 01:31
明治・大正・昭和と没落した人もいれば、そうでない人もいる。
それは、一般人にもいえる。
日露戦争終了後の不況、関東大震災による破産、昭和恐慌、
空襲による財産の消失・・・・
鈴木商店のような大商社も破産したし。
299 :
日本@名無史さん:03/04/19 01:59
>288
大石慎三郎「田沼意次の時代」によると天明6年ごろ、
意次の蝦夷地開発の計画で長吏、非人を蝦夷地に入植させる、
というものがあったそうです。
この頃、弾左衛門配下は33000人あまりで、そのうち7000人ほどを、
移住させようとしたものです。
田沼の失脚で実現はしませんでしたが。
あなたの数字と比較すると、約15年の間に約4分の1になっています。
天明の飢饉で日本の人口は2600万人前後から、
2500万人前後に減ったそうですが、やはりこの階層の人たちは、
直撃を受けたのでしょうか?
300 :
日本@名無史さん:03/04/19 02:12
普通に考えたら、飢饉だと逆に増えるんじゃないかな?
301 :
日本@名無史さん:03/04/19 02:40
>>288氏は単純に戸数と人数を取り違えただけだと思うが。
あと、車善七と係争を起す前に歌舞伎界は弾支配下から脱したんだそうだ。
302 :
日本@名無史さん:03/04/19 02:42
ちなみに33000人というのは、関八州の配下の数で、
全国を合計すると230000人ぐらいだったそうです。
全人口の1%近い。
さすがに多すぎたようで荒地への入植は弾左衛門から申し出ています。
305 :
日本@名無史さん:03/04/19 09:57
坊さんがエタ非人をチョウリと言うなと奴等の自称に過ぎん
と言ってました。
306 :
日本@名無史さん:03/04/19 11:54
長吏というのは官職名だから全ての被差別部落民が官位を有していたわけではない。
下手すると武家や貴族よりも身分内格差の激しい被差別部落内で
官職を分有できたとは思えない。
本郷の農家で村役人や百姓頭になれたのが一握りの特権階級だったのと同じだ。
307 :
日本@名無史さん:03/04/19 12:49
>>306 でも「エタ」より「長吏」という名称がポピュラーな長野県なんかは
少数点在型で部落の数が異常に多いよね。
あの地方の場合、官職っつーても交番の巡査程度のものだったのでは?
(実際、十手が保存してある家も珍しくない)
308 :
日本@名無史さん:03/04/19 13:05
少数点在型だと家単位で差別されるの?
大規模集落型とどうちがうの?
309 :
日本@名無史さん:03/04/19 13:06
>少数点在型で部落の数が異常に多いよね。
それは新開地部落だ。
長野の新開地は武家が中心となって開拓したらしい。
だいたい、少数点在型の散村は江戸期に開拓され、
土木・治水事業において陰陽氏系の非人が活躍したそうだ。
310 :
日本@名無史さん:03/04/19 13:07
>303
>>教科書だと下級武士と百姓の実現した四民平等。そんなの薄っぺらだ。
でも、八切止夫のいってることはある程度あたってる部分もあると思う。
地域格差はあると思うけどね。
維新に積極的な藩とそうでない藩とか。。。。
312 :
bloom:03/04/19 13:16
313 :
日本@名無史さん:03/04/19 13:18
>>309 そうなんだよね。オイラの住んでるところは平地だけど、
平安時代からの開拓地。もちろん、近くに川。治水事業も昔から盛ん。
川から離れた内陸部には森林。いまでも開拓のなごりか切れ端の
ように森林が残ってる。
平安時代から徳川の統治まで城がいくつか出来、そして潰される。
街道あり。
開拓地っていうのもポイント高いと思う。
ついでにいうと、皮革産業はないです。
315 :
日本@名無史さん:03/04/19 13:47
開拓地というのは江戸時代にそれまでの2倍の耕作地面積が開発された
比較的新しいものだ。
また、戦国時代から江戸時代にかけて各大名の領国経営の事情から
河川管理や街道整備がさかんになされた。
街道整備はローマのアッピア街道と同様で非常に軍事的意義が強い。
河川は物流・治水の意義が強く、これによって従来は山つきだった
農村(溜池の都合上)が平野部にも形成され
自治・統治の観点から惣村(集村)が形成された。
あとは、明治期の合祀令によって廃せられた神社及び鎮守の森跡地の
開発地域というものもある。
これは村合併による諸経費削減と重農主義的殖産政策によるもので、
森林利用をめぐっての係争や村内諸神事の参加を巡っての差別問題を
引き起こした。
316 :
日本@名無史さん:03/04/19 14:23
平安時代末期くらいから開拓地ってあるよ。
その頃から武士も台頭しだすし、差別されてたか
どうかは別として、いろんな産業が発達してきたの
はこの頃かも。
317 :
日本@名無史さん:03/04/19 14:51
>289
>天皇の葬儀に関連してる人達
姻亡ですね。中国地方に多いです。昭和天皇が死去した時、巨大な棺を担ぐ、
古風な烏帽子姿の人たちがいたけど、彼らがそうです。別名、八瀬童子。
318 :
日本@名無史さん:03/04/19 15:45
>>316 だから、開拓地全体に占める平安期開拓地の割合は非常に僅少で
地域的に平安期開拓地と現在地が重なる場合でも
比較的最近に再開発されたパターンが多い、という事ね。
旧屯倉跡地の原野を江戸時代に再開発したという事例もあるわけです。
その大半が平安期開拓地に属する旧寺社領や鎌倉時代の御家人領も
戦国期における封建制の再編成で解体されているので、
余程の事が無い限りその起源を中世以前に遡る事はできない。
そのぐらい激しい社会転換が中世に起こった、というのが日本史の常識。
319 :
日本@名無史さん:03/04/19 15:47
大宝律令による戸籍と班田収授法(土地制度)と税、条里制は関係あるかな?
このとき、はじめて戸籍ができたらしーけど。
でも、戦国時代は下克上だし、身分の変遷はいっぱいあったろうから
やはり、江戸時代に制度として確立したっぽい。
江戸は長く続いたから、人々の意識に固定されたのでは?
320 :
日本@名無史さん:03/04/19 15:53
>>そのぐらい激しい社会転換が中世に起こった
武士団っていうのも、元は盗賊とかもいたみたいだしね。
じゃー、やっぱ、下克上でそれ以前の関係とはある程度
断絶があるんだなー。
321 :
日本@名無史さん:03/04/19 16:08
起源は中世で局地的に発生し、慣行として行われていたのが、
江戸時代に制度化された、ってことでよろしいですかな。
322 :
日本@名無史さん:03/04/19 16:19
>>321 でも、一部中世以前からのもあると思うな。
天皇の葬儀に関連してる人達とかってモガリに関連してた
人たちじゃないの?
それに、神社とかで信仰されてる神にも地域を隔てて共通性
があるし。
でも、古代の人たちって鎮魂のために遊部が行ったように
歌舞したりするから何か発想が面白いね。
323 :
日本@名無史さん:03/04/19 16:31
士師(はじ)氏や遊部(あそびべ)の担っていたような職業
が賎視されたのって仏教や儒教を取り入れて薄葬令や火葬によって
古墳やモガリの文化を禁止するための宗教的対立とかっていう
ことはないか・・・もちろん、失業もあるんだろうけど。
土師氏って治水や土木技術(古墳造営・埴輪作り)、鍛冶
なんかを担ってたんでしょ。
324 :
日本@名無史さん:03/04/19 16:40
古代の話をすると古墳のある所には被差別部落がある
高句麗好太王碑も後半はほとんど守墓人の規定
捕虜を賤民身分に落として王墓の守りをさせるのは古代東アジア共通の慣例
むろんそういう場所だから賤視されて
後世の賤民部落もそこに作られたというのはあるだろうが
班田収授については住井すゑが語っている
被差別部落はどんな大きな部落でも稲田がないのだと
米作が許されなかったものと解釈できる
イグサ関連産業や竹細工なども被差別部落の仕事だ
325 :
日本@名無史さん:03/04/19 16:54
天皇の葬式も江戸期は仏式で火葬方式だし、
おそらくは河原の清目衆が介在したであろう清めの儀式も
江戸中期には途絶えている。
幕府の強力な仏化政策の下で天皇近侍の
神道系被差別民が生き残れたとは思えないな。
日常の食事にも事欠いて形式的に空のお椀を
食膳に出すぐらい困窮していたものね。
326 :
日本@名無史さん:03/04/19 17:10
>>被差別部落はどんな大きな部落でも稲田がないのだと
米作が許されなかったもの
それもあるのかもしれないけど、河川が氾濫したりして
基本的にあんまり農業に向いてない土地なんでしょ。昔は。
327 :
日本@名無史さん:03/04/19 17:29
というか、被差別部落でも稲田はある。
藩への貢納が免除された寺社付属の除地がそう。
被差別部落民でも稲作に関わる姓をもった人間はいます。
西日本浄土真宗系部落の場合は商業経済の浸透度が高かったというだけで、
普通に農家はいます。
328 :
日本@名無史さん:03/04/19 18:21
>325
>幕府の強力な仏化政策の下で天皇近侍の神道系被差別民が生き残れたとは思えないな。
ということは、近代になって消滅しかかっていた姻亡を復活させた?
329 :
日本@名無史さん:03/04/19 18:53
姻亡はともかく陵戸は幕末勤皇思想の高まりを受けて復活させた。
実在しない天皇や歴史的にあり得ない陵ごと勝手にでっち上げた。
そもそも高句麗系騎馬民族の文化である古墳が百済系を主流とする
天智朝で造営されるわけも無い。
また、鷹匠頭所属の餌取り(通称エタ)も吉宗公時代にほぼ100年ぶりに復活した。
弾左衛門支配の正統性が幕府に認知されたり、
非人身分の奢侈禁止令や断髪令が発布されたのもこの時期。
330 :
日本@名無史さん:03/04/19 19:23
>土師氏
埴輪の製作や陵墓の造営に従事し,また,大王の喪葬儀礼に関与した
古代の氏族。
後には,軍事や外交方面でも活躍した。
土師氏の名は,ハニ(土器や瓦などの製作に適した粘土)に由来する。
奈良時代後期から末期にかけて改氏姓を願い出る氏族が増加し,
土師氏も,その氏の名が凶礼にあずかることに結びつけられやすいこと
を理由に,改氏姓を願い出た。
そしてその拠地により,菅原氏,秋篠氏,大枝氏となった。
331 :
日本@名無史さん:03/04/19 19:33
江戸時代は、枝村の穢多村のほうが本村よりも人口増加の報告が多いです。
死牛馬処理・皮革・草履などによる経済的優位性があったのだと思われます。
ちなみに、誰が穢多でどこが穢多村かは、戦国時代には、村の自治で
民衆の中で決められています。本村と枝村の関係です。
秀吉の検地帳では同じ帳面で、穢多村はカワタと書かれました。
江戸時代になってからは、別冊にされました。
江戸中期以降から権力によるいやがらせ的差別政策が増加。
しかし、経済的優位性は多くの穢多村が持ち、大都市商人と
直接売り買いの交渉を行っていた穢多村連合などもあった(近畿)。
明治以後、特権を失い経済的優位性を失う。
決定打は、日清日露で皮革(軍靴・靴)が軍需産業化し大資本が圧倒した。
332 :
日本@名無史さん:03/04/19 23:50
ネタがネタなので、
まっとうな歴史学と無縁でピントはずれな電波厨房が一部いるようだな。
八瀬童子が被差別民だとか、
古墳と部落が関係あるとか・・・
(関西地方の部落を実際は知らないのだろう)
スレのレベルが下がるので、頼むから撤退してくれ。
333 :
日本@名無史さん:03/04/20 00:52
>>332 そーなのかな?
社会問題としてのではなくよ。
歴史的に、死穢のケガレは関係深い気するけど。一部の非人。
皮革産業や屠殺業が全くほとんど存在してない部落もあるんだってば。
でも、学者じゃないのですみません。
334 :
日本@名無史さん:03/04/20 00:56
階級制と現代のいじめ社会は違うからね。
階級制には虐めはない!なぜかというと階級制だからだよ。
335 :
日本@名無史さん:03/04/20 01:20
>>324 オイオイ、住井すゑなんて小林よしのりor井沢元彦のサヨ版だぞ。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
337 :
日本@名無史さん:03/04/20 03:16
なんか起源を中世の狭い領域にしたがってる奴がいないか?
>331
>江戸中期以降から権力によるいやがらせ的差別政策が増加。
生類憐れみの令?
>332
だれも近代の部落の話なんかしてない。
いやしてる奴もいるが、本筋ではない。
338 :
日本@名無史さん:03/04/20 05:07
部落差別と生類憐れみの令と犬食の関係は一考の価値ありと思うんだが。
339 :
日本@名無史さん:03/04/20 06:27
現代の感覚では理解できない差別意識だったのかな。
340 :
日本@名無史さん:03/04/20 08:48
>>338 犬食に関しては明滅亡後の大陸・半島系亡命者によって
もたらされた風習だと考えられるが?
生類憐れみの令以前には(渡来系?)武士が平気で屋敷内で屠っていたそうだから
犬食と屠蓄人差別はあまり関係がない。
生類憐れみの令の主目的は猟師等が保有する銃火器類の管理で
動物保護はその副産物。
341 :
日本@名無史さん:03/04/20 10:12
>>337 >なんか起源を中世の狭い領域にしたがってる奴がいないか?
江戸明治につらなる被差別民は中世発生が多いと思うが。
>>331
>>江戸中期以降から権力によるいやがらせ的差別政策が増加。
331だが。これは、農民層の力量増加による武士階級への不満を、
また、矛盾の出てきた米穀経済への不満を、穢多へ向けて農民層の
不満を解消し武士階級へ向かわないようにようにした。
>>340 犬食は弥生人がもたらしたと聞いたが。
昭和の高度成長期以前までは、肉屋で売っていた。
342 :
日本@名無史さん:03/04/20 13:16
>農民層の力量増加による武士階級への不満を、
>また、矛盾の出てきた米穀経済への不満を、穢多へ向けて農民層の
>不満を解消し武士階級へ向かわないようにようにした。
江戸中期に没落したのは郷村制の基盤である本百姓や
これに寄生した武士層。
銀高による石高制の動揺を貨幣改鋳や津止で阻止しようとしたのが
江戸幕府で、結果的に大坂の都市部部落民が飢餓状態に陥った。
こういった世相を受けて都市部部落民に倒幕を呼びかけたのが大塩平八郎。
343 :
日本@名無史さん:03/04/20 13:41
陰陽系の非人が治水とか開墾に携わるのは何か意味があるの?
明治維新とかにも崇徳上皇のタタリとか信用されてたみたいだし、
昔の人には、非科学的な力が信用されてたとか・・・・
もっとも、医薬や土木施工技術も不思議な力に数えられてた
のかもしれないけど。
344 :
日本@名無史さん:03/04/20 14:24
最近は偏執的サヨクの”悪いのはなんでも資本家”的、部落論が
はばを効かさなくなったのはいいことだ。
20年ほど前までは歴史的考察など叩き殺して、部落は近代の
帝国主義政策が原因とのたまうやからが多かったけど。
で、インドのカーストは肌の色の違い(人種のちがい)が発端等の説で
”征服民、被征服民の関係で差別が生まれる”を日本にあてはめれば
”まつろわぬ民”が被差別民になったとする説もありだと思うけど。
でも日本では異民族同士の古代における闘争とかは
あまり論じられないんだよね。ま、物的証拠も薄いんだけど。
345 :
日本@名無史さん:03/04/20 14:56
>>20年ほど前までは歴史的考察など叩き殺して、部落は近代の
帝国主義政策が原因とのたまうやからが多かったけど。
困窮化とか、貧困のサイクルとかは明治以降が問題だと思うが。
治水に関しては、人身御供とかもしてたみたいだから、何か
陰陽とかそういう呪術的な仕事も関係してそう。
346 :
日本@名無史さん:03/04/20 15:07
おそらく、森林伐採&開墾とかっていうのも何か現代人にはわからない
感覚があるのかも?森を切り開く恐れのような感情とか?
単に無職の職業斡旋だったかもしれないけど。
347 :
日本@名無史さん:03/04/20 15:20
>>344 部落=異民族説は明治中期以降にさかんに唱えられた学説で
別に目新しくもなんとも無いんですが…
仮に起源において異民族であったとしても
古代から中世、近代にかけて
ずっと同系統の民族が同じ職掌で存続し得たとは思えない。
皇室の万世一系説も元はといえば
朱子学の革命理論を抑えるために江戸期に提示されたもので
実際はかなり怪しいものだ。
資本家がどうのこうのという似非マルクス主義的理解は
一部のバカによるもので、
正しくは前近代期の身分的差別は解消されたとしても
独占資本による階級的抑圧はどうするのか?という問題意識によるものだ。
ただこの考え方も現在の窮乏状態から
帰納的に過去を規定するという欠点がある。
だいたい、宗教的な理由からワザと仕事をしなかったケースもあるので、
非自発的失業とはいえないし、
近代的工作人モデルが過去に適用されるわけもない。
348 :
日本@名無史さん:03/04/20 15:23
>>341 >犬食は弥生人がもたらしたと聞いたが。
>昭和の高度成長期以前までは、肉屋で売っていた。
ネタだよな?
349 :
日本@名無史さん:03/04/20 15:34
平民社の新聞を読んでると、明治期に部落の子が学校に来ても
誰も話しかけようとしないし、一緒に遊ぼうとしない
こういうのは問題だとあるから、心情的な差別はあったんだと
思う。経済的に貧しくなくとも。
心情的差別と経済的な問題が重ね合わさって社会問題化したのでは?
350 :
日本@名無史さん:03/04/20 15:46
心情的差別と経済的な問題が重ね合わさって社会問題化
っていうのは、どこの国でも同じかも。
351 :
日本@名無史さん:03/04/20 15:51
いや、どんな差別でも同じかな。
心情的差別と経済的な問題が重ね合わさって社会問題化。
352 :
日本@名無史さん:03/04/20 16:06
>心情的差別と経済的な問題が重ね合わさって社会問題化。
社会問題になりうる存在がいて、彼らに対する心情的差別、経済的な問題が重ね合わさって新たな社会問題化。
353 :
日本@名無史さん:03/04/20 16:23
というか、最初は貧困&差別からなんだけど。
・貧困のサイクル(貧しい→教育が受けられない→低所得3Kの仕事
→貧しい の繰り返し)
・貧困が故の非合法的組織(暴力団など)との関係ができる。
・同一アイデンティティーを持つ者同士の固い結束力のある
組織体に所属(だいたいにして強い排他性を持つ)
差別に対して暴力を用いた激しい攻撃性をもつ。
↓
結果
一般人から敬遠される。
354 :
日本@名無史さん:03/04/20 16:28
日本史じなくて社会学になりつつあるなw
355 :
日本@名無史さん:03/04/20 16:35
少なくとも現在に限って言えば、
貧困=差別なんて図式は成立しないぞ。
関西や福岡の同対事業ゆきとどいた地区行って見てみい。
立派な道路、立派な集合住宅、
あるいは城みたいな豪華な造りでしゃちほこ(藁)が載ってる戸建て。
おそらくこのスレの連中のほとんどよりはいい暮らししてるぞ、地区住民は。
日共・全解連みたいな言い分になっちゃうけど、
あのえらく恵まれた環境が一般人の羨望、すなわち差別心をかき立てているってわけだ。
356 :
日本@名無史さん:03/04/20 16:43
良スレだったのに、結局現在の差別問題に話をもってきて、ここをただの
糞スレにしてしまういそうな連中が、あらわれだしたな(哀
357 :
日本@名無史さん:03/04/20 16:58
じゃあ、仕切り直しで二つ三つ。
・経済的に被差別部落が窮乏化しだしたのは松方デフレ以降でそれまでは
比較的富裕な家庭が多かった。
・部落解放運動は当初民権運動とリンクしており、その運動は人権擁護という
よりは封建時代の復権を目指したものだった。
・部落民と一般人が交流しだしたのは村合併や学制発布以降で政府の強制による
封建的自治体の解体・再統合によるものだった。
358 :
日本@名無史さん:03/04/20 17:02
ソース失念で申し訳ないが
綱吉の「生類憐れみの令」ってのは一般に言われているような
彼の狂信からのものじゃなくて皮剥ぎ集団の利権を制限・整理するための
法令だったらしい
当時、皮剥ぎがすでに無視できないくらいの利権、産業規模になって
いたんだろうと想像できるし、そこにメスをいれようとした
綱吉はやはりキレ者だったんだなあと思った次第
359 :
日本@名無史さん:03/04/20 17:08
・経済的に被差別部落が窮乏化しだしたのは松方デフレ以降でそれまでは
比較的富裕な家庭が多かった。
裕福というのも「?」実際、大塩平八郎の乱などは困窮が原因。
おそらく、部落内にも貧富の差はあるから、
被差別部落も支配者層は裕福な人もいたということでは?
弾ザエモンのように。
・部落解放運動は当初民権運動とリンクしており、その運動は人権擁護という
よりは封建時代の復権を目指したものだった。
これは水平社の運動ですよね。大正時代。
明治時代にも懐柔策として色々政策をやってたみたいだけど。。。。
それについて何か知ってます?
360 :
日本@名無史さん:03/04/20 17:10
>>358 革の煙草入れなど皮革製品の需要は武士層にもたくさんあったようですね。
皮革製品自体が嫌悪されてたわけではないんでしょ。
361 :
日本@名無史さん:03/04/20 17:20
近世までの富裕な地域→維新・松方デフレ以降の没落の話で思い出したが、
今『月刊現代』誌で某大物自民党政治家の評伝連載してるな。
あの人の地元の京都S町の部落は皮革業の元締めで
大阪西成と並ぶ富裕村だったそうな。
(某政治家自身はS町のもう一つの地区の出身)
水平運動は単なる貧困・差別闘争ではなく、
部落上層による啓発・改善運動の性格が
強かったという事実は確かにあったと思う。
362 :
日本@名無史さん:03/04/20 17:24
>>359 >裕福というのも「?」実際、大塩平八郎の乱などは困窮が原因。
あれはインフレ政策による物価高騰が原因です。
貨幣経済が浸透した都市部住人ほど煽りを受ける。
>これは水平社の運動ですよね。
違います。1880年代の初期民権運動時代で、例えば中江兆民などは
大阪西浜部落に潜入してオルグをしています。
“復権”というのは封建時代の特権回復や恩賜金受給が目的。
>懐柔策として
懐柔された所と懐柔されなかった所がはっきりと別れたし、
されなかったというか、してもらえなかった所はとんでもない目に合わされた。
この辺りは目下調査中。
363 :
日本@名無史さん:03/04/20 17:32
>これは水平社の運動ですよね。
違います。1880年代の初期民権運動時代で、例えば中江兆民などは
大阪西浜部落に潜入してオルグをしています。
“復権”というのは封建時代の特権回復や恩賜金受給が目的。
そーなのか・・・水平社以前にも部落問題は取り上げられては
いたのですよね。平民社とかは新聞にも載せてるし。
>懐柔策として
懐柔された所と懐柔されなかった所がはっきりと別れたし、
されなかったというか、してもらえなかった所はとんでもない目に合わされた。
この辺りは目下調査中。
明治時代のことがやはり、影響大きいとおもうんですよ。
364 :
日本@名無史さん:03/04/20 17:38
大和同志会って何ですか?
365 :
日本@名無史さん:03/04/20 19:35
仮に部落の起源がインド的アーリアンVsドラビダの勝ち組負け組に似た現象が
古代日本に起こったとするとアーリアンとは誰でドラビダは誰なんだろう?
またそれはいつ頃の話なんだろう?
半島的ナショナリストならアーリアンは優秀な朝鮮民族と言いたいだろうが
そうなるとネイティブジャパニーズ(これは定義が難しいが)を被差別民とした
ことになり近代の半島で行われた施策に対して謝罪と賠償を言いにくくなるね。
インドのカーストが人種的差異から職業的差異に変異したように
やっぱ差別の根っこはDNAの違いに対する生物学的猜疑心じゃないかと
思えてします。
オレ的には部落問題が関西より西側に執拗に残っているあたりに
部落の起源が、朝鮮族、漢族の日本列島への移民が大きな要因に
なっているように思えてならない。
366 :
日本@名無史さん:03/04/20 19:51
>>部落問題が関西より西側に執拗に残っている
これは、古代から西日本のほうが大陸と近く文明化されてた
(つまりは封建的要素を強く持っていた)ということ
や、反徳川勢力が多いことや、維新以後、戦後の解放の仕方
に問題があった(特に西日本)ことが問題あると思う。
神社の信仰とか調べれば、わかることもあるのではって
思うのですが。
367 :
日本@名無史さん:03/04/20 20:11
また古代起源説の電波が来たようだな。勘弁してくれよ。
起源は中世まで遡れるとしても、
近世の被差別部落は生産力の発展=分業の増加と相関している。
つまり、先進的な地域だからこそ
特殊な生業を担わされ、その結果
差別される共同体が析出されたのだ。
東日本でも北関東に多く、また西日本でも西南九州に少ないのはそのせいだ。
東北の農村に被差別部落が存在しないのは、
発展が遅れ、中世的大共同体が徳川期になっても残存していて、
食肉や皮革も同じ共同体内で処理していたので、
賤民共同体など生じる余地がなかっのだ。
ただし城下町は例外で、
皮革などで特権を付与されていた集団がいた。
だから東北でも現在の都市部には被差別部落がある。
以上。
>>367 大体賛成だけど追加。
西日本に差別が多いのは、生産力発展=分業増加とともに、
西日本文化の穢れを極度に恐れる文化があった影響。
死牛馬・死体などを扱う古代の魔力的・聖的集団が鎌倉後半の合理精神の発達と
貨幣経済の発達で差別される集団に転化していったというのがある。
近年まで西日本文化では出産時の胎盤を僻地に埋め、
東日本文化では玄関などに埋めていた。
この西日本文化は、半島・大陸系らしく、
東日本文化は縄文の影響が強いらしい。
369 :
日本@名無史さん:03/04/20 20:54
>>348 >>犬食は弥生人がもたらしたと聞いたが。
>>昭和の高度成長期以前までは、肉屋で売っていた。
>ネタだよな?
マジです。戦後に保健所から犬肉に関する注意書きとか出てます。
370 :
日本@名無史さん:03/04/20 20:58
>>古代の魔力的・聖的集団が鎌倉後半の合理精神の発達と
貨幣経済の発達で差別される集団に転化していったというのがある。
南北朝時代前後には賎視があったのでしょ?
ゴダイゴ天皇はそういう勢力の力を借りてたわけだし。
穢れを極度に恐れる文化って古墳時代の終焉期くらいから
あるんじゃないかな。土師氏が改名したのも、死穢を嫌って
でしょ。
371 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:01
江戸期以前の部落民って高給だが社会的に認知されない仕事を生業として
たってことなのかな?
372 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:03
大化の薄葬令で
モガリから仏教・儒教的(火葬)葬儀に移行する時に、死穢の恐ろしさ
をおもいっきりプロパガンダしたようなそんなことはないの?
373 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:12
>>371 高給(w)っつーか、そもそも貨幣経済=資本主義が
全面的に展開していないのが近世という時代なのだが。
(網野善彦に言わせるとすでに中世に資本主義が花開いたらしいが、
この見解は学界的にはあまり受け入れられていない、w)
経済史を基礎から勉強してくれ。
374 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:16
関東の被差別部落は群馬と埼玉北部に多いんだが、これはどうしてだろう?
古来あの一帯に朝鮮半島からの帰化人が多かった事実と何か関係があるのかな。
375 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:30
>>374 だから
>>367にも書いてあるとおり、
北関東は開拓地の増加やら農村工業の勃興やらで
近世中期以降、分業の発展がすさまじかったんだよ。
桐生の綿織物業とかの話ぐらい学校で教わったでしょ。
新しく村ができれば、その度に秩序維持のために番太・長吏的な集団を
いちいち置いていかなければならなかった。
これらが、北関東〜信州地域に膨大に展開する少数点在型部落の起源。
ただ、さらにさかのぼって番太・長吏の原型にあたる人達が
足利・新田の鎌倉対策に由来するという説は一聴に値するとは思う。
376 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:34
余が勤務する会社の同和教育では、
被差別部落は江戸幕府の政策で作られたものだとして行われている。
余は常々間違いだと思っていたが、皆様の書込みを読んで、
愈々意を強くするものです。
もっとドンドンやって、同和教育の間違いを明らかにして下さい。
こういう有意義なスレは、同和教育関係者も良く読んで勉強するべし。
377 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:34
378 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:38
ちなみに鎌倉時代まで遡れる部落は、都内だと練馬にあるね。
あそこの部落の元締めは弾左衛門の家系とも親戚関係にある。
379 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:43
江戸幕府の政策で制度として固定されたのはそうだけどね。
移転の自由や婚姻の自由を奪った。
380 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:47
>>378 でも弾左衛門が源頼朝からもらったとかいう免状は偽物認定されてるよ。
だって「歌舞伎」なんて当時存在しない用語が出てくるんだもん。
381 :
日本@名無史さん:03/04/20 22:03
>>380 練馬の部落は豊島一族の城下で皮革業を営むために作られたそうです。
382 :
日本@名無史さん:03/04/20 22:12
城下に集められたケースは多いみたいですね
384 :
日本@名無史さん:03/04/21 09:27
大塩平八郎の乱以前に武力蜂起の記録というのはあるのでしょうか?
一揆の多発した、吉宗の治世の末期から家重の時代、
被差別民によるものがあってもおかしくないと思うのですが。
屠殺業者なら武器になるものもたくさんもっていたでしょうし。
知っている方がおられたら教えてください。
386 :
日本@名無史さん:03/04/21 09:56
人類学的に頭型などを調べたところ関西では一般の人たちは大陸朝鮮の人たちに近い
数値を示し部落の人たちは北陸や東北地方の人たちに近かったという報告があるが、
これは東の蝦夷と呼ばれた人たちが、朝廷の東征に敗れ俘囚として西日本(主に関西)
に連れてこられたという記録と何か関係があるんだろうか。
389 :
日本@名無史さん:03/04/21 14:20
390 :
日本@名無史さん:03/04/21 14:48
>>367 >起源は中世まで遡れるとしても、
律令以前の体制は断絶してると言いたいの?
