教科書には載ってるけど、いまいちマイナーな存在・・・
そんな物部氏について、神話の時代から雑賀衆(子孫という説があるらしいです)まで、とことん語ってください
もののふ、という言葉の語源になったほどの
武門の豪族だった。
>>2 それ、ほんとですか?
軍事面を担っていたのは知ってましたが。。。
物部>もののふだったとは。。。
できれば、ソースもいただけるとうれしいです。
4 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/19 15:49
モノとはモノノケを意味する言葉で、貴人をそれらから護る事が主な任務で
あった、という説あり。
5 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/19 15:50
因みに武士(もののふ)とは律令体制下では刑吏を指した。貴人に代わって
ケガレを負う役、と見ていいか。
>>2 先越された(w
逆にいえばそれ以外の知識がほとんどない(w
>>4 それも初めて聞きました。
勉強になります。
なにぶん、急に興味を持ったもので。。。
8 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/19 15:59
藤氏の氏長者の証であった酒器と台盤(テーブル)自体神をもてなすものだっ
た・・・という話を読んだ。
>>8 ん?
藤氏=当時ですか?
それとも、藤氏って氏族がいたんですか?
前のレスとの兼ね合いを考えてもわからなかったので、聞いてしまいます。。。
すいません。。。
10 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/19 16:09
>9
あ、失礼。物部氏も中臣氏も神を祀る氏族だったそうなので、同じようなも
のを伝えていたのでは無いかと思っただけです。
>>10 そうですか。。。
そういえば、中臣氏って、蘇我氏に味方して、物部氏を攻撃したんですよね?
神道の元を作り上げ伝えたとも言われていますね。出雲の豪族では蘇我氏より由緒正しいとも。
>>12 ん?
大和の豪族ではないんですか?>物部&蘇我
出雲から大和に移り住んだらしい。出雲は江戸期と違い琵琶湖の西側から日本海側一帯だったらしい。
>>14 そうなんですか。。。
それについては、ぼくのH.N.の饒速日命の神話も含めて、諸説ありそうですね。
神話の国譲りなどは出雲の大和と九州からの大和の話しではないかとも。
この辺りがもっとわかるには古墳などを全部調べるなどしなければならないのでは。
>>16 >出雲の大和と九州からの大和の話しではないかとも。
ここが、よくわからないのですが。。。
なんかおもしろそう、まだ立てたばかりでアレだな、明日よらせてもらうよ。
盛り上がるといいね。
>>17 「ヤマト」と呼ばれる勢力が二カ所(出雲と九州)にあったのでは?ということじゃないの?
21 :
日本@名無史さん:02/08/19 20:43
宝田明
22 :
日本@名無史さん:02/08/19 20:57
>>1はニギハヤヒノミコト(物部氏の祖先神)を知ってるくせに
その他のことを知らなさすぎるな・・・ムーの読者かなんかか?
2と4はもう常識の世界だろ。一度図書館に行って国史大辞典で
物部氏を調べて来てから(ネットでも可)
スレを立てなさい。なんか
>>1にモノを教えるスレ
みたいになってるじゃないか。
物部氏は河内を根拠地とする豪族です。俺はそこそこ調べたけど
物部氏が出雲の出身てのは聞いた事がありません。新撰姓氏録にも
そんな記述はありません。旧事本紀にも載ってません。
大和王権は主に今の大阪府(河内・和泉)に根拠地を置く豪族と、
今の奈良県(大和)に根拠地をおく豪族による、連合政権です。
(
>>1さんはどうも大和王権ていうから大和の国だけで成り立ってたみたいに
思ってるフシがある。)
不勉強を責めるきはないが、スレたてるくらいなら知っておくべきこと、
だとは思う。ここは「学問・文系」のカテゴリーなんだからさ。
自分で調べた方が絶ッ対に面白いよ。聞いた知識より想像が広がってさ
おっと、大阪府から摂津が抜けてるな
昔から2chでは、聖徳太子、物部、蘇我のあたりのネタは
電波がよってきてトンデモスレになっちゃう傾向がある。
漏れはもう古参なんで電波の相手は疲れた。
25 :
日本@名無史さん:02/08/19 21:32
たしか荻生徂徠って物部氏だっけ
>>22 すみません。。。不勉強で(汗)
実は、なぜ物部氏に突然興味を持ったかというと、図書館で調べものしてて、偶然目に付いた「日本姓の由来事典(確か、こんな名前だったかと。。。)」
というやつに、自分の苗字なんてないだろうと思いつつ(めったにいない姓なんです)中を見たら由来が載っていて、
それによると、祖先が物部氏で、その祖神が饒速日命だということを知ったんです。
物部氏が、大和朝廷の実力者争いに敗れ、河内・摂津・大和・阿波・出羽地方などにバラバラとなり、そのうちの出羽にのがれた一族で、在地領主として、H氏と名乗ったのが、自分の先祖だそうです。
実は、僕の父の田舎も横手市にある旧家で、さらに饒速日命を祀る神社の神職の家と縁続きだそうで、上記の話の信ぴょう性が少し増してきたので、もっと知りたいなあと。。。こういうワケなんです。
そんなわけで、まだまだ興味を持ってから日が浅く、知識があまりありませんです。。。
そんなわけで、ここの皆さんに物部氏についての知識を分けていただければなあ。。。とおもってますです(汗)
というか、ぼくなんか無視して、議論して下さい。それを見ることで、いろいろ吸収したいです。
あと、「ムー」って、なんですか?
22です
ムーは「ムー大陸は実在した!」なんて記事がいっぱいのってる雑誌です
学研から月刊で出てます。悪い事は言わんので手を出さないように
物部氏基礎講座
物部氏はニギハヤヒのミコトを祖先神とする、河内の豪族です。
ニギハヤヒノミコトは河内に降臨し、土地の神々とよろしくやってたのですが、
そこへやってきたのが、「天孫」をなのる神武天皇です。
同じ「天から降臨した」モンが二人いるのは都合が悪い。
神武天皇の攻撃をうけ、ニギハヤヒらは降伏(その頃には2代目になってたかな?
忘れた)、神武天皇配下の豪族となる事を余儀なくされます。
つまり、物部氏は「国津神系」の豪族で、いわば「天津神系」の譜代の豪族とは違い、
外様の豪族なのです。
物部氏は、軍事的な側面と宗教的な側面をもった、極めて珍しい氏族です。
古代豪族は、名前にあわせた職能を、一氏族に一つ持っている、
というのが多いのですが、物部氏だけ二つあります。
モノノフ=武士が転訛して物部、あるいはモノ=精霊(モノノケ、なんて言葉は
ここから来てる)をつかさどる部、ということで物部、と氏族名の由来
(つまり、本来どっちの職業だったか、ということでもある)にも2説あります。
(私は「軍事」派です。)
物部の本家?は物部守屋が崇仏・排仏論争に敗れて滅亡しますが、
傍流の物部麻呂が、大友皇子(大海女皇子こと天武天皇と争い、敗死)
の死に最後まで付き従ったほどの側近中の側近であったにもかかわらず、
なぜかその後、敵方であるはずの飛鳥朝(天武天皇、持統天皇、文武天皇、元明天皇
の治世下で大出世、正二位左大臣にまで登り詰めます。(死後、従一位を追贈)
しかも藤原不比等が当時右大臣で、彼より位が下だった、てのが凄い。
これを最後に物部一族は歴史の表舞台から姿を消していきます。
中臣氏と共同で担っていた朝廷の儀礼からも名前が消え、
後は自前の領地(ほとんどは神社関係)で細々と名門の在地領主、
て感じで現代に至る。
基礎知識だから。あくまでも。
質問があるなら答えられる範囲で答えます。(自分で調べるのがベストなんだけどねー)
こういう時はコテハン名乗るのが礼儀でしょうから、名乗りました
訂正。彼(不比等)より位が「上」だった、てのが凄い
29 :
日本@名無史さん:02/08/20 04:15
物部氏がマイナーって時点でおわってるな
古代豪族の中じゃトップを争うメジャーだろ
30 :
日本@名無史さん:02/08/20 04:17
現代で正当な子孫をなのっている家はあるんでしたっけ
石上神宮の宮司とか?
31 :
日本@名無史さん:02/08/20 06:47
〜部という名前は何か意味あるの?
〜(べ)って読むけど・・・
32 :
日本@名無史さん:02/08/20 12:43
部民制という言葉を調べてみるといいよ。読みは「べみん」ね。
33 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/20 12:55
>14
出雲から移住といえば土師氏(菅原・大江氏の祖)もそうでしたよね。
>>27 念入りな解説をありがとうございます。
ひとまず、物部氏の概略はつかめました。
ありがとうございます。。。
が、しか〜し!
http://www.hoops.ne.jp/~seiji45/home/link24.html こんなのを見つけました
(いき一郎著「中国正史の古代日本記録」葦書房、1984年11月10日発行が出典で、そこに考察を加えてあるらしいです)
以下抜粋
>貴布弥神社の傍に出雲の地名があるので、天照とスサノオの争いも九州内でのことでしょう。
>貴船団地もあるので空飛ぶ船で(北九州から)大和に降臨したとされる(ニニギのお兄さん)ニギハヤヒこと物部氏も関係しそうです。
>天照との邪馬台国後継者争いに負けたのがスサノオで物部一族を引きつれて関西地方に移住したのでしょう。
>古事記・日本書紀は御伽噺ではなく真実である。(中略)
>韓半島から小呂ノ島能古島を経るルート(物部氏の支配領域、遠賀川文化)が先で、
>その後に九州、壱岐、対馬ルート(新興の邪馬台国のテリトリ、筑後川文化)が開拓されたことも明らかにしている。
これによれば、物部氏は、邪馬台国(このソースでは=大和国と位置付け、北九州説を採っている)以前より、
北九州の遠賀川流域に勢力を持っており、邪馬台国の後継者争いに敗れた一派(ソースではスサノオとしてある)が、物部氏を引き連れ、
河内へと逃れた。。。とあります。
でも、そうすると、スサノオの孫、オホクニヌシの因幡の話(邪馬台国の後継者争いに敗れた一派が、因幡・出雲を征服したのか?)や、
そこにやってきたタケミカヅチノヲの話(そこに、邪馬台国の一派が征服しにやって来た?)、
さらに、それらを前提とした、ニニギ(神武天皇の祖神にあたる)の高千穂降臨もあり。。。(北九州に於ける物部氏族の復活?。。。注:河内に降臨したニギハヤヒも、このニニギも、アメノオシホミミの子であり、同族かも?)
さらには、こんなソースも。。。
http://www.loops.jp/~asukaclub/hmemo/hmemo014.html 以下抜粋
>神武の天皇即位はすべて饒速日命側主導で行われたとされているのです。
>あくまで「先代旧事本記」の記述によればですが。
>古代史研究家の原田常治氏は古事記編纂以前からあった神社の記録を調べられました。 ��
>そこから饒速日命は素戔鳴(すさのお)尊の子で神武天皇は饒速日命の娘婿として養子にきたのだという結論を持たれました。
とあります。。。これだと、平安期の摂関政治のように、外祖父の地位による、実質的な支配体制ということにも。。。?
元々、皇族の祖と物部氏の祖は、アメノオシホミミで繋がるし。。。ありえなくもないかも。。
などと思ってしまいます。
どう思いますか?
石上さん、その他の方、御意見お願いします。
>>34 すいません。。。何かと至らない点が多いので。。。
ツッコんでいただければ幸いです。
37 :
日本@名無史さん:02/08/20 14:52
>>36 かわいそうになったので、マジレスしちゃうぞ。
藤氏とは「藤原氏」
氏の長者は、その氏族を率いる第一人者のこと。
天皇家の三種の神器のように、藤原氏には代々継承する朱器・長者印・台の3つの品があった。
それから、藤原氏のもとである中臣氏は天皇家の神祇に携わる氏族なので、もともと仏教を担ぐ蘇我氏より、同じく神事に携わる物部氏よりの立場だったと思う。
>>37 どもです。
基本的なことを知らなくて、おはずかしうございます(汗)
39 :
日本@名無史さん:02/08/20 16:46
>>35 それだと、少なくとも筑後・日向・出雲・因幡・大和・摂津・河内あたりに領土を持つ、
天皇と物部氏の連合政権ということになるな。
そういえば、神武から何代かは、物部氏から妃が嫁いでたと思ったな。
よ〜覚えとらんけど。
誰か、反論きぼ〜ん。
40 :
日本@名無史さん:02/08/20 16:53
かぐや姫も「物部氏のひめ」を表しているという説があるね。
物部氏のひめを娶る者が「おおきみ」になれるという暗喩で、
5人の貴人の御曹司たちとほんとの帝が「かぐや姫」と奪い
合う構図は、有力氏族たちの権力争奪戦を表すとか。
ただし、これら争奪戦のプレーヤー全員が悲劇的ラストを迎える
という悲しい話だが。
41 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/20 16:55
>40
天武朝をモデルに神仙思想を表したとか、作者を紀貫之、遍照、菅原道真辺
りとして藤原氏に対する風刺小説だとする向きもありますね。
>>39 あっ、なんか聞き覚えがある。
天皇は○○氏から、皇后は○○氏から出すというパターンがあったというやつ。
○○は忘れてしまいましたが、「葛城」か「賀茂」か・・・う〜ん、すっかり忘れた。
43 :
日本@名無史さん:02/08/20 16:58
>>41 そう。ふひと君が一番恥かかされてますからね。
44 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/20 17:05
>43
結局天皇の命にも親の命にも背いて月に帰ってしまいましたからね、現世の
権力・権威が否定されている。
45 :
日本@名無史さん:02/08/20 17:10
5人の御曹司には、物部系の石上中納言も含まれてますね。
46 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/20 17:13
>45
安倍晴明の先祖(?)の安倍右大臣(だった筈)も。
47 :
日本@名無史さん:02/08/20 17:16
>>46 そのころはまだ陰陽には明るくなかったことでしょう。
日本で初めて陰陽道を取り入れたのは不比等だという話だそうだから(w
48 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/20 17:19
>47
吉備真備だとも言いますが、どっちにしても無理ですね。天武天皇は遁甲に
通じていたそうですが。
49 :
日本@名無史さん:02/08/20 17:30
いずれにせよ。これらの貴公子たちが、たかが一人の女にきりきり舞いさせられるというのは、これらの一族に恨みを持っていた人々にとっては、スッキリとさせてくれる物語だったことでしょう。
ある面現実逃避モードだけどね。
うーん、やはりスレタイの「マイナー」は不適切だよね。「メジャー」な物部氏だよね。
50 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/20 17:33
>49
単なる夢物語では無かったのは確か。風刺という奥を持っていたからこそこ
の物語は「物語のいできはじめのおや」と呼ばれたのであろうから、それを
現実逃避とは言いたくない。
51 :
日本@名無史さん:02/08/20 17:38
>>49 とりあえず、日本史好きな奴以外は、物部って蘇我に負けたっつ〜くらいしか知らんと思われ。
>>1のスレタイは、そういうイミなんじゃないのか?
確かに、古代史では超メジャーだが。
52 :
日本@名無史さん:02/08/20 18:30
>>35は、なげ〜よ。文章が。
まあ、でも、
>>39の通りだと思うぞ。
強いて言えば、瀬戸内や出雲や今の博多辺りの海域にも、影響力があったと思われ。
じゃないと、ネットワークは作れんだろう。
もっとも、シホツチノヲヂとホオリ(山幸彦)の話なんかは、南方の国とのネットワークが窺われるが。
それに、ニギハヤヒも磐船で降臨してるしな。関連あるかも。
53 :
日本@名無史さん:02/08/20 18:56
54 :
日本@名無史さん:02/08/20 19:14
サヨ学者が毛嫌いしそうな話だな(藁
55 :
日本@名無史さん:02/08/20 20:01
>>50,
>>53 遅レスすまん。
舌足らずで誤解を受けたようで反省。
「現実逃避」といったのは、竹取物語の作者の立場でのこと。
現実逃避=物語内:藤原のヤツは偽の宝木など作らせて、結局ばれて大恥かいて半狂乱になり山へと消えてしまった。ああ爽快!
悲しい現実:藤原氏どもは多少内部抗争でどたばたしているものの政界にのさばり、跳梁跋扈している。
政争にやぶれ、不遇をかこつ竹取物語作者は物語の中でうさばらしをしたのではということを現実逃避といったまでで、
まあ、この程度のこと、精神衛生上いいんじゃないの、という程度で、「現実逃避」という言葉を使ったわけです。
ちなみに、作者候補には、物部氏の流れを汲む石上文麻呂も上がってますね。
もちろん竹取物語の文学史上の優秀性・重要性は自分も高く評価しています。
ニギハヤヒ氏、まず「旧事本紀(くじほんぎ)」を読もう。
旧事本紀(通称 旧事紀)は物部氏の誰かが書いたとされる、
物部氏の立場で見た歴史書。昔は記紀と並ぶ古代史料とされてきたが、
近代になってからは「記紀よりはるか後代に作られた」というのが通説に
なっている。しかし、物部氏の成り立ち、物部氏の業績等がいちいち
書かれているので、物部氏について勉強する時は欠かせないシロモノである。
まず、物部氏について書いてある論文(それ自体は読まなくてもいいから)の
最後のほうに載っている「参考文献」を片っ端から読まれてはいかがか
物部氏はマイナーですよ。教科書に出てこないもん。出てきても
守屋とアラカヒくらいでしょ。
57 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/20 22:19
>53
「今昔物語集」と「神道集」に異伝がありましたね。
>55
わざわざどうも。
>>39 領土を持つ?俺は「根拠地とする」という意味で書いたんだが・・・
九州やらに領土もってる物部(敢えて物部「氏」と書かない)は
傍流あるいは物部氏配下の部民の長だから、大和政権には参加できないよ。
支配下ではあったけどね。
だから九州やらの物部をあげて「〜の連合政権」と書くのは間違い。
大伴氏とか物部氏とか葛城氏とか曽我氏とか平群氏等々有力
豪族による連合政権、と具体的に書いた方が良かったかな
59 :
日本@名無史さん:02/08/21 08:23
60 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/21 09:24
>59
長いのでお読みになって下さい。(東洋文庫その他で)
今昔の方は貴公子が三人で「打たぬに鳴る鼓」などが求められており、神道
集の方は富士山との関わりが書いてあります。
どうも今昔が書かれた1100年頃には異伝がいくつかあったようですね。
>>56 ありがとうございます。
どなたか、旧事本紀の版元を御存知の方がいましたら、教えて下さい。
現代語訳版なんかがあったら、買って読みたいのですが。。。
何せ、検索に引っ掛からなくて。。。(汗)
62 :
日本@名無史さん:02/08/21 11:15
>>54 今どきいるのか?
そんな厨房学者&教師が?
63 :
日本@名無史さん:02/08/21 19:02
物部って何かすげ〜ことしたんか?
64 :
日本@名無史さん:02/08/22 11:16
>>61 30〜70巻あるんでしょ。現代語解題本も10巻本くらいとか。
ちょっと見てみようというのに10万も払えないなあ、俺だったら。
図書館で探した方がいいと思うよ。
>>64 げげっ!
そんなにあるんですネ(滝汗)
図書館で探します。。。(すごすご)
66 :
日本@名無史さん:02/08/22 12:45
67 :
日本@名無史さん:02/08/22 17:39
天理市にある石上神宮は物部のものですか?
68 :
日本@名無史さん:02/08/22 18:42
69 :
日本@名無史さん:02/08/22 19:03
>>66のサイトは、文字化けの関係で、林檎使いのは辛いな。
動作がブラクラのようだったぞ。
こっちをお勧めしる。
http://star.endless.ne.jp/users/myj7000/clan/02/021/02112.htm ちなみに、ニギハヤヒの子孫は、このサイトによれば
以下抜粋
饒速日命の末裔【物部氏】【穂積氏】【宮道氏】【石上氏】【阿刀氏】【弓削氏】【氷氏】【矢田部氏】【柏原氏】
【柴垣氏】【葛野氏】【登美氏】【水取氏】【大貞氏】【越智氏】【軽部氏】【大宅氏】【釆女氏】
【巫部氏】【内田氏】【高橋氏】【曽禰氏】【肩野氏】【熊野氏】【宇治氏】【今木氏】【額田氏】
【筑紫氏】【秦氏】【錦部氏】【志貴氏】【真神田氏】【長谷山氏】【長谷部氏】【鳥見氏】
【高屋氏】【日下部氏】【栗栖氏】【勇山氏】【津門氏】【榎井氏】【高岳氏】
だそうだ。
訂正
>林檎使いのは>>>林檎使いには
71 :
日本@名無史さん:02/08/22 22:19
>>64 30巻もあるのは「旧事本紀大成経」じゃなかったっけ
72 :
日本@名無史さん:02/08/22 22:28
天理市といえば、物部の石上神宮なわけですが、
なぜか天理教の広大な敷地で石上神宮が隠されてしまっています。
天理教と物部にはなにか関係があるのですか?
どうして天理教は石上神宮の目の前を本殿にしているのですか?
73 :
日本@名無史さん:02/08/22 22:53
≪65
たしか8000円くらいで、先代旧事本紀は買えます。
オレは10巻本も21巻本も持っているけど、21巻本は昭和初期に書かれた
物だと思うよ。10巻本は平安時代前期に書かれた様だと言われているが、
偽書ではないと思う。扉の蘇我馬子が云々を後代の人が書き足したので偽書と
言われているが、その部分を書き足した人って、実は大変博学だったと思う。
蘇我氏は物部守屋亡き後、物部を名乗っていたのを知ってるひとだもの。
いま自宅で無いので、明日、版元を教えます。
たしか2社あったと思う。
21巻本(白河家本)には手を出さないほうがよい。限定販売で、めちゃ高い。
しかもウサンクサイ。(津軽外三郡史なみ。原本なんて存在しない)
天理教は幕末の新興宗教だから石上神社と関係ないよ
>72
和歌の枕詞で「八十の物部」とあるから、やたらと多い氏族だったのかなぁとか思ったり
77 :
日本@名無史さん:02/08/23 09:40
≪61,65,74さん
先代旧事本紀版元
1、先代旧事本紀 訓註 大野七三 編著 新人物往来社
6180円 ISBN-404-01611-5C3021 P6180E 平成元年に6180円でした
2、続日本古典全集 先代旧事本紀 附旧事紀直日 現代思潮社
13,000円 (昭和63年の価格)
その他、72巻本、30巻本あるがいずれも江戸時代から近代にかけて書かれたものです
72巻本は 先代旧事本紀大成経。30巻本は白川家本といいます。
1、2、でおすすめなのは 1、です。親切丁寧な書き下し文があって、どなたでも
読むことが可能です。(原典は和様漢文)
2、は重要文化財、天理図書館本をそのまま複写したもので、希少ですが、漢文の
心得が無い方は読めないと思います。
以上です。
>>61 ニギハヤヒ氏は古文、漢文は駄目か?
うーん、それは考えもしなかった。なぜだろう?十分ありうる
ことだったのに・・・
私は母校の宗教学科の書庫から「神道大系」の旧事本紀を
3ヶ月借りっぱなしにして読みました。
私は石上氏や石上神宮について勉強したかったので、
神道大系には「神社編 大神・石上」なんて巻もあって便利でした
(「大神」は大神神社。巨人の清原が結婚式挙げたところ)
「神社編 大神・石上」には神宮に伝わる古伝が載っており、
江戸時代に書かれたものなどはなんと子供向けだったりして
大変読みやすかったりします。江戸期のものだけに、史料価値
はまったくありませんが、内容は旧事本紀の初っ端とそんなに
変わりありません。史料価値などにこだわらなければこちらを
よんでみるのもいかがか?
79 :
日本@名無史さん:02/08/23 11:27
≪76
物部氏の支族については、先代旧事本紀にニギハヤヒの命が九州から河内に
降臨する物語のなかで、紹介されています。其の中に秋田物部とあるが、
これが気にかかっています。
もしかして、秋田県に物部を名乗る家系があるが、それと関係ないものかどうか?
是非先代旧事本紀を読んで八十の物部を研究してね。
>>76 大変多いです。私が学生時代に「新撰姓氏録」
(古代豪族の由緒をいちいち書いた書物。奈良時代?に作られた。うろ覚え)
にのっかっている「物部〜」(〜の部分にはカバネが入るを数えたら)
100超えてた気がします。姓氏録には600くらい?(だったかな・・・うろ覚え)
しか豪族の名前が載っていないのですが・・・
不思議なことに天神系の物部氏と天孫系の物部氏がいるんですね〜
みんながみんなニギハヤヒノミコトの子孫じゃないんです
82 :
日本@名無史さん:02/08/23 11:50
ニギハヤヒ氏
是非、新人物往来社版 先代を買って読んで下さい。
書き下し文には、全文字ひらがなが振ってあって、だれでも読めます。
読むと、考えが変わりますよ。
兄がヤマトに降臨して、弟が南九州に降臨しているのですから、古事記は
この兄の物語を意図的に記載してない謎が解けるかもしれませんよ。
83 :
日本@名無史さん:02/08/23 12:59
新人物往来社から出てた先代旧事本紀は多分今は品切れで
去年あたりに批評社から復刊されました。8000円ぐらいです。
ただ註は多少とんでも入ってるので原文と書き下しを参考にする程度がいいかも。
神道大系や国史大系にも先代旧事本紀はありましたっけね。
まあ一番手に入れやすいのは批評社のものだと思いますけど。
ちなみにどれも10巻本の話です。続神道大系には何故か72巻本もありますが。
70巻もあるやつは間違いなく旧事本紀大成経。
(略して旧事大成経)
85 :
日本@名無史さん:02/08/23 14:18
≪83
新人物往来社版、品切れですか。おしい。だれでも読める本が品切れとは。
でも神田あたりの古本屋にありませんかねー。
なぜか30巻本も持っている私。(30巻本も面白いけど疑問多し)
息子がヤマトを勝手に天孫に譲ってしまった事を激怒するオオクニヌシの命
なんて、何かドラマでも見ている様。この本4万円だったなー。
皆様、いろいろと情報有り難うございます!
正直、2chで、こんなに親切にしていただけるとは。。。
大変驚きつつ、感謝しておりますです。。。m( _ _ )mペコリ
さっそく読んでみたいと思います。
>>78 ん〜。。正直、古文・漢文には、あまり自信がありません。。
楽譜を読むのは得意なんですが。。。(汗)
ま、いずれにしても、旧事本紀、読んでみます。
ところで、いろいろとサイトをサ〜フィングしてみて、疑問に思った点がありはべりぬ。
ニギハヤヒは、河内に降臨する前に、出羽に降り立ったという伝説があるそうですが、
これって、何を意味してるんでしょうか?。。。
物部が機内に勢力を築く前に、既に勢力(これが八十の物部ですか?)があったということでしょうか?
あるいは、守屋の一子、那加世の出羽への足跡が伝説化されて、時系列も狂ったんでしょうか?
リンク:秋田・唐松神社の伝承・・・
http://www.kamnavi.net/mn/higasi/karamatu.htm 以下抜粋
神社発行の唐松山御縁起大略によれば、太古、鳥海山に降臨しこの地に居を構えた饒速日命が天祖三神を日殿山に祀り、十種の神宝を安置し日宮と称したのが創祀としている。
その後、饒速日命は畿内に降臨し、後裔の物部氏は神宮皇后の安産祈願と香具土神、宮毘姫命の御霊代を併せて大和国に社殿を建立したと記されている。
リンク:物部守屋の一子那加世の足跡・・・
http://www.kamnavi.net/mn/monohst.htm 以下抜粋
守屋にまつわる伝承は多い。生きて近江に逃れたと、近江浅井(滋賀県浅井郡)の波久奴神社に伝わっている。
他に、物部守屋大連命を祭神とする神社が、大和磯城(奈良県田原本町)村屋坐彌冨都比賣神社の村屋神社、 飛騨大野(岐阜県高山市)錦山神社、信濃伊那(長野県高遠町)
守屋社、甲斐巨摩(山梨県中巨摩郡)大輿神社、福島県に守屋神社三座と点々と連なっている。秋田の唐松神社を目指した物部守屋の一子那加世の足跡であろうか。
あと、秋田物部文書って、何ですか?
前記の唐松神社にあるらしいのですが。。。
87 :
日本@名無史さん:02/08/23 14:30
物部文書見たこと無い。でもずいぶん昔NHKで秋田の物部氏とヤマト大神神社の
タマフリの神事がおそろしく似ている事を特集した番組があり、
その特集雑誌もNHKから出ていたと思う。其の中に物部文書が写真入りで
記載されていたような気がする。
ヒフミヤイムナヤコト フルベユラユラ フルベユラユラ。
12345678910 振るべゆらゆら 振るべゆらゆら。
そう言いながら大きな鈴を振っていたが、なんだか本当は銅鐸を振っていたのでは
ないか?
誰か調べてちょうだい。
88 :
日本@名無史さん:02/08/23 14:40
ヒフミヤイムナヤコト → ヒフミヨイムナヤコトの間違いだった―。
しまった。しまった。
>>87 その呪文(?)は、どっかで見たと思ったら、
>>81で紹介して頂いたサイトの、
旧事本紀の現代語訳のページにありました。
リンク:
http://www.h4.dion.ne.jp/~munyu/kujihonki/kujiki.htm 以下抜粋
天神の御祖神は、みことのりして、天孫の璽(しるし)の瑞宝(みずのたから)十種をさずけました。
すなわち、
おき(字がコピペできんかったです)都鏡(おきつかがみ)一つ
辺都鏡(へつかがみ)一つ
八握の剣(やつかのつるぎ)一つ
生玉(いくたま)一つ
死反の玉(よみかへしのたま)一つ
足玉(たるたま)一つ
道反の玉(みちかへしのたま)一つ
蛇の比礼(へびのひれ)一つ
蜂の比礼(はちのひれ)一つ
品物の比礼(くさぐさのもののひれ)一つ
の十種です。
天神の御祖先神は、次のように教えられました。
「もし痛むところがあれば、この十種の宝を、一(ひと)二(ふた)三(み)四(よ)五(いつ)六(むつ)七(なな)八(や)九(ここの)十(たり)といってふるわせよ。ゆらゆらとふるわせよ。このようにするならば、死んだ人は生き返るであろう。」
これは『布留の言(ふるのこと)』の起源です。
読んだだけであって、ぼくも、この『布留の言(ふるのこと)』の意味はわかりません
まして、秋田とのつながりなんて、もっとわかりませんが、
とりあえずのご報告です。
90 :
日本@名無史さん:02/08/23 14:56
≪86
そのサイトに書かれていることが、秋田物部文書の核心です。
91 :
日本@名無史さん:02/08/23 15:12
ニギハヤヒ氏
核心に迫ってきましたね。トクサノカムタカラの中の鏡、剣、玉、
は現在でも王権の印ですよね。(天皇即位の大礼でこの三種の神器が渡された。)
ではヒレとは何でしょう? 私は銅鐸だと思っています。
何故神器からヒレが落ちたのでしょうか? いつ落ちたのでしょうか?
これもだれか調べてちょうだい。
92 :
日本@名無史さん:02/08/23 15:13
戦国時代にも物部姓名乗ってる奴いた
>>91 直接の答えにはなりませんが。。。
リンク:
http://homepage1.nifty.com/fumio-y/honoo0034.htm 以下抜粋
中矢伸一氏の「封印された日本建国の秘密」(日本文芸社)が図書館に入ったので、
早速借りると驚いたことにその答えが載っていたのである。
氏は品物比礼(くさぐさのもののひれ)を銅鐸との説を立てている。
(中略)
「銅鐸=弥生式時代の遺物で、扁円筒形をしている青銅器。
近畿地方を中心に分布する。釣鐘形をなし上方に大きいつまみ、左右に狭いひれがあり、大きさは
二十-百五十センチほど。幾何学的文様、又、動物や農耕生活などの原始絵画文を描いたのもある。
用途については不明だが、一種の楽器で、地方豪族の祭器であったろうといわれる」
(三省堂、広辞林より)
「鐸=シナで、昔、民衆に政令を発布するとき、文事に木鐸(鈴の舌が木製のもの)、
武事に金鐸を振った」
(三省堂、漢和辞典より)
。。。だそうです。
「左右に狭いひれがあり。。。。」というのは、広辞林編者の主観もあろうかと思われますが、
とりあえず、銅鐸=ヒレであっても、おかしくはなさそうですね。
ちなみに、ここに銅鐸の大きな画像がありました。
リンク:
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/DOTAKU/HOME.HTM 銅鐸の音なんかも聴けて、面白いサイトです。
ところで。。。ここで、
>>87さんの言う「大きな鈴」が気になるのですが、
銅鐸の音は、まさに大きな鈴の音のようにも聞こえます。
それに、神社にはつきものの鈴。。。あれの紀元はもしかして。。。?
などと、思ってしまいます。
95 :
日本@名無史さん:02/08/23 18:30
≪93
鰭は絹のキレとの説もあります。黄幡(魏が卑弥呼に渡した。)との説も
あります。
でも私は、銅鐸と考えています。その訳はニギハヤヒノミコトがレスした
通りです。
初期の銅鐸を綾環肘(字が違っているかも)式銅鐸と言い。九州、中国地方西部、
出雲で発見されています。これは本当に初期の銅鐸で、鰭が比較的未発達です。
その次から鰭が大きく発達してきて、最後期三遠式銅鐸の鰭は大変意趣に富んで
大きくなっています。
鰭には流水紋もありますが、菱形のウロコ紋が多く、これがトクサノカムタカラ
の蛇の鰭を暗示させるのです。
サナギとは銅鐸の事と言われておりますが、鰭は銅鐸の隠語であったのではないで
しょうか?
私はオジン(死語か?)なので、もはや精力的に動くことができません。
若い皆様の探究心と熱意ある研究を拝見させていただきます。
みんながんばって。付き合ってくれてありがとう。
96 :
日本@名無史さん:02/08/23 19:32
↑
時々覗きにきますよ。
それと銅鐸のサイトには大きな間違いがあります。銅鐸はつるして叩いたのでは
ありません。銅鐸の中に舌(ベルの中にあるものと同じ)を入れて、
両手に持って振ったのです。
その証拠に肘には紐で吊った痕跡がありません。そして銅鐸表面が磨耗しているのです。
手にもった証拠です。
つまり、回りくどくなりましたが、ヒフミヨイムナヤコト フルベユラユラ とは
銅鐸を両手で持って静かに振る 神事の祝詞なのです。
現在大きな鈴で代用しています。
97 :
電波系どしろうと:02/08/23 19:33
物部氏は、東海から関東に勢力のあった氏族です。千葉県の鹿島神宮と香取神宮は、物部氏に由来する神社です。
銅鐸は、古代共通の祭具だったので、特に物部氏との関係が深い物ではありません。
太古より、熱田(愛知県)あたりの港と海上ルートがあって、それによって畿内との結び付きがありました。
大和政権に取り込まれたのもその為、滅ぼされたのもその為。
軍事を担当した氏族となっていますが、実際には軍事専門の氏族と言うより、都で必要な人夫を拠出する氏族でした。
当時の戦は、人の数で決りましたから。武器は大和で用意し、普段は石神神宮が武器庫でした。
東海から関東というと実に広大な勢力圏に思えますが、農耕の進まない人口希薄な土地ですから、実質では大和・河内の方が上です。
多くの兵士・労役夫を拠出したのも、食料が中央から支給された為です。
東北の安部氏が、逃げ延びた物部氏の末裔という話はウソです。
98 :
日本@名無史さん:02/08/23 19:38
≪ほんとうに素人ですね。
99 :
日本@名無史さん:02/08/23 21:24
>>94 鈴は、神様をお呼びする時に案内の音として、鳴らすものです。
お神楽で、巫女が手に持つ鈴も同じです。歴史的には平安くらいからのものでしょう。
本来(古代)、神事に音は禁物で、当然楽器の演奏もありません。
神主の「ぅお〜〜〜お」という発声で神が降りてきます。音はその時の声のみ。
祝詞も口の中で微音で読むのが本来です。
>>99 >本来(古代)、神事に音は禁物で〜
では、あなたは、銅鐸はどのように使ったと思いますか?
中に棒や角なんか入れて揺らしたら、イヤでも音は出ますよ。たぶん。
>祝詞も口の中で微音で読むのが本来です。
これについては、即座に皇室の行事をニュースで見た時のことを思い出しました。
宮内庁の職員が、正装(束帯だったかな?)で、ブツブツと。。。
誰にも聞こえてはイカンのだとか言ってました。
101 :
日本@名無史さん:02/08/23 22:04
>>100 たから〜、銅鐸は地面に置いて使うの!
