護憲派は憲法は国民から国家への命令だと宣伝を

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1無党派さん
憲法は,「国家権力(司法・行政・立法)全てを縛るための命令」である。
憲法とは「国家権力の暴走をくいとめる最後の鎖」として誕生したものだという。

憲法は国民が守るものではないのです、国家が守る義務があるものなのです。
憲法は主権者である国民が国家権力の暴走に歯止めをかけるため国家に対して命令してるのです。

こうした認識をどれだけ持てるか、その度合いが民主主義の成熟度であろう。

小林節 無知 無教養がはびこるこの国の政治
http://www.magazine9.jp/interv/kobayashi/index.html  一部抜粋
「9条を守りさえすればこの国は平和で、9条を改正されたらこの国は危ない」
なんて言って内輪で会合を開いて、影響力のないところで護憲念仏を唱えて、うっとり
していた時代が長すぎたんです。
そんなことより、小・中・高校と大学の憲法講座、一般教養の法学講座できちんとした
憲法教育をすることが護憲派の役目なんですよ。立憲主義の教育を全然してこなかった。
それでいま襲われて焦っているわけだからね。
立憲主義は、人間の本質に根ざした真理です。つまり、権力は必ず堕落する。なぜなら権力
というのは、抽象的に存在するのではなくて、本来的に不完全な生身の人間が預かるから
なんです。つまり政治家と公務員が、個人の能力を超えた国家権力なるものを預かって堕落
してしまうということです。 歴史上、完全な人間は一人もいない。不完全だから、
必ず堕落するんです。権力者の地位に着くと、自分に「よきにはからえ」となる。
だからこそ憲法をつくって権力を管理しよう、そういう仕組みになっているんです。

社民党はただ護憲、9条を守れと叫ぶだけでなく憲法とは、主権者である国民の側が
国家権力に対して命令するものという事を宣伝をすべきだ。
2無党派さん:2010/06/11(金) 23:34:19.20 ID:o0THURe2
前スレ
社民党は憲法は国民から国家権力への命令だと宣伝を
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1201246663/

なぜかこの板はいつの間にか半分以上がスレ落ちして
このスレもなくなってたので、続編を立てました
スレタイはサブジェクトが長いと出たので少し変えました
3無党派さん:2010/06/12(土) 16:59:22.57 ID:M0y5EWc8
憲法が憲法として機能するための国民常識とは何か? - MIYADAI.com Blogより
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=80

■第一に、憲法が統治権力への命令であること。詳しく言うと、
(1)憲法が国民から統治権力への命令で、(2)法律が統治権力から国民への命令で、
(3)憲法が法律に優越するとは、国民からの命令の範囲内でのみ統治権力は国民に
命令しうるということだ。

■さて、私たちに憲法常識はあるか。例えば「憲法が国家への命令」であるのを
知っているか。もし知っていれば、衆参両院の憲法調査会でしばしば出る
「日本国憲法には権利規定ばかりで義務規定が少ないのはオカシイ」という
幼稚園レベルの議論はありえない。
4無党派さん:2010/06/12(土) 17:00:13.35 ID:M0y5EWc8
「憲法対論」という本から

憲法の背後には、統治権力がきわめて恐ろしいものだという発想があります。
ホッブスがリヴァイアサンと表現したものです。実際に十六世紀には国家が
リヴァイアサンであることを裏付けるような社会的事件が頻発したわけです。
統制されるべきは、社会や市民よりも以前に国家であり統治権力だ。こういう
発想を分かっていないのは先進国では日本人だけです。こうした日本的発想の背後
には、儒教的国家観があります。統治権力は道徳の守護神であり、統治権力の頂点
には最も道徳的な人間が座るべきである、それゆえに、完全なる徳を体現した統治
権力が、徳において不完全な民衆に命令できるというスキームになります。
そのために、道徳的な統治権力が不道徳な発想の中で、憲法もまた理解されてしま
いがちなのです。だから、憲法に従うのは統治権力だけだということが理解できず
市民が従う最高原則を憲法だと思ってしまう。それがあって、エクスプレッション
を支える自明性が、弱者を抑圧するアクションになるような社会を変えようという
ときに、統治権力に命令させようという発想になりやすい。

