1 :
南無八幡大菩薩:
日本の合戦がいかに戦われたのか
軍事板や戦国板、武道板、その他の板でも
いろいろ言われていますが、日本の合戦について
もっとも詳しい我が日本史板住人でケリをつけようではないか!
日本の合戦は遠戦指向だったのか?
日本刀は戦場では無用の長物だったのか?
戦場で日本刀で「斬る」ということは本当に
なかったのか?
騎兵突撃は行われなかったのか?
武田騎馬軍団はウソだったのか?
長篠合戦三段撃ちはウソだったのか?
そして、戦国の組み討ちとは?
日本の合戦におけるさまざまな疑問をこのスレにてあきらかになる!!
いや、それはないだろう!
3 :
日本@名無史さん:01/12/22 17:51
軍事板では日本の合戦は
石投げが行われたり、長弓が使われていたから
遠戦指向だという笑止千万な意見が堂々と罷り通っていた。
これは、日本の合戦についてはっきりとした絵を提示
してこなかった我々日本史板の住人にも責任があろう。
4 :
日本@名無史さん:01/12/22 17:55
>3
戦国板でも、そういう認識ですよ。
5 :
日本@名無史さん:01/12/22 17:56
6 :
日本@名無史さん:01/12/22 17:57
>>4 なんと!?
合戦については詳しいはずの戦国史板でさえも
そのようなたわごとをほざいているとは・・
そう。1の反対言うと叩かれることが多い。
8 :
日本@名無史さん:01/12/22 18:00
おいおい戦国史板における論も検討していかねば
ならぬがとりあえず。軍事板のスレを検討すべし!
9 :
日本@名無史さん:01/12/22 18:01
>>7 戦国板で合戦について論争が起きているスレを
紹介してくれませんか?
10 :
日本@名無史さん:01/12/22 18:08
例のスレ(
>>5 )
14 :某研究者 :01/12/07 02:30
まあ戦国日本の場合は確か歩兵の隊長クラスでは当世具足を装備していたのではないのか
矢張りギリシャの様に山岳地帯が多いので機動力より防御力が優先される面も有ると言う事なのか
(只逆に山岳地帯であるから地形を利用する為に機動力を高めた方が
良いとの意見も有るのではないのか
無論山岳地帯だからと言って使える地形ばかりとは限らぬ訳だろうが)
歩兵の隊長クラスとは?
この発言は妥当だろうか?
11 :
日本@名無史さん:01/12/22 18:32
>>10 たしかに「歩兵」という西洋ないし後世の概念で
語っているところは問題がありますね。
それに、武田騎馬軍団や騎馬突撃が存在しなかった
という説に従えば、全ての兵は「歩兵」なわけですから。
12 :
日本@名無史さん:01/12/22 18:35
足軽自体も身分が細かく分れているとも言うが。
13 :
日本@名無史さん:01/12/22 18:41
武田騎馬隊はウソなの?
14 :
日本@名無史さん:01/12/22 18:46
体験したこと無いので全くイメージできん
日本史板住人有志でスポーツチャンバラ・雪合戦・騎馬戦でもやるか?
15 :
日本@名無史さん:01/12/22 21:22
桶狭間は奇襲攻撃じゃ無かったってホント?
>>15 なんか最近、そういう説を唱える人がいるみたいだけど、
「敵の不意をついての勝利」なんだから、間違いなく「奇襲」だと俺は思うが。
17 :
日本@名無史さん:01/12/22 22:09
そもそも「遠戦指向」って何だ?
なんだかゲームヲタのような発想だな(w
18 :
日本@名無史さん:01/12/22 22:12
軍事板や戦国板の連中は「伝説」を史実として
扱ったうえでの考えだからな。
そりゃ、トンチンカンな話しになってもしょうがないよ。
19 :
日本@名無史さん:01/12/22 22:13
20 :
日本@名無史さん:01/12/22 22:36
最初は、弓矢、石などの飛び道具で始まる。
その後、飛び道具でかなわない方や
敵が陣をはる場所を占領しなくては、ならない方が
相手に接近していって白兵戦になるという流れで間違いはないと思うけど。
21 :
日本@名無史さん:01/12/22 22:42
>>20 合戦によって変わらないか。
一括りでやると検証できないだろ。
軍板では追い詰められた遠戦派が最後ブチ切れてウヤムヤになってたね
23 :
日本@名無史さん:01/12/23 02:24
遠戦派ってどういうこと?
まさか白兵戦がなかったってことじゃないよね。
24 :
日本@名無史さん:01/12/23 02:36
>>5 向こうのが話しが盛りあがっていますね。
日本史板では「遠戦派」がいないから論争自体起きようがない?
25 :
日本@名無史さん:01/12/23 04:32
日本史板の人が一番厨房だからね。
白兵戦は矢も弾も尽きた場合の最後の手段。
いわゆる『死兵』だけが採り得る戦法。
つーか戦法とも言えない狂気のバンザイ突撃だ。
無論やられる方は超怖いわな。
石山合戦参照
26 :
日本@名無史さん:01/12/23 12:12
いや、日本史板では合戦の方法など常識だから
誰もとりあげないのだ。
戦国の白兵戦とバンザイ突撃という近代戦における白兵戦
と混同して語っていること自体が既に問題外。
矢や弾が尽きた最後の手段が白兵戦と言ってること
から25の想像する戦国の合戦が近代戦と酷似した妄想である
ことが推察できる。
27 :
日本@名無史さん:01/12/23 12:39
>742 :ただの消耗品 :01/12/19 00:04
>詳しい訳ではないが、源平合戦の頃は一騎打ちが基本だと聞いている。
>馬上では弓矢か槍とかで戦うはず。太刀は馬上から落ちたときに接近戦
>の武器として使われたんじゃないかな。その後集団戦法に変化して前線
>は槍隊、弓隊、鉄砲隊があり、指揮官がはなて〜とかの合図に使ったり
>逃亡者の背後から刀でその場で処刑したりするの使ったりとかを想像。
>武器としてはただの消耗品でしょう。江戸時代では精神面を鍛えるため
>の道具であり、寸法は規制されたと聞いている。似たような事を書いて
>いる人がいたら御免。間違っているところがあれば訂正をよろしく。
だいぶ間違っている部分があります。
そもそも日本刀独特の反りは太刀を馬上で振るうために
ついたものです。
この太刀が馬上で使われていたのはたしかで、太刀がより大型化
していったのは馬上で振るうことを前提として考えなければ
まったく説明できないものです。
はなての合図に使っただとかいうのは日本軍の話しと混同していますね。
戦国時代では槍を持つ足軽も弓をもつ足軽も皆打ち刀を帯びており、
その場の状況に応じて武器を替えて戦ったのです。
刀が戦場で使われなかっただとか単なる処刑の道具とかいうのは
まったく間違った認識です。
28 :
日本@名無史さん:01/12/23 12:51
>746 :日本@名無史さん :01/12/19 01:08
>
>>742 >源平合戦の時の騎馬武者は「騎馬弓兵」。例え至近距離でも
>弓を使おうとした。
>刀は馬から落ちた時(あるいは降りた時)に使う。
>戦国時代に指揮を取るための采配代わりというのは正解。
>だが基本的に逃げる味方を斬ることはしない。自分の部下は
>自分の領民であり自分に納税してくれる人間だから。
>江戸時代に日本刀が精神的な象徴とされたことは正解。
>日本刀万能論はこの頃生まれ、幕末には攘夷論者たちの精神的支柱にも
>なった。だが欧米列強の火力の前に打ちのめされ、しばらくは
>日本から消えていた。
>しかしながら日露戦争後に復活し、大東亜戦争において
>多くの犠牲を生む事となった。
わけ知り顔で誤った知識を垂れ流すのはやめてください。
太刀がそもそも馬上で使われていたというのは上記のとおり。
至近距離で矢を射ろうとしたのは、そもそも日本の弓は遠射を
苦手としており、比較的近くで用いるものだから。
そして、弓を射ることだけにこだわっていたのではなく、
状況によって馬上組み討ちにもちこむのが当時の流行りの戦法。
日本刀を指揮に当時使っていたというのは聞いたことが
ないのですが、どの合戦でどの武将がそうやって使っていたの
でしょうか?できれば文献名も教えてください。
30 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:21
戦国時代の着到状とか、百姓への軍役の割り当てみたいな実際の史料
みたことあるのかな
ちゃんとどんな武器を何本持ってこいとか書いてあるんだけど
それにプラスして、比較的信用に足る軍記や記録をあわせて検討すれば。
やったことないけど(笑
つーか、戦術的な合戦方法に興味ある人は、基本的に軍事方面の人じゃないの?
中世史の研究者では、そういうことやってる人あんまりいない気がするよ
31 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 13:24
白戦主義者は講談社現代新書の「謎とき日本合戦史」鈴木眞哉 680円を読んでから
持論を述べてくれ。
32 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:30
白戦派遠戦派って、なんつーカテゴリだ・・・
戦に出陣する人達の階層も違うのに、皆同じ戦い方をさせられていた
わけはないと思うんだけど。
そりゃ敵の近くで戦わない方がいいにきまってるだろうけど、
条件(持ちうる武器や自分の位置、攻守どちらかどこでの戦かどの時代か)
によって違ってくるのでは?
33 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:32
日本の合戦が遠戦指向だと言い出したのは、むしろ日本史板じゃないですか?
「合戦は想像とは違うものだった」というスレで議論されてたはずです。
それで関ヶ原の戦いでの負傷原因順位は
1位 鉄砲傷 2位 槍傷 3位 弓傷 4位 刀傷
で刀での戦闘は相当少なかったのは確かですよ。
基本は遠戦指向だったのはたしかですが、状況によって白兵戦が行われたわけです。
34 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 13:39
本書88ページから抜粋
軍忠状(恩賞のため主君に差し出した戦功と損害の報告書)から見た戦傷比較
(1333〜1387年。いわゆる南北朝期)
矢傷 86.4% (462)
切傷 9.2% (53)
石傷 2.8% (16)
鑓傷 1.4% (8)
その他 0.2% (1)
()内は人数
南北朝期にはすでに刀槍併用時代が始まっていたとされているが、接戦派の
主張する切傷は全体の一割にも満たない。
35 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:41
>>33 その関ヶ原の件については、その頃には
鉄砲が広く普及して戦い方が変化したってことですね。
あらゆる時代はひとくくりにして遠戦指向だとか白兵戦指向
だとか言うのは無理があります。
戦国時代に指揮刀ふりかざした日本軍の将校がいたと思い
こんでいる人までいるし(藁
だって、南北朝に限られていて、しかも軍忠状もらうような人達でしょ・・・
38 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:46
>>32 NHK大河のような合戦光景はありえないだろう。
鉄砲や弓矢があるのに
わざわざ接近して相手と戦うバカはいない、
せいぜい使われても槍、特に長槍だね。
ましてや刀で肉薄してチャンバラするなんて
少なくとも私は嫌だ。怖くてそんな事はできない。
しかも、戦国の兵士の多くは農家の親父でしかなかったんだし、
刀で戦えというのは無理だろう。
そのため、信長は鉄砲や長槍を多く取り入れて弱兵と言われた
尾張兵を戦わせたのだろう。
39 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 13:51
本書115ページから抜粋
軍忠状(恩賞のため主君に差し出した戦功と損害の報告書)から見た戦傷比較
(戦国期の戦傷比較 応仁の乱〜島原の乱)
矢傷 42.0% (646)
鑓傷 20.4% (314)
鉄砲傷 19.6% (302)
石傷 10.4% (160)
刀.太刀傷 4.8%(74)
切.薙刀傷 2.7%(4)
()内は人数
戦国期でも最も多いのは矢傷であった。そして鑓の台頭が甚だしい。刀での死傷者はさらに減少
している。この板で否定されている石、礫よりも低い割合だ。甲冑には刀は無力だったのだろうか。
40 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:52
>>36 刀は槍よりも扱いが難しく、技術と訓練がいるんだけどね。
なんとなくわかるだろう?槍は簡単だけど刀は難しいって。
それと高価だよ。
むしろ、刀を使ったのは専門武士(無論、武将クラスはまた別)だろ。
農民兵が太刀は日本刀、使ってたとでも思ってたの?
41 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:58
>>39 戦国末期の方は鉄砲が主流だったろうね。
関ヶ原での鉄砲の活躍は各部隊も気合いが入っていて、
鉄砲を大量に持ち込んだからだろう。
それと、朝鮮の役で加藤や黒田、小西といった武将が
槍などいらぬ、鉄砲のみを送ってくれと
いった内容の書状を書いてます。
42 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:58
遠戦派の正体は弓道家と軍ヲタか。
なるほど、射撃だけでかたをつけたがるわけだ。
ちなみに弓道家は南大門の決闘(槍対弓)のことは知っているかな?
43 :
日本@名無史さん:01/12/23 13:59
44 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 14:02
134ページから
安芸武田流の弓馬有職故実の宗家を伝承して、弓馬剣槍を学んだ金子有燐氏は、長物は両手で
扱うため、馬術に達者でなければ扱えないもの。馬上では重心を失い、不利としている。
武芸家で時代考証家てある名和弓雄氏はね馬上の槍は大変難しく、下手をすると落馬し、命取りになる。
とご自身の実体験として述べておられる。
なので、武田騎馬軍団は存在せず、むしろ移動用として、降りて戦った(馬備え)というのが鈴木真哉氏の論旨。
45 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:06
>>44 まあ、フロイスも
「我が国での騎士は馬に乗ったまま戦うが、この国の騎士は馬から降りて戦う」と書いてあるね。
実際は騎馬武者は”騎馬歩兵”のようなものだったと言われてる。
追撃の時は例外もあったそうだが。
46 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 14:08
>>42 ハズレ。まだ大学一年ですよ。小さいときから弓道やってたので興味があるんです。
この前、馬術部の奴に馬を貸してもらって、その上で弓を引いてみましたがこれがまた・・・
47 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:09
42は馬鹿という結論でいいですね。
48 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:10
>>38 槍が足軽のメインだったのはそのとおりだが、
刀がまったく使われなかったなどというのは
素人意見もはなはだしい。
甲冑の武者を相手に槍だけで勝負を決めるのは
なかなか難しい。
槍で殴ったり突いたりして敵のスキを作ったら
刀を抜きざまに懐に飛びこみ勝負を決するのが常套手段。
49 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:16
>>48 じゃあ、39の表の結果は何よ?
槍でも傷ついて刀でも傷ついたら、それが上位に行くだろ。でも、少ないのはなぜ?
50 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:17
>>40 おーい、もっと日本刀の歴史を勉強して来いよ。
雑兵が太刀振りまわすわけねーだろ。
この頃の打ち刀は刀身も短くて製作も簡単で
軽快で百姓兵でも使いこなせるから流行したんだよ。
51 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:19
>>48 槍だけで勝負がつく時もあるし、
殆ど相手が戦えなくなってから止めをさすのに
刀は使われてた、
しかし、それはあくまで相手を絶命させたり、
首を切るためだ。
52 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:20
>40
当時、日本の成人男性は殆ど全員刀を所持していた。
54 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:23
>>49 そもそも当時の合戦と近現代戦の意味がまったく
違うことを理解していない。
基本的なところで。
戦国時代の兵にとってはいくら合戦で敵を傷つけても基本的に首を
とってこないと個人の評価はまったくされない。
たしかに首はそうほいほいと獲れるものではなかったが、皆それを
目指して戦っていたということ。
当然、みな白兵戦を目指して戦うことになる。
あの新書、読む価値はあるけど、全面的に信じるのはどうかと。
騎馬用の短槍、扱いは難しいだろうが、
それを扱える者が多いのが、武田の強み。
騎馬だけで編成された部隊が、前線に急ぎかけつけ、
敵を崩すということもあった。徒歩がついていない隊だけに、
下馬はできず、例外的ではあるが、そんな編成もあったということ。
指揮は典厩様。
槍や刀で傷つく場合、生き残る比率が小さくなり、
生き残りに与える感状では、少なくなる。
遠戦主体という思考は正しいと思うが。
56 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:28
>>51 ちょっと違う。長物の弱点は懐に
飛びこまれること。
また、槍自体を敵につかまれることもあった。
そうなったら刀を使わなくてはならない展開になるのは
わかるでしょ?
58 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:32
それから下野栃木城救援の際の上杉の巨人兵や
越前朝倉の力士勢などのように戦国時代に太刀を使った
連中もいる。
59 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:34
ようは体力に自信のない弓道君や軍ヲタが
戦いはずーと離れて撃ち合いだけやってたって
思いたいだけなんだろ?
60 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 14:36
本書166から日本刀関連抜粋
日本刀崇拝の火付け役の一人は頼山陽で、「日本刀」と言う言葉を流行らせたのも彼らしい。藤田東湖も
日本刀は比類なきものとし、兜を割るという意味の詩をよくうたった。
江戸時代の剣術家、宮本一真は「世の中に 弓鉄砲のなかりせば わが兵法(剣術)に 誰が勝つべし」と
刀の欠点を認めている。
島津家の西郷某という歴戦の武士は、習った剣術など役に立たない。戦場で切りつけられたときは鎧の胸で
受け止めたと語り残している。
宮本武蔵も島原の乱に参加した際に、農民兵に石を投げつけられ、脛にあたりへたばってしまった。
日本刀崇拝は泰平の世と幕末の気概が生んだ産物としている。
61 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:37
>>50 ただし、それは飛び道具や槍で相手を倒した後、
首を切ったり、とどめをさすための道具でしかなく、
戦闘に使われる事はなかった。
>>54 あなたの主張の意味こそ違うのではないですか?
まず、戦国の人間といえど手柄より命の方が大切なわけです。
私なら手柄より自分の安全の方が大切なので後方で鉄砲を
打ってると思います。
それに慣習はともかく、武将にとっては首より戦果なわけで、
実際に首取りを禁止した合戦もあります。
そして、飛び道具や槍で倒した相手の首を取るという事も
多かったわけです。
確かに桶狭間で今川義元の「首を取った」服部小兵太と違い。
長篠で倒された山県や馬場、内藤などの老臣を「倒した」
兵士は表彰はされませんが、その方が兵自身も安全だし、
武将もそれでヨシなわけです。
首をとるのに拘るのはどちらかというと戦国初期の話しでしょう。
戦国時代も進むと実戦的に変化していったわけです。
>>56 倉科党じゃなくて、
勝弦峠の戦の時の、臨時編成のこと。
山岳道路10里の一気駆けでの奇襲。
特殊事例だけどね。
63 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 14:42
>>59 体力に自信がないとは何か!そういったことはしっかり弓道を理解してから言って頂きたい。
日に200射は当たり前でしたけどね。国体選手候補まで行きましたし。
ところで、あなたは何かできるものがありますか。得意なものがありますか?
なにもなさそうですが、論議しているつもりならつまらない茶々は止めてもらいたいものですね。
>>62 戦闘に入ってからも馬に乗ってたんですか?
65 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:44
>>56 槍を掴むとか懐に入られるとかは特殊な状況ではあるだろうけど、
源平時代でもあるましいし、1対1で戦ってたとでも思ってるの?
普通なら、槍なんか掴んでたら他の兵士に討たれるよ。
66 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:44
>59
そんなふうに簡単にするのもどうかと思うけど
だから状況に応じて違うし、いちがいに遠戦派とか接戦派とか分けること自体
ナンセンスよ・・・槍まで「遠戦」のうちに入るなんて、ちと無茶だよ
そもそも、今時合戦シーンで日本刀でチャンバラやってるのなんて、見た覚え
ないけどなあ。
批判対象の「通説」とかいうのはほんとに現在での通説なんかい?
67 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:48
なんていうか、
鉄砲>弓矢>石つぶて>槍>刀
という順番で優先されてたという事は
間違いないよ(石つぶてについてのみ自信無し)
68 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:49
>>61 まず、著名な大合戦しか頭にないこと自体が間違い。
矢や弾が無尽蔵にあるかのような発想自体が間違い。
命マンセーの人権主義者的な左翼思考が間違い。
>>64 これは推論ね。間違いの可能性もある。
数倍する敵兵。徒歩の同行がない。
となれば、下馬しての攻撃は、あまり考えられない。
近くの木にでも縛りつけて、徒歩で突撃も可能性はあるが、
どうにも? 短槍と刀での徒歩突撃は・・・。
>>66 種子島、弓と同じく容易に戦士に仕立てやすい槍だからね。
信長の「長柄を長くしろ」は有名ですね、当時の人間が長くすればよい「遠戦武器」と考えている。
長柄は張り合わせの撓る物なんですよね。
71 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:52
>>65 だから近現代戦と混同して語るのはやめなさい。
おそらくあなたの頭の中ではものすごい数の人間が
もみくちゃになって戦っているんだろうけど(w
72 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 14:52
この本には、NHKが先年実験したところ、
古来から使われていた体高130センチ、体重350キロの馬に、体重50キロの乗員と
甲冑相当分45キロの砂袋を乗せて走らせたところ、分速150メートル出すのがやっとで、10分
でへたばったとされていますが、皆さんは日本馬についてどう考えておられますか?
昔の馬よりこの馬は弱かったのでしょうか?
73 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:55
>>68 戦国といえど人間は人間なんだよ。
遠いとこから敵を攻撃したいのは当たり前。
手柄より自分が命やケガしない事の方が大切。
本能寺でも信長は弓を矢が尽きるまで打ってから自害した。
弓や鉄砲や石つぶてが主武器なのは当然で
刀よりも槍、槍でも長槍が優先されるのは当然の帰結。
74 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:56
>>70 なんだ?
槍と弓、鉄砲を同じものにして語っているのか?
白兵戦と射撃戦とでわけて考えているんじゃなかったのか?
なんだかあんたの言ってることムチャクチャだよ。
刀身の長い太刀も「遠戦武器」と考えることにしてくれ(w
命マンセーの人権主義者的な左翼思考とは片腹痛し。
>>69 蹴散らすのなら馬の衝撃力を生かすのが良いとは思いますが。
鉄砲の後、長柄を突き出されたら防ぎようが無いですから、奇襲的なものかな。
77 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:00
>>73 そんな当たり前のことが言いたくてわざわざ「遠戦指向」
だとか言っていたわけなのか?
あんたらの当初の遠戦指向とやらでは白兵戦はほとんど
行われなかったって話しじゃなかったのか?
ま、槍での戦いも「遠戦」だとか呼ばれたら白兵戦は
ほとんどないわな。
ついでに言うとのちの日本軍の白兵戦も槍術をもとにした
銃剣術で戦っていました。
日本軍は白兵戦を「遠戦」として戦っていたわけなのかね?
もう、訳わからんよ。。
78 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:01
だから、だれが主に刀しか使わないで合戦したなんて言ってるのか
教えてよー
槍まで使わないなんてそんな定義での「接戦派」なんて存在するの?
79 :
柔術家@白兵戦:01/12/23 15:02
>>76 なるほど。
敗北宣言というわけか。
それでは皆の衆。勝鬨を挙げようではないか!
エイ
エイ
オーー!
80 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:03
>>71 だからあ、そんな事は言ってないって。
1対1で戦っているわけではないと言ってるだけ、
朝鮮の役で中国(特に華北の兵)・朝鮮の兵士は体が大きく、
歴戦の日本兵といえど1対1での接近戦ではかなわなかったそうだが、
鉄砲と集団戦闘で優位にたったってのはどう説明するの?
>ついでに言うとのちの日本軍の白兵戦も槍術をもとにした銃剣術で戦っていました。
まともに突く事など捨てているとしか思えない奇形槍(7M)。
農民に持たせて定期的に上下して叩いていたと聞いたが。
>>79 違う。
>>72 時速9キロで走行10分でへたばるのなら、
荷物運搬にも使われないでしょう。
その実験そのものに問題があることが、
あなたの提出したデータからわかります。
騎馬は時速10キロを超えると、武装した兵を乗せた場合、
2キロほどの移動しかできない。
信長も、今川を討つときに、騎馬で移動しましたが、
時速10キロ以下での移動であったということですか?
熱田神宮にすら行けないのでは?
83 :
柔術家@白兵戦:01/12/23 15:06
∧ ∧
( ゚Д゚)エンセン
||
. ┃
q∧ ∧. ┃
("゚∀゚) ┃ウチトッタリ!
.(っ||y||ρ
,ソノヽゞ,ヽ、
84 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:09
朝鮮の役での明の史書に
「日本兵は集団戦術が得意で草むらから鉄砲を打つのを得意としているが、
体格は小さく、一対一の接近戦なら百人といえど我が華北の兵の敵ではない」
と書いてあります。
85 :
軍ヲタではないが:01/12/23 15:10
遠戦だけで勝敗がつくなら楽だね。
兵力が同じなら、矢弾を大量に持参した方が勝つ道理だから(W
>>61 自分の命よりも手柄を第一に考えるのが「武士」という特殊な職業なのでは?
現代のサラリーマンにも「過労死」するまで働く義務感の強い人いるし。
86 :
柔術家@白兵戦:01/12/23 15:11
>>81 旧軍の銃剣術は槍術から組み立てたものです。
これは事実。
87 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 15:11
>>78 1が読んだらしい、この本によると
明治四十三年の歩兵操典改正の際に「わが国は古来より白兵主義だ」といった大島教育総監
戦前の軍事史学者 佐藤堅司は「鎌倉〜戦国中期は刀が主」
など当時は刀が主兵器だと考えていたようですね。
講釈師などの作り話、軍記物でも勇ましい接近戦は大々的にヨイショされていたそうです。
88 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:13
>>81 それは秀吉と信長の有名な逸話、
秀吉が長槍の有用性を示すために信長の前で短槍隊と配下の長槍隊の試合を行った結果。
秀吉の長槍は叩く払うなどの従来の槍の使い方によらない戦闘方法で短槍隊を圧倒したという逸話。
89 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:13
>>84 それって負け惜しみで書いてるような記述だね。
しかも「百人かかってきてもかなわない」なんて
御得意の白髪三千丈的誇張までしてあるし。
その記述の資料的価値は極めて低いですね。
90 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:15
>>85 でもね。やはり人間は人間だよ。
だいたい、遠戦指向で手柄が全く得られないわけでもないし、絶対に安全なわけでもない。
>>88 いや、槍は叩いて使っていたのは確かみたいだよ。
92 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:17
本書115ページから抜粋
軍忠状(恩賞のため主君に差し出した戦功と損害の報告書)から見た戦傷比較
(戦国期の戦傷比較 応仁の乱〜島原の乱)
矢傷 42.0% (646)
鑓傷 20.4% (314)
鉄砲傷 19.6% (302)
石傷 10.4% (160)
刀.太刀傷 4.8%(74)
切.薙刀傷 2.7%(4)
()内は人数
戦国期でも最も多いのは矢傷であった。そして鑓の台頭が甚だしい。刀での死傷者はさらに減少
している。この板で否定されている石、礫よりも低い割合だ。甲冑には刀は無力だったのだろうか。
槍道家のような槍と槍の使い方 と 長柄と長柄の使い方 は全く違ったのでは。
94 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:22
>>82 それじゃ馬の価値がないよね。昔の馬にくわしい人いる?
>>92 それは、生きてる人だよね。
致命傷にならず、生き残る確率の高い被害という意味でもある。
96 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:25
>>89 一対一でもって書いてあるでしょ。これは百人が順々にという意味だよ。
中国の華北兵は女真族と戦うために徴発された大柄で精強な兵士なわけ。
ちなみに宇喜多家の史書でも、
家の中で一番の豪傑が華北兵と組み打ちしたがかなわず、仲間の助けを借りて討ち取ったという記述があります。
97 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:28
>>94 日本の在来種はかなり小さい馬だよ。
人間も小さかったけどね。
それと馬の価値は武士の輸送と指揮とお飾りなどがあります。
>>98 兵頭にそはちによると牛も馬も食っていたらしいね。 全然関係無いけど。
100 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:35
遅すぎ、それと馬は兜鎧を脱ぎ捨てて闘争するのに使える。
三方が原の時家康が馬上で弓を弾いてほーほーのていで浜松に退却したらしいね。
102 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:45
>>99 滅多に無かったと思うよ(特に馬は宝みたいなものだし)。
江戸時代の記述に「農民が飢えて犬や猫は言うに及ばず、牛や馬まで食べた」とある。
犬や猫より食べられなかった。
103 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:55
>>92 死者も入っているのもある。
自軍に与えた損害としてみる史料なので、これから見るに飛び道具が一番被害を与えていると言うことは明白。
よって、白兵戦の少なさと遠戦の重要性を知ることができる。
そもそも、最大の死因は弓鉄砲で重傷になり、首を取られるというケース。これは白兵ではない。単なる処理。
104 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:07
>>103 まだ言ってるのか。
飛び道具は敵の兵力を減らして白兵戦を有利にするためという
のが当時の目的。
たしかに飛び道具での被害が大きいのはたしかだが、それは
その先の白兵戦を念頭においたもの。
このような合戦を遠戦指向とか呼びたがるものは単なる臆病者
の言動である。
自分が臆病だからと言って戦国時代の人々まで臆病者扱い
をするのはよろしくありませんな。
105 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:08
誰が一対一の白兵戦、それも弓や鉄砲をあまり使わなかったっていってるの?
106 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:10
どんな合戦って言っても、時代や場所にもよるよなー。
戦国初期の合戦と関ヶ原なんかじゃ全然違ってくるだろうし。
107 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:12
>>95 たしかに。
「傷」が多いからってそれだけで勝負ついたと
考えるのはちと早とちりの慌てんぼうさんですね。
108 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:13
>>105 そんなこと言ってる人はいませんよ。
あるとしたら応仁の乱以前の一騎討ちの話しです。
109 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:22
遠戦君は種子島が一人で連射できる
兵器とでも思いこんでいるんじゃないかな?
なんか遠戦派?とかいろいろカテゴリ分けしたい人は
「妄想世界での多数意見」に対して反論しているような気もするんだよねー
ここでは、そういうカテゴリ分けに対して疑念持つ人が多いだけのような気が
するんだよなー
111 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:27
>>94 騎馬武者は源平の頃から替え馬を用意していますよ。
112 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:29
>>110 いや、白兵戦はほとんど行われずに遠くから
離れた射撃のみで勝負がついたとほざく遠戦派は存在しているよ。
113 :
日本@名無史さん:01/12/23 16:39
>>103 飛び道具が有利なのは当たり前の話し。
だからと言ってそれを「遠戦指向」などというのはまったく
バカな話し。
飛び道具で誰が誰をしとめたのを見分けるのは難しい。
とくに鉄砲の場合はそう。
したがって首を狩りたい戦国の兵としては白兵戦を目指して
戦っていた。これはむしろ指向としては白兵戦を指向していた
と考えるのが妥当であろう。
114 :
弓道家@遠戦派:01/12/23 17:28
しかし、当時の会戦はあるリーダーの下に各地方領主が提供した兵がいる訳であって、必ず
敵を倒すという接近戦の考えでは、勝っても損害が大きいのではないか?
むやみに損害だけを出す合戦には参加したくないという配下の領主達の意向を無視して
死傷率の高い白兵戦で決着をつける合戦を続けていては、大名は見放されてしまうのではないだろうか?
また、補充したとしても新兵の問題もある。だから、大名などリーダーは極力死傷率の低い戦い方をしたと
見るのが正しいと思う。
なので、兵糧、水攻めが用いられ、遠戦志向が強かったと考えている。
彼の本にもそうあるし、この例ではどうだろうか?
毛利と尼子が出雲白鹿城で戦った際、尼子を追撃した吉川元春は父に提出した死傷者リストで、
戦死者5名、負傷者44名。負傷者内訳は鉄砲傷33名 矢傷6名 礫傷4名 切傷1名。
有利とされる追撃でもかなりの犠牲者が出ている。やはり傷は遠戦だ。最終的に首を挙げるため
切り込んだにろ、吉川方が危険な切り込みの際、一人傷ついただけならば迎え撃つ尼子方は何人やられたのだろう。
答えは数人だったそうだ。好条件とはいえ危険を冒したほど戦功は挙げられなかったことになる。
討ち取られた数人は、遠戦で傷ついた者だけかもしれない。
このように重武装して戦闘力に満ちた兵にはあまり白兵戦を仕掛けるメリットは無かったのではないだろうか?
だから、白兵戦は予期せずして遭遇した場合と完全に相手が敗走した時ぐらいしか起きなかったのではないだろうか?
115 :
日本@名無史さん:01/12/23 17:31
ここのスレに書き込んだりロムしてる皆さん
前スレの
「合戦は想像とは違うものだった」を閲覧しておいてくださいね。
116 :
日本@名無史さん:01/12/23 17:31
首が大事なら「勇士と戦う」事に意味を見出すよりも
ひたすら「楽に首を取る」ほうに関心が向くね。
>116
だから最終的には白兵戦だと言ってるんじゃないの?
118 :
日本@名無史さん:01/12/23 17:41
なるほど。そうだよね。
接近戦になったら相手を逃がさないで必ず倒すよね。でもそうだったら合戦いくのは
ほとんど死ぬんじゃないの?逃げるのが多くても死んだら合戦負けで、合戦負けたら大名が滅びるけど、
当時はそんなに殺しあうほどそんなに人口いたのか?川中島は八千死んだとか言われてるけど
そんなに死んだらもう立ち直れないんじゃないの?しかも追撃で白兵戦で首取りだったら皆殺しが前提。
そんな戦闘法だったらもっと早く戦国が終わったんじゃねーの?
どうよ?白兵マンセー主義者
白兵マンセーってあんたね・・・
遠戦志向でなかったら、全ての合戦参加者は追撃して首取って皆殺しを
実行していたなんて前提で話すのはむちゃくちゃ。
120 :
日本@名無史さん:01/12/23 19:20
>>94 日本馬は馬格が小さいというのは本当だけど、その分足腰が丈夫で、
山道などをどんどん登っていったという記述をどこかで見たが。
121 :
日本@名無史さん:01/12/23 21:41
白兵論理的説明できず!!逃亡の恐れ!!刀で自分の首でも取ってろ(W
122 :
日本@名無史さん:01/12/23 21:50
同程度の兵力の軍が近接戦闘となる場合は、
相手側が潰走状態、奇襲、偶発戦闘などに限られ、
真正面からぶつかり合った場合は、なにか大きな要素(戦術、士気、装備、地形)がない限り、
痛みわけに終わるし、生産性に乏しい中世には百害あって一利なし。ましてや、
中央集権国家でも徴兵制も無いのに、白兵戦でボロ負けしたら再編成は絶望的。
よって安易な激突は行われなかった。
123 :
日本@名無史さん:01/12/23 22:30
短距離を軽い騎手背負って走るために改良された現在の馬と
日本在来種を比べる時点で間違いがあると思う。
124 :
日本@名無史さん:01/12/23 22:44
>>118 >接近戦になったら相手を逃がさないで必ず倒すよね。でもそうだったら合戦いくのは
>ほとんど死ぬんじゃないの?逃げるのが多くても死んだら合戦負けで、合戦負けたら大名が滅びるけど、
>当時はそんなに殺しあうほどそんなに人口いたのか?川中島は八千死んだとか言われてるけど
なんで白兵戦になったら敵をほとんど殺せると思ってるんだ?
弓矢や投石による攻撃の後、白兵戦に持ち込まれて敗れても
敵前逃亡などで総崩れにはなるが、ほとんどの兵を殺されるような
ことには、ならないと思うけど。
125 :
日本@名無史さん:01/12/23 23:19
また遠戦君のバカな意見が出ていますね。
合戦になってみんながみんな首をとってこれるとでも
思っているのかな?
どーも遠戦君の想像してる合戦はなんだかものすごい数の人間が
激突してものすごい人数の人間がバタバタと死んでいってるようだが、
日清日露戦争の戦死者でさえも現在の年間交通事故死者数よりも
少ないんだぞ。
なんでも現代の常識から考えてはダメだよ。
126 :
日本@名無史さん:01/12/23 23:28
>>105 >このような合戦を遠戦指向とか呼びたがるものは単なる臆病者
>の言動である。
>自分が臆病だからと言って戦国時代の人々まで臆病者扱い
>をするのはよろしくありませんな。
結局白兵戦至上主義者の論拠って
前スレでもこればかりなんだよな。
「遠戦派は戦国武者を臆病者扱いして貶めようとするサヨだ」
俺から言わせれば
戦国時代の兵士は皆突撃することしか知らない猪武者だとする
君ら白兵主義者の方がよっぽど武士を馬鹿にしていると思うが。
最前線に立って矢を放つだけでも十分勇気ある行動だろ?
127 :
柔術家@白兵戦:01/12/23 23:35
>>114 白兵戦が偶然しか起こらなかったとは笑止千万。
「甲冑の戦いは十度に六、七度組み討に至ることは必定なり。」
「往古の武士の相撲を修行せしことここにあるなり。」
(木村柳悦守直撲「角力取組伝書」)
はらまきひとつの雑兵はともかくとして、甲冑を身にまとった
れっきとした武者は矢もなんのその。雑兵の槍にもかなりの防御力
があったのはたしかである。
相手が同じ甲冑武者なら突き出された槍をつかまえて組み討ちにもって
いくという勇壮豪快な戦い。真のもののふは格が違う!
128 :
日本@名無史さん:01/12/23 23:37
現在の戦闘が野砲だけで決着がつかないように、
近接戦は必ず起こるものだと思う。
遠距離を攻撃する武器は、距離に比例して精度は落ちるし、
日本の交通事情を考えると敵を全て潰走させるほどの
矢を運ぶのは難しい。(だから投石が行われる。)
それに戦いは、戦うこと自体が目的でなく、ほとんどどの場合
ある地点を占拠することが目的になるのだから、
敵に近接せずに目的を達成することは不可能だ。
129 :
日本@名無史さん:01/12/23 23:39
>>126 臆病な雑兵をもって合戦の全てを語るそちらのほうが
よっぽど武士を愚弄していると思うが。
130 :
日本@名無史さん:01/12/23 23:43
>>128 同感。
遠戦君の論理では城攻めで矢や鉄砲での負傷が多いという理由で
「白兵戦は行われなかった」
「白兵戦は偶然しか起こらない」
ということになる。
遠くから矢を射かけるだけで城が落ちれば誰も苦労せんわな(w
131 :
柔術家@白兵戦:01/12/23 23:48
132 :
日本@名無史さん:01/12/23 23:52
遠戦指向て何なの?
戦争は素人の大軍がプロの少数精鋭に勝った歴史らしいYO!
ウケウリダヨ。
133 :
日本@名無史さん:01/12/23 23:53
134 :
日本@名無史さん:01/12/23 23:58
>130
俺は違うよ。遠戦が主体という持論。
135 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:10
>>28 >江戸時代に日本刀が精神的な象徴とされたことは正解。
>日本刀万能論はこの頃生まれ、幕末には攘夷論者たちの精神的支柱にも
>なった。
なんだか左翼の臭さがドブネズミの体臭のように漂ってくる書きこみですね。
「彼らは武器を大切にする。・・・
大刀と小刀とは、家にあっても、外出していても、彼らの絶えず帯びている
ところのものであり寝るときですら、いつも枕辺においている。
私はこれほどまでに武器を尊重する国民に、未だ嘗て出会った例がない」
(「フランシスコ・ザビエル書翰抄」)
136 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:20
なんで刀を大事にする(護身用ともいえる)ことが、
合戦が白兵志向だった証拠になるん?
137 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:22
>135
戦国と太平の江戸を一緒にするなよ。
138 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:24
38銃を無茶苦茶大事にしていた旧日本軍は、
逆に白兵志向だったしね。
139 :
井沢狂信者:01/12/24 00:27
格闘技やる人はわかると思いますが、人って相当の体格差がないと一
方的に相手を倒せないんですよね。
で白兵戦ですが、人一人を討ち取るのは手馴れていないとかなり苦労す
ると考えられます。
そこで、登場するのがグラップルな戦闘方法。
相手の首掻っ切るのにはレスリングみたいに相手を制する技術が必要
です。
武士が相撲取るのは当然ですね、相手を押さえ込まないと首取れない
んだから。
鈴木氏の本では敗残兵を討ち取るのを白兵戦と見間違えたと書いて有
った気がしますが、それは十分に白兵戦です。
ためしに抵抗する大の大人を抑え込んで見てください。
うちの父は50を迎えますが、兄弟で三人がかりで挑んでも組み伏せるこ
とが出来ませんでした。
みなさん熟練って大事ですよ。
140 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:30
レスリングと、「急所を刀で」の戦いを比較する意図がわかりません。
141 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:45
来年の大河ドラマの主役前田利家は16歳の初陣の時、
稲生合戦において右目の下に矢を受けたがその矢を抜かずに
さしたまま槍で奮戦したという(「利長夜話」)
まことに真の戦国武将とはかくも勇猛果敢なものだったの
であり、怖いからと言っていつまでも遠くから矢を射かけて
いたいなどという遠戦君には想像もつかないような肝っ玉を
持っていたのである。
142 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:47
>>138 ハゲシク既出かと思うが、日本軍でも時期によっては大きく異なる。
実戦を挟んで戦術に対する評価がかなり変わった点にも注意。
143 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:47
>>137 フランシスコ・ザビエルが日本に来たのがいつの時代か
知っていて言ってるのか?
小学生レベルの知識だぞ。
144 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:52
>>141 利長夜話だってさ(わら
軍忠状の統計的処理をした人と、その俗書の1例と、どっちが重みがあるのでしょうかね(プ
145 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:53
「指向」としてはあきらかに白兵戦指向だろ。
矢戦→槍合わせ→白兵
てよく本に載ってたりするけど、矢戦で勝負がついた、てのが遠戦派の主張?
147 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:55
時代がくだるとともに火器が発達して離れての
撃ち合いが多くなってくるのはどこの国でも一緒だろ。
一体何とくらべて「遠戦指向」なんて言っているんだ??
148 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:56
>>142 38銃と書いてあるんだから、時期はあの時期でしょ。
白兵志向だった時期ってことで、問題はないよ。
149 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:59
ほんとにレベル低いな。
後世の物語じゃなくて、
生の史料である軍忠状に出てくる戦死、負傷の原因は、
7〜8割が飛び道具によるものだってことよ。
無知は手におえないな。
150 :
日本@名無史さん:01/12/24 00:59
>>148 あの時期っていつですか?
三八式は明治三八年から大東亜戦争終結まで
使用されたと記憶していますが。。
151 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:04
>>146 矢戦で戦場の均衡が破れ、
実質的な勝敗が付いたってこと。
その後、追撃戦→首取り→掠奪
152 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:06
>>149 飛び道具の損害が少なかったなんて誰も言ってないよ。
飛び道具が有利なのは当たり前のことだろ。
まして、軽装備の雑兵がうろうろしてる戦国時代なら
なおさら有効だろな。
しかし、ここで問題にされてるは「指向」の問題だろ。
指向という点では首を刈るという風習のある日本ではむしろ
白兵戦指向になるだろってことだよ。
153 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:09
>>151 それはいつの時代のことか特定してくれませんか?
矢の撃ち合いだけで、勝敗が決すれば槍衾も甲冑も全部
意味のないことになりますね。
追撃戦だけなら槍よりもむしろ刀のが有効ではありませんか?
154 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:09
弓矢の撃ち合いで大勢が決するまでに何本の矢を撃てばいいんだ。
白兵戦は、ほとんどなかったって主張してる人に聞きたいんだけど、
河川や峠に陣を構えてる敵軍をうち破って侵攻しなくては、
いけないときでも弓矢や投石で勝負がついたの?
相手は、それなりの陣地構築をしてると思うんだけど。
155 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:10
遠戦君が
>>151 で馬脚を表したぞ!
エセ諸葛孔明
泣いて馬脚をあらわす(藁
156 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:15
弓道家君は戦国の武芸で弓、鉄砲が雑兵にも簡単に
習得できる簡単なものだったと思っているわけ?
損害の大小は置いておいて足軽の大部分が槍をもって
戦っていたと考えるのは間違いなのかな?
157 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:18
おいおい
「遠戦だけですべてカタがついた」
「遠戦が重視された」
のどっちを論破したいんだ?
前者を論破することで後者もねじ伏せようと企んでないか?
158 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:19
>>156 そうですね。
一冊の本の数字だけを金科玉条の如く崇拝していると
実際の戦いの様子からは遠ざかって行ってしまいますからね。
159 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:20
日本馬は日露戦争までそのまま軍馬として使用されていたから、
ポニーと同一視するのは無理だろう。
行軍に使うというのであれば、150キロの荷物を背に乗せて
毎日50キロ歩くことができた。
鎧武者を乗せて走るということなら木曽馬を使って1キロを
2分51秒というデータがあるが、当時は基本的に歩騎混成なので
特に意味は無し。鎧を着た足軽が走れる速度に合わせざるを得ない。
この場合は1キロを5分15秒というデータがある。
ちなみに日清戦争の時にドイツ・フランスの軍馬との比較が行われたが
その時は体尺で約20センチ、速歩の速さは一分間30メートルの
差があった。
ポニー<<<日本馬<<<近代の軍馬
う〜ん、遠戦派の論拠は死因・負傷原因しかないわけ?
当時の軍制が弓隊中心であったことを証明しなければ、単に結果論を語っていることにしかならないと思うけど。
161 :
井沢狂信者:01/12/24 01:22
遠距離戦ってなんかここの論調だと「遠距離自動追尾ミサイル」射ち合
っているような印象受けるんだけど……変かな?
矢傷や投石の傷を受けた兵士はその後も戦ったんでしょうか?
なんか遠距離戦派は追撃戦が一方的だったような意見の人が多い気が
しますが、戦争ってそんな単純なものなのかな?
まあ、見たこと無いからわかんねーや、こればかりは。
162 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:25
源平合戦において源氏側の東国武者が強かったのは格式を無視して
徒歩の雑兵にまで弓を持たせて矢の数で押し切ったからだという史料もある。
近藤好和氏の『弓矢と刀剣』でも、始めの矢合わせで勝負が決してしまって
片方が退却に移り、それを追撃するという例の多いことが載っている。
結局の所白兵戦に持ち込みたくても弓矢鉄炮の雨の中では近付くことも
ままならないから、どちらかが退却に移るまでひたすら撃ち続けることに
なるんだろう。
163 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:27
>>129 >臆病な雑兵をもって合戦の全てを語るそちらのほうが
>よっぽど武士を愚弄していると思うが。
戦国時代には全軍に占める「武士」の割合は一割ほどになっている。
臆病な雑兵を中心に戦場を語る方が実情に合っているだろう。
164 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:30
>>162 おいおい、源平の頃に既に弓矢鉄砲が雨あられと
思っているのか?
やっとれんな。
165 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:33
>>159 日本馬はたしか大陸とかで砲をひかせたら
すぐへばってしまったから外来の馬とかけあわせて
改良したとどこかで誰かが書いていた記憶がある。
166 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:37
>>165 ばんえい競馬とかで使われてる馬に比べて力が無い、
ということだったと記憶してるけど。
167 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:38
軍馬の話題が出たので少し書かせてもらうと、
日本馬が小さいというのは周知のことだが、それはなぜかというと、
地形上、異種との交配が為されなかったため、どんどん小さくなって
いったらしい。昔はもうちょっと大きかったと思われる。
あと、関係ないけど日本には断種の習慣がなかったので、
義和団事件の際、欧米の軍隊はビックリしたらしい。
>>161 まさか、当方軍板からの出張だが、
軍板でもミサイル万能主義はほぼ否定されている。
>>157の言葉を借りれば、
「遠戦が重視」の立場に立って主張するものは多いが、
「遠戦だけですべてカタがついた」は噴飯もの、と考えて頂ければ
>>165 人間が乗る分にはそれほど劣って見えないが、輓馬としての能力は圧倒的に
劣っていた。西洋の軍馬なら四頭で曳けるものを、日本馬だと八頭を要した。
しかも去勢されていないために気性が荒く、集団行動に向かなかったから、
非常に苦労した。船や列車で輸送する際にも、馬格は小さいのに同じスペースで
西洋の軍馬の半分の頭数しか運べなかった。馬同士を近づけ過ぎると喧嘩を
始めるため、一頭につき一人の監視役を乗せねばならなかったからである。
しかもこの監視役にも襲い掛かるため、怪我人がよく出たという。
当時のイギリスの新聞には「日本軍は馬の形をした猛獣を使っている」と
書かれたほどである。
ここでいうミサイルは無論遠距離用のものです。
軍板で無いので一応補足
171 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:41
まあ、戦国時代の合戦っていってもいろいろ
あるからね。
ここでとりあげてるのはビックな連中のビックな戦いばかり
だけど、戦国時代で一番多かったのは小領主の小規模な戦闘
だからね。
実際、田舎の小領主なんかは剣術習ったりしてるわけだよ。
小領主とは違うけど足利義輝が剣術の達人だったことは有名だよね。
172 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:45
>>167 >>169 なるほど。
日本に去勢がなかったというのは日本が大陸から
宦官を導入しなかったということを考えても興味深いですね。
思うに日本人はそのような自然に反する非人道的行為を忌み嫌った
ためではないでしょうか?
>>168 てことは弓隊(遠戦)は、あくまで決戦兵力を投入するきっかけを作るもの、ということですか?
まあ投入前にケリがつけばいいな、くらいの。
174 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:53
弓で敵兵力を減らすことはできてもそれだけで
勝負を決定的なものにはできないでしょ。
175 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:55
時に遠戦オンリー君は和弓の有効射程距離がいかほどのものだと
思っているわけかね?
