1 :
九州王朝大好き(偽:
九州王朝大好きさんが、恥ずかしがってなかなか建ててくれないので、
代わりにスレッドを建てました。
古田信者もそう出ない人も思う存分騙りましょう。
2げと
4 :
日本@名無史さん:02/10/31 22:55
┌───────────────────
│日本の文化は全てウリィウリィィィィィナラの
│パクリニダァァァァ!!!
└──v─────────────────
_
\ヽ
/\ゝ|\
|= L=w=G
ノノ丶`∀´> ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
⊂ ̄| |/つ (@∀@-) < さすがニディオさん。
| ./ _ .|__ ⊂ ⊂) | 俺達が書けない事を平然と言ってのける。
|/__ノ_丿 (__ (__ ̄) | そこに痺れる憧れるぅぅぅ!
\_______________
まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
6 :
日本@名無史さん:02/10/31 23:05
おぼっちゃまくんの先祖って九州出身?
作者は九州人だけどな
8 :
日本@名無史さん:02/10/31 23:21
九州王朝はあった。
日本書紀の記述が中国史書と矛盾が多すぎ。
9 :
日本@名無史さん:02/11/01 00:53
九州王朝を信じてる奴いるんだ‥‥‥
10 :
日本@名無史さん:02/11/01 01:08
1000ゲット!
11 :
日本@名無史さん:02/11/01 05:14
小林、大林、今林、
林姓って多いけど九州の姓なの?
12 :
日本@名無史さん:02/11/01 05:18
古代年号
古文書デター
14 :
日本@名無史さん:02/11/01 23:19
九州王朝はなかった。
15 :
日本@名無史さん:02/11/02 16:03
本スレあげ
16 :
日本@名無史さん:02/11/02 16:11
九州王朝的には
周の武王は文王とも成王とも血がつながってないんだとさ。
漢王朝の歴代皇帝も全部血筋はバラバラなんだとさ。
17 :
日本@名無史さん:02/11/02 16:14
18 :
日本@名無史さん:02/11/02 16:24
ああ脳内の九州王朝説
19 :
日本@名無史さん:02/11/02 16:36
ば〜〜〜〜〜〜か
20 :
日本@名無史さん:02/11/02 16:59
>>1 後醍醐天皇の皇子がたてた良懐親王政権だろ。元号は洪武。
21 :
日本@名無史さん:02/11/02 18:58
電波デス
>>20 良懐親王って誰?
ひょっとして、征西将軍 懐良親王の事か?
23 :
日本@名無史さん:02/11/02 19:21
つまり日本国王良懐(明太祖実録)だよ。
東征はあった。
25 :
日本@名無史さん:02/11/02 21:09
証拠は?
26 :
九州王朝大好き:02/11/02 23:42
九州王朝に恥ずかしながらでてきました。
唐の認める九州王朝は699年まで。
唐の認める近畿王朝は700年から。
以上。
27 :
日本@名無史さん:02/11/02 23:50
漢の歴代皇帝はみんなアカの他人だったと電波説を唱える九州王朝大好き君が登場しました。
みなさん拍手でお迎えください。
>>26 おおっ!本物降臨!もっとこちらのスレで自説を開陳して頂けるとありがたいです。
狗奴国=後の大和朝廷=纏向なのだよ。
崇神天皇=卑弥弓呼 ですな。
日本=大和と倭は別。(どっちも倭人ではあるが)
邪馬台国は九州。
神武東征、神功皇后・応神天皇、磐井の反乱などは、邪馬台国と狗奴国(日本)
との抗争が長く続いていたことを示す。
邪馬台国系の天武天皇になって、やっと日本国内が統一した。このころ、国力は
日本の方が優れていた。天武は最終的に倭国の名を捨て日本を選んだ。
しかし、この国の正統は邪馬台国であったことを後世に示すため、神武東征の話を
盛り込んだ。これは邪馬台国・狗奴国抗争の記録をアレンジして作った。ゆえに
結構リアリティもある。実際には狗奴国を長期占領はできず、崇神天皇に抗伐された。
纏向へは決着がついてから平和・無血入場したため、戦乱の跡は見あたらない
神武を抗伐したあと崇神は邪馬台国から神武が持ってきた鏡と剣は怨霊として地方
にとばした。
また、倭人伝の狗奴国・邪馬台国戦争は日本書紀(狗奴国歴史)の崇神天皇11年
四道将軍が西戎=邪馬台国・東夷を平定したという記録に残っている。
中国が倭人の正統と認めたのは邪馬台国だが、日本で一番勢力が有ったの
狗奴国=纏向 後継勢力である。(若干邪馬台国系の血が混じっている)
記紀は中国側の記録と狗奴国の歴史を強引につじつま合わせしようとした結果
訳わからないところが出てきている。九州の神話も一杯採用されている。
魏志倭人伝の邪馬台国の位置は、実際には狗奴国=纏向の位置である。
陳寿も、漢が認めた正統邪馬台国(金印奴国後継)と魏の時代の列島の最発展国
狗奴国=纏向 の記録をとっちらかして混同した上にかなりでたらめに配置した。
最終的に狗奴国は邪馬台国の血筋(天武)を迎え、正当性を確保、天皇・大和朝廷
体制となる。しかしまた、旧狗奴国血統に戻ってしまうのだが・・・・
30 :
日本@名無史さん:02/11/03 09:35
揚げ
31 :
日本@名無しさん:02/11/03 10:48
>26
確かに天皇自身が「我が国の初めは律令の公布から」といってる。
皇室中枢には代々日本の歴史や各時代の深層が伝えられていると言われているし、
皇室自身が暗に認めているとも聞こえる発言。
>29
「倭国大乱」=日本全土説ですね。
ただ時代的に高地性集落の攻防と時代的に一致するとは言い切れないところも
あるので、まだまだ仮説の段階ではありますが。
また、天武=邪馬台国系説ですが、それだとあれだけ九州王朝を日本書紀で隠
蔽する必要が何故あったのかという基本的な部分がよくわかりません。
まあ、当時はすでに、権力の中枢は大和だったわけで、両方を統合した大王だ
と主張すれば大和の豪族からの反発も大きかった可能性もあり、わからないで
もないですが。
ただ、いずれにせよ中大兄王子と権力との関係も非常に不明瞭なので、壬申の
乱の実相の解明が非常に重要な事項であると言うことは事実だと思います。
例えば、果たして対中国戦で役に立ったのかどうかわからない近江遷都も、む
しろ自分の死後の大乱に備えてのものだったとした方が説明しやすいことも色
々ありますし。
九州王朝説は決定的に考古学的が弱いんだね。
162 :九州王朝大好き :02/10/24 21:54
ちょっといい話し。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あちこちから悲鳴が聞こえる泣き叫ぶ子供。瓦礫と化した家に押しつぶされる神戸の人々。
「助けて…」という声が絶え間なく聞こえている。しかし被災した神戸の住民は、放心
したように黙って座り込んでいるだけだ。あまりのショックに下敷きになっている人を
助けることさえ忘れているのだ。
「今助けるから。まっとけよ!」
こう叫んだのは共に住民として神戸に住む警察官や消防署の人たちだった。自分も血を流し怪我を
しているにも関わらず救助活動を続けた。
「ぜったい助けから。がんりや!」こうして懸命な救助活動の末助け出された人
達は1万人以上にものぼる。助けられた中学生の女の子は「警察官や消防署の人たちがいなかっ
たら間違いなく死んでいた」と涙を流した。村山首相を始め救助活動の遅れが多くの助
けられる人たちの命を奪った。「助けるのは当たり前や! わしら同じ住民やもん!」
人々は目に涙を浮かべていた。
そのころ在日コーリアンの人たちは、焼け残った家々の火付けに回っていた。震災後に火災保険を受け取ろうと。
この放火の為に、その日の午後に、まだ建物の下に生き残っていた人たちが、どれほど焼き殺されことか。
恨みます。
34 :
日本@名無史さん:02/11/03 21:01
この人が嫌韓厨なのは古田のせいじゃなく個人的性癖と思われ
35 :
日本@名無しさん:02/11/03 21:54
33
正真正銘の基地害登場!
(一応歴史板なんで、出典も明らかにしな)
36 :
日本@名無史さん:02/11/03 22:10
その正真正銘の…は、漢の歴代皇帝はみんなアカの他人だった、周の文王と武王も他人どうしだったと電波説を唱える「九州王朝大好き」君です。
37 :
日本@名無史さん:02/11/12 23:26
age
あ げ
39 :
朝鮮人の歴史捏造:02/11/17 16:11
日垣隆『偽善系 やつらはヘンだ!』(文芸春秋2000年):p182
今から三年ほど前、韓国の国営放送局ディレクターが私をインタヴューした
おり、「松代大本営の建設現場で韓国人は戦争が終わってからも日本人に銃殺
された、と証言してほしい」と執拗に迫られたことがある。
私は証言できる立場にはないし、しかも何より「戦争が終わってからも銃殺さ
れた」のは事実ではない、そんなことがもし万一あったら国際的な大スキャン
ダルだ、と私は説明した。
しかし韓国人ディレクター氏は、「韓国人がここで虐げられたことは事実なの
だから、その象徴としてぜひ戦後の銃殺のことに触れてほしい」と繰り返し、
ついに、どこから見つけだしてきたのか地元の研究者に「そのこと」を番組の
なかで、“証言”させていた。
おまいら久しぶ@@りだな! 台湾行ってきたぞ!
台湾では韓流熱風がすご444[
いというので楽しみだったけどな。
この目でよく見てきたYO!
テーマ「台湾における韓流熱風を検証」
1)台湾における外来文化
空港 :英語
地下鉄 :英語
街並み :日本語&英語(「札幌拉麺」と「大穀らーめん」にはワラタ!)
食品 :日本語&英語(「日本直送」「巨峰・岡山県産」「さしみ」「麒麟一番搾り」など、なんでもある。)
飲食店 :カツドン・和食(デパートのレストラン街に南朝鮮料理・韓式豆腐鍋があった。)
イベント:「宮崎・北海道物産展」にはビビタYO! 函館〜台北直行便あるくらい函館は有名。
老人 :日本語OK!
若者 :英語OK!
コンビニ:セブンイレブン・ファミリーマート(全家便利商店(藁))・マック
物流 :クロネコヤマトの宅急便
書店 :英語の参考書・日本語検定問題集(数百冊、けっこう難しい)・日本のマンガ
(ある雑誌に「韓流熱風」の文字があったが、韓国を少し紹介していた。)
テレビ :日本のドラマ、映画・ハリウッド映画
文具店 :日本の文具がそのまま売っている。NHKのどーも君のぬいぐるみ買ってシマタアルヨ
屋台 :日式今川焼(「日式」と書くと流行るらしい。)
エロ :日本のエロDVD数十本、韓国のエロDVD1本(唯一のハングル文字ハケーン!)
まだまだあるけどこの辺で十分だべ?
2)結論:台湾の韓流熱風=韓国ってなに?
ま、こんなこったろうと思ったけどよ。
やっぱり九州王朝は実在でしょう。
金印が九州から出土しているし。
三国志の里程問題も「単里」が有利っぽいし。
倭の五王って、到底天皇に比定は出来そうにないし。
隋からの使者は九州止まりっぽいのに、俀王と会見しているし。
旧唐書は倭国と日本国を別国としているし。
大宝以前の年号問題もあることだし。
そもそも「太宰府」って、どこの朝廷が設置した「府」なんだよ。
単里じゃなくて短里だ・・・。ゴメソ
いつものことながら自作自演ごくろう(w
44 :
日本@名無史さん:02/11/18 02:05
本当に。九州王朝否定論者のジサクジエンにはいつもながら呆れる・・・
隔離スレあげ
47 :
日本@名無史さん:02/11/19 01:00
2チャンネルには九州王朝というと興奮する人が多いようだね。
病原菌だからね
49 :
日本@名無史さん:02/11/19 06:36
>>47 「九州王朝」と聞いただけでアレルギー起こすんだよ
朝鮮人が「日本」「ヒデヨシ」と聞いただけでアレルギー起こすのと同じで
でも「九州王朝」ってウソでしょ?
クマソタケルがいたじゃん。
52 :
九州王朝大好き:02/11/19 07:54
正論です。下記コピペを熟読ください。橿原一派のみなさん、下記コピペに反論は?
『畿内説、九州説、どちらにも片寄っておりませんでしたが、
最近、畿内説が九州説(北部九州→九州王朝?)をデムパ扱いしている点に疑問が・・・。
はじめに近畿天皇家ありき、で生計をたてている学者が9割でしょうから、
これが大前提でないと、長年の研究論文が総崩れを起こすでしょうし、
今更、「実はその前に別の王朝が中国と正式に国交を結んでおりまして・・・」
とは夢にも言えないのでしょう。権威を振りかざすのではなく、
教授、学者の皆様方の生活がかかっているのは、よ〜くわかります。
でも、専門家は、まさか一般人が各国の史書など読まないだろう、と踏んで
「だから畿内が初代云々・・・大方の見解である」などと発表しても、
【隋書】や戦国の周の時代の【山海経】【後漢書】なども併せて読んでいき、
意訳も含めて理解していくと、どう考えても畿内だと矛盾が出てくる部分が
あまりにも多くありませんか。
記紀も大切ですが、記紀にはあやふやな主語無しの出来事が多く掲載されていたり
その他の弥生の出土品に関しても、最近の畿内説には「・・・?」という感じが。
畿内が一番古いとされていた土器の年代鑑定でも、放射線炭素(14C)測定法では
近畿以外の土地から出土したものが、畿内のものよりも150〜300年以上も古いもの
であったということが解明された時も、ニュースとして黙殺されていませんでしたか?
理科学的な年代鑑定ではなく、学者達によって、これは概ねこの辺りの時代に
この辺を中心地として製造された○○土器である、といった編年方式による
年代鑑定を、つい最近まで主流で行っていたのは日本だけだ、と知りました。
私はこれで飯食ってるわけではなく、史書を読みあさり始めたばかりの者ですが
読めば読むほど、畿内説に、何かジレンマを感じ始めております・・・。
かといって九州説に肩入れしているのではありませんが、最初に九州、または
それ以外の土地に何か強大な政権があっても、全くおかしくないと考えています。』
53 :
日本@名無史さん:02/11/19 21:17
昔から東大と京大に分かれて邪馬台国について九州説と畿内説があったと思うのだが、
九州説の場合の邪馬台国はその後どうなったということになっているのかな。
「獲加多支鹵」を今だに「ワカタケル」と読み、雄略天皇に比定したり、
倭の五王(賛・珍・済・興・武)を応神〜雄略に当てはめて「確実」などと主張する
学者たちに、俺は到底ついていけないんだよ。
多利思北孤を、天皇でもない聖徳太子に比定するなんてアホちゃうか、と・・・。
いっておくが、俺は古田武彦マンセーじゃないんだ。
ただ、九州王朝は実在したと見なさざるを得ないんだ。
>>53 九州説の場合、邪馬台=ヤマト→山門 と安易に地名比定に走っちまったのが運の尽き。
いまや筑後山門説は、古田武彦の筑前博多湾岸説に吸収されてしまったようだ。
かわいそうに。キミも詐欺にひっかかったんだね。
57 :
九州王朝大好き:02/11/20 10:39
百済も新羅も高句麗も国内では独自の年号使っていたらしいね。
中国大陸は3つ以上(北周・北斉・南朝諸政権)に分裂してるし、
日本は日本で畿内で勢力争いばっかり起こしてるし。
筑紫君も「よっしゃ、うちらのところでも年号だかってのを使ってみるか」
てのが真相じゃないの?
59 :
日本@名無史さん:02/11/20 11:26
大和が最も遅れて年号を制定ってわけですな
ようするに日本最初の年号制定が645年とかいうのはお笑い
60 :
日本@名無史さん:02/11/20 12:22
おれ博多出身だから九州王朝も博多にあったことにしようぜ!
61 :
日本@名無史さん:02/11/20 20:16
62 :
日本@名無史さん:02/11/20 21:29
桂川町の大塚古墳すごい彩色ですげーと思うけどあれって誰の墓なの?
おまえの墓
64 :
日本@名無史さん:02/11/21 01:12
やっぱり天命開別(天智)ってのは、九州王朝から禅譲を受けたってことかな?
日本書紀で大海人が「大皇弟」って書かれているのが気になるんだ。
これはやはり「男弟」「男弟王」のことで、兄弟統治も継承したことのあらわれかな?
65 :
日本@名無史さん:02/11/21 23:16
>>55 それはまたレベルが低いね。東大の先生はその程度だったのかな。
江戸時代の学者みたいだな。
66 :
九州王朝 大好き:02/11/22 01:50
>>65 バカとちゃう?新井白石の説なの知らないで言ってるの?
68 :
日本@名無史さん:02/11/23 01:27
>>67 もれは65ではないが。
新井白石は江戸時代の学者なんだから、あってるだろ。
なにが言いたいんだ?
江戸時代の学者は江戸時代の学者みたいであたりまえじゃん。バカ。
70 :
日本@名無しさん:02/11/23 09:32
いずれにせよ、「その後」が曖昧だったり、せいぜい神武東遷説程度なので、
東大派のインパクトは残念ながら古田一人に負けています。
一方の橿原一派も、実は東遷説ぐらいはいるのだが、なんせ所長が(以下略
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
まじめな学者に香具師のインパクト求めてどうする
72 :
日本@名無史さん:02/11/23 12:52
なんか古代の天皇って九州で死亡って結構いるのよね。
案外九州が都だったんじゃねーの?
74 :
日本@名無史さん:02/11/23 18:07
橿日宮?
75 :
日本@名無しさん:02/11/23 18:23
例えば愛媛の道後温泉で、天皇が何度も漬かりに来たと伝承があるが・・・。
三大温泉と言うが、大和からははっきりいって遠すぎ。大船団の斉明天皇はともかく、
舒明天皇は本当にいったのだろうか。九州からなら、別府温泉から船ですぐだけどね。
それに、聖徳太子が法興6年に来たっていうが、なんだ、そりゃ?行政もそのままつ
かったりしてるけど、こういうのって橿原一派は目をつぶるのね。あるいはまたぞろ、
わけのわからなない行き当たりばったりの説明をするのかな?
天皇が道後温泉いって悪い?
なんの不思議もない。
>九州からなら、別府温泉から船ですぐだけどね。
九州の王様なら別府温泉で漬かってればいいじゃん。
古代の統一王権ってどのくらいみんな信用してるの
古代の領主の連合体で覇権を握った一家が姻戚で勢力を伸ばしたんでしょう
その昔 日本史を習っていたときの違和感を解決してくれたのが
古田史観だよ
じゃあまずひとつ
九州宮崎出身の軍の長がなぜ何百年もたって
熊襲の征伐なんてしてるんだろうね
宮崎出身者が近畿を抑えてずいぶんたってから熊本、鹿児島を傘下に
入れようとしている不思議さ
しかもこれは九州全域の討伐話になっている。
記紀の神話を信じるのがバカ。バカしか信じないのが古田史観。
80 :
日本@名無史さん:02/11/23 21:15
日本列島位の面積があれば古代に幾つかの勢力が出現したと考えるのも当然だ。
九州に王朝があったとしても何の不思議もないと思う。日本書紀にも筑紫君磐井
とか筑紫君薩野馬が出て来るし、神武一行が日向を出発した後九州がガラ空き
になったとは思えない。九州に王朝があれば朝鮮半島に近いから何だかんだと
半島諸国と仲良くしたり喧嘩したりするだろうし、中国と交流したりするのも当然だろう。
古田説は最初は衝撃的だったんだろうけど、今考えるととても自然な考え方で、
衝撃的ですらない。
いや、不自然で相手にされてない。
82 :
日本@名無史さん:02/11/23 22:39
継体朝は、西の諸国を支配していた(とされる)筑紫君と戦って、磐井は死に、
その子筑紫君葛子が糟屋の屯倉を献上しただけで終了。と日本書紀に書いてある。
ということは、その後も当然糟屋の屯倉以外の西の諸国は全部筑紫君が支配し続けた。
これが九州王朝だよな。新発見でもなんでもない書いてあることを自然に読むと
そうなるわな。
83 :
日本@名無史さん:02/11/23 23:26
筑紫君磐井の墓に、「裁判」を模した石像があるって、風土記に載っているよ?
裁判だぜ、裁判。「解部」という裁判長のような役職も存在するようだが。
日本書紀を読む限り、近畿天皇家にそんなもんない。
>>78 少なくとも熊襲は言語が同じなので倭人の一種だろ。
名前なんか見ても。
卑弥呼の時代に連合王国なのに、その一部がわかれたりすること
無しに平安無事に続くと考えることこそ不思議だヴォケ。
85 :
日本@名無史さん:02/11/23 23:49
九州王朝はなかったと考えることは無理があるな。
狂った人々の妄想=九州王朝
87 :
日本@名無史さん:02/11/24 00:36
何でもかんでも九州王朝に結びつける古田説も、なんだかなー、なんだけどね。
でも古事記と日本書紀の、あの朝鮮半島系の記事の差を考えると・・・
古事記の仁徳〜武烈って、どう見ても倭国の中心王朝って感じじゃなく、
片田舎の豪族って感じだよ。
どう見ても倭国の中心王朝でつが、何か?
>その後も当然糟屋の屯倉以外の西の諸国は全部筑紫君が支配し続けた。
妄想
90 :
日本@名無史さん:02/11/24 00:57
どこが妄想なのか、なぜか言わない。
こういうところが、逆に九州王朝実在派を増やしていってるってことに・・・(以下略)
九州王朝実在派は増えない。
92 :
日本@名無史さん:02/11/24 01:28
>>91 どこかにもあったけど、いまだに古田説への批判なしに獲加多支鹵=雄略=倭王武 や
多利思北孤=聖徳太子というのを主張している現状を見るとね・・・
正直、多利思北孤=聖徳太子なんて今から思えばお笑い説だ。
93 :
九州王朝 大好き:02/11/24 01:59
橿原一派は古田説の批判もできないで、九州王朝電波説をのたまう。
「狂った人々の妄想=九州王朝」なら「科学を否定する人々の妄想=近畿王朝」である。
「九州」の意味わかる?
九州=世界
「九州」は、今の九州の地を全世界とする王朝があったことの証明。
94 :
日本@名無史さん:02/11/24 02:02
>>93 そういや、豊前豊後、肥前肥後など、無理矢理ふたつに割って「九州」ってしているな。
95 :
九州王朝 大好き:02/11/24 02:20
>>94 九州の九は数字の9を意味しない。たくさん全てと言う意味。
古の人もきっと数字の9にこじつけようとしたかもしれない。
その時は、対馬から大隈まで9地域かな?
96 :
日本@名無史さん:02/11/24 02:56
>>95 中国では古くは 九州=畿内 という意味合いがあるらしいね。
だから九国でも九邦でもないんだな。
九州って筑前・筑後・肥前・肥後・豊前・豊後・日向・薩摩・大隅のことなんだけど、
大隅が日向から分離する前は変わりに「熊蘇」が入っていたはず。
お笑い種の非科学。
平安時代以前に九州って呼ばれた形跡なんか無いよ。
ひとつの仮説
九州王朝擁護者がジサクジエンだとすると
書き込みが始まるのはおよそ本日午前10時以降になる見込み
99 :
日本@名無しさん:02/11/24 08:11
反吐が出そうな不快なスレだが・・・。
邪馬台国や古代史関係には、必ずこういった一言RESで人を不愉快にする輩がいて、
それはほとんどが奈良説(?)、それも橿原的暴言が多く、うんざりさせられる。
同じ素人、古代史を楽しめばいいじゃないかと思うのだが、それが出来ないところを
みると、不確定なのに無理矢理「認定」というご託宣にすがってメシ食ってる近畿説
の輩ではないかな?いわば、‘職業近畿説’みたいな。
で、九州説が学問をどのようにおとしめ、汚したのか明確な説明を頂きたいものだが?
原田大六にせよ、宮崎康平にせよ、あるいは古田や安本にしても、はなから古代史学を
おとしめようと活動してきたわけでなし、在野の学者を‘権威’が罵倒する様は、まさ
しく学問ではなく権力の犬そのもの。厨房レベルの‘常識’とやらでしつこく人を
罵倒するだけで何かを言ったつもりになっているなら、それはシュリーマンを嘲笑した
連中と同じ。
それに対して橿原一派と来たら(以下略
学 会 の 権 威 な ら 天 皇 陵 発 掘 要 求 し て み ろ よ !!
偽物の証拠と偽書をふりまわして大衆を騙したのが九州王朝説
101 :
日本@名無史さん:02/11/24 09:11
>>99 バカにされてるのはインチキ九州王朝説だけだ罠。
原田、宮崎、安本イッショニサレテ可哀想。
102 :
日本@名無史さん:02/11/24 09:22
中国人(上海から来た)の知合いに「九州」という地名の意味が分かるか、と聞いたら、
「天子の直轄地だ」と言ってたよ。「九」という字は一桁の数字の最大値で
「一番多い」「無限大」と言う意味と、「久」と発音がほとんど同じで「永久」
の意味も持つらしい。とてもめでたい意味らしい。「9ヶ国の島」という
説には首をかしげていたよ。そういうことなんじゃないかな。
九州王朝説は東日流三郡誌みたいな安っぽい偽書をもちだして学問を汚したねえ
これは弁護の余地が無い
104 :
日本@名無史さん:02/11/24 09:30
『九州』=天下なのは常識でしょう。
それにひきかえ、日本の一島が九州と呼ばれるようになったのはせいぜい鎌倉時代くらいからなのだから、「天子の直轄地だ」だから九州というというのはナンセンスですね。
>>99は典型的な詐欺の手口だね。
誰も九州説を悪く言っていないのに
「九州説が学問をどのようにおとしめ、汚したのか明確な説明を頂きたい」
これ捏造。
106 :
日本@名無史さん:02/11/24 10:23
>>99は反吐が出そうなレスだ。
あれっぽっちの分量の書き込みに
他人の発言の歪曲。
権力陰謀VS反権力の被害者ヅラ。
お約束シュリーマン気取り
トンデモ説の三種の神器がそろいぶみだよ。
107 :
とおりがかりの素人:02/11/24 11:03
日本史板って厨房しかいないの?
九州否定派は、特に偏狭だね。
108 :
日本@名無史さん:02/11/24 11:39
2チャンネルでは九州王朝説は良く見るし、それなりの説得力を感じるが、
九州王朝説の否定派の書き込みは叫びばかりで全く説得力がない。
109 :
日本@名無史さん:02/11/24 12:36
そうだね。なんで奈良説、もしくは九州否定派には何も書き込まずに
悪口ばかりいうのが多いの?日本史板って、こんなレベル低かったっけ・・・。
110 :
日本@名無史さん:02/11/24 12:47
この調子では九州王朝説派が増える一方だね。
もっとましな奈良説が出てくれた方が楽しいのに、つまんないね。
ジエンごくろうさま
112 :
九州王朝 大好き:02/11/24 13:24
>>98 >ひとつの仮説
>九州王朝擁護者がジサクジエンだとすると
>書き込みが始まるのはおよそ本日午前10時以降になる見込み
自作自演でない事が証明されました。
私が目覚めたのはAM11:00.その意味で
>>98は大正解。
質問:九州王朝(九州政権)擁護派は、ここに何人いるのですか?
