旗本・御家人について、人物・職制・エピソード何でも
語っておくんなまし。
退屈の虫が騒ぎ始めたようじゃ。
ハッハッハッハッ!ハッハッハハッ!
3 :
日本@名無史さん:01/10/23 23:39
大奥にあがった女の人がお手つきになると
その男の兄弟は200石の旗本に取り立てられ
子供が生まれると、さらに加増。
このような血統や能力に関係ない粗製乱造の旗本もかなりいた。
4 :
日本@名無史さん:01/10/24 09:56
いえみつのころまで
ぼ−なす?(きん)がでていた
5 :
日本@名無史さん:01/10/24 14:51
無役の代名詞小普請の御家人って毎日なにしてたの? 特に本所あたりに住む
黒羽二重に落とし差しの不良御家人。ゆすりかな?
喜連川家って5000石取りの旗本なのに格式は10万石の大名並だと聞いたんだけど何で?
また交代寄合って旗本なのになんで参勤交代するの?
御家人と旗本は仲良かったの?
誰か教えてくんろ。
6 :
日本@名無史さん :01/10/24 22:27
>喜連川家って5000石取りの旗本
喜連川家(足利)の血統を重んじたからでしょ。
>交代寄合って旗本なのになんで参勤交代するの?
旗本でも石高の多い大身旗本は参勤交代もしますよ。蔵米じゃなく、ちゃんと
領地を与えられてる者に限られるけど。
7 :
日本@名無史さん:01/10/25 01:33
浪人(牢人)のことになるけど、主家に逆らって奉公御免になった武将は、
各藩主に”何処の大名家に立ち寄ろうとも召抱えないように”と
回し状(奉公構い)が送られ浪人になるしかなかった。
1623年、京都で牢人払いが行われ、町人になってもいつか何処の主家に仕える
意思がないことを誓わなければ京都追放の対象になった。
1632年、家光の治世になるまでこのようなことが行われていたらしく、
浪人(牢人)は毎年1万人くらいずつ増えたようです。
8 :
日本@名無史さん:01/10/25 10:18
>5
げんそくじたくたいきだけど はいとざんまい?
はたもと>>>>>>>>>ごけにん
9 :
日本@名無史さん:01/10/25 17:45
>6
そうだったんですか。
それじゃーもう一ついいですか。
旗本が諸大夫職について任官したとき従五位下朝散大夫について
何々の守と名乗りますが人気の守とかあったんですか。(含む頭、正)
またなぜ小栗氏はあえて上野介を名乗ったのでしょうか。
介は守より落ちると思うのですが。
10 :
日本@名無史さん :01/10/25 18:16
別に人気のものはないんじゃないかな。何々の守とかもこの家じゃないと
名乗れないとか予約されているものもあるし・・・・。
上野介を名乗ったのは吉良上野介と同じように、上野守というものは
ないんですよ。上野、常陸、上総とかは親王が治めてたところだから
守ではなく次の介を名乗ったのでしょう。強引に名乗ろうと思えば
名乗れたんだろうけど・・・・。秀吉の時代には琉球守とかもあった
らしいから。
11 :
日本@名無史さん:01/10/25 19:16
旗本と御家人の
本質的な違いは
何ですか?
12 :
日本@名無史さん :01/10/25 20:39
13 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/25 20:43
私のご先祖様の一つは、八王子千人同心(「千人組」の多摩
郷士)で、御家人株を買い御家人になったそうです。
苗字は内藤。
14 :
日本@名無史さん:01/10/25 20:46
15 :
日本@名無史さん:01/10/25 20:56
>>14 基本的に
三河以来の直参=旗本(将軍に謁見できる)
その他=御家人(将軍に謁見できない)
だろ。
16 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/25 20:59
何が直参旗本だ!役立たずどもめ!
17 :
日本@名無史さん:01/10/25 21:00
上級武士、中級、下級の境目は何石からなの?
18 :
日本@名無史さん:01/10/25 21:07
だから、お目見えだって
19 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/25 21:17
御家人の多くは藩でいえば徒士格だったそうな。
20 :
日本@名無史さん:01/10/25 21:57
>>11 知行地を持っているのが旗本
知行地でなく蔵米から禄を与えられるのが御家人
では??
んで、
藩士にも同様の差別が有ったのでは??
