☆☆ 松平容保と奥羽列藩同盟を弁護するスレ ☆☆

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1日本@名無史さん
朝敵とされた彼らを弁護して下さい。
2日本@名無史さん:02/02/11 14:07
薩長ドキュソに対抗した真に英雄的存在と思われ
3日本@名無史さん:02/02/11 14:16
そういえばさあ、このまえ旅の途中長岡に立ち寄ったんだけど
米ヒャピョーウ群像とかいうのがあるんだね。小泉人気に乗じたのか、
それとも昔からあったものか知らないけど、そこの碑文に
「河合継之助は奸臣(賊臣だったかも)にして戊辰の役で
戦端を開き云々」とか書いてあって、イタタ・・・って感じでしたね。
戦前じゃあるまいし、いい加減に旧幕方ってだけでドキュソ扱い
するのやめようよ、って思った。河合の政治家としての業績が全く
評価されてないんだね。いくらなんでも可哀想すぎる。
もうね、長岡人は阿呆かと、馬鹿かと(w
4日本@名無史さん:02/02/11 14:43
奥羽越列藩同盟って言ったって
まともに戦ったのは会津藩・二本松藩・長岡藩・庄内藩くらいだ。
裏切り者と言うか現実主義者が多すぎて正直者と言うか堅物がバカを見た。
51:02/02/11 14:49
1ですが
奥羽越列藩同盟とすべきでしたね。スマソです。
地元の人たちは今でも「薩長憎し」という感じなんですか?
6長岡出身:02/02/11 16:26
>>5
少なくとも私はそんなことおもってないです。
>>3
基本的に長岡人は河井継之助好きですよ。
碑文の内容が何でそうなったかは知らない。
7日本@名無史さん:02/02/11 16:34
会津藩・二本松藩・長岡藩・庄内藩はバカとしか言い様が無い。
匹夫の勇とはまさにこの事なり。
未来のある若き戦士白虎隊を犬死させた罪は重過ぎる。
8日本@名無史さん:02/02/11 16:38
『輪王寺宮政府』

東 武 皇 帝     輪王寺宮公現法親王

関白太政大臣    九条道孝
執 柄          醍醐忠敬 ・ 沢為量

権征夷大将軍   伊達慶邦

副将軍兼総裁   松平容保

越後口奸賊防衛 上杉斉憲

出羽探題兼守護  佐竹義尭

領軍事総裁     竹中重固

海軍総裁       榎本武揚

9日本@名無しさん:02/02/11 16:38
越後高田藩、出羽秋田藩、陸奥津軽藩、粉砕。
秋田家は、願譜代にもかかわらず、働かなかった。
10日本@名無史さん:02/02/11 17:42
願譜代というのはもともと外様なんだから動かないのは
しょうがないのでは。
また、佐竹や津軽はいかにも世渡りうまそうだし。
11日本@名無史さん:02/02/12 04:02
いやは、会津の追い込まれっぷりは目を覆うものすら感じるよ
なんで朝敵呼ばわりされなくちゃならなくなったのか
大体ニ本松少年隊、白虎隊などを持ってきて会津ら奥羽を非難する輩が多いが
結局、大本を考えると恭順を受け入れてくれなかった新政府軍の所為だと思うのだが
二本松少年隊も白虎隊も自らの藩のために、という自らの信念の元、戦いに出向いたのだと思うよ
12日本@名無史さん:02/02/12 19:55
TBSの大型時代劇「白虎隊」っていいですかね?
13【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 20:00
>12
TBSのもあるのですか?
日本テレビのしか見たことが無いもので。
14日本@名無史さん:02/02/12 20:04
>>13
間違えました。
日テレでした〜
15日本@名無史さん:02/02/12 20:05
松平容保の首を最初から送っていれば、こんな内戦は無かった。
松平容保逝って良し。
16日本@名無史さん:02/02/12 20:11
>>15は飽きた塵
17【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 20:17
>14
いやいや、嫌味で言ったわけじゃなくて、
もしかしてTBSのもあったのかなと思ったもので。
1814:02/02/12 20:21
里見浩太郎や森重久弥が出てたやつです。
TBSと勘違いしてました。
19【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 20:27
>18(14)
泉谷しげるの世良修蔵には笑えましたね。
20日本@名無史さん:02/02/12 20:27
『孝明天皇と「一会桑」』 家近良樹(文春新書) はどうだい?
結構面白かったです。
21日本@名無史さん:02/02/12 20:28
>>19
すみません、まだ観てないのです。
とある本で、その番組のことを知ったので、面白いのかなって。
22白虎:02/02/12 21:22
皆さんご存知かも知れませんが、
会津と長州はいまだに行政レベルではもめています。
友好都市関係を結ぶかどうかでというところでです。
ただし、これは実際プロレスで言うところの「アングル」、
つまり争いを世間の話題とさせ、観光都市としての
両者浮き立たせるという構図を狙ったものとも思われます。
ある意味困難な時代を、敵味方に別れ、
そして維新へと切り開いた同志として
心ある両旧藩領のものはすでに市民レベルで理解をしています。
かつ「アングル」にも楽しんで乗りましょう。
でも薩摩とはちょっと事情が別です。
23【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 21:32
萩市と会津若松市の「プロレス」は有名だよね。
24日本@名無史さん:02/02/12 21:36
http://game.2ch.net/test/read.cgi/gameover/1011249675/
↑ゲー攻略板・維新の嵐スッドレ
 気が向いたら協力してやってちょー。
25白虎:02/02/12 21:42
>>23そうなんですよ。「プロレス」です。
長州とは敵味方に別れつつも共に時代に血を流した、
ここが重要なのです。
一種の敵味方ならではの信頼関係です。
薩摩との関係はここがちがいます。
26日本@名無史さん:02/02/12 21:44
>>21
堀内孝雄の愛しき日々で泣け
27【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 21:56
「愛しき日々」といえば、長州もそう要領が良かったら
お国滅亡寸前にまで追い込まれる馬鹿はしなかったような・・・
ということは薩摩が一番・・・
28【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 21:58
訂正:要領が良かったら⇒器用だったら。

♪不器用者だと笑えますか〜♪
29日本@名無史さん:02/02/12 22:01
日テレの大型時代劇って敗者ばかり扱うな。
大西郷や榎本武揚とか・・・
30日本@名無史さん :02/02/12 22:07
>>28
長州も水戸も、あなたのような両刀使いの器用な人達ばかりであればねえ(ハァト)
31【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 22:10
薩摩侍の退却戦術も気に入らん。
32白虎:02/02/12 22:11
>>27、ええ、
会津では大方そういう評価になっています。
ただ、そういう大まかな政治的動きとは別に、
実際戊辰戦争で大活躍した方々への
直接の恨みはさすがに根強いみたいです。
戦災の影響大でしょう。
>>29、泣け!大晦日のこの日に、ここで泣け!
そんな感じでしたね。
33日本@名無史さん:02/02/12 22:14
二本松藩は外様なのに何故ああまで激闘したんだろ?
34【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 22:18
>33
私もそれが不思議です。
また、それが泣けます。
特に(白虎隊よりも幼い子が大勢いた)少年隊の死。
35日本@名無史さん:02/02/12 22:20
仙台藩兵はあまりにも弱かったので、会津藩兵から
「ドンゴリ」と呼ばれた。
36【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 22:20
官鬼さん@北海道は長州の方がより嫌いなようですが・・・
37【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 22:26
何より松平容保の兄弟(?)たる徳川慶勝の
尾張藩が会津征討に参加したことが許せん!
尾張藩士の末裔として恥に思う。
38日本@名無史さん:02/02/12 22:26
何故一旦武器を置いて、好機を待たなかったのだ。
しばらくすれば、萩の乱、西南戦争がおこり、南北から連動すれば良かったのに。
っていうか、その頃何していたのかな。意気消沈か。
39日本@名無史さん:02/02/12 22:38
>>38
西南戦争で薩摩を討つ為に多くの志願者が出たそうだよ。
だから薩摩はもう怨んでないんだと。
40日本@名無史さん:02/02/12 23:11
どう事情がちがうんだ
41日本@名無史さん:02/02/12 23:46
嗚呼切腹美少年♪
42日本@名無史さん:02/02/13 13:07
二本松藩の少年隊は半数近くが死んで
隊長は手傷を負い子供たちの前で、自決して介錯もしたそうだ。

>39
警視庁の「抜刀隊」ってのがあったね
攻撃するなら政府軍の方だと思ったけど。
43【^▽^】酔鯨ジョーカー:02/02/13 20:18
抜刀隊の元会津藩士の中には、
一人で14人を斬殺したツワモノ(言い様によっては鬼畜)も
いたそうな。
44【^▽^】酔鯨ジョーカー:02/02/13 20:37
日本は、平敦盛から、戦死・自刃した悲劇の
少年は必ず「紅顔の美少年」になるなぁ(藁
45【^▽^】酔鯨ジョーカー:02/02/13 20:39
日テレの「白虎隊」士中二番隊では、美少年は坂上忍くらいで、
その点はリアリティがあった。
46日本@名無史さん:02/02/13 20:46
>>38
その頃は新政府にしぶしぶ協力してた。
それもこれも容保の身分と安全が確保されたため。
もし薩長が容保の命を取ってたら・・・
宸翰を手にした会津藩士が復讐に萌え血の雨を降らせたであろうことは必至。
赤穂浪士の討ち入り騒ぎどころではなかっただろう。
できたての明治国家がどうなっていたやら・・・
47【^▽^】酔鯨ジョーカー:02/02/13 20:53
会津浪士(会津義士)の討ち入りも見物だね。
48日本@名無史さん:02/02/13 21:01
>>45
イソップがいたのには笑えた
49日本@名無史さん:02/02/14 15:17
西郷頼母が哀れ過ぎる・・・・
50伊万里:02/02/14 16:00
会津を描いた名作は、なんと言っても司馬遼太郎の「王城の護衛者」だと思うのですが、どうですか?
51日本@名無史さん:02/02/14 17:09
>>48
イソップって誰?
52外道侍逝ってよし:02/02/14 18:57
御粗末くんは荒らしなので弁護する気になれないです
53日本@名無史さん:02/02/14 20:31
会津は、松平容保や重臣を何人か生贄に捧げ、時を待てなかったのだろうか?
長州も勝ち目のないときは、重臣を生贄に捧げている。
勝ち目のない戦いをしない。これは上に立つものが当然しなければならないことだ。
54日本@名無史さん:02/02/14 20:34
>勝ち目のない戦いをしない。
>これは上に立つものが当然しなければならないことだ。

慶喜の大阪逃走はまさにその通りだな。
55【^▽^】スレイマン・ジョーカー:02/02/14 20:51
長州が第一次征長で、重臣の首を差し出したのは、
いわゆる俗論党が藩政を牛耳っていたから。
会津はタカ派が台頭し、ハト派の神保(名前を忘れた。内蔵助の息子)
は詰腹を切らされた。
56日本@名無史さん:02/02/14 21:24
>>55
>会津はタカ派が台頭し、ハト派の神保(名前を忘れた。内蔵助の息子)
>は詰腹を切らされた。

それが間違いなんだよ。
大村等も勝ち目を見込んだからこそ、戦う決心したんだろ。
勝ち目がないなら、恭順しろよ。
上手く逝けば、薩長間で戦争になりもう一度チャンスがあった可能性もある。
57日本@名無史さん:02/02/14 22:35
>>56
結果論だよ。
鳥羽伏見の時点では軍事的には幕軍が圧倒的に有利だった。
薩長にとっては追いつめられたあげくの一か八かの大博打。
最初から倒幕が順調に成功すると信じてた者などいないだろ。
なお、慶喜は勝ち目がないから逃亡したのではなく、
慶喜の無責任な逃亡が薩長に勝機をもたらしたと言うべき。
58日本@名無史さん:02/02/14 22:39
>>57
松平容保も一緒に逃げたろう。
59日本@名無史さん:02/02/14 22:47
>>57
鳥羽伏見の段階ではないって、奥羽列藩同盟などを作っていた時代だよ。
60日本@名無史さん:02/02/14 22:57
>>59
いちおう恭順の姿勢は見せたんじゃなかった?
でも、仙台藩が世良の首を便所に投げ込んじゃったし、
成り行き上しょうがないじゃん。
むしろ、あの混乱の中、輪王寺宮をかついで新政権の
萌芽をつくった梶原平馬のはたらきを賞賛したい。
短期間であれ南北朝が再現した瞬間なんだよね。
61日本@名無史さん:02/02/14 23:04
>>60
てか俺は薩長はわざと世良を送ったのではないかとも、思っているくらいなんだ。
戦争の口実を作るためにね。

だからまんまと乗せられてどーするんのって感じかな。
臥薪嘗胆をあの時はするべきだったとね。
62日本@名無史さん:02/02/14 23:08
>なお、慶喜は勝ち目がないから逃亡したのではなく、
>慶喜の無責任な逃亡が薩長に勝機をもたらしたと言うべき。

だから、容保も逃亡してるだろう。
容保の無責任な逃亡が薩長に勝機をもたらしたと言うべき。
63【^▽^】アフリカ太郎スレイマン・ジョーカー:02/02/14 23:23
まず、広沢の会津寛典処分論が退き、
更に、比較的寛大だった品川と黒田ではなく、
強硬な世良と大山を送り込んだのは、
強硬論こそ新政府の主流であり、
世良と大山は政府方針に忠実だったからだ。
64日本@名無史さん:02/02/15 12:04
早速、「白虎隊」観た。
沖田総司が良かった。演じてた俳優さんってあまり見かけないですね。
65ジジコー:02/02/15 12:10
会津若松藩主  松平肥後守容保  溜   間
出羽荘内藩主  酒井左衛門尉忠器 溜 間 格
伊勢桑名藩主  松平越中守定敬  溜 間 格
越後長岡藩主  牧野備前守忠恭  帝 鑑 間
陸奥二本松藩主 丹羽左京大夫   大 広 間
陸奥仙台藩主  伊達陸奥守    大廊下 格
出羽米沢藩主  上杉播磨守
66日本@名無史さん:02/02/15 13:37
>>65
米沢藩は大広間でしょ。
67日本@名無史さん:02/02/15 14:18
>>65
格式自体がどういう序列になってるの?
68河上彦斎:02/02/15 15:10
>67
石高や、譜代・親藩・外様や国持ち・国持ち格・城主・城主格・無城など様々な
要素で決められる。
69日本@名無史さん:02/02/15 23:15
秋月悌次郎あげ
70日本@名無史さん:02/02/15 23:34
>>65
溜間> 溜間格>帝鑑間>大広間>大廊下格
でいいのか?
これはどの資料なんだ。
71日本@名無史さん:02/02/16 00:11
俺も会津藩が好きだ。ただ、結果的に容保は、家臣を置き去りにして東帰した
責任を神保修理に押しつけて、みすみす有能な士を見殺しにしてるでしょ。
あの判断はさすがに受け入れられない。
72日本@名無史さん:02/02/16 00:15
松平容保が真の藩主たる人物なら、
進んで自らの首を差し出しただろう。
なのにこの馬鹿は、、、、
73日本@名無史さん:02/02/16 00:19
>>64
中川勝彦さんですね。ミュージシャンで確か白血病ですでに、亡くなってる。
74日本@名無史さん:02/02/16 00:23
>>73
カナーリカッコ良かった。
故人なのかぁ・・・合掌。
75日本@名無史さん:02/02/16 00:24
>>61
臥薪嘗胆か・・・。でも奥羽鎮撫総督に会津を討て!といわれ、期限までつけられたら
会津を討つか、否かに迫られるよな。ここは、我慢して会津を討ってしまうわけにはいかんだろうな。
76日本@名無史さん:02/02/16 00:30
松平容保はいろいろあるかも知れないが、俺は評価している。
あの幕末に「出る杭」になることはよほど勇気がいったろう。
当時の状況からすれば、本人も家臣も第2の井伊直弼になることは十分わかっていたはず。
損得を超えた彼の行動には一定の評価を与えてあげたい。
77日本@名無史さん:02/02/16 00:33
>>76
その代わり、周りに多大な迷惑をかけたのも事実。薩摩・長州は東北諸藩を戦火に巻き込まない方策は
全くなかったんだろうな。
78日本@名無史さん:02/02/16 00:35
猟奇犯罪者でも損得は越えてるな。
79日本@名無史さん:02/02/16 00:38
>>71
実際は慶喜に拉致されたようなものなんだけど、
結果的に家臣を置き去りにしたことは事実。
慶喜の豹変癖を知っていながら、受動的に付き従ったことはいただけない。
慶喜を斬り殺してでもとどまるべきだった。
ただ、もともと会津藩は京都を死地とする覚悟で墓地までつくってる。
仮に容保を残して慶喜のみが逃亡してたら、会桑は玉砕するまで戦ってたはず。
幕府側が勝っても負けても慶喜の面子は丸つぶれ。
慶喜の保身のためには容保を巻き添えにするしかなかったんだろうね。
80日本@名無史さん:02/02/16 00:39
>>76
京都守護職を引き受けたことで膨大な出費を強いられているよね。
(表向きは加増されているが)
そのしわ寄せが国元の民衆に及んでいる。一揆が起こるわけだよ。
幕末の会津藩のことを考察するなら、容保個人の資質以外のことにも
目を配らないと片手落ちになるよ。
81日本@名無史さん:02/02/16 00:47
神保修理だけは死なせてはならなかった人材だ。
あの人は長崎に留学中に後藤象二郎や坂本龍馬らと交流を持った人だ。
龍馬も「会津人には珍しい人物」と評価していた。
(たしか勝海舟も評価していたと思う)

もし修理が健在でも、戦争は避けられなかっただろうが、戦後の会津の
復興に大きく寄与したことだろう。
容保は大きなものを失ったと思う。
82日本@名無史さん:02/02/16 00:54
>>80
そういえば幕末の長州藩では一揆はほとんど起ってないそうだ。
(一説には4件あるらしいが、人によってないという人もいる)
だからこそ四境戦争を戦えたのだろう。

会津は官軍が来た時に領民が官軍に媚びを売った事や、
そそくさと逃げ出し、ろくに戦えなかったのは、当然かもしれない。
8381:02/02/16 00:55
弁護になってなかったね、1さんすまん。
8481ではなかった82:02/02/16 00:55
81さんすまん
85日本@名無史さん:02/02/16 01:04
奥羽が内部分裂していなかったら、かなり面白い展開になっていただろうな。
86日本@名無史さん:02/02/16 01:06
>>82
もちろん、協力的な民衆もいたらしいが、それ以上に
数年に渡り過酷な取り立てで農民を苦しめてきたからね。

天皇の信頼を得るかわりに領民の信頼を失ったのだから
これも悲劇だよね、藩主としての。
87日本@名無史さん:02/02/16 04:22
長州にはかの悪名高い天保一揆があった
88日本@名無史さん:02/02/16 10:56
>>87
その後は起ってないよ。
89日本@名無史さん:02/02/16 11:25
長州はみんな貧しいから貧富や格式の差が小さい。
萩の武家屋敷街なんておそろしく貧弱だ。
長州は藩全体で一揆を起こしたようなもの。
90日本@名無史さん:02/02/16 12:47
>>64 きれいな人だ
91日本@名無史さん:02/02/16 18:42
92日本@名無史さん:02/02/17 18:07
アズマってここでも少しもまともな弁護ができていない。
少しは脳みそ使って弁護してみろよ(w
93 :02/02/17 18:11
出羽秋田藩佐竹右京大夫と越後高田藩榊原式部大輔、越後新発田藩溝口摂津守、
陸奥弘前藩津軽越中守らが寝返ったのは、
原因のうちにカウントできないのである。なぜならば、これらの旧式兵器
は、薩摩長州の兵器に比較すると物の数ではないからである。
94日本@名無史さん:02/02/18 09:34
いやぁ、それでも精神的に痛かったでしょう

白旗を作る白い布さえなくて包帯とかを縫裁して作ったとか。本当?
95日本@名無史さん:02/02/18 20:38
>>89
長州は身分制自体が、半分崩壊しているからね
96世良(泉谷)修蔵:02/02/19 10:14
俺はチャリティーライブで忙しいんだ。
何が会津藩だ、ふざけんなコノヤロー
97日本@名無史さん:02/02/19 13:51
二本松少年隊、半分も死んでないよ
64名中(この数もはっきりしない)16名死んだだけだよ

別スレに載ってた
98日本@名無史さん:02/02/19 14:49
判官贔屓、が好きなのは日本人の特長。
99日本@名無史さん:02/02/24 16:17
これも救済あげ
100日本@名無史さん:02/02/25 18:52
100、記念上げ
101パスワード(嵐防止):02/02/25 20:19
a
102日本@名無史さん:02/02/25 20:22
白虎隊いらない。何で城に肖像画があるのか。状況判断ミスして腹切って無駄死にしたのに。
戦死した白虎隊員が浮ばれぬ。
103【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/02/25 20:28
馬鹿だとかは思わないが、飯森山で自刃した士中二番隊の一部だけが
やけに讃美されているのは問題かも。
戦死した他の士中二番隊・一番隊の少年、
更に寄合一番〜二番隊や足軽一番〜二番隊は
ほとんど知られていないしね。
足軽の白虎隊戦死者の墓碑にはろくに線香も
あげられていないのには泣いた。
104日本@名無史さん:02/02/25 20:31
>>103
どうして会津人は切腹した白虎隊だけを顕彰しているのでしょう?
本気で不思議です。
105容保に勇気があれば:02/02/25 22:07
【2ちゃんねる連続リレー小説】
「会津回天史」第一回

陸続と、ひきも切らずに鳥羽・伏見方面からもたらされる敗報に、大坂城の
「前征夷大将軍」「前内大臣」慶喜の周囲は、重い沈黙と冷たい静寂が支配していた。
その重苦しさに敢えて抗するように、慶喜が低く、しかしはっきりとした声で口を開いた。

「会津殿、桑名殿、板倉、図書頭・・・・・・」
「上様・・・・・」
会津藩主、前京都守護職松平容保がハッとして慶喜を見据える。
「予に考えがある。ついてまいれ」
「何処に・・・・ 何処にお供せよと仰せあるのでしょうか」
桑名藩主、前京都所司代、容保の弟松平定敬が低い声でつぶやく。
「江戸に帰る」
「?!!!!」
容保、定敬、そして閣老たちのあいだに衝撃が走った。
「天保山に碇泊している榎本の『開陽』。あれで帰る」
「しかし上様、上様のために命をも投げ出さんとしている、この大坂城の
将兵たち。彼らは決して納得いたしませぬ!!」
備中松山藩主、老中板倉勝静が声をはげまして慶喜を諌める。
「何度も言わせるな!!。薩長を討つために、ここはひとまず引くのじゃ。
予に付いて来ぬと申すか!!!」
裂帛の気合で板倉を叱る慶喜。しかしその声は、公卿を恫喝し、
島津久光、山内容堂ら「賢侯」たちを相手にしなかったときの慶喜と違い、
わずかに震えが混じっていた。
106日本@名無史さん:02/02/25 22:14
>>106
確かこのあと愛人のところへ寄ったおかげで、軍艦開陽にはこの日のうちに乗り移れなかったんでしたよね。
女を見捨てない。これぞ男だ慶喜。
107容保に勇気があれば:02/02/25 22:29
瞬間、人影が踊った。
「!!!」
慶喜は低くうめいただけで、一言も発せず、その場にゆっくりと斃れた。
即死だった。
その側には、短刀と、両手を慶喜の血で真っ赤に染めた容保が
立ち尽くしていた。
彼の短刀は、過たず、慶喜の心臓を貫いていた。
「上様、部門の棟梁として許しがたき行いは、我も徳川に連なる連枝、
けっして看過するわけにはまいりませぬ」
「図書頭!!」
「ハッ!!」
唐津藩世子にして老中格、小笠原長行は、将軍を弑逆するという大罪を
犯した容保を、さきほどまで焼け付くような目で睨んでいた。
だが、容保の大音声に思わずハッとした。
「『開陽』の榎本に連絡を取れ。薩長に総攻撃をかける。予が指揮を取る」
「上様を弑した大罪は、この容保、一命をもって薩長を滅ぼしたあとに必ず取る。
幼帝を擁したてまつり、不忠を働く君側の奸を討ちてしやまぬ!!」
容保の大音声が響き渡る。この瞬間、沈鬱な雰囲気に包まれた一室は、
薩長を必ず滅ぼさんとする気合の漲る一室となった。
108105と107:02/02/25 22:33
ふー、疲れた(w
この下手な駄文を続けていただき、正道に戻してくださる方がいらっしゃれば
有難い。

ぜひ、おながいします。
109日本@名無史さん:02/02/25 22:34
だれが
時期将軍になるんだ?
110日本@名無史さん:02/02/25 22:37
個人的には、酒でも飲ませて、意識を無くしたところで、
身包み剥いで、牢屋に閉じ込めればいいんじゃないかな。
それなら後継ぎ問題も無くなるし、慶喜の命令って事で上手く纏まるんじゃない?
殺したい理由も分かるけどね。
111山口県民:02/02/25 22:51
>>109
どーとでも転びそうな、御三家(たとえば尾張藩)あたりのボンクラを
シャッポに担いでおけば良いのでは?
112107の続き:02/02/26 00:18
この、慶喜暗殺事件に対し、元溜間同席の譜代諸侯は歓迎ムードであった。
まず、一橋将軍に不満たらたらだった在京の彦根藩が、容保の行動を
「美挙である」として、これを支持し、容保が徳川宗家を相続できるように、
ただちに譜代大名たちに寝まわしを開始した。これには、殺害された彦根藩家老・
長野主膳の弟・長野大学(いるのか?)が、譜代大名たちに対する
寝まわしを瞬時に行った。
幕府は、内閣改造を大坂で断行し、一橋系の老中、板倉周防守を免職し、
譜代大名の重鎮・酒井雅楽頭を大老に起用し、淀藩主稲葉美濃守を老中首座に
した。いっぽう、彦根、桑名、会津、大垣、津山藩を中心とする徳川軍は、
大坂から京都にはいり、薩摩、長州軍と対陣する。


在京の幕府軍は、彦根藩兵を忠臣に
113107の続き:02/02/26 00:29
容保を主軸とする幕府軍は、薩長の挑発には乗らず、伏見奉行所
をはさんで対陣すること20日。一方、
溜間系統の大名たちが続々と京都を目指して軍勢を率いて
入京してきた。
庄内藩主酒井摂津守軍2000、姫路藩酒井雅楽頭軍3000、
元京都所司代長岡藩主牧野備前守軍1000、
小浜藩酒井若狭守軍1000、三河岡崎藩本多上総介軍200、
三河吉田藩松平伊豆守軍200、伊予松山2000、
讃岐高松松平家2000、播磨明石松平軍1400


そして、諸侯の前で、容保は、切り札中の切り札である、「御震官」を
譜代衆にしめして檄を飛ばす。
「先帝に忠義したのはわれら会津・桑名である。これは先帝も御認め下さっている。
の通りだ」
徳川幕府軍の士気はいやがうえにも高まる。いっぽう、長期の対陣が
たたって、岩倉具視は臥せってしまい、、西郷はたべすぎで寝こんでいて、
西軍の士気は低下。離脱する藩も出てきた。
それは土佐藩と越前藩である。土佐と越前はもともと西軍につく義理は内。
東軍に寝返った。いっぽう、津藩主藤堂和泉守もすました顔で東軍に着陣。
東軍合計40000を越えた。いっぽう、西軍は3000人である。
114日本@名無史さん:02/02/26 01:21
容保と会津藩の名誉回復のためにも、ぜひ大河で取り上げてもらいたいな。
原作は司馬遼太郎。
最初の10回程度は保科正之を描いた上で、幕末編にすると彼の思いを描ける。
もっとも、そうなると朝廷のいんちきさが目立ってしまうので、ウヨが騒ぐか。
115日本@名無史さん:02/02/26 08:00
会津藩ってのは、ある意味哀れ。
右からは明治維新を賛美する為に無視され、左からは
封建的な旧勢力と斬り捨てられる。
116日本@名無史さん :02/02/26 15:47
>>114
役者は史実での年齢に近い人がいいね。
117日本@名無史さん:02/02/26 15:54
>114
長岡藩などの動向を織り交ぜるとよい。
118日本@名無史さん:02/02/26 15:55
>114
そうすると、原作はやはり早乙女氏のアレ?
119日本@名無史さん:02/02/26 16:21
>>116 松平容保は風間杜夫(再)で決定。
120日本@名無史さん:02/02/27 18:40
鳥羽伏見時
松平容保 33才、 徳川慶喜 31才、 近藤勇 34才
西郷隆盛 41才、 川井継之助 42才、 世良修蔵 33才
大久保利通 38才、 榎本武揚 32才

他に
九条道孝 29才 庄内藩主酒井忠篤 15才、長岡藩主牧野忠訓 24才、
米沢藩主上杉斉憲 44才
もホチー。
じじいにさせんなよ!

