2ゲッツ
テンプレ以上。鯖が移動した関係で、過去ログのURLも
変更するべきものもあったのかもしれないが、今の分だけ変えといた。
色々読んだけど斎藤環ってアホやね
7って斎藤環よりも頭良さそうだね…
9 :
おすすめ本:04/07/09 15:33 ID:???
反社会学講座
パオロ・マッツァリーノ著
イースト・プレス
買ってね★
10 :
(-_-)さん:04/07/10 00:37 ID:5HuNivzN
993 :(-_-)さん :04/07/10 00:35 ID:5HuNivzN
ヒキのみなさん! 心の教育など信じてもよいものでしょうか?
京都では過剰反応ともいやがらせともとれる事件が起こっています。
被害者の方々は訴訟も検討中だそうです。
以下コピペ。団体名・個人名は伏せるよう一部訂正 。いくつかの違うヴァージョンが関西の市民団体
から出されています。ちなみに、子ども相談センターパトナは不登校の子の相談施設として作られました。
一部では「河合御殿」などと呼ばれています。
6.13京都市教委パトナ事件(長文失礼)
皆さんへ
6月13日に開催された京都市教委の河合隼雄講演会で、河合氏への疑問・異議を表明した若い女性た
ちを、市教委の男性職員らが大勢で強制的に会場から引きずりだし、会館の出入り口
を全て施錠した上で、警察官の出動を要請して、2時間にわたって不当に拘束すると
いう考えられない事件が発生しました。
彼女らは、腕や肩をつかまれて無理矢理引きずられため、転倒したり、履物が脱げ
たりもしています。また、「ふざけるな!馬鹿野郎!」といった暴言や、脇から手を
入れて羽交い絞めにして連行するなどのセクハラ行為も繰り返されました。こうした
暴力行為によって、3人の女性たちは、全員、「皮下出血、打撲、頚椎や肩の捻挫、
擦過傷」等の負傷で、全治10日間と診断されています。
私たちは、25日(金)に市教委を訪れ、下記のような抗議文を提出して、市教委の謝罪を求めました。しかし、
市教委は、「講演会を妨害したのはあなたたちだ。今回のことは正当防衛だ。怪我を
したというのなら、裁判でも何でもすればよい。謝罪などとんでもない。警察はその
後も動いているぞ」と露骨に開きなおるありさまです。
彼女らは一体どのような発言をしたのか
>>8 つまらん屁理屈をこねくり回した末に、結局レイシストと大差ないことしかやらない
斎藤よりはずっとマシだろうて。
ひきこもり問題に関しては塩倉さんのほうが良心的だと思う。
前スレより引き続き。
>997 :(-_-)さん :04/07/10 01:57 ID:???
>
>>995 >> だったらなおさら、斎藤を敵と思うなら、安易に脱学校マンセーすべきじゃないし、
>> 守旧派(?)を叩いて事足れりとすべきじゃない。
>こういう意見へと導いて批判的潮流を阻止するのがまさに彼らの思惑を反映しているし、
>修正主義を宣伝しつつ管理を押し進めるソフト管理主義路線の河合や斎藤あたりが
>売り物にしている言論テクニックだろう。
前スレが落ちないうちに・・・相当に長い引用になりますが、脱学校論者は、当のフリースク
ール関係者に、こんなことを言われていることをどう考えるのか?
必ずしも斎藤が正しいと言ってる訳じゃない。スレ内外で聞く脱学校系からの「ひきこもり」
「不登校」擁護は、どこかズレているのではないか? と聞きたいわけなんだよ。
中島 僕は学校を辞めてから、YMCAフリースクール等、学校に行っていない生徒が
多いところにいました。フリースペースみたいなものにも関わったりしています。
そこには「自己実現」を迫られた子どもが来るんですよ。自己実現とは言わないけれども、
学校を辞めた途端に「独特な生き方をしてほしい」と言われる。そういう願いが大人には
あるんです。それが子どもにはかなりの圧力になっている。
不登校絡みの運動でも、「明るい不登校」みたいな、学校には行かなかったけれども、
今は外国でこれだけ活躍しています、なんていう人が必ず目玉になって、いろんな
ところで講演したりするわけでしょ。そういうことは「自己実現」の圧力となって
子どもに返ってきます。
生涯学習審議会が出した答申のなかに、生涯学習パスポートを作ろうという案がある
んです。今すぐはやらないみたいですけれど、生涯学習パスポートというのには、
学歴はもちろん書くんだけど、あとはどういう学習歴で、どういうところで何をやったか、
どんな資格を取ったか、ボランティア歴はあるか−そういった経歴を書き込んだものです。
つまり「自己実現」の記録なんですね。小中学校の頃から作成していく、ということなんです。
で、学校に行けなかった人たちも、それを持っていれば就職につなげられると。
基本的には人材の流動化に備えるという感じなんですけれどもね。
−学歴や会社組織への所属歴ではないかたちの履歴を制度化しようということなんですね。
中島 そうです。それで、なんとか人材バンクではないけれども、コンピュータでそれを
管理できるようにする、と。フリーター的な人間も含め、もっと流動化していくで
あろう労働力として、自己啓発する人間を育成する、民間活力を育成する路線ですね。
そうなってくると、フリースクールも、今まではアンチ学校とでもいった位置づけ
だったのが、完全に同じような制度に組み込まれてしまう。大検なんていうのも完全に
そうですね。一度、不登校でコースから外れた子も、とにかく何かの資格を取って
おくべき、とでもいうような自己実現を迫られていく。
三輪 制度化された自己実現ですよね。学校というのを全面改革するわけにはいかないから、
そこから外れる人間は出るだろう、そこはオルターナティブには認めましょうと。
しかし、その代わりに別の資格をあげるよというようなところで、もうひとつの何かを
立てる。だけど、そこで行われる自己実現は、やっぱりその枠内でしか行われない
自己実現ですよね。人間の多様性がどこまであるかはわからないけれど、いろんな人間が
いるなかで、その枠から弾かれる人間はまたどこかに弾かれていくという。
中島 社会に役立つ自己実現でないと、健全とは見なさないということなんですよね。
仕事はしていないけれど、ボランティアでは役立つとか。
広瀬 しかも、不登校になった本人もそれを求めていかざるを得ないという。学校での
自己実現から離れた人は、より自己実現を期待されていくみたいなことに、かえって
自らはまっていく構図というか。結局、何かの役に立ったり、なんらかの活躍ができなければ、
社会の一員として見なされない。だから、それに対して「自分だって同じ人間だ」
みたいなかたちで自己実現を追求していこうとすると、さらに辛くなっていく。
それこそ「障害者も同じ人間だ」みたいな、ヒューマニスティックな反差別運動と
同じ構図にはまっていくというか。
座談会「カウンセリングの罠にはまるな!!」(広瀬隆士・三輪寿二・中島浩籌)
(別冊宝島Real 005 「精神科がおかしい」 2001 宝島社所収)
どんなに論陣を張ろうと、現実には「オルタナティブ」とはこうした形で具現化してしまうんだよ?
(脱学校論者自身もこういう形態は望んでいないのかもしれないが、実態はこうなってしまう)
河合や斎藤はソフト管理主義、自分は違う、保守と戦っている、と呑気に構えてい
るからズレてくるんだよ・・・。
>>15-16 これまでも何度も指摘してきていると思うけれども、
まさにこの再管理化による逸脱の捕り込みを斎藤氏らをはじめとする
臨床医学屋ないし臨床心理学屋がやろうとしていることなんだよな。
フリースクールやフリースペースという名前だけを都合よく借用して冠しただけの、
その実、施設収容主義化を押し進めているのが「引き出し屋」であるともいえる。
社会制度のあり方に深く関与したこうした問題を論じるときに、学校制度をはじめとする
既成の社会システム・イデオロギーを相対化する批判的スタンスをもって、その上で
それらと矛盾しない開かれた精神医療サービスなどの充実を提唱すれば、斎藤氏も
批判されることなく、もっと受け入れられた面があると思うんだけどなあ。
「ひきこもり」を問題化するときに、そうしなかったのはやはり反動的で保守主義的な
スタンスが彼のなかに根本的にあったからなんだろーね。
斎藤環の「生き延びるためのラカン」
http://www.shobunsha.co.jp/h-old/rakan/ 引用
>精神分析の黎明期には、今でこそ有名なあのひとやこのひとなんかが、
>こういうトンデモ治療を平然と行っていたわけで。それでなくとも
>人の心を扱う職業は、わりと簡単に万能感を調達できるところがあって、
>こういう事態は決して過去のものじゃない。
フロイトの「誤診」やユングの「逸脱」について述べたうえ、こういってる。
まさにそのとおりだが・・・ん?まてよ?
誰が書いてるんだっけ?斎藤環?・・・環?
環がこのタイミングでこんなこと書くなんて、なんだか笑えるゾ。
ある意味、結構自覚的なんだね。でもその表われ方がナンとも
…朝日新聞「捻れた判官びいき」コメント然。
そういえば、
境界性人格障害の「一種」に乖離性人格障害ってあったよね?確か。
ここの論議が飛び火しているらしい上山スレをみてみたら、
斎藤の論を「自己救済と共依存」と指摘があった。
発言者は雰囲気的におなじみ「粘着クン」風だったが、これは鋭い指摘じゃないか?
うつ板でも斎藤=境界例(?)のような指摘もあったけど、
「斎藤=自己救済と共依存」なら、まるっきりボダそのものじゃんか。
このメッキがいつ公然と剥れ落ちるのか、落ちないのか。
(しかも、氏自身が色々と思索&立振舞いの人なので)なにかと面白すぎる。
とても面白い「症例」だった、何てことになったら、とても面白いんだけどね。
>>18 眠れないで起きているオレもアホだけど・・・不登校運動も、逆に当事者を追いつめているのじゃ
ないの? という、キワどい話をここではしているんでしょうが?
中島さんが、なぜ自分の周囲を自己批判しているか、わからないの? どうしてそう、
「自分(たち)は違う」みたいな特権的な態度を取りたがるのだろう?
どうせここでまた、斎藤批判のついでに、社会学や不登校運動ブレーンの語るウンチクや弱者論を
持ち出すんだろうけど、それで自分たちは免罪されると思っているから鈍いんだよ・・・。
脱学校論者にエールを贈る、というか挑発しているようなものだが、もっと現実を見なよ・・・。
もう何を言っても無駄だと思うけどな。
要するにエールを贈る意であえて「ここの脱学校論」に構ってるの?
絶対に無駄だと思うがねえ。
23 :
(-_-)さん:04/07/10 08:30 ID:5HuNivzN
中島さんたちの話は、当事者の主体性を無視している。また、今の社会風潮や
システムが永遠に変わらないことを前提にしている。
本人が自己実現を選んだのなら、できる限り応援しなきゃ。「現実」だって動いて
いるんだから。また本人や周囲の努力・試行錯誤しだいで道が開けるかもしれないじゃあ
ないか。
だいたい、登校受容や開きっぱなしだって、各種の自己実現圧力にさらされている。
ひとり不登校やヒキだけがその圧力に耐えられないと決め付けるのは見下し・同情が
根底にあるんじゃないの?
ほら、昔女性に「無理しないで」ということで、彼女らの自己実現のチャンスを
つみ、人格さえ否定しスポイルしてきたように、「どうせダメにきまっている
キミたちヒキらは、がんばって疲れる個性的生き方などしなくていいんだよ。ウザいん
だよ。」って言いたいんだろう。もっともらしく見えて、実は最も差別的な発想じゃあないか。
相手が不登校かヒキだからといって、その可能性を花開かせようと試みて何が悪い。
自己の能力を伸ばして社会に貢献するのは公のためにもなるんだがね。
「身分不相応だ、お前らに自由はやらないが義務や責任も免除してやる」って言われて
誰が喜ぶのか? 差別主義者だろう。
24 :
(-_-)さん:04/07/10 08:33 ID:5HuNivzN
つづき。ついでに言っておくと。この手のヤシらは、たとえば身体障害者
が一人暮らしをしたいと言っても、女性が大学院に行きたいと言っても、
在日の人が国立の大学に入学できるチャンスをと訴えても、
同じように「自己実現にむけて阻害されてカワイソウ〜やめなさい」ってな
お説教をするんだろうね。
いかにももののわかった慈父のような顔をしながら、人を閉じ込め隔離してゆく。
世の中で役に立つ知識やスキルを身につけ、文化の最先端を生きようとすれば、
家父長的温情主義でもって、人のヤル気をスポイルして「去勢」完了ってわけ。
超ヒドイ。実にくだらん。
こんなものを本気にしてどーすんの?
25 :
(-_-)さん:04/07/10 08:35 ID:5HuNivzN
だいたい、登校受容や開きっぱなしでも自己実現は苦しく難しい。
社会的に偏見やハンデイのある不登校やヒキならなおさら。
それを応援しないと、ますます個人的にも社会的にもダメになってしまう。
確かに不平等もあるかもしれないが、それは福祉や税で解決する問題。
教育や心理の問題じゃあないでしょ。
26 :
(-_-)さん:04/07/10 13:15 ID:5HuNivzN
>>20 話が戻りまつよ。20には ワ ラ タ 。
斉藤って自分のことをヒキに託して語っているからね。
「人のため」をいわけに「自分のため」をやりまくるタイプ。
実際のヒキらと接した経験では、斉藤の言うタイプなんて学歴・家柄が高くて、
甘やかされて、本人がいくつになってもそれに疑問を持たなかったお坊ちゃんタイプだけ。
消費税じゃないけれど、全体の5パーセントくらいしか当たらないと経験則的に思う。
5パーセントしかあたらないのでは、統計的には誤差の範囲だね。
95パーセントのヒキは斉藤のマニュアルが当てはまらないんじゃあないの。
自分と他人の区別がつかない、全体と個人の区別がつかない人だと前から
思ってはいたけど、メチャクチャだね。
27 :
(-_-)さん:04/07/10 14:57 ID:5HuNivzN
中島さんたちの主張って、「自由からの逃走」のススメじゃあないの?
女性解放運動なんてかかわると今の会社で余計につらくなるよ、
民族解放運動なんてかかわると、今の法律では指紋押捺拒否なんて犯罪でしょ、
障害者解放なんて言っていても、資格の取れない人が気の毒だよ、
沖縄やアイヌの文化を守るといっても、日本の文化不適応になりますよ、
とか言い出しそう。
苦しくとも本人が選んだ道を尊重する姿勢が欲しいな。やはり当事者の尊厳を
尊重できていないと思う。
>>26 >実際のヒキらと接した経験では、斉藤の言うタイプなんて学歴・家柄が高くて、
>甘やかされて、本人がいくつになってもそれに疑問を持たなかったお坊ちゃん
>タイプだけ。
>消費税じゃないけれど、全体の5パーセントくらいしか当たらないと経験則的に思う。
斉藤の「ひきこもり」像がステロタイプに過ぎるのは疑いようもないね。
全体を見渡せば、もっと多様な当事者像が見えてくるはずだ。
で、それはいいとして、ここからが頭を抱えざるを得ない所なんだけど
その「5%の人」というのが、またうまいこと、斎藤たちの傘下の病院に集中して
受診しているんだよ。
あの中に居続ければ、そういう「ひきこもり」しか目に入らなくなるかも知れない。
ひきこもっていても生活に困らない一部の裕福な層だけが斎藤たちの下に通い続け、
その他大勢の受診者は、経済的な面で脱落していっている。
デイケアや病棟等で、一生ちいちいぱっはしている余裕はないのでね。大半の人は。
95%かどうかはわからないが、まあ大半の受診者は、初診から数年後に
にっちもさっちもいかなくなって
「受診中止か、あるいは入院して一生薬漬けにさせられるか」
の2択を迫られることになる。
自分は病気でもないのに障害者認定など受けたくないし、薬漬けも御免なので
とうぜん受診中止を選択したわけだが、非常に無駄な時間を過ごしてしまった
ことは今でも悔やんでいるよ。
29 :
(-_-)さん:04/07/10 15:53 ID:5HuNivzN
>>28
レスありがとう。
そうだよ。経済的に大変だと仕事が忙しい。失業しても、資格とりや面接や
当面のバイト等でへとへと。お金がないと何でも家族が自分たちでやることに
なりがちだから、たまの休みの日も家事で忙しい。斉藤も医者だし、たまの外食も
ひかえたり、旅行やお手伝いさんを雇うなんて考えもつかない家庭のことなど
想像できないだろう。ヒキか否かを問わず、いま大半の家庭は食費も本代も節約して、2、3年前なら
当たり前だったわずかのゆとりも失いつつ、必死に生活している。
そんな中で一発逆転を狙わざるをえなくなるヤシは、富裕層とは内面的にもちがう。
そのへんの事情は斉藤はものすごく分かっていないよ。
>>22 実際、無駄なんだけど、
>>23-27>>29みたいな方は、リアルでもいるんですよね。名指しすると荒れるので
やめておくが、ここまでじゃないにせよ、多少、これに近いことを言う方がね・・・。
(自分もYMCAや河合塾コスモで収入を得ている中島さんが、敢えてこうした業界批判をするのに
どれだけ勇気が要ったかなんて、わからないだろうな・・・)
>>28 仰りたいことはわかるけど、「ひきこもっていても生活に困らない一部の裕福な」「5%の人」
を前提にした議論をしているという点では、
>>23-27>>29みたいな人も同類なんだよ。
口では生活が苦しい、みたいなことを言ってるけど、自己実現にもカネは掛かるし、
そんなに楽天的に肯定していいものじゃないだろうが? 阿呆か?
ああ、
>>25あたりで「境遇が苦しいからこそ応援しよう」とフォローしているつもりか・・・。
ひとつだけ指摘しておくと、
>>24 身体障害者や在日の問題は別として、大学院はヤメトケ。
大学院で意味があるのは、理系修士だけ。
文系(修士・博士)と理系博士はアカポスも不足しているし、時間の無駄だから。
花嫁学校代わりに行くなら、斎藤環も出講(苦笑)、有名人講師が充実、「失楽園」
に出てくるカルチャーセンターのモデルでもある、天下の朝日新聞信頼のブランド・
生涯学習のひろば・朝日カルチャーセンターにでもしとけw
某サイトよりコピペ
>●『カウンセリング・幻想と現実』上巻…………感想その一
>日本社会臨床学会編・現代書館刊
>○第1章 カウンセリングの歴史と原理 小沢牧子(オザケンの母ちゃん)
>(望まれる人間像にちりばめられている言葉は)
>「自己実現」「自己決定と自己責任」「自己教育力」「新しい学力観」「生涯学習」
>「自分らしさ」などである。その背後には、自己管理をきちんと遂行し、
>望まれる人間像を、個人の責任で、生涯にわたって実現せよという命題がある。
>なぁんか、「本当の自分」とか「自己実現」とかうさんくさいと感じてきた。
>「人づきあいのいい人間」「社交的」「明るい性格」がすんげぇいいことで、
>「友達いない」「暗い」がすんげぇ悪いことなの? どうだっていいじゃん、そんなの。
>でも、世間はそういう人間を要求してるんだろうなぁ。そして、その要求に踊らされてる。
>●『カウンセリング・幻想と現実』上巻 感想その三
>日本社会臨床学会編・現代書館刊
>○生涯学習・管理社会におけるカウンセリング 中島浩籌
>この中島なにがしは、不登校におけるカウンセリングに対して、批判的にこう言ってる。
>カウンセリングはどんな心の状態でも認めるということではなく、
>生徒をある特定の社会的に容認可能な方向へ導こうとする技術ではないか
>と思えてくる。
>『ひきこもりカレンダー』の著書で知られる勝山くんがこんなことを書いていた。
>うろ覚えだから間違っているかもしれないけど……
>NHKひきこもりキャンペーンのHPを見ていると、
>「以前はひきこもりでした。でも、今はこんなすごいことをやっています。
>だから、あななたちもこうなってください」
>といったメッセージ=無言の圧力を感じる……と。
>何だかそれと似てる。
>中島なにがしは、不登校を取り巻く状況の中で、勝山くんと同じようなことを書く。
>(不登校という生き方もある、と周囲が理解を示す一方で)
>「学校に行かなくてもよいから、別のすばらしい生き方を見つけていってほしい」
>という期待をかけるおとな達も増えてきている。(中略)
>中学や高校に通っている生徒に「どう生きるのか?」という問いを向ける人は
>少ないと思う。しかし、なぜか、学校に行かない人にその問いが向けられるのだ。
>そういや、『引きこもるという情熱(芹沢俊介・雲母書房)』の中には、
>「正しいひきこもり」「正しくないひきこもり」なんてのもあった。
>ひきこもりの過程をめぐる芹沢さんの意見に、取り立てて反論はないけれど、
>(いろいろな考えがあるんだなぁ……とは思うが)
>「正しい」「正しくない」という言葉はどーよ、と思ったなぁ。
>だったら、「正しい社会人」「正しくない社会人」とかあるのかな?
>そして、芹沢氏本人はそのどちらなのだろうか?
斎藤がまさしくそうだ。
>>20 という話になるんだろうけど、結局、あの業界の人たち
の多くは、こういうコトバを真に自分に向けたりはしないのではないかね?
これは、このスレの住人だけでなく、リアルでもそういう人が少なくないと思うわけ。
中島さんの発言を長々と引用したのは、こうした人間性の制度化を批判してきたはずの
業界が、まさしくその罠にハマりつつあるんじゃないか? と、業界内部から貴重な
声を挙げている、と思ったからなんだけど・・・。
講演などではもっともらしく拝聴しているけど、いつのまにかスッポ抜けてるんだろうね・・・。
36 :
(-_-)さん:04/07/10 17:32 ID:5HuNivzN
>自己実現にもカネは掛かるし、
>そんなに楽天的に肯定していいものじゃないだろうが? 阿呆か?
いい学校や会社に行くためにもカネはかかる。医師・弁護士・官僚など一部の
恵まれた職業以外は、一流企業であっても数年以内にリストラ・倒産のリスクつき。
何を自己実現とするかは人それぞれだが。何がいい生き方かなんて本人が決めること
であって、周りが決めることはできないだろ?
hikikomori外に出てみ まぶしいから
36のつづき。
中島さんの議論は、一理あるように見えて、やっぱり身分差別的な
ところがあると思う。ポストモダンじゃなくプレモダン。
自由に個性的に幸せそうに生きている人に嫉妬しているのかと疑いたくなるよ。
ライフスタイルの開放運動へのバックラッシュだと思うね。
河合塾コスモには以前ちょっとかかわったことがあるのだが。中途半端に学校的で、
母体が予備校ということもあって講師のホンネはやはり偏差値至上主義。大企業が
やっていることだけに官僚的でイマイチ面白くなかった。
全共闘世代のイデオロギー注入もウザイしね。
絶対にあんなところに行きたくないと思いつつ社会的入院みたいな感じで泣く泣く
入って、やっと釈放されるという思いで出た。
あんなところただの牢獄・収容施設。
そのときにムリヤリ友達ゴッコさせられたヤシらのアドレス帳は汚らわしくてかなわないので
破り捨てたよ。あそこは絶対に信用がおけない。
自分は2年間のコスモ収容中に3度自殺未遂をしている。
書いている途中に誤って送信してしまいました。失礼。
つづきを。
自分以外にも、売春や麻薬にハマって体も心もボロボロになったり、
ロクに食事もとれずにお菓子とビタミン剤ばかりで俳人寸前になっている
ヤシもいた。
講師たちが登校受容中心の考えを捨てないので、ちょっと授業に出なかったり、
自由に読書をしたりしただけで「甘やかされて育っている」などとみなの
前で罵倒され、まるで犯罪者扱いだった。
本当に窮屈な“格子なき牢獄”だったよ。
>>32 > 某サイトよりコピペ
転載元はどこのサイト?
中島浩籌氏の言葉が引用されているんだけど、こういったことは彼だけが言って
いることじゃなくて、中島氏も含めて石川憲彦氏や奥地圭子氏や小沢牧子氏らが
医者として、フリースクール運営者として、心理士として自己批判的にずっと指摘
してきていたことなんだよね。
>>33 > >この中島なにがしは、不登校におけるカウンセリングに対して、批判的にこう言ってる。
> >カウンセリングはどんな心の状態でも認めるということではなく、
> >生徒をある特定の社会的に容認可能な方向へ導こうとする技術ではないか
> >と思えてくる。
そう。「ある特定の社会的に容認可能な方向」というのは、まさに既成の社会システム
が要請(容認)する人間発達像の規格へ導こうということだよね。
カウンセラーなどの専門家をはじめとする第三者支援者が、フーコーのいうパストラール
的権力を行使するコミュニケーション関係が巧みに組織されていくソフト管理主義。
つづく
>>34 > >中島なにがしは、不登校を取り巻く状況の中で、勝山くんと同じようなことを書く。
勝山くんも中島氏と同じようなことを言っていたんだね。さすが、彼は一味違うね。
> >中学や高校に通っている生徒に「どう生きるのか?」という問いを向ける人は
> >少ないと思う。しかし、なぜか、学校に行かない人にその問いが向けられるのだ。
この指摘、重要だな。この「問いを向ける人」の学校化された意識を示している。
前スレでの転載文で、村上龍氏と対談していた自称「フリースクール」経営者らの
言葉が、まさにここで指摘されている同じ「問いを向ける人」の典型例だろう。
>>23 > 中島さんたちの話は、当事者の主体性を無視している。また、今の社会風潮や
> システムが永遠に変わらないことを前提にしている。
> 本人が自己実現を選んだのなら、できる限り応援しなきゃ。「現実」だって動いて
> いるんだから。また本人や周囲の努力・試行錯誤しだいで道が開けるかもしれないじゃあ
> ないか。
この意見に中島氏はまったく同意すると思いますよ。
中島氏が言っているのは、自己実現を他律的に強いていきつつ、
既存の社会の規格化の方向へ導く「パストラール権力」のことです。
私は中島氏の著書を読み、多くの示唆をうけてきたので
いろんな点で同じ問題意識を共有していますから。
>>41-43 まさしく、
>「自分(たち)は違う」みたいな特権的な態度を取りたがる
>斎藤批判のついでに、社会学や不登校運動ブレーンの語るウンチクや弱者論を
>持ち出すんだろうけど、それで自分たちは免罪されると思っているから鈍い
>あの業界の人たちの多くは、こういうコトバを真に自分に向けたりはしない
>講演などではもっともらしく拝聴しているけど、いつのまにかスッポ抜けてるんだろう
という、そのままの展開を見てしまった・・・。自分たちも、その批判している「パストラール権力」
に奉仕している可能性など、これっぽっちも考えない・・・。愕然・・・。
村上と対談している人がすべて正しいとは思わないけど、学校化云々の理論とは無関係の場所から、リアルに
立ち上がってきたこういうナマの声に耳を傾けることなど、やはり無いんだろうな・・・。
>普通に学校に行っていれば、余計なお金はかかりません。普通の路線から外れることは構いませんが、そうすることによっ
>て、高いコストが掛かるということも知っておいて欲しいんです。
>ある先生はここの一番最初の授業で「君達は世の中では落伍者と言われます」とはっきり言っていました。まだ二人しか生
>徒がいないときで、ハラハラしました(笑)。生徒は目から鱗で、はっきり言われたことで喜んでいたんです。
>村上 昔、国会で不登校の問題を取り上げた理由が、国会議員の子供に不登校が多かったからだ、と冗談のように言われ
>てましたね。
>上田 でも、本当だと思います。日本からも不登校児が相当海外留学していますが、社会的に有力な方のお子さんが非常
>に多いです。
>長井 1つの学校に10人は不登校がいますから。一番増えるのは夏休みの後ですね。それで、一つ問題なのは、お金のあ
>る家庭はお金を出してどんな学校にでも入れますが、そうじゃない家庭の子供は学校を辞めたら放って置かれるんです。そうい
>う風に放って置かれる子供が本当にたくさんいるんですね。
>>44 > という、そのままの展開を見てしまった・・・。自分たちも、その批判している「パストラール権力」
> に奉仕している可能性など、これっぽっちも考えない・・・。愕然・・・。
天然ですかぁ?
これっぽっちも考えないどころか、考えているからこそ活動の内部から
中島氏をはじめとした、こうした自己批判的な指摘がなされているのにね。
「フリースクール」が出席義務化されて似非「フリースクール」化してしまう危険性
に対してもいち早く警告を発してきている、ということは何度も書いたはずですね。
もう一度過去ログでの書き込みを引用しましょうかね。
>>46 もう一度ここをお読みなさいよ・・・。
>斎藤批判のついでに、社会学や不登校運動ブレーンの語るウンチクや弱者論を
>持ち出すんだろうけど、それで自分たちは免罪されると思っているから鈍い
斎藤顔負けの鉄面皮、かつ、みごとな乖離
>>20 ですことw 「こんなに自己批判はやってます、
だから自分(たち)は関係ありません」と言い張ってるだけ。
以前、リアルでも個人的に、こんな暖簾に腕押しを味わって、気色が悪かったけど、結局、例えばブレーンがこんなに
中途半端だったりするので、その下も右に倣えで抽象論に終始するばかりなのかね?
某有名サイトより
>●『引きこもりを恐れず』
>高岡健・ウェイツ刊
>こぉんなことを書くと、あらゆる立場の人から反論されそうだけど、高岡健も芹沢俊介も、
>斉藤環も工藤定次も、基本部分は同じだと思ってしまう。
>いわく「時には『ひきこもる』ことも必要だから、『ひきこもりたい』意志は尊重しよう」。
>これに反論できる人はそういないと思う。
>(略)不登校や引きこもりに対しては、集団性から離脱していくことを徹底して擁護できるかどうかが
>大事です。一度集団性から離脱した人々が、今度どういったかたちで新しい集団性、家族、個人の三つの領域での
>自分の生き方を打ち出していくことができるのかが問われることになります。
>「自分の生き方を打ち出す」ことができなくても、 何となく生きている人はたくさんいて(私もそうだ)、
>不登校だから、ひきこもりだから、 生き方を考えなければならないとゆーわけじゃなかろうとも思うのだけど、
>(高岡さんのこの考えに逆選民思想を感じないわけじゃないけど、)
>これだってまぁまぁわかる。
>私が「ひきこもってた人って、きついだろうなぁ」と想像するのは、「休みたいときは存分に休めばいいじゃん」とは思うものの、
> 「一度休んじゃうと復帰したくてもなかなかできない」ってこと。
>(略)引き出すことによってその先に何かいいことがあるのかというと、そこに
>は集団性から脱却できていない学校や社会しかないわけです。
>そんな危ないところに大事な子どもを送り出すというのは、無責任なだけです。
>言い換えれば、「引き出し屋」の行為は、人を丸裸で戦場へ追いやるものです。
>……と、高岡さんは言うわけだけど、ここらはちとナイーブすぎてついていけない。
>「集団性から脱却した学校や社会」なんて今後もあり得ないと思うからだ。
>「一度休んじゃうと復帰したくてもなかなかできない」社会は間違ってる。
> 正しくない、良くないと私も思う。
>だから、一方では、社会を変えていくこともやんなきゃなんないとも思う。
>でも、「復帰したい」と願う人に、「社会が変わるのを待て」とは言えない。
>だいたいいつまで待てばいいのよ。そっちの方が無責任だと思ってしまう。
>だから、援助者の人たちは、対処療法として「復帰したい」人のための
>「復帰するためのステップ」を示唆してるんじゃないのかな?
>多分、高岡さんは、今のひきこもりをめぐる議論の中で、「ステップ」やハウツーばかり
>が目立つことに危機感を持っていて、(それは幻想なんじゃないかなぁとは思うけれど)
>もっと基本の基本を大事にしようと言ってるんだと思う。
>で、こういうことを言う人もいなきゃいけないとも私は思う。
>ちょっとだけ、「それってどうよ」と思ったことがある。「ゴールは(学校に戻ることでも就労でもなく)、
>その人がなりたい自分になること」だと訴えている本の中で、あたかも成功例のようにして、
>「今、ボランティア活動をしている」「今、長期のアルバイトに従事している」例を出すのはどうよ。
>それだと、斉藤さんや工藤タメさんが言ってることと変わらない。
>高岡さんの立場では、ここはやっぱり「今後はひきこもっていくことに決めた」とか、
>社会の枠にとらわれない「なりたい自分」になった人の例を出すべきじゃないのかな?
>……そんなことを思った。
(この高岡さんも既成制度批判がしたいのか、それとも自己実現を求めよ、社会の要請に
従え、と言っているのか、混乱しまくってるよね?)
さて、既成の制度を批判しているつもりでいて、その枠にいつのまにかハマっている愚を
犯しているんじゃないか? 中島さんはこう言っているのでしょ?
この自己批判は重いのに、「自分(たち)は関係ない」と言い切れるから鈍いんだよ。
>>47 詭弁だなあ。
免罪されると思っていないから自己批判を展開しているんでしょう。
自分たちも関係あると思っているからそうしているんでしょう。
つまり、フリースクールを名乗る支援期間のスタッフや「心の専門家」らが、
学校へ行かないことを「とりあえず」認めたとしても、他方で「行かないならその
代わりになるような自己実現の努力をしないさい」というふうに、暗黙のうちに
学校化された発想を前提に置き、その実、社会的に規格化された「自己実現」
が他律的に強制されていくコミュニケーションの権力関係を中島氏はそこで問題
にし、指摘しているわけで。
>>48 > 某有名サイトより
どこのサイト。転載元を明示したほうがいいんでない?
>>50 > さて、既成の制度を批判しているつもりでいて、その枠にいつのまにかハマっている愚を
> 犯しているんじゃないか? 中島さんはこう言っているのでしょ?
> この自己批判は重いのに、「自分(たち)は関係ない」と言い切れるから鈍いんだよ。
関係ないと誰が言ったんだよ。関係あるから「フリースクール」などの第三者支援が
義務色や強制色を帯びることも含めて、支援のあり方を批判的に問題にしているんでしょ。
君こそ、こうした中島氏の指摘の具体的な内容についてどう思っているの?
既成の制度に対する批判を無に帰すために中島氏を引用しているだけのように思えるが。
>>48 抽象論どころか、当事者にとってはリアルな話をしているんだよ。
それを抽象論としてしか理解できないところが君のイタイところだね。
なにも高岡氏や芹沢氏を全面マンセーしているわけじゃないですよ。
斎藤氏らに批判的な論客として取り上げてきたまでです。
そのことについては過去スレでも何度も何度も書いてきたはずなのですけどね。
> >こぉんなことを書くと、あらゆる立場の人から反論されそうだけど、高岡健も芹沢俊介も、
> >斉藤環も工藤定次も、基本部分は同じだと思ってしまう。
この点は名前欄0さんと同じ相対的な視点でしょうか。私も一部それに同意するところはあります。
高岡氏の名を「引き出し屋」に批判的な論客の一人として挙げたからといって、なにも
高岡の病院へ行け!といったふうな意味合いで言っているわけではまったくありませんね。
この意味、わかりますか? このことは以前にも申し上げました。
> >(略)不登校や引きこもりに対しては、集団性から離脱していくことを徹底して擁護できるかどうかが
> >大事です。一度集団性から離脱した人々が、今度どういったかたちで新しい集団性、家族、個人の三つの領域での
> >自分の生き方を打ち出していくことができるのかが問われることになります。
> >「自分の生き方を打ち出す」ことができなくても、 何となく生きている人はたくさんいて(私もそうだ)、
> >不登校だから、ひきこもりだから、 生き方を考えなければならないとゆーわけじゃなかろうとも思うのだけど、
この高岡氏の言葉は逆選民思想(?)ではないでしょう。というか、一般には不登校やひきこもりに対し、
「不登校だから、ひきこもりだから」非社会的だとする社会制度的な選民思想に基づく意識があるわけですね。
その選民イデオロギーに対して高岡氏は逆の視点から社会を問う。彼の基本スタンスからして、不登校やひきこもり
当事者が特別に、という意味ではなく、社会全体のあり方が問われているという意味合いを込めて述べているはず。
>>49 > >……と、高岡さんは言うわけだけど、ここらはちとナイーブすぎてついていけない。
私はそうは思わないです。むしろ反対に引き出し屋の実践のほうに
ナイーブさを私はあまりにも感じます。
病院で治療され、引き出されたからハッピーエンドというわけではないことを高岡氏は
指摘しているわけで、そうであればそもそも不登校や引きこもりという問題は生じない。
> >「集団性から脱却した学校や社会」なんて今後もあり得ないと思うからだ。
一つには集団性の性質がありますね。
「そこには集団性から脱却できていない学校や社会しかないわけです」と彼が言うのは、
個を認めない画一的な集団の閉塞性を指しているのでしょう。
> >だから、援助者の人たちは、対処療法として「復帰したい」人のための
> >「復帰するためのステップ」を示唆してるんじゃないのかな?
高岡氏であれ芹沢氏であれ、本人が心からそう思い、それを望むなら
そうすればよいと思っているはずです。これを書いた方がひきこもり当事者で、
ご自分のひきこもりがそれで本当に解決に向かうと思うのならば、ご自分の望む
支援機関を利用すればいいのです。
誤解すべきではないのは、高岡氏や芹沢氏はそうした本人の自由な選択の意思に
反対しているのではない、ということです。むしろその逆でしょう。
>>20 それもまた非常に「オマエモナ」的な記述だな(w
自分であらかじめ明言しときゃあ、免罪符にでもなると錯覚しているんだろうか。
朝日のコメントにも失笑させられたけど、確か週刊文春だったか何かの
NEVADA事件……長崎の小学5年生の女の子が同級生を刺殺したとされる事件
に対する斎藤のコメントも、似たようなものだったねえ。
非常に鬱々とした、それでいて鼻につくほど演技性の高い人ですよ。
高岡らは、別に逆選民思想などないよ。
ちょっと同情してヤワく甘くしすぎかもと思うこともあるくらい。(個々の境遇や
年齢によっても事情は違うだろうが)
かりに一歩ゆずって逆選民思想のようなものがあったとしよう。だとしても、
ヒキや不登校イコール脱落者・ケガレとする広い一般社会のなかで何ほどの
力を持ちうるのか??
それが政策化されて久しいならともかく、今のように少数の異端の信仰に
とどまっている時期にそんなことを論じて何の実効性を期待しているの?
>>50 > >多分、高岡さんは、今のひきこもりをめぐる議論の中で、「ステップ」やハウツーばかり
> >が目立つことに危機感を持っていて、(それは幻想なんじゃないかなぁとは思うけれど)
幻想ではなく、少なくとも不登校に関してはそうでしょうね。ただ高岡氏らのもっている
危機感はそういうことではないと思います。
> >もっと基本の基本を大事にしようと言ってるんだと思う。
ま、そういうこともあるでしょうね。過度のマニュアル化によってさまざまなコミュニケーション
の「文脈」が失われてしまいがちになることもありますからね。
「むやみな登校刺激はしないほうがいい」というのも、そう考えられるようになった「文脈」を
まったく知らず、考えずに、その本だけ読んだ人は、マニュアル化された対応の形式のみを
理解するだけで、その対応のもつ深い「文脈」の意味を解さずに表面的にマニュアルに沿った
ことをする。その「文脈」を解さずに行動するから、本人は周囲のその表面的な対応の欺瞞性、
偽善性を見抜いてしまって、人間不信をさらに深めてしまうという逆の結果を招く事になるかも
しれませんからね。
> >ちょっとだけ、「それってどうよ」と思ったことがある。「ゴールは(学校に戻ることでも就労でもなく)、
> >その人がなりたい自分になること」だと訴えている本の中で、あたかも成功例のようにして、
> >「今、ボランティア活動をしている」「今、長期のアルバイトに従事している」例を出すのはどうよ。
> >それだと、斉藤さんや工藤タメさんが言ってることと変わらない。
なぜ? それは矛盾しないんじゃない? 元の学校に復学することでも正社員になることでもない
ボランティアやフリーターに自分の生き方を見つけた事例を挙げているだけでしょう。
べつにすべての不登校やひきこもり当事者がそうなるべき模範という意味ではないでしょう。
この文を書いた方も実は、「斉藤さんや工藤タメさんが言ってることと変わらない」という言葉を
逆説的につかって、ひきこもり当事者の立場になった振りをして、引き出し屋業を擁護する目的のみ
で書いているに過ぎないんじゃないでしょうか。
フリースペースなどの第三者支援施設へ行くことだってマニュアル化されたのは
それはそれでいいとは思うんだけど、逆にそのマニュアルが本人にフリースペース
などへの参加を暗に強制するような方向に行ってしまうと逆効果だと思いますね。
それによって第三者支援施設に適応できない「第三者支援施設不適応症」が作り出
され、そういう人がますます社会的・心理的に疎外されることになる危険がありますね。
>>58 斎藤環が、本の中で同じように書いてたら、どうする?
成功例のように、ボランティア活動や長期のアルバイトに従事していることを紹介していたら。
やっぱり引き出し屋だと、非難しない?
書き手が誰かによって、反応を変えてない?
それからこれは別の話だけど、このスレでは斎藤に対しては、
様々な人格面のレッテル貼りがされますね。
そのようなレッテル貼り自体を否定するような内容の書き込みが多いように思うんだが、
斎藤に対しては、それはOKなんだね。
「引き出し屋」という恐怖感を持ったネーミングが、
相手に対して悪のレッテル貼りとして機能するんだよね。
誰が本当に、「引き出し屋」なのか。
吟味されなければいけない。
>>60 > 斎藤環が、本の中で同じように書いてたら、どうする?
> 成功例のように、ボランティア活動や長期のアルバイトに従事していることを紹介していたら。
> やっぱり引き出し屋だと、非難しない?
> 書き手が誰かによって、反応を変えてない?
もちろん、書き手がどういうことを普段から言っている人なのか、
どういうスタンスで発言している人なのか、といったコンテククスト次第でしょうね。
ディスクールというのはまさにコンテクストの問題ですからね。
斎藤氏が高岡氏と同様に引き出し屋的な発想に批判的なスタンスで発言している人ならば、
そのように書いたとしても(文脈次第ですが)引き出し屋だとは非難しないでしょうね。
>そのようなレッテル貼り自体を否定するような内容の書き込みが多いように思うんだが、
>斎藤に対しては、それはOKなんだね。
レッテル貼りのパロディ化というか、専門家権力によるレッテル貼りの権威付けに
対する一種の皮肉(アイロニー)なんじゃないでしょうか。
精神分析家を精神分析する、みたいなもんでしょう。
>>61 つか、引き出し屋を肯定する側と批判的な側との間で
このやりとりが展開しているわけでしょう?
あなたは引き出し介入には批判的なんですか?
>>63 どっからどこまでが引き出し屋で、どこからが許容範囲なのかも
分かりづらいし。
「ひきこもり」自体をどちらかというと否定的に見て、
できれば社会に出ることが本人にとって望ましい状態だろうと考える。
ここまでは別に、引き出し屋じゃないですよね?
ひきこもりで困っている人や家族からお金をとって、支援活動をする。これも当然OKのはず。
本人の脱ヒキしたいという希望を無視して、ひきこもらせる。これは冗談ですが、NG。
いや、実は手法としてOKかも。
本人の意向を無視して、強制的に脱ヒキ訓練させる。これは引き出し屋かな。
ひきこもりは良くないと世間に煽って、当事者を追いつめる。これは良し悪しは別として、
引き出し屋とは少し違うかと。
ひきこもりの治療を望んで来た人の援助(脱ヒキの手伝い)をする。これはOKだろ。
>>64 > 「ひきこもり」自体をどちらかというと否定的に見て、
> できれば社会に出ることが本人にとって望ましい状態だろうと考える。
> ここまでは別に、引き出し屋じゃないですよね?
でも、それは引き出し屋に(強制的に入院させたり施設に収容させたりするのまでも
ふくめ)共有されたスタンスであることはたしかでしょう?
