源義経=チンギス・ハン説ってどうよ!?どうなのよ!?
3 :
日本@名無史さん :03/03/05 13:47
後藤真希=志村けん説ってどうよ!?どうなのよ!?
ん・・・平泉での戦いで見方を犠牲にして逃げ延びて(むしろ逃がしてもらって) 北海道つたって大陸にいって、持ち前の人の良さで仲間を作って、自分の代ではこれなかったから 子孫に伝えて、兄貴の幕府をつぶしに来たと・・・・。
奥州藤原氏の協力もあったと思う。
6 :
日本@名無史さん :03/03/05 14:30
7 :
日本@名無史さん :03/03/05 14:40
ちょっと疎いので質問なんですが、義経の生没年と、チンギス・ハン のそれは、似ているんですか?
8 :
日本@名無史さん :03/03/05 15:19
義経→1159〜1189 チンギス・ハーン→1167〜1229 かぶるといえばかぶるw。
9 :
日本@名無史さん :03/03/05 15:51
ありえない
やっぱりありえないかなぁ。
原田佐之助が清に渡って馬賊の棟梁になったつー話もあるよな・・・。
12 :
日本@名無史さん :03/03/05 17:05
国姓爺合戦の鄭成功で我慢して
13 :
日本@名無史さん :03/03/05 17:13
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | 電波を感知しました。 | |__________| / / / _ ビビビ /||__|∧ / 。.|.(O´∀`) / |≡( )) ))つ `ー| | | (__)_)
15 :
日本@名無史さん :03/03/05 22:19
義経=チンギス・ハン説は結構信じたかたりする。
モンゴル語をマスターできるだけの脳みそがあったら もうちょっと政界をうまく渡っていたと思うよ なんて 言ってみる
18 :
日本@名無史さん :03/03/05 22:51
後白河に使い捨てでしたからなぁ。
あ・・・・なるほど。 なんでこぅ、戦いに使う頭を政治に使えなかったかな・・・・。 あふぉだなこりゃ。
∩ | | | | | | ∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´Д`)// < 先生!頼朝君と義経君が兄弟喧嘩してます! / / \______________ / /| / __| | .| | __ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \ ||\ \ ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ || || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| .|| ||
時空警察だっけ?あれは酷かった。
22 :
makorin :03/03/05 23:23
>>22 小説としては非常に面白い。俺もはまった。
だが、結局は状況証拠の積み重ね。あくまで小説として読むべし。
客観的には、この小説の前半に書かれている見解に賛成。
「義経が衣川から脱出した可能性は7〜8割はありそう。
だが、北海道から更にモンゴルに到達した可能性は、1割もあるかどうか。」
nai
26 :
日本@名無史さん :03/03/20 14:52
ふん、脳内妄想するチョッパリどもめ^^
27 :
日本@名無史さん :03/03/20 19:20
イギリスのネルソン提督は、李舜臣の子孫です
28 :
日本@名無史さん :03/03/23 22:10
ないけど、ロマンだな。
30 :
日本@名無史さん :03/03/30 22:30
あげておこう
31 :
日本@名無史さん :03/04/02 14:16
チンギス・ハンの弓は日本式だってね。
32 :
日本@名無史さん :03/04/02 14:18
世界史板のスレにはブッシュがチンギスハンの子孫とあったが、 そうなるとブッシュも清和源氏か?
33 :
日本@名無史さん :03/04/02 15:20
アイシンカクラ家の血筋をひく愛子さまは源義経の子孫と言える。 モンゴル相撲は日本の相撲がオリジナル。モンゴル人はこれを知らない。
35 :
日本@名無史さん :03/04/13 21:52
あげ
(^^)
38 :
【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守 :03/04/18 15:43
義経はチンカス・アーンのようなレイピストではない。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
40 :
日本@名無史さん :03/05/03 18:08
age ru ze baby!
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
43 :
日本@名無史さん :03/07/04 15:00
a g e
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
(^^)
47 :
日本@名無史さん :03/08/02 13:50
成吉思汗・・・(吉)野山のちかい(成)りて、(水干)を(思)う。 *汗 → 水干 (白拍子の帽子) → 静御前
48 :
日本@名無史さん :03/08/02 15:08
高木彬光はもういいよ。 このスレ(どころかこの板)に来るヤシはそれくらい皆知ってると思われ。
49 :
日本@名無史さん :03/08/02 16:05
豊臣秀頼様は大阪より地下室から落ち延び 九州まで逃げました
50 :
日本@名無史さん :03/08/02 16:23
西郷も生きていて土民を率いて東京に攻め上るつもりだった。
他民族の英雄を日本人認定するなんて悪趣味だぞ。 朝鮮人じゃないんだから。
義経なら、海をジャンプして渡ったのだろう。
53 :
日本@名無史さん :03/08/04 01:09
屋島や壇ノ浦で活躍したのは源義経じゃなく山本義経だった。
54 :
日本@名無史さん :03/08/04 01:24
義経はジンギスカンにあらず。だが義経、弁慶、及び佐藤継信・忠信兄弟 は、平泉を落ち延び、大陸に逃走。そして大陸でジンギスカンに出会い、 彼ら4人はジンギスカンの重臣としてモンゴル軍を率いて活躍。元の発展 は、軍事的才能に恵まれなかったジンギスカンを、これら4人が全面的にサポート した事によって可能になったのである。特に軍事行動においては、ジンギスカン は作戦立案及び実行に殆ど関知せず、ほぼ全てを義経が計画を立て実行した のである。また弁慶は、元の西方発展の責任者になり大活躍。この弁慶の 活躍により、元のヨーロッパにまで及ぶ拡大が可能となったのである。 ジンギスカンは大男であるが、義経は小男であったという。上記の事実は、この 矛盾を一気に解消し、なおかつ元の拡大を論理的に説明するものである。
55 :
日本@名無史さん :03/08/04 02:37
ジンギスカンが死んだとき、遺骸を棺桶に移した際 遺骸が大男だったはずのジンギスカンの遺骸が縮んだという話を聞いたことがある。 実は小男だったということだ。 ということはジンギスカン=源義経の可能性はあるはずだ。
にゃにゃにゃなーい!
58 :
日本@名無史さん :03/08/05 13:38
義経=ジンギスカンという説か。 ジンギスカンって潰した国の女を片っ端から犯しまくったらしいな。(レイープ皇帝) ということは、義経が静と吉野山で別れた際、静は 「吉野山 峰の白雪 振り分けて 入りにし人の 後ぞ恋しき」 と詠んで義経との別れを惜しんだのだが、義経からすれば 「危険という事を口実にして、これから東北女をレイープする」 という真意があったと推測される。 この点では同一人物の可能性は十分有り得る!! つまり、義経は「中世の和田」の称号を与えてもよいくらいの鬼畜下郎で、 日本の恥ってわけか。 これなら頼朝としても、一族の恥さらしを殺すわけだから、大儀名分は十分だ。 いや、こういう風に考えれば納得、納得!!
,,,--─===─ヽ/へ /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶 iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ iiiiiiiiiiii/ \iiヽ iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ ...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii| ..iiiiiiiiiiiii》| ::: |iiiii| iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii| ..iiiiiiiiiiiiiiiiii, ( ● ● ) .|iiii| iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii| iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ 》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii| iiiiiiiii《《《《《《《《 《《 \ ̄ ̄/ 》》 |iiiiiiiiiii| iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》  ̄ ̄ 《《 》》》》》iiiii| iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii| iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii
■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■ 〜〜 ■■■■■■ ■■■■■■〜〜〜〜〜〜■■■■■■ ■■■■■ 〜〜〜〜〜〜〜〜 ■■■■■ ■■■■■ ■■〜〜■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■〜〜■■■■ ■■■■■ ■■■■ || ■■■■ ■■■■■ 〓〓〓〓||〓〓〓〓 ■■■■■ ■■■■ 〓〓 || 〓〓 ■■■■ ■■■■ // \\ ■■■■ ■■■■ //( ●● )\\ ■■■■ ■■■■ // ■■■■■■ \\ ■■■■ ■■■■■ / ■■■■■■■■ \ ■■■■■ ■■■■■ ■/〓〓〓〓〓〓\■ ■■■■■ ■■■■■■ ■ /▼▼▼▼▼▼\ ■ ■■■■■■ ■■■■■■■■■ ▼▼▼▼▼▼ ■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■ ■■ ■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
62 :
日本@名無史さん :03/09/23 22:59
**新事実** ジンギスカンが、ある戦のときに捕虜にした、 ウィグル人に命令して、ウイグル文字をベースに 作らせたモンゴル文字には、ウイグル文字には、 存在しない、平安時代のかな文字4文字が含まれて おり、音もかな文字と同一。 しかも、モンゴル文字はウイグル文字とは異なり、 アカサタナの50音順に並べられている。 以上、大阪外国語大の中国語、モンゴル語を専攻した 人が見つけた新事実。
この説はとても有名だが何時頃から唱えられたのか、時期によったらもし蒙古 による謀略の可能性もある。 >17 それだけの知識があれば頼朝の部下として残れたかも。 >54 それはあるかもね。
64 :
日本@名無史さん :03/09/25 02:13
ジンギスカン スジンギンカ 崇神銀化 崇神銀貨 鉄木真 木母 silver シルバー 汁馬 汗をかく怪我した龍馬 銀安殿 破月洞 騎馬民族 鞍馬の形の銀(獅駝嶺での猪悟能の耳内の路銀) 縛られた豚人 手無人テムジン 縛る シバル シルバ ギンスカジン 銀子華人
66 :
日本@名無史さん :03/09/28 15:46
一休さん=とんち説ってどうよ!?どうなのよ!?
猪八戒は話の中では、しょっちゅう縛られ役 トンチ豚智ブタ人間
チンギスハーン チンギスハアン チンスアンハギ チンスアンバギ 朕素鞍馬義 朕の素性は鞍馬の義経
69 :
日本@名無史さん :03/10/07 19:49
なんでモンゴルの長の称号って「汗」なんですか? 臭そうなんですけど。
70 :
日本@名無史さん :03/10/07 19:52
アセアン? 汗鞍
ハ(葉)の濁音化がバ(馬) 馬の汗をかく 濁音取り 汗ダクダク 汁馬 銀安殿の竜馬は破月洞の魔物に傷付けられて汗をかいているのを 猪八戒が見つけた。 ハ 笹葉 竜馬 竜胆
73 :
日本@名無史さん :03/10/13 02:43
壮大なロマンとしては面白いんだけど いかんせん、語り継がれる性格に差がありすぎるね。 義経の中の人に成吉思汗ほどの征服欲が内包されていれば、 大陸に逃げるよりもは奥州勢力を従えて鎌倉と事を構えるはず。
74 :
日本@名無史さん :03/10/13 02:47
できの悪い兄貴がかわいそうで島国を譲ったんだろ
75 :
日本@名無史さん :03/10/13 04:55
つまり、 義経=ジンギスカン=朝青龍ってこと? 相撲協会の陰謀かよ
76 :
日本@名無史さん :03/10/13 10:37
つまんねーんだよ。クソが。
77 :
日本@名無史さん :03/11/02 04:26
義経の母 常葉御前は 藤原長成と再婚するが、実際 清盛に嫁いだかどうか は・・・怪しいらしい。平泉政権 長老の基成が長成と従兄弟であって、常盤は 息子の出世の世話(見返りを狙って)を清盛に内緒でしたらしいです。 ただ、平泉から北へ・・・というのは 彼の性格からすると 秀平に殉死・・ したんじゃないかな?秀平あっての自分だったんだろうし・・・
78 :
日本@名無史さん :03/11/02 07:40
>>55 そのチンギスハンが死後に縮んだという話しは義経=チンギス説を唱える人に良く利用されてるけど、
「実は小男だった」という証拠にはならないと思う。
単に生きている時は雰囲気でデカク見えたのが死んだら小さく見えるようになったというようなだけの話しかもしれないし、
79 :
日本@名無史さん :03/11/02 22:51
age
80 :
日本@名無史さん :03/11/03 00:28
根本的にだ。義経が平泉から逃れて北行したと言う考えが間違いだね。 無論、青森県や北海道に義経に因んだと思われる証左が多いのは知っている。 しかし、考えてみたら、義経は鞍馬寺から逃れてから源頼朝が挙兵するまで、藤原氏の庇護を得て奥州に住んでいた訳だ。 奥州藤原氏が青森県まで勢力を持っていたのは当然だし、北海道まで勢力を持っていたとしても不思議では無い。 であれば、義経に因んだ様々なモノが青森県や北海道にあるのも、頼朝挙兵以前に奥州藤原氏の庇護を受けていた時期の義経が遺したモノと考えた方が、自然ではないだろうか? そう考えれば、義経が衣川合戦で逃れ北行したと言う説は無くなり、当然大陸にも行かないしモンゴルにも行かないから、成吉思汗にはなれない。
>>80 奥州藤原氏の勢力が北海道にまで及んでいたのなら、藤原氏ゆかりの人々にかくまわれて、義経は逃亡したと考えるほうが自然ではないか?
とはいえ、自分も義経北行説は信じていない。
東北の、義経が行っていないはずの場所に、義経がらみの話があるのは、それだけ後の人々が義経を惜しんだからでしょう。
せめて伝説の中だけでも、義経を生かしたかったんじゃない?
>>81 ですけど・・・
北海道の伝説や義経チンギスハン説は、当時の日本が政治的な意図を持って、利用・捏造した可能性が高い、ということを言い忘れてました。
83 :
日本@名無史さん :03/11/03 01:44
>>82 利用したと言うのは否定しないが、江戸時代からそう言う説があった以上、捏造したわけではあるまい。
シーボルトは『日本』という書に、彼の友人の吉雄忠次郎が義経はジンギスカンになったことを確固として信じている、と記しているそうです。
そしてこの「世界的事件」に歴史家が注目するようにとも書いているそうです。
(某HPより)
>>83 いや言葉足らずで申し訳なかったが、捏造ってのは義経チンギスハン説そのもののことじゃなくて、
例えば、チンギスハンは九本の白い旗を立てていたとか、
モンゴルにはハンガンという地名があり、この地に訪れた日本の武将の名をとってハンガンと名づけたという伝説があるとか、
戦時中モンゴルを訪れた日本人が、現地人がチンギスハンの墓だという古い石碑に「源」の文字を見つけたとか、
そういう義経チンギスハン説を裏付ける、色々な根拠のこと。
他にも様々言われている「根拠」があるけど、それらの根拠が事実なら、義経チンギスハン説はかなり可能性の高い話だと思う。
ただ中には、チンギス軍の旗には笹竜胆が描かれていたとか明らかなウソもあって、近年に日本が捏造した「根拠」もかなりあるんじゃないかと思う。
まあ自分はモンゴルには全く詳しくないので、なんとも言えんのだが・・・。
>>84 >チンギス軍の旗には笹竜胆が描かれていたとか明らかなウソ
ソース教えて
86 :
日本@名無史さん :03/11/03 08:38
87 :
日本@名無史さん :03/11/03 09:31
さやえんどう?
>>68 多鞍馬汗砂漠で汗を濁々かいていない過去の時は
チンギスハーン は濁音を入れて
チンギスバーン→朕義素馬鞍 朕の素性は鞍馬の義経 裏を返して
チンハスギーン→朕は杉陰 朕は杉隠 隠匿?
朕には杉という名の陰影がいる 影武者
>>85 いやソースっていうか、そもそも源氏が笹竜胆を使っていたソースがないから(源氏は紋は使わず、白旗のみだったらしい)。
源氏系の公家には笹竜胆を使う所もあったらしいけど、源義経=笹竜胆というイメージが生まれたのは、江戸時代になってからのことだそうで。
だから、チンギス=笹竜胆説に限って言えば、義経と結びつけるための後世の創作と考えるのが妥当かなと。
実はチンギスハンは義経ではなく、笹竜胆を使っていた公家の誰かというのなら分かるが。
これについて、成吉思汗の秘密(だっけ?)では、「義経は、兄と自分は違うという意思表示のため、あえて頼朝の使わなかった笹竜胆を使ったのだ」と言っていたけど。
90 :
日本@名無史さん :03/11/03 15:59
ニルン族の名はクロー!!
>>89 義経が笹竜胆を使っていた可能性が低いとしても
もしチンギスが笹竜胆を使っていたなら・・・
問題はチンギスが笹竜胆を使っていたのか、捏造なのか、ってこと
汁≒汗
シルクロード 汁九郎土 ドーロクルシ 銅炉苦し 童炉苦し
>>65 銀安殿→蓮花洞 金炉 銀炉 二人の童子
外出かつ陳腐かもしれないけど、蒙古の旗って、黄色に日の丸なんだね。 騎馬戦を中国で見たとき、あの日の丸には心が動いた。
94 :
日本@名無史さん :03/11/07 22:36
↑それが義経=成吉思汗の根拠?
つうか 想念のはなし。。。
96 :
日本@名無史さん :03/11/10 23:30
もっと肯定派の意見求む
97 :
日本@名無史さん :03/11/11 00:15
>>81 義経北行説で義経が辿った道は修験者道と一致する。
山伏が義経の話をしながら歩いたという話を聞いたことがある
源義経=チンギス・ハン説とは関係ないが・・・
壇ノ浦の戦いの潮流説、変だとおもわない?
速度って相対的なものだから、船対船で戦ってたら潮の流れがどうなろうと
関係ないと思うんだが・・・。
モンゴルで「じつは、信長は大陸から渡来した蒙古人なんだよー」 なんて話してたらどうする? こんな話事態、モンゴルに失礼だろ!
99 :
日本@名無史さん :03/11/14 00:45
チンギスハンだって韓国人
>>99 漏れそれは知んないけど。
どうせ、あっちの国の人が語ってんでしょう?
そうなら漏れは頭にくる。
それと同じことを。義経=チンギス説を主張する香具師は
ほざいてるんだろ…
102 :
日本@無名史さん :03/11/14 03:50
54さんが難しいこと色々言ってるとこ悪いけど モンゴル帝国はヨーロッパ近くまで行ったかもしれんが 元は行ってないでしょ?
103 :
日本@名無史さん :03/11/14 05:41
女真族は後に満州族となったが、女真の全身はマッカツであって、金国だから、 北朝鮮は満州族であって、つまり中国様の全身の清国なのだから、 北朝鮮は中国様を支配した民族なのですか?
104 :
日本@名無史さん :03/11/14 09:24
鎌倉政権下の北条家を、元が本気で責めなかったのは、 義経の遺言であった。
むしろ義経は鎌倉幕府を亡ぼしたかった。
106 :
日本@名無史さん :03/11/14 11:50
>>103 満州国を構成していた民族の一部として現代の北朝鮮辺りの民族が加わっていたことは
ありえるでしょう。それを、曲解とするか否かの論議は、北朝鮮の歴史書に、なんか書いて
あるのですか?
金国=北朝鮮、という誇張とか?
金正日一族の先祖ってペクト山から沸いてきたんでしょ?
気になる。
朝鮮人の歴史観では、かつて檀君が開いた王国以来の 古朝鮮時代があり、その古朝鮮人が東アジア各地に広 がって歴史を織り成してきたということらしい。 だから、日本の天皇も孔子も始皇帝もチンギスハンも皆 韓国人だとさ。
>>106 北朝鮮は檀君神話というとてつもない史観をもっているが、
神話以降の歴史認識では、中国の顔色を窺っているだろうよ。
中国は、満州族・清に支配されていた史実を捻じ曲げ、満州を「解放」という名の下で
不法占拠したわけだし。
金が女真なのか、新羅の族譜なのか、
>>101 別にさ、日本人が日本人に対して日本国内限定で言ってるうちは、いいと思うんだよね。
日本限定のネタ話まで、外国に気を使う必要はないわけで。
それをモンゴル人に押し付け出したら、最低だと思うけど。
そもそも義経=チンギス・ハン説って、
非業の死を遂げた義経かわいそう→義経は生き延びたことにしてあげたい→チンギス・ハンくらいになっちゃったら、義経も救われるかも、
という、義経を愛するがゆえの、判官贔屓の心情から生まれた説だと思う。
だから、かの国が言ってる、中田ヒデ=韓国人説とか、写楽=朝鮮人説とは根本が全然違うと思うんだわ。
かの国は別にヒデや写楽に敬意を示してるわけじゃない、ただ自分らの自尊心を満足させるために言ってる(そしてネタを本気にする)。
じゃ、漏れはキリストは八戸村で死んだと思うし。 薩摩は家紋が似てるから、英国の手先だし。 皇族はユダヤの末裔だと思う。
111 :
日本@名無史さん :03/11/14 18:40
義経のように、人望も無く。 人心掌握術も乏しく。 政治を知らず。 戦略性がない男が、異民族の海千山千の部族連合を 束ねられるもんか?
女真というが、日本人のルーツとおもわれるブリヤートも、その係累だろ? モンゴル、女真、満州、チベット、日本 みな同根だろう。 チベットとモンゴルと日本の相似性は高い。
>111 義経、東国武士からは嫌われたが、京都では大人気だったぞ。 東国武士に嫌われたのは、義経の戦い方が無茶で卑怯で常識破りだったからともいわれているし、その戦い方は逆にモンゴルでなら受け入れられたかも。 政治についてだけど、チンギスハンだって一人で戦ってたわけじゃないし、義経に政治的助言をしてくれるブレーンがいたとすれば?
114 :
日本@名無史さん :03/11/14 20:51
>>113 京都の人気てのは人望とは関係ないんでは?
義経は常識破りだから嫌われたんではなく。
大将の器がないからでしょ!
たとえば、先駆けを譲らないとか!
一の谷のように戦略を度外視してかってに行動するとか!
手柄を独り占めにしようとするところ。
115 :
日本@名無史さん :03/11/14 22:48
>>101 信長は平氏で、桓武平氏です。桓武天皇は母親が朝鮮人でした。
116 :
日本@名無史さん :03/11/14 23:12
>>115 信長は自称平氏では? たしか神主の末裔だから可能性はあるよね。
少なくとも、清和源氏の末孫を自称する徳川よりは出自がしっかりあるかもね!
けど、そんなこと言い出したら渡来系の先祖は多い訳だし。
みんな朝鮮系になっちゃうよ…
>>114 つっても、頼朝派の九条兼実でさえ、京都での義経について誉めるところはきっちり誉めてる(辛辣なところは辛辣だけど)。
威張り散らすことなく、私心を捨てて忠節を重んじ・・・だっけ?
こういうところは、東国での評価とずいぶん違うな。
入京のタイミングが良かったのは事実だけど、こういうところが京都での人気にもつながったんでしょう。
でなきゃ、失脚した義経に公家までもが「嘆き悲しんでいる」はずはないわけで・・・。
>>たとえば、先駆けを譲らないとか!
常識破りってのは、そういうスタンドプレー的な行動について言ったつもりだったんだけど。
つまり、悪い意味で常識がない、ということ。
でも、だからこその戦術だよな。
武士の作法を知らないがゆえに勝てて、武士の作法を知らないがゆえに嫌われて失脚。
義経って若さで突っ走ったイメージがある(当時の感覚としては、若くもないだろうが)。
だからまあ、チンギスハンとはイメージがかぶらないのだけど、義経も長生きしてたら性格変わったかのしれんしね。
>>116 斯波氏の家臣といわれているが、姓は津田氏だよね。
近江国蒲生郡津田庄発祥の宇多源氏。ほか桓武平氏、藤原氏など諸流
>>118 伊勢平氏の係累なのに、伊勢攻めしたのは何故?
信雄が伊勢国を支配したし。
三重にある津田学園って、関係あるみたいだね。
津田学園って、新しい教科書を採択した右翼学校。 三重って、伊勢平氏発祥のお国柄、紆余も沙代も多いね。
121 :
日本@名無史さん :03/11/14 23:54
>>120 織田は坂東平氏だよ。だけど、坂東平氏の出自は伊勢平氏だけどな
122 :
日本@名無史さん :03/11/14 23:55
>>117 反論する訳じゃないんだが…
公家達が、判官贔屓するのは頼朝をけんせいするためでは!
仮に本当に公家に愛されたとしても義経は武家な訳だし。
武家政権を許したくない京都にしてみれば、馬鹿で公家の権威を
ありがたがる義経は非常につかいがってのいい男だっただけでしょ。
123 :
日本@名無史さん :03/11/14 23:58
>>122 まあ、そうだけど。後白河上皇の男色癖の・・・
真珠湾奇襲の暗号・・・・・・トラ・トラ・トラ。 この意味を考えると、最後には、寅年寅月寅日に戻ってくる。 この年月日で生まれた歴史上の有名人に、源義経がいる。 彼は源平合戦において、鵯越を行い、奇襲作戦で成功した。 真珠湾もまた、奇襲作戦であった。 旧日本軍は、これを念頭において暗号を作ったのではないだろうか。
125 :
日本@名無史さん :03/11/15 00:13
だいたい一の谷の戦いだって、東から義経の兄冠者某と西から 義経が鋏んでのせん滅作戦だったのに。 自分の軍を副将の梶原景時にまかせて逆落としでしょ。 もし冠者某と景時が配置についてから逆落とししたら。 まーそりゃ天才だよね。 でも実際は景時が配置につく前に逆落とし。 たしかに平氏はびっくりこいたけど。西から逃走。 そのくせ義経は「やーやー我こそは…」 なんてことして先駆けの手柄を主張。 殲滅作戦は失敗。 そりゃ嫌われるは…
>>124 僕は、1962年5月5日、午前4時頃に生まれている。
41歳のトラトラトラだ。
さて、29歳はいるか?
