【日本史武芸武道家列伝】

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1日本@名無史さん
日本史上の武芸家、武道家達に
ついて語りましょう。

剣術家だけでなく、力士、柔術家など広く
武芸家武道家の武勇伝を募集します。
2日本@名無史さん:01/10/04 20:14
幕末の力士の活躍

幕内の白真弓が米8俵を一度に運び米兵を驚かし、
大関小柳常吉はレスラー経験者(ウイリアム、ブライアン)、
ボクサー経験者(キャノン)を打ち負かした。
これが日本にレスリングが上陸した記念
すべき瞬間であり、記念すべき相撲対レスリングの史上初の
異種格闘技戦は相撲に軍配があがった。
 その後1861年(文久元年)正月にヘルシャナ(フランス)、
2月にアフリカアット(フランス領メキシコ島)が来日。
春になって三段目力士がラウダ(イギリス)を破ったなんて記録がある。
3日本@名無史さん:01/10/04 20:16
幕末もしくは明治初め、大相撲の両国梶ノ助、雲をつく黒人の大男を
バックドロップで投げる。両国は160センチ、82キロの小兵。
後の伊勢ケ浜親方。門下に荒竹寅吉(後のソラキチ・マツダ)がいた。
1904年74歳で没。
4日本@名無史さん:01/10/04 20:17
・前田光世=コンデ・コマ
 グレイシー柔術の始祖といえる前田光世は、1880年青森弘前に生まれ、1897年講道館に入門。
東京専門学校(現在の早稲田大学)に学ぶ。1904年講道館の柔道使節と
して富田常次郎(「姿三四郎」の著者富田常雄の父親)らとともに渡米。
多くの他流試合を行う。プロレスとの異種格闘技戦やプロレスルールの
試合にも多く出た
5日本@名無史さん:01/10/04 20:17
6日本@名無史さん:01/10/04 20:19
鎖鎌って本当に役に立つのだろうか
7日本@名無史さん:01/10/04 20:19
プロレス技の多くはその起源に
日本の古流柔術があるらしい。

http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/wres/1001927906/l50
8日本@名無史さん:01/10/04 20:35
337 :□ :01/09/27 00:38
柳生の床には柳生石舟斎が斬り割ったという
巨石が残っているぞ。
写真で見たが人間の20倍はあろうかという巨石だ。
その斬り口はドー見ても自然に割れたものでなく
なにかで斬ったもの。
達人の使う日本刀はかくも恐るべきものかと驚嘆した。
現代戦でも充分使えるだろう。
9日本@名無史さん:01/10/04 20:37
203 :足利義輝 :01/09/09 22:59
儂が、松永久秀の一派に襲われたときは、塚原ト伝先生直伝のこの腕で、
御所にあった足利家伝来の名刀を使って敵をめった切りにしてやったぞ。
10日本@名無史さん:01/10/04 20:37
最初に武芸家として名を成したのは誰かな?
上泉信綱とかあのへん?
11日本@名無史さん:01/10/04 20:50
>10
そりゃ、あんた野見宿禰でしょうが。
12日本@名無史さん:01/10/04 20:53
13日本@名無史さん:01/10/04 21:10
89 :梅菊 :2001/08/03(金) 21:02
相沢永長斎直房(1792.?.?〜1867.8.3)
小山一刀流剣術開祖。小山左門行房や小山宇八郎重之とは関係なく、
また関係ないほど強い。
仙台藩桃生郡永井村表永井に出生。家は剣術道場だったがこのての
人種としては珍しく放任して育てられ、今で言う小学校中学年ほどまで
武術修行とは無縁だった。
1800年、実にかれ小2の折、道場生達が激しく稽古を行う傍らかれの
子守る赤ちゃんに、ハエややぶ蚊がおおくたかる。
と、かれはなにげに篠竹をふるい、すべてのハエ・やぶ蚊を打ち落として
のけた。道場生は心底仰天し「おそろしや、この子はきっと大先生を受け
継ぐ大剣豪となるだろう」・・・と、近づいてみて青ざめた!
なんと、全てのハエ・やぶ蚊はきれいに頭が斬り落とされていたという。
ハエの頭を「剣」で斬り落とした、というのはよく聞く剣豪伝説だけれど、
冷静に比べるに直房のこのはなしには怖いものを感じざるをえない。
神剣・相沢永長斎の伝説のはじまりであった。
14日本@名無史さん:01/10/04 21:12
その後家伝の剣術や、浅山大膳定一について浅山一伝流柔術をマスター
(7代宗家を伝承)した直房は、12歳で狭川新陰流剣術第4代・
狭川新三郎将義に師事し、同流と起倒流柔術を体得。
この師匠、佐川幸義師範とは関係ない。
諸国遍歴にて絶対無敵を誇り「奥州小天狗」の雷名を轟かせるかたわら、
小野派一刀流剣術、柳剛流剣術、影山流二刀術、中西派一刀流剣術などを
きわめつくし、各流各派の長を取り短を捨て、いつしか小山一刀流の創始
にいたる。むろんかれには各流の学習は、確認・参考ていどのいみでは
あったらしい。
直房は生涯の門弟5000といわれた。
15日本@名無史さん:01/10/04 21:14
かれは179センチ・110キロ。今に残る写真を見るに、おそろしく動け
そうな引き締まった「いいからだ」だ。
千葉周作・高柳又四郎の二人がかりの竹刀打ちでも、かするところ
さえなかったそうだ。とーぜんおもいっきり遊びきって。
大正年間まで生きた、直接直房を知るとある剣聖氏がいる。
当時の競技剣道界のトップが「1秒」もたなかったらしいこのお方が、
では直房とやったらと問われて答えていわく・・・・・・「1秒」もたない、
と。
19世紀初頭の桃生郡はまだ尚武の気風つよく、いきなり殺しにくる
武芸者もいなくはなかったみたいだ。鍔鳴りしか聞こえず相手の首が
飛んでるとうたわれたある居合術家は、道でいきなり直房に斬りつけ
・・・られず全く日常的に柄手を抑えられ撃沈。
来客(をよそおった刺客)は歓談中、ぱたぱたと日常的に扇子を動かす
直房を前にふいに立ち上がり「さすがは永長斎よ」とおいとま。
なにごとか、と又四郎をふくむギャラリーが近付くや直房は「これ」と
含み針のぶっささりまくった扇子を見せた。まさに神速の暗殺芸、
といえたが、それすらかれにはものの数ではなかった、というわけだ。
16日本@名無史さん:01/10/04 21:16
60年代にも道場破りはあった。ずかずかと入ってくるや
「こいつらを倒しゃいいのか」と居並ぶ高弟連中をぱんぱんぱーんと
一蹴。「永長斎覚悟!」と剣も持ってない直房に問答無用に詰め寄る。
又四郎が型についてくのくろうしたってほどの高弟連中相手にこれって、
半端じゃねえ。こんな道場破りはいやだ、少なくとも自分は!
この暴漢、そのまま電光石火の斬撃を食らわせてくる!・・・・・・と瞬間、
直房飛鳥のごとく身をかわし当身の一撃。手心はくわえたが、
それでも暴漢はほどなく絶命した。
かれにはとかくうつくしく、敏捷な身ごなしの伝承・証言がおおい。
実際すさまじすぎる身ごなしだったよう。日常馬に乗ってる姿を人に
見せずだしぬけに飛び降りてくる始末で、ときには戦闘の際笠に身を
隠したらしい。また、草深甚四郎どうよう北上川の水面を飛鳥のように
歩いて渡り、さらには麦穂の上を渡ったともいう。
とある正月二日の御前試合、カード終了後藩主が直房に言った。
永長斎よ、人はどこまで強くなれるものか・・・。ここに当藩きっての
砲術使いがいる、ひとつ・・・鉄砲と勝負してみてくれんか!
しかしむちゃくちゃ言うな、この人。・・・で、手ごろな間合いで対峙して
ほどなく、満をじして豪砲一発。
・・・と、直房はかわしていない。懐にも飛び込まない。
ものの見事に鍔元三寸、はたして弾丸は「受け止められていた」。
「点」の弾丸を「線」の剣で。
これだけの剣の使い手にもかかわらず直房、最も得意なのは柔術と
かぬかしてる。
ちなみに性格はすこぶるよかったそうだが、同時に人を殺しても
なんとも感じてなかったそーだ。
こんな人とけんかしたら命がいくつあっても足りない。