21 :
日本@名無史さん:01/10/26 00:12
>20
旗本の大部分も知行なんか持っていないよ。
22 :
日本@名無史さん:01/10/26 01:00
23 :
日本@名無史さん:01/10/26 13:26
>15
学校の歴史で習うだろ?
ここは学問版じゃないのか?
直参というのはふつう将軍の直臣のことで、大名、旗本、御家人を含む。
旗本は、将軍お目見え以上のもの。
御家人は、お目見え以下のもの。
厳密ではないが、旗本・御家人の差は200石(俵)くらいで分かれていた。
24 :
日本@名無史さん:01/10/26 14:15
>10
そうだったんですか。 またいいですか。
知行所と蔵米取りではどっちが有利だったのだろうか?
例えば200石取りと200俵は大体同じだがどっちのほうが良いのだろうか。
片方は鳴り物があるし片方は安定しているし当時の武士はどっちがありがたかった
のかなー?
全然話が違うけど囚獄で石出帯刀氏と云う人が代々世襲したけれど不浄なものとして
登城も禁止、他の旗本とも付き合いが無かったというけれど本人も卑屈になっていやいや
仕事してたのかなー。 また打ち首の時、 朝右衛門先生がやらない時(門弟も含む)誰が替りに
やったんだろう。(町方かな? 天下御免の着流しに粋な小銀杏に一文字笠巻き羽織、
八丁堀が首なんか落とすかなー。それとも牢屋同心?)
教えてくんろ。
25 :
日本@名無史さん:01/10/26 22:01
ちょっとあやふやなんですが、「仲間」ってのは侍ではないんですよね?
あれは一般人で、ただの侍の使用人に過ぎないんですよね?
26 :
日本@名無史さん:01/10/26 22:08
私もあやふやなんですが、「ちゅうげん」も武士の端くれであると、
聞いたことがあるんですが。
27 :
日本@名無史さん:01/10/26 22:18
あやふやな立場の「チュウゲン」
28 :
日本@名無史さん:01/10/26 22:27
曖昧な日本の私
29 :
日本@名無史さん:01/10/26 22:35
将軍が外出時に立ち小便するとき、竹筒で恭しく受け止める役職の旗本もいたね。嫌だね、そんな家に生まれたら。
30 :
日本@名無史さん:01/10/26 22:53
>>25 奉公にあがってる間は侍扱いになって刀(竹光)を持つことができると
お江戸でござるでやってた記憶があります。
31 :
日本@名無史さん:01/10/26 23:10
渡り徒歩(ちゅうげん)っていたんだ。
32 :
小栗スレの存続を応援する会:01/10/27 01:37
33 :
日本@名無史さん:01/10/27 12:12
>>24 そりゃ200石取れる知行地だからって
200石全部が年貢になるわけじゃないからねえ。
あと運送費その他もかかるはず。
34 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/27 13:50
死ねや旗本!黙れや町人!
35 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/27 14:03
私の母方の祖母方の曾祖母方の高祖父は、
御家人で、更にその曾祖父(か祖父)の代まで
八王子の郷士でした。
内藤(名は四谷怪談の悪党と同じ家門)という氏でしたが、
八王子千人同心(千人組)のご子孫の方で内藤氏の方
いらっしゃいますか。
36 :
日本@名無史さん:01/10/29 22:35
いません
37 :
日本@名無史さん :01/10/30 00:13
「まなせ」って旗本は「医術」で、将軍に旗本にしてもらったんだよね。
38 :
日本@名無史さん :01/10/30 01:00
5000石以上の旗本ってどんな人がいるの?
39 :
日本@名無史さん:01/10/30 01:51
遠山金四郎。長谷川平蔵。大岡越前
40 :
日本@名無史さん:01/10/30 11:31
>38
近藤氏はたしか9500石。
もう少しで大名だったのに。
41 :
日本@名無史さん:01/10/30 23:15
確か、初期に加賀爪(?)家ってのが9999石だったような・・・
42 :
日本@名無史さん:01/10/30 23:32
懺苦労みたいに石高の低い御家人身分の松平氏ていたの?
