太師正一位藤原恵美朝臣押勝(仲麻呂)

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1日本@名無史さん
思わず立てちゃいました。
奈良時代全般でも好いから語りましょう。
2日本@名無史さん:02/12/25 13:22
藤原恵美朝臣ってなんなんだよー。
3日本@名無史さん:02/12/25 13:22
恵美さんって今いるもん??
4日本@名無史さん:02/12/25 13:36
むすめっこぱこぱこがばがば
5日本@名無史さん:02/12/25 14:10
>>4
せいぜい2,3十人じゃないのか。
6日本@名無史さん:02/12/25 14:21
なんの話ですかい?
いい話でしたらオレッチも交ぜてください
7日本@名無史さん:02/12/25 16:14
あまりにも内容が酷いですなぁ
違う板にいったほうがいいよ
8日本@名無史さん:02/12/25 17:01
でも三戦板じゃない罠。

「恵美」「押勝」ってどういう意味?
9日本@名無史さん:02/12/25 17:10
彼も父親達が疫病で死ななければましな死に方が出来たと思うよ。
10日本@名無史さん:02/12/25 17:44
仲麻呂の娘が輪姦されたってホント?
11日本@名無史さん:02/12/25 17:55
>>10
4、5参照。(w
12日本@名無史さん:02/12/25 17:59
これって正史に記事があるの?
それとも単なる伝承?
13日本@名無史さん:02/12/25 18:04
娘はレイープされたあとどうなったんだ?殺された?
レイープじゃ死なないよな、普通。
14日本@名無史さん:02/12/25 18:33
[水鏡]参照のこと。
15日本@名無史さん:02/12/25 18:34
もっとまともな話題はない?
孝謙天皇、道鏡との三角関係とか。
16日本@名無史さん:02/12/25 18:34
そんな後世の本じゃ信憑性は低いな。
17日本@名無史さん:02/12/25 18:36
とりあえず、水鏡の該当箇所を引用してくれ。
18日本@名無史さん:02/12/25 18:38
仲麻呂と光明子が実はできていたとか。
19日本@名無史さん:02/12/25 18:41
旦那は病弱だしありえるな。うん。
20日本@名無史さん:02/12/25 18:41
仲麻呂には人にすぐれて美しい東子(あずまこ)という名の娘があった。
>>17
あるとき唐招提寺の鑑真和上は一目娘を
見て、この女は千人の男に会う相があると予言した。
人々はさすがに信じなかったが、はたして仲麻呂
が鬼江の汀(みぎわ)に斬殺されたその場で、
追討軍の兵士千人のために姦(おか)された。
21日本@名無史さん:02/12/25 18:46
水鏡には道鏡巨根説も載ってるね
22日本@名無史さん:02/12/25 18:49
水鏡って新手のエロ本ですか?
ゲットしたいのですが、やはり新宿か秋葉原じゃないと売ってないのでしょうか
僕、茨城県民なのですが。
23日本@名無史さん:02/12/25 18:57
本人の話題が全然ないじゃん。
それでここまでのびちゃうなんて彼はいったい何者?
24日本@名無史さん:02/12/25 18:59
押勝。
25日本@名無史さん:02/12/25 19:05
「おしかつ」とは、すもうのような、なまえなり
26日本@名無史さん:02/12/25 19:10
「寄切」でもよさそう。
27日本@名無史さん:02/12/25 19:15
26よ!あんたはおもしろい!3000点差し上げます。
28日本@名無史さん:02/12/25 19:42
「えみ」はやっぱりデリヘル嬢だよな
29日本@名無史さん:02/12/25 20:02
僕には点数くれないの??
30日本@名無史さん:02/12/26 01:33
実際としては千人の兵士の中から自信のある希望者を募ってということでは。
31日本@名無史さん:02/12/26 03:47
名前の書き方、間違ってるよ
「藤原恵美朝臣押勝」
どうして恵美が朝臣なんだ(W
正しくは
藤原朝臣恵美押勝
あるいは
恵美押勝藤原朝臣仲麻呂
32日本@名無史さん:02/12/26 04:52
藤原仲麻呂は安禄山の変に乗じて、新羅に出兵しようとしてたけれど、
当時の東アジア情勢を見ると、新羅の国内情勢や、新羅と隣接する渤海の存在、内モンゴルの
第二突厥帝国などの突厥系部族や契丹族、それに安禄山の本拠地が今の北京を中心とする河北省北部
だということを考慮すると決して無謀じゃなかった思う。
それに日本側は、任那や百済の復興を大義名分としてする事もできたわけだし。
33日本@名無史さん:02/12/26 08:04
>>31
恵美朝臣押勝(旧藤原朝臣仲麻呂)だろ。
恵美が下賜「姓」だって知らないのけ。
34日本@名無史さん:02/12/26 08:29
新羅出兵は国内情勢の変化でムリだったのだろう。仲麻呂はやりたかっただろうが。無念だっただろうなぁ〜。
351:02/12/26 09:40
姓に「恵美」を加える複姓なのだから、氏・姓・名でいけば『藤原恵美麻臣押勝』でいいんじゃないの?
361:02/12/26 10:01
「麻臣」ではなく「朝臣」でした。変換ミスです。
37日本@名無史さん:02/12/26 10:59
複姓は安倍小殿朝臣という例もあるよ
天平期にはもっと例があるはず
38日本@名無史さん:02/12/26 11:46
>>20
鑑真和上は盲目じゃなかった?
39日本@名無史さん:02/12/26 11:54
三位以上なら藤原朝臣仲麻呂
三位未満なら藤原仲麻呂朝臣
40日本@名無史さん:02/12/26 14:20
会津に恵日寺や勝常寺を開山するなど、奈良仏教の東北布教を
精力的に行った平安初期の法相宗の高僧で、最澄の宿敵、空海の
盟友として知られる徳一は、恵美押勝が晩年にもうけた男児だと
言われています。
41日本@名無史さん:02/12/26 14:51
>>22
「水鏡」はWEB上でダウンロードできるよ。
仲麻呂の娘の話はこれ。

 又心憂きこと侍りき。その大臣の女おはしき。色容めでたく、世に並ぶ人なかりき。
 鑒真和尚の「この人、千人の男にあひ給ふ相おはす」とのたまはせしを、
 たゞうちあるほどの人にもおはせず、一二人のほどだにもいかでかと思ひしに、
 父の大臣討ち取られし日、御方の軍千人悉くに、この人犯してき。
 相は恐ろしきことにぞ侍る。
42日本@名無史さん:02/12/27 15:03
密告いたします。「仲麻呂が安積親王を殺そうと計画中です」
43日本@名無史さん:02/12/27 16:23
「水鏡」はエログロだし
時代が後過ぎ。強姦された姫がその後どうなったかも書いていない。

称徳天皇と道鏡の話にしろ、
著者は自分の妄想を史話に仕立て上げたんじゃないの?
ほかに確認のしようもない話だし。
44日本@名無史さん:02/12/27 16:31
続日本紀では、妻子が斬られたとしか書いてない。
45世直し一揆:02/12/27 20:29
http://osaka.yomiuri.co.jp/new_feature/kokoro/jyuku06.htm

社会福祉法人「いのちの電話」の斎藤友紀雄事務局長は、「『いじめ』は
世界中で起きていますが、日本の場合、その一番大きな原因は、異質なも
のを認めないという精神文化に根ざしていると思います。偏差値教育や核
家族化によって孤独を強いられた子どもたちは、必死に自分の居場所を求
めるのです
が、性格や能力が集団と調和しない子は、集団から排除されてしまう。つ
まり、村意識が働いて、村八分にされてしまうのです」と語る。

<差別いじめをなくそう>
日本国憲法(国のあり方を定めた法)は、個人主義を定めています。
それは、戦前、全体主義だったわが国が、悲惨な戦争に突入し敗戦したと
いう苦い経験の反省に基づきます。

別にみなが一緒じゃなくてもいいでしょ?
みなが一緒じゃないと安心できない集団がいて、その集団が
異質分子を排斥しようとする。
46日本@名無史さん:02/12/28 04:06
>>43
押勝の娘は、生き残ったと何かで読んだ記憶がある。(ソース捜索中)
47日本@名無史さん:03/01/01 07:54
仲麿は光明子、その死後は淳仁天皇を後盾に実権を掌握する考えで、孝謙天皇をあまり重要視していなかった為、伴侶(?)を見つけた彼女にしっぺ返しをくらったのだ
48日本@名無史さん:03/01/03 07:25
なぜ?独裁政権樹立に不比等は成功して仲麻呂は失敗したのか?
49日本@名無史さん:03/01/03 11:36
で、仲麻呂の子孫は女系でもいいけどいるの?
50日本@名無史さん:03/01/03 11:47
>>48

>なぜ?独裁政権樹立に不比等は成功して
右大臣でも独裁政権なんすか?
51日本@名無史さん:03/01/04 12:32
>>48
女房の政治力の差でしょう。県犬養三千代とのね。
52日本@名無史さん:03/01/04 17:19
恵美押勝
孝謙天皇はどんな不機嫌なときも
彼を見ると微笑むほどテクニックがあったから
この姓をいただいたそうです。
53日本@名無史さん:03/01/06 09:54
男子一人が助命されて隠岐に流されてるね!
54日本@名無史さん:03/01/06 13:27
53
徳一と隠岐に流罪にされた男子以外に、押勝の子女で
助命された者はいますか?
 また、押勝の反乱の際、反乱軍が天皇に擁立し、敗北後、
押勝とともに斬られた皇族塩焼王の妻子で、助命された者は
いますか?
55日本@名無史さん:03/01/06 16:05
いないと思われ。徳一だってホントに仲麻呂の子供なの?
56日本@名無史さん:03/01/06 23:18
>>55
長屋王の変での長屋王一族といい、この時代は殺伐として、容赦慈悲のない時代だったのか。
平安期の藤原氏と大違いだね。婦女子まで一族抹殺とは。
57日本@名無史さん:03/01/07 09:24
塩焼王の息子に氷上志計志麻呂がいますよ!
58日本@名無史さん:03/01/07 23:16
>>57
氷上ってのは、聖武息女の不破内親王の息子達の姓じゃなかったですか。
59日本@名無史さん:03/01/08 14:43
いつの時代でも『女』を敵にまわすとロクなことはない。あ〜くわばらくわばら
60日本@名無史さん:03/01/08 16:31
友人に子孫だと言う恵美くんがいます。
61日本@名無史さん:03/01/08 17:31
>56
長屋王の子孫はいると思うが。
62日本@名無史さん:03/01/09 00:07
>>61
武智麻呂によって、糾弾された長屋王の変の折、一族揃い死にの中で藤原氏出身の側室と
その子女は生存していますね。何々王だったかな。武智麻呂の息男の仲麻呂も同じ憂き目に。
因果応報か。
63日本@名無史さん:03/01/09 13:52
55
徳一が幼児から出家していたか、幼児ゆえに出家を条件に
助命されたとすれば、彼が恵美押勝の男児だとの話が事実
である可能性があります。
 なお、徳一が恵美押勝の男児だという話は、空海など徳一
と同時代の人物の著作や、今昔物語などの説話文学のなかでは
語られているものの、徳一自身は自分の親や家系について何も
語らず、語る事を頑なに拒んでいたそうです。
64日本@名無史さん :03/01/09 13:57
杉本苑子の『壇林皇后私譜』が面白いよ。
65日本@名無史さん:03/01/09 15:03
 64
 檀林皇后が嵯峨野に建てたお寺檀林寺は、鎌倉時代に一旦は廃寺と
なったものの、昭和になってから再建され、京都市右京区
嵯峨野の天竜寺の近くに、現在はあります。
66日本@名無史さん:03/01/09 16:23
この時代までは基本的に負けた側は一族根絶やしだよね。たとえ助命されて生き残ったとしても最期は悲惨なめにあっている者が多い。
67日本@名無史さん:03/01/09 16:24
この時代までは基本的に負けた側は一族根絶やしだよね。たとえ助命されて生き残ったとしても最期は悲惨なめにあっている者が多い。
68日本@名無史さん:03/01/09 16:35
どうゆう風に面白いの?
69日本@名無史さん:03/01/09 17:07
>>67
そうなのか?
70日本@名無史さん:03/01/09 19:42
>>56-58
塩焼王の奥さんが不破内親王で、その間に生まれたのが氷上志計志麻呂と氷上川継。
ちなみに臣籍降下して氷上に改姓したのはお父さんの塩焼王の時。