本人の意思は別にして、ひきこもりそれ自体は悪い事(行動)だという価値観が根底にある。
> 本人の脱ヒキしたいという希望を無視して、ひきこもらせる。これは冗談ですが、NG。
> いや、実は手法としてOKかも。
本人の意思というのは大抵の場合、大きく揺れているんですよね。
社会復帰の「社会」が意味するものとの間で本人は苦しんでもいるわけで、
登校拒否の心理にしても、その点は同じであると思いますね。
本当に心のなかで矛盾なく学校へ行きたいとか脱ヒキしたいという希望を本人が
もっているとするならば、強制的に学校へ連れて行かれても引き出されても問題
ないはずですし、本人は強制されたとは感じないはずですよね。
しかしそのはずなのに、引き出し行為によって本人がより追い詰められていくような
心理葛藤が生じてくる。そもそも引きこもるという回避行動事態がそうした追い詰め
られた本人の心理葛藤を表現した状態なのかもしれません。
> ひきこもりは良くないと世間に煽って、当事者を追いつめる。これは良し悪しは別として、
> 引き出し屋とは少し違うかと。
> ひきこもりの治療を望んで来た人の援助(脱ヒキの手伝い)をする。これはOKだろ。
安楽死問題でもしばしば議論になることだし、塩倉さんも指摘されていたことだけど、
本当に本人の希望なのか。親(=世間)の期待の内面化(共依存化)みたいな抑圧
された心理状況の状況や環境のなかでそう言っているのか。そこにこの問題の繊細さ、
複雑さ、というか、いちばん問題の中核がありますよね。
>>65 スイマセン 誤文訂正します。
安楽死問題でもしばしば議論になることだし、塩倉裕氏も指摘されていたことだけど、
本当に本人の希望なのか。親(=世間)の期待の内面化(共依存化)みたいな抑圧
された心理状況のなかでそう言っているのか。そこにこの問題の繊細さ、複雑さ、
というか、問題のいちばん中核がありますよね。
>>63 >
補足のつもりでいわせてもらうと、
本人の意向だけでなく、「そうなる過程やそれに関連する本人、家族、その他関係パーソンなどの
(文脈)を無視して」強制的に脱ヒキ訓練させる。これは引き出し屋。
で、同じ様に、「本人の意向、そうなる過程やそれに関連する本人、家族、その他関係パーソンなどの
(文脈)を無視して」ひきこもりは良くないと世間に煽って、当事者を追い詰め(治療=訓練へ向かわせる)る
のも、引き出し屋に準ずると思う。というか、実質的に治療版の引出し行為になっている。
ごく最近は知らないけど、稲村時代は当然、そしてその後も、たまきんは長い間この手の「治療」をしてきているよ。
なんといっても、治療の現場での体験談などでも、それは良くわかる。
まるで、農作物か何かを、思い通りの色の花をつかせるとか、予定する大きさの実を付けさせるとか、
そんな農林試験感覚で、まるでナンセンスな「科学的治療」を試みて、結構深刻な失敗を犯している(あたりまえだよな・・)。
んで、ケロっと。そんな感じだね。
>>56 >自分であらかじめ明言しときゃあ、免罪符にでもなると錯覚しているんだろうか。
ここが斎藤環の思索&立振舞い的に面白いところだね。
場合によっては、こういう言動が、蓋開けたときの面白さを何倍にも
味付けするンマンマな調味料にもなりうるw
>非常に鬱々とした、それでいて鼻につくほど演技性の高い人ですよ。
ボダ軸座標上のほぼ全てをカバーしてしまうボタ軸作成人なのかなw
本人に対し、外へ出ろ!出ろ!とプレッシャーをかけつづけるのではなくて、
反対に、ひきこもっているありのままの自分に対する自己肯定感を与える
方向に促した方が、ひきこもり状態に追い詰められている本人の心の鎖が
かえって解かれ、徐々に外に出られるようになることもあるんだよね。
ただし、その結果を先取りして本人に働きかけようとすると、働きかければ
働きかけるほど、それがまた本人に対する強いプレッシャーになって逆効果にも・・・
>>67のレス指定訂正。
×
>>63→○
>>64 >本人の意向を無視して、強制的に脱ヒキ訓練させる。これは引き出し屋かな。
についてです。
>>64 >本人の脱ヒキしたいという希望を無視して、ひきこもらせる。これは冗談ですが、NG。
斎藤たちが実際やっていることに、結果的に一番近いのは、上の一節だったりする。
結果的に、ね。
彼らが「引き出し屋か否か」の議論は興味深いんだが、ある意味もっと事態は
先を行っているというか、深刻だよ。
>>48 > >こぉんなことを書くと、あらゆる立場の人から反論されそうだけど、高岡健も芹沢俊介も、
> >斉藤環も工藤定次も、基本部分は同じだと思ってしまう。
高岡氏や芹沢氏らにしても、たしかに、本人が苦しんでいる状態である「ひきこもり」を
そのまま手放しで全面肯定しているわけじゃないですよね。
だからこそあえて彼らは「ひきこもり状態の個」をできるだけ擁護しようというスタンスを
とっているとも言えるし、そうすることによって、引き出しプレッシャーを周囲にも内面にも
抱えこんで独り苦しむ当事者の心の葛藤を引き起こす(脱ヒキしたいがゆえにかえって
ヒキこもってしまう)悪循環の構造のようなもの(斎藤氏なら「ひきこもりシステム」と呼ぶ
だろうもの?)が解きほぐされるべきだ、というふうにも考えているんじゃないかと思います。
>>56 >
>>20 > それもまた非常に「オマエモナ」的な記述だな(w
> 自分であらかじめ明言しときゃあ、免罪符にでもなると錯覚しているんだろうか。
>>20の引用先の文章を読むと、自分は臨床では精神分析を用いないと
書いているから、そこに自己批判的なニュアンスはまったくないと思われます。
で、批評の分野では彼流の精神分析論を大いに用いて書いているわけですね。
「ひきこもり」文化論でラカンを引用して「去勢」云々と論じつつ「ひきこもりシステム」を解釈
してみせ、引き出し介入を正当化するようなところなんかは、まさにその実践例でしょうね。w
> 朝日のコメントにも失笑させられたけど、確か週刊文春だったか何かの
> NEVADA事件……長崎の小学5年生の女の子が同級生を刺殺したとされる事件
> に対する斎藤のコメントも、似たようなものだったねえ。
わたしは読んではいませんけれども、文藝春秋ではなかったでしょうか。
>>45
学校化云々の理論とは無関係の場所から、リアルに
立ち上がってきたこういうナマの声に耳を傾けることなど、やはり無いんだろうな・・・。
学校に苦しめられた当事者からすれば、学校化というのはものすごくリアルな
話ですよ。あなたは学校であまり落ちこぼされたり苦しめられたりしなかったので
トンチンカンなのんきな話をできるんですよ。
>>66 >この問題の繊細さ、複雑さ、というか、問題のいちばん中核がありますよね。
その辺の話は、わりと個人的に同意するんですよ。
ひきこもり(今の自分の状態)が色々な面(倫理的、自分の人生の損得勘定、
生活の苦楽などの面)で良くない、という強い確信によって今の状態の自分を否定してしまって、
それで自ら苦しめられているという面があると思う。
しかしおそらく、世間一般の感覚からすれば、百歩ぐらい譲ってひきこもりが悪くないとして、
それでもどうして、その苦しい状態にい続けるのかと。もっと楽しい楽な状態(社会参加)に
移行すればいいじゃないか、という素朴な感覚があるんじゃないか。
この感覚は、きっと斎藤や他の援助者にとっても、普通にあるんじゃないか。
だから、ひきこもりを基本的に否定的に見るのが「引き出し屋」的な傾向だと言われるが、
そういう見方になるのは、ある程度しょうがない面もあるんじゃないか。
で、それでもひきこもり続けることを望むのなら、ある程度何かを犠牲にして
生きていくしかないんだよね。周囲との摩擦も仕方がないし。
誰かにバッシングされるのも、これももうしょうがないんじゃないかと。
世間の、彼らは好きでひきこもってるんでしょ、という見方もあると思うが、
それに対して、ひきこもりも苦しいんですよ、ただ怠けてるだけじゃないですよ、
そう簡単に自分の意志だけで抜け出せるものでもないんですよ、とか
説教や一方的な説得によってもうまくいくものでもないんですよ、とかの見方を
一般に対して示したものが、「社会的ひきこもり」概念なんだとも思う。
で、自分はこういう見方にも賛成で。
だから単なる「ひきこもりOKだよ」だけでは、実態の理解に欠けると感じるし。
なんかバラバラな話になってしまったが。結局最後は、
自分がどうしたいのか、ということだけになってくるのかもしれない。
どの道を選ぶとしても、苦しいもので、その後どうなるかも分からないという…。
ひきこもりが苦しいから脱ヒキしましょう、という意見は
当事者を心理的に追いつめる面もあると思う。
ひきこもっていてもいいじゃないか、という意見は、
自分の苦しみを無視されたような気持ちになり、当事者感覚とは離れてしまう。
まあワガママといえばワガママなのかもしれないが。
実は当事者さえも見方が混乱し、援助者もどういう立場をとっていいのか分からないという、
一種のカオス状況なんではないか、という気も少しする。
>>76 まさしく典型的な引き出し屋さん的ご意見ありがとう。w
> 引き出し屋にとっては「ひきこもり」は永久にキモがられる存在でなく
> ては困るのです。キモがられて当事者が苦しめば苦しむほど商売に
> なるのですから。
>
> 商売とまではいわずとも、少なくとも自らの引き出し介入行為を
> 正当化することができるのです。
> そのためにはヒキ当事者に世間の冷たい視線がますます注がれ、
> 引きこもりを悪化させ、ますます一人では出られない精神状態に
> 追い込まれてもらう必要があるのです。
> 彼ら引き出し屋にとってはそれが利益になるからです。
> 彼らが一方で引きこもりの存在を認めると言いつつも、他方で引きこもり
> に対する擁護に反対し、否定的な面を強調して煽るのはそのためです。
だから引き出し屋に限らず、
ひきこもり状況の人に対して、どちらかと言うと否定的に見るのは、
しょうがないと思うんだけど。
引き出し屋に関係なく、本人だって、確信的にひきこもってる人は少ないと思う。
社会に参加していれば得ていたかもしれないもの、を失っているわけだから。
でもそれでも、誰かに監禁されてるんじゃなくて自分の行為としてひきこもってるわけで。
同世代の他の人たちは、頑張って働いてたり人と付き合ったりしているのが普通なわけで、
そこから逃げてるんだから、別の部分で苦しむのは、仕方が無い。自己責任の範囲だとも言えるわけで。
でもじゃあ、本当に自分の意志でひきこもってるのかと問われれば、
その通りだと答えられる人も少ないはず。
ただこれは言えるのは、本当に重要なのは、本人、当事者がどう考えているか、ということで、
外部の人が勝手に、ひきこもりはこうに違いない、と乱暴に決め付けるのには、注意した方がいいということ。
脱ヒキした人も、ひきこもって良かった、意味があったという人も実際いるだろうし、
ひきこもり期間は意味が無かった、苦しかっただけだという人も、いるだろう。
他のひきこもりの人は皆こう言うけど、自分にとっては違う考えだ、ということもありうる。
本人の意思に関わらず、周りが正しい対処をすべき、という意見もありうる。
本人の置かれている環境や精神状態によって、当人も適切な判断ができない、という場合もありうる。
その良し悪しは別としても、斎藤環はこういう見解にも、片足を置いているようですね。
良く見れば、関わった者としての責任ある行為。本人の不幸を無責任に結果として助長させるようなことはしない。
悪く見れば、善意の押し付けにもなりかねない。まるで宗教関係者が、本当に善意で他人を強引に勧誘するように。
「医師」という一種の聖職のなせるわざか。一人の人間の神聖な人生に、強制的に関与するということになる。
もっとも斎藤が、本人の意向を無視しての強制的な関与を、実際にどの程度してきたのかはまったく知りませんが。
また仮に、そういうことをしてきたとしてもそれが、世間一般の精神科医の傾向と比べてどうだったのかも、知りません。
反対に、当事者の意向を尊重して(?)ひきこもり状態を放置させるような援助者に対しての反発も、読んだりする。
過去スレに出てた工藤氏の文章
http://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/tachiyomi/4939015645/nijuusakoku.htmlとか。
その場合には、そのような援助者に対して、無責任だ、結果として本人を不幸にさせた、というような憤りなんでしょうね。
>もっとも斎藤が、本人の意向を無視しての強制的な関与を、実際にどの程度してきたのかはまったく知りませんが。
>また仮に、そういうことをしてきたとしてもそれが、世間一般の精神科医の傾向と比べてどうだったのかも、知りません。
なんだ。またあいつか。
>>80 斎藤さんの罪状については、いろんな所で(主に2ちゃんだけどw)仄めかされて
いるので、あるいはそういうこともあるのかも・・・。
それはそれとして、その工藤さんの文章を読みました。ところが、ここでループがあって、
>>78のように、
工藤氏のような「世間」の視線こそがひきこもりを作りだし、また追いつめていると。
さらに、「ウチに来れば社会に出してあげるよ」という商売上のマッチポンプを行っている
と言いたいらしい。そこでいつも話は止まっちゃうわけ。
ところで、諸外国にはひきこもりはいないのかね? ここで引き出し屋批判を行っている人は、
例えばイギリス映画の「トレインスポッティング」のように、社会的には定職のない浮遊層だが、
それでも先は無いけど生きてますし毎日仲間と外でブラブラしてます、みたいな連中はどう思うの?
ニートってヤツ? 欧州には多いらしいが、少なくともひきこもりではないから、あれはいいの?
なぜ、この例を出したか、というと・・・つまり、引き出し屋批判をしている人というのは、
「引き出し」圧力や学校化圧力を軽減すれば、ひきこもりや不登校はいなくなるはずだ。
(概念自体が無効化されるので、実存在としてもいなくなるだろう)
→いま、ひきこもり・不登校を行っているような層も、外出ぐらいはするようなニート層になるだろう。
あるいは、ホームスクーリングやSOHOでもやるようになるだろう。
→ここで初めて、ニート層をどう処遇するか? ホームスクーラーやSOHOをどう保証するか?
といった、ストレートな労働政策・教育政策の俎上に上げられる
といった、回りくどい段階的戦略を行っているのですか? いや、こうとでも解釈
しないと、目指す所がよくわからないのでね。
目指すところというかもっと単純に、
不登校、ひきこもりは悪くないよ。
悪いのは学校システムであり、社会システムだよ。
苦しいのは、登校強迫や引き出し圧力のせいだよ。
自分が学校や社会に適応できないのは、自分に問題があるからではなくて、
学校システムや社会システムが、現状に適応してないからだよ。
教育体制や社会構造が、現状に合うように変革されるべきだよ、
というような感じなんじゃないですかねぇ。
当事者性を主体的に発揮して自信を取り戻すという考えなのかもしれないが、
意地の悪い見方をすれば、自分の非を一切認めずに他者を非難するだけ
のように見られかねないと思う。
しかも、ひきこもり当事者がそういうことを言っているのならまだいいのだが、
ひょっとして外野がおせっかいにも、そういう説を喧伝しているのではないか、
という気さえする。元不登校であったり、ひきこもり援助に関わる人であったり
するかもしれないが、それでも「ひきこもり当事者」とはちょっと違うだろう。
当事者性、主体性を結果的に歪めないでほしいと思うし、
同じように、ひきこもり問題全体も歪めないでほしいと思う。
>>84 > しかも、ひきこもり当事者がそういうことを言っているのならまだいいのだが、
> ひょっとして外野がおせっかいにも、そういう説を喧伝しているのではないか、
> という気さえする。
それはまさに引き出し屋に対して言えることであって、
>>55 >>65-66などで書いていることもまさにそうした意味の話なんですよね。
で、あなたはそのこと(おせっかい)を肯定するわけでしょう?
ひきこもりは我がままなんだから、外野(引き出し屋)のおせっかいに素直に
服従するのが当然だろうと考える。
拒否すれば、
>>84で書いているようなことを言って当事者を抑え込む。
私が引き出し屋に対して疑問や不信感をもつのは、まさにそこにあるんですよね。
どんな強引で暴力的な引き出し屋であっても、自分たちは本人のために
本人に代わって彼らの救済や援助をしているだけなんだ、と主張するでしょう。
稲村氏だって長田氏だって、不登校児の死亡事件を起こした風の子学園の
園長だって、本人を救うための善意の行為だから、そうしたやり方を批判される
筋合いはないと主張するかもしれませんよ。
斎藤氏や引き出し屋への疑問を呈したり、批判的な発言を繰り返しているのは、
当事者へのサポートそのものを否定するからではなくて、ともするとそうした介入主義
になりかねないサポートのあり方の問題性・危険性を感じているからなんですよね。
>>55 >>65-66で書いているようなことを、私がここで何度も何度も繰り返し問題提起
しているのは、そうした意味からでもあるんですね。
>>76 > だから、ひきこもりを基本的に否定的に見るのが「引き出し屋」的な傾向だと言われるが、
> そういう見方になるのは、ある程度しょうがない面もあるんじゃないか。
> で、それでもひきこもり続けることを望むのなら、ある程度何かを犠牲にして
> 生きていくしかないんだよね。周囲との摩擦も仕方がないし。
> 誰かにバッシングされるのも、これももうしょうがないんじゃないかと。
> 世間の、彼らは好きでひきこもってるんでしょ、という見方もあると思うが、
> それに対して、ひきこもりも苦しいんですよ、ただ怠けてるだけじゃないですよ、
> そう簡単に自分の意志だけで抜け出せるものでもないんですよ、とか
> 説教や一方的な説得によってもうまくいくものでもないんですよ、とかの見方を
> 一般に対して示したものが、「社会的ひきこもり」概念なんだとも思う。
> で、自分はこういう見方にも賛成で。
なんだか言っていることが矛盾しているね。二枚舌というか・・・
ひきこもり当事者がバッシングされるのもしょうがないんじゃないか、とバッシングを一方
でしっかり擁護しつつ、他方でひきこもり当事者への偏見を除去しようとする味方(理解者)
でもありますよ、と言いたいわけですか。
バッシングを誰か他者の必然の声として挙げているけど、実はそれをしょうがないと肯定
している意味で、それは同時にあなたのなかの本音の一部ではないですか。
工藤氏も「民族派」とやらの声を引用していましたが、それは実は工藤氏のなかにも
それとなく共有されている本音の声の一部なんではないかという気がしましたね。
> それに対して、ひきこもりも苦しいんですよ、ただ怠けてるだけじゃないですよ、
> 説教や一方的な説得によってもうまくいくものでもないんですよ、とかの見方を
上のような見方を主張していたのは、斎藤氏というよりも、むしろ彼(や稲村氏ら)に
批判的な側の立場にいた人たち(不登校界隈?)だったわけですよ。
その主張の効果が、のちに「社会的ひきこもり」概念を世間に流布した斎藤氏の
マニュアル本にも反映することになった、という経緯でしょう。
>で、それでもひきこもり続けることを望むのなら、ある程度何かを犠牲にして
> 生きていくしかないんだよね。周囲との摩擦も仕方がないし。
> 誰かにバッシングされるのも、これももうしょうがないんじゃないかと
出っ放しであっての犠牲もあれば軋轢もありますよ。たとえば、残業、早朝出勤
休日出勤などによってプライベートの生活ではデートもできない、読書もできないなど。
特にそれが「あわない」ものや不本意選択であれば、なおさら自分の素直な気持ちを
犠牲にすることになる。
なんだか社交的であることに過剰な幻想を抱いているようで、読んでいるほうが
泣けてくるよ。
上にリンクのあった工藤さんの文章を読んだ。相変わらず読んでいて気持ち
の悪い情報だったよ。
「好きなことをさせましょう」「親は反省して子どもの心をわかって」
なんて具体的に誰がいつどこで言っているんだ? だいたい、子どもに
「〜させる」「してあげる」なんて表現は、子どもの独立した人格や人権を
認めるリベラルなカウンセラーなら絶対に使わないよ。芹沢さんもたたいているけれど、
架空の悪役を自ら設定して叩いているだけでしょ。こんなもの対話でも討論でもない。
わざと自分に有利に書いたフィクションのようなもの。ワラ人形への釘うち。ホント不毛。
ただ人を画一的に見て、個々の状態や価値観の多様性を認めれない偏狭で、短絡的で安っぽい
同情にひたっているだけじゃあないか。かわいそうな人をあわれみ分かり
救ってあげられる自分像に酔っているだけだろ。
この工藤という人こそはた迷惑な心のひきこもりだよ。他のタイプの人の内面、ライフスタイル
などを理解する開かれた心などどこにもない。人一倍柔軟性がなく、社交性がなく、下品で失礼
、ソーシャルスキルがゼロかマイナスなのはこの工藤という人じゃあないか。
>当事者性を主体的に発揮して自信を取り戻すという考えなのかもしれないが、
>意地の悪い見方をすれば、自分の非を一切認めずに他者を非難するだけ
>のように見られかねないと思う。
ひきこもりは犯罪じゃありません。
当事者として主体的に生きることと他人を非難することとは必ずしもセットではないでしょう。
なぜこういう話をするのか、意図が分からない。これじゃ批判ではなく単なる悪口。中傷。誰かから
「傷ついた」「失礼だ」などと怒鳴り込まれても文句は言えないね。
自分も他人も肯定して生きて何がおかしいの?
自分を肯定できない人が他人を肯定できるわけない。
その逆もあてはまる。
>>74 同感です。批判的な学校化論は、ある意味、すごくリアルな問題提起をして
いたんだな、と益々実感します。
例えば「サービス権力」による価値の統制と押し付けを社会的・文化的・臨床的
な水準から問題提起していたイヴァン・イリッチ氏の言葉が、身に染みるほどの
リアリティをもって迫ってきますね。
俺はこういう
心理bぬんせきおが
死ぬ程m、うかつくーーーー
名にもわかんないくせに。それでもうけてるカスしね0−
>>92メガテンの外道みたいなしゃべり方してる・・・
哲学的な文章を頼りにしてちゃ
だめ。
自分の中の持ってるパワーで外出てみなさい。
鬱は無理だけど。
>>90 >なぜこういう話をするのか、意図
このスレにある一つの傾向として自分が少し感じるのが、
(当事者の側から)過剰に他者(環境や社会や人)を非難し叩いているという印象。
むやみに外部を攻撃や非難などしても、逆にこっちの立場を孤立させることにならないか、
という危惧も少しある。
自分の肯定はいいと思うけど、他人の見解や立場などに
対しても、一定の理解はした方が良いよね。
相手が本当の“悪人”なら話は別だけどね。
異なる見解を邪教とレッテル貼りして排除するのも
宗教やイズムとしては、いいと思うけどね。
>>94 > (吉本隆明との対談でもサイババに入れ込んでいるようだな・・・)
だから何?
>
>>83は見事にスルーか? いったい、何がしたいのだろう? フーコーやイリイチの布教か?
スルーって何が言いたいの?
おそらく、厚生労働省などが「ひきこもり」問題を煽ってクローズアップしたのも、
最初からそうした政策的な社会コントロール上の思惑があるんだろうね。
パラサイト叩きやフリータ叩きを煽ることとも繋がりがあるのではないか。
で、そのあたりのことは高岡氏も述べていたね。
> マーガレット・サッチャー以降、小さな政府論が出て、若者には労働の訓練のみが与えられる
> ようになったのです。奨学金などは財政削減でどんどんなくなっていく。労働の訓練を受けて
> おかないと失業手当がもらえないのではないかと若者は考えて、訓練だけはたくさん受けます。
『引きこもりを恐れず』高岡健著 ウエイツ
>>84などの書き込みを読むと、斎藤や引き出し屋の擁護派が
ヒキ叩きの物言いと実にそっくりな考えをもっていることを
つくづく感じさせられるるよ。
なぜ、彼らがヒキ叩きをいっぽうでそれとなく肯定する必要があるのか、
というより、彼ら自身がヒキ叩きに深いところで共感しているのではないか
と思われる。
>>96 もちろん一定の理解はしているよ。
で、そのことはそうおっしゃる自身にも向けているのかな?
>>94 吉本氏も、オウムの頃、麻原に擁護的な立場だったんだよね。
善意が強くて、時代の中でより良い社会のあり方を模索するような人たちは、
昔だったらマルクス主義にカブレたり、より新しいとこでは
神秘主義的な考え方に共感を示したり、とかってあるんでしょうね。
現代だったら、そういうカブレる対象が無いから、かと言って世俗的倫理にも
素直に従えなかったりして、ひきこもりになったりとかあるんだろうか。
ちなみに自分は、芹沢氏や吉本氏がひきこもりに擁護的な発言をしてくれることは
素直に歓迎したいですけどね。無条件に支持するわけじゃないですけど。
>>97 >おそらく、厚生労働省などが「ひきこもり」問題を煽ってクローズアップしたのも、
>最初からそうした政策的な社会コントロール上の思惑があるんだろうね。
>パラサイト叩きやフリータ叩きを煽ることとも繋がりがあるのではないか。
そうだね。同意。
ついでにいうと、将来の徴兵拒否者たたきも視野に入れているんだろうな。
徴兵制を復活させたいと願っているヤシらはネオコンを中心にいるからね。
今のうちから徴兵拒否しそうなパーソナリテイをあぶりだし、または捏造し、
反社会的、超エゴイスト、気持ち悪い、役立たず、わがままで暴力的……など、
徹底的にマイナスイメージを植え込んでおこうとしたのがNHKと民放の同時多発
ひきこもり侮辱キャンペーンだったんだね。
ちょっと反戦運動に関わっているのだが。若い世代にはライフスタイルの自由への圧迫や
として、年長世代には失業問題や倒産問題かくしとして、女性にとってはマッチョ文化の
統制強化策として、斉藤環やひきこもり批判は忌み嫌われ軽蔑されているよ。
喜んでいるのは、「諸君」「正論」をみて「今の世の中乱れているのはみんな女・
子ども・外国人が悪いんだー」とする情報を見ては癒されているオヤジだけ。
芹沢は、人権派らしく新潟の幼女監禁事件の犯人を擁護しているのにはマイッタ。
もともと男尊女卑の評論家かと思っちゃいたが、あそこまで女性の人格や人権を
無視してロマンチックラブイデオロギーによって美化してみせるとは!
おまけに被害者の感情や利害もまったく無視。女性は男の所有物としか思っていない
ようで吐き気もよおした。
ただ、それ意外については洗練されていていい評論家なんだなー。ここんところの
ギャップは不思議でならない。
当然、斉藤環と比して誠実で上品だと思う。少なくとも芹沢さんは二枚舌じゃあない。
>>98 >彼ら自身がヒキ叩きに深いところで共感しているのではないか
それはあるでしょうね。ほとんど誰の中にも、現代社会にあっては
ヒキ叩きの要素を持っていると思いますね。
だって、現代社会で好ましいとされていることの、反対のことを
ひきこもりは受け持ってたりするんだから。
>>96 > このスレにある一つの傾向として自分が少し感じるのが、
> (当事者の側から)過剰に他者(環境や社会や人)を非難し叩いているという印象。
他者って、ヒキ叩きのことを批判しているだけだよ。君こそ自分の価値観と違う「他者」に
対し一方的に介入して非難しているのではないか。
当事者の側に立っていないと言っていたかと思えば、今度はそうやって言う。二枚舌だな。
君たちにとって正しいヒキとは、本人の意思決定の問題にかかわらず、引き出し屋の指導
に従順な当事者だけのようだ。相手が引き出し屋の指導を受け入れなければ、途端にヒキ
叩き的な発想、ヒキ叩き擁護論に転じる。
こちらは何度も、本人自らがすすんで支援を望むなら、その望む支援を受ければいいし、
そのことを否定する意味で異論を展開しているわけではないと繰り返し述べている。
ひきこもり本人自身が本当に引き出し屋的支援を望むなら、本人が自らそうすることは
構わないし、これを読んでいる当事者もそうすればいいはず。
しかし、当事者が引き出し屋に反論しようものなら、世間のヒキ叩きを持ち出して途端に
ひきこもりバッシングの言説に転じるような考え方をもっている人たちに対して、果たして
当事者が自らの意思を表明できるのだろうかと疑問に感じる部分も多々あるんだが。
>>102 実は私も芹沢氏に対する印象はアンビバレントな感じですね。
人権派というよりも、むしろ人権派団体を批判している箇所もありましたしね。
>>97 つまり、何がしたいんですか?
>>83のような意図ではないとすれば?
完全に「ひきこもり」擁護を貫徹するのなら、「同情するならカネをやれば?」「ヒキっても
生きていけるような社会保障の充実を訴えれば?」「カネが無くても質素な生活を楽しめる精神を
啓蒙すれば?」としか言い様がありませんね。
何もしなくても家賃も光熱費も掛かる、自炊で最低限で済ませるにせよ食費も掛かる。
いまは保護者などが負担しているから見えにくいだけ。
一般人も資本家に労働を売って生きている存在に過ぎず、カネに縛られている。一方、
ひきこもりもカネが仇の世の中から解放されている訳ではなくて、カネが無いとヒキれない。
(欧州のニートたちだって、最低生活を社会政策に保障されているだけで、経済行為の
シガラミから「自由」に生きているわけじゃない)
青木雄二的な理屈で申し訳が無いのですが、この現実に対して何か処方箋は無いんですか?
時々、雑誌などで、例えば劇団員みたいに「お金はそんなに無いけど自由です」みたいな人が紹介されますけど、
ああいう生き方にぐらいはひきこもりを引き上げようとか、そういう具体的な理想でもあるんですか?
そういう人はだいたい、家族やマイホーム、クルマや世間的な栄達は諦めてるけどね。
んで、生活は手堅い職人仕事とか、特殊なSOHOか何かで稼いでるわけだけど・・・。
>>106 貴方が「お金がたくさんあります」的救済を求めたければ求めれば?
それは貴方の勝手ですよ。
その価値観を他者一般に押し付けるべきではないと思いますが。
イギリスには日本のようなひきこもり問題はなくてもニート問題、失業者問題は
あるわけですよね。経済的独立を要請される社会での市民社会の矛盾というか、
そのなかで若者が社会的居場所を失ってさ迷っている光景ですね。
>>107 よくお読みなさいよ。「引き出し屋はケシカラン」とか言ってる方は、どこに具体的な理想を置いてい
るのですか? と聞いているのでしょうが? そこにいくつも仮想選択肢を示したでしょうが?
>ヒキっても生きていけるような社会保障の充実 ですか?
>カネが無くても質素な生活を楽しめる精神を啓蒙 ですか?
>「お金はそんなに無いけど自由です」みたいな生き方にぐらいはひきこもりを引き上げよう ですか?
>>108 せめてそのニートにまではひきこもりをレベルアップ(?)させよう、そうしないと教
育政策も労働政策も語れない。そういう主張ならまだわかるわけなんだが・・・。
それとも、外でオイタをしないひきこもりの方がまだマシ。と言っているのですか?
>>102 イデオロギーによって美化という言葉があるが、
ひきこもりを美化したとしても、それを経済的にも支える家族だったり
制度的に支える社会保障(現状では受けている人はまだ少ないだろうが)
だったりもあるんだよね。
誰かが働いて作った物や社会や食べ物に依存して生きて、
自分は社会に、経済的にはあまり貢献していないように思える。
自分も最終的にはひきこもりを肯定したいと思っているが、
無邪気に肯定は、そう簡単に出来るもんでもない。
>>88では、社会に出ていても苦痛や犠牲も多いと。
それはその通り事実だと思うけど、だから、ひきこもりの苦しみも大したことないだろう、
ひきこもりはやっぱり、楽をしているんだという見方にも、つながりかねないと思う。
その通りなのかもしれないけど、それはヒキ叩きで使われる言い方でもありますよね。
>>89では相手への罵倒として、社交性がなく、とか
ソーシャルスキルがゼロかマイナス、とかの言い方をしている。
こういうレッテルは、ひきこもりに対して向けられやすい言葉だ。
他の、スレ全体などでもそうだが、ひきこもりが向けられそうなマイナスのレッテルを
よく斎藤などに向けられていたりしますね。
別に個人叩きをするつもりじゃないんだが、一見ヒキを擁護しているように見える
人の中にも、内なるヒキ叩きはあるだろうということ。
だからこそ、「ヒキ叩き」を叩いて排除すれば済むという問題ではないんだ。
111 :
(-_-)さん:04/07/12 18:36 ID:N+9z79XS
なぜか引き出し屋さんに明るい未来を見出そうとしている人たちに確認しておきたい
んだけど。
引き出し屋のやっていることはただ変わっているだけではなく、刑法に触れる
犯罪でもあるんだよ。誘拐・拉致・監禁などがそれにあたる。そのへんのところ、
分かったうえで言っているの?
主観的な善意でもってOKとするのなら、オウムの信者だって救済のためと本気で
信仰して善意で弁護士一家を拉致・監禁したり、地下鉄にサリンをまいたりしているんだ
よ。そのへんのところ、もう少し常識的になってもらいたいな。
引き出し屋さんの論理というのは、精神病者を強制入院させようとする論理
と非常に似かよっている危うさを強く感じる。
斎藤さんは、たしか、「ひきこもりシステム」をつくる日本の「世間」についても
問題にしていて、それはひきこもり個人の自意識の問題にすぎないような書き方
をしていたけれども、果たしてそれも当事者の心の問題に還元できるのだろうか。
そしてまた、その世間を意識して個人が学校へ行こうとし、治療を受けようとする、
ということがある構造まで分かった上で言っているんだろうか、と疑問に思った。
>>111 >引き出し屋さんに明るい未来を見出そうとしている人
さすがにそこまで全面肯定しているヤツなんかいないよ。他にネタも無いから、「引き出し屋批判」
に終始しているんだろうが、展望も無いのに同じことを言ってるから突っ込まれるんだよ。
中島浩籌氏の著書(『逃げ出した教師の学校論』労働経済社)から
> 東京都は1995年から「登校拒否」等の「不適応行動」を起こす児童を宿泊させて治療を
>行なうことを目的とした「宿泊治療」を実施しはじめた。(略)
> では、なぜ「登校拒否」等の「不適応行動」を起こす児童を入院、入所させて治療しなければ
>ならないのだろうか。文部省のパンフレットでは収容治療の利点として次のような点をあげている。
> 『本人を家族あるいは社会から離すことによって様々な葛藤を和らげることができ、問題を冷静に
>考え直す機会を持て、集団生活になれることができるとともに、自立性や社会性を養う機会を
>持つことができる』
(P152)
これ、まるで誰かさんの言っていることそっくりだね。
つづく。
>>117 誤字の訂正
×東京都は1995年から
○東京都は1985年から
>>117 引き出しはけしからん。斎藤のやっていることは極めて体制的に都合がいいことで、
そうした官民の宿泊型施設も無意味です。
フリースクールの類も学校化しては既存の学校と同じになります。これに注意せねばなりません。
・・・というのは、よくわかりました。そのうえで何を目指しているのですか?
とお聞きしているわけです。そろそろお答え頂いてもいいのではないですか?
>>83のような段階的戦略で、教育政策・労働政策を語ろう、としているのですか?
>>106>>109のように、ライフスタイルの啓蒙ですか? 要するに何ですか?
いそがしいんで簡易レスでスマン
>>119 もちろん目指すところは、サポートの充実ですよ。それは引き出し屋的なもの
ではなく、既存の社会システムのイデオロギーへの根本的な批判と問い直し
をふくんだサポート活動の充実ですよ。
>>120 教育、福祉業界にもっと税金を投入して
業界を大きくしよう、というような考えのようですね。
自分も政策的には賛成ですよ。
斎藤環も、賛成かもしれませんよ?
むしろ、高岡氏の方が、公的機関のひきこもり支援を止めよとか言ってるんでしょ。
>>122 サポートの充実もむしろ、斎藤環の方が必要性を訴えてますよね。
メディアでの啓蒙も、その必要性を訴える意味もあると思う。
そもそも、本人、家族の困難さが伝わらないと
サポートの必要性も理解されないわけで。
>>119 なにか勘違いしてないですか?
あなたは当事者? 当事者本人としてあなたが個人的に引き出し屋を本当に
求めているんならば、そうすればいいでしょう?
こちらは本人の意思ができるかぎり尊重されるサポートが必要ということを何度も
言っているんですから・・・そういうあなたを否定するつもりはないですよ。
それであなた自身の問題が解決するんならそうすればいいと言っているんですよ。
>>124 >本人の意思ができるかぎり尊重されるサポートが必要
これは賛成ですね。
それとできるなら、「引き出し屋」そのものを批判するよりも、
その個々のやり方について批判してもらえれば、より分かりやすい。
「引き出し屋」批判と擁護が、話してる対象が違ってたりしそうなので。
>>123 > むしろ、高岡氏の方が、公的機関のひきこもり支援を止めよとか言ってるんでしょ。
そんなこと言っていたか?
ひきこもりをネガティブに煽って本人をより追い詰め、引き出し屋的な介入主義の実践を、
支援やサポートなどと称してやることには問題があると指摘し、そうした行政の公的対応
のあり方について批判しているだけでしょ。
>
>>122 > サポートの充実もむしろ、斎藤環の方が必要性を訴えてますよね。
サポートのあり方を根本的に問うているんですよ。引き出し屋への批判も
そういう意味からなされているわけでしょ。
サポートの充実というならば、脱学校化論をふくめたオルタナティブ教育だって
当事者に対するサポートの充実論の一つなのですよ。
>>125 引き出し屋の問題点については引き出し屋擁護論者とのこのスレでのやりとり
のなかでかなりはっきりした、と思う。
>>122 >既存の社会システムのイデオロギーへの根本的な批判と問い直しをふくんだサポート活動の充実
なんですかそれ? お経ですか?
>>124 私が何者かは言えませんが、一行も「個人的に引き出し屋を本当に求めている」とは書いていませんが?
ただ、つまりあなた方は「何を目指しているのですか?」と反引き出し系の方にお聞きしているのです。
とりあえず、
>>120さんが挙げてくださった反社会学講座のWeb版から、関連すると思われる
箇所を抜き出してみました。
ttp://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson4.html >ひとり暮らしの若者が増加すると、お金持ちはますますリッチになります。不公平です。
>パラサイトシングルの奨励、そして独居老人宅への下宿の促進が、公平な社会を実現します。
>>123 > サポートの充実もむしろ、斎藤環の方が必要性を訴えてますよね。
斎藤のいうサポートの充実は引き出し屋的な充実でしょう?
引き出し屋の指導に従う以外に当事者の意思を認めないような・・・
>>128 > >既存の社会システムのイデオロギーへの根本的な批判と問い直しをふくんだサポート活動の充実
> なんですかそれ? お経ですか?
これを軽視し、おこたると、支援やサポートと称するものが、実は、中国政府が法輪功学習者に
対して行なっているとされるような既成体制順応を強制する洗脳装置と化す危険があると思うからです。
> 私が何者かは言えませんが、一行も「個人的に引き出し屋を本当に求めている」とは書いていませんが?
書いていないから質問しているんです。(もしかして、あなたは引き出し屋さん?)
あなたがもし引きこもっている当事者自身で、引き出し屋による介入を自ら本当に望んでいる
とするならば、当人の意思決定によるその選択まで否定しているわけではないので、
くれぐれも勘違しないでください。
136 :
132:04/07/13 00:15 ID:???
>>131を見ると、安易なフリーター叩きやヒキ叩きを社会は止めよと
言ってるみたいだが、フリーターやヒキのおかげで
社会がうまくいっているとしても、当事者の人生はどうなるんだろう。
真剣に脱フリーターや脱ヒキを願っている人も多いと思うけどね。
>>123 > むしろ、高岡氏の方が、公的機関のひきこもり支援を止めよとか言ってるんでしょ。
ひきこもり支援でなく、引き出し屋支援を止めよという意味でしょう。
でなければ、サッチャーリズムを批判しないでしょう。
>斎藤環も、賛成かもしれませんよ?
斎藤がいう支援は引き出し屋への公的支援でしょう。
>>137 > 真剣に脱フリーターや脱ヒキを願っている人も多いと思うけどね。
だから、そういう人のことを否定しているわけじゃないでしょう。
いずれにしても「脱」したい人が「脱」しやすいシステムが必要ですな。
>>135 俺はできることなら、現在の日本の「既成体制」に順応したいよ。w
それに、既成体制に順応しない生き方って、どんなのがあるだろう。
起業独立しても、規制体制のルールに従って商売しなくちゃならない。
>>83 > →ここで初めて、ニート層をどう処遇するか? ホームスクーラーやSOHOをどう保証するか?
> といった、ストレートな労働政策・教育政策の俎上に上げられる
あなたがどういう意味合いでそう言っているのかは分かりませんが、まあそうも言えるでしょうね。
ただしそれらは同時的な事柄だと思いますよ。
>>140 > 俺はできることなら、現在の日本の「既成体制」に順応したいよ。w
したい人はすればいいと言っているじゃん。個人の真意にかかわらず、
不適応者を一律に順応させる方向に統制していくような危険を問題に
しているだけだよ。何度言ったら分かるの?
>>142 >個人の真意にかかわらず、
>不適応者を一律に順応させる方向に統制していくような危険を問題にしている
それなら賛成ですね。
>>140 > それに、既成体制に順応しない生き方って、どんなのがあるだろう。
> 起業独立しても、規制体制のルールに従って商売しなくちゃならない。
またその詭弁か。
そういう意味でなら、不登校だってひきこもりだって既成体制の産物という
意味では、既成体制の構造に沿った必然的存在とも言えるけどね。
ひきこもりがSOHOとして生きていける環境などについては、
斎藤だって賛成するはず。具体的にそういうアイデアを書いてたこともあるしね。
>>140 既成体制というのは既成の特定の理念(イデオロギー)のことを指しています。
社会関係をつくっているのはイデオロギーとそれへの信仰行為ですから。
>>145 ホームスクールがあるならホームオフィスもあるからなあ
>>128 > 私が何者かは言えませんが、一行も「個人的に引き出し屋を本当に求めている」とは書いていませんが?
私が何者かは言えないってどういう意味で? まさか・・・
>>146 イデオロギーの問題なら、内面の問題だね。
俺は今、ひきこもりでいい。とか週1で働いて、ノンビリ生きられればそれでいい、
とか色々あるね。
既成体制とか言わなくても、当事者の内面の価値観の問題になるんじゃないか。
>>149 > イデオロギーの問題なら、内面の問題だね。
厳密に言えば、関係化の問題だけどね。
個人の内面の問題も関係から独立に生じるわけじゃないからね。
>>149 > 既成体制とか言わなくても、当事者の内面の価値観の問題になるんじゃないか。
いや、既成体制もふくめてイデオロギーの問題なんだよ。
イデオロギーというのは、特定の理念を他者との関係に押し付けよう
とする権力関係の問題でもあるからね。
>>149 > 既成体制とか言わなくても、当事者の内面の価値観の問題になるんじゃないか。
体制だって究極的には個人の信仰の問題だね。信仰しない者は不適応者という
ことになるけど。この場合の信仰とは、特定の儀礼的行動をするという意味ね。
>>145 たしかその点の可能性については高岡氏も少し言及していたと思う。
社会参加というんならネット社会への参加だって社会参加だろうと。
戦後民主主義を軽視するような文脈から、しばしば斎藤環らのような
言説がたちのぼってきていることはおさえておきたい。
>反社会学講座 イースト・プレス
紙本のほうでは「自立の幻想」についても言及しているよ。
>>132 >
>>120で挙げてるのは、そのリンク先じゃないよ
『反社会学講座』と『パラサイトシングルは日本を救える』は別の書物だよ。
著者もちがうし。
>36 :実習生さん :04/07/12 22:20 ID:1pU+m6Yx
>不登校=病気とか、繊細とか…。
>一般にはそう思われがちですが、実際、大部分の不登校生はそんなんじゃありません。
>ただ単に「怠惰」なだけです。
>オレは所謂、「サポート校」の教員です。
>サポート校教員になる前は、やはり「不登校=病気」、
>もしくは「社会の歪みがどーたらこーたら」的なイメージを持っていました。
>ですが、実際は「たるんでいる」だけです。
>勿論、僅かですが本当に心身を傷めて登校できない生徒もいます。
>ですが、大半は朝起きるのが「ダルい」生徒です。
>「学校はダルいから行きたくない」生徒ばかりです。
>バイトの時間は守れるみたいです。
>でも学校には来たくないんだってさ。お金がもらえないから。
>そんな高校生に、小学校5、6年の漢字から教えて、おまんまを食っているのがオレです。
>何か、もう手前ェらイヤだっつっても意地でもキッチリ卒業させてやる!って変な燃え方してます。
157 :
(-_-)さん:04/07/13 22:05 ID:grZ5PzD7
156はただの中傷。
話は戻るが、引き出し屋を承認すると、今度は登校拒否の子どもや徴兵拒否の
大人を引き出すほうに市場拡大するおそれがある。また、それを正当化する言説が
同業者から出されることになるだろう。斉藤の兄弟子小田晋オススメの医療観察法(予防拘禁法)も
可決されるかもしれない。それは「心のノート」などともあわせた国民への統制強化となるだろう。
心の自由のためにも、絶対に反対。
>>156 「不登校」の人のタイプが、昔とは変わってきているのならば
「ひきこもり」の人のタイプも、これから変わっていくんだろうね。
それぞれの「意味付け」も当然、時代によって変わってくるしな。
大昔は、「登校拒否症」みたいのがまだリアリティを持ってたんだろうし。
斎藤流の「社会的ひきこもり」概念の中の一部も、通用しなくなってくるんじゃないかな。
放置、長期化すれば悪化していくようなイメージとか、自力脱出無理説とか。
今だに、近著「ひきこもり文化論」で、個人的に自力でヒキを脱出した例は
3人しか知らないと言い張ってますね。
自分の主張や立場の根拠の、切り札にしているんだろうな。
不登校系の思想に対して、自分の立場の方が正しいという根拠とか。
現実の流れの中での事実の前には、理論や観念などは従者であるべきですね。
斎藤環は、ひきこもりは自然回復しないと強調している。
自力での脱出も困難どころかほとんど無理と。
要するに、「放置」は良くない、第三者の関与が必要という立場のようだ。
例えば普通に仕事を辞めた無職の人なら、しばらく休めば
自然に職安行ったり、メンタルに不安があれば病院行ったりするだろう。
それと比べて、ひきこもりの場合はそうはいかない。問題が特有だということなのだろうか。
しかし、この無職の人の例でも、何らかの第三者(友達や職安の相談員や病院など)
の援助を受けて、社会復帰しているとも言える。
ひきこもりは自力回復が無理と強調するからには、この無職の人の例のようには
行かないと言いたいんだろう。しかし、自分でネットなりで情報を得たりして、相談機関に相談したり、
ネット上の出会いで会ったり、あるいは何らかの学校に通い出すとか、バイトの面接を受けるとか
本当にまったく無いんだろうか。そんな話はネット上にもゴロゴロしているように思うんだが。
実は自分もそういうことを経験してるし。
統計でも、自分で公的機関に相談したひきこもりの人は結構いるのは事実。
そこを通じて仮に脱ヒキした場合には、上記の無職の人の例と、そう変わらないことにならないか。
自分で動き出して、何らかのキッカケや援助を受けて、進んでいったのだから。
こういう人の例まで、「第三者の関与」組に入れられて、だからそれが必要なんですよ。
放置は悪化するし良くないんですよ、という主張に組み込まれるのは、何かおかしくないか?
だってこの人は、周りには「放置」されたが、自分で動き出したんだから。
きっと、ひきこもりへの対応としての「放置」を、否定したいんだろう。
どんな主張をするのも自由なのだが、論理上の変なトリックを使うのは、やめていただきたい。
「脱ヒキには第三者の関与が必要、望ましい」というのには実は自分は賛成なわけなんですが。
介入が望ましいとの根拠の一つが、家族内だけでは
ひきこもりシステムが強化されるだけだという考えがあるんだろう。
斎藤説に従えば、ひきこもりを持った家族は、孤立してしまいがちで、
社会との関わりも薄れていく。その中で追いつめられ、
本人に対する悪い働きかけを強め、それで本人がますます追いつめられていくという悪循環。
家族が相談機関に行けば、その負担は軽減され、本人に対する悪い働きかけも
弱まり、本人も家庭内で安心してひきこもれるようになり、
それで良い方向に向かっていくということなんだろう。
ひきこもりを持った家庭が、どれほど罪悪感や焦燥感や恥の意識を持つかは
その時の社会状況にもよっても変わってくるだろう。
それによる本人への働きかけの度合いも、変わってくる。
本人の自分の立場への考え方、意識も同様。
考え方の根本の線は、そんなに大きくは変わらないと思うけど。
161 :
(-_-)さん:04/07/14 14:11 ID:3cvlyIY6
核家族の中だけで教育・福祉・労働の問題が解決されないのは当然だ。
しかし何でもいいから第三者が介入すればよいのか? またその第三者とは
必ず専門家でなければならないのか? NPOを充実させるなど政策的なものは
どうするのか?