121日本@名無史さん:02/02/27 18:43
↑は>>114の幕末編
122日本@名無史さん:02/02/27 19:39
容保殿はキムタクがいい。
輪郭やひ弱そうなとこが似てる。
123日本@名無史さん:02/02/28 15:04
ここのスレでは、福井の松平春嶽はどのような評価になるの?
124114:02/03/01 02:04
保科正之、松平容保(二役)  尾上菊之助
徳川慶喜           野村 萬斎
近藤勇            片岡鶴太郎
土方歳三           渡辺 謙
西郷頼母           高橋 英樹
河合継乃助          中井 貴一

なんてどお? 
125日本@名無史さん:02/03/01 02:13
>>124
なかなかいい線いってるかも。とくに徳川慶喜→野村 萬斎はイイ!!
が土方はもっといいのを使って欲しい気もする。中井貴一は・・・(以下略)
126日本@名無史さん:02/03/01 02:22
野村萬斎だったら本物の慶喜のほうが美男だと思う、個人的には。
127日本@名無史さん:02/03/01 02:49
既出かな?
会津の老藩士(格好良く死ぬ(w) 早乙女貢御大
128日本@名無史さん:02/03/01 04:11
>>127 訃報?
129日本@名無史さん:02/03/01 20:31
ちゃうわ(藁
ドラマの配役でしょ ネタにマヂレスカッコワルー
130日本@名無史さん:02/03/02 04:47
土方歳三は鹿賀丈史をCGで若返らせて使うのがいい。
131日本@名無史さん:02/03/07 02:51
>>130
それキショイ
132日本@名無史さん:02/03/07 12:06
d
133日本@名無史さん:02/03/12 20:33
保科正之の重臣・友松氏興の子孫っているの?
134日本@名無史さん:02/03/15 00:28
白虎隊とはぐれた日向隊長はその後どうなったんだろう・・・
135日本@名無史さん:02/04/02 07:33
あげ〜ん
136日本@名無史さん:02/04/02 07:41
白虎隊が何故自決したかっつーと
生きたまま捕らえられると美少年好きの
薩摩の連中にレイープされちゃうからなんだな。
137日本@名無史さん:02/04/02 08:12
>136
白虎隊=美少年ってイメージ持ってるって時点で終わってるな(w
138日本@名無史さん:02/04/02 22:23
age
139日本@名無史さん:02/04/11 11:18
保全あげ
140日本@名無史さん:02/04/11 11:20
「文明開化のパイオニア」、福澤諭吉が意外にも、東軍を褒め称えている。
何で?
141日本@名無史さん:02/04/11 11:43
福沢諭吉はああ見えて思想的には保守的な典型的武士なのよ。
娘を嫁に出すときは「士族の家に限る」と条件だしてる。
これはどうでもいいけど幕末剣豪福沢諭吉最強説もあったよな。
居合の名手だったらしい。
142日本@名無史さん:02/04/11 13:54
牧野備前守忠恭は長岡戦争敗北後どうしたのですか。
143日本@名無藩士さん:02/04/11 22:00
先祖が会津藩士なんだけど
同様の方々には今の会津に対して複雑な感情があるんだよね。
というのも、子孫のほとんどは会津には居ないんです。
(理由はご存じかと思いますが、、、)
萩市との一件にしても百姓共が商売のためにやってるんだろ。みたいな。
それから、容保公を悪く言う人はいません。
144日本@名無史さん:02/04/11 22:02
>143
青森在住ですか?
145日本@名無藩士さん:02/04/12 19:47
>144
斗南の事言ってるんでしょうけど、あそこにもおらんのよ。
その辺に関しては柴五郎関連の本を読んでください。

それから、早乙女貢氏の小説はあまり評判良くないです。
どうも何か違うそうです。
146日本@名無史さん:02/04/12 19:55
地元では「小原庄助?さん」(間違っていたらスイマセン)
は、あんな歌のような‘なまけもの‘じゃなくて「英雄」と
聞きました(朝寝朝酒はウソという事)
地元ならではの彼のエピソードを希望します。
147日本@名無史さん:02/04/12 19:58
松平容保の弟松平定敬は戦後どうしたのでスカ
148日本@名無藩士さん:02/04/16 01:15
松平定敬は結局、五稜郭まで行きまして
榎本軍が降伏した後は、一時、上海に密航します。
家老の酒井孫八郎に説得され、東京で降伏。
明治5年謹慎が解け、結婚。
明治10年の西南戦争には旧藩士とともに九州に赴く。
晩年は日光東照宮の宮司になりますが
死ぬまで戊辰戦争に倒れた旧藩士の法要を欠かさなかったそうです。

というか、独立したスレにしても良いような生涯です。
149日本@名無史さん:02/04/16 01:22
定敬って、一番活躍した京都所司代時代のことは、意外と判明していないんだよな。
惜しい。
150日本@名無藩士さん:02/04/16 01:40
桑名藩には立見鑑三郎尚文が居ましたね。
その辺の旧藩士関連で資料がないもんですかね。
151日本@名無史さん:02/04/17 11:07
最近、米沢藩士の雲井龍雄に興味を持ってます。
何か良い研究本ありますかね?
152日本@名無藩士さん:02/04/17 23:49
>151
散る桜、残る桜も、散る桜
の人ですね。正直、藤沢周平の作品以上のことは良く知らないんですが
田宮友亀雄薯 「米沢に咲いた滅びの美学 雲井龍雄」
が結構詳しく書かれているようですよ。
米沢市立上杉博物館とか、裁判関係でなにか資料があるのではないかと。
153林田外記:02/04/22 11:27
あげっ!
154日本@名無史さん:02/04/22 13:06
長州も半島に近いのか、「謝罪と補償」の一点張りで柔軟性がない。
薩長は在京の会津藩重役の首を、守護職の専横の廉を以って貰い受けるとし、
会津が秋月・手代木あたりの首を差し出せばよかったのじゃないか。
そうしたらあんな戦争にならなかったかもしれないし。
結局、長州とおあいこの三家老の首で容保の命は保証されたのだし。
甘いかな。
155林田外記:02/04/22 16:22
>154
そりゃ無理だわな。
薩長は何が何でも会津藩を「維新の生け贄」にしたかったんだから。
156日本@名無史さん:02/04/23 18:01
新人物往来社から出てる「会津藩戊辰戦争日記」ってどうですか?
157日本@名無史さん:02/04/23 20:26
ボクは高校生ですが、将来中学校の社会科の先生になりたいです。
そして、会津で先生やりたいです。


「これから一年間君たちと歴史を一緒に勉強していこう。先生に何か質問はないか。」
「はーい。先生が尊敬する人は誰ですか?」
「三島通庸県令閣下だ。この遅れた会津を近代化しようとした立派なお方だからな。
それを、盗人と同族の奴らが理解せずに天朝に弓を引こうとしたんだから、全く逆賊
の子孫どもは。私が教壇に立っている限りは、この会津に泥棒と逆賊は生かしておか
ない。」
158日本@名無史さん:02/04/23 21:32
>薩長は何が何でも会津藩を「維新の生け贄」にしたかったんだから。
つか、「玉」を手中にするために孝明天皇を毒殺した長州としては、
会津や慶喜と中途半端な和解はできなかったんだよね。
さらに、会津藩側は輪王寺宮を旗印に列藩同盟を成立させ、
長州の「正義」を根元的に脅かす勢力となった。
長州側の錦旗が真っ赤な偽物である以上、長州にとっては、
正統派を抹殺するまで突き進むしか選択の余地はなかった。
現在の天皇制につながる異常な体制が形成された原点がここにあると思う。
159日本@名無史さん:02/04/23 21:36
↑以上逆賊の遠吠えでした。
160林田外記:02/04/23 22:31
>158
孝明帝毒殺は、定説ではないだろ。
161日本@名無史さん:02/04/23 22:39
そもそも勝ち目の無い戦いをする所は、昭和軍部と一緒。
162林田外記:02/04/23 22:47
>161
って言うのは簡単だけどね。
163日本@名無史さん:02/04/23 22:47
そう。自分が戦争できれば国や国民はどうなってもかまわない、ってところは
山本五十六と河井継之介はうりふたつだね=戦争屋。




164日本@名無史さん:02/04/23 23:00
地元の人間には悪いがあそこはろくな著名人がでないね。



今はマキコ(w
165日本@名無史さん:02/04/24 00:22
>161
奥羽越同盟が出来た当初はまだ勝機はあったんだよ。
問題はその後もたもたしていて各個撃破、切り崩しにやられたんだな。
166日本@名無藩士さん :02/04/24 01:49
おお、書き込みが増えてる。

しかし、どうも長州的なるものへの批判からの会津弁護には違和感はあるよ。
その逆にもそうなんだけど。
会津、薩長といっても別に本質的なところで対立していたわけではなく
単に立場が違ったというところだし。
これで議論していくと毎度毎度のお粗末な方向へ行ってしまうよ。

叩く方は会津藩自体の問題点を指摘して欲しいな。
奥羽越列藩同盟となると各藩で事情が違うから難しい。
だからこそ問題だと言えるが。165さんの指摘したようなことになったし。
167林田外記:02/04/24 01:52
>166
やっぱ、時代の流れについていけなかったってのが大きいでしょうな。
土壇場になって長沼流軍学からフランス式軍制に変えたけど、付け焼き刃だったな。
168会津@名無藩士さん:02/04/25 01:02
>167
軍制改革の遅れなどは地理的条件なんかも大きかっただろうね。

ただ、同時に全体的な時代の流れは理解していたとこが
容保公および会津藩の悲劇だと思うんだけどね。
169日本@名無史さん:02/04/26 00:51
早乙女某が郷土を愛する気持ちもわかるし、官軍にしても、勝てば官軍、にしか過ぎ
ないこともわかる。
けれど、早乙女某が、明治政府的なものを非難するのに、足軽根性、としか持ち出す
のは、また、別な差別だよ。
170日本@名無史さん:02/04/26 00:53
まぁ、皆の衆。
これでも聞いとけや。
http://www41.tok2.com/home/cdrhirata/gunka/battou01.mp3
171日本@名無史さん:02/04/26 01:49
早乙女某って汚名の上塗りしてるだけだよな。
小説家としても上手い部類の人間じゃないし。
歴史小説+官能小説の習作にしか見えましぇん。
172日本@名無史さん:02/04/26 01:51
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1016662813/

早乙女のスレ。とんでもねえ。
173日本@名無史さん:02/04/26 01:52
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1016662813/

早乙女のスレ。とんでもねえ。
174会津@名無藩士さん:02/04/26 02:51
>169
すでに書き込み済みだけど、早乙女は
会津藩士子孫関係者の間じゃ評判悪いんですよ。
批判以前にどうでもいいというか
ああ、そんなのがありましたなと言う感じです。
まぁ大衆小説だからね。わかりやすいけど、議論するにはツマランわな。
以後、無視します。

ということで、このことも書き込みましたが
未だに長州に恨みを持続させてるのは、商売でやってる人々じゃないか。
と言う意見が多いです。
もちろん、明治政府的なるものというか、山県有朋的なるものへの
侮蔑のような感情はありますけど。
175林田外記:02/04/28 15:38
早乙女の小説は読んだことないから、何とも言えない。
星○一の新書なら読んだことあるけど、何かウーーーンって感じの本だった。
176日本@名無史さん:02/04/28 21:49
>174
明治維新全体を害悪視しているのは、左翼史観の大学職員とマスコミのみ。
これは彼らによる一種の愚民化政策なんじゃないか、と思う。
どっちみちあんな強権政府は一時期は必要だったと思う。
言葉も統一されていない江戸期の状況では何も出来なかった。
東北諸藩が参加できなかったのは汚点だけど。
177会津@名無藩士さん:02/04/28 23:26
>176
>明治維新全体を害悪視しているのは、左翼史観の大学職員とマスコミのみ。
>これは彼らによる一種の愚民化政策なんじゃないか、と思う。

いずれにせよ、これまで
感情での二元論、イデオロギーでの二元論で
語られることが多かったわけですが、不毛ですよね。
確かに、世界観としては単純でわかりやすく、議論もしやすいですが
どんな議論でも結局、平行線のままで建設的な方向に行きません。
ネタとしてやるのは面白いとは思いますけど
別にここでやらなくても、他にいくらでもこの手のスレはありますし。
ここでは多元論とは言わないまでも、いろいろな方向から光をあてることで
議論が立体的にならばと思います。
もちろん、旧来的な右左な視点に立っていても
拝聴すべき意見は歓迎すべきでしょう。

>東北諸藩が参加できなかったのは汚点だけど。

この辺、後で書き込みます。
178日本@名無史さん:02/04/28 23:31
179会津@藩士さん:02/04/29 00:28
>>>177>>174
そうです。日本@名無藩士さんってのもそうなんだけど。
今後、単純に上記で行きます。

>177
>議論が立体的にならばと思います。
「なれば」ね。
180日本@名無史さん:02/04/29 01:48
>星○一の新書なら読んだことあるけど、何かウーーーンって感じの本だった。
星は、まあ史書を読んでもあの程度の解釈でしょうが。
某古本屋の店主曰く,
星をして「史資料を読みこなしていないね。大阪のある大学の先生
の本の方がおもしろいよ。史資料もきちんと作っているし」との事。

>>179に煽り抜きで質問。
もし史家(もどきを含む)の人が「あんたの所の墓を調べさせて」って言われたら
どう答える?
181会津@藩士さん:02/04/29 02:42
>180
>もし史家(もどきを含む)の人が「あんたの所の墓を調べさせて」って言われたら
>どう答える?

要点がどこにあるのか、ようわからん質問だけど。
182日本@名無史さん:02/04/29 02:44
test
183180:02/04/29 08:09
>>181
ゴメソ。
この場合、会津藩士の史資料を収集しているのだが協力して欲しい
ついてはあなたの先祖代々の墓に書かれている名前を拓本に取らせて
くだされ。ってやつ。
実は洩れの家の先祖代々の墓の拓本とらせてとかいって、お茶菓子
包んできた人がいたんで「別にいいですよん」と許可をしたんだけど
あとで友人から「そりゃマニアが趣味で武家の墓を調べているんじゃないの?」
って言われてゾーとしたことがあったんで。
184林田外記:02/04/29 08:58
>176
日本左翼の場合は、「明治維新はフランス革命よりも劣っている(だから日本はフランス
よりも遅れている)」って論調ですね。
185日本@名無史さん:02/04/29 10:24
>>184
でも、佐幕ヲタの主張は「明治維新などなくても幕府で改革できた」
というのが主張らしいから、ある意味左翼に言わせれば「反動」と
いう事らしいけど。
186林田外記:02/04/29 12:20
>185
意味のない主張ですがね。
でも、薩長シンパも「山縣がいれば大東亜戦争を回避できた」とか宣ってるからね。
187(・∀・):02/04/29 14:59
歴史のIFは究極の水掛論な訳ですね。
188日本@名無史さん:02/04/29 16:41
if論は仮定としてならおもしろいけど、それを主張として取り上げると
歴史ファンからげんなりされるでしょ。
まあ、「ダサツマ」vs「会津オソ松」は殆どその仮説に基づいての
「遊び」の論争だからね。まあウサ晴らしという感じ(w
ただそのノリを実際のシンポジウムで持ち込む御仁の多い事(早乙女、古川)
作家だから仕方ないけどさ。
189林田外記:02/04/29 22:43
山川浩が西南の役の際に詠んだ歌。

「薩摩人見よや東のますら夫が さげはく太刀のときか鈍きか」
190川島億次郎:02/04/29 22:59
よっぽどうっぷんが溜まっていたのね→山川大蔵ちゃん。
でも妹のだんなが「大山巌」つーのも凄いけど。

たしか斗南を選んだ責任者の一人だったっけ。
191林田外記:02/04/29 23:13
>190
徳富蘆花の「不如帰」で冷たい継母として描かれた、山川浩の妹・捨松。
徳富蘇峰の実弟だけあって、会津人が嫌いだったのかな?
192郷土史家:02/04/29 23:16
松平定敬(桑名藩)と藤堂藩は実は内通していたらしい。だから
義信は定敬と一緒に上海へ行ったのである。
193日本@名無史さん:02/04/29 23:28
>>191
もし捨松が冷たい女性だったら、大山巌ともあろう人物が
嫁にしたがるかな?
194川島億次郎:02/04/29 23:52
しかし、上海へ亡命とは・・・波乱万丈な殿様だな。
この人を主人公にしてもドラマができるよ。

捨松ってそんなにイヤな女かな?
ソースきぼーん。
195会津@藩士さん:02/04/30 00:09
>194
徳富蘆花の女性観は多分に歪んだ部分があるので
そのまま受け取るのはどうかと。
強力な兄が母の愛を独占したというコンプレックスから来てるんじゃないか
と言われておりまして(兄だけじゃなく、母とも対立していた。)
晩年は妻に接する男性に対して異常な嫉妬心を禁ずることができず
臨終に近づくと、妻を医者と通じた(妄想)と詰問し
「(自分が)男性的に弱かったから、、、男性が不足しているから、、、」
なんてことを言ったりしたそうです。

>192
桑名は恭順派も多かったですから、そういう動きもあっても
別におかしくは無いかと。
196日本@名無史さん:02/04/30 00:23
>>186
それって、東北人の原敬が言ってたんだったよね。
197会津@藩士さん:02/04/30 01:17
なんか前後してスマンね。
>183
拓本くらいだったらいいんじゃないですかね。
葬られ方もそれぞれだから、一概に言えないけど。
知り合いにパブリックな所で拓本撮りというか、郷土史編纂みたいなこと
やってるのがいますが、マニアとそう違いはないんだよね。
大学教授とかでこの手の扱ってる人は、金が無くて動けない人が
殆どだから、マニアが新資料発見ってのも多いし
あまり馬鹿にもできないよ。
もちろん、しょうもないマニアはいるし、某局の鑑定団が始まってからは
地蔵とか馬頭観音とか持ってっちゃうような古道具屋が増えたけどね。
198日本@名無史さん:02/04/30 01:37
大名さん達は親戚同士の戦いだった
てのは知ってるよね。
199日本@名無史さん:02/04/30 05:31
>>191
>徳富蘇峰の実弟だけあって、会津人が嫌いだったのかな?

ん?蘇峰は会津を朝敵視しなかった歴史家だけど……なぜそう思ったの?
200日本@名無史さん:02/04/30 05:34
会津は長州の怨敵ではあるが逆賊ではない。
201林田外記:02/04/30 06:55
>199
俺の勘違いでした・・・
202川島億次郎:02/04/30 06:57
>>197
そうだね。
該当のマニアさんはともかく、郷土史家のお陰で新発見出来る訳だし。
会津関連で昔は「都合の悪い史料を隠している」という話も
あったけど、かえってマイナス的に解釈されてしまう。
まあ、今後どんどん新発見が会津側がでるでしょ。
書簡集なんかも出てきたし。
歴史春秋社から「戊辰怨念の深層」なんて本も出ているよ。

>>200に同意。
つか、「会津は朝敵」てのは殆どネタでしょう。
203日本@名無史さん:02/04/30 07:02
河井は逆賊。
204林田外記:02/04/30 21:39
御三家の一つのはずの尾張藩が新政府側についたのは、やっぱ初代・義直以来
の怨念があったからかな?
205川島億次郎:02/04/30 23:34
相当恨んでいたのか、それとも徳川という名前を生かすための
謀略か(なわけないか・・・・
206林田外記:02/05/01 00:09
尾張藩祖・義直は、3代将軍家光と対立してるし、7代藩主・宗春は8代将軍吉宗
とやはり対立して隠居に追い込まれ、続いて将軍家による養子押しつけ作戦に
よって義直の血筋が絶えてしまった。
207会津@藩士さん:02/05/01 01:13
尾張藩は「王命に依って催さる丶事」という義直の遺訓あり
勤王色が強かったんだけど、宗家に対する恨み辛みもあったんでしょうね。
しかし結局、藩論をどちらかに思想統一は出来なかったわけで
青松葉事件みたいなことをやらかしてるんですよね。
しかも、勤王寄りで間に立ち尽力したにもかかわらず
明治政府からはほとんど無視されてますし。
組織が感情面で動いても良い状況が生まれることは少ないようです。

まぁ、思想統一されていた会津藩、河井が独裁権もってた長岡とかは
むしろ特異例なんですよね。
208日本@名無史さん:02/05/01 04:41
>>198、202
そうだね、むしろ徳富蘇峰は会津の弁明に務めた人だよね。
いまだに御用史家として見られているけど、『近世日本国民史』は、かなり公平な
立場から執筆されていると思う。

幕末史の叙述の部分でも長州の暴走に筆を費やしているし、会津の立場もしっかり
説明している。
209童門です:02/05/01 05:03
>>208
文久の改革で松平容保が京都守護職に就任するまで
のいきさつはかなり複雑だが分かり易くて良かった。
210林田外記:02/05/01 20:16
>208
「近世日本国民史」の何巻に書いてありますか?
211日本@名無史さん:02/05/01 23:34
>207
明治政府から無視されたのは、やっぱり「徳川」だったからなんでしょうね。
212日本@名無史さん:02/05/02 00:23
>>210
特定の巻に限らず、守護職設置以降は会津の立場が詳述されてるよ。
とくに八月十八日の政変や、蛤御門の変では、藩閥政府にとっては都合が悪い部分も
漏らさず書いていると思う。この辺りは蘇峰の史家としての公平さが出ている。
213日本@名無史さん:02/05/02 00:25
「均整日本国民史」どっかで廉価版出してくれないかな?
214日本@名無史さん:02/05/02 04:06
>>213
昔は講談社学術文庫から出ていたんだけどな。
現在は文久期の分だけ三冊出てるよ。
215川島億次郎:02/05/02 07:06
http://www.kosho.or.jp/

ここで探すしかないかなあ。あとは図書館で借りるしかないか。
216日本@名無史さん:02/05/02 20:45
217日本@名無史さん:02/05/02 21:12
>216
「校訂/平泉澄」となってるけど、大丈夫なのかな?(w
218日本@名無史さん:02/05/02 21:56
雅子さんの成婚時、長岡では、これで逆賊の汚名が晴れると・・・。
ある古老が、「押し切られてしまいました。とてもかわいそうですし、情けない」
と生放送で言っていたが、祝賀ムードにかき消され、ほかのコメントは、
何度も流されたのに、そのコメントは、流されなかった。
これが歴史ってもんさ・・・・・・・・。
219日本@名無史さん:02/05/02 22:17
>>216
http://marunuma.fms.co.jp/MARUMARU.HTM
はどうかね?
>>218
そんなもんでしょう。歴史ってやつは。
220林田外記:02/05/03 11:24
二本松藩は10万石の国主格。
藩主の丹羽氏は加賀(だっけ?)小松城主だったが、関ヶ原の合戦で西軍についたために所領を没収。大坂の陣で功績を挙げて陸奥棚倉→陸奥白河→陸奥二本松と築城しては転封されたので、最後の二本松では金が無かったため天守閣を建てることができなかった。
221日本@名無史さん:02/05/03 18:52
>>217
そうなんよ。戦後の時事通信社版は平泉の名前が校訂者に出てるから
余計な不信感を買われてしまうんだよな。でも実際には平泉は名前だけで
校訂には別の若い学者が二人当たったそうだ。(月報による)

蘇峰の文章には手を加えず、引用史料と原史料との照合をしたんだと。
でも平泉の名前には萎えるよな。

ちなみにヤフーブックスに登録されてるのは全部絶版だよ。
20年程前に学術文庫で出てたんだよ。現在は文久期だけが数冊出てる
だけだったと思う。
222林田外記:02/05/04 11:43
平泉澄って、いろいろな意味で罪深い御仁ですな。
223林田外記:02/05/04 12:24
徳川宗家現当主・徳川恒孝氏は、松平容保公の曾孫なんですね。
宗家も会津松平に負い目のようなものを持っていたのかな?
224日本@名無史さん:02/05/05 11:25
梶原平馬ってどうなったんだ?
225日本@名無史さん:02/05/05 23:44
公用方の話題は出ないのか?
廣澤安任や秋月悌次郎とか。
226日本@名無史さん:02/05/06 07:51
広沢はどちらかといえば、戦後の斗南問題で負の遺産の方が大きいからなあ。
でも会津の史家って、山川、広沢の「斗南、猪苗代」移転問題って認めてい
るのかな?最近まで「強制移住」というレッテルがはられていたけど?

星亮一も「大久保が押し付けた」と小説で書いていたけど、こんな事書いて
いるから
「会津シンパシーは過去の歴史を捏造するのかよ」
と突っ込まれるから嫌なんだよな。
まあ、ある程度押し付けたのは本当かもしれないけど、広沢、山川コンビ
がきちんと「猪苗代!と言えば斗南の悲劇はなかったかも。
227日本@名無史さん:02/05/06 07:58
秋月は薩摩の高崎との交渉からはじまった8・18のクーデターの立役者
だったけど、その事を会津藩庁にニラまれて北海道に左遷されたんだっけ?
よくこれもif話ででるけど、秋月がいれば薩摩との仲がうまくいったん
ではないかという話。
でも、西郷が中央政界にふっきしたから薩会同盟は「あぼーん」しただろうね。
薩摩の会津ロビーストはそのまま鹿児島本国に戻されたし、秋月一人で回天す
るのもむずかしいわな。
228日本@名無史さん:02/05/06 10:20
小泉八雲だっけ?
秋月悌次郎を「神のような人」と形容したのは?