>>126 >
>>124 > 僕は、1962年5月5日、午前4時頃に生まれている。
> 41歳のトラトラトラだ。
> さて、29歳はいるか?
真珠湾奇襲は1941年で、君とは21年の年差があるけど、どうして寅なんだ?
128 :
日本@名無史さん :03/11/15 00:23
>>127 真珠湾奇襲の日が寅年というわけではなく、義経の生年月日のことでしょうが
>>122 頼朝派でしかも皮肉屋の九条兼実が言ってるから、ある程度信頼できる記述なんだよ。
義経失脚に対しての公家の様子が、ただ単に、「あー義経失脚しやがったよー、自分義経派なのに。チっ使えねーやつ」ってだけなら、そう書くでしょ。
義経は公家にとって都合のいい人間だったんだろうけど、都合がいいだけの奴のために嘆き悲しんでくれるか?
130 :
日本@名無史さん :03/11/15 00:45
>>129 かりそうだとしても、だから何?
武家家の棟梁筋たる人間が公家に人気があり、身内たる
武家に嫌われて意味あんの?
ただの外面のいいお坊ちゃんじゃん。
>125 ホントに一の谷で平家を殲滅できたのかね。 吾妻鏡なんかじゃ数が誇張されてるけど、敵のホームだし、おそらくは平家のほうが数は多かったでしょう。 地の利も平家にあったわけで。 それで、予想外に範頼軍が押されたため、義経は攻撃を早めて逆落としをするしかなかったとの説もある。 まあ、鵯越に関しては諸説色々あるんだけど。
>>130 意味はないよ。
それは義経の人生を見れば分かること。
武家たるもの、武家に受け入れられなければしょうがない。
ただ、東国側の史料とは全然違う義経像もあるっつーことが、言いたかったわけ。
133 :
日本@名無史さん :03/11/15 00:55
134 :
日本@名無史さん :03/11/15 01:01
悪党跋扈 比叡山の坊主が戦をし 義経 コレを 討たんとするが平氏に乗っ取られる。
136 :
日本@名無史さん :03/12/01 00:55
義経age
137 :
源九郎義経 ◆mkIaGhOuYM :03/12/01 02:47
応援age
大和殿とか?くだらねぇ。
140 :
日本@名無史さん :03/12/29 21:39
スターリンは西郷隆盛だった
まだこんなが問題になっている。スキャールが違うだべ。15年前、NHKでやっていたぞなもし。
徳川家康(つーか先祖)は日本を朝鮮のような儒教で人をがんじがらめにする 邪悪な国家にするために朝鮮から送り込まれた間諜という小説があったな
義経は頼朝に打たれた後、北海道に渡り、北海道各地に足跡を残し 大志を捨てる事が出来ず、大陸へ渡り蒙古の英雄ジンギスカンになった。 という話がマニュアル本に載ってます。 ぶっちゃけ、この話は飛ばしてマス。突っ込まれたらヤダもん。
144 :
日本@名無史さん :04/02/03 18:45
静御前が生んだ子はコロされたけど、郷御前の生んだ女の子はどうなった?
145 :
日本@名無史さん :04/02/04 00:11
>>143 それはどこの地をガイドする時のマニュアルですか?
146 :
日本@名無史さん :04/02/07 15:45
源義経=チンギス・ハンは違う、 義経は大陸へ渡ったのち チンギス・ハン譜代の耶律阿海の客分になり ペルシャ遠征に従軍しサマルカンドで客死した。
147 :
日本@名無史さん :04/02/22 18:11
148 :
日本@名無史さん :04/02/22 18:12
どうもコノ説は欧米列強の意思の元にシーボルトが日本と大陸を離間させる 為に仕掛けた謀略の様な気がしてならんのだが・・・・・・・?!
150 :
トロちゃん元帥 :04/03/03 15:33
さてシーボルト陰謀論でageますか。
151 :
日本@名無史さん :04/03/06 20:14
152 :
トロちゃん元帥 :04/03/10 13:54
>>149-150 なんで誰も「シーボルト・アジア離間陰謀論」に来ない!!!
まさかシーボルトが探究心だけで日本に来たと思ってるんじゃ
無いだろうな!!!!!日本地図持ち逃げし様とした男だぞ!!!
初レス。 知的なも前らが、こんなくだらんことを言うとは思わんかった・・
154 :
日本@名無史さん :04/03/10 14:15
義経はジンギスカンになったよ。 だってCMでやってたYO
155 :
日本@名無史さん :04/03/12 02:13
誰か織田信長=ヌルハチ説を唱えないかな?
義経=チンギスハン、生まれ変わって今の俺
157 :
トロちゃん元帥 :04/03/12 15:04
だからシーボルト疑えっつてるだろがぁぁぁぁぁ!!!!!!
158 :
日本@名無史さん :04/03/12 15:43
ルパンでもこのネタは使われてたよ。ジンギスカンの財宝黄金の鷲は 岩手県平泉にあったという内容。たしかうる星やつらの校長のナレーション でも脈略使われて棚。
《参考》 マヤ(真矢)−−−−−ユミ(弓)(ミユ(大陸)の逆読み)ーーーー→矢的(大和) ー太平洋ー フビライの矢 オルコンの弓 ダッタンの的 4段目 豹の眼 から
160 :
日本@名無史さん :04/03/13 13:27
今ここで俺が新説を発表します! 源義経=リチャード1世 これは定説です!
161 :
日本@名無史さん :04/03/13 15:24
坂本竜馬は木曽義仲、明智光秀子孫説 木曽義仲→明智光秀→坂本竜馬
162 :
日本@名無史さん :04/03/14 05:44
163 :
日本@名無史さん :04/03/14 10:19
チンギス、ハンは確かに義経だったよ 何度か彼と酒を飲んだから 死んだとばかり思っててその後 モンゴルに行ったら彼が居るじゃない なつかしくって朝まで語り明かしたよ この世に生きる喜び そして、悲しみのことを 青空には小鳥が歌い 丘の上には ララ 緑がもえる
164 :
日本@名無史さん :04/03/14 10:34
>>161 その説って明智秀満の系統じゃなかったっけ。
坂本城の「坂本」だとか
165 :
日本@名無史さん :04/03/14 11:26
>164 そう明智に友好的だった長曽我部元親が明智滅亡後庇護した末裔だとか
きったねぇ騎馬民族なんかと一緒にするな。
義経は間違えてベーリング海峡を渡っちゃいました。
168 :
トロちゃん元帥 :04/03/16 13:30
大体満州国建国前後の頃にもジンギスカン=義経説が流行っただろ? もし日本がこの説を利用して中国に攻め入り、日本と大陸諸国に溝が出来れば 欧米列強としてはしてやったりだろうが。勿論明治以降の日本の大陸政策は 自国の強化と防衛が目的でありコノ説とは関係無い!しかし、今も日本人が シーボルト等の陰謀に踊らされているとしたら余りにも滑稽であり惨めでもある!!! みんな早く目を覚ませ!!!!!
169 :
日本@名無史さん :04/03/16 13:37
>>166 確かに騎馬民族に格好良いイメージは無い。
馬の小便で顔洗っている浅黒い肌の連中。
定住型民族マンセー!!
チンギスハンが日本人だったとしても、日本の大陸進出の正当性の証明になぞならない。 そういう発想は日本人のものではないな、どこかの国ではよくあ話だけどな。
171 :
日本@名無しさん :04/03/16 13:52
>>165 まあそれは眉唾だけどね。
もし長宗我部が光秀の一族を匿ったなら、
むしろ相当な厚遇をしたはずで、坂本家があんなに
低い身分でいるはずがない。
172 :
トロちゃん元帥 :04/03/16 14:25
>>170 うん、その通り!前にも言ったが日本の大陸進出とジンギスカン日本人説は
関係無い。問題はコノ珍説を日本人が騒いでる事をシナやコリアの連中が
取り上げて「またチョッパリがモンゴル帝国皇帝日本人説とか取り上げて
大陸進出を正当化しようとしてるニダ!許せんニダ!!!」とか騒いで日本を
貶め様とする可能性がある!!!シーボルト陰謀に乗せられたキムチと中華まんが
また反日策謀をアカ日新聞などと進める可能性は大いにあり得る!気を付けろ!!!!
173 :
日本@名無史さん :04/03/28 22:10
朝青龍はジンギスカンによく似てきたなあ。
174 :
日本@名無史さん :04/04/10 23:46
源氏の子孫の方と チンギスハンの子孫の方とのDNA鑑定したら 白黒がはっきりしますよ
175 :
日本@名無史さん :04/04/25 22:01
来年の大河ドラマはチンギスハンまで行けへんの?
平泉脱出までは七三の確率で有り得ると思ってるが チンギスハンまでは難しいな。三%まで届くかどうか。
ドット・ハーン
178 :
日本@名無史さん :04/05/19 16:04
なんにしろ100%の否定は無理ってことだ
179 :
日本@名無史さん :04/05/19 22:25
さっき、「そのとき歴史が動いた」のチンギス・カンので、 松平が義経説ありと語ったぞ。
180 :
日本@名無史さん :04/05/20 14:07
ジンギスカン ジンギスハン チンギスカン チンギスハン どれが正式
181 :
日本@名無史さん :04/05/20 14:45
源義経=チンギスハン=ペリー=ヒトラー=スターリン=ブッシュ
183 :
日本@名無史さん :04/05/22 00:15
なんで頼朝は義経を殺そうとしたのかね、実の弟なのに。彼が生きてちゃマズイみたいな ことがあったのかねえ。
>>180 ハンは現代モンゴル語、カンは当時のモンゴル語。
>>183 根拠もないしよくわからんが
義経が御家人たちの人望を集め始めたからじゃないの?
185 :
日本@名無史さん :04/05/22 10:27
>>171 もし長曾我部が明智を厚遇したとしても、そのあと土佐に封じられた山内家に冷遇されたのでは?
土佐の郷士はだいたい長曾我部家の旧臣だし…。反論の理由としてはいかがなものかと。
匿ったかどうかということ自体については、私にはそのへんの知見がないので、なんともいえません。
186 :
日本@名無史さん :04/05/22 10:54
>>184 一応訂正すると
ジンギスカンは、東部モンゴルの発音。
これが日本に伝わった。
中西部はチンギスハーンに近い発音らしい。
187 :
日本@名無史さん :04/05/22 11:05
でもまあ、モンゴル人はえらいよ。 チンギスが偉大である理由のひとつに”(モンゴル)民族を創った” 事を上げている。 やろうと思えば、匈奴とかホクテキとか半万年でも民族の歴史 を遡らせるのにね。
188 :
日本@名無史さん :04/06/08 16:54
>>183 義経の戦功と能力を恐れた。
源氏の棟梁 = 頼朝 と決まっていたわけではない。
また、頼朝は清和源氏(陽成源氏?)という家よりも、自分の権力確立を優先させていた。
その背景にはおそらく平政子など北条の意向が反映されていると思う。
その結果、頼朝の血筋は3代で滅びる。
血筋の反映を重んじる当時の思考としては、頼朝は全くの無能だったと言って良い。
嫁の一家に操られる馬鹿殿のイメージです。
189 :
日本@名無史さん :04/06/08 16:57
>>188 違うだろ。
単に、兄への不義。
当時としては殺されて当然です
>>189 兄への不義ってよりも、時勢を考えられない馬鹿弟に対して、
政治家の兄が制裁を下した って感じでは?
官位をもらっていい気になった義経が馬鹿なだけ。 頼朝が鎌倉から動かなかったのは、関東情勢も有るけど、 京を警戒していたからでしょ。 ソレなのに義経ときたら。。。
192 :
日本@名無史さん :04/06/08 18:07
>>190 兄に断りもなく、勝手に朝廷から官位を貰う。
これは、兄に対する不義であり殺されて当然
193 :
日本@名無史さん :04/06/08 23:15
伊達に北行伝説も残らないだろうし、奥州藤原氏にはアイヌ、大陸との交易による情報は豊富だったろうし、当時の肉親相争う武将が安易に自害もしないだろうし、と言う背景も織込めば「説」も信憑性十分ね。 つーかほとんど確信してまっせ。
194 :
日本@名無史さん :04/06/17 21:32
義経=チンギスハン説って 有史以前から負けてばかりの東北人を中心に支持が多いよな。 負け犬が夢を見ているっていうか、負け犬同士相通ずるものがあるというか。 奥州に逃げただけで東北人に関連付けられる義経もいい迷惑。
そっか?京都に多いけど。
ソース出せよ。鼻毛野郎。
197 :
日本@名無史さん :04/06/24 13:07
じゃ、義経が、今の北海道まで渡ったっていうの、 1度でいいから、時代劇化してくれないかな。 お正月の長時間ワイド時代劇なんかで。
199 :
日本@名無史さん :04/07/19 17:52
200 :
日本@名無史さん :04/07/29 15:04
んなわけない!
201 :
日本@名無史さん :04/07/29 23:36
この妄説を本気で信じてる人もいるにはいるね。この手に人には何を言っても無駄。 チンギスハーンの戦法と義経の戦法が同じだと本気で信じているからね。 ゲンギケイがジンギスカンに訛ったなんて笑える話だ。
この チン ゲ
日本の今年の夏は、多鞍馬汗砂漠の上にいるように暑い、暑い
>>192 兄に対しての不義であるだけでなく、板東武者全員に対する不義になるんだ。
皆で団結して、朝廷に対して武士の権利要求していこうという矢先に、自分
だけ抜け駆けして官位もらったら、そりゃ、他の奴は皆怒る。
チン毛好かん! _, ,_ ヽ( u )ノ
206 :
日本@名無史さん :04/10/01 00:58:04
207 :
25歳♂投馬国王の子孫 :04/10/01 01:01:25
義経はチンギスハンじゃなくて 耶律楚材になったんだろ。
208 :
日本@名無史さん :04/10/05 10:14:03
モンゴルでチンギスの墓の可能性が高い墓域が見つかったね これでハッキリと骨が見つかればDNA鑑定や推定身長や 血液型・死亡原因推定も行われるだろう(人類学的に) 同年代のモンゴル出土人骨と異なる点があれば発表もされるだろ このスレの使命が終わる日も近いと思うと寂しいけどな
209 :
日本@名無史さん :04/10/05 11:59:57
田端義夫=ジェンキンス
210 :
日本@名無史さん :04/10/06 00:27:42
>>208 見つかったってどこ??
どうせ盗掘されてそうだが
211 :
トロちゃん元帥 :04/10/06 11:47:49
>>210 「きっとソレは日本軍が証拠隠滅の為にやったニダ!!
証拠はみんなチョッパリが燃やしたから無いけど間違い無いニダ!!
チンギスカンをチョッパリって事にしてアジア支配を正当化する気ニダ!!
間違い無いニダ!!本当はチンギスカンは朝鮮人ニダァァァァァ!!!!!!」
By・基地外チョソ
チンギスカンって・・・
うっ!はっ!うっ!はっ! ジン・ジン・ジンギスカン♪
ジェンキンス汗。
215 :
25歳♂投馬国王の子孫 :04/10/06 18:55:13
ジャムカのほうがチンギスハンより戦闘力は上ですね。
216 :
日本@名無史さん :04/10/06 19:21:41
チンギスハンのDNAが鑑定されて やっと捏造妄想東北人の妄言に終止符がうたれるか。めでたい。
東北人が妄想したという妄想をしてる人がいまつね。
218 :
日本@名無史さん :04/10/07 00:05:13
219 :
日本@名無史さん :04/10/07 03:36:20
源朝臣
220 :
日本@名無史さん :04/10/07 14:57:27
(・∀・)♪ジン、ジン、ジンギスカーン♪〜
221 :
日本@名無史さん :04/10/07 17:24:14
>>208 おまえら、チンギス・ハンが義経だったら、うれしいの?
「日本人=残虐」のイメージができるかもしれないよ。
奴は強姦マニアだったし。
222 :
日本@名無史さん :04/10/07 18:02:42
223 :
日本@名無史さん :04/10/08 23:16:39
國學院の考古学チームが成吉思汗の墓をハケーンしたらしいね
224 :
日本@名無史さん :04/11/06 21:52:07
225 :
日本@名無史さん :04/12/03 00:54:04
いやん
226 :
日本@名無史さん :04/12/19 06:58:19
☆奥州平泉で兄の源頼朝の策略により殺されたのは源義経ではない。 というと「またジンギスカン説?」と思いがちだが、平泉で義経が殺され た時、頼朝により勝手に名前を「源義顕(よしあき)」とされていた。 ※義経(よしつね)という名前は公家・九条兼実の子・良経(よしつね)と同 じなので、頼朝が朝廷にゴマする為に名前を勝手に変えた。 もちろん義経はそんなの知るはずもなかった。
Fu ! Ha !!
228 :
日本@名無史さん :05/01/02 17:27:08
100%ありえないことを議論してもしょうがないだろうに
230 :
日本@名無史さん :05/01/12 19:55:30
チョソの在日認定みたいだから止めて欲しい
231 :
日本@名無史さん :05/01/13 01:27:35
てか、義経が頼朝追悼の命を後白川に要求したのが、義経追悼の発端じゃなかった?
232 :
日本@名無史さん :05/01/19 02:30:58
よそでの拾い物をまとめます。燃料としてどぞー。 判官の「官」は役職自体をさすから義経の役職は「ハン」。 モンゴルでは「ハン」は王の意味の政治的役職名。 チンギスハンの部下にはサイダ、シュウビなど 義経の周辺人物と同じ名前が数名見られる。 元の意味は「みなもと」。「源」の読み方は「ゲン」。 墓にストゥーバ(卒塔婆)という板を立てる風習がある。
233 :
日本@名無史さん :05/01/19 02:41:03
ウンコチンコマンコチョンコ
234 :
日本@名無史さん :05/01/19 03:15:11
このスレを見て 数々の歴史的事象を予期していたと言われるノストラダムスの書に 読み様によったらモスラが襲来すると解釈できる節がある と言う話を思い出した
236 :
日本@名無史さん :05/01/19 03:46:51
義経=チンギス・ハンが事実でなくて全然良いので
>>232 みたいな肯定側の理由をもっと教えてください!
スゲーおもしれー
237 :
日本@名無史さん :05/01/19 14:08:10
>>236 取り敢えず、ハルキ文庫の『成吉思汗の秘密』高木彰光著を読め!
238 :
日本@名無史さん :05/01/19 14:51:13
>>232 サイダは西塔で弁慶の事、シュウビは鷲尾三郎?
239 :
日本@名無史さん :05/01/19 14:54:44
あと、チンギスハンの御子台がオコダイハンって・・・ 読み方も意味も全く日本語なんですけどってのもあるよね。
240 :
日本@名無史さん :05/01/19 14:57:53
リンク先ので恐縮ですが、テムジン=天神ってのは面白いなぁ
241 :
喬佳 :05/01/19 15:05:53
この噂はよくありますよね・・・・・。トモダチは信じてますが私は絶対に 信じません!!チンギスハンの肖像画見てください!義経はイケメンな のにあの顔は絶対に違います!!
242 :
日本@名無史さん :05/01/19 21:10:43
243 :
日本@名無史さん :05/01/19 23:41:26
ウラジオストックあたりのアパートにはなぜか笹リンドウ紋が掲げられている けどなんか意味あるのかな?昔からだそうだけど。
244 :
日本@名無史さん :05/01/20 16:33:22
きっとウラジオストックの人々も源義経=チンギス・ハン説を信じていらっしゃるのですよ
245 :
日本@名無史さん :05/01/21 03:42:43
浦塩ってもともと日本人が住んでたんだっけ
246 :
日本@名無史さん :05/01/21 04:11:54
中学の頃ムーの記事を読んで本気にしたことを思い出すよ。 成吉思汗が妻、静の事を思ってつけた名前だと言うのもあったな。
247 :
日本@名無史さん :05/01/22 15:18:22
チンギスハンって恐怖の拷問いっぱいしてるからねー そんなこと義経にできないでしょ!
248 :
日本@名無史さん :05/01/22 18:45:59
義経みたいに集団行動不向きな人と同一視されるチンギスハンも大変だな
249 :
日本@名無史さん :05/01/22 18:47:52
つまりラーメンマンがモンゴルマンになったということなんだな。
250 :
日本@名無史さん :05/01/22 20:28:22
チン毛好かん
251 :
太国玉 :05/01/22 20:39:29
>>250 ヂン毛スカン→ヂンゲスカン→(バラ読み)→ゲンジスカン(源氏好かん)
252 :
日本@名無史さん :05/01/22 21:21:54
253 :
日本@名無史さん :05/01/22 21:31:35
仮にほんとの話だとしたら、平泉からモンゴル。なぜそんなに遠くまで?
254 :
日本@名無史さん :05/01/22 21:42:26
モンゴルの人に「ジンギスカン食いに行こう」と言ったら 殴られれそうになったよ
255 :
日本@名無史さん :05/01/22 22:45:22
>>253 まず北海道に渡ってる。そこにも追っ手が来たのかなあ
256 :
日本@名無史さん :05/01/23 14:27:00
蝦夷島で王となったのは事実だけど モンゴルまでは無いよ
257 :
日本@名無史さん :05/01/23 15:07:27
男だったら弁慶と共に死す!
258 :
日本@名無史さん :05/01/23 16:02:42
259 :
日本@名無史さん :05/01/23 16:14:49
北海道のどこから大陸に渡ったのかな?まあ交易ぐらいあったと思うが・・ 追ってから逃げる目的から、新しい野望への目的に変わった地点が明確 になれば、この伝説も面白みが増すね
260 :
日本@名無史さん :05/01/23 16:18:47
義経がちんぎすだったら孫かひ孫のフビライが日本を攻めてきたのは復習か?
261 :
日本@名無史さん :05/01/23 16:24:33
262 :
日本@名無史さん :05/01/23 16:49:25
日本攻めて来たきたのはフビライの時か・・ フビライの日本知識がかなりあったなら(じーさんから聞いて)信憑性はあるわな でもマルコポーロは誰に仕えてたんだっけ?彼の知識は(黄金の国)程度のものだったよね 義経がチンギスだったらもっと日本の知識が広まっててもおかしくないよな? 日本の呼び名もジパングではなかったのでは?
263 :
日本@名無史さん :05/01/23 16:57:10
>>262 マルコポーロは平泉の寺のこと知ってたじゃん。義経周辺の人の子孫がフビライに語ったんじゃないの?
264 :
日本@名無史さん :05/01/23 17:13:19
>>263 まじで!?じゃあ、チンギス=義経って十分ありえるじゃん
ってかマイナーな平泉知ってた時点で決定だろ?
265 :
263 :05/01/23 17:19:23
ちょっとまてよ・・平泉の寺は黄金だっけ?金箔がほどこされていたような 気はするが・・金閣を含めた黄金系の知識で知っていたのでは?
266 :
264 :05/01/23 17:20:24
名前訂正↑
267 :
日本@名無史さん :05/01/23 17:22:10
268 :
264 :05/01/23 17:27:22
あ、そっかオレバカだな。マルコポーロの黄金の伝説はてっきり 金閣のことだと思い込んでた。。。
269 :
日本@名無史さん :05/01/23 17:28:45
この2人には共通点が多いんだよね なんだったっけ・・・
270 :
日本@名無史さん :05/01/23 17:36:15
騎馬を駆使した無類の戦上手とか・・?
271 :
日本@名無史さん :05/01/23 20:43:15
しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔を今に成吉思汗
義経が強いのは仕方ないよ。 この時代に一人でライフル銃持ってたし。
273 :
325 :05/01/23 20:53:47
中尊寺なんて、その時十三湊と女真族が貿易してれば伝わる情報だろうよ。 別に義経なんて関係ないんじゃない?
274 :
日本@名無史さん :05/01/23 20:54:09
〃〃∩ _, ,_ ヤダ ⊂⌒( `Д´) ヤダ `ヽ_つ ⊂ノ ヤダ ジタバタ _, ,_ 〃〃(`Д´ ∩ < 弁慶が ⊂ ( ヽ∩ つ ジタバタ 〃〃∩ _, ,_ ⊂⌒( つД´) < 五条の橋の上で `ヽ_ ノ ⊂ノ ジタバタ ∩ ⊂⌒( _, ,_) < マツケンサンバU踊らなきゃヤダヤダ `ヽ_つ ⊂ノ
275 :
日本@名無史さん :05/01/23 21:28:06
源氏のふるさとのモンゴルに義経が里帰りした非常にいい話だ 昔はトンデモ話かとも思ったが、最近は壮大でロマンティックな いい話だと思うようになってきた
276 :
日本@名無史さん :05/01/23 23:16:55
義経は戦術の天才だが戦略的センスゼロ 史上最大の戦略家であるチンギス・ハンと同一人物であるわけがない そもそも日本人にモンゴル語は難しすぎる 意思疎通するのも困難では心服させることはできない
277 :
日本@名無史さん :05/01/23 23:26:32
義経の戦術は、身軽だった義経に無理なことを付き合わされた感じだな
>>276 言語が人を心服させるとは限らない。
278 :
日本@名無史さん :05/01/24 00:23:03
今の極東3バカ国家を見てると 義経が掛けた呪いは未だに解けてない。 (死ぬ間際に、もう恨んでないよとか言ったそうだけど) いい機会だから日本は国を挙げて義経の御霊を弔うべきだ。
279 :
日本@名無史さん :05/01/24 01:42:03
まああれだ 「モンゴル人が21世紀初頭で日本の大相撲の当時の最強の横綱だった」 って説が数百年後に大論争になるようなもんだな。
いや、義経は実はカナヅチで水が大の苦手だったと解釈すれば、 チンギスハン説の裏付けにもなる。
281 :
日本@名無史さん :05/01/24 20:40:02
イタコに聞くしか、真相はハッキリしないのかな?