名前から、法興・仲哀・鍋島の猫・通りがかりの素人・九州王朝大好き・・・・他スレに善記はいなかったっけ?
お芝居はいいから平安時代以前に九州って名称があった根拠を示すんだね。
114 :
とおりがかりの素人:02/11/24 13:31
116 :
とおりがかりの素人:02/11/24 13:38
具体的に、何がどう歪曲でつか?漏れにはその通りと思えるが。
いずれにせよ、すぐに人を自演呼ばわりするのは見苦しいので、漏れはROM派
でつが、苦言を呈したいと思いまつ。
九州説が学問をおとしめ汚したと言ってる人間はゼロなので
>>99は捏造。
119 :
九州王朝好き=チョソの哀れな告白:02/11/24 13:49
>>387 :>386 :02/11/04 18:26
>>ぐだぐだ言ってないで、早く「古代朝鮮語」の文献を示せよ。
>ケンカうってんのか?質問してんのか?
>この世にほぼ存在してないんだよ!シラネエノカ?
古代朝鮮語の文献ってこの世に存在しないんだってよ(笑)。
九州王朝大好きは嫌韓厨でつが何か?
121 :
日本@名無史さん:02/11/24 13:54
昨日「神武天皇を無視した日本古代史研究に喝!」に
>シュリーマンの話は、実は伝承という偉大な文化とどう対話するかという、近代人が突然忘れてしまった重大事を、感動的な形で再認識したお話。
と書き込んだロムの276さん!(笑)けさの8時22分にも「神武天皇を無視した日本古代史研究に喝!」に書き込んでるけど
そのちょっと前の8時11分にこのスレに
>それはシュリーマンを嘲笑した連中と同じ。
と書いた
>>99と別人?
123 :
日本@名無史さん:02/11/24 14:26
朝鮮貴族の爵位と主な有爵者
公 爵 なし
侯 爵 李載完、李載覚、李海昌、李海昇、尹沢栄(朝鮮王朝第27代国王純宗=昌徳宮李王せきの継妃尹氏の父、海豊府院君)、朴泳孝(朝鮮王朝第25代国王哲宗の娘婿、朝鮮総督府中枢院副議長、貴族院・勅選議員)の6名
伯 爵 李址鎔(第二次日韓協約締結時の内部大臣)、李完用(協約締結時の学部大臣、韓国併合時は総理大臣、朝鮮総督府中枢院副議長、のち侯爵)ら3名
子 爵 権重顕(協約締結時の農商工部大臣、のち軍部大臣)、朴斎純(協約締結時の外部大臣、爵位返上)、李夏栄(協約締結時の法部大臣、協約には反対)、李根沢(協約締結時の軍部大臣)ら22名
男 爵 45名(うち9名返上)
☆ ☆ ☆
語ってたもれ
追及を受けて苦しくなった九州王朝信者はコピペ荒らしで逃げはじめました
125 :
日本@名無史さん:02/11/24 14:48
はやく平安時代以前に九州って名称があった根拠を示してくれ。
「九州王朝」が存在した時代に出来た名称なんだろ?
九州王朝信者は逃亡しまつた。
127 :
日本@名無史さん:02/11/24 16:27
っていうか九州に王朝があったと思うよ。本家みたいなもの。
宇佐神社の神託とかが影響力あったのは、たぶんそういう
関係だろうと。
なんの根拠も無い九州王朝説
129 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:10
なんか、やけに粘着な人がいるね。真性かな?
130 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:32
天皇を変えろとか言える影響力。王朝とかではないのではないか
とも思うが。
131 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:54
天皇家の本拠地が九州だったんだろ。
132 :
日本@名無史さん:02/11/24 18:24
九州王朝を否定している奴は引きこもりのクソ電波
はやく平安時代以前に九州って名称があった根拠を示してくれ。
「九州王朝」が存在した時代に出来た名称なんだろ?
134 :
日本@名無史さん:02/11/24 19:17
旧習王朝派に聞く
1、都はどこか?時代により異なるのなら、時期ごとの都を答えよ
2、歴代の墓はどこか?各時期について答えよ?
3、糟屋官家以外にも那津官家があるが、それをどう説明する。
135 :
日本@名無史さん:02/11/24 20:12
筑紫じゃねーの?なんか反乱扱いはいつもこのへん。
陵墓って嘘くせえよ。近畿のも江戸時代に適当につけたんだろ。
136 :
日本@名無史さん:02/11/24 20:27
そりゃそーだが、たぶん九州と同格だったんだよ。俺たちが
上って見せるために巨大古墳とか作り始めたとみた。
権力の誇示だよ。
137 :
日本@名無史さん:02/11/24 20:39
>>133 おっ。もしかして、九州王朝説を否定するのは「九州」という名前にあり?
138 :
日本@名無史さん:02/11/24 20:40
呼ばれてなかったと思うよ。
139 :
日本@名無史さん:02/11/24 20:52
>>138 おおおおっ。そういうことか。それならとりあえず名前を変えれば良いんじゃないの。
何か良い名前はないかな。
九州の名前になんでこだわってるの
河内にあった王朝は自ら河内王朝って名のってたの
出雲は? 吉備は?
九州が日本列島全体を支配していたというのにこだわっているんだったら
れっとう全体を支配していたとは思わないよ
でも列島全体の支配権は機内じゃなきゃいやだってのは
おかしいと思うよ
141 :
日本@名無史さん:02/11/24 21:21
古田の話で、有明湾から半島や大陸への船が出入りしたとするところがあったが、
俺は不思議に思っている。有明海はウルトラ遠浅の海で大きな船は全く出入りできない
んだな。古代は深い海だったのかいな。
えーっと、とりあえず、
>>93の「九州王朝大好き」君は、
真性電波ということでよいかな? > その他、九州王朝信者諸氏
俺は基本的に九州王朝説者だけど疑問がない訳ではない。
だけど、「九州」という言葉にこだわりはない。便宜的に使っているだけ。
何なら別の名前でも構わない。
144 :
日本@名無史さん:02/11/24 22:15
なんかすごく一生懸命みたいだけど、九州に王朝があると困る事でもあるの?
君がいるとマトモな議論ができないんだけど、それが狙いなのかな?
145 :
日本@名無史さん:02/11/24 22:16
146 :
多いに乱れる:02/11/24 22:25
和国大いに乱れる、王朝がたくさんあって戦争だらけだった、
147 :
筑紫王朝大好き:02/11/24 22:57
九州王朝改名し筑紫王朝で?
148 :
日本@名無史さん:02/11/24 22:58
>>146 そう、王朝(のようなもの)は日本列島の各地にあった。
筑紫にも大和にも、吉備にも越にも。他にもね。
おそらく問題は、中華帝国と交流のあったのはどの王朝か、
日本の統一はいつどの王朝がやったのか、
これをテーマにみんな盛り上がっているんだと思うよ。
そうですね。地方王権という言い方まで文句を言う人も流石にいないと思うので。
広大なヒンターラントを持つ近畿、先進文化、大陸とも近い九州、黒曜石文化以
来の越や隠岐・出雲・・・いずれもひともみに揉みつぶすような事の出来ない大
勢力。どこがどこを攻めようが、容易に決着はつかなかったはず。もしかしたら
倭国大乱が戦国時代や三国志のような状態だったかもしれません。
150 :
九州王朝大好き:02/11/24 23:14
筑紫王朝ではだめだ。連綿と続く王朝のイメージがない。
河内王朝、応神王朝、継体王朝のイメージでしかない。
やはり九州王朝である。
日本の歴史は九州王朝から近畿王朝へ引き継がれた。
151 :
日本@名無史さん:02/11/24 23:46
>>149 当時、地方とか中央とかの概念はなかったろうね。日本列島と朝鮮半島の区別があったかどうかも。
それはさておき、
筑紫に王権があったかどうか、これが基本問題だね。なぜなら、筑紫王権があったとすれば、
その地理的関係から半島や大陸と交渉を持ったのは筑紫王権と考えるのが途方もなく自然であるから。
152 :
日本@名無史さん:02/11/25 00:32
>>143 おいおい!
「天子の直轄地だ」だから九州という名なんだと言うから
いつから「九州」と呼ばれてたと思うんだと聞かれてるんだよ!!
>>144 オイオイ。
>>93で「九州王朝大好き」君が
>九州=世界
>「九州」は、今の九州の地を全世界とする王朝があったことの証明。
と書いてるけど、この点について他の九州王朝信者はどう考えるのか聞いてるだけなんだけど。
他の九州王朝信者が九州という名前がどうでもいいと考えるなら、
「九州王朝大好き」君は放置して、他の議論に進めばいい。
他の衆もやぱっり「九州」という名前が九州王朝の証明だと考えるなら、
ここで止まって「九州」という地名がいつまで遡るか考えるのは意味があるよね。
で、どうなの?
154 :
日本@名無史さん:02/11/25 02:22
九州王朝実在説を裏付ける地名。
「太 宰 府」
日本書紀を見る限り、これを近畿天皇家が設置したとは到底思えない。
また、天子の近くにいない「太宰」というのも変である。
天子=近畿、太宰=九州。この構図をオカシイと思わない歴史家は逝ってヨシだ。
155 :
日本@名無史さん:02/11/25 02:29
九州王朝実在説を裏付ける地名A
「紫 宸 殿」
太宰府政庁跡とされる所には、なんと「紫宸殿」という字が存在する。
紫宸殿=天子の居る所であることは、言うまでもない。
そして、こんな地名が酔狂で付けられることはありえない。付けたところで
誰が従おうか。奈良の「大極の垣」、長岡京の「字・大極殿」などと同じく、
「そ こ に 紫 宸 殿 が あ っ た か ら」紫宸殿と呼ばれていたとしか思えない。
156 :
日本@名無史さん:02/11/25 04:52
大宰府は7世紀後半以降、つまり白村江以降。「九州王朝」という妄説を仮に受け入れたとしても(それはないですが)、それ以降。
最近の調査では本格的な政庁の成立は7世紀末。154、155は時空を超えたトンデモ論理。
知名云々言ったって、大宰府そのものが「西の朝廷」として、対外政策・辺境政策上から畿内の都城の「写し」として作られただけ。
だいたい、中世成立の「太宰府」という字を使うこと自体、あまりにも不勉強。
「九州」との言い方も古代にはないことの指摘も無視みたいですし、、、トホホ(藁)
いい加減、逝ってくださいよ
157 :
日本@名無史さん:02/11/25 04:55
>>156は「太宰」の持つ重大な意味を理解していないと思われ。
158 :
日本@名無史さん:02/11/25 04:57
天子から遠く離れた所にいる太宰? プッ
159 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:01
中世成立の大宰府?
んじゃ、日本書紀に載っている大宰府ってのは、なんなの?
160 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:02
「宰」がもともと律令以前から派遣官として使われる言葉だったわけだから
天子から離れてなきゃむしろおかしいだろ。
157は春秋戦国の「太宰」と混同してるんだろう
161 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:05
太宰の居るところ天子あり。
つまり太宰府という地名が、「太宰が政治を執る政庁」だとすれば、
とうぜん太宰府のあるところは政治の中心でなければならない。
>>156の論が正しいとすれば、白村江以降も、九州王朝は存在し機能していたね。
162 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:07
>>160 「宰」だけならそうだろう。
しかし「太宰」となれば中国の「太宰」の用法に則って理解すべき。
163 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:12
地方の未開国家が勝手に近隣の大国家の官職を名乗るのは、中国の周辺国家では
よくあったことで、別におかしくはないと思う
匈奴などの異民族は、中国の官職を名乗ったり中国皇帝の姓を自分の姓とした。
筑紫王朝説は、478年に宋へ「竊(ひそか)に自ら開府儀同三司を仮し」とする
上表文を送った倭の武王のことを言っているのでしょう?
三司は時代によって司徒・司空・御史大夫とか、司馬が入る場合とか
いろいろあるけど、太宰・太傅・太保という組み合わせもある。
倭王武は中国皇帝に忠節を示すために「独断で都を開き、三公のような
役所(太宰の府)を設置した」というのはありえる事ではないかい?
164 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:13
>>159 字が間違ってる。
>>156は「太宰府」と「大宰府」を使い分けているんだよ。
「太宰府」は中世、日本書紀は「大宰府」
165 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:17
律令制では「大宰府(ださいふ)」
中世以降、「太宰府(だざいふ)」
166 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:19
>>163 ちょっと不明な部分があるのだが・・・
163氏の考えでは、「武」自らが「〜府」に居住し、それ(太宰)を名乗った
と考えるのか、それとも倭王の配下に「〜府」を設置し、配下にそれ(太宰)を
名乗らせたのか、どっちなの?
167 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:19
自称太宰だったら、確かに天子といる必要はないな
でも、吸収かどうかは別として倭王武って実在したんだっけ?
168 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:24
>>166 いや、別に漏れの説ではないのですがw
蛮族の王が、大国の官職や姓を受ける例は中国ではよくあることで
倭王武も自らがへりくだって宋王朝に使える臣下として
太宰の官職名を名乗ったとされているようです。
169 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:29
>>168 ふーん・・・。まあ、宋朝にレッキとした「太宰」がいる以上、倭王武の時代の倭国に
太宰を置くとは考えにくいが、南朝滅亡後なら、名乗ってもおかしくないかな?
でも開府を名乗っていたからには、たとえば「安東府」などと称していたかも知れないな。
170 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:39
>>169 問題は倭王武が畿内、九州、出雲などのどこに住んでいたかでしょうね
あるいは、倭王武は日本を代表する王ではなく、畿内の朝廷に反発する
地方の勢力が、自立すべく宋の権威を借りたということも考えられます
171 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:48
>>170 なるほどね。
もう10年以上前になるかな? NHKの番組で井上秀雄教授が倭の五王のことを
「北九州の倭」と言っていたのを聞いて仰天したんだけど(当方まだ工房)、思えば
「天皇家と無関係な勢力」ということで、とりあえず北九州を持ち出したんでしょうね。
最近は出雲などからも遺跡の発掘が相次いでいるし、九州王朝はともかく、日本各地に
政権があってもおかしくないですね。
172 :
日本@名無史さん:02/11/25 05:57
>>168 倭王武に関しては太宰の一司だけではなく、蛮王ではあるが一応
王としてのプライドがあるので三司全てを兼ねる職(丞相のようなもの)
を称したという説もありますよ。
太宰府のほかに
太傅(ダイブ)府-->大分八幡宮、太保府-->小郡官衙遺跡(小郡市大保)
と、太傅・太保の府の地名を受け継ぐ場所があり、
その中で太宰府の名前だけが後々も引き継がれていったということらしいです。
173 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:00
>>171 そうだね
「王朝」なんて仰々しく言うから、あたかも日本全域を支配していた
ように思えるけど、当時は各地方に「王」が存在していても
おかしくない時代ですもんね
174 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:03
まったく実際の歴史を無視してないかい?
「九州」との言い方も古代にはないことの指摘も無視だし
「太宰」と呼ばれたのは中世以降で昔は「大宰」だったことも無視?
>>168は「太宰」であることと「治天下」と称することの矛盾も無視?
175 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:03
そういや、朝倉→朝暗→ちょうあん→長安 という説も聞いたことあるなぁ。
176 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:09
>>174 "九州"王朝や"筑紫"王朝は、後世の歴史家が便宜的にそう呼んでいるだけで
"九州"や"筑紫"の名を冠した王朝が存在するなんて誰も言ってませんが?
漏れは九州という名前の王朝があるなんて言ってませんし、
そもそも王朝が実在したと主張しているわけではなく、
あってもおかしくないのではと言っているだけです。
基本的には
>>173のように考えています
178 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:12
>>176 以下
>>93 >「九州」の意味わかる?
>九州=世界
>「九州」は、今の九州の地を全世界とする王朝があったことの証明。
179 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:13
>>174 >「太宰」であることと「治天下」と称することの矛盾も無視?
これについての説明キボン。
太宰が治天下とは、どの史料に?
180 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:15
>>165で正しく
>律令制では「大宰府(ださいふ)」
>中世以降、「太宰府(だざいふ)」
と指摘されてるのに無視して
最初から「太宰府」であるという前提で話を進めてないかい?
182 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:19
>>179 「治天下」と称する5世紀末〜6世紀初頭の金石文が熊本と埼玉に実在。
これが同時期に「太宰」と自称していたという(根拠の無い)主張と矛盾している。
184 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:22
>>176 「"九州"や"筑紫"の名を冠した王朝が存在するなんて誰も言ってませんが?」
は誤りとして認める?
185 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:24
たとえ大宰府であろうが、当時の漢字社会の人間がこの3文字を見て
「太宰の府」という連想をしない人間はおるまい。
中国や他の国(朝鮮半島など)で太宰と大宰が書き分けられている書物や
王朝が存在していたというのならともかく、「太宰」という官職が頻出する
中国の王朝文化・漢字文化の一端にある倭国内で「大宰府」とあれば、
それは「太宰府」と同じものと見なすのは当然ではないかい?
畿内の大和朝廷のほかに筑紫や出雲、吉備、あるいは奥州などに諸勢力が
存在していたのは間違いないし、それぞれが王なり国家なりを称していても
全然おかしくないと思うんだけどなあ。
>>178さんの「九州」という名称は漏れも「?」だが、
>>174さんは
地方国家/王権の存在も否定しているの?
188 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:31
>>185 じゃ、日本書紀を書いた人間も筑紫大宰や吉備大宰を「太宰府」と同じものと見なして書いてたというの?
189 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:34
>>189 自称でいいんじゃないでしょうか。
当時はむしろ自称以外にありえないし。
日本全体の統一王朝である必要はないと思いますよ。
>>168さんはその地方国家/王権が独自に中国と国交を持ったり
大和の政権を支配してたりとかいう九州王朝説を認めるの?
いずれにしても、太宰府天満宮は本格的な発掘調査をさせないので、その古さは
まだよくわかっていない。近年の14C法による周辺遺構や水城などの古さの修
正もあって、相当な古さであることが予想されているし、その形状、規模からも
なにがしかの重要な政治的存在であったことは確かに思われる。
この板の畿内説の一部の厨房は自分でも言えるところだけ突っ込んで、あとは悪
口というみみっちいスタンスだが、「天神とはなにか」「太宰」「紫宸殿」「九
州」「九州起源の神話」「神武のスタートが九州」「三種の神器の同時出土」「
倭の五王問題」「郡評論争」「九州年号問題」「水城の規模と年代」「水軍問題」
「中国書の記述」・・・等々、残念ながらそれらに何らかの説明を付けてくれた
近畿説論者は少ない。それに対して近畿一元説論者の出してくるものは九州側か
らレベルの差はあれ、それなりのRESはついているように思う。
漏れも大阪に住んでいて、橿原信者は結構知っているが、すぐに異説を基地害呼ば
わりするその神経には閉口する。いい人なのに、話がそこへ行くと基地害の乱発で、
いささか不気味さすら感じてしまうのだが、そこまでして大和オンリー命!でない
といけないのか?我々現代人にとって、別にどちらでもいいといえばいいことなの
だが?
193 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:40
>>188 日本書紀を編纂した人間がどう考えてたのかは知らないが、その原史料を書いた人間は
当然、「太宰」という中国の官名を意識しているはず。
もし「おおみこともち」などの和名に漢字を当てる場合、「大宰」以外の字を
選ぶことは可能だったはずだ。
194 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:43
「太宰」という中国の官職名を知っていて、それとは別に「大宰」などという
官職名を新たに考え出すバカもおるまい。
>>192 何度も見た口調に戻ったが
>>117で「漏れはROM派でつが、」と書いていたのはウソかい?
196 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:48
>>193 それでは「筑紫大宰」「吉備大宰」など各地に中国の太宰を自称した者がいたの?
>>191 >その地方国家/王権が独自に中国と国交を持ったり
ありえると思います
実際、対馬などは江戸期まで独自の外交活動してましたよ
>大和の政権を支配してたりとかいう九州王朝説を認めるの
いいえ
198 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:50
用字の違いに無神経過ぎないでしょうか?
199 :
日本@名無史さん:02/11/25 06:57
>>196 俺はそう考えるんだけどね。
現実に日本書紀に、天皇が「大宰府」を含め、「筑紫大宰」「吉備大宰」を設置したという
記述がない以上。
ま、「自称」なのか、その地の権力者(当然天子を自称)に任命されたかは別として。
あと、「神武天皇」が初代王というのも問題だ。
どう見ても出雲の大国主から国を譲り受け、クシフルタケに天下った「ニニギの命」
が初代王だろう。神話という先入観を省けば、そう理解する以外にない。
ニニギは実際にその地を統治するために、天下っているのだから。
つまり神武が初代王と記す日本書紀は、神武がニニギの直系から別れた分王朝の
初代王、と言っているに等しいのだ。
まあ、のんびり楽しくやって良スレに育てましょう
最近の日本史板は罵倒スレばっかりで建設的な論議があるスレが
このごろ少ないですもんね
202 :
日本@名無史さん:02/11/25 07:05
>>200 これは誤爆なのだろうか?
神武天皇のスレへのカキコのような気もするし
このスレへのカキコのような気もするし・・・
禿しく微妙・・・
203 :
日本@名無史さん:02/11/25 10:57
筑紫王権が存在して、中華王朝と交渉があったと考えるのはとても自然と俺は思う。
それは地理的関係からそうなるだろうと思うけど、中華帝国が倭王と認めたからといって、
筑紫王権が日本列島で最大最強であったかどうかは分からないし、
筑紫王権を日本列島の代表者と他の王権が認めていたかどうかも分からない。
大和王権の方が強大であった可能性もあるし、次第に強大になった可能性もある。
日本列島には筑紫以外にも王権は幾つもあったはず。それらを大和王権が統一していった
のだろう。だから、筑紫王権が存在するとしたって大和王権信奉者にとって特に問題ないと
思うのだがなあ。
むしろ、倭王がショボい官職を中華帝国からもらって半島諸国とツバゼリアイやってるのより、
大和王朝が、少し離れた大和で自主独立の精神で頑張ってくれたことは良かったと思う。
204 :
日本@名無史さん:02/11/25 18:49
>203
生産力からすると、その考えでいいようですね。確かに筑紫は半島から大陸にちかく、
文化的には文字の伝播の無いのがおかしいぐらいですが(いずれ発見されると思う)、
生産では温暖であるものの、耕地面積には限りがあり、次第に陸地化していった河内
湖、奈良盆地、北摂、京都、滋賀・・・を抱える近畿の方が、実力的に凌駕していっ
たと考えるのが自然です。
あと、王権の継承関係がどのようだったかと言うことが、日本における王権の問題の
核心であり、九州の属国から逆に征服するに至ったのか、それとも単に並立していて
最終的に勝ち残ったのか、それとも九州の方があとで独立したのか・・・。
ここのところが最も興味深く、かつ最も覆われている所でもあります。(実は近畿一
元説でもまだまだ解明されて無い部分で、どのように地方王権を征服していったのか
のプロセスが、記紀では全くわかりません。)
205 :
日本@名無史さん:02/11/25 18:51
206 :
日本@名無史さん:02/11/25 19:43
考古学的には、北部九州には地方政権は成立しなかったと考えるのが最も妥当だとされている。
個々の中小豪族が経済的には裕福だったため、地域で政権を一本化せずそれぞれが他地域と友好関係を結んでしまったのだ。
>>203 >筑紫王権が存在するとしたって大和王権信奉者にとって特に問題ないと
>思うのだがなあ。
問題ないとか都合悪いとかで考えるんじゃないよ。
正しいか正しくないかだよ。
>>207 言葉が少し強すぎたかな。
ショセン大昔のことなので推測な訳で、俺の知っている個々のことを俺なりに整理して
解釈してみて、まあ筋が通っているかなあ、と思っているだけのことよ。
俺の解釈では、筑紫の倭王なんかより、大和の天皇の方が偉いと思うね。
(これは価値観の問題ではあるが)
最終的には
>>134の
>2、歴代の墓はどこか?各時期について答えよ?
に答えられないと九州に王権はないってことになるんじゃないの。
210 :
日本@名無史さん:02/11/25 21:41
>>204 「王権の継承関係」が最も興味深いところとのこと。俺には余り興味深くはないが、
要するに、「大和は筑紫の属国だったかどうか」という問題ということかな。
ショセン解明されていないとのことなので、俺の直感的推測をいうと、
属国ではない。筑紫は中華帝国にセッセと朝貢して倭王の官職を得たが実力はショボかった。
セイゼイ半島諸国と乳繰り合う程度。大和や他の東国の諸勢力は中華帝国の存在も知らなかった可能性もあるし、
知っていたとしてもそんな官職を得ることに価値を認めなかった。
日本列島の諸勢力の中で大和は抜群だった。
天皇の称号は(ずっと後からとは思うが)、中華帝国からもらったものではない。
俺の直感だからね。
ノリナガさんでつか?
212 :
日本@名無史さん:02/11/25 22:09
>>209 大昔のことなので誰の説も推測の域を出ないことをあらかじめ認めた上での議論ではあるが、
なんせ「存在することの証明」と「存在しないことの証明」はどちらもソレゾレ難しいよね。
筑紫にも古墳は結構あるようだから、歴代の王の墓はあるようにも思える。
これらの古墳が歴代の王の墓ではないとも言えない。
一方、大和にも古墳は沢山あって大王がいたんだろうなあと思える。しかし、歴代大王の墓が
本当に特定されているとは思えない。
まあ、証拠はこれから出てくるかもしれないし、考古学の進歩を待ちながら
俺たちは色々推定して楽しもうぜ。
時系列的に盟主墳の消長をみていくと、そこに王権が在ったかどうか見えてくるんだよ。
郡ごとくらいのレンジで同じクラスの首長墓が散在していて突出した盟主が見えないようなら、そこに王権は無いんだ。
王権と呼びうるような中核の出現はMT15段階の筑後を待たねばならない。
それがTK10の段階ではもう肥後に移ってしまう。
やはり九州の王権誕生は死産したと言わざるを得ない。
214 :
日本@名無史さん:02/11/25 22:42
>俺たちは色々推定して楽しもうぜ。
これ、漏れも賛成。九州の王墓は結構豪華な副葬品が出ている。一方巨大古墳目白押しの近畿では、
ほとんどは発掘できない。これでは判定のしようがないし、逆に言えば「真理は一つ」なんて言う
にはまだ時期尚早って事。
なあんか、楽しむというよりけんか腰の人がいるが、気の毒。
215 :
210、212:02/11/25 22:43
一応言っとくと、
卑弥呼も、倭の五王も、多利思北孤も筑紫の倭王と思ってるよ。
4世紀の南韓から筒型銅器や碧玉製品など畿内系に遺物が出るし、沖ノ島でも海北道中の祭祀を行なっていた主体が畿内の勢力だということが確認されている。
倭の五王の時代に半島で戦線をひろげていたのは間違いなく畿内の主導によるものだ。
多利思比孤も畿内の人間だ。筑紫は倭の属国だと隋書に銘記されているから。
218 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:07
>>217 >4世紀の南韓から筒型銅器や碧玉製品など畿内系に遺物
>沖ノ島でも海北道中の祭祀を行なっていた主体が畿内の勢力
そうか。ヒマみて調べてみるね。
>筑紫は倭の属国だと隋書に銘記
具体的に引用して教えてくれるとありがたい。俺の見落としと思う。
219 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:14
大和政権下には巨大古墳群が存在する。
一方、当時の倭は朝鮮半島に軍を送り、高句麗、新羅などと激戦を繰り広げている・・・。
そんな巨大古墳を作るほどの人間がいるのなら、朝鮮半島に送り込まないか、フツー?