>>226
あまり星の本は鵜呑みにしない方がいいよ。
なんだかなあという所が結構あるし、史料を理解していない
部分が結構あるから。
229日本@名無史さん:02/05/06 12:17
>>228
>小泉八雲
そうだよ。
ちなみに「九州の学生たちと(原題:With Kyushu Students)」の中での話し<神のような人と形容
230日本@名無史さん:02/05/06 17:22
>>229
秋月ってそんなに凄い人なら、なんで会津藩は彼を公用方から外したのよ?
231日本@名無史さん:02/05/06 17:37
>>230
8.18の政変で活躍しすぎて嫉妬を買って左遷とか。
>>228
同感。
すこし会津にご都合よく書いていないかな?
防長回天史の末松謙澄みたいでうさんくさい。
232日本@名無史さん:02/05/06 17:41
>>230
若い頃の秋月は、才能はあったが少し我の強いところがあったそうだ。
秋月のよき理解者である横山主税が亡くなると、守護職上層部は彼を
疎んじて左遷してしまったわけだ。
みすみす薩摩とのパイプを失ったのが守護職の失敗だな。
233日本@名無史さん:02/05/06 17:45
>>232
酷い話ですな。
でも>>227の言うとおり、西郷が出てきたら薩摩とのパイプは
切断してしまうのではないだろうか?
234日本@名無史さん:02/05/06 17:46
星亮一の本ってそんなにダメ?
「幕末の会津藩」は結構わかりやすかったけど。
235林田外記:02/05/06 17:50
236日本@名無史さん:02/05/06 19:23
>>230
つーか、神のような人ってのは
小泉八雲が晩年の秋月の人格やその容姿から、
「神道の神のような人だ」と表現したんであって
その才覚を「神のような」と表現したわけじゃないと思うよ、と一応言って置く。
無論、秋月は優れた人物だったけどさ。
237川島億次郎:02/05/06 20:48
「近世日本国民史」買ったけど、残念ながら朝幕交渉篇なんで
会津の記述はあまりなし。
でも内容の濃さにビクーリしたYO!

なんでも蘇峰はボンビー時代に旧藩の史資料を纏めてお金を貰って
いたそうな。
238日本@名無史さん:02/05/06 23:37
>>237
濃いよな。「安政の大獄篇」だけでも上中下三冊だからな、分厚いのが。
これだけ近世から明治維新まで詳述した歴史書も類がないよな。
全部で百冊だっけ?

平民主義から国家主義に転向した蘇峰のマイナスのイメージが強いので、
『近世日本国民史』は損な評価を受けていると思う。
239林田外記:02/05/06 23:40
話変わるけど、会津松平墓所って今金取るの?
240川島億次郎:02/05/07 07:01
>平民主義から国家主義に転向した蘇峰のマイナスのイメージ
だれもこの本を参考にしないもん。変なレッテルで見ているから。
なんで会津研究者(星を含む)はこの本で紐解かないんだろうか?

星の言う「京都守護職始末」は当局の資料だからいまいちなんだよね。
但し、松平容保弁護という観点ではこのスレのテーマに合っているから
相応しい資料といえば相応しいけど。
241日本@名無史さん:02/05/08 01:08
>>240
>なんで会津研究者(星を含む)はこの本で紐解かないんだろうか?

きっと、蘇峰は藩閥政府べったりの言論家だから会津を悪く書いている
に違いない、という偏見があるんだろう。
242林田外記:02/05/08 01:19
>241
すみません、私もその口でした。
243日本@名無史さん:02/05/08 01:27
会津どころか新選組についてすら、守護職配下の歴とした警察組織
だったことを明記してたよ、たしか。

一般には、単なる暴力浪士集団としか見られていなかった時代だからなぁ。
子母澤寛の著作よりも早いんじゃないか。

もっとも旧幕府擁護ではなく、あくまで中立的な立場で書いているわけだが。
244日本@名無史さん:02/05/08 01:39
>>232
>みすみす薩摩とのパイプを失ったのが守護職の失敗だな。

秋月は左遷先から京都に復帰すると、真っ先に薩摩藩邸を訪れた
が、なんとなく冷たくあしらわれて帰されてしまった。
もうその時には薩長同盟が成立していたんだな。
まさに後の祭りというわけだ。
245林田外記:02/05/09 22:05
>241
有名な会津藩研究者の一人、中村彰彦氏の「保科正之(中公新書)」を読んだの
ですが、参考文献の中に徳富猪一郎「近代日本国民史(15巻)」が挙げられてま
した。
偶然。
246日本@名無史さん:02/05/09 22:30
昭和50年代の新人物往来社の「歴史読本」は殆ど薩長非難一辺倒だったね。
(それも今から見れば根拠に乏しすぎる)
まあ、早乙女貢全盛だったし、もともと新人物は会津シンパ作家(学者では
ない)が多いから、略奪、虐殺などいろいろ書かれていたけど(それも執ように)。
ところが、その後「会津シンパシーの史家はご都合のいい資料しか発表しない
で、単に薩長批判で誤魔化して、会津側の問題点を一切捉えていないの?」
と疑問を投げかけるようになってきたね。

洩れは宮崎十三八氏が「広島の原爆より悲惨」と書いてしまったけど、あれで会津への考え
が萎えたよ。当時の恩師が怒っていたもん。
「現代史と混同するな!」
ってね。

あのころは「薩長の不当」というのは定説だったけど「会津側の不手際」を一切
表記しなかったよな。
今は流石にそれらを追及しようとしている学者がいるけど。
247246:02/05/09 22:37
「歴史と人物(かなり古い)」で綱淵謙錠が
「長州側からは会津憎しですけれど会津のほうは、自分たちの仕事を
やっているという意識がある。ただ、武士ではなくて、会津の地元
にいた農民の子孫がまだそういう気持ちを(長州憎し)もっている
ということが問題がある」
観光がからんでいるから仕方ないしね。
因みに回答が「小説本を読みすぎているんでは」
との事。
248日本@名無史さん:02/05/09 22:56
>>247
早乙女小説がはやっていたころの話でしょう(w

やっぱ松平容保の「誠意」というのは、あのような混沌とした状況では
どうしようもなかったのではないかな?
249日本@名無史さん:02/05/09 23:51
>>239
墓参りするのに金とるのかよ!
益々俗化してくるなあ(怒

因みに黒谷さんはロハだよ。当たり前だけど。
250林田外記:02/05/10 15:21
>249
あくまで聞いた話なので、真偽のほどは不明です。
まぁ、会津若松市は観光で食ってる所だから仕方ないとは思うんですが、もう
少し地元の歴史を大切にせんといかんなぁという感想は持つ。
251伊達遠江守家中:02/05/10 15:33
>250
それを言ったら、伊達家の4代以降の墓所大年寺山なんか、立ち入り禁止だぞ。
瑞鳳殿(2代・3代墓所含む広義の)は入場料取るし。
252日本@名無史さん:02/05/10 15:52
人が造ったモノには維持費ってもんがかかるんだよw
文化財に蜘蛛の巣が張ってたり雑草で荒れ放題でも良いのか?
253日本@名無史さん:02/05/10 20:13
>>252
ま、きれい事だけじゃやっていけないよな。
254日本@名無史さん:02/05/11 00:40
>>246
宮崎氏の「原爆云々」は如何に残虐だったかを比喩する為につかったのだと思う
けど、返って薩長ヲタの突っ込み材料にされてしまった観がある。
それにしても比喩とはいえ失言といえば失言かもしれんな。
芸州広島は会津領内に於いて「やらかし」ているからその怒気も含んでいるやも
しれん。
255日本@名無史さん:02/05/11 20:50
なんだか容保弁護とはかけ離れてきたな。
研究者批判になってきたYO!

少しは弁護しないと伊藤哲也がくるぞ(w
256林田外記:02/05/11 21:00
会津藩家老・西郷頼母近悳は、戦後保科姓に改めてますが、これって
西郷隆盛を憚ったんですかね?
257日本@名無史さん:02/05/11 21:10
>>256
それは初耳。ソースきぼーん。
>>255
奴の話題はするな!思い出すだけで腹が立つ!
258日本@名無史さん:02/05/11 21:19
>>257
ええ、臣下のくせに、主筋の苗字である保科を名乗るなど考えられません。
松平容保の写真(良く見る京都守護職時代の陣羽織姿のヤツ)って
いくつか違うパターンがある様な気がする・・・・。

学研の出版してる歴史群像シリーズVol.39【会津戦争】のヤツが
一番カッコ良く見える。
260林田外記:02/05/11 22:08
西郷家は元々保科姓だったそうです。
西郷近悳の遠祖・西郷近房の母は保科正光(会津藩祖・保科正之の養父)の従兄弟
にあたる保科民部で、近房は叔父(母方?)の保科十郎右衛門の養子に入りましたが
家督を保科十郎右衛門の隠し子に譲り、別家を立てて姓を西郷としたそうです。

参考文献:「幕末会津藩(歴史春秋社)」
261林田外記:02/05/11 22:14
262257:02/05/11 22:23
>>260
ナトークです。産休。
263日本@名無史さん:02/05/11 22:36
遅いレススマソだけど、徳富蘇峰の「近世日本国民史」で
会津関連は「文久大勢一変 下篇」から注目ね。
>>255
その名前は会津ファソからはタブーです。
264日本@名無史さん:02/05/12 08:05
伊藤哲也ってどんなヴァカ?
265日本@名無史さん:02/05/12 08:51
>>264
http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=player&num=15
FC東京のDFにして、会津フリークだそうです。
266日本@名無史さん:02/05/12 16:31
>>265
FC東京の伊藤氏に無礼と思われ。
但し会津フリークは本当だが極めて悪質との事。
267日本@名無史さん:02/05/12 21:15
268日本@名無史さん:02/05/13 00:44
>>267
おいおい、間違えてるよ。
詳細じゃなくて、スレッドのすべてをリンクしてるよ。
269会津@藩士さん:02/05/13 23:47
ひさしぶりでなにを書き込んで良いのやら、、、。

「近世日本国民史」は表面上無視されたような格好になってますが
資料としては大いに利用されているようですよ。

最近、「民族とは何か」関曠野(著) 講談社現代文庫
を読んだんですが、このスレを考える上でも示唆に富む内容でした。
疑問・批判はともかく、傾聴に値する説かと。

伊藤哲也に関しては、本人がどうこうでなく
そこからネタ的に広げる能力がないならば、書き込むの止めましょう。

人も増えてきたところで、慶喜観なんかも聞きたいところです。
270日本@名無史さん:02/05/13 23:52
>>269
「民族とは何か」関曠野(著)できれば要約して★。
(スマソです)
慶喜ネタは荒れるかもしれんなあ・・・(w
星氏の本では慶喜を糞味噌に罵倒しているけど、はたしてそうなのかあ?
というのが疑問ね。個人的に。
271日本@名無史さん:02/05/13 23:56
文久大勢一変は古本屋で3冊セットで600円と安かったので
買って読んだけど、会津松平が京都守護職就任まで細かく書かれて
いたのでビクーリしたYO!

>「民族とは何か」
気になるね。詳細キボンヌ。
272会津@藩士さん:02/05/14 01:33
>>270,271
私見が入ると問題が出てくる内容なので買ってくれい。
文庫で安いし、なんか雑誌とかでの書評されたらしいので
デカイ本屋なら平積みになってるかと思う。
それから、自分はこの本の内容に賛意しているわけではないよ。
273日本@名無史さん:02/05/14 01:58
なんか『近世日本国民史』読みたくなってきた・・・
文庫本も絶版なのかなぁ。文久大勢一変篇読みたいよ。
274林田外記:02/05/14 16:41
ドナルド・キーン「明治天皇」では、東軍のことを「賊徒」「賊軍」と表現していますね。
やっぱり未だにこういう見方ってあるんですね。
275日本@名無史さん:02/05/15 01:41
>>274
その本は古いのでは・・
現在の明治維新史学界では、幕末の動乱を「勤王対佐幕の戦い」とする見方は
もはや伝説となっているよ。
276日本@名無史さん:02/05/15 07:07
>>275
スマソ、根拠の説をおしえてちょ。
原口や佐々木は「関東vs西南」という形で書かれていたんで。
277日本@名無史さん:02/05/15 15:09
>>276
だから「説」じゃないんだってば。パラダイムだよ。
賊軍なんて概念は戦前の皇国史観のものでしょうが。
278日本@名無史さん:02/05/15 18:48
ドナルド・キーンの「明治天皇」
結構あたらしいぞ。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3cd9130eab4ef0100b49?aid=&bibid=02068499&volno=0000
279日本@名無史さん:02/05/15 21:01
おいおい、今更「賊軍」なんてネタ以外は時代錯誤じゃないの?
といっても、会津の復讐云々も根拠に乏しすぎるね。

因みに会津賞賛作家や歴史ヲタクのアポーは未だに会津農民と士族の破綻を
認めていないとさ(w
あれだけ身分差別が他所の藩よりも激しいのにね。
280日本@名無史さん:02/05/15 21:13
ところで>>269に質問だけど、星亮一をどう考えているの?
よく会津関連の教養文庫なんかででてくるけど
ホンマモンの旧家の人として、彼をどう捉えているか?
281日本@名無史さん:02/05/16 00:56
つーか、キーンは歴史学者じゃないし。
原文にも本当にそう表記されているかどうかだな。
282日本@名無史さん:02/05/17 09:45
>>279
そもそも会津ファンの作家達が一人で善がれば善がるほど、どんどん
会津の評価が落ちて行くのさ。
ヤーヤー一揆で会津藩に復讐した奴等の子孫が「山口と和解しない」
という話は、よく言うよよいうところか?
283日本@名無史さん:02/05/17 15:38
>>282
会津ファンの作家達が一人で善がれば、評価が落ちるのは会津じゃなくて、
善がっている作家達自身だろ。
それと、いくら一揆で会津藩に復讐したにしろ、自分達の土地を荒らした連中と
仲良くしたいと思うかね?
284西国のアズマ帰依者:02/05/17 15:47
そういえば鷲田小弥太がこんなこと言ってた
徳富の再評価が行なわれるのかね

http://ilk.co.jp/washida/nichinichi/0002.html
 日本の歴史学者や経済史学者は、徳富蘇峰『近世日本国民史』(全100巻)
や高橋の百冊を超える著作を影では猪俣や野呂と同じようにこっそり参照しながら、
引証箇所を明らかにしないばかりか、まったく知らぬ半兵衛の顔で過ごしてきた。
しかし、読者は正直なもので、いまなおこれだけの大著を含む著作が再刊されたり、
売れているのである。
285日本@名無史さん:02/05/17 21:07
>>283
そうかな?
星の「荒川茂の日記」だって肝心な部分をかくしていちゃどうしようもない。
それに洩れに言わせれば「復讐」と抜かすなら西軍だか官賊だかシラネが
奴等の墓でもこわせばいいんだよ!
それと会津人の原爆がどうたら発言が理由はどうあれ被爆者家族の大顰蹙を
買っている事。

ところで283って伊藤哲也?
言質が似ているけど。
286日本@名無史さん:02/05/17 21:08
>それと、いくら一揆で会津藩に復讐したにしろ、自分達の土地を荒らした連中と
>仲良くしたいと思うかね?

具体的な根拠を述べて。
君の得意分野でしょ。伊藤さん(w
287日本@名無史さん:02/05/17 21:38
伊藤哲也が来たのでsage進行で進めよう(w

>>284に禿同。
中村彰彦の「保科正之」読んだけど参考資料に「近世日本国民史」15巻と
たしかに書かれていたyo!
288287:02/05/17 21:49
あと、これは余談だけど古本屋から「近世日本国民史」が急速に消えてきたYO!
まさかとおもうけど、2ちゃんの影響?

とか言って洩れも「文久大勢一変篇下巻」買っちゃった。
サブタイトルだけど
第2章
松平容保京都守護職となる
からちょいちょいとかかれて会津を「くわいはん」とルビふっていたのには
思わずワラ。
この辺は島津久光が守護職になるとかのからみが書かれていて
おもしろかったよ。
289283:02/05/17 22:51
>>285-287
伊藤哲也って誰だよ?
レッテル貼りなんかして楽しいのか?

>>285
お前本当の馬鹿だな。
墓なんかぶち壊したらどうなるか知っててそういう事言ってるんだろ?
あとさ、その会津人の原爆がどうたら発言て何?
詳しく教えてくれよ。

>>286
具体的な根拠?君の得意分野?
言ってる意味が解らんな。
290林田外記:02/05/17 23:14
またまた不毛な議論になってきた。
291日本@名無史さん:02/05/17 23:23
>>289
いちいち興奮して書くなYO!
ネタに反応してもしょうもないでしょ。
292名無し大名:02/05/17 23:25
伊藤哲也ウザ!
293日本@名無史さん:02/05/17 23:26
>>289
おまえこそ根拠とやらを述べろよ!
>>286の質問に答えられないお前は伊藤哲也並(w
294諸橋嘉久:02/05/17 23:27
日本が列強の植民地になることを恐れ、孝明帝を暗殺したのかな?

明治以降の反乱や嘗ての同士の抹殺。
日本の将来を思い、憂いていたのは上っ面だけの事でしょう。

ロシア帝国が怖い、伊藤 博文は王妃閔氏を暗殺した。
幕末の頃から成長しない、伊藤 博文でした。三浦 梧楼の親玉=伊藤 博文

会津藩と薩摩藩は手を組んだ事が有るから、あなたの書き込みは無理が有る。

長井 雅楽『航海遠略策』
投稿者: quasar1999 2002/ 4/28 21:26
メッセージ: 1214 / 1219

鎖国攘夷の非を説き、歴史的にも日本の国策は開国であり積極的に海外進出することで皇威を世界に振るうことが真の攘夷である。

俺は日本の帝は日本だけに通用すれば良いと思う。

長井 雅楽は帝國主義者なのか?いや、長井 雅楽は長州のペテン師だ
295日本@名無史さん:02/05/17 23:29
yahooの諸恥のヴァカ話を貼り付けるなよ!
逆キレ起す所は伊藤哲也そのものだな>>289
296会津@藩士さん:02/05/17 23:31
あぁ、また頭の悪い展開に、、、。

とはいえ、この手の言い合いはある種
典型のようなもので、何故こうなるのかは議論すべきなのかもしれない。

感情論的な立場にせよ、それを扇動する方にせよ
本人が意識してる、してないは別にして
本質的な議論をしたくない(できない)というのがあるんだろうね。
(資料で誰それがこう言ってるってのも2つの立場に近いと思う。
他のスレ引っ張ってくる方々も同様。)
「できない」(能力がない)ってのは論外として
この手の議論では何故そうなるのか?
もうちょっと高い位置から俯瞰してみる必要があるかもしれませんね。

実は「民族とは何か」を上げたのは
その辺を扱う上でちょっと面白かったからなんだけどね。
297伊藤氏ね:02/05/17 23:32
やれやれ、ニフティのやらかし君が来ると荒れるなあ(w
298日本@名無史さん:02/05/17 23:34
容保が京都公家衆との関係をもう少し緊密にしておけば・・・・
と妄想。
299日本@名無史さん:02/05/17 23:35
>>297
伊藤の話は辞めとけ。
>>296
「民族とは何か」
いま呼んでいる最中。感想はもうちょっと待ってね。
300日本@名無史さん:02/05/17 23:36
>>298
禿同。でも公家と付き合うためには予算が足りなかったので・・・・
鬱。
301日本@名無史さん:02/05/17 23:43
会津自体がお金が無いのに、お公家さんとの交際費でボンビー状態。
302283:02/05/17 23:53
だから、伊藤哲也って誰?
左翼みたいにレッテル貼りして何が言いたいの?
303日本@名無史さん:02/05/18 00:00
アイズ
304日本@名無史さん:02/05/18 00:04
>>302
むきになって書き込んでも虚しいだけだから辞めておきなさい。
これが2ちゃんの特性だから。
305283:02/05/18 00:22
306日本@名無史さん:02/05/18 00:34
>>283
自分が伊藤だとバレないように他の奴にレッテル貼ろうとしても
しょうもないのに・・・・・
307日本@名無史さん:02/05/18 00:44
俺も伊藤哲也って誰だから知らないんだけど、誰なの?
308日本@名無史さん:02/05/18 18:55
http://www.mh-c.co.jp/cgi-bin/rekishi.cgi?ID=view&NO=0&CD=20010123152624
参照

但し、彼はニフティフォーラムで問題を起してばかりで、以前にも新撰組ファンと
摩擦を起している。
あちこちの幕末系HP(会津、新撰組)を追い出されても懲りていないとの事。
会津研究家とはいているけどクレクレ&自慢君といったほうが近いかな(w
309日本@名無史さん:02/05/18 20:14
伊藤なんてバカは放置!
はよ松平容保弁護にモドレ。

洩れは慶喜のドタキャンにちよっと頭に来るな。
あいつは自分に都合の悪い所が出てくるとすぐ逃げ出すからイヤ!
310林田外記:02/05/18 20:23
豚一ほど評価の分かれる人物も珍しいな。
譜代・旗本どもはいざとなったら後ろからグサリと殺りそうだったから先手をうったまでだ。



312日本@名無史さん:02/05/18 22:07
昔夢会筆記での「慶喜」の話は肝心な所の話になると
「記憶にございません」
ゴルアアアアア!国会審問か(w
313日本@名無史さん:02/05/18 22:16
私の先祖は会津藩士として京に上っていました。
戊辰の戦いの時は京の薩摩屋敷に捕らわれており
明治になってから帰藩しました。

私のご先祖様どうも薩摩の間諜くさいです。
314日本@名無史さん:02/05/18 22:36
>>313
それマジ???

315日本@名無史さん:02/05/18 22:42
>>313
詳細を教えて★
316日本@名無史さん:02/05/18 22:45
>>313はその状況を詳細に述べる義務がある。
しかし、驚きage
317日本@名無史さん:02/05/18 22:45
詳しくは語れないですがマジです。
斗南に移った後も疑われつづけたので、他の人
以上に働いたそうです。

坂本竜馬もそうだけど、当時はスパイという意識がない
ので、それぞれが情報をやり取りしてたみたいです。

鳥羽伏見の開戦直前に京薩摩屋敷に捕らわれた幕府
方の公用方(外交官)は多数いたとのことです。
318316:02/05/18 22:51
なんだか凄い話だ。>>317スマソです。
話の内容が怖いのでsage進行で。
319日本@名無史さん:02/05/18 23:37
山本覚馬も鳥羽伏見のときは薩摩藩邸に監禁されてたね。
320日本@名無史さん:02/05/20 22:11
旧会津藩士って、明治に北海道へ移住する者が多かったそうですね。
321江別の人:02/05/22 22:01
斗南移住は大久保利通の謀略と星は公言しているけどホント?

>>320そういえばうちの近所に元会津藩士の人がいて、その人に戊辰戦争の件を
聞いた事あるけど
「今更、戊辰戦争といわれても、ひいおじいちゃんの話だしね」
とそれだけの話。
322江別の人:02/05/22 22:02
元会津藩士の人→元会津藩士の子孫

ゴメソ
323【^▽^】酔鯨ジョーカー岩代守:02/05/22 22:14
私の先祖も斗南に移住しましたが、廃藩置県と共に会津に戻り、更に東京に移りました。
324323:02/05/22 22:27
岩代って国名は薩長の新政府が陸奥国を細分割して作ったものだから、余り良くないかな?
325会津@藩士さん:02/05/22 23:25
因みに北海道組です。紆余曲折あって斗南には行ってないんだけどね。
細かいところはご勘弁。
それから、自分自身は北海道に居ません。

>324
そこまで気にする必要はないと思いますよ。
326林田外記:02/05/23 08:24
星亮一の「よみなおし戊辰戦争(ちくま新書)」を立ち読みしたけど、あそこまで
恨みがましいと、かえって支持を失うとおもうんだけど・・・
327日本@名無史さん:02/05/23 11:39
それはあるね…
恨みがましさも早乙女貢氏はギリギリ読める水準(オーバーランも多いが)だけど
星亮一氏はきつ過ぎるものね

斗南からの留学生を死なせた藩校(の成れの果て)が母校なんだけど
星氏のは、 コッチの立つ瀬がなさすぎる
328日本@名無史さん:02/05/23 12:45
>>321
新政府が公式に斗南移住を決定した資料はありません。
非公式に山川(大蔵)や広沢に打診したことはあるでしょう。

この部分は星のでっち上げといってもいいかもしれません。
公式サイトに公開質問状でも送付したらおもしろいかも(W

星が『会津藩はなぜ朝敵か』を7月に出すそうだけど、どこまで史資料を
読みこなしているかな。

因みに新選組ファンから会津ファンになった人は、殆んど
「会津に正義在り」
としか解釈しないので、彼らの出した会津関連の本は面白くもない。
329江別の人:02/05/24 06:59
「民族とは何か」読んだけど、たしかに明治維新の解釈については
勘違いしているような・・・・・・
もしかしたら「会津ヲタ」にとってはご都合のよい解釈かもしれません。

星亮一はもともと「ブンヤ」だったから「擬似歴史」的な書き方は得意
でしょう。「会津藩燃ゆ」三部作は旧家の人も読んだそうだけど、
「うーん、違うよ」
という話です。それなら日本テレで放映された「白虎隊」の方がマシだと
語られていました。
それと>>325さんが過去ログで語っていたように「土津公」を
悪く言う人は旧家では殆どいらっしゃらないそうで
「時代がそうしてしまったんだろうんねえ」
との事でした。ついでに戊辰戦争での恨みを語る人もいません。

因みに「郷土史家」ではない「会津ヲタ」は旧家の人も嫌っています。
理由は>>325氏がおわかりではないかと。
330日本@名無史さん:02/05/25 18:54
「明治維新無血革命」神話を唱えたがる輩は、会津戦争には触れない。
331【^▽^】酔鯨ジョーカー岩代守:02/05/25 19:37
日テレの白虎隊はいつ思い出しても目が潤むなぁ。
332日本@名無史さん:02/05/25 20:57
「明治維新無血革命」
そんなまやかし唱える阿呆が本当にいるの?
薩長ヲタの漏れでもそんな戯言をネタとしか捕らえんのに。

>>331
同感。あれは泣ける。
333日本@名無史さん:02/05/25 21:16
>>331
でも西郷頼母の扱いに関しては、会津人からも批判が出てるよ。
ラストでむりやり松平容保と和解させているし、ちょっと綺麗ごと
で済ませたのが残念だ。ドラマの前半までは良かっただけにね。
334日本@名無史さん:02/05/25 21:18
そういえば北原雅長の「七年史」だけど、最初の表題を慶喜が書いていて、
大山巌、榎本武揚が書いているのは驚いたYO!