この人に及ぶ人って、いる?たぶんいないだろーなあ・・・。
17日本@名無史さん:01/10/04 21:17
幕末最強だったのは
毎日居合の稽古を欠かさなかった福沢諭吉では
との評価があります。

かなりの稽古量だったそうです。

そして新時代の武器となる学問を極めんとして
戦火の江戸でも授業を続けたというエピソードからも
大局的な兵法家とも見ることが出来ます。
18日本@名無史さん:01/10/04 21:24
新撰組の隊員なんか試合じゃそれ程でなくても
斬り合いじゃめっぽう強かったっていうけど
実際は新撰組の人たちは剣士1人に対して数人で切りかかる戦法を使ってたんだよ。
百姓あがりのごろつき集団には武士道なんてかけらもないね。
新選組のことを剣豪と勘違いしてる連中にこの話しを聞かせて
やりたいものだよ。
19日本@名無史さん:01/10/04 21:27
山県有朋

宝蔵院槍術免許皆伝
20日本@名無史さん:01/10/04 21:31
卜伝の柔術蹴り

ト伝(当時はまだ新右衛門)第1回目の廻国修行、実に弱冠16歳の時、畑中権内なる柔術家と立合った。
権内については古来実在性の真偽論争が為されて来たが、観戦記ほかリアル・タイムの資料が発見されるに及びほぼ実在と定められてきたといったところ。
この権内、剣術家相手に全て上段顎蹴りの一手で苦も無く10人抜きを遂げてしまった。
3間の間合いでも飛込むとか伝承されていたが、実際はするすると無造作に歩み寄り蹴ってしまうのみで、判っていながら何故か誰も反応し得ないというものだったらしい。
遥か後世の佛生寺弥助と重ならぬでもなく、或いは無住心剣の理想像と言えなくもない。
新右衛門は半歩下がってかわし瞬後斬り込んだが、肩車に持ち上げられる。
勝負ありと思われた投げを権内が放ったが新右衛門は鮮やかに着地し、次いで権内は崩れ落ちた。
投げの刹那新右衛門の蹴りが決まっていたのであり、一説に権内は絶命したともいう。
全ての投げられ蹴りの原点とも言えよう。
21日本@名無史さん:01/10/04 21:35
すぐに、ここが変だよ日本人見てみろ
気功武術とやらが出てるぞ
22日本@名無史さん:01/10/04 21:44
>>21
あのオヤジ、江口に対してエロエロなだけじゃねーかっ?!
23日本@名無史さん:01/10/04 21:52
すごいおやじだった
24日本@名無史さん:01/10/04 22:05
松山主水は? ありゃ超能力者?
25すとらいだーないふ:01/10/04 22:41

しっかし、日本人の武芸者、武道家は弱えーなあー。
無差別級や重量級じゃ、日本の柔道は通用しねーし。
空手はムエタイにボロ負けだし。
合気道は怪しいし。
古流柔術、骨法、沖縄空手は口先だけ、だし。
大相撲は外人力士が大活躍だし。
剣道はフェンシングに実戦で勝てるワケないし。
槍術は明治時代の陸軍に無視されるし(帝国陸軍戸山学校で銃剣術を教えたのは
フランス人講士だった)
ふァ〜ア・・(溜息
26日本@名無史さん:01/10/04 23:12
オワリ
27日本@名無史さん:01/10/04 23:28
>25

やはり、体のバネとかしなやかさとかそういうことじゃないのかな・・
悔しいけど。

カールルイスに勝てるような日本人走者が出てくるか、MBAに入れる
日本人バスケットボール選手が輩出するだろうか、というと、
贔屓目で見たくても、なんだかありそうもない・・・。