282 :
日本@名無史さん :05/01/24 22:06:30
朝青龍が義経の子孫とか?の話はまだ出てこないようだな 現代によみがえった義経 大相撲で天下取り
チンギスハンの八艘飛びは捏造です。まして嵐の海を船で渡るなど平穏なインダス川すら渡る事を 憚ったチンギスハンには出来ない芸当です。
284 :
日本@名無史さん :05/01/24 22:25:02
>>281 チンギスハンの墓の遺骨のDNA鑑定すればいいのでは
見つかっていないし、DNAが採取できるほど保存状態が良いとも思えないが。
286 :
日本@名無史さん :05/01/24 22:40:44
dna鑑定って歯だとか髪の毛一本でもできるんでねーの?
287 :
日本@名無史さん :05/01/24 22:49:50
たしか國學院と新潟大のチームが見つけたはず
288 :
日本@名無史さん :05/01/24 22:52:46
義経の血判等、鑑定材料はあるの?
289 :
日本@名無史さん :05/01/24 22:53:16
日本人の血が入ってるかどうかだけでも…
290 :
日本@名無史さん :05/01/24 23:03:48
鑑定材料がそろってても明確化に踏み出さない、ということであれば 実証する必要の無い伝説だと位置ずけできる
291 :
日本@名無史さん :05/01/24 23:09:41
もし日本人だったらモンゴル人のロマンを壊すことになるのでやりません
292 :
日本@名無史さん :05/01/24 23:31:34
え?日本人のロマンでしょ?
そもそもその伝説が確実に語られ出した時代はいつなの? 満州建国のための大義名分の為捏造されたんでないの?
294 :
日本@名無史さん :05/01/25 17:12:34
1809年、間宮林蔵が樺太を探検したが、その目的の一つが義経伝説の真偽を
探ることであった。間宮はアムール川(黒竜江)流域の人々に義経のことを
訪ねた。すると「漢土の天使は(清王朝)日本人の末と聞いている。」と
答えたと報告している。
間宮林蔵の報告(1809年)を受けて、1823年に日本にきたシーボルトが
義経北行説と義経・成吉思汗説を打ち出した。シーボルトと間宮林蔵は
友人関係にあり、シーボルトは自国への報告の必要性からも間宮から蝦夷地の
ことを細かく聞いたものと思われる。シーボルトは帰国後、著書「日本」を著し、
義経・成吉思汗説を主張した。
1824年にドーソン(アルメニア人で、フィンランドの外交官)は「蒙古史」を
出版した。この本は、中近東に赴任していたときに収集した資料をもとに
書かれている。内容に関して「正確公平」との評価がある。
この中に「義経・成吉思汗説」があり、茂在寅男氏(もざいとらお)は、
ドーソンの「義経・成吉思汗説」は独自の調査に基づいたものとしている。
ttp://home.att.ne.jp/blue/atelier/Inoue-sanNihonshi/Vol21.htm
295 :
日本@名無史さん :05/01/25 23:38:35
水戸光圀が義経の北逃避行を調 べてたってのを昔何かの本で見た。
296 :
日本@名無史さん :05/01/26 00:57:38
仮に北に逃げたにしても、少人数でなんとか逃げおおせた程度じゃないの? 大人数なら当時もっとおおがかりな討伐軍が動くでしょ。 北で再起してその土地をおさめたという話もないしさ。 だから、そんな状態でゆかりの地名がつくなんて事あるかな? さらに、弁慶自体あやしい存在であるので ゆかりの地名があるというのは偶然か、逆に只の伝説の裏付けにならないかい?
298 :
日本@名無史さん :05/01/26 19:12:41
チンギス=ハンって強姦魔だったんでしょ? 潰した勢力の女を片っ端からレイープしたって。 チンギス=義経だとしたら、日本は史上最低の男をモンゴルに輸出した事になるな。
299 :
日本@名無史さん :05/01/26 19:50:51
第2次世界大戦で日本人は世界最低の強姦魔にされてるし 何を今更って感じだ
300 :
日本@名無史さん :05/01/26 20:26:15
当時はレイプくらいしか、娯楽がなかったから 仕方があるまい
ちんこ
302 :
日本@名無史さん :05/01/26 20:55:39
いいじゃんレイプぐらい、見逃してヤル!
303 :
日本@名無史さん :05/01/27 00:37:56
男だったら弁慶を見捨てないで一緒に戦うと思うんだけどなー
304 :
日本@名無史さん :05/01/27 02:54:53
いや、弁慶立ち往生の話はネタだから。実際は弁慶もいっしょにモンゴルに渡っている。
306 :
日本@名無史さん :05/01/27 21:23:22
実は、むくつけき弁慶のほうが義経で、その義経が適当に人相のいい 若い衆を義経に仕立てて操縦してたというフィクションをNHKラジオで 放送してたのを聴いたことがある
307 :
日本@名無史さん :05/01/27 23:48:47
高木『成吉思汗の秘密』に、ジンギスカンをやってたのは弁慶だっていう説を書いてたな
308 :
日本@名無史さん :05/01/29 16:20:36
義経はモンゴル語どうしたんだろ?
309 :
日本@名無史さん :05/01/30 02:10:55
弁慶と義経って絶対やってるよ! あの時代って男同士でSEXするのが当たり前だったらしいし
弁慶はいなかった。らしいよ。
311 :
日本@名無史さん :05/01/30 02:29:30
弁慶がいないとこ見たんか?
周辺取材を重ねて、事実であると確信してます。 研究者は研究歴が長く、十分信頼できる研究です。
313 :
日本@名無史さん :05/01/30 11:49:13
いるほうが納得いくべ!
↑キモイ
315 :
日本@名無史さん :05/01/30 13:46:05
ちょっと弁慶!
316 :
日本@名無史さん :05/02/05 00:53:06
源義経をモンゴルで漢字の音読みすると ジンギス でも チンギス でもいいが そう読む というのはありそうな話だが。 ハーンは尊称だからね。
317 :
日本@名無史さん :05/02/05 00:54:39
漢字を読める人間くらい居たはずだからな。
318 :
日本@名無史さん :05/02/05 09:17:46
>>316 >判官の「官」は役職自体をさすから義経の役職は「ハン」。
>モンゴルでは「ハン」は王の意味の政治的役職名。
>>232
ジンギスカンの起源は日本ニダか・・恥かしいな
東北人の妄想だよ。東北人はホント恥ずかしいね。
321 :
日本@名無史さん :05/02/05 11:04:55
>>319 逆だよ逆!
本当は義経=ジンギスカンで確定なんだけど、そんなの認めたら
大陸側から謝罪と賠償を請求されちゃうから隠蔽しようとしてるわけよ
>>320 東北の話だから、東北人の妄想ですか。
へえ〜。
そう、ここで知ったけどジンギスカンは世界的に嫌われているので 日本人にはしたくないというのがあるらしい。 英雄を自分の国の人にしちゃうというのとはまったく逆の話だ。
系譜としては東北地方を中心に昔から北行伝説やジンギスカン伝説は流布していて 江戸時代から学識者には馬鹿にされていた。 大正時代にこれを集成して学説として言い出したのが秋田人の小谷部全一郎。こいつがすべての元凶。 出口王任三郎らと親交を持つなどいわゆる「東北妄想超古代史」の元祖を構成したうちの一人。 他にはやはり東北人の佐々木勝三などが同様の捏造犯罪に荷担した。 義経=ジンギスカン説は奥州に匿われた義経を歴史の敗残者である自分達の姿と重ねあわせた東北人固有の妄想。
325 :
日本@名無史さん :05/02/05 14:41:57
弁慶を盾にして逃げてその後世界侵略とはなんてヤツだ
>>324 藤村といい野口といい、東北の人間は捏造ばかりだなw
判官贔屓は義経が死んでこそだしなあ。 弱くて恨みがましくい捏造癖の東北人ならではの思考だよな。<北行伝説
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;; {;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; 東北人の捏造…… ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙ そんなふうに考えていた時期が `Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> 俺にもありました ,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f ~''戈ヽ `二´ r'´:::. `!
馬鹿だな。本当はジンギスカンが日本に渡って義経になったんだよ!
>>328 捏造妄想がばれそうで必死だなw
東北人w
>>331 ねえ、なんでそんな自信たっぷりに電波なこと言えるわけ?
ソースは何?インターネッツ?少しはちゃんとした本読んでみた?
人のことたいした根拠もなく東北人だって断定する程度の頭じゃ
しかたないか。こういう人間こそが歴史を改ざんするんだろうね。
333 :
ちょうちょ :05/02/05 21:40:35
義経?ありえへん、普通に考えて、日本人が モンゴルに行ってモンゴル語しゃべれるわけないやろ! どない説明すんねん!
系譜としては東北地方を中心に昔から北行伝説やジンギスカン伝説は流布していて 江戸時代から学識者には馬鹿にされていた。 大正時代にこれを集成して学説として言い出したのが秋田人の小谷部全一郎。こいつがすべての元凶。 出口王任三郎らと親交を持つなどいわゆる「東北妄想超古代史」の元祖を構成したうちの一人。 他にはやはり東北人の佐々木勝三などが同様の捏造犯罪に荷担した。 義経=ジンギスカン説は奥州に匿われた義経を歴史の敗残者である自分達の姿と重ねあわせた東北人固有の妄想。
335 :
日本@名無史さん :05/02/05 21:47:46
朝青龍などのモンゴル力士は流暢な日本語をしゃべってるくらいだから 言葉の問題はさほど問題ではないだろう
>>334 負け犬民族が同一視しているってわけだね。
本来、奥州人でも無いのに負け犬にすり寄られる義経がかわいそう。
338 :
日本@名無史さん :05/02/05 22:08:40
旧石器捏造を筆頭に東北の人間は歴史を捏造しまくりだね。 中央に蹂躙された未開の地は輝かしい自分達を歴史をもてなかった。 コンプレックスとなるのはわかるが捏造はいかん。
339 :
ちょうちょ :05/02/05 22:16:46
>>335 朝青竜?お前アホか?あいつと義経、時代も立場もちゃうやろ!
仮にモンゴルに着いたとして、共が何人おってそん中に通訳おるんか?
いたとして、言葉もまともに喋られへんような
異国の者を国のトップにするんか?
インダス川や黄河を八艘とびで大活躍するチンギスハンもまた味があっていいじゃないか。
>>334 中途半端な知識で思い込むって怖いねえ。
ちょっと調べればわかるのに・・・
もっとも、南方にも源為朝=琉球王朝の祖説という妄想があるがな。 一般的には流罪先の伊豆諸島を従えて国司に反抗したため、伊豆介工藤茂光らの追討を 受けて自殺したが、大島から琉球に渡り琉球王朝の祖になったとも言われている。 そもそも、伊豆諸島を従えてしまうところから眉唾なのに、さらに壮大な眉唾が用意されて いるという二段構えのトンデモ説だ。
>>343 ズーホク人と一緒にするな。そっちはガチだ。
伝説というのは、地元の素朴な言い伝えが 中央に伝わり、そこで増幅されて、また地方に伝わり、 という過程を繰り返して壮大な物語になるというのは もはや常識だ。 有名な話だと思って、地元の人に問い合わせたら、 そんな話聞いたこともないと言われたなんて話もある。 地方の話だから、地方で作られたなんて説を唱える奴は 最近の学説とか全く知らんのだろう。
347 :
日本@名無史さん :05/02/06 15:07:06
>>346 アホですね。あなたの書いていることは
>>334 を何一つ否定していないじゃないですか。
日本語の勉強からやりなおしてきた方がいいんじゃないですか?
インターネッツ程度からしか調べられない
>>344 はかわいそうだなw
小矢部の原著なんかあたったことないんでしょ?w
歴史関係では東北人の妄想のおかげで日本人が恥をかかされる例がほんとに多いね。 旧石器捏造は歴史コンプレックスに囚われた東北人たちが「最古の石器」を切望した結果の犯罪。 すべて嘘などと検証しようもない日本考古史学会は東北人たちが信憑できる学術的成果とぶちあげたホラ話を教科書にまで載せてしまい世界に大恥を書いた。
しょせんは自分達の文字も持たない劣等民族だからな<東北 われわれ日本人が善導してやらなきゃいかんのよ。
会津人のように筋違いの妬み恨みを増幅させてえげつない誹謗中傷をするなんてのもいますね。 東北の人間は素朴ってイメージあるけど現実は違う。田舎のドロドロが一番強い。人間性を喪失してる奴らばかり。 俺は仕事がらいくつかの都県に住んだけど東北はだんとつに酷かった。
劣った東北人のコンプレックス解消に利用される義経もいい迷惑だな。
>>352 ちなみに、その都県を列記するとどこよ。
そんなこと聞いてどうすんの? おまえストーカー?
東北人にはストーカーが多いよな。 しかも集団主義。
>>348 というかあなたの日本語読解力を疑いますね。
俺は
>>334 を否定するために書いたんじゃなくて、
伝説とはどういうふうに出来るかを書いたんだけどね。
>>334 の間違いくらい調べればすぐにわかることだから、
わざわざ書くまでもない。自分で調べてみな。
そういう安易な態度だから、歴史の捏造に加担することに
なるんだよ。自分達が歴史を捻じ曲げといて伝説を馬鹿に
するなんてギャグでしかないよ。
359 :
日本@名無史さん :05/02/06 18:10:36
>>357 ボクはボクで好きに言いたいことを言ってるだけ。
ですか?w
情けなさ過ぎだなw
無責任に低レベルの言動をするのは勝手だが当然受ける批判に必死になるのはいかにも哀れだね。
東北人のアイデンティティに関係するのは義経を見殺しにして 頼朝にカンタンに粉砕されたミジメな奥州藤原氏だろ。 義経もチンギスハンもおまえらとは関係ないから。 いくらミジメでヒサンな負け犬の歴史しかないからといって 妄想に走るなよな。
361 :
太国玉 :05/02/06 20:19:49
朕義素判官さまは、過去に多鞍馬汗砂漠に!
>>355 標本に偏りがないか気になっただけだ。
すぐ「おまえストーカー?」なんて言ってるやつが一番ストーカーに間近。
ストーカーが必死w
365 :
日本@名無史さん :05/02/06 21:49:06
義経が奥州平泉にいたときは、土地の女どもが お情けをください といって、毎夜押しかけてきたのでさすがのヨシツネもフラフラ ふ〜〜〜らふ〜〜〜〜らよ、、、、
義経は醜男で有名だったとか。 現在の東北人の容貌の醜悪さには義経の存在も一役買っているのかもしれませんね。
367 :
日本@名無史さん :05/02/06 22:05:49
ブサイクだったらしいけど、子供作ってんじゃん! 男は顔じゃない!布袋も顔は悪いが女にもてる
醜悪な容貌や政治的センスの欠如といった 悪いところだけ受け継いで戦の駆け引きや 個人的な武芸などのいいところは少しも受 け継がなかったんですね。
369 :
さらばヤマトよ :05/02/06 22:59:40
なんだ?このスレ 他国の人間を醜悪醜悪と罵って楽しむ 大和鬼畜の巣窟だぞ 嗚呼、異常犯罪多発地帯・大和よどこへ行く
そうそう。 日本がお嫌いな反日民族・東北人はさっさと日本から独立しなさいね。 文句だけいいながら日本の税金に寄生しているだけのミジメな存在のくせにw
>>368 義経に個人的な武芸なんぞ無いでしょ
自力で相手の首を取る力量が無いからこそ
抜け駆けして一番乗りして名を上げようとしたんだから
それも何度も
チンギス汗は公用語としてウイグル文字を使わせたが、本人は全く ウイグル文字を読めなかったし、学ぼうともしなかった。ところが 後で読めるようにと、何かあった時には漢字で筆録させていた。 漢字は読めたようだ。ここら辺は奇妙。 別にチンギス汗=義経だとは言わんが、モンゴル出身じゃないのではと 思わせる部分があるのは確かで、墓も場所が判らないよう徹底してるし、 謎の多い人物だ。
373 :
日本@名無史さん :05/02/07 10:43:38
皆、俺の先祖のことを語ってくれてありがとう。
いまだに韓国では 日本の象徴として藤村の名前が出ます。
377 :
日本@名無史さん :05/02/08 12:13:05
うむ、指揮官のくせに指揮を副将に丸投げして 自分はコッソリ敵陣一番乗り〜ヽ(゚∀゚)ノ 一度ならともかくこれを何回も繰り返すもんだから坂東武者達は腹立っただろうね
378 :
日本@名無史さん :05/02/08 21:10:56
日本人って生まれたときに、ケツにモンゴル斑って青いアザが出るくらいだから 人種的には似たようなものだろう 日本人とモンゴル人は。
379 :
日本@名無史さん :05/02/09 00:21:09
おいおい、チンギス・ハーンは母親も父親も存在が確認されてるぞw 中学校の資料集にものってるんじゃないかな?
380 :
日本@名無史さん :05/02/09 00:23:05
381 :
日本@名無史さん :05/02/09 00:26:12
国家主席になったから勉強したんじゃない?
さすが東北人は馬鹿だな。
383 :
日本@名無史さん :05/02/09 23:19:24
ふむふむ。ハーン という敬称は 判官 からきているわけね。
384 :
日本@名無史さん :05/02/09 23:21:23
源義経を当時の蒙古の中途半端な漢文読み下しでチンギスあるいはジンギスと読んだと言いたいわけね。
義経ならインダス川を泳いで逃げるジャラールをこれまた泳いで追いかけたはずだ。
386 :
日本@名無史さん :05/02/10 00:55:49
歴史板はどのスレもねじれた人が多いなあ。
387 :
日本@名無史さん :05/02/12 20:37:57
性根のヒン曲がった野郎ばかりだ
388 :
日本@名無史さん :05/02/12 23:32:33
日本からモンゴルまでどうやっていったの?
389 :
日本@名無史さん :05/02/14 22:58:20
390 :
日本@名無史さん :05/02/14 23:45:20
>>389 見る角度によって人の顔って結構変わるものだよ。
391 :
日本@名無史さん :05/02/14 23:51:25
そりゃそうだ。 どんなイケメンでも後部正面上方から見るとだいたい毛玉に見える。
中央アジアの君主が政策や命令を発するとき、書記を随伴させて日々の記録をとらせていたのは、古くは古代オリエントの頃からの伝統。 アレクサンドロスも戦時の諸政策に書記を随伴させていたが、実はこれもシュメールやアッカド、アッシリア、ペルシアから文化的に引き継いだ物だ。 ウイグル文字はアルファベットと同じ音節文字なので漢字がわかるならば、正直、習得は苦ではない。 チンギス・ハンの書記が漢字で筆録させていたかはあまり聞いたことがないが、 『十三代実録』のように当時の「日録」を大元朝時代にウイグル文か漢文に起こして編纂したらしいことは聞いたことがある。 (現在では大元朝の実録は散逸したらしい) 基本的に中央アジアやメソポタミアの君主たちは、日々の記録を書記に記録させ、 任意にこの記録を「書記に読み上げさせていた」ため、君主個人が文字を知らなくてもあまり苦では無かったらしい。 (シュメールや古バビロニアあたりでは「文字が読める」とわざわざ宣言した君主がいたくらい) チンギス・ハンがホラズム・シャー朝のスルターン・ムハンマドに使節を送ったときでも、 使節はチンギス・ハンからの指命(書記が書いた書簡だろう)を「伝えて言った」ので書面に目を通したとは書いていない。 (スルターン・ムハンマドはムスリムだから文字は読めたと思うが、のちのティムール朝や ムガル朝でも文字が読めない王族はけっこういたらしいのでちゃんと資料に目を通さないとよく分からない) チンギス・ハンは1206年の第二次即位以前からムスリム商人などとの提携が非常に密接で、 書記を雇うのであれば、漢人系よりもウイグル系かムスリム系の可能性の方が高い。 ネストリウス派のキリスト教徒だったらしいグユク・ハンが、インノケンティウス四世に宛てた 勅書もアラビア文字で書かれた近世ペルシア語だった。 結論すると、チンギス・ハンがウイグル文字文を読めなかったことも、 また書記が仮に漢文で日録を書いていたとしても、 漢字が読めたかどうかとは実のところあまり関係がなかったりする。
393 :
日本@名無史さん :05/02/20 02:36:53
あげる価値のあるスレだね。
394 :
日本@名無史さん :05/02/20 08:49:47
乾隆帝 『朕の姓は源、義経の裔なり。其の先は清和に出ず。 故に国号を清と号す』
395 :
日本@名無史さん :05/02/22 18:16:49
最近、面白い本を読んだよ。 新ジンギスカンの謎 剄文社(最近、倒産したらしい) モンゴル文字は、征服したウイグル人のタタトンガに命じて、 ジンギスカンが一二〇四年に創らせた。 モンゴル帝国創建の二年前。 鎌倉幕府の実質的成立一一九二年の一二年後である。 不思議なことにモンゴル文字に日本のカナ文字(平安かな)が 四字はいっている。その文字の読み(発音)も日本語と同じ。 そして、日本語と同じ五〇音順で構成されている。 タタトンガは日本語を知っているはずはない。 ジンギスカンがどうして日本語を知っているのか?「ジンギスカン、 源義経説」を立証する新発掘の真実。 筆者は最初はトンデモ説を完全に打破するつもりで、 中国語の知識をベースに、モンゴル語も勉強したらしい。 しかし、調べるほどジンギスカンは蒙古生まれの蒙古人だと いうことに疑問が出てきたと言ってる。
396 :
玉をめぐって :05/02/22 18:36:06
397 :
日本@名無史さん :05/02/23 23:51:02
状況証拠その1: マルコポーロの東方見聞録によるとフビライの大汗宮殿の 風俗・習慣は日本の皇室のものと一致していた。(シーボルト が書いている)
398 :
日本@名無史さん :05/02/27 18:46:19
状況証拠その2: 大英博物館にあるジンギスカンの像には笹リンドウははっきり書かれている。 また、平泉の中尊寺に伝わる兜とよろいを着けた義経像もよろいに、 はっきりと笹リンドウは書かれているよ。
つーか年があわないから。
>モンゴル文字は、征服したウイグル人のタタトンガに命じて、 >ジンギスカンが一二〇四年に創らせた。 最古のモンゴル語史料イェスンゲ紀功碑から16世紀に補助記号をいつか加えて改良するまで、 ウイグル文字をそのまま使っていたし、しかも『元史』などでは王侯子弟に「習わせた」と書いてあるので 「創らせた」は間違い。 >不思議なことにモンゴル文字に日本のカナ文字(平安かな)が >四字はいっている。その文字の読み(発音)も日本語と同じ。 >そして、日本語と同じ五〇音順で構成されている。 モンゴル文字というよりウイグル文字はソグド文字と同じく子音字素14、母音的字素3からなる 西洋のアルファベットと同じ音素文字。日本語の仮名のような音節文字ではない。 チベット文字を改良したパスパ文字もあるが、これは1269年の皇帝クビライの聖旨以降。 平仮名の「の」のような文字は「p/b」の音素の文字なので仮名と全く対応しない。 母音字素は3つしかないのでもとより50音図も成り立ち得ない。 ネタにマジレスはイクナイ! のかも知れないが取りあえずということで。
401 :
日本@名無史さん :05/03/01 00:02:08
時代が合わないから。
403 :
日本@名無史さん :05/03/02 21:53:13
時代が合わないという意味不明。 義経が生まれたのは、西暦1159年(平治元年)。 ジンギスカンの生まれた年に関しては書かれた文書は見つかって いない。しかし、死んだ年が西暦1227年ということは複数の書物 で一致している。そのときの年齢は72歳という書物と66歳と いう書物がある(数え年)。これから逆算すると、1162年あるいは 1156年となる。つまり、義経とジンギスカンは同年代と言える。
404 :
日本@名無史さん :05/03/02 22:01:09
時代が合わないと言ってるやつは頭がおかしいんだろ
そもそも時代が合わなかったら、こんな説出てこねーって。
性格が違いすぎるという点は、 衣川での戦闘中に頭を強打され、高次脳機能障害になったという仮説でクリア。 (バイク事故で性格変わって凶暴になる人がいるのとおんなじ)
407 :
日本@名無史さん :05/03/03 21:05:50
ジンギスカンが毒矢を使ったことに関しては、義経が北海道で アイヌの毒矢を受けて負傷し治療したとの伝えがあり、その後、 アイヌから神のように尊敬されたとある。だから、アイヌから毒矢 の使用法を教わったと見ることもできる。
408 :
日本@名無史さん :05/03/04 00:22:08
義経だったら頼朝をやっつけにくるよ!
義経=ジンギスカン本人はなくても、両者が接触した可能性は0とは言えまい。
410 :
日本@名無史さん :05/03/04 08:15:59
オレの人生に関係ないからどうでもいいよ!