自分の経験やフリースクール等の口コミでは、教育相談センター、心理相談所
と名のつくところにいったり、メンタルフレンドの大学生に来てもらってかえって
こじらせた、おかしくなったというケースもあるよ。クスリづけで体ボロボロ、
カウンセリングづけで人の話を聞いてばかりで自分から話せないかプライバシー自己暴露も含む
独り言をえんえんと続けるクセのできたヤシもいる。
あるいは、やたら依存的なったり、ヤケになってリスカ・アムカづけとか。
相談機関や専門家に過剰な期待をするのはよしたほうがいい。前にフリースクールで
メンタルフレンドの大学生と会ったが、特に教育や福祉に関心があって勉強しているわけではなく、
何かキッチリと研修を受けたわけでもない、ただ学校に行っている正常な人と接すれば
つられて正常になる、かわいそうな人にお見舞いのボランテイアをすれば就職有利になるかも、
ってなノリでやってくる連中ばかりだった。
むしろ、親や本人のほうが子どもの権利条約から脱学校論にいたるまで、よく勉強していた。
よく勉強している年長の子のほうが年下の子に受験勉強を教えるのも、いっしょにサッカーとかして
遊ぶのも上手だった。
ハッキリいって、意味がない。学歴コンプあおられて、食欲不振・不眠になったヤシもいたしね。
>>161 >自分の経験やフリースクール等の口コミでは、教育相談センター、心理相談所
>と名のつくところにいったり、メンタルフレンドの大学生に来てもらってかえって
>こじらせた、おかしくなったというケースもあるよ。
とくに児童相談所は、良い評判というものを聞いたことがないね。
地域の校長を退職した人達が、悪く言えばクダを巻いてるだけ、良くいえば
今すぐ学校に戻すことだけしか念頭におかずに接してくる。
奴らにリアルで泣かされたと訴えている、親や子供のいかに多いことか。
メンタルフレンドの大学生というのは、私自身経験がないからわからないが、
>かわいそうな人にお見舞いのボランテイアをすれば就職有利になるかも、
>ってなノリでやってくる連中ばかりだった
という傾向が全国的に強いのであれば、これは由々しきことだな。
確か政府が、ボランティアの義務化だとかなんだとか、勤労奉仕まがいの
トンチンカンなことを言っているようだからね。
実際にそれで点を稼ごうとする学生も出てきてしまっているのだろう。
たいした勉強なんかしてきてるわけない罠。せいぜい御用学者先生の言うことだけを
まにうけてる程度のことで。
そんな態度が、当事者の為になるとは期待できない。
>>101 >>157 徴兵拒否といえば、大韓民国はどうなってんだろう?
あそこは今それが一番深刻だと聞くけど。特に今こんな政情だし。
ドイツも徴兵制ではあるが、病院で一定期間ボランティアをすることで
徴兵を免除できる仕組みがあるそうだね。だからほとんどの人が
病院でボランティアする方を選ぶのだとか。
「ひきこもり」という名の中傷・ないしは「お上に従え」という脅しが
登校拒否者に対するのと全く同じように、徴兵拒否者に対しても
向けられるであろうことは、想像に難くない。
やはりその時「ひきこもり」という言葉は、戦前における「非国民」と
同様に機能することになるだろう。
「ひきこもり」、心のノート、それぞれのジグソーパズルの
ピースだけをとってみれば、いっけん見過ごされがちなものだが
それらを全て組み合わせた時に、どういう世の中になるか、という
ことを真剣に考えなきゃ駄目だ。
もっとも、学習指導要領があれほど削減されりゃあ、その程度のことを
想像する力もなくなるんだろーな(w まさに骨抜きだもんな、あれ。
「ひきこもり」というのは、要するにその対象を従属させる
ための表象操作だろう。
上のほうで、アイヌや琉球といった問題がチラっと出てきていたが
「ひきこもり」問題は、じつは植民地に対して宗主国側が採った手法と
どこか共通している部分があるんじゃないかと思っている。
列強と植民地の関係。西洋から見たアジアや中東。
日本本土から見た北海道や沖縄、満州や朝鮮半島や台湾など。
国家権力(をかさにきた専門家)からみた、不登校・非就業当事者。
こうした対比のもとに考えてみたとき、単に「差別が起こっている
ことは由々しい」というレベルだけには留まらない、
非常に厄介というか根深い問題がそこに横たわっていることに
気づくと思うんだ。
>>159 > 「脱ヒキには第三者の関与が必要、望ましい」というのには実は自分は賛成なわけなんですが。
脱ヒキするしないにかかわらず、孤立している当事者や家族にとって、専門家に限定されたない
サポートないし居場所ないし繋がりがあったほうが望ましいだろう、というふうな意味なら斎藤氏
の言論に批判的な立場の人でも大いに賛成すると思います。
しかし、「第三者の関与」とした場合の関与のあり方の問題だとか、「必要」と言い切るようなところ
とか、当事者の自律性を否定して第三者を優位に立てるような論理がそこにしばしば垣間見れる
ようなニュアンスに大きな問題を感じるんですよね。
実際、不登校の場合、その初期の段階で第三者が介入的に関与していることも多いし、専門機関
をたらい回しにされたり、特定の施設に無理やり入れられることも多いんですよね。そういう経緯で
かえって本人を反動的な引きこもり状態に追い詰めているケースもあるし、私自身の経験もふくめ、
私はむしろそういうケースのほうを多く知っていて、不登校問題が拗れるのはそういう点にも誘因が
あるのではないかと思っている。
166 :
(-_-)さん:04/07/14 19:29 ID:gcMW3SWu
>>165 専門家に限定されたない→専門家に限定されない
垣間見れる→垣間見られる
>>163 どんどん話が大きくなるんだが・・・一部は同意する側面が無いでは無いけど、もしも、
前スレで斎藤貴男を批判していたのがこの人だとすると、違和感があるなあ・・・。
というのは、斎藤たちを結局は学校化社会を肯定しているとして批判していた訳だが、
だからといって、脱学校が希望への道か? というと、そうは全く思えないのだ。
それこそ、そうした体制化・反動化と並行して、今は、「個性? オッケーでしょ?」という形で、「学校や学歴に
囚われない生き方」が弱者切り捨ての言い訳になっていると思えてならないんだが・・・。
ま、とにかく学校化社会憎しのルサンチマンに凝り固まってしまった人に、「脱学校的論調も危険
なんじゃない?」と聞くだけ無駄だってことは、身に染みてよくわかったがな。。。
170 :
(-_-)さん:04/07/14 21:36 ID:3cvlyIY6
とくに児童相談所は、良い評判というものを聞いたことがないね。
>地域の校長を退職した人達が、悪く言えばクダを巻いてるだけ、良くいえば
>今すぐ学校に戻すことだけしか念頭におかずに接してくる。
>奴らにリアルで泣かされたと訴えている、親や子供のいかに多いことか。
知り合いに80年代は反管理教育・子どもの人権運動を、
今は道徳教育や日の丸・君が代のおしつけ、心のノート批判をしている人たちがいる。
彼(女)らの話を総合すると、児童相談センターというのは、たいていは地域の教育委員会や
元校長会と密接な関係にある。要するに体のいい校長の天下り先。そうでなければ、心理学
や精神医学の地元ボスとその弟子の就職先。
だから当然、エリート主義的。優等生的な中産階級中心主義丸出し。昨日まで管理職をしていたので現場の事情や苦労も
ピンとこない。もちろん男性中心主義むき出し。そのための大した研修を収めて
いるわけでもない。うまく仕事をしなければ自分の評判や生活に差し障りもない。
子とも親とも世代差があるのに自覚のないヒトも多く、世代の差や階層の差を
「相手がまちがっている」「親が子を甘やかしている」くらいにしか見ない。
電話で問い合わせた段階から無責任で不親切、いかつい軍隊的な雰囲気らしい。
保身に成功したタイプばかりだから、一般世間以上に失敗者に冷たく、斬新な
アイデアやユニークな実践などとうてい望めない。
そりゃ、傷つく人も数知れないだろう。
171 :
(-_-)さん:04/07/14 21:38 ID:3cvlyIY6
>うまく仕事をしなければ自分の評判や生活に差し障りもない。
なんだかヘンになった。
正しくは
うまく仕事をしなければ自分の票弁や生活に差し障るというプレッシャーもない。
でした。
>>169 > それこそ、そうした体制化・反動化と並行して、今は、「個性? オッケーでしょ?」という形で、「学校や学歴に
> 囚われない生き方」が弱者切り捨ての言い訳になっていると思えてならないんだが・・・。
それはまさしく、学校や学歴に囚われない生き方を切り捨てる学校化のイデオロギーにもとづく
(脱学校切り捨ての)言い訳そのものだね。同等な「個性」「権利」として認めるのなら、そうした
教育保障システムを公的に認めるべきなのだが。
>>169 > ま、とにかく学校化社会憎しのルサンチマンに凝り固まってしまった人に、「脱学校的論調も危険
> なんじゃない?」と聞くだけ無駄だってことは、身に染みてよくわかったがな。。。
君のその論調がペテンなのは、君こそ学校化社会を擁護するのにそのレトリックを用いて
いることだね。君のそうした物言いが、、、「学校や学歴に囚われない生き方」を切り捨てる
学校化イデオロギーを補完するための言い訳になっているという危険については、
アンチ脱学校の君にはまったく考慮外どころか好都合ってことらしいね。
学校化社会からはみ出した弱者を弁護しているようでいて、実は学校に順応しない奴らの
選択肢は学校に順応する選択肢しかないと言っているようなもので、それこそ学校に順応
しないものは弱者として切捨てる学校化イデオロギーそのものじゃないかと思うのだが。
>>169 >>169 > ま、とにかく学校化社会憎しのルサンチマンに凝り固まってしまった人に、「脱学校的論調も危険
> なんじゃない?」と聞くだけ無駄だってことは、身に染みてよくわかったがな。。。
君のその論調がペテンなのは、君こそ学校化社会を擁護するのにそのレトリックを用いて
いることだね。君のそうした物言いが、「学校や学歴に囚われない生き方」を切り捨てる
学校化イデオロギーを補完するための言い訳になっているという危険性については、
アンチ脱学校の君にはまったく考慮外どころか、むしろ好都合ってことらしいね。
学校化社会からはみ出した弱者を弁護しているようでいて、実は学校に順応しない奴らに
は学校に順応する選択肢しかないと言っているようなもので、それこそ学校に順応しない
ものは弱者として切捨てる学校化イデオロギーそのものじゃないかと思うのだが。
>>167 斎藤氏はダメ連を評価していたし
働いてない事はそれほど人間の精神に
悪影響は及ぼさないとも言ってたから
ニートの問題にはひきこもり程は関与できないと思う
まあ御都合主義もあるから分からないけどね・・・
>>165 不登校、ひきこもりの初期の周りの対応は重要ですよね。
自分も初期の家族の対応はマズかったと思ってる。まあ今さら何だというつもりもないが。
むしろ、「放置」(暖かく本人を信じて見守る)という対応も
充分アリなんじゃないかと思いますね。
それが望ましいと言い切るのは乱暴すぎるが。
斎藤の場合は、ひきこもりは6ヶ月を過ぎたら、家族だけでも
精神科へ行った方が良いという立場ですよね。そういう考えなんでしょうね。
「脱ヒキには第三者の関与が必要、望ましい」
ひきこもりまでに至った経緯、現在の状態などを考えれば、
自力で自助努力で脱ヒキ可能とするよりは、素直に
他者(実際には「専門家」などになってしまうが…)の助けを借りて
やっていった方が良いのではないか、と思ったのですが。
スレで指摘されているように、「専門家」などに過剰に期待するのは
禁物なんでしょう。しかし、「自力で」と言うのも酷だよ。
>>175 精神への悪影響ねえ。
テレビゲームなんかに対しても同様な物言いがなされているわけだけど、
斎藤さんの考える健全な人間の精神はいったいどういう規準に立っている
んだろうか、と疑問に思う。彼のいう精神とはいったいなんぞや?
>>177 マスメディアでの発言は、彼自身言っているとおり、無責任な放言なんだろう。
もうなんというか、ノーガード戦法(wくさいこと、この上ないが。
>>172-173 どうしても脱学校を持ち上げたいばかりに、ややこしい理屈をコネるヤツやなあ・・・。
>同等な「個性」「権利」として認めるのなら、そうした教育保障システムを公的
>に認めるべき
まさしく、この方向の具体的な詰めも抜きに脱学校マンセーしているから、かえっ
て相手の思うツボにハマるんだよ、と言ってるのに・・・。
ま、シューレがSSPに参加していないように、公的な保証を求めた時点で自家撞着に陥る
しかない(学校復帰を第一義にしない団体に申請は降りない。申請が降りるように譲歩した
時点で、すでに既成の学校と同一線上になる)、かといって在野に具体的な展望も無いし手
詰まり、と分かっているから、強引な理屈で押し通さざるを得ないんだろうけど・・・。
>>175 働いてないことがどれほど人間の精神に悪影響を及ぼすかは
その時の社会環境や生活環境によるだろうなあ。
無職なだけで半分犯罪者視されるような社会とかw
自分が働いて一家を支えなければならない状況とか。
あと、「俺は働こうと思えばいつでも働ける」という気持ちで
働いていない人と
「俺は働きたいと思っても働けない」と思って働いていない人では
精神に与える影響は変わってくるよね。
初期の「ひきこもりは労働の義務を果たしていないから治療する義務がある」なら
「ニートは〜」とか「無職者は〜」とか「ホームレスは〜」とか
「若隠居は〜」とか「退職引退後の無職者は〜」とか何でもアリになってくるなw。
斎藤も一生働き続けるつもりなんだろう。もちろん労働の義務を果たせなくなった時には
自ら治療に訪れるんだろう。この辺はヘリクツだと分かって言ってます。ハイ。スイマセン。
>>176 > むしろ、「放置」(暖かく本人を信じて見守る)という対応も
放置と見守るを同一視しちゃうのがいちばん問題ありだね。放置と同じ意味で見守る
ということを理解しているようじゃ、まったく理解していないも同然だもんね。
こういうところが対応の形式化・マニュアル化の弊害かな。
学校信仰を問い直すようなコミュニケーションを経ずに、こうすればこうなる式の
マニュアル本を読んで当人をなんとか操縦しようとしているようじゃね。
本人を信じて・・・というのだって、学校へ行くことを信じてなのかって疑問が湧いてくる。
それじゃあ、逆に無言のプレッシャーを強いているようなものだからね。
大事なのは、周りがさまざまな選択肢を示して、本人に選択を任せるということじゃないかと思う。
>>179 「学校復帰を第一義にしない団体に申請は降りない」ということを条件にしていると
いうことが、既成体制を補完したいだけの学校化イデオロギーそのものだもんね。
これじゃ、公的保証を餌にして既成体制に加担しないものを排除するための集権政策だもんね。
>>170 だいたいそんな感じだね。そこには役人の論理しかない。
で、たまにはそんな彼らの言い分も聞いてやろうじゃないか(w
と思って、校長職を経験した元教育委員会の人に、いろいろ話を
聞いてみたんですわ。
ひとつわかったことは、彼らは上意下達を厳格にやっているに
過ぎないということ。文部科学省の広報お疲れ様(w って感じ
なんだよね。
彼らに言わせると
「子どもの権利条約は組合が押付けたもので、法的拘束力のない
国際法だから、合わせる必要はない」
とか
「今までは組合が道徳教育の時間を勝手にホームルームに
してきた。これからは自然体験を重視した道徳教育をやる」
だそうで。
俺に組合の愚痴ばっか言われても、なんともしてあげられないんだけどなぁ。
で、心のノートについて聞いたら
「そういうものは、存じ上げない」
だそうです(爆笑)。
>>182 そういうところで、脱学校論者やオルタナティブを唱える連中は、どういうロビー
政策をしてるんだよ? 菅源太郎の立候補か?
>>182 > これじゃ、公的保証を餌にして既成体制に加担しないものを排除するための集権政策だもんね。
まるでどこかのファシズム体制のようやり口だな。
アンチ脱学校厨って、それでメシ食ってんのかなあ。
>「脱ヒキには第三者の関与が必要、望ましい」
東京シューレのようなところだって第三者の関与には違いない訳だから、
その点では同じでしょう。しかしその関与がどこまで・・・
第三者の介入が必要と思っている当事者は、例えば東京シューレとかの若者達や
スタッフが、「ひきこもってないでシューレに来いよ」などと言って、家まで押かけて
きてくれるようなことをシューレもやってくれるようになることを望んでいるのでしょうか?
>>185 > まるでどこかのファシズム体制のようやり口だな。
体制マンセーの香具師だけが生き残る国ですか?
でもそれはその国にかぎった話じゃないみたい。
>>187 学校の教師が不登校児の自宅にクラスメートを派遣してくる
のと同じやり方ですな。
なんだかフリースクールって言葉だけが一人歩きしているなあ。
子どもが自由に参加したり参加しなかったり、学ぶ内容を選択する
ことができる学校がフリーなスクールなわけで、学校へ行かない子
を矯正するための収容施設ではないはず。
そういう施設がフリースクールという名前だけを借用していることが
多いので、ややこしくなってきていますが。
>>187 そこまでやったらシューレも立派な引き出し屋だね。
>>190 でも、けっきょくはそういうことなんだよ。
シューレもテレビとかで有名になりすぎたから、それを見た親とかが本人に
向かってシューレのようなところへ行きなさいって感じでプレッシャーをかける
現象が起きるようになったんですよね。
斎藤氏と同じ発想に立てば、そういうプレッシャー(刺激)を親が本人に向かって
かけつづけるのは良い事だというふうになる。たとえ本人が拒否したとしても
その親の執拗な働きかけに本人が折れて従うまでそうすべきだという・・・
>>194 それじゃあ第二の学校化みたいなもんで、元も子もない、っていう自己批判が
フリースクール関係者からも出されてきたわけですよね。
で、そうこうしているうちに、マスメディアに「ひきこもり」の5文字が跳梁して
抜き差しならない状況に至る訳だけど。
>>182 >>187 >>191 そういうのに積極的なのがいわゆる引き出し屋系の論者なんだよなあ。
いっぽう、学校化批判をある程度踏まえた立場の支援者とかは、第三者
関与をそれなりに肯定するにしても、それが介入傾向を強めることに対
してはどちらかといえば批判的な考えをもっていることが多い。
しかし引き出し屋系の人はそうした批判的な立場に否定的だよね。
つまり確信してやっているところがある。
斎藤氏は長田氏のような強制介入的な引き出し屋のやり方には批判的だけど、
そういう斎藤氏自身も強制介入的な引き出し屋のもっている論理と五十歩百歩
の危ういところで語っているんじゃないかと思うんだけどね。
198 :
197:04/07/15 01:29 ID:???
斎藤さんのいう「第三者」には当事者を主体にして周囲がそれを
サポートするような自助グループや自助ネットワーク、自助支援組織
のようなものは含まれないんでしょう?
どちらかといえば、いわゆる第三項、つまり外部から介入しようと
する権威や権力(例えば医師権力)という意味が込められている。
201 :
(-_-)さん:04/07/15 02:18 ID:zJr1DDSh
>斎藤氏は長田氏のような強制介入的な引き出し屋のやり方には批判的だけど、
>そういう斎藤氏自身も強制介入的な引き出し屋のもっている論理と五十歩百歩
>の危ういところで語っているんじゃないかと思うんだけどね。ている
長田は超介入的。やっていることは暴行・拉致・監禁・名誉毀損などなど犯罪のレベル。
202 :
(-_-)さん:04/07/15 02:33 ID:zJr1DDSh
>まさしく、この方向の具体的な詰めも抜きに脱学校マンセーしているから、かえっ
>て相手の思うツボにハマるんだよ、と言ってるのに・・・。
ううん、それは別の勢力、別の世界の話。最近FONTE(元不登校新聞)も
反ネオコン運動に肩入れしていますよ。各地のフリースクールも平和運動を接着剤にして、
反ネオコン色を強めつつある。
>ま、シューレがSSPに参加していないように、公的な保証を求めた時点で自家撞着に陥る
>しかない(学校復帰を第一義にしない団体に申請は降りない。申請が降りるように譲歩した
>時点で、すでに既成の学校と同一線上になる)、かといって在野に具体的な展望も無いし手
>詰まり、と分かっているから、強引な理屈で押し通さざるを得ないんだろうけど・・・。
何とも恣意的かつ宿命論的なお話ですね。分かりませんよ。書類上は適当にゴマかして面従腹背なんて裏技もあるかも。
それに、役人にもいろいろな勢力がありますから。リベラルな役人たちが派閥抗争に勝てば、
学校復帰を唱えないところにも予算がつく可能性はゼロじゃあない。
>>41-43 導き-導かれるコミュニケーションの階層関係を使命的・宿命的に
個人に迫るパストラール権力について、分かりやすい表現で言及し
ているページがあったのでちょっとだけ引用させていただく。
>輸入CD規制は、バックに国内メーカー保護だのなんだのの
>事情など、悪役として判りやすいのでまだ良いが、俺が一番
>嫌いなのはこう云うやたら世話を焼きたがるバカで、こう云う
>世話焼きバカはまさにフーコーの「パストラール権力」って奴
>であって、つまり権力とは本当は恐ろしい顔などしてはおらず、
>人を抑圧したり虐げたりと云うのは古い権力像で、ナウい権力は
>羊飼い(パストラール)が羊を世話するように民の生活に介入し
>優しい顔をして世話を焼きまくるのである。
http://www9.big.or.jp/~rokugen/mt/archives/000164.html パストラールというのは英語でshepherd、日本語で牧人(羊飼い)
のことだけど、国家統治の比喩としても用いられた表現だよね。
あくまでも政治的(宗教的)統制上の理念なんだけど、要するに民
は羊の群れであって、王は民を導く羊飼いであるという権力機能観。
>>199 たしか
「去勢」は第三者(父性的権威)の介入なしには(自分では)なされない
というような意味のことも言っていたよね。
当事者に対する援助・支援と称すならば、第三者はその言葉どおり、当事者からあくまでも
一歩下がって支えるサポーター役として関わるべきではないか、というのが批判的な側の
考え方だろうね。
>>191 > なんだかフリースクールって言葉だけが一人歩きしているなあ。
> 子どもが自由に参加したり参加しなかったり、学ぶ内容を選択する
> ことができる学校がフリーなスクールなわけで、
大人もでしょ? 子ども大人関係なく共に学ぶ場でしょ?
>>180 初期の労働の義務云々はかなり強引だったね
実際批判を浴びたのか知らないけど
数年後には180度違う事を言ってるし
ダメ連を支持したのもよほど払拭したかったのかな・・・
しかし最近になってひきこもり問題をも吸収しかねない
ニートが表面化してきて・・・
>あと、「俺は働こうと思えばいつでも働ける」という気持ちで
>働いていない人と
>「俺は働きたいと思っても働けない」と思って働いていない人では
>精神に与える影響は変わってくるよね。
これからはニートに関してこういう主張↑を始める悪寒がする
確信をもって働いていない人は問題ないが
多くの人は葛藤を抱えてるからどうのこうのとか・・・
邪推はよくないけどさ(w
どうでもいいがこのスレ、自作自演、一人複数役の嵐だなw
>>207 なんとでも言うでしょう。
治療の正当性なんて、いくらでも後付けできそうだからな。
でもたぶん
>確信をもって働いていない人は問題ないが
これはまず、言わないだろうな。せいぜいお茶を濁した言い方をして
みずからの政治性を隠蔽する程度のことで。
210 :
(-_-)さん:04/07/15 09:35 ID:zJr1DDSh
ちょっと話が戻りますよ。
>>204 >「去勢」は第三者(父性的権威)の介入なしには(自分では)なされない
>というような意味のことも言っていたよね。
この「去勢」という概念、悪質なマッチポンプだと思うんだ。
というのも、ライマーなど脱学校論者たちは、「学校は子どもを去勢している」
と批判してきた。それは、元気をなくさせる、スポイルするという意味のほかに、
選抜によって社会的な死をもたらす、というニュアンスも含まれている。そもそも
去勢というのは、動物の性質をおとなしくさせる目的以前に、遺伝的な選抜をする、という
第一の目的もあったからね。つまり、学校はみなが平等に成長や出世できる、という
神話をおしつけるが、実際には上流・中流の師弟に有利な選抜をしており、それゆえに、
大多数の子どもたちは学校で社会的な死の烙印を押される、これは教育としてどうなのか、
という問題提起なんだ。斉藤の話にはぜんぜんそういった視点はない。抑圧に抵抗する人がいれば
「去勢されていない」と決め付けて、相手の存在をまるごと拒絶している。そうして、
ひきこもりを暴力的で野獣のような扱いにくい存在としてフレームアップしている。
211 :
(-_-)さん:04/07/15 09:36 ID:zJr1DDSh
皮肉なことに、去勢などされないほうが人は有能で魅力的なんだ。自己肯定して、幸せであれるんだよ。
斉藤は「女性は去勢がすんでいることが多い」と主張する。だが、たとえば女性だから給料が男性の半分で、
真っ先に解雇され一番後に雇われることに疑問も反感も表さずにいることが「去勢」だと
したら、ただの奴隷根性のススメだ。ボーヴォワールは、女性がおとなしい女性らしさをしつけられ、身に着ける
と以前彼女の魅力を失うと嘆きながら批判している。こういう温かい、マイノリティ当事者を勇気づけるような
ことは斉藤はほとんど言わない。言ったとしてもめくらまし。リップサーヴィス。
そうして、去勢されたおとなしい存在に対して環は、今度は「もっと欲望をもってくれ!」「年相応の社会スキルがなくて
もいいのか!?」「もっと積極的に自分から動け、依存せずに」って忌み嫌いつつ責めるのでしょ?
どうみたって去勢されてスポイルされ排除されたものはケガレだ、って差別している
だけじゃん。
だから、万能感の話とも似ているが、環の「去勢」の話は信用していない。
あくまでも、恵まれすぎた自意識肥大の一部の人にはあてはまることもある、という
だけの話だろう。
ま、こんな話も「古い」とか言って侮辱するのかな、環は? なんてったって
ネオコン(フランス語では「新しいバカ」)だもんね。
212 :
(-_-)さん:04/07/15 09:37 ID:zJr1DDSh
蛇足だが。
そのうち、「ひきこもりは結婚したり子どもを持つべきではない」
ということで、本当に去勢手術をすすめたりしないかどうか、ちょっと
心配だ。表面的にはリベラルなイメージづくりをしているため、そこまで
暴走しないとは思いたいが……。
213 :
(-_-)さん:04/07/15 10:15 ID:zJr1DDSh
それは医者だけにあると思う。以前安部英が、「童貞の会」を作って、
薬害エイズ患者を「救済」しようとしたように。(実際には専門家と国の責任
かくしのための方策だったわけだが。)牧人・司祭型権力はおぞましい。
214 :
(-_-)さん:04/07/15 12:04 ID:zJr1DDSh
>斎藤氏はダメ連を評価していた
高学歴でしかも売れていれば何でも正しいことになるみたいですよ、言論界と
いうのわ。
名指しせずに奥地を揶揄するような発言をしていたのは
ちょっとみっともなかったな。
ことクリティカルな問題になると、急にああいう低レベル
な当てこすりしかできなくなるという辺りが、限界を示している。
「プチナショ」特有の不誠実さ、か?
池田小の小学生殺害事件にしても、あれを機に
「触法患者は再犯の恐れありとして監禁しとけ」
的法案があっけなく通ったけど、ああいう時に
患者の人権を擁護して徹底抗戦するようじゃなきゃ
信用出来ないんだよな。
結局あれだって「プチナショ」的空気に流されて
保身と無責任を決め込んでるだけでさ。
ごはんが晋クンのお仲間の環クンには無理なんだろうなあ。
>76 :実習生さん :04/07/15 10:31 ID:Wtxx5og9
>ちょっと前までは、義務教育でない高校はともかく基本的に中学までは行かないという選択肢はなかった。
>学校に行かないことは社会から完全に孤立してしまうことを意味していた。
>学校に行かなくても困らないのはヤンキーぐらいのもんだったよ。
>彼らは学校社会からはずれても独自のネットワークで生きていけるから。
>(もっとも、そこは学校なんかとは比べ物にならないほどの厳しく苦しい蛇の道だが)
>今の子はあらかじめ「学校に行かない」という選択肢があり、フリースクールなどもたくさんできた。
>しかしそれでも学校にとってかわるような機関ってなかなかないよ。
>フリースクールも色々問題を抱えてる所が多いし、ボッタクリとしか思えないぐらい学費の高い所も多い。
>「学校なんて行かなくとも何とかなるよ」などという無責任な大人の甘言に騙されてはいかん。
不登校児は学校では疎外され、外ではボられ、あるいは投薬され、右や左の無責任なイデオ
ロギーのオモチャにされ、どこに行っても踏んだり蹴ったりという罠。
>>218も好例だと思うけど、我々は呪いを掛けられてしまったんだよ。
「ひきこもり」という5文字にね。
典型的には
>9 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/07/15 16:51 ID:5ODjhB05
>
>>3 でもひきこもりは爆弾作ってるかもしれん。
と。そりゃ斎藤やSPA! がああいう煽り方すれば、そうなる。
このスレの定番テーマと化している、引き出し屋の関与の是非と
いうこと一つとっても、慎重論者も、朝日叩きのにわかウヨ君も、
「ひきこもり」という概念を自明のものとした上で喧喧諤諤やる
というのは、盲信するにせよ糾弾するにせよ、連中の掌の上で
踊らされていることには変わらないと思うんだなあ。
そのモラトリアムの中で議論を続けている限り、精神医療周辺の
リベラリズムの後退は食い止められなさそうだ。
どうやったら我々は、「ひきこもり」をめぐる言語空間から
エクソダスできるか、さらにもう一段俯瞰的な立場をいかに確保
しうるかを考える方が重要じゃないのか。
対象を従属させるための表象操作として「ひきこもり」が
ある以上、脱「ひきこもり」の方法論ではなくて
脱「『ひきこもり』言説」の方法論の構築の方が大事ですよ。
万人向けのマニュアル作るんじゃなくて、一人一人が手探りでね。
ニートっちゅうのも、一応そういう面での期待はかかっている
わけでしょ?
220 :
(-_-)さん:04/07/15 20:57 ID:zJr1DDSh
ニートもまた、社会の悪を一身に背負うスティグマにならなければよいが……。
>>199 >自助グループや自助ネットワーク、自助支援組織のようなもの
含むだろ。文字通り、第三者のことなんじゃないの。
ただし、まずお勧めしているのが、精神科だろうな。
次回の衆院選、立候補しろよ >環
>>202 >反ネオコン運動
そうなんだ。残念だなあ。
別に、ネオコンファンというわけじゃないが、むしろ嫌いだが。
そういう風に、政治的な色彩が出てくるとなあ。
引いちゃう人も多いと思う。
その政治的主張への賛否は別としても。
むしろ、当事者主体の方向性とは離れていくと思うんだけどね。
ひきこもり言説が、帝国主義的だなんて指摘があったけど、
そういう政治的な方向性も、同じようなもんで、というかむしろ
こっちの方がその傾向が強いぐらいだと思う。
当事者をないがしろにして、それを利用して、みたいな。
なので、安易に政治的な色を強めることには反対です。やめてもらいたい。
>>205 そういう方針には、自分も大賛成ですね。
しかし斎藤は、あまりに当事者(被援助者、患者)の意向に
沿い過ぎるような援助方針は、大いに嫌っているようです。
以前読んだことのある本で、そのような印象を受けました。
>>208 他の人はどうだか知らないけど、そう見えるだけじゃない?
同じスレ内とか、板内とか、2ch内とか、
文体とかも似てくるもんだよ。
小3の頃、学校での身体検査を風邪で休んで後日病院ですることになり
病院に行ったら別の学校の小3女子が来ていた
特に気にしてなかったけど、検査する部屋に入ったらその子が居た
俺も女子もパンツ一枚だったから恥ずかしかったが
女子は、そんなこと気にせず、学校どこ?と話しかけてきて
オドオドしながらも話していた、そのまま検査も終わり帰った
んで、4年になって転校生としてその子が来た
しかも同じクラス、さらにばっちり覚えてるし
でも恥じらいは出てきたのか、誰にも言わないでねと耳元で
そのとき顔をよく見てみると、検査の時は気づかなかったが結構可愛い
それで、結構嬉しくおもった、でも放課後話してたとき
チンチン大きくなってたよねと言われ、かなり恥ずかしかった
小4のとき小児科に行ったら同じクラスの好きな子がいて、なんとその子が
浣腸される場面に遭遇した。俺は目が釘付けになった。しかしその5分後には
俺がその子の前で浣腸されるはめに・・昔の小児科って風邪ひいて行っても
まず浣腸みたいなとこあったよね。処置べッドには小児科だから目隠しなんか
ないから周りから丸見えだったしwインフルエンザの季節なんか同級生の浣腸
されてる姿をよく見たもんです。
>>221 > >自助グループや自助ネットワーク、自助支援組織のようなもの
> 含むだろ。文字通り、第三者のことなんじゃないの。
含まないみたいなことが書いてなかったか。
セルフヘルプグループはセルフであって第三者じゃないし。
小学生の時、風邪をひいて高い熱をだし家の近所の小児科へ行った。
診察が終わり、お尻に注射する事になり処置室に呼ばれたが、
処置室のベットが点滴をしていて空いてないということで待合室の長いすでうつことになった。
他の診察を待つたくさんの子供やお母さんにまる出しのお尻に太い注射をうたれるのを見られ、
恥かしいのと痛いのとで思わず涙がでてきました。注射の終わった後、
母にかなり長い間丸出しのお尻を揉まれていました。
自分だけでなく同じように待合室の長いすでお尻に注射をうけていた子もたくさん見た事があります。
自分が小学生の頃は小児科の診察でかなり恥かしい思いをしたものだが、
ときには女の子の恥かしい診察を覗き見る事もできた時代だったので、
今から思えばかなりおいしかった。
当時は子供のプライバシーについても今ほどうるさくなかった時代。
平気でパンツ1枚にして診察していたのだ。今では考えられない事だと思うが、
実際はどうなんだろうか?現在の小児科の診察事情のわかる方、
是非、書き込みお願いします。
>>224 > しかし斎藤は、あまりに当事者(被援助者、患者)の意向に
> 沿い過ぎるような援助方針は、大いに嫌っているようです。
> 以前読んだことのある本で、そのような印象を受けました。
やっぱり・・・。読まなくても彼の他の言論からも分かります。
当時の小児科は、子供のプライバシーなどお構いなしで簡単にパンツ1枚や、
ひどいときには、全裸にして診察していた。それもカーテンや衝立などない診察室で。
だから診察室の中待ちやローカから診察風景が丸見えで自分の診察の前が女の子の診察だったら、
すごくラッキーって感じだった。小学校5年生位の頃、インフルエンザにかかり家の近くの小児科に行った。
しばらくして呼ばれて診察室に入ると、前の子がパンツ1枚で先生の診察を受けていた。
その子を見てびっくりしました。同じクラスの洋子だったからです。
洋子はパンツ1枚で聴診器を胸に当てられていましたが、背中に聴診器を当てるとき私の方に向きを変えたので私からは洋子の大きく膨らみかけたオッパイが丸見えでした。
洋子は恥かしそうにしながらも、隠す事もなくパンツ1枚の裸を私に晒していました。
洋子はその後、ベットに寝かされパンツを膝まで下ろされお腹の診察を受け、
そのままうつ伏せに寝かされお尻に太い注射を2本打たれ涙ぐんでいました。
その後、洋子は急いで洋服きて逃げるように帰っていきました。
私はというと、さっき洋子が寝かされていたベットに寝かされ洋子と同じように、
お尻に太い注射を2本打たれました。しかも中学生のお姉さんに見られながら。
当時は恥かしかったが、今になって思えばかなりいい思いをさせてもらう事ができた。
今ならありえない事だと思うけどね。
>>211 斎藤の言う去勢は、社会参加するに必要な
自己万能感が払拭されていないとか、自己像が肥大しすぎてるとか、
そのせいで、社会の中の自分の役割、ポジションを受け入れられないとか、
そういう類のことじゃない? 去勢されてないっていうのは。
>>215 たしかに、奥地氏に対してかは分からないけど、
一部の勢力に対して、妙に感情的に見えるような文章の箇所とかが
あるような感じがするね。
>>222 そんなことしたら、徹底的に叩かれるよ。
少なくともここでは。
>>219 >脱「『ひきこもり』言説」の方法論の構築
>>109 にも書いたが、同情するならカネをやれ。あるいは財産も名誉も家族も無くても、
質素に生きていける処世術と精神を啓蒙すれば? そんだけ。
「不登校・ひきこもりは無問題」と言い切れず、治療論が台頭するのは、生活や経済の問題が絡むからだし、
その不安さえ処理できればどうってことはない。そして、これがいちばん難しい。
>>220 スティグマだの何だの、大仰なことを言って煽るよりは、先手を打ってだめ連のように、
ニートになればひきこもりよりはラク、将来の見通しは無いけどマジでオススメ。
ぐらいのキャンペーンをすればよいのではないですかね?
もっとも、だめ連は下降志向のインテリ崩れだけどね。あれは素人にはオススメできない。
>>219 >ニートっちゅうのも、一応そういう面での期待はかかっている
>わけでしょ?
そうなの? ニートってまさに労働の問題として考えられているわけで、
それはそれで、反斎藤の人の中には、批判したい人もいるんじゃないですか…?
確かにニートには、病理的なイメージは、ひきこもりと比べれば
格段に希薄ですね。
>>223 斎藤は、中央公論の世代論まがいの文章で、団塊世代の政治主義的言論を
揶揄していたけど、斎藤も指摘するように、他方、政治的ニヒリズムの皮肉屋を
気取る新人類世代の文化主義的言論も根っこは同質なんだよな。
両者が共に、日常生活世界に慣習化し無意識化した「不可視の政治権力」に
ついて、正面から論じることができない(或いは避けている)点において・・・。
てゆうか、ひきこもりなんていうレッテル貼りは
気に入らなければ気にしなければいいんだ。
ひきこもりの実態の問題
>>236に書かれているような問題とか、
そういうリアルな問題がある限り、
ひきこもり問題を煽るな、とか言ったって、
困っている人(本人、家族)が大勢いるわけだから、
問題についての話題に関するニーズは、かなりある。
クサい物に蓋をしていれば、いいというわけでもあるまい…。
>>233 > 斎藤の言う去勢は、社会参加するに必要な
> 自己万能感が払拭されていないとか、自己像が肥大しすぎてるとか、
> そのせいで、社会の中の自分の役割、ポジションを受け入れられないとか、
> そういう類のことじゃない? 去勢されてないっていうのは。
そういう意味ならば尚更に
>>211さんのいう「去勢」と重なると思うけどね。
既成体制によって規格化された役割のなかに収まるために、自己を放棄しろって
ことだから。フーコーが従順な身体の養成と言った意味での主体化と同じだね。
>>236 > 「不登校・ひきこもりは無問題」と言い切れず、治療論が台頭するのは、生活や経済の問題が絡むからだし、
> その不安さえ処理できればどうってことはない。そして、これがいちばん難しい。
なればこそ、精神医学ではなく、広く社会学的に論じることが必要になってくるし、
最初から、政治、経済、社会の問題として論じられるべきなんだよね。
精神医療と政治権力との関係が浮き彫りになってくる問題でもあるんだよね。
>>228 そうなの? 自助グループも、他人なんだから第三者だろ。
第一者=本人 第二者=親 じゃない?
でもたしかに、含まないみたいな文章、読んだこと気がするな。
内容は忘れたけど、オススメしない援助機関がずらっと羅列してあって、
心療内科や神経科さえも、お奨めしない。カウンセリングも、一部の目的以外はダメ。とか。
その辺の文章で。結局精神科マンセー主義だったような。「社会的ひきこもり」の中で。
近著ではハッキリと、これはもちろん精神科に限りません、とか書いてあったような。
>>240 >既成体制によって規格化された役割のなかに収まるために、自己を放棄しろ
そうそう。まさにそんな感じだと思う。
きっと、子どもの自分が一回死んで、(去勢されて)
社会的な役割の中での自分に生まれ変わるような
イメージなのかも。
斎藤が言うには、その去勢されなければ社会に参加できないというのは、
古今東西、共通してることらしい。
これです。前スレにあったコピペ。元は上山ブログからのコピペ。
>人間は自分が万能ではないことを知ることによって、はじめて他人と関わる必要が生まれてきます。
>さまざまな能力に恵まれたエリートと呼ばれる人たちが、しばしば社会性に欠けていることが多いことも、
>この「去勢」の重要性を、逆説的に示しています。
> つまり人間は、象徴的な意味で「去勢」されなければ、社会のシステムに参加することができないのです。
> これは民族性や文化に左右されない、人間社会に共通の掟といってよいでしょう。
>成長や成熟は、断念と喪失の積み重ねにほかなりません。
>成長の痛みは去勢の痛みですが、難しいのは、去勢がまさに、他人から強制されなければならないということです。
>みずから望んで去勢されることは、できないのです。
>>236 > スティグマだの何だの、大仰なことを言って煽るよりは、先手を打ってだめ連のように、
> ニートになればひきこもりよりはラク、将来の見通しは無いけどマジでオススメ。
> ぐらいのキャンペーンをすればよいのではないですかね?
だからそうした実践面の問題はすでにこのスレの
>>187-198あたりで書いたはず。
>「脱ヒキには第三者の関与が必要、望ましい」
東京シューレのようなところだって第三者の関与には違いない訳だから、
その点では同じでしょう。しかしその関与がどこまで・・・
第三者の介入が必要と思っている当事者は、例えば東京シューレとかの若者達や
スタッフが、「ひきこもってないでシューレに来いよ」などと言って自宅まで押かけて
くるようなことを、シューレもやってくれるようになることを望んでいるのでしょうか?
>>244 彼の精神分析論解釈に基づいているんだろーね。
>>244 そういう「物語」をばらまいて「心の専門家」が個人を臨床的に操縦しようとする社会が
「心理学化する社会」なんじゃないかと思うんだが。
>>243-244 その文脈でいえば、ひきこもりの構造はむしろ去勢否認(去勢欠如)ではなく、
去勢過多の問題という気さえするのだが・・・
ひきこもりは社会化されていない、社会化の欠乏の問題であるという前提が
そもそも間違っているようにも思える。
この去勢概念もあいまいで、去勢されなければ
社会のシステムに参加できないというが。
例に出ているエリートも社会にはもちろん出ているわけだし。
社会に出ているから俺らは去勢されている。
社会に出ていないお前らは去勢されていない、と言われてしまえば、
何も言い返せなくなってしまう。
しかし社会経験があるひきこもりも、実際には多いですし。
終わらない思春期とかもそうだけど。
親密な友人関係も性経験も無いひきこもりの人が多いんだろうけど、
だから、思春期が終わらない。だからひきこもりから抜け出せない。
とする解釈なのかもしれないけど。
それを言われちゃうと、それを経験していないひきこもりは、
ああ、そうですかとしか言いようがない。
本当にそういうことが要因になってるのかは、分からないんだけど。
実際にはそういうことを経験しているひきこもりの人も、多いはずですし。
斎藤のイメージする、社会的ひきこもりの典型例が、
そういうイメージなんでしょうね。
そう言えば上山氏が、以前このスレでも少し話題になった
宮台氏が異性からの包括的承認とやらでマトモになったという話を読んで
非常に動揺した、と書いていたのを思い出した。
この手の、妙にコンプレックスを刺激するような話は、少しキツい話ですね。
人によって全然感じ方が違うんだろうけど。
>>239 どうもここの人たちには、そのあたりで勇み足というか、錯覚があるみたいで、気に
なっている。
とにかく斎藤と引き出し屋を批判し、「ひきこもり」についての枠組みを崩すこと
にばかり注意を向けている、というか。斎藤スレだからいいのだろうが。
ところで最近、粘着信者が消えた代わりに、自作自演紛いが増えたね。バレないと
思ってるんかね? ある特徴からモロに分かるんですけど?
自分も捨てハンを使ってるから、人のことは言えないけど。
>>220 そう、そこなんだよね。簡単に同じ轍を踏みかねない。
ていうか、絶対飼い馴らしに出るでしょう。どんな動きであろうとね。
あるいは、例えばSOHOのように、当初は雇用形態そのものの
革新などとメディアで喧伝されたものの、その中身は
元々既得権がある人にばかり利益がもたらされるような
従来型の雇用形態の延長線上であった、みたいなね。
本質的には変わりないんだろうけど。
人間は最初から他人とのコミュニケーションを
必要としているのだから、
そのごくごく自然な営みを、わざわざ「虚勢」なんて
言わなくてもいいと思う。
逆に、ひきこもること自体が虚勢である、とも
言えるわけだし(さまざまな制限を受け入れざるを得ない点で)。
文章ヘタクソで、ごめんね。
>>251 粘着信者自身がご苦労なこって(´゚c_,゚` )
255 :
253:04/07/15 22:49 ID:???
あう、きょ、【去勢】でした……
長文うぜえ
昔みたいにベンツ乗ってるとか斎藤キンタマの身辺情報カキコしてくれ
>>256 書きたいことは無いでは無いんだが、情報の出所がわかってしまうかもしれないので・・・。
ただ具体的には書けないが、夫婦生活が成立してないのかなあ、この人? と思われる節があった。
周辺の人に聞くと、変人だよ、やはり・・・。加えて犯罪者?
>>239 ひきこもりなんていうレッテルによって
当事者が追い詰められている現実もあるんだよな。
そういう点にも蓋をしていれば済むというわけではない。
>>250 ひとくくりには出来ないよね
個人差はいくらでもあるし
そんな単純に解釈できる問題ではないと思う
冷めた言い方をすれば
ひきこもりの人達にとって唯一の共通点は
定義されたひきこもり状態に当てはまる事
だけとも言える
世間に向けてひきこもりのイメージを伝えなきゃいけない
斎藤氏の立場もわかるんだけど
こうやって単純化したりマニュアル化したり(しかも多くは斎藤氏にとって
都合の良いものが多い)って事が
斎藤氏批判の根底にあるような気がする
少なくとも自分はそういう所に抵抗感があるんだよね・・・
しかしラカンは分からんね
>>234 わざと相手の名を引用しないことによって、その相手と思しき人物の
権威を下げようとするやり方とかね。色々と、まっとうでないやり方が。
>>239 と
>>258 の二つの堂々巡りから、もう一歩先の視点を志さないか、
という指摘が
>>219なんだけどな。
無職、不労、不登校などへ、パラダイムの再転換を各主体が
日常レベルで図れるといい、と。
どうやって稼ぐかなんてのは、きっとその先にしか有り得ない。
本当はピンピン元気なのに、わざと向精神薬でオカシくさせておいて
障害者年金取らせるなんていう、社会保障の不正利用はナシの方向で。
>>253 >>260 タマキソは、あれこれ、もっともらしく引用した末に
「人間同士のコミュニケーションなど有り得ない」
とか
「女なんてものは、この世に存在しない」
と、ぶち上げるからね。
とりあえず、普通の感覚で聞いてりゃ、誰でも引くわな。
ここの粘着引き出し屋は本当にうざい
265 :
(-_-)さん:04/07/16 09:50 ID:gDQxtAbI
>>261 ああ、「奥地さんなんて批判するほどの価値もない」「同じレベルの仲間だと周囲から
見られたくない」みたいな。印象悪いね〜。
266 :
(-_-)さん:04/07/16 09:52 ID:gDQxtAbI
>>259 すばらしい。激しく同意。問題のポイントを実に見事に言い当てている。
>>243 > 斎藤が言うには、その去勢されなければ社会に参加できないというのは、
> 古今東西、共通してることらしい。
そのあたりは文化の発生論を精神分析論的に論じている岸田秀さんのことを想起する。
彼なんかは、ヒトは「去勢=欠如」した動物である、というふうな前提でもって人間の存在
を考えるらしいんだよね。で、その去勢=欠如の現実に対する想像的(心理的な)システム
のあり方が文化・文明を生成し、その性格を決定づけるという話になっていく。
奥地氏と斎藤氏との実践面に対する考え方の差異っていうのは
具体的にいえば、
>>187-198あたりに書いてあることだと思う。
たとえば・・・
194 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 00:52 ID:???