391 :
日本@名無史さん:03/04/21 14:50
えた・ひにん=中小企業労働者
392 :
日本@名無史さん:03/04/21 14:51
>>375 お前も自説に対する執着強ーな。電波じゃないけどキモサは充分だ。
393 :
日本@名無史さん :03/04/21 14:52
しかし、よくわからないのは、なぜ開拓に携わった人が差別されなければ
ならなかったのかということだ。
他所から被差別民を連れてきたから差別されるのか(属人?)。
牛馬を扱うから差別されるのか(職能?)。
隔離された地域に居住したから差別されるのか(属地?)
社会的分業の結果被差別民が排出されるとしても、ある特定の人々が
被差別民にされる必然性があるのだろうか?
394 :
,,,,,,,,,,,:03/04/21 14:55
395 :
日本@名無史さん:03/04/21 15:02
>>393 そうなんだよ。職業や属地による差別発生は理屈の後付けだと思うね。
差別発生のプロセスを考察するなら他国のケースなんかも参考にすべきだな。
たとえば朝鮮半島での差別問題とか。西洋まで行くと文化が離れすぎてるから
同じ儒教文化圏で地縁血縁重視の価値観が被差別にどう影響するかとか
参考になりそうな気がする。
>389
ヨーロッパを開墾したのは修道士だね。キリスト教以前は森の文明だった。
クリスマスツリーなどが名残。
鬼と被差別民は別もの?
397 :
日本@名無史さん :03/04/21 15:11
>>395 差別っていうのは理屈よりも感情だと思うんだよね。
歴史学者の説はどれも後付けの理屈に思えて仕方ない。
俺は小中の頃、同和問題について習ったけど、なんでこんなことが起こる
のか理解できなかった。で、差別はよくないみたいな優等生的な反応を
したな。
でも、関西に住んで実際に同和地区を見たり、在日の人と接すると、差別
がおこるのも理解できるような気がしたよ。
で、差別している当事者は「穢れ」とか宗教とかそんな高尚な観点から
差別しているわけではない。
古代・中世にしても同じような気がするね。もっともその時代の宗教や
自然に対する畏怖は、今とは比べ物にならないし、今の同和問題は、
全然意味が違うから、なんともわからないけど。
398 :
日本@名無史さん:03/04/21 15:33
>>395 おいらの知人被差別部落に住んでいた。そこは中上健治が本で紹介した
こともある地域なんだけど、今も皮革産業が多く、彼もそれに従事していた。
以前彼に先祖のことを聞いたところ彼の先祖は江戸末期に朝鮮半島から
移民してきたそうだ。出身地はわからないけど南方だと言っていた。
九州から西に進み今の地区に定住したのは同族がいたからだとか。
かなり昔からその地区は川が近いこともあり皮革産業が行われていたそうだ。
彼らには在日という意識はなかったけど解同には参加していた。
その彼も亡くなったので、もう彼らのルーツについて聞けなくなったけど
本ではわからない事実もあることを知った。
399 :
日本@名無史さん:03/04/21 15:34
時代が古くなればなるほど、史料が乏しくなるから、古代起源説はなんとも判断しかねる。
たしかに文献で非人の語は仏典の中に出てくるが、あくまでたとえ話としてであって、
人間に対して使われるのは、「性霊集(9C)」で、蝦夷のことを非人だと
言っているのが始めてである。
しかしこれがその後の被差別部落と関係があるのか、疑問ですね。
>399
直接の繋がりはなくてもいいでしょ。朝鮮併合以降の部落だってあるから。
現存するものの起源ではなく、日本列島における差別の歴史全般でいいんじゃない。
401 :
日本@名無史さん:03/04/21 15:50
鎌倉期の日蓮聖人や親鸞聖人の文にも”えた”等の文言が出てくるけど
確かにそれが近代の部落につながるものかはよくわからない。
また当時の市井の人々の差別感もよくわからないし。
仏教者はインド伝来のカーストを意識して万人救済を説くために
説話にえた非人を登場させたのかもしれない。
彼らの一部が特殊職能分化の過程でテロに特化して忍者になったとか
物語として興味深いのもあるけどいずれにしろ物語の域をでないね。
402 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:21
>>しかし、よくわからないのは、なぜ開拓に携わった人が差別されなければ
ならなかったのかということだ。
多分、森や山野を切り開くからでは?
木や森、山や石には神がいると考えられていて、もちろんそこを
開発したり切り開いたりすると何やら恐ろしいことが起きそう。
そういう、もしかしたらタタリにあうかもしれないような行為
には非人が関連してるからでは?
403 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:27
ちょっと、思い出したんだけど
部落の中にある地蔵のような
信仰の対象があるのだけれど、憤怒の顔を
してるんだけど、あれって馬頭観音?
おばちゃんが昔お祈りしてたけど。
404 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:33
>>396 >>鬼と被差別民は別もの?
というか、明治後「部落」に指定されたところは戊辰戦争の戦争難民
とかもいたらしいから、そういう区別なくとりあえずひっくるめて
指定しちゃったのでしょう。
405 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:44
観音信仰と白山信仰は半島と縁が深いの?
406 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:50
観音信仰や白山信仰と鍛冶や治水の神(神社)を信仰してる人とは
古代において系統的に違うのかな??
407 :
日本@名無史さん :03/04/21 16:53
>>404 逆に言うと「在日はすべて強制連行された」みたいな形で、
現在の部落民をすべて、徳川あるいは中世起源みたいな形で正当化(?)
している可能性はあるわけですな
408 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:57
>>407 サンカとか超山奥で自給自足の採取生活してた人とかは
そうでは?
とりあえず、明治になって戸籍を作る必要性から
そうなった人もいそう。
409 :
日本@名無史さん:03/04/21 17:24
開拓に携わった人は大昔は蝦夷とかもいそうだし、無職の職業
斡旋なのかもしれないけど。。。。。よくわからないです。
朝鮮の白丁の研究って日本はやらなかったのかな。
韓国人はそういうの隠しそうだからなぁ。
411 :
日本@名無史さん :03/04/21 17:33
>>409 ただ無職だからって差別される理由になるのか?
あと、妻帯者であるという点で、現在のホームレス等とは異なるね。
412 :
日本@名無史さん:03/04/21 17:51
ホームレスっていうかその地区に江戸時代を通して代々移転の自由を
禁止されて住んでるから被差別部落なわけで・・・・・
そう考えると、明治期にそれっぽいっていう理由で指定しちゃった
中には厳密にいうと部落じゃないとこもありそう。。。。。
413 :
日本@名無史さん:03/04/21 17:57
神社白丁って何?
414 :
日本@名無史さん:03/04/21 18:10
史料としては「塵袋(13C)」で始めてエタという言葉が出てくる。
非人とともに、彼らは「悪人」で、「ヒトマジロヒモセヌ」
とはっきりと差別の対象になっている。
さらに「生き物を殺して売るエタのような悪人」という表現もある。
江戸時代には牛馬の処理と皮革の製造は、エタに固有の義務とされ、
他の者はしてはならないと決められたので、今日の被差別部落につながる
ものです。様々なルーツがあるかもしれませんが、一応被差別部落の本流としての
起源はこの時期が妥当でしょう。
415 :
日本@名無史さん :03/04/21 18:19
>>414 それにしても、現在の被差別部落の分布は偏在してるな。
まあその辺は、網野氏による東日本と西日本の違いについての説明
が妥当ということか。でもなんか納得いかないんだよな。
416 :
ネットdeDVD:03/04/21 18:19
417 :
日本@名無史さん:03/04/21 18:24
しかし、明治時代に懐柔されたところとそうじゃないところの
違いって何だろう???
418 :
日本@名無史さん:03/04/21 18:24
明治時代に解放されたとこって?されなかったとこって?
419 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:26
半島起源説は間違いだと思うけど、半島人の血が少なからず入ってるのは事実だろうな。
漂着したロシア人も日本では部落民として扱われたそうだし、
日本に来た半島人も農民等としては扱われなかっただろう。
420 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:39
>>405 日本各地に分布する白山信仰は明治維新後に寺格を喪失した
山伏が神社として開いたもので歴史的にはかなり新しいものだ。
よって半島とは全然関係ない。
421 :
日本@名無史さん :03/04/21 19:42
>>419 ロシア起源の部落ってどこにあるんだろ?
>>420 白山神社ってそんなに新しいのか?
じゃあ、東日本の同和地域にある白山神社はどういう経緯でできたんだろ?
422 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:53
>>414 >江戸時代には牛馬の処理と皮革の製造は、エタに固有の義務とされ
処理が出来たのは斃牛馬、すなわち死んだ牛馬の死体で屠殺は出来ない。
そして「義務」ではなく「特権」。
同じエタ身分でも処理・加工・販売は厳密に区別された。
西日本では大阪が販売権を独占したが、
江戸時代においては中期以降に殷賑を極めた。
だからあの近辺ではカワヤ(皮屋)と呼ばれていた。
中世においてはエタ=エトリ(餌取りもしくは穢取り)なので
近世のエタと中世のエタは性質が違う。
423 :
日本@名無史さん :03/04/21 20:05
ソースもなく半島にこだわるヤシのせいで
またスレのレベルが低下してきたな。
終戦時の外務大臣・東郷茂徳の祖先が
秀吉が半島から連れてきた連中で、
父親の代まで「朴」という姓を名乗っていたことなんて
知らないのだろうな。
歴史学に限らず、一般的にも有名な話で
司馬遼太郎も「故郷忘じがたく候」という作品で
その渡来人村のことを書いている。
もちろん被差別部落なんかじゃない。
調子こいていいかげんなこと書き込まないように。
424 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:09
>>421 白山神社というのは山岳信仰で本拠地は新潟。
元来山伏というのは遊行者で各村落を定期的に巡回して医療行為を生業としていた。
ケガレとはケ(気)ガレ(カレ)の意で、医療行為(気功療術のようなもの)
を通して患者の有するマイナスの気が術者に転移すると言う事で隔離されていた。
維新後の医療近代化の波を受けて伝統的療術を禁止された山伏や修験僧(密教系)が
里に下りてきて神社を開いた際に手っ取り早くつけたのが白山神社であって
殆どの白山神社は本家の白山神社とは関係ない。
山岳信仰つながりというだけで。
425 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:16
じゃー、やっぱ土師部や遊部系列の神社?
ちなみに遊行者や遊女の遊は遊部の遊らしいけど。。。。
426 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:17
白山と新羅が関係あるって違うの?
427 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:33
>>425 カテゴリーが遊民・遊行という共通点だけで
天台宗や真言宗に属した僧侶がどうして古代神道民に繋がるんですか?
そもそも、僧侶が妻帯をしだしたのは真宗を除けば近代に入ってのことなので、
近代以前の僧侶を民族的血統で括れるわけないと思いますが?
428 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:37
民族的血統とはいってないが・・・
429 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:41
>>天台宗や真言宗に属した僧侶がどうして古代神道民に繋がるんですか?
つなげてるのは、密教?
430 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:42
”朝鮮”という言葉に条件反射してるやつがいるな。
431 :
日本@名無史さん:03/04/21 21:47
神社といえば、おみこしをかつぐようなことはあったんだろうか?
あと、浄土真宗が多いという話を聞いた記憶がありますが
432 :
日本@名無史さん :03/04/21 22:13
>>431 西日本の地域の真宗といえば、通常は西本願寺派な。
たしかずいぶん前、「心と宗教」板の本願寺スレが
部落問題をめぐってずいぶん荒れてたが。
もうDAT落ちしただろうな。
勇気があるなら(w)そっち行って訊いてくれ。
433 :
日本@名無史さん:03/04/22 11:34
>>431 浄土真宗、時宗は、鎌倉期に被差別民を差別しなかった伝統があります。
だから、受け入れが多いのかな?
古代・中世・近世・近代・現代はそれぞれが独立して存在しているわけではない。
スレを立てた
>>1は江戸期の被差別部落と被差別民を話題をあげた。
江戸期は近世であるが、その前には中世がある。
中世的要素が近世で完全に消滅しているかとそうではないと思う。
むしろ中世は近世を生み出した素地として近世にもその要素を多く残している。
それならば中世における被差別部落や被差別民を知ることは大きな意義がある。
同じ理由で古代における差別がどのように始まったのかを知ることにも意義がある。
近代以降については政治的要素になりがちなので、
私は積極的に取り上げるのが控えるが無視することはおかしいと思う。
明治維新によって「四民平等」となったことで、
差別の対象であった人々は「いなくなった」が彼らの子孫はそれぞれの職能を持ってその後も生活していた。
また、彼らは江戸期において特殊な権利を有していたことはすでに明らかで
明治維新後それらを失っていく過程をみることは意味のあることだと思う。
朝鮮半島の人々については先史時代から移住して来ていただろうし、
古代において彼らが日本列島にもたらしたものはモノ・文化・生活習慣など少なくないはず。
それならば彼らが職能民として活動した事実を無視する訳にはいかないだろう。
ただ、ここはあくまで学問板のスレであり学問的意味のない中傷はしないという原則を持って臨むべきだと思う。
これは宗教に関しても同じことが言えると思う。
人間としての最低限のマナーと学問板であるという意識をしっかり持ってレスをするならば
このスレは類稀な良スレとなると思う。
と網野善彦っぽく語ってみた。
435 :
日本@名無史さん:03/04/22 16:46
>434
古代ともなれば史料も乏しくなるし、ましてや朝鮮半島という異国の地まで広げれば、古代朝鮮の歴史まで考慮しなくてはならない。
時代的にも地理的にも遠ざかってしまい、実証困難だと思いますのであくまで推測で
言います。
関西、特に大阪市内には朝鮮人が多く住んでいますが、
彼らは被差別部落民ではありません。少し前のレスで、古代に捕虜として連れてきた朝鮮人
を賎民身分に落とし、王墓の守りにつかせたのが起源だという説がありました。
確かに律令制の身分制度で賎民身分ができて、陸墓の守衛というものがその一つにありますが、
律令制が事実上解体していく中で、彼らの血縁者(あるいは広い意味での家系的連続性を持つもの)が生き残っていったのか、
あるいは、彼らがその時点で住んでいた土地が後の被差別部落と関係があるのか、
いったん断絶したものの、賎民視されうる存在が価値観として確立し、その後の被差別部落を生み出す観念的基盤となったのか、
頭を空っぽにして、できるだけ古代発生説を検証しようとしても、なかなか、理論化するのは難しいですね。
436 :
日本@名無史さん:03/04/22 16:55
きっと、系統や成り立ちにしても職業にしても多々あるんだと思う。
信仰対象も色々あるし、ひとくくりにできない存在では?
437 :
日本@名無史さん:03/04/22 22:40
新明治政府の政策によって懐柔されたところとそうでないところ
があるのではと思うのですが。。。。。
438 :
日本@名無史さん:03/04/22 22:50
大資本に産業的に負けたというだけではなく。
439 :
日本@名無史さん :03/04/22 23:00
>>437 このやたら「懐柔」とか部落史では聞き慣れない、
つーか意味不明な用語を頻発する人がいるんだけど、
一体何のこと言ってるの?
できたら依拠してる文献名を具体的にあげたうえで訊いてね。
まともな歴史学の知識じゃ対応しようがないから。
440 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:00
んでも、鈴木商店とか大商社が、安価な輸入品を仕入れて
競争に勝てなかったのも事実なんだよね。
んで、第一次世界大戦特需のバブル崩壊と金融恐慌。。。。
441 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:08
>>439 ttp://www2.odn.ne.jp/~caj52560/ieyasu.htm 江戸時代までは百姓は寺人別帳、町人は町人別帳として、
それぞれの人口把握はなされていた。しかし、これらの
何れにも属さない限定地に住む日本原住民の数は把握さ
れておらず、この当時、お上は数十万人と軽視していた。
所がそれは家長のみの数で、大正時代にはいると自らエタ
と誇らしげに叫ぶ原住民でさえ三百万。
まだ身元を隠して都会などに流入している潜在人口を推定す
ると二千万に近いことが判明した。そこで叛乱を恐れた政府は
慌てて「大和同志会」なるものを官費で各地に作って懐柔策に
出た。この時出獄してきた松本治一郎が水平社を作り、小学校
での差別や各企業での故なき解雇に対して、むしろ旗をたてて、
人間は平等なり、の戦いを開始した。
「大和同志会」「黒衣運動」「水平社」って?
442 :
日本@名無しさん :03/04/22 23:13
どうやら
>>441は宗門人別帳も壬申戸籍も知らない電波厨房のようです。
みなさん、相手にせず先に進めて下さい。
443 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:16
じゃー、「大和同志会」って何?
444 :
bloom:03/04/22 23:16
445 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:17
「黒衣運動」って?
446 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:20
447 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:32
不況と満州移民。
448 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:32
被差別部落民が2000万人もいたら、
いまごろ自民党の幹部連中はみんな水平社の会員ダロ。
449 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:37
いまなら2000万人ぐらいはいると思うけど、
大正時代にそんなにいるとは思えないな。
450 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:38
第一次世界大戦特需とバブル崩壊
鈴木商店の破産と金融恐慌
恐慌と国家社会主義への転向
満州移民と満州開発利権と戦争
451 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:40
土師氏の末裔が鬼?
土師と鬼、大江、秋篠、菅原
452 :
日本@名無史さん:03/04/22 23:50
スサノオ、ダキニ(稲荷)、八幡、医薬神、鬼子母神、
馬頭観音のなかでダキニ(稲荷)だけがないのですが、
どうしてでしょう?白山はないな。関東だから?
>441
大正 9年(1920年)で 5500万人
3人に1人かよ。パパ・ママ・ボクで誰か1人が当たりかよ。
>449
6人に1人かよ。
>448
選挙を左右できるから、同和予算が続いている。
板違いすいません。
455 :
日本@名無史さん:03/04/23 01:05
>>292 亀レスですまないが、浅草の寺(寺名は出したらまずいか)は、矢野弾左衛門
家の菩提寺だったわけだが、墓石はどうも二代目から十代目までしかなかった
らしい。養子で入った十一代目以降は別だったようだ。
十二代弾直樹の遺骨は神戸の寺に分骨したという話だが、浅草の寺に彼の墓石
があったという資料は残っていないので、もともとなかったのかもしれない。
456 :
日本@名無史さん:03/04/23 01:39
しかし、明治維新で活躍した下級武士っていうことになってる
一部の人が部落民だったのは驚き。
457 :
日本@名無史さん:03/04/23 04:17
懐柔っていうか融和事業団体についてのことです。多分。
458 :
日本@名無史さん:03/04/23 06:03
>明治維新で活躍した下級武士っていうことになってる一部の人が部落民
誰のことだろう。岡田以蔵なんかはひょっとしたらそうかな。
459 :
日本@名無史さん:03/04/23 08:27
>懐柔っていうか融和事業団体についてのことです。多分。
そうね。よく言えば、明治帝のおかげで一君万民で差別は無しだと言う、
官制側からのの運動。
実態は、民衆の中から出てくる反差別のエネルギーが、反政府や独自の運動体に
なることを恐れた。
460 :
日本@名無史さん:03/04/23 14:14
やっぱり、戦前もウヨとサヨにわかれてるんですね。
461 :
日本@名無史さん:03/04/23 14:25
それと、戦前は宗教ですね、
まっ、国自体がカルトみたいなもんですが・・・
マルクス主義も一種のカルト?
宗教も宗派や新興宗教、キリスト教など多様だからな。
その関連で解放とか支援もあったのでは?
462 :
日本@名無史さん:03/04/23 15:40
やっぱ、第一次世界大戦特需のバブル崩壊が最終的な
トドメをさしたのでは?
このころ、小規模な銀行は取り付け騒ぎが相次ぎ
多数倒産したから。融和事業でできた銀行なんかは
潰れたとこもあるのでは?
463 :
日本@名無史さん:03/04/23 20:17
同和が利権として権力者に利用されるなんて江戸期の被差別者は
考えもしなかっただろうな。
464 :
日本@名無しさん :03/04/23 20:52
>>463 つーか、近世のえた・非人・長吏の類って下級警察=一種の公務員だし、
土地の免税その他制度面で数多くの特権持ってたのだが。
(だからこそ、明治になって地租改正とセットで賤民解放令が出された)
なんか勘違いしてない?
465 :
日本@名無史さん:03/04/23 20:59
赤土と土師は関係深い??
466 :
日本@名無史さん:03/04/23 21:10
赤土層
467 :
日本@名無史さん:03/04/23 21:49
赤土が堆積したり赤土層のあるところは、産鉄や土師器づくりに
適してるのかな?
469 :
日本@名無史さん:03/04/23 22:33
長州の被差別部隊に一新組、維新団が有る事と
明治への移行が維新、御一新と言われるのはけして無関係ではない
と思う。
また関東でも弾家は武士身分を約束されて幕府に付いたが
腹心以外の小頭クラスは倒幕運動に荷担した。
470 :
日本@名無史さん:03/04/23 23:12
>>469 っていうかねー、薩長土は多いよ。多分、実は有名なアノ人も・・・・?
やっぱ、軍需的な囲い込みっていう要因が大きいのかな。
そうしたら、土師は古代においては産鉄民だったけど朝廷が
武器の生産と広がりを恐れて土器・埴輪作りに変更・・・・?
その後古墳産業も廃れて・・・ってことかな?
血のつながりとかはよくわからないけど、そのような
職にある者がそのような神を信仰したってことかな。
一つ目、一本足の鬼は鍛冶の職業病らしいけど。
スサノオ、物部、土師&遊部、平家、豊臣とか、その時代の政権に敗れた
人々や神を信仰してるのもなんか面白いね。
平家の落ち武者部落は偽が多いらしいけど(w)
>同和が利権として権力者に利用されるなんて江戸期の被差別者は
考えもしなかっただろうな。
激しく同意!!!
書物でしか部落を知らない464には理解できないだろーな。
>470
同和に遠慮してというより、薩長閥を憚って、臭いものには蓋なのかな。
この辺の歴史解明の鍵は、明治維新と戦国時代になるんじゃないか。
下克上で、自分達の主観で歴史を語れる立場を得たから、外から見て
記録された歴史とは違うものになってるはず。
>>455 浅草の寺にある墓石は二〜五代目、八代目と十代目です。
これらの墓石はもともと寺の門の脇辺りにあったが、
震災後に現在地に移されたようで、その際、他の墓石は
失われたのかもしれません。
474 :
日本@名無史さん:03/04/24 09:53
>っていうかねー、薩長土は多いよ。多分、実は有名なアノ人も・・・・?
となると、明治以降の勲功華族の中に部落民が混ざっていた可能性もあるな。
475 :
日本@名無史さん:03/04/24 11:12
>>471 書物でしか部落を知らない人たちが実は同和利権を影で応援してるんですよ。
>>464さん
地租改正と賤民解放令の関係についてもう少し詳しく教えて下さい。
477 :
日本@名無史さん:03/04/24 22:52
っていうか、実際、明治になってサンカのように山で暮らしてた
人達にも戸籍と税が課せられたの?
478 :
日本@名無史さん:03/04/24 22:57
大正時代にも被差別部落内に「融和」住宅ってあったの?
479 :
日本@名無しさん:03/04/24 23:06
>>476 エタ、長吏の類は、死牛馬処理、治安維持などの課役を負う代償として
所有地の免税特権(今風に言えば利権か、w)などを得ていた。
エタが農業に従事していなかったなどというのはドキュソの妄説。
それが明治になりすべての土地売買を自由にし、課税するという段階になって
旧武家地・寺社地とともに賤民所有の土地が「邪魔」「障害物」になっていることに
政府関係者が気づいた。
そこで当時革新官僚集団だった大蔵省が大英断を下し、
地租改正令の準備作業として賤民解放令、いや賤民「廃止」令を布告したのである。
これは上杉聡氏が実証したことで、
以前過去スレで出た時は労農派のイデオロギー云々という反論もあったが、
説得力はあると思う。
ただ、長い目で見れば一連の文明開化策の流れで
遅かれ早かれ賤民は廃止されたことも確かだろうが。
480 :
フーミン=もしもツアーズ=師走=後小松天皇:03/04/24 23:31
>>29 東北では 町内会くらいの集落のことを
「部落」という。
すなわち中心部や都市部以外はほぼ全域「部落」だ。
481 :
日本@名無史さん:03/04/25 01:46
願人坊主というのは何?
>477
三角が活動できたのだから、まだある程度昔のままだったのでは。
>479
もとは吉田松陰でしょ。
483 :
日本@名無史さん:03/04/25 02:28
願人坊主は僧形の芸能者
京都鞍馬山大蔵院の支配下にあり、全国を回って
「御祈祷」「チョボクレ坊主」「アホダラ経」「住吉踊り」
などを演じて銭をもらい、生活していた
484 :
日本@名無史さん:03/04/25 03:15
>>480 いっぺん辞書で「部落」って引いてみろよ
まったく、差別利権でやりたいほうだいの連中とキチガイサヨクの
言葉狩りで日本語がどんどん破壊されていく
いいかげんにしてくれよ
485 :
bloom:03/04/25 03:17
486 :
日本@名無史さん:03/04/25 10:37
>>484 日本的サヨク趣味者の傾向として古来からの言霊信仰がうかがえる。
もっとも知的な唯物主義者にそんなこと言ったら否定されるだろうが(笑)
以前、朝日新聞の論評で論説者が”企業が商品の差別化というフレーズを
使うのはいかがなものか”、”差別化”なんて使うな、”区別化”に代えろと言う。
すなわち”差別”という言葉は忌み嫌うべしというわけで、彼らにとっては
”部落”なんて言葉は女性の恥部を指すぐらい口にしがたいかもしれない。
言葉狩りの深層はこのように言葉が無くなれば実態もなくなるという
信仰に近い発想がうかがえる。このへんが日本的進歩的知識人の
特徴というか滑稽さだろう。
>>486 頭の中の世界が全てで現実の世界を見ようとしないのが特徴かな。
極論を唱える人々の特徴であり、それこそが「知識人」の証なのかも知れない。
488 :
日本@名無史さん:03/04/25 13:27
489 :
日本@名無史さん:03/04/25 13:56
全開連が、解放同盟の言葉狩りとか利権を批判して逆差別を止めさせようとするのは当然だと思いますが、
全開連は、差別に対する啓発教育も、憲法で保障された思想信条の自由に反するとして反対しているんですよ。
しかし憲法ではもちろん差別の反対もうたっているわけでして、
結局全開連は、大衆感情におもねって、解放同盟を叩くことを自己目的として
いるんじゃないかって言う気がしますね。
PS.繰り返し言っておきますが、同和利権とか、言葉狩りとか、逆差別の部分は解消すべきだと思いますが、
差別そのものもまだあると思います。
490 :
日本@名無史さん:03/04/25 14:27
差別なんかどこにでもあるさ。学歴による差別、年齢による差別、容貌の美醜による差別、
身長による差別などなど。
そういった中で、解同は部落差別だけを特別扱いするよう要求している。
これまたおかしな話だ。
はっきり言って現代の日本では、部落差別などよりも学歴や身体的条件による差別のほうが
はるかに一般的であると思われる。解同は馬鹿のひとつおぼえのように
部落出身者への結婚差別や就職差別の話を持ち出すが、学歴や身体的条件による差別のために
結婚や就職に敗れた者のほうが多いことであろう。
491 :
日本@名無史さん:03/04/25 15:00
>490
仕方ないでしょう。だって学歴差別や身体条件差別を撤廃するということを仕事
にして飯を食っている人間はいないもの。
街道の人たちは、長年に渡って、それを叫ぶことで、補助金やらなんやらもらうことで
生活してきたんだ。今さらやめられないよ。こんなおいしい仕事ないもの。
日本から部落差別が完全になくなるとしたら一番困るのは街道の方々。
及び、エセ童話の方々です。金集めの手段がなくなるからね。
歴史以外のことを語りたいのなら、続きは人権板でやれ。
493 :
日本@名無史さん:03/04/25 15:21
まあそれも昭和の歴史なわけで。
もっと室町あたりを解明したいところだけど。
江戸時代や明治以後は結構語られてるけど
いまの日本文化や社会が形成されたのは室町
時代でしょ
494 :
フーミン=もしもツアーズ=師走=後小松天皇:03/04/25 15:24
>>484 よく意味が分からんが
肯定は していなそうなので解説↓
いや 自分は東北にすんでるんだが
普通に使うし 普通にいうんよ。
町内会に出れば、みんなそういってるし
また地域の広報紙にも書いてある。
同県の別の町に住む祖父母も〜部落で火事がとか
〜部落の〜さんとこに とか。
さすがに市部の中心部は〜地区というが
他の郊外などで カッコつけて〜地区などとは
けっして言わない。
495 :
後小松天皇:03/04/25 15:34
たぶん「部落」という言葉は
集落とほぼ同じ意味なんだろう。
ただ被差別部落の方が頻度が高くなって
省略される過程で部落の方が残ったのであろう。
似たような言葉に『ケータイ』がある。
本来『ケータイ』という言葉には
電話とかTELとかいう意味は無い。
しかし『ケータイ』は単独で 電話の意味を
含むように成った。
496 :
日本@名無史さん:03/04/25 15:38
2ちゃんではBのことです。
497 :
日本@名無史さん:03/04/25 15:47
差別は、差別される側の視点から考えないと、いつまでも差別は消えない。
確かに、様々な差別は存在するが、部落差別はまったく別の次元の差別だ。
学歴とか、社会的立場とか、年齢とかは、すべての人間に関わることだが、
被差別部落問題は、それとはまったく別だと思う。
それともう一つ、「街道」といっているのは解放同盟のことだと思うが、
そうした言い換えをすること自体が、差別を助長することにしかなってい
ない。真摯に、科学的な歴史観から考えて欲しい。
498 :
日本@名無史さん:03/04/25 15:52
>確かに、様々な差別は存在するが、部落差別はまったく別の次元の差別だ。
>学歴とか、社会的立場とか、年齢とかは、すべての人間に関わることだが、
>被差別部落問題は、それとはまったく別だと思う
理解に苦しむ意見だ。学歴による差別(低学歴者差別)は「すべての人間に関わること」
ではなく「低学歴者に関わること」ではないのか?