>>62
でもその長屋王の生き残りは橘奈良麻呂の変の時に旗印に担ぎ出されて?ここのスレ
ネタの仲麻呂に殺されてる。
ちなみに殺されたのが黄文王、流刑になったのが安宿王。安宿王の子孫は返り咲いて
その後高階氏になったと思われ
あと
この奈良麻呂の変を密告したとして生き残った王が一人、女王(教勝とか言う名前)
が一人。
71日本@名無史さん:03/01/09 23:32
>>70
>安宿王の子孫は...高階氏になった
そう、高階氏は、天武長男の高市皇子の後裔と称しているね。
長屋王の正室は、誰の息女だったかなあ。
72日本@名無史さん:03/01/09 23:41
長屋王の正室は草壁皇子と元明天皇の子吉備内親王。

彼女の子らは王と内親王と共に自害している。
ところで長屋王はやはり木簡の記載通り
長屋親王と表記を改めるべきだろうか?
73日本@名無史さん:03/01/09 23:54
なんで天皇の孫なのに親王なんだろう?
特別に親王宣下でもあったのかそれともただの自称?
74日本@名無史さん:03/01/10 01:08
>>73
元明が氷高(元正)に譲位する直前に、娘である吉備の子供を皇孫に格上げした。
(父系からいえば、天武-高市-長屋-その子供で4代目)
その際に皇孫(王)であるその父(長屋)がついでに親王扱いになったのではないかと
言われているが、前者は続日本紀に記載があるが後者はない。

また、トンデモ扱いだが、高市(天武長子,長屋の父)が即位してたという説
(藤原北朝高市,吉野南朝持統)もある。

まぁそうでなくても、皇太子(草壁)の子(軽=文武)が即位できるなら
太政大臣皇子(高市)の子(長屋)が親王扱いでもイイような気がする。
ちなみに、文武の母(元明)と長屋の母(御名部)は、同母の天智娘。
75日本@名無史さん:03/01/10 07:55
>>74
でも鈴鹿王や六人部王は親王と呼ばれた形跡がないよね
76日本@名無史さん:03/01/10 08:17
後の著名な高階氏は桑田王のほうの流れ
77日本@名無史さん:03/01/10 09:56
78日本@名無史さん:03/01/10 10:07
兄貴の豊成の系統は生き残ったんだよね?
79日本@名無史さん:03/01/10 11:19
信西入道は南家の子孫じゃなかったっけ?
80日本@名無史さん :03/01/10 12:47
>>64
この時代を題材にした小説って他にある?あったら教えて。
81日本@名無史さん:03/01/11 02:41
>>78-79

南家の子孫
長男豊成→細々と生き延びたのかな?人材に恵まれなかったらしくよくワカラン
次男仲麻呂→南家で最も栄えるも仲麻呂一代でほぼあぼーん
三男乙麻呂→平安初期に桓武天皇に藤原吉子を夫人にいれて栄えるも、平城天皇に
      なったときに「伊予親王の変」で伊予親王と母の吉子が変死させられ
      まきぞえで失脚
四男   →…知らない(汗
五男巨勢麻呂→次兄仲麻呂に連座して死刑になるが、子孫は生き延びて平安初期に
      北家・藤原冬嗣と親戚になったことから右大臣を排出。しかしその後
      は徐々に衰退。

信西入道はこの巨勢麻呂の子孫じゃなかったっけ。
82山崎渉:03/01/11 16:43
(^^)
83日本@名無史さん:03/01/11 21:07
>>81
>五男巨勢麻呂...子孫は生き延びて平安初期に北家・藤原冬嗣と親戚に...
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1009215061/291
291 :日本@名無史さん :02/05/11 15:22
南家武智麿−巨勢麿−真作−美都子。尚侍等の後宮要職にも就いているから、
冬嗣とさしずめ夫唱婦随で、自家の権勢伸張と他家謀略に勤しんだだろうなあ。
84日本@名無史さん:03/01/11 21:30
>小説
杉本苑子『穢土荘厳』がある。
『檀林皇后私譜』では主人公橘嘉智子が
水鏡の例の話を聞くシーンもある。
両作ともかなり暗い雰囲気.

あと、漫画だが里中満智子『女帝の手記』では
仲麻呂が大活躍。
孝謙天皇の愛人となり皇位簒奪、易姓革命を密かに狙う野心家とされている。
最後琵琶湖湖畔で討死するシーンが印象的。
ベテランだけあって小舟から矢を受けて浅瀬に転げ落ちる絵の構図が上手い.

「何故こんなことに・・・こんなはずがない」

水鏡のシーンはない。
85日本@名無史さん:03/01/11 21:56
>>49,>>53
子孫としては、薩雄と刷雄の系統が続いたようだね。 
http://www.tanutanu.net/roots/database/e/emi1.htm
86日本@名無史さん:03/01/11 22:18
>>83
藤原三守785-840・美都子兄妹と藤原冬嗣775-826(美都子夫)と橘安子(三守妻)・橘嘉智子の
縁戚サークルが、嵯峨朝政治を動かした。
87日本@名無史さん:03/01/11 22:34
>>48
760年の光明太皇太后死去を境に、藤原乙麻呂(おとまろ。弟)・藤原袁比良(えひら。正妻)
・大伴犬養(おおとものいぬかい。舅)・藤原御楯(みたて。婿)・石川年足(側近)・紀飯麻呂(き
のいいまろ。側近)・巨勢堺麻呂(こせのさかいまろ。側近)らが、相次いで死去し
764年には、逆賊として滅んでしまったわけです。
88日本@名無史さん:03/01/12 19:13
>>74
高市皇子は母が皇女じゃないから格下扱いされたとすると、
母が藤原氏である聖武天皇の皇位継承にも不満な皇族が多かったのでは?
89日本@名無史さん:03/01/12 23:24
文字では皇太夫人と書き、読むときは「オオミオヤ」と言え。
90日本@名無史さん:03/01/13 00:43
>>88
父親の文武天皇が皇太子になってすぐ天皇に即位したのに対し、
皇太子になってから天皇になるまで10年かかってるし
聖武天皇が天皇になるには抵抗勢力があったのかもね
91日本@名無史さん:03/01/13 01:26
抵抗勢力の筆頭は長屋王
92日本@名無史さん:03/01/14 01:28
>>20
遅レスだけど、酷い目に遭った娘の名前は水鏡に記してあったっけ?
仲麻呂の娘に児従・東子・額子がいるのは知っているんだけど…。
93日本@名無史さん:03/01/14 01:30
ひどい目にあったのは東子じゃないの。
94日本@名無史さん:03/01/14 01:41
いや、東子って水鏡に書いてあったか聞きたかった。
確か名前まで書いてなかったような…。
勘違いだったらすまん。
95日本@名無史さん:03/01/14 09:43
続日本紀に「恵美刷雄ら21人を本姓の藤原朝臣に複した」とありますが、21人とは誰なのですか?
96日本@名無史さん:03/01/14 22:12
>95
むっつかしいこときくなあ〜
恵美氏になったのは仲麻呂の子孫に限られるのですが
「仲麻呂の変」で仲麻呂及び息子は刷雄を除いて戦死・刑死しているので
この21人は仲麻呂の娘か孫じゃないですかね

まあ、仲麻呂の子孫でその後の記録が残っているのは刷雄ぐらいなんで
詳しい名前言えでち!とかつっこまれると返すネタがないのだが(w
97日本@名無史さん:03/01/14 23:20
色葉字類抄を読みませう。
98日本@名無史さん:03/01/15 00:25
>>92
>仲麻呂の娘に児従・東子・額子が...
東子・額子って、平城期の貴族の息女らしからぬ名だが、どう発音するの。
平城期の藤原氏の女性名は、袁比良や乙牟漏のような風で、何子とつけられるのは
平安朝からじゃないの。それにしても、成人した子息が5、6人なんだから、
息女もそのくらいはいたんだろうねえ。一族そろい琵琶湖畔で、落命かあ。
99日本@名無史さん:03/01/15 00:58
>>98
「額子」は「額(比多比)」の勘違いで「子」は付きませんでした、ごめん。
「東子」は手元にある資料では一応「あずまこ」と振り仮名があります。
(ちなみに人物叢書「藤原仲麻呂」や講談社学術文庫「続日本紀」)
読みには詳しくないので、どういう根拠でこう読ませているのかは
知りませんが。

「子」と付く平城期以前の藤原氏の女性、探せば何人かいませんか?
宮子・長娥子・光明子・家子・鮒子・今子・産子など。
薬子・東子(薬子の妹)・旅子も生まれは奈良時代ですよね。
100日本@名無史さん :03/01/15 10:14
100get!
101日本@名無史さん:03/01/15 16:02
安宿王と同じく長屋王の皇子だった山背王は、橘奈良麻呂の
変の際、自分の兄弟の安宿王と黄文王を、恵美押勝に売った功績
で、変の後、恵美押勝に重用され、やがて藤原の姓を淳仁天皇から
下賜され臣籍降下して、藤原弟貞を名乗っています。
 また、舎人親王の皇子和気王は、恵美押勝の変に際して、弓削道鏡に
味方し、淳仁天皇を逮捕・投獄する役目を演じました。和気王のこの行動は、
夫と子供がいない孝謙上皇に取り入り、上皇の夫又は養子になって皇位を狙う
という野心から出たものですが、やがて、和気王の利用価値が喪失したと見た
道鏡・孝謙コンビは、和気王に謀反の罪を着せ殺害しています。
102日本@名無史さん:03/01/15 22:59
>>101
言いたいことは分かるが…。
長屋王の「皇」子? 舎人親王の「皇」子?
103日本@名無史さん:03/01/16 00:16
皇帝に
なろうとしたって
本当か
104日本@名無史さん:03/01/16 00:27
とりあえず唐かぶれなのは確かだ
105山崎渉:03/01/16 08:42
(^^)
106日本@名無史さん:03/01/16 14:20
>>106
あのなー。
107日本@名無史さん:03/01/16 20:20
>>106さん
自爆でっか?(w
108日本@名無史さん:03/01/17 00:38
>>99
>宮子・長娥子・光明子・家子・鮒子・今子・産子
なるほど、宮子がいましたね。同時代の大伴坂上郎女なんかの名の系統と
明らかにちがうが、氏族の出自文化の違いの投影なんだろうか。
もっとも光明子は尊号で、実名は安宿媛じゃなかったか。
109日本@名無史さん:03/01/20 13:33
102 101
自分の保身や出世の為、他人を売ったゲス野郎の皇族でも、
恵美押勝が山背王の面倒を最後まで見たのに対して、道鏡が
和気王を利用するだけ利用したあげく、用済みになるとゴミの
様に惨殺したことからも、恵美押勝の非情になりきれない、人の
良さ、人間的優しさを感じます。
110日本@名無史さん:03/01/20 20:25
う〜ん、そうかなあ
逆に山背王=藤原弟貞は藤原仲麻呂=恵美押勝の意向で動いていただけでは。
んで、その報償として押勝は山背王の面倒を見たのでは。
なんてマジレスするテスト

ところで、ちょっちスレネタとずれますが、「弟貞」のネーミングについて
検討した論文とかってありましたっけ。
111日本@名無史さん:03/01/25 00:07
下がり過ぎなので阿部タソスレに対抗して唐揚げ
112日本@名無史さん:03/01/26 17:18
南家豊成・仲麻呂兄弟の不仲の原因は、何だったの。
113日本@名無史さん:03/01/26 19:43
>>112
兄貴がいると、自分の位・役職が兄貴のそれを追い越すことができないからじゃないの?
事実、仲麻呂は橘奈良麻呂の変に便乗して豊成を追い出してから豊成の位を越えることができたし。
114明智小五郎:03/01/26 21:12
>>70
>安宿王の子孫は返り咲いて
その後高階氏になったと思われ..

