元は倭だったわけでしょ?それが今は日本の心は和の心、
みたいなことになってる。これってやっぱり君主制国家
のやり方、みたいなことなの?元明天皇の時に倭から和
に変わった、ぐらいしか知らないので。元々倭=和では
なかったのでは?
2 :
日本@名無史さん:03/01/05 12:12
2....
3 :
日本@名無史さん:03/01/05 14:17
age
4 :
日本@名無史さん:03/01/05 16:40
今の奈良県を奈良時代に「大和国」と書いて、そのうち和州と書いたりもするようになったけど
はじめのうちはまだ日本の意味ではなかった。
奈良県をさす「大和」も日本を意味する「日本」も「やまと」と訓読していたので
次第にごっちゃになったんだろう。
だから「倭」がストレートに「和」になったわけではない。
>>4 アンタよくレスつける気になったね・・・
俺には1が何を聞きたいのかさっぱりわからん。
そお?
わけわからんカキコは2chでは当たり前。
慣れたよ
いや、つまり、「倭」の国だったものを、同音で意味の判りやすい
「和」とする、つまり、「和」というのはまとまりを意味する言葉なので、
ナショナリズムを形成するのに一役買ったのではないかと。
つまり、昭和までの政治家が「日本は単一民族国家である」という
プロパガンダを利用してナショナリズムを輪郭化していたのと同様の
効果を狙っていたのではないかと。
もしくは狙わずとも結果的にそのような効果を及ぼしていたのでは
ないかということです。
実際いまでも「和の心を大事にしろ」という論調が若者の間でも
使われるじゃないですか。これはかなりナショナリズムを形成する
かなり大きなファクターなんじゃないかな。
9 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:00
西暦315年に宗主朝鮮に「もっとましな呼び名をくださいませ」と懇願し朝鮮皇帝から
下賜されたのが「和」。漢文を識らぬ蒙昧な倭猿に字を教える、と当時の文献に出ている。
このときはいわゆる「国号」は蛮族には不要であるとして与えられなかった。
10 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:13
和に国号を変えた文献は残っていたはす、もっとも和から日本への国号
の変更かもしれないけどね。
>>7 倭と和が同音なのは日本においてだけなの。
過去に朝貢先であった中国から見れば別の発音になるので、
同一視するようになった経緯は日本国内において日本人によるものでしょうね。
12 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:21
>>11 ・朝貢当時の中国での「倭」と「和」の発音を示してくれ
・同一視するようになった経緯を詳細に示してくれ
憶測で書き込みするような真似はしていないよね? ニヤリ
13 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:28
ちなみに「和をもって貴しと為す」という十七条憲法の文自体は、
7世紀初頭ではなく8世紀になってからの創作である蓋然性が高いらしい。
14 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:36
>>12 倭は『wo』
和は『hai』または『han』
15 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:41
「わ」とは実は「環」であり、
古代日本人は、集落のことを「環」と呼んでいたのではないか。(井沢説)
16 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:53
「我(わ)」と自分達のことを指して呼んでいたいたことが一番最初の由来。
17 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:53
ということは結局、「和」はその意味を利用してナショナリズムの
統一に・・
19 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:09
で結局1は何を言いたい(聞きたい)わけ?
いつから倭を和としたんだボケェと言いたいの?
チョンはカエレ
20 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:12
>>19 ついていけないからってすぐに切れるなよ。チンカス。
21 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:14
上古音だと、倭は『ua^1』で和は『rua^1』だな。
>>7 近代の政治家が「倭」を「和」に変更したといいたいの?
23 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:34
>>9 とにかく倭と和の同一視は、
日本語化した発音である“わ”が同一であったことをもって初めて、
同一視が可能なのであり、日本語圏でしか行ない得ない発想であろう。
24 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:37
>>22 NoNoNo!!
「倭」を「和」にすり替えたのは1500年前だろうけど、それが「和」
の持つ意味合いから、ナショナリズムの形成に役立ったのでは
ないか、ということ。
元はといえば、なぜ我々は「和の心」のもとに強調を強いられるのか
という疑問が湧いたのです。
25 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:40
要するに自分が受けているストレスの原因を歴史に求めて
解消したいという無意味な衝動なわけか。
>「倭」を「和」にすり替えたのは1500年前だろうけど、それが「和」
>の持つ意味合いから、ナショナリズムの形成に役立ったのでは
>ないか、ということ。
つまり、近代でもその利用が継続されているということです。
>>25 な、なんて卑屈なことを考えるんだ・・。
あなたあまり歴史の研究には向いていないね・・。
ナショナリズムの形成にはなんだって利用されますよ。
29 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:58
>>27 いや、卑屈なことを考えてるのはお前。
ようするにお前ワガママなんだよ。仲間内での義務も果たさずに権利ばっか主張して。
そんで周りのやつらに嫌われてんだろ?
んで、協調性がない自分の欠点を棚にあげて、相手が悪いと思い込んでる。
和を重んずる社会が悪いんじゃない。社会に適応できないお前が悪いんだ。
いい加減に気づけ。
もう一度言うぞ。和がどこからきたか。そんなことをいくら探っても
お前の社会不適応は解決しない。
その原因はおまえ自身の心の中にあるからだ。それよりもさっさと寝て
あした会社(学校)でにっこり笑ってみんなにちゃんと挨拶するところ
から始めてみろよ。そのほうがずっと有益だ。
30 :
日本@名無史さん:03/01/06 02:06
漢倭奴国王って金印があるくらいだからな。
古代の中国は、北の異民族を「匈奴」と呼んでいたが、
古代の日本は「倭奴」と呼ばれていた。
「倭」の「奴」の国なんて読み方は捏造くさい。
( ´_ゝ`)ヘェ-
>>1 あなた自身はやっぱり周りの人に「和を保つことが大切」とか「協調性を持とう」
とかよく言われるの?
饒舌だったのが急に顔文字のみ。
ズバリ核心をつかれてけっこう堪えてるみたい。
>>32 はあ、教師には毎日(嘘)言われます。
その他には言われませんが。
>>34 先生にそう言われるのは苦痛?
どうしてそんなこと言われると思う?
クラスメートからは相手にされてないんだね。
教師は大変だよな。全員を向き合わないといけないから。
生徒は単にそいつを無視すればいいだけだからな。
>>1さんかわいそう。。。
でも、クソスレ立てたらダメだよ。資源の無駄だから。
おっとなんでそんなに俺に興味を持つんだ?
ここは動機に関係なく日本史を議論する場なんじゃないのか?
真面目にレスしてくれた人に申し訳ない。
自演か何か知らないが、真面目に答えてくれる人以外にはもう
レスしないよ。だって大体俺みたいのに影で文句言う奴は
不細工だと筋が決まってるんだ。って何も関係ないけど。
>これってやっぱり君主制国家
>のやり方、みたいなことなの?
こんな間抜けなこと書くDQN餓鬼がいっちょまえに日本史を議論とかいってんなよ(藁
41 :
日本@名無史さん:03/01/06 02:49
>40はなぜ間抜けなのか説明できない真性DQN
>ここは動機に関係なく日本史を議論する場なんじゃないのか?
協調性ゼロの半ヒキだと自白しちゃってる。カワイイ。
43 :
日本@名無史さん:03/01/06 02:52
>>41 レスしないとか言った直後にレスすんなよ(藁
みっともねえな。
44 :
日本@名無史さん:03/01/06 02:55
もうみんな
>>1みたいなDQNは無視しなよ。
そのほうが
>>1にも自分が普段人にまともに相手にされないのは自分のせいだってはっきり自覚できるだろ。
45 :
日本@名無史さん:03/01/06 02:56
>>44 それもそうだね。じゃあ漏れは落ちるYO!
>>44 禿同.いちいち冬房の相手をしてたらクソスレだらけになって困るからな
>>43違う。残念。
では、明らかな自演以外もう建設的な意見は出ないようなので、お開きにしましょう。
答えてくれた人、どうもありがとう。
バイバイ
やっぱやめるのやーめた。
もっと意見が聞きたい!からageちゃいます。
和ってなんか現代からすると反動的な響き。
49 :
日本@名無史さん:03/01/06 03:24
「和」は上古音においては『h』子音から始まるが、これを日本語に持つ込むとき、
まず基本事項として、当時の日本語には『h行』の音がなかったことに注意すべき。
現在の『は行』は当時の日本における発音では『p行』であった。
そこで、『h行』の発音である漢字を日本に取り込むときには、
多くの例で『k行』になっている。例えば、上海の『ハイ』は日本語では『カイ』。
しかし、 一部、 合口の介母音を含むものについては、 ワ行音に対応させている。
『和』が『わ』と読まれるのもそういう理由である。
一方、『倭』のほうには『h』の音はなく、『ua』あるいは『wo』であるから、
大陸側では明らかに別の発音の文字と認識していたはずである。
よって、日本語に取り入れたあとの『わ』の発音が共通するからといって、
それを根拠に同一視したと断言するのは早計であろう。
>>8で質問スレに誘導してもらってるのにこれ以上ここで続けるなよ。。。
>>47-
>>48 レスしないとか言った直後にレスすんなよ(藁
みっともねえな。
52 :
日本@名無史さん:03/01/06 03:33
>>50 質問スレでおこなうのは、主に、答が明確であるような厨房質問系。
今回のような奥深い問題は、おそらく何百レスも意見や議論が続くであろうから、
独立したスレで行なうのが日本史板での今までのマナー。
本題に戻ると、大和言葉で自分達を指す「わ(我)」に対して、
中国人がその発音と身体的特徴より「倭人」と称したのが始まりではないか?
>>52 ところが
>>1は質問スレに行って、ひとりで納得しちゃってる。
だからこのスレをこれ異常消費することはない。落とすべき。
>中国人がその発音と身体的特徴より「倭人」と称したのが始まりではないか?
倭が和に変わったのはいつかって話だろうが。
倭がいつからはじまったかなんて誰も聞いてねえっつーの。
>>53 ホントだ。マジで
>>1ってかなりワガママなんじゃないの?ネットのまなーとかをぜんぜん踏まえてない。これじゃあ、叩かれるのも当然だよ。、
56 :
日本@名無史さん:03/01/06 03:44
奈良県には、倭がつく地名が今でもいっぱいあります。
>>49 なるほど。同音のすり替えとは限らないと。
和って世界的にも珍しい方法で用いられている言葉ではないでしょうか。
和菓子、とか。現在はっきりとその指し示す場所なり行政単位なりが
存在しないが、様々な商品の冠にそれが用いられている、さらに、
それははっきりとした輪郭はないが漠然とそれに属するコミュニティなり
が存在する言葉って他の国にはあるのでしょうか。
>>50これは単発質問というより「倭」が用いられなくなり、
「和」という同音のワードが日本を包括的に意味するとこ
ろとなった変遷を、偶然性も含めて考えるということで
そんなに悪くはないのではないかと思うのですが。
58 :
日本@名無史さん:03/01/06 03:53
天武朝において、『和をもって貴しと為す』という例の架空憲法条文を
でっちあげたときに、初めて『和』が意識して強調され始めている。
フロンティア、とかどうよ。
地理概念 国概念 感情概念
和 日本 日本 協調、調和
フ 新大陸 北米 自由、進取
60 :
日本@名無史さん:03/01/06 04:01
和(わ)は音読みなので大和言葉でないことに注目しよう。
我々古来からの大和言葉で表現するならば、
輪(わ)をもって貴しと為す、ではないのだろうか?
むろん、環(わ)でも、輪(わ)でも、元の大和言葉では同じ。
たまたま、その意味に該当する漢字が中国では複数あるだけ。
61 :
日本@名無史さん:03/01/06 04:13
>>59しっくりくる。たしかにブッシュ言うしね。ジャスティスほどじゃないけどw
>>58>>60 なるほど。ちょっと頭が混乱してきたけど、和というのは古来(聖徳太子以前)
からあった言葉ではないと。やはり聖徳太子以降元明天皇以前にその
概念が形成された、というように考えるべきなのでしょうか。。。
一旦寝ます
62 :
日本@名無史さん:03/01/06 04:44
協調とか調和の意味の『わ』にも『輪』をあてても日本語的にはOKなんだけど、
中国語の『輪』にそういう意味がないのだろうね。
大和言葉の『わ』には丸くて調和や協調の意味まで含んでいたとしても。
63 :
日本@名無史さん:03/01/06 05:05
64 :
日本@名無史さん:03/01/06 05:47
漢語の「わ」と大和言葉の「わ」をごっちゃに語れるその神経がわからない。
こういうの電波なんだろうね、やっぱり。
65 :
君子は和して同ぜず:03/01/06 05:50
むやみに「協調性」を説くようなヤツにかぎって
実際にやっていることは「派閥づくり」にすぎなかったりするもんだ・・・
まぁオレは鈴木善幸って結構すきなんだけれどね
66 :
日本@名無史さん:03/01/06 05:52
それはともかく古代中国では
「和」って「か」に近い音じゃないの?
(^^)
69 :
日本@名無史さん:03/01/13 20:16
我(わ)や、輪・環(わ)が古くからの大和言葉なのに対し、
和(わ)というのが意味・発音・概念で大和言葉なのかどうか?
70 :
日本@名無史さん:03/01/13 20:56
朝鮮が、和寧にならなくて良かったと思う今日この頃。
(^^)
72 :
日本@名無史さん:03/01/17 03:49
たしかに、朝鮮では、和寧が国の候補名として挙がってたね。
73 :
日本@名無史さん:03/01/22 06:45
>>69 >和(わ)というのが意味・発音・概念で大和言葉なのかどうか?
音読みじゃねえかよ。わからねぇのかい? 小学生?(w
74 :
日本@名無史さん:03/01/24 18:25
75 :
日本@名無史さん:03/02/07 20:48
>>73 音読みがそのまま中国での発音だと思ったら、あなたは素人。
77 :
日本@名無史さん:03/02/11 05:23
78 :
日本@名無史さん:03/02/11 05:31
>>73はゆとり教育の輝かしい成果の産物です。
ヤマトコトバの意味がまるで分かっておりませんw
79 :
日本@名無史さん:03/02/11 10:05
倭奴が多いねぇ〜
80 :
日本@名無史さん:03/02/13 01:26
>>78=75=69はゆとり教育の輝かしい成果の産物です。
ヤマトコトバの意味がまるで分かっておりませんw
81 :
日本@名無史さん:03/02/24 22:00
よーするに、和(わ)は大和言葉ではなく輸入もんの概念っちゅーことやろ?
82 :
日本@名無史さん:03/03/03 00:00
輪とか環とかを意味する『わ』は大和言葉だぞ
もちろん、我々を意味する『わ』も大和言葉
「輪・環」=「わ」は大和言葉。
でもこれは「倭」とは関係がない。倭の字を「わ」と読むのは後世の発音。昔は発音がちがう。
「我・吾」=「わ」も大和言葉。でもこれは昔は「あ」だからやっぱり無関係。
おわかり?
---------------------------------------<終了>---------------------------------------------
84 :
日本@名無史さん:03/03/11 22:39
われわれ日本人の「和」はどうよ?
まず基本的な事実として
倭→大倭→大養徳(737)→大倭(747)→大和(天平宝字初頭年間)
大養徳以降の変更は橘諸兄政権・仲麻呂政権の消長との関わりが深い。
宝字のものに関しては天平宝字二年正月五日の問民苦使派遣詔の中の
「四時和協。休氣布於率土」との関連が指摘されている。
挙げやん
87 :
日本@名無史さん:03/03/14 21:50
88 :
日本@名無史さん:03/03/21 23:36
倭と和は中国では北方音でも南方音でも異なることから、
日本独自の同一視音とみなすことは、通説になってますか?
89 :
日本@名無史さん:03/03/23 14:24
>>88 レスないようなので、感想だけですが、
中国側の同時代資料に「和」表記がないことが、
そのままに理解されている=中国の音は言わずもがな
という状態に感じられます。
(古代史学界のコンセンサスは知ってる方に・・・・)
90 :
日本@名無史さん:03/04/01 07:30
倭と和は、日本側へ導入されて発音が大和言葉的に縮退同一化(呉音など)してから、
かなりの年月が既にたっていたのかもしれない。つまり倭人にとっては同一視してた。
91 :
日本@名無史さん:03/04/07 03:09
日本が採り入れた漢字音のうち、南方系の呉音のほうがなめらかですな。
92 :
日本@名無史さん:03/04/07 20:32
>>90,91
板違いかもしれませんが、訓読みは呉音が元なのですか?