>>218 「自竹斯国以東、皆附庸於倭」
「○○以東」は○○も含むことが用例で確認済み。
「A地点以東(もっと東にある)B地点まで」という他の史書の文例とあわせて解釈すると、「筑紫は倭の属国」となる。
221 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:30
>219
そうだね。はっきりいって、私にはあのような巨大古墳の意味がよくわからない。
人的資源のものすごい浪費で、奴隷か被征服者の見せしめとしか思えない大工事。
それだけの人数を半島に送れば、あんなに苦戦することもなく三韓ぐらいは制圧
できそうな気もする・・・。
>>220 ありがとう。
申し訳ないが、「自竹斯国以東、皆附庸於倭」は別なようにもとれないか。
倭は王を擁する国名か民族名で、竹斯国は地方行政単位の筑紫国みたいだぜ。
だから、「筑紫以東は倭国に属する」という意味にならないか。
俺が「筑紫の倭国」といっているのは、「筑紫を中心地域とする倭国」の意味なのよん。
もし、「筑紫以東は倭国に属する」という意味だとムシロ東の端がどこまでなのかが
気になるよ。まさか大和までではなかろうね。
>>219 クフ王や始皇帝は戦争しなかったかな?
陪冢からは膨大な武具や半島産の鉄テイなどが出る。
それに南韓からほぼ直通で須恵器が入ってきて大阪で生産がはじまっている。
九州の介在する余地はないんだ。
224 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:36
ワ ノ ナ
ノコクオウ
ナとはやっぱ春日市だっけ。
225 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:40
>>220 「倭の」ではなく「倭に」だよ。だから
自竹斯国以東、皆附庸於倭
の一文は「竹斯国より以東は、皆倭に附庸す」と解釈するのが正しい。
「倭の」と解釈している学者は、「竹斯国」を倭の中心としたくないために
あえてそういう解釈をしているんだよ。
226 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:42
>>222 >申し訳ないが、「自竹斯国以東、皆附庸於倭」は別なようにもとれないか。
残念ながら、とれないんだ。
隋書は魏志などと違って国の中に国があるような書き方をしない。
それに、繰り返しになるが「○○以東」は○○を含むんだ。
そして「属する」じゃなく附庸(属国)と書いてある。
あくまでも筑紫は倭国じゃなくて倭国の属国と書かれているんだ。
228 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:45
>>223 じゃあ風土記に描かれている筑紫君磐井の墓については?
石人で「裁判」の場面を描いているが?
どう考えても律令が施行されていた証拠だと思うが?
その時代に近畿で律令が施行されていた記録はない。
>>225 「倭の」でも「倭に」でも結果は同じさ。
筑紫は倭に附庸してるんだ。本国ではありえない。
230 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:48
>>227 自竹斯国以東、皆附庸於倭
この最後の部分を「倭の」と解釈すれば、主語が最後尾に来ることになる。
そ ん な 中 国 語 は 今 も 昔 も 存 在 し な い の だ が ?
231 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:50
ここでは「倭」であって「倭国」とは書いていないよね?
つまり倭の中心国が「竹斯国」である、と言っているのだよね?
>隋書は魏志などと違って国の中に国があるような書き方をしない
と言うのに違反していないと思う
>>228 裁判したから律令があったなんてことは無いさ。
ましてや昔の遺物を後世そう解釈したというだこだ。
だいたい中国が隋唐ならぬ梁だったころ日本に律令があるかね?
233 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:54
>>230 「倭の」が主語だなんて
そ ん な 日 本 語 は 今 も 昔 も 存 在 し な い の だ が ?
>>231 >つまり倭の中心国が「竹斯国」である、と言っているのだよね?
なぜそんな解釈になるの?全く理解できないが。
235 :
日本@名無史さん:02/11/25 23:58
「自竹斯国以東、皆附庸於倭」でもう一つ思うこと。
「竹斯国」という具体的な名前が出ているということ。「大和国」は出てこない。
それに、現代の長崎が含まれる肥国の方がもうチョッと西にあるのにね。
なんせ、「竹斯国」は目立つ存在だったのかな。
>「大和国」は出てこない。
倭国なのだもの。
238 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:04
竹斯国から東へ進んで十余国を経て倭国の都に着くのに
竹斯が倭国の中心であると読むのは変では?
239 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:07
>>234 隋書で「倭国」について記述し、「倭王」についても詳しく述べられている。
で、その隋書中にある「自竹斯国以東、皆附庸於倭」の一文を
「竹斯国より以東、皆倭の附庸」という意味になるのなら、「倭」が主語ってことに
なってしまうではないか?
240 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:08
>竹斯国から東へ進んで十余国を経て倭国の都に着くのに
出典キボン
241 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:09
>>231 の
>つまり倭の中心国が「竹斯国」である、と言っているのだよね?
はチョッと論理が飛躍していると思うが、
>>238「中心」というのは倭王の所在地のことで、支配地域の地理的重心の意味ではなかろうに。
243 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:12
>>239 いわんとするところは分からんでもないが、
「倭の」は主語ではなかろう。所有格だわな。
244 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:15
つまり竹斯国を含め、「俀」に附庸していたわけだ。
「多利思北孤」は天子を称していたわけだから、「竹斯国王」だったとは
考えられない。
隋書は「天子=隋帝のみ」という立場だから多利思北孤を俀王と記していた
だけで、実際は「俀帝」だったはずだ。
俀帝は竹斯国を含む「俀」の天子を自称していたのだから。
245 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:15
でも倭の都は竹斯国より東でしょ?
又至竹斯国
又東至秦王国、其人同於華夏、以爲夷州、疑不能明也。
又経十余国、達於海岸。自竹斯国以東、皆附庸於倭。
・・・
既至彼都
246 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:17
>>244 そのとおり。
そして俀王多利思北孤がどこにいたか。竹斯じゃねーの。
247 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:24
俀帝が附庸国である竹斯国に済んでるはずないよね?
でも俀なんて国はないよ。倭だよ。
248 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:24
又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也
又經十餘國達於海岸自竹斯國以東皆附庸於俀
249 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:25
済んでるはずないよね→住んでるはずないよね。
ホント。ありえない。
250 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:26
再度確認。
俀なんて国はないよね?
251 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:27
>>245 ん?
「又経十余国、達於海岸」とあるぞ。十余国を経て海岸に達するようだな。倭ではないぞ。
「自竹斯国以東、皆附庸於倭」は、「竹斯国以東は、皆、倭に附庸する」。首都の「竹斯国」
以東は皆倭のもの。という感じがするぞ。
252 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:30
海岸に達してから既至彼都なんですけど?
10歳以上って10歳も含むし、竹斯国以東って竹斯も含むんだから
竹斯国は附庸国でしょ?
首都じゃありえない。
253 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:31
明らかに「竹斯国」を起点とした説明文だな。
なんで「竹斯国」が起点なのか? そりゃ首都だからだろう。
又至竹斯國又東至秦王國
竹斯を出て東に進んでるのだからもう竹斯ではないな。(wasi ha mou neru )
255 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:34
>>252 その解釈だと「隋書」は倭国の首都を記載していないことになる。
そんなアホな夷蛮伝はないだろう。
256 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:34
>>252 >海岸に達してから既至彼都なんですけど?
どこに書いてある?「海岸」と「都」の文中の関係は?「既」の字の意味は?
>>253 そんな気がする。
>>252 なんで「竹斯国」を起点とした説明文なの?
理由が不明なんだけど。
連続的に書かれていて竹斯は単に一通過点としか思えないのだけどな。
258 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:41
>>254 そりゃ倭の地理を説明した文なんだよ。だけど最後の
>自竹斯國以東皆附庸於俀
は倭の支配している勢力地図であることは明らか。そこで「竹斯国」が起点になっている
ことの意味は重大なはずだよ。
259 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:41
>>255 海岸に達して郊労を受けているんだから首都の位置はちゃんと書かれているよ。
>>256 「既」の字の意味は「そのことが終わった後で」の意。郊労とかのことね。
漢文よみの常識。
260 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:43
>>258 逆でしょ?
起点が竹斯で終点が倭国なんだから竹斯ははじっこ。
261 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:44
ところで俀なんて国はなくて倭だよ。
わかってる?
262 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:45
263 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:47
>>260 最後の一文は「行程文」じゃないんだよ。だから起点は出発点ではなく中心地。
264 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:49
>>262 わからない?
又至竹斯国
又東至秦王国、其人同於華夏、以爲夷州、疑不能明也。
又経十余国、達於海岸。自竹斯国以東、皆附庸於倭。
・・・
既至彼都
順繰りに竹斯→秦王国→十余国→(ここから倭国)海岸→彼都って進んでるでしょ?
起点が竹斯で終点が倭国。
265 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:50
>>263 >最後の一文は「行程文」じゃないんだよ。
その根拠は?
266 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:56
>>246 ・・・至一支國又至竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也又經十餘國達於海岸
自竹斯國以東皆附庸於俀 俀王遣小徳阿輩臺從數百人設儀仗鳴鼓角來迎後十日
又遣大禮哥多毘從二百餘騎郊勞既至彼都其王與清相見大悦曰・・・
「既至彼都」の一文はずっと後の方に出てくるんじゃん。
完全に文中の場面が変わってる箇所だと思う。
267 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:57
又東至一支国、
又至竹斯国、
又東至秦王国…
又経十餘国
みんな同じ文型なんですけど?
これ連続的に進んでるとしか読んではいけないんですけど?
268 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:57
269 :
日本@名無史さん:02/11/26 00:59
>>267 で、その後でわざわざ「自竹斯國以東皆附庸於俀」と、竹斯国を起点とした勢力図が
あるわけで。
270 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:01
>>269 だからその先に終点の倭国があるんでしょ?そして至彼都。
271 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:01
>>265 「自竹斯國以東皆附庸於俀」
これが行程文に読める? どう考えても勢力図。
272 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:05
>>270 だからそれはすでに行程文じゃないんだって。
隋からの使者が「至彼都」して其王(俀王)と会見したシーンの説明文。
273 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:05
それ、誰も行程文って言ってませんけど?挿入された勢力図ね。
もいちど見て。
又至竹斯国、
又東至秦王国…
又経十餘国
行程文が竹斯国から東に進んでるのは明白でしょ?
274 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:09
>>273 で、その後でわざわざ「竹斯国」を起点とした勢力図が書かれているわけ。
竹斯国が中心地であることは明らか。
275 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:10
>>273は「行程文」がただの地図でしかないことに気づいてないんだな・・・
276 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:10
又至竹斯国、
又東至秦王国…
又経十餘国
が連続した行程文なのは明らかだよね?
つまり竹斯はもう通り過ぎてる。
これが普通の漢文が読める人間の読み方。
それじゃ僕も寝るからね。よく反論考えておいてね。安易なのはダメよ。
277 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:12
追伸:「又」ってのは「引き続き」って意味だからね。
じゃ、おやすみ。
278 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:13
>>276 あの、わざと問題をはぐらかしてるの?
行程文と勢力地図、そして俀王との会見シーンを、みーんなごっちゃにして
考えてないか?
279 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:17
>>276 又至竹斯国、
又東至秦王国…
又経十餘国
これは行程文。
自竹斯國以東皆附庸於俀
これは勢力地図。
既至彼都其王與清相見大悦曰・・・
は隋使と俀王の会見シーン。
これの分別が理解できていないヤツと、俺は論戦していたってわけか・・・
なんと無駄で無意味な時間だったのだ(タメイキ…)
280 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:18
はいはい、最後だよ。
又至竹斯国、
又東至秦王国…
又経十余国達於海岸
は一連の行程文。途中で勝手に切ってはダメ。
そして勢力図「自竹斯國以東皆附庸於倭」には竹斯が倭の属国だとはっきり書いてある。
よって竹斯は倭に至るたんなる通過点で、倭の属国のひとつにすぎない。
これで九州王朝説はおしまい。
どっちにしろ、「ヤマト」「ナニワ」「カワチ」などが出てこないんだから、
畿内に「多利思北孤」の国があったとするのは無理だな(w
282 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:24
出てたりして。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也
又至竹斯国、
又東至秦王国…
又経十余国達於海岸
これ一連の行程文ね。竹斯は通過。
お や す み
283 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:25
>>280 多利思北孤は俀の「天子」だったのだから、竹斯国が附庸下なのは当然すぎるぞ?
多利思北孤は俀王ってあるんだから・・・
ではなんで「竹斯国」が起点なのか? この一文が勢力図である以上、中心地としか
理解出来ないではないか。
・・
ほー、大和って昔はヤマタイとかヤマダイって発音してたのか(大 爆 笑 !)
>>283 唐の天子が属国のベトナムに住んでますか?
第二次大戦後の東ドイツ以東は東側諸国だか中心地はソ連だった。
287 :
九州王朝大好き:02/11/26 01:37
>>282 >又至竹斯国、
>又東至秦王国…
>又経十余国達於海岸
何で行程文やねん?行程である根拠を示せ。
又、又、又と、単に並列的に説明してるだけやん。
288 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:37
行程文=地図だっちゅーに。
だいいち王都に近づくにつれ「又経十余国達於海岸」などと国名を書かない
バカな行程文があるかって。
多利思北孤=竹斯国王 ってのなら「竹斯が倭の属国」の持つ意味は重大だろうが、
ここでは明らかに多利思北孤=俀王(自称・俀帝)
竹斯国が俀王の支配下にあるのは、誰に言われるまでもなく自明のこと。
で、わざわざ「自竹斯國以東皆附庸於俀」とあるのだから、この一文の起点国である
「竹斯」が中心国であると理解せざるを得ない。
漢文勉強してね
>竹斯国が俀王の支配下にあるのは、誰に言われるまでもなく自明のこと。
なぜ自明?
291 :
日本@名無史さん:02/11/26 01:43
>>287 そう興奮しないで。「行程文」っていうのは、実際に隋使が歩いていったという意味じゃなく、
たんに地理的な行程を説明した文ってこと。
たとえば隋使が本当は 一支→竹斯→秦王国→また竹斯→チョイト脇にそれて○○国
という行動をしても、別段その通りに記述するわけではない。
その根拠は?
293 :
九州王朝大好き:02/11/26 01:52
>>285 >唐の天子が属国のベトナムに住んでますか?
何を聞いているのだか?
唐の天子が属国のベトナムに住むはずがない。
一方
多利思北孤は俀の自称「天子」だったのだから、俀の竹斯国に住む。
当然だろう。
俀の自称「天子」がなぜ本国じゃなくて属国の竹斯国に住むんだい?
295 :
九州王朝大好き:02/11/26 02:02
>>291 なんで行程を説明した文と解釈するんや?
>>288氏の説明の様に、行程文と強制するんは強引ちゃぅ?
強引に強制する根拠を示せ。
単なる説明文やんか。
296 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:05
>>294 本国=竹斯国 なんだよ。
天皇陛下や内閣総理大臣が東京都に住んでいるからといって、都知事の石原慎太郎の
支配下にある人間だとは誰も思わないよね?
297 :
九州王朝大好き:02/11/26 02:06
298 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:07
倭国に行く説明文が行程文なんですけど。
>>295 行程文=地図 でダメかい?
僕の言いたいのは「隋使が実際に歩いた道筋」ということではない、
という意味なんだけど。
言葉を換えたら、まさしくあなたの言う「単なる説明文」ですが?
竹斯国は倭に附庸してるのになんで倭の本国なの?
301 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:10
現体制も千年後の学者から見たら
天皇の東京捕囚になるのかな?
302 :
九州王朝大好き:02/11/26 02:11
>>298 何で行程文と解釈しなければないの?
単純説明文で十分、何の矛盾もない。
303 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:12
304 :
九州王朝大好き:02/11/26 02:15
>>299 単なる説明文なら、並列記述で必要十分でないの?
305 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:16
「隋使が訪問した地」と「隋使が実際に歩いた道」とは別物だということで。
たしかにこの行程文では最終地が「竹斯国」とは書いていないけれど、
しかし逆に「秦王国」やその他の国が終着地とも書かれていない。
その上で、「自竹斯國以東皆附庸於俀」という一文があるわけなのだから、
この起点である「竹斯國」が俀の中心地としか考えられないのだ。
306 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:16
どこまで主線行程でどこが傍線行程なんだい?
307 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:18
>>305 竹斯は附庸なんだから中心地とは考えられないのだ。
309 :
九州王朝大好き:02/11/26 02:23
>>307 >竹斯は附庸なんだから中心地とは考えられないのだ。
東京は日本に附庸するけれど、日本の中心地なんですけれど?
東京が日本に附庸するわけないよ。
附庸の意味を調べてからどうぞ。
311 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:27
倭王は小徳阿輩臺をどこに派遣したの?
312 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:29
・・・至一支國又至竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也又經十餘國達於海岸
この文で「中心地」を読みとるのは無理なわけで、やはり直後の
「自竹斯國以東皆附庸於俀」の一文が重要な意味を持つと思う。
313 :
九州王朝大好き:02/11/26 02:41
314 :
日本@名無史さん:02/11/26 02:53
「日本」という都道府県がない、というのと同じく、
「俀国」という小国があったわけではない、ということ。
ただ、「王の中の王=すなわち皇帝」を認めない唐朝の立場から、附庸という
表現を使っているに過ぎない。
多利思北孤の立場は、(竹斯国を含む)すべての俀国配下の諸国を統治する天子
ということを主張していたはずなので。
315 :
九州王朝大好き:02/11/26 03:06
>>307 >竹斯は附庸なんだから中心地とは考えられないのだ。
竹斯国は国として附庸であっても、中心地は都すなわち天子(大王)のいる所。
竹斯国と都とは別。
>>296氏の言うように東京は都知事、日本は内閣総理大臣。共に東京。
竹斯が倭の附庸であることに何の矛盾もない。
316 :
日本@名無史さん:02/11/26 03:39
任那日本府と加羅諸国の関係と同じだわな。
317 :
日本@名無史さん:02/11/26 07:34
熱いバトルでつね。しかしながら、この一文をもって「○○説はなし」って言い切れる
人は凄いと思うが。
倭=地域名ってのはどうですか?連合王国みたいな。
318 :
日本@名無史さん:02/11/26 09:55
「自竹斯國以東皆附庸於俀」だから竹斯國は俀に附庸しているのだろうけど、それより東は
皆俀に附庸してるね。どこまでかというと経十余国達於海岸。これが九州島の東岸なのか、
本州の東岸なのか。俺は九州島の東岸ではないか、と推測するね。
皆俀に附庸している訳だから、俀王はどの国にいようとその国は俀に附庸してるよね。
王は俀の中を巡回していたかもしれないが、主に竹斯國にいたと思うな。
東には大和という大勢力があった訳だから、俀の勢力範囲は限られると思う。
319 :
日本@名無史さん:02/11/26 18:31
>>317 それは言い切れるさ。確実なんだもの。
歴史には謎が沢山あるが、はっきりわかっているものもあるのさ。
隋書の行程文をきちんと読むだけでいいんだ。
いいかい?
>明年、上遣文林郎裴清使於倭国。(隋の皇帝は裴清を倭国に派遣したよ)
>度百済 (さあ裴清は百済へ渡ったよ)
>行至竹島、(そして裴清は竹島に行った)
>南望タム羅国、経都斯麻国、迥在大海中。(こんな経路で海を渡ったよ)
>又東至一支国、(さらに裴清は壱岐に着いたよ)
>又至竹斯国、(さらに裴清は筑紫に着いたよ)
320 :
日本@名無史さん:02/11/26 18:31
>又東至秦王国…(さらに裴清は筑紫から東に出発してるよ)
>又経十余国、達於海岸。(さらに裴清は十余国を経て海岸に着いたよ)
>自竹斯国以東、皆附庸於倭。(これまで通ってきた国々と倭との関係を説明してる)
>倭王遣小徳阿輩臺…(倭王が阿輩臺を遣わして歓迎してくれたよ)
>後十日、又遣大禮哥多毘…(10日後哥多毘が郊労してくれたよ)
>既至彼都、其王與清相見…(そのあと倭国の都に行って王と話したよ)
321 :
日本@名無史さん:02/11/26 18:32
>既而引清就館。(そのあと倭王は裴清を迎賓館につれて行ったよ)
>其後清遣人謂其王曰…(裴清はもう帰るって言ったよ)
>於是設宴享以遣清(なので歓送の設宴になったよ)
>復令使者隨清來貢方物。(帰る裴清にくっついて返礼の使者も隋に行ったよ)
>此後遂絶。(でも最終的には国交は絶えてしまったよ)
ずっと裴清が経験した順番にかいてあるだろ?
裴清は倭の属国である筑紫を通り過ぎて、さらにずっと東にある倭国の都に行って王に会ったんだ。
九州王朝説なんてありえないんだよ。
322 :
日本@名無史さん:02/11/26 19:46
>>321 >さらにずっと東にある倭国の都
どこにそういうことが書いてるのかな?
323 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:00
書いてあるだろう?
海岸は筑紫よりずっと東だからね。
そこで郊労されてる。
ゆえに倭国の都はずっと東さ。
東の端は海岸のように思える。船で海を渡っているようではないから、
九州島の東海岸と思う。倭国の領域は九州内に限られると書いているように思う。
>倭王遣小徳阿輩臺…(倭王が阿輩臺を遣わして歓迎してくれたよ)
>後十日、又遣大禮哥多毘…(10日後哥多毘が郊労してくれたよ)
>既至彼都、其王與清相見…(そのあと倭国の都に行って王と話したよ)
この場所ははっきりしないよね。
325 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:07
それは間違いだよ。
裴清は中国から船でやってきただろ?
しかし筑紫に上陸したとは書いてない。
だから秦王国も十余国も船で行った。
倭本国の海岸に着いて上陸して歓迎を受けたんだよ。
裴世清は竹斯国をただ通過しているとしか読めませんね。
>>325 その可能性は否定しないけど、そう書いてあるというのじゃなくて、推測だよね。
それだけで俺の説が間違いとは言い切れないんじゃないかな。
ただ、仮に瀬戸内海を船で渡ったのなら、もうチョット瀬戸内海の描写があるのが自然じゃないかな。
328 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:18
玄界灘の描写だって無いから瀬戸内の描写も無くて自然。
>>327 上陸したとも陸行したとも書いてないのだから勝手に上陸させてはいけないのでは?
>又経十余国、達於海岸。(さらに裴清は十余国を経て海岸に着いたよ)
これが、
@船で行って陸(海岸)に達した。
という説な訳だが、俺は、
A陸で行って海(海岸)に達した。
と思う訳だな。
331 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:31
天孫飯
332 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:34
思う理由は?
船で行って陸に達するのなら、それ以前に色んなところで陸に達しているよね。
どこかに上陸の文字があれば良かったのだが、それはない。
334 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:38
「陸に達する」とどこかに書いてある?
んーーーー。
陸に達するとは書いていない。
そうすると、筑紫辺りはかなりな沖合いを船で通ったという説かい?
336 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:50
裴清は確実に船でやってきた。
上陸ないし陸行を示唆する記述が無いので、ひきつづき船行が続いている。
船行で海岸に達し、倭王の使者の来迎を受けている。ゆえにここで上陸した。
>>335 朝鮮通信使なんかだと相ノ島に寄港するだけですね。
船で行って海岸に達するという表現はやっぱ何か変に感じるなあ。
船で行けば達するのは陸ではないかな。
陸で行って海岸に達するという表現の方がシックリ来る。
仮に、船で行ったとした場合、どこの海岸に着いたとも書いてないから、
そこが九州なのか、畿内なのか、結局疑問は残る訳なんだが。
339 :
日本@名無史さん:02/11/26 20:58
>>335 他の中国史書の例を見ても、停泊して休憩に上陸する程度のことは細かく書かないのが普通だ。
しかし船から降りて陸路に転じたなら、そうとわかる記述をする。
340 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:06
>>338 >船で行って海岸に達するという表現はやっぱ何か変に感じるなあ。
船で海岸に着かなければ上陸できないよ。
>仮に、船で行ったとした場合、どこの海岸に着いたとも書いてないから、
>そこが九州なのか、畿内なのか、結局疑問は残る訳なんだが。
それは丹念に原文を読めばわかる。
>又至竹斯国
>又東至秦王国…
>又経十余国、達於海岸
筑紫を出てから進行方向は東しかないのだから、九州以外のどこか、つまり本州か四国だ。
したがってこの記述は四国説は否定していないが、九州説はありえないことになる。
341 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:07
>319さん
317ですが、結局、いささかの作為も混じったそのご意見で、他のあらゆる
根拠も同時に論破できるとは、ちょっとムリっぽいですが・・・。
>>338 >船で行って海岸に達するという表現はやっぱ何か変に感じるなあ。
宋史に「有天竺僧隨舶至海岸」というのがありますよ。
343 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:14
>>341 そういう根拠のない感想でなく論理的な批判をお待ちします。
344 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:22
論理的でないのはそちらでは?考古学とて他の学問と同じく、一つが崩れたら
全て崩れるというような観念的な体系ではないので、中国の正史とはいえ、1
00%正しいかどうかわからない、編集の際も最重要な項目かどうかも不明で、
相応の史料批判が必要な資料をもって、九州説全てを架空のものとするあなた
のほうが非論理的ではないですか?
345 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:27
俺としては
>>330のA説が完全に否定されたとは思っていないが、
しばらく船説で議論するとして、
>>340 >筑紫を出てから進行方向は東しかないのだから、九州以外のどこか、つまり本州か四国だ。
>したがってこの記述は四国説は否定していないが、九州説はありえないことになる。
は厳密ではないよね。
筑紫を出て東へ行って秦王国へ至った後の方角は不明だ。
更に東へ行った可能性は否定しないが確定ではない。
仮に更に東へ行ったとしても九州はさらに続く。九州のどこかの海岸に着いた可能性は
否定できない。
346 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:29
>>344 お!めちゃくちゃな事を言い始めましたね。
反論できないどころか事実を歪曲して相手を非難するとは。
自分の書き込みを見返して「明らかな事実誤認」を一個所訂正して陳謝してください。
さもなければウソツキと呼びますよ。
347 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:36
>>345 それがね、進行方向が書かれていない場合はそれ以前に進んでいた方位と変更がないと読むのが通例なのだな。
書かれていないから読者が自由に考えてよい文章なんて史書に書いていいかい?