高階氏になったのは、長屋王の側室の子桑田王の子孫のようです。
115日本@名無史さん:03/01/27 00:43
仲麻呂の新羅出兵は実現してたらどうだろう。
新羅は日本の領土になったかな。
116日本@名無史さん:03/01/27 09:18
むりでしょう
117日本@名無史さん:03/01/27 09:35
万一新羅を滅ぼして唐と地続きになったら大変。
118日本@名無史さん:03/01/29 10:59
当時、唐は渤海を認めていたようだし、例え地続きになったとしても、認められていたんじゃないの?
119日本@名無史さん:03/02/02 17:57
>>115
そもそも派兵計画目的は、新羅倒滅や征服ではなかったんだよ。臣下の礼をとらぬ
ことへの懲戒だったと思われ。
120日本@名無史さん:03/02/09 19:01
下がりすぎなんでageときます
121日本@名無史さん:03/02/15 10:51
>>114
>高階氏..は..桑田王の子孫...
後世の足利氏執事家の高氏って、高階氏の一派でしたっけ。足利氏とどの地で
繋がりができたんだろうか。
122日本@名無史さん:03/02/15 11:48
淳仁天皇になる前の大炊王が居候していた、藤原仲麻呂の邸宅の田村第は、
平城京の左京四条二坊だったらしい。
日本古代政治史研究 岸俊男 塙書房 1966 
http://www.jbook.co.jp/product.asp?PRODUCT=1034044
123日本@名無史さん:03/02/15 15:44
>>81
>五男巨勢麻呂...子孫は生き延びて...右大臣を排出...
の右大臣って、誰々のことですか。
124日本@名無史さん:03/02/15 19:29
>>123
藤原三守のことだろう。たぶん
125日本@名無史さん:03/02/23 14:35
>>124
三守って、藤原三都子の兄でしたか。
126日本@名無史さん:03/02/24 02:01
>>124,>>125
従二位右大臣藤原三守 785-840。巨勢麿の孫。妻:橘安子。妹の三都子は、冬嗣室。
橘安子は、嘉智子の姉妹。嵯峨宮廷での権勢トライアングルだね。
127日本@名無史さん:03/03/03 00:46
仲麻呂って、阿部内親王とヤっちゃったんだろか?
最初の男の可能性も捨てきれるに夜も眠れない。
128日本@名無史さん:03/03/03 01:59
仲麻呂一族の最後はニコライ2世一家の最期を彷彿とさせる。
一番、色気のある皇女アナスターシャをわざと殺戮からはずし、全員で強姦した。
もう一度楽しむために医者に見せたけど、その医者の証言が残っており、
顔面はボコボコに殴られ、股間からは激しい出血があったという。
一応手当てをすると、すぐに赤軍兵士が連れ出したという。
アメリカに逃亡したのは明らかにニセモノで、
アナスターシャは20世紀の王侯貴族中、最も屈辱的最期を遂げ、他の家族と異なって骨さえないという。
東子も同じ運命だったのだろう。
129日本@名無史さん:03/03/04 16:33
>127
>最初の男の可能性も捨てきるに夜も眠れない

意味不明 説明しろ
130日本@名無史さん:03/03/04 23:28
てゆーか、ついにあの伝説のスレ(w)から電波が…
合掌

ついでにかいとくが、藤原仲麻呂と孝謙天皇ができていたという説は
ラスプーチン道鏡と孝謙天皇ができていたという説よりも根拠もない。
確かあの偉大なる(w)角田文衛氏が書いたのが始まりだと思うが、
その論拠は
「大仏開眼の日に孝謙天皇+光明皇后が仲麻呂邸に泊まりに逝ったから」
という非常にあいまいなものだったような。。。
131日本@名無史さん:03/03/05 00:23
あの伝説スレってなんでしょうか?

でも何ぃー?「仲麻呂×孝謙はデキている」という
定説の発祥が角田文衛にあったとは、初耳。
責任とれ!角田。
132日本@名無史さん:03/03/05 00:25
泊まったからセックスする間柄と決めつけるのは、根拠が弱いだろう。
133日本@名無史さん:03/03/05 00:53
仲麻呂と愛人関係にあったのは孝謙ではなく
母親の光明皇后なんだよね。
そのほうが起こった歴史展開・年表と辻褄が合う。
134日本@名無史さん:03/03/05 01:02
孝謙×仲麻呂=愛人説を
つじつま合わせもしなく、そのくせ絶対の自信で唱える
杉本苑子にガツンと言ってやりたい。
後 永井路子もなぁーこの人は仲麻呂と孝謙の愛人関係を
否定している割に、その根拠が支離滅裂なんだもの・・。
この人は男女の関係をどのように
捉えているんでしょうか?(参考書・氷輪上下巻)
永井も杉本も 光明子×仲麻呂を何故認めない!?
奇妙な二人。
無理矢理に孝謙と仲麻呂を光明子無視して、愛人関係に結びつけてるんだよ。アホ
135日本@名無史さん:03/03/05 01:03
親子丼かも知れんぞ、うらやましい
136日本@名無史さん:03/03/05 01:18
僕チンお子ちゃまでしゅ
「親子丼」がそんなに羨ましいのはどーして?
教えてくりくり
137日本@名無史さん:03/03/07 23:01
黒岩重吾氏なくなりましたね
仲麻呂や不比等の息子を主人公に小説書くという計画は結局どうなったんだろう?
138日本@名無史さん:03/03/08 02:28
そんなことより今日の話題ニュースは 橋本大二郎の2男
車中に連れ込みレイプで逮捕だろ。プ
139日本@名無史さん:03/03/08 16:10
>>137
その小説見たかったなー。
ところで不比等の息子主人公の小説って
武智麻呂?房前?宇合?麻呂?
140日本@名無史さん:03/03/08 16:44
親子丼の場合は、娘にハメながら母親のマ○コをなめるのが基本形
141日本@名無史さん:03/03/08 23:24
永井路子 杉本苑子 梅原猛
さん
辺りももうそろそろ危なそうだぁ。
戦中派がいなくなりつつあるのう。。。哀しいのう。。。
142日本@名無史さん:03/03/09 22:15
>>139
半年ぐらい前に『京都新聞』の文化欄で
「不比等の息子を主人公にした小説を次回企画している」
と書いてられて、誰を主人公にするかまでは書いてなかったなあ

もしかしたら、下書きぐらいはあるかも知れないが未完に終わっ
てる可能性が高い鴨 半年じゃね・゚・(ノД`)・゚・
読んでみたかったなあ。。。
143日本@名無史さん:03/03/09 23:16
>>142
さんくすです。
四人の誰を主人公にしてもそれぞれ個性的だろうから
読みたかった…。
144日本@名無史さん:03/03/10 02:16
不比等の息子たちってイメージが長屋王殺し
しか浮かばない
その報いで天然痘にかかりあぼーんした人

いいイメージにはならないなぁ
145日本@名無史さん:03/03/10 02:18
私利私欲に紛争する政治家のイメージしかない
藤原氏は・・・・・・・・・
146日本@名無史さん:03/03/10 22:43
>>144-145
里中真智子に感化されすぎ
いや、永井路子に感化されすぎ
いやいや、梅原猛に感化されすぎ
というのか(w)

藤原氏を悪者にしとけばすべて日本古代史丸く収まる!と言う時期が
長かったからな。しかし、ちょっと『続日本紀』読めば一概にそうと
は言い切れなくなってくると思う。
長屋王の変でも、藤原房前は長屋王サイドだったという説もあるよ。
、、、私は賛同しかねるけど
147日本@名無史さん:03/03/11 01:30
仲麻呂のライバルは吉備真備ってホント?

148ネコ大虐殺男 松原 潤ちゃんについて語ろう!:03/03/11 02:59
松原 潤ちゃん


福岡猫虐殺男   あれからもうすぐ一周忌!

有罪被告=広島県呉市焼山西三丁目
(父親は呉市内で教頭をしてるよん)

昭和五十年生まれ
最終学歴 九州大学工学部卒
猫虐殺現場
福岡市東区松島2−11−57
博石コーポ 408号

逮捕後引っ越す
*潤タンに覚えがある人はお気をつけあそばせ!
149日本@名無史さん:03/03/11 03:14
ホラー小説や時代小説を書いてる森真沙子という作家の小説に、藤原四
兄弟の末弟・麻呂をわりと好意的に描いた小説があったような。
今ちょっと題名を思い出せないんで、思い出せたらここに書くね。
150Q もっと知りたい 潤タンについて:03/03/11 08:27
A お任せ下さい
下記をクリックすれば  事件の詳細  潤タンの顔写真
潤タンがした猫の大虐殺映像が見られます


http://www.geocities.co.jp/AnimalPark-Shiro/2818/news4-2.html.htm

*もうすぐで一周忌です  事件を風化させないためにも皆様の協力が大事です
警戒を怠らないで下さい!
命を守ろう・・・・・・・
151bloom:03/03/11 08:35
152日本@名無史さん:03/03/11 21:53
>>147
うーん、仲麻呂のライバル、と言う位置まで到達してないでしょうね、吉備真備は。
官位でも仲麻呂の方が圧倒的に上位だったし。最もこれは家柄の問題があるので一概
に比較できないが。
『続日本紀』などを読んでも、仲麻呂が真備を恐れていたという点は伺えないんです
ね。

ただ、仲麻呂の乱で仲麻呂が一方的に負けたのは真備の作戦に追うところが多かった、
と『続日本紀』にも書かれてます罠。
153日本@名無史さん:03/03/12 01:42
スポーツも体力と知力を両方使って勝負するし
戦についてもこれと同じで 

つまり見事な真備の頭脳プレー

吉備真備の作戦勝ちだったんだな。

仲麻呂もそうとう頭が良かったらしいけど、ひとりよがりな作戦
立てて自滅したっぽい。
154日本@名無史さん:03/03/12 22:28
>>153
政策とか見ていても、仲麻呂の「頭がいい」というのは
唐の法律に詳しい とか 陰謀に強い(w) と言うレベルの話であって
戦闘とかはからきし駄目だったようですね。
仲麻呂の戦闘経験と言えば
「広嗣の乱」のときに聖武天皇の”東国行幸”で先頭を務める(実質戦闘無し w)
と、この「仲麻呂の乱」(なすすべ無く敗退、戦死)だからなあ
155日本@名無史さん:03/03/13 00:31
>>149
待ってます。読んでみたいので。
156日本@名無史さん:03/03/13 02:17
>>155
森真沙子「青衣童子」(ハルキ・ホラー文庫)でした。わりと最近の本なので
まだ手に入るかも。
あと、かっこよく描かれていたのは麻呂じゃなく宇合でした、すいません。
157日本@名無史さん:03/03/13 11:44
>154
そうだなんだ。
「武」のほうはからっきしダメといのも
なんかわかる。
だって仲麻呂は貴族育ちのお坊っちゃんだから・・・
つまり苦労知らずだっていうこと。
吉備真備・道鏡などはむしろがむしゃらに
勉強していたんだと思いますね。
「詰め込めるだけ頭の中に知識を入れてやる」
と、がつがつ学んだっぽいですね。
158日本@名無史さん:03/03/13 23:07
>>156
さんくすこ。本屋で探してみます。

>>157
おぼっちゃまと言うのもあるが、どうも仲麻呂は武の道はもとから
駄目だった可能性も。仲麻呂の役職を見てみると、武官系の役職の
経験が、同時期の藤原氏に比べても非常に少ないことは注意される。
159日本@名無史さん:03/03/14 13:32
仲麻呂って道鏡ほど悪評はないようだけど、イイ評判もない人だね。
160日本@名無史さん:03/03/15 11:24
「恵美」とか調子こいて名乗って逆に藤原の中で浮いちゃっただけでは?
女帝が本当に好きだったのは藤原清河(唐に飛ばされた)では?
161日本@名無史さん:03/03/16 11:06
>160
>女帝が本当に好きだったのは藤原清河(唐に飛ばされた)では?

これの根拠は?教えてホスイ
漏れ的には安宿王との関係が気になる。
162日本@名無史さん:03/03/16 11:08
阿倍ちゃんと大伴家持は同年なんだよね。しかし、特別な面識もなさそうだ・・・・。
あればもう少し出世していたはず。
163日本@名無史さん:03/03/16 22:52
>>160
どっかの青少年向き小説でその話は聞いた様な記憶が

>>162
おやそうだったかな。
家持はどちらかというと孝謙・称徳朝では目立たなかった方ではないかな。
いくら非藤原氏といえども、奈良時代にここまで冷や飯を食った人も珍しいかも。
164日本@名無史さん:03/03/17 09:40
家持は反藤原氏で、万葉集にある歌で見ると彼は安積親王に期待を賭けていたのがわかる。
大げさかもしれないが敵対していたかも。
165日本@名無史さん:03/03/18 00:00
阿倍内親王が唐へ旅立つ藤原清河に詠んだ歌があったはず
166日本@名無史さん:03/03/18 09:08
>165
アレはおなじ藤原氏だからじゃないかな?恋愛感情とはチト
違うかもよ。
友情的な感情だったかも。
勘ぐるなら安宿王が孝謙女帝に詠んだ歌に忠誠心
以上のモノを読みとれるヨ。
マァあくまでも推測ですが。
167あぼーん:あぼーん
あぼーん
168日本@名無史さん:03/03/19 05:54
>>166
女帝はむしろ藤原一族に近親憎悪に似た感情を抱いていた節もあるのでは?
169日本@名無史さん:03/03/19 06:19
>>153
仲麻呂=頼長、吉備真備=信西にキャラがかぶるね。
170日本@名無史さん:03/03/19 19:37
>>168
そう感じる根拠はっ?!