411 :
日本@名無史さん :05/03/04 21:13:01
義経が成吉思汗になったといっても、その過程が全然不明じゃん。 言語文化生活風習すべて違う異民族の首長にどうしてなることができたのか? その辺を納得できる説明をしてくれないと、この説はフィクションとしても三流。
412 :
日本@名無史さん :05/03/04 21:38:29
オレは義経ジンギスカン説よりも首は偽物説の方に興味がある。
ジンギスカン→スギジンカン(杉人棺)
>義経が生まれたのは、西暦1159年(平治元年)。 >これから逆算すると、1162年あるいは1156年となる。 あってないじゃんw アホかwww
この人たちは衣川以前からチンギスが史上に出てくることとかもまるで無視ですから。 キチガイに何をいってもムダ。といういい見本だよ。
416 :
日本@名無史さん :05/03/05 18:02:01
>>1 どう考えてもありえねーべ!
強引すぎねーか?
>>415 回顧的伝承にでてくるのであって同時代史料にでてくるのではない。
また適当なことを…
>>414 バカ。そんな決定的な指摘をしちゃダメだ!!
妄想の世界にいさせてあげなさい。
421 :
日本@名無史さん :05/03/05 21:15:40
>>414 こういう言い伝えの場合はデジタルでどちらが正しいということではなく、
同年代ということで判断すべきことだろう。つまり、ジンギスカンの正確
な生年は不明というわけだよ。
それより、ドーソンの蒙古史(19世紀前半に書かれた)に独自の
取材による義経=ジンギスカン説が出ているという話だけど、読んだ
人はいるかな?
内容を知っていたら、情報求む。
結論のために不利な証拠をあいまいにして有利に解釈できる余地を作るということですね。 ハイレベルな妄想技術です。
423 :
日本@名無史さん :05/03/06 00:56:13
ジンギスカンとビールを味わいたい。 北海道に帰省します
424 :
日本@名無史さん :05/03/06 00:59:55
>>415 途中で入れ替わったという説ならおかしくないだろ。
いや別に俺も信じてるわけじゃないけど。
425 :
日本@名無史さん :05/03/06 02:55:35
それより、義経がチンギス=ハンなら。世界をまたにかけたモンゴル帝国や四ハン国の建国者は日本人と言う事になりますよね。
>>421 チンギス・ハンの生年は幾つ仮説があるが、没年の1227年2月から数えて、
ラシードの『集史』は彼の生涯を太陽暦で72年、太陰暦で74年三ヶ月で1155年2月説。(72歳説)
『元史』『通鑑綱目』などの66歳から1162年説などがある。
佐口透訳ドーソンの『モンゴル帝国史』を一通り見たけど「義経」云々は見つからないのだが・・・
もとから伝聞と妄想でできてる話だからね。
428 :
日本@名無史さん :05/03/06 10:52:40
なんで、没年だけで何年に生まれたか断定できるんですか!??
>>428 没年は分かってるんだけど、チンギス・ハンが死んだその時、
彼が何歳だったかは、ある1320年代に書かれた史料では72歳だった。
別の明朝に書かれた史料では66歳だった、と書いているからはっきりしていない、
ってことで。
でも没年の時期も史料ごとに若干違っていたりする。
『元朝秘史』(少なくても1260年代には編纂されたらしい)では亥年とだけあり、
『元史』では「丁亥(1227)年の秋壬午(太陽暦の8月18日)帝不予。
乙丑(同8月25日)に薩里川の哈老徒の行宮に崩ず。寿六十六(歳)」とある。
1260年に擱筆されたジュワイニーの『世界征服者史』では
ヒジュラ暦624年ラマザーン月4日(1227年8月18日)に罹病し、
同ラマザーン月25日(同9月8日)に死去したと述べている。
14世紀初頭に編纂されたラシードの『集史』ではややこしくて、
ヒジュラ暦624年亥年の秋の中月の15日(1227年9月26日)に死去し、
同年ラマザーン月14日(同年8月28日)にあたる亥年閏月に
棺がオルドに運ばれて崩御の事実が公表されたそうだ。
中国風の暦とヒジュラ暦とで日付が食い違っている
ペリオ説によればこの「秋の中月」は「秋の初月」の誤りでその15日とすれば
同年8月18日になる。これだと閏月は6月30日になり日付が狂ってしまうが、
『集史』で使われてるウイグル暦は中国暦と違い閏月を7月のあとにおいたと思われるので
ラマザーン月14日は、中国暦の7月25日で太陽暦の1227年8月28日と一致するだろう、という。
430 :
日本@名無史さん :05/03/06 14:21:11
ありがとございます!!資料を信じるしかないけど、かなり曖昧ですね。伝説だから言語は神懸かり的な事があったのだろうとし、異国人を首長にするかという問題は最終的にはクリルタイで決める事だからあり得ない事はないと思いますよ!! ◎奥州藤原氏ならモンゴルへ渡る事も容易であったろうし、でも一つ気になるのは秀衡によって義経は本当に殺されたかというのがこの説の明暗を分けますよね!!
>>430 > でも一つ気になるのは秀衡によって義経は本当に殺されたかというのがこの説の明暗を分けますよね!!
それが証明できたら、日本史の通説はひっくり返るな。
息子に汚名をかぶせてきた親父も肩の荷が下りるというもんだ。
432 :
日本@名無史さん :05/03/06 21:10:47
日本はあまり変わりませんが、世界史と世界からの日本史の評価は変わるでしょう!!偏見的には野蛮な国だと。 フビライの時代には先祖が日本人と言う事さ伝わらなかったのでしょう。
キチガイがわらわら沸いてきましたよ!!
434 :
日本@名無史さん :05/03/07 00:27:46
機知外も書けないあんたに言われる筋合いはない。
自治厨じゃねえけど、 オカルト板でやったほうがいんじゃないか与太話なんだから。
義経=チンギス・ハンは確かに無理がある。 だが義経の最期くらいは再検証してみるのも面白いんじゃない?
松前広次の「松前征略」の中に、貞治二年、松前広次が輝若丸(北条高時の子) に対して「昔、九郎判官義経が渡りました蝦夷が島があります。私はこの島を攻め 取りまして、、、」といっている。これが言葉通りであれば、室町時代初期には、 北海道に義経が渡ったという話があったことになる。
>>436 資料もないのにどうやって検証しろと?
妄想ぐらいしか出来ないんだが。
439 :
日本@名無史さん :05/03/08 00:33:43
確かに義経が亡くなったと言われてる年にチンギス=ハンはモンゴルで台頭してきてたから、秀衡の元に戻ってすぐ計画を立てないと時間的に無理と思われる。一年じゃ、台頭できないだろうな…伝説を現実的に考えるなら。 でも、蝦夷の方には纏わる物がかなり残っているから否定もできない。おれは、本当だと思うのだがみなさんはどうだろうか!??
440 :
日本@名無史さん :05/03/08 00:50:32
442 :
日本@名無史さん :05/03/09 20:08:44
441 寂しいね。(笑)
443 :
日本@名無史さん :05/03/09 20:09:27
441 寂しいね。
444 :
日本@名無史さん :05/03/09 20:10:27
441 寂しいね。(笑)
445 :
日本@名無史さん :05/03/09 23:55:55
大陸まで落ち延びてジンギスに拾われ、顔立ちがよく似ていたので養われるとする(ジンギスは替え玉に使うつもりだった) が、ジンギスのほうが戦死し、義経はそれと知らず恩義を果たすために戦って戦って、という話でどうよ?
日本人、特有の 判官引いきだね!
釣れますか?
448 :
日本@名無史さん :05/03/18 23:58:03
詭弁で必死に否定している反動主義者も沈黙せざる得ない決定的証拠が 早く出るとよいね(時間の問題?)
成吉思汗は社会主義時代のモンゴルでは他国(特にロシア領)を侵略した大悪人とされていたが、 現在のモンゴルでは民族の大英雄として讚えられている。その成吉思汗が実は日本人の義経だと言ったら、 モンゴル人は快く思わないだろう。
450 :
日本@名無史さん :05/03/19 13:34:01
プロレスで アメリカにまわしつけた「ヨコズナ」ってやつがいたり 日本にはモンゴル帽かぶった「キラーカーン」がいたり するのと一緒やな
チンギス・ハン陵というのが中国の内モンゴル地区にあるが、 それは記念建築物の一種で墓ではなく、実際の遺体はモンゴル平原のどこかに埋められている ということしか分からないらしい。
チンギスハンの霊廟跡が最近モンゴルのどこかで見つかったって話があったけど、 その後どうなったのかな?
453 :
日本@名無史さん :05/03/19 18:54:36
>>453 本当は『元史』の記述によれば、チンギス・ハンだけじゃなくてオゴデイやグユク、モンケ、
クビライなど歴代のモンゴル皇帝が全員葬られてる墓所だから、報道するにしてもそこら辺は
強調しても良いかもしらん。廟殿というか拝殿の場所は発掘して分かっているけど、実際の
埋葬場所は敷地が広大すぎてまだ特定されていないはず。いずれにしても今後の成果が楽しみ。
最近釣れませんね。
457 :
日本@名無史さん :2005/03/22(火) 22:13:53
反っ歯でぶさいくのイメージがある義経だが これは同時代、同姓同名の山本冠者源義経(九郎義経より20〜30才年上のおっさん) のことで、当時の京都の人たちは明確に区別していたらしい。後年の資料を見た人が混乱しただけ。 美貌で有名な常盤御前の子息であったたため(遺伝上、男子は母親に似る傾向あり)、 九郎は小柄であったものの顔のかたちは美しく、平清盛、一条某、藤原秀衡という義父的存在だけでなく 武蔵坊弁慶、佐藤兄弟ら家来、全国各地の女性ら多くのものに愛されたらしい。
女性ら 多くのものに 愛された
459 :
日本@名無史さん :2005/03/25(金) 01:42:27
鞍馬山にいたとき、坊さんに目をつけられて掘られたっていうから、 それなりに奇麗な子だったんだろうね。
くそお、頼朝め。絶対この仕返しはしてやるからな。そう誓って義経は 海を渡りモンゴルに入った。その馬術は蒙古においても右に出る者はなく たちまち頭角を現し、ついにある部族の頂点に立った。跡継ぎの絶えていた 首長の養子に迎えられたのだ。たちまちモンゴル一族をまとめ宋に攻め入り、 中国全土征服まであと一歩のところで、彼は病に倒れた。死に際して彼は 息子達に遺言した。必ず日本に攻め入り、頼朝がつくった幕府を倒せ、と。 その遺志は、孫のフビライによって実行されることになる。
日本進行を打診したのは朝鮮王だろ? よって、実は義経は朝鮮半島に渡り朝鮮王として君臨。 義経は死に際して、息子達に必ず日本に攻め入り 頼朝がつくった幕府を倒せ。と遺言した。 朝鮮は日本に攻め入るだけの力はなかったため、 フビライの力を借りて日本に攻め入り 朝鮮古来の土地、竹島と対馬を奪還した。
462 :
日本@名無史さん :2005/03/26(土) 12:56:08
>モンゴル一族をまとめ宋に攻め入り チンギスハンは宋攻略よりも、 中央アジア・西アジア征服の方が熱心だったよ。
463 :
日本@名無史さん :2005/03/26(土) 13:10:26
>>459 稚児はそういう役目。
またそれがその時代の風潮=常識
今昔物語りを読め!
>>463 皆が皆そういう趣味を持っていたのではない。
465 :
日本@名無史さん :2005/04/14(木) 22:59:24
そうなの?
466 :
日本@名無史さん :2005/04/25(月) 09:33:01
義経からブッシュまでの系図を希望
そうか。義経がジンギスカンなら、欧州の王室経由でブッシュ家に繋がるのか。
468 :
日本@名無史さん :2005/04/27(水) 21:50:59
NHK見たが、義経はジンギスカンだな。
469 :
子孫の一人 :2005/04/27(水) 22:24:25
↑同意します。ただ、ジンギスカンにはなってないよw NHKの「その時歴史は動いた」のナレーションで、 最期、腰越の海岸に義経の首が届いた時に、頼朝は検分せず、 家来に任せて、その後、征夷大将軍についた。ということ言ってましたね。 ということは、頼朝自身、その首は義経の物ではない事を知っていて、 それよりも、藤原氏が頼朝に逆らわない印が重要だったのでは? そうでなければ、義経の討伐が目的だったら、 義経の首かどうか見に行くと思うよ。 僕は大勢いる子孫の一人だけど、たぶん先祖も自分の目で確かめるはず。。。
470 :
日本@名無史さん :2005/04/27(水) 22:48:55
>>469 北海道に向かったぐらいは先祖からの伝承ないの?
471 :
日本@名無史さん :2005/04/27(水) 23:00:51
472 :
子孫の一人 :2005/04/27(水) 23:41:57
新田義貞の息子の義宗の直系です。だから頼朝、義経とは間接的です。 考えてみれば、足利も先祖なのか。。。 別に現世では、自分は一般人なので、恥ずかしい限りです。
473 :
日本@名無史さん :2005/05/02(月) 10:50:48
>>305 ヂンギスカンはかなづち
弁慶もかなづち
義経がチンギスハーンになったかどうかは別として、東北の神社とかお寺、 旧家などには義経の北行について記述された書物は結構残っているし、頼朝 が藤原氏を滅ぼした後なお義経の行方を探りに来ていた事なども書かれてる よ。「可足文書」「江刺郡志」「岩手家御上史」など。 注目されるのは壇林寺。「可足文書」はこの壇林寺の物だそうだが、基衡の 次男で秀衡の弟にあたる秀栄は津軽安東氏に婿入りし、やがて城主になって 津軽を領有、この頃には家督を嫡男の秀元に譲り秀栄自身はこの壇林寺に 移り住んでいた。義経一行はまずここを目指して密かに北行した模様。 やってきた時は総勢8人(義経、常陸坊、武蔵坊、亀井六郎、鷲尾三郎、 備前平四郎、増尾三郎、熊井太郎)。文治五年五月初旬の事で、近くの港 から船ですぐ蝦夷に出ていったらしいが、船出の際は総勢で100人を超えて おり、藤原忠衡と彼率いる軍が新たに加わっている。壇林寺まではそれぞれ 別行動をとり、この地点で合流した。 …という事なんですが、事実なら、泰衡はなかなかの食わせ者ですな。
475 :
日本@名無史さん :2005/05/02(月) 21:19:23
源義経=チンギス・ハン説 ってことは 義経が日本人ではじめてマトン喰ったんだな ちなみにラーメンはうっかり八兵衛だよ
476 :
日本@名無史さん :2005/05/03(火) 10:55:50
源義経→ゲンギケイ→ゲンギスケイ→ジンギスカン
源義経→ゲンギケイ→ゲンギスケイ→ジンギスカン→インギウカン→イッキウカン→一休さん
西南戦争の後に,西郷星が西の空に輝くのが日本各地で観測された とゆうし,大津事件の時,ロシアから西郷が帰ってくるとゆうデマが飛 んだとゆう. 三島由紀夫が,暗黒星雲率いて,地球攻撃にやってくるとゆう話もあ ったわけだし,時代は変わっても話はワンパタ−ンで,庶民が薄幸の 英雄に託す世直しの幻想がどんなものか見て取れると思う.
>三島由紀夫が,暗黒星雲率いて,地球攻撃にやってくる アホだろ?
481 :
日本@名無史さん :2005/05/06(金) 00:42:13
中国王朝の清の皇帝は、自らをジンギスカンの子孫と称した。清の歴史書の中には 六代皇帝乾隆帝自身が筆をとって書き記した部分があるのだが、「私の姓は源といい、 義経の末裔である。先祖は清和源氏から出ており、そのため、国号を清と 定めた」と記されているのだ。つまり、中国の皇帝も源義経=ジンギスカン説を 認めていた事になる。
482 :
日本@名無史さん :2005/05/06(金) 00:53:26
アイヌの間に義経伝が確かなら 大陸沿海地方と交流があった時代に北海道で余生を終えるの不自然。 そもそも肉親相食む武将が自決も無理がある。 >1良いんじゃないの。
>>482 沿海州に渡るなんてあの時代でも困難ではあるが十分可能だな。
否定派もここまでは認めてるだろ。
でもこっから先、モンゴルまでは100パーセントたどり着けねえよ。
現地人でも無理だろ蛮族の巣窟だぞ?
言葉も分からんのに装束等を現地仕様したって絶対無理。
なぶり殺し・略奪にあってお仕舞い。
484 :
日本@名無史さん :2005/05/07(土) 02:29:51
>>483 ふつうに、奥州とモンゴル内地どころか、はるかシルクロードまで
商業ルートはあったんだけどね。
資金面でバックアップしてた金野一族なんかは渡来人丸出しの名前だろ。
>>474 の
>秀衡の弟にあたる秀栄は津軽安東氏に婿入りし
『ウィキペディア(Wikipedia)』(
http://ja.wikipedia.org/ )で安東氏を調べてみたら
載ってた。
「安東氏の支配地は、内陸部から得ることができる利益は少なかったが、オホーツク海から
日本海にかけて大きな交易網を形成し、それによって巨万の富を得ることで栄えていたため、
『海の豪族』とまで称された。さらにその勢力は津軽海峡を跨いで蝦夷島(北海道)にまで
及び、蛎崎氏ら蝦夷島南部の和人勢力を被官とした。」
秀栄が婿入りした安東氏はこういう勢力だったんだな。一方奥州藤原氏に関しても、
「政権の基盤は奥州で豊富に算出された砂金であり、北宋や沿海州などとも独自の交易を
行っていた様である。」
という件をみるに大陸側の知識や商業的な交流が元々あったわけで、海洋ルートも手段も
あるとなると、海を渡って蝦夷、大陸方面に逃げる方がむしろ自然。つてもあってルート
もあるのに平泉に留まる(果てに自害する)方が変だと思うなあ。
487 :
日本@名無史さん :2005/05/07(土) 17:38:27
なるほど(o・。・o)
488 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 12:42:50
もうここらへんで 源義経=チンギス・ハンって結論だしてもいいんじゃないの。
なんですぐ義経北行=チンギス汗の結論になるのかと小一時間ry
490 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 13:44:06
北行伝説よりチンギスカン説の傍証と言われる方が信憑性が薄いのか?
>>488 衣川死ななかった可能性90%
蝦夷まで逃れた可能性85%
大陸へ渡った可能性40%
才能経験を生かして武将として活躍する可能性20%
モンゴルを統一する可能性2%
結論 源義経=チンギス・ハンの可能性は2%
衣川で死ななかった可能性 95% 蝦夷まで逃れた可能性 94% 大陸へ渡った可能性 85% 才能経験を生かして武将として活躍する可能性 68% モンゴルを統一する可能性 0%
493 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 18:12:26
衣川死ななかった可能性90% 蝦夷まで逃れた可能性95% 大陸へ渡った可能性95% 才能経験を生かして武将として活躍(した)可能性70% モンゴルを統一(した)可能性70% 結論 源義経=チンギス・ハンの可能性は40% 物証なくしても信じておかしくない可能性ですな。
495 :
日本@名無史さん :2005/05/09(月) 22:59:35
しかしながら、秀衡死去から義経の死亡まで2年くらい あるが、その間、義経は何をやっていたのだろうか。 という、疑問が残るんだけど。
496 :
日本@名無史さん :2005/05/10(火) 00:23:54
衣川事件の一年前には、既に平泉を出発していたのは定説
モンゴルの古代史自体が良く分からんっていうのもあるな。
大陸の話は壮大だけど、日本での事柄の方が 気になるというか、通説ではまったく腑に落ちない。 頼朝と義経の件が分からない。 頼朝が義経を恐れていた、本当の理由はなんだろかと思う。 漫画で知ったのだけれど神護寺の僧・文覚という人物がいて、 伊豆で頼朝に決起を促したとあった。 神護寺については、和気清麻呂、空海、真言密教、鎮護国家などで 平将門公の際にも歴史の舞台に登場したようだ。 文覚は、頼朝にどんなことを話たんだろうねぇ。 似たようなとこで、なんとなく信長と家康と天海が思い浮かぶな。 ちなみに当時、鎌倉の有力領主・上総介広常が暗殺されている。 広常は東国として独立を主張していたらしい。 繰り返す歴史といってか知らず、奇妙な縁を感じた。 ま、詳細を知らないので勝手なことは言えない。以上スレ違い長文スマ
>>498 義経の軍才と人望を恐れてたんじゃないの?
奥州藤原氏とその背後にいる蝦夷精力では?
501 :
日本@名無史さん :2005/05/20(金) 22:19:03
>>498 武蔵坊弁慶とその背後にある海上水運財閥
こんな検証する価値さえない電波説が事実のように語られるのが恐ろしい・・・
モンゴル話はともかく、衣川で死んでいないと本音では思っている学者は多い。
衣川で死んだのは、九郎義経、山本義経、山下義経、それとも別人?
>>499 どうだろうね。もっともらしい気はする
>>500 平和を愛するような人達じゃないかな。知らんけど
では、頼朝のえらい嫌いようは如何にと。
>>501 なんですと?
この説が本当で、モンゴルで急速に勢力を台頭させたというのなら
そういった支援する組織、兵力がいてしかるべきだろうな。
しかし、なんでまたモンゴル。DNAとかモンゴロイドの話は最近のことだし。
安藤水軍の資料ってあまりないのな。
安藤水軍自体がガセネタだから。
美姫たんと、TBSのアナは?
509 :
日本@名無史さん :2005/05/29(日) 16:21:48
さすがにチンギスハンは義経じゃないと思う ○○は在日同胞ニダ! って勝手に同胞認定してる奴らみたいなことを言うのは止めよう
510 :
日本@名無史さん :2005/05/29(日) 21:22:39
大陸との交易はかなり活発だったんじゃないの、相当な後世まで アシハセとの交易とか古い文書に出てくるよ そこらあたりを正史では消してるようだけど、かなり活発だったんだろう 現代でも北朝鮮が小船に乗って、日本海側で人攫いをしてるくらいだから 昔は小船に乗って、ちょっと大陸まで、という感じだと思う 源氏もルーツは大陸だろうから、義経がルーツに帰って大活躍した とも思える
512 :
日本@名無史さん :2005/06/23(木) 00:23:57
アシハセ
歴史推理小説だけど、高木彬光『成吉思汗の秘密』では、あるいは? と思わせておきながら最後で完全に否定されてるから。ネタバレになるけど。
514 :
日本@名無史さん :2005/06/23(木) 07:52:33
チンギス・ハンは日本語に直すとどういう意味の名前?
一番有力な説は「わたつみのおほきみ」
516 :
日本@名無史さん :2005/06/28(火) 23:57:18
十三湊とか、当時の北海道から、大陸には行けただろうけどね。ただ、モンゴル を支配して可汗になったってのは・・無理だと思わない?可汗になれるのは、クリルタイ で選ばれなきゃダメだし、それ以前にテムジンの部族であるボルジギン氏族以外 はなれないし。モンゴルには、文字が無いから色々アヤフヤな所もあるけど テムジンの両親もわかってるんだしさ・・・残念!!って感じ?
ボルジギン氏族=源氏 ボルジ=河内 ギン=源
519 :
日本@名無史さん :2005/06/30(木) 23:32:21
世の中そんなうまくいかんよ!
義経とチンギスが同一であると主張する理由 @ 名前の類似 ジンギス ゲンギケイ モンゴル語ではGJやKSの区別がない A 義経が生まれたのは、西暦1159年(平治元年)。 ジンギスカンの生まれた年に関しては書かれた文書は見つかっていない。 しかし、死んだ年が西暦1227年ということは複数の書物で一致している。 そのときの年齢は72歳という書物と66歳という書物がある(数え年)。 これから逆算すると、1162年あるいは1156年となる。つまり、義経とジンギスカンは同年代と言える。 B 義経が衣川から脱出して蝦夷経由でモンゴル入りしたであろう時期と史実(回顧的伝承除く)にチンギスが現れる時期の一致 C 共に日本独自の長弓の使用 D マルコポーロの東方見聞録によるとフビライの大汗宮殿の風俗・習慣は 日本の皇室のものと一致していた。(シーボルトが書いている) E 大英博物館にあるジンギスカンの像には笹リンドウははっきり書かれている。 また、平泉の中尊寺に伝わる兜とよろいを着けた義経像もよろいに、はっきりと笹リンドウは書かれているよ。 F ジンギスカンが創らせたモンゴル文字には、不思議なことに日本のカナ文字が4字入り、日本語と同じ50音順で構成されている。 ジンギスカンは日本語を知っていたのか? 「ジンギスカン、源義経説」を立証する新発掘の真実。
フン族と匈奴が同一であると主張する理由 @ 族名の類似 A 民族性の一致 B 匈奴の西遷の時期・経路とフンのヨーロッパ出現の時期・経路の一致 C 共にアルタイ語の使用 D フンの侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入された E 考古学的に匈奴のヨーロッパ西移があとづけられたこと F 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記されていたこと 以上がフン族と匈奴の同一だという根拠
どちらのも同レベルの与太話
う〜ん、520さんの根拠も少し弱い気が・・@は、ジンギスカンって称号だし、A、B は証拠能力無しって感じ。Cは反論材料無しだけど、Dは「百万のマルコ殿」の話を 近代の、あのシーボルトの文献?って感じだし。Fも、バスパ文字はフビライが作ったんじゃ? それに、50音作るなら日本のかなにしちゃえばいいんじゃないかな? ただEはその像の作成年代、作成者等が分からないので保留です。
義経=チンギスハンってのは考えつらいな、モンゴル語はどうやってマスターしたんだ? それに容姿だってぜんぜん(-_-;)(;-_-) チガウチガウジャン肖像画を見ればわかるがな・・ 義経は蝦夷には済んでたかもね。むしろそちらのほうの証拠はあるのか?
