★★日本語はハッキリいって糞言語★★ その3

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1日本語脳者救済委員 ◆5A3RjPm4qE
前スレより*****************************************************************************************************************
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日本語って本当に糞な言語だと思う。
言語が糞なら、それに追従する文字体系もそう。どこまでもウンチでウンコ。
先進七ヶ国のなかでこれほど劣悪な言語を使ってる民族って他にある?

こんな非論理的で支離滅裂な劣等言語を平気で使用してるもんだから、あらゆる面で深刻な被害が徐々に拡大しつつある。
"そんなことないよ"とか思ってる奴は、それが表面的に出てこないからわからないだけ。。

日本語は、先進国じゃないが隣国の朝鮮語よりも劣ってる。
朝鮮語のほうが遥かに理路整然としてるよ。言語としても、使用してる文字体系(偉大な文字ハングル)としてもね。

こんな状況だから、いっそのこと国語を英語がフランス語かドイツ語に
(隣国との友好や利便性・経済を重視するなら朝鮮語でも可)したほうがいい。

密かに俺と同じようなことを思ってる人はこの板に多いと思うんだけど、どうなの??
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前スレ
その1 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1131602662/
その2 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1138941654/
2名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 20:43:47
2
3名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 20:55:04
ス┤♀ト 人| LH !
4名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:08:57
重度の2ch脳者、
""伊58 ◆AOfDTU.apk""(以下 伊58)に要注意!

Q.伊58 って誰ですか?

伊58とは韓国・朝鮮系の板に常駐し、
連日連夜、その手のネタのコピペを繰り返している典型的な嫌韓厨の一人です。


伊58 ◆AOfDTU.apk の推定人物像。

国籍 日本
性別 男性
年齢 18〜28
職業 底辺的な肉体労働(工場の流れ作業など) あるいは無職
身体的特徴:ルックスは平均以下のブ男。身体的なコンプレックスあり。身長は165~170。
家族関係:一家の長男。マザコンの傾向あり。
人間関係:内向的性格で社交性に欠けている。被害妄想癖があり、小学生以降からの友人はゼロ。
女性関係:恋愛に類する経験は今日までゼロ。年齢=彼女いない暦の真性童貞。事務的なこと以外での女性と会話はほぼ皆無である。

備考:
2ch上では受売りの知識を披露し、憂国の士を演じている彼ではあるが、
おそらくリアル世界では自分をあまり主張しない矮小な人間であると思われる。いわゆるネット弁慶というやつである。
5名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:10:03
まーた立ったのかよ!
6名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:14:23
よお、伊58      
    ∧_∧   な、なんですか   ∧_∧
   ( ´∀`)    Λ_Λ       (´∀` )プッ、びびんなよ
   (    )    (;´Α`)      (    )
   | | |     ノ つ  つ      | | |
   (__)_)   (_ ,、 `^)^)      (_(__)
    おらあああ!!            人のスレ埋めやがってよお!!!
                ブ…!!        ∧_∧ 散々調子に乗りやがって!!
 ―=≡三 ∧_∧      \从从///  (´∀` ) 三≡=―
―=≡三と( ´∀`)つ''"´" ⌒_ノ;*;''"´"''::;:,(    つ 三≡=―
 ―=≡三 ヽ     ̄ ̄⌒)>w(;;;((⌒ ̄ ̄ ̄_  ) 三≡=―
 ―=≡三 /  / ̄ ̄´"'''⊂;;;#':*,'´''::;;;;::'''"´ ̄ヽ \ 三≡=―
 ―=≡三 \__); ///(_ ,、 `^)^) \\\  (__) 三≡=―
    ぎゃはははは!!!「ブ…」だってよ!!!
7名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:19:38
◆もし、世界の人々がノータリンだったら・・・世界は平和になるのにね♪ 作詞・伊58 ◆AOfDTU.apk 作曲・雛苺

ラララ♪ のーたりん♪
ラララ♪ のーたりん♪
ララララぁーララぁ♪ のーたりんっ♪
脳のなかの おみそがちょこっと足りません〜♪

どーしてどーして のーたりん? のーたりんは いけないことなの〜?
そんなこと絶対ないんっ♪ のーたりんはお味噌がちょこっと足りなかっただけなのっ!
のーたりんだって おなじ人間よ〜 だから平等にあつかってほしいの〜♪
のーたりんだって おなじ生物よ〜 だからムヤミに殴らないでほしいの〜♪
のーたりんだって おなじ地球人〜 だからホッカホカのご飯が食べたいの〜♪

ばかにしないでっ! たしかに わたしは のーたりん! だけど
読み書きだってちょっとはできるし かんたんな計算だってできるのよっ♪
食器あらいだって天才的だし トイレそうじもカンペキのピカピカなのよっ♪
だからー だから〜 のーたりんを バカにしたらゆるさないっ!
ぜったいぜったいゆるしませんっ♪ のーたりんはお味噌がちょこっと薄かっただけっ!

ラララ♪   のーたりん♪
いぇーい♪ のーたりん♪
いやぉっほうー のーたりん♪ 

人類の希望〜♪ 
世界の救世主〜♪  
そ・れ・が の〜たりんっ♪

ねがわくば〜 あなたのなかのお味噌を ほんのすこしだけ わけてください〜♪
 ,⊥ ト/    (::゚)   レ/'‐jナ|ヽ /
/  - ト>     _   (::゚)´}ィ|/ ヾヵ
!    jゝ       | `7    /イ / ̄   いぇっふ♪
8名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:22:59
形式と意味とのつながりにおいて
世界一論理的な言語は間違いなく"ラテン語"だよ。

この言語が今なお存在しているおかげで
英語を含む欧米言語が成り立ってるわけだから。

ラテン語を前にすれば
現代のあらゆる欧米諸国の言語は堕落した言語だ。
98:2006/03/27(月) 21:25:28
ああ、まぁだから、自分が何が言いたいのかといいますと、
前スレでの最初のころにみたいに

"フランス語は論理的 でも 日本語は非論理的"

みたいなことをまた言い出さないでくださいねっ!てことですわ。
10名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:26:47
エーッ! その3は、多少穏やかに

> 日本語と他の言語を比較するスレ
> http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1141580031/l50

が立ってたと思ったのに。

とことん、心が地獄から抜け出せんやつだな >>1
アホ
11名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:27:20
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1143347335/

ワロタw 伊58が懲りずもまた前スレの内容をしつこくコピペしてやがるwww
12名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:28:35
敬語とか謙譲とかウザす。
おれの周りにはちゃんと説明できる人なんか誰一人いないし。
13名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:29:32
>>10

ま、このスレでは日本語の駄目な部分、
ひいてはその改良点を見つけていくという方向でいきましょうw

それだと明らかに>>1の意図に反するとは思いますがね・・・・w
14名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/27(月) 21:33:20
どうでもいいけど、なんで前スレから
今スレが立つまでに長めの間隔があるんだ?
15p-a:2006/03/28(火) 01:52:27
日本語を使うせいで日常生活における意思疎通ができなくなってしまう、ということはない。
なぜなら人間は物事を理解するうえで言葉の表面的な記号形態だけにかぎらない他の様々な要素を参照するものだから。

けれども日本語はやっぱり論理性を欠いた言語だ。
日本語ほど抽象的な構文や表現の形式をもってして人々のあいだで使用されてきた言語は珍しい。
(そしてそれだけ曖昧な意味形式にのっとって意思の疎通を図りえてきた日本人という人種も珍しい。)
日本人が日本語で書いた「論文」なんかをインターネットで目にかけたとする。
ぜんぜん読めたものじゃない。ほんとうだよ。

主体と客体との関係をおごそかには記述して表せないというその抽象的な性格はだけど、
かならずしも悪いものではない。
日本の映画を英語字幕で観てみる。
画面の下に表示される英語は、その本質的な論理性をもってして、
曖昧な表現に満ちた日本語台詞を翻訳してくれる。
でもそこで、映画のその場面を特徴づけているはずの趣が訳文からはちゃんと提出されていない、ということに気がつく。
日本語によってのみ(そしてそれを解する日本人の感性をもってしてのみ)実現する趣が、人間の世界にはあるのだ。

それはとても内輪的な事実であって、日本の外部に位置する人からは知りとられにくい。
僕は実のところ日本人ではないのだが、
たとえば「日本語は学ぶに値しない下等な言語だ」と推しはかるような非日本人言語学者が日本のその内輪的な事実を見落としている、
ということはわかっている。
日本は、自身にたいして文化的な外部に位置する理性から把握されにくい国のもっともたるもの、なんだよ。
それだから、日本に慣れていない人は日本のことをやたらと評さないほうがいい。
一方で、このスレッドにおける投稿者はおそらく日本で育ってきた人だらけ。
自分たちの言語についてどんな反省を与えるか。
興味深い。
16名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 02:48:32
「目にかけた」とはなんぢゃ。
「性格はだけど、 」で「はだけど」とはなんぢゃ。
「論理性をもってして、 」⇒「論理性で」または「論理性によって。」
「関係をおごそかには記述して」:「おごそかに」とは
宗教をはじめとする儀式に使う表現であるのえこの文脈には不適当なり。

あああ、もうやめた。お前は感情的な分野の人間やな。
こんな文を書くようでは論理と関係ない分野に生息しておるに違いなし。
17名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 03:19:03
発音について語っていきたい
18p-a:2006/03/28(火) 04:50:26
>>16

まるで日本語に関する何か凄く慣例的な法典を200年間ぐらい読み続けてきた人間であるかのような反応をするね。

ちなみに「おごそかに」は「厳かに」で「厳密に」という意味だよ。
19名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 05:42:15
「おごそかに」と「厳密に」が区別できないのは
在日烏賊だ罠w
20名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 06:50:51
俺は糞だとは思わないが、
異常なぐらいカタカナ英語を使って(理由は知らないが自ら嫌っている)、
しかも、そのカタカナで表記された英語自体が表記がゆれまくったり
(元の音訳が適当すぎるため・日本語と化した後でも、原語を気にして訂正しようとする)、
だいたい40歳以上が意味が理解出来なかったり、間違えてばっかり
(訂正頻度が高い・知ってる単語同士でも組み合わせたら意味がわからなくなる)
なのがそれを証明してるんじゃないか?
21名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 11:06:46
最近のドイツ語なんか
英語の侵食を受けまくりで
ネット上の文章なんか読んでみるとボンボン生の英単語が出てくる。

ドイツ語の造語法が追いつかないんだろうな。
22名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 11:10:50
>>15

で、皆は君が何人なのかが知りたいわけだが。
流暢とまでもは言えないけども、
そこまでの読み書き(喋るだけなら簡単)ができるんなら
外国人として相当日本に長くいると思われるが、どうなの?
23名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 11:13:59
アホくさ。どうせ半チョッパリか生粋の日本人だろ。
自分が日本語のネイティブだと>>15で言っていることに説
得力を持たすことが出来ないから、自分を外人だと偽ってる。

自分の言うことにもうちょっと自身を持てよなw
24p-a:2006/03/28(火) 18:00:41
>>19

それ、きっと言われると思ったんだよね。

いいかい。(一般的な)日本人というのは、なにかと自分の母国語を応用できない人種なんだ。
あれだけの数の漢字を懐に持っていながら、新しく使い始めるのはカタカナ語ばかり。
和語と漢字との組み合わせから生まれていてもいいはずの多様な語彙世界が、現代にいたって、
発展しなくなったばかりか、なにかと萎縮してしまっている。
おまけに、日頃から自分の聞きなれていない用法を著した外国人の手先を目にすると、
「在日烏賊」呼ばわり。
たとえば僕が「精神」のかわりに「精心」と書いたとしよう。
君はきっとまた僕のそうゆう手先を嘲う。
けれども僕にはちゃんとした理由がある。
その「せいしん」という言葉を、
「精細な神的現象」ではなく「精細な心的現象」と僕が捉えているところの理由だ。
「神経」にしても同じだ。僕なら「心経」と書く。
「しんけい」が関与しているのは「神」の機構ではなくて「心」の機構だからだ。
そしてこれについても君がちゃんと嘲ってくれるのはわかっている。
ねえ、そうゆう閉鎖的な意識は、日本語をよけいに孤立させ停滞させやしないか?
「ブロークンイングリッシュ」ほどに解体されなくてもいいにせよ、
言葉の用途について日本語はある程度に開放的であってもいいんじゃないか?
カタカナ語の氾濫ですでに字面のほうが瓦解し始めているんだから、
それぐらいは君でも日常的に努めれる範囲だろう?
25p-a:2006/03/28(火) 18:15:20
>>22 >>23

僕は1983年生まれのフランス人だ。
父親が日本人だったことから、もとは日本国籍も持っていたけれど、今はもう所有していない。
若い頃に日本の学校に通っていたことがある。
僕が日本語を使い始めたのはその時期だ。
(でも、休みで日本を離れるたびに、かなりの語彙を忘れるということがあった。)
今はイギリスに住んでいる。

僕は日本についてかなりの興味があるし、日本語も好きだ。
ミーハーと言われるとつらいけど、相田みつをと村上春樹が好きなんだ。
どちらの作品も英語に訳されているけども、僕は日本語のものをわざわざ探して買う。
ただ、現在の日本(とりわけ東京)に住んで暮らしたいとは思わない。
26名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 18:29:36
>>18
>ちなみに「おごそかに」は「厳かに」で「厳密に」という意味だよ。

普通の日本人なら>>19ですね。

27p-a:2006/03/28(火) 19:18:47
>>26

日本人はその「普通」っていう階層に準拠しすぎるんだよね。
イギリス人やアメリカ人がそんなかんじであったならば、
英語は今のようには展開していなかったんだろうね。

なんだか「おごそかに」の解釈について気になっている人が多いみたいだから、あらためて言っておく。
この言葉は本来、威儀や法則にかなった振る舞いを指示する「おこそか」という和語から来ているらしい。
「おごそかに」と「厳密に」はもともとかけ離れあう言葉ではない、ということ。
それは「厳」という共通の文字が「おごそかに」に当てられていることからもわかるでしょ。

「普通」という基準は、慣習的で惰性的な性格を醸造する。
言葉の可能性を吟味したいのならば、そうゆう基準をあくまで自分が採るオプションの一つとして抑えておく必要があるよ。
28名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 19:31:04
日本語は英語と比べて言葉の意味が薄い
例えば、殺すとkillを比べるとkillのほうが、より自分の意思が込められてる
29p-a:2006/03/28(火) 19:52:48
>>20

自分の母国語をなかなか応用できない性格と関連していることだけど、
日本人がカタカナ語を使いたがるのは、日本語をなかなか敬えない瞬間に自身が拘束されているから。
「音楽家」という日本語があっても、「artist」という英語を模した「アーティスト」をなにかと使いたがる。
それは、「音楽家」よりも「アーティスト」の響きのほうに「粋のよさ」を彼らが感じるから。
「発表」が「リリース」に、「贈呈」が「プレゼント」になったりした経緯についても同様。
僕にしてみれば、そういうカタカナ語よりも日本語本来の語彙に魅力を感じるのだけど。
そこんところの積極的な眼識を日本人は一般的には持っていない。
日本のある学者が言っていた――「日本人は文化的な精神分裂病を患っている」と。
的を射た意見だ。
日本語は日本人によって愛されていない。否定されている。
まして本来の日本語を否定してカタカナ語を導入するそのところに「国際化への道」があるのだと唱える人がいるけど、
とんだ思い違いだ。
カタカナ語は英語じゃない。
>>20]で指摘されたように、カタカナで表記される時点で英語はその音声的性格をことごとく失う。
それでいて、英語ではなくなったその言葉をあたかも英語そのものであるかのように扱う日本の気取った有識者たちがいる。
日本、もうだめぽ。
ドイツ語が英語の侵食を受けるのはまだいいほうだ。おたがいに源流を共有しているぶん、侵食による違和感はいくらか許容できるものとなっている。
悶題は、日本語が(日本人たち自身によって)英語で侵されている現象だ。
そこで起こっている違和感は、ドイツ語の例とちがって、甚だしい。
その事を日本人はもっと大勢で真面目に把握するべきだ。
30p-a:2006/03/28(火) 20:58:23
>>28

どうかな。
アメリカ人は「kill」をごく日常的な「のほほん」とした場面でも用いたりするよ。
僕は、「kill」よりも「殺す」のほうにより強い迫真性を感じる。

「日本語の言葉は意味が薄い」という考え方は、たぶん改められる。
つまりこういうことだ。
表意文字である漢字が手伝って、日本語は、少ない語でたくさんの意味を内包する傾向にある。
けれども、それによって命題の表現がいくらかの「抽象化」を遂げるという始末になったりする。
さらにはそのことで、発話の中身を規定するうえで要される言葉の数が減ったりする。
あなたはおそらく、そうしてぼやけたり軽量化してしまうところの日本語の印象について「意味が薄い」と指摘したのでしょ。
実のところ、日本語の語彙は意味が濃い。
31名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 20:58:57
けどさアーティストってさ、音楽だけでなくてさ、創作家的な感じがさするよね
32p-a:2006/03/28(火) 21:02:40
>>30

一つの語彙の内に格納できる意味が広いせいで発話における言葉の数が少なくなるというその特徴は、
学究的な場面における弊害をもたらしている(と僕は感じている)。
先日に言ったことだけど、日本人は、物事を追究するところの経緯を文章で著す「論文」というものを、外国人にとってわかりにくいかたちで書くことが多い。
「アカデミック・ライティング」といった科目がわざわざ大学に設置されることになっているという現状からもわかるとおり、
日本人は、学究的な文章を書くうえでの技術的な修練の必要性を最近になって認識するようになった。
日本にはもともと、尊敬に値する伝統的な文章形態が存在してきた。
けれどもそれはすごく内輪的な形態であって、
意思疎通を図るうえでの普遍的な基準である「論理」の性質を同伴したがらないものだ。
(川端康成がノーベル賞授賞式のために用意した演説文を同席者たちのほとんどが解せなかったことを考えてみてほしい。)
日本人はけっして馬鹿ではない。けれども、思惟の内容を伝える媒体としての文(sentence)を「論理的に」組み上げる力に乏しいということが疑われている。
頭の中では個人的にしっかりと把握してはいる事柄を、言葉という記号を介して「外」に汲み出すところで、いくらかの不備をきたす、ということが日本人の国際的な言語生活においてよく起こっている。
「アカデミック・ライティング」の模範としてなぜ英語が採られているかというと、
コミュニケーションにおけるその普遍的な尺度である論理的構文をよくそなえた言語であるからだ。
西洋では昔からたくさんの異なる文化的共同体どうしによる自己主張のやりとりでごったがえしていた。
そこで暮らす人たちが、一つの文化単位としての自己の正当性を異邦者たちのわかるようなかたちで伝える必要に迫られていた、ということ。
だから論理性が不可欠だった。
それなくして曖昧な言い回しをするにくだってしまえば、
自分を構成するアイデンティティが異邦者たちの議論によって否定され駆逐されてしまう、
といったおそれがあり、
そのおそれを彼らはよく認識しておかなければならなかった。
33p-a:2006/03/28(火) 21:12:31
>>31

「artist」はもともと「職工人/artista」を指していたらしいから。
人工的な作法で物を創作する立場にある人なら誰でも「artist」の冠をかぶれるね。

妙なことに、日本では「ハロー・プロジェクト」系や「ジャニーズ」系の輩が「アーティスト」の称号を得ている。
彼ら自身はどの音楽も自分たちで創作してなんかはいないというのに。
他人の創った物へ表層的に関与するだけの架空的存在だというのに。
34名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 22:58:00
      .._
      □│
      ││
      ││
      ││
      ││ チャプ…
      ││
    λλλλλ
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
35名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/28(火) 23:18:18
>>15
>けれども日本語はやっぱり論理性を欠いた言語だ。

具体例を挙げて下さい。
36名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 00:03:50
日本語には、義務的省略とでも呼ぶべき談話法現象がある。
ネイティヴはその省略規則を無意識に知っているので、省略された要素を完璧に復元できる。すべて復元すれば英語と同様に「論理的」になるが、それはもはや自然な日本語ではない。
非ネイティヴは、日本語の基本的な文法は勉強して知っていても、談話法的省略規則までは知らない場合が多い。だから、日本語を「非論理的」な言語と感じてしまう。
実は、日本語の談話法的省略現象については、まだほとんど記述されていないので、非ネイティヴが学ぶことのできる状況にはない。

>>32 うまい日本語だと思う。ネイティヴでないにしても、セミ・ネイティヴでないと、普通このようには書けない。
ただ、
> コミュニケーションにおけるその普遍的な尺度である論理的構文をよくそなえた言語であるからだ。
の中の、「その」は要らない。「尺度」と言えば「何か」についての尺度に決まっており、「何か」は直前に出て来る「コミュニケーション」なのだから、「その」は省略しなければならない。
「その」を残すと、of it の意味でなく、in question の意味に解釈されて、誤解をまねく。
37名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 00:53:42
>>24

>>いいかい。(一般的な)日本人というのは、なにかと自分の母国語を応用できない人種なんだ。
>>あれだけの数の漢字を懐に持っていながら、新しく使い始めるのはカタカナ語ばかり。

確かにその通りではあるな。
英語が時代の必要性に迫られて新しい語彙を創造するとき、
その拠りどころとするのはラテン語−古代ローマが残した偉大な遺産−だ。
日本語は言語の性格上、ラテン語の恩恵には授かれない。
だが幸運なことに、日本語は"東洋のラテン語"、とも言える"漢語"の恩恵に授かることは出来るのだ。
これは不幸中の幸いだ。ラテン語と比較してしまうと漢語には多少の限界を感じが、これを駆使しない手はないはずだ。
だけど愚かな日本人は、時代の流れに合わせて巧みに翻訳漢語を作り出していくという作業を既にやめてしまっている。
そしてかたや一方では、日常生活において積極的にカタカナ英語やブロークンイングリッシュを使用しているという現実がある。

>>29
カタカナ英語に より魅了を感じて使用してしまうのには
"日本語における漢単語の音律が単調だから"という所もあると思う。
まぁそれは突き詰めると
>>日本語をなかなか敬えない瞬間に自身が拘束されているから。
ってことなんですけどね。まぁ英単語を文章中に混ぜたがるのは
なにも日本に限ったことじゃない。これは世界中の多くの国々にみられる現象だよ。

>>ドイツ語が英語の侵食を受けるのはまだいいほうだ。
源流が同じと言えど、生の英単語がそのまんま
ドイツ語に流入してくることを"まだいいほうだ"と切り捨てるのは聞き捨てならんな。
君の祖国語であるフランス語が同じロマンス諸語であるイタリア語やスペイン語と
ごっちゃまぜのチャンポン状態になっても、果たしてその違和感を許容できると言えるのか?
38p-a:2006/03/29(水) 00:57:21
>>35

具体例を挙げます。ヤフーの「ニューストピックス」からの引用です――

北海道札幌方面の警察署の巡査長(35)が女性を盗撮目的で勤務する警察署の女子トイレに侵入していたことが28日、分かった。

――この文は、「分かった」の目的格を構成する文節の主部と述部との関係をはっきりと表しておらず、
一つの命題を完結させるうえで要される論理性について停滞しています。
文節の主部にあたる「巡査長」とそれに係る述部「警察署の女子トイレに侵入していた」との間には、
わかりにくい構造でつながった言葉たちが並んでいます。
「女性を盗撮目的で勤務する警察署」という連結です。
これは、文全体の意味を明確に提示するうえで論理上の妨害をなしています。
この事は、主部を頭に置いて述部を尻で記す日本語の構文が有している難点です。
付け加える情報が多くなればなるほど、主部と述部との間が離れていって、文全体の論理が不明瞭になる、という難点です。
また、「盗撮目的」という熟語ふうな言葉もややこしいものです。
これはもともと「盗撮するという目的」にちがいないのですが、
「盗撮」をそこで動詞として規定していたはずの「する」という助詞を省略してしまったせいで、
それがいったいどの品詞として機能しているのかがわからなくなっています。
日本で育った人にしてみれば、ここでの「盗撮」と「目的」との間に「する」があってもなくてもたいした煩悶を感じることはないのでしょうが、
日本語を後天的に習い始めて使ってみようとする人にとっては、あまり優しくはない慣習といえます。
(日本語はすごくすごく通俗的な言語で、土着の者でないことにはそれを実際に使いこなせるようになるまでにかなりの労を要してくるものなのです。)
39名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 00:58:55
英語って終わりのない言語だよな。
覚え続けても覚え続けても終わらない。
40p-a:2006/03/29(水) 00:59:09
([>>38]のつづき)

上の例文について非論理的な性格を薫らせる箇所がもう一つあります。
それは句点(、)の位置です。
日本語の基礎的な文法を修めた人がその知識にしたがってこの文を素直に読んでみるところでは、
侵入事件が「28日」に起こったものなんだと、純粋な彼は解するかもわかりません。
なぜなら、巡査長が女子トイレに侵入したことを「、」に先立って目的格に設定している文節の中に「28日」という語が一緒になって括られているからです。
これもまた日本語をごく普段から使ってきた人にとってはどうでもいいことなのでしょうが、
句点の位置というのは、たとえば西洋語において、文の論理を組んだり解するうえでとても重要な情報をなすものなのです。
日本語ではそういった論理性にたいする関心が発揮されておらず、
なにかと「口言葉」の抑揚に重を置いた句点の使い方がされます。
わるく言ってしまえば、読み手のために文の構造をとくに意識してやることもなく、
「なんとなく」といった書き方を日本人はしがちなのです。

日本語が論理性に乏しい言語だと僕が考えるのは、以上のような特徴を洞察してのことです。
41名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:04:37
警察署・北海道札幌方面の巡査長(35)が自身の勤務する警察署の女子トイレに盗撮目的で進入していたことが28日に分かった。
4241:2006/03/29(水) 01:06:25
使い手が糞なだけです。
本当にありがとうございました。
43名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:10:57
>>1は反日か?w

糞とかいってるわりには日本語でグダグダいってますが?w
44p-a:2006/03/29(水) 01:11:16
>>37

――――――――――――――――――――――――――――――――――
源流が同じと言えど、生の英単語がそのまんま
ドイツ語に流入してくることを"まだいいほうだ"と切り捨てるのは聞き捨てならんな。
君の祖国語であるフランス語が同じロマンス諸語であるイタリア語やスペイン語と
ごっちゃまぜのチャンポン状態になっても、果たしてその違和感を許容できると言えるのか?
――――――――――――――――――――――――――――――――――

侵食は良いものではありません。
ドイツ語が受けている英語の侵食について僕が言及したかったのは、
それによって当の言語の表面にもたらされる「違和感」の対照です。
ドイツ語におけるそれと日本語におけるそれとの対照です。
繁殖したカタカナ英語が日本語世界の中で有している違和感は、
ドイツ語世界の中の英語のそれと比べて、ずいぶんと甚だしい。
するとドイツ語における侵食はまだましじゃないか、
ということです。
45名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:13:50
指摘自体は理解できるが、結論は飛躍しすぎ。
なぜなら当該文章は不味い文章で、最良の表現とはとても言えず、
指摘の問題点を回避した日本語表現はいくらでも可能だからだ。
公の場で、最良とは言えない文章が現に流通していることは
問題ではあるが、それは日本語ではなく日本社会ないし当該会社の問題だろう。
また、文章の下手なヤツが下手な文章を書きうることを問題視するのは変だろう。
それはどんな言語でも可能な筈だからだ。
言語に対する人間の態度と言語の機能的問題の峻別が出来た指摘とは言えない。零点。
46名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:14:49
>>句点の位置というのは、たとえば西洋語において、
>>文の論理を組んだり解するうえでとても重要な情報をなすものなのです。

いや、確かにその通りで。
日本語の読点だって本来はそうあるべきなんだよ。
でもそういう教育は日本の義務教育でまったくなされてない。
だから凡その日本人は気分で文章中に読点を打っている。
そしてその気分で打った読点が文章の論理を侵害してしまう。


日本語の文章表現について多少参考になる本を挙げとくよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022608080/503-5501693-6995154
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-author=圭%2C%20石黒/503-5501693-6995154

このWebサイトも非常に参考になる。
現代日本語文法概説
http://www.geocities.jp/niwasaburoo/
4735:2006/03/29(水) 01:17:48
>>38
その文章が一読して分かりづらいものであることは認めるが、
論理が不明瞭だとは思わないよ。

「一読して分かりづらい」ことと、「論理が明瞭でない」では意味が違うよ。
48名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:18:42
第一線で活躍してる日本語の研究者は
その研究成果を実用的な技術として教育に反映させろよな。
そういうことに疎いんだよ。
49名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:25:58
>>40
>句点の位置というのは、たとえば西洋語において、文の論理を組んだり解するうえでとても重要な情報をなすものなのです。

少しロシア語を囓ってみるといいよ。

露文を読むようになると、標準的な英文のコンマの打たれ方に
不満を覚えるようになるから。
50名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:34:59
>>43

利便性を考えて朝鮮語で云々いっている時点でもうアレだろ。
現代朝鮮語の惨状は日本語以上に酷いことは>>1自身がよく分かっているはず。
だいたい現代朝鮮語なんてのは激しく訛ってる日本語の方言みたいなもんだしな。
小日本語・劣化日本語ってところか。まぁ連中の一部はそれを逆手にとって
日本語は朝鮮語が起源ニダ(日本語は古代朝鮮語の一方言ニダ!ホルホルホル)とかって主張してるわけだがw

そんでもって、連中は日本語起源の語彙表現を朝鮮語から駆逐を試みたりしちゃってるわけだけど、
無論それは絶対に不可能なことだ。もう不可能なほどに現代朝鮮語は日本語的な表現に侵食されてるから。
要はあからさまに日本的な語彙だけを朝鮮語上から排除して、
残りの日本的語彙は元からあったのごとく平然と朝鮮語内に取り込もうという魂胆なわけだ。ホルホルホル。
51名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:40:59
前スレで"朝鮮語はこれから100年かけて高級高等な言語に進化していく"
などと書き込んでいた人がいたっけ

僕はそれに感動した。何から何まで急速に発達していく現代において
現代朝鮮語のコレカラを100年範囲で見詰めているなんて・・・。なんて素晴しいんだ。
52名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:46:53
伊58は二度と書き込むなよ。
類は類を呼ぶ。低脳が書き込みをすれば
同じような低脳が続けて書き込みを始める。
そうすると荒れるからな。
53名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 01:53:55
>>44

自分は>>37じゃないが、
むしろ違和感ないほうが怖いキガス。
54p-a:2006/03/29(水) 02:56:12
>>42

例が悪かったんだね。
別なものをいくらか挙げる――

(2)ここからではあの少年は見ることはできないだろう。
(3)あの女のとなりにいる人のほうがまずわかってきたようだ。
(4)この部屋は以前にやって来たことがある。

「は」や「が」という助詞は、それじたいで別々な異なる機能をいくつも持っている。
それらを会話や物書のなかで使いこなすには、やっぱり土着の者でないかぎりはだいぶ努力しなければいけない。
上の例文(2)は、捉え方によって、「あの少年」が主格であるとも目的格であるとも受けとれる。
(3)の「人」の格についても同じだ。
(4)の「この部屋」の格がどれであるかについて悩む人はいないだろうけれど、
文そのものが「この部屋」を目的格として明確に仕立てあげるための論理を欠いている例にあたる。
なにはともあれ。
主語があったりなかったりするという日本語文の特徴ゆえに、そこにおける言葉の格がはっきりしない場合がよくある。
どの格であるかは文脈によって決定する。文そのものはこれを定義しない。
重要なのはそこだ。
一つの文が、自身を構成する語それぞれの性格をちゃんと定義できない、という件が存在することは、
当の文の記号体系を担っている言語(日本語)そのものが論理上のなにかしらの不備を内包している、ということだ。
日本語文の内容を理解するうえではときとしてそのように
「文脈」あるいは「慣例的情報」あるいは[>>36]でふれられている「談話法的省略規則」に依拠しなければいけなくなる。
それは、文そのものが有している論理的構造以外のものにたいする依存を日本語がどこかで有している、ということだ。
そしてそういった慣習的情報というのは実に特有文化的なものであって、可変的であるし、普遍的ではない。
日本語は、普遍的な意味機構としての論理とは別な土台のうえに片足(あるいは両足)を乗せている、ということ。
55p-a:2006/03/29(水) 03:09:42
>>54

(5)黒い髪の綺麗な女の子

これは文ではなく体言のみの例。
ここでは、「黒い」と「綺麗な」という形容詞がそれぞれどの言葉に係っているのかがはっきりしていない。
「黒い色をした髪」なのか、
「黒い肌の女の子」なのか。
「髪が綺麗な」なのか、
「女の子が綺麗な」なのか。



(6)力の限りを振りしぼって

これは用言のみの例。
言っていることを「推察できる」けども、よくよく考えてみると、それが論理的な言葉立ではないのがわかってくる。
「限り」あるいは「限界」を振ったり絞ったりするというのはおかしい。
意味は伝わるけれど、言葉立じたいは論理的じゃない。
こういった例はたぶんフランス語や英語にも見つかるのだろうけれど、
用例数では、日本語における機会のほうが多いはずだ。
56p-a:2006/03/29(水) 03:10:35
>>55

(7)私にはまったく区別がつかない。

いかにも日本語らしい言い方だ。
これを論理的に正しく言い換えるとすれば「私からは区別をまったくつけれない」といったかんじになるのだけど、
そういうふうに話す日本人というのは一般的じゃないよね。
「区別できない」という無力の本体は「私」であるものの、
日本人はそういった場面において主体の在り処をはっきりとは記述しない性癖を昔から伝統的に抱えている。
わるく言えば、「責任の在り処」に関する言及を避けてきた。
政治的言語が肝要である場で陰湿な汚職を日本が頻繁に経験しがちなのは、もしかすると、
日本語のそういった曖昧な指示形式によることなのかもしれない。
57p-a:2006/03/29(水) 03:11:20
>>56

(8)私はあなたと一緒にいられるほうが幸せなの。

受動態と能動態とをちゃんと使い分けない日本人はたくさんいる。
というか、日本人はやたらと受動態を用いたがる(……英文を書くときなんかもそうだ)。
「いられる」は受動態だが、上の例文(8)における用途としては適さない。
正しくは「いれる」だ――「私はあなたと一緒にいれるほうが幸せなの」。
ただしこれは日本語の根本的な難点ではない。日本語の使い手のほうの問題だ。
ここで見落としてはいけないのが、「使われた日本語は、日本語である」ということだ。
日本語が非論理的に使われれば、非論理的な日本語ができる、ということ。
そのせいで「日本語は論理性を欠いた言語だ」と指摘されてもおかしくはない、ということ。
58p-a:2006/03/29(水) 03:34:01
>>46

「、」や「。」に関する見直しだけでなく、「:」や「;」なんかの導入もいいかもしれません。
一つの命題にたいする補助的な情報を加えようとすればするだけ主部と述部との間が開いていってなにがなんだかわからなくなってしまう日本語にとって、
コロンやセミコロンを接続詞のように用いることにはだいぶ利便があるのではないでしょうか。
長くてわかりにくい文を書くより、短い文をそういった記号でつなげて書く、ということです。
日本語には英語の「which」や「whom」といった便利な接続詞やその構文法は無いけれど、
その機能をコロンやセミコロンでいくらか代用できると思われます。

ただしそうなると、「:」や「;」と、伝統的な「、」や「。」との共存における、視覚的な乱れが気になってきます。
英文での「:;,. 」の共存には統一感があるけれど、
和文での「:;、。」はいささか汚いかんじがするのです。
「:;,.」と書けばいいのでしょうが(そしてそれはパソコンのキーボード設定による変更がきくものでもありますが)、
僕としては「、」や「。」のかわいらしさが惜しかったりします。

そもそも、コロンやセミコロンは縦書では使えないんですね。
日本語を縦に書く習慣が今では廃れてきたらしいとはいえ。
59p-a:2006/03/29(水) 03:37:09
>>47

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「一読して分かりづらい」ことと、「論理が明瞭でない」では意味が違うよ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

すると、「一読して分かりづらい」文を生む要因とは何なのでしょうか。
60名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 03:45:22
>>38
> 北海道札幌方面の警察署の巡査長(35)が女性を盗撮目的で勤務する警察署の女子トイレに侵入していたことが28日、分かった。
「盗撮目的で」はまずいが、ここを「盗撮する目的で」に変えれば、何の問題もない日本語。
「北海道札幌方面の警察署の、35 歳の巡査長が、女性を盗撮する目的で、勤務する警察署の女子トイレに侵入していたことが、28日に分かりました」は、ラジオのニュース原稿としても悪くない。
61p-a:2006/03/29(水) 03:46:27
>>49

――――――――――――――――――――――――――――――
露文を読むようになると、
標準的な英文のコンマの打たれ方に不満を覚えるようになるから。
――――――――――――――――――――――――――――――

そうなんですか?
それはどういったかんじの不満ですか?
62名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 04:23:53
>>54
> (2)ここからではあの少年は見ることはできないだろう。
> (3)あの女のとなりにいる人のほうがまずわかってきたようだ。
> (4)この部屋は以前にやって来たことがある。
> 「は」や「が」という助詞は、それじたいで別々な異なる機能をいくつも持っている。
> それらを会話や物書のなかで使いこなすには、やっぱり土着の者でないかぎりはだいぶ努力しなければいけない。
英語の the, a/an という冠詞、名詞の無冠詞単数、無冠詞複数は、それぞれいろいろな機能をもっている。
それらを正確に使いこなすのは、英語ネイティヴでないかぎり不可能に近い。

> 上の例文(2)は、捉え方によって、「あの少年」が主格であるとも目的格であるとも受けとれる。
目的格の場合、抑揚に拘らなくて済む。英語で、Perhaps we can't see that boy from here. という文を、that boy を主題にして発話するときの、抑揚のつけ方は難しい。

> (3)の「人」の格についても同じだ。
「わかってきた」と確言していないので、主体は話者自身でない可能性が高い。目的格と解釈する人はまずいない。

> (4)の「この部屋」の格がどれであるかについて悩む人はいないだろうけれど、
> 文そのものが「この部屋」を目的格として明確に仕立てあげるための論理を欠いている例にあたる。
目的格であることは自明であり、それを明示する論理よりも、それが文の主題であることを明示する論理の方を、日本語は大切にする。
63名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 04:24:29
>>54
> 主語があったりなかったりするという日本語文の特徴ゆえに、そこにおける言葉の格がはっきりしない場合がよくある。
> どの格であるかは文脈によって決定する。文そのものはこれを定義しない。
格は述語によって自動的に決まるから、結局、文が決定していることになる。

> 日本語文の内容を理解するうえではときとしてそのように
> 「文脈」あるいは「慣例的情報」あるいは[>>36]でふれられている「談話法的省略規則」に依拠しなければいけなくなる。
> それは、文そのものが有している論理的構造以外のものにたいする依存を日本語がどこかで有している、ということだ。
英語の冠詞の用法などは、完全に文脈に依存している。
談話法的省略規則は、規則である以上、個々の文脈からは独立していて、普遍的だ。ただ、まだよくわかっていない点が多い。
64名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 04:31:59
>>55
> (5)黒い髪の綺麗な女の子
> 「黒い肌の女の子」なのか。
「??黒い女の子」という phrase はおかしいので、その解釈はない。

> (6)力の限りを振りしぼって
日本語として誤用っぽい。「力の限り」「力を振り絞って」どちらかでよい。
65名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 04:50:26
>>56
> (7)私にはまったく区別がつかない。
日本語のガ格は、単に文表現上の主役というだけのことで、「私ガ」と言わないから「私」の無能に責任がないということには、絶対にならない。

>>57
> (8)私はあなたと一緒にいられるほうが幸せなの。
> 「いられる」は受動態だが、上の例文(8)における用途としては適さない。
「いられる」は受動態ではなく、可能態。「いる」のような自動詞を受動態にすると、十中八九、迷惑・被害の意味が生じるので、「幸せなの」とは結びつかない。

> 日本語が非論理的に使われれば、非論理的な日本語ができる、ということ。
> そのせいで「日本語は論理性を欠いた言語だ」と指摘されてもおかしくはない、ということ。
その日本語の使い手の思考が非論理的なだけで、日本語そのものには完璧な論理が存在する。
日本語で論理的に表現することはいくらでもできる。それを聞いたり読んだりして「非論理的だ」と感じるのは、日本語の力が不足しているだけ。
66p-a:2006/03/29(水) 08:36:23
>>62

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
英語の the, a/an という冠詞、名詞の無冠詞単数、無冠詞複数は、それぞれいろいろな機能をもっている。
それらを正確に使いこなすのは、英語ネイティヴでないかぎり不可能に近い。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

それらを正確に使いこなすのは、英語ネイティヴでない人にとって不可能に近い作業ではありません。
よく考えなおしてみてください。
67p-a:2006/03/29(水) 08:37:00
>>62
――――――――――――――――――――――――――――――――
目的格の場合、抑揚に拘らなくて済む。
英語で、Perhaps we can't see that boy from here. という文を、
that boy を主題にして発話するときの、抑揚のつけ方は難しい。
――――――――――――――――――――――――――――――――

あなたが何を言いたいのかが僕にはわかりません。
68p-a:2006/03/29(水) 08:37:39
>>62
―――――――――――――――――――
> (3)の「人」の格についても同じだ。

「わかってきた」と確言していないので、
主体は話者自身でない可能性が高い。
目的格と解釈する人はまずいない。
―――――――――――――――――――

(3)あの女のとなりにいる人のほうがまずわかってきたようだ。

「あの女のとなりにいる人」のほかに、「部屋の隅で煙草を吸っている男」がいるとする。
そして「僕」がいるとする。
(同じ部屋の中に、「僕」を合わせてとりあえず4人の人物が存在する。)
「僕」は当初、部屋の中にいる自分以外のどの人物についても心当たりが無かった。
時間が経つにつれて、「あの女のとなりにいる人」の手の甲にある深い傷に見覚えのあることを「僕」は気づいた。
それから「僕」はその「あの女のとなりにいる人」のことを段々と思い出してきた。
ひょっとすると、「あの女」あるいは「部屋の隅で煙草を吸っている男」のほうが「僕」はよく知っているはずだったのかもしれない。
だけども「僕」の頭はその時まだ朦朧としていて、自分の記憶をちゃんと活用できないでいた。
ひとまず、ほかの人物たちのことがわかる前に、
「あの女のとなりにいる人」のほうがまずわかってきたようだ。
69p-a:2006/03/29(水) 08:39:52
>>63
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
> 主語があったりなかったりするという日本語文の特徴ゆえに、
> そこにおける言葉の格がはっきりしない場合がよくある。
> どの格であるかは文脈によって決定する。文そのものはこれを定義しない。

格は述語によって自動的に決まるから、結局、文が決定していることになる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

単語の格を設定するのは述語ではなくて格助詞です。
「彼はコンビ二へ行った」という文における「コンビニ」を目的格に仕立てあげているのは、
述語「行った」ではなく、格助詞「へ」です。
70p-a:2006/03/29(水) 08:40:29
>>69