朝鮮における漢字読みの元とは異なるのでしょうか?
93 :
日本@名無史さん:03/04/07 22:06
訓読みは音読みと関係ないだろ。
なんだよ「訓読みは呉音が元」って、意味不明すぎ。
94 :
日本@名無史さん:03/04/07 22:43
>>92 93に同感
漢音と呉音はどちらも音読み
「大和言葉」っぽく感じるのが訓読み
(こんな解説させないで・・・)
何を聞きたかったのかもう一度たのむ
95 :
日本@名無史さん:03/04/07 22:45
96 :
日本@名無史さん:03/04/14 19:10
>>92-94 ただ、古代でも漢字が入るかなり以前に入ってきた言葉で、
大和言葉として定着したものもあります。
馬(うま)などはそうで、訓読みですが、大陸起源の読みです。
(^^)
98 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:42
馬→ma→uma(うま)だっけ
>>98 muma(むま)→uma(うま)だったと思う。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
101 :
日本@名無史さん:03/04/24 02:42
ウマは語源としては漢語だけど
純粋の大和言葉としては「こま」というね。
「こま」は「小ウマ」が語源だという説もあるが有力ではない。
もうこのスレは言語学板か古文漢文板に移行しないと
まともなレスが期待できないと思う。
102 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:24
どうして、高句麗のことをコマというの?
高句麗というのは、もともと五つの国(部族)が併合しあって連合してできた国。
その一つが蓋馬国。蓋馬というのは地名であって王朝の名ではないから、
高句麗のことを別名・蓋馬国といったんだよ。
蓋馬は現代日本の読みではガイバだけど、もともと熊を意味する夫餘語コマへの当て字。
蓋馬国は熊が多く棲息していたか、またはアイヌみたいな熊神信仰の部族がいたんだろう。
ちなみに「高句麗」という国名も、もとのその五つの国(部族)の中の一つが
漢帝国の玄菟郡高句驪県の県城だったことからきている。
104 :
日本@名無史さん:03/05/04 00:35
少なくとも、室町幕府の三代将軍・足利義満は明と勘合貿易を行っていて、文献にも倭国の文字がみられる。同時代、倭冦が山東など明の港、船などを襲撃している。
105 :
日本@名無史さん:03/05/04 13:25
あげ
106 :
日本@名無史さん:03/05/04 13:42
平田篤胤も倭と言っていた。
埼玉が彩の国になってからでつ
戦はかず..
戦は和..
★おまけ
和える=あえる
1野菜・魚介などを、酢・味噌・胡麻(ごま)などとまぜる。
2まぜっかえす。ごちゃごちゃにする。
110 :
日本@名無史さん:03/05/05 19:43
「倭」が史書に初登場するのは紀元前一世紀に王充が書いた【論衡】であり、
「周の始め、成王の時(BC1020年頃)、倭人が暢草(神事に使う草)を献じた」とあります。
この倭人の由来には諸説あるようですが、日本列島の倭人ではなく中国本土にいた倭人、雲南省のワ族ではないかとする意見もあります。
次に登場するのは、前漢時代の地理書【山海経】です。偽書だの物の怪を書いた奇書だの言う方もいますが、
当時は地政学的知識がなかったわけですから表現方法が動物になっただけではないでしょうか。
「燕」は北京の西北辺りにあったようですが、どうやら倭は「燕」と関係があったようです。なお、蓋国は[シ歳](ワイ)国を指します。
「蓋国は、鉅燕の南、倭の北にあり、倭は燕に属する。」
「鉅燕は、東北の隅にある。」
「朝鮮は、列陽の東にある。海の北、山の東にあり、列陽は、燕に属する。」
三番目は【漢書地理誌】であり、「楽浪海中、倭人有り。分かれて百余国と為す。歳時を以て来り献見す」 とあります。
「倭は呉の太伯の後なり」の方が記述内容としては古いよね。
記述そのものは新しいが。
蓋国は沂水の上流にあった国で、「穢」のことじゃないよ。
113 :
日本@名無史さん:03/05/07 15:41
倭の起源を語るよか、倭と和の境目を探したほうがいいんじゃないかな。
百済、倭軍の敗戦で百済ミンを倭軍が救済のため倭国へ連れ帰ってからだろう。
倭→和→日本
115 :
日本@名無史さん:03/05/17 21:30
穢って、正確には、シ歳、だよね。
穢(ワイ)→和(ワ)
116 :
日本@名無史さん:03/05/17 21:47
列島は地勢学的には狗奴國も「呉」系であろう。 女王国の東も、いわば「狗奴」系
甲府盆地、富士川上流の三珠町に「呉」の赤鳥元年の鏡が発見されている。こんなところに240年当時、すでに呉から人が移住していたにだから。
117 :
日本@名無史さん:03/05/18 02:45
118 :
日本@名無史さん:03/05/18 02:47
倭は、軽蔑する言葉でも、蔑称でもないよ。
そもそも、中国周囲において人偏がついている。
語源も、他の周辺国によくある例のように、倭人の自称「わ=我=吾」から。
委だったんだが、後から人べんつけたんだろ?それで倭
矮とも関係があるみたいだが、まあ所詮中華の虚栄心。
以下コピペ
中国人は古来、近隣国を蔑視してきた。この蔑視観は、
文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。
その優越意識はアパルトヘイト以上である。その証拠
に華人以外はみな禽獣として、民族名称には獣へんや
虫へんのついた漢字を用いて書いた。盛唐時代の代表
的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のこと
を「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。作家の魯迅
は「中国人は人間を人間とも思わない」と、中国人の国民
性を批判している。
120 :
日本@名無史さん:03/05/18 06:04
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し 美はし
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
122 :
日本@名無史さん:03/05/23 00:30
和を『わ』と読んだときから、大和言葉の「わ(=自分たち)」に通じた
123 :
日本@名無史さん:03/05/23 00:58
そういや
中国で言うジーベンがシルクロードを通って欧州に行って最終的にイギリスでジャパン
になったとしたら、ジャパンの発祥は中国で、
中国で日本という名前が使われていたらば、当時の中国にとって日本はやはり「日出づる国」って存在だったの?
当時の中国なら絶対に東方の島国なんか倭というはずだし
単なる地形的に東方の国でも「日いづる国」というのは考えにくいが
その辺はどうなんだろ
倭が日本になったのは唐の頃。
>>123がいってる「当時」はとっくに日本になってる。
125 :
日本@名無史さん:03/05/23 01:35
>>123 たしかに日本になってるけど中国(中華思想)からしたら「倭」の普通じゃないの?
日本ということは「日本」と認めてることか?
>>125 なにがいいたいのかさっぱりわからん。そんなに中国から差別されたいのか?
中国の「正史」では8世紀以降は「日本」が正式名称なんだからしょうがないじゃん。
それ以降は「倭」という言い方(別名)もあるにはあるが、
中国人自身が正式な国名として認めてないんだよ。
127 :
日本@名無史さん:03/05/23 01:42
「図々しい自称だ」ぐらいには思ってたかもしれないけど
認めてはいたでしょ
それに「日本」という王朝名、唐だかの時代に皇帝がつけた
って説も(中国側に?)あったぐらいだから、向こうもそんなに
目くじら立ててたわけではないんでないの
倭が「漏れんとこ『日本』に改名しよう!」と思いつくはるか以前から
中国では東のはてを「日本」とか「日下」とか呼んでいたんだよ。
だから、唐の時代の中国人が新羅をさして日本と呼んだこともあるし、
新羅では于山国(今の鬱陵島)を日本国と呼んだこともある。
日本国内でも、奥州を「日の本」と呼んだり、
北海道東部や千島列島を「日の本」と呼んでいた。
全部、東の方の意味。
129 :
日本@名無史さん:03/05/23 02:10
その前に、中国なんて言葉使ってる時点でもう終わってる・・
「中国」という名称についてはいろいろあっても「日本」とはまた別問題。
131 :
日本@名無史さん:03/05/23 22:17
132 :
日本@名無史さん:03/05/23 22:22
支那
133 :
日本@名無史さん:03/05/23 22:32
>>132 シナがよくて中国が駄目な理由は何?
逆にシナじゃなければ駄目なのか?
シナって単なる中国を指すときの慣例であって、正式名称ではないだろ
別に中国でもシナでもいいじゃん
単なる日本お得意の歴史歪曲、捏造の一例にすぎんだろ。
今でもコリアの人と話すと「日本という自国中心主義的な
国号は不愉快だ」「周辺国にもきちんと通じる倭で十分」って
いうおしかりをよく受ける、人民共和国が「北朝鮮と呼ぶなら
倭と呼ぶ」などといって問題になっているがそもそも倭が歴
史的に正しい以上現在のほうが共和国に譲歩してもらってる状態なわけで。
俺みたな国際派の人間としてはナショナリストのオナニーは
他国の人との交流の妨げになるんでやめてほしいところだ。
135 :
日本@名無史さん:03/05/24 06:36
>>134 そんな無理して面白くしようとしなくていいよ(w
中国、朝鮮の歴史捏造歪曲はどう判断するのですか?
むしろ日本より醜いものですよ。しかもそのネタで国民に教育を施している。
周辺国が普段公の場で倭を用いているなんて聞いたことがないですね。さらに
倭とは何だ?の説明が出来ますか?倭国は朝鮮半島南部、及び日本の大部分、
東南アジア地域の事を指すことを知ってますか?今の日本は北海道、本州、四
国、琉球で成り立っています。倭と呼ぶ理由がないですね。倭は、朝鮮と中国
で用いられているだけで他国では通用しません。朝鮮は中国に従っているので
そう呼ぶのでしょうが。倭というのは矮小という説がありますが、これは説でしか
ないです。倭は委であってもともと由緒正しい言葉でありました。
九州忘れてました。
138 :
日本@名無史さん:03/05/27 11:06
「倭」というのは正式公式な国名ではないというだけで
別名ではあるんだから、そんなにすごい間違いともいえない。
>134はネタ?
”中華**”という国号だって
それこそ文字通り中華思想の反映だが。
140 :
日本@名無史さん:03/05/27 11:48
倭って当時の中国語でなんて読むんだよ?
邪馬台国はヤマド国とかヤマダイ国らしいが
141 :
日本@名無史さん:03/05/27 22:43
>>140 3世紀の段階だと、倭の字の発音は[uar]
邪馬台は[ngiag-mag-deg](※参考までに中古音では[yia-mba-dei])
143 :
日本@名無史さん:03/05/28 05:45
一[iet]戈[kuar]の反切だから[uar]で合ってるじゃん
144 :
日本@名無史さん:03/05/28 08:08
>>141 日本語風カタカナで読むと「ンギャマデ」でいい?
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
146 :
日本@名無史さん:03/05/28 15:53
ここまで来て何故誰も「旧唐書」の記述に触れぬ?
147 :
日本@名無史さん:03/05/28 15:53
>>144 すまん。発音記号が打ち出せないので、似たようなローマ字を使っただけ。
邪の字の[ng]はングではなく鼻音のグで、ギャに近い。中古音では[y]。
この頃は移行期だからすでに[y]になっていた可能性もある。
台の字の[e]も、もとの記号はエではなくウとオの中間ぐらいだったと思う。
149 :
日本@名無史さん:03/05/29 04:25
>>146 がいしゅつだろ。
不満なら自分で問題呈示しる。でもがいしゅつ分はループさせるなよ。
倭というのは「ワ」なんだよ。和というのも「ワ」なんだよ。
いつからといわれもねえ。おれたちはね初めから「ワ」だったんだよ。
ハハハハ。ワワワワ。
倭ではなく委。
白村江での敗戦後支那が倭に変えやがった。
ちなみに朝鮮人がよく用いる、
ウリナラの「ナラ」は倭語
>>143 > 一[iet]戈[kuar]の反切だから[uar]で合ってるじゃん
どこの何時代の発音?そもそも、ピンイン?
声母部分、一[iet]はなぜ反映されない?
ちなみに現在音では一[yi]戈[ge]、反で[ye]なんですが...
155 :
日本@名無史さん:03/06/01 09:02
上古音でそ。
[iet]は母音だから反映されたらその方がおかしいのでは?
156 :
146じゃないが:03/06/04 15:54
>>149 そう思って読み返したがロクに出とラン。
確か3つ説があっただろ?
1 倭を和に改名した
2 倭が和に攻め滅ぼされた
3 そもそも倭と和は違う国
で、連中も混乱気味だったはず。この辺議論できるんじゃない?
>>156 それは日本と倭じゃないのか。
日本は元小国だったが倭を併合して大国になった。
あるいは倭が日本を併合してその名を冒した。
158 :
日本@名無史さん:03/06/14 06:02
われわれは、旧倭と旧日本の混血児ってことか。
159 :
日本@名無史さん:03/06/14 08:16
日本は元小国だったが倭を併合して大国になった。
「旧唐書」の記述でしたっけ。
日本を大和朝廷に、倭を邪馬台国・継承国に擬制することが多いようですが、
どうなんでしょうか。
160 :
日本@名無史さん:03/06/14 10:08
あるいは、
倭(邪馬台国)が小国である日本の名前をとりあげて、大和朝廷になったとか。
ちょっと電波っぽいか。
162 :
日本@名無史さん:03/06/21 02:47
とにかく倭と和の同一視は、
日本語化した発音である“わ”が同一であったことをもって初めて、
同一視が可能なのであり、日本語圏でしか行ない得ない発想であろう。
>>23 つーことは892年「新撰字鏡」(僧昌住) 最古の漢和辞書から???
163 :
日本@名無史さん:03/06/21 07:29
良くオカルト信者が使う東北の真ん中へんにあった「日本中央の牌」ってなんなの?
164 :
日本@名無史さん:03/06/21 08:47
それは、東北の真ん中へんじゃなくて青森県の東北町。
樺太の北端から九州の西端までいれるとちょうど中央。
165 :
日本@名無史さん:03/07/03 01:20
日本は元小国だったが倭を併合して大国になったわけで、
166 :
日本@名無史さん:03/07/03 01:26
後漢書の一説。
「自武帝滅朝鮮、使駅通於漢者、三十許国、国皆称王、世世伝統。
大倭王居邪馬臺国。【案、今名邪摩(惟)堆、音之訛也。】」
「大倭王」すなわち「大倭」の「王」が「邪馬台国」にいたとある。
「大倭」とは「大和」ではなかろうか。
つまり連合国家である「大和」の王が「邪馬台国」
すなわちヤマト国にいたわけだが、いつしか連合国家「大和」を
構成する一国家であった「ヤマト」と、連合国家そのものの
名称である「大和」とが同一視されるようになって
「大和」で「やまと」と読むようになったのではないか。
しかしながら、神武の東征などの話もあり、「ヤマト」の場所の
時代による変遷に関して結論を出したものではない。
倭→大倭(大宝令)→大養徳(737)→大倭(747)→大和(天平宝字年間初頭)
よって757年くらいから和
とゆうことで終了
168 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:39
うお終了した!
その前に委も入るだろ
常世国
171 :
日本@名無史さん:03/07/12 04:48
なぜ、和になったのかのほうが重要。
大陸音では倭と和は異なる発音の文字。
もちろん、篇も旁も異なり意味にも共通性はない。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
そんなこと言ってたら大養徳はどうする
174 :
日本@名無史さん:03/07/13 00:42
大養徳ってのは、どういう経緯で?
天平7・9年の疾病流行や飢饉などを天子の薄徳に対する天の咎めと受け止め、
天子は大いに徳を養うべきであるとの考えに基づく改称。
翌正月の阿倍内親王の立太子、橘諸兄の任右大臣にも連関するだろう。
その他
>>85にあるとおり。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
177 :
日本@名無史さん:03/07/17 04:41
唐の時代の中国人が新羅をさして日本と呼んだこともあるし、
新羅では于山国(今の鬱陵島)を日本国と呼んだこともある。
178 :
日本@名無史さん:03/07/22 21:23
中国は相手の民族名は相手自身の呼称か関連名で表記してます。
倭も同様。
179 :
日本@名無史さん:03/07/22 22:27
倭と和は関係なかろう。
180 :
日本@名無史さん:03/07/22 23:48
和国なんてあったのか? どこかに出てくるか?