中のゼツは、あるのと無いのがあるでしょ、出土品の中に。それに大きいのは手で持てないよ。
大型でも断面は薄いよ、驚異の鋳造技術。鋳型は内と外があるけど、砂型ではなくて素焼きの土器で作る。
取り出す時に壊れるから、い型が出ないののも不思議ではない。砂型なら、逆にその元になる木型が出土するはず。
土器型だと鋳型を予熱しておけるから、薄く大きいものが鋳込めた。
だが、形やゼツを持ってる物もある事から、おお元は鳴らす鐘だろうな。
日本人は、外来から入って来た物を、別の用途に発展させる事が多い。
ポリネシア辺りかな、米軍の空きドラム缶で、独自の太鼓作った島あるだろ。
なんか、あれに似てて惨めだな。日本の古代って。
102 :
日本@名無史さん:02/08/23 22:29
>>101 あんたは、何キレてんの?
ニギハヤ氏は、ちゃんと『旧事本紀』という資料をもとに言ってんのに、
その態度は大人気ないぞ。
手で持てなくたって、横木にでも吊るせば揺らせるしな。
それとも、地面に置いてたっていうソースでもあるの?
是非きぼんぬ。
あとなあ、
>ポリネシア辺りかな、米軍の空きドラム缶で、独自の太鼓作った島あるだろ。
>なんか、あれに似てて惨めだな。日本の古代って。
これじゃ、あんたの文章が惨めだよ。
多分、コスタリカのスチールドラムの事を言いたいんだろうけど、
あの澄んだ音は、他の楽器からじゃ得られないものがある。
それに、楽器というのは、得てして廃品から作られたりするんだよ。
だいいち、ドラム缶→惨めという安直な発想が貧困だし、
何よりコスタリカの人や、スチールドラムが好きな人に失礼だ。
>>94のリンクで、銅鐸の音でも聞いてから出直してきな。
はい、改めます。
ですが、銅鐸のソースは明かせません。
ただ、私は信じている・・・と言いたい。
私は本物をまじかに見たけど、大きい物は威圧感さえあって、ただ不気味で・・・。
黒っぽくて、意味不明の絵があって、ずん胴で・・・まるでモノリスの様で不気味で。
何というか、現代に伝わってる神社とかのイメージとは、似ても似つかない全く別物の祭具の様で。
神聖な雰囲気は全く無く、土俗的な温かみも全く無く、ただ不気味で。
本当に、我々の先祖が用いたのかと思うくらい、異質で。
滅ぼされた古代の民の恨みでも篭っているんだろうか・・・。
104 :
日本@名無史さん:02/08/23 23:25
>>103 >ただ不気味で・・・。 黒っぽくて
できたての銅鐸は「金色」に近い色で光り輝いていると思うが。
モノリスには全然似てないと思う。
>>104 >>できたての銅鐸は「金色」に近い色で光り輝いている
当時は、黄金の輝きを保つ為に磨いていたのかな・・・
>>96 銅鐸表面が磨耗しているのです
中国では、鋳造師は神の如く敬われたとか。
私は、脅威的な技術に素直に敬意を示す態度と、神を敬う態度はそれほど違わないと思います。
仏像で言うと、仏師は製作中は足で踏んづけたり、乗っかったりして彫りますが、
最後に髪を紫に塗って完成した瞬間、それは「仏」になるそうです。
仏師の製作物でありながら、手を離れた瞬間から「仏」になる。これが、技術と言うものの深遠な不思議さです。
それと、青銅品はロクショさえ生じなければ、ほっとくと黒くなりますよ。
106 :
日本@名無史さん:02/08/24 00:00
>>105 >ほっとくと黒くなりますよ。
もともと銅鐸は長期間使用することを前提とするものな
のだろうか?
副葬のため埋めておくなどの用途をのぞけば。
>>95 >>鰭には流水紋もありますが、菱形のウロコ紋が多く、これがトクサノカムタカラ
の蛇の鰭を暗示させるのです。
私は、道成寺の安珍清姫の物語を思い出しました。
安珍の隠れている鐘を、大蛇となった清姫が取り巻き、焼き尽くしてしまうのです。
伏せた鐘の中から、何かが生まれるという逸話があったりします。
これは銅鐸の使い方が由来しているのではと・・・。
銅鐸は、農耕に関わる弥生の神事ですから。
108 :
日本@名無史さん:02/08/24 02:32
ん〜、何か、話が横道にそれつつあるようなので、論点を整理させてください。
(1)物部氏は、どこから来たのか?
(イ)物部氏の祖、ニギハヤヒとは、どのような人物と想定されるのか?
(ロ)唐松神社の「秋田物部文書」にあるように、畿内進出以前に物部の勢力が他の地方に存在したのか?
(ハ)ニギハヤヒは、どこから「降臨」したのか?
(ニ)ニギハヤヒの河内降臨の際に「付き従った者たち」とは何者だと想定されるのか?
(ホ)「天の鳥船」とは、何だったと想定されるのか?
(ヘ)「天の磐船」とは、何だったと想定されるのか?
(2)「旧事本紀」から、古代の祭祀(銅鐸の使用法に関わらず)との深い関わりが窺えるが、その際に果たしていた役割は?
(3)物部氏と皇族との関係は、どのようなものだったのか?
(4)「古事記」には、なぜニギハヤヒの神話の記述がないのか?
(5)物部氏と邪馬台国の間に、何があったのか?・・・あるいは、なかったのか?
(6)神武東征の伝承は、何を意味するのか?
とりあえず、こんなところでしょうか。
どんどん意見を出して頂ければと思います。
109 :
日本@名無史さん:02/08/24 03:55
文房具板から来ました。
ウチの板も、こんな板あったのか、とよく言われますが、日本史板も
今日まで知りませんでした。
それで、前から気になってたこと、質問させてくだされ。
とゆーのは、物部氏は蘇我氏に潰された、蘇我氏は、誰だっけ、
後の天智天皇と中臣鎌足にヤラれた、と記憶してます。
歴史は中学高校以来、まともに触れる機会が少ないので。。。
で、ここからが本題。
蘇我氏にしても、物部氏にしても、一族郎党皆殺し、というわけでは
なかったと思うんです。中には、反主流派みたいなヤシもいたとはずだと。
そういうヤシらは、氏族の主流派が逝った後も、物部、蘇我を名乗っていた
はずですが、大化の改新の後、蘇我氏の残党はどうなったのでしょうか?
その後も細々と生きつづけて、例えば平安時代にも、下級貴族として
その末裔は存在してたのでしょーか?
おしえてちょーだいな。
110 :
日本@名無史さん:02/08/24 11:55
111 :
日本@名無史さん:02/08/24 17:57
>>108漏れもよくわからんのだが
ひとまず
>>86のリンクは、物部守屋の直系の子孫が落ち延びた傍証では?
>リンク:物部守屋の一子那加世の足跡・・・
http://www.kamnavi.net/mn/monohst.htm 以下抜粋
守屋にまつわる伝承は多い。生きて近江に逃れたと、近江浅井(滋賀県浅井郡)の波久奴神社に伝わっている。
他に、物部守屋大連命を祭神とする神社が、大和磯城(奈良県田原本町)村屋坐彌冨都比賣神社の村屋神社、 飛騨大野(岐阜県高山市)錦山神社、信濃伊那(長野県高遠町)
守屋社、甲斐巨摩(山梨県中巨摩郡)大輿神社、福島県に守屋神社三座と点々と連なっている。秋田の唐松神社を目指した物部守屋の一子那加世の足跡であろうか。
ニギハヤヒ氏、コピペさせてもろた。
蘇我氏は知らん。
112 :
日本@名無史さん:02/08/25 09:47
>>108 ニギハヤヒと、降臨の際に付き従った者たち・・・というのは、
倭の海の民だったと思われ。
(ソース:
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-64.htm)
>「日本」は古来「倭」と呼ばれてきたと思われているが、実は「倭」と「ヤマト」は似て非なるものだ。
>「中国人」(中国人とは何かというのも非常にやっかいな問題ではあるが)は「倭」や「倭人」をどのように認識していたのか。
>これは時代によって変遷しているが、基本的には中国東方の「海人」(海の民)を指している。
>(中略)
>畿内で政権を構成し、臣・連として登場する氏は、渡来の早い遅いはあるものの、
>ほとんどが加羅人(あるいは百済人)であったと思われる。王を中心にした畿内豪族の連合がヤマト政権である。
>これに対し、出雲・北陸、東海・関東地方、それに北九州の一部には高句麗または新羅の地を出自とする諸部族が多くいたと思われる。
>彼らは、朝鮮半島の情勢を見守りながら、出身同族国家と連動しての自立や政権奪取の機をうかがっていた。
秋田物部文書や、新潟県村上市の石船神社の伝承にあるように、
海の民(倭人)は、北陸の各地に上陸し、そこから(あるいは同時に)筑紫も征服したと思われる。
(ソース:
http://www.iwafune.ne.jp/~matajoe/matsuri1.html)
>町の住民に広く知られているのは「昔、 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神様が、
>磐樟(いわくす)の舟に乗っ て、この浜にお着きになられた」ので岩船と呼ばれるようになった、
>という伝説である。
>(中略)
>町に伝えられる伝説には続きがあって、
>「この神様が一夜の宿を求めたが、町の衆は鮭の鮨しを作るのに忙しく皆断った。
>ある一軒の家 が、今お産が始まるところだがかまわなければということで、この神様を家に泊めた。
>そのため一般に神事においてはお産を忌むが、岩船 ではお産と祭礼が重なってもかまわない。」
>というのである。
(お産云々が何を物語るかは、「この地域の祭祀に影響をおよぼした」という以外は不明)
ところで、実際に筑紫に物部氏の勢力があったのか?
それを物語る材料の1つに、「クシ」があるようだ。
漏れは、「クシ=チクシ(筑紫)」と考える。
(以下のサイトでは、「トヨ」についても言及している。)
(ソース:
http://www.genbu.net/zatu/zatu012.htm)
>古代、北九州の遠賀川河口近く(筑紫:チクシ)から河内・大和へと移住してきた氏族らしい。
>『和名類聚抄』などでは、北九州一帯の地名と、河内・大和の物部氏族称との一致が見られることで、
>それは史実であるようだ。
>『旧事紀』では、物部氏祖神ニギハヤヒは、「天照国照日子天火明奇甕玉饒速日尊」と表記されている。
>クシミカタマニギハヤヒだ。
>このニギハヤヒを祀る式内社に、奈良県大和郡山市の矢田坐久志玉比古神社がある。
>ここでは、クシタマとなっているが同じ神だ。
そして、摂津に上陸した・・・それが「天の磐船伝承」の真相ではないんか?
反論あったら、きぼ〜ん。
113 :
日本@名無史さん:02/08/25 10:55
物部氏が海の民だったとして、何で日本に上陸したのか?
114 :
日本@名無史さん:02/08/25 11:17
>>89 十種神宝(トクサノカムタカラ。
石上神宮の祭神三柱の一つ、布留御魂の別名)、
私は
オキツカガミ
ヘツカガミ
ヤツカノツルギ
イクタマ
タルタマ
チカヘシノタマ
マカルカヘシノタマ
へミノヒレ
ハチノヒレ
クサグサノモノノヒレ
の十種、と覚えてましたが・・・
ソースは「神道体系 神社編 大神・石上」の
石上神宮の古伝です。いくつか古伝が載っており、
そのどれもがこの読み方でしたけどね?
で、「ちがえしのたま(道返しの玉)?・・・どっかで聞いたな・・・あっ!」
「テテテ テテテテッテッテッテ テテテテテテッテテ(前奏)
♪ヒットポイント回復するなら 傷薬〜と 宝玉で
瀕死大変仲間を助ける 地返しの玉と 反魂香
石化回復 ディスットーン 毒で痛いよディスポイ(以下略」
人気RPG、「女神転生」シリーズではおなじみのアイテム、
「地返しの玉」は元ネタが「道返しの玉」、もしくはチガヘシノタマという
訓だけ見て間違った漢字を当てた、かのどちらかでしょう。
「メガテン」シリーズには、同じく石上神宮の主祭神、神剣フツノミタマも
アイテムとして登場します。
こういう方面から興味を持つのもアリ、ですね。
フツノミタマ、フルノミタマ(の一部)はメガテンに出てくるのに
もう一つのご神体、タケフツオオカミの立場は・・・
115 :
日本@名無史さん:02/08/25 11:52
>>114 興味を持つにはいいだろうが、メガテンではその先の進展はないと思われ。
A:メガテンで興味を持ちました。
B:よかったね。それで?
となるのがオチである。
それに、
>>86-107は、秋田物部文書や旧事本紀を元に、物部氏の動きを祭祀の側面からつきつめようとしとるんであって、
そのレスでは見当違いと思われ。
それとも、読み方の違いから何かの問題提起をするつもりなのか?
漏れには同じ物を指しているとしか思えんが?
あと、「メガテン」って、所ジョージの番組かと思ったぞ、一瞬だけどな。
116 :
日本@名無史さん:02/08/25 12:10
≪99、101、103 さん。
神事についてご存知の様子。近年の神事は明治以降、神社庁によって
神事の内容を統一しております。
またそれ以前は中臣神事といって、中臣氏(藤原氏)が神事と取り仕切って
いた時代があります。それに抵抗したのが、物部系神事を物部本宗家が亡き後
取り仕切っていた斎部(忌部)氏です。(古語拾遺を読んでね。)
つまり神事は現在国家の名の元、統一されているのです。(従わない神社5社?)
神事で音を出すことは厳禁ということは誤解です。
ヤマトの大神神社(オオミワジンジャ)のタマフリ神事では、現に大鈴を
神主が両手でもって、呪文を言いながら静かに振っています。
また出雲大社では、巫女が両手に鈴を持って、太鼓に合わせながら、拝殿の
中で舞を舞います。これも神事です。 わかりますか。
銅鐸は手に持てないほど大きい。 たしかにそのような大きいものが多くあります。
でも手に持てるくらいの銅鐸は、表面が磨耗しているものが大多数です。
大きな銅鐸は俗に、見る銅鐸と申しまして、磨耗した個所がありません。
見る銅鐸と神事に使う銅鐸があったのです。
両社の比率は、出土品の総数から、見る4、神事6、位です。
117 :
99,101,103ではないが:02/08/25 12:22
>>116 本題とはそれるが、見る銅鐸として使った傍証でもあるのか?
>>102が言うように、手で持たずに、吊り下げて(極端に言えば鐘楼のように)使ったということはないのか?
そういう使い方ならば、表面の磨耗は無いと思われるが?
>>115 大丈夫、大丈夫。
114は個人的に道返玉の話をしたかっただけだから。
俺、秋田物部文書なんて解んないもん。
天の磐船、とか完全に神話の部分は
「検証しようがないな」と思ってパスしてたから。
俺が物部に興味持ったのは大河ドラマ「炎立つ」
で、出羽の「物部の子孫」を称するシャーマンの一族が
安部氏や藤原経清らを支援している、ていう設定だった。
で、大学行って勉強してみようかな、て気になったんだから
きっかけも馬鹿にできないよ?
119 :
日本@名無史さん:02/08/25 16:37
≪117さん
大型の銅鐸に磨耗した個所が見られないと申しましたが、釣り手の処を
紐(チュウ)と申します。
ひもか、縄で吊っていたのなら、そこに痕跡が残るはずなのに、吊った
痕跡がないのです。これを磨耗した個所が無いと申したのです。
仮に何かにのせて叩いたのであれば、銅鐸は青銅ですから、必ず磨耗します。
しかし胴の部分にも磨耗は見られません。
ということは、結論からして、大型銅鐸はどこかに鎮座ましていたと考える方が
無難というものです。
それに、大型銅鐸は絶対吊れません。もしかして御貴殿は大型銅鐸をよく観察
したことが、ないのではないですか?
もし、吊ったら紐が壊れます。 それほ銅鐸の紐は薄く出来ているのです。
但し例外もあって、最初期の綾環紐式銅鐸は紐が厚く出来ていますので、吊るす
ことは可能であったと思います。
この綾環紐式銅鐸は銅鐸の元になった朝鮮式小銅鐸の伝統を受け継いでいますので
吊るして神事に使用した可能性があります。
さきほど、申しましたように、斎部広成が書いた古語拾遺に矛に銅鐸をつけて
舞ったと書いてありますよ。(もちろん考古学用語の銅鐸とは書いてませんが)
120 :
日本@名無史さん:02/08/25 17:02
↑
とここまで書きました。後はニギハヤヒ氏と石上氏の研究に期待します。
そう言われても俺銅鐸に興味ないもん。どっちかというと「剣・矛」のほうが・・・畿内では武器をまつる習慣のなかったのに、なぜ石上神宮は武器を祭神としているのか?なんて方向で攻めてたから
122 :
日本@名無史さん:02/08/25 22:31
>>120は、言動が考古学関係者(大学関係者など)っぽいなぁ・・・
ちがうのか?
123 :
日本@名無史さん:02/08/26 00:53
>>118 漏れも、テレビのトンデモ番組(番組名は忘れたが、確かテレ朝)で、
阿波の物部村(ものべそん)てトコに伝わる、物部の末裔という肩書きのイタコを見た。
当然漏れは物部=胡散臭いっていう印象ができあがった。
最初の取っ掛かりは大事だネってお話だな。
124 :
日本@名無史さん:02/08/26 11:32
>>122 俺もそう思う。どっかの助教授か?
それとも、院生あたりか?
125 :
日本@名無史さん:02/08/26 17:57
≪108
解答(正解とは言えない。問題提起)
(1)北九州。今の北九州市近辺遠賀川河口あたり。
(理由。物部氏が多くいた。八十物部を分析地名と整合)
イ 二代目アマテラスの子供。長男?弟はかの有名なニニギノミコト。
ロ ?
ハ 筑紫から河内へ。
ニ 八十物部。
ホ イナウ(御幣)鳥の化身で願い事を神に届ける道具。
ヘ 大きな楠で作った船。(オオクスフネ)
(2)祭器。
(3)同族。
(4)古事記には火明命(ホアカリノミコト)と一行ある。
日本書紀にはニギハヤヒと実名で出る。(神武東征)
(5)?
(6) 今後の研究に待つ、学者はダメ。自分のイデオロギーを前面に
出してはいけない。ボルシェビキでも皇国史観でもいけない。
冷静で客観的な考察をお願いします。
126 :
ハワイ・マしー沖海鮮井:02/08/26 18:19
物部氏は仏教嫌いで有名だったのです。でも維新前まで
名目上全員仏教徒にされちゃったので・・・
127 :
日本@名無史さん:02/08/26 18:43
>>119 埋めて、掘り出す
という祭儀(っていうんですかね)に使っていたのでは?
という話を聞いたことがあります。あり得そうでしょうか。
128 :
日本@名無史さん:02/08/26 19:06
≪121
先代旧事本紀 にはミオヤからトクサノカムタカラを賜り使い方も教わった
とある。
古事記の文章を検討するに。ニニギノミコトがヒムカに降臨する場面があるが、
やはり神器を賜っている。しかし降臨の内容の詳しさでは先代旧事本紀の内容
に及ばない。しかもニニギが行った所はソシシノムナクニ(何も無い国)であった。
兄、弟で葛藤があったのではないか?
本家を奪おう(なんかテレビドラマみたいだが。)と子孫が思った。
ニニギが賜った神器は詳細に書かれていないためよくわからないが、鏡と玉と剣
であったらしい。鰭は無いようだ。
伝承では神武は日向からヤマトに入ったが、その時以来神器が鏡、玉、剣になったのでは
ないだろうか?。
但し戦争があったとは限らないと思う。あったかも知れないし、無かったかも知れない。
祭器の青銅器は剣も矛も銅鐸も殆ど同時期に地下に埋納されている。
そして新たに鏡が神器の第一等になる。どうしてだろう。
政治的統合があったとしか考えられない。おそらく大王が生まれたのだと思う。
129 :
日本@名無史さん:02/08/26 19:33
≪127
大いにあり得ます。
昔は銅鐸の埋納は銅剣を祭器とする種族に襲われて隠匿したのだ。という
説もあったのですが、最近では銅剣も銅矛も銅鐸も殆ど同時期に埋められて
いるので、もしかすると一旦埋めたら掘り起こすことを考えていなかったかも
しれません。
熱田神宮の剣は木箱を何重にも重ねてその中に赤土があって。その赤土の中に
剣が入っていたと言うことですが、(江戸時代に見た人の記録。)
おお!興味深い議論してるスレ見つけた!
通な方がおられるようですね。及ばずながら知ってる範囲で加わらせてもらいましょう。
ニギハヤヒを語るのなら、みなさんどうして石切さんに触れないのですか?
大阪近郊の人がいないのかな。生駒山の象徴、石切劔箭神社。大阪人に最も愛され
ている神社の一つですね。ここの祭神がニギハヤヒと宇摩志摩治です。
石上神宮も確かに有名ですが、ニギハヤヒの社といえば間違い無くこちらが正統でしょう。
石上は剣の魂を祭る過程で宇摩志摩治や物部氏の名前が出てきているのだと思われ
ます。東征で神武を助けた布都御魂を、同じく神武側についた(寝返った?)ニギハ
ヤヒの子孫に祭祀させたというところじゃないですかね。
また物部氏が北九州から…というのもどうでしょうか。物部という名前自体が姓氏
が確立して以後の話ですから、名前が多い地域=その地の出自、とするのは少し危い
かと思います。例えば出雲の地史にも物部氏は多いですが、地元の研究者によると
その多くは大和朝廷成立後に入ってきた可能性が高いそうです。
131 :
日本@名無史さん:02/08/27 10:53
>>130 >ニギハヤヒの社といえば間違い無くこちらが正統でしょう。
何をもって正統なのかわからんな。
ちなみに漏れは東京人なので、詳しくはないのだが、
交野市の磐船神社のほうが、ニギハヤヒの社としては上ではないのか?
あそこは降臨した場所なんだろ?
132 :
日本@名無史さん:02/08/27 11:21
≪130
正統派の反論に答えるには、資料を用意して、3000文字
かけて再反論したいのですが、見てる人が入って来れなくなるので
簡単に書きます。
1、石切さんはおまかせします。
2、ニギハヤヒは物部氏ではありません。物部氏の祖先がニギハヤヒノミコト
なのです。
ではニギハヤヒとは何者。 卑弥呼の宗女トヨの子供でニニギの兄。
ニニギの孫が神武だから神武と同族。いや本家。
ではニギハヤヒの東遷につきあった物部とは。旧事紀が書かれた頃には
物部氏の支族と思われていた一族。血縁があったかどうか判らない。が
一族郎党の類と考えたほうがよい。
旧事紀には〇〇の物部という言い方をしていて、〇〇とは地名です。この
地名が北九州の遠賀川河口の地名と一致するものが、8件もある。
また旧事紀には筑紫(北九州)から天下ったと書いてある。
したがって旧事紀の記載を基にすると、という前提では物部氏は九州から
来たことになります。
この板は物部氏を語る板なので、旧事紀を基にして何が悪い。
だれでも読める新人物往来社版 先代旧事本紀を読んでくれ。
ちょっと挑戦的な表現(卑弥呼、トヨのあたり。)だが、再反論を待つ。
133 :
日本@名無史さん:02/08/27 11:32
↑
今は物部と書いてモノノベと読むが、かつてはモノノフと読んだ可能性も
あるのでは。〇〇の物部とは兵士の集団だった可能性もあるのでは。
後に氏族名になったときモノノベになった可能性はないか?
134 :
日本@名無史さん:02/08/27 17:24
>>132 >ではニギハヤヒとは何者。 卑弥呼の宗女トヨの子供でニニギの兄。
>ニニギの孫が神武だから神武と同族。いや本家。
ここらへんはどういう根拠で?
もしかして、ここのスレの方はわかるのかもしれないけど、ドシロウトには・・。
あっ、ドシロウトは立入禁止でしたら、すいません。
でも、教えてもらえたらうれしいです。
しばらくご無沙汰してた間に、大分レスが増えていて、ビックリしました。
ところで、
>>132の
>卑弥呼の宗女トヨの子供でニニギの兄。
ですが、「トヨ」はオシホミミの妻のヨロズハタ「トヨ」アキツシヒメということでしょうか?
まぁ。。。その後のニニギの子、ホヲリ(山幸彦)の妻も「トヨ」タマビメだし、
神武天皇(実在かどうかは置いといて話せば)も、古事記に「トヨ」ミケヌノミコトとあるらしいですし、
「トヨ」あるいは、「豊」の国(豊前・豊後の辺り)の勢力との関わりはあるかもですネ。
137 :
日本@名無史さん:02/08/27 19:01
≪136
なんかゾクゾクしてきますね。この辺で系図なんかどうでしょうか?
>>131 んー、正統という表現がマズかったかな?ただあれだけ大きく、かつ有名に祭られ
ているのだから見過ごしてはイカンと思ったからね。おそらく大勢参拝している人達
の中でさえ、石切さんの祭神がニギハヤヒだと知らない人が大多数なんだろうし。
石切さんは元々大阪城の所在地にあった磐船神社を移して祭られた、と縁起にあります。
大阪城の前っていうと石山本願寺を思い浮かべるけど、詳しくは私もよう分からん。
ただ本願寺が石山にできたのは1496年だからね。それ以前にはここが磐船信仰、ニギ
ハヤヒを祭る本家筋だったのでしょう。
ただニギハヤヒが始めに降り立ったところは河内の国だったからねえ。交野市は確かに
ぎりぎり河内の範囲内ではあるけど、地元の目から見れば山城、大和との境目という
印象が強い。友人が住んでるので何度か行った事があるが、交通の便とか、住民の雰
囲気から言ってあれはむしろ山城の国だと思うよ。(個人的見解だけども)
伝承から判断するならば、河南町の磐船大神のほうが有力だと思うけどな。
要はニギハヤヒはこっちの葛城山の西北部に降臨したって事じゃないのかな。葛城山を
挟んだ東部に葛城、巨勢、羽田、蘇我と言った畿内在地の有力氏族が支配地を持って
いた事を考えるとね。交野は山城に寄り過ぎてると思う。
面白い点は、どの神社も山とか巨石を御神体にしているという事。大神神社も磐船神社、
磐船大神ともにね。石切さんは神武が蹴上げた石が霊石とされているけど、本来は
生駒山自体が御神体なんじゃないかなあ。大神の三輪山と同様にね。
これから考えると、やはりニギハヤヒの系列というのは、天照信仰とは別の流れを
持っていた集団だったのではないかな。
長いので分けました。
>>132 確かにちょっと冒険してますなあ。
物部氏の祖先がニギハヤヒというのは分かってますよ。ただ宇摩志摩治を一緒に祭って
いることから、磐船や剣を祭った神社ではなく、明らかに祖先を祭った神社という赴き
があるのではないか、と言いたかったんです。
トヨの子、ニニギの兄との事ですが…(w
どうしてもヤマタイにくっつけないとダメですか?分けて考えないとこんがらがると
思うんだけどな、毎度言うんですけども。(w
古事記は確かに旧事紀を意識して書かれた節があると思います。よって天孫降臨の
話が同じパターンで書かれているだけで、実際のところは兄弟とかそういうのでは
ないと思うんだけど…。つまりは畿内に入ってきて、政権をともに支えたという背景
を汲んで、兄弟みたいな書き方をしてるんじゃないですかね?(古事記の方でね)
同族とか本家とかいうのとはちょっと異なるような気がします。
それから >旧事紀には筑紫から天下ったと書いてある、 とあるけど本当ですか?
私は部分的にしか旧事紀の訳を読んだ事がないもんで。河内に降臨した、とは書いてる
けど、来た所は書いてたっけ?よければ説明下さい。
トヨはねえ…。あまり触れると、また……ねえ(w
参考だけ提示しときましょう。前のレスで書いた磐船大神ね、ここはニギハヤと一緒に
豊受大神も祭ってます。また大阪城以前にあったとされる磐船神社、ここには比売大神
も祭っていたとの事です。比売大神といえば豊前の宇佐八幡ですよね。(w
またニギハヤヒを媛社神と同一神とみなす、ないしは一緒に祭るというのは、近畿と
北九州にしか見られない風習だそうです。
>>135 わざわざリンクごめんね、ありがとう。
本を流し読みしてると頭に入らないから、略系図は便利ですね。
昔読んだコミックでは、元になっている話はあると思うけど、
ニギハヤヒ=オオドシ=オオモノヌシ=スサノオの息子
ってことになっていましたが、どうなの?
142 :
日本@名無史さん:02/08/28 11:24
>>141 スサノオの息子ってのは、
ニギハヤヒノミコトが天神から授かった十種神宝(別名フルノミタマ)
の中に蛇のヒレ、蜂のヒレの二種があるからだろう。
スサノオが出雲の国で、大国主命の娘(スセリヒメ?だっけ?)
を嫁に欲しい、と言ったら、大国主命は、その資格があるかどうか、
ある部屋にスサノオを閉じ込める。その部屋は蛇やら蜂やらがうようよしている
部屋で、何も知らないスサノオはスセリヒメがこっそり届けた
ヒメ愛用の「ヒレ」で難を逃れた。大国主命は翌朝平気な顔で部屋から
出てきたスサノオを見て、「大したもんだ」と思い、ヒメを嫁にやった・・・
て話の、「ヒレ」と同一と見られてるから、かもね。
また、同じく石上神宮の祭神のひとつ、神剣フツノミタマも
スサノオがヤマタノオロチの尾を斬ったときに出てきた
「十握剣(トツカノツルギ)」と同一とされてるし、
スサノオと物部氏はそんなに縁がないわけではない。
ちなみに大和地方ではオオモノヌシはオオクニヌシと同一、とされるので、
オオモノヌシ=スサノオの息子では訳がわからない。
オオモノヌシは神話では蛇のカッコで表れるので、つくづく
蛇に縁があるね、物部氏の祖先は。
おいらは物部氏の祖先がだれか、とかは詳しくないんでこの辺で。
143 :
日本@名無史さん:02/08/28 12:04
>>130 正統もなにも石上神宮の御祭神は
布都御魂大神 ふつのみたまのおおかみ
布留御魂大神 ふるのみたまのおおかみ
布都斯御魂大神 ふつしみたまのおおかみ
五十瓊敷命 いにしきのみこと
宇摩志麻治命 うましまじのみこと
白河天皇
市川臣命
で、ニギハヤヒノミコトは祀られちゃおらんのだけどね・・・。
二代目のウマシマジノミコトは祀られてますけどね。
で、問題は市川臣ってやつですよ。
この市川、(または市河)姓が春日臣なんです。
春日氏なんですこいつ。春日氏はれっきとした皇別氏族、
(つっても多分渡来系だろうけどね。元は和邇氏となのっていた)
神別氏族の物部氏とは別系統なはずなのですが・・・
しかしながら!春日臣市河は物部氏の祖先か?
と問われたら答えはイエスなんです。不思議ですね〜。
話はそれましたがいずれにせよ物部氏は興味を引く謎が多くて
非常に面白い題材ですね。
お勧めです。
144 :
日本@名無史さん:02/08/28 17:42
>>142 「オオドシ=スサノオの息子」はいいんだよね?
145 :
日本@名無史さん:02/08/28 17:45
[警告・危険]
2チャンネルでの書きこみは直ちにやめて下さい。
私はここに書き込んだために、アドレス帖の中身を覗き見られました。
これは嫌がらせではありません。
[警告・危険]
>>145は意図不明ですねぇ。。。
他のスレには同様のレスがないですし。。
このスレを貶める目的ならageてるのはヘンですしね。。。
ま、気にしないで行きましょう。
>>142 ん〜?んん、ん〜?
ちょっと違うんでないかい?スセリヒメはスサノオの娘で、嫁にしたのが大国主
だよ。逆になっちゃってるね。
>>141さんが言うように、フィクションではこれらがよく同一視されているけど、
実際のところは全く別物だと思うな。大国主=大物主なんかは特にそうで、大物主
はあくまで本家から分かれた分家さんだと私は思ってます。スレ違いになるんで
留めますが、あとスサノオの直接の血縁子孫として大年、大国主が出てくる(古
事記ではそうなってますが)辺り、ここも本来は文化習俗的に差異があるはずなの
で、おかしいよな〜とか感じています。
ついでに蛇信仰については、某スレでミジャグジについて書いたのですけれど、
深くなり過ぎてついてこれなかったみたいで。興味ある方は調べてみると面白い
発見があると思いますよ。
>>143 はい。私は分かっておりますです。ですから石切さんを上げたのです。それまでの
流れがどうも剣とか神宝、磐船といった「物」に集中していたようですので。やっ
ぱり物部氏を語る、その祖ニギハヤヒに触れるからには……と思って主旨に沿った
お話を上げさせてもらいました。
春日臣についてですが。これは確か孝昭の長子、天押帯日子の系列ですよね?ならば
ニギハヤヒ(引いては物部氏)にも何らかの関わりがあるかもしれませんね。
148 :
日本@名無史さん:02/08/29 11:09
他はともかく「品物の比礼」だけはなんとなく銅鐸に見えないこともない・・・と思いましたが
皆さん、いかがですか?
149 :
日本@名無史さん:02/08/29 13:45
「いそのかみ」は「ふる」の枕詞なんだね、繋がっている感じがしますね。
150 :
日本@名無史さん:02/08/29 17:53
銅鐸は雨乞いとなにか関係があるのでしょうか?
雨乞いの為に鐘を埋めたり沈めたりという話があります。
銅鐸が発見されたときの状況を見ると、故意に整然と土中に埋められていた
ということですので、鐘と銅鐸の形も似ていることから、そう感じました。
151 :
日本@名無史さん:02/08/30 09:09
≪150
想像は自由。だが、短絡的に物事を類推するには、事例が少ない。
農民の鐘と言った偉い大先生がいたが、俺はバカなやつと思っている。
事例を探してお互い精進しよう。
152 :
日本@名無史さん:02/08/30 17:41
≪144
スサノオはメチャクチャむずかしい。
神話の中の神話。スサノオの神話の部分に縄文の神話が隠されていると
指摘する神話学の吉田大先生もいます。(オオゲツヒメの処)
神話の中で事例や由来を紹介している部分は、神話の本編と分けたほうが
いいかも。
また間が空いてしまいました。どうもすいません。
>>137ですが、「歴史のロマン」の観点からすると非常にぼくとしても楽しめるのですが、
>>139さんが言うように、ヤマタイと結び付けると、話がややこしくなりそうに思えます。
理由としては、
(日)そもそも邪馬台国の位置が未だに不確定
(月)卑弥呼が「地位」なのか「個人名」なのかが不明
(火)邪馬台国の来歴が不明
(水)邪馬台国の風俗(海女・下戸)の地域未比定
(木)邪馬台国の地理的条件が未確定(海を挟んだ東の国・ヒスイ)
同様に、トヨも言及するのは、
>>139さんの言うように、
避けた方がいいかも知れませんね・・
いろいろと面白い話ではあるんですが。
(続く)
154 :
日本@名無史さん:02/08/30 17:49
問題提起。
大年(大歳)の神は蛇身か。大年、御年、若年、の各神はどうか。
トシナワ 正月に玄関に飾る縄は熊野神社から出るが、トシとは
アイヌ語で縄の意味がある。しかも蛇の隠語として使用するそうだ。
何か知っている人はいないか?。
ここで、今後の議論の前提を述べたいと思います。
(イ)ニギハヤヒが降臨した以前には、(邪馬台国かどうかは置いといて)北九州・機内などに、いくつかの勢力が存在した。
(ロ)「トヨ」が国名か個人名かはともかく、少なくとも、ニニギ系の一族(その後の神武天皇の家系)と関わりがあったようだ。
という前提での議論なら、スレ違いにはなりにくそうです。
如何でしょうか?
>>152 >縄文の神話が隠されていると 指摘する神話学の吉田大先生もいます。(オオゲツヒメの処)
これについては、こんなのがあります。
(ソース:
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-77.htm)
以下抜粋
>紀記神話に、五穀の起源を語るオホゲツ姫の話がある。
>自分の鼻・口・肛門から食べ物を取り出す姫をスサノヲが殺す。
>するとその死体から、蚕・稲・粟・小豆・麦・豆・大豆が生じたというものである。
>インドネシアでは、大便から陶器を取り出す女が殺され、死体からイモが生まれた。
>ニューギニアやメラネシアには、類似の作物起源神話が広がる。作物はたいていイモやココナツである。
>この神話の周りには焼畑農耕の臭いが漂う。
ここから読み取れるのは、「(少なくとも)弥生中期以前に、南方からの文化の伝播があった」ということ。
この時に伝わったものの1つが=縄文人の神話かどうかはわかりません。
ただ、「縄文人が渡来人勢力に追われて、北へと逃れていった時、縄文人の伝承が(接触をした)渡来人にも広まった」
あるいは「南方の文化は、倭人(=海の民)を通じて大陸の一部にももたらされていた」
ということは考えられると思います。
ちなみに、上記のソースでは、「イザナギ・イザナミの国産み神話」・「海幸・山幸彦の話(≒浦島伝説)」の南方との類似性についても言及してあります。
>>152 同感ですな。とにかく出雲は奥が深い。そこに加えて意図的に事実が隠さ
れたり、曲げられたりしてる可能性が大なのでよけい分かりにくい。スサノオに
ついても147で述べた通り、本来なら大国主とは分かれて表記されなければならない
のに、直系の親族にされてしまっているしね。スセリヒメとは近親で結婚したことに
なっちゃうんだからなあ。
>>154 蛇神ですが。ミジャグジは調べてみました?ヤフーで検索かければ何件か掛か
ると思います。蛇信仰というのは世界中で見られる最も原始的な信仰です。日本でも
縄文期以降、後々の世にまで(…現代に至るまで、だね)伝わっていますよね。残念
かな世界の方面では(特に西アジアからヨーロッパにかけて)新興の宗教、神々に
その地位を追われ、悪役で登場することの方が多いけれども。サタンとかメドゥーサ
とか。(メドゥーサは元々は良い神様だったんだよね)
日本でも大物主の正体が蛇であった(大神神社には本物の白蛇をお祭りしてる場所が
あるよ)と古事記にあるし、台所にお祭りする荒神様(みんなの家にもあるのでは?)