348 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:43
>>344 10分以上待ちました。再度いいます。
あなたの書いたウソを訂正し陳謝することを要求します。
349 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:48
まっ、
秦王国がどこにあるのか、それも明示的ではないが、その後は
>又経十余国、達於海岸
距離感を何となく現すのは、「十余国」だけだね。
これが正確な記述かどうか分からんがね。
350 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:49
秦王国はどのへんだと思う?
>>349 根本的な話になりますが、隋書にあるのが正確な記述じゃないということになると
隋に使いを送ったのは大和じゃないんだという説の出発点がおかしくなりませんか?
352 :
日本@名無史さん:02/11/26 21:57
>>350 「秦王国」は字面を見ると何となく宇佐神宮辺りの秦族を思わせるね。
何となくだけどね。
>>351 俺が「正確な記述かどうか分からんがね」という意味は「十余国」という
曖昧な感じの表現を指してるよ。これが特に11〜19の間の数という正確な
記述とは限らないという意味だよ。
>>352 いや、そういう細部が正確じゃなくていいなら
人の名前が日本書紀と違うとか馬の数が合わないとかいうのも
意味ないんじゃないかということで。
354 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:04
それにしても「秦王国」っつうのはスゴイね。
王国だぜ。王国であって倭に属する訳なんだよね。
355 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:06
「秦」王国なのかな?
「秦王」国なのかな?
356 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:08
>>353 結局は納得感の問題だとは思うが、、、、
俺が言ってるのは単に「十余国」が曖昧な表現だということよ。
正確な数字を知らないのか、知っていても重要でないと考えたのかだと思うけどね。
357 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:13
かつて、卑弥呼の時代に三国志倭人伝に「伊都国」に「王」があると書いてるのを
思わせるね。
354も同じね。
360 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:32
附庸ったっていちおう独立国なんだから王様くらいいてもいいだろう。
361 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:38
筑紫国には王はいない?
倭王の直轄地だからかな。
362 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:39
ところで、船で行って海岸に達するという表現が変じゃないことはナットク?
363 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:43
364 :
日本@名無史さん:02/11/26 22:46
現実に
>>342の文例だあるんだから、可能性ってより「自然な表現だ」ってことだろうね。
365 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:03
海路にし陸路にしろ、
秦王国がどこにあるのか、
その後は「十余国」を経るとどのくらいの距離進めるのか、
これがポイントかなと思って、秦王国の話をやっとる訳なんよね。
366 :
九州王朝大好き:02/11/26 23:07
私の見方
>>319さんのスタイルを借りて。
>明年、上遣文林郎裴清使於倭国。(隋の皇帝は裴清を倭国に派遣したよ)
>度百済 (さあ裴清は百済へ渡ったよ)
>行至竹島、(そして裴清は竹島に行った)[行至に着目]
>南望タム羅国、経都斯麻国、迥在大海中。(こんな経路で海を渡ったよ)
>又東至一支国、(東に行くと壱岐だよ)[至に着目 大海中での説明]
>又至竹斯国、(筑紫にも行けるよ)[至に着目 大海中での説明]
>又東至秦王国…(東に行けば秦王国にもいけるよ)[至に着目 大海中での説明]
>又経十余国、達於海岸。(十余国を経て海岸{何処?博多湾?}に着いたよ)[経・・達於・・に着目]
>自竹斯国以東、皆附庸於倭。(筑紫の東はみんな倭だよ)
>倭王遣小徳阿輩臺…(倭王が阿輩臺を遣わして歓迎してくれたよ)
>後十日、又遣大禮哥多毘…(10日後哥多毘が郊労してくれたよ)
>既至彼都、其王與清相見…(そのあと倭国の都に行って王と話したよ)
>既而引清就館。(そのあと倭王は裴清を迎賓館につれて行ったよ)
>其後清遣人謂其王曰…(裴清はもう帰るって言ったよ)
>於是設宴享以遣清(なので歓送の設宴になったよ)
>復令使者隨清來貢方物。(帰る裴清にくっついて返礼の使者も隋に行ったよ)
>此後遂絶。(でも最終的には国交は絶えてしまったよ)
動詞に着目、動詞の有無:行至・至・経・達
以上により、都の場所は、わかりませんが、北九州を出ない範囲と推察します。
367 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:08
それが正確性がないと言われちゃうと先に行けないなあ。
368 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:12
>>366 「又」の解釈が間違ってるから不正解だな。
「又」で結ばれてる場合は直線行程だ。
これは多数の文例で証明済み。
369 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:16
>>366 間違いその2
>自竹斯国以東、皆附庸於倭。(筑紫の東はみんな倭だよ)
倭に附庸してるなら倭じゃないな。
370 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:17
>>367 「十余国」のことかえ?
曖昧な表現ではあるが、まあ、11〜13の国だろうよ。
371 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:24
>>366 間違いじゃないが解釈の飛躍。
>又経十余国、達於海岸。(十余国を経て海岸{何処?博多湾?}に着いたよ)[経・・達於・・に着目]
方位も距離もないので博多湾に想定する理由が無い。
山口県でも島根県でも等価なので、到達点が九州だという結論にならない。。
372 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:25
>又経十余国、達於海岸。(十余国を経て海岸{何処?博多湾?}に着いたよ)[経・・達於・・に着目]
説得力を感じる。
>>368 「又」の文例は証明済みとか。チョッと中身を見せてほしい。無学ですまん。
373 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:28
>>370 筑紫の次の秦王国が宇佐近辺だとして、同様の距離感覚でいくと相当遠方か。
374 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:33
>>373 分からんね。なんせ三国志の時代に百余国だからね。その後淘汰が進んだかも知れんが、
十余国では畿内までは届きそうにないと感じるな。
375 :
九州王朝大好き:02/11/26 23:35
>>368 「又」で結ばれてるので海中の状況を直線行程で周りの状況説明をしているのです。
下記比定を参考にすれば地図上での理解がしやすいと思います。
>>365 結論だけですが、
秦王国は博多の北(北北東)の唐人海岸と比定します。
376 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:37
>>372 中国語の「又」の語義は日本語と違い「重ねて」「引き続き」。
「又」で結ばれた文例に放射経路は1例もない。
例は魏志倭人伝とか漢書西域伝、後漢書、旧唐書、山海経…すきなの見てね。
(もうそろそろ寝る)
377 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:38
>直線行程で周りの状況説明をしているのです。
形容矛盾だな。
378 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:41
すくなくとも、壱岐に寄らない経路想定は非現実的だ。
その一点で説得力が失せる。
それじゃ諸兄、おやすみ。
379 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:44
>>374 >なんせ三国志の時代に百余国だからね
あ、それ間違いね。漢時だから1〜2世紀。
380 :
九州王朝大好き:02/11/26 23:47
>>377 船で移動中には遠く迄、まわりが見えますね。
「見える順番に説明している。」
と理解するのが素直です。
381 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:48
382 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:54
「又」の有無より、動詞の有無による説明は説得力あるね。
古田の三国志倭人伝の方法ね。
383 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:54
・・・至一支國又至竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也又經十餘國達於海岸
自竹斯國以東皆附庸於俀 俀王遣小徳阿輩臺從數百人設儀仗鳴鼓角來迎後十日
又遣大禮哥多毘從二百餘騎郊勞既至彼都其王與清相見大悦曰・・・
この隋書の文だけど、どう見ても「自竹斯國以東皆附庸於俀」で文はいったん切れている。
ここからあらためて場面が変わり、「俀王遣小徳阿輩臺・・・」となっている。
だから「既至彼都」の一文は、前の行程文を受けて解釈するのは誤りだ。
(げんに、古田説が出る以前は、誰もそんな間抜けな解釈はしていなかったのだ)
384 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:57
>>383 切れてるでしょ。今日の議論はみんなそう思っていると思うが。
385 :
九州王朝大好き:02/11/26 23:57
>>378 >すくなくとも、壱岐に寄らない経路想定は非現実的だ。
この時代での航海技術では壱岐に立ち寄る必要はなかったでしょう。
663年には大軍を百済の西海岸に送っています。
又、万葉集では壱岐に立ち寄らないで、壱岐を眺めながら中国に渡る歌はご存知でしょう。
386 :
日本@名無史さん:02/11/26 23:59
>>384 んじゃ、少なくとも多利思北孤= 九州内在住 はほぼ決定だな
387 :
日本@名無史さん:02/11/27 00:03
>>386 俺は前からそう思っているから良いけど、
「海岸」がどこの海岸かで少し議論になっている訳だが。
「海岸」が畿内かどうかって。俺はとても畿内までは届かないと思う訳なんだけどね。
>>382 隋書煬帝大業十年条に
>冬十月丁卯、上至東都。己丑、還京師。
とあるんですが?行ったか行かないかは動詞の有無に関係ないですね。
389 :
日本@名無史さん:02/11/27 00:10
>>387 ・・・又經十餘國達於海岸
この一文で騒いでる「非・九州王朝派」の人たちって、この先に多利思北孤の
都があると本気で思っているのだろうか・・・
中心に近づくにつれ、国名・地名を記さないなんて、変だと思うのだけど。
どう見ても、「その他のどうでもいい無関係な国」って扱いだよ。
390 :
日本@名無史さん:02/11/27 00:11
>>388 これは実際に行ったように見えるが、「上」という動詞もあるようだが。
>>383 じゃ、俀王は小徳阿輩臺をどこに遣わしたんですか?
>>390 「上」って主上で皇帝のことなんですが…
小徳阿輩臺をどこに遣わしたかわからないなら
前の行程文を受けて解釈するのが正しいってことになりますよ。
394 :
九州王朝大好き:02/11/27 00:24
395 :
日本@名無史さん:02/11/27 00:26
>>392 そうなんすか。そうであれば文法上あり得ないかどうかというテーマでは
あり得るということみたいだね。
後は、中国語全体の文脈から考えるしかないようだね。
俀国伝の場合は、動詞の有無で区別しているように感じるよ。
397 :
日本@名無史さん:02/11/27 00:28
>>393 はっきり書いてないが、文脈からみて「海岸」なんだろうよ。
なら前の文章から続いていますよね?
399 :
九州王朝大好き:02/11/27 00:33
>>392 東都は何を指すのですか?
東都と京師の位置関係は?
京師の東都なら動詞不要ですが?移動していないから。
>>395 「至」だって「東」だって動詞ですから動詞の有無で区別はできませんよ。
402 :
九州王朝大好き:02/11/27 00:47
>>401 「冬十月丁卯上至東都己丑還京師」
文字を入れ替えて、
「冬十月丁卯上至洛陽己丑還長安」
意味を理解できません。
隋書煬帝大業十年条の原文にあたるしかない。
403 :
日本@名無史さん:02/11/27 00:47
・・・至一支國又至竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也又經十餘國達於海岸
これは隋使の行動を表した行程文だろうに。小徳阿輩臺の行動ではないと思われ。
404 :
九州王朝大好き:02/11/27 00:59
>>401 「冬十月丁卯上至東都己丑還京師」
文字を入れ替えて、
「冬十月丁卯上至洛陽己丑還長安」
仮に至を動詞として理解しようとすると、
何日で往復したのだろうか?
理解できましぇん????
405 :
日本@名無史さん:02/11/27 01:45
九州王朝はなかったんじゃないかな。なんかそんな気がする。
(正解)
407 :
日本@名無史さん:02/11/27 01:50
408 :
九州王朝大好き:02/11/27 03:55
クイズは秋田。
409 :
日本@名無史さん:02/11/27 03:58
なかったことにしよう。なんか金印とかでてきたり
するけど気にしない。気にしない。
九州王朝大好きさんへ、励ましのおたよりです
九州王朝まで存在するかは、判りませんが
あなたの古代日本、古代朝鮮に関する説は
いろいろなスレで拝見していて
「なるほど、そう考えると納得できるな」と感じています
これからも良き論客住人として、がんばってください
です
411 :
日本@名無史さん:02/11/27 04:40
まぁ九州の地位は非常に高かったと思うね。
近畿とかは最前線基地というか言わば大本営
って感じだろう。東国制覇の拠点基地としての天然要塞都市
飛鳥って感じ。
412 :
日本@名無史さん:02/11/27 04:44
>>411 近畿天皇家は唐帝から「東のスミッコの田舎」と言われているんだけど。
とても中国史に頻繁に出てくる倭国と同一ではないと思われ
413 :
日本@名無史さん:02/11/27 04:46
├───‐─┴──────────────────────────
│それは全て憶測に過ぎない!
|
└────────────────────────────────
414 :
日本@名無史さん:02/11/27 04:48
しかし
近畿天皇家=邪馬台国
近畿天皇家=倭の五王の国
近畿天皇家=多利思北孤の国
というのも憶測でしかないわけで。
415 :
日本@名無史さん:02/11/27 04:51
邪馬台国は九州じゃないの?個人的には佐賀のイメージ。
416 :
日本@名無史さん:02/11/27 04:54
卑弥呼はムツゴロウを食ったことあるかな?
そんなこと考えると、古代史って楽しい。
有明海は当時干潟あったんやろか・・・
418 :
日本@名無史さん:02/11/27 04:58
どうでしょうな。
ただ肥国=火国の意味で、「不知火」については当時からあった現象らしい。
さすがにからし蓮根はなかっただろうな(w
419 :
日本@名無史さん:02/11/27 05:01
蓮根は仏教伝来あたりだと言われているが
案外もっと早く伝わっていたかも。
420 :
日本@名無史さん:02/11/27 05:06
「大賀蓮」という古代蓮の種が大賀博士によって発芽したから、蓮自体は
縄文以前からあったようだ。
ただ、大賀蓮が「レンコン」として食べられるのかはわからんが。
421 :
日本@名無史さん:02/11/27 05:40
海岸はおそらく山陰のどこかであろう。
王に逢ったというのは出雲あたりではないか?
422 :
日本@名無史さん:02/11/27 07:51
筑紫王朝なら辛子明太子
423 :
日本@名無史さん:02/11/27 09:04
大和朝廷(倭人+半島/大陸) >>>>>>>> 出雲(倭人) >>> 吉備(倭人) >>> 筑紫(倭人+半島/大陸) >>> 信濃東海(百済亡命人+アイヌ) >>> 関東(アイヌ)
424 :
日本@名無史さん:02/11/27 09:29
古田武彦がはじめて九州王朝説を唱えたころは新鮮で衝撃的だったけど、彼は
その後、東北関係で変なことばかり言い出してケチをつけたよね。あの大先生、
最近はどうしているのかな?書店を見る限りあまり活動はしていないようだけど。
425 :
日本@名無史さん:02/11/27 14:50
で、ムー帝国の流れをひいているのはどっちですか?
大和朝廷?それとも九州王朝?
426 :
日本@名無史さん:02/11/27 19:27
偽書はいかん偽書は!
>>410 ふぉれ様
本来、私は古代史については門外漢の元技術屋ですが、
仕事の折りに付け日本全国諸外国へ行き、その気候・風土・人間を観察する中で、
日本の歴史的成り立ちに疑問を持ちました。
素人故あらゆる分野の知識を学びながら、柳田国男的現場観察をし、
そこで素人としての観点から、徐々に成り立ってきた試行錯誤の仮説を展開しております。
お励ましありがとうございます。
428 :
日本@名無史さん:02/11/27 23:16
裁判結果はそんな単純ではありませぬが?
429 :
日本@名無史さん:02/11/28 00:11
偽書問題って、例の「東日流外三郡誌」のことね。
ありゃあ、「季刊邪馬台国」側の敗北は決定だねぇ。ビテンのオッサンもアホなことしたもんだ。
東日流外三郡誌を「直接」調べて検証した人で、「和田喜八郎」ジイさんの偽作を
主張する人はもはや皆無だもんな。
まあ、秋田孝季偽作説を唱える人はいるが。安本のオッサンも、せめて直接和田氏の元へ
出向いて、現史料を手にして調べりゃよかったのに。
裁判なんかに偽書問題を持ち込んだ時点で、安本DQNは決定だな。
430 :
日本@名無史さん:02/11/28 04:03
東日流外三郡誌はともかく、
やっぱ九州王朝はあったっぽいなぁ
古田信者あせってるな。
432 :
日本@名無史さん:02/11/28 04:30
今だに九州王朝支持派=古田信者と思っている時点で・・・
東日流ホンモノ視九州王朝支持派=古田信者
434 :
日本@名無史さん:02/11/28 08:04
古田史学っていっても、本人自身も言ってるように、一つが欠けると崩壊するような
ものではない。その全ての証拠を否定することは困難なので、レッテル張りが横行し
たわけだ。漏れも学生時代は「なんだ、これ?」程度にしか思わなかったが、やたらに
反対派から古田、古田いわれるので、逆に興味を持ってしまった。まあ、各論の全てが
正しいとは今でも思わないが、他の九州説とも重複するところも多く、一言で「古田史
学=九州説=無かった」っていうDQNは、結局自分も「・・・だろう」「・・・らし
い」をどれだけ乱発しているかわからないらしい罠。まあ、それを権威ある学者がやる
から混乱するんだが、土器編年などという今やいささかやばい方法論一つに頼りっきり
の説とは違う罠。
435 :
日本@名無史さん:02/11/28 09:54
・・・至一支國又至竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也又經十餘國達於海岸
自竹斯國以東皆附庸於俀 俀王遣小徳阿輩臺從數百人設儀仗鳴鼓角來迎後十日
又遣大禮哥多毘從二百餘騎郊勞既至彼都其王與清相見大悦曰・・・
ここ何日かのこの文の議論から、倭は九州にあったという感じが俺は強まった。
本州や四国も微妙に勢力圏だった可能性はなんとも言えないが、畿内まではとても
含まない、と改めて感じた。
地理的条件から大昔から半島や大陸と関係の深かった筑紫勢力ではあるが、いつまでも
集権的な国家に成長せずに昔ながらの部族連合みたいな形をとっていたんじゃないかな。
これに対して、大和勢力は生産力を高め、集権的な国家形成へと向かって行ったんじゃないかな。
大和勢力ほどの勢力であれば、もっと早く半島や大陸と直接交渉をもってその記録が
中国側に残っていても良さそうに思うのだが、それがない(と俺は思う)。これは、
大和勢力には中華文明にそれほど関心がなかったのかもしれないし、倭が邪魔で行き来が
難しかった所為かもしれない。第一チョッと遠いしね。
それまで大陸は比較的ショボイ状態だった訳だが、隋・唐の出現によって一気に
緊張感が高まった感じだよね。日本列島側も一気に統一に向かった。統一したのは
もちろん大和勢力さ。その後の日本にとってとても幸せなことだったと思うね。
前にも書いたけど、自主独立の精神が大和勢力には感じられる。
大和勢力による日本統一は、もっと早く完成しても良さそうにも思う。
日本書紀を見ると確かに日本武尊とかを繰り出して統一に向けて頑張っている。
九州も何度も攻撃している。
いくら大和が強大といっても島に分かれて地形も複雑で相当広い日本列島の統一
には時間がかかるし、隋・唐帝国出現まではチンタラやっていたんだろうね。
と、いうようなことを俺は思って、今のところ自分なりに分かったような気になっている。
この頃に半島は新羅が統一したね。
それまでは、列島・半島・大陸のどこも統一政権はなく、ある意味平和な時代を過ごしていた
んじゃないかな。律令型の国家概念の出現によって、列島と半島でもその概念の国家が出現した。
何となく教科書的なことをイッパイ書いたけど、俺にはこのシナリオがシックリ来るのよ。
439 :
日本@名無史さん:02/11/28 11:37
>>436 >地理的条件から大昔から半島や大陸と関係の深かった筑紫勢力ではあるが、いつまでも
>集権的な国家に成長せずに昔ながらの部族連合みたいな形をとっていたんじゃないかな。
>これに対して、大和勢力は生産力を高め、集権的な国家形成へと向かって行ったんじゃないかな。
これはその通りだけど、それは2世紀後半〜3世紀にかけて。
これは、魏志倭人伝に記載された人口が、北部九州の国の規模が数千戸のオーダーで、最も多い奴国でも2万戸、
これに対し、そこから水行20日の投馬が5万、さらに水行10日陸行1月の邪馬台が7万と、
人口(戸数)に大きな較差が出ていることで裏打ちされる。
>大和勢力ほどの勢力であれば、もっと早く半島や大陸と直接交渉をもってその記録が
>中国側に残っていても良さそうに思うのだが、それがない(と俺は思う)。これは、
魏志倭人伝、宋書倭国伝に記載されてますが何か?
>大和勢力には中華文明にそれほど関心がなかったのかもしれないし、倭が邪魔で行き来が
畿内の古墳(しかも陪冢クラスの小さな古墳)から中国系遺物がゴロゴロ出てますが何か?
440 :
日本@名無史さん:02/11/28 11:46
補足
>人口(戸数)に大きな較差が出ていることで裏打ちされる。
これに加えて、考古学的には畿内式の古墳がある時期(メルクマールは箸墓)を境に一斉に全国展開すること、
さらに、布留式という畿内の様式の土器がやはり同時期をさかいに一斉に全国展開すること、
によって裏打ちされる。
古墳というのは、首長祭祀のあり方を示すものだから、
畿内式の古墳の全国展開というのは、首長祭祀の全国的な画一化を意味している。
もちろん北部九州とて、例外ではない。
441 :
日本@名無史さん:02/11/28 15:34
>>439 >>440 >これは、魏志倭人伝に記載された人口が、北部九州の国の規模が数千戸のオーダーで、最も多い奴国でも2万戸、
>これに対し、そこから水行20日の投馬が5万、さらに水行10日陸行1月の邪馬台が7万と、
>人口(戸数)に大きな較差が出ていることで裏打ちされる。
「邪馬台」が九州にあるとすれば話は逆ですね。
>魏志倭人伝、宋書倭国伝に記載されてますが何か?
いずれも九州にいた倭国王のことでは?
>畿内の古墳(しかも陪冢クラスの小さな古墳)から中国系遺物がゴロゴロ出てますが何か?
日本製の鏡のことですか? 中華文明に対する関心があったことは分かりますね。
>古墳というのは、首長祭祀のあり方を示すものだから、
>畿内式の古墳の全国展開というのは、首長祭祀の全国的な画一化を意味している。
初期の古墳はみな竪穴式で、古墳時代の中期に横穴式が北部九州の玄海灘沿岸地域に出現する
ようですが? その後、後期には本州・四国にも普及したとか。
大和の勢力が列島の他地域を凌駕していて最終的に統一されたことは疑いないと思うけど、
もう少し紆余曲折があったように思うな。その間、次第に衰微しつつも北部九州に一定の勢力が
あったと思うな。
442 :
日本@名無史さん:02/11/28 18:02
中国の異物がゴロゴロは、九州の方が圧倒的ですが。絹なども出ていたし、山ほど出てくる
仿製鏡は、当初卑弥呼の鏡とかいってたけどそれこそゴロゴロ出てきて、収拾がつかなくなっている状態。
しかも、古墳の本隊といえる指定陵墓を発掘していないわけですから。
443 :
日本@名無史さん:02/11/28 19:30
仿製鏡の意味がわかってないのでは?
444 :
日本@名無史さん:02/11/28 19:53
九州の方は異物がゴロゴロだそうだ。
445 :
日本@名無史さん:02/11/28 19:59
>>441 >「邪馬台」が九州にあるとすれば話は逆ですね。
どうして逆なの?
九州に2万とか7万戸の大国があったら
筑紫勢力が「いつまでも集権的な国家に成長せずに昔ながらの部族連合みたいな形をとっていた」
ことにならないでしょう?
446 :
日本@名無史さん:02/11/28 20:43
>>445 三国志倭人伝には、順次国名を挙げて戸数を述べ、「邪馬台」を7万余戸と述べた後、
「女王国より以北其戸数道里略載すべし、其の余の旁国は遠絶にして、得て詳にすべからず」として、
斯馬国、己百支国、伊邪国、、、、と21の国名のみを挙げ、「これ女王の境界尽くる所なり」としている。
まあ、部族連合のような感じだったんじゃなかろうかね。
「逆」という言い方はチョッと言い過ぎたかもしれない。畿内の人数はこれでは分からないから、
北部九州より多いか少ないか。生産力やその後の発展を考えると畿内の方が多かったかもしれないね。
7万もいる部族国家があるかい。
448 :
日本@名無史さん:02/11/28 21:27
当時の人口は全体にどんなもんだったんだろうね。7万が多いか少ないか。
部族国家という言葉にこだわるつもりはないが、数が載っている投馬国が5万余戸
だから、女王国の7万がダントツ多いとも言えないね。
知らないで書いてたわけ?
450 :
日本@名無史さん:02/11/28 21:37
知らない。分かっているのかい?
451 :
日本@名無史さん:02/11/28 21:40
>>446 漏れは445ではないが一言。
国名を順次あげていることがどうして部族連合って話になるのかね?
いってることが意味不明。
意味不明な人の言うことですからソコはまぁひとつ穏便に。
453 :
日本@名無史さん:02/11/28 21:45
>>451 多くの国が連合していると思って書いた。
454 :
日本@名無史さん:02/11/28 21:46
そこに、偽書のはなしから話題がそれて胸を撫で下ろす一人の九州王朝信者の姿があった…
455 :
日本@名無史さん:02/11/28 23:04
漢文読める人達へ。訳してくださいな。
漢書
(1)自武帝以來皆獻見
魏志
(2)自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
(3)自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國
隋書
(4)自竹斯國以東皆附庸於倭
そして、質問です。
(1)は、「武帝」を含みますか?
(2)は、「女王國」を含みますか?
(3)は、「女王國」を含みますか?
(4)は、「竹斯國」を含みますか?
456 :
日本@名無史さん:02/11/28 23:46
当然みんな含むんじゃないですか?
含むね。
>>456-457 そうだとすると
455の(3)「自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國」は、
「伊都國」で常に治した一大率が「女王國」を含む諸國を檢察・畏憚させ得たことになるが善いか?
459 :
日本@名無史さん:02/11/29 01:09
>>441 >日本製の鏡のことですか? 中華文明に対する関心があったことは分かりますね。
わかってないね。
古墳の編年には、古墳出土品と中国出土品の対比が大きな比重をしめているのだよ。
武具、馬具、装飾品、その他もろもろ。
>初期の古墳はみな竪穴式で、古墳時代の中期に横穴式が北部九州の玄海灘沿岸地域に出現する
>ようですが? その後、後期には本州・四国にも普及したとか。
古墳祭祀に変わりはないだろ。
各地に独自の墓制を持っていた弥生時代とは雲泥の差がある。
たとえれば、弥生時代の墓制が英語、日本語、中国語ぐらいの差があるとして、
古墳時代の墓制のバリエーションは、方言程度のもの。
古墳のあり方が示すのは、古墳時代に入ったところで、
根源的なところで首長祭祀に対する考えたかが
全国で斉一的にかわったということ。
祭政一致の当時としては、“祭”の一致は当然“政”の一致を表す。
460 :
日本@名無史さん:02/11/29 03:46
俺素人だから「九州⇒畿内説」でいいよ。
日食の計算までしてるのがイイ!