遠射は比較的よけやすいよね。
>>174 はあ、遠戦指向なんて大仰に言っているのでなんか大層に考えてました。
177 :
日本@名無史さん:01/12/24 01:59
>>172 そもそも当時の戦は、ケリをつけるとか
そういう明確な目標をもって始められたものではないでしょう。
近代戦とは違うのだから。
武装して他領に侵攻し、掠奪して
敵に反撃の体勢が整ったら被害が少ないうちにに帰国したんだよ。
178 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:00
>>176 そうですね。
「遠戦指向」という言葉自体がナンセンスですね。
これは遠戦指向派が自分達から言い出した言葉なんですが。
179 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:01
なんだか互いに罵倒しあうだけで何の進展もありませんね・・・
白兵派・射撃派それぞれにも微妙に派閥の違いが有りそうだし。
とりあえず歩み寄りがはかれる点を挙げてみますね。
確定要素
1.騎馬隊という部隊運用上の概念はなかった。
2.鉄砲三段撃ちは不可能。
3.直接の戦闘行為は大局的な戦争のごく一部でしかない
4.1570年代以降の戦闘は鉄砲隊を中心に行われた。
5.全軍に占める戦闘員の割合は7割未満。
6.その効果は別として、投石は戦国時代を通して盛んに行われた。
異論等有りましたらどうぞ。
180 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:03
>>177 その繰り返しでどうやって領地が増えていくわけ?
なんかのゲームのハウツー本の読みすぎだよ(w
>>173 でしょう。勿論、危険を承知で戦果をあげるか、
今の米軍の如く戦費・物資・時間を消費してでも被害を最小限を抑えるかという
戦略の違いにもよって変わりはしますが。
182 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:07
>>179 石投げが盛んに行われたということは
その背景には白兵戦があるわけですよね。
石投げ(礫)の射程距離というのはある程度近づかねば
行えないものですからね。
当然、白兵戦の前哨戦として行われたと考えるのが妥当です。
183 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:07
>>168 飛び道具が有効であったことを否定する人なんて誰もいないのだし。
>>152に書かれてるようなことが、ここでの「遠戦派」への反論のまとめ
みたいなものなんじゃないかな。
つーか、遠戦云々と主張する人は結局何をいいたかったんだ?
184 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:09
>>180 そうやってなかなか領地が増えていかなかった大名もいることはいるよ。
上杉謙信とか。
185 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:10
>>179 遠戦君が想定してるのは鉄砲の大量運用がされるように
なった戦国末の頃の話しでしょうね。
その割りには源平合戦とか出してきたりしているが。。。
186 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:13
>>183 問題なのは
>>151 のような遠戦万能主義者の存在だよ。
遠くから矢を射かけていれば勝手に敵が崩れると思っている
ご都合主義者。
>>180 ゲーム・・・って??
そもそも土地の切り取り合いが戦国時代だと思っているの?
「信長の野望」か何かしらないけど、そんなのばっかりやってないで
真面目な研究書とか、田舎のマイナーな大名の記録とか読んでみなよ。
188 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:14
源平合戦の頃から主力は飛び道具だったから。
いえね、それだけ遠戦指向?が強いと言うなら、以下の疑問点があるのです。
1.当時、弓隊中心の編成が行われていたのか?
2.槍持った雑兵は弓隊を守ることが主任務だったのか?
3.弓矢の効果がそれだけ評価されているなら、防具もそれに対応したものになっていなかればならないが、具足・盾などに関する考証はなされているのか?
4.それだけ遠戦が重視されるなら、兵の損失を抑える意味でも遮蔽物のない平地での合戦自体生起しえないのではないか?
どなたかお答えを。
190 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:19
前回のスレでも戦国期を通じてのメインウェポンは
槍だったということで落着したと思うんだがなあ。
191 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:22
>>188 いや源平の合戦の頃から騎射で勝負を決したような時代が
甲冑の発展によって組み討ちなどが盛んに行われるように
なってきたのです。
とりあえず平家物語でも読んでみな。
192 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:22
194 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:25
戦国期の兵力の中心を占める足軽のメインウェポンが
槍だったわけだから、指向としては白兵戦指向という
ことで間違いないでしょ。
195 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:26
196 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:26
1.田舎大名では弓:槍=1:5〜8くらいの割合だったらしいですね。
2.なぜ守る必要が?
弓兵の後方に待機していたのでは?
3.かつての楯スレで考察されていたと思います。
4.実際ほとんどなかったでしょう。
戦国時代無数に行われた合戦の中での数十例なのですから。
197 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:28
>>190 落着したんじゃなくてあまりに煽りが酷いから
遠戦派が相手にしなくなったんですよ。
198 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:28
野戦ならば置き楯を使う。これを連ねて向かい合い、矢を射掛け合った。
戦国時代には竹束。
そもそも平地における正面決戦というのは数少ない事例でしかない。
平安時代に見られる予め書面で合戦の日時を取り決め、合戦場においても
作法通りに戦うという領地争いの調停手段の延長程度の合戦なら別だが。
199 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:31
>>196 >1.田舎大名では弓:槍=1:5〜8くらいの割合だったらしいですね
この事実を認めるなら「遠戦指向」などというのはナンセンスでは?
>>196 すいません、基本的なことすら知らない、棟四郎です。
2.に関しては、そんだけ有効な戦力なら当然相手も潰しにかかるし、守りも必要かと思ったわけです。
丁寧な返レス、ありがとうございました。
201 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:35
鑓を持つ人間が多いから戦場では鑓が一番使われたというのはナンセンス。
勝負の決め手は鑓を使う前段階、射戦にある。
202 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:36
遠戦君の論理によれば近現代戦における
歩兵の突撃はまったく説明できなくなるぞ。
204 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:39
>>201 1対8の兵力差で槍をもった足軽が弓兵に突撃を
かけてもそれを全部射殺すことができるとでも思っているのか?
205 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:38
>>202 それは「国民国家」という徴兵制で兵をどんどん補充できる体制が
整って始めて可能。封建領主は損害度外視なんて芸当はできないからね。
206 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:41
207 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:42
>>205 当時の雑兵の大量投入は徴兵制と言ってもいいと思うが。
208 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:43
209 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:45
>>208 そして、足軽台頭前の封建領主の兵は全員正規の
兵で甲冑で身を固めていたわけだ。
210 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:46
>>209 なるほど。遠戦君は時代と武器や兵制の発展が
一致しない状態で語るから妙な説をふりかざしてしまうわけですね。
211 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:46
>>207 全く違う。
近代の司令官は部下をいくら死なせても給料は貰える(左遷はされるかもしれないが)
新しい兵は後方から補充される。
指揮官の給料で補充されるわけではない。
だが封建領主は兵を死なせれば自分の収入が減る。
死んだ兵の代わりを補充するのも自腹。
一つの部隊はいくつもの小さな封建領主が集まって編成されている。
これで白兵戦が好まれるはずがない。
212 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:47
>>209 甲冑に身を固めた武者相手に矢だけで勝負を
決するというのは難しいことですね。
>>199 本当はもっと弓兵を多くしたいけど、妥協した数字なんでしょう。
実際織田など経済力に優れた軍では3分の1が弓兵になっています。
大阪の陣では全軍の半分以上を鉄砲隊にした大名も居ましたね。
(失礼、名前を失念しました)
弓兵が少ない理由は
1.矢のコストが馬鹿にならない
2.弓を使う体力と技量に優れた兵の不足
(弓を効果的に扱うにはセミプロでなければならない。
つまり生産活動に寄与しない兵を抱えることになる。)
214 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:52
クレシーの戦いではイギリス長弓隊がフランス騎士団を殲滅したが。
長弓ってのは以外と貫通力がある。
>>204 あなたは拳銃一丁やあまつさえアイスピック一個で
ハイジャックができてしまうことをどう考えているのですか?
216 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:54
>>211 まったく違う。
近代の司令官は白兵戦をせずとも手柄を挙げることはできる。
だが、封建領主の兵は白兵戦を経て首を挙げなければ手柄を
証明できない。
収入うんぬんを言うならはじめから足軽を投入するな。
これで白兵戦を好まないはずがない。
217 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:56
>>214 向こうの長弓はその頃は鉄製の矢を使ってなかったか?
日本の長弓とはぜんぜん違うような気がするが。
218 :
日本@名無史さん:01/12/24 02:58
>>215 ハイジャックの相手は非戦闘員です。
合戦の話しと同じに考えてはいけません。
>>216 首を取るより掠奪した方が
安全だし、儲かったんじゃないですか?
220 :
(強いていうなら)白兵派:01/12/24 03:00
そろそろ寝ます。
お先に失礼。
221 :
日本@名無史さん:01/12/24 03:01
>>216 まったく違う。
乃木大将が死傷者の補充を自分の給料でするか?という話だよ。
封建領主は、それをやらねばならない。
だからといって、兵の絶対数が少なければ戦には勝てない。
このジレンマの妥協点が「遠戦志向」ということ。
足軽だってほとんどは農兵だしね。
弓鉄砲によって負傷したものの首を取るのが基本だろ。
何も元気な相手とチャンバラする必要は無い。
負傷すれば年貢も納められない。
上杉軍の兵が略奪に精を出したように、首を取らずとも収入を確保できれば
良しだろう。
また指揮官にとっては勝利と首取りは同義ではない。
だから白兵戦を好んで命じるなどということはありえない。
小規模戦闘なら、地形によっては弓での攻撃で大勢が決することがあってもおかしくないですね。
ただ、規模が大きくなればそれだけ効果も薄れる気がしますが。
223 :
日本@名無史さん:01/12/24 03:08
なるほど。
火事場泥棒や鬼ごっこのようなことが当時の合戦というもの
だったというわけですか。
224 :
日本@名無史さん:01/12/24 03:10
結局は負傷した者の首取るってことが「遠戦志向ではない」ということなんじゃないの?
上から下まで略奪しか実行しなかったら、家臣の出世も何もないじゃん。
軍忠状もでないし。
もう寝ます、ありがとうございました。
>>218 ミクロ経済学に俗に『猫の首に鈴』ゲームというモデルが有ります。
正式名は忘れましたが。
ネズミのうちの誰かが危険を犯せばネコを無力化できる。
だが誰がやるのかと言えば、自分の身が可愛いために
他人にその役を押し付け合い、結局誰も実行せずに
現状維持という(最悪の)均衡状態に辿り着く。
戦国時代で言えば、確かに頭数の多い槍隊が
損害を恐れずに一気に突撃すれば敵陣はひとたまりも有りません。
だが、一人一人の兵の視点から見れば、
先頭に立って突撃すると敵の矢弾の集中砲火の的となり、
確実に地獄行きです。
その結果、誰も突撃の先頭に立たず、
戦闘は自然と射戦中心に行われる状況が出現します。
ハイジャッカーに飛びかかるよりもよっぽど怖いね、これは。
>>223 そういう理解で正しいんじゃないですか。
>>225 首取りは主にサラリーを貰う家臣の
出世と名声のための行為だったんでしょう。
229 :
日本@名無史さん:01/12/24 04:46
>>224 負傷したものを狙うのは少なくとも白兵志向ではない。
負傷させるために別のプロセスを要するからね。
そのプロセスが射戦だから遠戦志向
白兵戦に関して言われている首についてだが、
まず、恩賞の実態はどうだったのか統計的な資料は無いかな?
とりあえず戦国時代・長篠以降でいいから。
武将の元に持ちこまれた、いわゆる冷え首とそうでないものとの比率を
比較できる資料があれば、「恩賞のために白兵戦を・・・」が実際にどの程度
行われていたか客観的にとらえられるのでは
勿論、資料の年代に寄るだろうが
231 :
日本@名無史さん:01/12/24 10:35
別に恩賞のために、てだけではなくてさー
なんかあっちをとればこっちは全くなかったかのように考えるの、おかしいよ
遠戦も白兵戦もその時と場に応じて使い分けてたでしょう。時代によっても違う。
だけど弓や鉄砲だけでは戦は終わらない、最終的には結局・・・というところで
遠戦派とかいう人達に対しての反論になっているわけでしょ。
その「結局」の部分も戦のプロセスの一つであって、抜かして良いわけはないでしょう。
233 :
柔術家@白兵戦:01/12/24 11:34
まあ、実際首をとるっていうのはなかなか難しいことだった
のはたしかのようだ。
かの剣豪塚原卜伝が二十一級、卜伝の師匠筋にあたる松本備前守尚勝は
七六級。
記録に残る最高記録は摂津の山脇源太郎重信という人で九八級
だそうである。
首獲り名人と言われた笹の才蔵こと可児才蔵は関ヶ原の合戦だけで
二十級をあげている。
まあ、卜伝で二十一級ということを考えれば普通の雑兵ごときでは
一回の戦で首ひとつでもあげれればいいほうであろう。
しかも、雑兵数人で一人の鎧武者を囲んで倒したとしても、それは
恩賞の対象にはならない。
あいにく矢や鉄砲で倒したものをどのように扱っていたかは知らないが
おそらく似たような感じにならざるを得ないであろう。
そのような前時代的な恩賞システムが残っていた当時としては
個人の戦いはどちらかと言えば個人戦に重きがおかれる傾向が
あるわけで、戦国の時代に一人の英雄豪傑が活躍できたのはそのような
事情が背景にあると見てまず間違いない。
火器の発達や合戦の規模の巨大化によって合戦は個人のスタンドプレー
がますます通じない集団戦へと移行していくのであるが、なおこの時代には
英雄豪傑の活躍する余地が残されていたのである。
234 :
日本@名無史さん:01/12/24 11:42
>>227 どうもあまりにも現代人の視点でとらえすぎていて
納得できません。
雑兵が突撃をためらう気持ちはわからないでもないですが、
戦国の侍は勇猛果敢なことがひとつの売りのあるはずであり、
むしろ率先して突撃したものと思われます。
当時の宣教師の記録にも日本人の死を恐れない態度が驚嘆を
もって記されています。
235 :
日本@名無史さん:01/12/24 11:51
鉄砲が大量投入される以前の実際の合戦としては
やはり主戦力たる足軽がお互いに槍衾を作って槍で
叩きあっていたというのが実情ではないでしょうか?
そして、どちらかが崩れないかぎり夜になればお互いそのまま
引き上げていくという。
弓はその槍衾を崩すためのもの。
野戦でお互いに矢を射掛け合うだけで合戦が終わるのなら、
それこそプロの侍だけで戦をすればいいのであり、足軽を
戦場に投入する必要はなかったと思われます。
236 :
日本@名無史さん:01/12/24 12:10
>335 :名無し三等兵 :01/12/23 20:41
> 西欧人に比べると遠戦指向が強いのは確かだろう。馬まで装甲
>した重騎兵が楔形隊形で突撃したって話も、ソレを長柄槍や斧槍
>を持った足軽の大方陣が迎え撃ったって話も聞いた事がない。
> 分列行進はパレードの為に発達した訳じゃない。個人の戦技が
>通用するという考え自体が白兵戦指向と矛盾してる。
軍事板のほう
(
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1007656765/l50)
で出ていた遠戦君の主張ですが、
「源平盛衰記」や「太平記」にも馬鎧の記述は出ていますよ。
戦国時代にも馬甲、馬面をつけています。
一応、我国の合戦のルールとして馬は狙わないということに
なっているんですがね。
それから白兵戦があるからこそ個人の戦技が通用するのです。
矢や鉄砲の集中砲火で勝負が決まってしまう状況こそ個人の戦技が
通用しない戦なのです。
237 :
日本@名無史さん:01/12/24 12:24
世界史に比べて、日本には投槍というものがなかった。
明らかに有効な武器であるにもかかわらず、投槍というものは
忌避された。それは犬槍と言われて、それをやると嘲笑の的と
なったのだそうだ。
>>234 まあ戦に出ていたのは侍ばっかじゃなかったんだし
そういう方向で話を持ってくのはちと無理があるかと
239 :
日本@名無史さん:01/12/24 12:36
西洋の重装騎士とくらべているようだが、その重装騎士が
雑兵の集団や鋼鉄の矢(!)、火器の発達によって姿を消して
いく歴史はむしろ西欧のが顕著だろ。
一体何をもって日本がよその国とくらべて遠戦指向と言いたい
のだろうか??
240 :
弓道家@遠戦派:01/12/24 12:45
いや、お久しぶり。
なにも白兵戦がまったく無かったなんて思ってませんよ。そうじゃなきゃ、甲冑剣刀類の発達は
なかったですから。遠戦志向の方だって同意見だと思います。
自分が言いたいのは合戦は軍記物のような白兵戦だけだったのかと言うことです。
また、日本刀万能主義はどこまで本当なのか?ということです。
好んで喧嘩、煽りに持っていこうとする方が何名かおられるようですが、そういった
わだかまりを捨て、このスレの趣旨にそうようにしていきましょうよ。
おはようごぁいます。
240さんからすると、日本の合戦は遠戦志向だった、というより、
単に極端な白兵戦志向ではなかった、というのが遠戦派の方々の主張、ですか?
242 :
日本@名無史さん:01/12/24 13:31
>239
遠戦派のネタ元の鈴木氏は、「日本がよその国とくらべて遠戦指向」
とは言っていない。ここの遠戦派もそうなのでは?
243 :
井沢狂信者:01/12/24 13:33
白兵戦が重要でなかったら、柔術も剣術も盛んにならなかったと思うん
だが、どうでしょう?
城攻めの最後のほうはゼロ・サムゲーム的な殲滅戦になるんじゃないの
でしょうか?
そこでは弓よりもやっぱり刀槍ですよ。
足利義輝も最後は畳を重ね当てられて討ち取られたんでしたっけ?
弓使えば楽に倒せただろうに……。
弓って想像より扱いが限定される気がするのですが。
誤射多そう。
244 :
日本@名無史さん:01/12/24 13:34
>243
城攻めは、殲滅戦よりも交渉による開城という結末の方が多いのでは?
245 :
日本@名無史さん:01/12/24 13:55
少なくとも、一般に想像されている以上に
戦国期の合戦が遠戦指向だったというのは大正解ですね。
NHK大河ドラマの合戦描写はそういう意味で問題があります。
246 :
日本@名無史さん:01/12/24 14:09
長宗我部元親が我が軍は
「鉄砲装備率が高いので、ほとんどの敵は近接戦闘になる前に撃破できた」
と自慢してた件はどうなるの?
248 :
日本@名無史さん:01/12/24 14:10
>>243 だいたい刀等の近接戦用武器による死傷者は
城内等室内戦で多く見られますしね
当時に限らず現代でも、最終的に土地を占領し、平定するのは
相対的に接近戦向きの歩兵の役目です
249 :
日本@名無史さん:01/12/24 14:37
>>234 >雑兵が突撃をためらう気持ちはわからないでもないですが、
>戦国の侍は勇猛果敢なことがひとつの売りのあるはずであり、
>むしろ率先して突撃したものと思われます。
雑兵と武士を同列に論じるのは無理。
雑兵足軽のほとんどは農民。命あってのものだね。
そんな配下を抱える武士だから、部下が増えれば増えるほど自分で
前線でチャンバラというわけにはいかない。
とにかく首を取ってのし上りたい、という連中は大抵浪人か小身の武士
だから一人駆けが出来るというだけ。
それにそういった連中でさえ、敵の陣形が健在強固なうちに突っかかろうとは
思うまい。追撃戦での一番鑓を狙っていたと考える方が自然ではないか?
250 :
日本@名無史さん:01/12/24 14:39
>>235 >野戦でお互いに矢を射掛け合うだけで合戦が終わるのなら、
>それこそプロの侍だけで戦をすればいいのであり、足軽を
>戦場に投入する必要はなかったと思われます。
戦国時代には全軍に占める「武士」の割合は一割ほど。
弓も鉄砲も足軽が持つ武器になっていた。
飛び道具の割合がだいたい二割としても武士の人数より多い。
武士だけで戦をした方が当然負ける。
251 :
日本@名無史さん:01/12/24 14:40
>>236 >一応、我国の合戦のルールとして馬は狙わないということに
>なっているんですがね。
『雑兵物語』などでも騎馬武者は馬を狙えと説いている。
貴方の基準は平安中期ですか?
>それから白兵戦があるからこそ個人の戦技が通用するのです。
>矢や鉄砲の集中砲火で勝負が決まってしまう状況こそ個人の戦技が
>通用しない戦なのです。
個人技でのし上ろうという連中と全軍の大半を占める農兵を同列に
論じてはいけない。首を取ってのし上ろうという連中から農兵が
身を守って無事帰還しようと考えれば、戦の中心は射戦と続く
追撃戦になる。
252 :
日本@名無史さん:01/12/24 14:46
>>240 >なにも白兵戦がまったく無かったなんて思ってませんよ。そうじゃなきゃ、甲冑剣刀類の発達は
>なかったですから。
少なくとも日本刀は目釘などの弱点が放置されたままで「発達」が見られないから、
白兵戦があったとしてもその主力ではなかったはず。
>また、日本刀万能主義はどこまで本当なのか?ということです。
ということで日本刀万能主義などは後世の捏造に過ぎない。
253 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:01
>>243 >白兵戦が重要でなかったら、柔術も剣術も盛んにならなかったと思うん
>だが、どうでしょう?
白兵戦がどの段階で起こるのか? を考えねばならないだろう。
両軍がお互いに突撃を繰り返したのか?
片方が崩れ、そこに追撃をかけたのか?
私は遠戦派であり、後者を取るが、いずれにしろ相手の首を取るか
無事に逃げ切るかするには相応の技術の習得が要求される。
ここに柔術(当時はそう呼ばなかっただろうが)や剣術の起こる
理由があるのではなかろうか。
>城攻めの最後のほうはゼロ・サムゲーム的な殲滅戦になるんじゃないの
>でしょうか?
城攻めの統計を取った事は無いが、そのような殲滅戦の様相を呈した
城攻めはむしろ少ないように思われるが。
ほとんどはある程度の所で交渉によって解決されているように思われる。
なぜなら、城兵の殆どは結局の所周辺の農民だからである。
城を取っても農地を耕す人間がいなくては話にならない。
また攻撃側も無駄な損害を極力避けたことも大きな理由であろう。
無駄な損害を極力避ければ「白兵指向」なぞ出てくるはずもないだろう。
さらに城兵が全滅したような城攻めでも、ほとんどは攻撃側の兵力が
圧倒的優位にある場合であり、絶対有利の状況であったように思われる。
(高遠城、魚津城……)
白兵主義の諸兄であれば、同等の兵力の時に積極果敢に切り掛からねば
「白兵指向」とは言わないのではなかろうか?
254 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:03
つーか、白兵戦は槍も含んでるでしょ?
遠戦派は、槍を使うのも遠戦に入ると言ってたけど
未だにそんな阿呆な事は思ってないよね?
255 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:05
白兵派の中に口が悪い人がいる
256 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:05
やっぱ「妄想の白兵主義者」と戦ってるように見えるなあ・・・
257 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:08
>>254 私は遠戦派だが、鑓は立派な接近戦の武器だろう。
だが、両軍がひたすら積極果敢に突撃を掛け合ったのか?
といえば、それはあるまいというのが私の意見である。
258 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:09
まず「射戦」「白兵戦」「追撃戦」などの定義をハッキリしてあげないと、
いつまでもお互い妄想の中の敵と戦うことになるのでは?
259 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:09
>>240 見て疑問。
「合戦は軍記物のような白兵戦だけ」とか
「日本刀万能主義」
唱えてる人って誰?
具体的に何を敵視して言ってるのか示してくれないと
存在しない敵に向かってもの言ってるようにしか見えない。
1 2 3 5 6 8
あたりがそうだろう。頭悪そう。
261 :
名無しさん脚:01/12/24 15:17
>>一応、我国の合戦のルールとして馬は狙わないということに
>>なっているんですがね。
これは当然。なぜなら軍馬は非常に高価だから戦利品にできるならしたいから。
262 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:18
263 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:35
>>257 だからさ、確かに白兵戦だけど、
長槍の攻撃は比較的、遠くから攻撃できるという意味だよ。
刀で切り結ぶのとはややちがうよ。
臆病な農民兵に戦闘に参加させる意欲を出すのに役立った。
264 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:36
どうしても極端な意見が目立っちゃうね。
265 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:46
>260
でもそんなこと主張してないと思うんだけど。
いったい240とかの遠戦云々って人達は何処のどういう主張に反対してるの?
あと
>>251 >>236が「我国の合戦のルールとして馬は狙わないということに」というのを
ひいてるけど、236が言ってるのは
軍事板で、遠戦志向だったと唱えている人が、
>馬まで装甲した重騎兵が楔形隊形で突撃したって話も、ソレを
>長柄槍や斧槍を持った足軽の大方陣が迎え撃ったって話も聞いた
>事がない。
ことを根拠にあげてるから、「それは認識違い」だという意味で
書いてるんでしょ。ルールとしてはそうなってたようだけど、と。
『雑兵物語』の記述は知らないけど、ちょっとポイントずれてると思う。
267 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:02
遠戦とか白兵とかって状況に応じて行うもんでしょ?
結局、兵をひきいる将の判断によるんじゃない。
でも決定的な勝敗がついた合戦は、最終的には白兵戦で相手を
壊走させてるのがほとんどでしょ。例外なのは長篠の合戦
ぐらいじゃない?(この合戦の真相はひとまずおいといて)。
遠くから弓矢・鉄砲を打ち合うだけで引き上げた(決戦を
避けた)合戦も多いようだけど。。
基本的に守備側の民衆のことまで考えるて攻めるというなら、
存在する物・人の略奪やそれを禁止しろと言う史料の存在はどう
説明するの?禁制とかは民衆がお金払ってもらうんだよね。
269 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:06
>>266 ポイント云々以前の問題。
馬を狙うなんてのは鎌倉時代には常套手段。
アンタの読解力が無さ過ぎるんだろう。
270 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:09
>269
はあ・・・じゃあ軍事板の遠戦さんが一番馬鹿だということで、
236とは一致してるんだし、それが本題だったんだからええんじゃないの?
271 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:09
>>267 >遠くから弓矢・鉄砲を打ち合うだけで引き上げた(決戦を
>避けた)合戦も多いようだけど。。
それだけで満足してしまうのが遠戦志向だろ。
白兵志向なら遮二無二突撃してくれよ。
そもそも「志向」は好みであって絶対ではない。
射戦と白兵戦のどちらに重きが置かれたかの問題ではないか?
272 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:10
www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read007.htm
藤木久志氏『雑兵たちの戦場』
273 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:13
>>268 略奪は「黙認」であって「推奨」ではない。
また「皆殺し」とイコールでもない。
略奪ならとりあえず自軍の損害はほとんど無い。
だが白兵戦は損害が出る。
274 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:20
農民を殺しては領主は成り立たないなんて言ってるけど
当時は、今よりも多産で今よりも村落が養える人数が少なかったから
そんなこと、気にしなかったと思うけど。
275 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:22
>271
どっちに重きがおかれたか、なんて事こそ時と場所によって
変わるものじゃないの?
今までそんな事で話してきてた?
276 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:27
>>275 状況次第だなんて普通の結論出してもしょうがない。
「主にどちらに重きが置かれたか」の話でしょう。
戦をするときに基本的にどういう結果になることを望んでいて
それを達成するために、より必須だと思われる手段はどっちか、
ということだと思ってたんだけど・・・
前にも出てたけど、互いの使う用語についての定義付けをして
もらった方がいいような・・・
278 :
日本@名無史さん:01/12/24 17:22
只単に、武器としての重要性なら鉄砲や弓なんだろうけど。。
279 :
日本@名無史さん:01/12/24 18:04
東北で撫で斬り、みたいな殲滅戦を初めにやったのが伊達政宗だって
読んだことあるけど、言い換えればそれ以前にはテキトーに、相手を
退却させれば勝ち、どうせどの家も親戚筋だから滅ぼそうとは思わない、
というようなノリだった、ということでしょう。
東北が戦国末期までそうだったということは、他の地域も戦国初期中期まで
は同様だったのじゃないかな。そういうノリで戦っていた時分は、適当に
矢戦やって、前衛に崩れが見えたら、「今日はいかんな・・」と
思って素直に退却したんでは? で、勝った方も、目的を達したから
追い打ちもしない・・、と。」
そういう展開なら、遠戦だけで終わった戦闘が無数にあっても不思議では
ないと思うけど。
ただ、先の大戦でもそうだけど、それを描写する段になると話に尾ひれが
ついて、「単騎で敵陣に駆け入り良き敵見つけ組み打って首をば
掻き斬り・・」みたいな話になりやすいのも人間の心理として理解できる。
傍証として、中世欧州の戦闘、ってのはすごいいい加減で、戦場で二つの
部隊がぶつかる時、両軍の将が談合して、戦をしたことにして帰る、なんて
ことがよくあった。で、帰陣したら主には、「いやぁ激闘でした。
恩賞ください」とか言うわけ。ま、傭兵団と開墾領主のノリは違うとも
思うが、似た発想法は悪党的集団にはあったろうとも思う
280 :
日本@名無史さん:01/12/24 18:20
>>279 東北などは、そうでもいいかもしれませんが、
源平の争乱、鎌倉末期から南北朝にかけての争乱、
戦国の争乱(関東から九州まで)は、
どう理解すれば、いいのでしょうか?
281 :
日本@名無史さん:01/12/24 18:25
えー、アズマの妨害により、住民の興味も失せかけている
ローカルルールスレですが、今までに三つの案が出て
それぞれ支持者が集まりました
とりあえず、最終段階として決を採ることになりました
来年こそ、荒らしと差別の無い日本史板を実現するために
一票投じて下さい
どれを選んで頂いても結構ですので・・・
追加して書くと、示威行為的な戦闘と相手を滅ぼすための戦闘は、
わけて考えた方がいいと思う。
283 :
日本@名無史さん:01/12/24 18:43
>>282 日本史板ローカルルールいらない派ですか?
それなら、このスレにはもう来ませんけど・・・
284 :
日本@名無史さん:01/12/24 18:50
だいたい真面目に白兵戦とやらを繰り広げたと言うにゃあ日本の合戦は
死傷者が少なすぎるだろ。
285 :
日本@名無史さん:01/12/24 19:37
>>284 白兵戦だから死傷者が膨大に増えるということは、ないと思う。
相手がコンクリートのトーチカにたてこもり機関銃で武装してる
わけじゃないのだから。
白兵派ですが、白兵派で「突撃を繰り返した」と主張している
人はいないと思いますよ。
実際上のほうのレスで「実際に首を獲ることは難しかった」
と書いてあるわけだし。
戦国の合戦の基本はお互いが槍ぶすまをつくっての叩き合い。
したがって、「突撃を繰り返した」ということはありません。
弓矢での攻撃はその槍衾を崩すためのきっかけのひとつに過ぎず、
一部の極端な遠戦派の主張するような
射撃で相手が崩れて追撃戦などというような極端な意見は誤りで
あると言わざるを得ないでしょう。
とにかく、日本の合戦が相手の首を獲るという
ことを目標に戦われたという事実がある以上は
日本の合戦は実際の被害等に関わらず白兵戦指向で
あったと考えて間違いないでしょう。
>>269 なにを言っているんだか。。
>>236 で白兵派が言いたいことは
「日本にも装甲馬あった」ってことだよ。
それから、実際には馬が狙われたことは百も承知。
だから装甲馬があったんでしょ。
289 :
ここが変だよ遠戦派:01/12/24 20:18
290 :
ここが変だよ遠戦派:01/12/24 20:19
>>151 >矢戦で戦場の均衡が破れ、
>実質的な勝敗が付いたってこと。
>その後、追撃戦→首取り→掠奪
>>251 >戦の中心は射戦と続く
>追撃戦になる。
291 :
日本@名無史さん:01/12/24 20:25
来年もアズマがウザスレ立てまくりだと思われるので
ローカルルールに投票を!
案○に賛成
と書くだけで結構です
無視しないで☆
292 :
日本@名無史さん:01/12/24 20:29
293 :
日本@名無史さん:01/12/24 20:33
>>292 そんな事いってると、アズマと共存する事になるけど?
まあ、言っても無駄でしょうか・・・
294 :
日本@名無史さん:01/12/24 20:49
>>293 いや正直、アズマは夏以降無視することにしてるから
今どういう状況かよくわかってない。
295 :
日本@名無史さん:01/12/24 20:54
>>294 日本史板で糞スレをageまくっているのがアズマ
日本の大陸への侵略が許せないらしく
明治政府(天皇・薩長)を罵倒するスレをやたらと
立ててageまくっている
それをローカルルールで規制しようという訳
296 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:02
>>295 天皇と明治政府を同一視してる時点で勉強不足ですね。
相手にするまでもないでしょう。
297 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:21
どうも遠戦君は合戦と言っても
野戦の陣地戦だけを想定して語っているんじゃないかな?
弓とか鉄砲って移動しながら攻撃するの難しいよね?
298 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:32
>>296 そう、ただの電波ですが、ほっとくと良スレが駆逐されるので
規制するのです
299 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:34
>>298 本当にローカルルールを造る気があるなら、
少し方法を変えたほうがいいと思うよ。
300 :
井沢狂信者:01/12/24 21:46
篭城戦では投射武器は相当な効果をあげるでしょう。
ゲリラ戦とかではどうなんでしょ?
奇襲戦や夜襲で弓箭はあまり使えない気がするんですが。
いや、火矢などは良いのでしょうが、どうも奇襲戦では弓が邪魔になるん
じゃないかと。
待ち伏せる方は弓を使うのでしょうが、攻める方はどうだったのでしょう。
乱戦における弓矢の効果ってどんなものだったか、遠戦志向派の方々に
お聞きしたいのですが。
301 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:52
馬関戦争に際して四国連合軍は軍艦十七隻、砲二八八門、兵員五千名
という大兵力で押し寄せています。
対する長州藩は日本の中の一藩に過ぎず、しかも蛤御門の変で敗れた
ばかりでぼろぼろの状態でした。
これだけの大兵力を擁した四国連合軍が砲台を占領しただけで、内陸部に
侵攻しなかった原因の一つは日本人の白兵戦能力を恐れていたのがひとつの
原因です。
このような白兵戦能力の高さは日本の合戦において白兵戦が重視されて
いたことの証に他ならないであろう。
302 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:54
軍艦十七隻と五千人の兵力があればそのへんの
小さな国だったらまるごと占領できてしまう兵力だ。
303 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:56
>>286 >戦国の合戦の基本はお互いが槍ぶすまをつくっての叩き合い。
>したがって、「突撃を繰り返した」ということはありません。
>弓矢での攻撃はその槍衾を崩すためのきっかけのひとつに過ぎず、
「基本は長柄の叩き合い」であるならば、槍隊が最前列であるはずだ。
だが日本の備は弓鉄砲を前列に置く。
最前列の部隊の攻撃(飛び道具)が「崩すためのきっかけ」に
なってしまったら「叩き合い」にならずに追撃戦になるのでは?
陣が崩れては「叩き合い」は成立し難いと思うが。
モンゴル騎兵などは突撃隊を前列に立てて弓隊を後列とし、
曲射による援護を行なわせていた。
弓鉄砲が最前列という時点でメインが射戦になるとみて良いと
思われるが。
304 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:58
>>287 それは違うだろう。
首=個人の手柄であって、首=全軍の勝利ではない。
積極的な「首獲り」志向があれば軍忠状の負傷理由の最上位が
飛び道具などという事態にはなるまい。
首獲りはむしろ合戦の付加価値部分なのではないか?
305 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:59
>>297 >どうも遠戦君は合戦と言っても
>野戦の陣地戦だけを想定して語っているんじゃないかな?
>弓とか鉄砲って移動しながら攻撃するの難しいよね?
何も無防備に全速力で敵陣に駆け込んで行く必要は全く無い。
遠戦志向なのだから(w
楯・竹束を前列に連ねて徐々に間合いを詰めて行くという方が
布陣形態に即した戦い方だろう。
306 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:06
>>299 アズマの力が若干弱まったのは日本史板住民の突き上げ
によるもの
少しくらい静かになったからと言って、ローカルルールを
制定しなければ、いずれまたアズマによる糞スレ乱立の
状態を招くと思うよ
反アズマの反アズマスレだってまた再生するし・・・
良い案があるなら、それを提示して欲しい
307 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:11
>>303 やってくる敵を弓や鉄砲でむかいうつには、前にでたほうが有利だからじゃないか。
308 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:15
>>305 徐々に前進なんて、危険きわまりない行為はしないと思う。
盾で全ての攻撃を受けきれるなんてありえない。
機動力が戦争で重視される理由を考えればわかるけど。
309 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:19
>>305 そうだね。
板盾は陣を前進させていくためにあった盾だからね。
決して止まったまま射撃戦を行うためにあったわけじゃ
ないからね。
でも、それって白兵戦指向ってことじゃないの?(w
310 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:22
>>308 備えを固める敵陣に遮二無二駆け込むなんて、危険きわまりない行為はしないと思う。
甲冑で全ての攻撃を受けきれるなんてありえない。
あくまでも正面衝突の場合限定だってことを考えればわかるけど。
311 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:24
>>304 よく読みな。
「実際の被害に関わらず」
ってちゃんと書いてあるだろ。
兵個人が首獲りを目指しているのだから白兵戦を「指向」
してるのは事実だろ。
飛び道具で負傷しても戦えるやつはそのまま戦うぜ。
なんでも臆病君を基準に考えるのはよしたまえ。
312 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:27
>>310 陣地構築された敵陣地に真っ正面から突っ込む馬鹿はいない。
かといって、遠くから弓をうってるだけでは、らちがあかない。
だから、機動力を生かして側面に回り込んだりするのだろうが。
313 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:29
>>311 私も首獲りはむしろ戦の付加価値だと書いたはず。
誰もがキミのような勇者ではないよ。
314 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:31
アズマとの合戦いかに戦うべきですか?
来年も糞スレageまくりで日本史板を低レベル化させる気
でいますよ
ローカルルールは有効な防御手段のはずですが・・・
何か良い案があればお伺いしたい
>>314 まずは、多数決の取り方を工夫して、
自作自演ができないようにしたほうがいいよ。
316 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:34
>>312 「陣地構築」と「布陣」「陣形」「備」をいっしょくたにされちゃ困る。
それじゃ文永の役と弘安の役、三方ヶ原と長篠ぐらいの違いが出てくる。
>>303 実際の合戦の順序としては鉄砲の撃ちかけからはじまり、
次いで弓矢の飛ばしあいが行われ、そこから距離を詰めて
いくのである。
距離が詰まったら槍をもった足軽同士の白兵戦がはじまる。
この段階を二の手の戦法、二の合戦と呼び、合戦の勝敗と
帰趨はこの二の手の有利、不利によって決することが多い。
(「兵法一家言」より)
318 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:40
>>315 fusianasan・他板では絶対数が集まりません
何か良い案を・・・
319 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:43
>>316 >備えを固める敵陣に
と書いてあったので、
「備」のことでなく、盾や木材でそれなりに防御を施した敵陣に
勝負を挑むのだと思ったのですが。
質問なのですが、徐々に前進するということは、
最初に陣を構えた地形的に有利な陣を捨てて、
比較的好ましくない場所に移動することになるのですが、
それについては、どう思いますか。
320 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:44
『兵法一家言』は江戸時代の机上の空論
>>318 本末転倒かもしれないけど、多数決をとる間は、
強制ID表示にしてもらうとか。
×比較的好ましくない場所に移動することになるのですが、
○比較的好ましくない場所に長時間陣をはることになるのですが、
322 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:48
>>316 ほほう。
備えに詳しいようですな。
それでは、「乗り崩しの備え」や「独輪車の備え」も
ご存知でしょうな。
というより、備えはそのほとんどが白兵戦を指向しているぞ。
323 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:54
江戸時代の机上の空論が多くて困る(w
複雑過ぎる戦術は統制を取る為にはむしろ不利。
324 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:56
∧∧ ((( ))) ∧ ∧ 88彡ミ8。 /)
/ 中\ .( ´Д`;) ___+(\_/) ∧_∧. ∩゛ ∧空∧ (,,・д・) 8ノ/ノ^^ヾ8。( i ))
( `ハ´∩⊂ ._つ゛/ ――┤.( ´∀`∩゛.+( ´_ゝ`)___ .| | ∧ ∧{´ ◎ `}_(__ノヽ(`Д´)ノ゛|(| ∩ ∩||/ /
( ~__))__/ / 人 Y| | /(. = ,= | (つ .∧∧/ ∧_∧. | | ( ´ー`) ):::/´∀`;::::\ __. 从ゝ__▽_.从 /
| | / / し'(_)| ||\┏┓/∫ヽ (=゚ω゚)ノ\ ( ´Д`)/./ \ <∧|∧ /::::::::::|(ΦдΦ)/||_、_||/
Λ_Λ /´Д`)/ /.V/ ∧,,∧ ∬ 〜( x). / / ,一-、 (´ー`) /::::::|::::::| ( へ /.(___) ∬
<丶`∀´> /. || ミ,,゚Д゚ノ,っ━~~ .U U / /| /. / ̄ l ⊂ヽ \/|::::::::|::::::|く γ\(ミ|∧w∧ 旦
[ (★) ]_ / 人 ミ ,,, ~,,,ノ n A Very Merry X'mas. .■■-っ┌───────┐ ̄\ ( ゚Д゚ )∩゛
<丶´Д`> /⌒l ( ゚ー゚)と..ミ,,,/~)ヽ(凸)ノ~ and. ´∀`/ | ● ● | .\ ノ
(ミ 北 )/ ./ .| / ̄ ̄し'J\[Y] Happy New Year! ../| ┌.▽▽▽▽.┐ |____|__||_| ))∧_∧
. ) |(ヽ | / / ● ●、ヽ -=・=- -=・=- ( ┤ | | |□━□ ) " , 、 ミ
|⌒彡 .| ゙ー.'| L |Y Y \War is Over. If you want it..\| └.△△△△.┘ | J |) ゝ ∀ く
|冫、) | /(_ ヽ |.| | .▼ |∀゚). (●´ー`●) (゚Д゚)?|\あ\ | ∀ ノ ∧_∧ |
|` / ノ / ゙し' | \ /■\ _人 |∧∧ ∩.∧_∧∩゛∧_∧ . | \り \ | - Åミ ( とノ
|/ / ノ / ■ヽ ´∀`)___/( ゚Д゚.)'/( ´∀` )/ (・∀・ ) j| \が\ | ) /. \// ̄ ヽ
/ / ( `Д) ( ・д・*∩゛ ) 冫、 U / .( / ⊂ ⊂.)ヽ(´ー`)ノ゛ \と.\ ∧_∧/(´Д`;)|^◇^ ヽ
/ ./ □( ヽ┐U ( .丿│ │ ` .| | .∪ | |. ( ( ( ( へ(゚д゚)(゚ε゚) (゚ー゚*)(-_-)(・ω・` )
ヽ、_つ ◎−>┘◎(__) (__)_).(__)(・∀・) ∪~∪ (_(__) (_(_) く ⊂⌒~⊃。Д。)⊃⊃⊃.(∩∩)(∩ ∩)
325 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:57
>>319 板盾は肩に担いで前進していくために作られたもの。
そのため裏にひもをつけたりした。(あるいはつっかえ棒)
鉄砲対策に鉄盾も作られたが重くなり機動性を阻害されるため
ほとんど採用されなかった。
野戦で陣地戦をお互いに決めこんでしまうと矢や鉄砲を
撃ち合うことすらなく戦況が膠着状態になるのは小牧長久手を
例にあげるまでもないであろう。
そもそも野戦の基本は遭遇戦であろう。
326 :
日本@名無史さん:01/12/24 22:58
>>321 アナタなかなか親切だ・・・
しかし、ID要求は今まで全く聞き届けられなかったし、
一時的な導入が受け入れられるのは期待薄です
まあ、一応要請してみます
他に良案があればまたよろしく
327 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:00
>>323 そういうあなたは現代の机上の空論に頼っている
ことに気づきたまえ。
328 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:04
まあ遠戦君の主張するような弓矢で勝負をつけるような
戦い方は少なくとも戦国時代には既に昔の話しになっていた
ということだね。
329 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:09
>>328 だが鉄砲で勝負が付く。
信玄曰く、「鑓を省略してでも鉄砲を持って来い」
330 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:14
>>329 鉄砲が大量投入されだしたら、どこの国でも
射撃戦が主流になるのは当たり前。
そろそろ戦国での敗北を認めて近代戦にでも高飛びしたくなったか?
331 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:15
大量ってどのくらいだよ
>329
鉄砲が有利なのはわかるけど、調達しにくいからそう言ってるのでしょう
だから当時一般的に遠戦志向だというのとは話が違うんじゃないですか。
333 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:19
鉄砲が出てきても首取りこそ手柄。白兵指向に変わりはないに決まってる。
334 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:22
>>332 本当に白兵志向なら講談の如く突撃で押し切ってくれれば良いだろう。
335 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:22
種子島撃つのがどれだけ大変か知らないやつが多過ぎる。
遭遇戦ですぐに撃つことができるとでも思っているのか?
ちなみに連射も不可です(w
336 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:24
遠戦君の悪あがきがじつに見苦しいね。
最期の断末魔か?(藁
337 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:28
その火縄銃で雑賀衆がどれだけ活躍したかを考えれば積極白兵志向は
捨てざるを得ない。
撃たれる前に突っ込めばいいのに誰もしなかったんだからね。
338 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:32
雑賀衆が有名なのは使いこなすのが難しい
鉄砲を見事に扱ったから。
みんなが簡単に鉄砲使って活躍してれば雑賀衆の名前が
残ることもなかっただろう。
339 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:33
長曾我部元親曰く「鉄砲を揃えたので鑓合わせになる前に勝てた」
……って振り出しかよ(w
340 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:34
関ヶ原前後は鉄砲の装備率は戦闘員の半分以上だったろ?
既出かな。
341 :
井沢狂信者:01/12/24 23:37
兵士をそんなに簡単に殺せたら苦労しないわ。
北条氏康って顔に刀傷あったんでしょ?
大将がこれなら他は推して知るべし。
弓も鉄砲も鑓や刀に比べたら使いにくいわ。
現代でさえヒットマンが至近距離から外すんだよ。
でも、至近距離だから外すという逆説も成り立つ気がする。
至近距離だったら飛び道具は構えて、狙って、撃つの三段回動作がしに
くいんだそうだ。
って既出ですか?
342 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:45
氏康は川越合戦始め奇襲・強襲で自ら敵陣に踊り込むからな〜
しかし白兵派・遠戦派って共に「一般論」で語ってるような。
そんな「一般的」な戦は数えるほどしかないよ。
343 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:46
戦国時代は槍が主兵器。
したがって白兵戦が主流。
これで決まり!
344 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:49
>341
大部隊での射撃は狙ってするものでわなく、制圧のための段幕を
張る、ということ。近代戦と同様に、スナイパー以外は
「当てろと思うな」と言われて打ってたのでわ? だから
一人の射撃者が一つのターゲットを確実にしとめなければならない
ヒットマンとは比較出来なかろう。
昔、キャメロット(かな?)という映画で、イングランド
弓兵の戦闘シーンがあって、どの程度の考証の上かは知らないが、
そこでは、千単位のユニットが一斉に、ある「面」に向かって
弓を放っていた。で、その面の中にいる人間には何千という
矢が引きも切らさず降ってくるわけ。こら怖いわ、と思ったよ。
朝倉とこの例の爺さんが、兵には下手でも弓を持たすべき、
と言ってるのは、そういう制圧射撃の有効性を踏んでのことでわ
なかろうか。
345 :
日本@名無史さん:01/12/24 23:55
主力=数が最も多い は成り立つものなのか?
海軍では駆逐艦が最も多いから駆逐艦が主力か? 否、主力は空母である。
陸軍では自動小銃が最も多いから歩兵が主力か? 否、主力は戦車である。
白兵戦派の中に終始罵るだけのやつがいるな止めた方がいいぞ。
347 :
日本@名無史さん:01/12/25 00:05
白兵戦と一口に言うが、近接戦闘にも色々なシチュエーションがあるだろ。
それを分類して「積極的白兵戦闘」「付随的白兵戦闘」とか分けたらどうだ?
遠戦派でも追撃で戦果を上げる事は認めているんだし。
348 :
日本@名無史さん:01/12/25 00:14
火縄銃が普及する前と後を分けた方がいいと思う。
火縄銃の普及により遠距離戦が主流となったからといって、
それ以前も遠距離戦が主流だなんていわれたくないから。
それはともかく、新田義貞の鎌倉攻め、中先代の乱などをみると、
多くの戦場が河川、崖、峠などの交通の要所であることがわかる。
つまり、守る側が敵が必ず通らねばならない場所に陣を構え
ているということである。
そのため攻める側は、天然の要害を占めた敵を破り進軍していかなくてはならないし、
敵を破るためには、敵を攻撃できる場所に移動しなくてはならない。
渡河している途中や坂を上っている途中に弓の届く距離になったからといって
立ち止まりそこで弓を射始める馬鹿はいない。
待ちかまえている敵が圧倒的に有利だからだ。
それなら、多少の犠牲をいとわず、敵の手薄な場所より接近し白兵戦へ持ち込んだ方が有利だ。
349 :
日本@名無史さん:01/12/25 00:21
>348
しかし、当然ながら反対に守っている側から言えば、
地の利を捨てて近接戦闘に入るバカは居ないから、柵を
破られる最後の瞬間まで遠戦っで行こうとするはず。
というわけで、攻め手は早く白兵戦に持ちこもうとし、
守り手はそうなる前に遠戦で攻勢を挫こうとするわけで、
結局論争に決着をつけるにはほど遠い。
というより、こういう陣地戦では古今東西そうならざるを
得ないのであって、邂逅戦などの例であくまで考えていった
方がよかないか?