181 :
日本@名無史さん:03/07/23 01:21
倭と和は関係ないけど、大倭と大和は関係がある。
182 :
日本@名無史さん:03/07/25 23:34
んじゃ、「和」という国は存在しないので、意味なしということで、
終わりですかな。
終りで良いんじゃない?
え?4で終わってるんじゃないの?
185 :
日本@名無史さん:03/07/31 00:59
(^^)
187 :
日本@名無史さん:03/08/02 23:02
>>184 いや、4では、
>だから「倭」がストレートに「和」になったわけではない。
と言っていて、「和」という国が存在しないとは言っていない。
>>182 では、「和」という国は存在しないから終わりと言っている。
188 :
日本@名無史さん:03/08/10 00:17
そうではなく、倭と和は、発音も異なるのに同一視するなってこと。
「◆ ファミリー劇場 9」
http://tv.2ch.net/test/read.cgi/skyp/1059898718/l03 103 :てってーてき名無しさん :03/08/09 10:57 ID:???
>>70 君もチョソだよ、関東人ならね
関東人の大多数が 400年以内の ■ 帰 化 人 の 子 孫 ■
そもそも江戸の背景となった
武蔵の国そのものが海外からの亡命者や入植者、★百済人による入植地だった。
府中は国の司(つかさ)が百済人 と決められていた時期があります。
崩壊した百済の支配層を受け容れ亡命させるためですね。
桓武天皇以来、東夷(あずまえびす!!)が住む関東の姿とは
朝鮮の百済の人の入植地であり、時代ごとの政権からの派遣の
源氏や平氏が割拠する土地だった。 ( 「 海老〜 」、「 蝦〜 」 姓は特に。)
7世紀後半以降、 新羅が朝鮮半島を統一するという情勢を受けて、政治的には、
これまでの日本各地の渡来人を東国の 武 蔵 にまとめる必要がおきた。
〓 666 年 「 百済人男女 2千余人 東国移住 」
〓 716 年 「 高麗郡の設置 関東の高麗人 1779人を武蔵国に移す 」
〓 760 年 「 新羅人131人を武蔵の地へ移り住む 」
1600年 1700年 1800年 1920年 1960年
15 万人 85 万人 130 万人 400 万人* 1000万人*
武家に対し、 町人は江戸の全体面積の 15 〜20%の土地に65万人が生活。
多摩川以西はおろか新宿区、世田谷区、目黒区なども帰化大陸、朝鮮人だらけ!
隅田川以東の足立区〜江東区は 上総の国 で、 江戸ではない。
外堀以外の地、 埼玉、 千葉、 神奈川も帰化系の人間が大多数にのぼる。
明治以降の不法入国者(関東)も100万以上にものぼる。消えるどころか増殖したのだ
190 :
日本@名無史さん:03/08/14 21:56
和という国は存在しない。
以上で終わり。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
192 :
日本@名無史さん:03/08/15 17:12
倭と和の同一視は、
日本語化した発音である“わ”が同一であったことをもって初めて、
同一視が可能なのであり、日本語圏でしか行ない得ない発想であろう。
193 :
日本@名無史さん:03/08/18 22:53
倭と和の同一視は見られない。
和という国は存在しない。
以上で終わり。
194 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:41
195 :
日本@名無史さん:03/09/04 21:00
196 :
日本@名無史さん:03/09/07 03:40
いつから <丶`Д´> が2ちゃんで使われるようになったの?
197 :
日本@名無史さん:03/09/14 15:13
198 :
日本@名無史さん:03/09/23 14:28
199 :
日本@名無史さん:03/10/01 21:26
200 :
日本@名無史さん:03/10/10 01:48
201 :
日本@名無史さん:03/11/06 00:31
202 :
日本@名無史さん:03/11/08 10:39
>>189 お前、関西人だろ?
なんか関東に恨みあんのか?
俺は、先祖代々数百年前から住んでる生粋の江戸っ子だが、
俺の周りに帰化人や在日の人なんて関西に比べりゃ、極少数だぞ
いい例が、関西や西日本出身の芸能人やスポーツ選手など有名人の数だろ
関東とは比較にならない程の多さだろ
それに、一般人の顔つきと熱狂的なところがクリソツだろ
ま、悪くはないがな
おっと、そんなことはどうでもよかった
下記を指定したかったのだ
>隅田川以東の足立区〜江東区は 上総の国 で、 江戸ではない。
上総ではない、下総だぞ
ちなみに、隅田川にかかる両国橋というのは、武蔵国と下総国を、まさに橋渡ししているので命名されたのだよ
>外堀以外の地、 埼玉、 千葉、 神奈川も帰化系の人間が大多数にのぼる。
外堀といっても大阪のように一周できるものは現存しないぞ、東京は。
外堀通りでさえ、一周できるような環状道路ではないぞ。
>明治以降の不法入国者(関東)も100万以上にものぼる。消えるどころか増殖したのだ
嘘をこくでない、関東にそんなに多くいる訳がない。公的データで示せ
まぁ、いずれにせよ倭の国に住むの者同士ではないか、仲良くしようではないか
俺の座右の銘は、小泉総理と同じ「和して同ぜす」だがな。
203 :
日本@名無史さん:03/11/08 10:41
やまと 【大和/倭】
(1)旧国名の一。奈良県全域に相当。五畿内の一。平安遷都以前は歴代の皇居のあった地方。もと「倭」と書いたが、元明天皇の時、「倭」に通じる「和」の字に「大」の字を付けた「大和」を用いることが定められた。
(2)〔(1)に都があったことから〕日本国の別名。やまとの国。おおやまと。和州。
(3)名詞の上に付いて、日本固有のもの、日本的なものである意を表す。
「―言葉」「―なでしこ」
(4)上下に框(かまち)がなく、板を大和打ちにした簡単な戸。
(5)旧日本海軍の戦艦。1941年(昭和16)竣工。戦艦としては世界最大で基準排水量64000トン、主砲四六センチ砲九門を搭載。45年、沖縄へ出撃の途中、アメリカ軍機の雷爆撃により沈没。同型艦に「武蔵」がある。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
204 :
日本@名無史さん:03/11/08 11:11
ところで・・・
しな 【支那】
外国人が中国を呼んだ称。「秦(しん)」の転という。
中国で仏典を漢訳する際、インドでの呼称を音訳したもの。
日本では江戸中期以後、第二次大戦末まで称した。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
と、あるが
そもそも「支那」とは何なのか
昨今、某知事が使用して物議をかもしていたり、
らーめんの具である「シナチク」も禁句らしいが
「支那」という、漢字がいけないのか、それとも呼び名がタブーなのか
支・・・枝(幹に対して)。支える。
那・・・日本。
これが理由か?
支那→しな→シナ→Shina→China
個人的には、問題ないとおもうがな
俺がよく行く外人パブの姫たちは、日本(人)をこう呼ぶ
「リー・ベン(レン)」・・・Chinese girl
「イル・ボン」 ・・・Korean girl
それにしても、わが日本は、さまざまな呼び名があるな
最近では、某国が「ジャップ」などと罵りおったりしてるようだな
>>204 朝鮮人はグック(土人)として定着しとります。
206 :
日本@名無史さん:03/11/29 21:53
『倭』という漢字は故意に悪いイメージであるとでまかせ主張した日本人がいた。
あれはなんだったのであろう。
『倭』=『人』+『委』
『魏』=『鬼』+『委』
207 :
日本@名無史さん:03/12/10 20:02
倭=왜
和=화
208 :
日本@名無史さん:03/12/30 23:39
日本は元小国だったが倭を併合して大国になった
209 :
日本@名無史さん:03/12/30 23:44
漢の那の倭の国王→金印の文字ですね。ところで、
間にある「那」は、地名ですか?
確か、聖徳太子のころじゃなかったかな。
あぼーん
212 :
日本@名無史さん:04/01/17 05:41
東北の真ん中へんにあった日本中央の牌
213 :
日本@名無史さん:04/01/17 06:04
儺県(なのあがた)の「儺」だろ
215 :
日本@名無史さん:04/01/29 09:04
後漢書
「自武帝滅朝鮮、使駅通於漢者、三十許国、国皆称王、世世伝統。
大倭王居邪馬臺国。案、今名邪摩(惟)堆、音之訛也。」
216 :
日本@名無史さん:04/01/29 14:47
中国の方(倭)が当て字だと思う。
1.中国人が日本に来て、「おまえの国は?」と聞く。
2.「わ」(我とか私とかの一人称)と答える。
3.中国で倭の字を当てて書く。
ちなみに卑弥呼もそうでしょ。
1.中国人が日本に来て、「長は誰だ?」と聞く。
2.「ひみこ」(無理矢理じを当てると、日御子、日巫女、日皇女)と答える。
3.中国で卑弥呼の字を当てて書く。
中国はカナがないので、中華思想で蔑称をつけたと考えるのが、理にかなっている。
日本だって、漢字(表意文字)はなかったのだから、字に意味を持たせることなんてしなかった。
217 :
日本@名無史さん:04/01/29 15:18
シナ文字なんてどうでもよい
読み方は一貫してヤマト
218 :
日本@名無史さん:04/02/04 00:51
倭と和って、中国語でも古代日本語でも発音違うだろ。
219 :
日本@名無史さん:04/02/04 01:16
「倭」の発音
北京語 wo1
上海語 u1
台湾語 o1
潮州語 oi2
客家語 vo1
広東語 wo1
韓国語 왜(wae)
日本語漢音 ワ(wa)
日本語呉音 ワ(wa)
220 :
日本@名無史さん:04/02/04 01:20
「和」の発音
北京語 he2
上海語 hhu3
台湾語 ho5
潮州語 hua5
客家語 fo2
広東語 wo4
韓国語 화(hwa)
日本語漢音 クヮ(kwa)
日本語呉音 ワ(wa)
現代語の発音ならべられてもなぁw
222 :
日本@名無史さん:04/02/05 12:16
>>221 日本語の漢音・呉音の部分は、字音仮名遣いでの読み方なので、現代語の発音とは言い難い。
韓国語もハングルの字形から、中期語の発音なら、ほぼ復元可能。(古代語となると難しいが)
これだけの言語で全く発音が一致しないことは、古代音でも発音が違っていた可能性を濃厚にすると思うのだが。
>これだけの言語で
ぜんぶ現代語だろ
224 :
日本@名無史さん:04/02/06 00:15
>>223 現代語から昔の発音を類推してはいけませんか?
じゃ類推した結果を書いてください。
また
1)どのような類推方法を用いたか、
2)その類推方法が適切であるという論証
も書いてください
226 :
日本@名無史さん:04/02/09 19:12
鎌倉北条スレの「ぱっとしない」論争みたいになりそうな悪寒。
227 :
日本@名無史さん:04/02/10 20:36
日本 ニッポン
朝鮮 イルボン
中国 ジッポン
ラテン ジャポン(ハポン)
ゲルマン ジャパン
228 :
日本@名無史さん:04/02/10 23:36
日本は土人の国。
229 :
日本@名無史さん:04/03/03 23:31
大倭と大和は関係がある??
230 :
日本@名無史さん:04/03/20 03:00
>>227 ラテン語は「ヤポニヤ」、ドイツ語は「ヤーパン」、
232 :
日本@名無史さん:04/04/06 04:10
「倭」がストレートに「和」になったわけではない
233 :
日本@名無史さん:04/04/06 08:00
女→口 はストレートでいいとして、問題はどうして人偏が禾偏になったかだ。
234 :
日本@名無史さん:04/04/20 10:59
235 :
日本@名無史さん:04/04/29 13:03
倭から日本になったのでふ
236 :
日本@名無史さん:04/05/20 15:39
コリア的には今でも倭、格下だから当然かもね
まぁ勝手に授かりものの名前を変えて喜んでる志の低い国じゃーね・・・w
238 :
日本@名無史さん:04/06/06 13:17
なんだっけ、朝鮮という名前を授かって、でも、きらいになって、
朝鮮半島と呼ぶのもいやでたまらないとかだっけ
239 :
日本@名無史さん:04/06/24 09:20
半島でも、北の人と南の人では元々感覚が違っていて、
南の人にとっては、朝鮮ではなく韓なんですって。
逆に言えば、古代の三韓時代とかも、半島の南部だけの話だし、
北部の人にとっては、なんで韓なの?って感じなんでしょうね。
240 :
日本@名無史さん:04/06/24 10:56
魏人に「お前の国の名は?」と聞かれて、当時の日本人は「わ」だと答えたんだろう。
我、 吾 環 輪 ?
まあ、その当時は日本文字は無かったわけだけれども、
この「わ」は、自分を指す言葉でもあり、集団を表す言葉でもある。
この「わ」対して魏人は「倭」という漢字を当てはめたのだろう。
その後、日本では、漢字に日本語の発音を訓読みとして当てはめていく事となった時点で、
当時の日本人が自国の「わ」の名称に「和」を当てはめたのではないか?
と思う。
241 :
日本@名無史さん:04/06/24 11:06
>1
だから大昔の日本人が「輪」のつもりで「わ」と言ったのを、
異民族を見下して漢字を選ぶのが好きだった傲慢で陰険な漢人が
他の民族にもしたように、わざと良くない漢字をあてることにした。
それで「倭」を選んだのだ。
242 :
日本@名無史さん:04/07/19 15:55
243 :
日本@名無史さん:04/07/19 16:33
倭人ってのは、1世紀の論衛にも周の文王の大陸の隣人として登場するように、
1世紀の漢人にとっては、 「倭人」= 人種名
魏志倭人伝にあるのは、
楽浪の海の中に 倭人の国があり、ヤマタイ国といういう という記録。
倭人を白人に置き換えれば、
北海の中に 白人の国があり、イギリス国という
と書いてあるのと同じ事で、だからと言って白人がイギリス以外にいない等とは
誰も思わない。
しかし、韓は違う。 国名としての三韓登場以前に韓人という言葉は登場しない上、
その後の百済や新羅の紹介においても、人種紹介で、
高麗人、中国人、倭人、新羅人(百済人) 等という紹介であり どこにも韓人が登場しない。
あくまでも韓も新羅も百済も 国名なのだ。
倭人は、東洋の海域人種の総称なのです。
244 :
日本@名無史さん:04/07/20 00:48
脈脈と日本の歴史の流れの中でも確実に普通に積み重ねて生きずいて来た日本人の皆さんにでも聞け
このスレッドの答え
一行あれば簡単に説明出来る。
どうこねくり回したところで同じさ
247 :
日本@名無史さん:04/07/20 01:19
そこで神話の復活ですよ
/;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l::||:::: |l
/ ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ ||
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
249 :
日本@名無史さん:04/07/20 19:52
でたらめと言い切る根拠を?
倭人ってのは「倭王に属する人」って意味。倭王の臣下と領民のことだよ。
これは別に倭人に限ったことではなく、漢文で「某国名+人」といえば
すべて「某国王に属する人」の意味。
邪馬台国というのは独立国家ではなく、倭国の首都。
この場合の「国」というのは都市という意味で現代語の「くに」とはちがう。
「韓」 も国名。AD20-24年に辰韓の廉斯の住人で錯という者がいた。
AD44年に韓の廉斯の住人で蘇馬斯という者が「韓廉斯邑君」の銅印をもらってる。
百済や新羅は4世紀以降の言い方。その前は馬韓、辰韓。
韓人が登場しないなんてことはない。魏志東蝦夷伝には韓人の説明が大量にあるだろう。
4世紀以後でも新羅や百済を総称する時は「三韓」といってるよ。
252 :
日本@名無史さん:04/08/03 21:09
253 :
日本@名無史さん:04/08/03 22:01
シナ文字なんて気にするな
読み方は一貫してヤマトなんだから
254 :
貝塚マニアと倭王:04/08/07 13:30
魏と倭の(文字としての)関連性を説いた
斎藤忠(じいさんの方ではない、無名だから判らんか)は
『三国志を影で操った倭王卑弥呼』にある。
255 :
日本@名無史さん:04/09/01 00:18
『倭』=『人』+『委』
『魏』=『鬼』+『委』
256 :
日本@名無史さん:04/09/19 00:16:42
257 :
日本@名無史さん:04/09/19 00:34:11
ごちゃごちゃ言って荒ら層とする奴ってどこでも居るな。
「和」が転じて「大和」
和がたくさん有って大きくなると国になるってことだ。
誰かが言ったかも知れないが、ヤマト(山戸)、ミナト(水戸)、ヤト(谷戸)、
イド(井戸)、エド(江戸)、セト(瀬戸).... 元々地形をいう語ではないの?