これって出版しようとしてタイーホされたという曰くつきだったかな?
335日本@名無史さん:02/05/25 21:34
西郷頼母ってマジで柔道つおかったの?
336名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/05/25 21:45
>>335
西郷四郎の間違いじゃないの?
337日本@名無史さん:02/05/25 21:50
容保は裏切ってるけど誰も弁明してないね。
338日本@名無史さん:02/05/26 05:14
>>337
裏切っているというのは豚一と江戸に逃げたって話。
(あれかて無理やりという話もあるけどね。一応弁護)
339林田外記:02/05/26 08:27
確かに豚一と江戸に逃げたのは失敗だったけど、その後はちゃんと西軍と戦ったわで
だからね。
340名無し:02/05/26 15:15
>339 一応、武装恭順。 無理やり仙台藩を戦わせたり
白河口から攻めてきたのは薩摩、土佐が中心であった。
越後口にしても、佐川隊は銃砲を西軍からあびるまでは
応戦しなかった文書が近年、出てきている。
 まあ、2ちゃんに書いても意味なしかな。
341名無し:02/05/26 15:16
sage
342日本@名無史さん:02/05/26 16:11
>>340
意味はあると思うけど。
出典はどこ?歴史春秋から?
343日本@名無史さん:02/05/26 16:18
>>336
西郷四郎は西郷頼母の息子だよ
344日本@名無史さん:02/05/26 16:28
>>340は出典を明らかにする義務がある。

煽りでないからsage進行で。
345日本@名無史さん:02/05/26 17:02
>越後口にしても、佐川隊は銃砲を西軍からあびるまでは
>応戦しなかった文書が近年、出てきている。

そういえば佐川と河井って越後戦線の主導権をめぐって揉めたんだよね。
片貝の戦いで佐川が長岡藩の「五段梯子」の袖章をばら撒いて、長岡軍
の仕業に見せかけたとか。

>>340
ところで洩れも気になる。ソースきぼーん。
346【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/05/26 20:53
日テレ「白虎隊」は中島信行の人格者ぶりもよく描かれていた。
薩摩や長州と違い、やはり土佐は立派だ。
347林田外記:02/05/26 22:37
長州藩にも、奥平謙輔や前原一誠といった人格者はいたぞ。
348【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/05/26 22:42
>347 それは知っている。あと広沢真臣もね。
349日本@名無史さん:02/05/26 22:45
佐川は嫌い。あいつは戦いの局面でミスが多い。
山川の方が用兵家としても優秀だと思うけど。

これってドキュソ発言?
350林田外記:02/05/26 23:25
奥平・前原が萩の乱を起こしたとき、旧会津藩士・永岡久茂もこれに呼応し、関東で
兵を挙げようとしたが、未遂に終わり東京で捕縛された。
351日本@名無史さん:02/05/26 23:54
戊辰戦争後、山川浩の弟山川健次郎(東京大学学長)を
保護し世話したのは、長州の奥平謙輔だよね。
352【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/05/26 23:55
永岡が前原らと知り合ったのは越後戦線でですね。因みに三浦梧楼も人格者。
353林田外記:02/05/27 00:01
前原・奥平は、かつての公用方・広沢富次郎とも親交があった。
354日本@名無史さん:02/05/27 00:16
>>352
ジョーカーさん、部下にミンピを屍姦させた奴が人格者?
355【^▽^】酔鯨ジョーカー岩代守:02/05/27 00:22
>354 そうか、それで三浦梧楼は一時投獄までされたんだもんなぁ。でも、三浦は旧会津藩士など元「逆賊」諸藩出身の軍人を平等に扱ったんだよ。山縣と違ってね。
356林田外記:02/05/27 00:25
すると出羽重遠海軍大将も差別に苦しんだのかな?
357【^▽^】酔鯨ジョーカー岩代守:02/05/27 00:30
榎本ら旧幕臣も多かった海軍はチと違うかも。
358日本@名無史さん:02/05/27 06:52
陸軍は山県がハバを利かせていたから会津系の人間で将軍まで進んだのは
「山川大蔵」と「柴五郎」ぐらいだもんな。
その中で大将は柴だけ。しかも彼は終戦後に軍部の一員(退役したのにも
関わらず)として敗戦の責任を取って自決した。

会津、日本の敗戦の2度のショックと陸軍の責任を負って自決したのであ
ろうな。ホント泣けてくる。
359林田外記:02/05/27 16:28
>358
柴大将の最期って自決でしたっけ?
自分は病死だと思ってたけど・・・
360琥珀:02/05/27 16:29
山内氏は嫌いだわかなり鬱だわ
361【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/05/27 17:41
柴は戦中に病死しています。
362日本@名無史さん:02/05/27 18:21
松平=まっぴら
363日本@名無史さん:02/05/27 21:06
あれ?たしか柴は自決を病死として届けたとか。
364林田外記:02/05/27 23:58
柴大将の兄、太一郎は公用方でしたっけ?
365津藩はエグイ:02/05/28 03:13
激しくスレ違いだと思うが、鳥羽・伏見の段階で
慶喜が徹底抗戦を唱えていたら、どうなったんだろう?
内乱長期化→外国勢力の介入→ムガール帝国やエジプトと
同じように日本あぼ〜ん?
慶喜の行動の動機が、観念的な水戸学や、単なる優柔不断から
きていたとしても、結果的には救国の英雄ということに
なるのだろうか?う〜ん・・・
薩長びいき、幕軍びいき、双方の意見を聞きたい。
やっぱりスレ違いだな。スマン
366日本@名無史さん:02/05/28 04:25
>>365
徹底抗戦して幕府が勝っても、天皇中心の新政府ができてたと思うよ。
367日本@名無史さん:02/05/28 04:58
そうね、けっきょく大政奉還後のことだしね。
慶喜を首班とする雄藩大名の連立政権が誕生するん
だろうけど、いかにも長続きしなさそうだな。
早期解体がオチか。

現実の明治政府を評価するわけじゃないが、やはり
大久保たちほどには抜本的な改革はできなかっただろうな。
368林田外記:02/05/28 23:22
容保以降の歴代当主って、
容保→喜徳→容大→保男→保定
ってなるの?
369林田外記:02/05/29 23:37
>365
エグイといえば、青松葉事件おこした尾張藩も相当エグイと思う。
370ジュガシビリ:02/05/30 00:00
会津は反革命。
371日本@名無史さん:02/05/30 00:02
>370
明治維新を市民革命と規定すればそうなるわな。
372ジュガシビリ:02/05/30 00:12
松平容保は人民の敵。
373日本@名無史さん:02/05/30 00:23
>>365
幕府が断固として抗戦したら日和見諸藩は幕府につく。
勝敗は短期間で決したと思うよ。
幼天をさらって西へ逃亡する西郷や岩倉を引っ捕らえて斬首し、
薩長の乱は一件落着ってとこかな。
その後の開国近代化は、基本的には明治政府と大差ないプロセスを経るはず。
ただ、天皇の位置づけは、薩長の場合と比較にならないほど軽いものだったろうけどね。
374日本@名無史さん:02/05/30 00:42
>>373
まぁ小栗とかは明治政府と似たような構想を抱いていたともいうし、
その可能性も0じゃないだろうけど、明治政府ほど強固な政府が作れて
似たような道筋を歩めたかどうかは疑問。それが良いかどうかは知らんが。
やはり旧勢力が倒れたからこそ、大久保達の無茶な改革も可能だったのだと思うよ。
あと、戊辰戦争自体は短期間かどうかはワカランが幕府が徹底抗戦決意をすれば
長期化する前に幕府の勝利で終ったとは思う。

ところで、徳川幕府創成期の幕府首脳達の施した討幕対策が
ピタリと幕末の討幕の動きに対応する事と豚一がそれを無駄にしっぷりを見る限り、
水戸黄門がいなかったら徳川幕府はあの間々で第一次世界大戦ぐらいまでは保てたかもね、とか言ってみる。
375日本@名無史さん:02/05/30 02:40
>>373
いやー、わからんのよ。たしかに有能な開明派官僚が
旧幕にいたことも確かだけど、慶喜を首班とした
雄藩連立政権の場合、藩の解体が困難になると思わない?

いずれ瓦解するだろうけど、大久保政権よりはだいぶ
遅れるのではないか。
376津藩はエグイ:02/05/31 03:01
幕末ファン(と、勝手に思う)の貴重な意見ありがとうございます。
自分としては、いがいに純軍事的には幕軍有利を主張するかたが
多いので少し驚いています。(長州征伐の時のヘタレっぷりが印象にあるので)
シナリオとしては「京を幕軍包囲」、「薩長、帝を擁し逃走」、「山陰あたりに穴ごもり」、
「京の残留公家、幕に寝返り」、「榎本艦隊、瀬戸内海を制圧」、「陸兵、山陰と山陽から
征西」、「陸戦隊をのせた榎本艦隊、下関を攻略」、「山口、萩、陥落」、
「黒田藩、細川藩を先手に薩摩国境に進出」、「薩摩藩侯親子を調略」、
「内部からの切り崩しで、大久保、西郷孤立化」、「藩論分裂で屈服」。
こんなところなんでしょうか。芸州や肥前は、幕軍優位とみるや幕軍につくのかな。
違うシナリオをお持ちのかたのレス願います。
もちろん、錦旗と英国の支援で、薩長優位を主張するかたも。
377日本@名無史さん:02/06/01 00:27
>>376
いやいや、戦略ではなくて、終戦後の政治体制
について色々な可能性を語っているのよ。
378津藩はエグイ:02/06/01 00:59
↑377
う〜ん。幕軍勝利後の政治体制は、どなたかご指摘のように、
慶喜首班の雄藩合議制になると自分も考えます。
と、いうかそれ以外思いつかない。(私のつたない知識では)
私としては、幕軍が仮に鳥羽・伏見で勝ったとして、どうやって詰めるのか?
そのほうに興味があります。ちょっとマニアックすぎますかね?
379日本@名無史さん:02/06/01 01:17
徹底抗戦を慶喜が行えば、
薩摩は旗本へ「逆賊慶喜を討て」と工作→旗本は喜んで慶喜を「討伐」。
と逝ってみる。

380日本@名無史さん:02/06/01 01:33
>>379
数千石ものの領地を関東圏外に持つ、
維新後大名になった旗本とかならそれも有得えなくもないと思うが、
どう考えても旗本・御家人の大多数は慶喜に付かざる負えないと思うが。
381日本@名無史さん:02/06/01 01:44
土佐藩提出の大政奉還策にも、幕臣・西周助(周)が
慶喜に提出した「議題草案」にも議会制のことが
盛り込まれていたから、その方向には移行するだろうね。

ただ、それまでの過程として雄藩連合政権がうまく機能
するとは思えないんだよなぁ。もちろん薩長は抜きだろうし。
382日本@名無史さん:02/06/01 01:49
慶喜が徹底抗戦を叫んでも、譜代・旗本には慶喜の為に命を捨てる気など無い。
主従間に信頼感が無いと、離間工作をやられるとひとたまりも無い。


383日本@名無史さん:02/06/01 01:50
また幕府と同じになるのと違うん?
384日本@名無史さん:02/06/01 02:07
>>382
慶喜に忠誠心感じる譜代・旗本はいなくても
幕府に忠誠心感じる譜代・旗本は大量にいたけどな。
だからこそ、譜代の諸藩の間で恭順か抗戦かで佐幕派と勤王派が政争繰り広げたり、
大鳥や榎本を始めとする諸隊が脱走して各地で転戦を繰り返したりしたわけだし。
385津藩はエグイ:02/06/01 03:00
>>382
そうなんです。私が「幕軍勝利」に、少し違和感を感じるのもそこなんです。
史実でも幕軍は、指揮・命令系統の一元化という点で、寄せ集めの薩長より
混乱しています。資金力という点でも薩長を征服できる実力があったのか・・・
また幕軍が徹底抗戦したとして、薩長がそれをはねつけることができたのかも・・・
資金力という点では薩長もお寒いかぎりだったし。
結局、双方、決め手のない詰め将棋のような状態になり、双方が北海道あたりを
担保にちらつかせて列強の武力介入を誘発するようなことになったのでは?、と。
386日本@名無史さん:02/06/01 05:06
議題草案って何?
幕府の人で議会制を唱えた人いるの?
387西南戦争は造幣までしてる:02/06/01 15:06
松平容保と奥羽列藩同盟に戦線を維持できるような戦費はなかった。
瓦解分裂したのも道理。軍事費は湧いて出るようなものじゃないので無理。
自藩の利益優先させた仙台藩とかを責めるのは酷だろう。なら最初から
やんなよってのも許してやれ。
388日本@名無史さん:02/06/01 17:38
>>386
だから西周がそうだし、政治総裁職松平春嶽の懐刀、
横井小楠が議会制を唱えていただろ。
389日本@名無史さん:02/06/01 22:28
>>388
横井小楠って近世人の枠組みを越えた思想家だと思うけど、師匠は誰なの?
390日本@名無史さん:02/06/02 02:51
幕府では大久保一翁も議会制の導入を主張していたんじゃなかったっけ
391日本@名無史さん:02/06/02 03:07
つーか最初に大政奉還と諸侯会議を主張したのは幕臣である大久保なんだよね。
後の小栗はより具体的な大統領制を構想してた。

そして幕府による怒濤の制度改革の動きに危機感をもった反動勢力が倒幕派を形成することとなる。
392日本@名無史さん:02/06/02 05:45
まあ、徳川家党首を残したままの諸侯連合政権だとどうしても
抜本的な改革が困難になっただろうからな。
薩長が強引に倒幕戦争をしかけたのは確かだが、慶喜が
折れてくれてよかった面はあるね。
393日本@名無史さん:02/06/02 15:23
徳川宗家が残っていては、版籍奉還とか無理っぽいよね。
小栗とか利権を担保に外国から借款してまで続けそうだし。
戊辰後は会津とかも藩地奉還に賛同した中に入ってる。まぁ破綻して
いたんだが・・・。薩摩の久光は騙されたって死ぬまで怒ってた
らしいよ。
394日本@名無史さん:02/06/02 21:47
慶喜には群県制(?)の構想もあったそうだけど、具体的には誰の持論で
どういう内容だったの?詳しい人の解説きぼんぬ。
395林田外記:02/06/06 14:48
明治になって、西郷改め保科近悳は西郷隆盛と交流があったらしいけど、西郷
と組んで何か企んでたのかな?
396名無し:02/06/08 17:14
>395
維新前から面識があったのでしょう。しかし、証拠がないのが残念。
維新後は、色々と手紙のやり取りをしてました。西南戦争に関与した
ということで頼母は職を免除させられてしまうけれども、企みは特に
何もないでしょう。
397【^▽^】勤皇の志士ジョーカー:02/06/08 23:05
「会津中将」を飲みながら「白虎隊」を観て、大いに泣きましょう。
また同時に土佐にはいかに善人が多かったかもわかります。
398【^▽^】土佐板垣案:02/06/09 13:40
伊地知の意見採用して慎重策とったら泥沼になってたかもね。
電撃的に急襲ってのは意外とよかったのかも。
前線部隊と籠城部隊分断に成功。まさか来るとは・・思って中田
399日本@名無史さん:02/06/09 21:55
>397
確かに。
岩村高俊はなかなか好漢だったね(w
400quasar1999:02/06/09 22:14
quasar1999のYahooでの活躍を祈る。
401日本@名無史さん:02/06/09 23:12
>>400
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1021646166/l50
あまり「おこちゃま」を煽らないように.
できれば,無視してください.
402津藩はエグイ:02/06/10 02:20
>>398
乾(板垣)って軍事的素養はあったの?
ヘタレ大鳥に連戦連勝してたけど。前線指揮官としての冴えも、
戦略眼の確かさも天分の才だったのかな?
専門的に兵学を学んだって話は、聞かないんだけど。どうなのかな?
403【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/10 10:09
>402
私は398さんじゃありませんが、
乾(板垣)は系統的に兵学の勉強はしておりません。
一種の軍事的天才です。
それに対して、大鳥は実戦的司令官というよりは兵学者ですね。
404【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/10 10:49
中島信行(土佐郷士)も人格者だよな。
405日本@名無史さん:02/06/10 11:35
薩摩長州のあとから尻尾ふってついていった土佐。
肥前藩はアームストロング砲という武器をかかえ功績大だから許せるが、
土佐ってただ単に尻尾ふってついてきただけのへたれ。

まーついてきただけの功績は認めてやってもよいがの。(藁
406【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/10 11:49
>405
板垣(乾)や谷がいなければ、戊辰の役はもっと長引いていた
であろう。
407日本@名無史さん:02/06/10 12:02
んなーことないよ。
会津攻めのときなんて、板垣案を蹴った薩摩藩がもっとも防備手薄な峠から
攻めた。その峠は最も厳しい難所で敵は警戒を弱めておったのだ。
そこを薩摩は攻めたんだ。
 それで早期落城できたのだよ。
408津藩はエグイ:02/06/11 02:10
>405,407
う〜ん。土佐にたいして厳しい評価ですね。(ある種、図星指してるともいえるかな?)
確かに土佐は人材をだしてますが、「藩」としてはすべりこみセーフという
印象があるのもたしかですね。
409林田外記:02/06/11 06:01
>408
まぁ、西軍についたほとんど(薩長を除く)の藩は日和見ですからね。
その中でも津藩・淀藩・尾張藩の対応には素晴らしいものがありましたね。
410津藩はエグイ:02/06/11 21:44
>409
津藩は職人芸でしたな。藩祖以来の伝統というか。w
あそこまで狡猾に割り切ってやられると、「このヘタレが!」とか
「恥を知れ!」とか罵倒したくなる気持ちも萎えますな。
411日本@名無史さん:02/06/11 23:19
412日本@名無史さん:02/06/11 23:34
徹底抗戦を決意しても、資金難で無理だろうなあ。
諸藩ってのは勝ち目のあるほうにつくだけから、勝ち目を見せれば付いてくるかもしれないけど。
諸藩には金が無いからなあ。
以前幕末の諸藩の列強からの、各種借金の資料を見た事あるんだけど、
奥羽列藩同盟にはあれ以上の軍費の捻出は難しいだろうね。
長州や薩摩まで攻め込むにはどう考えても、戦費が足りない。
おそらく内戦の長期化が落ちじゃないかな。

勿論新政府側も長州こそ借金をしていないものの、
薩摩を始めとする雄藩も借金していたほどだから、余力はそれほど無いから、
戦場で勝ちを収める事が出来れば、交渉である程度譲歩できるかもしれない。
413日本@名無史さん:02/06/12 02:05
age
414日本@名無史さん:02/06/12 02:15
>>413
レスなしageすると眠ってる時に襲われるぞ。
415【^▽^】酔鯨ジョーカー岩代守:02/06/12 10:15
会津は玉砕すべきであった。
何故、最後の最後になって降伏したんだ?
佐川と同じく私も納得いかんな。
416【^▽^】酔鯨ジョーカー岩代守:02/06/12 10:18
出て来い!容保!
417【^▽^】酔鯨ジョーカー岩代守:02/06/12 10:29
家臣の多くが死に、領民も犠牲にしているのに、
私が藩主ならば玉砕・自害する。降伏など論外。

また、昭和天皇もどうかしている。本土決戦すべきであった。
日本人の半数が死のうとも、何十年かかろうとも、
生き残った者たちで日本を再建すれば良かったのだ。
418日本@名無史さん:02/06/12 12:28
最初から無条件降伏しているほうがよかったのでは。

結果的に慶喜は江戸を灰燼に帰す危機を回避したのだし実際
後世の民衆にとっては英雄だったかもしれない。

藩の維持、主君の維持って特権階級や既得権益を守るために
領民を犠牲にしたとも言えるわけで。

民衆を戦禍から守るためと思えば・・仙台とかは非難できないかもね。
城下を危機にさらしているようではダメ。
419【^▽^】酔鯨ジョーカー岩代守:02/06/12 17:59
>418
私も領民のためにはそれがベストだったと思います。
ただ、新政府は、広沢真臣ら一部の寛典処分論者は別として、
容保の首を要求していましたから、容保自身は勿論、藩士たちとしても
それを呑むわけにはいかんかったでしょう。
420日本@名無史さん:02/06/12 19:56
>>419
倒幕派は幕府を倒すのが目的だったはずなのに、
松平容保の首を求めるのは筋違いだな。
結局、私怨で会津を攻めたかったんだろう。
421日本@名無史さん:02/06/12 19:58
松平容保って結局なんだったの?
422日本@名無史さん:02/06/12 20:15
容保
423日本@名無史さん:02/06/12 20:17
ヨウホ
424日本@名無史さん:02/06/12 20:17
結局容保って生き恥を晒したんだっけ?
425日本@名無史さん:02/06/12 23:10
>>421
副将軍兼総裁として徳川宗家16代目当主となるも、敗北で当主の地位剥奪抹消。
戊辰戦争後、日光東照宮宮司となる。
426日本@名無史さん:02/06/13 00:45
>>420
いや、あくまで第一の目標は慶喜の首だったんだよ。
でも慶喜は恭順姿勢を貫いたから手を出すことができなかった。
で、やむなく容保の首に切り替えたわけ。
(第一慶喜、第二容保、第三松平定敬って、順位ができてたよね)
427津藩はエグイ:02/06/13 00:53
>>420
同意。「東西決戦」という意義からすれば慶喜、敵前逃亡の時点で勝負あり。
江戸城無血開城で終結。その後の東北、北陸の戦闘は、官軍のかなり恣意的な
私事のモニュメントにすぎないと思います。少なくとも、それ以外の評価は
できても、それ以上の評価はできない。
428日本@名無史さん:02/06/13 15:52
慶喜みたいに恭順してればよかったのでは・・慶喜も首とか
言われてたのに結局大丈夫だったし、別に攻めるつもりも
なかったんじゃないかなぁ。大山とか世良なんかわずか
な人数で来てるし交渉で終わるはずだったのでは。

429日本@名無史さん:02/06/13 21:43
ていうか、鎮撫総督府の参謀を殺してしまってはどうしようもないでしょ。
いくら世良の態度が傲慢だったからとはいえ・・・
それが外交なんだから、戦争回避のためにはそこを忍ばないと。

もっとも、世良を殺害したのは過激派(主戦派)であって、東北諸藩
による組織的な暗殺指令があったわけではないんだろうけどね。
430日本@名無史さん:02/06/14 01:08
>>429
だねぇ。少なくともあの時点で恭順していれば
お互いに戦争は避けられただろうけどね。
総督府の人間を殺害しては弁明はできないだろうなぁ。
431津藩はエグイ:02/06/14 01:47
>429,430
う〜ん、それ以前に「容保の生命」を欲する、という時点で強い恣意性を感じますねえ。
江戸脱走軍を北関東で討伐するのは当然として、「会津を寛典して旧幕臣グループと
個別化させる」というのが本来、政略の常道でしょう。結果論や偶発的要素を考慮しても、
「将軍にカワサレたから、京都守護職の血で我慢しとくか」、みたいな官軍(長州というべきか?)の
土着的な復讐心を、私なぞは感じますねえ。
432日本@名無史さん:02/06/14 02:01
>>429
戦いの口実を作るために、奥州を侮蔑していた世良を
送ったんじゃないの?
「あいつなら何かやらかして、戦端を開く口実を作ってくれるだろう」
みたいな感じで。
ようするに世良は捨て駒。
433日本@名無史さん:02/06/14 04:12
>>431
もちろんそういう動機もあったでしょうよ。
会津は単なる一地方藩ではなく、幕政の中枢にあったわけだしね。
慶応期の幕政の主体は江戸幕閣ではなく一会桑だし。
西南雄藩は幕府打倒というより、一会桑打倒が念願だったわけだしね。

>>432
それは小説の読み過ぎだ(w
世良の実像については、谷林博の実証的な研究『世良修蔵』があるから
一度目を通しておくといい。
434津藩はエグイ:02/06/15 00:46
>>433
ご指摘のように、会津がただの親藩ではなく、政権担当の
一翼を担っていたという事実は、会津にとってネガにだけ作用しましたな。
結局、官軍が一会桑「打倒」だけでなく、「誅殺」まで目的を飛躍したところで、
江戸進駐以降の流れはできあがったと視るべきですな。
「打倒」でしたら、長州征伐の失敗ですでにレームダック化し、
大政奉還で瓦解していたわけですから。
やはり、奥州・北越戦線の官軍は、政治目的達成後のオーバーキルの印象が否めませんな。

435明治維新で:02/06/15 00:50
結局大名身分の処刑者は出なかった。
436津藩はエグイ:02/06/15 00:57
>>435
「結局」ね。w
437日本@名無史さん:02/06/15 01:01
負け犬の弁明はいいわけでしかないのがよくわかった。
438日本@名無史さん:02/06/15 01:08
>>437
意味不明。日本語わかる?リアル厨房?
439新政府としては:02/06/15 01:12
幕府の残存勢力を徹底的に叩いておかないと、不穏分子として政治不安の要因となる、
と考え、その中心である会津を徹底的に叩いたという戦略的意義。
440津藩はエグイ:02/06/15 01:34
>438
デムパは放置しましょう。
>439
革命軍として非情に徹するならそれもアリでしょう。
ベクトルの推進力をあの時点において、なお緩めなかった「気質」が
薩長の真骨頂だったわけですから。
ただ、死に馬にムチ打つような、後味の悪さを残したこともたしかだと思われ・・・
441日本@名無史さん:02/06/15 02:23
437は、山口か鹿児島に生まれただけで、勝ち組だと思ってる低学歴、低所得の
哀れな負け犬なんだろうな(藁
442日本@名無史さん:02/06/15 03:16
まあでも一方的な敗戦にもかかわらず、結果的には
家老の切腹で溜飲を下げたわけだし、その点は会津
にとって不幸中の幸いといえるか。
でも容保にも、もう少し政治的決断力があればなぁ。
443小林虎三郎:02/06/15 07:15
でも今の会津若松の発展を考えると複雑ね。
それと、白虎隊の霊廟周辺の俗化はヤーヤー一揆からの報復が終わっていないと
セコく考えるか、それとも迷惑かけたんだから観光で潤ってくれとおおらかに
考えるべきか・・・鬱堕。
更に寄合、足軽などの白虎隊が研究者からもシカトされているようで・・・・
更に鬱。
444日本@名無史さん:02/06/15 07:37
殿様は子作りだけに励んでいればよかった時代から、
個人の能力が必要とされる時代にいきなり代わったからね。
容保はがんばったと思うよ。

天皇に面会できた大名なんて、いない時代だしさ。
445日本@名無史さん:02/06/15 08:29
>>439
戦略というよりも、こだわったのは天皇をどっちが握るかの問題じゃない?
会津側は薩長を「官軍」とは認めていなかった(今でもそう?)し、
輪王寺宮を擁立して短期ではあるが南北朝を現出させた。
倒幕派としては、中途半端な和睦はできなかったんだよ。
個人的には、幕府勢が将棋倒しのように崩れていく混乱のなかで、
列藩同盟という対抗勢力をつくり出した毅然とした姿勢は評価したいね。

ただ、倒幕派は、幕府勢を徹底的に叩いたというよりは、
最後は慶喜や容保を体制側に取り込まざるを得なかった。
もし慶喜や容保を殺害してたら、旧幕臣の仇討ちにより、
まちがいなく薩長政府は短命に終わってたと思う。
446日本@名無史さん:02/06/15 11:31
>>445
そんなこと言ったって、上野戦争以降は戦力が比較に
ならなかったのは実際の戦争の通りだろ。
447日本@名無史さん:02/06/15 12:59
>>445
>列藩同盟という対抗勢力をつくり出した毅然とした姿勢は評価したいね。

