”鬼平”こと長谷川平蔵について

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1火付盗賊改方、長谷川平蔵である!神妙にいたせ!!:01/10/01 23:17
”鬼の平蔵”で知られる長谷川平蔵の虚実について色々教えて下さい。
2遠山桜:01/10/04 00:03
南本所三之橋通り(現在の墨田区辺り)の長谷川家の屋敷は、
平蔵の死後に屋敷替が行われ、弘化・嘉永の頃に「遠山の金さん」こと
南町奉行・遠山左衛門尉景元の屋敷になったそうだ。
3日本@名無史さん:01/10/04 00:10
田沼意次の時に出世したから、
松平定信に代わって、出世出来なくなったんだよね
たしか・・・
4日本@名無史さん:01/10/04 00:55
>>3
定信は、平蔵の捕り物の手腕に関しては認めてたみたいね。
「長谷川は、なるほど盗賊を捕らえるのは名人の由」って言ってるし。
ということは、性格的にソリが合わなかったのかな?
5 :01/10/08 12:44
>>3
あれ,松平定信が老中になるのと,長谷川平蔵が火付盗賊改に任命されるのは同じ年じゃない?
6日本@名無史さん:01/10/09 20:25
>>5
確かに松平定信が老中首座に就任した年と、
長谷川平蔵が「盗賊追捕(のちの火盗改)」の
加役に命ぜられたのは同じ年(天明七年)だね。
7日本@名無史さん:01/10/09 22:37
結局は旗本から罪人を扱う不浄役人へ。
火付けが多かったので、それに対する対策と
現代風に言えば暴力的な旗本のリストラで一石二鳥。
8日本@名無史さん:01/10/09 22:40
>7
江戸幕府ってのは悪党の利用法が
うまいね。十手持ちとか。
悪党に使われてる今の政府にみならって欲しいよ。
9日本@名無史さん:01/10/09 22:48
長谷川平蔵ら火盗改方の本務は御先手組といって番方(武官職)です。
町奉行のような役方(文官職)とは違います。
合戦時に将軍家の先鋒を務めるのが本来のお仕事だす。
まぁいってみれば近衛連隊のようなものですな。

火盗改方は今風にいうと自衛隊が治安出動して犯罪者を取り締まるような感じですな。
10日本@名無史さん:01/10/10 00:26
>>9
それは建前でしょ。
長谷川は人足寄場取締りなど不浄仕事しかしてないよ。
定信の嫉妬だとか言ってる人は面白いほど幕府の不浄の概念には触れないね。
たとえば長吏とか。また定信の理念自体はは幕府の主流だしね。
11>10:01/10/10 00:57
つーかさ職制上は先手組から選抜されて盗賊改を拝命(兼務)するって決まってるけどなにか?

牢屋奉行なんぞが不浄とされてたのはわかるがね・・・。
ちと意味不明やね、君は。
12日本@名無史さん:01/10/10 02:07
>>4
でもその捕物話も、単に「長谷川平蔵」としか記されてない物もあったりするので、
父親(長谷川平蔵宣雄)の業績とかと混同されてるのが結構多いみたい。
まあ父親・本人(宣以)・息子(宣義)と、3代続いて平蔵を名乗ってて紛らわしいから仕方ないか。
13日本@名無史さん:01/10/10 11:12
>7
リストラって・・・。
別に禄を減らされたわけでもないし、旗本のままだし。
意味不明だよ。
14海軍絶対:01/10/10 13:55
家は三河以来の譜代、確か普通2年ぐらいしか火盗改は在任しないそうだが鬼平は12年間も勤めて在任中に死亡した(過労死)?
15日本@名無史さん:01/10/10 14:34
平蔵が初めて将軍にお目見えしたのは23歳の時、
旗本の子息は7〜13歳でお目見えするのが普通だったらしい
これにはそれなりの事情があったと考えられている
16日本@名無史さん:01/10/11 01:23
>これにはそれなりの事情があったと考えられている
父親は平蔵が生まれた当初は部屋住みの身分だったけど、
平蔵が7〜13歳の頃には父親は既に長谷川家を継ぎ、
西の丸御書院番や小十人頭に任ぜられていた。
ってことは、やはり平蔵が妾腹の子だったからなのかな?
17日本@名無史さん:01/10/11 07:50
放蕩無頼で、勘当同然だったのでは?
本妻に男子が生まれそうもなかったから、仕方なく・・・・、
という考え方を僕はしてました
18日本@名無史さん:01/10/11 21:12
御目見&結婚した後もしばらく遊びまくって、
親が貯めた金を使い切ったらしいね。豪快だなあ。
19日本@名無史さん:01/10/30 01:55
平蔵の出世は、若年寄・加納久堅のバックアップに拠るところが
大きいみたいだけど、実際どんなもんなんでしょ?
20日本@名無史さん:01/10/30 16:20
なんでもいいが【鬼平】のエンディングテーマいいな。
ジプシーキングスだっけ?
21日本@名無史さん:01/10/30 21:10
辰蔵はドラマ同様に、ダメ息子なんでしょうか?
22日本@名無史さん:01/10/30 23:28
「うさぎ」こと木村厨語と石橋恋痔とのからみのシーンは壮絶だった。しばらくの間、厨語の耳にはい回る石橋恋痔の舌が夢のなかでもあらわれてうなされた。あれ以来石橋恋痔を見るたびにあのシーンが脳裏をよぎる。
23日本@名無史さん:01/10/31 00:44
>>21
親父より出世してます。