トは「人」かもしれないじゃん
>>259 倭王権の誕生とかのスレでやっていたな。
2ちゃんねるのことだから、鵜呑みにはできないが、「山路の入り口」が
素直な読み方だそうだ。昔もそうだかったかの論証は見つからない。
ハハ、ヒヒ、ホホとか、今では良くわからない言葉が出てくる時代のこと
だからな。
大事なのを抜かしていた。ホトってのがあった
>>260 すでに語源不明になってしまった単語を「素直に読む」も「へそ曲がりに読む」もないと思うが。
卑弥呼のスレでは、「山門」の字を当てているのがあった
264 :
日本@名無史さん:04/10/08 17:20:59
>>263 それは、さすがに、甲乙違うだろ。初心者じゃあるまいし。
265 :
日本@名無史さん:04/10/14 04:02:29
http://www.asahi.com/culture/update/1012/005.html 中国・西安で初めて見つかった遣唐使の墓誌には見事な字体で、被葬者の人生が刻まれ
ていた。
墓誌は西北大学が発見したもので、出だしに「公姓井字真成」とあり、「井真成」とい
う遣唐使の中国名がはっきりと読みとれる。また、その下には「国号日本」と明記され、
日本という文字を使った最古の実物資料になった。また、この人物が官僚として登用され
ながら、36歳の若さで亡くなったこと、時の玄宗皇帝がその死を惜しんだことがわか
る。
井真成は8世紀前半、阿倍仲麻呂らとともに唐に渡った人物と見られ、中国で没した。
その墓誌は当時の日中交流の重要な史料として注目されている。 (10/12 17:27)
266 :
日本@名無史さん:04/11/06 22:29:07
267 :
日本@名無史さん:04/11/26 09:06:10
倭臭っていう表現は嫌い
倭癖とかにしたら?
268 :
日本@名無史さん:04/12/05 20:27:48
森さんに頼むべき
269 :
日本@名無史さん:04/12/26 13:54:43
だれそれ?
270 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:17:24
森進一
271 :
日本@名無史さん:05/01/19 03:39:09
つまり、まとめると、少なくとも縄文式土器が多数半島南部に存在することにより、
縄文時代から日本列島の人々(縄文人)は半島南部を勢力圏においていた。
さらに文献が残る時代(日本での古い分類だと弥生時代及び以降)においても、
日本列島の人々の勢力の半島への影響が複数の文献・史跡で同様に見られる。
そして日本列島の人々が最後に半島への影響力を失ったのが白村江の戦い。
このとき、鮮卑民族が作った唐により倭+百済は破れ去った。
その後、百済の知識人/技術人や王族/貴族は日本列島へ移住。
そして倭人と協力して日本国を作り上げていくことになる。
倭 → 白村江で敗北 → 新羅・唐連合軍による占領統治 → 和として独立
大日本帝国 → WW2で敗北 → GHQによる占領統治 → 日本国として独立
こんな感じ。分かりやすいね。
273 :
日本@名無史さん:05/02/02 02:46:12
でも、名称変更って、そのタイミングなのか??
274 :
日本@名無史さん:05/02/02 07:25:02
日ノ本、日本から大日本帝国へ名称変更、また大日本帝国から日本への名称変更は体制変更に伴っていて独立とは関係ない部分だと思う。唐・新羅軍の占領地は百済・高句麗領までだからやはり関係はない。
275 :
日本@名無史さん:05/02/20 20:31:06
>>274 じゃあなぜ、唐の軍隊が、九州に何ヵ月も滞在していたの?
これは日本書紀に記載されていて誰もが認めていることですよ。
>>275 あれは対新羅軍。日本に中立を要請にきた。占領していたなら唐書にそう書くはずだろ。
中立要請だけしたはずが、筑紫都督府を置いて属国化を狙ったのはなぜだ?
都督府は無残に破られたから、唐の記録以前で終わったけどね。
筑紫都督府は大和朝廷の機関。関係ない。
バカ言え、都督府は中国特有の行政府。
日本列島にあったとしたら、平壌にあった安東都護符の下部組織だ。
記紀には筑紫都督府の設置記録は一切ない。
>>279 日本書紀の「都督府」は単に「みこともち」を漢文風に書いただけかも知れない。
当時すでに「都督府」という文字表記があったとしても
中国の周辺諸国は日本に限らず中国式をとりいれてるから中国特有とはいえないねー
設置記録は記紀にもないけど旧唐書にも新唐書にも設置記録はないねー
「つくしのみこともち」は一大率に溯る古い役職だとすれば設置記録が
ないのは道理。あるいは「みこともち」だから臨時派遣官だとすれば
設置記録ないのはこれまた当然。つーかそもそも「あらゆる官職には
設置記録がかならずある」ということ自体、すでに妄想なんだが。
それに筑紫都督府が史料上どういう文脈ででてくるかをみれ。
唐の機関としたら文脈が成立するか?
都督府は中国固有。都護府が中国に存在した時代に、都護府の配下でなかった
都督府の存在を教えてくれ。世界史上一箇所も無いぞ。
>中国の周辺諸国は日本に限らず中国式をとりいれてるから中国特有とはいえないねー
中国側は倭国と日本国のどちらを正しい列島側の国にするか迷ったが
後世、畿内日本国側を正式に認めた。倭国が受け入れた属国国府=都督府は
ないことになってしまったね。だが実際には日本書紀に記載されてしまったわけ。
>設置記録はないねー
283 :
日本@名無史さん:05/03/03 05:50:22
低能ども。
>>85見ろ。
基本的な事実
倭→大倭→大養徳(737)→大倭(747)→大和(天平宝字初頭年間)
284 :
日本@名無史さん:05/03/03 06:49:27
大宰府を遠の朝廷とか都護府とか呼んでるのを知らないのか?
そういや元寇のとき蒙古側の資料によると王都を攻撃したことになってるけど、実際に攻撃したのは博多だよね。
当時、一般的に対外的には大宰府を首都だと称していたのか、それとも高麗がうまく蒙古をだましたのか・・・
286 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:53:36
大宰府が首都だった
287 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 18:51:11
つまり九州王朝が滅亡したのは実は元寇の時だったんだな。
「ワ」とはわれ、私、わし、等の言葉のなごりだよ。
日本人が言うのを中国人がそのように聞いた。
289 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 20:55:43
ウホッホ
290 :
ズバリ!回答:2005/04/26(火) 19:41:56
291 :
日本@名無史さん:2005/05/13(金) 17:34:51
唐に九州占領されてからなのか、される前なのか?
いや、そもそもされてないから。
293 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 17:10:45
age
294 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 22:14:18
保守
295 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 13:12:15
魏志和人伝
296 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 05:26:06
そろそろ対外対策として、国名を変えて、
過去の呪縛から脱却しようではないか。
無論、無血革命である。さし当たっては現内閣の強制解散と総罷免のみ敢行。
国名は「日本」から「東洋」。(Oriental islands)
月、火、水、木、金、土、日 と言う一週間を
想、会、恋、愛、誓、交、結 と言う男と女の一週間に変更。
恋愛と芸術と神秘の国「東洋」「東洋諸島」の誕生である。
合言葉は「戦争責任、賠償責任何ソレ?」と言う事で。
297 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 21:41:14
オリエンタルあげ
298 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 22:35:54
保守
国名は蓬莱とかどう
300 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 22:24:05
国名を変えて前政権の責任と権利を放棄するのは良いアイデアかも。
問題は既得権益だな。
301 :
日本@名無史さん:2005/07/03(日) 14:18:42
なるほど
302 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/02(火) 19:56:05
倭という字義はあまりよくなかったらしいです。
そこで九州の王朝に変わってヤマトが政権を獲得して、大いなる倭で大倭であったのを、中国と正式に国交を結ぶときに、
和の字に変え、大和としたのです。
邪馬台国小城説宣伝強化期間
邪馬台国は佐賀県小城市甘木地区です。卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡です.
303 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 22:02:43
「倭」って、大陸(中国)が日本人につけた差別用語。
倭人は自分達のことを何と読んでいたの
305 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:44:30
もともと中国で日本列島を倭と表していたらしいのに、奈良である大和の国を大倭とするようになったのはいつなんだろう。
もし、大和を大倭とある時期から呼ぶようになったのなら、それ以前はどういう地名だったのだろう。
大和政権成立の謎が一つあるような気がする。
306 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 07:31:12
だからあ、
>>283にあるように
倭→大倭→大養徳(737)→大倭(747)→大和(750年代後半)
だってば。
ちなみに某中国史書では、諸国は倭に服属していると、つまり
大和(後の表記で)が、その他の国々を従えていると、書いて
いる。邪馬台国と諸国の関係と同様。
307 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:23:12
おそらく古代日本では自分たちの国を「わ」と呼んでいたのだろう。それに
対して支那人が「わ」という発音に合う漢字として倭となずけた。でもこの倭
という字は、人を現すニンベンに縮まる、屈めるという意味の漢字から形成さ
れていて、言わば夷、南蛮、蒙古等と同様に支那人が周辺民族に付けた差別用語。
日本人も始めは漢字に対する理解が低いので倭という字を使っていたのだろ
うが、文化が成熟してきて、倭が差別用語と気づき、倭と同じ発音でよい意味
の和に変えたのだろう。
308 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 10:30:49
国々には市が立っている。
色々な物を交易しており、大倭という役人(役所?)がこれを監督している。
倭人伝に書かれている一文ですが、この中に大倭というのが
登場しますね。すでに大倭(大和朝廷)が3世紀に九州に
勢力を伸ばしていたのが窺い知れます。大倭が大和になったのは
8世紀くらいじゃないですか?
310 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 06:50:58
>>283に付け加えると
倭(〜少なくとも天武4まで)
大倭(少なくとも文武4から)
*持統朝は不明。恐らく淨御原令によって倭→大倭か。
大養徳(737〜):『続日本紀』に変更の明記あり
大倭(747〜):同上。終見は757年6月
大和(757年12月初見)
311 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 12:17:35
>>307 それは有り得ない。倭の訓読み(本来の発音)はヤマト。その発音を元に大和になっただけ。
312 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 17:32:01
倭の訓読みはヤマトですが、本来の発音はヰで、その後ワになりました。
倭は本来ヤマトへの当て字または借用です。
「倭」=チビ
314 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:40:49
>>313 矮と混同してるな、無理して読めない漢字を読むなよチョン
316 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 12:40:37
チョチョンガチョン
317 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 09:12:43
発音が中心で、漢字はあとから色々な物を用意したので、イの発音がただしいのなら
伊勢、伊賀、伊豆、伊東、伊予、のイが
イは正しくないと何度いえば(ry
319 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 09:38:05
312がヰと言う照るのでうのようなイかウかア
ワであってるよ。ワが古い発音。ヰの方が新しい。
321 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 20:45:56
をだと言うひともいてる、越智のおが、倭のを
322 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:37:12
323 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:41:04
「和」=チビ
324 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 02:12:59
325 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 02:14:34
しつこいな、おまいらも。
だから 757年だってば。
はい終了。
327 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 01:11:48
マジ?
328 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 01:19:03
329 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 01:24:33
『倭』って大陸で使ってた蔑称でしょ?
後に蔑称になった。元々は蔑称じゃないよ。
英国議会の党の由来が
ホイッグ=スコットランドの謀反人
トーリー=アイルランドの追剥
みたいなもんだ。
332 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 11:57:10
和を以って貴しと為す
333 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 17:42:34
和かなるを以て貴しと為す
334 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 19:09:54
★★ 和漢同盟と百済建国 ★★
4世紀(西暦300年)以前に成立した
日本と楽浪郡=帯方郡の同盟、いわゆる和漢同盟について、皆さんの意見を書き込んでください。
和漢同盟があってこその、百済建国ですね。
反高句麗で連帯していた、大和と楽浪=帯方郡。
和漢同盟が基礎となって百済が建国されたという事実から推測するならば、百済はやはり倭人国家か。
百済が、最初は、日本領・任那の北部地域に建国されたという事実に注目しましょう。
任那とは、日本国の第十代大君=崇神天皇が建国した、あの任那です。任那は、志良岐の西側に、
広大な領土を持っていました。
中国の自治領である楽浪=帯方郡の南方にあった倭人の二つの国、それが志良岐と任那です。
任那から分離して誕生したのが百済。最初は駒国(狛国。コマ)と呼ばれていました。
楽浪=帯方郡が古代日本人から「コマ」と呼ばれていた点に注目してください。
百済が任那領内に設置されたコマ(楽浪=帯方郡)の亡命政府であった事実が見えてきます。
西暦313年、高句麗の攻撃によって、楽浪=帯方郡が滅ぼされました。その時、コマ(帯方郡)の役人や武将、
民間人が、難民となって任那に流入したことは容易に想像できますね。
335 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:33:30
>>330 いまでも倭は蔑称じゃないよ。蔑称にする時は倭+蔑称になる。
なんで倭が蔑称だと勘違いしている馬鹿が多いんだ?
漢和辞典くらい引いてみろ。
336 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 09:27:36
倭奴とか倭犬とか言う奴だな。
337 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 15:00:20
倭
したがうさま・従順なさま・つつしむさま
うねって遠いさま
みにくい
蔑称じゃないと思える人間は、かなり卑屈な人間だな。
338 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 20:39:13
国名は、もともと日本というか
太陽の国でしょ
倭って、中国が付けた蔑称で
それを和に字を直しただけ
339 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:07:56
元々は大和に対抗して勃興したクニが日本だよ。
で、日本が大和を吸収したんだよ。
340 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:17:57
>>337 倭に「みにくい」なんて意味がどこにあるんだよ。
何の辞典にそう書いてある?
341 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:26:33
漢和辞典だけど?
342 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 15:02:32
従う人間、従順な人間て、何のことだ?
奴隷じゃないのか?
343 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:43:25
>>341 具体的に書けよ。そんなドキュソな辞典見たことないぞ。
>>342 どうして「礼儀正しい」と考えないのか。
344 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:46:27
★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★
最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗もフヨ人の国である。
そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、現在の韓国の江原道地方(ソウルの東方地域)に住んでいた少数部族であるが、
高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に南下して、日本領=シラキに移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を
乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
ワイ族のワイ(穢)には、「汚い」「ケガレている」という意味がある。
このような名前の部族が朝鮮民族の先祖だとは、認めたくないのだろう。
彼らは、楽浪=帯方郡を支配していた中国人から、そのように名付けられた部族なのである。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。
もちろん、倭人=日本人でもない。
ウィキぺディアなどで、朝鮮人の工作員が、
「ワイ族は扶余族だ。ワイ族が改名して扶余族になった。高句麗人も百済人も、
みんなワイ族だ!日本人もワイ族だ!」
と、宣伝しているが、大ウソなので、騙されないように。
345 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:49:06
「倭」は「ヰ」です。「ワ」ではありません。
「倭」と「和」も関係ありません。
346 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:41:43
343の持ってる漢和辞典には、なんて書いてあるの?
347 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 23:52:49
三省堂新漢和中辞典
倭 1.ヤマト イ.昔、シナで日本を呼んだ称 ロ.日本の自称
2.従う
348 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 23:55:06
さあ、倭の意味が「みにくい」と書いてあるという漢和辞典を
出してもらおうか。
349 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 12:00:21
「倭」にみにくいという意味があるとか言って煽ってるのはどこの国の連中なんだ?
350 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 12:13:45
委で、調べてみな?
351 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 12:20:03
倭を和に代えたのは、渡来してきた博士や僧侶にその字の意味を
教えて貰ったからだろう。侮蔑的な意味が無いなら代える必要は
無いだろう?
