ガイシュツカモ:鎖国政策は意味があったの?

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1日本@F視さん
あんなの日本をヒッキ−にしただけだと
思うんだがさてはて賛否両論、どうなんでしょう?
2日本@名無史さん:02/03/05 02:13
鎖国観念は幕末の産物
3日本@F視さん:02/03/05 02:15
鎖国はいつから始まり、だれが一番
推進させたのでしょうか。
4日本@名無史さん:02/03/05 02:54
だから鎖国じゃないってば
5日本@名無史さん:02/03/05 02:59
江戸時代においても。日本国は対外貿易を続けておりました。
鎖国政策とか、士農工商などとは明治以降の政府せいさくです。
6日本@名無史さん:02/03/05 03:16
日本は貿易を閉鎖した事など歴史上一度もないよ。
7日本@名無史さん:02/03/05 03:28
徳川幕府の延命に役立っただけだね。
そのおかげで世界の進歩から遅れてしまうんだから
徳川幕府=進歩の敵 といえるね。
8日本@名無史さん:02/03/05 03:45
皇国史観→鎖国したので進歩できず、植民地獲得競争に遅れた
マルクス主義→鎖国したので進歩できなかった
今のアカデミズム→選択の余地のあまりない半ば必然の政策。
         厳密な意味で鎖国意識が現れるのは江戸後期のみ。
9日本@名無史さん:02/03/05 03:49
>>7
決して遅れてはいないよ、もしもそんなに遅れてたら
追いつけないし、幕末にやって来た欧米人は日本を天国
のようにも語ってるよ。
10日本@名無史さん:02/03/05 04:59
学術の面でおくれたのは鎖国の影響というよりも
「寛政異学の禁」にみられるように、自由な学術発表の場の有無
次第ではないでしょうか.
すくなくとも洋学者の渡辺崋山なんかは,近時の西洋で学問がなぜ
発達したのかについて,そのような見解を述べています.
11日本@名無史さん:02/03/05 05:21
徳川期の日本国では、自由な学問を禁じたの。
許されて学べる人だけ学んだのよ。
12日本@名無史さん:02/03/05 11:08
森嶋通夫によれば,比較優位により日本が農業国に「転落」するのを
防止するのが鎖国だったそうです。(「続イギリスと日本」岩波新書)
13森嶋さんの本を読まずにカキコ:02/03/05 11:41
17世紀のはじめにおいて,ほんとに日本が農業に関して比較優位があったと
思うかなあ?
かりにあったとしても厚生比較において,鎖国を正当化できないでしょ.

経済厚生を犠牲にしてまで工業化を優先しなくちゃいけない理由があったのか?
幕藩体制じたいが,農業に基盤をおいた体制なのに
農業へ特化することを「転落」と認識するのも変だぞ.
14  :02/03/16 18:30
きしゅつ
と読め。
15日本@名無史さん:02/03/16 18:33
鎖国って徳川幕府による海外貿易の独占という事で
国を閉じてたわけではないけどね。
16日本@名無史さん:02/03/16 19:03
>>15
四つの口論だね。

>>9
戦国時代の日本は世界でも有数の大国とよく聞くが?
17日本@名無史さん:02/03/16 19:06
キリスト教の禁教政策との関連でいうと必然の結果といえる。
当時のキリスト教の修道会に領土的野心がなかったとは言えないからね。
鎖国の功罪については、結果論にならざるを得ない。
18日本@名無史さん:02/03/16 19:09
≫1
既出は「がいしゅつ」と読むのではなく、「きしゅつ」と読む。
もう一度、国語辞典を引いて勉強するように。
19日本@名無史さん:02/03/16 19:11
2ch語です。
20日本@名無史さん:02/03/16 19:20
≫19
そうでしたか。
21北方領土@名無史さん:02/03/27 09:34
鎖国はロシア南下の18世紀後半からその思想が台頭してきた
初めての攘夷論的な政策はロシア船打払い令
教科書では1825年の外国船打払い令しか出てこないけどな
22日本@名無史さん:02/03/27 12:14
その禁教政策にしたところで
対外防衛のためではなく対内支配の都合によるものでしょう?