俺アメリカに長く住んだけど、チアガールとかとっても、日本人って
へろへろ〜って感じ。ていうか、巧くなった時点で、日本人的な雰囲気を
失うね。

やっぱ日本人は日本舞踊とか、舞踏とか、わびさび情念の世界を専門にした
方がいいんでないか。
28日本@名無史さん:01/10/05 00:42
>25
明治陸軍は欧米崇拝だからしょうがないだろ
29日本@名無史さん:01/10/05 00:44
師匠は加藤鷹
30日本@名無史さん:01/10/05 00:45
>27
そのようなスピード競技では外人のが
強いかもしれないけど、かつての日本人は
柔道、レスリング、体操などで大活躍していたことを
忘れてはいけない。
弱くなっのはむしろ中途半端に洋風化した結果。
31日本@名無史さん:01/10/05 02:16
>>24
二階堂平法、「心(しん)の一方」ってやつだな。
肥後藩細川家に一時期伝わっていたはずだが……
32日本@名無史さん:01/10/05 03:33
笹の才蔵こと、可児才蔵が仕合を申し込まれた事があったらしい。
挑戦者が仕合場所で待っていると、才蔵は二十人ほど引き連れてきた。
全員が鎧具足で身を固め、手には槍や鉄砲を携えて押し寄せてくる。
挑戦者が慌てて問いただした所、「これが我の仕合じゃ。」と言ったとか。
まさしく戦国の強者だ。
33日本@名無史さん:01/10/05 04:00
>32

カッコイイ!!
惚れたぜ! 才蔵!
というか、このエピソードは、世の”剣豪”たちへの強烈な
皮肉というか嘲笑になっているな。
34日本@名無史さん:01/10/05 04:06
>>31
心の一方は漫画の話
35日本@名無史さん:01/10/05 04:19
宮本武蔵の門弟が、自分の兵法の上達の程を訊ねた。
武蔵は「畳の縁を歩いて見なさい」と言う。
その通りにすると、「もし、一間ばかり高い所で今の様に渡れるか?」と聞いてくる。
「それは難しい」と答えると、「ならば三尺の幅があればどうだ?」と聞く。
「それならたやすく渡れます」と答た時、武蔵は頷き、
「それでは、天守閣から増位山へ三尺の橋を掛けても渡れるのだな?」と反問した。
「それはとても渡れません」と言うと、武蔵はようやく合点して、
「お前の剣法もその如し。過失を恐れる為に臆病が出てくるのが修行が足りん所だ。
 始めは易く、中は危うくそれを過ぎればまた危うい。
 もし始中終の本心が備わっていれば一里高も百丈も同じで恐れる事では無い。
 そして三尺の橋桁を踏み外す事も無い」と語った。
36日本@名無史さん:01/10/05 23:47
ところで少林寺拳法って中国の少林寺とは
全然違うって知ってた?
その実態は古流柔術の技法をもとに様々な格闘技の
要素をとりいれたもので、見る人が見れば古流柔術
そのまんまらしい。
37日本@名無史さん:01/10/06 00:44
松山主水って、結局瞬間催眠術みたいなものだったのかな・・
前TVで見たけど、一瞬に他人に催眠術かける人がいた。

だから、好意的に解釈すれば、松山が名を得てからは強い自己暗示を
強いることで、ちょうど気功師がするみたいに人を転がすことぐらい
できたのかもしれない。かけられる方も、「来るぞ来るぞ」と
思っていたら、その思いが彼をして転がさせるわけ。

しかし、上でも誰かが書いてたけど、それを戦場で突進してくる
侍とかにできるものなのか、疑問。
38日本@名無史さん:01/10/06 02:52
るろうに検心の話でしょ?
39名無し:01/10/06 12:35
日本剣客伝という本があって中学生の時読んだが、忘れない。
面白かった。

高齢の父の話だが、昔剣道を学んでいたとき、幕末の老剣士が
道場でデモンストレーションを行ったことがあった。
真剣を振るって弟子の頭の上2、3cmで止めたので一同驚嘆したと言う。

日本の剣術は戦国時代と幕末の発展したと言うが、幕末の水準は非常に
高かったようだ。

一方、母方の曽祖父は直参旗本であったが、生涯人を切ったことは無かった。

ちなみに明治になっても、もと侍は、左肩が上がっていたので、わかったと言う。
刀の重さを体の左側でバランスを取っていたのに、刀が無くなったからである。
40日本@名無史さん:01/10/06 13:31
今、総合格闘技で使われている技のほとんどが
日本の柔術の技。
プライドでよく使用されているチョークスリーパー
などは柔術の裸締めが起源。
外国では締め技は発展しなかった。
41日本@名無史さん:01/10/06 13:34
>>39
戦国は甲冑剣術ですからね。
42福沢論吉:01/10/06 14:39
>17
「どうも立見新流の師匠が見つからないので、悪い癖が直せなくて困ってる」
ってな内容の手紙を、福沢が明治に入ってから誰かに書いてましたね。
彼がきちんと師匠について立見新流の居合を修行していたのは
中津の青年時代までで、後はずっと我流でごまかしていたので、
不自由したことも結構あったようです。
43子竜:01/10/06 17:51
>>34

松山主水大吉

日本史上、奇剣士中の奇剣士。
竹中半兵衛の従弟の孫。
古流二階堂平法の正当系統者。
心ノ一法で相手を金縛りにし、魔法使いの異名を得た。
心ノ一法にまつわる逸話を多く残す。
細川忠興・忠利の剣術師範。
弟子の村上吉之丞は、宮本武蔵が戦うのを避けたと
伝わる剛の者。