だが、あまりにも竜頭蛇尾じゃないか。
最初ばかり気勢を上げて、あとでは会津を残してさっさと
恭順してるし。会津が気の毒だよ。
とくに仙台藩は一貫性が見られないと思うがどうか。
448日本@名無史さん:02/06/15 16:47
仙台藩的に言えば会津が勝手にやったことに過ぎないって
ことになるのかなぁ・・・。
449日本@名無史さん:02/06/15 22:48
仙台は仙台で会津を重荷に思っていたのじゃないか?
450日本@名無史さん:02/06/15 23:41
所詮はドンゴリってこった
451日本@名無史さん:02/06/16 00:45
>435=437=439
弁明といいわけは、ほぼ同意語だよ(プ
幕府や列藩同盟を負け犬扱いするならまだわかるが、それを弁護したり、薩長の戦略を
批判したり、考察することも負け犬になるのか?
お前、頭だいじょうぶか?鉄格子つきの病院にかよったらどうだ?(藁
自作自演の薩長オタは、急所つかれると低脳の地がでるな(劇藁

452小林虎三郎:02/06/16 01:07
また荒れてきたなあ・・・
>435=437=439はネタでしょ。
453小林虎三郎:02/06/16 01:09
仙台については列藩同盟についての正確ばヴィジョン無かったし
軍事的にも列藩同盟や会津の足を引っ張っていたし。
なんだかイイトコないなあっと考えてみたりする。
454日本@名無史さん:02/06/17 01:53
>>451
つうか、435=437=439=442=444=446=447=448=449=450なんじゃないの?
こいつよほど暇なんだな。
455天才遠藤:02/06/18 11:34
仙台的には、徹底抗戦じゃ交渉にならないと。
456日本@名無史さん:02/06/18 11:40
自作自演の薩長オタは、急所つかれると低脳の地がでるな(劇藁

>急所突かれてやられたのはおまえ等の方だろ?(劇藁∞
457日本@名無史さん:02/06/18 12:53
仙台は悪くないってことで。

領民のことを考えずに戦争するような連中は、しょせんダメ大名よ。

458日本@名無史さん:02/06/19 00:24
>>457

? 新政府の鎮撫総督府参謀を斬殺して開戦の口実を
与えてしまったのは、他ならぬ仙台藩だが?
459日本@名無史さん:02/06/19 03:33
幕府の息の根を完全に止めておく意図で会津を攻撃した。
460林田外記:02/06/19 12:35
会津藩って、長州征伐の際に切腹した長州藩家老のようなものかな?
461【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/06/19 13:21
世良曰く「弱国二藩」の内の一つは仙台だしね。
462日本@名無史さん:02/06/19 13:53
仙台のサポーター気合が足りてなかった。だから負けたのだ!
463【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/06/19 14:37
今年 仙台では100人余りもの幼女・少女を
犯した男が逮捕され、無期懲役となりました。
464日本@名無史さん:02/06/19 14:48
それってネタだろ?↑
465【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/06/19 16:59
>464
いーえ、事実です。
ただ、被害者全員を「レイプ」したわけじゃなく、
強制わいせつを含みますが。
フジテレビでは、犯人逮捕の時の映像も
流しました(日曜か土曜の夜の森本さんの番組)。
変態の凶悪犯には見えない、フツーの感じの、しかも
なかなかハンサムな青年でした。
466林田外記:02/06/19 17:03
>457
「領民の視点」というのは大切だとは思うけど、「領民の視点」を絶対視するのは
いかがなものかと思う。
467【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/06/19 17:35
この当時、東国・西国を問わず、領民の立場を
第一に考え優先した藩やその殿様などおらんよ。
468日本@名無史さん:02/06/19 19:54
>>456
急所突かれてやられたのはおまえ等の方だろ
>おれは、薩長になにもされていないが?(プ
ハクチ病院のあったかい布団のなかで一生、妄想旅行を楽しみな(藁
君は官軍参謀として、これから会津を征服に行くんだよ(爆

469日本@名無史さん:02/06/19 20:00
>>468は諸恥か?
470津藩はエグイ:02/06/19 22:41
>469
東西のデムパどうしの罵倒合戦は、幕末スレの風物詩です。レスつけずに
受け流しましょう。
>ALL
仙台藩の武備って実際のところ、どの程度だったんだろう?額兵隊は有名だけど、
それ以外の軍制は、貞山公時代と大差なし?コワッ
ミニエー銃数千丁、四斤山砲数門なんて勇ましい話は聞いたことないけど。
詳しい人いるかな?
471日本@名無史さん:02/06/20 01:18
大勢力である一門や一家のほとんどは勤王派なんで動いてないからねえ
藩の本隊や精鋭は藩内に留まって温存されてたし
主戦派だって白河口まで行って他人の領土を守る仕事じゃ士気は上がらないと
・・・でアノザマなんだな〜
472日本@名無史さん:02/06/20 01:53
>>469
自作自演くん復活!(藁) またいい声で唄ってくれ(劇藁
473日本@名無史さん :02/06/20 19:28
>>462
いざっつー時の行動力の鈍さは変わってないな東北
判断力がともいえるが
474日本@名無史さん:02/06/20 19:42
>>473
逆説的だけど、行動力があったらロシアと手を結んでいたな。東北は。
475日本@名無史さん:02/06/20 23:08
>474
んなわけねーだろが!
476日本@名無史さん:02/06/20 23:17
>473=474
ヴァカ発見 ハジサラシ
477日本@名無史さん:02/06/20 23:26
>>473は、会津藩が蝦夷地を警備していたことを御存知ないようだ(W
478日本@名無史さん:02/06/20 23:28
赤一色に染まった満員の大田のスタジアムは、日本が敗れたことを知らせるアナウンスがあると、大きな拍手が巻き起こった。
http://sports.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=175352
479日本@名無史さん:02/06/20 23:36
林子平は東国人ですが?
やっぱロシアと組んで大和を滅ぼすべきだったのだ。
480日本@名無史さん:02/06/20 23:50
>479
「東国人」「西国人」って区分けはあまりにも雑。
「オトコ」「オンナ」で区分けするフェミニストと同程度だな。
481日本@名無史さん:02/06/21 00:18
林子平で思ったが、仙台藩は何故東の維新の主体にならなかったんだ!!
蒲生君平の意志を継いだ宇都宮藩をを中心とする栃木エリア。
高山彦九郎の思想的流れを汲む群馬南部、埼玉北部の新田系エリア。
また、これらと呼応した他関東草莽組織。
ついでにどう動くかはわからんが水戸。
ここに林子平と所縁のある大藩仙台。
東の維新が起きてたらな・・・
482先祖は会津藩士:02/06/21 00:23
俺の先祖、明治に会津から白河に移り住んだ。夏休みや冬休みは小峰城(白河城)
や会津若松城に行くんだけど、ここで100年以上も前に戦があった事を思うと
どうしても涙が溢れる・・・・
483日本@名無史さん:02/06/21 00:32
>480
 江戸で生まれて仙台藩に仕えたのだから東国人という以外に
なんて言うの?

>481
仙台人がダメなのは今の昔も同じ。期待するなつぅの。
大和民族=亜流朝鮮人  仙台人=亜流大和民族
484日本@名無史さん:02/06/21 00:48
どっからが東国なの
岐阜とか福井はどっち?
485先祖は会津藩士:02/06/21 00:51
岐阜は西国で福井は東国だと思います
486日本@名無史さん:02/06/21 01:03
え、そうなの?
岐阜は東国かと思ってた。
基準がよくわからん。
487474 ◆PXG5trJ2 :02/06/21 01:14
>>475
>>476
恥さらしねえ・・・(大和等爆笑)
吉田金一教授の著書や、「海舟日記」の、原文を読んだ事、ないんだね(大和等爆笑)
もし、函館、札幌、仙台、新潟が、ロシアの開港地に、なっていたら
日本は、19世紀後半に、確実に、ロシアの植民地に、なっていた事を、
想定する事が、出来ないんだね。本当に低脳だね。博子ちゃん烏賊だよ(大和等爆笑)
488karipuso:02/06/21 01:37
>474=487
論旨不明瞭、飛躍しすぎ。大和等もイタイがあんたも相当イタイ
「本当に低脳だね」自虐癖おアリですか???

489日本@名無史さん:02/06/21 01:55
>488
いやいや、487氏は選択肢としての可能性を指摘してるのだよ。
少し皮相的に。大和なんたらとかと同一視するのは失礼だよ。
地政学的にロシアが日本にとって最大の脅威だったのは事実だろ。
あいつらは対馬を占領しようとした前科もあるわけだし。
490日本@名無史さん:02/06/21 01:59
>>487
内容以前に文章がイタイ・・・
491日本@名無史さん:02/06/21 02:01
まぁ札幌に港造れたら画期的だよなw
492日本@名無史さん:02/06/21 02:11
>487=489
ジサクジエン、カコワルイ(w
493日本@名無史さん:02/06/21 02:28
487は晒し上げに決定!    終了(w
>>492>>493
こらこれ、>>488氏にしつれいではないか(プンスカ)

それにしても博子ちゃんとやりたし
むむぅ。まちがえた>>489氏であった。失敬。
496日本@名無史さん:02/06/21 15:30
実際には、戦闘死傷者は少なかったそうだよ。逃げずに集団自決とかの
方が割合が多い。有名なのは非戦を主張していた家老の一族だったかな
・・派閥とかそういうのは閉鎖社会じゃ死を選択させるのかも。
降伏せずに自決って美化しちゃダメだと思う。

篭城は、恐怖と狂気が満ちていて砲撃をされてるのに退避せずに
虚栄で凧なんかをあげてたという・・・退避していれば死者は
もっと少なかったはず。隠れるとかを卑怯とする精神主義ってやつ
かね・・・。
497日本@名無史さん:02/06/21 20:32
>496
> ・・派閥とかそういうのは閉鎖社会じゃ死を選択させるのかも。
意味不明。
もっとましな文章書け!
498 :02/06/21 23:39
>497
部落とかの事ですよ。
大和民族は印紙つですから。
499日本@名無史さん:02/06/22 00:17
キムチ風味のデンパが迷い込んでるようですな(藁
500aa:02/06/22 01:02
500
501日本@名無史さん:02/06/22 01:36
悲惨な低脳・チエオクレの474=487がいるスレはここですか?
502【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/22 12:58
竹に雀を 袋に入れて
あとで おいらのものにする
トコトンヤレ トンヤレナ♪>仙台藩
503474=487 ◆PXG5trJ2 :02/06/22 13:13
>>501
電波度は極めて高井戸!
504日本@名無史さん:02/06/22 13:32
ジョーカーさん。

たしか別なスレ(スレタイトル忘れましたスマソ)でカキコしてました
松平容保の事を歌った童謡(?)
「肥後の殿様、ようがんしょ・・・(うろ覚え)」
すみませんが、もう一度教えてくれませんか?
教えて君ですみません。
505日本@名無史さん:02/06/22 14:43
交戦派が主流の中で非戦を唱えることがいかに難しいか・・・

選択肢がもう籠城しか無い場合で・・以前非戦的な発言をしていた
少数派閥がどう思われるか想像してみると分かりそうなものだ
506横須賀の高坊:02/06/22 16:42
先祖が横手にいました。列藩軍にけちらされ 城が陥落(横手城)
するとき 切腹しようとした若殿を連れて
久保田城まで撤退しましたそうです。
507横須賀の高坊:02/06/22 16:56
ちなみに 本家の叔父サンが
横手の市議会議員やってます・・・
屋敷を売って 選挙資金にしおって・・・
しかも三回落選 今ニ期目・・・鬱
508林田外記:02/06/22 22:57
>496=>505
西郷頼母は非戦派だったがゆえに妻子は自害するしかなかったと仰りたいん
でしょうが、集団自決したのは西郷一族だけじゃないんですよ。
509日本@名無史さん:02/06/23 01:19
>>508
うーん、それもそうか・・・
510林田外記:02/06/23 19:59
西郷家の他には、内藤家・柴家・沼沢家なども集団自決しています。
511【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/23 22:07
>504
会津肥後さま 京都守護職つとめます
内裏繁盛で公家安堵 トコ 
世の中ようがんしょ・・・(この先は知りません
512林田外記:02/06/24 21:22
「反逆」の罪を一身に背負って刑死した、会津藩家老・萱野権兵衛の一子郡長正
も豊津で切腹し、お家に殉じました。
513豊津の人:02/06/26 12:27
>522
郡長正は敗戦から2年、16歳の時、斗南藩士として洋学を学ぶ為、
長州にお城を奪われたお仲間・旧豊前小倉藩(豊津藩)へ留学しました
学業休暇の時、藩校の寮に残っていた長正は、国許の母へ手紙を書きました
「いろいろ大変です、食事も中々口に合いません…云々」
ところが、その手紙を落としてしまい、学友に拾われてしました
悪い学友たちは、勝手に盗見し、あげく壁に張り出しました
長正は女々しいコトを書き連ねたコトを恥じ、会津士魂を守る為、
寮の一室で割腹して果てました

豊津では語り伝えている
一緒に留学していた連中は庇い立てもせんやった とも伝えているけどね
(;;´Д`)<留学生苛めは いけません、通信の秘密は守りましょう
514日本@名無史さん:02/06/26 22:22
徳川宗家と会津松平家との関係図

容保─┬喜徳(徳川慶喜弟)
    │
    ├容大
    │
    ├健雄─┬慶雄
    │     │
    ├英夫  └勇雄(元福島県知事)
    │
    ├保男──保定──保久
    │
    └恒雄──一郎
               ├─┬恒忠
    徳川家達O┬豊子 ├恒孝Q─家広──家智
           │    └恒和
           └家正P──家英
515日本@名無史さん:02/06/27 00:56
小倉は勝手に自分の城焼いて逃げた連中だぞ。慶喜に長州が激強って
過大に報告して(そうしないと無能っぷりが目立つから)その後の
行動に影響を与えた馬鹿。
516日本@名無史さん:02/06/27 01:34
>>515
誤解してるよ
517林田外記:02/06/27 08:42
徳川四天王と言われた高田藩(榊原家)、彦根藩(井伊家)すら、西軍として
徳川討滅の為に働いてる。わずかに酒井忠次の子孫(庄内藩)のみが徳川
の為に戦ってる。
518豊津の人:02/06/27 12:56
>515
あのー、城自焼は石見浜田も、長州激強の報告は現地で苦戦した派兵諸藩も同じ筈なんですが…
それに 慶 喜 の 屁 タ レ の 責任まで追っ被せられてましても…
>一緒に留学していた連中は庇い立てもせんやった とも伝えているけどね
この一文が気に入らなかったんですか?
地域伝承と歴史的事実は食い違うかもしれませんが 伝承は実際にあります

小倉(=豊津)士族は会津攻囲軍にも派兵させられましたし、
5年後には、乃木連隊に屈し秋月党と刃を交えたヘタレ連中ですが、
斗南藩がそんな藩へ留学生を送ったのは、歴史的事実ですが
519日本@名無史さん:02/06/30 14:44
>518
ヘタレ具合では、彦根藩もイイ線いってる。
520日本@名無史さん:02/06/30 17:04
そう考えると会津とか変な連中だな。
521林田外記:02/07/01 23:48
容保公も当初は尊皇攘夷浪人に同情的だったが、足利将軍木造さらし首事件で
浪士観を一変させた。
522六角獄:02/07/05 13:18
容保は人殺しすぎたよな・・・末端の命が安い安い。
近藤勇もヤバかったとか。永倉とか糾弾してるんだが、容保が
ちょっと裁可すれば芹沢とかみたいに首をすげ替えられてた
かも。

権力者は、女子供が犠牲になってでも生き残る。
523日本@名無史さん:02/07/05 21:04
西郷頼母って良く「筆頭家老」って紹介されるけど、実際西郷って次席じゃなかったっけ?
家老の序列は確か

1:田中土佐玄清
2:西郷頼母近悳
3:神保内蔵助利孝
4:萱野権兵衛長修

だったはず・・・
524名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/05 21:12
>>522
容保は誰と比べて人を殺し過ぎだと?
525名無しの歩き方@お腹いっぱい:02/07/05 22:26
>>522
鴨がわるいだろぉが!どう考えてもな。
容保が人を殺したって?どう殺したんだね。
526【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/07/06 14:56
久し振りに「会津中将」を飲みたいなァ。
527【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/07/06 15:03
芹沢鴨の飲みっぷりはイイ!
528【^−^】:02/07/06 16:24
責任者1人が命をかけて藩士領民の為に死ねってのは無理だよ。
その当時は家臣全員死んでも主君を生かすってのが価値観。

慶喜は結果的に多くの人を戦禍から救ったけど当時はボロカス
言われたそうだよ。
529日本@名無史さん:02/07/06 20:02
先祖が横手にいました。列藩軍にけちらされ 城が陥落(横手城)
するとき 切腹しようとした若殿を連れて
久保田城まで撤退しましたそうです。
530日本@名無史さん:02/07/06 22:56
>>525
まあ少なくとも神保修理は見殺しにしてるよね。
それだけは認めるだろ?
531小林虎三郎:02/07/07 07:46
「七年史」で神保修理切腹に至る事が詳細に書かれているYO!
因みに作者は修理の弟の北原雅長。

よほどムカついていたのかじっくりと切腹までの過程が
書かれている。
532日本@名無史さん:02/07/07 14:27
いや、北原はよく感情を抑えてあここまで会津維新史を叙述できたものだと思う。
義姉の雪子(修理の妻)も、実父の神保内蔵助も会津戦争で亡くなっているしなぁ。
神保家の人たちは悲惨だよね。
533林田外記 ◆jUjRXqZc :02/07/07 16:31
>530
しかし、何で容保のみの非をあげつらうのだろうか?
534日本@名無史さん:02/07/07 16:57
一番悪いのはとんずらこいた慶喜だろ。
535林田外記 ◆jUjRXqZc :02/07/07 17:02
一応書いておくけど、会津側が100%正義であるなんて思ってないからね。
536【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守:02/07/07 18:06
仙台のフネケどもに死を!
537小林虎三郎:02/07/07 18:08
会津の正義を唱える奴ほどウザい奴はいないよ。
極端に貶めている奴もウザいけどね。
538530:02/07/07 18:09
>>533
え? 誤解だよ。
べつに容保のみをあげつらう意図はない。
単に、修理に詰め腹を切らせたという事実を述べただけだよ。
539日本@名無史さん:02/07/07 18:11
容保は人を殺し過ぎって言ってた奴はどこいった?
540日本@名無史さん:02/07/07 18:19
>536
荒らし師ね
541日本@名無史さん:02/07/07 18:23
>>539
容保が、というより京都守護職が、というつもりじゃなかったのかな。
もっとも殺害した人数よりも捕縛した人数の方が多いのが実際だけどね。
542林田外記 ◆jUjRXqZc :02/07/09 11:49
某スレで名前が出てきた”田中清玄”って何者ですか?
543日本@名無史さん:02/07/09 13:26
武装共産党のヤツじゃねーの?
猪瀬直樹「ペルソナ」にも「ピカレスク」にも
名前出てた。
544【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/07/09 13:44
田中清玄は会津藩士の末裔で、
帝大(東大)法科時代に共産党に加わり、
テロや銃器密輸を仕切る武闘派左翼でした。
逮捕・投獄後も転向しませんでしたが、
母親が「会津藩家老の末裔がアカでは、ご先祖にも
天皇陛下にも申し訳が無い」と自刃し、
それを聞いてやっと転向(というか共産主義を放棄)しました。
戦中に釈放されると、(ム所時代に交友を深めた四方ら)右翼と
交際しつつ、静岡で禅の修業をしていました。
戦後は横浜で土建屋の親分になり、反共暴力集団を
率いて労働運動・左翼運動を弾圧。その博識・人脈・男気から
政府からも信頼され、昭和天皇に謁見し、スターリンの
恐ろしさと政府およびGHQの”甘さ”を訴え、
天皇からも信頼されました。そして、その後は右翼の親玉であり
国際ビジネスマンでした。赤尾や児玉との仲の悪さは有名。
545俸禄で死ぬまで安泰:02/07/09 15:32
奥羽列藩同盟って藩のトップ連中誰も
死んでないんだよね・・・。

爵位とかもらって後進の育成に尽くした
とも言えなくもないけど。
546日本@名無史さん:02/07/09 22:48
会津は家老が切腹してるよ
547日本@名無史さん :02/07/10 09:58
庄内藩酒井家の現当主(隠居だったけかな)は写真撮影が趣味です。
写真集も発売されてるよ。
548【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守:02/07/12 21:40
松平容保と私とではどっちの方が会津人に人気があるかな?
549日本@名無史さん:02/07/12 22:05
>>548
2ちゃんでは貴殿。
世間では容保様。
マンセー
550【 ´,_ゝ`】禁酒ショッカー阿波守:02/07/13 08:35
>548
【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守(本名:千田萬蔵)はまた酒飲んでるな。
551【^▽^】断酒ジョーカー土佐守:02/07/14 15:57
いや胃を壊して飲んでいません。
552【 ´,_ゝ`】禁酒ショッカー阿波守:02/07/14 18:03
>551
千田さん、胃潰瘍ですか?
553】断酒ジョーカー土佐守:02/07/14 18:15
>552
いや潰瘍ではないのですが、胃炎です。
554【^▽^】断酒ジョーカー土佐守:02/07/14 18:19
顔面崩壊してしまった(553)。
555津藩はエグイ:02/07/16 02:42
久しぶりにROMってみました。ようやく嵐も去ったようですね。
土佐守さんは酒豪なんですか?高知県のかたは、酒量がハンパじゃないそうですが、
お体には気をつけて。
556日本@名無史さん:02/07/16 05:30
幕末で藩主身分で殺されたのは彦根と宍戸のみ。
557子供全員死亡って:02/07/16 11:12
ナリアキラは毒殺ですか?やっぱ。
558日本@名無史さん:02/07/18 01:54
age
559日本@名無史さん:02/07/20 00:16
からす組萌え〜♪
560【 ´,_ゝ`】禁酒ショッカー阿波守:02/07/25 09:03
>545
死んだ(戦死・切腹など)トップ連中リスト

会津藩:萱野権兵衛・田中土佐・神保内蔵助

盛岡藩:楢山佐渡

二本松藩:丹羽一学

仙台藩:玉虫佐太夫・但木土佐

この他にもいるかもしれんが、俺にはここまでしかかけん。
561日本@名無史さん:02/07/25 13:46
dさf
562日本@名無史さん:02/07/25 15:29
>>560
仙台藩に坂英力、和田織部辺りも処刑されてる。
玉虫はトップ連中に加えるほど地位は高くないので除外した方が良いかも。
>>545
山形藩も家老水野三郎右衛門が切腹してる。
ってか藩主こそ死んではいないが、その下で実質藩政を握っていた
家老級の人間は戦後、責任負わされて切腹させられている場合が多い。
563日本@名無史さん:02/07/25 18:45
                      イタガキ、覚悟せい!
                             ┃▼▼▼▼
                             ┃     ┃
                             ┃ 會   ┃
                             ┃     ┃
                             ┃▲▲▲▲
                             ┃
    ◎---◎オ、オラは・・・・・          ∧ ∧_┃
 Σ(;∴)д∴)   +      _ ___(゚Д゚,,) ヾ
   /    ヽ  `========ll⊂| >    | ∨/| ̄`ヽ
   | イタガキ| |            | >  i | // |  i  |
   | |   | |              ̄ ̄| |//.  |  |へ|   ←佐川官兵衛
    ∪ イ ∪               | |=∞==|  |ナ
    | || |                  l___|  i  |_|
    | || |                   /    |   ヽ
    | || |                   L__⊥___」
.    (_)_)                /Y_l   〈_Y`、
                         ̄      ̄
───────────────────────────−──────―
────────‐───────────−────────────―─‐
─‐──────イタガキ、うぜーーーーー!!──‐◎---◎ ───‐──―──‐
─────‐∧ ∧,〜 ────────────‐(; ∴)д∴)───―─‐──‐
──−──‐( (⌒ ̄ `ヽ───_ ───────‐ /    /─―/ヽ────―─‐
──―───‐\  \ `ー'"´, -'⌒ヽ──────‐| |ヨウドウ‐─‐/ | | ─────―
―‐――──‐ /∠_,ノ    _/_───‐―──―─‐| |  /─―/ | |―────―‐
─────‐ /( ノ ヽ、_/´  \―────‐──‐∪ ./──マンセー∪ ────―─
────‐ 、( 'ノ(     く     `ヽ、 ―────―‐| /−─/|| | ──−───―
───‐‐/` ―\____>\___ノ ──────‐|/──/ || | ────‐─―‐
───/───―‐/__〉.───`、__>.―‐―───‐─―‐| || | ─────―─
──/──‐──────────────―−───‐(_)_)─────―─
564日本@名無史さん:02/07/28 12:12
佐川官兵衛って、レイプ途中で娘に刺されて死んだんじゃなかったかな。
日光でも魚沼でも佐川は一般市民への残虐行為を重ねているし、
このスレで一番ひた隠しにしたい人物だよ。
アズマは自分で立場を悪くしてどうするのかな?
「佐川は特異的な精神異常人間で、会津の立場を代表しない」
こう言わないと会津の弁護は出来ないよ。
565日本@名無史さん:02/08/06 23:31
>564
またバカが出てきた。
566日本@名無史さん:02/08/07 01:41
>>564
ソースきぼんぬ
567会津死ね:02/08/07 07:00
>>564
原爆投下が正当やら、会津落城のほうが悲惨などと頭にピカドンが
おっこったようなアポーな言抜かした会津若松の某元高校教諭で、
司馬遼太郎も小説の史料提供に応じてくれた元観光協会会長のアホ
の発言よりはマシだYO!
568日本@名無史さん:02/08/07 07:13
>>564
アズマ派と会津擁護派は別だろ。
569日本@名無史さん:02/08/07 14:17
>567
薩長死ね!
570日本@名無史さん:02/08/07 14:50
>>567
まずは日本語の勉強をしたほうがいいな。
それと、罵倒ばかりじゃなくて、ソースも示してくれ。
571会津っぽ:02/08/07 16:37
≫567 宮崎氏のその話はもう飽きた、話の一部を誇張するのもいいが中途半端な知識ではすぐボロがでる。
572【 ´,_ゝ`】参議ショッカー:02/08/07 17:02
>569
薩長に非ず、「ヤマト」なり!
573【 ´,_ゝ`】参議ショッカー:02/08/07 17:04
「ヤマト」つうのは、「アズマ」の荒らしに憤激するあまり己も荒らしとなった
哀れな電脳糟粕のこと。
574【 ´,_ゝ`】参議ショッカー:02/08/07 17:05
佐幕派≠アズマ
薩長派≠ヤマト
575日本@名無史さん:02/08/07 18:02
宮崎のヴァカ親父が突っ込まれる事を書くから未だ尾を引いているんだろ。
それで中沢敬治から「外道侍」と罵られるのさ(W

そもそも新人物系の作家にまともな奴がいるのかよ(ゲラ
576会津死ね:02/08/07 21:38
>>571
漏れは「宮崎」という人は知らないし、その名前を出してもいないよ。
なんで名前を特定できたの?