43 :
日本@名無史さん:01/10/31 13:40
>41
それは大名になったと、取り潰しになってると思ったけど。
44 :
日本@名無史さん:01/10/31 13:42
45 :
日本@名無史さん:01/10/31 23:03
>>39 金さんも鬼の平蔵も、そんなに多くはなかったような・・
46 :
日本@名無史さん:01/10/31 23:23
御家人の内職はかなりのもんだね。
麻布組屋敷の園芸、代々木・千駄ヶ谷の虫の飼育
青山の傘、根来百人町の提灯等まるで、お土産屋街のよう。
47 :
日本@名無史さん:01/10/31 23:41
しかし幕府もいらん人数を抱えてたものだね。赤字になるのは当然だね。
48 :
日本@名無史さん:01/11/01 11:17
鬼平は300石くらい。
金さんは400〜600石くらい。
49 :
日本@名無史さん:01/11/01 12:36
時代は吉宗の頃か5000石取りの定火消仙石兵庫組下のがえんと
加賀100万石の火消しが火事場で喧嘩になったという。
結果は吉宗も頭を痛め喧嘩両性敗になったとか。
100万石相手に一歩も退けをとらないとはたいしたものではないか。
50 :
日本@名無史さん:01/11/01 12:52
鬼平は400石プラス加役でしょ
51 :
日本@名無史さん:01/11/01 12:57
>49
喧嘩両成敗になった?
旗本相手に一歩も退けをとらないとはたいしたものではないか。
52 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/01 20:09
御家人と八王子千人同心に栄光あれ!
>41
すごい嫌がらせだな。FFのHPかよ!
54 :
日本@名無史さん:01/11/02 01:12
55 :
日本@名無史さん:01/11/02 02:02
旗本は布衣役目指して出世街道をまっしぐらなのだ!
でも、皆が布衣役に就けるわけではないのだ!
56 :
日本@名無史さん:01/11/02 10:53
>50
加役っていうのは知行のことではないけど。
57 :
日本@名無史さん:01/11/02 17:32
旗本が出世するにはまず両番出仕といって書院番もしくは小姓組番に
召し出されること。
その後は、目付が登竜門。分かるかなー。その後は町奉行もしくは勘定奉行を
めざして熾烈な出世争い。
58 :
日本@名無史さん:01/11/02 19:28
>57
書院番と大番では?
59 :
日本@名無史さん:01/11/03 01:05
>>58 両番とは書院番と小姓組だよ。
この二つには入れるのは大体1000石
以上で代々布衣役以上についている
家の子弟とされている。(勿論例外も有り)
大番はまた別。大番は両番がキャリア組
ならノンキャリ見たいなもので
全旗本の約56%者がここから始まる。
大体、300〜500石の中低級旗本。
出世のパターンは幾つもあって、
手先頭、納戸頭、目付、使番、広敷用人
西丸納戸頭、西丸裏門番頭、二丸留守居
小姓組頭、書院番組頭、持頭、新番頭
裏門切手番頭などの布衣役を通過点として
側衆(のち御側用人)、留守居、大目付
伏見奉行、駿府城代、御三家御家老、大番頭
町奉行、勘定奉行、作事奉行、書院番頭
小姓組番頭、普請奉行、小普請奉行、遠国奉行
などの諸大夫役を最終目標として争ったのでした。
勿論、これらの職に御家人がつくことは皆無
に近い。
60 :
日本@名無史さん:01/11/03 01:49
川路トシアキラは最下級の御家人から奈良奉行になったぞ
開港して抜擢人事がさかんになるより前のことだが
61 :
日本@名無史さん:01/11/03 03:53
>>60 幕末は状況が変わって
家柄だけでは世の中の情勢に
対応しきれなくて、大抜擢
が増えてる。代官でも学者
や農民から抜擢されるケース
も出てきてるから。
1790年代くらいから盛んに
なってきてるよ。
63 :
日本@名無史さん:01/11/04 01:49
奥右筆なんかも
なかなか侮れない職だね。
64 :
日本@名無史さん:01/11/04 04:07
奥右筆は機密文書などを扱う職で
奥右筆組頭は老中、若年寄の部屋にも出入りが
自由だし意見も述べられる。
また、大名に課す普請は奥右筆組頭の意見で
老中が決定するので大名からの賄賂がたくさん
きた。表右筆はもっぱら日記をつけるだけ。
65 :
日本@名無史さん:01/11/06 00:46
武士の「株」を「売っ」たり「買っ」たりするというのは、
具体的にはどういう行為なのですか?