二階堂平法は、細川忠利、村上吉之丞らに伝授するが、
心ノ一法を伝授せず、彼一代で消えた。

ちなみに、細川忠興は佐々木小次郎を、細川忠利は、
宮本武蔵を剣術師範とした事でも有名。
44日本@名無史さん:01/10/07 01:01
不動金縛りか。
日本武術の奥義ですね。
やはり、上のほうにも書いてる人がいるように
催眠術の一種なのだろうか?
なにか「気」のようなものを使っている気もするが。
45日本@名無史さん:01/10/07 01:06
そういえば日本武道といえば神道や禅などの
宗教の影響が非常に色濃いですね。
最近の宗教色をなくしたスポーツ武道は
伝統無視のあまりにも安直な発想です。
何だか伝統無視の無味乾燥な内容は戦後日本の日教組教育のようだ。
46日本@名無史さん:01/10/07 02:58
>>45
日本武道の多くが神道や禅と結びつきたがるのは、単に神秘性を高めて流派に箔をつけたいという理由に過ぎません。
47日本@名無史さん:01/10/07 03:09
>>46
そうだったのか…。納得。
48日本@名無史さん:01/10/07 06:53
>45
経緯を説明するとこういうことGHQの命令で武道は禁止、のち、元”武道”は
必死に「武術じゃありません、スポーツです」とルールも変えて
懇願し、復活を許される。
武道から「道」を分離させ、単純なものにしたのはマッカーサー
49日本@名無史さん:01/10/07 12:46
>>46
日本史板らしからぬ低レベルなご意見ですな。
ま、この手のスレに飛びついてくるのは、ただの筋肉バカが多いようですが。
50日本@名無史さん:01/10/07 13:06
>>46
同意。1日8時間剣を振ってる奴と、1日4時間剣を振り、4時間座禅を組む奴では、8時間剣を振ってる奴の方が振りが早くなるのは子供でもわかる。
51日本@名無史さん:01/10/07 14:13
>49

低レベルって、理の当然、ってことで?
日本の兵法者が戦国の頃から、修験道と関連があり、
将にハクをつけ、己を神秘化するために色々な
宗教的権威と流派を関連付けたのは事実だよ。

一方、念流なんかはマジで宗教的な境地と渾然一体なものだね。
また一方、北辰一刀流はそういう無用の非合理性と剣を切り離し、
門弟が無駄な時間を過ごさないですむようにしたからこそ人気が出たわけだ。
52Be名無しさん:01/10/07 15:26
>>51
念流のこと字面だけから判断してない?
53日本@名無史さん:01/10/07 15:54
>52
でも、念流開祖は神からの啓示を受けて会得したとやら何とやら・・
それから禅坊主になったよ
54日本@名無史さん:01/10/07 18:52
いや、多分>>45>>49はゴーマニズム板で虐められて飛び出してきたコヴァ。
5549:01/10/07 21:01
>>51
念流と北辰一刀流に関して、認識に誤りがある。
北辰一刀流はほとんど小野派同然。ムダな時間とは何か?

>宗教的権威と流派を関連付けたのは事実だよ
だそうだが、関東の武術は神道そのもの。関連付けるまでもない。
古事記、日本書紀にもあるとおり、日本人にとって刀剣を扱うこと自体、宗教的、儀式的な
意識が強く顕れる。
禅との結びつきを強調したのは柳生以来。

ハクをつけるとか、まるでテキヤの商売みたいな言い方だが、古武道に対して、
何か偏見があるのか?
56日本@名無史さん:01/10/07 22:28
>>48
なるほど。
武道でさえもYP体制の呪縛に陥っていたのですね。
占領軍の武道禁止令は知っていましたが、その後の
日本の武道のありかたにまで影響を及ぼしいるとは
気がつきませんでした。
これは日本の武術武芸史にとって非常に重要な出来事
であるということですね。
57日本@名無史さん:01/10/07 22:34
>>46 については私もあまりにも表面的で
低レベルな見解であるとしかいいようがありませんね。

最近はとかく武道の精神性を否定したがる輩がいますが、
これなんかもマッカーサーの武道禁止令で骨抜きにされて
しまったスポーツ武道の悪影響でしょうね。
習った武道の技でホームレスの老人を襲うようなくそガキが
現れないことを祈ります。
58日本@名無史さん:01/10/07 22:40
武道と日本の宗教の関連はそもそも
日本の格闘技全般の起源たる相撲が非常に
色濃い宗教色をもっていることからもわかります。
神道は日本武道の奥底に流れる源流であり、禅は
日本武道の真髄を流れる本流である。
泊づけうんぬん言うのなら、むしろ密教的な所作に
ついて言及すべきですね。
59日本@名無史さん:01/10/07 22:54
46みたいな捉え方っていうのは、兵法者イコール宮本武蔵的な野望、立身出世
に明け暮れるだけの者だと思ってるんじゃないだろうか?現実には様々な人間が
それぞれの目的を持って修行してるわけだし、看板に箔をつけただけの流派では
結局後世に生き残れない。
60日本@名無史さん:01/10/07 23:23
>50

異義あり!

筋肉というのは使うだけでは疲れるだけ。
トレーニングとトレーニングの合間の休んでる時に筋肉は大きくなる。
また、イメージトレーニングというのも最新の科学的訓練法にありますよ。
61日本@名無史さん:01/10/07 23:53
>>57は精神性と神秘性を混同してるな。
62日本@名無史さん:01/10/07 23:55
>>60
昔の武道家は座禅を組むとき、イメージトレーニングをしていたのか!初耳だ。
63日本@名無史さん:01/10/08 01:06
>>63
でもそういう武芸者もいたのかもね。
64日本@名無史さん:01/10/08 01:17
>>62
最新のって言ってますけど?
65日本@名無史さん:01/10/08 01:58
>>64
でも>>60>>50に対する反論だから、いいんじゃない?
66日本@名無史さん:01/10/08 04:51
>>46の言う事も否定はしきれないんじゃないの?
流派を起こした本人じゃなく、その流れをくむ者達は自分の師、流派に権威を付けたがる物でしょ。
>>53じゃないけど、流派の起源には祈願して悟ったとか夢想の内に得たとか言うのが多過ぎる。
これらは後の人達が権威を付ける為に創作した物だという気がする。

小田流(日本最初の剣の流派らしい)・・・祈願中に剣理を悟る。
念流 ・・・夢中に奥義を悟る。
天真正伝神道流・・・神のお告げで開眼。
陰流・・・蜘蛛に変化した老翁に極意を授かる。