461 :
日本@名無史さん:02/11/29 03:57
>>458 「一大率」の所在地が伊都国に在ったというだけで、使役は当然「女王」だ。
「自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史王遣使
詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯」
つまり京都(洛陽)、帯方郡、韓諸国との国交において、一大国がその権力でもって
港を臨検し、間違いなく女王の所に届くようにしている、というのだ。
当然、「一大率」を使役しているのは女王。そうとしか解釈のしようがない。
>>458 「自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之]
「一大率」が置かれている地域が女王国より北(真東真西をふくむ)というだけでしょ。
「一大率」を畏憚している諸国に女王国が含まれるとは言っていないので関係ない。
463 :
日本@名無史さん:02/11/29 07:20
いずれにしろ、絶対年代の測定は世界的にも特異な遺物による編年、相当な
ほころびが出てきているので、だんだん説得力をうしなっているのも事実。
先人の労作は貴重だが、物は移動するし、制作年代まで正確に割り出すのも、
限られた出土品や、記録そのものがなく制作者の特定できない古代においては、
相当の無理がある。
古代のオヤジが家宝といって後生大事に持ってたら、それだけでダメダメ。
「 何 で も 鑑 定 団 」 じ ゃ 、 ね え ん だ よ
464 :
日本@名無史さん:02/11/29 15:23
>古墳のあり方が示すのは、古墳時代に入ったところで、
>根源的なところで首長祭祀に対する考えたかが
>全国で斉一的にかわったということ。
そのことが畿内の支配が全国に及んだことの根拠には必ずしもならないのでは?
一般にはその後の畿内の巨大古墳に目を奪われるけどね。
各地の勢力の交流が盛んになって新しい流行が生まれたとも。お互いに贈り物をしたり、
葬儀に参列したり。
465 :
日本@名無史さん:02/11/29 15:58
吉野ヶ里が邪馬台国だろ
466 :
日本@名無史さん:02/11/29 17:55
>>463 そんなことは当たり前の話で、当然のように考慮されているよ。
だから、物一つで年代は決まらない。
多くの証拠を突き合わせて、これより古い、これより新しいといって絞りこんでいくんだ。
だから数多くの証拠がいる。
証拠不十分で年代に幅のある古墳もあるよ。というか、その方が多い。
でもね、500年も千年もズレてるわけじゃない。
九州王朝を却下するには十分。
>>464 彼らにとって、祖霊の祭祀は遊びじゃない。
それこそ、その集団が滅びるかどうか、のるかそるかというものすごく切実なこと。
気分で祭祀の形態を根本的に変えられるほど気楽なもんじゃないよ。
467 :
日本@名無史さん:02/11/29 18:04
>>463は年代決定論のイロハも知らないんじゃないの?
編年の信頼性がどんどん高まってきているというのに。
認識が正反対の電波だよ。
468 :
日本@名無史さん:02/11/29 20:51
>彼らにとって、祖霊の祭祀は遊びじゃない。
>それこそ、その集団が滅びるかどうか、のるかそるかというものすごく切実なこと。
>気分で祭祀の形態を根本的に変えられるほど気楽なもんじゃないよ。
恐らくそうだろうとは思うけど、それも仮説。
そうだとしても、畿内の支配が全国に及んだことの根拠には必ずしもならないのでは?
469 :
日本@名無史さん:02/11/29 21:05
古代史に仮説じゃないものなんて無いよ。
確実に間違いってものはあるけれどね。
それから「畿内の支配」なんて言ってる畿内論者はいない。
幻を批判しないようにね。
470 :
日本@名無史さん:02/11/29 21:24
>それから「畿内の支配」なんて言ってる畿内論者はいない。
それならOK。古墳時代にも各地に「未だ畿内に支配されない勢力」があった。
当然、九州にもあった。
>確実に間違いってものはあるけれどね。
例えばどんな仮説?
471 :
日本@名無史さん:02/11/29 21:57
九○王○説
472 :
日本@名無史さん:02/11/29 22:09
>九○王○説
九州王朝説か?
正直分からないんだが、九州王朝説とは何?
定義しないと賛成も反対もできんよ。九州王朝っぽい考えの人も多いと思うのだが、
どうも違うような感じもする。
473 :
日本@名無史さん:02/11/29 22:11
幻想の編年法。
編年の信頼性がどんどん高まってきているというのに。 <ぷっ
畿内論者が否定する「九州王朝説」とはどんな説?
どこが間違いのポイントな訳?
475 :
日本@名無史さん:02/11/29 22:37
邪馬台国このかた九州に連綿と皇統が続いていて畿内を支配していたという吉本系だぼら。
>>463みたいに事実をぜんぶ逆に覚えさせられてるところが笑いのポイント。
476 :
日本@名無史さん:02/11/29 22:48
ずっと未来に「竹中平蔵大臣」という新聞の切れ端が発掘されたりして
これは江戸時代の有名な人名にちがいないとか
江戸時代に活字印刷があったとか、官位に大臣があったとか
いやいやそれは武内の誤字で蘇我を意味し飛鳥時代のことだとか
論争があったりするのかな。
477 :
日本@名無史さん:02/11/29 22:55
>>475 >邪馬台国このかた九州に連綿と皇統が続いていて畿内を支配していたという吉本系だぼら。
目からウロコ。そういうことね。ありがとう。
倭国は九州にあって次第に衰微したが、中華帝国と独自に交流したと思っているが、
九州の勢力が畿内を支配していたとは、俺は思わない。
463がどう考えているのかは分からないから何とも言えないけどね。
478 :
日本@名無史さん:02/11/29 23:28
思っている理由は?
479 :
日本@名無史さん:02/11/29 23:52
九州に独立勢力があると考えると、独自に半島や大陸と接触があったと考えるのはとても自然。
さらに、
中華帝国側の記録で有名なものは、
@三国志倭人伝 卑弥呼
A宋書倭国伝 五王
B隋書倭国伝 多利思北孤
簡単にいうと、
@三国志倭人伝 倭国の位置・範囲は古田の説が説得力あると思う。
日本書紀の本文中に記事なし。
A宋書倭国伝 倭国の位置・範囲は不詳だが、日本書紀中の天皇との合致はいかにもこじつけばかり。
日本書紀の本文中に記事なし。
B隋書倭国伝 これだけは日本書紀に微妙な記事があって気になるところだが、疑問が多かった。
しかし、このスレの議論を通じて 九州のことと改めて思った。
ところで、
倭国の記事で、三国志では、女王を「共立」と書いてる。
宋書では、珍と済の親族関係の記載がない。
と言う感じで、倭国の王は「皇統」によるものではなく、連合王国の長として皆に選ばれたものと思う。
だから、@ABも血統がつながっているかどうかは不明。
>>461 私の漢文力では、ちょっとそこまでは読みきれませんが・・・
代わりに百済の官名「大率」(隋書)との関係や如何にと話を振りましょう。
>.>462
「畏憚」は取敢えず置いておきましょう。
「一大率」の設置主体が「女王」若しくは「女王國」であり、
且つ、「以北」は「女王國」を含むとのお考えなのでしょうね?
ところが「一大率」は「刺史」の如しと書かれています。
晋代の「刺史」は、基本的には地方監察官OR知事だと思います。
であれば、設置主体の本拠をも「檢察」する機関が、
「伊都國」のような遠隔の地に配置されるのは不自然だと言えます。
因みに、私は「伊都國」が「一大率」の設置主体だなどとは考えていません。
481 :
日本@名無史さん:02/11/30 00:03
>>479 >九州に独立勢力があると考えると、独自に半島や大陸と接触があったと考えるのはとても自然。
ばりばりの循環論法じゃん。
482 :
日本@名無史さん:02/11/30 00:12
>>481 ごめん。言い方難しいなあ。
九州に独立勢力があると考えるので、独自に半島や大陸と接触があったと自然に考える。
なんで独立勢力があると考ええるかと言うと、考古学的な独自性があるから。
483 :
日本@名無史さん:02/11/30 00:20
>>482 >なんで独立勢力があると考ええるかと言うと、考古学的な独自性があるから。
ないよ。あるとしたら、九州南部な。
484 :
日本@名無史さん:02/11/30 00:28
>>483 なんでやねん。弥生時期の遺跡、出土物は圧倒的に筑紫、しかも筑前に集中
しているじゃないか。
485 :
日本@名無史さん:02/11/30 00:33
>>480 >設置主体の本拠をも「檢察」する機関が
本国を検察するなんて書いてないよ。
以北に置くと書かれているだけです。
487 :
480じゃないですが:02/11/30 00:42
>>485 まあ、王は女王と伊都国王だけで、他の国は「官」が統治。で、女王国にも「官」が
存在する(しかも複数)。
だから他国の官と同じく、女王国の「官」が勝手に中国や諸韓国と通交しないように
一大率が監視している、と取れないこともない。
他の国の「官」を監視するのも一大率の役目のひとつなら、女王国の「官」についても
適用される、と考えてもそんなに変ではないと思うので
488 :
日本@名無史さん:02/11/30 01:42
>>487 女王国以北を検察するんだから、へんだろ
489 :
日本@名無史さん:02/11/30 01:46
女王国以北を検察するなんてどこに書いてある?
490 :
日本@名無史さん:02/11/30 01:58
>>488 「自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史王遣使
詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯」
注意すべきは2行目。読み下すと(一行目末の王遣使…から)
「王の使を遣わして京都・帯方郡・諸韓国に詣らしめ、郡の倭国に使するに及ぶや、
皆津に臨みて捜露す。伝送の文書・賜遣の物、女王に詣るに差錯するを得ざらしむ」
つまり「港(津)」で臨検するのが一大率の役目。朝鮮海峡に面している国が対象であることは
変じゃないと思う。
九州王朝説の人ってまだ東日流なんとか誌がホンモノだって信じてるの?
493 :
日本@名無史さん:02/11/30 10:14
原文に書いてないことをかってに決めちゃだめでしょ。
494 :
日本@名無史さん:02/11/30 10:32
491は煽り&荒らし。こういうなんでも一緒くたにする挑発には、
両派とも乗ってはイケマセヌ。
495 :
九州王朝大好き:02/11/30 10:35
>>491 九州王朝と東日流王朝は古田つながりがあるのみ。
両者何の関係もなし。
>九州王朝説の人ってまだ東日流なんとか誌がホンモノだって信じてるの?
なぜこんな疑問が出てくるの?
497 :
日本@名無史さん:02/11/30 10:44
どうしても「信じなていない」とは言いたくないが「信じている」といえば電波とバレる。
辛い立場だのう。
498 :
日本@名無史さん:02/11/30 10:59
>>495 >なぜこんな疑問が出てくるの?
東日流を九州王朝説の根拠にしてる人間がいる以上出てきて当然の疑問だが。
499 :
九州王朝大好き:02/11/30 11:22
>>498 >なぜこんな疑問が出てくるの?
>東日流を九州王朝説の根拠にしてる人間がいる以上出てきて当然の疑問だが。
東日流外三郡誌を九州王朝説の根拠にする人と、
九州王朝説を主張する人とには何の関係もありません。
あえて言うなら、一部を捉えて全体にすりかえる、
橿原一派的悪意を感じられます。
498氏が橿原一派でないと思いたいですが。
じゃ、そんな偽書は認めないとハッキリ言えばいいでしょうが。
501 :
日本@名無史さん:02/11/30 12:09
なんでそんなに言葉を濁すの?
502 :
日本@名無史さん:02/11/30 12:18
九州や、出雲、吉備、信濃、東北などにそれぞれ地方王権は存在し、
行政や大陸・半島との外交を独自に行ってきた。
しかし、その勢力はローカルにとどまり、増大した畿内の王権に破れ、
滅ぼされるか従属した。
ってことでいいじゃん。
503 :
日本@名無史さん:02/11/30 14:36
しかし畿内の王権と地方王権は基調として協調的に交流していおり、地方の王権は順次長いものに巻かれていった。
畿内の王権が半島に介入したり中国王朝と交渉をもったときも地方王権は協力的である。特定の例外的事件を除いては。
南朝に遣使した主体は考古的遺物から畿内王権であると判明している。
隋への遣使も文献、遺物の双方から畿内の王権であることが明らかである。
504 :
日本@名無史さん:02/11/30 16:04
朝鮮半島に長期間にわたって出兵するには、強力な水軍が必要だろ。
奈良の盆地にある勢力が、そんな艦隊もってるかい?
九州勢力の水軍しか考えられんよ。
九州には畿内から独立した強力な陸海軍をもった勢力があったんだよ。
505 :
日本@名無史さん:02/11/30 16:07
九州と畿内は一体だろう。出兵で撤退した後
わざわざ東国から防人を動員しているのは、つまり
九州に負担させた分の補填だと。
506 :
九州王朝大好き:02/11/30 16:07
東日流外三郡誌が偽書かどうかは、
九州王朝とは関わりのないことで、
何故両者を結びつけるのか疑問を感じます。
私にとって、東日流外三郡誌が偽書かどうかは、関心の外です。
よくわからないから灰色としておきます。
507 :
九州王朝大好き:02/11/30 16:21
>>503 >南朝に遣使した主体は考古的遺物から畿内王権であると判明している。
>隋への遣使も文献、遺物の双方から畿内の王権であることが明らかである。
そんな明らかな証拠となる考古学的遺物はどんなものでいくつあるのかね?
近畿王朝の遣隋使は無理でしょう。タイムトラベルが必要。
そんな偽文を根拠にしたらダメダメ。
508 :
日本@名無史さん:02/11/30 16:21
中国の文献に最初に登場するのが、九州北部に比定される倭の奴国だろ。
九州勢力は畿内の勢力より古くからあったんだよ。
そして武力で勝ってる。
歴史が浅くて軍事力でも劣った奈良盆地の王朝に従属するわけないだろ。
509 :
日本@名無史さん:02/11/30 16:31
最前線というか奈良盆地は司令部だったんじゃないかな。
大本営みたいな。北陸、東海に進撃路を取る場合そのあたりが
地勢的に基本かと。近江に都移ったりするのはそういう
理由だろう。北陸司令官だった継体が帝位つくのもそのへんだな。
九州は政治主体だったのでは。アテネよりスパルタの方が強い
理屈で。
510 :
九州王朝大好き:02/11/30 16:45
>九州や、出雲、吉備、信濃、東北などにそれぞれ地方王権は存在し、
>行政や大陸・半島との外交を独自に行ってきた。
>しかし、その勢力はローカルにとどまり、強大した畿内の王権に破れ、
>滅ぼされるか従属した。
その通りですね。
最初に滅ぼされたのは出雲王朝。
そして最後に滅ぼされたのは東北王朝。
九州王朝が完全に滅ぼされたのは8世紀初頭。
九州王朝を滅ぼしたことにより始めた事業、
それは、正史日本書紀の編纂。
日本書紀の編纂開始はそれ以前に正史があった証拠。
どうやらこのスレに顔を出してる九州王朝論者は
東日流外三郡誌が偽書だとは口が裂けても言いたくないようだね。
東北王朝があったそうだし、それ以前から正史があったそうだし。
>>九州王朝大好きさん
関東王朝についても言及してくれやー
513 :
日本@名無史さん:02/11/30 17:30
東北って近代まで狩猟メインの生活だったのでは?
関東は沼地
514 :
日本@名無史さん:02/11/30 17:35
>>507 4世紀の南韓から出る筒型銅器や碧玉製品など畿内系遺物。
沖ノ島祭祀遺跡の膨大な畿内系遺物。
畿内の古墳からでる多量の半島製鉄スイ。
九州をほぼ素通りで畿内に伝わる作陶技術。
北部九州の古墳祭祀に使われていた大阪産の須恵器。
強大な軍事力を表す巨大古墳と多量の武具馬具。
吉備政権との合体を示す古墳築造規格の共有。
なんか半島からの亡命者は辺境に送られるって話だったような。
当時は畿内が辺境区だったのでは。時代が下ると東国がその対象に。
516 :
日本@名無史さん:02/11/30 17:50
亡命者が辺境に巨大古墳なんか作ったら困るでしょ。
517 :
日本@名無史さん:02/11/30 17:52
どうも九州王朝説は結論を言うばかりで根拠を示しませんねえ。
それでは説得力がない。
518 :
日本@名無史さん:02/11/30 18:52
まあ、こうして議論をおってると、結局、九州王朝説には何の根拠もないってことがよくわかるね。
519 :
さいたま人:02/11/30 18:58
さいたま王朝というのはダメですか?
否定する史料はないと思うのですが。
うちにも輝かしい歴史がホシイ
>>485 >>490 「以北」には「女王國」を含むんですよね。
では、「以北に置く」のであれば当然「女王國」も管轄でしょう。
「本国を検察するなんて書いてないよ」などと言うのなら、
一大率の管轄内での職掌を踏まえた上で
何故「女王國以北に置いた」のか説明していただきたいな。
ところで、私の考えです。
「以北」は漢文法的には「女王國を含む」と考えるべきでしょうが、
陳壽は、「女王國の北側」程度の表現として使っているのだと思います。
「女王國」のすぐ北側の地域名が既出であればともかく、○○以北と表現できる
ものが無いので使えない、文脈的にはこれでも意味は通じているのでしょう。
つまり、「以北」に「女王國」は含まれない、が私の結論です。
そうなると、「筑紫國以東」の解釈にも応用できませんか?
521 :
日本@名無史さん:02/11/30 19:27
>503 畿内の王権が半島に介入したり中国王朝と交渉をもったときも地方王権は協力的である。
>505 九州と畿内は一体だろう。
本当?
証拠は日本書紀にそう書いてあるってこと?
522 :
日本@名無史さん:02/11/30 20:53
だからさ、群雄割拠の時代だったんだよ、
九州王朝、吉備王朝、近畿王朝、・・
畿内だけでも別系統の王朝が複数あったんだよ、
それを日本書紀の編者は、切り貼りして一つにつないで、万家一世の神話を創ったんだよ。
523 :
日本@名無史さん:02/11/30 21:40
それなら、倭国大乱は戦国時代だったってことでしょうか。あるいは、そういうのが
何度もあったのかな?単純に一つの国に収斂したのか、それとも数カ国が並立して、
三国志状態だったのか・・・。
いずれにしても、そのあたりのことを想像していると楽しいですね。
524 :
日本@名無史さん:02/11/30 22:20
>>520 >「以北に置く」のであれば当然「女王國」も管轄でしょう。
そんなこと書いてないものは書いてないだろう。
勝手に解釈しちゃいかん。
525 :
日本@名無史さん:02/11/30 22:36
526 :
日本@名無史さん:02/11/30 22:38
527 :
九州王朝大好き:02/11/30 22:54
>>512>>519 さいたま王朝があったかどうかはわかりませんが、
関東王朝と言っても良い政権はありましたね。
西・北関東の鈴政権。
水戸黄門のモデルとなった大王の居たひたちなか政権。
関東4地域にあった政権がどの様にかかわっていたのかはわかりませんが。
ただ南部「ふさ」の地域は8千〜6千年前は海中の島々なので、
また西部の「むさ」の地域は富士山火山灰の降積地帯で、
大きな政権は育たなかったでしょう。
大きな政権は、関東湾北部地域の鈴・蛇文化の「つけ政権」と、
東部の名君のいた「ひた政権」と思います。
>>526 女王国以北に一大率の事務所があるてことでは?
529 :
九州王朝大好き:02/11/30 23:26
>>514 >4世紀の南韓から出る筒型銅器や碧玉製品など畿内系遺物。
>沖ノ島祭祀遺跡の膨大な畿内系遺物。
>畿内の古墳からでる多量の半島製鉄スイ。
>九州をほぼ素通りで畿内に伝わる作陶技術。
半島南部と近畿の繋がりを示すだけでしょう?
九州王朝と敵対関係であった証拠では?
>北部九州の古墳祭祀に使われていた大阪産の須恵器。
ただ部分的には進んだ文化をとりいれただけでは?
近畿王朝が必ずしも文化が遅れていたとは思いません。
>強大な軍事力を表す巨大古墳と多量の武具馬具。
九州王朝は海戦を得意とした軍事力の国家です。
陸戦が得意な軍事力なら、水城のような巨大ダムを造ったりしないでしょう。
>吉備政権との合体を示す古墳築造規格の共有。
これは近畿と吉備の融和一体化を示すに過ぎません。
融和一体化の為政略結婚で吉備のお姫様が近畿へ興し入れしていますものね。
530 :
日本@名無史さん:02/11/30 23:35
>九州王朝は海戦を得意とした軍事力の国家です。
なんか根拠があるのかな?
531 :
日本@名無史さん:02/11/30 23:47
僕は今から九州王朝否定派→肯定派に変更します。
理由。
@九州王朝否定派の言うことがわからんようになってきた。
A太宰府・紫宸殿の地名問題は明らかに否定派に不利。
B多利思北孤の都=どうも九州内らしい。少なくとも畿内に持ってくるのは不可能。
C最近の考古学調査による、王朝一元的史観の崩壊。
>>531 あはは。他人の演技が下手だね。
ちゃんとした論理展開が出来ないでつまんない芝居ばっかりしてるから九州王朝説ってダメなんだ。
533 :
日本@名無史さん:02/11/30 23:56
>>531 なんちゃってもともと九州王朝のひとでしょ?
いまどき「王朝」なんて言葉を使うのは九州王朝のひとだけだよ。
534 :
日本@名無史さん:02/12/01 00:04
>>520 私の解釈は
>>490でほぼ出ているんだ。
つまり一大率は港で使者などの往来を監視し、検閲するのが任務。そしてそれらは間違いなく
女王の元に届けられるようにしているという。(…傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯)
これを読む限り、一大率は女王の直轄組織。したがってこれら一大率の検閲は他国だけでなく
女王国自身の「官」たちも含まれると思う。
つまり勝手に中国や帯方郡、諸韓国と通交したり、文物のやりとりをすることを
卑弥呼は許していなかった、ということだろう。
535 :
九州王朝大好き:02/12/01 00:28
>>530 >>九州王朝は海戦を得意とした軍事力の国家です。
>なんか根拠があるのかな?
九州王朝は、対馬から発し・壱岐へ・九州北部沿岸と発展してきた
海上交通を得意とする集団です。
海戦を得意として当然です。
又九州中南部は縄文期には火山灰降積地帯である為、
強大な陸上勢力はおこれませんでした。
ですから、九州では陸戦を得意とできる素地がありません。
近畿王朝が日本を統一でき、九州王朝が統一できなっかたのは、
この陸戦能力と海戦能力の違いによるところが大きいでしょう。
>>535 これのどこにも根拠は書かれていなんだが、
そのことすらわかってないだろうな・・・・・・・・・・・・・・
537 :
日本@名無史さん:02/12/01 00:39
九州王朝にこだわる人って、やっぱり九州人なの?
私は九州人だけど、別にこだわってないなあ。
なんか、中央に対するライバル意識で主張してるような感じだけど、
ムキになって大和政権を否定することないよねえ。
せめて何か根拠らしきものでも出してくれればね。
539 :
日本@名無史さん:02/12/01 00:49
平安時代の遣唐使の記述なんか見ると、
日本の航海術や造船技術は惨めなくらい低い・・
畿内の勢力は渡海能力をもってないんだよ。
じゃあ、半島に大規模な海兵隊を何度も送り込んでいた主体はどこか?
九州の勢力だって推察がつくでしょ・・
九州勢力の衰退滅亡と半島支配の終焉、日本の渡海能力の喪失は重なるんじゃない?
>>539 遣唐使の航路変更を知らないと見た。
しかも、平安時代だし・・・・・・・・・・
541 :
九州王朝大好き:02/12/01 00:59
>>537 私は九州政権の存在にこだわっていますが、奈良県人です。
九州王朝説みじめすぎ
古田さんの言うみたいなのはちょっと、としても
門脇さんの言うみたいなのはありかも、なんて。
ちなみに
最近見かけた邪馬台国九州説--「地名学が解いた邪馬台国」徳間書店
最近見かけた九州王朝説---「日本古代史の探求」文芸社
メズラシクナッチャッタ
544 :
九州王朝大好き:02/12/01 01:29
九州王朝ってもしあったとして王統譜みたいなのどっかに
残ってないのかな。
>>544 根拠ナシでいくのが九州王朝的発想ってこと?
547 :
九州王朝大好き:02/12/01 01:54
>>545 残っていないと思うよ。
倭の5王の様な断片が今後も見つかるかも?
近畿王朝が完全に消去してしまったからね。
今では橿原一派が隠蔽工作に必死。
どっかの誘拐(拉致)工作隠蔽と似ているねぇ。
548 :
九州王朝大好き:02/12/01 02:01
>>546 科学的推論・実証的推論を無視することが古典的発想(橿原一派敵)。
君達は法律家になるのが新しい道。
↑思わず、吹きますた。やれやれ。
根拠ナシで空想するのが科学的推論・実証的推論?
しょうがないよ。
漢王朝の歴代皇帝は実はみんな赤の他人だって主張するような人だもん。
552 :
日本@名無史さん:02/12/01 02:14
>>543 門脇氏を古田と一緒にするのはあんまりだ
すくなくとも偽書をふりまわすようなのと一緒くたではねえ。。。
554 :
九州王朝大好き:02/12/01 02:19
>>549 楽しいでしょう?
>>550 根拠とは何ぞや?
空想と推論には似たところがあるね?
>>551 私の主張ではありません。誰かが書き込んだものです。
「まちBBS」のように、IDがレスに出れば判るのだが?
557 :
日本@名無史さん:02/12/01 08:55
たしかに「九州王朝大好き氏」は漢王朝の歴代皇帝が他人だって主張している。
明らかな証拠を突きつけられて居直っただけみたいだけど。
>>528 「女王国以北に一大率の事務所があるてことでは?」
「常治伊都國」とわざわざ書いてあるので違うと思います。
私は、特設官の管轄を示していると解します。
>>534 「一大率は港で使者などの往来を監視し、検閲するのが任務。」
>>490の引用文後段を前段の補充説明と読むかどうかは別にして
「一大率」が「伊都」に常治する理由はそういうことでしょう。
「一大率の検閲は他国だけでなく女王国自身の「官」たちも含まれる」
と言うのは、どうでしょうかね。
卑彌呼は、「共立王」だと書かれています。
その「共立王」直属の機関が「伊都國」に居て「都」の「官(伊支馬、彌馬升のこと?)」より
上位の権能を有するとの主張に思われますが・・・
伊都と邪馬壹の力関係にも影響しそうですね。
やはり「以北」には「女王國」を含まないと考えたほうが説明しやすくないですか?
559 :
日本@名無史さん:02/12/01 12:02
>540
そう書けば、大和政権の水軍や公開技術が向上するのでつか?
>>559 遣唐使遭難多発の理由として、九州王朝云々は不要になりまつ。
561 :
日本@名無史さん:02/12/01 12:30
> 「常治伊都國」とわざわざ書いてあるので違うと思います。
非常時は女王国以北で伊都国以外のところに居るのでしょう?