>>169
似てるかなあ、まあ真備は信西と違って出家はしなかったが、太宰府に左遷
されたときに引退願いを出していた(記憶違いだったらスマソ)から似たような
境遇ではあったかも。

仲麻呂と頼長の違いは、兄弟の関係。仲麻呂と対立した豊成は、同母兄なんだ
よね。しかも橘奈良麻呂の乱の時まではそんなに対立していた節が感じられず。
171日本@名無史さん:03/03/19 20:44
仲麻呂の家族・親族のなかには、彼が朝廷に乱を起こすことへ
反発をもっていたものも、多かったろうに。
それなのに、仲麻呂のひとりよがりな野心のために
家族は犠牲になったのだね。
お気の毒。漏れはこんな親父はいらないなぁ。
172日本@名無史さん:03/03/19 20:48
孝謙女帝はもっとも信頼した人は、家庭教師だった
吉備真備だったということは
学会で常識になっているらしい。
173日本@名無史さん:03/03/19 20:50
吉備真備について・・・・・

唐から帰朝した際は、死ぬまで平城京
近辺に家を構えたのでしょうか?
だとしたら、悔しいながら右大臣を辞職した彼は
その後の政局をどう思って眺めていたのでしょう。
やるせなかっただろうな。
子供達孫達が慰めたのかしら?
174あぼーん:あぼーん
あぼーん
175日本@名無史さん:03/03/23 17:11
猫粘着に
1000まで早く上げてもらいたい
176あぼーん:あぼーん
あぼーん
177あぼーん:あぼーん
あぼーん
178あぼーん:あぼーん
あぼーん
179日本@名無しさん:03/04/04 00:53
吉備真備は唐から兵学書「孫子」を持ち帰り、
恵美押勝の乱で、それで戦略を立てたと言われているね。

この書が朝敵の手に渡ることを恐れた朝廷は。
以後、「孫子」を門外不出の書とし、長らく封印することになる。
180あぼーん:あぼーん
あぼーん
181日本@名無史さん:03/04/12 13:25
>>173
そうそ、確か吉備真備の墓とか言われているところがあるんだよね。
確か、奈良教育大学の構内だったかな。

発掘はまだされてなかったと思うが。
182山崎渉:03/04/17 14:13
(^^)
183日本@名無史さん:03/04/19 23:46
仲麻呂の娘の予言の話って本当なの?
184山崎渉:03/04/20 01:42
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
185日本@名無史さん:03/04/22 15:48
あいかわらず今も昔も政界は変わっていないな。
どんなに権力を誇った恵美押勝も最後は反乱をおこして滅び去る。
これ見てるとあきらかに自民党内では昔は権力があったが今では拘置所の鈴木宗男みたいだし、
後道鏡が称徳帝の信頼を利用して卑劣なやりかたをしながら天皇の位を狙う、ということなどは、
時の総理大臣に媚びへつらって自分が次期総理を狙う変な国会議員みたいだし。
あいかわらず政界は変わってないよな、ほんと情けない。
186日本@名無史さん:03/04/22 21:10
>>183
これは平安時代の歴史物語『水鏡』で書かれていることで
どうも良くできた作りばなしのようです。
187日本@名無史さん:03/04/30 14:39
>>171
>仲麻呂の家族・親族のなかには、彼が朝廷に乱を起こすことへ反発をもっていたものも、多かったろう
仲麻呂には叛乱の意識はなかっただろう。自己の権力の保守意識で。
親族には兄の豊成をはじめとして、彼の反対派はいたが。
188日本@名無史さん:03/05/05 21:51
>>186
仲麻呂の娘がとても可愛かったからということではないでしょうか
189日本@名無史さん:03/05/09 11:55
>>142
黒岩氏の遺稿が発表されたようです。
http://bunshun.topica.ne.jp/bessatu/bessatu.htm
タイトルは「藤原決闘志」
主人公は長屋王、藤原武智麻呂、藤原房前のようですね。
190日本@名無史さん:03/05/21 00:41
仲麻呂の娘が100人と結婚したということみたいね。
191日本@名無史さん:03/05/21 16:33
そーいえば、
なんで仲麻呂っておじーさま不比等をやたらもちあげてきたんだろうね?
不比等の皇胤説を作ったのとか
養老律令を施行したのとかさ。

ふと疑問におもうた
192山崎渉:03/05/22 02:47
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
193日本@名無史さん:03/05/22 05:02
不比等って出自怪しいしさ
194日本@名無史さん:03/05/22 09:52
>185
他にこういうことも言えるんじゃないの。
        ↓
奈良時代の日本の天皇→表向きは唐の皇帝と対等→実際は臣下の扱い
今の日本の総理大臣 →表向きは米国大統領と対等→実際は属国的扱い
195日本@名無史さん:03/05/22 16:05
>>181
吉備真備の墓とされてる物の写真見つけました。
ttp://www.lint.ne.jp/~saruru/tyoko/kibiduka.htm
196:03/05/22 22:26
東横のれんがい
197山崎渉:03/05/28 11:10
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
198日本@名無史さん:03/05/29 03:42
恵美って、めぐみちゃん?えみちゃん?
199日本@名無史さん:03/05/29 08:19
199
救急車♪
200日本@名無史さん:03/05/29 08:20
200げつっー
201bloom:03/05/29 08:20
202日本@名無史さん:03/06/08 18:09
>>201
あややの歌詞間違いと歌詞忘れで歌わず笑ってごまかしが増えているように感じる。
203日本@名無史さん:03/06/18 23:36
てゆっか、松浦亜弥のライブでのミスが増えてきた。
もうそろそろ年なのではないか?
204156 ◆xo0QFOsCCc :03/06/24 13:58
>>164
禿同

話変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)

 このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。

この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
205日本@名無史さん:03/07/03 01:05
仲麻呂の娘になりたい
206日本@名無史さん:03/07/03 16:54

何故?
207日本@名無史さん:03/07/03 19:47
↑最初から読み直し
208日本@名無史さん:03/07/12 04:49
>>206
ようするにですね、仲麻呂の娘は100人とヤりまくりだったわけですよ。
209日本@名無史さん:03/07/13 00:29
いろいろなひとと試せてうらやましい。
210日本@名無史さん:03/07/13 01:27
試せて、なんてシロモノじゃないですけど...
211山崎 渉:03/07/15 11:43

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
212日本@名無史さん:03/07/17 05:01
孝謙女帝はもっとも信頼した人は、家庭教師だった吉備真備だった
学会で常識
213日本@名無史さん:03/07/24 08:16
長屋王の子である山背王は、孝謙天皇から藤原姓を下賜され、
天皇家の男系男子であるにも関わらず、藤原弟貞と改名した。
214日本@名無史さん:03/07/31 20:48
長屋王に皇位継承すべき。
だめでもその子供の山背王に。なぜ藤原姓にして皇位継承の芽を潰すのだ!!
215山崎 渉:03/08/02 01:13
(^^)
216日本@名無史さん:03/08/07 21:40
高市皇子が即位していたとき、
つまり、持統が吉野に幽閉のときだな。
217日本@名無史さん:03/08/13 13:05
吉野と年に何度も往復していたのは即位していない証拠か??
218日本@名無史さん:03/08/13 19:47
>>213-214
つまりだな
押勝としたら自分の押す大炊王以外の有力な皇位継承者をつぶしたかったのだな
それを恐れた山背王は他の兄弟とは異なる行動をとった。
押勝に兄弟の謀反を密告し、皇籍を離脱し、藤原氏になっちゃった。
そして自分の身の安泰を計った・・・んでは?

ネタスレでマジレスする自分に萎えw
219山崎 渉:03/08/15 12:46
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
220日本@名無史さん:03/08/16 02:14
221日本@名無史さん:03/08/22 17:46
222衣笠宮:03/08/23 07:47
>>101 :舎人親王の皇子和気王は、恵美押勝の変に際して、弓削道鏡に
味方し、淳仁天皇を逮捕・投獄する役目を演じました。

和気王は舎人親王の孫じゃったと思いますが...
223日本@名無史さん:03/08/26 15:11
藤原仲麻呂関連のHPってないですか?
卒論を藤原仲麻呂にしようと思っているので、少しでも仲麻呂に
関するHPを見つけたいと思っています。
224日本@名無史さん:03/08/26 17:11
まず「藤原仲麻呂」或いは「恵美押勝」でぐぐりなされ
225日本@名無史さん:03/09/03 22:47
226日本@名無史さん:03/09/13 00:07
227日本@名無史さん:03/09/19 19:50
228日本@名無史さん:03/10/01 20:22
229日本@名無史さん:03/10/02 01:02
吉備真備ファンなのよ。
あんな時代には珍しい人格者だし。ああいうヒトになりたいよ。
まぁ取り合えずどういう状況でも勉強だけはしとけってことかな。
230日本@名無史さん:03/10/03 16:34
>>229
スレが違うわんわんわん
231日本@名無史さん:03/10/03 16:35
>>229
真備には野心臭さがないのがいいね。

232日本@名無史さん:03/10/03 20:47
真備タソファンはこちらへ
専用スレッドあり□
「吉備氏の興亡を語るスレ」
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1010742490/l50
233日本@名無史さん:03/10/03 22:39
>232
本スレになるとレスが伸びないンだなー何故か 藁
日本史板はどこも同じ現象だけれどな





234日本@名無史さん:03/10/04 13:15
>>232
アリガト。
真備らしく、ヒソーリと存在するスレなのね。
235もしも歴史ツアーズ:03/10/09 02:43
阿倍内親王のちの孝謙・称徳女帝は
果たして誰と結婚するべきだったのか
236日本@名無史さん:03/10/10 01:08
>>235
皇太子になっていなければの仮定で

安積親王か道祖王、塩焼王辺り
また皇太子でもなくでっち上げ陰謀長屋王の変がなければ
藤原氏の血も引いている長屋王の息子
安宿王、黄文王、山背王辺りだったかもしれない。
不破内親王は天武系の王に嫁いだのに
井上内親王は天智系の王へ嫁にいったのは意外な出来事だったと思う。
だから、阿部内親王が天武系、天智系のどちらに嫁いだのか分らない。
いっそ母方の実家である藤原氏の中から有能な人物へ嫁ぐことも
あったかもしれない。


237日本@名無史さん:03/10/11 20:06
蚊を殺しました。
238:03/10/12 16:27
氏にました。
239日本@名無史さん:03/11/07 04:25
仲麻呂の娘が100人と
240日本@名無史さん:03/11/07 06:17
>>239
水鏡は日本における歴史ポルノのはしりか?
241日本@名無史さん:03/11/07 13:33
と言うよりデムパ本の類かも
242日本@名無史さん:03/11/07 21:26
>>241
現代でもその手の類本はたくさん出版されて世にでていますね。
歴史妄想捏造ひとりよがり本。
243日本@名無史さん:03/11/07 21:47
仲麻呂みたく自己顕示欲が剛性だと自滅するんだね。

244日本@名無史さん:03/11/07 22:16
>>243
それは言えてるかも
245日本@名無史さん:03/11/09 15:18
>>236
塩焼王は異母妹不破内親王と結婚しているから、道祖王あたりを聖武が構想していたとしても不思議じゃない。
道祖王立太子も実は孝謙との結婚が条件だったと考えるのは考えすぎか?
246日本@名無史さん:03/11/09 18:49
仲麻呂が恵美押勝の乱で敗死していなければ南家はもっと繁栄していたの
でしょうか?
247日本@名無史さん:03/11/09 19:56
南家と言うよりは恵美家が繁栄していたでしょうな
仲麻呂は同母兄の豊成とは仲悪かったし

ちなみに仲麻呂の敗死後も南家の乙麻呂の系統は繁栄していた
、、、伊予親王の変までは。
248日本@名無史さん:03/11/11 20:02
>>245
それはありえない話。
女帝は不婚が条件で即位したんだし・・・

249日本@名無史さん:03/11/11 20:45
仲麻呂ってこの時代では当然アタリマエなんだけど、妻妾が多い。。。
性的に乱脈だったのか?