それともこの話はヤパーリ会津史家がからんでいるのかな?
577日本@名無史さん:02/08/07 21:53
>>576
基礎的な事も知らないでよく先のような発言が出来たね。
578日本@名無史さん:02/08/07 22:29
>>577
それじゃお前が説明しろよ。
漏れも原爆よりも会津落城が悲惨だと間の抜けた話を聞いたことがあるぞ。
それらを「嘘」とよくもいけしゃあしゃあと述べられたな。
579日本@名無史さん:02/08/07 22:31
>>577は未だに戊辰の復習などどアホな発言をしている「どべ」クンです。
注意しましょう。
580日本@名無史さん:02/08/07 22:32
>>577
それだけモノが言えるんだから
>>576に説明する義務があると思われ。
581一介の会津ファソ:02/08/07 22:34
宮崎氏の発言が広島の教研で吊るし上げられたのは事実でしょ。
但し、氏も広島を卑下するつもりで発言した訳ではないけど、
こと政治がからむような文言は慎むべきだと思ったよ。
582日本@名無史さん:02/08/07 22:41
>>577こと「どべ」クンは、逆に自分が突っ込まれて
発言が出来なくなりました。

これで会津オソ松歴史観は捏造と責任転嫁に終始するだけの
腐れ外道集団と判明しました(w

よって弁護の必要は無く、松平容保は賊軍という事で


============終了================
583日本@名無史さん:02/08/07 22:53
だからさあ!確証もない話や、調べもしないでくだらない事を
書くなよ>>576

しまいにゃ殴るぞ!
584日本@名無史さん:02/08/07 23:53
>>582
話の流れを見たけど、どっから松平容保が賊軍という結論がでるんだ?
585日本@名無史さん:02/08/07 23:59
いや、賊軍と書いている時点で「薩長史観」の虜になっていると思われ。
この手の表現はやめようとどこかのスレで書かれていたような?
586日本@名無史さん:02/08/08 00:11
会津のもんですが、「会津の怨念」とか「戊辰の復讐」とか言ってるのは
ほとんどヨソもんだね。
よそから来てて、もっともらしく「それは会津ではタブーです」とか言ってる
のを聞くと、本当に腹が立つ。
587一介の会津ファソ:02/08/08 00:19
宮崎氏の問題発言については、畑という宮崎氏と同期の人が
「会津怨念の深層」という本(歴史春秋社)で批判されている。

それに>>586氏のいわれるとおり、「戊辰の復習」を唱える輩は
会津ファンからも嫌われます。はっきり言ってうざい。
588日本@名無史さん:02/08/08 00:32
>>578
>>577って別に嘘言っているわけじゃないと思うけど?
「会津氏ね」とやらは、宮崎氏の事を知らずに、氏の、叩かれると予測していなかった?
発言をもってして会津批判をしているんだからな。
少なくとも、氏の事を知っている上での先の批判なら解るけど。
589日本@名無史さん:02/08/08 01:15
長州と仲直りしちゃいかん、って一番叫んでるのは、
いつも部外者のヨソもんばかりだよ。
総じて、ヨソもんのほうが思い入れが強いねー
590日本@名無史さん:02/08/08 06:20
>>588
おいおい、宮崎はたしか「会津の侍が靖国に奉納されていないのは不当だ」
だと政治的な発言をしていなかったか?
それとたしか長州との和解どうたらで激怒して、これまた選挙に介入した
のも宮崎じゃないの?
靖国なんてインチキ神社がなんで出てくるんだよ。
591590:02/08/08 06:22
>>588>>578間違い
592日本@名無史さん:02/08/08 06:55
とりあえず>>577の勘違い「どべ」くんとやらの反論を聞いて見ようや。

>>586の言うとおり、戊辰の復讐とやらを叫んで結果的に十字砲火を浴びた
アフォはたしかに実在したね。

たしか、2ちゃんでも有名な「はやいち」くんだったっけ?
593日本@名無史さん:02/08/08 10:47
んー、まあまずは、どべの意見を聞いてみるか。
それからだな。
594日本@名無史さん:02/08/08 12:10
どべはかなりの勘違い野郎みたいだな(w
595日本@名無史さん:02/08/08 14:33
どべとか言っている奴全員同一人物だろ?
多分会津死ねって奴だろうけど、本人は否定すると思うがな。
一人で同じようなカキコしてうざいんだよ。
596日本@名無史さん:02/08/08 14:50
597日本@名無史さん:02/08/08 15:45
同一君は特定の会津史家叩きの常習犯なんですか?。スレ違いなので、会津藩についてどうぞ。
598日本@名無史さん:02/08/08 22:17
というか、会津史家の独りよがりな維新論は真っ平御免だね。
がんばって弁護していなさい。
所詮負け犬の遠吠えにしか聞こえないからさ。
599日本@名無史さん:02/08/08 22:21
|::| | |_|,,,,,|.....|--|::|  |  .|  .|  |:::|
.   |::| | |_|,,,,,|.....,;;;;;;;;;;;、‐''''''''""~~ ̄|:::|
    |::| | |. |  | {;;;;;;;;;;;;;;}.: . .: . : .. .: |:::| ハアハア…
    |::| | | ̄| ̄| '::;;;;;;;;;::' . . :. . .: .: :|:::|  シコシコシコシコシコ ドピュッ
    |::| | | ̄|,r''''"~    ""''ヽ. : .: .: ..|:::|
    |::|,__!_--i'           'i,-――|:::|
   |::|―-- |             'i,二二|:::|
   |::|.     !   >>1    i'>  } . iュ |:::|  
  -''" ̄~~"",.`!       ; _ノ _,...、|:::|
          'i, `'i'''―--―''''i'ニ-'"   ノ// ̄~""
        ヽ.i' "'    '''"';  _/ // _,,..i'"':,
        ===`ゝ_,.*_   _,;..-'"_//  |\`、: i'、
                  ̄  ̄ ̄/,/   \\`_',..-i
                     /,/      \|_,..-┘

600日本@名無史さん:02/08/08 22:25
>>595
「どべ」クンハケーソ(w
601日本@名無しさん:02/08/08 23:23
宮崎さんが亡くなって何年経ったでしょうか。それなら、今在命中の
畑さんとかが書いた書籍にも目をむけたらどうでしょう。
602一介の会津ファソ :02/08/08 23:31
>>601
司馬遼太郎が宮崎氏と会って会談したことがあるそうですね。
あのころの宮崎氏はイケイケだったから、遠慮なく書いたんだろうけど
現在だから読んでみると「それはおかしくないかい」てな意見が出ても
しょうがないと思う。
畑氏の宮崎氏批判は手厳しいけど、これも時代の流れでしょう。

結局、宮崎氏も「賊軍」というレッテルに拘り過ぎて、薩長藩閥史観
の権化たる「王政復古史観」に囚われてしまったのでしょうか?
>>585の意見に禿同ね。
603日本@名無史さん:02/08/08 23:36
>>598-600
また会津死ねの野郎が来やがったよ(w
しかも、また同じような書き込みときたか。
ほんと解り易い奴だな。
604日本@名無史さん:02/08/08 23:38
>>603
阿呆は放置しておけ。

ところで畑という人の著作が気になるけど。
情報キボンヌ。
605日本@名無しさん:02/08/09 00:41
>>603「戊辰怨念の深層」畑 敬之助著 歴史春秋社
でも、畑さんが宮崎さんを否定的というのは聞かないなあ。
606日本@名無史さん:02/08/09 07:09
>>605
否定ではないけど、「会津の怨念に根拠はあるのか」という過程で
双方の史料である「七年史」「防長回天史」を比較検証して、
その結果、今の会津が主張する(正確にはそうではないが)「怨念」
の根拠はおかしいという内容だったような?

その過程で友人である宮崎氏の主張に対して疑問符と批判を投げて
いる文面があった。「亡くなられた後で批判するのもなんですが」
と断りをいれていおるので別段「否定」というわけではないよ。
607日本@名無史さん:02/08/10 06:11
どういう理由があったとはいえ、明治維新を正当化してほしくありません。あなたはアームストロング砲弾を浴びる勇気がありますか?灼熱の炎に身を焼かれても平気でいられますか?
戦後、犠牲者の埋葬すら禁止され、町辻で腐ってゆく家族に触れることすら許されなかった人がいた事を知ってますか?
逆賊二世だという理由だけで、愛する人との仲を引き裂かれ、迫害にさらされた人々がいた事を知ってますか?

二度と戦争はしてほしくありません。
二度と「明治維新は正しかった」などと聞きたくありません。維新賛美論者この日本からなくなるように、僕は祈ってます。

608会津死ね:02/08/10 06:52
結局、↑が会津オソ松の本音だろ(w
えらそうに講釈垂れて、明治維新は間違っていただって(w

時代の逆行、保守はどっちだろうね。
間抜け。
609会津死ね:02/08/10 06:56
>逆賊二世だという理由だけで、愛する人との仲を引き裂かれ、迫害にさらされた人々がいた事を知ってますか?

へえ、今の会津は逆賊2世だって(プププ
それって「被爆2世」のパクリじゃん(プププ

まあ、アホは肥溜めでもつかってくれ(はぁと
610日本@名無史さん:02/08/10 07:03
>>607-609
ジサクジエンのかほり。
611日本@名無史さん:02/08/10 07:47
>>610
これも自作自演で晒しage
612日本@名無史さん:02/08/10 07:48
どべクンハケーソ
613日本@名無史さん:02/08/10 08:32
>>607
どべはうざいYO!
614日本@名無史さん:02/08/10 10:59
同一君、朝から必死な煽り、無意味な批判ご苦労様です。ぜひ会津松平家に対する御批判もお聞かせ下さい。
615日本@名無史さん:02/08/10 11:43

    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  ノノノナノノナ)
    |ミ/  ー◎-◎-)
   (6     (_ _) )   ←1
  _|/ ∴ ノ  3 ノ
 (__/\_____ノ_  
 / (__))      )))
[]__| |.  でじこ命 | |
|]   | |_____)|
 \_.(__)三三三[国]_)
  /(_)\:::::::::::::::::::|_)\
 |Sofmap..|:::::::::/:::::/  |
  |____|;;;;;;/;;;;;/___|
     (___|)__|)


三方を本棚に囲まれた四畳半の部屋で1は本を読んでいた。
「おんぷたんもええし、さくらたんもええが、やっぱ、でじこたんやなー。でじこ
たんはネコミミやからねー」
1は俗に言うロリオタであり、1はその趣味に耽溺していた。そして、四畳半の部屋
にある本の四分の三はロリキャラ同人誌の本であった。
「よくこれだけ集めたんと自分で関心するよ。日本中のロリ同人誌やからな。うち
、これに囲まれていたら死んでもええよ」
そのときだった、始めはゆっくりと細かい振動が突き上げてきた。そして一秒もし
ないうちに大きな縦揺れが起った。
「ひゃー地震だ。う、うちのコレクションがー」
始めの揺れで本棚が倒れ、1はその下敷きになっていた。本棚に金具をつけていな
かったせいであった。
倒れてきた本棚は、ちょうど1の首に当たり、1の頚椎が折れた。
1は自分が思い上がっていた事に気づいたが、すでに遅かった。
(コレクションに囲まれて死ぬからまあええか。じゃあねでじこたん。)

1 享年29歳(童貞)


616日本@名無史さん:02/08/10 21:34
会津死ねはもう来んな。
お前のオナニーなんて見たくないんだよ。
自分でスレ作ってそこで書き込め。
617日本@名無史さん:02/08/10 22:28
>>616
どべが興奮してキーボードを破壊しながら書き込んでいます。
618日本@名無史さん:02/08/10 22:45
薩摩死ね
長州死ね
会津こそ至誠の結晶
明治維新は欺瞞に満ちている
すべては薩長のでっち上げ政府が日本をだめにしたことが
おまえらわからないのか
特定の史家や作家を槍玉にしないで
自分の良心で書き込めよ
たのむぜ
619日本@名無史さん:02/08/10 22:50
>618
うるさい、偽会津ファソは逝ってよし。
620日本@名無史さん:02/08/10 22:51
)619
偽とはなんだ!
偽とは!!
621日本@名無史さん:02/08/10 22:53
>620は、会津ファソの振りして会津を貶める工作員。
622日本@名無史さん:02/08/10 22:54
工作員が会津を褒め殺し、それに騙された”振りをした”連中が荒らしてくるという罠。
623日本@名無史さん:02/08/10 22:55
>621
ふふふ、ばれたか
おれは長州の人間だ
624日本@名無史さん:02/08/10 22:57
>623
で、これは長州ファソの振り。
625日本@名無史さん:02/08/10 22:58
>624
じゃあ、おれはどこのもんでしょう?
626日本@名無史さん:02/08/10 23:00
関東東北主義に踊らされた連中が昭和維新を志向した。
マスコミの扇動が文民政権を打倒し、
軍部は自らを援助してきた偏向報道を固定化するために思想統制に走った。
これが世界中を敵に回した原因だと思う。
良心があるなら、地域差別感情で書き込みはしてほしくない。
自ら捏造し、公言している歴史研究家や小説家は攻撃されて当然。
618の主張には独善性だけが見える。
627日本@名無史さん:02/08/10 23:11
どべによるアラーシが進行中です。
628日本@名無史さん:02/08/10 23:16
薩長藩閥主義に固執した連中が侵略戦争を志向した。
妻を惨殺した黒田や、育ちの悪い汚職政治家の嚆矢である山県などの
薩長の連中が、私利私欲と権力欲でつくった国家(とはいえないが)に
天皇制の衣を着せて、国民をだましたが
世界はだまされなかった
これが世界中を敵に回した原因だと思う
真実を知りたければ偽善的感情で書き込みはしてほしくない。
義を信じ、良知の命ずるまま、発言する歴史研究家や小説家は擁護されて当然。
626の主張にも独善性だけが見える
629日本@名無史さん:02/08/10 23:19
どべの次はyahooの諸恥かよ!

おまえら病院逝けや。
630日本@名無史さん:02/08/10 23:20
>>626
禿同。
関東東北の奴ら、ガンだったな。
631日本@名無史さん:02/08/10 23:21
固執した連中は、トーホ愚人です。
632日本@名無史さん:02/08/10 23:21
>薩長藩閥主義に固執した連中が侵略戦争を志向した。
鹿島昇電波祭りかね(藁

なんだかこの「どべ」って奴、トンデモ本を読みすぎじゃないの。
いずれにせよ、会津をここまで貶めて何が楽しいのだろうか?
633日本@名無史さん:02/08/10 23:22
要するに、会津オソ松は今でも「復讐」の二文字しかない劣等民族
という訳だ。
634日本@名無史さん:02/08/10 23:23
>>626-633
ジサクジエーンご苦労さん。
635日本@名無史さん:02/08/10 23:27
だめだな、こりゃあ
636日本@名無史さん:02/08/10 23:27
629=634
637日本@名無史さん:02/08/10 23:29
>629
これって街宣右翼が叫んでそうな内容だな。
方向は多少違うが。
638日本@名無史さん:02/08/10 23:31
>>626-636
全て「どべ」の自作自演
639日本@名無史さん:02/08/10 23:31
636=629
640日本@名無史さん:02/08/10 23:31
トンポク人の粘着性には恐れ入る。
641日本@名無史さん:02/08/10 23:32
「どべ」ってだれ?BY初心者
642日本@名無史さん:02/08/10 23:32
>>639
どべハケーソハケーソ
643日本@名無史さん:02/08/10 23:33
どべとはトンポク合図オソ松人の総称です。
644日本@名無史さん:02/08/10 23:35
薩摩揚げの脂っこさにも閉口する
645日本@名無史さん:02/08/10 23:39
どべだのトンポクだの馬鹿丸出し。
646日本@名無史さん:02/08/10 23:40
しつこいトンポクどべにも閉口する。
647日本@名無史さん:02/08/10 23:41
ここも崩壊したな。
648日本@名無史さん:02/08/10 23:41
>>646
しつこいのはお前だ。
閉口してんならもう来るな。
649日本@名無史さん:02/08/10 23:42
>646
そうだ馬鹿
もうやめてしまえ
650日本@名無史さん:02/08/10 23:45
>>649
オマエモナー
651日本@名無史さん:02/08/10 23:45
でも、冷静に議論すれば
薩摩の陰険さは否定できない事実
652日本@名無史さん:02/08/10 23:46
>>647
会津死ねが来てから荒れたね〜
653日本@名無史さん:02/08/10 23:46
どべって本当にシツコイね。
654日本@名無史さん:02/08/10 23:47
>>653
そう思うんだったら来るな。
655日本@名無史さん:02/08/10 23:47
会津ネタは必ずあれるなあ。
まあ、2、3日も放置すればアラーシも飽きるだろうけど。
656日本@名無史さん:02/08/10 23:49
>>654
おまえもしつこいね、いちいち荒らしにレスするなよ!
それとクズレスはsage進行ぐらい覚えておけバーカ!
657日本@名無史さん:02/08/10 23:50
どべとか言っているのって薩摩人だろ?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1026016686/
658日本@名無史さん:02/08/10 23:51
どう考えても
薩摩や長州が悪にみえるじょ
尾張や彦根はもっとずるいけど
水戸は逝ってよし
659日本@名無史さん:02/08/10 23:53
>>658
会津叩きの為にそんなカキコしてるのかい?
660日本@名無史さん:02/08/10 23:53
__________ _ __  _ _____
_____  ___  | | |_ _ _ | | | _____
_ ____ |___  |_ ̄_ ._|  |__ ̄______     
__ _____/ /_____| └‐┐______
_____ _/   \ ____| ┌‐┘___ __
______< /\  >_____|  |________        
__ ___ ∧_从,;.’  ∧∧β  ̄________
_____ (・∀(;,’,⊂⌒(゚Д゚メ)つ―――― ――
___ __/⌒   ’;.’ヽ ∪   __人__人__人__ ̄ ̄  ̄
_____ / /    ヽ_∪ ̄ ̄)       ( ̄ ̄ ̄
_____/ / ヽ    l  ̄ ̄ ̄) 会津は    ( ̄ ̄ ̄
__ __ / /__l_    lヽ ̄ ̄ ̄)  史ね ッ ( ̄ ̄ ̄
_ ___(___ ヽ   lヽノ ̄ ̄ )        ( ̄ ̄ ̄
           ヾ     ̄ ̄ ̄ ⌒Y⌒Y⌒Y⌒ ̄ ̄
661日本@名無史さん:02/08/10 23:55
現在においては薩長の有力政治家なんていないから過去にこだわるのか。
662654:02/08/10 23:57
>>656
しつこいのは悪かったよ。
最近荒らしが酷いからムキになってしまった。

ただね、どんな正論でも「バーカ」なんて書いたら低俗になりますよ。
663日本@名無史さん:02/08/10 23:59
>>661
たしかに有力政治家がいないなあ。
664663:02/08/11 00:01
>>662
あまりムキになって書くと帰って付込まれますよ。
レスせずに無視するのが一番。
665日本@名無史さん:02/08/11 00:05
そうです
無視しましょう
666654:02/08/11 00:06
荒らしは無視する事にします。
667日本@名無史さん:02/08/11 00:06
管も終ったしね。あいつは結構有力だったのだが。

そういや安部の倅はそこそこイイ線言ってないか?
668日本@名無史さん:02/08/11 00:07
東京の生みの親→薩長

江戸を返しやがれ!
669日本@名無史さん:02/08/11 00:08
>>667
管って中朝韓に弱腰じゃない?
670日本@名無史さん:02/08/11 00:08
細川護煕カムバックはどうでしょうか?
会津にも官軍にも
問題ないでしょ
671日本@名無史さん:02/08/12 18:29
日和見の仙台と裏切りの三春、秋田そして城を枕に戦った二本松。その後仙台が一番恩恵を受けたのは当然ですか?
672日本@名無史さん:02/08/12 23:43
江戸時代とは別の新しい街としてな
673日本@名無史さん:02/08/13 15:32
薩長の子孫で名家ぶってる奴みると殺したくなるよな。
674日本@名無史さん:02/08/13 20:56
京都守護職を勤め、内裏の警備などにあたった会津藩を朝敵だと
思った奴が本当にいたんだろうか?<長州以外で
時代に逆行すると分かっていながら、抗ったこいつらは武士だと思うよ。
実よりも名を選んだというべきか。合掌。
675日本@名無史さん:02/08/13 21:46
利益より名誉が大事な奴に国政は任せられん。
676日本@名無史さん:02/08/14 00:43
前田利益よりもか?それは大変だな。
677日本@名無史さん:02/08/14 01:38
武士道というより、武士道を勘違いして自滅じたアフォ達だな(w
678日本@名無史さん:02/08/14 03:38
>>677
お前の考える武士道って何?
679日本@名無史さん:02/08/14 06:07
>677
薩長の大日本侵略主義帝国の事ですね。
680日本@名無史さん:02/08/14 06:48
チョンソが武士道云々と抜かしている(w
681日本@名無史さん:02/08/14 08:55
松平容保って、結局は家の名誉と意地のために大勢の藩士領民に犠牲を
強いておいて、自分はしっかり明治まで生き残って、しかも懲りもせず
に日光東照宮の宮司になんかなったんでしょ?あんまり好きじゃない。
682日本@名無史さん:02/08/14 11:26
それを言われると弱い・・・
でも生き残ってしまったから仕方ないじゃない。
地味に暮らしてたんだし。
683日本@名無史さん:02/08/14 11:43
>>682
潔く腹を切るのが会津武士道じゃないのか(藁
684日本@名無史さん:02/08/14 15:29
ネタでも笑えない、時代背景や薩長、幕府との関係を度外視して発言するスレはここですね?
685日本@名無史さん:02/08/14 15:32
>>681
そもそも、何故薩長は会津を攻めたのかな?
686日本@名無史さん:02/08/15 05:36
薩長虐殺思想の犠牲になったのが会津
687日本@名無史さん:02/08/15 07:52
>>685
長州に攻め込んだからです。
688日本@名無史さん:02/08/15 08:01
戦場における強さ      薩摩>会津>長州
権力を行使する際の無慈悲さ 長州>薩摩>会津
689日本@名無史さん:02/08/15 08:09
京都守護職を勤める為に、重税を民衆にかした会津に慈悲はありません、
690日本@名無史さん:02/08/15 08:14
会津が慈悲深いというより、長州が戦場では弱く臆病で且つ無力な相手には無慈悲である、
と薩会にくらべて。
691【 ´,_ゝ`】参議ショッカー:02/08/15 08:34
薩摩は意外に寛大だった。
中村半次郎(後の桐野利秋)は降伏した松平容保に対して礼儀ある姿勢で
対したし、西郷隆盛は、薩摩藩邸を焼き討ちした庄内藩に寛大な処置を施して
藩主以下家臣一同を感動させた。
692日本@名無史さん:02/08/15 16:28
>>687
御所を焼いて天皇を拉致しようと計画していたんだろ?
どこが勤皇なんだか。
693日本@名無史さん:02/08/15 16:50
肥後の浪人が派手に言っただけだよ。土佐はそういうの大好き
だから同調してさらに派手に・・・。
そんなのやめろよっていったのは長州。あと
長州は逃げる敵には、慈悲というか無理に戦闘しなかった
そうだよ。
694日本@名無史さん:02/08/15 16:56
会津が禁門の変のあと残虐行為を執拗にしたことが異常かと。
市街で残党狩りの名を借りて殺戮をしたとか。
薩摩を始め諸藩は、みて見ぬふりをしたという。
695日本@名無史さん:02/08/15 16:57
ほとんど土佐藩浪士だろ。殺されたのって。
696分散:02/08/15 17:02
禁門の時は、会津が直接戦闘してるからね...。戦術ミスで散々やられたから
終わったあとで荒れてたんじゃないかな。六角獄は幕府だし鷹司邸焼き討ちは
慶喜がやったはずだし。民間人や女性を斬ったりしたのは弁護できないけどさ。
697日本@名無史さん:02/08/15 17:13
ドサクサに紛れて殺害って旧軍の憲兵っぽい
698日本@名無史さん:02/08/15 17:29
ネタでレスしてるのか解らんけど、幕府の一機関としての京都守護職の評価、批判が無いのはなぜ?
699日本@名無史さん:02/08/15 17:30
長州も戊辰で仕返ししたし、どっちもどっちだな。
会津は負けてそのまんまだから歯痒いのだろう。
700日本@名無史さん:02/08/17 02:23
薩摩は偉そうに言っても
江戸でテロをやったタリバンだ
慶喜、会津、桑名をわなにはめた
ペテン師だ
会津は、西南戦争で多少、仕返しできたよね
701(∩_∩):02/08/18 02:42
会津公は神である。
702日本@名無史さん:02/08/18 06:20
やっぱ日本の国は長州でなければ治まらん!

http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1029560946/l50
703日本@名無史さん:02/08/19 02:45
長州はペテン師だ
704日本@名無史さん:02/08/22 15:47
首尾一貫日本のために行動してるよ。融和を諮ってもうすでに幕末から
そういう行動をとっている。報われたかは微妙だが・・・
705日本@名無史さん:02/08/22 19:13
京都守護職=松平容保
というイメージがあるけど、一時期松平春嶽も京都守護職に任じられていた
という事実は意外に知られていない。
706日本@名無史さん:02/08/22 19:23
「京都守護職始末」を読んだ?冷静で、いい本だ。京都で血の雨を降らせて
いた倒幕ドキョソが野蛮人に見える。

707日本@名無史さん:02/08/23 00:28
「京都守護職始末」は読んだけど、山川浩本人の著作じゃなくて弟健次郎氏
の著作なんで気をつけてね。
それと、東洋文庫版は解りやすくする為、改ざんされているので
底本を読むことをお勧めします。
708日本@名無史さん:02/08/23 00:44
>>707
あの本はたしかにちょっと改ざんされているし、京都での記述も会津藩に
ご都合のいい部分でしか書かれていないから完全に信じたらアカンね。
(概ね正確だから問題無いと思うけど)
まあ、史料なんて疑う事から始めるのだから当たり前だけど。
709pt:02/08/23 00:44
容保って明治に東照宮の宮司の仕事もらったってこの前知った
710日本@名無史さん:02/08/23 00:54
そうらしいね。
読んだのは東洋文庫版だけど、意訳というところで、改ざんというのは
言いすぎではないよーな。底本というのは明治のヤツですか。
711708:02/08/23 01:20
明治、大正、どちらでも問題ないと思われ。
値段的には明治のほうが安いけど、本自体がボロボロかもしれない。
改ざんは言いすぎだったけど、最初に読むのなら東洋文庫版が
お勧めだね。