封建的身分関係をともすれば流動化させかねないキリスト教の伸張を
創業期の幕府が徒におそれただけのこと
鎖国も禁教も人民にとっては害あって益のないものであった
23日本@名無史さん:02/03/27 12:17
>>14>>18に春のおっさんがいます。
 
春坊。
 
24日本@名無史さん:02/03/27 12:27
鎖国政策と呼ばれているものって

・キリスト教禁止
・蘭学制限
・直接貿易限定

くらいかね?
実際には琉球経由でどことでも貿易してたんだろうし、数藩には貿易許可だしてた
よね。
25北方領土@名無史さん:02/03/27 13:37
対馬藩は朝鮮と、松前藩は千島樺太でロシアと交易をやってたし。

それから鎖国が拡大解釈されてるけど、
例えば大型船の建造は禁止されてなかった。
寛永の禁令だって3年後には解禁になってるんだよね。

蘭学はどの程度禁止されてたのかな。
大黒屋光太夫さんのように異国から帰ってきた人たちの記録は残ってるし、
写本もかなりの数で出回っているよ。
26 :02/03/27 14:00
>23
文学部だろ
27日本@名無史さん:02/03/28 02:51
3年くらい前の燈台の大学院入試問題が
「日本型華夷秩序論について知るところを述べ、現在の研究状況について評価せよ」
みたいな問題だった(うろ覚えなのでスマン)。
鎖国が一方的に悪、みたいなことを言う人は、当然通らないでしょうね。
28北方領土@名無史さん:02/03/28 08:31
とはいえ、ある意味日本が弱体したことは否めませんな。
文化年間にロシアが北方領土や樺太で海賊行為を行った時、
警備の日本兵はロクロク戦うこともせず逃亡し、笑いものにされている。
平和に慣れきって戦争を知らなかったのよね。
まあこれは今の日本ともよく似ている気がするよ。

日本人の気質って、江戸時代に形成されていったんだろうかと思ったりする。
29日本@名無史さん:02/03/28 10:38
28のいう「弱体」が経済的なそれではなく軍事面のことを指しているなら
その要因を鎖国に求めるべきではなく,幕藩体制そのものの弱点というべきだろう.

「東照宮(家康)の興るや,その務めもまた本(=幕府)を強くして,末(=各藩)
を弱くするに在り。武士をして各々都城に聚処せしめ,之をして一日も強をその邑に
養ふを得ざらしむ・・・是に於てか,兵すくなく,民愚にして,天下始めて弱し」
                        (会沢正志斎『新論』)
30日本@名無史さん:02/03/28 11:03
鎖国による国内体制の安定が200年以上も太平の世が続いた最大の要因だろ。
鎖国の否定的な面ばかりを強調するのはいかがなものか。
31日本@名無史さん:02/03/28 11:22
とはいっても,軍事面だけじゃないからね.西洋へのゆがんだ認識が育ったのは
不幸なことだったな.

会沢なんてのをわざわざ引っ張り出しちゃったけれど,27のいう華夷秩序による
国際認識の基本的限界をやはり指摘するべきだろう.

会沢も文化文政の頃のひとだが,それは英国がインドやシンガポールに植民地化の
手をひろげていた頃だったのだけれど,会沢は西洋諸国の軍事的にすぐれているこ
とは認めても,西洋文明一般のすぐれていることは認めず,むしろ逆に
西洋人が非道であり本質的に「けだもの」つまり「夷狄」であるという西洋認識から抜けきれていない人だったからね.
32北方領土@名無史さん:02/03/28 14:43
指摘どうも。俺が書いたのは軍事面のことでした。
もちろん国内の安定があったことは評価しなければならない。
産業が遅れたことや島国根性と呼ばれる排他的な気質などマイナス面もあるけど、
この狭い国土で200年も自給自足を行ってきたという、
第一次産業の大躍進や自然環境を守りつづけた点も考えていきたいね。

鎖国を絶対否定するということは、
西洋文化を取り入れ日本古来のものを破壊した「文明開化」を肯定することと同じ。

いずれにしても黒船来航はクスリが効きすぎたな。
33日本@名無史さん:02/03/28 15:39
>>3
すくなくとも18世紀のドイツやフランスで,「日本の鎖国」は有名だったはずだね.
モンテスキューやヴォルテールやカントの著作の中にも出てくるくらいだし.
34日本@名無史さん:02/03/28 16:10
モンテスキューは,「専制的なアジア」というステレオタイプな見方しかしてないが
ヴォルテールは,儒教に好意的な反面,鎖国政策については否定的な見解をしている
(啓蒙思想としては,当然であろう).
そんな中で「永久平和のために」を著したカントは,常備軍の廃止などを提唱
するばかりでなく,みずからの属するヨーロッパによる非ヨーロッパの植民地化を
人倫に反するものとして糾弾しており,日本の鎖国政策を「賢明」だと評している.

