343 :
日本@名無史さん :
2005/05/12(木) 14:47:30 淡海三船は中国(漢)=神(カム)から承認された天皇に特別に神という字を与えた 徳という字を与えた3人も中国と関わり深い 語頭にスイの音を与えた3人もか? 神武天皇 57年 漢(カム)委(ヤマト)奴(ノ)国王(スメラミコト) 後漢に初めて朝献した 崇神天皇 239年 卑弥呼が親魏倭王に 魏に初めて朝献した 応神天皇 413年 南朝に初めて朝献した 懿徳天皇 107年 倭国王帥升等『スキ(ト)』 (おおやまとひこ『スキ(ト)』も) 初めて倭国王に任命される 仁徳天皇 421年 倭国王讃 宋に朝献し安東将軍倭国王の除綬の詔うけた 初めて安東将軍倭国王に任命される 聖徳太子 600年 遣隋使を送る 阿毎多利思比孤 初めて隋に遣使し、倭王に任命される 綏靖天皇 すいぜい 神武の子 垂仁天皇 すいにん 崇神の子 266年 西晋に朝貢し女王台与と共に爵命を受ける 推古天皇 すいこ 摂政は聖徳太子 「漢」は中古音・上古音ともに[han] 語頭の h は漢字音導入時にはカ行音で写されている 語尾の n は m になる場合がある 例「簡(中古音[k∧n]上古音[ ka~n])」をカミ、「蝉」をセミ、「文」をフミとして中国語から借用し日本語化させた
>漢(カム)委(ヤマト)奴(ノ)国王(スメラミコト) 音訓混用かよw
345 :
日本@名無史さん :2005/05/12(木) 21:40:37
>>344 音ではない
>>343 の下を見て
>「漢」は中古音・上古音ともに[han]
>語頭の h は漢字音導入時にはカ行音で写されている
>語尾の n は m になる場合がある
>例「簡(中古音[k∧n]上古音[ ka~n])」をカミ、「蝉」をセミ、「文」をフミとして
>中国語から借用し日本語化させた
漢から「神」になったとでも言うのか? 「委=ヤマト」といった認識もまだ無い。
別に何言っても自由だけどねw 流石にこんなのは珍しい
神倭伊波礼毘古命 神沼河耳命 神武天皇 崇神天皇 応神天皇 の 神 は 漢(中国) から 懿徳天皇 仁徳天皇 聖徳太子 の 徳 は 徳化 から 綏靖天皇 垂仁天皇 推古天皇 の スイ は分からん
349 :
日本@名無史さん :2005/05/19(木) 15:17:12
age
350 :
日本@名無史さん :2005/05/25(水) 15:06:08
age
351 :
日本@名無史さん :2005/05/25(水) 16:16:02
中国の皇帝と違って日本の天皇には姓がないのはなぜですか?
352 :
日本@名無史さん :2005/05/25(水) 17:34:46
神が漢って…w神(カム)はアイヌ語の神(カムイ)が語源だという説が有力です。
353 :
日本@名無史さん :2005/05/26(木) 21:18:42
>>352 カムという音が口伝されていて後世に神という字をあてた可能性も
354 :
日本@名無史さん :2005/05/26(木) 21:28:56
>>351 一応、「倭」(倭讃、倭済)とか「阿毎」(阿毎多利思北孤)とかがある。
355 :
日本@名無史さん :2005/06/10(金) 20:53:03
倭も姓?
勿論、大王家が大王家になった時には、「姓」に相当するものがあったものと考えられる。 それがいつの時点でなくなったか・・・というのは想像すると興味深いが あくまで想像しかできん。
姓はないだろ。最初から。 倭讃や倭済の「倭」という姓は朝貢する時に便宜的につけたものだろ。 讃や武がそもそも本名じゃなくて中国風につけてみただけなのに セットになってる姓の部分だけ本当の姓というのはおかしい。
正解
359 :
日本@名無史さん :2005/06/24(金) 00:32:43
え?