350 :
日本@名無史さん:01/12/25 00:24
川を挟んで戦うならむしろ弓に頼るだろう。
『孫子』に「半渡に乗じる」の教えがある通り、先に渡る方が圧倒的に不利。
それなら矢戦で敵戦力を充分に削ぐまでは渡らないのが賢明である。
自軍の損害を省みないという行動が果たしてどれほど取れるのか。
目前の敵を倒す事に集中し過ぎれば継戦能力に重大な損失を来す。
要害に篭る敵を倒すには虚を衝く事を考えるべきだ。
坂上で守りを固める相手に坂下から白兵戦を狙って突っ込んだとして、
敵が突撃し返せば瞬く間に追い落とされてしまう。それゆえの坂上布陣なのだ。
敵に白兵志向があれば高所からの突撃は最大の武器になる。
>>349 かといって、遭遇戦が野戦の基本だとも言い難い。
多くの有名な古戦場が何度も戦いの舞台となったように
野戦が行われる場所は限られるのではないだろうか。
それに偶然を相手にする方が結論がでにくい。
守る方が遠距離戦を望むのは、当然であるが
近接してきた敵、陣を退いた敵を追撃するためには、白兵戦を行う必要がある。
つまり、一部の遠距離戦派が言うように、日本人は、白兵戦を恐れ、遠距離戦を
嗜好していたのでなく、状況により白兵戦、遠距離戦を使い分けていたと言いたかった。
>>350 敵の主力が待ちかまえる真っ正面に攻めかかるということでありません。
たとえば、足利尊氏の軍と北条時行の軍が相模川をはさみ対峙したときには、
足利軍の右翼と左翼が敵勢のうすい所に迂回して渡河したし、
箱根で足利尊氏の軍と新田義貞の軍が対峙したときは、足利尊氏の軍が
足柄峠を通り新田軍の後ろに回り込み勝利した。
よくよく考えると箱根は、戦術の範囲じゃなく戦略の範囲だから
例として正しくないわ。
353 :
日本@名無史さん:01/12/25 01:01
すこし前にある北条氏康の川越夜戦の話は、しっかりとした資料がないはず。
関八州古戦録とか江戸時代のエンターテイメント本から出てくるんじゃなかったけ?
354 :
日本@名無史さん:01/12/25 01:02
迂回戦術は白兵戦も射戦も避けて敵の弱い所を衝くってんだから
白兵派も遠戦派もないわな。
355 :
日本@名無史さん:01/12/25 01:07
>>353 川越で合戦があり上杉朝定が討死したのは事実と見て良い。
『甲陽軍鑑』など武田系史料にもこの話は出てくる。
だが夜戦だったのか? など合戦の詳細は不明。
356 :
日本@名無史さん:01/12/25 01:20
『甲陽軍鑑』に「本当の合戦は川中島と三方ヶ原だけ」とある。
つまり
・地形は互角の条件
・両軍ともに柵や堀などの陣地を構築していない
・軍勢同士が正面衝突
という条件を満たしているのがこの二つの合戦だけだというのである。
逆に言えば合戦とは
・いかに有利な地形を占めるか
・いかに堅固な陣地を築くか
・いかに敵の虚を衝くか
に集約されるのである。少なくともここに、積極的な白兵戦を
行なおうとする意志は読み取れない。
だが一方で、ある種の条件が整いさえすれば、白兵戦は
ありえたとも言える。
尤も、平均すれば戦国時代においては白兵戦はかなり頻度の低い物と
なってしまうだろう。
だから、戦国時代の合戦イコールチャンバラというのは
極稀な例に過ぎない。が、有り得ないわけでも無い。
何を以って「一般的」と言うかは微妙な問題なのである。
357 :
日本@名無史さん:01/12/25 01:56
ここまで読んだところ、このぐらいに分かれている。
1.白兵派=絶対的に優位な兵種など無く用途用途で戦術も違う。
2.白兵派=戦争は首狩第一をもっとーとする戦術がとられた
3.遠戦派=農民は臆病・戦争で刀は使われなかった
4.遠戦派=弓兵至上主義
358 :
日本@名無史さん:01/12/25 02:06
>>357 2と4はマンセー同士なので無視しましょう。
つーか1は厳密には白兵派ではないでしょう。
「使い分ける中でも中心は白兵戦闘である」でなければ。
そして3も遠戦そのものを指していないし。
ところで白兵派ってのは日露戦争の旅順攻略戦だの
あるいは太平洋戦争の時の陸軍だのみたいな奴を
想像していいのかな?
突撃ー突撃突撃突撃ィィィ――みたいなやつ。
359 :
日本@名無史さん:01/12/25 03:23
相撲は武士のたしなみだったんだよ。当時の相撲は蹴り技が凄かったんだよ。
タイ捨流も一説には体斜とも伝えられ体を斜めに構えて前後左右に俊敏に回り込み
斬り込んでいく。タイ捨の武技は蹴り、片手突き、下からの切り上げとおそらくストリートファイトで
成人男性が本能的にとるであろうファイトスタイルに刀を足した形態と考えた方がいい。
強い奴は強いんだよ。丸目も師の上泉も乱戦でなんども島津勢や武田勢に斬り込みをかけている。
剣聖と称された上泉は自らの技を図解入り書物で解説したり竹刀での練習試合を考案した。
義輝将軍が謁見した御前試合、正親町天皇に奉じた天覧試合で丸目は疋田や柳生を
差し置いて打太刀役に指名されているが、新陰流奥義を授けられたのちは必ずしも師の練習方法を
踏襲せず練習は常に木刀を使用させた。これは何を意味するか。常に戦場での実戦を想定していた。
戦場での白兵戦から生まれた剣技が戦国大名や江戸期各藩に積極的に採用されたことをみても
どれだけ凄まじい斬り込み、格闘が戦国当時戦場で行われていたかのあかし。
360 :
日本@名無史さん:01/12/25 05:02
まず、弓だけでは盾で防がれてしまうから「投石」をし、石が尽き、相手の盾に損壊が見られた
ところで「弓」を射、相手が盾をつくり直す暇を与えず、槍をつかった白兵戦。
だと思うがな。自分が戦国武将になって考えたら。
361 :
日本@名無史さん:01/12/25 05:04
つうか、一度遠戦派至上主義の人間と戦ってみたいよ(笑
盾を重装備して、ずんずん進んでいってあげるから。
362 :
日本@名無史さん:01/12/25 05:23
戦国時代のことは不確かだから、サイキンの、
機動隊と3派全学連の戦い(藁 とかから考えてみる。
学生= 投石が主
機動隊=放水、ガス弾水平撃ち、しかる後に盾で突入
って、やはりどちらも遠戦指向のような・・
突入される時にはもう勝負はついていたみたいです。
機動隊員が書いているの読んだけど、無数の石が自分に
向かって飛んでくる、てのは凄い恐怖だった、とかあった。
これが鏃の尖った矢だったらそれどころじゃないだろ。
363 :
日本@名無史さん:01/12/25 05:27
>>92 これ、聞きたいんだけどどういう資料なの?
応仁の乱から島原の乱までの統計データなんてあるわけねえし、いつの戦いのデータか
詳しく教えてくれない。
364 :
日本@名無史さん:01/12/25 05:27
>361
>盾を重装備して、ずんずん進んでいってあげるから。
しかし、「盾を重装備した」361が、移動しながら射撃する
遠戦君に追いつけるのか、という問題もあるyo。
ヨーロッパの重装騎兵が、そのノリでモンゴルの軽装騎射騎兵に
突入しようとして、簡単に後ろを取られて包囲、翻弄され、
為すすべもなく殲滅されたという歴史的事実もあるし・・
365 :
日本@名無史さん:01/12/25 05:43
366 :
日本@名無史さん:01/12/25 05:53
>365
>近距離から馬上で弩の連射・・って聞いたこと無いぞ。ちょっと考えてみ。
ちなみにモンゴル弓兵の装備は合板の短弓だったyo。遠戦ってのは
全ての射出武器を含むので、弓を使った時点で遠戦、だろ。
日本の戦いも外国の戦いも同じ物理法則に均しえに拘束されるわけだ。
重装歩兵でズンズン進んでも、相手を捕捉するのが難しい、ってのは
洋の東西を問わず事実、よって日本の戦闘に対しても当然真実であるはず。
367 :
日本@名無史さん:01/12/25 05:59
モンゴルってワールシュタットをはじめ圧勝パターンはすべて釣り野伏せだよ。
パターンは
最近降服した部族・城兵を先頭におしだす → 敵軍と会戦 → わざと負ける
or 背後左右にモンゴル軍が隠れていることを知らされず自軍単独行と信じ込まされ
激戦の上敗退壊走 → 敵が追走にかかると → 正面左右にモンゴル主軍が雷撃
→ 包囲殲滅
どちらにしろ主軍を温存し刈り取りにだけ出撃するという「冷酷さ」が特徴。
先頭に押し出される降服部族はモンゴルの残酷さをひしひしと感じただろう。
でもヨーロッパ諸侯自身がこの戦略をのちに真似ているからどっちもどっちともいえる。
368 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:02
>364 は弩について誤解していると思われ。
弩の有利な点は、その射程にあり、近距離で使うものではない
弩の不利な点は、振動に弱く、故に待ち伏せなどに大量投入して威力を
発揮するが、馬上では全く使えない。
これが漢帝国vs遊牧民族が、弩vs弓、となった理由
弩の不利な点は、連射ができないこと。現実の運用では、二、三人で
操作をしたことも多い。孔明の連弩、とかもあるけど、
さほどメジャーじゃないし・・
369 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:02
ところで遠戦論者っていまだに聞いたことのない奇想天外な発想におもえるんだけど
なんで「詰める」ことをしないの。人間は暴力性というのをやはり生来持ち合わせてるでしょ。
向かい合って挑発しあってたらポコンって殴るでしょ。誰でも。
先駆けを大将が禁じても抜け駆けは頻発したし、井伊直政っていう理性的な政治家が
なんで戦場では猪突猛進型だったのかも説明つかんし、実際彼はそれで命を縮めた。
ごめん、>364でなくて、>365へのレスでし
371 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:06
悲しいかな、戦場に出ている人間のほとんどは武士ではなく足軽・雑兵であった。
上泉伊勢守と一緒にされてはたまらない。
武術は武士の心得だが足軽や雑兵の心得ではない。
だが軍の過半を占める彼等を上手く統率して集団行動で戦えば
個人技では太刀打ち出来ない強さにもなるのだ。
上泉伊勢守は箕輪城を信玄から守り切れず、足利義輝は自分の身さえ間もれなかった。
特定個人の名を上げてみせてもそれが一般論まで拡大できるわけではない。
372 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:10
白兵戦に入るってのはものすごーく怖いことなようです。
槍一本を持って多数の武装した敵の中に駆けいる、なんてのが
どんなに勇気が要り、普通の人間はそれに躊躇したか、想像に
難くない。
一番槍だ二番槍だ、また、功はあげなくとも怪我をすれば
恩賞にあずかれる、みたいな制度があったこと自体、それを
させることが非常に難しかった、ってことの証拠のような
気がするのだが。
373 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:20
>>361 クレシーの戦いの二の舞になるだけだろう。
重装備のフランス騎士団がイギリス長弓隊に殲滅されたように。
一対一ならまだしも、横隊で射撃して来られたらまず全滅だね。
374 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:27
各論を否定したことはまったくもって総論たる自説を証明したことにならない。菅直人をもってしても
理系出身の総理がおそらく生まれないであろうことをみても緻密な推論って現実の暴力のなかでは非力。
閣僚も理系っていうのは薬害エイズの厚生官僚くらいのもの。謀略、調略、家乗っ取り、偵察、錯乱、
誹謗、中傷なんでもやった毛利元就をはじめとする戦国武将が戦場で「うーん弓矢鉄砲だけな
弓矢鉄砲だけだ。あっ、近づいちゃだめだ、相手が崩れるまで近づいちゃだめ」という行動をとるか?
パラメーター設定に夢中になりそれを自分の擬似演習という妄想のなかでなんども反復ししまいには
信じ込むようになる。なんとも理解に苦しむな、あ、それとも厭戦論者を遠戦論者と間違えたかな俺?
375 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:27
>>369 じゃあ貴方は拳銃持ったヤクザに駆け寄っていって殴れるのか?
それまでに撃たれるんじゃないかと恐怖しないか?
もちろんそれが出来る人間もいるんだが、出来ない人間の方が
多いってのが普通だろう。
376 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:31
>>374 全ての策略は如何に兵を用いずに敵を制するかという事だろ。
それならば合戦で自軍の損害も覚悟しなければならない
互角の白兵戦なんてのを好むとは思えないがね。
それこそ「相手が崩れるまでは突撃しちゃイカン」て言うだろうよ。
377 :
日本@名無史さん:01/12/25 06:43
擬似海戦、擬似会戦なんてコロシアムでローマの貴族が隣の女の子の膝をさすりながら笑ってみてたんだよ。
何百、何千、何万という擬似演習が柵内で、城内で、机上で、陸軍士官学校の寮室で行われてきた。
それら各時代各国の俊英をもってしてでは何故、敗軍の悲哀、国の敗亡が幾千と繰り替えされたのかな?
それとも二チャンネルの日本史版における洞察はこれからプリントアウトして六本木とベンタゴンの日米
軍事エリートの閲覧に供したほうがいいかな?
どうして、戦場での戦闘行為という人間本来の暴力性にもとづく集団行為を無理に理論解釈しようとする?
そこがわかんないんだけどな?
378 :
日本@名無史さん:01/12/25 07:02
あんた白人神話に洗脳されてるね。仏軍最強っていうのは相手あってのものだよ。
アーリア的二元論は日本人には理解できんのだよ。田岡の言っているような超長期戦じゃなく
あっけなくタリバン投降も或る快打の武装解除もおこなわれたのをみても、アレキサンダー以来の
マケドニア人、パルミュラ人、イラン人、メデ゙イア人、パルテイア人、ソグド人、今回のパシュトン人ら、
ヨーロッパからインダス河畔に連なるアーリア回廊の軍事史をいっくら紐解いたところで、
残念ながらまったく日本の戦場には汎用性がないのだよ。
工夫ゼロの連中どうし会戦して押したほうがあっけなく勝ちだ。
国家国民のために突撃特攻を敢行しわずか二十歳、三十歳の命を散らした皇軍兵士を愚弄するなよ。
379 :
日本@名無史さん:01/12/25 07:10
なんの話をしてんのかさっぱりだ。
戦国初期から遠戦主体と思うが、白兵戦も当然、追撃など要所や戦闘の終盤で
行われたろう。
しかし古代ギリシア・ローマや中国のように白兵やら騎馬突撃主体だったら戦国の
戦いの死亡率ももっと多いと思うが。遠戦だけで決着するなんて話は馬鹿げた
話だが「戦闘の勝敗」をわける意味では遠戦の重要度は高かったのではないか。
戦国期の白兵戦は「追い散らす」場面が多い気がする。大規模な組織的戦争が
行われた戦国後期はまた違うだろうが。
>>379 全く同感
381 :
日本@名無史さん:01/12/25 08:26
>379
同感。誰もアーリア人の話なんかしてないと思うが・・
皇軍兵士うんぬんも関連不明だ。スマソ
382 :
日本@名無史さん:01/12/25 11:24
「アーリア人より日本人のほうが白兵戦で強い」
ということを言いたくてウズウズしてんでしょ。
383 :
日本@名無史さん:01/12/25 11:49
>>375 一人じゃなくて集団で戦ってるんだから、みんなが突っ込めば
一緒に突っ込むだろうし、味方が押してれば勢いついてどんどん
押してくでしょ。逆に押されればそのうち逃げる奴もでてくる。
味方が逃げ出したら、やっぱり自分も逃げようって思うでしょ。
これが全軍に伝わると総崩れになるんだろうし。
個人としての心理よりは、集団心理で考えた方がいいんでない?
384 :
日本@名無史さん:01/12/25 12:53
>>356 甲陽軍鑑も後世の机上の空論なんだけどな(w
385 :
日本@名無史さん:01/12/25 12:55
>>380 古代ギリシャや支那とくらべるなよ。
合戦の規模自体が違うだろ。
386 :
井沢狂信者:01/12/25 13:49
結局、白兵戦は存在したし、弓矢だけでは勝敗は決しなかった、というの
が真相なのでしょうか?
弓矢って熟練が必須(初心者は弦で右耳をよく切り飛ばされてたらしい)
な武器だし、あと近代戦でも当たらない弾幕よりも不意の一発の狙撃の
方が効率がイイのは証明済み。
とにかく矢を撃てなんて、経済的にきついのでは?
しかも相当腕力いるだろうし。
だれか弓道部の人おりませんか?
387 :
弓道家@遠戦派:01/12/25 15:35
現在の弓本体で主流を占めているのはグラスファイバーという人工繊維で木材ではありません。
木材よりもこのグラスファイバーは反発力が強いので初心者でも遠くに射ることができます。
上段者は古来からのある竹弓を好んで使います。竹弓は湿気水分などに弱く、手入れも難しい
のですが、風格、射品といった点では竹にはやはりかなわないからです。
弓の強さは現代では束、伏とは言わず、sで計ります。上記の弓は両者とも現代では20kgの強さが
成人男子一般的です。それ以上の強さは、ほとんど見かけません。
弓を引くには腕力が相当必要だ。と思われていることが多いようですが、経験を積むことによって、
力で弓を引くのではなく、体全体、つまり骨格で引くことを覚えていきます。これによって、無駄な
力を必要とせず、矢の速度、貫通力、飛翔力、集中を格段に向上せることができます。なので格段に
腕力がいるということではありません。
最初のうちは連続して20射程度でへとへとになってしまいますが、練習を積むことによってもっと多くの矢
を射ることができるようになります。
しかし、室町あたりまでは弓本体は木材を何枚か貼り付けた(合板初期)という今の竹弓(いわゆる○枚ひご)から見ると、
簡単な構造であり、それ以前の古代、平安では木を弓形に削っただけのものでした。これでは射程は多く見積もっても
100mほどで、当時の騎射戦闘ではかなり接近して射たざるを得ませんでした。しかし、この頃の弓は「三人がかりの強弓」
とあるように、貫通力重視で40〜50sといった現在の二倍ほどの弓力があったそうです。
この頃の武者の鍛錬法には、驚くべきものがあったでしょう。また、鏃も各用途に向け多様化し、そのまま刃物として使える
ようなものでした。いずれも必殺の気風に溢れ、後に美的要素も加わり、工芸品としての価値も高いものがあります。
中世初期は弓馬の道と呼ばれるように、弓馬術に優れた者が勇者英雄とされていた時代でもありました。
388 :
日本@名無史さん:01/12/25 16:02
しかし、その弓馬の道も源平合戦の頃には既に
すたれ始めていたことが源平盛衰記には記されています。
古き良き弓馬の道が廃れていくとともに日本は白兵戦指向の
合戦を行うようになっていったのです。
かつて弓馬こそがもののふの代表的な武芸で
あったことは事実ですが、弓は次第に補助的な兵器とみなされて
いくようになります。
『甲陽軍艦』にも
「まずはじめにならはん事は馬なり、二に兵法(*)、三に弓
四に鉄砲」とある。(山県昌景)
(*)・・・この当時の兵法とは太刀、刀、槍、薙刀などの打ち物に
よる格闘のことである。
そもそも弓は前方90度に対しては有効な攻撃手法であるが、
後方や接近されての側面からの攻撃に極端に弱い。
弓道をやったことのある人間ならわかると思うが、弓をひいた
状態で後ろを向くのは極めて困難である。加えて日本の弓の特徴
である長弓が俊敏な使いまわしを一層困難にしているのである。
これではあるいは草に伏し隠れ、あるいは水に飛び入りて獣の
ごとく接近してくる足軽雑兵に対応するのは難しいのである。
そもそも遠戦君は足軽を「臆病な農民兵」ときめつけて
いるが、連中がむしろ正規の武士よりも狂暴な戦闘者であり、
軽快なフットワークと集団戦で合戦そのものの形態を変えて
しまった張本人であることを忘れてはいないだろうか?
『真如堂縁起』には刀や槍を振り回し暴れまくる足軽と
それを困惑顔で止めに入る武士の姿が描かれている。
391 :
日本@名無史さん:01/12/25 16:47
>>386 だれも白兵戦が存在しないなんて言ってない。
392 :
日本@名無史さん:01/12/25 16:53
>>391 しかし、弓矢だけで勝負がついたとする弓矢信者がいる。
393 :
白兵主義万歳:01/12/25 17:13
地方の小領主に剣術の祖になった人がけっこう多いですね。
やはり、戦国の動乱期には領主といえども自ら剣をとって
白兵戦を戦わねばならなかったのでしょう。
中条兵庫頭長秀(中条流)
松本備前政信(鹿島神陰流)
愛洲移香斎久忠(愛洲陰流)
上泉伊勢守信綱(新陰流)
富田九郎左衛門長家(富田流)
柳生石舟斎宗厳(柳生新陰流)
394 :
日本@名無史さん:01/12/25 17:44
『甲陽軍艦』は学者には信頼されてない本だって知ってて言ってんの?
「合戦で相手の弓鉄砲によって深手になった者がニ、三人いると、それだけで
味方は崩れる」細川幽斎
「刀槍を振り回したのは石山合戦の時、一度だけだったと聞いている」徳川家康
「(後に応仁の乱と呼ばれる合戦の初日は)初めから終わりまで矢戦ばかり。
翌日も同じく矢戦のみ」近衛政家
京都の町で大軍が二日も矢合戦してたのはなぜ?京では盾でバリケードは作れても、
防塞は作れないはず。守りが薄かったら、迂回して側面後方に攻めるはず。なのに
激突は行われなかった。両軍とも諸国から集めた兵に損害は出したくなかったのでは?
代表的武将がこう述べた背景は?
説明してよ。白兵マンセー。
あと、臆病で片付けてる奴がいるが、テメェはそんなにご立派な人間か?どうせなにもできねぇ
モヤシだろ。日本軍の精神主義者以下だな。
>>394 『甲陽軍鑑』てのはかなり二面性があるね。私が
>>356で書いた「本当の合戦」
以外は大した白兵戦などなかったという記述と、一に馬、二に兵法…みたいなさ。
やはり原著を書いた人間と編纂した小幡景憲と二人の記述があるってことかな?
だが一方で「本当の合戦」なら乱戦白兵戦もあるってことだから、あながち矛盾
しているわけでもないのかな?(笑)
ところで『改正三河後風土記』の家康の台詞、「本当の槍合せは一度だけ」って
やつなんだけど、『信長公記』に「火花を散らし鍔を割り」なんて描写される
姉川合戦は実は小競り合いだったということかな。
有名な合戦でもまだまだ検証が必要だね。
396 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:02
弓馬の道が廃れたってのは武士専用の武器であった弓が
徒歩の兵の武器へと移り変わって行ったことでは?
そしてまた戦場で馬を狙われるために馬も重視されなくなった。
結果として弓も馬も昔ほど熱心に研鑚されなくなった、みたいなさ。
397 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:05
柳生なんかは剣を「主君の目に止まって出世するため」に
研鑚していたらしいよ。
だが信長は個人の剣技に興味を示さず、柳生は陽の目を
見なかった。
後に家康が柳生の剣に共感したから有名になれたけど。
398 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:14
>396
その問題については、川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ』が
示唆に富んでいると思う。
399 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:19
>>394 市街戦=白兵戦になると思うけど。
市街地のように建物などに身を潜められるような場所では、
遠距離戦の効果はたかがしれているので、
現在も過去も白兵戦が主体となっている。
それに、大邸宅や寺院などは、たいてい砦のようになっている場合が多い。
>「刀槍を振り回したのは石山合戦の時、一度だけだったと聞いている」
徳川家康が誰にそれを聞いたのかわからなくては、仕方がない。
家康が話を聞くような武将が刀や槍をもって戦うなんて、
槍で有名になった本田忠勝や前田利家みたいに勇猛な武将なのか、
とんでもない混戦以外ありえないのでは。
>「合戦で相手の弓鉄砲によって深手になった者がニ、三人いると、それだけで
>味方は崩れる」細川幽斎
本当に2,3人負傷しただけで陣が崩れるなら、
どんな戦も一日とかからなかったでしょう。
負傷者をみると、兵が怯えるぞという教訓なのではないでしょうか。
400 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:32
遠戦君の無謀な論理は無視しましょう。
相手を納得させようとしても、納得しない人は一生納得しません。それに付き合うのは
馬鹿馬鹿しいです。
平野部での戦い、城攻め、山岳での戦い、盆地での戦いなど色々分けて議論する方向に
もっていく方が良いように思います。
401 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:34
山名勢も細川勢も京都占拠が目的であって相手が没落(退去)してくれるのを
待ってたんだと思うよ。吉川太平記でも南北朝期の合戦について同じような描写がある。
それは山名宗全や細川勝元の戦略であって、史学的にはむしろ長期戦によって
洛中が人心荒廃の極致に達したということが問題。
そのすさんだ現状が都人には驚愕であったのだろうし。
例えば司馬遼で読んだ気がするが当時京都の妙齢の女性の五人に四人が
女色を売っていたという日記を残す者もいた。そこから当時の性風俗を
つきとめた!って諸手をあげて喜ぶより、なぜ公家が諸国に落ちて
領主化したり、文化芸術を広めたり、そちらに思考をめぐらすほうが
意義のあることだと思うよ。山口、豊後府内、飫肥、駿府、伊勢や飛騨や土佐中村といった
政治経済文化は彼らによって築かれたといっていいし、それをフロイスらが
また滞在することで記録に残すという東西文化交流が生まれた遠因だしね。
サンプル数ひとつ持ってこられてもねえ。統計学的にZカーブでの推論にも
至らないサンプル数だよね日記ひとつでは、、、、当時の世相こそ覗われるけど
軍記資料としてはどうかね?たとえば火星人が今2チャンを読んで
日本国ではアズマという国と薩長尊皇攘夷という国がいまだに憎みあっていると
判断するかな?いろいろな階層、身分、職能、の人の日記を総合したり
性、芸能、落書きにいたる庶民の本音をたどるほうが大事なのでは?
バイアスの問題は統計学の至上命題だよ。アフガン報復戦争にかんする
朝日新聞を読むのとペンタゴンの発表を英語で聞くのじゃまったく別の戦況を伝えている、
というか全く別のはなしをしているよね。とりあえずお公家さんが王朝千年の都で飛矢の恐怖を
味わった。ってあたりで済ませていいんじゃないの? 戊辰のときも
鳥羽伏見の砲弾の音で恐怖していたそうだからね禁中は。示現流も新選組も離れて
見詰め合っていただけかな?
>>366 あのさ・・・・・、短弓だったのは間違いだけど、射出武器による戦いをすべて
遠戦だってするのはここで語られてる「遠戦論」とまったく違うのは分かるよな?
それに君の論理はめちゃくちゃだよ。射出武器を使用して相手を殺傷するのがすべて
「遠戦」だったら、目の前1メートルで弓を引き相手を殺すのも「遠戦」になるだろ?
「遠戦」という言葉の意味をもっと考えてから書き込んでくれ。他の部分も同様。
>>373 あのさ・・・・・、弓部隊が活躍したのを語るのは結構だけど、そういうことを語ってるんじゃない
ってことは、分かるよな?
このスレの「遠戦論者」ってのが、日本の戦は兵士が臆病だったから遠くから弓を射つづけるの
でほとんど勝敗が決したってのが、このスレで語られている「遠戦論」なわけよ。で、そんなことで
勝敗が決めるんなら、俺は盾をもって相手を追い掛け回してやるって言ったわけ。相手は弓でしか
攻撃しないんだったら、盾をもって相手を逃走させて相手の領地を自分のものにできるでしょ?
ついでだから言っておくけど、弓を効果的に使った「戦略」や、「弓隊」が活躍した戦を幾ら語っても、
それが「遠戦論者」がいう遠くから弓や石つぶてを放ち合って日本の戦はほとんど勝敗が決したって
結論には到達しないわけ。
正直、遠戦論者、つうかなんの話をしてんのか分からん奴が多いから、>>400の提案どうりの話題
に専念するよ。
話が噛み合わなさ過ぎる。
403 :
日本@名無史さん:01/12/25 19:21
>『信長公記』に「火花を散らし鍔を割り」なんて描写される
>姉川合戦は実は小競り合いだったということかな。
そういった表現は、軍記物描写の典型的な決り文句であり、平家、太平記以降延々と受け継がれて
いってしまっている。この間違えを訂正する意図で難太平記を書いた今川了俊も軍記物は十のうち
九は嘘だと語っている。同様のことは大久保忠教も語りのこしている。信長公記すらこの悪弊から
逃れることは出来なかった。だいたい、そんな「火花を散らし鍔を割り」という合戦だったならば、
軍忠状の戦傷分布が理解できなくなる。
>>394 柔術の流れをくむ少林寺拳法と日本拳法の経験があるが。
ついでに弓道も一級だ(藁
悪いが弓道部にもやしっこ呼ばわりされる覚えはない。
はっきり言って遠戦至上主義の弓道君の発言は
喧嘩恐怖症の告白にしか聞こえないぞ(藁
406 :
日本@名無史さん:01/12/25 19:50
>>394 >>401 結局、応仁の乱はお互い弓矢撃ち合っていつまでも
白兵戦を行わなかったからいつまでも決着がつかずにずるずると
戦が長引いたってことじゃないの?
だとしたら動乱の世を招いた遠戦至上主義者の責任は万死に値するね。
407 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:00
>>397 柳生の剣の浅いところしか見ていないから
そうなるのです。柳生の剣は剣禅一如、日本の武術を
武道へと導いた先駆者です。
あなたのような見方しかできなければ日置弾正も出世するために
弓術をやっていたにすぎないということですね。
408 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:15
遠戦派の最後の拠り所である火縄銃であるが、熟練したものが
どんなに速くうっても15秒に一発が限界であるらしい。
しかも、鉄砲隊が集団で撃つと煙で何も見えなくなってしばらく
撃てない。
そのうえ火縄銃は横にも火が飛ぶので隣りとの距離を一間は
おかなければならなかったそうです。
409 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:19
>>403 今川了俊は、今川家の功績が正しく評価されてないから、
十のうち九は嘘だと難太平記に書いたのでは。
それに、軍忠状には、それなりの侍以外の足軽などの
負傷などは、のっていますか?
f
411 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:25
>>364 >移動しながら射撃する遠戦君に追いつけるのか
戦国時代の弓は徒歩によるものなので、移動しながらの射るのはほとんど
不可能です。
また、馬に乗っていたとしても後退しながらの射るということはまず無理
でしょう。
したがって弓単独ではいずれ槍の餌食になってしまうわけです。
412 :
日本@名無史さん:01/12/25 22:28
>411
後退して、止まり、射る。また後退して、あるいは回り込み、止まり、射る。
その繰り返し。
・・どうしてこの程度が不可能と思うん?
413 :
日本@名無史さん:01/12/25 22:58
>>407 お笑い種だね。研鑚の果てにある種の真理に到達する事と
研鑚を思い立つ事は全く別。
始めから剣禅一致を目指して修業を始めたというのと
出世のために修行を積んで、何時の間にか真理に突き当たった
というのとは全く別。
柳生の剣も上泉伊勢が来なきゃただの腕自慢で終わったと思うぞ。
414 :
日本@名無史さん:01/12/25 22:59
>>412 あのバカでかい弓かついて追っかけられながら止まって
打ってたら、刺されるつーの。
相手が亀なら別だがな(藁
415 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:00
>405
ま、一応アンタが勇者ということにしてだね(藁、
ふつーの人は恐がりなわけよ。家には年老いた両親と
若妻、腹をすかしたガキもいたりするわけ。
そーいった農民兵が何を好んで殊更に危険に身を晒す?
日露戦争の時に、徴兵された兵卒の厭戦傾向が強く、
座り仕事の職人などは塹壕の中から足だけを出し、
ロシア兵の陣に対して「撃ってくれー、撃ってくれー」と
叫んでいた由。
足を負傷すれば後方に送られるから。そして座り仕事の職人
なら足が少し不自由になっても生きていける。その方が
死んでブリキの勲章もらうよりナンボかマシ。
庶民の感情はどの時代でもこういったものに近かったと思われ。
416 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:01
>>406 結局何故応仁の乱が長引いたのか? を考えて白兵戦を避けて
矢戦ばかりに終始していたからだと考えたなら、日本の合戦の
傾向は遠戦志向ということだろ。
勇ましく突撃して敵を追い払うよりも粘り合い睨み合いを
選んでしまうのが当時の傾向ということだ。
万死に値しようがなんだろうが「それが真実」ということだろう。
417 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:02
>414
だけど、追っかける白兵君はそれに輪をかけた重装備
の筈だけど?
418 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:03
弓道君には是非走りながら矢を射る陸上弓道という
新しい分野を開拓して日本武道の発展に貢献していただきたいものです(w
419 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:04
>>417 白兵君には軽装備の足軽君がいることを忘れては
ならない。
420 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:10
多摩の百姓たちでさえ武蔵相模という二国の歴史的重量感を
精神的な拠り所にしていた。その百姓集団が「兵は関東にかぎる」
という近藤勇の言葉にあるように斬り結び、格闘をイメージした言葉
「兵」や「戦闘」をほとんど同意義に使っていたことは興味深い。
数時間しか持ち時間がなくこの一期の機会を逃したら市中騒擾のうえ
犬死という汚名をきるか、あるいは見事敵の首をあげるかという、
必殺体制で敵館に乱入した赤穂浪士も半弓は携帯したが、
おもに斬り結んで決着をつけた。相手は高家吉良家
のみならず背後にひかえる謙信以来の武門上杉家。
決着をつけるためには至近距離での遭遇戦つjまり白兵戦での勝利が
いかに双方の集団心理に影響を及ぼしたかが伝わってくる。
赤穂浪士の多くが三木城篭城を闘いぬいた播磨人を祖先にもつという。
別所、有馬ら赤松氏系の武士団は自天王殺害、さらにさかのぼると
将軍義教殺害→播磨篭城、そして赤松氏祖の円心入道の白旗城篭城など
無謀な突出を繰り返す血を体内にもちあわせていた。
子飼の旗本をもたなかった秀吉が心底頼りにしたのがこの播磨武士団で
あったといわれる。黒田、有馬、宇喜田ら播磨人の突撃精神が
日本史の大舞台を演出したのはまぎれのない事実であり、それを無視することはできない。
421 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:17
>>415 うわ、くさっ。
左翼くささがプンプンする嫌な書きこみだな。
もしかして、今回の北朝鮮の工作戦撃沈に抗議デモしてた
全○連のお方ですか?
422 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:17
>420
詩的文学的に格調高い?文章ですが、
実証的価値はほとんどゼロですな。
白兵君、ついに白昼夢の世界に逃避か・・
423 :
白兵マンセー!:01/12/25 23:18
424 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:21
>421
って、>415のソースって軍内部の記録からなんだけど?
じゃ陸軍さんって左翼なのか? (藁
425 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:21
人間が携行可能な「重装備」なんぞたかが知れている。
片や重装備の突撃切り込み部隊、片や長弓隊で正面から向き合ったら
長弓が勝つのは目に見えている。
クレシーの戦いだね。
また楯を隙間も無いほど連ねて前進していったとしても、最後には
楯を捨てて槍刀を持って敵の目前に姿を晒さねば切り込めない。
この瞬間を狙って至近距離の狙撃をされれば白兵派に勝ち目は無い。
『佐武伊賀働書』で佐武伊賀が流れ弾で負傷しながらも敵を10間の至近距離まで
引き付けて先手の兵を撃ち倒し、わずか25、6人の人数で1500の織田勢から
砦を守り抜いたという話は無視できないだろう。
426 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:23
>421
別に無駄死にしたくないのに右も左もないと思うが・・
427 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:24
検索してたらこんなの見つけました。
>サラブレッドを馬の標準体格と考え、
>記録に出てくる145センチの馬や142センチの馬を「きわめて小型」と断じるのだが、
>これだけあれば20世紀の騎兵の馬としても十分である(小格馬にはちがいないが)。
>ましてや150センチ前後と考えられる戦国期の日本人男性の平均身長を考えると、
>当時の馬の標準的体高(135センチ前後)は、むしろ十分に騎馬突撃も可能な
>大きさだったと言えるのではないか。
>日本の中世・戦国期の馬は体格貧弱で騎馬戦は不可能だった、とする定説は、
>著者を含め、日本人一般に馬の基本的知識がないことからくる誤解と思える。
www.d1.dion.ne.jp/~daddy_jo/newpage1.htm
なお、この人が反論しているのが遠戦君のネタ元の一人の鈴木真哉
428 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:29
遠戦君の想定してる仮想敵の姿は竹槍を持って米軍に
突撃していく大戦末期の日本人だということが判明しました。
戦国の合戦と混同してもらっては困りますね。
戦国期の平均って160前後・165前後の2つがある。
150前後では低すぎる。
430 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:34
だから何?吉良邸は室内戦を想定したから刀だったんだろ。
いままでは白兵中心だと思ってたけど、読んできて白兵論者は馬鹿多すぎ。これからは遠戦とやらに宗旨替えする。
1の言ってるらしい本も読んだけど、どうみても遠戦の方が説得力あった。白兵派は読んでみたのか?
そんなに遠距離の批判ばかりするなら、白兵中心だった決定的証拠だしてから発言してくれない?
誠意に資料出してるのは遠戦派ばっかりじゃん。白兵は揚げ足鳥に終始しているって感じ。
なお、軍記物、豪傑伝説はお断り。
431 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:34
>>425 そりゃ攻城戦だろ。
悪いが弓には弓同士で打ちあっている間に足軽隊を側面か
後方からまわりこませていただきます。
戦はそんなに単純なものではないよ。
432 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:34
>>427 電波甚だしいね(w
確かに鈴木眞哉は馬に関してミスを犯している。
日本馬に関してはこのスレでも過去に書かれたから詳しくは書かないが。
だが反論の無知蒙昧さときたら(ww
「これだけあれば20世紀の騎兵の馬としても十分である」だってさ(www
その馬をそのまま軍馬として使った日本軍が日清・日露戦争で海外の軍馬を
目の当たりにし、いかに恥じたかを知らないとはね。
第一次世界大戦で世界中の馬を買い集めたイギリスが唯一日本からは馬を
買わなかったこと、日本では明治41年に在来馬の種付けが完全禁止となり、
大型馬との混血による品種改良が進められて在来馬が姿を消したことなど
全く知らないようだ(wwww
ちなみに「騎馬突撃」に関して言えば軍制上の制約から速度を活かした戦術などは
基本的に採用不可能であり、歩騎混成だと馬を狙われるってんで武士が馬を降りて
戦ったなんてのはほとんど常識だと思うが。
433 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:36
434 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:37
>>431 それはチャンバラを避けた行動だと思うがね<まわりこませる
敵の弱い所を衝くは戦術の常識だろうが。
真っ向からの斬り合いを避ければこその側背奇襲だと思うぞ。
白兵戦が遠戦に勝るのであれば真っ向から勝負して勝てると言えよ(w
435 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:41
白兵派に決定的資料の提示を求めます。近接戦を裏付けるもの希望。
436 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:42
>>430 やれやれ洒落のわからないお方だ。
白兵派もちゃんと資料出してますよ。
(遠戦君からの反応はあまりありませんが。。)
437 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:43
>>431 >そりゃ攻城戦だろ。
確かに上げた例は攻城戦だがね。ある大事な真理がここに含まれている。
「敵に姿を晒さねば斬り込めない」というね。
砦を「占拠」するためにはどうしても斬り込まねばならない。
その為には迎撃側の飛び道具から身を守ってくれる楯の影から
飛び出さねばならない瞬間があるってこと。
だから佐武伊賀は敵の射撃に反撃せず、安心して突っ込んで来た連中を撃った。
「白兵戦」しか想定していない装備で接近してきてくれるなら
その飛び出す瞬間で勝負を決められるという事だよ。
そう言えば、軍板の遠戦君は、白兵戦をさせると兵が裏切るって言ったり、
白兵戦が行われた事例を示されるとそれは仕掛けた側が死兵だったからだとか
言ってたな
439 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:47
>>434 いやそうやって勝手に決めつけられても困ります。
なにか勝手に白兵戦というものを自分の都合のいいように
限定してませんか?
そりゃ、ふつーに考えれば飛び道具が有利なのは当たり前ですよ。
でも、だからと言ってそれだけで合戦の勝負がついてのでは
ないというのが白兵派の主張なわけで、誰も
「真正面から素っ裸で矢をかまえているやつの前に
飛びこんでいくのが戦国の合戦だ」
なんて言ってる人は誰もいませんよ。
もう少し冷静に御願いします。
440 :
弓道家@遠戦派:01/12/25 23:47
やあ、お久しぶり。相変わらず熱戦ですね。
>>404の白兵主義さんは経験者でしたか。どうです。弓もやってみるとおもしろいもんでしょ。
どこの県でやってらしたんですか。系はどちらでした。お暇だったらいろいろ教えてください。
441 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:51
>>436 どこに白兵戦の証拠があるのか。教えてくれよ。数字とかは無いのか?
早く早く!!
442 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:51
>>434 早合点してるのは貴方ですよ。
この辺の議論は
>>361氏が「盾を重装備して、ずんずん進んでいってあげるから。」
などと「白兵単純優位」を打ち出した事に端を発しているのですから。
実際の戦闘を想定しているわけではありません。
>>440 やってたのは中学生の時です。
中学で弓道部のあるとこなんて限られてますから、
県をいったらどこか推測可能なので言いません。
楽な部だと思ってはいったのに、
はじめの一年は毎日筋トレでしたね(w
>>432 NHKのある番組でちらっと見たことがあるんですが、ある村の(場所は中央アジアみたいな感じ)
人が、馬に乗っ登場したんですが、驚くほど小さな馬に乗っているのに、その馬より遥かに大きな
人を乗せて、驚くほど速く走り回っていました。
あの姿を見てから僕は日本の在来馬が騎馬突撃は出来なかったとか、体格が小さいから走り回れないとか
いう説はどうも僕には、信じられません。
番組の名前を完全に忘れてしまったのが残念です。
446 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:56
白兵君には神懸かり、妙な精神主義、思いこみ(日本武士はかくあるべし)
が目立つな。
白兵戦が全くなかったとは遠戦派の誰も言っていない。主な主張は
1 白兵戦は避けたい、というのが普通だった
2 白兵戦に入る前に実質終了する戦も多かった。
3 白兵戦があった場合、往々にして戦の帰趨が定まった後の
終盤のだめ押しや、追撃戦が多かった
などなどだろう。それに別に白兵戦を避けたがったからと
言って日本人の恥になるわけでもないと思うのだが、遠戦=怯懦、と
考える向きがいるようで。
「飛び道具とは卑怯なりィ」、ってそりゃ江戸時代の講談の読み過ぎだろ。
447 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:58
>>441 どこに白兵戦がなかっただなんて証拠があるんだ?
教えてくれよ。証言とかないのか?合戦で挙げられた首は
全て弓矢によるものだったって数字はないのか?
早く早く!
448 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:58
>>446 激しく同意。それが言いたかった。
事実を認める勇気が欲しいよね。
449 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:01
>>445 同感ですね。
どうも現在の研究者とやらは全てを自分の狭い常識でしか
判断せずに過去の記録を頭から否定してかかっている風潮が
強いようです。
ついこの間も学者達がバカにしていた出雲大社の巨大神殿の
証拠が発見されたばかりだと言うのにねえ。
450 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:03
軍忠状(恩賞のため主君に差し出した戦功と損害の報告書)から見た戦傷比較
(1333〜1387年。いわゆる南北朝期)
矢傷 86.4% (462)
切傷 9.2% (53)
石傷 2.8% (16)
鑓傷 1.4% (8)
その他 0.2% (1)
()内は人数
軍忠状(恩賞のため主君に差し出した戦功と損害の報告書)から見た戦傷比較
(戦国期の戦傷比較 応仁の乱〜島原の乱)
矢傷 42.0% (646)
鑓傷 20.4% (314)
鉄砲傷 19.6% (302)
石傷 10.4% (160)
刀.太刀傷 4.8%(74)
切.薙刀傷 2.7%(4)
()内は人数
上の方にあったやつ。俺にはどう見ても遠距離戦だったと思う。あとは武将が語りのこしたことから見ても。
白兵論者には数の証拠がない。ないなら探してこいよ。アホ。
451 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:04
>>446 >2 白兵戦に入る前に実質終了する戦も多かった。
>3 白兵戦があった場合、往々にして戦の帰趨が定まった後の
終盤のだめ押しや、追撃戦が多かった
これはようは合戦は弓矢の撃ち合いで実質勝負がついたって
ことですよね。
皆がおかしいと言ってるのはこの部分のことですよ。
452 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:04
>>430 ちょっとまった!!!
430は掲示板議論上の自説不利を挽回すべく再登場の1さんとみた。
わたしも別に日本史や軍史のロマンにひたっているわけで、
厭戦派を否定しているわけではありません。が、厭戦派は明らかな
ルールミスをしている。それは戦場で死んでいった若者や子や家庭を
もったものを一概に足軽、雑兵カテゴリーと平和日本イデオロギーに
結び付けようとしている。全然はなしはちがうが、わたしは個人的に
プライド上映反対だがパールハーバーも上映反対だ。
トラトラトラがベストだと今でもおもう。この例えで次の質問につなげたかったのです。
では430さんは焼け野原から粗悪品トランジスターのセールスマンのイメージから
世界に誇る新幹線技術や東京オリンピックの開催で日本が世界を再び経済でリードする
役割を再確認した頃、公共放送NHKが「元禄太平記」「太閤記」なる新保守主義・
反アジアプロパガンダを垂れ流すことに正式に抗議されましたか?
わたしも弓鉄砲の威力は認めていますが、応仁以来登場した足軽兵の
槍ぶすまが戦国期の戦場を特徴づけ、さらに武者同士の一騎打ちや組打ちが
行われていたという両方の立場を支持しています。
とにかく議論上約束してください。フェアな立場をとることを。
>>445 いやだからね、日本馬も人間乗せて走るならまあそれなりの力があるんだよ。
秋山好古の騎兵隊なんて日本馬だったからね。
尤もドイツ・フランスの軍馬に比べて速歩で分速30メートルの差がついたと
言うから「近代軍馬に比肩し得る」とは言えないものの。
日本軍が恥じたのは日本馬が体格が小さい、去勢されていない、だから気性が
荒い、よって調教が不完全といった部分と、あとは輓馬としての能力なわけ。
輓馬ってのは荷物を曳くための馬なんだけど、日清・日露の頃だと馬の中で
騎兵隊に使われるのは5%ぐらいで、あとはほとんどが輓馬。
重さが何トンもある大砲を引っ張るのが役目なわけ。こうなると体格差・体力差が
ハッキリしてしまうわけで、これが在来馬絶滅寸前になった理由。
で、日本馬は人を乗せて突撃するぐらいの力はあって、しかも戦国時代なら
他国に比べて自分のとこの馬が劣るみたいなのも無いから、騎馬突撃が
馬が原因でできなかったということはないわけ。
問題は、軍制。
騎馬武者だけで編成された部隊というのは物見などを除けば基本的に無い。
突撃をするにしても騎馬・徒歩の混成になる。
こうなると「速さ」のメリットは無いし、弓鉄砲で馬を狙われたり
長柄で馬を突かれたりするだけなんで騎馬武者は馬を降りて戦うことになるわけ。
454 :
弓道家@遠戦派:01/12/26 00:06
このスレの1ってここに来てるんですか?
これだけの論戦をつくっておいて、1さんがいないのも困る。
おられたら仲裁役とか話題振りでもやってくたさいな。
455 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:08
>452
?????????????
456 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:10
>>450 その武将が布陣した場所、攻める側か守る側か、
戦いの様式によってまったく変わってくる資料を
状況も示さずにだされてもねえ。
457 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:11
>>452 そうですね。
このような学術的な議論をするスレでイデオロギーや人の感傷に
訴えて同情を引こうなどというやり方は反則ですね。
やはりお互いフェアにやりたいものです。
ちなみに、私はプライド賛成ですが、途中で寝てしまいました。
パールハーバーの上映は反対ですが、ビデオ借りて見てしまいました。
458 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:14
そんな都合がいい資料が全ての場合について揃ってたら
こんな議論がそもそも起こらないわけで・・
ま、限られた資料、と認めた上で、>450程度の統計的証拠も
白兵派は一つも出せていないじゃないか、というのが450の
言いたいことだろう。
459 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:15
>>450 戦功と損害、死者と傷を負ったものがごっちゃに
なっているのでここでの議論にはいまいち説得力がありません。
もっと具体的に首を挙げられたものの何%は弓で倒されたもの
とわかる資料なら別ですが。
460 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:15
威力偵察、小競り合いなどを除き、合戦では重要拠点を占拠する
必要がでてくると思うんだけど、弓だけで決着がついた派の人は
どのように拠点を占拠したと考えてるの?
>>452 俺は1じゃねーよ。馬鹿。441 450と同一だ。白兵の証拠だせって言ったら答えに詰まって
イデオロギー云々の問題でごまかそうとしてやがんの。プププかなりせこいですね。芋虫ども。
60年代なんかに生まれてねーよ。お前、その頃若かったとすると相当オジンだな。なんか老人臭の
においがするな。臭せえからもう寝ろよ。ジジイ。
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
462 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:16
>>457 それだと白兵派モナー。
白兵派だって「日本人はそんなに臆病じゃない」「闘争本能だ」
「首を取るためには積極的に白兵戦だ」と全部感情論だろ。
物理的にどうすれば「最も効率良く勝てるか」を考えるべきでは?
効率良くってのは
・戦争目的を果たすことを第一とする
・自軍の損害は出来るだけ少なく
ってこと。『孫子』の精神な。クラウゼビッツのやり方だと
一つの相手に勝っても横から割り込んでくる相手に負けるからね(笑)
463 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:18
>460
最後の一兵まで白兵戦で戦った、みたいなもんだと思っているなら
戦国期の城攻めに対する重大なる誤解だよ。
囲まれて、後詰めがなければ、遠戦にすら入る前に開城・退去
になった例が多々ある。
452=457
自作自演
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵は早く物的数字的証拠出せ!!!