日本は立憲政治が成熟してない、その意味では日本は近代国家ではなく「国家が
リヴァイアサンだ、統治権力は危険だ」という発想を国民が持ってない
すなわち統治権力との間で社会契約した契約当事者たる市民がいない
国家性悪説どころか、儒教的な国家性善説が流通する民度の低いダメな国です。
そういう国では、チェック&バランスのアーキテクチャーが上から下まで徹底的に
欠如します。行政情報公開にも消極的だったり、自治体に情報公開条例があっても
公安委員会(警察)が除外されていたりと、他の近代諸国ならば考えられない
馬鹿げた法制が続いています。統治権力をチェックする行政オンブズマンも
市民オンブズマンも、他の近代諸国ならば考えられないことですが僅かしかいません。

憲法をどう変えるか以前に、憲法とは何なのかの理解を深める必要がある。
5無党派さん:2010/06/16(水) 20:24:40.20 ID:m3NOW6Zp
法律と憲法の違い。法律は「国家権力による強制力を持った社会規範」、平たく言うと国民を縛るものである。
それが「正しい」と考えられるのは、その時代の「多数意見」の反映だから。でも人間は間違うものである。
つまり多数意見が常に正しいわけではない。多数意見でも奪えない価値を守るためには、多数意見に歯止めを
かけるものが必要と考えられた。これが憲法である。

つまり、憲法は国民を縛るものではなく、国家権力に歯止めをかけるものである。国民ではなく国家を縛る。
だから公務員には、総理大臣を含め、憲法尊重擁護義務(憲法第99条)がある。多数意見でも奪えない価値、
それが基本的人権である。

憲法の中心価値は「個人の尊重」である(憲法第13条)。そして、この「個人の尊重」には「人みな同じ」
ということと、「人みな違う」ということが含まれている。違うのが当たり前であり、違いこそが価値、
素晴らしいことなのだと考える。みんな違うからこそ、一人一人の価値は「平等」に扱われなければならない
と説いているのだ。それぞれの違いを前提に、それぞれの幸福を追い求める権利を、すべての人が持っている。
これが幸福追求権。何が幸福であるかは、一人一人が判断する、自己決定権にゆだねられている。だから幸福権
ではなく、幸福追求権だ。

個人の尊重、違いの尊重、一人一人の基本的人権を大切にするためには、多数意見がそれを奪い去るようなこと
には歯止めをかけねばならない。他人の不幸の上に成り立つ幸福は本当の幸福ではない。無実の人の不幸の上に、
他の人たちの幸福が成り立つ社会ではダメで、疑わしき人は社会に戻す、そのことによるリスクは社会全体で
引き受けるという考え方である。憲法の三大原理、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義は、いずれも
「個人の尊重」から導かれる。
6無党派さん:2010/06/19(土) 01:30:11.80 ID:O43Y+IIH
憲法改正をするとしても少なくとも日本の政治家、官僚、国民の民主主義の意識
と日本が民主主義国家として成熟するまではしない方が良いと思う。
政治主導、地方分権ができないようなうちはやらない方がいい。今の状態で
憲法改正を頻繁に行うようだと危険な気がする。いずれ政治に無関心、無知な多くの
国民と少数の国民の賛成で権力者たちに都合の良い憲法になっていく事もありえます。

そもそも近代以降の憲法は、国家権力などの公的権力の行使に枠をはめて、国家機関
が勝手なことをしないように歯止めをかけています。単に国家の基本的なあり方を
規定しているだけではありません。国民主権と基本的人権を保障すると同時に権力
分立制などを採用することで、国家権力が暴走することに歯止めをかけています。

もちろん、憲法をより良く改正したいという場合はあるでしょうが、しばしば、
「より良く改正する」といいながら、実質的には悪く変えてしまう事もありえます。
国民は政治や政党に対して常に監視し、これを怠ってはいけません。
そうしなければ、国民の基本的人権の保障、平和の確保は、後退することに
なるでしょう。

国民主権、議会制民主主義の下では、最終的には、選挙によって、悪政を正すこと
ができるのです。ですから、選挙で信頼のおけない政治家を落選させたり、少し
でも信頼のおける政党の勢力を増やすよう選挙運動したり、投票したりすることが
考えられます。国民が選挙に行かなければ、今の憲法に敵対的な政党は喜んでいる
ことでしょう。