なぜ部落差別だけが「まったく別の次元の差別」なのか?
そのような発想そのものが部落差別意識の裏返しではないのか?
>全開連の方針
日本及び世界における「あらゆる差別」は民主主義・人権意識のさらなる向上
により無くさねばならないと言う方針。
部落差別特別視=同和教育特別視に反対してるのであって、
一般的な反差別教育・人権教育には賛成している。
>>494 それは、「集落」と言う意味での「部落」だね。東日本ではよく使う。
みんなが言ってる「部落」と言うのは、「被差別部落=特殊部落」のこと。
辞書だと
「農家・漁家などが何軒か一かたまりになっている所。村落。
〔狭義では、不当に差別・迫害された一部の人たちの部落を指す。
この種の偏見は一日も早く除かれることが望ましい。「―解放運動」〕
と、書いてある。
>中世
ここは、近世に連なる被差別民のターニングポイントかな?
戦国時代の惣村では、村民の身分は自治で決めていたというのが、
眼から鱗だったなぁ。
そこから、部落解放へは、行政と民衆自身の覚醒の2本の道が必要
となる。
10年、同和教育・研修をやめれば、部落差別は消えると言う意見も最近あるが。
あら、また現代史になってしまった。
古代・中世・近世・近代に誰かふってくりや。
500 :
日本@名無史さん:03/04/25 15:54
>それともう一つ、「街道」といっているのは解放同盟のことだと思うが、
>そうした言い換えをすること自体が、差別を助長することにしかなってい
>ない
これも論旨がよく分らない。解同を「街道」と変換することによって、なぜ差別が助長されるのか?
501 :
日本@名無史さん:03/04/25 15:54
>>497 いや、解同利権がなくならない限り、差別はなくならない。
「俺は部落出身者だー、まだ差別されてるんだー」と言うだけで、
濡れ手に泡で儲かるんだから、解同は3日やったらやめられん。
もはや人権板化は止められないか?
日本史板で書くべき内容でないときは、責めてsageで書けないものか?
>>497 それは、街道や街道系の理論で、現在では破綻してるよ。
あと、被差別部落民てもうほとんどいないよ。
行政指定の被差別部落における、被差別部落民は約30%。
あと、25年ほどで、人口流動により0%になる予定。
497は後天的なものと先天的なものの違いを言っているんだろう、世襲での差別はひどいと。
ただこのスレには先祖代々不細工な人も多いようで・・・
自分たちも不条理な差別を受けているのから平等ということですね。
506 :
日本@名無史さん :03/04/25 16:06
良スレだったのに人権化してきたな。
歴史に限定してくれー
507 :
日本@名無史さん:03/04/25 16:08
>>505 ワラタ、まあ男はスポーツやら学業やらで成功すれば相手を選べるわけで、先祖代代ってのはご先祖様が無能すぎ
509 :
日本@名無史さん:03/04/25 16:16
科学的に考えると城下町のは軍需産業だと思うよ。江戸初期。
西日本で外様、反徳川勢力の城は一国一城令でさっさと
おとり潰しになった。それに、織田信長の時代から存在した
鉄砲鍛冶なんかはどこに行ったんだ?
台風で城が破壊されたのをちょっと直しただけでおとり潰しに
なった城主もいるし。西日本は江戸初期においては警戒されてたんだよ。
心の中では豊臣シンパの人々もいただろうし。それに、
武家が天下を取ること自体面白くない連中もいただろう。
反徳川勢力下の軍需産業の押さえ込み&産業構造の転換は実際あったのではないの?
もう、下克上や戦乱の心配がなくなってきたら、農民などの
日常生活の不平や不満のスケープゴードとして差別されたのだろう。
芸能民などは、生活に余裕のない時代では、生産性がない職業だと
されて差別されてたみたいだけど。
510 :
日本@名無史さん:03/04/25 16:19
岡崎は家康の故郷ということもあって火薬の取り扱いを任されていた。
鉄砲もある程度信用あるところだと思うけど。
511 :
日本@名無史さん:03/04/25 16:20
ただ、産鉄民とか死穢にかかわる仕事の賎視はきっと6、7世紀
頃からあるんじゃないの?
512 :
日本@名無史さん:03/04/25 16:23
信長は火薬の原料の硝石を遠くはチリからなど輸入していた。
鎖国してからは、人間の尿や動物の皮を利用して作ってたらしいけど。
悪臭とかがもとで差別されたっていうのはある鴨。
火薬は基本的に取り扱いが三河に限られてたのでは?
513 :
日本@名無史さん:03/04/25 16:51
"人権板"でもなんでもいいじゃん。いずれにしろ過去の差別も現代の差別も
人間の欲得がからんでることはまちがいない。
たとへ中世の明確な被差別の実態がなんらかの文献で明らかになっても
現在の価値観で読めばおかしなものになるだろう。
誰かに利益を与えるシステムは時代が変わっても継続されるってのが
歴史原則でしょう。
ウザイ…
貴様ら昼間からなにやってるか。
515 :
日本@名無史さん:03/04/25 17:59
っていうか、結局、古代〜中世、江戸時代の賎民、賎視された
人々ってとどのつまりが「身分&職業」なのかな。
そうすると、社会的地位と宗教観や政策による職業差別(?)
その人々が「集落単位」で差別されるようになったのは
江戸期の移転の自由の禁止からでよろしい?
>>513 >"人権板"でもなんでもいいじゃん
荒れるんだよ。良スレが。解らん香具師だな。日本史板の状況知らんのか?
517 :
日本@名無史さん:03/04/25 18:04
ただ、江戸期、貨幣経済が発達してくると身分的に賎視されていても
その産業に需要がある限りは、金持ちになれた職業種の
人もいたってことかな?基本的に職業選択の自由はないから
その地域で寡占産業だしね。
518 :
日本@名無史さん:03/04/25 18:09
金持ちになれたか、なれなかったか、は職業種&被差別部落内の身分
によるな。多分。染色業なんかは金持ちだったみたいよ。
被差別部落内の身分は世襲なの?ダンザエモンは世襲?
519 :
日本@名無史さん:03/04/25 18:38
よくわからないのだけれど楽市楽座以降、座の撤廃は
行われたのに、(このとき問丸等河川運輸の座もつぶされたハズ)
江戸時代になると特定の産業だけ特定の人間(家?集落?)しか
行えなかったのはなぜだろう?やっぱ、穢れ?
520 :
日本@名無史さん:03/04/25 18:44
織田信長は,関所を撤廃し, 楽市楽座の制を,性急に押し進めた。
昔の為政者にとっては,何であれ利益を独占する特権集団は,明
確に敵である。楽市楽座とは,主として,市場税の免除(楽市)
と,専売座席,すなわち市座の撤廃(楽座)を指す。つまり,一
部の商人の特権を排して,外部からの新たな参入を容易にし,商
業規模を拡大することを意図していた。信長の政策が市場を本格
的に動かし始めたのは,天正5年(1577年),安土城を構えた際,
城下を楽市としてからである。 楽市楽座は,まず特定の地域で
楽市を実施し,その後,複数の市場にまたがる座の特権を停止す
るという順番で行われた。この時,問丸も大きな制限を加えられた。
運送から港湾税の徴収までを取り仕切る問丸は, 信長にとっては,
座と同じく,全国経済の円滑な発展を阻害する邪魔者であった。
問丸は運送と物資の 調達のみを認められ,他の業務は禁じられた。
そのため,それぞれ一つの業務に特化していった。
税の免除は寺社から税の徴収権を剥奪する目的があったみたいだけど。
521 :
日本@名無史さん:03/04/25 18:47
楽市楽座・・・構造改革?
522 :
日本@名無史さん:03/04/25 18:49
楽市楽座もユ○ヤ=イ○ズ○会の陰謀なのかな?
523 :
日本@名無史さん:03/04/25 19:03
皮革産業とか医薬品の座っていうのもあったの?
524 :
日本@名無史さん:03/04/25 19:28
特定の産業だけ特定の人間(家?集落?)しか行えなかった
↑
これはやっぱケガレやタタリを恐れる概念が働いてるのかな?
ケガレやタタリにはエタや非人なら大丈夫みたいな?
こういうのは、現代人ではわからんな。
江戸も後期になると特権化していった・・・?
どうやら頭と趣味の悪い人が増えたようで、
私はもう遠慮させてもらう
526 :
日本@名無史さん:03/04/25 21:28
527 :
日本@名無史さん:03/04/25 21:29
>>511 :日本@名無史さん :03/04/25 16:20
>ただ、産鉄民とか死穢にかかわる仕事の賎視はきっと6、7世紀
>頃からあるんじゃないの?
古代では聖視されてた。賤視は鎌倉時代中期以降。
528 :
日本@名無史さん:03/04/25 21:34
>>527 ん、でも大化の薄葬令で古墳作りが禁止され
仏教と儒教が持ち込まれると、古墳作りの
土師部は名を忌み嫌って改名してるくらいだから
何かあるのでは?
529 :
日本@名無史さん:03/04/25 22:52
>>528 改名は奈良時代後期から、仏教儒教伝来浸透とは時差あり。
ちなみに、改氏ブームだった。
↓
奈良時代後期から末期にかけて改氏姓を願い出る氏族が増加し,土師氏も,
その氏の名が凶礼にあずかることに結びつけられやすいことを理由に,改氏姓を願い出た。
そしてその拠地により,菅原氏,秋篠氏,大枝氏となった。
530 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:20
産鉄民は神聖な山を荒らすということで嫌われたらしい。。。。
案外、開墾者にもそんな感情が働いたのかも。。。
531 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:22
朝日新聞のスクラップを読み返してたら
「江戸時代に幕府が身分統制に関する触れを出した形跡はない。
士農工商えた非人、と、セットになった言葉も江戸時代の文献には一度も登場してない」
んだそうだ。
明治以降に、創作された部分がかなりあるらしい。
532 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:29
>>531 部落差別は商才に長けた人間の創作か?(w
確かに大もうけできたわけだが。
533 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:32
てか、今の街道って、ある意味、祖先返りなんじゃないかな?
江戸時代のエタ、ヒニンは社会的には差別されていたが経済的には優遇されていた。
明治になって四民平等ということになったが、それは建前で社会的差別は残った
社会的差別は残ったのに経済的特権は残らず廃止されてしまった。
そんで彼ら気が付いたんだな、騙されたって。
二度と差別廃止なんかに騙されないぞって。
いくらでも差別してくれ、いくらでも忌み嫌ってくれ、でも経済的特権はいただくぞって。
534 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:50
経済的に優遇されていたのは頭だけだろ。
いまもそうらしいけど、部落内の貧富の差はかなり大きかったと思うよ。
>>534 江戸期の表向きの事に関して言えばそうだろうね。
ただ、中には頭に上納金を払わない者がいて
リンチを受けたり職能集団から追放される者も多かったそうな。
また頭は世襲制ではなかったので、
頭の座を巡って集団内での厳しい対立もあった。
企業内の派閥抗争のような状況がずっとあったみたいだ。
536 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:56
専売特許と座の違いって何?
いつも思うことなんだが、
2ちゃん全体の平均値では嫌われてる日本共産党の言い分が
こと創価と解同の問題に限ってはなんでこんなに信用されるんだろう?
どうせ別冊宝島や噂の真相中毒の厨房なんだろうが、
おまいら、日共=全解連が強い地域の
ドキュソガキの荒れ具合の実態知らないだろ。
538 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:58
市座に所属してると上納金を払わなくてはならないの?
座は撤廃されたけど、復活したの?
>>538 市座は一括りじゃないよ。
「市」と「座」。
検索すればそれぞれどういうものか分かると思う。
江戸期の職業集団は確かに座に似ているね。
座は商人(町衆)や農民(本百姓)も加盟できたけど、
江戸期においては基本的に座の支配を受けてはいけないので加盟できなかった。
なぜなら封建制度は主従関係が1つでなければならず、
座に商人・農民が加盟すると主従関係が2つになる恐れがあった。
だから表面的には自分の家を所有する人は座もしくはそれに類するものに所属することはできなかった。
ただ抜け道はいくつもあって、使用人を職業集団(座)に参加させて
そこで商売する人もあった。
また幕府は「仲間」を作らせて一部の商品をその「仲間」だけに扱わせた。
540 :
日本@名無史さん:03/04/26 00:16
江戸時代の職業集団(座)の中には、賎視された職業の座もあるよ。
宗教的にケガレに関する職人の座が賎視されたのかの?
>>540 そうでもない。
芸能集団とか客寄せパフォーマンス付薬売りなんかは
ケガレと直接関係なくても賎視されていた。
基本は持ち家がないと賎視されていたのでは?
丁稚なんかは身元引受人が家を所有していたから賎視されなかったかと。
網野善彦に言わせると、
中世以前は非農業民はみんな差別されていたそうだ。
まあ、ある意味電波ジジイだから真に受けない方がいいと思うが。
543 :
日本@名無史さん:03/04/26 00:44
家がないってのは非人系ですか?
>>533 さらに明治期のようには戻りたくないという恐怖心もあるだろうな。
545 :
日本@名無史さん:03/04/26 01:03
っていうか芸能民と職能民は系統的に別だと思う・・・
それに、芸能民は移動できたし。
芸能民は生産性があまりないということで差別されてたらしいけど、
昔は。。。。
>>534 普通のえた・非人も弾左衛門役所に職場年貢銀とか家別役銀とか
結構重い税を納めてるよね。
納められるってことは、それなりの収入があったと思う。
鈴木家文書でも、お伊勢まいりとかでてくるしね。
547 :
日本@名無史さん:03/04/26 04:48
しかし、土師氏はからんでる気するな。
戦国時代において河川付近で住んでた人々は河川付近に住んでる人々
を頼って移住してきたりします?自分の住んでたところは東海地区から
攻め入った人々が城を築いたみたいですが、やはり河川を利用して
活躍した人々と縁の深い人々のようですが。
ゴダイゴ天皇の時代にはすでに山河における鬼のネットワークを利用
してたみたいですけど。ついでにゴダイゴ関連の寺社もあるようです。
土師師は産鉄、古墳造営、そうして呪術を担ってたそうですが。
土師器も地鎮に用いられたようですね。
面白いネタがあったので、ちょっと紹介。
“道”という字は、白川静の『字通』によると、首を捧げ持って歩くということを
表した字なのだそうだ。どうして首なのかというと、道というのは、本来さまざまな
ものが流れ込んで くる場所であり。地霊をしずめたり、外敵に対して祓い清めの呪術
を行うよう な場所でもあった。そこを神聖なる結界として定めるため供物として首が
用いられたのである。
そのうち首は埋められるようになり、その上に道祖神のようなものが、
どんどん置かれるようになった。
宮廷のもとで道をつくったとされる一族は、“土師氏族”だとする説がある。
少なくとも、選ばれた特別な氏族によって執り行われたに違いない。
また、道は“東”の方角が最重要視された。
ゆえに東海道は日本における 最も重要な道なのだ。
ついでに、いうと首なしに関連する昔話もあったりして・・・・・
うーん。ちょっと、恐いですね。。。。。。
城に対して東側に部落があるのですが、結界の意味もあるんでしょうかね?
昔は蝦夷(関東)とかそういう意味かと思ったけど。
これは、ちょっと考えすぎかな〜?
549 :
日本@名無史さん:03/04/26 05:18
それはあなたの城下町がたまたまそうなだけでは?
大坂の有名なBは、大坂三郷の南にあった。(いまも在る)
京都は七つ口といってな、あわわ。
江戸も西のほうにな、
>>537 >おまいら、日共=全解連が強い地域の
>ドキュソガキの荒れ具合の実態知らないだろ。
知りません。統計と関連理由を提示してください。
提示できないに、10円。
スレ汚しなのでsage.
551 :
日本@名無史さん:03/04/26 15:02
雀部も古墳造営関連??
統計的には提示できませんが、「経験的に同意する」に1票。
553 :
日本@名無史さん:03/04/26 15:18
ドキュソ差別と部落差別は別。
554 :
日本@名無史さん:03/04/26 15:25
雀部は、仁徳天皇の名代(私有民)。
名代は農民が多く、特産物を捧げる。
と、あったが。
555 :
日本@名無史さん:03/04/26 15:58
じゃー、やっぱ大宝律令と五色の賎あたりかな?
起源・・・
556 :
日本@名無史さん :03/04/26 17:51
>>546 ソースもなく妄説を垂れ流す厨房が多いスレだと思っていたが、
唐突に「鈴木家文書」とはね・・・
アンタ、素人じゃないね(・ー・)ニヤニヤ
557 :
日本@名無史さん:03/04/26 18:31
558 :
日本@名無史さん:03/04/26 22:15
律令制度の奴婢制度は、10世紀初期にほとんど崩壊しています。
↓
奴婢身分も,律令制から荘園制へという時代・社会構造の大きい転換のなかで,
10世紀初めの延喜年間(901‐923)にいたり全面的に廃止され,日本の賤民史上
に特筆される画期をなした。
これ以後,律令制にもとづく身分制・賤民制の仕組みは急速にくずれていった。
559 :
日本@名無史さん:03/04/26 22:29
話を近代に戻して悪いけど、破戒のモデルになった大江磯吉という人物
は本当はどんな人だったのだろうか?
なんか非の打ち所のないような人物のように語られてるけど、
清廉潔白すぎて人間っぽくないような気がする。
あと、どこに行っても応援してくれる人がいたようだけど、
江戸時代と明治後期とでは差別観にどのぐらいの差があったのだろうか?
彼の人生を追っかけてみると以外と現代と変わらないような気がしないでもないんだよな。
もっとも、いま部落民が校長になっても、生徒から卒業式をボイコットされるようなことは絶対にあり得ないがね。
560 :
日本@名無史さん:03/04/26 22:47
明治後期も差別感情は民衆に根強かったと思います。
皮革産業特権を失い、生活は江戸時代より苦しかったかも。
しかし、明治帝の一君万民をよりどころに、
平等だと言う自覚と発言は生まれつつあったと思われます。
明治20年代後半から30年代にかけて自覚的運動が出てきてますね。
「大日本同胞融和会」が、全国規模でできてます。
561 :
日本@名無史さん:03/04/26 23:24
おそらく、金融恐慌で融和事業でできた小さな銀行は
取り付け騒ぎが起き、潰れてます。
その後、不況から戦争に向かう中で、融和運動は
部落民を戦争に駆り立てていくことに・・・・・
ということなのですが、融和事業も初期の頃はそのような
性格ではなかったのでは?と思うのですが・・・
明治帝の下に・・・というのはそうだと思いますが。
531の
「江戸時代に幕府が身分統制に関する触れを出した形跡はない。」
というのは皆さんの手元の資料ではどうでしょうか?
中学校で勉強したのとは異なるんですが。
563 :
日本@名無史さん:03/04/27 01:05
それから、産業革命時の低賃金で過酷な労働をする労働力として
用いられたというところも大きいと思います。
都市部における困窮化。
従来の職業が大資本や安値の輸入品に負けてしまうが、就職差別
などで収入の良い職につけない。
そこへ恐慌の到来→困窮化というところでしょうか?
564 :
日本@名無史さん:03/04/27 01:16
恐慌の到来→困窮化→海外移民、戦争
565 :
日本@名無史さん:03/04/27 12:12
明治の困窮化が運動と融和策を呼び、大正の水平社へつながって行ったようです。
>>562 江戸時代差別発生説は近年否定されることが多いですね。
「ある特定の被差別集団を作り出すことは政治にはできない」と言われてます。
中世の被差別民・部落を、秀吉の検地帳では平民と同じ帳面でカワタ表記でしたが、
江戸時代の検地帳では別冊化で差別の固定化はしました。
これは、幕府の政策かもしれません。
さらに差別を悪化させる法令を各地の藩が独自に出してはいます。
566 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:05
オイラは素人だが、聞いた話で、なるほどなあと思うことがある。
戦国時代以降、各大名が国盗りゲームを演じ、徳川期には大名の国替えもかなりの
頻度で命じられた。これは、農村の自治が非常に進んでいたからできたこと。
年貢の村請け制のさせるワザ。要するに、武士は支配しているように見えて、
実際は年貢をもらうだけの存在。農村の自治には手を出せないと。
こんな常態で、それまでなかった被差別民を作り出すことなど到底無理。
当然、それ以前から何らかの要因でそうなったものがあったとね。
567 :
日本@名無史さん :03/04/27 22:25
>>566 だって、エタが直接従属してたのは藩主や代官ではなく、
小頭、さらにはその上の大頭(東日本の場合はあの弾左衛門)だからね。
つまり、近世賤民の支配組織ってのは藩領や天領を超越していた。
大頭と公儀の関係がどうなってたのかは難しい問題だけど、
少なくとも藩主や代官が勝手にいじってどうこうできるような存在じゃなかったんだよ。
568 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:30
近江の佐々木氏については、「市辺押磐皇子の陵守たりしより見れば,
佐々木は陵(ササキ)に因める名称なるべしと云ふ」
とあるから、五色の賎で陵戸である祖先をもつ佐々木氏も、
大名として活躍したから、律令制度の下での賎民は下克上の世
では、支配者にまでなってるといえばなってるね。
569 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:45
うちの地元、同和率高いんだけど、殿様に甲斐性がなかったのが原因だと思ってた。
いまでも同和対策事業を地域振興策に利用してたし。
570 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:50
鋳物師や青屋って人骨灰を原料に利用してたってホント?
それなら、死穢かな。。。。?
571 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:05
某藩では藩主御用達の漁村が指定されたりしているからなぁ。
これは殺生戒とは関係なく単なる優遇措置だ。
ニカワなんかも元々は鎧用のを軍需産業として囲い込みをしただけで
ケガレ意識はあまり関係ない。
572 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:08
>>某藩では藩主御用達の漁村が指定
これも、実は秘密の海軍(?)的軍需産業だったりして??
免税してたのは、江戸初期にはいつ起こるやも知れぬ
戦のためだと聞いたが・・・・
573 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:16
>>570 イギリスに動物の骨灰を陶磁器に入れる方法はあるけど、
日本では聞かないかな。
574 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:17
それから、アヘン輸入とか秘密の金鉱脈とか
一般人に知られたくない場所には藩が「近づくな」
の意を込めて、妖怪の噂とか流すってことはない?
575 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:20
鉱山開発は藩の重大産業。
商業資本と提携し、大規模に開発した。
576 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:21
うちの県での傾向。(関東)
古い城下町,それも規模の大きめのところには
同和地区が今でもある。
江戸期に商業で栄えた町ではまず聞かない。
城下町兼商業都市だった所には
うちの県で一番大きいらしい同和地区がある。
豊かな田園地帯で農村人口も大きかったハズだが
まず見ない。
同和地区として指定されないほどの
数軒の集まりとしてならあるらしいが。
もっとも今では,成人して聞かされるまで
自分が同和地区出身だと知らなかった様な香具師が多くなってるが。
こうして見ると武家との関わりが強くないかい?>被差別民
577 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:21
>>574 んと、染物の色の保持とか漢方薬みたいなのに使ってたらしー。
人骨灰・・・ホントかな?
578 :
日本@名無史さん:03/04/28 01:16
>>576 >こうして見ると武家との関わりが強くないかい?>被差別民
そりゃあ強いよ。
身分解放令最大のデメリットは
軍事徴用が出来なくなった事だからね。
あの地区を歩いて最初に気がつく事は慰霊碑の多さ。
相当数の人間が命を落としている筈だ。
たぶん最前線に行かされたんだろうな。
579 :
日本@名無史さん:03/04/28 01:24
580 :
日本@名無史さん:03/04/28 01:32
屠勇隊が特別に最前線に行かされたというわけでもない。
部落民が出自を誤魔化して奇兵隊に入ったのがばれて切腹させられたこともあるのに、
出自が原因で最前線に行かされたという話はちょっと信じがたいな。
581 :
日本@名無史さん:03/04/28 12:04
戦中、部落民を志気し「部落民の父」として仰がれた松本治一朗なる人物は
「部落民はただでさえ下卑されているのだから、戦場では最前線に立ち、
敵に立ち向かわなくてはならない」うんぬん、なことをいい、爆弾を抱えて
敵に突撃する「肉弾三勇士」などの行為を称えた。
戦後、松本治一朗は部落解放同盟から「部落民の裏切り者」として忌み嫌われ
ることとなり、彼の思想は否定された。
ちなみに、肉弾三勇士は、その勇敢な行為を称え「軍神」と呼んでいたのに、
部落民とわかってからは「肉弾三勇士」に変わった。
部落民は、「軍神」にはなれなかったらしい。
水平社は軍隊内での日常生活における部落差別を糾弾し、あの陸軍に謝罪させたり
約束させたりしている。
582 :
日本@名無史さん:03/04/28 14:11
>>578 賎民の種類によると寺や神社との繋がりが深い人達もいるのだろうけれど。
城下町の職能民は武家との関わりのほうが強そうな気がする。
583 :
日本@名無史さん:03/04/28 15:42
一君万民思想と同和運動の関係は?
584 :
日本@名無史さん:03/04/28 16:29
>>582 城下町には、芸能系や乞食系の職能民はいたと思います。
数多くの種類があったようです。
ただ、皮革(死牛馬処理)などは村(城下町以外の都市は村と言われた)
の農村地区でないと、経営が不便なのではないかと思います。
当然、皮の武具も関係しますから武家との関係も持ちます。
ただし、その武家が身分を決めたのではなく、
惣村自治で、中世に身分的格差を決めているようです。
585 :
日本@名無史さん:03/04/28 16:36
>>583 「天子様が解放してくれたんだから平等じゃい」と解放運動団体側が
特に明治の運動初期期に使ったようです。
政府官制の懐柔御用団体も、「皆、陛下の赤子で平等」と使ったようです。
水平社は、大正期のデモクラシーの雰囲気と、社会主義運動組織との
関連から、「君主制」への対応には微妙だったようです。
少し整理した方がいいかな。まあ、既に細かく出てるけど。
地域によって名称が異なるってことは、成り立ちも異なるってこと。
だから総称で一くくりにすると、わけがわからなくなる。
実は、江戸時代の士農工商の研究でも、近年では、そうなっている。
勝海舟は、商人だった祖父が、御家人株を買って武士になれたわけだしね。
ちなみに髪結いは誰でも成れたし、一流ともなると年間60両の収入で、
その金で故郷に帰って、土地・屋敷を買った人もいた。
ただし地方の農村の場合、土地・屋敷は金で買えても、
身分は買えなかったという記録がある。
これは、水呑が一人前の百姓として生活しているんだから、
本百姓にならせてほしいと頼んだんだけど、
断られ、結局、江戸に戻っていったというもの。
生活水準だけで考えると、部落民も江戸や大阪などの大都市に出てくれば、
才能次第で、良い暮らしができたってこと。
>>489 全開連は「寝た子を起こすな」ってのが本音(
>>499の特別視と関係)。
解同は、在日が幹部にいたりして、もう駄目…
だから、天皇制廃止を掲げたりする奴が出てくるわけ。
全国水平社は、天皇制支持してたから、おかしいわけね。
部落民の天皇制支持は、天皇の下の平等という思想的なものと、
隆慶一郎が意識した網野善彦の「道々の輩」(=部落民)が、
天皇の民と称していたことと関係があると思う。
西光万吉と「神の国」――部落解放と尊皇という二者統一の道
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/kaminokuni.htm
587 :
日本@名無史さん:03/04/28 17:34
588 :
日本@名無史さん:03/04/28 19:42
解同の幹部に在日が?
あり得ない話じゃないが、初耳だな。
589 :
日本@名無史さん:03/04/28 19:43
>>天皇の民と称していた
それって例の南朝大室何某がどーたらゆー話とも関係が深いの?
蝦夷共和国では北朝の天皇を擁立してたってこれってデムパ?
590 :
日本@名無史さん:03/04/28 20:16
>>581 >戦後、松本治一朗は部落解放同盟から「部落民の裏切り者」として忌み嫌われ
>ることとなり、彼の思想は否定された。
アフォですか?リア厨ですか?