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465 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:20
>>458 状況を示さずに数字だけ羅列された資料が統計学的資料と
言えるのですか?
ところで、弓で決着がつくなら、なんで現在そして、過去の軍隊に
白兵戦のための兵種がそんなに多く配備されているのですか?
466 :
遠戦ちゃん:01/12/26 00:21
荒らし行為はやめろ
467 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:22
>>463 拠点=城じゃなくて、河川、丘陵、崖線など要所に陣をはった
敵軍ということです。
468 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:23
「弓だけで決着がつく」なんて言ってるのは一人じゃないの?
469 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:28
>>453 たしかに日本の馬に輸送での耐久を求めるのは酷ですね。
そもそも日本の馬は人を乗せて走ることはあっても重量の
あるものを引くというような使われたことはありませんからね。
馬車も明治以降ですし。
このような役目を日本で請け負ってきたのはむしろ牛のほうですね。
日本の牛はこのあたり耐久力があるようで牛車や農耕用として
使用されていました。
インパール作戦で日本の牛と同じように現地の牛を使用したところ
すぐにへばってしまい、物資を捨てざるをえなくなってしまうという
戦略ミスを犯したという話しを聞いたことがあります。
470 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:28
>465
遠戦が有効であった、ということと、それで絶対にカタが
ついた、というのとは全く違うだろ。なんで相手の議論を極論に
歪曲して貶めようとするのかなー。
白兵戦用人員が必要だった理由のいくつか
1: 白兵戦だって勿論ないわけじゃなかった
2: 遠戦ユニットを守る
3: 陣地占領、追撃、掃討戦などで必要
航空戦力優位になっても、別に空母だけになるわけじゃない。
空母の周りを戦艦巡洋艦で囲むだろ、あぁいう感じ?
471 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:28
>>450 切り傷は著しく戦闘意欲を失わせて戦場離脱を困難にさせるって聞きました。
同じことは鉄砲傷にもいえるでしょうけど。ですから、戦死者と負傷者を
同列のテーブルでは論じきれないとおもうんですよね。
心理学者の定説では乱闘行為の渦中ではその現場から逃げようという遠心方向のエネルギーと
現場に少しでも近づいて参加しようという求心方向のエネルギーがぶつかりあいパニック状態に
なるそうです。その混乱のなか戦場で倒れたまま放置せざるをえない重傷危篤状態になってしまう。
結論的には接近戦のさなかに失血をほっておかれたのが直接の死因なのではないでしょうか?
盾内や柵内で飛矢鉄砲による負傷を被った将兵の率が自陣に突っ込んできた一隊を防戦する
際負傷した将兵の率を大差で上回っても、道理にかなっているとおもいます。
472 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:28
>>465 いや。鈴木眞哉のやった単純な統計でも意味はあるだろう。
合戦といっても夜戦も攻城戦も奇襲夜襲謀略調略いろんなパターンがある。
それ全部ひっくるめて見れば「結局実際に使用された武器は何か」が分かる。
鈴木眞哉自身も乱戦・白兵戦が無かったとは言っていない。
そうなる事が少なかったと言っているだけ。
>もっと具体的に首を挙げられたものの何%は弓で倒されたもの
>とわかる資料なら別ですが。
首取った死体は下民に略奪されるんだから、わかりっこねーだろ。
白兵派の主張どおり戦場では忙しいのでそんなことは記録しません(W
それにおれらがイデオロギー入ってるなんてお前等の妄想。下衆の勘ぐりだし。
戦場の臆病は罪で悪思想なんでしょうか?学者先生?
お前等のほうが精神論の世界の妖精さんと遊んでるだけじゃねーか。
それより
白兵主義者は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵主義者は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵主義者は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵主義者は早く物的数字的証拠出せ!!!
白兵主義者は早く物的数字的証拠出せ!!!
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白兵主義者は早く物的数字的証拠出せ!!!
474 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:29
>>461 >>464 やめてください。
見苦しいことこのうえない上に遠戦派の人間性までも
疑われますよ。
475 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:33
>461
っていうか、追いつめられた白兵君のジサクジエーンか?
476 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:34
>>465 >ところで、弓で決着がつくなら、なんで現在そして、過去の軍隊に
>白兵戦のための兵種がそんなに多く配備されているのですか?
戦国時代に限って言えば
・追撃の必要性
・稀に起こる白兵戦に対する備え
・人数合わせ(飛び道具の調達は費用がかかる、だが戦場では人数が多いほうがいい)
ってとこでしょ。火縄銃みたいに連射の利かない武器でさえ、
普及してからは伊達政宗始め多くの武将が長柄を鉄砲に
置き換えてしまったし。
現在の軍隊の白兵戦ってのはまたニュアンスが違うと思うけど。
477 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:37
>>470 遠戦ユニットをなにから守るのですか?
それは相手の槍をもった足軽つまり白兵ユニットからですよね。
白兵戦用人員が遠戦ユニットを守るためにあったとしても
やはり白兵戦は起こる余地が充分にあるわけです。
478 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:38
>>470 海戦は浮力を無くしたら沈没する船を沈めりゃ勝ちだから、
古くは戦艦、現在は空母、ミサイルによる遠距離戦になるけど、
陸戦は、違うと思う。
陸戦の究極の目的は、土地を占領することでしょ。
簡単に降伏する談合みたいな戦いは別として
攻める方が地の利を得ているほうに、
遠距離戦を挑んだっていつまでたっても
戦いがおわらないよ。
遠距離戦で勝負がつくなら楠正成を囲んだ幕府軍は、
遠くから弓をうってるだけで勝てたよ。
479 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:42
>>476 歴史的な経過をまったく無視した発言ですね。
そもそも弓矢だけで勝負がつくなら、足軽の台頭は
なかったはずです。
それこそ貴重な労働力である雑兵を合戦に参加させずに
武士だけで弓矢を撃ち合って勝負を決していればよかったはず
ではないのですか?
その弓矢の武士が軽装な足軽のフットワークと集団戦に負ける
ようになったからこそ貴重な労働力である農民を合戦に駆り出さねば
ならなくなったのです。
480 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:44
>>476 >普及してからは伊達政宗始め多くの武将が長柄を鉄砲に
>置き換えてしまったし。
それは、鉄砲が戦いの形態を変える武器であったからでは。
481 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:46
>>446 >2 白兵戦に入る前に実質終了する戦も多かった。
>3 白兵戦があった場合、往々にして戦の帰趨が定まった後の
終盤のだめ押しや、追撃戦が多かった
これはようは合戦は弓矢の撃ち合いで実質勝負がついたって
ことですよね。
皆がおかしいと言ってるのはこの部分のことですよ。
482 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:47
「大本営発表」という言葉があるように捕虜反乱で爆殺されたCIAの一人以外、
米軍でいったい何人何十人死者が今回でたかどうかも本当のところわかりませんよ。
国際ジャーナリスト協会が死者20名近くと発表していながらなぜ戦闘行為中死者の
米軍発表はゼロなんでしょうか?地上何千メートル上空のUA機からも
携帯電磁波は届かないそうですよ。
侍品の負傷者の率なのか寄親寄子全員の負傷者率なのか負傷した物理的な人口の頭数なのか?
統計学者は母集団の特性と調査方法、信頼区間設定、調査実施中の懸念事項解決策など
こまめに添付する義務がありますからね。物的数字的証拠ってなんですか逆に?
483 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:48
>477
だからー、誰も白兵戦が無かったなんて言ってないって・・
そゆうこともあった、だが、思われているよりはよっぽど
少なかったのでわ? ってのがこのスレでの議論っしょ?_
>478
ま、空母うんぬんは物のたとえ。艦隊同士が肉薄する局面を
敢えて白兵戦に文学的に喩えてみたまで。
正成は山に籠もっていたから、下から弓で撃ってもあまし
意味無かったろう。・・じゃ、それが白兵君側に有利な証拠かって
いうと反対。
正成は、敵に遠戦をさせず、自軍は主に遠戦(石やら木を落とす
とか)に専念したいからこそ籠城戦にこだわったわけ。
平地戦でも彼は単純な白兵戦とかを避ける工夫をしている。
484 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:50
>>467 そういう場合、睨み合い&敵の虚を衝く作戦だよ。
武田信玄と上杉謙信は第四次川中島合戦を除けばほとんど睨み合いと
小競り合いしかしていない。なぜならお互いに堅固な陣所に篭ってしまうから。
こういう時、信玄は本願寺などを動かして謙信の背後に敵を作り、
謙信を撤退させる。
北条氏康も上杉謙信と幾度と無く睨み合いをしたが、大抵は謙信の方が
本国で問題が起きるか何かして引き上げてしまう。
実際の戦闘で勝つことよりも「信濃制圧」「関東制圧」といった
戦略目標の成就を第一に掲げれば徒に戦いを挑むのは馬鹿な事でしかない。
でも戦いそのものが起こらない例じゃ説得力がないかな?
そこでいくつか。
長篠合戦は弾上山に陣地を築いた信長と才ノ神に陣地を築いた勝頼、
睨み合いの様相を呈していた。
信長は勝頼背後の鳶ノ巣山に別働隊を送り込む事で勝頼を陣地から引きずり出した。
島津の釣り野伏せは囮部隊で挑発して敵を陣地から引きずり出し、
本隊が仕留める。
白兵とか遠戦とかの傾向と陣地戦はあまり関係が無いと思う。
485 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:56
>>483 >正成は、敵に遠戦をさせず、自軍は主に遠戦(石やら木を落とす
>とか)に専念したいからこそ籠城戦にこだわったわけ。
>平地戦でも彼は単純な白兵戦とかを避ける工夫をしている。
白兵戦をさけるということは、白兵戦の結果が勝敗をきめるということでしょ。
遠戦で防げなかったら白兵戦へというながれなのだから。
486 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:01
「清正記」や「清正行状奇」によれば
加藤清正は鳥取城攻めの際に二十人程で一度に
突入してきた敵に十文字槍で立ち向かい武者一人を突き伏せた。
天正十年の山崎の合戦では二尺九寸の刀を振るって敵中に
斬りこみ近藤半助を討ち取り、同十一年滝川一益との戦いには
一番槍の功名をあげて武者の首をあげ、翌十二年の賤ヶ岳の合戦では
戸波隼人を討ちとって七本槍の一人に数えられた。
そして天正十七年の天草一揆のさいも十文字槍が折れて片鎌槍に
なるほどの激戦のすえ木山弾正を討ち取っている。
この天草一揆のことについては他にも「本山豊前守安政父子戦功覚書」
にも出ている。
これらの資料をどのような根拠のもとに否定するのでしょうか?
487 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:00
>>479 >歴史的な経過をまったく無視した発言ですね。
>そもそも弓矢だけで勝負がつくなら、足軽の台頭は
>なかったはずです。
弓矢も鉄砲も足軽が使うじゃん。
それに追撃に多くの人数を割けるってことは敵により多くの
損害を与えられる。白兵武器しか持ってない足軽でも追撃には
使える。
>武士だけで弓矢を撃ち合って勝負を決していればよかったはず
>ではないのですか?
人数が足りないよ。
農兵でも弓鉄砲の訓練をある程度積ませて参戦させれば少数の武士より
よほど役に立つ。
>その弓矢の武士が軽装な足軽のフットワークと集団戦に負ける
>ようになったからこそ貴重な労働力である農民を合戦に駆り出さねば
>ならなくなったのです。
弓矢が徒歩の兵の武器になったから足軽が台頭したんじゃない?
あと追撃の役にも立つし。
488 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:01
>>484 だいたいの野戦は、河を挟んだり、峠の上と下になったりしてると
思うのですが。
まったく障害物の無い場所での野戦なんて、
待ちかまえる側が余程馬鹿じゃない限りありえないかと。
それがみんなにらみ合いになり、戦闘以外のことで決着がつくなら
どんな野戦も痛み分けで終わるのでは、ないでしょうか。
けっして、謀を否定するわけはありませんが。
489 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:06
遠戦君によれば「信長公記」はまったくの
ウソデタラメを書き連ねた書物ということになるが
それでよろしいか?
ついでに現代人であるあなたが当時の人の記録を否定する
根拠をもう少し詳しく教えてください。
490 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:07
>>487 鉄砲をもっている足軽はともかく、弓を持って敵を追撃するような足軽は、
白兵戦をしている足軽といわないか。
歩兵銃を持っているから全ての兵が遠戦のための兵種でないように。
491 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:11
>>488 >まったく障害物の無い場所での野戦なんて、
>待ちかまえる側が余程馬鹿じゃない限りありえないかと。
だから「本当の合戦は川中島と三方ヶ原だけ」っていう『甲陽軍鑑』の
記述につながるのでは?
ついでに言えば川中島は偶発的な遭遇戦、三方ヶ原は信玄が数で遥かに勝る、
つまり戦術の工夫の仕様が無い単純な正面決戦なら絶対負けないという
確信があったからこそ起きたと思われる。
同程度の兵力で積極的に野戦に討って出るってのはあまり聞いたことがない。
>それがみんなにらみ合いになり、戦闘以外のことで決着がつくなら
>どんな野戦も痛み分けで終わるのでは、ないでしょうか。
「ランチェスターの公式」然りで、兵力が充分に多ければ野戦で圧倒的に有利。
兵力が同程度、あるいは少ないなら謀略を駆使するだろ。
毛利元就なんて謀略の嵐じゃん。
あと奇襲とか朝駆けとか別働隊とか、戦うにしても
「いかに敵の虚を衝くか」なんだよね。
まあ敵の虚を衝くことと白兵・遠戦はあまり関係ないけれども。
直接対決・正面決戦を避ける傾向はあると思うよ。
493 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:18
>>487 >弓矢も鉄砲も足軽が使うじゃん
そうです。
弓矢の地位が落ちたから足軽が使うようになったのです。
>人数が足りないよ。
だから足軽の台頭で著しく足りなくなったんですよ。
弓馬のプロである武士が槍をかついだ足軽の集団に圧倒される
時代が来たということです。
>農兵でも弓鉄砲の訓練をある程度積ませて参戦
農業にいそしむ農兵にそんな余裕があるとでも?
ある程度の訓練っていうのはどの程度の訓練ですか?
それでどの程度使えるとお思いですか?
>弓矢が徒歩の兵の武器になったから足軽が台頭したんじゃない?
494 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:25
>>491 >だから「本当の合戦は川中島と三方ヶ原だけ」っていう『甲陽軍鑑』の
>記述につながるのでは?
それこそ、軍記物に影響を受けた後世の人の戯言だと思うのですが。
長い戦いの歴史で2回しか起こらない事なんて、”本当”でなく、
”特殊”な事例なのでは。
>同程度の兵力で積極的に野戦に討って出るってのはあまり聞いたことがない。
野戦か攻城戦か選択する権利は、守る方にありますが、
圧倒的に守る側の数が有利なときに攻めてくる馬鹿はいませんし、
圧倒的に数の多い攻撃側に対し野戦を挑む馬鹿もあまりいないと思いますが。
それなら、野戦なんて本当は、存在しなかったということになりませんか。
野戦は、ほぼ双方の兵力が拮抗しているときにおこるものだと思います。
>「ランチェスターの公式」然りで、兵力が充分に多ければ野戦で圧倒的に有利。
>兵力が同程度、あるいは少ないなら謀略を駆使するだろ。
>毛利元就なんて謀略の嵐じゃん。
ランチェスターの法則は、敵味方の兵の質、地形の有利不利ないときに
あてはまると記憶していますが。
それに、毛利元就が謀略をよく用いたことは、知っていますが、
兵力が拮抗しているときに河の向こうや峠の上に陣取る敵を謀略だけで
破っていたら今頃このスレは、謀略派と実戦派の論争になってるのでは。
応仁の乱の話があったけど、あれは別に貴い階層の人達だけのいざこざだけでなく
頻発する飢饉によって民衆が都市に流入してきたり一揆が頻発したり悪党がわら
わら増殖したり、その悪党が貴い階層の人達に雇われたりそれを利用してどさくさ
にまぎれて略奪しちゃったり・・・そういう状況もあったことを忘れないでほしかったり。
弓矢でやる気ない戦やってたから長引いたわけではないと思うぞよ。
あと、ずーっと前から書かれてるけど、遠戦さん達はいったいどういう人を相手に
敵対してるつもりなのかちっともわからない。
(とりあえず弓矢で結果がついたはず、というのは電波で良いのだろうか)
例えば白兵戦が「思ったよりも少なかったのでは?」というのは何を思っていることを
前提にしているのかな?そのへんはっきりしなくてちーっとも噛み合わないよね。
496 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:26
>>493 >そうです。
>弓矢の地位が落ちたから足軽が使うようになったのです。
人数が多くて馬上より安定してる徒歩の人間が使った方が合理的。
地位や面子で戦争するなよ。
>だから足軽の台頭で著しく足りなくなったんですよ。
>弓馬のプロである武士が槍をかついだ足軽の集団に圧倒される
>時代が来たということです。
足軽の台頭以前、『太平記』の時代ですら弓矢は徒歩の人間が使ってるよ。
馬上の武者も馬を下りての射戦から馬に乗っての太刀打ちへ移ると描かれている。
軍記物だからかなり割り引かねばなるまいが、実戦を積むごとに合理的な
方向へと進んだだけでしょ。
>農業にいそしむ農兵にそんな余裕があるとでも?
>ある程度の訓練っていうのはどの程度の訓練ですか?
>それでどの程度使えるとお思いですか?
それならそもそも戦に連れていけないよ(笑)
数を揃えりゃ「面制圧」が基本になるから、「ある程度」でいい。
扱い方を間違えない、味方に向けて撃たない、取り敢えず正面に向けて撃てる、
こんぐらいあれば十分だろ。
>>494 >それこそ、軍記物に影響を受けた後世の人の戯言だと思うのですが。
>長い戦いの歴史で2回しか起こらない事なんて、”本当”でなく、
>”特殊”な事例なのでは。
軍記物に影響受けてれば世の中「本当の合戦」だらけになるよ(笑)
チャンチャンバラバラの激戦乱戦なんてのは特殊だと言っているんですよ。
オマエらな、こんなのに憧れてるんだろうけど、こんな合戦はそうそう無いぞ、
ってね。
>野戦か攻城戦か選択する権利は、守る方にありますが、
>圧倒的に守る側の数が有利なときに攻めてくる馬鹿はいませんし、
>圧倒的に数の多い攻撃側に対し野戦を挑む馬鹿もあまりいないと思いますが。
>それなら、野戦なんて本当は、存在しなかったということになりませんか。
>野戦は、ほぼ双方の兵力が拮抗しているときにおこるものだと思います。
兵力が拮抗してれば逆に野戦なんてしないよ。
尾張と美濃は石高が近いから兵力も近いと思うけど、
信長は美濃攻略戦で大規模な野戦はやってない。
小競り合いと寝返り工作の組み合わせで美濃を取ってる。
秀吉対勝家の山崎の合戦にしても前田利家退却という事前の調略が
明暗を分けているし、策を弄さずに拮抗する兵力で野戦に望む人は少ないと
思いますよ。
>ランチェスターの法則は、敵味方の兵の質、地形の有利不利ないときに
>あてはまると記憶していますが。
だから三方ヶ原みたいな合戦だよ。人数が二倍なら負けは無い。
逆にいかに弱者の方を野外に引っ張り出すかが問題になるわけで、
信玄はそれをやり、家康は引っ掛かった。
まあ正確には兵の質も地形効果も兵力に換算できるけどね。
>それに、毛利元就が謀略をよく用いたことは、知っていますが、
>兵力が拮抗しているときに河の向こうや峠の上に陣取る敵を謀略だけで
>破っていたら今頃このスレは、謀略派と実戦派の論争になってるのでは。
結局連中の話は「仮定」でしょ。兵力が拮抗してたらひっくり返すための
策を練るのが普通だよ。
ただ実際に野戦が起きたとき如何に戦うか? ってのは訓練などすれば
必ず考える事で、白兵・遠戦ってのはそういう時にどんな行動を取るかって
ことだと思うよ。
498 :
日本@名無史さん:01/12/26 02:08
>兵力が拮抗してれば逆に野戦なんてしないよ。
>尾張と美濃は石高が近いから兵力も近いと思うけど、
>信長は美濃攻略戦で大規模な野戦はやってない。
>小競り合いと寝返り工作の組み合わせで美濃を取ってる。
>秀吉対勝家の山崎の合戦にしても前田利家退却という事前の調略が
>明暗を分けているし、策を弄さずに拮抗する兵力で野戦に望む人は少ないと
>思いますよ。
それなら、野戦は、兵が少ないのにおびき出された馬鹿か、
兵が少ないのに敵に戦いを挑む馬鹿がいないとなりたたない
戦いということですか?
追加。
>それに、毛利元就が謀略をよく用いたことは、知っていますが、
>兵力が拮抗しているときに河の向こうや峠の上に陣取る敵を謀略だけで
>破っていたら今頃このスレは、謀略派と実戦派の論争になってるのでは。
あと謀略に限らず別働隊の組織とか戦闘を前提にした戦術面の工夫も
当然なされる。
敵の虚を衝く、戦術なら敵の守りの手薄な所を探し、そこを衝く。
これが基本。
単純な正面決戦なんてそうそう起きるものではない。
500 :
日本@名無史さん:01/12/26 02:14
>>498 >それなら、野戦は、兵が少ないのにおびき出された馬鹿か、
>兵が少ないのに敵に戦いを挑む馬鹿がいないとなりたたない
>戦いということですか?
そういった行動を一概に「馬鹿」と呼ぶかと言えば状況によりけりだろうが、
基本はそう。
有名な野戦で兵力が拮抗していて、かつお互い策を弄していないのってある?
501 :
日本@名無史さん:01/12/26 02:24
とにかく会戦での徹底的勝利を得るには兵力差で押し切るか、あるいは
釣り野伏せか奇襲夜襲で兵力差を覆す圧倒的勝利かどちらか。
薩摩は九州探題大友家、五国二島の太守龍造寺氏をそれぞれ釣り野伏せで葬り去った。
桶狭間の奇襲はあまりにも有名。
夜襲は川越野戦が有名。
502 :
日本@名無史さん:01/12/26 02:27
奇襲・夜襲・伏兵は白兵・遠戦議論の解決にはならないよな。
同じ戦法なら数多きが勝つってのは常識だろうけど、
この時どんな戦法で戦ったかを考えるってのはどうよ。
白兵派なら槍隊が叩き合って押し合いへし合い。
遠戦派なら数十メートルの距離で飛び道具の撃ち合い。
で両派ともに崩れた敵を追撃に移る。
どっちだ?
503 :
日本@名無史さん:01/12/26 03:14
数十メートルの視近距離で鉄砲一本持たされて迎撃というのはもうステガマリの世界だろう。
馬上の甲冑武者が寄子を従えて数十メートル先にいたらとても怖いよ。
たぶん撃っても手が震えてあたらないか、正常の判断能力は働かないよ。
撃つたびに銃身が焼けるように熱くなる。外したら敵がもう目の前に迫ってくる。
こっちが鉄砲陣のみというのもないだろう。わかってたら絶対こっちの方向に敵は
進軍しないから。
504 :
日本@名無史さん:01/12/26 03:31
>>503 それはむしろ鉄砲にとっておいしいシチュエーションだと思うけど。
遠戦君は兵士は臆病だから飛び道具と主張するが、それじゃ臆病過ぎだろ(w
物理的にどうすれば「最も効率良く勝てるか」を考えるべきでは?
効率良くってのは
・戦争目的を果たすことを第一とする
・自軍の損害は出来るだけ少なく
ってこと。『孫子』の精神な。クラウゼビッツのやり方だと
一つの相手に勝っても横から割り込んでくる相手に負けるからね(笑)
皆さん頭良いんですね!
驚きました!!!by東大助教授
507 :
日本@名無史さん:01/12/26 07:36
おそらく議論が割れるのは日本の合戦史が他の国にくらべて
特殊なためと思われ。
兵を指揮する武将側としては弓矢や鉄砲は多ければ多いほどいいに決まってる。
流れ矢や鉄砲にあたって死んだ将が実際には多いことも有用性を証明できるだろう。
白兵戦が実際に多かったのは事実と思われるがそれは合戦形式が
「やあやあ我こそは○○生まれの××なるぞ〜」など名乗りあってからの
ものだったためと思われ(事実、これらを無視した源義経、ジャンヌ・ダルク、ナポレオンが
大勝している)
>やあやあ我こそは○○生まれの××なるぞ〜」など名乗りあってからの
そんなことを言うやつぁ歴史上現実には存在しない。
509 :
日本@名無史さん:01/12/26 08:40
自分の憶測と思い込みで自論を展開する奴ばっか。
510 :
日本@名無史さん:01/12/26 08:53
源義経が非戦闘員たる漕ぎ手を射るという卑劣な戦法で戦ったから勝ったといっても
彼は肝心の西国を騒擾した張本人に仕立てられた。義経の奮戦の結果を
ひたすら享受したのは頼朝。基本的に東国33カ国の政治を委任され、
西国33カ国は依然として古代以来の朝廷寺社に影響力政治力を行使させた。
特に大和一国などは興福寺、東大寺らにまかせ平家没官領についても出切る限り
共存政策をしいた。東大寺大仏殿の再建については気前良く寄付をした。
つまりちゃっかり自分自身は王朝の侍大将としていい子になりきった。
東国に蹂躪されたかたちの西国の不満は全部義経行家に罪をなすりつけ
容赦なく討伐した。頼朝と彼を真似た家康はまったく同じ冷酷な性格を
持ち合わせていた。「裏切りは好きだtが裏切り者は嫌いだ。」
ジャンヌダルクにしてもナポレオンにしてもフランスに栄光をもたらしたが、封建王国の
危機を救った代償は彼女への死。その教訓を生かしてブルボン朝は世界最強の国家と
軍隊をつくりあげた。
革命理念をヨーロッパ各国に輸出したナポレオンはのちにセントヘレナ島に流された。
しかし、メッテルニヒはかえってハプスブルグ解体に拍車をかけ、ヨーロッパ各国に
ナポレオンフランス型国民国家が次々に誕生した。
ひとがやりがたいことをやってのけた人物には非情な運命が待ち受けていたようだ。
511 :
日本@名無史さん:01/12/26 09:36
既出かもしんないけど兵站的にはどうなんだろ?
矢とか火薬とか玉とか消耗激しそうなんだけど?
ひたすら其ればかりで応戦するには供給体制が貧弱な気がするが
512 :
日本@名無史さん:01/12/26 12:28
>509
そんなんある程度仕方ないんでないの?
別にガチガチの「証明」が出来るような事柄でも無し。
永遠に終わらない議論だから無責任に持論を語れて面白いんじゃん。
513 :
日本@名無史さん:01/12/26 14:28
平将門 矢で死亡
新田義貞 矢で死亡
楠木正行 矢で死亡
死の直前、彼らは白兵戦になったらすぐに討ち取れてしまう状態だった。
猛勇な武士達が敵将をその手で討ち取らなかったのはなぜか?最後の瞬間まで弓を
用い射殺したのはなぜか?手柄を取ろうとはやる武士達が接近戦に持ち込まなかった
のはなぜか?
514 :
日本@名無史さん:01/12/26 16:36
>>513 >猛勇な武士達が敵将をその手で討ち取らなかったのはなぜか?最後の瞬間まで弓を
>用い射殺したのはなぜか?手柄を取ろうとはやる武士達が接近戦に持ち込まなかった
>のはなぜか?
あのー白兵戦だから弓を用いないということは、ないと思うのですが。
515 :
日本@名無史さん:01/12/26 16:59
516 :
日本@名無史さん:01/12/26 17:10
>>515 長篠の戦いの諸将とか龍造寺隆信とか島左近とか李瞬臣とか鉄砲で討ち取られた諸将は多いよ。
517 :
日本@名無史さん:01/12/26 17:38
話それるけど武将の戦死で一番多いのは、落城時に自害というのが
ほとんどじゃない?
あとは討死覚悟の突撃とか
518 :
名無しさん:01/12/26 18:09
まあ、ちょっと反則だが、西南戦争で抜刀隊の活躍で剣術が見直されたというのがあるなあ。
林の中での戦闘なんかだとベトナム戦よろしくトラップとピストルと刃物が最凶と
いう感じになるのだろうか。
それとも、敵味方に与える心理的効果(やっぱ戦場での合理性はこれ抜きには語れんでしょ)が甚大だったのか。
鉄砲、弓の威力に対する甲胄の防御力とかについての経験がないから、当時の戦場の人間の
バランス感覚が肌身で理解できないのが隔靴掻痒。
519 :
カメレスだが:01/12/26 19:00
>>96 またキミか。
いいかげん中国朝鮮マンセーから目を覚ませ。
キミの提出している資料は全てどうにでも判読できる代物。
そんなものでこのスレを支配できるものではない。
他の版でも粉砕されているよ。
520 :
日本@名無史さん:01/12/26 19:06
>519
それは日本の資料も同じだと思われます。
521 :
日本@名無史さん:01/12/26 20:08
つうか、中国朝鮮マンセー文献なんか誰も興味がないと思うんだけど。
522 :
日本@名無史さん:01/12/26 20:22
>521
大げさに言う国だからね。
ただ、「日本人はチビ」・・ってこれは
連中の共通認識みたいよ。
っていうか、確かに華北人も(上海人も)大きいよ。
四川人とかは小さいけど。
もっと小中で牛乳を飲ますか。
523 :
日本@名無史さん:01/12/26 20:28
もっとも焦点にしたいのは戦国期に行われた
足軽による槍衾を作っての攻防のことである。
遠戦君の説にしたがえばこれはなかったということになってしまう。
普通に考えれば飛び道具が有利なのは当たり前だということは何度も
言っている。
しかし、合戦の歴史というのは常にその時代の新たな兵器によって
左右されており、「日本の合戦は遠戦主体(西洋にくらべて?)」
などという断定はできないのではないだろうか?
まず、弓矢が昔から有効な武器であったのは古代の人々がこれを使って
狩りをしていたことを考えても間違いない。そして、この弓矢を防御する
ための甲冑が発達し、武士誕生の頃もそれが主体であったのは間違いない
ことであろう。
しかし、やがてその弓矢をほぼ完全に防御することのできる大鎧が完成
するにおよんで弓矢の地位が後退したのは歴史上の事実である。
すでに源平の頃の一騎討ちでさえ騎射を省略していきなり組み討ちにもって
いくことが流行したという記述が源平盛衰記にある。
そして、やがてこの重装備の鎧武者に対して有効な軽装の足軽の誕生を
見ることになるのである。
524 :
日本@名無史さん:01/12/26 20:40
>>523 の続き
しかし、やがてこの全てを打ち砕く新兵器が登場した。
それが鉄砲である。
これによって従来の甲冑が意味をなさなくなり、鎧は
合戦の歴史から姿を消すことになった。
ただ、ヘルメットに「鉄カブト」という名称の名残を
残すのみである。
強力な火器の発達によって白兵戦はまったく意味を
なさなくなったかに見えた近代戦に再び白兵戦がみなおされたが
第一次世界大戦である。この第一次世界大戦では火器の発達が
逆に塹壕線を招き、再び合戦において白兵戦が繰り広げられること
になったのである。
日本陸軍がこれを受けて陸軍戸山学校において短剣術の研究を
はじめたのは大正八年(1919)年のことである。
525 :
日本@名無史さん:01/12/26 20:42
>523
遠戦派の主張を誤解してるね。
むしろ、世の人々のイメージは、極端な白兵戦の方向に
バイアスがかかっているよ。それを正して、日本人といえども
可能な限り「他の民族並みに」できるだけ遠戦で決着することを
望んだ・・(そして事実そういう戦がたくさんあった)
というのが遠戦派の主張だろう。
乃木大将の例を見るまでもなく、江戸時代に作られた、
日本刀振り回した白兵突撃最強マンセー、的妄想は、現実に
我が国の軍事の近代化に害をもたらした。であるので、
そういった行きすぎた白兵戦崇拝に一矢を報いた点で例の本も
意味があったし、ここでの議論もまた無意味とは言えないと
思うわけ。
526 :
日本@名無史さん:01/12/26 20:55
このように合戦というのはその時代時代によってその姿を
変えてきているのであり、一概にひっくるめて語ることは
できないであろうが、飛び道具が有効な武器であることは
これは古今東西を問わず事実である。
遠戦派のかたは「日本の合戦は遠戦主体」と日本の合戦が
世界の中でも特に飛び道具に依存しているかのような発言を
なされているのが気になるところです。
(遠戦派の方の発言の問題点)
1、定説になっている戦国時代における足軽の槍衾が
存在しなかったということ(遠戦派の主張によれば結果的にそうなる)
2、日本が世界の中でも特に遠戦で戦ってきた特殊な国であるという点
527 :
日本@名無史さん:01/12/26 21:00
1も2も言っていないよ。
1はもちろんあったが、それが最重要でも必ずしもなかった。
2を主張する者ではない、と某遠戦バイブル(藁 の御著者も
おっしゃってます。
528 :
日本@名無史さん:01/12/26 21:02
>527
スレを読み直すことをお勧めします。
いや、そういう変な奴もいるかもしれんが、
妄想君は白兵派にもいるし・・というか多いだろ。
俺が言っているような遠戦派系スレもたくさんあったはず
530 :
日本@名無史さん:01/12/26 21:15
519と、やたら尊大な言い方をするヤツを見て感じたんだが
白兵派は「刀を扱えば世界最強の日本武士」という
理想像を押し付けるたがってるように見えるんだな。
531 :
日本@名無史さん:01/12/26 21:16
>197 :名無し三等兵 :01/12/19 21:59
>日本の戦闘形式は弥生時代から近世に至るまで基本的には遠戦思考。
>先ずは弓矢か投石、槍投げによって始まり、
>201 :名無し三等兵 :01/12/19 22:08
> だから、日本以外ではそれが普通なの。そもそも
>、日本のような長弓を使う民族じたいが少ない
ちなみに、槍投げは基本的に日本では一般的ではないし、長弓は
材質の関係のため。
532 :
日本@名無史さん:01/12/26 21:24
>>525 >世の人々のイメージは、極端な白兵戦の方向に
>バイアスがかかっているよ。それを正して、日本人といえども
>可能な限り「他の民族並みに」できるだけ遠戦で決着することを
>望んだ・・(そして事実そういう戦がたくさんあった)
なるほど。
たしかに一般的なイメージとしてはそうかもしれませんね。
しかし、まあ蒸し返すわけではありませんが、首獲りという
習慣があった分、合戦の全体の流れとは別に日本は他の国
よりもむしろ白兵戦を重んじたという伝統はあったのではないでしょうか?
533 :
日本@名無史さん:01/12/26 21:47
>>497 いまさらだけど、
どちらかが、策を弄したから戦争になるんじゃなくて、
利権の衝突や人間関係のもつれなど、
策を弄しやすい状況が戦争を引き起こすのだと思う。
534 :
日本@名無史さん:01/12/26 23:21
>>533 本当にいまさらの上に思い切り間違ってるよ(笑)
>どちらかが、策を弄したから戦争になるんじゃなくて、
誰も言ってないでしょ?
効率良く戦争に勝つために策を弄するのだと言っているのであって、
策を弄するから戦争になるなんて一度も言っていない。
>利権の衝突や人間関係のもつれなど、
>策を弄しやすい状況が戦争を引き起こすのだと思う。
それも何だかずれてはいないか?
戦争に勝つために敵の弱点を策を用いて崩すのであって、
人間関係がもつれたからといって戦いを始めるわけではない。
「相手に弱みが出来たから本当は戦争などしたくないが戦争をしよう」
なんてやつぁいない。最初から戦争を狙っているからこそ相手の弱みが
「好機」に見えるだけ。
535 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:02
>>534 >誰も言ってないでしょ?
>効率良く戦争に勝つために策を弄するのだと言っているのであって、
>策を弄するから戦争になるなんて一度も言っていない。
あなたの文章は、戦力が拮抗している場合、
どちらかが策を弄しない限り、戦争状態にならないと
読めるのですが。
536 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:04
>>535 >あなたの文章は、戦力が拮抗している場合、
>どちらかが策を弄しない限り、戦争状態にならないと
>読めるのですが。
戦力が拮抗している場合は「野戦」「正面決戦」には
なりにくいと言っているんだが。
戦争=ドンパチだと思っているのかな?
537 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:07
>>536 攻城戦にもなるわけないじゃないですか。
緊張状態=戦争だったら世界中で今も戦争が起こってるよ。
538 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:14
>>537 よおく読めよ。例えば
>兵力が拮抗してれば逆に野戦なんてしないよ。
>尾張と美濃は石高が近いから兵力も近いと思うけど、
>信長は美濃攻略戦で大規模な野戦はやってない。
>小競り合いと寝返り工作の組み合わせで美濃を取ってる。
目的を達成するのに必要なのは必ずしも
正々堂々の決戦などでは無いと言っているんだから。
信長は美濃を取るために策を弄したのであって、
信長が策を弄したから美濃と争いになったわけではない。
他に陣地戦など睨み合いの続くパターンについても書いている。
どうしてそう曲解しかできないのかな。
539 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:24
>>538 意志疎通ができてなかったみたいだ。
戦力が拮抗してるときでも野戦にならないわけがない。
と言いたかったのですが。
540 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:36
>>539 そう言っているとは思えない表現でしたがね。
まあ私も野戦そのものは否定していません。
「拮抗する勢力で何の策も用いず戦う」事例がどれほどあるのか?
が問題であり、そんな例はほとんど無いだろうと言っているのです。
>あと奇襲とか朝駆けとか別働隊とか、戦うにしても
>「いかに敵の虚を衝くか」なんだよね。
と書いておいたはずなんですが。
541 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:48
>>540 497に
>兵力が拮抗してれば逆に野戦なんてしないよ。
という文章があったのですが。
それに、拮抗しているはずの美濃と尾張の間では、
斉藤妙椿が清洲城を囲むまでいってますし、
織田信秀も何度か美濃に浸入し合戦を行っていたと
記憶しています。
それに、夜討ち朝駆け、別働隊などは、策を弄したというより、
普通の戦法に入るものでは。
542 :
日本@名無史さん:01/12/27 01:09
>という文章があったのですが。
そうですね。だから戦うなら何か策を考えるでしょ?
拮抗している状態なら事前の調略にせよ戦場での戦術にしろ、
何か考えるでしょうと言っているだけなんですよ。
でそれまでの前提で白兵派と遠戦派が正面からぶつかる話ばかり
していたから、それは戦の本質ではないと言っているんです。
スレの「流れ」に目を向けてはいかがかと。
>>530 どうして、そう感情的なレスになるのでしょう。
文献をきちっと読む気があり、きちっと想像力をはたらかせれば、
うさんくさい見解というのはわかるはず。
まず、そんな意気高なものいいをせずに、きちんと、反論してみては?
544 :
日本@名無史さん:01/12/27 02:11
民族的な要素がこの討論のなかで考慮されていないという感想をもちました。
漢民族国家のなかでは軍事的に最強といわれた斉王韓信も諸民族総バトルが
もしおこなわれたらどれほどつよかったか。包衣の御者が馬車を制御した漢スタイルが
西方の蓁やきょうどのズボン着用の騎馬隊の突撃に耐えられたのか?
10世紀以降江南に漢民族文化が花開く以前の紀元前の楚は
タイベトナム系だったともいわれている。河川や湿地帯の多い江南で
楚王がとった戦術はやはり神出鬼没のゲリラ戦を上手に制御したものだったと思われる。
では蓁帝国つづいて楚の隆盛をみてふたたびきょうどに屈辱的な和約を強いられた
漢帝国が弱小だったかといえば武帝の頃の拡張政策をみればちがう。
基本的に応仁の乱の市中放火戦と薩摩の釣りのぶせと源平争乱と
ぜーんぶごっちゃに話しているとお互いに共通のテーブルをもつのは程遠いですね。
545 :
日本@名無史さん:01/12/27 02:17
バイアスっていうのは身内びいき、郷土愛、判官びいき、政治志向性、こうあるべき論、
もう無限のリストができます。たとえば隼人っていうのも彼らの敏捷性を表現したと同時に
正々堂々と大和民族的な対決をしないという侮蔑のニュアンスも含まれていたんでしょう。
室町武家貴族の文化サロンともいえた狂言の世界では山伏はいつもずっこけ役として
嘲笑されていました。これは関東以来の軍編成をとった足利方の正規軍をたびたび
ゲリラ戦でやぶった吉野熊野十津川の郷士に対する憎悪が反映されています。
熊野や十津川の勤王の志士と呼ばれる戦士たちが普段は峻厳な山岳で修験道を
積む法服姿のカモフラージュをとっていたからだそうです。
フビライでさえ末期はモンゴル貴族に対して不信の念をもち、南方遠征からモンゴル人を
すべて外したそうです。部隊の主役はキプチャク系トルコ人や西域人、キッタイ人、北方漢人ら
でしめられ、ベトナム遠征の際はゾウの大軍を編成させました。モンゴルに対する不信は
身内の反乱もあったでしょうし、モンゴル人には敵方に親戚の姿をみつけると
戦闘開始前にまず挨拶をかわすという奇習がありそれが自軍の猜疑心を買ったようです。
ですからお互いに名乗りあいほどなく鏑矢が放たれそれが合図で合戦開始で
ハイライトは騎馬武者同士の一騎打ちであった源平争乱の伝統が
どれほど戦国時代にどれほど受け継がれたかですね。それをフビライのように
文化後進国モンゴルの恥じと思い廃止してしまったか、あるいは伝統は伝統として
残ったか? わたしは、数々の戦国の主将級、侍大将級の一騎打ち、五本槍、
七本槍の逸話から伝統は伝統として色濃く残っていたんだと思います。
>>374 >>377 あたりの意味慎重な意見が白眉ですね。
いわゆる「遠戦派」のひとたちには理解不可能だったようですが、
この点からのみ見ても議論のレベルの差は歴然です。
「遠戦派」の人達の論拠は鈴木某の本と、勝手な中国白兵主義への信奉(三国志妄想)
ということがよくわかるスレですね。
余談ですが、近代になっての日本馬の劣等をあげつらう人がいますが、
アホです。
司馬遼太郎の本を信じ込みすぎ。
モンゴルの馬など西洋の近代馬と比べると駄馬です。
しかしあの馬が世界を席巻した。
日清日露の当時の西洋馬は改良に改良を重ねた人口の駿馬。
それと日本馬を比べるのは戦国期の武士団の武装と
近代軍の武装を比べるようなもの。
この程度の初歩さえ分からずに議論しているところが面白いというか
アホらしいですね。
なんと某本の出典で
応仁の乱から島原の乱までの軍功状を引き合いに出して
それを根拠に
「白兵派は根拠を出せー」
と喚いている人がいます。
まったく文献というものへの批判力がありません。
あの資料の数値を合計しても1000いくつでしょう。
(つまり負傷者数。資料そのものの数はお笑いになるくらいの「いくつか」)
いったい応仁の乱から島原の乱に至るまで日本の戦場で
どのくらいの人が傷ついたのでしょう。
1000人ですか(w
あんな資料の数値なんかまったく根拠になりません。
それに匹敵する根拠を「白兵派」としてだすとしたら簡単ですね。
戦国当時、弓兵はじめすべての雑兵を含めても全員は
「太刀」
を帯びていました。
これは何を意味するでしょう。
ようは、こうした「遠戦派」の登場は、
ながく信じ込まれていた
「西洋の傭兵集団による中世の戦争」
の軟弱な別れを、
日本の戦国期に当てはめただけの
現代流首取り野心に凝り固まったつまらない学者の妄説
を自由に受け入れるトンデモ学の興隆のなせる業といっていいでしょう。
その意味では日本の学は停滞していますね。
ああした馬鹿げた学説をマトモに論破しようとする人は骨が折れるでしょう。
でも、馬鹿げたものは馬鹿げたものですから、いずれ歴史が審判を
下すでしょう。
21世紀前後、こうした妄説が存在したと。
>548
>戦国当時、弓兵はじめすべての雑兵を含めても全員は
>「太刀」
>を帯びていました。
>これは何を意味するでしょう。
あのさ、白兵派、遠戦派双方とも白兵戦が全くなかったなんて
言ってないと思うんだが(一部の妄想君を除いて)
弓の打ち合い、石の投げ合い。その後、槍、太刀ってことでしょ?
そのうちどのプロセスで戦の大勢が決まったのかという議論だと思うんだが?
「槍を捕まれたときには太刀」っていう槍、太刀の併用者だって居るんだし
弓兵が近接用に太刀持っててもおかしくはないだろうに。
太刀の有効圏内で弓を使う奴はいないだろからさ
その論理で行くなら、現代の場合
「陸海空軍の兵士はみんな護身用にピストル持ってる=ピストルが主力だ」
っていう理論も導けると思うんだがな。
551 :
日本@名無史さん:01/12/27 04:12
>548
つーか、すべての軍功状を調べ上げるなんて無理だろうに。
1400件調べただけでも立派だと思うんだがナ
そもそも、その1400件をサンプルとして見てなにか問題があるとでも?
サンプル調査は統計取るときでも普通に行われるだろ
今の世論調査だのアンケートだのも、国民や消費者全員に聞くわけでもあるまいに。
恣意的にそのサンプルを選んだっていう証拠でもあれば話は別だが、
無い以上、信頼されるべき数字として扱うことに問題あるのか?
>547
>モンゴルの馬など西洋の近代馬と比べると駄馬です。
>しかしあの馬が世界を席巻した。
問題なのは、日本の騎馬武者が戦うときに
「乗馬したままなのか」「下馬するのか」
だと思うんだけど・・・
駄馬だったから降りたとか
優秀だから乗ったままとか言う問題なのか?
>45見れば?
宣教師もそのことについては触れてるんだが・・・
553 :
日本@名無史さん:01/12/27 04:32
ff氏、君は白兵君の中でも恥さらしだな。
その独り善がり、妄想癖、群を抜いている。
>戦国当時、弓兵はじめすべての雑兵を含めても全員は
>「太刀」
>を帯びていました。
>これは何を意味するでしょう。
・・あのさ、標準装備ってのがあるわな。
た・と・え・ば、現代の米軍でも歩兵は自動小銃を
帯び、将校は拳銃を下げている。数から言えば、
スカッドミサイルやらスマートボムやらよか
よほど小銃の方が多いし、その意味では軍備の
より基礎的部分、みたいな表現も可能だろう。
しかし、だから戦の帰趨がテッポで決まる、とか
言えるか? 言えないだろ?
戦闘要員としての最低限の装備と、戦闘の勝敗を決定する
武器は異なりうる、というより非常にしばしば異なる。
ってことで、誰でも刀を下げてたからといってそれが
一番大事な武器だった、なんてちっとも言えないワケ。
554 :
日本@名無史さん:01/12/27 05:12
スコットランドヤードを始めとする英国警察も丸腰です。
拳銃装備なし → 1、英国警察はなにもしない
2、英国警察は自衛隊のように暴力行使ができない。
3、英国警察は装備では劣るが推察力捜査力が優秀だ。
4、英国警察は騎乗+ヘルメット+ベスト+警棒による強力装備だ。
事実はあたっているものも含まれ、どれひとつとしてあたっていないともいえる。
捜査過程における各時点においては相当する部分もあり相当しない部分もある。、
コナンドイルの探偵小説を読んでもわかるように当時のロンドン大衆のあいだで
切り裂きジャックなど庶民を恐怖におとしいれた事件を迷宮入りさせてしまったり
警察に対する不満不平がありその鬱屈した大衆心理がホームズという英雄を生み、
その後の探偵小説ブームを呼んだ。
コナンドイルの小説は大衆紙で連載されたので貴族の趣味ともいえない。
登場人物には多くの貴族がとうじょうするが、大衆も登場する。
なんでひとつの資料、装備、戦闘行為、歴史家をあげて「これが真実だ」などという断定が
できるのか、不思議でたまらない。日記を残すひと、証言する人、みなバイアスがある。
もう少し理性的に諸般の事情を総合した議論ができないものか?
555 :
日本@名無史さん:01/12/27 05:35
>>543 彼は朝鮮中国マンセーしたいみたいだから、「ハングル板」「中国」板に誘導願います。
556 :
日本@名無史さん:01/12/27 05:51
合戦てのはあたりまえのことだが集団戦闘だからな。
単独の兵種よりも複合の方が強いのが当たり前じゃない?
弓・槍・刀それぞれ有効なのは皆認めるところでしょう。
ただ、日本の合戦の形勢は初期に決まりやすく士気に影響されやすいため
序盤の投石・投射で劣勢になった部隊があったとすると、後方の部隊に
状況不利の情報が流れ壊走ってパターンが多々あったと思う。
557 :
日本@名無史さん:01/12/27 06:46
つい先日の新聞にアルゼンチンの対IMF債務廃棄の記事が出ていた。
さすがイタリア移民の御国柄、人様から借りたおカネなど全国民一致で踏み倒していいらしい。
パンパスの一角にウルグアイという原住民の国家がある。牛何頭、馬何頭の取引でも
交渉時の虚言、詐欺、恫喝など人種差別や低モラルな商慣行がやまず遂に独立した。
西欧人の横暴にたちむかうには国民国家単位で団結するしかない。
矢戦結構、銃撃結構。剣戟、馬蹄、トキの声なども多分誰も聞かなかった。
誰も筆記しなかった。証言者はひたすら矢戦、銃撃を目撃した。
全将兵の行動を赤外線で透視する衛星もなかった時代は、従軍僧や公家、
武将などごく一部のものだけに漢学、和歌等の素養が限られていた。
彼らの証言が語り伝えられたのが軍記、日記、見聞記録だ。突撃隊長たる
上泉や丸目は主君のみならず時の将軍からさえ感状をもらった。戦場の行動規範、
倫理がなければどうしてザビエルは商人ではなく貧しい武士たちを絶賞したのだろう。
テレビゲームの設定をいじって次第に戦略やら軍事を語るようになる軍ヲタは許せるが、
思考を放棄して西欧モデルを日本にそのままあてはめ、あれはなかった
これはなかったと我が国の先人の魂を侮辱するのだけはやめてくれ。たのむ。
558 :
日本@名無史さん:01/12/27 08:27
>557
白兵君とうとう妄想世界に突入、独り言をブツブツと・・
ある意味哀れ。俺らが追い込んだのか? スマソ (藁
559 :
日本@名無史さん:01/12/27 08:37
>558
白兵君でもないでしょ、彼は。
1遠戦論者でも白兵戦は多少はあった
2白兵論者でも遠戦からの攻撃は勿論あったが、白兵戦のが主だった
今はこの二つ
遠戦だけで勝負がついたなんて「妄想遠戦論」があったから最初は遠戦論が
叩かれてたわけで。
560 :
日本@名無史さん:01/12/27 10:43
なぜ白兵の人はやたらと「先人の魂」みたいな言葉を出すのですか?