傍観しているだけでは、政治は変わりません。しっかり監視して、主権者である国民
のための真の政治・行政を実現しなければ国民主権は「紙に画いた餅」に終わって
しまいます。
7無党派さん:2010/06/20(日) 20:30:07 ID:FQBdOa1M
議員・選挙板は選挙や政局、議員の裏情報とかには興味はあっても
政治の思想や理論は関心ない人もいて、
憲法は,「国家権力(司法・行政・立法)全てを縛るための命令」
憲法が国民から統治権力への命令
という考えを知らない人もいるかもしれない
ですので、立憲民主主義を広めたい人は
このスレに時々書き込んであげ(age)ましょう。
8無党派さん:2010/06/21(月) 20:05:04 ID:6FyzrAz5
戦後日本がまがりなりにも、民主主義国家でいられたのは、日本国憲法
があったことが大きい、憲法は国家権力を縛り、主権である国民の人権
を守るもので国民からの命令でもある、もしこの憲法がなければ、戦前に
逆戻りしていた可能性はあります。冷戦時代のアメリカは親米で反共でさえ
いれば、よかった所があったから。
国家主義的な反民主的な政治家がいるうちは日本国憲法は今の日本の民主主義を守る最後の砦、守護神とも言える。
9無党派さん:2010/06/22(火) 21:33:42 ID:+/gQAL45
昔の学校の教科書を見ると、憲法は国家の最高法規、国の政治の根本となるきまり
条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為はその効力を有しない
(98条)とあり、政治は憲法にもとづいて行われなければならない、
これを立憲主義といい、立憲主義にもとづく政治を立憲政治というとあり、
それに三大原則、基本的人権、国民主権、平和主義について書かれてある。
ただ、憲法は国家権力を縛るもの、とか国民からの命令とまでは書いてない。
それは教科書会社が、一つの学説だと考え、そこまでは書けないと判断したのか
それとも、書いたのだが、文部科学省が検定で認めなかったのか?
しかし、ロックの社会契約説、革命権、モンテスキューの法の精神、三権分立
その他、人間は自由でしかも平等なものとして生まれ、自由、所有権、安全などの
権利(自然権)を持つとか、法は自然権の理念に従い、人々を平等に扱い、支配は
基本的人権を保障するために、政治権力を法によって制限し、為政者もこの法に
従うという法の支配の事も書かれている。これらも一つの思想なのだから憲法は
国家権力を縛るものと書いてあってもいいはずなのだが。
もちろん、政治権力を法によって制限とはあるが憲法とは書いてないし、主権者の
国民が縛るとまでは書いてない。これでは、憲法は国民から国家権力に対して命令
するという発想は詳しく現場の教師が説明しなければ出てこないと思う。
現に憲法は国民も守るものと思ってる人は多いし、自分も最初はそう思ってた。
結局、文部科学省や政治家は自分たちが国民に縛られてる、命令される存在とは
国民に教えたくもないし、知られたくもないのだろう。
10無党派さん:2010/06/24(木) 20:45:34 ID:EAQ6K2pQ
http://www.kakyouso.com/kinkyu/k060918.htmlから
「9条2項がなければ、日本は朝鮮・ベトナムの戦争に行っていたはずだ」
と言っている。アメリカでイラクに徴兵されているのは、志願兵だ。
貧しい故に志願している。「貧しい人間だけが死ぬ、犠牲になるのなら
いいではないか」という発想である。
憲法を「改正」するということは、憲法そのもののあり方が変えられると
いうことである。
近代立憲主義の原理原則である「国家権力の制限規範としての憲法」を
転換するということだ。実際、民間憲法臨調の三浦朱門・中西輝政などは、
「近代立憲主義をやめて、国民論の視点をもとう」と提言し、憲法には
「国民の生き方を定めればいいのだ」と公言している。
11無党派さん:2010/06/24(木) 21:24:03 ID:Dwi43Yps
これは法学板あたりでやるべきであろう。
12無党派さん:2010/06/27(日) 19:02:29 ID:ay0GyLq/
議員は憲法について語り、議論してる
今度の選挙の党のマニフェスト、公約に憲法について
明記してる党もある
だから憲法に関するスレがこの板にあることに問題はない
13無党派さん:2010/06/30(水) 04:03:01 ID:Czks5txj
与党・民主党は衆・参で「憲法審査会」を機能させろよ。
これを機能させないのは「違法状態」(西岡武夫参議院議員運営委員長=民主党)を放置することになる。
また憲法96条ではけぽうか以西について明記されており、国民には「憲法改正権」がある。
これを行使させないのは「違憲状態」になるといえる。