また、そんなことが幕府に許可されたのですか?
66 :
日本@名無史さん:01/11/06 13:38
>65
過去に何度も出ている質問ですが、お答えしましょう。
いわゆる「株を買う」というのは、公的にはその武士の家を次ぐことを指します。
ただ普通武家の後継者は実子やしかるべき家柄からの養子がなります。
しかし、インフレの江戸時代は、物価上昇にくらべて基本的に武士の俸禄は上がりません。
そこで、貧乏武士がお金などと引き換えに武士の身分を売ることを言います。
裕福な例えば商人などが、養子と称して武士のあととりになるのです。
したがって、表向きは、本当に「株」を売り買いしているわけではありません。
大金をによる売買で俸禄は跡取りが貰う場合や、
一時金で跡取りになってもその後の俸禄は前の当主が受け取るなど、方法は様々です。
67 :
日本@名無史さん:01/11/06 14:11
>>62 >>60はわずかな例外をあげただけなのに
なにを興奮してるの。
みっともねぇ!!
68 :
日本@名無史さん:01/11/07 00:56
>67
アンタも興奮してるぜ。少し考えてレスしないと突っ込まれるだけだよ。
ちょっと、恥ずかしいかも。
69 :
日本@名無史さん :01/11/07 01:00
67は興奮してると思われ・・・・・
自爆だ
70 :
日本@名無史さん:01/11/07 01:02
ようは幕府がデフレ政策をとっていたら
御家人たちは貧窮しないですんだということですか。
71 :
日本@名無史さん:01/11/07 01:08
72 :
日本@名無史さん:01/11/07 02:38
age
73 :
日本@名無史さん:01/11/07 07:23
9500石の旗本と10000石の大名はどこがどう違うのでしょう?
74 :
日本@名無史さん:01/11/07 07:44
石高が500石違うよ>73
75 :
日本@名無史さん:01/11/07 09:00
>68
>69
あ〜あ、見事にひっかかっちゃった。
相当恥ずかしいかも。
76 :
日本@名無史さん :01/11/07 16:14
>75
おまえがな
77 :
日本@名無史さん:01/11/07 16:34
>76
おまえもな
78 :
日本@名無史さん:01/11/07 18:46
田沼意次も600石ながら小姓あがり。
79 :
日本@名無史さん:01/11/07 19:54
80 :
日本@名無史さん:01/11/07 19:58
旗本と御三家の上士は同格ですか?
81 :
日本@名無史さん:01/11/07 20:16
旗本ってなによ?
(歴史板くるなとか言わないでよ)
82 :
日本@名無史さん:01/11/07 23:55
>80
御三家の上士って陪臣でしょ。
83 :
日本@名無史さん:01/11/08 00:03
うるおぼえ話だが。
尾張の付け家老○○氏は陪臣の身でありながら1万石以上の知行をゆるされていたが、
その知行をなげうって、旗本2(3?)千石の家を継ぎたいと願ったが、
時の将軍に思いとどまるようにさとされ、しぶしぶあきらめたという。
御三家の付け家老たちは、
”おれたちは陪臣じゃない”というプライドをずうと引っ張っていて
スキあらば諸侯のうちにはいろうとしていたね。
犬山成瀬などは明治になってから新政府より立藩を認められた。
85 :
日本@名無史さん:01/11/08 00:09
武士社会的発想
上 御家人(直参)
下 国持ち大名家老(陪臣)
朝廷的発想
上 国持大名家老(官位あり)
下 御家人
…書いている私目も極論のにほひを感ずるところありしが、素人に対する説明はこれで十分ではござらんや?