(2)ここからではあの少年は見ることはできないだろう。

この例文で問題となっているのは、
「あの少年」の格を設定するべく隣接している「は」という格助詞の働きそのものが文の中で特定されていない、
という状態です。
「は」は、
主格をつくることもあれば目的格をつくることもあり、
連用修飾を強調することもあれば仮定条件を提示することもあり、
さらには詠嘆を示すこともあります。
例文(2)の主部を構成する「は」のそのように多様な指示機能は、
あなたの考えにしたがえば、
述部「見ることはできないだろう」によって特定的に設定されていることになります。
でもそういうことにはなっていません。
なぜなら、
「あの少年は」という主部そのものが
「見ることはできないだろう」という述部の働きを自身に従属させてもいるからです。
文法的性格の構造がどっちつかずにある、ということです。
例文(2)は、次に示すような文法構造の複岐化による論理上の危脆を抱えることとなっています――

(い)C (S) O V =ここからでは(我々は)その少年は見ることはできないだろう。
(ろ)C S (O) V =ここからではその少年は(あの建物を)見ることはできないだろう。

文そのものが、それの内包する言葉たちの格を結局的に決定できる、
という秩序を日本語がほんとうに有しているのならば、
例文(2)を構成する語一つ一つの役割が上の(い)や(ろ)といったふうに多様化することはなかったはずです。
71p-a:2006/03/29(水) 08:41:00
>>70

日本語における単文は、そのようにして、
それじたいでは自身の内容を論理的には構築しきれない、
という性格のうえに成立することがごく頻繁にあります。
それによって、文の内容を読み手が理解するためには、
記号システムとしての言語じたいが有する論理秩序とは別な、慣習的な情報を
彼は参照しなければいけない、
ということもまたごく頻繁に起こってくるわけです。
72p-a:2006/03/29(水) 08:41:55
>>63
――――――――――――――――――――――――――――――
談話法的省略規則は、規則である以上、個々の文脈からは独立していて、普遍的だ。
――――――――――――――――――――――――――――――

談話法的省略規則(と呼ばれているもの)は、
歴史的に醸造された内輪的な情報として存在しているのであって、
普遍的な指示システムを有しているわけではありません。

あなたは、慣例性と普遍性とを区別した物言いをしていません。
「近松門左衛門」という人名のどこからどこまでが姓でどれが名なのかを把握するのを助けてくれる情報が文面上に表れてはいない、
といった状況を生み出している日本の談話法的省略規則は、
1+1が2であることを説明しなくてもいいという状況を準備した普遍性とは異なるものです。
これらは区別される必要があります。
73p-a:2006/03/29(水) 08:44:38
>>64
――――――――――――――――――――――――――――――
> (5)黒い髪の綺麗な女の子
> 「黒い肌の女の子」なのか。

「??黒い女の子」という phrase はおかしいので、その解釈はない。
――――――――――――――――――――――――――――――

「あの子って黒いよね」といった言い回しを日本の高校生がするのをあなたは知らないのですか?
あるいは、ネグロイドの女の子を形容するうえで要される phrase をあなたは予期できないのですか?
74p-a:2006/03/29(水) 09:04:14
>>65
――――――――――――――――――――――――――――――
> (8)私はあなたと一緒にいられるほうが幸せなの。
> 「いられる」は受動態だが、上の例文(8)における用途としては適さない。

「いられる」は受動態ではなく、可能態。
「いる」のような自動詞を受動態にすると、十中八九、迷惑・被害の意味が生じるので、「幸せなの」とは結びつかない。
――――――――――――――――――――――――――――――

いいえ、「いられる」は可能態ではありません。
それは日本人(なかんずく東京の人)がよくする誤解なのです。
まず、下に示す動詞の変化の仕方を観てください――

やる(yar-u/能動態) やれる(yar-er-u/能動態の可能態) やられる(yar-ar-er-u/受動態)

うつす(utsus-u/能動態) うつせる(utsus-er-u/能動態の可能態) うつされる(utsus-ar-er-u/受動態)

たたく(tatak-u/能動態) たたける(tatak-er-u/能動態の可能態) たたかれる(tatak-ar-er-u/受動態)

もむ(mom-u/能動態) もめる(mom-er-u/能動態の可能態) もまれる(mom-ar-er-u/受動態)

かう(kaw-u/能動態) かえる(kaw-er-u/能動態の可能態) かわれる(kaw-ar-er-u/受動態)

たつ(tat-u/能動態) たてる(tat-er-u/能動態の可能態) たたれる(tat-ar-er-u/受動態)
75p-a:2006/03/29(水) 09:06:55
>>74

――日本語において、
音素「-u」は能動態の原型を、「-er-u」は能動態の可能態を、そして「-ar-er-u」は受動態を形成します。
次にこれを観てください――

いる(ir-u/能動態) いれる(ir-er-u/能動態の可能態) いられる(ir-ar-er-u/受動態)

――こういうことなんです。
「いられる」は可能態ではなく受動態の言葉です。
もっとも、それを用いる機会なんてあまり無いのですが。
76名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 09:21:00
>>1
日本語を放棄しなさい。
77名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 12:00:53
>>66
> それらを正確に使いこなすのは、英語ネイティヴでない人にとって不可能に近い作業ではありません。
不可能に近い。日本語のハとガの使い分けが、日本語ネイティヴでない人にとって非常に困難なのと似ている。
英語の冠詞の使い分けは、完全に文脈情報に依存していて、文の中の規則では決まらない。よく考え直してみなさい。

>>67
> > 英語で、Perhaps we can't see that boy from here. という文を、
> > that boy を主題にして発話するときの、抑揚のつけ方は難しい。
> あなたが何を言いたいのかが僕にはわかりません。
that boy に卓立 (prominence) を与えるかどうかで、大きく意味が変わってしまう。
たしか、that boy を話題としているときは、卓立を与えてはいけない。日本語は話題の標示をハによって行うので、そんな英語の話し方は、日本人には難しい。

>>68
> ひとまず、ほかの人物たちのことがわかる前に、
> 「あの女のとなりにいる人」のほうがまずわかってきたようだ。
日本語の「の方」は、2 つのものしか対比できないので、そんな解釈はとれない。

>>69
> 「彼はコンビ二へ行った」という文における「コンビニ」を目的格に仕立てあげているのは、
> 述語「行った」ではなく、格助詞「へ」です。
格助詞「へ」を指定しているのは述語「行った」。だから、話し言葉で「彼はコンビニ行った」と無助詞にしても、そこには格助詞「へ」または「に」があるはずだとわかる。
78名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 12:26:27
>>70
> (い)C (S) O V =ここからでは(我々は)その少年は見ることはできないだろう。
> (ろ)C S (O) V =ここからではその少年は(あの建物を)見ることはできないだろう。
> 文そのものが、それの内包する言葉たちの格を結局的に決定できる、
> という秩序を日本語がほんとうに有しているのならば、
> 例文(2)を構成する語一つ一つの役割が上の(い)や(ろ)といったふうに多様化することはなかったはずです。
「我々は」「あの建物を」が省略されるのは、一定の談話法的規則に従っている。
談話法も広義の文法であり、文章が与えられれば曖昧さは全く無くなる。1 文の中で解決しないから「非論理的」と決めつけるのは、視野狭窄。

>>71
> それによって、文の内容を読み手が理解するためには、
> 記号システムとしての言語じたいが有する論理秩序とは別な、慣習的な情報を
> 彼は参照しなければいけない、
> ということもまたごく頻繁に起こってくるわけです。
談話法的省略規則は、まさしく「記号システムとしての言語じたいが有する論理秩序」に属する。

>>72
> 談話法的省略規則(と呼ばれているもの)は、
> 歴史的に醸造された内輪的な情報として存在しているのであって、
> 普遍的な指示システムを有しているわけではありません。
普遍的な指示システムだから、規則に従えば誤解は生まない。
規則に反した解釈は、屁理屈として斥けられる。

> あなたは、慣例性と普遍性とを区別した物言いをしていません。
慣例の話などしていない。全部規則として日本語ネイティヴの頭の中に書かれているから、普遍的だ。
79名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 12:45:21
>>73
> 「あの子って黒いよね」といった言い回しを日本の高校生がするのをあなたは知らないのですか?
「??黒い女の子」の正当性をなんら保証しない。

> あるいは、ネグロイドの女の子を形容するうえで要される phrase をあなたは予期できないのですか?
予期する必要なし。「黒人の女の子」としか言わない。

>>74
> やる(yar-u/能動態) やれる(yar-er-u/能動態の可能態) やられる(yar-ar-er-u/受動態)
> うつす(utsus-u/能動態) うつせる(utsus-er-u/能動態の可能態) うつされる(utsus-ar-er-u/受動態)
> たたく(tatak-u/能動態) たたける(tatak-er-u/能動態の可能態) たたかれる(tatak-ar-er-u/受動態)
> もむ(mom-u/能動態) もめる(mom-er-u/能動態の可能態) もまれる(mom-ar-er-u/受動態)
> かう(kaw-u/能動態) かえる(kaw-er-u/能動態の可能態) かわれる(kaw-ar-er-u/受動態)
> たつ(tat-u/能動態) たてる(tat-er-u/能動態の可能態) たたれる(tat-ar-er-u/受動態)
これらはすべて、いわゆる五段動詞。

>>75
> いる(ir-u/能動態) いれる(ir-er-u/能動態の可能態) いられる(ir-ar-er-u/受動態)
「いる」はいわゆる一段動詞なので、五段動詞とは態の体系が違う。可能態・受動態ともに、共通日本語では「いられる」。
一段動詞の可能態を「見れる」「出れる」のようにする、いわゆる「ら抜き言葉」も、話し言葉では定着しているが、可能態は「いれる」が正しく「いられる」はおかしいなどと言ったら、完全な誤りだ。

> 「いられる」は可能態ではなく受動態の言葉です。
> もっとも、それを用いる機会なんてあまり無いのですが。
「いつまでもうちにいられては困る」などというのは、ごく普通の表現だよ。
80名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 13:54:57
>>8
ラテン語じゃなくて古典ギリシア語じゃないですか?
結局ラテン語が論理的なのも、古典ギリシア語が確立した論理性を
踏襲しているに過ぎないと思うのですが。
81名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 14:08:59
>>54
>どの格であるかは文脈によって決定する。文そのものはこれを定義しない。

それは間違いだと思いますが。
助詞「は」は被付着語句に他との区別を示す意を与えるのであって、
主格を示すものではありません。
これが主格を示す場合には、主格助詞「が」が省略されて、「〜は」になるのですが、
対格や与格を示す場合には、それらの格助詞が省略されず、「〜をは」「〜には」となるので、
文法機能的にどの格なのかを日本語は文そのものにおいて定義しうるのです。
しかし、「〜をは」のをが殆ど省略されている現状は確かに非論理的なのですが。
82名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 14:15:19
>>30
>表意文字である漢字が手伝って、日本語は、少ない語でたくさんの意味を内包する傾向にある。
それはフランス語でもそうだろう。
英語でも固有語に関して言えばそうだし。
日本語の場合和語に関して確かにそういう傾向があるが、漢語がそれを補っている。
日常において漢語を使用する頻度が低いのが問題なんだろうけど。
83名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 15:10:35
多数の語たちで少数の意味を表現する言語って何がある?
やっぱりこれも日本語なんじゃないのか?
後、英語か。
84名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 18:38:13
>>70
>文そのものが、それの内包する言葉たちの格を結局的に決定できる、
>という秩序を日本語がほんとうに有しているのならば、
>例文(2)を構成する語一つ一つの役割が上の(い)や(ろ)といったふうに多様化することはなかったはずです。

「言葉たち」という表現がきもちわるいというのは置いといて、

文そのものが、それの内包する言葉の修飾関係を結局的に決定できる、
という秩序を英語やフランス語がほんとうに有しているのならば、
「眠れる森の美女」という言葉に相当する英語やフランス語の解釈が複数あり得るはずは無いとも言える。


結局のところ、修飾関係の多義性、格関係の多義性といったどの言語にもあるわけだが、
母語であるが故に、このような例が日本語に特に多くあると思ってしまうだけだろう。
85p-a:2006/03/29(水) 19:32:56
>>77

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
> それらを正確に使いこなすのは、英語ネイティヴでない人にとって不可能に近い作業ではありません。

不可能に近い。
日本語のハとガの使い分けが、日本語ネイティヴでない人にとって非常に困難なのと似ている。
英語の冠詞の使い分けは、完全に文脈情報に依存していて、文の中の規則では決まらない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

そうですか。

ちなみに、英語の冠詞の仕分は、完全に文脈情報に依存している、というわけではありません。
次の例文を観てください――

★ She is the most beautiful girl in the class.

ここでの「girl」に係っている「the」は、
文脈ではなく文中の「most」という最上級語からの情報に影響されているものです。
「最上」であるからには、他に上が無い、だから、唯一、
それによって「the」である、ということなのですが。
86p-a:2006/03/29(水) 19:33:33
>>85

「class」に係っている「the」もまた、
かならずしも文脈の情報に依存しているわけではありません。
「she」あるいは「girl」を形容する「the most beautiful」は、
やはりさっき述べた経緯によって、特定的で唯一なる性質を対象に付加するものです。
そこで「class」が不特定的な「a」という冠詞を持ってしまってはおかしいのです。
「a beautiful girl in a class」ならいいのですが、
「the most beautiful girl in a class」はどうもおかしいのです。

「a beautiful girl in a class」と言うか、
「a beautiful girl in the class」と言うか、
「the beautiful girl in the class」と言うか、
「the most beautiful girl in the class」と言うか――
そういった選択肢について非英語ネイティヴの人が「非常な困難」に陥るということが一般化しているとは思えません。
自分の言いたい事柄や状態の分子構造をよく知っていれば、冠詞の選択で悩むことはありません。
そうして自分の伝えたい話の内容を論理的に把握している人にたいして、
その論理をちゃんと文中に反映させれるだけの骨組を英語は持っています。
そしてそれによって発生する英語の法則性あるいは「文法」は、
話し手や書き手の思惑によってとくに派手な変異をしてしまうものではありません。
日本語にはそのような変異が多くあります。
「ハ」と「ガ」には、英語にあるような固定的な法則性が無く、
それらの用途に関する解釈も色々です。
ためしに、広辞苑による「ガ」の説明と、Oxfordによる「a」の説明との対照を観てみましょう。
87p-a:2006/03/29(水) 19:35:34
>>86

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


一〔助詞〕

1(格助詞)

@
体言及び体言に準ずる語に付く。
連体格を示す。
前の体言が後の体言に所有・所属などの関係で続くことを示す。
同じ連体格に「の」があるが、「が」は、
前の体言に「我(わ)」を始めとして話し手側の人間を受けることが多く、
能動的主体としてとらえる。
「の」に比べ、低い敬意で遇するととらえられることもある。


所有・所属を示す。
後の体言が省略された形で使われる場合もある。


後に来る語の数値を具体的に示す。


体言、活用語の連体形に付き、
下の「ごと」「ごとし」「まにまに」「からに」「むた」などの形式名詞の内容を示す。
88p-a:2006/03/29(水) 19:36:36
>>87

A
後に述べることをもたらしたものを示す。


それを生み出したものを取り出して示す。
一般には主語を示すとするが、主語を述語の主体ととらえるとすると、
主体とならない「私が歯を抜いた病院」のような言い方もある。
日本語では具体的な内容の語に付くのが本来で、
「運命が私の一生を変えた」の「運命」のような抽象名詞に付くのは明治以降の言い方。
古くは述語が連体形となったり、条件句であったりなど、従属節の中で用いられた。
中世に終止形で言い切る文でも使うようになった。
同じように主語を示す働きのある「は」との違いを、
「が」は主語を示し、「は」は題目を示す、
あるいは、「が」は初出の情報を示す、「は」は既出の情報を示す等と区別する説もある。

i
(多く話し手を指示する語に付く)自ら進んでそれをもたらしたものを示す。
話し手以外に付く時は、進んでそれをしたとして責める思いのこもることがある。

ii
(話し手以外に付いて)話し手が関わらずに起こった事態のもとになったものを示す。
89p-a:2006/03/29(水) 19:37:17
>>88


後の情意を表す形容詞、可能の表現などに続け、
その原因・条件となったことを示す。
述語の対象を示すととらえる説もある。
現代語では「が」の代りに「を」の使われることもある。

B
活用語の連体形に付いて、その動作主体との位置関係を表す。

C
後の「も」と呼応して「…が…でも」の意。

D
(後に続くべき語句を省略して)驚きや非難の意を込めて示す。

E
代価を表す語を受けて、それ相当の分量を表す。
90p-a:2006/03/29(水) 19:37:54
>>89

2(接続助詞)
活用語の連体形を受ける。

@
前後の句を接続し、共存的事実を示す。
「…ところ」などの意。

A
転じて、前後が反対の結果になり、食い違う事柄に移行したりする意を表す。

B
下文を略して、不審や不安を表明したり軽い感動を表したりする。

C
推量の助動詞を受けて二つの事柄を列挙し、そのいずれにも拘束されない意を表す。
…と。…とも。
91p-a:2006/03/29(水) 19:38:54
>>90

3(終助詞)

@
相手の注意をうながしたり、念を押したりする。
「…が、それでよいが」「…ぞ」の意。

A
(疑問の「か」の転ともいう)希望を表す。
上に「し」「てし」「にし」を添えて「しが」「てしが」「にしが」とする。
また「がな」「がも]「もが」「もがな」「もがもな」となることもある。
後世には「がな」が主に用いられた。

二〔接続〕

(接続助詞からの転用)であるが。だが。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
92p-a:2006/03/29(水) 19:39:58
>>91

以上が、広辞苑による「ガ」の説明。
次は、Oxfordによる「a」の説明。

――――――――――――――――――――――――――――――――
A /eI/

noun

1 the first letter of the English alphabet

2 the 6th note in the scale of C Major

3 the highest mark/grade that a student can get for a piece of work or course of study

4 used to represent the first of two or more possibilities

5 used to represent a person, for example in an imagined situation or to hide their identity
――――――――――――――――――――――――――――――――
93p-a:2006/03/29(水) 20:03:14
>>92

以上です。
この違いがわかりますか。
英語における「a/an」といった冠詞にまつわる解釈は、
日本語の「ガ」といった語にまつわるそれが有しているような多様性が無いのです。
そもそも、解釈で用いられる「体言」だとか「連体格」といった言葉そのものが
ちゃんとした定義を与えられないままに説を分けていたりもするみたいなのです。
日本語の構造およびそれを解するための作業はあまりにも複雑です。
「普遍的な論理」といったものがそこに欠けているからです(まったく存在しないというわけではありません)。
「ガ」はまだいいほうかもしれません。「ノ」とか、日本語辞書で引いてみてください。事態はより煩雑としてきます。
94p-a:2006/03/29(水) 20:06:22
>>93

また、広辞苑にみられる、日本人による日本語の解釈の仕方に注目してください。
次のような説明句がたくさんあります――
「……と用いることが多く」
「……というように使われる場合もあり」
「……ということもある」
「……とする説もある」
これらは明らかに慣例的情報にたいする日本語秩序の依存を示す説明の仕方です。
そしてこれは一種の言語学的な混沌をもたらしているともいえます。
解釈を統一しきれない、とか、説明の内容を一般化しきれない、という混沌です。
あなたはそこになにかしらの「論理」を見いだしているようですが、
そうだとするとそれはかなり「深奥」なる「論理」であって、
人間にとって掴みどころのないものであると考えられます。
95名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 20:09:23
アンカーの打ち方が間違ってるよ >p-a
96p-a:2006/03/29(水) 20:16:51
>>67
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
英語で、Perhaps we can't see that boy from here. という文を、
that boy を主題にして発話するときの、抑揚のつけ方は難しい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

>>77
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
that boy に卓立 (prominence) を与えるかどうかで、大きく意味が変わってしまう。
たしか、that boy を話題としているときは、卓立を与えてはいけない。
日本語は話題の標示をハによって行うので、そんな英語の話し方は、日本人には難しい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

わかる気がします。
でもそういうのって、
その人にとって異質である言語ならばあたりまえのように伴う難しさですよね。
英語人が日本語について感じる難しさ、
日本語人が英語について感じる難しさ、
そういった難しさを生む内輪的な「談話法的省略規則」がめいめいに存在するのは当然です。
僕が言いたいのは、
そのような「見えない規則」が、日本語においては、
口言葉のみならず書言葉をも支配している、
ということです。
しかもその程度が深いのです。
論理的実体としての文法を学ぶことがそれほどの助けにはならない、
それが日本語の生徒の覚える現実なんです。
日本語を構成しているのは、なにかしらの非論理的実体なんです。
97p-a:2006/03/29(水) 20:18:52
>>77
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
> ひとまず、ほかの人物たちのことがわかる前に、
> 「あの女のとなりにいる人」のほうがまずわかってきたようだ。

日本語の「の方」は、2 つのものしか対比できないので、そんな解釈はとれない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

本気でそんなことを言ってるんですか?
ラーメンがおいしいと評判の店を街で探すとき、
あなたの足は「北」の方と「南」の方とにしか向かないのですか?
98名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 20:48:57
>>94
>>92を読めば英語でaを正確に使いこなせるのであれば、それで有ってるんだろうけど、
英語話者以外なら無理なんじゃないの?


>>92
言いたいことがよくわからないので、>>68の3についてもう一回説明たのむ。
99p-a:2006/03/29(水) 20:50:04
>>77
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
> 「彼はコンビ二へ行った」という文における「コンビニ」を目的格に仕立てあげているのは、
> 述語「行った」ではなく、格助詞「へ」です。

格助詞「へ」を指定しているのは述語「行った」。
だから、話し言葉で「彼はコンビニ行った」と無助詞にしても、そこには格助詞「へ」または「に」があるはずだとわかる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

なるほど。
すると、「行った」がここで「コンビニ」を目的格としているのは何故ですか?

(これについてあなたはまた、「行った」が「述語」だから、と答えるかもしれません。
しかし、自分は「コンビニ」に係っているのだと主張できるような論理的根拠を
述語「行った」そのものは持っていないのです。
「行った」の受け手として「コンビニ」を目的格にするのは、
「へ」という格助詞にほかならないのです。
100p-a:2006/03/29(水) 20:52:34
>>99

また、
無助詞で「彼はコンビニ行った」と言う場合も、
そこに潜在する格助詞「へ」または「に」を日本語人は想定する、
とあなたは上記でおっしゃっていますよね。
すると、やはり格助詞がなんらかの有利な規定能力を持っている、ということですよね。
(そうでないことには、文中に「へ」や「に」が「あるはずだ」と読み手や聞き手があなたの言うように推しはかることは無意味だし、
そもそも格助詞なんてものはどの意義も持たずに存在していなかったはずです。)
規定能力を有する助詞が省略されれば、
なんらかの論理が文面の具体的構造から消失します。
論理的構造をいくらか欠いてしまってもなお機能する、それが日本語です。
日本語を構成しているのは、表層的な論理性以外の何かなのです。
101p-a:2006/03/29(水) 21:26:37
>>78
――――――――――――――――――――――――――――――
「我々は」「あの建物を」が省略されるのは、
一定の談話法的規則に従っている。
談話法も広義の文法であり、
文章が与えられれば曖昧さは全く無くなる。
1 文の中で解決しないから「非論理的」と決めつけるのは、視野狭窄。
――――――――――――――――――――――――――――――

論点がずれていたのかもしれません。
僕が問題としているのは、
日本語の文が単体で有せる論理性です。
文(sentence)というのは、
その複合体である文章や分子体である文節と違って、
一つの命題(proposition)を成立させる構造そのものを基本とするのです。
西欧においては、「logic」を学ぶにあたってまず「sentence」のことを吟味します。
なぜなら一つの完結した文そのものが論理の基本的な単位だからです。
あなたの言うように、文章全体も、一つの広大な理路を形成する骨組です。
だけどもそのように広大な理路というのは、
それを象る一つ一つの単文そのものの論理性いかんで具合が変容するものです。
つまり、当の文章の内容の受け取られ方は多様化しうる、ということです。
一つの理路を提示するうえで「複数の文」を必要とするような言語システムは、それだけ、
異なる文どうしを結びつけて特定の意味を作るうえで要される形式が
普遍性を離れてより人為的というか通俗的となります。
実はこの形式が談話法的規則なのですが、
それはあなたの言うような「一定の」様式を持ってはいません。
これがかりに「一定の」ものであれば、
日本語の解釈がたとえば広辞苑のそれのようには煩雑としていなかったはずです。
102名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 21:29:55
>>85
> ★ She is the most beautiful girl in the class.
> ここでの「girl」に係っている「the」は、
> 文脈ではなく文中の「most」という最上級語からの情報に影響されているものです。
↓ここ行ってごらん。
http://www.google.co.jp/search?as_q=&num=100&hl=ja&c2coff=1&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&as_epq=a+most+beautiful+girl&as_oq=&as_eq=&lr=lang_en&as_ft=i&as_filetype=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=&as_rights=

>>86
> 「the most beautiful girl in a class」はどうもおかしいのです。
↓ここ行ってごらん。
http://www.google.co.jp/search?as_q=&num=100&hl=ja&c2coff=1&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&as_epq=the+most+beautiful+girl+in+a+class&as_oq=&as_eq=&lr=lang_en&as_ft=i&as_filetype=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=&as_rights=

> そういった選択肢について非英語ネイティヴの人が「非常な困難」に陥るということが一般化しているとは思えません。
英語の冠詞と似た形式がある言語を母語とする人については知らないが、日本人にとってはきわめて (おそらく英文法のなかでいちばん) 難しい。

> ためしに、広辞苑による「ガ」の説明と、Oxfordによる「a」の説明との対照を観てみましょう。
広辞苑の方が OED より親切でくわしいということを示しているにすぎない。

>>92
> 次は、Oxfordによる「a」の説明。
この説明を読んで、日本人が英語の不定冠詞 a を適切に使えるようになることは、絶対にない。

>>93
> そもそも、解釈で用いられる「体言」だとか「連体格」といった言葉そのものが
> ちゃんとした定義を与えられないままに説を分けていたりもするみたいなのです。
ちゃんとした共通理解はある。君が知らないだけ。
103名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 21:30:46
>>94
> あなたはそこになにかしらの「論理」を見いだしているようですが、
> そうだとするとそれはかなり「深奥」なる「論理」であって、
> 人間にとって掴みどころのないものであると考えられます。
日本語ネイティヴなら、その論理を完全に把握している。成文法であって慣例ではない。破れば十分に理解されないという罰則を受ける。
日本人が英語を使う時に、日本語の論理が妨げになるということは、ありそうな話だ。しかし、日本語自体が非論理的ということはありえない。

>>96
> 僕が言いたいのは、
> そのような「見えない規則」が、日本語においては、
> 口言葉のみならず書言葉をも支配している、
> ということです。
何について述べている文かということは、非常に重要な論理であるはずなのに、英語の書き言葉ではそれは標示されない。
英語の方が日本語より「非論理的」だということ。

> 論理的実体としての文法を学ぶことがそれほどの助けにはならない、
> それが日本語の生徒の覚える現実なんです。
> 日本語を構成しているのは、なにかしらの非論理的実体なんです。
日本語の文法論がまだまだ不備であることは認めざるを得ないが、談話法的規則は明確な論理であり、そのことを疑う日本人はいない。

>>97
> ラーメンがおいしいと評判の店を街で探すとき、
> あなたの足は「北」の方と「南」の方とにしか向かないのですか?
意味がわからない。「この店のラーメンの方がおいしい」と言うとき、比較の対象になる店は 1 軒しかない。
104p-a:2006/03/29(水) 21:40:32
>>78
――――――――――――――――――――――――――――
談話法的省略規則は、
まさしく「記号システムとしての言語じたいが有する論理秩序」に属する。
――――――――――――――――――――――――――――

ただし、日本語のそれは、
「人間の知能によってはそれを論理として認識できないような秩序」です。
先ほど僕が挙げた広辞苑による「ガ」の説明について
どれだけの人がそこに一貫した秩序すなわち「論理」を見いだせるか、
アンケートを取ってみるのもいいかもしれません。
辞書の編纂者自身が
一つの語(一文字?)を説明するのに多岐にわたる項目を用意しなければいけなかったり
「……という使い方がなされる場合もある」
といった無定見な言説を使いまくらなければならないような状況なんですよ。
105名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 21:41:02
>>99
一般的には「へ」は目的格とは言わないよ。

>「へ」が無くても「コンビニ」が行き先であることがわかる根拠
目的地を行く、目的地が行く、目的地と行く、
目的地で行く、目的地より行く、目的地から行く
といったつながりはあり得ないから

>>100
>規定能力を有する助詞が省略されれば、
>なんらかの論理が文面の具体的構造から消失します。
そのとおり。
だから助詞を省略しすぎると意味が通じなくなる。

>>101
英語に於いても日本語に於いても、文章の内容の受け取られ方は多様だよ。
いかなる言語においても多義性の無い分・文章は書き得ない。

英語においても、aやtheの用法を説明を完全にしようとすれば、
十数行にはおさまらない。
それをしない英語辞書は、怠慢というより、
英語話者が利用する辞書に、何百行も書く必要が無いと言うことだろう。
106名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 21:41:57
The stew is cooking on the stove.
なんていう英語がマトモだと聞くと、なんか違うだろうっていう風に思う
わけだ。これが論理的言語なのか?
107名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 21:47:17
>>104
ここは演説をする場ではない。
一方的に意見を述べるならブログに書くか、HPを立ち上げるかする方がいいと思う。

で、
>>104は英語辞書のaの説明で「a」を使いこなせるようになれる?
あと、英語のa,theの使い分けには一貫した秩序すなわち「論理」っていうものは見いだされるの?
108p-a:2006/03/29(水) 21:51:05
>>78
――――――――――――――――――――――――――――
(談話法的省略規則は)普遍的な指示システムだから、
規則に従えば誤解は生まない。
規則に反した解釈は、屁理屈として斥けられる。
――――――――――――――――――――――――――――

それはどの程度に「普遍的な」ものなのでしょうか?
かつての薩摩人の日本語のみならず、
そのほかのたくさんの地方における日本語と、
標準的な日本語とのあいだには、
いったいどれだけの普遍性あるいは共通性があるのでしょうか?
イギリスで話される英語にもたくさんの「方言」がありますが、
日本語のそれはまったく性質の異なる顕著なものです。
発音だけでなく文構造そのものが各地にわたって多様化しています。
109p-a:2006/03/29(水) 21:55:54
>>78
――――――――――――――――――――――――――――
(談話法的省略規則は)
全部規則として日本語ネイティヴの頭の中に書かれているから、普遍的だ。
――――――――――――――――――――――――――――

だから、そうじゃないでしょ。
東京で育った人は、青森の人の日本語がわからなかったりするでしょ。
110p-a:2006/03/29(水) 22:00:47
>>79
――――――――――――――――――――――――――――
> 「あの子って黒いよね」といった言い回しを日本の高校生がするのをあなたは知らないのですか?

「??黒い女の子」の正当性をなんら保証しない。
――――――――――――――――――――――――――――

言葉の使い方の「正当性」ってなんですか?
111名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:01:23
>>99
> しかし、自分は「コンビニ」に係っているのだと主張できるような論理的根拠を
> 述語「行った」そのものは持っていないのです。
述語「行った」は、それ自体が「コンビニ」を受けているのだと主張できるような論理的根拠を持っている。

>>100
> すると、やはり格助詞がなんらかの有利な規定能力を持っている、ということですよね。
そのとおり。動詞が補語の格を指定する力と、格助詞の力とが、二重にはたらいている。
格助詞を落としても通じる場合と、落とせない場合とが、別に規定されている。

> 日本語を構成しているのは、表層的な論理性以外の何かなのです。
表層的ではないかもしれないが、論理性であることは間違いない。
112名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:08:54
>>101
> 実はこの形式が談話法的規則なのですが、
> それはあなたの言うような「一定の」様式を持ってはいません。
> これがかりに「一定の」ものであれば、
> 日本語の解釈がたとえば広辞苑のそれのようには煩雑としていなかったはずです。
安定した様式を持っており、日本語の文章は、それに従って書かれている。従っているかぎり誤解は起こらない。
広辞苑は別に談話法的規則の記述を目指していない。通時論と共時論とを区別せず、諸学説をそのまま紹介するという、百科事典的な書き方をしている。
113名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:13:10
>>104
> ただし、日本語のそれは、
> 「人間の知能によってはそれを論理として認識できないような秩序」です。
たぶん認識できる。日本語が国際語じゃないので、研究者の知恵が集まらないだけ。

> 先ほど僕が挙げた広辞苑による「ガ」の説明について
> どれだけの人がそこに一貫した秩序すなわち「論理」を見いだせるか、
> アンケートを取ってみるのもいいかもしれません。
論理はネイティヴの頭の中にあるんであって、広辞苑にはない。
114p-a:2006/03/29(水) 22:17:31
>>79
――――――――――――――――――――――――――――
「いる」はいわゆる一段動詞なので、五段動詞とは態の体系が違う。
可能態・受動態ともに、共通日本語では「いられる」。
一段動詞の可能態を「見れる」「出れる」のようにする、
いわゆる「ら抜き言葉」も、話し言葉では定着しているが、
可能態は「いれる」が正しく「いられる」はおかしいなどと言ったら、完全な誤りだ。
――――――――――――――――――――――――――――

次の文を考えてください。

★ 「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだよなあ。」

上の「いられる」を、僕は可能態ではなく受動態として記しました。
あなたにしてみれば、どっちでもかまわないのでしょう。
ところが、あなたの言うように
「いる」については可能態と受動態との区別をする必要はない、
ということになると、
それは一種の「論理の欠乏」につながったりはしませんか?
だって、
主体が客体にたいして動作することと、
主体が客体から動作されることとを、
混同しているわけですよ。
115名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:20:29
>>108
> それはどの程度に「普遍的な」ものなのでしょうか?
共通日本語を使うかぎり、普遍的。

>>109
> 東京で育った人は、青森の人の日本語がわからなかったりするでしょ。
青森の人が共通語を使うかぎり、そんなことは起こらない。少々訛っていても問題ない。

>>110
> 言葉の使い方の「正当性」ってなんですか?
ネイティヴ・スピーカがその使い方をするという事実。
116名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:26:20
>>114
> ★ 「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだよなあ。」
> 上の「いられる」を、僕は可能態ではなく受動態として記しました。
> あなたにしてみれば、どっちでもかまわないのでしょう。
かまうよ。これは受動態。「彼女に」とあるので一目瞭然。
可能態なら「彼女が」でなければならない。
117p-a:2006/03/29(水) 22:29:36
>>81
――――――――――――――――――――――――――――
助詞「は」は被付着語句に他との区別を示す意を与えるのであって、
主格を示すものではありません。
これが主格を示す場合には、主格助詞「が」が省略されて、「〜は」になるのですが、
対格や与格を示す場合には、それらの格助詞が省略されず、「〜をは」「〜には」となるので、
文法機能的にどの格なのかを日本語は文そのものにおいて定義しうるのです。
しかし、「〜をは」のをが殆ど省略されている現状は確かに非論理的なのですが。
――――――――――――――――――――――――――――

主格助詞「が」が省略される、という件ですが、すると、
「〜がは」といったものが格助詞の原形としてある、ということですか?
それが今となっては一般的に使われることはなくなった、と。
すると、本来は論理的だった日本語が、非論理的な言語となってしまった、
ということなんですね。

ちなみに、
外国(すくなくともイギリスやフランス)における日本語の教科書はみんな、
その「非論理的な日本語」を教えるものです。
日本語の教科書が作られる過程では、当然のごとく日本人が関与するはずです。
日本人はどうして、「論理的な日本語」を話したり教えてくれたりはしないのでしょうか。
118p-a:2006/03/29(水) 22:39:31
>>82
――――――――――――――――――――――――――――
>表意文字である漢字が手伝って、日本語は、少ない語でたくさんの意味を内包する傾向にある。

日本語の場合和語に関して確かにそういう傾向があるが、漢語がそれを補っている。
日常において漢語を使用する頻度が低いのが問題なんだろうけど。
――――――――――――――――――――――――――――

中国から漢字を輸入していなかったら?
韓国語とか、漢字の教育を止めてハングルだけでまかなうようになっているみたいだけど、
すると日本語も漢字なしでやっていけたりするのかな。
単語間のスペースを導入したりもして。
(日本語における漢字の機能の一つに、
一つ一つの語を字面上で区分けする、
というのがあるでしょ。)
119名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:43:10
議論に参加できる程の知識が無いのでROMってるけどすごく面白い、もちろん悪い意味じゃなく。
がんがって下さい。
120名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:45:38
121p-a:2006/03/29(水) 22:53:40
>>83
――――――――――――――――――――――――――――
多数の語たちで少数の意味を表現する言語って何がある?
やっぱりこれも日本語なんじゃないのか?
――――――――――――――――――――――――――――

「青少年有害社会環境対策基本法案」とか、ありますよね。
単語が、7つか8つぐらい、くっついてるのかな。
助詞を何一つとして必要としない、すごい凝縮ですよね。
でも、諸概念の結びつきがこんなふうにしてぼやけていたら、
汚職が感づかれたさいに「記憶にございません」と豪語できるのも当然だ。
なにせ証拠となる書類の文面や過去の対話が
そんなふうにして曖昧だったりするんだから。
政治言語を曖昧に記述したりするから汚職が蔓延るかもわからないわけで。
122名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:56:32
世界中の、非ネイティヴも道具として使う国際語となるには、日本語より英語の方が、適したシステムを持っているかもしれないね。それは率直な感想だ。
しかし、日本語自体が非論理的だとか、日本語を使うかぎり論理的な思考はできないとかいうのは、全くの誤り。
日本語には完全な日本語の論理があり、もちろん、日本語で論理的に考えることも、表現することもできる。
ただし、その論理は、非日本語ネイティヴにもわかるような形では、まだ書き記されていない。
123名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 22:59:01
>>108,109
日本語に限らず、英語でもそう。

>>114
>それは一種の「論理の欠乏」につながったりはしませんか?
つながる「事も」あるだろう。
でも、
「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだよなあ。」
「私はあなたと一緒にいられるほうが幸せなの。 」
の2文では「論理の欠乏」にはつながっていない。

>>117
「をは」を使う人は珍しいだろうね。
一応古典ででてくる形では「をば」
「がは」は日本語の歴史において現れたことは無い。

もしも、「がは」「をは」が有れば、体系的だなとは思うが、
有ったら論理的だなとは思わない。

>外国(すくなくともイギリスやフランス)における日本語の教科書はみんな〜
教えているのが非論理的な日本語か論理的な日本語かは重要ではない。
現に通用している日本語を教えているだけのこと。

>>121
英語やドイツ語でも似たような造語法はあるだろう。
International Business Machinesなんて訳のわからない名前の会社が、
それぞれの語の頭だけ取って、IBMって呼ばれたりするんだから。
124名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 23:08:55
英語でも、
I dinna ken.
とかいわれたら、日本語で、「私は知りません」を「おりぁわがんにぇびぇ」というのと
同じレベルで違うと思うわけだ。
125p-a:2006/03/29(水) 23:15:01
>>84
――――――――――――――――――――――――――――
「言葉たち」という表現がきもちわるいというのは置いといて、
――――――――――――――――――――――――――――

そこなんですよね。
日本語を非論理的たらしめている性格として、
「数」に関心が無い、
というのもあるんですよ。
「数」にまつわる意識が薄いということは、
論理にたいする接近が弱いということですよ。
「うちには猫がいて――え? 単数か複数かって? そんなことどうでもいいじゃないか。猫は猫だ。」
という具合ですよね。
でも、たとえば「1匹+1匹」は「2匹」で複数なんですよね。
概念の数値的な適用範囲を積極的に設定したり認識することは、
日本語においてはなかなかできない。
冠詞や複数形といったものが文法としてとくに規定されてはいないから。
ためしに「達」といったものを加えてみると、
「きもちわるい」と返される。

非英語ネイティブの人が英語の冠詞を使いこなすのは不可能に近い、
という意見がある。
ねえ、それは「日本語を話してきた人」にかぎった限界だったりはしませんか?
126名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 23:34:11
>>125
その返事が来るのを期待して書いたよ。
とりあえずはありがとう。

論理学に於いては、文法数というものは無駄なものである。
理由は簡単だ。
無いのか有るのか、つまり0か1以上かの区別が重要なのであって、
1と2以上の区別は重要ではない。

世の中には、双数というものが有る言語もあって、
この言語では双数は2個であることを、複数は3以上であることを表すことになる。
こういう言語からすれば、2個と3個以上を区別しない英語は数にまつわる意識が薄いということになる。

でも、0の場合と1の場合を区別しない言語はあり得ない。
理由はわかるよね。

結局、英語に於いても複数を使ったところで、2個なのか10個なのか或いは10万個なのかわからない。
そういう意味では、p-aさんも、英語を非論理的な言語と言う必要があるだろう。

英語でも、本当に正確に文を書かなければならない場合、
a X or Xsとやらなければならないことになる。
使う人もいるけど、「論理的な文章を書かなければならない一部の人」だけでしょう。

>ねえ、それは「日本語を話してきた人」にかぎった限界だったりはしませんか?
しません。
127p-a:2006/03/29(水) 23:36:48
>>84
――――――――――――――――――――――――――――
文そのものが、それの内包する言葉の修飾関係を結局的に決定できる、
という秩序を英語やフランス語がほんとうに有しているのならば、
「眠れる森の美女」という言葉に相当する英語やフランス語の解釈が複数あり得るはずは無いとも言える。
――――――――――――――――――――――――――――

ここであなたが言っている複数の解釈とはいったい何ですか?

「英語(フランス語)を日本語人が翻訳するにあたって生まれる解釈が幾通りもある」?
あるいは
「英語(フランス語)を英語人(フランス語人)自身が読み解くにあたって生まれる解釈が色々とある」?
あるいは
「「眠れる森の美女」という日本語を日本語人自身が英語(フランス語)で捉える仕方が多様化する」?
あるいは
「「眠れる森の美女」という日本語を英語人(フランス語人)が英語(フランス語)で解す仕方が多岐化する」?
128名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 23:41:18
>>126
ところでさ。
日本語や中国語には、量化詞の類がかなり発達しているわけだ。
人は、「にん」で数える。小さめの動物は「ひき」で数える。
鳥は、「わ」で数え、他に、箸は「ぜん」で数えるとかいろいろある。
こういうのをすごく気にしている日本人っていうのは、ものごとの分類
において、非常に論理的であるといえないかな。なんでも、むき出しの
数字だけですます西欧語なんぞは、野蛮じゃ。

129名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 23:50:53
>>128
お前英語習った事ないの?
130名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 23:53:26
>>127
英語やフランス語においても、
日本語での「眠れる森の美女」の解釈であるような多義性がある。
つまり、英語やフランス語においても、
日本語と同様に、>>127に言わせれば、
文そのものが、それの内包する言葉の修飾関係を結局的に決定できる、
という秩序を英語やフランス語がほんとうに有しているとはいえない。
という意味になるんじゃないの?