250日本@名無史さん:03/11/11 20:58
>>248
不婚が条件?それは江戸時代の話だろう?
阿倍内親王のケースがどうだったかはわからないぞ。
251日本@名無史さん:03/11/11 21:41
>>250
道祖王と阿部を結婚させるつもりがあったなら
阿部を未婚のまま即位させて理由がわからんなあ。


252日本@名無史さん:03/11/11 22:11
>>249
系図で分かる限りでは3,4人の妻がいたと考えられるが
それ自体この時代では普通と思われ
253日本@名無史さん:03/11/11 22:36
>252
と云う事は、三月に一回だけの交渉の女もいたんだろうね
男はそれで楽だけれど女は悲惨だ。
254日本@名無史さん:03/11/11 23:17
少しすれ違いを承知で・・・
孝謙女帝を主人公にした小説三田誠広の「天かける女帝」って
里中満智子の「女帝の手記」と前半部分のキャラ設定が被ってると思うんだけれど。
キャラ設定というか登場人物の性格描写というべきかな。


255日本@名無史さん:03/11/14 03:22
>>254
三田誠広「天かける女帝」
この小説つまらなかった、はっきり言って作品のテーマがさっぱりわからん
作者が何を書きたかったのか意味不明だった。
256日本@名無史さん:03/11/20 21:33
藤原氏になるためには簡単です。
皇室と以下のことをすればいいのです。↓


         l     ,'  l   l 
          ,'     ,'   l  l          . - _
        ,'      ,'_,..,_ l,  ヽ     ノ´//⌒ ミヾヽ、_
       ,r'´     ,r'´   `ヽ、、、`;ニ三彡´〃   ! ゙ゞヾ、_`ヽ
       {      {       ````  /´  {  l  | // ヽ`ーr' }
       !     !    `、     '   ノ  l. ||l     i l / l
       ',     ; ',      | ̄``''''ー―- ,'´l  l |!` ‐--| l l l
         ',     l ',    |             l  l  |    リ,! l
       i     ; ',   |          | | ,!    ' リ
,,,,--−---、ノ     ,'___',   |          |. |
           ,'' ´ `ヽ   !         | |
、、....___ .....,r'-......__ ,.r'             | '''"''‐-、

__,,,,_

257日本@名無史さん:03/11/21 07:21
>>251
成り行きだろう。
立太子は安積親王の即位を阻止し、光明皇后ないし藤原夫人(武智麻呂の娘)が皇子を産むまでの暫定策
らしい(結局産まれなかったが)。
即位は突然聖武が出家して天皇としての職務を放棄してしまったための応急措置に近い。
だから、聖武危篤の際に橘奈良麻呂あたりが「皇嗣未だ立つる事無し」といったのも、そのうち適当な男性
皇族が皇位に就くのが筋で孝謙は中継ぎでは有り得ても「本格体制」では有り得ないというという観念が
貴族達の間に強かったからだという。
258日本@名無史さん:03/11/22 23:59
>>257
その説をとるとすると、阿倍の結婚に大反対だったのは光明皇后と
いうことになるな。
藤原氏で政治権力を独占させたいわがままな母親の犠牲になったんだな>阿倍タン。
天皇の阿倍が男と結婚すると、その男の実家に自然と権力が集中するわけだからね。
ま、女帝も男帝と同じように、婿をたくさんもらって
その男たちの子供を一人づつ産めれば良かったんだろうけれど、妊娠出産で女帝は
政治どころじゃなくなるからこの例も、無理な話なんだろう。


259日本@名無史さん:03/11/23 15:01
>>258
恐らく仲麻呂重用も光明皇后の策だろう。
前例としては皇后の兄で不比等の次男・房前が元明天皇の遺言で「内臣就任」になったケースがある。
不比等と自分(元明)が死ねば、自らも皇位継承を主張出来る娘婿の長屋王と氏上・武智麻呂ら藤原一族の争いが激化して皇太子・首皇子(聖武)が巻き込まれる事態になるのを阻止するために、
兄・武智麻呂より政治的才能があったといわれる房前を首皇子の保護者として、長屋王・武智麻呂両方の牽制をはかって皇太子即位の円滑な実現を目指した。
(長屋王は最終的には自殺したが、聖武即位までは流血なく円滑に行ったのである程度成功した)
長屋王を橘氏、武智麻呂を4兄弟死後一応氏上を継ぐ形となった武智麻呂長男・豊成(仲麻呂の兄)に置き換えると、仲麻呂が房前のように自分(表向き阿倍)の保護者になるのを期待していたの
ではないかと。
260日本@名無史さん:03/11/24 15:12
藤原仲麻呂の抜擢が光明皇后の策による物というのは定説なのではなかったかな。
>>259さん説の考えのような物があったかどうかはわかんないけど。

房前と仲麻呂は「先代の権力者の次男」というので立場は似ている。
この時代は「蔭位の制」があるので、権力者の息子とはいえ、
次男に生まれると、出世では長男より不利な面があったようね。

ただ、仲麻呂は「橘奈良麻呂の変」に乗じて兄・豊成を追っ払うなど、
房前より数段 え ぐ か っ た ようですが
261日本@名無史さん:03/11/25 22:23
孝謙天皇の時代は光明皇后と仲麻呂が政界を牛耳っていた
だから仲麻呂と孝謙は母親を通して間接的に結びついているだけだった。
孝謙と仲麻呂の愛人関係は成立しないって事でokだね。
この2人の愛人関係説が廃れないのは、のちの「仲麻呂の乱」の原因を
孝謙の道鏡寵愛説に結び付けたいからなんだと思う。

でも仲麻呂の乱の原因は仲麻呂がはじめた新羅征伐
が政界の中で支持を受けなかったからなんでしょ。
孝謙と仲麻呂&淳仁の対立関係は、道鏡と出会う以前から始まってるようですね。
続日本紀を読むと、仲がしっくりいっていないのが見うけられます。





262日本@名無史さん:03/11/25 22:54
>>261
称徳天皇と道鏡の治世は「皇位神託事件」の一点(世間は汚点とみなしているが)
だけでまともに取り合う歴史家、小説家がいなかった。
だが、称徳の酷評の理由が殆ど「皇位継承問題」がらで起こったゴタゴタなんだから
未婚であることを
強いられた彼女のみ批難されるのは公平ではないな。
少なくとも、彼女の立太子&即位を聖武天皇の皇子がいるにも
関わらず無理に押し進めた、藤原氏=光明皇后にも責任は在るだろう。
それを許した父親にも責任はある。
いったいこの両親は阿倍内親王を天皇に即位させその後のプランをもっていたのかどうか???
訊きたいよ!!!

(だからついでに言っておくと孝謙天皇時代が非難されてないのは、藤三娘である母の言いなりに
なっていたからでしょう。
・・・がその政局だって平穏だったわけではなく
孝謙天皇時代→光明皇后が実権を握っていた時代だって
橘奈良麻呂の乱のような事件おきている。この乱の原因は藤原仲麻呂の専暴と
未婚女帝を即位させて天皇家にとって大事な跡継ぎの行方を不明瞭にさせた
光明皇后への批判と受け取れる)

漏れが一番強調したいのは、奈良時代後期を見直すのに光明皇后の存在は欠かせないと思う。
光明皇后は、のちに作られた聖女伝説の余波が現代まで続いているようで
弱き夫を助け、善政をした賢妻賢女のような評価が与えられたますが
漏れはこれは間違いであり、少し酷評をもって光明皇后の存在(エゴエゴ自分勝手なエゴ女)&藤原氏の専制(長屋親王事件など)
を批難すべきなのではないかなと思ってます。



263日本@名無史さん:03/11/26 11:19
>>262
それなら既に永井路子氏がやってる
『美貌の女帝』は読んだ?
264日本@名無史さん:03/11/26 21:30
>>263
読んだよ。
永井路子って氷輪でもそうだけど光明子を脇役において
書いてるじゃん。
それに政道批判めいたことは書いてないし・・・。
光明子をもっと主体性をもった女として書くべきだといいたいんだよ。




265日本@名無史さん:03/11/27 11:02
主人公ではないけど、262=264のお求めの
 光明皇后=エゴエゴ自分勝手なエゴ女
という書き方にはなってると思われ>永井作品

それで、そのヒール光明皇后が主人公・元正天皇の引き立て役、と(w
266日本@名無史さん:03/11/28 00:43
>>265
永井路子の小説って、登場人物が悪vs善と極端にわかれていて
単純なんだよなw
作者のエコヒイキが酷いし。。
小説として読むには人物描写が浅いし、なんか資料の使い方も
作者のご都合主義な面が多い。


267日本@名無史さん:03/11/28 02:30
【【】孝謙上皇・弓削道鏡の名誉回復【】】

河内国は弓削道鏡のゆかりの地である。道鏡は河内国八尾に生まれ、
東大寺で修行して孝謙上皇の看病禅師に指名されて、運命が大きく変わった。
貴族でもない一介の僧侶が、太政大臣禅師、法王まで上りつめ、
はては孝謙上皇(この時は重祚して称徳天皇であるが、
ここでは孝謙上皇で統一する。)により、こともあろうに天皇位まで譲られるかというところまで立身した。
万世一系の天皇による統治を、天壌無窮の国体としてきた日本の歴史に
とって、これは前代未聞の大事件であった。
この事件の結末は、和気清麻呂の宇佐八幡の神託奏上によって阻止され、翌年の孝謙上皇の
急死によって、道鏡も下野薬師寺に左遷されて幕を閉じる。
さて、この二人、事件の直後から意識的に醜猥な噂をふりまかれ、現在も
それが通説となって、多くの人がこの事件は男女のスキャンダルが
原因だと思いこんでいる。

江戸時代の川柳が、そのすべてを物語っている。
道鏡に根まで入れろとみことのり
道鏡に崩御崩御と称徳言い

268日本@名無史さん:03/11/28 02:33
近年になってこの通説に対して、強烈な反論が出てきた。
山野としえ氏、坂口安吾氏、井沢元彦氏などがその急先鋒である。
道鏡は漢語、サンスクリット語を自在に操る当時最高の知識人であったとし、
孝謙上皇も生涯独身を通し、清浄な処女帝であったとする。
どうしてそんなことが言えるのか、どこに証拠があるというのか。
この説を紹介してみよう。
269日本@名無史さん:03/11/28 02:34
まず道鏡の方だが、当時は東大寺の大仏開眼の直後であり、
中国から命がけで日本に渡ってきた鑑真和上が、厳しい戒律を
僧侶に課した時代である。
その鑑真によって開かれた戒壇の中心である東大寺、そこで清廉高徳で聞こえた良弁上人に
厳しく仕込まれた道鏡が、女犯戒を犯すわけがないというのだ。
もし、女犯の戒を犯したなら、権力を失ったあとで僧籍を剥奪される
はずだが、下野薬師寺に左遷されたあとも、そのような事実はない。
そもそも下野薬師寺は、東大寺筑紫観世音寺とともに鑑真によって作られた日本三戒壇のひとつであり、
女犯戒を犯した僧侶をこともあろうに戒律を取り締まる戒壇の
別当に任ずるわけはない。
一方の孝謙上皇もきわめて聡明な意志強固な女性であった。
藤原氏出身の光明皇后の娘でありながら、政権中枢に占める藤原氏の横暴を苦々しく思い、
270日本@名無史さん:03/11/28 02:34
有能な道鏡や吉備真備を抜擢して、藤原氏に対抗させた。
当時の最高の知識であった儒教の思想に深く共鳴し、その結果、万世一系の天皇家に適材が
居ないなら、いっそのこと中国のように有徳の士に天子の位を譲る方が合理的だと考えたのだ。
この二人のコンビは、
経済的にも藤原氏にとってとんでもない政策を実施した。
当時の藤原氏は律令国家の根幹であった公地公民制を自ら破り、
墾田永代私有法によって税金を免除される私的な荘園を拡大していった。
それにより国家財政は危機的状態に陥り、まさに律令制の危機を迎えていた。
その趨勢に対して孝謙上皇と道鏡は天平神護元年(765)、
寺院および百姓による小規模の墾田以外は、私的な荘園所有を断固禁止したのである。
こうした政策は既得権を持つ藤原氏を刺激し反発を招いた。
そこに持ってきて、天皇位の禅譲の意向である。