人権板以下ですな。
六本木の解同東京本部は旧松本邸だよ。
治一郎、その子、孫と三代にわたり国会議員やってて
現三代目も解同大幹部だよ。
ちなみに爆弾(肉弾じゃねーよ)三勇士=部落民説も根拠がない噂のレベル。
上野英信の本も読んだことないのだろうが。
591 :
日本@名無史さん:03/04/28 22:15
>>590 松本治一郎の戦争賛成思想などは、戦後、否定されてます。
公式の街道の記録などからは消されてるんじゃないかな。
中央執行委員たる松本が率いた水平社も戦争賛成勢力に回ってますからね。
戦前・戦後の松本の業績を全否定してるわけではない。が、事実は事実。
ちなみに、「肉弾三勇士(爆弾三勇士とも言う)」と近年の事典類には記載されてます。
陸軍が失敗して死んでしまった話を自爆美談に作り変え、「軍神」予定者にして、
マスコミも盛り上げたが軍神にはならなかった。
理由は一般兵士のためとされたが、真珠湾で9人の一般兵士が軍神になってる。
口のききかたに気をつけることをお薦めします。
592 :
日本@名無史さん:03/04/28 23:37
水平社が翼賛体制に組み込まれていたことは
歴史の教科書からは見ることはできない。
水平社に限らずすべてが翼賛体制下にいるということで
免責扱いだ。仏教界はさらに露骨だが・・戦後国家神道
との否定を利用しかえって宗教特権化をはかった。宗教の
独立性が聖域化したのだ。カイドウも同様に・・・
幕末、小笠原という幕閣が九州司令官として対長州戦を指揮したの
だが・・兵を見捨て責任者自ら逃亡した。放置された家臣団は
講和中に独断で城を焼き撤退した。長州は一時期その地を治めたが
非差別身分の撤廃など明治期の四民平等につながる施策も行っている。
だが・・・それに反対する一揆が起こった。えたひにんに対する反発。
差別制度の呪縛は濃いものがあったのだ。
594 :
日本@名無史さん:03/04/29 00:22
うちの近くに昔の部落があります。 戦前に生まれたじーさん共は
いまだに自分たちより劣る人間だと思ってるようです。マジで
595 :
日本@名無史さん:03/04/29 01:44
前の方でやたら融和運動にこだわるヤシがいたけど、
そもそも「同和」とは戦時中のイデオロギー「臣民一体同胞融和」から来てる。
したがって「同和」という用語を解同が好んで使うということは・・・
596 :
日本@名無史さん:03/04/29 02:33
>>593 漏れが読んだ長州史では
部落民も諸隊の一つを作って戦闘に参加したようです。
江戸-封建-身分差別
勤皇-一君万民-同和
という側面はあったのかもしれない。
597 :
日本@名無史さん:03/04/29 16:33
一揆が最も多かったのは明治6年頃
特に農民と被差別の者を同じ平民と
したことに対する不満が大きかった
598 :
日本@名無史さん :03/04/29 17:49
俺は被差別民がなぜあんなに嫌われるのか疑問に思う。
嫌われる理由は、穢らわしいとかの理由とは違うのではないだろうか。
在日が嫌われるのは、国籍よりも終戦直後の暴力的行動などが原因
である。
それと同様に被差別民も素行不良な面があったのではないだろうか?
たとえば江戸時代は皮革業で裕福だったために、農民に高利貸を行う
などして嫌われたとか。警察的役割をはたしたといっても、今の警察
と違って限りなくヤクザに近かったとか。
こういうもっともな理由があったと思う。サンカなんかはもはや差別の対象
ですらないし、実体もないわけだし。
599 :
日本@名無史さん:03/04/29 20:31
部落はほんとに忌み嫌われていたの?
現在の解同は嫌われてるけど。でもそれは彼らがあからさまに
逆差別してるからで、過去の部落とは異質な世界になっている。
過去の被差別の実態はどうだったんだろう?
600 :
日本@名無史さん :03/04/29 20:33
>>599 「チョーリッポ」とか言って馬鹿にしていたぐらいだから、ある程度の
差別はあったんじゃないの?
601 :
日本@名無史さん:03/04/29 21:11
>>597 1873年(明治6)年前後の一揆の多発の原因は、1872(M5)年の学制反対一揆・
1873(M6)年の徴兵反対一揆・1873(M6)年の地租改正反対一揆です(改正でも江戸時代の年貢負担と変わらなかった。
1877年に一揆に対応し、地租が地価の3%から2.5%になった)。
解放令は1871(M4)年。反発や小さな一揆は起きたが、それで終わった。
602 :
日本@名無史さん:03/04/29 21:12
>>599 最初は小学校が別でした。平民学校と部落学校。
運動の成果と、政府の方針で共学化。
なんと、平民と部落民の間に仕切りを引いたり、
部落の子の列だけ床板を一枚はがしたて低くしたり、
平民と部落民と掃除場所を分けたり(同じバケツで雑巾をゆすげないと平民の子は
本気で思い込んでた。差別の伝統の力でしょう)、
嘘のような差別がまかり通ってました。
大正期までこの学校における差別は続き、水平社の大きな課題でした。
603 :
日本@名無史さん:03/04/29 22:08
徳川期までは、身分制の時代とはいっても、身分の違うものはそれぞれの生きるべき
ところで別々に生活していたので、あまりお互いに直接関係することがなかったんでは
なかろうかね。そういう世界では、具体的な差別行為はほとんど発生しない。
それが、明治期以降、国民という新しい概念で一つの社会にされてしまった。
学校も出来た。そうなると、同じ世界で接触することになってしまった。
そこで、かえって差別意識が強烈に出てきたんじゃなかろうかね。
そういう意味では、現在問題にしている差別は、明治期以降に顕著に表れた現象
じゃないのかな。もちろん、差別の根源は遥かな過去からの遺物ではあると思うけどね。
604 :
日本@名無史さん:03/04/29 22:38
>>598 そう、原因は憎しみの連鎖だよ。
アラブで起きてることと何ら変わらないよ。
学者はいろいろ言うけど、明治以前も憎しみの連鎖が原因だと思うよ。
605 :
日本@名無史さん :03/04/29 23:11
>>604 被差別民って時の権力に迎合しながら生きてきたんだろうね。
中世は朝廷にすりより、近世は大名の手下に。
そのため、一般からは常に嫌われてきた。
それが明治以降の国民統合の中で、差別が顕在化して、
憤った被差別民側が今度は逆差別を要求して増長し今に至った。
関西あたりではあと100年たっても憎しみの連鎖は消えないと思う。
朝鮮半島の白丁あたりと同一視することも多いけど、この辺りの事情は、
違っているような気がするね。
606 :
日本@名無史さん:03/04/29 23:34
秩父事件スレがちょうど上がってきてるんで思い出したけど、
あそこの激戦で八王子の部落出身の自由党員が
「われわれは○○○県士族、○○なりー」
と名乗りながら斬り込んで討ち死にしてるよ。
井上幸治の名著「秩父事件」(中公新書)95頁を参照のこと。
はたして「部落民」などというアイデンティティが
近代初期に実在したかどうかあやしい。
607 :
日本@名無史さん:03/04/30 00:24
>598
>在日が嫌われるのは、国籍よりも終戦直後の暴力的行動などが原因である。
関東大震災の時に、朝鮮人に対する虐殺行為があったじゃないですか。
そのときすでに朝鮮人に対する差別はあったんだと思います。
>それと同様に被差別民も素行不良な面があったのではないだろうか?
だからそれは何だったのかをめぐって論争してるんだけど、
どんな起源であったとしても、ある時点で理由があって差別される存在だったとしても、
本来それはその人物限りのもので、同じ土地、あるいは同じ家系のものがずっと差別され
続けていいことにはならないでしょ。
まあ、身分社会においては、職業なんかも簡単には変えられずに被差別身分とともに継承されていくんだけど、
一応、明治維新で身分社会ではなくなったんだ。にもかかわらず差別が続いてきたというのは、
権力と大衆の恐ろしさだと思う。
608 :
日本@名無史さん:03/04/30 00:34
家系の入れ替わりはあったでしょう。
インドですら長期間で見れば身分の上下動があったらしいからね。
「明日は我が身」というのが差別を強化してると思うよ。
江戸時代だって幕末に公家が非人になってしまった事例があると聞いたことがあるぞ。
609 :
日本@名無史さん:03/04/30 00:41
>605
>それが明治以降の国民統合の中で、差別が顕在化して、
>憤った被差別民側が今度は逆差別を要求して増長し今に至った。
だけど差別を解消するためには何らかの対策をとらないといけないでしょ。
よく逆差別っていうけど、ある時期はやっぱり差別を解消するために必要だったんだ。
それが逆差別になって増長したのはいつごろからだと考えてますか?
>>607 戦前に難民として流入してきた半島人による婦女暴行事件が頻発したので、
彼らの多くが居住した都市部落では現地人との対立があったのね。
婦女暴行というのは朝鮮人の悪習で、
最近では韓国でも問題になっている。
松本治一郎の戦争協力や民族差別(といっても半島人の戦争参加を促しただけだが)
の事実を以て街道を糾弾する在日活動家もいるが、
このあたりの経緯を押さえておかなければ駄目だな。
「差別はなくさなきゃいけない。」
この言辞は、同情からか、被差別者の自らの利害のためか、イデオロ
ギーからか、一体どういう理由から発せられるものなのだろうか?
差別を利用して社会の安定化を図ったケースもある。
差別は、人間という動物の社会において必然的に発生し、社会の安定に
寄与する因子の一つなのかもしれない。
などと、ふと思ってみたが、日本史とは関係ないのでsageます。
612 :
日本@名無史さん :03/04/30 01:21
>>607 在日については、もちろん国籍による差別は、ずっと存在していたと思う。
しかし、今の在日に対する差別は国籍が違うからというよりは、
パチンコや暴力団や朝鮮総連に対するイメージが強いからでしょ。
ただし、現在は日本人と在日の間の文化的なギャップはずいぶん解消
していると思う。キムチや焼肉は、もはや日本人にも欠かせないものだしね。
結婚についても同和と比べたら、はるかに障壁は低いと思う。
>どんな起源であったとしても、ある時点で理由があって差別される存在だったとしても、
>本来それはその人物限りのもので、同じ土地、あるいは同じ家系のものがずっと差別され
>続けていいことにはならないでしょ。
もちろん家柄などに基づく理不尽な差別はよくない。
しかし、憎しみの連鎖のような個人的な感情に基づく問題は、
当事者間では、そういう正論は全く意味をなさない。
>>609 貧民救済策としての逆差別的な政策はもちろん重要。
それはスラムクリアランスや初等教育など、どの国にもあてはまる。
しかし、貧困の連鎖が断ち切れるだけの段階になったら、当然自立すべき。
増長しだしたのは、昭和50年代後半以降だと思う。
613 :
日本@名無史さん:03/04/30 01:54
>611
>差別は、人間という動物の社会において必然的に発生し、社会の安定に
>寄与する因子の一つなのかもしれない。
ということは、部落民による逆差別もまた
「社会の安定に寄与する因子の一つなのかもしれない。」
という命題も成り立つのですね。
まあ、逆差別にはアパルトヘイト維持という側面もなくはないな。
しかも南アフリカのように露骨にやってないから、国際非難を浴びることもない。
615 :
日本@名無史さん :03/04/30 02:13
>>613 部落民による逆差別というよりも、政治家や自治体による逆差別でしょう。
それは、非部落民と部落民の感情的な反目という範疇とは別のもの。
もちろん、経済的なマイノリティーにはある程度の逆差別は必要。
しかし、被差別民が今や経済的なマイノリティーと果たしていえるのかどうか?
616 :
日本@名無史さん:03/04/30 10:43
>>615 やっぱり選挙のために同和を利用してる現実がひずみを大きくしている。
チョンマゲ代議士や留置所にいる元市長みたく票田が同和の議員が
西日本の自治体に多い。
その見返りに3LDKの住宅を3万円/月で提供したりするから関係ない
住民と逆差別が生じるし妬みが新たな差別意識を生む。
それを考えると昔からこのようなバカなことが形を変え永遠と続いて来た
のかもしれない。
617 :
日本@名無史さん:03/04/30 10:58
25歳。
去年まで金無し君だったけど、オンラインカジノとパチンコで
二年で350万貯めた。一度やってみなよ。
初回のみだけど、1ドル以上のチップを買えば30ドル(4000円くらい)貰える。
もらうだけもらってプレイせずに換金することもできるし、ルーレットで赤か黒に
思い切って賭けてしまえば50パーセントで二倍になる。
金なきゃオフラインでゲームすればいいだけ。暇つぶしになる。
ビデオポーカーとかスロとか色々あるのでマジでお勧め。
http://www.imperialcasino.com/~1kl5/japanese/
618 :
日本@名無史さん:03/04/30 12:55
高度成長期においても、経済的には貧困家庭が多く、高校進学率も少なかった。
金をつぎ込んで、対策した。
1980年なかごろから、目に見える格差・差別は消え始めた。
利権が右翼・暴力団・土建屋に回るようになってきた。
1980年後半から、逆差別らしきものが現れてきた。
現在は、行政と同和利権団体の癒着が問題。
法律も切れたことだし、財政的にも教育的にも特別視はもう必要ないでしょう。
619 :
日本@名無史さん:03/04/30 16:30
民主主義と差別解消は矛盾している。民主主義の基本は国民一人一人が
自由に考え、表現し、選挙などを通じて政治に参加することにある。
選挙で多数を取った政党が政府を作り、政策を立てる。
被差別部落民は少数だから、国民の支持がなければ何らかの対策をとってもらうことはできない。
しかし国民の多数が、部落差別を解消しなくてはならない、国民的融合が必要だと思い、
政府の部落差別解消の政策を支持した瞬間、過半数の国民の良心の中には、差別はなくなっていることになる。
それでも部落関係団体が、声高に叫び続け、そしてえせ同和行為や同和利権が目に付き始めると、
今度は逆差別が問題になってくる。
これを解消したら、差別はなくなるんだろうけど、これだけ長い期間にわたって続いてきたことだから、
(財政的な対策は必要ないとして)、人権教育の中で、その差別の歴史は教えたほうが良いのではなかろうか。
620 :
日本@名無史さん:03/04/30 16:37
>612
>家柄などに基づく理不尽な差別はよくない。
>しかし、憎しみの連鎖のような個人的な感情に基づく問題は、
>当事者間では、そういう正論は全く意味をなさない。
ん? あなたは被差別部落の人から何か嫌なことをされたんですか。
>>499 西日本だと部落=被差別部落だったのか…
マクドナルド=マクドみたいに話が通じないんだね。
622 :
日本@名無史さん:03/04/30 19:34
大阪市内の某地区ではヤクザも同和を怖がってます。
623 :
日本@名無史さん:03/04/30 21:57
>>619 人権教育で部落問題は危険。中学などでは、素人の理科や英語の先生が
学級指導になり、「江戸時代発生説・差別はある・絶対いけない」の街道的
授業になってしまう。
専門家の社会科・歴史・政治経済の先生が、日本の歴史を背景に、
1年間を通して、触れる必要のあるところで科学的に教えたほうがいい。
つか、教科書では必ず歴史で中世差別〜近世差別〜解放令差別〜水平社が
出てきて、必ず教える。
現代の問題は、政治の平等権でふれる。童話は終わったこともそこで教えれば言い。
また人権板になってる…
つーか人権板住人による荒らしなのか?
625 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:17
関西では今も童話問題はあります。
俺の知っている地区は昔から童話地区で、いわゆる街の人は差別します。
とくに年配の人ほど差別をします。街の人と童話の人がケコーンするとなると
必ずなんらかの問題がおこります。
しかし逆差別もあります。童話地区の賃貸アパートはマンションタイプ3DK
でも1ヶ月2000円とかの信じられないほど格安です。他にもいろいろ優遇
されています。
若い人たちは童話地区がどうかよりも、DQN比率がとても高いので嫌います。
すいませんスレ違いでした。
626 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:23
>>623 歴史の教員だって理科や英語の教員と変わらんよ。
627 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:24
街道批判はしても部落全体を否定してないから、人権板とはちょっと違うと思うよ。
とはいえ、現代のことを書くんだったら、それが歴史とどう関係があるのかも
書いておいて欲しいな。
628 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:46
>>626 高校あたりになるとかなり違うぞ。
じゃ、ちょっと、歴史を確認。
629 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:48
[中世荘園制下の被差別民]
律令制の解体,荘園制の時代の到来は,律令制下の官司に隷属していた各種
の〈賤〉身分の人々や〈品部〉〈雑戸〉らを国家的組織から解放した。
そのことは,多くの場合公家や寺社などの荘園領主の支配下に新たに組み込ま
れることでもあったが,一方では,官司のもとで着実に身につけていた優秀な
専門的技能・知識をいかして自主的に対処できる領分も,前代に比して,はるかに
拡大することとなったのである。
この時代には,かつてのような身分制度はなかったが,民衆の中には耕地
などの土地を有さず,主人に隷属し,人身譲渡の対象ともされた〈下人(げにん)〉
〈所従(しよじゆう)〉がおり,また,とくに公家社会や寺社組織の上層部から
卑賤視された人々がさまざまに生みだされた。
後者のうちで最も多数を占めたのは,おそらくは〈非人〉と称された人々であったと推察される。
その内実は種々雑多であって,大寺社に人身的に隷属して〈キヨメ〉(清めの意で,
寺社域・道路の汚穢(おわい)を清めたり,葬送行事にかかわる下役を勤めたりする)
の雑役に駆使されたり,雑芸で口を糊したりしたものから,物乞いでかろうじて生きた
〈乞食〉の集団をなしたものまでをも指しており,これには〈癩者〉(ハンセン病患者)
をはじめとする貧窮孤独の病人や身体障害者も含まれ,仏教思想による〈慈善救済〉,
具体的には,いわゆる〈施行(せぎよう)〉(施し)の対象となっていたものである。
彼ら〈非人〉の多くは,京都(京)の清水坂(きよみずざか)や奈良(南京・南都)の
奈良坂など都市の周縁部に位置する交通の要衝や,荘園内に設定された
〈散所(さんじよ)〉という地域を根拠地として,〈非人長吏(ちようり)〉や
〈散所長者〉による統率・管理のもとで集落生活を営んでいた。
630 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:50
さらに鎌倉時代中期には,すでにこの〈キヨメ〉たち(職能の呼称が,それに
携わる人の呼称にもなった)は〈えた〉と同一視されており,〈えた〉はまた
〈河原のえた〉ともいわれたように〈河原者(かわらもの)〉と一体であった
ことが知られている。〈河原者〉は河原の刑場での処刑に関する雑役,河原
を作業場とする鳥獣の環割や皮革の生産を主たる生業としたが,南北朝時代
以降,彼らのなかから作庭に従事する〈山水(せんずい)河原者〉が輩出した
ことは文化史上に名高い。
以上にみたように,この時代の被差別民は多種多様であり,そのあり方も,
相互に入りまじったり,呼称表現は違っていても実体に変りがなかったりして,
明らかに律令制下で賤民分がおかれていた状態や,江戸時代の幕藩体制のもとで
〈えた〉〈非人〉らがおかれていた状態とは異なっていた。
統一的な政権による,統一的な身分制度が定立しなかったからである。
ことに中世後期(南北朝時代以降)に入ると,民衆勢力の向上のなかで社会全体
に下剋上の風潮がみなぎりはじめ,身分の流動性はいっそう激しくなり,
上層の支配者たちに卑賤視されていた人々のなかからも,経済的実力を蓄えたり,
〈一芸の上手〉とたたえられるほどに独自の技芸に磨きをかけたりして,
みずからの社会的地位を高めるものが現れたのであった。
しかしながら,その一方では,特定の人々に対する集中的な偏見もまた,
この中世後期を通じてしだいに強まり,近世初期における被差別部落の成立へ
と向かう路線が着実に用意されることとなった。
その人々とは,中世後期の社会で身分的に卑賤視されていたもののうち,
とくに,環殺や斃(たおれ)牛馬の処理の作業を基礎におく皮革生産(皮)の
熟練者と,刑吏的職能に長じていたものとにしぼられたといっても,
あながち過言ではあるまい。そして,このことは,荘園制を根底から揺さぶり
つつ歴史の舞台に登場してきた戦国大名たちの領国支配体制のもとで明確になってくる。
631 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:52
[戦国大名下の被差別民]
各地に続出した戦国大名は,領国支配のために家臣団と商工業者を城下に集住
させて城下町を建設し,独自の〈分国法〉を制定し,兵農分離策を推進するとともに,
軍備の確保のために不可欠であった皮革を安定的に保持すべく,皮革生産者
たちに対して特別の保護と統制を加えた。保護とは,領国内での皮革生産・
商売の権利を他者の侵害から擁護し,屋敷地(住所)を保障し,領民一般が賦課
される諸役を免除されることであった。
その代償に,他の職業に転ずること,指定の住所を移ることは,固く禁じられた。
このようにして皮革生産者は,支配領域は領国に限られるとはいえ強力な軍事力
をもつ大名権力に直接的に把握され,従属することとなった。
そして,〈河原のえた〉もやはりそうであったように,時と場合によっては,
刑吏的任務をも課せられたとみられる。さらには,これも重要な点であるが,
その住所として特定されたのは,概して城下町の周縁部,交通上の要衝,
河原の地であったらしい。このような事情は,駿河の今川氏,伊豆の後北条氏,
甲斐の武田氏などの例で推察されているが,いずれの場合でも該当者は〈かわた〉
の呼称で呼ばれていた。
〈かわた〉の語は,室町時代初期の史料にすでに現れていたが,しきりに用例
が見いだされるようになるのは,この戦国時代から江戸時代にかけてであり,
漢字があてられる際には〈皮太〉〈革多〉〈皮田〉などと表記された。
皮革業にかかわる者であることが自他ともに強く意識されてのことであろうが,
本来は皮革生産・商売に携わる者の呼称では,皮作,革作,皮影ぎ,皮屋などが
一般的ではなかったかと考えられ,〈かわた〉の語の原義については,なお検討
の余地を残しているとみてよい。また,〈かわた〉の呼称がたんに職能を指すか,
それとも一定の身分を示すかについても,今後の研究の深化にまつべき点が多いが,
632 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:53
すでにこの時期には〈不浄・ケガレ(穢)〉を忌避する伝統的な宗教思想・信仰心から,
斃牛馬の皮影ぎや解体処理などを〈けがらわしい〉こととする見方が寺社を通じて
民間にも広まっていたので,そのような認識と〈かわた〉の人々とが結び合わされて,
彼らに対する卑賤観をしだいに強めたことは容易に推察される。
キリシタン宣教師ルイス・フロイスの言によると,〈かわた〉と同じくこの
時期に,〈死んだ獣類の皮を影いでその皮を売〉って生活していた〈えた〉
は,〈最も卑しい,仲間外れにされた賤民〉であり,〈まるでほかの人たちと
交際するに価しない不浄な人たちのように,いつでも村落から離れて住んで
い〉たといわれており(《日本史》),〈えた〉と〈かわた〉との共通性は明白であろう。
しかし同時に,こうした観察記録からの印象や,〈被差別〉ということから受
ける印象を一面的にたもつことによって,一概に彼らが〈悲惨な貧窮民〉で
あったかのように考えてしまうのは,けっして適切ではなく,
少なくとも近世初頭の近畿地方の実例では,〈かわた百姓〉たちの農地保有高は
他の百姓の場合に比して糖色(そんしよく)がないどころか,むしろそれを越える
ものも少なくはなかった。〈かわた〉のすべてが皮革生産の専業者というわけでなく,
皮革生産とあわせて農耕に従事し,〈百姓〉としての性格を強めていた
〈かわた百姓〉も多数いたのである。
633 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:55
【近世の被差別部落】
織田信長のあとをうけた豊臣秀吉による全国統一事業は,各戦国大名の実績
を吸収しながら検地・刀狩りを中心として急速にすすめられ,のちの徳川家康に
よる江戸幕府の成立を容易にした。この豊臣政権の全国統一から江戸初期にかけて,
各種各様の被差別民は各地で統合・再編の対象として浮かび上がり,被差別部落と
部落差別とが幕藩体制のもとで確立していくうえでの基本的な路線が設定されはじめた。
その出発点が,太閤検地であった。
太閤検地が被差別民にもたらした最大の意義は,すでに彼らが実現していた
土地保有の現状が公認され,貢租徴収のための土地台帳である検地帳に〈かわた〉
という肩書とともに記名されたことであった。いいかえれば,〈かわた〉
という呼称を政権が公的に採用したわけである。この〈かわた〉の呼称が,
雑多な賤民的身分・職能の者を集約的にあらわすのに格好の呼称の一つとして
豊臣政権に認識されていたことは,検地の際に,それまでは中世以来の被差別民である
〈キヨメ(清目)〉〈散所〉として記帳されていた者たちが新たに〈かわた〉
という肩書に改められて,その名を検地帳に記載された実例のあることからも推察される。
豊臣政権による〈かわた〉身分の創出ということが説かれるゆえんである。
そして,この〈かわた〉という身分呼称は江戸時代に受け継がれ,呼称は異に
していても〈えた〉と等しい扱いをされた。
634 :
日本@名無史さん:03/04/30 22:58
人権板から流れてきてる厨房は
解同(悪玉)VS日共・全解連(善玉?藁)という単純な図式で
凝り固まってるからな。議論にならない。
水平社の伝統からすれば本来両者は一体だった。
それがなぜ分裂したかというと、
日教組や反核運動と同様に
戦後左翼の複雑な運動史の結果なのであって、
部落問題から離れてもう少し現代史一般のお勉強をすべきだな。
まあ今の学校カリキュラムでは
この時代はまったくカバーできないんで難しいだろうが。
635 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:00
江戸時代→身分の固定化
江戸時代中期以降→武家層による平民の不満そらしのための差別の露骨化
明治→解放令、職業特権を失い、貧困化が進み、差別だけが残る
大正→水平社の誕生
昭和→軍隊内差別の廃止要求と実現と戦争協力
昭和後半・平成→同和事業による格差の解消が目に見えてくる、国としては
利権事業は廃止、地方では県により残存
あと部落の現場を知らないヤツは
解同=部落のマジョリティと思い込んでるようだが、
これこそ日共・全解連の宣伝の術中に見事はまり込んでいる罠。
西日本でも日共・全解連が牛耳ってて
色々な問題引き起こしてる地域多いんだよ。
637 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:08
具体的に書いてくれないとワカラン。地域や事件名や内容など。
街道の事件は有名でたくさんあるから皆さん知ってると思うが。
638 :
日本@名無史さん :03/04/30 23:12
>>637 解同といいつつも実際には共産系が主導権握ってて
教員の自殺者多数輩出してる広島の惨状はよく知ってるだろうが。
639 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:15
小森は新社会党だろ。
>634
で、それが日本史板とどう関係するわけ?
解同と全解連が分裂したのは76年以降で
分裂した勢力が共産党の後押しを受ける形で発足した。
爾来、解放運動の発展的解消論を軸に運動を展開し、
解同に批判的な勢力の支持を集める。
この運動には一見理がありそうだが、
共産党は5、60年代の暴力闘争時代に部落民を平気で使い捨てた経緯がある。
60年代後半以降の新左翼運動も共産党の議会路線への転換が原因だから、
あまり偉そうな事は言えない。
利権がらみで富の再配分に問題があったとは言え、
被差別部落内の福利向上に貢献があった解同(と自民党田中派)には
一定の評価を下すべきだ。あくまで一定のだが。
解放運動の是非に関しては冷戦構造や55年体制といった、
戦後の国際関係や経済政策が大きな影を落としている。
単純に言えば戦前よりも戦後の方が問題点が多かった。
特にここ20年は酷すぎた。
642 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:50
>>641 たしかに解同関係者の間では土建業の帝王・田中角栄の評価は今でも非常に高い。
ある意味神聖視されている。
野中も角栄との出会いがなければ今の地位にまで上り詰めることはなかったろう。
土建国家=日本型福祉国家というのはある意味真実であり、
大都市部から見れば、地方全体が巨大な利権構造で支えられているのであって、
土建国家という文脈の中で部落だけを批判の矢面に立たせるのは
「木を見て森を見ず」という誹りを免れない。
それにしても民主党にあの松本治一郎の孫が所属しているというのは・・・
643 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:53
「角栄はサンカ」とかなら板違いにはならないかな。
644 :
日本@名無史さん:03/05/01 00:01
>童話地区の賃貸アパートはマンションタイプ3DK
>でも1ヶ月2000円とかの信じられないほど格安です。
どこだ?
そんな好条件なら引っ越ししたい
645 :
日本@名無史さん:03/05/01 00:05
>>644 キミ、マジで言ってる?
「あの人、部落民なんだよ、ヒソヒソヒソヒソ」という陰口に耐えることできる?
田舎では部落差別しながらも同和系の議員に投票するのは
そんなに珍しいことではないよ。
647 :
日本@名無史さん :03/05/01 00:11
>>645 あいつら完全に開き直っているよ。別に本籍移さなきゃいいんじゃないの?
648 :
日本@名無史さん:03/05/01 01:47
>>636 地域にもよるが、全体的に見ればいちばん多いのは特定の運動団体に一切所属していない部落民。
次に多いのが解同で、その下が全解連という順序になっている。
649 :
日本@名無史さん:03/05/01 01:48
童話地区の格安アパートって、誰でもその額で入居できるの?
誰でも入居できるよ。
ただし同和団体の活動に参加するのが条件だがな。
出来るか?
651 :
日本@名無史さん:03/05/01 01:55
>ただし同和団体の活動に参加するのが条件だがな。
>出来るか?
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653 :
日本@名無史さん:03/05/01 10:21
654 :
日本@名無史さん:03/05/01 12:46
>>638 おいおい、広島は、日○組(かつて社○党一党支持)=街道の強いところだろ。
一般教員の自殺多発なんか聞いたことないぞ。
自殺したのは校長で、強圧的教育委員会と強烈な教員組合+街道組織の
板ばさみになったから。
655 :
日本@名無史さん:03/05/01 14:03
昭和20年代から40年代頃までの童話地区の人の生活、住まい環境なんてのは
どうだったの?
俺の親から聞いたんだけど、バラック小屋みたいな家が密集していてまるでスラム
のようだったらしいけど・・・
今は公団住宅(格安)が並んでるけどね。古い長屋もあるけど。
656 :
日本@名無史さん:03/05/01 22:46
人権板でよく遺伝病の話が話題になるけど、なんか歴史的背景でもあるの?