561 :
日本@名無史さん:01/12/27 12:46
>>544 >>545 じつに深い学識と洞察のある書きこみありがとうございます。
大変勉強になります。
>ですからお互いに名乗りあいほどなく鏑矢が放たれそれが合図で合戦開始で
>ハイライトは騎馬武者同士の一騎打ちであった源平争乱の伝統が
>どれほど戦国時代にどれほど受け継がれたかですね。それをフビライのように
>文化後進国モンゴルの恥じと思い廃止してしまったか、あるいは伝統は伝統として
>残ったか?
鋭いご指摘だと思います。
私も首獲りの恩賞システムが一対一を前提としていることや、
山中鹿之助と品川大膳の一騎討ちの話しが伝えられていることから
一騎討ちは時代とともに廃れていたのはたしかとしても、なおその
気風は戦国時代にも残っていたものと思います。
この合戦における一騎討ちの気風が残っているからこそ一人の英雄豪傑が
複数の敵を蹴散らすことができたものと思われます。
すなわち、戦国時代には集団戦に突入していたのですが、恩賞システム上は
あくまで一対一が前提となっていたために複数で名のある武将を挙げてもそれは
手柄になりませんでしたし、そのような戦闘行為はお互いに恥じであると考えられて
いたようです。
そのような思想背景のもとでは屈強な一人の兵を一般の雑兵が避ける傾向に
あると思われます。すなわち、雑兵の側としては勝てる見こみがなければ
豪傑を相手にするメリットは何もないのです。
自然、一人の英雄豪傑の存在によって味方が勢いづくという要素が戦国時代
にはまだ残っていたと考えられるわけです。
562 :
日本@名無史さん:01/12/27 12:54
おそらく私の説がただしいだろう。
遠戦でも白兵でもなく「中間」
563 :
日本@名無史さん:01/12/27 12:56
>>548 >>550 「太刀」ではなく「打ち刀」ですね。
日本人が古代から刀をある種特別な感情をもって
扱ってきたのは事実で三種の神器には剣が含まれていますし、
打ち刀は古代の人が肌身離さず身に帯びていた守り刀が進化した
ものだとも言われています。
このような事実からして、実際の合戦における効果うんぬんを除いても
侍達が己の最後の拠り所としていたのは刀であると考えて間違えてありません。
これは指向としては白兵指向であったととらえてもいい事実であるとは思います。
>>556 >ただ、日本の合戦の形勢は初期に決まりやすく士気に影響されやすい
だとしたらますます一人の英雄豪傑の存在が合戦全体の流れを
左右したことは充分に考えられます。
>>550 >弓の打ち合い、石の投げ合い。その後、槍、太刀ってことでしょ?
ここからして間違っているとおもうぞ。
戦場は二次元、三次元的に考えようぜ。
>>551 どの戦から抽出した物か、まずは示しな。
合戦のMVPが貰う物で1400回ぶんの戦ってことか?
566 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:07
単なる罵倒のしあいになるとつまらないので
お互い言葉使いに気をつけましょう。
>弓の打ち合い、石の投げ合い。その後、槍、太刀ってことでしょ?
>そのうちどのプロセスで戦の大勢が決まったのかという議論だと思うんだが?
それでは「遠戦派」というのは存在意味がないように思えますね。
最初遠くから弓、鉄砲を掛け合うというのは、古今東西自然な戦いの流れで
何も特別なことを言ってないことになる。
「遠戦論」というのは「白兵戦はなかった」といってこそ存在意義が
あるのじゃないのですか?
だいたい石傷なんてものは城を力攻めすれば寄せ手には必ず出るものであり、
城の構造も上から石を落すような工夫がなされている。
それっていうのももはや白兵戦の一形態でしょう。
白兵戦は必要に応じて欠かせないものであり、すべての兵隊が太刀を帯びている
こと自体、戦がそれを前提に考えられていたということ。
それと
>>553 はもう少し勉強しなさい。
歩兵が小銃を手にしているのは当然として、戦車兵や砲兵が手にして居ますか?
こんなつまらない反論までさせないでくれよ。
568 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:21
569 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:30
私は白兵派ですが、少し、遠戦派の立場になって
考えてみました。
実際、資料を見ていると弓の使い手の武芸者がけっこう
重宝されたなんてのを見かけたので。
やはり、弓、鉄砲というのを合戦で使えるようになるためには
かなり習熟が必要なようです。
以前の発言で「前に打てるようになればそれでいい」なんてのは
戦場で動く敵相手にはほとんど使えないに等しいことです。
やはり、弓、鉄砲隊といのは効果的ではあるが、貴重な存在であった
と思います。
そして、その弓隊が接近されれば不利なのは言うまでもありません。
そこで、合戦においては弓隊に足軽の槍部隊がある程度接近した
時点でこちら側からも弓隊をさげて槍部隊を出さざるを得なくなる
はずです。
これを間違えば貴重な弓の使い手が足軽の槍の餌食になり、再び
弓部隊を再建するのは容易ではないはずです。
このように遠戦派の立場にたって考えたとしても、やはり白兵戦は
避けては通れないことのように思えますがいかがでしょうか?
ここで「華北の兵が」「宇喜多が」とか言ってるのは、
俺が戦国板で書いたのをアレンジしてコピペしたものじゃねーか。
俺の持論は
「中国の兵は基幹兵と大多数の兵の能力に大差がある。前者は侍には勝る。」
「蒙古・女真の兵は中国兵の最精鋭ですら、まったく太刀打ちできない。」
「日本兵は鉄砲の運用が最大の長所であり、もう一つが野太刀の性能である。」
↑で「華北の兵が100人に・・・」と改竄されたのは中国系のお方ですか?
「蒙古・女真の兵には中国兵の最精鋭ですら、まったく太刀打ちできない。」
だった。「に」が抜けた。
572 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:44
>>570 うーん、己の主張を通すために人の文章の捏造
までするとはちょっとやり方が汚いですね。
武士の戦を語るならお互い正々堂々と行きましょう。
573 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:48
>>570 野太刀の性能について言及されていたんですね。
これはもう日本の侍が白兵戦を得意としたという決定的な
証拠ですね。
574 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:52
>>573 それを認めたくないところが、「遠戦派」の本当の狙いなのです。
575 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:56
よく石の投げ合いを言いますが、
正面を向き合った同士が石の投げ合いをしたら、槍刀での
格闘戦は必定でしょう。
投石は有利な場所から一方的に投げてこそ効果がある。
すなわち攻城戦です。
山城や妨柵や櫓上から投げ下ろす。
それに当たって負傷する兵は多かったはず。
石田三成も朝鮮役でたしか山城を攻めていて石傷を負っている。
576 :
日本@名無史さん:01/12/27 17:04
>>573 捏造までして認めたくないとはこれはもう宗教ですね。
577 :
570(遠戦派だよ):01/12/27 17:09
>573
蒙古来襲の時点でさえ、刃の性能に大差があったことが確認されている。
ただ白兵戦で日本側が大戦果を挙げたという証拠もないんだよ。
フロイスの「日本史」・明の碧蹄館の回顧録でも野太刀の凄まじい
性能が何度も述べられるんだが、一方で明の人的損害は比較的
少なかったりする。碧蹄館だと2万の内「死傷」3千ぐらいだ。
重要なのは日本では戦死の大半は追撃の段階で生じるのに、
その程度の打撃しか与えられなかったことだ。
578 :
日本@名無史さん:01/12/27 17:16
>>577 これは失礼。
ところで、
戦果を拡大できなかった原因としては日本人の追い討ち時に
おける白兵戦指向があったからこそと考えられないでしょうか?
これまでで自分の意見に比較的近いのは
>>446だな。
>>578 ちょっと意味が判り難い。首を取るのに夢中になりすぎたということ?
おいおい、俺の説はどうなった?
弓で殴り矢を掴んで刺し、太刀を投げつけるんだ、無茶つえーぞ!!
581 :
大いに疑問:01/12/27 17:35
>>577 >一方で明の人的損害は比較的
>少なかったりする。碧蹄館だと2万の内「死傷」3千ぐらいだ
その数字(死傷3000)の根拠は?
そんな史料はないはず。
いい加減な想像をするよりも、あの戦闘の結果
指揮官は中国に引き返し2度と戦場に戻ろうとしなかった。
「倭兵20万。衆寡敵せず」
と明史に書かれているのが、その影響を物語る唯一の記録。
歴史はこれを境に明側の意向が講和に傾きます。
死傷3000ほどのダメージでは転換は考えられません。
疑いを得ない確実な史実から物事を想像しましょう。
ちなみに長く日本で客観データとされてきた参謀本部の数字は
戦死、明6000、日本側2000.
戦闘時間は終日です。
582 :
日本@名無史さん:01/12/27 18:56
>>553 345を書いた人ですか?
拳銃とミサイル
駆逐艦と戦艦
ぐらいの絶望的な差が弓と槍の間にありますか。
583 :
つかれるほんとに:01/12/27 19:15
>>553 大陸間弾道弾>中距離ミサイル>巡航ミサイル>キャノン砲>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>小銃>ピストル
鉄砲>弓>槍>刀
レンジ、威力の差をとくと考えてみ。
小学生にでも分かる。
584 :
日本@名無史さん:01/12/27 19:57
553の書き込みって読み飛ばしてたからわかんなかったけど
おもしれえな、爆笑してもうた。
まあ、583も疲れずに、ここは妄想を根拠に自論を展開するスレらしいんで
ほどほどに笑い飛ばしながらいきましょうや。
585 :
日本@名無史さん:01/12/27 20:07
>ff氏
自分が妄言をまず垂れ流したことを認めずに、それを指摘されたら
逆上して罵詈雑言、しかも反論当然のようにまた間違ってるし。 (藁
ff氏の主張は、「日本武士が常に刀を携帯した、そのこと自体が白兵戦
指向があった証拠である」というものだったな。で、俺は「あるものを
常に携帯しているからといってその武器を使う局面が戦闘の最重要部分
とは全く言えない」と反論したわけだ。
あのさ、戦車や空母の中にも小銃とかあるし、パイロットだって拳銃
下げてたりするんよ。ってことでまず戦車兵は銃を持ってないだろ、
っていうff氏の反論は、全くもって事実に反する。
でわどうして「全ての武士が刀を下げていたのか」を分析してあげると、
一つには、仮に長曽我部が言うように「鉄砲撃ちがあれば槍合わせまで
行くまでもなかった」としても、何がどうなるかわからんし、丸腰ってのは
恐ろしいよな。その理由で最後の精神的よりどころとして下げていただろ。
戦闘機のパイロットが拳銃持っているのと近い。
問題は、こういった護身用の刀やら拳銃に戦闘を決定することが
想定され求められているか、ということで、答えはもちろん否、なワケ。
俺は別に極端な遠戦派でもないし、槍兵の突撃で弓兵が追い散らされる
局面だってあったろうと思うよ。ただ、一般的指向、有効度として
遠戦>白兵戦と考えるだけ。しかしとにかく「みんな刀を持ってた。
だから白兵戦が最重要だった証拠」みたいな非論理的思考は問題外だろ。
あと、近接戦闘武器でも
槍>>>>>・・・・・>>>>>日本刀 だったよな?
これは兵の武装の変化、また無数の証言でもあまりに明らかなので
白兵派諸子もこれだけは基本的に認めていると思いたいが、またぞろ
「武士の魂、日本刀最強」みたいなこと言い出す奴がいるんだろうなぁ・・
586 :
つかれるほんとに:01/12/27 20:34
>>585 大陸間弾道弾>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ピストル
槍>日本刀
です。
あなたの言ってることは、この両者の懸隔
大陸間弾道弾:ピストル=槍:日本刀
といってるのと同様。小学生の算数問題の誤りなのです。
それが指摘されているわけよ。
587 :
つかれるほんとに:01/12/27 20:42
>>585 反論されると相手の発言を「罵詈雑言」
と言うのもどうかと思いますけど。
588 :
名無しさん@一周年:01/12/27 21:03
うん、槍は手元に入られると打つ手がないという弱点もあるしね。
589 :
日本@名無史さん:01/12/27 21:19
ヨコレス
あのー刀、槍でも雑兵が持つ場合と指揮官(組頭)が持つ場合と混同されているようですが
どうなんでしょう。
>581 別に「絶対3千」というわけでなく、6千でも構わないけど。
アレは講談や格家の武勇自慢のため「大明の10〜30万の大軍を・・・」
というイメージがあるが、実際は日本側の方が数で勝り、
泥濘で敵騎兵の運用が不可能な状態で鉄砲隊が最大限に活躍した戦いであり、
6千の損害が「自然」だとは思う。(自分は3〜4千だが)
ただ参謀本部って、最近は信長の桶狭間の件をやたら突っ込まれてるように
かなり自分たちに恣意的な判断や解釈が多すぎないか?
山県有朋以来あそこは長州閥の天下であり、この戦いの解釈もその影響が強い。
優勢に戦った立花家を「苦戦のため、小早川隊が横槍を入れ逆転に導いた。」
と扱ったのは、明らかに毛利家に配慮したものだし、遼東騎兵以外にも
遅れて参加した江南の砲兵部隊の存在を無視するなどおかしな部分が多い。
(フロイスは明の砲兵が泥濘で使用困難になったと指摘している。
うろ覚えだが立花家でも砲兵に側面から射撃を受けたとある。)
もうひとつ、李如松が戦意喪失したのは事実だが、
ヤツが自分の持ち駒の遼東兵をこれ以上失うのを恐れたのが主因だと思う。
もともと明側では日本軍を異常に軽く見ていたので、手強いと判れば講和も当然。
>>590 「手強い」という主観だけで簡単に「戦略」を変更できるものでしょうかね?
戦力的に大きな打撃を受けたからこれ以上戦闘を続けても勝ち目はない
と判断したと考えるのが自然。
。
>(自分は3〜4千だが)
と唐突におっしゃいますが、論拠は何なのでしょうね。
ところで、あなたが言われるように明の数2万というのが日本側に対して
数僅少と堂々と言われてますが、これも疑わしいと思いませんか?
もう少しご自分でお調べになったり考えたほうがいいです。
たぶん歴史群像あたりの戦記本などから引用されているのでしょうけれど、
「2万」の根拠は何だと思われますか?
ご存知かどうか、2万という数字を示す史料はどこにもないのですよ。
ただ兵の編成は把握されている。
それによると騎馬隊の数が2万なのです。たぶん、論拠はこのあたりだと
思われます。
ところがあなたも述べられているように後で砲兵も登場した。
歩兵の戦闘参加があったとしたらその数は増えるわけです。
実際、騎馬対以外の部隊もはせ参じたらしい。
一方、日本側を見てもソウルに兵隊のうち4万ほどが参加したと
見当されているますけど、実際に戦闘に参加したのは2万くらいではない
かと思われます。
上記宇喜多の主力部隊が参戦したのは明の戦線が崩壊したあとのようですから。
これを考えると戦場での数的な比率は近年言われているようなものではなかった
かもしれないのです。
いずれにしても、断定的なことは言えません。
確実なのはこれを境に明の指揮官が戦意を喪失、平城に後退して
明国が講和に傾斜したこの大きな事実だけです。
592 :
日本@名無史さん:01/12/27 23:21
>>547 ?
司馬遼太郎なんて関係ないよ。
「騎馬突撃」なるものを論じてる人間がいたから付きあっただけ。
近代軍馬も誰かが電波なこと言ってたから訂正しただけだし。
そして少なくともオレは「馬の優劣とは別の理由で騎馬突撃は
存在しなかった」と結論を出しているはずだが。
593 :
日本@名無史さん:01/12/27 23:27
>>563 だが一方で日本刀には目釘など武器として致命的な欠陥が改善されずに
残っている。サーベルのように柄と刀身を一体に作るのが実戦的だろう。
とすれば日本刀の精神性と実戦で使われたか否かは別に論じなければ
ならないのではないか?
594 :
日本@名無史さん:01/12/27 23:30
>>569 >以前の発言で「前に打てるようになればそれでいい」なんてのは
>戦場で動く敵相手にはほとんど使えないに等しいことです。
面制圧の発想は当然だと思うが。動く敵を一々狙う方が難しい。
>そこで、合戦においては弓隊に足軽の槍部隊がある程度接近した
>時点でこちら側からも弓隊をさげて槍部隊を出さざるを得なくなる
>はずです。
お互いに楯を連ね弓の射ち合いから入ったとして、相手がまだ弓隊を
前列に立てているのにもう一方は槍隊を投入するのか?
それは非現実的だろう。
結局お互いに槍を投入したくても、相手の先頭に弓がいる時に
自分だけ弓を下げれば一時的に一方的に損害を受けることになる。
最前列の楯と前列の弓隊を下げて槍隊に交代するにもそれなりの
時間を要するから、これは嫌がられるのではないか?
自分が圧倒的に数に勝っていれば圧倒的な矢玉の数に物を言わせて
相手弓隊を圧倒し、怯ませた隙に――というのはありえるだろうが、
限定条件が付くのでは「一般的傾向」には昇華できない。
よって戦力が互角であれば正面決戦はダラダラした矢戦になるのでは
ないか?
>これを間違えば貴重な弓の使い手が足軽の槍の餌食になり、再び
>弓部隊を再建するのは容易ではないはずです。
貴方の意見に従えば弓隊・鉄砲隊は非常に習熟した連中なのだから
槍は届かぬが弓矢にとっては必中距離、例えば佐武伊賀のいう10間で
矢を放てば確実に勝てる。
槍隊、特に長柄足軽は集団で進退してこそ効果があるのだから、
突撃してくる敵はカモでしかない。
595 :
日本@名無史さん:01/12/27 23:32
>>573 その前に鉄砲が来る所を無視するのは如何なものか。
野太刀は武士の持つ武器だが、飛び道具を持つ足軽は武士より多い。
武士が白兵戦を得意としていても、それが全軍としての傾向、
戦全体としての傾向として通用するものではないだろう。
596 :
日本@名無史さん:01/12/27 23:48
>>578 >戦果を拡大できなかった原因としては日本人の追い討ち時に
>おける白兵戦指向があったからこそと考えられないでしょうか?
どんな武器を使っても後尾の敵を討ち取ってる間に先に逃げた連中が
逃げおおせてしまうのではないか?
ただ首は打ち捨てて進め、みたいな命令が出た戦もあるから首取りに
こだわる人間が多かったのは事実だろう。
だがどんな状況で首を取るのか?
相手の首を取っている間に自分が殺されるような乱戦の中でないのは
確かだろう。
やはり相手は逃げるだけという追撃の場面が最も首が取りやすいだろう。
だから首取りを以って日本人には白兵志向、突撃志向があったとするのは
早計ではなかろうか。
実際首があれば手柄になるというのであの手この手で首を偽造する話は
多く残されている。これなどいかに危険を犯さず手柄だけ手にするか
ということであり、戦闘そのものに命を賭ける人間ばかりではないという
ことは確かである。
長篠合戦では『大須賀記』に「川沿いに追い詰めて二千を討ち取った」
とあるが、退路を断った状況でもないと大戦果は無理ということだと
いうことではないだろうか。
>567
>「遠戦論」というのは「白兵戦はなかった」といってこそ存在意義が
>あるのじゃないのですか?
どうしてそうなる? 遠戦、白兵、どちらもあったが、どの時点で決まったのかと
言うのが議論されてるのだろって。>550にも書いたんだけどさ・・・
>だいたい石傷なんてものは城を力攻めすれば寄せ手には必ず出るものであり、
>城の構造も上から石を落すような工夫がなされている。
>それっていうのももはや白兵戦の一形態でしょう。
そうなのか?
攻め手は白兵戦を挑まざるを得なくなったが、守り手は遠戦してるってことだろ?
遠戦させてもらえなくなってるってことなのでは?
>586
いや。
「全員が持ってるからって主武器と言いきれるのか」
が問題だと思うんだけど
槍と打ち刀(漏れは太刀と書いたが)を両方持ってる奴もいるんだろ?
打ち刀を使う機会があるってだけで、弓、打ち刀の両方を
持ってても問題ないとは思うんだが
>>593 また日本刀のスレに戻っちゃいますね。
でも、「致命的欠陥」と言うのは語弊でしょう。
一体化しなかったことで刀の軽量化が図れる。
軽量ということは鋭い刀の振りができるわけです。
目釘のことがすぐに持ち出されますが、
簡単に折れるものではありません。
年月が経つと材の劣化で緩みはしますが。
599 :
日本@名無史さん:01/12/28 00:07
長篠の戦の絵巻から質問なんですが
描かれているのは、向かってくる騎馬隊に対抗する鉄砲隊。
……でも、なぜか彼らは馬止め柵の前で鉄砲撃ってますよね?
常識的に考えたら、柵の後ろから撃つはず。
これって、鉄砲隊にたどり着く前に騎馬隊は
無力化されたってことでしょうか?
後世に(半ば推測も含めて)かかれたのは当然ですが、
それなら常識的に柵の後ろに鉄砲隊を描きません?
601 :
日本@名無史さん:01/12/28 00:28
さて、ある戦の例を紹介しよう。
織田信長による1574年の長島攻めである。
この時信長は陸海より総動員体勢で長島攻めに望み、
補給路を絶たれた一揆勢は進退極まった。
九月、長島城はついに降伏を申し出、信長はそれを受け入れた。
かくして長島城から多数の船に乗った一揆勢が出てきたが、
信長はこれに鉄砲を撃ち掛け、際限無く一揆勢を川へ撃ち落としたという。
だがここで驚くべき事が起こる。
一揆勢の一部が、捨て身の反撃に出たのである。
彼等は裸になって抜刀し、織田軍の陣へと切り込んで来た。
そしてその結果、七、八百人の織田兵が討死し、信長の一族武将など
多数の武将までが討死した。
しかもこの結果、一揆勢は多くが逃げおおせてしまったというのである。
これは何を示すのか?
織田軍は数万の単位で動員されていた。数では長島城の兵に勝る。
装備でも勝っているだろう。
それなのに裸で刀しか持たない人間たちに壊乱させられ、武将まで
撃ち取られてしまっている。
要は白兵戦に弱かったのである。
本当に斬り込まれたら何もできないのが当時の軍隊だったのだ。
これで白兵志向なんてことは有り得ないとは言えまいか。
もともと李は完全に日本を舐めていたので「あの程度」の損害でも
戦意を喪失したのです。小西はわりと簡単に打ち破れたしね。
もう一度言いますが、自分の子飼の遼東兵をこれ以上失うわけにはいかなかったのです。
まあスレ違いになってきたので、この辺で止めますか。
自分としては「数十万の明軍を大敗北に追い込んだ」というイメージが
崩れればそれで十分ですし。
>「倭兵20万。衆寡敵せず」
これね。明の方が圧倒的大軍だったというイメージにとらわれてる人が多すぎ。
>565
>>弓の打ち合い、石の投げ合い。その後、槍、太刀ってことでしょ?
>ここからして間違っているとおもうぞ。
>戦場は二次元、三次元的に考えようぜ。
白兵派、遠戦派ともに、「遠戦はあった」と言う方向なのですが?
そもそも、「二次元的に」っていうのは迂回して攻撃ってことを
言ってるんだろうけど、だからと言って遠戦が無かったとは言えないだろうに。
そもそそも三次元ってなんだ? 凧でも使うのか?
>どの戦から抽出した物か、まずは示しな。
>合戦のMVPが貰う物で1400回ぶんの戦ってことか?
応仁の乱から島原の乱までたくさんの軍忠状を集めたと書いてある。
MVPだけではなく、武士とその従者の負傷の様子だ。
これって無作為って意味じゃないのか?
そもそもこの内容を疑うなら、疑うべき証拠を出すのが普通だろうに。
他の研究者の調査ではどうだったかとかさ。
>>597 >攻め手は白兵戦を挑まざるを得なくなったが、守り手は遠戦してるってことだろ?
>遠戦させてもらえなくなってるってことなのでは?
つまり、弓で勝負が決まるし、攻め手が勝つことなど不可能!
戦国時代は戦争など起こらなかったって話でよいですか?
605 :
日本@名無史さん:01/12/28 01:04
>>604 実際攻め手が力押しで勝つのは難しく、城兵の三倍から十倍を
必要とすると言われていた。
そのぐらいの兵がいれば援護射撃で圧倒して突撃することも
可能だったということだろうか。
無為無策に城に攻め寄せるのは自殺行為である。
>>603 三次元は地形と弓の関係だ;)
というか、二次元三次元は真っ直ぐ相対して布陣し真っ直ぐ前
進して交戦するような状況ばかり想定していることをちゃかして
るんだろ。
>そもそもこの内容を疑うなら、疑うべき証拠を出すのが普通だろうに。
>他の研究者の調査ではどうだったかとかさ。
応仁の乱から島原の乱まで何年よ?
で、一回の戦闘で何人が軍忠状をもらったんだ。
足軽程度でももらえる代物なのか?
せめて、それぞれどういう類の戦だったか数で示されてなきゃ全く使
えないしろものだろ。
鉄砲のことを考えると応仁の乱から島原の乱なんてくくり自体が
乱暴だ。まずは統計として使えるかどうか考えろよ。
>604
なんでそうなる?(w
俺が言いたいのは「城からの投石は遠戦」ってことだ。
そして、遠戦のみで決着がついたとも言ってない
城は攻め手の犠牲が多いって事は確かだろうに
それがどうして戦争が起こらなかったと言うことになるんだ?
前の方の>253にも書いてあるけど、城攻めの場合は交渉ごとで
済む場合が多かったんじゃないの?
圧倒的戦力差になった場合のみ、あえて犠牲の多い白兵戦をしただけじゃないのかね
島原の乱見てみ。
農民の集団に、幕府勢が取った戦術は「兵糧攻め」だろ?
>606
>というか、二次元三次元は真っ直ぐ相対して布陣し真っ直ぐ前
>進して交戦するような状況ばかり想定していることをちゃかして
>るんだろ。
弓、鉄砲といった、射程距離の長い武器から合戦は始まるって事を
白兵派の人も認めてるんでしょ?
俺はそれが言いたかっただけなんだけど。
そのうちどのプロセスで決着がつくかってことを論じることに
なんか間違いでも?
>応仁の乱から島原の乱まで何年よ?
>で、一回の戦闘で何人が軍忠状をもらったんだ。
「170年間で選んだ」「サンプル」なんだろ
全体で何人がもらっていようが関係ないのでは?
軍忠状にある人物は、「武士とその従者」のようだが、
彼らが特別に弓傷が多かったとでも?
>鉄砲のことを考えると応仁の乱から島原の乱なんてくくり自体が
>乱暴だ。
一応鉄砲が出てからなら、鉄砲傷が全体の44%ってことになってるが。
鉄砲以前と以後を分けて考えるってことは、
少なくとも鉄砲が出てきてからは、遠戦志向ってことを認めてるんですかね?
609 :
日本@名無史さん:01/12/28 01:57
>>607 >島原の乱見てみ。
>農民の集団に、幕府勢が取った戦術は「兵糧攻め」だろ?
島原の乱は、手詰まりになって兵糧攻めになったのでは。
610 :
日本@名無史さん:01/12/28 02:12
>609
戦術論だけで戦法の選択がなされるという考え自体が問題。
島原で兵を損じても新しい知行は貰うのが難しい。
別に一揆側に打って出る力があるわけでなし、
兵糧攻めで待つのが正解、ってことでしょ。
これは白兵遠戦と関係ない次元の選択でわ?
>609
板倉重昌って、メンツにこだわって2〜3回、総攻撃かけてなかったっけ?
そして最後には戦死。
612 :
日本@名無史さん:01/12/28 02:28
宮本武蔵は石投げられて足挫いて剣を捨てた。
軍忠状って武士が大将に提出するものだった
もらうものじゃない
失礼&sage
614 :
日本@名無史さん:01/12/28 02:30
>611
それは下の連中がいうこと聞いてくれないでチグハグな戦しか
できず、幕府から譴責の督戦官みたいのが来ると知って
その前になんとかしようと焦ったんじゃなかったっけ?
615 :
日本@名無史さん:01/12/28 02:45
>>610 島原の乱は、
一揆の制圧の失敗。
逆襲にあい城に籠城。
板倉重昌が西下。
約4万の一揆勢が原城址に立て籠もる。
板倉・松倉・寺沢・鍋島・細川の軍が原城址を囲む。
小藩の板倉が軽んじられ、てんでばらばらに攻撃したため2度にわたる攻略失敗。
松平信綱が島原に近づく。
あせった板倉が総攻撃をかけるも失敗し、大きな被害を被る。
松平信綱が着陣。
トンネル、オランダ船の砲撃が失敗。
兵糧攻めの形になる。
堀を埋めるなど準備をした後、総攻撃が行われ落城
白兵戦が避けられたということもありませんし、
戦法は、戦術的見地に基づいて決定されてるのでは。
616 :
日本@名無史さん:01/12/28 02:49
しかし見方を変えれば、あれだけの戦力差があり、装備差があっても
なお被害甚大になり、兵糧攻めに落ち着いたわけだ。
617 :
日本@名無史さん:01/12/28 07:16
統計学でいうサンプルっていうのは、バイアス、恣意、テクニカルな問題も一部含まれるけど、
そういうことより、もっと根源的な「誰の為」のサンプルかってことだよ。アングロ世界じゃ
アフガン報復戦争圧倒的支持で日本では半々、イスラム世界では反対一色みたいな。
つまりひとつのテーゼをどうやって聞くか、どの言語を用いるか、どういう設問形式か?ってこと。
アングロ世界は究極の二元論の「アメリカにつくか、つかないか」、日本では「戦争肯定・否定論」
イスラム世界では「聖戦か米帝のいいなりか」、各世界、各国のエリート中のエリート、知識層中の知識層が
選ばれてなかで結局はこういう問いかけ、こういうテーゼによる質問に落ち着いてしまう。
ひるがえって、遠戦か白兵戦か、というテーゼ自体、ものすごくアングロ的発想だ。
まずそういう発想をもつひとが日本人のなかでどれだけいるか?
たとえば、戦後日本のNHK大河ドラマを始めとする時代物には
「泰平を実現するための戦を戦わなければならない」という根本思想があったはず。
ドラマに平和論者か守旧派か一人必ずでてくる。
信長なら光秀、秀吉なら利休、家康は大阪を天下争乱のもとに仕立て上げ
自分にそれを終わらせる使命を自任した。
ところが明治日本では
「日本が他のアジア各国のように列強の毒牙にかかるか、日本の自主性を貫くか」。
「日本は侍の子孫」
この戦後日本と明治日本の思想対立は、アズマと皇国史観を喧々諤諤とやっている連中と
共鳴してしまうことになるので、ここでやめにしよう。
色々資料を挙げていっている人がいるが、少なくとも私には
「日本人はマッカーサー政策によってどれだけ去勢されたのか」
「君は源平南北朝戦国という血みどろの争乱に対してどれだけ罪悪感をもっているか?」
「日本人は白村江敗戦、平安朝の死刑廃止、徳川鎖国で平和に生きる決心をした」
「戦争もお上品にやったんだよ。それ自体まちがっていたけどね。」
「日本人の厭戦志向は一目瞭然だよ」
としか、聞こえない。
619 :
日本@名無史さん:01/12/28 07:24
>617
でもさ、過去のしかも戦傷死者に関する統計でバイアス無いの
求めるなんて不可能ジャン。今あるもので朧気に、こうでも
あったろうか、と考察するしかないのでわ?
620 :
日本@名無史さん:01/12/28 07:42
>618
>(前略)としか、聞こえない。
ずれまくってるな、618よ。スレの趣旨を誤解。と言うより
何やら壮大な個人的妄想にはまっているだけだと思うぞ。
正月はゆっくり休んで行楽地へでも行け。
しばらく2chにも来ない方が良かろう・・
途中なんども「厭戦か白兵戦か」から「白兵戦主体か厭戦主義のなかの小競り合いか」に
議論がかわっていると指摘があるのに、なんども同じ資料をあげてそこから
動かない。
会社でもそういうスタンスなのだろうか? ハンコを押すだけで、
波瀾万丈のプロジェクトを一度も手がけたことがないのだろうか?
ひとつ絶対にちがうというのは、人間は物理的存在ではない。
戦場という非常事態で人間がどれほど平常心理を保てるのか?
まるで将棋の駒か、なにかのように、戦陣、軍旅、兵站を嬉々として論じているが
戦場というのはそういうものではないと思う。
ローマ人を恐怖させたケルト人は恍惚状態になって一斉突撃してきたそうだ。
JFKを始め悲劇の一家といわれるKENNEDY FAMILYもやはりそういう精神を
鼓舞されてアングロ的価値観に勝負を挑んできたと家族、友人、使用人、神父らの
複数証言がある。
民族性を越えて普遍的な闘争精神を一切無視した議論はものすごく虚しい。
622 :
日本@名無史さん:01/12/28 07:54
>621
電波反対!! 他のところでやれ!
623 :
日本@名無史さん:01/12/28 08:04
鉄砲や弓が主武器だったと思いますよ。
そもそも日本人の鉄砲とのかかわりは古かったといわれ、
種子島鉄砲渡来説はウソだったというのが定説になりつつあります。
島津貴久の薩摩統一戦の段階で既に鉄砲の撃ち合いになってたそうです。
ただ、鉄砲=遠戦とは必ずしも言えないのでは?
624 :
日本@名無史さん:01/12/28 08:14
>>617 >>618 >>621 がんばれ。
かなりいいとこをついている。
だいたい「遠戦志向」「白兵志向」などという問題の立て方に疑問がある
というのがこのスレの一つの結論になったのだろう。
そこから一歩も進んでないから、本質論に立ち戻ったのが、
これらの意見。
これをデンパ、妄想といっている連中自体、誰かの書いた本をすぐ鵜呑みにして
電波を流す本人ではないのか。
625 :
日本@名無史さん:01/12/28 08:31
>>624 おいおい、どう見ても本物の電波だろうが。
君も、一年間ぐらいゆっくり休んだ方が良いぞ。マジで。
>>602 >「倭兵20万。衆寡敵せず」
これね。明の方が圧倒的大軍だったというイメージにとらわれてる人が多すぎ。
誤解されてませんか?
この言葉からそんなイメージを抱く人はいないでしょう。
「明が日本兵の数を過大に見積もっている。つまり萎縮していた」
というふうに読むのが妥当です。
「敵せず」という言葉は、「かなわない」という程の意味です。
これを相手側が言っているのです。
628 :
日本@名無史さん:01/12/28 08:39
>>625 一行レス二行レスっていうのは自分から白旗かかげてるのもおなじでしょ。
学術的、論述的思考性を放棄しているのだから。
629 :
日本@名無史さん:01/12/28 08:42
>>628 君から見たらそう見えるんだったらそれで良いから、2ちゃんをやめて
ゆっくり温泉でもつかりなさい。
630 :
日本@名無史さん:01/12/28 08:44
>>627 そういう場合は
「
>>617>>618>>621は厭戦と書いているのにあなたは遠戦と言い直しましたね
違う言葉でそれぞれ全然意味が違ってきますよ」
でしょ? なんでいちいち指導しなければいけないかな?
>もう一度言いますが、自分の子飼の遼東兵を
>これ以上失うわけにはいかなかったのです。
つまり「やる気がなかった」ということですね。
としたら、これは重要なことなので、一言付け加えなければならないでしょう。
このスレのいわゆる「遠戦論」に流れている理念は、封建社会の軍隊の属性として
兵員の質、統率の質の劣性に注目しているところがあると思われます。
「指揮官がやられたり一部の前線の部隊が頽勢だと全体が阻喪する」といった
想像をしている意見などが一例です。
すなわち明の軍にもそれが言えた、というわけですよね。
国の大事よりも目先の自分の部隊の温存しか関心のいかない古めかしい軍隊、
軍閥のような連中というイメージです。
しかしそのこと事態がすでに「軍の弱さ」であり、たとえば白兵戦を使命としても
やり遂げなければならない近代軍(敵前の銃火の中に突撃する)の資質に欠けるもの
でもあるわけです。
一方、日本の武士団はどうだったか。
近年、小和田氏の本などで強調されているように
「武士も死は怖かった」
「戦国武士は江戸期と違って儒教が形式化されていなかったから打算的行動を取った」
と、いかにも身勝手な集団というイメージを植え付けられているようです。
しかし武士道とiうものがその後確立されてゆくように、日本の武士団には
死を誉れとする論理、武門の名誉の継承といった価値意識が形成されていました。
秀吉の前に召し出された朝鮮人の書いたものに「自分の体の刀傷を誇らしげに見せたり、
顔に傷のついていることを誇っている野蛮な連中」が居並んでいたとあります。
朝鮮役での日本の武士団には自分の軍隊の10分の1程度の将兵が傷ついたからといって
秀吉の命にそむくような者はいませんでした。
日本国内にあって口先一つで膨大な兵を動かす秀吉に
朝鮮人も感心しています。
「遠戦志向」「白兵志向」などというものは存在せず、戦は状況に応じて態様を変化させる
もので一概には言えない。もし「白兵志向」というものが、「死を恐れない勇敢な行為」
の象徴としてこのスレで使われているとするなら、戦国武士の意識は世界の軍隊の中でも
そのことを価値として置いたユニークな存在であったことは否定できません。
633 :
日本@名無史さん:01/12/28 10:56
>>616 兵糧攻めに落ち着いたんじゃなくて、
坑道、オランダ船の砲撃、大砲による砲撃、普通の攻撃を
しているうちに一揆側の兵糧が無くなっただけかと。
島原の乱を見る限り、攻める側は、城を占領するために白兵戦を厭わず選んでいます。
坑道を掘ったり、堀を埋めたり、大砲をうったりしたのは、
白兵戦を有利に展開するためです。
なぜなら、古今東西、拠点を占拠するには、白兵戦を行う必要があるからです。
一揆側の兵糧が尽き、最後の決戦となったときも白兵戦になっています。
そこに、白兵戦が避けられたという事実は、ありません。
逆に一揆側は、城に立て籠もり、近づいてくる幕府側の兵を有利な地形を利して、
遠距離攻撃を行いますが、当然、浸入した幕府軍とは、白兵戦になりまし、
兵糧が尽きようとしていたときには、逆に城をうってでています。
遠距離戦を主体とするか、白兵戦を主体とするかというのは、
思想などにより決まるのでなく、戦術的立場(特に必要がある場合は戦略的立場)
から決定されるのでは、ないでしょうか。
また、城攻めは、多くの場合交渉により決着がついたと主張している人がいますが、
戦闘が行われた後に、交渉になる場合が多いと思いますが。
635 :
日本@名無史さん:01/12/28 11:56
>>632 >秀吉の前に召し出された朝鮮人の書いたものに「自分の体の刀傷を誇らしげに見せたり、
>顔に傷のついていることを誇っている野蛮な連中」が居並んでいたとあります。
筒井康隆「おれの血は他人の血」より
「その間にも組員たちはのべつ出入りし、興奮して報告し、助勢を求め、泣きごとを言い、
強がって見せ、手柄を自慢し、痛そうに怪我を見せたりした。」
その朝鮮人にはこんな風に見えたんだと思う。
636 :
日本@名無史さん:01/12/28 13:31
>>632 だから、そりゃ専門武士もしくはそれに近い半農半武の話しだろ。
兵の9割が諸役で戦に行かされた百姓の親父にすぎないんだよ。
638 :
日本@名無史さん:01/12/28 13:47
白兵派の一部分はすでに「白兵教」と化してきているね・・
なんか神懸かり的な、信仰告白みたいな自己陶酔型長文が
並んでいるが、この手のレスを旧白兵派の誰も気味悪いと
感じていないのか?
数日前には、意見が異なるだけで人格的にはマトモそうな
白兵論者もたくさんいたんだが・・
639 :
日本@名無史さん:01/12/28 14:03
>>636 薩摩は4分の1が武士だったという。しかも武士と農民の区別も
そうはっきりしていなかったらしい。ベトナムでも百姓とべトコンの区別は
つかなかった。郷士、一両具足、こういった屯田兵まがいの政策は
戦国の強国ではよく見られた。鋤鍬で鍛えられた農民の足腰は
正規軍をしばしば破ったし、戦国大名のほとんどが鎌倉室町以来の武家貴族の
流れではなく、領内の農民を武装化して守護や国人らが組織する正規軍を
破っていったものばかり。
南方系に限ったことではなく、島国日本では漁師とと商人と倭寇の区別も
はっきりしなかった。朱印船とは交通許可証発行済みということでそれほど
倭寇とりしまりの要望が強くでたんだと思います。
「そうか俺は農民だったのか」と農民自体意識したのはおそらく
律令体制下の圧政に苦しむ農民と徳川期の旦那寺に登録された
人口だけだろう。
640 :
日本@名無史さん:01/12/28 14:05
戦後日本でマル経を農業経済学として応用させても減反政策という自殺行為は
止められなかったように、生産力の捉え方にもっと別の視点が必要なはず。
応仁、戦国の農業定住民ていうのは数えるほどしかいないはずだ。
福島正則が元は尾張の農民といっても大工の真似事をしていたし、
家内制手工業や商品作物主体の半農半商が安土桃山期の特徴のはず。
悪党、土一揆、一向一揆、「百姓の持ちたる国」加賀、土倉やぶり、このあたり
の論点がまったく反映されていない。特に小和田和男は後北条氏の農民政策を
美化するあまりエスカレートして最終的に9割という数字を作り上げたと思われる。
>632
大いに疑問。日本側に脱走は多かったし、無断で帰国した士も多い。
というか、まったく理解しがたい発言ですね。
おかげで「俺にも間違った所があったのでは?」
という疑問が雲散霧消しました。真面目に付き合って損したな。
642 :
日本@名無史さん:01/12/28 14:40
>>638 おかげで軍事板と戦国板に電波は来なくなった。
643 :
日本@名無史さん:01/12/28 15:09
火山、温泉、森林、山岳、湖、河川、沼地、シラス台地、沖積平野、
CWニコルの言うように希有な自然と環境に恵まれてきた。
このなかで南方系と北方騎馬系、縄文系土着民らが共存してきた。
河川であゆをとっている漁民が舟つくりに励んでいても、、
幕府御用達のしめ鯖業者が港湾管理の関銭を代理徴収していても、
遠江の農民が茶畑の収穫で現金収入があって全然おかしくないし、
シラス台地ととっくみあう農民が島津家中とは認められないが
郷士として準正規軍扱いされたのは驚くに値しない。
飛騨の段々畑を耕す百姓が木材を尾張平野まで売却したり、炭火を売ったり、
鎮西伊予の漁師が八幡大菩薩ののぼりを押し立てて大海を渡ったとしてもおかしくない。
順列組み合わせにのっとったありとあらゆる生活形態、パターンがあったはず。
そこからはにじみ出るような生活力と時として権力を跳ね返すような中世農民の躍動感が覗える。
いずれにしろ、氷河期にえぐられてできたヨーロッパの貧弱な瓦礫な大地をころがして
麦やら稗やらをつくって領主の管理する倉庫にせっせと運んだ実質農奴に近かった
封建ヨーロッパ農民はたしかに固定身分制だった。それをそのまま日本に
あてはめて考えているようだ。ジャガイモが新大陸からもたらされなかったら
彼らの食生活はどうなっていただろう?何百日、何千日寝ても覚めてもおなじ大平原で
主食たる数品種しかつくっていない風土では戦争は城にすむ騎士の専門職だろうし
身分間の人口移動もほとんどなかっただろう。
小和田哲男氏は風光明媚な静岡でまた-りしすぎたか、あるいは東照大権現の地元で
徳川、今川属将北条早雲の思想に傾倒しすぎたか。どちらにしろ欧米モデルを
江戸期天領農民にあてはめてみたにすぎないと思われる。
644 :
日本@名無史さん:01/12/28 15:27
645 :
日本@名無史さん:01/12/28 16:10
スレ違いっていうかスレの問題提起の発想が間違っているんではないのか
646 :
日本@名無史さん:01/12/28 16:23
正直、7割ぐらいなんの話をしているのか分からん書き込みがある。
647 :
日本@名無史さん:01/12/28 16:31
正直、白兵マンセーと日本武士マンセーは電波が多い。
遠戦マンセーは時々ゲーマーの妄想が見られる。
648 :
日本@名無史さん:01/12/28 17:52
あきらかな妄想に基づいたこのスレを断罪すべき。
649 :
日本@名無史さん:01/12/28 18:16
知識、論理で完全敗北の「遠戦派」ないし○○派が
さかんに一行レスで悪態をはいてますね。
馬脚が表れてますよ。
650 :
日本@名無史さん:01/12/28 18:19
>>635 さん。
慌てないでください。
暴力団は韓国人が半数近くいます。
651 :
日本@名無史さん:01/12/28 18:27
>>641 よーっく、スレの流れを読んでくださいね。
あなたの言っていることくらい百も承知ですよ。
652 :
日本@名無史さん:01/12/28 18:42
>649
どこが敗北?
653 :
日本@名無史さん:01/12/28 18:49
>>650 >暴力団は韓国人が半数近くいます。
それは別にどうでもいいことなのですが。
小室直樹氏が
「この二千年間、明治維新にいたるまでは、軍事的にいえば日本優勢、
文化的にいえば、韓国優勢であって、文武あわせてトントンといった
ところであった。しかも韓半島に立国した諸国は文化国であり、
日本は尚武の国であった。(中略)こういう経緯からか、韓半島の人びとは、
日本の武力をいたく恐れたが、(中略)日本文化がどうなっているか、
ほとんど関心がなかった。」って書いてるからそれが頭にあった。
スレの趣旨と違っててすみません。
654 :
日本@名無史さん:01/12/28 18:49
もう年の瀬。一年の総決算。行く年来る年です。新しい年を気持ちよく迎えたいですね。
このスレどう見ても遠戦派の壊滅的敗北でしょう。新たな気持で次のテーマに進みましょう。
自作自演はやめましょうね。
まともな人達は馬鹿らしくなって、書き込み止めたんだから。
656 :
日本@名無史さん:01/12/28 19:35
反論があったら書き込むでしょうに。
657 :
日本@名無史さん:01/12/28 19:55
658 :
日本@名無史さん:01/12/28 19:56
しばらく見ないうちに随分と進展していますね。
なかなか伯仲していておもしろいスレになっていると思います。
白兵派の遠戦派=厭戦派という洒落も相手の本質を見事についてる
絶妙なギャグであると感心してしまいます。
「日本人こそ白兵で戦えば世界最強」という思想が
相手の背後にあるので正面から否定し難いですよね。
・単純にプライドの問題
・なんとなく非国民な行為に見える
・他アジアに魂を売ったように見える
660 :
木村とこのすけ:01/12/28 20:23
さて、いままでの流れでは従来のテレビの大河ドラマや小説などの
メディアで語られるよりは実際には遠戦武器が重視されていたが、
一部の遠戦過激派のような遠戦射撃戦だけで勝負がつくはずも
なく白兵戦も当然行われていということでよろしいでしょうか?
さて、これに関連してもうひとつ重要な論点があると思います。
それは、騎馬隊の存在もしくは騎馬突撃の有無についてです。
遠戦過激派の論理にしたがえば当然こんなものは存在しないものに
なるはずですし、白兵重視の考え方でいけば騎馬突撃は徒歩の兵に
対して有効な攻撃法に思えます。
是非、この点について諸兄の意見を聞かせてください。
(騎馬関係レス)
>>236 >>427 >>432 >>445 >>469 >>496 >>547 >>592
>>659 いえいえ、そんな気持ちは(白兵派としては)ゆめゆめ
思っていませんが、「遠戦派」のあまりにステロタイプな
文献の読み込みにヒトクセ付けたかっただけのことで(w
662 :
日本@名無史さん:01/12/28 20:32
騎馬隊、騎馬突撃はあっただろう。
でなければ
>>236 のような馬甲の発達は考えられない。
戦なれした足軽の槍にはなかなか苦戦しただろうが、
それこそ、甲冑の武者が一気に間合いを詰められる利点を
生かして弓、鉄砲の遠戦君を蹴散らしただろう。
663 :
日本@名無史さん:01/12/28 20:36
>>662 なるほど、かりに今までの遠戦派の言い分を
全て認めて足軽が弓、鉄砲に殺されまくっていたと
考えても、騎馬隊の存在があったなら戦が白兵戦中心に
展開せざるを得ないということですね。
騎馬隊>弓隊>足軽
足軽>騎馬隊>弓隊
の所謂「三すくみ」ですね。
664 :
日本@名無史さん:01/12/28 20:38
いや、騎馬隊は全てのユニットに有効だろ。
665 :
日本@名無史さん:01/12/28 20:40
騎馬武者の一騎討ちの伝統を考えれば、
騎馬武者が戦場まで来てわざわざよっこらしょとおりて戦うなどという
アホなことをしたとは考えられないがな。
それこそ、軽装の槍足軽のいい得物だろ。
666 :
日本@名無史さん:01/12/28 21:23
>>621 >ローマ人を恐怖させたケルト人は恍惚状態になって一斉突撃してきたそうだ。
>JFKを始め悲劇の一家といわれるKENNEDY FAMILYもやはりそういう精神を
>鼓舞されてアングロ的価値観に勝負を挑んできたと家族、友人、使用人、神父らの
>複数証言がある。
>
>民族性を越えて普遍的な闘争精神を一切無視した議論はものすごく虚しい。
はいはい。つまりアングロサクソンは勇猛なのね。わかったよ。
で、
>>601の指摘みたいに日本では決死の覚悟で白兵戦を挑んでくる相手が
いると武将まで討ち取られるほどの被害を出すんだけど、どうして?