ってこと。
131名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/29(水) 23:59:03
>>125
「日本語を非論理的たらしめている性格として」に続けるなら
「冠詞や複数形といったものが文法としてとくに規定されてはいない」とかだね。
「日本人を非論理的たらしめている性格として、「数」に関心が無い」なら通る。
ところで、英語で考えると日本語と日本人の区別が曖昧になってしまったりするんだろうか?
日本語が非論理的、または日本人が非論理的っていう根拠を挙げてるレスが他に
あれば教えてくらはい。
132p-a:2006/03/30(木) 00:20:22
>>98

([>>68]の3について……)

(3)あの女のとなりにいる人のほうがまずわかってきたようだ。

上の文にたいして、[>>62]は、
「人」が目的格となることはないだろう、
と考えました。
なぜなら、
「人」に係っている述部(あるいは「人」が係っている述部)である「わかってきたようだ」という表現に、
「確信の乏しさ」を印象づけるものがあるからです。
[>>62]いわく、僕たちは、
(話者としての)自分が確信をもって「わかってきた」対象に向かって「わかってきたようだ」とは言わないそうです。
でも例文(3)に書かれているのは「わかってきたようだ」です。
そこから[>>62]は、
例文(3)の述部「わかってきたようだ」の主体が「話者」自身ではないことを推察したのです。
「話者」(僕)が「人」を「わかってきたようだ」ではなく、
「人」が「何か」を「わかってきたようだ」と解したのです。
そして例文(3)についてはそういった解釈しかできないのだ、と[>>62]は結論しました。
僕はそうは考えないのです。
場合によっては、「わかってきたようだ」という表現の主体が「話者」となることもある、
と僕は考えるのです。
その例として、たとえば小説なんかで、
「話者」が物事を随時的に叙述してゆく文章があります。
[>>68]で僕が書いたヘンテコな状況の描写がそれです。
僕はその結びにこう叙述しました――

ひとまず、ほかの人物たちのことがわかる前に、
(僕は)「あの女のとなりにいる人」のほうがまずわかってきたようだ。

これは、「わかってきたようだ」の主体が「話者」である例です。
133p-a:2006/03/30(木) 00:35:01
>>102
――――――――――――――――――――――――――――――
> ★ She is the most beautiful girl in the class.
> ここでの「girl」に係っている「the」は、
> 文脈ではなく文中の「most」という最上級語からの情報に影響されているものです。

↓ここ行ってごらん。
http://www.google.co.jp/search?as_q=&num=100&hl=ja&c2coff=1&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&as_epq=a+most+beautiful+girl&as_oq=&as_eq=&lr=lang_en&as_ft=i&as_filetype=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=&as_rights=


> 「the most beautiful girl in a class」はどうもおかしいのです。

↓ここ行ってごらん。
http://www.google.co.jp/search?as_q=&num=100&hl=ja&c2coff=1&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&as_epq=the+most+beautiful+girl+in+a+class&as_oq=&as_eq=&lr=lang_en&as_ft=i&as_filetype=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=&as_rights=
――――――――――――――――――――――――――――――

サンプルの数は確かめました?
また、サンプルの素性がどんな人たちであるか、考えてみました?
134p-a:2006/03/30(木) 00:52:28
>>102
――――――――――――――――――――――――――――――
広辞苑の方が OED より親切でくわしいということを示しているにすぎない。
――――――――――――――――――――――――――――――

そうではありませんよ。
冠詞「a」についてOEDの語れる事柄が、
「ガ」について広辞苑が語らなければならない事柄と比べて、
格段と少ない、
ということなんですよ。
広辞苑もOEDも、どっちだって親切です。

――――――――――――――――――――――――――――――
[OEDによる]説明を読んで、日本人が英語の不定冠詞 a を適切に使えるようになることは、絶対にない。
――――――――――――――――――――――――――――――

それは、今の日本人が日本語を日頃から非論理的に使いまわしている「ツケ」だったりはしませんか?
概念の数値的な適用範囲を発話のなかで普段から意識していれば、
英語の冠詞の使い方にとびっきり惑うことなんてありませんよ。
135p-a:2006/03/30(木) 00:56:09
>>102
――――――――――――――――――――――――――――――
[体言や連体格といった言葉の定義について]
ちゃんとした共通理解はある。君が知らないだけ。
――――――――――――――――――――――――――――――

そうですか。
ちなみにあなたは、体言が副詞をも含める、と考える派ですか?
136p-a:2006/03/30(木) 00:59:25
>>103
―――――――――――――――――――――――
何について述べている文かということは、
非常に重要な論理であるはずなのに、
英語の書き言葉ではそれは標示されない。
英語の方が日本語より「非論理的」だということ。
―――――――――――――――――――――――

具体的に言うと?
137名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 01:20:19
>>132
こういう議論では、あまり「目的格」という多義性の強い語をつかうべきではないよ。
「僕には訳がわからないよ」という文の目的格は何になる?

>>134
まず、
>冠詞「a」についてOEDの語れる事柄が、
>「ガ」について広辞苑が語らなければならない事柄と比べて、
>格段と少ない、
それだけの記述で十分なの?
日本語の場合も、英語の場合も、
それを読んだだけでは十分にネイティブ同様の冠詞あるいは「が」の運用はできないでしょ。


個人的な意見だが、
英語における冠詞の使い分けに日本人が困る理由は、
英語の冠詞の使い分けに相当する使い分けがないからだと考える。
同様に、日本語の主題/非主題の使い分けを米・英国人がすることは難しいだろう。
仮に、米・英国人が日常的に冠詞等の適用範囲を意識しているとしてもだ。



さて、p-aさんにちょっと提案するよ。
日本語が、英語のような論理的な言語になるには、
どのような改良を加えればいいと考える?
或いは、
日本語話者が、英語話者のように論理的に言語を運用できるようになるには
どうすればいいと考える?
138p-a:2006/03/30(木) 01:24:33
>>103
―――――――――――――――――――――――
> ラーメンがおいしいと評判の店を街で探すとき、
> あなたの足は「北」の方と「南」の方とにしか向かないのですか?

意味がわからない。
「この店のラーメンの方がおいしい」と言うとき、
比較の対象になる店は 1 軒しかない。
―――――――――――――――――――――――

僕が言っている比較の対象は、
「店」じゃなくて「方角」ですよ。
店を街で探すとき、のですよ。

道は四方八方にのびていますよね。
「こちらの方」か「そちらの方」か「あちらの方」か……
「こちらの道の方」ではなく「そちらの道の方」でもなく「あちらの道の方」でもなく……

「…の方」は、あなたの言うように「2 つのものしか対比できない」[>>77]言葉ではありませんよね。
139p-a:2006/03/30(木) 02:12:41
>>106
――――――――――――――――――――――――――――
The stew is cooking on the stove.
なんていう英語がマトモだと聞くと、なんか違うだろうっていう風に思うわけだ。
これが論理的言語なのか?
――――――――――――――――――――――――――――

それは、「クッキング」というカタカナ語にたいするあなたの先入観にもとづく懸念でしょ。
「ボリューム」にたいする先入観を持っていると「a rare volume」の意味がつかみにくくなるのと同じ。
カタカナ語はだから有害なんだって。
「a sound melon」
「a happy suggestion」
「a major babe」
「find voice in song」
「fly the town」
「the hands of time」
「the office of the arteries」
「the government of my conduct」
――カタカナ語に慣れていると、こういう英語について日本人はきっと
読み違いをするか「なんか違うだろう」っていう風に思うわけだ。
140p-a:2006/03/30(木) 02:16:18
>>107
――――――――――――――――――――――――――――
英語のa,theの使い分けには一貫した秩序すなわち「論理」っていうものは見いだされるの?
――――――――――――――――――――――――――――

見いだされないの?
141140だけど:2006/03/30(木) 02:32:55
>>140
見いだせると思っている。
でも、ネイティブじゃない人間に説明するには、10行やそこらでは足りないと思う。
日本語の「は」の使い方も、英語の冠詞の使い方も、
究極的には、ノート10ページくらいで記述可能だと考える。
ただ、日本語での一貫した秩序=英語での一貫した秩序ではない。

これが仮に、日本語20ページで英語10ページだったとしても、
一貫性に差は無いと思う。
これが、日本語10000ページ、英語3行というなら、決定的な違いがあるという話にもなるだろうけど。


まぁ、もしも、ノート10ページ程度の論理を、
一貫した秩序ではないと考えるので有れば、
日本語にも英語にも一貫した秩序は存在しないということになるだろう。
142名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 03:02:18
>>133
> サンプルの数は確かめました?
> また、サンプルの素性がどんな人たちであるか、考えてみました?
前者のリンクについては問題なし。後者については、>>120 参照。

>>134
> それは、今の日本人が日本語を日頃から非論理的に使いまわしている「ツケ」だったりはしませんか?
> 概念の数値的な適用範囲を発話のなかで普段から意識していれば、
> 英語の冠詞の使い方にとびっきり惑うことなんてありませんよ。
英米人が日本語のハとガを適切に使えないのは、彼らが英語を日ごろから非論理的に使いまわしている「ツケ」だったりはしませんか?
文の主題 (主語ではない)、いま何について話しているのかを発話の中で普段から意識していれば、
日本語のハの使い方にとびっきり惑うことなんてありませんよ。韓国人やモンゴル人は、とても上手ですよ。

>>135
> ちなみにあなたは、体言が副詞をも含める、と考える派ですか?
今時そんな派はほとんどいないよ。

>>136
> 具体的に言うと?
「太郎が東京へ行った」「太郎は東京へ行った」「東京へは太郎が行った」を、英語で書き分ける術はない。

>>138
> 僕が言っている比較の対象は、
> 「店」じゃなくて「方角」ですよ。
> >>68
> > ひとまず、ほかの人物たちのことがわかる前に、
> > 「あの女のとなりにいる人」のほうがまずわかってきたようだ。
「ほかの人物たち」と「あの女のとなりにいる人」とを対比している (2 以上 vs 1 となるので、ここで「のほう」は本来使えない)。「方角」とは何の関係もない。
君の議論のやり方は、ただ相手を言い負かせばいいという、実に下品なものだな。それが英語流なのか。
143名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 03:27:02
しかし漢字は一文字で意味が伝わるからすばらしい
ヨーロッパに伝えられれば何か良い点があるかも
144名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 03:43:06
>>141 いずれにせよ、その秩序は、

> >>101
> > 文(sentence)というのは、
> > その複合体である文章や分子体である文節と違って、
> > 一つの命題(proposition)を成立させる構造そのものを基本とするのです。
> > 西欧においては、「logic」を学ぶにあたってまず「sentence」のことを吟味します。
> > なぜなら一つの完結した文そのものが論理の基本的な単位だからです。

の言う、文を単位とした秩序ではありえない。
145名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 03:57:17
余談だが、「眠れる森の美女」の原題は、La Belle au Bois Dormant という仏語で、男性形の形容詞類 dormant (眠っている) は、女性名詞 belle (美女) ではなく、男性名詞 bois (森) を修飾する。
邦題は「眠りの森の美女」とでもすべきところ。
英語では形容詞類の性変化は失われている。ディズニー社は、間違ってか故意にか、これを The Sleeping Beauty という英語題で映画化した。
「眠れる森の美女」は、仏語原題とディズニー英語題とを折衷したような形になっている。
146p-a:2006/03/30(木) 04:25:49
>>111
――――――――――――――――――――――――――――
> 日本語を構成しているのは、表層的な論理性以外の何かなのです。

表層的ではないかもしれないが、論理性であることは間違いない。
――――――――――――――――――――――――――――

表層的でないならば、それは言葉でよく説明できるものではない、
と僕は考えています。
論理ではない、と。
論理は言葉で叙述できるものです
(……だから「言侖/logos」なんですよね)。
「論理性/logic」と「理性/reason」はちょっと異なるものです。
あなたはきっと、「日本語の世界にはそれなりの理性がある」と言っているのでしょ。
そういうことであれば僕も賛成できます。
日本語は、言葉による説明の適わない殊異なる理性によって成立している、
ということ。
147p-a:2006/03/30(木) 04:26:23
ここでもう一つ確認しておきたいことがあります。
言語を成立させている理性と、
言語が(その使用を通じて)生成したり発揮できる理性とは、
別物である、
ということです。
前者は、記号システムとして機能するうえでどの言語もが例外なく相対的に有する独自の理性です。
(コンピュータの仕組に例えれば、WINDOWSやLINUXといったOSが独自に有するメカニズムです。)
後者は、それを生成するのが言語によって得意だったり不得意だったりする理性すなわち論理性です。
(こちらは、WINDOWSとLINUXのどちらがより早く「1+1」にたいする答を提出できるか、という話に関するものです。)
たいせつなのは、
言語においては論理性がすべてではない、
ということです。
もっとたくさんの観察すべき要素が言語にはある、
ということです。
言語を特徴づけるそういった要素のうち、論理性について、日本語はいくらか欠損している。
ただそれだけのことなんです。
まるで英語やフランス語が言語の王者であるふうに扱われたりしますが、
そんなことはないでしょう。
たまたま英語やフランス語が、
論理性という「目につく特徴」にたけているから目立っているだけ。
演算が得意なOS、安定性の高いOS、安上がりなOS、通信に向いたOS……
コンピュータにそれぞれ長所・短所があるように、
言語にだってそれぞれ得意・不得意がある。
ただそれだけのこと。
148p-a:2006/03/30(木) 04:29:07
>>112
――――――――――――――――――――――――――――
> 実はこの形式が談話法的規則なのですが、
> それはあなたの言うような「一定の」様式を持ってはいません。
> これがかりに「一定の」ものであれば、
> 日本語の解釈がたとえば広辞苑のそれのようには煩雑としていなかったはずです。

安定した様式を持っており、日本語の文章は、それに従って書かれている。
従っているかぎり誤解は起こらない。
広辞苑は別に談話法的規則の記述を目指していない。
通時論と共時論とを区別せず、諸学説をそのまま紹介するという、百科事典的な書き方をしている。
――――――――――――――――――――――――――――

わかりました。
149p-a:2006/03/30(木) 04:50:15
>>104――――――――――――――――――――――――――――
先ほど僕が挙げた広辞苑による「ガ」の説明について
どれだけの人がそこに一貫した秩序すなわち「論理」を見いだせるか、
アンケートを取ってみるのもいいかもしれません。
>>113――――――――――――――――――――――――――――
論理はネイティヴの頭の中にあるんであって、広辞苑にはない。
―――――――――――――――――――――――――――――――

そういう一般化はちょっとまずいと思います。
中国政府のマイノリティ政策じゃあるまいし、
「ネイティヴ」という枠組で括られた人達の内部的多様性に関する留意を失ってはいけません。

また、[>>146]の内容と重複しますが、
文面上で記述できない理性は論理ではありません。
この事に例外はありません。
論理は、言葉すなわち記号言語によって再現できる(あるいは現出する)理路のことです。
150p-a:2006/03/30(木) 05:07:39
>>110――――――――――――――――――――――――――――
言葉の使い方の「正当性」ってなんですか?
>>115――――――――――――――――――――――――――――
ネイティヴ・スピーカがその使い方をするという事実。
―――――――――――――――――――――――――――――――

「あの子って黒いよね」という言い方は
「黒い女の子」という形容の正当性を保証しない、
とあなたはおっしゃいました(>>79)。
でもそういう言い回しをするのは
日本のネイティヴ・スピーカである人たちですよ?
「黒くてカッコいい人」、
「黒い女の子」、
目にする表現ですけど。
151名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 05:17:37
>>144
そうすると、文を単位とした秩序という物は如何なる言語にも存在しないという結論にたどり着くだろう。
結局、脳内か、ノートか、辞書の上の「文法」を参照する必要がある。

>>145
dormantは現在分詞で、性の一致を受けない。それ故に、眠っているのは美女である。
と解釈することも可能らしい。

>>147
>たいせつなのは、
>言語においては論理性がすべてではない、
>ということです。
>もっとたくさんの観察すべき要素が言語にはある、
>ということです。
といった美しい文言を使うことによって、議論を曖昧にすべきではない。
具体的に、論理性に於いて、日本語のどこがどう不足しているのか示すべきだ。

これに対して、どう十分なの?っていうような返事はしないでほしい。

>>149
>文面上で記述できない理性は論理ではありません。
>この事に例外はありません。
これは、日本語文法は文面上に記述できない。と言いたいのかな?
個人的には、記述しうると思っているが、
現段階では、日本語に限らず、英語だろうと中国語だろうと、記述できていない。
現在、自動翻訳機というものが未だに誕生していない。
これは、各言語の文法が文面に記述しきれていない間接的な証拠と言えるだろう。
152p-a:2006/03/30(木) 05:18:14
>>114―――――――――――――――――――――――――――
★ 彼女にその場にいられるとちょっと困るんだよなあ。

上の「いられる」を、僕は可能態ではなく受動態として記しました。
あなたにしてみれば、どっちでもかまわないのでしょう。

>>116―――――――――――――――――――――――――――
かまうよ。これは受動態。「彼女に」とあるので一目瞭然。
可能態なら「彼女が」でなければならない。

――――――――――――――――――――――――――――――

なるほど。
じゃあこれは?

★ 彼女にその場にいられるように説得してみるよ。

この「いられる」は可能態? それとも受動態?
153名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 05:24:54
> 文面上で記述できない理性は論理ではありません。
> この事に例外はありません。
> 論理は、言葉すなわち記号言語によって再現できる(あるいは現出する)理路のことです。

障害があって記号言語を扱えない人には「論理は存在しない」のか?
その人が頭の中で整然とした図を描く能力を持っていても
「そんなものは論理ではない。言葉にならない理性に過ぎない」と断ずるのか?

あなたが「表層に現れない論理など認めたくない」と感じるのは自由だが、
そうして安易に否定することがどのような意味を持つのか、考えてみて欲しい。

あなたは「どの言語にも話者がいる」という、非常に大切なことを忘れていませんか。
そのような印象を受けます。
154116ではないけど:2006/03/30(木) 05:34:50
>>152
どう考えても可能です。
155p-a:2006/03/30(木) 06:54:42
>>122―――――――――――――――――――――――――――
日本語自体が非論理的だとか、日本語を使うかぎり論理的な思考はできないとかいうのは、全くの誤り。
――――――――――――――――――――――――――――――

「全くの」誤りでもないと思います。
例によって、日本語の文法は「数」にたいする関心が薄いでしょう。
僕はインターネットでいわゆる「教授」っぽい人たちの書いた日本語論文をたまに読むのですが、
概念を量的に捉えているところが彼らの文章からはあまり窺えないというか。
概念には「階層」のようなものがありますが、
それの上のほうの範囲を指示する単語(すなわち上位概念の言葉)を使って
小さな概念ズを一括りにするせいで
それらに潜む(留意するべき)機敏を手落としてしまいがち、というか。
156p-a:2006/03/30(木) 06:57:45
>>155

まあノーベル賞とかで評価された日本人学者の研究だってたくさんあるわけで。
ただし、そうして賞された人たちって、だいたいが物理学とか数理学の出身ですよね。
物理学とか数理学って、それこそ普遍的な論理である「記号言語」の所産ですよね。
あまり日本語そのものを使って考える分野ではない、ということ。
日本語を使わざるをえないのは、
たとえば社会学とか哲学とか、そういう文系のもの。
そして日本人はなぜかそういった分野について世界で「とびっきり」活躍しているようなところがない。
柳田国男、和辻哲郎、中沢新一、祖父江孝男、うん、優れた研究者たちだと思う。
でも、理系の分野の人口と比べると、興味深いほどにまだまだ少なくないですか?
157p-a:2006/03/30(木) 07:00:41
>>156

僕は思うのだけど、
日本人は、追究的でしかも「わかりやすい」言葉遣いについてまだ一般的には慣れていないんじゃないか。
それは知識人層に限ったことじゃなくて。
アメリカやフランスの若い人たち(それこそ小学生とか)が日頃から使っている言葉立と、
日本人のそれとを比べると、
かなりの対照のあることに気がつく。
雑誌なんかでインタヴューに答えるアーティストの言葉、
欧米人のそれと日本人のそれとを比べてみてもおもしろい。
日本人のそれは、良く言えば「簡潔」、悪く言えば「単純」。
欧米映画の日本語字幕でも、原語の言葉立が翻訳を通じて俗化して単純になったりする。
「Sorry, I was in my abstraction.」は「ごめん、ぼんやりしてた」になる。
ねえ、「abstraction」は、ほかにも「純理論観念」とか「抽象作用」なんていうごつい意味で
使われたりもするんだよ。
使い手は子供なんだよね、しかも。
このあいだ観たイギリスのドラマでは、10歳ぐらいの子が
「You must think the world of him.」と言っていた。
たぶん「彼のことをたいせつにしなきゃだめだよ」という意味だ。
「consider going shopping」というのもある。
「consider」だよ。「考える」ではなく「考慮する」だよ。
「買い物へ行こうかと考慮する」なんて、日本のどの中学生も言わないよね。
158p-a:2006/03/30(木) 07:16:54
>>123―――――――――――――――――――――
「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだよなあ。」
「私はあなたと一緒にいられるほうが幸せなの。 」
の2文では「論理の欠乏」にはつながっていない。
――――――――――――――――――――――――

「いられる」が可能態であれば
「私」の助詞は「が」でなければならない、
と僕は[>>116]で教えられたのですが……
実のところ、「が」でも「は」でもどっちでもいい、ということですか?
だって、上の例文の「いられる」は可能態でしょ?

それと、ちょっといじわるをするようですが、
「……の2文では……にはつながっていない」
という言い方は論理的に貧窮していますよ。
159p-a:2006/03/30(木) 08:14:49
>>123―――――――――――――――――――――――――――
教えているのが非論理的な日本語か論理的な日本語かは重要ではない。
現に通用している日本語を教えているだけのこと。
――――――――――――――――――――――――――――――

その「通用している」という現象が
とても閉鎖的な範囲のものとしてとどまっているから、
僕がこうして辛口で日本語の内輪的な性格を批判しているんですよ。
物事は、論理的であればあるほど外向的となります。
それは悪い傾向ではなく、どちらかといえば良い傾向です。
今の日本語はすごく内向的で、
おたがいの言っていることがなんとなくわかればそれでいいという
抽象的な雰囲気の中での「通用」を求めているせいか、
たとえばこの「2ちゃんねる」で繰り広げられる奇妙な用語と文字記号群のような、
外部の人から見れば不気味に思える物の趣に浸されています。
((  ´Д`)なんて、日本語以外どの言語のインターネット環境にも存在しないよ。)
160p-a:2006/03/30(木) 08:16:24
>>159

「通用している日本語」は、「通俗的な日本語」です。
通俗的であるということは、慣習的であるということです。
あなたが唱えるように
論理的な日本語が人々のあいだで教授されるかいなかはどうでもいい
ということになると、
日本人の言葉は、これから、
「間文化尺度」としての「論理性」をさらに失いつつ
ますます俗化していく道を辿ってゆくでしょう。
そうなると、日本語にたいする「科学的な」観察はますます難しい作業となり、
日本人たち自身もが自分たちの使っている言葉の素性を解しづらくなり、
それによって日本語の文語的資材そのものを軽量化させてゆく必要に迫られるでしょう。
かつての日本語の歴史的な文語やその使用が現在までに至って消滅してきたようにです。
日本語はより「独特な言語」となり、ますます「わからない言語」となっていきます。
161p-a:2006/03/30(木) 08:22:47
>>123―――――――――――――――――――――――――――
英語やドイツ語でも似たような造語法はあるだろう。
International Business Machinesなんて訳のわからない名前の会社が、
それぞれの語の頭だけ取って、IBMって呼ばれたりするんだから。
――――――――――――――――――――――――――――――

「IBMって何?」と尋ねれば、
「International Business Machines」という答が即座に待っています。

「青少年有害社会環境対策基本法案って何?」と訊けば、
いったいどんな答が返ってくるでしょう?
それは「即座に」返ってくるものなのでしょうか?
162名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 08:26:26
よーするに
日本語:論理性のカケラもないクソ言語
印欧語:論理的すぎてエレクチオンしちゃう
ってことが言いたいんでしょ?
163p-a:2006/03/30(木) 09:03:43
>>124――――――――――――――――――――――――
英語でも、
I dinna ken.
とかいわれたら、
日本語で、「私は知りません」を「おりぁわがんにぇびぇ」というのと
同じレベルで違うと思うわけだ。
―――――――――――――――――――――――――――

良い例ですね。

「たちんこんめ」って知ってますか?
薩摩出身の大久保利通が使っていた言葉で、
「太刀の来る前」の訛り、
「ぐずぐずせずにさっさとやってしまおう」という意味です。
司馬遼太郎が言ってました。

日本語における方言というのは、
イギリス英語のそれと違って、
地域ごとの風土の影響をもろに受けた結果として
発話における意味連関の具合そのものがすごく多様化しているんです。
大久保は、戦とはまったく脈絡のない場面においても
「たちんこんめ」といった言葉を使うことがあったそうです。
彼ら薩摩の男たちにとっては、
「さっさとやっておこう」という気持が、
「太刀の来る前」という表現と直接に結びつく、
ということだったのです。
164p-a:2006/03/30(木) 09:04:36
>>163

そういった意味連関の歴史的醸成は風土ごとにあって、
日本という同じ一つの大きな文化共同体の中でも
異なる地域の人の頭の中にはそれぞれ幾分か異なる意識構造が宿る、
ということになったそうです。
(山がたくさんあってそれが村どうしのしぜんな空間的接近を妨げていたから
地域ごとのそのような特徴化が著しくなったんだ
という考え方があります。)
165p-a:2006/03/30(木) 10:40:42
>>126――――――――――――――――――――――――
論理学に於いては、文法数というものは無駄なものである。
理由は簡単だ。
無いのか有るのか、つまり0か1以上かの区別が重要なのであって、
1と2以上の区別は重要ではない。
―――――――――――――――――――――――――――

0か1、それは偽か真かという「真理値」の話であって、
論理学が1と2以上の区別を重要とはしていないということではありませんよ。
無いのか有るのか、その判定作業のみにこだわってると、
たとえばフレーゲが挙げたような次の問題と直面します――

I see nobody on the road.

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』でのアリスの台詞です。
アリスの目は路上の空間を見つめているのですが、
そこには何も存在しないわけです。「nobody」、「無」、「0」です。
でも、「nobody」を「見る」というのはおかしなことです。
(日本語の「何も存在しない」の「何も」という主体についても同様です。)
それだから、アリスの隣にいた王様はこう言ったんです――

I only wish I had such eyes, to be able to see Nobody!
166p-a:2006/03/30(木) 10:41:28
>>165

(このスレッドは日本語について話し合うところなので、
あまり英語や論理学のことを語りすぎるのもどうかとは思いますが……)
フレーゲはそこで、「quantifiers」という概念を論理学に導入しました。
(日本語では「量記号」と呼ばれたりするのでしょうか。)
「all」「some」「many」「most」といったやつです。
これらによってアリスの上の発言は次のように言い換えられます――

For all people I cannot see them on the road.

あるいは

There is not at least one person such that I can see them on the road.

論理学はたしかにコンピュータのデジタル技術の発達に貢献してきましたが、
だからといって論理学を占める重要な話がすべて「0と1とを区別すること」に終始するとはかぎらず、
上記のように、「対象/object」を持てない「無」あるいは「0」の姿を
命題そのものの内部で叙述するための論理的処方に関する考察なんかも重要となってくるのです。
167p-a:2006/03/30(木) 10:46:23
>>126――――――――――――――――――――――――
世の中には、双数というものが有る言語もあって、
この言語では双数は2個であることを、複数は3以上であることを表すことになる。
こういう言語からすれば、2個と3個以上を区別しない英語は数にまつわる意識が薄いということになる。
―――――――――――――――――――――――――――

興味深いですよね。
ちなみに、双数とは関係ありませんが、
フランス語ではたとえば「71」のことを
「七十一」というふうには呼ばず
「六十十一」(soixante-onze)と呼びます。
スイスのフランス語になるとこれがまた違ってきます。

ところで、
3以上からを複数と捉える言語と
2以上からを複数と捉える言語とのあいだには、
数にまつわる意識の相違はたしかにあるのですが、
単数と複数という根本的な差そのものを区別する論理を持っていない日本語の文法は
もっと際立って特徴的ですよ。
168p-a:2006/03/30(木) 11:21:42
>>128
―――――――――――――――――――――――――――
日本語や中国語には、量化詞の類がかなり発達しているわけだ。
人は、「にん」で数える。小さめの動物は「ひき」で数える。
鳥は、「わ」で数え、他に、箸は「ぜん」で数えるとかいろいろある。
こういうのをすごく気にしている日本人っていうのは、
ものごとの分類において、非常に論理的であるといえないかな。
なんでも、むき出しの数字だけですます西欧語なんぞは、野蛮じゃ。
―――――――――――――――――――――――――――

(量詞ね)

「同類」とか「仲間」とか、「家族」とか「邦」とか、
なにかしらの枠とか輪を象るものにたいする意識は日本人も中国人も深いよね。
でも、今の日本人は、あなたの言う量詞を「すごく気にしている」、
というわけでもないんじゃない?
使われずに消えていってる量詞がけっこうあるよね。
河に「条」をつける人なんて、もういないんでしょ。
恋人と散歩なんかしていて、「一条の河がそこに流れてるよ」なんて、ありえないんでしょ。
言うとすれば、「あ、河」とか、そんなものなんでしょ。

また、西欧語と日本語はどちらも「野蛮」だったりはしないのだけど、
主体としての自己をいつでも意識した発話をさせる西欧語と
そういった存在をなにかと匿いがちな発話をさせる日本語との対照はあるね。
169名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 11:51:39
>>146
> 表層的でないならば、それは言葉でよく説明できるものではない、
> と僕は考えています。
説明できるよ。手間がかかるのと需要がないのとで、まだ行われてないだけ。
実は一部行われていて、けっこううまくいく機械翻訳もある。

>>147
> 言語を特徴づけるそういった要素のうち、論理性について、日本語はいくらか欠損している。
欠損などしていない。テクストの中に置いてみないとわからない構造は確かにあるが、英語の it とか him とかいう代名詞も、具体的に何を指しているのかは、結局、テクストの中に置いてみないとわからない。
論理の点では完全にイーヴンだよ。学びやすさという点では知らないが。

>>149
> 「ネイティヴ」という枠組で括られた人達の内部的多様性に関する留意を失ってはいけません。
共通語ができないという人がいたら、共通語の論理については、十分でないだろうね。

>>150
> 「黒くてカッコいい人」
「??黒い女の子」の正当性を、なんら保証しない。

> 「黒い女の子」、
> 目にする表現ですけど。
聞かない。無理に言ったとしても、「肌の黒い」の意味にはならない。「あの子って黒いよね」から導かれるものではない。
「黒づくめの」がありうる解釈だろう。あるいは、「女の子」が人間でない (犬、猫等)。
170p-a:2006/03/30(木) 12:08:41
>>130―――――――――――――――――――――――――――
英語やフランス語においても、
日本語での「眠れる森の美女」の解釈であるような多義性がある。
つまり、英語やフランス語においても、
日本語と同様に、>>127に言わせれば、
文そのものが、それの内包する言葉の修飾関係を結局的に決定できる、
という秩序を英語やフランス語がほんとうに有しているとはいえない。
という意味になるんじゃないの?

ってこと。
――――――――――――――――――――――――――――――

いや、それは、詩を味わう時とかの語釈のことでしょ?
それに「眠れる森の美女」は完結した「文」ではなくて「名詞句」ですよ。

西欧語なかんずく英語では、
文と句とはそれぞれ厳密に区別して扱うことが求められます。
基本的に、ピリオドという終止符は、
主部と述部からなる命題構造を持った文だけに付与される特権みたいな記号です。
特殊な修辞法をのぞいて、
句あるいは不完全な文にはピリオドが付きません。
英語圏における正式文書は「文/sentence」からなります。
半端な「句」とか曖昧な文節があると、
たとえば交渉や取引において相手の弁護士がそこを突いてきて
自分が不利をきたすことになります。
裁判の判決における宣告が「sentence」と呼ばれるのは、
これが被告人という一りの人間の生に関わる重大な「命題」にほかならないからです。
「文/sentence」は、日本語において「文」と解されるものとは異なり、
みずからの論理構造を保持するうえでより厳格となっている意味連結の単位です。
詩や小説を創作するといったこと以外には、
自分の書く文の多義性を極力避けようと努めているのが欧米の有識者たちです。
171p-a:2006/03/30(木) 12:27:45
>>137――――――――――――――――――――――――――
こういう議論では、あまり「目的格」という多義性の強い語をつかうべきではないよ。
「僕には訳がわからないよ」という文の目的格は何になる?
―――――――――――――――――――――――――――――

「僕には」と「訳が」がその文の目的格にあたるでしょう。

ところで、
目的格は、多義性の強い語ではありません。
文中の目的語がとる格が目的格である、
ということに例外はありません。
同じ部位を示す語がなぜそのように2つ(目的語、目的格)あるのかというと、
「目的語」のとる格が複数種(対格、与格)とあり、
それら格納する上位概念の言葉として「目的格」が求められてくるからです。
172名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 12:45:38
>>152
> ★ 彼女にその場にいられるように説得してみるよ。
> この「いられる」は可能態? それとも受動態?
前にも言ったように、「いられる」を受動態と解釈すると、被害・迷惑の意味が出て、「ように説得してみる」とは結びつかない。これは可能態。
「彼女に」はどうなるのかというと、「説得してみる」が引き取ってくれるので、問題ない。
「彼女に (X が) その場にいられるように説得してみるよ」の意。「彼女」を可能の主にしたいのなら、「彼女がその場にいられるように (Y に/Y を) 説得してみるよ」としなければならない。
精巧な仕掛けがあるんだよ。

>>155
> 僕はインターネットでいわゆる「教授」っぽい人たちの書いた日本語論文をたまに読むのですが、
> 概念を量的に捉えているところが彼らの文章からはあまり窺えないというか。
まともな論文なら、一般概念と個別具体例とは明確に区別されている。ただし、言語には反映されない。
内容を読む前に、言語に反映されていないから区別がないと決めつけるのが、君のやり方だろう?

>>156 それは言語の問題か? カナダやオーストラリアに世界的な哲学者や思想家が大勢いるか?
173p-a:2006/03/30(木) 12:47:39
>>137――――――――――――――――――――――――――――
日本語が、英語のような論理的な言語になるには、
どのような改良を加えればいいと考える?
或いは、
日本語話者が、英語話者のように論理的に言語を運用できるようになるには
どうすればいいと考える?
―――――――――――――――――――――――――――――――

日本語を論理的な言語にする必要はありません。
あなたはそれをするところの経緯を「改良」と捉えていますが、
僕はそれを「変異」と捉えるでしょう。
日本語には日本語なりの良さがすでにあります。
僕が言っているのは、
欧米語によって親しまれているような論理性が日本語の懐においては乏しくある、
ということです。

日本語話者が言語を英語話者のように論理的に運用したいと思ったならば、
日本語を丁寧に話すか、
英語を丁寧に話せばいいのでしょう。

参考になるような小言ならば僕からもいくらか出せそうです。
回答が他にも溜まっているので、それはちょっと後回し。御免。
174p-a:2006/03/30(木) 13:16:00
>>142―――――――――――――――――――――――――――――
英米人が日本語のハとガを適切に使えないのは、
彼らが英語を日ごろから非論理的に使いまわしている「ツケ」だったりはしませんか?
文の主題 (主語ではない)、いま何について話しているのかを発話の中で普段から意識していれば、
日本語のハの使い方にとびっきり惑うことなんてありませんよ。
韓国人やモンゴル人は、とても上手ですよ。
――――――――――――――――――――――――――――――――

発話のなかで「何について話しているのか」を意識していない英米人がこの地球上に何パーセントいるか、
当てずっぽでいいからまず申し上げてみてください。
175p-a:2006/03/30(木) 13:37:39
>>142―――――――――――――――――――――――――――――
「太郎が東京へ行った」「太郎は東京へ行った」「東京へは太郎が行った」を、
英語で書き分ける術はない。
――――――――――――――――――――――――――――――――

It's Taro who went to Tokyo.

Taro went to Tokyo.

To Tokyo went Taro himself.

3つめの文の形式は、このような場面を言い表すときにはあまり使わないけど、
たとえば次のような表現としてはよく目にする――

Among them was Taro, who happened to be the only one capable of playing that song in the room.

日本語が持っている魅力のもっともたるものは
文のこういった書き分けではないはずです。
それは言葉ではあまり表現できないものです。
176名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 13:48:40
>>174
発話のなかで「概念の数値的な適用範囲」を意識していない日本人がこの地球上に何パーセントいるか、
当てずっぽでいいからまず申し上げてみてください。
177p-a:2006/03/30(木) 13:49:43
>>142―――――――――――――――――――――――――――――
「ほかの人物たち」と「あの女のとなりにいる人」とを対比している
(2 以上 vs 1 となるので、ここで「のほう」は本来使えない)。
「方角」とは何の関係もない。
君の議論のやり方は、ただ相手を言い負かせばいいという、実に下品なものだな。
それが英語流なのか。
――――――――――――――――――――――――――――――――

[>>77]の投稿では、
日本語の「の方」は、2 つのものしか対比できない、
と言っていたはずです。
「日本語の」と、[>>77]は断言しました。

僕が[>>138]で挙げた「こちらの方」とか「そちらの道の方」における「の方」は、
日本語でしょう。

「こちらの方」とか「そちらの道の方」における「の方」は、
2つのものしか対比できないわけではないでしょう。

「2 以上 vs 1 となるので、ここで「のほう」は本来使えない」とかなんとか、
あなたはいったい何を言っているんですか?
178名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 13:57:06
>>175
@太郎が東京へ行きました。われわれは後を追います。
{A??It's Taro who went to Tokyo./BTaro went to Tokyo.} We will follow him.

C太郎は東京へ行きました。
DTaro went to Tokyo.

@≠C、B=D。
179p-a:2006/03/30(木) 13:59:53
>>143――――――――――――――――――――――
しかし漢字は一文字で意味が伝わるからすばらしい
ヨーロッパに伝えられれば何か良い点があるかも
―――――――――――――――――――――――――

そうそう。良いもの、嘉いもの。
でも、ヨーロッパ人の手は大きい、不器用。

ちなみに、漢字は「真名」(まな)とも呼ばれる。
真名、片仮名、平仮名、それが日本語の文字。
180名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 17:50:01
>>167
単数複数を根本的な差と考える根拠は?

1と2以上の間の差は、2と3以上の差と比べて、決定的な差ではない。
10000と10001以上の差が決定的ではないのと同じ。

2と3以上を区別しない英語と、1と2以上を区別しない日本語の間に、
決定的な論理の差は存在しない。

もしも、英語で「泥棒(単数)を見たか?」と問われたときに、
論理的な英語では、複数の泥棒を見た場合、Noと答えるのが正確なのか?
それとも、a X or Xs という表現を現に英米人は使っているの?