まさしく>>46の言う通り「神秘性を高めて箔を付ける」そのまんまじゃん。
こんな感じで流派に宗教と言う彩りを加えていったんじゃないかな。
67日本@名無史さん:01/10/08 04:57
↑ 陰流が藁た!!
68日本@名無史さん:01/10/08 05:21
>>59
宮本武蔵ってホントに立身出世の鬼なの?
仕官したいならなんで風呂にも入らずワザワザ小汚い格好してたんだろ?
尾張徳川家に、いきなり千石なんて無理な事をふっかけたり。
謎だ。
69日本@名無史さん:01/10/08 07:27
自分を安売りしたくないと言ってもチト無茶すぎるな。
「俺様を雇いたいなら三千石くらい出せや!」ってな感じか。
まともに士官したがってるとは思えんわな。
70日本@名無史さん:01/10/08 12:49
>流派に権威を付けたがる物でしょ。
とか
>単に神秘性を高めて流派に箔をつけたいという理由に過ぎません。
と、言いきるのが不思議。
昔の人たちの信心というものを、もうちっと理解したら?
71Be名無しさん:01/10/08 13:40
>>66
> >>46の言う事も否定はしきれないんじゃないの?
当然権威付けの面はあるけど、46のような言い方してしまうと、単なる下衆の勘ぐりになってしまう。

数百年前と現在では、精神空間があまりに違いすぎる。
あの当時の述語で少しでも哲学的なことを語ろうとすると、仏教の言葉を多用せざるを得ない。

それに流派を開いた武芸者の語った言葉と、道場を維持拡大していった弟子の経営上の宣伝文句をごっちゃに
している。
46の言うようなことは、宗教や政治でも言えることで、武芸の流派に限ったことではない。
これは日本に限ったことでもなく、キリスト教組織の拡大の仕方や、世界中で王は神の代理人とされていた
ことを見ても明白。

また、座禅を組むことの意義を千葉周作の時代の観点からのみ否定するのも行き過ぎ。

竹刀を使っての試合と比べ、真剣を使っての立ち会いは精神面の比重が比べものにならないぐらい高い。
当時の人は、不安や恐れなどの精神面での弱さをなんとか克服しようとあらゆる手段を試したに違いない。
(現代ではもう少し多用な選択肢があるとは思うが。)

現在のスポーツでさえトップクラスになると精神面が大きい。
テニスの世界大会の決勝戦なんて精神面での比重がものすごく高いと思うし、野球のピッチャーだっていくら
技術に優れていても精神的に弱かったらダメ。
現に、今の野球選手でさえ座禅組みに行ったり、山に籠もったりしている。
72日本@名無史さん:01/10/09 01:34
んな事よりもっといろんな武勇伝とか聞きかせれ。
73日本@名無史さん:01/10/09 01:45
>>72
いや、単なる逸話もいいけど、こういう話も面白いよ。
74大東亜戦争聖戦論:01/10/09 02:31
真実は中間にあるんだろうな。
武芸者、に芸、って字が入っているように、
明確に客・人気・人の目を引いてナンボ、という側面は
あったはず。ならば、衆人を驚かすような前口上の
一つをでっちあげるぐらいの才覚のあるやつもたくさんいたろ。

しかし、だから只の詐欺師かというともちろんそうじゃない。
客あってなりたつ生業は須らくそういう虚像みたいのを
戦略的に使ってると思われ。

あと、自己暗示みたいなのにも使ってるんだろうな、そういう
ゴタクを。
75日本@名無史さん:01/10/09 02:57
>>74
アンタの言う事が正しいよ。
多分ね。
76日本@名無史さん:01/10/09 08:47
>>74
どうしようもないね、ホントに。なぜ日本史板にいるのか理解できないくらい、的はずれな
意見。
この手のスレは、軍事オタに目をつけられ易いってか?
日本刀の話題になればバカなナイフオタが騒ぎだすしな。
武芸、あるいは芸の意味するところ、全然理解してないね。詐欺だの生業だの、見当違いの
プロパガンダだね、全く。
ろくに勉強もしないキミの単純な思いこみだけでは日本の武道を語ることはできないよ。
ゴタクをならべてるのは、オマエ。
77日本@名無史さん:01/10/09 11:54
いや、74はだまされたんじゃないの?そういう人に。雑誌に広告とかあるじゃん。
形意拳とか。酔拳とか。
78日本@名無史さん:01/10/09 14:04
>>76は馬鹿だな。
人の意見を否定するなら、対論を用意したらどうだ?
罵倒しか能のないクズは引っ込んでろよ。
79日本@名無史さん:01/10/09 14:41
>>76は厳しい修行を積めば、仙人が極意を教えてくれると思ってるみたいだな。
8076:01/10/09 15:21
>>78
オマエモナー
81日本@名無史さん :01/10/09 15:52
剣術家の最強は、鬼一法眼流とのちに呼ばれた流派の使い手、源義経!
ただ、天狗に鞍馬寺で教わったらしいので、それが本当なら、その天狗が最強かも!
82名無しさん:01/10/09 21:06
>>81
なんか唐突な発言に見えるんですけど、何か鬼一法眼流が強いという根拠でもあるんですか?
83日本@名無史さん:01/10/09 21:13
いいんじゃないすか、とりあえず。
飯篠長威斎は河童に教えてもらったそうだから、
天狗vs河童 キボンヌ。
84日本@名無史さん:01/10/09 21:22
>76
74の手によって、我が日本武道の輝かしい伝統の真実が
明らかにされた!!
日本の武芸者は一人残らず自己鍛錬、己の武技の完成にのみ
情熱を燃やして数百年、全く変質もせずあくまで超純粋な
集団であったのだ

浪人してる武芸者にとって、仕官なんて二の次、我が極めた
武芸を宣伝して高く売りつけようとしたものなどいたはずも
ない。

苦労の末一派をなし、道場を開いて、でも門弟が少なくても
そんなこと何とも思わず、あくまで身を高く持し、安っぽい宣伝なんか
するはずもない。世にも知られず一人裏町の長屋で生きてても
そんなことで焦燥に駆られることもなく、武士は食わねど高楊枝、
我が人生に悔いなし、を地でいったことだろう。

そして、今の空手家や柔道家や剣道家やK1の人やらも
全くそういう人たちであるのに違いない。嗚呼素晴らしきかな武芸者!
85日本@名無史さん:01/10/09 22:21
>>84
なにが言いたいんだこいつわ?
なんかの皮肉のつもりだろうが、武道の精神性に
ついて語っているのにちと的外れであろう。
机にかじりついてばかりいないで少しは実際に
武道でも習ってみい。
86日本@名無史さん:01/10/09 22:28
>>81
義経流と称する兵法は数多い。
後世の武士にとって源義経と楠木正成は憧れの的。
ちなみに、鬼一法眼は義経に兵法を授けたとされる
人物。その時に渡されたとされる伝書こそが
かの有名な「虎の巻」。
87日本@名無史さん:01/10/09 22:31