667 :
日本@名無史さん:01/12/28 21:35
>>626 まず朝鮮の役というのは逃げ出しても行くあての無い戦いであり、
送り込まれた将兵はいずれも「死兵」の状態であった。
逃げなかったのではなく逃げられなかったのである。
また仮に全ての武士が自身の古傷を誇りとし、武勇を誉れとする人種
だったとしても、武士は全軍の一割に過ぎないのが戦国の合戦である。
残る九割の中間・小者・足軽・雑兵などの心理・習慣について
解き明かさねば合戦の一般的性向は見えて来ない。
長島の一揆勢の最後の反撃が万の織田軍を切り崩し武将を討ち取る戦果を
上げたことを考えれば、いくら武士が踏み留まっても兵たちは逃げ散って
しまったというのが実情ではなかろうか。
>「遠戦志向」「白兵志向」などというものは存在せず、戦は状況に応じて態様を変化させる
>もので一概には言えない。
一般的性向の分析は必ずしも無意味ではあるまい。
白兵志向に凝り固まった軍隊、例えばクリミア戦争でのロシア軍などは
次々と正面から兵を繰り出して大損害を受けた。
志向の分析は必ずしも無意味ではない。それは作戦行動全般に影響を
及ぼすものだからである。
669 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:18
騎馬隊は存在したということでよいか?
670 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:21
>>634 >なぜなら、古今東西、拠点を占拠するには、白兵戦を行う必要があるからです。
そうだろうか。相手が降参し、拠点を明け渡すかこちらの
配下になればそれで良いのだ。
戦国合戦にはそういう例が非常に多い。
最後の一兵まで戦ったという例はほとんどなく、仮に攻城戦が起きても
最後は降伏などの形で終わった例が非常に多いのである。
>一揆側の兵糧が尽き、最後の決戦となったときも白兵戦になっています。
>そこに、白兵戦が避けられたという事実は、ありません。
島原の乱を以って戦国を語るのが無理だろう。
有名な秀吉の三木城攻め、鳥取城攻めなどの兵糧攻めで最後に白兵戦が
起きたか? 起きてはいない。
一揆攻めでも最後の長島攻めは兵糧攻めである。信長が降伏を許しておいて
銃撃するという事がなければ一揆勢はそのまま退去したと考えられる。
石山本願寺は講和の末に大坂を退去した。
浅井長政は最後に撃って出る出たが付き従ったのはわずか七百でしかなかった。
そして旧浅井軍団は秀吉配下となった。
朝倉義景は信長の追撃を受けて軒並み配下が寝返り、しまいには一族の
景鏡の寝返りで反撃以前に滅んでしまった。
武田信玄の場合でも林城の小笠原長時や葛尾城の村上義清など、
各地の有力な領主たちはいずれも最後、白兵戦を行なうよりも逃亡を選んだ。
最後まで戦ったのは西上野の長野盛政ぐらいだろうが、これとて
死んだのは幹部クラスのみ、長野家配下の200騎はそのまま武田家配下に
組み込まれている。
これのどこが「白兵戦を避けていない」のか。
撃って出たのは降伏しても未来の無い連中ばかりで、ほとんどの連中は
主君すら捨てて逃げている。そこには命を惜しまず戦うなどという美談は
無い。そもそも「美談」が「美談」足り得るのはそれが稀有な例だからだ。
そして命を惜しむのが日本の戦国の一般的な姿なら、白兵戦が一般的に
好まれないのはいうまでも無い。
絶対有利の状況であればまた話は違うだろうが、それは一般的性向とは
呼び難い。
671 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:27
>>669 「騎馬隊」の定義による。
そこで聞きたい。
「騎馬隊」の定義とは何か?
672 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:37
>>667 「自分の体の刀傷を誇らしげに見せたり、
顔に傷のついていることを誇っている野蛮な連中」
ですが、明兵の武勇自慢な連中もよくやってました。
度が過ぎて、女真族からは「さして強くもないのに蛮勇を好む」
と軽蔑されましたけどね。
>>667 おそれながら、そのクリミア戦争に該当した軍隊は、ナポレオン戦争を体験し
ツアーリ帝政下における西洋文明にどっぷりと浸った
すでに日本よりもいちはやく「近代化」を遂げたロシア兵たちでした。
「志向」という問題は近代戦にあってはほぼ意味を持たないのであります。
否応もなく「白兵戦」を戦えといわれれば戦わざるを得ないのが近代軍
であります。
したがって「志向の分析」とはいずれに時代においても戦のありようにおいて
また外的条件(軍事的力量)によって変化するものです。
クリミアのロシア兵とそれよりも300年前の織田軍とを比較すること自体に
問題ありと思えます。
武士の性向については、だいたいにおいてご理解いただけているようでありますが、
武士以外の雑兵の性向についてのご指摘は、世界共通の前近代軍の特質であり、
これをもって「戦国合戦」の特殊(遠戦志向、白兵志向)を色分けするのは、
ちと飛躍があると存じ上げます。
ただ、一ついえることは、そうした禽獣の如き雑兵達であっても、戦国期、
かれらが徴用、あるいは藤木氏の如き(朝鮮役から逆算した日本史!)
禽獣の如き欲望をもった連中ばかり
で占められていたかも疑問の余地大いにありということでしょう。
むしろ時代の流行として好んで戦場を求めていった若者たちもいたのではないか、
と、これはあくまで想像ではありますが。
人間とは観念の動物でありますゆえ、吉川英治宮本武蔵もどきの雑兵も
かなりの数いたと考えられます。
もとよりそれは少数派とは思えども、日本武士という世界史的に見ても特徴的な
軍事集団の下に置いては、単なる前近代軍的烏合の衆とは一戦を画した
現象ではあったかと想像もします。
674 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:42
>>670 別に最後の一兵まで白兵戦で戦ったとは、いってませんよ。
例にあげられた城も、それぞれ敵が領内に浸入して以来一回も戦闘を
行っていない訳じゃないし、
囲まれてすぐ降伏なり、逃亡したわけじゃない。
それなりに戦闘や包囲があった後、勝敗がほぼ決してから、
降伏、逃亡、自害をおこなっているのでは。
>>672 是非ソース望む(明の豪傑自慢)
司馬遼太郎の本ってのはナシですよ。
676 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:44
>>673 >武士の性向については、だいたいにおいてご理解いただけているようでありますが、
随分と傲慢なもの言いだな(w
677 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:48
>>673 農奴兵が近代化されていると思うのもどうかと思うが……
だが性向の比較としては持って来いだと思うよ。
白兵戦=損害が多いという問題に対してどう対処するか?
白兵志向=関係無く白兵戦
遠戦志向=白兵戦を避ける
>>666 あなたは、もう少し相手の文意を理解してレスすべきだと思う。
そのレス自体矛盾してますよ。
679 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:56
>>678 つまり民族性を越えたものがあるのかどーかという。
>675
司馬に限らず、作家が娯楽として捏造したネタなんか興味ねーよ。
図書館で清を扱った本を幾つか見てくれな。
杜松・劉廷あたりの兵卒上りがまさにそれだよ。
どうもあんたは日本に不利というか、相対的に日本を軽く見せるような
発言を全てデマカセにしたがってるように見えるな。
あと武士を美化し過ぎてるように見えるんだが。
偏見だったら御免なさい。
ここにいる「遠戦派」のレスって10のうち8か9は、理論や思考もなく
相手を罵倒するしか能のない人みたいですね。
どうしてそんな情熱が生まれるのか聞いてみたい。
偏見だったら御免なさい。
ここにいる「白兵派」のレスって10のうち8か9は、理論や思考もなく
相手を罵倒するしか能のない人みたいですね。
どうしてそんな情熱が生まれるのか聞いてみたい。
で「騎馬隊」の定義って何よ?
それが決まってなきゃまたちぐはぐな論争になるぞ(笑)
>682>683
二重カキコか・・ってこの際どうでもいいわな。
「遠戦だけで片付き、白兵戦は無かった」の電波野郎を遠戦派に含めると
そうなるかもね
ま、相手の意見をまともに読まないと電波に見えることは確かだな。
俺から見れば、白兵派の8−9割方は電波だが、
それは「白兵マンセー」の馬鹿も一緒に白兵派にして読んでるからだ。
どっちもそれらの意見を脳内削除すればまともな意見の割合は増えるだろうに
(オレモナー)
「白兵戦は無かった」遠戦派=電波
「遠戦は無かった」白兵派=電波
ついでに言えば、日本刀マンセーも電波だと思うが・・・
(接近戦の主武器は槍なんだろ。白兵派の諸君?)
686 :
日本@名無史さん:01/12/28 23:42
687 :
日本@名無史さん:01/12/28 23:43
>>685 >「遠戦だけで片付き、白兵戦は無かった」の電波野郎を遠戦派に含めると
>そうなるかもね
白兵戦もたまにはあっただろ、遭遇戦も起きるし、首取りのためには近づいて首を切らないといけない。
もし俺が部隊を率いる隊長だったら、統制が取れなくなる白兵戦は極力避けるがな。
>>685 そんなのはとっくに通り過ぎた後でしょうが。
自分で「遠戦派」マンセーを言っているようなものですよ。
ところで
>>681さん。
文字を持ってなかった清の本から明の武将の話を探すのは
難物だと思うのですが、不学のため正史を読んでません。
無粋なので問いませんが、折に触れ調べてみたいところです。
690 :
日本@名無史さん:01/12/28 23:59
歩騎混成部隊を「騎馬隊」と呼び、歩騎混成突撃を「騎馬突撃」と呼ぶ
ということでよろしいのでしょうか。
ですがそれでは馬に乗るメリットが活かせないと思うのですが。
691 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:01
>>688 白兵戦をさけようとするときに問題になるのは、
鉄砲ならともかく、弓では射程距離、威力ともに低く
攻めてくる敵を撃退するならまだしも
自分が攻めることができなくなることでは。
692 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:08
>>691 お互いに避けるから良いのでは?
片方が必死になると火縄銃ぐらいでは信長の二の舞になる。
693 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:14
>>692 お互いがさけたら、
戦いの決着がつかん。
要は、両方とも電波だって言ってるのね(w
両方ともある程度の資料出してるとは思うんだけどなぁ・・・
>689
いや、だから両方共に電波が居るって事を言いたかっただけです。
まぁ、自分が遠戦派だしあんな書き方になっただけで(w
>446にまとめられているとように、遠戦派の主張は「白兵戦がなかった」というものではありません
695 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:16
>>693 正面から戦えば数多きが勝つ。
または作戦で勝つ。
>689
いや歴史コーナーの本で幾らでもあります。
サルフの戦いについて詳しく述べたものならね。
私が両者の解説を見たのは中国の翻訳モノでした。
あと簡単な読み物では陳舜臣の書に杜松の話は必ずあります。
697 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:32
>>695 白兵戦を避けて正面から戦うって、
白兵戦にならないような距離から矢を撃ちあってどれだけ効果があるものか。
698 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:38
>>697 弓矢の有効射程は80m、確実殺傷距離が30mなので
かなり近い距離で楯の陰に隠れて射ち合っていたと思われます。
白兵メインにするには弓隊の前列配置はまだしも置き楯が大きすぎると
思うのですね。
元が世界帝国を築いた時は前三列が槍や刀と盾、後ろ二列が弓という備を
何重にもして戦ったかと記憶しております。
699 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:47
>>698 なら、後から接近してきた方は、敵から100m以内の地点で
置き盾などを置き布陣するなんて危険をおかしたのですか?
それなら、布陣している最中に敵が弓の援護の後、白兵戦を
挑んできたら、それこそひとたまりもないのでは。
大きな置き盾は、弓兵がこもるトーチカのようなもので、
白兵戦を行うために接近してくる敵と対峙するためのものでないかと。
700 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:02
>>699 いや布陣はもっと遠くてもいいと思いますけど(笑)
置き盾は大きいけれども押し立てて前進することは可能ですから、
安全距離で布陣してから接近すると良いと思われます。
701 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:06
歩騎混成部隊を「騎馬隊」と呼び、歩騎混成突撃を「騎馬突撃」と呼ぶ
ということでよろしいのでしょうか。
ですがそれでは馬に乗るメリットが活かせないと思うのですが。
射程と効果についてだけど、朝鮮陣に参加した毛利家の記録では
携帯した鉄砲は口径を10段階評価で分類すると、
ピラミッド型の分布で4か3辺りの小口径の銃が最も多くて、
これだけで全体の半数をやや超えてたのを、うろ覚えだが見たことがある。
で、最も口径の小さい2・1辺りは大口径と同じで僅少だった。
つまり軽装甲か無装甲で参加してた連中なら、比較的離れても
殺傷できるクラスの銃が多く使われてたと思うんだが、解説求む。
703 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:24
>>700 よく、このスレで置き盾を押し立てて前進するという話を聞きますが、
実際、そのようなことができるのですか?
舗装された道路などでなく、
草が生い茂った草原や田
などを前進しなくては、いけないのですよ。
704 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:30
>>702 一匁五分筒というかなり小さな口径の火縄銃でも、50メートルの
距離で3〜4ミリの鉄板を貫通する威力があります。
戦場で使われたのは二匁筒から十匁筒だとされているので、
戦場で大半を占める雑兵足軽を殺傷するには充分な威力があったと思われます。
705 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:36
>>703 後ろから担げるようにできていたと記憶しております。
>704
思い出した。二匁半だったよ最も多かったの。
707 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:40
>>705 後ろから担げるというのは、
ランドセルのように背負うということですか?
それとも金太郎の服のように前につけるということですか?
708 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:47
>>707 地面に置く時の支えになる裏側の棒を使い肩に担いだものかと
709 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:53
>>708 それなら、自分の体の後ろに盾があるということになりますが、
重いものを全く無防備の状態で運ぶということでしょうか。
敵の弓の被害をまともに受けてしまいませんか。
710 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:55
>>709 裏側の棒を担ぐのになぜ自分が楯の表にいるんですか?
711 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:57
つーかさ、射撃って近接戦闘のために行う戦闘行動じゃないの?
塹壕掘ったり楯並べたりして遮蔽物に隠れてる相手を射撃だけで
撃破できるのかな?
最終的には突撃するなりして撃破せんといかんのじゃないか?
そりゃ火器の装備率は逐次上昇していったし、
白兵戦に移行する前に射撃だけで敵を撃ち崩せた事例もあっただろうけど、
射撃は近接戦闘に従属する戦術行動じゃないのか?
それに、当時の射撃戦の距離は100メートル程度だから、
早駆すれば突撃破砕射撃は1斉射が限度だ
日本の火縄銃は精度が高かったらしいが、
突撃を破砕するには不十分じゃないのか?
もしかして、戦国日本の鉄砲足軽は百発百中の凄腕揃い?
712 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:02
>>710 盾の形状から見て、
それのつっかえ棒を肩に乗せて体の前にして運ぼうとすると
足にあたって歩きにくくなるんじゃないですか。
713 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:06
>>711 信長自慢の鉄砲も、決死の覚悟で斬りかかって来た一揆勢を止められず、
一族武将多数が討死した。
逆に言えばよほどの理由がなければ飛び道具に向かって突撃する奴が
いなかったということだ。
例え一斉射であっても自軍の兵を敵の射撃に晒したくないというのが
実情だったのだろう。
また弓の有効射程80メートルの距離から敵陣に斬りかかるまで、
鎧などを着込んで走ると20秒以上かかってしまう。
始めに一斉射受ければ気勢を削がれ、さらに至近で一斉射を
受けることになるのは必定、そこまでして突撃・勝利しても失う物が
多すぎるのではなかろうか。
714 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:10
>>712 弾に当たるよりマシ
裏側に取っ手がついてて、敵前では何人かでよっこいしょって持ち上げて運ぶんだよ
だいたい突っかえ棒なんて肩に担げるくらいしっかり取りつける必要なんて無いだろ?
第一、突っかえ棒を付けたままだと嵩張って戦場まで運ぶのが難儀だ
楯を地面に立てかけて「おーい、突っかえ棒持ってきてくれ」って言ってたんだよ
715 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:11
>>713 弓を恐れ、鉄砲を恐れ近づかないなら
城なんていつまでたってもおちないよ。
716 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:13
>>713 では遮蔽物に隠れてる敵に延々と射撃を続けるの?
弾の無駄だからやめたほうがいいんじゃないのか?
717 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:15
>>712 体をやや斜めにし、前側の肩に棒を担ぎ、肩部から上腕部全体で
裏から楯を支えるようにし、両手でやや下方を支えます。
斜め歩きになりますが、ナンバ歩きが一般的である当時では
充分に歩けます。
718 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:16
>>714 705氏が裏側の棒を担ぐとおっしゃったので。
敵前で何人かが運ぶということは、
横にして運ぶということですが、
それも敵の弓の射程内で行う行動としては、
とても危険なことでは。
なんだか色々な説がでてますので、
明日、盾を持って敵前へ移動したかどうかも
ふくめて調べてみます。
720 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:18
>>718 楯構えたまま持ち上げて運ぶんだよ
もう少し想像力を働かせてくれ、頼む
721 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:18
>>715 だから城の力攻めは嫌がられた。だからといって力攻めが無かった
わけではないが。城にこもられたら仕方が無いにしても、
普段から突撃ばかりしているわけではない。
>>716 兵員の無駄よりナンボかマシですね。
彼我の兵力差があれば数の多い方がやがて圧倒しますから。
722 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:19
>>718 裏側の棒は蝶番になっていて結構しっかりと作られていましたよ。
723 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:23
>>721 それはつまり圧倒的な兵力優勢があればってことか?
そりゃ誰も苦労しないな
724 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:26
>>723 兵多きが勝つ、は戦の常ですよ。
それがいやなら夜討・朝駆など敵の構えていない所に斬り込むか
別働隊を側背に移動させてくださいな。
遮蔽物(楯)の無い側面背面から矢でも射掛けてあげればだいたいは
崩せますから。
725 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:30
>>724 多分側背もちゃんと手当してると思うぞ
余程アフォな敵でもない限りはな
それともそれも戦の常?
726 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:33
>723
気持ちわかるけどね、
基本はやっぱり敵よりいかに多く動員するかでしょ。
その意味で信長は偉大だな。
727 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:34
>>725 それが予期されていればね。
基本的な備では一つの部隊が楯・弓・白兵要員と縦に並び、
これを横に連ねて大きな陣形を作るので、側背は防備が手薄になる。
ま、結局は相手の裏をかけるかどうか。
例えば三増峠。
信玄を捉え側面から襲撃したと思った北条軍、ところがそのさらに背後に
武田の別働隊。
このぐらいできれば勝てると思いますよ。
728 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:35
>>724 敵よりも大勢揃える。
大量の矢玉を準備する。
いつもいつもそれが出来れば誰も苦労しません。
それに、議論されてるのは「いかに戦ったか」であって、
「こう戦うべきだ」という貴方のレスはスレ違いだと思います。
>725
左右、後ろの部隊まで盾は背負うかよ・・・
最後尾の部隊が後ろ向きに盾もって行動することの方がアフォだよ
730 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:39
正直、遮蔽物に隠れた敵にいくら弾を撃ち込んでも効果無いと思う。
人命尊重とか言う以前の問題だな。
時間と弾薬の無駄だ。
>敵よりも大勢揃える。
>大量の矢玉を準備する。
>いつもいつもそれが出来れば誰も苦労しません。
いや……だから、それができた方が勝つって事を言ってるんだろ?
正面から闘えばそれが当たり前だよ
で、できなかった方は奇襲でもしろと言ってるんじゃないのか?
732 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:44
基本的な質問ですまん!
武田の軍勢って軍用馬と農耕馬の区別ってあったの?
あと、馬は鉄砲の音に驚かないように訓練されてたのかな?
それとも耳栓。いやまさかね。
733 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:44
>729
警戒部隊の配置、他部隊との連携、予備隊による側背掩護や間隙の閉塞、
予備陣地の準備、閉塞障害の構成等やれることは多い
ところで、誰が楯背負うって言った?
>733
>724には
>遮蔽物(楯)の無い側面背面から矢でも射掛けてあげればだいたいは
>崩せますから。
とある。
で、>725は
>多分側背もちゃんと手当してると思うぞ
>余程アフォな敵でもない限りはな
と言ってる。
だから俺は、手当てとやらを盾のことだと思ったんだが?
725は盾の有効性を否定してないので。
735 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:50
>>728 >いつもいつもそれが出来れば誰も苦労しません。
そうですね。ですからそれをカバーするために作戦・戦術を練るわけです。
>それに、議論されてるのは「いかに戦ったか」であって、
>「こう戦うべきだ」という貴方のレスはスレ違いだと思います。
そうでしょうか。
例え白兵戦闘がメインであっても、兵多きが勝つという真理は変わりません。
つまり正面決戦を前提にして「いかに戦うか」を議論する限り、
「遠戦派の戦い方では勝負はつかない」という反論は的外れということです。
それを理解していただくためにレスを返す必要があったと考えますが。
736 :
日本@名無史さん:01/12/29 02:57
>734
楯云々だけの話じゃないので書かなかっただけ
737 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:01
結局、圧倒的な兵力優勢を達成できる軍勢のみが延々と射撃をやってられるって訳だな
そんな真似が出来たのは信長や秀吉くらいだとすると、
信長や秀吉の軍勢は遠戦指向ではあるが、他の大名はそうじゃないってことだよね?
つまり、信長や秀吉のケースは特殊なのであって、
戦国時代の日本のスタンダードは白兵戦指向ということで宜しいかな?
738 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:01
>>732 血統などによる馬の違いは無いが、性質・調教などの面で違いがある。
当時、馬というものは「牧」(牧場)にて放牧されているものを
年に一回「馬追い」を行なって捕え、これを売っていた。
で、軍馬として武士に売られる馬は特に気性の荒いものが好まれた。
体格の大きいものも好まれたが『甲陽軍艦』に「馬上で手柄を立てたものは
(小回りの利く)小さい馬を好む」という話があり、一概には言えないようだ。
荒馬を選び、これを乗りこなすというのは武士の武芸の象徴でもあった。
例えば信長の馬は「八人引き」(八人がかりで引っ張らないと言う事を
聞かせられない)の荒馬であったといい、これを一人で乗りこなす信長は
武芸の力量もかなりのものであったと考えられるのである。
で武田の馬であるが『甲陽軍艦』に馬の調教に関する記述もあり、
直乗り、輪乗りなど基本的な軍事行動に必要なものから始まって
一応調教があったようである。
鉄砲に慣らす訓練があったかどうかは記されていないが、
武田氏は鉄砲の導入にも熱心であり、これに驚かない程度の調教は
当然あったと考えるべきである。
739 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:03
>738
むっちゃ詳しいレスありがとう
740 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:09
>>737 信長・秀吉が遠戦を好み、他の大名が白兵を好んだとすると、
ある重大な問題が起こる。
信長と他の大名が対決すれば当然他の大名は何らかの作戦を練り、
正面決戦に付き合うようなバカな真似はしない。
とすれば信長・秀吉は遠戦が出来ないことになるのである。
つまり「誰々が特別で他の奴は云々」はダメなのである。
前述の長島における織田軍の大損害において分かる事は、
織田軍は白兵戦を戦う能力が弱いのではないかということだ。
で、織田軍というのは信秀以来の尾張兵と信長が征服した土地の
兵である。信秀以来の兵ならば、これは今川・斎藤と渡り合ってきた連中である。
その頃は織田の方が勢力が小さかった。兵力が小さいと白兵戦を好むに至る
のであれば、尾張兵は白兵戦が強くて当然ということになる。
他の土地の兵は織田家に併呑されるまでは「他の大名」である。
「他の大名」が白兵戦を好むならこの連中が白兵戦が出来ないというのも
おかしいのである。
よってこの論法は成り立たない。
一概に白兵志向か、一概に遠戦志向と捉えるべきであろう。
そして織田の兵が白兵戦に弱いのであれば、一概に遠戦志向と考えて
良いのではなかろうか。
741 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:10
>>737 実際問題として、正面決戦だけで勢力を拡張した大名が
いるのだろうか。
それがいなければその論法は無意味であろう。
>結局、圧倒的な兵力優勢を達成できる軍勢のみが延々と射撃をやってられるって訳だな
おいおい。スレの流れをどこまで無視すれば気が済むんだよ(w
兵力優勢の方が勝つってのは当然。それは、遠戦派、白兵派の共通認識でしょうが
「兵力優勢な軍隊の方が、戦国時代が遠戦志向だったとしても、白兵志向だったにしても勝てる」
これをどう曲解したらそういう見解になるのか説明してくれ(w
736=725ですか?
>楯云々だけの話じゃないので書かなかっただけ
って>736に書いてますが、まともに>725の文章を読んでほしかったら
アフォとか罵倒する前に相手の文章をよく読んで、
それへの反論を書かないとダメですね
744 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:17
レスのレベルが下がってきてるね。
>737 の書き込みなんか、前の方のカキコをチェックしてれば
出てきようもないはずだが・・
>>743 ハァ?
俺は、側面や背後に何の手当もしてない武将をアフォって書いただけだ
別に誰も罵倒したり揶揄したりしてないぞ
あんたこそよく読んで反論すべきだな
746 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:34
すいませんが、遮蔽物に防護された敵を射撃のみで撃破するというのが
イメージ出来ません。
準備射撃の後に突撃して撃破するというのはイメージ出来るんですが。
それと、一回や二回の斉射で突撃を撃退出来るのでしょうか?
どうも精神的なダメージばかり言及されていて、物理的な威力については
触れられていないようですが、もし突撃する部隊がパニックに陥らない場合
突撃は成功するんじゃないでしょうか?
それとも当時の日本にはそんな軍勢は存在しないのでしょうか?
747 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:41
>>666 >はいはい。つまりアングロサクソンは勇猛なのね。わかったよ。
>で、
>>601の指摘みたいに日本では決死の覚悟で白兵戦を挑んでくる相手が
>いると武将まで討ち取られるほどの被害を出すんだけど、どうして?
ローマ進駐、アングロサクソン移住以前ケルトが突撃行為をすると書いたんですが、、、、、、、、
ゲルマンもスパルタクスの反乱やローマ2個師団を壊滅させたドイツの黒い森での戦い等著名な殊勲勝もある。
アングロサクソン云々は若くして暗殺されたJFKがプロテスタント主流に戦いを挑んだ
若い大統領という文脈で述べました。
つまり、突撃精神の究極には恍惚状態があり、葉隠も「死に狂い」といっています。精神異常をきたしたから
死ぬという通常の医学生理学的な推論方向ではなく、全く正反対に肉体的精神的健常者が死ぬという行為に
切磋琢磨しろというのですから、明らかに死を望み、死を欲する兵士、それを支える哲学というのは
洋の東西を問わずあったのです。
>745
そりゃ、アフォと言ってる相手は武将だろうよ。
でもその書き方だとさ、724がそんな「アフォな武将」のみを
考えてるってことを言いたいんだろ?
俺=724ではないが、その文章から明らかなトゲを感じたのよ。
俺はそれに反発して>729のような文章を書いたが、
これからも>725への悪意を感じるだろうに。
しかしこれでは単なる罵倒合戦だ...sage
749 :
日本@名無史さん:01/12/29 04:01
まあ1000到達する前に正月休戦でしょ。
750 :
日本@名無史さん:01/12/29 05:30
>>737 なんでそうなる。
逆に少数でも鉄砲を装備した雑賀衆なんかは多勢の織田軍に善戦したぞ。
大体石山合戦の織田軍の損害を見て、「白兵戦になれていなかった」
というあやふやな前提から話を進めていること自体おかしい。
753 :
日本@名無史さん:01/12/29 10:25
一揆衆と織田軍の戦闘を、「一揆衆は決死の覚悟でした」
「織田軍は白兵戦を忌避していました」と捉えることが変だ
「徒歩突撃によって突撃破砕射撃は容易に突破し得る」というのが正しいのではないか?
遠戦君はやたらと突撃破砕射撃の心理的効果のみを強調するが、
物理的効果について言及しないのは何故か?
ヨーロッパでも、突撃しか知らない軍勢が火力戦部隊を撃ち破った戦例は少なくない
何故、遠戦君は戦国期の日本をレアケースと考え、ことさら白兵戦を嫌うと強弁するんだ?
>>753 物理的な被害よりも心理的な被害の方が重要と言うのは古今東西を問わず常識。
>ヨーロッパでも、突撃しか知らない軍勢が火力戦部隊を撃ち破った戦例は少なくない
少ないってば。
755 :
日本@名無史さん:01/12/29 11:22
じゃあ物理的効果は無視して構わないの?
756 :
日本@名無史さん:01/12/29 11:37
>>755 無視するなんていってない。より重要といってる。
757 :
日本@名無史さん:01/12/29 11:40
>>754 中世から近世にかけてのヨーロッパの戦闘で、火力戦部隊が勝つためにはそれを掩護する近接戦闘部隊が
敵の突撃を喰い止めることが必要
この時点で必然的に白兵戦が生起する
これに失敗すれば、遠戦兵科は敵に蹂躙される
このような戦例が過半を占めるとは言わないが、無視できる程少なくはない
遠戦君が言うように、射撃だけ敵を混乱させ、突撃を頓挫させられると
考えるほうが不自然だ
火力だけで敵の突撃を破砕した事例のほうが無視できる程少ない
勿論、日本とヨーロッパを同列に論ずる訳ではないが、
「日本とヨーロッパは全然違うんじゃあ!」と言うのも無理がある
758 :
日本@名無史さん:01/12/29 11:56
そういえば中東戦争でエジプトの歩兵師団が
イスラエルだかの戦車師団を撃破した例があったな。
歩兵の力は侮れないないよ。
ベトナムでもアフガンでも米ソのハイテク兵器に勝ったのは
歩兵だからね。
刀を帯びているのが「緊急避難」のためにしかすぎない、
とか今の兵隊がピストルを持っているようなもの、
とか言っている人がいるが本気なのでしょうかね。
当時の刀の存在と、現在のピストルの存在の、
戦力総体における打撃力の持分は比較にならないでしょう。
どうも、こうした乱暴な意見が多すぎます。
雑兵物語という江戸前期の本がありますが、どんな兵科に関しても
必ず刀の使用法のような事柄が書き記してある。
全体から見ても刀の使用法に関する記述が多い。
760 :
日本@名無史さん:01/12/29 12:00
>>758 物理的な被害はアフガンやベトナムの方が圧倒的に多かったけどね。
761 :
肉弾壱勇士:01/12/29 12:21
盾の話しがでていますが、当時の盾はつっかえ棒だけでなく
ひもがついているものもあり、肩に担いで前進していくことを
想定してできています。
必ずしも射撃戦のためだけにあったのでなく、むしろ弓矢を防ぎながら
接近して白兵戦にもちこむためのものです。
盾だけでなく当時の防御兵器の多くは弓矢を避けながら前進することを
前提にできており、車輪をつけたものまでもある。
他の国の盾とくらべるとあきらかに護身よりも攻撃のためにできており、
戦国日本の合戦で白兵戦が重視されていたことの証であろう。
762 :
日本@名無史さん:01/12/29 12:25
>>751 >逆に少数でも鉄砲を装備した雑賀衆なんかは多勢の織田軍に善戦したぞ。
それは、白兵戦を挑むために前進してくる織田勢を
鉄砲で撃退できたからでは。
本当に鉄砲や弓が勝敗を分かつものならば、
弓、鉄砲の数が圧倒的に多い織田勢が圧勝したのでは。
763 :
肉弾壱勇士:01/12/29 12:26
日本で鉄盾が採用されなかったのはその重量のために
敏速に前進することができなかったからです。
そのために板盾のほかには鎖盾や皮盾が採用されました。
盾はあくまで矢をかいくぐって前進突撃するためにあったのです。
764 :
肉弾壱勇士:01/12/29 12:30
>>751 >>762 雑賀衆が善戦できたのは、前進してくる織田勢の
足を止めるという巧妙な作戦によるもの。
それから雑賀衆自体が熟練した鉄砲集団であった
ということも挙げられる。
いずれにしろ、戦国一般の戦い方ではない。
雑賀衆が有名なのはむしろこの特殊性のゆえでは?
765 :
日本@名無史さん:01/12/29 12:31
>>762 >弓、鉄砲の数が圧倒的に多い織田勢が圧勝したのでは
織田軍の鉄砲は多くない
766 :
肉弾壱勇士:01/12/29 12:39
肉弾粉と砕けよ!
突撃あるのみ!
767 :
日本@名無史さん:01/12/29 13:18
>>751 雑賀衆は鉄砲で有名だが、銃兵のみで編成されていた訳ではない
768 :
日本@名無史さん:01/12/29 13:23
769 :
日本@名無史さん:01/12/29 13:25
織田勢の目的が「雑賀衆の捕捉撃滅」であったのに対し雑賀衆の目的が「織田勢の撃退」であった。
目的が違えば志向する戦闘方法も変わるものと思うが。
織田勢=白兵
雑賀衆=遠戦
770 :
日本@名無史さん:01/12/29 13:31
>758
現代の歩兵は白兵戦をしてるとでも?
アラブ側は、戦車に比べると比較的安い「対戦車ミサイル」を装備した歩兵を
大量に投入し、被害無視で戦車を破壊していったんだよ
宗教的意欲でいくらでも兵員は補充できたのよ
しかし、イスラエル軍は戦車に機動力を生かし、後半は相手の防御の手薄な
ところを占領していき、ついにエジプトは単独降伏……
って、ここはどうでもいいわな。
まぁ、ミサイルでも使わないと、歩兵だけではノモンハンの二の舞に
なることは分かると思うけど。
>759
刀を使う「ことになるかもしれない」から、そういう使用法があるんでしょ。
だれも、使うことが無かったって言ってない
しかし、すべての兵種が刀を持っていたにしては、刀による
負傷者が少ないのは事実でしょう
できればその説明を求めたいのですが・・・
>757
遠距離部隊を守るために、近距離用部隊が居るんでしょう
それは遠戦派も前から言ってますよ
相手が白兵戦を挑み、彼らが遠距離部隊に迫ってきた場合、
白兵戦で挑まなければいけないって事はね
しかし、「突撃を頓挫させられるか」を考えた場合、騎馬隊の存在が
重要だと思うんですけど。
日本の騎馬が乗ったままなのか降りたままなのか。
それについての決着がまだついていませんし・・・
西洋騎士団>日本騎馬隊
なら、西洋の突撃の話を日本に持ってくることは間違ってると思うのですが。
しかも、盾を持ったまま近づいた後に白兵戦って話もありますしね
もしこの戦闘スタイルが本当なら、西洋とは明らかに違うことになりません?
(これはもはや「突撃」ではないでしょう)
白兵遠戦と馬の話が平行して出てきて、しかも両方とも決着してないのが
なんとも……
ってか、762、764、765の人。
>737を元にした議論はやめません?
772 :
日本@名無史さん:01/12/29 13:37
>織田勢の目的が「雑賀衆の捕捉撃滅」であったのに対し
そんな目的がありえたのか?
773 :
日本@名無史さん:01/12/29 14:27
>>770 現在の戦車戦、歩兵の火器を使った攻撃は、近接戦の範疇に入るのでは。
それにアラブの方も、陸上では、ソ連製戦車などを中心に戦略をたててましたよ。
人間を大量に投入し戦車を撃破しようとしたのは、独立直後のイスラエルのほうでは。
ゲリラ戦と軍隊同士の戦闘をごっちゃにしてはいけないかと。
また、イスラエルは、戦車に歩兵を随伴させることをやめ、
大損害を被ったため歩兵の有用性を再認識しています。
あと、エジプトは第四次中東戦争の数年後和平を結びましたが、降伏していないのでは。
774 :
日本@名無史さん:01/12/29 14:33
>>771 どうやって騎兵で突撃を頓挫させるのか理解できない
確かにクレーシーでイングランド騎兵は重要な役割を果たした
馬から降りてだけどね
楯持つのは突撃のギリギリの瞬間まで楯で防護しつつ接近するのであって、
概念としては攻撃築城に近い、と言うより攻撃築城そのままだ
楯で押し合いする訳じゃなかろう
関係ないけど、711辺り以降の遠戦君のレス読むと737と同じようなこと言ってると思うけどね
>>771 ですから「刀の損害が少ない」というあなたの前提になっている
資料(本)が問題なのですよ。
もちろん弓、鉄砲による損害が多いのは分かる。
むしろ飛び道具の効果の少ない戦い方こそ戦法が洗練されていない
という言い方さえできる。
しかし、応仁の乱から島原の乱までの200年間のサンプル1400件の負傷数を
集計したサンプルの数はいくつですか? もっと少ないでしょう。
統計的に貴重なものだとしても、これで「志向性」を概括するのには無理がある。
戦いを個別に見て検証する必要があるでしょう。
統計学を利用した研究の方法はたしかに事実の重要な側面を反映はしていますが
それで全てを語ることは出来ないのです。
スミマセン
上記は
>>770 に対するものでした。
777 :
日本@名無史さん:01/12/29 18:07
>>746 >すいませんが、遮蔽物に防護された敵を射撃のみで撃破するというのが
>イメージ出来ません。
>準備射撃の後に突撃して撃破するというのはイメージ出来るんですが。
例えば真っ直ぐ相手を直射で狙うには楯を程度の間隔をおいて
並べねばなりません。この場合、お互いに隙間の狙い合いになります。
楯を隙間無く並べた場合は放物線を描く曲射で楯の背後から射撃するわけ
ですが、これは敵方の楯の向こう側に届くということにもなります。
敵の矢に耐え切れなくなった方が崩れ始めるというのが遠戦派の
主張ということになります。
778 :
山中虎之介:01/12/29 19:35
>>771 日本の合戦は鉄砲の撃ちかけからはじまり、弓矢の飛ばし合い。
そして、勇猛果敢な一番槍を先頭に白兵戦に突撃するのである。
騎馬武者の突撃はこの白兵戦の後に決戦兵種として突撃するのが
常道である。
(参考文献「兵法一家言」)
779 :
山中虎之介:01/12/29 19:38
>>777 >楯を隙間無く並べた場合は放物線を描く曲射で楯の背後から射撃するわけ
>ですが、これは敵方の楯の向こう側に届くということにもなります。
>敵の矢に耐え切れなくなった方が崩れ始めるというのが遠戦派の
>主張ということになります。
これは盾の後ろの槍衾にさえぎられるためあまり効果をあげられないでしょう。
それに足軽も傘くらいはかぶっているでしょう。
780 :
山中虎之介:01/12/29 19:47
騎馬突撃のやり方には
彼我が接近した状態で敵の備えと備えの不備と隙をついて
騎馬武者が物見の延長で敵陣に斬りこみ暴れまわる 『乗り込み』
と
相手の体勢が崩れかかった時に、5騎あるいは10騎の騎馬武者が
集団となって敵兵を蹴散らす 『乗り切り』
があったという。
(参考文献「兵法一家言」)
遠戦派の方々にお尋ねしたいのですが、
たとえば、桶狭間の今川義元への信長の攻撃は
どんな有様だったのですか。
あれも最初は弓を打ちつづけ、回りの兵隊を減らし、
そこで目指す義元の首を取るために殺到したのですか。
なにやら悠長な感じがします。
イメージとしては義元の大軍が集結するまでの時間との
競争があり迅速に突入して攻撃目的を達する必要があると
思いますが。
要は、合戦の内容によって遠戦、白兵どうにでも変化する
のが実情ではないでしょうか。
782 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:00
783 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:10
>>753 >一揆衆と織田軍の戦闘を、「一揆衆は決死の覚悟でした」
>「織田軍は白兵戦を忌避していました」と捉えることが変だ
>「徒歩突撃によって突撃破砕射撃は容易に突破し得る」というのが正しいのではないか?
「織田軍が白兵戦を忌避していた」ことと「徒歩突撃が突撃破砕射撃を突破できる」
ことは矛盾ではなく両立しているのである。
つまり、一揆勢は織田軍の前線を突破したというのは事実だ。
だから突撃によって弓隊・鉄砲隊は蹴散らされ得るという結論は導かれる。
だが問題なのは反撃に出た敵に対し、織田軍の白兵要員たちは何をやっていたのか?
ということだ。武将が討ち取られたということは、織田軍の白兵要員はさしたる
防御もできなかったということだからである。
つまり弓隊・鉄砲隊どころか槍隊などまでもが一揆勢に蹴散らされてしまったのである。
結局、結論としては本気で突撃する気があれば、織田軍は以外にも簡単に
切り崩せたのである。
だが、長島城の兵は包囲されてから二ヶ月、兵糧尽き果て降伏の止む無しに至るまで、
それをしなかった。
つまり本気の突撃というものは、よほどの理由がなければ行われないものだったのだ。
例えそれが如何に強力であろうとも、進んでそれをやろうとする者はいなかった。
それが正面突撃という行為なのである。
そして織田軍がその突撃に対処できなかったという事は、過去にそのような攻撃に
晒された経験がほとんど無いということを示唆している。
つまり、織田軍は真っ向からの白兵戦の経験はほとんど無かったのだ。
「白兵戦の忌避」と「突撃すれば鉄砲隊すら蹂躙できる」ことは矛盾ではなく、
両方とも真実である。
織田軍に限らず織田軍がそれまで戦ってきた相手たちは、白兵戦を忌避し、
それ故に専ら遠戦もしくは戦術面の工夫に頼ってきたのであろう。
だからこそ長島の一揆勢はかくも大きな戦果を上げ得たのである。
784 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:15
>>762 >それは、白兵戦を挑むために前進してくる織田勢を
>鉄砲で撃退できたからでは。
>本当に鉄砲や弓が勝敗を分かつものならば、
>弓、鉄砲の数が圧倒的に多い織田勢が圧勝したのでは。
織田軍の鉄砲など、雑賀衆に比べれば多いとは言えない。
戦国当時に白兵戦こそが決着の要であるというのであれば、
人数に勝る織田軍が負けるはずがないだろう。
迫り来る織田軍相手に二、三斉射した所で接近戦に持ち込まれて
殲滅されるというのが「白兵派」の主張なのだから。
785 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:25
>>781 >遠戦派の方々にお尋ねしたいのですが、
>たとえば、桶狭間の今川義元への信長の攻撃は
>どんな有様だったのですか。
>あれも最初は弓を打ちつづけ、回りの兵隊を減らし、
>そこで目指す義元の首を取るために殺到したのですか。
>なにやら悠長な感じがします。
>イメージとしては義元の大軍が集結するまでの時間との
>競争があり迅速に突入して攻撃目的を達する必要があると
>思いますが。
>要は、合戦の内容によって遠戦、白兵どうにでも変化する
>のが実情ではないでしょうか。
桶狭間の合戦は信長自身も槍を取り馬を降りて戦ったという
乱戦。敵の手薄な所に突入したのであって板楯などを連ねた
敵に突撃を掛けたわけではないから、ここでの議論からは
外れる物と見るべきでは?
そういう意味では確かに「どうにでも変化する」のだが、
お互いに楯を連ねて対峙したような時でも始めから敵陣目指して
踊り込むという事にはならない。
786 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:30
>>784 だから雑賀衆はゲリラ戦を得意とするゲリラ集団ですよ。
雑賀衆の戦い方を知っていますか?
787 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:33
遠戦派壊滅寸前です。
迫り来る白兵派の攻撃に得意の弓矢で持ちこたえられるか!?
788 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:40
長島の一揆衆の最後の暴発は、織田軍にとっては戦後処理みたいなもんだ
織田軍が完全な戦闘態勢で準備していたかどうかも明らかではない
単に、一揆衆が暴発すると予測していなかったことがあの損害の原因だろう
白兵戦云々の話じゃないと思うがな
789 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:43
>>784 あのさあ、
「守る側が石を投げたり落としたり、弓をいかけたり、鉄砲を撃ったりして、
敵を撃退できるわけない。」
なんて言ってる人はいないでしょ。
城なら、いっぺんに多くの敵が押し寄せられないように造るし、
敵が近づくまでの時間稼ぎになるようなものを造るでしょ。
陣をはるなら、丘や河など自然の要害を利用して陣をはるでしょ。
だから、守る方は有利な状態で遠距離攻撃ができる。
そして、攻める方は、敵が有利な状態を打破するために
堀を埋めたり、築山を築いたり、穴を掘ってみたり、迂回してみたりするんだろうに。
790 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:49
1576年五月三日、木津砦近郊で遭遇戦。
織田軍は三好康長・原田直政・根来衆・和泉衆・大和衆・山城衆
本願寺勢は雑賀衆中心の部隊。
結果:本願寺勢の勝利、原田ら討死
>>789 そういう状況を作れれば白兵では射撃に絶対勝てないね。
792 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:00
>>788 降伏した敵を撃ち殺そうというのに反撃も予期していないのだとしたら、
それこそ「闘争本能」だの「白兵志向」だのは考えていないということでは。
793 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:02
大規模な野戦ならともかく頻繁に行われていた
小規模の野戦では、敵のだいたいの位置は予想できても
その出会いはほとんど不意の遭遇戦だからそのまま白兵戦
になだれこむのが普通だろ。
794 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:10
>>791 だから攻撃側も楯構えて前進したり攻撃築城したりするんだよ。
795 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:14
>>792 たった一つのケースの原因を、現場の錯誤ではなく普遍的な体質にあったと捉えるのか?
796 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:15
>>793 意図しない遭遇戦であれば尚更白兵戦など危険である。
小規模な野戦が頻繁であったかどうか、
それがほとんど不意の遭遇戦だったかどうか、
証明すべきであろう。
小競り合いとは言え誰を敵とするかはハッキリとしているはずである。
相手の動向に無関心で遭遇戦ばかりこるという発想が理解不能である。
797 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:24
>遠戦派壊滅寸前です。
・・・どこがそうなの?
白兵君の妄想癖は度し難いな
>>794 それで防ぎきれると?
最後に切り込む瞬間は無防備じゃん。
同じように弓矢鉄砲を装備してるんなら分かるけど、白兵の根拠にはならんよ。
>>783 そうだとしたら「白兵戦」の効能が証明されたわけで、
逆のことを言っていることになりませんか?
その時の織田軍は弱かったが、一揆勢は強かった。
一揆勢が丸裸というのも極端な形容ですが、石山合戦の一揆勢とは
十分に武装した連中であり、百戦錬磨。
兵員の基礎戦力を織田軍>一揆という前提は成立しないことも
念頭に置いておかないとイケマセン。
800 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:57
>>798 だから、ぎりぎりまで防御できるようにして
少しでも損害を抑えようとしてるんでしょ。
そら、切り込むときは防御できなくなるけど、
まったくリスクを冒さずに戦おうなんて
机上の空論でも不可能だよ。
それに、前進しながら飛び道具を使うなんて
馬に乗ってるか、余程練熟してないと厳しいし
守ってる方に比べ防御も攻撃も弱くなる。
801 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:59
とにかく一度ヨーロッパなり北米なりを旅するのをお勧めします。
何キロ何十キロ運転しても対向車の姿を一向にみかけない。
地平線のかなたまで見通せる大平原でかつて戦った諸侯軍や初期合衆国軍隊では
まず迷子にならないためにも一個師団の単位ごとに行動する社会原理、軍隊原理が必要だったでしょうし、
たとえば大隊が行動原理になり、行進、小休止、停止、撃ち方始め、撃ち方やめ、騎兵突撃など
あくまで指令部本位のコマとして兵士を動かすことのほうがメリットがあったと思われます。
しかし、日本ではよほどのことがない限りその場の地形を農民雑兵でも瞬時に把握できたしょうし、
複眼的視野で総合的に敵方を把握する軍事的にも高度なレベルに達していたはずです。
地形的にも沿岸、河川、湖沼、山岳、カルデラ、丘陵、湿地帯と特徴があり、高低の地の利を利用したり、
河川をまたいだり、丘陵と丘陵で向かい合って陣取ったり、、、、、農民雑兵個々レベルでも記憶可能な
特徴ある地形のなかで、効率的合理的かつ最大限の打撃を相手方に加える最大努力をもたらす
戦略がねられたはずです。つまりさまざまな陣形があったからこそありとあらゆる戦法がとられたのでしょう。
夜襲、奇襲、強襲、白兵戦、槍衾、騎馬隊、鉄砲隊、弓隊、石つぶて隊、、、
世界戦史のなかでももっともユニークな戦闘形態が日本でとられたのは確かです。
802 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:59
>>798 >同じように弓矢鉄砲を装備してるんなら分かるけど
当たり前です
無防備な瞬間にどれだけの火力を集中できる?
有効射程100メートル程度で、攻撃築城でもっと詰められる可能性もある
無防備な瞬間は確かに存在するが、その瞬間だけで突撃を防ぎきれるか?
前レスにもあったけど、近世ヨーロッパでも銃や弩の掩護のもと槍兵が突撃して白兵戦を演じている
何故日本だけが違うんだ?
>>800 だいたいそんなでかい盾を持ってのろのろ動いてたら逆に切り込まれると思うが。
804 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:00
>>799 ならばその後織田軍が白兵戦を好んだか?
残念ながらそのような事実は見られない。
805 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:03
>>803 自分は、置き盾を持って移動するとか言ってるんじゃなくて
竹の束とかを持って移動したり、築山したりしたことを言ってるのですが。
>>802 盾持って近づくってどこまで?