みにくいという意味があると言っているのは、倭の国の学習院の
関係者だ。
352 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 15:09:20
353 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 15:54:43
「倭」:@小さい、小さい人
Aみにくい。みにくい人
−−−民明書房刊 「古代日本語漢和辞典」より抜粋−−−
354 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 16:18:43
魏志倭人伝は、正式名は「魏志東夷倭人条」みたいだ。
356 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 17:43:04
倭に悪い意味があるとか言ってる奴は最低これくらい読め。
http://salon.gooside.com/wakao.htm 「倭」の本義考――あわせてその意味変遷を論ずる――
次に春秋時代(紀元前770年〜紀元前476年)において,倭は人名用字として使わ
れていた。魯国の国王である宣公は倭(わ)と名乗っている。魏晋南北朝時代にお
いて「倭堕髻(わだけつ)」というヘアスタイルがあったようである。『楽府詩集
(がふししゅう)』「陌上桑(はくじょうそう)」にも「頭上倭堕髻,耳中明月珠」
とある。また「倭妥(わだ)」という美しさを描写する語彙もある。明代の著名な
劇作家湯顕祖(とうけんそ)の有名な『牡丹亭』には「娉停倭妥」とある。
さらに中国史上において漢語以外の地名・物産名などの音訳として,倭はよく
使われている。例えば,河川名としての倭肯河(わこうが)(吉林(きつりん)省宝清
(ほうせい)県に源を発する)と倭西們河(わせいもんが)(黒竜江省呼瑪(こま)県を
経由して黒竜江に注ぐ河),地名としての倭赤(わせき)(新疆ウイグル自治区の県),
物産名としての倭瓜(わか)(まくわうり),などである。
357 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 18:26:27
当時の「卑弥呼」もいい意味の感じの組み合わせなんでしょうかねェ?
358 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 18:45:52
>>357 倭は日本の自称(古事記や万葉集でも使用)だが卑弥呼は違うだろ。
359 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 19:34:22
>>358 自称で使う以前の由来について話していたつもりですが何か?
360 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 19:49:45
「小柄でかわいいネ」と言われて喜ぶ女子はいるが、
喜ぶ成人男子はいないだろうな。
これでもわからないか?
361 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:31:39
>>360 マヌケだな。
倭に「小さい」なんて意味はないんだよ。
362 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:37:27
でも他の国が2文字なのに日本が倭の一文字なのだから特別な存在では?
中国では一文字は自国内でしか使わない 異民族については必ず2文字を使う
契丹とか朝鮮とか
363 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:50:44
364 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:18:34
361 意味深。
365 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:23:19
>>362 そうですね。だから例の金印には「委奴」と2文字になっていますね。
それも、「匈奴」と同じような表現で卑しめられています。
366 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:41:07
356読め
367 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:55:56
2ちゃん鯖落ちてる?
368 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:02:30
そんな板ほっときゃ直るでしょ
369 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:13:55
倭に小さいという意味があると思っている馬鹿がいる
370 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:21:02
あっまたハエが飛んできた!ペチッ
371 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 07:28:40
>>370 ほれ、ハエタタキ。
「倭」は「矮」とされ,「こびと」と解釈されている。どこの辞書にも載せて
いないこの解釈は,どこから生じたものであろうか。これについては,おそら
く文字学の知識が乏しいための誤解か,あるいは故意に本義を無視して曲解し
たものであるとしか思われない。もしも「倭」に背の低いという意味があれば,
それに「親魏倭王」という称号を封じた「魏」は,背が低い鬼ということにな
ってしまうのではないだろうか。有名な文学者でもある曹操とその子曹丕・曹植
がそのような無知なことをするであろうか。現代日本語では,「倭」の発音は
「ワ」であり,「矮」の発音は「ワイ」である。この二文字の発音は比較的近
いようだが,唐宋時代の音韻を反映している『広韻』では,「倭」は烏禾切,
平声,戈韻に属するが,「矮」は烏蟹切,上声,蟹韻に属する。二文字は,韻で
も声調でもそれぞれ全くくいちがうのである。現代中国語でも,「倭」は「wヒ」
で読むが「矮」は「チi」と読む。発音の隔たりは甚だ大きいのである。
372 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 07:31:18
以上の考証から見れば,最初の「倭」という文字が,古代日本列島の国や人を指
した時には,決して悪い意味がないものであった。しかしながら,前に引いた
『新しい歴史教科書』のほか、さらに『週刊新潮』の文章には,「倭国とか倭人
とかも,小さいという意味の蔑称だから,今なら国際問題になりかねない,最も
私たちだって,半世紀前には,憎しみを込めて「鬼畜米英」といったものだが」
と述べている。このような「倭」に対する長期間にわたる曲解と非常識は,
ほかでもなく,中国人と日本人が相互に憎しみあうように挑発するものである。
373 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 07:32:05
倭が小さいという意味だとかいうハエは潰されました。
374 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 07:33:26
倭奴
375 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 07:48:06
「倭」という文字には悪い意味がないが,「倭奴(わな)」という言い方には悪い
意味があるではないか,という質問を出される方がいらっしゃるかもしれない。
たしかに『大漢和辞典』「倭奴」という項目には「古,中国人が日本国人を賎
(いや)しめていった語」と説明してある。しかしこれも誤解だと思う。「倭」と
「倭奴」という日本人或いは日本国を指す言い方は,おそらく当時,中国に渡来
した日本人が自己紹介するときに,中国人が聞き取った発音に基づいて考え出し
た文字と思われる。仮にその発音に基づいて表記した文字に,ある程度の意味が
含まれているとしても,前述したように,「倭」という文字自体には悪い意味が
全然ないのであろう。一方,「奴」の場合,確かにこの言葉は主な意味として奴
隷というイメージが強いものであるが,実は漢魏時代において「阿奴」という愛
称もよく使われたのである。その一例として,『魏書(ぎしょ)』巻2「道武帝本紀」
では,五胡十六国時期における後燕(ごえん)の魯陽王(ろようおう)の名前が「倭奴」
であると記載されているのである。同じ記載はまた『資治通鑑』巻108「晋紀」にも
見られる。その「倭」の発音は「烏禾反」と記され,つまり日本をさす「倭」と同
じ発音である。
376 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 13:16:18
訂正 学習院の関係者はサブで、メインは東京教育大学の関係者だった。
倭の字を選ぶ時に悪意は無かったと言えますか?
奴とゆう字は、動物や植物の後につける字です。
奴国の金印に使われている「委」で調べてください。
朝鮮の鮮 とぼしい・若死に
吐蕃の吐 へど・吐いた物
悪意は無いでしょうか?
377 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 16:09:12
越南て悪意あるの?
378 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:49:36
金印は、奴国ではなく、委奴国でしょう。委奴国=倭奴国。
379 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 23:38:18
380 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 23:40:00
>>379 自分で何も説明できないなら、虫けらみたいに鳴いてるといいよ。
381 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 00:12:09
382 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 00:46:09
373=380
ぷっ。
383 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 00:47:02
倭を小さいという意味で使ったソースだせ
384 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 00:51:00
385 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 00:53:17
間違った思い込みしかありませんがなにか?
386 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 01:02:13
少なくとも漢和辞典には無いし、実際に漢文での用例もない。
388 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 07:23:59
>>356 は、こうも書いているから信用できる。
一方,一般に中国への蔑称とされる「支那(しな)」という言い方があるが,
実はこれについても,そもそも蔑視的な意味があったわけではない。一般
的にいえば「秦」→「CHINA」→「支那」という転訳にすぎない,というこ
とは少なくとも学界では常識となりつつある。
389 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 14:23:30
越南。鋭いツッコミだなと思ったけど、調べたら悪い意味があった。
でも、安南には無い。
越南の越 逃げ走る 去る・離れる 散る 失う 落ちる つまづく
委の悪い意味 捨てる・捨ておく・見捨てる しおれる・なえる 末・終わり
魏 高い・高く大きい 能くする・成し得る 宮城の門の両側に設ける高い台
河や髪型に「倭」を使うのは、「委」に(曲がりくねる、ゆったりとしている)
とゆう意味があるからだと思う。「鮮」には美しいとゆう意味があるが、委には
無い。
「鮮」には野獣とゆう意味もあるので、鮮卑族は「卑しい野獣」となる。
当方使用の辞典
大修館書店 大修館新漢和辞典 携帯版(五訂)
著者 諸橋轍次 渡辺末吾 鎌田正 米山寅太郎
諸橋轍次著「大漢和辞典」十三巻を基に、中・高。一般向けに1冊に纏めた物。
390 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 14:42:53
すぐれた文学者が治めた魏は、なぜ「ヤマタイ」を「邪馬台」と書いたのだろう?
391 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 15:25:16
馬や台も悪いの?
すみません、
>>371の発音記号のところが文字化けしていてちゃんと
読めないのですが、烏禾切をピンインで書くと何になるんですか?
393 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 20:39:41
>>「倭」は「○」で読むが「矮」は「×」
の○と×のところが変になっている気がするのですが、ここには何と書いてあるのでしょうか?
395 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 22:04:18
>>394 確かにオリジナルのページでも化けているようですね。
ただ、現代中国語なので中日辞典などがあればわかるのではないでしょうか。
>>395 すみません、「烏禾切」は倭の唐宋代の発音を表していた、という認識で
いいのですよね?その「烏禾切」とピンインとの対応を現代中国語で
考えていいのですか?それとも、現代語の烏や禾の発音を元に過去の
倭の発音を表したものなのでしょうか?
397 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:57:09
>>396 唐宋時代の音韻としても、現代中国語の音韻としても、倭と矮は大きく違う
音である、というだけのことですよね。
398 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 13:10:14
倭がみにくいとかちいさいとかのソースまだー?
399 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 14:34:13
君は倭人ではなく、魯人だね。
400 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 15:37:32
倭から和ってKOREAからCOREAのようなものか
8´∀`8ミズラー
…ごめん、何となく書きたくなった。
402 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 19:27:06
倭なんて呼んでる期間は短かった。
すぐに日本になった。
403 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 19:33:08
何年くらいヤマトと言ってたんですか
404 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 01:13:42
ヤマトは千年くらいは使われたのでは?
405 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 12:22:10
388、リフォーム詐欺に気をつけろ。
406 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 01:01:56
↑馬鹿が
407 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 12:19:45
バカはおまえ。あの文書には、ある事が書いてないのだ。
408 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 17:24:16
脳内ソース乙
409 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 20:42:25
脳内ソースだけど、あの文章をしっかり読めば、知識豊かな作家が知っていながら、
書かなかったある事が解るはずだ。
文書の主旨は何か? 作者の意図は何か?
そのある事は、この二つを壊し阻害する、わずか3行も使わずに書ける事だ。
410 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 23:04:33
妄想乙
411 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 10:19:17
推理と言うんだよ。
脳みその代わりに焼きそばを詰めて、ソース、ソースばかり言っている
ヤキソバ星人には解らないだろうね。
412 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 12:47:27
だいたい、「倭」が明確に悪い意味の言葉なら、いくら中国で使っていたと
しても、当時の中国語に通暁した教養人が万葉集や古事記で「倭」を
自称として使うわけがない。それくらいの推理力もない奴なんだね。
413 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 13:09:53
倭の詳しい説明は、司馬遼太郎の「街道をゆく」2巻(韓のくに紀行)にも説明があります。
P206の「倭の順なること」より引用。
後漢の頃の字書である”☆説文解字”を読の説明として、次の通りだと説明しています。
倭 = 順ナルカタチ。人二従フ。委声 (順なる形、人に従う)
漢字で見れば分るが、「倭」は「委」の文字に人偏を付けた文字です。
委の使われた文字、「委員」、「委託」、「委任」を見れば、
”☆説文解字”の説明の方が正しいことは明らかでしょう。
414 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 15:55:44
倭がみにくいだとか小さいだとか言ってる馬鹿をどうにかしてくれ。
415 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 18:14:49
倭はみにくいだとか小さいって意味だよ。
416 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 19:43:51
「最近、あちこちで(日本人に)文句を言うと、『出てけ』とか『帰れ』と言われる。
そうすると、『ハイわかりました。朝鮮人はみんな帰ります。天皇つれて帰ります』
と言ってやる。(笑)。だけど、アイツ働かないからな(笑)」
【「正論」2003年号1月号81ページ 憲法集会での辛淑玉の発言】
↑
救いようのないバカ(嘲笑
★★ 朝鮮人は、古代日本に移住していない ★★
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人) が移住しており、
日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していた。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準のレベルに差があった、
などということはありえない。古代においては、日本列島もカラ半島南部も『倭人の世界』だったのであり、
同じ倭人どうしが交流していたのだ。朝鮮人は、古代日本とは何の関係もないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)ではない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、古代カラ半島北部にあった中国の自治領=帯方郡の東部地方・ワイ郷(現在のソウルの東方地域)に
住んでいた少数部族であるが、高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に難民となって南下し、
日本領=シラキに移住したのである。後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、
王権を簒奪して志良岐を乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
朝鮮民族は、けして韓人(カラビト)ではない。 もちろん、倭人=日本人でもない。
辛淑玉は、日本人と朝鮮人を同族だと思いたいようだが、残念でした、何の関係もありません(笑
417 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 21:00:17
>倭はみにくいだとか小さいって意味だよ。
馬鹿さは
「支那は中国(邦)を支配する」という意味で日本人が付けた」
と言ってる連中と同レベルだな。
418 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 19:37:24
問題はなぜ教養のない日本人が倭が蔑称であると勘違いするようになったかだな。
中国人は不思議そうに「倭という字が優雅でないから日本に変えたそうだ」と
言ってるわけだが、その理由ははっきりしない。
KOREAをCOREAにしたようなものかもしれないし、大坂を大阪に変えたようなもの
かもしれない。
419 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 16:47:42
大坂を大阪に変えたのは縁起かつぎだけど、倭を和に変えた理由は?
420 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 17:14:53
『倭を和に変えた』という事実がない。
421 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 18:02:44
「最近、あちこちで(日本人に)文句を言うと、『出てけ』とか『帰れ』と言われる。
そうすると、『ハイわかりました。朝鮮人はみんな帰ります。天皇つれて帰ります』
と言ってやる。(笑)。だけど、アイツ働かないからな(笑)」
【「正論」2003年号1月号81ページ 憲法集会での辛淑玉の発言】
↑
救いようのないバカ(嘲笑
★★ 朝鮮人は、古代日本に移住していない ★★
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの倭人(越人) が移住しており、 日本列島とカラ半島南部の
倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していた。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準のレベルに差があった、などということは
ありえない。古代においては、日本列島もカラ半島南部も『倭人の世界』だったのであり、同じ倭人どうしが交流していたのだ。
朝鮮人は、古代日本とは何の関係もないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)ではない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、古代カラ半島北部にあった中国の自治領=帯方郡の東部地方・ワイ郷(現在のソウルの東方地域。江原道)に
住んでいた少数部族であるが、高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に難民となって南下し、
日本領=シラキに移住したのである。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、
ワイ族であった。
朝鮮民族は、けして韓人(カラビト)ではない。もちろん、倭人=日本人でもない。
辛淑玉は、日本人と朝鮮人を同族だと思いたいようだが、残念でした、何の関係もありません(笑
422 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 00:32:26
>『倭を和に変えた』という事実がない。
倭を日本に変えたんだね。
423 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 13:23:55
「新唐書」670年・遣唐使の言
「華音を習い、倭の名を悪み、更に日本と号す、
使者自ら言う、国日出る所に近し、もって名とす。」
大陸から来た人間に教えて貰ったのではなく、日本人が中国で生活するうちに、
「倭」の悪い意味に使われている事を知っていったみたいだな。
424 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 17:48:06
>>423 なぜか倭が良い意味ではないと思い込んだらしいが、客観的な理由がみつから
ないんだよね。従順という意味に反発したとぐらいしか。
425 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 21:22:52
記録に残って無くても、その当時の中国人が日常の中で、
悪い意味に使っていたのを見聞きしたんだと思うけど。
426 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 00:18:52
「ブワナ」って言葉と一緒だね。
もしモンゴルが意味も知らずにタタール共和国とか名乗ってたら世界の笑いものだと思う。
1みたいな無神経な奴が那智黒飴のCMに黒人を起用して、石材の那智黒の名称変更問題にまで発展させてしまうのだろうな。
428 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 17:55:49
で、なんで中国側に「倭」が悪い意味だという記録が残っていないんだ?
429 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 18:02:57
答えになっていないかもしれないけど、中国人は
中華以外の民族の名称には悪い意味を含ませていることが多いよ。
430 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 20:11:54
>>429 その致命的な問題は、中国王朝の支配者は漢民族以外から出ている奴が
やたら多いという事実だ。
隋・唐・元・清など異民族なわけで。
431 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 09:56:01
異民族で中華に王朝を建てて、国号を変えなかった国はいくつあるの?