どうでござろう?賢明なる諸兄。
86 :
日本@名無史さん:01/11/08 00:20
> 83
紀伊の水野家2代目じゃないかな。旗本として知行
を得ていて、父親の跡を継ぐのをいやがったと思う。
(知行は付家老の方が多かったのは、83のとおり。
水野家は3万数千石で新宮城主だし、諸大夫家老
だから、待遇は並の旗本よりは格段に上だが、や
はり陪臣になるのは格下げということらしい。)
竹腰と成瀬はどっちが先に諸侯に列するか
醜い争いをしていたという説もある。
88 :
日本@名無史さん:01/11/08 00:35
田辺与力というのがあるね。20家くらい。
元は遠州横須賀出身の勇猛な槍軍団だったが、
平和な時代になると用なし。紀伊家に付けられた。
紀伊家でももてあまして、暖かい田辺で釣りでも
して暮らせと配置された。役目は藩主が田辺に来る
ときの送迎のみ。普段は田辺城代安藤家(付家老)
の支配を受けたが、250年にわたって紀伊家の家臣、
そして本来は幕府直臣との矜持を忘れなかった。
幕末、紀伊家が安藤家の家臣にトレードしようと
したんで激しく抵抗。すったもんだの末、最後は
明治になって伊勢松坂(紀州藩)城下に土地を拝領。
開墾して住み着いた。
89 :
日本@名無史さん:01/11/08 12:55
>85
御家人だと直参でも御目見えできないから
御目見えできる家老の方が上のような・・・。
国持大名の家老で官位持ちって極々僅かだけど・・・。
90 :
日本@名無史さん:01/11/08 18:57
>89
単純な上下関係はないよ。
だから上も下もない。
91 :
日本@名無史さん:01/11/08 20:20
>90
上下関係は存在します。
92 :
日本@名無史さん:01/11/08 22:02
東郷隆の『大砲松』が元ネタでスマソだが、
阿波・淡路を領有した徳島藩(蜂須賀家:25万石強)の場合。
洲本城代稲田家は淡路国(1万石)を領有するも支藩ではなかった。
故に、徳島藩内では、蜂須賀侯の下、洲本城代と藩内の足軽(2人扶持)は蜂須
賀侯の家来という事では同レベルで、洲本城代稲田家の家老が何百石取っていよ
うが「家来の家来」ということで、前出の足軽よりワンランク下に置かれてしま
う。
阿波の下級藩士などは「稲田の上士は石高は上だが、格は下」とばかりに稲田
の家臣を徹底的に差別し続け、明治に入ってから「稲田騒動」という反乱を起こ
されている。
コレを遠因として、淡路国は徳島県(当時は名東県だったか?)ではなく兵庫
県に編入されることになる。
93 :
日本@名無史さん:01/11/08 23:45
(強引な)実質的権力表
将軍
↓
譜代大名
↓
旗本
↓
親藩大名
↓
外様大名
↓
陪臣
94 :
日本@名無史さん:01/11/09 00:44
>93
親藩の位置が変。
95 :
日本@名無史さん:01/11/09 12:59
>>91 「単純な」上下関係は存在しないよ。
よく読んでくれ。
96 :
日本@名無史さん:01/11/09 13:49
>>95 「複雑な」上下関係はあるよ。
だから上も下もある。
よく読んでくれ。
97 :
日本@名無史さん:01/11/09 19:17
>96
それならば「複雑な」上下関係を書けば?
あんたは単純なことしか書いてないよ。
98 :
日本@名無史さん:01/11/09 19:20
そうだね
99 :
日本@名無史さん:01/11/09 19:27
>97
書いてるけどなにか?
もしかして日本語が不自由な方?
100 :
日本@名無史さん:01/11/09 19:34
>99
書いてるつもりなんだ。
カワイそうだね。
101 :
日本@名無史さん:01/11/09 19:53
>100
読んでるつもりなんだ。
カワイそうだね。
また始まった。
モウやめれ。
103 :
日本@名無史さん:01/11/09 21:21
104 :
日本@名無史さん:01/11/09 21:42
得宗
↓
内管領
↓
執権
↓
将軍
↓
摂関
↓
治天の君
↓
平上皇
↓
天皇
105 :
日本@名無史さん:01/11/09 21:43
御内人
↓
御家人
106 :
日本@名無史さん:01/11/13 00:28
旗本の次男三男はどうなのさ。
養子にもらってくれるところがない場合
一生部屋住で嫁ももらわず暮らしていくのか?
107 :
日本@名無史さん:01/11/14 23:13
そのとおり
じゃ今の俺は旗本の次男三男みたいなもんだな(w
109 :
日本@名無史さん:01/11/15 11:46
気楽でいいじゃん。
徳田新之助って調べりゃそんなのすぐにわかるのにね。
111 :
日本@名無史さん:01/11/16 12:40
112 :
日本@名無史さん:01/11/16 13:15
新井白石って石高なんぼだったの?