100m?50m?10m?
弓兵銃兵だって槍兵の援護や警護を受けてるよ。
そこまで邪魔な盾もって近づいたら逆に切り込まれるね。
807 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:04
>>804 同様に、突撃を全く行わなかったという事実も見られない。
残念ながら。
>>805 弓矢や鉄砲で狙撃される中移動や築山と言うのは無茶では?
809 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:06
>>806 おいおい、誰が楯だけだと言った?
俺は「攻撃築城」と言ったんだけどな?
810 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:07
>>807 好んで突撃が行われなければ白兵派諸君には都合が悪いと思うが。
811 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:08
>>808 無茶じゃなかろう
敵の火制下に塹壕を掘り進めたり遮蔽物を構築することは珍しくない
812 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:10
>>808 第一次世界大戦は無茶をやり続けたのですか?
813 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:11
>>810 成る程、貴方の基準は「好きか嫌い」か
俺は、好む好まざるに関わらず白兵戦は必要だったと思うんだがな
頼みの綱の「長島一向一揆衆」も否定されてしまいましたね・・・・
815 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:14
>>813 「志向」の問題で「有無」の問題じゃないからね。
>>810 さん。
論争に勝ちたいためかどうか知らんが、自分好みのやりやすい相手を勝手に
こしらえてはイカンよ。
それとも手の内を出し尽くしたか。
817 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:21
>>814 あの程度で否定したつもりか。おめでたいね。
818 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:24
これにて遠戦派は死亡しました。
はかない命だったねぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ。
819 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:25
まずヨーロッパと比較したがる奴がいるが、これはどうか。
ヨーロッパこそはほぼ唯一、白兵主義がまかり通った地域だからである。
そして白兵主義のヨーロッパの軍勢は弓矢を主武器とする元軍に一蹴されている
のである。
「志向」の問題を人間の「主観」という側面に絞るなら
「遠戦」に決まっているでしょうが。
そんなことは当たり前で、馬鹿みたいな結論。
そんな結論を出してどこが嬉しいのか、かえって疑問。
問題は、よくわからない合戦の実相をなにがなんでも
「遠戦だった」といった想像で人くくりにしようとかの
努力、情熱に呆れるということでしょうか。
821 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:28
何が何でも白兵で勝負を決めたいという勇敢な人々の想像力と情熱にも
呆れるばかりだが。
>>819 あんた、イタリア戦争とか勉強したほうがいいぞ・・・・
823 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:30
>>820 今まではそうじゃなかったし、そうじゃないと主張する連中も多数いるじゃん。
824 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:31
>>819 鈴木氏のような統計の資料はあるのですか?
825 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:31
すいません。
合戦絵巻なんか見ると、射撃戦とともに白兵戦も描かれているんですけど、
これは嘘なんでしょうか?
826 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:32
>821
そんな人いるの?
いない人を捏造しちゃダメですよ。
827 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:32
やたら織田だ長島だ根来だっていうのもほかの戦史で汎用性がないからでしょう。
龍造寺起死回生の今山の陣、島津の耳川の大勝、毛利の厳島、播磨の三木城、上月城攻防、
奇襲や釣りのぶせ、陸海からの挟撃、本格的な攻城戦、、、、、、、、このあたりも論じないと。
なんか尾張弱兵シンパが弁護を繰り広げているような気がする。すくなくとも秀吉配下の近江兵や
播磨兵が家康の三河遠江兵このあたりまで歴史のネジを巻いて先に進んで欲しい。
828 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:33
まずは近藤好和氏の『弓矢と刀剣』を読むことを勧める。
平安の頃より戦における主武器が弓矢であることが明快に論証されている。
829 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:36
>828
本を紹介するだけでなく、内容を要約して教えてくれんかな?
何故主武器が弓矢だったのか、とか
830 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:40
尾張の弱兵つってもなぁ……信秀は戦に強かったのにね。
浅井配下の近江の強兵→秀吉配下になると……?
斎藤氏の頃は美濃の強兵→織田氏配下になるとこれも弱兵?
越後の強兵=雪国の兵は強い?→朝倉義景は雪国の兵を率いても弱いし…
831 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:47
信長は兵を弱くする天才だったのか(w
832 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:52
>>828 それは弓馬の道の言い換えでしょう。その頃は「軍神」八幡太郎がランボーのように
百発百中の騎射の腕前の持ち主が柵内に単身乱入してきて味方を片っ端から射殺しても
雑兵が清和源氏貴種を射返すことはできなかったでしょう。
長田忠致が磔で惨殺されたのも身分をわきまえぬ行動に対してであったはずです。
まずは清和源氏嫡流陸奥守鎮守府将軍に対して敵になりうる門地、次に大義名分、
そして最後に武術の心得という条件だったのではないのでしょうか。
戦国の頃は今川御屋形が毛利某という一兵卒に殺され、将軍が陪臣に攻め殺されるという時代ですから。
弓馬の道という意味の弓矢と戦国の弓矢はまったく違うとおもいますよ。
833 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:56
そういえば三河兵の得意技は猪突猛進の白兵突撃
だと聞いたことがある。
その勇猛果敢な白兵突撃に諸国の兵は恐れをなしたらしいね。
834 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:58
835 :
日本@名無史さん:01/12/29 23:00
三河兵の白兵突撃→日本陸軍の白兵突撃
836 :
日本@名無史さん:01/12/29 23:02
>>830 少なくともって申し上げたのは少なくとも織田豊臣徳川以外でなにか例をひとつ
だしていただけれればなあ、という願望をこめたつもりだったのですが、、、、
織田も豊臣も結局後世に大名クラスでは残りませんでしたよね。それは政治の結果
でしょうが。上杉、伊達、佐竹、龍造寺鍋島、島津、毛利、このあたりからひとつ
お願いできたら、と。
837 :
日本@名無史さん:01/12/29 23:37
その当時常識だったことは書き残されない。
だから根本的な問題ほど解決は難しい。
>774
いや。突撃に騎兵が要るだろと思って書いたつもりだったんだが。
誤解を与えてしまったようだな(w
839 :
日本@名無史さん:01/12/29 23:49
歩騎混成部隊を「騎馬隊」と呼び、歩騎混成突撃を「騎馬突撃」と呼ぶ
ということでよろしいのでしょうか。
ですがそれでは馬に乗るメリットが活かせないと思うのですが。
840 :
日本@名無史さん:01/12/29 23:54
>>839 > 歩騎混成部隊を「騎馬隊」と呼び、歩騎混成突撃を「騎馬突撃」と呼ぶ
> ということでよろしいのでしょうか。
歩騎混成部隊は歩騎混成部隊です。
歩騎混成突撃は歩騎混成突撃です。
>775
>もちろん弓、鉄砲による損害が多いのは分かる。
>むしろ飛び道具の効果の少ない戦い方こそ戦法が洗練されていない
>という言い方さえできる。
ってことは、飛び道具を防ぎきれてなかったってことだろう?
そもそも白兵戦で決着がつくなら(それも刀で決着がつくなら)
槍傷が刀傷より圧倒的に多い理由がわからないよ。
>しかし、応仁の乱から島原の乱までの200年間のサンプル1400件の負傷数を
>集計したサンプルの数はいくつですか? もっと少ないでしょう。
・・・意味がわからんよ
170年間に集めた1400件が、サンプルだって言ってるんだ。
負傷者1400名って事。
842 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:10
>>841 データが偏ってるってことをどうして考えないかな。
重複した戦場がどのぐらいあるのか、戦闘の規模は
どのぐらいだったのかさえブラックボックスな訳でしょ。
843 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:18
日本に騎馬隊はなかったということだね。
844 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:27
騎馬が数騎以上組んで行動すれば騎馬隊です。
古代中国に見られるような大規模な騎馬隊はあり得ませんが、
日本に騎馬隊が全くなかったとは到底考えられません。
>842
じゃ、それに代わる資料あるの?
846 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:29
>>844 数騎で何をするの?
少なくとも騎馬突撃で敵を止めるとかは無理そうだけど。
物見ぐらいかな?
847 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:34
>842
>データが偏ってるってことをどうして考えないかな。
偏ってるって考える理由を示せばこの論争は決着つくでしょ。
例えば、これに矛盾する資料出せば一発で終了ですね
なければ、データが偏っているってのは推測に過ぎず、
少なくとも「偏ってる」ということは断定はできませんね
848 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:35
>844
ま、ニュアンスはわかるが・・・
随伴歩兵と歩速をともにする騎馬武者と、機動戦力としてのモンゴル騎兵隊や
スコットランド反乱を制圧する打撃力としてのヘンリー8世の騎兵隊運用を一緒にするわけにも
いかんでしょう
849 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:36
強行偵察は当然考えられますし、平野部の小規模な遭遇戦なら
騎馬を当てることで敵の弓矢を防ぐことができます。
850 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:44
>>849 物見が従者を本陣に残していくというのはまだしも、
敵の弓矢を防ぐために騎馬を当てるというのがわからん。
少数では役に立つまいて。小規模な野戦てのはどのくらい小規模で
これにどのくらいの規模の「騎馬隊」なるものをぶつけるんだ?
>773
>あと、エジプトは第四次中東戦争の数年後和平を結びましたが、
>降伏していないのでは。
スマソ。調べたけど分からない。真っ先に抜けてアラブ諸国から避難されたって聞いて
誤解してたかも
>現在の戦車戦、歩兵の火器を使った攻撃は、近接戦の範疇に入るのでは。
そのとおり。
なんにせよ、近接戦=白兵戦じゃないってことさえ
分かってもらえればいいんだけど。
対戦車ミサイルって、どう考えても白兵戦じゃない。
歩兵が戦車に勝った=白兵戦が現代でも通用してるっていうふうに
考えてる>758に意見を言いたかっただけだし。
852 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:51
平野部での遭遇戦で騎馬の数と敵の弓兵の数が同程度なら騎馬を向かわせて
後ろから歩兵を送れば敵は逃げるか弓兵を後方に下げざるを得ないでしょう。
弓兵の数が数十人にもなると騎兵&馬にかなりの被害が出るのでそうそう
突っ込ませるわけにはいかないと思いますが。
853 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:51
足利体制はなぜか甲斐伊豆二国を関東に編入し関東十カ国としています。
すると平安の世から良牧の地としてしられる甲斐、相模、武蔵、陸奥このあたりは
東国文化としての共通項があったのではないでしょうか?
当時駿河は京足利家の古河公方への最前線ともくされていた。
同じ日本でも箱根から東は異国だ。
松平氏領国、駿府文化らを旧後北条氏領内に移植した徳川家はどれほど
関東の気風に通じていたのか?そして今川軍師韮山城主として
後半生を終始した北条早雲がどれほど関東の気風に慣れ親しんでいたか?
わたしには後北条、徳川は関東の騎馬の伝統には疎かったとも思う。
では、残る一家の武田家はどうか?どうも甲陽軍鑑というのがいまいち。
編者の小幡某というのは間者としての謀略のほうが専門だったのではないか?
武田家=甲陽軍鑑で語らえるとつらいものがある。
やはり思い切って、東国生え抜きの伊達、佐竹、北関東緒豪、
上杉の軍編成あたりをチェックしてみたい。
>825
絵師って、何のために絵を書くんでしょう?
誰かに頼まれたから書くんですよね
じゃあ、頼んだ人物とは誰か?
戦場で多数を占めた農民兵ではく、武士です
その武士のために書いたのなら、勇猛果敢に突撃する
武士が多いのも当然ではないかと。
絵で思い出しましたが、天文法華の乱を書いた扇(屏風だったかも)
には、弓をもった人々がたくさん書かれてた気がします。
門徒の町人ですよね? あの乱に参加した人って
詳しく知っておられる方おられます? 記憶があやふやなもので。すいません
855 :
日本@名無史さん:01/12/30 01:38
>>851 エジプトは、戦争が終わった後もアラブ諸国が和平を結ぶことを拒否していたのに
自分だけとっととアメリカの仲介で和平を結び
シナイ半島の返還をうけたから、他のアラブ諸国から
非難されました。
あと、装備が変わるから時代によって白兵戦の概念は変わってくると思う。
日露戦争、第一次・第二次世界大戦では歩兵銃で戦うことが白兵戦になっていたように
現在では、対戦車ミサイルやバズーカなどで攻撃することは、白兵戦の範疇に入るかもしれない。
>歩兵が戦車に勝った=白兵戦が現代でも通用してるっていうふうに
>考えてる>758に意見を言いたかっただけだし。
白兵戦が今現在通用していないということは、ありません。
773で書いたように随伴歩兵を戦車につけなかったイスラエル軍は
古い戦法だとイスラエルが考えていた戦車と歩兵を組み合わせた
アラブ方の軍に破れていますし、
歩兵に対する攻撃能力を削って歩兵の餌食となった
ドイツのエレファントという戦車もあります。
ただ、歩兵が万能なんてことは無く、戦車と組み合わせた場合や
身を隠す構造物や森林などがある場合、町や拠点を占拠する場合に
真価を発揮するものではあります。
>日露戦争、第一次・第二次世界大戦では歩兵銃で戦うことが白兵戦になっていたように
じゃあ、戦国時代と全然、定義が違うってことですよね?
「現代の白兵戦」で歩兵が勝てたってのは、戦国時代と同列に扱えるのですか?
対戦車火気まで白兵戦に含める定義はどうかと思うけど
バズーカ、対戦車ミサイル等は「重火器」の部類に入りますし。
>随伴歩兵を戦車につけなかったイスラエル軍は
>古い戦法だとイスラエルが考えていた戦車と歩兵を組み合わせた
>アラブ方の軍に破れていますし、
まぁ、遠距離部隊が遠距離+近接部隊にやられるってのは当然でしょう。
遠戦派の主張とも矛盾してませんしね。
857 :
日本@名無史さん:01/12/30 01:55
>>852 >平野部での遭遇戦で騎馬の数と敵の弓兵の数が同程度なら騎馬を向かわせて
>後ろから歩兵を送れば敵は逃げるか弓兵を後方に下げざるを得ないでしょう。
それは無理。
騎馬を先行させて足軽を後ろからってのは考えがちなパターンだが、
一つの部隊における騎馬武者と中間・小者・足軽・雑兵などの徒歩の
兵は主従関係にある。
それぞれの部下を後方に残して上司の集団がズンズン進むってことは
指揮系統からして有り得ない。
進むなら一緒に集団を構成して進むだろう。
858 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:00
>>853 >足利体制はなぜか甲斐伊豆二国を関東に編入し関東十カ国としています。
>すると平安の世から良牧の地としてしられる甲斐、相模、武蔵、陸奥このあたりは
>東国文化としての共通項があったのではないでしょうか?
勅旨牧が置かれたのは甲斐・信濃・上野・武蔵の四カ国なんだが、
信濃はどうしたのだろうか。また陸奥は拡大し過ぎだと思うが。
>やはり思い切って、東国生え抜きの伊達、佐竹、北関東緒豪、
>上杉の軍編成あたりをチェックしてみたい。
「軍編成」というのは具体的に何を指しているのかな?
全軍に対する各兵種の割合だったら『甲陽軍鑑』に頼らずとも現存する
軍役状から多少の事は分かるが。
逆に佐竹氏や関東管領上杉氏などは史料がほとんど出まわっていない。
また伊達はずっと時代の下ったものしか現存しないので完全に鉄砲主兵に
なっているが。
>855
今ちょっと調べてみたんだけど
日露、第一次、第二次大戦の白兵戦って銃剣突撃のことかも。
第二次大戦当時でも、日本軍は軽機関銃にすら
銃剣が取り付けられていたと聞きます
あの大きな38式など、背丈の大きい白人との白兵戦で
少しでも有利になるように作られたみたいですし
860 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:11
>>857 > 騎馬を先行させて足軽を後ろからってのは考えがちなパターンだが、
騎馬・戦車を先行させる際の常識です。
> 一つの部隊における騎馬武者と中間・小者・足軽・雑兵などの徒歩の
> 兵は主従関係にある。
時代・状況によります。
> 進むなら一緒に集団を構成して進むだろう。
それで効率がいいならそうするし悪いならそうしません。
861 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:17
>騎馬・戦車を先行させる際の常識です。
それは近代の軍における「常識」でしかない。
戦国時代やそれ以前に拡大するのは危険極まりないぞ。
>時代・状況によります。
「時代」ということなら幕末以降なら「騎兵隊」が存在したな。
だが「状況」とは何だ?
物見でもなければまず部隊を分離するとは思えないが?
>それで効率がいいならそうするし悪いならそうしません。
封建社会の枠組を出ることはできなかったと思うがね。
862 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:22
少なくとも、戦国時代に戦場で打撃力として機能した騎兵戦力が存在したとは思えんな
863 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:23
>>856 戦車は騎馬で歩兵が足軽みたいなものです。
決して戦車やバズーカ、対戦車ミサイルは遠距離用の兵器ではありません。
遠距離攻撃を行うのは数十キロ先を攻撃できる野砲や航空機になると思います。
昔よりスケールが広がったと思ってもらえばわかりやすいかと。
>バズーカ、対戦車ミサイル等は「重火器」の部類に入りますし。
軍事板ではやったネタですね。
小火器や携行誘導弾などは騎馬武者がもつ弓のようなものです。
>まぁ、遠距離部隊が遠距離+近接部隊にやられるってのは当然でしょう。
>遠戦派の主張とも矛盾してませんしね。
言うまでもなく、騎馬だけで構成された部隊が騎馬と足軽の混成部隊にやられるようなものです。
白兵戦(近接戦派)として主張をひとつ。
遠距離攻撃の武器が火縄銃や弓、近接戦のための武器が槍、刀、ときには弓だった時代に比べ
遠距離攻撃の有効性が増してるのにも関わらず今も近接戦のための兵種が残り
戦争があるとでてくるのはなぜか。
戦争の勝敗を決めるのは面の制圧である。
面を制圧できるのは、現在、過去をとわず近接戦を行う兵種ではないでしょうか。。
864 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:25
日本刀って、何人か切れば使い物にならなくなるんですよね?
特に、足軽なんぞの持ってる刀など、一人切ったらそれまで・・ぐらいだったとか。
当時の武士や足軽は、何本ぐらい替えの刀を持って行ったんでしょう?
武士の場合従者に持たせるのでしょうが、白兵戦の最中に
はぐれたりしなかったのですか?
865 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:29
>言うまでもなく、騎馬だけで構成された部隊が騎馬と足軽の混成部隊にやられるようなものです。
騎馬ばかりの北方騎馬民族は騎馬+歩兵の中国王朝軍に対し
幾度と無く勝っているんだが……
866 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:33
>>865 騎馬を戦車にたとえたのであって、
騎馬ばかりの軍団が騎馬と歩兵の混合された軍団に
破れると言ってるわけでは、ありません。
>偏ってるって考える理由を示せばこの論争は決着つくでしょ。
>例えば、これに矛盾する資料出せば一発で終了ですね
>なければ、データが偏っているってのは推測に過ぎず、
>少なくとも「偏ってる」ということは断定はできません
妙なことを言う人ですね。
データが偏っているという批判に対して、「偏っていないデータを出せ」
というのは子供みたいですよ。
1400件の負傷データは一体どのくらいのサンプル(戦場)が対象
となったのか、もっと少ないのではないか、200年間の合戦の志向性を
概括するには統計上も足りないのじゃないか、という意見でしょう。
誰かが言っていたように変化に富んだ地形でさまざまな教訓を知悉した
者たちが残した遺蹟には時には「白兵志向」でのぞんだろうし、
また「遠戦志向」でのぞんだろう。それらを一つ一つ検証するか
そこまでにはいかないにせよ、もっと豊富なデータが必要ではないか、
ということを言っているのでしょう。
それに対して、ありもしないデータを出せだせといっても、商売にしている
わけじゃなし、出せるわけないじゃないですか。
だれもあのデータが役立たずと入っていない。それですべては語れない
といっているだけ。
868 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:36
>>866 戦車を騎馬に例えたのに騎馬だけの部隊が歩騎混成に破れるわけじゃないってのは
矛盾だろう。そうなると戦車だけで敵を蹴散らした戦いを探したくなるな(w
869 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:37
面を制圧ってあんた大戦略じゃあるまいし
俺は白兵派だが、古今東西近接戦闘兵科の任務は占領だけじゃあるまい
870 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:39
>863
>軍事板ではやったネタですね。
おお。軍事板出身者がいたとは。嬉しい限りじゃぁ
(思想は違うんだけどね(;´Д`)
>小火器や携行誘導弾などは騎馬武者がもつ弓のようなものです。
うん? 騎馬武者がもつ弓は遠戦に含まれてるはずだけど。
歩兵が足軽って事は理解してるつもり
でも、鉄砲隊や弓隊だって足軽なんでしょ?
「足軽」が持ってるからって、白兵武器だと言われてもちょっと・・・
>言うまでもなく、騎馬だけで構成された部隊が
>騎馬と足軽の混成部隊にやられるようなものです。
待ってくれ。騎馬とヒトククリに言っても、
騎兵射手と騎兵で全然違うよ
戦車=遠距離で歩兵=近接って定義してる
>758から発展してるんだしさ、>855で
>>歩兵が戦車に勝った=白兵戦が現代でも通用してるっていうふうに
>>考えてる>758に意見を言いたかっただけだし。
>白兵戦が今現在通用していないということは、ありません。
>773で書いたように随伴歩兵を戦車につけなかったイスラエル軍は
>古い戦法だとイスラエルが考えていた戦車と歩兵を組み合わせた
>アラブ方の軍に破れていますし、
こんな風に書いてるのとも矛盾してないか?
戦車=遠戦、歩兵=白兵って言いたかったんじゃなかったの?
あと、>859も見ていただけるとありがたい(w
871 :
日本@名無史さん:01/12/30 02:45
別に接近戦を行なわんでも射撃射撃射撃で相手が「コリャたまらん」と
言って逃げたらそれでいいんじゃないの?
872 :
日本@名無史さん:01/12/30 03:06
>867
う〜ん。
「偏っててもいいから」あのデータと矛盾する……
つまり、異なった結果の出てるデータを出して
もらえないかと言ったつもりだったですけどね。
たしかにそうは取れませんね。あの文章では(w
少なくとも、今まで一度もそういうデータを見たことがなかったので
見たいと思ったんですよ。
「いくらなんでも刀傷が少なすぎるのはどうしてなの?」
そう聞いたら、この資料の正当性が……っていきなり否定されるんだから。
アレの抽出方法は、ランダムに選んだとしか
思えないんですけど。
「遠戦志向」で戦われた合戦、
「白兵志向」で戦われた合戦、
それらまとめて書いてあるんですよ。
全体でどうだったを言うのが本質であって、
個々の戦いでの損害に目を向ける考えの方が間違ってませんかね?
(戦場の行動を見るのは間違ってませんけどね)
少なすぎるってのはあるかもしれませんが、それは仕方ないでしょう。
大体、軍忠状が全部で何枚あるかも分からないし、もしかしたら現存してる
すべてを集めても、1400程度にならないのかもしれない。
ともかく、他に誰も分析してないんだから
>1400件の負傷データは一体どのくらいのサンプル(戦場)が対象
>となったのか、もっと少ないのではないか、
もっと少ないって、何と比べて少ないんですか? 意味が分からないんですけど?
873 :
日本@名無史さん:01/12/30 03:09
スレッドの立て方と進め方に問題ありなのかもしれん。
それ以外にもどの時代なのか限定しないと何度も発散している。
戦国時代に限定したいならば日本史板ではなく戦国板のほうがいいと思われ。
矢傷は604例、刀傷は56例。
あの統計を偏ってるとか言ってる人いるけど、
刀が主力だったとするなら矢傷よりも多くないといけないよね?
だったら、550例以上の軍忠状を無視したって事になるのかな?
それは偏ってるんじゃなく、捏造だと資料を批判してるようなのものだよ
>873
そうかもしれない。
イスラエルやら日露戦争が出てきてもね
>それは偏ってるんじゃなく、捏造だと資料を批判してるようなのものだよ
どうしてそういう結論になる?
論及する態度じゃないね。
あのデータで片寄ってるかどうかなんて分かるわけない。
統計の知識がちょっとでもある人ならあのデータがこの論議に
ほぼ役立たないことは分かるはず。
母集団についての考察ゼロ、均質性の考察ゼロなのに単純にサンプル数を足している。
水1リットル+エタノール1リットルで2リットルといっているようなもの。
あのデータは生還者のデータ。
このスレの議論に使うには死傷者=死亡者+負傷者で評価しなくては意味がない。
敵に刀で傷付けられた人間と矢があたった人間、どちらが死亡率が高いか?
前者の方の死亡率が9割なら単純計算で被害者数は10倍、9割5分なら20倍
になる。一方後者は精々1〜2割だろうから数割増程度にしかならない。
槍はその中間になるがやはり死亡率は結構高いだろう。
このようにデータが様変わりする可能性があるのにそういった考察が全くない。
サンプリング期間が異常に長いくせにサンプル数が少なすぎ。あの期間に直接戦闘に
関わった人間の数は数百万はゆうに超えるはず。こんなわずかなサンプルで
統計学的に有意な結果は絶対にでない。確実に棄却される。
戦闘は状況によって内容が全く異なるのにそれらの考察が全くない。
攻城戦?野戦?白昼戦?夜戦?攻撃側?守備側?装備は?兵力差は?兵種は?
あんな雑データを論拠にするのはちょっとイタ過ぎ。
877 :
日本@名無史さん:01/12/30 06:19
あの雑データはどっから出てきたの?
あんなデータ、ほとんどの奴はアホらしくって無視してるだろうけど、それだけが
聞きたい。
878 :
日本@名無史さん:01/12/30 08:11
確かに統計学会は講評しなければいけない立場。いい加減なサンプリングだと
(企業側にすべて一任したり)主導権をとってない母集団やテクニカル的に問題が
有りすぎる(厨房がなんどもインターネットに返ってきて同じ項をクリックするとか)のは
積極的に排除しなければならない。まったくもって、軍忠状というお手盛りの性格に加え、
攻城戦、野戦、白昼戦、夜戦、攻撃側、守備側、装備は、兵力差は、兵種は、、、、
上のひとがいわれる考察がなされていない。ちょっと恥ずかしくなる資料だね。
なにかを読み取ろうとうする姿勢が空回りしている。
879 :
日本@名無史さん:01/12/30 08:18
>>876 >敵に刀で傷付けられた人間と矢があたった人間、どちらが死亡率が高いか?
>前者の方の死亡率が9割なら単純計算で被害者数は10倍、9割5分なら20倍
>になる。一方後者は精々1〜2割だろうから数割増程度にしかならない。
>槍はその中間になるがやはり死亡率は結構高いだろう。
刀で傷付けられた人間の死亡率が9割ってマジですか?
880 :
日本@名無史さん:01/12/30 08:19
>>858 >勅旨牧が置かれたのは甲斐・信濃・上野・武蔵の四カ国なんだが、
>信濃はどうしたのだろうか。また陸奥は拡大し過ぎだと思うが。
というか律令制下の勅旨牧しか対象にしない、そして陸奥はわからないと断定する態度が
すでに西国偏重のバイアスが係っていると思うのだが。
>「軍編成」というのは具体的に何を指しているのかな?
>全軍に対する各兵種の割合だったら『甲陽軍鑑』に頼らずとも現存する
>軍役状から多少の事は分かるが。
>逆に佐竹氏や関東管領上杉氏などは史料がほとんど出まわっていない。
>また伊達はずっと時代の下ったものしか現存しないので完全に鉄砲主兵に
>なっているが。
伝わっていない、わからないということは残念。だからといって西国重視ではおかしい。
881 :
日本@名無史さん:01/12/30 10:49
>>868 戦車を遠距離攻撃のための武器、歩兵だけが近接攻撃のための武器
と例えられてたので、そうでないと言いたかったんですが。
歩兵と騎馬を混合した部隊が騎馬だけの部隊に勝てるかは、
騎馬と歩兵の武装、その時代の戦術により変わってくるので
一概には、言える事じゃありません。
>>869 面の制圧だけだとも言ってませんよ。
航空機による空爆だけでは、戦争に勝てないように
実際に部隊が土地を占領してこそ戦争がおわると言いたかったわけで。
>>870 758を書いたのは自分じゃないので。
自分は、773=855=863です。
>>歩兵が戦車に勝った=白兵戦が現代でも通用してるっていうふうに
>>考えてる>758に意見を言いたかっただけだし。
白兵戦が現在では通用しないと言っているように受け取ってしまったのでどうもすみません。
>こんな風に書いてるのとも矛盾してないか?
>戦車=遠戦、歩兵=白兵って言いたかったんじゃなかったの?
自分は、白兵戦のための部隊であるかどうかを分かつのは、
飛び道具を使うか、そうでないかでなく
近接攻撃を行うための部隊であるかないかだと考えています。
>うん? 騎馬武者がもつ弓は遠戦に含まれてるはずだけど。
日本の騎馬武者の弓は、遠くからうちあうことにも使うかもしれませんが、
騎馬にのって近接して使うこともおおいのでは。
882 :
日本@名無史さん:01/12/30 12:07
自分の都合の悪いデータはむきになって否定しながら
自説の根拠は妄想だけ
>刀で傷付けられた人間の死亡率が9割ってマジですか?
仮定の話だろ。
論旨を強調するための序章として読んであげれば。
いずれにしても、一つの本に書いてあることを参考に
するのはよいが、絶対視はまずい。
885 :
日本@名無史さん:01/12/30 13:25
886 :
日本@名無史さん:01/12/30 13:41
>>885 今まで、このスレでは近接戦=白兵戦みたいに使われてきたので
そうで良いと思ってました。
銃剣をもってて銃を撃たないなんてこともないでしょ。
日本軍は別ですが。
887 :
日本@名無史さん:01/12/30 13:53
やべ、書いてる途中で送信しちまった。
このスレでいままで語られてきた事は、
遠くから飛び道具をうって勝負がついたか
接近して戦って勝負がついたかでは。
888 :
日本@名無史さん:01/12/30 14:10
確かに一冊の本にのみ寄りかかった論理は間違ってるかもしれないね
でも、完全否定もかなり問題ありだろう。
では、あの資料を参考として見てみるが、
矢傷は40%、刀傷は4%となっている。
もちろん偏りもあるだろう。しかし、全員が刀を使っていたのならば、
いくらなんでも10倍の差が生まれるとは考えにくい
それと、これは白兵派の主張なのだが、戦場の白兵武器の主なものは
槍だったはず。
当時、足軽たちが刀を護身用として持っていたとしてもおかしくはない。
しかし、槍が折れた後に使うと言うならまだしも、
最初から刀を使うことはありえないだろう。
なのになぜ、全員が刀を持っていたから
刀が主武器だと言い切れるのかを聞きたいですね
889 :
日本@名無史さん:01/12/30 14:33
>>888 一部の人を除いたら
刀だけで戦ってたなんて言ってないよ。
はぁ・・・
890 :
日本@名無史さん:01/12/30 14:35
>886 >887
>713には、
>始めに一斉射受ければ気勢を削がれ、さらに至近で一斉射を
>受けることになるのは必定
とありますが、至近での一斉射撃は白兵戦だと言う意味で使われてますか?(w
また、盾でじりじり近づいて、
近距離から撃ち合いに持ちこもうとしたのも白兵戦ですか?
俺の主張としては、「白兵戦で主に戦った」というのが
おかしいと思うわけなんですよ。
で、俺の考えてた白兵戦とは、剣や槍での格闘戦。
(少なくとも戦国時代ではそうだと思っていた。調べてみると、
現代でもそういう意味だった)
あなたが弓や鉄砲での近接戦闘も白兵戦だと思っていたのなら、
そりゃ意見もすれ違うわけですわ(w
>446が遠戦派の主張(というか、俺の意見に最も近いもの)です
891 :
日本@名無史さん:01/12/30 15:00
>>890 近づいてくる敵を弓や鉄砲でうつのは、そら遠距離戦でしょ。
ただ、騎馬に乗った武者が逃げる、騎馬武者に弓を放つのは、
遠距離戦ですか?
それに、盾でじりじり近づいてとよく遠距離戦派の人は書かれますが
守る方は、丘陵や河川などの地形を利用して陣を構築していますし、
攻める側より、そこに長くいるため、より手間のかかる構造物もつくっています。
城を攻めるときなどは、なおさらです。
それに盾といっても竹を束にしたものや木の板で造ったものでしょ。
攻める側が勝てるわけないよ。
なんか、わざと曲解してませんか?
892 :
あらためて考えると:01/12/30 15:02
>>39(再掲)
本書115ページから抜粋
軍忠状(恩賞のため主君に差し出した戦功と損害の報告書)から見た戦傷比較
(戦国期の戦傷比較 応仁の乱〜島原の乱)
矢傷 42.0% (646)
鑓傷 20.4% (314)
鉄砲傷 19.6% (302)
石傷 10.4% (160)
刀.太刀傷 4.8%(74)
切.薙刀傷 2.7%(4)
()内は人数
戦国期でも最も多いのは矢傷であった。そして鑓の台頭が甚だしい。刀での死傷者はさらに減少
している。この板で否定されている石、礫よりも低い割合だ。甲冑には刀は無力だったのだろうか。
槍、刀での接戦とするなら40%。
これかなりな比率だと思うけれど。
鉄砲傷が矢傷に対して少ないのは、致命傷に及ぶ
比率が高かったせいではないか。
また、「かすり傷」程度の表に出ないものの比率は、槍、刀
に結構あったのではないかと思ったりもするがどうだろう。
894 :
日本@名無史さん:01/12/30 15:15
白兵戦に持ち込むには、敵の弓矢をかいくぐる必要があるし、
それに撃退されることもあった。
妥当な割合じゃないですか。
895 :
日本@名無史さん:01/12/30 15:34
このスレすごいな。
いつ見ても上のほうにある。
896 :
日本@名無史さん:01/12/30 15:36
>>892 以前、関ヶ原の合戦では鉄砲による
死傷が一番多かったというデータがあったような気がしますが。
>>892 そのデータは均質でないサンプルを単純に足しているので本来の意味を失っている。
このスレの議論に使う場合、統計学の立場から見て悪い言い方をすればねつ造されていると
いわれてもしかたがない。その点は既に
>>876で指摘された通り。
おまけに後半に付された考察:
>戦国期でも最も多いのは矢傷であった。そして鑓の台頭が甚だしい。刀での死傷者はさらに減少
>している。この板で否定されている石、礫よりも低い割合だ。甲冑には刀は無力だったのだろうか。
がでたらめ。あのデータは生還者が自分の被った損害を報告して代償を請求した
数であるので、死傷者のデータではなく負傷者のデータ。
当然死亡率の低い兵器での負傷者数が大きくなりやすくなる。
898 :
皮肉なもので:01/12/30 17:09
最近は統計学を利用した歴史研究がさかんになっていますね。
パソコンの普及で取り組みやすくなった。
こうした研究は、卓抜な学者が思考を重ねた挙句到達する
「偉大な研究」というよりも、多くの助手を抱えるか、
学者の時間を利用した単純労力(最近は学生の数も増えたし)
によってデータを収集、生じた結果に対して、あらかじめ
思い描いていた「思想」「思考」を敷衍させるという
色合いが強いように思えて仕方ない。
たとえば藤木氏の最近の研究など、一昔前の戦国時代のイメージ
(白土三平『忍者武芸長』の世界!)を復活させただけのもので、
なんら目新しさを感じない。
そうしたイメージ一色だったのを司馬遼太郎
などが戦国時代のプラス面に光をあてようと苦労した。
そのリアクションとして左傾の世界で脚光を浴び世俗化しているように
見受けられます。
「遠戦志向」を「厭戦志向」の暗喩として冷笑したい気分もわかります。
時代の気分ですからね。
でも、たとえば藤木氏の世界から考えると、
当時はとても「厭戦志向」にあった人々とは思えないというのも、
また面白いところです。
899 :
日本@名無史さん:01/12/30 17:56
データうんぬんの前にはじめに結果ありきということですね。
左翼歴史家のやりそうなことですね。
900 :
日本@名無史さん:01/12/30 18:29
藤木氏の初期の著作などグロテスクなほどサヨモロだしですから。
当時としては受ける、という文体です。
901 :
日本@名無史さん:01/12/30 18:35
サヨ的歴史観はもういいかげんうんざりですね。
「〜史観」がないと歴史を語れないような人は歴史にたずさわらない
で欲しい。
902 :
日本@名無史さん:01/12/30 18:44
>891
俺は近距離からの撃ちあいは白兵戦か、と聞いたんだよ。
それに対して、じゃあそれがすべて遠距離戦か、と返す方がおかしくないか?
まず、それが白兵戦かそうでないかを答えてくれよ。
近距離からの弓や鉄砲は、確かに遠距離戦じゃないよ。
近距離から撃ってるんだからな(w
だが、それを白兵戦と言っていいのかよ?
近接戦であることは確かだろう。だが、白兵戦でないことは確かだ。
白兵戦ってのは、槍や刀での格闘戦だからな
騎兵が近づいて矢を撃ち込むのと、騎兵が近づいて槍で刺すのとは全然違うでしょ。
それとも、近づいた時点で2つとも白兵戦と言えるのですか?
「歩兵の弓は遠戦だけど、騎兵の弓は近づいて撃つから白兵戦」
「近距離で撃つかもしれないから、弓は常に遠戦ではない。
近距離なら白兵戦に含めるべき」
こんな主張は無茶苦茶でないかい?
何メートルから撃ったって、弓は弓だろ? 槍や刀じゃない
大体、弓を白兵戦やるような近距離で使うことがあるのかね?
それは間違った使い方だ。弓兵だって刀を持ってるんだから。
刀だって投げることもあるかもしれないから、近距離武器だと断定できないかもよ(w
903 :
日本@名無史さん:01/12/30 19:13
なんだ藤木の奴はサヨだったのか。
しかし、だからこそ武士を美化する連中が書かないような
幾つもの発見をしてくれたわけだ。
904 :
日本@名無史さん:01/12/30 19:46
自分が根拠が示せないから今度は相手を誹謗中傷とはね
てめえの思いこみで捏造呼ばわりじゃ真面目に資料を収集
してる人間に失礼。屑だよね
905 :
日本@名無史さん:01/12/30 19:53
>>904 批判を誹謗中傷と言ってしまう。
まさにサヨのプロパですな。
906 :
日本@名無史さん:01/12/30 19:56
くだらんウヨサヨ論争始めるな、厨房ども。レスに関係ねー
じゃん。結局まともな議論できないからそっちの話題で騒ぎたい
だけだろ。ウヨサヨ君とヤマトアズマ派は
日本史板にとって害物という点で同じだよ。膿漏板でやれや。
統計君の議論はある程度評価できるが、翻って言えば
現在の適正基準を満たす統計なんか作るのは不可能、
といっていると同じだな。
となると、経験ある武将の証言が有用か。
907 :
日本@名無史さん:01/12/30 20:00
ウヨ、サヨとかの言葉をローカルルールで日本史板から
追放したらいい。冬休みの厨房無知麻呂どもがその二語を
振りかざして暴れ回るからな。
困ったときのウヨサヨ論ってやつだ。
それだけしかない奴なんだよ、許してやれ。
>908
包容力があるなぁ・・感心した
910 :
日本@名無史さん:01/12/30 20:17
>>902 反語表現を使ってると理解してたのですが、質問だったのですか。
これからは、そのように心がけます。
前の方のレスで厳密な意味での白兵戦じゃなくて近接戦だと言ってるでしょうが。
日本の騎馬武者が遠戦派が言うような弓のうちかたをしますか?
そんなことしたら、敵の弓や鉄砲のいい的になります。
歩兵が敵陣に突入して歩兵銃で敵を撃ち殺したら
遠距離戦を行ったと言いますか?
なるわけないでしょ。
敵味方が入り乱れた白兵戦で流れ矢にあたって死んだ人は、
どこから弓をうたれたのですか?
白兵戦をしている近辺からでしょ。
武器で遠距離戦を主体にしていたか、そうでないかを決めるのはどうかと。
あと、遠距離戦は兵隊をとてつもなく勇気がある人だと思ってますか?
盾を持って前進し敵の攻撃が一番激しいところで立ち止まり、
遠距離戦のための準備をする。
そして、自分たちよりも守りが固められている敵軍に対して
弓矢や鉄砲をうちかける。
自殺的行為ではないですか。
そんなところで立ち止まるなら、そのまま前進して接近戦を
いどむ方がましだと思いますが。
×遠距離戦
○遠距離戦派
912 :
日本@名無史さん:01/12/30 20:22
>910
長々と書いているけど随分思考が混乱してるね。
戦場に出たことがあるわけでもなかろうから、主観的に
「思う」ことを開陳して頂いてもなぁ・・
以下を参照のこと。「ローカルルール」スレより」
『罵倒批判差別禁止案』
※ 史観論争は罵倒しない程度に止める(自粛が望ましい)
右翼・左翼等の言葉を使って罵倒する限り最悪板などへ移動
近現代の政治形態を批判したいなら政治思想板へ
>>898さん
>>906さん
サンプル抽出の件同意ね。
集計方法人力=誤差あり
集計方法CPU=誤差なし
だからってどちらかが正確とはいえない。
データは採取の段階で誤差が含まれるものだから
(採取の方法で全く異なる結果がでることはご存知の通り)
これをいかに平均化するのか集計方法の腕の見せ所。
この方法を公表しないデータは屑、だって主観が含まれているのか
いないのか判らないからね。
スレ違いな意見ごめんなさい。
>>902さん
弓は接近戦で使わないかな
流鏑馬(実戦での名称は知らないが)をどのように見るかで違うが。
流鏑馬の騎兵の使用方法としての意見をききたいです。
>>912 どこらへんが事実でない「思う」を開陳しているレスになるのでしょうか?
具体的にご教示をお願いします。
916 :
日本@名無史さん:01/12/30 21:21
>>913 一言だけ言わせてください。
あなたたち共産党の方々みたいですね。
体質が似てます、なんか。
917 :
日本@名無史さん:01/12/30 21:33
>>880 >というか律令制下の勅旨牧しか対象にしない、そして陸奥はわからないと断定する態度が
>すでに西国偏重のバイアスが係っていると思うのだが。
おいおいそう読むかね?
つまり「馬の名産地」「騎馬文化」で括るなら信濃は外せないだろうと
言っているだけで、偏重などではない。
また陸奥が歴史的に関東圏とも違った文化圏であろう事は容易に
想像がつくが。
918 :
日本@名無史さん:01/12/30 21:35
>>881 >歩兵と騎馬を混合した部隊が騎馬だけの部隊に勝てるかは、
>騎馬と歩兵の武装、その時代の戦術により変わってくるので
>一概には、言える事じゃありません。
それじゃあ戦車歩兵混成軍が戦車だけの部隊に勝てるかどうかも
戦術次第だろ?
絶対優位では無いのだからやっぱり矛盾だよ。
>日本の騎馬武者の弓は、遠くからうちあうことにも使うかもしれませんが、
>騎馬にのって近接して使うこともおおいのでは。
近接状態でさえ刀ではなく弓に頼ろうとする傾向は「遠戦志向」ではないか
というのが遠戦派の考えなのだが。
919 :
日本@名無史さん:01/12/30 21:40
>>891 >近づいてくる敵を弓や鉄砲でうつのは、そら遠距離戦でしょ。
>ただ、騎馬に乗った武者が逃げる、騎馬武者に弓を放つのは、
>遠距離戦ですか?
>それに、盾でじりじり近づいてとよく遠距離戦派の人は書かれますが
>守る方は、丘陵や河川などの地形を利用して陣を構築していますし、
>攻める側より、そこに長くいるため、より手間のかかる構造物もつくっています。
>城を攻めるときなどは、なおさらです。
>それに盾といっても竹を束にしたものや木の板で造ったものでしょ。
>攻める側が勝てるわけないよ。
>なんか、わざと曲解してませんか?
「遠距離」「近距離」ではなく「遠戦」「白兵」の議論だろ。
弓を使ったら遠戦志向と見なすと思うが。
布陣して陣地を構築して……という場合は「状況次第」「戦術の工夫」だと
既に散々書かれているのに、ここまでの前提を無視するようなレスは
やめるべきだろう。
まら竹束が30メートル以上の距離なら火縄銃の銃弾を止めるに足る防御力を
持つことを知っての発言かな?
なんか、わざと曲解してませんか?
920 :
日本@名無史さん:01/12/30 21:50
>>910 >そして、自分たちよりも守りが固められている敵軍に対して
>弓矢や鉄砲をうちかける。
>自殺的行為ではないですか。
>そんなところで立ち止まるなら、そのまま前進して接近戦を
>いどむ方がましだと思いますが。
敵の飛び道具の威力・命中率は距離が近いほど高いだろうが。
そのまま前進する方が自殺行為だと思うがね。
30メートル以内の距離では竹束でも銃弾を止められない。
921 :
日本@名無史さん:01/12/30 21:58
>>918 >それじゃあ戦車歩兵混成軍が戦車だけの部隊に勝てるかどうかも
>戦術次第だろ?
>絶対優位では無いのだからやっぱり矛盾だよ。
絶対有利なんて世の中に存在するかはおいておいて、
本当に、地域、時代によって違うから一概に言えないともうしました。
武器の面では、
ヨーローパの騎士は、厚い鎧、馬の突進力で優位にたっていましたが、
歩兵が騎士の鎧を貫通できる武器を手に持つようになったときから
優位性を失い戦いの舞台から姿を消していきました。
騎兵が内燃機関の発達による戦車の登場で消えたのも、
戦車に対しなんら有効な攻撃方法を持たなかった歩兵がパンツァーファウストや
バズーカを持つようになり、有効な攻撃方法を持つようになったのも同様です。
戦術面としては、
ユーラシア大陸で猛威をふるったモンゴル騎兵も
ベトナムの林の中では大きな戦果をあげることはできなかった。
草原で戦車と随伴歩兵の部隊と歩兵が戦えば戦車側が有利だが
市街戦になるとどうなるかわからない。
なんで絶対有利じゃないと矛盾になるのですか?
もとはといえば、戦車が遠距離用の兵器でなく
現在の騎馬武者だといいたかったわけですが。
922 :
日本@名無史さん:01/12/30 22:03
>>914 >弓は接近戦で使わないかな
>流鏑馬(実戦での名称は知らないが)をどのように見るかで違うが。
>流鏑馬の騎兵の使用方法としての意見をききたいです。
オレは
>>902ではないが、答えておくよ。
現代の流鏑馬は曲芸。
馬上の射撃で真横の対象物を狙うには、事前に狙いを付けておく必要がある。
その上、前方に対して注意が不充分となる。
つまりお互いに動く戦場では使えない。
また馬体を敵に大きく晒すことになるので自分の危険も大きい。
昔の流鏑馬は走路(さぐり)からの距離実に三尺五寸。
非常な至近距離で擦れ違い様に射抜くものであった。
一般的に馬上で弓を使う場合には鐙を踏ん張ってやや腰を浮かせ、
体をひねって前方を狙うものであった。
大陸系の騎馬兵は短弓を使うので弓を馬首の右まで持って来て矢を
放つが、長弓を使う日本ではそれは難しく、馬首の左、斜め前方を
狙った。斜め前方の方が馬を駆けさせながらでもずっと狙い易い。
また静止して射撃する場合でも馬体をやや斜めにするだけで済むので
真横を狙うよりずっと安全である。
923 :
日本@名無史さん:01/12/30 22:05
>なんで絶対有利じゃないと矛盾になるのですか?
>もとはといえば、戦車が遠距離用の兵器でなく
>現在の騎馬武者だといいたかったわけですが。
遠戦・白兵の議論に関係が無いということになるからね。
貴方は確か戦車に対して戦車・歩兵混成軍が勝ったから白兵優位と
言ったんじゃなかったっけ?
924 :
日本@名無史さん:01/12/30 22:08
>近接状態でさえ刀ではなく弓に頼ろうとする傾向は「遠戦志向」ではないか
>というのが遠戦派の考えなのだが。
>「遠距離」「近距離」ではなく「遠戦」「白兵」の議論だろ。
>弓を使ったら遠戦志向と見なすと思うが。
遠距離戦派と白兵戦派を分かつのは、敵に白兵戦を挑めるほど
近づくかか否かだと思いますが。
なんで白兵戦で弓を使ってはいけないのですか。
>布陣して陣地を構築して……という場合は「状況次第」「戦術の工夫」だと
>既に散々書かれているのに、ここまでの前提を無視するようなレスは
>やめるべきだろう。
普通、構築物は敵の攻撃が届くか届かないかという地点までしか
造れません。(第一次世界大戦の野砲なら届きますが)
白兵戦に持ち込むなら、そこからワーッと近づけばいいわけですが、
遠距離戦で勝負がついたとすると、敵の矢や銃弾が届く場所で
構造物をくったり、盾を手にして留まらなければ敵に打撃を与えられません。
>敵の飛び道具の威力・命中率は距離が近いほど高いだろうが。
>そのまま前進する方が自殺行為だと思うがね。
>30メートル以内の距離では竹束でも銃弾を止められない。
敵の射程が有効な場所に留まるのと
一時、危険な状態になるのどっちが危険だか考えればわかります。
×射程が有効
○射撃が有効
926 :
日本@名無史さん:01/12/30 22:23
>>924 >遠距離戦派と白兵戦派を分かつのは、敵に白兵戦を挑めるほど
>近づくかか否かだと思いますが。
>なんで白兵戦で弓を使ってはいけないのですか。
そのような意見が出るという事は、貴方は一人だけ違う定義の中で
議論しているということかな。
「白兵戦を挑めるほど近づいた」のに「白兵(鑓・刀)を使わない」
というのが矛盾であることには思い至らなかったのかな?