日本で会沢が「新論」を書くのは,それより三十年後のことであった.
後期水戸学は,儒教につらなる思想というよりも,外圧から生まれた思想と
いうべきかもしれない.
35世界@名無史さん:02/03/28 16:23
世界史版の鎖国スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1006325062/l50

ここのトピ主は植民地政策すべきだったといっているように読める。
完全に下がってるから放置したってよいのだが。
36日本@名無史さん:02/03/28 16:23
つまりね,華夷秩序という色眼鏡でもって国際情勢を認識しようという
思考パターンそれじたいこそ,もともと古来より受け継がれた伝統ではなく,
18世紀すでに日本に迫りつつあった外圧への反動として生じたもんなんじゃないか
という気がするのですが,どうなんでしょうかね?
37日本@名無史さん:02/03/28 16:28
38日本@名無史さん:02/03/28 18:15
>>35
>トピ主
 
臭気がします。どうかヤフ板にお帰りください。
39日本@名無史さん:02/03/28 18:20
>>8 は,「マルクス主義」に限定せず「近代啓蒙主義」ぐらいのほうがいいんじゃないのなどといってみるてすと
40日本@名無史さん:02/03/28 23:47
>>36
思考パターンと言うより、制度として取り入れたのかも知れない。
朝鮮通信使の費用は日本が負担するんだからね。
当然、華夷秩序では朝貢だから、費用を払う方が上だもん。
41日本@名無史さん:02/03/29 11:21
井沢元彦によると、鎖国によって大坂は見捨てられたのだそうだ。
42日本@名無史さん:02/03/29 16:53
>>41
詳しく説明してちょ。
43日本@名無史さん:02/03/29 17:07
>>41-42
井沢スレでこんなこと言われてるけど。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1013403328/459-461
44日本@名無史さん:02/04/22 15:21
あげ
45日本@名無史さん:02/04/22 15:23
>>41
大阪の商業的地位が消滅したのは開国によってではないの?
鎖国中は天下の台所なんでは?
46日本@名無史さん:02/04/22 16:03
有名な薩摩の密貿易や対馬の正式な貿易以外の密貿易以外に
他に密貿易はありますか?
特に西欧諸国との密貿易は?
47日本@名無史さん:02/04/24 01:20
竹島事件で
密貿易のため
浜田藩がやられたはず
48日本@名無史さん:02/04/27 22:44
民間人の出国が原則的に不可、ということをもって鎖国と見てよいと思うが。
貿易は日本の地理的条件上、やらないわけにはいかぬわけだが。

キリスト宣教師派遣が極東のキリスト教化と植民地化、
2段打ちの狙いを持っていたことはほぼ事実といっていいだろう。
どうも、それは織豊時代からの未処理課題として徳川政権に引き継がれたにおいが濃い。
島原の内乱は懸案の国防・外交問題が内政問題として表面化した、ととらえると、どうだろうか。
徳川政権はそれに対して、サザエが蓋をするように引きこもった。
建設的解決案というよりは単に問題の先送りというに近いが、
もっともそれで260年間政権を平和裡に保ちえたのだから、ある程度的確で、成功であったとはいえる。
あくまで江戸期というスパンで限定した結果論でしかないが。

しかしながら徳川政権がまさに「その」案件がもとで政権を失うことになるのはやや皮肉な滑稽感を伴う。
こうしてみると日本の外交・国防問題と内政問題の干渉、
というものはじっくり調べてみたい興味深いテーマだ。
49日本@名無史さん:02/04/28 06:02
鎖国なんてヨーロッパで日本の紹介する本の中で
鎖国マンセ−な書き方をされたのが元で
そのあとその本が日本に紹介されて
はじめて日本人は自分達が「鎖国」をしていると認識するようになった
「鎖国」は良い事というのが幕末の思想の主流
攘夷思想というやつ
50歴史の素人:02/04/28 10:01
日本国外に居住する日本人が日本に帰ること、日本在住のものが
国外に出ていくことを禁止したのは鎖国と言わないのか?
家光の時代に発布されたあのお触れは何だったのか?
貿易の制限だけが鎖国と呼ばれたのか?
歴史ファンの方々、教えてください。
51日本@名無史さん:02/04/28 18:32
>日本国外に居住する日本人が日本に帰ること、日本在住のものが
>国外に出ていくことを禁止したのは鎖国と言わないのか?
>家光の時代に発布されたあのお触れは何だったのか?