1770年(0歳)  誕生
1788年(19歳) お目見え
1795年(26歳) 書院番士(親衛隊士)。父への俸禄の他に給与300俵、就任数日で平蔵死去:平蔵への慰労?
1796年(27歳) 若君つき小納戸(執事:身の回りの世話、旗本・大名への下賜や接待など)
1802年(33歳) 西丸小納戸。通常500石級の旗本が勤めて+給与300俵で800石級の格
1826年(57歳) 西丸小納戸頭取。役高1500石、従五位下山城守
1831年(62歳) 御先手弓組頭(近衛連隊長)
1836年(67歳) 死去
24日本@名無史さん:01/10/31 13:37
父親はしていないけど、息子は任官してるんだね。
25日本@名無史さん:01/10/31 14:05
知らなかった。鬼平ではうさ忠とキャラかぶってたのに>宣義

で、何で平蔵宣以はお目見えが遅かったのかな?
ホントに妾腹の子で「本所の鬼鉄」をやってたとか?
26日本@名無史さん:01/10/31 21:26
>>25
「本所の銕」って言われる程の遊び人だったのは本当みたいだけど。
新吉原や深川に年中逝ってたらしいし。
27日本@名無史さん:01/10/31 23:12
人足寄場建策まではいいが、その取締りにつかされてる事からして
出世コースをはずれている。無宿人施設の前身は「溜」というもので
非人頭の支配下。普通の旗本がつくような役ではない。
平蔵の後は町奉行所管轄に移行している。
28日本@名無史さん:01/11/01 11:18
>26
「本所の銕」はフィクションじゃない?
29日本@名無史さん:01/11/01 12:26
元朝日新聞記者と大学教授が書いた
「鬼平を歩く」などによると
http://homepage2.nifty.com/zatsugaku/zatugaku/000716.html

母は行儀見習に上がっていた下総国大網白里の庄屋(三原家)の娘(日本近世行刑史稿)。
(残念ながら巣鴨の大百姓ではないそうな)
出生地には、赤坂築地中之町説と大網白里説がある。
ただ、例の小説に出てくる鬼の継母(小説では姪になっていたが実際は叔母)は
、実は平蔵5歳の時に死んでいて、その後宣雄パパは後妻を迎えていたそうな。
小説では、鬼平は巣鴨で育ったことになっているが、実際はこの赤坂の屋敷で育て
られたという。

19歳の時にパパが屋敷替えで本所二ツ目に引越し。目の前は門前仲町の遊郭街。
ホントに通いまくって放蕩の限りを尽くしていたそうな。

「此の人、闊達の生まれつきゆえ、父備中守貯えおきし金銀も遣い果たし、遊里へ
かよい、あまつさえ悪友と席をおなじうして、不相応のことなどいたし、大通とい
われる身持ちをしける。その屋敷本所二ッ目なりければ、本所の銕とあだ名せられ
、いわゆる通りものなりける」(京兆府尹記事)。
ホントに悪かったんだな(藁

で、24で久栄(久恵?)と結婚、翌年には辰蔵誕生。この頃、パパが京都奉行にな
ったもので、パパについて京都へ。でもパパがすぐに死んでしまったので、江戸に
戻ってまた放蕩三昧の生活を送っていたらしい。安永三年(1774年)、西の丸後書院
番士になってやっと落ち着き、段々能吏ぶりを発揮するようになったとか。

あとは鬼平らしいエピソードとしては、石川島の人足寄場建設の際に予算不足とな
り、銭相場を張って補ったそうな(笑
30日本@名無史さん:01/11/01 12:27
そういえばパパも辰蔵くんも任官してるのに平蔵だけ任官してないな。
やはり上から睨まれていた!?
庶民には「今大岡」とか言われて人気があったそうだが。
31日本@名無史さん:01/11/01 13:20
お話中の所失礼いたします。

時代歴史劇・小説板を要望しようと思うのですが、
よろしかったら、↓へご意見お願いいたします。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1004486209/
32日本@名無史さん:01/11/02 01:19
実際の鬼平も、密偵のような者を使ってたらしいね。「指口」とかいうやつ。
33日本@名無史さん:01/11/02 10:58
鬼平に限らず、いわゆる密偵は当時の捜査には必須。
34日本@名無史さん:01/11/02 16:20
科学捜査なんてなくて地取りしか捜査手法がなかったからね。
事情に通じた密偵でも使わなきゃとてもプロの盗賊なんて
捕まえられないでしょ。
さぞかし冤罪も多かったかと思うが。
35日本@名無史さん:01/11/02 19:30
二足の草鞋なんてその最たるものだね。
36日本@名無史さん:01/11/25 18:06
どういう意味?
37日本@名無史さん:01/11/27 02:23
テレビで鬼平が小田原まで犯罪者の追跡に出向く場面があったけど、こんなことして小田原藩ともめなかったのだろうか?
それとも小田原は天領だったのだろうか?
天領だったとしても、城代家老や町奉行はいただろうに。
このへんの取り決めはどうなっていたのだろうか?
「江戸にて罪を犯したる者は江戸へ連行す」
というきまりでもあったのだろうか?
38日本@名無史さん:01/11/27 03:07

火盗はたいてい時代劇では正義の味方である町奉行の邪魔ばかりする悪役なんだな
鬼平くらいだろう 正義の側である火盗は

先々週くらいの暴れん坊将軍でもやはり火盗は悪役だった(しっかりと吉宗に
成敗されていた)
39まいこ:01/11/27 03:11
40日本@名無史さん:01/11/27 04:24
41日本@名無史さん:01/11/27 11:13
>>37
もちろん話は通す。
42日本@名無史さん
鬼平ハンカチーフ