これに真っ向から反対したのが、旧勢力の代表、
左大臣藤原永手である。右大臣吉備真備をうまく抱き込み、
和気清麻呂に言い含めて、宇佐八幡の神託を奏上させる。
孝謙上皇の譲位を一応防いでおいて、吉備真備を失脚させ、翌年には
孝謙上皇を暗殺したという。上皇の居ない道鏡は、彼らの敵ではあり得ない。
あっさり政権は藤原氏の手に戻った。
これから平安時代の藤原摂関政治の隆盛が始まるのである。

これが、道鏡事件の真相だというのである。
かなり説得力のある新説だと私は思う。

政権を握った藤原氏は、自らの手で歴史書「続日本紀」を編纂した。
その書中で不倶戴天の敵であった孝謙上皇と、
道鏡をあたかも男女の関係があったかのように匂わせて、
二人の名誉を末代まで踏みにじったのである。


271日本@名無史さん:03/11/28 10:06
>>268-270
ただ、その好意的な道鏡像も『続日本紀』の読み方によって導き出されたことに間違いはない罠
272日本@名無史さん:03/11/29 01:11
>>271
道鏡と称徳が悪し様に書かれ出したのは中世から。
中世の仏教思想では「女性が男の頂点に立つと碌なことが無い」
と云う女性蔑視観念があり、中世になると女性と男性の間にははっきり上下関係が
存在していたそうです。
こういった事情が背景にあって、称徳天皇の治世は相棒の道鏡と共に
バッシングされたみたいだ。(合掌)
ただ続日本紀でもこの2人は好意的にかかれてない。
後世の史書に比べてそれほど、露骨な批難は浴びせてないだけ。







273日本@名無史さん:03/12/06 09:43
>>271
儒教思想の方が強いのでは?(結論は一緒なのだが)
274日本@名無史さん:03/12/08 00:57
>1
藤原仲麻呂を好きだっていう人もいるらしいけれど、彼のどこに魅力を感じているんですか?
教えてくれ。
政治家として憧れるのか?仲麻呂という人間がすきなのか?





275日本@名無史さん:03/12/08 02:33
官職名称をややこしい名前にしたのはこのひとだっけ?
だったらキライだ!
276日本@名無史さん:03/12/08 10:46
>>275
そうでしたね(苦笑)

例)
中務省->中書省
太政大臣->大師

単に唐かぶれと言うだけではなく
渤海の影響を受けたらしい。
277sage:03/12/08 18:13
最終的な目的が日本の国際的地位のアップで、仲麻呂のやって来たことは
自分が日本の舵を取るポジションに就く為にしたことだと考えるなら
不比等的な大志を持っていた漢と解釈できるので、魅力的と感じる香具師が
いるのも解からなくはないかな。
シャア大佐風のイメージを持ってる香具師がいるとかいないとか・・・

278日本@名無史さん:03/12/08 18:14
間違えた・・・
ダサ
279日本@名無史さん:03/12/08 18:41
>>276
中大兄(天智)・鎌足コンビも中国風に拘っていたという説もある。
(御史大夫や六官制など)
280日本@名無史さん:03/12/08 19:52
この時代はひらがな・カタカナが生まれてないから
中国への劣等感が激しかったらしい。
281日本@名無史さん:03/12/15 22:25
>>280
デムパキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!
282日本@名無史さん:03/12/20 11:08
>>259
一応長屋王の変では「房前隠し」が徹底され、他の3兄弟しか表には出てこない。
283日本@名無史さん:03/12/25 21:36
>>248
孝謙の場合、天武天皇の嫡流だから皇族との結婚だったら問題ない。
聖武の男子が皆若死にした以上、皇女が男子を産んで強引に繋ぐ必要が本来ならある筈。
(ちなみに光仁の即位も孝謙の異母姉妹の井上内親王の婿であり、2人の子の他戸親王が皇位を継げば天武嫡流は存続するという
藤原氏の理論武装が偽遺詔とともに切り札になった…他戸の後見人の藤原永手が死んだ途端、あの結果だが)

ちなみに元正が結婚しなかったのは、天武嫡流の正統な皇太子・首皇子(聖武)よりも上位のの皇位継承権者を出さないためだったのでは?
284日本@名無史さん:03/12/28 15:18
元正は聖武天皇をオトコにした
285日本@名無史さん:03/12/28 16:30
>284
初めての相手が伯母さん
嫁も叔母さん
悲惨だなぁ恋愛結婚したかったろうに・・・
286日本@名無史さん:03/12/28 18:51
>>285
真にうけんなよ・・・
287日本@名無史さん:03/12/28 19:23
>>285
元正と聖武&光明皇后は不仲だったらしい。
288日本@名無史さん:03/12/28 23:40
ふじわらのりかとHしたい。
289日本@名無史さん:03/12/30 01:49
ブス豚紀香ぶす紀香ぶたでぶ紀香ぶす紀香
290日本@名無史さん:03/12/30 01:50
>286
冗談にノッタだけ
291日本@名無史さん:03/12/30 02:38
    ★★★皇室娘ファンにお年玉★★★
       

高円宮三姉妹(長女は口が凄い!目が怖い半魚人。次女はちょっとブスな宇多田ヒカル似。
       三女はどら焼き顔のドラえもんみたい)

http://pro.corbis.com/images/watermark/67/14328163/FT0143748.jpg
http://delivery.gettyimages.com/comp/1665447.jpg?x=x&dasite=MS_GINS&ef=2&ev=1&dareq=E2399169AC85D6DE3BF3EC2BD6B190041A5E78E61C1FB2BC
http://test.dot.thebbs.jp/sum.html?0/test/img/1072599033001089.jpg

秋篠宮姉妹(やっぱこの姉妹が一番可愛い♪)
http://delivery.gettyimages.com/comp/2376093.jpg?x=x&dasite=MS_GINS&ef=2&ev=1&dareq=E418EEB6D0F1472CEB1FE045433C4D15
http://delivery.gettyimages.com/comp/2379330.jpg?x=x&dasite=MS_GINS&ef=2&ev=1&dareq=E418EEB6D0F1472C838217AC491371D2
http://test.dot.thebbs.jp/sum.html?0/test/img/1072598798138984.jpg

三笠宮彬子女王(美人と激しく勘違いしてるらしい通称ヒラメ女王)
http://test.dot.thebbs.jp/sum.html?0/test/img/1072598889625342.jpg
http://test.dot.thebbs.jp/sum.html?0/test/img/1072598932062229.jpg(奥は瑤子女王)

三笠宮瑤子女王
柴田理恵に似ていてそして巨乳だ!!
http://test.dot.thebbs.jp/sum.html?0/test/img/1072598826475330.jpg

292あぼーん:あぼーん
あぼーん
293日本@名無史さん:04/01/17 05:39
道祖王立太子も実は孝謙との結婚が条件だった
294日本@名無史さん:04/01/29 09:04
塩焼王は異母妹不破内親王と結婚しているから、道祖王あたりを聖武が構想していた
295日本@名無史さん:04/02/09 03:20
仲麻呂が恵美押勝の乱で敗死していなければ
南家はもっと繁栄していた
296日本@名無史さん:04/02/09 22:17
>>295
それは一概に言えなくて仲麻呂は兄・豊成の家族は排斥してるね
それに平安時代初期には乙麻呂の子孫である是公一家が娘・吉子が桓武天皇の寵を得たおかげで繁栄してたよね
297日本@名無史さん:04/02/11 14:08
>>295
296に似ているが、きっと「恵美」一族で政権を独裁して他の藤原は没落していた。
鎌足・不比等は出世したが、中臣氏全体が浮上したわけじゃないのと一緒。
298日本@名無史さん:04/03/02 11:52
>>275
自分はその点だけを評価してします。政治家としては三流でしょうけど。
だって官名改称大好きなんだよ。どうせなら全官職改名して欲しかった。
299日本@名無史さん:04/03/03 23:32
不婚が条件
300日本@名無史さん:04/03/03 23:50
>>295
信西入道って南家じゃなかったっけ?
まぁ平治の乱でヌッコロされたが。
301日本@名無史さん:04/03/04 10:22
>>300
正解。
スレ違いなんだが、信西の子孫ってどうなったんだっけ。
302日本@名無史さん:04/03/04 12:29
息子達はそれなりに昇進して参議になったのもいますけど、
結局堂上としては残ってないですね。
何時の間にか消えたみたいです。
南家も式家も京家も少なくとも幕末の堂上にはなし、
地下にはあったのでしょうか?
303日本@名無史さん:04/03/04 15:33
「押勝の野望」を18金できぼん
ゲームオーバーすると娘がレイープされるバッドえんどで・・・
304日本@名無史さん:04/03/04 20:29
>>268
井沢の名前がある時点で出鱈目だなその説は。
305日本@名無史さん:04/03/05 08:48
井沢先生の説は他人の説の引用が大半だから、
全部が全部でたらめなわけでもない。
306日本@名無史さん:04/03/06 09:40
>>299
古代の女帝で未婚は元正と孝謙だけ。
307日本@名無史さん:04/03/08 22:02
恵美押勝は結構有名だけど百川はあまり知られていない。
308日本@名無史さん:04/03/09 20:14
>>306
称徳も
309日本@名無史さん:04/03/24 23:36
310日本@名無史さん:04/03/24 23:42
飯豊(天皇)も未婚。
ただ、男の味は知っていたみたい。
あまり、美味しくなかったよう。
311日本@名無史さん:04/03/24 23:53
漏れも未婚
312日本@名無史さん:04/04/02 18:08
奈良時代の日本の天皇→表向きは唐の皇帝と対等→実際は臣下の扱い
今の日本の総理大臣 →表向きは米国大統領と対等→実際は属国的扱い
313日本@名無史さん:04/04/03 15:13
小倭は属国、従順な飼い犬の立場が似合いだ
314:04/04/08 13:51
煽りご苦労
というかスレ違い>>312-313
315日本@名無史さん:04/04/12 21:31
>>308
孝謙=称徳だろう。
316日本@名無史さん:04/04/25 18:53
孝謙=称徳というのは後世の偽作

阿部皇女は双子だった
317日本@名無史さん:04/05/17 02:26
仲麻呂が、どっちに手を出すかで悩んだ挙げ句、まちがえたんだよね。
318日本@名無史さん:04/05/19 12:33
>>316
ソースは?
319日本@名無史さん:04/06/06 10:01
俺だったら、吉備由利ちゃんのほうに手を出す。
320日本@名無史さん:04/06/24 01:25
仲麻呂も、由利を狙えばよかったのにね
321日本@名無史さん:04/06/25 01:43
久しぶりだね君まだ生きてたの?
322日本@名無史さん:04/07/18 01:09
323日本@名無史さん:04/08/08 21:49
仲麻呂の娘は絶世の美女だったが、捕らえられて兵士千人に犯された。
20日間かけて媚薬や潤滑油を使って陵辱され、最後は斬首。残酷と官能
の歴史の一ページです。
324日本@名無史さん:04/08/09 00:38
『水鏡』が伝える伝承に「藤原仲麻呂の娘は千人の男に犯された」というのがあるけど、
平安時代後期に作られた猟奇的な作り話の側面が強く、史実ではないそうだ。
325日本@名無史さん:04/08/09 05:02
30人くらいになら…。(笑)
326日本@名無史さん:04/09/01 00:21
シャア大佐=藤原仲麻呂
327日本@名無史さん:04/09/01 00:27

              , -‐;z..__     _丿
        / ゙̄ヽ′ ニ‐- 、\  \   ところがどっこい
       Z´// ,ヘ.∧ ヽ \ヽ ゝ   ヽ   ‥‥‥‥
       /, / ,リ   vヘ lヽ\ヽヽ.|    ノ  修正パッチはありません
       /イル_-、ij~  ハにヽ,,\`| <      ‥‥‥‥!
.        N⌒ヽヽ // ̄リ:| l l |   `)
            ト、_e.〉u ' e_ ノノ |.l l |  ∠.   たまきは中古です
          |、< 、 ij _,¨、イ||ト、|     ヽ      ‥‥‥!
.           |ドエエエ「-┴''´|.|L八   ノ -、   これが現実‥!
            l.ヒ_ー-r-ー'スソ | l トゝ、.__   | ,. - 、
    _,,. -‐ ''"トヽエエエエ!ゝ'´.イ i l;;;;:::::::::::`::ー/
   ハ:::::::::::::::::::::| l\ー一_v~'´ j ,1;;;;;;:::::::::::::::::::
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328日本@名無史さん:04/09/02 08:58
史実じゃなくてよかったよ。>仲麻呂娘の話
どんなに昔の出来事であろうが、他人のことであろうが、
聞いただけで人間という物が心底嫌になってくるのは
女子高生コンクリ詰め殺人と同じ。
329日本@名無史さん:04/09/20 20:49:46
藤原氏って日本の寄生虫じゃん。
330日本@名無史さん:04/09/29 19:32:37
マロキモイ氏ね
331日本@名無史さん:04/10/20 05:11:56
仲麻呂の娘になりた〜い
332日本@名無史さん:04/10/20 06:48:48
東子・夜の大乱戦
333日本@名無史さん:04/11/10 22:31:06
仲麻呂の例の娘って、東子?
334日本@名無史さん:04/11/27 13:17:53
恵美ちゃんって、かわいかったの??
335日本@名無史さん:04/11/27 14:43:54
恵美押勝は息子たちを乱の最中に
皇族の位である筈の三品に叙している。

彼には簒奪の志があったのだろうか?
336日本@名無史さん:04/11/27 14:56:36
藤原南家って、不比等の長男・武智麻呂の家系だし
その武智麻呂の長男・豊成?も
藤原4兄弟死後、藤原一族の中で最上位に居たみたいだから
一様、藤原氏の本家って認識されていたのかな?
仲麻呂は確か、武智麻呂の次男だったっけ?
で、一時期、凄い権力があったわけだし...