>>171
英語のように、与格と対格の区別が曖昧な言語ならともかくとして、
日本語のように、対格、与格といったものが比較的明確に定義できる言語について、
目的格という語を使うのは誤解を招きやすい、もっと言うと、曖昧な文章にする要因になる。

主に英語文法でしか使わない目的格という語を、対格・与格の上位概念と考えるのも間違い。
181名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 18:28:38
>>177
> [>>77]の投稿では、
> 日本語の「の方」は、2 つのものしか対比できない、
> と言っていたはずです。
> 「日本語の」と、[>>77]は断言しました。
その「の方」は、「*の{方向/方角}」と言い替えられない。
「*あの女のとなりにいる人の{方向/方角}がまずわかってきたようだ」

> 僕が[>>138]で挙げた「こちらの方」とか「そちらの道の方」における「の方」は、
> 日本語でしょう。
日本語だが、違う単語だ。「こちらの方向」「そちらの道の方角」などと言い替えられる。

> 「こちらの方」とか「そちらの道の方」における「の方」は、
> 2つのものしか対比できないわけではないでしょう。
君にとっては、日本語の単語は、同じ形をしていれば、すべて同じ語なのかな w

> 「2 以上 vs 1 となるので、ここで「のほう」は本来使えない」とかなんとか、
> あなたはいったい何を言っているんですか?
>>68 「??ひとまず、ほかの人物たちのことがわかる前に、「あの女のとなりにいる人」のほうがまずわかってきたようだ」という文は、非文法的。
君がいくら頑張ってもムダだよ。あきらめなさい。
182名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 19:04:09
>>151
> dormantは現在分詞で、性の一致を受けない。それ故に、眠っているのは美女である。
> と解釈することも可能らしい。
現在分詞は名詞の直後に置かれるから、La Belle Dormant au Bois となるはずでは?
183名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 19:21:56
素人がちょっとお邪魔します。

>日本語が論理的でない。
日本語は英語に比べて省略できるものが非常に多いですよね。
省略してもなぜ意味が通じるのか。
「論理的な言語だから」というように考えることはできませんか?
相手の言葉を論理的に解しているからこそ、応答が省略されたセンテンスであっても意思疎通が図れるんじゃないでしょうか。

p-aさんは非ネイティブなんですよね。
どんな言語でも、非ネイティブがネイティブと同等に理解することはできません。
p-aさんが日本語を非論理的だと感じるのは、あくまでp-aさんの母国言語的思考を中心に考えているからです。
ネイティブが「母国語が非論理的だ」というならそうなんでしょうけど、
日本人が日本語に不自由しているという話は聞きません。
文化が違えばそれに伴って発達する言語も変わってくるのは当然です。優劣の問題ではありません。
非ネイティブから見て「日本語のこういうところはわかりにくい」という指摘は興味深いですが
「非論理的」という批判めいた言い方はやめたほうがいいと思います。
184p-a:2006/03/30(木) 20:34:53
>>151――――――――――――――――――――――――――――
そうすると、文を単位とした秩序という物は如何なる言語にも存在しないという結論にたどり着くだろう。
結局、脳内か、ノートか、辞書の上の「文法」を参照する必要がある。
―――――――――――――――――――――――――――――――

そうでしょうか。

「I am happy.」という文は、それじたいで、
「happy」を経験しているのがたとえば「She」であったり「That guy」であるかもしれないという可能性を排除します。
文が単体で一つの秩序を生成するというのはこの事です。

一方で、上の英語を日本語では次のように表現しますよね――
「うれしいです」
日本で育った人なら誰もがこの言葉の主体が「私」(話者自身)であるとわかるでしょう。
そしてそれこそがあなたの言うところの「脳内」における参照なのです。「推察」です。
「うれしいです」という文字列そのものは、事象の主体が「私」であることを規定していません。
そのような発話形態が日本語においてはきわめて多く、
それゆえに僕は日本語が「論理的じゃない」と感じるにいたったのです。
「うれしいです」という言葉を聞き手に「私はうれしいです」と受け取らせるところの共通理性が日本語にはありますが、
「うれしいです」という文字列そのものは論理的ではありません。
185名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 20:39:01
>>182
確かに、現代語ではそうだが、
「眠れる森の美女」が書かれたのはかなり昔のことで、
今では眠っているのはどっちなのかはっきりしない。
つまり、数百年のうちにフランス語文法自体が変わってしまって、
美女が、或いは、森の美女が眠っているという解釈もある。

表現自体が詩的表現であることも相まって、眠っているのはどっちなのかはっきしりしなくなっている。
(というと、それは詩的表現だからだろ、日常のフランス語は論理的なんだろ!と言われそうだが)
186名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 20:47:41
>>185 すると、どっちが眠ってるのかはっきりしない「眠れる森の美女」は、実は名訳だったんだな。
187名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 21:03:11
>>184
貴方が嬉しいです。
188名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 21:48:43
伊58には、こういうときにこそ
積極的に論壇を交わして欲しいんだが・・・。
189p-a:2006/03/30(木) 22:52:35
>>151――――――――――――――――――――――――――――
具体的に、論理性に於いて、日本語のどこがどう不足しているのか示すべきだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――

>>184]の補足として、
純粋な論理性が日本語に不足していることを示す例をもう一つ挙げます。
「イノベーション経営」について某大学の教授が著した教科書からの引用です――

―――――――――――――――――――――――――――――――
本科目の目標は、高い志を抱き、広い視野から将来展望を描き、
技術イノベーションを促進するプロデューサーの養成にある。
これは画期的な目標コンセプトを創造し、新しい技術を開発して、
これを事業化し、世界経済の発展に寄与する新産業の創出につなげる
新しい人材の育成である。
このような重要な役割を担う人材、いわばテクノプロデューサーに求められる
基本的な知識や実践的な考え方ならびに方法論を学習し、
イノベーションの推進にチャレンジする意欲の高揚をはかることに
本科目のねらいはある。
―――――――――――――――――――――――――――――――

(つづく)
190p-a:2006/03/30(木) 22:53:24
>>189

――この例文を読むなかで、僕は何回もずっこけた。
というのも、
「本科目の目標は」という主格についで「高い志を抱き」とくるものだから、
それをしぜんな脈絡として僕の頭が一つの純粋な論理を構築してゆくわけだけど
(つまり、「本科目の目標に向かうなかで読者が高い志を抱く」、と僕は読み取るわけだけど)、
実は高い志を抱くのは「プロデューサー」であって、
「本科目の目標」はそれの「養成」なんだと、最後になってわかる。
そしてそれまでに僕は3つの「偽」の述部をクリアしなければならなかった。
すなわち、
「高い志を抱き」、「広い視野から将来展望を描き」、「技術イノベーションを促進する」だ。
これらは全部で「プロデューサー」に係り、一つの巨大な名詞句をつくりあげている。
問題は、この大きすぎる名詞句が、
本文における主部と述部との論理的結合を切断している、
ということだ。

(つづく)
191p-a:2006/03/30(木) 22:54:12
>>190

ある人は、
「どうせ最後まで読めば文の内容がわかるんだから、論理的じゃないか」
と言うだろう。
でも論理というのは言葉の理路のことであって、「筋道」なんだよ。
路地を自転車で走るとする。
途中で一軒の家宅が道のどまんなかへはみ出している。
僕は自転車をいったん降りて、靴を脱いで、自転車をかついで、
その他人の家を玄関から裏口へと出てまわる。
そして自転車に乗りなおしてサイクリングを再開する。
と思いきや、また変なことになった。
次に僕を待っていた文のことだよ。
「これは画期的な目標コンセプトを創造し、」――
目標コンセプトを創造、要は「目標を創造する」だが、
なるほど、本科目で勉学するにあたって何か珍しいものが創りだされることになるんだな、と。
……………………
やれやれ。また、なんだよね。
「画期的なコンセプトを創造」するのは「新しい人材」であって、
「これ」あるいは「本科目の目標」がするのはそれの「育成」だったんだよね。
そしてそれまでに僕は3つの「偽」の述部をクリアしなければならなかった。
すなわち、
「新しい技術を開発して」、「これを事業化し」、「世界経済の発展に寄与する新産業の創出につなげる」だ。
前文からの脈絡にしたがっていたところ僕は「読者」の述部としての「これを事業化し」に出くわしたわけで、ずっこけたわけだ。
ふん、「これを事業化」するのは「新しい人材」だったんだよね。
「新しい人材」にたどりつくまで、僕は「これを事業化し」がいったい何事かを把握できずにいたんだな。
論理のパーツを揃えれずに頭がそんなふうにぎくしゃくしていたところ、
「世界経済の発展に寄与する新産業の創出につなげる」が出てきた。
僕のRAMメモリにも限界があるんだよ。
「。」まで読み終えたところで、僕はその文をもう一度あたまから読みなおすはめになった。

(つづく)
192p-a:2006/03/30(木) 22:54:47
>>191

気がつくと、僕は自転車と共に巨大な亀の甲羅の上に乗っかっていた。
家宅の次が巨大亀だったということだ。
なにはともあれ。
亀のおでこを轢いてしまわないよう僕は慎重に自転車を駆ってもとの路地に乗り入れた。
「このような重要な役割を担う人材、」(句点があるので僕は息をついた)
       +
「いわばテクノプロデューサーに求められる基本的な知識や実践的な考え方ならびに方法論を」(目的語だ!)
       +
「学習し、」
…………がくしゅう? ちょっとまてよ、「人材」はふつう僕らが「学習」するものじゃないから、
句点で分けられていた二つの文節「このような重要な役割を担う人材」と
「いわばテクノプロデューサーに求められる基本的な知識や実践的な考え方ならびに方法論を」とは
「学習し」にかかる対等の目的語ではなかった、ということだったんだな。
おーけい。
で、前文からの脈絡にしたがうところ、「学習」の主体は……
いや、さっきはそれをして騙されたんだ。しぜんな脈絡にはもうしたがわない。
論理的に自明な連結がそこにあるのだと期待するのはもうやめて、
僕は自分の頭のRAMメモリを最大限に活用することにした。
「学習」の主体がわかるまで、僕はそれまでに読み込んだ言葉をいったん記憶の保管庫にしまった。

(つづく)
193名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/30(木) 22:54:58
"She is happy."
↑何故お前が知っているのだ。
お前まさか彼女と
194p-a:2006/03/30(木) 22:55:43
>>192

気がつくと僕は、自転車と共に、なぜか、
路地の下からアスファルトを貫いて突出していた巨大な和田アキ子の「鼻」の頂上にいた。
最後の文を僕はまだクリアしていなかった。
「イノベーションの推進にチャレンジする意欲の高揚をはかることに」――これは難関だ。
というのも、
「チャレンジする」の主体が有るのか無いのかがまだわかっていないし、
「チャレンジする意欲」を高揚してくれるだろう主体も現時点ではまだわからないからだ。
僕はそれらをとりあえず頭のRAMメモリに保存した。
「本科目のねらいはある。」
やっときた。述部だ。
これで、今までに読み込んだパーツを組み上げることができる。

(つづく)
195p-a:2006/03/30(木) 22:56:45
>>194

こういうことになった。

主格(格助詞+名詞句)
〔は〕〔本科目のねらい〕

述部(動詞)
〔ある〕

目的格(格助詞+名詞句)
〔に〕〔こと〕
……〔学習し〕
…………〔を〕〔基本的な知識や実践的な考え方ならびに方法論〕
………………〔求められる〕
……………………〔に〕〔このような重要な役割を担う人材 : いわばテクノプロデューサー〕
……〔はかる〕
…………〔を〕〔イノベーションの推進にチャレンジする意欲の高揚〕
196p-a:2006/03/30(木) 23:31:16
>>151――――――――――――――――――――――――――
日本語文法は文面上に記述できない。と言いたいのかな?
個人的には、記述しうると思っているが、
現段階では、日本語に限らず、英語だろうと中国語だろうと、記述できていない。
現在、自動翻訳機というものが未だに誕生していない。
これは、各言語の文法が文面に記述しきれていない間接的な証拠と言えるだろう。
―――――――――――――――――――――――――――――

コンピュータの翻訳機能を使う場合、
英語文が訳されるところの忠実度と、
日本語文が訳されるところの忠実度とに、
「差」があったりしません?
つまり、コンピュータにとっては、
日本語の構造よりも英語の構造のほうをより正確に解読できる、
ということです。
日本語文は一般的に多義的であって、
論理一直線であるコンピュータにしてみると
一筋縄では解せない秩序の中にそれはあるのです。
Word といったソフトによる日本語の文章の単語のカウントとか、
やったことはありますか。
けっこう不安定ですよ。
それは、日本語文における言葉の単位である単語が
どこで区切られているのかが判別されにくいものであり、
論理的構造の中の品詞としての性格に関する定義がそもそも貧窮しているからです。
日本語の正確な類義語辞典を作るのが難しく、ほとんど出回っていないのはその所為でしょう。
たとえば「詳細」という語の活用について考えてみてください。
「詳細に」と「詳細な」は、機能としてはそれぞれが副詞と形容詞ですが、
それは単に「に」や「な」を付けただけのものであって、
「しょうさいに」という副詞そのものが語彙として存在するわけではありません。
だから辞書の索引にも見あたりません。
「むずかしい」といった和語は形容詞として辞書にも載っていますが、「こんなんな」(困難な)というのはありません。
英語ではそういうことがなく、地球上における公的な使用機会を得た言葉ならどれもが辞書の上で定義を得ます。
197p-a:2006/03/30(木) 23:47:13
>>153――――――――――――――――――――――――――
> 文面上で記述できない理性は論理ではありません。
> この事に例外はありません。
> 論理は、言葉すなわち記号言語によって再現できる(あるいは現出する)理路のことです。

障害があって記号言語を扱えない人には「論理は存在しない」のか?
その人が頭の中で整然とした図を描く能力を持っていても
「そんなものは論理ではない。言葉にならない理性に過ぎない」と断ずるのか?

あなたが「表層に現れない論理など認めたくない」と感じるのは自由だが、
そうして安易に否定することがどのような意味を持つのか、考えてみて欲しい。

あなたは「どの言語にも話者がいる」という、非常に大切なことを忘れていませんか。
そのような印象を受けます。
―――――――――――――――――――――――――――――

障害があって記号言語を扱えない人が頭の中で事柄を整然と構想するにいたった理性が論理であれば、
それと同じものを僕たちは文面上で記述できます。
たとえば、障害者が、ハイジャックされた2機の飛行機が高名な2つの建物に突っ込む場面をテレビで観て、
(ああ、これはいけないことだな。なぜなら、たくさんの人命が殺められたから。)
と、整然と構想したとします。
僕たちは、その障害者の頭の中の論理と同一の構造を持った意味連関のまとまりをテクストとして産出することができます。
(上記で僕が「再現できる」と言ったのは、それを認識してのことです。)
そうして、当の障害者が惜しくも著せなかった、イスラム原理主義にたいする論理的な「批判」といったものが、可能となるのです。
その障害者は単にその記述作業ができないだけです。
失語症患者の頭脳がいかなる堅実な論理をも所有できないとは僕は言っていないのです。
あなたは勘違いしています。
198p-a:2006/03/30(木) 23:53:17
>>114――――――――――――――――――――――――――
★ 彼女にその場にいられるとちょっと困るんだよなあ。

>>116――――――――――――――――――――――――――
これは受動態。

>>152――――――――――――――――――――――――――
★ 彼女にその場にいられるように説得してみるよ。

>>154――――――――――――――――――――――――――
どう考えても可能です。

―――――――――――――――――――――――――――――

それでは訊きますが、
>>152]の「いられる」は、何故に、可能態なんですか?
199p-a:2006/03/31(金) 00:26:27
>>162――――――――――――――――――――――――――
よーするに
日本語:論理性のカケラもないクソ言語
印欧語:論理的すぎてエレクチオンしちゃう
ってことが言いたいんでしょ?
―――――――――――――――――――――――――――――

それは僕のことを言っているんですか?
ねえ、思い違いをしないでください。
僕はフランス語なんかよりも日本語にエレクチオンするんです。
このあいだも言ったのですが(そして受け容れられなかったのですが)、
言語においては論理性がすべてではないのです。
なぜなら、人間が言葉を使うのは、なにも物事を追究するためばかりではないからです。
人間と言葉との関係が意義を持つ瞬間は、
物事の説明を論理的に組み立てるところ以外にも、存在します。
御存知かとは思うけど、相田みつをの作品。
あれは、日本という風土を出て探していては他に類を見つけることのできないような代物ですよ。
(そのように言う僕のことをバカ外人だなんて呼んだりはしてくれないでね。)

日本人というのは不思議で、
「自分たちに欠けている」とわかったり告げられた何事かがあると、
その欠乏がなんだかまるで民族の運命に関わる袈裟であるかのようになって、
あわててその対象をなんらかの手段でどこかから仕入れようとしたり、あるいは捏造したり、
そういうことをして背伸をしようとしてきた。
まあその気質のおかげで、
明治維新を通じて今の「豊かな日本社会」を形成することができたのだろうけど。
でも、どうなの?
200p-a:2006/03/31(金) 00:49:47
>>169――――――――――――――――――――――――――
英語の it とか him とかいう代名詞も、具体的に何を指しているのかは、結局、
テクストの中に置いてみないとわからない。
論理の点では完全にイーヴンだよ。
学びやすさという点では知らないが。
―――――――――――――――――――――――――――――

その語が内包している意味とは? という問題は、
やはり語釈の話であって、論理の話とは違います。
僕たちが問題としているのは、
完結した意味連関の構造をその文が有しているかどうか、
ということであるはずです。
文がそのような秩序あるいは論理を有しているかどうかは、
それを構成する記号単位すなわち単語が
それぞれの機能を文という閉じた領域の中で明確に発揮し、関係し合っているか、
ということを観て考えます。
なぜなら、論理的命題というのは、役割の曖昧とした語からは構成されえない結合体だからです。
英語の it とか him というのは、文の中においてそのような命題を構成するための機能を明確に有しうる言葉です。
「It is rainy.」という文の中で、「it」は主辞としての機能を明確に持っています。
ちなみに「雨です。」という日本語文は論理的です。
なぜなら、「雨」と「です」とがそれぞれ主辞と賓辞としての役割を発揮しながら一つの論理的命題を構成しているからです。
参考までに言うと、「Fine.」や「よし。」は、命題ではなく、論理を有さない句、ということになります。
201名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 01:01:59
朝から晩まで2chかよ・・・
202p-a:2006/03/31(金) 01:07:58
>>172―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「いられる」を受動態と解釈すると、被害・迷惑の意味が出て、「ように説得してみる」とは結びつかない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

それがあなたの言う「普遍的な論理」なのですか?
受動態「いられる」は「被害・迷惑の意味」を醸し出す、
ということを定めているのは、
普遍的な論理なんかじゃなくて、
日本人たちの「文化的気質」でしょ?
それは可変であって普遍ではないでしょ?
それでも普遍であるとあなたが断言するとすれば、
300年後の日本人たちがなおも引き続き受動態「いられる」について「被害・迷惑の意味」を受け取るだろうということを
あなたに確信させているのはいったい何なのですか?
203p-a:2006/03/31(金) 01:15:51
>>172――――――――――――――――――――――――――――――――
それは言語の問題か? カナダやオーストラリアに世界的な哲学者や思想家が大勢いるか?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

世界的な日本人物理学者・化学者がたくさんいながら
世界的な日本人社会学者・哲学者があまりいないのは
何故だと
あなたは思いますか?

かりにその学界人口の偏りが日本人自身の気質傾向によるものであるとすれば、
日本人たちがそのような傾向を有することになったのは何故でしょうか。
204名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 01:20:24
まず世界的な〜という定義を示してくれ
205p-a:2006/03/31(金) 01:35:09
>>176――――――――――――――――――――――――――――――――
発話のなかで「概念の数値的な適用範囲」を意識していない日本人がこの地球上に何パーセントいるか、
当てずっぽでいいからまず申し上げてみてください。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

たとえば、「テレビ」の数値的な適用範囲については
おそらく100パーセントの日本人が意識していないでしょう。
「店頭には12台のテレビがある」とは言っても、
「店頭には12台のテレビ達がある」とは言わないでしょう。
ここでの「12台の」はまた別の話です。
問題となっているのは、
「テレビ」という言葉について、その数値性を認識することで複数形にするか単数形にするかといったふうに
概念(テレビ)の適用範囲を変更する日本人が
この地球上に何パーセントいるか、
ということですから。

「牛乳瓶」についても僕は同様の推察をします。
「あ、いけね、牛乳瓶達を冷蔵庫に入れとくのを忘れた」などと言う日本人は
おそらく0パーセントです。
206p-a:2006/03/31(金) 02:13:34
>>180――――――――――――――――――――――――――――――――
単数複数を根本的な差と考える根拠は?

1と2以上の間の差は、2と3以上の差と比べて、決定的な差ではない。
10000と10001以上の差が決定的ではないのと同じ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

馬鹿げたことを言わないでください。
「1」というのは存在の基本単位です。
単数と複数とを識別する理性は、
複数とは何であり、複数を形づくっている大元とは何なのかを、規定する理性です。

あなたは、「1」と「2」との間の値が、「2」と「3」との間の値と同じである、
ということを言っているだけです。
僕が言っているのは、
単数概念と複数概念とが根本的に違う、
ということです。
2ひく1が1で3ひく2が1で10001ひく10000が1で、という話ではありません。
2や3や10000という合体概念と、
1という基体概念とが違う、
という話をしているのです。
(一応言っておくのですが、
単数と複数とを識別するうえで必要なこの基体概念は、
数学のそれとは異なるものです。
「1は0.1の集まりだろ」とか、申さないでくださいね。)

それと、僕の意見を改めます――
日本語では、単数と複数とを区別することができます。
「たち」や「ら」といった言葉で、概念の複数性を表すことができるからです。
ただし、そういった言葉を使って概念の数値的な適用範囲を積極的に設定することを妨げるものが同時に日本語にはあります。
「芝刈機たち」といった言い方をすると変な目で見られる、という妨げです。
207名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 02:26:09
>>204 百科事典に載っているとか、著作が○カ国語に翻訳されているとか、いくつか基準は考えられるだろう。
日本語訳が 1 つも出てないようでは、該当しがたいだろうね。
208p-a:2006/03/31(金) 03:27:26
>>180――――――――――――――――――――――――――――――――
もしも、英語で「泥棒(単数)を見たか?」と問われたときに、
論理的な英語では、複数の泥棒を見た場合、Noと答えるのが正確なのか?
それとも、a X or Xs という表現を現に英米人は使っているの?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

やれやれ。

まず、その日本語による多義的な尋問台詞は次に示すような翻訳を受ける――

Have you seen any queer figure?

Have you seen the robber?

Did you see the robber?

2番目の訳でいく。

Have you seen the robber?

こう訊かれたら、英米人は、あなたの設定した境遇において、

Yeah, I have!

とまず答える。次にこう付け足す――

But there were many!

(つづく)
209p-a:2006/03/31(金) 03:28:11
>>208

で、実はこんな話は僕たちが問題としてきた事じゃあない。
僕たち(すくなくとも僕)が取り扱ってきたのは、
日本語(またはその文法)に論理性はあるか、
あるいは、
英語(またはその文法)にいったいどれだけの論理性があるのか、
ということだ。
ある言語がどれだけの論理性を有しているかどうかは、
記号システムの基本的実用単位である「文/sentence」が
論理的命題を生成することについて
どれだけ適した構造を持ちうるか、
ということを観て考える。
文そのものを観察するのであって、
文と文とのつながりを観るんじゃない。
なぜなら、
文Aと文Bとがどれだけ論理的に関係し合っているかということは、
その言語本来の論理性に左右される件ではなくて、
文Aと文Bとを並べた「話者」自身の恣意性にもとづく件となる場合があるからだ。
例を挙げる――

僕のとなりに、怖いヤクザ風の男が近寄ってきた。(文A)
だから、ニューヨークの上空を飛んでいた白い鳩が消滅した。(文B)

(つづく)
210p-a:2006/03/31(金) 03:28:46
>>209

――これらは論理的な関係を結び合った文ではない。
だからといってその言語が非論理的な言語であるということにはならない。
その言語がどれだけの論理性を有しているかは、文を観て考えたほうがいい。
例を挙げる――

これらは論理的な関係を結び合った文ではない。

――「これら」と「文」は同一の対象を指示し合っているけども、
前者の数値性と後者の数値性とが一致していない。
これらは同格でしょう、すると「2=1」と言っているみたいなもんだ。
それだから、日本語には非論理的なところがある、ということになる。

どうということはない。
日本語には非論理的なところがあるだけで、
日本語学者が核爆弾の製造に着手するわけでもないし、
日本列島が沈没するわけでもない。
英語は非表意文字的だけども、
だからといってアメリカ人男性の脳味噌が金玉袋に向かって生物学的な移動を開始するわけじゃあない、
というのと同じこと。
211名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 03:28:58
>>103
> 「この店のラーメンの方がおいしい」と言うとき、比較の対象になる店は 1 軒しかない。
これは間違いだったと思うので、撤回する。

「??ひとまず、ほかの人物たちのことがわかる前に、「あの女のとなりにいる人」のほうがまずわかってきたようだ」 (>>68)
この文はどう考えてもおかしい。
「*ほかの女の子たちより、君の方を選ぶよ」
「あの女より、君の方を選ぶよ」
「?ほかの人たちのことより、あの女のことの方が、先にわかってきた」
「あの女のことより、その隣にいた人のことの方が、先にわかってきた」
2 者の対比に変えると OK になるのは、予測どおり。しかし、
「ほかの人たちより、あの女の方が先に事実を知ったようだ」
これはおかしくない。なぜかはみんなで考えてください。パァ (p-a) のヘボ理屈よりよほど興味深い。
212p-a:2006/03/31(金) 03:37:53
>>180――――――――――――――――――――――――――――――――
英語のように、与格と対格の区別が曖昧な言語ならともかくとして、
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

英語の与格と対格の区別は、どういったところが曖昧なのですか?

>>180――――――――――――――――――――――――――――――――
日本語のように、対格、与格といったものが比較的明確に定義できる言語について、
目的格という語を使うのは誤解を招きやすい、もっと言うと、曖昧な文章にする要因になる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

その点については反省します。
日本語について目的格という語を用いたいのなら代わりに対格と与格とを区別して使え、
ということですね。
対格・与格の上位概念として目的格という語を用いるのもやめます。
213名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 03:38:50
>>202
> 受動態「いられる」は「被害・迷惑の意味」を醸し出す、
> ということを定めているのは、
> 普遍的な論理なんかじゃなくて、
> 日本人たちの「文化的気質」でしょ?
それを言うなら、「態」そのものが普遍的論理じゃないだろう。
形式論理に voice は要らないだろう。でも多くの言語に態みたいな現象がある。
もちろん英語にも態はある。それは論理じゃないね。受動態を廃止したとしても意味不明には陥らないから。
214名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 03:44:03
>>205
> たとえば、「テレビ」の数値的な適用範囲については
> おそらく100パーセントの日本人が意識していないでしょう。
あっそう。それなら、Taro went to Tokyo. の Taro が主題であるかどうかは、おそらく 100 パーセントの英語話者が意識していないだろう。
主題であってもなくても Taro であり、主題を明示する仕掛けがない。
215名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 03:51:21
>>205,206
では、a X or Xs という表現を現に多用していない英米人は概念の数値的な適用範囲を意識していない。
ということになるのではないか?

>>205が数学における集合としての複数とかその構成要素と誤解しているのであって、
言語学上の、「文法数」の議論に集合といったものをそのままの形で持ち込もうとしているのは、
そちらではないか?

家に一個テレビがある。
家に二個テレビがある。
家に三個テレビがある。
家にX個テレビがある。

これらに論理的な構造の違いはない。

あと、
>単数と複数とを識別する理性は、
>複数とは何であり、複数を形づくっている大元とは何なのかを、規定する理性です。
こんな事はどうにでも言えるよ。
 双数と複数を区別しない英語は論理的に決定的な破綻をきたしている。
 「2」というのは根元的な数である。
 +と−であったり、太陽と月であったり、男と女だったり、表と裏だったり、
 この2個である、つまり、「対」になっている状態と、つまり双数概念と複数概念は根本的に違う。
こういう議論をしているに近いぞ。

たとえば、「はさみ」という単語は英語においては無条件で複数として扱われるが、
これは英語が論理上の欠陥を持っているからでしょうか?
216名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 03:55:19
>>203
> かりにその学界人口の偏りが日本人自身の気質傾向によるものであるとすれば、
> 日本人たちがそのような傾向を有することになったのは何故でしょうか。
遺伝じゃないのか w
217名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:08:22
うんこスレと化す運命にあったはずの
このスレにp-aみたいな知識人が降臨するなんて希少だな。

前スレ1・2は在日半チョッパリや、
自慰が目的の低脳嫌韓厨の雑談スレと化してたからな。
218p-a:2006/03/31(金) 04:16:32
>>181――――――――――――――――――――――――
その「の方」は、「*の{方向/方角}」と言い替えられない。
―――――――――――――――――――――――――――
> 僕が[>>138]で挙げた「こちらの方」とか「そちらの道の方」における「の方」は、
> 日本語でしょう。

日本語だが、違う単語だ。「こちらの方向」「そちらの道の方角」などと言い替えられる。
―――――――――――――――――――――――――――

あなたと僕とのあいだの食い違いが何なのか、わかりました。

僕は、比較の対象を「方角」とした言い方として、
「こちらの方」とか「そちらの道の方」といったものを挙げました。
ただし、ここでの「の方」は、
あなたの言うところの「*の{方向/方角}」ではありません。
つまり、こういうことです。

(つづく)
219名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:16:57
日本語は論理的思考に向かない糞言語。
その糞言語で常に思考している日本人は筋道たった思考に障害を起こしているのだ。
ゆえに低脳な猿である君達は、明晰な論理思考のツールとして欧米諸国の言語を学ぶべきである。
220p-a:2006/03/31(金) 04:17:15
>>218

オプション1 「方角1へつづく、こちらの道」
オプション2 「方角2へつづく、そちらの道」
オプション3 「方角3へつづく、あちらの道」

「ラーメンがおいしいと評判の店」を街で探すなか、
あなたに上記の選択肢が与えられたとします。
手元の地図を見てみたのですが、
正しい道筋がなんなのかよくわかりません。
とりあえずあなたは、オプション2を選びました――
「よし、そちらの道の方にしよう」

ここでの「の方」は、
あなたが指摘したところの「*の{方向/方角}」とは異なります。
ここでの「そちらの道の方」は、
あなたの言うように「そちらの道の方角」と言い換えられるものではありません。
オプション1〜3にわたって比較の対象とされているのはたしかに「方向」や「方角」ですが、
「そちらの道の方」における「の方」そのものは
「方角」を指しているのではなく
「どの対比項であるか」を指しています。

(つづく)
221p-a:2006/03/31(金) 04:17:48
>>220

「どの対比項であるか」を示すこの「の方」は、
あなたが[>>77]でおっしゃった「日本語の「の方」」と同じものです。
そしてあなたはこの「の方」が「2つのものしか対比できない」とおっしゃいました。
対比項は2つのみだ、と。
ところがそうではないのです。
上で述べたように、あなたと僕の「の方」は、
3つ、あるいは4つ、あるいは5つと、
2つ以上のものを対比項として据えることができるのです。

したがって……

>>181――――――――――――――――――――――――
「??ひとまず、ほかの人物たちのことがわかる前に、「あの女のとなりにいる人」のほうがまずわかってきたようだ」という文は、非文法的。
君がいくら頑張ってもムダだよ。あきらめなさい。
―――――――――――――――――――――――――――

「ほかの人物たち」と「あの女のとなりにいる人」とを合わせて3人ですが、
3人を対比項に据えている「の方」の用法は、
非文法的ではありません。
上の例文は、文法的です。
222名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:20:58
>>220
> とりあえずあなたは、オプション2を選びました――
> 「よし、そちらの道の方にしよう」
非文法的。「よし、そちらの道にしよう」としか言わない。
223名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:22:24
日本人として生まれて本当に不幸せだよ・・・。
英語圏の人間に生まれ、生まれながらの思考基盤が
英語であったら、学校での僕はきっと成績優秀だった。

残念だけど、
日本語はあらゆる知的活動に弊害を及ぼす駄言語だよ・・・。
本来、文明人は優れた文明語を使うべきなんだ。
今の僕達には、日本語のような劣等言語、それを断ち切る勇気が必要なんだよ!
224名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:23:11
>>221
> 上の例文は、文法的です。
君、ネイティヴに逆らうの?
225名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:27:52
にほんご ハ たしか ニ くそげんご デス。

ダカラ すべてのもじ ヲ ひらがな ト かたかな ニシテ、

セメテ みため ダケデモ うつくしく シマセン カ?

かんじ ヲ はいし スルコトニ ヨッテ、にほんご ハ

いま ヨリ モット せんれん サレテ い ク コトデショウ。
226名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:30:22
>>210
>これらは同格でしょう、すると「2=1」と言っているみたいなもんだ。
それは違う。
代名詞をのぞいて、日本語では名詞が用いられた場合、
まず、単数や複数等の上位概念である「通数」とでも言うべきものということになる。
もしも、文のどこかで、この名詞の数を特定すれば、
つまり「〜個の」といったものを付ければ、その個数は限定されることになる。
だから当然、
「これらは一冊の本です。」とやれば、数の不一致ということで非文法的ということになる。


次に、何故代名詞の場合のみ単数複数が区別されるか。
まず、一人称の場合、認識できる自己のみである単数と、それ以外が関わってくる複数は、
殆どの言語で区別されるだろう。
次に、二人称の場合、話者からすると会話の対象者が個人である単数と、集団である複数は、
一人称の場合ほどではないが、殆どの言語で区別されるだろう。
しかし一人称の場合のように、自己と非自己の対立が関わってこないため、
区別を要する程度が若干低くなる。
最後に三人称とそのほかの代名詞についてだが、
三人称自体が無い言語もある。日本語では指示代名詞や「あの人」といった単語を三人称に転用している。
二人称と比べると単複を区別を要する程度が幾らか低いだろうが、
人に対する三人称では日本語でも単複を使い分ける。

こう考えると、物には単複を使い分けるのに、
二人称には単複を使い分けない英語話者は、
困らないのだろうかと思ってしまう。
227名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:30:53
>>224

ネイティブに逆らうの?
・・・って、なんか恥ずかしい発言だな。
リアルでは控えろよ。
228名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 04:41:31
>>227 普通、英語の文法性判断について、日本人が英語ネイティヴ相手に理屈こねたりしないだろうよ。
相手の言ってることがどうも変だと思うときは、検索結果なり、コーパスなりを示して反論するのが筋というものだ。
229p-a:2006/03/31(金) 05:17:09
>>183―――――――――――――――――――――――――
省略してもなぜ意味が通じるのか。
「論理的な言語だから」というように考えることはできませんか?
相手の言葉を論理的に解しているからこそ、
応答が省略されたセンテンスであっても意思疎通が図れるんじゃないでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――
ネイティブが「母国語が非論理的だ」というならそうなんでしょうけど、
日本人が日本語に不自由しているという話は聞きません。
文化が違えばそれに伴って発達する言語も変わってくるのは当然です。優劣の問題ではありません。
非ネイティブから見て「日本語のこういうところはわかりにくい」という指摘は興味深いですが
「非論理的」という批判めいた言い方はやめたほうがいいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――

僕は、日本語が論理的記述を得意とする言語であるとは考えていません。
それでもなお日本語が言語として機能するのはなぜかというと、
一つの記号体系として日本語が有している指示形式の理性がそこにあるからです。
その理性というのは個人と個人とのあいだの共通理解を実現するためにある仕組であって、
普遍的な論理性を参照して論理的な命題を生成するのを助ける仕組とは異なるものです。
言語が論理的な記述を可能とすることと、
言語を通じて人間が意思疎通を図ることは、
それぞれ別々の仕組にのっとって成立する異なる事態です。
人間が持っているような言語とは縁の無い野生の小動物たちが
サバンナにおいて天敵に関する情報をおたがいに疎通しあうのを可能としている仕組とはいったい何なのかを考えてみてください。
230p-a:2006/03/31(金) 05:17:52
>>229

レンガ造の家と、コンクリート造の家があるとします。
前者を構築しているのは、一定の法則性をもって積み重ねられたレンガの壁です。
後者を構築しているのは、そのような配置配列の法則性をもたずに塗り立てられたコンクリートの壁です。
両者とも、家としての機能をまっとうします。
欧米語と日本語とのあいだの印象の差は、そのようなものではないのでしょうか。

また、僕は、あなたの言うようには一度たりとも言語の本質的な「優劣」を問題としたことがありません。
論理、論理、と僕が口うるさく並べているので、
なんだか論理的なものが本質的に「もっとも優れた」性質なのだと僕が訴えているように思われるのもしょうがないのですが、
言語が特性を所有するという事態とその様相はどれもが相対的なものであると僕は考えています。
文化全般における指示形式についても同様です。
レヴィ=ストロースではありませんが、未開の地の民族だって、
西洋社会が特定の文明形態を保持するにあたって携えているものと同等の規定能力を有するのです。
231名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 05:24:45
>>228
その相手には限定句をつけるべし。
教養あるnative speakerとな。
学部(日本では三流高校波といわれる)出以下(and lowerだよ、念のため)native speaker相手では
院卒日本人ならば文法で間違い指摘は許される。
232p-a:2006/03/31(金) 05:56:08
>>184―――――――――――――――――――――――――
「うれしいです」という文字列そのものは、事象の主体が「私」であることを規定していません。

>>187―――――――――――――――――――――――――
貴方が嬉しいです。

―――――――――――――――――――――――――――

「貴方が嬉しいです」という言い方は日本語ではしないから、
「うれしいです」は「私はうれしいです」と捉えるしかない、
ということを言いたいのですか?

「文字列そのものが何かを規定する」ということについてもっとよく考えてください。

「うれしいです」という文字列を自動翻訳機に入力して、
これを英語でそのまま出力すると、
「happy be」あるいは「be happy」と出るでしょう。
これを正しく「I am happy.」という完結した表現として出力させるには、
何かしらの約束を特別に翻訳機のためにプログラミングしておく必要があります。
「うれしいです、と入力されたら、とにかく I am happy. と出力してね」
という約束です。
この約束は、
「うれしいです」という文字列そのものにたいしては外部にあるものです。
文字列それ自体では特定の命題を生成できないというのはこの事です。
233p-a:2006/03/31(金) 05:56:45
>>232

また、逆方向の場合を考えてみてください。
「I am happy.」と入力します。
「私は嬉しいよ」「私はうれしいよ」「僕は嬉しいよ」「僕はうれしいよ」
「ボクは嬉しいよ」「ボクはうれしいよ」「嬉しいね」「うれしいね」
「嬉しいな」「うれしいな」……
……といったふうに日本語のために色々と用意されている出力結果のうち、
どれを翻訳機に選択させるか、
ということが問題となります。
この「選択」そのものに必要な情報は、
やはり文面上に現出しうるような意味形式ではなく、
話者の頭の中で醸成されている特有文化的な理性です。
日本語の表現形態は、
「談話法的省略規則」といった約束に多くを支配されているとはいえ、
すごく恣意的でもある、
ということです。
234p-a:2006/03/31(金) 05:59:01
>>188――――――――――――――――――――――――
伊58には、こういうときにこそ
積極的に論壇を交わして欲しいんだが・・・。
―――――――――――――――――――――――――――

ちょっとお尋ねしますが、
その「伊58」って、何者ぞ。
「伊」って、何ぞ。
235p-a:2006/03/31(金) 06:17:51
>>193――――――――――――――――――――――――
"She is happy."
↑何故お前が知っているのだ。
お前まさか彼女と
―――――――――――――――――――――――――――

嬉しそうに笑っている女友達を見て、
となりの席にいる別な友達に
「She is happy.」
と口にするような場面は、
よくあります。

ちょうど、
皆の前で妙に粋がっている男にたいして
「おめーなにチョーシぶっこいてんの」
と言うかんじです。
236名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 06:20:05
>>234
まあ、空気とテンプレを読め
237p-a:2006/03/31(金) 06:42:15
>>204――――――――――――――――――――――――
まず世界的な〜という定義を示してくれ
―――――――――――――――――――――――――――

その人の研究と研究成果が
特定の文化的共同体といった規模の領界のみならず
世の中あるいは地球の上をまるごと含むような大きな領界における知的交流の場において
認知される機会を得ている

――という意味で、「世界的な〜」という表現を僕はしました。
238名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 06:44:01
私はむしろ逆で、セレンやP-Aが空気を読まず、長文を垂れ流す事に
興味があるわ。

やはりハーフであり他言語を駆使する事が関係あるのかしら。
239p-a:2006/03/31(金) 06:58:45
>>207――――――――――――――――――――――――
百科事典に載っているとか、著作が○カ国語に翻訳されているとか、いくつか基準は考えられるだろう。
日本語訳が 1 つも出てないようでは、該当しがたいだろうね。
―――――――――――――――――――――――――――

イギリスの大学図書館には、西田幾多郎の本があったりします。ただし日本語です。
西田とか和辻とか、そういう人たちの思想に僕はすごく興味があるのですが、
そのあたりの文献というのは、
それがそのまま英語に訳されて読まれているというよりも、
新しい世代の英語のできる日本人研究者たちによる「紹介」というかたちで
欧米の有識者たちのあいだに広まる、
という場合が多いようです。
ちょうど、
昔のギリシャ語やラテン語の文献を現代の欧米人が訳して
それを日本人が英語から日本語へと訳す、
といったかんじです。
240名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 07:00:55
>>238
周りの生徒を省みず、授業中、自分の質問を
ガンガン先生にぶつけるというのは
世界的には珍しくないよ。
質問自体をあまりしないない日本や韓国などの
東アジア圏の生徒が珍しい方。

p-aさんは、この場を学校の授業における討論と同じように
捉えてるからおそらく、ガンガン文章を書くんでしょう。

>セレンやP-Aが空気を読まず、

空気を読むといった行為は、
全世界のあらゆる地域・階層間で行われていることじゃないよ。
(この辺の詳しくは、有名な山本七平 著「空気の研究」に書いてある)
241p-a:2006/03/31(金) 08:05:01
>>213――――――――――――――――――――――――
それを言うなら、「態」そのものが普遍的論理じゃないだろう。
形式論理に voice は要らないだろう。
でも多くの言語に態みたいな現象がある。
もちろん英語にも態はある。
それは論理じゃないね。
受動態を廃止したとしても意味不明には陥らないから。
―――――――――――――――――――――――――――

論点が違うような気がします。

[>>202]で僕が言いたいのは……
受動態としての「いられる」の使用について、
一般的な日本人はそこに「被害・迷惑の意味」を見いだします。
それは感情です。
どういった現前から
どういった感情が
どんな具合に
喚起されるかは、
その人の文化的習性からの影響の対象となります。
「いられる」と「被害・迷惑」とを結びつけるのは、
その人の文化的気質です。
それは普遍性とは関わりのない様式であって、
そういったものが日本語の多くの用法を支配しているのです。
242p-a:2006/03/31(金) 08:06:03
>>241

ちなみに……
「ドンマイ」
という励ましの声を日本人は仲間にかけたりしますよね。
「Don't mind.」を模した、「気にすんなよ」という意味の言葉です。
これを英語人に向かって言ってみた方はいますか。
相手は、励まされるどころか、げんなりします。
彼らには、
「I don't mind about what you're doing anyway.」
(どうせおまえのやることなんて気にもしてねえよ。)
といったふうに聞こえるんです。
243名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 08:14:08
>>241
> それは感情です。
英語の受動態も一種の「感情」だろう。
244p-a:2006/03/31(金) 08:47:30
>>205――――――――――――――――――――――――
たとえば、「テレビ」の数値的な適用範囲については
おそらく100パーセントの日本人が意識していないでしょう。

>>214――――――――――――――――――――――――
あっそう。それなら、Taro went to Tokyo. の Taro が主題であるかどうかは、
おそらく 100 パーセントの英語話者が意識していないだろう。
主題であってもなくても Taro であり、主題を明示する仕掛けがない。

―――――――――――――――――――――――――――

あなたが言うような重きを英語話者が Taro に置きたければ、
彼らはそれをイントネーションで表すでしょう。
仕掛が無いわけではありません。
ただし、それが可能なのは口言葉における発話です。

100パーセントの英語話者が自身の発話内容の主題について意識していない、ということはないと思われます。
どの語を強調してどの語のトーンを鎮めるかについて彼らの咽や舌はいつでもせわしくあるから。
権威ある有識者の学術的な著作の中で「!」といった記号が登場するぐらいなんです。
ところで、日本語で使われているその「主題」という用法を明示できないせいで文(sentence)が論理的な破綻をきたすような例があれば、
それを教えてくれませんか。

ちなみに、日本語における表現の書き分けが発達したのは、
発音の抑揚における高低差が小さい分狭められた表現のダイナミクスを保持するためだったのだと僕は考えています。
縦(発音)の動きが小さくなった分、それが横(文面)における動きとして現出した、ということです。
245p-a:2006/03/31(金) 09:10:17
>>215――――――――――――――――――――――――
では、a X or Xs という表現を現に多用していない英米人は概念の数値的な適用範囲を意識していない。
ということになるのではないか?
―――――――――――――――――――――――――――

なにを言っているんだか。

彼らは「bottles」が「a bottle」ではないことを日頃から意識していて、
日本語人は単にそれをしない、
ただそれだけのことでしょう。
英米人は定冠詞・不定冠詞・単数形・複数形をもってして概念の数値的な適用範囲を普段から発話の中で繰っていて、
日本語人は単にそれをしない、
ただそれだけのことでしょう。

ねえねえ。
日本語人は、
表意文字である漢字を含んだ文面を
まるで絵を眺めるようにして
自分にとって必要な情報をそこからなんなく掬い上げることができる。
英米人にはそんなことはできない。
彼らは、自分が求めている情報を文字メディアから読み取るうえで、
あの白っぽくてつまらない文字が膨大に敷き詰められた淡白な文面を相手にしなければいけない。
英語は、skimming 技術にとってはいささか不向きだ。
246名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 09:16:44
>>244
> 仕掛が無いわけではありません。
日本語にも、「概念の数値的な適用範囲」を示す仕掛けがないわけではない。
「或る」「あらゆる」といった連体詞、「1 つの」「いくつかの」といった数量語がそれだ。

> 100パーセントの英語話者が自身の発話内容の主題について意識していない、ということはないと思われます。
もちろん意識しているよ w 言語に必ずしも反映されないだけ。

> ところで、日本語で使われているその「主題」という用法を明示できないせいで文(sentence)が論理的な破綻をきたすような例があれば、
> それを教えてくれませんか。
特にない。同様に、英語の名詞の文法的数も、定・不定も日本語では明示できないけれども、文が論理的に破綻することはない。
247p-a:2006/03/31(金) 09:20:51
>>215――――――――――――――――――――――――
家に一個テレビがある。
家に二個テレビがある。
家に三個テレビがある。
家にX個テレビがある。

これらに論理的な構造の違いはない。
―――――――――――――――――――――――――――

上記の文の構造のあいだに違いはありません。
賛成です。
248p-a:2006/03/31(金) 09:29:56
>>215――――――――――――――――――――――――
「はさみ」という単語は英語においては無条件で複数として扱われるが、
これは英語が論理上の欠陥を持っているからでしょうか?
―――――――――――――――――――――――――――

「はさみ」という製品を造るうえで無条件に必要となる刃はいくつですか?
249名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 09:37:44
―――――――――――――――――――――――――――
漢字熟語は中国語文法に基づいている。
日本語の中に異なる文法が組み込まれてしまっている。
飲酒→飲む・酒を
日本語文法に基づくのならば
酒を・飲む→酒飲
とするべき
―――――――――――――――――――――――――――
発音と表記が一致しない。
英語:表記えいご→発音えーご
―――――――――――――――――――――――――――
カナは子音と母音の関係を正しく表していない。
さ(sa)し(shi)す(su)せ(se)そ(so)
た(ta)ち(chi)つ(tsu)て(te)と(to)
―――――――――――――――――――――――――――
文法が整理されていない。
特に助詞が重なったときの順番について。
食べたくない→食べ・る・たい・ない
国文法は「たい」と「ない」の語順に触れない。
―――――――――――――――――――――――――――
250名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 09:50:48
>>249
>発音と表記が一致しない。

これを日本語の特徴として挙げていいの?
発音と表記が、完全に一致する言語ってあるの?