360 :
日本@名無史さん :2005/06/26(日) 06:47:59
>>351 天皇は姓を授ける存在であって、授けられる存在ではない
361 :
日本@名無史さん :2005/06/26(日) 07:36:49
>>356 大王家なんて存在しないけどね。
天皇以前はスメラミコトなどで、
大王は海外向けの称号で国内では名乗ってない。
天智天皇すら天命開尊だしね。
天孫族や豪族の史的文献には載って無い。
国外向けに作ったの文献のみ。
362 :
日本@名無史さん :2005/06/26(日) 07:39:18
天命開別
363 :
日本@名無史さん :2005/06/26(日) 20:59:46
>大王は海外向けの称号で国内では名乗ってない 具体例きぼんぬ
364 :
日本@名無史さん :2005/07/01(金) 00:54:21
>天皇以前はスメラミコトなどで、 スメラミコトは天皇号と同時期、あるいは後に出来た可能性すらある。 以前とするのはデムパ
ワカタケル大王
ほ
367 :
日本@名無史さん :2005/08/06(土) 21:37:51
368 :
日本@名無史さん :2005/08/06(土) 21:43:49
継体天皇の前後で易姓革命が起きてるのって本当?
369 :
日本@名無史さん :2005/08/06(土) 23:32:12
>>352 むしろアイヌ語の「カムイ」が日本語の「神(かみ)」からの借用語なのでは?
アイヌ語の「パスイ」が日本語の「箸」からの借用語なのと同じような感じで。
370 :
日本@名無史さん :2005/08/06(土) 23:47:51
日本語で語尾が[-i]となる単語がアイヌ語に借用されると[-uy]になるというのは、すでに言語学において立証されているね。
372 :
日本@名無史さん :2005/08/11(木) 21:38:32
a?
373 :
日本@名無史さん :2005/08/25(木) 18:27:41
374 :
日本@名無史さん :2005/09/02(金) 01:24:58
継体天皇は劉姓?
いいえ
376 :
日本@名無史さん :2005/10/02(日) 01:52:02
じゃあ何姓?
息長
378 :
日本@名無史さん :2005/10/19(水) 23:35:35
379 :
日本@名無史さん :2005/10/20(木) 22:37:26
継体が応神の末裔を僭称し、応神の母が息長タラシ姫であることは、 継体の出自を考える意味で興味深い。
王族を僭称しても、継体自身にはメリットが無い。 応神5世孫の系譜が作られたのは欽明朝だろう。
381 :
日本@名無史さん :2005/10/22(土) 09:23:14
>>380 メリットが無けりゃ、僭称などしないでしょう。
382 :
日本@名無史さん :2005/10/22(土) 10:42:33
たかしぃ〜
磐井の乱や辛亥の変を経て、世襲王権の確立が急務となった欽明朝
名前に崇のつく俺様がきましたよ
385 :
日本@名無史さん :2005/10/27(木) 23:00:13
「天皇たち」という言い方が斬新。 「鳥」じゃなくて「鳥たち」みたいな。
386 :
永田洋子 :2005/11/17(木) 11:34:14
387 :
日本@名無史さん :2005/12/04(日) 23:14:36
だれよ?
388 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 20:14:40 BE:60354443-##
// _// / ||_ノ __________________ \/// ̄\ / |> <_> \ | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。 く\___| < |∇ \ | 明日宮内庁を爆破する。 \__/ \ |≧||≦ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜 天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景 には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差 が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、 天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。 さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民 はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消 し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。 世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的 意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
389 :
日本@名無史 :2005/12/21(水) 21:49:48
>>10 孝徳天皇は遷都を嫌がり、そのせいで葛城皇子から廃位され、皇后ごと新都へ逃げられてしまった・・・
十分不幸。
徳の字の呪い、ここにも・・・
徳仁親王殿下も・・・・、徳つきますね。
徳仁←仁徳
392 :
凄いよマサルさん :2006/01/11(水) 16:09:53
普段はマクドナルドへ行くと250円のセットを良く頼むんだけどね。 家の先祖は香川県で塩田をやっていたらしい。(親父談) まあ右でも左でもタカ派でもハト派でも現在一線で動いている企業 なり人材はそれなりの哲学なり度量は在るという事だろう。 後、芥川龍之介は夏目漱石の弟子なんだよ。
393 :
切れてるチーズ :2006/01/17(火) 16:19:23
何となく蜜柑が食べたくなってきた。 昔は頻繁に田舎からダンボールに一杯の蜜柑が宅配で届いたもんだが、 今は無い。 いつから来無くなったのだろう。 そういえば昔は一日に数十個の蜜柑を余裕でたいらげたものである。 蜜柑も色々あるらしいね。
祟
395 :
481 :2006/03/01(水) 17:32:35
社会版:
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1139132859/ の投稿222を読んでいただけないでしょうか?