>>1は憲法を「所与」のものとして考えているが、憲法は国民が決定するものであるということがわかっていない。
14無党派さん:2010/07/05(月) 23:05:07 ID:Qdbiq7J3
今より良い憲法に改憲とは、より民主主義が機能し、腐敗、不正が起こりにくく
国民の人権がより守られるものでなくてはいけない。
しかし、自民党の議員が考える憲法は逆な気がする。
はっきり言って、自民党に限らず今の国会議員は信用できない。
それなら、多くの一般国民にとっては改正せず、今の憲法のままの方が絶対まし。
15無党派さん:2010/07/06(火) 22:22:47 ID:tmIkq48e
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030401000592.html

自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ
 自民党憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔前政調会長)は4日の会合で、
徴兵制導入の検討を示唆するなど保守色を強く打ち出した論点を公表した。
これを基に議論を進め、05年に策定した改憲草案に修正を加えて、憲法改正の
手続きを定めた国民投票法が施行される5月までの成案取りまとめを目指す。
参院選を視野に、離反した保守層を呼び戻す狙いとみられる。
ただ05年草案も徴兵制には踏み込んでおらず、「右派」色を強めたと
受け取られる可能性もある。今後党内外で論議を呼ぶのは必至だ。
大島理森幹事長は4日夜に「論点は他の民主主義国家の現状を整理したにすぎない。
わが党が徴兵制を検討することはない」と火消しを図るコメントを発表した。
論点では「国民の義務」の項目で、ドイツなどで憲法に国民の兵役義務が
定められていると指摘した上で「民主主義国家における兵役義務の意味や
軍隊と国民との関係について、さらに詰めた検討を行う必要がある」と記述。
16無党派さん:2010/07/07(水) 09:46:00 ID:Ru8cj0sS
全面改正なんてしなくていい。まずは憲法96条改正
17無党派さん:2010/07/09(金) 22:03:22 ID:kStkDCsK
国家は僕らをまもらない : 愛と自由の憲法論
http://shinshomap.info/book/4022731397.html

憲法は、国民をまもってくれる「頼れる見方」で、
国民はみんなが従うべき重要なルールである…。
僕らはこう考えがちだけど、答えはNO!である。
憲法とは、国家=権力に余計なことをさせないための規範である。
人権は国家=権力に余計なことをさせないことでまもられる。
そのためには、国民は自立した個人であることが求められる。
改憲勢力は、この憲法の根幹を大きく変えようとしているのだ。
問題は9条だけではない。
みずみずしい筆致で描く新しい憲法論。
18無党派さん :2010/07/09(金) 22:37:29 ID:37gW+AV2
社会主義、共産主義と手を切った後の議論ならいいんだけどな
人民の名前で自国民を何千万人殺害する国と手を切ってから言うんだな
「みずみずしい」はぁ
なんとか丸出しの表現だよな
19名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 15:30:03 ID:sNFaObaJ
民主党に不安という人もいるがこの国には改正するのが難しい、国家主義的な
議員にとって邪魔でしょうがない日本国憲法がある。
日本国憲法がある限りそう心配することはない。