一致しない程度の問題ならば、日本語ではなく
英語の方がよっぽど甚だしいでしょう。

>日本語文法に基づくのならば
>酒を・飲む→酒飲

そもそも、昔の正統な日本語文は、漢文(もどき)じゃね?
251印欧語じゃこんな事できないだろwwwwwwwwwwwwww:2006/03/31(金) 16:19:07
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
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うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
252名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 16:49:49
日本語が、音も見た目も醜いのは事実だよ

日本人はこの事実から目をそらしてはいけないと思う。
253名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 16:52:50
>>252
おまえもp-aくらいの読み応えのある書き込みしてみろよ。

まあ、バカには無理だろうけども。
254名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 17:07:43
こうん
255名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 18:55:41
と中身のない書き込みを>>253がしております
256名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 19:08:46
と中身のない書き込みを>>255がしております
257名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 19:42:56
>>238

典型的なジャップだな。
むしろこういう場ではどんどん
自分の思うところを書き込めばいいだろう。
>>240のいうとおり、空気を読むなんてのは
日本や韓国、そしてタイぐらいのもんだ。
258名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 19:48:52
日本語はもはや野蛮な土人言語と化してしまった。
こうなった以上は速やかに、他の優れた文明語を使用するべきである。

p-aのような優れた思考を成すためには、
やはり欧米諸国の文明言語を学ぶ必要があるようだ。

ここにいる日本語ネイティブ共が
p-aに何一つまともな反論が出来ていない事、それが日本語が劣っていることの、なによりの証拠だ。
259名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 19:50:51
p-aは英語とフランス語、日本語以外には何語が出来るの?
260名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 19:52:04
と、日本語しか出来ない
半チョッパリの>>258が申しております。
261名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 20:01:22
>>257
たとえ長文の連投でもp-aの書き込みは全て自らの意見だしね。
書き込み自体は有意義なものだし、それは十分読む価値のあるものだ。

逆に空気を読まないウゼー連投ってのは、
伊58がやるような"長文コピペ+受売りコメント"のオンパレードだろ。
262名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 20:22:06
「長文の連投うぜー」

↑これが日本人の限界をよく表してる
263名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 21:13:15
>>262

ワロタw 確かに。
まぁでも、2chで連投される長文なんて
読む価値皆無の長文がほとんどだからなw
264名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 21:41:02
言語ネタにかこつけた、単なるうさ晴らしのグチの連続にすぎないな。
265名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 22:08:38
海外に日本語がいまいち普及しない原因は、外人が日本語に不信感を抱いてるせいではないか。
266名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 22:10:19
日本語が欠落のある言語だと見抜かれてるせいではないだろうか
267名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 23:37:57
なぜ君達は糞言語である日本語ごときに
そうも熱くなれるのか・・・・。たいへん疑問だ。

教えてくれないか? その訳を。
268名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 23:42:52
何だかんだで愛しているからさ、日本語をね。
日本人は日本語を喋る。日本語を喋るから日本人なんだ。

極端な話だと思うかもしれないけど、
日本人を規定する唯一のものは日本語なんだよ!
269名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 23:45:00
何々人なんて区切りは
言語による区切りだからな。
270名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/31(金) 23:48:44
語られる「愛」ほどうさんくさいものはない
国籍に頼れないから言語にこだわってるだけだな。
271名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 03:45:40
10分をジップンとか呼ぶのダサいから廃止してほしい
272名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 04:05:45
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ
273名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 04:07:16
  [中国]
    ∩
    | |
    | |
    | |
    | |
    | |
    | |  / ̄ ̄ヽ やばーい
    | |/  /| |      この言語すごい神ー
    (・ω・)ニニニニニニニニ⊃[ドイツ]
       //  | |
     //    | |
   //      | |
 //        | |
とノ         と ノ
[英語]       [フランス]
274名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:08:38
ショペンハウエルの『読書について』を読んでみると、
そのなかの『著作と文体』という章でラテン語・ギリシア語・ドイツ語以外を
貶しているのが分かる。ドイツ語を高貴な言語であると言い、そのほかの言語はラテン語の方言にすぎないとね。
英語については、文法がはなはだしく貧困で複雑な文章を作れないとまでいっているよ。
まぁこの章の内容自体は、その時代のドイツ語破壊を批判する章なんだけどさ。
275名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:10:22
>>273

現代中国語は神でもなんでもねーよ。
おまえ、現代中国語かじったことすらねーだろ?w
276名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:12:02
関東人のせいで
関西人は「扇ぐ」を「あおぐ」と書かなければならない。

関西では「あふぐ」なのにさ。マジ死ねよ、関東人。
277名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:14:24
今のドイツ語は生の英単語が混じりまくりで魅力を感じなくなってきた。
最近は大学でも普通に英語一本でOKだしな。医学系の部でもそういう傾向が出てきている。
278名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:15:54
日本語が学術研究に向かない駄言語であることは
とっくのとうに証明されてるだろうが。それは戦前からのことだ。

所詮は単なる生活言語なんだよ。
279名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:18:32
  [朝鮮語]
    ∩
    | |
    | |
    | |
    | |            ぼくたちのことも
    | |                忘れないで!土人の野蛮語なんかじゃない!
    | |  / ̄ ̄ヽ
    | |/  /| |    
    (・ω・)ニニニニニニニニ⊃[ガタログ語]
       //  | |
     //    | |
   //      | |
 //        | |
とノ         と ノ
[インドネシア語]       [タイ語]
280名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:20:48
よお、伊58 !      
    ∧_∧   な、何すんだお   ∧_∧
   ( ´∀`)    /⌒ヽ_       (´∀` )プッ、びびんなよ
   (    )    (;^ω^)     (    )
   | | |     ノ つ  つ      | | |
   (__)_)   (_ ,、 `^)^)      (_(__)
    おらあああ!!            人のスレ埋めやがってよお!!!
                ブ…!!        ∧_∧ 散々調子に乗りやがって!!
 ―=≡三 ∧_∧      \从从///  (´∀` ) 三≡=―
―=≡三と( ´∀`)つ''"´" ⌒_ノ;*;''"´"''::;:,(    つ 三≡=―
 ―=≡三 ヽ     ̄ ̄⌒)>w(;;;((⌒ ̄ ̄ ̄_  ) 三≡=―
 ―=≡三 /  / ̄ ̄´"'''⊂;;;#':*,'´''::;;;;::'''"´ ̄ヽ \ 三≡=―
 ―=≡三 \__); ///(_ ,、 `^)^) \\\  (__) 三≡=―
    ぎゃはははは!!!「ブ…」だってよ!!!
              (⌒∧_∧          ,//∧_∧  ひゃははは!!おもしれえなあ!!
           バキィ!ヽ( ´∀`)  :(⌒ミ(  //(´∀` )
            バキィ!!ヽ  l| |l(:;;:( ドガァ!!///ヽ、  _`ヽゴスッ!!
           ('⌒;ヾ / '/ li| l!グシャァ!!\从从///'ミ_/ヽドゴッ!!
            (⌒)y'⌒;ヾ从从(⌒〜∵;)´⌒`つ,;(´(´⌒;"'ボキボキボキッ
           (´⌒ー-   ;:#∧_>::;w 彡(:::゜`)。(;;;)、⌒从;;ノ・`⌒);
         (´;⌒(´⌒;;' ~ヽと;;;; #;;、ミ,,:,,;;;ヽ/ノ:#`""^ヾ⌒));
 ̄ ̄(´⌒;,( ,(゙゙゙'゛""゙゙)゙'';"(´⌒;,(´,(´⌒;)ギャァァァァァッ!!!
⊂;:;∴::・;:;:;:;∴::;;,::⊃          いたいお・・・やめてお、くるしいお・・・
 ブ・・ブーン・・・ .   ∧_∧ 死んじゃえよお前    ∧_∧止めとけよ
     ,;;⌒,;,、, ..ペッ(∀`  )               (´∀` )ツバがもったいねえよ(藁
   :;ノ(:メ,^;w;:ζ 。´. (    )               (    )
281名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:20:50
>>278
だったら、それと同じことを、オレ達に力説するんじゃなく、
外国の日本語学習者が集う掲示板で主張しに行けよ。

まともに相手にして貰えるのか、
バカ扱いされるか知らんけどな。
282名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:22:19
>>279

何だか冴えないメンツだな。
タイ文字はとても美しいけどね。
283名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:28:22
>>281
はぁ?www
なら、そこのURLくらい提示しろや。低脳が。
284名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:34:14
大変です!低脳がきれますた
285名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:37:31
イ コジュハジ !      
    ∧_∧   な、何すんだお   ∧_∧
   < `∀´>    /⌒ヽ_       <`∀´ >)プッ、ピビンナ
   (    )    (;^ω^)     (    )
   | | |     ノ つ  つ      | | |
   (__)_)   (_ ,、 `^)^)      (_(__)
    おらあああ!!            人のスレ埋めやがってよお!!!
                ブ…!!        ∧_∧ 散々調子に乗りやがって!!
 ―=≡三 ∧_∧      \从从///  <`∀´ > 三≡=―
―=≡三と< `∀´>つ''"´" ⌒_ノ;*;''"´"''::;:,(    つ 三≡=―
 ―=≡三 ヽ     ̄ ̄⌒)>w(;;;((⌒ ̄ ̄ ̄_  ) 三≡=―
 ―=≡三 /  / ̄ ̄´"'''⊂;;;#':*,'´''::;;;;::'''"´ ̄ヽ \ 三≡=―
 ―=≡三 \__); ///(_ ,、 `^)^) \\\  (__) 三≡=―
    ぎゃはははは!!!「ブ…」だってよ!!!
              (⌒∧_∧          ,//∧_∧  ひゃははは!!おもしれえなあ!!
           バキィ!ヽ< `∀´>  :(⌒ミ(  //<`∀´ >
            バキィ!!ヽ  l| |l(:;;:( ドガァ!!///ヽ、  _`ヽゴスッ!!
           ('⌒;ヾ / '/ li| l!グシャァ!!\从从///'ミ_/ヽドゴッ!!
            (⌒)y'⌒;ヾ从从(⌒〜∵;)´⌒`つ,;(´(´⌒;"'ボキボキボキッ
           (´⌒ー-   ;:#∧_>::;w 彡(:::゜`)。(;;;)、⌒从;;ノ・`⌒);
         (´;⌒(´⌒;;' ~ヽと;;;; #;;、ミ,,:,,;;;ヽ/ノ:#`""^ヾ⌒));
 ̄ ̄(´⌒;,( ,(゙゙゙'゛""゙゙)゙'';"(´⌒;,(´,(´⌒;)ギャァァァァァッ!!!
⊂;:;∴::・;:;:;:;∴::;;,::⊃          いたいお・・・やめてお、くるしいお・・・
 ブ・・ブーン・・・ .   ∧_∧ 死んじゃえよお前    ∧_∧止めとけよ
     ,;;⌒,;,、, ..ペッ<∀´  >               <`∀´ >ツバがもったいないニダ(ㅎㅎㅎ
   :;ノ(:メ,^;w;:ζ 。´. (    )               (    )
286名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:40:52
ずれた。
287名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:41:31
イ コジュハジ !      
    ∧_∧   な、何すんだお   ∧_∧
  < `∀´>    /⌒ヽ_     <`∀´ >)プッ、ピビンナ
   (    )    (;^ω^)     (    )
   | | |     ノ つ  つ      | | |
   (__)_)   (_ ,、 `^)^)      (_(__)
    おらあああ!!            人のスレ埋めやがってよお!!!
                ブ…!!        ∧_∧ 散々調子に乗りやがって!!
 ―=≡三 ∧_∧      \从从///  <`∀´ > 三≡=―
―=≡三と< `∀´>つ''"´" ⌒_ノ;*;''"´"''::;:,(    つ 三≡=―
 ―=≡三 ヽ     ̄ ̄⌒)>w(;;;((⌒ ̄ ̄ ̄_  ) 三≡=―
 ―=≡三 /  / ̄ ̄´"'''⊂;;;#':*,'´''::;;;;::'''"´ ̄ヽ \ 三≡=―
 ―=≡三 \__); ///(_ ,、 `^)^) \\\  (__) 三≡=―
    ぎゃはははは!!!「ブ…」だってよ!!!
              (⌒∧_∧          ,//∧_∧  ひゃははは!!おもしれえなあ!!
           バキィ!ヽ< `∀´>  :(⌒ミ(  //<`∀´ >
            バキィ!!ヽ  l| |l(:;;:( ドガァ!!///ヽ、  _`ヽゴスッ!!
           ('⌒;ヾ / '/ li| l!グシャァ!!\从从///'ミ_/ヽドゴッ!!
            (⌒)y'⌒;ヾ从从(⌒〜∵;)´⌒`つ,;(´(´⌒;"'ボキボキボキッ
           (´⌒ー-   ;:#∧_>::;w 彡(:::゜`)。(;;;)、⌒从;;ノ・`⌒);
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 ブ・・ブーン・・・ .   ∧_∧ 死んじゃえよお前    ∧_∧止めとけよ
     ,;;⌒,;,、, ..ペッ<∀´  >             <`∀´ >ツバがもったいないニダ(ㅎㅎㅎ
   :;ノ(:メ,^;w;:ζ 。´. (    )               (    )
288名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 14:59:59
イ コジュハジ !      
    ∧_∧   な、何すんだお   ∧_∧
  < `∀´>    /⌒ヽ      <`∀´ >プッ、ピビンナ
   (    )    (;^ω^)      (    )
   | | |     ノ つ  つ      | | |
   (__)_)   (_ ,、 `^)^)      (_(__)
                 ウリ ノ スレ、サンザン ウメヤガッテ ヨ〜
                ブ…!!        ∧_∧ サンザン、チョシ ニ ノリヤガッテ!!
 ―=≡三 ∧_∧      \从从///  <`∀´ > 三≡=―
―=≡三と< `∀´>つ''"´" ⌒_ノ;*;''"´"''::;:,(    つ 三≡=―
 ―=≡三 ヽ     ̄ ̄⌒)>w(;;;((⌒ ̄ ̄ ̄_  ) 三≡=―
 ―=≡三 /  / ̄ ̄´"'''⊂;;;#':*,'´''::;;;;::'''"´ ̄ヽ \ 三≡=―
 ―=≡三 \__); ///(_ ,、 `^)^) \\\  (__) 三≡=―
    ヴェーハッハ!!!「ブ…」ダテヨ!!!
              (⌒∧_∧          ,//∧_∧ ウェハハハ!オモシレェニダ!!
           バキィ!ヽ< `∀´>  :(⌒ミ(  //<`∀´ >
            バキィ!!ヽ  l| |l(:;;:( ドガァ!!///ヽ、  _`ヽゴスッ!!
           ('⌒;ヾ / '/ li| l!グシャァ!!\从从///'ミ_/ヽドゴッ!!
            (⌒)y'⌒;ヾ从从(⌒〜∵;)´⌒`つ,;(´(´⌒;"'ボキボキボキッ
           (´⌒ー-   ;:#∧_>::;w 彡(:::゜`)。(;;;)、⌒从;;ノ・`⌒);
         (´;⌒(´⌒;;' ~ヽと;;;; #;;、ミ,,:,,;;;ヽ/ノ:#`""^ヾ⌒));
 ̄ ̄(´⌒;,( ,(゙゙゙'゛""゙゙)゙'';"(´⌒;,(´,(´⌒;)ギャァァァァァッ!!!
⊂;:;∴::・;:;:;:;∴::;;,::⊃          いたいお・・・やめてお、くるしいお・・・
 ブ・・ブーン・・・ .   ∧_∧ 死ヌジャエヨ オ前   ∧_∧止メルニダ
     ,;;⌒,;,、, ..ペッ<∀´  >             <`∀´ >ツバ ガ モッタイネェ ニダ
   :;ノ(:メ,^;w;:ζ 。´. (    )               (    )
289名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/32(土) 16:53:59
376 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2006/03/31(金) 22:31:30 ID:3/jsflbs
こんなこと言うとチョンにされそうだが、日本人もよく旅行先で落書きしてるってニュースでやってたぞ・・・
こればかりはあまり人のこと言えないかも


381 名前:伊58 ◆AOfDTU.apk [] 投稿日:2006/03/31(金) 22:35:42 ID:f/EUZwV4
>>376
> こんなこと言うとチョンにされそうだが、日本人もよく旅行先で落書きしてるってニュースでやってたぞ・・・
> こればかりはあまり人のこと言えないかも

もう少し、日本人っぽく書けないのか?


385 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2006/03/31(金) 22:49:27 ID:3/jsflbs
>>381
ほら来たw
チョンを憎む余り自分が見えなくなったら危険だぞ


http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1143779366/
伊58って本当に痛い嫌韓厨だったんだな。
ここを見るまでは、もうちょっとマトモな人だと思ってたんだが。
290名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 01:35:58
  [日本]
    ∩
    | |
    | |
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    | |
    | |
    | |  / ̄ ̄ヽ やばーい
    | |/  /| |      この言語すごいクソー
    (・ω・)ニニニニニニニニ⊃[ロシア]
       //  | |
     //    | |
   //      | |
 //        | |
とノ         と ノ
[朝鮮]       [アラビア]
291名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 01:41:16
なんでロシア語がクソなのか教えてくれ、マジで
292名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 02:14:40
日本語は点の言語
英語は線の言語

日本人は点と点をつなげることが出来ない
293名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 02:26:01
>>292
すくなくとも「おまえの日本語は糞言語」だということは証明できた。
良かったなw
294p-a:2006/04/02(日) 02:53:12
「アクセス規制」とかいうせいで、書き込みができなかった。
295p-a:2006/04/02(日) 02:55:32
>>224――――――――――――――――――――――――
君、ネイティヴに逆らうの?
―――――――――――――――――――――――――――

僕が「ネイティヴ」に逆らえないのは、
文法以外のたとえば「談話法的省略規則」といった事柄に関する議論の結末について、です。
文法というのは目で観察できるものであって、
そこにおける論理の正確性について誰もが平等に追究しあえるところの機会を
人間たちに与えるものです。
たとえば、
汗が出てしまうような気温のことを「暑い」と呼んで、
コートを着たくなるような気温のことを「寒い」と呼ぶ、
という文法的約束があるとき、
汗を出しながら「寒い」とつぶやく人にたいして、
「ねえ、それ、ちょっと違うんでして」と指摘することが僕にはできる。
「ネイティヴ」であろうがなかろうが、そのように「寒い」とつぶやいた人の発話形態は審査される。
296p-a:2006/04/02(日) 02:56:39
>>220――――――――――――――――――――――――
「よし、そちらの道の方にしよう」

>>222――――――――――――――――――――――――
非文法的。「よし、そちらの道にしよう」としか言わない。
―――――――――――――――――――――――――――

それを言うなら、非慣用法的、でしょ。
「そちらの道の方にしょう」は文法上の破綻をきたしていません。
日本社会における慣用法がそういった使い道を受容していないだけです。
日本人が、「そちらの道にしよう」、としか、言わないだけです。
日本語の文法は、「そちらの道の方にしよう」の正当性を確保しています。
広辞苑(ばかりに頼るのは万全ではないのですが……)は、次のように説明します――

―――――――――――――――――――――――――――


並べて幾つか考えられるものの、一つ。
「酒より菓子の方がいい」
―――――――――――――――――――――――――――

例文の述語「いい」は、対格語「の方」にかかっています。
この文法構造は、
「そちらの道の方にしよう」における述語「しよう」が、
対格語「の方」にかかっているところの文法構造と、
同じです。だから、
「よし、そちらの道の方にしよう」は、
文法的です。

ちなみに、広辞苑の定義によるかぎり、
「の方」が2つのものしか対比できない語であることは規定されません。
297p-a:2006/04/02(日) 03:09:27
>>223――――――――――――――――――――――――
日本語はあらゆる知的活動に弊害を及ぼす駄言語だよ・・・。
本来、文明人は優れた文明語を使うべきなんだ。
今の僕達には、日本語のような劣等言語、それを断ち切る勇気が必要なんだよ!
―――――――――――――――――――――――――――

僕は、地球上でもっとも優先的に保存され続けてゆかなければならない言語が
日本語である、
と考えます。
英語やフランス語などは、
人類がいつか滅亡することで失われてしまっても、
どこかでまた似たようなものが再び出てきそうなものです。
新しく再スタートをきる人類達がきっとまた足算や割算を発明するように。
でも、日本語というのは、あまりにも特殊な言語であって、
たぶん現在の人類的世代の所産にして最初で最後のものでしょう。
日本語と出逢えたことは、人間としての僕を誇り高くしました。
ところで日本語は劣等ではなく、むしろ高等です。
残念なことに、その高貴な資性は外部の世界へ伝達しにくいものでした。
普遍的な論理性を欠いていたからです。
それでも僕は日本語が好きです。
なぜなら普遍的な論理性と引き換えに日本語が有することとなったらしいものが
僕をうち震えさせるぐらいに感動させることがあるからです。
298p-a:2006/04/02(日) 03:26:59
>>243――――――――――――――――――――――――
英語の受動態も一種の「感情」だろう。
――――――――――――――――――――――――――

論点がずれています。
[>>241]で僕が説明している事柄をちゃんと分別してください。

あなたは、「感情」という特定の語彙にもとづいて、
関係し合わない異なる議論を連想しています。
299p-a:2006/04/02(日) 03:42:06
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
英語の名詞の文法的数も、
定・不定も日本語では明示できないけれども、文が論理的に破綻することはない。 (>>246)。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

考えてみると、そういうこともありますね。
たとえば、
「彼女はさっきトマトを買ってきたばかりだ。」
という文において、
いくつのトマトを彼女が購入してきたのかに関する言及は無いものの、
文そのものの論理が破綻しているということにはなっていませんもんね。

「通数」としての性格をそなえる言葉として「トマト」は、
その個数をわざわざ言及される必要がない、
ということもわかります。
300p-a:2006/04/02(日) 03:58:54
――――――――――――――――――――――――――
発音と表記が、完全に一致する言語ってあるの?(>>250
――――――――――――――――――――――――――

発音と表記とが完全に一致する言語があるということは、
僕にも考えにくいことです。ただし……

――――――――――――――――――――――――――
一致しない程度の問題ならば、日本語ではなく
英語の方がよっぽど甚だしいでしょう。(>>250
――――――――――――――――――――――――――

僕も当初そのように感じていました。
でも、イギリスで暮らし始め
英語を日常的に使うなかで僕は気づいたのですが、
英語の綴りと発音とのあいだには
意外にもそれなりの法則性が存在するのです。
たとえば、
「bit」の「i」を短音(i)とし
「bite」の「i」を長音(ai)としているのは
それに続く子音「t」が母音「e」と結びついているかどうか、
ということなのです。
「hat」と「hate」でもそうだし、
「cut」と「cute」でもそうです。

このような法則性は他にもいろいろとあり、すると、
表記が発音を規定している、
ということが英語にも少なからずあるのがわかります。
301p-a:2006/04/02(日) 04:15:11
――――――――――――――――――――――――――
日本語が、音も見た目も醜いのは事実だよ。(>>252
――――――――――――――――――――――――――

日本語の字面はたしかに多種多様ですが、
僕にしてみればその様子は嫌悪すべきものではありません。
ただ、現在の日本語は、
その見た目を「余分に」煩雑とされているかんじがあります。
たとえば、
「彼はその者と闘い、……」での用言「闘い」と
「彼はその者との闘いにおいて……」での体言「闘い」とは
区別されずに書かれています。
僕としては、
「彼はその者と闘い、……」と
「彼はその者との闘において……」といったふうに
その語の用法によって表記を変えてもいいと思うのですが。
302p-a:2006/04/02(日) 04:38:03
――――――――――――――――――――――――――
p-aは英語とフランス語、日本語以外には何語が出来るの?(>>259
――――――――――――――――――――――――――

たぶんそれらのみ、ですよ w

せっかく漢字を読めることから、中国語とか、やってみたいです。
韓国語(朝鮮語?)のハングルも、なんだか粋なので好きです。
イタリア語は、とりあえず真似して口にするだけでも楽しい気分になってきます。
スペイン語は、なんだか食欲が沸いてくる。
アラビア語は、かっこよすぎる。
スワヒリ語は、どこか日本語を彷彿とさせるものがあって僕は注目している。
デンマーク語は、インターネット・ラジオを通じてよく聴いてるけど(でも何が何だかさっぱりなんだけど)、
その発音を修めきれたときには素敵な悦に入れそう。

日本語は、聴いていると心がなごんでくる。

フランス語は、発音がすごく綺麗だし談話法も良いとは思うのだけど、
僕はフランス人が嫌いなので(僕自身もフランス人なのだが)、
心地としてどこか突っかかるものを感じます。

ちなみに僕はアメリカ英語が嫌いで、イギリス英語が好きです。
アメリカ英語はどうも粋がってるかんじがして、
聴いていても話していても気が滅入ってきます。
ブッシュ大統領の演説をテレビで見かけるたびに
口からヘルニアを起こしそうな思いがします。
303p-a:2006/04/02(日) 04:50:34
――――――――――――――――――――――――――
日本語が欠落のある言語だと見抜かれてるせいではないだろうか(>>266
――――――――――――――――――――――――――

論理性のことしか考えない言語学者はたしかに
日本語を「欠落のある言語」と評する傾向がありますね。
でも僕としては、
論理的な構文を持たないことが言語にとって本質的な欠陥をきたすとは考えません。

ところで日本語のよき理解者は、海外出身の人にもいます。
たとえばマーク・ピーターセンです。
彼は、ふつうの外国人には無い、日本という文化世界にたいする優れた洞察力を持っています。
そして彼の日本語による著作はとても読み応えがあります。
304名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 04:52:44
>>295
> 文法というのは目で観察できるものであって、
> そこにおける論理の正確性について誰もが平等に追究しあえるところの機会を
> 人間たちに与えるものです。
文法にネイティヴ・チェックは要らないんだな w

> 汗を出しながら「寒い」とつぶやく人にたいして、
> 「ねえ、それ、ちょっと違うんでして」と指摘することが僕にはできる。
それは文法的約束とは違うけど、それはともかくとして、間違っていると指摘することは、君にはできない。
習ったのとは違う、どうして? と尋ねることができるのみ。

>>296
> 「そちらの道の方にしょう」は文法上の破綻をきたしていません。
破綻している。選択の対象が 3 つ以上あるとき、対比の「の方」は使えないと語彙的に規定されているから、文法はそれに従わなければならない。
英語で *Watch the painting. と言えば、一見おかしくないが、やはり破綻しているだろう。

> 日本社会における慣用法がそういった使い道を受容していないだけです。
> 日本人が、「そちらの道にしよう」、としか、言わないだけです。
それを、とりもなおさず、非文法的と呼ぶ。

> 広辞苑(ばかりに頼るのは万全ではないのですが……)は
広辞苑は非ネイティヴを対象にした文法書じゃないから。

> 「よし、そちらの道の方にしよう」は、
> 文法的です。
君、まだネイティヴに逆らうの?

> ちなみに、広辞苑の定義によるかぎり、
> 「の方」が2つのものしか対比できない語であることは規定されません。
だから?
305名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 04:54:36
>>298
> 論点がずれています。
ずれてないよ。英語で受動態が使われる動機と、日本語のいわゆる迷惑の受身と、どれほどの開きがあるものか、説明してみなさい。

>>299
> 考えてみると、そういうこともありますね。
考えてみなくてもいつもそうだ。文法と論理とは関係がない。
306p-a:2006/04/02(日) 04:57:12
―――――――――――――――――――
何々人なんて区切りは
言語による区切りだからな。(>>269
―――――――――――――――――――

Francophone とか Anglophone についてはどうでしょう。
カナダには両者が共存していますが、
彼らは一緒になって「Canadian」という呼称を受けます。
国籍そのものはやっぱりたいしたことを規定できないのかな。
307p-a:2006/04/02(日) 05:01:03
―――――――――――――――――――
10分をジップンとか呼ぶのダサいから廃止してほしい(>>271
―――――――――――――――――――

日本に住んでいた時に僕が通っていた学校の国語の先生は
そんな喋り方をしていました。
あと、「が」の発音とかにもなんだか拘っていたみたいでした。
「ga」じゃなく、なんかベトナム語みたいなかんじの発音で。
308名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 05:03:42
Watch the painting. なら、言えなくもないか。いろんな painting があるだろうし。
*Watch the Mona Lisa. はダメだろう。ルーヴルで叫んだらえらいことになるかも。
309p-a:2006/04/02(日) 05:16:57
―――――――――――――――――――
関東人のせいで
関西人は「扇ぐ」を「あおぐ」と書かなければならない。
関西では「あふぐ」なのにさ。(>>276
―――――――――――――――――――

広辞苑で「扇ぐ」と引くと、
語のとなりに半角文字で小さく「アフグ」と記してあります。
なにか関係があるのでしょうか?
310名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 05:26:00
名詞の「扇」は関西で確かに「オーギ」と発音する。
しかし関西人で「扇ぐ」を「オーグ」と発音してる香具師に
未だかつて逢うたことがない。
完了形・過去形はアフギタ>アヲイダ>アオイダ
311p-a:2006/04/02(日) 05:36:13
―――――――――――――――――――
間違っていると指摘することは、君にはできない。(>>304
―――――――――――――――――――

指摘そのものはできます。
結論の行方を僕がまだ認知できないだけです。
だから僕は[>>295]で「審査」と言ったのです。
312名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 05:42:50
>>311
> 指摘そのものはできます。
間違っている、自分の方が正しいと、内省によって指摘することはできない。

> だから僕は[>>295]で「審査」と言ったのです。
なら、君には審査できない。
313p-a:2006/04/02(日) 05:56:47
―――――――――――――――――――
文法にネイティヴ・チェックは要らないんだな w(>>304
―――――――――――――――――――

いいかげん「ネイティヴ」という枠組について慎重に考えてください。

文法を審査する資格を持っているのは
「文法を知っている人」であって
「その言語の話されている国で育った人」それ自身ではありません。
あなたは、
サッカーがヨーロッパで誕生したスポーツだからといって
そのルールを監査する資格を日本人が有することはできない、
と考えるわけではないでしょ?

「ネイティヴ・チェック」が必要なのは
文法ではなく慣用法です。
なぜなら慣用法というのは
「ネイティヴ」であることによって専有的に身につける慣習的情報なくしては
しっかり語りきれない事象だからです。
314p-a:2006/04/02(日) 06:06:43
――――――――――――――――――――――――――――――――――
広辞苑によるかぎり、
「の方」が2つのものしか対比できない語であることは規定されません。(>>295
――――――――――――――――――――――――――――――――――
だから?(>>304
――――――――――――――――――――――――――――――――――
広辞苑は非ネイティヴを対象にした文法書じゃないから。(>>304
――――――――――――――――――――――――――――――――――
選択の対象が 3 つ以上あるとき、
対比の「の方」は使えないと語彙的に規定されているから、
文法はそれに従わなければならない。(>>304
――――――――――――――――――――――――――――――――――

「の方」という語彙が2つの対象しか対比できないことを規定しているのは
いったい何者ですか?
僕たちが依拠するべき文法書とは何なのですか?
315p-a:2006/04/02(日) 06:25:26
――――――――――――――――――――――――――
論点がずれています。(>>298
――――――――――――――――――――――――――
ずれてないよ。
英語で受動態が使われる動機と、
日本語のいわゆる迷惑の受身と、
どれほどの開きがあるものか、説明してみなさい。(>>305
――――――――――――――――――――――――――

やれやれ。

受動態で言うか能動態で言うかを話者に決定させるのは
あなたの言うように、感情あるいは意思です。
また、
「いられる」という受動態について「被害・迷惑の意味」を日本人に受け取らせるのも
日本という文化圏の中に育つことで養う感性がもたらすところの感情です。
ただし、
「感情」という概念についてここで挙がっている2つの議論のあいだには
大いなる開きがあります。

受動態と能動態とを仕分けるところの感情あるいは意思は
どちらを選択したのかということによって
話者の発話文に文法的な破綻をきたすことはありません。
一方で、
「いられる」という受動態による表現についてなんだか「迷惑っぽさ」を感じるからといって
話者が能動態と受動態とを混用した文語を用いてしまう、というそのことは
話者の発話文に文法的な混沌をきたすことになります。
主体が客体にたいして動作するという事象と、
主体が客体から動作されるという事象を、混同するところの混沌、です。
316p-a:2006/04/02(日) 06:35:29
――――――――――――――――――――――
Watch the painting. なら、言えなくもないか。
いろんな painting があるだろうし。
*Watch the Mona Lisa. はダメだろう。
ルーヴルで叫んだらえらいことになるかも。(>>308
――――――――――――――――――――――

あなたのおっしゃりたい事がよくわかりません。

学校教室の一環としてルーヴルを訪れたさい、
先生が、指を差しながら子供たちに
「Watch the Mona Lisa.」
と告げる、
という場面はありえます。
317p-a:2006/04/02(日) 06:55:32
――――――――――――――――――――――
間違っている、自分の方が正しいと、
内省によって指摘することはできない。(>>312
――――――――――――――――――――――

すみませんが、あなたのおっしゃる事がよくわかりません。
「内省によって指摘することはできない」とは何の事ですか?
指摘という行為は、物事を指し摘んで語ることです。
「コノコトバワ、ドユウ、リユウ二ヨテ、ソユウイミデスカ?」と、
自分にたいする不達を起こしている事柄を指し摘んでこれを問うことは
誰にでもできます。
指摘が、あなたの言うような特権的行為であるとなると、
教室で「ヒトラーはユダヤ人を救済しました」という言説を立てた教師にたいして、
ヒトラーが大量のユダヤ人を虐殺した人物であることを知るどの生徒もが
疑問を投げかけることを許されなくなります。

――――――――――――――――――――――
君には審査できない。 (>>312
――――――――――――――――――――――

ということをあなたに審査させ結論させたのは何ですか?
318名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 08:08:27
>>313
> 文法を審査する資格を持っているのは
> 「文法を知っている人」であって
> 「その言語の話されている国で育った人」それ自身ではありません。
「その言語の話されている国で育った人」は、全員「文法を知っている人」だ。ただし、全員が文法を審査できるわけではない。

> あなたは、
> サッカーがヨーロッパで誕生したスポーツだからといって
> そのルールを監査する資格を日本人が有することはできない、
> と考えるわけではないでしょ?
言語とサッカーとを一緒くたにするのなら、言語板には来ないでくれ。

> 「ネイティヴ・チェック」が必要なのは
> 文法ではなく慣用法です。
ネイティヴ・スピーカが 1 人残らず言わない、聞かない、おかしいと判定しても、文法的には正しい場合があると?
慣用法の集積を文法と呼ぶんだよ。

>>314
> 「の方」という語彙が2つの対象しか対比できないことを規定しているのは
> いったい何者ですか?
日本語話者。
反論の方法は >>228。あるいは、教養ある日本語ネイティヴに直接確かめること。
319名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 08:09:01
>>315
> 受動態で言うか能動態で言うかを話者に決定させるのは
> あなたの言うように、感情あるいは意思です。
だから、どんな感情?

> 「いられる」という受動態について「被害・迷惑の意味」を日本人に受け取らせるのも
> 日本という文化圏の中に育つことで養う感性がもたらすところの感情です。
文化とも感性とも関係ない、日本語自体のきまり。

> 「いられる」という受動態による表現についてなんだか「迷惑っぽさ」を感じるからといって
> 話者が能動態と受動態とを混用した文語を用いてしまう、というそのことは
> 話者の発話文に文法的な混沌をきたすことになります。
君 1 人の混用、混沌であって、日本人はだれも混用しないし、混沌などない。

>>316
> 学校教室の一環としてルーヴルを訪れたさい、
> 先生が、指を差しながら子供たちに
> 「Watch the Mona Lisa.」
> と告げる、
> という場面はありえます。
へえ。で、その意味は?

>>317
> 「内省によって指摘することはできない」とは何の事ですか?
「内省」ってちゃんと辞書に載ってるぞ。

> ヒトラーが大量のユダヤ人を虐殺した人物であることを知る
どうやって知ったの? 「内省」でか w

> ということをあなたに審査させ結論させたのは何ですか?
言語学。
320p-a:2006/04/02(日) 08:56:49
――――――――――――――――――――――――――――――
ネイティヴ・スピーカが 1 人残らず言わない、聞かない、おかしいと判定しても、
文法的には正しい場合があると?
慣用法の集積を文法と呼ぶんだよ。 (>>318
――――――――――――――――――――――――――――――

慣用法の集積は言語文法の生成に影響しますが、
文法そのものが慣用法の集まりであると考えるのは誤りです。
ただし、日本語の場合、
文法がかなりの割合で慣用法あるいは慣例的情報に依拠しているのはたしかです。
日本語辞書による文語解説が
古典における用例をいちじるしく参照するのはその所為です。

「的を射る」を「的を得る」と書く日本人が増えてきたそうですが、
その慣習的使用が定着すれば、
「的を射る」が元来的に「的を得る」を意味する文語であることを
多くの日本人は分別できなくなるでしょう。
そのような傾向が突き詰められたところでは、
本来の正しい日本語を日本の「ネイティヴ・スピーカ」が解せなくなる、
という事態が発生することも考えられなくはありません。
この時に頼りとなるのは、ひょとすると、
日本で育つことのなかった文法的日本語の話者たちなのかもわかりません。
はっきりいって、文法に関しては、
一般的な日本人よりも、
海外で日本語を学んだ人のほうがよく知っているでしょう。

――――――――――――――――――――――――――――――
「その言語の話されている国で育った人」は、
全員「文法を知っている人」だ。(>>318
――――――――――――――――――――――――――――――

冗談ですよね?
321p-a:2006/04/02(日) 08:58:36
――――――――――――――――――――――――――――――
言語とサッカーとを一緒くたにするのなら、言語板には来ないでくれ。 (>>318
――――――――――――――――――――――――――――――

言語がサッカーであると説明したおぼえは僕にはありません。
322p-a:2006/04/02(日) 09:30:20
――――――――――――――――――――――――――――
「の方」という語彙が2つの対象しか対比できないことを規定しているのは
いったい何者ですか?(>>314
――――――――――――――――――――――――――――
日本語話者。
[……]教養ある日本語ネイティヴに直接確かめること。 (>>314
――――――――――――――――――――――――――――

なんだか話にならなくなってきました。
「規定」とは何なのかをあなたはわかっていません。
「想定」と混同しています。
あなたの考えにしたがえば、
「教養ある日本語ネイティヴ」はみんな、
自分たちが「想定」している事柄をもってして日本語の内容を監査していることとなります。
これは、日本国内の日本人たちによる日本語用法に関する審査の基準と尺度が
公的な空間において建設されていない事態を示唆しています。

――――――――――――――――――――――――――――
普通、英語の文法性判断について、
日本人が英語ネイティヴ相手に理屈こねたりしないだろうよ。 (>>228
――――――――――――――――――――――――――――

それは、理屈をこねないのではなくて、理屈をこねれないからではないのですか?

文法を誤った英語の使い方をした英語人(Anglophone)がいれば、
その事をたとえ日本人でも指摘する権利はありますよ。

[>>183]にもあったのですが、
「批判」という作業について日本人はどうしてそう敏感に嫌悪するのでしょうか?
何かがおかしいと思えばそれについてちゃんと意見を申せばいいのに。
出る杭が打たれるのを恐れているのですか?
323p-a:2006/04/02(日) 09:57:09
――――――――――――――――――――――
受動態で言うか能動態で言うかを話者に決定させるのは
あなたの言うように、感情あるいは意思です。(>>315
――――――――――――――――――――――
だから、どんな感情?(>>319
――――――――――――――――――――――

She was given a nice scarf. (受動態)

He gave a nice scarf to her. (能動態)

話者がどちらを選択するかは、
「彼女が贈物を授かった」という事実を強調したいのか、
あるいは「彼がスカーフを人に贈った」という事実を珍しがっているのか、といった、
話者自身の思惟にもとづく裁量となります。

こういうのは、
かならずしも「感情」といった性質のものと関連するわけではありません。
上記(>>315)で僕が「意思」と言って補足していたのは、
それを認識してのことです。

で、あなたはどうしてこんなことを訊いたの?
324p-a:2006/04/02(日) 10:00:58
――――――――――――――――――――――――――――――――
「いられる」という受動態について「被害・迷惑の意味」を日本人に受け取らせるのも
日本という文化圏の中に育つことで養う感性がもたらすところの感情です。(>>315
――――――――――――――――――――――――――――――――
文化とも感性とも関係ない、日本語自体のきまり。 (>>319
――――――――――――――――――――――――――――――――

日本語そのものにはそんな決まりを規定するための構造がありません。
文語にたいするそのような感情的連想を人間がするところの文化的慣習や意味連関があるだけです。
[>>242]で僕が挙げた「ドンマイ」という語について考えてみてください。
325p-a:2006/04/02(日) 10:12:05
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
可能態・受動態ともに、共通日本語では「いられる」。 (>>79
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「いられる」という受動態による表現についてなんだか「迷惑っぽさ」を感じるからといって
話者が能動態と受動態とを混用した文語を用いてしまう、というそのことは
話者の発話文に文法的な混沌をきたすことになります。(>>315
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
君 1 人の混用、混沌であって、日本人はだれも混用しないし、混沌などない。 (>>319
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日本人は「いられる」という文語について可能態と受動態との用法を混ぜて用いるのだ
ということを言ったのはあなたです。
僕の混沌ではありません。
僕としては、「いれる」と「いられる」とをそれぞれ可能態と受動態とで区別したいのです(>>57>>75)。
326p-a:2006/04/02(日) 10:15:35
――――――――――――――――――――
学校教室の一環としてルーヴルを訪れたさい、
先生が、指を差しながら子供たちに
「Watch the Mona Lisa.」
と告げる、
という場面はありえます。(>>316
――――――――――――――――――――
へえ。で、その意味は? (>>319
――――――――――――――――――――

「モナリザを御覧なさい。」
327p-a:2006/04/02(日) 10:20:04
――――――――――――――――――――――――――――
「内省によって指摘することはできない」とは何の事ですか?(>>317
――――――――――――――――――――――――――――
「内省」ってちゃんと辞書に載ってるぞ。(>>319
――――――――――――――――――――――――――――

やれやれ。

「内省」の意味はわかってるんですよ。

僕が訊いているのは、

「内省」によって

「指摘する」ことは

「できない」

というのは

いったい

何事を

意味する

文なのか

ということです。
328p-a:2006/04/02(日) 10:28:06
――――――――――――――――――――――――――――――――
ヒトラーが大量のユダヤ人を虐殺した人物であることを知るどの生徒もが (>>317
――――――――――――――――――――――――――――――――
どうやって知ったの? 「内省」でか w (>>319
――――――――――――――――――――――――――――――――

w 僕をからかってるんですか?