社会生態学的に分析した場合、
オーム真理教が「皇室犯罪」と仮定した時には
東京大学農学部にて、サリンが製造され、
地下鉄で多数の命を奪っていた可能性も考えねばなりませんが、
万一その場合、毒物製造を担当した東京大学農学部の教員陣は
殺人罪で検挙されるべきかと思うのですが、
この点の検証は行われつつあるのでしょうか?
オーム真理教が「皇室犯罪」か否かで
地下鉄毒物殺人事件の当事者が違ってきます。
東京大学農学部がサリン製造を担当していたかどうか
慎重な検証が必要と考えます。
396 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 14:02:19
>>379 しかも、応神の子である稚野毛二派(ワカノケノフタマタ)皇子から継体へと
繋がる皇統が、允恭の皇后である忍坂大中姫(オシサカノオホナカツヒメ)の
実家とされていることも興味深い。
要するに系図上、忍坂大中姫は稚野毛二派皇子の娘であり、彼女の兄弟とされる
意富富舒(オホホド)王が継体の父方の曾祖父になっている。
因みに継体の本名はいうまでもなく男大途(ヲホド)デあることから、
「意富富舒」と「男大途」は本来的には「大ホド」と「小ホド」の意味であった
ものが、後に別々の漢字を当てられたものと考えられている。
同じ家系のなかに「大○○」と「小○○」という対になる名前が存在する例は、
他には雄略の「大泊瀬(オホハツセ)」と武烈の「小泊瀬(ヲハツセ)」の
ようなものもある。(武烈の母方の祖父は雄略)
397 :
日本@名無史さん :2006/03/32(土) 23:33:30
あ?
398 :
日本@名無史さん :2006/04/07(金) 01:14:33
age
399 :
ニセモノ皇族(長州藩部落住民系)に関する学術論議 :2006/04/17(月) 07:55:57
400 :
日本@名無史さん :2006/04/25(火) 22:44:53
401 :
日本@名無史さん :2006/05/03(水) 12:15:35
太田龍と言う時点で眉唾
南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は
昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの朝香の宮と言う奴だ。
南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだね。
そうやって在日である天皇家は、日本の名誉を著しく傷付けるような指導を日本国民に対してして来た訳だ。
そんな天皇制にしがみ付いている奴はバカか狂人かのどっちかだね。
あるリベラルな知識人が二十年ほど前に、先の戦争は国民にも責任があると言ったことをヒントに、
天皇には責任が無いみたいなズレたことを言い出した右翼がいるが、
国民主権国家となってから、その天皇制を廃棄しないでいたことは今度は本当に国民の責任である。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.htm
403 :
日本@名無史さん :2006/05/22(月) 01:15:58
そう
崇より徳に注目すると面白いぜ。みんながみんなろくな死に方してねぇ。まあ一部例外がいるけどな。
405 :
日本@名無史さん :2006/05/24(水) 14:29:04
崇徳が最強。
>>404 いや、過去レスで、さんざん言われていることだが。
406 過去レス見ずに書き込んでしまった。悪い。
過去レスも何も,このスレの立った理由が
>>404 の書いてることじゃん。
409 :
日本@名無史さん :2006/06/16(金) 04:41:39
410 :
日本@名無史さん :2006/06/17(土) 16:06:13
崇り たたり? なんでこんな演技の悪い字を送り名に使うの?
「たたり」を「崇り」と書くのは誤用
412 :
日本@名無史さん :2006/06/18(日) 12:01:02
祟神天皇が最新の最古の天皇だったよね
413 :
日本@名無史さん :2006/06/18(日) 12:03:06
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○ このレスをみたあなたは・・・3日から7日に ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり 成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに 5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて ほしくないことが起きてしまうでしょう。 コピペするかしないかはあなた次第... ○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
414 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 11:31:33
>404 徳仁皇太子は大丈夫? オクリナに徳の字はつきそうにないからOKか?