562 :
日本@名無史さん:02/12/01 13:51
畿内は正当なる皇統が神武以来おられる地なので
他に王朝などない。
↑と、九州王朝説の馬鹿者は下手な冗談を言うのだった。
564 :
日本@名無史さん:02/12/01 14:09
九州王朝説の人はあおりが下手ですね。
565 :
日本@名無史さん:02/12/01 14:13
遣唐使遭難多発の理由が九州王朝云々というのはデマでつ。(確定)
566 :
日本@名無史さん:02/12/01 14:16
普通に考えて日向が王朝発祥の地兼聖地だろ。
567 :
日本@名無史さん:02/12/01 14:31
記紀盲信は普通じゃないね。
568 :
神の約束された地:02/12/01 14:33
九州だろう。古代の聖地を手に入れようと大友が日向に
大軍を入れたのは有名な話。
島津軍に殲滅されたという話だが。
569 :
日本@名無史さん:02/12/01 14:43
中世の話をしてもしょうがない。
570 :
日本@名無史さん:02/12/01 15:04
大友は実は神と関わりが深い。
尻の穴でも、なめてもらうかな・・・・・
精液をかけるかな?
572 :
日本@名無史さん:02/12/01 15:06
仏教伝来以前の秘密が隠されている
573 :
日本@名無史さん:02/12/01 15:17
九州王朝説はオカルト
574 :
日本@名無史さん:02/12/01 15:18
仏像破壊にかくされた真相
575 :
日本@名無史さん:02/12/01 15:28
上野西郷隆盛像にかくされた真相
576 :
日本@名無史さん:02/12/01 15:32
屋根裏にかくされた秘密
577 :
日本@名無史さん:02/12/01 16:19
謎の聖地”ムシカ”の謎。
>>561 「一大率」が「非常時」に「女王国」へ来たら何をするんでしょう?
579 :
日本@名無史さん:02/12/01 18:52
そりゃ・・・やっぱ、男あさりかな?
580 :
日本@名無史さん:02/12/01 18:53
九州王朝あったかもね。
何らかの統治機構はあっただろうから。
それとヤマト王権を結びつけるのは軽率。
またいきなり結論だけですか。ハァ・・・
582 :
日本@名無史さん:02/12/01 19:10
九州王朝説名物「いきなり結論」
583 :
日本@名無史さん:02/12/01 19:17
九州王朝説っていつも結論が先にあって理屈をあとから考えてるからね。
だから理屈を考える頭脳のない香具師が九州王朝説をやると「いきなり結論」 に。
586 :
日本@名無史さん:02/12/01 19:22
理屈って?
文献的証拠も何も無しにどう理屈を構築するのよ。
そう言うのを屁理屈という。
587 :
日本@名無史さん:02/12/01 19:24
九州地方には土人の集落が見つかってるから酋長ぐらいはいたよ。
30分でヴァカが5匹釣れマスタ。 (爆
↑五匹目
591 :
日本@名無史さん:02/12/01 19:36
九州王朝に根拠なし、で了ですな。
みなさま。お疲れ!
592 :
日本@名無史さん:02/12/01 19:46
>>591 根拠無しとするソースを示せ。
ただし、調味料はいらん。
593 :
日本@名無史さん:02/12/01 20:14
根拠無しとするソース < いくら聞いても根拠となるソースが出ない
つまりこのスレ自体がソースですな。
595 :
日本@名無史さん:02/12/01 23:38
「漢委奴国王」印が九州から出土。
後漢書に「倭奴国」が中国へ使を遣わしたとの記事がある。
これで少なくとも「倭奴国」が九州であることは明らか。根拠なしとは到底言えない。
逆に倭奴国=近畿という説に根拠のある論をいまだ見たことがない。
で、倭人伝に「漢の時朝見する者あり」と述べられ
宋書に「世々貢職を修む」とある。
後漢書の著者、范曄は南朝劉宋に仕えた人であるから、范曄のいう「倭」と、
宋書の述べる「倭」が同一であることは明らか。
つまり「漢委奴国王」印が九州から出土している以上、宋書の言う「倭」「倭王」が
九州にいたことは間違いない。少なくとも根拠なしとは到底言えない。
これに対し、有効な反論というのを今だ見たことがない。
有効な反論もしていないのに、「九州王朝の根拠なし」で押し通す事自体
信じられないのだが…
ブッ。。。
これがネタならまだ救いがあるが、本人マジだからなぁ。。。。救われないなぁ。。。。
九州王朝の同胞諸君。なんか言ってやれよ。。。。
597 :
日本@名無史さん:02/12/01 23:47
>>596 で、反論は? 出来ないんだろう?
いつもそうなんだよね。あんたたちって。
出来ないくせに、そうやって人をバカにしたフリして誤魔化す。
救われないんは、アンタの方ですな(カハハ・・・)
598 :
日本@名無史さん:02/12/01 23:49
ま、ヤマトの使者が金印に「奴」の字があるのに気づいて怒り、
志賀島沖で船から海に投げ捨てたんでしょ(プッ)
596は煽りなんだから、いちいち反応しなくてもいいよ。
599 :
日本@名無史さん:02/12/01 23:52
九州王朝説の中でもこれほとオトボケなことを言った人は初めて見た。
こんなバカな説いままで言ったひと、いる?
いなけりゃ誰も反論してないのは当然だが。
600 :
日本@名無史さん:02/12/01 23:54
>>599 だから、どこがトボケでるの指摘してみなさい。
出来ないくせに、誤魔化すな!
601 :
日本@名無史さん:02/12/01 23:55
602 :
日本@名無史さん:02/12/01 23:55
日本の熊本県が九州にあったら、日本は九州にあることになる?おばかさん。
地殻変動で志賀島まで行っちまったんだろ(ワラ)
604 :
日本@名無史さん:02/12/01 23:59
えー、今どきの九州王朝派って、全員
>>595に賛成なの?
まず、そこからはっきりさせて。
605 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:00
まあ今日はじめて出た説にこれまで反論した人がいたらヘンなんだけど。
>>595の説って以前に誰か言ったひといるの?
んー。いかに九州王朝説が根拠ないかってことを戯画化するために過激な常識派が放った強烈なジョークじゃないのか?
>>602 まったく反論の体をなしてませんな。
どう対応していいのかわからん。というか、煽り認定していいかな?
608 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:06
倭奴国が九州にあったらどうして倭国が九州にあったことになるの?
九州も倭国だったというだけでしょう?
610 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:08
そもそも倭の五王の「讃」が南朝劉宋に「司馬曹達」を遣わした時、
後漢書の著者の范曄はまだ生きていたんだ。おそらく後漢書を執筆中だと思われる。
その范曄の言う「倭」と、宋書の言う「倭」が同一であることは、当然だと思うが。
611 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:09
でも、一人も
>>595を馬鹿にするだけで、はっきり反論できていない罠
612 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:09
>>595が主張の体をなしてないんだけど、どう対応していいのかわからん。というか、煽り認定していいかな?
613 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:11
614 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:11
>>609 それは「開き直り」の論だと思われ・・・
そもそも金印は大国に送られるもので、金印が渡された倭奴国=倭国の中心であることは
当然だと思う。
「そう思わない」という方こそ、その証明が必要なはずだ。
615 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:13
>>613 そんなアホな論理をまともに聞くオヴァカさんはおらん
616 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:13
じゃ、なんで倭国王の金印じゃないの?
ま、しかしここまで九州王朝説は落ちちゃったわけね。合掌。
618 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:16
畿内から出土した物は畿内の王権の物。
九州から出土した物は、九州も日本の一部だから九州の物とは限らない。
こんなアホなことをまともに聞けっていうの?
619 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:16
それほどまでに根拠がないんだよ。
620 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:16
>>614 >そもそも金印は大国に送られるもので、
これがまずウソ。テン国は大国だったかな?
621 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:17
で、595への反論は?
622 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:20
>>618 そりゃ畿内は九州の一部じゃないから畿内から出土したものは九州のものじゃないよね。
九州に倭奴国があっても倭国が九州だけだって理由のひとつにもならない。
笑うべし。
623 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:20
>>620 南方に対する重要な藩ペイという意味では、充分大国だと思うが?
624 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:20
1世紀に倭の中心であっても、その後3世紀、5世紀、7世紀にも中心かどうかは別問題。
1世紀は「倭の奴国」が中心だが、2世紀に「倭国王」が成立し(伊都国中心とする説が多い)、3世紀の「邪馬台国」は九州としても畿内としても奴国を統制している。
卑弥呼は新たに金印をもらっているし。
ましてや5世紀、7世紀はまた別問題。
625 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:21
626 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:24
>>624 いや、だから
>その范曄の言う「倭」と、宋書の言う「倭」が同一であることは、当然だと思うが。
と書いたんだが?
少なくとも范曄は後漢時代の「倭」と、南朝劉宋に遣わしてきた「倭」が同一の物だと
認識していたはずだ。范曄は南朝劉宋の人なのだから。
627 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:25
>>625 ようするに反論できないけど、降参したくないってわけね。
628 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:29
耳をふさいで反論が聞こえないというわけだ。(藁
629 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:31
ようするに「後漢書」の読者は南朝劉宋の人だってこと。
そこに出ている「倭」と、南朝劉宋に朝貢してきた「倭」が同一であることは
当然だということ。
「違う」という方こそ、その論拠が必要なのです。
倭奴国王の金印が志賀島から出たので、そこが倭の一部であることがわかる。
どうしてそれが九州だけが倭であるという理由になるのかな?
631 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:34
ここまで間抜けな九州王朝説ははじめて聞いた。
632 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:35
宋書に後漢の「倭」といわゆる五王が、同じとは何処にも書いてない。
後漢書の中さえ、「倭の奴国王」から「倭国王師升」から「大倭王の居る邪馬台国」と三つの変遷がある。
原典をよく読みなさい。
「倭」や「倭国」の代表(王)やその領域、範囲が全く変化せずに同一のままであると、断定しては読めない。
おおまかな範囲、種族として「倭」を捉えているに過ぎない。
633 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:36
>>630 正倉院はなんで奈良にあるのかな? 九州や他の所に立てても良さそうなのに(皮肉)
634 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:38
>>633 バッカだなあお前。(藁
太宰府天満宮にでっかい御蔵があるのは福岡だったら小学生でも
知ってるぞ(藁
九州王朝説もうだめぽ
636 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:42
>>632 別なら「別です」と書くのがすじでしょう。
現に「司馬曹達」が遣わしてきた、その時代に生きた人々が読者なのだから。
同じ「倭伝」に書いているということは、倭奴国王→倭国王師升→大倭王の居る邪馬台国
が同じ国の王だと認識してのこと。また読者(宋の人)もそう読むでしょう。
おまけに「国、皆王を称し、世世統を伝う」とまで書いているのだから。
普通に読めば、世世統=倭奴国王〜大倭王 としか理解出来ない。
637 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:47
>>636 あなた、普通に読めてないよ
なんで倭の奴国が邪馬台国と同じ国なのさ
魏志倭人伝では別の国でしょうが
ついでにどちらも倭国の一部であって倭全体ではないでしょうが
ほんま訳分からん
638 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:47
理解力が足りないから。
639 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:49
>>636 原文なんか読んだことないんだろうな・・・
640 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:50
つまり、「後漢書・倭伝」を読んで、ごく最近、南朝劉宋の朝廷に倭国から遣わされてきた
「司馬曹達」を思い出さない読者(宋の人)は、まずいなかったはず。
「後漢書」とは、そういう時代の書物なのだ。
641 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:51
だから何?
642 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:53
>>637 倭の奴国? 俺はずっと「倭奴国」と言ってきたのだが?
そもそも金印とは倭の「奴国」などの小国に送られる物ではない。
ましてや、倭人伝の奴国には王なんて存在すらしないじゃないか。
「漢」の「委」の「奴」国王、という三段読みはすでに崩壊しているんだが?
643 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:55
>>642の補足
三段読みの印、というのが中国から夷蛮国に送られた、という実例自体が存在しない。
644 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:55
崩壊していません
もっとも、関係する論文なんて一つも読んでないのだろうけどね
645 :
日本@名無史さん:02/12/02 00:56
「後漢書・倭伝」の元ネタの魏志を読んで奴国と邪馬台国が同じと思う人もまずいなかろうね。
>>642 >そもそも金印とは倭の「奴国」などの小国に送られる物ではない。
二万戸もあれば十分ざます。
647 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:00
>>643 匈奴に送られた印は全て三段読み。こんなことは東洋史では常識。
まあネタは古田本だけだろうから同情しますが。
648 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:00
史学の常識があったら九州王朝とか言わないけどね
650 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:02
>>646 女王国の配下、というだけですでに小国だろうに。
小国という言い方が悪ければ、「陪臣」とでも言うか。
そんな夷蛮王の「配下」に金印が送られた実例を一つでも示してみなさいな?
そもそも奴国に王は存在しない。
651 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:05
>>650 あのね、1世紀には女王国ないし邪馬台国はまだ無いの。
1世紀に王がいて、倭を代表したが、3世紀には女王の配下になったということだろ。
反論になってないよ。
652 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:08
>>647 「右賢王」「悪適尸逐王」などと言うのが三段読みの実例、などと言い出したら、笑うぜよ?
これはあくまでその単于自身の称号であって、当然ながら匈奴全体を支配下に置く王である。
653 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:09
おまえ等、僅かな資料だけで良くそんなに妄想をふくらませて
議論もどきに興じてられるな。
おめでたいことで。
>>652 ああ!そこまで無知なのね。もう笑いもの。
655 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:12
「右賢王」「悪適尸逐王」が匈奴全体を支配下に置く王???
もうびっくり仰天。東洋史がひっくりかえる新説!(いや珍説)
656 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:14
>>651 反論になってないのはそっちの方ですよ。
奴国王が滅んで、女王国の配下になったなんて、
魏志倭人伝の「奴国」にそんな記事は一字もない。
後漢書倭伝にもない。ないないずくしでっせ。
657 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:15
>>651 こいつ(650)魏志も後漢書も読んでないんだよ。
相手にしてても虚しいよ。
658 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:15
>>652 その自称は匈奴の中での部族名。
倭の奴の国王も、「奴」は「倭国」のなかでの小部族国家名。しかし、倭の盟主と主張し、それを漢も認めたということ。
ただし「倭国王」の成立は107年。その前は一小国(といっても「百余国」の中では大国ですが)が「倭」の盟主として代表していたに過ぎない。
九州王朝厨房の読み方は恣意的な読み方。
659 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:16
あ、いや、国名ではない、ということだ。
三段国名の実例ではない、ということが言いたかったんで。
660 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:17
661 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:18
>>658 しかし、漢の時に金印もらった「奴国」はいま女王国の支配下です、という記事が
倭人伝にも後漢書にも見えないのは、オカシイと思うが?
662 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:19
>>660 倭人伝の奴国に王が存在しないんだから、そういうことだろうが。
「右賢王」「悪適尸逐王」が匈奴全体を支配下に置く王ってのは笑った。
664 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:22
>>662 それなら、倭人伝に「奴国王が滅んで、女王国の配下になった」って書いてあるって意味だね?
665 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:24
それでも、後漢書を読んだ読者(宋の人)が、その中の「倭」を見たとき、
最近宋朝に倭から遣わされた「司馬曹達」を思い出さない人はおらん、という
ことの反論にはなりませんが?
当然、後漢の倭奴→邪馬台国・大倭王→倭王讃、という図式は崩せそうにないですが?
666 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:26
>>664 じゃあ、倭人伝に出てくる2つの「奴」のどっちが漢の時代の「奴国王」の国だったんだ?
667 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:30
>>665 思い出したって倭と倭奴国とは同じだなんて思うわけないじゃない?
後漢の倭奴→邪馬台国・大倭王→倭王讃なんて図式は最初から無い。
668 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:33
ごちゃごちゃいわんでも、
ある一時期、奈良に日本の都があったから、
現在の日本の首都も奈良だ、
というやつは、“奈良府へ逝ってよし”つうことだな。
669 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:34
イメージとして邪馬台国・大倭王→倭王讃はOKだろう。
670 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:36
というわけで九州王朝説になんの根拠もないことがまた「誇示」されました。
ホント、二つの奴国についてはいい説を聞きたいな。
今日の多レスの発端の595を馬鹿にしている人は
倭奴国が近畿にあったと言ってる人もいたみたい。すごいね。
その頃の王権は九州だったろうことは
あのおにりん氏でさえ言ってるのにね。
672 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:39
>>667 そんなはずないでしょう。
著者が「倭王讃」の存在を知らなかったとは到底考えられない。
また、後漢書を読むほどの知識人(宋の人)で、「倭国」から「司馬曹達」が
遣わされた、ということを全く知らないというのも考えられない。
著者は「倭伝」を書くとき、読者がその時代の「倭国」を思い起こすことを
当然のことと認識していたはずだ。
673 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:43
>>671 もっとバカにされたいみたいだな。
>倭奴国が近畿にあったと言ってる人もいたみたい
そこまで露骨な捏造やらないと九州王朝説はモタないわけね。
>>672 こうつマダ倭奴国と倭国がこんがらがってます。笑ってやってください。
>>671 漢の歴代皇帝が血の繋がってない他人だと思ってる九州王朝説の人は実在するけど
倭奴国が近畿にあったと言ってる人は実在しないねえ。
676 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:49
無知と捏造が九州王朝説のすべて。
ま、しかし
>>595は近来まれに見る馬鹿だった。
これほどのものは今後もそうそう拝めまい。
678 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:51
反論は煽りばかりになってしまったか・・・
正直、
>>673>>676みたいなのをマトモに相手にしたくないしな。
お一人、まともな方がいらっしゃったと思うのだが・・・。
>>677などの煽りを見る限り、
>>595は「反・九州王朝」派にとってはよほどの
致命傷だったんだろうな。
ここまで来ても、まだ有効な反論が出てこない・・・
あんまり馬鹿すぎるとマトモに相手してもらえないものだよ。
>>679 論理の破綻を付かれた
>>595は自閉症的自画自賛モードに入ってしまいました。
おかわいそうに。
すまん、ささっと読んだので598ジョークをホントに受け取った。
>>680 泣いてるの? 悔しいんだろうねぇ・・・ ご愁傷様・・・
684 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:58
>>671 ところで
>倭奴国が近畿にあったと言ってる人もいたみたい
という捏造行為の責任をどう取るかね?
685 :
日本@名無史さん:02/12/02 01:59
>>679 有効な反論をいくらしても、デムパな九州王朝派が同じこと繰り返すだけだから。
サイトジョンイルクンと仲良くしたらどうかな。
686 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:01
しかし倭奴国と倭国の区別がつかないというのは致命的だな。
687 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:01
>>682 昔、それを大まじめで論じていた学者がいたらしい。
あまりにもバカバカしすぎて名前覚えてないが。
しかし、そうでも言わないと「漢委奴国王」はヤマトに持ってこれないみたいでね。
あとね「安徳天皇」が逃げていくときに、志賀島沖で取り落とした、とかね(笑)
688 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:02
↑こいつまだ捏造してる。
実在しない説をでっち上げ、批判して勝利宣言をする。
九州王朝説戦略の基本です。
690 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:04
藤村君の友達ですか?
倭国については、隋書が「古の倭奴国」と言い、旧唐書も「古の倭奴国」と言っているのだから
倭国=倭奴国という理解は妥当だと思う。
しかしどの時代の史料を取っても、倭奴国=奴国 という記述はない。
692 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:09
倭奴国が近畿にあったとか言ってる人間なんていもしないのに
あたかも相手がそう言ってるようなフリをしてそう連呼して
演技で反論してみせるわけよ。
でも傍からみると突然発狂したようにも見えちゃう。
693 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:12
>>691 それ電波。倭奴国は倭国の極南界(後漢書)
694 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:13
隋書や旧唐書の記述は、倭国の冊封がここから始まることを中国側からの視点で強調しているだけ。
倭国内での王権(代表権)の起源や推移を述べたに過ぎない。まあ、倭国側の自称ということもありうるが。
そのことと、倭国=倭奴国ということは異なる。
どっちにせよ
「倭の五王は九州の王だ!なぜなら倭奴国の金印は九州からでた。」
なんていわれて納得したら、それはよほど知能の低い人物だ。
しかし「後漢書・倭伝」には、倭奴国と邪馬台国・大倭王が別ものです、とはこれっぽっちも
書いてないよ?
魏志倭人伝に「漢の時朝見する者あり」とし
後漢書倭伝に「使訳漢に通ずる者三十許国・・・」とあり
宋書倭国伝に「世々貢職を修む」とあるのは、みな同じことを述べていると思うが?
>>527 遅レスですみませんが
初めて聞く話なので、本やHPを教えてくださると
嬉しいです。
699 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:24
明史の日本国王こと義満も倭奴国王で邪馬台国王ですね。
なぜって、別ものですとは書いていませんよ
文字よめる?
702 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:28
風が吹けば桶屋が儲かるみたいだ
>>699 明史の執筆者は誰で、何時代の人間なんだよ?
少なくとも「南朝劉宋」は、漢→魏→晋(東晋)を禅譲で引き継いだ朝廷だよ。
明朝では話の根本からして違う。
九州王朝説になんの根拠もないことがよくわかったろう。
>>704 ああ、「反・九州王朝」派は煽りばっかりってことが、改めてよ〜くわかったよ。
1人だけマトモにレス返して下さった方がいたのに。
煽りばかりで呆れたのかな?
706 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:36
倭奴国が邪馬台国だという結論がいつのまにか根拠にスリ替わってるわけですね。
707 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:36
>>707 皮肉ってのは論理が破綻しては意味ないんだよ。
ようするに
>>699は皮肉にすらなってないってことを返したまでだ。
709 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:40
>>706 少なくとも「後漢書」の著者は倭奴国→邪馬台国という認識で「倭伝」書いているってこと。
710 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:44
>>708 論理の破綻振りを皮肉られてるんですが…
711 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:45
出発点が空想なんだね
713 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:47
後漢書どう読んでもそう読めないが。
>>709 それこそ「同じ」ッて書いて無い。別の国の名で書いている以上、違う国だろ。
あと、倭国(倭)と倭奴国、邪馬台国との間の包含関係を整理したら認識が変わると思うが。
マトモなレスをしてた人は、九州王朝厨房があまりにも自家撞着的、循環論法だから呆れたのだと思いますが。
「倭奴国が近畿にあったとか言ってる人間」とかいうのを捏造した責任はとらないの?
715 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:56
>>713 南朝劉宋は、漢→魏→晋(東晋)の後継王朝。
その南朝劉宋に仕えた人・范曄が「後漢書」の著者。
その中で漢に朝貢した「倭奴国」「倭国王帥升」、魏に朝貢した「邪馬台国・大倭王」と
述べていれば、それは特に断り書きがない限り、「宋朝」に使者(司馬曹達)を遣わした
「倭国」と同一王朝である。
読者(宋の人)は後漢書を読めばそう理解するしか無い。
後漢書の読者は「南朝劉宋」の朝廷に仕える人々だってことを忘れてないかい?
716 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:02
肝腎の『宋書』には倭奴国のことが書かれていない。
宋書は梁になって編纂されたが、上表文とか将軍号授与などのように、基本的に宋の正式記録に基づく。
ところがそれに倭奴国のことが書かれていない。
むしろ隋書が、いままでの史書を動員して、勝手な解釈を付け加えたのが真相だろう。
>>715のようなら、肝腎の宋書に倭奴国についての言及があるはずだ。そうではないのにそのようなこと言うのは、いらぬ深読みである。
717 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:13
>>716 「宋書」には「世々貢職を修む」とありますが?
これが「魏志倭人伝」「後漢書倭伝」に書いてある「倭奴王」「邪馬台国」「大倭王」
などど同一王朝であり、「倭王讃」がその後継王朝であることは当然でしょう?
何度も言うが、南朝劉宋は漢→魏→晋(東晋)の後継王朝。
で「宋書」を書いた沈約は宋の後継王朝の斉→梁に仕えた人。
宋書の「世々貢職を修む」が漢→魏→晋(東晋)へ朝貢した「倭」と同一であることは
当然だと思うが?
「宋書」の読者は、ほとんどが宋代生まれか、両親が宋代の人なのだから。
718 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:18
あのねえ、名称がころころ変わるのに、同一王朝なのはおかしいんとちゃう?
「倭」という中国からみた地域名、種族名が同一ということに過ぎないんじゃないの。
720 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:25
壬申の乱で勝利した天武が、敢えて新王朝を宣言し、国号を「日本」に、王号を「天皇」にしたと考えられます。
それとは別に、717の言ってることは「同一王朝」の証明にはなっていないと私も思います。
721 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:29
邪馬台国は畿内にあったんだよ!
そして大和朝廷になったの!
筑紫や吉備、出雲は大和の地方機関で、独自の王権などはなし!
なぜ九州王朝説の奴らはこんなことがわからないんだ!
722 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:33
>>718 後漢書の著者は、手にした史料に「倭奴国」とあったからそう書いた。
そして同じく「倭国王帥升」とあったからそう書いた。
また「邪馬台国」とあったから、その通り書いた。
それらが「同一王朝」という認識があったから、倭伝の中で何の断りもなく
続けて書いたのだろう。
その「認識」とはどこから得たか?
後漢書の著者・范曄は「司馬曹達」の入朝を実際にその目で見た人物である。
そして、范曄自身がそれら倭使と接したか、少なくとも実際に接した人物から
情報が得られたのである。
宋代に書かれた「倭伝」が、宋代に朝貢した「倭国」と同一だと理解するのは、
当たり前の理解だと思うのだが?
723 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:33
>>筑紫や吉備、出雲は大和の地方機関で、独自の王権などはなし!
九州王朝説には辟易としますが、このような大和一元論にもついていけません。
私も邪馬台国以来、倭王は畿内に居たと思いますが、
>>721は言い過ぎだと思います。
724 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:35
>>722 書いていないものをあったと言うのは、あなたの師の古田先生も吃驚の詭弁ですぞ。
そんなこと言い出したら何でもありですよ。
725 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:37
「宋書」の中の指摘です。(
>>717などを受けての発言ですので、訂正しまつ)
後漢書の方は、ただ単に先行して成立した魏志倭人伝を参照して付加しただけのこと。
倭の五王のことは別問題です。あと「倭国」として同一でも、王朝がずっと同一とか、都がずっと同一とか、そういうことにはならないでしょう。
727 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:44
>>723 寝ぼけてんじゃネーよ
どこが言いすぎなんだよ!
728 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:45
>>726 ああ、そうですね。
「倭王讃」の倭国が、「倭奴国」「邪馬台国」の後継王朝ってことはアリだと
私も思っています。つまり「禅譲」ってヤツね。
宋が、漢→魏→晋(東晋)の後継朝廷っていう意味と同じ意味での「後継王朝」なら、
アリでしょう。当然、都の所在も必ずしも同一ではないですね。
729 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:46
>>722 > 後漢書の著者は、手にした史料に「倭奴国」とあったからそう書いた
おまえ、その現場見たのかよw
730 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:47
>>727 それじゃああなたは記紀の記述を全て信じる厨房ですな?