義経は不細工だった。
>>525 肖像画なんて証拠にならんよ
証拠になるなら肖像画が違うってだけで朱元璋は二人いた説も成立する
>>524 モンゴル語をマスターする必要は無い
義経は漢文の知識があったから筆談(漢文)か漢語
528 :
日本@名無史さん :2005/07/02(土) 18:27:00
ヒトラーやチャーチルは影武者いたから義経も影武者いたんじゃないの?
>>527 筆談や漢語でいけるとは思えないが・・・
戦いの最中に状況が変わった時にいちいち筆談や一部の部将にしか通じない漢語で指示していたら間に合わない。
530 :
日本@名無史さん :2005/07/02(土) 20:59:58
だからさぁ、フビライの臣下が『パスパ文字』を考えるまでこれがモンゴル語だと定義付けるものが無い訳で。
つーか、文字として考えるとモンゴル文字とパスパ文字は違う文字でしょ。 モンゴル文字;ウイグル文字を元にテムジンが家臣のウイグル人タタトンガに作らせた。 パスパ文字;モンゴル帝国の国際文字としてフビライがチベット僧パスパにに作らせた。 興味深いのはモンゴル文字が出来る過程の変化。 ウイグル文字はアラム文字の流れを組み、西洋のアルファベットABC…XYZと同じく 配列は母印と子音が混在している。ところがモンゴル文字は、ほとんどウイグル文字 を元にしているにもかかわらず、配列はA, E, I, O, U(アエイオウ)の母印系と子音系 に分けて表記されるようになった。しかも子音の清音の並び順(濁音・半濁音などを 除く)がK, S, T, L, M, Y, R, W, (カサタラマヤラワ)で、母印のアを最初に加えると (アカサタラマヤラワ)となり、日本の五十音訓の並び(アカサタナハマヤラワ)に なぜか酷似。なぜこのような変化が起こったのかは不明とされる。
失礼、母印 → 母音の間違い。
>>531 >タタトンガに作らせた
作らせてはいません。初期のモンゴル文字はウイグル文字そのものなので。
教えさせただけです。
>母音系と子音系に分けて
分けたのがチンギス・ハンの時代だったという証拠はどこに?
母音と子音に分けた理由は、たぶんインド・チベット系の文字の並びに合わ
せたからでしょう。
>濁音・半濁音などを除く
もともとウイグル文字は q/G, k/g, t/d, p/b を区別できなかったので、
除いても除かなくても同じです。半濁音というのは「p」のことでしょうが、
そもそもモンゴル語には「p」がなかったので……
>K, S, T, L, M, Y, R, W
ほかに「N」や「NG」や「Q」や「C」があるはずですが?都合のいい部分だけ
抜きだしてませんか?
534 :
日本@名無史さん :2005/07/04(月) 23:26:57
みんな詳しいな。 おれが聞いた話によると、 クラマ姫の親父が義経らしい。 最後の戦でクラマ姫のママのUFOに義経が助けられ、そのまま契って クラマ姫誕生。 その後の義経の消息は不明。 ひょっとしたら科学力ハンパではないので今でも義経は生きてる可能性も・・・。 コールドスリープとかで。
535 :
日本@名無史さん :2005/07/04(月) 23:34:55
義経は確実に衣川では死んでいない。東北地方の義経伝説は史実に基づいてる。
535さん 電波でも妄想でもいいから、根拠をね。少なくとも、「確実」 って言い切る自信があるならね。
538 :
日本@名無史さん :2005/07/05(火) 22:58:56
一瞬「クラン姫の親父が義経」に見えた。 所で、チンギスの最愛の人と言われるクラン姫の 「クラン」ってどう言う意味? 義経が住んでいた鞍馬山と関係でもあるのかしらん?
539 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 00:33:51
吾妻鏡には4月30日に自殺したとも、討ち取られた、とも書かれてるんだっけ? 死に方が違うのは何故? 位牌には4月28日となってるそうだけど。 いくらなんでも死んだ日が違うのはヘンじゃないかな。 戒名もヘンなんだよね。
クラン・カトンはウハズ・メルキト部族の長、ダイル・ウスンの娘。 メルキト部族がチンギス・ハンに降伏したおりに俘虜となったダイル・ウスンが 大ノヤン・ナヤアの取り計らいでチンギス・ハンに奉献した。乱戦時の混乱を避けて ナヤアの陣営に父ともどもいち早くかくまわれたため、処女のまま娶られたと 「元朝秘史」などで述べられている。 后妃筆頭のボルテ夫人に次いで第2オルドの主の地位を得ていた。 コルゲン、クチャ、クルタイら4人の子息を設け、とくに長子コルゲンは チンギス・ハンの世嗣でも第6位にあってボルテ夫人の4子らと同等の扱いを 受けていたという。 Qulan は多分テュルク語の類だと思うがどういう意味だったか・・・ このほかチンギス・ハンの正妃は彼女らを含めて5人いたと「集史」は述べている。
541 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 16:27:26
>>395 の本読んだけど東日流外三郡誌がソースになってる部分があった orz
新ジンギスカンの謎 剄文社によると
蒙古喇嘛教史ではジンギスカンの生年が1162年
元史では生年なし没年の1127年は66歳で生年が一致
『蒙古喇嘛教史』によると年代が明記されている彼の最初の戦いは
1190年の満州女直のワンスン
その次が1192年の太陽の昇る方にある高麗のチャガン
1202、1203には40歳前後の彼はモンゴルの部族の長としてモンゴル高原中央部で
タタール部族やケレイト部族と戦っていた
30歳前後の1190や1192にユーラシア大陸の東端で女直や高麗と戦っていたのはおかしい
蒙古喇嘛教史ってまともなソースなのかな?
この本が主張する根拠
1)前半生不詳
2)異民族疑惑
3)鉄の甲冑の着用
4)モンゴル文字へのかな文字混入と50音図体系の採用
5)本人用には漢文備忘録、民衆用にモンゴル語備忘録
>この『蒙古喇嘛教史』には、ジンギスカンは、『三つの海の島日本』を平定した、と書かれている
『蒙古喇嘛教史』まともな史料とは思えない orz
542 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 16:44:36
>>1 東日本人の美化好き行動の一つにすぎない
朝鮮人と東人は美化が好きだからな
妄想にすぎん
543 :
太 :2005/07/09(土) 17:19:13
ン→ソ ジンムテンノウ(神武天皇)→テムジンノウソ(鉄木真の嘘)→ウノソテムジン(宇野祖鉄木真) 宇野=高天原広野姫(持統天皇)
544 :
太 :2005/07/09(土) 17:20:35
(訂正) ×宇野 ○鵜野
545 :
日本@名無史さん :2005/07/09(土) 17:51:00
>>542 殺されてないだの、逸らした矢の跡だの、チンギスハンだの
北朝鮮人と変わらないね
>>541 原文はチベット語で書かれてて、モンゴルとチベットの交流史の
研究においてはかなり重要な資料のようだよ。少なくとも偽書の
類では全くないと思われ。チベット語のせいでほったらかされて
いたみたいで、漢文の物より研究はまだ進んでない。
『蒙古喇嘛教史』のモンゴル語版(チベット語原文の写本)で
ある『モンゴル仏教史』は2年前に収録した学術書が出てる。
http://www.bk1.co.jp/product/2176391 モンゴル語写本の訳、ローマン表記、チベット語原文との比較も
載っているようだ。税抜きで¥12,500か。た、高いな(´Д`;)
547 :
日本@名無史さん :2005/07/10(日) 01:10:17
戒名の解釈は?
548 :
:2005/07/10(日) 13:47:50
杉目太郎、身代わり説というのがあるそうだね。
>>546 サンクス
蒙古喇嘛教史でググると
著者の丘英夫は歴史散歩―中尊寺金色堂でも同じこと書いてるね
>... 一方、ジンギスカンは、蒙古喇嘛教史によれば、
>1190年、満州女直、1192年、高麗と夫々交戦した。 ...
>蒙古喇嘛教史は、ジンギスカンが三つの海の島 日本を平定した、
>と記録している。彼の存命期間 ...
こんなことが書いてあれば他の研究者がもっと取り上げているはずなのに。。
550 :
太国玉 :2005/07/10(日) 19:32:39
原題は『大蒙古に於ける正法興起の様を叙述せる勝教寶燈明』 (yeke mongAul orun-a degedu nom-un eki yambar metu AauruAsan yosun ba sasin erdeni delgeregsen yosun-i nomlaAsan AayiqamsiAtu sastir)で、 「大正大学綜合佛教研究所年報」で都合7回掲載されてたのね。 刊本の方はまだ図書館に入荷してないみたいだから雑誌の方を 見てみようか。 それにしても『蒙古源流』とか『アルタン=ハーン伝』の訳出とか 最近のモンゴル・チベット研究者の方々は訳業にも精力的で凄いなあ・・・
552 :
日本@名無史さん :2005/07/10(日) 23:20:57
義経がチンギスだったらロシアや西アジア攻めないで日本を先に攻撃するよ
チンギスハーンのY染色体はほぼ特定されている ユーラシア大陸に多数が持つ共通Y染色体がある 突然変異の数と突然変異の起こる割合から計算した結果 この多産のモンゴル人染色体の共通祖先が生きていたのは、約100年前とはじきだされた。 東は太平洋から西はカスピ海までアジア全域に広がっている この染色体が散らばる範囲はモンゴル帝国の領域にぴったり収まる 現在チンギスハーンのY染色体を受け継ぐ男性は約1600万人 このY染色体はモンゴル帝国の境界線を越えた地域ではほとんど見るからないが 一つだけ例外がある。アフガニスタンパキスタンの境界線で暮らすハザラ族 のなかにはどこより頻繁に見つかる。 男性の3分の1近くが、その染色体を持っている 口承された系図によればチンギスハーンの直接的子孫という 30世代で一個から千六百万個にまで増えた アダムの呪い ブライアン・サイクス著 源氏のY染色体とチンギスハーンのY染色体を比べられてば・・・
554 :
日本@名無史さん :2005/07/12(火) 23:09:16
チンギスのY染色体なんで今摂取できるんじゃ? これっぽっちも信用できん。 マンモスも期待したのにまともに肉残ってないしさー
555 :
日本@名無史さん :2005/07/13(水) 01:53:36
まずは衣川で死んだかどうかから始めないと・・・
556 :
553 :2005/07/13(水) 14:55:11
訂正 誤)共通祖先が生きていたのは、約100年前とはじきだされた。 ↓ 正)共通祖先が生きていたのは、約1000年前とはじきだされた。
557 :
日本@名無史さん :2005/07/13(水) 15:03:02
モンゴルで平安末期の鎧や刀とか発見されたらおもろいんだけど。
>>554 ソースは
アダムの呪い ブライアン・サイクス著
1)約1000年前の男系の共通祖先(1人)を持つ子孫が現在1600万人にいる
2)分布はモンゴル帝国と一致、例外はチンギスハーンの直接的子孫というハザラ族(約1/3)
3)30世代でこれだけY染色体をばら撒けたのはチンギスハーンに違いない
著書のサイクスはチンギスハーンのY染色体だという状況証拠は有力だが、
残念ながら証明はできないのだ。と書いている
559 :
日本@名無史さん :2005/07/13(水) 19:34:22
義経の後生がチンギスハンだと思う
義経がチンギス・ハンになってその子孫が元寇で鎌倉幕府襲撃?
561 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 08:18:29
北条さんが元の使者を殺しちゃったから攻めてきたんだよ。 属国になってれば襲撃されなかったよ
562 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 11:00:05
元の使者は朝鮮人だった。 とかだったら仕方ないとおもう。
563 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 11:12:57
もうどっちでもいいよ。
564 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 12:09:00
565 :
日本@名無史さん :2005/07/16(土) 17:39:22
元寇のとき朝鮮人のゲリラ攻撃が効いたんだよねー
>541 蒙古喇嘛教史 大蒙古帝国以来清朝中期までの王統の歴史書 チベット人のションヌ・パルが1473年に書いた『青き歴史』という本を原典にして 甘肅ラブラン寺の喇嘛僧のジクメ・ナムカが1819年にまとめたもの 原典はチベット語で外務省が自体が日本語に翻訳して1940年に生活社から出版
567 :
常勝将軍 :2005/08/05(金) 19:51:19
ジンギスカンの身長は200cm以上だったから、義経とは別人。
568 :
日本@名無史さん :2005/08/05(金) 19:52:04
っていうか源氏=元ですが?
569 :
日本@名無史さん :2005/08/05(金) 20:07:49
>>481 その話は何の本に載ってるの? >乾隆帝
570 :
日本@名無史さん :2005/08/13(土) 11:32:06
元はフビライの作った国だよ
571 :
日本@名無史さん :2005/08/14(日) 13:09:12
その「元」の名の由来であるが どうも易経からの出典ではなくて、「源氏」の「源」と 音の似ている字と言う事でそのようにつけられたと言う事らしい。 ちなみにこのフビライ、自身は行った事の無いはずの平泉の 町並みなんかをどういう訳か詳しく知っていたらしいのだが・・・・。
572 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 23:54:40
チンギスが作ったのはモンゴル帝国です。 後継者争いでモンゴル帝国が分解し、東側の領土をフビライが継ぎ、 南宋を滅ぼして元がやっとできたのです
573 :
日本@名無史さん :2005/08/15(月) 23:58:08
だいたいモンゴル人ってノモンハン事件のとき日本の捕虜をみんなで拷問しながら 全員勃起してたっていうじゃない。 義経がそんなことした話ないっすよ
義経≠チンギス・ハーン 根拠。 戦におけるスタイルの違い。 ともに戦の天才として知られているけど、スタイルは正反対と言っていいほど異なる。 義経は、自ら先頭に立ち、太刀を振るうスタイル。 上杉謙信に近いスタイル。 一方チンギス・ハーンは後陣に控え、そこから采配を振るうスタイル。 言ってみれば、武田信玄にスタイルが近い。 それに、チンギス・ハーンは政治にも能力を発揮している、万能型。 戦にしか才能を発揮できなかった義経とは器が違いすぎます。 義経ファンの皆様には申し訳ありませんが、義経=チンギス・ハーンは有り得ません。
575 :
日本@名無史さん :2005/08/17(水) 11:11:39
このスレに電波を感じますた
義経ってさ、首実検されてんだから、生きてるわけないじゃん。
577 :
光秀の三日天下 :2005/08/17(水) 17:47:28
はじめまして 自分は義経がチンギスハンになった説を信じます 理由 義経とジンギスカンの紋章は笹りんどう ジンギスカンはタイシャア(大将)と呼ばれていた サイダ、シュビ イサの三人の家来は弁慶、鷲尾三郎 伊勢義盛
578 :
日本@名無史さん :2005/08/17(水) 18:20:07
その説は旧日本軍が中国進出を盛り上げるためにながしたデマ
579 :
日本@名無史さん :2005/08/17(水) 18:46:11
>>571 「宗像教授伝奇考」をあまり真に受けないように。
ちなみに元の正式の国名は
「大元大蒙古国(Dayan-Yeke-monggol-ulus)」でおます。
580 :
日本@名無史さん :2005/08/18(木) 09:41:48
581 :
太国 :2005/08/18(木) 15:07:03
チン 朕 ギ 義→義経 ス 素→素性 ハン 半→半生 (解)朕の素性は義経の半生
582 :
日本@名無史さん :2005/08/18(木) 19:49:38
成吉思汗 しずやしず、しずのおだまき踏み越えて 昔を今に なすよしもかな(成吉思汗)
583 :
太国 :2005/08/18(木) 20:55:22
成吉思汗の墓→元地穴(源氏穴)ゲンチアナgentiana
584 :
太国 :2005/08/18(木) 21:30:41
チンギスハン→ギンチハンス ハ→ア →ギンチアンス→gentians ギガか?
585 :
太国 :2005/08/18(木) 21:35:08
間違いか。 ギゲだな? ゲ→ゲン→原→源→元 アハギハラ(阿波伎原)
586 :
太国 :2005/08/18(木) 22:22:11
韃靼(ダッタン)→タツタン(竜胆)
587 :
日本@名無史さん :2005/08/18(木) 22:31:49
戦略や戦法の違いは、所変われば戦も変わる訳だし。
588 :
太国 :2005/08/18(木) 22:34:54
ヨシツネ→ネツヨシ(熱吉、熱世思) タ+ケ+世=笹 タケ→タク(多九) 汗ダクダク タクラマカン砂漠→多鞍馬汗砂漠
589 :
日本@名無史さん :2005/08/18(木) 22:41:51
なんかチンギス・ハンゆかりの地名や人命などを 無理矢理、日本語にこじつけるパターンが多いね。 多分そんなのは 向こうの人から見れば オハイオ=おはよう ジェロニモ=地浪人者 テキサス=敵刺す みたいなもんでギャグでしかないんだろうね。 ちなみに上のはインディアン=日本人説をとるアメリカの研究家の研究成果です。
590 :
日本@名無史さん :2005/08/18(木) 23:01:01
>>538 だから何でそんな思考回路になるの?
「クラン」ってモンゴル人の女性の名前だろう。
それだけの話し。
チンギス=ハンゆかりの名詞は全て日本語にこじつけないと気がすまないの?
だいたいもし仮に義経=チンギスが事実だとしても、
単に「モンゴルで娘を見初めて后にした」とか「モンゴルで勇敢な戦士を配下とした」
というだけの事はあるだろうし、
チンギス=ハンに伝わる全ての話しを日本にこじつけられてもね。
591 :
日本@名無史さん :2005/08/18(木) 23:07:20
源義経=チンギス・ハン<<<越えられない壁<<<ザイン ジンギスカ〜〜ン!!
592 :
太国 :2005/08/19(金) 21:39:17
ゴヅ→牛頭 モンゴール→モンゴウル→ゴモルウン→ゴマルウン(牛丸云)
593 :
太国 :2005/08/19(金) 21:49:51
モンゴール→モンゴオル→ゴモンオル(御紋織る)
>>586 モンゴール→モンゴウル→ゴモンウル(御紋ウル)
ウルwool→羊毛→羊肉→ジンギスカン料理
牛肉→すき焼き→スギヤギ(思吉山羊)→ヤギハヤオノカミ
>>588 >592
594 :
太国 :2005/08/19(金) 22:11:08
そうか? 焼き過ぎか?w 焼く burn バーン→バアン(馬鞍)
595 :
日本@名無史さん :2005/08/19(金) 22:14:18
水を恐れた遊牧民とは違って義経はインダス川に躊躇する事無く飛びこんで 泳いで逃げるジェラール・アッディーンを追った・・・・
596 :
太国 :2005/08/19(金) 22:21:59
鉄木真→真鉄ののような木→竹のことか? 竹 bamboo バァンブ(馬鞍武) ジンムテンノウ(神武天皇)→テムジンノウン(鉄木真の云)
597 :
太国 :2005/08/19(金) 22:23:47
湿気の多い日本で育った義経が乾燥したモンゴル草原やゴビ砂漠などを縦横無尽に駆け巡るとは凄い適応力だ。 遊牧民との接触の多かった漢民族ですら北征長期滞在では多数の兵士が乾燥に耐えられずに身体を崩し不帰となったのに。
599 :
太国 :2005/08/19(金) 22:53:40
モウコ(蒙古)→モウ子→モウモウ鳴く子→牛の子→牛若丸
600 :
太国 :2005/08/19(金) 22:59:33
仔牛→光子(物理学の意味でなく)→光源氏
な、わけないだろう
602 :
太国 :2005/08/19(金) 23:43:25
スマソ→スマソ チンギスハーン→チンハソースギ(朕八艘過ぎ) (解)朕は八艘飛び越え、過ぎをやった。 チンギスハーン→チンギスハアン→チンハスギアン(朕は杉闇) (解)朕には『杉』という超影武者ならぬ闇武者がいる。
603 :
太国 :2005/08/19(金) 23:44:12
訂正 スマン→スマソ
604 :
太国 :2005/08/19(金) 23:49:35
ヂンギスカン→ヂンギカン・ス(神祇官素) (解)素性は神祇官です。
605 :
日本@名無史さん :2005/08/20(土) 11:53:05
源義経は戦術・戦略からみても、せいぜい中隊長までの器。 戦術には長じるが、万兵の戦略を論じる事は難く、モンゴル軍数十万を 動かすような将器ではない。
606 :
日本@名無史さん :2005/08/20(土) 13:07:56
日本にては大隊長級の役割が来なかったからじゃないの?
607 :
太国 :2005/08/20(土) 13:23:33
チンギスカン→カチスギソン(勝ち過ぎ損)
>>603
608 :
曹操 :2005/08/20(土) 18:42:41
前線の鎌倉武士さえまとめられんようでは、万軍は扱えぬよ。
609 :
日本@名無史さん :2005/08/20(土) 19:11:57
面子ばかりに拘る鎌倉武士とモンゴル兵士では全く意味合いが異なるな
610 :
日本@名無史さん :2005/08/21(日) 01:26:15
お前らいい加減オカルト板でやれや
611 :
太国 :2005/08/21(日) 23:43:26
フビライ→歩日来
613 :
日本@名無史さん :2005/08/22(月) 16:55:16
くだらねえスレ
614 :
日本@名無史さん :2005/08/23(火) 00:17:08
世の中そんなに甘くない
>>577 『元朝秘史』やドーソンを一通り読んだり見たりしたものとしては
笹りんどうがチンギス・ハンの紋章だったなどとは初耳ですし、
漢語なりで「タイシャア」などと呼ばれていたなどとは寡聞にして聞かず、
よしんば「大将」の音写だとの説明せよこれが「チンギス・ハン=源義経」
説の論拠にはなりえません。
さらに「サイダ、シュビ イサ」などは『元朝秘史』巻八、二〇二段の
いわゆる1206年のチンギス・ハンの第二次即位の条で列挙されている
モンリク・エチゲ、ボオルチュ、ムカリ国王を筆頭とする功臣88名の
うち、いかなる人物にも該当しませんし、このような名前の人物は聞いた
ことすらありません。
>590
正后ボルテ・フジンの次席となったクラン皇后は>540で書いたとおり
ウハズメルキト部族の姫君なので名前はテュルク語ではないかと書いたものの、
『元朝秘史蒙古語文法講議』で「クラン qulan :(中)忽蘭」とは「騾馬に似た薄栗毛色をした野馬」
のことであると小澤重男先生が説明されておられるので、こちらが正しいようです。
616 :
太国 :2005/08/29(月) 13:35:50
gentian ゲンチアン →元地鞍、源血鞍
617 :
太国 :2005/08/29(月) 14:21:05
618 :
太国 :2005/08/29(月) 14:24:02
ジンギスカン 神祇主官
619 :
日本@名無史さん :2005/09/02(金) 18:19:00
チンギスハン チン→朕←チン チンギスカン ギ→義←ギ ス→素←ス ハン→判 カン→官 (解)朕の素性は判官義経
620 :
日本@名無史さん :2005/09/02(金) 18:19:47
↑ 太国
621 :
太国 :2005/09/03(土) 20:25:38
モンゴリア→ゴモンアリ(御紋有り)
622 :
太国 :2005/09/03(土) 20:33:30
モンゴル は モン→紋 ゴル→gall(ゴル)胆汁、胆嚢→竜胆 ダッタン(韃靼)→タツタン→竜胆 ⇒笹竜胆の紋
モ−コハン(蒙古斑)→ハンコ−モン(判子紋)
624 :
日本@名無史さん :2005/09/25(日) 10:33:38
625 :
日本@名無史さん :2005/10/02(日) 22:30:52
義経=チンギス・ハン説は(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャ だけど 義経=ロシア人オナゴスキー説なら可能性ありそう°゜°。。ヘ(;^^)ノ
626 :
日本@名無史さん :2005/10/02(日) 23:58:36
思いつき語路合せクイズがこのスレのテーマですか?
628 :
日本@名無史さん :2005/10/25(火) 00:33:34
629 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/10/25(火) 19:46:46
高木あき光氏の「成吉思汗の秘密」を読みました。 この本での結論は義経=チンギスハンですけど 僕は絶対に違うと思ってますw
630 :
日本@名無史さん :2005/10/26(水) 00:46:52
絶対に違います。 629は若いのに、ひきこもりなのに、かしこいです。
631 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/10/26(水) 14:34:03
若くてもひきこもりでも誰でもこんなことはわかりますよw
632 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/10/29(土) 15:29:47
義経・信長・竜馬 やっぱり魅力的な人物がいる時代は面白いですね。
>>632 ヒッキー、お前バイト行ったんじゃないのか?
いい加減にしろよ。
634 :
日本@名無史さん :2005/11/29(火) 01:50:49
635 :
日本@名無史さん :2005/11/29(火) 02:15:47
バイト行ってる時点でヒッキーじゃない罠
636 :
全宇宙全生命永久永遠の大天国 :2005/11/29(火) 02:35:41
http://www.youtube.com/watch.php?v=6HZeefT0X20 ↑
中国人の性質 ↑マジ野蛮です 観たらトラウマになります
((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
でも みんな観て お願い 真実を知ってっ!