シューレもテレビとかで有名になりすぎたから、それを見た親とかが本人に
向かってシューレのようなところへ行きなさいって感じでプレッシャーをかける
現象が起きるようになったんですよね。
斎藤氏と同じ発想に立てば、そういうプレッシャー(刺激)を親が本人に向かって
かけつづけるのは良い事だというふうになる。たとえ本人が拒否したとしても
その親の執拗な働きかけに本人が折れて従うまでそうすべきだという・・・
197 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 01:24 ID:???
>>182 >>187 >>194 そういうのに積極的なのがいわゆる引き出し屋系の論者なんだよなあ。
いっぽう、学校化批判をある程度踏まえた立場の支援者とかは、第三者
関与をそれなりに肯定するにしても、それが介入傾向を強めることに対
してはどちらかといえば批判的な考えをもっていることが多い。
しかし引き出し屋系の人はそうした批判的な立場に否定的だよね。
つまり確信してやっているところがある。
斎藤氏は長田氏のような強制介入的な引き出し屋のやり方には批判的だけど、
そういう斎藤氏自身も強制介入的な引き出し屋のもっている論理と五十歩百歩
の危ういところで語っているんじゃないかと思うんだけどね。
現実的に、ひきこもりを持って困っている家族があったとする。
そこの親は、ひきこもり当事者に対して、不適切な対応をしてきたとする。
自己流の対応法で。
そして、ひきこもりという概念をどこかで知った。なるほど、
そういう状態の人はいっぱいいるのか、そういう考え方もできるのかと思った。
やがて、相談機関に子どものひきこもりのことで、相談に訪れた。
そこから先は、どうなるか分からない。
ここまでの話で、この親がひきこもり概念を知ったことは、当事者にとっても
マイナスでもなければ、むしろプラスのことのように思うんだけど、どうでしょうか?
しかし、当事者といっても状態は様々で、本来、放置していた方が良かったはずのケースに
対して、親がひきこもりという言葉を知ってしまったばかりにかえって気にしてしまい、
問題をこじらせる、というケースもありうる。
反対に、本来、放置が適切ではなかったケース、親がひきこもり概念を知らなければ
悪循環のまま時間が経っていたケース、この場合は、親が知って、良かったケースになるだろう。
よく、不登校初期の段階であちこち施設をたらい回しされて、問題をこじらせた、という指摘があるが、
さて、もしかしたらそういう話は、結構昔の話が多いのではないか、とも思うのだが。
つまり、現代だったら、そういう相談施設も、それなりの体制や理解を整えており、
問題をむやみにこじらせるようなことには、ならないのではないか。それはひきこもりも同様に。
と思うのだが。
そういう理解に役立ってるはずなのが、これまでの不登校理解の積み重ねや、斎藤の解釈や
その他の先人の歴史だろうな。
しかし、親が『ひきこもり』を知るキッカケ。理解の元が
テレビだったとして、その番組が長田マンセー番組だったとする。
その結果は、『ひきこもり』を知ったとしてもそれは
悪影響の方が強いだろうと思う。
長田支持派(というのがいるか知らないが)に言わせれば、
病気扱いする精神科医(環など)の対応よりも、長田流の対応法の方が
むしろ適切な対応なのだということかもしれませんが。
まあ長田氏は長田氏で、自分の信じるやり方で、それを信用する親という
ニーズがマッチしているわけだから、とやかく言う必要も無いのかもしれないが。
それよりもむしろ、テレビ局が面白がって、絵になるからと放送しているんだろうが、
それの、当事者家族への影響を考えているんだろうか?
ニュースステーションのコメンテーターが、ひきこもりは怠けだと強調していたらしいが、
そういうセンスだと、長田マンセー番組も、何ら問題は無いということなのか。
ひきこもりには色々な解釈があり得るし、長田流も良いのかもしれないが
テレビ局の、放送する倫理というか、ただ単に面白がって放送しているというだけなら
あまりに当事者ケースへの影響を考えない、無責任な放送態度だと思うんだけど。
長田流の対応が、何ら問題はないと考えて放送しているんなら、それは
こちらがとやかく言うことじゃない。斎藤やNHKの放送する大本営解釈のみを
放送しろとは言えないからね。
しかしこの辺を見ると、民放のイイカゲンさ。NHKのマトモさ(相対的に)
を感じるなあ。反斎藤派によればNHKのヒキ理解は、斎藤、旧稲村系に
負いすぎているということでしょう。
>>219 元々、ひきこもりという言葉が普及する前は、
その理想とされている状態と近いよね?
ひきこもりという言葉を皆が意識していなかったんだから。
その状態に戻ることが理想?
とてもじゃないけど、以降の方が、よりマシな状態だと思うんだけど。
もちろん、「ひきこもり」という言葉に過度に縛られるのは
当事者にとってもその周辺にとっても良くないことだと思いますよ。
まして、マイナス要素を含むレッテル貼りには、注意しなくちゃいけない。
一応斎藤氏は、ひきこもりへの評価について、中立的であろうとしているようだし、
(それでも一方の立場の代表例のように扱われたりするのは皮肉的だが)
現実を踏まえて理解していこうという態度だと思う。
「ひきこもり」という言葉にマイナス要素が強いのは、斎藤説のせいではなくて、
元々のその状態に由来するんだろうね。
>>270 > しかし、当事者といっても状態は様々で、本来、放置していた方が良かったはずのケースに
> 対して、親がひきこもりという言葉を知ってしまったばかりにかえって気にしてしまい、
> 問題をこじらせる、というケースもありうる。
専門機関に相談しにいかないのを放置と言ってしまうこと自体が専門家的な傲慢だと思うけどね。
> よく、不登校初期の段階であちこち施設をたらい回しされて、問題をこじらせた、という指摘があるが、
> さて、もしかしたらそういう話は、結構昔の話が多いのではないか、とも思うのだが。
その世代が現在、高齢ヒキになっている世代ということなのかもしれない。
> つまり、現代だったら、そういう相談施設も、それなりの体制や理解を整えており、
> 問題をむやみにこじらせるようなことには、ならないのではないか。それはひきこもりも同様に。
> と思うのだが。
現在、ある程度そのように言えるようになったのは、渡辺位氏や奥地圭子氏のような人がいて
辛うじて抑止力になっていたからだよね。相変わらず、昔のような考え方をもつ親や専門家は
一貫して存在しているわけで、それが斎藤氏であり、彼らが親の不安を掻き立て、当事者の
心理状態をより不安定に追い込み、ひきこもり状態(さまざまな二次反応化)をますます悪化・
誘発させるような傾向を煽ってもいるわけで。
> そういう理解に役立ってるはずなのが、これまでの不登校理解の積み重ねや、斎藤の解釈や
> その他の先人の歴史だろうな。
斎藤氏が「ひきこもり」問題を煽ることによって、むしろ、そういう理解の積み重ねを元(過去の
悪循環の構造)に逆戻りさせている面があるから批判されていると思うんだけどね。
>>271 > 長田支持派(というのがいるか知らないが)に言わせれば、
> 病気扱いする精神科医(環など)の対応よりも、長田流の対応法の方が
> むしろ適切な対応なのだということかもしれませんが。
長田も斎藤も五十歩百歩であって、引き出し屋的発想に立つ者として同系だと思うよ。
病気扱いというか、被治療者扱いだよね。長田も同様に自らのやり方を治療的と考え
ていてもおかしくない。
というか、病人扱いであるかどうかという問題じゃなくて、病人扱いの場合であれ、
そこでもまた医師(専門家)と患者(クライアント)との関係が問われるわけで、
長田や斎藤は羊飼いの如く自分たちの存在を主導に置くことを強調する傾向にある。
>>273 > 一応斎藤氏は、ひきこもりへの評価について、中立的であろうとしているようだし、
中立的なのは奥地氏の立場だと思うけどね。彼女は不登校の価値も登校の価値も
同等に保障されるべきだという中立的な立場にある。
>>276 だから逆にそういう奥地氏のスタンスが
既成の学校制度に媚び気味で中途半端な実践になってしまっている
という批判すらあるんだけどね。
>>277のつづき
フリースクールやホームスクールなどは不登校のあくまで受け皿で、
本来は既成の学校が変わったほうがいいというような、結局は既成の
学校制度を主、その外の試みを従と考えてしまうような中途半端な
改良主義的スタンスが奥地氏には垣間見える。
でも、そういうスタンスではいずれにとっても有効ではないと思うけどね。
>>270 あいかわらず、登校拒否を治す、克服させる、なんて文句を
見出しに謳って、引き出し業を宣伝している本とかも多いよ。
>>274 そういう、斎藤vs.奥地 みたいな見方って、
一方を善者にして、一方を悪者にする、みたいな見方は
生産的ではないように思うんだが。
まして、斎藤説は、そんなに極端なものだろうか…?
両極端にひきこもり理解が分かれているのは状況にとって不幸なことだと思うよ。
どっかで橋渡ししていかないと。
両者の言い分とも、それなりの根拠はあるわけで、一方のみが間違ってる
という見方は、極端だと思うけど。
>>277-279 現実を見ろって。出来れば不登校、ひきこもりを脱出したいと
思ってる当事者、家族は多いだろ。
皆が、学校システムや社会システムに疑問を持って変革活動を
行うべき、というわけじゃないだろ。
システム変革を求めるのも自由だし、むしろ応援したいけど、
そこまで求めない、自分の生活、人生のことをまず考えたいとする
人は多いと思うよ。
>>281 > 現実を見ろって。出来れば不登校、ひきこもりを脱出したいと
> 思ってる当事者、家族は多いだろ。
経験上、それが不登校問題、その二次反応化(ひきこもりを含めた)問題
をますます拗らせている面が強いと思うんだな。
斎藤氏の言葉を借りるなら、それが「ひきこもりシステム」を強化している。
>>281 むしろそういう学校へ強迫的信仰こそ「去勢否認」じゃないか。w
285 :
282:04/07/16 12:51 ID:???
ただひょっとしたら、自分も含めて、斎藤説などを
無意識のうちに信じ込んでしまっていて、そのフィルターで、
ひきこもり問題を考えてる。だから結果的に、言うことが
斎藤説に似ているような内容になってくるとかは、あるかもしれない。
斎藤説に限らず、この業界での解釈などは、本当に積み重ねの上に
成り立っているんだろうな。
だから、意見もどこも似たようなものになったり、
どこかで読んだことがあるように感じたり、するのかもな。
それでもこういう積み重ねは、無駄ではないはず。
>>271 斎藤支持派の人というのには、やはり、長田支持寄りの傾向が垣間見えると思う。
長田も斎藤も五十歩百歩であって、引き出し屋的発想に立つ者として同系だと思うし。
>>278 従来型の登校式学校に通わなくても、差別されずに
普通に生きていけるような社会を目指しているんですよね?
理想自体はいいのだが、現実に生きていくとなると…ってことになっちゃうんですよね。
具体的には、SOHO的労働の拡充ってあたりに落ち着くんでしょうか…?
そういう社会になれば、ひきこもりも非常に生きやすいですよね。
しかし、未来社会で他人と交わらずにコンピューターネット上の労働で
生活できるようになったとして、(現代でもそんな人はいると思うが)
それですべてのひきこもり問題が解決するわけでもあるまい。
労働問題、経済問題としてのひきこもりは解決するが…。
てか、そんな社会を待ち望むよりも、自分で勉強してスキルを上げて
SOHO的仕事にチャレンジすればいいとか言われちゃうな。
>>281 だから、奥地氏だって、そういう当事者の最終的な意向があれば、
進学や学校への復学を含めた本人による進路選択を認めているよ。
本人の意思次第でフリースクールを経て進学・復学を選ぶ子もいるだろ。
>>284 > むしろそういう学校へ強迫的信仰こそ「去勢否認」じゃないか。w
学歴へのこだわりが去勢否認・・・
>>244のコピペで斎藤がエリートを持ち出していることから連想してそう解釈できないこともない。
>さまざまな能力に恵まれたエリートと呼ばれる人たちが、しばしば社会性に欠けていることが多いことも、
>この「去勢」の重要性を、逆説的に示しています。
なんかSOHOで自宅で労働できるようになっても、シックリいかない。
労働が嫌だというつもりも無いんだが、、、。
この現代社会の歯車の一つになって、この文明の進行を進ませるのが
無意識的に嫌なのかもしれない。
厚生労働省の定義などでは、広汎性発達障害などの人まで引きこもりの範疇
に含まれてくるようだから、そのようなさまざまな特性を抱えて生きる人たちとの
関わりが、これからの社会のあり方として問われてくると思う。
>>290 エリートは去勢否認の成功者で、ひきこもりは去勢否認の失敗者になるのか。
たまきんは去勢否認の成就者
去勢否認の最終解脱者が麻原
>>294 そういうことは精神障害であろうとなかろうと同じだね。
「登校拒否は病気じゃない」という台詞だって、奥地氏が代表を務める集いの
なかで当の昔に脱構築され、障害者運動との連携を通じて、より広い高次の
問題提起として捉えられている。
障害者の主体性を大事にしてほしいね。
かってに同盟気取られては向こうには迷惑かも知れん。
引き出し屋さんは、誰にでもある去勢否認の願望をむしろ刺激して強めているよ。
だからヒキは去勢されたありのままの自分自身の存在を受け入れられずに苦しみ、
人と関わる自信を喪失しているのかもしれない・・・
単純にいって、「去勢」だの何だのにしても、誰もがそれほどまでに
性格の問題の多くを厳しく克服して社会生活してるわけじゃない。
たまたま受認される社会的な立場にそれなりに収まれれば、いいだけ。
それは「去勢」とか何とかが、必ずしも条件じゃない。
タマキンだって、一目瞭然、自分の性格、欲求は、割と甘〜く肯定的に保持しつつ、
自分の人生を楽しもうともくろみつつ生きているわけだし。
社会に組み込まれている理由は「去勢」ナンタラで性格的問題を克服したからじゃなくて、
医師免許とって医師になって医師をしてるからなだけ。
そうでしょ、斎藤氏?
>>301 > タマキンだって、一目瞭然、自分の性格、欲求は、割と甘〜く肯定的に保持しつつ、
> 自分の人生を楽しもうともくろみつつ生きているわけだし。
斎藤先生こそがまさに去勢否認の成就者かもしれないね。
303 :
(-_-)さん:04/07/16 15:10 ID:gDQxtAbI
そうでつね
>さまざまな能力に恵まれたエリートと呼ばれる人たちが、しばしば社会性に欠けていることが多いことも、
>この「去勢」の重要性を、逆説的に示しています。
>>244 なんて言っているようだけど、そんなタマキンも社交的なタイプではないんじゃない?
なんとなくスキゾ&アスペっぽい印象も受けるし。
>>302 そうだ。これも結局、斎藤氏お得意の乖離性・・・・・
>>304 (
>>244)
斎藤氏ぃ〜、もうこういう自称インテリご両親たちをたぶらかす様な事いうのヤメたらどうです?
>人間は自分が万能ではないことを知ることによって、はじめて他人と関わる必要が生まれてきます。
(そんな事は無い。食べ物やら必要なものを手に入れたり、何をするにしても、
人は基本的に人と関る必要があって、それは子供でも体感として備わっている。
万能でない事を知るとか何とか、関係ない。
誰でも、それなりに人と関る必要があるし、その必要性も感じているのでは?
「感じているし必要もあるのに、人との関りが難しい」
問題をこう捉えるべきではないですか。)
>さまざまな能力に恵まれたエリートと呼ばれる人たちが、しばしば社会性に欠けていることが多いことも、
>この「去勢」の重要性を、逆説的に示しています。
(ふむふむごもっとも。)
> つまり人間は、象徴的な意味で「去勢」されなければ、社会のシステムに参加することができないのです。
(はあ!?一瞬にして上の文と矛盾しましたよ?
その人らは、むしろ「エリート」として社会システムに参加してますのでしょう?
ついでにあなたも、どちらかというとそのクチでしょう?)
> これは民族性や文化に左右されない、人間社会に共通の掟といってよいでしょう。
>成長や成熟は、断念と喪失の積み重ねにほかなりません。
(上で早くも根本的に矛盾したので、この万国共通の掟ナンタラも既にナンセンス。)
>成長の痛みは去勢の痛みですが、難しいのは、去勢がまさに、他人から強制されなければならないということです。
>みずから望んで去勢されることは、できないのです。
(では、あなたに今後機会を見て「去勢」を強制されたとしたら甘んじてお受けになりますか?
それが理に適った内容であっても、あなたはおそらく受けないでしょう、いや、既に受けなかったのでは?)
やはりキーワードは、何らか(スキゾ?アスペ?ボダ?)の「自己救済と共依存」。
>>281 簡単に「現実」というが、まずは現実とやらの定義から述べてもらおうか?
まさか、君にとって都合のいい「現実」だけの押し付けではないよな。
>>306 くだらない揚げ足取りにしか聞こえないなぁ。当事者叩き?
>>308 なんで「当事者」叩きなの?
それから、
>さまざまな能力に恵まれたエリートと呼ばれる人たちが、しばしば社会性に欠けていることが多いことも、
>この「去勢」の重要性を、逆説的に示しています。
(ふむふむごもっとも。)
> つまり人間は、象徴的な意味で「去勢」されなければ、社会のシステムに参加することができないのです。
(はあ!?一瞬にして上の文と矛盾しましたよ?
その人らは、むしろ「エリート」として社会システムに参加してますのでしょう?
ついでにあなたも、どちらかというとそのクチでしょう?)
> これは民族性や文化に左右されない、人間社会に共通の掟といってよいでしょう。
>成長や成熟は、断念と喪失の積み重ねにほかなりません。
(上で早くも根本的に矛盾したので、この万国共通の掟ナンタラも既にナンセンス。)
この矛盾については、単なる揚げ足取りに済まないと思うよ?
こういう基本的な矛盾を普通にはらみつつ、思考・主張・発表してしまう「知見」
であっても、その人物含む事物の信頼性に疑いが無いと?
長文ウゼー。
いいかげんにしろよ。
>>310 おれはあぼーんしやすいように、というわけでもないが
コテハンなんだから、あぼーん設定でもすればウザくなくなるよ。
ほかの長文は知らんけど、文句言う前にそういうこと勝手に対策したらいいじゃん。
それとも、
>>308が答えられないから、ヤケでも起こしたのかね。
まあ、どうでも良いけど、ウザイなら勝手にあぼんでもしなよw
>>256-257 触法行為と認定できるか微妙な、足がつかないようなやり方を選びつつ
不穏な動きが色々ある、ということだけは知ってる。
佐々木周辺の人間は、保身もあって、タテマエとして2chの関連スレには
不干渉を表明している人が多いが、さて。
>>309 社会システムに参加するとはどういうことなのか?
これをハッキリさせないといけないような希ガス。
もし社会性を欠いた者の参加は社会参加とは認められなかったら、
たまきんの言ってることは正しい。
>>309 エリートは象徴的な意味では虚勢されてるってことじゃないの?
よくわからんが…
>>313 > もし社会性を欠いた者の参加は社会参加とは認められなかったら、
> たまきんの言ってることは正しい。
トートロジーだなぁ。社会性←→社会参加
そうなると斎藤の価値判断でどうとも言えるようになるわけだしなぁ。
社会性を一つの理念(価値)として定義するならば、それはもうイデオロギーの問題だよな。
316 :
(-_-)さん:04/07/18 00:48 ID:xCrG1iCE
>>314-315 要するに斉藤は何も言っていないも同然。言葉の意味を破壊しまくり。
「1984」のオーウェルが有名にした「二重言語」だね。
「戦争は平和だ」とか言っているのといっしょ。
まあね、社会という意味自体がイデオロギーということでもあるんだけどね。
「社会」ってなに?っていう話は、ここに限らず、今に限らず
いろんな場面で出される話だけど、でも、じゃあ「社会」がただの概念にすぎず
実体はないのか?というと、それは明らかに違う。
実体としての「社会」は存在する。
単純な話、経済、行政、徴税その他権利義務について
共有ルールの下、生産・生存活動における共同体が構成されている。
これがいやがおうでも実体をともなう社会。
で、それをどの様に構成するか、したいのか、などの色んな考え方が、
イデオロギーということになるんじゃないかと思う。
ちなみに、こうした構成要件を満たさない大勢の人の漠然とした集まりは、所謂「世間」かな…
相変わらずループしちゃうな
1000でdat落ちする2chの弱点だ
>>319 だからそういう考え・理念・価値判断も一つのイデオロギーなんだって。
>>319 その権利・義務意識などは理念・価値観・思想(即ちイデオロギー)であり、それらのイデオロギー
(理念・価値観の総体)をある程度共有していると仮想されている(社会システム論では予期を予期
するなどというが、実際にはそこにいろんな対立・不一致・駆け引きがある)のが共同体であり、
それらのイデオロギーが制度化(儀式化)されたものが法や規範(その究極形態が国家?)など
といわれ、それがあなたのいう「社会」の意味をイデオロギー的に構成しているということだね。
だから社会の実体を構成しているのはイデオロギー(的システム)であると言えるんだよ。
表現が足りなかった部分を修正。
その権利・義務意識などは理念・価値観・思想(即ちイデオロギー)に基づくものであり、
ただし、「共同体」とか「システム」という言葉を使ってしまうと、「社会」とその「環境」を
隔てているとされる境界性がいかにも自明で普遍的な実体的単位(=静態的構造)
であるかのように受けとられてしまう欠点があるんだけどね。
>>321-324 またしてもトートロジーだね。
だから、イデオロギーによって、実体をともなう社会は現実に存在している、
といってるだけなんだが、何か?
そうするとそれもイデオロギーだろっていわれるのはごもっともで、
簡単にいえば、社会とは何かという意味を定める(線引きをする)イデオロギーが
われわれが社会と呼んでいるものの実体の基盤である、ということになるね。
>>325 だから、イデオロギーが君の言う実体とやらを構成していると言っているんだよ。
>>321-324 >だからそういう考え・理念・価値判断も一つのイデオロギーなんだって
理念とか価値判断とかいうけど、そんな選択の余地無く、現実に徴税されたり、法規にしたがって
生活しているわけだよ。その意味で実体としての社会が存在してますよ、
といってるのに。まあいっや。
それから、「権利・義務意識」じゃなくて、法によって定められた権利・義務を
「意識」っていうのはどうなのかな?
どうも、読んでて、全体的に間違ってるとまではいわないけど、
「机上」な雰囲気が漂ってる。そんな風に机上で突き詰めすぎても、かえって見落とす事も多くなる。
>>325 君が
>>319で書いていることもそういうことなんだな。
同じ意味のことを言い換えただけなんだけどね。
>>327 本当にノイローゼのようですね。
>>325をよーーーく見直してみてください。
貴殿が何がいいたいのか、まるでわかりません。
>>328 > 理念とか価値判断とかいうけど、そんな選択の余地無く、現実に徴税されたり、法規にしたがって
> 生活しているわけだよ。その意味で実体としての社会が存在してますよ、
そういう意味では社会主義だって実体になり得るからね。だからそう言っているんだよ。
それは言い換えれば、イデオロギーと権力(社会統制)の問題と言うべきものなんだけどね。
>>328 > それから、「権利・義務意識」じゃなくて、法によって定められた権利・義務を
> 「意識」っていうのはどうなのかな?
法がそれとしての実際の意義(実体)をもつのは、それを価値として信じる人間の
意識に支えられてのことだよ。でなければ、法文も単なる紙切れに過ぎない。
>>329 「社会という意味自体がイデオロギー(
>>318)」なんぞとノイローゼ難解ブリッコな事を言っているから
>>319で「社会という意味」?とかじゃなくて、実際、社会とは「単純な話、経済、行政、徴税その他権利義務について共有ルールの下、
生産・生存活動における共同体が構成されている。これがいやがおうでも実体をともなう社会。」
であって、それをどう構成したいのか、という考え方がイデオロギーだよ、といったんですが?
「社会という意味自体(!?)がイデオロギー」だなんて、そんな意味不明な話、理解できませんよ。
>>333 理解できないのは、イデオロギーにどっぷり漬かっている証拠だね。
イデオロギーにどっぷり漬かりすぎているとイデオロギーをイデオロギー
として認識することすらできなくなるからね。
>>331 北朝鮮の人々なんかはそのイデオロギーにどっぷり漬かって育ち、
受け入れるべき「社会の現実」として認識させられているんだろうね。
>>334 なにいってんだかw もういいよ。無駄だからこの辺でヤメます。
>>326に書いたようなことの意味は、オートポイエーシス・システムとかの考え方を
知らないと理解し難いかもしれないけどね。
>>337 オートポイエーシス・システムなんて持ち出さなくても、
社会契約論でも理解できると思うんだが・・・
どんなイデオロギーであれ、そもそも人間がなぜ社会を構成する(している)のか。
そもそもは生産の合理化、効率化による生存の安定化、危険の回避等のためでしょうに。
生存活動から極端に離れてただ机上で突き詰めても、かえって見落とす事も多くなる。
基本を理解(というか実感?)していないことすら、理解してない無駄なお話。
>>337 なにいってんだかw
要するに
>>326は
>>325と同じ事をノイローゼ難解ブリッコ式に言ってるだけ。
なんか1人で難しそうな「言葉づら」ばかりあちこちから頭に詰め込んで、
「知見」を得ているつもりになってないか?
本当の意味での勉強ができてなさそう。
>>324 それはいわゆる、文化本質主義的な視点だということだね。
「日本人」なら「日本人」、「ひきこもり」なら「ひきこもり」を
流動性のない固定的な存在として仮定している、と。
「日本人」なる民族観は、日本版・近代国民国家の形成期である明治あたりに
国家的プロジェクトとして創作(悪くいえば捏造)されたわけだし、
「ひきこもり」もまた、稲村をはじめとした者たちが作ってきたものだといえる。
「ひきこもり」というのもまさに、「何がどうやって他者とされていくか」
という問題をはらんでいる。
342 :
(-_-)さん:04/07/18 18:06 ID:xCrG1iCE
>>324 学問における最単純モデルなんてそんなものじゃない?
>>334 「いでおろぎー」にどっぷり漬かってない、人は人と呼べるので
しょうか。言葉をしゃべれるのか? 「いでおろぎー」に浸ってない人は
「いでおろぎー」も認識できなfljfljをrf0qj23409jf034
ってか、よくわからないくなってきたよ。
どのレベルで話しているかの問題かもしれんな。
>>333 「社会は個人の頭の中で実体化している」ってことがわかればいいんじゃね。
つまり、決して外の世界での実体(客観的事実)は経験できないってこと。
345 :
344:04/07/18 18:38 ID:???
ん?
外の世界での実体と客観的事実は等価じゃないか。
外の世界の出来事=客観的事実ってことで
「ひきこもり文化論」における斎藤環の政治性は問われとくべきだな。
あれほど意識的かつ欺瞞的な、イデオロギーにまつわる自分語りも
そうそう見られない。
明日、品川に行く人はいますか?
JR大井町駅のきゅりあんですか
たまたま書店に「社会的ひきこもり」があったんで、チラっと読んだ感想などを。
・すべてのひきこもりは治療されなければならない(というのが私の考えだ)。
これは散々既出で、さいたまも近著でその箇所ばかり何度も取り上げられることに
不満を…。
・ひきこもりが治療されるべき理由
このスレでは一応、「労働の義務を果たしていないから」ということになってたと思うが、
そうじゃなかった。成人の義務が労働であるならば、成人の病者の義務は治療努力をすることである。
と言っていた。誰か外人の言葉を載せて、その後に。その言葉とは、病者は労働の義務が免除される。
その代わりに、治療者に協力し治療努力の義務があるというような言葉。
まず思ったのが、今まで「労働の義務を果たしていないから〜」とこのスレ上で言われていたが、
この言い方は正確ではなかったんだが、誰もつっこんでいなかったということ。まあ2chだからいいか。
それから、「病者の義務は〜」ということなので、これも微妙な理由。
社会的ひきこもりはまさに「病者」ではない、というツッコミはおくとしても。
健康で労働を選ばない人は病者ではないので、治療努力の義務はないはず。
労働しないことを責められる責任は負うとしても。
「ひきこもりは治療された方が良い」の根拠が欲しいんでしょうね。
対当事者、家族、社会への。理由付けというか。
それから、その外人の言葉の「(病者は)治療者に協力する義務がある」というような言葉に
共感してモデルとして載せる。その感性ですね。「ひきこもり」に関する本で。
ひきこもりへの100%の許容は、説教などと同じぐらい有害だと言っていた。
コミュニケーションが存在しないから。
これって、援助方針としての、許容的なカウンセリングなどの主張を否定しているのだろうか。
別の本では、やはりそういう手法のカウンセリングに対して否定的に書いていて、
そこでは、暴力をふるう状態へさえも許容的な態度をとることに、疑問を投げていた。
そういう、極端な状態を例に上げることによって、手法としての許容的、被援助者が主体型の
やり方を否定しているんでしょう。しかし、ひきこもり援助としての、そういう手法があるとして、
それが実際に、良い結果を出しているとかは無いのだろうか。
稲村氏の時は、彼は不登校の予後が非常に悪いとか喧伝していたらしいのだが、
実は悪いのは彼の治療を受けた人たちで、全然違う方針の被援助者主体型の「治療」の
ところは予後が非常に良かったとか、どっかのネットで出ていましたね。
理論は立派でも、実際の結果がどうなのか、ということは大事ですよね。
>>350 > 稲村氏の時は、彼は不登校の予後が非常に悪いとか喧伝していたらしいのだが、
> 実は悪いのは彼の治療を受けた人たちで、全然違う方針の被援助者主体型の「治療」の
> ところは予後が非常に良かったとか、どっかのネットで出ていましたね。
> 理論は立派でも、実際の結果がどうなのか、ということは大事ですよね。
その件は、いろいろなたちばの不登校関係者が言っていましたよね。。
不登校問題で日本最大の薮医者の弟子がひきこもり問題では権威として
NHKに持ち上げられているというわけです。
去勢についても出ていて、子どもの時の万能感が、人と関わることによって
削り取られ、それが去勢になると考えているよう。
その去勢が済んでいないのが、ひきこもりだとすると、
それへの援助方針も、ある程度強圧的に出て、万能ではないことを自覚させる
とかありえますよね。幼児的万能感状態に対して、過度に許容的、尊重的態度を
取れば、かえって悪そうですね。
別の本で、一対一の治療、援助には限界があるようなことを言っていたのも
それと関係あるかも。デイケアで人ともまれて、万能感を縮小させるみたいな。
「治療」を必要とするのも、万能感状態の人に対して、治療が必要なんですよ、
そういう状態なんですよ、と自覚させる意味もあるんだろうか。
内部情報みたいなので、たまきん系の病院に通ってみんな言葉を無くしていく
みたいな指摘があったけど、たまきんの目論見どおり「去勢」されちゃって、
「自分は病人です。何も出来ないひきこもりです。」と「等身大」の自己像を
強要されて、元気が無くなっちゃったんじゃないか。
それで幼児的万能感が消え、外部より強制的にメデタク去勢され、
ハイ治療成功。といくのかどうか。そのまんま「私は病人です」状態で
障害者年金。ハイメデタシ。良かったですね。じゃ何か違くないか?
そんなに、強制的に去勢されることが大事だったのか?
それなら、本人のプライドを尊重しながら、主体性を大事にしながら
やっていく方針でも良さそうなのだが、そういうのはたまきんは
否定的に見てるんでしょうね。きっと。
所詮患者なんて、飯の種ですよ。
障害年金と生活保護でホームレスの心配がなくなったんだから
感謝しろと。。
去勢については、教育システムについても言っていて、
偏差値エリートとひきこもりを同列に否定的に書いていた。
なにやら、平等神話や誰にも無限の可能性がある、というような神話を
信じきっているとか?。教育システムの犠牲者だみたいに書かれてた。
細かいことは忘れたが。
戦前の日本や、海外諸国のように、エリートと一般庶民が
教育面でも大きく差があり、それぞれが己の身分を自覚するというような
教育システムの方が、平等的教育よりも、好ましいと考えているの?たまきんは。
この辺の教育論については、背景の戦後民主主義なんたらとかの論議も
自分は知らないので、良く分からないが。
355 :
(-_-)さん:04/07/18 23:35 ID:dmakNv54
ただここまで否定的に書いといて何なのだが、
ひきこもりに対して、「精神科医としては」別に問題があるような立場
じゃないと思った。書物上では。むしろ近年の本では、当事者サイドに
媚びすぎというか、そんな印象さえ受ける。
もちろん、「精神科医としては」という前提を外すと、とっても
「治療主義的」ではありますね。
斎藤は近著で、一精神科医としての、一つの問題提起みたいな感じで
気軽に「社会的ひきこもり」を出したのだが、それがバイブル的に扱われて
批判の的になってしまっていることがちょっと残念みたいな感じでしたね。
たしかに、新書という媒体でもあり、ちょっと冒険的な説や主張を取り入れても
別に問題があるわけでもないし、実際、それほど偏った立場とも
思わないですしね。あくまで「精神科医としては」の前提がありますけど。
357 :
(-_-)さん:04/07/18 23:45 ID:xCrG1iCE
市民団体の作った別ヴァージョンの文書より一部抜粋。
●河合隼雄氏は、「心理主義」の立場から、子どもたちの心に国家が介入する「心の
教育」路線の提唱者であるだけではなく、森前首相の「神の国発言」を賛美したり、
「国家は義務教育を統治行為と自覚し、厳正かつ強力に行わなければならない」と
いった答申をまとめるなど、教育基本法改悪への道を開いてきました。道徳の「国定
教科書」と批判が集中している『心のノート』も彼が中心になって作成したもので
す。
京都市教委は、ここ数年、何かと言えば河合氏を、まるで自分たちの「宣伝広告塔」
のように利用してきました。河合氏への特別扱いも異常です。他の市民会議委員への
謝礼が
1万円/回なのに、河合氏だけには10万円/回も支給したり、「指導助言謝礼」「指
導者謝礼」という名目で、それぞれ毎月、10万円、6万円も支給し続けた時期もあっ
たのです。京都市教委の河合隼雄氏との癒着ぶりはもう目に余ります。
斉藤の言う万能感のエリートって長官のことでつか? 環先生は河合先生を
治療できますか?
この本って古いんだよね。で、タマキンせんせいはその後この本を否定するような
ことも言っているから、今頃この本を取り上げてああだこうだいうのも(w。
連続カキコしていたのはリア厨房?夏休みの宿題と夏期講習がんばろうね
>>360 リアヒッキーだけどな。暇つぶしだから多めに見てやってくれい。
斎藤も医学部を出たはずなので、偏差値エリートって自分のこと?
>>334 >「日本人」なる民族観は、日本版・近代国民国家の形成期である明治あたりに
>国家的プロジェクトとして創作(悪くいえば捏造)されたわけだし
何につけても「陰謀論」的に過ぎると、かえって抗力を失う。
そんなことじゃなくて、欧米列強という外圧の登場にたいして、「日本人」「日本」という
アイデンティティが芽生えるのは、当然だったんだよ。
鎖国で成り立っているうちは、中国・朝鮮・一部の欧州が少しの付き合いがある程度だから、
いわば国内が全てであって、藩=国という狭いIDの寄合だっただけ。
いまの人間だって、相対条件によって日本人を意識したり県民を意識したり、市民を意識したり
○○家の家族の一員を意識するわけでしょ。
>>344 >「社会は個人の頭の中で実体化している」ってことがわかればいいんじゃね。
>つまり、決して外の世界での実体(客観的事実)は経験できないってこと。
どうもわかって無いというか、視点がずれてないか?社会の実体なんか体験できるでしょうに。
選挙の投票通知、納税通知、投票、納税、年金納付受給、各種法規と罰則、法に定められた権利の行使
これらは実際に行われていることで、頭の中での妄想じゃない。
自分は昔は、このスレで斎藤が
稲村の弟子だということを過度に言われすぎていて、
それは稲村系や斎藤に恨みがある人が
斎藤攻撃のためにそこを強調しすぎてるという印象を持っていたのだが、
やっぱりどうも、斎藤は稲村の弟子。という側面は
彼の思想、立場的にも意外と強そうですね。
http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~skc/research/research.htm ここでもズラリと稲村氏の著書が並んでるし、別に
過去の否定された人、というわけではないみたいですね。
ここの本の選び方はもちろん、斎藤氏が選んだわけじゃないでしょうけど。
ひょっとして稲村氏の著書は、実際の治療と比べると
それほど問題があるような内容では無かった?
それならば、その点でも斎藤氏は稲村氏の、弟子的…?
ついでにいうと、共通の貨幣を使用している時点で、それ自体既に社会の実体の体感でも
あるはずなんだけど、机上で突き詰めすぎると、そんな事すら見落としてしまうんでは。
>>349 >・ひきこもりが治療されるべき理由
> このスレでは一応、「労働の義務を果たしていないから」ということになってたと思うが、
> そうじゃなかった。成人の義務が労働であるならば、成人の病者の義務は治療努力をすることである。
> と言っていた。誰か外人の言葉を載せて、その後に。その言葉とは、病者は労働の義務が免除される。
> その代わりに、治療者に協力し治療努力の義務があるというような言葉。
>
>
>まず思ったのが、今まで「労働の義務を果たしていないから〜」とこのスレ上で言われていたが、
>この言い方は正確ではなかったんだが、誰もつっこんでいなかったということ。まあ2chだからいいか。
このスレで、上のとおりに斎藤の文は引用されていたよ。
「普通は労働の義務があり、病人は労働できないから免除されるかわりに、病気を治そうとする義務がある。だからヒキは治療されるべき」
と斎藤が言っている、と正確に引用されていた。
まあ、それって、結局「労働の義務を果たせないなら、治療うける義務がある」ってことだから
「労働義務を果たしてないから〜」でもほとんど同じ意味だと思うけど。
>>363 > ここの本の選び方はもちろん、斎藤氏が選んだわけじゃないでしょうけど。
は?意味がわかりません。ここがどこだかわかっているのですか?
>>363 貴兄がリンクしている先の青少年健康センターって
佐々木とならぶ斉藤環の根城ですよ。
>>361 > 斎藤も医学部を出たはずなので、偏差値エリートって自分のこと?
今から20年前の筑波大学だから(当時はまだできたばかり)ビミョーだよね。
>>356 >斎藤は近著で、一精神科医としての、一つの問題提起みたいな感じで
>気軽に「社会的ひきこもり」を出したのだが、それがバイブル的に扱われて
>批判の的になってしまっていることがちょっと残念みたいな感じでしたね。
斎藤氏も子供のいい訳みたいなこというね。一精神科医としての一問題提起?
後からそんなこと言うなら、予め注意書きしておかなきゃだよ。
「『社会的ひきこもり』は一精神科医の一問題提起に過ぎませんので、そこで何が書かれていようと、
私の私見に過ぎず、客観的に確かなことではありません」とかさ。
ところが、実際は、その著書の中で、自分は多くの症例を見てきた、多分ほかの医師よりもその分野については
経験的にも特化していると思う、そういう実績に基づく私が、ひきこもり症例について書きます的な前書きなんだから
自分の著述の信憑性を暗にも明にも強調していた様に思う。
だから、著書がメディアの目にとまり、自分もこれまではその流れに乗って「ひきこもり専門家」として
名誉を欲する活動を積極的に展開し、それゆえ「バイブル」扱いされるようになったのでしょ。
それをまるで「独り言の日記かなにかが、勝手にバイブル扱いされた上、今度は批判の矢面になって残念だ」?
こんな子供みたいな責任転嫁、よく恥ずかしげも無くいうね。
自分がその「臨床経験」に基づく信憑性を宣伝しつつ、広く外に向けて書いた著述の内容に対する
批判に対する回答すべき当事者は、ほかならぬ斎藤氏自身に決まっているじゃないですか。
都合が悪い事となると、まるで他人事の様に「残念」・・ですか。
>>367 筑波を完全新規の新設校だと勘違いしている?
>>369 元は教育大だし、医学部は新設だっていうことは知っているよ。
エリートと呼ぶにはビミョーだよね。
>>368 そうそう。例のひきこもり100万人説の誤りも、世の中の
関心を喚起するためだったとか、言い訳がましいんだよね。。
今夜は香ばしい人が降臨してくれたようだね。
連休で暇しているんだね。
>>371 本当にそうだよ。
そんな風に随所で稚拙な言い訳が、これだけ顕著な斎藤氏であるのに、
一定以上の「権威」を与えられてしまっている社会環境(構成員たるメディアその他の他者)
の存在のほうが、実は、より深刻な社会の問題構造なんではないか。
おかしいヤシがいても、他者(社会環境)の選別がまともなら、そんなヤシは「権威」になりえないのだが。
>>372 おれのことか?今日はのんびり昼寝できたしなw
たまには明日も気にせず、
君みたいにネットに没頭したっていいじゃんか?
ま、とはいえ、あんまり自分だけ書きすぎてもナンなので、そろそろやめるけど、1つだけ。
ひきこもり当事者で、本当に「脱ヒキ」したい人って
そんなに多数派でもないんじゃないかと思うんだけど。
厳密にいえば「脱ヒキ」したいというより、このままだと経済的に生存がヤバいから
生活の糧となる何らか手段を手にしたい(できれば脱ヒキ等の無理をせずに)
の方が近くない?
もしそうなら、その方が、どうすればいいか(少なくとも脱ヒキよりは)
具体的に考えやすいかもね。
社会的・対外的な要求の趣旨も明確になる。
引きこもっていても可能な仕事を体系化して外部が当事者に提示する窓口とか。
そういう方が、医療主眼の人間改造より、具体的かつ有効な救済になるんじゃないかと。
376 :
(-_-)さん:04/07/19 02:42 ID:iHFc5eim
俺はヒッキーだが
斎藤の本には慰められる
>>376 将来、経済的な心配はないの?
おれ思うに、一生食うに困らない見とおしがある人なら、
ただ引きこもっているというだけでは、そう深刻にならないのではと思うから。
>>370 「どこからがエリートか」ってのは、決めるのは難しいと思うがね。
ただ、今の斎藤が「ひきこもりの権威」とマスコミや役所等から
目されているのは事実だろ。
>>349 「労働の義務を果たしていないから」でも間違いではないと思うんだけどな
要は遠回しに、ひきこもり=病人って言いたかったんでしょう・・・
それが、何よりの治療の根拠になるわけだし
>>368 同意
唖然とするくらい無責任ですね
医者の権威とか、マスメディアの影響力とか
自覚してるんだろうか?
本人にとっては気軽な発言でも
それに振り回される当事者や、その家族の身にもなってください・・・
>>362 うーんと、ちょっと誤解されてしまったかも知れない。
実体として「社会」や「国家」etc...は存在する、というのは、確かに
それはそれで正しさを持っているけれど、そこで思考を止めてしまうと
その対象を、流動性のない固定的な存在として仮定している(
>>341で書いた)
という点において、実は「ひきこもり」というレッテルを貼る行為と
同じ穴の狢に陥ってしまうと思う、と。
そこで、どうしてスケールがでかい「国家」って話を引き合いに出したかと
いうと、そこでは必ず、自分たち以外の他者というものを想定して、人為的に
線引きをするから。
その善し悪しを今問題にしてるんじゃないんですよ。他者というものを人為的に
創作するんだ、という点が重要なんです。
病気の者というのも、健常者と呼ばれる人々から見た時の他者ということでしょ?
↓つーわけで、むしろ以下の部分が、一番言いたいことだったり。
>「ひきこもり」というのもまさに、「何がどうやって他者とされていくか」
>という問題をはらんでいる。
>>341 そこで「日本人」をもちだすとプチウヨが噛み付くぞ。w
>>356 気楽にって・・・無責任だなぁ。テレビにまで出て大々的に宣伝しておいてね。
バイブル的に扱われてって・・・そこまですればそうなることくらい分かってて
やったでしょうに。意図的に煽ったくせに、これだもん。
斎藤さん自身が「去勢」を経験せずにお医者さんになったとしか思えないよ。
>>354 そういう意味での去勢ということから言えば、エリートの意味は、世間的にみて大きな挫折を特別
に経験せずに順調に社会的に高いとされる指導者的地位に就いた人というふうに解せば成り立つ
と思うよ。
医者のような専門家の一人だって、他者(社会)をコントロールする指導的な権威を社会的に与え
られた知的エリート層の一種だと思う。
そういう意味からいえば、不登校やひきこもった状態を経験した人のほうがその時点で、
よっぽど去勢とやらを(想像的なレベルでも)実体験していると思うけどねえ。
ただ、挫折を経験しても依然として去勢を否認して学校化社会に固執している親も本人もいるだろう
けど、その去勢否認の欲望こそが斎藤さんが望む意味での治療願望にむしろ結びついているんでは?w
>>379 >医者の権威とか、マスメディアの影響力とか
>自覚してるんだろうか?
この人、その辺、実はかなり自覚的だと思う。言動や露出の手法・場所選びなどみても、
権威や影響力について自覚的な人間の立振舞いにしか見えない。
都合が悪くなると、自分は無垢で無自覚だったフリして他者のせいにするようにみえる。
>本人にとっては気軽な発言でも
>それに振り回される当事者や、その家族の身にもなってください・・・
本当に、何よりもこの点について、責任を重く受け止めるべきだと思うね。
>>380 >>362でも暗に書いてるけど、そもそもアイデンティティは流動的(というか相対的)なものだよ。
アイデンティティと、生存安定化の為の共同体構成の原理は、密接に絡みはしても、基本的には別物だと思う。
なので、それはまあ、いいとして、
>↓つーわけで、むしろ以下の部分が、一番言いたいことだったり。
>>「ひきこもり」というのもまさに、「何がどうやって他者とされていくか」
>>という問題をはらんでいる。
つまり、
「どんな人が、どういう理由(もしくは意図)で『ひきこもり(正確には社会的ひきこもり)』とラベリングされるのか」
ということをいいたいのでしょ。
>>344 > 「社会は個人の頭の中で実体化している」ってことがわかればいいんじゃね。
> つまり、決して外の世界での実体(客観的事実)は経験できないってこと。
想像界と現実界かな。
>>362 > どうもわかって無いというか、視点がずれてないか?社会の実体なんか体験できるでしょうに。
> 選挙の投票通知、納税通知、投票、納税、年金納付受給、各種法規と罰則、法に定められた権利の行使
> これらは実際に行われていることで、頭の中での妄想じゃない。
つまり、人間はイデオロギー(信念)に基づいて行動するからであって、そのことはイデオロギーが
社会関係を産出する原理となっていることと矛盾しないんですよ。
その意味では宗教だって同じですよね。宗教はイデオロギーであると同時に実在の社会的儀礼
の構造(社会構造・社会秩序)を構成するんですから。
>>364 > まあ、それって、結局「労働の義務を果たせないなら、治療うける義務がある」ってことだから
> 「労働義務を果たしてないから〜」でもほとんど同じ意味だと思うけど。
そうでしょうね。労働(賃金労働?)の義務を挙げて、で、労働義務を果たす能力のない病者
には医者に行く義務があるというふうに煽っているわけだから。
そこには、産業的な生産力のないとされる個人は病院に入れられるべきだというのと同じ思想
がベースにあるね。
>>385 なにが何?・・・でしょうか?