「鎖国」という名称と概念が存在しなかっただけだね。
“海外渡航禁止”やら“貿易の制限”やら個別の考えとして
あったわけであろうが。
52日本@名無史さん:02/04/28 20:54
>>51
ひらたく言えば「鎖国」と呼んで問題ないよね。
概念が存在しない、あるいは希薄、であることと、実際に存在しないことは別でしょう?
英語には鶏肉とか豚肉、牛肉という概念は非常に強烈で、
振り返ってただ単なる「肉」という概念は希薄だけれども、
英語圏には肉が存在しなかったわけではないものね。
あっ、こういう比喩は2チャンで嫌われるんだっけか。

53日本@名無史さん:02/04/28 21:00
今の時代と違って日本人が他国に出ていく必要性が感じられないのだが・・・・・
54日本@名無史さん:02/04/28 22:03
必要が無くて他国に出なかっただけなら、
攘夷なんてスローガンは出て来ないだろ
55日本@名無史さん:02/04/28 22:04
>必要が無くて他国に出なかっただけなら、
>攘夷なんてスローガンは出て来ないだろ

攘夷の意味知ってるか?
56日本@名無史さん:02/04/28 22:21
やはり禁教政策の面が強かったでしょう。
外国から来る思想は悪いものだから制限すという。

幕末に日本に最初にやってきた、プラント・ハンター
というのかな?新種の植物をヨーロッパに持ち込む職業
の人達はヨーロッパでの改良新種が江戸の一般家庭で栽培
されてる事に驚いているから、植物は輸入品でも流通したと
思われます。
57日本@名無史さん:02/04/28 22:52
いいものは取り入れて悪いものを入れないというのが鎖国の基本理念かな。
58日本@名無史さん:02/04/30 15:19
>>50
>家光の時代に発布されたあのお触れは何だったのか?
それはポルトガル船来航の禁止というものです
同国は我が国においてローマカトリック教を布教しようとしていたため
幕府の締め出しを食らいました
後年イギリスも貿易を求めてくるのですが
ポルトガルとイギリスが友好関係にあることを知っていた幕府は
それを理由にやはり来航を禁止しています
18世紀後半にロシアが北方に現れても幕府はこれを拒んでいないのは
ロシアはローマカトリックではなかったからです
そのロシアを拒んだのは19世紀になってからですが
これは49の言うとおり鎖国マンセーの言葉が入ってきたからです

54の言う攘夷論は幕末に限られていることで
江戸時代全体の「鎖国」を論じている今は問題ではありません
ついでにいうと幕府は海外からの日本人の帰国を拒んだことはありませんでした
1835年モリソン号事件は唯一の例外でしょう
ただし切支丹は厳しく取り締まっていたことは事実
じゃがたらお春が帰ってこなかったのは切支丹だからであり
鎖国とは無縁かと思われます
59日本@名無史さん:02/05/02 00:48
260年余の国家の遅れを一気に取り戻した明治新政府ってすごくない?
60日本@名無史さん:02/05/02 01:26

薩長ヲタはけ〜ん。
全然凄くない。
だいたい日本は260年も遅れてなかったし、
そもそも倒幕派は幕府の開国に反対すつ攘夷派だった。
61日本@名無史さん:02/05/02 01:31
反対すつ攘夷派だった
62日本@名無史さん:02/05/02 01:35
反対する攘夷派だった
63日本@名無史さん:02/05/02 02:34
俺、鎖国を選挙公約にして国政の場に出ろうと思うけど
どうでしょう
64日本@名無史さん:02/05/02 05:34
薩長が倒幕を目指したのは「尊皇攘夷」の「攘夷」が不可能だと知り矛先を変えただけ。
65日本@名無史さん:02/05/08 05:36
一応あげ
66タバコ吸うな!:02/05/17 15:22
鎖国したことで、伝染病の災悪から日本民族が救われたのではとテスト
67日本@名無史さん:02/05/17 15:34
江戸時代にも疫病はあるのでは?ないの?
68日本@名無史さん:02/05/17 15:41
コピペして広めてください

チベット三州での死者数(1949-1979)