いまだに中国刑務所で行われている法輪功学習者への迫害実態
http://www.epoc htimes.jp/jp/2005/10/html/d67889.html ←グロです。
↑
スペース空けてあります ←(注)
★女性のおっぱいが拷問で剥がれてます 乳首も当然ありません 酷いです★
中国怖いよおお。。。
((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
いまだに 政府に逆らえば 拷問。
拷問で死ぬやつも大勢。いまだに公開処刑もある。
宗教の自由もない。犬も平気で食う中国人民。食うだけなら
まだしも 殺し方が残酷。
ちなみに 2番目のサイトは ニューヨークで発行されている
★中国のことを書いた新聞★です
このスレタイの話は四半世紀以上前に学会で完全に否定されている。
638 :
日本@名無史さん :2005/12/02(金) 13:02:56
まあ義経=チンギスは無理としても、 衣川で死なずに落ち延びた、という説ぐらいならありうるな。
639 :
日本@名無史さん :2005/12/02(金) 21:32:19
朝青龍はこの説を知ってるんだろうか?
640 :
日本@名無史さん :2005/12/02(金) 23:37:31
おじぃちゃん(義経)の仇を討つのならフビライハンが自ら上陸作戦の 指揮をとるでしょう。元寇の場合。 でもチンって天皇家が自分の事を呼ぶ場合に使う言葉だしなあ。 「朕(自分)は、、、、」ってね。やっぱり謎だ。 もしかして義経ではなくて義経の部下がチンギスハンだったりして。
641 :
太 :2005/12/02(金) 23:41:54
642 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 18:13:27
テムジンの本当の父は義経説
643 :
日本@名無史さん :2005/12/06(火) 18:16:12
そういえばテムジンの親父って誰だっけ? (戸籍上じゃなくて)
戸籍上だと? 何の話?
645 :
太 :2005/12/07(水) 23:39:47
チンギスハーン→チンギスハアン→チンスアンバギ 朕義素馬鞍→朕素義鞍馬 朕は素(もと→元)は鞍馬の義経
646 :
太 :2005/12/08(木) 00:06:50
テムジン+チンギスカン→神武、崇神、天智、天武、桓武
647 :
日本@名無史さん :2005/12/08(木) 12:23:03
なわけね〜よ
648 :
太 :2005/12/08(木) 17:19:35
チンギスハン ヂンギスカン 面倒だから、二つ合わせて 「朕義素判官」さまとよぶか?ww
649 :
太 :2005/12/08(木) 17:41:43
ここの『素』という字は 「糸」 に 「土」と「もう一本横線入り」 それに『経』という字は 「糸」 に 「土」と 「又」 しかし『經』ならば、なお『素』の文字に似るな。3つの「く」が増えるのみ。 「土」がとエ」が上が伸びるか否かの差だ。
650 :
太 :2005/12/08(木) 17:43:40
訂正 誤 エ」 正 「エ」 「義經」か〜?
651 :
太 :2005/12/08(木) 18:03:16
>>649 どうもいかんね。その下段。最訂正
誤 「土」がとエ」が 正 「土」と「エ」とは、
「義経」は「義經」かなぁ〜?
652 :
日本@名無史さん :2005/12/09(金) 00:37:05
モンゴルの歴史っぽい本をみたがジンギスカンはとある民族の中から偶然現れた軍事的にも 政治的にも恵まれ運がよかった人物、これほど偉大な人なのにまったく詳しい資料がの こってない、彼のまわりには有能な武将がすでにいた、ここまで謎めいた人物は例はない と書いてあった。 ジンギスカン=義経 1万戸の長ムカリ=藤原忠衡 1万戸の長ムカリ=大河兼任 四匹の犬ジュベ、ブビライ、ジュルメ、スブタイ=弁慶や三郎達 ジンギスカンは彗星の如く1190年にワンスンと交戦し1192年にチャガンを撃破したあと10年は 休んでいる。10年もあればモンゴルの地になじむのも言葉を覚えるくらいできるような きがするが、、、顔もほとんど一緒だし、
チンギス・ハンが日本人だとか言い張る連中は、 様々な記録を塗り替える朝青龍が実は、 日本人だったと言い張るぐらい恥ずかしいよな。 モンゴル人が聞いたら呆れるぜ
654 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 22:45:03
朝青龍が日本人になる根拠もなる理由もない
大河みて思ったが、あながちウソでもなさそうだな。
656 :
日本@名無史さん :2005/12/17(土) 15:06:28
チンギスハン説が眉唾としても、勝つ為には手段を選ばなかった義経が最初から負け戦と分かっているのに何の対策もとらずに衣川で死んだとは思えない。 やはり何処かへ落ち延びたじゃねぇの?
657 :
太 :2005/12/17(土) 20:01:15
>>649-
>>651 から、漢字の形で
経≒素 (どっちも糸ある。土もある)
を考え置換すると、
>>648 から
『朕義経判官』さま とな〜る。ww
だからよー、もう本人に聞けばいいじゃん。 俺イタコだから聞いてきてやるよもう。 なになに? あー、やっぱチンギスカンだってさ。 本当にありがとうございました。
659 :
太 :2005/12/20(火) 22:37:29
ミナモト → 「御名素」
660 :
日本@名無史さん :2005/12/20(火) 22:55:20
>>656 もはやたよれる主もなし、どうやらわしは主に裏切られるのが定めのようじゃ。
661 :
日本@名無史さん :2005/12/21(水) 15:52:34
age
662 :
日本@名無史さん :2005/12/29(木) 00:01:15
ジンギスカンの墓が発見されたのに掘り返さんのは義経=ジンギスカン説 を認めたようなもの。実際に沿海州には様々な遺跡が残っている。
発見されていませんが・・・・
拝殿は見つかったが、墓本体はあんな何十km四方あるか分らない土地を レーダーで地中探査でもしない限りは見つかりそうにないかも。 歴代モンゴル皇帝・王族の誰の墓が最初に発見されるかである程度場所の算段は つくかとは思うが。もっとも墓を発見しても盗掘を恐れて副葬品のたぐいはほとんど 埋めなかったそうだから過分な期待は出来ないだろう。
665 :
日本@名無史さん :2006/01/18(水) 11:24:14
age
666 :
日本@名無史さん :2006/01/30(月) 12:35:12
チンギスカンの4人の子供の生年月日をしらべれば、義経とは別人 であることか゛はっきりする。なにしろ、長男、次男はチンギスカン20歳 代の子供だ。
667 :
太国 :2006/01/30(月) 17:04:10
ジンギスカーン → 一ジカンギスン(一時間偽寸) シ≒ツ (ン≒ソ) 濁音取替えると ジンギスカーン → ツンギスガーン → 一ガツソギスン(一月粗偽寸) 一時間や一ヶ月〜〜偽作で、歳も短縮、誇張等を手粗くやっていたんだよ。w 寸詰まりか、削ぎ取りか〜?ww
668 :
日本@名無史さん :2006/01/30(月) 17:38:51
義経が死んだ場所も命日も、はっきりわからない。 蝦夷地へ逃れたと思うよ。北海道の奥地の洞穴に鎌倉武者の鎧が発見されたとか・・・。 チンギス・ハンは無理だろ。言葉や食生活、社会の仕組みをどうやって覚えるの?
669 :
太国 :2006/01/30(月) 19:23:02
チンギスハン → チンスキハン(朕飯好き) 濁音取り 食生活? 朕はご飯が好きだったんだよ。w ジンギスカーン →ソーカンジスキ(総漢字好き) ン≒ソ 濁音取り 言葉?w 総て漢字でやるのが好きになったんだよ。w
牛若丸は雅な所があったりパーフェクト神童なのになぜ 元服して義経になると空気が読めないDQNになるんですか? 源氏の残党が天狗とか言って育てたから馬鹿になっちゃったのかな?
671 :
太国 :2006/02/02(木) 20:34:51
ジンギスカン → キガスジソン(気ガス字損) 濁音移し ン≒ソ 朕は空気、ガスの字を読み損なったかい?ww
672 :
日本@名無史さん :2006/02/11(土) 06:59:08
おらは、ちんちん好き漢{チンスキカーン}やけど、悪いかい。
673 :
太国 :2006/02/11(土) 08:29:52
チンギスハーン→チンキスカーン(無濁音)→キントーンカチ(ス≒と) (スは、ひっくり返すと と にそっくりだねぇ〜?w) →キント雲勝ち チンギスハーン→ギハチンソース(ン≒ソ) 義は陳僧す 義なる者は玄僧の奘陳らと同じく、西遊して勝ちまくっていたんだよ〜。ww
674 :
太国 :2006/02/11(土) 08:32:18
正 義なる者は僧の玄奘陳らと同じく、西遊して勝ちまくっていたんだよ〜。 キント雲勝ちねぇ〜。w
675 :
太国 :2006/02/11(土) 10:30:54
チンギスカン→ソンカチスギ(ン≒ソ) 朕義好かん→孫勝ち過ぎ 孫悟空のように勝ちまくっていたんだよ。 朕は昔の義人は好きでなくなった。キント雲の闘戦勝佛が好きになったんだよ。w
ポカーン
677 :
日本@名無史さん :2006/02/11(土) 10:38:26
むかしどっかで聞いた話なんだけど、 沿海州だかのスージョン(蘇城)て所に 「イーボンから来た武将が蘇り、 西に行って大帝国を打ち立てた」 とか言う伝説が残っているって話。 これって誰か調べたことあるの?
やばすぎる。君ら、本当にやばいよw
679 :
太国 :2006/02/11(土) 10:54:46
チンギスカーン→チギソースカン(ン≒ソ)智僧好かん チンギスハーン→チンソーハスキ(濁音取り)陳僧は好き 天台大師智は好きでないんだよ。陳玄奘が好きだったんだよ。
680 :
太国 :2006/02/11(土) 11:32:15
(再掲出) チンギスカーン→キントーンカチ(キント雲勝ち) 逆さで ス≒と 無濁音 − − − − − − − − − − − − − − − − − − − チンギスカーン→チンカソースキ(陳家荘好き) 同 上 朕は通天河という所が好きで、西遊の際行ったことがあるんだよ。 そこには三蔵一行らが水浸しにしてしまったお経を干した岩があってな、 「経干岩」というんだが、このため経の文字が少し □ になってしまったんだよ 義なる者は、この水浸し経を干したことがおおいに気に入ってな〜、 後年『汗』の位を定めたんだよ〜。サンズイは水浸しの意味でツクリは経を干す 意味なのさ。義なる者は『経』の文字にこだわっていたんだよぅ〜。w そして一行は昔行った思い出ある近隣の『陳家荘』に向かったんだよ〜。 そこの子供の陳関保と陳家荘という名と経干岩から『成吉思汗』という名を創出 したのさ。何故って?虫穴のように消えてしまった 【□】 ある『経』と それらを干したことからの【干】との合字から【吉】を思い構想したのさ〜。w
681 :
太国 :2006/02/11(土) 11:56:26
ジンギスハーン→ソンとーハヅキ(ン≒ソ ス≒と ジ≒ヅ)孫東波月 朕は碗子山という所へも行ってみたんだよ〜。w そこには波月洞という場所があってな、ここで三蔵が難にあったんだよ。 青面鬼が住んでたのさ。w 孫悟空は東遊して水簾洞に帰ってしまってなぁ?一行は離散したのさ。w
682 :
日本@名無史さん :2006/02/11(土) 12:08:54
「漢文で筆談できた」という人が多いけど、日本の漢文と中国の漢文は この頃から乖離しているよ。
683 :
太国 :2006/02/11(土) 12:28:13
ジンギスハーン→チンギスハァン→ギンアンハスジ(銀安蓮寺) 波月洞には蓮台ある寺があってな〜、孤身の三蔵はすっかり騙されてしまった。 ところが、妖魔の妻の機転が利いて、三蔵はいったん安寧になったんだが、 宝象国で難儀の二の舞となって、銀安殿で虎変の難となったんだよ。 さらに蓮花洞にては銀角大王に会う大難が待っていたんだよ〜。
684 :
太国 :2006/02/11(土) 12:37:36
チンギスハーン→ハチとーソンギ(ス≒と ン≒ソ)八東孫議 「八〜」なる者も東遊し、孫行者に帰西の議を持ちかけに行ったのさ。w
685 :
太国 :2006/02/11(土) 17:10:09
チンギスハーン→チンギスハァン→アンバギチとン(鞍馬妓血豚)濁音付け ス≒と 銀安殿外で鞍を付けた白馬が血だらけになっていました。 女身で黄袍怪と戦って敗れた竜馬の疲れ果てた姿を見た猪八戒は、その馬から 英知を授かりました。東海へ飛び、あの馬飼いを騙して連れて来いと・・・w 天蓬元帥は長時間をかけて東海へと〜〜〜。 そこには花果山が、近くに鞍馬のわが故郷がありました。ああ懐かしいなぁ・・・
686 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 16:44:56
え!
687 :
太国 :2006/02/25(土) 15:41:37
荒川静香さん、金メダルの素晴らしい滑走か〜〜〜〜〜っ。 (ン≒ソ) ジンギスカーン→シンキズカーン(濁音移動)→シズカキンソー(静近走 静金想) 今朕は大陸の金の国付近にいて静御前を想っているんだ。 あぁ、静御前の近くに今すぐにでも走って行きたい。後前に会いたいなぁ〜。(涙
688 :
太国 :2006/02/25(土) 20:10:08
>>680 荒川静香さん氷面を華麗に滑る〜〜〜〜〜〜っ。
ジンギスカン→ジンギスガン(濁音付加)→ガンジスギン(ガンジス銀)
朕はガンジス河上流に行ったこともある。水面が氷結して一面が銀世界だった。
渡ろうとすれば渡れる状況だ。
何故この河の話をするかって?銀世界のもう一つの河のことさ。
通天河も凍ったのさ。三蔵が無理に八百里を渡ろうとして霊感大王に捕らえられ
たからだよ。そこには陳家荘があってな、天竺への行き帰りに家人に世話になっ
たんだ。それを想ってガンジス河下流で如来の如く沐浴をし『汗』を流したんだ。
689 :
太国 :2006/02/25(土) 20:50:35
>>680 荒川静香選手、銀盤で金メダル〜〜〜〜〜っ。
チンギスハーン → 一キンハチとン(濁音取り ス≒と) 一金八豚
通天河は一面銀世界だった。陳家荘に泊まった翌日、天竺急行の玄奘一行は銀盤上
で滑走して遊ぶ『一秤金』を見つけ、彼女に別れの挨拶をしたんだ。
妖怪に喰われそうになった猪八戒が彼女に化けて妖怪を追い払ったことが心配で
悟空の眼前に浮かぶ。急行しようとしていたが妖魔の再来する可能性を
否定しきれずだった。でも無理やり渡ろうとしたんだよ。
今は銀盤で滑る女性を草場の影で支援したくなっていたんだよ。w 静を想って。
690 :
定説 :2006/02/26(日) 01:21:07
ジンギスカン→?→キラーカン
691 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 01:46:14
>>1 今春 日豪合作映画
「チンギス・ハーン」
反町隆史主演で来年春公開予定です、愉しみにしてます。
692 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 02:04:35
義経の顔幕末の岡田遺贈に似ていると思うのおれだけ?
693 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 23:06:41
小泉八雲=ラフカディオ・ハーン でいいよな
694 :
日本@名無史さん :2006/02/27(月) 04:02:51
源義経=チンギス・ハン説、恥ずかしいからやめてくれないか? 世界で活躍してる日本人を「本当はウリナラの出身ニダ!」と自慢してるお隣の国みたい。
695 :
太国 :2006/02/27(月) 08:23:02
ジンギスハン ジンギスカン →シバガキスシンソ(柴垣崇峻祖) 濁音移動 ン≒ソ 牛若丸の朕は「若笹木」と関わりあったんだよ。w
696 :
太国 :2006/02/27(月) 15:56:10
チンギスハーン→ハチソーンスギ→ハチソゥンスギ(八阻雲過ぎ) 唐土(→toad)にカエル途中に不覚にも八大金剛の連中に阻まれ、雲上から 落とされたんだよ。 チンギスカン(沈欺素寒) その下は水面だった。三蔵一行は水中に沈んでずぶ濡れになり、素寒貧の寒さを 味わった。おぉそこは見覚えのある通天河だ。以前悟空と白雄尊者とが喧嘩の 大立ち回りで偽経を貰った時以来の難となった。、通天河は静穏にあらず荒川の 状態にあり、お経の確保に必死であった。その後やっと水面は静香になり、 経干岩でお経を干したんだ。欺経が義(仮の)経だった時の経験が生きて水びたし 経はなんとか無事にすんだんだが、少しは■の虫穴のようになってしまった。 それから人家を探そうとした時、過去の陳家荘の事を思い出しそこへ向かった。 家内では香をたいていたが、彼らは三蔵らを見つけると驚き大歓待してくれた。
697 :
太国 :2006/03/02(木) 20:12:23
チンギスハーン→チンハ一スンギ(朕は一寸義) 朕は恥ずかしいが、一寸法師の昔物語として、『義』なる者を考えて欲しいのだ。 あのなぁ、朕は子供のような体だったんだよ。
698 :
太国 :2006/03/05(日) 09:07:14
京←→モンゴール キョー・モンゴール 経文凍るwww 今日モンゴール
699 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 09:21:10
チンギスカンは大帝国は作ったが、残虐で何の文化も残さず、世界中の嫌われ者。 そんなのになったと言われた義経が気の毒。
700 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 19:30:40
もう面倒くさいなー。義経はチンギス・ハーンにはなってないの! 義経はねー、お星さまになったんだよ! なーーーむーーー
701 :
太国 :2006/03/16(木) 19:45:16
チンギスハン→ソンハチスキ(孫八好き) ン≒ソ 濁音取り 朕は陳江流も好きだが、孫悟空と猪八戒が好きなんだ。 朕も西遊したわけなのさ。
その後、西の空に血のような色の星が毎晩出るようになり 皆してそれを拝んだとゆう、よくある話さ。
703 :
太国 :2006/03/16(木) 19:55:27
ジンギスカーン→ギンガソスージ(銀河素数字) ン≒ソ 濁音入れ 銀河を恒星する星の数を計ったらどのくらいあるか? 牽牛か〜? 牛若か〜? 天蓬元帥は銀河の総帥だったそうな・・・? 牛若の朕は西遊が好きだったんだよ〜w
705 :
日本@名無史さん :2006/03/32(土) 14:32:35
とっておきの話しだけど話しちゃう。 ハルク・ホーガンってプロレスラーいるじゃn? あれはモンゴル経由で欧州に渡った源義経の末裔なんだってね。 判官→ホーガン 苗字にホーガンってついてるから間違い無いわけじゃないですかー。
電波誌「ムー」に義経=チンギス・ハン説が載ってたことがあったけど、高木彬光「成吉思汗の秘密」 をそのまま載せただけだった…。もっと電波な展開を期待してたのにつまんねーの。
708 :
日本@名無史さん :2006/05/12(金) 03:48:38
みちのくプロレス 義経age
709 :
日本@名無史さん :2006/05/12(金) 05:23:15
チンギス・ハン 反町隆史が映画で演じる。
モンゴル人からみれば、日本人が勝手にチンギスハンのルーツは 源義経ニダといってるようなもんで、かなり恥ずかしい話だ。
711 :
日本@名無史さん :2006/05/12(金) 16:06:06
こんなこといつまでも言ってるとチョソと同レベルになるからやめよう。 モンゴルとは仲良くしていきたい。
712 :
日本@名無史さん :2006/05/16(火) 02:08:00
証拠が見つかったらしいね
713 :
日本@名無史さん :2006/05/19(金) 23:17:57
714 :
日本@名無史さん :2006/05/19(金) 23:22:53
>>710 日本人が言い出した。
当時、騎馬戦が得意の義経死後の数年間後に ハーンの騎馬民族登場!
総括:日本人は駄洒落好き。
716 :
日本@名無史さん :2006/06/20(火) 01:24:27
ほう
717 :
日本@名無史さん :2006/06/20(火) 03:11:08
ハーンが和人出身の放浪ヒッピーだということが、このほどウランバートルの 遊牧資料館で発覚した。なんでも酒に酔って船に出たら対馬海流に流され沿海州に辿り着き、 ヒッチハイクで金からタタールに抜けて来たという。 名前はタゴサクといい、なんでも若い頃はフジカワというところで石合戦をしたらしい。 ・・・なに?義経? そんなモンは死んだに決まってんだろ。広いユーラシアを遊牧してりゃ いろんなのがいるが、いちいち有名人なんぞいるわけない。 タゴサクの話も、よく聞いてみると近所のバイカル湖と日本海を間違えただけなそうな。 全然関係無かったよ
チンギスがヒンギスの生まれ変わりだということがこのほど発覚した。 テニスラケットを持った肖像画をバトゥがポーランドに置いて来たらしい。
義経も西郷どんも生きていた。おそらく山本五十六も三島も死んではいなかったよ。 事故死事件死した英雄は永遠不滅の魂与えられ、僕達の心の中にいつまでも生きる。
720 :
日本@名無史さん :2006/06/21(水) 12:18:23
チンギスは 昔チンカスと呼ばれてイジメられっ子だった。チンカス・プーン
塞の河原に打ち棄てる〜
722 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 03:46:38
だからクラマ姫のおとんになってオシマイだって
723 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 15:10:59
坂本竜馬は海を渡ってエジソンになった
724 :
太国 :2006/06/26(月) 23:25:16
不日来の矢か・・・・・。
725 :
日本@名無史さん :2006/07/02(日) 00:21:11
妄想スレ
>>706 今更だけど大笑いした。文体にもセンスを感じる。
727 :
日本@名無史さん :2006/07/14(金) 14:29:13
イル・ハン 子孫
Gen Gi Kei → じんぎすかーん
729 :
日本@名無史さん :2006/08/08(火) 22:19:46
こういうのを見ると日本の有名人見ちゃ あれも韓国人、これも韓国人と言ってる韓国人と同じだと思うわ
東広島電波発信中 同時警戒プラム臭 東広島電波発信中 同時警戒プラム臭 東広島電波発信中 同時警戒プラム臭 東広島電波発信中 同時警戒プラム臭 東広島電波発信中 同時警戒プラム臭 東広島電波発信中 同時警戒プラム臭 東広島電波発信中 同時警戒プラム臭 東広島電波発信中 同時警戒プラム臭 東広島電波発信中 同時警戒プラム臭
>>723 坂本(=THA CAR MOTER)竜馬(=[く]る−ま→りゅうま) 天保6年11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日(1867年12月10日)
↓
トーマス・アルヴァ・エンジンソン(Thomas Alva Edison、1847年2月11日 - 1931年10月18日)
732 :
日本@名無史さん :2006/08/09(水) 11:17:01
あげ
へぇー、こんなスレあったんだ。 自分も、義経=成吉思汗説に興味を持ち続けて、もう20年近いです。 『蒙古喇嘛教史』は、内容は大変興味深いけど、戦時中の陸軍参謀本部 (だったかな)の訳とかで、やっぱり信憑性が気になってました。 専門家の方による検証を、更に期待したいですね。
734 :
日本@名無史さん :2006/08/12(土) 23:55:42
チョンの○○は朝鮮人と同じくらい恥ずかしい 未確認だがおそらく半島ではチンギス=ハンは朝鮮人説があるはず
735 :
日本@名無史さん :2006/08/13(日) 00:05:09
>>734 夏厨暑いしUzeee(^д^)
源義経とチンギス・ハン
騎馬戦得意だからだよ
義経死後4年後にチンギス・ハンの騎馬民族が猛威を奮った。
736 :
日本@名無史さん :2006/08/13(日) 12:11:59
チンギス・ハンは騎馬戦得意=義経も騎馬戦得意 義経が死んだとされる4年後にチンギス=ハン活躍 つまりチンギス=ハンの正体は義経 どんな論法だよ
737 :
太国 :2006/08/13(日) 12:25:15
チンギスハーン→ソーハスギンチ(逆読み) ン≒ソ 争覇過ぎ蘇地 走破過ぎ蘇致
738 :
日本@名無史さん :2006/08/18(金) 21:39:51
そもそも何で義経はモンゴルに渡ったの? 何で義経はモンゴル語を覚えたの? 何で義経は自らの名前を捨ててモンゴル風に改めたの? 何で義経は日本文化を捨ててモンゴル文化に染まったの? 何で義経はモンゴル語を覚えたの? 義経=テムジン説を考えるのなら、数多くの根拠ではなくて 何で義経が日本人である事を捨ててモンゴル人になったのかが気になる。 根拠は示せても動機が示せてない人が多い。 日系アメリカ人でさえ日本風の名前を捨てなかったのに。
739 :
たくみん :2006/09/09(土) 21:18:17
・・・確かに
740 :
太国 :2006/09/09(土) 21:34:17
牛頭 ゴヅ 牛若丸 うしわかまる 源氏 問牛ーーール(モンゴーーール) ↓ ワカマ→アカマ(赤間→赤間神宮 平家の所縁の神宮) 横線 − (問)+(−)=間
741 :
太国 :2006/09/09(土) 22:35:36
平家蟹のアワか〜。w
742 :
信長 :2006/09/09(土) 22:57:18
じんぎすかんなら牟田口
743 :
日本@名無史さん :2006/09/10(日) 02:35:42
≫737 そちん?粗チン?