それとも単なる現代的な穢れ意識の具現化かな。
昔の人も優生学と遺伝学、伝染病や生活習慣病と遺伝病をごちゃ混ぜにして考えて
穢れ意識に繋げていったということなのだろうか。
優生学どころじゃなくて「非人」人間じゃなかった。
「穢れた人間」とは違う。
仏教に改宗すれば人間になれたのだろうか…
658 :
日本@名無史さん:03/05/01 23:31
乱暴な単純化だが一応整理しておこうな。
旧サヨクの見解=部落差別は封建遺制
新サヨク(つーか学界の最前線)の見解=部落差別は近代化・文明化によって創出された
まあ封建遺制にしろ、文明化にしろ「敵」が天皇制であることに変わりはないのだが(藁
以上。
659 :
日本@名無史さん:03/05/02 00:09
>>658 ”部落の敵は天皇制”は在日の策謀だろ。
この板にもキチガイがひつこくスレ立ててたけど。
それこそ板違いだな。
660 :
日本@名無史さん:03/05/02 00:14
>>656 >昔の人も優生学と遺伝学、伝染病や生活習慣病と遺伝病をごちゃ混ぜにして考えて
>穢れ意識に繋げていったということなのだろうか。
この通りでしょう。トラホームとかね。
>>657 親鸞や一遍は被差別民を差別しませんでしたよ。
みんな仏教徒でした。
>>658 単純すぎw。
学会の最前線は、中世発生・近世固定・近世中期以後差別化強化・
・近代に貧窮化・現代に改善化・今は消滅途上。
天皇代表の権力による差別と、民衆自身による差別の2種類。
661 :
日本@名無史さん :03/05/02 02:00
トラホームだけとっても強い差別が起こりうる気がするな。
しかし、明治以前に部落民と一般の外見的な違いに言及した資料は
あるのだろうか?
大正か昭和にらい患者の集落を焼き払ったという話があったような。
皇族の行幸ルートだったから。
663 :
日本@名無史さん:03/05/02 02:14
アフガニスタン国境に近いパキスタンに「クエッタ」という町がある。元々はインドの地
クエッタの「ク」は小さく発音され「エッタ」と聞こえる。
この町には日本人そっくりな人々が古来から住んでおり、教養もなく下層階級を形成している。
このクエッタの人々が日本列島へ移動して「エタ」に成ったと考えられる。
つまり「穢多(エタ)」というのは出身地の呼称であったのであろう。
パキスタンに分かれる前のインドでは身分制の「カースト制度」があり、これが日本にも伝わったのであろう。
同様に日本人そっくりな民族がロシアバイカル湖畔で「ブリヤート共和国」を形成しているのは周知の通り。
>663
日本語の起源にはインド語もあるようだが、その部族の言葉?
日本に来るとしたらインダス川を下って海へ?
バイカル湖畔のモンゴロイドはよくテレビでもやるね。
ネタに乗ってるのでつか?
666 :
日本@名無史さん:03/05/02 10:29
クエッタ
パキスタン西部,バルーチスターン州の州都。人口35万(1991)。
地名はバシュトゥーン語のカワター(城塞の意)に由来する。
標高約1600mのイラン高原東端部にあり,年降水量は195mmと少ない。
アフガニスタンのカンダハールからボーラーン峠を経てインダス平原へ至る
交通路と,イランからの交通路との交点を占め,北からの果物,皮革,羊毛,
南からの穀物,茶などを集散する交易都市として栄えてきた。
周辺は地下水路(カレーズ)によって灌漑される果樹園が多く,メロン,ブドウ,
ザクロなどを産する。
じゅうたんなどの伝統工業のほか,食品,化学,繊維などの工業が立地し,
また南東にはデガリなどの炭田がある。
豊かそうな町じゃないか。ゴルァ。
異民族説は、もう誰も言ってません。
667 :
日本@名無史さん :03/05/02 16:33
カワターって、皮田じゃん。絶対関係あるよこれ。
668 :
日本@名無史さん:03/05/02 21:33
古代に人種の差異に基づく差別があっったとしてもこれだけ交配が進むと
特定種族が高い濃度で現在まで残っている可能性は確かに低い。
この人権王国日本で学術的調査とは言え被差別部落でDNA鑑定でも
しようものなら祭りは必至だ。しかし現在の部落問題が生物学的差異と
まったく関係ないとしても原初はどうだったかは誰にもわからない。
ただ海外の人種差別を見れば異人種説をまっこうから否定するのも極端だろう。
669 :
日本@名無史さん:03/05/02 21:45
弥生時代になり、中国・半島から西日本に新たな文化が入って来たことと、
賎民制度は関係あるそうです。
中世まで、西日本と東日本の差は、西日本と半島の差より大きかったそうです。
ただし、古代の賎民制は完全に一度崩壊してますので、
異民族説は成立しません。
過去、原縄文人が差別された可能性はありますが。
670 :
日本@名無史さん:03/05/02 21:49
「えた」の文献上の初出は鎌倉時代。
「かわた」は戦国時代からです。
この時代に異民族が流入したとは考えられません。
それ以前の流入なら、もっと早く呼称が現れるはずです。
東南アジアには鎖国政策が打ち出されるまで
奴隷貿易でさかんに輸出していたのだから
日系被差別民がいるのは当たり前だね。
維新後にも満州、朝鮮、樺太、
その他世界中の地域への移民(棄民ともいう)を奨励したのだから
アジア地域で帰国しそこなったのや土着化したのが集落形成しているのだろう。
朝鮮では秀吉の時代に帰順した日本兵や戦後帰国できなかった奴らが
集落を形成して、やはり差別されている。
征韓論の時には前者の処遇が問題視された。
あと、日系は知らんが樺太在住の朝鮮人が
中央アジアに強制移住させられたのは有名な話だ。
672 :
日本@名無史さん:03/05/03 00:02
奴隷と賤民は違うだろ
673 :
日本@名無史さん:03/05/03 00:04
>樺太朝鮮人
約3万人の樺太の朝鮮人は、日本の支配時代に、契約や徴用や連行でつれて来られて、
帰れなくなった子孫。
1937年に中央アジアに強制移住させられた朝鮮人は沿海州の朝鮮人。
>日系被差別民
あまり聞かないなぁ。
今、問題になってるのは、日本の被差別民が異民族でないということ。
674 :
日本@名無史さん:03/05/03 00:09
異民族という言葉をどう解釈するかによっても意見が異なるわけだが。
またそのうち蝦夷の俘囚だのと言い出すアフォも現れるぞ。
古代説とか異民族説に執着してるのはパナウェーブレベルなんだから
い い か げ ん 放 置 し と け よ 。
>今、問題になってるのは、日本の被差別民が異民族でないということ。
だから、言語の共通性から被差別部落民=海外からの植民=異民族説
という立論に対して中世、近代における海外移民を対置したんだよ。
流入説(異民)を流出説(移民)で相対化したと考えてもらえば分かりやすいかな。
被差別部落=異民族説というのは、
明治期に国内余剰人員である被差別民対策として政府が打ち出した方策で
具体的には移民政策の形をとっていた、というのは知っているよね?
で、あの当時の移民は例えば副島伯のペルー船事件のように奴隷という形を取っていた。
あと、日本民族の起源を南とする南方イデオロギーも
南下政策の都合で唱えられた。
そもそも、民俗学というのは植民地政策の結果として生まれたものだからね。
南米で農業をやった移民(ブラジルとか)は、誰もいない所を耕したわけで、
摩擦はおきなかった。
規制で農業ができなくて都市部にいった移民は、経済摩擦でゴタゴタしてた。
働き者の新顔が顧客を奪ったから。
>学会の最前線は、中世発生
発生の理由は今のところどうなってるの?
658に書いたものだが、
どうも
「部落の起源」
「(現代の)部落差別の起源」
を混同してるヤシが多いな。
後者については国民国家論と連動して
幕末〜近代起源説が有力な見解になりつつある。
そりゃそうだ。
もともと網野の非農業民論にしろ、吉田伸之一派の身分周縁論にしろ
中or近世の賤民差別は近代以降の部落差別とは本質的に違うものだと
口をすっぱくして言い続けているんだから。
まあ、近代起源論にしても、大ざっぱな文明化=国民国家論の文脈から
鈴木良の地域支配論とか、科学的衛生観の影響とかに至るまで、
また色々な系統があるわけだが。
それにこの2chとか見てると、解放運動に対する誤解・偏見が
現在進行形でまた新たな部落差別を生み出していることも
明らかだし。
(この点で全解連の主張はある意味で正しく、ある意味で間違っている)
歴史は常に動き続けているということを忘れてはいけない。
679 :
日本@名無史さん:03/05/03 03:40
>678
意図的な混同でしょ。日本史板でここまで堂々と童話ネタ続ける奴は。
680 :
日本@名無史さん:03/05/03 13:18
>>677 >中世発生説
[中世荘園制下の被差別民]
律令制の解体,荘園制の時代の到来は,律令制下の官司に隷属していた各種の
〈賤〉身分の人々や〈品部〉〈雑戸〉らを国家的組織から解放した。
そのことは,多くの場合公家や寺社などの荘園領主の支配下に新たに組み込ま
れることでもあったが,一方では,官司のもとで着実に身につけていた優秀な
専門的技能・知識をいかして自主的に対処できる領分も,前代に比して,はるか
に拡大することとなったのである。
この時代には,かつてのような身分制度はなかったが,民衆の中には耕地など
の土地を有さず,主人に隷属し,人身譲渡の対象ともされた〈下人(げにん)〉
〈所従(しよじゆう)〉がおり,また,とくに公家社会や寺社組織の上層部から
卑賤視された人々がさまざまに生みだされた。後者のうちで最も多数を占めた
のは,おそらくは〈非人〉と称された人々であったと推察される。
その内実は種々雑多であって,大寺社に人身的に隷属して〈キヨメ〉
(清めの意で,寺社域・道路の汚穢(おわい)を清めたり,葬送行事にかかわる
下役を勤めたりする)の雑役に駆使されたり,雑芸で口を糊したりしたものから,
物乞いでかろうじて生きた〈乞食〉の集団をなしたものまでをも指しており,
これには〈癩者〉(ハンセン病患者)をはじめとする貧窮孤独の病人や身体障害
者も含まれ,仏教思想による〈慈善救済〉,具体的には,いわゆる
〈施行(せぎよう)〉(施し)の対象となっていたものである。彼ら〈非人〉の多くは,
京都(京)の清水坂(きよみずざか)や奈良(南京・南都)の奈良坂など都市の周縁部
に位置する交通の要衝や,荘園内に設定された〈散所(さんじよ)〉という地域
を根拠地として,〈非人長吏(ちようり)〉や〈散所長者〉による統率・管理のもと
で集落生活を営んでいた。
681 :
日本@名無史さん:03/05/03 13:19
続2
さらに鎌倉時代中期には,すでにこの〈キヨメ〉たち(職能の呼称が,それに携
わる人の呼称にもなった)は〈えた〉と同一視されており,〈えた〉はまた
〈河原のえた〉ともいわれたように〈河原者(かわらもの)〉と一体であったこと
が知られている。〈河原者〉は河原の刑場での処刑に関する雑役,河原を作業場
とする鳥獣の環割や皮革の生産を主たる生業としたが,南北朝時代以降,彼らの
なかから作庭に従事する〈山水(せんずい)河原者〉が輩出したことは文化史上に
名高い。
以上にみたように,この時代の被差別民は多種多様であり,そのあり方も,
相互に入りまじったり,呼称表現は違っていても実体に変りがなかったりして,
明らかに律令制下で賤民分がおかれていた状態や,江戸時代の幕藩体制のもとで
〈えた〉〈非人〉らがおかれていた状態とは異なっていた。
統一的な政権による,統一的な身分制度が定立しなかったからである。ことに
中世後期(南北朝時代以降)に入ると,民衆勢力の向上のなかで社会全体に下剋上
の風潮がみなぎりはじめ,身分の流動性はいっそう激しくなり,上層の支配者
たちに卑賤視されていた人々のなかからも,経済的実力を蓄えたり,〈一芸の上手〉
とたたえられるほどに独自の技芸に磨きをかけたりして,みずからの社会的地位
を高めるものが現れたのであった。
しかしながら,その一方では,特定の人々に対する集中的な偏見もまた,この
中世後期を通じてしだいに強まり,近世初期における被差別部落の成立へと
向かう路線が着実に用意されることとなった。
その人々とは,中世後期の社会で身分的に卑賤視されていたもののうち,
とくに,環殺や斃(たおれ)牛馬の処理の作業を基礎におく皮革生産(皮)の熟練者と,
刑吏的職能に長じていたものとにしぼられたといっても,あながち過言ではあるまい。
そして,このことは,荘園制を根底から揺さぶりつつ歴史の舞台に登場してきた
戦国大名たちの領国支配体制のもとで明確になってくる。
682 :
日本@名無史さん:03/05/03 13:20
続3
[戦国大名下の被差別民]
各地に続出した戦国大名は,領国支配のために家臣団と商工業者を城下に集住
させて城下町を建設し,独自の〈分国法〉を制定し,兵農分離策を推進するとともに,
軍備の確保のために不可欠であった皮革を安定的に保持すべく,皮革生産者たち
に対して特別の保護と統制を加えた。保護とは,領国内での皮革生産・商売の
権利を他者の侵害から擁護し,屋敷地(住所)を保障し,領民一般が賦課される
諸役を免除されることであった。その代償に,他の職業に転ずること,指定の
住所を移ることは,固く禁じられた。このようにして皮革生産者は,支配領域
は領国に限られるとはいえ強力な軍事力をもつ大名権力に直接的に把握され,
従属することとなった。そして,〈河原のえた〉もやはりそうであったように,
時と場合によっては,刑吏的任務をも課せられたとみられる。さらには,これも
重要な点であるが,その住所として特定されたのは,概して城下町の周縁部,
交通上の要衝,河原の地であったらしい。このような事情は,駿河の今川氏,
伊豆の後北条氏,甲斐の武田氏などの例で推察されているが,いずれの場合
でも該当者は〈かわた〉の呼称で呼ばれていた。
〈かわた〉の語は,室町時代初期の史料にすでに現れていたが,しきりに
用例が見いだされるようになるのは,この戦国時代から江戸時代にかけてで
あり,漢字があてられる際には〈皮太〉〈革多〉〈皮田〉などと表記された。
皮革業にかかわる者であることが自他ともに強く意識されてのことであろうが,
683 :
日本@名無史さん:03/05/03 13:21
続4
本来は皮革生産・商売に携わる者の呼称では,皮作,革作,皮影ぎ,皮屋などが
一般的ではなかったかと考えられ,〈かわた〉の語の原義については,なお検討
の余地を残しているとみてよい。また,〈かわた〉の呼称がたんに職能を指すか,
それとも一定の身分を示すかについても,今後の研究の深化にまつべき点が
多いが,すでにこの時期には〈不浄・ケガレ(穢)〉を忌避する伝統的な宗教思想・
信仰心から,斃牛馬の皮影ぎや解体処理などを〈けがらわしい〉こととする
見方が寺社を通じて民間にも広まっていたので,そのような認識と〈かわた〉
の人々とが結び合わされて,彼らに対する卑賤観をしだいに強めたことは容易
に推察される。キリシタン宣教師ルイス・フロイスの言によると,〈かわた〉
と同じくこの時期に,〈死んだ獣類の皮を影いでその皮を売〉って生活していた
〈えた〉は,〈最も卑しい,仲間外れにされた賤民〉であり,〈まるでほかの人
たちと交際するに価しない不浄な人たちのように,いつでも村落から離れて住んでい〉
たといわれており(《日本史》),〈えた〉と〈かわた〉との共通性は明白であろう。
しかし同時に,こうした観察記録からの印象や,〈被差別〉ということから受ける
印象を一面的にたもつことによって,一概に彼らが〈悲惨な貧窮民〉であったか
のように考えてしまうのは,けっして適切ではなく,
少なくとも近世初頭の近畿地方の実例では,〈かわた百姓〉たちの農地保有高
は他の百姓の場合に比して糖色(そんしよく)がないどころか,むしろそれを越
えるものも少なくはなかった。
〈かわた〉のすべてが皮革生産の専業者というわけでなく,皮革生産とあわせ
て農耕に従事し,〈百姓〉としての性格を強めていた〈かわた百姓〉も多数
いたのである。
684 :
日本@名無史さん:03/05/03 13:32
オマケ
1、古代の死牛馬・死体処理は常人にはできない超越した能力でもあった。
それが、鎌倉中期以降の貨幣経済の広まりによって、合理的精神が広まり、
単に汚らわしい者と見られるようになった。
2、一遍や親鸞は被差別民を平等に扱い、社会の中に思想的緊張があった。
3、西日本と東日本では汚らわしいとの間隔が大格差がある。西が強い。
弥生文化がもたらした影響かといわれる。例えば、出産のさいの胎盤を
西日本では山奥などに捨て去っていたが、東日本では玄関にうめて常に
踏むようにしたりしていた。
4、戦国期、自治力をつけた畿内らの先進地帯の惣村では、身分は惣村
の自治で決めていた。民衆自体も身分を確定する役割を果たした。
5、太閤検地で被差別民はカワタと記された。ただし、同じ検地帳。
江戸時代から、被差別民だけ検地帳が分けられた。
6、藩による差別露骨化政策は江戸中期以降。
江戸時代においても経済的優位な被差別村は多かった。
貧窮化は明治以後。
685 :
日本@名無史さん:03/05/03 19:34
>>666 >クエッタ
「パキスタン西部,バルーチスターン州の州都。人口35万(1991)。
地名はバシュトゥーン語のカワター(城塞の意)に由来する。
標高約1600mのイラン高原東端部にあり,年降水量は195mmと少ない。
アフガニスタンのカンダハールからボーラーン峠を経てインダス平原へ至る
交通路と,イランからの交通路との交点を占め,北からの果物,皮革,羊毛,
南からの穀物,茶などを集散する交易都市として栄えてきた。」
>>663 >>664 を考慮に入れ、さらに日本人女性のミトコンドリアDNA組成の中に、
日本人特有のDNAが4.8%しかない事実(
http://www.kumanolife.com/History/dna.html)も鑑みれば、
日本人は異民族の混血集団であり、そのなかで被差別部落集団であるが故に比較的に「純血」を保っていたのが「エタ=カワタ」であったであろう。
以上のことから、
クエッタ=エタ=カワタ=カワター の語源が明らかにされた。
クエッタでのかれらが皮革,羊毛の取り扱い業者であったことも、日本での生業が皮革業者として生きていくよりどころとなったのであろう。
686 :
日本@名無史さん:03/05/03 23:34
繰り返すが、「えた」という日本語ができたのは鎌倉時代。
「かわた」に至っては戦国時代。
この時代に語源が入ってくることはありえない。
さらに、インドのこの都市は、果物・皮革・羊毛・穀物・茶の「交易都市」。
「生産」都市ではない。
ネタはヤメレ。
687 :
日本@名無史さん:03/05/03 23:53
>>666,685
どう見ても、部落の人間の顔は日本人としか見えないけど、パキスタンなら
インドヨーロッパ語族で我々日本人が今押し頂く白人系だし、クエッタ=エタ
で語源とするなら、あのヒットラーが優越性を声高に叫んだ誇り高きドイツ人
の女性の名前にはエッターという名がまま見受けられるが、これなんかどう
なんだ。
世界中いろんな人種がいて発音の種類も数多くあって逆に日本じゃなんら
問題のない言葉でも、外国ではその言葉は相手を怒らせることもあるだろ
うし、この件もアフガン戦争でクエッタという町が出てきたため、あっ面
白いというこじつけ程度のものじゃないのか。
ともかくこういう輩は日本史版より人権版へ行けよ。
688 :
日本@名無史さん:03/05/03 23:57
スペインのテロ組織と掛けるもの不可ということで。
689 :
日本@名無史さん:03/05/04 00:08
「高橋」って姓の人の祖先に多いですよ。
690 :
日本@名無史さん:03/05/04 03:33
日本人が混血集団であるのは事実だけどね。
かわたの意味は何?かわは皮?自称?他称?
戦国時代だから、鎌倉時代のえたより成立が追いやすいでしょ。
691 :
日本@名無史さん:03/05/04 03:42
混血集団でない民族は、この地球上に存在しません。
692 :
日本@名無史さん:03/05/04 11:46
>>689 多くありません。もっとも分母が大きいので、その意味では。
>>690 〈かわた〉の語は,室町時代初期の史料にすでに現れていたが,しきりに用例
が見いだされるようになるのは,この戦国時代から江戸時代にかけてであり,
漢字があてられる際には〈皮太〉〈革多〉〈皮田〉などと表記された。
皮革業にかかわる者であることが自他ともに強く意識されてのことであろうが,
本来は皮革生産・商売に携わる者の呼称では,皮作,革作,皮影ぎ,皮屋などが
一般的ではなかったかと考えられ,〈かわた〉の語の原義については,なお検討
の余地を残しているとみてよい。
また,〈かわた〉の呼称がたんに職能を指すか,それとも一定の身分を示すか
についても,今後の研究の深化にまつべき点が多いが,すでにこの時期には
〈不浄・ケガレ(穢)〉を忌避する伝統的な宗教思想・信仰心から,斃牛馬の皮影ぎ
や解体処理などを〈けがらわしい〉こととする見方が寺社を通じて民間にも
広まっていたので,そのような認識と〈かわた〉の人々とが結び合わされて,
彼らに対する卑賤観をしだいに強めたことは容易に推察される。
693 :
日本@名無史さん:03/05/04 12:30
>692
実際なにも解明されてないようなものか…
694 :
日本@名無史さん:03/05/04 12:33
人権板へ逝けとか混血論絶対否定とか、お前らの執着力のほうがきもいぞ。
695 :
日本@名無史さん:03/05/04 12:57
日本史板の
えた、ひにんってどういう人達だったの?
というスレでなぜ童話の格安住宅に引っ越したいという話が出てくるのか。
人権板でも板違いと言われそうだな。
>>692 皮革の原料である牛馬は聖なる生き物であり、
その加工品である皮革の用途が太鼓のような神器である事から
ケガレ説は一面的すぎる。
また、東北・南九州のようにと蓄業者が差別されなかった地域もある。
皮田の呼称も地域的にかなり限定されたもので皮革工業従事者が多数居た
関西方面では別の呼称が一般的だった事からも論理的妥当性を欠く。
寺社流布説に関しても皮革製造・販売者を門徒総代とし、
当時でも最大勢力であった西本願寺が悪評を広めるとは思えない。
それに皮革製造業が復活したのは享保年間以降で比較的最近のことだ。
698 :
日本@名無史さん:03/05/04 15:20
>>697 古代と戦国期では観念が違います。古代で聖なる力が中世から卑しめられたのは
遊女など多いです。
地域差は当然あります。
戦国時代には、各領国ごとに皮革業者は特権的職業確保権を受け、
その代わり移動の自由などは厳しく制限されました。
軍需産業ですからね。
東北・南九州は、いわゆる大和=弥生系の西日本文化の圏外ですね。
そこが関連あるでしょう。
文の再読を。
寺社が広めたとは書いてない。
仏教の死牛馬処理を穢れと見る考えが、民間に寺社を通して浸透したとの意味。
時代差・地域差の大きな問題で、多種多様で一般論化はできにくい問題です。
たとえば、剛胸などは江戸期の江戸にしかなかったんでないかな。
699 :
日本@名無史さん:03/05/04 16:10
>698
様々な被差別部落民は、各時代、各地域でばらばらに発生したということですか。
為政者の都合の悪い人間、庶民から嫌われうる存在が、半ば恣意的に被差別部落民に
された....。
>古代と戦国期では観念が違います。
古代の事は言ってません。
牛馬が聖なる動物なのは近世においても同様です。
であるからこそ、田興し等の労働に使役されました。田興は神事です。
そして明治に入るまでは同床で寝起きしていた程親密な関係です。
>九州は、いわゆる大和=弥生系の西日本文化の圏外ですね。
>そこが関連あるでしょう。
維新前に大坂から職人を入植させた小倉藩では差別されているのに、
清正公が入植した熊本のと蓄人が差別されていないのは何故か?
>仏教の死牛馬処理を穢れと見る考えが、民間に寺社を通して浸透したとの意味。
中世において被差別民を対象に欣求浄土を説いた真宗の教えが
死牛馬処理民だけを穢れとする考えにつながったのは何故か?
非真宗門徒が民間信仰の観点から処理民を差別するのは理解できるが、
穢寺として寺格を否定されていた真宗内で差別されたとするのはなぜか?
それに天台系や神社系で皮革処理に従事していなかったのにも関わらず
差別されているのは何故か?
>>700 >観念の変化
死牛馬処理能力に対する観念の変化です。
>九州
九州ではなく、南九州と書いたはずですが。
熊本でも、全国でも、太閤検地帳でカワタと記載され、
江戸時代の検地帳では別冊で、分離=差別されてるはずですが。
身分は全国的に武士>平民>被差別民と、思います。
>浄土真宗
私は浄土真宗には、前レスではふれてないのだが、あなたが触れたので調べてみました。
特に親鸞と一遍は、被差別民を差別しませんでした。差別観念に毅然と立ち向かいました。
しかし、変質したようです。歴史の流れに勝てなかったのかもしれません。
差別戒名等にもかかわっているようです。
>差別戒名の形式を記載した最も古い文献として,室町末期成立と推定される
>〈《貞観政要格式目》〉(著者不詳)と題する書冊があり,各宗派や身分の戒名
>について規定しているが,三家者(さんかもの)(日本では〈坂ノ者,燕丹〉等
>といい,藁履作(わらぐつづくり)等の職名をあげ,その類例を〈連寂衆〉
>というとしている)の位使の書式を〈連寂白馬★墳某甲★門欄〉としている。
>同書は江戸初期になって数度板行されて流布し,浄土宗・真言宗等の書籍にも
>引用され,さらに用語の差別を詳細に示している。
>現在までの差別戒名の発見例は,曹洞宗,真言宗,浄土真宗に及んでおり,
>従来,檀信徒に関する身元調査に寺院の住職がかかわる場合が少なくはなかった
(平凡社百科「戒名」「被差別部落」)
>天台宗・神社系の差別
中世・近世の差別は皮革のみならず、芸能系・下級警吏系・乞食系・障害病気系
など多種多様にわたります。
呼称の起源なんて、分からないもののほうが多い?
>702
差別された者の共通点ってなにかあるかな。
一見すると差別されていそうでも、実際は差別されていなかった職業とかある?
704 :
日本@名無史さん:03/05/04 23:30
人権板ってどこにあるの?
探しても無いんですけど・・・
>>701 >熊本でも、全国でも、太閤検地帳でカワタと記載され、
>江戸時代の検地帳では別冊で、分離=差別されてるはずですが。
だから権力者サイドの分類と一般民衆レベルの意識は違うでしょう?
それに近世初期から江戸時代にかけて
民族的流動があったのは民俗学でも明らかにされている。
>しかし、変質したようです。
>歴史の流れに勝てなかったのかもしれません。
元禄年間の寺檀制度を知っているでしょう?
権力説を採用するならこれが一番しっくり行くが、
そうすると一応は幕府公認であった禅宗や天台宗で差別があった理由が分からない。
なんというか、権力説・ケガレ説・文化圏(異民族?)説が一緒くたになってるんだよね。
あと、坂の者は中世非人で興福寺の僧兵が代表格だったかな?
彼らを牽制するために武士が登場したはずだ。
>>699 >様々な被差別部落民は、各時代、各地域でばらばらに発生したという
>ことですか。
それだと、被差別部落が西日本に多く、北へ行くほど少なくなる事実が
うまく説明出来ませんね。
708 :
日本@名無史さん:03/05/05 05:17
5月5日age
八切止夫は、鯉のぼりの起源は武家の旗ではなく本物の鯉で、
部落差別だと言っていた。
709 :
進化は東へ:03/05/05 05:26
>>707 >それだと、被差別部落が西日本に多く、北へ行くほど少なくなる事実が
うまく説明出来ませんね。
被差別民はインドからベトナム、中国、朝鮮半島を経て九州に上陸し、畿内へ向かったと思われる。
それで西日本に多い。
日本に侵略した異民族の奴隷として、インドからカースト制度も持ち込んだものと思われる。
わざわざ自分たちを被差別民だと触れ回ったのか?
711 :
日本@名無史さん:03/05/05 07:51
てか職能民が起源のものが多いのだから、産業が発達していた
西日本に多いのは当然。 東北では需要が少ないから、
職能民も少なかっただけ。
712 :
日本@名無史さん:03/05/05 07:54
関西人の心の中でのランク
関西一般人>関西被差別民>>関西在住チョン>
>(超えられない壁)>クマソ>>東北人
原理と生長が鬩ぎ合うスレ。(藁
714 :
日本@名無史さん:03/05/05 12:54
>>706 >だから権力者サイドの分類と一般民衆レベルの意識は違うでしょう?
>それに近世初期から江戸時代にかけて
>民族的流動があったのは民俗学でも明らかにされている。
戦国期に自治力のある惣村では、惣村内で自治的に身分差を確定した。
東北や南九州では、自治力の発展(経済発達段階)してなかったのも一因では?
>そうすると一応は幕府公認であった禅宗や天台宗で差別があった理由が分からない。
仏教は差別を内蔵するし、幕府公認なら当然の宗教内部の政策では?
>なんというか、権力説・ケガレ説・文化圏(異民族?)説が一緒くたになってるんだよね。
当然いろいろ絡みます。異民族説は破棄だけど。
さらに、経済発展段階なども絡むでしょう。
一説にはできません。
権力の差別と民衆自身の差別を縦軸に、時代の横軸と、縦横無尽に絡みます。
715 :
日本@名無史さん:03/05/05 12:55
>>706 >あと、坂の者は中世非人で興福寺の僧兵が代表格だったかな?
>彼らを牽制するために武士が登場したはずだ。
清水坂非人や奈良坂非人の事?古代末期からいて、貴種伝説を持ち、興福寺などの
直轄民です。
↓
平安時代の最末期より南北朝時代にかけて,当坂周辺の人口はめだって増えた
ようであるが,その多くは,やはり車借,乞食,坂非人たちであったらしい。
1179年(治承3)にこの車借たちと梢園大衆とが闘争して,清水坂一帯が焼打ちに
あったことや,1224年(元仁1)と44年(寛元2)の2度にわたって清水坂非人と
大和の奈良坂非人とが各地の宿々の権益をめぐって,この坂を舞台に集団武闘
をくりひろげ,大さわぎになったことなどは,中世史上に名高い。
南北朝時代には〈坂ノ籠(ろう)〉と通称された牢獄が当坂に設置されていて,
坂非人とともに〈獄舎囚人〉に対しても施行(せぎよう)が行われた。
・彼らは最初は権力に手出しされない神聖性を備えていたが、
室町期あたりからかな?びしばし、撃ち殺されだしたようだ。
それ以来、権力に歯向かえなくなっているようだ。
少し混乱されているようなので、よけいなお世話ですが、
「部落問題研究所」の「部落の歴史と解放運動」全3巻はいかがでしょうか。
よろしければどうぞ一読を。最新の研究成果が上手くまとめられています。
古いのと新版では作者が違うので、前近代編は1985年、近代編・現代編は
1997年のがいいと思います。
同じく部落問題研究所の「部落の歴史」(東日本編・西日本編・近畿編)全三巻
も、よいかもしれません。
716 :
日本@名無史さん:03/05/05 14:07
全部読むにするとエラーが出てしまう。
717 :
日本@名無史さん:03/05/05 14:29
>716
100ずつ読めばいいじゃんか。
保存する時はつらいじゃん。
鯖の調子悪いの?