432 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:16:49
それと異民族の呼称とどう関係あるの?
433 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 16:52:31
侮蔑的な意味があると解ってるから、匈奴とか鮮卑とか名乗らないんだろ。
434 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 20:01:44
平凡社・国民百科事典
わ 倭
中国、朝鮮で使用された日本の古称。
倭は元来「従う」とか「回って遠い」、或いは「みにくい」という意味で、
中国人が東夷の人々の呼称としたのも、そうした蔑視感とつながりがある。
したがって中国人が倭と呼んだ地域は各地にあったが、やがてのちには日本
を指す固有名詞となっていった。
「漢書地理志」に、「楽浪中に倭人あり、分かれて百余国」とあるのが最初
で、以後ずっとこの呼称が使われた。高句麗の好太王碑の倭や「魏志倭人伝」
の倭は、やがて日本人自身が倭国王と名乗る「宋書」の倭とともによく知られ
ている。
やがて7世紀後半になると倭は日本と称するようになり、以後中国、朝鮮側も
この呼称を使うようになった。
435 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 21:51:30
↑筆者は誰だ?
「つくる会」並みだなw
436 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 22:31:49
>>435 そんなに褒めるなんて子・・・日本史板では珍しいことです。
437 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 23:22:23
マジ平凡社の事典なら執筆者が出てるんじゃない?
ぜひ知りたいものだな。
>>431-433 王朝名と民族名はもともと別だというのは中国の発想。
匈奴や鮮卑は中国本土を領地に加える前は
強大であっても別に国名を変えようとはしなかった。
堂々とかつ偉そうに匈奴だの鮮卑だのと名乗ってる。
称号も「天子」や「皇帝」より「大単于」の方が
価値があった時代もある(後には下がったが)
中国本土に建国した時は配下の中国人の希望で
中国式の王朝名をつけたんだろう。
??(モンゴル系の遊牧民)は自称では「皇?」。
これは魏を皇魏、漢を皇漢などというように
民族名を王朝名のように仕立てた表記。
契丹は「大契丹国」(民族名からつけた本来の名)から
「大遼国」(中国式につけた王朝名)に変更して、さらに元に戻してる。
439 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 20:24:50
匈奴や鮮卑の臣下とゆうのは、中国人の感覚では我慢できないんだろうな。
440 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 22:28:11
国民百科事典とはまた古いものを。確かに項目ごとに執筆者が書かれているはず。
>>434 誰が書いていますか?
ちなみに戦前版の平凡社大百科事典にも、現在のものにも「小さい」という説
(誤り)は出ているが、「みにくい」などとは出ていない。
441 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 09:19:40
>>438 なるほど、「倭、倭とパカにして」って言ってる国は自ら弱いということを
認めているようなものだな。
442 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 10:23:00
443 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 18:08:10
大修館 新漢和辞典
倭
したがうさま 従順なさま つつしむさま
うねって遠いさま
みにくい
444 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 19:18:05
>>443 前にも書いたがうちの三省堂の漢和辞典には「みにくい」なんてないよ。
「国民百科事典」の執筆者はやくお願いね。
ウソを撒き散らしている奴がいるらしいな。
434ではないし国民百科事典からでもないが同じ平凡社の「世界大百科事典」の倭の項を引用してみた。
>7世紀以前の日本の呼び名。
>中国人が付けた名であるが,対外関係では7世紀後半まで自称として使われていた。
>日本語の一人称代名詞〈わ〉(吾)によるとする説が古くから唱えられている。
>最近は身長,体型など人種的特徴によるとする説もある。
>後漢に成立した《説文解字》に〈倭は順(しなやか)なる貌(すがた)なり。人に従い委の声〉とある。
>転じて背が丸く曲がって低い人を指すといわれる。
>なお倭はもと委と書いたと説くのは《経典釈文》の誤解。
>確実な倭の初見は《漢書》地理志の
>〈楽浪海中に倭人有り,分かれて百余国を為す。歳時を以て来りて献見すと云う〉で,
>前1世紀半ばころ九州北部の集落の首長たちが楽浪郡から前漢の先進文化を摂取していた事実に基づく。
(後略)
執筆者は山尾幸久氏
446 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 00:31:19
さすがにまともだね。
倭を「身長」に関係づけるのは「最近の説」
447 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 09:56:32
ちなみに山尾氏はいわゆる岩波文化人的な立命館大学名誉教授で、
魏志倭人伝についての著書などがあるようだ。
448 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 13:33:50
国民百科事典の執筆者は、原島礼二。
449 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 21:27:05
原島 礼二 昭和6年東京に生まれる。昭和32年埼玉大学文理学部文学科卒業。
450 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 21:33:23
倭も和も日本も漢字表記なんてどうでもよいだろ
それより一貫してヤマトと呼ばれていたことが重要
451 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 10:05:14
で、26歳で埼玉大学を卒業した原島氏以外に「倭」が「みにくい」意味だと
言ってる学者はいないの?
452 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 13:19:14
委の字を使い、(ヰ)と発音する字の意味を調べると、
「倭」を捨てた理由が解る様な気がする。
453 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 14:57:46
>なお倭はもと委と書いたと説くのは《経典釈文》の誤解。
>>445 「倭国」と名乗っていたが「それって『中国のポチ』って意味だよ」
と誰かに言われて、慌てて変えたって可能性もあるわけじゃん。
どうして変えたなんて、文献がない以上推察しても無駄な気がする。
455 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 16:59:51
KOREAだとアルファベット順でJAPANより後になるからCOREAに変えたという
どこかの国と似た国でつね
456 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 17:57:21
どっちが先かは知らないが、金印は「委」を使っている。
457 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 19:37:24
犬糞キムチを食えば大丈夫
458 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 23:13:06
>>452>>456 そうですね。
古代では、形声文字は、概念が未分化の段階では発音が主ですから、ヘンとツクリでは、
ツクリが主です。その段階では、委と倭は同じことです。
例えば、青と清も同じです。青銅とは青い銅ではありません。清い銅という意味で、
キンピカのブロンズのことです。
ヴァカだなあ。字形より発音の方が大事なんだよ。
倭は従順の意で、和に通ずるんだよ。和と倭は同音。
委は別音、従って別の語。
中文の常識。
460 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 07:33:38
神秘的なコジツケで「倭」が「委」に通じるという馬鹿があとを絶たない件について
けど、いろんなところで読んだ記憶があるよ。
462 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 07:54:19
>>461 そういう誤りが見られるから、わざわざ平凡社大百科事典では
その原因となったと思われる下記を書いているわけだ。
>なお倭はもと委と書いたと説くのは《経典釈文》の誤解。
経典釈文の誤解だというのは、どうやってわかったんだろう?
464 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 10:30:32
委と倭は同音、ヰだよ。
465 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 10:39:04
大修館 新漢和辞典
大和
最良のものをいう。
大いに調和する。また、すぐれた調和。
十七条憲法の「以和為貴」との関係は?
聖徳太子自体も同じ時期に「創られた」って説があるよな。
467 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 19:25:26
明治書院 新釈漢和辞典
倭
従順なさま。すなおなさま。
まわり遠いさま。
みにくい。
468 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 19:40:30
469 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 20:59:24
「魏略」では、倭はどう書かれているのだろう?
倭? 委?
470 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 23:32:50
戦前版平凡社大百科事典より
同じ韓人の「百済本記」には「日本」の文字を用い、継体天皇の御事を
「日本天皇」と書いた例もある。されば「日本」の文字の使用は、もと韓人
によって始められたものであったらしい。
喜田貞吉
471 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 00:01:46
472 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 00:02:21
473 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:53:03
>>470 >>472 同一人物!(W
工作乙(W
「日本」の号の起源。
日の本の山。日の本の大和。
「日の本」が大和に係ることから、日本と書いて「ヤマト」と読むようになった。
474 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:58:34
とっくに既出だろうけど
奈良時代に倭→大養徳→大和と改称された。
475 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 18:03:25
日本って朝鮮からみないと意味が通らない
476 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 21:28:04
朝鮮から見て日本は「日の本」だが、日本から見て全然日本は「日の本」じゃない。
477 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 23:20:29
真実を見つめられない可哀相な日本人。
「倭」を中国から与えられ、「日本」を朝鮮から与えられた。
478 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 23:37:44
日本には古来、世界の東の端という認識はあった。
だから、自ら日本と称した。
日本は、朝鮮のような宗主国から付けられた名前とは全然違う類の名前である。
中国という名前の国は古来存在しない。
日本も自国のことを中国と呼んだことはある。
479 :
日本@名無史さん:2006/03/17(金) 00:06:03
>>474 正確には
>>85にもあるように、
倭→大倭→大養徳(737)→大倭(747)→大和(天平宝字初頭年間)
実はこのスレは、85で結論が出ている。
481 :
日本@名無史さん:2006/03/17(金) 07:33:44
>>480 おいおい、
>>1の疑問は「なぜ倭から和という文字に変える必要があったのか」
という問い含んでいるからこそ、倭の意味を議論してるんだろ。
>>4 国名:倭(やまと)、奈良地方名:倭(やまと)
↓ 飛鳥時代
国名:大倭(おおやまと、やまと)、奈良地方名:大倭、倭(やまと)
↓ 大宝律令以後
国名:日本(やまと)、奈良地方名:大倭、倭(やまと)
↓ 養老律令以後
国名:日本(やまと)、奈良地方名:大和、大倭(やまと)
じゃなかったっけ?
484 :
日本@名無史さん:2006/03/17(金) 17:50:48
筑紫国から見たら、日の本の大和になるな。
筑紫=九州は、日本国の発祥の地だし。
生駒山の山頂から見て
日の本(東)はやまと。
日の下(西)はくさか。
486 :
日本@名無史さん:2006/03/17(金) 18:31:18
★ 百済は日本人が建国した ★
『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。
第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。
百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。
誰かこいつアク禁依頼出してください。
昔の西都厨並みだよ、こいつは。
488 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 00:30:41
倭は中国が名づけ、日本は朝鮮が名づけたでいいじゃないか。
おまえらヨーロッパ人がJAPANと名づけたのにいちいち文句言うのか?
>>481 だから
>>85に
>天平宝字二年正月五日の問民苦使派遣詔の中の「四時和協。休氣布於率土」
て書いてあるじゃん。はい終了。
490 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 08:44:50
>>489 馬鹿か。これがどうかしたか?全然説明になってないじゃん。
又詔曰:「朕聞:『則天施化,聖主遺章,順月宣風,先王嘉令.』故能二儀無愆,
四時和協,休氣布於率土,仁壽致於群生.今者,三陽既建,万物初萌.和景惟新,
人宜納慶.是以,別使八道,巡問民苦,務恤貧病,矜救飢寒.所冀,撫字之道,將神
合仁,亭育之慈,與天通事,疾疫咸卻,年穀必成,家無寒窶之憂,國有來蘇之樂.
所司宜知差清平使,勉加賑恤,稱朕意焉.」
491 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 11:12:54
コメントするのも馬鹿らしいが490は天皇が「みんな心をあわせてがんばろう」と
いった、という意味以上のものじゃないだろう?これがなんで国号の説明なるのやら。
まだしも聖徳太子の和を以って貴しとなすが起源とかいったほうがもっともらしい。
492 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 14:35:33
いま、放送大学の古代日本史ってのを見てたんだが
百済は「ひゃくさい」新羅は「しんら」って言ってるんだけど
今学校ではそういうふうにおしえるの?
俺のころは「くだら」と「しらぎ」って習った。上の漢字も「くだら、しらぎ」で出てきたし
493 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 17:23:06
★ 百済は日本人が建国した ★
『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。
第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。
百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。
494 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 20:02:30
くだらない
495 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 20:08:08
496 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 20:13:28
>>492 >>496 日本史板に来てる人でも今の状況知らん人もいるんだな。
酷い教科書なら「くだら、しらぎ」の読みが無いだけじゃなく「百済(ペクチェ、
ひゃくさい)」「新羅(シルラ、しんら)」と現代韓国語の読みが最初に出てくる。
韓国で一時期「古朝鮮語」ってのが流行った時期があって、これは日下(くさか)
という言葉があるが「日」は「くさ」とは読まない、「だから」古代語では「日」を
「くさ」と読んだに「違いない」ってレベルのものなんだが、韓国では半ば常識化してる。
(韓国には当時の「発音」を記した書物が無いってことも知らない人が結構居る)
その「古朝鮮語」に当てはめると「しらぎ」≒「シルラギ」=「シルラ(新羅)の奴(ギ)」
の意味で、「くだら」≒「クンナラ」=「クン(私の)ナラ(国)」で新羅の人達を侮辱
している、変えろ…って騒ぎ出した。で、「日韓友好」を唱える連中が日本の教科書
作成の際に同調して現状になった。帰化人→渡来人のときと一緒。
俺も昔はマス板とかニュー速にいるウヨだサヨだってやっている若い連中がいるのが
理解できなかったが、学校(特に小中学校)の状況聞いてからは嫌韓流が売れても
不思議に思わなくなった。こういう馬鹿げた抗議にすら「昔悪いことをしたから」って
理由で従ってしまう大人(教師)に対する反発なんだよ、あれって。
498 :
492:2006/03/18(土) 21:53:55
>>497 ありがとう。 そうなのか、へええ・・・
>韓国には当時の「発音」を記した書物が無い
マジ笑った。かわいそうな人たちなのねw
499 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 22:25:44
倭を差別語とか言ってる奴らもかなりかわいそうな人たちだぞ。
500 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 23:50:55
倭はwaじゃなくてyiなんですがね? 大陸表記では。
501 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 23:59:41
502 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 00:00:37
>>497 ほう。そんなことがあったのか。そりゃ知らなかったわ。
非科学的だな。学問の世界は思想と関係ないだろ。
>>498 万葉集のような当て字を使った書物が残ってる日本の方が特殊だろ。
つーか、普通表音文字だし。
505 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 09:03:33
半島では、全部シナの言葉をシナの文字で書いたんだね。
しかも、王朝が何度も入れ替わったから、古い記録はそもそも存在しない。
だから、近代より前の彼らの言葉はほとんど全く分からないんだ。
しかも、最近では漢字を学校で教えないから、僅かに残っているシナの文字の
文章も書いてあることが読めない。
>>502 中国、韓国では「歴史とは勝者が作るもの」だと公言してる。
小泉に対して「正しい歴史を」と言っているのは「俺達は戦争に勝った側だ」
という意味。韓国が先の大戦で「勝った側」にいるというのは理解不能だが。
507 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 12:06:11
文化が遅れすぎて漢文が使えなかった日本
文化が進みすぎて漢文しか使えなかった朝鮮
508 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 12:10:13
>>507 まあ、朝鮮の前身である金氏新羅は、漢字の読み書きが
できなかったようだが(笑
中国の史書=梁書に、「新羅には文字がない」と書かれている。
509 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 12:11:58
新羅以前の、志良岐(シラキ)国では
漢字が使われていたようだがね。
510 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 12:49:06
>>501 倭はwaじゃなくてyiだから、「和(wa)」とはまったく関係ない。
まともに読めば、金印の「漢委奴国王」は"漢の委奴(yido)の国王"
のはず。伊都(ito)国って魏志にも記述あるのにね。糸島(itosima)
とか周辺にもあるし。
無理やりなんで"漢の委(wa)の奴(na)の国王"と分ける必要あるのかね?
大体、漢帝国が委の家来の奴国の王に金印なんてやるか?普通。
狄戎蛮夷の中で銀や銅の授与はあれ、金印なんてほんと少ないのにね。
511 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 12:52:18
漏れも多分、倭はwaではなくiなんだと思うよ。東夷の夷のiと同じ音
をあてたんだと思う。
512 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 12:54:15
暗記科目=クソ科目=日本史
だっせえええええええええ
バカか
513 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:06:13
★ 百済は日本領土 ★
百済軍の実態は、大和軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、大和のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの帝国=大和がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。
514 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:06:52
中国の史書=隋書に、「倭には文字がなく、縄を結び、木に刻むのみ」と書かれている。
515 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:10:40
九州と四国と佐渡島が本州と陸続きだったらいいのにな。
516 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:18:50
>>514 中国の史書=隋書に、「倭には文字がなく、縄を結び、木に刻むのみ」と書かれている。
書かれていても関係ないよ。
日本書紀もあれば、古事記もあるしね。
517 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:22:09
>>514 >中国の史書=隋書に、「倭には文字がなく、縄を結び、木に刻むのみ」と書かれている。
書かれていても関係ないよ。
日本書紀もあれば、古事記もあるしね。
518 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:27:59
岡山には和という素晴らしい文化がある。
仙台は平気で嘘をつきパクる、他人叩きの蹴落とし文化。
なぜ、同じ日本を名のりながらこうも違うのだろう。
519 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:30:18
大日本帝国 大英帝国
520 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:31:36
★ 百済は日本領土 ★
百済軍の実態は、大和軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、大和のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの帝国=大和がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。
521 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:16:58
●北朝鮮のニュース番組はだいたいこう聞こえる
踏んだら孕んだ! 孕んだ振る降る般若だ!