744 :
日本@名無史さん :2006/09/10(日) 09:36:49
義経の末裔は、ふつうに現在も神奈川県内に居られますよ。 プライバシーの関係で、具体的なことは教えませんが。
745 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 03:46:48
746 :
信長 :2006/09/17(日) 16:15:48
わしがマジレスすんのもなんだがよ 関取は十両以上でよ それ以下はただの相撲取りゃーだでよ
747 :
日本@名無史さん :2006/09/17(日) 22:55:50
>>745 その内 義経山と言う関取が出て来て欲しい。
武蔵龍と対決だ。
748 :
日本@名無史さん :2006/10/28(土) 09:45:21
安馬さんを鞍馬さんと考え、間違えた。
おまえらにいい事教えてやるよ スターリン=岡田真澄
義経がジンギスカンなら、彼はジンギスカンを名乗るにあたり、 侵略した国でレイプし虐殺しますよという意味を込め、 仁義好かん(ジンギスカン)というペンネームを用いたのかもしれませんね。
751 :
日本@名無史さん :2006/11/16(木) 01:28:06
チンギスハーンの墓が発見されてたらしく。日本語で書かれた書物もあり。チンギスハーンは頼朝みたいです。頼朝と義経は互いに入れ替わり義経は幕府 頼朝は義経となり大陸に渡ったそうです。
752 :
日本@名無史さん :2006/11/16(木) 01:40:07
既出かもしれぬが義経=チンギス・ハーン説は、江戸時代に水戸藩の武士が脳内 妄想だけで考えたまったく根も葉もない作りごと。よってこのスレは終了。
754 :
日本@名無史さん :2006/11/19(日) 22:45:48
だが、モンゴールではジンギス汗の記念祭にはかならず源氏に笠竜胆の紋のある 垂れ幕を使用、またジンギス汗軍は笠竜胆の紋章を使っていた、 これらの資料はいまでも博物館に展示されているそうだ、 もう一、義経の首は替え玉? 東北地方の古文書には義経の身代わりに死んだ奥州杉妻城主,杉田太郎行信と 言う武将である、との出自まではっきり書いてある。 水戸藩の武士はこのような古文書をみたのだろうか? 根も葉もない作りごと。よってこのスレは継続することになりました。
755 :
太国 :2006/11/19(日) 23:06:25
チンギスカン→チンカンスギ(朕棺杉)ww 朕は「杉」の名の棺だそうだ。ww
源義経=チンギス・ハン説となえる人って ほとんどチンギスの家族について触れていないんで聞くのだが… WIKIレベルのネタですまんが 第一夫人のボルテの生んだチンギスの実子 長男:ジュチ(?−1225年頃) 次男:チャガタイ(?−1242年) 三男:オゴデイ(1186年−1241年) 四男:トルイ(1192年−1232年) となってる。 義経の最期と言われる衣川が1189年だから メルキトの略奪があるからジュチは出生に??つけても チャガタイ、オゴデイは義経が日本にいる間に生まれてる事にならんか?
757 :
日本@名無史さん :2006/11/21(火) 00:32:41
面白い板だ。
758 :
日本@名無史さん :2006/11/21(火) 01:17:54
チンギス・ハン 騎馬戦得意だし
759 :
日本@名無史さん :2006/11/21(火) 03:23:05
>756 確かにそのような記録があるがそれはテムジン(鉄木真)ではないか。 800年前のこと当時のモンゴルには文字がなかったのだ、伝説の伝説で真偽を 語ることは無理であろう、成吉思汗説には数々の実地踏査してみての義経、 生存説を言うが成吉思汗は又は弁慶説もあるのだ、
>759 >確かにそのような記録があるがそれはテムジン(鉄木真)ではないか。 テムジン≠チンギスってのは聞いた事なかったなぁ… 百歩…いや万歩譲ってテムジン≠チンギスとした場合、 どのような過程で?どのタイミングで?入れ替わった事になってるの? >800年前のこと当時のモンゴルには文字がなかったのだ、 >伝説の伝説で真偽を語ることは無理であろう、 >成吉思汗説には数々の実地踏査してみての義経、 >生存説を言うが成吉思汗は又は弁慶説もあるのだ、 実地調査っていうけどさぁ 小矢部氏の調査っては軍付の通訳官として現地に行って 日本軍の協力の下に調査が行われているんだから 当時の状況からすると大陸侵略正当化の プロパガンダに使われてる可能性が高いんで、 全面的に信頼する訳にはいかないと思うんだが?
761 :
日本@名無史さん :2006/11/21(火) 21:14:54
蒙古史、1202年からテムジンは部族統制するため戦闘をする、モンゴル高原諸民族を 部落語で分類、(1)モンゴル語系(2)チュクル語系に分ける、【鉄木真用兵論】、 ロシア人、イワニンが書いたものであるが幾分(テムジン≠成吉思汗≠義経)の ことをふれている、【チンギス、カンとモンゴル帝国】創元社刊には成吉思汗が 王座につく絵などを載せてある、して学者イワニンを調べることだな。
762 :
日本@名無史さん :2006/11/21(火) 21:49:26
偉大なる旅人 ・【 鄭和 】 七度に及ぶ大航海 ▽コロンブスより先に米大陸か ▽乗り組の生き残りがアフリカで生きていた。 南米砂浜にも中国人の服装をした姿見たと歴史に刻まれている。 船舶技術が中国は発達していた。 後に、西洋人侵略が始まり北から攻めるモンゴル騎馬民族の進出により 大航海断念
763 :
:日本@名無史さん :2006/11/21(火) 21:55:12
ヌァホクセ〜〜
764 :
日本@名無史さん :2006/11/21(火) 22:02:17
実際に現地に行って調査し、そのことを本 に書いた人がいます。小谷部全一郎という人です。「源義経=成 吉思汗説」を最も普及させた人物として有名です。 この本は『成吉思汗は源義経也』のタイトルで、冨山房から大 正13年に発刊され、ベストセラーになったのです。EJを書く に当ってこの本は不可欠なので、中央区立京橋図書館から借りて 現在手元にあります。(添付ファイル参照) 小谷部全一郎は、江戸時代初期からの、いわゆる義経生存説を 基本とし、問題によっては独自の解釈を加えて「源義経=成吉思 汗説」を展開しています。自ら現地に足を運んで調査をしている ので、強い説得力があります。 初版発行が大正13年(1924年)11月10日で、12日 には再版、12月5日には6版を出すというベストセラーを記録 したのです。 彼は、同書の中で、次のように述べて、歴史学者たちを挑発し たのです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 成吉思汗が義経の後身でないとする者があれば、それは蛙はお たまじゃくしの後身ではすないと主張するようなものである。 また、成吉思汗を生粋の蒙古人とすることは、蜥蜴を龍なりと するようなものである。義経の衣川自害を主張する我が国歴史 家の見解は、影を以って実体なりと強弁し、或いは形が少しば かり似ているからとして、鰌を指して「鯨である」というのと 同じことである。 ――小谷部全一郎 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− これに対して歴史学者は大同団結して反撃に出たのです。国史 学、東洋史学、考古学、民俗学、国文学、国語・言語学の第一級 の研究者がずらりと結集して、次の本によって、さまざまな角度 から小谷部説を批判したのです。 −−−−−−−−−−−−−−−
765 :
日本@名無史さん :2006/11/21(火) 22:45:35
756 後付けの過去の歴史だから。たとえばチンギスが権力の座に着き、突如現れたチンギスに対し、あなたはどういった生い立ちなのですかと聞かれ。義経の過去をダブらせ語ったのかも知れない。いかようにも過去など変えられる。
766 :
太国 :2006/11/21(火) 22:52:22
767 :
権門体制 :2006/11/22(水) 21:42:10
そこの院生君。笑ってないで、この板の住人を啓蒙してくれ。 史学興隆は草の根的努力から始まるのだ。
768 :
日本@名無史さん :2006/11/22(水) 21:45:26
トンデモ!
769 :
日本@名無史さん :2006/11/22(水) 23:13:08
「義経=ジンギスカン」説を立証する新発掘の真実! 謎解き。 だれにでもわかりやすく、義経がジンギスカンであるということをうなずかせる 平泉〜北上説、鉄の甲冑をつけた異民族、かな文字を知る男。数々の驚くべき事実が今あなたに明かされる。 1188年4月――武蔵坊、亀井六朗らと平泉を脱出。 1189年5月――泉三郎忠衡率いる藤原一族と共に蝦夷地へ渡り、神威岬から満韃の地へ。 1206年――モンゴル帝国皇帝に その六つの根拠とは…
770 :
日本@名無史さん :2006/11/23(木) 20:48:05
↑面白いもっと進めてくれ!!!
771 :
日本@名無史さん :2006/11/24(金) 20:13:03
んで、チンギスハンが義経でわれわれにどういう関連が?
772 :
日本@名無史さん :2006/11/24(金) 21:09:46
>!!!でわれわれにどういう関連が? ????♂×♀=☆???
773 :
日本@名無史さん :2006/11/24(金) 21:53:29
このスレは(源義経=チンギス・ハン説)ではないか。 ここの住人のロマンと異論、などを語りあうところではないか。 >我々にどういう関連? ≠ 日本人と言う立場で結びつける広場でしよう、 そう言うことなら 書くに疲れてくる。脱線気味、
嘘は嘘だと見抜けないとw
775 :
日本@名無史さん :2006/11/25(土) 03:34:06
>嘘は嘘だと見抜けないとw ? 嘘と誰が断言できるか?
776 :
日本@名無史さん :2006/11/25(土) 03:53:16
有り得ない話は嘘だよ。
777 :
日本@名無史さん :2006/11/25(土) 06:46:18
「義経=ジンギスカン」説を立証する新発掘の真実! >有り得ない話は嘘だよ。!!! 有り得ない話しだからこそ 有り得れないその説を聞きそれなり納得できるか、又 それらの説に反発してみたらいかがでしようか?
778 :
日本@名無史さん :2006/11/27(月) 21:36:43
>義経=ジンギスカンについて 小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』編があるようです。
義経=ジンギスカンで、 日本人がワイワイ楽しむのは勝手だけど、 モンゴル人から言わせれば、 モンゴルの英雄が日本の義経だなんて聞いたら笑止千万、話にもならない。 日本人にピンと来るように例えるなら、 日本人離れした風雲児・織田信長は、実は、 密かに日本に渡ったモンゴル人だったのである、、、朝青龍のような・・ こんなこと言うのと同じレベル、彼らからしてみれば 義経=ジンギスカンだけは、恥ずかしい
780 :
日本@名無史さん :2006/11/28(火) 00:13:22
ミハイル・イグナチエウィッチ・イワニン中将著 鉄木真(テムジン)【ロシア人】1875年に書いたものがあるそうです。
781 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 21:44:52
時に源義経汗を音読みにしてみますとゲン、ギ、ケイ、カン。を発音して モンゴール人に発音して見せて言わせて幾度くりかえても チン、キ、セー、ハンとジンギス汗のモンゴール語発音にちかくなる。 また側近者はジンギス汗にはモンゴール語が分からず漢字の文書を渡して いたと言う。 このように多くの資料から見てもジンギス汗は源の義経と 考えても無理とは言えないだろう。
782 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 21:55:28
モンゴル語がわからなかったとか、そういうのは大体後世の講談だから。 天海光秀のほうがまだ10%ぐらいの真実味はある。
783 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 23:06:21
聖徳太子はモンゴル人だったんだよ。騎馬民族ね。 だから彼は厩戸王子って言われるのさ。乳製品好きも騎馬民族だから。 お気に入りの八角形の夢殿だって、パオなわけ。 だからチンギスハンが義経だって全然おかしくないよね?
んだんだ。おらだって赤子の時は蒙古斑あったんだべさ んだからおらもモンゴル人なのだ
785 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 00:05:48
ワイも自分がモンゴロイドと知ったときは驚いたで。 どこのショッカーがワイをこさえたんやろかてな。
てかさ、「義経」は実名(諱)でそ? 当時の人間が普通に「義経」って字を使ってるのっておかしくね? 普通は通称の「九郎」とか官職の「判官」とかって呼ぶはずだし。 幕末の西郷隆盛の「隆盛」が親父の実名(諱)で 西郷の友人が間違えて登録してしまったから、 西郷が「隆永」から「隆盛」に実名を変えたってのは 割と有名な話だよね。 それだけ実名(諱)ってのは普段使われないものなんだから、 「ゲンギケイ」なんて発音云々が、 他人だらけのモンゴルじゃでないっしょ
787 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 02:17:11
しかも「ゲンギケイ」と「チンギスハン」なんて全然似てないし
788 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 02:19:42
義経肖像画 チンギスハン肖像画
789 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 02:21:35
朝青龍本人 フビライ・ハーン肖像画
791 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 11:34:12
モンゴル帝国の原点は日本ニダ 日本の原点は韓国ニダ だからモンゴル帝国の原点は韓国ニダ
792 :
日本@名無史さん :2006/12/05(火) 19:55:24
日本の原点はアイヌ民族ニダ
793 :
日本@名無史さん :2006/12/05(火) 20:46:31
違う!日本の原点は引きこもりだ。
794 :
日本@名無史さん :2006/12/06(水) 20:02:31
なぜ!アイヌには蒙古班がないのか?
>232 >墓にストゥーバ(卒塔婆)という板を立てる風習がある。 まぁみんな分かってるから誰もツッコまないんだとおもうが… 「ストゥーバ」はサンスクリット語。 インドから日本に伝わって 「ストゥーバ」→「卒塔婆(そとばorそとうば)」になった。 モンゴルで「ストゥーバ」と使われてるのであれば、 インドからモンゴルにそのまま伝わったと考えた方が自然だと思う。 「ストゥーバ」→「卒塔婆」→「ストゥーバ」なんて伝わるのは不自然。
796 :
日本@名無史さん :2006/12/26(火) 15:51:36
>520
>D マルコポーロの東方見聞録によるとフビライの大汗宮殿の風俗・習慣は
> 日本の皇室のものと一致していた。(シーボルトが書いている)
ttp://www.gutenberg21.co.jp/polo.htm 「東方見聞録」マルコ・ポーロ/青木富太郎訳
元朝は中国風だから大筋では日本と似てる部分もあると思うけど、
「一致」というほどではない気もするな。
>この日にはハーン所有の五千頭以上の象が、
>鳥獣羽毛を刺繍した鞍褥《あんじょく》〔鞍の下に敷く敷物〕におおわれ、
>背にきれいな箱を二つのせて行進する。
>箱の中には宮廷の新年の祭りに使う高価な器具がはいっている。
>象につづいて立派な鞍褥をつけ、同じく祭りの器具をつんだ駱駝が行く。
>これらはうちそろって大ハーンの御前を行進する。
>ここで話し忘れたことをつけ加えておこう。
>祭りの日には大きなライオンが一頭、大ハーンの前にひきだされる。
>大ハーンを見ると、これが君主だと知っているかのように、
>その前にうずくまって尊敬の態度をしめす。
>ライオンは鎖につながれてないのだ。
>見ない人には、とても信じられない話だろう。
さすがに日本じゃこんな事してないだろw
極端に違いそうな部分を抽出してみたけど、
極東の一小国と世界規模の大国との差がでてる。
797 :
日本@名無史さん :2007/01/20(土) 22:47:25
798 :
日本@名無史さん :2007/03/01(木) 01:10:56
>>754 ジンギス汗の記念祭にはかならず源氏に笠竜胆の紋のある垂れ幕を使用
本当なの?
武器とか風習風俗の問題点、あるいは大陸への渡来が可能だったか?などの問題点が 語られることが多いのだが、俺は「性格」あるいは「思考回路」の点から、チンギスハーンと 義経は別人だと思う。 チンギスハーンは政治家として、戦略家として優れた才能を持っていた。義経は天才的な「戦術家」 だったと思うけど、政治家や戦略家としては偏差値30くらいの落ちこぼれじゃないかな? 義経に政治家や戦略家としての才能があれば、兄頼朝の不安定な立場や苦悩を理解しただろうし、東国武士団 の反感を買うこともなかったと思う。
800 :
日本@名無史さん :2007/03/15(木) 19:38:03
政治家や戦略家としての才能がなかったら、京で上手く立ち回れるわけないだろ。 義経は別に政治感覚に欠けていたわけではないと思う。 親京都派と東国派の争いに巻き込まれたのが失脚の原因じゃないの?
>政治家や戦略家としての才能がなかったら、京で上手く立ち回れるわけないだろ。 (少なくとも後世に伝えられた情報からは)義経が京でうまく立ち回ったように見えないけど。 だからこそ後白河をはじめ朝廷勢力に踊らされ、いいように利用された感じ。
何をやっても頼朝に殺されていたと思う。
清和源氏は笹竜胆じゃないぞ
チンギスハーンが即位するとき 白旗を9本掲げたんだよね
9本だから九郎の義経? 義経が日本にいた時から「九」にこだわってたって話は聞いた事がないが… いつから義経は「九」マニアになったんだ?w
806 :
日本@名無史さん :2007/03/27(火) 00:53:07
808 :
805 :2007/04/24(火) 10:50:11
>807 >「九」マニアってどこに書いてるんだ 東洋文庫の「モンゴル秘史」村上正二訳注 で「九つ」とはモンゴルの吉数であり、 「白い」は聖なる色を表すと書いてある。 あと、元朝秘史の第267節で 成吉思汗が西夏遠征したとき、 敵将ブルカンは成吉思汗のもとへ謁見に来て、 黄金の仏像をはじめ、金と銀の皿を各九個、男児と女児を各九人、 去勢馬とラクダを各九頭、九の数に合わせて献上した。 と言う話が出てる事から、 敵国も「モンゴルが9を好む」と言う事を知っていたとわかる。 それに対して、 義経については名前に「九」が付く以外に 「九」を好んだというエピソードを聞いた事がない。 もしあるなら教えてクレ。
809 :
日本@名無史さん :2007/05/09(水) 15:53:33
この説って明治時代の発表直後に完全に論破された妄説なのに妙にしぶとく人気があるのは やはり判官びいきってことなのかね
811 :
日本@名無史さん :2007/05/10(木) 05:07:30
アレキサンダー大王が、アキレウスやヘラクレスの子孫とかほざいてるのと一緒
平泉から久慈までの北行ルートをいったりきたりしたことがあるが 残る伝説見て思うのは 「別に義経である必然性がない」のが多いなと。 静御前の墓なんてのまであるんだが、これは逆に一般の義経伝説と祖語するし。 一番義経っぽいのは久慈で畠山重忠勢と対峙した件なんだけど これも一種の落ち武者狩りとしてのリアリティであって 戦場での誉れを共有してきた二人の別れと思えばじーんと来るが 「逃亡中○○した」的な伝説の一例に尾ひれがついたと思う方が分かりやすい。 壊滅した藤原勢の逃亡ばなしが一様に「義経が」という話に変わった という線はないのか
講釈師見てきたような嘘を言いで、そういう者たちが語った作り話、 要するに中央で作られた物語が、いつの間にか地方の地元の伝承と置き変わってしまった、 というケースはよくあることらしい。
スレ違いですが… 司馬遼太郎の義経を読みました。 でもラスト、都落ち〜平泉〜自害のとこが1ページで語られてて消化不良。 その辺がちゃんと読める小説を教えてください!
815 :
日本@名無史さん :2007/05/12(土) 06:53:38
古典では『義経記』東洋文庫。 小説で有名なのは村上源三の「源義経」と吉川英治の「新平家物語」巻15−16。
816 :
武陽陰士 :2007/05/12(土) 09:33:42
>>810 だよね。
ただ義経ジンギスカン説ってのは江戸時代の知識階級にはよく知られた妄説のようだね。
たとえば間宮林蔵がアムール川近くで現地の連中にそのこと訊ねてるよね余計なこと書いてすまない
817 :
日本@名無史さん :2007/05/12(土) 09:47:02
モンゴル人学者はなんて言ってるの?
>>817 チンギス・ハンは輪廻転生して朝青龍になったと言っている。
819 :
武陽陰士 :2007/05/12(土) 12:42:39
>>817 外国のトンデモ説をモンゴルの学者がマトモに聞くワケナイよ。
820 :
日本@名無史さん :2007/05/12(土) 12:47:16
少ない知識だけれど、元朝秘史にでてくる「蒼き狼と白き雌鹿、大いなる湖を 渡りてくる」っていうのは、樺太と満州の間の海を、義経一行が渡って行った ってことかなーって考えています。 あと、ジンギスカンが幼少の頃、兄弟殺しをしたと元朝秘史に出てきますが、 それは、義経が義仲を討ったことからきているのではないかと考えています。 義経=ジンギスカン肯定派って現代は少数派ですか?
821 :
武陽陰士 :2007/05/12(土) 15:49:40
トンデモ説。 恥ずかしくて2ちゃんだけでしか話題にできない
822 :
日本@名無史さん :2007/05/12(土) 17:36:00
自分も最初聞いたときは、馬鹿馬鹿しい話だと思ったけれど、 いろいろ調べてみたら、結構ありえるかなって思った。 天海=光秀も結構ありそう。 歴史の真相って、あまり口にはできない話が、かなりあるのでは ないだろうか? 出来事の起こった時の時代背景と、それが語られる時代背景で、 歴史の語られ方は随分変わってしまうものだから。。
>>815 ありがとございまーす。村上元三の源義経5を古本屋で見つけました
824 :
武陽陰士 :2007/05/12(土) 22:28:21
いやいや、この手の話は大好きだ。支文堂は偉い。 ゆとりをもって楽しむ。
826 :
日本@名無史さん :2007/05/13(日) 01:13:11
827 :
日本@名無史さん :2007/05/13(日) 01:34:49
歴史というより、伝奇だわな。 江戸時代の小説が原因だよ、この説は。 小学生時代に読んだ本によると、鎧から推定される身長がぜんぜん違うそうだよ。 源義経:160cm台 ジンギスカン:180センチ前後
828 :
日本@名無史さん :2007/05/13(日) 02:29:00
>>827 チンギス・ハンは大男だったらしいね。
でも遺体は小さかったって知ってるかい?
遺体あるのか?
>>827-828 さんざんガイシュツ
>>826 トンデモな空想を楽しむのは「歴史を楽しむ」じゃないと思われ。
つか「歴史を楽しむ」って不気味な日本語だな…
>>828 ジンギスカンの墓は、まだ見つかってなかったと思うんだが?
832 :
日本@名無史さん :2007/05/13(日) 06:26:13
日本の相撲に、モンゴルからたくさん力士が来ているのは、 ジンギスカンの故郷で名誉を勝ち取るためか? 義経がモンゴル人に相撲を教えたとか・・・
833 :
日本@名無史さん :2007/05/13(日) 07:13:29
この説は、成吉思汗が義経でなければならないという必然性が何もない。 義経であることで成吉思汗の何かが説明がつくわけでもない。 (それを強引に結びつけたのがこの説なのだが) 成吉思汗が義経なら、また弁慶でもよい、無名の野武士でもよい、誰でもよいのである。
834 :
日本@名無史さん :2007/05/13(日) 09:38:32
>>831 あのな、チンギス・ハンが大男だったって見たやつもいないだろ
大男だったという伝承と同じ土俵に死んだら小男だったって話があるんだろ
835 :
日本@名無史さん :2007/05/15(火) 14:33:09
836 :
日本@名無史さん :2007/05/17(木) 02:05:18
ジンギスカンは大男だったけど、死んだら小さくなった、いうのは聞いた事ある。
>816 >ただ義経ジンギスカン説ってのは江戸時代の知識階級にはよく知られた妄説のようだね。 >827 >江戸時代の小説が原因だよ、この説は。 話が混同されてるから、一応言っておく。 義経=ジンギスカン説が出たのは幕末のちょいと手前あたり。 言いだしっぺは「鳴滝塾」とか「シーボルト事件」のシーボルト。 それまでの流れは… 義経死後〜 この頃はまだ「義経は死んでいなかった」と言う話のみ。 室町時代初期〜江戸時代前半〜 この頃は「義経が蝦夷に渡った」いわゆる義経北行説が出てくる。 ・松前広次 「松前征略」(1362年?) ・林羅山 「続本朝通鑑」(1670年) 江戸時代中期〜 この頃から大陸渡航説が出始める。 偽書を元ネタにした悪質なモノが増える。 ・加藤謙斎 「鎌倉実記」(1717年) 偽書「金史別本」による金国将軍説 ・森長見 「国学忘貝」(1783年) 偽書「図書輯勘」による清朝先祖説 でシーボルトの義経=ジンギスカン説につながる訳だ。 …整理してみたら… 偽書ベースにしないと、そもそも大陸に渡れてないじゃないかw 長文すまん
838 :
日本@名無史さん :2007/05/17(木) 22:34:23
義経の北行伝説は、御伽草子の「御曹司島渡り」から始まっている件について
839 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 09:55:42
つか日本史板で義経=チンギス・ハン説を取り上げるのは良いが、その真偽を言っても仕方がない。 偽なのは明らか。 論議するなら、なぜそのような伝説が生まれたかの検証だろう。
840 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 10:07:01
チンギス・ハンの出自が、いまいちはっきりしないからではないか? コレを言い出すと、世界史のほうになってしまうのだが・・・
841 :
837 :2007/05/18(金) 10:41:04
>838 >義経の北行伝説は、御伽草子の「御曹司島渡り」から始まっている件について ま、この際「御曹司島渡り」はどうでもいいんだ。 江戸時代あたりじゃ義経=ジンギスカン説が広まってなかったって事が伝われば。
>>827 ほんとは小さいらしい。向こうに残ってる絵で、捕虜になった
どっかの首領がチンギスの前に差し出されてるのがあるんだが、
その捕虜たちより背の低い隣りの女よりさらにチンギスは
背が小さく描かれてる。一番偉いのに。
死んだ時に背が縮んだと書かれてあるところからも、後年
何かを履くとかして背を高く見せていたんじゃないかと。ただ、
だから彼が義経だとは言わんよw。やっぱり性格が違いすぎ。
結論はともかく、論争の内容をわかりやすく知るには 高木彬光の「成吉思汗の秘密」が今でも一番だと思う
844 :
日本@名無史さん :2007/05/31(木) 20:38:57
最初はバカバカしいと思ったが、調べてみると意外と信憑性があるかも知れん。主な論拠は @「源義経」のモンゴル読みが「チンギケイ」 Aチンギスはウイグル文字が読めず、側近に漢字で書き取らせていた B伝えられているチンギスの戦術や逸話が義経のそれとほぼ同じである C義経が匿われていた鞍馬寺では義経の命日は「1227年8月15日」と伝えられ、 それから700年以上もの間毎年8月15日に遮那王(義経)への法要を行っている。 ちなみにチンギスの命日は「1227年8月15日」 D義経の別名遮那王とは「中央アジアの王」という意味
845 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/31(木) 21:29:50
韃靼(ダッタン)→タツタン→竜胆
846 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/31(木) 21:36:43
源血花 gentiana
847 :
日本@名無史さん :2007/06/01(金) 11:33:41
義経の幼名として知られる遮那王の「王」については一つの疑問が浮かび上がる。 王の字は普通皇族が名乗る物であり、当時の摂家や平家でさえ名乗っていた者はいない。 ましてや凋落武士の源氏の庶子が付けるとは考えにくい。 この呼称は義経が大陸を支配し、そして死んだという事を密使を通して知った鞍馬寺が 使い始めたと考えるのが自然であろう。 それでは何故長年公にならなかったのか? それは外征のような政治的問題になることを恐れたためであろう。 また、朝敵である義経に大陸の英雄になられては都合が悪い勢力がその歴史を抹殺した事も考えられる。
蒙古斑のある日本人は、 蒙古の烙印を押されているのに むしろ逆と言いたい
849 :
日本@名無史さん :2007/06/01(金) 19:03:17
もともとモンゴル族なんて物は無く、日本が作った植民地 …なのか?