そういう極端な説があるから九州王朝のような極端なアンチテーゼが生まれるのですよ。
731 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:47
邪馬台国は畿内にあったんだよ!
そして大和朝廷になったの!
筑紫や吉備、出雲は大和の地方機関で、独自の王権などはなし!
なぜ九州王朝説の奴らはこんなことがわからないんだ!
732 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:52
733 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:57
>>729 九州王朝説はデタラメですが、後漢書を書くにあたって、後漢に関する先行史書や史料があったはず。
それらを見て編纂したのは当たり前。
問題は、後漢書の「大倭王=邪馬台国」に関してであり、これは三国志魏志倭人伝からのパクリではないかと推定されている。
本来の後漢の史料には無かった可能性の高い邪馬台国について書かざるを得なかったのは、倭の五王たちがこれの後継を自称していたからかもしれない。
ただし私は九州王朝厨房と違って、これがあくまで憶測であることを述べておきたい(自称していた云々が)。
734 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:58
九州王朝論は信じないけど、大和(畿内)以外に地方王権が複数あった
というのは、俺的にはOKだなあ
特に古代全てを一つの論にまとめるのは決定的証拠がないと危険だ
統一王朝までの過渡期には、いろいろな国家形態が存在しただろうし
統一後も叛乱者が一時的な王権を打ちたてることはあり得る
対馬なんかは、江戸時代までは日本とは別の独自外交を行い、朝鮮と
日本に両属した一種の小国家だったことを思えば、
九州王朝もALL or NOTHINGじゃなくて、いろいろな解があってもいいな
735 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:04
>>734 いろいろな解?
おまえはバカか?
そんなことだから九州王朝説のような基地外がこの日本史板にはびこるんだよ
最初から倭人純血の統一王朝に決まっているだろうが!
そして半島や大陸とは対等に交流してたんだよ!
地方王朝や天皇渡来人説のような妄言を書く奴は日本史板に来る資格なし!!!
736 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:05
737 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:12
>>735 ヤマトの使者は金印に「奴」の字が入っているのに怒り、志賀島沖で海に投げ込んだんだよね。
738 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:13
>>737 ちがうよ、安徳天皇が落ち延びる際、船から取り落としたんだよ。
739 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:16
なんだこの金印は! 『奴』という字が入っているじゃないか! 失敬な!!
よし、海に投げ込んでしまえ!!
・・・・・ポッチャン!
740 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:17
ラーメン食いたいな
博多とんこつで九州王朝の妄想にでもひたりつつ・・・
741 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:18
「奴」じゃなくて2チャン風に「香具師」と書けばよかったのにね!
「漢倭香具師国王」!!
742 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:32
「魏志倭人伝」「後漢書倭伝」「宋書倭国伝」「南斉書〜」「梁書〜」など、
みんな倭国について、「代々ずーっと中国の天子に朝貢してきた」という文章が
あるんだよね。
北朝系の隋唐朝ですら、「隋書倭国伝」「旧唐書倭国伝」では同じような論調で
書かれている。(世々中国と通ず・等)
しかし旧唐書「日本伝」だけは違うんだなぁ、これが。
「日本国は倭国の別種」とあり、「日本はもと小国、倭国の地を併わせたり」
とあり、しかも「入朝する者多く自ら矜大、実を以て対えず。故に中国これを疑う」
とあるからね。
唐朝からウソツキ呼ばわりされている日本国=天武・持統朝なんだよな。
743 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:56
旧唐書の倭国が筑紫倭国、日本国が畿内大和国
744 :
日本@名無史さん:02/12/02 04:57
中国正史の中の日本
王朝 撰者 書名 巻次 伝・志名 呼称
--------------------------------------
南朝宋 范曄(398-445) 御漢書 115 東夷 倭
西晋 陳寿(233-297) 三国志 30 東夷 倭人
唐 房玄齢(578-648) 晋書 97 東夷 倭人
南朝梁 沈約(441-513) 宋書 97 夷蛮 倭人
南朝梁 蕭子顕(489-537) 南斉書 58 東南夷 倭国
唐 姚思廉(?-637) 梁書 54 東夷 倭
唐 李延寿(?) 南史 79 夷貊下 倭国
唐 李延寿(?) 北史 94 (四夷) 倭国
唐 魏徴(580-643) 隋書 81 東夷 倭国
五代晋 劉狗[*1](887-946) 旧唐書 199上 東夷 倭国・日本
宋 宋祁[*2](998-1061) 新唐書 220 東夷 日本
元 脱々(1314-1355) 宋史 491 外国 日本国
明 宋濂(1310-1381) 元史 208 外夷 日本国
民国 柯劭 (1850-1933) 新元史 250 外国 日本
清 王鴻緒(1645-1723) 明史稿 196 外国三 日本
清 張廷玉(1672-1755) 明史 322 外国 日本
民国 趙爾巽(1845-1927) 清史稿 164 邦交六 日本
民国 張其均[*3](1900- 清史 159 邦交六 日本
745 :
日本@名無史さん:02/12/02 05:05
>南朝宋 范曄(398-445) 御漢書 115 東夷 倭
おい! ハナっから間違えてるがな!
746 :
日本@名無史さん:02/12/02 05:32
>>595以下のレスを読んでここまで来て・・・
やっぱ九州王朝はあったっぽい。
747 :
日本@名無史さん:02/12/02 05:43
漏れもそう思えてきた。いや、別にどちらが説得力あるとかじゃなくて、すぐに
全部無かったとか妄想とかキチガイとか言われると、返って何かあるのか?と気
になってしまう。そんな言葉以外で、まともに答えてる大和説の人おらんし、そ
れが学問的姿勢と言うにはいささか気が引ける。
748 :
日本@名無史さん:02/12/02 06:33
しかし九州王朝説がいかに根拠がないかが浮き彫りになったやりとりだなあ。
>>746 >>747 つまんない演出は笑いを誘う。そういうことだから九州王朝説は信用されないんだ。
750 :
日本@名無史さん:02/12/02 06:53
しかし
>>595は久しぶりに笑えた。
あの論理的破綻ぶりを九州王朝説の誰もが気づかないでいるとは。
笑った後にすこし怖くなった。
751 :
日本@名無史さん:02/12/02 15:03
そうだぞ。金印は近畿に運ぶ途中で紛失さたに違いない。
島だしな。これ決定。近畿に決定であり。王朝っていうやつは
いないのだ。
752 :
日本@名無史さん:02/12/02 16:40
最近の古田氏の本よくしらないんだけどさぁ、
595の論理が全くそうなの?
昔はベストセラーで面白かったけどな。
なんでみんなとケンカばかりしてるのかねぇ。
753 :
日本@名無史さん:02/12/02 18:15
747だが?
仕事帰ってきて、よっこらせとカキコロムったら、これやし。漏れは746の人とは
違うのに、なんでそんなこというかね。演出なんかじゃないってのに。
まあ、あやまれっていって謝るヤシじゃなさそうだが、すぐこういうRESする馬鹿
がいるから畿内説がいやになったてのに。だって、YAHOOとか他の掲示板でもす
ぐに根拠も示さずに九州説や他の説を馬鹿にする連中が多くて、閉口するよな。
754 :
ヒステリ〜ひすとり:02/12/02 18:36
高天原は九州だがらやはり王朝ぐらいはあったしょ。
755 :
日本@名無史さん:02/12/02 18:54
>>751 また九州王朝説のうそつきは、あたかも相手が「倭奴国が畿内にあった」と言ってるようなでっち上げをしてるよ。
ほんとに捏造がすきだね。
756 :
日本@名無史さん:02/12/02 19:00
>>753 根拠をきっちり示したうえで無学とか白雉とかとても馬鹿にしてますが、何か?
>>753 どうでもいいが、ロムの意味知ってるか?
しらねぇ言葉、無理して使わないほうがいいぞ。
758 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:04
だから、その根拠が正しいかどうかの本質的な証明も出来ない現状で、無知とか白雉とか
言っていいのか。だから馬鹿にされんだろうが。
九州王朝説は捏造とお芝居の繰り返し。
760 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:11
761 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:14
みえみえの捏造なんかやったら馬鹿にされるよ。九州王朝さん!
762 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:19
だから、何が捏造だよ。陰湿だな。
763 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:20
764 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:24
捏造は明らか。
九州王朝説は繰り返し相手が「倭奴国が畿内にあった」と言ってるようなでっち挙げを行なっている。
陰湿も陰湿、卑劣も卑劣。じつに悪質。
765 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:35
それは、俺じゃないって。そいつのしてることはつまらないと思うよ。
でも、ひとくくりにしないでくれよ。
766 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:48
>そいつのしてることはつまらないと思うよ。
これ、みんな『そいつ』一人のしわざ?
| 595 :日本@名無史さん :02/12/01 23:38
| 「漢委奴国王」印が九州から出土。
| 後漢書に「倭奴国」が中国へ使を遣わしたとの記事がある。
| これで少なくとも「倭奴国」が九州であることは明らか。根拠なしとは到底言えない。
| 逆に倭奴国=近畿という説に根拠のある論をいまだ見たことがない。
|
| 598 :日本@名無史さん :02/12/01 23:49
| ま、ヤマトの使者が金印に「奴」の字があるのに気づいて怒り、
| 志賀島沖で船から海に投げ捨てたんでしょ(プッ)
|
| 671 :日本@名無史さん :02/12/02 01:38
| 今日の多レスの発端の595を馬鹿にしている人は
| 倭奴国が近畿にあったと言ってる人もいたみたい。すごいね。
|
| 687 :日本@名無史さん :02/12/02 02:01
| しかし、そうでも言わないと「漢委奴国王」はヤマトに持ってこれないみたいでね。
| あとね「安徳天皇」が逃げていくときに、志賀島沖で取り落とした、とかね(笑)
|
| 737 :日本@名無史さん :02/12/02 04:12
|
>>735 | ヤマトの使者は金印に「奴」の字が入っているのに怒り、志賀島沖で海に投げ込んだんだよね。
|
| 751 :日本@名無史さん :02/12/02 15:03
| そうだぞ。金印は近畿に運ぶ途中で紛失さたに違いない。
| 島だしな。これ決定。近畿に決定であり。王朝っていうやつは
| いないのだ。
767 :
日本@名無史さん:02/12/02 21:28
まとめてみると、そういう感じはするが?
それで、漏れに何を聞いてるの?
ひとくくり
769 :
日本@名無史さん:02/12/02 21:36
>>753 随分早いご帰宅だね。
役場のヒトですか?
770 :
日本@名無史さん:02/12/02 22:41
最近は残業もさしてくれないのよ(泣)。
このスレは、日本史板の恥部だね、板自体も2chの恥部と言われて久しいが・・・
昨日の無駄レス合戦の犯人は3人と見た。
変形古田オタ1人(ジョンイルと同一人と思われる)
厨房レベルのウヨ1人
九州説厨房萌えーの粘着1人。
あと、野次馬も何人かいたのかな?
772 :
日本@名無史さん:02/12/02 23:27
でも、邪馬台国スレよりはましと思われ。
(う○ことかち○ぽのAA、どうにかしちくり〜。)
773 :
日本@名無史さん:02/12/03 00:30
初心者から質問
大和、出雲、吉備、筑紫の支配者層または国民の民族・人種って違うのですか?
774 :
日本@名無史さん :02/12/03 02:53
日本に王朝が出来たのは何時なのでしょうか
775 :
日本@名無史さん:02/12/03 03:05
>>774 一万年前に富士山の麓に古代文明があったらしいよ。
住人の身長は1メートルくらいだったらしい。
ここんとこ九州王朝否定論者って、もはや見境なくって感じなんだよ。
必死というか、痛すぎというか・・・
>>595について有効な反論をすることなく、捏造、厨房などと言いたい放題。
もうアホかと…
ちなみに上の
>>746のレスは俺だよ。
>>747の人は別の人。
だいたい、たとえ同一人物のジサクジエンだったとしても、そんなことあげつらって
指摘する以外に、他に九州王朝説には反論できないんか?
>>595にまともに
反論出来ないんか?
お前ら、マジで痛すぎるぞ?
777 :
日本@名無史さん:02/12/03 05:28
ねぇねぇ、ここ見てて思いついたんだけど
悪意はなくて、倭奴国が大和にあったって可能性ないかな。
いやさ、倭奴が「わのな」か「いど」かって論あるの知ってるよ。
で、イトとヤマタイとクナに王がいるでしょ。
イトはヤマタイの軍門に下ったって感じ。
で、大和には出雲系の神様がやたら多いじゃん。
もしかしてイトはイズモで、国譲りさせられたってことはないのかな。
そういやクナはいつ王と認められたんだっけ。
名前似てるから同じような民族だと思うんだが。
779 :
日本@名無史さん:02/12/03 07:02
>777
ラッキーナンバーゲット!ですね。一応そういう説もあるにはあるが、流石に畿内説でもほとんど
見ないようです。伊都国は良くても、邪馬台国となると違うようで、私には単にどちらも古代の国
としか思えませんし、伊都国も相当に栄え、王がいたような所ですから、同じだと思いますがね。
>で、大和には出雲系の神様がやたら多いじゃん。
もしかしてイトはイズモで、国譲りさせられたってことはないのかな。
これ、確かに不思議ですね。国譲りの対象がどこかは諸説ありますが、確かに地名類似の多い九州
とともに、出雲との関係も相当に深かったと思います。まあ、最近の発掘成果が現れるまでは、出
雲王権も馬鹿にしていた畿内説の人も少なくなかったということは、忘れませんが。
780 :
九州王朝大好き:02/12/03 07:11
橿原一派はあいも変わらずグズっているね。
橿原一派よ、奈良・橿原から出て行け。
奈良・橿原の土民である、九州王朝大好き より。
↑ツチグモとして神武天皇に討伐されたりして。
782 :
日本@名無史さん:02/12/03 14:29
もうひとくくり
| 595 :日本@名無史さん :02/12/01 23:38
| これに対し、有効な反論というのを今だ見たことがない。
|
| 611 :日本@名無史さん :02/12/02 00:09
| でも、一人も
>>595を馬鹿にするだけで、はっきり反論できていない罠
|
| 679 :日本@名無史さん :02/12/02 01:54
|
>>677などの煽りを見る限り、
>>595は「反・九州王朝」派にとってはよほどの
| 致命傷だったんだろうな。
|
| 776 :日本@名無史さん :02/12/03 04:22
|
>>595について有効な反論をすることなく、捏造、厨房などと言いたい放題。
| もうアホかと…
|
>>595にまともに反論出来ないんか?
| お前ら、マジで痛すぎるぞ?
本人っぽいね。
784 :
日本@名無史さん:02/12/03 16:15
これは痛い
785 :
日本@名無史さん:02/12/03 17:00
捏造や自演は愛嬌としても
九州王朝説に根拠はないのかと散々叩かれて、たったひとつ出てきたのが
漢倭奴国王の金印が九州から出たから倭の五王は九州だーでは
ちょっと寒すぎるだろう。
786 :
日本@名無史さん:02/12/03 19:34
まあ、いずれにしても、今城塚今更ほって大騒ぎしてる程度だから、目くそ鼻くそを笑う程度の
話。天皇陵、参考陵墓の発掘が進まないと、どちらも偉そうなこといえん罠。
787 :
日本@名無史さん:02/12/03 20:16
アナタずれまくってますね。
しかし継体の墓って磐井の墓の4倍面積あるんだね。
789 :
日本@名無史さん:02/12/04 00:57
>>742 >しかし旧唐書「日本伝」だけは違うんだなぁ、これが。
>「日本国は倭国の別種」とあり、「日本はもと小国、倭国の地を併わせたり」
>とあり、しかも「入朝する者多く自ら矜大、実を以て対えず。故に中国これを疑う」
>とあるからね。
得意げに書いてる人がいるけど、『唐会要』ってご存知?『旧唐書』とほぼ同時期に
書かれた中国史書だけど、やはり倭伝と日本伝に分かれてて、どちらにも大和王権の朝
貢記事が載ってるよ。
790 :
日本@名無史さん:02/12/04 04:41
良く知らないのですが、「唐会要」と「旧唐書」それぞれの出典や史料批判などは、
どうなるのでしょうか?どなたかご存じの方、ご意見キボン。
多利思北孤が開皇二十年に隋に使者を送ったことが、日本書紀に書かれていないのは
何故なの?
また、日本書紀には「隋」でなく「唐」となっているのは何故?
隋書には「小野妹子」も「蘇因高」も出てこないかわりに、「阿輩臺」「可多毘」という
日本書紀にない人名が出てくるのは何故?
そもそも男であり、太子「利歌弥多弗利」がいる多利思北孤を「推古」や「聖徳太子」に
当てるなんて変じゃないか?
792 :
日本@名無史さん:02/12/04 06:01
>多利思北孤が開皇二十年に隋に使者を送ったことが、日本書紀に書かれていないのは
何故なの?
隋皇帝に馬鹿にされて返使も来なかった失敗外交なので。
>また、日本書紀には「隋」でなく「唐」となっているのは何故?
あまり正確な国号にこだわらず、南朝系は「呉」、北朝系は「唐」で俗称してるので。
>隋書には「小野妹子」も「蘇因高」も出てこないかわりに、「阿輩臺」「可多毘」という
>日本書紀にない人名が出てくるのは何故?
誰のことを書いて誰のことを書かないかは隋書の自由なので理由はとくに不要。
>そもそも男であり、太子「利歌弥多弗利」がいる多利思北孤を「推古」や「聖徳太子」に
>当てるなんて変じゃないか?
「利歌弥多弗利」は多利思比孤の息子の名前じゃないので変じゃない。
>>792 多利思北孤=推古→男?女?
多利思北孤=聖徳太子=倭王? 利歌弥多弗利=山背大兄王?
794 :
日本@名無史さん:02/12/04 06:47
推古紀じたい後から書き直された形跡があるからなあ。
隋書が日本書紀と合わないから云々って議論には根本的な欠陥がある。
795 :
日本@名無史さん:02/12/04 07:19
>>1さん
私は障碍歴約40年の男です。前からこのホームペイジを見ていて不思議に思い
また、憤りをおぼえていた者です。
この掲示板では、feelさん、前の大野氏いずれも障害者としての正当な権利や意
見の主張をしたに過ぎず、それを受け入れないばかりか他の主張も、健常者に媚
び諂い、同じ障害者を援護するどころか、貶めている傾向がある。
過去と現在の障碍者を取り巻く扱いは明らかに不当であり、差別であった事は
火を見るより明らかな事実であってそれを改善するという正義の革命は
今以上に性急に行わねばならない障害者の権利は、これを健常者が無条件で
受け入れねばならず、それに異論を唱えるものはすべて差別主義者であると言
わざるを得ない。
あらゆる物事、結婚、就職、就学などに障碍を理由にして断わられる事はあっ
てはならない
もしそれらを行った場合、その個人または団体に対し、刑事または民事で訴え
られるような法律の整備こそが最優先で、また、障碍者差別をなくす唯一の方
法であると確信しています。
障碍、健常のお互いの理解などは不可能です
健常である事は暴君であり、障碍を得ている者は市民であり、強者と弱者、お
互いにお互いの心など酌みようがないのはあたりまえと言えばあたりまえであり
仕方のないことである。
小生も40代にして、いまだに独身なのは障碍のせいではなく障碍を差別視する
世の中の風潮や、世の中の女性の悪しき思想のせいであることは言うまでもなく、
今まで何人もの女性に自分の偽りのない愛を告白して来たが、みな障碍を理由に
断わられてきたという、あからさまな差別を受けてきたのである。
真のバリアフリーや真に差別をなくすという事は健常者と障碍者が話し合い行う
ものではなく、障害者の要求と要望をすべて健常者と社会が受け入れるべき
なのである、現在のような差別発言や、差別発言を行う者への援護の書き込みは
厳に慎まれたい。
障害者特別性交特権の早期実現を!
796 :
日本@名無史さん:02/12/04 10:02
九州王朝はなかった
大和朝廷の外交のための施設と九州の野蛮人取締りの役所があっただけ
出雲、吉備もまたしかり
東には大量のアイヌと百済からの亡命騎馬民族(坂東騎馬武者の祖先)が少しいただけ
邪馬台国--->大和朝廷こそが常に日本の中心
797 :
九州王朝大好き:02/12/04 20:29
ぜんぜん典型的じゃないんだが…
どころか九州王朝論者が思い描く想像上の「畿内説」みたいな感じ。
800 :
九州王朝大好き:02/12/04 23:56
↑みじめだな
反論できないうえに間違えちゃって二度も晒す恥
で、
>>595への反論は?
いまだ595への有効な反論が出来ない反・九州王朝派がねなんでこんなにエラそうなんだ?
804 :
日本@名無史さん:02/12/05 06:24
まだ言ってる・・・
「漢委奴国王」印が九州から出土しているから宋書の言う「倭王」が九州にいた
なんて本気で言ってるの?
范曄の時代は南朝劉宋の時代。
この時代に書かれた「倭伝」に書かれた倭が、「宋朝に貢献してきた倭国」と同一でないと
おかしいわな。少なくとも読者(宋の人)はそう読むのが当然。
「倭奴国」が九州であるなら、宋朝に朝貢してきた「倭国」はその後継国の「倭」
これに対する有効な反論がないな。一人だけ真面目に反論した方がいただけで。
806 :
日本@名無史さん:02/12/05 06:39
少なくとも「九州王朝」に根拠がないという主張は、通らない罠
それ、ぜんぜん根拠ないんですけど
808 :
日本@名無史さん:02/12/05 06:54
悲惨だ。
倭のすみっこにある「倭奴国」が九州にあったから
宋朝に朝貢してきた「倭国」が九州であるなんて非論理なんだが。
何度いわれてもわからんらしい。
809 :
日本@名無史さん:02/12/05 06:55
>806
オマエモナー
古田流九州王朝派の方にお伺いしたいのですが
ずっと疑問に思ってたのが、九州王朝が倭で
百済に肩入れして負けて滅んだということに
なってるんですが
亡命百済人たちはなんで協力的でなかった
近畿のほうに行ったんですかね。
九州が唐・新羅に占領されていたから?
九州王朝の磐井もなんか新羅と親密だったというし
あっ、でも新羅っぽい宇佐は新羅と結んだ隼人を討伐してるな?
日向には百済王伝説があったか。
ここらへん込み入っているのをどうお考えになりますか。
811 :
日本@名無史さん:02/12/05 07:00
>>808 それを論証しているのが
>>595だと言っているのでは?
有効な反論もせずに「非論理的」とはこれいかに?
812 :
日本@名無史さん:02/12/05 07:05
反・九州王朝派イタすぎ!
813 :
日本@名無史さん:02/12/05 07:05
814 :
日本@名無史さん:02/12/05 07:07
815 :
日本@名無史さん:02/12/05 07:20
倭王の姓が「阿毎氏」というのは、どう解釈するんだ?
天皇家に「阿毎」という姓が存在しない以上、九州とは断定しないまでも、
日本の中の他の王朝のことだと言う論が正当だと思うのだが?
816 :
日本@名無史さん:02/12/05 08:37
すっかりクソスレになっちゃったね
817 :
日本@名無史さん:02/12/05 17:53
813。その逆の人もいると言うことに思いが至らないのがいたすぎ。
他のアンチの人って、そもそも九州古田以前から九州アンチなんて腐るほどいましたが、何か?
出雲だって、その他の所の王権だって昔は糞味噌だったのは・・・
・・・・知らんわな〜、若輩者には・・・。
青 い ぞ 、 若 造 !!
>>817 あなたが今までずっと「九州説」と『九州王朝説』をすりかえて
話題を混乱させようと努力し続けてる人でつか?
ナンタラ派とか、反カンタラ派とか出てきたら、間違いなくジョンイルのレスだよな。
だから、ジエンもバレバレだよって何度も教えてあげてるのに直らないクセなんだな。
思うに、香具師は孤独なんだ。
せめて妄想の中でも徒党を組んでみたいんだな・・・きっと。
九州王朝に「阿毎」という姓が存在しない以上
日本の中の他の王朝のことだと言う論が正当だと思うのだが?
821 :
九州王朝大好き:02/12/06 00:21
>>819 僕は「橿原一派」と言っていますが、
ジョンイルではありません。
奈良橿原の土蜘蛛です。
822 :
日本@名無史さん:02/12/06 07:13
>819
きっと自分と違う意見は全部同一人物に見えるんだね。可哀想なヤシ。
一番粘着は自分のくせに。
823 :
日本@名無史さん:02/12/06 07:51
九ちゃん必死
久しぶりに見たら
九州王朝を否定したがっている人って多いんだね
ずいぶんまえのことだけど
>79神話を信じる信じないは勝手だけど
そんなのをみずからの出自にしている王権の不思議さ
あるかないかわからない神話に近づけるように文献の解釈を
かれこれ数世紀も続けていていまだに結論が出ていない
そんな歴史をこれからも話し続けたいんでしょうか
それに比べて九州説のわかりやすさ比べ物にならないと思いますが
前政権のなごりを一掃しようとするのは
豊臣滅亡後の徳川家の施策からも十分に類推できると思いますが
ジョンイル(西都バカ・GK・殿下etc)の特徴
#鹿島昇帰依者(古田武彦の本は読んだことがないらしい)
#後醍醐天皇の子、光良親王の直系の子孫で、皇位継承有権者を自称
#皇室関係スレ、邪馬台国スレ、幕末維新スレ、部落問題スレなどに出現
#敵味方かかわらず、罵倒語長文、うんちAAなどを連続コピペ
#邪馬台国西都原説、橋本龍太郎=明治天皇のメイの孫説の無差別コピペ
#同様の内容のスレッドをしばしば発作的に乱立
#投稿者が女性と判明するといきなりネットナンパを行う
んで、ジョンイルの爆笑デムパHP。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2315/
826 :
日本@名無史さん:02/12/06 20:49
>>824 馬鹿じゃねえの。
いつ豊臣滅亡後の徳川が豊臣なんて無かったことにした?
>824
えっ
知らないの
まあ 別にかまいませんが
社稷をほろぼすというのは良くいわれることで
まあ会津藩のうけた仕打ちを考えてみてよ
828 :
日本@名無史さん:02/12/06 22:47
ピンぼけ野郎!
会津藩なんて無かったことにした奴もいないよ。
>>827 知らないって何を?
徳川が豊臣を存在しなかったかのように歴史を改竄したとでも?
そりゃ九州王朝より珍説だ。
会津はどこに連れて行かれたんでしょうか?