は水と火を司る蛇の神様だし。(ニニギ降臨の際には征伐する国津神全体を指して荒神
と呼んでたね)関東ならば長野の諏訪大社のおみ渡りとか。ここにはミジャグジ信仰
の跡地があるらしいぞ。ま要するに、日本には天照を頂点とする神道や仏教より以前に、
土着の信仰形体があって、その一部は21世紀の現在にまで引継がれているというとこ
ろだね。
>>156 そうそう。興味深いのは神々を産む前に「島々」を産んでいるんだよね、イザ
ナギイザナミって。それも1番目は淡路島だよ?んー淡路には何かあるのだろうか!?
158 :
日本@名無史さん:02/08/31 15:06
>>157 >興味深いのは神々を産む前に「島々」を産んでいるんだよね、イザ
ナギイザナミって。
>それも1番目は淡路島だよ?んー淡路には何かあるのだろうか!?
一番最初の島って・・・オノゴロ島でしたっけ?
ちなみに淡路島=オノゴロっていう根拠は何ですか?(煽りではなくて、質問です)
159 :
日本@名無史さん:02/08/31 17:29
オノゴロって、壱岐じゃないのか?
160 :
日本@名無史さん:02/08/31 18:35
漏れもどっかで・・・
隠岐だか壱岐だったかと・・
出典忘れた。スマソ。
161 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/31 18:59
>156
瓜子姫もそうですよね。血が酒に、手足の指が山芋になっていた。
・・・あのさー、いつからここは神話雑談スレになったのよ?
スレ違いどころか板違いも甚だしいのよ。
物部氏に関係する話をしろよ。
>>162 石上さん、お久し振りです。
>・・・あのさー、いつからここは神話雑談スレになったのよ?
>スレ違いどころか板違いも甚だしいのよ。
>物部氏に関係する話をしろよ。
すいません。確かに話しが物部氏のことからは遠いような気がします。
ただ、個人的には、「物部氏(の祖神ニギハヤヒも含めて)は何者なのか?」という、
大きな流れに沿った話だと捉えています。
とりあえず、現在は
>>141さんの問題提起
>昔読んだコミックでは、元になっている話はあると思うけど、
>ニギハヤヒ=オオドシ=オオモノヌシ=スサノオの息子ってことになっていましたが、
>どうなの?
に応える形でのレスが付いているようです。
一応、物部氏(ニギハヤヒ)と絡んでくる(と思われる)ので、御了解頂けますか?
>>115の石上さんのご発言
>天の磐船、とか完全に神話の部分は「検証しようがないな」と思ってパスしてたから。
にあるように、推論が入り込む(検証しにくいorできない)議論については、、
快く思われない方もいらっしゃると思いますので、僕としても、「ヨタ話」にならないように、
物部氏とリンクした議論になるように心掛けたいと思います。
僭越ですが、スレを立てた手前、僕から他の皆さんにもお願いします。
>>161 瓜子姫は、地方によって随分と違いますよね。
一応ソースを挙げておきます。
(ソース:
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/essay1.html#1)
以下抜粋
>信州を境として、「瓜子織り姫」伝説が西と東で著しい対照を示していることは注目に値する。
>(中略)
>東北地方に広く分布している「瓜子織り姫」説話では、瓜子姫がアマノジャクによってまな板の上で切り殺され、
>食べられてしまう点で、ひどく残酷な印象を与える。
>これに反し、信州以西の瓜子姫はみな助かっている。
>その代わり、今度はアマノジャクが細切れにされているのである。
つまり、この伝承に関しては、(上記ソースでも触れられていますが)信州以西では瓜子姫に同情的、
以東(以北)ではアマノジャクに同情的な構図が見て取れます。
では、信州以東と以西では、何が違うのでしょうか?
単純に考えて、やはり、「侵略者」と「被侵略者」の違いではないでしょうか?
縄文人は、渡来人に追われて北へと逃れた事実があるようです。
「被侵略者」となった縄文人達は、伝承の中に反逆の意志を示したのではないでしょうか?
当然、スサノヲの婿となったオオクニヌシ=ニギハヤヒならば、
物部氏とリンクすると思われます。
(続く)
何はともあれ、古代史の話題って、
"歴史"のテーマとして、いちばん興味深い。
育った場所が古代史の舞台だったりすると、
なんら他意なく、古代の英雄たちのことに関心がゆく。
そこには、なんら他意はない。だのに・・
>>164の続きです。
>東北地方に広く分布している「瓜子織り姫」説話では、瓜子姫がアマノジャクによってまな板の上で切り殺され、 食べられてしまう点で、ひどく残酷な印象を与える。
>これに反し、信州以西の瓜子姫はみな助かっている。
>その代わり、今度はアマノジャクが細切れにされているのである。
この伝承が物部氏にリンクしている可能性については、
>>164で既述しました。ここで、1つの疑問が出て来ます。
何故、この伝承の内容の境界線が「信濃」なのでしょうか?
まず僕が思い付くこと・・・それはやはり、タケミカヅチとタケミナカタ・・・すなわち、「出雲の国譲りの伝承」です。
(ソース:
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/Takemkzt.html)
ここでオオクニヌシは多芸志(たぎし)の小島に隠れ、
オオクニヌシの子、コトシロヌシは、船を青柴垣(あおふしがき)に変化させて、その中に隠れた。(船という辺りが、北への移動を臭わせますよね?)
そして、ここが重要ですが、オオクニヌシのもう1人の子のタケミナカタは、タケミカヅチとの力比べの末に「信濃」へと逃亡します。
やっと出て来ました。「信濃」です。
ここで、タケミナカタは忠誠を誓い,諏訪に落ち着きます。
さて、ここで一寸だけ穿った解釈をします。
タケミカヅチは、出雲を支配下に収めて高天原へと帰ります。
では、タケミカヅチが支配下に収めたのは、出雲「だけ」なのか・・?
僕は信濃も支配下に収めたと思います。
何のために・・・?
・・・それは、「鉄」だと思っています。
(ソース:
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/p0202.htm)
弥生中期以降、九州から鉄が広まりました。
出雲は、古来製鉄の盛んな場所でした(当時から行われていたかについては諸説あるそうです)し、
当時、砂鉄が採れた主な場所は・・・山陰(ソース参照)と「信濃」なのです。
「みすずかる」・・・そう、この枕詞があったら、「信濃」ですよね?
そして、「みすず」とは、鉄のことなのです。
(さらに続く)
>>166の続きです。
(前レスから)
>タケミカヅチが支配下に収めたのは、出雲「だけ」なのか・・?
>僕は信濃も支配下に収めたと思います。 (この理由は
>>166既述です)
(↑の続き)さらに言えば、コトシロヌシの行き先も・・・
ここで気になるのが
>>112さんのソース「新潟県村上市の石船神社の伝承」です。
(ソース:
http://www.iwafune.ne.jp/~matajoe/matsuri1.html)
以下抜粋
>町の住民に広く知られているのは「昔、 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神様が、 磐樟(いわくす)の舟に乗っ て、この浜にお着きになられた」ので岩船と呼ばれるようになった、 という伝説である。
さらに、僕が
>>86で出したソース「秋田・唐松神社の伝承(内容は秋田物部文書と同じだそうです)」
(ソース:
http://www.kamnavi.net/mn/higasi/karamatu.htm )
以下抜粋
>太古、鳥海山に降臨しこの地に居を構えた饒速日命が天祖三神を日殿山に祀り、十種の神宝を安置し日宮と称したのが創祀としている。
>その後、饒速日命は畿内に降臨し、後裔の物部氏は神宮皇后の安産祈願と香具土神、宮毘姫命の御霊代を併せて大和国に社殿を建立したと記されている。
さて、もしもこれらが物部氏による侵略の結果だとしたら?
少なくとも、出雲・超・出羽・信濃を支配下に置くことになりますよね?
僕と しては、この可能性もアリだと思っています。
なぜなら、そもそもタケミカヅチは、アメノオシホミミの代わりに出雲に来ましたよね?
もちろんオシホミミはニギハヤヒの父ですし、さらに言えば、「国譲り」が完了した所に降臨するのは、ニギハヤヒの弟神のニニギですよね?
同族による侵略の可能性が見えて来ませんか?
・・・そして、出雲・超・出羽・信濃(など?)に勢力を築いたニギハヤヒの一族は、河内へと・・・
もう一度、「秋田・唐松神社の伝承」を見ると・・
>太古、鳥海山に降臨しこの地に居を構えた饒速日命・・・(中略)
>「その後」、饒速日命は畿内に降臨し・・・
如何でしょうか?
(長文すいません。勿論、暴論なのは自覚しています。問題提起となればと思います。)
>>154 >>157 すいません・・・
僕は蛇信仰については、それ程詳しく無いので、言及できませんでした。
お二人のお説を拝聴できればと思います。
169 :
世界@名無史名無史:02/09/01 02:06
子孫はいるの?傍系でも
訂正です。
>>167 >さらに言えば、「国譲り」が完了した所に降臨するのは、
誤「完了した所」→正「完了した後」
>・・・そして、出雲・超・出羽・信濃(など?)に勢力を築いたニギハヤヒの一族は、河内へと・・・
誤「超」→正「越」
です。
ど〜もすいません。(汗)
>>158、他
んー、そういう読み方をされては、こちらも何と答えてよいか困りますなあ。(w
一般にはイザナギイザナミが結ばれて、その間に産まれた子、と解釈するのは
水蛭子よりあとの下りでしょ?(普通はそう読むと思うんだけどな…)淤能碁呂島は
子作りする前におうちを設けたところでしょ?それに壱岐は伊岐、または天比登都柱、
隠岐はそのままで記述されてるよ。
>>162 その通りですな。で、話を関連させようと思うのだけれど……
……ん〜、>164-171饒速日命サンの話はどこから手をつければいいのでしょ?
広すぎて目が回りそうだよ…(w
いちおう簡略に、賛成の点だけ上げましょうか。>125辺りで物部氏が北九州出自では
ないかという方がいましたが、私は出雲の方に賛成です。理由は旧事本紀、古事記とも
にスサノオの神話が関連している点。ただし私は出雲「系統」だとは思いますが、
ニギハヤヒ、物部氏が実際に出雲に定着していたのかどうかについては自信は持てま
せん。(半島から直接渡来した可能性もありえるかと。)祭祀等を見るに、スサノオ、
大国主、ニギハヤヒに共通項は見出せる(しかしこの三者は全く別人だと思うよ)
けれども、天照やニニギとは流れが異なる(九州、日向系統とは異なる)一族だと
感じています。
あとニギハヤヒが関わっていたかどうかは別として、出雲、越、信濃に同系らしき
習俗が共通する事も感じています。信濃の傍証に…とありますが、157で私が上げた
諏訪大社、よければ調べてみて下さい。物部氏にも関係してます。
173 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/01 09:19
>164
古代まで遡るのは難しいと思いますよ。西日本でも岡山県などでは瓜子姫が箸で目
を刺され、俎の上で解体されています。
俎や棚の上に生贄の魚などを用意しておいて捧げた例が中世から見られます。おそ
らくイモ作の文化圏における農耕儀礼の反映では無いかと。
でもどちらにせよスレ違いですね、すみません。
177 :
日本@名無史さん:02/09/02 16:17
故 原田常治の著作は要注意だと思います。
勢いがつき過ぎて、実際に無い事柄、伝承が記載されています。
但し参考に出来る点もあります。
トンデモ本と言う評価は、実際に無い事柄、伝承が記載されている為です。
わからない事は、わかりません。 と素直に生きればよいものを。
まだ神話の話やってんの?
スレ移動したら?
蛇信仰なんて民俗学の話だろ
アラカヒとか守屋とかはどうでもいいのね君ら
>>177 だいたい原田は発想は面白いんだけど
「(イタリア人は)実際に行ってみたら中国人だった!」
とか
「縄文人は船を持たなかった!」
とか
「梅は梅、桜は桜と同じように中国人は中国人、日本人は日本人」
とか平気で書く品。
180 :
日本@名無史さん:02/09/02 17:24
>>178 神話オンリーで話が進んでるのならば、確かに言うとうりだと思うけど。
石上氏はニギハヤヒをどう捉えてるの?物部守屋の話を出しても、どの道こういう
展開にはなると思うよ。何故歴史の影に隠れることになったか、とか政治的な対立の
構図を考えれば考える程、物部氏の核心に迫れば迫るほど、祭礼や祖先の流れの話に
結局はなっていくと思うんだけどな。
歴史の影に隠れることになった理由
=天武天皇に壬申の乱で近江朝についた罪を許してもらう引き換えに
神宝を引き渡して一時的に出世するも
(天武といえば自己神格化に躍起になってた人。
彼にしてみれば神格化された宝物なんて喉からてが出るほどほしいはず。
〜三種の神器もそういう意味では天皇神格化に役立っている〜
しかも彼の治世中に石上神宮の宝物を諸豪族に返す、
なんて偶然とはおもえないことをやっている。
桓武天皇が遷都と同時に神宝を山城に移送して
「神宝の管理者」という肩書きが無くなり、ただの「神社の神主」
になっちゃったから(自説)
どこにもニギハヤヒなど出てきませんが?
>>180 蛇信仰に関しての話をするな、ということみたいですよ。
ニギハヤヒのレスが続いていると思っていたけど。最近、蛇信仰の話題でもあった?
石上氏は最初から、なんだか厳しいですよ。
いやあのね、蛇信仰は例えだから。
例えば天皇家の話をしようってスレで天照大神の話を延々としてたら
スレちがいでしょ。
スレ違いにはどこだって厳しいモンよ。
これがマイナー氏族の厳しいところだよなー
神話はそれに比べてメジャ−だからつい反応するのは
わからんでもないが。
ニギハヤヒ氏もどうもそっち方面が好きみたいで、
立てる板を誤った感が強いね。
日本史板に立てたからには神話は外して考えないと。
結局ね、検証しようがないから
古墳を掘り返しても結論が出ない話だから
何とでも言えるのよ、神話は。
厳しいと思ったのなら申し訳ないが
184 :
日本@名無史さん:02/09/02 19:36
>>181のほうね。
それだと結局は教科書の延長しか撫でていない気がするんだ。
なんで天武の逆についたの?とか、
桓武はどうして遷都したの、で神宝持っていったの?とかいう話になってくのが、
日本史を探求するって事になると思うのだが・・・
で、このスレ内で上記二つの問いに答えるには物部のルーツ辿ればよく解るはず
なんだけど・・・
古代史の政争語る上では、血統ってのは重要な要素だと思うよ。神話、と捉える
のではなくってね。
神宝は持っていったよ!続日本紀に書いてあるから自分で確かめなさい
なかったことをレスで書く俺ではない
物部氏(、というか石上氏だが)が歴史から消えていくのとほぼ同時。
やっぱ石上神宝と石上氏の出世には密接な関わりがある
桓武が遷都した理由は物部氏と関係なさそうなので知りません
何で近江朝についたのかはノーコメントで。ここは勉強してないので。
184は知ってそうなので是非拝聴したい。ルーツ辿れば解るんだろ?
ルーツ辿れば、っていうけどね。古代豪族なんかルーツ捏造しまくってるんだよ?
系譜学?だったかな。そういう学問があってきちんと調べたら
○○氏は新撰姓氏録では神別となっているが実は渡来系だった、
とか、実は皇別だった、とかごろごろしてるのよ。
また、征服者が披征服地の神話を「奪う」というのはよくある話で、
(披征服地の神を征服者の神と同一、としたり、そのための都合のいい
神話を作ったり、都合の悪い神話は抹殺したり、披征服地の神話に
登場する神宝を奪ってきて征服者の神話には「献上された」「蛇を斬ったら
出てきた」と書いたり・・・)
だから歴史の研究をする際に、神話の記述や
その氏族が名乗るルーツをそっくりそのまま信用する、なんてのはナンセンス。
信用ならないものを証拠に歴史を語る、なんてのは竹内文書や旧事大成経を読んで
歴史語ってんのとそう変わらない。
裏付けるものが何もないんだから!裏付けるものがあって初めて歴史。
中国でも殷王朝は殷墟発掘という裏付けがあるから「歴史」教科書に
載ってるけど、夏王朝は裏付けがないから「神話」。
中国史語りたいからって夏王朝までいっちゃったら単なるおとぎ話愛好家だよ
181が「教科書の延長を撫でてる」というのなら
神話レスは「教科書にも載らないことを歴史と勘違いしてる」ってとこだな。
ちゃんとした議論ができて、ある程度の結論が出たから教科書にも載る。
議論をしても結論がでないようなものは歴史教科書には載りません
186 :
日本@名無史さん:02/09/02 21:53
お待たせ。飯食ってました。
いやいや181は「持っていってない」という意味じゃないんですけどね、そこは。
どうして遷都したのか、どうして持っていったのか?という意味ね。
んで、捏造のところだけど。ニギハヤヒは捏造と?・・・まさかだよね。
それに記紀を神話としてしか捉えてないのもどうなんだろう。
夏王朝も神話ではないよ。もちろん全部が全部、事実だとも言わないけどね。
歴史を学ぶにあたって最も大事なのは、そこから「真実」を拾いあげてくることでしょう。
神話であっても、事実と伝えられているものについてもね。
その両者に差はない。真実を拾い上げる場所としては同じフィールドに位置するものだよ。
少なくともニギハヤヒが物部氏の祖先というのは異論ないでしょう?
そこから真実を拾おうとするのは別にムチャクチャな話でもないじゃん?
記紀についても全部事実だ、と捉えるのは確かに無理があるけど、全部神話だ、と言い切
ってしまうのはもっと無理があると思うよ。
187 :
日本@名無史さん:02/09/02 21:57
ごめん。↑の181は僕の184の間違いでした。
188 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/02 22:07
神話を調べ、考察する事にはそこにある真実をすくいあげる事だけでは無く
そこから文化・心象を知る事が出来るという意味でもメリットがある。
今は文学(竹取物語・今昔物語集・御伽草子)や民俗学の面から歴史を考察
する動きも多いので、板違いとまでは行かないのでは。
まーまー。まあよいではないの。
だってまだ始まって200レスに満たないんだしの。
今のとこイイ感じで進んでおるのだし。
スレ内容に沿った形であれば多少はよいのではないかのぉ。
>>186 だから!裏付けがないものは歴史とは言わないの!
裏付けがないから憶測ばっかりいくつも出て結果的に真実は拾い上げられない
この点について186はどうお考えか。
>>188 そんなこと言い始めたら
「外交史」だの「芸能史」だの「地域史」だの
いくらでも「他のジャンルから歴史へのアプローチ」ができる。
どっかで線引きをせねばいけない。
神話と歴史の線引きは「裏付けできるかどうか」であり、
「土地に伝わる習俗からはるか昔の日本人の姿を探ろうとする」民俗学は
「現代習俗は日本人が一定地域に定住し始めたのは室町期以降に
形成されたものである」とする歴史学とは相容れないものである(また聞き)
こういう明確な線引きができる以上、民俗学、神話の話は歴史板では
残念ながら板違いと言わざるを得ない。
そもそも板が別れてるのもそのせいだろ
191 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/02 22:39
>190
しかしそういった方向にふくらませて楽しんでいる人間が居る以上否定すべ
きでは無いと思いますが。無理に軌道修正せんでも・・・。
みなさん、どうもです。
>>183 >ニギハヤヒ氏もどうもそっち方面が好きみたいで、
>立てる板を誤った感が強いね。
>日本史板に立てたからには神話は外して考えないと。
>結局ね、検証しようがないから
>古墳を掘り返しても結論が出ない話だから
>何とでも言えるのよ、神話は。
>厳しいと思ったのなら申し訳ないが
う〜ん。。。
僕の物部氏についての予備知識は、他の皆さんよりも明らかに不足してると思います。(汗)
それで、僕としてはある程度の知識がある「神話」方面からでなくては切り込んで行けないんです。
敢えて言うならば、専門分野は「音楽」ですので、「物語」とか「感性」とか、
ともすると「いい加減な結果」になりやすい分野を大事にする思考回路を持っているかも知れません。
正直、大学で専門的な勉強をした経験もありません。(つまり、高卒です。)
そういった点では、出過ぎたマネだったとのご批判があるならば、甘受したいと思います。
ひとまず僕としては、このスレを立てたからには、「知性」と「感性」のバランスを保って、
できる限り「誠実」で「実りある」議論がしたいと思っています。
>>191
いやね、100歩ゆずって歴史IFで想像してるんなら板違いじゃないから
アリかもしれないけど膨らませる方向が板違いなんだから。
で、いつになったら歴史に戻ってくるのか?
延々と神話の、違うジャンルの話をしてるじゃないか、と言う話をしてるんだよ。
ちょっとくらい脱線するなら俺もグダグダ言わないよ。
今気づいたんだけど物部氏の話じゃないのでsage。
神話の話のときもsageるように。それが2chのマナー。
194 :
日本@名無史さん:02/09/02 22:58
q
>193
それにも一理ありますが、あなたのスレという訳じゃないんですから。複数
の人間が会話しているところにあの切り込み方は無いでしょう。
あの切り込み方ってどこのことを言ってらっしゃるの?
具体的にお願い。
一理どころかかなり正しいと思うんだけどね・・・
スレ違いと騒ぎ出す人間が少ないのも、そもそも物部氏を知ってるヤツが
あまりいない、というマイナー氏族ゆえの悲劇か・・・
>196
162の言い方が感じが悪いというだけの話。文句があるなら別に何か書き込めば
済む。他の人間の書き込み自体を批判する前に面白いレスをつければ良い。
>文句があるなら別に何か書き込めば済む。
??だから書き込んだじゃん。神話の話すんな、って。
「別に何か」って「面白いレス」のこと?文句があれば文句を書きますよ
何だその「文句があるなら結果だせ!」みたいな間違った指摘は?
いちいち敬語かなんか使って「板違いじゃないですか?」
なんて書かなきゃいけないの?2chじゃ普通だろあんな書き方
しかも何一つ間違ってないし
なに?批判禁止?他者批判は歴史学の基本ですよ?
(ちょっと意味合いが違うが)
実は何回かネタふりはした。匿名で。
しかしレスはつかなんだ。俺の文章力不足かもしれない。
だがそれ以前に物部氏がマイナーすぎて誰もついてこれない。
199 :
日本@名無史さん:02/09/02 23:59
てか、こういうやりとりこそ板違い。
それに、歴史学は歴史学の枠内でゴチャゴチャやるものじゃないだろ?
もっと自由で懐の深いものでは?
議論の途中で、どうせろくな議論にならないと決めつけて腰を折るのはどうかなと思うよ。
あと言葉遣いは、いくら2chで常識であっても、発言者の人間性は出ちゃうね。
あと、漏れとしては
>>162以降は山上氏の意見をみんなが尊重しているようにも思えるけどね。
いずれにしても、気持ちよく議論しなよ。
>>199 了解しました。言葉に気をつけることとします。
どうでもいいんですが山上は憶良。もしくはたつひこ。
石上ね。
で、話は変わるけど200ゲト
ズザー
あら〜?なんかニギやかなことになってるね〜(w
せっかく私、ネタを練ってきたのに…。あ、ちなみに
>>196、198は私でないよ。(石
上サンかな?)間違われると困るし…せっかく出てきたから書いちゃお(w
物部ネタはたくさん持ってるけれど、そのうちニギハヤヒ→物部への流れをやります。
以前から申してますように、ニギハヤヒが降臨した地については様々な候補が上がっ
ています。ただどの候補地にも共通するのは河内の国ということ(旧事紀にあるのだ
から当然ですわな)、それも東部の各山系を拠り所としている点です。
…交野、生駒、河南。さてここでできれば地図を開いて下さい。注目して欲しいのは、
当初ニギハヤヒは奈良盆地に入ってこれなかったのではないのか、という点です。
伝承のある地はすべて山の外側(つまり山を挟んで河内側)なんですよね。ニギハヤヒ
は畿内の支配者、ナガスネヒコの妹を妻にもらっているのですから、本来なら親族とし
て迎えられてもおかしくない立場だったはずです。当時大和が神聖な場所だったのか、
政治的に拒否されたのか、真相はわかりませんが、何らかの理由があって、ニギハヤヒ
は率いてきた軍団もろとも、大和を守る西の山々、生駒・葛城山系の外側に落着くしか
無かったようです。
続き。
時代が移って、大和朝廷が成立してゆく過程での物部氏の支配地は、三輪山のふもと、
大王家のすぐ隣に位置するようになります。ここは大和の中心、いわば聖地ですから
ニギハヤヒの頃からすれば飛躍的な扱いです。しかしこの時の支配者はすでにナガスネ
ではなく、彼を討ったイワレヒコ(神武)を祖とする王家に替わっています。つまりは、
記紀に言う神武東征がニギハヤヒ→物部となる政治上の実際の流れなのではないか、と
私は考えています。神武は当初、浪速から河内を横切り大和へ入ろうとした。が、こ
こにはニギハヤが陣を構えていた。物部の祖、ニギハヤ降臨の本当の目的は畿内を守る
為に出雲、または他の地域から招聘されたというところではないでしょうか?
結局神武こと日向勢は生駒・葛城山系を越えられず、ルートを南へ大きく迂回し、紀州
熊野から吉野へ入っていく事となります。おそらくナガスネ自身の畿内勢はさほど強力
な軍隊ではなかったのでしょう。裏を取られた畿内勢はあっさり総崩れになってしまっ
たわけです。
古事記で最後にニギハヤヒが降伏してくる点を考えると、これは彼が裏切ったと取るより
も、大和盆地に入れなかったニギハヤヒ勢が、結局裏をかかれた為、最後には生駒・葛城
山系で孤立したというところではないでしょうか。日向勢としても一度痛手を負っている
相手だけに、戦ってこれを倒すよりも、大和盆地へ入ることを許し、同じ外来者として
ともに政権を担う臣下として迎えた方が得策だと踏んだのかもしれません。
物部氏はこうして聖地三輪山のふもとで、九州系の大伴氏とともに皇室を挟むような
格好で支配地を持てたのだと思います。
三輪山の麓ってどこのこと?
ひょっとして石上?・・・だとしたらその解釈は間違いです。
ふふふ・・・
ちなみに新撰姓氏録によれば大和国内に拠点を持つ物部(氏)は片手で
数えられるくらいしかいません。
圧倒的に河内に拠点を置くものの方が多いのです。
ですから、段階的に三輪山麓に拠点を構えたわけではなく、
突如、三輪山麓に拠点を移した物部氏がいる、と考えた方が自然です
>>203 姓氏関連、神社等が多いのは当然河内のほうになるでしょうね。
ただ私の201-202は、政権に関与するようになるいきさつ(あくまで私の個人的見解
ですが)として書いたものなので。
それに三輪山からみると石上神宮は少し北に寄り過ぎているかな、とも。(天理市
の北方になるよね?)龍王山のふもとになっちゃうので。
石上サンの新撰姓氏録の成立がいつのものか分からないけども、私が「三輪山のふもと
で大伴氏と…」と書いたのは当時の勢力図を参考にさせてもらいました。これに似た
図は教科書とかにも確か載ってたように思うので、他の皆さんも参考にしてみて下さ
い。三輪山に皇室って書かれていた事から、おそらく5〜6世紀の勢力図だろうと思
います。>138の葛城・蘇我氏の勢力もこの図を参考としました。
205 :
日本@名無史さん:02/09/03 03:11
三輪山には大神氏がいたんじゃないの?
大神大社の宮司だし。
まあ、大神氏も饒速日後裔だけど。
206 :
日本@名無史さん:02/09/03 04:03
>>202 204
教科書にも載っているような盆地内の勢力図ですが、これは具体的にはどんなものだとお考えですか?
荘園のような年貢収入を取るエリアという事でしょうか。
それなら、小さすぎて軍勢を養い切れないのでは。
>199
すみませんでした。今後は見るだけか名無しでやらせて頂きます。
>>207 漏れは山野野衾さんが発言しなくなることを意図していたわけではありませんし、
山野野衾さんの発言の意図もわかっていたつもりですよ。
ひとまず、不毛な争いが見たく無かっただけです。
それに、民俗・神話板でも見ましたが、山野野衾さんはそちら方面が強いようなので、
その方面から切り込んでの指摘とかは必要ですし、歓迎されるのでは?
やはり、全ての学問はリンクしてますしね。
>>208さん、僕のHNを騙らないでちょうだいませ。(汗)
あんたへのあてつけだよ。
せっかく良スレになりそうなんだから、あんたが上手く仕切らないとな。
それができないから言い争いになっちゃうんじゃないのか?
うぅ〜〜。。。す。。すみませんです。
僕としては、非日本史方面からの、いろんな専門的な御意見も興味深いので、大歓迎です。
あまりこのような話をすると流れが止まってしまいそうなので。。。
ひとまず、
>>201-206の流れの続きです。
>>206 あくまで大和国内に於ける根拠地であって、物資等の調達なんかは河内(あるいはその他の国)だったのではないでしょうか?
むしろ、政治的な意味合い(大王の側に勢力を築く事で、権力荒争いをリードする)の方が強いと思います。
212 :
日本@名無史さん:02/09/03 18:17
>>210 ご先祖様のことを調べてみようと数日前に「物部」を調べ始めた
>>1(饒速日命さん)にスレを仕切れってのはかわいそうだと思うよ。
代わりに210さんが仕切ってやるとか。横レスですまんが、ROM
ってたけど、このスレは交通整理次第で超良スレの予感ありと感じま
したよ。210さん、どうですか。
自分は simply 通行人なので、交通整理の資格なしですが、
横で見ていて、有能な方々を集めたスレなのに「勿体無い」の
一心での横スレでした。場違いご容赦を。
>>212 御指摘の通り、僕では力不足ですので。。。
どなたかが仕切って頂ければと思います。
でも、とりあえずは
>>201-206の流れで進んで行けば良いのではないかと思います。
少なくとも僕にはそう感じられたので、
>>211のレスを返しました。
214 :
日本@名無史さん:02/09/03 20:42
ここはずいぶん狭量な
皆さん、申し訳御座いませんでした。民俗・文学・神話系の話になりましたら発言
させて戴きます。
216 :
日本@名無史さん:02/09/04 00:44
ひとまず期待age
今日は帰りに本屋へ寄ってきました。>204で言った分布図が、今の参考書にも載って
るのかなーと思って。なにぶん私のはもう10年以上前の教科書だったからね。(あれ
から押入れひっくり返したよ〜w。第一学習社だった)で、とりあえず見つけました。
山川出版で日本史総図録ってやつ。……いや〜なんですな、最近のはフルカラーなのね。
用紙がピカピカの写真紙だし。羨ましいなあ、今の学生さんが。本屋でムショーに時代を
感じていた私でありました(w
当の分布図は健在でした。「大和の豪族の分布」とかなってましたね。(岸俊夫氏による、
と書いてました)
>>206 どちらかと言うと、現在分かっている墳墓や遺跡、神社等によるものではない
でしょうか?荘園や年貢の概念はまだ不確定だったでしょうし。律令制までまだ100年
以上ありますしね。
分布図を今の道路マップルに重ねて見てみると、物部氏の支配地だったとされる、三輪
山の北から北西部にかけての地域は史跡・神社等が大変多いですね。それに比べると
大伴氏の管轄に当たる南西部は、量的にはちょっと少ないかなあと。(勿論有名な橿原
神宮や、後の時代の飛鳥寺、藤原京跡等はありますが)量で優劣決めるわけではないけど、
これを見てしまうと神武東征後も、三輪山に皇室が置かれていた時期までは、実際に
この周囲を仕切っていたのは物部氏だったのではないかと空想してしまいますよね.
218 :
日本@名無史さん:02/09/04 01:28
>マイナー氏族ゆえの悲劇か・・・
>だがそれ以前に物部氏がマイナーすぎて誰もついてこれない。
物部氏のどこが一体マイナーなんだよ
どう見たって古代豪族の中じゃトップクラスのメジャーだよ。
物部がマイナーだったらいったい何がメジャーなんだか。
鏡作? 坂本? 武生?(w
219 :
飛鳥 武蔵:02/09/04 01:33
七支刀 = 雷光剣
>>218 どうも名前さえ知られていればメジャーだと思ってるらしいな
おまえは物部氏をよく知ってるかも知れんが、
世間一般の人は物部氏など知らないんだよ。
特に「どんな氏族か」「誰が何をやったのか」という
突っ込んだ質問をしたら壊滅的だよ。
数日前にプロデビューした柔道家の吉田秀彦は
とある雑誌の取材に対し、「柔道はマイナー」と言い切った。
インタビュアーは「えっ、そうですか?オリンピック種目にもなってるし、
そうとも言えないんじゃ・・・」と言い、俺もそう思った。
しかし、よく考えてみると、経験者はさておき一般人は柔道のルールなど
よく知らない。一本ならともかくどうなったら「効果」なのか、「有効」と
どう違うのか、なんて込み入った話をされるとお手上げだろう。
プロ組織があり、定期興行があり、TV中継があり、
一般人ですらルールをよく知っている、
野球、サッカー、相撲、ゴルフなどのメジャースポーツと違い、
柔道はまだまだマイナーなのである。
同じように物部氏もマイナーなのである。
ためしに218よ。何も参考にせず、物部氏の人物を5人あげてみろ。
詳しいやつでも難しいぞ?そこがメジャー豪族・藤原氏との違い。
5人は難しいなあ
目、守屋、アラカイってのもいませんでしたっけ?それくらいかなあ
しかし、例に取られた藤原氏にせよ、
原宿の通りを歩く女子高生とかをつかまえて、
「あなたの知ってる藤原氏を5人上げてください。」
とか詰問したら、泣き出すと思われ。(わら
そう考えていくと、日本史自体がメジャーなの、
マイナーなの、ということになりそう。
先の柔道の喩えに従えば、日本氏はマイナーという
ことになりそうな。(わら
(1)古代氏族の中でメジャーな存在だった。
(2)現代人(それも「一般人」)に知られて
いるかどうかで判断。
という二つの物差しは永久にかみ合わないよね。
メジャー・マイナーはそれぞれの心の中において、
もののべについて語ればいいんでない。(わら
あぼーん
224 :
北陸高校氏ね:02/09/04 16:09
モノのべ死 って 化す じゃん
225 :
日本@名無史さん:02/09/04 21:07
≪石上氏へ
マイナーだといっても、この板、224まで伸び、うれしいかぎりです。
(抱合語風表現でした。)
歴史と神話は戦前までは混合して、議論されていました。
戦後になると、津田左右吉なる歴史学者が実証的歴史学なるものを提唱して
日本史学会の主流となりました。
しかし、この実証的歴史学のテキストは古事記、日本書紀、ほかの文献なのです。
このテキストを使って、崇神天皇以前を名前はあるが、記事が無いという理由で
抹殺し、各豪族の出自を自分勝手に捏造、改変して、不毛な議論を続けて居ります。
石上氏の言う歴史に則った物部氏の板とは、はて、どのようなものですか?
津田左右吉さえ、古事記をテキストにして歴史を論じていますよ。
最近神話の中には参考できる記載があることが判ってきました。
考古学では今神話の記載を重視しています。 最新の考古学の発掘成果と
神話の記載が一致する事例が増えているのです。全てがそうだとは言いませんが
かなり神話は事実を伝えているという印象をもっています。
神話をもとに大いに物部氏の歴史を語りたいですね。
蛇と物部氏は繋がると思いますし、アマテラスやスサノオともオオクニヌシとも
繋がると思いますよ。剣も玉も鏡も銅鐸も繋がると思いますよ。
この板は物部氏を語る板でしょう。 古代史全てに物部は繋がると思いますよ。
それがだめなら、ご自分で石上にまつわる板を独立して立てたほうがいいですね。
ここは物部氏の板なので、物部にかかわる森羅万象全てを取り上げていいと思います。
>>222 何で渋谷の女子高生みたいな極端な例出してくるんだ。あの連中は日本史どころか何も知らないよ。
模試で日本史満点のヤツはおろか、史学科の連中でさえ専門に勉強しているヤツ以外は、名前以外の具体的なことは何も知らない。
ここまでくりゃマイナーだろ。
藤原氏は日本史の成績3でも5人くらいあげられる。
満足したか?