それよりは「国民にも義務」とかを考える自民党やたちあがれ日本
などの国家主義的な議員が多い政党のが危険。
民主党は意見が分かれてることもあり憲法改正に消極的。

もし自分たちの憲法にこだわるなら、この憲法下で日本の民主主義の成熟
させてから国民の為のよりいい憲法を考えていけばいい。
今は現実の国民生活や財政、経済などもっと国会で時間を費やすことがある。
20無党派さん:2010/07/16(金) 21:50:18 ID:D5vCx2GT
なぜ、改憲案について国民投票をする際、日本では、例えば最低50%が投票しない
と有効な国民投票とはみなさないという規定(最低投票率の規定)が必要なのか、
日本は小選挙区だ。この場合、投票率が60%だとすると、有権者の31%が投じた
党が国会の3分の2を獲得することも可能だ。その場合、国会には69%の民意は
反映されない…。
そのような国会に発議されたからといって、市民が原則、改憲案に賛成していると
いえるだろうか?言えるはずはない。
たとえば日本国憲法の要である第9条が、低い投票率の結果、国民の多くが関わらない
有権者の10%とか20%だけの賛成で改変される危険を訴え、国民の8割が一定以上
の投票率が必要と考えていると世論調査などに示された<最低投票率>に対する
国民の意向を尊重すべきである。
よって、日本では、最低投票率の規定を設け、国民主権の行使の機会を確保しなけ
ればならない。
最低投票率を下回る改憲案は国民がしなくていいと思ってるとみていい。
大体、普段の選挙で投票率が低いのは、政治、民主主義の教育をまともにしてない
せいなので、投票率を上げる努力をするべきだ。
とりあえず、国民投票法案はもう一度やり直し、議論すべき。
21無党派さん:2010/07/19(月) 18:39:49 ID:lTqpsZLy
明治天皇制はなぜ崩壊したのか - [よくわかる政治]All About
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20060405A/index2.htm