物事を習う場は、「学校」だけではないでしょう。

先生から教わるのを待たないかぎり世界の諸事象を認知することはできない、
という条件に拘束されるのは、
義務教育という観念に拘束された環境に放り込まれてしまう憐れな子供たちだけでしょう。
329p-a:2006/04/02(日) 10:31:35
――――――――――――――――――――――
君には審査できない。 (>>312
――――――――――――――――――――――
ということをあなたに審査させ結論させたのは何ですか?(>>317
――――――――――――――――――――――
言語学。 (>>319
――――――――――――――――――――――

そういう事を言っているから、
あなたの日本語がどんどん内向的になってゆくんですよ。
330名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 10:49:16
>316 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 06:35:29 本日のレス
>317 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 06:55:32 本日のレス
>320 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 08:56:49 本日のレス
>321 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 08:58:36 本日のレス
>322 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 09:30:20 本日のレス
>323 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 09:57:09 本日のレス
>324 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 10:00:58 本日のレス
>325 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 10:12:05 本日のレス
>326 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 10:15:35 本日のレス
>327 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 10:20:04 本日のレス
>328 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 10:28:06 本日のレス
>329 名前:p-a 投稿日:2006/04/02(日) 10:31:35 本日のレス

糞スレをageないように。
331名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 10:52:37
>>1
釣れますか?
332名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 10:56:39
連投規制は解除されたかな?
333名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 14:35:25
>>320
> 文法そのものが慣用法の集まりであると考えるのは誤りです。
文法は言語的慣用の集積物と考えるのが、言語学の立場なの。
だから君はそもそもここに来なくていいんだよ。君のやってることはただの荒らし。

> 冗談ですよね?
ネイティヴなら、6 歳の子でも文法を知ってるよ。もちろん説明はできないだろうけど。

>>321
> 言語がサッカーであると説明したおぼえは僕にはありません。
では引き合いに出すなかれ。

>>322
> あなたの考えにしたがえば、
> 「教養ある日本語ネイティヴ」はみんな、
> 自分たちが「想定」している事柄をもってして日本語の内容を監査していることとなります。
してるんじゃないかな。無意識にだけどね。

> これは、日本国内の日本人たちによる日本語用法に関する審査の基準と尺度が
> 公的な空間において建設されていない事態を示唆しています。
日本にはその種のアカデミーはない。しかし、そういったことを公的に決めている国でも、結局は、その国の言語の教養あるネイティヴたちの「想定」、直観に従っているにすぎない。

> 文法を誤った英語の使い方をした英語人(Anglophone)がいれば、
> その事をたとえ日本人でも指摘する権利はありますよ。
相手が英語ネイティヴなら、自分の直観だけで「君は間違っている、私が正しい」と言う権利はない。

>>323
> こういうのは、
> かならずしも「感情」といった性質のものと関連するわけではありません。
論理と関係のない主観であり、「被害・迷惑」と本質的に変わらない。
334名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 14:36:04
>>324
> 日本語そのものにはそんな決まりを規定するための構造がありません。
あるじゃないの。「いる」は対象、相手を表す補語をとらない。

>>325
> 日本人は「いられる」という文語について可能態と受動態との用法を混ぜて用いるのだ
> ということを言ったのはあなたです。
「‐られ‐ (可能)」と「‐られ‐ (受動)」とは同音異義語だという趣旨のことを述べたまで。

>>326
> 「モナリザを御覧なさい。」
教養ある英語ネイティヴの証言によると、その場合は Look at the Mona Lisa. だそうだ。
Watch the Mona Lisa. She blinks.
Watch the Mona Lisa. I'm gonna blow it up.
こういうのなら OK らしい。

>>327
> 「内省」の意味はわかってるんですよ。
なら、君のそれによって、非日本語ネイティヴである君が、日本語ネイティヴに対して、日本語の文法的誤りを指摘することはできない。
そのままの意味だよ。

>>328
> 物事を習う場は、「学校」だけではないでしょう。
どこかで外から習わないと、1 人で「内省」してたってわからないね w

>>329
> そういう事を言っているから、
> あなたの日本語がどんどん内向的になってゆくんですよ。
非ネイティヴの少々おかしい日本語には寛容なつもりだけど、「*あなたにいられて助かりました」は、やっぱり直すね。
335横から失礼:2006/04/02(日) 16:28:18
> ぶんぽう ―ぱふ 0 【文法】
>   (1)言語を文・語などの単位に分けて考えたとき、
>    そこに見られる規則的な事実。文法的事実。
>   (2)(1)の事実を体系化した理論。文法論。
>   (3)文章の作法。文章を作る上でのきまり。

文法云々の話題が登場しているが、
p-a さんは、「文法」という言葉を上記(2)(3)の意味で用い、
p-a さんと議論している方は、(1)の意味で用いているように思われる。

俺が思うに、
人間が話す言語の文法理論というのは、
慣用を集めて法則性を見いだしたもので、
まず先に理論(規範)ありき、みたいな言語は
コンピュータ言語くらいだと思う。
336名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 17:48:25
もちろんそうである。そこで言えることは、
文法、表現、発音は間違っていると指摘する態度は
自分のほうがその知識があることあるいはその環境で育ったことを
そうでない人に自分が知っているあるいは身に付けている規範を当てはめることによって
自らの立場が上位であることを確かめようとする態度である。
337名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 17:50:33
論理がおかしくなったので下記のごとく訂正する。
育ったことを⇒育ったことを優位な立場として使いつつ
338名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 18:01:26
>>325

> 僕としては、「いれる」と「いられる」とをそれぞれ可能態と受動態とで区別したいのです

キチガイだなコイツ W かってに日本語つくってるぜ WW
339名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 18:48:13
>336 名前:名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日:2006/04/02(日) 17:48:25 本日のレス
>337 名前:名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日:2006/04/02(日) 17:50:33 本日のレス

糞スレをageないように。
340名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 18:52:12
>>336
>そうでない人に自分が知っているあるいは身に付けている規範を当てはめることによって
>自らの立場が上位であることを確かめようとする態度である。
誰も規範だなんて考えていないものを、ことさらに「規範だ」と言い立てて、
「自らの立場が下位である」ことを根拠に異議申し立てされてもな・・・誰も相手にしないだろ。
341名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 19:34:30
>>340 まるで、某政党のメール事件みたいだ。

「腐ってるのはあなた方じゃないですか」:規範の押し付け
 ↓
「やましいことがないなら、証人喚問しなさい」:中身のない主張・要求(何の権利か…)
 ↓
「捜査権を持ってないんだから事実が分かるわけないでしょ」:言い逃れ→闇の中
342名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:08:29
あーあ。

ここにいる日本人のp-aに対する高圧的なレスをみてると、
つくづく日本人ってのは議論とかに向いてない民族なんだなって思ってしまうわ。
343名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:12:05
>>338のように、自分にとって気に食わない奴に人格攻撃を与えるのは
2ちゃんねら全体のデフォ、ひいては日本人全体の普遍的な精神です。

本当にありがとうございました。
344名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:17:33
もうどうでもいいよ。

内向的で陰湿、そんな日本人の精神を
そのまま体現してるのが正に日本語じゃん。

このスレにいる低脳共を見ている限りは、
日本語がこれからの現代社会に取り残されていくことが良く分かる。
345名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:18:57
>>342
文化背景が異なる人との議論には、
根気やタフネスさが要求されるんだけど、
日本人にはそれを備えている人が少ないんだよ。

だから、相手を黙らせようと思ったら
高圧的な態度をとる人が多いんだと思う。
346名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:20:49
関西人が「扇ぐ」を「あふぐ」と発音していても
「あおぐ」と書かなくちゃいけないのは、戦後の現代仮名遣い論者&表音主義者のせいだろ!!

かってに関東人のせいにしてんじゃーよ!!関西の野蛮人共!!
347345:2006/04/02(日) 20:24:27
なんか偉そうなこと言ったけども、しゃべりでの議論なら
俺もp-aさんとガンガン議論したいところなんだが、
文章でとなると、キーをタイプするのがしんどくて&メンドくて……w
348名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:28:00
学問系のスレッドで低俗な人格攻撃が
行われていない場所を僕は見たことがない。

相手に何か穴を見つければ、喜々として揚げ足とりに移って
人格攻撃を加えるのが、2ちゃんねら及び日本人の平均的な精神レベルだ。
こりゃ、英語を学んだほうがいい。
英語を学ばない限り、日本人のそういう腐った精神を叩きなおすのは不可能だな。
349名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:29:32
はぁ?????

英語が母語のアングロサクソン共だって
自分の気に食わない奴には人格攻撃が常だろw
350名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:31:51
どっちが高圧的なんだか W
351名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:35:49
見た目が醜いよねぇ。日本語って。。
352名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:39:11
Wikipediaの記事数上位8言語の中に
日本語版が入ってるわけなんだが、これがまた他の外国と比べると
レイアウトにセンスがないw 更に日本語の乱雑な表記が、そのセンスのなさに拍車をかけてるw
353名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 20:47:25
>>351
漢字かな交じり文はしょうがないとして、
カタカナオンリーブン デモ ソウオモウ?
354名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 21:06:14
日本人が議論できない理由が分かったよ
すぐに火病を起こすからだ
355名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 21:14:22
結局、日本人ってのは子供っぽいんだよ。
この国には大人はいないんだよ。
356p-a:2006/04/02(日) 22:24:48
――――――――――――――――――――
ネイティヴなら、6 歳の子でも文法を知ってるよ。
もちろん説明はできないだろうけど。 (>>333
――――――――――――――――――――

あなたにとって「何かを知る」とはそんなにも抽象的な状態なのですか。
「説明はできないけど知っているよ」というほど曖昧な思考形態はありません。
「6歳の子でも日本語を話せるよ」と言えば済むところを、
あなたは妙な言い方をしてしまっています。
Universal Grammer のことを指したいのだとしても、
それを「知る」と表現するのは不適切です。
チョムスキーは普遍文法のことを通常の文法とはまったく異なるものとして究明してきたはずです。
357p-a:2006/04/02(日) 22:26:00
――――――――――――――――――――
言語がサッカーであると説明したおぼえは僕にはありません。(>>321
――――――――――――――――――――
では引き合いに出すなかれ。 (>>333
――――――――――――――――――――

物事が教授されることの機敏をわきまえている人間であれば、
そのような不平をもらすことはないでしょう。
あなたはおそらく教職という境遇からは疎いところにいる人なのでしょう。
僕こそ教壇に立つ経験なんて持ってはいないのですが、
「日本語の本場である日本で育った人は全員、日本語の文法を知っている」
という誇大した考え方にたいする反定立として
「サッカーの本場であるヨーロッパで育った人は、かならずしもサッカーのルールを知っているわけではない」
という事実が有効であることはわかっています。
358p-a:2006/04/02(日) 22:28:20
――――――――――――――――――――――――
あなたの考えにしたがえば、
「教養ある日本語ネイティヴ」はみんな、
自分たちが「想定」している事柄をもってして日本語の内容を監査していることとなります。(>>322
――――――――――――――――――――――――
してるんじゃないかな。無意識にだけどね。 (>>333
――――――――――――――――――――――――

無意識である人がどういった「論理的思考」を建設できるのか、教えてください。
無意識そのものは「メカニズム」を有しますが、
それは「論理」とは異なるものです。
意識を持たない河の流れ方にはそれなりの「メカニズム」がありますが、
それは「論理」とはまったく関連しないものです。
人間が「論理的思考」を構築するうえでは、話者としての意識がまず不可欠です。
359p-a:2006/04/02(日) 22:29:46
――――――――――――――――――――――――
これは、日本国内の日本人たちによる日本語用法に関する審査の基準と尺度が
公的な空間において建設されていない事態を示唆しています。(>>322
――――――――――――――――――――――――
日本にはその種のアカデミーはない。
しかし、そういったことを公的に決めている国でも、結局は、
その国の言語の教養あるネイティヴたちの「想定」、直観に従っているにすぎない。(>>333
――――――――――――――――――――――――

あなたはおかしなことばかりおっしゃるね。 w

公的に定まっている事柄を拠り所とする態度は、
「想定」ではなく「規定」による参照というかたちで目的の対象を監査する態度です。

英米の「教養あるネイティヴたち」が「直観」によって英語文法を語ることはありません。
そんなことをしていたならば、
地球上の Anglophone たちの英語の規定構造がとっくの昔に瓦解していたはずです。

また、言語にたいする理知的な研鑽にとって、
「その種のアカデミーはない」という事態はなかなかに致命的です。
360p-a:2006/04/02(日) 22:32:53
――――――――――――――――――――――――
文法を誤った英語の使い方をした英語人(Anglophone)がいれば、
その事をたとえ日本人でも指摘する権利はありますよ。(>>322
――――――――――――――――――――――――
相手が英語ネイティヴなら、自分の直観だけで「君は間違っている、私が正しい」と言う権利はない。 (>>333
――――――――――――――――――――――――

だ・か・ら、
文法の誤りを指摘するさいに頼るのが「自分の直観」だとは僕は言っていないでしょう。
「の方」の用法に関する解釈の不備を[>>296]で指摘したさいに僕が依拠したのは
「自分の直観」ではなく「辞書の規定」でしょう。
それともあなたは、
日本語の辞書による説明に従ってしまえば日本語の正しい使い方ができなくなる
とでも考えるのですか?
361p-a:2006/04/02(日) 22:37:15
――――――――――――――――――――――――
論理と関係のない主観であり、「被害・迷惑」と本質的に変わらない。 (>>333
――――――――――――――――――――――――――

やれやれ。

――――――――――――――――――――――――
受動態で言うか能動態で言うかを話者に決定させるのは
あなたの言うように、感情あるいは意思です。
また、
「いられる」という受動態について「被害・迷惑の意味」を日本人に受け取らせるのも
日本という文化圏の中に育つことで養う感性がもたらすところの感情です。
ただし、
「感情」という概念についてここで挙がっている2つの議論のあいだには
大いなる開きがあります。

受動態と能動態とを仕分けるところの感情あるいは意思は
どちらを選択したのかということによって
話者の発話文に文法的な破綻をきたすことはありません。
一方で、
「いられる」という受動態による表現についてなんだか「迷惑っぽさ」を感じるからといって
話者が能動態と受動態とを混用した文語を用いてしまう、というそのことは
話者の発話文に文法的な混沌をきたすことになります。
主体が客体にたいして動作するという事象と、
主体が客体から動作されるという事象を、混同するところの混沌、です。 (>>315
――――――――――――――――――――――――

こういう長いコピーをしてしまうと、
まるで僕が荒らしをしているように見られてしまいかねないので、
できるかぎり通時的対話の内容をちゃんと把握するよう心がけてください。
362p-a:2006/04/02(日) 22:59:29
――――――――――――――――――――――――――――――――
「いられる」という受動態について「被害・迷惑の意味」を日本人に受け取らせるのも
日本という文化圏の中に育つことで養う感性がもたらすところの感情です。(>>315
――――――――――――――――――――――――――――――――
文化とも感性とも関係ない、日本語自体のきまり。 (>>319
――――――――――――――――――――――――――――――――
日本語そのものにはそんな決まりを規定するための構造がありません。(>>324
――――――――――――――――――――――――――――――――
あるじゃないの。「いる」は対象、相手を表す補語をとらない。 (>>334
――――――――――――――――――――――――――――――――

「いる」はどの補語をも取らない、ということが、いったいどうして、
「いられる」という受動態の文語について「被害・迷惑の意味」を論理的に「規定」しているのかが、
まったくわかりません。
「快適な感情を覚えろよ」と規定するための文法構造を「愛される」がそれじたいでは有さないように、
「いられる」もまた「不快な感情を覚えろよ」と規定するための文法構造をそれじたいでは有さないのです。

ちなみに、「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」(>>114)という文では、
「いられる」が「彼女に」や「その場に」といった補語をとります。
「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」(>>152)という文の「いられる」についても同様です。
363p-a:2006/04/02(日) 23:25:09
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
日本人は「いられる」という文語について可能態と受動態との用法を混ぜて用いるのだ
ということを言ったのはあなたです。(>>325
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「‐られ‐ (可能)」と「‐られ‐ (受動)」とは同音異義語だという趣旨のことを述べたまで。 (>>334
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

異なる意義を有するはずの文語が
「いられる」(可能態)と「いられる」(受動態)というかたちで
共に同じ音声から成る、
という事実によって、
日本語人が「いられる」と発音したり記述するときに
どういったことが起きるのかをよく考えてください。

「いられる」(可能態)と「いられる」(受動態)という同音異義語は、
「いられる」という音声について可能態と受動態との用法を混ぜて用いることを許容するものです。

可能態と受動態の使用機会をそれぞれ峻別することは、
言葉を論理的に発話するという行為にとって大切です。
このスレッドでは、そのような区別は必要ない、
という考え方が提出されてきました(>>79>>123>>319)。
すると、日本語に携わる日本人はこの文語についていったいどれだけ論理的な発話を可能としうるのか、
という問題が出てきます。
(日本人同士ならば分かり合えるからどうでもいい、とかいう返答はよしてくださいね。
僕たちが話しているのは、前提的な共通理解を実現しているところの仕組ではなく、
言語によって記述される文そのものが呈せる論理性のことなのだから。)
364p-a:2006/04/02(日) 23:34:17
―――――――――――――――――――――――
「モナリザを御覧なさい。」(>>326
―――――――――――――――――――――――
教養ある英語ネイティヴの証言によると、
その場合は Look at the Mona Lisa. だそうだ。
Watch the Mona Lisa. She blinks.
Watch the Mona Lisa. I'm gonna blow it up.
こういうのなら OK らしい。 (>>334
―――――――――――――――――――――――

モナリザの方を見ないで
アフロディーテの乳首に目が釘付けとなってる男子生徒に
「Watch the Mona Lisa.」
と忠告する場面も、ありそうです。
365p-a:2006/04/02(日) 23:40:14
――――――――――――――――――――
「内省」の意味はわかってるんですよ。 (>>327
――――――――――――――――――――
君のそれによって、非日本語ネイティヴである君が、
日本語ネイティヴに対して、
日本語の文法的誤りを指摘することはできない。
そのままの意味だよ。(>>334
――――――――――――――――――――

あなたには内省が必要です。

「この曲、めっちゃいくねえ?」とか、
「この服、ちょーよくなくなくねえ?」とか言う日本語ネイティヴにたいして、
その文語的廃頽や文法的誤用を
非ネイティヴである僕が指摘することは
できない、
とあなたは考えるのですか?
366p-a:2006/04/02(日) 23:47:28
――――――――――――――――――――――――――――――――
ヒトラーが大量のユダヤ人を虐殺した人物であることを知るどの生徒もが (>>317
――――――――――――――――――――――――――――――――
どうやって知ったの? 「内省」でか w (>>319
――――――――――――――――――――――――――――――――
物事を習う場は、「学校」だけではないでしょう。(>>328
――――――――――――――――――――――――――――――――
どこかで外から習わないと、1 人で「内省」してたってわからないね w (>>334
――――――――――――――――――――――――――――――――

結局、[>>317]についてあなたが何を言いたかったのかがわかりません。

また、「内省」という表現を最初に持ち込んできたのは[>>312]であって
僕ではありません。
あなたはどうしてこの語に拘っているのですか?
367名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/02(日) 23:52:03
>p-aさん
議論の途中に横から失礼しますが、
日本語の「いられる」という語が被害の感情を帯びているというのは、
例えば、英語の過去形が、過去の事柄を表現するだけでなく、
発話者と受話者との間の距離感を生じさせるといった働きもあり、
それでもって、丁寧な依頼、婉曲な表現、あまり自信のない意見の表明
といった用法が存在するのと同じことではないでしょうか?

これも、英語ネイティブ話者以外には
わかりづらいメカニズムですよね?
ネイティブ以外には、文法構造でもって判断するのは難しいですよ。
368p-a:2006/04/03(月) 00:39:07
――――――――――――――――――――――
ぶんぽう ―ぱふ 0 【文法】
(1)言語を文・語などの単位に分けて考えたとき、
  そこに見られる規則的な事実。文法的事実。
(2)(1)の事実を体系化した理論。文法論。
(3)文章の作法。文章を作る上でのきまり。
――――――――――――――――――――――
文法云々の話題が登場しているが、
p-a さんは、「文法」という言葉を上記(2)(3)の意味で用い、
p-a さんと議論している方は、(1)の意味で用いているように思われる。(>>335
――――――――――――――――――――――

(1)の意味で考えるにしても、
「そこに見られる規則的な事実」とあるように、
公的な場において客観的に認識できる規定事項が文法である、
ということになります。

僕と議論している方(方達?)は、
客観的には認知できない「見えない約束」である「談話法的規則」とか「慣用法的規則」のことを
「文法」と捉えているようです。
そういった抽象的な規則が文法であるとは僕は考えていません。
慣例的情報と文法的情報とは区別される必要があります。
相手方もまた、
古典における用法や慣例をごく頻繁に参照しながら語彙を解説する広辞苑といった辞書のことを
「文法書じゃない」(>>304)と考え、
日本語の辞書は日本語の文法を記述してはいないのだ(>>113)と言っています。
そういった区別をしていながら、
慣用法的規則と文法とを相手方がなぜ一緒くたにしているのかが僕にはわからないのです。
369名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 00:39:09
>>356
> あなたにとって「何かを知る」とはそんなにも抽象的な状態なのですか。
> 「説明はできないけど知っているよ」というほど曖昧な思考形態はありません。
言葉のきまりについて知るというのは、そういうことだ。

> 「6歳の子でも日本語を話せるよ」と言えば済むところを、
> あなたは妙な言い方をしてしまっています。
君が言語学の用語に従わずに、妙な考え方をしているだけ。

> Universal Grammer のことを指したいのだとしても
そんな大仰なものとは当面かかわりたくない。

>>357
> 「日本語の本場である日本で育った人は全員、日本語の文法を知っている」
> という誇大した考え方にたいする反定立として
> 「サッカーの本場であるヨーロッパで育った人は、かならずしもサッカーのルールを知っているわけではない」
> という事実が有効であることはわかっています。
有効だと思う人はおそらく君のほかにいない。

>>358
> 無意識である人がどういった「論理的思考」を建設できるのか、教えてください。
文法はもとより論理と関係ない。
370名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 00:40:25
>>359
> 公的に定まっている事柄を拠り所とする態度は、
> 「想定」ではなく「規定」による参照というかたちで目的の対象を監査する態度です。
「規定」の根拠がネイティヴの直観なんだから、どうしようもあるまい。

> 英米の「教養あるネイティヴたち」が「直観」によって英語文法を語ることはありません。
いくらでもあるよ w よく知らないけど、英米にそういったアカデミーってあるの? フランスにはあるらしいけど。

> 地球上の Anglophone たちの英語の規定構造がとっくの昔に瓦解していたはずです。
英語ネイティヴの直観を離れた「規定構造」など、昔も今もどこにもないよ w

>>360
> 日本語の辞書による説明に従ってしまえば日本語の正しい使い方ができなくなる
> とでも考えるのですか?
なる場合もある。どの言語についても同様。常識。

>>361
> まるで僕が荒らしをしているように見られてしまいかねないので
やってるじゃないか。荒らし以外の何なの?

>>362
> 「いる」はどの補語をも取らない、ということが、いったいどうして、
> 「いられる」という受動態の文語について「被害・迷惑の意味」を論理的に「規定」しているのかが、
> まったくわかりません。
対象補語をとらない動詞を受動態にすると、被害・迷惑の意味が出るというのは、英語で受動態を使うと、動作主でないものが行為を受けることが強調される (>>323) というのと、本質的に同じこと。

> ちなみに、「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」(>>114)という文では、
> 「いられる」が「彼女に」や「その場に」といった補語をとります。
> 「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」(>>152)という文の「いられる」についても同様です。
それについては >>172 で説明済み。話の内容を把握してないのはそっちだろ。
同じことを蒸し返し、ループに持ち込むのは荒らし行為。
371p-a:2006/04/03(月) 00:42:01
――――――――――――――――――――――
俺が思うに、
人間が話す言語の文法理論というのは、
慣用を集めて法則性を見いだしたもので、
まず先に理論(規範)ありき、みたいな言語は
コンピュータ言語くらいだと思う。 (>>335
――――――――――――――――――――――

理論というものはたしかに「あとから当てはめる知的枠組」ではあるけれど、
言語が当初から有し始める規則的構造性そのものは
人間同士による歴史的な意思疎通の過程による風化にたいしては
まず先験的に存在するものです。
ちょうど、
「1+1=2」という法則を見いだすうえで、
1と1とが足されると2になるようにあらかじめ慣用法化させておく必要が僕らにはない、
というのと同じことです。
理論と法則は異なるものです。
それだから、「文法理論」と「文法」は、厳密に言って、異なるものです。

コンピュータ言語の規範だって、
僕らがそれに関する理論を発明することで初めて生まれるものではなく、
隠れた特定の理性形式としてもともとこの世界に潜在していたものです。
コンピュータ言語の誕生は、
その形式にたいする参照能力を人間が獲得するのを今まで待っていただけです。
372名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 01:12:01
>>248
>「はさみ」という製品を造るうえで無条件に必要となる刃はいくつですか?
これは理由にはならないだろ。
確かにはさみは2つの刃からなるけど、
はさみ全体で一個であって、
英語ではさみを無条件に複数として扱うのは、
論理的な理由からではなく、英語でははさみを無条件に複数として扱うという規則があるからにすぎない。

結局、こういう不合理な現象があるのも、名詞の単数複数、或いは双数といったものは、
自然の数を表現するものではなく、文法上の数である「文法数」でしかないから。
373名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 01:16:18
>>363
> どういったことが起きるのかをよく考えてください。
何も起きない。>>172 で説明済み。正確に区別される。
「いられる」の所だけをじーっと見つめるわけじゃないから。君とは違うの。

>>364
> モナリザの方を見ないで
> アフロディーテの乳首に目が釘付けとなってる男子生徒に
> 「Watch the Mona Lisa.」
> と忠告する場面も、ありそうです。
確認してみるよ。

>>365
> その文語的廃頽や文法的誤用を
> 非ネイティヴである僕が指摘することは
> できない、
> とあなたは考えるのですか?
「その言い方は間違っている」と指摘することは、できない。

>>366
> また、「内省」という表現を最初に持ち込んできたのは[>>312]であって
> 僕ではありません。
> あなたはどうしてこの語に拘っているのですか?
その語の意味はわかっていると言いながら、その語を含む表現がわからないと拘ってるのは君じゃないか。
選択肢が 3 つ以上あるときに、「よし、この道の方にしよう」が適格かどうか、「内省」していないでネイティヴ・チェックにかけろと言ってるんだよ。
で、教養ある日本語ネイティヴから、そんな言い方しないねと言われたら、それ以上君が理屈こねることにどんな意義があるの?
ネイティヴが全員、言わない、聞かない、おかしいと判定しても、文法的には正しい場合がありうると、君は主張するんだろ?
もはや正気の沙汰ではないね。
374p-a:2006/04/03(月) 01:25:08
――――――――――――――――――――――――
英語が母語のアングロサクソン共だって
自分の気に食わない奴には人格攻撃が常だろw (>>349
――――――――――――――――――――――――

すくなくともイギリス人とアイルランド人とアメリカ人とカナダ人とオーストラリア人は、
人間がそれぞれ違った精神構造と思考形態を持ちうることを
いつでも前提に置きながら社会で生活するような人種ですよ。
自分の考えにたいして何かしらの「批判」が飛んでくることや
相手の考えが自分のものと異なっていることを
ごくあたりまえの事態として捉える準備が彼らにはいつでもあります。
彼らのは対話生活には「I」の意識が確立しているのです。
(ちなみに、精神科に赴くことを日本人ほど恥じたり蔑む人種はいません。
他人とは違うところが自分にあるのだと自覚したときに
その事実をちゃんと肯定したがらないところが一般的な日本人にはあります。
彼らの内輪意識はとても強力です。
言葉をなにかと省略してそれにたいする特権的な共有理解を彼らが求めるのは、
そういったことによります。
和の文化とはいったものの、
異質な事柄を排他的に外へ押しやる傾向が日本人にあるのもたしかです。)
375p-a:2006/04/03(月) 01:26:12
>>374

アメリカの子供たちは小学校から論理的対話の仕方を学びます。
事実と意見とを峻別して思考するとか、そういうことを鍛錬するんです。
また、「相手が自分の気に食わない奴である」ということと、
「自分が相手とは異なる意見を持った奴である」ということとが、
子供でもだいたい区別して考えれるようになっています。

ケネディ大統領の時期に全盛を迎えた「Action Intellectual」という副産物はあるものの、
対話力を培うことで「人格攻撃」といった行為との縁が無くなるのは悪いことではないでしょう。
376p-a:2006/04/03(月) 01:41:07
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Wikipediaの記事数上位8言語の中に
日本語版が入ってるわけなんだが、これがまた他の外国と比べると
レイアウトにセンスがないw
更に日本語の乱雑な表記が、そのセンスのなさに拍車をかけてるw (>>352
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Yahoo の記事の構成や情報量について、
日本のものと外国のものとを比べてみてもおもしろい。

http://dailynews.yahoo.co.jp/ (日本)

http://news.yahoo.com/ (アメリカ)

適当なトピックをクリックして、内容を比較してみてください。
日本語のほうでは記事が平均して2〜3文で済まされているけれど、
英語のほうはどうなっているか。
情報量が格段に違う。
文章力にもかなりの差がある。

物事を伝えるという作業について、
Yahoo! Japan の編者がどうしてこうも漠然的となれるのかが僕にはわからない。
377p-a:2006/04/03(月) 03:17:56
――――――――――――――――――――――――――
日本語の「いられる」という語が被害の感情を帯びているというのは、
例えば、英語の過去形が、過去の事柄を表現するだけでなく、
発話者と受話者との間の距離感を生じさせるといった働きもあり、
それでもって、丁寧な依頼、婉曲な表現、あまり自信のない意見の表明
といった用法が存在するのと同じことではないでしょうか?

これも、英語ネイティブ話者以外には
わかりづらいメカニズムですよね?
ネイティブ以外には、文法構造でもって判断するのは難しいですよ。(>>367
――――――――――――――――――――――――――

英語の過去形におけるそのような連想はたしかにあります。
丁寧さ、婉曲さ、確信の少なさ、といったことが
過去形を介して読み取られることはあります。
そしてそれは
英語人以外の人にとっては
かならずしも即座に感得できる形式であるとはいえません。

英語の過去形におけるそういった用法も
日本語の「いられる」にまつわる感情の喚起も
慣例的情報に依拠しているという点では
ちがいは無いんですね。
378p-a:2006/04/03(月) 03:19:17
もう一つの問題は、
日本語の「いられる」といった文語が
可能態と受動態とを兼ねている、
という事実です。
「私には彼の活動を支えられるだけの資金がある。」における可能態と
「彼の活動は私からの資金によって支えられることとなる。」における受動態についても同様です。
後者の受動態は、次のような文でいとも簡単に可能態ともなりえます――
「彼の活動は私からの資金によってその地の難民の生活を支えられるようにもなる。」
「やれる」と「やられる」という仕分はあっても、
「支えれる」と「支えられる」という分別がほとんどありません。
あったとしても、
「それぐらいの重さなら僕でも支えれるよ。」と言う人と
「それぐらいの重さなら僕でも支えられるよ。」と言う人がいたりと、
文法的な統一が浸透していないのです。
ちなみに使用者がより多いのは「支えられる」、同音異義語です。
グーグルで検索してみてもその傾向が判然としています。
379p-a:2006/04/03(月) 03:21:58
>>378

可能態は「いれる」「支えれる」で
受動態は「いられる」「支えられる」というふうな仕分が一般的になされてこなかったのは
なぜなのでしょうか?
若い世代になるにつれて「ら抜き言葉」の使用率が高まっているそうですが、
それは、
「国語審議会」が言うようには非文法的な言葉ではありません。
「ら抜き言葉」はむしろ論理的で文法的です。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/5780/ranuki.html

http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/ranuki.htm
で、「ら抜き言葉」に関するネイティヴによる肯定意見があります。参考までに。

「私は魚が食べられない。/I cannot eaten fish.」なんて、
妙な表現ですよね。
380名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 03:32:59
この魚は食べられない。
 This fish cannot eat.
As for this fish,you cannot eat it.
381p-a:2006/04/03(月) 03:47:24
――――――――――――――――――――――――
あなたの考えにしたがえば、
「教養ある日本語ネイティヴ」はみんな、
自分たちが「想定」している事柄をもってして
日本語の内容を監査していることとなります。(>>322
――――――――――――――――――――――――
してるんじゃないかな。無意識にだけどね。 (>>333
――――――――――――――――――――――――
無意識である人がどういった「論理的思考」を建設できるのか、
教えてください。(>>358
――――――――――――――――――――――――
文法はもとより論理と関係ない。(>>369
――――――――――――――――――――――――

そうではなくて。

あなたの考えにしたがうところ、
「教養ある日本語ネイティヴ」はみんな、
言語について、
論理的な考察なんかしていない、
ということになりますよね。
382名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 03:47:46
p-aさんは世界中の言語の一般的な文法構造をどのようなものだと考えているんだろうか。
語  順:
文法格:
文法数:
文法性:
時  制:
  相  :
  態  :
この7つ位で良いから、
100個の言語を探せば、10個以上の言語で見られるくらいの、
比較的よく見られる形態にどういうものがあるのか、
手短に書いてみてほしい。
383名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 04:07:56
>>379
>可能態は「いれる」「支えれる」で
>受動態は「いられる」「支えられる」というふうな仕分が一般的になされてこなかったのは
>なぜなのでしょうか?
そうしなくても区別できるからでしょう。

とはいっても、現にら抜きと言われる表現が、地域差、世代・時代差があるにしても進んでいる。
この原因は、もちろん誤解の余地がなくなるからということもあるだろうが、
規則的な方向に文法が変化するという法則によるものが大きいだろう。

個人的には、「ら抜き」は肯定も否定もしない。自然な変化だとは思う。
悪意ある曲解によっても文の意味を曲げ得ないという意味では論理的だとは思う。
>「ら抜き言葉」はむしろ論理的で文法的です。
文法的かどうかは我々が決めることではないよ。
現に使われはじめているという現状では、
完全に非文法的であるという考えは間違っていると思うが、
完全に文法的であるというのも間違っていると思う。
揺れのある表現というのが妥当だろう。
もちろん、ら抜きが一般的な話者集団にとっては完全に文法的だろうし、
ら抜きが存在しない話者集団にとっては完全に非文法的だろうけどね。


p-aさんは、例えば英語の誤解の余地はあるが、区別できる表現、例えば
Can you ...?
@ 〜できますか?
A 〜してくれますか?
といったものを、他の表現を導入することで誤解の余地をなくすべきだと考える?
384名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 05:04:09
>>381
> あなたの考えにしたがうところ、
> 「教養ある日本語ネイティヴ」はみんな、
> 言語について、
> 論理的な考察なんかしていない、
> ということになりますよね。
もちろん、言語学者以外は、していない。
普通の人は、言語についてではなく、言語を使って、論理的な思考を行なっている。
言語のきまりは、言語の中で完結しており、ネイティヴ・スピーカはそのきまりを意識しないまま、ほぼ完全に守る。
どの言語のきまりも、形式論理を反映していたり、反映していなかったりするが、どんなふうに言語を使っても形式論理を表せないということは、ない。
それ自体が非論理的な言語、すなわち、その言語を使うと論理的思考ができない言語というものは、この世に存在しない。
385p-a:2006/04/03(月) 05:13:01
――――――――――――――――――――――――――
その語の意味はわかっていると言いながら、
その語を含む表現がわからないと拘ってるのは君じゃないか。(>>373
――――――――――――――――――――――――――

語の意味を理解することと、
文の意味を理解することは、別ですよ?

「戦争」の意味はわかっていても、
「秋田県における可燃性の出版会社が壁掛けの契約を地底上空と結んで米国国務長官の資格に出産形の戦争をした」
という文の表現がわからないという人がいるのと同じです。
386p-a:2006/04/03(月) 05:13:40
――――――――――――――――――――――――――――――――
英米の「教養あるネイティヴたち」が「直観」によって英語文法を語ることはありません。(>>359
――――――――――――――――――――――――――――――――
いくらでもあるよ w よく知らないけど、英米にそういったアカデミーってあるの?(>>370
――――――――――――――――――――――――――――――――
英語ネイティヴの直観を離れた「規定構造」など、昔も今もどこにもないよ w(>>370
――――――――――――――――――――――――――――――――

英米の「教養あるネイティヴたち」が「直観」によって英語文法を語ることがいくらでもある
とあなたが考えるのはなぜですか?
387p-a:2006/04/03(月) 05:15:25
――――――――――――――――――――――――――――――――
日本語の辞書による説明に従ってしまえば日本語の正しい使い方ができなくなる
とでも考えるのですか?(>>360
――――――――――――――――――――――――――――――――
なる場合もある。どの言語についても同様。常識。(>>370
――――――――――――――――――――――――――――――――

「どの言語についても同様。常識。」、
あまり平然とそんな事を言わないほうがいいです。ほんとうに。

「正しい使い方」と「通用する使い方」は違いますよ。念のため。

あなたは、
たとえば英語の冠詞の使い方を規定している辞書の内容を
理解しきれていなかったりするから
そんな事を言っているのではないのですか?
フーコーやドゥルーゼの書で述べられているスリッピーな概念を
即座には捉えれなくてもしっかりと読解すれば把握できるように
辞書の解説内容も
ちゃんと読めば
理解できるものですよ。
388p-a:2006/04/03(月) 05:17:23
――――――――――――――――――――――――
「はさみ」という単語は英語においては無条件で複数として扱われるが、
これは英語が論理上の欠陥を持っているからでしょうか?(>>215
――――――――――――――――――――――――
「はさみ」という製品を造るうえで無条件に必要となる刃はいくつですか?(>>248
――――――――――――――――――――――――
これは理由にはならないだろ。
確かにはさみは2つの刃からなるけど、
はさみ全体で一個であって、
英語ではさみを無条件に複数として扱うのは、
論理的な理由からではなく、英語でははさみを無条件に複数として扱うという規則があるからにすぎない。
結局、こういう不合理な現象があるのも、名詞の単数複数、或いは双数といったものは、
自然の数を表現するものではなく、文法上の数である「文法数」でしかないから。 (>>372
――――――――――――――――――――――――

やれやれ。

「全体で一個」なのは「はさみ」という日本語でしょ?

「sciss-」(切る)「-or」(もの)すなわち「scissor」(刃)が2個くっついたものを
「scissors」ではなく「scissor」と呼んでしまえば
それこそ
複数の集まりを無条件に単数として扱うところの不合理な解釈が呈するわけだよ。

論理における数の捉え方と、文法におけるそれとは、
あなたが言うほどには違い合っていないわけだよ。

「家群」(いえむら)とか、「空間群」とか、「症候群」とか、「鴆群」(あじむら)とか、
日本語にだって、
自然の個体数を含蓄して表現する言葉はあるでしょう。
389p-a:2006/04/03(月) 05:19:00
――――――――――――――――――――――――――――――――
「いる」は対象、相手を表す補語をとらない。 (>>334
――――――――――――――――――――――――――――――――
「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」(>>114)という文では、
「いられる」が「彼女に」や「その場に」といった補語をとります。
「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」(>>152)という文の「いられる」についても同様です。(>>362
――――――――――――――――――――――――――――――――
それについては >>172 で説明済み。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「いられる」を受動態と解釈すると、被害・迷惑の意味が出て、
「ように説得してみる」とは結びつかない。これは可能態。
「彼女に」はどうなるのかというと、「説得してみる」が引き取ってくれるので、問題ない。
「彼女に (X が) その場にいられるように説得してみるよ」の意。
「彼女」を可能の主にしたいのなら、
「彼女がその場にいられるように (Y に/Y を) 説得してみるよ」としなければならない。(>>172
――――――――――――――――――――――――――――――――

「説明済み」ではありませんよ。
それどころか、補語をとるかとらないかということについて[>>172]はどの説明もしていません。
また、僕は[>>362]で説明を求めたわけでもなんでもないのです。
「いる」は補語をとらないとあなたが言い出したから、
「いる」は補語をとるという事実を僕が指摘しただけです。
そこへ、どうして「いられる」の態に関する言及をあなたは蒸し返してくるのですか?
390p-a:2006/04/03(月) 05:23:05
―――――――――――――――――――――――――――
「この曲、めっちゃいくねえ?」とか、
「この服、ちょーよくなくなくねえ?」とか言う日本語ネイティヴにたいして、
その文語的廃頽や文法的誤用を
非ネイティヴである僕が指摘することは
できない、
とあなたは考えるのですか?(>>365
――――――――――――――――――――――――――
「その言い方は間違っている」と指摘することは、できない。(>>373
――――――――――――――――――――――――――
「規定」の根拠がネイティヴの直観なんだから、どうしようもあるまい。 (>>370
――――――――――――――――――――――――――
選択肢が 3 つ以上あるときに、「よし、この道の方にしよう」が適格かどうか、
「内省」していないでネイティヴ・チェックにかけろと言ってるんだよ。
で、教養ある日本語ネイティヴから、そんな言い方しないねと言われたら、
それ以上君が理屈こねることにどんな意義があるの?
ネイティヴが全員、言わない、聞かない、おかしいと判定しても、
文法的には正しい場合がありうると、君は主張するんだろ?
もはや正気の沙汰ではないね。 (>>373
――――――――――――――――――――――――――

これまで僕が英語についてイギリス人と語るとき、
こういった対応を受けることはありませんでした。
正直に言って、僕は今けっこうショックを受けています。
セミコロンの使い方を誤っていると僕が指摘した人の書き方について、
そのイギリス人は僕と一緒になって解説書を参考にしながら話し合ってくれました。
「ネイティヴに逆らうの?」なんて、まずありえません。
391名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 05:29:21
>>385 君の「内省」によって、非日本語ネイティヴである君が、日本語ネイティヴに対して、日本語の文法的誤りを指摘することはできない。
これでもまだわからない? 荒らしはいいかげんにしろよ。

>>386
> よく知らないけど、英米にそういったアカデミーってあるの?
まずこれに答えろ。

> 英米の「教養あるネイティヴたち」が「直観」によって英語文法を語ることがいくらでもある
> とあなたが考えるのはなぜですか?
事実だから。

>>387
> 「正しい使い方」と「通用する使い方」は違いますよ。念のため。
辞書に従うと、通用しない使い方になる場合も、ある。念のため。
通用しなくても「正しい使い方」があると主張する君は気が狂っている。
392p-a:2006/04/03(月) 05:35:24
――――――――――――――――――――――――
100個の言語を探せば、10個以上の言語で見られるくらいの、
比較的よく見られる形態にどういうものがあるのか、
手短に書いてみてほしい。 (>>382
――――――――――――――――――――――――

ごめんなさい。
ご質問にたいする答を出せるくらいの知識が僕にはありません。
393p-a:2006/04/03(月) 05:38:10
―――――――――――――――――――――――
「ら抜き言葉」はむしろ論理的で文法的です。(>>379
―――――――――――――――――――――――
文法的かどうかは我々が決めることではないよ。
現に使われはじめているという現状では、
完全に非文法的であるという考えは間違っていると思うが、
完全に文法的であるというのも間違っていると思う。
揺れのある表現というのが妥当だろう。 (>>383
―――――――――――――――――――――――

そうですね。反省します。
394名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 06:02:06
>>390
> セミコロンの使い方を誤っていると僕が指摘した人の書き方について
句読法がいつから文法に含まれるようになったんだ w
日本語だったらせいぜい変換ミスの指摘ぐらいにしとけ。
395p-a:2006/04/03(月) 07:05:36
――――――――――――――――――――――――――
p-aさんは、例えば英語の誤解の余地はあるが、区別できる表現、
例えば
Can you ...?
@ 〜できますか?
A 〜してくれますか?
といったものを、
他の表現を導入することで誤解の余地をなくすべきだと考える?(>>383
――――――――――――――――――――――――――

そのような誤解の余地は、ほんとうは無いはずですよ。

Aの意味では、
「Can/Could/Will/Would you ...」の語尾に「for me?」が付きます――

Could you fill in this form for me?