あっ、渋谷じゃなくて原宿か。
ま、大した違いはあるめえ
>>226 冗談で書いた前ブリの部分にそこまでマジレスされるとは予想だにしていなかったよ。
ビックリ(w
僕が言いたいのは後半部分だ。それ以外は墨塗りで消して忘れてもらっていいよ。(w
それで、(1)と(2)の言い合いをしても平行線で無意味だよという部分はどう思われるのですか。
そこに対する答えが頂けるとありがたいなあ。
また、226さんは218さんの「物部は当時古代氏族の中でメジャーだった」
という主張自体には賛成なのですか、反対なのですか。そこもお聞かせ願える
とありがたいです。よろしく。
229 :
日本@名無史さん:02/09/05 12:47
通りすがりが僭越ですが
良スレが荒れ気味です
曽我、物部両氏がマイナーだと思う人は、ここに来ないのでは
また、世間一般に認知されていないのは周知のこと
ましてや、原宿がどうした渋谷がどうしたなど
荒れるだけで、まったく不毛かなと
さらに僭越ですが
物部氏は神話の中でこそ輝いている一族かと
神話は歴史じゃない、って言う意見もうなずけるんですけど
最近出ているとんでも本を読むとそう思いますが
でも
物部氏を語るには、神話を抜いては寂しいですよね
229さんに同意です。
228の質問は取り下げることとします。
メジャー・マイナーとか言う論議は終了にしましょう。
222もそういう本論と関係ない議論はやめようとうつもり
で書いたのですが、226に見事に釣られました。
深く反省します。
231 :
(^0^):02/09/05 13:41
物部氏は最高だよ。
大阪の四天王寺の境内に物部守屋の小さな塚があったので、
「守屋さま、御意思を受け継ぎ、報復をお誓いいたします」
とダミ声で祈ってきた。
232 :
日本@名無史さん:02/09/05 13:46
報復先は?蘇我氏?
みつけるのが骨じゃない?
233 :
日本@名無史さん:02/09/05 16:05
>>229
>曽我、物部両氏がマイナーだと思う人は、ここに来ないのでは
現に来て荒らしてるじゃん。(プ
(1)物部氏は、どこから来たのか?
(イ)物部氏の祖、ニギハヤヒとは、どのような人物と想定されるのか?
(ロ)唐松神社の「秋田物部文書」にあるように、畿内進出以前に物部の勢力が他の地方に存在したのか?
(ハ)ニギハヤヒは、どこから「降臨」したのか?
(ニ)ニギハヤヒの河内降臨の際に「付き従った者たち」とは何者だと想定されるのか?
(ホ)「天の鳥船」とは、何だったと想定されるのか?
(ヘ)「天の磐船」とは、何だったと想定されるのか?
(2)「旧事本紀」から、古代の祭祀(銅鐸の使用法に関わらず)との深い関わりが窺えるが、その際に果たしていた役割は?
(3)物部氏と皇族との関係は、どのようなものだったのか?
(4)「古事記」には、なぜニギハヤヒの神話の記述がないのか?
(5)物部氏と邪馬台国の間に、何があったのか?・・・あるいは、なかったのか?
(6)神武東征の伝承は、何を意味するのか?
>>108がまとめてくれたやつを再びコピペ
今は(1)−(イ)が終了して(ロ)へ移ったとみてよいですか?
235 :
いそのかつお:02/09/05 17:47
物部氏は柔道の達人です。
>>230 俺が釣ったのかよ
百歩譲っておたがいさまだろ
ま、不毛なのはそのとおりだし、終わらそうか。
237 :
日本@名無史さん:02/09/05 20:41
・・・昔神武天皇躬づから大伴、物部の兵どもを率ゐ、中国(なかつくに)のまつろはぬ
ものどもを討ち平げ給ひ、高御座に即かせられて天下しろしめし給ひより二千五百有余年
は経ぬ、この間世の様の移り換るに随ひて兵制の沿革も、亦屡なりき、古は天皇躬づから
軍隊を率ゐ御制にて、・・・・・・。軍人勅諭の一節より。
238 :
日本@名無史さん:02/09/05 20:54
239 :
日本@名無史さん:02/09/05 22:44
大阪府八尾市の渋川神社にあったとされる屋敷で最期をとげた物部守屋が
物部氏の本家なの?
240 :
日本@名無史さん:02/09/05 23:21
軍人勅諭なんてキーワードいれちゃったね。
検索かけてウリナリ電波が来襲するよ。あーあ。
241 :
日本@名無史さん:02/09/05 23:29
うみーゆーかばー
秋田方面に話を合わせた方が進みやすいのかな?
大阪圏に住んでる私にとっては少し縁が薄くてね。東北は平泉と江刺に行ったのが
北限なもんで(何見に行ったかバレちゃうなw) でも鳥海山のほうが緯度的には
南になるんだな。山形との境になるのか。
地図で見ると周囲に興味深い地名もあるね。遊佐とか、八幡の地名も見える。
秋田物部文書を実際読んだ事がないので何とも言えないけど、守屋が敗れた後、
一族が東方へ逃れていった足跡と取るとおかしくなるのかな?私が
>>172で
上げた諏訪大社はそうみたいなんだけども。(蛇の話がしたかったのではないよ、
信濃の傍証に乏しいって言ってたから)
唐松についても
>>86で饒速日命が上げてくれたHPによると、神功の腹帯って意味が
あるのか。…これは興味深い発見だ。また大阪圏の話になっちゃうけど、腹帯を
くれる大変有名なところ、そこにもこの系統があるんだが、ここも参拝者の殆どが
それに気付いてないのよね…
…あ、イカン。あんまりこの話すると
>>237みたいに勘違いしてる人を呼んじゃう
ので。このへんにしとこ(w
243 :
日本@名無史さん:02/09/05 23:53
戦前の歴史手法を平成になっても無理やり当てはめる盲信者のスクツはここですか。
成仏してくだされ。ナムー。
244 :
日本@名無史さん:02/09/06 00:20
>220
世間一般言い出したらきりないよ。ここは日本史版だろ。
日本史版で物部をマイナーって言うのが理解できないんだよ。
それだったら藤原だってマイナーだぜ。
あんたはメジャーだと思ってるかもしれんが
街歩いてるギャルに聞いてごらん
藤原氏が日本史上長期間に渡って政治を牛耳ってたこと知らない人間なんて山ほど居る。
道長がいつ頃の人間か分かってない人間なんてキリがない。
ここが非日本史板なら俺も何も言わないよ。
もし物部がマイナーなら、この板のスレの殆どにマイナーって冠せなくちゃいけなくなる。
いまいちマイナーな存在大友氏、いまいちマイナーな存在史料編纂所‥‥
ちなみに俺はニギハヤヒから石上麻呂まで系図が書けるオタクだから
五人答えるっていうのはやめておくよ。イヤミっぽいが。
245 :
日本@名無史さん:02/09/06 00:46
ふーん。
俺、藤原氏だったら300人以上は少なくとも人名が上げられるが、
藤原がメジャーで、物部がナイナーとは思わんが。
ん、そういう話とちゃうの。
246 :
日本@名無史さん:02/09/06 00:58
>244
マイナーと言うより、謎多きという感じかな。
247 :
日本@名無史さん:02/09/06 01:07
仏教の原始経典の中にあるそうだが、
ある他宗教の神官が仏陀のところに論争に来たそうだ。そして
「来世について、あなたはどのように考えているか」と問うた。
すると、仏陀は
「私は来世のことは知りませんので、何も答えません。」
と答えたそうだ。
248 :
日本@名無史さん:02/09/06 01:16
つ〜か、物部氏がマイナーだのメジャーだのなんつ〜、
下らん話はいいかげんヤメレ。
そんな話しかできないヤシは荒らしだぞ。
218=244っす。
ちゃんと途中読んでなかったんで、そんな気はなかったが
何か話し蒸し返して、アラシもどきになってスマソ。
ただ、マイナーってゆうのがどうも‥‥あ、もうやめときます。
ちなみに5人挙げるとしたら、守屋・尾輿・麁鹿火は異論のないところでしょうね。
次は長期政権の目大連、そして垂仁朝大夫の十千根といったとこでしょうか。
ありゃ、もう五人だ。后を出した欝色雄・伊香色雄も入れたいしなあ。
欝色雄は正確には物部じゃないからいいか。本人の業績も伝わらないし。
あと一人か、でも饒速日・可美眞手は入れたいしなあ。
目は同名異人が複数いるからいいか(なんちゅう理由や)
大前・小前とか、大新河、菟代宿祢、伊(筥)弗大連なんかも捨てがたいけどね。
250 :
日本@名無史さん:02/09/06 06:40
>>249 5人あげるのがどうのこうのっていうのも、メジャー・マイナーの話の延長だったし、もういいんじゃないの?
話を先に進めた方がいいんじゃないの?
ニギハヤがどんなヤシだったとか、鳥海山に降臨したとか、どこから機内に行ったとか・・・そういう話にね。
とりあえず、漏れとしては朝鮮半島南部を根拠地の1つにする”海の民”だったに500ウォンだな。
半島には”鐸”を使った祭祀の文化があったらしいし、大和・美濃・信濃以外の物部氏の勢力があった場所は、全て海沿いだしね。
ああ、尾輿もいたね
十千根てのはしらなかた
ウツシコオとかウマシマヂとかは物部じゃないからねえ
日本史好きな漏れでもこれくらいしかしらなかた
そういう意味なんじゃないの?<まいな
ま、蒸し返しはこれくらいにしてsage
もうやめます
話を進めると、
>>250の海の民説には魅力を感じますけど
根拠地の一つとして半島南部を想定する理由が鐸だけではチト弱い気もする
むしろ瀬戸内海が根拠地では?(秋田は根拠地ってより亡命先だろう)
全部読んだけど難しかたヨ。
で>112のカキコ見てふーん、て思った。
うちの村「筑紫」(ツクシ)って言うんだ。昔の「字(あざ)」名だからマピオンには
出てないけど。今でもこの辺の人は「ツクシ」って呼んでる。
村は2本の川に挟まれているんだが、その川の名前は「布留(フル)川」、その
上流は石上神宮。
村の言われでは、昔九州の豪族が大和に移ってきた時に付いてきた民の村
だから九州の地名なんだと。
議論でないのでsage。
253 :
日本@名無史さん:02/09/06 10:12
age
254 :
日本@名無史さん:02/09/06 11:22
蘇我氏の名前を5人以上上げられるヤツってどれほどいるもんだ。
蘇我氏はマイナーなのか。
255 :
日本@名無史さん:02/09/06 11:56
≪252
美しい原風景をありがとう。その通りですね。
ちなみに出雲という地名も近くにありますよね。
256 :
日本@名無史さん:02/09/06 12:42
物部って言うのは
物の部、つまり物氏の部民という意味があるのでしょうか
257 :
日本@名無史さん:02/09/06 15:47
トヨタ自動車の歴代社長の氏名を5人以上あげられるヤシってどれほどいるもんだ。
トヨタ自動車はマイナーか?(藁
258 :
日本@名無史さん:02/09/06 16:22
織田家の名前を5人以上上げられるヤツってどれほどいるもんだ。
織田信長はマイナーなのか。
259 :
日本@名無史さん:02/09/06 16:24
物部村は?
260 :
日本@名無史さん:02/09/06 16:26
国務大臣の氏名を5人以上上げられるヤツってどれほどいるもんだ。
内閣はマイナーなのか。
261 :
日本@名無史さん:02/09/06 16:34
>>255 石見という地名もあるぞよ〜
一説にはこの地域で物部氏が鏡を造っていたとも。
鏡を分配していたのは物部氏ではないかといわれておる。
よく鏡の議論をみかけるが、なかなか結論に至らんのは物部氏を調べんからじゃ。
物部氏は以外と調べがいがあるのだぞよ。
皆により一層の精進を期待しておるぞよ〜
262 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/06 17:19
>259
高知県の?近代になってからの村名ですから、関係ありません。
263 :
日本@名無史さん:02/09/06 17:23
水泳選手の名前を5人以上上げられるヤツって結構いるな。
水泳はメジャーなのか。
264 :
日本@名無史さん:02/09/06 17:39
>>262 よくわからない理由だが。
物部村の由来は物部川(この河川名はかなり古くまでさかのぼるのでは)。
この川の流域に物部氏が落ち延びてきたという伝承があるからでは。
この伝承自体の真偽を論じるならわかるのだけど、
村名の成立が近代だからというだけでは理由にならないと思う。
265 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/06 17:52
>264
ただ少なくとも村自体がそういった伝承の中に生きて来た訳では無い、とい
う事で。川を意識しても村人自体が物部氏を意識していた訳では無い。
真偽の方は疑わしいと思います。
266 :
日本@名無史さん:02/09/06 17:55
部ってなによ?
物部、忌部、綾部、部って?
267 :
日本@名無史さん:02/09/07 00:09
>>265 >真偽の方は疑わしいと思います。
ちゃんと裏は取ってるの?
268 :
日本@名無史さん:02/09/07 01:01
>>256 別に〜部っていうのは、〜氏の部ってことじゃないよ。
(そういうのもいないことはないが)
玉造部は、玉造りに従事してた部民。
物部はモノ(モノノケのモノ)、つまり武器・精霊を司る
>>266 説明してもいいんだが
国史大辞典や日本史辞典の類を引いたほうが早い。
部より、部民とか部民制で引くほうがいいかも。
>>268 物部部(もののべべ)っているのかな?(わら
271 :
日本@名無史さん:02/09/07 01:34
>>270 物部氏は部の民も雇えないほど貧乏だったということですか。
蘇我に押され気味だけどかなりの利権等は持ってましたよ
>>271
273 :
日本@名無史さん:02/09/07 01:43
>>270 物部部にあたるやつらも「物部」を名乗ってたってこと。
物部の子孫だとか勘違いしている連中のほとんどは
物部氏の所有する田畑で働く農奴か物部氏が指揮した軍事奴隷の子孫てこと。
274 :
日本@名無史さん:02/09/07 04:00
>>273 それは本当に裏とれてるのか?
大伴部とか蘇我部は確かに聞いたことはある。
だが物部氏はそういう部民自体を持っていたのかどうか。
物部の「部」は268の言うとうり意味がちがうぞ。それそのものが名前だ。
先に誰か書いてるが、物部っていうのは大伴とか蘇我とか教科書にのってる豪族たち
とは一線画す背景を持っている。神社にしても、信仰にしても。
ハナから同じだと見ていると間違えるぞ。
また同じ感覚でしか考えてないからマイナーとか言い出すのだろうな。
その誰かが言うように、九州派と出雲派、在地の畿内派など別文化の集合体である
ことをまず認識しないとな。大伴がやっていたから物部もやってただろう、という
根拠ならば、それは間違いだ。
275 :
日本@名無史さん:02/09/07 05:00
あのなあ、中央豪族の物部連と
その部民の物部(無姓)といっしょにするなよ。
物部連は大豪族だよ。
物部は部民の中でも一番分布が広く数が多いよ。
部民制・氏姓制の基本の分かってない奴が何人かいるなあ
276 :
日本@名無史さん:02/09/07 09:03
277 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/07 10:07
>267
こういう場合、寧ろ本当に関係があるかどうかの裏を取る方が先でしょう。近現代
は勿論、中世近世の記録・伝承を元に古代史を扱うようなら電波と呼ばれても仕方
が無い。
278 :
日本@名無史さん:02/09/07 10:41
ところで、続日本紀には、適当に物部連の姓を与える記事が散見される
ってのを知ってる?背景はよく分からんが、結構いい加減に与えてたみたいだ。
だから狭義の物部氏の子孫ってのは、いても極めて少ない。
279 :
日本@名無史さん:02/09/07 11:38
なんか偏狭なスレだね。
280 :
日本@名無史さん:02/09/07 15:52
姓だけをとりあげるから、物部氏の系統は少ない、とかなって終わってしまう。
物部はもっと奥が深いと思う。
神社とか信仰の話、記紀に伝わる話などを含めて議論しないと、結局何もつかめない
ままダラダラいってしまうぞ。
隠された真相とかを追究するためにココはあるんじゃないのか?
教科書どうりで、物部は滅びました、マイナーです、子孫少ないですとかでは意味が
ない。やっぱレス番200以前くらいの展開がちょうどいいような気がするな。
281 :
日本@名無史さん:02/09/07 18:25
隠された真相とかは脳内でやれよ。デンパ君。
282 :
日本@名無史さん:02/09/07 20:33
確かに”隠された真相”とか言うとデムパが発生し易いが、真相を追求すること自体は間違ってはいないぞ。
根拠を挙げて論じるならば、何ら問題なしだろ。
あと、神社とか信仰の話、記紀や旧事記についても、鵜呑みにするのではなくて、虚実入り混じっている(であろう)中から真実を導くというスタンスを守りながらという前提でなら取り上げるべきだろう。
そうすれば不審なデムパは発生しにくいだろ。
問題なのは、
・根拠もない(提示できない)、間違った自説を述べるヤシ。
・ハナっから議論の幅(可能性)を狭めるヤシ。(議論を導くのとは違う。)
・空気が読めないヤシ。
・煽り。
283 :
日本@名無史さん:02/09/07 21:48
(282の続き)
ひとまず物部氏はどういう出自かっていう議論に戻そう。
>>252・
>>255・
>>261が提起してる問題。
地名を根拠にして、筑紫・出雲・石見から畿内に侵略したかも?
反論
・
>>261さん、筑紫・出雲はいいとして、石見の地名は古代からあったの?
問題提起
・筑紫の遠賀川流域・出雲だけじゃなく、北陸も物部氏との繋がりが強いようだ。(各地の伝承・習俗・神社など)
さらに言えばこれらの地域と伽耶の間には繋がりがある。(伽耶からは鉄が、日本からは土器が送られたようだし、実際に釜山などの当時の伽耶地域の遺跡から出土した土器には、北陸・山陰のものも含まれるらしい。)
では伽耶とは物部氏にとってどのような存在なのか?
支配者・被支配者・同盟者・同族・・・いかがだろうか?
284 :
日本@名無史さん:02/09/07 22:23
理論とは得てして自己の願望を正当化するためのものだ。
意識しているにせよ、無意識にせよ。
285 :
282・283:02/09/07 22:44
新手の荒らしですか?
人が折角軌道修正したのに、何故にこの局面でそんな抽象論を持ち出す?
>>282に対しての反論ならば、ちゃんと反論しる!
286 :
日本@名無史さん:02/09/08 01:21
奈良盆地に点在する出雲やら石見やら吉備やら但馬やらいう地名は
各国の、今でいう公使館があったところだ、
とリア厨のころ教師に聞かされ、今までずっと信じていたが。
287 :
日本@名無史さん:02/09/08 01:30
後は君が考えなさい。
289 :
日本@名無史さん:02/09/08 03:50
>>251 なせウマシマヂが物部じゃないんだ?
>>278 別にそれは物部氏に限ったことでも、続日本紀に限ったことでもない。
ところで漏れは具体例としては和銅七年六月十四日条の
「寺人姓本是物部族也。而庚午年籍因居地名。始号寺人。疑渉賎隷。故除寺人改従本姓矣」
ぐらいしか思い浮かばんが、他にあるか?
>>286 各国からの労役貢納者の居住地、今風に言えばキャンプ地だよ。
>>283 物部氏の故地は肥後北部。大分の直入物部神も古い。
そこから東西に分かれ、西は筑後から肥前を経て壱岐に達する。
東は直入・大分から伊予など四国北岸を経て河内・大和に入っている。
土佐・阿波・淡路・紀伊にも僅かながら痕跡があり、畿内南部へはこのルートもあろう。
山陽道には播磨(畿内移住後の分岐ならん)を除いて同族が少ない。
東海道は最も多い地域だが、畿内移住後そこからの発展であろう。
北陸も諸国を通じて存在するが、大族はいない。
山陰道は丹波から出雲まで連続的に存在する。十千根の出雲神宝検校のあとだろう。
筑前・豊前に多いのはもちろん古い時代の分岐もあろうが、
麁鹿火の磐井征伐に依るところが大きい。
290 :
日本@名無史さん:02/09/08 03:54
東京都世田谷区に物部氏の子孫がいます
291 :
日本@名無史さん:02/09/08 10:53
>>289 例えば天照大神は天皇家の祖先だが天皇ではない。
清和天皇は清和源氏の祖先だが、清和源氏ではない。
天照大神は天皇の祖先だから清和源氏の祖先でもあるが、天照大神は清和源氏ではない。
それと同じこと。物部氏を名乗る以前は物部氏じゃないに決まってるだろ
有名な物部氏の子孫を教えます。
江戸時代、荻生そらい(漢字失礼)が、物部氏の子孫で
ある(?)から苗字を「物」氏にしました。本に
「物氏曰く」と書いてあれば彼の注釈と思います。
293 :
261 何処ぞ名のある川のヌシ:02/09/08 16:18
>>283 もちろん、古来からの地名ぢゃ。
天平二年(730年)「倭国正税帳」にはすでに石見の荘の記述があるぞよ。
一般にはあまり知られておらぬが、ここの石見遺跡は大変重要な遺跡なのだぞよ〜
物部氏とのつながりや、「石見鏡作神社」について知りたければ、饒速日命が>171
で上げている神社サイトへ行くがよかろう。(畿内で探すのじゃぞ、間違わんように)
ここで説明するとえーらい量になるからのう。
物部氏は奥が深いぞよ。物部氏を調べると、知らなかった日本史が沢山見えてくる。
皆のより一層の精進を期待しておるぞよ〜
294 :
日本@名無史さん:02/09/08 19:08
話の腰を折るような、厨房的推論で申し訳ないです
曽我氏は天皇家の親衛隊
物部とは朝廷の正規軍
物部連は朝廷軍連隊長
というような事は考えられないのでしょうか
295 :
日本@名無史さん:02/09/09 00:42
>>291 それだったらウマシマジだけじゃねえじゃねえか。
ニギハヤヒも伊香色雄も、要するに十千根より前は
全員そうじゃねえか。アフォくさ。
>>294 あえて類比すれば
物部・大伴など神別氏族は、江戸時代で言えば譜代。
古くから皇室に仕えて、部民を分有していた氏族。
カバネは連が一般的。
蘇我・葛城など皇別氏族は親藩。
カバネは臣が多い。
但し、皇別でも吉備臣や、あるいは特に公姓の者(毛野など)は
外様的な色彩もつよい。
>>295 俺もよくは分かってないが、>部民を分有していた氏族。
ってのは部曲のことでか?で物部氏も部曲を持ってたの?裏はとれてるのかなあ。
大伴部は聞いたことあるけど。他の部民の品部とか田部とかとは意味が違うんじゃないの。
さらに今、ここで話している物部氏の部ってのはまた全然意味違うと思うけど。
部の意味が2重にズレてないか?スレが冷めるんであんま追求しないけど。
>江戸時代で言えば譜代。
譜代どころか御三家以上の存在だと思われ。
>>296 部を持ってない豪族なんていねえよ。
いわんや中央の大豪族たる物部氏をや。
いわんや神別の大族たる物部氏をや。
某部を統轄するのが某氏だなんて常識以前の話だろ。
よけいなお世話だが、あんた品部・部曲・部・田部の関係
わかってないんじゃないか。
>御三家以上の存在だと思われ。
蘇我氏のことを言ってるのか?
漏れは皇別氏族まとめての話だからああゆう表現になった。
にしても、御三家にあたるのは漏れは諸王だと思うから、
臣籍降下してる蘇我がそれ以上とはおもわんな。
あくまで形式上の話。実際の権力とはいつの時代も別問題。
ま、いずれにせよ、あまりいいたとえではないと漏れも思う。
「あえて」の類比だ。
298 :
日本@名無史さん:02/09/09 02:15
お互いの用語の定義すらあいまいな状態で喩え話の是非をしのごの言っても
あまり益はなさそうだが。(横レス)冷静にね。
299 :
日本@名無史さん:02/09/09 14:16
>>295 アホクサも何も実際そうなんだからしょうがねえだろ。
だから祖先神の話ばっかするのは板違いなんだよ。
せっかく説明してやったのに なんだその言いぐさは!?
だったら逆に聞くが、
何でニギハヤヒ、ウマシマヂ、イカガシコオらは、おまえの判断では物部氏になるんだよ?
子孫が物部氏だったらそいつらも物部氏か?
ズレるからサゲるね。
>>297 いや、だからね、物部氏もそれでいいのかってことで聞いたんだ。
裏はつまりとれていないんだな?
先にも書いたけど、豪族といっても大伴とか蘇我と同じように見てると間違えるよ。
持ってる習俗や信仰形態がまるで違うからな。
そもそもなんで「物部」みたいな名で存在するのか?不思議じゃないか。
渡部さんとか矢部さんとかとは意味が異なるのは分かるよな?
土師部、錦織部の部とも全然違う。
物部は国のトップの仕事を任されてた、神を司る一族として。また軍事を司る人々と
して。古代エジプトの例を出して悪いが、神官っていうのは時に王と同等、或いはそ
れ以上の権限を有する場合がある。こういう古代の、祭事を重視する王朝にはしばし
ば見られる事なんだがね。
彼等の場合「物部」って名前になってしまうほど特別な集団だったのではないか、と
考えさせられるんだよ。そんな集団が他と同じようにか部曲なんか持つのだろうか、
というのがすごく疑問なんだな。で実際に聞いたことがないしな。
この板でよく見かける姓氏家系大辞典ってのがある。完全に読んだわけじゃないが、
項目ではおそらく物部氏が一番多いんじゃないか?(頁数じゃないぞ)147項あった。
日本で一番多いと言われる鈴木さんで75だ。(ただし頁は多い)その147項で部曲ら
しき物部姓はなかったと思う。(ざっと読んだだけ。一気にはとても・・・)
だから知りたいんだ。誰かが先に言ったみたいな、物部部、みたいなのは存在しない
んじゃないのか?物部氏は部曲とか持ってなかったんじゃないのだろうか。
301 :
日本@名無史さん:02/09/10 04:06
>>299 物部氏と非物部氏とどう分類しようとあんたの自由だ。
251がウマシマジだけ挙げるから俺は質問しただけだ。
前にも書いたようにあんたの分類だったら
ニギハヤヒ以下、十千根より前、全員含まれるからな。
なぜウマシマジだけなのか、そこが知りたかったのに
見当違いの答えが返ってきたから、アフォくさといっただけだ。
某氏を名乗る前は某氏ではないなんて、国語の教科書みたいな
しょうもない答だったんでな。それだけだ。他意はない。
>>300 どうも部に対する理解が根本から異なっているようだ。
298氏も言うように、これ以上論じても益はなさそうだ。
ちなみに俺は、国史大辞典や日本史辞典の類の
ごく一般的な「部」理解をしている。
302 :
旧安東スレの1 ◆ANDObCPY :02/09/10 09:36
>>301 まあまあ喧嘩すなや
俺が原因みたいだけど、俺の趣旨は
>>299が正確にくみ取ってくれたから今まで余計なこと言わなかったけど
>>301 >ウマシマジだけ
はぁ?
俺は「ウマシマヂとか」と書いてるだろ?
ふつう日本語では「○○とか」と言う場合、他の存在も想定しているんだよ。
ってか、そもそも
>>220が
>ためしに218よ。何も参考にせず、物部氏の人物を5人あげてみろ。
と書いたのが発端。
で俺は218じゃないけど
>目、守屋、アラカイってのもいませんでしたっけ?それくらいかなあ
と書いて、
>>251で
>ウツシコオとかウマシマヂとかは物部じゃないからねえ
と書いた。
これは言葉が足りなかったかもしれないが
「正確には物部氏とは言えないからねえ」
が正しい。
303 :
日本@名無史さん:02/09/10 12:28
ところで、
>>278さんの
>>289さんへの返答がまだのようですが、
278さん、続日本紀の記述の実例をもう少し挙げて
いただけると有難いです。
>>289さんの言うように
1箇所しかないものなのか。関心を持ってお待ちして
おります。
このスレ、やっぱ良いねえ(w
話の流れがすごく面白いね。よく調べてる人が何人か集まってるんだなあ。勉強になります。
物部っていう名前についてですが。
「部」に注目した流れになってるけど、「物」のほうでちょっと気づいたもんで。
物部の「物」ってのはひょっとして、大物主の「物」なのでは?
またワタクシ的見解で恐縮なんですが(w
>>300サンのを読んでふと感じたもんで。つまり物部氏は「大物主に仕える人々」
だったのではないかと。大王や国家に仕えるというよりかは。だとすると各地に残る
ニギハヤヒや大物主伝承、物部氏の分布などに何か関わりが見えてくるかもしれませんね。
>>302 了解した。
いや、ウマシマヂって、個人的に面白い存在だと思ってるから
何か意味あんのかなあと思ってきいただけ。
>>304 大物主の物と、物部の物とは意味は同じだろう。
しかしだからといって‥‥
ま、どうでもいいや。
皆さんの議論大変楽しく拝見させていただいております。
初めて2chに参加させていただくので失礼がありましたらお許し下さい。
谷川健一氏著「白鳥伝説」を読んだ時、日本の国「ヤマト」という国名ですが、その国名はニギハヤヒが岩舟で降り立った地が元になっていると記述がありました。
中国の歴史書(出典名を忘れました)によると
皇帝が遣隋使(遣唐使?)から直接聞いた話として、
倭にはヤマトという国があったが侵略し、国名だけもらったとあるそうです。
ニギハヤヒがナガスネヒコと一緒に神武と戦った国が「ヤマト」なのか皆さんはどうお考えでしょうか?
私も浅学なのでお手柔らかにお願いします。
307 :
日本@名無史さん:02/09/11 01:43
>皇帝が遣隋使(遣唐使?)から直接聞いた話として、
>倭にはヤマトという国があったが侵略し、国名だけもらったとあるそうです。
すいません。この話は何という文献に登場するのですか。ご存知でしたら
教えてください。こちらこそ浅学なのでご教示ください。
308 :
日本@名無史さん:02/09/11 02:43
>>307 旧唐書か新唐書だったと思う。でも、
>>306のはちょっと違うような。
日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。
或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中国疑焉。
日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。
あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。
その人、入朝する者、多く自ら矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず。故に中国焉(こ)れを疑う。
ちなみに、ここは
>>306と同じ。
ttp://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nihon/jsub007.html 岩波文庫から出てるから立ち読みしてみたら?
>>308 どうもありがとうございます。なるほど旧唐書日本伝のことを言っていたのですね。
「皇帝が・・・直接聞いた」の部分に反応して、そんな記述がどこにあるんだ
とか勘違いをしました。どうもすんません。
いずれにせよ。ご教示ありがとうございます。
310 :
旧安東スレの1 ◆ANDObCPY :02/09/11 09:02
>>305 分かっていただけて嬉しいな。
言葉遣いが「ゴルァ!」だったのは2ちゃんということでスマソ
>>304 うーん、同じ「物」は使っているけど…
そう言えば、秋田・山形県境の鳥海山の神社の名前は大物忌神社だよなあ。
この物も同じなんかな?
311 :
日本@名無史さん:02/09/11 11:10
≪307
新唐書にもあります。結論は逆になっている。
312 :
日本@名無史さん:02/09/11 16:00
>>304 >>305 物部の「物」は「モノノフ」の「モノ」である、と
する説と、「精霊」を意味する「モノ」である、とする説がある、
ていうのはガイシュツだから知ってるな?
(前者だと、物部氏はもともとは軍事的な氏族で、
宗教的な側面が後付け、後者だと、もともと宗教的な氏族で、
軍事的な側面は後付け、ということになる)
で、大物主の「物」も「精霊」の意味の「モノ」なんだよ。
オオモノヌシ=偉大なる精霊神と言う意味。
「モノ」なんて神秘的なものに対して使われまくってるから
それをキーワードにするのはちょっと強引すぎるぞ
313 :
日本@名無史さん :02/09/12 14:17
大辞林から 「もの」
・・・形のある物体を初めとして、広く人間が知覚し思考し得る対象の一切を意味する。
「こと(事)」が時間的に生起・消滅する現象を表すのに対して、「もの」はその現
象を担う不変な実体を想定して用いる語
・・・他にも意味多数。「もの」の語源についても検討が必要かと思われる。
これらの内、どの意味が最適なのかを断定するのは現時点では早計かと。
ただし大物主の物と同義だと推測するのは一理ある。
314 :
日本@名無史さん:02/09/12 14:39
どうも衰退期の物部をイメージしている面々が多いようだが。
姓や部民のやりとりを読むと特に。
教科書の延長だとやはりこんな感じで話が鈍ってしまうだろう。
国史大辞典を引いてる人もいるようだが、物部が栄えていた時代を辞典等でも
まともに教えてくれるものはほとんどない。だからマイナー発言とか出てくる。
せめて姓の話をするならば、一族が繁栄している時期を考察しないと完全に的外れ
になるだろう。物部については、やはり「旧事本紀」や「古事記」を持ち出す必要
性があると思う。
物部が他の豪族よりも先駆けて王室と親密になっていた点を考察しないとな。
姓氏家系大辞典にはこうある。「物部は神別第一の大族なり」
こう書かれているのに何故マイナーな存在になっているのか。教科書で教えない、
という事もあるが。なにせ王権が確立する以前に勢力を持ってた一族だ。大和朝廷
成立期の蘇我や藤原と比べるのは方向性が違うと思うがな。
315 :
日本@名無史さん:02/09/12 14:54
>どうも衰退期の物部をイメージしている面々が多いようだが。
あまりそういう印象は受けませんが。
316 :
旧安東スレの1 ◆ANDObCPY :02/09/12 17:53
少々デムパですがw
ガイシュツだがニギハヤヒ=大物主とすると
物部は大物主の子孫であり
神武東征(?)以前に大和盆地を支配していた豪族(王?)であり
神武はその入り婿なのだ…とかね
>>314
317 :
日本@名無史さん:02/09/12 18:17
だれも石切さんには触れないのかな…と思ったら触れられてましたね。
昔、近所に住んでました。
正式には石切剣箭(つるぎや)神社といい、どうも物部氏の一族だか
郎党だかの一人、穂積氏が治めてた土地らしいです。
この穂積氏が物部氏の武具なんかを管理してたみたいですね。
ちなみにこの穂積氏の末裔は小積さんという名で今でも石切に住んでて、
石切神社の神主(だったかな?)みたいなことをしてる、って
聞いたことがあります。まあうろ覚えですが(w
ちゃんと張り付くかなあ。こういうのやった事ないんだな〜(w
頑張って調べてる人が多いし、私も何かお役にたてればと思って書いてみました。
饒速日命──宇摩志麻治──彦湯支──出石心大臣──大矢口宿禰─→
┌ 鬱色許男
├ 鬱色許売
─→│ ‖────開 化
│ 孝 元 ‖───崇 神
│ ‖ ‖
│ ‖───‖─────比古布都押之信───建内宿禰
└内色許男┬伊迦賀色許売
└伊迦賀色許雄(崇神期における物部の長?)
わー。やっぱ開化の行がずれた〜(w スマソよ。
ようは伊迦賀色許売が孝元、開化の両方に嫁いだって事ね。
線を引っ張るのに必死になってたのでw、中味に間違いがあったら言って下さい。
これで>314サンの言う、物部繁栄期にも触れる事ができるかと。
あー、いきなり見つけた(w 指摘される前に自分でフォローしよ(w
内色許男は→大綜杵が正解だ。始めに鬱色許男(同じ人)って書いてあるのにね。
あー、なれない事はやるもんじゃないっスね(w
322 :
日本@名無史さん:02/09/13 14:47
悪戦苦闘したみたいだな(W とりあえずご苦労、>318
内色許男はそのままでも正解だろ。古事記によると。
建内宿禰の名があるけど。
伊迦賀色許雄の物部は、ニギハヤヒの血筋は重視したが、
建内宿禰(葛城、蘇我の祖)は天皇家とニギハヤヒの両方の血筋を持っている。
この差が後々の政局に影響してきたのかも・・・・・と解くと行き過ぎか?
323 :
日本@名無史さん:02/09/15 10:02
連休age
┌長髄彦(古事記では登美毘古。東征以前の畿内の支配者)
└御炊屋媛(登美夜毘売)
‖─────宇摩志麻治(石見にて没。物部神社は石見が総本山)
‖ └─彦湯支(志貴連の祖)
‖ (神武の養女に?) ‖ ┌大禰命
饒速日命──御歳媛 ‖─┼出雲色大臣命
‖ 出雲色多利媛 └出石心大臣
‖ └─大矢口宿禰───→
‖──天香山(熊野の高倉下命?越へ進出。
天道姫命? 越後弥彦神社では祭神。尾張氏、海部氏の祖)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
┌ 内色許男
├ 内色許売
→ │ ‖───9代 開 化
│ 8代 孝 元 ‖──10代 崇 神
│ ‖ ‖
│ ‖───‖──比古布都押之信──建内宿禰(葛城、蘇我の祖)
└大綜杵┬伊迦賀色許売
└伊迦賀色許雄(崇神期における物部の長)
あ〜よかったー。
今度ミスったらどうしようかってマジで緊張しました(w
中味もチョットだけパワーアップ。
間違えてたら言ってね。
327 :
日本@名無史さん:02/09/17 17:13
今日のニュースでやってるアルテイは関係ありの人?