>111
旗本である以上、武鑑には載ってるでしょ?
115 :
日本@名無史さん:01/11/18 23:02
>>110 こないだ、同姓同名がでてきて悪用されてたぞ
116 :
日本@名無史さん:01/11/18 23:03
>>106 しかも、なにかの拍子に出来た子供は間引くのだ……
117 :
日本@名無史さん:01/11/18 23:15
幕末に新井姓で一人だけ幕臣として載ってるこの人は
子孫かな?
新井孝太郎 高五百俵うち三百俵足高 本国三河
元治元年九月二日 地誌調御用頭取仰せ付けられる
祖父 新井清介
父 新井忠次郎
119 :
日本@名無史さん:01/11/19 02:55
武鑑にのってない旗本多し
新井白石は一代抱えだし子孫は幕臣じゃないよ。
121 :
日本@名無史さん:01/11/25 23:53
子孫はどうなったの?
122 :
日本@名無史さん:01/11/29 02:25
五位以上と六位以下の違いに相当する。
123 :
日本@名無史さん:01/12/01 16:19
>122
えー、なにとなにがでしょう?
125 :
日本@名無史さん:01/12/06 01:38
三男房は嫁がもらえないのか?
どうしてよ、酷だな!
126 :
日本@名無史さん:01/12/06 09:10
>>125 もらえないんじゃないな。
嫁に来ない。
なにしろ収入がねえ。
127 :
日本@名無史さん:01/12/06 13:01
128 :
日本@名無史さん:01/12/06 13:15
>>125 祖母の祖父は嫡男ではありませんでしたが、
跡継ぎのいない家の婿となり御家人になりました。
戊辰戦争の時は榎本脱走艦隊の一隻「咸臨丸」に乗って箱館を目指しましたが
房総沖で台風に遭い清水港に逃げ込みました。
命からがら生き残り、明治時代は逓信省の官吏でした。
明治時代も自分の息子たちのために士族株を買い何人か養子に出していました。
>120
だれか他のひとの間違いでしょ。白石はりっぱな御旗本。
子孫も幕府に仕えています
寛政重修諸家譜、第18の361頁以下参照されたし
>118
幕末最後の当主は「新井源八郎」という名乗りだったと
思われます(旧高旧領取調帳)
130 :
日本@名無史さん:01/12/16 17:55
新井白石の末裔の方は、現在静岡で医師をしておられたような…
NHKか何かの番組で出ておられました。既出 or 勘違いなれば御免!
131 :
日本@名無史さん:01/12/16 19:17
そういえば、蝦夷地でシャクシャインの乱が起こった時に、松前藩の藩主が
幼かったので、旗本になっていた松前家の分家が大将になって鎮圧をしたと
NHKの歴史番組でやっていたと記憶しているのですが、大名の分家が旗本に
なるっていうのは、よくあった話なんでしょうか?
旗本だったかはワカランけど
例の赤穂浅野家にも、弟の大学とは別に
分家が二家あったと思うけど
領地も、確か赤穂の中にあったハズで・・・
やっぱ、旗本じゃ〜ないのかナ
>131
一杯有りますよ。132の言う通り、赤穂浅野家にも、弟の大学とは別に
分家が二家あったのですよ。旗本ですが、寛政譜の巻5の347pから353p
までに載ってるし、同じ寛政譜の巻5に載っている仙石氏(但馬 出石5万石)も
分家旗本が多いね。
eeeeeeee
135 :
日本@名無史さん:02/01/13 17:45
分家の場合、本家の石高から分知する以外の方法(新たに知行をもらう)
ということもよくあったのかね?
136 :
日本@名無史さん:02/01/18 04:22
>135
「新規お召抱え」ね。結構あったんじゃない?
137 :
日本@名無史さん:02/01/26 21:23
浅野大学ってあの後500石の旗本になったよね。
138 :
日本@名無史さん:02/02/10 21:54
139 :
日本@名無史さん:02/02/11 11:50
yes
おいらは幕府の医師について調べてます
我こそは子孫という方の資料提供きぼ〜ん
マジレスお待ちしてマス
141 :
日本@名無史さん:02/02/12 12:53
>>135 そもそも赤穂の浅野家は分知されたんではないからね。
142 :
【^▽^】関東侍ジョーカー:02/02/12 21:27
御家人斬九郎
旗本とか御家人って要するにサラリーマンじゃないか。
144 :
日本@名無史さん:02/02/12 21:45
>143
だったら何?