この文は、たとえば銀行員なんかが用紙を顧客に差し出すときに使われます。

日本語でも「〜してくれる」という意味合には「何かを頂戴する」という連想がありますよね。
「〜してくれる?」という表現を英語でしたければ、そういった連想の具合を反映させるんです。
「for me」といった文語でね。
論理的に考えても、
「〜してくれる?」と頼むことで何かを頂戴することになる主体があるはずだから、
「for me/her/him/them/it...」が付くこととなります。
「for」を含む表現は、異なる事象の間に「指向性」が存在していることを意味します。
例文における「指向性」とは、
「用紙を書き込む者」から「用紙を書き込むよう懇願する者」に向かう流れです。
これが無いとすれば、その文は「懇願」という形態から乖離することとなります。
それが@です。

(つづく)
396p-a:2006/04/03(月) 07:06:49
>>395

@の日本語文については多くの訳し方が考えられます――

Can you (do)?
Could you (do)?
Will you (do)?
Would you (do)?
Are you able to (do)?
Are you capable of (doing)?
Are you free to (do)?
Are you competent to (do)?
Are you up to (do)?
Are you fit to (do)?
Are you fit for (doing)?
Are you prepared to (do)?

(つづく)
397p-a:2006/04/03(月) 07:08:52
>>396

これらの表現を使い分けるのは、それほど難しくはありません。
Aについて僕がさっき述べたような理性がここでもあり、要はそれを扱うだけ。
たとえば、自分の言わんとしている対象が比較的に「永続性」を有しているものであれば
「capable of」を使う。
「able」は単に能力(ability)の有無を言うのにたいして、
それをもはや恒常的に「掴んでいる」(cap-)ことを言うのが「capable」。
「掴んでいる」からには、その対象は名詞としての形をしている必要がある。
だから「capable of」。
その対比として「able」は非恒常的な能力を言及することとなる。

最後の文は一見「あなたは〜する準備ができていますか?」に思えるけれど、
この文は「準備/preparation」という名詞を対格に持っているわけではなく、
「〜できますか?」と尋ねているだけ。
日本語にもたくさんの書き分けがあるけれど、
それ以外で日本語が沈黙している表現のダイナミクスに関する参照が英語にはある、
ということ。
398p-a:2006/04/03(月) 07:30:20
――――――――――――――――――――――――
> よく知らないけど、英米にそういったアカデミーってあるの?
まずこれに答えろ。 (>>391
――――――――――――――――――――――――

答えろと言ったって、
欧米のどの大学にもそういった部署(Department)があるじゃない。
399p-a:2006/04/03(月) 07:41:28
――――――――――――――――――――――――――――――――――
英米の「教養あるネイティヴたち」が「直観」によって英語文法を語ることがいくらでもある
とあなたが考えるのはなぜですか?(>>386
――――――――――――――――――――――――――――――――――
事実だから。 (>>391
――――――――――――――――――――――――――――――――――

対話になっていません。

これじゃあまるで「ライフスペース」の「定説ですから」。

そういうのはよして、
英米の「教養あるネイティヴたち」が「直観」によって英語文法を語ることがいくらでもある
ということをあなたに確信させたきっかけとは何なのか、
教えてください。
400名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 07:46:37
>>389
> 「説明済み」ではありませんよ。
説明済み。君が理解できないだけ。

> それどころか、補語をとるかとらないかということについて[>>172]はどの説明もしていません。
「いる」が対象補語をとらないことは、はじめからわかっていることで、あらためて説明する必要はない。
「* (X が) Y を いる」。「Y に X が いる」はもちろん言えるが、「Y」は場所であって対象ではない。

> また、僕は[>>362]で説明を求めたわけでもなんでもないのです。
自分の言いたいことだけ言っておいて、都合の悪い反論は聞きたくないと?

> 「いる」は補語をとらないとあなたが言い出したから、
> 「いる」は補語をとるという事実を僕が指摘しただけです。
どんな補語?

> そこへ、どうして「いられる」の態に関する言及をあなたは蒸し返してくるのですか?
>>362
> ちなみに、「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」(>>114)という文では、
> 「いられる」が「彼女に」や「その場に」といった補語をとります。
> 「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」(>>152)という文の「いられる」についても同様です。
こんな解釈にはならないという趣旨を >>172 で説明したのを、自分が理解できなかったくせに、「蒸し返してくるのですか」とはどういう言い草か。口のきき方に気をつけろ。
「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」の中の、「彼女に」は「いられる」がとる補語で、「その場に」は正確に言えば、「い‐」がとる補語 (場所)。
「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」の中の「彼女に」は、「説得し (てみる)」がとる補語で、「いられる」がとる補語ではない。何が「同様です」だ。
401名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 07:51:10
>>398
> 欧米のどの大学にもそういった部署(Department)があるじゃない。
そこで、英語の正用法を、公的に規定してるわけ?

>>399
> 対話になっていません。
英語ネイティヴが書いた英語学の論文を読めばすぐにわかる事実だ。読んだことのない人と対話はできない。
402p-a:2006/04/03(月) 07:53:50
――――――――――――――――――――――――――――――――
通用しなくても「正しい使い方」があると主張する君は気が狂っている。 (>>391
――――――――――――――――――――――――――――――――

僕の主張にしたがえば、
「かの介はいとよしありてけしきばめるをや」
という正しい日本語文が
かならずしも日本語ネイティヴの全員に通用するわけではない、
ということになります。

そんな主張をする僕のことを「気が狂っている」とあなたは呼びました。

もう一度よく考えてください。

正しい使い方と、通用する使い方は、それぞれ別々のものです。

あなたは、
日本で育った者ならば6歳の子でも文法を「知っている」のだと言いました(>>333)。
日本で暮らす6歳の子すべてに
「かの介はいとよしありてけしきばめるをや」
という日本語文の意味がわかるでしょうか?

気が狂っているのはあなたではないのですか?
403名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 07:58:00
>>402
> 「かの介はいとよしありてけしきばめるをや」
> という正しい日本語文
現代共通日本語として、正しい文ではない。当然通用しない。
404p-a:2006/04/03(月) 08:06:20
――――――――――――――――――――――――――
句読法がいつから文法に含まれるようになったんだ w (>>394
――――――――――――――――――――――――――

あなたは知らないのだろうし、
日本語でもたいして気にされることはないのだろうけど、
句読法というのは紛れもなく文法の一つなんですよ。

句読点は文の所有物でしょ。
構文を規定する法則は
句読点の存在を見逃すことができないわけですよ。
405名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 08:13:23
>>404 字が書けない人はどうなるんだ。文法の一部が欠けてるのか。そんなはずないだろう。
406p-a:2006/04/03(月) 08:58:12
――――――――――――――――――――――――――
「いる」は補語をとらないとあなたが言い出したから、
「いる」は補語をとるという事実を僕が指摘しただけです。(>>389
――――――――――――――――――――――――――
「いる」が対象補語をとらないことは、はじめからわかっていることで、
あらためて説明する必要はない。(>>400
――――――――――――――――――――――――――

やれやれ。

彼女が その場に いた。

上の「その場に」のことを日本語では「補語」と呼びます。

―――――――――――――――――――――――――――
「Y に X が いる」はもちろん言えるが、
「Y」は場所であって対象ではない。(>>400
―――――――――――――――――――――――――――

対象ですよ w
それに補語でもありますよ。
407p-a:2006/04/03(月) 09:06:11
―――――――――――――――――――――――――――
「いる」は対象、相手を表す補語をとらない。 (>>334
―――――――――――――――――――――――――――
「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」の中の、
「彼女に」は「いられる」がとる補語で、
「その場に」は正確に言えば、「い‐」がとる補語 (場所)。(>>400
―――――――――――――――――――――――――――

どっちなんですか w

「いる」と「いられる」とはそんなにもかけ離れた語なのですか?

(1) 彼女が その場に いる。



(2) 彼女は その場に いられる。

とを比べたとき、
(1)の「いる」は補語をとらないで、
(2)の「いられる」は補語をとる、
ということですか?

あなたの言う「い‐」とは何ですか?
408p-a:2006/04/03(月) 09:17:18
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ちなみに、
「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」(114)という文では、
「いられる」が「彼女に」や「その場に」といった補語をとります。
「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」(152)という文の「いられる」についても同様です。(>>362
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」の中の「彼女に」は、
「説得し (てみる)」がとる補語で、
「いられる」がとる補語ではない。何が「同様です」だ。(>>400
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[362]の1番目の文の内容―― [114]の「いられる」は、補語をとる。

[362]の2番目の文の内容―― [152]の「いられる」についてもそれは同様。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「その場に」は正確に言えば、「い‐」がとる補語 (場所)。(>>400
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「いられる」は、「その場に」という補語をとれる。

[114]の「いられる」が補語をとるのと同様に、
[152]の「いられる」も補語をとる。

わかりますか?
409p-a:2006/04/03(月) 09:45:46
――――――――――――――――――――――――――――――
欧米のどの大学にもそういった部署(Department)があるじゃない。(>>398
――――――――――――――――――――――――――――――
そこで、英語の正用法を、公的に規定してるわけ?(>>401
――――――――――――――――――――――――――――――

「公的に規定してる」とは違うことを僕は言った――

――――――――――――――――――――――――――――――
公的に定まっている事柄を拠り所とする態度は、
「想定」ではなく「規定」による参照というかたちで目的の対象を監査する態度です。(>>359
――――――――――――――――――――――――――――――

つまり、言語(英語)という事象について、
頭の中にある約束(>>113)みたいなのを参照しながら語るんではなくて、
世の中のテクスト上で実際に効力を得ている規定事項を参照しながら、
それがどういった意義を持っているのかを学究的に考察する、
ということ。

いくらなんでも、日本にだってそういうのはあるでしょ、
あなたは無いのだと言うけど(>>333)。
「国語審議会」とか。
ただしこれは、その名に表れているとおり、
日本語を一つの「言語」として客観的に捉えようとするところがないらしい。
「国語」。
「日本国の言葉」としてのアイデンティティを保守するところの「姿」をしてさえいればいい
ということなのだろうか。
だから、
非伝統的な「ら抜き言葉」を否定したがるのだろうか。
410p-a:2006/04/03(月) 11:02:02
――――――――――――――――――
「かの介はいとよしありてけしきばめるをや」 (>>402
――――――――――――――――――
現代共通日本語として、正しい文ではない。
当然通用しない。(>>403
――――――――――――――――――

では、あなたにとっての「現代共通日本語」とは何ですか?
いつからが「現代」で、どこまでが「共通」なのですか?

谷川俊太郎が
「かるが故に人間は狼にあこがれざるを得ない」
と書いたのは、「現代」においては古すぎる表現なのでしょうか。
山本太郎が
「ぼくはときどきあんまり黙っている」
というふうに書いたのは、「共通」にしてみると不適切な表現なのでしょうか。
いずれの用法も僕はためしに日本語ネイティヴに向かって使ったことがあるのですが、
困ったような顔つきをされました。
この事はあなたにとって何を意味しているのでしょうか?
僕が日本語ネイティヴとの会話のなかでたとえば「いわずもがな」と発言し
相手から「なんだそれ」と言われてしまえば、
僕は「現代共通日本語」の話者として失格になってしまうのでしょうか?
ネイティヴには逆らえない(>>224>>304)わけでしょ?
あなたにしてみれば、
日本語ネイティヴはみんな、たとえ6歳の子でも、文法を「知っている」のだから、
僕の発言「いわ・ず・も・がな」における助詞「がな」に
願望の意味の込められているのを理解することができるんですよね。
でも、実際にはできないんですよね。
6歳の子の多くにしてみれば、
「いわずもがな」の意味を規定するところの文法的構造は
見えていないわけですよ。
411p-a:2006/04/03(月) 11:15:10
―――――――――――――――――――――――――
句読法というのは紛れもなく文法の一つなんですよ。(>>404
―――――――――――――――――――――――――
字が書けない人はどうなるんだ。
文法の一部が欠けてるのか。そんなはずないだろう。(>>405
―――――――――――――――――――――――――

やれやれ。

「マフラー」は「衣服」の一種だけど、
「マフラー」を身につけていない人を街で見かけたさいにあなたは「衣服欠損!」と叫ぶわけじゃないでしょう。
412名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 11:32:55
>>406
> やれやれ。
何が「やれやれ」だ。バカのくせに混ぜ返そうとしてもムダ。

> 対象ですよ w
対象ではない。なぜか。それは、X が Y に対して、何の働きかけも行わないからだ。

>>407
> どっちなんですか w
はあ? 何と何が?

> 「いる」と「いられる」とはそんなにもかけ離れた語なのですか?
君はバカだから、かけ離れた語だと思って勉強したほうがいいな w

> (1)の「いる」は補語をとらないで
「対象補語をとらない」を「補語をとらない」にどうしてすり替えるわけ?

> あなたの言う「い‐」とは何ですか?
「いる」の語幹。

>>408
> [114]の「いられる」が補語をとるのと同様に、
> [152]の「いられる」も補語をとる。
> わかりますか?
> >>362
> > 「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」(114)という文では、
> > 「いられる」が「彼女に」や「その場に」といった補語をとります。
> > 「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」(152)という文の「いられる」についても同様です。
「同様」なのは「その場に」だけで、「彼女に」については「同様」ではない。
すなわち、(114) は受動態 (動作・状態主はニ格) で (152) は可能態 (肯定文で動作・状態主はガ格)。
明確に区別され、混沌などどこにもない。
413名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 11:51:17
>>409
> つまり、言語(英語)という事象について、
> 頭の中にある約束(>>113)みたいなのを参照しながら語るんではなくて、
> 世の中のテクスト上で実際に効力を得ている規定事項を参照しながら、
> それがどういった意義を持っているのかを学究的に考察する、
> ということ。
欧米の大学では、言語を研究するときは常にコーパスに拠り、ネイティヴ・スピーカの内省、直観には頼らないと?
それは全然事実と違うな。確かに、最近は大規模なコーパスが増えてきたので、大いに研究の助けにはなるが、文法研究の場合、最終的には作例をネイティヴ・チェックにかけて、背理法で仮説を証明しなければならない。

> 「国語審議会」とか。
国語審議会の審議結果を重視している言語研究者って、ほとんど聞かないねえ。
414名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 12:21:02
>>410
> では、あなたにとっての「現代共通日本語」とは何ですか?
> いつからが「現代」で、どこまでが「共通」なのですか?
だいたい、現在の日本の教育現場と、マスメディアで用いられている日本語を、現代共通日本語と呼ぶ。
語彙については、豊かな人と貧しい人の差が大きいだろうが、文法体系は安定している。

> 「かるが故に人間は狼にあこがれざるを得ない」
> 「ぼくはときどきあんまり黙っている」
> いずれの用法も僕はためしに日本語ネイティヴに向かって使ったことがあるのですが、
> 困ったような顔つきをされました。
どちらも共通語ではない。共通語の文法に「かるが故に」「ざるを得ない」「あんまり黙る」はない。
「ざるを得ない」については、1 語として知っている人が多いと思うが、「あこがれる」は意志的な動きを表さないので、「あこがれざるを得ない」はやはり普通でない。

> 僕が日本語ネイティヴとの会話のなかでたとえば「いわずもがな」と発言し
> 相手から「なんだそれ」と言われてしまえば、
> 僕は「現代共通日本語」の話者として失格になってしまうのでしょうか?
共通語に「いわずもがな」の文法はないから、大人でも知らない。全体を語として知ってるかどうかの問題。
無教養な人は知らない確率が高い語だと思う。相手の語彙量を推測しながら使う語を選ばなければならないのは、日本語に限らない。
相手が知ってると思って使ったのに知らなかった場合は、すぐに別の語で言い替えれば済むことだろう。
415名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 12:23:32
>>411
> 「マフラー」は「衣服」の一種だけど、
> 「マフラー」を身につけていない人を街で見かけたさいにあなたは「衣服欠損!」と叫ぶわけじゃないでしょう。
文法は体系だが衣服は体系ではない。無関係。
416哲学板のびかぁ〜です:2006/04/03(月) 13:45:56
言語板きてみたけどレベル低いから帰ります。
でもせっかく来たのだからついでに少し教えてやります。
フロイトの「フォーダー」は、現実の母(他者)の消失の際限であり、
それを象徴化することで、母の消失の苦痛を解消する。
ここでは、「いないいないばー」の他者出現の反射から、
自己的な他者出現の操作が行われている。
417名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 14:41:28
>>416
通報しますた
418名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 15:42:20
【驚愕】韓国語は日本語の劣化コピーだった【pakuri】

韓国人は、漢字はハングルで代替可能だと言うが、
韓国語の語彙は、全体の70?80%が漢字語で占められ、固有語はわずか20%程度にしか過ぎない。
しかも、その漢字語も「日本式漢字語」と呼ばれる、日本人が150年くらい前から現在にいたって造語した漢字語が、全漢字語中の60%は占めると言う。

この計算方法でいくと、韓国語の語彙は
日本式漢字語=48%
中国式漢字語=32%
民族固有語=20%
ということになるのだが。

いくらハングルを使っていても、ハングルを用いて書き表す語彙が、漢字語ばかりであるならば、何ら民族独自の文化を生み出したことにはならない。
ハングルを用いて書き表された言葉の80%は、民族固有の言葉ではない。
漢字を排して、ハングル専用にしても、このような事実が変わらない限り問題の本質を解決したことにはならないと思うのだが。その辺について韓国人はどう思っているのか?
偉大な文字、ハングルで書いた文章を漢字に書き換えて見ると、実に全体の48%は日本人が考案した漢字語で埋め尽されているという韓国語の悲惨かつ情けない惨状を目の当たりにして、日本人は衝撃を感じるとともに失笑しています^^
近年韓国ブームが巻き起こり、日本人の中でも韓国語を学習する人が増えましたが、それとともに、上に書いたような韓国語の悲惨極まりない現状を多くの日本人が知るようになってしまいました。
関心を持たれたことが裏目に出てしまいましたね、韓国人皆さん^^
419名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 15:43:17
議員85人が「漢字教育振興法制定案」提出
「韓国語の70%が漢字語であるという現実において、漢字教育は必需的」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/09/05/20030905000059.html

naver 知識in「日本式漢字語」検索結果
http://kinsearch.naver.com/search.naver?where=kin&query=%C0%CF%BA%BB%BD%C4+%C7%D1%C0%DA%BE%EE&hw=1

【驚愕】漢字がないと韓国語では意思の疎通ができないことが明らかになりました【ソウル大生も認める】

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/04/09/20040409000007.html

漢字の必要性を感じていない韓国人が、なぜ漢字の読み書きのテストをするのですか? 
420名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 15:44:00
残りの固有言語は全て悪口だけだった
表現力の乏しいゾセン語の中でも際立って種類の多い悪口 ゾンセンジングの民族性をよく示している

ムシッカン → mu shik han → 無 識 han →「教養のない?」
サンノム → sang nom → 常 nom → 「賎民」 ※「シャンノム」「ッサンノム」は強調型
セッキ → sae kki → 「仔」「野郎」「餓鬼」 ※「シェッキ」「ッセッキ」は強調
サデヂュイ → sa dae ju eui → 事 大 主 義
チャヂ → ja ji → 「ちんぽ」
ポヂ → bo ji → 宝 池 → 「まんこ」
ピョンテ → byeon thae → 変 態
ペクチョン → baek jeong → 白 丁 →「朝鮮時代の卑賎階級」
インガン → in gan → 人 間 →「人間という意味だが、悪いニュアンスを持つ」
ウェノム → we nom → 倭 nom →「倭奴。日本人の蔑称」
ヂョクパリ → jok bal i →「豚足野郎。日本人の蔑称。下駄を履いている事から」
ッシッパル → sship hal →「セクースする。FUCK」
元々は「sship hal nom (シッパルノム)」であり「FUCKER」の意味であったが
短くなって「シッパル」。強調型は「シバル」「ッシィーッパル」等、多岐にわたる。
ちなみに「sship」は「まんこ」、「hal」は「動詞 do の未来型」。
ピョンシン → byeon shin → 病 身 →「白痴」「不具者」「かたわ」
ムンドゥンイ → mung dung i → 「らい者」 ※ハンセン病患者という言い方は他にある。
ちなみに日本では既に抹殺された身障者の呼び名は韓国ではこんなに残っている。
マルドドゥミ → mal deo deum i → 「どもり」
ヂョルルムパリ → jeol leum bal i → 「びっこ」「ちんば」
アンジュンペンイ → anj eun baeng i → 「いざり」
オンチェンイ → eon chaeng i → 「みつくち」
ッコムチュ → kkom chu → 「せむし」
クィモゴリ → kwi meo geo ri → 「つんぼ」
ヂャンニム → jang nim → 「めくら」
ボンオリ → beong eo ri → 「おし」
エックヌン → ae kku nun → 「かため」「めっかち」
サパルトゥギ → sa phal tteu gi → 「すがめ
421p-a:2006/04/03(月) 22:30:31
―――――――――――――――――――――――――――
「Y に X が いる」はもちろん言えるが、
「Y」は場所であって対象ではない。(>>400
―――――――――――――――――――――――――――
対象ではない。なぜか。
それは、X が Y に対して、何の働きかけも行わないからだ。(>>412
―――――――――――――――――――――――――――

「対格/accusative case」と「対象/object」とを混同しているでしょ。

主体にたいする客体として認識できるものであればどんなものでも「対象」です。
「対象」は哲学上の概念です。
X が Y に対して働きかけていてもいなくても、
「Y に X がいる」という文における Y は
X とのあいだに(あるいは話者とのあいだに)観念上の対峙的関係を結んでいる事象すなわち「対象」です。

これにたいする「対格」は文法的な概念です。
「Y に X がいる」という文における Y は
X からの文法上の働きかけそのものを受けとらないので、「対格」ではありません。

あなたは、
「Y は対格ではない」と言うべきところを、
「Y は対象ではない」と言って誤っているのです。
422p-a:2006/04/03(月) 22:43:53
――――――――――――――――――
あなたの言う「い‐」とは何ですか?(>>407
――――――――――――――――――
「いる」の語幹。(>>412
――――――――――――――――――
「その場に」は正確に言えば、「い‐」がとる補語 (場所)。(>>400
――――――――――――――――――
「いる」は対象、相手を表す補語をとらない。 (>>334
――――――――――――――――――

どっちなんですか w

――――――――――――――――――
はあ? 何と何が?(>>412
――――――――――――――――――

「い‐」は補語をとるのかとらないのか、
どっちなんですか?

――――――――――――――――――
「対象補語をとらない」を「補語をとらない」にどうしてすり替えるわけ? (>>412
――――――――――――――――――

「対象補語をとらない」とあなたは言いませんでした 。
「いる」は対象、相手を表す補語をとらない、とあなたは言ったんです(>>334)。

「対象」と「補語」はそれぞれに独自の定義を与えられているので(>>421)、
「対象補語」という用語は「目的語」と言い換えるべきです。
ちょうど、「目的格」という用語を使うべきではないと誰かが僕に忠告したように(>>137)。
423名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 22:52:17
ハングルは、もともと漢字と併記するとき効果的であるように、インド系文字を
わざわざ漢字の一音節にあわせて塊にして表記するようにしたものだ。
現在のように、漢字を全くつかわないというなら、ハングルはむしろべったり
ならして、たんなるアルファベット同様につづればよいことになる。で、それな
ら、なにも、ハングルにしておく必要はない。
424p-a:2006/04/03(月) 23:00:40
「彼女にその場にいられるとちょっと困るんだけどなあ」(114)
「彼女にその場にいられるように説得してみるよ」(152)

――――――――――――――――――――――
「同様」なのは「その場に」だけで、
「彼女に」については「同様」ではない。
すなわち、(114) は受動態 (動作・状態主はニ格) で
(152) は可能態 (肯定文で動作・状態主はガ格)。
明確に区別され、混沌などどこにもない。(>>412
――――――――――――――――――――――

[114]も[152]も、
文中の「いられる」が補語をとる、
ということについては同様です。
僕はそれを[>>408]で説明したはずです。
何が同様ですだ、とあなたが言うから(>>400)、
なぜ同様であるかを僕は[408]で説いたのです。

また、
[114]と[152]とにおける「いられる」の態を識別することについてなんか、
[408]では僕は言及しませんでした。
[408]にたいする返答[412]でどうしてあなたはを関係の無い話を蒸し返してくるんですか?
[408]で僕が言ったのは、
[114]も[152]も、
文中の「いられる」が補語をとる、
ということです。
あなたはどうして、[408]にたいする[412]で
「受動態と可能態の区別の混沌などどこにもない」といった物言いをしてくるわけですか?
425p-a:2006/04/03(月) 23:41:14
――――――――――――――――――――――――――
確かに、最近は大規模なコーパスが増えてきたので、
大いに研究の助けにはなるが、
文法研究の場合、最終的には作例をネイティヴ・チェックにかけて、
背理法で仮説を証明しなければならない。(>>413
――――――――――――――――――――――――――

作例をネイティヴ・チェックによる背理法にかけて帰謬されるのは
「文法的に正確な用例」のどういったものが「普通文」としての機能を現在において有するか
ということです。

たとえば、
「かの介はいとよしありてけしきばめるをや」 (402)
という「文法的に正確な用例」を日本語ネイティヴに検査させると、
この用例は今の日本においては「普通文」として受け容れられるものではない、
という事実が帰謬されます。

ネイティヴ・チェックという過程そのものは、
特定の言語体系(日本語)の原理(文法)にたいする規定能力を特権的に専有しているわけではありません。
ネイティヴたち自身が、当の言語の原理的規範からの影響を受けざるをえない存在なのです。
慣用法に対する場合とちがって、
文法に対する場合ではネイティヴも非ネイティヴも同じ立場から考察を加えることができます。
「80×80=160」という法則の誤りに対してバングラデシュ人もスウェーデン人も平等に指摘することができるように。
そして、
「の方」という日本語は2つの対比項しか持てないとする或る日本語ネイティヴの考えに対して
非日本語ネイティヴのフランス人が日本語の辞典辞書における規定にもとづいた批判ができるように。
426名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/03(月) 23:46:19

   このスレは、隔離スレに認定されますた。
427p-a:2006/04/03(月) 23:48:59
――――――――――――――――――――――――
国語審議会の審議結果を重視している言語研究者って、
ほとんど聞かないねえ。(>>413
――――――――――――――――――――――――

そうなんですか。わかりました。

すると、
日本語ネイティヴによって構成されている国語審議会が定義する日本語の内容は、
あなたにとって何を意味しているのでしょうか?
「非ネイティヴはネイティヴに逆らうな」と考える日本語ネイティヴがいます(>>224>>304)。
僕はいったいどちらの日本語ネイティヴに向かって頭を下げるべきなんですか?
国語審議会? それとも言語研究者?
428p-a:2006/04/04(火) 00:13:57
――――――――――――――――――――――――――――――――
だいたい、現在の日本の教育現場と、マスメディアで用いられている日本語を、
現代共通日本語と呼ぶ。(>>414
――――――――――――――――――――――――――――――――

わかりました。
でも、教育現場における日本語の内容を規定している者として国語審議会がありますよね。
>>413]いわく、国語審議会の審議結果は、
言語学的観点からどの重要性をも見いだされていないものだとか。
これについてあなたはどのようにお考えですか?

――――――――――――――――――――――――――――――――
語彙については、
豊かな人と貧しい人の差が大きいだろうが、文法体系は安定している。(>>414
――――――――――――――――――――――――――――――――

日本語の語順は地球上の言語のうちでも著しく規則性を欠いている、
ということはよく知られています。
語順のそのような柔軟性は、
語の品詞機能にまつわる統一的で一貫的な用法の醸成を難しくするものです。
これについてあなたはどのような意見を持っていますか?
429p-a:2006/04/04(火) 00:30:27
――――――――――――――――――――――――――――
「あこがれる」は意志的な動きを表さないので、
「あこがれざるを得ない」はやはり普通でない。(>>414
――――――――――――――――――――――――――――

「あの先輩に憧れる私」という場合、

「私」 は 「あの先輩」 に向かって 意志している、

とは考えられないでしょうか?
430p-a:2006/04/04(火) 00:52:35
――――――――――――――――――
共通語に「いわずもがな」の文法はないから、大人でも知らない。
全体を語として知ってるかどうかの問題。
無教養な人は知らない確率が高い語だと思う。(>>414
――――――――――――――――――

わかりました。

でも、あなたがそうするように
「正しい日本語」の基準を「それが通用するかどうか」のみに置いてしまうと、
たとえば「いわずもがな」の衰滅がもたらされたのと同様に
無教養な人が増えるにつれて文語がどんどん消滅していくことを
「正当な傾向」として許容することとなりますよね。
それからひょっとして、
無教養な人によって「風変わりな文語」が造られてゆくかもわかりませんよね。
(そしてそれは今の日本語世界において実際に起きている件ですよね。)

日本語に関する本来の知識を持たないそのような人達による造語活動は、
活発化すれば、
社会における日本語の元来的な内容がどんどん変異変質してゆくことになりますよね。
その結果として、当初とは異なる日本語が形成されます。

このとき、あなたの言う「正しい日本語」とはいったいどんな意義を持つのでしょうか?
431p-a:2006/04/04(火) 01:08:51
――――――――――――――――――――――――――
「マフラー」を身につけていない人を街で見かけたさいにあなたは「衣服欠損!」と叫ぶわけじゃないでしょう。(>>411
――――――――――――――――――――――――――
文法は体系だが衣服は体系ではない。無関係。(>>415
――――――――――――――――――――――――――

衣服は体系ですよ w
ファッション、音楽、絵画、武術、農芸……文化的所産はどれも独自の体系を有するものです。
「ちょんまげ辞典」を作ることができるように、
地球上の人類がこれまでに産出してきた衣服の体系を観察することもできるんです。

「マフラー」は、「衣服」あるいは「服飾」という体系に組する観念および物体の一つです。

「セミコロン」(>>390>>404)は、「文法」という体系に組する観念および記号の一つです。
432名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 03:56:22
>>421
> 「対格/accusative case」と「対象/object」とを混同しているでしょ。
日本語ではヲ格もニ格も (ときにガ格も) 働きかけの対象を表しうる。「対格」という語はふつう使わない。

>>422
> 「対象補語をとらない」とあなたは言いませんでした 。
> 「いる」は対象、相手を表す補語をとらない、とあなたは言ったんです(>>334)。
「対象補語」=「対象、相手を表す補語」。自明。

文法論では、立場によって用語がいろいろなのは当然とされている。互いに相手に合わせて議論するのがルール。
学会でも、用語レベルの議論で貴重な質問時間を空費する人がときどきいるが、一発でバカと見なされる。
433名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 03:57:18
>>424
> [114]と[152]とにおける「いられる」の態を識別することについてなんか、
> [408]では僕は言及しませんでした。
> あなたはどうして、[408]にたいする[412]で
> 「受動態と可能態の区別の混沌などどこにもない」といった物言いをしてくるわけですか?
「いられる」を、受動態と可能態の混沌の例だと主張したのは君だ。議論の出発点はそこにある。
君は >>114 で「主体が客体にたいして動作することと、主体が客体から動作されることとを、混同しているわけですよ」と言っている。
>>152 の例も、>>114 の主張を支えるものとして示されたと解釈しなければ、意味をなさない。
それらの「いられる」を例とした君の主張が妥当であるか否かだけが重要なのであって、どのレスにどのレスで返すかなど、どうでもいいことだろう。
君の主張は不当であり、撤回されなければならない。

>>425
> ネイティヴ・チェックという過程そのものは、
> 特定の言語体系(日本語)の原理(文法)にたいする規定能力を特権的に専有しているわけではありません。
> ネイティヴたち自身が、当の言語の原理的規範からの影響を受けざるをえない存在なのです。
その原理的規範というのは、ネイティヴ・スピーカーズの外部にあると?
もしそうだとすると、それはだれが与えたのかな w

> 慣用法に対する場合とちがって
言語的慣用の集積を文法と呼ぶのが言語学の立場。これに異を唱える言語学者はいないだろう。

> 文法に対する場合ではネイティヴも非ネイティヴも同じ立場から考察を加えることができます。
> 「80×80=160」という法則の誤りに対してバングラデシュ人もスウェーデン人も平等に指摘することができるように。
乗法は世界に 1 つしかない。言語は世界に何千種類もあり、何千種類もの文法が存在する。

> 「の方」という日本語は2つの対比項しか持てないとする或る日本語ネイティヴの考えに対して
> 非日本語ネイティヴのフランス人が日本語の辞典辞書における規定にもとづいた批判ができるように。
後者は前者に対して無力であり、辞典辞書の不備に気づかせてくれるにすぎない。
434名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 03:57:53
>>427
> 僕はいったいどちらの日本語ネイティヴに向かって頭を下げるべきなんですか?
> 国語審議会? それとも言語研究者?
やってることが違うから意見がぶつかることもほとんどない。前者は文法性判断なんかしない。

>>428
> でも、教育現場における日本語の内容を規定している者として国語審議会がありますよね。
「規定」はしてないと思うが、それはともかく、審議されるのは主に言葉の運用面についてだ。
言語学者が問題にするようなテーマは少ない。ただし、社会言語学の人は意外に関心を持ってるかもしれない。
(もう 5 年以上何の答申も出してないんだな)

> 日本語の語順は地球上の言語のうちでも著しく規則性を欠いている、
> ということはよく知られています。
知られていない。初めて聞いた。
日本語の語順は英語や中国語よりは自由だが、日本語より語順の自由な言語が、そんなにまれだとも思えない。スペイン語などどうなのか。
ラテン語はとんでもないぞ。死語だけど。

>>429
> 「あの先輩に憧れる私」という場合、
> 「私」 は 「あの先輩」 に向かって 意志している、
> とは考えられないでしょうか?
考えてもわからないので、テストする。「?憧れろ」「*憧れよう」「*憧れたい」やっぱりおかしいね。

>>430
> このとき、あなたの言う「正しい日本語」とはいったいどんな意義を持つのでしょうか?
日本語自体に意義はないよ w
無教養な人が増えるとすれば、それは教養が役に立たず、評価されない社会だからだ。社会をつくるのは世論であり、言語学者がどうこう言う筋合いのものではない。

>>431
> 衣服は体系ですよ w
ある個人が、ある時に身に付けている衣服は、「体系」ではないな。
435名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 04:07:14
日本語の音は美しいとよく聞くが根拠は何だろうと思う…
436名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 04:14:59
>>431
ファッションとか音楽の「体系」と、文法の体系は意味が違うでしょう?
意図的に混同してどうするの?

>>432
ヲ格とかニ格という用語を使うグループもいるみたいだけど、
「対格」という語も一般的によく使われると思うよ。
まぁ、それこそ、このあたりの議論は、言語学用語論をするとか、
日本語の格とその用法についてっていうような議論をするとき以外はあまり必要ないような気がするけどね。

>>428
>日本語の語順は地球上の言語のうちでも著しく規則性を欠いている、
>ということはよく知られています。
>語順のそのような柔軟性は、
>語の品詞機能にまつわる統一的で一貫的な用法の醸成を難しくするものです。
んー、やっぱり、>>382に答えてもらった方がいいと思う。わかる範囲でいいから。
或いは、答えられるように色々調べてきてほしい。
437名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 07:35:08
>>418 中国式漢字語でも、日本式漢字語でも、固有語でも、聞いてわかるものはすべて朝鮮語の単語。出自にはこだわらない。
聞いてわかる語はハングルで書けるし、朝鮮民族の財産だ。

>>420 「사랑」の 1 語があれば十分。日本人はもってなかった概念だから、和語がない。
438名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 13:45:10
>>437

  ∧_,,∧ ウェーハッハッハ
  < `∀´ >  ハングルで書けるけど意味はサッパリ分からないニダ
  (    )  
  し―-J

439名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 15:05:12
> p-aさん
> 日本語の語順は地球上の言語のうちでも著しく規則性を欠いている、
> ということはよく知られています。
> 語順のそのような柔軟性は、
> 語の品詞機能にまつわる統一的で一貫的な用法の醸成を難しくするものです。

「地球上の言語のうちでも著しく規則性を〜」って大言過ぎませんか?
日本語・フランス語・英語以外にできないって、ご自身で発言してるのに。( >>302

すくなくとも、ラテン語やロシア語を少しでも知ってたら、
日本語の語順は「地球上の言語のうちでも著しく〜」
なんて言えないと思いますよ。
440名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 17:15:43
>>439 オラもそう思う。
少なくともサンスクリット、ヒンディー、ネパーリー、
チベット語、ゾンカ語、レプチャ語、ラダック語は、日本語と同じ。

語順に制約が多いのは格が後退し定型化した近代欧語に特徴的な現象と思われ。

その定型化も合理的な側面もあれば、無意味な主語を置かねばならない不合理な点もある。



>>250 >>300
サンスクリットは表記と発音が殆ど一致している。
殆どというのは例外を知らないが、あるだろうと予想されるから。
その証拠にインドのパンディトと初めて話して通じたから。
それ以前に発音など習ったことは無かった。
こんな言語は、後にも先にもオラは知らない。


441名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 18:04:30
>>428の話によると、世界中の言語の中でも、日本語は語順の規則性が著しく低く、
その柔軟性は、語の品詞機能にまつわる一貫した用法を発展させることを阻むものである。
ということだけど、
これは品詞機能にまつわる一貫した用法があるからこそだよね。

だから英語みたいにXeroxという単語をゼロックス社の商標としての意味だけじゃなく、
複写するなんていう動詞として使うなんていう、
日本人からすると非論理的にも思えるようなアクロバティックな真似はできない。
「ゼロックす」なんていう動詞を導入する余地はあるけどね。

何というか、何故日本語では語順を入れ替えても意味は変わらないのかを考えるべきだろう。
いや、厳密な意味で語順が自由な言語は恐らく”無い”。
日本語では名詞や動詞が第一番目に結合するのは助詞・助動詞類で、
英語では文自体の「枠」と第一番目に結合することになる。
この結合は絶対で、日本語では「が東京」とか「だ泳い」なんていう結合、つまり語順はあり得ない。
英語でも、I you love.なんていう結合、つまり語順はあり得ない。

この第一番目の結合を越えれば、語順はある程度自由になる。
日本語では、一般的にイメージされる「語順」のことであるし、英語では単文と単文の関係である。

>>440とか>>439が言うように、ロシア語とかサンスクリット語とかが一般的には語順が自由に見えるのは、
やっぱり名詞自体と結びつく助詞とか名詞自体の活用のようなものとの結合があって、
そこの語順が自由ではないからなんだよね。

結局のところ、語順が自由な言語はあり得ない。





しかし今時ゼロックスなんてコピー機会社だと知ってるやつはどのくらいいるんだろう。
この資料をゼロックそう・・・・なんて文章現れないだろうな・・・タブン
442名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 19:58:37
>>441
> しかし今時ゼロックスなんてコピー機会社だと知ってるやつはどのくらいいるんだろう。
> この資料をゼロックそう・・・・なんて文章現れないだろうな・・・タブン

「これ、ゼロックスしてこい。」という管理職は、おりまっせ。
コピー機が、他のメーカー製でもゼロックス
そのメーカーのサービスマンが、いる時に「ゼロックスしてきて。」と言われると、
サービスマンの心を傷つけたような気がして、落ち着かない気分になる。
443名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 20:13:36
>>438 そういう語をわかる語に置き換える工夫をしないまま、漢字を復活させるといった迷走は、やめてもらいたいものだ。
性急が朝鮮民族の一般的な短所。食うや食わずの、明日をも知れぬ時代が長かったせいだろうけど、そろそろドッシリしないと恥ずかしい。
444名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 20:13:43
>>441 何? 曲用のこと? それ語順って言わないでしょ。
サンスクリットは極めて語順が自由です。
445名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 21:58:19
>>1
ロシア語よりはマシだよ
ロシアってまともな人材出してないし、一億総バカだしw
446名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:12:24
君は科学史を知らんのかね。たとえば元素周期表のメンデレーフを。
447名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:12:52
はぁ?おまえ、ロシアの優秀な科学力を知らないのか?