1200年祭だってよ。
蝦夷やん
329 :
日本@名無史さん:02/09/17 18:05
歴史の時間では確か、先に葛城氏とか平群氏とか和ニ氏が有力だったと
習ったように記憶しているんだけど、これだと先に物部氏のほうが力を
持っていたという事になるの?
>>328 やっぱりそうだよねー。いや素人考えでゴメン。
>302にアラカイというのがあったんで、もしかしたらーとね。
331 :
日本@名無史さん:02/09/17 19:23
>>329 葛城・平群・蘇我は建内宿禰から分かれた家系だが、和邇氏は別だぞ。
物部の勢力とも別で独自に系譜を持っている。それもかなり早くからな。
元祖畿内派は和邇氏だ!
>>324の系図に和邇氏もいれてくれー。
開化のところに日子坐王がいてもいいだろうがー。
332 :
日本@名無史さん :02/09/17 20:20
>>329 先に、という意味の判断によるだろう。
実際崇神には思いっきり物部・・・いやニギハヤヒと言うべきか(ここが難しい)
の血が入っている。陵墓のある位置も物部の支配領地。
前に誰かが書いてるけど、当然その時代はまだ「物部」という姓では名乗ってい
なかっただろう。伊迦賀色許雄は物部(ニギハヤヒの系統)の頭領で間違いでは
ないけどまだ物部(姓)ではない。、、、、、逆にややこしかったかな。
333 :
日本@名無史さん:02/09/17 22:26
物部が栄えていた時期ってそのことなの。
>>326 ありがとー(w
>>331 入れてあげたい気持ちはヤマヤマですが。物部氏のスレでございますゆえ。
ちょっと戻って
>>317、ごめんねえ。石切さんに触れてくれてたのに。
系図書くのに一杯一杯だったので(w
石切さんの縁起については私が138に書いた通りです。
ただ一説には既に神武期には創設されていた(上之社のほう)という説もあるようで。
しかし後に上之社には饒速日命が、下之社には宇摩志麻治が祭られるようになった経
過を考えると……>316氏の言うように、神武は一体何だったんだろう、逆に後から
やって来て消えていった?という疑問にも繋がっていきますね。
現在の石切さんはその下之社にあたるそうです。上之社は明治期に一旦廃止された
んですって。(現在は復興したとの事)……少しアヤシイですなあ(w
335 :
日本@名無史さん:02/09/18 04:03
また頭の弱いデンパ君登場か。君が入ってくるとスレがまた迷走するぞ。
336 :
日本@名無史さん :02/09/18 17:45
>>334 それは神武=崇神だからでは。物部=ニギハヤヒはどちらにしても九州の出身
という裏付けにもなる。
>72で誰かが聞いている質問について俺も知りたい。
>75で関係ないと言われてるがそうでもないと思うな。
蒸し返しだけど参考物あったらそっと教えてほしい。
sage
>>337 天理教は、石上神宮の関連の祈祷師の助手(?寄代?)をつとめた中山みきが創始したそうだよ。
サゲるほうがいいのか?
ところで物部姓を名乗るようになったのは誰からなんだ。系図もいいけど。
記憶では物部十市根だったかと。
>>336 神武、崇神はどうでもいいけど、物部が九州出身てのはまだ早計。
麁鹿火が磐井の乱で九州に大きく勢力を広げた結果かもしれんし。
>>339 >>341 十千根と大新河は、>324の伊迦賀色許雄の次に来る世代ですね。
続きを書くべきかなあ、とも思ったのですが、とりあえずはちょうどこの辺で
切れがいいようだし、……あと私もあまり器用なほうではありませんので(w
カンベンして下さい。
ワタクシ的には、この辺りが物部氏の最も栄えていた時期ではないかなあと思い
ます。もちろん
>>340サンの麁鹿火の筑紫進出期もそう思いますよ。
ところでその磐井の乱鎮圧後なんですが。
物部氏はどれくらいの規模で九州へ移って行ったんですかねえ?書紀で継体の言
った「筑紫以西は汝がとれ」が気になりますよね。この後、尾輿の記述まではど
こか空洞っぽいですし、主力が九州に移った為に、物部氏は中央の政事から遅れ
をとるようになった、と考えるとまたデムパ扱いされちゃうかなあ(w
あと
>>322サンの言うように建内宿禰の血統が強かったのか、とも。
>>337 あそこは「親神」さんが本来の教理だったかと。大和の地に降り立った、もともとの
神を復興しよう、というのが始まりだと聞きました。その意味では物部は共通項にな
るのかなあ。
>334の石切さんで触れたけど、明治期は天照派と異なる神道は随分弾圧されたようで。
その中で教祖が注目を浴びるようになったのかも。
大和のもとの神である三輪や石上、石切。物部氏も関わったそれら本来の神々(八百万の
神々)を思い出せよ、と言うのが基本理念だと、その知人には聞いたんですけどね…
343 :
日本@名無史さん:02/09/24 17:42
age
344 :
日本@名無史さん:02/09/24 18:30
まだ終わっちゃいかんぞよ〜
もうちょいガンバレ!
345 :
日本@名無史さん:02/09/24 21:47
「書紀」皇極二年(643年)十月の条
「病気を理由に朝廷に出廷しなくなった蘇我蝦夷は、勝手に子の入鹿を大臣
にしてしまった。また、入鹿の弟(一説に入鹿本人)を物部大臣と呼んだ。
その理由は、物部大臣の祖母が物部守屋の妹だったからであり、その祖母の
財力によって、蘇我氏は権勢をほしいままにしたからである」
これは蘇我と物部の戦争後も物部氏が朝廷を圧倒するほどの財力を持ってい
たということです。
あと、蘇我氏が物部氏に戦で勝ったから財力を手に入れたのではなくて、
入鹿の祖母が守屋の妹だったから、というところまるで蘇我と物部が仲の
良い親戚って感じがして変です。本当は蘇我対物部の戦争なんてなくて物
部も大化の改新の時に一緒にやられたってことはありえませんか?それと
もやっぱり妄スレ?
346 :
日本@名無史さん:02/09/24 23:03
蘇我馬子が物部の財産らしいものはほとんど奪い尽くしたという話はどうなの?
>この辺りが物部氏の最も栄えていた時期ではないかなあと
むしろ断続的に栄えてると見ていいんじゃないかなあ。
伊香色雄とその子大新川・十千根(垂仁朝五大夫の一人)兄弟
そのあと、胆咋(仲哀記に見える)・五十琴は少し下がるけど、
伊*弗は履中朝執政、目も雄略朝に大連として活躍、
その後、麁鹿火まで少し間が空く。
以上は嫡流だけど、他にも長真胆、大前・小前、菟代宿祢などなど、
守屋滅亡まで、古代豪族の雄として栄えていたと見てよいと思う。
「栄」という語の意味に取り方によるけど。
>主力が九州に移った為に、物部氏は中央の政事から遅れをとるようになった、
僕はむしろ、麁鹿火のあと、尾輿(目大連の孫)に系が移ったのが
いくらか影響を及ぼしてるんじゃないかと思います。
内部抗争とまではいかないにしろ、二つの系統の間で
いくぶん争いっぽいものがあって、氏全体の勢力を弱める
ことになったんではないかと。
その場合でも、麁鹿火の一族(?)が九州に移ったという想定は
ありうるでしょうね。
348 :
日本@名無史さん:02/09/25 12:25
349 :
日本@名無史さん:02/09/25 12:43
>>345 そう言えば、蘇我物部の衝突は宗教よりも、物部守屋妹(姪)が一族の財産を独占
しようと、夫馬子をそそのかし、守屋たちを殺させたというのが主因という
おもしろ説を読んだことがある。馬子は息子蘇我物部蝦夷は物部の財産の
継承権を持つとして、国庫に没収されそうになった守屋一門の莫大な財産
をすべて手に入れたとかいう内容。
仲のいい親戚という「温かみ」はそこには微塵もなさそうだけど。(w
350 :
日本@名無史さん:02/09/25 17:17
ニギハヤヒの子孫は物部氏ですが物部守屋を射殺した迹見赤檮という人物は
長髄彦の子孫らしいです。神武がきた時にニギハヤヒは長髄彦を殺してしま
ったので子孫が復讐を果たしたことになりますが・・・本当かどうかこの話
351 :
日本@名無史さん:02/09/25 23:41
352 :
日本@名無史さん:02/09/26 11:48
353 :
日本@名無史さん:02/09/26 22:52
>>345 いえいえ、面白いと思いますよー。
>>349サンも触れているけど、守屋の
妹こと馬子の妻の話は、書紀に「時人、相謂りて曰く・・」として書かれていますよね。
ありうる説かと思われます。
>>347 あと守屋については、どうして穴穂部についちゃったかな〜という感もあり
ますね。政治的に対抗してゆく過程で仕方なかったのだろうけど。行動もだんだんエ
スカレートしていくし。それまでのヒロイックな物部氏(私的妄想でスマソw)が一変
して悪玉になっちゃいましたよね。これはやはり作者側の脚色なのでしょうか。
>>350 迹見=鳥見説ですね。他説に迹見赤檮は天種子命の末裔というのも。
あとご無沙汰してましたが、東北方面も少し調べてみました。
鳥海山の大物忌神社。こちらはどうも蝦夷との戦い(878元慶の乱)の中で、朝廷側
が祭っていった経過があるようです。それ以前の歴史、物部氏との関わりについては
残念ながら発見できませんでした。地史の方で調べたのですが、もしニギハヤヒ、又
は守屋一族が実際に目指した先があるとするなら、やはり雄物川流域から横手盆地?
の周辺が有力かという印象を持ちました。(羽後唐松神社の方面ですね)
書紀では守屋が敗れて後、崇峻2年に阿部臣(牧吹?)が北陸道を巡察していますね。
さらに斉明4年には阿部比羅夫が北航し、顎田の浦(←字が出なーい。あぎた、秋田の
語源?)まで征伐に来てます。この顎田の浦が現在の雄物川河口付近になるそうです。
もし阿部一族(確か馬子派?)が物部一族を探して船でここまで来たのだとしたら・・・
・・・なんかロマンを感じる(w もちろん実際には蝦夷討伐軍なんだけども。
355 :
日本@名無史さん:02/09/27 10:44
カラアゲが多いな。ダレだ?
357 :
日本@名無史さん:02/09/27 23:07
358 :
日本@名無史さん:02/09/29 19:07
なんで十千根から物部かというと、
十千根が新しく作った「物部」っていう部の長に任命されたからよ。
「物部」を作って十千根をその長にした、っていう記述はないけど、
かわりに十千根に石上神宝の管理をまかせた、っていう記述はある。
(つまり「物部」は資料をまんま信じると倉庫の番人で軍事でも宗教でもない。
物部のルーツは倉庫の番人か?ていうとこんなの信じちゃ馬鹿なわけで、
後世の事件を年代を遡って記述した、とか言う具合に解釈しないとねっ)
なんで十千根より前は物部じゃないの?なんていってる諸君、解った?
(ものすごい遅レスだが突っ込むな)
359 :
日本@名無史さん:02/10/01 11:36
また部の話にもどるのか?だから意味が違うってばさ。
ずばり言ってしまえばある意味君のいうとおり、後の時代から遡っ
て呼ぶからそうなるのであって。
そもそも氏姓制度の確立は7世紀後半だろ。400年代とかに姓として連や臣
などさえ本当に使っていたのかも疑問。同様に物部という名前も氏姓制度が確
立し、史書が書ける状態になり、後から追いかけてつけた可能性だってある。
繰返すが物部は日本史上最も歴史の古い氏族なんだぜ。
(ここで物部、と呼ぶ時点でおかしいのかもしれん。とすればニギハヤ族
とかで呼んだほうがいいのか?)
だから多分、部の長とかそういう経緯じゃないだろう、他の氏と違って。
まだモノノフの方が説得力あるかと。
彼等が蘇我のように比較的新しい氏族なら君の話もわかる。けどその氏やら
姓やらの制度がまだ曖昧な時代から彼等は国事を司っていたんだからな。
360 :
日本@名無史さん:02/10/03 16:24
良スレあげ
>そもそも氏姓制度の確立は7世紀後半だろ。
はあ? 天武朝の八色の姓のことかい。
それはいわば第二期だよ。
真人・朝臣・宿祢・忌寸・道師・臣・連・稲置だっけ。
その前に、君・臣・連・直・造・首‥‥の時代がある。
それ以前の原始的カバネなら稲荷山鉄剣にも見える。
部民制以前には伴制・人制の段階がある。
362 :
日本@名無史さん:02/10/04 01:26
プッ
ニギハヤ族だって
364 :
日本@名無史さん:02/10/04 12:18
365 :
日本@名無史さん:02/10/05 02:10
366 :
日本@名無史さん:02/10/07 16:12
千景age
いくらか知られてるのは
荻生徂徠と勝海舟くらいのもんだろ
368 :
日本@名無史さん:02/10/08 00:54
369 :
日本@名無史さん:02/10/08 01:03
勝海舟とか本気で書くなよ。
370 :
日本@名無史さん:02/10/08 13:58
あげ
>369
おろかな。海舟全集見ろよ
372 :
日本@名無史さん:02/10/08 16:58
「犯人の証言を信用しろ」ってか?(w
373 :
◆ANDOozB1sE :02/10/08 20:49
勝海舟の親って旗本株買ったんじゃなかったっけ?
金で養子になっておいて物部の子孫とは笑止!
しかもその旗本の家でさえ物部の子孫ということは伝承でしかない。
まあ、物部を称している人とはいえるだろうが。
勝家は当時の社会通念上、物部氏
養子にせよ何にせよ、本姓は物部氏
世間でも自分でもそう認めている
海舟は近江を通った時、わざわざ本家を探し出し
金を贈るなど礼を尽くしている
375 :
日本@名無史さん:02/10/09 22:25
徳川家は当時の社会通念上、源氏
養子にせよ何にせよ、本姓は源氏
世間でも自分でもそう認めている
家康は群馬県を通った時、わざわざ本家を探し出し
金を贈るなど礼を尽くしている
家康って藤原氏を名乗ったときもあったモナー
376 :
日本@名無史さん:02/10/09 22:38
>>374 日本史板でこんな屁理屈こねるヤツ滅多に見かけないけどなあ。(w
377 :
日本@名無史さん:02/10/10 00:09
>>376 日本史板で、家系と血統の違いの分からんヤツは見たくないねえ。(w
太田亮から読みなおせや
>家系と血統の違いの
プツ。それ以前の問題だろ。
379 :
日本@名無史さん:02/10/11 17:02
380 :
日本@名無史さん:02/10/13 20:55
381 :
日本@名無史さん:02/10/15 20:24
382 :
日本@名無史さん:02/10/15 20:26
さらしあげ
383 :
日本@名無史さん:02/10/15 20:33
すっかり荒れてるね。
384 :
日本@名無史さん:02/10/15 20:47
385 :
日本@名無史さん:02/10/15 21:02
ブラクラですか。
386 :
日本@名無史さん:02/10/15 21:03
食事前だときついな。
>>385 違います。物部長鉾という旧日本陸軍の将官の所蔵品のページです。
388 :
日本@名無史さん:02/10/15 21:10
物部氏ってほんとマイナーだよね。教科書でも一瞬だし。(w
ぐっさり、ささってるね。(w
392 :
日本@名無史さん:02/10/15 21:35
あらしは無視。
393 :
384=387:02/10/15 22:03
「あらし」じゃないのに・・・
394 :
日本@名無史さん:02/10/16 22:07
395 :
日本@名無史さん:02/10/17 15:07
396 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:21
勝海舟ってほんとに物部氏の子孫なんですか?
397 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:39
このスレの1も物部氏の子孫だそうだから、
勝海舟が物部氏の子孫でない理由はなかろう。(w
398 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:47
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
このスレ最近低調だね。
アブナイやつが多くて、読んでて笑えるんで、
漏れこのスレのファンなのにな。
みんな強制乳院?
>>396 海舟の親父が、物部氏たる旗本・勝家の養子に入って
勝家の祭祀を引き継ぎ
家ツキの嫁をもらって、海舟を生ませたのよ
何か疑問の余地が?
401 :
日本@名無史さん:02/10/17 17:02
400げと ずさー。
402 :
日本@名無史さん:02/10/17 17:03
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
403 :
日本@名無史さん:02/10/17 17:05
勝海舟ってほんとに物部氏の子孫なんですか?
404 :
日本@名無史さん:02/10/17 17:06
海舟の親父が、物部氏たる旗本・勝家の養子に入って
勝家の祭祀を引き継ぎ
家ツキの嫁をもらって、海舟を生ませたのよ
何か疑問の余地が?
勝がどうしたって?
406 :
日本@名無史さん:02/10/17 17:13
ここですか
嫌海舟厨のチョンコロが落書きしてるのは
407 :
饒速日命 :02/10/17 17:17
ここは物部氏について学術的に語るスレだぞ。
勝海舟なんかどうでもいいよ。
荒らすなよ。
408 :
日本@名無史さん:02/10/17 17:49
>>406 勝海舟はどうでもいいが、
どうでも良いようなことにこだわる君はウザいな。
409 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:19
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
源平藤橘でもない
マイナーな物部など
わざわざ仮冒する
必要なし
かえって四姓を名乗るやつより信憑性あり
411 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:36
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
412 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:38
413 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:48
寛政重修諸家譜を見れば?
414 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:49
何でそこまでこだわるの。
415 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:53
そもそも21世紀の今日
なんで姓氏なんだ?
かんけーねージャン
416 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:56
>>415 しかしさ、そういうのにこだわるヤシからかうと
多少おもしろいじゃん。ひまつぶし程度にはなるぞ(w
417 :
日本@名無史さん:02/10/17 19:21
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
418 :
日本@名無史さん:02/10/17 19:40
物部氏は海部氏である。
蘇我氏も海部氏である。
聖徳太子も海部氏である。
秦氏も海部氏である。
葛城氏ももちろん海部氏であった。
大海人皇子もまた海部氏である。
古代日本では海部連合対息長連合の死闘の戦いが何百年も
繰り広げられました。そしてついに壬申の乱で海部連合が
勝利を治め確固たる天皇の地位を手に入れることができま
した。が、その後持統天皇の策略により海部系の皇子は次
々と抹殺され結局は息長の血筋が受け継げられるようにな
りましたとさ。 おしまいおしまい
419 :
日本@名無史さん:02/10/17 19:48
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
420 :
日本@名無史さん:02/10/17 20:00
>>410 >わざわざ仮冒する
>必要なし
の「物部氏」にこだわる
必要なし
421 :
日本@名無史さん:02/10/17 20:27
422 :
日本@名無史さん:02/10/17 21:36
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
423 :
日本@名無史さん:02/10/17 22:04
ところで、「寛政重修諸家譜」に何が書いてあるの?
424 :
日本@名無史さん:02/10/17 22:14
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
425 :
日本@名無史さん:02/10/17 23:01
物部守屋の妹は大王よりすごい大々王だよあげ
426 :
日本@名無史さん:02/10/17 23:28
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
勝、って帰化系の姓だろ。
民族
428 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:16
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
429 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:18
430 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:18
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
431 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:23
432 :
日本@名無史さん:02/10/18 10:58
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
433 :
日本@名無史さん:02/10/18 11:08
>>413 >寛政重修諸家譜を見れば?
寛政でなくて、「寛永」の方だと勝家ってどう書いてあるもん?
434 :
日本@名無史さん:02/10/18 11:44
>寛政重修諸家譜を見れば?
ただの自己申告だろ。大藁。
413はどういう思考回路を持ってるんだ。
435 :
日本@名無史さん:02/10/18 13:16
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
折角の良スレを荒らすな。
このアフォどもが。
437 :
日本@名無史さん:02/10/18 15:40
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
皆さん愉快に盛り上がってますね。
この調子で楽しくやってください。
439 :
日本@名無史さん:02/10/18 16:11
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
↑ これでどうじゃ。
>>441よ、あくまでも騙るなら、漏れの質問に答えろ。
444 :
日本@名無史さん:02/10/18 18:11
いや、饒速口命にもう改名いたしました。
しかし、あなたも長生きな人ですね。
本物とは恐れ入った。2600才くらいですか。
445 :
日本@名無史さん:02/10/18 20:07
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
446 :
日本@名無史さん:02/10/18 23:46
饒速日命という名はもう捨てたんじゃないんだ。
コテハンはもう止めたのかと思ってた。
447 :
日本@名無史さん:02/10/18 23:49
ところで勝海舟は秦氏の子孫だとかいう話はどうなったの?
448 :
日本@名無史さん:02/10/18 23:58
>>443 何でもいいから質問かましてみてよ。待ってるよ。
つーか、おまいらは嫌韓厨ならぬ、嫌物部厨だな?
ちがうなら、わざわざこのスレをサルベージしてまで煽るのヤメレ。
それで建設的な議論をすればいいだけ。
>>448 漏れは騙りを曝そうとしただけだよ。
相手が改名したから終了。
あと、根拠もなく電波呼ばわりする香具師がいるが、根拠が無い限り、
お前が電波だぞ。
質問をどうぞ。
岩波国語辞典より
電波なヤツ:自分の脳内のことと現実が区別できない厨房
根拠を示したぞー。これでいいのかあ?(w
452 :
饒速日命 :02/10/19 00:46
君に質問してやる必要などない。
455 :
日本@名無史さん:02/10/19 00:53
物部氏は戦国期、細川家の家臣で、丹波守護代だったりする。
物部賢家・元秀父子が有名。
上原氏ともいう。
>>450,452,454
お前
>>1を騙るなら、このスレでカキコ済みの自分の先祖で、
出羽に住んでいたヤシを答えてみそ?(w
5分以内な。(w
もちろん、自分の事だからわかるだろ?(w
答えられなかったら、荒らし・厨房・低能・粘着ということで曝す。(w
457 :
日本@名無史さん:02/10/19 00:56
458 :
日本@名無史さん:02/10/19 00:57
お、マジ切れだぜ、こいつ。
459 :
日本@名無史さん:02/10/19 00:58
>>450,452,454
お前
>>1を騙るなら、このスレでカキコ済みの自分の先祖で、
出羽に住んでいたヤシを答えてみそ?(w
5分以内な。(w
もちろん、自分の事だからわかるだろ?(w
答えられなかったら、荒らし・厨房・低能・粘着ということで曝す。(w
どうした?(w
答えられんのか?(w
>>461 漏れは
>僕の父の田舎も横手市にある旧家で、さらに饒速日命を祀る神社の神職の家と縁続きだそうで
しかカキコしてね〜よ。(w
騙りカコワルイ(w
物□□屋
□を埋めて、物部氏の人名を当ててください。
かなりな難度ですね。
騙りがバレたところで、以後放置(w
せいぜいがんばってね(w
コピペでも張るのか?
それとも
>デンパー民俗。ちゃちゃっちゃ、ちゃっちゃ。
のワンパターンか?(w
それじゃ、どっかの国民と一緒だな(w
465 :
日本@名無史さん:02/10/19 01:12
今時こんなに遊んでくれるおにいちゃんなんて珍しいよ。
ほら、みんな、ありがとうはー。
はい、せーの、ありがとうございまーす。
はい、みんな良くできました。
466 :
日本@名無史さん:02/10/19 01:15
礼儀のいい荒らしだな。(わら
467 :
日本@名無史さん:02/10/19 01:16
何だこのスレ。
三郡史ヲタかF田信者が形を変えて暴れるスレか?
468 :
日本@名無史さん:02/10/19 01:46
まあ、自分で立てたスレくらいしっかり仕切ってや。
よろしく頼むわ。
・・・・・え〜落着きました?
いやー、久々に書込みしようかと来てみたら、またえらいニギやかで(w
一瞬躊躇いましたよ。私の足りない知識で話が戻るとよいのですが(w
ところで、どしていきなし勝海舟なの?今週のその時歴史が・・・の影響?
>413氏が寛政重修諸家譜という良い例出してますが。
ただそこから先を触れていないところを見ると、姓氏大辞典の方を引用したのかな。
(こっちを使ってる人は結構いるみたいね)
私も読みましたが、それによると海舟の父方、男谷(小谷)氏の解説が主だったかと。
さらに「物部系の勝氏」とは「カツ氏」ではなく「スグリ氏」ともありますな。
この勝(スグリ)氏は近江の坂田郡に出自をもつ一族らしく、どうも直接海舟の母系
とは結びつかないような感も。今、「寛政諸家譜スレ」が上がってるんですけど、
そちらで実際所有している人に聞けば詳しくわかるかもしれませんね。
海舟自身が、父方よりも母方の家系に誇りを持っていた、というのは私も何かで読ん
だような・・・(司馬遼太郎だったかなあ、また忘れちゃったw)ただ男谷氏が寛政諸系
譜の中で近江佐々木氏(佐々木信綱の4代孫、頼信を祖とする)の流れに属している
事から、「近江」の解釈をめぐって、どこかで混同されていった可能性もあるのでは
ないかいなー、とか思っちゃうのですが。(あくまでワタクシ的見解ねw)
>>431、447
秦さんのはちょっと違うかと思われます。それは多分勝部(スグリベ)氏の事でしょう。
書紀の雄略の辺りで出てくるけど、秦氏の流れを持つ全く別の一族ですな。
470 :
日本@名無史さん:02/10/19 12:27
男谷と物部は何の関係もあるまい。
物部に関係があるのは勝の母方の方。
471 :
日本@名無史さん:02/10/19 12:29
469=饒速日命だろ。
ちゃんとコテハン名乗れよ。
472 :
日本@名無史さん:02/10/19 14:19
内容のない長文ウザい。
>>471 昨日の逆恨みハケーン!(w
つくづくカコワルイ(w
てか、いい加減煽りはヤメレ。
>>461さんのようなレスには、根拠を持った反論をするのが筋というもの。
>>472はどうして「内容がない」と言えるのかが無いので、
>>469さんに失礼と思うが?
475 :
日本@名無史さん:02/10/19 18:27
ジサクジエン ウザい。
>>475 しつこいねえ、おまいも。
自分がくだらんことをするヤシ程、相手もすると思い込む、ってとこだな。
そういうことを言う前にきちんとした反論をしろよ。
反論ができないならおとなしくしる!
>>469さん
もし宜しければ、
>>475のような中傷粘着を撃退するためにも、
一度fusianasanして頂けるとありがたいです。
もちろん、イヤならイヤで構いませんよ。(笑)
勝海舟については知識が不足しておりますので、僕はロムってます。
騒がしくてすいません(汗)
477 :
日本@名無史さん:02/10/20 03:18
ジサクジエン ウザい。
おい
>>1、こんな
バ カ
はほっとけYO!
このスレ、なにげに好きだったんだけどなあ。
479 :
日本@名無史さん:02/10/20 04:20
どっちもどっちだろ。
あらしにかまうのも、あらしと同れべる。
480 :
日本@名無史さん:02/10/21 00:11
「嘘つきは泥棒の始まり」と小さい頃に習うはずだが。
481 :
日本@名無史さん:02/10/21 02:34
>>476 何でフシアナなんだ。おいおい、落ち着け。
482 :
日本@名無史さん:02/10/22 00:07
483 :
日本@名無史さん:02/10/22 00:20
物部氏系統の戦国時代の人物って誰?
教えてエロイ人!
今じゃここも、こうなる時代か?
寂しいね
>>483 >>教えてエロイ人
こんな厨房な書き方が、荒氏を呼ぶんだよな
485 :
日本@名無史さん:02/10/22 01:44
486 :
日本@名無史さん:02/10/22 08:11
>>484 すんません。マジでおわかりでしたら教えてください。
よろしくお願いします。
487 :
日本@名無史さん:02/10/22 17:12
親切に教えてやればいいのに。
やめとけ、やめとけ
調べようと思えば、自分で調べられる。
揚げ足とりされるだけだ
489 :
日本@名無史さん:02/10/23 02:19
久しぶりに来てみると…なんでみんなこんなに疑心暗鬼になってるんだ。
部外者が口をはさんで何なんですが、
わずか幕末の勝海舟が物部氏の子孫かどうかすら
まともに特定できないのが、
はるか昔神代のことになると断定できちゃったりする
仕組みが理解できないのですが、
その辺ご教示いただけないでしょうか。
354こと469ですが(w
>>476 フシアナってこうすればいいのかな?・・・よくわかんなくて(w
私は毎日は来れないので・・・ちょっと遅かったかなぁ・・・ゴメンね。
>>471 前の方からずーっと読んでもらえれば分かると思うけど、私は別人です。
途中から参加させてもらってま〜す。
では話題を戻しましょう。
>>470 はい。それは分かってますですよ。ただ近江つながりで混乱していった可能性がある
のでは〜、と思いまして。>469で申しました通り、物部系の勝(スグリ)氏とは、
近江に出自を持つものだけですからね。
これまた姓氏家系・・からの引用になりますが、戦国期に勝時直という武将がいたそう
です。(誰の配下かまでは解らなかった・・)この人物はその坂田郡に出自を持ち、
物部氏の末裔に当たるということです。ただ海舟がこの人物と関係があるかどうかは
ちと微妙なところですなあ。
そもそも近江の地は物部氏に非常に縁の深い土地柄です。
>>324の系図で言うと、彦
湯支の妻、出雲色多利媛は淡海川枯媛とする説もあるようで、甲賀郡の川枯神社に祭
られています。また出石心大臣の妻は新川小楯媛と言って、後の物部大新川と同様、
野洲郡は上新川神社、下新川神社に祭られています。また系図からはもれていますが
大水口宿禰(大矢口の弟?大新川の弟?多説あり)という人物もいるし、余呉地方は
「和名抄」で伊香の郷(伊迦賀色許雄はここからでしょうね)と呼ばれています。
近江というと戦国時代を思い浮かべる人が大多数でしょうけれども。
これからは物部氏も思い出してみてね(w
なるほど雰囲気がわかりました。
自分の居場所ではなさそうです。お邪魔しました。ペコリ。
494 :
日本@名無史さん:02/10/23 03:38
やぱり一般の人にはマイナーだと思います。
名前のせいだね。イルカとかウマ子のほうがかわいくて覚えやすい。
495 :
日本@名無史さん:02/10/23 03:51
>イルカとかウマ子のほうがかわいくて覚えやすい。
妙にワラタ。
496 :
日本@名無史さん:02/10/23 04:04
初めて歴史教育を受ける小学生のとき、大化の改新という大事件とともに
イルカの名は永遠に刻み込まれる。
後年水族館に行ったときにふと思い出す。タマちゃんウタちゃんでも
なぜか思い出したりする。ほとんど人間として記憶していない。
497 :
日本@名無史さん:02/10/23 04:22
そう言えば俺「そがのドルフィン」て覚えてた。(w
498 :
日本@名無史さん:02/10/23 05:46
ヲコシ・アラカビ・モリヤ
・・・どんな連想する?
499 :
日本@名無史さん:02/10/23 12:14
かみなり○○○
コーヒーの名前
タモリ
500 :
日本@名無史さん:02/10/23 12:17
500げっと
501 :
日本@名無史さん:02/10/23 12:22
500
>>491 ちょっと、ageるとすぐ荒らされますから、 sageでいきましょうや
幕末の御家人で「荒井金助」というのがいます
札幌開拓の恩人といってもいいでしょう
これが本国近江で物部氏を称しています
近江と物部氏の繋がりはいろいろあると思いますよ
503 :
日本@名無史さん:02/10/23 21:31
503
504 :
日本@名無史さん:02/10/23 21:32
504
505 :
日本@名無史さん:02/10/23 21:35
ウマシマジ
・・・どんな連想する?
え〜、寛政重修諸家譜、読んできましたよー(w
いやー、まさか行き付けの図書館にあるとは。久々に身震いする思いでした(w
お願いしたら書庫から引っ張りだしてくれまして。言ってみるもんですなあ。
>491の勝時直について少し解りました。徳川は榊原小兵衛長利の配下だったようですね。
天正3年に鉄砲玉薬組同心として配置されています。
天正3年というと・・・長篠ですよねえ・・・これはまず間違い無く参加していたでしょう。
・・・・・ん〜、ロマンだー(w
その後は小さい役ながらも代々、幕府の勘定や奉行、番頭などを歴任していること
から、海舟にも繋がるかなあ、とだんだん思えてきました(w
で、寛政諸系譜の物部氏の項にあった氏族を控えてきました。
・弓削大臣守屋の後胤として平岩氏(石上同祖)
・荻生氏(ただし本来は清和源氏義綱流らしいです。何度か改名したようです)
・稲生氏(同じく守屋の後胤、戦国期の和田豊前守の後裔?伊勢国で信長に降る?)
残念ながらここに勝氏を加え、4氏族のみという結果でした。
ま、寛政諸系譜は幕臣を主に編纂されているので仕方ないかもしれませんね。
>>502 荒井氏も調べようと思ったんですけど・・・すんましぇん、今回は時間が一杯一杯でした(w
あと鉄砲つながりからですが、近江国友氏も有力候補かなあと(私的見解ですが)
彼等も近江坂田郡出自なんですよね。
・・・・・銅鐸、鏡、剣、鉄砲。鍛冶技術の側面から考察すればありえるかも。
>鉄砲つながり、、、
ようやく雑賀衆の出番が回ってきましたか?
508 :
日本@名無史さん:02/10/26 21:50
以前、アテルイの名前がちらっと出てましたが、
物部氏と陸奥の蝦夷は何か関連あります?
そんな小説を読んだもので。
(小説なので根拠はないかもしれませんが)
509 :
日本@名無史さん:02/10/27 23:07
>>508 高橋克彦じゃないですか?「炎立つ」とか(面白いですけどね)。
おそらく元ネタは「東日流外三郡誌」だと思われます。ようはトンデモです。
510 :
日本@名無史さん:02/10/29 14:48
>>257 トヨタは自動車が有名なのであって、それを売ってる人、作ってる人は
有名にされる対象じゃあない。漫画のキャラクターは知られてても
漫画家のことはあまり知られてないのと一緒。
比較する対象を間違えてる。「トヨタの車種(カローラとか)
をいくつ挙げられるか」、が正しい。
>>258 織田一族はマイナーですよ。信長が個人的に有名なだけ。
>>260 閣僚個人はマイナーだよ。でも内閣はメジャーだよ。
支持率調査ってあるだろ?あれ聞かれた人の90パーセント以上が答えてるわけよ。
つまり、世間の人の90パーセント以上は内閣に対して何らかの感情を持ってる
=内閣を知ってるんだよ。
なんでこんなにレスが遅いかというと、俺も即レスしたかった。だが
スレ雰囲気が、これにレスしたヤツも荒らし、みたいな感じだったので
ほとぼりが冷めるまで待ってたんだ。
511 :
日本@名無史さん:02/10/29 23:24
512 :
日本@名無史さん:02/10/30 14:05
513 :
日本@名無史さん:02/10/30 14:06
断空我
514 :
日本@名無史さん:02/10/30 18:57
>>510 ユーモアのセンスをお持ちの立派な方とお見受けします。
このスレはあなたが来るようなところではありません。
早くこのスレのことは忘れて真人間に戻ってください。
あなたのおかあさんも泣いてらっしゃいます。
昔 同級生に 物部(ものべ)という 苗字のやつがいたが
物部と関係あるかな。
>515
そりゃほとんどズバリでしょ(w
荒井金助、なんとか見つけましたよー(w
しかしよく御存知でしたねえ、>502サン。地元の方ですか?