他人の言う事も自分の言う事も、もう理解できてなさそうですよ。
とりあえず、少しでもよいので体を動かした方がよさそうですよ。
人間は所詮、生き物なのですよ、社会だって、まず第一義の原理として、
生存の安定化の為に構成されるのですよ。
イデオロギーそれ自体が第一義の原理だなんて有り得ないのですよ。
生理的な生存が基本にだからこそ、歴史的に見ても、どんなイデオロギー下でも
とりあえず社会が構成されてしまうんじゃないでしょうか?
まあ、すこし、部屋の中でもいいから、体動かした方がいいよ。真面目な話。
もしくは君もコテハンしてくれませんか? もう、あぼーんさせて・・・(´ヘ`;)
>>387補足として、逆説的に言えば、
人間が固体で、生存に必要な全ての生産活動および、
ついでに文化的な欲求をも、最も合理的かつ安定的に営めるように出来ている生き物なら、
社会なんぞ、構成する必要はなくなります。
イデオロギー共有だけを原理に、生存に不要な共有ルールで茶番劇を営む必要はないから。
>>362 > どうもわかって無いというか、視点がずれてないか?社会の実体なんか体験できるでしょうに。
社会は実体というより関係ですよね。
>>385はちょっと硬い表現になってしまいましたが、
>>385で書いたことはまさに実感としてもそうだと思うんですよ。
ただし、
>>380さんが指摘なさっているように、イデオロギーもそれが行動として習慣に
なったり制度化されたりすると、イデオロギーとしては自覚されない絶対的な意味として
自覚されるようなものになってしまうんですけどね。
それがまさにイデオロギーの効果であって、イデオロギーとして自覚されないからこそ
その効果を最大限に発揮するのがイデオロギーなんですよね。
社会関係なんてのはイデオロギーの駆け引きの世界みたいなもんですよ。実感として。
それが実際の社会的現実というものです。
>>387 > イデオロギーそれ自体が第一義の原理だなんて有り得ないのですよ。
> 生理的な生存が基本にだからこそ、歴史的に見ても、どんなイデオロギー下でも
> とりあえず社会が構成されてしまうんじゃないでしょうか?
逆にいえばね、どんな社会(関係)下でもイデオロギー(信条・理念・価値観)に基づく
行動様式(行動の主義主張)が構成されると言えるけどね。
>>388 貨幣だってイデオロギーの産物だしね。
円やドルがイデオロギー的に共有されている範囲でなければ
その円やドルも貨幣としての意味を持たない。
>>389 実体っても、なにも「物体」とはかぎりませんよ。物体じゃなくても、それは実体といえませんかね。
それからあの、イデオロギーーって、要するに「考え方」とか、単純にそういうことですよ。
あなたの文中で、かるーく、そう置き換えてみてくれませんか。
>>391 だが、そうしたイデオロギーも決して社会構成の原理ではないのですよ。
その後に、いかに、どうするか、という中でのイデオロギーによる産物ですよ。
>>392 > 実体っても、なにも「物体」とはかぎりませんよ。物体じゃなくても、それは実体といえませんかね。
そういう意味ではイデオロギーだって実体ですよ。表現を通じて観念は実在する。
構想主義なんかは、観念(主観)とモノ(客体)との二項対立図式を廃するという考え方だよね。
まあ、物体だって、その構造からみれば関係的な産物だけどね。
> それからあの、イデオロギーーって、要するに「考え方」とか、単純にそういうことですよ。
そうですよ。そういう意味でも言っているわけですよ。あなたのいう合理化とか効率化
とか、そういうことだって考え方に基づくものだからね。
>>339 > そもそもは生産の合理化、効率化による生存の安定化、危険の回避等のためでしょうに。
そういうのも効率主義イデオロギーや合理主義イデオロギーによる解釈だしね。
>>375 ヒキコモリの定義にしたってそうですし、脱ヒキ観にしたって
当然、個人個人で意味する事柄は違うと思います。
社会という意味の境界劃定をめぐる価値観の話とかが出たんだけど、
そういう意味では特定の画一化された社会化のイデオロギーにこだわらず
に考えられていくべきものじゃないかと思いますね。
これだけ時間をかけてスレを消費してきたのだから
普通はまとめサイトくらい作ってループを避けるとかするのに
そういうことは全くやらないのがヒキコモリ板。ループループ、ループの嵐
まとめサイト作るほどの結論も何も無いw
400げと
>>375 >ひきこもり当事者で、本当に「脱ヒキ」したい人って
>そんなに多数派でもないんじゃないかと思うんだけど。
これは重要だよね。おそらく当事者の中でも、意見が分かれると思う。
脱ヒキしたいけどできない、なら自分は怠けじゃない と自分に対しても言えるし。
働かないという選択の、倫理的な罪悪感はものすごいものがあるはずなので。
病気のような「ひきこもり」状態だから仕方が無いと、自分でも納得できてしまう面がある。
だから、引き出し屋(という人がいたとして)の行為の根拠の一つが、
本人はひきこもり状態で苦しんでいるので、ヒキを脱すれば、脱ヒキして
良かったと思うはず。というのがあると思うんだけど、
こういう解釈と、当事者の解釈の「利害」が一致する。
共に、「ひきこもり」という状態の広さを意識的無意識的に利用して、
辛さを訴える時には「重い」状態の例を出し、ポジティブさを訴える時には
「軽い」状態の例をあげる。斎藤も悪意が無い部分でもこういうことを結果的にやってますね。
てかみんなこれは、やってますね。自分も含めて。
しかし、ひきこもり=怠け 説は困る。これは当事者を非常に傷つけるだけだし、
ひきこもりのリアルを何にも分かっていないし、当事者に何の利益ももたらさないような解釈だと思う。
実際には、金銭的経済的問題も、本人の内面的苦痛も、周りとの関係性も
色々な問題があるわけだけど、仮に金銭的経済的問題を置くとしても、
また倫理的問題(労働の義務など)を置くとしても、
では一生、他人と交わらないで家の中で過ごしていればそれでいいのか?と
外部からも本人の内面からも、疑問が出てくるだろう。
外部からのそういう見方はおせっかいだとしても。
また、どうせひきこもっていては様々な要因で心的に苦しむ、
という見方もありますね。これも結果的にはヒキ否定、脱ヒキ肯定の
根拠にされますね。はたして脱ヒキした後の方が、心的に楽なのかどうかは
人によるのかもしれませんが。
もしひきこもり状態の方が楽なのならば、ただ逃げているだけ、
甘えてるだけ、ということになってしまう。
のでそういう点でも、ヒキ状態はより苦痛だ、ということで同じように当事者と
そういう見解の「利害」が一致する。
ひきこもりは甘え、怠けだとするような世間の見方に対しても。
そうなると、社会に対してはヒキ擁護的な発信をし、(怠けではない等)
ヒキ当事者サイドに対しては、「治療」の道を提示するという斎藤の(自称)スタンスが
結構イイ線なんじゃないの? ということになる。
ひきこもりにもいろいろな状態があって「軽い」のも「重い」人もいる。
そういうのを自分の都合の良いように例としてつかっているだけだね。
そして混乱してくると自分でも「ひきこもりというのがみえにくくなる」とか
言ってごまかしている。
>>401 > 辛さを訴える時には「重い」状態の例を出し、ポジティブさを訴える時には
> 「軽い」状態の例をあげる。斎藤も悪意が無い部分でもこういうことを結果的にやってますね。
> てかみんなこれは、やってますね。自分も含めて。
斎藤氏らはますます「重い」状態にしようとして煽っている面がある。
おそらく、彼は臨床医としてそうした心理をちゃんと分かっていながら
やっているんではないかと思うね。
そうすることによって引きだし介入行為を合理化できるからね。
>>402 その点は、不登校でも(同性愛でも)同様の構図があった。
不登校という状態それ自体を病気(治療対象)にしたがった人たちは、
不登校それ自体が本人の苦痛、病的な状態を生み出していると
主張した。だから不登校はそれ自体が治療されるべき状態なんだと。
本当は、不登校の子を精神的に追い詰めている関係の構造が、
本人の苦痛や病的反応を引き起こしているのに、そこを根本的に問わずして
不登校という状態それ自体を病因であるかのような詐術的言説を展開した。
>>402 だから、斎藤にとっては、一方で引きバッシングをそれとなく肯定しておく必要がある。
治療を拒む当事者は引き叩きをされても当然だという意味の脅し文句をほのめかす。
で、治療を望む当事者だけを肯定しますよというふうに、結局、当事者を一定の
方向(精神科に受診させる方向)に精神的に追い詰めていくことができるわけです。
当事者が望んでいるコミュニケーションというのは、高岡医師も言っているように、
引き出し屋的な介入とは別個のコミュニケーションだと思う。
当事者はコミュニケーション一般を拒否しているというよりは、引き出し屋的な
コミュニケーションを拒否している場合が案外多いんだよね。
「居場所」が一定の意味をもったのは、そこに当事者同士の横の関係が形成され
るからで、教育者と生徒、治療者と患者という関係にはないものがあったからでは
ないかと実感する。
>>407 精神医療として提供される、デイケアとかの「居場所」が持つ限界っていうのは
治療関係からの逸脱が許されない、という点だよね。
薬物療法と同時でなければ「居場所」参加が認められない、とか
スタッフとプライベートな交流は一切できない、とか。
それを彼らは、デイケアは関係性を作る訓練の場であって、本当の関係は
外の社会で作っていけばいいんだというけど、今ひとつ腑に落ちないものがある。
単に機会を逃しているだけなのに。
その点、提供者とユーザとの垣根が比較的低い、治療関係というものはない
サービスの方が、人間関係を豊かに築きやすい面も出てくるんではないか。
>>408 > その点、提供者とユーザとの垣根が比較的低い、治療関係というものはない
> サービスの方が、人間関係を豊かに築きやすい面も出てくるんではないか。
そうでしょうね。そういう意味でのコミュニケーションづくりの機会とか居場所づくりの
機会とかが当事者間に提供されるようなサービスがもっと必要になってくると思いますね。
治療の場としての管理されたデイケアは、ある意味安全であるとも言えるんじゃないか。
専門家に管理されていない自助グループなどは、参加者の自己責任、自己管理、
自助努力などが、馴染んで実を得るには求められると思うし。
感覚としては、専門家によって管理されてるデイケアなどは、まるで動物園でサル山に
放されてるところを、管理人に観察されているような
そんな気持ちの悪さがありそうですね。
完全に「患者」として、他人との交流の訓練が必要と診断されて出ているのだから。
斎藤の著書では、ヒキ患者にデイケアの様子を見せて勧めると、
俺はあんな奴らとは違うと言ったりすると書いてありましたね。
本当はデイケアでの訓練を必要としているのに、
デイケアに出ている人たちとこの人は、特に違うわけでもないのに、
あの人たちと自分は違う、から出たくない、などと言うのは
プライドの高さだ、ということでしょうかね。
万能感、等身大の自己イメージを持てない、去勢されていない
などと解釈するのでしょうか。
しかし、健全なプラスの自己イメージを保っていられていると
プラスの評価をすることもできると思うんですよね。
こういう面って、勘違いであっても健康な精神生活には悪くない
とも思うんですけどね。
何しろ、親も患者(当事者)も、治療者の方針に協力しなさい
ということなんでしょうね。
>>411 > 斎藤の著書では、ヒキ患者にデイケアの様子を見せて勧めると、
> 俺はあんな奴らとは違うと言ったりすると書いてありましたね。
不登校児らを入れる情緒障害児のための宿泊施設に入ったことがありますけど、
ああゆうところの雰囲気には独特な暗さがありますね。
みんな物言わぬ仔羊のように日課をこなして、本当に精神的に「去勢」されている
という感じなんですよね。自分もああいうふうにさせられるのかと思うと、自分は違う、
ああなりたくはない、という拒絶感を持つではないかと思います。
413 :
(-_-)さん:04/07/20 00:19 ID:HWxH/KD5
ああいうところは、人を従順な家畜にするからね。そうしないと外に出れないことを
知ったうえに、絶望でおとなしくなり、理不尽な欲求にも文句を言わず、人権も人格も
なくしてガマンを重ねなきゃならない。すべてが医者の胸先三寸の世界。
必要以上に管理主義的で人を幼児扱いする。
まだましな「やさしい」ところであっても、家畜よりもペット扱いされるかどうか、
といったくらいで、屈辱的でショッキングな経験・見聞であることに変わりはない。
自分の生命そのものをまるごと否定・歪曲・侮辱する去勢施設に対して、拒絶反応を
示して当たり前だよ。それを病状のように強調・宣伝しまくりの稲村や斉藤こそ、
罪深いね。
>>402 >そうなると、社会に対してはヒキ擁護的な発信をし、(怠けではない等)
>ヒキ当事者サイドに対しては、「治療」の道を提示するという斎藤の(自称)スタンスが
>結構イイ線なんじゃないの? ということになる。
最初から一貫してそういう立場だったら
多少は信用できると思う
でも、このスレで指摘されてるように
矛盾、無節操、無責任と見られても仕方がない事が
少なくないからなぁ・・・そういう態度見せられてると
ひきこもり擁護=自己保身の為
ひきこもり治療=調査、研究の為
こんな風に思えてくるんだよね・・・
これも、ひきこもりに伴う二次症状の一つ
被害妄想ですかね・・・(w
>>402 > そうなると、社会に対してはヒキ擁護的な発信をし、(怠けではない等)
> ヒキ当事者サイドに対しては、「治療」の道を提示するという斎藤の(自称)スタンスが
> 結構イイ線なんじゃないの? ということになる。
どんなソフトな言い回しをしたにしても
結局は当事者に大人しく治療を受けろって言っているだけのことでしょ。
>>411 >デイケアに出ている人たちとこの人は、特に違うわけでもないのに、
>あの人たちと自分は違う、から出たくない、などと言うのは
>プライドの高さだ、ということでしょうかね。
>万能感、等身大の自己イメージを持てない、去勢されていない
>などと解釈するのでしょうか。
>しかし、健全なプラスの自己イメージを保っていられていると
>プラスの評価をすることもできると思うんですよね。
>こういう面って、勘違いであっても健康な精神生活には悪くない
>とも思うんですけどね。
普通に考えたらそうなんだよね、実際。みんな自分に現実よりもやや肯定的なイメージ
もってたりするのは、普通といえば普通のこと。斎藤氏だってプンプン臭うし。
要するに単純に、
>親も患者(当事者)も、治療者の方針に協力しなさい
ということなんでしょうね。
>>413 >自分の生命そのものをまるごと否定・歪曲・侮辱する去勢施設に対して、拒絶反応を
>示して当たり前だよ。それを病状のように強調・宣伝しまくりの稲村や斉藤こそ、
>罪深いね。
そういう拒絶の意志表示すら、「攻撃性が過多である」みたいな病状にしてしまうね。
一度、医師に親が洗脳されて、がっちりスクラム組んでしまったら、
医者に都合の悪いことは全て病状にされる徹底した人格否定の悲惨なアリ地獄。
で、「何人かには死なれてます、今にして思うとそういう患者は攻撃性が強かった様に思います」(斎藤コメント)
(ケロっ)
デイケアについて。
(1)
斎藤氏も関わっているデイケア(佐々木や茗荷谷)は、
表面上はあまり暗さは感じられない。むしろ家族的な温かみといった
印象を受ける。
見学に行く親子の多くが、いわゆる民間のフリースクールと
そう変わらないような印象を抱くことだろう。
ただ、中に長い期間いると、だんだんわかってくる事がある。
ひとつは、自分がデイケア内でとる言動の、人間関係などを含めた
かなりの部分が、主治医に筒抜けになっているということ。
精神医療の一環として提供しているのだから、治療効果確認のためとして
スタッフに報告させるようにしているのは、当たり前といえば
当たり前なのだが、表面的な印象が温和なものであるだけに、
最初はその筒抜けぶりに意外さを覚えた。
(2)
また「スタッフの自覚」という言葉があった。
デイケアには、臨床心理士を志望するような学生がボランティアとして
研修に来ることがあるのだが、日の浅いボランティアは
患者に対して、治療関係から若干はみ出るような形で接しようとする
ことがある。
たとえば「帰りに一緒に居酒屋行きましょうよ」と患者から誘われて
「よし、そうしようか」みたいな。
そうした状況を、患者の側が
「あの新人の人、まだスタッフの自覚がないみたいだね」
なんてヒソヒソ話をすることがあった。
利用者にとっては、むしろそうした柔軟さは嬉しいことなのだが、
やがてそうした新人スタッフも、治療者として取るべき態度を教え込まれ
「正しい治療者」として矯正されていくことは目に見えている。
そうした事態を残念がって、我々は
「あの人、まだスタッフの自覚がないね」
と話し合っていたのかも知れない。
あと何週間くらい、あのままでいてくれるだろうか、と。
(3)
先にも書いたように、表面上は利用者の間に極端な暗さは感じられない。
むしろ過剰なくらい仲良くして、終電間際まで飲食店でダベったりを
繰り返している人もいるほどだ。
ただ、それでもやはり、普通の学生などと決定的に違うのは、
親や治療者に対して、ものすごく従順な人が多いということだ。
学校などでは、教師に対して悪態をつくことは別に珍しくもない光景だ。
しかし彼らは、治療者に対する反抗というものは、まず行わない。
特に主治医に対する不満や批判は、とても言い出しづらい空気があり、
治療者が一切いない場においても、そんな話は誰も口にしない。
患者仲間が自殺したとかいう話も、時折あるが
(面識がある人に死なれると、やはり結構こたえる)
それもやはり過度の追求はタブーとされている感がある。
それらは、明確に禁止されているわけではなく、自主的・暗黙的に
そうなっている。
なぜああ従順なのかは判らない。うまく説明しづらいものがある。
学校と違い、不満がある人は簡単にその場を去るからだ、と言えば
それまでなのだが。
門限に極めて口うるさいような、箱入り娘にしてしまうような、
かなり保守的かつ管理主義的な親御さんの子供が多く受診している
からのようにも思えたが、私も全員の親に会ったわけではないから、
よくわからない。
(4)
そのような"鳥篭"の中で、どんどん加齢していくことに
危機感を覚えた人のうち、行動力の残っている人は、自分から
比較的早い時期に去っていく。
でも、後戻りができないほど加齢し、主治医に頼り続けるしか
なくなってしまった人は、おとなしくそこに居残り続け、さらにもっと
重い精神障害者向けの、別の治療施設へ移籍されていっていたようだ。
年金支給を狙うなどといっても、その代償は取り返しがつかないほど
大きいもののように思えた。
「ひきこもり」で受診したはずが、いつのまにか統合失調症扱いに
なっていたりするという、そうした対応は、全国のごく一般的な
精神科では、あまり有り得ない対応なのではないかと思う。
あるいは、稲村博がいうように、はじめから「ひきこもり」のような状態は
統合失調症の予兆であるという扱いなのかも知れない。
どのみち、最終的にはそのような処遇が待っている、ということだ。
(5)
そのような「行くところまで行ってしまった」人が、自力で社会復帰
したという噂は、仲間内では聞いたことがなかった。
「あの人、その後どうしただろうね」と、音信普通になってしまった
ことを心配するような声は聞かれたが。
そういう人と連絡が取れたとしても、大抵は以前よりは精神状態が
悪化した状態になってしまっていた。あからさまに誇大妄想的なことを
口走ってしまっているとか。
それ以外の人は、適当に飲食店ハシゴとかの人付き合いを続けた後、
ディープな状況に陥る前に、あまり深く関わらずに辞めていっていた
ように思う。
そういう人が、アルバイトとして再び働き始めることができた、
とかいう例なら、いくつかあった。
でもそういう人たちって、学生サークルか何かの延長線上で
デイケアに来てるだけで、もともと全然深刻でないように見える
人たちだったけどね。
長くなってすまんね。じゃ、そういうことで。
(((;゚Д゚))))
>>421 >そういう人と連絡が取れたとしても、大抵は以前よりは精神状態が
>悪化した状態になってしまっていた。
これって「治療」のせいなのかね? それとも、やはり統失だったんでしょうか?
実際、各地の関係機関や団体・スペースには、統失やうつ病も紛れ込んでてワケわからんよ。
非斎藤系の医者に言わせても、普通に社会に出ていった人ほど、治療やデイケア、
居場所を顧みないので、再調査不能で予後がよくわからんらしい。
やはり逆説的だが、「何もせん方がいい」という結論になってしまうのか? 精神病圏に
入った人には、そういう治療を受けてもらう(その中で問題があれば、精神科の治療論・
人権論として扱う)
病圏に無い人は自分の勝手。自然に通常ルートに帰る人もいるだろうし、フリーターやニート
になるなり、ヒキり続けるなり、勝手にやってね、ということか?
不登校児童を宿泊させて学校復帰させる引き出し屋的試みは80年代から
行政がすでに行なっていたことなんだな。にもかかわらず・・・
425 :
412:04/07/20 10:12 ID:???
>>417 > 斎藤氏も関わっているデイケア(佐々木や茗荷谷)は、
> 表面上はあまり暗さは感じられない。むしろ家族的な温かみといった
> 印象を受ける。
独特の暗い雰囲気を感じたというのは、そういう意味ではないです。
みんなでレクリエーションをしたりして、やっていることは特別なことじゃないんですね。
でも、なんと言ったらいいんでしょう? 治療の檻に入れられているという感じの独特
の陰鬱さがそういうところにはありますよ。そういう場では、自分のなかのモヤモヤ
したわだかまりのようなものは、どうしても解消されずに残りつづけますね。
>>421 >長くなってすまんね。じゃ、そういうことで。
別に自分が言わなくても分かると思うけど、そういう実際に体験した人の
書き込みは貴重だと思いますよ。
その内容の真否や解釈については、読む人が自由にすればいいことですし。
>>418 スタッフが、「ひきこもり患者」とその場以外(契約以外)での
関係を持つとかはむしろ、好ましくないことなんじゃないですかね。
そういう部分は、厳格すぎるぐらいで良いような…。
別の思想、方針の援助もありえると思いますが。
>>419 斎藤は、親密な友人関係ができると、ひきこもりは自然に
労働したくなると、TV等でもハッキリと明言してきてますよね。
そういうことを我々は経験的に知ってるからこそ、友達作りを
「ひきこもり治療」のゴールにしてきていると。
そんなに仲良く、デイケアの外でまで親密に付き合ったのなら、
斎藤の世間への「断言」からすれば、確実にみなさん、
労働などを始めなければおかしいはずですが。
>>420-421のような実態があるとするならば、
そもそも斎藤らの治療方針からして、どこか限界があるようにも思えるんだけど。
その頭のおかしくなっていったように見える人たちも、全然違う援助方針の
所に通っていたとしたら、そのような人生になっていったのかどうか。
それとも、どこに通っていたとしても、どこにも行っていなかったとしても、
どの道おかしくなっていったのだろうか。
「放置」ではおかしくなるから精神科行きなさいと言ってきているが。
まあ斎藤氏も、自分がベターだと思う方針でやってきているんだろうから
周りが何か言うことじゃないとも思いますが。にしても結構、
自信満々のようにも見えますね。ヒキ理解、対応法、治療マニュアル等について。
428 :
(-_-)さん:04/07/20 15:08 ID:/7yy+K2/
斎藤環さんが本に寄稿しています。
出版・・・至文堂
現代のエスプリ 2004年8月号(445号)訪問カウンセリング
斎藤環 ひきこも現象と他者性の介在
429 :
(-_-)さん:04/07/20 15:18 ID:irXObrQ4
友達って大切だと思うけどな
430 :
(-_-)さん:04/07/20 16:06 ID:HWxH/KD5
たまにはいっしょにお茶したり、飲み会やったり、カラオケに出かけたり……。
そういうことって大事だと思う。おおかたのフリースペースが力を入れているのは
そういうところ。個人と個人としてスタッフと子どもが向き合い、つきあうこと。
スタッフとしても、毎日なら依存で苦痛だろうが、1,2ヶ月にいっぺんくらいなら
カラオケとかやってもいいんじゃあないの? 場所がうつると、診療室とは別の顔が
見えたりするし。いろいろと分かることも多くなって、いいんじゃあないの?
診療室の時間・場所以外ではいっさいつきあわないなんて、なんだか、病人に対して「医療職は身分が
高いんだから」ってすました顔で排除しているような冷たさ・心の狭さを感じるね。
>>417-421 乙!
このスレの上の方でも出てるけど
重症例と軽症例をうまく使い分けてる感じがする
ひきこもり治療の必要性を訴える時には重症例を
逆に治療の成果をアピールする時には
元々軽症だった人がバイトを始めた事などを紹介したり
金を払って参加するデイケアと
金を稼ぎにいく実社会とは相当なギャップがあると思うんだよな・・
斎藤氏は病院を巣立っていった人のその後は知らないとも
言っていたはずだし・・・
いくら立派なマニュアルでも成果が不透明じゃなぁ
ひきこもり治療と称してるのは、斎藤氏がひきこもり専門家として
君臨し続けるための研究なんではないかと小一時間(ry
以上、被害妄想ですた(・∀・)
432 :
(-_-)さん:04/07/20 23:27 ID:QU0EIHxu
「心理学化する社会」で小沢牧子や社会臨床学会を陰謀論者みたいに言ってたけど。
433 :
(-_-)さん:04/07/20 23:30 ID:WO+ff/CR
>>430 公平に付き合うのは無理だからじゃないかな?
特に医療機関なわけだし。
>>434 そこに医療機関としての限界があるということだろうな
当事者だって公平に扱って欲しいと思うもんだろ。
>>417-421 詳しい体験カキコありがとう。以前にも時々書いてくれた人ですか?
長くても連続投稿でも全く問題ないでしょう。これからも期待します。
>>430 医療としてのデイケアなどでは、「患者」「被援助者」と
「先生」「専門家」の立場の区別がはっきりしているんだろうね。
そんで、少しでも甘い顔して隙を見せれば、こいつら「患者」は
すぐに転移感情を持ったりして、状況が混乱するに違いないとか
警戒してるっぽい。
援助を受ける側でも、どうせお金を払うのなら、「専門職」の先生方に
お預けした方が安心だし、霊験あらたかではないか、というような
「専門家」信仰もあるだろうね。
439 :
(-_-)さん:04/07/21 22:44 ID:wAB/GNuX
精神科医と保健所の保健婦と同時にカウンセリング受けてた時期あって、その時あることないこと
ボロクソに勝手に決め付けれて説教された。おかげで前より少し悪くなったみたいだ。
精神科医も保健婦もカウンセラーとしては素人だよね
441 :
(-_-)さん:04/07/22 21:56 ID:7E56Wu3q
たしかに医者やカウンセラーは、専門家のムラ共同体のなかでだけ通用する奇妙なマニュアルがあって。
それに沿って偏見や決めつけでものを言うことがあるね。
人を勝手に特定の症状像にあてはめるわけ。
患者も疲れていたり、その先生が威圧的な態度が強いと流されて、それにあわせて
診療室での自分を演じることもあるよね。
カウンセラーなんていらないんじゃない? へんに専門性の高いカウンセラーに
見てもらうと大変だよ。ずっと上に出てたような河合のような例もあるしね。
河合も傍流というか異端だよ。
信奉者が権力の仲にいるというだけでね。
だから、甥が勘違いしちゃうんだよね。
443 :
(-_-)さん:04/07/22 22:54 ID:UVgrQ49i
普通のカウンセリングなんかでも、本気になって医者に反論したらスゲエ傷つけられた。
素人だからとか、人生経験ないから医者の言うこと勝てないと自分で思い込んでしまう。
医者でもカウセラーでも、ひきこもりに対しては怠け者だから説教しようって
言うのが多いよね。
>>445 変だな。突然落ちた。
いろんな意味でやばい書込みがあったからか?
447 :
(-_-)さん:04/07/23 12:58 ID:KXmCU1xt
>>444 それって日本の医者やカウンセラー特有の傾向なんだろうか(根性論)、海外の医者はどうなんだろうね。
448 :
(-_-)さん:04/07/23 13:04 ID:EZoinz+l
病院の待合室で、何週間か前の週刊文春を読んだのですが、斎藤環さんが雅子さまを批評していました。
皇室という環境に反応して現在の状況になったのだから、薬物療法は無効。
環境因子である皇室を改革しないといけないと語っていました。
斎藤の考えでは、ひきこもりは他者との付き合いが欠如しているので
万能感が削られずに残っていて、そういう高いプライドと、低い自信の
ギャップが大きくて、人と付き合えないと考えているのだろうか。
だから、人との付き合いを通じて、自分の限界を感じて万能感を削り、
自信も取り戻していく、そういうギャップを小さくしていく、という方針なのか。
だからデイケアが有効と。しかし、そんなにうまくいくんだろうか。
プライドや自己イメージなどが、本当にその時の等身大の自分の状態に
合うものになれば、それは、非常に低いものになる。
ひきこもっていて何もできない幼児状態なのだから。
それを直視して受け入れてしまえば、自己イメージも低いものになり、
斎藤が人間に必要とする「自己愛」も低くなるだろう。
そして、「諦めた」ような状態になり、欲望も無くなってこないか。
斎藤は、ひきこもりに欲望を持てと言い、欲望が無くなったような状態を
否定的に見ているが。また一方で、万能感も良くないとする。
>人間は自分が万能ではないことを知ることによって、はじめて他人と関わる必要が生まれてきます。
人と付き合ったりして自分の限界を知り、幼児的万能感も削り取られたりすれば、
他人ともっとうまく関われるようになるし、欲望も出てくるだろう、ということか。
そして社会にも出られるようになるだろうと。
ひきこもったままでは、万能感を保ったままだし、プライドと自信のギャップも
大きいままで、社会に出るのも困難だろうということか。
>>450 斎藤のいう事は矛盾してるから、真面目に解読しようとすると、
結局、何が言いたいのか訳がわからなくなるね。
その時々の感情的方向性にまかせて言いたいことを言いたいように言う、
という点で一貫しているから、内容が矛盾するのかもしれん。
>>448 皇族には「甘え」原因論はタブーなのかな?
ひきこもりの万能感って、そんなに無邪気で無知ゆえの「万能感」なのかな?
斎藤環ほども多くの「当事者」を見てないから、わからんが。
むしろ、絶望感からくる、いわば「脳内モルヒネ」的な万能感な場合はないのか?と。
極限状態において心地よい幻覚を見るのに近い、一種の自己防衛的な場合はないのか。
その辺、斎藤は深く観察せずに、接した際の感情的不快感から
単なる万能感として、即座に否定的に位置付けしすぎてる可能性はないのかな。
>斎藤環ほども多くの「当事者」を見てないから
これは、斎藤環にとっての水戸黄門の印籠ですね。これが目に入らぬか!
>>454 水戸黄門も、結局皆、最後に印籠(肩書き権威)にひれ伏すだけだもんな。
毎回、身分詐称してあれやこれやしているうちは事はこじれるばかりで。
ご隠居のすることなすことに本当に「力」があれば、
それだけでも事は多少は良い方へ向くだろうに、全くダメで、単に「印籠」。
まあ、水戸黄門のほうは、所詮、元々お約束どおりが
期待されてるパターンのドラマだからなんだが、それと現実のたまきん構図が
にてちゃあ、ちと頂けないね。
>>453 医者が患者をコントロールできない苛立ちを患者の側の万能感のせいに
している面も多々あるんではないかと思うが。
同じ患者を診て、たとえば高岡とかが同じように人格判断するかどうかだな。
>>452 結婚して
自分のキャリアが生かせなかったから・・・
海外に行けなかったから・・・
なんて理由。
一般人だったら「甘えている」と見なされるかもな。
>>457 診断等における、その辺の、普遍性や客観性のなさが、精神科医療なんだと言うことを
精神科医自身こそが、周知を徹底させるべきなんだよな。本当は。
それなのに、斎藤環はもとより、多くの医者が精神科医療をあたかも他の医療分野にもまけない
科学的、医学的信憑性があるかのごとく誤認の浸透に尽力している様に思える。
まるで
「自分たちは医学界の落ちこぼれじゃありません!外科とも肩を並べるほどしっかりしていて立派です!」
と下らん「高位」獲得に精を出しているかのよう。
なんてったって、いまだに、対象者、医師の感情や価値観・人格によってすら、
診断も治療も変わってくる病気なんて精神科以外には有り得ないから。
>>459 だから、感情的に気が向いたときはそんなことも言いつつ、
別の場面ではそれとは矛盾する、精神科の信憑性を禿しく訴えてるのが斎藤環でしょ?
って話は直近でも既出だが。
461 :
(-_-)さん:04/07/23 19:09 ID:oP/FExyW
日本の精神医療の質ってどのぐらいあるんだろう。
先進国中最低でしょう
463 :
(-_-)さん:04/07/23 19:27 ID:oP/FExyW
日本人得意の事実と実情を混同させた説教カウンセリングで、ただでさえ無力なクライアントに
全責任がのしかかってきます
自分の本の中では受容とか良いながら
実際は説教しかしない
465 :
(-_-)さん:04/07/23 19:40 ID:0xMDZpVo
アメリカのカンセリングは同じ悩みを抱えたものがお互いに話し合う
方に力を挙げているが、日本は1対1がほとんど。
やっぱりお医者様という概念が強い所以だな。
466 :
(-_-)さん:04/07/23 19:44 ID:0xMDZpVo
アメリカのカンセリングは同じ悩みを抱えたものがお互いに話し合う
方に力を挙げているが、日本は1対1がほとんど。
やっぱりお医者様という概念が強い所以だな。
467 :
(-_-)さん:04/07/23 20:56 ID:+ZiUzwYh
日本の場合は「以心伝心」という伝統がわざわいして、話をきかないうちに
医者が「あなたは○○の問題をかかえているんですね」と決め付ける傾向が強い。
明確な言葉によるコミュニケーションがない分、事実誤認や中傷も多くなる。
たまたま医者のカンまたはマニュアルが当たった場合はいいが、外れると悲惨。
当たった場合は相性がいい、外れれば相性がよくないとされるが、根本的な解決策は
打たれないまま。
あと、あまりに医者個人の好み・考え・実存に左右される。客観性が小さく、
主観性が大きい。まったく何のイデオロギーからも派閥抗争からも自由な医療など
ないとみなして間違いない。ただ、自分にとってあまり害のないところを探すことが
できればラッキーだ。
患者の方もテレビに良く出る医者や有名なカウンセラーというだけで
妄信する。どっちもどっちだろう。
医者も患者もバカ
医者のバカしか見えない奴もバカ
>>468 WWWの普及で、情報の入手性は、昔よりはマシになってきているかもな。
タレント精神科医の実態も、だんだん口コミ的に伝え聞かれるようになってきている。
472 :
(-_-)さん:04/07/23 23:06 ID:Ejc1Lujg
>>467 自分に合った良い医者を見つけ出すには、やはりドクターショッピング(長くなりそうだ)しか
無いんですかね。
>>448 雅子さまの症状は二次的なもので
その原因になっている皇室の環境を問題視してるんですね
これは、ひきこもり状態と二次症状の関係云々と同じだね
だけど学校や会社の環境にストレスを感じて
それこそ二次的に、心身の不調を訴えたり
それで、ひきこもりになったりしてる人に関しては
万能感とか、去勢云々、つまり個人病理として解釈してるのかな・・・
そういう環境に適応してる人の方が圧倒的多数だから
当然といえば当然なんだけどね・・・
>>468-470 医者も患者もどっちもどっちだとしても、
医者のバカと患者のバカ、どっちのバカが、問題の比重としてより重いんだろうか。
乱暴に言っちゃえば、患者がバカなのはまあ、ある程度、仕方ないとも言える。
「お医者様」が下らん馬鹿者であることは、許されるべきじゃない。
騙す(盗む)方が悪いのか、騙される(盗まれる)方が悪いのか、という話とも通じるし
それだけじゃなく、強者と弱者、施す側と施される側、の関係性からみても。
>>473 >雅子さまの症状は二次的なもので
>その原因になっている皇室の環境を問題視してるんですね
>これは、ひきこもり状態と二次症状の関係云々と同じだね
雅子さんなら、二次的症状より環境重視、ひきこもりなどなら二次的症状重視なだけだよ。
ひきこもりや不登校、その他の精神疾患でも、雅子さんに対するのと同じ様に
問題が生じた原因たる環境を重視すべきケースは多くある。
でもそうは見ないで、本人の内面だけの問題にする。
結局、斎藤環の中で、一般の下らん患者と雅子さまは別扱い、という気持ちがあって
診立ても違ってくるだけかもね。
他の病気なら誰がなっても、癌は癌、糖尿病は糖尿病なんだけど。
医者にとっても所詮病気は他人事なんですよ。
斉藤環にとってもひきこもりはもう終わったことじゃ何じゃないですか。
十分に自分の売名には役に立ったし。
佐々木でも北の丸でももうひきこもりの新患は取ってないよね。
>>476 そうなの?じゃあ、もう、「社会的ひきこもり=医療の治療対象です」
という売名ネタにして撒き散らした事実自体が、実質的に事実無根になっちゃってるの?
斎藤環の根城がそんなんじゃ、実質的な病気化敗北宣言に等しくないか?
結婚生活での精神的ストレス(育児、嫁姑関係など)からノイローゼになって
引きこもる主婦とかって、雅子さまに限らず、世間にも案外多いんでない?
>>476 それは、もうすこし厳密に言うと
佐々木……斎藤は原則的に新患の予約を取らなくなった。
北の丸……斎藤の外来自体が数年前からなくなった。
但し、青少年健康センターに所属はし続けている
ということかな。
結局、斉藤はひきこもりの臨床は最近流行って無いと言うことだね?
>>477 著作活動自体もひきこもりの治療はもう新刊無いでしょ?
最近は社会批評みたいな奴か何かが多い。
でも、売れるから安直な対談みたいなのでひきこもり本は
出しているよね。
482 :
(-_-)さん:04/07/24 08:39 ID:nKKBz7Xz
斎藤環さんは、原則毎月第3日曜日に社団法人青少年健康センターにて、実践的ひきこもり対策講座を主宰しています。
午前2時間が理論編(または家族会)、午後2時間が家族会。この家族会はほとんど斎藤環さんへの質疑応答です。
そのあと、〜24、25〜29、30〜の当事者を持つ年齢別家族会が適宜おこなわれています。このときは斎藤環さんはいません。
「社会的ひきこもり」も、「ひきこもり救出マニュアル」も、ほとんどがこの講座でおこなわれたものをベースにしています。
3月と7月には1泊2日で30人くらい限定の親むけ宿泊講座もおこなっています。
SWクラブという通信会員も全国各地多数います。
新患を他の医者に全て回している、ということかと思われ。
そうでないと、彼らにしてみれば、今までマスコミぐるみで
喧伝をしてきた意味がなくなる。
484 :
(-_-)さん:04/07/24 09:47 ID:jADIoGj9
結局、そのときそのときの視聴率や部数のために、いかにも受けそうなことだけを
しゃべる。
たった数週間前の発言も別人のもののようになる。解離(笑)。
だから最終的にはつじつまがあわなくなる。
本当にTV向きの人ですね。
ファースト・フードならぬファースト・シンキング(ブルデュー)
ジャンク・フードに対するジャンク・シンキング
ゆっくり丁寧に落ち着いてものを考え発言するゆとりなど、ない。
こりゃ、体に悪そうですね〜(^-^;)
>>482-483 その斎藤環への質疑応答の時間に、ここでの話題などに関連する質問って出ないのかな?
環を信仰し、救済を求めて集まっている親御さんたちによる質疑だから、出ないか。
結局、斎藤環自身はひきこもりの新患を取らなくても、
環プロデュース組織下の他の医者などが診ているのか。
>>484 ファストフードもジャンクフードも体に影響するのは、
提供者側でなく消費者側だからなあ。
ファストシンキングもジャンクシンクも、
発信者側は目先の欲望実現として、結構面白いのでしょう。
486 :
(-_-)さん:04/07/24 11:48 ID:jADIoGj9
>>自分の生命そのものをまるごと否定・歪曲・侮辱する去勢施設に対して、拒絶反応を
>>示して当たり前だよ。それを病状のように強調・宣伝しまくりの稲村や斉藤こそ、
>>罪深いね。
>
>そういう拒絶の意志表示すら、「攻撃性が過多である」みたいな病状にしてしまうね。
>一度、医師に親が洗脳されて、がっちりスクラム組んでしまったら、
>医者に都合の悪いことは全て病状にされる徹底した人格否定の悲惨なアリ地獄。
>で、「何人かには死なれてます、今にして思うとそういう患者は攻撃性が強かった様に思います」(斎藤コメント)
>(ケロっ)
さすがは筑波学派。愛知あたりの管理教育にも通じる加害者側の被害者意識の強さだね。
ひょっとして、不登校を「大学解体」を叫ぶ学生運動活動家と間違えて過剰反応している
みたい。
このエピソードから、批判されることに極端に弱い医者らのひ弱な自意識も明るみに出ている。
それよりも、大学紛争なんて、大学に入ってももはやエリートでも準エリートでもなかった
人たちが、ヤケになったりヒステリーをおこしたりしていただけ。特定の世代・時代に限定の
混乱だった。なのに次の世代の登校拒否の子を、学生運動の過激派セクト活動家扱いするなんて、
勘違いもいいところ。これももはや10年ほどまえの出来事になり世代交代も世相の変化も
起こっていることに気づかずに、「二度と学生運動をするような人をつくらないために」戦時中みたいな軍隊的支配をひいた
管理教育とソックリだね。
>>482 治療活動じゃなくて講演活動なんですね(w
じゃ、北の○クリニックの医者がひきこもりということで治療をするかというというと
そういうわけでもないんだよね。具体的に摂食障害でも欝でも不眠でも何でも症状
が無いと治療できないというスタンスは他の精神科と同じなんだよね。ひきこもりっ
て言う概念に対して懐疑的なというか批判的な医者も多いしね。ひきこもりなんて
結局斉藤環のマッチポンプなんじゃないの、っていうことだよね。
>>482 > 斎藤環さんは、原則毎月第3日曜日に社団法人青少年健康センターにて、実践的ひきこもり対策講座を主宰しています。
> 午前2時間が理論編(または家族会)、午後2時間が家族会。この家族会はほとんど斎藤環さんへの質疑応答です。
それって要するに講演会でしょ?
>>485 主に、中〜長期的に受診している患者の親が行くイベント(?)だから
それほどきわどい質問するような香具師は、そもそも来ないだろうと。
うちの親、以前行ったが
(その時はたしか斎藤の担当ではなかったと聞いたが、誰でも内容は大差ないと思われ)
要するに「治療を受け続けてください」的な内容のものだったと聞いた。
あとは彼らが出してる本に書いてあるような内容。
>>489 親向けの講演会・もうすこし言うと、営業宣伝活動だね。
これは個人的印象だが、実際にお金を払い、場合によっては患者の扱いを
左右する立場にあるからか、親の方をかなり意識している節はあると思う。
かつては稲村たちが担当し、その後は倉本や斎藤その他が、同じようなことをやっている。
その時のやりとりを元にした、という触れ込みで書籍化するというのも、かなり前から
やっていたかと。
>>490 >主に、中〜長期的に受診している患者の親が行くイベント(?)だから
>それほどきわどい質問するような香具師は、そもそも来ないだろうと。
「香具師」か・・w。子供の方は2ちゃんやってて、色々情報持っていても、
親子のコニュニケーションがないから、子供の話を基に親がきわどい質問をぶつける、
みたいな、臨場感溢れるカコイイ面白い場面は有り得ないのかな・・。残念。
>これは個人的印象だが、実際にお金を払い、場合によっては患者の扱いを
>左右する立場にあるからか、親の方をかなり意識している節はあると思う。
これはあると思う。今まで知った情報だけでも、そういう節は突出して確かにある。
ほぼ無条件の先入観として、親に同調・同情的だから、親側の問題に
気付き難かったり、隠蔽すらしてしまう。
その上、親のハートはがっちり掴んでしまうので、問題本質を大きく見誤った「治療」が行われて、
事をこじらせる場合も少なくない。
特に親が「一生懸命頑張って生きてます」的な人だったり、社会的にそこそこの位置だったり、
接した際に、自分たちに対して不快な人でない、など、
割とそういうアバウトな「印象」だけで、「親は悪くない、親御さんが可愛そうに」という
同調的立場を固くして、その後も断固崩さない事が多い。
なんとも、「科学的」「医学的」じゃない・・・。
492 :
(-_-)さん:04/07/25 11:50 ID:lQqyAmwd
またその手の親はいいかにも優等生というか。外面は異様にイイ! 、しゃれた服を着て、
キレイにお化粧して、医者との会話でもさりげに教養を滲み出させる。
医者も中産階級の上のほうにいるため、世代的なものも含めて近親感が出る。
そうすると、お金もからんでどうしても親びいきをしてしまう。医者本人も自覚のないうちに。
お互いに意見しあうことのないプライドたかい閉鎖的な業界だから、相互チェックも
入らない。もし内部告発があるとすれば、かなり医師に都合のいい歪曲を加えて、
20年後くらいにやっと情報公開。
なおその手の親は、家では子にキツくあたる。外とは別人格。それに、地位の低いものへの
蔑視がすさまじく、強者のくせに弱者意識が、加害者のくせに被害者意識が旺盛だったりする。
そのへんをリアルに要領よく語られれば本気にする医師もいるだろう。また、身近な
自分を差別し苦しめる親という看守のような上の世代相手に子どもが信頼して情報を話すわけがない。
もし話しても、親は相手にしない。あるいはバカにしたり侮辱するネタに使うだけ。
それでは子のほうは、話さなきゃならないことも話せない。
これは親のほうが悪いと思うよ。明らかに子どもをいじめて喜んでいるフシもあるんだし、
家の中では権力者なのに、ずっと被害者ぶって子を攻撃またはネグレクトにも似た無関心
でいるんだから。
>>492 そこまで極端な表裏二面な親の例も、まあ、あるかもしれないが・・
そこまでネグレクトとかでなくても、親が良かれと思ってしてきたこと、
あるいは親個人の価値観にある問題として、親にも原因となる要素がある場合は確かに多くある。
それは本来なら親の問題として指摘され、改善など善処されるべきである。
しかし、医師のアバウトで感情的な親御さんへの同調的な先入観でもって
親の問題が隠蔽されて、問題の本質を見誤ったまま、医師と親の強固な心情的スクラム形成下で
見当違い、かつ徹底した「治療」と称する本人だけの人格改造が行われたりする。
冷静に考えると実にアホらしい限りなのだが、医師のもつ「印籠」のもと、
こんな現象が「医療・科学」として公然まかり通っている。
494 :
(-_-)さん:04/07/25 13:48 ID:lQqyAmwd
ただ、日本人の場合は優等生であっても、いや優等生だからこそ、
自然な日本人らしさの発露として、幼児的で言葉による会話ができない。
ただ感情的に情緒的に主観的なこと、自分にとって甘いことばかりを語る。
たとえつらくても自分を相対化・客観化することから逃げてばかりいる。
医者の側もその雰囲気、ノリ、涙等にホロリときて、親には甘く、子には地獄を
見せることになる。
>>494 つかまあ、そういう要素も含むだろうが、それだけが問題構造の要因じゃない。
もっとシンプルに、思いこみや先入観や感情を基にして
「科学・医療」「治療」と称する見当違いなものが存在する、と。
これだけはとりあえず、おさえておいて・・、
あとは個人個人のおうちの事情で色々だろうから、
あんたの言うような風情のお家もあるでしょうけど。
母子関係(対関係)のなかに、すでに第三者的権力が象徴的な意味で
すでに介入している構造があるのにね。
精神分析の文脈でいえば母親の欲望対象がすでに学校化されている。
そのとき、斎藤氏は、他者の介在を強調するんだけど、その他者は学校化の代行者としての
母性を媒体にする父性ではなく、対幻想を擬装したそのエディプス三角関係をむしろ超えた
第四者的存在であったほうがいいのではないかと思う。
第四者とは学校化社会の異端者的な他者であって、それが本当の意味での「他者」ではないか。
たくさんの意味を短い文に凝縮しすぎたので、
言葉足らずの分かり難い表現になってしまいましたけど、
いまは時間的な余裕がないので。
>第四者とは学校化社会の異端者的な他者であって、それが本当の意味での「他者」ではないか。
またしてもこうなってくると、もう、ついていけないなあ・・・。
だいたい、「第四者」ってなんだい?別にそれも第三者だろうにさ。
それとも、四次元の話かな。
(斎藤環周辺に特に顕著な)精神科医療の問題は、べつに四次元的解釈しなくても
もっと解りやすいはずだから、大丈夫だよ?