しかし、結局は、藤原氏といえば、公家も武家も
藤原北家を表すくらいになってしまった。
337日本@名無史さん:04/12/04 03:20:19
338日本@名無史さん:04/12/24 04:56:53
東子って、例の、100人の男性にもてもて予言された娘の名前なの?
339日本@名無史さん:05/01/02 23:02:39
               
340日本@名無史さん:05/01/15 15:55:47
100夫1妻制って、当時とはいえ、ひどいね。
341於義丸:05/01/15 16:15:08
たしか、押勝の子供女以外に、助かった奴いたよね。
342日本@名無史さん:05/01/15 18:22:18
坊主になっていた奴が流刑になった筈
343日本@名無史さん:05/01/23 18:24:30
>>341
仲麻呂の息子でも助かったヤツがいるぞ。
344日本@名無史さん:05/01/23 18:45:03
>>329
鎌足は実は百済の王子っていう説があるな
345日本@名無史さん:05/01/23 20:03:47
>>344
電波乙
朝鮮人の妄想乙
346日本@名無史さん:05/01/23 20:54:15
百済は朝鮮人じゃないだろ
347日本@名無史さん:05/01/30 10:42:49
>>343
6男の刷雄ですね。隠岐に流罪。
348日本@名無史さん:05/02/18 03:43:29
刷雄って、母親がなにか特殊なの?
349日本@名無史さん:05/02/18 07:36:03
>>344
豊障=鎌足って話だな。むこうの人間なら豊障=天智or天武
くらいの話を作るだろうな。
350日本@名無史さん:05/02/18 15:43:54
>>348
確か刷雄の母は誰だか分かってなかったんじゃなかったっけ?
『続日本紀』によれば刷雄だけが助命された理由として
「仏道に精進していたから」
と言うのが挙げられています。
どうも刷雄は唐に留学させられたさいに出家していったようで
そのおかげで一命を取り留めた物のようです。

>>344
その妄想って関裕二の説だった?
351日本@名無史さん:05/02/20 22:01:22
>>347
僧名を延慶といい、赦免された後、祖父武智麻呂の伝記を著したんだっけ?
352日本@名無史さん:05/02/21 13:40:27
>>351
その説は『藤原仲麻呂』(岸俊男)で紹介されていたものでしょうか。
「武智麻呂伝」(別名「家伝下」)が書かれたのは
内容から見ておそらく仲麻呂(押勝)の生存中と考えられますので
刷雄が赦免後に書いたものとは考えられないでしょう。

ちなみに刷雄=延慶説に関しては「?」という見解だったかと>前掲『藤原仲麻呂』
刷雄に関しては平安初期に空海と対立した徳一法師と同一人物とする説もある
(これに関しては年代差から岸氏は否定していたと思う)
353日本@名無史さん:05/02/26 01:13:39
1 :日本@名無史さん :05/01/28 06:20:35
こいつが滅んだのってやっぱ政治家としてはコネが弱すぎたせいだろうな。

実質的な後ろ盾は光明皇太后だけだったろうな

淳仁天皇(押勝の味方だがマザコンで孝謙上皇に頭が上がらなかった)
孝謙上皇(エロ坊主に熱を上げてからは押勝を無視するようになった)

ぶっちゃけ押勝が乱起した後は藤原氏は連座になる可能性がありやばかったのでは?
354日本@名無史さん:05/02/26 01:14:19
3 :日本@名無史さん :05/01/29 08:13:39
>>1
孝謙天皇は道鏡が現れるまでは押勝とニャソニャソじゃなかったか?

4 :日本@名無史さん :05/01/29 15:54:01
>>3
まさにそのとおりだったみたいだね。
そもそも恵美押勝という名前自体孝謙が「どんな辛い時でもあなたといると幸せな
気分になっていつも笑顔になれる。」というような意味だったと思う。
かなりアツアツだったみたいだね。

5 :日本@名無史さん :05/01/29 21:05:49
塩焼王マンセー
355日本@名無史さん:05/02/26 01:15:12
6 :日本@名無史さん :05/01/29 21:22:31
>>1
普通なら孝謙在世中は道鏡とコネを結んでおいて女帝死後道鏡を蹴落とすものなのに

淳仁天皇を通して道鏡批判をしちゃって孝謙に嫌われちゃったもんなあ。
政治家としては不器用すぎるね。

7 :日本@名無史さん :05/01/29 21:34:42
それにしても孝謙天皇とか。女の天皇って、すぐ利用されて世の中を乱してないか?

8 :日本@名無史さん :05/01/29 21:42:41
>>7
蘇我馬子も蝦夷も女帝たてて傀儡にしてたもんな

卑弥呼も弟の傀儡だった説があるし。
エジプトの女王みたいに殆ど人前に出ないバーサンだったらしいからな。
存在自体が捏造であるという説も(ry
356:05/02/26 14:29:02
どこのコピペ?
357日本@名無史さん:05/02/28 19:40:52
>>356
05/01/28に起立された”恵美押勝”http://..history/1106860835/スレのコピペだね。
個人名スレさえ、スレ題検索作法を知らぬ起立者が立てた模様。
358日本@名無史さん:05/03/19 14:51:05
>>357
削除される重複スレのなかで貴重なレスはここに保存しておいて
359日本@名無史さん:2005/04/06(水) 05:02:54
淳仁天皇もかわいそうに
360日本@名無史さん:2005/04/30(土) 23:42:03
361日本@名無史さん:2005/05/19(木) 20:30:12
362日本@名無史さん:2005/05/19(木) 23:09:34
自分のこどもに恵美ちゃんと名付ける親はいったい・・・
363日本@名無史さん:2005/05/20(金) 00:12:09
上沼 恵美 子
364日本@名無史さん:2005/05/25(水) 20:33:38
はしのえみ(橋野恵美)
365日本@名無史さん:2005/06/02(木) 00:48:22
はあ
366日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:37:53
恵美って、名前じゃなくて、みょうじのほうじゃないの??
367日本@名無史さん:2005/06/15(水) 02:41:27
苗字ではなく姓
>スレタイ
368日本@名無史さん:2005/06/15(水) 11:29:41
>>366-367
いや、
藤原恵美→氏
朝臣→姓
押勝→名
では?
369日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:45:20
ああそう
370日本@名無史さん:2005/07/05(火) 19:54:49
午前中は奈良で天皇のそばで仕事、
午後から太宰府で長官の仕事

してたって伝説、この人だっけ?

「のぞみ」の定期持ってたんだろうなぁw
371日本@名無史さん:2005/07/24(日) 11:14:57
10日はかかっただろ
372日本@名無史さん:2005/07/25(月) 04:52:57
>>328
全盲の人間が相を見たという段階でおかしいと気付くべき。
373日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:46:06
なるほど
374日本@名無史さん:2005/09/03(土) 15:07:00
375日本@名無史さん:2005/10/03(月) 01:24:06
376日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:28:26
>>110
>「弟貞」のネーミングについて...
ふつうの名と思うが。特に南家には、弟○が目立つな。武智麻呂息男の乙麻呂、
雄友息男の弟男、弟河等。
式家と南家の男子名に目立つ○河の河はどういう意味語なんだろ。式家清河、百川、
南家広河、真河、弟河等。
377日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:47:19
>>92
>仲麻呂の娘に児従・東子・額子...
児従は北家御楯夫人だから、押勝乱時はいい齢だな。北家八束の夫人も
仲麻呂の娘じゃなかったかな。
378日本@名無史さん:2005/10/16(日) 21:53:58
>>376
もしもし「清河」は北家じゃまいか?

北家・房前の息子は所生の母親によってネーミングがはっきり別れてるように思われ
* 正室:牟漏女王(むろのおおきみ)
o 次男:藤原永手 (ながて) (714-771)
o 三男:藤原真楯 (またて)(八束)(715-766)
o 六男:藤原御楯(みたて)(千尋)(?-764)

* 妻:春日倉首老の女
o 長男:藤原鳥養(うかい)

* 妻:片野朝臣
o 四男:藤原清河 (きよかわ)(?-779)
o 五男:藤原魚名(うおな)(721-783)

* 妻:阿波采女
o 七男:藤原楓麻呂(かえでまろ
ttp://www.dict-keyword.com/105/52753.html からコピペ

>>377
八束の最初の嫁は佐味飛鳥麻呂女で真永と永継の2人を産む。
次の嫁は阿部帯麻呂女でその間に生まれた内麻呂が後の摂関家の先祖なのだが
阿部帯麻呂って確か出雲国司在任中に謎の大量殺人事件を起こした人物なんだな。
379378:2005/10/16(日) 21:58:05
書き終わる前にうpしてしまった orz

奈良時代の北家と南家の関係はフクザツで
御楯は仲麻呂の婿になるほど親密でしたが
眞楯は『続日本紀』の薨伝にもはっきり書かれているほど不仲
永手は微妙。
380日本@名無史さん:2005/10/18(火) 22:07:44
>>379
>奈良時代の北家と南家の関係はフクザツ...
でもないだろ。737年に藤原四卿が相次いで死没して、続く式家広嗣の乱で
残ったうち男子に恵まれた北家と南家が連携を図ったのは自然の成り行きだろ。
ただその中で抜け出た仲麻呂が協調性を欠いた政治家だったから、反仲麻呂派が
同族内でも湧いて出たってことだ。兄弟の豊成さえ反目したからなあ。
381日本@名無史さん:2005/10/19(水) 00:43:55
仲麻呂が光明皇后と提携して自己に権力を集中し過ぎた為に
仲麻呂とその一家だけが藤原氏全体からも浮いてしまった
頼みの光明皇后に死なれてからの仲麻呂の権力は砂上の楼閣
一旦崩れ始まれば、その崩壊は実にあっけなかった
結果は仲麻呂以下一家絶滅
俗説では仲麻呂の子で、法相宗の名僧徳一だけが
生き延びた事になっている
382日本@名無史さん:2005/10/19(水) 22:14:40
>>380
だから『続日本紀』には藤原八束と仲麻呂は不仲だったって書いてあるじゃん。
永手も天平初期には南家の豊成、仲麻呂はおろか何故か弟の八束より出世が遅いぞ。
それでも南家と北家は連携していたと言える状態か?