地史のほうから調べてやっとこたどり着きました。
しかし物部系なのかどうかまでは・・・
私的には札幌開拓というよりも石狩全体を開いた人、という印象をもちましたね。
さて、スレがやや単調になりつつあるので、また私ネタをひとつ(w
戦国時代のほうが皆さん分かり易そうなので、有名どころで物部系「らしき」人材、
ご紹介しましょう(w
甲州武田信玄の旗下に曾根衆という人達がいるのですが。
最も知られているのは武田二十四将のひとり、曾根内匠助昌世でしょうね。
この「曾根氏」について、物部氏の流れを組むものではないかという説があるんです。
「新撰姓氏録」では石上同祖として、神別物部の項に「曾根連」をあげています。
が一方で、武田氏諸系図や「尊卑分脈」では、曾根氏は清和源氏武田氏流にあたると
いうのが主説になっているんですな。
「姓氏家系大辞典」の太田亮氏の解説によると、元来、甲斐八代郡曾根村には物部系
の曾根連の子孫が先住していたとの事で、後世、清和源氏が信濃・甲斐に入って来た際、
子孫の一部が、神別物部から皇別源氏武田流に乗じ、系統を変えたのではないかとい
う説をあげておられます。>506の荻生氏でも触れましたが、改名等の折に家系の系統
を変えるのは、歴史ではしばしば行われる事のようです。
勿論、黒源太清光から曾根禅師厳尊と伝わる本家筋は間違いなく源氏でしょう。
ただ七郎兵衛や虎長、昌長、昌世たちは、もしかすると曾根連、つまり物部氏を祖と
する系統にある人達なのかも知れませんよ、と(w
現在、八代郡は東西に分かれていますが、この地域には多くの古墳も存在してるんです。
有名な「赤烏元年」の鏡(呉鏡?)が発見された鳥居原狐塚古墳。国史跡に指定され
ている銚子塚古墳。また4C後半の成立と言われている大丸山古墳、等々。
「曾根丘陵」と呼ばれるこの一帯は、古代甲斐の中心地であり、大和政権と密接な
関係にあったことも認められています。また同郡御坂町には美和神社があり、大神神社
の勧進を受け、祭神に大物主を祭っていますね。
レス番
>>150から160〜辺りでの、物部氏と信濃・甲斐地方との傍証について、これらが
多少の根拠になればなーと思い、関連して書いてみました。
以上長レス、ゴメンチャイね(w
>>509,512
そうそう、「火怨」です。
やっぱ小説ってことで、特に関連はないんですね。
(面白いんですけどね。何度もアツいものがこみ上げてきて...)
ちなみにスレ違いですが、胆沢城址の南に「跡呂井(アトロイ)」という地区名があります。
>>518 このスレ、守屋とか尾輿とかで盛り上がったことないよな。
結局誰も知らないんだよ。マイナー氏族はつらい。
だから神話とか幕末(勝海舟)とか戦国時代とかにいかざるをえない。
よくスレが500も続いたな
>>508 ・・・実は327でアテルイを振ったのは・・・私でござりまする・・・(w
自分で振っといて何ですけど・・・物部氏とは・・・どうなんでしょ?
(あの日はニュースで1200年祭やってたのね、w)
>>354で守屋の敗北後、阿部比羅夫が北航した際、秋田までの日本海側の蝦夷は以外と
簡単に朝廷に服属しています。朝廷側はそれが念頭にあって、容易に胆沢・日高見国
を奪取できると陸路から進んだのでしょうが、やはり海を行くのとは勝手が違ったよ
うで。アテルイのゲリラ戦術に一敗地に塗れたんですな。
(一説に和賀、斯波など北上川の水軍の助力も大きかったとも)
あえて物部氏に関連させるなら、海路の掌握が古代においていかに重要だったかという
点でしょうか。近江を押さえていた物部氏はおそらくその北、角鹿(敦賀)の港を基点
として、西は出雲石見へ、北は越を経て羽州まで勢力を伸ばしていったのでしょう。
そこから彼等がどこまで内陸へ入っていったのかが、本題になるでしょうね。
>>520 まあまあそう慌てなくとも。
ぼちぼち進んで行くのも、またよいかなーと思われまする(w
今日明日に答えが必要な話ではないですし。毎日は読めない人もいるでしょう。
(ワタクシ的にはこれくらいのペースが丁度いいんですけどw)
尾輿の話も良いじゃないですか。(残り500に期待してまーす)
物部のルーツに関するなら、神話の話も構わないのでは?
>>180〜190前後で抜けた人が多かったのかなあ。もういいんじゃないですか、解禁でも。
522 :
日本@名無史さん:02/11/12 14:55
保守あげ
523 :
日本@名無史さん:02/11/13 01:26
>>521 阿部引田臣比羅夫の父は越国守(越後・越中・越前に分かれる前の話)で、
(本人もそうだったかも知れん。忘れた)
なぜ彼が遠征の司令官に選ばれたかというと、北陸は阿部氏(引田臣系)の勢力下
だったからですよ。
比羅夫は遠征後、死んだ将兵を弔う為だかどうだか知りませんが、
仏塔を建立してます。で、どこに建てたか、というと
なんと石上なんです。ま、偶然でしょ。詳しく調べてないから知らんけど
524 :
日本@名無史さん:02/11/19 22:42
>>334 二朝並立説の話?
欽明側に尾輿、安閑宣化側に麁鹿火ってことでいいんですか。
筑紫進出なんて磐井の乱まで待つことないでしょう。
そんな短期間で作れるほど弱いつながりでもない。
4世紀末から何かあるたびずっと物部の兵が朝鮮に派遣されてたからこそ
欽明紀の物部莫哥武みたいな日韓混血っぽいのか活躍するわけだし。
遠賀川のあたりが物部氏の故郷ってのも違うでしょう。
対朝鮮の軍事外交で物部氏が使われていたから、あそこらへんに物部
が多いってこと。
ちょっと話がずれるけど、百済の武官に物部さんいるよな。
麻立干とか位をもらってる。ほかにかしわでさんとかもいたような。
戦争のプロとして、九州や東北以外にも朝廷から各地に派遣される存在だったん
でしょうか。
527 :
日本@名無史さん:02/11/19 23:50
麻立干は新羅王の君号。
倭人系官僚が百済からもらった官位は麻立干ではなく
達率とか恩率とか那率とかじゃないの?
そうでした。しかも上記3つのどれかも忘れた。欽明朝だったような
記憶はあるのですが。無学スマソ、逝って来ます・・・
こんなHPを見つけました。奈率の物部がいますね。
ttp://www55.tok2.com/home/kiyono/kankokutei.html 以下コピペ。
高句麗の勢力に対抗しようにも、倭政権の統率力は不安定だったため、豪族の一部
は倭王権に仕えながらも百済に通じるようになり、倭王の危機感を更に高めた。
『隋書百済伝』には「其の人、雑ふるに新羅・高麗・倭等有り。また中国人有り」
と記されている。『日本書紀』には、このような倭人系百済官僚が登場する。彼ら
は倭名を名乗り、倭国内の一族と連絡を取って外交を有利に展開した。
欽明二年七月に百済王の使者として来朝した紀臣奈率弥麻沙(奈率は官職名にて十六
等のうち第六品)は、紀臣が現地で娶った百済人の妻との混血児である。
その他、欽明天皇五年三月に日本の親新羅派を排除すべく来朝した許勢奈率歌麻・
物部奈率歌非(奈率は官位)や、同十四年正月に援軍要請のため来朝した徳率
科野次酒(しなのししゅ。徳率は第四品)などがいる。科野次酒は同年八月付けの
上奏文中で「内臣」と記され、百済朝廷で重用されていたことが分かる。日本は
医博士・易博士・暦博士の交代派遣及び朴書・暦本・各種の薬物を要求し、引き替え
に援軍を千人・馬百頭・船四十隻を送った。このように、百済は文化輸出をもって
倭国の軍事力を利用した。
530 :
日本@名無史さん:02/11/20 22:48
>>526 「各地に派遣され」て、大和王権に刃向かってる連中を従わせて、
その連中の祀ってる神を鎮め封印するのが物部の職掌ってことでしょう。
石上神宮が元々物部氏の氏神じゃなくて王家のものだったてのは垂仁紀に
十千根云々が載ってます。
東北や九州だけじゃなく、全国各地に物部は分布してます。
それこそ他の氏族の追随をゆるさないほど広い範囲で。さすが八十物部
それが拡大運用されて海外派兵の中核としても使われたとか?
531 :
日本@名無史さん:02/11/20 23:03
七支刀が石上神宮に収められたのと関係あるのかな
532 :
日本@名無史さん:02/11/20 23:53
533 :
日本@名無史さん:02/11/23 09:20
結構開明派だったんだな
誰が海外の事情に暗い保守派なんてイメージを広めたんだろ
534 :
日本@名無史さん:02/11/26 14:50
通りすがりさん。おもしろいトピックありがとうです。
期待あげ。
>>524 ん〜、私が342で触れたのは二朝という意味とはちょっと違いますね。
その後
>>347氏が補足してくれていますが、麁鹿火のあと、尾輿系に(物部氏内の)
実権が移っていく中で、何かポコンと間が空いたような感じがあるんですよね。
ここまで何度か「物部氏は九州の出自ではないか」という意見が出ているのですが、
私的にはこの麁鹿火の筑紫入り以降から九州に広がっていったのではないか、と感じて
いたので、推論を立てさせてもらいました。
対照的に言うと、ここまで触れてきた近江・羽州・甲信越・出雲石見などの方が、より
以前の時代から物部氏(または物部を名のる以前から)との関連が深く、出自としても
有力ではないかなーと考えています。
継体の「汝がとれ」は、大抜擢のように見えるけれど・・・実際は物部一族の力を分散さ
せようと仕組まれたのではないかなーとか(w 当然入れ知恵をしたのは蘇我稲目
(確かこの時期、急に朝臣として蘇我氏が現れてたような・・)
実はこの頃からすでに蘇我氏の謀略が張り巡らされていたのかも・・・なんてネ(w
>>523 阿部氏の祖先は大毘古命ですね。
>>324の系図で言うと開化の実の兄のところに入り
ます。そういう意味では物部氏とは同祖になるんですよね・・・
大毘古は崇神期に四道将軍として北陸道を進んでいますから、実質上、祖先たる宇摩
志麻治や天香山たちが進んだ越方面の支配は、「伊迦賀色許雄〜物部氏族」よりも、
「大毘古〜阿部氏族」のほうが受け継いでいたのかもしれませんね。
・・・ん〜。だとすると羽州のニギハヤヒ伝承は物部氏のものというよりも阿部氏
に拠るところが大きいのでしょうか?
出羽のニギハヤヒ伝承は、やっぱり物部でしょう。
唐松物部文書は信用できんけど、それでも物部を名乗る一族が少なくとも平安時代から秋田仙北(当時は秋田山北)にいたのは史実。
(前九年か後三年の記録で物部出羽大目という人が使者として出てくるのがソース。ちなみに「だいさかん」だよw)
阿部氏系統は、古四王神社の分布と重なって広まっていると思う。
古四王神社は元は越王で、今の新潟、山形、秋田、岩手に広く分布している。
それで最も社格が高いのは何故か秋田市の古四王神社なんだよね。
537 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:08
hoshu.
ちは。
539 :
日本@名無史さん:02/12/11 23:15
>536
地元なので秋田市の古四王さんにはたまにお詣りします。
落葉が積もってたりするのがちょっと寂しい。
今度は空いてる時にいって掃いてこようかな。
540 :
日本@名無史さん:02/12/12 20:37
十種神宝の「ユラユラと振るべ」とか陰陽師も使ってるのはどうして?
だれか教えて…
清明も阿倍氏だし
すいません。物部の部ってどういう意味ですか。
542 :
日本@名無史さん:02/12/17 01:20
もののふ=武士
543 :
日本@名無史さん:02/12/17 02:49
>>542 説明になってないだろ。逆に「もののふ」という言葉が物部に由来するので
あって、武士の役割の氏族なのでその名前になったという説明にはならんわな。
ぶ 【部】
(1)全体をいくつかに分けたそれぞれの部分。
(2)官庁・会社などの、組織上の一区分。普通、課より大きく局より小さい。
(3)学校・会社などのクラブ活動やレクリエーションのための団体。
(4)歌集などで、全体を区分けしたそれぞれの部分。部立て。
かきべ 【〈部曲〉/〈民部〉】
古代の部民(べみん)のうち、豪族が私有した民の総称。一定の技術をもって各豪族に隷属して
いたものもいたが、大部分は農耕に従事していたとみられる。大化改新の後、ほとんどが公民
とされた。かき。かきのたみ。ぶきょく。
べ 【▽部】
大化前代、大和政権に服属する官人・人民の集団に付せられた呼称。五世紀末の渡来系技
術者の品部(しなべ)への組織化に始まり、旧来の官人組織である伴(とも)を品部の組織に改編
し、また王権の発展に伴って服属した地方首長の領有民や技術者集団、中央豪族の領有民
(部曲(かきべ))にも部を設定し、王権に服属した民であることを示した。部による支配方式を一
般に部民制と呼び、六世紀を通じて大和政権の基本的な支配構造となった。部(とも)。
545 :
日本@名無史さん:02/12/17 13:59
結局、物部の部はどれに該当するんすか。
たぶん「べ」だろうねえ。
ただ、ここでいう「べ」と、氏族名に使われる「べ」(阿部、物部、境部etc)は違うとする意見もあったはずなので一概には言えないが。
>>542はジョーダンです。
ちなみに「もの」は神霊とか霊魂って意味で、
後の「もののけ」や「ものいみ」にも通用します。
548 :
日本@名無史さん:02/12/17 21:59
物部は「神事」に携わる「天皇家に仕える氏族」でしょうね。
549 :
日本@名無史さん:02/12/17 22:22
>>548 まあ「天皇に仕える氏族」だとビミョーだ罠。
物部氏から権力を奪った蘇我氏がそうだったように物部氏も天皇に表面上仕えていたが、
実権は掌握していたと思えるフシもある。
さらに「実質的には」天皇よりも格上で、「天皇の存在」そのものの生殺与奪の権限を持った上で、
政治的に利用していたのかも知れない…とも解釈できる罠。
しかも物部氏には職業部としての「部民」の存在が曖昧であり、他の豪族とは一線を画する氏族であると言える。
もっと言えば「八十の物部」なんぞは中央の物部氏の支配下にあったかどうかも微妙であるし、
そもそも「八十の物部」の全てが「物部氏」と同族であるとは言い切れない。
このように物部は「わけわからん氏族」でしょうね。
いろんな意味で。
550 :
日本@名無史さん:02/12/17 22:38
そのように拡散させてわからなくさせる必要もないでしょう。
中央の物部にかぎって考えてみましょうよ。
裏にいろんな含みがあるかもしれませんが、「表面上仕えたふり
」をしていたなら「仕える氏族」でOKですね。それとも、反乱
おこして天皇家を滅亡させたとか実績がありますか。ないですよね。
(w
551 :
日本@名無史さん:02/12/17 22:41
>実権は掌握していたと思えるフシもある。
このへん詳しく教えてくださいよ。
552 :
日本@名無史さん:02/12/17 22:59
>>548 チョトー違う。
「天皇家に・・」じゃないッス。「大物主に」仕えていたのッス。
だから天皇家の下、というニュアンスではチョト無いネ。
553 :
日本@名無史さん:02/12/17 23:01
大物主=物部じゃないの?
554 :
日本@名無史さん:02/12/17 23:02
555 :
日本@名無史さん:02/12/17 23:17
>>554 違うずら。
例えば古代エジプトがいい例ずら。
王室権力と神官権力は別ものということが言いたいずら。
556 :
日本@名無史さん:02/12/17 23:38
しかし、「部」という呼称がついたということは、朝廷の体制に組み入れられた
ということではないのですか。
557 :
日本@名無史さん:02/12/17 23:41
>553
物部氏は饒速日命の子孫だから。大物主じゃないだろ。
なぜ饒速日の子孫が大物主を祭るのか、なぜ祭る事ができたのか…
そこらを考えると面白いよね。
558 :
◆ANDOozB1sE :02/12/18 10:13
トンデモだけど、よく言われるのは饒速日命=大物主説。(原田常治が最初?)
名称の混同が多いのを理由に挙げている。
ただなあ、後世に同一視された可能性を考慮に入れていないんだよね。
その辺どうなんでしょ?
559 :
クダラ人の子孫:02/12/18 15:25
日本民族の先祖は、九州地方を本拠地とした「ヤマト系」と
畿内を本拠地としたモノノべ系の2系統がある。
ヤマト系は、いわゆる弥生人(稲作民族)で、揚子江流域から九州地方に移住して
ヤマト国(邪馬台国)を建国した勢力だ。
モノノべ系は、畿内を中心とするモノノべ国(仮称)を建国した勢力で、
この2系統の民族は、天皇家と物部氏本家の政略結婚によって、統合された。
とうぜん、2つの国も統合され、大八嶋国(新ヤマト)になった。
ちなみに九州地方にあった旧ヤマトは、半島も支配下においていた。
コマ国、シラギ国、カラ国、クダラ国は、ヤマト系日本人が建国した国で、
後の「高句麗」や「新羅」や「百済」などの朝鮮人の国とは、関係ない。
ただ、高句麗と百済では、6世紀頃にふたたびヤマト系民族(クダラ人やコマ人)
が支配権を取り戻したが、朝鮮人国家のシルラ(新羅)に滅ぼされてしまった。
560 :
クダラ人の子孫:02/12/18 15:33
ヤマト系は、南方系アジア人。
モノノベ系は、北方系アジア人のブリヤートである。
だから、モノノベ系は狩猟民族で、性格は勇猛。
武器(狩猟道具が発展した物)の扱いに慣れていた。
561 :
日本@名無史さん:02/12/18 18:21
>>558 同一ではないでしょうけど、非常に近い繋がりにあるとは思いますね。
祭祀できちゃうのはその為かと。
という訳で饒速日命は親出雲系だった、に一票。
(おやじゃなくて親戚の意味ね)
563 :
日本@名無史さん:02/12/18 21:13
っていうか、大和時代の豪族・物部氏とどう係わりますか。
ムリヤリ起源を古くして分からなくさせる必要もないでしょう。
564 :
日本@名無史さん:02/12/18 21:21
出雲勢力が畿内に入り込んでいて、それを饒速日が受け継いだ
というところはいいんだけど
その過程がよくわからん。事代主=饒速日でいいの?
事代主でもないでしょうね。
というか背景に近いものがある、という意味です。
出雲と言ったけれども、も少し広げれば山陰等をはじめ、日本海側を往来していた
人々。その一部に饒速日のモデルになるような一派がいたという感じなのでは。
566 :
日本@名無史さん:02/12/19 07:33
日本海側なら「天火明」になっちゃうんじゃないの?
饒速日は四国北岸、北九州から瀬戸内、河内あたりっぽい
567 :
日本@名無史さん:02/12/19 08:09
>>1こと子豚よ・・・いい加減にしたらどうだ(WWWW
お前は今までずっとそうやって生きてきたな(WWW自分にとって都合のいい話しか聞かない豚野郎(WW
不快になる、反論される話は全く聞く耳を持たないんだろ(WW豚きわめりだな(WW
なぜ自分の卑小さを省みず、常にそんな傲慢な態度をふるえるんだ(WW
お前のような豚は、常に自分の精神状態を気持ちよくする事しか考えてないからだろ(WW
この世を自分中心…豚中心(WW豚世界(WWお前が人間と会話する時は、論議するとか、
意味のある話をしようとか、そういうのがまったくない。ただアフォ豚が気持ちよくなれればそれでいい
自己豚満足しか頭に無い、典型的オナニー豚(WWW
まさに幼児豚がする会話。幼稚豚の典型(Wお前の話は、ゴミだよ豚ちゃん(WWW
イカレ豚のオナニーその最もたるは、お前が書いてきたレスだよ。そして自演ことバレ豚芝居(WWW
なぜあんなレスをしかできない?あんなサトラレ豚芝居をする?自分ではわからないだろうな(W
それは、ただ自分が気持ち良くなりたいという豚望の結果ですよ(WWW
真正面から否定する文は、オナニー豚には通用しまい(Wお前は誰にも論破できない(WW
論破できないというよりは、議論自体できない訳ですが(WWW
豚は豚を不快にする文を受け入れられるような理論的人間じゃないからだ。
つまりオマエが豚だからだよ豚野郎(WWW話の通じない狂豚。狂気豚見参(WWW
ハナから戯言と決めつけることによって、どんなことをいわれても豚の精神状態を
安定させようとする。豚に都合の悪い事は見えません、豚目、豚耳、豚口(WWW
豚のお前にしてみれば、豚が不快になる文は、「バカじゃん」「ただのキチガイ」「で?」で済まされてしまうだろう(WWWそんな事をしていては、他人と論ずる事などできる訳がない(WWW論ずる事など元からアフォ豚にはできませんが(WWできる事はコピペと豚芝居(WWW
とどのつまり、豚ちゃんはハナから他人と論ずるだけの脳味噌を持っていないってこと。
そして、そのレスはすべて何の価値も持たないゴミだということだ。
オマエには何にもできないよ豚ちゃん。ネタ職人などと都合の良い冠が欲しいのか?(WWW
568 :
饒速日命 ◆cmEYvEIwQY :02/12/19 09:00
何でしょうか?
この
>>567のものすごい情熱は??
とりあえず騙られたことがあるのでトリップつけてみました。
569 :
饒速日命 ◆cmEYvEIwQY :02/12/19 09:55
このスレご無沙汰してましたが一応チェックはしてました。
で、今日突然
>>567の書き込みを見て驚きました。
とりあえずこっちが書き込んでしばらくしても反応は無いけど
何か恨みでもあるのかなあ・・・?
それとも
>>567の文ってコピペか誤爆なのかな?
う〜ん・・・よくわからんですね。
折角の議論に水を差さずに参加してもらいたい所ですね。
僕もあまり邪魔にならないようにこの辺でROMに戻ります。
570 :
日本@名無史さん:02/12/19 14:19
>>568,569
饒速日命君、アラシは無視が最大の防御。あまり脊髄反射しない方がいいよ。
もう少し教訓を得よう。
どうせ一過性じゃないの。
>>566 河内は共通項ですね。最終的に落着く場所として。
また天火明が饒速日というのも有力説だと思います。
(旧事記にはあるけれど、記紀では明確でないので。断定は避けますね)
私は親出雲派で推測しているので、どうしても瀬戸内側では無理が出てしまう
んですよね。(九州派と考えてる方には有力な説でしょうな)
私は古代における海路は、日本海側が主軸だったと思うんです。
それを握っていたから、スサノオや大国主、また饒速日から物部氏に至る人々が
力を持っていたと思うんですよね。
572 :
日本@名無史さん:02/12/19 20:50
但馬故事記なら「饒速日=天火明」でも日本海側でOKなのかもしれないが・・・
いいのだろうか?
秋田物部文書やら但馬故事記やら、古史古伝をベースに考えても?
573 :
日本@名無史さん:02/12/19 21:46
>>564 欠史八代の県主系后妃を物部氏族の出身にすると、
どうしても初代神武の皇后の父親を饒速日にしたくなってしまうんだよねぇ。
だから大物主または事代主=饒速日
>>572 ん〜、そこのところでしょうね。
旧事本紀にしても、後世ひとまとめにした偽書だ、と言われるとそれまでになっちゃ
いますし。天神・天孫本紀辺りの信頼性によるとしか言えないですね。
ワタクシ的に天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、これが分割されたんじゃないかいなあ、
という事に留めておきまする(w
(あとはもう一人の神宝を持ってきた人物。これと混同された可能性とね)
>>573 なるほど。国譲り神話を、神武と饒速日にあてはめた場合の解釈ですね。
前にも書いたのですけど、私は大物主は大国主の分家さんだと思ってます。
大物主を祭る神社は各地にありますが、三輪の場合は少彦名の要素が高いのではない
でしょうか(記の少彦名の箇所から。以降も大事なところでその名が出てくるし)
また事代主の弟、建御方命が諏訪大社でその御名のまま、祭られている事から、
もし三輪の主が事代主であれば、何らかの形でその名が上がっていてもいいと思うん
ですよね。(ちなみに少彦名は上がってますよね)
同様に饒速日の場合でも、おそらくその名を上げるのではないでしょうか?
簡略ですが、これらの点から大物主(また事代主も)と饒速日は別人だと考えまする。
神話に結論は出ないよ。過去レス読めよ。
神話の話は参考程度にしろや。
576 :
日本@名無史さん:02/12/20 23:42
鳥越憲三郎の『女王卑弥呼の国』読んだ人いる?
卑弥呼の話は全然無くて、物部ばっかりだった。
577 :
日本@名無史さん:02/12/21 00:13
>>575 結論出なくていいじゃん。彼らの趣味なんだから。
勝手にしゃべらせておけば。
578 :
日本@名無史さん:02/12/21 11:41
物部氏の『物』が意味するのは、
物=武器
ではないか。『軍事を担当』する一族の意味か。
物部氏は天皇家との政略結婚によって、血縁的にも強く結びついて
いたんだろうね。
軍事権を独占する権利を、天皇家から与えられていたようだ。
579 :
日本@名無史さん:02/12/21 12:03
>>578 「天皇家との政略結婚」とは?
そのへん具体的に教えてください。
和珥氏が物部氏に属するということでしょうか?
580 :
日本@名無史さん:02/12/21 13:59
>>578 軍事権なら大伴氏も同格(か、やや格上?)。
581 :
日本@名無史さん:02/12/21 14:32
大伴氏以前っていいたいんじゃないかな。
582 :
日本@名無史さん:02/12/21 14:43
すげーなこの板?スレ?
583 :
日本@名無史さん:02/12/21 19:02
大伴氏も物部氏も初期から並立してるじゃんよ
584 :
日本@名無史さん:02/12/21 21:05
585 :
日本@名無史さん:02/12/22 00:36
当然5世紀末でしょ<初期
586 :
日本@名無史さん:02/12/22 01:10
>>585 そんな最近のことを言われてもなあ。(w
587 :
日本@名無史さん:02/12/22 01:41
583は宇麻志麻遅や道臣が実在したと考えてるんじゃないの?
588 :
日本@名無史さん:02/12/22 01:44
天忍日命から実在です。
589 :
日本@名無史さん:02/12/22 02:59
ニギハヤヒがどうのと物部電波を発してる椰子らが
大伴の話になると、大伴の伝承は後世の捏造とか思ってるとしたら
いやはや苦笑するしかないね
590 :
日本@名無史さん:02/12/22 03:20
物部は真実、大伴は全部大ウソと言う方が、正しい「でんぱ」のあり方
だと思うけどね。(ww
あ、そりゃそうか(w
592 :
日本@名無史さん:02/12/22 13:26
>>579 物部氏には神別氏族の物部氏と皇別氏族の物部氏があって、
皇別の連中は春日臣市河(市川とも)の子孫だから
完全に春日・和邇氏系だな。
石上神宮の神官は石上朝臣(神別。旧姓物部連)の子孫と
布留宿禰(皇別。旧姓物部首)の子孫が務めていたが、
石上朝臣の子孫の方が神官の位は上で、布留宿禰の子孫は完全に部下。
ここでは完全に和邇氏の一族が物部氏の一族に「属している」
状態ができていたな。
ついで言うと石上朝臣の祖先、宇摩志麻遅と一緒に
春日臣市河も石上神宮の祭神になってる。
市河の同世代の人間と言えば物部十千根。
検証もせんで何だが、乱暴に言えば宇摩志麻遅=十千根と
いう見方ができる。
593 :
日本@名無史さん:02/12/23 01:45
>>592 >>81のサイトにある系図でもそうだけど、
姓氏録では市河は仁徳朝の人になってる。
物部目がワニの童女君を雄略天皇の妃に推したり、
物部とワニって親密だったのね
594 :
日本@名無史さん:02/12/23 02:37
595 :
日本@名無史さん:02/12/24 00:31
あげ
ところでニギハヤヒコハクヌシさんは物部のご先祖さんか?
597 :
日本@名無史さん:02/12/24 15:28
>>578 物=武器 というのはどういう実例がありますか。その論拠をちょっ
と教えてください。おもしろそうなので。ガイシュツだったら御免して。
598 :
日本@名無史さん:02/12/24 21:28
>>596 ニギハヤ「ミ」コハクヌシだろ。
竜神は蛇神にもつながるから、ミは巳かな?
なんかの掲示板で、ニギハヤミの「ミ」は水の「ミ」だと読んだ気がする。
600 :
日本@名無史さん:02/12/25 10:45
>>597 漏れは578ではないが、武具(もののぐ)なんて言葉があるね。
これは上代語ではないから関係ないかな?
601 :
日本@名無史さん:02/12/25 11:14
>>597 いや、あくまでも推測です。
武器=道具=物
ということで、むかしの人は、武器のことをスラングで『物』と
呼んだのかなあと思っただけです。
物部氏は、軍事権の一部として、ヤマト朝廷の武器庫の管理も任されて
いたんじゃないかと想像しただけです。
武具=もののぐ
武士=もののふ
モノは霊威=威力あるものから転じて危険なものを一般にいったのでは?
604 :
日本@名無史さん:02/12/25 18:00
むしろ、軍事に携わった物部氏の名前から「もののふ」「もののぐ」の言葉
が派生した。すなわち、物部の名がついた時点で「物」という言葉に「軍事」
に関連する意味はなかったという考えの方が自然ではないだろうか。
605 :
日本@名無史さん:02/12/27 19:40
>>604 じゃモノという言葉のもともとの意味はなんだったのよ?
>>603が妥当な気がするが・・・
606 :
日本@名無史さん:02/12/27 19:52
だから、モノ = 霊的なもの = 神事 だろう。
危険なもの・武器って意味にはならないと思うけど。
607 :
日本@名無史さん:02/12/27 20:19
モノには「霊的なもの=神事」という意味があるの?
とすれば、カミ・ヒ・タマ・チ・ミコトなどとの違いは?
608 :
日本@名無史さん:02/12/28 00:42
魔除けに弓を使ったり、魔を滅ぼした剣の伝説から
結びついたんじゃないのかな?
609 :
日本@名無史さん:02/12/28 03:07
素朴な疑問ですが、
「もぬけの殻」とは、「もの」抜けの殻、
即ち「魂の抜けた状態」という意味なのでしょうか?
610 :
日本@名無史さん:02/12/28 03:09
おー、いい発想だねー。何となく説得力あるね。
611 :
日本@名無史さん :02/12/28 03:13
物部ってアテルイと同属なの?
同じ神様を祭っていたらしいけど。
612 :
日本@名無史さん:02/12/28 03:14
アテルイって何を祭ってたの?
613 :
日本@名無史さん:02/12/28 04:34
>>606 畿内より西の地域では武器を祀る習慣があった。
ここに「モノ」の語源とされる武器と祭祀の二つが二つとも
集まっていることに注目せねばならない。
で、機内には武器を祀る習慣がなかったのに、
物部氏の支配する石上神宮では、今も「武器」を「祭神」としている。
なぜか?ここら辺にカギがありそうだな。
史料で、石上が初めて出てくる記事から
当時石上はどのような扱いだったのか、が読み取れるから、
まあ、言わばそれが答えだわ。
614 :
日本@名無史さん:02/12/28 05:32
>606
今でも、人を惑わす悪霊的なモノを・・・・むん(もの)と言う地域は在る。
615 :
日本@名無史さん:02/12/28 13:50
現代語に残っている語感でいうと「刃物」とか「与太者」とか
いった時の「○モノ」「○○モノ」の感じ。
616 :
日本@名無史さん:02/12/28 15:15
>>609 馬琴の『椿説弓張月』(岩波文庫)の
「王女の胸前ぐさと刺す。・・・その空蝉の蛻(もぬけ)の殻へ白縫が魂入りて」
というくだりなどを読むと、「魂の抜けた状態」といってもいいのでは?
漢字の「蛻」の字義だと、蛇や蝉の抜け殻あたりでとどまってしまいそうですけど。
>614は、まさに>616の状態。
山道を歩いていたつもりが、気が付けば高い崖にぶら下がった状態で記憶を取り戻す。
なぜ?自分がその様な状況に成ったのか説明出来ない。
619 :
日本@名無史さん:02/12/29 00:44
>>613 当時の石上神宮に、荒神谷遺跡の剣を埋める祭祀が
物部氏を通じて受けつがれたと?
出雲関係ならまたトンデモに・・・(w
620 :
日本@名無史さん:02/12/30 02:05
>>615 言ってることがよくわからないので、もう少し詳しく話してくれないでしょうか。
621 :
日本@名無史さん:02/12/30 10:22
四国放送に物部純子さんというアナウンサーがいます。
彼女は物部家の末裔でしょうか?
622 :
日本@名無史さん:02/12/30 17:05
>>621 おそらく、そうでしょ。
彼女、美人なの?
623 :
日本@名無史さん:02/12/30 17:17
624 :
日本@名無史さん:02/12/30 17:58
>>621 物部連氏の子孫かどうかという意味なら、
可能性は低いでしょうねぇ。
625 :
日本@名無史さん:02/12/30 18:09
>>578 神班「物」者=伊香色雄が、祭神之「物」としたのは八十平瓮だった。
武器に限らず、祭祀に必要な「万物」を扱っているようにみえる。
626 :
日本@名無史さん:03/01/01 20:55
>>619 おまえな、出雲が出てきたら何でもトンデモかい。
それにどこに出雲って書いてんだよ。
石上神宮は当初大王家の宝物庫として存在してたんだよ。
初期段階では神社ではなかった。
で、皇族が管理してたんだけど、
あるときその職が物部氏の職業となった。
その初代が物部十千根。
十千根はその前後でも日本書紀に顔を出してたりするんだけど
「出雲からの貢ぎ物を検分」なんてこともやってるんだよ。
つまり、物部氏は各地からの貢ぎ物を検分する仕事、
宝物庫の管理者、という二つの職を持っていたことになる。
となればその貢ぎ物は石上の宝物庫に収納されていた、と見るのが自然。
西国では武器が神事につかわれ、尊ばれていた。
侵略した側とすればそういうお宝をかっぱらいたくなるのが当然。
そこで、銅剣や銅鉾を「武器の神聖視」という習俗ごと
かっぱらってきたのが石上神宮における、畿内では珍しい、
「武器祭祀」の起源ではないか、という推論ができる。
ようするにモノ=単純に「色んな物」って意味だったんだよ。
倉庫番が職業だったんだからさ。
だから
>>625は大正解
627 :
日本@名無史さん:03/01/01 23:35
>>289 >物部氏の故地は肥後北部。大分の直入物部神も古い。
>そこから東西に分かれ、西は筑後から肥前を経て壱岐に達する。
>東は直入・大分から伊予など四国北岸を経て河内・大和に入って...
>筑前・豊前に多いのはもちろん古い時代の分岐もあろうが、
>麁鹿火の磐井征伐に依るところが大きい。
この物部氏故地と東遷順路の推定は、何に拠るのでしょうか。物部氏は、大和朝廷家と
同様に、弥生期の大陸からの移住集団の後裔でないでしょうか。即ち、両部族とも
博多湾に上陸し北九州に居住後、畿内へ東遷した。物部氏は、大和朝廷家の何波か前に。
イワレヒコの畿内東遷時、先住長脛彦の妹婿饒速日の投降神話に投影されているのでは。
神話自体の虚実はさておき、記紀成立時に大和政権下で廟堂に列していた石上氏が、自己の
祖先が現王朝に敵対していたという不利な記述を阻めなかったのは、公然の史実だったからで
ないでしょうか。長脛彦滅亡後にも、新参の大和朝廷家の配下の中でも、近臣に位置できたのは
大和朝廷家とは、近縁同系の大陸からの移住者(言語や宗教が同じ)との認識が、双方にあった
からでないでしょうか。
豊前豊後に幡居していた海部族の祖先の天香語山命との同族伝承は、6世紀麁鹿火の磐井
征討時の九州在地集団との軍事力を背景にした交渉以前よりの、海部族との対等の協力
関係の投影でないでしょうか。
海上交通手段の獲得と、住吉神宮の神官家が海部族であるように、沿岸に分布する海人族の
協力がなければ、海路移住自体が不可能だったはず。
628 :
日本@名無史さん:03/01/02 09:23
>>627 いや、だからさ、天の磐舟伝説知らない?
八十物部の中には明らかに海や船に関わる名前を持った物部がいるんだよ。
そんな連中が配下にいるんだから海路移住はやろうと思えばできたはず。
過去レス読んでる割りには肝心なの見落としてるな。
629 :
日本@名無史さん:03/01/02 21:50
電波少年たちよ、がんがれ。
630 :
日本@名無史さん:03/01/02 23:01
>>628 >八十物部の中には明らかに海や船に関わる名前を持った物部がいるんだよ
何処本貫の何物部のことですか。弥生期に北九州を根拠地にした海上交通は、宗像族、安曇族、
海部族が制していたのでないですか。
631 :
日本@名無史さん:03/01/03 00:21
>>626 倉庫番が職掌っていいね。
旧事紀が天香語山を高倉下と同一にした理由もそれで納得。
>>630 申し訳ないが「何処の」、とまではわからない。
何物部、に関しては旧事本紀の初っ端を読め、と
それだけしか言えない。
俺そこ興味なかったからナナメ読みしてとばしたから固有名詞を
具体的に覚えてないもので。
そこに天の磐舟伝承とニギハヤヒに従った物部たちの名前が
書いてあるから。
ただ、一言言わせろ。過去レスを読め、と。
天の磐舟伝承は散々書かれてるし、(厳密に言うと板違いなくらい書かれてる)
物部関連のサイトもリンクされてる。
これくらいは過去レスとそのサイトで調べられる。聞くな。
633 :
日本@名無史さん:03/01/03 12:07
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□□□□■□□□□□□□□■■□□□□□□■■■■□□□□□□□
いやぁ 長かったねぇ
>>633 歴史を知る上で神話なんか詳しく勉強してどうするの?