415 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 01:09:33
「祟」と「崇」は別の字だろ。
「たたり」で変換すると「祟り」と「崇り」が出て来るんだな・・・
418 :
日本@名無史さん :2006/07/04(火) 23:45:18
419 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 08:09:59
青春
420 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 12:17:38
421 :
日本@名無史さん :2006/08/09(水) 23:28:56
そうすか
423 :
日本@名無史さん :2006/09/01(金) 03:36:51
424 :
日本@名無史さん :2006/09/10(日) 00:41:43
425 :
389 :2006/09/10(日) 16:25:41
孝徳天皇、続き 葛城皇子にすべてを奪われた天皇は、旧都で一人寂しく崩御。 その息子、有間皇子は葛城皇子暗殺を企てるが、腹心の密告で露見し処刑される。 よって、孝徳帝の子孫は絶えてしまった・・・。
426 :
日本@名無史さん :2006/09/10(日) 20:33:09
>>424 いや年号なのはわかってるんだが、院号として実際に使われた例があるのかってこと。
427 :
日本@名無史さん :2006/09/13(水) 15:21:45
崇徳最強
428 :
日本@名無史さん :2006/10/23(月) 23:33:24
「光」の字を持つ天皇は傍流から即位した天皇が多い。
429 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 06:23:56
>>428 「光」には「前業を受け継ぐ」って意味があるそうで、後漢の光武帝もこの意味みたいですね。
中国や韓国では光復会(清末の革命結社)や光復節(日本からの独立記念日)といった感じで使われてるみたいですが、手元の『漢語林』にはこの意味は載ってないので日本では馴染みのない表現ですね。
430 :
日本@名無史さん :2006/10/25(水) 01:11:35
先帝との男系での親等 光仁天皇・・・称徳天皇から8親等 光孝天皇・・・陽成天皇から4親等 光厳天皇・・・後醍醐天皇から7親等 光明天皇・・・後醍醐天皇から7親等 光格天皇・・・後桃園天皇から7親等 あと崇光天皇や称光天皇のように後ろに「光」がつく天皇は、当人の代で それまでの皇統が断絶した場合のようだ。 (もっとも崇光系はのちに復活するが)
>430 光厳、光明は別でしょう。もともと後醍醐自体が単なる中継ぎということもある けど、そもそもが両統迭立の時代に持明院流の嫡流として立ったわけですから、 「皇統の移動」の意味合いはないと考える方が自然ではないでしょうか。 そうでないと、それこそ後醍醐も含め前代のかなりの天皇が「光○」という事に なりますし。
432 :
日本@名無史さん :2006/10/28(土) 18:36:20
後嵯峨上皇の遺言の件もあり、もともと両統迭立期には明らかに大覚寺統のほうが分がよかった。 後醍醐が変なことをやって京都を追い出されなければ・・・。
433 :
日本@名無史さん :2006/10/28(土) 18:54:26
>崇 徳 ……中世最大の怨霊。 百人一首の せおはやみ の歌 ”われてもすへにあはんとぞおもふ” ってひょっとして 恋のことじゃなくて ”最後はこの世にもどってお前らに仇なすぞ” ってメッセージだったり。。
戦時中、島嶼では玉砕と称して日本兵はお互いに足を引っ張り合いながら団子になって死んでいった訳だが、 生き残った人が「彼らの死を無意味だったとは遺族には言えない」と言っていた。 どうすれば彼らの死を無駄にさせないことが出来るか、思い悩んでいる様でもあった。 日本では、未だに戦争の張本人、責任者である天皇の戦争責任が問われていない。 これを明らかとし、二度とこの様なことが起きない様に天皇制を廃棄する事こそが、彼らの死に報いることではないだろうか。 そうして初めて、戦争で死んでいった数百万の日本人の死が無駄ではなくなるのである。
435 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 11:14:59
崇は祟り 徳は怨霊を追い払うという意味じゃなかったかな
436 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 11:55:23
昭和天皇にも贈り名あるのか?