     ウ・ツァン  カム    アムド    合計
 拷問  93,560   64,877   14,784   173,221  
 死刑  28,267   32,266   96,255   156,758
 戦闘  143,253  240,410   49,042   432,705
 飢餓  131,072  89,916   121,982   342,970
 自殺  3,375    3,952    1,675    9,002  
障害致死 27,951   48,840   15,940    92,731
 合計  427,478  480,261  299,648   1,207,387

チベット亡命政府 情報・国際関係省『チベット入門 』鳥影社 p.102

たった30年間で120万人以上ものチベット人が中国人によって殺されました

69日本@名無史さん:02/05/17 15:47
>>68は山口県警
70日本@名無史さん:02/05/17 17:30
>>66-67
天然痘という恐ろしい病気におびえていた日本だが、
ロシアの捕虜になった男がその予防法を習得して松前の人々を救っている。
吉村昭「北天の星」参照のこと。
オランダからはその技術が輸入されなかった。
鎖国したことによって医学が入ってこなかったというべき。
ポリネシアでは欧州から輸入された梅毒によって多くの人々が死んでいるが、
その地方では売春交易が盛んだったからであり、
これを行わない日本では開国していても梅毒の被害は少なかったものと想像される。
71日本@名無史さん:02/05/17 19:22
200年以上、他国と戦争しなかった国はそーは無かったと思う。
だから、正しい選択ともいえるが…
72日本@名無史さん:02/05/18 21:04
南蛮貿易・朱印船貿易の時代にヨーロッパと対立したことなかったけど?
73日本@名無史さん:02/05/18 21:43
>>72
開国したら戦争になったのも事実です。
すぐではないけどね。
74日本@名無史さん:02/05/18 22:13
>>74
開国を阻止しようとした薩長が欧州諸国相手に喧嘩吹っかけただけだろ。
明治以降の戦争は鎖国していた、いないに関わらず起こっていたものであり、
ここで持ち出すのは論外。
75日本@名無史さん:02/05/18 22:20
>>72-73
時代が違うし、話かみ合ってないです。
76日本@名無史さん:02/05/18 22:50
>>70
幕末には蘭学者による種痘所はあったし、
梅毒は戦国時代に入ってきてからずっとあったし、
売春交易というものの定義が良く分からないが、
明治以降は「からゆきさん」なんてのを日本はやってるよね。
7770:02/05/18 23:05
俺が逝ってる天然痘予防のことは幕末よりも前の時代のことだよ。
売春交易ってのは女が体を売る代わりに金や物資をもらってた交易。
ポリネシアやミクロネシアはこれで梅毒が広まり大勢の人たちが死んだ。
梅毒についてはオマケみたいなもので、
鎖国が伝染病から日本を救ったという説を否定してみただけです。
7870:02/05/18 23:07
でさ、74自爆しているんだけどw
79日本@名無史さん:02/05/27 05:28
age
80日本@名無史さん:02/06/17 14:44
保全あげ
81日本@名無史さん:02/06/29 23:20
age
82日本@名無史さん:02/07/12 04:26
さて、まだ生きてるかな?このスレ。

>>3
1599年、だったかな。始まったの。
一番推進したのは家光じゃん?
一応の完成は正徳5年かねえ。

>>52
江戸時代を通して作り上げられた体制を現代人が「鎖国」と総評する事は間違いではないと思う。
といっても例えば1641年に江戸幕府は鎖国の状態にあった、というのはいかがなものか。
「鎖国」という概念自体江戸時代後期につくられたものだから。
ラクスマンが来たとき、長崎で交易を許すなんていう選択肢もあったぐらいだからね。

>>72
1628年のあの二つの事件は無視ですか?
グラッサ号も無視ですかい?
83日本@名無史さん:02/07/18 14:04
>>73
>1628年のあの二つの事件は無視ですか?
>グラッサ号も無視ですかい
戦争といえる規模のものではないという意味かと思われます

もしこれを戦争と呼ぶなら
1805年に鎖国政策を幕府が打ち出してすぐ
日本とロシアは戦争をしたことになってしまいますね
すると鎖国イコール戦争という図式がなりたつので
71や73の論理は崩れてしまうでしょう
8482
>>83
俺は対立すらなかったという>>72の論に反論してるんですが?
ただ俺も事実認識のレベルでの間違いを指摘しているだけで、
鎖国の得失まで踏み込む気はないけどね。
正直今の段階で得失論は無意味かと思うし。