             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                宮

神前に礼!
88日本@名無史さん:01/10/09 22:34
神前への礼ができないサヨどもは
武道が習えないな(w
89日本@名無史さん:01/10/09 22:37
>84
1行目縦に読んじまったじゃねえか!プンスカ。
90日本@名無史さん:01/10/09 22:43
サヨ諸君!
キミ達も武道を習って正しい日本人の心を
取り戻そう。
部屋の中で腕立て伏せやってたって強くはなれないぞ(藁
91日本@名無史さん:01/10/09 22:49
>>86
この板にいる奇形サヨのアズマとやらが
持ち上げてる江戸時代の武士達にとっても
楠木正成は憧れのヒーローだったんですよね。
江戸時代の武士も皇国史観に毒されていたのかな?(w
92 :01/10/10 00:12
ぜひとも日本史板にIDを導入して欲しい今日この頃。
93日本@名無史さん:01/10/10 00:36
>92
なぜ?
94日本@名無史さん:01/10/10 00:38
ついでに87の神棚に手を合わせていきますね♪

パンパン
95子竜:01/10/10 01:31
>>81
源義経、柳の枝を空中で投げ斬りして8断。
松林佐馬之助、柳の枝を空中で投げ斬りして13断。

松林佐馬之助(1593−1667)

宮本武蔵より9歳年少。
将軍家光に足譚という技を上覧し蝙蝠のようだと賞賛された。
足譚とは、相手の打ち込んでくる太刀を踏み台として、
天高く舞い上がり相手を倒す技。
燕返しとかとは違い実在した技。
恐らくはルチャリブレのような技であったのであろう。
毎朝抜刀千回、念仏を日に1万遍唱え、女性からモテまくり、
少女や老婆から菩薩のように慕われたという。

彼の流名を願立(がんりゅう)という。
佐々木小次郎の流名は巌流(がんりゅう)。
二天記は、巌流島の戦いの時、佐々木小次郎18歳という。
松林は、この年、19歳。
しかしこの奇妙な一致は偶然に過ぎない。

ともかく、武蔵と同時代を対極に生きた天才剣術家であったことは間違いない。
96日本@名無史さん:01/10/10 01:48
>>92
同意。

>>93
>>88>>90>>91みたいなコヴァ厨のくだらない煽りを減らすため。
97日本@名無史さん:01/10/10 02:11
87はなんの知識もないため武道板で相手にされなくなった
ただのウヨです。
98日本@名無史さん:01/10/10 02:49
どうしてすぐウヨサヨとか言い出すかねぇ・・
武道についてキョーミ持ってたら、ウヨかサヨかでなきゃならんのか?

世の中のアットーテキ多数の人間は左右とりたててどっちでも
ないノンポリだろ。誰彼構わずレッテル貼りしたって、そんなんひっつかないし、
言われたほうだって、「ハァ?」、ぐらいしかレスできないって。

左右の線的な基準しか持てない一次元世界の住人はウザイからホント
自分たちだけで独立新chでも作ってほしいな。
99日本@名無史さん:01/10/10 03:10
>98
こちらをご覧くだされ
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/budou/1001077827/l50
100日本@名無史さん:01/10/10 09:57
兵法一途な人は、心を鍛え上げる為に座禅を組んだり念仏を唱えたりする。
金・名声目当ての人は、神妙に見せる為にやる。
ようはこう言う事でしょ?
101日本@名無史さん:01/10/10 12:22
>>100
まあ、それで構わんけど。看板に箔をつけたい奴が皆無だなんていうと、バカどもが
黙っちゃいないしな。このスレでは日本史として語って欲しいということだ。
102日本@名無史さん:01/10/10 13:39
>>101
キミは売名行為をする剣士はいないと思ってるの?
103日本@名無史さん:01/10/10 15:32
売名行為について語りたければ別のスレ立てりゃいいじゃん。
104日本@名無史さん:01/10/10 18:40
>>98
たしかにウヨサヨはどうでもいい話しですね。
日本人なら神棚にふつーに手をあわせるし、
武道を習うものならなおさらのことですものね。
とりたてて言うほどのことでもないでしょう。
105日本@名無史さん:01/10/10 18:57
ところで、幕末からの竹刀剣道の達人
大石進の一派は実戦ではそれほどでもなかった
らしいね。
今の竹刀剣道家は歴史の教訓から何も学ぼうとしないのかね?
それともスポーツとして開き直ってやってるのかな?
106日本@名無史さん:01/10/10 18:58
>>99
なかなか高尚なスレですね。
107日本@名無史さん:01/10/10 22:02
>104

俺日本人だけど、切支丹だから、そゆことしないなぁ・・
黒田かんべえとか明石なんぞの歴々の武家もそういうこと
しなかったので、武道と神棚も必ずしもカンケーないのでないのか?
108日本@名無史さん:01/10/10 23:12
>>107
信教の自由は勝手ですが、そういう一時代の例外を持ち出して
「歴々の武家」というのはちと語弊がありますな。
いや、あなたが切支丹なのは別に問題ないのですが、
日本の武道とキリスト教を結びつけるのはちょっと苦しいですね。
モルモン教徒も剣道、柔道の授業ボイコットするしね。
109Be名無しさん:01/10/11 00:03
>>108
107は武道とキリスト教を結びつけようとしているわけではないと思うが。
110日本@名無史さん:01/10/11 00:27
で、このスレの主旨ってなんだっけ?
111日本@名無史さん:01/10/11 01:20
>>105
大石進やその弟子が、実戦で剣を振るった記録がなにかあるの?
(煽りではなくて,本当に知らないんだけど)
112 :01/10/11 14:24
柳生石舟斉は
上泉伊勢守、疋田文五郎
この二人のどちらと立合ったのでしょうか。
「悪し。」
と言われて頭打たれたそうだけど。
113日本@名無史さん:01/10/11 16:20
>108