本当は東洋文庫版と大正版を併読して、矛盾点を調べるのがいいん
だろうけどね。史料判読の勉強になるし。
712日本@名無史さん:02/08/23 01:31
校正されているので、初版ではなく、できるだけ最後の版はがいいよ<元版
巻頭に「家訓」も収載されているし。
713日本@名無史さん:02/08/23 01:32
山川の肖像写真も後の版の方がサイズが大きいです(w
714日本@名無史さん:02/08/23 07:04
そういえば三浦の伝記にも「山川浩」の話があったね。
容保の宸翰に触れる部分もあったし、当時としてはタブーだったのだ
ろうし、その宸翰が会津藩の名誉回復の切っ掛けになるとは。
715日本@名無史さん:02/08/24 08:31
そういえば星亮一が、また似非会津ファソをたきつけるような本を出したよ。
あれは歴史家じゃなくて地元福島の作家だとわからない人が多いよ。

研究書じゃなくてムックを出すのなら煽るのをやめて☆
また「会津の子孫は粘着で執念深い」と言われるのは我慢ならない!
716日本@名無史さん:02/08/24 08:38
>715
★は仙台出身で現在は福島県郡山市在住。
って地元じゃん。
717日本@名無史さん:02/08/24 09:41
会津藩と水戸藩との関係はどうだったの?よう分からんが。
718日本@名無史さん:02/08/24 09:46
>717
水戸藩内の門閥層で構成された市川三左衛門率いる諸生派は会津に来援して
西軍と戦った。
719日本@名無史さん:02/08/24 17:15
朝廷から名指して追討令の出ている市川は最初は会津領に入れず長岡に回り、
会津藩は尊攘派が復権した水戸藩に奥州同盟への参加を打診したが,拒否され
その後長岡で敗退した諸生党を会津防衛に参加させた。
720日本@名無史さん:02/08/24 18:56
会津藩てなんで支藩がないんだ?
721日本@名無史さん:02/08/25 10:26
rte
722日本@名無史さん:02/08/26 22:07
仙台と米沢は人気ないなー
723【 ´,_ゝ`】金欠ショッカー阿波守:02/08/29 06:36
北原雅長の「七年史」って市販されてるのか?
724日本@名無史さん:02/08/29 07:00
>>723
残念ながら絶版。
史籍協会版は4冊セットで2万5千円(時価)ぐらい。
戦後に再販されたのが8万ぐらいで某古本屋にならべられていたよ。

内容は旧仮名遣いだから、徳富蘇峰の「近世日本国民史」明治書院
バージョンが素読できれば、ある程度問題なく読めます。
725日本@名無史さん:02/08/29 07:06
あとは会津関連だと、ここでもあげられているが「近世日本国民史」
だろうね。あれぐいらい公平に幕末維新史を書いている本はあまり
ないからね。

ここでも槍玉に挙げられている「星亮一」の「会津藩はなぜ朝敵か」
みたいな煽り本よりははるかにマシ。
蘇峰の本を参考にしておいて、史料として明記していないのは卑怯
だと思ったね。
あれは完全に盗作。
726日本@名無史さん:02/08/29 21:42
星は歴史家じゃなくて小説家だからほうっておけ。
本は売れてナンボだから。
727日本@名無史さん:02/08/29 21:50
七年史のような本を岩波か講談社学術文庫が復刻すればいいのに。
東大版も残念ながら絶版の事。

なお、神保町価格で七年史は8万前後。
有名な南海堂も品切れで置いていない。
728日本@名無史さん:02/08/29 21:52
>>724
蘇峰の近世日本国民史も講談社学術文庫バージョンは、店舗から
在庫が消えているとの事。
どうもネットで評判になってから古本屋から消えているとの事だよ。
729日本@名無史さん:02/08/29 22:02
結構売れてるのか。
730日本@名無史さん:02/08/30 23:22
>>729
蘇峰は同志社にいた関係もあり、会津には同情的でもあるし
「賊軍は薩長のレッテル」と会津若松での講演できちんと
表明している。

但し、似非会津シンパは「蘇峰は変節漢」と叩いて彼の論文
や学説の無断使用が多すぎる!
だれとは言わないけどさ(w
731日本@名無史さん:02/08/30 23:28
>730
もっとも、徳富の演説は国策の一環でもあるのだが・・・
732日本@名無史さん:02/08/31 04:07
そうそう。
でも蘇峰は会津関連で本を出しているし、煽り抜きで「松平容保」
を弁護しているしね。

近世日本国民史は、もっと注目してもいいのでは?
733日本@名無史さん:02/09/01 12:02
jgkhgggggggg
734伊達遠江守家中:02/09/10 13:23
>727
>七年史のような本を岩波か講談社学術文庫が復刻すればいいのに。
>東大版も残念ながら絶版の事。

仙台戊辰史(藤原相之助)と防長回天史モナー
735日本@名無史さん:02/09/17 00:04
蘇峰を藩閥政府擁護の御用歴史家としか見ていない人も
まだ多くいるようだが、決して彼は盲目的に薩長崇拝を
していたわけではないんだよな。

むしろ歴史的評価は公正で、禁門の変における長州軍の
行為を、はっきり「暴発」と規定している。
当時の言論家でこういうことが公言できたのは、
蘇峰だけじゃないのか?
736日本@名無史さん:02/09/17 00:23
>>735
禿同なんだけど、歴史ヲタほど蘇峰を低く評価しているのは悲しい。
近世日本国民史はここ2ちゃんで晒されてから、急速に古本屋から
消えつつあるよ。
マジで。

会津関連やじゃ蘇峰ほどきちんと紐解いた人間はいない。
但し、早乙女貢は「変節漢」と批難し興ざめたし、
他の歴史屋(小説家上がりの連中)ほど「近世日本国民史」を
勝手に参考に使っておいて、巻末に史料としてのっけていない。
737日本@名無史さん:02/09/17 10:40
>>735
まあ長州閥との太いパイプがあったからこそ(桂や山県)、
蘇峰もそういうことが公言できたんだろうけどな。
まあ歯に衣着せない論断は、蘇峰のいいところだ。
山県らにとっても、禁門の変は突いて欲しくないところだったろう。
738日本@名無史さん:02/09/17 10:55
>>736
まあ蘇峰が変節(転向)したのは事実であるし、なにより蘇峰自身
その評価を甘んじて受け入れていたけどね。
でもたしかに早乙女貢はぜったい国民史を読んでないだろうな。
会津マンセーの早乙女なら、泣いて喜ぶ箇所が随所にあるのにな(藁
739日本@名無史さん:02/09/17 11:02
>>735
だねぇ。三浦梧楼とのコネがあった山川浩でさえ、
『京都守護職始末』の公刊を数年ストップされて
いたもんなぁ。
蘇峰はよくああいう叙述ができたね。
740日本@名無史さん:02/09/24 14:45
>671
そうなんだよ二本松は最後まで戦ったんだよ。
三春のような裏切り者が出た上でも。
なのに日和見の仙台がでかい面しているのは、どうしても納得が行かない。
741日本@名無史さん:02/09/24 17:09
星恂太郎の額兵隊や見国隊も最後まで戦ったよw
742日本@名無史さん:02/09/24 20:43
>>741
だよねえ。額兵隊はともかく、見国隊のことを知らない
維新史ファンも結構多いようだね。
743日本@名無史さん:02/09/24 21:37
>>740
確かに仙台藩は途中で脱落(降服)はしたが、
その前の白河攻防戦や秋田などに出陣し、戦い(弱かったが)
かなりの数の戦死者を出したんだから…そりゃ二本松や庄内、長岡、
会津とかの奮戦と比べれば不甲斐無いかも知れんが日和見とはちと違うと思うよ。

ついでに恩恵と言うが戦後も石高減らされまくるわ、藩内の抗争をダシに
有能な藩士多数が禁固や切腹させられるという目にあってるし……。
744日本@名無史さん:02/09/24 22:59
>>743
玉虫佐太夫は惜しいね。
ああゆう人を切腹させたのは見識がないというか
派閥抗争の生贄・・・。
745伊達遠江守家中:02/09/24 23:44
>>744
この件について、桜田良佐を禿しく糾弾する!
746日本@名無史さん:02/09/25 12:01
>>1 彼らは朝敵ではない。あれは薩長らが画策した陰謀である。
寧ろ朝敵は長州の方であった。
747日本@名無史さん:02/09/25 16:08
見国隊に関する書籍情報をキボンヌ。
748日本@名無史さん:02/09/25 16:11
孝明天皇が死ななかったら……
749日本@名無史さん:02/09/25 16:25
豊臣家滅亡の際には、真田幸村や毛利勝永がお家に殉じた(彼らの思惑はともかくとして)。
徳川衰退に際して会津藩のような藩が出たことは、徳川家にとって幸福だったと思う。
藩士や百姓にとっては迷惑だったかも知れないけど・・・
750尾張紀伊水戸+越前:02/09/25 18:33
徳川家も迷惑してそうだが・・・
751日本@名無史さん:02/09/25 19:07
>尾張紀伊水戸+越前

水戸は別として彼らは全藩あげて薩長の走狗になりましたが何か?
752日本@名無史さん:02/09/25 23:32
会津も薩長が容保の首を要求しなければ帰順していた。
753日本@名無史さん:02/09/26 09:13
尾張藩は藩祖義直以来、将軍家にとっては厄介者だからな。
754日本@名無史さん:02/09/26 12:52
このスレの趣旨に同意することはやぶさかではないが、
早乙女貢はウゼー。
755【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/09/26 15:27
越前の松平慶永は容保公を京都守護職にしたてた張本人。
会津を見殺しにしたことに痛みは感じなかったのか?

↓来てくれ
http://jbbs.shitaraba.com/study/1620/
756日本@名無史さん:02/09/27 14:14
>>753 確かにね。宗家に反目していたね、彼らの行動は徳川親藩として
、そして武士として、あるまじき行為をした。
普通の神経なら、尾張藩主、藩士共々、東照神君に顔向けが出来ないだろ
うね。
駿府、江戸にこれないんじゃないの?勿論日光参詣なんて持っての外だね
757日本@名無史さん:02/09/27 18:23
>756
しかも尾張慶勝は容保・定敬兄弟の実兄だったりする。
758日本@名無史さん:02/09/28 00:00
慶勝は慶喜の助命歎願には熱心だったが、会津・桑名には冷淡だった。
春嶽が福井の兵はほぼ会津が陥落寸前になるまで出さなかったのは、せめてもの義理かもしれない。
慶喜のお膝元の水戸は内ゲバで官軍に兵を出す余力は無く、鳥取・岡山の兵を借りて官軍に参加させている。

759日本@名無史さん:02/09/29 20:43
桑名藩の活躍について語りましょう。
↓例えば、この方のこととか。
http://www.kuwana.ne.jp/kuwana-city/history/localhistory/person/gif/tatumi.gif
760【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守ГИК:02/09/29 20:56
松平春嶽@福井と徳川慶勝@名古屋を討て!
761日本@名無史さん:02/09/29 21:22
>>760
ギーコ(ГИК)って何?
762【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守ГИК:02/09/29 21:24
>>761
意味はありません。私はロシア語もキリル文字も解さないもので。
763【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守ГИК:02/09/29 21:26
そういえばロシア兵(赤軍兵士)がダワイ!ダワイ!
と略奪・強姦をしたように、会津など奥羽で
悪事を働いた官軍兵士もいたんだろうな。
764【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守ГИК:02/09/29 21:30
二本松では酒に酔い乱暴狼藉を働く官軍兵士たちに
激怒した神主が切腹して抗議したそうです。
765コギャルとH:02/09/29 21:31
http://www.tigers-fan.com/~jko

http://www.tigers-fan.com/~tyk

ヌキヌキ部屋に直行
  コギャルとヌキヌキ
  全国地域別出会い
766日本@名無史さん:02/09/29 21:35
今日のジョーカーは活きがいいな。
767日本@名無史さん:02/09/29 21:39
つうか、立見尚文について語ろうよ。
768日本@名無史さん:02/09/30 06:12
>764
その切腹して抗議した神主って二本松の何処の神社の神主か判ります?

それと会津は戦火にまみれたので資料が殆ど無いと言う説がありますけど、城自体は
丸々残ったので二本松や長岡に比べるとベラボーに資料が現存していると言う事実を
知らない人が多いらしい。
769日本@名無史さん:02/09/30 08:31
丹羽さんて米沢に逃げちゃったんだっけ?
770日本@名無史さん:02/09/30 08:43
759で「たつみ」になってるけどたちみじゃないの?立見。
あと尚文は明治以後の名前だよな?確か。なんか読み方が特殊で
「なおふみ」じゃない筈だけど、どうしても思いだせん
だれかおせーて
771日本@名無史さん:02/09/30 20:39
>770
立見鑑三郎@雷神隊
772日本@名無史さん:02/10/01 00:13
>769
逃げたというより逃がした。
責任はあくまで家老がとるということです。
773日本@名無史さん:02/10/01 00:15
藩主に責任が及ばないように、家老が総ての責任を引き受ける。
これが当時の「士道」。
774負け犬の遠吼え:02/10/01 00:35
関東、東北へ行けばいくほど幕府にしがみつく。
アメリカには屁ピリ腰。ロシアにびくびく。
視野の狭い、思考停止ほど恐ろしいものは無いという
教訓を学べた事には感謝したい。
775日本@名無史さん:02/10/01 00:40
>>774
言ってる意味が解らないんだけど?
776負け犬の遠吼え:02/10/01 00:47
屁ピリ腰で、結局何もできなかったのは
積雪量と思考停止に何か関係があるのかも、とさえ思えたよ。
まあ、りんごでも作っていなさいって言うこった。
777日本@名無史さん:02/10/01 00:56
中国、九州へ行けばいくほど朝廷にしがみつく。
アメリカには屁ピリ腰。ロシアにびくびく。
視野の狭い、思考停止ほど恐ろしいものは無い。
教訓を学べと言いたい。
778井伊:02/10/01 01:18
777よ、-------コピペ作戦失敗--------じゃ。

やはりわしは死ぬ。
779日本@名無史さん:02/10/01 16:26
薩摩、長州は攘夷でも開国でも何でもよかったんだね。自分たちが天下を
とれれば満足した。これが本音だろ!
高杉なんかは攘夷派の急先鋒だしね。

視野が狭いのは、薩長の方が狭いね。坂本竜馬や勝海舟の様な自由な発想
が欠落している。
780【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/01 20:42
>779
薩長はスポーツをしてるわけじゃないのです。
政治をしてるのです。
政治をするということは、手を汚すということです。
手を汚さない政治などありえない。
叩くなら土佐を叩きなさい。
781日本@名無史さん:02/10/01 20:44
そういやジョーカー見かけんな。どうしたんじゃろ?
782【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/01 20:55
>781
そのうち出てくるでしょう。
だいぶ叩かれるようだけど、あれしきで来なくなるようなタマじゃないでしょう。
783日本@名無史さん:02/10/01 20:56
西南雄藩は「近代」を目指していたんだよ。
会津は誠実ではあったが、孝明天皇を対象化できずに
「近世」に殉じた藩の代表といえる。
そのことには、会津ファンも異議はないよね?
784【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/01 21:07
>783
まあ、概ね異論はない。
ただ、会津藩の頑迷さ、不器用さが俺は好きなんす。
俺は、政治的に成功した人物よりも、滅びの道を歩まざるをえなかった者の方に惹
かれる。
785日本@名無史さん:02/10/01 21:11
>>784
そうだね。けっきょく会津藩や新選組への関心って
判官贔屓的な作用が働いているところもあるよね。
だから映画や小説などでは一般の興味を引くだろうね。

会津にも有能な人がいたのに、保守性の強い公用方が
その人材を上手に運用できなかったのが残念だ。
786日本@名無史さん:02/10/01 23:02
漏れも会津は嫌いではないよ。
>>785の言われるとおりで日本人の判官贔屓の性格なのか
敗者にも光をというお陰で会津の役割が歴史から抹殺
される事もなかったわけだし。

会津を嫌う人と言うのは王政復古史観に毒されてと言うより
会津を弁護する人たちが理論的でなく、自分たちの主義主張
を誇示する為に会津を利用しているからではないかな

と考えてみたりするage.
787【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/01 23:05
三浦梧郎は朝鮮王妃殺害などで悪く言われていますが、
こと会津など東北の旧「逆賊」諸藩地域には思いやりのある男でした。
788日本@名無史さん:02/10/01 23:09
>>787
逆賊は無いんじゃないか?
789【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/01 23:16
>>788
だから「」付きにしてるでしょ?
790【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/01 23:23
土佐の三姦(山内・後藤・乾)は、郷士を侮蔑し土佐勤皇党を弾圧しといて、時流が
変わった途端に「討幕」などとほざきだした。
小笠原唯八には、それを恥てる所があったけど、それにひきかえ板垣は・・・
791【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/01 23:27
>>790
乾は勤皇党弾圧以前から中岡や間崎と交友があったよ。
792【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/01 23:30
小笠原兄弟は共に会津戦争で討死し、墓は会津若松にあります。
また、勤皇党郷士で後に乾の子分になった安岡覚之助も会津で討死。
793【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/01 23:36
土佐は乾グループ(旧勤皇党もその配下)を抑え、
戊辰の役に参戦すべきではなかった。
794【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/01 23:44
それにしても、日テレ『白虎隊』では、
土佐藩士(板垣、中島、吉松など)が良く描かれていた。
高知県人が製作に関与していたのかな?
795日本@名無史さん:02/10/01 23:48
>>794
監修の故宮崎十三八が挿話するようにしたのだろう。
796【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/01 23:51
>>795
宮崎十三八ってどんな人だったのですか?
797【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/02 00:05
ショッカーさん、小笠原唯八の家系・先祖について教えて下さい。
798【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/02 00:06
>797
しらん。
799【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/02 00:09
>796
いわゆる郷土史家。
良く言えば愛郷心豊かな人物、悪く言えばうら・・・(以下略)。
800【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/02 00:10
>>798
阿波小笠原氏の末裔だったら(より?)好きになるかい?
801【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/02 00:11
>800
一応言っておくけど、俺は別に阿波好きだといったこと一度もないぞ。
802【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/02 00:12
>>801
そういえば、貴殿は阿波守だけど、
阿波人=徳島県人だとも聞いていません。
803【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/02 00:15
>799
会津の郷土史家なのですか。
その宮崎氏も製作者も、敵がワルばかりじゃ話がつまらないので、
無難な土佐を一応「善玉」にしたのかな?
804日本@名無史さん:02/10/02 00:15
>>799
宮崎は、星なんかと比べるとまだ公正な方だったよ。
少なくとも公の場では、感情論に走ったりしなかったと思う。
805【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/02 00:18
中島信行が西郷頼母の娘を介錯した話は有名だけど、
吉松速之介が神保修理の妻(井上丘隅の娘)に
脇差を貸した話も史実なのかな?
806【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/02 00:18
>803
宮崎氏は、司馬や中村彰彦などにネタの提供などもしている。
ただ会津を愛するゆえか、筆致がややイタタ気味なんで好みは分かれると思う。
807【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆pTNOBY9E :02/10/02 00:20
宮崎氏を全面的に評価はしないけど、俺は宮崎氏は決して嫌いではない。
星亮一は嫌いだが。
808【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/02 00:23
元親の末っ子 康豊(康親?)が酒井氏家臣(後に庄内藩士)ではなく、
保科氏家臣(後の会津藩士)になっていたら、
その末裔が板垣率いる官軍土佐隊と戦いおもしろかったなぁ。
809日本@名無史さん:02/10/02 00:23
>>805
吉松が捕虜の女性に脇差しを与えたことは
吉松本人が語り残しているが、人名までは
定かではなかった。
後に「おそらく神保雪だろう」と推定された模様。
810日本@名無史さん:02/10/02 00:26
>>807
漏れも。宮崎は許容できるが、星は好かん。
811【^▽^】脚気患者兼痛風患者ジョーカーГИК:02/10/02 00:27
>>809
ありがとう。
実は中島らは西郷家の瀕死の女達を犯した上で「介錯」し、
吉松はその捕虜の女を陵辱して「介錯」の手伝いをしたのが
真相だったりして(w
812日本@名無史さん:02/10/02 00:28
んで、『七年史』などの会津側の記録では雪子は
戦死したことになっているが、これは捕虜を恥と
したからだろうと言われている。
813日本@名無史さん:02/10/02 00:30
>>811
あんたホントに土佐人なの?
814日本@名無史さん:02/10/02 00:32
>>811
菊地良著『神保雪小伝覚書』(大正9年)という文献に
吉松速之介の談話が記されているらしいよ。
815日本@名無史さん:02/10/02 00:39
吉松は維新後に出世したの?
816日本@名無史さん:02/10/02 00:45
>>815
陸軍少佐にまでなっている<吉松
817日本@名無史さん:02/10/02 00:51
吉松も中島と同じく自由民権派。
818日本@名無史さん:02/10/02 00:54
保科正之
819【^▽^】:02/10/02 00:58
名古屋と福井を瓦礫の山にしてやる!
820【^▽^】:02/10/02 01:01
鹿児島県人・山口県人・高知県人は東国から出ていけ!
821【^▽^】:02/10/02 01:05
土佐人を撲滅しよう!
822日本@名無史さん:02/10/02 01:13
【^▽^】←複数犯?
823日本@名無史さん:02/10/02 02:09
支離滅裂だな・・・
わけがわからんので今夜はもう寝る
824【^▽^】 :02/10/02 07:06
ありゃ、【^▽^】 ってこのスレにおける名無しさんと思うていた。
また宮崎氏が引き合いにされているけど、これも本人の不徳な部分
がクローズアップされた訳だし、仕方ないね。

茨城の名越氏は名前こそ出していないけど(宮崎氏じゃないよ)
「小説家」とだれかを痛烈に批判していたしね。
もっとも名越氏もある意味「極右・国粋主義」の水戸史学家だからイタさ
ではどっちもどっちかな。それでもコヴァよりはましだけど。
825【^▽^】:02/10/02 13:51
私は会津大将岩代守です。ドサっ子などと一緒にしないで下さい。
826【^▽^】合図中朝:02/10/02 17:50
ロマンが足りないと土産物が売れなくなる
827日本@名無史さん:02/10/02 21:56
飯盛山よりも二本松少年隊の墓がある大隣寺の方が観光地化されてなくて良いです。
828【^▽^】広島アカ:02/10/02 22:36
宮崎よりも彼の友人で現会津史学の責任者である畑氏のほうが
理性的に書かれているけどね。
宮崎は観光部長でもあったから、会津史学の前に観光ありだった
んじゃないかな?そのツケが飯盛山の白虎隊で士中2番隊のみの
顕彰だとしたら、なんて片手落ちであろうか。

庄司氏は農民問題のエキスパートだったっけ。
彼の東北農民一揆の研究書は「魂の値段」がついていておいそれ
と買えないyo!

>>827に禿同。
829日本@名無史さん:02/10/03 12:12
7日から教育テレビで早乙女貢の番組が始まりますな。

【NHK人間講座 敗者から見た明治維新】
戊辰戦争で「逆賊」の汚名を一身に背負わされ、辛酸をなめつくした会津藩主従。弾圧され、冷遇されながらも力強
く逆境に立ち向かった人々の生きざまを通して近代日本の成立を捉え返し、維新史を見つめ直す。
http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200210/mon.html
830日本@名無史さん:02/10/03 21:29
>829
NHKには容保公の曾孫がいるからね。
831【^▽^】広島アカ:02/10/03 21:38
早乙女氏じゃお決まりの薩長史観批判に終始して終わりだろうけど
どれぐらいの抗議の電話がくるか楽しみだね。
旧家の人は早乙女を「エロ作家」としかみていないだろうし、
広島では「クズ」扱いだし。

まあ、かの方の文節は突っ込み安いから楽しみだよ。
832【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/03 21:41
>831
貴殿は安芸国のジョーカーですか?
833【^▽^】広島アカ:02/10/03 21:46
違います。実は先祖は福島某地方で片方は青森某地方のニンゲソでし。
但し、叔父貴は広島でピカドンを実際に食らったニンゲソです。

だからといって「ピカドンよりも残酷だ」という言質云々には
こだわらないけど、近代史を志した先生の言葉ともおもえなかったんで。
でもこの言質が広島のアカ教師達を怒らせたのは事実だyo!
広島教研で会津史家と早乙女が「封建史観の犬」と吊るし上げられた
そうな。
834【^▽^】広島アカ:02/10/03 21:55
そういう点では会津というのは割に合わないね。
その叔父は、幕末会津藩で京都時代の日誌をもっているんだけど
「会津士魂」を読んで資料提供をやめたそうな。
「このままだとご先祖が復讐だけの粘着男と誤解される」というのと
「会津若松の百姓文士に捏造されてたまるか!」という事で
亡くなっても史料提供を拒んだそうだ。

今は叔母が持っているけどね。
それと早乙女の先祖が会津藩士の子孫だといっているけど
そんな話を叔父から聞いた事ないよ。
曰く。「あれは金で侍になったんだ(怒」
だって(w
835【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/03 22:18
>834
「会津士魂」は読んだことないんだが、そんなに酷い代物なの?
836日本@名無史さん:02/10/03 22:39
「敗者から見た明治維新」なのに取り上げるのは会津だけかいw
837顔文字の某コテハン:02/10/03 22:58
早乙女なんぞ東スポに連載している低級な男。しかも東スポは児玉系。
838日本@名無史さん:02/10/03 23:15
星にとって会津が全てなんだろ。
839【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/03 23:18
でわ、二本松について語ろうか。
840【^▽^】広島アカ :02/10/04 07:01
おはよう。
>>834
まあ、なんというか、内容的には「2ちゃんねる版ダサツマチョン州市ね」
と書いた方が早いかな。あまりにもご都合主義で旧家の人はあまりいい話
はしませんね。
NHKでは収録済みでしょうが、内容によっては視聴者から重箱の隅をつ
つかれるでしょうなと思いますよ。まあ、観光歴史の権化でしょうね。
かつての薩長の押し付けがましい王政復古史観と同じようなウザさが早乙女
星、故宮崎にあるのでしょうがね。
新興宗教みたい。(w

それなら「二本松藩史」を放映したほうがよいかもしれません。

それと、会津藩史が優れていて、他の東北諸藩史を見下すような早乙女、
星の考えには同調できかねますな。彼らの仙台藩が云々というような論
調は、ある意味問題があると思うよ。それはある意味会津藩の同盟に対す
る失策と思うけどね。

841【^▽^】広島アカ:02/10/04 07:04
因みに我が親父は「会津士魂」は「ポルノ作家が会津を利用した
駄作」として無視しているそうな。
よって親父はNHK教育テレビの内容によっては「お電話」だ
そうな(w
842【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/04 09:22
ただ、仙台藩は仲間のはずの東軍からも評判が悪かったのは事実。
会津藩士は仙台藩兵を「ドンゴリ」と呼んで馬鹿にした。「ドンゴリ」というのは、西軍の
大砲が”ドン”と鳴ったら”五里”逃げ走るという意味。

さらに二本松藩には、「真に惰兵とは是等の者を云なるべし、仙人数兎角用心」など
と言われる始末だった。
843顔文字の某コテハン:02/10/04 09:53
仙台藩は腰抜かもしれないけど、大槻や玉虫のような進歩的インテリがいました。しかも彼等は卑怯者ではありません。
844日本@名無史さん:02/10/04 12:18
>>842
縁もゆかりもない土地に数百の兵を送った朋友に何を言うのだ二本松藩士はw
845顔文字の某コテハン@心臓脚気+痛風+脂肪肝:02/10/04 13:26
会津藩にも郷士はいたのですか?早乙女貢の先祖は郷士株を買ったのかな?
846日本@名無史さん:02/10/04 13:39
そこまで見通していたとは思いませんが・・・・
家康は死ぬ最後まで西国外様大名の将来の動向を心配していたようですね・・・
(一応伊達家もですが・・・)
847ぴか:02/10/04 13:43
「壬生義士伝」はどうですか?
かなり好きなんですが
848顔文字の某コテハン@心臓脚気+痛風+脂肪肝:02/10/04 13:46
早乙女は少年時代の松永弾正が温泉で盗賊にカマを掘られる、とか下品な描写が多い。 また佐幕派なのに家康嫌いだわ、由比正雪が好きだわ、わけがわからん。
849顔文字の某コテハン:02/10/04 19:19
早乙女の話題をしだしてすまん。
奥羽越列藩同盟について語りましょう。
850【^▽^】広島アカ:02/10/04 20:50
>>849
そですね。もっともNHKが放映されたら早乙女パッシングがはじまるか
早乙女マンセーが始まるか(w

ところで東北最強といわれた庄内藩の火力ってどのくらいだったのでしょうか?
負けなしというのも物凄い話ですけど。
851【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/04 20:55
調べて分かったんだけど、仙台藩って庄内藩にまで馬鹿にされてたそうです。
うう、カワイソウニ・・・
852【^▽^】広島アカ◇:02/10/04 21:04
>>850
ガ━━(゚Д゚;)━━ン!
ソナンデスカ?
某歴史サイトで「野心はあるが、実力が伴わない」
と言われていましたが・・・・
853sage:02/10/04 21:50
>>845
がいしゅつだが、早乙女の曽祖父が明治の初め(正確な時期は不明)に
会津藩士の株を買ったというのが真相。

スレ違いなのでさげ
854日本@名無史さん:02/10/06 13:08
細谷十太夫率いる「からす組」こと衝撃隊について教えて。
855日本@名無史さん:02/10/06 13:57
>>854
細谷十太夫が隊長。
856【^▽^】病人ジョーカー:02/10/06 14:51
>>853

な〜んだ。そりゃヘボい。
早乙女の曾祖父は出が大庄屋(郷頭)か富裕商人なのかな?
857【^▽^】病人ジョーカー:02/10/06 14:57
拙者の母方の祖父方の曾祖母方は山口重政末裔の
会津藩上士(その分家なので、中士の上級説もありw
858伊達遠江守家中:02/10/06 18:07
>>851
そんな仙台にも押されてた久保田藩って・・・・。
「鬼義重」の末裔たちは、暗殺しかできないほどに落ちぶれてたのか?