明治憲法(大日本帝国憲法)
明治憲法は「軍部の独立」を許す体制だった
明治憲法最大の欠陥は、「軍部を内閣が統制できない」というところにありました。
明治憲法で、天皇は国政のすべての権限を与えられました。立法、行政、司法は
もちろんのこと、軍隊を率いる「統帥(とうすい)」も、天皇の権利とされました。
天皇は日本の「元首以上の地位」、精神のよりどころ……これが明治天皇制でした。
そんな天皇が一切の国務をとりしきるのが、このシステムの建て前だったのです。
しかし、近代日本で天皇がすべてのことを事細かに決定することはありませんでした。
重要事項についてはほとんどなく、天皇は政治の一線から一歩引いていた存在でした。
天皇に政治的責任を負わせない配慮も、そこにはありました。
こうしたなか、軍部は次第に独立性を主張し、やがて本当に単独行動に走ることになります。
こうしたことを、軍部は「統帥権の独立」をたてに正当化しました。天皇陛下の軍隊は、
ほかのどこからも指示は受けない、ということでした。
こうして昭和初期の満州事変をきっかけに、軍部をコントロールできるものはいなくなり、
日本は戦争へと突き進んでいくのです。
22無党派さん:2010/07/19(月) 18:42:10 ID:lTqpsZLy
帝国憲法の致命的欠陥は「憲法に内閣総理大臣の規定がない」ことである。
帝国憲法では総理大臣と平大臣の区別すらないし、その大臣が集まって内閣を
構成するという規定もない。ところが実際は、総理大臣を長とする内閣が構成
されていた。これは一体いかなることだろうか。
帝国憲法第4条には天皇は国の元首で、統治権をもっていると規定されているので、
その統治を補佐する国務大臣がおればよい、ということになる。ただ、その国務大臣
を選ぶ役目が必要で、天皇から「統治を補佐する国務大臣を選べ」と言われた人が、
国務大臣を選び、そのまとめ役になったのである。これを「組閣の大命降下」というが
その手続きは、憲法には記されていなかった。つまり、建前から言えば、「組閣」と
いっても、天皇(実際は元老)に頼まれて国務大臣のリストを提出するだけのことであり
そのリストの提出者をして「内閣総理大臣」と称されていただけなのである。よって、
憲法の中に地位の根拠を持つ国務大臣を罷免出来る権利はなかったのである。
では、帝国憲法下において、ある国務大臣が、総理大臣と意見を異にしたらどうなるか。
現代の感覚からすれば、総理大臣がその国務大臣を罷免すればよいと考えるのが普通だが
実際は閣内で一人でもそういう大臣がいて、意見の統一が出来ない場合は「閣内不一致」
をもって内閣は総辞職せざるをえなかったのである。
この点を利用(悪用?)したのが陸軍であった。
本来、行政権を行使するはずの内閣が、「憲法の機能不全」によって、軍官制の注記を
悪用した陸軍によってコントロールされてしまうという想定外の事態を招来し、それが
民族の危機ともいうべき災厄を招いてしまった。
23無党派さん:2010/07/19(月) 22:54:57 ID:BiGKgKm9
2005年に自民党が作った改憲案もすっかりお蔵入りになったな
まあ野党の改憲案なんて誰も相手にしないだろうけどな
5年位前に政界で盛り上がった改憲熱もかなり冷めてしまったな
憲法改正なんてあと何十年たったら実現するのかねえ?
もしかして永遠に無理か?
24無党派さん:2010/07/20(火) 22:19:48 ID:FxoXBpAF
全体主義の図式 日本のファシズムの特徴
1.家族主義
福沢諭吉「一身独立して、一国独立する」
しかし伊藤博文など大日本帝国憲法の制作者たちはヨーロッパのキリスト教
に代わって天皇制によって日本を一体化させようとした
よって【国家(天皇)→ 中間共同体 → 個人】が結びつく
天皇の赤子としての国民/その雛形としての中間共同体
・教育勅語のような道徳を重視する→中性国家ではない
・ヨーロッパ的な公領域/私領域という区別がない
2.農本主義
反中央集権的・田園賛美的
ファシズム運動が起こったもっとも大きな動機は昭和恐慌以降の農村の窮乏化
ナチスが労働者を重視したのとは対照的
・ 日本でのファシズム運動を担ったのはインテリ層(ヨーロッパ的教養を持つ人間)
ではなく亜インテリ層(土着の権力者)
→日本におけるインテリ層の大衆からの孤立
3.無責任の体系(無限責任=無責任)
「明治憲法において『殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない』大権中心主義や
皇室自立主義をとりながら、というよりも、まさにそれ故に、元老・重臣など
超憲法的存在の媒介によらないでは国会意思が一元化されないような体制が
つくられたことも、決断主体(責任の所属)を明確化することを避け、
『もちつもたれつ』の曖昧な行為関連(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が
冥々に作用している」
「『神輿』はしばしば単なるロボットであり、『無為にして化する』。『神輿』を
直接『擁』して実権を振るうのは文武の役人であり、彼らは『神輿』から下降する
正当性を権力の基礎として無力な人民を支配するが、他方無法者に対してはどこか
尻尾をつかまえられて引きまわされる」
・日本ファシズムの矮小性/指導者の指導意識の希薄
・ナチスやイタリアファシズムが大衆運動から出発した(下からのファシズム)
のに対して日本のファシズムは上からのファシズムである
25無党派さん:2010/07/20(火) 22:20:52 ID:FxoXBpAF
『無責任の体系』
「まず第一に、明治以降の近代国家の成立にさいして、日本は国家を技術的・中立的な
 ものとすることに失敗し、国家が倫理的実体の体現者となってしまった。これは典型的
 には天皇主権にほかならず、それを側面から支えたのは、例えば教育勅語のような
 国家的教育、倫理の公式化であった。つまり国家は、政治権力と精神的権威の両方を独占
 したわけである。 第二に、その結果、主権者はただの力の表象であるだけではなく
 倫理的絶対性の表象ともなる。日本という国家は「大義」を背負った国家ということになる。
 こうして、日本においては固有の意味での権力意識は成立せず、権力は絶えず倫理に
 寄りかかり、支配はつねに外的な(国家が体現する)倫理によって正当化される。
 そして第三に、こうしたことが個人においては、みずから責任をとろうとする態度を
 育てることなく、天皇という価値の究極的実体に責任を転嫁することとなる。
 個人を動かすものは合法性の意識ではなく、あくまでも『究極的実体』への距離の
 近さということになる。この『天皇への距離』が、軍人や官僚に権力を与えるのだが
 しかし、この権力は個人の資質や合法性に裏付けられたものではないので、本質的に
 より上の権威に寄り掛かった無責任なものにすぎない。こうして、誰もが責任を
 とらない、いわゆる『無責任の体系』が成立する」
26無党派さん:2010/07/24(土) 21:22:22 ID:B7xolWsW
日本国憲法と丸山真男