童貞擦る無駄、フン出る春巻きはむ無理!
チン毛ちぎり、看板塗る飛騨! 安眠煮る焼酎!
安打!?半田ゴテ適時打!!
原チャリ盗んだ! 盗んでボコられた!ボコられて痛かった打!痛かったから払った打!
フン踏んだらくせえ打!フンだらけ尿だらけ!フントにくせえ水だ!
ハッハッハッハッー!
チョキチョキっと、よくちょん切れるハサミだ!
∧__∧ ________
<丶`Д´>/ ̄/ ̄/
( 二二二つ / と)
| / / /
|  ̄|
白村江の時はなるほど日本軍による百済復興計画だが、
315年の第2次百済云々などは文献証拠もないただの妄想というか捏造だろ。
三国史記ではその年に王の交代は無いが。そんなことは日本側文献にもない。もちろん中国文献にもない。
チョン顔負けの凄まじい捏造だなw
日本と百済の外交は文献からは360年代から、考古学も4世紀後半から。
漢城陥落後の百済は日本との同盟が頼りだったのは事実だが。
523 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:50:35
>三国史記ではその年に王の交代は無いが。
「その年」が意味不明(W
どの年だよ(W
どこで王朝の交代だよ。場所も不明。
いつの、どこの話をしているのやら。
日本語が不自由な異民族がウロついているようだ(W
>>523 第1次百済が315年に出来たとか言う作り話だよ。いずれにしてもそんな文献証拠はないが。
百済は3世紀には成立していたが。中国文献にもあるし、土城の発掘調査からも裏付けられる。
また345年の近肖古王即位に倭が関与した証拠も三国史記にも日本側文献にもない。近肖古王時代に倭との関係が始まる記事はあるが、第2次百済云々は捏造だな。
三国史記がダメとか言いそうだが、ではあなた方の言う百済の歴史の文献証拠を出してもらおか。
525 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 19:58:33
スレ違い。
526 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 20:22:53
マルコポーロの「ジパング」もyi(イタリア語ではjとyは表記上同じ)から
呼んでると思われる。woやwaなら、ウォパンかワパンになってたはず。
和と無理やり読もうとするのは大和説じゃないか?
527 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 21:15:54
主張したいことがよくわからないんだが、「倭」と「和」は何の関係も
ないということを言いたいの?
528 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 21:27:33
>>490 >>491 四時和協の和が採られ、このときから大和になったんだよ。(その前は大養徳)
はい終了。
529 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 21:50:38
>>528 意味不明。じゃ、なんで聖徳太子の「和を以って」の和じゃないのか
具体的に説明していただきたいのだが。
530 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 07:28:27
>>528 は資料集を適当に開いてみたら「和」の文字があった。
そして、そのときそれが日本を意味する和の起源と神託た降りた、って
奴なんだろうな。
531 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 17:07:59
百済のような小国が、なぜ300年以上に渡って、
高句麗帝国との戦争を続けることが可能だったのか?
この疑問に、朝鮮人工作員が答えることは絶対にないであろう。
答えてみよ!
★ 百済は日本領土 ★
百済軍の実態は、大和軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、大和のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの帝国=大和がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。
>>526 「日本」の読み方は、
漢語では「ジッポン(ジッペン)」
呉語では「ニッポン」
和語では「ひのもと」
533 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 09:05:43
結局、古事記で日本の自称として使われた「倭」(イ)という国があったが、
それとは全く無関係に「和」(ワ)という国も日本にあったということ?
534 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 18:35:32
中国に『山海経』という古文書がある。
山海経は、中国でもっとも古いとされる地理・博物書であるが、この書物の中に
義和国という国が登場する。
【山海経・義和国の話】
東海の外側に義和国という国がある。その国には女が住んでおり、名を義和(ぎか)という。
義和は今、太陽に水浴びをさせているところである。
古代日本の呼称である「倭国」が「和国」に改号される時、山海経に登場する義和国から、
『和』の字を借りて、和国にしたのかもしれない。
義和国を支配する義和という女神は、日本神話の天照大神にそっくりである。
義和も、天照大神と同じように太陽の女神なのだ。
山海経によると、義和国には扶桑という巨大な神木があり、扶桑の枝には十個の太陽がとまって
いるという。
そして、義和が十個の太陽を支配しているとされているのだ。
日本神話の天照大神の原型は、この義和なのかもしれない。
■『山海経』について■
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/sengai.htm
535 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 19:55:32
なんで、日本人が、大和朝廷が作った人工国家=百済の文化を羨むんだ?(笑
_____________________________________
韓国人がアホな歴史教育をしているようだ。
【歴史教育、幼稚園から実施】『日本が羨んだ百済文化』 ←無知にもほどがあるよ(苦笑
教育人的資源部(訳注:日本の文部科学省に相当)は、幼児の時から正しい歴史意識を
身に付けさせるために、多様でおもしろい活動を素材とした『幼児のための歴史教育活動
資料』を発刊し、全国8300余りの国・公・私立幼稚園に無料配布するほか、保育施設など
で出力して活用するようにホームページ( www.moe.go.kr )にも掲載することにしたと、16日
発表した。
この資料は、幼児期発達に相応しくておもしろい10編の時代的歴史エピソードと、33種類
の多様な活動で構成されており、歴史に対する幼児たちの関心と好奇心を引くことが期待
される。
「苦難の中の希望、日帝強占期」編では、日帝時代に民族に希望を与えた孫基禎翁(下記
関連サイトご参照の話が紹介されており、「韓国の文化の誇り、百済」編には、日本が羨ん
だ百済文化が紹介されている。
また、「我が国の領土、独島」編は、幼児たちが独島に対する親近感と我が国の領土を大
切にする心を持つように構成されており、朝鮮戦争と平和、申師任堂(訳注:李氏朝鮮時代
の女性文人。下記関連スレご参照)、権慄将軍(訳注:文禄・慶長の役の時の将軍)、慶州、
古朝鮮(訳注:檀君の建国した国のこと)などのテーマも入っている。
教育人的資源部では、この資料が幼児教育現場で有効に活用されるようにするため、2月
に全国16道・直轄市の教育庁幼児教育担当講師要員400人余りを対象に研修を実施する予定だ。
▽ソース:Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2006.01.16 20:21)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&newssetid=746&articleid=2006011620210117447
536 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 20:26:30
つーか、中国や半島の史書の中には"yamato"という国は一切でてこないんだが?
倭・俀・日本としかでてこないはずだ。和国なんてのも造語だ。
そもそも大和って、邪馬台でも山門でも耶麻都でも神倭でもなんでも当て字に
できるのはどういう訳?
当用漢字では大(oo・dai)+和(wa)が普通のはず。大和とはそもそもダイワ
と呼ぶべきものじゃないのか?
逆に無理やりそう読まねばならないところに大いなるものが隠されているので
はないか?
537 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 20:32:25
538 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 22:39:14
中国や半島の史書でどうやって「やまと」と書くんでつか?
>>535 相変わらず韓国のやることは気持ち悪いな。
相手に粘着して、自分理論を押し付けて撥ねつけられれば逆上する。
どこからどうみてもストーカーじゃねーか。
好きとか嫌いとか蔑むとかって話じゃなく、生理的に「気持ち悪い」んだよ。
540 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 21:22:57
ヤマト、それは便利な魔法の言葉・・・
541 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 21:40:22
ヤマトという言葉はそもそも病土という語がもとらしい。
蛮習がまかり通り疫病が横行する非文明的な土地という意味があったらしい。
【第一のまちがい】
倭はもともとは「委」だとするのは間違い、という説が間違い。
もともと「委」で合ってる。南北朝の頃でも委。
ニンベンつけるようになったのは隋の頃からだろう。
(歴史書は後世の写本だから「倭」に統一されてることが多い)
【第二のまちがい】
倭も委も、読みは「ワ」が古く、「イ」という発音は後世の転音。
【第三のまちがい】
倭にも委にも、悪い意味はないし侮蔑語でもなんでもない。
七世紀に日本と改号するまで普通に堂々と倭と自称していた。
唐書に「その名を悪(にく)んで日本と変えた」とあるのは
中国人側の伝聞・憶測としてオマケ的に書いてあるだけで
地の文(本文)ではない。
543 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 18:18:07
★ 倭寇の正体は朝鮮人だ!! ★
韓国朝鮮人は、
「日本の海賊=倭寇が、過去に何度も韓国を侵略し、我々韓国人に多大な被害を与えた!」と、
主張して、日本人をよく非難する。
しかし、韓国人のこういった主張は大ウソなのである。倭寇の正体は韓国人=朝鮮人なのだ。
韓国朝鮮人は、金氏新羅の時代から活発に海賊活動を行っていた。
そして、朝鮮海賊にとって、第一のターゲットは、常に日本人であった。
我々日本人こそが真の被害者であり、韓国朝鮮人は加害者なのである。韓国朝鮮人は侵略者なのだ。
新羅時代、朝鮮海賊が対馬海峡や九州西岸海域に出没し、日本人を襲って殺傷する事件が多発した。
大和朝廷は、大宰府の水軍に対し、海上警備の強化を命じた。大宰府の取り締まりが厳しくなった結果、
朝鮮海賊は「商売アガッタリ」状態になった。そのため、しかたなく、朝鮮海賊は自分たちの国の人間を
襲うようになった。
この時、彼らは朝鮮人らしく悪ヂエを発揮して、新羅王府の取り締まりから身を守るため、
自分たちが朝鮮人である事を隠し、日本人に偽装した。
「オレたちは倭人だぞォ!」と、アピールしながら海賊活動を展開したのだ。
これが倭寇の正体なのである。倭寇とは朝鮮海賊のことなのだ。
★きままに歴史 『元寇と高麗』★
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm
544 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 18:19:47
なんで、大和朝廷が作った人工国家=百済の文化を、日本人が羨むんだ?(笑
_____________________________________
韓国人がアホな歴史教育をしているようだ。
【歴史教育、幼稚園から実施】
教育人的資源部(訳注:日本の文部科学省に相当)は、幼児の時から正しい歴史意識を
身に付けさせるために、多様でおもしろい活動を素材とした『幼児のための歴史教育活動
資料』を発刊し、全国8300余りの国・公・私立幼稚園に無料配布するほか、保育施設など
で出力して活用するようにホームページ( www.moe.go.kr )にも掲載することにしたと、16日
発表した。
この資料は、幼児期発達に相応しくておもしろい10編の時代的歴史エピソードと、33種類
の多様な活動で構成されており、歴史に対する幼児たちの関心と好奇心を引くことが期待
される。
(省略・・・)
★『韓国の文化の誇り、百済』編には、「日本が羨んだ百済文化」が紹介されている。←(苦笑)
(省略・・・)
古朝鮮(訳注:檀君の建国した国のこと)などのテーマも入っている。
教育人的資源部では、この資料が幼児教育現場で有効に活用されるようにするため、2月
に全国16道・直轄市の教育庁幼児教育担当講師要員400人余りを対象に研修を実施する予定だ。
▽ソース:Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2006.01.16 20:21)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&newssetid=746&articleid=2006011620210117447
545 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 21:06:19
>>542 俺もだいたいそんな感じじゃないかと思う。
546 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 08:38:56
>>542 しかし、それは君の憶測の域でしかないし、外典に「大和」表記不在の論証をしたわけにもならない。
547 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 22:02:50
倭と委がもとは同じというのは、漢字の常識ですよね。
ヘンのない形がもとで、時代が下るにつれて意味の分化に伴って文字を書き分
ける都合から形声文字が発達してヘンが生まれたのです。常識中の常識ですね。
そうです。常識です。区別するために作られたのです。
語彙の一番の役割は差異性です。同じなら二つもある必要はない。
倭と委は意味が違う。当たり前のことです。
549 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 09:49:09
『委国』と書くと(国がなえる・国がおわる)と読め、
『倭国」と書くと(従う国)で従属国になる。
550 :
名無し募集中。。。:2006/03/27(月) 22:36:18
名前:山崎渉 [(^^)] 投稿日:03/05/28(水) 10:41 New!!
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
551 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 22:42:17
「米国」と書くと日本人に食われる国となる
552 :
542:2006/03/27(月) 23:08:54
>>546 不在の証明?なぜもれが不在の証明をしなきゃならんのか
よくわからんが?
つーかあんた何がいいたいの?個人的な憶測ではないのだがな?
553 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 09:12:48
「支那」と書くと、どう読めるか?
奴国を支える
555 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 22:08:22
いつから倭奴から倭になったの?
557 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 00:00:04
金印は委奴ですが。
AD57〜AD107の間では?
560 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 17:32:31
★★韓流ブームは存在しない★★
最近、日本マスコミが妙なデマを宣伝している。
いわく「日本は今、空前の韓流ブームだ。韓国のテレビドラマや映画が大人気で、『冬のソナタ』の
主演俳優、ペ・ヨンジュンのことを日本女性がヨン様と呼んで熱狂している」
だが、こういった話は全て大嘘である。韓流ブームなどというものは存在しない。
現在、韓流ブームと呼ばれている<騒動>は、韓国政府が広告会社=電通に金を払って演出している幻
(まぼろし)であり、ヤラセにすぎない。
韓国政府・電通・マスコミの組織的な宣伝工作によって作られた『バカ騒ぎ』が、韓流ブームの
正体なのだ。
韓国ドラマ『冬のソナタ』は、日本人にぜんぜん人気がない。主演俳優のペ・ヨンジュンのことを
「ヨン様」と呼んでいるのは、電通の影響下にあるマスコミと在日韓国人(朝鮮人)だけなのである。
そして、ペ・ヨンジュンを追いかけまわしている年配女性グループは、全員が在日韓国人であり、
韓国民団に動員された女性たちなのだ。もちろん、彼女たちには韓国民団から金が支払われている。
在日韓国人の中年女性たちにとっては良いアルバイトである。
現在、日本の書店には、『冬のソナタ』やその他の韓国ドラマ・映画の関連本が置かれているが、
これらの本の出版費用は、全て韓国政府から出ているのである。しかし、やはり売れていない。
この事実は、日本人が韓国文化に「まったく関心がない」ことを証明している。
では、なぜ韓国政府は電通に金を払ってまで、ヤラセの韓流ブームを捏造しているのだろうか。
それは、近い将来、北朝鮮の体制が崩壊したときに、半島の統一費用を、日本に負担して欲しいから
である。つまり、日本にタカりたいがために「日本人は韓国と韓国人が好きなのだ」という、
デマを宣伝しているのだ。これが、『韓流ブーム』と呼ばれているものの実態なのである。
ちなみに、韓流を捏造している電通の会長=成田豊は、半島のソウル生まれの帰化韓国人である。
561 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 22:46:39
金印の委奴国は伊都国の事だと発見地からも明白と思います。
中国の歴史書で印綬で記されているのは「漢(宗主国)-○○国(従属国)-官位(国王等)」
の体裁で、宗主国と従属国の二段表記です。
日本の金印も「漢-委奴-国王」と読むのが普通であり、委奴で一国の国名です。魏志倭
人伝の里程上、伊都国である糸島郡で発見された金印です。
伊都(ito)の音の当て字が委奴である事は明白です。委の字は漢字でも古い部にあたり、
古音ではyまたはiでありuやw音は後代になってから現れていますので、倭人の倭も表音
上、iであったことは当然でしょう。もともと東方は中国では「夷(i)」の蛮族の地と
されており、不自然さはありません。
無理やりwaと読むのは日本の考古学界程度じゃないですか? 常識が通じないとこですか
らね。あそこは。
562 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:03:51
>>561 それだとどうして「漢‐夷奴-国王」じゃなかったのか、って謎が残るけどね。
漢はどういう基準で金印を与えていたのか
委奴国ないし奴国は、金印を与えるに相当の国であったのか
岡山には和という素晴らしい文化がある。
仙台は平気で嘘をつきパクる、他人叩きの蹴落とし文化。
なぜ、同じ日本を名のりながらこうも違うのだろう。
566 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 21:22:37
結局なんで倭を和や日本にしたのよ。
なぜ訓読みじゃなくて「ニッポン」なのか
568 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:36:21
もともと当時の漢字の読みが「ジッポン」(本日のジツ)でジパング・ジャポンになったってのは
有名だね。
漢音が「ジッポン」、呉音が「ニッポン」じゃなかったっけ?