145 :
日本@名無史さん:02/02/12 22:30
>42 >44
「松平氏は最低でも150俵で300俵以下の数人も、御目見以上。
徳川幕府にとって松平姓は特別で外様の大大名に賜与するので、
この苗字の威厳を傷つけるような存在はあってはならないはず。
なので斬九郎のような没落した松平氏はいないはず」
というような書き込みをみた記憶があるのですが、
実際はどうなのでしょうか。
146 :
日本@名無しさん:02/02/12 22:36
新井白石も旗本になった。
147 :
日本@名無史さん:02/02/12 22:56
貧乏御家人の次男三男が裕福な旗本の用人になってしまうこともあるというのは本当なのか?
148 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:05
>147
具体的に名前はあがらないが、
婿としてもらわれることは
もちろんあった。
149 :
日本@名無史さん:02/02/24 14:38
用人の婿?
150 :
日本@名無史さん:02/02/24 20:28
>145
御家人分限帳(近藤出版社)には
40俵2人扶持なんていう微禄な松平さんが見えるよ。
誤読とか翻字の際の誤植でない限り、斬九郎クラスも
存在したことになるね
151 :
日本@名無史さん:02/03/02 16:56
>>150 小川恭一氏の「江戸幕藩大名家事典」(原書房)によると、新規の分家には許されないみたい。
斬九郎は「権現様以来の御家人」だからOKなんじゃない?
152 :
日本@名無史さん:02/03/12 18:47
ある日記によれば、A家の中間が、気がついたらB家の用人になっていた。
なんて記述があるので、いい加減だったみたいだね。
153 :
日本@名無史さん:02/03/13 18:14
根岸肥前守って元百姓らしいけど、本当?
154 :
日本@名無史さん:02/03/13 18:43
うちの先祖、代官(幕府)だったらしいんだけど
これって御家人それとも旗本?
代官なら旗本だろう
その下の吏僚なら御家人かな
けっこう資料が出版されている筈
156 :
日本@名無史さん:02/03/14 10:45
代官所の手代は、武士以外にも町人等から登用された。
157 :
日本@名無史さん:02/03/15 12:27
鬼平犯科帳のテレビで、同心が平蔵と一緒に馬にのっていた。
同心って騎乗してもいいの?
158 :
日本@名無史さん:02/03/19 01:00
騎乗位
159 :
日本@名無史さん:02/03/23 14:23
たいくつ。
退屈しのぎにちょっと薩摩まで。 いくらなんでもなー。 木永氏の豪華な着物のまま薩摩までたどり着くのか?
それにしても誰にきずつけられたんだ、みかんの傷は。なぞだ?
160 :
日本@名無史さん:02/04/09 18:35
>159
>木永氏
誰だよ
161 :
日本@名無史さん:02/04/09 19:41
宮原家って、足利の分家ですか?
着流しだよ
163 :
日本@名無史さん:02/04/10 11:59
ははは
みかんの傷
眉間
166 :
日本@名無史さん:02/04/20 18:54
ちゃんとしろ
167 :
日本@名無史さん:02/04/20 19:10
おいお前等パソコンの前で土下座しろや
俺は旗本の末裔だぞ
頭がたけーんじゃボケ
なーに歴史語ってんだかよ平民の分際が・・・
>>167 おいお前パソコンの前で土下座しろや
俺は大名の末裔だぞ
頭がたけーんじゃボケ
なーに歴史語ってんだかよ旗本の分際が・・・
>>168 おいお前パソコンの前で土下座しろや
俺は公家の末裔だぞ
頭がたけーんじゃボケ
なーに歴史語ってんだかよ侍の分際が・・・
>>169 おいお前パソコンの前で土下座しろや
俺は天皇の末裔だぞ
頭がたけーんじゃボケ
なーに歴史語ってんだかよ公家の分際が・・・
171 :
日本@名無史さん:02/04/27 22:17
ヘンな一人芝居
172 :
日本@名無史さん:02/04/27 22:34
>>170 おいお前パソコンの前で土下座しろや
俺はナポレオン・ボナパルトの末裔だぞ
頭がたけーんじゃボケ
なーに歴史語ってんだかよイエローモンキーの分際が・・・
173 :
日本@名無史さん:02/05/04 17:54
174 :
日本@名無史さん:02/05/04 17:59
俺のご先祖は500石取りの旗本だぞ。
君達ねー平民の分際が旗本を語るなんて
200万光年早いのではないの?