8・15により、丸山が「国体」の呪縛から直ちに自らを解き放ったわけではない。
国体のもつ「魔術的な力」から完全に脱却するには、復員後、大学に復帰してから
でも、なお、半年あまりを要している。それは、翌年1946年5月号『世界』に掲載
された「超国家主義の論理と心理」と題する論文末尾の「日本軍国主義に終止符が
打たれた8・15の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基礎たる国体がその絶対性
を喪失し、今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でも
あった」との記述に示される。

丸山の日本国憲法「理解」

第1に、憲法の国民主権、民主主義に関して、丸山は、憲法に規定された民主制度を
「硬直化」、「形骸化」させないために、主権者となり、自由な決定の主体となった
国民が、デモクラシーの理念に照らして、絶えず、その制度の働きを監視、批判
しなければならない。つまり、国民の下からの「革命」運動は、憲法体制化した
民主主義のもとで「永続」させなければならないと解した。

第2に、「国体」の呪縛から解放された個々の国民の自由に関して、国民は
「日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうる」こと、
その自由は「政治秩序に絶えず立ち向かおうとする精神」であって、
「個人の内面的な規制力」に依拠するものでなくてはならぬと解した。

第3に、憲法第九条について、それは現実の国家の政策を不断に方向づける「理念」
として理解すべきであり、「武装しない国家」という理念は、従来の国家概念の
再定義を迫るものだと説いた。

いずれの提言も、丸山がわれわれに後進に託した重い課題である。
27無党派さん:2010/07/29(木) 20:09:41 ID:2bnvn4G+
ジョン・ロックの社会契約説と立憲主義
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es001/john_locke.html

社会契約という概念は、日本国憲法を含めて、近代憲法の理論的な基礎に
なっていると言われている。日本国憲法の前文にロックの信託統治論が
適用されているように、根本的なところで我々を支えているものであると云える。

政府が権力を行使するのは国民の信託 (trust) によるものであるとし、
もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権を
もって政府を変更することができると考えた。抵抗権の考え方はのちに
バージニア権利章典に受け継がれていく。
バージニア権利章典では、生まれながらの権利として、財産に対する権利、
生命に対する権利、自由に対する権利が挙げられています。幸福な人生を送るため
に、財産を取得し、生命の危険にさらされず、自由を享受する権利は、人間が
生まれながらにして持っているものであり、かつ、譲り渡すことができないと
考えられたのです。
その後、経済的な発展に伴い、富める者が現れる一方、経済的弱者が大量に生み出されました。
その結果、20世紀に入り、生存権、教育権、労働基本権などの社会権または社会的基本権と
呼ばれる人権が基本的人権のカタログに加えられました。生存権とは、国民が健康で文化的な
最低限度の生活を営むための条件を国家に要求する権利です(憲法25条)。
28無党派さん:2010/08/11(水) 20:51:55 ID:DYuyNlbE
「改憲論」に潜むナチズムの病巣(王権神授と民族精神の高揚)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519

「大日本帝国憲法」は、見かけ上ヨーロッパ諸国の近代憲法の体裁をとっていますが
君主の権威が強大なドイツ帝国(プロイセン・ドイツ)型の立憲君主制を手本とし、
そこへ日本独自の「万世一系の天皇」を中心とする国家観を付与したものです。
つまり、それは絶対君主主義的性格のものでもあります。結局、「大日本帝国憲法」
は、「議会という立憲的要素」と「絶対君主主義的要素」の二つを併せ持つ憲法ですが
「外見的立憲主義」と呼ばれています。
「プロイセン憲法」を手本として起草された「大日本帝国憲法」が「プロイセン憲法」
の病根をそっくり宿していたため、結局、日本では軍部の暴走を誰も止めることが
できないという国家ガバナンスの破綻を迎える羽目になったのです。
現在の改憲論議で気がかりことは、自民党の改憲案を始めとする論議の内容を見る
限り、このような意味での危機感がきわめて希薄だという点です。むしろ、積極的
に「プロイセン憲法」が宿していた病根を再評価するべきだというような風潮が
あることが気がかりです。日本国民も、このような病根論議については殆ど無関心
であるか、あるいは気がついておらず、ただ刹那的・反射的に“歴史などに拘らず
新しい時代の日本のためには変えるべきは変えるという積極性が必要だ”という
ようなレベルの議論が目立つことも気がかりです。
29無党派さん:2010/08/11(水) 20:53:19 ID:DYuyNlbE
日本
プロイセン・ドイツの「授権規範性が意図的に排除」された「プロイセン憲法」
を媒介に日本の「大日本帝国憲法」へ伝染。神権政治(神格天皇)が合法化され
天皇大権が確立。天皇を頂点とする国体守護のために上からの愛国心が強要される。
一方で「軍事国体論」の象徴として創建された靖国神社が日本ファシズムの王道を
準備する。
・・・結局、天皇大権を盾にする軍部が独走してアジアへの侵略戦争と太平洋戦争
へ突入し、議会による財政面からの国家ガバナンス機能も崩壊した。