>普通、構築物は敵の攻撃が届くか届かないかという地点までしか
>造れません。(第一次世界大戦の野砲なら届きますが)
>白兵戦に持ち込むなら、そこからワーッと近づけばいいわけですが、
>遠距離戦で勝負がついたとすると、敵の矢や銃弾が届く場所で
>構造物をくったり、盾を手にして留まらなければ敵に打撃を与えられません。
野戦でも「構造物」が出てくると城攻めの様相を呈するからまた別の話に
なるだろ。
お互いに防御具が竹束・板楯など互角で「いかに行動するか?」が
志向・傾向ということなんだからね。
お互いに攻撃が届く距離なんだから有利・不利という問題ではないぞ。
まして
>普通、構築物は敵の攻撃が届くか届かないかという地点までしか
>造れません。(第一次世界大戦の野砲なら届きますが)
>白兵戦に持ち込むなら、そこからワーッと近づけばいいわけですが、
という記述だとギリギリまで防御具に隠れるという発想すらなく、
相手が弓なら有効射程80m、相手が鉄砲なら有効射程100mを
駆け抜けなけるということになるのかな?
それはオススメできないね(笑)
近付くまでに相手の射撃を受けまくったあとで敵の温存されている白兵要員
まで相手にはできないよ。
927 :
日本@名無史さん:01/12/30 22:35
>>923 >遠戦・白兵の議論に関係が無いということになるからね。
だから、日本のこういう場所なら、弓より足軽が有利だとか
言えるけど、古今東西問わず遠距離攻撃を志向するのと
近接攻撃を志向するの
どちらかが"絶対的有利"なんてことは、
言えないといってるのですが。
>貴方は確か戦車に対して戦車・歩兵混成軍が勝ったから白兵優位と
>言ったんじゃなかったっけ?
元はといえば、
>>758で誰かが現在における歩兵の有用性をあげたのに対し、
>>770が白兵戦であることを否定し対戦車ミサイルを使っていると言い、
>>773で私が現在の戦車や歩兵の攻撃は、近接戦でないかと言い、
>>851が近接戦=白兵戦でないと言い、
>>855で私がバズーカや対戦車ミサイルで攻撃することは現在の白兵戦ではと言い、
>>856がバズーカが「重火器」だから遠距離用の武器でないと言い、
>>863で私が遠距離用の武器は野砲や航空機だと言い、近接戦が重要なのは面を制圧できるからだと言った。
どこでも白兵優位なんて言ってないよ。
928 :
日本@名無史さん:01/12/30 22:36
尤も足軽に普及した「長柄」という兵器自体、積極的に戦おうという
兵器だとも思えないんだけどね。
何しろ鑓のくせに「突く」ことに向いていない。
長柄の柄に使われた「打柄」は割り竹を束ねて麻布で巻き、漆を塗ったもの。
確かに軽いし、撓りがあるから折れにくい。だが撓るから突きにくい。
よって使用法は「叩く」と「槍衾」。これを集団でやる。
「叩く」「槍衾」……どうも相手に「頼むから来ないでくれ」と言っている
ように思える(笑)
結局「持鑓」を持って果敢に白兵戦闘を果たせたのは武士だけなんだろうね。
それでも足軽の動員があったということは、その「叩く」なり「鑓衾」なりを
集団でやられたら武士も近付くことが出来ないってことなんだろう。
白兵・遠戦にはあまり関係無いけどね。
929 :
日本@名無史さん:01/12/30 22:43
>>927 >だから、日本のこういう場所なら、弓より足軽が有利だとか
>言えるけど、古今東西問わず遠距離攻撃を志向するのと
>近接攻撃を志向するの
>どちらかが"絶対的有利"なんてことは、
>言えないといってるのですが。
有利だからやるんじゃなくて志向だからやるってことなんだけどね。
まあ「ワーッ」と近付いちゃうような人は絶対不利だと思うけど、
戦術として高度な域に達したものであれば白兵も遠戦も侮れない強さが
あると思うよ。
だからこそ戦場での実際の行動は志向に左右されるんだろうって話を
してるんだと思うけど。
>どこでも白兵優位なんて言ってないよ。
ありゃ勘違い。ゴメンナサイm(_ _)m
930 :
日本@名無史さん:01/12/30 22:55
ところで律令が機能していた頃には正規軍があったはずで、
「鉾」を装備していたと思うんだけど。
ところが武士の台頭後だと武士の弓、従者の薙刀。
鉾はなぜ薙刀に勝てなかったんだろうか。
鑓はあれだけ薙刀を押しのけて広まったのに。
931 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:01
>>926 >そのような意見が出るという事は、貴方は一人だけ違う定義の中で
>議論しているということかな。
>「白兵戦を挑めるほど近づいた」のに「白兵(鑓・刀)を使わない」
>というのが矛盾であることには思い至らなかったのかな?
例えば、刀で斬り合っていた騎馬武者の片方が逃げ出したのを
もう一方が弓で攻撃する。
騎馬武者が少し離れた敵に弓で攻撃する。
弓を持っている足軽が遮蔽物に隠れて近距離から敵を狙う。
白兵戦の最中に合理的な行動をとっただけであって別に矛盾してる訳ではありません。
まさか昔の人が、「今は、白兵戦なんだから槍や刀で攻撃しなくては。」
なんて思うわけないかと。
>お互いに防御具が竹束・板楯など互角で「いかに行動するか?」が
>志向・傾向ということなんだからね。
>お互いに攻撃が届く距離なんだから有利・不利という問題ではないぞ。
>まして
盾や構造物で防御しながら接近し留まることができるのは、
敵の射撃が有効でない距離まででしかないと言いたかったのですが。
>という記述だとギリギリまで防御具に隠れるという発想すらなく、
>相手が弓なら有効射程80m、相手が鉄砲なら有効射程100mを
>駆け抜けなけるということになるのかな?
>それはオススメできないね(笑)
>近付くまでに相手の射撃を受けまくったあとで敵の温存されている白兵要員
>まで相手にはできないよ。
ワーッというのは、ただの擬音で、なにも考えてないからワーッてわけじゃないですよ。
敵の有効射程外まで盛り土や盾で防御されながら進み、
そこから戦国時代なら竹を束にしたものなりを持って敵陣に向かうということですが。
よく資料などで鉄砲の弾を防ぎつつ近接するために竹を束めたものを持っていたと書かれるやつです。
これは、遠距離戦派の人が、どのようにすれば遠距離戦で決着がついたのか質問に、
盾に隠れながら前進し有効射程内に入り、そこで攻撃すると答えていたので。
それを否定しようとかいたわけです。
932 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:13
>927
誤解してたのか。
>851ではバズーカは遠距離用の武器じゃないかと言う意味で
「重火器」って使ったんだ。
>885では、槍、刀等の白兵武器以外を使ってる戦闘は
白兵戦じゃないって言った
だから俺は>890でお互いの定義が違ってるからすれ違ったんだ
言ってるんだよ・・・
>927
あなたは白兵有利とは言ってなかったね・・・。
チト熱くなってた。スマソ
騎馬武者の弓を白兵武器っていってたことに関して、
>926に書かれてある
>「白兵戦を挑めるほど近づいた」のに「白兵(鑓・刀)を使わない」
>というのが矛盾であることには思い至らなかったのかな?
ということを言いたかったんです。
934 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:21
>>931 >例えば、刀で斬り合っていた騎馬武者の片方が逃げ出したのを
>もう一方が弓で攻撃する。
それは追撃戦か白兵戦の延長か。まあこのぐらいなら白兵戦の
範疇かもしれないね。でも、
>騎馬武者が少し離れた敵に弓で攻撃する。
これは遠戦。
>弓を持っている足軽が遮蔽物に隠れて近距離から敵を狙う。
これも遠戦。遮蔽物に隠れて飛び道具ってそのまま遠戦派だぞ。
>白兵戦の最中に合理的な行動をとっただけであって別に矛盾してる訳ではありません。
>まさか昔の人が、「今は、白兵戦なんだから槍や刀で攻撃しなくては。」
>なんて思うわけないかと。
「志向」の議論なんだから、中世までなら
「太刀と弓を持っている。どちらを使おうか?」って考えた時に弓を使う「傾向」
があれば遠戦志向。(傾向だから絶対ではない)
戦国時代なら「鉄砲と鑓を持っている。どちらを使おうか?」って考えた時に
鉄砲を使う「傾向」があれば遠戦志向。
「どっちでも良い」状況での「行動の傾向」を「志向」と考えるのでは?
>盾や構造物で防御しながら接近し留まることができるのは、
>敵の射撃が有効でない距離まででしかないと言いたかったのですが。
構造物は動けないにしても、楯を敵の射撃が有効で無い距離までしか使わない
のであれば、楯を持つ意味が無い。貴方はちょいと極端ではないかな?
>敵の有効射程外まで盛り土や盾で防御されながら進み、
>そこから戦国時代なら竹を束にしたものなりを持って敵陣に向かうということですが。
>よく資料などで鉄砲の弾を防ぎつつ近接するために竹を束めたものを持っていたと書かれるやつです。
>
>これは、遠距離戦派の人が、どのようにすれば遠距離戦で決着がついたのか質問に、
>盾に隠れながら前進し有効射程内に入り、そこで攻撃すると答えていたので。
>それを否定しようとかいたわけです。
楯・竹束の使用は認めるんだね。竹束持って接近すると書くなら、
楯も持って接近すると書けばいいのに(笑)
戦国時代ぐらいまでだと彼我の兵器の質に大きな差がある場合ってのは
少ないから、弓矢鉄砲を使おうとすれば当然、敵の有効射程の中でも
あるんだよ。
でも白兵戦をする場合でも、自分の鑓の射程は敵の鑓の射程でもあるでしょ?
だから否定材料としては全く無意味。
当時の軍編成の中に白兵要員が全く無いとは誰も言っていない。
むしろ長柄などの方が数だけなら多い。
つまり向こうも白兵要員そのものは抱えているから、こちらが接近を
試みれば相手もそれなりの対処をするだろうね。
結局の所、遠戦派の主張はお互いに遠戦を志向する状況があるから成り立つし、
白兵派の主張は敵も白兵要員を抱えていることを忘れている。
935 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:25
936 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:27
>>932 927は、
>貴方は確か戦車に対して戦車・歩兵混成軍が勝ったから白兵優位と
>言ったんじゃなかったっけ?
というのを否定するために書いたわけで、
>>890の定義が違っていたということを認めてないわけじゃないですよ。
今でも、このスレで使われている白兵戦という言葉が
>>885のリンク先の厳密な白兵戦ではないと思ってますが。
937 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:35
「鉄砲と鑓を持っているが、できれば鑓で勝負をつけたい。」
「鉄砲と鑓を持っているが、できれば鉄砲で勝負をつけたい」
というぐらいまでは言っても不自然でないのでは? たとえば、
可児才蔵やら一騎駆けの連中は前者だろうし、言動から見るに
長宗我部やら伊達やらは後者を志向しているようだ。
なんかしばらく来ないうちに戦車やらバズーカの話になったの、
ここ? (藁
938 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:37
やあやあ我こそは
939 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:37
一騎駆けの連中の武勇伝が語られるということは、
逆説的に言えばチャンバラ好きが特殊な例であったということである。
>935,>936
俺は、>927でリンク先にある851などであって、923ではありません
ただ、対戦車戦闘、それに近距離での弓を白兵戦のように考えることが
おかしいと思い、>890のようなことを書いたわけです。
まあ、言いたいことは>933の後半を読んでいただければよろしいかと。
941 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:46
可児だって鑓だよな。鑓合わせともいうし、一本槍、とも言う。
戦国で槍でなく太刀を主武器として突入した例ってあるの?
942 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:51
>>941 近代騎兵がサーベルを持って突撃したぐらいかねぇ。
つーか馬上では鑓は扱いづらいって話があるんだけど、どうよ?
可児なんかも馬を下りて先駆けしたのかねぇ。
そういえば信長は桶狭間の合戦で自ら鑓を取り、馬を降りて戦ったと
『信長公記』に書いてあったな。
まあ乱戦になっちまったら馬に乗ってる方が死角は多いし的はデカイしで
不利だと思うけどね。
943 :
日本@名無史さん:01/12/30 23:58
>>騎馬武者が少し離れた敵に弓で攻撃する。
>これは遠戦。
馬を向けるまでもない敵への攻撃、刀の届く距離までの攻撃
それらは、白兵戦の一環だと思いますが。
>>弓を持っている足軽が遮蔽物に隠れて近距離から敵を狙う。
>これも遠戦。遮蔽物に隠れて飛び道具ってそのまま遠戦派だぞ。
藪の中で敵を引きつけて槍なり弓で攻撃するのは、
近接戦であると思いますが。
>構造物は動けないにしても、楯を敵の射撃が有効で無い距離までしか使わない
>のであれば、楯を持つ意味が無い。貴方はちょいと極端ではないかな?
そこまでは、持って歩くのに向かない丈夫な盾があるということです。
>楯・竹束の使用は認めるんだね。竹束持って接近すると書くなら、
>楯も持って接近すると書けばいいのに(笑)
置くための大きな盾と区別するために竹束といいました。
別に他意はありません。
>白兵派の主張は敵も白兵要員を抱えていることを忘れている。
何処をどう読んだら、その結論に達するのでしょうか。
近接戦をする相手がいなかったら、近接戦なんてなりたたない。
そんなことは、全員判ってることだと思いますが。
>でも白兵戦をする場合でも、自分の鑓の射程は敵の鑓の射程でもあるでしょ?
>だから否定材料としては全く無意味。
敵に近づき近接戦を行うなら、彼我ほぼ対等の条件で戦うことができます。
>少ないから、弓矢鉄砲を使おうとすれば当然、敵の有効射程の中でも
>あるんだよ。
先程から申しているように、遠距離戦を行おうとすると攻める方が
敵・味方双方の有効射程距離内に入ると圧倒的に不利になります。
そこに留まることは、攻める側が大きな損害を受けると思いますが、
それについては、どう思っているのでしょうか。
944 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:03
>942
近代騎兵が甲冑を捨てているのは、遠戦兵器が発達しすぎて
無意味になったからだと思うが、つまり、砲撃で相手をかなり
無力化してから初めて突撃したのかな? リー将軍は
騎兵の意義は哨戒にありとか書いてたか。
945 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:05
>>943 まず竹束を持って歩けると考える人間が置き楯を持って歩けないと
考えるってのが不可解だな。勉強不足。
堅固に陣地を構築した相手と戦うのは攻城戦の様相を呈するからまた
別の話になると既に指摘したはずだから、質問自体も無意味。
地形・布陣など互角の場合を想定していなければ志向・傾向の議論には
不向きだろう。
遠距離戦で寄せ手が圧倒的不利になるような場所で、接近戦なら
対等に持ち込めるってのはどういう場所だ?
相手が高所に陣取って拳下がりの射撃をしてくる場所なら
寄せ手は接近のために多大な損害、白兵戦は坂上から追い落とす方が
ずっと有利だからこれも違う。
ホント、どんな場所だ?
946 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:21
>>944 近代騎兵に関して言えば誰だったか
「相手が陣地を固めていたら騎兵隊にできるのは飯炊きぐらい」
とかいう言葉があったし、
秋山好古将軍は「騎兵は騎兵と戦う」と言っていた。
日露戦争の頃にはコサック騎兵でさえ戦闘時には下馬して
狙撃師団と一緒に戦闘に参加する場合が多かったというし。
火器の発達は甲冑どころか騎兵そのものを無意味にするね。
もっとも戦国までの日本に純然たる騎馬隊はそもそも無くて、
基本は歩騎混成軍だけなんだけど。
947 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:26
>遠距離戦で寄せ手が圧倒的不利になるような場所で、接近戦なら
>対等に持ち込めるってのはどういう場所だ?
つまり、被害はあっても弾幕をがまんして接近戦に持ち込めば、
白刃を振るって近接戦闘力の弱い遠戦ユニットを蹴散らせる、
と言いたい訳だろ多分。
その「被害」がどのていどのもんか、ってことだよな。
ワープ航法とかそういうのがあれば白兵派圧倒有利?
>943
>馬を向けるまでもない敵への攻撃、刀の届く距離までの攻撃
>それらは、白兵戦の一環だと思いますが。
一環も何も、白兵戦の定義から離れてる。
くら近距離とは言っても刀の届く距離で弓を撃つかよ(w
>藪の中で敵を引きつけて槍なり弓で攻撃するのは、
>近接戦であると思いますが。
敵をひきつけて飛び道具と、敵をひきつけて槍を
一緒くたに考えるな(w
弓の有効射程内に引き付けるのを、なぜ白兵戦と混ぜる?
刀や槍の届く範囲まで引き付ける奴が居るか?
大体、白兵武器の届く範囲で、あえて不利な間合いの
遠戦武器を使ってることが近接戦だと言えるのか疑問。
白兵武器を使えばいいじゃない。
そっちの方が遠戦武器使うより強いんでしょ?
それをあえて遠戦武器を使ってるって事は遠戦志向って事なんだよ。
949 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:34
>>947 戦国時代の兵士ってのは百姓のおっさんだろう。略奪とか目当てで
従軍してるような連中が好き好んで命を的にして弾幕の中突っ込んで
いくかね?
訂正
×くら近距離
○いくら近距離
951 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:38
>>943 >何処をどう読んだら、その結論に達するのでしょうか。
>近接戦をする相手がいなかったら、近接戦なんてなりたたない。
>そんなことは、全員判ってることだと思いますが。
遠戦兵器しか持ってない相手をバッタバッタと切り倒すのも
白兵戦の内だけどね(笑)
相手の白兵要員まで考えに入れれば、接近さえできれば
有利だとか勝てるだとかいう発想は出てこないだろ。
江戸時代の攘夷派だって西洋人は白兵戦に弱いと思っていたから
接近すれば勝てると言っていたのであってね。
>敵に近づき近接戦を行うなら、彼我ほぼ対等の条件で戦うことができます。
>
>先程から申しているように、遠距離戦を行おうとすると攻める方が
>敵・味方双方の有効射程距離内に入ると圧倒的に不利になります。
>そこに留まることは、攻める側が大きな損害を受けると思いますが、
>それについては、どう思っているのでしょうか。
寄せ手が遠距離戦で圧倒的不利?
地形が互角ならまず互角だろう。
地形に差があれば「接近戦なら互角」も有り得ない。
952 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:58
>まず竹束を持って歩けると考える人間が置き楯を持って歩けないと
>考えるってのが不可解だな。勉強不足。
持って歩くように造られた竹束を持つように、
身を隠せるような大きな置き盾を持って歩けますか?
>堅固に陣地を構築した相手と戦うのは攻城戦の様相を呈するからまた
>別の話になると既に指摘したはずだから、質問自体も無意味。
>地形・布陣など互角の場合を想定していなければ志向・傾向の議論には
>不向きだろう。
攻める方、守る方がいる限り、どちらかが敵がいる城、丘、河の向こうの土地を
攻めることを想定しなくては、意味がないんじゃないか。
まさか、全くなにもない草原で戦が行われる訳じゃない。
それが、想定されないとすると、そりゃ弓矢鉄砲で勝負に勝てるよ。
>遠距離戦で寄せ手が圧倒的不利になるような場所で、接近戦なら
>対等に持ち込めるってのはどういう場所だ?
>相手が高所に陣取って拳下がりの射撃をしてくる場所なら
>寄せ手は接近のために多大な損害、白兵戦は坂上から追い落とす方が
>ずっと有利だからこれも違う。
>ホント、どんな場所だ?
城壁なり堀なりを乗り越えて白兵戦を行えば、敵の白兵部隊と
まあ互角だろ。
その前に死ぬかもしれないけど。
楠正成と幕府軍が戦ったとき、なんで幕府軍が山をよじ登ろうとしたか、
考えればわかる。
>敵をひきつけて飛び道具と、敵をひきつけて槍を
>一緒くたに考えるな(w
>弓の有効射程内に引き付けるのを、なぜ白兵戦と混ぜる?
>刀や槍の届く範囲まで引き付ける奴が居るか?
敵の不意をつく場合は、できるだけ引きつけるのが当たり前でしょ。
藪の中から弓をうって、その後、槍で攻撃しようとしないか。
遠くから弓をうってたら、槍で攻撃できないじゃん。
>大体、白兵武器の届く範囲で、あえて不利な間合いの
>遠戦武器を使ってることが近接戦だと言えるのか疑問。
>白兵武器を使えばいいじゃない。
>そっちの方が遠戦武器使うより強いんでしょ?
>それをあえて遠戦武器を使ってるって事は遠戦志向って事なんだよ
不意をつく、槍や刀を使うには遠い距離にいる敵にうつ、そう言ってるんですよ。
953 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:06
>>947 >>948 それじゃあ、どうやって城を攻め落としたのでしょうか。
すべて、囲んだだけで降伏したり、兵糧攻めで陥落したりしたのですか?
954 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:13
>>953 後詰がなきゃわりとあっさり降伏したり逃亡したりしてるよ
城を枕に城兵ことごとく討ち死になんて落城シーンは滅多にない
責める方も無理攻めは被害が大きいからなるべく交渉開城で済ませよう
としてたし
955 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:18
>>954 それは、重々承知していますが、
前線の重要拠点となる城なら後詰めがやってくるのを期待して長く籠城しますし、
最後の城なんてなると、郭が落ちるぐらいまで戦って自害なり逃亡なりすることも多いでしょ。
それを言いたかったんで。
956 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:28
>>952 >持って歩くように造られた竹束を持つように、
>身を隠せるような大きな置き盾を持って歩けますか?
竹束のサイズがどのくらいで楯のサイズがどのくらいだと?
従来の楯だと銃弾が貫通したり楯が衝撃で倒れたりするから竹束が
出てきたんであって、持ち歩くための竹束・置いておくための楯
という構図では無いぞ。
楯も抱えて前進できるように作られている。
>攻める方、守る方がいる限り、どちらかが敵がいる城、丘、河の向こうの土地を
>攻めることを想定しなくては、意味がないんじゃないか。
>まさか、全くなにもない草原で戦が行われる訳じゃない。
>それが、想定されないとすると、そりゃ弓矢鉄砲で勝負に勝てるよ。
じゃ遠戦派の勝ちですよ(笑)
陣地を築く暇もなく行われた野戦てのはまあ割合としては低いが、
無いわけじゃあないからね。
で構築された陣地を攻めるためなら白兵戦?
それも無理。
陣地や城ってのは敵を接近させないように、つまり白兵戦に持ち込まれない
ように作られるものだからね。
充分なだけの射撃による援護がなければ白兵突撃はまず無意味だよ。
で充分な射撃による援護ってのは敵の攻撃をかなりの部分まで封じることの
できる援護。つまり飛び道具で勝てなければ突撃は無理ってことだよ。
>城壁なり堀なりを乗り越えて白兵戦を行えば、敵の白兵部隊と
>まあ互角だろ。
>その前に死ぬかもしれないけど。
乗り越えることが「出来て」、しかも「一対一」なら互角だね。
乗り越えるために出した損害で自軍の白兵要員が敵の白兵要員より
少なくなったら勝てないじゃん(笑)
しかも城壁や堀を乗り越えるってどんな事だか分かって言ってるのか?
>楠正成と幕府軍が戦ったとき、なんで幕府軍が山をよじ登ろうとしたか、
>考えればわかる。
兵力が互角で援護射撃も無しでそれをやって敵に勝った例を
上げてみて欲しいね。
>不意をつく、槍や刀を使うには遠い距離にいる敵にうつ、そう言ってるんですよ。
不意をつくってのは戦術の範疇だと思うぞ。
鑓や刀を使うには遠い距離にいる敵にうつ?
貴方は確か敵の有効射程圏内では立ち止まらないと言っていなかったか?
遠い敵に矢を放つためには自分が同じことをされるリスクを伴うよ?
矛盾したことを言うなよ。
957 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:39
>>956 遠くから弓を打っても防御を固めた敵への打撃にはな
らないってことだろ。
そういう状況を突破しないと勝ち戦にならないんだが(W
958 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:43
野戦陣地ってのは、兵力で劣勢な側が防御によって優勢な敵に対抗するために構築されるものだ
敵の機動を阻害するために障害を構成し、部隊の防護のために陣地を構築する
しかし、機関銃ならまだしも前装滑腔銃の突撃破砕射撃でどれだけ突撃を頓挫させられるだろうか(藁
弾幕について言及する遠戦君もいるが、弾幕と呼べるほどの密度の火網が構成できるとは思えない
キルゾーンについても、面と言うより線といったほうがいい代物だ
それ故にこそ陣地と火力の編成が重要となってくる
攻撃する側も、それなりの見積を立てて成功の公算があるから突撃するのであって、
公算がなければ突撃などしない
射撃戦で勝てなければ突撃しないなんて当たり前だ(藁
普通は攻撃する側が兵力的な優勢を保持しているからだ
何度も述べられているように攻撃側も戦闘展開支援射撃や突撃準備射撃、
攻撃支援射撃を行う
それらの行動は最終的には突撃によって敵を撃破するために行うものだ
故に、射撃は白兵による突撃に従属する作戦行動と言わねばならない
959 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:46
>>957 敵の飛び道具を沈黙させないと突撃は難しいってことだよ。
だから実質的に勝負を決めるのは火力ってことだ。
別に遠くからってことはなく、かなり近い場所からやるんだよ(笑)
『信長公記』に若い頃の信長が自ら堀の近くまで進んで敵城の狭間を
狙撃して突入を援護した話なんかがある。
敵の火力を抑えにゃ突撃は難しいってこった。
960 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:50
>>955 >最後の城なんてなると、郭が落ちるぐらいまで戦って自害なり逃亡なりすることも多いでしょ
だからそういうのは滅多にないんだってば。
そう言う場合はほとんど城主は降伏するか逃走するかするし攻撃側も
それを許すのよ。
961 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:52
>しかし、機関銃ならまだしも前装滑腔銃の突撃破砕射撃で
>どれだけ突撃を頓挫させられるだろうか(藁
>弾幕について言及する遠戦君もいるが、
>弾幕と呼べるほどの密度の火網が構成できるとは思えない
相手を驚かすことが重要かと。
所詮、軍の大半は農民だ。わざわざ自分の命をさらしはしない。
突撃の後に軍の勝利があるよりも、
突撃を避けて、自分の命が在ることのほうが重要だろう
>射撃戦で勝てなければ突撃しないなんて当たり前だ(藁
それって、射撃戦で大勢が決まってるって事では?
962 :
日本@名無史さん:01/12/31 01:55
降参すれば半分の所領は安堵とか1/3は保証とか、
そういう決まったルールもあったし。宗教戦争じゃないんだから
一族全滅するよか半分財産残して本人も家族も生き残れる、
て方を選ぶのが普通。
963 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:03
>竹束のサイズがどのくらいで楯のサイズがどのくらいだと?
>従来の楯だと銃弾が貫通したり楯が衝撃で倒れたりするから竹束が
>出てきたんであって、持ち歩くための竹束・置いておくための楯
>という構図では無いぞ。
>楯も抱えて前進できるように作られている。
竹束だけじゃなくて、丈夫な木も盾にして持ち歩いたことは、知ってますよ。
置いておく盾を持ち運ぶための盾のように持ち運べるのか聞いたのですけど。
まさか、置いておくための盾と持って歩くための盾が同じ防御のための機能を
持っているわけないでしょ。
>陣地を築く暇もなく行われた野戦てのはまあ割合としては低いが、
>無いわけじゃあないからね。
大規模な土木を伴う陣地をもちいた野戦はすくなくても、
地形を活かしたり、木を使った障害をつくったり、置き盾を置いたりするでしょ。
>で構築された陣地を攻めるためなら白兵戦?
>それも無理。
>陣地や城ってのは敵を接近させないように、つまり白兵戦に持ち込まれない
>ように作られるものだからね。
そら、陣地は、白兵戦に持ち込まれるのをすこしでも遅らせるためのものだよ。
>充分なだけの射撃による援護がなければ白兵突撃はまず無意味だよ。
>充分な射撃による援護ってのは敵の攻撃をかなりの部分まで封じることの
>できる援護。つまり飛び道具で勝てなければ突撃は無理ってことだよ。
あのー近接戦を行うには、近接武器だけを使え、
飛び道具の援護なんていらん。
とは、一言も言ってませんが。
勝手につくらないでくださいよ。
>乗り越えることが「出来て」、しかも「一対一」なら互角だね。
>乗り越えるために出した損害で自軍の白兵要員が敵の白兵要員より
>少なくなったら勝てないじゃん(笑)
>しかも城壁や堀を乗り越えるってどんな事だか分かって言ってるのか?
そら、江戸城や駿府城の堀や塀を乗り越えろなんて言いませんよ。
あんなのは、無理ですよ。
乗り越えるといっても門を破ればいい場合もあるし、
戦国期以前のほとんどの城は、そんな立派な堀や塀じゃないじゃないですか。
>兵力が互角で援護射撃も無しでそれをやって敵に勝った例を
>上げてみて欲しいね。
本当に、援護射撃なぞ要らないなんて何処でいいました?
それに、攻城戦で彼我の兵力差がない場合なんてありますか?
>鑓や刀を使うには遠い距離にいる敵にうつ?
>貴方は確か敵の有効射程圏内では立ち止まらないと言っていなかったか?
>遠い敵に矢を放つためには自分が同じことをされるリスクを伴うよ?
>矛盾したことを言うなよ。
近接して弓を放つ状況、つまり、ある種の伏兵のことを説明したら
なんで、全体に波及させるのですか?
わけがわかりません。
964 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:07
>>961 成る程、遠戦君の主張は心理的効果か
確かに射撃で混乱した例は皆無ではないだろうが、混乱しない場合も十分有り得る
しかし、物理的効果の伴わない突撃破砕射撃に精神的効果が果たしてあるだろうか?
むしろ、銃兵を防護し、敵をキルゾーンに拘束するために
防御側も白兵による近接戦闘を行わねばならない
すなわち、防御側にとっても白兵戦は重視しなければならない
戦闘の焦点は射撃よりもむしろ攻撃側の突撃と防御側の逆襲、更に攻撃側の対逆襲の拮抗にある
野戦築城と火力だけで突撃を破砕できる訳ではない
射撃戦が重要でないなどとは言ってない
何度も言うが、射撃とは白兵戦のために行う行動だ
射撃戦で優位に立つことと、射撃戦で戦闘の大勢が決まることとは全く違う
最終的に戦闘の帰趨を決めるのが突撃にあることは否定できない筈だ
965 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:08
>>960 >>962 それも判っていますが、
北条早雲と三浦義同の荒井城の合戦とか
小谷城とかもあるでしょ。
両方とも大勢が決まってから自害するなり逃亡しろとなった。
そういうときは、どうしたんだよと言いたかっただけなので。
966 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:14
攻城戦に関する全ての議論は無駄では?
だって白兵派も「兵力の優性」が必要なことは認めてるし。
・兵力劣勢
・射撃で撃ち負け
・陣地もそれほど堅固じゃない(
>>963氏の発言より)
これなら志向や主義に関係なく負けると思うけど(笑)
967 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:20
>>958 >しかし、機関銃ならまだしも前装滑腔銃の突撃破砕射撃でどれだけ突撃を頓挫させられるだろうか(藁
日露戦争の旅順攻略戦において機関銃の強さが語られる事が多いが、
実は旅順要塞に配備されていた機関銃は10挺に過ぎなかった。
日本側の第三軍に40挺以上の機関銃が配備されていたことを考えれば
……とまあそれはいいが、その理論は「自軍の多少の損害は構わない」
場合だけなんだよな。
それに火縄銃の間をつなぐのに弓も使われたし、至近まで迫った敵には
投石も有効。
農兵主体の当時の軍、しかも「負傷した味方を連れ帰る」ことが恩賞の対象と
なる時代だけに、眼前で倒れる味方を踏み越えてってな話は期待薄。
つまり「突入が容易である」状況を作り出す事が肝要で、そのためには
制圧射撃が必須。
『信長公記』に若い頃の信長が自ら援護射撃を買って出て、敵城の堀際まで
進んで敵城の狭間を狙撃した話がある。多分実際の城攻めではごく至近距離で
援護射撃と防御射撃が行われたのだろう。
連射が利かぬ分「狙撃」に比重があったとすれば至極もっともな話である。
>射撃戦で勝てなければ突撃しないなんて当たり前だ(藁
それは遠戦派の勝利だと思うが(笑)
>普通は攻撃する側が兵力的な優勢を保持しているからだ
兵力劣勢で射撃戦でも負けたら志向も主義もなく負けるよね。
遠戦・白兵の話から逸脱してるような。
968 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:25
>しかし、物理的効果の伴わない突撃破砕射撃に精神的効果が果たしてあるだろうか?
ないとは言ってない。ダメージはあるんだよ。かなりね。
しかし突撃を頓挫させるには、精神的効果の方が重要なんだよ
>銃兵を防護し、敵をキルゾーンに拘束するために
>防御側も白兵による近接戦闘を行わねばならない
>すなわち、防御側にとっても白兵戦は重視しなければならない
だれも白兵戦がないとは言ってないよ。遠距離部隊を守るために必要だとは言ってる。
だいたい、キルゾーンに拘束するために白兵戦を行うんだったら、
キルゾーンに拘束してダメージを与えることが主目的であって、
白兵戦そのものの効果は二の次だろ
そこから、
>戦闘の焦点は射撃よりもむしろ攻撃側の突撃と防御側の逆襲、更に攻撃側の対逆襲の拮抗にある
この結論が導き出される過程が意味不明だよ。
>射撃戦で優位に立つことと、射撃戦で戦闘の大勢が決まることとは全く違う
>最終的に戦闘の帰趨を決めるのが突撃にあることは否定できない筈だ
うん?
要するに射撃戦で勝った方のみが突撃できるって事でしょ?
>射撃戦で勝てなければ突撃しないなんて当たり前だ(藁
って言ってるんだし。
射撃戦の勝利がなければ、突撃戦が行えない
つまり、白兵戦での勝利もまた、ありえないんだよ。
969 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:26
>967
第一次大戦当時、機関銃一丁で一個大体をストップできる、
と言われていた。大体ったら800−1000人・・
突撃したら全部殺されるから、でわない。隣で櫛の歯が抜ける
ように倒れるのを見たら、怖くて前進などできないからである。
970 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:28
>>963 >竹束だけじゃなくて、丈夫な木も盾にして持ち歩いたことは、知ってますよ。
>置いておく盾を持ち運ぶための盾のように持ち運べるのか聞いたのですけど。
>まさか、置いておくための盾と持って歩くための盾が同じ防御のための機能を
>持っているわけないでしょ。
むしろ竹束の方がずっとサイズの大きいものばかりなんだが(笑)
置き楯そのものが持ち運べるように出来ている。
より簡単に持ち運べる持ち楯も存在したがね。
>あのー近接戦を行うには、近接武器だけを使え、
>飛び道具の援護なんていらん。
>とは、一言も言ってませんが。
>勝手につくらないでくださいよ。
いや。アンタの発言はそう読める。
何しろ
>>910で
>そして、自分たちよりも守りが固められている敵軍に対して
>弓矢や鉄砲をうちかける。
>自殺的行為ではないですか。
>そんなところで立ち止まるなら、そのまま前進して接近戦を
>いどむ方がましだと思いますが。
と言ってるだろ。つまり後方から援護射撃するのも接近し切る前に
飛び道具を使うのも「自殺行為」ということだろうが。
>そら、江戸城や駿府城の堀や塀を乗り越えろなんて言いませんよ。
>あんなのは、無理ですよ。
>乗り越えるといっても門を破ればいい場合もあるし、
>戦国期以前のほとんどの城は、そんな立派な堀や塀じゃないじゃないですか。
門こそ一番守りの堅い所なんだがね(笑)
平城ばかりでなく、山城など色々な城に目を向けては如何かな?
地形効果ってのはなかなかのものがあるよ。
>それに、攻城戦で彼我の兵力差がない場合なんてありますか?
兵多きが勝つってのは志向も何も関係無い話になるからね。
>近接して弓を放つ状況、つまり、ある種の伏兵のことを説明したら
>なんで、全体に波及させるのですか?
>わけがわかりません。
オレはアンタの言ってることがよくわからんよ。
言ってることをコロコロ変えているようにしか見えん。
971 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:30
>964
ほら。
>969には、たとえ全滅しなくても怖くて前進できないって書いてるよ(w
精神的効果は絶大です
972 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:32
>>969 戦国時代、先手の二、三人を打ち倒せば敵の突撃は撃退できると
されていた。
先頭を行くものが撃ち殺されるのは後に続く者の士気に関わるからである。
973 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:35
>>964 >しかし、物理的効果の伴わない突撃破砕射撃に精神的効果が果たしてあるだろうか?
戦国時代ぐらいまでだと堀や土塁の前で足が止まる所を狙撃するというのが
火縄銃の最も有効な攻撃法だったと思いますけど。
これは確実にダメージがありますよ?
『佐竹伊賀働書』など至近距離での狙撃で敵の突撃を防ぎ、
城砦を守り切った話はありますからね。
>むしろ、銃兵を防護し、敵をキルゾーンに拘束するために
>防御側も白兵による近接戦闘を行わねばならない
つまり陣地の内側から射撃するには陣地の外で白兵戦をしないといけないと?
なんだかアベコベ、つーか味方が危ないから射撃できないよ。
>射撃戦が重要でないなどとは言ってない
>何度も言うが、射撃とは白兵戦のために行う行動だ
>射撃戦で優位に立つことと、射撃戦で戦闘の大勢が決まることとは全く違う
>最終的に戦闘の帰趨を決めるのが突撃にあることは否定できない筈だ
だが射撃で勝てないやつは突撃でも勝てるわけが無いってのは
貴方も認めている。射撃の段階で勝敗は決まってると思うけど?
974 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:37
つーかそろそろ新スレか。誰が立てる?
訂正
『佐竹伊賀働書』→『佐武伊賀働書』
攻城戦に関する全ての議論は無駄では?
だって白兵派も「兵力の優性」が必要なことは認めてるし。
・兵力劣勢
・射撃で撃ち負け
・陣地もそれほど堅固じゃない(
>>963氏の発言より)
これなら志向や主義に関係なく負けると思うけど(笑)
977 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:48
>>967 やれやれ、自分は日露の話などしてないんだがな
自分は突撃の条件を作為するためには射撃も重要と言っただけで、
どう曲解すれば「遠戦派の勝利」となるのだ?
通常、野戦では兵力劣勢な側は防御戦術を採用し、野戦築城を実施して
防御戦闘により相対戦闘力の差を埋めようとする
これに対して兵力優勢な側は敵を撃破するためには陣地攻撃を行う
その際の戦闘の実相について議論しているのだろう?
どこが逸脱しているのだ?
>>968 短射程低精度低発射速度の前装滑腔銃では火力のみで突撃を破砕することは難しい
攻撃側にすれば、防御側の逆襲を封止してしまえば火力戦部隊を蹂躙することは困難ではない
故にこそ両軍の白兵戦が重要となる
理解できたかな?
攻撃側が射撃戦で敵の火力戦部隊を圧倒できたからといって、
それがすなわち陣地に防護された防御部隊を撃破することを意味する訳ではない
遮蔽物に防護された部隊に対し、射撃は決定的な効果を上げられないからだ
故に、突撃により敵を撃破し、陣地を制圧する必要がある
そのためには射撃によって突撃を支援しなければならないと考える
しかし、貴方の言うように射撃のみに頼って陣地攻撃が可能ならば
こちらも認識を改めざるを得ない
で、どうやってやるんだ?
978 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:54
>>970 >むしろ竹束の方がずっとサイズの大きいものばかりなんだが(笑)
>置き楯そのものが持ち運べるように出来ている。
>より簡単に持ち運べる持ち楯も存在したがね。
盾については、あまり詳しくなく、軽く本を読んだだけなので
置いておくための盾と持ち歩くための盾があると思ってました。
どうも、すみません。
>>そして、自分たちよりも守りが固められている敵軍に対して
>>弓矢や鉄砲をうちかける。
>>自殺的行為ではないですか。
>>そんなところで立ち止まるなら、そのまま前進して接近戦を
>>いどむ方がましだと思いますが。
>と言ってるだろ。つまり後方から援護射撃するのも接近し切る前に
>飛び道具を使うのも「自殺行為」ということだろうが。
910では、遠戦派の言うように留まって敵と射撃だけをしていたら危険だといってるのですが。
白兵戦をする部隊が近づいていくなら、そちらを狙うだろうし、
条件が変わってきますが。
だから、一部を全部に拡大するのは、やめてください。
>門こそ一番守りの堅い所なんだがね(笑)
>平城ばかりでなく、山城など色々な城に目を向けては如何かな?
>地形効果ってのはなかなかのものがあるよ。
このスレは、合戦でどのように戦ったかというすれなので
敵将が逃亡したり降伏したりしないで、戦うことを選択されたときのことを考えると、
山城の場合は、道が山を登っている順に郭を造られているので
下から一つ一つ落としていくしかない。
>兵多きが勝つってのは志向も何も関係無い話になるからね。
同じ数どうしの兵隊が戦うことのほうが特殊な例で、
それを中心にかたられても。
>オレはアンタの言ってることがよくわからんよ。
>言ってることをコロコロ変えているようにしか見えん。
私もある部分のことを説明したら、無理矢理、全部に適用する
あなたの気が知れません。
979 :
日本@名無史さん:01/12/31 02:55
>>973 自分は火力と野戦築城の連携について964で言及している
頼むからよく読んでくれないだろうか
突撃破砕射撃を正面射と誤解していないか?
突撃破砕射撃は斜射側射が基本、時には背射も行うのだがな
おっと間違えた
言及したのは958だった
申し訳ない
981 :
日本@名無史さん:01/12/31 03:02
そろそろ軍事板に帰れば?
982 :
日本@名無史さん:01/12/31 03:10
>>979 >突撃破砕射撃を正面射と誤解していないか?
>突撃破砕射撃は斜射側射が基本、時には背射も行うのだがな
大抵の城攻めや陣地戦てのは正面射だと思うが?
983 :
日本@名無史さん:01/12/31 03:13
>977
おいおい
>短射程低精度低発射速度の前装滑腔銃では火力のみで突撃を破砕することは難しい
撃破するとは言ってない。
よく見ろ。精神的効果で突撃を頓挫させると言ってるんだ。
>571、>572もついでに見ろ(w 精神的効果が書いてあるだろうに。
>攻撃側にすれば、防御側の逆襲を封止してしまえば火力戦部隊を蹂躙することは困難ではない
>故にこそ両軍の白兵戦が重要となる
>理解できたかな?
理解できね(藁
攻撃側が、何を持って防御側の逆襲を封止するというんだよ?
そもそも遠戦で負けてる方は突撃しないんだろ?
つまり、遠戦で負けてる方からの弓、白兵部隊からの逆襲はないし、
勝っていれば逆襲する必要はないはずだ。あんたの論理で言えばな
>遮蔽物に防護された部隊に対し、射撃は決定的な効果を上げられないからだ
>故に、突撃により敵を撃破し、陣地を制圧する必要がある
だから、射撃戦で勝ってないと、陣地制圧のための突撃が行えないんだよ。
それは自分で認めたことだろ?
>貴方の言うように射撃のみに頼って陣地攻撃が可能ならば
>こちらも認識を改めざるを得ない
あのなぁ。俺は射撃のみで突撃を頓挫させることができるって言ったんだ。
それを陣地攻撃にまで拡大解釈すな(w
まぁ、射撃のみで陣地攻撃はできる。しかし、彼らを殺し尽くすことは不可能だ。
射撃で勝てば、その後に殲滅戦、つまり、後始末のためのが白兵戦があるんだよ。
相手が逃げれば追撃戦。おわかり?
城については言及しない。
>976にもあるように無駄だ。
984 :
日本@名無史さん:01/12/31 03:14
>>じゃ遠戦派の勝ちですよ(笑)
もう負けをみとめるよ。
兵数は同数かそれに近い
地形は問わない
どちらが攻めるか問わない
白兵戦主体なら、援護射撃をしない
こんな特殊なケースとなる前提を提示もせずに
どんどん造られて語られたら、どうしようもない。
しかも条件が異なるケースも一緒くたにされるし。
拡大解釈されるし。
自分が想定していた戦いは、
攻める方の兵が多い
守る方の地形が攻める側と比べて優位
どちらかが攻めてきて合戦になる
援護射撃があって、白兵戦に臨む
だったんだけどなあ。
リンク先の訂正
×>571、>572
○>971、>972
986 :
日本@名無史さん:01/12/31 03:18
軍事板へ・・・
987 :
日本@名無史さん:01/12/31 03:18
>>977 >短射程低精度低発射速度の前装滑腔銃では火力のみで突撃を破砕することは難しい
でも障害物+狙撃で拠点を守り切った例はたくさんあるけど?
陣地防御の話なんだから、その辺はどうするの?
>攻撃側にすれば、防御側の逆襲を封止してしまえば火力戦部隊を蹂躙することは困難ではない
>故にこそ両軍の白兵戦が重要となる
>理解できたかな?
1577年・雑賀攻め
織田軍:総勢10万(フロイス『日本史』より)
雑賀衆:総勢数千
小雑賀川を挟んでの攻防では、川岸に柵を築いて待ち受けた雑賀衆が、
川を渡ってくる織田軍を川岸ギリギリまで引き付けて射撃。
織田軍はついに突破できなかった。
別にこんな極端な例でなくても、白兵戦を伴わずに
大軍の攻撃から拠点を守り切った例はいくらでもあるけどね。
軍事知識もいいけど、戦国合戦の実態に迫るにはそれだけではダメでは?
988 :
日本@名無史さん:01/12/31 03:24
>984
なるほど。あなたはずっと実際の戦場ではなく
頭の中の仮想フィールドにコマを並べて
遠戦派と論争してたわけですか・・・。
戦国時代の合戦がどういうスタイルだったかを
資料などから見て分析するはずだったんだが。
いつの間に遠戦派、白兵派の脳内空間でのバトルを語るスレになったんだろうか
軍板から来た白兵派で、
いきなり遠戦派を肯定したイタいのも混じってるし・・・
>>987 やれやれ、火力と野戦築城の連携については何度も述べていた積もりだったんだがな
984じゃないが俺も疲れた
軍事知識で語っちゃ駄目なら俺もスレ違いだったな
消えるわ
990 :
日本@名無史さん :01/12/31 04:16
忍者の活躍が気になる
991 :
日本@名無史さん:01/12/31 04:21
軍事板の人たちが「何度も述べた」という「火力と野戦築城の連携」について
拾ってみたんだが……
>しかし、機関銃ならまだしも前装滑腔銃の突撃破砕射撃でどれだけ突撃を頓挫させられるだろうか(藁
>弾幕について言及する遠戦君もいるが、弾幕と呼べるほどの密度の火網が構成できるとは思えない
>キルゾーンについても、面と言うより線といったほうがいい代物だ
>それ故にこそ陣地と火力の編成が重要となってくる
>確かに射撃で混乱した例は皆無ではないだろうが、混乱しない場合も十分有り得る
>しかし、物理的効果の伴わない突撃破砕射撃に精神的効果が果たしてあるだろうか?
>むしろ、銃兵を防護し、敵をキルゾーンに拘束するために
>防御側も白兵による近接戦闘を行わねばならない
>すなわち、防御側にとっても白兵戦は重視しなければならない
>戦闘の焦点は射撃よりもむしろ攻撃側の突撃と防御側の逆襲、更に攻撃側の対逆襲の拮抗にある
>野戦築城と火力だけで突撃を破砕できる訳ではない
といった具合でどう見ても射撃+障害物だけでは守り切れないと言っている。
負け惜しみか?
992 :
日本@名無史さん:01/12/31 04:23
993 :
日本@名無史さん:01/12/31 04:31
結局は
>第一次大戦当時、機関銃一丁で一個大体をストップできる、
>と言われていた。大体ったら800−1000人・・
>突撃したら全部殺されるから、でわない。隣で櫛の歯が抜ける
>ように倒れるのを見たら、怖くて前進などできないからである。
>戦国時代、先手の二、三人を打ち倒せば敵の突撃は撃退できると
>されていた。
>先頭を行くものが撃ち殺されるのは後に続く者の士気に関わるからである。
ってことだろ。軍オタさんには悪いけど(ワラ
958 :日本@名無史さん :01/12/31 01:43
野戦陣地ってのは、兵力で劣勢な側が防御によって優勢な敵に対抗するために構築されるものだ
敵の機動を阻害するために障害を構成し、部隊の防護のために陣地を構築する
しかし、機関銃ならまだしも前装滑腔銃の突撃破砕射撃でどれだけ突撃を頓挫させられるだろうか(藁
弾幕について言及する遠戦君もいるが、弾幕と呼べるほどの密度の火網が構成できるとは思えない
キルゾーンについても、面と言うより線といったほうがいい代物だ
それ故にこそ陣地と火力の編成が重要となってくる
とも言ってますね。
遠戦派もちょっと見苦しいですね。
>>983 >戦国時代、先手の二、三人を打ち倒せば敵の突撃は撃退できると
>されていた。
>先頭を行くものが撃ち殺されるのは後に続く者の士気に関わるからである。
要はこれが正しいかどうかだろ?
絶対正しいのか?
997 :
日本@名無史さん:01/12/31 04:41
>>994 それ、
>>991でも引用されてるけどさ、実際に鉄砲+障害物だけで敵を
追い払った例があるわけで、これは「突撃を頓挫させた」と言えるのでは?
相手がロボット軍団ならまだしも、生身の人間なんだから
机上の論理通りにはいかないよ。
998 :
日本@名無史さん:01/12/31 04:44
>>995 世の中絶対は無い。どっちの言い分に対してもね。
誰か新スレ立ててくれ。
1000 :
日本@名無史さん:01/12/31 04:45
今いくつ?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。