719 :
日本@名無史さん:03/05/05 20:41
保存しなければいい。
720 :
日本@名無史さん:03/05/05 21:35
えた・・・ファミレスの灰皿を持ち帰る
ひにん・・・デパ地下で試食三昧
721 :
日本@名無史さん:03/05/05 21:43
北朝鮮の銀行を支援してリベートをもらう京都出身の議員
722 :
日本@名無史さん:03/05/05 23:57
>>715 うーん。だから坂の者=サンカじゃないでしょう?
武士を使っての牽制は院生初期の話で
武家政権誕生後の寺社勢力の衰退が中世起源説の根拠でしょう?
あと、民族流動説というのは江戸期の話で
これによって××文化圏説は相対化されている。
つまり、民衆レベルでも均質化が進んだという話。
惣村が形成されたのも戦国期からで大名の領国経営という事情による。
経済発展段階説による東北・南九州後進地域説は
東北が渤海経済圏に南九州が南蛮経済圏に属していたので
重農主義に基づいた領国経営があまり必要ではなかったとも言える。
まぁ、それでも江戸期には領国経営に乗り出したわけだが。
>仏教は差別を内蔵するし、幕府公認なら当然の宗教内部の政策では?
あのね、幕府に認可された天台宗や家康公と縁の深い真宗大谷派では
差別事例が少なくて反幕府的でそれなりに自治権や武力を有していた
本願寺派系で極端に差別事例が多いのはどういう理由からなんですか?
仏教が差別性を内包していたとしても、悪人(被差別民)正機説を唱えた真宗で
一番自治能力のあった勢力が転ぶのは
権力説でもケガレ説(衛生観念の変化?)でも説明できないでしょう?
真宗系被差別部落の農村なんかは神事を排した
近代的生産様式が徹底されていたのだから、
門徒の無知による宗派内差別説もあてはまらない。
あと、水平社の初期メンバーで松本や平野を除いた人間は
ここ出身が多く、僧侶もなんかもいるでしょう?
特に西光や阪本なんかは部落厚生皇民運動の一翼を担っていたんじゃないの?
それに部落問題研究所と言うと野間宏だったかな?
彼も僧侶の息子で戦争に協力していたよね?
725 :
日本@名無史さん:03/05/06 06:31
おまえら、差別の起源と差別意識の起源を混同してないか?
例えばインドのカースト制の起源はコーカソイド系の人種が北方からインドに侵入し原住民を奴隷にして以来のものだ。
この場合、差別意識の起源は征服者の人種差別だ。
ところが今あるカーストの構成員は必ずしも古代カーストの直系の子孫ではない。
それなのにカーストは今でも(肌の)色と結び付けて考えられている。
西日本で差別が多いのは西日本がケガレ意識の本場だからだろ。
今ブラクと呼ばれ差別されている人が古代や中世に「ケガレた」とみなされた人の直系の子孫ではないだろ。
それでもケガレ意識は続いている。
726 :
日本@名無史さん:03/05/06 09:56
"差別意識の起源は征服者の人種差別だ"とすると古代に日本でも
同じことがあったのかな?
あぼーん
>>723-724 まあ、騙されたと思って、前述の本を一読してください。
浄土真宗の変質については、蓮如ですでに運営方針が親鸞とは違ってますからね。
真宗は合理的精神でまじない等を一切排除しましたが、
後年、死牛馬処理者は身分が違う集団と、合理的に認識してたのでは?
<惣村>
村落共同体は一般に支配の末端組織という側面と,支配権力に対する
抵抗組織という側面とを併せ持っているが,特権的な名主層だけの惣荘
の段階にくらべて,一般の百姓まで含めた『惣村の段階の方が「抵抗組織」
という性格を強く持つ』ようになる。また,惣村では構成員の平等原則
が強まったので,指導機関は年齢階梯制によるおとな(乙名,老)によって
構成されるのが普通だった。この惣村を基盤にして土一揆(つちいつき)が起こった。
惣荘は先進地域では鎌倉時代から発達してきています。
「渤海」は7世紀から10世紀(古代)、
「南蛮」は16〜17世紀(中世末期・近世初頭)です。
中世に西日本から始まった村の自治とは、別枠問題です。
729 :
日本@名無史さん:03/05/06 11:06
教科書厨の話はつまらんのう。
ここで脳梗塞おこしたような学者の説を説いて、
自分も偉そうな気になって満足かァ
何の発展性も無いな。
730 :
日本@名無史さん:03/05/06 11:27
731 :
日本@名無史さん:03/05/06 12:30
ものすごく素人考えなのですが、
いわゆる日本の伝統工芸に皮革製品が少なくて、
武具で使われているのが主なのは、
エタによる賎業と分類されていたためでしょうか?
他の素材での技術に比べて、極端にバリエーションが少ないような。
あぼーん
あぼーん
734 :
日本@名無史さん:03/05/06 14:56
>731
竹細工する人らも、いわゆる被差別民だから皮だけということは
ないでしょう。 宮廷人や武士の好みが最大の要因では。
日本は牧畜に向いている土地ではないので供給量が少なかった
所為もあるでしょう。 被差別民がやってることが敬遠されて
いたのなら文楽や歌舞伎など発展しなかったでしょう。
三味線・太鼓なども必要ですし、役者自体が河原者ですから。
>>731 かもしれませんね。バッグ・ベルト・グローブ・皮衣服は洋物伝来すからね。
きんちゃく、キセル袋、煙草入れなどは庶民に使われていたようです。
染皮
近世には武家や庶民の間で用いられた巾着(きんちやく),鼻紙袋,煙管(きせる)
袋の類に染韋が応用され,京都,大坂,姫路でそれらの染韋がつくられたが,
明治時代にはいってから東京駒込の小林総斎,小伝馬町の稲塚米吉らの工人に
よってもつくられるようになった
印伝
鹿皮などの獣皮をなめして柔らかくし,漆や型紙を用いて文様を現した染革の
一種。16世紀中ごろにインドから伝来したといわれ,〈印伝〉の名がある。
皮特有の適度の伸縮性があり,また染色性もよく,江戸・明治時代には袋物や
タバコ入れとして珍重された。現在では山梨県甲府市にこの技法が伝えられ,
甲州印伝と呼ばれている。これは主として型紙を用い,文様を漆で表したものである。
このスレは初めの素人問答の方が面白かった
737 :
日本@名無史さん :03/05/06 16:16
>>731 もともと農耕民に皮なめし技術や加工技術などはあったのだろうか?
その技術が外来だとすれば、技術者を権力が囲い込んで、武具を製造させた可能性がある。
で、その人たちは被差別民化したとか。
よく考えると、皮革業には死牛馬がいるのは当然だが、なめし用に大量の尿がいるな。
その尿を被差別民はどうやって得ていたのだろうか?
あぼーん
739 :
日本@名無史さん:03/05/06 16:21
農民からもらっていたんじゃないですか。
740 :
日本@名無史さん :03/05/06 16:27
>>739 交換するものはあったのだろうか?やっぱり貨幣?
農民にとっても尿は肥料として必要だったはずだし。
741 :
日本@名無史さん:03/05/06 16:37
742 :
日本@名無史さん:03/05/06 16:39
なめしに大量の尿が要るの?
植物タンニンやミョウバンや油や石灰は聞いたことあるが・・・。
743 :
日本@名無史さん :03/05/06 16:46
>>742 アラブなんかでは、人や家畜の尿なんかを使っているみたい。
かっての日本が何を用いていたかはよく知らない。
ただ、部落産業の没落の原因は、独占権の消滅というよりは、
皮革業が近代化学産業にとって変わられたという点にあるような気がする。
744 :
日本@名無史さん:03/05/06 17:13
だから独占権の消滅と近代化学産業に取って代わられることは、
コインの裏表の関係なんだよ。
745 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:52
独占権奪われた被差別部落民はどこで仕事すればいいの。
746 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:54
利権あさり
ほとんどが、日雇いや小作人になったみたい。
日清日露の軍部の軍靴等への需要が近代工業化を必須とし、部落産業への
打撃のとどめらしい。
ただし、技術革新でしばらく頑張ったりした部分もあったとか。
一応言っておくけど、
必ずしも部落産業=皮革業じゃないよ。
いやむしろ全国的にみれば一部少数だ。
各地の部落見てる人ならよくわかってるはず。
被差別部落も普通の稲作農村が圧倒的に多いわけで、
大部落ならその中で寄生地主と小作人層の分解が進んだのだよ。
(皮革業も実は同じ構造だ。大阪西浜の新田皮革とか知ってる?)
大体部落に経済力がなかったらそもそも水平運動なんか
興せやせんよ。
例の「橋のない川」のモデルになった地域なんか典型だが、
ありゃ部落上層のインテリが主力になったのだから。
みなさん、ありがとうございます。
牧畜が行われていなかった分、原材料の入手が限られていたことは
かなり影響しているのかもしれませんね。>皮革製品のバリエーションの少なさ
ただ、品薄=高級素材であれば、高級素材なりの扱いでもう少し発展していても
よさそうに思うので、エタの独占業であった影響を考察する余地があるのかな・・・?。
私の田舎にも部落はありますが、古くからある農家はたいてい竹林を持っていて、
自宅用のもの(筍、籠)くらいは自前で賄っていたようです。
竹細工の工芸品のバリエーションがそれなりにあるのは、日常的な技術だった
からかな、と想像するのですが。
エタによる竹細工の独占性って、どれくらい強固なものだったのでしょうね。
なかなか(^_^; 素人なので、もう少し勉強してみます。(実は美術史が専門)
750 :
日本@名無史さん :03/05/07 00:26
>>748 だから職業による差別(穢れ意識)だけで片づけようというのは不自然なんだよね。
一体、農業やってて差別された人は、どんな人たちだったんだ?
751 :
日本@名無史さん:03/05/07 00:35
北陸には部落問題はないんですよね?
真宗のマイナー宗派には、部落民の門徒さんは
いないのかな?
福井は真宗発祥の地では?
752 :
日本@名無史さん:03/05/07 00:42
農業やってて差別された人→部落産業との兼業では?
戦国期に流入してきたと思われる人々のルーツをたどると
そこにも部落があるようなのですが、職能民同士のネット
ワークってあるんですかね?
753 :
日本@名無史さん:03/05/07 01:16
>>751 >北陸には部落問題はないんですよね?
米騒動で死刑になっているくらいだから、
当然ある。
754 :
日本@名無史さん:03/05/07 01:32
>>753 じゃ、北海道以外はみんなある(あった?)んですね。被差別部落。
沖縄人も戦前は差別されてたそうですが、琉球王国も王国である
以上封建制ですから、やはり琉球王国の中においても賎視される
人々っていたのかな?人権板で離島差別があると書いてたけど。
755 :
日本@名無史さん:03/05/07 01:39
職能民同士のネットワーク・・・・・
南北朝時代の山の民(鬼?)は血縁によるネットワーク
があったそうですが・・・・。
その血縁って何なんでしょう?
どういうアイデンティティーなの?産鉄民?
756 :
日本@名無史さん:03/05/07 01:40
>>749 中世まではポシェット、鞍、沓なんかがあったワケです。
近代では皇室用に上納したランドセルが広く一般に普及しました。
特に中世までの製品はかなり洗練されたものだったんですけど、
消費者である貴族が没落しちゃいましたからねぇ…。
あの水準を維持・発展させていれば
ヴィトンやグッチなんかは目じゃなかったんですが。
竹細工に関して言うと松本ジイッチャンの実家は竹細工の卸販売業で
あの近辺の分限者。
757 :
日本@名無史さん:03/05/07 01:52
>>754 北海道にもある。
没落士族や被差別民といった余剰人員を植民したのが北海道。
琉球は大隅氏の間接支配が差別的だったが、
これは植民地的なもので本土の被差別部落とは少し違う。
被差別部落民というのは近世までは富裕層を形成していたからね。
離島差別は隠れキリシタンとされた人々や流刑地が殆どで琉球はちょっと違う。
離島自体ではなく離島内でも差別があるし、
中世豪族の後胤とされる名望家もいる。
758 :
日本@名無史さん:03/05/07 02:08
>>北海道にもある。
没落士族や被差別民といった余剰人員を植民したのが北海道。
でも、差別する側の人が多くいないのだから、他地域に比べると
違った構造では?
>>750 当初は、賎業と偏見があるから発展しなかったのか?と疑問を持ったのですが、
皆さんのレスを読んで、むしろ独占業だった影響(弊害)があったのか・・・?と。
竹は、私の日常感覚だと、部落民でなくとも従事していたようなので、
革製品とは差が出たのでは、と愚考中です。
>>756 >中世まではポシェット、鞍、沓
ああ、なるほど。あまり美術展ではお目にかかる機会がないのですが、
何かお奨めがありましたらお願いします(^_^;
>竹細工に関して言うと松本ジイッチャンの実家は竹細工の卸販売業で
>あの近辺の分限者。
ごめんなさい、松本さんですぐにわからないのですが、
www.surugaya.com/sensuji/sakuhin/musikago/e68.htm
↑こういう虫かごもエタの独占製品だったのでしょうか?
そういう風に職人の身分を考え直すと、生々しくてショッキングですが、
製品の発展と流通を考える上で、身分制と職業を頭の片隅に入れとくのは、
より深い理解の一助にはなりますね。
760 :
日本@名無史さん:03/05/07 02:12
とはいえ、北海道には入植した頃から部落はあっても差別はなかったでしょう。
761 :
日本@名無史さん:03/05/07 02:18
>>760 ですよね。
アイヌ人差別しか勉強しないって言ってたよ。
あぼーん
あぼーん
764 :
日本@名無史さん:03/05/07 02:54
歌舞伎の人たちも階級的には、ひにんでしょ。
>757
奄美には奴隷がいた。
766 :
日本@名無史さん:03/05/07 03:03
エタ系が百済との繋がりを主張しているのはやはりそうだからなのでは?
岡山に「鬼の城」っていう日本では珍しい古代朝鮮式山城があるのだけれども、
そこにいたのが桃太郎伝説の鬼のモデルになったという百済渡来の「温羅」
っていうんだけど、これが山上仏教を始めとする色々な文化をもたらした
そうなんだが、エタ系が百済の子孫を主張するのはやはりそうだからなの?
鬼扱いされたということは当時からすでに異人階級な訳だから。
767 :
日本@名無史さん:03/05/07 03:11
戎はどう?
>757
大隅氏?誰だそれは、
県民性(昔で言えば藩民性か)も部落差別に影響してると思う。
だから歴史も地方ごとに考えないと分析を誤るかも。同じ西日本の中でもね。
あと、職業と性格もちょっとした関係があるよね。
いまでも例えば銀行員は銀行員らしい性格になるでしょ。
部落産業に就くと人から嫌われやすい性格になってしまうのかも知れない。
それが差別につながったという側面もあると思う。
770 :
日本@名無史さん:03/05/07 05:55
>県民性(昔で言えば藩民性か)も部落差別に影響してると思う。
西日本はチョソ系が多く、チョソ(弥生)系は他人を差別したがる(藁
771 :
ゆう ◆sEeKFA519Q :03/05/07 06:31
被差別部落に関しては橋のない川とカムイ伝とこのスレくらいしか知識のない素人の私
ちょっと質問いいですか?
元被差別部落の人に多い苗字ってあるのかな?
元武家で藤がつく苗字の人って多いよね
たとえば、河田って苗字の家系は元被差別部落・・・みたいなのが
あぼーん
774 :
日本@名無史さん:03/05/07 12:44
>>750 :日本@名無史さん :03/05/07 00:26
>だから職業による差別(穢れ意識)だけで片づけようというのは不自然なんだよね。
>一体、農業やってて差別された人は、どんな人たちだったんだ?
>>752さんも書いてるように、被差別産業との兼業です。
中世から本村に対して、枝村と言われてました。
本村集落では、観念によって、屠殺・死牛馬処理ができません、できないと農業が
止まってしまします。で、枝村の被差別民の人々が必要不可欠だったのです。
農業も行い、本業の屠殺・死牛馬処理・皮加工・雪駄づくり(裏が皮)を行っていました。
775 :
日本@名無史さん:03/05/07 12:53
>>757 >北海道
被差別移民は少ない。松前藩が、穢多がいないと農業ができないので、
送って欲しいと部落に頼んでる程度。
被差別部落の北海道移民は、あまりきかない。
満州移民は聞いたことがあるが。
>>764 >歌舞伎
実力と人気で差別を実質的に打ち破りました。立派。
776 :
日本@名無史さん :03/05/07 12:55
>>774 それにしては、地域によって同和地区の分布は異なるね。
もちろん当時の同和地区と今の同和地区は同じにはできないけど。
777 :
日本@名無史さん:03/05/07 13:04
>>767 >戎
「くぐつ」の事?
傀儡子(傀儡)は,元来は人形を操って生計を立てる芸人を指していた
ようだが,日本では同時に歌舞,売媚などもする遊女のようなもので
あった。彼らは水草を追って移動する流浪の徒であり,男は弓馬を使
って狩猟し,弄剣の伎を見せ人形を舞わせ手品めいたこともする。
女は厚化粧を凝らし倡歌黒楽して媚を売る。生活は不安定であるが,
流浪生活ゆえ課役徴税は受けない。夜は百神を祭って鼓舞する。
特別職能集団だね。遊女などは古代は神聖視されていたが、次第に差別された。
778 :
日本@名無史さん:03/05/07 13:06
本村集落と枝村
は
本所と散所や別所
の
観念とつながりがあるの?
779 :
日本@名無史さん:03/05/07 15:04
やはり、西日本は歴史が深いのよ。
だって、江戸以前の源氏物語や平家物語にも
地名を指して場末だとか、身分卑しき者とか書かれてるよ。
封建制のピラミッドがどーんと2000年位存在してたのだから
ある意味しょうがないのかも。
よくわからんが・・・
本村集落と枝村は本来は、差別はない。
ただし、室町後期の自治の中で、平民農民集落を本村といい、被差別民村を
枝村とした。一緒に住みたくないが居ないと困ると言うわけだ。
本所は古代末期から室町前期の荘園の実質支配の実権者。
別所は11世紀以後の、僧侶の本寺を離れて宗教活動を行う場。
散所は難しい。
単に本所に対して散在した人。と言う意味で、その中の一部が
差別されたと言う説もあれば、河原者同様差別対象との説もある。
「一般には、平安時代中期ごろから室町時代にかけては,荘園領主の領地
の一部,および,そこに定住することを認められて年貢の代りに雑役を
務めた人をさす語として用いられるようになり,以降江戸時代にかけて
は,とくに賤視された人々の一部,ならびにその集住地をさす語として
流布・定着し,近代におよんだものとみられる」と言われる。
本村・枝村と、
本所・散所・別所とは、すぐにはつながらないようです。
781 :
日本@名無史さん:03/05/07 15:49
>779
西日本の中でも特に、京都.大阪.兵庫が多いよね。
なんでだろー~なんでかな~~。
朝廷があったことと関係あるんじゃない。
782 :
日本@名無史さん:03/05/07 16:21
関西は朝鮮人の問題を除去しないと純粋な和製部落の問題は
語れない。
783 :
日本@名無史さん:03/05/07 16:26
だって天皇家自体が、そいつらの親玉なんだもん。
だから必死で自分らの出自を隠してるでしょ
続日本紀にある話は認めたけど、それ以前のことは絶対発掘させない。
あぼーん
785 :
日本@名無史さん:03/05/07 16:31
古代朝鮮と現在のチョンを同一視する反日房はここに来るなよ。
786 :
日本@名無史さん:03/05/07 16:49
古代朝鮮、ぶっちゃけ百済との関係が知りたい。
被差別民とくにエタ身分が百済との関係を主張していることが気になる。
>>773 ここじゃ聞かないほうがいいの?
でも人権板行ったことないし、なんか怖いってイメージが・・・
名字に関するスレ探してみるよ
>>787 厨房認定されていることにも気づかずお気の毒なことです・・・
それにまたアフォな古代史厨が出てきたし。
だれだぁ?
このスレを人権板に貼り付けたのは。
>>1の疑問に回答できる歴史資料あるが、知りたい人いる?
お邪魔なら、書かないけど。
資料名は「近世尾張の部落史」発行・愛知県部落解放連合会だけどね。
790 :
日本@名無史さん:03/05/07 21:04
ああ、人権版の顔のもっこすさん。
いらっしゃい。
ぜひお願いします♡
791 :
日本@名無史さん:03/05/07 21:08
十二柱神社ってどういう神社??
792 :
日本@名無史さん:03/05/07 21:26
>>774 どうも「本職」ってのが引っ掛かるんだなあ。
死牛馬なんてそう滅多に出るもんじゃないんだよ。
死体の処理という「義務」と
皮革その他の引き取りとその販売という「特権」を
ごっちゃにしてない?
うろ覚えだけど、少数点在型の埼玉か長野じゃ、
部落の中でも厳然たるヒエラルキーが存在してて
滅多に出ない死体を直接引き取れたのは
有力部落(小頭クラス?)だけだったと
史料で読んだ記憶がある。
やっぱり普段の生業は一般農林漁業
というところが多かったんじゃないかな?
ただ、ごくたまに処理に従事するだけの部落でも
代償として年貢(土地)の減免とかの恩典は与えられていたはずで、
その点で一般百姓とは完全に「区別」されてはいただろう。
(前にも出てたが、この土地免税措置が明治の地租改正時に大問題になった)
まあ、それでもあえて賤業が本業というのなら、
それはやっぱり治安取締・清掃とかの
下級警察役全般ということだと思う。
793 :
日本@名無史さん:03/05/07 21:41
知り合いのばあさんにこのこと聞いたら、そのばあさんが子供の頃、母親に
「千住のほうは四っつが多いから行っちゃダメって教育だったらしい」
四っつて元のえたヒニンでしょ?戦後の話らしいけど
「当時千住にある肉屋は四っつだ」とも言っていたらしい。
今はどうなんだろうか?今の世じゃ信じられない差別だけど
794 :
日本@名無史さん:03/05/07 21:49
2ちゃんはレイシスト(差別主義者)が跋扈してるので、色々知っているが
あまり書きたくなくなるな。
>>794 最初から書かなければいいのに、
そもそもなにも知っていないのだろうw
思わせぶりなことかきやがって
>>793 今では、関東では、保健所の許可をもらえば、誰でも精肉店を経営できるが、西日本では、解同が絡む。
それで、東京には部落出身者の肉屋さんはほとんどないそうだ。
東京都の人権啓発担当が一番神経を使うところとか聞いたね。
>>790 後で、関係箇所をコピペしておきますね。
>>793 特定の地域名を書くな。
差別がどうとかいうのならその位の配慮をしろ。
いや〜、エタとかヒニンとか、俺たちからみれば、おまえらみな同じ黄色いサルぜよ。
800
801 :
日本@名無史さん:03/05/08 00:06
>今では、関東では、保健所の許可をもらえば、誰でも精肉店を経営できるが、西日本では、解同が絡む。
東京で靴屋の組合いを巡って紛争があって、関西から職業的ブラク解放運動家が乗り込んで来て紛糾した歴史があるよね。
東京では明治維新後ブラクの親玉の弾という人が製靴業を積極的に推進してブラクに製靴業が広まった。
このためか東京の製靴ブラクは自分達のアイデンティティを職人に求めブラク、非ブラクを超えて製靴業者としての連帯感を育んでいた。
東京都が製靴業近代化の資金を提供することになった時、東京のブラクは職人意識からこの資金はブラクだけが独占すべきではないと考えた。
ところが関西から来た職業的ブラク解放運動家は近代化資金のブラクによる独占を要求して暴力的な運動を展開した。
関東ではブラク自身が職人として実直に生き、回りもそれを認める良循環の中で差別や偏見がどんどん減るのに対し、関西ではブラク自身が排他的独占的利権を求め、回りもそれに反発して陰で差別する悪循環の中にある、・・・かな?
>>801 欧米のKitty菜食エコ団体と日本の解同が激突してほしいなあ、
と邪な妄想を抱いたりして。
803 :
日本@名無史さん:03/05/08 00:18
今日の「この時、歴史が動いた」で大阪の豪商が行幸に寄付させられてたじゃん。
さすがに弾左衛門のところにはそんな依頼来なかっただろうなあ。
804 :
bloom:03/05/08 00:20
805 :
日本@名無史さん:03/05/08 00:24
>803
あれ、来ていたから身分解放令が出たんではなかったかな...
記憶違いだったらスマソ
806 :
日本@名無史さん:03/05/08 00:31
来てたんだ。しかし新政府もよくそんな依頼出したな。
ある地方では明治になっても部落民が店で払ったお金を
一度ザルで受けて水洗いしてから受け取ってたそうだが、
明治維新の頃なら政府の要人もそんな考えをしてただろうに。
807 :
日本@名無史さん:03/05/08 01:14
西本願寺が倒幕資金を出してたことも関係あるのかな?
808 :
日本@名無史さん:03/05/08 01:21
しかし弾左衛門の権力は木村荘平によって叩き潰された
宇治生まれの木村は薩摩藩京屋敷に茶を納めたのが縁で
維新後神戸で貿易していたのを初代警視総監川路利良に呼ばれ
芝浦屠畜場を開いて東京の牛馬解体権を事実上独占した
四十数人の子福者として知られ
小説家木村荘八、画家木村荘十、映画監督木村荘十二は子息
809 :
日本@名無史さん:03/05/08 01:22
えたは、イスラエル12部族の1つ「ダン族」の子孫。
非人頭・弾左衛門はその頭領の子孫。
「ユダヤ人と日本人の秘密」水上涼(日本文芸社)に書いてある。
なかなか説得力あり。
810 :
歌舞伎関連の話ですが:03/05/08 01:31
>>764 昭和53年の「歴史読本増刊:日本史ものしり百科」にこんなネタが出てました。
明治初期、九代目市川団十郎は能役者の権威であった宝生九郎宅を訪れ
勧進帳の極意伝授を懇願した。
しばらくすると老人が現れ「河原乞食の分際で能など生意気だ」と罵倒された。
老人はすぐに奥に引っ込んだが、その後ろ姿は明らかに能の静粛さを表していた。
団十郎は学ばずして勧進帳の極意を会得した。(文章は一部改変しました)
能は武家のモノとはいえ、こりゃまた思い切った発言を…(;´Д`)
811 :
日本@名無史さん:03/05/08 01:33
>>801 大阪の製革業も弾配下の小頭が広めたのです。
関東における弾の権益は早い時期に政府に取り上げられたので
直接的な関わりは殆どありません。
弾の伝えた技術が最初に花開いたのは大阪、神戸といった関西地方です。
こういう関西経済を支えた皮革産業を
政府の梃入れで圧迫した部分もあると思います。
なぜかというと、反政府活動の資金源だったわけですから。
813 :
日本@名無史さん:03/05/08 04:35
>>810 能も元々は、興福寺(春日大社)の非人(散所)とかの芸能なのにね。
だから○○阿弥とかいう、差別のない時宗の信者になってた。
江戸時代に上手く昔の非人身分からのし上がっただけなのに、
三百年も経つと出自を忘れちゃって後発の芸人を馬鹿にするとは
日本人の身分なんて物凄く流動的だった証拠ですね。
本村の住民が屠殺をやらなくなったのはいつ頃から?
以前は自分達でやっていたのでしょう?
815 :
日本@名無史さん:03/05/08 09:15
>>807 というか、維新後、軍との関係が深かったことが問題では?
新政府に資金提供したのは、国家神道による廃仏運動を
逃れるためなの?
816 :
日本@名無史さん:03/05/08 09:33
>>810 ちゅーか、武家っちゅうのは皇室カルチャーからみると
そんな身分高くないんでしょ。平安時代までは。
元は身分卑しきなんたらっていう感じ(←皇室カルチャーから見ると)
だけど政権争いで武力は有効だったから重宝されて次第に有力者になっていった・・・
下克上でそれはさらに強化されてついに天下を武家が治めることに。
>>814 平安時代には、すでに動物殺しは、特別な聖なる能力が必要と思われていたようです。
仏教関係で、殺せなくなってたのかも。
庭の鶏殺しなんかはみんなやってたけどねw。
>弾差衛門
配下には反幕もいたり、本人も薩摩藩に誘われてるが、幕府側についたのでは?
↓
弾左衛門はみずからの身分呼称の〈えた〉を〈醜名〉とみて深く恥じており,
その除去,すなわち身分の格上げを願ってやまなかったから,将軍家侍医松本
良順をつうじて〈醜名除去〉を請願するにいたった。この件は政情多端のなか
で一時紛れはしたが,大政奉還・王政復古(1867)のあとに起こった鳥羽・伏見の
戦(1868年1月)の直後,第15代将軍徳川慶喜の命により,長州征伐での功績を
理由にしてようやく実現し,〈えた〉身分から〈平人(へいじん)(平民)〉身分に転じ,
あわせて弾内記(のち直樹)と改名することも許されて〈海陸軍付病院御用〉
を申し付けられ,医学所頭取の松本良順の配下に入れられた。
内記はすぐに〈譜代手下(ふだいてか)〉65名についても格上げを請願し,
認可された。また彼はこの件に関連して幕府に建白書を上呈,そのなかで,
積年の差別を〈数百年の流弊(因習による弊害)である〉と断じ,〈天地の間に
生をうけた人種(人間)にかわりないにもかかわらず,人倫の交わりも成り立た
ぬとは,まことに陸かわしい極(きわ)みである〉と述べて,配下にあったすべ
ての〈賤〉,および直接管轄外にあった西日本各地の天領(幕府直轄領)・譜代大名
領内の〈賤〉の身分格上げを強く要望した。だが,これの実現は,維新政府に
よる1871年(明治4)の〈解放令〉をまたねばならなかった。
819 :
日本@名無史さん:03/05/08 14:26
「八の民」と「四ツの民」がいるってホント?