あんげさんは学校制度批判がお気に召さないようで。w
その点、学校化批判を排除したい斉藤氏(文科省の不登校問題に関する調査
研究協力者会議委員)のご意向と一致すると思われ。
そもそも、斉藤氏がひきこもりを社会問題化することによって第三者機関の介入
を煽ったのも(これは稲村氏にはじまる。「ひきこもり」は稲村氏の用語らしい)、
実は不登校問題に対するこうしたお役人さんの意向(情緒障害児施設への不登
校児の収容化政策)と連なっていたりする。
>>501 学校制度批判が気に入らない、と言う訳ではないけれども・・・
稲村や斎藤環たちの考え方(診断)と実践(治療)が持っている問題点が
抽象的観念論になって、かえってぼやけてしまうんだよな・・・それだと。
君が言うような「学校化」云々とか、
>>496-498みたいな話も
包括的には問題に関係あるんだろうけどもさ。
もっと単純な動機・理由で、愚かで、場合によって深刻化する本末転倒な見当違いを
「治療」と称して行ってきたわけで。何も全てが緻密な「陰謀」とかじゃなくて
単に愚かさや傲慢さ故に起きている要素だって大きい。
変に難しそうにごちゃごちゃにすることが、頭のいいことでもないような。
>>502 まあ、ここはヒッキー板なので、万人にわかりやすい語彙を選ぶほうが
人を納得させやすいだろう、とは思うけどね。
だから497は、おそらくその下で「わかりずらい表現になってしまったけど」って
断ってるやん。
実証的視点の積み重ね、構造・機能に注目する視点、
いろいろな切り口からのアプローチがあっていいと思われ。
べつに、他の切り口そのものを否定することもあるまい。
>>502 個人の人格レベルの批判だけじゃ不十分というか、似たような問題設定のうえ
に立った第三者主導の治療矯正主義という意味では五十歩百歩なわけで。
いやべつに、あんげさんの批判的なご見解に異論を差し挟んでいる
わけではないです。あんげさんも随所で鋭いご指摘をなさっていますし。
>>501 その会議の「不登校問題に関する調査研究協力者会議(第6回)」に、
奥地圭子さんも、出席されてますね。
扱いは、斎藤氏は委員として「協力者」、
奥地氏は、「ヒアリング対象者」としてですけどね。
それと、>学校化批判を排除したい斉藤氏
といってるけど、本当にそうなの?
それからそういう批判の方向性、行政=体制=悪 であり
斎藤もその一味であるみたいな批判の方向性には、
個人的には違和感を感じるんですよね。ま個人の趣味ですが。
>>507 >斎藤もその一味であるみたいな批判の方向性
そういう批判はいいんじゃないの? 現に斎藤さんは上手く立ち回ってるでしょ?
ただ、「学校化社会の異端者的な他者」とか飛躍すると、「なんやねん、それ?」という
話になる。例えば異端者って誰のこと? ホームレスのオッサンとか?
> 価値観レベルの論争では、当事者が一枚岩ということは絶対にない
>(ひょっとすると世代のわりに古い価値観の人が多いのではとさえ思う)。
> ひきこもりの一番キツイところではお互いの体験性質は似ているのかもしれないけど、
>どういう思想を持っているか、あるいはひきこもりの体験にどう付き合うか、どういう見方をするか、
>はまったく違っていて、共有できる人はごくごく一部…。
上山氏が自身のブログのコメントで↑を言っていた。
このスレも、もちろん当事者以外も書き込んでるが、
当事者の中でさえ、色んな立場、考え方、趣味があるんだろうね。
同一人物(自分も含めて)の中でさえ、時期やその話の文脈などにより
変わってくることがあるとも思うし。
ひょっとして斎藤氏も、そういう面があるのかも知れないな。
>>507 > 扱いは、斎藤氏は委員として「協力者」、
> 奥地氏は、「ヒアリング対象者」としてですけどね。
フリースクール関係ではいちばん著名でもある東京シューレを
無視するわけにはいかないから、とりあえずゲスト出演は
させているけどね。
しかし正式な協力者会議委員は、スクールカウンセラー関係とか、
いわゆる学校再順応主義路線の引き出し屋系の論客ばかり集めている。
> それと、>学校化批判を排除したい斉藤氏
> といってるけど、本当にそうなの?
不登校問題に対する学校化批判からの問題提起を無視しているというか、
少なくとも、学校化の問題として不登校が精神医学上非問題化される以前の、
家族&個人の病理現象として臨床化された時代の精神医学言説(稲村言説が
その典型)をそのままほぼ踏襲している論客の一人であることはたしかだよね。
>>507 べつに行政=体制だから悪いと言っているわけじゃないよ。
そういう社会的な関連性を指摘しているだけ。
>>510 > ここを見ると、それなりに幅の広い立場の人が
> 委員として参加されているようです。
幅広い立場? そうかなあ?
かなり偏っていると思うけどなあ。
>>511 じゃあ、どういう方向性がいいのよ? いわゆる教育制度の多様化も幻想だと思うぜ?
ホームスクールの普及? 誰がその「学力」や学習達成度を評価すんの? また「ホームスクー
ルナントカ協会」とかができて、官僚や大学教授が天下りすんじゃねーの?
すでに放送大学や大学評価・学位授与機構は天下りの温床になってるぜ。オルタナティブや
生涯学習の名目が増えるほど、皮肉なことに官僚の利権も増えるのが現実。
>>509 それは自明。だから、第三者主導の介入ではなく、当事者の
意向を尊重する形での取り組みが必要になってくる。
>>514 前にもあんげ氏が同じこと書いてたなあ。過去スレ読んでね。
>>504 いや、おれだって他の切り口を否定したりしてないはずよ。
ただ、「第四者」はナシだろうと。それから
>>508じゃないけど、
「学校化社会の異端者的な他者」なる純然たる「本当の他者」って
一体、何者なのか?も解らないし。
なんか四次元的になってくると、もう、ついていけないってだけ。
>>515 >第三者主導の介入ではなく、当事者の
>意向を尊重する形での取り組みが必要になってくる。
これは世間には通りにくいだろうね。
ひきこもり以外の、どんな立場の人の主張としてもね。
でも、↓なら、話の筋は通ってくると思うけどね。
「第三者主導の介入ではなく、当事者の意向による当事者主導の取り組みが必要になってくる。」
第三者主導を拒みつつも、自らの主体性発揮はせず、
あくまで第三者由来の施しを期待し、その第三者が意向を十分尊重することだけ望むのではね。
第三者主導を拒むなら、あくまで当事者が主体として、
まずあれこれジタバタしてみるべきじゃないか。
それなら一筋とおって説得力もある。
で、とりあえず目先のジタバタとして具体的に考えられる事として、まずは
ひきこもり当事者各位が、
・自分自身のことを可能な限り、他者に向けて語る事
・尊重して欲しい「当事者の意向」の具体的な内容をアプローチする事
このへんなら現実的だと思うんだけど。
>>517 > これは世間には通りにくいだろうね。
> ひきこもり以外の、どんな立場の人の主張としてもね。
障害者が自己主張をすると途端に叩かれるってやつだね。
支援を受けている立場の香具師が自己主張なんてする資格はないって。
>>517 ふたたび当事者の主体性に行き着いたか。
>>519 そういう面でもとおりにくいだろうね。
それこそ大衆の「捻れた〜」ナントカみたいなかんじで。
でも、俺が言っているような当事者性を発揮したら、
その意味での風当たりは更に強くなるかもしれないね。
でも、当事者が自分の事を本当の意味で知って欲しい、その上で意向としての要望を持っている
ということなら、それを具体的に他者に分からせるくらいの当事者性は発揮されるべき。
>>519 またそこでも司祭・牧人的な権力関係が浮き彫りになる。
>>517 要するに、学校化社会の中に組み込まれている「第三者」ではなく、その外側に
足場を築いている者(これを仮に「第四者」と呼ぶことにする)のほうが、当事者に
利益をもたらせる可能性が高いのではないか? という意見だと思うよ。
もとの発話者の意図としては。
それはそうと、
>・自分自身のことを可能な限り、他者に向けて語る事
これは本当に、身近なところからどんどんやっていくべきだね。
>>523 >その外側に足場を築いている者(これを仮に「第四者」と呼ぶことにする)
ホームレス? ヤクザ? リストラリーマン? 専業主婦? 帰国子女?
>>514 >じゃあ、どういう方向性がいいのよ?
散々既出。過去スレ嫁。
しかし、また今回も、簡単に「現実」という言葉を使ったね。
現実って何なのか定義してみ?
>>517 >>515 >第三者主導の介入ではなく、当事者の
>意向を尊重する形での取り組みが必要になってくる。
これは自分は、第三者の主導で、薬を飲みなさいとか
デイケアに出席しなさいとか、こういうことかは始めましょうとか
そういうお仕着せっぽい方針に対しての批判だと受け取ったけど。
その意見に対して自分は、大いに賛成します。
>>524 そういう問題じゃなくて・・・・・・
誰ってことよりも、コミュニケーションの問題としてでしょう。
>>517 援助を受けるなら第三者主導で行われるのも当然だし、
それは当事者の意向を尊重しないものでも仕方が無いということか。
それなら、あんげが隠し持っているという裁判ネタはどうなるのか。
たまたまその例が、問題だったというだけか。
今どき、インフォームド・コンセントだか、セカンド・オピニオンだか知らないが、
被援助者主体で、納得しつつ進めていくもんだと思うけど。
もっともひきこもりの場合は、経済的金銭的問題の主役が親でもあり、
当事者の意向主体で進めて行ったら時間がかかりすぎるのではないか
という懸念もあるだろうし、そういう意味で、色々と問題はあるわけだが。
それでも自分は、当事者の意向を尊重してもらいたいと思ってるし。
それはケースによってはそれに限らない場合も当然あると思うけど、
ひきこもりに対しての基本方針として。
当事者の意向に沿って進めて行った結果、
問題解決が遅れてしまっても、それでも構わないというぐらいの
覚悟を、援助者に持ってもらいたいというぐらいに個人的には思ってるけど。
529 :
528:04/07/26 17:36 ID:???
もっとも援助者によって、色々な考え方があるだろうし、
援助を受ける側も、早く結果を出したいとか、色々な意向があるでしょう。
上に書いたのはあくまで理想論に過ぎないし、自分の願望を書いたものに過ぎないです。
ひきこもり問題は、まさに当事者の意向に沿いすぎて長期化、深刻化
するという考えもあるみたいですし。
>>529 それと同じ発想が強制的に押かけて施設に収容するようなことを
援助と称してやっている側にあるんでしょうな。
531 :
(-_-)さん:04/07/26 18:42 ID:WwqK7/ER
>>510 この手の委員は、一人か二人くらいはリベラルな批判派を入れて作る。
実際には多数決で当初から推進する政策を支持する意見にまとめてしまう。
そもそも国会でもないところでこういう密室政治をしてしまうところが
問題。
>>523 そうなると、発話者の言いたいことは「意味」としては分かるけど、
ただ、それって具体的に想像がつかないものを指してるように思うんだよね。
>>524じゃないけど、学校化社会(ってつまり今の社会そのものなんだろうけど)
つまり、その外側に「足場を築いている」第三者って例えば誰のことか?という。
そんな人でかつ社会的にもひきこもりを助けられるような有効な力を持つ立場の人って、
だれ(どんな立場)なのか、想像つかないよ。
否定してるんじゃなくて、そっから先に具体的に想定できる話にしたいから
聞いているだけなんだけどさ。
>>・自分自身のことを可能な限り、他者に向けて語る事
>これは本当に、身近なところからどんどんやっていくべきだね。
でしょ?ここでもどこでも、とりあえず、これがまず一番、当事者が出来る中で
有用な手法だと思う。受け手によって理解は様々だろうけど、体験談や独白の方が、
他者がそれを受けて、実際に何かが変わる可能性は、抽象論よりは、よほどあると思う。
>>526 >>528 俺の意見を読み違えてますね。
俺も、第三者主導でない当事者の意向が主体の方が良い、と思ってますよ。
ただ、それには最低限、当事者自身が他者に向かって理解を求めたり
意向・要望を具体的に提示しようとするなど、当事者自身が当事者性を発揮することに
起因しなければ難しいでしょうね、といってるだけ。
第三者の押し付けに代わるものを、当事者自身が何にも発信しなくても
第三者が当事者の意向を思い通りに手取り足取り先読みしてくれて、
用意してくれる(用意できる)わけないよ、といってるだけ。
>>533 あれ? そうだったか?
>>517を改めて読んでみたが
>あくまで第三者由来の施しを期待し、その第三者が意向を十分尊重することだけ望むのではね。
つまり、
>>519がつっこんでいるように、
支援を受ける立場にある人間は、支援者に対してそれ(当事者の意思が
十分尊重されること)を望むなと言いたいんだろ?
望むんなら第三者に支援を求めるな、と。
>>534 望むなってことじゃなくて、望むなら具体的に何を望むのか伝えろってことじゃないの?
>>535 そうだよ。そう書いてあるはずだよねえ。
537 :
(-_-)さん:04/07/27 00:24 ID:eqs2lMFe
センセイ必死だねえ(w
権力論の文脈でいうと、フーコーのあとのドゥルーズの情報ネットワーク権力論は
どうよ? 主体化に乗っかる形で、「こうするとリスクがありますよ〜」という
アナウンスが流れる。あとは自己責任でリスクをとるか否か決定してください、と。
人の尊厳を守りつつ、ゆるやかに誘導する権力。裏をかえせば、福祉切捨てだが。
今の事情で言えば、ひきこもりなどをすれば、就職はむつかしいし、長くヒキればヒキるほど
ちょっとした日常生活も困難になりますよ。それに世間の偏見や同情もキツく
なる傾向にあるよ、とあらかじめTVやネット、新聞や雑誌等で告知しておく。
そのあとどうするかは各個人または家族の責任でどうぞ、っていうの。
(ただし日本は年齢に細かくうるさくて敗者復活戦がきかないところが、フランスとは
ちがっているけれど。)
これに対して、こちらのスレで権力論やっている人たちは、どう反論するつもりなの?
あと、そもそも権力とはいいものなのかどうか? って問いにも答えて
ほしいな。
フーコーははじめ「権力はダメなものだ」、という評価だったのが、晩年には
ちょっと微妙になって「権力は人を生かす力にもなる。ならば、僕たちは権力との
つきあいを楽しめばいい」ってプラス評価に傾いているんだよね。
そのへんはどうだろう? こちらのスレの権力論者は「権力=悪」って
考えなのかな? それとも是々非々なのかな? あるいはマイナスなのか?
自分的には、権力は是々非々。
今からでも失業問題サポートキャンペーンとか、倒産問題キャンペーン
をNHKはやり直すべき。もちろん、勤勉倫理のお説教ではなく、
休む権利やフリーターの労働環境、労務管理、ワークシェアリングなども
視野に入れてやってもらいたい。
それが情報管理権力のあるべき姿。
斉藤環はTVに出ると権力と権威の乱用しかしないので、いいかげんに
メディアから引退していただく。兄弟子の小田晋センセイともども、ね。
543 :
(-_-)さん:04/07/27 13:23 ID:4kUNfNP9
きょう午後8時〜 NHK教育 福祉ネットワークに出演します。
どう防ぐ 不登校からのひきこもり
出演 斎藤環 尾木直樹(教育評論家)
>今からでも失業問題サポートキャンペーンとか、倒産問題キャンペーン
>をNHKはやり直すべき。
なんでNHKがやるべきなの?それこそ政治の仕事じゃないの。
まあ、政治はこんな状況でも何故か小泉自民党がまだまだ強いけどね。
腐ってもタイ、自分トコ会社つぶれても自民党、首括っても自民党
って感じなのかどうなのか。
>休む権利やフリーターの労働環境、労務管理、ワークシェアリングなども
>視野に入れてやってもらいたい。
ひきこもりや患者の問題と包括的にはリンクする面もあると思うが、
直接的でないね。それ=ひきこもり〜医療の問題ではない。
それはひきこもり問題の解決に、直接的には繋がらない。
斎藤環本人には、当面天井目指して自己の欲望を追ってもらっても面白いかも。
登るとこまで登ってから、外的な抗力によって沈没するかもしれない、
という楽しみが・・・なくもないから。
>それはひきこもり問題の解決に、直接的には繋がらない
レスありがとう。
自分的には、「ひきこもり問題」という問題じたいの解決を求めている。
ひきこもりをことさらに問題にして大騒ぎする必要はない、捏造された偽問題
ではないか、と疑っているんだけど、どお?
>>532 自分は497ではないので、これ以上推測で代弁しても仕方ないのだけれど、
「誰ならば援助が可能なのか」といった話ではなくて、
「どうやったら、起こっている問題の全体像を見渡すことが出来るか」
という話なんだと思うな。たぶん。
「全体像を見渡す」ためには、例えば具体的には、ここで無限ループ的に
繰り返されてきている「援助すべきか/するべきではないか」という
二項対立の問題設定自体を疑う視点を持つことじゃないかな。
ちょうど今、真上で
>>545が同じこと言ってるけど。
だって「援助すべきか/するべきではないか」とか
「治療すべきか/すまいか」っていう二択は、
ほとんど最初から答えのある誘導尋問のようなものじゃない。
あらかじめ「病んでる人」が自明のものとしてそこに居ることになってて、
それに対して「治すか治すまいか」って聞いてるわけだ。
そう聞かれたら普通、「病んでるんなら治せよ」って話になっちゃうじゃない。
(続き)
だから、そもそも「ひきこもり」というのは病んでいるという認識を
身近なところから改めさせる努力をしていくべきだろうなと。
そもそも「ひきこもり」という呼び名が存在するということ自体、
疑っていかないと。
で、その実践方法としては、また引用するけど
>・自分自身のことを可能な限り、他者に向けて語る事
これが一番大事だと思うね。やはり当事者性という意味では、それ以上に
説得力のあるものはないからね。
で、理論武装は全く要らんのかというと、
「頭ばっかりでも体ばっかりでもダメよね」 by プチダノン
じゃないかと。
両方大事だと思うですよ。
得意な人が得意な方をやって、相互補完的に進んで行ければいいんじゃないかな。
長くなったけれども、結論としては、ほとんど
>>532と意見としては変わらんかと。
−−
他にも書くべきことは山ほどあるけど、また今度じっくり時間とって書きますわ。
ではー。
>>542 >失業問題サポートキャンペーンとか、倒産問題キャンペーン
>をNHKはやり直すべき
まったくだ。プロジェクトXで、かりそめの自尊心取り戻してる場合じゃないよなあ(w
水俣病など高度成長のマイナス面に目をつむって、過去の栄光をなつかしがってもなあ(W
子どもの登校拒否や家庭内暴力も明らかに高度成長の負の部分だしね
ちょっと待った。↑ は子どもの登校拒否、ではなく登校強制の強化と登校拒否
への排除の強さ、の間違いでしょう。
スマソ、ヘンな文になった。
「子どもの登校拒否」ではなく、「登校強制の強化」または「登校拒否への
排除の強化」だろう。
>>545-547 問題設定自体や、援助・治療の是非についての問い対しての答えは
どちらの方向であっても、誰かが恣意的(誘導的)に導き出されるべきでなく、
当事者の実態に則して自然に導き出されるべきだとおれも思う。
で、
>>547にもある様に、だからこそ、
「自分自身のことを可能な限り、他者に向けて語る事」
こういった当事者性の発揮なしには、他者の恣意的な結論以外の結論は有り得ない。
これがないことには、
問題←→無問題、治療対象←→非対象、要援助←→援助不要
どちらの結論にしても、当事者不在での、他者による恣意的な結論になっちゃうからね。
どちらの方向にも、恣意的結論を促す強固な向きも存在するようだしね。
>>540 そういえば、ドゥルーズは、『家族に介入する社会』(新曜社)に「社会的な
ものの上昇」という題であとがきを書いてたな。
>>541 フーコーは権力という語をコミュニケーション戦略のレベルを語るときに用いている。
その戦略が組織化された形態が支配や統制で、人びとの生存を管理する装置を
作り上げる。
権力はある種の「善」の形を個人に押し付けてくるもので、フーコーが注目したのは
「するな!」ではなく「せよ!」というふうに働きかけてくるタイプの権力。禁止の権力
ではなく、能動的な権力だね。
この種の権力(コミュニケーションの戦略)は、パストラール権力とも呼ばれて、
個人に対する善意ある救済者として(「あなたのためだよ」というふうに)語りかけてくる。
つまりそういう言説実践を社会的に組織してくるということだね。
フーコーにとっては権力はコミュニケーションとほぼ同義にあると言って
いいんだけど、そのコミュニケーション(=権力関係)がある形式において
組織化されたものが、パストラール権力とか、さらにはそれがバイオ権力
というふうに彼がいうものになっていくわけだよね。
ひきこもりに関する問題が全く存在しない、というには疑問がある。
ポルポト的根本否定発想にもつながるような・・。
長期のひきこもり状態から脱せられず、生涯の経済的見通しもたたないケースの場合、
それ、全く無問題なんだろうか?と。
無問題だ、当事者に近いとされるサイドから、一生懸命アプローチがあれば、
「社会」の方は、実は、大変助かるだけじゃないか、と。
「だって、当事者側の支援者と称する側が、問題ないって一生懸命騒いでたんだから、ほっておいて良いのでしょ?」みたいな。
で、「支援者」の努力によって、ひきこもりを問題として扱う事自体が社会的タブーとして定着し、
上記のケースのような人は、普通に人知れずホームレスになるだけ。
ひきこもり当事者が抱えている現実の問題は存在すると思うよ。
問題は、それをどう理解して、どう対応するかの方法論の問題なんじゃないか。
そこには、いき過ぎで傲慢な治療の問題とか、その他いろいろ問題があるのは事実。
つづき。
フーコーは、『狂気の歴史』のときから一貫して、この種の、善意と合理化の名の下
に働きかける権力関係(コミュニケーション)のテクニックを論じてきたんであって、
あの有名なパノプティコン(一望監視体制)にしたって、強制収容所にしたって、それら
を編み出した著作に見られるように、そもそも個人や社会に対してポジティブな権力と
して働きかけてくるある種の言説とコミュニケーションのテクノロジーの産物なんだよね。
>>556 まさにそれが斎藤氏の論拠だよね。あんげさんの意見がややこしいのは
斎藤氏を表面的には批判しつつ、実際面では斎藤氏の主張を見事なまでに
なぞっているというところ。
>>558 そんなことはないよ。斎藤の主張なんかなぞってないでしょ。
何もかも根底から四次元的な不一致を形成してるわけじゃないだろうけど、
斎藤環たちの問題点はどこなのか、何度も明言してしてきたし。
俺の意見が一番シンプルじゃないかとさえ思うんだけどなあ。
ここでの論客が、脱学校化論とか権力論とか、
治療・援助・問題設定の是非の「二者択一」論に慣れすぎちゃっていて、
そういうフィルターとおして解釈するから、シンプルな意見がかえって複雑に見えてしまう
という四次元的現象かも?
で、
>>556で挙げたようなケースの場合、ほんとうに無問題でOKなの?という問いは、
斎藤環の方向性と違ってたって、抱く疑問だと思うんだけど。
斎藤が同じ様な事を、ひきへの治療介入についての論拠にしてたら、
もう「俺も斎藤も同じだ」となってしまうわけ?
そういうノリがなんだかポルポトっぽいんだよな・・。
>>559 > そんなことはないよ。斎藤の主張なんかなぞってないでしょ。
斎藤氏の著作を読んだ事ある? 見事なまでになぞっていると思うけどなあ。
大枠でみれば、ほぼ同種の見解をもっていると見なしてよいと思う。
せいぜい大同小異と言った程度の違いしかない感じですよ。
>>560 もちろん斎藤の著作は読んだことあるよ。斎藤環たちの問題は
もちろん著作の中にも見え隠れしている(変に事細かなマニュアル化など)が、
一見するだけでは著作からは余りよく見えない。
斎藤たちの問題は、実際の現場で多く顕れていて、その辺言ってきたつもりだし、
体験談カキコも時々でてるね。
>>561 斎藤氏のこの問題に関する見解を要約するとちょうど
>>556みたいに
なるんだよね。斎藤氏にしてみれば、あんげ氏がうまく代弁してくれている
という感じではないかと思うんだけど。
それから、斎藤環の著作を見れば分かると思うけど、
結局斎藤は、その著作においても、最終的には医療による治療を促しているわけで。
おれは、この「医療による治療」そのものも勿論、斎藤環のいう意味での
「医療」「治療」の実質にも疑問を持っているわけで。
この辺の違いは根本的だし、大きいはずですよ。
四次元的に、一から十まで、物事の意味付けなどが、全部違わなきゃ同じなんていったら
そんなのナンのための違いなのか、違うこと自体が目的の「違い」にならないの?
>>562 へえ、斎藤環が自分の医療がいき過ぎていて傲慢だ、なんて自分でいってるの?
それに、
>>556でいってるのは、単にあるケースが本当に問題ないと言えるのか?
と聞いてるだけなんだけど。それはどう思うの?
長期ひきこもりから脱する様子もなく、生涯の経済的見通しもたたない人、
これはナンの問題もない、ということでいいと思うの?
こういう無問題主張こそ、斎藤たちや権力と「違いたい」為だけの異趣であって、
治療介入と同じほどに、恣意的であって、当事者の現状を無視した当事者不在の
他者の恣意的決め付けの同類にならないの?
>>563 > それから、斎藤環の著作を見れば分かると思うけど、
> 結局斎藤は、その著作においても、最終的には医療による治療を促しているわけで。
てか、あんげさんもその辺りは肯定するわけでしょ?
要するに、彼は医療にかぎらず、第三者による介入を促進しているわけで。
> おれは、この「医療による治療」そのものも勿論、斎藤環のいう意味での
> 「医療」「治療」の実質にも疑問を持っているわけで。
どういう疑問? やっていることは他の引きだし屋と同じじゃない?
>長期ひきこもりから脱する様子もなく、生涯の経済的見通しもたたない人、
>これはナンの問題もない、ということでいいと思うの?
こういうシンプルな問いに明確に答えない抽象論なら、恣意的な企図がありそうで
やっぱり胡散くさいよ。
>>566 第三者による「介入」なんて肯定してない。
人の意見を恣意的に捏造しないで欲しい。ポルポトっぽい。
斎藤環の医療や治療に、おれがどういう疑問を持っているのか
これまで散々書いてるんだから、わからないなら全部読み返してみたらどう。
もし、それでもわからないなら、それほどの読解力の極端な無さで、
単に感情的で恣意的な論を、あなたがいってるにすぎない証明にもなる。
さらに、俺のやってる事が「引き出しや」と同じ?これは意味不明。
どうも、紋切り型なんだよね。それこそ「二者択一」思考の片翼としての、
その立場を守る為だけの反論、他者攻撃、異論排除、にすぎない。
じゃあ、ひきこもりのどんなケースでも、何の問題もない、ただの「生き方」なんだから
ほっといて良い、のですね?
もともと、金のあるやつは言論上の体裁ばかり気にして勝手に主張すれば良いけど、
金のないやつはどうすんだよ。
こんなレベルの主張じゃ、無問題じゃない人は、それこそへんちくりんな「治療」以外の選択が出来なくなる。
>>567 過去スレを読めば分かるとおり、問題がないとは誰も言っていないはずで、
相反する問題設定のあり方によって意見が分かれているはず。
そこで保守的な社会観に立って、医療その他による個人への矯正主義的介入の口実
として正当化するのが斎藤らの論法の主旨であり、あんげ氏もそれとほぼ同じ側の
立場をとるんでしょう?
馬鹿
>>569 経済的見通しのない長期的ひきこもりのケースも、
単なるその他一般の労働問題として扱うという意見だよね?
それは・・・どうなんだろうね?それで解決するなら別に良いけど。
・・・はたして。
医療化が東の横綱なら、その対極に位置する恣意的イデオロギーの西の横綱じゃなきゃ
いいんですがね。で、実際、労働問題として、どんな風に解決すべき?
ワークシェアリングとか在宅勤務とかだろうけど、抽象的にそれらの言葉だけ
飛び交うのはもう見飽きたから、ひきこもり当事者が具体的な場面で、実際にどう、
ひきこもり以外の人とも、いきなり全く同じライン上で、どう、なんのワークシェアリング、
または、どんな在宅勤務が可能か、そういう想定可能な話をしましょうよ?
>>568 > 第三者による「介入」なんて肯定してない。
斎藤も介入とは言っていないようですね。。
そうした露骨な言葉使いは微妙に避けつつ、全体のコンテクストのなかで、
介入を促進させる巧みな物言いをしていることはすでに指摘しましたね。
> 斎藤環の医療や治療に、おれがどういう疑問を持っているのか
> これまで散々書いてるんだから、わからないなら全部読み返してみたらどう。
いや、読んだ上でこちらが疑問に感じているんだよ。
これは以前から何度も投げかけていた疑問で、その度に
はっきり答えていただいていないことですね。
> さらに、俺のやってる事が「引き出しや」と同じ?これは意味不明。
斎藤や稲村が治療と称してデイケアや入院でやっていることが
引きだし屋とどこが違うのかってことですよ。
>>572 >いや、読んだ上でこちらが疑問に感じているんだよ。
>これは以前から何度も投げかけていた疑問で、その度に
>はっきり答えていただいていないことですね。
あいかわらず他者発言の引用も都合の良いところで切るね。その下2行を引用してないので
>>568自己引用で回答しますよ。
「もし、それでもわからないなら、それほどの読解力の極端な無さで、
単に感情的で恣意的な論を、あなたがいってるにすぎない証明にもなる。」
四次元ノイローゼ、一体何がしたいのですか?あなたはお金持ちのコ?
>>573 その質問で、あんげさんはいつもそういうふうに逃げて
はっきり答えられないんだよね。
せいぜい大同小異で、引きだし屋系精神科医である斎藤氏とほぼ立場を
同じくする、というこちらの理解は間違っていないと思うんだけど。
なんども書いているんですが、すぐに忘れ去られてしまうようなので。
187 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 00:06 ID:???
>「脱ヒキには第三者の関与が必要、望ましい」
東京シューレのようなところだって第三者の関与には違いない訳だから、
その点では同じでしょう。しかしその関与がどこまで・・・
第三者の介入が必要と思っている当事者は、例えば東京シューレとかの若者達や
スタッフが、「ひきこもってないでシューレに来いよ」などと言って、家まで押かけて
きてくれるようなことをシューレもやってくれるようになることを望んでいるのでしょうか?
>>574 だから、その辺の論議ってのは、まあ、理屈として、全く理がないではないけども、
いってみりゃあ、愚痴みたいなもんで、じゃあ、そこでいってる色んな問題を
実際にはどう解決するつもりなのか、まるで抽象的だから。
>>180が言うような、「無職というだけで半分犯罪者」の様にみられる偏見にたいして
ひきこもりを「労働問題」として捉える視点が果たして有効なのか?とか疑問もあるし。
よくみていくと、単なる「愚痴」の集まりで、実際に何をどうしようとか、そういう発想を
(むしろ故意に)避けている雰囲気なんだよなあ。
そういう人らって、なんだかんだいっても、結局生涯食うに困る心配がない立場なの?
そういうひとの、その場限りの感情的憂さ晴らし的な愚痴なのか、と。
> そこで保守的な社会観に立って、医療その他による個人への矯正主義的介入の口実
> として正当化するのが斎藤らの論法の主旨であり、あんげ氏もそれとほぼ同じ側の
> 立場をとるんでしょう?
この質問については否ですか?
去勢論の信憑性については斎藤氏自身が本当に信じているかどうかはあやしいけど、
第三者関与を当事者に不可避とさせるための論拠としてとりあえず用いたんでしょうね。
>>575 お金持ちのノイローゼに付き合ってられませんな。
四次元って楽しいですか?良かったですね。
>>579 だから、違うといってるだろ。
保守的とかなんとかじゃなく、長期ひきで経済的見通しもない人、
これを問題ないといっていいのか?といってるんだろ?これがなんで「保守的」なんだ?
訳分からん。自分のノイローゼ治してからいえ。
しかも、そういうケースの存在を論拠にして、斎藤は医療介入を正当化しているだけ。
おれは、そういうケースの存在はあると思うが、その医療の正当化はしてないだろ。
こんな整理読解もできないなんて、ノイローゼもいいところ。
真面目にノイローゼ治した方が良いよ。ていうか、
おそらく君に限って言えば、金持ちだからどんな状態でも無問題なんだろうね。
でも、そうじゃない人もいるんだよ。ってことで。
権力、保守が「カラスは黒い」といったら、
「いや、カラスは白い」いわなきゃならない。
ここまでバカみたい恣意的不一致にならないと、
「アイツは保守だ権力だ、なぜなら同じ様にカラスは黒いといったから」
恣意的イデオロギーの四次元ノイローゼは、やっぱり単に西の横綱だね。
>>581 > 保守的とかなんとかじゃなく、長期ひきで経済的見通しもない人、
> これを問題ないといっていいのか?といってるんだろ?これがなんで「保守的」なんだ?
だから誰が問題ないって言っているんだよ。
> しかも、そういうケースの存在を論拠にして、斎藤は医療介入を正当化しているだけ。
> おれは、そういうケースの存在はあると思うが、その医療の正当化はしてないだろ。
医療そのものが問題視されているんではないよ。医者であれ誰であれ、
関与のスタンスが問題になっているわけだろ。
> おそらく君に限って言えば、金持ちだからどんな状態でも無問題なんだろうね。
> でも、そうじゃない人もいるんだよ。ってことで。
ま、根本的には経済体制まで絡む問題なんだろうね。
>>579 >去勢論の信憑性については斎藤氏自身が本当に信じているかどうかはあやしいけど、
ほらまたこういう恣意的な・・こんな風に言ったらなんでもなんとでも変節して言い続けられる。
斎藤氏自身が本当に信じているかどうか、「あやしい」とする根拠は?
なにを根拠にいってんの?いまこの場で文脈的に組入れたかっただけの
無根拠、恣意的な観測ですね。もっと自分を鍛えてよ、言論上。
>あんげ氏
>>577についてはどうなのよ。
具体的な支援の話では結局そういうことになる。
>>593 分かってもいないくせに話と態度ばかり無根拠に大きいし。
まあ、お金があるっていいよね。親御さんに感謝しなさいね。
金さえされば無問題な、君を支える経済体制にも君はむしろ感謝しなさい。
おれは感謝しないが。
>>585 どうなのよって、それはひきこもり当事者に聞くべき質問だろ。
ちなみに、医療化として問題されているのは、医者と病院の関与だけを
指すんじゃなくて、ある状態を治すべきものとして矯正の対象にする立場
を医療化としているわけで。
稲村氏が批判されたのもそういう問題であるわけで、彼が単に医者で
あったからということではないよ。
>>588 そのリンクについての意見も既出だと思うが。
ノイローゼって都合の悪い事はスポッと抜けて、
何度も同じ事、繰返すよね。
まあ、脱学校論のレベルがノイローゼ程度なら、斎藤環たちが一蹴するに
たやすいよね。ほんと。単なるノイローゼの四次元ダダッコだもん。
上のほうで例えば571さんなどが、労働問題でいいか? って問題提起しているね。
労働もそうだが、福祉、安くて住みやすい住宅確保などの問題もからむね。
自立のイメージで言えば、たくさん稼いで使うだけではなくて、結婚でなくても友人数名を
ルームメイトにして暮らすとか、そのとき小さくとも庭付きの家に住んで家庭菜園で生活費を
安くあげるなど、ライフ・スタイルの実験も求められる。竹信三恵子の「ワークシェアリングの実像」
(岩波書店)の最期のほうにそういう話が載っている。
また、気楽に徒歩やチャリで出かけられる範囲の地域コミュニティ、具体的に言えば
地域商店街やパパ・ママ・ショップの復権なども考えられる。近所に顔を覚えてくれて、
お金がないときにはコーヒーをおごってくれたり、気になる雑誌のBGMの録音をとらせてくれたり
する喫茶店が近所にあると、外にも出やすいだろう。
ヒキっていても、近所の共働きの家の小さな子や老人介護のお手伝いとかすれば、
社交の場ができるだろう。人間がキライなら犬の散歩のボランティアなどもいいかもしれない。
20代30代のヒキが、不登校の子や親の相談相手になるというのも、世代と世代をつなぐ役目としていいかもしれない。(もちろん本人が
望めばの話だけれど。)
ひきこもりをひきこもりだけの問題として見ないほうがいいと思う。より広く
若い世代のライフスタイルの問題、都市計画や住宅の問題ともリンクしないと、
ただ人の心を責め、人格を調整するだけに終わるだろう。
>>587 当事者ではなくても、あんげさん的にはどう思っているの?
すみません。ミスです。 ↑「雑誌の」は削ってください。
>>590 脱学校とかに病気のレッテルを貼るのも
誰かさんたちに似ているね。
>>599 だから、そんな話は何度も何度も既出ですよ。
そんな事だれも誤解してないででしょうに。
俺の言ってることも、そんなないようじゃないでしょ。
ノイローゼの特徴全開ループなので、もうこれ以上きりがないので、やめますよ?
>>590 だから、斎藤にとっては去勢云々の信憑性が問題なのではないだろう。
彼の目的は単に第三者による他律的関与の不可避性を動機づけることだから。
>>592 当事者それぞれがどうして欲しいのかってはなしだから、
おれが「当事者はこうして欲しいと思ってる」と推測しても意味ないでしょ。
おれも、むしろ、当事者が第三者の関与をどうして欲しいのか、して欲しくないのか
その辺知りたいね。
どっちにしたって、それがないと、東と西の横綱どおしの自分勝手で恣意的な
イデオロギー合戦にすぎないじゃん。
きのうまでは、当事者性という線で、少し一歩進んだ話になったような気がしたが、
結局また、四次元ノイローゼループによる「あんげは斎藤派との無理矢理捏造」ループになってるし。
斎藤はきっと「四次元ノイローゼ大好き!(笑)」だよ、きっと。よかったね!
>>596 >だから、斎藤にとっては去勢云々の信憑性が問題なのではないだろう。
よく恥ず気もなく。何を根拠にそう断言するんだ。
斎藤にとって去勢云々は、ひきこもりやその他「思春期医療」の診断と治療の
方向づけの根幹をなしてると思うが?
それで、色々問題も起きていたとも言えるし。
感情的な「あんげ叩き」で稚拙に取り乱して、思考が矛盾だらけになってるの
自分でよく考えてみな?
だもんで、斎藤環は「四次元大好き!」となる。
>>597 だから、当事者としてではなく、あんげ氏的にはどうなの
って質問しているんでしょう。
なら、当事者という語を消しておくよ。
> 東京シューレのようなところだって第三者の関与には違いない訳だから、
> その点では同じでしょう。しかしその関与がどこまで・・・
>
> 例えば東京シューレとかの若者達やスタッフが、「ひきこもってないでシューレに来いよ」
> などと言って、家まで押かけてきてくれるようなことをシューレもやってくれるようになること
> を理想としているのでしょうか?
>>600 だから、あんげ氏的には、
>>597で回答したとおりですよ。
それ以外の回答は出来ないでしょ?なぜ、おれにきくの?
そんなの当事者にしか分からないことでしょ。当事者の意向なんだから。
>>601 > そんなの当事者にしか分からないことでしょ。当事者の意向なんだから。
だから、当事者にではなく、あんげ氏の見解を聞いているんだよ。
あんげ氏的はそうすべきと思うのかどうかということだよ。
文をあえて訂正した上で質問し直しているのに。
なんで話をそらすんだよ。
> >だから、斎藤にとっては去勢云々の信憑性が問題なのではないだろう。
> よく恥ず気もなく。何を根拠にそう断言するんだ。
> 斎藤にとって去勢云々は、ひきこもりやその他「思春期医療」の診断と治療の
> 方向づけの根幹をなしてると思うが?
他方で斎藤は↓のようにも(批判を予期してか)書いているわけで、とすれば
去勢否認の話は、第三者による司祭牧人的な権威関係を当事者に受け入れ
させるための単なる動機づけ物語として利用しているのだろうね。
http://www4.ocn.ne.jp/~temp/tamaki.html > それで、色々問題も起きていたとも言えるし。
> 感情的な「あんげ叩き」で稚拙に取り乱して、思考が矛盾だらけになってるの
さっきから感情的にノイローゼ、ノイローゼとわめき散らして
誹謗中傷ばかりのレスをしているのはどっちだよw
>>602 東京シューレがどうすべきなんて、おれには知った事じゃないよ。
ただ、四次元ノイローゼの養成所なのか?という疑問は芽生えたけど。
当事者がどうして欲しいのか、当事者自身の語りによる、「自分はどんな者なのか」
これを主眼に置きたいから、俺がどうすればよい思う、というのは、
それを受けて考えられる事であって、それが無いのに考えられませんよ、といってるんだが
理解できないんだな。
>>603 だからあ、そのリンク先の著述と時系列的にみても、その後も去勢云々は何度も
述べているし、実践しているのが斎藤環でしょ。
そんな見解が一度示されていても、それ以前とその後、実際にどうなのかってことなんですよ。
まあ、斎藤環は「ますます四次元ちゃん大好き!」でしょうね。
>>604 > 東京シューレがどうすべきなんて、おれには知った事じゃないよ。
は? シューレの名は単なる一つの例として挙げているだけだよ。
たとえば、シューレとかがそういう引き出し屋的活動をはじめるべきかどうか
という意味で質問しているんだよ。ちゃんと文脈を読んでよ。
> 当事者がどうして欲しいのか、当事者自身の語りによる、「自分はどんな者なのか」
> これを主眼に置きたいから、俺がどうすればよい思う、というのは、
> それを受けて考えられる事であって、それが無いのに考えられませんよ、といってるんだが
> 理解できないんだな。
そこをはっきりさせるために
>>600のような質問をしたんだけどね。
でもちょっと微妙に曖昧な言い回しですね。当事者の意思表示が尊重される見解
と受け取っていいのかな?
どういう文脈かが分かるように改めてコピペしとく。
191 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 00:25 ID:???
なんだかフリースクールって言葉だけが一人歩きしているなあ。
子どもが自由に参加したり参加しなかったり、学ぶ内容を選択する
ことができる学校がフリーなスクールなわけで、学校へ行かない子
を矯正するための収容施設ではないはず。
そういう施設がフリースクールという名前だけを借用していることが
多いので、ややこしくなってきていますが。
194 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 00:52 ID:???
シューレもテレビとかで有名になりすぎたから、それを見た親とかが本人に
向かってシューレのようなところへ行きなさいって感じでプレッシャーをかける
現象が起きるようになったんですよね。
斎藤氏と同じ発想に立てば、そういうプレッシャー(刺激)を親が本人に向かって
かけつづけるのは良い事だというふうになる。たとえ本人が拒否したとしても
その親の執拗な働きかけに本人が折れて従うまでそうすべきだという・・・
197 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 01:24 ID:???
>>182 >>187 >>191 そういうのに積極的なのがいわゆる引き出し屋系の論者なんだよなあ。
いっぽう、学校化批判をある程度踏まえた立場の支援者とかは、第三者
関与をそれなりに肯定するにしても、それが介入傾向を強めることに対
してはどちらかといえば批判的な考えをもっていることが多い。
しかし引き出し屋系の人はそうした批判的な立場に否定的だよね。
つまり確信してやっているところがある。
斎藤氏は長田氏のような強制介入的な引き出し屋のやり方には批判的だけど、
そういう斎藤氏自身も強制介入的な引き出し屋のもっている論理と五十歩百歩
の危ういところで語っているんじゃないかと思うんだけどね。
四次元、四次元って言葉にいつまでも粘着しているところを拝見すると、
>>497に書いた第三者ならぬ「第四者」が相当気に食わなかったらしい。
第四者の意味が学校化に対する「他者」とされているためだろう。
学校化と書くと必ずあんげ氏が釣れてしまうという法則があるようだw
シューレマンセー!!マンセー!!
脱学校マンセー!!無問題マンセー!!
・・・はい、これで鎮静しましたか?
暑いから、お大事に。
アンチ「不登校界隈」くんでしょ
オマエラ馬鹿か?