別にどうでもいいけど、モルモン教はキリスト教の中では
基本的に異端扱いだよ。(三位一体を認めないから)
剣道・柔道の件は「一教派の例外」の話だね。
114日本@名無史さん:01/10/11 17:28
>112
普通言われてるのは疋田文五郎。
「け、弟子かよ…」
ポカポカポカ
「ゲ、レベルが違う…。俺って厨だったんだ」
みたいな。
115111:01/10/11 17:33
116日本@名無史さん:01/10/11 19:35
<板垣君岐阜の兇変において柔術にて身を守る>

時は明治15年、ところは金華山山麓の神道中教院。
維新元勲の一人にして自由党総理の板垣退助が演説を
おえ玄関を出ようとする、まさにその時である。
一人の壮漢(じつは愛知県士族)が板垣の前に立ちはだかった
のであった。

壮漢は短刀を板垣の胸に向け突き出す。
板垣、敵の胸に向け肘を放ち応酬するも狙いあやまりて
敵の腹部に当てる。
敵よろめき飛び退き、さらに身を転回して正面より
突撃したる。
板垣、敵の手首をとらえようとするが誤って拳を握る。
この時敵の刃先が板垣の胸に触る。
板垣、身を転じてこれを防ぐ。
敵、目的達せざることを知り、刃をひき、変わって板垣の
右腕に切りつける。
板垣右腕の傷を左手でおさえ争ううちに板垣の側近の内藤
が飛んできて、刺客の首筋を引き掴んで投げ、そのまま
押さえて縛した。

この騒動のうちにかつての武士達の高度な技術をもっての
武術的な攻防が伺い知れ、当時の武士がごく当たり前に
高度な武術を身につけていたことがわかるであろう。
板垣の学んだのは土佐藩伝竹内流だという。
117日本@名無史さん:01/10/11 19:54
一武ガンバレ!
118名無しさん:01/10/11 22:47
>>115
ブラクラ
119日本@名無史さん:01/10/11 23:18
疋田は家康から「匹夫の剣」と蔑まれたみたいな逸話が
あるけど、ある意味それだけ実践的でえげつない技法だったのかも
知れないね。
120日本@名無史さん:01/10/11 23:35
>>119
えげつない姑息な剣といえば
幕末に京の都を荒しまわった新選組もそうでしたね。
121桐壺:01/10/11 23:38
源氏物語(愛の秘め事挿入編)第23話只今挿入
今回は、鮎壷の女御絶好調です。
http://www3.ocn.ne.jp/~genji/
122日本@名無史さん:01/10/12 01:23
上泉の弟子で最強は、
丸目蔵人助だと思うけど、異論ある?
123112:01/10/12 11:20
>>114
サンキュー
124:01/10/12 13:25
>122
異議あり過ぎ。丸目は話にならん愚弟だな。
125日本@名無史さん:01/10/12 19:12
>>95
>相手の打ち込んでくる太刀を踏み台として、
>天高く舞い上がり相手を倒す技。
>燕返しとかとは違い実在した技。

本当にそんなことができるのだろうか?
なぜ実在したと?
126日本@名無史さん:01/10/12 19:14
>>120
新選組はたしかに小数に多数で闇討ちを
かけたりするような行動が多かったようですね。
所詮、百姓あがりのにわか武士には武士道はないのでしょうか?
127日本@名無史さん:01/10/12 20:50
武者は畜生と言われても勝たねばならぬ
128日本@名無史さん:01/10/12 20:53
>>95
電波ですか?
129日本@名無史さん:01/10/13 00:11
>>95
「グラップラー刃牙」に出てくる、「相手の水月を踏み台にして肩に駆け上り、顔面に膝蹴り」(これは実在するそうだ)の方がよっぽど実在性高そう。
130子竜:01/10/13 01:02
>>125
将軍の前で実演したからです。
徳川実記(だっけ?)に載ってます。
一応歴史書ですし、宮本武蔵とかの話よりは、
よほど信用性があります。
恐らく、演舞のような物だと思います。
間接的にでも、後の講談や時代小説さらに漫画に
多大な影響を与えた技であることには変わりないけど、
実用性云々を語る技ではないね。
131日本@名無史さん:01/10/13 01:05
>126
武士道を履き違えていると思われ。
132子竜:01/10/13 01:06
>>128
お前がな。
133日本@名無史さん:01/10/13 01:18
>>124
でも、新陰の裏太刀までを伝授されたのは、
柳生親子と丸目だけだよ。
柳生は、人物的に優れているので、まあ分かるが、
丸目って頭悪くて、一番若輩なのに伝授されたってことは、
技量が群を抜いていたって考えるのが普通じゃない?
例えるなら、伊藤みどりの技みたいなもの。例えになってないか。
134日本@名無史さん:01/10/13 02:31
>>130
その伝でいくと、講談の寛永御前試合も将軍の前で行われたから全部事実だ、ということになるのでは?
説得力は弱いですね。
135子竜:01/10/13 02:56
>>134
寛永御前試合の元となった徳川実紀という幕府公認の歴史書に
載っている上覧の方です。与太ではありません。

試合が行われたのは慶安4年で、有名どころでは、

山本加兵衛(無辺流槍術の大家)の槍、
柳生宗冬(柳生宗矩の子)の剣、
木村助九朗(柳生宗矩高弟)の剣、
田宮平兵衛(田宮流3代目)の居合、
石野市蔵、原田太右衛門(達人水嶋見誉の弟子)の槍、
伊藤孫兵衛(小野派一刀流最強)、木村安右衛門の剣、
山崎兵左衛門、山崎源太郎(富田三家の生き残り)の剣
松林佐馬之助の剣、
柳生利方、柳生連也(尾張柳生)の剣
高田又兵衛(槍を持っては日本一)の槍

中でも、家光は、松林佐馬之助は別格扱いにしてます。
もっと詳しく書こうか?(ワラ
136日本@名無史さん:01/10/13 03:34
>>134
こいつ日本史板にくる資格なし男君。
137日本@名無史さん:01/10/13 04:33
>136