知ってるんでしょう。
政権の交代があると前政権の施策を否定するために逆のことをする
またはまったく打ち切るってことはよくあること
知ってるでしょう。
ついでに前政権の権威を落とすためにもっと派手にすることあるでしょう
知ってるよね。
今夜はこのへんで
831 :
日本@名無史さん:02/12/06 23:32
↑ だから、そんなことも知らないヤシがすぐ煽るから糞スレになってる訳。
ほんと、ここの粘着厨房には可哀想になるよ。漏れなんか別にIDさらし板
にしてもいいと思うが。
>>831 それだったら、fusianasan使って書けよ。(w
会津がどこに連れていかれようと会津藩が存在しなかったことにはなってないのよ。
お脳がどうかしてるのね。
九州王朝派内の自浄作用に期待します。
さもないと、クソスレのまま。
835 :
日本@名無史さん:02/12/07 06:47
九州王朝否定派イタすぎ。
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/07 08:19
九州にも王朝はあったろうが、
同時期の畿内の王朝の方が、地理学的に、かなり優位だぞ。
837 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:29
>836
どういう意味でつか?解説キボンヌ。
なんで九州に王朝があったのさ?
839 :
日本@名無史さん:02/12/07 10:03
さかさにして振るっても結局さいごまで根拠が出てこなかったしな。
>>839 あんた、「三回まわってワン」とカキコしたら
九州の独立王朝に関する文献資料を提示しちゃるよ。
841 :
日本@名無史さん:02/12/07 10:52
くるくるくる・・・ワン!
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/07 10:56
そもそも王朝の定義って、何なのさ?
九州王朝って逝ってる人、答えてね。
学術的なことは置いといて、
公平に見ると、このスレでは九州否定派のほうが人間的に幼稚ですね。
議論を混ぜっ返したり、どうでもよさそうな末節を強弁してるように見える。
興味深い題材だけに残念です。
>>841さん。よくできました。
じゃ、ご褒美あげちゃうよ。
ハイ。
「有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王」
怒ったらアカンでぇ、怒ったらアンタの負けや。
第三者のふりして的外れな非難書き込むってのは相当人間的に幼稚みたいだが・・
九州王朝説悲し
847 :
日本@名無史さん:02/12/07 16:16
なるほど、神武一行は九州王朝から派遣された東国侵略隊だったのか。
幼稚
849 :
日本@名無史さん:02/12/07 16:32
九州の独立王朝に関する文献資料は皆無。
九州って独立性が高かったのでは?
851 :
日本@名無史さん:02/12/07 16:36
九州王朝が存在すると考えると理解しやすい文献が多いのはなぜか。
852 :
日本@名無史さん:02/12/07 16:38
逆に、そうでも考えないと、あのようにぼろぼろの姿でようやくたどり着いた
神武達の大冒険譚を輝かしい初代にもってくるとは考えにくい。確かに当時は
まだ東国=敵の中心にいきなり飛び込んで返り討ちにあったすえ、ついには奈
良の奥地に橋頭堡を確保する。途中のだまし討ちといい、兄の討ち死にといい、
決して格好のいい話ではないが、それをしも帳消しにするほど、長脛彦の王国
が強大で未知の敵であった、と考えられる。
さらに、神武が九州の全軍挙げての侵攻だったとしたら、記録にあるようなゲリラ戦では
なく、全く別の展開になっていたと思われる。
ただ、よくわからないのは、神武冒険譚が全て真実だとしたら、何故あのように、一直線
にあっちにふらふら、こっちにふらふらと漂流するような行程をたどっていたのか、とい
うことです。
>847
派遣されたじゃなくて
武装したボートピープルってこともあるよ
854 :
日本@名無史さん:02/12/07 17:05
死ぬかもしれないから挨拶廻りしてたんじゃないの。
それとも行くのがイヤだったから時間かせぎしていたのかな。
いずれにしても神武一行が意を決して出発したのは吉備国だから、
当時吉備までは九州側の同盟国みたいなもんだったことが分かるね。
855 :
日本@名無史さん:02/12/07 17:18
四国って王朝あったの?
四国はなかったみたいだ。開発が進んだのは、大和朝廷成立後っぽい。
大貴族や寺院が開発して荘園を開くまであんまり人がいなかったようだ。
九州とかは、神々より古そうな家系が多いのだが、四国ではあまり
そういう話を聞かない。
>>852 ”一直線にあっちにふらふら、こっちにふらふらと”
アナタ、チョト、イルボンゴヘンネ。
九州王朝が存在すると考えると理解しやすい文献なんてなんにも無いだろ
859 :
日本@名無史さん:02/12/07 17:48
_'7/)__
《フ´ ' `く|.
∩i /ノノノ))〉
))f!(l.゚ ー゚ノ!. 邪馬台国は九州と考える方が・・・
(( ⊂丞つ
ヽニく/_|l
し'ノ.
860 :
日本@名無史さん:02/12/07 17:52
>853
そうかも。なにせ入れ墨に半裸のような時代、それも正規軍かどうかも不明。
もしかしたら、一時的に九州で飢饉かなんかがあって、その圧力で若いもんが
押し出された、というのが案外正解かも。明智光秀じゃないが、「切り取り次
第与える」って感じ?神武東征の頃、一時的に気候が寒冷になった時期があっ
たそうだし。
神武東征の頃っていつさ?
862 :
日本@名無史さん:02/12/07 17:55
>>861 呉が滅んだのと何らかの関係があるんじゃネーノと言ってみる罠
なんの関係もないんじゃネーノと言ってみる罠
864 :
日本@名無史さん:02/12/07 18:46
>>860 神武一行はひょっとしたら全滅したかもしれないように書いてあるしね。
かろうじて定着しても嫁さんは代々地元の有力者の娘だったしね。
神武は最初から大和に向かって行かなかったのかもしれないね。
倭国内を放浪しているうちに吉備に流れてきた。そこでしばらく暮らしたが、
その東にある肥沃な大和のことを知った。倭国内ではもう居場所がないので、
思い切ってイチカバチカ新天地を求めて東へ向かった。とかね。
865 :
日本@名無史さん:02/12/07 19:08
>864
そうすると、なぜそのような小勢力の神武一派が定着することが出来たのかと
言う理由だが・・・。河内湾の南北に強大な勢力を持つと思われる長脛彦王国
と一戦交えた神武を囲い込んでいいことは一つもないと思うのだが?下手すれ
ばその矛先が奈良の田舎にまで及んでくるかもしれんし。
説得力なし
867 :
日本@名無史さん:02/12/07 19:27
868 :
日本@名無史さん:02/12/07 19:48
記紀なぶりに落ちたか
869 :
日本@名無史さん:02/12/07 21:47
当時、放浪したり遠征したりするとき、食料とか生活基盤はどうしたのかね。
狩猟時代ならよいが、米食うことを覚えた後だと辛いよね。貨幣経済もなかろうしね。
870 :
日本@名無史さん:02/12/07 22:07
>>869 国あるいは一族を挙げた軍事行動の場合、当然、後方から物資を補給したろうね。
アレキサンダーの大遠征なんかは、現地調達を基本としたが、
アラビア海で時々船団と会合して補給も受けたようだ。
神武が来たとすれば、同じ様な感じじゃない?
871 :
日本@名無史さん:02/12/07 22:24
>>870 神武一行が正規軍ならそんな感じだろうね。
しかし、正規軍じゃないような気がするが。
872 :
日本@名無史さん:02/12/07 22:30
フェラチオで、玉の裏を念入りに舐めてくれ!
最近のレスをみてると、九州王朝説ってのは、大和朝廷九州起源説のことみたいだな?
874 :
日本@名無史さん:02/12/07 23:15
神武一行は小勢力で、九州王朝は依然として九州にあったと思う。
神武は九州では王ではなかった。大和で初代の王となった。
神武即位の前々年3月7日、人々は巣に棲んだり穴に住んで未開である、と言っている。
先進地域から来た自負だな。
その後代々嫁さんを地元の有力者からもらって溶け込んでいった。
875 :
日本@名無史さん:02/12/07 23:43
どう考えても「ニニギ」は王だよな? それも、出雲の神さんから譲り受けた地へ、
天国から天下って統治した「初代王」っていう立場だ。
その子孫が神武。つまり「王」の子孫が「初代王」ってわけ。
これ、どう考えても「傍流」だわな。
古事記も日本書紀も、「我々天皇家は、ニニギ朝の傍系王ですよ」って主張しているんだ。
神武と九州王朝の実在とはどういう関係があるんだ?
無関係なら神武スレは他にあるから、そっちへ移ってくれんか?
関係があるなら、きちんと九州王朝との関係を説明してくれ。
877 :
日本@名無史さん:02/12/08 00:00
ニニギ王朝の所在地=九州→後継王朝は当然九州王朝。
878 :
日本@名無史さん:02/12/08 00:27
876は、トピ主では無いわけだが・・・。
神武伝説を巡る論争の意味がわかってないようだね。神話もそうだが、何故近畿の王たる大和朝廷が
九州に起源を持つ初代王を持つのか、ということだろ。
逆におたくに尋ねるが、それは何故だと思うのですか?
神武東征=ニニギの正統な後継者たる神武が、九州から「いっさいがっさい」を持って
近畿へとやってきた、と考える説。
神武東侵=ニニギの一派である神武が、九州では食えなくなったため、
吉備の有力者をスポンサーに、ナガスネヒコ王朝に殴り込みをかけ、
とりあえず「ヤマトのイワレ」付近を支配することに成功した、と考える説。
わしも知りたい。小椋さんや原田さんのだと
婿入りしたってなってるけどどうもちがうような。
神武さん、本当はどんな人だったのですか?
そしてその血はホントに受け継がれているのですか?
しかし神武→綏靖→安寧→・・・・開花→崇神と代を重ねていくごとに、だんだんと
嫁サンの出身地が広がっていく傾向にある。
ま、当時は妻通い婚(ようするに夜這い)だったから、形は「婿入り」に等しいわな。
884 :
日本@名無史さん:02/12/08 02:22
九州王朝はなかったという結論がでましたので、
ここは神武スレになりました。
あとは神武スレとして、またーり埋めてくださいです。
神武本人の降臨を待とうか
886 :
九州王朝大好き:02/12/08 04:30
>>879 >神武東侵=ニニギの一派である神武が、九州では食えなくなったため、
>吉備の有力者をスポンサーに、ナガスネヒコ王朝に殴り込みをかけ、
>とりあえず「ヤマトのイワレ」付近を支配することに成功した、と考える説
この説では九州王朝を認めることになるが?良いのですか?
887 :
日本@名無史さん:02/12/08 06:07
みつみつし 久米の子等が 粟生には 韮一茎 そねが茎 そね芽撃ぎて 撃ちてし止
まむ
みつみつし 久米の子等が 垣下に 植ゑし椒口ひびく 我は忘れじ 撃ちてし止まむ
米の飯や十分な食料もなく東征したんだね。韮といい、椒といい、山野に育つ手近な
食い物で強精剤だね。こんなもんで食いつなぐしかなかったのね。
888 :
日本@名無史さん:02/12/08 06:33
>>886 九州から「いっさいがっさい」を持って近畿へとやってきた、と考える説が
九州王朝を認めることになるというのはスゴイ誤読。
889 :
日本@名無史さん:02/12/08 06:44
>>888 後半は「いっさいがっさい」を持ってこなかった説だから違うでしょ。
でもそれが九州のほうもずーっと続いていると読んで九州王朝を認めることになると解釈するというのは我田引水だね。
我田引水は九州王朝説の必須アイテム
891 :
日本@名無史さん:02/12/08 07:27
>889
それは、どういう意味だろうか。「我田引水」などと暴言を吐くわりには余り内容のな
いレスなのに偉そうなのはアレだが?
一応貴殿の真意は、神武が東行したからって、その後もずっと九州の王家が続いていた
かどうかはわからない、と言うことでよろしいか?
それなら、神武が出発する事情や、当時の九州の政治状況についての見解をお聞きした
い。まさか無政府状態だということはありませんよね?&、「王朝」という言葉の定義
も確立されたし。
でなくば、ただの荒らし。
893 :
日本@名無史さん:02/12/08 07:57
神武が出発する事情とか当時の九州の政治状況についての見解とか
「王朝」という言葉の定義とかきちんとすべきは
はこれで九州王朝があったと言い張る人の責任でしょうね。
>>891 >まさか無政府状態だということはありませんよね?
なんで「ありませんよね」なの?
答えられなくば、ただの荒らし。
895 :
日本@名無史さん:02/12/08 08:15
で、漏れの聞いた答えはだれも無いわけだが。だれか答えて見ろよ。
無理なのか?神武の出発時に九州に王家があって悪い理由は?
896 :
日本@名無史さん:02/12/08 08:28
別にあって悪くないが九州王朝説とは関係ないだろ。
いつ出発したかもわからないのに悪い理由もへったくれも無い罠
898 :
日本@名無史さん:02/12/08 08:36
なんかにわかに荒れ気味だが・・・。
ちょっと隙見せるヤシがいると、これだからな。
九 州 王 朝 ア ン チ は ハ イ エ ナ で つ か ?
子羊九州王朝 プッ
900 :
日本@名無史さん:02/12/08 08:57
九州王朝隙だらけ
901 :
日本@名無史さん:02/12/08 08:57
九州王朝大隙
902 :
日本@名無史さん:02/12/08 08:58
かぶった
903 :
日本@名無史さん:02/12/08 09:32
アンチ、うれしそうだな。
で、畿内説には隙はないのか?
904 :
日本@名無史さん:02/12/08 09:40
隙を突いたつもりででっち上げたのが九州王朝説
でも隙だらけ
>>903 九州王朝説の敵は畿内説だと思い込んでるところが痛い
906 :
日本@名無史さん:02/12/08 09:48
で、畿内説には隙は無いのか?
ぷ 園児の言い返しみたい・・
>905
近畿説以外で文句言ってるやつは
何者なんだ
ここは、ヤマタイスレですか?
910 :
日本@名無史さん:02/12/08 13:23
>>879 @>神武東征=ニニギの正統な後継者たる神武が、九州から「いっさいがっさい」を持って
>近畿へとやってきた、と考える説。
A>神武東侵=ニニギの一派である神武が、九州では食えなくなったため、
>吉備の有力者をスポンサーに、ナガスネヒコ王朝に殴り込みをかけ、
>とりあえず「ヤマトのイワレ」付近を支配することに成功した、と考える説。
どうみても@はありえない。Aだな。その後も九州にはニニギのこどもたちがニギニギシク
住んでいた。後世の者はこれを九州王朝と呼ぶ。
911 :
日本@名無史さん:02/12/08 13:38
九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
どーでも良いことでここまでスレが伸びたのは「馴れ合い」としか
言いようがないな。(爆
ああ、恥ずかしいおまえ等。
912 :
九州王朝大好き:02/12/08 13:56
>>910 886レスの疑問の根拠を理解解説するのに910レスまでかかった。
887〜909レスまでのアンチ九州王朝説の人はアホなんですかね?
それとも、破れ被れなのでしょうか?
アンチ九州王朝説はもう既に崩壊しているようですね。
橿原一派は既に生きる屍なのでしょうか?
913 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:01
九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
どーでも良いことでここまでスレが伸びたのは「馴れ合い」としか
言いようがないな。(爆
ああ、恥ずかしいおまえ等。
914 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:03
九州王朝説には細部で幾つかの説に分かれるようだが、
九州王朝説以外の説は特にないようだから、九州王朝説で決まりかな。
後は、細部の詰めということか。
915 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:04
九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
どーでも良いことでここまでスレが伸びたのは「馴れ合い」としか
言いようがないな。(爆
ああ、恥ずかしいおまえ等。
>>914 九州王朝説には九州王朝説以外の説は特にないに決まってんじゃん。恥ずかしいおまえ。
917 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:14
九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
どーでも良いことでここまでスレが伸びたのは「馴れ合い」としか
言いようがないな。(爆
ああ、恥ずかしいおまえ等。
918 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:20
>>916 なにいってるのかよくわからないが、なんとなく九州王朝説に賛成のようだな。
919 :
九州王朝大好き:02/12/08 14:27
>>917 @>九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
A>同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
@ウザイ橿原一派がいなくなるので、清々します。
A隠蔽捏造の体質が社会に蔓延し、住みにくい日本になります。
日本のすばらしい未来の為に戦っているのです?は言い過ぎか?
こいつが一番どうしようもないな。
921 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:49
>九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
>同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
はっきり分かると気持ち良い。
1000を目前にだんだんバカ度が高まっております。
923 :
日本@名無史さん:02/12/08 14:54
>九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
>同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
ウソをウソのまま放置するのは犯罪。
924 :
日本@名無史さん:02/12/08 15:17
九州王朝って今でもどっかの山奥に存続しているんですか?
それとも、いつのまにか滅亡したのでしょうか?
925 :
日本@名無史さん:02/12/08 15:20
九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
どーでも良いことでここまでスレが伸びたのは「馴れ合い」としか
言いようがないな。(爆
ああ、恥ずかしいおまえ等。
926 :
日本@名無史さん:02/12/08 15:25
九州王朝賛成派も反対派もせいぜい自分のメンツを保たんがために
バカな罵り合いを続けているに過ぎないことは良くわかった。
そ ん な も の が あ ろ う が な か ろ う が
日 本 の 将 来 に は 何 の 関 係 も な い !
恥 を 知 れ 、 バ カ ど も
927 :
日本@名無史さん:02/12/08 15:26
九州王朝があったら今のあんた達に何か影響するの?
同じく、九州王朝がなかったら今のあんた達に何か影響があるの?
どーでも良いことでここまでスレが伸びたのは「馴れ合い」としか
言いようがないな。(爆
ああ、恥ずかしいおまえ等。
928 :
日本@名無史さん:02/12/08 15:27
史料が少なくて取っ付き易いから素人向けで楽しいのよ。
ちょっと何冊か本読めばみんな専門家みたいなもんよ。
ジョンイルさんでつね?
930 :
日本@名無史さん:02/12/08 15:29
>>928 夜ごと妄想をふくらませ、2chで罵り合いを続けてるわけですな。
誇大妄想狂がお互いをつねりあっているスレだね。キモイ。
931 :
九州王朝大好き:02/12/08 15:34
>>924 8世紀初頭に薩摩隼人の寝返りによって薩麻の地で完全に滅亡しました。
その結果、隼人の近畿天皇朝による理由不明の歓待を受けた記事があります。
この九州王朝の滅亡を受けて、「古事記」の編纂中止と、正史「日本書記」の編纂開始があった様に見受けられます。
932 :
日本@名無史さん:02/12/08 15:35
火事に消防、犯罪に警察、病気に医者、与党に野党、怪獣にウルトラマン、
持ちつ持たれつ、張り合いのある人生。
>>931 隼人が裏切ったとはどう言うことれふか?
最後の王様は、何と言う方なのれすか?
最後の都は、今で言うと何県何群何町にあったのれすか?
編纂が中止された「古事記」と言う書物には何が書かれようとしていたのでふか?
935 :
日本@名無史さん:02/12/08 17:05
>934
あなたはだれれすか?
>>935 別に名乗るほどのものではありやへん。
そういう貴方は誰でふか?
稗田さんの記憶違いってありそうだよなぁ。
938 :
日本@名無史さん:02/12/08 17:13
稗田さんが一人ではなかった説もあるわけで。
そんでもって、間違えたら首が落ちたという説もあるわけで。
939 :
日本@名無史さん:02/12/08 17:20
ライシャワーが円仁の大唐日記の本で、新羅に始まる朝鮮のほうが
日本より歴史が長いと書いている。
彼も九州王朝説かもしれない。
逆だな。九州王朝があったら日本のほうが朝鮮より古くなるんでしょ?
>>940 新羅=統一王朝、畿内王朝・九州王朝=地方王権の並立って構図だから
>>939の言いたいことは、統一王朝の開始はどちらが早いかってことだろ(w
ところで、九州王朝大好きさん。
九州王朝質問コーナーは、もう店終いでっか?
942 :
九州王朝大好き:02/12/08 19:08
>>934 >隼人が裏切ったとはどう言うことれふか?
九州王朝は近畿王朝との何回もの戦いに破れ続け、北部九州から南下して行き、最後に薩摩の地に立てこもったのです。
しかし、その協力者の隼人が反九州王朝となったことです。
>最後の王様は、何と言う方なのれすか?
私は知りませんが、どなたか調べた方がいると思います。
その大王の名前を聞いたような記憶があります。
調べれば判るかもしれません。
>最後の都は、今で言うと何県何群何町にあったのれすか?
誰か調べた人がいましたね。何処の誰か忘れましたが。
薩摩の北部地域のような記憶があります。
調べればわかるかもしれません。
>編纂が中止された「古事記」と言う書物には何が書かれようとしていたのでふか?
当時の近代史ではないでしょうか。
古事記の記載は当時の古代史までですから。
943 :
九州王朝大好き:02/12/08 19:14
「※ 九州王朝はなかったのか? ※」
の新スレ誰かたてて下さい。
私はPROXYがjpでないので立てられません。
どなたかどうぞ宜しくお願いします。
945 :
九州王朝大好き:02/12/08 21:38
>>941 新羅と九州王朝のどちらが古いのかわかりません。
新羅は朝鮮半島東岸に古くからいて、朝鮮半島南岸の倭と抗争を始めて、
初めて両者の存在が知られたのですから、それ以前のことは今は判らないのが現状でしょう。
朝鮮半島東岸の新たな遺跡を発見し調べれば判るようになると思いますが、
現在の韓国の歴史認識では当面その期待は無理でしょう。
韓国5千年と言っているようでは無理ですね。
扶余倭系と朝鮮系をごちゃ混ぜにしていますから。新羅の朝鮮系は明らかなのに。
朝鮮半島東海岸は生産性の悪い地域ですから、新羅の出現まで部族連合としか考えられません。
その意味では海洋国家である倭系九州王朝の歴史のほうが長いと思われます。
ただ扶余系の発展も海水面が降下した3000〜4000年以上は溯れないでしょう。
日本の水稲栽培が可能になったのも、海面降下による沖積平野の出現まで待たなければならなかったように。
6000年前には現在より海水面が50〜60m高かったのですから、
その時期の平野であった場所を考えてみましょう、海岸平野は全くなかったと言っても過言ではないでしょう。
海抜のことは専門家の言を待つ、が
こういうことをきちんとしていけばまだ聞くことがあるかもしれない。
古田氏はわりと倭が朝鮮・中国に優越していると言う。(蛇神の問題とか)
金達寿氏を馬鹿にしていたりする。かなりナショナリストぽくかんじる。
九州王朝だったら許せるのだろうか。
きっと広島の悲劇はなかったろうと……そうかぁ?
>>946 土器問題なんか見てると、けっこう優越していると思う。河母渡遺跡の土器とかね。
あと、稲作問題とかもね。日本の米は江南米らしいが、江南→日本という伝播の方が
朝鮮半島よりも早かったということは理屈に合うので。稲作文明が朝鮮半島へ伝わるには
江南(揚子江)→黄河→朝鮮半島というルートになるが、江南と黄河流域では当然気候が
違い、稲作が根付くまで品種改良(自然改良?)に長い年月が必要。
しかし江南と日本(特に西日本)は気候が似ているため、稲作文明はすぐに根付く。
これは決してナショナリズムなんかじゃないよ。
>>947 稲作伝播のあなたの江南ルート説は、沖縄経由ですか?
私は、日本への稲作伝播は、半島東南部とほぼ同時ではないかと思いますが黄海経由だろうと。
>>948 うーむ、本当のところはどうなのか知らんが・・・
ただ、河母渡遺跡から出土した土器が日本→中国という伝播を示している以上、
江南→日本という稲作文明の直通伝播は成立するはずだと。沖縄経由かどうかは
不明なんだけど、どっちでも大差ないと思う。
ただ、朝鮮半島と日本列島ではずいぶん気候が違うので、稲作文化の直通伝播が
あったとしても、根付くまでにかなり時間を要すると思うんだ。
これは江南(揚子江)→黄河流域という伝播も同じ事だと思うのだが・・・
黄河流域と朝鮮半島の気候は似ていると思うので、黄海経由というのは成立すると
思いますよ。
ただ、江南→日本への直通伝播が成立するなら、江南→黄河→朝鮮半島という伝播の
それよりもワンテンポ遅れるはずだ、というのが私の考察です。
>>949 「ワンテンポ遅れるはずだ」は、ほとんど問題にならないくらいでしょう。
まあ、終わっちゃったスレですので・・・このへんで、今日はおやすみなさいです。
>>950 植物を気候の違うところへ持っていっても、種がだんだん劣化していって
しまいに使い物にならなくなるよ。
げんに現在の北朝鮮の農業に使っている米は日本から持ち込んだ稲なんだけど、
雑種化しちゃって、かなり劣悪な品種になってしまっているらしいんだ。
おやすみなさい。
952 :
日本@名無史さん:02/12/09 15:16
>940, 945
ライシャワーの考え方は「版図」にこだわるのかもしれない。
つまり朝鮮は新羅の時から現在とほぼ同じ版図になったが、
当時の日本はまだ九州王朝と近畿王朝の二つの版図からなり、
現在の版図と同じではない、と考えたのかも知れない。
うむ。鍵は熊本にありだな。
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くまもと〜〜〜! >( ・(ェ)・ )/ | / \__________
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954 :
日本@名無史さん:02/12/09 18:24
有名人をダシに使う九州王朝説プロパガンダ常套戦法
955 :
芝村システム:02/12/09 18:42
熊本に神話が少ないのは、熊本自体が神話だったからだと
いう説がある。
熊本は実在しない。
957 :
日本@名無史さん:02/12/12 18:08
熊本王朝ってのは卑弥呼がつくったもんなんだよ
そして卑弥呼が死んでからすぐ崩壊しはじめたのさ
まぁ卑弥呼の死後2年のいのちだったんだろうねぇ
958 :
日本@名無史さん:02/12/13 19:43
>大和朝廷の外交のための施設と九州の野蛮人取締りの役所があっただけ
六波羅探題だっけ?
鎌倉幕府が京都の朝廷を監視するため置いた役所・・
つまり九州に都があったんだよ・・
だから畿内勢力がその監視のため役所をおいた・・
少し想像力を働かそう・・
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/13 19:51
ライシャワーの考え方は、要するに、当時の日本は、
九州王朝と畿内王朝に分かれていたんじゃないかという考え。
彼の考え方だと、中国の歴史は2000年ちょっと。
つまり、秦になってはじめて、華北華南を制圧した版図になったという意味。
それ以前は、中国という一つの国ではなく、数カ国に分かれていたという考え方。
この考え方だと、朝鮮半島は、新羅に統一された頃から歴史が始まる。
960 :
日本@名無史さん:02/12/13 19:52
倭の国は、中国の史書によると、気候が温暖で、水多くして陸少なし、でしょ・・
おまけに阿蘇山があって、都に入るときは、火山が噴火している狭い海峡を通るらしい・・
有明海とか、鹿児島湾が史書の記述によくあう・・
火山は九州に集まってるし・・
961 :
日本@名無史さん:02/12/31 12:29
962 :
六波羅と関東並みの:02/12/31 16:53
たぶん九州と畿内は同じくらいだったと思うよ。
時代はくだるけど宇佐八幡の神託とか皇位を左右する
くらいだし、仲哀とかもな。
(^^)
964 :
日本@名無史さん:03/01/12 02:08
(^^)