大体神話を勉強してる奴はそっちの板にいってるよ。
ガイシュツだが神話を詳しく検証しても歴史の真相は
判らないんだから。なぜなら神話には裏付けがないから。
ニギハヤヒならともかくその従者の名前なんかナナメ読みで十分だろ?
637 :
日本@名無史さん:03/01/03 12:38
自分がナナメ読みで十分と思うようなもんを他人に読めと言わないように。
638 :
日本@名無史さん:03/01/03 14:11
氏族スレで弥生時代云々いうからややこしくなるんだよ。
渡来系と皇別・神別の区別もできない時代の話なんかしてどうするんだ。
物部のウジ名って5世紀末になって成立したんだろ?
だったらその辺から勉強すれば。
639 :
日本@名無史さん:03/01/03 16:41
>>627 何かしたい、と言ってる他人に勧めるものは
自分が知り尽くしたものでないといかんのか?
銃が撃ちたいという人間に、じゃあ自衛隊行けば、という台詞は、元自衛官しか吐いてはいけないのか。
この場合、自衛隊なら銃が撃てる、という知識があったらいいんじゃない?
どこの部隊ならより多く撃てますか、みたいな込み入った質問には専門家しかこたえられない。
歴史板に神話の専門家がいる、と思う方がおかしい。
640 :
日本@名無史さん:03/01/03 16:44
641 :
日本@名無史さん:03/01/03 16:48
他人に異論を唱えといて、根拠を聞かれて、それについてナナメ黄泉した
だけとかいう感覚がわからんてだけだよ。
642 :
日本@名無史さん:03/01/04 22:32
ナナメ読みだろうが、真剣に検討しながら読もうが
先代旧事本紀は一度は読まねばならないことには違いない。
国会図書館が近代デジタルライブラリーというサービスを
やっている。
http://kindai.ndl.go.jp/img/ 明治期に刊行された「国史大系」版の旧事本紀を無料で閲
覧できる。
643 :
日本@名無史さん:03/01/04 22:41
おまえが読め。
旧事記を完全無視する香具師は物部氏を語る資格ナシ!
>>641 あのな、学者でさえ自分の専門分野以外は文献はナナメ読みしてるか
まるっきし読んでないか、なんだよ。それが普通。
この場合、ニギハヤヒの従者の名前を完璧に覚える、
なんてのはそこに興味のある人だけがすればいいことであって、
物部氏に興味があるけど神話には興味のない人にとっては
ああ、物部の祖先神はクシタマニギハヤヒノミコト、といって
河内に天の磐舟で降り立った、て伝説があるんだな、程度の知識で充分。
これだけ知っていれば、627に天の磐舟伝説知らないの?
という突っ込みは入れられる。どこそこを読め、と言える。
あとは627がそこを読めば済む話。
自分の興味のないところは細かいとこまで知らないよ。
それが普通。興味のあるところは自分で調べる。又聞き不可。これ歴史学の常識。
なんで細かいところまで読んでないんだよ、ナナメ読みって
どういうことだよ、なんてのは揚げ足取りの類。
641の書き方は文献のスミからスミまで目を通せよ、と言ってるに等しい。
はっきり言ってそれは不可能。
上古が専門の学者で、日本書紀、古事記をスミからスミまで読んで
内容完璧に覚えてるやつなんて皆無とは言わんがほぼおらんぞ。
そんな人間は記紀を専門に研究する人間だけだよ。
記紀でさえこれなんだから旧事本紀の内容完璧に覚えろ、
なんて無理、大概、自分の興味のあるところだけ集中的に読んで
あとは読まないか飛ばし読み。これが普通。
こんな普通のことにイチャモンつけられても、ねえ・・・。
ナナメ読みであれ、目を通して置きさえすれば、後で読む必要が
出てきたときにすぐに読み返すことができる。
ナナメ読みとはいえ、ここ読んだら載ってるよ、と他人に教えられる
程度には読んでる俺と、豪族の名前とか、ニギハヤヒの伝承については
詳しいわりには肝心の、物部氏に興味あるならおさえてて当たり前の
旧事本紀を読んでない627・630と、責められるべきはどちらか。俺か?そんな馬鹿な。
646 :
日本@名無史さん:03/01/05 11:59
典型的自己中厨房の文章だなあ。もうちょっと他人とお話する機会を
増やしたほうがいいぞ。
いやいや、ちょっと待ちなさい。
今回の件で俺に非があるか?あるとしたらどこだ?
読んですらいないヤツにナナメ読みがダメ、て言われて(同一人物か知らんが)
ちょびっとばか頭に来て文が長くなっただけだよ。
必死だな、といわれるかも知らんが、敢えて「その通りです」と言っておこう。
もう、お互いにほっとけよ。
649 :
日本@名無史さん:03/01/05 17:55
>>289 >物部氏の故地は肥後北部....
の、現代地名ではどこらあたりですか?
650 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:36
お約束で、言っておこう。
6 2 8 必 死 だ な ( w
651 :
日本@名無史さん:03/01/06 19:08
hage
652 :
日本@名無史さん:03/01/06 19:25
>>647 ここが饒速日やら十千根やらの実在を前提にして話しをする
電波な連中ばっかりいるところだから反発されたってだけだ
ろう。
あんまり気にするな。
653 :
日本@名無史さん:03/01/07 02:27
おもしろいスレですね。
655 :
日本@名無史さん:03/01/08 14:42
656 :
日本@名無史さん:03/01/08 21:16
生駒山麓に「ひのもとの日下」という地名があることから、古代、その地に
太陽神(ニギハヤヒ)を信仰するモノノベ王国(仮)が存在していたのでは
という説を、何かの本で読みました。後にヤマトに併呑されて、一部王族は
銅鐸を携えて、海路東海地方へ逃れたとのこと。
興味深く読んだのですが、皆さんはどう思われますか?
657 :
日本@名無史さん:03/01/08 21:45
神武の大和侵攻に対し、饒速日と長脛彦は協力して抵抗するが、饒速日は途中で長脛彦を裏切り、彼を殺して
それを手土産に神武に降参する。身内を速やかに粛清するその能力により、神武王朝の秘密警察・特務機関と
しての役割を任された。油断ならない悪い奴だが権力者にとっては役に立つ。大王家の番犬として、大王家と
同等の格式を誇る地元豪族の蘇我、葛城、春日とは仲が悪かった。
658 :
日本@名無史さん:03/01/08 23:12
>>657 普通は逆。
番犬だったから長髄彦を殺す説話が誕生したってことでしょう?
>>657 >大王家の番犬として...
って??。それじゃあ、久米、大伴氏の立場がなくなるが。
660 :
日本@名無史さん:03/01/11 13:42
吠えてろ、ワンワン。
(^^)
662 :
日本@名無史さん:03/01/12 21:15
>>656 東海なんてケチなこと言っちゃいかんです。
秋田や青森まで行ってもらわないと(w
663 :
日本@名無史さん:03/01/12 22:05
大伴と物部はどっちもほぼ対等でライバルでしょう。
664 :
日本@名無史さん:03/01/12 22:50
同じ連系氏族の有力者である大伴氏を蹴落とすために朝鮮政策の失敗を追及している。
長髄彦に対する背信行為といい、同僚のミスをとらえて自分の点数を稼ぐのが上手。
うっかり友達になると、後悔するようなタイプだ。
665 :
日本@名無史さん:03/01/12 23:23
>>664 思わず噴いちまった。
学校の休み時間に占いやってるみたいでほのぼのするなあ。
>>664 >大伴氏を蹴落とすために朝鮮政策の失敗を追及...
して、大伴金村を失脚させたのは、物部氏でなく欽明朝で突如台頭してきた蘇我稲目の
方じゃなかったっけ。前代まで未聞の蘇我氏から欽明妃に、おのが娘を2人も入れるなんて、
稲目の権勢の源って、一体何だったんだろ。
667 :
日本@名無史さん:03/01/14 01:46
継体朝後期の大和朝廷の内紛に際し、旧応神王朝の血縁者である欽明を支持し、
反対派を一掃したことで、勢力を得たと記されています。
668 :
日本@名無史さん:03/01/14 13:31
何に記されてるの?
新年明けましておめでとうでござりまする。
何だか新年早々からニギやかだったんですねえ(w
私は行けなかったのですが、今年の生駒山の初日の出は素晴らしいものだったそうで。
(石切さんにも長らく詣でてないな〜w)
今年も皆々様にとって良き年でありますように。合掌。
>>580〜
大伴氏はおそらく九州系かと。記紀的に言うと神武に伴なわれてやってきた人々。
ただ神武の存在は「?」。物部勢力に対するという意味での大伴氏並立はあったと思
います。
>>598 あちゃ〜、先に書かれた〜(w いつか書こうと思ってたのに〜
あの作品で最も大事な所ですね。ラストに思い出す「ニギハヤ」。ここに一番のメッ
セージが込められてるって、気付いてました?
>>627 宗像三女神と住吉三神を混同してません?
私が日本海側を上げたのは当時まだ瀬戸内に流通するだけの海路がないと考えるから
です。(地質的に難波からの上陸はまだ苦しいかと思いますよ)
瀬戸内の流通が確保できるのは、どれだけ早くても応神以降、継体前後じゃないかなあ
と考えまする。
>>657 厳密に言うと裏切ったんじゃないと思うけど・・・
202で少し書いたけど、最終的に降伏した結果、あのような形になったのだと思われま
する。ついでに葛城、蘇我氏は後続して出てくる一族で。(伊香色雄前後ではむしろ同
族に近いかと)春日さんもそうですよね。
>>666 私も稲目の謀略に一票(w
蘇我氏は武内宿禰の子孫。大王家と饒速日、両方の血統を持ってますからね。
(そもそも武内自身が不思議な人間だからなあ。
応神の成人式で、三輪の少彦名の酒を飲ませちゃったからね)
臣下というより、身内としての発言権が大きかったのかな・・・とかね。
670 :
日本@名無史さん:03/01/15 20:29
>669
武内宿禰が身内ってのは応神天皇のパパって意味ですか(w
(^^)
672 :
日本@名無史さん:03/01/16 14:48
レスキュー。
>>669 >大伴氏はおそらく九州系かと。
九州のどの辺が本貫地とのことですか。同族の久米氏、佐伯氏の大和朝廷での職掌や後代の
家持の「族に諭す歌」からして、天皇家の古くからの家来筋で軍務集団だったのだろうね。
文字通り、天皇家のお伴の者の一部だったのが、室屋の代になって、雄略に政治面でも重用され、
権臣の地位に上昇したので、”大”伴と自称又は他称されるようになったと思われ。
674 :
日本@名無史さん:03/01/18 02:12
>>656 一部王族は銅鐸を携えて、海路東海地方へ逃れた
そんで、彼らが邪馬台国に対抗して狗奴国を造ったんだよね。
675 :
日本@名無史さん:03/01/19 03:06
狗奴国と物部に関係があるんですか?
狗奴国は毛野国ではないんですか?
676 :
日本@名無史さん:03/01/19 03:19
>>670 「竹内文書」の類では応神の父は武内宿禰になってたような……
677 :
日本@名無史さん:03/01/19 16:03
>>27 >傍流の物部麻呂が...正二位左大臣にまで登り詰めます...
>これを最後に物部一族は歴史の表舞台から姿を消して...
正確には、麻呂−乙麻呂−宅嗣の代まで、即ち平城末期までは、政権高官に列していた。宅嗣の
子息の代で、高官から落ちていった。仲麻呂滅亡により、平城末期の光仁朝から桓武朝にかけて
復興した藤原式家馬養の姻族(式家首領の良継の母は、麻呂女の石上国威)だったのだから、石上氏も
式家と共に、栄えてもよさそうなものだが。
平城期を通して反藤原氏側に立ち、つどの政変で連座者をだしながら、平安初頭までは廟堂に
氏族代表を出し続けた大伴氏と対照的だ。
678 :
日本@名無史さん:03/01/19 16:07
>>14 >出雲は江戸期と違い琵琶湖の西側から日本海側一帯だったらしい...
そうだったのか。洛北上京区の同志社大学北辺の賀茂川近くに、出雲口っていう地があるが、
どうみても現在の島根県への出立地とは思えないが、西近江へのなら理解できる。
>>677
正確には、って、んなこた知ってるよ。
乙麻呂が日本書紀に載っかるようなことしたか?
宅嗣は?宅嗣は有名だけど「万葉集」とか「懐風藻」
とかそっち方面で有名なのであって、
「歴史の表舞台」にいたとは言わないだろ。
官位が高かっただけ。
初心者相手のレスなんだからはしょってるとこもある。
それを今さら。
あ、いや、続日本紀か。間違えた。
乙麻呂も宅嗣も『続日本紀』に何度も出てきますが、何か?
宅嗣に至っては400字に及ぶ薨伝が載せられてますが。
682 :
日本@名無史さん:03/01/20 19:54
もうマイナー・メジャー論争は勘弁してくれ
683 :
日本@名無史さん:03/01/20 20:42
>>682 いや、それがこのスレの本質なんだから、がんがってやってくれ。
684 :
日本@名無史さん:03/01/20 20:59
27は反論しないのかな。「んなこた知ってるよ」は一回こっきりかい。
685 :
日本@名無史さん :03/01/21 16:41
古事記、日本書紀・・・・・藤原氏(中臣は九州派?)から見た史観、
先代旧事本紀・・・・・物部氏(出雲派?)から見た史観、
ってことでいいの?
べつに「史観」ってほどのものじゃないでしょ。
尾張氏の系譜と物部氏の系譜と国造リストを入手した奴が
記紀をもとにつなげてみただけじゃん。
ニギハヤヒとホアカリの同一人物説のはじまり。
687 :
293 何処ぞ名のある川のヌシ:03/01/21 19:56
>>678 その答えは否ぢゃ。
地域的には出雲路と言ふ。
未だ京に都が遷される前のことぢゃ。
この地に出雲から多くの民びとが移り住んでの。
当時は「出雲の郷」と呼んだのぢゃよ。
平安京以前に山背にやって来たのは秦氏が有名ぢゃが。
やはりその系統にある者たちが京を拓いたということぢゃの。
688 :
日本@名無史さん :03/01/21 21:37
>>686 、、、っていう史観になっているような気もする、、、、
689 :
日本@名無史さん:03/01/21 22:46
>>686 >尾張氏の系譜と物部氏の系譜と国造リストを入手した奴が記紀をもとにつなげてみただけ
尾張氏の方の、つなげる利点って、何だったのですか。コノ神社所蔵の海部氏系図には
ニギハヤヒの名はなかったと覚えてるが。
690 :
日本@名無史さん:03/01/22 21:04
691 :
日本@名無史さん:03/01/22 21:30
>>685 中臣も物部の一部だったというほうがが面白いから好きだなぁ。
692 :
日本@名無史さん:03/01/22 21:41
勝手に言っとれ。
693 :
日本@名無史さん:03/01/22 22:58
可美眞手の父は饒速日。火明ではない。
694 :
日本@名無史さん:03/01/22 23:37
>>681 乙麻呂と藤原馬養未亡人(久米若女?)との密通事件だが、未亡人との交情ぐらいで、何で土佐まで
流罪にされたんだろ。不比等なんぞは、天武未亡人と密通して京家麻呂なんていう子までなしている
のに。乙麻呂50代、若女20代だったらしいが。
695 :
日本@名無史さん:03/01/22 23:38
696 :
日本@名無史さん:03/01/23 19:54
>>694 甥の藤原広嗣が反橘諸兄派だったから
乙麻呂はその一派の勢いを削ぐためにハメられたんでしょ。
広嗣が消えて諸兄政権が磐石になったころにカムバックしてるし。
697 :
日本@名無史さん:03/01/23 23:07
>>696 ハメられたにしては、馬養未亡人の方が重罪で、千葉まで流罪扱いされてて
合点がいかない。式家の盟友の南家が助けそうなものだが。
698 :
日本@名無史さん:03/02/01 03:14
あげ
699 :
日本@名無史さん:03/02/01 03:45
700 :
日本@名無史さん:03/02/01 17:54
>>699 物部氏族の中に、中臣氏と同じような職掌の連中がいたってだけだろ。
中臣氏が物部氏に属した根拠にはならん。
磐船神社のあたりに降りてきて、富雄側沿いに南下した。
702 :
日本@名無史さん:03/02/03 22:25
あげときます
703 :
日本@名無史さん:03/02/07 21:02
hage
704 :
日本@名無史さん:03/02/11 14:13
大連、と大臣どっちが偉い?
705 :
日本@名無史さん:03/02/11 23:28
大連は私称で、守屋も大臣だったなんて説もあるよね。
706 :
日本@名無史さん:03/02/12 02:15
饒速日=天照国照彦天火明=大物主=大歳=布留でいいのか?
饒速日が大宇宙の永遠的実在に他ならないことを見ぬけないヤシは
「古事記」、「日本書紀」を読みこなす事は難しい・・・と
∧_∧
∧_∧ (´<_` ) 流石だよな俺ら。
( ´_ゝ`) / ⌒i
/ \ | |
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
__(__ニつ/ FMV / .| .|____
\/ / (u ⊃
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
708 :
日本@名無史さん:03/02/12 09:32
連は同盟、臣は臣下か?
709 :
日本@名無史さん:03/02/12 23:15
むらじは…ちびまる子のキャラだよ。
間が空いてスマソよ〜(w
ホントは乙麻呂と広嗣のところでカキコもうかなーとも思ったんですが・・・
藤、橘氏の話に展開しそうだったので自重しました。
面白いとは思うんですけどねー。諸兄の祖父、栗隈王の頃からの、大宰府や九州派との
絡みや中央とのやりとりを考えると。 あとそうそう、あのマンガに出てくる幽霊。
諸兄の弟がモデルなのかなあー、とかね(w
>>700 691氏の意図がちょっと解らないのですけど、ん〜。
・・・例えば少し蒸し返すようだけども、大伴氏の場合。
「伴氏系図」によると、神武期、「道臣命、初号物部臣命、後改名」ってあるくらい
だからね。大伴姓を賜わるのはそこから7代後の武持(仲哀期?だったかな)の時。
もちろん、だからと言って「属していた」とは思えないし・・・中臣にしてもね・・・
>>701 富雄川とあるので交野の磐船神社のほうですね。
ただここは十分生駒山のふもとに含まれる範囲だと思われますので・・・ここに至るまでに
どういう経路をたどって来たとお考えですか?
停滞気味のようなので、ついでに(w
>>693 ポイントは天道姫とその子、天香語山の流れでしょうね。
>689での籠、あれはどうしてコノなんですかねえ?カゴなんじゃないのかなあ、本当は。
(香語山から来ているのでは?)
崇神6年、天照は都の外、笠縫に移されてしまいますが。(大物主を選んだのね、崇神は)
その後、天照とヤタの鏡が移されたのがコノ神社だったそうです。(神社縁起。元伊勢と
呼ぶらしい)でさらに数年後、伊勢へ落着くことになるのですが・・・
ワタクシ的には、尾張・海部氏の系図がこの辺の流れを汲んで作られた傾向があるので
はないかな〜という感を持っています
>>686。
(ニセモノという意味じゃないよ。国宝だもんね)
例えば先にも触れたけど、崇神期には近江周辺から日本海沿いには、饒速日を祖とする
集団が領地を押えていたのは濃厚であるかと。(四道将軍派遣前ね)
コノ神社も本来、「火明」を祭るというより、「香語山」を主に祭っていた線が強いの
ではないかなあ。
そこへ天照信仰や四道将軍の入植があり、便宜上火明というニュアンスを用いるように
なっていったのかもしれない。(たとえば〜だよw)
あと系図の成立とされてる養老3年という背景とか(書紀の成立が4年)、高倉下は香語山
だとされている流れ、神剣系との関わり(タケミカヅチ、熱田神宮等)・・・
ここら辺を考えると、完全同一とは言えないまでも、「先行して存在した饒速日」という
モデルを下地にして(或いはその系族に配慮しつつ、)天照系の要素(天道姫など)を加味
して形成されていった可能性とかあっちゃうのでは〜、と風呂敷を広げてみまする(w
712 :
日本@名無史さん:03/02/15 10:43
>>710 >大伴氏...「属していた」とは思えない...
大伴氏は天皇家と共に東進してきた護衛担当部下、物部氏は天皇家の大和での覇権
成立以前の大和の覇者で、別系でしょう。
>大伴姓を賜わるのはそこから7代後の武持...
それは、神話上の話で、大伴姓を称したのは早くとも、政権の下での活躍が始まった
室屋の代以降でしょう。”大伴”の大は、供の中の供の意でしょうから。
>>710 天から交野に磐船でおりてきたんでしょう。
714 :
日本@名無史さん:03/02/18 23:39
>>712 >大伴氏は天皇家と共に東進してきた護衛担当部下、物部氏は天皇家の大和での覇権
成立以前の大和の覇者
それは、神話上の話でしょう。
715 :
日本@名無史さん:03/02/24 01:39
物部氏の祭司を継いでいる蜷川家の末裔って今どうしているんでしょうね?
著作権台帳にも不明になってた
716 :
日本@名無史さん:03/02/25 00:19
>>715 蜷川氏って、室町幕府の政所奉公衆の世襲家じゃなかったですか。物部氏の末裔なのですか。
717 :
日本@名無史さん:03/03/02 01:06
>>712 >物部氏は天皇家の大和での覇権成立以前の大和の覇者...
でなくて、天皇家の家来筋だったのでしょう。大伴氏と同じ連姓ですから。
718 :
日本@名無史さん:03/03/03 00:26
>>716 そう。その蜷川家。
近世には旗本だった。
大正期に国際法学者の蜷川新(小栗上野介の研究家としても著名)が
物部氏に関する薄い本を出している。
719 :
日本@名無史さん:03/03/03 00:29
北朝の父と南朝の母を持つ一休と仲良かった蜷川新左衛門って物部系?
新右衛門
>>718 おおー!鋭いところをついてくるでござるな〜(新右衛門さんっぽくw)
これは拙者も恐れ入ったでござるよ〜
かなり深く調べておられますよね。 やっぱり越の方面から調べたのでしょうか?
越中は新川郡大田庄出自の蜷川氏。
寛永系図に「物部守屋末裔、大田左衛門尉式宗、弟蜷川七郎親直」とあるらしい
ですな。
他に桓武平氏や、宮道家?(使った資料の字がかすれて・・読めましぇんでした・・)
からの流れがあるようですが・・・その資料ではここまでしか解りませんでした。
>>719 でもね、蜷川新右衛門サンっていっぱいいたみたいなんですよねー、これが(w
調べただけでも、
・新右衛門 → 親富(富?字がね・・w)、親長(丹波から土佐へ。長曾我部氏に組する?)
・新右衛門尉→ 親元、親世
いやー何だかオモシロいねー(w
一休さんに出てきた新右衛門さんのモデル、一体誰なんだろう?
ちなみに後に幕臣になったのは、土佐へ渡った親長だとその資料にはありましたが。
どうも私自身が気になってしまって・・(w も一度調べてきました。
一休さんにでてくる新右衛門さんとは・・・・・・・・蜷川親当さんでございました。
やはり「富」じゃなかったのね。「当」の旧字だったんだ。
蜷川氏系図に「倭漢の才あり」と記され、連歌のほうでは有名な人なんだね。
「新撰菟玖波集」を編んだ宗祗が、連歌撰集「竹林抄」を編集する際、選者メンバー7人
のうちの一人として親当も加わっていたようです。
(魏・晋時代の竹林の七賢をイメージしちゃうね、w)
もちろん政所代様でもございますです。
物部氏との関わりは、宮道氏の流れから。ただし殆どの宮道氏はヤマトタケルの後裔を
主張しており、ニギハヤヒを始祖、尾輿の次代から、「物部弓削”宮道”守屋大連公」と
いう宮道流れを組むのは、蜷川氏の系図のみのようです。(二派あったのかなあ?)
723 :
日本@名無史さん:03/03/13 02:11
保守age
一休さーん、それは無いでござるよ、それがしは寺社奉行を代々やってきたでござるが、物部氏との関係を問われてもトンチでは解決できないでござる。
そうだ、将軍様(言っても北鮮の将軍様では無いでござるよ、足利義満様でござる)にお伺いしてみるのが良いでござる。
最近は弥生殿の攻勢が激しいでござる、拙者には愛しい姫様がいるでごじゃるのに。
725 :
日本@名無史さん:03/03/14 21:23
あげ
726 :
日本@名無史さん:03/03/19 03:07
突然ですが、古代祭祀集団といわれた三輪氏と物部氏は、どちらが有力な豪族だったんですか?
727 :
日本@名無史さん:03/03/19 21:19
『日本書紀』を単純に読む限りでは
物部氏>三輪氏
と思われ。
なんと言っても物部氏は大連だし、飛鳥時代初期には有力者を何人も出している。
それに軍事力を握っていたと思われる(守屋の時までは。。。)
一方の三輪氏は、推古天皇についていて結局物部守屋に殺された三輪君逆とか持統
天皇をいさめて辞職した大三輪高市麻呂ぐらいしかうかばない。
一休み、ひとやすみ♪
>>724 ・・・ってまたちょっと遅かったかな〜(w でもせっかく調べたんで書いちゃおっと。
実際には、一休さんと新右衛門さんは義政公の時代、東山文化を代表する人だもんね。
多くの場合、江戸寛文期に書かれた「一休噺」を元に創作されているのだけれども、
その中ではちゃんと「義政公に仕えた蜷川新右衛門・・」と書かれてるのでござる。
また連歌集の注釈でも、「蜷川親当は禅を一休に、連歌を梵燈に(先の宗祗とは兄弟
弟子らしい)、和歌と源氏物語を正徹に学ぶ・・・」(故広大名誉教授 金子氏の注解)
となっており、そちらでもやはり宮道氏の線が濃厚のようですね〜
(連歌って、そもそも日本書紀のヤマトタケルの歌が始まりなんだって。その関係かなあ?)
729 :
日本@名無史さん:03/03/28 04:41
饒速日って、訓読み系当て字ですな。
つまり、卑弥呼のような音読み系当て字とは異なる。
730 :
日本@名無史さん:03/03/28 10:19
>>726 どちらが有力かってのは、どの時代にはという前提がつかないとね。
三輪氏は、三輪山地域に有力政権があった時代と、飛鳥地域へ有力政権が移った時代では
勢威は随分の違いだろう。大神神社と石上神社の社格はどのくらい違うのだったかな。
731 :
日本@名無史さん:03/03/29 00:04
石上「神宮」のほうが上。
732 :
日本@名無史さん:03/03/29 00:09
しかし実際に行って見ると大神神社のほうが石上神社より
遥かにでかいんだな これが。 時代の流れでこうなったと
いうよりもともと大神神社のほうが力があったんじゃないかと
思わせられるよ。
733 :
日本@名無史さん:03/04/04 22:22
んーと、天理教とどっちがでかいですか?
734 :
日本@名無史さん:03/04/05 09:22
ヤフオクに先代旧事本紀出てるぞ。傑作なのは厨房でも読める。と書いてある。
735 :
日本@名無史さん:03/04/05 12:47
>>732 大和政権の氏族の中で、天皇家の氏神神社が、大和にないのはどうしてなんだろ。
736 :
日本@名無史さん:03/04/05 14:15
>>737 別人だが、天神様じゃないの?よくわからん。
天神=天族の祖先神
いざなぎ・いざなみは子孫・天照大神はその子孫・
ににぎのみことは、その子孫、以下神武・天武・文武に続く。
737 :
日本@名無史さん:03/04/05 15:08
>>735
外来だからでないの。名字が無いのと原因が同じかも。
伊勢神宮は祖神と言うより・・・。
738 :
日本@名無史さん:03/04/05 20:02
>>735 天皇家=天族?が、大和先住氏族とは違う系統の文化を持った氏族だったことの
証左のひとつになるのかな。
>>737の言うように、伊勢神宮は、由緒からして氏族の
氏神神社ではないし。
739 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:19
>>738 明治天皇━泰宮聡子→[東久邇]
昭和天皇━照宮成子→[東久邇]
・現皇室に血縁的に一番近いのは東久邇である
・もちろん血統的には天皇家の男系男子である
・更に戦前までは継承権があった旧皇族である
以上の3点を上回る家は存在しない
740 :
日本@名無史さん:03/04/15 00:58
東久邇は物部系でしょ?
蘇我血のを受け継いでないと天皇になるのは難しいのでは?
741 :
日本@名無史さん:03/04/17 20:40
蘇我の血を護った持統系は断絶しちゃったからね。せめて他戸親王が即位していれば。
物部系の方が今は可能性あるかもね。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
743 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:12
他戸親王もいいけど膳夫王が蘇我の血を受け継いでいたはず
744 :
日本@名無史さん:03/04/26 22:19
>>515 モノノベ と モノベ は通音な。
「物部氏」を「モノノベシ」と読んでいた保障はどこにもない。
語源としてはモノノベだろうがな。
age
746 :
日本@名無史さん:03/05/05 06:50
「モノツベ」の可能性はないですか?
747 :
日本@名無史さん:03/05/05 07:46
モツナベ?
モツナベ age
あまりおもしろくないね。。。
ナベツネ?
750 :
日本@名無史さん:03/05/17 13:06
保守age かきage さつまage
751 :
日本@名無史さん:03/05/17 13:47
わが町(島根県大田市)に物部神社があるぞい
ゆかりがあるらしい
神社にはシンボリルドルフの銅像もある
ひょっとして競馬の神か?
752 :
日本@名無史さん:03/05/18 22:02
>751
宇摩志麻治の墓があるそうだけど、
五世紀後半〜六世紀前半の円墳だって
谷川健一編『日本の神々』に書いてあった(w
753 :
日本@名無史さん:03/05/18 22:10
大河ドラマで前に「xx指導」ということで、物部なんとかさんが、プロップにでてたなあ。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
755 :
日本@名無史さん:03/05/22 22:12
756 :
日本@名無史さん:03/05/26 23:11
うまー
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
758 :
日本@名無史さん:03/05/28 16:52
759 :
日本@名無史さん:03/05/28 22:34
物部氏は天皇家じゃない神様を始祖とするってほんとうですか??
760 :
日本@名無史さん:03/06/08 01:14
皇別でなくて神別だからそうだね
761 :
日本@名無史さん:03/06/08 22:02
物部氏の家紋ってなんじゃろ。
762 :
日本@名無史さん:03/06/08 23:43
>>760 天孫に分類されたくて旧事紀は系譜を偽作。
最近、安本美典が物部本を出したが、瓊々杵と饒速日が
兄弟という根拠が名前が似てるってことだけしかなくて笑えたね。
763 :
日本@名無史さん:03/06/18 23:47
764 :
日本@名無史さん:03/07/01 22:53
ageときまつゼぃ。
765 :
日本@名無史さん:03/07/08 22:45
766 :
日本@名無史さん:03/07/08 22:51
俺、たぶん饒速日系。
767 :
元明天皇御製:03/07/08 22:55
ますらをの鞆の音すなり
物部の大臣(おほまへつきみ)盾立つらしも
768 :
日本@名無史さん:03/07/09 15:50
770 :
日本@名無史さん:03/07/11 13:23
771 :
日本@名無史さん:03/07/12 19:58
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
773 :
世界@名無史さん:03/07/16 17:57
アゲッゲ
774 :
日本@名無史さん:03/07/21 16:37
775 :
日本@名無史さん:03/07/26 21:34
776 :
日本@名無史さん:03/07/31 23:40
(^^)
779 :
日本@名無史さん:03/08/05 21:57
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□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
784 :
日本@名無史さん:03/08/11 10:18
785 :
日本@名無史さん:03/08/11 11:27
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
787 :
日本@名無史さん:03/08/16 02:31
788 :
日本@名無史さん:03/08/17 21:53
陸奥の奥六郡の辺りにも物部がいたけど、
物部が史料から消えた後、安倍氏が登場するみたい。
789 :
日本@名無史さん:03/08/19 00:25
谷川健一の『白鳥伝説』でも読んでろ
790 :
日本@名無史さん:03/08/26 20:33
791 :
日本@名無史さん:03/09/01 21:45
792 :
日本@名無史さん:03/09/11 00:43
793 :
日本@名無史さん:03/09/18 02:13
794 :
日本@名無史さん:03/09/21 00:28
795 :
日本@名無史さん:03/09/30 20:13
≫788
その安倍氏が滅んだ後、中尊寺金色堂を建立した大工の棟梁が
物部姓です。
物部姓は珍しくありませんぞ。鎌倉期になると目立たなくなりますが。
東北あたりの歴史的に重要だろうと思われる遺跡や古墳で
日本史上都合が悪いから開発などの名目で破壊された
ものがあるってホント?
797 :
日本@名無史さん:03/10/01 19:52
796
そんなものはない。
重要かどうか判らずに、ブルで押した遺跡は山ほどあるだろうが。
798 :
日本@名無史さん:03/10/02 22:45
日本中央の碑が埋められていたのは何故?
799 :
九州王朝大好き ◆q0FP2AXqkY :03/10/06 01:38
九州(宇佐)物部と河内(八尾)物部の関わりについて。
何か意見はありませんか?
800 :
日本@名無史さん:03/10/06 02:31
( ´-`).。oO(猪名部氏について語ったら怒られるかなぁ・・・?)
801 :
日本@名無史さん:03/10/08 13:10
≫798
あの石は胡散臭い。
壷の石文というものが平安時代にはあった可能性があるが、
日本中央と彫られていたかどうかは判らない。
今の碑は戦後になって石採り中に発見されたことになっているが
正真かどうかはわからん。
嘘のはっちゃんが外津軽三郡誌なるものを出した為、余計慎重に
考えねばならん。
少なくとも埋められて隠されたのではなく、そのへんの石に混じって
転がっていたというのが発見当初の状況。
802 :
日本@名無史さん:03/10/08 13:51
ブッブ
803 :
日本@名無史さん:03/10/16 21:50
804 :
日本@名無史さん:03/10/19 23:00
物部家のどこがマイナーなんだ?
超メジャーだろ。
805 :
日本@名無史さん:03/10/19 23:41
物部家って今でも日本を裏から...........
806 :
日本@名無史さん:03/10/21 10:48
藤原(中臣)氏って、物部氏の子孫なの?
それとも、氏人?部曲?
確か旧事本記ではニギハヤに付き従って来た1人に、中臣氏の祖がいたと思ったけど、これが上記の内容を暗示するのかな?
それとも、単に同一の故地であるということか?
>>804 過去レスを読みなさい。
世間一般レベルで物部氏についてある程度知ってる人は
よっぽどの歴史ヲタ。
てのがマイナーな理由。
808 :
日本@名無史さん:03/10/30 20:58
>>806 鳥越憲三郎は舎人造が中臣氏だといってた
809 :
日本@名無史さん:03/10/30 21:01
<稲中卓球部読んだことある?「しねしね団」は人類の敵
万病の元(アトピー性皮膚炎)
記憶のカギを握っている。自由意志とは?>
これをメールや口伝えで
できるだけ多くの人に伝えること
810 :
日本@名無史さん:03/11/06 23:46
811 :
日本@名無史さん:03/11/20 21:20
物部は戦争に負けて曽我氏と聖徳太子に農奴の身分に落とされた
つまり奴隷にされたわけだね。
当時、物部側からすると聖徳太子は呪怨の対象であったわけです。
812 :
日本@名無史さん:03/11/20 21:22
石上氏は貴族ですが、何か?
813 :
日本@名無史さん:03/11/21 09:44
貴族になる前の物部麻呂って何してたんだろ
大友皇子の護衛隊長になった過程が謎だよね
>>813 どう考えたらいい物だろうか。
没年から逆算すると、壬申の乱当時の物部麻呂は28歳?
『日本書紀』などではこの年代の人の記録が残る方が珍しい。
となると
物部麻呂はかなり努力して大友皇子の護衛隊長というポジションをぶんどったと言うことになる。
逆に
零落していて物部家の御曹司とはいえ、28歳にしてまだこの程度の役職しかもらえなかった
とも言えるし。
うーんうーん。
そういえば、故黒岩重吾氏がこの人をネタにした小説を書いてたね。
先日ハードカバーで本になったと思う。
この問題はどういう風に解釈していたんだろうか>黒岩氏
815 :
日本@名無史さん:03/11/22 13:33
>>814 養老元年(717)に七十八歳(公卿補任)なら、壬申の乱(672)は
四十五歳くらいでは?
そんなに若くは無いでしょう。
黒岩重吾、最後の長編小説では、
囚獄使という犯罪人の捜査や逮捕をする賤職の小役人という設定でした。
蘇我赤兄が刑官の長で、物部麻呂の上司という関係から、武術にすぐれて
いた麻呂に目をつけ、大友皇子の武術師範に抜擢してました。
壬申の乱以降、天武朝に再就職するために何度も面接を受けに行ったりす
るんですよね。ついてないな。
物部雄君との対比が面白いかも。
816 :
日本@名無史さん:03/11/22 14:49
>>815 717−672=45
78−45=33
33でしたか。ありがとう。
算数も出来ないのか・・・
819 :
日本@名無史さん:03/11/25 00:10
●○マイケルジャクソン氏逮捕でやはり確信!!アメリカの人種差別は根深いゾ!!!!