175 :
日本@名無史さん:02/05/04 18:01
ハハ〜ッ(土下座)
177 :
日本@名無史さん:02/05/09 22:54
age
178 :
日本@名無史さん:02/05/14 00:51
179 :
日本@名無史さん:02/05/15 05:05
私の先祖は旗本です。
幕末の地図を見ますと、今の二番町に私の先祖の自宅が記載されております。
今この場所にこれだけ土地を持っていたら相当な資産家だなぁ〜なんて思います。
直系当主の私は今、東京郊外の戸建で静かに暮しております。
180 :
日本@名無史さん:02/05/21 15:36
よかったね
大手を振っていた旗本さん達は、幕府瓦解後なにして暮らしたんだろう・・・・
182 :
日本@名無史さん:02/05/21 20:26
↑茶摘娘
>179
番町あたりにお住まいということは文字通り、番方(武官)だったんでしょうね
当方、マジで幕府系の医師の情報を求めています。情報ありましたらよろしく
184 :
日本@名無史さん:02/05/26 13:21
>181
静岡に移ったものの、百姓にもなりきれず
結局東京に戻ったものが多いと思われ。
茶園経営に成功したものは極くわずか。
栗本鋤雲の書いたものに(将軍から下賜された)白無垢を着た
乞食の話が見える。
鋤雲の感想「ええい、先を越されたか、いまいましい」(笑)
185 :
日本@名無史さん:02/05/26 13:25
漏れの先祖は勤皇派の旗本で明治政府の要職に就き
住まいは港区であった。
そいつはラッキーだったね
187 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー:02/05/26 14:29
私のご先祖様は微禄御家人だったので、徳川家が静岡に移転してもおともしませんでした。
188 :
日本@名無史さん:02/05/26 14:33
江原素六なんかは微禄御家人だったけど静岡についていったじゃん。
189 :
日本@名無史さん:02/05/27 21:49
禄高の高低には関係ないでしょ
もちろん忠誠心の度合などと、単純なことを言うつもりもなし
190 :
日本@名無史さん:02/06/09 14:54
191 :
日本@名無史さん:02/06/18 11:41
高家は旗本ですか?
192 :
【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/06/18 13:01
戊辰の役に参戦し、背中に重症を負ったそうです(背中の
刀傷は多数の証言あり)。ただ、どこの戦場で戦ったのかは、
私には伝わっていません。何せ母方の祖母方の曾祖母方の
高祖父、しかも子供は娘ばかりで無関心だったもんで・・・
因みに、この高祖父、とんでもない好き者で、
50過ぎのころ、二十歳くらいだった高祖母を
囲み、さらに妻子を捨てて結婚しました。それで生まれたのが、
私の曾祖母です。
横濱市会議員、神奈川県議員、神奈川県警の剣道指南役などを
務める傍ら、マッチ工場などを経営し、
労働者を搾取していたそうです。
193 :
【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/06/18 13:02
訂正:神奈川県会議員
訂正:重症→重傷
195 :
日本@名無史さん:02/06/26 19:41
一番位階の高い旗本ってどの家?
従二位がいるらしいって本に書いてあったんだけど。
それは例外中の例外で、家康が神官にしたから
>>196
具体的には誰ですか?
高家、高家以外の大身旗本ではそれぞれどのレベルの位階を受けているんでしょうか?
高家は過去レスにあったので一般旗本の位階情報頼みます。
幕府医師(=旗本)の場合
六位相当=法橋はない
五位相当=法眼、侍医
四位相当=法印、侍医長
>>197 榊原照久
新見吉治著「旗本」吉川弘文館参照
202 :
伊達遠江守家中:
>201
久能山東照宮の神主を兼ねているからだろ。
家康が遺言でそうしたのだと聞いたことがある。