>>381
徳一法師の仲麻呂遺児説はホントに俗説で、年代に無理があるとして否定する意見が
多かったんではないか。
ttp://www.ya.sakura.ne.jp/~moro/toku/chrono.html
仲麻呂六男の刷雄だけが僧侶の修行をしていた(唐に留学するときに出家した)
という理由で助命されたてはいるが。
刷雄は桓武天皇の時に従五位下ぐらいになってたと思うが、
没年もその子孫も不明だったような。
383日本@名無史さん:2005/10/21(金) 01:22:32
>>380
特に藤原八束は仲麻呂とは仲が悪かったわな
その八束の政治的立場もなかなか微妙だった
安積親王、橘諸兄、大伴家持等と親しい関係であった事が
万葉集で判明してる
かと言って八束が、安積親王擁立派かと言えばそうとも言えない
立場だったと思われ

私見では元正上皇、橘諸兄・奈良麻呂父子、大伴家持等は
安積親王擁立派だったと認識している
384日本@名無史さん:2005/10/22(土) 20:56:27
>>382
>南家と北家は連携...
豊成妻女に房前女、仲麻呂妻女に房前女宇比良古、永手妻女、永手息家依妻女に
それぞれ良継女...
385日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:13:47
>>384
豊成と仲麻呂は同母兄弟で相婿だったのに仲悪かったわけですね。
386日本@名無史さん:2005/10/26(水) 03:01:29
仲麻呂が権力を自分の一家に集中し過ぎた弊害だな
仲麻呂一家は藤原氏どころか同じ南家からも見放されて
完全に孤立して滅亡
387日本@名無史さん:2005/11/10(木) 20:45:02
>>384
豊成正室が房前女というのは、事実ですか?
388日本@名無史さん:2005/11/27(日) 14:05:13
うーん
389日本@名無史さん:2005/11/28(月) 12:55:12
>>387
本当です。豊成嫡男縄麻呂の母が房前女と「尊卑分脈」に載っています。
「続日本紀」に一度だけ登場する藤原駿河古がそうではないかといっている学者もいます。
390日本@名無史さん:2005/11/28(月) 13:47:32
仲麻呂が出てくる漫画
秋田書店「昏い月」長岡良子著、平成3年発行
不比等主役の「眉月の誓」に始まる藤原氏シリーズ(と勝手に呼称)の一冊。
主役は父の武智麻呂で、子供ながらに既に倣岸な仲麻呂が登場し、
時間の狭間に落ちた武智麻呂が仲麻呂の末路を見る。
シリーズには若き大伴家持主役で八束が友人として登場する話もあり、
仲麻呂もチラッと登場。

集英社「光の回廊」清原なつの著、89年発行
光明子が主役、仲麻呂は阿部内親王の腰巾着ぽい。
391日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:28:51
実際仲麻呂の権力を支えた権威は孝謙天皇ではなく光明皇后
自らを藤三娘と称する光明子にとって実家の藤原氏の繁栄は
(一娘宮子=文武の皇太夫人、ニ娘長娥子=長屋王の妻)
至上命題であり、一族の中でも才気煥発だった仲麻呂に期待し
支援を惜しまなかった
392日本@名無史さん:2005/11/29(火) 11:21:59
 藤原有家町長は合併後の新市庁舎を建設しようとする税金の無駄遣い男。こんな人間が合併後の新市長になったらすぐに財政破綻だろう。平安時代の藤原有家の方がマシ。
393日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:16:39
ところで12月号の『歴史読本』みたら
ttp://www.jinbutsu.co.jp/rekidoku/0512.htm
淳仁天皇のところで松尾光氏が
「実は孝謙天皇は淳仁天皇の皇后だったのである」
と言う説を唱えていてびっくり仰天してしまったのだが

これって学会ではそれなりに支持者いるの?
また、正式な論文として発表したの?
394日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:02:39
>>393
確かに淳仁天皇に皇后は居なかったけど
孝謙上皇が淳仁の皇后だったなんて説は…
それに孝謙は淳仁の治世の時に出家して
法基尼と名乗ったのだから皇后だった訳がない
395日本@名無史さん:2005/12/01(木) 20:54:04
皇后と言わないまでも、擬制的な夫婦関係を認める説はある。
396日本@名無史さん:2005/12/01(木) 22:24:51
擬似的夫婦関係説は
むしろ法王となった道鏡と
称徳(孝謙)天皇の方だろう
そして道鏡が天皇になれれば
正式な夫婦関係になれた
397日本@名無史さん:2005/12/01(木) 22:30:41
>>395
光明皇后が淳仁天皇を、吾が子と呼んだから
淳仁を孝謙上皇の入り婿と擬制する見解はある
398日本@名無史さん:2005/12/01(木) 23:47:38
>>397
でも光明皇后は甥の藤原清河も「吾が子」といってる(「万葉集」)からなあ
399日本@名無史さん:2005/12/02(金) 03:15:02
>>396
道鏡とは擬似的な関係じゃないだろwww
400日本@名無史さん:2005/12/02(金) 18:31:52
       祝! 400get

☆       ∵∴∴☆※☆∴∵∴       ./
     \  ※∵☆☆★☆★☆★☆☆∵※
        *∵☆★☆☆*☆*☆☆★☆∴*
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401日本@名無史さん:2005/12/15(木) 08:58:48
age
402日本@名無史さん:2005/12/15(木) 10:50:14
恵美と弓削古今無双のまらいくさ
403日本@名無史さん:2005/12/15(木) 22:00:35
huun
404日本@名無史さん:2006/01/11(水) 18:48:07
ho
405日本@名無史さん:2006/01/18(水) 11:15:04
age
406日本@名無史さん:2006/02/22(水) 14:25:02
娘が
407日本@名無史さん:2006/03/09(木) 15:18:41
それは俗説だよ
408日本@名無史さん:2006/03/18(土) 01:30:01
>>76
>高階氏は桑田王のほうの流れ・・・
高市皇子の後裔と称するも、桑田王から五世の高階師尚は、実は
淫蕩児在原業平の実子。
高階氏 http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01215.htm#001
409日本@名無史さん:2006/03/18(土) 12:16:05
>>408
それはデムパ説なんじゃなかったっけ
そういう噂があったのを中関白家(正妻が高階氏出身)をけ落とすために
藤原道長が使ったという。
410日本@名無史さん:2006/03/20(月) 14:52:09
>落胤説
江家次第や尊卑分脈にも明記されてるのに、彦部家譜は必死に否定してるww
411日本@名無史さん:2006/03/24(金) 00:59:21
    
412日本@名無史さん:2006/03/32(土) 15:48:14
高階も必死だな( ´,_ゝ`)
413日本@名無史さん:2006/04/02(日) 13:50:15
在原業平の子孫だと冴えない阿保親王の子孫って事になるからなぁ

天武天皇−高市皇子−長屋王−高階氏
平城天皇−阿保親王−在原業平−高階氏

これなら上の方を名乗りたいのは心情として良く分かる
414日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:09:36
415日本@名無史さん:2006/04/18(火) 13:57:51
よかった、まだ生きてるようだw

ウィキでこういうのを見つけたのだが
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B0%8F%E5%AE%B6%E4%BC%9D
私が習ったのは「とうしかでん」という読み方だが
現在学会では「ふじしかでん」の方が優勢なのかね?
416日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:30:54
聞いたことないですね
>ふじしかでん
417日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:45:01
>>415
(「大織冠伝」「藤原武智麻呂伝」『藤氏家伝』)

それは流石にウソだろうw
「ふじしかでん」なんて聞かんぞ
今でも「とうしかでん」と呼ばれている
418日本@名無史さん:2006/05/18(木) 23:59:27
hoho
419日本@名無史さん:2006/06/18(日) 09:22:31
    
420日本@名無史さん:2006/06/29(木) 21:37:44
保守
421日本@名無史さん:2006/07/08(土) 14:48:43
点検
422日本@名無史さん:2006/07/17(月) 03:04:16
ぼぼん
423日本@名無史さん:2006/08/09(水) 18:51:45
>>399
じゃあ何さ?
424日本@名無史さん:2006/08/09(水) 21:34:44
それ以上語らせるなら、この板から出てPINK板に移る必要があるかと。
425日本@名無史さん:2006/08/16(水) 02:00:17
>>415
こういう単純ミスはこっそり直してやるのが親切
426日本@名無史さん:2006/10/11(水) 06:39:08
祝 中日ドラゴンズ優勝記念セール情報!!
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/sale/1096638511/
427日本@名無史さん:2006/11/05(日) 09:49:22
あまりにも内容が酷いですなぁ
428日本@名無史さん:2006/11/05(日) 15:06:06
高橋克彦氏の「風の陣」という小説に藤原仲麻呂が登場しますよ。
物語としては別の人が主人公ですが、その頃の情景が描かれてますよ。

429日本@名無史さん:2006/12/07(木) 02:24:43
c4t
430日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:04:20
でもないだろ。
431日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:42:37
なにがやねん。
432日本@名無史さん:2007/01/28(日) 19:22:19
         |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|
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        | 三|  _     _   |三 !
        | 三|  三シ   ヾ三  |三 |
        | 三′  .._     _,,..  i三 |
        ト、ニ| <でiンヽ  ;'i"ィでiン |三.|  
        ', iヽ!  、 ‐' /  !、 ーシ |シ,イ
         i,ヽリ    ,' :  !.     |f ノ
         ヾ!    i ,、 ,..、ヽ   lノ
          |      _ _    イ l
            l    ,ィチ‐-‐ヽ  i /、
             ゙i、   ゝ、二フ′ ノ/'"\
              | \  ー一 / /   _,ン'゙\
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       _, イ  | ヽ_ 二=''" _,. -''´  """""´´  ``ー
433日本@名無史さん:2007/02/01(木) 02:34:34
藤原百川、藤原永手が孝謙天皇の遺言をねつ造して白壁王を立てたのは事実なんですか?
434日本@名無史さん:2007/03/17(土) 15:22:28
うん
435日本@名無史さん:2007/03/19(月) 09:33:13
>>433
ただ永手(北家)は、白壁王と井上内親王(聖武の皇女)の子である
他戸親王(聖武の孫)の擁立が目的だったけど
一方百川(式家)の方は、山部王(後の桓武)擁立が目的だったから
この二人が目的が完全に一致していた訳ではない

現に永手の死後、速攻で井上皇后は廃后され
他戸皇太子も廃太子されて、山部王が光仁天皇の
皇太子となり、女系からでも天武系が皇統に残る事は
出来なくなった
436日本@名無史さん:2007/04/10(火) 21:07:57

437日本@名無史さん:2007/04/15(日) 13:15:49
>>435
結果論
438日本@名無史さん:2007/04/16(月) 21:14:21
>>437
じゃあおまいの意見は?
439日本@名無史さん:2007/04/17(火) 16:23:03
>>437には自分の意見がないから沈黙したままです
440日本@名無史さん:2007/05/18(金) 12:27:32
藤原仲麻呂と光明皇后との間に
肉体関係はあったのでつか?
441日本@名無史さん:2007/05/18(金) 13:32:43
当時の資料にはそれらしきことをにおわせるようなことも書いてない

『続日本紀』に
光明皇后+孝謙天皇が大仏開眼供養後、仲麻呂邸に行幸し前代未聞のことだ
とは書かれているけど

ここから
仲麻呂と孝謙天皇が出来てたとか
いや実は出来ていたのは仲麻呂と光明皇后だとか
過剰拡大解釈されている臭い
442日本@名無史さん:2007/05/18(金) 13:53:09
光明皇太后が、おおぜいいる甥たちの中で
特に仲麻呂をかわいがったのはなぜだろう?
仲麻呂は自分の兄を失脚させてのしあがっている。
仲麻呂邸一泊事件に関しては、この時期、孝謙天皇の発案ではないと思うけれども、
そこまで光明皇太后の寵愛(肉体関係と言う意味でなく)を勝ち得たのはなんでだろう
とは思う。
443日本@名無史さん:2007/05/18(金) 15:18:02
基本的に奈良時代は(奈良時代も?)長男を重視する

このルールに則ればこの時の藤原氏の総帥は武智麻呂の長男・豊成なんだが
『続日本紀』にはおとなしい地味な人と書かれ、その後余り勝れた功績がないところを見ると
この記述は事実だったとみていいだろう。
この頃の藤原氏は武智麻呂始め「藤原氏の四兄弟」が全員急死した時期であり、
退潮する実家を支えるには豊成には役不足だと光明皇后が考えたとしても無理はない。

で、目に留まったのがそのすぐ下の仲麻呂というとこだったんでは。
『続日本紀』には仲麻呂は算術の達人と書かれているが、こういうとこを誉められるのは珍しいこと。
この特異な才能が財政の厳しかった当時の朝廷に必要とされたのではないだろうか
・・・という話は岸俊男氏の吉川弘文館人物叢書の受け売りだw

この時代は出世は兄弟の序列がものを言うので、
光明皇后の引き立てがなければ、次男である仲麻呂が政治中枢に食い込むのは非常に難しかった。
最も夫の聖武天皇の気に入りは房前の次男の八束だったようだが。
444日本@名無史さん
>>443
基本的に律令制の本来の原則趣旨は一氏族1名の議政官だったから。
藤原4子が全員議政官となり、子孫に継承される事自体異常だった。