「寝返りは計画的にね」って相馬・三春以下じゃん。
859【^▽^】病人ジョーカー:02/10/06 18:09
佐竹氏@久保田(秋田)と秋田氏@三春を討て!
860会津人だ:02/10/07 12:40
容保公を擁護するのはココですか?
大まかに言って「容保公と会津藩はやむにやまれず巻き込まれていった」というような
中途半端な解釈がなされているようですが、客観的になりきれずに客観的に思うとやは
りどう考えても容保公には変なヒロイズムがあって、ここで手柄を上げたい。手柄を
上げて幕府の要職(守護職よりも上)に付きたいといったささやかな野望も見え隠れ
します。だからと言って容保公を批判する気持ちはさらさらなくて、むしろそれくらい
の漢が戦争に勝っていたらどうなったかを知りたいぐらいです。良家おぼっちゃんにし
ては灰汁が強くて好きだなこういうお方。
861【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 14:39
自分が(政事総裁を辞して)京都守護職に就けよ>松平春嶽
862日本@名無史さん:02/10/07 14:44
>861
一度就いたんだよ。
時期は短かったけど。
863【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 14:52
>>862
そうだったのですか。
その後釜というか身代わりとして容保公を。
864日本@名無史さん:02/10/07 14:57
>863
そうじゃなくて、
文久四年、軍事総裁職に就任した容保に変わって春嶽が京都守護職に就いた。
865【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 15:06
>>864
ということは必ずしも春嶽を狡猾な悪党とは言えないかも・・・
866日本@名無史さん:02/10/07 15:23
ただ、京都守護職配下の新選組が反発し、ついには春嶽暗殺も辞さない構えを
とった為に、やむなく京都守護職は再び容保がつくこととなった。
ただこれは会津側の記録なので、割引いて見た方が良いかも。
867【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 15:35
それが正しいとすれば、新選組は、活躍してご苦労だが、
いくら何でも身分不相応な態度だな。
868日本@名無史さん:02/10/07 16:02
無頼の浪士集団と藩主との絆といえようか。
容保はずいぶん近藤たちから推戴されていたようだな。
京都で路頭に迷おうとしていた近藤らを拾い上げてくれた
のが会津だったからね。
869【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 16:11
水戸藩郷士出身だけど芹沢らも
会津中将を敬慕していたらしい。
870日本@名無史さん:02/10/07 22:47
そろそろ早乙女の番組始まるぞ
871日本@名無史さん:02/10/07 23:02
まだ生きていたんだこのジジイ。
872日本@名無史さん:02/10/07 23:03
30年もクズ本を発行していた珍人物往来者って・・・

873日本@名無史さん:02/10/07 23:04
もしかして、早乙女オヂチャンって髪を染めているの?
なんだかきになるなあ(w

それと、もそっとはっきりしゃべれよ、
あんましよく聞き取れねえぞゴルアアアアアア!
874【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 23:06
評論は観終えてから。>皆さん
875日本@名無史さん:02/10/07 23:09
前の時代がよくない時代としなければならない。

所謂、保守反動ね。【 ´,_ゝ`】プ
876日本@名無史さん:02/10/07 23:11
ここは早乙女ファンクラブのスレになりますた
877◇【^▽^】広島アカ :02/10/07 23:12
ビデオにとっているから、コメントは後ほどね。
突っ込む所は突っ込むけど。
でも、ほんとうは早乙女センセにレポートしても
無駄なんだけどね。
完全に決めつけでしゃべっているから。
878日本@名無史さん:02/10/07 23:28
部屋の中で、なんか飛んでたぞ。
鳥か?
879【^▽^】広島アカ:02/10/07 23:41
NHKテキスト売っているみたいだね。
明日あたり買ってみようっと。
880日本@名無史さん:02/10/07 23:41
早乙女、薩長に対する憎しみが、どうしても隠しきれない香具師だな。
2チャンで薩長叩いてる香具師とクリソツ。
早乙女は2チャンネラじゃねえか?
881【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 23:44
>>880
アイテー(森前総理の造語)を使えるお歳ではないと思われ(w
882【^▽^】広島アカ:02/10/07 23:46
>>880
まあ、痛いのはたしかだけど所詮は物書きですからね。
我が家では爆笑してみていました。
決め付けも程々にしておかないと、どこかの雑誌か何か
で反論されるか、煽られるかのどちらかでしょう。

ここはレポートするより2ちゃん的に切り捨てるのが
おもしろいかもしれません。
多分、歴史学者はみな早乙女を無視して教育テレビに
は突っ込みを入れるでしょう。そのほうが目立つでしょうし
早乙女に突っ込むと「お前は餓鬼か?」と他の学者から
後ろ指さされるので無視するでしょうけどね。
883【^▽^】広島アカ:02/10/07 23:48
レポートをする→早乙女にレポートを書く の間違い
ゴメソ
884日本@名無史さん:02/10/08 00:31
>>851
仙台藩は大藩である事から、始めは尊大な態度をとり他藩の邪魔になっていたが、
戦争末期には自藩の弱さを自覚し戦上手の庄内藩に対し、貴藩の指揮下に入りたいと申し込んでる。
庄内藩はかなり迷惑したと記録にある。
885日本@名無史さん:02/10/08 00:55
始め〜戦争末期つっても3,4ヶ月だもんなぁ
やっぱ戊辰戦争は凄いな(w
886【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/08 07:26
>884
仙台藩が弱かった理由は、仙台藩の特異な領国支配システムにありそうだ。
887*:02/10/08 11:04
↓茜が「おい、お前ら何やってんだよ」と突っ込まなかった場合

かずや「うるせえよ」
つばさ「おまえがうるせえよ」
かずや「うるせえのはおまえだよ」
つばさ「うるせえよ」
かずや「おまえがうるせえよ」
つばさ「おまえだよ」
かずや「うるせえよ」
つばさ「おまえがうるせえよ」
かずや「うるせえのはおまえだよ」
つばさ「うるさくねえよ」
かずや「うるせえよ」
つばさ「おまえがうるせえよ」

888うるせえよ:02/10/08 13:22
仙台藩が世良修蔵の言いなりになって会津を攻めていたらどうなったんだろうなぁ・・・
889日本@名無史さん:02/10/08 20:50
>始めは尊大な態度をとり他藩の邪魔になっていたが
弱いのに、先陣は仙台で!って言っといて、戦火が開かれると
ドン!!と大砲がなったらクモの子を散らすように逃げて行く。
これが他藩の迷惑になっていたっちゅー事やね
890日本@名無史さん:02/10/08 21:43
ほだごど言っても仙台藩の戦死者はおどげでねがす
891日本@名無史さん:02/10/08 21:51
すまん、方言はマジでわからん。
誰か890氏の書き込みの訳書いてくれないだろうか……。
892日本@名無史さん:02/10/08 21:55
ごっしゃぐど
893日本@名無史さん:02/10/08 21:55
>>890
>おどげでねがす
ワカリマセン
894日本@名無史さん:02/10/08 21:57
がおるぅー
895伊達遠江守家中:02/10/08 22:04
>>888
今よりも笑い者にされていたと思われ。例えば、目先の利益に目がくらんで実力の裏づけ
なしに同盟を離脱して周囲からボコられた久保田藩とか、押しも押されもせぬ小大名なの
に新政府から「奥羽の旗頭となって勤皇につくせ」と悪い冗談としか思えない命令を受けて
しまった天童藩とか以上に。

>>886
領内に割拠する小大名級の上級家臣団による影響力が強く、優秀かつ強烈なカリスマを
持つ殿様でないと藩論をまとめきれないような仕組みになっていた。
896【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/09 15:30
秋田藩の領国支配システムも仙台藩と似通ってるな、そういえば。
897日本@名無史さん:02/10/09 19:16
保科正之
898日本@名無史さん:02/10/09 22:46
このスレだけど、かのyahoo日本史掲示板で名物の「戊辰戦争勃発」
の名物男「quasar1999」こと諸橋嘉久もロムっているそうだが、奴によると
「2ちゃんねるは書き込む価値がない」
のだそうだ。
その割には奴の書き込みがいまいち理解できないな。
まあ、yahooは偽善厨房の巣窟だし(w
899日本@名無史さん:02/10/09 22:53
仙台は本当になんだったんだろうか。
軍事的にも政治的にも活躍をせずに、戦後は生贄を差し出して
ケツをまくったところはマキャベリズムに徹した伊達政宗の
伝統か(w

>>898
諸恥はyahooの恥さらし。将に偽善の代表者。
今まで「某河井hp」を称えていたけど、今では手のひらを
返すようにあそこで罵詈雑言を並べている。
バカの自覚のない奴はほうっておけ。
900日本@名無史さん:02/10/09 22:56
世良君の首を便所に放り込んだんだから許してやれよ>>899
901日本@名無史さん:02/10/09 23:28
でも、世良君も虚構と現実とカナーリ違うそうだね。
でも仙台藩が糞つぼに漬け込んだのは短絡的というか・・・

>>889
諸恥については同意ね。
最近は諸恥にレスする奴もいるけど、ネタかな?
902日本@名無史さん:02/10/09 23:40
903日本@名無史さん:02/10/09 23:43
2002/10/ 9 22:49 白白しい
投稿者: quasar1999 2002/10/ 9 23:05
メッセージ: 2231 / 2233

898 名前:日本@名無史さん :02/10/09 22:46
このスレだけど、かのyahoo日本史掲示板で名物の「戊辰戦争勃発」
の名物男「quasar1999」こと諸橋嘉久もロムっているそうだが、奴によると
「2ちゃんねるは書き込む価値がない」
のだそうだ。
その割には奴の書き込みがいまいち理解できないな。
まあ、yahooは偽善厨房の巣窟だし(w


899 名前:日本@名無史さん :02/10/09 22:53
仙台は本当になんだったんだろうか。
軍事的にも政治的にも活躍をせずに、戦後は生贄を差し出して
ケツをまくったところはマキャベリズムに徹した伊達政宗の
伝統か(w

>>898
諸恥はyahooの恥さらし。将に偽善の代表者。
今まで「某河井hp」を称えていたけど、今では手のひらを
返すようにあそこで罵詈雑言を並べている。
バカの自覚のない奴はほうっておけ。


900 名前:日本@名無史さん :02/10/09 22:56
世良君の首を便所に放り込んだんだから許してやれよ>>899

負け犬だな。みじめな諸恥(W
904日本@名無史さん:02/10/09 23:44
大和田爆笑ってギャグのつもりかね。
寒い・・・・。
905日本@名無史さん:02/10/09 23:45
諸橋電波祭りの開始です。
906日本@名無史さん:02/10/09 23:46
他人の投稿を貼り付けて罵っているだけのヴァカだろ。
2ちゃんに書き込む度胸もないのに、本当に小心者だな。
907日本@名無史さん:02/10/09 23:49
奥羽列藩同盟スレが電波祭りスレに変貌してしまった観があるな。
908日本@名無史さん:02/10/09 23:52
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1021646166/l50

諸恥については上記スレにて議論をどうぞ。
さて、YAHOO厨房は放置して本題にもどりましょうか。
909日本@名無史さん:02/10/10 16:38
仙台藩は、下手度藩(立花家)を裏切り者と見なして攻め込んでますね。
弱い者に強い仙台藩(w
910日本@名無史さん:02/10/10 19:50
あらあらNHK教育の会津マンセー番組が終わってた後
急に仙台藩叩きを始めたのは早乙女さんですか?w
911日本@名無史さん:02/10/10 19:56
下手度藩は藩主は討幕派だけど、国元が奥羽越列藩同盟に参加。
しかし仙台藩に背信行為と見なされ攻撃を受ける。
912日本@名無史さん:02/10/10 20:09
下手渡藩主の立花種恭は慶応4年当時、若年寄だったはず。
幕閣なのに討幕派?
913長岡藩士族ゴンちゃん:02/10/10 21:09
今、住んでる大阪市淀川区のコミュニティ新聞にこんなことが書いてました。
「区内最高齢の高畑久男さん105歳で大往生。高畑さんは、会津白虎隊士の子息で...」
白虎隊名簿見たら、白虎足軽隊に「高畑栄吾」なる人物がいた。
914日本@名無史さん:02/10/10 22:45
東照宮に行って来ました。
915日本@名無史さん:02/10/10 22:46
>>914
そんで?
916日本@名無史さん:02/10/10 23:08
NHK人間講座「敗者から見た明治維新」読んだけど、
あまり目新しい内容はなかったね。
2ちゃんねる的に書き込めば「負け犬論」といってもいいんでない?

新撰組を褒めているけど、どう見ても再来年の大河をニラんだ
ともいえるだろうし。
それと土方暗殺に触れているけど、根拠となる史料をあいもかわらず
明示せずに、毎度おなじみの決め付けで「大鳥と榎本」を犯人にして
いる。これって脇哲氏から嘲笑されたのに、まだ懲りずにかいている
ところは、なんだかなあってとこかな(w
917日本@名無史さん:02/10/10 23:12
斗南移住については、完全に捏造ね(w
シベリア並みの流刑地と書いているけど、それを選んだのは
山川、広沢とは明記していなかった。
ある意味、予想通りの模範解答。
「ある明治人の記録」にすら斗南移住について書かれていた
のに、真っ向から抹殺。
所詮は似非会津藩士の子孫ということで。
918日本@名無史さん:02/10/10 23:14
北海道移住と斗南移住。
どっちがキツイ?
919日本@名無史さん:02/10/10 23:22
猪苗代を選ばなかった会津人はバカ
920日本@名無史さん:02/10/10 23:24
そろそろ諸恥がコピーアンドペーストするぞ。
921日本@名無史さん:02/10/10 23:29
本来ならば白虎足軽隊も顕彰の対象なのにね。

仙台藩は「タケチャンマン」か(化石ネタでゴメソ
922日本@名無史さん:02/10/10 23:50
>912
幕閣が討幕派に就いた例は他にもあります。
例えば同じく若年寄だった松平乗謨(後の大給恒)も討幕派になってるし。
923【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/11 00:37
江戸表と国元で反論が異なるケースがあるようだ。
飛騨の郡上八幡藩でもそうだったし。
924日本@名無史さん:02/10/11 01:08
>>916
禁門の変で会津が残党狩りのため京都中を焼き討ちし
市民が憤慨したことを伏せているのも見過ごせないな。

鳥羽伏見敗戦後の容保の逃亡についても茶を濁しているし、
なにより神保修理に詰め腹切らせたことを一切触れないのは
重大な片手落ちではないか?
それでいいのか、早乙女よ。
925日本@名無史さん:02/10/11 01:12
>>916
新人物からライフワークを出版しているくせに
未だに土方狙撃説を主張しているんだな<早乙女
噴飯ものだ。
編集者は、なぜ脇哲の論証を伝えないんだろうな。
926【^▽^】広島アカ :02/10/11 01:21
本人は歴史家気取りですけど、所詮は物描きです。
こんな状態が80年代の会津若松史の主流だったのですから。

927日本@名無史さん:02/10/11 01:26
早乙女の言動は会津人にとっても迷惑なのではないか?
928日本@名無史さん:02/10/11 01:28
早乙女を降板させて、家近良樹にやらせろ。
それが本当の意味での会津の鎮魂になる。
929日本@名無史さん:02/10/11 01:28
そういえば2年前の2ちゃん歴史スレとYAHOOカテは会津マンセー
でうざかたな。
>>924-925のような書き込みをすればアフォが論的根拠もない反論
するか、煽るかのどっちかだったな(w
930日本@名無史さん:02/10/11 01:29
>>928
超賛成
931日本@名無史さん:02/10/11 01:31
>早乙女を降板させて、家近良樹にやらせろ。
禿堂!
「孝明天皇と一会桑」「幕末政治と倒幕運動」は名著だyo!
932日本@名無史さん:02/10/11 01:32
>>926
煽ろうにも、会津の放火や神保の死は感情論ではなく
歴史的事実だからなぁ。

もちろん長州の暴走も事実だ。
禁門の変での長州の行為を正当化しようとするなら、
煽りもあるだろうがな。
933日本@名無史さん:02/10/11 01:34
>>932
その点は会津ヲタも認めざるを得んだろうよ。
だが早乙女は黙殺するつもりらしいな。
934日本@名無史さん:02/10/11 01:37
亡くなった会津藩士達の顔に泥を塗るような事を、
何でするのかね、早乙女は?

つーか、NHKがこいつを出した意図も解らんが。
935日本@名無史さん:02/10/11 01:37
会津藩の幕末維新史を公正に論じることが出来るのは
早乙女でも星でもなく、家近だよね。
936【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/11 01:39
>931
「孝明天皇と一会桑」は確かに名著だな。
937日本@名無史さん:02/10/11 01:42
西南雄藩が倒幕の意志を固めたのは慶応3年というのが
今日の維新史学界の常識なのに、前回の番組見る限りでは
早乙女は薩長が文久期から倒幕を目指していたと認識して
いるようだな。

・・・どうするつもりよ、NHK?
938日本@名無史さん:02/10/11 01:45
徳富蘇峰でさえ、会津藩の関する記述は公正だった。
それに比べて早乙女・星の偏屈さはどうだ。
939【^▽^】広島アカ :02/10/11 01:46
文久の薩長は本当にカインの末裔の如く、狂気をおびていました
からね。それら過激分子が一掃されてからは会津が冴えない事。

>>936
自分も読みました。会津史家が家近氏の為に史書を翻訳して
いましたね。
940938:02/10/11 01:46
訂正→会津藩に関する記述
941【^▽^】広島アカ:02/10/11 01:50
星氏の記述は「近世日本国民史」をパクっていましたので
自分はそれ以降、星氏の著作を認めていません。

妙な先入観で相手に下らないレッテルを貼っての持論を展開
されてもね。
942【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/11 01:52
早乙女は長州の椋梨藤太を知らないのかな?
943日本@名無史さん:02/10/11 01:55
>>941
星と蘇峰では、公正な記述を目指す姿勢が違うぞ。
944日本@名無史さん:02/10/11 01:57
知ってても無視するでしょう。

そういえば戊辰役戦史の大山柏の孫で大山格氏は早乙女を
「カス」と切り捨てていたね。
但し、会津ヲタ、新撰組ヲタからは毛嫌いされているけど。
945日本@名無史さん:02/10/11 02:02
大山柏氏は宮崎十三八氏に会って、母親でもある山川捨松がなぜ
大山巌に嫁いだかを聞いたら、
「恐らくアメリカでの生活に慣れてしまい、今更山川家にもどれない」
というのが真相だと説明していたら、当の宮崎氏も嘆息していたそうな。

因みに宮崎氏は大山氏の著作「戊辰役戦史」をきちんと評価していた
そうで。

この話、早乙女の書いた内容とかなり違っているけど。
946【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/11 02:08
大山格とやらのサイトはこれか。

http://www3.ocn.ne.jp/~zeon/bakumatu/sirakawa.htm
947【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/11 02:16
>944
> 但し、会津ヲタ、新撰組ヲタからは毛嫌いされているけど。
ざっと大山格のサイト見てみたけど、あのふざけた書き方がムカツク。
会津ヲタならずとも、あれを嫌う人は多いのでは?
948日本@名無史さん:02/10/11 02:19
>>946
まあ、書き方はちょっと痛いが内容はナトークできるね。
まあ、たしかに早乙女よりは身分が上だな。
会津ヲタは認めないだろうけど。
949日本@名無史さん:02/10/11 02:22
>>947
というより、2ちゃんの存在自体がふざけているからあまり
君も笑えないよ。
目くそ鼻くそ。

950日本@名無史さん:02/10/11 02:22
>>946
会津はとっとと負けてしまえ、と言っているようにとれるな。
まあ、納得できる所もあるんだけど、何か解せない。
951日本@名無史さん:02/10/11 02:24
学者なんてあんなもんでしょ。

星は真面目に書いていて、その実レッテルを貼っているし
大山はストレートに書いているし。
952日本@名無史さん:02/10/11 02:28
明治維新を全般から「革命」と捕らえると大山の言う通りだし
また早乙女のように江戸幕府でも改革可能というと反動とも
捉えることも出来るしね。

>>947
ムカツクなら掲示板に書き込んでは如何?
953日本@名無史さん:02/10/11 02:32
まあ、2ちゃんに書き込んでいる時点でショッカーも誰かに
ムカつかれているかもよ(w

それより星のサイトも結構イタイこと書いていたyo!
ノーベル賞がどうたらとかで。
954日本@名無史さん:02/10/11 02:39
大山も星も早乙女も宮崎もどっちもどっち。
と言う訳で家近氏が会津研究家チャンピオンでファイナルアンサー?
955日本@名無史さん:02/10/11 02:47
そういえば最近、ショッカーの好敵手のジョーカーを見かけないな。
956日本@名無史さん:02/10/11 02:51
土佐軍団はどこに消えたのであろうか?
それよりこのスレとうとう955だけどどうする?
957日本@名無史さん:02/10/11 06:53
>>947
いや、会津関連でこれぐらいの辛口批評する奴はあまりいなかった
から漏れはこれはこれでいいんじゃないと思うよ。

白河攻防戦は将に仙台の無策だから批判は免れないだろ。

但し、トータル的な会津研究家だと家近氏で、地元史家だと畑氏が
きちんとした研究本や解説をしているけどね。
958日本@名無史さん:02/10/11 06:58
しかし、煽りの2ちゃんねるじゃ良スレだね。
続編でも奥羽列藩同盟と容保公の弁護と批評を求む。
959【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/11 13:00
大山は、容保の首を差し出せばよかったと語ってるけど、そんなの会津藩のみならず
薩摩藩だって出来ない相談。
仮にそんなことしたら会津藩士は未来永劫、命惜しさに主君を敵に売った不忠者と後
ろ指を指されることになる。
薩長もできないのを承知で要求してきたのだ。
960日本@名無史さん:02/10/11 16:31
このスレの続きはこちらで。

「奥羽越列藩同盟について」
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1031388085/l50
961【 ´,_ゝ`】ショッカー ◆PHpTNOBY9E :02/10/12 14:17
歴史春秋社という地方出版社から出てる「戊辰戦争は今」って良いですか?
962日本@名無史さん:02/10/13 17:32
>>961
良いよ。
萩市と会津若松市の民間レベルでの交流についても言及されている。
やはり自治体単位ではなく、市民同士の意志疎通が大切なんだな。
読んでみ。
963日本@名無史さん:02/10/14 17:01
萩市の地道さには頭が下がる。
964日本@名無史さん:02/10/14 22:58
そろそろ早乙女貢の番組第2回が始まりますよage
965日本@名無史さん:02/10/22 23:48
age
966日本@名無史さん:02/10/23 00:32
967日本@名無史さん:02/10/23 00:37
>>959
長州は長州征伐の時には、それも考えたらしい。
なんでも藩主を隠居させ、幕府の人間を養子にとるとかだったかな。

おそらく首が必要と迫られたら、おそらく差し出していたでしょうな。
長州らしいといえば、長州らしい。
968同時期:02/10/23 00:44
水戸の天狗党を率いた武田耕雲斎の一族が皆殺しにされた事で、
降伏したら皆殺しになると長州としてはかえって腹が据わったらしい。
969日本@名無史さん:02/11/01 17:07
あげ
970日本@名無史さん:02/11/01 17:08
>967
藩主押し込めはいくつか例がある。
例えば阿波徳島藩の蜂須賀重喜とか。
971慶喜:02/11/02 16:28
責任者がやっぱ責任とらないとな。案外助命されてるし。
972日本@名無史さん:02/11/13 14:01
973日本@名無史さん:02/12/03 17:00
>>959
確かに。
家老3人もの首を献上した長州とは違うよね。
974日本@名無史さん:02/12/03 17:03
上層部が責任を取る方がいいのですよ。家老や殿様が
栄達して一般の兵隊の命が軽い扱いよりかはね。
975日本@名無史さん:02/12/10 14:29
g
976日本@名無史さん:02/12/18 22:58
age
977日本@名無史さん:02/12/27 06:28
カナーリ遅レスなのですが・・・
「新撰組マニア」のところをクリックするとドラマ「白虎隊」の時の
沖田総司役・中川勝彦さんの画像が見られます。
ttp://www.lares.dti.ne.jp/~meg-hide/meg.html
978日本@名無史さん:03/01/03 23:52
雅子サマゆかりの村上藩家老鳥居三十郎を有名にしよう。
979日本@名無史さん:03/01/04 00:01
秋篠宮妃殿下も先祖に会津藩士がいる。
980山崎渉:03/01/11 17:00
(^^)
981山崎渉
(^^)