850 :
笠森お仙 :2007/06/03(日) 02:19:44
>>847 馬鹿らしい。
王がつく名なんて当時ありふれてるよ。
シュンカンの家来に有王ってのがいるし、他にもいっぱいいるしさ。
トンデモ説を考えてるのは、お勉強足らないからだね。
851 :
日本@名無史さん :2007/06/03(日) 02:28:41
義経にかかわった日本人の誰かがジンギスカンになったとも。
852 :
日本@名無史さん :2007/06/03(日) 03:05:46
モンゴルを支配出来る能力があるならなぜ日本ではその能力が発揮できなかったの?
信長はモンゴル人です。間違いない。 信長の改革者ぶりは日本人離れしすぎている。 あれは蒙古の人間になせる業
854 :
日本@名無史さん :2007/06/04(月) 18:35:46
そうらしいね。
855 :
日本@名無史さん :2007/06/04(月) 22:22:48
隣のおばさんもそんなこといってたな、そういゃ。
856 :
日本@名無史さん :2007/06/05(火) 00:09:31
モンゴル人は、大蛇のいそうな池に潜ったりしない。
>@「源義経」のモンゴル読みが「チンギケイ」 「実名敬避俗」と言う言葉もあるように諱の「義経」が普通に表で使われる事はない。 (諱で呼びかける事が許されるのは主君・親のみ) モンゴルにおいて義経の主君・親などいないので、「チンギケイ」等というモンゴル読みが使われる事はありえない。 >Aチンギスはウイグル文字が読めず、側近に漢字で書き取らせていた この話はよく聞くんだけど、どこから出てきた話? あと、この頃の漢字と日本で使ってる漢文等とはかなり違うと聞いたような覚えが… >B伝えられているチンギスの戦術や逸話が義経のそれとほぼ同じである 蒙古騎兵と日本の騎馬とじゃ運用方法が根本的に違うと思うのですが、どのあたりが同じなんでしょうか? >C義経が匿われていた鞍馬寺では義経の命日は「1227年8月15日」と伝えられ、 >それから700年以上もの間毎年8月15日に遮那王(義経)への法要を行っている。 >ちなみにチンギスの命日は「1227年8月15日」 鞍馬寺で行われている義経祭は9/15で、70回ほど開催されているそうです。 700年以上と言うのはどこから出てきたのでしょうか? >D義経の別名遮那王とは「中央アジアの王」という意味 仏教用語なのに現世の一地方の名前って事はないと思う… 奈良の大仏こと、毘盧遮那佛は「広く光を照らす事」とかそんな意味なのですが、「遮那」=「中央アジア」ってのはどこから出てきたの? 仏教用語はあまり詳しくないので教えて下さい。 あと、義経の「遮那王」は微妙だけど幼名じゃなくて稚児名。 鞍馬寺に預けられた時につけられた名前で、この時点じゃチンギスは全く関係ない。 >この呼称は義経が大陸を支配し、そして死んだという事を密使を通して知った鞍馬寺が >使い始めたと考えるのが自然であろう。 死んだ後に法名又は戒名付けるならともかく、稚児名を使うようになる意味がわからん。 長文スマソ
858 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/05(火) 14:20:43
テンジ、テンム(天智、天武)→テムジン(鉄木真)
859 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/05(火) 14:42:12
ハンカン・・・→ハンガン(判官) − − − − − − − − − チン→朕 ギ−→義 ズ−→頭・・・・→牛頭 ハン→般・・・→般若 − − − − − − − − − カン・・・→ガン 丸
ジンギスカンと義経の表層的な類似点(とされるもの)だけ列挙しても、 その中間の部分、義経がいかにしてジンギスカンとなりえたか、 が全く説明されてないし、その実証となるものは何もない。 だから、明治時代になって某が大陸で「遺跡」を偽造してまわったわけだ。
861 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/05(火) 15:34:36
多鞍馬汗砂漠か〜。 ウマい 馬頭い か〜。 牛頭→God(神) テムジンノソウ(鉄木真の相)→ジンムテンノウ(神武天皇) (ン≒ソ) ミカド(御門) 馬頭(まズ)と牛頭(ゴズ)か〜。 モンゴール→モンゴウル→モンゴまル(門牛丸) gentiana→元地花
>>859 ×ハンガン(判官)
○ホウガン(判官)
863 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 03:08:38
○コウガン(睾丸)
864 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 03:20:40
恥ずかしい伝説だよな。 ほかの国の英雄の起源が自分の国の人間だなんて まるでどこかの国の話みたいだ。
こういう伝説を信じる人たちって 聖徳太子が実在したとか本気で思ってそう
866 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 04:06:54
ジンギスカンが英雄視されるようになったのはわりと最近のことで、 モンゴル人にとっては英雄でも攻め込まれた中央〜西アジア〜ロシアの 民族にとっては単なる侵略者で、街を襲って残酷に人を屠るから、 悪魔の再来とみなされた。 まあ、後のナポレオンみたいなものかね。 社会主義時代のモンゴルではソ連を憚ってジンギスカンを英雄視はできず、 学校でも悪人として教えていたらしい。
>>865 それとこれは話が別。
こちらはトンデモあちらは学問。
史学って学問なんだw
とりあえず元朝秘史でも呼んでおけ
870 :
日本@名無史さん :2007/06/24(日) 10:02:27
871 :
日本@名無史さん :2007/06/24(日) 10:22:52
>>870 古い!お前の世界史は白人の歴史。モンゴロイドは当然モンゴルが語源だが白人を震撼させ
今も地政学に影響を与えるチンギス・ハンは偉大な英雄。
お前は名誉白人かね。
872 :
日本@名無史さん :2007/06/24(日) 10:50:55
まあ旧日本陸軍が大陸支配を正当化するためにでっち上げたとする向きが正しいようだな。
873 :
日本@名無史さん :2007/06/30(土) 15:21:09
>>827 当時160cm台って武士の普通サイズじゃないの?
農民よりは大きいだろうし。
150cm台ぐらいが妥当じゃない?
874 :
日本@名無史さん :2007/07/15(日) 13:56:22
i
875 :
日本@名無史さん :2007/07/15(日) 14:09:19
876 :
日本@名無史さん :2007/07/15(日) 19:09:39
>>870 モンゴル軍の被害に遭ったのは白人(ヨーロッパ人)よりも専ら中央アジア人。
ヨーロッパ人と同じコーカソイドとはいえほとんど別人種。
それから女真人・中国人(漢民族)・朝鮮人。
そして日本人も、となるところをあわやの神風で救われた。
>870みたいな考え方は ヨーロッパ系の白人>アジアの黄人 と確信している欧米の学者達が、 白人の領域にまで侵食したモンゴルのユーラシア制覇に対して 認めたくないあまりに広めたイチャモンにすぎない。 そしてそれをそのまま鵜呑みにする日本人がいる。 こっちから見ると アングロサクソンこそ世界史上最凶の殺戮鬼。 そしてチンギスハンと義経には何の関係もありません笑
878 :
日本@名無史さん :2007/07/28(土) 15:35:28
「数百万の市民を皆殺しにした」とかサラッと書かれても、 皆殺しにする必要性とか労力とか考えると鵜呑みには出来ん。 しかし対馬の住民に対する仕打ちを見ると殺戮的な面も少なからずあったのだろう。 実際には南京大虐殺と一緒で証拠が無いのを良いことにそうした側面を何倍にも誇張しているのだろう。
879 :
日本@名無史さん :2007/07/28(土) 15:44:59
最近の朝青龍の行動で、モンゴル人に対する好感度が一気にダウンした。
さすがにチンギスハンはないと思うが 義経海が好きそうだから内陸国なんて住まないだろ 当時の元の政治的軍事的指導者になるにはしっかりした家系が必要みたいだし
元寇自体 1287年に起こった出来事だから 日本に頼朝に 恨みがあるならもっと早くおっぱじめてもいいわけだ 義経は頼朝より政治家としての器量がなさそうだし 軍人としては優秀かもしれないが政治家としてはどうかな?
万が一、成吉思汗になったのだとしたら義経じゃなく弁慶の方だろう。 実際の義経は白面の貴公子ならぬ貧相な醜男で、カリスマ性はほとんどない。 あったらもっと大勢を味方につけ堂々と頼朝と渡り合うこともできたはず。 ましてや異国に逃亡したところで頼りなげな義経に靡くものもいないだろう。 だが弁慶なら容貌魁偉の巨躯に怪力、異国人にも一目置かれる要件は充分ある。
手塚治虫の火の鳥にそんなネタがあったな。
義経の息子が弁慶に守られて大陸に渡って・・・ っていう漫画あったなあ
885 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 20:54:20
義経ってブサイクだったんでしょ? ならなんで都で女にモテてたの?山本うんたら義経だっけ?とごっちゃになってるの?
>>885 容貌については平家物語だっけ?
まあ、悪く書いている(反っ歯で色白)のは、同時代資料でないから、
本当の所は不明な筈。
何より、今と当時じゃ美意識(顔のパーツの均整が取れているなどは今と変わらないとは思うが)の差異もあっただろうし。
887 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 21:20:51
>>886 そうか…ありがとう!
常盤御前が絶世の美女だったことはわかってるんだけど源義朝はどうだったの?
>常盤御前が絶世の美女だった という部分に美意識の時代差を持ち込むアタマはないのか
チンギス=義経はよく知らないが、ヌルハチは妙覚寺を脱出して大陸に渡った 織田信忠。意義は認めない
>>890 そりゃ、そんな妄想に意義を認める奴はいないだろう
892 :
日本@名無史さん :2007/10/16(火) 10:51:15
だせ
893 :
日本@名無史さん :2007/12/05(水) 00:03:54
元って国号が 源氏から 清という国号が 清和源氏から 派生したという仮説がある
894 :
日本@名無史さん :2007/12/11(火) 10:57:34
スターリンはロシアに逃亡した西郷隆盛の落とし胤
895 :
日本@名無史さん :2007/12/12(水) 14:41:56
>884 おお、懐かしい。歳が分るな。
896 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 19:01:09
義経配下武将と、チンギス配下武将の、 読みが似ていたってどこかで書いてあったような
897 :
日本@名無史さん :2007/12/29(土) 10:09:13
バカしかいないスレだなw
898 :
日本@名無史さん :2007/12/30(日) 14:56:09
観光旅行にて・・・ 日本人が最も恐れるお人です イ・スンシン・・・
899 :
日本@名無史さん :2008/01/10(木) 20:30:10
反町の映画みたけど大根の三文芝居だな 大半がくだらんドラマばっか
900 :
日本@名無史さん :2008/01/10(木) 20:35:15
>>852 義理を重んじたからでしょ
兄とは対立したくなかったんでない?反対に兄、頼朝は日本史上1、2を争う殺戮暴君で信長より酷いことをしてるが
902 :
日本@名無史さん :2008/01/26(土) 09:19:00
なんでも義経が蝦夷から満州へ渡った時に、蝦夷の男でたいへん学のできる人がくっついて 行ったって話だね。それでその義経の息子が大明を攻めたんだが大明じゃ困るから、 三代将軍へ使いをよこして三千人の兵隊を借してくれろと言うと、三代様がそいつを とめておいて帰さねえ。(以下略) 夏目漱石 『吾輩は猫である』
903 :
日本@名無史さん :2008/01/26(土) 13:50:18
人々の思いがそういう話を作っていったんだろう。 江戸にはわざわざ北海道に神社作って伝説を史実にしようとバカな工作をしてたが。
904 :
日本@名無史さん :2008/01/27(日) 00:45:52
三厩の義経寺は?
>>897 「バカ」って
そこまで自分を卑下しくなても・・・
>>887 確か義朝はニヒルな男前だったかと
一応、鎌倉と都の間にたくさん遊女(彼女ね)いたくらいだから
何の文献だったか忘れてスマンけど平治の乱で賊になった割りには
容姿は悪く書かれた物はなかったかと
907 :
日本@名無史さん :2008/01/31(木) 23:39:29
高木彬光の『成吉思汗の秘密』を読んでみた。 義経=成吉思汗説を病気療養中の名探偵が「ベッドデテクティブ」で証明する「歴史推理」。 当然ながら、はじめに義経=成吉思汗の結論ありきだから、 その推理に都合の悪い史実や資料の解釈は読者にはほとんど示さず これだけ読めばなるほど成吉思汗は義経だったんだなと思わせる書き方。 まあ小説だからいいんだけど。
909 :
日本@名無史さん :2008/03/01(土) 03:25:04
源義経の剣の流派って何流ですか?
911 :
日本@名無史さん :2008/03/26(水) 16:56:58
子孫は今でもひっそり生きてますよ。確かな証拠を持って私が明かしましょう。 知りたかったら永井に来て下さい。
913 :
日本@名無史さん :2008/03/29(土) 04:26:22
一応911のいうのを見たけど突っ込みどころ多すぎだろ アホらしすぎる
祖父ちゃんから聞いた話。 我が国の帝大教授を含むモンゴル探検隊は、先日、ついに、我が国の誇る英雄、源九朗判官義経と、 モンゴルの英雄、成吉思汗が、やはり同一人物であったという証拠を発見したと、発表した。 発表によると、モンゴルで発見した、成吉思汗の墓から出土した、成吉思汗の頭骨と、 平泉にある、源義経の墓から出土した、源義経の頭骨がぴったりと一致したのである。 同じ頭骨を持つものは、同一人物しかありえず、ここに、源義経はやはり成吉思汗であることが証明されたのである。 と言う読者投稿が、戦前の雑誌に投稿されていたのだそうな。
911のブログ見てみたけど、違う意味ですごいなw 「義経だったら〜するはずがない」とか「〜に違いない」なんかのオンパレード。 いつの間にか義経の目的が「世界征服」になってるし… 世界征服する前に鎌倉の頼朝倒しておけよ!と爆笑してしまったw
そのうち、義経は世界征服をしていた!! がユダヤの陰謀でその事実を抹消されていた!! とか言い出すぞ。
917 :
日本@名無史さん :2008/05/13(火) 14:51:24
OC
918 :
日本@名無史さん :2008/05/13(火) 16:54:07
>>816 大陸に渡り数年住んだ場所に亀石に碑文を乗せた記念碑があり義経が作らせたと云われていた、のちロシアがこれを壊した ってな事も今日のテレ東でやるらしいよ。
>>914 義経の頭骨が二つあったの?w
つまり義経は二人いたのか?w
920 :
日本@名無史さん :2008/05/13(火) 17:17:00
義経の若い頃のと年取った頃ののしゃれこうべでしょ。
山本だろw
922 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/05/14(水) 13:06:53
北海道か〜〜 サハリン道 か〜〜??ww
923 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 13:14:38
日持上人の大陸行の話もガセでしょ。 肉食する蝦夷に仏教の布教は不可能。 中国に行くのならば博多から渡航していたろう。
924 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/05/14(水) 13:16:35
ナマグサ坊主がいるんでないの?
925 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 15:55:15
肉食する遊牧民であるモンゴル民族は仏教徒なんだけどな。
926 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 16:18:27
中国で発見されたという日持上人の遺品もニセモノだった。
927 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 18:26:58
928 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 18:34:24
有珠善光寺は幕末建立じゃないのか?
929 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 18:36:23
930 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 18:44:35
>>929 アイヌ人は仏像などの偶像を彫って崇拝することはしなかったはずだが?
ーークマなどの彫り物は最近になってからの観光用の土産物で。
931 :
日本@名無史さん :2008/05/16(金) 06:27:10
コシャマイン戦争までは蝦夷奥地にまで和人がアイヌ人と混住していて融合もして 、有珠善光寺も中世にあったものと思われる。 コシャマイン戦争後、和人が松前周辺に一時撤退し、民族区分意識が確定。
932 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 01:18:46
スターリンは朝鮮戦争の混乱の中で日本に渡って岡田真澄になった。
933 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 06:14:32
934 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/24(土) 08:53:41
スターリンはチビなんだよな 真澄は背高い
935 :
日本@名無史さん :2008/05/26(月) 17:46:02
>>934 真澄は厚底のブーツをはいていたのでつ。
スターリンは1879年生まれだから、2006年まで生きる可能性はほとんど無い。
937 :
日本@名無史さん :2008/05/27(火) 23:54:56
最近、気付いたんですけど・・・俳優の浅野忠信って『五条霊戦記』では遮那王やって『モンゴル』ではチンギス・ハンやってるよな! 気付いてテンション上がったのって・・・俺だけ?
938 :
日本@名無史さん :2008/05/27(火) 23:58:15
義経より範頼でしょう?やはり。
939 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 06:24:49
940 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 05:49:19
941 :
日本@名無史さん :2008/06/20(金) 15:55:02
>>939 シベリア出兵日本軍と在留邦人の作ったヨタと一目で分かる。
其のゴタゴタに巻き込まれて本来の遺跡と伝説が消えたはず。
>>919 たぶん平泉にあったのは義経公15歳のしゃれこうべだよ
宋に渡ろうと思えば渡れたろうけど 泰衡の協力がいるな
チンギスハンなんかであって欲しくない
英雄の一線を踏み外してしまった変態だと>チンギス・ハン
チンギスハーンはアレクサンダー大王 義経はレムス 頼朝はロムルスと考えると 歴史的に被るよ ローマの建国から帝政に意向するまでの経緯が 鎌倉時代の日本を含めた東アジアの歴史と被る 日本も帝政だったし あまり大きな声では言えないが
947 :
日本@名無史さん :2008/08/27(水) 04:40:10
義経は今でも南極の地下で元気に暮らしてるよ(・ω・ )
948 :
日本@名無史さん :2008/08/27(水) 05:15:23
義経はチンギス・ハンであることは間違いない。 実は、義経自身もムー大陸の王の生まれ変わりだったと、下町の物知りお爺さんが教えてくれた。
949 :
日本@名無史さん :2008/09/13(土) 01:06:02
いや、クラマ姫のオカンと宇宙のどっかで仲良く暮らしてるよ
950 :
日本@名無史さん :2008/11/18(火) 11:37:30
義経の流派誰かッ答えろ
951 :
日本@名無史さん :2008/12/11(木) 20:29:35
義経は宇宙人だった
952 :
日本@名無史さん :2008/12/11(木) 23:45:36
北条時宗の兄・時輔が生き延びて大陸に渡ったのは間違いない
953 :
日本@名無史さん :2008/12/13(土) 02:28:46
義経はジンギスでしょう。平泉にある義経像とジンギスの肖像は耳の形 ひげ眉口が同じ。 口が小さい。で酷似している。 衣川で死んでいないなどの状況証拠が多くある 鍵は鞍馬に証拠があると思うが 国際問題を刺激する大さわぎになるので探検隊も 何か隠していることは大いにありうる。多分日本人だけが知る世界史上の大秘密として眠るだろう。
同じモンゴル王朝の「清」は清和からとったという話を聞いたことがある。 清の国号の由来について書かれていた文書が中国にあって、肯定がそう答えていたらしい。 真偽は分からんが、そういう話を聞いたことある人いる?
957 :
日本@名無史さん :2009/01/05(月) 03:49:13
世界の英雄を無理矢理日本人にするなよ… 恥ずかし過ぎる。
958 :
日本@名無史さん :2009/01/05(月) 09:23:14
英雄はそうだろうが、ジンギスカンは超残虐だ。 あれが義経だなんて、とても信じられん。 あんな残虐なことするのは、やはり大陸人だな。
959 :
日本@名無史さん :2009/01/05(月) 13:50:52
頼朝ってヨシツネの事嫌いなの?
960 :
日本@名無史さん :2009/01/25(日) 12:44:05
961 :
日本@名無史さん :2009/01/25(日) 12:55:59
チンギス・ハンは実父も一族も分かっている 日本人が行って急にモンゴル民族の盟主に担がれることもないだろう
962 :
日本@名無史さん :2009/01/29(木) 16:17:13
朝青龍
このあいだ、イザベラバードの日本旅行記読んだんだが、アイヌの伝説には義経伝説がかなり色濃く残っていた らしい。神様の供え方も、義経の教えで変えたとかなんとか。ただの江戸時代の伝承で、そんなことがおこりう るか?ジンギスカンは別にしても、義経が蝦夷地に渡ったのはあり得るんじゃねーの?
確か、義経の頭蓋骨とジンギスカンの頭蓋骨が完全に一致したんだって? 統計学的に言って、同一人物でしかありえないよ
>954 天明3年(1783年)に森長見が書いた「国学忘貝」という本にその記述がある。 大雑把にだが… ・清国で編纂した「古今図書集成」という叢書は全部で一万巻ある。 ・その叢書の中に「図書輯勘」なる書が三十巻ある。 ・それに清の乾隆帝直筆の序文が付いていて、その序文に 「朕の姓は源で、義経の裔である。先祖が清和の出なので、清国と号した。」 と書かれている。 ・ただし、森長見自身がその本を読んだ訳ではなく、 「ある儒者からその話を聞いた」とも書いている。 結構流行った話だったらしいが、 蘭学医の桂川中良が実物(図書集成)を閲覧し誤りであることを証明した。 桂川中良の「桂林漫録」の中で以下のように書かれている。 「自分はかねてから『国学忘貝』に言う所の『図書集成』の中の『図書輯勘』なる書を 見たいと思っていたところ、 この頃兄桂川甫周が幕医であるお陰で見ることが出来たが、 『図書集成』の中には『図書輯勘』なる書はない。 総目録を検しても見当たらない。 従って、乾隆帝の自筆の序文などあろうはずなし。」
966 :
日本@名無史さん :2009/04/13(月) 20:13:49
ないない
アイヌが、縁もゆかりもない落ち武者である義経なんかに感化されるわけがない。 もしそのような話があるとしたら、単なる神様伝説を強引に義経に結びつけて解釈しているだけだろう。
となりの起源がどうの言う半島人みたくなりたくなかったら 迂闊な事は言わない方がいい
969 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 07:07:16
この話江戸時代ぐらいからあったんだよな
970 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 09:58:38
義経は衣川で死んでない 生きのぴて東洋の英雄になった・・・ まさに日本人ならでわの判官贔屓だな
971 :
日本@名無史さん :2009/06/08(月) 18:52:22
チョン見たいで この説嫌いなんだよね
972 :
日本@名無史さん :2009/06/08(月) 20:55:51
僕は2ちゃんだからってチョンとか書くやつが嫌いですね
「2ちゃんだからってチョン」ってのがそもそも2ちゃん脳
974 :
日本@名無史さん :2009/06/18(木) 14:36:18
975 :
日本@名無史さん :2009/06/18(木) 22:58:35
義経渡米説
976 :
日本@名無史さん :2009/06/19(金) 11:27:56
九朗判官殿、単身イタリヤへ
977 :
日本@名無史さん :2009/06/19(金) 11:34:59
藤原泰衡=インノケンティウス3世説
978 :
日本@名無史さん :2009/06/19(金) 12:28:34
979 :
日本@名無史さん :2009/06/19(金) 16:59:55
源範頼はマルコポーロだった!
980 :
日本@名無史さん :2009/06/20(土) 20:06:23
チンギス・ハンは弟がいるが義経に弟はいない
981 :
日本@名無史さん :2009/06/22(月) 01:09:20
チンギス・ハンは義経だとして ヒンギスは誰なんだ
982 :
日本@名無史さん :2009/06/22(月) 11:36:56
「成吉思汗の秘密」を元にした 義経=成吉思汗の一代記みたいな小説ってありますか?
984 :
日本@名無史さん :2009/06/24(水) 00:00:14
どうかな
985 :
日本@名無史さん :
2009/06/24(水) 14:19:18 聖徳太子は韓国人と言ってる基地外並み。 恥ずかしい説だと思う。