これからはじまる黒人弾圧裁判!!!を見過ごすな●○
11月23日(日)
早速NEWSアップ。言ったでしょう、ポリ公どもは最初から勝つつもりがないと!
貶めるだけなんですよ、違法だから裁判で勝てるわけがない、ただの演技、芝居と言ったでしょう?
メディアのサーカスでバカ大統領の愚行とイラクと現実から目を逸らさせたいんです。
これが人種主義の現実です。反論できる愚かな方はいらっしゃいますか。
23日分のNEWSを、良心か良識をお持ちの方はできるだけ広めてください。
だからマイケル・ジャクソンを直視しなければならないんですよ、この地球は!
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~michael/index.html
尾輿─大市御狩─目─馬古─麻呂
821 :
日本@名無史さん:03/12/01 03:20
麻呂ー乙麻呂ー息嗣ー振麻呂ー相覧ー直國ー重直ー直治ー綱直ー
直喬ー基直ー之直ー直則ー豊基ー基則ー則久ー義則ー時則ー時任ー
儀時ー基時ー時秋ー春時ー時滋ー時村ー則村ー広村ー広光ー光氏ー麗光
822 :
日本@名無史さん:03/12/18 13:43
とりあえず上げとこう
824 :
日本@名無史さん:03/12/28 12:24
825 :
日本@名無史さん:04/01/02 13:52
石上神宮祠官家じゃないのか?
827 :
日本@名無史さん:04/01/21 23:24
828 :
日本@名無史さん:04/02/03 23:51
陸奥の奥六郡の辺りにも物部がいたけど、
物部が史料から消えた後、安倍氏が登場する
829 :
日本@名無史さん:04/02/07 09:55
物部敦子は元気です。
830 :
日本@名無史さん:04/02/22 04:03
陸奥の奥六郡の辺りにも物部がいた
831 :
日本@名無史さん:04/03/13 15:10
雑賀が物部子孫というのは誰が言い出したの?
832 :
日本@名無史さん:04/03/17 19:08
もともと子孫なら本人たちが言い出したんだろ?
まあ物部氏はチョソ系だからな
834 :
日本@名無史さん:04/03/17 20:56
朝鮮人はなんでもかんでも「半島からきたニダ」ばっかりw
835 :
日本@名無史さん:04/04/05 02:33
陸奥の奥六郡の辺りにも物部がいたけど、ちょうど物部が史料から消えた後、安倍氏が登場する。
836 :
日本@名無史さん:04/04/08 00:20
安倍氏の反乱は役という字が使われる。
役とは他民族ということだ。
物部氏は阿部氏に滅ぼされたんかな?>
西南の「役」ともいうが薩摩も多民族?
838 :
日本@名無史さん:04/04/09 11:39
>>751 歴史的亀レスだが、よく事情がわからんとこれ程謎の遺跡もないね。
839 :
日本@名無史さん:04/04/10 13:09
キシュツかも知れないけど、物部と呼ばれた部民を統括した伴造が物部連で、
律令時代の石上朝臣がその末流。部民の物部は物部という氏の名で戸籍に
登録された。万葉集巻二十に防人歌の作者として名が記されている無姓の物部○○は
部民の子孫。
>>836-837 役というのは軍役・兵役ということだから
異民族とか外国ということでは必ずしもない。
前九年の役は源氏の私闘とされたから「乱」の字が使えないだけ。
西南の役は西郷隆盛の謀叛人扱いをさけるため。
841 :
日本@名無史さん:04/04/25 10:12
物部の子孫と言う人はいないの?
江戸時代の儒学者荻生徂徠は物部氏の子孫と称して、
中国風に物なんたらとか名乗っていたと大昔になにかの本で読んだことがあります。
それは物徂徠(ぶつそらい)ですよ
844 :
日本@名無史さん:04/04/29 03:15
一説には、空海やら鈴木雑賀氏(穂積臣の裔)は子孫らしいね。
あと、秋田の唐松社の宮司家の物部さんは、守屋直系らしいね。
845 :
日本@名無史さん:04/05/08 16:23
846 :
日本@名無史さん:04/05/25 19:55
ちゃんと東日本流の本家ですよ
847 :
日本@名無史さん:04/06/19 01:02
なにを根拠に?
848 :
日本@名無史さん:04/06/27 22:29
そーいえば、かな〜り前に4チャンだったかな?テレビに
でてたなぁ。祝詞が石上神宮そっくりだった。天皇家を呪う
祝詞だといってたがw
849 :
日本@名無史さん:04/07/18 02:08
はじめまして、こんなスレがあるとは知りませんでした。
かなり専門的な方たちがいるようなのでお伺いしたいのですが、
愛知県の岡崎市周辺発祥の上野氏の先祖が物部氏と言われているのですが何か情報がございましたら教えてください。
上野姓の二大発祥地はこの愛知県岡崎市(碧海郡)と上野国(群馬県)なのですが、私の祖先が前者です。
調べてみると、この姓は足利流清和源氏でもあると言います。
とりあえず源氏は無視して、物部氏の末裔と言われているので、何か少しでも情報がございましたら教えてください。
>>852 ありがとうございます。
行ってみましたが、ちょっと、難しくてよくわかりませんでした。。。
855 :
日本@名無史さん:04/08/14 09:32
856 :
日本@名無史さん:04/09/05 02:14
とりあえず、旧事紀をどこまで信じていいのかしら
857 :
日本@名無史さん:04/09/05 10:51
あんな偽書w
858 :
日本@名無史さん:04/09/05 16:24
物部直が武蔵野国造だと聞いたが、物部連に従う別族か?
859 :
日本@名無史さん:04/09/05 17:48
物部直が武蔵国造なのではなくて、
同族の丈部直が国造になったんだよ。
え?武蔵国造は出雲氏の分家だろ。
861 :
日本@名無史さん:04/09/06 00:14
だから武蔵国造は出雲氏の分家じゃんかよ。
hoshu
hozen
865 :
日本@名無史さん:04/09/25 05:22:38
物部氏の本拠地はどこ?
ここには年寄りは来ないのか?
20年くらい前だが、当時の歴史関係の本には結構記載されていたよ
直系が仙台におり物部文書なる歴史書を所持
内要が皇国史観とかけ離れているので公表拒否していた。
まだ存命かは不明だが、当時の当主は◯照氏だった。
867 :
日本@名無史さん:04/09/25 11:14:54
>>866 仙台じゃなくて秋田。長照さんはとっくに死んじゃって今は長男さん。
物部文書の内容はとくに皇国史観とかけ離れてるなんてこたぁない。
ニギハヤビノミコトが鳥海山にあまくだったとか、
神功皇后が新羅征伐の時に出羽方面に立ち寄ったとか、そんなの。
869 :
日本@名無史さん:04/09/25 15:45:40
>>868 長仁さんが64代目じゃなかったか?
饒速日と神功皇后以外では、守屋の息子が秋田まで来て、秋田物部家の祖になった
という話を押さえておけば、物部文書はOKだろな。
あとは秋田ローカルなことばっかりだし。
この程度に自分とこの神社に都合のいい話なら、他の神社の由緒にもある。
近世偽撰史書だ何だと叩かれるのが嫌で公開しないんだろうが、気にするこたぁないよな。
870 :
日本@名無史さん:04/09/25 23:22:38
>>867 サンクス
物部氏は全て血でつながっているのですか?
871 :
日本@名無史さん:04/09/26 11:03:37
872 :
日本@名無史さん:04/09/26 22:34:06
>>870 血はつながっていない、というのが通説。
職掌上での、大連の物部氏との関係から同族系譜が形成されていったとか。
>>858-861の武蔵物部直や、石上神宮祀官のワニ氏同族物部首のように
独自性が強かったり、本宗家の拠点がすぐ近くにあったりすると、系譜上
物部氏の呑み込まれずに済む場合もある。
学者先生たちは、実際の血族ではないことを前提に論を進めるから、
なんでもかんでも非血縁になってしまうんだけど、ある程度は中央の物部連が
地方の豪族を乗っ取るために血縁者を送り込むことが
あっていいような気もするけどな。
保全
874 :
日本@名無史さん:04/10/17 13:06:46
物部族
875 :
日本@名無史さん:04/10/17 22:55:13
平将門の母は犬養氏とかいったが、それも中央の
犬養氏に従う関東の豪族だったんだろうな。
それゆえ、将門は関東の豪族にふさわしいわけだが。
876 :
日本@名無史さん:04/10/19 16:36:14
物部氏永って将門の先例みたいな人がいたけど
上野国の物部の出身だろね。
やっぱり中央の物部連に従ってた物部君(上毛野君同族?)か、
それに管掌されてた部民か。
877 :
日本@名無史さん:04/10/20 06:14:55
>>876 話がそれるけど、物部氏の部民って個人的には史料で具体的に見た事がないんだけど、居たのかね?
仮に居たとして、何をしていたのか…?
祭祀や武器の管理だけでは、物部氏という権力の下にいる多数の部民を養い切れまい。
では農耕に従事したのかといえば、物部氏は農耕に余り関わった感じがしない。
じゃあ丹生氏みたく鉱山労働者?
製鉄?…武器の生産?
海運・川運&貿易?
878 :
日本@名無史さん:04/10/20 12:23:46
万葉集には物部の部民の子孫らしい防人が結構いるよ
www.h4.dion.ne.jp/~munyu/manyou/saki/mnnbs.htm
武器の管理・製作や祭祀関係のイメージが強いから
農耕に関わった感じがしないのかもしれないが
蘇我部などと同じ豪族私有部民としての面もあったんだろう。
879 :
日本@名無史さん:04/10/20 20:24:13
そして物部氏はその後どうなったのか?
係累はいるのか?
俺、物部系
881 :
日本@名無史さん:04/10/25 05:11:35
森宮司は物部首(布留宿禰)後裔といってるから物部連の子孫ではないよ
883 :
日本@名無史さん:04/11/12 06:45:57
物部十千根大連の子孫ってこと?
884 :
日本@名無史さん:04/11/12 08:29:38
885 :
日本@名無史さん:04/11/13 00:03:09
>884
市川臣が石上神宮に奉職するに至った経緯は断片的にしかわからないけれど、何らかの婚姻関係があったと考える方が自然では?
物部首の先祖が住んでいたところに、5世紀後半になって物部連が割り込んできた
というのが津田左右吉以来の通説。
王権勢力内の力関係で物部連が上になった。
888 :
日本@名無史さん:04/12/01 01:27:08
sage
890 :
日本@名無史さん:04/12/07 18:28:32
アニマル物部
891 :
日本@名無史さん:04/12/10 23:29:11
ねえねえ、荻野千尋ちゃんのボーイフレンドのハクの本名って、
『ニギハヤミコハクヌシ』っていうのは、物部系なの?
適当につけたんだろ。でも宮崎は70年代のオヤジサヨ崩れだから
物部がどうしたのっていう原住民史観に影響されてる可能性はあるな。
今の通俗古代史本にでてくる物部電波は昔の原住民史観の残骸。最近の奴は知らないだろうけど。
893 :
日本@名無史さん:04/12/11 00:04:36
ふーむ
もののべ姫?
895 :
日本@名無史さん:04/12/15 17:55:59
つうことで、物部氏の祖は あまつみかぼし(なぜかへんかんできない)でよろしいんだな。
MU BOOKS !(・∀・)
また電波か・・・・。やれやれ。
天津甕星は大物主神だった!
295 :日本@名無史さん :04/07/01 00:26
安閑のときの大連は物部麁鹿火だが、
宜化のときの大連は物部押甲となっている。ちなみに押甲は麁鹿火の弟。
ところが、宜化の途中で物部内にクーデターがあり、
大連は物部荒山へ変更。ちなみに荒山は尾輿の父。
そして、欽明のときの大連は物部尾輿となるわけだ。
で、仁賢のときの大連である物部木蓮子や、
武烈のときの大連である物部麻佐良なども含めて、
物部麁鹿火や物部押甲まで、大連はすべて、物部布都久留の子孫であった。
しかし物部内のクーデターによって、
それ以降の大連はすべて、物部荒山の子孫となる。
ちなみに、物部守屋や石上麻呂などもすべて物部荒山の子孫である。
欽明天皇と周辺環境
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083350482/295-297
旧事本紀だけ重視してもなぁ…
荒山の父の目は、日本書紀の雄略朝のところに具体的な説話まで紹介されてるし。
901 :
日本@名無史さん:04/12/20 13:56:32
もののべ(物部)、もののけ(物怪)、もののふ(武士)
というのは語感がにている。偶然なのだろうか。
過去レス読んだことあるか?
>>902 まあ、そんなに「ものものしい」言い方せんでも良かろう。
904 :
日本@名無史さん:04/12/25 22:39:19
ここもすっかり人がいなくなったなぁ。2年前の正月が懐かしいよ。
今年中には1000まで行くかな?
907 :
日本@名無史さん:05/01/09 06:05:20
ようするにですね、『目』がいっぱいなのが、不思議なんですよ。
もしも本名でなければなぜその記録がないのか。
908 :
日本@名無史さん:05/01/09 10:32:19
古代人には、名を傷つければ実体も傷つき、名を呼べば実体も現れるという意識があった。
真名を記録に残すことはない。
吉野裕子が物部氏は蛇信仰を行っていたんじゃないか、なんて言ってるが
これが物部氏に蛇族の頭目「目」が多い説明にはならんかな。
記紀と姓氏録に載ってる人・神だけしかない。
912 :
日本@名無史さん:05/01/22 09:17:30
913 :
日本@名無史さん:05/01/22 12:37:59
誰か、漏れの疑問を解決してくらはい。
1)物部(氏)の財源は何だったのか?農業?交易?丹砂・辰砂の採掘?金属精練?武器
製造?祭祀?軍事?(「職掌」は軍事及び祭祀とされるが、それが=財源では無い)
2)物部系は高句麗(扶余)の流れを汲む人たちだったのか?(石上の祝詞にあるヒフミ
ヨイムナヤコト=1・2・3・4・5・6・7・8・9・10の数詞の一部が高句麗由来、ま
たは高句麗語と倭語の共通の祖語に由来するとされる。さらに百済には佛流[フル]とい
う王族が存在し、百済の支配層は高句麗の将軍ほかであり、すなわち扶余である。これ
を石上神宮の布留御魂←ニギハヤヒorスサノオとされる、の「布留」と関連づける見方
あり。ただしこの場合、後世の崇仏排仏戦争時に親百済の立場を取らなかった事と、解
釈によっては矛盾する)
3)物部系は出雲の流れを汲むのか?(ニギハヤヒがスサノオの子であるとの説あり)
4)物部系は蛇信仰を行っていたのか?(吉野裕子氏は行っていたというような見解)
5)物部系は銅鐸祭祀を行っていたのか?(十種神宝の品物比礼[くさぐさもののひれ]が
銅鐸であるとの見方あり)
6)ニギハヤヒは実在したのか?実在したとしたら、その実像はどのようなものか?
7)ウマシマジの実像はどのようなものか?
8)神武・ミトシ(ニギハヤヒの娘)を実在と仮定して、何故神武に後継者の地位が譲り
渡されたのか?(当時は末子相続であり、ミトシに相続権があり、神武は婿入りしたに
過ぎないとの見方がある)
914 :
日本@名無史さん:05/01/22 12:38:32
9)鬱色雄・鬱色謎は物部系なのか?(鬱=内であり、内色雄・内色女は武内宿禰と同じ
氏族、さらにそれは新選姓氏録にある「内臣氏」であるとする見方がある。ちなみに
この場合、「武」=タケミカズチの「タケ」や「タケハヤスサノオノミコト」の「タ
ケ」と同じ修辞語に過ぎないとの立場)
10)新選姓氏録で物部系氏族の祖とされている伊香色雄の実像とはどのようなもの
か?(これ以前のニギハヤヒ・ウマシマジなどを架空の人物とする見方がある)
11)伊香色謎の天皇系図上の近親婚をどのように解釈すべきか?
12)津田左右吉以来の通説では、5cに物部首(ワニ氏系皇別氏族で後に市川臣や武蔵国
造などを輩出≠物部連)が支配していた所に物部連(後のアラカヒや守屋などの系で神
別氏族)が割り込んで来たとされているが、その実態はどうだったのか?
13)複数存在する物部目という人物。この「目」とは頭目を表す「目」であって、名前
(真名)では無いのか?(この「目」という言葉こそ蛇信仰の証しor名残りとする見方
がある)
14)守屋の系は傍系だったのか?もしそうだったなら、本流は何処なのか?(当時は母
系社会であり、物部守屋の実態は「弓削氏」で、「物部の女を娶った=母系が物部氏」
の蘇我氏こそが物部の本流であったとする見方あり。また、旧事本紀は守屋の系が滅ん
だ後に編纂されたものであり、傍系云々は鵜呑みにできない。)
15)物部守屋=廃仏とするならば、渋川廃寺などの存在(物部氏が建立したとされる)の
存在をどのように解釈するべきか?
※なお、()内に引用した説は電波が混ざっている可能性があります。が、寂びれかけた
スレに起爆剤としての問題提起の意味も込めて書いてみました。
915 :
日本@名無史さん:05/01/22 23:02:43
>>913 1:とりあえず遠賀川流域の物部の名が地名
に残ってる辺りでは、稲作の痕跡があったはず。
ということは、農業はやっていた事になるね。
規模というか、生産高まではわからんけど。
だから農業が財源だとも違うとも言えない。
>>913 1)部曲。
2)関係ない。
数詞や単語に共通してるものがあるのは高句麗語と日本語が同系だから。
物部氏や高句麗の成立よりはるかに古い時代に由来する。
3)関係ない。ニギハヤヒがスサノオの子というのは後世の混乱した情報。
4)していたとしてもメインの信仰ではないだろう。
5)物部の分布と銅鐸の分布に相関性があるようにはみえないから無理。
銅鐸は玉に相当。ひれではない。
6)神武以前の大和の首長。
7)にぎはやひの息子で神武天皇に仕えた人。
8)神武は別ににぎはやひの後継者ではないでそ。
>>914 9)基本は物部系だが、女系で葛城県主が入ってる。
10)うましまじの子孫。9と同じ。
11)近親婚はしていない。父帝の妃ではあるが自分の実母ではない。
(継母=義理の母)だから血はつながってない。
12)物部連(後のアラカヒや守屋などの系)はもともと物部首と同族で
本当は皇別氏族。うつしこを、いかがしこめなどのうましまじ系の物部氏とは
切れている。後世になって系図をつなげただけ。
13)頭目の意味の目なら「め」という訓読はありえないでそ。
14)母系で伝わるのは土地、財産だけ。ウヂやカバネは父系で伝わる。
15)仏教が私的なものとして存在する、あるいはワンノブゼムとして存在するのは
物部守屋にとっても問題なかったと思われ。公式なもの・国家の中心的なものと
なるのは困るというだけだったのでは?
917 :
日本@名無史さん:05/01/23 16:00:07
>>916 >> 3)関係ない。ニギハヤヒがスサノオの子というのは後世の混乱した情報。
たしかニギハヤヒと大物主神が同じじゃなかったっけ。出雲とかかわりあるように思う
原田常治の電波説。
919 :
日本@名無史さん:05/01/23 16:20:15
>>918 ニギハヤヒと大物主神が同じというのは電波かもしれないけど、饒速日と出雲は関係ありありでそ?
921 :
日本@名無史さん:05/01/23 18:08:26
大化四年(648),大和朝廷は北方経営の拠点のひとつとして磐舟柵(いわふねのき)を置いた。その時すでにこの地に饒速日命を祀る石祠があったという。境内や周辺から古墳時代の遺物も出土しており,この丘陵地が神代以来の神域であったことが知られる。
出雲で前方後方墳の伝統が衰退するのが6世紀前半ころ。
ちょうど廟堂で物部氏や蘇我氏が力をふるっていた時期。
経津主や武甕槌の神話は、このころの物部氏による出雲圧迫を反映したもの。
もともと出雲と物部氏が関係していたわけではない。
7)ウマシマヂは、ウマシ(美称)+マジ(マジナイのマジ)。
鎮魂呪法が成立してから創作されたもの。
924 :
日本@名無史さん:05/01/25 16:01:09
>923
マヂ!?
13)頭目説は畑井弘が『物部氏の伝承』で言い出したのが最初と思われ。
ちなみに目はモクと読んでた気がする。
>>923 7)はウマシマデが正しく、ウマシマヂは訛伝か誤伝だろう。
>>925 畑井説は無理だろ。モクと読んでる段階ですでに。
927 :
日本@名無史さん:05/01/26 13:56:38
じゃ、ウマシマデってどういう意味?
>>927 さあ。よくわからんがマデ(真手)というのは「両手」の意味らしい。
でも、個人名の由来をほじくってもあまり意味ないのでは。
929 :
日本@名無史さん:05/01/26 21:21:58
文献から想定されるのは
うまし「まて」「まで」「まち」まぢ」だな。
ここから原意をくみとるのは簡単なような容易ではあるまい。
そもそもそのことに意味があるのかという問題もある。
旧事本紀では宇摩志麻治が十種瑞宝を使って天皇皇后の長命を祈ったのが
鎮魂祭のはじまりだといってるから、
>>923のような解釈もありじゃないかな。
自氏の職掌を祖先に遡らせて代々関与していたように主張するのは珍しくない。
意味が無いとするよりはマシ。
>>926が旧事本紀や古事記よりも日本書紀の表記のほうが妥当とした根拠は?
931 :
日本@名無史さん:05/01/26 23:16:59
まじわるのまじ 接、間、交接
932 :
日本@名無史さん:05/01/26 23:35:19
物部一族、がんばれーーー!!
(関係ないとは思うんだけど、自分の苗字が物部系みたいなのでw)
>>925 それ「物部氏の系譜は朝鮮語で解けるニダ」とか言ってる本じゃなかったか
モリヤは「没落」の意味だとか
「目」はいい解釈ないかな
磯城県主か十市県主にも大目がいたし
「物言い」「物忌み」「物述べ」
935 :
しばらく:05/01/27 08:30:29
諏訪大社はモレヤというのが古いと聞くが。あの辺も韓国色が強い。
江戸時代に大目付って役職がある。ヒラの目はオカッピキ、大目で国防大臣、
警視総監程度とまではいかなくても、上級警察官みたいなものだろうか。
大目にみてね。
目、耳、鼻、口なんて当時は全然珍しくない名前だよ。
そんな深い意味無し。
937 :
日本@名無史さん:05/01/27 12:43:15
>>935 あー、警察刑罰の職掌のほうからの見方も出来るのか。なるほどね。
物部氏じゃないが、細目という名前を鍛冶製鉄関係に取る解釈もあった。
939 :
しばらく:05/01/27 15:00:44
諏訪では八ヶ岳、長野では松代から樅の木、松ノ木を切り出す。これは韓国に
あるそうな。諏訪は去年が御柱で有名。これが一つ。
大塚初重教授が詳細に述べているが長野の家型古墳、積石古墳。
>>939 韓国に御柱祭があるのか?山林もないのに?
古墳は高句麗様式ってことだろう。韓国じゃないな。
941 :
しばらく:05/01/27 16:11:42
窯業に木を切ったのかな。
古墳は高句麗様式の石積だったようだ。
>>939 蘇塗を使った祭祀のことかな? 日本では卒塔婆になってしまったやつ。
後漢書東夷伝の馬韓のところに
「諸国邑、各一人を以て天神を祭ることを主らしめ、号づけて天君と為す。
また蘇塗を立て、大木を建て以て鈴鼓を懸け、鬼神に事う。」
とある。大木も立てたらしい。
944 :
日本@名無史さん:05/01/27 21:14:56
945 :
しばらく:05/01/28 08:07:01
>>943 木を削って人面を書くのは韓国で漢字で「何とか大将軍」とかくのと同じ
のようですね。東北ではわら人形の「鹿島」さまという天狗の鼻のように
ペニスを突き出したものをつくり村はずれに立てる。
善光寺の回向柱はユーラシア・北米のトーテムポール的なもので平原
遺跡にもあり、マンモスハンター時代のテントの支柱、北極星(天御中主命)
を旋回する宇宙天蓋をイメージしたものでしょう。これが高木の神の由来と
考える次第。
諏訪大社建設後、善光寺では最古の仏教寺院を建設しているということは
百済からの仏教伝来と関係があるのではないかとも思わせる。「ホンダ」夫妻
という善光寺創立者はイザナギ・イザナミ的なペアーとなっているのも不思議。
野尻湖にはマンモスハンターの遺跡、黒姫伝承があり、黒姫は諏訪とも関係
がある。
946 :
しばらく:05/01/28 08:16:44
善光寺では本道の床下を暗闇で潜るが、九州にあるトンカラリンという遺跡、
豊川近辺のお寺(ガン封じ)等にもあるが韓国起源の観がある。
947 :
しばらく:05/01/28 08:25:57
ストップ=立ち止まる、ステップ=踏む、コンストラクション=立てる、スタック=積んだもの、
ソトーバ=墳墓・・・多分インドアーリアがボルガ川下流で建設していた古墳の太古の
呼び名はソトーバであったのではないかと思う。
948 :
しばらく:05/01/28 08:39:06
正月のNHKで中国シルクロードで発見された4000年前の墓を
やっていたが、女性の墓には先を赤く塗った柱を立て、男性の
墓には行司の軍配のような形のものを立てていた。棺は底なしの
舟。人種はコーカソイドで青銅のブローチ、麦の入ったバスケット
をもっていた。中国の麦の歴史が変わるなんて大騒ぎをしていた。
これはソトーバを伴わず、英国などの舟形葬であるから、西部
インドヨーロッパ語族に属するトカラ・ヒッタイト等アナトリア語族
ではないかとの感じがした。
949 :
しばらく:05/01/28 08:48:11
これにほど近い新疆ではBC3000年頃から鉄が出土するが、ギリシャに
鉄が入るのより相当前らしくはなはだ疑問視されてきたようだ。ロシアにおいても
沿海州でこの新疆に近い時代の出土があるらしい。この辺から中国の鉄を南方起源
と盲信するのには警戒が必要と見ている。また日本にとんでもない、つまり、弥生開始
時に鉄器が入っていたなどのどんでん返しもありえるのではなかろうか。
950 :
しばらく:05/01/28 08:54:48
かねてから馬韓に月氏という中央アジアの遊牧民族の名称があることと
弁辰の採鉄とになんらかの関係があるのではなかろうか、韓国とインドを
結ぶ婚姻の伝承もありえナーイ済ましていいのかと思っている。
951 :
しばらく:05/01/28 09:08:15
シルクロードの発見であるが、欧米の考古学ではかつてない大発見だと思う。
われわれ日本人が連中より先に進んだ情報をキャッチしているということは
あの撮影を企画したNHKの功績は多大な評価に値すると思う。こうした世界史的
評価の出せないわが国の先生方に疑問を感じるんだがね。
952 :
しばらく:05/01/28 10:50:02
中国ヤンシャオ彩陶文化が中近東起源の麦文化の鋤とかの影響なしに
中華的に発展してきたとする主張についてはシルクロードの研究を徹底し
て行った後に断定してもらいたいと思う。漏れは印欧語族の移動の前後に
シュメール・タミールの黄河・インダス文明への一元的波及があったものと
想定している。もちろん、欧州・アフリカ北岸に向けてもこうした流れは
あったはずでDNA的に立証されると思うんだが。
953 :
日本@名無史さん:05/01/28 10:51:58
初耳。ソースは?
はやまったね。このスレだけで
あと三ヶ月はもちこたえられるのにw
957 :
日本@名無史さん:05/01/30 22:44:24
で、ウマシマジはどうなった?
あと目も。
ついでに物部と出雲のかかわりも。
天孫本紀系譜は目だけじゃなくて金も多い。
同じ人が重複してる可能性もあるぞ。
>>945 天竿祭祀のは類いシベリア、北米など世界中に広がっていて、原始時代に由来するものだろう。
信州の御柱祭を韓国系などと認定するのはずいぶんな飛躍だと思われ。
>>950 馬韓のは月氏じゃなくて「月支国」。字が違うから関係ないでそ。
961 :
しばらく:05/01/31 17:42:47
>>959出典 韓国中央大学院名誉教授 任東権 講演
フヨ近辺 恩山 別神祭
山の神聖な場所でシャーマンが歌い踊る。
どんぐりの木が震える。この木を4本切り、神の依り代とし、
担いで村まで行列。10日ほどの祭りの終了後、この木を村
の東西南北の4箇所に天下大将軍、逐鬼大将軍と書かれた
チャン寸と共に立てる。一年ごとに更新。
韓国東海岸江陵市 端午祭 陰暦4月15日、昔は巫女80人がかりで、
入山、踊り狂い、歌う。楓の木が振動開始するので、1本を切り村まで担いで
20km行列。神が木に宿るとし、木を祭壇に供え神を帰し、木を燃やす。
>>961 漢字で「天下大将軍」とかくあたり新しい要素によって変形してることがわかる。
古い形ではないだろうな。
963 :
しばらく:05/01/31 21:17:49
信州に残るお面のチャンスンの方が古形と思う。更に古形なのは
鹿島さまだろう。注連縄や藁蛇との共通点もある。
964 :
しばらく:05/01/31 21:27:28
鳥越憲三郎によればAD663年渡来の百済亡命人は近江に
ダイジョウゴという祭りを残すがこれが大将軍のことだろうといっている。
鳥越憲三郎は、このスレでは不人気だね。
邪馬台国物部王朝説は有名なのに・・・
時代を古く遡らせすぎるのがマズイのか?マキムクじゃなくて大和郡山が都なのがマズイのか?
>>965 邪馬台国絡めると荒れるから…。
それに、朝鮮、中国、中央アジアと際限なく話を広げる羽目になりかねないし…>鳥越説
>>963 それなら韓国系じゃなくて「鹿島さま」系じゃん。
>>964 ダイジョウゴという名称がAD663年まで溯れると考える学者は
まずいないか、いてもかなり少数だろうね。
>>966 >朝鮮、中国、中央アジアと際限なく話を広げる羽目になりかねない
実際に関係あるんならそれで何の問題もないでそ。
問題は、人類学や民族学のスパンは数千年単位なのに
二千年ほど前の最近の歴史とこじつけようとするから収拾つかなくなるのでは。
>>966 >>967 ここの住人がそんな配慮をしたために、鳥越説が話題にならなかったとは思えないがw
2002年の『女王卑弥呼の国』の時点でも纒向遺跡をスルーした鳥越を
誰も信じなくなったのでは…
ところで原田常治説がこんなに広まってしまったのは何故?
冷静に読むと、根拠らしいものはほとんど無いように思えるのだが。
神社の由来書きとかはその気になれば素人でも旅行がてら
気楽に調べてまわれるし、その伝承から安直な物語をおもしろく組み立てる
ノウハウ(つーか発想パターン)を呈示したからではないかと。
なるほど、定年退職後の趣味で古代浪漫ファンをやってる
御老人の割合が多いことの弊害か。
じゃあ、松本清張とか高木彬光の影響を受けた団塊世代もぼちぼち参入してくるから
ますます史跡めぐりウォークと「神社古代学」は栄えそうだな…
神社の由緒や伝承、地域伝承なんかを探る事自体は当然悪くないんだろうけど、問題はその内容をきちんと検証できるか否かではないかと。
キリスト教あたりの研究なら、各時代ごとに分けてやるのが普通らしいけど、
神道とか神社伝承って古代からずっと変化してないと思ってる連中が結構いるんだよな。
内容的には検証が不可能なところまで、あっちこっちから影響を被って変質してしまってる。
神社の由緒をもとに古代史復元なんて無理すぎ。
これだけ原田説が広まってるなら、
「饒速日=大物主」という由緒も新しく生まれそうだなw
田舎で地元の郷土史研究家が案内板を書いたりさ。
973 :
日本@名無史さん:05/02/05 00:34:50
考古だけに頼れば、遺物が出るまで何もわからず、遺物が出ても、人物などを特定するこ
とは難しい。遺跡が既に破壊されていれば、永遠に謎のまま。
文献にだけ頼れば、当時の政治的思惑による産物に右往左往しかねない。現代でさえ、公
式見解が事実であるとは限らない。また、時代を経て編まれた文献であれば、尚更変質し
てしまう可能性が高くなる。また、考古とは逆に、場所の特定が難しい。
伝承・口伝の類いは、それこそ伝言ゲームの罠にはまりかねないリスクがある。…が、そ
の中にはシュリーマンの話に代表されるような、とてつもない宝が眠っている可能性もあ
る。当然、元になった史実と、それを元にした誇張(脚色)と、完全な捏造と、思惑と、
知恵と(変質している部分があるにせよ)伝統が息づいている。
…要は、バランスだと思うんだよな。
個々の対象(1つの文献や、とある遺跡、ある地域の伝承など)を検証を経た上で「信頼
するに足らない」などの理由で切り捨てるのなら兎も角、どれかを完全に(例えば神社伝
承全て)を丸ごと切り捨てるのは愚行。
そういう意味で
>>972氏の言を借用するなら、
神社の由緒「だけ」をもとに古代史復元なんてリスク高すぎ。
となる。
趣味でやるにはいいかも知れんがね。
そうなんだよ、バランスが問題なんだよな。
近頃は考古学の成果に重きを置いて古代を語るのが主流になってしまったが
「考古学者がこうだというので、そうかと思って安心して、それによって歴史を
書いてしまうと、あとですぐ考古学者の方で学説が変わると、歴史の記述を修正
しなければ」
ならない(by水野祐)、というリスクは無くなったわけではない。
文献史学のほうも、あれもこれも信用できない、机上の創作だ、で切り捨てて
今じゃ物部氏が誕生したのは5世紀後半というのが定説になってしまってる。
以前は履中朝のイコフツ大連あたりから史実を反映してるんじゃないか、なんていわれていたのが、
大前宿禰のように王位継承問題に首を突っ込んで台頭したことになり、
さらに雄略朝の目大連あたりから政治に関与し出したことにされてしまった。
しかも、「目」という個人は否定して、伝説的な人物として位置づけた上でだ。
かといって、神社伝承はもっといかがわしい物だし…
恣意的にならず、うまいこと色んな要素を組合わせることができればいいんだが。
まぁ、原田や関裕二は論外だよ。
氏族としての物部「氏」は雄略朝からでもいいような気がするが、
制度としての「物部」や、それを名の一部にもってる人物は
それこそ崇神朝あたりからいてもぜんぜん問題ないと思うがな。
それを言ってる学者は現在「諸君!」で「祖国再建」を連載中の皇學館大学名誉教授
田中卓先生くらいのもので…orz
977 :
日本@名無史さん:05/02/05 21:58:33
物部って友達にいるけどあいつは子孫なんだろうか。
自分の苗字は日本でナンバー10には入るので珍しい苗字はうらやましい。
部民の子孫?
>>965 鳥越は北部九州と近畿の物部氏関連地名に一致するものが多い点を
指摘しただけでも偉大。
九州と近畿、どちらが古いのかは別問題だけどな。
「邪馬台国とは北九州から東海にまで及ぶ一大帝国なのであった。
そしてその支配者は物部一族であった。
伝承と考古学資料をもとに、ぬりかえられた歴史の裏にひそむ失われた真実を探求し
邪馬台国論争に画期的転回を迫る衝撃の書」←『大いなる邪馬台国』オビより。
今見ると滑稽かもしれんが。
980 :
日本@名無史さん:05/02/11 03:08:29
通説とされるものに近い説を唱えてる研究者って誰がいましたっけ?
直木幸次郎氏辺りかな?
もしそうなら、直木氏の物部絡みの良い書籍を紹介してもらえると有り難いのですが、どなたか御存知でしょうか?
直木孝次郎氏は、近頃は古代氏族関係のものは書いていないようですが
古い論文なら『日本書紀研究』の第2巻だったかに収録されてる
「物部連に関する二、三の考察」があります。
あと、『日本古代兵制史の研究』にも、同じくらいのボリュームで
物部氏について書かれた部分があります。
最近は直木氏のお弟子さんの亀井輝一郎氏が学会の物部氏研究の第一人者みたいですね。
物部氏関係の論文はいくつも発表されてますが、本にはなっていないはずです。
…と思ってたら、神一行氏の『消された大王饒速日』の参考文献に
亀井氏の『古代豪族と物部氏』が載ってました。
どなたか読まれた方いらっしゃいます?
Amazonやbk1はもちろん、WebcatPlusの検索でも見つからないんですよ。
「吉川弘文館」とあるので、同人誌ではなさそうですし…
亀井氏が教授をしてる福岡教育大学の図書館にも置いてないなんて、
神氏がありもしない本を参考文献に挙げたわけじゃないですよね?
>>981 ありがとうございます。
直木氏の著作、読んでみたいと思います。
あと亀井氏のも、自分も探してみます。