八切止夫は古代海人族と北方騎馬民族の末裔とかいってるけど。
820 :
日本@名無史さん:03/05/08 14:39
>>813 茶道もでしょ。
千利休とかが切腹させられた原因とかもその辺にあるの?
佐々木導誉とかも古代賎民の出だから、江戸時代以前は
身分は流動的なんでしょう。
江戸期に固定されたんでしょ。
821 :
日本@名無史さん:03/05/08 14:49
歌舞伎を筆頭に茶道、華道、築城、作庭、楽器製作、染色業
とかもそうでしょ。
他に医薬、竹細工とかもあるけど。
皮革産業のみ表に出されるのはなぜ??
水平社は「獣の皮を剥ぐ代わりに・・・」っていってるけど
それ以外の産業もあるんでしょ。
822 :
日本@名無史さん:03/05/08 15:17
823 :
日本@名無史さん:03/05/08 15:48
一重でブサイクな奴を えた・ひにん にすれば良かったのに
利休切腹の直接の理由は山門の木像問題であるが,その政治的背景を
考えると,全国統一に成功し,次に朝鮮半島をねらう秀吉にとって
その拠点となる博多の重要性が増し,逆に堺の勢力をバックとする利休の
政治的立場が弱まった点があり,また秀吉政権内部の対立が秀長の死
によって表面化し,その抗争に利休がまきこまれた面があろう。
その他,切腹の理由に秀吉が利休の娘に横恋慕したとも,また利休が
道具の不正な売買をしたともいうが,確認はできない。
825 :
日本@名無史さん:03/05/08 17:42
>>821 池坊の始祖はお坊さんと言うことになっていますが、
これは仮の姿なのでしょうか?
827 :
日本@名無史さん:03/05/09 01:29
>805
身分解放令じゃなくて賎民廃止令。
828 :
日本@名無史さん:03/05/09 01:55
829 :
日本@名無史さん:03/05/09 07:01
大江磯吉の嫁の消息を知ってますか?
士族の出とはいえ、大江と死別したあとの人生は差別されまくり
だったと思いますが、どうやって過ごしたんでしょう?
>>828 人数や件数はわかりませんが、西日本各地で激しい解放令反対一揆が起き、
襲撃・被害を与えたのは事実です。幾つかの本にも取り上げられています。
権力とともに、民衆自身の中に差別の根があった、というのは最近の研究動向です。
しかし、これはどこの新聞ですか?新左翼系かなと思われますが。
中○派系なら、全こ○連と連携し、「部落民以外は全て差別者」「糾弾権はある」
という、昔の街道の路線です。
一般的には以下のように解説されています。
「しかしながら,政府の施策としては,この解放令にともなうべき具体策,
すなわち被差別部落住民の生活権の保障にかかわる諸施策がまったくなかったために,
急速な近代化の傾向のなかで被差別部落の貧困化を助長し,そのことがまた
部落差別をいっそう深刻なものとしていった。〈一般民〉は,〈えた〉〈非人〉
が〈平民同様〉の身分に引き上げられたことを喜ばず,逆に,〈一般民〉が
〈えた〉〈非人〉と同じ地位へと格下げされたのと同然であると解し,露骨な
いやがらせはいうまでもなく,とくに西日本各地では〈えた〉〈非人〉の解放
に反対する激しい実力行動(解放令反対一揆)を起こして被差別部落を襲撃し,
集団的危害を加えた。伝統的な身分意識によることではあったが,当時の国内
状況においては,近代化のための諸政策が民衆の生活にもたらしていた矛盾へ
の不満のはけぐちに被差別部落が選ばれ,迫害の対象にされたのである」
>>830 その資料や、皆さんのお話を聞くと、
被差別部落民は特殊な職能を持っていて、
村経営にはなくてはならない存在であったし、
武士にとっても、警察機能の役割などで必須の存在であったため
税を免除するなど優遇しつつ、古来からの穢れ思想故に
税を取られる農民の不満をしのいでいた。
ところが、明治維新で、被差別部落の経済特区が取り上げられた上に、
農民は同列に扱われることで、どちらも双方の身分の存在意義失い、
混乱の元、差別意識は江戸時代より厳しくなった、と言うことでしょうか?
832 :
日本@名無史さん:03/05/09 16:45
過去の被差別と現在の被差別がなんら連続していないことが
わかってよかったよ。今の被差別は完全に商いのネタだね。
833 :
日本@名無史さん:03/05/09 17:01
>>832 過去って中世とかのこと?
明治・大正・昭和期が重要だと思う。
834 :
日本@名無史さん:03/05/09 17:33
最新の研究では俘囚起源説はどうなってるんだ?
蝦夷起源説だけど。東北地方に同和地区がない理由も説明がつくし、
蝦夷はもともと狩猟・皮革業をやってたんだろ?
あちこちに俘囚として朝廷軍に連れていかれ、海賊退治とか賤業をやらされて
いたようだし。当然、現地人(和人)から異民族視される。
>東北地方に同和地区がない理由も説明がつくし、
あるよ。
836 :
日本@名無史さん:03/05/09 18:22
3/6 実は俺の親父、こいつらの糾弾のせいで
首吊ったんですよ。昔の話ですけど。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ""
,,, \\\ .|ヽ そりゃひどい…。
ドスン /■\ L| 市民の敵は、屠殺の要領で…。
,, ( ´∀`)‖  ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( つ /■\
/ /穢ヽ\ (Д` )
⊂(_);;;)Д<)__) と )
"' ∪ ∪ チクショー (_()()
4/6
往生際が悪い奴だ。中核派そのものだな。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ""
,,,
/■\
,, (#´Д`) ブシュッ これこれ
( ||と) /■\ 暴れなさんな
/し/穢;':\ (∀` )
(( ⊂(_);;;)Д;)っ)) と )
"' (( ∪ カイーホ! (_()()
カイーーーーホ!!!
837 :
日本@名無史さん:03/05/09 18:23
5/6 お前らに殺された牛の気分を味わうがいい。
お前らに殺された親父の気分も味わうがいい。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ""
,,,
/■\
,, ( ´∀` ) ボギィ
( ;:';:||と) グチャ /■\ こりゃ爽快だわ
/し/ξ;':\ (∀` )
(( ⊂(_);;;)Д;)っ)) と )
"' (( ∪ カイホ‐‐ッ!!! (_()()
6/6 ( ) / /_)
人 Y (__) んじゃ、シャワーでも浴びに行きましょうか…
"" し'(__)
,,, いちいち墓を掘る必要はないですよ…
,,
'.':
,':,'"" /ξヽ ';∵: `"
⊂⌒(;;;)Д;;)っ
"' ∪'' ,.': ,,,
∵:・
838 :
日本@名無史さん:03/05/09 18:42
>>802 >欧米のKitty菜食エコ団体と日本の解同が激突してほしいなあ、
>と邪な妄想を抱いたりして。
日本の動物愛護団体と解同が衝突したことならあるが。
三味線用の猫を捕獲する業者(いわゆる猫捕り業者)に動物愛護団体が噛みついたのが、事の発端。
ところが、この猫捕りが伝統的な部落産業の一つだったところから、解同が猫捕り業者の擁護に乗り出したのだ。
部落産業の利権のためであれば、猫殺しさえ正当化しようとする解同の醜悪さが露呈した一件だった。
>>834 その説を採用すると、現在の天皇家よりも、歴史の古い、由緒正しいのが部落の起源になってしまう。
継体天皇以前の家系というのは、どうも5,6家しかないらしい。
>>829 大江氏本人については、研究書が出ていたと思います。
まだ読んでないけど。
>>838 猫の価格は、一匹千円だそうです。
業者の下請けをしている連中が荒稼ぎしているみたいですね。
猫猟師はもう2軒しかないそうです。
彼らが廃業したら、外国から猫の皮を輸入することになります。
既に、鯨関係の部品を使っていた伝統楽器部品関係は、カナダから輸入していますから。
842 :
日本@名無史さん:03/05/09 19:35
>>839 「歴史が古い」ことと「由緒正しい」ことは違うだろう。
「由緒正しい」と言うからには、系図が明らかでなおかつ権力者の家系でなければならない筈だ。
パナウェーブを見ると、
昔のエタ・ヒニンを見ている錯覚を覚えるのは
私だけでしょうか?
844 :
日本@名無史さん:03/05/09 21:40
>>834 >最新の研究では俘囚起源説はどうなってるんだ?
知ってる範囲ですが、否定されてるようです。
というのも、よく調べると、俘囚は軍事力として活用したり、
農耕民族化させようとしたんですが、何年たっても逃げたり暴れたり、結局、
懐柔できず、俘囚を元の地域に帰してるようです。
845 :
日本@名無史さん:03/05/09 21:44
>835
>>東北地方に同和地区がない理由も説明がつくし、
>あるよ。
あるだろうけど大阪京都兵庫に比べたらずっと少ないでしょ。
846 :
日本@名無史さん:03/05/09 21:57
>>845 いや、規模としてはあまり畿内と変わりは無い。
東北は、頻繁に賤民の居住地の配置換えがあったため。
特定の土地に賤民の土地という固定の印象が定着しなかったため。
847 :
日本@名無史さん:03/05/09 22:16
>846
なんで「東北は、頻繁に賤民の居住地の配置換えがあった」
のだろうか。
賤民に限らず東北は人口の流動が激しかったと思うけどな。
849 :
日本@名無史さん:03/05/10 00:05
東北は、西日本に比べ、被差別民の割合が少なく、差別も弱いと思うが?
人口流動は、明治以前は少ないのでは。
今でも東日本では、被差別部落問題を知らない人西日本より多いはず。
>>844 コラコラ、「俘囚起源説」どころか
「俘囚」の存在自体まともに実証した古代史研究はもう存在しないぞ。
あるなら具体的に文献や論文あげてくれ。
ただし、菊池山哉とかはなしねw
851 :
日本@名無史さん:03/05/10 03:57
東北の同和地区の規模が畿内とあまり変わらないだって?
京都崇仁や神戸番町に匹敵する規模の部落など、東日本にはないよ。
852 :
日本@名無史さん:03/05/10 06:45
高橋 富雄氏などは古いのか?
俘囚については、近刊の講談社「日本の歴史」かどこかの「東北の歴史」?
で読んだ気がするが?
以下は平凡社より。
俘囚
日本古代において,捕虜になるか降伏して国家支配下に置かれた蝦夷
(えぞ‖えみし)をいう。夷俘とも称された。古代国家は国家支配の外に
立つ蝦夷という抵抗民たちとその領土とを,国家支配の中に組織して,
これを〈内民〉〈内国〉に同ずることを蝦夷経営の最終目標にしていた。
この〈内なる蝦夷〉としての俘囚の問題は,蝦夷経営問題の最終形態を
示していたことになる。最も古く,捕虜になった蝦夷は朝廷に送られ,
佐伯部という大和朝廷武力集団に組織されたという伝えがある。
律令時代には朝廷の権威を誇示するために朝儀に参列せしめる記事があり,
また貴族に分け与えて隷属させたこともあった。平安初頭の延暦・弘仁の
大征討により蝦夷の主たる抵抗が壊滅したのを機に,律令政府は蝦夷勢力
を分断する政策をとり,一部を胆沢城,秋田城,雄勝城下の直轄地に集住
させて軍政下に自治的に生活させるとともに,その最も強硬な集団は分散
して内国に移住せしめ,国司の統制下に置いた。彼らは集団をなして村落
を形成した。《和名抄》に〈俘囚郷〉と見えるものがそのなごりである。
その移配された国は《延喜式》によれば35ヵ国にも及んだ。彼らには
生活厚生のために〈俘囚料〉が定められ,出挙(すいこ)稲による利稲
が与えられた。812年(弘仁3)には彼らの中から俘囚(夷俘)の長を,翌年
にはその上に専当国司を置いて管理・統制を強化するとともに,他方では
口分田を給し計帳を造って,〈調庸の民〉(課役の民)として扱う努力も
続けられた。しかしその成果がどうなったか明らかでない。反対に9世紀
になると,これら俘囚たちの反乱が各地で伝えられるようになる。出雲,
上総,下総,下野などの例が報告され,大宰府管内では,移配の俘囚を
正規兵に編成する計画もあった。878年(元慶2)には出羽の秋田城下の俘囚
の乱(元慶の乱)がおこり,また前九年の役,後三年の役は11世紀俘囚の長
の乱であった。
>>342 文献的には二つあったような。
奥田家文書と鈴木家文書ですね。
奥田家文書を読み込んだ研究では、畑中先生が有名です。
何しろ、人別帳を原文のまま読める先生ですから、それを近世まで追及なさったらしいです。
南王子村シンポジウムでお話を伺いしました。
他にも、庄屋文書はあったそうですが、最近の解同の糾弾闘争におびえて、廃棄された方もいらっしゃるとか。
855 :
日本@名無史さん:03/05/10 20:27
南王子村と言えば、岩波新書の「ある被差別部落の歴史」は今では絶版だろうか。
上の方でゴチャゴチャ出てる近世部落についての疑問も
これ読めばほとんど一発回答なんだがな。
>>もっこす氏
奥田家文書のパイオニアって畑中氏なのか?
岩波新書の執筆陣には加わっていないが。
>>855 それも、最近手に入れたよ。
奥田家文書は、最初、部落問題研究書が奥田から借り受けたんだけど、その直後に、解同が研究所を襲って、居座ったんだ。
それで、奥田家文書による研究は、解同系学者によるものが最初になった。
ただ、畑中先生は、解同系の部落解放研究所から、部落問題研究所に移られた方ね。
なお、奥田家の御当主は、大学教授ね。
858 :
日本@名無史さん:03/05/10 20:55
>>856 すると、その岩波新書の「ある被差別部落の歴史」の内容は、現在でも
有効・通用するんですか?
859 :
日本@名無史さん:03/05/10 21:05
>>858 西(大阪)の奥田家文書、東(埼玉)の鈴木家文書は
最強の近世部落史料です。超一級史料です。
南王子村は太閤検地の記録も残ってるし。
いちおう伝承ではもともと神社奉仕の仕事やってる神人だったらしいね。
860 :
日本@名無史さん:03/05/10 21:28
>>859 858ですが、どうもサンクス。
いや、街道に乗っ取られた言うから分析は大丈夫かな?と、ふと気になって。
861 :
日本@名無史さん:03/05/10 21:37
>>856 >その直後に、解同が研究所を襲って、居座ったんだ。
___
/ 電 /|
/ 磁 / | _ / ビビビ
/ 波 / | ∋oノハヽo∈ /
/ 調 /| | 。.|.川o・-・) /このカキコから
/ 査 / | | |≡( )) ))つ もっこすのスカラー波を感知しました
/ 中 / | | `ー| | |
/ ̄ ̄ / |  ̄ | (__)_)
>>861 この事件だが?
http://www.burakken.jp/ayumi.html 1948.10 京都市に設立
1952. 1 部落問題に関する学術研究機関として文部大臣より社団法人の認可
1964.11 全国からの支援で文化厚生会館を建設
1966. 1 部落問題研究における業績」に対し朝日新聞社より「朝日賞」を受ける
1966. 1 20日、「解同」朝田派に文化厚生会館を不法占拠され、以後16年間にわたり、図書資料、財産の一切を会館内に凍結されたまま仮事務所での仮住まいで活動を続ける。この事件を機に、科学的な研究機関として大衆的基盤に立った研究をめざすことをより明確化
>>859 全国の県立図書館クラスの図書館には常設してるね。
864 :
日本@名無史さん:03/05/10 22:14
南王子村って、枝村じゃなくて、
独立した本村だったんだよね。
かなり例外的なケースらしいが。
865 :
日本@名無史さん:03/05/10 22:34
>もっこすさん
岩波のその本の分析は信頼できますか。
567 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 17:10 ID:gOK39ys1
有力起源一つに秀吉の文録・慶長の役がある。
あの時に、出兵日本兵は耳塚で有名だが、敵軍の耳を大量にそいで戦果の証明と
していたが、それだけでなく、大量の朝鮮人を日本に連行した。
それは、日本にない産業の従事者を必要としたからで、沈寿官を始めとする、
陶工は有名だ。他にも多数の職種があった。部落が西日本に多い理由の説明にもなる。
当然、東北以北にはないことになる。
徳川時代になって朝鮮通信士が連行朝鮮人の帰国を申し入れたが、
彼らは既に日本に定着していたため、自身が断ったらしい。
何かの記録に残っているはず。また、連行数や職種等の一致から蓋然性のある説みたいだ。
不合理な差別が歴史的に正当化される背景には、被差別者自身の他者との相違の認識が
前提として必要になってくる。なぜなら、土地に由来する差別は引越せば消滅するから。
彼ら自身が差別を必然と認識したからこと制度は磐石に保全されてきた。
その後、部落には歴史的被差別者以外も併合して拡大していったが・・・。
580 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 17:50 ID:gOK39ys1
被差別部落が歴史的に皮革や牛の解体等の職種についてる理由は
秀吉が騎馬民族のモンゴルに服属して受け継いだ食肉文化の朝鮮人達の
技能を求めて奴隷として大量に連行したことにあります。
秀吉に同調して兵力を拠出した地方藩主が、それぞれ独自に連れ帰って、
自分達の領土に定住させたようだ。
だから、出兵前に存在していなかった職業が、その後存在し、
それは、出兵の破綻と豊臣政権の崩壊→徳川政権樹立・幕藩体制確立の中で
体制を維持する上で必須の身分制度として固定化されていった。
数世代経つうちにその出自は忘却され、中世からの餌取等の歴史的な被差別民
の記録と結び付けられることによってその歴史が古来から連綿と続く、
土着の賎民と誤解して位置付けられるようになったのである。
586 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 18:07 ID:gOK39ys1
被差別部落異民族起源説というのは昔から根強く存在していて、
その世界ではある種タブーとさててきた。
なぜなら同じ日本人なのに・・という論理で部落差別解消に取り組んでいるのに、
その論理が破綻するからです。
それに部落の所在地は明らかに西日本に偏っていて、本来もっと多くないと
おかしい東日本、ことに関東には極めて少ないことを公の理論では説明できない。
徳川時代に制度化されたなら、江戸が最も多くないとおかしいですから。
それと源流=白丁ではないですね。白丁も入っているけど、
陶工など、日本に存在していなかった朝鮮で盛んな便利な職人達を連れ帰ったんです。
秀吉連行説の文章に職種が詳しく書いてあったが、失念してしまった。
特殊技能の持ち主だったが。
>>865 まともですよ。
国語力に自信があれば、奥田家文書、鈴木家文書を読んでみることをお薦めします。
活字にしてありますから、高校程度の古文読解力があれば読めます。
870 :
日本@名無史さん:03/05/10 22:45
677 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:07 ID:rsvWpiLE
豊臣秀吉の文録・慶長の役と被差別部落との関係について言及したが、役によって日本
に連行された朝鮮人はどの程度に及んでいるのだろうか?別名、「陶器戦争」「ひと
さらい戦争」と呼ばれた戦争で、実数は諸説あるが、数万人以上、10万人弱というと
ころだろうか。
徳川幕府成立後、日朝間に通信士の往来があったことは知られているが、12回に及んだ
朝鮮通信士の訪日の内、最初の3回が、回答兼刷還使というものであって、それが連行
朝鮮人を取り戻す使命を負った使節であることはあまり知られていない。回答兼刷還使
というのは、朝鮮側がまず徳川にまず国書を送れと要求し(実際は将軍は送るはずもな
く、現地が捏造したものと考えられている)それに回答すると同時に、捕虜の回復を求
める使節という意味である。通信使の中には白丁も含まれていて、通信使の為に肉牛を
飼育し、肉料理を調理していたと広島藩の文書に記録されている。
http://blhrri.org/info/book_review/book_r_0003.htm
871 :
日本@名無史さん:03/05/10 22:45
このように朝鮮出兵が大量の朝鮮人を日本に連行したことは確実な歴史的事実であり、
回答兼刷還使の職務からみて徳川時代にあっても彼らが大量に日本に留まっていたこと
は明白である。そしてその職務は実際には成果を上げることができなかったと考えられて
いる。というのも既に日本で定着してしまっていたからである。
ところでこうした連行朝鮮人は日本の民衆史においてどう位置づけられているだろうか?
陶工達は例の沈寿官などの存在で高名ではあるが、彼ら日本社会で皮肉にも“芸術家”
と見なされた特異な人々は別として、他の大多数の朝鮮人の存在はなぜか歴史の中に
埋没しているのである。数万人と言えば、今の人口から換算すると数十万以上にも相当
する。おそらく彼らは閉鎖的な村社会である日本で一般の日本人と交流することは
なかったはずだ。言語的にもしばらく意思疎通できなかったはずである。
社会的にその存在を無視されたに違いない朝鮮人達が非人間的な存在として、
劣悪な環境の土地に追いやられて日陰の存在の部落民としてその命脈を保ったであろうことは想像に難くない。
>>868 >それに部落の所在地は明らかに西日本に偏っていて、本来もっと多くないと
>おかしい東日本、ことに関東には極めて少ないことを公の理論では説明できない。
誤解されると困るんで言っておくけど、
埼玉、長野、群馬は300カ所以上部落あるよ。
873 :
日本@名無史さん:03/05/10 22:55
B=Kというわけか。
なるほど。
でも説得力あるね。
874 :
日本@名無史さん:03/05/10 22:58
>>872 長野は関東じゃねーだろ。
それと西日本と比較して少ないと言ってるだけで
ないとは言ってないんじゃねーか。
東日本の藩だって半島に出兵してるわけだし。
875 :
日本@名無史さん :03/05/10 22:58
懲りずにまた異民族起源説のヴァカが現れたな。
876 :
日本@名無史さん:03/05/10 22:58
877 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:00
878 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:00
ここすごく納得。
>不合理な差別が歴史的に正当化される背景には、被差別者自身の他者との相違の認識が
>前提として必要になってくる。なぜなら、土地に由来する差別は引越せば消滅するから。
>彼ら自身が差別を必然と認識したからこと制度は磐石に保全されてきた。
>その後、部落には歴史的被差別者以外も併合して拡大していったが・・・。
879 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:02
穢多・非人という言葉を作って両者を区別し、これを身分統制維持のた
めにアンタッチャブル階層として厳しく位置づけたのは江戸幕府だよ。
880 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:03
>数世代経つうちにその出自は忘却され、中世からの餌取等の歴史的な被差別民
>の記録と結び付けられることによってその歴史が古来から連綿と続く、
>土着の賎民と誤解して位置付けられるようになったのである。
在日が極一部の強制連行(徴用)を全体がそうであるかのように偽るのと似てるね。
881 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:06
649 名前:権兵衛投稿日:2001/03/09(金) 00:30
多少話題がずれるかもしれないんですけど。
解放同盟っていうのは端的に言えば「出自によって人間を判断するな」という
団体な訳ですよね。その解放同盟が被差別部落の異民族起源説に対してことさらに
同じ民族間での問題であると主張するのは話の辻褄が合わないような気がする。
と前々から思ってました。
異民族起源説に立つ人は部落出身者に縄文顔が多いことをどう説明するんだ?
883 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:46
部落出身者は必ずしも縄文顔は多くありません
ステレオタイプな意見は慎むよう厳命します
884 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:53
朝鮮人起源説のヤシは蝦夷の俘囚起源説のヤシと
同じ電波同士で相討ちしとれや。
885 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:53
いまもそうだけど明治以前でも部落差別以外にも差別はあったと思う。
例えば離島民差別とか水飲み百姓に対する差別とかね。
そういう社会的身分では上位にあるが、実質的には差別された人達との関係はどうだったんだろうか?
886 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:56
ぼくは差別が人間の精神の究極の安定に欠かせないと思うから
それをなくそうとすること自体、おかしいと思う
えた、ひにん、けっこうじゃないですか。
ちなみに私の家は元伯爵家ですが、なにか?
887 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:00
>881
もちろん研究が進んで被差別部落の起源が異民族だということになれば、
それを踏まえて、差別の解消に向けて努力していかなくてはならない。
どんな理由であれ差別はだめ。
でも異民族説は、朝鮮民族に対する差別意識と絡み合って形成されてきたと推測され、
二重の差別意識がある。
仮に異民族起源であっても、何百年も日本に住み着いて、
日本社会の統治機構に存在し、独自の言語も信仰も風習も持っていないのだから、
もはや日本民族でしょう。
888 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:02
てか朝鮮の役以前から日本には陶工も皮革加工業もあったぞ。
仮に連行された朝鮮人がそれらの職種であったとして、なぜ同じ朝鮮出身者で陶工は差別されず、皮革加工業は差別されるようになったんだ?
また昔からの日本人の皮革加工業もついでに差別されるようになった理由は?
889 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:04
俺は887の見解は認めん
日本民族の血が汚れても、キミはいいのか?
万世一系の、天皇家を父母と仰ぐのが
日本人じゃないか
人権板でも、特に酷い上下差別を推奨するのは、華士族の家系の人が多い。
漏れは水平差別はしてるかも知れないけど、上下差別はしないな。
時代区分としての縄文/弥生説が
文化区分として認知されたのつい最近だろう。
確か80年代に京都の学者連が中曽根のASEAN構想に擦り寄る形で言い出して、
これが広く一般に普及したと思うのだが。
だからこそ「私はアイヌ」だ、という中曽根の珍発言がある
(アイヌ=縄文説の真偽はおいといて…)。
古代社会における東西の違いがあっても、
それが現代まで続いたという確証はない。
そんなのは中世以降の人口動態を見れば分かると思うけどね。
892 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:19
禿同
893 :
bloom:03/05/11 00:21
894 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:21
678 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:09 ID:rsvWpiLE
このように朝鮮出兵が大量の朝鮮人を日本に連行したことは確実な歴史的事実であり、
回答兼刷還使の職務からみて徳川時代にあっても彼らが大量に日本に留まっていたこと
は明白である。そしてその職務は実際には成果を上げることができなかったと考えられて
いる。というのも既に日本で定着してしまっていたからである。
ところでこうした連行朝鮮人は日本の民衆史においてどう位置づけられているだろうか?
陶工達は例の沈寿官などの存在で高名ではあるが、彼ら日本社会で皮肉にも“芸術家”
と見なされた特異な人々は別として、他の大多数の朝鮮人の存在はなぜか歴史の中に
埋没しているのである。数万人と言えば、今の人口から換算すると数十万以上にも相当
する。おそらく彼らは閉鎖的な村社会である日本で一般の日本人と交流することは
なかったはずだ。言語的にもしばらく意思疎通できなかったはずである。
社会的にその存在を無視されたに違いない朝鮮人達が非人間的な存在として、
劣悪な環境の土地に追いやられて日陰の存在の部落民としてその命脈を保ったであろうことは
想像に難くない。一般に我々は海に囲まれた日本列島には海外からのいかなる外国人の流入も
無かったものだと考えがちだが、実際には古代のころより頻繁に往来があったのである。
新たにやってきた外国人達は民族意識のまだ確立していない古代にあってもその容貌の特異さ
から被差別者と位置付けられることもあったに違いなく、その時代時代、その時々の異国人が
排撃の対象となる特殊部落を形成して一般民衆と一線を画するという歴史を繰り返し、
それは太古の昔から続く謎の土着被差別者として歴史化されていったものと考えられる。
従って、連行朝鮮人達も数世代の後にはその出自は不明のものとなり、いつの日か
中世よりの伝統的な部落民と同じルーツを持つものとしてその存在の謎は消化されることとなった。
895 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:27
朝鮮人捕虜説に必死にこだわってる香具師いるが、
終戦時の外務大臣・東郷茂徳(近世以前の姓は朴)が
被差別民出身だとでも言い張るつもりか?
一度逝ってこい。
896 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:40
>>895 起源はまあいろいろあるだろうが、
主体は朝鮮出兵における強制連行だろ。
一番説得力あるよ。
それにしても、異民族起源説に対しては
バカだの逝けだのと罵倒で返すところを
見ると、ますます信憑性が増すね。
897 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:42
朝鮮出兵における
強制連行に謝罪するよう
厳命します
898 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:44
俘囚起源説って在日強制連行説と同じで
そうあって欲しいというただの願望じゃん。
ごく少数いるそういう人達に無理矢理
くっつけてるだけ。
そうでないと自我が保てないのだろう。
899 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:44
強制連行で連れてこられたと思い込む理由(1)
呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。
呉善花、崔吉城『これでは困る韓国』1997年より
900 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:44
異民族の血が入ってるのは間違いはないと思う。
でもそれが起源となるとちょっと違うだろ。
901 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:46
どうでもいいけど、
どうして朝鮮民族の女性は
美人が多いのでしょうか?
チマチョゴリきている女の子なんて
みんなかわいい顔していると思いませんか?
902 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:47
俘囚起源説はむしろ部落に差別的な人が主張する説だよ。
903 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:50
確かに、韓国人女性は
美人が多い
なんでだろう?