570 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:09:50
「日本」の読み方は正確に言うと不明。
「ニッポン」というのは確かに音読み。これが果たして正しい読み方かどうかは不明。
少なくとも、かつての極東地域の国際共通語である漢語としては大体音読みということになる。
例えば、「源義経」は、本当は「みなもとのよしつね」だけど、「ゲンギケイ」だしね。
恐らく本当は「ひのもと」だと思うよ。
日本と書いてヤマトと読む。これが正解。
572 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:55:22
朝鮮魂w
573 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:13:22
「委奴国」を「イヌコク」と読む人はいませんか。
574 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 01:19:21
大和をヤマトと無理やり読む方がよっぽど変。
大養徳をヤマトと読むよりはまし。
>>561-563 自作自演もいい加減に汁
>委の字は漢字でも古い部にあたり、
>古音ではyまたはiでありuやw音は後代になってから現れていますので、倭人の倭も表音
>上、iであったことは当然でしょう。
よくもまぁ臆面もなくそんなデタラメを平気で書けるね。
もう2chが信じられない。
別に学者でもなくても誰でもその気になれば調べられることだぞ。
>古音ではyまたはiでありuやw音は後代になってから現れています
ソース出してもらおうかね。出せるもんならw
2chだろうがなんだろうが、誰かの言説(学説だろうが妄想だろうが)
に対して「AではなくBだ!」と言うのならまだわかるのだが、
「Aはデタラメだ!」としか言わなかったり、他人にソースを要求しなが
ら自分は「その気になれば調べられる」としか書かないゆような人間が
信用される場所なんてどこにもないと思うのだが。
ちなみに
>>563は俺だが、それは
>>561にツッコミを入れているんだが。
578 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:38:40
結局誰もよく分からんてことだな。
579 :
池沼:2006/04/20(木) 00:39:58
580 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 07:04:29
そういやさ、新石器時代の人たちは、どうやってマグロなどの大きな魚を捕まえたん?
貝塚から骨がハケーンされてますけど・・・いったいどうやって・・・?
581 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 07:21:52
>>574 大和は山人、隼人は南人がもとじゃねぇか?
なあ、モンゴル学者先生方。
>>580 マグロ=体長2mのものしかない
とか思ってないか?
583 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 15:40:19
584 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 18:18:42
>>536 「邪馬台」なんてどう考えても「ヤマト(大和)」としか読めんがな。
「和」は倭の雅称で、「和服」「和歌」など現在でも普通に使われている。
「倭国」が「日本」に正式に改名したのは、武后の時(もちろん中国さまの正式
許可がないと認められない)。それ以前にも国内では「日本」を使用していて、
大宝令の公式令で定められたよーです。
改名の理由は単に「旧国名がダサかったから。」と中国の文献、新・旧当初には
書いてある。
よって、現在の日本人も古代人が「ダサい」と考えた、ダサい方の「倭」を使わず、
美しい「和」の方を使っているのだ。
すいません
倭についてではないのですが氏姓制度について
わかりやすく教えてもらえないでしょうか?
586 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:39:50
「大和」はどうやっても「やまと」とは読めません。
「大和」や「和」という漢字と、「やまと」は、全く別の語源です。
587 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 21:58:15
漢字を訓読みする場合は、訓読みの語源は漢字とは何の関係もありませんね。
「大和」と「やまと」は無関係です。
588 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:56:45
ヤマトは、山人か山門が語源じゃないの?
ヤマト政権が治める国は倭(和)。大きな和は、すなわちヤマト。
だから大和=ヤマトになったのでは?
589 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:10:41
最低限
>>85の事実は踏まえてね。
倭→大倭(701)→大養徳(737)→大倭(747)→大和(758)
大和っていう表記は奈良時代中期になってから。
何かエライ古くからあるように思ってる人が多い。
590 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 17:00:16
そうだな。このスレは「和」という文字表記についてアレコレいう場だよね。
「やまと」は関係ない。
ただ、それを言い出すと
> 「倭」の国が「和」の国
になったわけじゃないからな(「和国」という国はない)。
個人的には「大養徳」が山背国にあったことが気になる。
大養徳は大和であって山背とは関係ないだろ。
593 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 08:01:13
>>581 東人は「あずまひと」と読まずに「あずまと」と読む。
南人を「はやと」、山人を「やまと」と呼んでも差し支えない希ガス。
人を「ひと」とか「びと」と読まずに、「ひ」を省略してしまう
ケースは、確かに多い。
多いね
595 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 22:55:47
大倭
596 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 01:15:41
大和の語源は「山処」。つまり盆地のことだよ。
597 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 20:01:46
倭奴って生きてて恥ずかしくないの?
598 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 20:18:02
倭も和も「ワ」なんだよな!要は始めから今まで
ずーっとワなんだよ。
599 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 20:19:39
倭と和は、日本側へ導入されて発音が大和言葉的に
縮退同一化(呉音など)してから、
かなりの年月が既にたっていたのかもしれない。
つまり倭人にとっては同一視してた。
600 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 22:03:41
>>597 そういえば、中国人て「倭奴」って言わないよな。
日本人を罵る時は「小日本」か「倭人」か「倭寇」だ。
601 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 23:18:07
「倭」の意味は「背が曲がった小人」という意味だよ。これは、当時の日本人が
中国側に対して自分あるいは自分たちのことを「わ」と言い、中国側がこれに
「倭」という差別的な字を当てたわけだ。自分や自分たちのことを「わ」と
言ったのは正しいだろうね。「わたし」「われ」「われわれ」「わが」などは、
「わ」が原形だからね。
602 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 06:14:08
>>601 どこにもそんな定説は無いよ。倭の発音はWoだし、委とも書かれていたはず。
縄文時代なら「私」は「ア」という発音になるんじゃないかな?
1従順である説
2チビ説
3「われ」と言った説
4ゆだねる説(委)
5稲作に関係する説(漢字を分解してみよう!)
これぐらいは、あったんじゃないかな?
604 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 21:51:51
あずまと、あずまんど…どちらも読むんじゃなかったか?
605 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 22:09:42
背が曲がったではなく、背を曲げた女の人。
稲束を背負っているのだ。
606 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 11:37:51
そういえば、昔日本史板にいた「アズマ」ってどこに消えたの?
607 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 07:24:59
日本(国家) :倭→日本(701)
大和(令制国):倭→大倭→大養徳(737)→大倭(747)→大和(757)
「養徳」や「和」という文字はよい意味を持っているから選ばれたのであって、
「倭」というのと直接の関係はない。
たまたま「倭」と「和」が日本語で同音だったから、
後世、「和」は「倭」に通じていると言われるようになっただけ。
608 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 07:37:53
609 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 09:31:48
デンパ乙
610 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 09:41:36
611 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 10:37:34
・大養徳
「天平七年・九年の疫病流行を天子の薄徳に対する天の咎めと受けとめ、
天子は大いに徳を養い、もって天の望みに応えるべしとの考えに基づく」
(新日本古典文学大系 続日本紀3 補注)
612 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 11:35:05
>>598 では金印はどう読むんだよ。
@「漢−委奴−国王」 ・・・漢のyitoの国王
A「漢−委−奴−国王」・・・漢のwaのnaの国王
@のyitoは発掘地の伊都国から読み方は明白。Aの三段表記の印は、
中国印璽書体上ありえない。
中国人は明らかに、委(=倭)をwaと呼んではいなかった。
また日本という改正について随書に記述はあるが、それは明らかに
「倭の一種」であるとはっきり明言されている。
つまり、「倭」と「日本」は人種は同じだが、国家政権としてはま
ったく異なるものであると、史書上はなっているのだ。読み方が同
じ訳があるまい。ヤマトという音も大陸の記述には皆無だ。
613 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 12:07:13
今気付いたんだが、養徳(ヤウトク)ってヤマトの当て字なんだんな。
福岡市和田→和田国→倭奴国→委奴国
615 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 14:20:13
>>612 属国だから敢えて人偏を外して書いたということはないのか?
後の「唐書」などではちゃんと「倭奴国」となっていたと思うけど。。
616 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 19:40:18
倭奴国はyito国だろ? 倭と和は同じ「wa」ではない。始めは倭「yi」だったのだ。
またよくヤマトと呼ぶ根拠となる「邪馬台国」も中国史書には一切ない。「邪馬壹国」だ。
古田説のいうように「邪馬台国」は本居のあて字創作で日本にしか記述がない。中国史書
上、「邪馬壹国」、jamai国の音の可能性が高い。
617 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 20:04:36
大和の国は大朝鮮半島の新羅が建設した。
619 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 08:18:53
倭=和=ワ
倭の音符が委、委の音符が禾、和の音符が禾なんだから
倭と和がもともと同音でも何らおかしくない。
それに倭は呉音、漢音ともにワ(wa)、ヰ(wi)の二つで
yiなんて音はない。
大倭から大和への改称は、
養老令施行(757)にあたって同音の好い字を選んだだけのことで
それ以上に特に意味はない。
一地方である令制国の大倭の改称によって、
国家としての日本のことを意味した(大)倭も、
(大)和が用いられるようになった。
620 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 19:24:12
「倭」の国が「和」の国になったのは筑紫の乱の時では?
621 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 04:47:23
筑紫の乱の時は大養徳。
「大和」の表記の初出は天平宝字元年。
よって「倭」の国が「和」の国になったのもその年。
622 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 23:37:27
倭を和にしたのは新羅王朝が日本統治を完成した為、本格的な漢語の知識が導入された為。
623 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 07:34:10
釣れますか?
624 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 23:56:16
どぼーん
626 :
日本@名無史さん:2006/08/28(月) 23:21:06
和の国というものは存在したことがない。
以上。終了。
627 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 00:39:25
倭ならあるけど
628 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 21:42:38
魏誌倭人伝
に卑弥呼が女王って書いてあったからと
倭人の地理的範囲が不明確なまま論議だから収拾が着かない。
たまたま卑弥呼が倭人として遣いをしていたって事で邪馬台国の報告があるであり
本州の事なんて伝記に乗ってないやん。
九州王朝「倭」を滅ぼした畿内政権が「大倭」を名乗ったんだよね
名を貰ったと記紀に書いてある。倭建命の父は景行天皇だから
4世紀前半までは「倭国」の首都は九州にあった。
630 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 21:41:28
この記事わろた
450 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2007/01/06(土) 08:53:53 ID:p7qGbpe/
【ソウルからヨボセヨ】倭人は笑う
北朝鮮の官営メディアが日本のことをしきりに「倭(ウェ)」といっている。
日本の対北制裁措置に腹を立てているのだろう。「倭」とは古代・中華文明圏で中国の周辺民族に
対する蔑称として、はるか東方の海のかなたの日本を指す名称だった。北朝鮮としては日本に対す
る悪口のつもりで見さかいなくそういっているのだが、日本の対北制裁が随分効いているようだ。
悪口のついでだろうか、今度は「天皇」についても「倭王」と言い出した。韓国マスコミも
「天皇」のことをほとんどが格下げのつもりで「日王」と表記しているが、北朝鮮としてはさらに
品悪くしたつもりで「倭王」となったようだ。ただ古代史ファンには「倭の五王」などといった話
をロマンチックに思い出す人もいるかもしれない。韓国に亡命した黄長●・元党書記は北朝鮮のこ
とを“封建王朝”と称しているが、北朝鮮は今や封建時代を通り越し古代世界に入ってしまったらしい。
そんなに「倭」を使いたければ「在日朝鮮総連」も「在倭朝鮮総連」に「日帝」も「倭帝」に
「朝日共同宣言」も「朝倭共同宣言」にしたらどうだろう。ついでに英文表記もJAPANでは
なく「WOE」とするか…と倭人記者はからかいたくなるのでした。(黒田勝弘)
●=火ヘンに華
(2007/01/06 07:41)
ttp://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070106/kra070106000.htm
631 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 22:20:02
なんでや
632 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:15:32
なんでもや
633 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:24:51
倭式便所
634 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 23:57:18
ん?
>>1 日本人など所詮毛皮の服着てこんぼう振り回すしか能の
無い野蛮人だったから漢字の意味がわからなかったんだよ、
唐人や大韓人は意味を知っていたから愚昧なサルをバカにしてたわけだね
俺も倭って悪い意味だと思ってきたけど、
神倭伊波礼琵古命って言うよね。
当時は別に気にしてなくて、
後に中華側視点で蔑視する意味合いを持つようになったんジャマイカ?
637 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 21:33:23
ジャマイヨ
638 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 09:24:39
江戸時代の随筆読んでると、著者によって日本の呼称は違うけど、「倭」という呼称を遣っている人もそれなりにいるよ。
そして内容から言うと特に「倭」という呼称に何らかの意味を与えているわけもないし。
もちろん「倭」の単語としての意味は知っているのは明らかだけど。
(古典文献を学術的に議論する実力のある人たちだからそう考えるのが妥当)
政治的な立場からだと国の呼称に意味は大いにあるだろうけど、その方面に興味のない学者だとそれほど気にしなかったのかも。
639 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 10:51:32
倭は軽蔑の意味があるのとちゃうか、それで 日本に名義変更した
640 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 12:38:41
今でもアジアでは倭と呼ばれてるな
国も人間も心も小さい矮小な国って意味でぴったり
世界中から笑われバカにされてるのにな
641 :
uso:2007/10/24(水) 03:22:55
倭→倭人はヤマトと言っていた。 中国人はワと言っていた。
日本を日本人はニホンと言うが、中国人はそうは発音しないのと同じ。
ヤマトをずっと倭と書いていたが、もっといい字にしようと思って和にした。
1の書いているように元明天皇の厳命で、良い字の二文字にしなければならず
むりやり二文字にした結果、大和とかいてヤマトと読ませた。
泉も二文字にして和泉にしたし、ある地方では泉を上下分けて白水としたところもある。
642 :
日本@名無史さん:2007/10/24(水) 06:50:03
最初から読め。
356 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 17:43:04
倭に悪い意味があるとか言ってる奴は最低これくらい読め。
http://salon.gooside.com/wakao.htm 「倭」の本義考――あわせてその意味変遷を論ずる――
次に春秋時代(紀元前770年〜紀元前476年)において,倭は人名用字として使わ
れていた。魯国の国王である宣公は倭(わ)と名乗っている。魏晋南北朝時代にお
いて「倭堕髻(わだけつ)」というヘアスタイルがあったようである。『楽府詩集
(がふししゅう)』「陌上桑(はくじょうそう)」にも「頭上倭堕髻,耳中明月珠」
とある。また「倭妥(わだ)」という美しさを描写する語彙もある。明代の著名な
劇作家湯顕祖(とうけんそ)の有名な『牡丹亭』には「娉停倭妥」とある。
さらに中国史上において漢語以外の地名・物産名などの音訳として,倭はよく
使われている。例えば,河川名としての倭肯河(わこうが)(吉林(きつりん)省宝清
(ほうせい)県に源を発する)と倭西們河(わせいもんが)(黒竜江省呼瑪(こま)県を
経由して黒竜江に注ぐ河),地名としての倭赤(わせき)(新疆ウイグル自治区の県),
物産名としての倭瓜(わか)(まくわうり),などである。
中国の歴史書は、大陸海岸部から、南アジア、日本列島に
広く分布する倭人や越人という、米作漁労の存在を認めていた。
倭人が、照葉樹林帯の縄文人と混血したしたのが、今の日本人。
もちろん、百済も倭人の国で、縄文人と倭人の混血という点
では同一民族。だから言葉も民族も同じ。高句麗も、ほぼ同じ。
今の朝鮮人は3世紀ごろに、東シナ半島の東部海岸に
中央アジアから来たワイ族であり、このころの倭人とは関係がない。