437 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 14:59:10
明治時代から中国の明朝に成立した一世一元制を採用した為、天皇が在位の間は改元をせず、天皇崩御後は在位中の元号を贈られるシステムになった。 諡号には先代の治世を評価する価値判断が伴うため、始皇帝みたいな専制君主は廃止してますね。
438 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 18:27:46
位真崇伝
439 :
日本@名無史さん :2006/12/07(木) 12:54:38
天皇じゃないが皇族には崇仁っていたよね?最近の人で。 京都の被差別部落と同じ名なんだが?
440 :
日本@名無史さん :2007/01/09(火) 02:49:13
日本史ではないが、ラストエンペラー溥儀には今のところ諡号がない。
441 :
日本@名無史さん :2007/01/13(土) 23:07:51
>>440 一応、中国政府が「恭宗」という諡号を定めたが愛新覚羅家は認めていない筈
「タタル」「タタリ」という語が「祟る」「祟り」の意味で使われるように なったのはいつごろからなのでしょうか? 折口なんかだと「タタリ」はもともとは「出現する」の語であったと 説かれていたように思う
徳や崇の字が災いを引き起こすんじゃなくて 祟りそうな人間にあとからお札みたいな感じで徳や崇の字をつけただけだろ?
大魔縁
445 :
日本@名無史さん :2007/02/21(水) 05:07:30
>>439 昭和天皇の弟皇子じゃないか。まだ健在だったけ?
446 :
日本@名無史さん :2007/03/17(土) 00:34:38
>>441 どうして認めなかったの?
てゆうか今の愛新覚羅家に中共政府が決めたものを拒否する力なんてあるの?
447 :
日本史@名無しさん :2007/03/21(水) 10:06:31
いや、だからその名前が酷いからだろw
>>446 自分の親の贈り名を決める権利くらいは個人にもあるだろう、
いくら共産党国家とはいえどもw
449 :
日本@名無史さん :2007/03/22(木) 01:41:14
>>448 てか
>>441 を読む限り、中国政府が溥儀の贈り名を定めたが、それを溥儀の親族が認めていないって読めるんですが・・・。
450 :
日本@名無史さん :2007/03/22(木) 05:06:32
中国政府ではなくて、溥儀を清の陵墓に改葬して宣伝に利用した霊園業者じゃないのか?
大魔王崇徳上皇 HP 5500000 MP 無限 AT 777 DF 400 AG 290
ほ
453 :
日本@名無史さん :2007/05/12(土) 23:54:16
しゅ
454 :
日本@名無史さん :2007/05/13(日) 02:29:16
ぴっ
>>445 健在だよ。
>>450 そういう政治に深くかかわることは、民間の一業者が勝手にできる国じゃないよ、あの国は。
愛新覚羅家が認めないってのは、十分にありうることでしょ。
認めてしまったら、それは清朝以後の政府の正統性を認めた、って意味になるからね。
>>429 光仁、光孝、光格は、明らかに光武帝を意識しての贈り名でしょう。
↑なるへそ
残念だけど429のほうが正しいよ
459 :
日本@名無史さん :2007/05/20(日) 02:13:54
>>429 と
>>456 は結局同じことを行っているような・・・。
それより
>>430 の、後ろに「光」がつくケースは当人の代でそれまでの皇統が断絶ってのはどうなの?
460 :
日本@名無史さん :2007/05/27(日) 21:14:08
さあ?
461 :
日本@名無史さん :2007/06/10(日) 21:12:43
あげ
>433 百人一首の祟徳天皇の歌・・・ 都で平穏に暮らしていたときのものだと思われ・・・ まさか今様狂いの実弟、後白河ごときに武士が味方するとは 思わなかったんだろうね。 祟徳上皇が流された讃岐に上皇を祭る神社があるが、 なぜか、母の待賢門院も祭られている。 待賢門院は讃岐に来たことはないし、祟徳上皇が流される以前に亡くなっている。 待賢門院は、治天の君後白河法皇の母でもあり、後白河法皇は今様に没頭した理由を 「梁塵秘抄」の中で母の影響と語っているのだが、なぜか怨霊になっていると思われたんだろうか。 たしかに晩年は不遇であったが、祟徳上皇のように流されたわけでもないんだが。