無職のくせに、無駄なことしてんじゃねーよカス
誰も読んでねーんだよw
職探せよ社会の最底辺どもがw
>>588 『心理学化する社会』で斎藤は精神分析的言説を半ば擁護している。
四次元のはなしは、学校化された社会で学校化されていない他者に出会うことの
不可能性(困難性)を語っただけでしょ? 学校と会社と役所しか知らない
人が、学校(化社会)の外を求める人に、何を言えるか、ってことだと思う。
今は減ったけれど、アジアにバックパッカーするとか、ストリート・ミュージシャン
との衝撃的出会いだとか、そういうところにしか異質な他者らしい他者はいない、
ということが言いたかったのだと思う。
心理学化する社会はむしろ精神分析化する社会と言い換えたほうがいいかもしれない。
心理学ブームと呼ばれて現象しているのは、精神分析的ブーム&ゲームであり、
精神分析の本来の目的がどうであれ、告白の儀礼と結びついた心の監視社会なのかもいね。
なるほど、614はいい指摘だね。ところで話は変わりますよ。
↓ こちらのBlog内「オルタナティブ大学の構想」では、去勢に反対だそうな。
http://blog.goo.ne.jp/egrettagarzetta/ 去勢を許さない
ライマーやイリイチら脱学校論者たちは、学校が人を去勢することを批判してきた。
一方、ネオコン系精神科医斉藤環らは、人はもっと去勢されねばならないと騙っている。
パレーシア大学の選択は、前者だ。
去勢は人をおとなしく従順な子羊にしてしまう。人の生気を奪い、
もとの魅力を台無しにしてしまう。時に生命すらうばってしまう。その去勢を美化することはできない。
さらに去勢とは、遺伝的選抜も意味する。
支配と被支配の構造を再生産するために、県内トップの進学高校には自由を与え極端に去勢させないが、
それ以外の学校は抑圧的にしめあげて去勢するということを学校はやってきた。あるいは旧7帝大は自由だが、
師範学校や士官学校では、不自由に縛り付けて人を去勢してきた。
パレーシア大学では、人を去勢しない。とりわけ恵まれない出自の人に対して、「どうせ自分(たち)はダメだから」
という「敗北主義(ボーヴォワール)」や、「どのみち自分にはレベルの低いコースがふさわしいのだ」と
いった「自己選抜(ブルデュー)」をすすめない。絶望・奴隷根性・コロニアル・メンタリティは、
パレーシア大学にふさわしくない。
もちろん、象徴的な意味でだが、人のペニスを切りきざみ、血まみれの子宮を取り出すのは、「普通」の大学と
ドミナントな精神医学だけで結構だ。
そのかわりに、希望・自由人の高貴な魂こそパレーシア大学にふさわしい。
>>615 このブログ、ずばり0さんの?
それからこれ、
>ちなみに、隣接領域の精神医学では、関東の稲村博とその弟子の斉藤環らが、
>不登校の子どもに強制入院・ハロペリドールという大変副作用の強い薬の過剰投与などを
>起こしており、人権問題になっています。
>これは学会の調査も入りました。
これヤヴァくない?
斎藤氏に関しても、証拠はあるの?
関係無いけど、斎藤環氏がこんなことを言っていたな。
何かの心の病(忘れた)の人と向き合うと、その異常性は感じる。
しかし、その人を写したビデオを見ても、その異常性は感じないとか。
それで、ネット上のキャラクターも似たようなもので、
ネット上の文章でマトモな印象を受けても、それを書いた人と
向き合えば、それとは違うかもしれないと。
逆に、ネット上の文章でおかしいと感じるぐらいだと…。と。いうことを思い出した。
ドゥルーズの言う情報ネットワーク権力は、人をリスクにさらすが去勢はしない。
↑のオルタナアティブ大学ってのは、いつできたのか知らないが、牧人・司祭型権力が
キライなのかな?
>>617 二枚舌・多重人格っぽい・解離? スレタイに以前「ご乱心」と書かれた
当の斉藤センセイのTVやネットでの印象はどうよ?
それから617って論理的にヘン。ヴィデオやネットで人の異常性が分からないのなら、
分からない。分かるのなら分かる。
ネットでおかしいと感じることはできないのにそう書いても非現実だよ。
逆にヴィデオやネットでおかしいと感じても、実際にはおかしくないというパタンも
ありうるよ。結局、何が言いたいの? どうもゼロへのあてこすり、皮肉のようだが。
書いた人のオツムこそ、大丈夫なんだろうか? 他人事だからどうでもいいけど。
>>613 他者というのは実体的な意味ではなく、関係的な意味ですけどね。
学校化に対する他者・異端という意味は、学校化の代行者役ではない
関わり方を当事者に対してする人という意味で、べつに誰でもいいのです。
要は関係の問題だから。
第二者である家族は、実際には第三者である学校化の代行人として本人
に関わる面が大きいので、ますます本人と家族との間の断絶を深めて、
家族内に出口のない自虐的な相互の葛藤を生じさせたりする。
家族内の関係は実際には第三者に媒体されているので、そうした家族の
関係にとって第三者なるものはもはや「他者」ではありえなくなっている。
そこに一つの出口を与えるのは第三者ではなく
むしろ第四者的関係だろうということ。
>>617 統合失調症の患者さんのことでしょう?
ネット社会はひきこもりと似ていると書いていたね。
あんげは精神医療を否定したいだけ。
当事者云々はどうでもいいんだろ。
第三者(他者?)の関与が必要なのは斎藤環先生ご自身だとおもわれ
>>615 >オルタナティブ大学の構想
面白そうですね。
学習ネットワークみたいな構想なのかな?
昨日放送した番組を見ました。「どう防ぐ不登校からのひきこもり」というやつ。
NHKのサイトに送られた相談に、斎藤氏ともう一人尾木直樹氏が答えるという番組。
両者とも、相談した家族に、すごく穏やかな対応法を指示していた。
例えば、不登校でひきこもって3ヶ月のケースの相談には、
初期の対応が非常に大事で、今はむしろ静かに見守って休ませることが
大切とか。変に関わってこじらせてはいけないとか。(斎藤氏の指示)
あと、他のケースでも、本人の気持ちを受容してあげることの必要性も
強調していましたね。
自分も一般論では、穏やかな対応法を支持しているが、
ああいう個別のケースを聞くと、ケースによっては
2人の指示している対応法はヌル過ぎるのではないか、
とかそんな気持ちすらしてしまいました。何か妙に先回りして
失敗させないように大事に扱いすぎる、みたいな…。
何か対応がマニュアル的過ぎるという感じというか…。
一度番組を見ただけなので、いずれNHKサイトに内容がアップされて
それを読めば、また印象が変わるかもしれませんが。
マニュアルと言えば、ひきこもり対応マニュアルの一つに、
その期間は、引越し等は避けるというのがあったと思うが、
個人的にはこれには疑問ですね。
自分は状態が悪かった時に引越しをして、それで劇的に
気分も状態も良くなったことがあった。
ので、引越しは悪くないように思ってるが…。
ひきこもってる子が、文章を書くのが好きという話に対しても、
それを肯定的に捉えていて、その部分を大事にしてほしい
みたいなコメントを言っていました。いずれネット上でそれを
活用できるかもしれないとか。
631 :
名無しさん:04/07/28 18:45 ID:U7a7acV2
昨日発売された週刊誌『SPA!』最新号にて、斎藤環先生が“ナベツネ”をこう精神分析していました。
“典型的な循環気質。なので躁鬱傾向が見られる”
マニュアルは所詮、学校化を根本的に問い直すコミュニケーションを経ない
表面的な対応策にすぎないから・・・
マニュアルは心がこもっていない。それに、「なぜそうするのか」という
根本的な理解がない。だから、微妙なニュアンスを誤解されるおそれがある。
そのため、部分的・表面的にはよくても、総合的・長期的な対応にはむかないと思われ。
>>620 また河合みたいな関係論が出てきたね。ところでその関係って具体的には何よ?
ちっとも説明になっていないじゃない。
関係なら何でもいいのか? 戸塚ヨットスクールにムリヤリ入れる親との関係は
尊いのか? 自分で選んだのではない関係でもOKなのか? 仲良くべたべたするばかりで
、仲良くするために神経がヘトヘトで、あとは勉強も仕事もしないとかできない状態でも
そこに関係がある以上よしとできるのか?
関係なら何でもいいわけではない。必要な関係、選べる関係、いい関係でなければ。
この手の関係論は、有害な関係さえ崇拝するような乱暴なところが怖いと思う。
でなければ、日露戦争のときに「死ぬまでラッパを放さなかった」兵隊ではないけれど、
ストレスで死ぬまで学校に行ったり会社に勤めたりすることをやめようとしない人間で
なければ、「ひきこもり」だ、病気や異常だと診断されてしまう。
そのかわり、会社の横暴を内部告発する者や、会社に未払い賃金を支払えと訴える労働者や
人権派の弁護士はみな、人間関係論者によって、「他者との関係を生きていない」ということになる。
自分的にはとても賛成できない。幅広い交友が保障される学校のスケジュールや
会社の労務管理が必要だと思う。人の一生を学校や会社にささげないと異常、
社会性ゼロという発想で、関係論者は特定の人に、ただひとつの「よき関係」を
おしつける。それは、誰を好きになるかどうかの内心の自由への侵害であり、
国家やそのエージェントとしての専門家権力が支配してはならない領域ではないだろうか?
>>632 でも個別の相談に対して、親が困っているのに
学校化社会のせいでこうなった、とか言っても始まらないんだよね…。
登校に背を向け別の道を歩ませるのか、あくまでも登校を目指して頑張るのか
とかの違いはあると思いますけどね。
そのアドバイスは、個別の相談者のニーズをよく聞きながらじゃないと乱暴になりますよね。
昨日の番組でも、親や本人のニーズをよく聞かずに、マニュアル的というか
大げさに言えば始めから、再び登校することを目指すという選択肢を
一方的に外してアドバイスしているような、そんな印象すら持ちました。
今日、本屋でひきこもりの本をパラパラと立ち読みしてたら、いつの間にか後ろに居たデブスに
( ´,_ゝ`) プッと笑われた(´;ω;`)
「援助」だとか「支援」だとか「治療」だとか、全部(゚Д゚)ハァ?って感じ。
そもそも、そんなカワイソウな人たちなわけ?
「これは病気である」という社会的コンセンサスなんて、ないじゃないか。
なんて健康な人間を援助する必要があるんだよ。
>>633 心というよりか、学校化を根本的に問い直すコミュニケーションを経たか
経なかったかという違いは相当大きいと思います。
>>634 その河合って誰のことですか?
>関係なら何でもいいわけではない。必要な関係、選べる関係、いい関係でなければ。
もちろんそうですね。ひきこもりも関係の一形態ですから。
>>640 ソースは「ご本尊」ですか(w
単に、そう思い込まされちゃってるんじゃないの。一種の宗教だよ。
「これなら救われる」みたいな。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
>>634 > また河合みたいな関係論が出てきたね。ところでその関係って具体的には何よ?
> ちっとも説明になっていないじゃない。
> 関係なら何でもいいのか? 戸塚ヨットスクールにムリヤリ入れる親との関係は
> 尊いのか? 自分で選んだのではない関係でもOKなのか? 仲良くべたべたするばかりで
> 、仲良くするために神経がヘトヘトで、あとは勉強も仕事もしないとかできない状態でも
> そこに関係がある以上よしとできるのか?
いや、ですから、どんな関係でもいいとは一言も書いていないはずでして、
そういう意味での関係の強制という話ではないですよ。
相手を無視して関係を迫るというのは第三者的な介入行為でしょう?
家族内においてさえも当事者はむしろ第三者的関係を本人の意に反して
強いられた状況にあると思いますからね。
しかしそれは関係であるのだろうか。
関係というのは相対的なものですから、本当に去勢否認をして引きこもっている
のは引きこもりを強引に引き出そうとしている人のほうとも言えます。
彼らは引きこもりという「他者」をどこかで排除しているのでしょう。
>>635 > でも個別の相談に対して、親が困っているのに
> 学校化社会のせいでこうなった、とか言っても始まらないんだよね…。
そうではないと思いますね。親は、不登校を教育の失敗=悪と捉えて
なぜこうなったかということで子どもを責めたり自分を責めたりしている
状況にあることが多いんだよね。本人も同じ。
そんな状況に対し、学校化イデオロギーを問い直す視点を提示すること
にも重要な意義があります。
> 登校に背を向け別の道を歩ませるのか、あくまでも登校を目指して頑張るのか
> とかの違いはあると思いますけどね。
一般的に言って、相談する前の段階ですでに親も本人も登校を目指して頑張
ってきていて心身両面でへとへとになっていることが圧倒的に多いですよね。
親もかなり本人に無理強いして、それでもダメで、かえって本人との関係が
悪化し、本人が部屋に引きこもってしまったような段階で、親がどうにもならず
専門家に相談しに来るというパターンですね。
> そのアドバイスは、個別の相談者のニーズをよく聞きながらじゃないと乱暴になりますよね。
そのとおりですね。親というか、最終的には本人の意思決定を支援するのが
支援者・アドバイザーの役割になるでしょう。不登校問題にかぎらずそうでしょうね。
646 :
(-_-)さん:04/07/29 02:22 ID:hJQlYlrB
>>646 >ページ全体もボランティアサイトでよく見かけるようなホームページビルダ
>ーで作ったイタイデザインでなく、flash込みのかなりきれいなサイトにデザインされて
>おり
それは言い杉。中小企業が請負会社に出したらフラッシュ使いすぎで
かえって使いにくくなっちゃいました、っていう感じ。。。
でも、比較にされているA社B社ってどこかな。そっちの方が気になる。
警備会社も最近手を出しているんだよね、引き出し業。
ひきこもり専業のカウンセリングとかって、どこも客が不足して
大変みたいだね。この会社もひきこもりに専念しているわけじゃないし。
よくできた冗談だよねぇこれ
そうであってほしい
ひきこもりライブって見たいんだけど、ただのフラッシュアニメでした。
ひきこもりライブ中継 名場面ダイジェスト2002年総編集編CD-R
がSHOPで売ってるよ
>>651 はじめまして。うーん、でも、ひきこもりの親ってこういうのをまじめに頼んじゃう人
多いみたいだよ。探偵とか警備会社に無理矢理引き出しを頼む人もいるみたいだよ。
>>654 そうなんだ、、
効果があるならそれはそれでいいのかな
常識で考えてもあるわけないけどね。。
まあ、ヒキの親には常識がないから引っかかるよ。
koyhogeによる追記:いくつかフォローがついていますが、これは畑 泰介監督の同名の映画の宣伝サイトでした。仕掛け人はここかな。いやー騙されました(笑)
>>657 あぁ、ちゃんとネタだって書いてあったね
全然読んでなかった
だってすごい本物っぽいんだもん
警備 ひきこもり でググルと、こういう会社出てくるみたいだよ。
ひきこもりのブームが去ったのに、ひきこもりの映画ですか。。
>>646 >関係者の苦労を勝手に忍んでしまうのだが(^^;
って、そういうあんたも同業者なのか
>>629 同意。モレの知り合いでも、思い切ってリゾートバイトをした、インドに旅行
した、フリースクールの寮に入った、などによって、劇的に行動的になったヤシを
知っている。
一種の転地療法というのか、引っ越すとカネやテマヒマはかかるが、
環境が変わるのは大きい。人間的に視野が広まるし、ネットワークも広がる。
以前の近所の友達と、今の近所の友達を媒介するネットワーカーになれるのだ。
このよく使われるよい方法がダメだなんて、長々と医療に関わらせるためか?
それとも、環境の変化をいちいち考慮したくないからか? なんにせよ、間違っている。
こういう、人の常識的な試行錯誤を全部否定し、無力感をあおるマニュアルをつくるとは
何の意図があるのかな?
ヒキコモリって初期の期間なら、独りの努力でも何とかなるんじゃないの?
或いは家庭環境が良い坊っちゃんも。
普通引越しをすると、気分が一新してリセット効果がある。
自分(たち)で考え選んで行動した場合はなおさら、自信がつく。自分に
適合した環境を選べると、体調もよくなるなど、メリットも多い。
それがダメだなんてどうして?
学校の中でも、ひどいいじめの場合はクラスがえとか、学校替えをするといいって、
学校でも方向転換しつつあるのに。
一所懸命でないと、みたいな自縄自縛をあおっているのかな? ただ、学校では
途中で専攻を変える、会社でも転職・転社が当たり前のご時世にそんなことをしても、
不必要かかえって不適応を促すだけだろう。まったく、アフォなマニュアルを作らないで
もらいたいYO!
要は「対人関係」をソコソコ上手にやれるヒキには「斎藤マニュアル」が
不要で、駄目駄目ならば「斎藤マニュアル」が必要、つまり治療が必要って
ことじゃない。
斎藤は「対人関係」をベースに考えているだと思う。
世間から逃れるには引越しがそれなりに有効に働く面もある。
それまで住んでいた場所では世間の目を気にして外出でき
なかったけど、見知らぬ場所へ引っ越したら外出できるよう
になったという事例もあるにはある。
>>668 だからデイケアが必要になるわけだし、親密な友達付き合いができるようになれば
働くなどの社会復帰をするようになる、ということでないと
困るのかもしれないですね。理論上。
先日の番組(不登校ひきこもり)でも、二人のゲストとも、
コミュニケーション・スキルという言葉を結構使っていました。
スキルの問題が大きいのは間違いないが、それだけには還元できなそう。
>>668 たぶん逆だよ。斎藤が想定している「ひきこもり」は、単に外との接点を
もつきっかけが得られないだけで、その状態が持続している場合。
外との接点を持つ機会を与えてあげれば、本人は自然に社会に適応
していくという場合を想定している。
>>669 でも引越しは家族にとって経済的な負担も大きいわけだし、
成功するとはかぎらず、かえって悪い結果が招くことだって
あるから、かなりのリスクになる。
だから安易に引越しの有効性だけを唱えられない面もある。
だったらなおさら引越しはOKじゃん。
>>668 誰しもが対人関係の中で生きている以上、「自己責任」と同じく対人関係という
のもトートロジー・多重言語なのだが。
何が対人関係か、どれがよい対人関係なのかを専門家の恣意的な正当性/正統性
によって決定することが問題とオモワレ。
>>671 本人が精神的にかなり安定した状態にあることが条件で、
外への関心や外出意欲などがそれなりに芽生え始めたときに
それなりに有効性をもっている。
>>674 でも、過度の引越しOKは、過度の対人関係OKと同じ
引っ越しの回数を重ねるだけじゃ、意味なしな予感。
その環境の中で自分にも適応出来そうな場所を見つける
のが大切かと。
>>670 デイケアなんてやっていることはどうってことないよ。
自助会などの集まりと変わらない。
>>637 ふざけている。人を何だと思っているんだ? ゲーム感覚でやってんのか?
内藤朝雄はいじめ研究を通じて、万能感や破壊の気持ちよさを味わえて、しかも
お金の儲かることは流行ると言っている。具体的には魔女狩りが典型だと。
「ひきもどし」なんて、「学校復帰」と同じくオーウェルの言う二重言語だろ? 子宮に入るほうが
ひきどってんじゃないか。女・子どもの問題なんて単純だと過小評価する家父長制バカオヤジの
発想だな。
>>669 田舎は外出しずらいね。世間体を異常に気にしないと生きていけないのが田舎だから。
隣人との挨拶もないような都会?なら外出しやすいということはあるかもしれない。
あ、失礼しました。途中で送信ボタンをクリックしてしまいました。
680の上段の「典型だと。」以下
この会社も面白くて儲かるからやっているんじゃないの? 人のプリアバシーには
踏み込める、人の自由意志を破壊する気持ちよさも味わえる、個人的な幸福そうな
生活を送るヤシをリンチできる、しかも親からは感謝されて儲かる、
これはやめられないだろう。
主観的・表層意識的には善人ぶっても、実際にはそんなものじゃあないだろうか?
「ひきもどし」という名の企業は当てにならないと思う。
「個性伝々」とかホザいてる奴等は信用ならない。
まぁ良くその企業のこと知らないけどね。
ここまで来るかな?
今日見ました(w
>>687 もう一つ念の為w
僕の一番好きな映画のタイトルを伏字つきで答えよw
更にお嬢さんと最近話し合った恋愛映画のヒロインの名を答えよ(伏字でw)
なんか放置でいいそうだぞw
戻る?
ちょっと見て来ます
偉く楽観的な見方をしているような気がしますが
俺は本家にだけは迷惑をかけたくありませんね。
本家が塾の二の舞になったら不味いかと。。。。
少なくともIDがかわまでは書きこみません。
>>691 その点は同意。
俺も書き込まないつもり。
お嬢さんつれて来る?
>>685 下に「この会社はフィクションです」と書いてあるね。
これは、「ひきこもり」界隈に対する、痛烈な風刺になっているね。
「ひきこもり」に群がる連中が、偽善に満ちた目の奥に宿している暴力性・残酷性を
じつにわかりやすく表現している。
パロディかぁ
つーか、映画の宣伝だよ。。。
でも、いまどき、ひきこもりの映画なんか作って当たるんだろうか?
まあ、自主制作だからね。。商業ベースに乗らなくてもOKか。
>OK?ひきこもりOK!より p79
「さて何を言いたいかというと、僕が学生に、見聞を広めるために本を読めと言いますね。
彼が言われるままに本をしこたま読んで、周囲が舌を巻くほどの知識を得ても、周りから
尊敬されるかというと、むしろ逆に、こいつヘンだよという感じで扱われる。理由は僕から
見ても何となく分かるわけです。知識が、社会性の欠如の、みじめたらしい補償に見える
んですよ。ひきこもりがネットにアクセスして、自己像維持に都合がいい情報環境をそろえ
て、全能感を維持するという図式に近い。」<
これって、たまきんの発言?
ひきこもりは自己イメージが低い状態なんだよ。
ネットにアクセスして、自信や自尊心を取り戻すなら、それは素晴らしいことじゃないか。
あまりにもひきこもりへの共感性にかける発言だと思うし、
一般の人がこういうことを言うのならいいんだけど、タマキンが言うなら残念だね。
こういう視線で、「治療」はうまいんでしょうかね?
>>693 そういう意図ではなく、天真爛漫なお笑い系の意図じゃないかな。
サイトの作りからすると。映画の情報が無いので分かりませんけど。
>>697 アイロニーを含むパロディー化によるウケを狙っているんだろう
>>696 そう見えるのはその人にある種の差別意識があるからだろ。
社会T系被差別者層が自己主張しても同様に見なして切って捨てる
連中はいるからな。特にエリート意識の高い連中に。
>>700 ミヤディなら許せる。ひきこもり問題に関しては
部外者の軽い発言なので。
IQと同じく今度はEQ(心の偏差値)による差別意識がつくられつつあるってことだろーな
マイケル・ムーア監督の作品に注目が集まっているせいなのか、
社会風刺的なドキュメンタリー映画のちょっとしたブームが起きているのかな
ドキュメンタリー映画じゃないっつーの
>>696 まるで、知識をもって自己主張する権利など、社会から落ちこぼれた
者たちにはない、と言いたげな台詞だよな
>>706 要するに、ドキュメンタリー風映画のようにフィクション化したパロディなんだろ
ムーア作品は、フィクションとノンフィクションとの素朴なジャンル分け
に対しても挑戦している要素があるんじゃない?
ムーア作品は、フィクションとノンフィクションとの自明とされるジャンル分け
に対しても挑戦している部分があるんじゃない?
医者に自己主張したり反論したりする患者のことをプライドが高い奴らだとか
レッテルを貼って貶めるのは、逆に、特権的な地位に安住したい医者の側の
全能感のあらわれでしかなんじゃないか。
医者に向かって自己主張したり反論したりする患者のことをプライドが高い奴らだとか
レッテルを貼って貶めるのは、逆に、特権的な地位に安住したい医者の側の全能感の
あらわれでしかないんじゃないか。
>>696 その発言の前後の文脈を読まないとなんとも言えないと思うよ。
その引用箇所からだけじゃ、どういう意味を込めてそう言っているのか
読みとれないところもある。
自己言及的に言っているのかな?
それとも、社会的な下層民には下賤なプライドしか持つ権利はない、
とでも言いたかったのか。
社会的な下層民とか、意味を歪曲しすぎだろ
>>716 まあ、どう表現しようが、要はそういうことなんじゃないか?
ヒキはEQの低い社会的下層民ってことだろ。
要するに、IQとかEQとかの物差しで人間を序列化して
その序列の階層に見合ったプライドをもつべきだ、と。
EQ
720 :
(-_-)さん:04/07/30 14:32 ID:aEB1BqMp
なんだか、意図的に意味を歪曲して書いてるようで
実は自己欺瞞的に歪曲して意味を受け取っているだけのようだ
722 :
(-_-)さん:04/07/30 14:42 ID:1RYabXIa
私の主観だけど、最近の精神科医やカウンセラーってほとんど右傾が多くない?
>>715 下層民をヒキに置き換えればそのまま斎藤の言っていることだろ?
>>722 システムによる「心」の管理が社会統制や経済統制にとっての重要な課題になったからね
特に数十年前までの精神科は、政府や自治体にとって都合の悪い人間を
精神分裂病として隔離するのが最大の役割だったからね。
(こんなこと公式には絶対に認めないが、もはや知る人ぞ知る、周知の事実だ)
国内外のあらゆる情勢が覇権主義に傾くのにあわせて、精神科全体が再び
隔離至上主義的な方針に揺り戻されてきている感はある。
この間も、強制入院患者の処遇に関する新しい法案が通過したばかりだ。
その時「ひきこもり」は、統合失調症以上に都合の良い言葉として機能するね。
「ひきこもり」という言葉を用いる人間の側の都合で、ほとんど誰にだって
適用できてしまうのだから。
雇用や教育のシステムからの疎外され離脱した「心」を
どう社会的に再統制するかが現代の政治問題。
>>712 自分たち(この場合は斎藤環)のなかにある、望ましくないと考える部分を
その対象(ひきこもり)に投影することによって、そのような部分が
自分たちのなかにあることを否認しているんだね。
>>724 そこで河合隼雄と「心のノート」ですよ。
>>701-707 激しく同意。やはり斉藤も宮台も高岡も、そう考えているからこそ万能感の
話で盛りあがり、表面の対立とは裏腹に基本的には同意しているのだろう。
それが彼らの階級・階層・ジェンダー・エスニシティ的なグループの利益に
沿うリアリテイだからだ。あの人たちも商売でやっている以上「自分が売るのは
高いレベルの知識」というイメージ維持戦略のためにもそうするのだろう。
たしか、男は女性にふられる経験をしないと
大人になれないとかいう文章は、読んだことがあるような気がする。
万能感の話とは違うと思うけど。
>>727 精神分析の理論などに批判的なくせに、
斎藤攻撃などにはそれを使う。
対立といっても所詮はナアナアの言論プロレス、との見方もアリだろうね。
その社会的立場を考えれば。
ただ、どれだけそのことに自覚的で、かつ反省的であるかの違いは
人によって様々だろう。
734 :
(-_-)さん:04/07/30 18:32 ID:9ROwXmAA
EQの高い人は善良なので自分が社会的に高い階層の人間だとは思わないんでは?
>>733 実際同業者(精神科業界)から同業者への根本的な批判って
日本じゃ出にくいんじゃないかなあ。
出るとすれば別業界からだろう。
それでも広い「論壇」「文化人」業界の中からなら、
根本的な批判は出ないだろうね。
まして、斎藤環氏は表面的にはヒキの味方であるとも見られていると思うので、
斎藤環を他業界の人が攻撃することは、ひきこもり界全体や当事者サイドを
攻撃するような感じにもなってしまい、それはしにくいのではないかと思う。
>>732 >精神分析の理論などに批判的なくせに
意味不明
>>732 727じゃないけど、727のカキコは精神分析用語をつかった皮肉では?
精神分析に批判的だからこそ
精神分析用語をワザと使って精神分析家を批判しているんだろw
>>731 それは宮台さんが言っていたことではないの?
>>734 EQが何をモノサシに社会性を測っているかによるね。
アマゾンで斉藤環先生の本を検索すると21冊もあるんだね。
>>740 組織の利益だろう。
組織から外れた人間に社会性の欠如というレッテルを貼るための物差しだよ。
ドーナツ・トークの人が、ひきこもりのルサンチマンについて
批判的に書いていたよ。無断引用失礼(禁止されてるが…)。
>少し前、僕は「ひきこもり」的思考を批判し、その象徴として「ルサンチマン」
>という概念をとりあげた。これは、個人の内面において社会の
>中心的価値をひっくり返す心理的操作のことだ
>(たとえば「就職や結婚をするのが普通」という価値を内面で転覆しそれを恨む)。
>この思考は人間であれば多かれ少なかれ誰でも行なうときがあるが、
>「ひきこもり」の青年たちには顕著にみられるようだ。
>僕はこれを、人生を逆に窮屈にさせるものだとして批判する。(以下続く)
文章全体の意図にはまったく賛同しないが、
このスレ見てるとなるほどと…、そういう意見もありうるかと。
しかもその手の見解を書いてるのが、ひきこもり当事者じゃなさそうなんだが…。
744 :
(-_-)さん:04/07/30 22:50 ID:I05GuCKw
それで、君たちはどうしたいの?
>君たち
いろんな人がいるからねぇ。
どうしたいってか、ただ書きたいことを書いてるだけ。
ひきこもり論に関しては、斎藤やこのスレの非ヒキの人を
初めとして、外部の人が決めてしまうだけではなく、
当事者からも疑問や賛同があった方が良いとは思う。
去年の今頃も、ドーナツトークとやらから引用していた香具師が居たねえ。
高齢だからどうとか言ってた香具師が。
747 :
(-_-)さん:04/07/30 23:18 ID:I05GuCKw
当事者かそうじゃないかって、どうやって見分けてんの?
>>743 その人のその考え方には半分くらい賛成したい気がするんですけれども、
ただその人は、「ひきこもり」というレッテルを貼られた側の持つルサンチマンだけ
を問題にするんですが、その裏には、そのレッテルを貼ろうとする側の「ひきこもり」
に対するルサンチマンというのも働いているのではないでしょうかね?
そのあたりの共犯関係がルサンチマンの問題を出口のない複雑な構造にしている
ような気がします。相互に自己肯定ができない人間関係の証拠なのかもしれません。
ニーチェのルサンチマン論が彼自身のルサンチマンの表現であったように、
彼自身もまた自らの実存を肯定できないという問題に直面していたのでしょうか。
若いうちからいじめの対象になるようなのは
社会人になってもいいことない
人格が否定された時点で死を選ぶのは賢明
751 :
(-_-)さん:04/07/30 23:55 ID:3uqFvAm+
>>750 死なない強度を身に着けてゆくしかないんだろうね
>どちらも推計だから仕方ないかも知れないけど
>何だか辻褄が合わないな・・・
いい指摘だ。研究者は、そのつど視聴率がとれそう、または役人が喜んで予算を出しそうなことを
書いてばかりだからね。そりゃ、継続して観測すれば、最終的に辻褄があわなくなるに
きまっている。
余談だが、だからこそ特定の政治勢力と密接に癒着するのは、学問の正当性や正統性を
脅かすことになる。それで、特定の学問や業界の中長期的発展に妨げになる。
ただし、目先のポストや予算や出世や保身のために、財界や政府に媚びる
学者多し。雇用の流動化による不安定さが足元までせまっているので、
自主規制せざるをえないということもあって、むつかしい。
ちなみに高岡なんかは一番地位が安定しているので、かえって流動化に過剰な幻想を
もっているが、あと数年くらいで退職金も年金も確保の人の言うことだからね。
割りびいて聞いたほうがいい。
>>753 ツッコミ乙。
だから、中立幻想をウリにしている学者が、自分たちの生産物の交換価値を
下げている、ってこと。
内部的な視点から批判をするとなると、このへんだろう。
また、批判派も中立幻想を利用して例えば高岡センセイはかくおっしゃる、みたいに
使えるだろ? 中立幻想批判を分かったうえで「あえて」使っているの。
斉藤環本、不買運動してみな
言説も変わってくるよ
>>748 ひきこもり100万人説?それはタマキンご本尊すら否定しているよ。。
ひきこもり100万人って今でも逝っているのはKHJ親の会ぐらいのものだよ。
そりゃ無責任に「ひきこもりは100万人!」なんてホラを吹いた奴が悪い。
マスコミがその説を鵜呑みにした後→ 「じつは誇張でした」 ┐(´д`)┌
ただ、最近、ニートニート言っている人たちは、ひきこもりで一発当てた
斉藤環がうらやましいって言うのがホンネでしょ?イマイチメジャーになれない
いつまでもサブカルにいる香山リカなんかもニート本出しているしね。
>>758-759 そうなのか・・・
不登校の数とか、いくつか根拠をあげて
決して誇張ではないとか主張してた時もあったような・・・
そう言えばNHKでも、「50万〜100万人ともいわれるひきこもり」
みたいな、含みのある言い方をしてるな
ふぁあ〜あ。
>>760 ところで、世間的には、いまだ斎藤環より香山リカのほうが
名前聞いた事ある、顔みた覚えある、人は多いように思う。
斎藤環なんて、あれだけ出ていても、一般人にはそれほど認知がないよ。
不思議だね。
623 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/28 17:38 ID:???
>>608 で、あんげさんの具体案はなによ。
>>749 ニーチェのルサンチマン言論の矛盾(ダブルスタンダード?)がそこにあるよな。
近代ブルジョワ革命以降、没落したかつての特権層こそが今度はルサンチマン
の主体になり、それをニーチェの表現活動が体現するという矛盾。
そして、労働者のルサンチマンを利用したナチスが政権をとって権力の主体となり、
今度はその強者の倫理を独裁の正統化に利用できたことがその矛盾を物語っている。
この矛盾を逆手のとったのがニーチェの思想的後継者であるM・フーコーだったのだが。
>>763 おれの具体案ってさあ・・いままで数スレに及んで色々話してきたでしょ。
何度も面倒臭いこと繰返させるのも、わざと?
それから、四次元ノイローゼ含む、ここの住人の大方が、
ひきこもり当事者ないし通院等医療利用者だと思うけど、
まず、その辺はどうなの?
だったら、もちっと自分自身の事を礎にした話を語れないのかなあ。
フーコーとかニーチェその他も大変結構だけど、そうした社会学、哲学などに
偏執するのって、ある種独特の逃避傾向・形式として陥っている人は、
どーも、ここに限らず昔からいるみたいだからからなあ。
社会学・哲学逃避は、自分の問題を棚にあげられるという効能があるからね。
ひきこもりや不登校になる人(?)の性質傾向の一面を理解する端緒にはなるが。
767 :
(-_-)さん :04/07/31 13:54 ID:huLcZcgH
>>766 2ちゃんで自分自身のこと語らないと思います。
私もそうだですけど。
ひきこもりは一人でいるから、自分が現実逃避的に考えた意見を書いて
世論の意見を聞きたい訳で、それが間違っていようと、叩かれ様と
自分自身ではないから、傷つかずにすむ訳だから。
それに、顔も見えない、信頼関係もない人が何を言っても所詮はって感じだと思う。
>>766 それはいろんな表現形式があるからね。
たまたまニーチェ、フーコーなどに託して自分の問題や希望を語ったからといって、
悪いことではない。
だいいち、こんなところでプライバシー自己暴露したんじゃ、叩きにあうに
きまっている。誰も集団ストーカーに狙われたくないよね。
どんなスタイルで語ってもOKじゃない。間接的に話したからといって、
逃げているわけじゃないと思うよ。
>>766 > だったら、もちっと自分自身の事を礎にした話を語れないのかなあ。
スレをちゃんと読んでいるのか?
さんざん語ってきているはずだがね。
>>766 やっとヒキ叩きの本性をあらわしたな。>あんげくん
>>766 > どーも、ここに限らず昔からいるみたいだからからなあ。
君のいう「不登校界隈」「反管理教育界隈」のことか。
オルタナティブとか脱学校とかが大嫌いなあんげくんらしいね。
学問は万人に開かれているものだよ。
一部の支配層だけが独占していいものではない。
だが斎藤らはどうも、各所での発言を読む限り、独占したいようだね。
当事者には永遠に、後進性・不変性・女性性(および男性性の剥奪)・受動性・非論理性を
持っていてもらいたいわけだ。
そうでなければ、搾取しにくくなるからな(笑)
>>766 斎藤環の行っている当事者叩きをマネしているつもりか。
>>735 まさにそんな感じだろうね。
同業者は、冷ややかな目で見ることはあっても、よほどのことがない限り
批判しない。
で、別業界の人間は、門外漢と言われればそれまでということで、
あまり「ひきこもり」問題について真っ向から批判しにくいという……。
その徹底した縦割りの慣習は、とても困ったものだ。
外野がギャアギャアやったって、一向に構わないと思うけどね。本当は。
以前、東浩紀がけっこう突っ込んだ論戦をやりかけたことがあったけど、論点は
彼のフィールドであるアニメや漫画の領域に留めざるを得なかったみたいだし。
東が斎藤の「おたく」論を批評した時の手つきは、よく読むと「ひきこもり」に対する
根本的な問題提起も含んでいたように見えたけど、かなりボカしてたな。
>>766 ていうか、この高等教育全盛かつ高度情報化社会のご時世に
すこし思想家の名前が出たくらいで、そんなに過剰に拒絶反応を起こすのも
どんなもんかと。
調べる手段なんて、いくらでもあるでしょう。
知識なんて、しょせんただの道具ですよ。
切れるハサミは、使えばいい。
切れないハサミは、使わなければいい。
ただそれだけのこと。
なにもハサミ自体を否定することはない。
>もちっと自分自身の事を礎にした話を
トリップがない以上、メール欄あんげ氏がすべて同一人物という保障は
どこにもないのだけど、もし同一人物だと仮定して、あなた自身の体験的な
部分というのはどうなんでしょう?
確か、当事者ではないと言っていましたよね?
いまひとつ、この問題とどのように日頃関わっているかが、見えないのですが。
当事者から提訴されたという噂の訴訟の動向は、各方面が注目しているはず。
現状で可能な限りのレポを、期待しています。
>>767-768 自分が特定されない2ちゃんだからこそ、もっと自分の体験的意見を書けるんじゃないかと思うけど。
>>769 自分で数スレ読み返してみたら?よく読まないで何度も繰返しアホみたいに
尋ねられても、はっきりいって面倒臭いので。
>>770 本当にバカですね。そう言うカキコはこれまでも勿論あって、それについていってるんじゃない。
四次元ノイローゼ的自己満足の逃避思考カキコに対して言ったんですけど?
>>771 批判されれば、「ヒキ叩き」か。まあ、斎藤環あたりに親がお金かけて、「治療」でもやってたら?
あれは一応、対象を人格として向き合わないから、普通ならなにかいわれるようなことでも
金さえ払って続けていれば、君の癇に障るようなこともないでしょうしね。
それか、脱学校系ね。あそこもやみくもに「反体制」でさえあれば、
うんと・・・・・・してくれるでしょう。
>>773 学問の独占云々なんて、おれの話した事に関係ないよ。
搾取がどうのこうのなんて関係ないし、
そなアホくさい自己満足思考を展開する必要ないす。
当然、誰もが好きに学問すればよいにきまってましゅ。
ただ、社会学・哲学を装った逃避的思考の繰返しは意味がないのでは?と言ったまで。
とはいえ、それで当人が本当に自己満足してるなら、別に結構じゃないでしょうかね。
ただ、広く世間一般を説得し得るものだとは到底思えない、ってだけですから。
どうぞ、ご自由に。
>>774 はあ、そう、当事者叩き? ふーん。
あ〜、ひきこもり問題ってどうにもいかんともし難い雰囲気。
、継続的に他人が関る形としては、たまきんその他あたりの
「割りきって自分のための飯の種として利用する」あたりしか、アホくさくて
実際問題やってられないのだろうか。
不登校やひきこもりって、割と元々友達が少ない人が多いんだっけ?
少なくとも、引きこもるようになってからはほとんどいないんだよね。
付き合いたくないやつとは付き合わない、付き合いたいやつと付き合う
これが友達関係だからね。こればっかりは義務もシステムも権力論も関係ない。
ここの一部の傾向の人たちと話してて、その辺で何か見えてきた事がある気もする。
言わんとする事が伝わるかしらんが。
ひきこもりのブームも終わったわけだから、当事者(ひきこもりと、家族と援助者)
以外の人はひきこもりのことなんか忘れてしまってくれても良いんじゃないの?
>>777 >
>>769 > 自分で数スレ読み返してみたら?よく読まないで何度も繰返しアホみたいに
> 尋ねられても、はっきりいって面倒臭いので。
>>600の質問にはっきり答えたレスなんかあったか?
782 :
これ?:04/07/31 21:50 ID:???
>
>>604 名前:(-_-)さん 投稿日:04/07/28 14:22 ???
>
>>602 >東京シューレがどうすべきなんて、おれには知った事じゃないよ。
東京シューレが無理なひきだしをやらないっていうのは、一つには
無理な引き出しをしなくても十分に経営が成り立つということがあるでしょ。
向こうからどんどん生徒が来るわけだから。。
>>776前半部、
>>777の後半参照乞う。
どーも違うんですよ、いわんとすることは、プチダノン的なことじゃないんですよ。
まさに、一目瞭然「切れないはさみ」を、どういうわけか「よく切れる優れたハサミ」
と徹底して勘違いしているという、このなんとも不思議な空気について、言いたいんですけどね。
>>776の後半部
特定しないでぼかして書きますが・・・。
いまのところ、ここでは具体的に述べる事が出来なくなりました。
それは終わって、その際にそういうことになったらしい。
なんの事か、これ以上現状では書けません。
ただ、そうした経緯も含めて、これで幕引きになるわけではなく、
追って当事者が適した形式でしっかり語るそうです。
当事者は精神科医療上の体験談として、いずれ問題提起するそうです。
そのとき、思い当たる何かなら、それがきっとそうかもしれない。
>>782 だから、シューレの名は単なる例として挙げたまでだと書いてるでしょ。
「例えば」と書いてるのが読めない?
何度も書くけど、
>>600の質問をしたのは下記の文脈でだよ。
191 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 00:25 ID:???
なんだかフリースクールって言葉だけが一人歩きしているなあ。
子どもが自由に参加したり参加しなかったり、学ぶ内容を選択する
ことができる学校がフリーなスクールなわけで、学校へ行かない子
を矯正するための収容施設ではないはず。
そういう施設がフリースクールという名前だけを借用していることが
多いので、ややこしくなってきていますが。
194 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 00:52 ID:???
シューレもテレビとかで有名になりすぎたから、それを見た親とかが本人に
向かってシューレのようなところへ行きなさいって感じでプレッシャーをかける
現象が起きるようになったんですよね。
斎藤氏と同じ発想に立てば、そういうプレッシャー(刺激)を親が本人に向かって
かけつづけるのは良い事だというふうになる。たとえ本人が拒否したとしても
その親の執拗な働きかけに本人が折れて従うまでそうすべきだという・・・
197 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 01:24 ID:???
>>182 >>187 >>191 そういうのに積極的なのがいわゆる引き出し屋系の論者なんだよなあ。
いっぽう、学校化批判をある程度踏まえた立場の支援者とかは、第三者
関与をそれなりに肯定するにしても、それが介入傾向を強めることに対
してはどちらかといえば批判的な考えをもっていることが多い。
しかし引き出し屋系の人はそうした批判的な立場に否定的だよね。
つまり確信してやっているところがある。
斎藤氏は長田氏のような強制介入的な引き出し屋のやり方には批判的だけど、
そういう斎藤氏自身も強制介入的な引き出し屋のもっている論理と五十歩百歩
の危ういところで語っているんじゃないかと思うんだけどね。
>>783 だーから、そういう意味で質問しているんじゃないよ。
不登校やひきこもりへの具体的対応策としての話だよ。
187 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/07/15 00:06 ID:???
>「脱ヒキには第三者の関与が必要、望ましい」
東京シューレのようなところだって第三者の関与には違いない訳だから、
その点では同じでしょう。しかしその関与がどこまで・・・
第三者の介入が必要と思っている当事者は、例えば東京シューレとかの若者達や
スタッフが、「ひきこもってないでシューレに来いよ」などと言って、家まで押かけて
きてくれるようなことをシューレもやってくれるようになることを望んでいるのでしょうか?
>>777 ノイローゼ云々という煽り文句、今後まともに議論する気がおありでしたら
やめてくださいね。うちでは既にNGワード入りしているので、一々IEを開くのが面倒で。
なぜ周りから「当事者叩き」と呼ばれているか、まだ気がついていないようで。
それとも、わざとですか?
簡単にいえば
「当事者は馬鹿のままでいてくれ。余計なチエつけられると困る」
と。
あなたも斎藤氏たちも、こう言っているに等しいじゃありませんか。
私は、彼らが如何にそのようにして、数多くの当事者たちを有形無形に踏みにじってきたかを
知っていますよ。
とりあえず、他人の方法論を中傷している暇があったら、ご自分のハサミを磨かれたら
どうですか。
あなたにとって使えないハサミなら、使わなきゃいいだけの話。
>>783 シューレと同様の考え方でやっている他のフリースクールやフリースペースも
たくさんあるよ。シューレだけの話をしているんじゃない。
第三者による当事者へ関与のあり方についての質問をしているんだよ。
>>785 そんなにしつこく一体何を聞きたいのか、ちとアホらしいが・・繰返し回答しますよ。
要するに、その「例えば」の東京シューレ「とか」が、その点(
>>600)でどうすべきなんて
おれの知った事じゃないよ。
当事者の中に、「家に呼びにきて欲しい」という当人自身の意向があるなら、
呼びにいけヴぁ良いし、そういう意向がないなら、いかないでいれヴぁ良いんじゃないですか?
だから、アホらしいほど何度もいうけど、そんなの当事者にしかわからにーから
オリは答えられにーわけ。当初からこう「回答」してるのですが。
>>789 >「当事者は馬鹿のままでいてくれ。余計なチエつけられると困る」
「去勢」とやらが出る釘を叩く都合のよい論法になっているんだね
>>791 当事者の要望と決定次第と理解していいわけですね。
で、
>>786に書かれているような問題についてはどう思います?