904 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:50
>>900 「民族」というのは文化概念であって、
「血」は関係ないぞ。次元が違う。
じゃあ「人種」はというと、
これは現在の社会科学じゃ非科学的概念であるとして、
分析の対象にすらされてないのだが。
905 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:54
古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)
呉:部落の人たちにしても、秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れて来られた人がほとんどじゃ
ないですか。中世よりの伝統的な部落民たちは極少数なわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も古来から連綿と続く土着の
賎民なのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は土着の賎民ではなくても、我々は縄文からの土着の賎民なんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが部落の人たちを考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで怪童はそういう物語を部落の子供たちに懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:選民意識、部落利権を守り、それを子孫に残すためです。
呉○花、崔○城『これでは困る部落』1997年より
解同は中世起源説を採用してるのでは
907 :
日本@名無史さん:03/05/11 00:59
ここもとうとう、他の板同様誰彼区別なく在日呼ばわりする
在日工作員スレと化したようです。
>905
ワラタ。でも的をついてるね。
909 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:10
たしかに部落って北九州、瀬戸内海沿岸、大阪、京都に多くて
秀吉が朝鮮出兵で連れて来たとしても不自然さがない。
まあ全部が異民族起源だとは思わないけど。
910 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:16
朝鮮出兵による異民族起源説は部落にとっては都合のいい説だと思うが。
911 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:23
>>910 都合が悪いから脅したり罵倒したりで必死に否定するんでしょ。
912 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:31
必死に否定してるのは人権板にいた自称士族の松本(現出目金脂肪)
というコテハンの信者もいると思うよ。
彼の影響で、人権板では俘囚説が通説になってる。
913 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:33
んなこたーない。
914 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:36
>>912 オマエ自身が人権板厨であること
バ レ バ レ
915 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:55
>903
>韓国人女性は美人が多い なんでだろう?
韓国の若い女性の間ではプチ整形が当たり前なんだって。
でも個人的には、松*慶子はいいよね。
あれも愛
これも愛
多分 愛
きっと愛
916 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:55
917 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:01
噂の真相といえば、
新庄が大リーグに言ったのは
部落差別が原因とか書いてたな。
異民族説は明治19年に儒者で後に大正天皇の教育掛に抜擢された
杉浦重剛が唱えた学説(と言えた代物ではないが)で
異民族(古代朝鮮、李氏朝鮮、蝦夷)出身の屠者が
仏教思想の浸透により被差別民に転落したとする説。
江戸期の朝鮮人部落に対する処遇や各被差別部落の職業構成、
地域分布等を考慮すると単なる俗説としか言えない。
要するに杉浦は当時政府に反抗的だった被差別部落民に対して
「非国民」のレッテルを貼っていただけだな。
919 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:10
>>918 こうやって唱えた人の一部を攻撃して
その説そのものを否定しようという
お約束のパターン。それは通用しないよ。
920 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:23
>>918 いや、異民族起源説は遅くとも幕末期には出てきていた。
おそらく神国日本・大和イデオロギーの国学者・本居宣長あたりが
元凶ではないかと思う。
「日本人」の純粋性・均質性を保証するためには
どうしてもえた・かわたは異民族にせざるをえなかったのだろう。
ちなみに、近代民俗学の柳田国男は宣長の系譜上に位置するが、
彼の場合は少し修正を加えて「非農業民・漂泊民」起源説で
片づけようとした。
で、これが喜田貞吉から強く反証され、
のちに柳田が被差別民に言及しなくなった一因であることは
よく知られた史実。
異民族起源説って明治以前にもあったわけだが。
まあ否定したい人はなんでも皇国史観だの
ナショナリズムの高揚のせいだのと言うだろうけど。
一歩遅かったか。
まあ予想通りのレスがあったね。
923 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:29
>不合理な差別が歴史的に正当化される背景には、被差別者自身の他者との相違の認識が
>前提として必要になってくる。なぜなら、土地に由来する差別は引越せば消滅するから。
>彼ら自身が差別を必然と認識したからこと制度は磐石に保全されてきた。
>その後、部落には歴史的被差別者以外も併合して拡大していったが・・・。
924 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:31
>921
なんで神国日本・大和イデオロギーだと
異民族にせざるをえなくなるんだ?
さっぱりわからん。こじつけっぽい気がする。
925 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:32
>>921、922はおそらく単なる日本史バカ、歴史ヲタなので、
日本思想史の酒井直樹や子安宣邦などは読んだことないばかりか、
名前すら知らないのだろう。
926 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:34
引っ越しても数代後まで消滅しないのが部落差別。
927 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:35
>>925 896 :日本@名無史さん :03/05/11 00:40
>>895 起源はまあいろいろあるだろうが、
主体は朝鮮出兵における強制連行だろ。
一番説得力あるよ。
それにしても、異民族起源説に対しては
バカだの逝けだのと罵倒で返すところを
見ると、ますます信憑性が増すね。
928 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:39
少なくとも秀吉によって朝鮮から連行され、
江戸時代になって朝鮮通信士が帰国を要求しながら
帰らなかった人が数万人以上、10万人弱、西日本を中心に
いたのだから、それらが有力な起源と見るのが普通。
でなかったらどこへ消えたのかとなる。
929 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:40
>>927 人権板で俘囚起源説を主張してる奴も全く同じことを言ってた。
930 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:41
>>926 数代後に消えるなら明治まで残らないじゃん。
931 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:44
>>930 別の被差別地区に引っ越した場合は除く。
932 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:45
>>928 もうそれも激しくガイシュツ。
元外務大臣・東郷茂徳とか由緒正しい「元朝鮮人」はいくらでもいる。
東郷の出身の村のことは司馬遼太郎も小説のネタにしてるし。
それに佐賀の陶芸業は一体どう説明してくれるんだよ?
>>920 >おそらく神国日本・大和イデオロギーの国学者・本居宣長あたりが
>元凶ではないかと思う。
宣長は穢れ説で被差別民の軍事利用を主張している。
これが屠勇隊につながった。
要するに倒幕や半島侵攻の尖兵にしようという事で
括弧つきの融和を奨めている。
実際、佐幕・倒幕を問わず被差別民の登用は盛んに行われたわけだ。
934 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:50
>>932 だからそういう技能をもってお上に評価された人は
ごく一部なわけでしょ。それ以外の名もなき
邪魔者扱いされた数万人の人がいるわけで。
935 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:51
678 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:09 ID:rsvWpiLE
このように朝鮮出兵が大量の朝鮮人を日本に連行したことは確実な歴史的事実であり、
回答兼刷還使の職務からみて徳川時代にあっても彼らが大量に日本に留まっていたこと
は明白である。そしてその職務は実際には成果を上げることができなかったと考えられて
いる。というのも既に日本で定着してしまっていたからである。
ところでこうした連行朝鮮人は日本の民衆史においてどう位置づけられているだろうか?
陶工達は例の沈寿官などの存在で高名ではあるが、彼ら日本社会で皮肉にも“芸術家”
と見なされた特異な人々は別として、他の大多数の朝鮮人の存在はなぜか歴史の中に
埋没しているのである。数万人と言えば、今の人口から換算すると数十万以上にも相当
する。おそらく彼らは閉鎖的な村社会である日本で一般の日本人と交流することは
なかったはずだ。言語的にもしばらく意思疎通できなかったはずである。
社会的にその存在を無視されたに違いない朝鮮人達が非人間的な存在として、
劣悪な環境の土地に追いやられて日陰の存在の部落民としてその命脈を保ったであろうことは
想像に難くない。一般に我々は海に囲まれた日本列島には海外からのいかなる外国人の流入も
無かったものだと考えがちだが、実際には古代のころより頻繁に往来があったのである。
新たにやってきた外国人達は民族意識のまだ確立していない古代にあってもその容貌の特異さ
から被差別者と位置付けられることもあったに違いなく、その時代時代、その時々の異国人が
排撃の対象となる特殊部落を形成して一般民衆と一線を画するという歴史を繰り返し、
それは太古の昔から続く謎の土着被差別者として歴史化されていったものと考えられる。
従って、連行朝鮮人達も数世代の後にはその出自は不明のものとなり、いつの日か
中世よりの伝統的な部落民と同じルーツを持つものとしてその存在の謎は消化されることとなった。
おいおい無視かよ。
都合の悪いことは答えないで
自作自演とは呆れた。
937 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:55
λ...... ここ変だよ・・ λ...... λ......
λ...... λ...... まじキモいネ…
λ...... λ......
λ...... λ...... 逃げていく…
λ...... λ......
λ......
λ...... λ...... λ...... みんな逃げていく…
λ...... ここ変だよ・・ λ...... λ......
λ...... λ...... まじキモいネ…
λ...... λ......
λ...... λ...... 逃げていく…
λ...... λ......
λ......
λ...... λ...... λ...... みんな逃げていく…
939 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:57
940 :
日本@名無史さん:03/05/11 03:00
異民族起源説ってよっぽど都合が悪いんだろうなぁ。
反応見てるとなんかわかるよ。
強制連行で連れてこられたと思い込む理由(1)
呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。
呉善花、崔吉城『これでは困る韓国』1997年より
古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)
呉:部落の人たちにしても、秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れて来られた人がほとんどじゃ
ないですか。中世よりの伝統的な部落民たちは極少数なわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も古来から連綿と続く土着の
賎民なのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は土着の賎民ではなくても、我々は縄文からの土着の賎民なんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが部落の人たちを考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで怪童はそういう物語を部落の子供たちに懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:選民意識、部落利権を守り、それを子孫に残すためです。
呉○花、崔○城『これでは困る部落』1997年より
943 :
日本@名無史さん:03/05/11 03:06
半島人のかなりの人数が部落に溶け込んだだろうが、部落自身はそれ以前よりあった
という点では現代と全く同じでしょう。
944 :
日本@名無史さん:03/05/11 03:15
半島人起源説=歴史が浅い
根深いことを主張する側にとっては都合がいい
945 :
日本@名無史さん:03/05/11 03:24
649 名前:権兵衛投稿日:2001/03/09(金) 00:30
多少話題がずれるかもしれないんですけど。
解放同盟っていうのは端的に言えば「出自によって人間を判断するな」という
団体な訳ですよね。その解放同盟が被差別部落の異民族起源説に対してことさらに
同じ民族間での問題であると主張するのは話の辻褄が合わないような気がする。
と前々から思ってました。
947 :
日本@名無史さん:03/05/11 03:39
その考え方だと古代賤民との連続性を否定することは、
古代賤民を差別することになるともいえる。
948 :
日本@名無史さん:03/05/11 04:43
で、半島人はいかなる経緯で浄土真宗を信仰したんだ?
949 :
日本@名無史さん:03/05/11 07:07
>>948 答えに詰まるな・・・・。
人間はそう簡単には自分の信仰心を変えられないからな。
950 :
日本@名無史さん :03/05/11 11:12
確かに、異民族説の方が説得力が強い。これが書かれるたびにトンデモだという輩がいるが、なぜトンデモか書かれていない。
もし同じ民族同士だったら、長期にわたって互いに排除しあうことになるのだろうか?
度重なる人口移動や戦乱が重なれば、そういう差別も消滅の方向に向かうだろう。
差別が根強く存続したのは外見・言語・肉食などの根本的な違いがあったからだと思う。
皮革産業が被差別民の主要産業になったのも、やはり技術を大陸から持ち出したからではないだろうか。
また、瀬戸内海や高知県・紀伊半島などに点在する被差別部落は、海賊や海洋民族起源だと思う。
951 :
日本@名無史さん:03/05/11 12:32
生物学的に人種差は確かに激しい排他意識を喚起する。
過去において被差別の起源がそうであったとしても論じにくいね。
このスレ的には江戸時代の被差別を職能的に語るのがまったりして
安全なわけだ。
952 :
日本@名無史さん:03/05/11 13:50
っていうか、差別を強化したのは江戸期の移転の自由の禁止でしょ。
そうして、その土地に住む人が集落単位で差別されはじめた。
それ以前のルーツをさぐるのは、困難なように思えるけど、事実
平安時代くらいから何らかの繋がりがかんじられるのだよね。
下克上の世なんて実質身分は関係ないみたいだし。秀吉とかみてると。
ただ、武家っていうのと天皇っていうのはちがう封建体制ピラミッドなんだと
おもうけど。征夷大将軍っていうのは、ようは軍人の最高位なわけでしょ。
953 :
日本@名無史さん:03/05/11 13:53
征夷大将軍って、そもそも蝦夷征伐で活躍した人
に天皇が与えたのが起源の軍人の最高峰なんでしょ。
954 :
日本@名無史さん:03/05/11 14:04
半島起源説だとさ、部落にキムチとか半島文化が全く残ってないのは何故?
隔離されてたんだから、明治ぐらいまで言語や文化が強く残っててもいいと思うのだが。
955 :
日本@名無史さん:03/05/11 14:20
キムチは新しい。日本が鎖国した江戸時代以降のもの。
隔離されてても、言葉が失われるのは米国の黒人をみれば明らか。
チョンには保存するような文化が殆んどなかったんだから、
日本文化に吸収されるのは当然。 日本で発達してなかった
皮革業なんかの文化だけ保持してたんでしょ
もっとも皮革業もモンゴル人に教わったもんだけど(w
956 :
動画直リン:03/05/11 14:21
>>950 と言うかな、在日が必死にそう言うとんでも説をぶちたてて、
日本の歴史と土壌にリンクしようと必死なことの方が、
むしろ気になる。
だいたい、被差別部落民が異民族の子孫なら、
征韓論を唱えた部落出身者は、先祖の土地を取り戻すための
レコンキスタ運動だったと言うことになるぞ?
日韓併合後、入植した大勢の部落出身者は韓国の血族と言うことになるぞ?
日帝支配と言いつつ、血族に支配されて、なんで未だに”日本人”に文句言うの?
少し前は反解同の人権厨ばかりだったのが、
チョト見ないうちに異民族起源説の厨に占拠されてしまったんだな、このスレw。
話は簡単だろ。
ま と も な 学 術 文 献 の ソ ー ス 明 示 し て く れ
もちろん電波な半島文化人の対談とかはNGね。
仮に差別の”端緒”が、異民族の出自であることだったとしてもだ。
少なくとも江戸時代までには”異民族”としての認識もなく、
使う言語の差も無く、尚且つ、遺伝的にも差のない被差別部落問題に、
(被差別部落出身者が他の階層の日本人と遺伝的に有意の差があるとは
思わないし、そんな研究こそ差別的なわけだが)
必要以上に”異民族出自説”を出すことがいかに愚かしく、また恣意的
であるか。だから”とんでも説”と言われるんだよ。
960 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:10
民族が異かどうかはともかく自分たちとは異なる集団だと
常民から思われてたのは事実だろ
狭山事件の容疑者が住んでた被差別部落が土地の人たちからは
ヨソ者と呼ばれてたのは本当のことだからな
部落成立から400年経ってたわけだが
>民族が異かどうかはともかく自分たちとは異なる集団だと
>常民から思われてたのは事実だろ
と言うわけで、異民族起源説は終了〜。
部落問題は、日本人が日本人を差別した問題として
歴史的に考えなければ。
962 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:21
>>935 日本に連行された朝鮮人の多くは奴隷としてスペイン商人に売り飛ばされたというのを
読んだことがある。あの時代、日本人も日本人の手で売られていたからな。
秀吉軍の後を日本の奴隷商人がぞろぞろ一緒に歩いていたという記録もある。
当時、長崎は東アジア最大の奴隷市場だった。
963 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:25
※「えた」呼称の起源は、鎌倉時代の百科全書「塵袋」で餌取(律令制下の主鷹司に属した
官奴婢)が転じたものとされた。これは、以後「埃嚢鈔」(文安3年[1446])、「塵添埃嚢鈔」
(天文元年[1532])に受け継がれ、近世には有力な説だった。しかし、事実として裏付けら
れるものではない。今回「埃嚢鈔」「塵添埃嚢鈔」の近世の版本をあわせて展示した。歴史の
なかでの差別のあり方を考える材料となろう。
http://www.museum.comet.go.jp/hasegawa/exhibition/shokunin.htm この「餌取」というのが半島からの渡来人が多かった賤業であったことから異民族起源説が
生まれたんだろ。
ある被差別部落には、自分達は神功皇后の三韓征伐の際に連れて来られたという伝承が
あり、幕末に肉食の欧米と国交を開こうという段階になって、その部落の住民が「それなら
我々への差別待遇も見直して欲しい」という趣旨の書簡を送った史実があるそうだ。
明治政府に対してだったかな?
同和団体が韓国に親近感を抱いている根拠として、渡部昇一の著書に紹介されていた。
谷沢永一との共著『こんな「歴史」に誰がした』だったっけ?
964 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:47
>>963 >神功皇后の三韓征伐の際に連れて来られたという伝承
つーか、ここで厨が主張している異民族起源説て、
秀吉の朝鮮征伐のことだろ。全然時代が違う。
なおすでに戦前に柳田国男が「毛坊主考」という著作で
三韓征伐も蝦夷の俘囚も被差別部落の伝承としてはその物語構造が
同一であることを指摘している。
(「三兄弟」とかやたら「三」という数字がキーワードになっているのだという)
やはり後世になんらかの捏造がなされた可能性が高い。
要するに「朝鮮」「蝦夷」どっちでもよかったのだろう。
965 :
日本@名無史さん :03/05/11 15:58
被差別民の全てが異民族ということはないだろうが、
言語・民族の相違はコミュニティーから排斥される大きな要因となるから、
特に西日本には異民族起源の部落民もいてもおかしくはない。
しかし、そうした人々には犯罪者とか海民とか浮浪者とか家出人とかありうるので、
部落民を一つの起源でくくるのは無理がある。
結局、平民でなかった人々が、新平民とひとくくりにされたことが話をややこしくしていると思う。
ただし、怪童にとっては、被差別民が共通の起源をもっている方が運動をまとめやすいのはまちがいない。
966 :
日本@名無史さん:03/05/11 16:01
>>964 >「朝鮮」「蝦夷」
どっちも現実味のある話じゃないか?両者が混住したのが被差別部落だとも
考えられるんじゃないの?
そもそも差別というのは権力が生み出せるものじゃないだろう。
差別の主体となる民衆の意識が差別を生む。
多数派の民衆が、部落民を明らかに自分達とは異質な集団と捉えていたから
こそ、差別が生まれ、続いたんじゃないか?
異民族説なんて俗説は、耳になじみますからね。
調査も研究も必要のない俗論はね。
学会の論争史のおさらいだと思えばいいでしょう。
どうも、新平民=被差別部落民=穢多・非人
という先入見があるようだが、
新平民以外にも差別対象になった部落はあるし、
そもそも穢多・非人は新平民の一部で、
皮革業者は穢多の中でもごく一部だ。
969 :
日本@名無史さん :03/05/11 16:35
>>968 新平民であるにもかかわらず、被差別部落民とされた人はどのぐらいいるの?
残り少なくなりましたが、次を立てませんか。>>ALL
残り30そこそこでは、すべてを語れません。
973 :
日本@名無史さん:03/05/11 21:36
>>958 2CHにまともな学術論文を望むアホが後を絶えません。
974 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:00
★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★歯が大きい、または出っ歯★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★
以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
975 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:00
部落民が異民族云々というのは、この日本でちょっとおかしくはないか。確かに
部落の成立については不明な点もあり今後の研究を待たねばならない部分が多々
あるだろう。
だからと言って皮革業=異民族がもたらした物ということで部落=異民族の末裔と
いうのは少し短絡過ぎじゃないのか、よく考えて見れば一体この日本で古来より
ある産業的技能、技術っていくつあるのか?、今日本で明治以前よりある日本的な
ものと考えられる物のほどんとは古来異民族の渡来人によってもたらされたものが
基礎となったものばかりじゃないのか、稲作然り、製鉄技術然り、陶芸云うに及
ばず、第一文化の基礎をなす文字すら中国の恩恵に与ったことは誰も疑う事はで
きないだろう。
これらの技術は貫頭衣をまとい、顔面に刺青をし地中に穴を掘って住むといわれた
我々の先祖の倭人といわれた人々が、大挙大陸に赴いて技術を習得したのだろうか。
976 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:13
普通被差別されるのは侵略された先住民族なわけだから
被差別民=半島系というより縄文系だろう。
977 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:43
元は身分卑しき者であっても、才覚があれば貴族の養子に
してもらえたようだ。保元・平治の乱あたりではそのような
事もあったみたい。
567 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 17:10 ID:gOK39ys1
有力起源一つに秀吉の文録・慶長の役がある。
あの時に、出兵日本兵は耳塚で有名だが、敵軍の耳を大量にそいで戦果の証明と
していたが、それだけでなく、大量の朝鮮人を日本に連行した。
それは、日本にない産業の従事者を必要としたからで、沈寿官を始めとする、
陶工は有名だ。他にも多数の職種があった。部落が西日本に多い理由の説明にもなる。
当然、東北以北にはないことになる。
徳川時代になって朝鮮通信士が連行朝鮮人の帰国を申し入れたが、
彼らは既に日本に定着していたため、自身が断ったらしい。
何かの記録に残っているはず。また、連行数や職種等の一致から蓋然性のある説みたいだ。
不合理な差別が歴史的に正当化される背景には、被差別者自身の他者との相違の認識が
前提として必要になってくる。なぜなら、土地に由来する差別は引越せば消滅するから。
彼ら自身が差別を必然と認識したからこと制度は磐石に保全されてきた。
その後、部落には歴史的被差別者以外も併合して拡大していったが・・・。
580 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 17:50 ID:gOK39ys1
被差別部落が歴史的に皮革や牛の解体等の職種についてる理由は
秀吉が騎馬民族のモンゴルに服属して受け継いだ食肉文化の朝鮮人達の
技能を求めて奴隷として大量に連行したことにあります。
秀吉に同調して兵力を拠出した地方藩主が、それぞれ独自に連れ帰って、
自分達の領土に定住させたようだ。
だから、出兵前に存在していなかった職業が、その後存在し、
それは、出兵の破綻と豊臣政権の崩壊→徳川政権樹立・幕藩体制確立の中で
体制を維持する上で必須の身分制度として固定化されていった。
数世代経つうちにその出自は忘却され、中世からの餌取等の歴史的な被差別民
の記録と結び付けられることによってその歴史が古来から連綿と続く、
土着の賎民と誤解して位置付けられるようになったのである。
586 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 18:07 ID:gOK39ys1
被差別部落異民族起源説というのは昔から根強く存在していて、
その世界ではある種タブーとさててきた。
なぜなら同じ日本人なのに・・という論理で部落差別解消に取り組んでいるのに、
その論理が破綻するからです。
それに部落の所在地は明らかに西日本に偏っていて、本来もっと多くないと
おかしい東日本、ことに関東には極めて少ないことを公の理論では説明できない。
徳川時代に制度化されたなら、江戸が最も多くないとおかしいですから。
それと源流=白丁ではないですね。白丁も入っているけど、
陶工など、日本に存在していなかった朝鮮で盛んな便利な職人達を連れ帰ったんです。
秀吉連行説の文章に職種が詳しく書いてあったが、失念してしまった。
特殊技能の持ち主だったが。
677 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:07 ID:rsvWpiLE
豊臣秀吉の文録・慶長の役と被差別部落との関係について言及したが、役によって日本
に連行された朝鮮人はどの程度に及んでいるのだろうか?別名、「陶器戦争」「ひと
さらい戦争」と呼ばれた戦争で、実数は諸説あるが、数万人以上、10万人弱というと
ころだろうか。
徳川幕府成立後、日朝間に通信士の往来があったことは知られているが、12回に及んだ
朝鮮通信士の訪日の内、最初の3回が、回答兼刷還使というものであって、それが連行
朝鮮人を取り戻す使命を負った使節であることはあまり知られていない。回答兼刷還使
というのは、朝鮮側がまず徳川にまず国書を送れと要求し(実際は将軍は送るはずもな
く、現地が捏造したものと考えられている)それに回答すると同時に、捕虜の回復を求
める使節という意味である。通信使の中には白丁も含まれていて、通信使の為に肉牛を
飼育し、肉料理を調理していたと広島藩の文書に記録されている。
http://blhrri.org/info/book_review/book_r_0003.htm
678 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:09 ID:rsvWpiLE
このように朝鮮出兵が大量の朝鮮人を日本に連行したことは確実な歴史的事実であり、
回答兼刷還使の職務からみて徳川時代にあっても彼らが大量に日本に留まっていたこと
は明白である。そしてその職務は実際には成果を上げることができなかったと考えられて
いる。というのも既に日本で定着してしまっていたからである。
ところでこうした連行朝鮮人は日本の民衆史においてどう位置づけられているだろうか?
陶工達は例の沈寿官などの存在で高名ではあるが、彼ら日本社会で皮肉にも“芸術家”
と見なされた特異な人々は別として、他の大多数の朝鮮人の存在はなぜか歴史の中に
埋没しているのである。数万人と言えば、今の人口から換算すると数十万以上にも相当
する。おそらく彼らは閉鎖的な村社会である日本で一般の日本人と交流することは
なかったはずだ。言語的にもしばらく意思疎通できなかったはずである。
社会的にその存在を無視されたに違いない朝鮮人達が非人間的な存在として、
劣悪な環境の土地に追いやられて日陰の存在の部落民としてその命脈を保ったであろうことは
想像に難くない。一般に我々は海に囲まれた日本列島には海外からのいかなる外国人の流入も
無かったものだと考えがちだが、実際には古代のころより頻繁に往来があったのである。
新たにやってきた外国人達は民族意識のまだ確立していない古代にあってもその容貌の特異さ
から被差別者と位置付けられることもあったに違いなく、その時代時代、その時々の異国人が
排撃の対象となる特殊部落を形成して一般民衆と一線を画するという歴史を繰り返し、
それは太古の昔から続く謎の土着被差別者として歴史化されていったものと考えられる。
従って、連行朝鮮人達も数世代の後にはその出自は不明のものとなり、いつの日か
中世よりの伝統的な部落民と同じルーツを持つものとしてその存在の謎は消化されることとなった。
強制連行で連れてこられたと思い込む理由(1)
呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。
古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)
呉:部落の人たちにしても、秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れて来られた人がほとんどじゃ
ないですか。中世よりの伝統的な部落民たちは極少数なわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も古来から連綿と続く土着の
賎民なのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は土着の賎民ではなくても、我々は縄文からの土着の賎民なんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが部落の人たちを考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで怪童はそういう物語を部落の子供たちに懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:選民意識、部落利権を守り、それを子孫に残すためです。
呉○花、崔○城『これでは困る部落』1997年より
928 :日本@名無史さん :03/05/11 02:39
少なくとも秀吉によって朝鮮から連行され、
江戸時代になって朝鮮通信士が帰国を要求しながら
帰らなかった人が数万人以上、10万人弱、西日本を中心に
いたのだから、それらが有力な起源と見るのが普通。
でなかったらどこへ消えたのかとなる。
896 :日本@名無史さん :03/05/11 00:40
>>895 起源はまあいろいろあるだろうが、
主体は朝鮮出兵における強制連行だろ。
一番説得力あるよ。
それにしても、異民族起源説に対しては
バカだの逝けだのと罵倒で返すところを
見ると、ますます信憑性が増すね。
649 名前:権兵衛投稿日:2001/03/09(金) 00:30
多少話題がずれるかもしれないんですけど。
解放同盟っていうのは端的に言えば「出自によって人間を判断するな」という
団体な訳ですよね。その解放同盟が被差別部落の異民族起源説に対してことさらに
同じ民族間での問題であると主張するのは話の辻褄が合わないような気がする。
と前々から思ってました。
988 :
日本@名無史さん:03/05/11 22:58
最終的には、戦乱の世を終結させるための武器産業の規制では?
他、寺社・公家勢力の取り込み。
家康公の案でしょう。
賎民も、寺社、公家、武家と関係の深い者でわかれてそうですね。
他、非人には職を失ったものもいたのでしょう。
飢饉のときは非人救済小屋とかあったみたいですから。
それ以前は、何らかの繋がりはある(信仰してる神社とかから推測すると)
だろうけど、実質わからなさそう。死穢の認識は、かなり古代から
あるみたいだけど。
明治維新後は、宗派の違いが関係あるように思うんですが。
解同は、国際的には、異民族説を振りまいてるよ。
990 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:02
被差別部落起源説で、かって学界で比較的まともに扱われたものの一つは
一向一揆起源説だった。
これもその後の研究の進展でほとんど敗北状態に陥ったが、
西日本の被差別部落に真宗信仰(それも西本願寺派)が根付いているという事実は
厳然として存在する。
朝鮮起源説に拘泥する奴はこの真宗信仰についてはどう説明つけるのかな〜(w
あと、東日本の部落といえば例の白○神社だが、
こっちは朝鮮から持ってきたものとでもか言うのかな。
都合の悪いことだけ「東と西は違う」とか説明するのはやめてくれよな。
991 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:03
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<=( ´∀`) < 被差別民=縄文系やっちゅーねん。
( ) │
| | | \__________
〈_フ__フ
992 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:03
呪詛や呪術は、南北朝の動乱以後から賎視されてきたのか?
993 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:05
異民族起源説の方がどう見ても説得力あるんだよな。
それによって差別されてきた部落の人たちが
否定したい気持ちもわかるけど。
994 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:08
>>990 白○事件というのが保元・平治の乱、鹿ケ谷の陰謀の頃にあるけど、
白○勢力というのと関係あるのかなー?
元々は、北陸の信仰なの?
995 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:11
>>990 異民族起源で真宗信仰が根付いても別になんらおかしいとは思わんが。
それにすべてが異民族起源と主張されているわけでもないでしょ。
在日問題と同じで強制連行(正しくは徴用だが)の在日コリアンが
全くいなかったと言うわけではないし。
強制連行で連れてこられたと思い込む理由(1)
呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。
古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)
呉:部落の人たちにしても、秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れて来られた人がほとんどじゃ
ないですか。中世よりの伝統的な部落民たちは極少数なわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も古来から連綿と続く土着の
賎民なのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は土着の賎民ではなくても、我々は縄文からの土着の賎民なんだという、そういう物語をつ
くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが部落の人たちを考える場合のかなり大
きなポイントです。(中略)それで怪童はそういう物語を部落の子供たちに懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:選民意識、部落利権を守り、それを子孫に残すためです。
呉○花、崔○城『これでは困る部落』1997年より
1000 :
日本@名無史さん:03/05/11 23:15
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。