授権規範性
:フランス革命、ピューリタン革命以降に認識された「憲法」の本性的な役割。
立憲君主制であれ、議会民主制であれ、政治権力は必ず暴政へ走る恐れが
あることが前提とされる。このため、「憲法」によって政治権力の手足を縛る役割
が期待されるようになった。これが「憲法」の授権規範性ということである。
当然ながら、「日本国憲法」を始めとして、現代世界の民主憲法にはこの役割が
強く期待されている。つまり、国民は「憲法」を介して政治権力の腐敗や暴走を
監視していることになる。
30無党派さん:2010/08/22(日) 20:09:20 ID:5baC+Rn3
ヨーロッパの国家の特色として中性国家であることが挙げられる。真理や道徳、
その他良心や宗教といった内容的価値に対して国家は中立的な立場をとり、
国家主権の基礎は形式的な法機構の上に成り立っているため、内容的価値判断は
個人の良心かもしくはそれを司る独立した機関に委ねられていた。
ヨーロッパ近代国家が中性国家化したのは、宗教戦争の結果としての妥協である。
ホッブス、ロック、ルソーといった彼らの思想は、宗教戦争の惨禍から、どのよう
にして公的なものと私的なものを切り離すのか、という問題意識から出発してます。
つまり、宗教と国家がに結びついた場合、どれほど悲惨な状況が生み出されるのか
ヨーロッパの社会の悲劇なかから彼らの考えが生まれた、それは宗教の領域を
あくまで私的な空間に封じ込め、その代わり国家は具体的な信仰の内実から手を引く。
そこから政教分離の考えが生まれたのです。
日本国憲法、第20条〔信教の自由〕
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない
日本の憲法が厳格な政教分離原則を設けたのはやはり国家が神道を利用して天皇制
祭政一致国家をつくって国民を戦争に駆り立てた反省から来ているわけです。
しかし自民党の示した新憲法草案では政教分離の原則を緩めようという考えが
明確に出ています。これは近代国家、近代憲法を創り出した歴史と原理をまったく
理解してない人々による主張です。
31無党派さん:2010/08/24(火) 00:34:41 ID:x+hQ7uJL
時々「国民は憲法を尊重し擁護する義務を負う」なんて条文がある改憲案
を見ると笑う。
32無党派さん
民主党は2005年に憲法提言をまとめており、そこには同党が構想する
「国のかたち」が示されている。
それによれば、新しい憲法は現行憲法の基本理念を堅持しつつ、より発展
させた形にするという。
新たな目標として加わるのが、自ら参画する国民主権、普遍的な人権保障と
環境権・知る権利などの新しい権利、環境国家・平和創造国家の構築、
補完性の原理に基づく分権社会、伝統・文化の尊重と共同体的価値観の形成などだ。
この憲法提言は、憲法改正に向けて、国民と議論するための一つの試案だと
民主党は言っている。
現行憲法の原理を大切にしながら、自由闊達な議論を進め、立憲主義を確立していく
それが民主党の考える憲法改正のあり方のようだ。
なお、民主党の憲法提言には、見落としがちな重要な論点が一つある。
それは、民主党が憲法を、「国民が統治権力に制限を加え、権力を監視下に
置き、それをコントロールするための基本ルールである」と明確に位置づけてる点だ。
自民党が安倍政権下で2005年10月にまとめた憲法草案は、物議を醸した
愛国条項などが話題となったが、枝野会長(当時)は
「国民の統治権力に対する命令である憲法に、国民に対する命令が入っている
のは憲法の基本に反していて、あり得ないこと」
との考えを示している。両党の立憲主義に対する認識の違いが明確になった
事例として注目される。