>>789 >簡単にいえば
>「当事者は馬鹿のままでいてくれ。余計なチエつけられると困る」
>と。
いいえ、気持ちとしては全く逆ですよ。
どうせ「叩き」とか言われるんだろう事を承知で言いますけど、
むしろ私がいいたいのは、
「当事者はもっと知恵をつけてくれ。何故か賢いと思いこんでいる馬鹿のままでは困る」
ま、どうせ、根幹にかかるような批判的意見だから、「叩き」で一蹴ですね。
>あなたにとって使えないハサミなら、使わなきゃいいだけの話。
もちろん私は使いませんし、
「使えないよ」とここで言ったが故に「叩き」扱いにされてますし。
>>789 > 「当事者は馬鹿のままでいてくれ。余計なチエつけられると困る」
> と。
そうだろうね。つけられちゃ困る「余計な知恵」ってことだろうね。
批判的な主張をする知恵。
>>784 >>794 >まさに、一目瞭然「切れないはさみ」を、どういうわけか「よく切れる優れた
>ハサミ」と徹底して勘違いしているという、このなんとも不思議な空気について
>言いたいんですけどね。
>「当事者はもっと知恵をつけてくれ。何故か賢いと思いこんでいる馬鹿のままでは困る」
言いたいことはわかります。
要するに、「机上の空論だけで、全てをわかった気になっているのはバカらしい」
と。
確かに、そうした危険は、ものを考えるということ全般において常にありうる。
逆に言えば、何か考えていることを机上の空論に終わらせるか、それ以上の「もの」に
出来るのかどうかは、各個人にかかっているわけですよね。他人が決めることではなく。
>>789でも書いたけど、使えない道具だと思ったのなら、自分が使わなきゃいい
だけの話で、それは別の人にとっては有用なツールであるかもしれない。
最終的に各個人がどのような思考の方法をとり、それをどう人生に生かすかは、
各個人に委ねられているもののはずです。
796の続き
>いまのところ、ここでは具体的に述べる事が出来なくなりました。
>追って当事者が適した形式でしっかり語るそうです。
了解しました。事の重さから察すれば、当然のことでしょうね。
おそらくそれは「ひきこもり」問題だけに留まらない、広く社会に向けた
問題提起となるでしょうね。真面目な話、期待しています。
……ただ、それなのであれば、今あなた自身にもできない「自分語り」を
他人に望むのは勘弁してくださいな(笑)。
>>767-768のような事情は、各個人が持っているはずなので。
現状で出来る限りのことを、各自の方法論で引き続きやっていけば
いいんじゃないかと思うですよ。
では。
要するに、
学校や医療などの既存の社会システムやその権威づけを批判するような知恵を、
当事者らやその支援者らに持ってもらっちゃ困るということだろ。
>>796 机上の空論かどうかは当事者が判断することだろう。
あんげさんは自分がいちばん知っているという自負心があるんでしょう。
だから他人の知識をバカだと決め付けることができる特権が自分にあると思い込んでいる。
800げと
>>794 > 「当事者はもっと知恵をつけてくれ。何故か賢いと思いこんでいる馬鹿のままでは困る」
自分こそが他人を馬鹿だと決め付けられるだけの知恵の持ち主だと思っているのか。
自惚れるのもいい加減にしろよ。
>>799 そういうことかと。それぞれ各個人の判断でね。
>>793 そう。本人の意向と決定次第。ってか基本的にそういうスタンスなのに
何かにつけて異常なまでに疑われているわけで。
それってやや異常なカンジ(あー、また叩き?)すらしますが、
まあ色々トラウマつーか事情があるのでしょう。
>>795>>798 「余計なチエ」つーか、ほら、そこでも自分で「チエ」というでしょ?
その文脈で「チエ」と呼ばれているものが、どうしても「チエ」とは思えないのだが。
ここでされている「既存の社会システム」批判って相手にとってそんなに脅威じゃないと思う。
だから、その程度の批判をむけられた側は、そんなにその「チエ」に、困らないと思うよ。
だから、
>>798はここでいわれる「チエ」についての認識として適当な感じがしない。
>>786のような問題については、そういう問題もおきうるでしょうね、と。
ただ、親のなんらかの刺激つうのは、おれもそれだけを取っては賛成できないのは、
その刺激の方向性が間違っていたら、トンデモないことになるから、であって。
万が一、その方向性が本当の意味で本人に有益な結果をもたらすものなら
親であれ誰であれの刺激があって良かった…ってこともあるだろうな、とは思うけど。
その辺の「方向性」を普遍化できないから、あたかも普遍的であるかのように
「刺激」の是認は、避けた方が良い、と思うわけ。
>>803 ただ、斉藤やその他引き出し業界の人たちの性格や立ち居振る舞いを見るに、
妥当性はあると思いますよ。
807 :
(-_-)さん:04/07/31 23:12 ID:69TgbyzO
結局、当事者の声は重要だけど、ここでは当事者としての声を発することが出来ないんでしょ?
806のつづき。
特に稲村系の引き出し業界の人たちは、引きこもりの青年にあらぬ妄想というか、
倒錯した愛情のようなものを抱いていて。理想の青年に会おうとして引きこもり救済
に乗り出す、しかし幻想のなかのよき青年などどこにもいない。そこで自分ごのみの
理想の青年、または近代社会のなかの模範的な青年になるべく人を導こうとして、
幻想と現実のギャップや世代や時代や個人の差に衝突して幻滅する。しかし、
なんとか引きこもり本人の性格をいじめることによって、自らの心の安定と
秩序の回復を試みる。しかしムリはムリなのでやはり裏切られ、相手への指導
を強化する。みたいな悪循環をやっている。ニュースタートなんかもそう。
ただひたすら社会秩序に従順な、素直でまじめな青年を作ろうとして必死なので、
斉藤らはヒキ本人の情報にアクセスする権利を制限しようとやっきになっているんですよ。
動機は、青少年のインターネットやネットカフェやコンビニ利用を規制したがっている
保守反動勢力と同じ。
当事者の声は押しつぶされちゃうんだよね。
「去勢」された自己主張しが許されていないところがある。
810 :
809:04/07/31 23:22 ID:???
自己主張しが→自己主張しか
>>796 >逆に言えば、何か考えていることを机上の空論に終わらせるか、それ以上の「もの」に
>出来るのかどうかは、各個人にかかっているわけですよね。他人が決めることではなく。
>
>>789でも書いたけど、使えない道具だと思ったのなら、自分が使わなきゃいい
>だけの話で、それは別の人にとっては有用なツールであるかもしれない。
これは全く正論。そもそも異議ないですよ。というか、これが一番きれいな形でしょうね。
各個人が持論を、各個人にとって有効なものとして活用でき、自己実現できれば
それが一番良いにきまってるし。
で、それで解決するんだから、ひきこもり問題なんざ最初からなかったのと同じじゃないのかと。
みんな持論をもった各個人がそれを元に自己実現を進めている最中なだけなんだと。
それですべて解決ですよ。それで解決するならそれが1番良いですよ。真面目に。
斎藤環も脱学校化も引出しやもヒキ当事者による云々もなにもいらんじゃん。
だれもかれも、ひきこもりなんて事について、考えるのをやめましょう。
各個人(ヒキ当事者)が自分の生き方の中で、自分の事を考えてればよい。
>最終的に各個人がどのような思考の方法をとり、それをどう人生に生かすかは、
>各個人に委ねられているもののはずです。
そもそも全く異論はないですよ。私に対してあえて強調する必要はありませんよ。
そういう趣旨を否定した事など一度もありません。
なので、わたしがある「はさみ」を「きれないよ」と思い意見を表明しても、
何故か執拗に批判される、ということの理由すらないはずですね。
「私はそう思うよ?」ってだけなんですから。
812 :
(-_-)さん:04/07/31 23:37 ID:69TgbyzO
当事者の声が重要と言いながら、当事者として声を発さずに(当事者としての声を
発さずに済む場所で)引きこもり問題を学校化だの風向だの右だの左だのを交えながら
語ってるから宮台に
>>696みたいに言われちゃうんだよね。
>>799>>804 それなら、完全に自己完結できるようだから、それなら本当に他者の介在は必要ない。
なるほど、そういうレベルで本当に「他者を必要としない」という事なんだね。
・・・え?まてよ?「第四者」という語句が生み出されるほど、
そんじょそこらじゃ駄目なほどの「他者」や根本的で大掛かりな「システム」変革を必要とする論であるのに。
>>797 >……ただ、それなのであれば、今あなた自身にもできない「自分語り」を
>他人に望むのは勘弁してくださいな(笑)。
ていうか、その当事者の語りは、ある「縛り」があって、今すぐここでは出来ないだけで、
それがなければいいんだけど、それがない人も出来ないですか。
あと、私の自分語りったら、たとえばどんな体験を聞きたいのですか。
具体的に限定されれば、答えられることなら答えますけど、まあ、たいした話になるかどうかしらんけど。
まあ、
>>780の回答的にいえば
ここで言われている「第四者(つーか、この名称は国語のレベルとしてナシだろうとおもうが)」
みたいなのって実は俺なんじゃないか?と思うが。
ま、とにかくなんだかんだしつつ生きてる者ですよ。
>>811 だったら、
>>600への答えとされる
>>791は?
これ↓があんげ氏の考えじゃないの?
当事者の中に、「家に呼びにきて欲しい」という当人自身の意向があるなら、
呼びにいけヴぁ良いし、そういう意向がないなら、いかないでいれヴぁ良いんじゃないですか?
だから、アホらしいほど何度もいうけど、そんなの当事者にしかわからにーから
オリは答えられにーわけ。当初からこう「回答」してるのですが。
>>815 はあ?
だからそれだって、当事者の意向次第って言ってるだけじゃん。何か?
もう・・、わけわからんの。
>>814 > ここで言われている「第四者(つーか、この名称は国語のレベルとしてナシだろうとおもうが)」
> みたいなのって実は俺なんじゃないか?と思うが。
あんげは辞書的な意味での単なる第三者(当事者以外)でしょ?
>>816 その当事者の意向(意見)を、ヒキだから社会性がないから無価値だと
否定するような書き込みを散々していてそう言うのかい?
>>817 だから、前にも言ったけど、その第四者とやらも第三者なんだっての。
そういう「第四者」みたいな言葉使いが、どんなものか、
理解できないどころか、ここでは色々理由をつけて、正当化される。
これがなんとも不思議な空気であり、ここでは「チエ」と称されてたりする。
で、その「チエ」は外部にとって脅威だとさえ自認しているから、驚き。
で、こういうこというのって、斎藤も脱学校もいちいち言わんだろ。
その意味って、分かりますか?
>>818 つーか、そんなことだれもいってないのにさ。
もうキリがない。本当に子供なんだね。実年齢もかなり若いんだろうけどね。
今日のあんげ氏は、いつもとは別人が騙ってるのでは?
なんか、言ってることが激しく粘着信者臭くて、ハチャメチャだよ。
>>819 なにが言いたいのかさっぱりわからん。
>だから、前にも言ったけど、その第四者とやらも第三者なんだっての。
だから第三者という意味で
>>497は第四者という言葉を使ったわけじゃないだろ。
>>497をどう理解したんだ?
823の続き。
斎藤学やACの本は、あいにく読んだことないし、自分は特に参照しようと思わないけど
ここはちょっと聞き捨てならない。↓
「問題をすぐに知性化することで防衛してしまう」
問題をすぐに知性化することで(自らの立場を)防衛するのがお仕事の彼らが
よく言うわ!(笑)
こういうのがまさに
「当事者は馬鹿のままでいてくれ。余計なチエつけられると困る」
っていう、彼らが根強く持っている本音だよね。
別にそこに入る固有名詞は、斎藤学じゃなくても、誰の本だって良いんだ。
それこそウェーバーだろうがフーコーだろうが。
826 :
(-_-)さん:04/08/01 00:19 ID:BmbAflLD
第四者って、例えば誰なの?
828 :
(-_-)さん:04/08/01 00:25 ID:BmbAflLD
でも、専門家達は当事者が自ら語ることに脅えているぞ!脅えているぞ!と言うだけで
当事者として自ら語ろうとはしないんでしょ。
>>826 不登校児に対して学校化の代理人として権威的に関わらない人ってことだろ。
830 :
(-_-)さん:04/08/01 00:32 ID:BmbAflLD
それなら「学校化の代理人として権威的に関わらない人」と言えばいいと思う。
第四者とかの造語を使うと却ってややこしくなるよ。
>>812 >当事者としての声を発さずに済む場所で
あんただって同様の場(このスレで)で発言してんでしょ。
自分のことは棚に上げてのご発言かい。
>>830 >>496-
>>497をもう一度読んでみなよ。
学校化の代行者としての第三者的権力でない第四者的存在
という意味のことを書いてあるはず。
>>822 どう理解したんだ、も、なにもですね、
ふつーにまず、「第四者」ってなんですか?と。
定義定義とよく言葉の定義にこだわっておられるのだから、
「第四者」なる新語の指す定義を当然に示して欲しいもんです。
ワケ分からないのと、当たり前が、ここでは入れ替わっている気がする。
なんとも不思議な空間です。
>>828 ハァ? スレを全部読んでいない証拠だな。
どういう語りならば君は当事者に許すつもりなんだい?
835 :
(-_-)さん:04/08/01 00:48 ID:BmbAflLD
俺は元当事者です。書き込む前から棚の上に居ました。
ちなみに、ここでどんなことを書いても引きこもり問題には何の影響も無いと思ってる。
逆に言えば、何の影響も無いから沢山書き込みがあるんだと思う。
俺はひきこもり問題を何とかしようと思って書いてるわけでは全然ありません。
ただ、ここに書き込むことで引きこもり問題に影響を与えると思って書き込んでる(と思われる)
レスを見ると、ここで言っても仕方が無いよと思ってしまう。
だから、皆が元々書き込みをただ楽しんでるだけなら
>>812の書き込みは全くの見当違いになります。
>>822 あえて注言しますけどね。
>だから第三者という意味で
>>497は第四者という言葉を使ったわけじゃないだろ。
>
>>497をどう理解したんだ?
こういうわけのわからん文章、普通に書いてまってなんとも思わないの。
ていうか、これがここでいう「チエ」をつけた文章であり思考であるわけね。
この文章をみると、発言者が「第三者」の言葉の意味も曖昧で正しく理解してない様子
が一目瞭然に顕れているんですよ?
でも、そんな事は斎藤も脱学校もきっといちいち言わんでしょ?
その言わないことの意味ってわかりますか?(By
>>819)
第三者という意味は持たない「第四者」?
そうなると、ますますその「第四者」とやらは何者なのか、その定義を示してほしい。
当事者が自ら語ることに脅えるというのは、フレイレ風に言えば、被抑圧者の
持つ「自由への恐怖」でしょう。人はフロム風に言えば、「自由からの逃走」
をしたがるからね。そこで絶望して奴隷根性を守ろうとするか、尊厳をもって
困難を打ち破って自由になるべく奮闘するか、そこが問題。
当事者ではなく他者的には、人に同情して奴隷状態の安心を勧めるか、それとも
自由になるべく努力・試行錯誤しようと訴えるかの違いだね。
838 :
(-_-)さん:04/08/01 00:56 ID:BmbAflLD
このスレを全部読んだとして、どのレスが当事者でどのレスがそうでないかを
見分けることは出来ない。この人は恐らく当事者だろう、と推測するしかない。
そういう場所では例え当事者が実際に書き込んでいたとしても当事者の言葉とは
受け取ってもらうことは出来ないでしょう。
>>ID:BmbAflLD
近頃(本日?)に珍しくまともな感じの人。
いちおう、ここは、斎藤環が見てるという程度の影響力は持ってると思うよ。
仮に本人が見てない!つっても、まあまあ、結局はみちゃってる…って所でしょうね。
>>811 797で話をまとめたつもりだったのに、まだ続くんかい。(w
なんか、噛み付く場所間違えてますよ。無駄に敵を作っているというか。
あなたにとって、そのハサミが使い物にならないことは、よくわかりました。
それを否定する気はないです。
でも、他の人にとっても有用な道具には絶対なり得ない、と頭から決めつけて
しまうのは変だよ、やっぱり。
で、「ひきこもり」そのものが、作られた問題に過ぎないのは、もう明らかだよね。
だから
>だれもかれも、ひきこもりなんて事について、考えるのをやめましょう。
これには激しく同意。
残された問題があるとすれば「ひきこもり」という言説そのものが当事者にもたらす
不利益・あるいは利益ということだよね。
>>814 例の件については、もし本当に事を起こされているのでしたら、普通は和解なり何なり
が出るまで、弁護士から「外に情報を出すな」と言われるでしょうからね。
それはそうと、
>たとえばどんな体験を聞きたいのですか
それを訊ねたのは、他の人に「自分自身の体験的なことを語れ」と希望するのだったら
やはり同じことをご自身がやった上でないと、説得力ないだろうと思って。
具体的には、
>>776にあるように
>この問題とどのように日頃関わっているか
という事を聞きたかったです。
漏れ自身は、おそらく世間からは「ひきこもり」当事者扱いされてしまうであろう
立場の者です。
で、さらに、あえて名無しであることを選択しています。それが漏れのやり方です。
>>836 やれやれ。他人の文をまったく理解するつもりのない相手には
何を説明しても無駄という典型だなぁ。
>>836 そういうあんげが言う「チエ」とやらも意味不明で曖昧で恣意的だなぁ。
自分が気に入る「チエ」のみで当事者の発言を選別・裁断しているだけじゃないのか。
>>838-839 とするなら、この2ちゃんねるで、そもそも
>>766(あんげ)のような問い
を発する事自体無意味ってことになる罠。
自称でどうとでも書き込むことができる場所なわけだからなぁ。
845 :
(-_-)さん:04/08/01 01:15 ID:BmbAflLD
斎藤環はこのスレを見てると、俺も思う。しかし、斎藤環が見ているということで
影響力を認めるなら斎藤環自身が見ていると公言しなければ本当の意味での影響力
にはならない(このスレが社会に知られることは無い)。でも、彼は公言しないだろうから
「斎藤環はこのスレを気にしてるのに気にしてないフリをしている」と、このスレでは無い
別の場所(ここが大事、何故ならこのスレは社会に知られてないから)で発表しなければ、
このスレが引きこもり問題に対して影響力を持つ事は無いでしょう。
冗談で言えば、
あんげ=斉藤ご本人だったとしても分からないわけだしな。
>>833 >>832もフォローしてるけど
学校化社会━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ ・当事者 ・家族 ┃
┃ ・当事者に直接関係のある、周囲の人間 ┃
┃ ┃
┃ ・あらゆる立場の第三者 ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
↑
この構造を、外側から眺める視点を持て、というのが
>>497のいう「第四者的」という意味かと。
>>845 そういえば、斉藤先生は2ちゃんねる本でこのスレのことを
スルーしてたって誰かが言って種
>>845 >このスレは社会に知られてない
じゃあどうして僕や君は、ここにアクセスできているの?(w
851 :
(-_-)さん:04/08/01 01:36 ID:BmbAflLD
すみません。社会に知られていないというのは言葉が足りませんでした。
引きこもり問題に影響を与えるほどには社会に知られていないということです。
また、2CHということで、あまり社会も相手にしてくれることもないでしょう。
>>849 メンヘル板・哲学板など、他の自分のスレは全て紹介していて、
ヒッキー板のココだけは何故か触れなかったというアレだね。
あの時は、マジで笑えたw
>>851 その影響度とやらを、数量的に示す方法はあるのかい?
>>840 べつに、君がすっきり言いきったところで予定通り終わるものじゃないよ。
そんなのお互い様。
俺なんかそんなの(ワケ分からんのの継続も当たり前)いつも当たり前だし。
無駄に敵を作ってるのは誰?俺かなあ?うーん?そうか? いや、だからとて君とも断定しませんけど。
別に俺じゃないとおもうけど。
>>811は、多く含みを込めたある種、提起の意なんだが。
>でも、他の人にとっても有用な道具には絶対なり得ない、と頭から決めつけて
>しまうのは変だよ、やっぱり。
だから、いつ、どこで、そんなふうにいった?
>>811よんだんでしょ、まったく逆のこといってるとも思いますが。
>>だれもかれも、ひきこもりなんて事について、考えるのをやめましょう。
>これには激しく同意。
なるほど、じゃあ、確信を持って、
「ひきこもりは各当事者が各自のことを考えれば良いだけ。それ以外の人は全く考慮するに及ばず」
今後は事有る事にこの様に布教して歩いてよさそうですね。了解しますた。(他意なき。真面目に。)
>>841 なんか知らないどっかのあれのことだったとすれば、もう既に終わったらしい。
追記しないので
>>784何度も参照して見当検討乞う
>>この問題とどのように日頃関わっているか
>という事を聞きたかったです。
あえていえば「準当事者」といえる立場で、精神科医療に首突っ込んでいる状態ですね。
ひきこもりケースについては、実際に接した機会はあまりないです。
>>847 サンクス。
ちなみに、その第三者が学校システム、または本人に学校化を強いる
学校システムの代弁者。で、第一者が当事者、第二者がその家族。
ただしその第二者も第三者の代理人的存在と化している場合が多い。
で、その線で囲っている枠が学校化の構造。その学校化が不登校等
の二次反応としてのさまざまな問題と重なっている。
社会という言葉は単一の社会体制を想定しがちなので
社交関係と言い換えるべきかもしれません。
>>842 普通、誰が見ても、君が「やれやれ」なヤシなんだが・・・
ま、ここは全てがひっくり返ることもアリな四次元らしいですから。
>>845 斉藤さんはこのスレを読んでいると思われるような発言をしているんでは?
ま、影響が小さいからこのスレの存在が無意味ってことになるんだろうけどね。
>>845 >斎藤環が見ているということで
>影響力を認めるなら斎藤環自身が見ていると公言しなければ本当の意味での影響力
>にはならない(このスレが社会に知られることは無い)。
これは違う。公言しなくても斎藤環が密かに見ていることによって、
斎藤環に対して影響力を持っている。
それと、斎藤、ここの発言者(俺含む)その他の人がここにアクセス出きること、
これはこの板が既に広く公な存在であるからであって。
ここのスレに何が書かれるか、によっては、相応の影響力は当然もち得るよ。
>>855 なるほど、精神医療の側の当事者(関係者)ね。
精神医療関係者にしてはその方面の知識をあまりお持ち
でないような印象を受けたが・・・
>>847 あえて注言するけど。
その図式、低学力の露呈にほかなりません。
それでは斎藤環はおろか、世間一般も笑いこそすれ、まったく恐れません(あえて言います)
四角の中に「あらゆる立場の第三者」が入っちゃってるね。
「あらゆる立場の第三者」は、当事者以外の全ての存在をさしている。
「あらゆる立場の第三者」に入らない「第四者」って人間じゃない者、
もしくは自然界に存在しない者、なんだね。
へえ、そんな四次元物体に依存しないとイカンなら、全然無問題じゃないよね。
自己完結なの、未確認物体依存なの、どっちなの(あえて、大爆笑!!)
ちなみに言わんとする「意味」は、ずっと前にも書いてるけどとっくにわかってますよ。
それが「果たして何なのか???」はいまだに(いや、ますます)不明です。
で、「第四者」って言葉の定義は一体なんですか?
(てか、どうやら質問されてる意味すら理解できてなさそうだね)
要するに「第四者」なんてへんな言葉使った時点で、
世間はそんな自称「理論」、当然、アホ扱いするんだよ。
当たり前の事。それはちっとも変じゃないよ。
むしろまじでやばいよね。こんな説明をすべき状況。
それから「四次元」はおれの造語じゃないよ。
てか、またそこで「四次元」しらんの?と。
こりぁ、システム論とか何とかドコロノ騒ぎでねえぞ、と。
こういうこと、斎藤も脱学校もいちいち言わないでしょうね。
その言わない意味って分かりますか?ってこれ聞くのも何度目だ・・・。
>>862 そうですか(笑)で、そんな自称有識なあなたは、
本当に有識者なのか、それを客観的に疑ってみる必要はないですもんね。
そういうのは全て、他者やシステムがすべき事ですもんね。
その辺の自己内ギャップもどうやって形成されたのか、
自己洞察してみる必要なんて、当然ありませんもんね。
すべてそういう類は、他者がひとえに引き受けるべき事なんですもの、ね。
>>862 2ちゃんでの自称なんてあてにならないよ
いくら議論しても結局社会の底辺で自殺する未来以外にないんだよ
>>865 つか、おれが何を自称したのか。
既に読み違えられている気がするけど。ま、いいや、もう
>>863 語の意味は文脈で決まるってことを知らんのか
>>867 じゃあ、これはどういう意味?
> あえていえば「準当事者」といえる立場で、精神科医療に首突っ込んでいる状態ですね。
> ひきこもりケースについては、実際に接した機会はあまりないです。
ずっと読んでるけど
とても難しい話のインターネットだなぁ
>>863 君の単なる揚げ足取りには飽きれかえる。
> 四角の中に「あらゆる立場の第三者」が入っちゃってるね。
第三者が学校化を意味すると定義しているんだから当然だろう。
> 「あらゆる立場の第三者」に入らない「第四者」って人間じゃない者、
第三者が学校化を意味すると定義するなら、その学校化の代理人的役割
ではない存在を第四者と区別する表現をしたまでだよ。
> ちなみに言わんとする「意味」は、ずっと前にも書いてるけどとっくにわかってますよ。
> それが「果たして何なのか???」はいまだに(いや、ますます)不明です。
意味が分かっているのか不明なのかどっちなんだよ。
単に同意できないということが言いたいのか。
>>856 補足どうもです。まとめ直したので、不備や補足があったら指摘よろ。
┏━━━━━━━━━学校化社会(社交関係)━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ 様々な ・家族 ┃ ∧∧
┃ ・当事者 この枠組に (第二者) ┃ (゚д゚ )
┃ 問題が ← 順応するよう ┃
┃ (第一者) 働きかける ┃ ↑
┃ 発生 ・第三者 ┃ この外側から眺める者。
┃ ┃ 「第四者」的視点。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
・一次反応 学校や職場に行けない、行かないという状態。
・二次反応 「登校をしなさい」という刺激を、家族や第三者が
当事者の状況を十分に理解しないまま加えることによって
新たに二次的に起こってきてしまう、様々な問題。
不眠、過食・拒食、家庭内暴力など。
耳がずーれーたー_| ̄|○
>>872 社交関係はコミュニケーションといえばいいことでした。
「学校化コミュニケーション」
>>864 あんげって何様なの? 「準当事者」を自称しているけど、「ひきこもりケースに
ついては、実際に接した機会はあまりない」・・・なんだそりゃ?
>>875 のつづき
肝心の「ひきこもりケース」に「実際に接した機会はあまりない」のなら、そんなの
当事者でも準当事者でも何でもないよ。なんでここにいるの?
青健・佐々木の医療の現実も、実際に語ってくれるのはいつも別の人だし・・・あ
んげはいつもひたすら、斎藤を罵倒するだけ。
たまたま、斎藤の悪い噂を聞き込んだので義憤に駆られているの? だったらもっと
調べてから来れば?
「実際に接した機会はあまりない」・・・どんなに信者や学校論バカをとっちめようが、
当事者は声を挙げろ、と煽動しようが、この一言ですべて終わってると思うよ。
第四者というのはレトリックの問題で、おおげさに騒がなくてもいいと思う。
第四者って言い出した人の言っていることは、広く社会が学校化されてしまうと、
学校化とは別の生き方や価値観をもった人なり場所がなかなかない。一見「第三者」
と見える人であっても、やはり学校化の枠内で人を学校化する役割を負ってしまう、
ということ。
その困難な状況と、閉塞感を表現したんだよ。
それを「真の意味での第三者」と呼ぼうと、「第四者」と表現しようと、
言っていることは同じだよ。月を示す指ではなく、月自体を見ようよ!
>>871 第三者が学校化を意味すると定義するなら、その学校化の代理人的役割
ではない存在を第四者と区別する表現をしたまでだよ。
↓(訂正)
第三者が学校化を意味すると定義するなら、その学校化の代理的役割では
ない関係をその第三者とあえて区別して「第四者」と表現したまでだよ。
ついでに付言しておけば、私(第一者)-母(第二者)-父(第三者)というエディプス
三角形図式での第三者(三人称)を含意させて表現したものなんですけどもね。
で、
>>496-497-498に書いたのは、エディプス関係の構造が学校化されているいうこと。
第三者、つまり、その三角関係での二人称である母(家族)の欲望の対象がすでに
学校化を指し示している。だから、二者関係もが学校化を媒体にして演じられ、
学校化したコミュニケーションに特有の心理的葛藤を引き起こす構造になりやすい。
それが学校化の所産としての「不登校」の二次的な反応である葛藤とも結びついている。
ま、あんげさんは、こういう文脈の意味をある程度理解しているからこそ、
その文脈でなく一つの語の揚げ足をワザと取って、執拗に文句をつけて
粘着してきているのかもしれないとは思うんですけどね。
また、そうなるかな(w
レベルの低い次元空間だなあ。
第四者なんて言葉使っちゃったら、その時点で外部からはバカ扱いで
なんの抗力も持たなくなるよ。
そういう自分たちの基本的な稚拙さに気を付けないと、本末転倒だよ、
と忠告してやってんのに、そういう意味も理解できない。
ここでの自称「論客」同士が、一般に見たらその実質がどれほどホチョチョ・・なのか
これだけ気付かないってのも、それだけここの「論客」が、
一種断絶された環境にいることが見える。
それから精神科医療の「準当事者」だといったんだがなにか?
文章をよく読まない(読めない)で意味の判らない文句をつけるのも特徴。
それから、斎藤関連の体験談だって、どういう文脈から出てきたか考えてみろ。
おれの存在がなかったら、それ含むこの流れは今ほどなかっただろ。
自分でこんな事言わなきゃならない。わがまま幼児を相手にするのは本当にあほらしい。
本当の幼児なら別に良いんだが、いい年こいた幼児なんか、誰も相手にしたくないよ。
斎藤の飯の種にでもなってるか、脱学校の玩具の兵隊にでもなってなさい。
斎藤も脱学校も、どっちも自分たちの利益利用に繋げる、という点で
君らと付き合う忍耐も生まれる。儲けのため、生活の為だと。
それ以外で君らと付き合いたい人間なんてありゃしない。
>>881 じゃあ「準当事者」とやらっていったいなに?
その「準」って何を規準にして言っている言葉?
>>881 という
学校化の現具の兵隊あんげ君の演説でした。
>>882 そんな事は自分で辞書でも引いて勉強しろ。
そのレベルは人に聞く事じゃない。
幼児じゃあるまいし。
自称「外部の脅威とすらなりうる知恵w」があるんだろ?
準は何を基準にだって?はああ・・。当事者と基準にして準当事者だろ
一見して明確。何がわからないのか、わからない。異次元だよ全く。
>>881 > レベルの低い次元空間だなあ。
はいはい、他人の意見をレベルが低いと裁断できるほど
あんげさんはレベルが高いんですねぇ。
>>883 バカなのが不幸なんではなく、自分がバカなのが全く気付かないこと
むしろ賢いとすら思いこんでいること、これが最高の哀れなり。
しかもそれに気付くきっかけが何一つない、断絶した環境の存在も見えてくる。
まあ、脱学校社会変革?頑張ってくださいよ。
おれは学校化も脱学校もどっちも関係ない。
君らみたいなのがうだうだしてるだけのそんな界隈のもん、どうでもしらん。
>>884 ですから、準当事者って曖昧で恣意的な表現をされてもねえ。
具体的に何を指している言葉ですかと聞いているんですよ。
>>886 > バカなのが不幸なんではなく、自分がバカなのが全く気付かないこと
> むしろ賢いとすら思いこんでいること、これが最高の哀れなり。
誰が賢いとすら思い込んでいるの?
そんなこと誰も思っていないと思うが。
他人の意見を一方的にバカだと裁断する人間こそが
自分のほうが賢いと思い込んでいる自惚れの証拠ではないか。
おれがどこのだれなのか、具体的に言わない為に
そこまでの意味でだけおおよそ位置を示してんだろうが。
だいたい、自分は具体的にどこの誰なのか、示すつもりもないくせに
何をしつこく聞いてんだ、馬鹿者幼児が。
あ、おれも斎藤か脱学校経営みたいに、こんなの相手しても金が絡むなら
もう少しおだてても良いけど。その意味が判るか?馬鹿者たち?
>>886 > おれは学校化も脱学校もどっちも関係ない。
「学校化」に批判的な意見にあれほど粘着に食いついていたくせにw
>>889 医者だってカウンセラーだって引き出し屋だって、当事者に関わっているという
意味では自分のことを「準当事者」と言えるでしょう?
あんげさんのいう「準当事者」とはどういう意味? それとはまったくちがう意味?
>>881 > レベルの低い次元空間だなあ。
このスレのこと?
自分を棚に上げてよく言うよ。プライド高すぎ>あんげ
>>890 どうぞ、脱学校化、頑張ってください。
だから、学校化とか脱学校化とか、君らみたいのがうだうだやってる
その界隈は、もう、どうでもしらんのよ。
もともとどっちもおれには関係ないし、
そんなどっちの意味でも君らみたいに学校学校なんて
こだわって生きてきたこともないし。
先程からのあんげの「俺様は偉い」演説は不愉快の極み。精神科医療の「準当事者」って、
つまりは「患者」ってことですか? 躁病かボーダーか何かだとすれば納得です。
いちいちは突っ込まない。自分がどんなに傲慢な態度を取っているか、胸に手をあてて
考えてくださいよ。もしくはレキソタンでも飲んで落ち着いてください。
信者や学校論マニアと言い争っているぐらいがお似合いだよ、あんたは。
>>889 馬鹿、馬鹿って他人のことを罵倒するしか術のないあんたが
いちばん餓鬼っぽいよ。
>>893 学校化は、不登校の文脈で学校化を抜きに不登校問題の条件
を語れないから当然出た話だろ。
それに異常なくらい粘着に食いついてきた香具師がいたから
話がややこしくなった。
>>891 ああ、確かにそれとは違うね。
おれは、当事者と普通に比較的身近な関係をもっていて、その関係で
精神科医療について、直接間接にいろいろ首突っ込みつつあるとう意味の
準当事者で、当事者とは医療、ヒキだしなど職業的立場での付き合いじゃない。
漠然というけど、普通の知人関係に近い。
どんな当事者とどういう知人関係だったりなのかを具体的にいう事は
控えますが。
不登校はそもそもある種の教育システムの理念を前提にしてはじめて
成立する問題であって、それを抜きに問題化することは本来できない。
>>897 それは「第三者の関与」の「第三者」とはちがうの?
>>894 患者なら、準当事者じゃなく、当事者そのものだろ。
はあ〜・・、もういいやぁ・・・。まあ、なんでもいいから頑張ってくださいよ。
おれはでも、いろいろな事がわかったよ。
まあ、ここでも、匿名、不特定、自演アリとは言え、
すこしは、当事者の人格、性質、特徴ってもんと触れられたはずだから。
ここにくる前よりは、具体的人格イメージが浮かぶ様にはなったよ。
>>897 引き出し屋だって職業から素人までいるよ。
>>898 稲村や斎藤とかは、そこのところをあえて避けているから、
この問題を結果的には家族や個人の異常として語ることになる。
それが結果的に、不登校という状態それ自体をまるで病気ででも
あるかのように直す対象として見ることになった。
>>903 あえて避けているから→あえて避けて通るから
>>901 そんな金も貰わず引き出し屋なんかやるほどアホらしいことに興味ないし。
いままでの流れて普通ならわかるとおもうけど、
おれは当事者を通して知りつつある精神科医療の問題を具体的にまとめて
明るいところに広げてみようと目論んでいる、単なる一そういう人だよ。
それを「脱学校化VS学校化」しか頭にないガチガチの偏執狂ノイローゼどもが、
むりやりそのどちらの側なのか、勝手に人を決め付けて分別するから
もうウザイし、レベル低いし。
東京シューレとか、そいういうの、以前は特に悪い印象も何もなく、フラットだったけど
ここに来て、「脱学校化」の発想起源が極端古いタイプの左翼思想のそれと同じく
独善的で偏執的猜疑心と偏執的潔癖主義に由来し、末端は病的な四次元ノイローゼなのか
わかってしまった。
君らは知らんかも知らんけど、70年代あたりの独善的で自称優秀で
友人関係苦手なノイローゼ学生たちの「新左翼」活動と同質のものがみえる。
>>906 それって第三者って言うんじゃないか?
当事者を知っていればみんな第三者ではないのか?
>>908 当事者を通して知りつつある精神科医療の問題を・・・と、
これまでも何度もかいてるのに、それがなんで引き出し屋?
脱学校化VS学校化&引き出し屋しか、この世にないんですか。
そういうの偏執狂的ノイローゼといわんでなんといおうか。
>>900 「当事者と普通に比較的身近な関係をもっていて」「漠然というけど、普通の知人関係に近い」
>ひきこもりケースについては、実際に接した機会はあまりない
言ってることが矛盾してるぞ? つまり、その斎藤から被害を受けたという「当事者」
一人ぐらいを通してしか、大した情報も知識も持ってないのでしょ?
その程度なんだとしたら、そうあんまりデカいツラすんなよ。信者や学校論マニア
とオツムのレベルが同じだよ。
>>906 学校化、医療化の問題点を語ると病的だの四次元ノイローゼだの呼ばわりかい。
それにそもそも偏執的に粘着してきたのはあんげ氏ではなかったかな。
「左翼」を目の敵にしているイデオローグだってのは十分分かったよ。
>>909 ?マークをつけて質問しているだけじゃん。なぜそんな過剰反応するの?
当事者自身ではないのに、精神医療の暗部に首を突っ込める
っていうのは、一体どういう立場なら可能なんだろう。
1 家族
2 友人知人
3 教職・塾講師
4 人権問題に関わる各種市民団体
5 支援団体・当事者団体のボランティア
6 精神科に関する取材をしているマスコミ・出版関係
7 病院に出入りのある業者
8 厚生労働省の中の人(w
他になんか、この問題に関わらざるを得ないような立場って
あるだろうか。福祉関係とかかな。
1や2だったら、それほど隠す必要もないはずだよねえ。
「当事者の自分語りを引き出したい」と望んでいるようなので、
漏れの勝手な想像では、5か6と踏んでたんだけど。
>>906を読む限り、それほど的外れではなかったかな。
2chの投稿ならば、書き手が(C)主張できないから、そこからネタ取っても
誰も文句言えないよね。
>>913 当事者団体のボランティアなら当事者と何人も
関わっているはずじゃない?
>>854 >だから、いつ、どこで、そんなふうにいった?
例えば863で。
>要するに「第四者」なんてへんな言葉使った時点で、
>世間はそんな自称「理論」、当然、アホ扱いするんだよ。
たかだか比喩的な表現に対して、そこまで粘着しておきながら
アホも偉いもあったもんじゃないと思うんだが……。
昨日のように、枝葉末節の部分でムダにモメて、ログを消費する展開は
もう見たくない。
あと、情報交換はギブアンドテイクでないと、成り立たないと思うよ。
他人に情報提供を求めたい場合は、まず自分から情報を出さないと。
>>913 ただの「当事者の知人」でしょ? それが勘違いして暴走している。
本人は「準当事者」を自称するけど、自分自身が患者でも、精神科医療関係者でも、当事者の親
族レベルの身内でもないとすれば、そんなものは「準当事者」でも何でもないよ。
ただの「野次馬」っていうの、そういうのは。障害者などの福祉ボランティア方面には
あんげみたいな勘違いした人が時々いるよ。
「オレさまがこの世界を変えてやる、救ってやる」みたいなさ。
大抵、当事者や周囲の援助者に思い上がりをたしなめられてショゲ返っちゃうけどね。
しかし、「脱学校」にこれほど異常なまでの拒絶反応を示して
繰り返し繰り返しケンカを売ってくるというところがなぁ。
あんげの書き込みを過去に遡っていけばわかるが、相当な粘着振りだぞ。
まぁ、アンチ<フリースクール、オルタナティブ、脱学校、不登校界隈?>厨というのは
かなり前からこのスレに居たからなぁ。あんげと似たような立場で書き込みをしてた。
1日2日くらい見てなかったらスレが伸びてた。
>>766の指摘は非常に重要。
先に自分のことを言っておけば、長期社会的ひきこもり当事者です。
そんなことは言う必要もないと思うが、一応言っておいた。
今までもちろん名無しで書いてきたが、一応トリップをつけておいた。
4次元ノイローゼとか呼ばれてる人は、自分の判断では、
ひきこもり当事者ではないと考えてきたが、どうなのだろう。
ひきこもり当事者の主体性が非常に大きな根本の考え方でもあるので、
スレ上で多く発言している人が、当事者なのか違うのかは、
非常に重要だと思うのだが。逃げずに答えていただきたい。
もう一度書くが、「当事者の主体性」が非常に大きな意味を持つのだから、
その辺はっきりしてもらいたい。明かすのはむしろ、義務だと思う。
ここまでスレ上で大暴れしてきたのだから。
それからついでに、0とかゼロとか呼ばれてる人は、はっきりと
ヒキ当事者じゃないです。
>>913 はっきりいって、まあ、そんなところだが。
勿論、ここでも、引用したり、かかれた事を元に詳しく調べたりするきっかけになる
発言を期待していたよ。
しかし、そんなことは無意味かな?
それから発言者特定できる発言でも、引用旨断わりアリなら、著作物以外からは、
基本的にコピーライトは主張できない。
自分は懸念している。
このスレや他のスレを読んだ人が、ひきこもりに対して
誤った印象を強めることを。
基本的に、ヒキ以外でも書いてもいいと思うし、
4次元ノイローゼと呼ばれてる人なども、当事者に対して
有益な見解の提供をしてきたと思ってる。
それでもやっぱり、ここではヒキ当事者の「主体性」が大事だと思うし、
それはヒキ解釈でも社会解釈でもそうなのだが。
斎藤環は当たり前だが、非ヒキの立場から発言しているし、
だから当事者からも、それは違うと言うことができる。
まるで当事者のフリをして当事者の味方かのように、
かなり偏った意見を主張されても、
それも当事者の主体性を歪めることになると思う。
自分が非ヒキという立場を明らかにして言うならもちろん
いいと思うし、あるいは、本当に当事者なら、それは
一当事者として、有意義な自己発信かもしれませんね。
あんげの主要な意図はむしろ、斎藤批判者の一人に見せかけておいて(その内実
はなく)、当事者関係者から出てくる教育システム批判の声を阻害しようとすること
にあるではないかとすら見えてくる。
当然あんげ自身はそのことを否定しようとするだろうが、実際にこのスレでの彼の
一連の書き込みを読めば、その否定とは裏腹な事実があるということが垣間見え
てきさえする。
>>920 関連団体の関係者、またはこの問題に関心をもつライターさんなら、
不登校、ひきこもり関連の書籍は当然たくさん読んでいるよね?
>>920 著作物について言及している所を見ると、「精神科に関する取材をしている
マスコミ・出版関係」者か。もしくは大学の院生や研究者かな? 不登校や
学校論の研究をしている人はけっこういるみたいだし。
プロに説教するのもバカバカしいけど、2ちゃんなんか9のクズレスに1の
有益な本音や情報が混じってる、そういう場所。石が9で玉が1。
例えばこのスレも大量に教育システム論者が紛れ込んできてる。こういう論者
の主張が当事者にとって有益か? というと、あんげも反発しているように
微妙な所だけど、この場では声が大きい方がとりあえず勝つ。
反対に、斎藤信者の集中攻撃も可能だし、スレや板の風向きなんか、どうにでも変わるし、
変えられる。こんな場所に過度の期待を抱かれても困るよな・・・。
>>789 >なぜ周りから「当事者叩き」と呼ばれているか
少なくとも自分は、あんげ氏を単純なヒキ叩きだとかまったく
思いませんよ。
何にでもすぐに、゛ヒキ叩き、引き出し屋、長田と同類、
稲村博と同類、斎藤環と同類、保守、ネオリベ"
などのレッテルを貼って、だからそいつは取るに足らない論考対象外として
排除しようとする人たちは、いったい何なのか?
本当に当事者なのか。
間接的な「当事者叩き」はむしろその人たちではないか?
スレの話題に沿わないでどんどん書いてるが、気にしない。
>>920 5 支援団体・当事者団体のボランティア
6 精神科に関する取材をしているマスコミ・出版関係
これのどっち? 5なら当事者とあまり関わったことがない
というのは変じゃないか。
あんげ=◆In2/sAlDFs
これを真とも偽ともいえないのが2ちゃんねる。
>>808 >斉藤らはヒキ本人の情報にアクセスする権利を制限しようとやっきになっている
これ違うんじゃない?
脳内斎藤が大きく育ってない?
>>809 言いたいことがあるのなら、このスレでも
別の場所でも、自由に言えば?と思うんだけど。
押しつぶされるってか、言ってることに疑問を感じれば
それに対して反論したりするのは、当然のことじゃない?
「当事者の声」なら反論が許されないということもあるまい。
あらかじめ反論を予想してしまうことで、
本当は自分が何を言いたいのか、何をしたいのかが、
自分でも分からなくなってるというのはあると思うけどね。
でもそれはその人の脳内の話。
>>920 そう……。
だとしたら、そのやり方に、ちょっと誠意がなさ過ぎたと言わざるを得ないだろうね。
要するに、論理的な発言は、原則として専門家の肩書きのある者にさせるものであって
当事者サイドの発言としてそれを取っても、売りようがない、ということでしょ。
そういうものだ、ってことは、やはりこうした問題を取材していた出版・マスコミ関係者から
直接聞いた事があるので、その程度においては知っているつもりだけどね。
2chの投稿は、確かひろゆきに著作物として帰属することになっているはずだから、
そこからの合法的な範囲内の引用なら、確かに可能だね。
そのことに対して、各住人がどう思うかは、また別の問題だけれども。
とりあえず、残念な結末になってしまったね、と言わざるを得ない。
>>921 > まるで当事者のフリをして当事者の味方かのように、
> かなり偏った意見を主張されても、
> それも当事者の主体性を歪めることになると思う。
2chでは、当事者を名乗ってその振りをすることもできれば、
当事者でない振りをすることもできる罠。
本人主体の尊重については、もちろん本人は各人がちがう意思をもつのだから、
それらの個別の意思が基本的に尊重されるべきではないか、ということだよ。
仮に、本人が本人の意思を尊重しないでくれと主張する場合でも、それもその
本人の意思だろう。だから本人がどういう意思を持とうが、その意味に矛盾はない。
ただし、本人の意思といっても、本人が自分の意思を素直に出せない関係の
なかに置かれている場合があるから、二次反応的な問題が生じているのだろうが。
>>920 この2ちゃんねるで当事者の意見だということをどう根拠づけるわけ?
>>929 > あらかじめ反論を予想してしまうことで、
> 本当は自分が何を言いたいのか、何をしたいのかが、
> 自分でも分からなくなってるというのはあると思うけどね。
> でもそれはその人の脳内の話。
それを単に当事者の脳内の病気と片付けちゃうのが稲村らだったんだがね。
>>925 同類じゃないならその同類じゃないという点を言葉で
具体的に示さない、と。
五十歩百歩、大同小異じゃないなら、その根拠を
ちゃんと示して反論しない、と。
それに反論しているつもりがますますヒキ叩き的な考えを露呈した
書き込みをするから、ほらやっぱり、ということになるんじゃん。