君よ資格を問うなかれ
138日本@名無史さん:01/10/13 06:24
>>122
丸目長恵は、神妙剣を受ける前に師と死別してしまったと言う意味を込めて
自分の流儀を体捨流と名付けたらしいよ。
よって最強とは言えないんじゃないの。
139:01/10/13 09:02
だから最高の弟子とか語る奴がアホなの!
柳生のが教えがいがあったんだよ。
裏太刀とか技巧ではなく、剣術は心。剣はペンより強し。
140日本@名無史さん:01/10/13 10:24
>>139
アホ
141日本@名無史さん:01/10/13 10:26
当時の評価では四天王随一は丸目だね。
柳生は糞。
142日本@名無史さん:01/10/13 10:33
>裏太刀とか技巧ではなく、剣術は心。剣はペンより強し。

まじ頭大丈夫。病院逝った方がいいよ。

>>138
神妙剣を受けてないから最強といえない理由がわからん。
ていうか、理由になってない。
143日本@名無史さん:01/10/13 20:21
竹刀剣道より、古流剣術のが絶対に強い。
剣道やってるやつらは一体何を考えてやってるのだろう?
いっそのことスポーツチャンバラでもやったほうがマシ。
144日本@名無史さん:01/10/13 20:31
ちなみに古の武芸家達は皇室に深い崇敬の念を
抱いていたそうですね。
それは、もともと武芸家達が武芸を手に漂白する
存在だったこと、そして皇室と武芸の起源等に
よるものだそうです。
今でも伝統を受け継ぐ正統派の道場は天皇陛下の
御真影を掲げてあるそうですね。
145日本@名無史さん:01/10/13 20:36


             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                宮
146日本@名無史さん:01/10/13 21:42
147日本@名無史さん:01/10/13 21:48
>>
電波ッスね?
148日本@名無史さん:01/10/13 22:21
>144

だからさ、安直に一般化するなっつの。
そういう奴もいた、そうじゃない奴もいたに決まってるっしょ?
別に武道家の必要条件でも何でもないんだから、武道の本質とは
論理的には何の関係もないと思うよ。
そっちに話をゴーインに持ってくと、またウヨサヨ君が乱入してくる
から、持ってかないがマシ。
149 :01/10/13 23:52
>148
というよりミエミエの煽りだと思うが?
放置よろ。
150日本@名無史さん:01/10/14 00:03
>>148 >>149
煽りではなく歴史的な事実です。
まだ武芸家というものがキワモノ的存在
で見られていた頃の室町末から江戸初期
あたりの話しです。
151日本@名無史さん:01/10/14 01:05
当時の武芸者が、天皇を崇拝していたって話はほとんど聞かない。
上泉伊勢守と斉藤伝鬼房などが、自流の宣伝に天皇を
大いに利用して、ゆえにその弟子たちが、天皇を崇拝するって構図は
あったかもしれん。
152日本@名無史さん:01/10/14 03:43
>>150
やっぱ電波?
153日本@名無史さん:01/10/14 04:04
>>152
電波です。
154日本@名無史さん:01/10/14 04:05
=== お願い =====================
駄スレと思ったら、レスしないで放置。
板違いスレも完全放置。

放置が出来ない人は、棒犯装置に自動的にひっかかる可能性大

みなさん、これでいきましょうよ。
155Be名無しさん:01/10/14 11:54
>>144
網野さんの『無縁・公界・楽』の世界のようなことを言ってんの?
それだとしたら、皇室だとか天皇陛下の御真影という言葉は誤解招くだけだと思うけど。
156日本@名無史さん:01/10/14 13:07
山伏、武芸家の諸国往来の自由は
当時既にいにしえの存在と化していた朝廷に
保証されているものと言われていました。
また、武芸家達はその武芸のルーツを皇室に
求めました。
また、武芸のルーツがさかのぼれば皇室と
関係しているのも事実です。
宣伝にしろ、すでに実力を失っていた朝廷との
結びつきを求めるという発想自体、武芸家が尊皇家
であった証拠です。
157日本@名無史さん:01/10/14 13:08
>>141
足利義輝に討太刀を誉められたからそう言われてるだけじゃないの?
剣法史上初の展覧試合もやってるらしいし。
門弟随一は神妙剣を受けた神後伊豆か柳生と共に将軍家に推挙された疋田文吾だと思うな。
158日本@名無史さん:01/10/14 13:24
>宣伝にしろ、すでに実力を失っていた朝廷との
>結びつきを求めるという発想自体、武芸家が尊皇家
>であった証拠です。

スゲェ理屈だね・・ 電波というよりむしろこの人思考障害
だろうな・・。 
159日本@名無史さん:01/10/14 15:11
>>156
>武芸家達はその武芸のルーツを皇室に求めました。

皇室ってそんな昔からあった概念なの?
言わんとすることはなんとなくわからんでもないが、言葉の使い方が無茶苦茶な気がする。
頭の中に漠然とあることでなく、文献を参考にしながら書き込んだ方がいいんじゃない。
160日本@名無史さん:01/10/14 15:40
やはり電波ですか...
161日本@名無史さん:01/10/14 19:45
>>159
そうだな。それとやはり、できれば出典・典拠資料名はできるだけ書くようにしようぜ。
単なる自説と区別するためにもな
162日本@名無史さん:01/10/14 21:12
皇室というより朝廷だな
163日本@名無史さん:01/10/14 23:43
ま、電波は放置って事で。
164日本@名無史さん:01/10/15 05:11
>>163
了解
165日本@名無史さん:01/10/15 22:27
             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                宮
166名無し:01/10/16 22:20
武芸の神は、日本の神々にある。
香取鹿島神社は、戦の神を祭っていると思う。
天子様は神々に連なる方だから関係はあります。
167名無しさん:01/10/17 00:06
>>166
また電波?
168日本@名無史さん:01/10/17 01:49
>166
神々をバックにしている割には武芸者割と弱かったりするね、昨今。
169日本@名無史さん:01/10/17 02:14
電波は放置しようよsage
170日本@名無史さん:01/10/21 13:28
166のいうことは間違ってはいないでしょ
171日本@名無史さん:01/10/21 13:30
今、ちょうど山岡鉄舟のスレもあがってました。
彼も偉大な武道家として忘れてはならない存在ですね。
172日本@名無史さん