これだから使える言語が日本語オンリーの奴はww
448名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:13:32
日本語は世界で一番粗雑な言語であるー他国の人間にとっては。
そして、世界で一番繊細な言葉である―日本人同士では。
かつて日本人は殆どの感慨を「あはれ」「おかし」で表現していた。
他国の人が聞けばなんとまあ粗雑極まりない言葉だろうか。
が、日本人はこの中から無限の意味を汲み取ってきた。

動詞もまたしかり。
確かに、英語のいわゆる万能動詞のようなものはない。
have とgetで森羅万象の行為を表せるようなことはない。
が、英語は同時に泣くの一語を
cry,weep,wail,sob,…で事細かに表現する言語でもある。
中国語もそう。
さすを変換すると、刺す差す射す挿す注す指す…と
やたらと出て来る。これは日本語のさすに相当する中国語は
刺差射挿注指…と沢山あるということを示している。

このように本来の日本語は
少ない単語で多くの意味を汲み取る言語であるのに、
多くの単語で一つの事を表現する言語であるかのような誤解が
まかり通っている。
沢山の単語が有るように見えるのは中国語を始め驚異的な数の
外来語を取り込んだ結果である。
日本人が決定的に外国語の習得がダメなのは
似た様な事柄も細かく区別して単語を立てると言う事が
特に動詞形容詞において苦手だからである。
449名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:14:01
ロシア語はキリル文字がウザイ。
中途半端で醜悪なあのデザイン。さっさとラテン文字に切り替えるべき。
450名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:17:13
>>445
近代文学ではロシアは無視出来ない存在です
社会科学分野は弱そうだが、それは日本もそうだろう
451名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:18:15
>>449
それは主観の問題だろ・・・
452名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:18:59
>>447
日本語"オンリー"ではなく、日本語"唯一"というべき。
オマエみたいのが日本語に不必要な外来語を織り交ぜて国語を混乱させているのだ。

理解したのなら今日からでも悔い改めろ、糞野郎。
453名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:19:50
日本語"だけ"でいいじゃん・・・。
なんだよ唯一ってw
454名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:23:07
>>451

この糞野郎、なぜ句点を打たない?
そのような文章では、読者に「まだ文が続くのかな?」という誤解を与える。

おまえのような文法破壊の自覚のない奴が
日本語破壊に加担しているのだ。それとは知らずのうちにな!!

理解したのなら今日からでも悔い改めろ!
455名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:24:59
なにこのイエス・キリスト?
456名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:28:02
崩壊しろ日本語wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そしたらぼくちんはなにをはなすんだろうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
457名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:32:38
            /ハ | /  /   /  / /  | | l  ヽヽ
      __      >| | ∨   /  / ,/ ,/  /| |  l  ヽ !
     /__ \   〈. |. ∨  />x', イ'  ,.イ  /' l  |.  l.  | |
       ヾ;、  ,入/l   jl.ィ==ミ、イ / /  |  |  |  ,ハ.|
 ‐--、     >‐- 」 | |   |l ハ{::::}::j. ヽ/ /  _,レナ|'' /|. / リ
 --、 \  / _  `Y |  |. |_ しと  /'´  ,イ:::ノ`!|,人j/
    \. \. \_゙>| ハ  |   ̄ _    {.じリ イ' ヽ ヽ      士郎っ!正気ですか?
     `ー- 二二 -‐|.「 |   |  /   `ヽ  `ー' λ   ヽ ヽ  マスターとあるものが勝手な行動をされては困ります!
      /  /r'`ヽ|l_ |   ト、 {      /   ノ  |    ト、.〉   
     /    \>    ヽ}  ト ヾ、_  / -‐ ´__  |   | リ       
   〈., -',三三ニ¬、    | | ̄`= ̄Lrュf'´    ``|  |         
   //,r‐''_,二''メ、. \   |/ |__≧_」L≦{        |  |        
  / / /,.イ¬I'ブ\   l  /    ヽ  / \      | /〉
  | ,' / /‐'_厂`l|    ト、 | /     _..⊥⊥. ___ ヽ    l//
  | | l √/ l  ヽr_フ'「゙l/    /  _ _ _  ヽ 〉  /
  弋YУ\ ヽ,r_,zト--く_|_  /   '´ |} ヽ  |ーーく
   ヽ \__,X_,フ{__,..イ  `Y   _, t-、   ,ィ  j|` T′
    `ヽ、..__,. イ    入 ヽ\ヽYi ///}/'| .|
              |\_ /  `ーQ、ヽトiVム,O' Y  |
                ',       _,二‐-r 'r=ュ. | 〈
               '、      `フイ]. | [ド> ,| _,」_    , -、___
              ヽ-----------rーr―一/r' ̄入_く,//  \
           ,厂 ̄´/        l. |.  〈  ̄\   //    /,〉
458名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:33:55
>>456

家畜人ヤプー語。
459名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:37:33
>>457
> マスターとあるものが勝手な行動をされては困ります!
マスターともあるものが・・・
460名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:40:22
あろうものが・・・
461名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:40:33
>>445
文学部門
ニコライ・ゴーゴリ
レフ・トルストイ
フョードル・ドストエフスキー
プーシキン

物理部門
アレクサンドル・フリードマン
パーヴェル・アレクセイヴィチ・チェレンコフ
ドミトリ・イワノヴィッチ・メンデレーエフ
レフ・ランダウ
ヴィタリー・L・ギンツブルク
アレクサンドル・プロホロフ
イリヤ・フランク
イゴール・タム
ピョートル・カピッツァ
アレクセイ・アブリコソフ
ジョージ・ガモフ

文学部門、物理部門だけでも、これだけ人材いるんですよ、ロシア人を舐めてはいけない。
462名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:43:12
>>459
        ,. -- ‐‐ ‐- 、
       レ' ´ ̄ ̄ > --   .
         .   ´        `ヽ. _
       / , '  /   、 、     ヽ `ヽ
     , ' , '  //  il  l l l ヽ  ヽ  } ハ
.    / // / //レル'ハ l l l  li  l V ハi }
    i  iハハノナ--、 レ'レ'ナ 、リハ l レメi }
.     V   {/´フ }   i八`\i.  | | | Vノ     
     |   ゝ`´ノ   ゝ.`´ノ   | | |ノ
     |      __人__         .| | |            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
     乂___, l__i__l 、__ _.ノi | |
      リ|              从jリ
      /´ l  「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|    i´⌒ヽ
      |O |  「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|    |  ○i
     (|  |  「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|    |○  |)
      |O |  「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|    |  ○|
     (|  |  「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|    |○  |)
      し j|   「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|    しJ J
       |    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     i}
       |.      V/'´       .ノ
       |      |i       |
       |      ||        |
       i.________j.l.____ ノ
463名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:45:24
ローゼンの次はどっかのギャルゲーかよ・・・。
464名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:46:20
        _ ___
  r‐;ァ'⌒7⌒7'´ ̄:ヽ;:.`.ュ_
  L/.:.:.:.:(;;;;_ノ:./:/:,.:_:l:.:.:.:.:.ヾニユ_
  r;'l.:.:.:.:广ヽ;./:./://^ー'1:l:.l:.:Y;;;;;;>
  ∨.:.:.:ハ;;;;rイ|_イlイ{    }.:|:.|.:.ト=く
  |:.:.:.:!:.ハノrflハ「リ  ./イ;イノ-;;r「
  .|:.:.:.:|:.:ト{ ゞ=′   /ナ>ム`'「:.:!
  |:.:.i:.:|:.:トヘ.     , `" //|.:.|.:.:|
  |:.:.|:.:|:.:::::|\  一- ,. イ「::|.:.|.:.:.| < 魔術の習得には朝鮮語の知識が必須よ。
  |!.:|.:.:|:.:r┴-.ニl、r;ニ´:::::||:::|.:.:|.:.:.|      毎日欠かすことなく、しっかりと勉強しなさいね。
 ,||.:.|.:.:.l::|   /ハY ト-、--v冖、:!
-й.:.|.:.:.ヾ!  ノ什^l.ト 、j |  |  l::!
465名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:52:10
                             __
                     _____/    `ヽ
                 ,へ‐'´,.―    / `‐、
                乙//           `ヽ
               く/ /  ./   l.  l. |! l  \  ヽ     ええ、そのことについては士郎も私も十分承知しています、凛。
              く !l /  ./   /  / l | | ヽ ヽ  ヘ
              /ヘ.i l.   l.  /  / ./ |ト、 l  i   ハ  なにより騎士たるもの、朝鮮語には十分通じていなければなりませんから。
              {へl ミ|  | /  / ハ  ll i| !  ハ l l
               乂ハミ|  |Tト∠/    !_ |-|‐/ | / !
               ハトミ|   ィ‐r‐-、`    ´ ,r-‐/l レ
                ト.i´|   ヽ!し }ノ`    インj ノl !
                乂!  !  ̄    、  ̄ ハ |
                 / l|  |、     _  , イ  !
              // ハ   ! ト .、      /| .|  i|
               //  ハ  |_|  `  ー ト-'´ .|  i|
             L.__ /  l i| ` ‐ 、    ,>、  |  i|
               / ,.くl i|    `7く.  `rl  l|_
          _, --―'´  レ'!ト、    ,^Y´'ト、  ll リ `ー‐r'´`ヽ
466名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:53:34
なんで魔術学ぶのに
朝鮮語勉強しないといけないん??
467名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:54:19
>>461
まあその文学部門の人間はロシア語よりもフランス語の方が得意でトルストイに到っては物を考えるときもフランス語だったそうですが^^
468名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:55:47
なんでそんなに煽りに弱いの?
469名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:56:55
>>468 自演だから
470p-a:2006/04/04(火) 22:58:00
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「対格/accusative case」と「対象/object」とを混同しているでしょ。(>>421
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
日本語ではヲ格もニ格も (ときにガ格も) 働きかけの対象を表しうる。
「対格」という語はふつう使わない。(>>432
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ヲ格もニ格も (ときにガ格も) 、たしかに、
それが働きかける宛先としての対象を持ちうるものです。
ただし、その事だけにもとづいて、
どんな働きかけをも受け取らない語のことを「対象ではない」(>>412)と呼ぶのは誤りです。

「Y に X が いる」(>>400)という構造を持った例文として、
「新宿アルタ前にタモリがいる。」を考えてみてください。
「新宿アルタ前」はたしかに「タモリ」からどの働きかけをも受け取らないかもしれませんが*、
だからといって「新宿アルタ前」が
「タモリ」と対峙的関係を結ぶ事象(対象)としての位から引きずり下ろされているわけではありません。
「新宿アルタ前」はあくまで客体の一つであり、対象(object)の一つなのです。
対象というのは、ごく客体的で対峙的な事象そのものを謂います。

「働きかけるところの対象」のことを「対象」と呼ぶことはできますが、
「対象」とは「働きかけるところの対象」である、とする定義には不備があります。
ちょうど、
「赤いリンゴ」のことを「リンゴ」と呼ぶことはできても
「リンゴ」とは「赤いリンゴ」である、と定義することはできないように。

(* 僕は、上記における X が Y に対してどの働きかけをも行わないとする解釈[>>412]には
かならずしも納得しきれているわけではありません。)
471名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:58:17
>>466

それは朝鮮語が、宇宙にある偉大なる存在と会話することが
できる唯一の言語だから。すなわちそれは、偉大なる存在の恩恵を受けられるということだ。


      ― ハングルを学びし者、ハングルモアの祝福を受けるであろう ―
472名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 22:59:28
>>466
朝鮮語が魔術教会のラテン語的存在だから。
473p-a:2006/04/04(火) 23:01:08
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「対象補語をとらない」とあなたは言いませんでした 。
「いる」は対象、相手を表す補語をとらない、とあなたは言ったんです(334)。(>>422
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「対象補語」=「対象、相手を表す補語」。自明。 (>>432
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

自明ではありません。
むしろそれは、日本語における曖昧な表現にもとづく矛盾の典型ですよ。

あなた(?)は、[>>412]で、
「対象補語をとらない」と「補語をとらない」とは代替不可能な異なる表現であると言いました。
これは、あなたにとっての「対象補語」と「補語」がそれぞれ異なる指示内容を持っていることを意味します――

(a) 対象補語 ≠ 補語

そこで何故、
「対象補語」=「対象、相手を表す補語」(432)
という方式が出てくるのでしょうか。
「対象」と「相手を表す補語」との間の句点は何を意味しているのですか?
「対象/相手を表す補語」とか「対象=相手を表す補語」という意味ですか?
すると、次のようなことになってしまうでしょう――

(a) 対象補語 ≠ 補語
(b) 対象補語 = 補語 = 対象

(a)と(b)との矛盾について、あなたはどのように考えますか?
474名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:01:36
コリン星人による地球植民地化計画の陰謀から
地球全人類を救済する対洗脳プログラムじゃなかったのかよ、ハングルはwwwwwww
475名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:02:25
>>474
なにそのスケールのデカイおとぎ話
476名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:03:28
ハングルはまさに宇宙の神秘。
ハングルはこの世界の成り立ち、秘密について語っている。
477461:2006/04/04(火) 23:03:57
>>467
とはいえ、>>461は文学部門の一部しか列挙出来ていない。
物理学者上げただけで結構な数になってしまった。
物理学関係でも書かなかった人はいるし、音楽家とかも結構層がある。

とりあえず、禿山の一夜聴きながらこれ書いているけれど、やっぱり良いよ。
478p-a:2006/04/04(火) 23:04:35
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
文法論では、立場によって用語がいろいろなのは当然とされている。
互いに相手に合わせて議論するのがルール。
学会でも、用語レベルの議論で貴重な質問時間を空費する人がときどきいるが、
一発でバカと見なされる。(>>432
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「日本では」そういう態度が「当然」となっているのだ、
というふうに捉えておくといいでしょう。

「互いに相手に合わせて議論する」という作業にも限度はあります。
おたがいに議論している事柄の諸概念を指示するめいめいの言葉が食い違っている状態を放っておいて
平然と話を先に持って行こうとする人たちと、
用語レベルの議論(terminology)における慎重さをまずもって携えている人たちと、
どちらが
より「みのりある議論」を建設してゆくことができるでしょうか?

あなたにとっては、
自分が議論する時だけとりあえずの対話ができればいい、というのが徳であって、
未来における議論の機会のために対話の基礎的要素を準備しておくことは「バカ」な行為なのですか?
「なあなあ主義」が蔓延していることによって
日本の政治的対話の場がどういった不具合をきたしているのか
あなたも御存知でしょう。
そもそも、「言葉」にたいする関心を政治家よりも強く抱いているはずの言語学の議論者が
文法を語るうえで必要となる用語について追究する人のことを「バカ」と見なしていいのでしょうか?
479名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:06:59
そうか・・・。
朝鮮人はコリン星人と戦うため、
太古の地球に降ろされた宇宙人そのものだったのか。

どうりで、我々日本人と彼らとの意思の疎通に齟齬が生じるわけだ。
480名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:10:11
>>477
社会科学分野だとどうなの?やはり西欧圏に比べれば遅れをとる?
481名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:16:11
とりあえず、日本語が英語やフランス語と比べて劣ってる部分ってどこなの?
それが特にないなら日本語は糞ではないよね。
482名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:17:23
>>479

前スレに拠れば、それはちょっと違うな。朝鮮民族は、
その民族固有の優秀さから銀河連邦共和国の一員として、地球の守護者に選ばれたのだ。
もちろん当の朝鮮人達はそのことについて全く知らないし、知らされてもいないのだが・・・。

コリンの唯一の拮抗勢力である銀河連邦共和国は、
コリン星人の地球に対する画策を阻止するために、
対洗脳プログラム(朝鮮語+ハングル)を朝鮮民族に授けたのだ。

だから我々は今すぐにでも朝鮮語を学ぶ必要があるのだよ。
483461:2006/04/04(火) 23:20:42
>>476
大日本帝国が朝鮮を独立させるようになって既に半世紀。
漢城の周りには巨大な高層ビルが数百基浮かび、
人々はそのビルの内壁を人工の大地とした。
その人類の第2の故郷で人々は子を産み、育て、そして死んでいった。
西暦1970。論理的な思考からからもっとも遠い宇宙都市「korea」は
ハングル専用法を名乗り漢字全廃を挑んできた。
この半世紀あまりの戦いで、韓国は総人口の1/4を機能性文盲に至らしめた。
人々は自らの行為に恐怖した。
戦争は膠着状態に入り8ヶ月あまりが過ぎた…
484名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:24:11
朝鮮語にはラテン語と同じような美を感じる。
485461:2006/04/04(火) 23:28:30
>>480
> >>477
> 社会科学分野だとどうなの?やはり西欧圏に比べれば遅れをとる?

考察するのが面倒なのでまた後日
まあ、生物学のパブロフの犬まで列挙するだけで、行数消費しそうで疲れそう。
486名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:34:39
                             __
                     _____/    `ヽ
                 ,へ‐'´,.―    / `‐、
                乙//           `ヽ
               く/ /  ./   l.  l. |! l  \  ヽ     
              く !l /  ./   /  / l | | ヽ ヽ  ヘ
              /ヘ.i l.   l.  /  / ./ |ト、 l  i   ハ  ・・・・・・・・・・。
              {へl ミ|  | /  / ハ  ll i| !  ハ l l
               乂ハミ|  |Tト∠/    !_ |-|‐/ | / !   このスレから強い真性童貞臭を感じる・・・。
               ハトミ|   ィ‐r‐-、`    ´ ,r-‐/l レ
                ト.i´|   ヽ!し }ノ`    インj ノl !
                乂!  !  ̄    、  ̄ ハ |
                 / l|  |、     _  , イ  !
              // ハ   ! ト .、      /| .|  i|
               //  ハ  |_|  `  ー ト-'´ .|  i|
             L.__ /  l i| ` ‐ 、    ,>、  |  i|
               / ,.くl i|    `7く.  `rl  l|_
          _, --―'´  レ'!ト、    ,^Y´'ト、  ll リ `ー‐r'´`ヽ
487名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/04(火) 23:35:10
>>484
ご冗談でしょう?w
488p-a:2006/04/04(火) 23:43:12
――――――――――――――――――――――――――――――
「いられる」を、受動態と可能態の混沌の例だと主張したのは君だ。(>>433
――――――――――――――――――――――――――――――

その事に間違いはありません。

――――――――――――――――――――――――――――――
君は 114 で
「主体が客体にたいして動作することと、主体が客体から動作されることとを、混同しているわけですよ」
と言っている。
152 の例も、114 の主張を支えるものとして示されたと解釈しなければ、意味をなさない。(>>433
――――――――――――――――――――――――――――――

その事にも間違いはありません。

――――――――――――――――――――――――――――――
それらの「いられる」を例とした君の主張が妥当であるか否かだけが重要なのであって、
どのレスにどのレスで返すかなど、どうでもいいことだろう。
君の主張は不当であり、撤回されなければならない。 (>>433
――――――――――――――――――――――――――――――

その事には間違いがあります。
「いられる」の態はどうやって識別するのか、という話(57)と、
「い‐」は補語をとるのか、という話(406)は、
別物です。
「いる」は補語をとる、
という僕の主張が妥当であるか否かを議論するうえで、
「いられる」が受動態である場合はこうで可能態である場合はこうであるから混沌などどこにもない(412)
といったレスをあなたが返してきたことは、論理的な脈絡を欠いています。
どのレスにどういったレスが返されるのかという論理上の結びつきは、
「どうでもいいこと」なんかではありません。
あなたにはその事がわからないのですか?
489p-a:2006/04/05(水) 00:10:08
―――――――――――――――――――――――――――――――
その原理的規範というのは、ネイティヴ・スピーカーズの外部にあると?
もしそうだとすると、それはだれが与えたのかな w (>>433
―――――――――――――――――――――――――――――――

まさかあなたは主辞と賓辞との間の論理的連結が人工のものであると考えているのですか?
地球において物が下に落下するところの原理を人は与えなかったように、
「私/ I 」が「する/ do 」へと論理的に振りかかるところの原理も人が意図的に規定したものではありません。
日本語ネイティヴであるからといって、あなたは
「私 → 走る」という主語から述語への指向性を別なものに規定しなおせるわけではないでしょう。
490p-a:2006/04/05(水) 00:11:56
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
文法に対する場合ではネイティヴも非ネイティヴも同じ立場から考察を加えることができます。
「80×80=160」という法則の誤りに対してバングラデシュ人もスウェーデン人も平等に指摘することができるように。(>>425
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
乗法は世界に 1 つしかない。言語は世界に何千種類もあり、何千種類もの文法が存在する。(>>433
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

あなたの思考はどのように働いているんですか?

何千種類もの言語があり、何千種類もの文法が存在するといっても、
何千種類もの日本語があり、何千種類もの日本語文法が存在するわけではないでしょう。
ちょうど、
いくつもの算法があるといっても、
いくつもの乗法が存在するわけではないように。

無数あるわけではない乗法について、バングラデシュ人もスウェーデン人も平等に考察できます。
無数あるわけではない日本語文法について、日本人もフランス人も平等に考察できます。

わかりますか?

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「の方」という日本語は2つの対比項しか持てないとする或る日本語ネイティヴの考えに対して
非日本語ネイティヴのフランス人が日本語の辞典辞書における規定にもとづいた批判ができるように。(>>425
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
後者は前者に対して無力であり、辞典辞書の不備に気づかせてくれるにすぎない。 (>>433
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

そういうことを言って、
日本語にたいする自分の知識の不備を有事の際に擁護するための言い訳を準備する或る日本語ネイティヴ。
491461:2006/04/05(水) 00:20:43
p−a氏は落ち着いて欲しい。
このままでは、また連投規制に嵌る。
492名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 01:13:12
>>490 p-a は唯一絶対の完全無欠な日本語があると思っているんですか?
>>433の言うことが全く正しい。日本語には有力な規範文法はなく、記述文法しかない。
しかも以下に見るように四大文法も最近の生成文法も完全とは言えないだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E6%96%87%E6%B3%95

有力な規範文法を持つサンスクリットも複数の文法がある。
唯一の規範文法を持つチベット語は、当然ながらトンミ文法だけでは言語現象を記述尽くしていない。
英語の CGEL PEU も完全な文法・語法とは言えない。多くの文法があるのは分かるでしょう。
シナ語は、より悲惨な文法しかない。

言語は流動的なので完全なものなどありえない。正しい日本語、なんてないのだ。
あるのは使える、通じる日本語だけ。

文法、語法もある程度の妥当性を持つものしかありえない。
493p-a:2006/04/05(水) 01:15:09
――――――――――――――――――――――――――――――――――
僕はいったいどちらの日本語ネイティヴに向かって頭を下げるべきなんですか?
国語審議会? それとも言語研究者? (>>427
――――――――――――――――――――――――――――――――――
やってることが違うから意見がぶつかることもほとんどない。
前者は文法性判断なんかしない。
[…]審議されるのは主に言葉の運用面についてだ。
言語学者が問題にするようなテーマは少ない。(>>434
――――――――――――――――――――――――――――――――――

わかりました。
494p-a:2006/04/05(水) 01:19:33
――――――――――――――――――――――――――――――――
「あの先輩に憧れる私」という場合、
「私」 は 「あの先輩」 に向かって 意志している、
とは考えられないでしょうか?(>>429
――――――――――――――――――――――――――――――――
考えてもわからないので、テストする。
「?憧れろ」「*憧れよう」「*憧れたい」
やっぱりおかしいね。(>>434
――――――――――――――――――――――――――――――――

「憧れろ」「憧れよう」「憧れたい」はおかしいですね。
個人の内面的な意志をそのように操作しようとするのはおかしなことですよね。

で、
「憧れる」という語は、ほんとうは意志的な動きを含蓄します。
それなのに何故この語からはそのような意義を日本語ネイティヴが窺えないのかというと、
「話者」という主体にたいする認識を抑圧するメカニズムを彼らの前意識が伝統的に有しているからです。
「意志」の根幹としての「自己」の存在を、日本人たちは、日本語を媒体とすることで匿うということを、
伝統的におこなってきました。
より能動的な趣のする「あこがる」の使用が消え、
より遠回しな趣を醸し出す「あこがれる」が普及したのはそういったことによるのでしょう。
それはかならずしも悪質な性癖ではありませんが、それによって、
たとえば「憧れる/yearn for」という語が発話の中で構造的に有しているはずの「意志の指向性」を見い出すことが
彼らにとって難しくなっているのです。
動詞というのはそもそも「動き」とか「流れ」を表すものです。
日本人は一般的に主体と客体との間のこの「指向的な動き」が明瞭に表出することを無意識的に忌避します。
そうして「主体‐客体」という対立構造そのものを隠蔽します。
日本語文から主語が欠けがちとなっているのはそういうことによります。
495p-a:2006/04/05(水) 01:21:28
>>494

「好き」という語についても興味深いことが起こっています。
日本人が「こっちが好き」と言っても「私はこっちを好く」とはあまり言わないのを、考えてみてください。
終止形「好く」を用いることではっきりと表出してしまう意志の決定的な流れを、
連用形「好き」を使うことでそれを「一時停止」の状態にするのです。
「私が言ったのはかならずしも私の決定的な意志ではないからね」
ということを無意識に念押する傾向が、「好き」の使用を普及させたのです。

日本の或る音楽グループには「好き」という題の歌があるけど、
それはとても不思議な表現なんですよね。
そこには主体(自分)がいなく、客体(相手)もいない。
おまけにそれは何かを定義しきる終止形ではなく、
どこかへと抽象的につながろうとする連用形となっている。
496名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 01:38:24
>>495
>「私が言ったのはかならずしも私の決定的な意志ではないからね」
 ということを無意識に念押する傾向が、「好き」の使用を普及させたのです。

こう言える根拠とかどこかに書いてあったりする?

「好きだ」とか「好む」とかなら?
497p-a:2006/04/05(水) 01:41:57
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
このとき、あなたの言う「正しい日本語」とはいったいどんな意義を持つのでしょうか?(>>430
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
日本語自体に意義はないよ w (>>434
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

回答になっていません。
(日本語自体の意義とは何か、と僕は訊いたわけではありません。)

そのとき(430)、あなたがそれまで「正しい日本語」として捉えていたものの中身はどうなり、
またそれは、新しく登場した「正しい日本語」とどのように関連するものなのですか?
498p-a:2006/04/05(水) 01:42:34
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
無教養な人が増えるとすれば、
それは教養が役に立たず、評価されない社会だからだ。
社会をつくるのは世論であり、
言語学者がどうこう言う筋合いのものではない。(>>434
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

わかりました。

ネイティヴなら(6歳の子でも)文法を知っている(>>113>>333)という意見がありますが、
無教養なネイティヴがいてもおかしくないわけですね?
「現代共通日本語」の文法について教養のあるスペイン人がいて、
そういったものについては教養のない日本人がいても、
それについて言語学における議論はどうこう言えるものではない、
ということですよね。
499名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 01:45:41
日本語が糞だと思ってる人は、糞じゃなくする方法でも考えてくれ。
500p-a:2006/04/05(水) 01:48:41
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ある個人が、ある時に身に付けている衣服は、「体系」ではないな。(>>434
――――――――――――――――――――――――――――――――――

そんなことを言っていると、
社会学者や文化人類学者から「○○」と思われてしまいますよ。

ある個人が、ある時に身に付けているストールを、
「衣服」という体系に組する物体として観察することはできますよ。
501p-a:2006/04/05(水) 02:02:34
――――――――――――――――――――――――――――――
ファッションとか音楽の「体系」と、文法の体系は意味が違うでしょう?
意図的に混同してどうするの? (>>436
――――――――――――――――――――――――――――――

ファッションとか音楽の体系と、
文法の体系が、
それを語るうえで別々な議論を僕たちに要するのだということは、
いくらノウタリンな僕でもわかってますよ。

そこへ……

―――――――――――――――――――――――――――――
文法は体系だが衣服は体系ではない。無関係。(>>415
―――――――――――――――――――――――――――――

なんてことを言いだす人がいたから、
衣服は体系であると[>>431]で僕は説明したのです。
ファッションとか音楽とか、文化的所産はどれも独自の体系を有するんだ、ってね。

すると……

――――――――――――――――――――――――――――――
ファッションとか音楽の「体系」と、文法の体系は意味が違うでしょう?(436)
――――――――――――――――――――――――――――――

と返ってきたわけです。
502p-a:2006/04/05(水) 02:20:37
――――――――――――――――――――――――――――――――――
んー、やっぱり、>>382に答えてもらった方がいいと思う。わかる範囲でいいから。
或いは、答えられるように色々調べてきてほしい。(>>436
――――――――――――――――――――――――――――――――――

[382]に答えることはできませんし、
語順に柔軟性のある言語とは何かと訊かれてもその多くをパッと挙げることが僕にはできません。
それでも、
地球上の言語のなかで日本語が規則性を著しく欠いていることは知っています。
ちなみに、
「語順が柔軟であるという日本語のその特徴が世界の言語のうちでもとりわけ珍奇なものである」
と言ったわけではありません。
僕が今わかっているだけで
チェコ語やサンスクリット語やギリシャ語そしてラテン語やスペイン語やドイツ語の語順も
日本語のそれのように自由度が著しく高いそうです。
柔軟な語順を有する言語はそれほど珍しいものではありません。
その事は僕もわかっているのですが。
503名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 02:24:44
>>470
> (* 僕は、上記における X が Y に対してどの働きかけをも行わないとする解釈[>>412]には
> かならずしも納得しきれているわけではありません。)
どんなふうに? そこが問題だ。
504p-a:2006/04/05(水) 02:26:34
――――――――――――――――――――――――
すくなくとも、ラテン語やロシア語を少しでも知ってたら、
日本語の語順は「地球上の言語のうちでも著しく〜」
なんて言えないと思いますよ。(>>439
――――――――――――――――――――――――

どうやら僕の「著しく」の使い方に問題があったようですね。
「地球上の言語のうちでも著しく」ではなくて、
「著しく規則性を欠いている」という連結を、
僕は意識していたのですが、
その書き方がまずかったのでしょう。
お詫びします。ごめんなさい。
505名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 02:36:51
>>473
> (a) 対象補語 ≠ 補語
「対象補語」⊂「補語」。「フタコブラクダ」≠「ラクダ」 じゃなくて 「フタコブラクダ」⊂「ラクダ」。

> 「対象」と「相手を表す補語」との間の句点は何を意味しているのですか?
句点なんかないんだけどな。

> 「対象/相手を表す補語」とか「対象=相手を表す補語」という意味ですか?
そうとしか解釈できないだろう? ヲ格を「対象」、ニ格を「相手」とする人もいるんだが、私は区別しない。

> (a)と(b)との矛盾について、あなたはどのように考えますか?
「対象」を哲学などで言う意味に決めつけたうえで、詭弁を展開し、自らの誤りを認めまいとする、君の卑怯さの現れであると考える。
506p-a:2006/04/05(水) 02:42:49
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
語順に制約が多いのは格が後退し定型化した近代欧語に特徴的な現象と思われ。

その定型化も合理的な側面もあれば、
無意味な主語を置かねばならない不合理な点もある。(>>440
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(格が後退し定型化した、というところがよくわからないのですが……)

「無意味な主語」というのはおそらく「It is rainy.」の「it」ですよね。

ただ、その「it」を除いた型として
「Rainy is.」あるいは「Rain is.」
とするのも、どうなんでしょうか。

「It rains.」
なんかもありますが、これの「it」は無意味ではないと思われます。
これは、「降っている」という現象の主体を指しています。
空間とか雲とか温度とかいったものの「作用」が絡み合うところの「中心」です。
すると、
「rainy」という現象の主体として「it」を据えることも、
合理的な記述だとは考えられないでしょうか?
507名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 02:44:16
>>504
具体的に、「著しく規則性を欠いている」とはどういう現象について言っているわけ?
508名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 02:52:11
>>478
> どちらが
> より「みのりある議論」を建設してゆくことができるでしょうか?
もちろん前者。どう食い違ったかわからなくなったときだけ、用語について確認すれば済むこと。

> 自分が議論する時だけとりあえずの対話ができればいい、というのが徳であって、
> 未来における議論の機会のために対話の基礎的要素を準備しておくことは「バカ」な行為なのですか?
未来の議論は現在の議論をふまえてしか成り立たない。現在の議論を邪魔する者はバカ。

> 「なあなあ主義」が蔓延していることによって
> 日本の政治的対話の場がどういった不具合をきたしているのか
> あなたも御存知でしょう。
学問は真実を求めるものであって、性善説の上に立っている。権力を求める政治とは根本的に違う。
そんなこともわからないようでは話にならない。

> そもそも、「言葉」にたいする関心を政治家よりも強く抱いているはずの言語学の議論者が
> 文法を語るうえで必要となる用語について追究する人のことを「バカ」と見なしていいのでしょうか?
言葉にはいろいろな意味、用法があることを、言語学者は心得ている。
「相手は nonsense なことは言っていないはずだ」という前提から出発しない君はバカ。
509p-a:2006/04/05(水) 03:07:53
―――――――――――――――――――――――――――――
これは品詞機能にまつわる一貫した用法があるからこそだよね。(>>441
―――――――――――――――――――――――――――――

おっしゃることはわかります。
ただ、日本語では
「これをあいつにくれてやろう」と
「あいつにこれをくれてやろう」とか、
あるいは
「私はその危険性をまえもって彼に忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「私はまえもってその危険性を彼に忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「私は彼にその危険性をまえもって忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「私はまえもって彼にその危険性を忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「その危険性を私はまえもって彼に忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「その危険性をまえもって私は彼に忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「その危険性を私は彼にまえもって忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「まえもってその危険性を私は彼に忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「まえもって私はその危険性を彼に忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
「彼に私はその危険性をまえもって忠告していたというのに調査隊は行ってしまった。」
…………とか、
語の文法的機能にもとづいて一貫した記述の仕方をするわけではかならずしもない、
というのが日本語にはありますよね。
英語における副詞の位置はいくらか自由ですが、
日本語においてはもっと多くの語が自由に動きます。

―――――――――――――――――――――――――――――
何故日本語では語順を入れ替えても意味は変わらないのかを考えるべきだろう。 (441)
―――――――――――――――――――――――――――――

上の例を見ると、たしかにそうですね。
語順を変えても意味は変わらないんですよね。
510p-a:2006/04/05(水) 03:08:40
―――――――――――――――――――――――――――――――――
この資料をゼロックそう・・・・なんて文章現れないだろうな・・・タブン (>>441
―――――――――――――――――――――――――――――――――

(僕は音楽制作に携わる者なんですが、)
楽曲を最終的に仕上げるところの過程を英語で「mastering」と言うことから、
日本人はこの作業をするときに「マスる」と言ったりするそうです。
「じゃあ、こいつは明日マスろう」
というかんじに。
511p-a:2006/04/05(水) 03:22:24
――――――――――――――――――――――――――――――――
まあその文学部門の人間はロシア語よりもフランス語の方が得意で
トルストイに到っては物を考えるときもフランス語だったそうですが (>>467
――――――――――――――――――――――――――――――――

スピノザは中国語が大好きだったとか。
一方で当時のプルーシャ(プロイセン?)の王様はフランス語の本しか読まなかったとか。
512名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 03:29:44
>>488
> 「いられる」の態はどうやって識別するのか、という話(57)と、
> 「い‐」は補語をとるのか、という話(406)は、
> 別物です。
> 「いる」は補語をとる、
> という僕の主張が妥当であるか否かを議論するうえで、
> 「いられる」が受動態である場合はこうで可能態である場合はこうであるから混沌などどこにもない(412)
> といったレスをあなたが返してきたことは、論理的な脈絡を欠いています。
では、私が君に合わせればいいわけだな。
「いる」 (厳密には「い‐」) は、「対格」の補語をとらない。(「対格」にはヲ格とニ格とがあるものとする)
「い (る)」はニ格補語をとるが、それは場所を表すものであり、「対格」の補語ではない。
「対格」の補語をとらない動詞は、受動態にすると、自動的に被害・迷惑の意味が生ずる。
「いられる」を受動態と解釈したとき、生じた被害・迷惑の意味が、他の語の意味と矛盾を来すならば、受動態の解釈は撤回されて、可能態と解釈し直される。
上のような矛盾を来さない場合、「いられる」全体がニ格補語をとっていれば受動態であり、ガ格補語をとっていれば可能態である。
「いられる」全体がとりうるニ格補語は、補語基 (「X ニ」の「X」) に人・動物・擬人化されたものしか来ないので、「い (る)」がとる、場所を表すニ格補語と、混同されることはない。
上記の計算を、日本語ネイティヴは、テクストに接したとき、瞬時のうちに行う。6 歳の子供でも。
「いられる」を用いた表現において、受動態と可能態の混乱が起こることはない。
論破終了。
513507:2006/04/05(水) 03:54:17
>>509
結局、語順の自由さの事を、「著しく規則性を欠いている」と表現してるわけ?
日本語に限らずロシア語とかラテン語のような語順が自由な言語に関しても言えることだけど、
文の構成要素のはたらきが、格とか動詞の活用とかで表されているからで、
「語順」というものを使ってそれを表す必要が無いからでもある。

中国語とか英語のような言語の語順が厳格なのは、
語順を使って文の構成要素の役割、主語であるとか動詞であるとかを表すから。

昔は、といっても古英語の時代には英語も語順が自由だったけど、
名詞の格とか動詞の語尾といったものを失った結果、
現在のように語順が固定的になった。

別に、語順が固定的か自由かどうかなんて一貫性の議論とは全く関係ないと思うけどどう?
514p-a:2006/04/05(水) 04:03:03
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
p-a は唯一絶対の完全無欠な日本語があると思っているんですか?
[…]言語は流動的なので完全なものなどありえない。(>>492
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

唯一絶対の完全無欠な型式を日本語が持っているとは僕は思っていないし、
言語が流動的なものであることは僕もわかっています。

僕が考えているのは、
ネイティヴであってもなくても
日本語の文法的構造を客観的に観察することはできる、
ということです。
観察する対象はやはり流動的ですが、
それはネイティヴにとっても非ネイティヴにとっても同じことでしょう。
あなたが挙げてくれた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E6%96%87%E6%B3%95
に書いてあるように、
文法そのものは
「母語話者によって使われている日本語の文法のしくみを記述したもの」
であって、ごく客体的なものなのです。
ネイティヴと非ネイティヴとで違ってくるのは、
特定の用例を観察したときに
それが「一般社会において普段から使われている普通文」であることを
感得して見抜くための慣例的知識の量です。
ちょうど、
非サンスクリット語ネイティヴである人が為格と属格とを客観的に見分けるところの眼識を持つことはできても、
サンスクリット語ネイティヴが或る特定の用例を「普通文」として感得するかどうかまでは認知しきれないように、です。
文法そのものは客観的に共有できるものなのです。
515名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 04:07:58
>>489
> まさかあなたは主辞と賓辞との間の論理的連結が人工のものであると考えているのですか?
もちろん「人工」のものだよ w 人間の言語が存在しなければ、主辞も賓辞も論理も存在しない。
(「まさか」の使い方が変)

>>490
> あなたの思考はどのように働いているんですか?
君の思考こそどのように働いているのかな w

> 何千種類もの言語があり、何千種類もの文法が存在するといっても、
> 何千種類もの日本語があり、何千種類もの日本語文法が存在するわけではないでしょう。
それはそうだが、なんで世界中の人が日本語文法を知らなければいけないんだ?
それぞれの母語で生きればいいじゃないか。

> いくつもの算法があるといっても、
> いくつもの乗法が存在するわけではないように。
算法って何だ? はじめから乗法は 1 つしかないよ。何のことやら w

> 無数あるわけではない乗法について、バングラデシュ人もスウェーデン人も平等に考察できます。
> 無数あるわけではない日本語文法について、日本人もフランス人も平等に考察できます。
> わかりますか?
君以外、だれにもわからないだろうね w

> そういうことを言って、
> 日本語にたいする自分の知識の不備を有事の際に擁護するための言い訳を準備する或る日本語ネイティヴ。
疑うのなら、コーパスを使って、「の方」の用法を調べてみればいいんじゃないの?
516名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 04:20:33
>>500
> ある個人が、ある時に身に付けているストールを、
> 「衣服」という体系に組する物体として観察することはできますよ。
衣服という体系は、個人を離れたところにあるんであって、個人が着ている衣服そのものは、体系じゃないだろ。
517p-a:2006/04/05(水) 04:44:44
――――――――――――――――――――――――
こう言える根拠とかどこかに書いてあったりする?
「好きだ」とか「好む」とかなら?(>>496
――――――――――――――――――――――――

自分の意志を断定しようと発話する傾向のほうが強かったならば、
連用形の「好き・だ」よりも終止形の「好く」が普及していただろう、
と考えることはできないでしょうか?

「好む」は、
個人を主体とする場合には「それほど」使われるような言葉ではないし、
また、意識的趣向を指すよりも無意識的性向を表す言葉だし、
どちらかというと書言葉ですよね。
「私はあの公園が好きだ」とは言っても、
「私はあの公園を好む」とは言わないように、
「好き」と「好む」は用途がそもそも違うのです。
518名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 05:55:22
>>494
> 個人の内面的な意志をそのように操作しようとするのはおかしなことですよね。
意志で操作できる動きを意志的な動きと呼ぶ。意志そのものを操作するのではない。

> 「憧れる」という語は、ほんとうは意志的な動きを含蓄します。
何を根拠に「ほんとう」なの? 君が「ほんとう」だと思うから「ほんとう」?
ライフスペースの「定説ですから」と同じだね。

> より能動的な趣のする「あこがる」の使用が消え、
> より遠回しな趣を醸し出す「あこがれる」が普及したのはそういったことによるのでしょう。
もはや完全な電波だな。

> たとえば「憧れる/yearn for」という語が発話の中で構造的に有しているはずの「意志の指向性」を見い出すことが
日本語と英語の表現が等価になるわけないだろ。
519名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 06:17:04
>>497
> そのとき(430)、あなたがそれまで「正しい日本語」として捉えていたものの中身はどうなり、
> またそれは、新しく登場した「正しい日本語」とどのように関連するものなのですか?
通用していたものが通用しなくなったということ。互いに関係はない。
昔の言い方を知識としてわかっている人はもちろんいる。しかし、その人が現在行う言い方とは、関係がない。

>>498
> ネイティヴなら(6歳の子でも)文法を知っている(>>113>>333)という意見がありますが、
> 無教養なネイティヴがいてもおかしくないわけですね?
どんな無教養なネイティヴでも、文法を知らないということは、ありえない。

> 「現代共通日本語」の文法について教養のあるスペイン人がいて、
> そういったものについては教養のない日本人がいても、
> それについて言語学における議論はどうこう言えるものではない、
> ということですよね。
そういったスペイン人や日本人がいるという事実について、言語学がどうこう言う必要はないだろう。
520p-a:2006/04/05(水) 06:17:55
―――――――――――――――――――――――――――――――
僕は、上記における X が Y に対してどの働きかけをも行わないとする解釈[>>412]には
かならずしも納得しきれているわけではありません。(>>470
―――――――――――――――――――――――――――――――
どんなふうに? そこが問題だ。(>>503
―――――――――――――――――――――――――――――――

「現場に彼がいる」という文では、
「いる」という動作を介して「彼」が「現場」に働きかけている、
と考えることができるでしょう。
「彼」が「いる」ということは「現場」の環境に影響を与えますよね。
天邪鬼な意見かもしれませんが。
「現場に」の「に」は何の為にあるのですか?
521名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 06:22:58
>>514
> 文法そのものは
> 「母語話者によって使われている日本語の文法のしくみを記述したもの」
> であって、ごく客体的なものなのです。
母語話者が使わない表現の「文法」は、記述できないの。わかった?
522p-a:2006/04/05(水) 06:58:13
―――――――――――――――――――――――
「対象」を哲学などで言う意味に決めつけたうえで、(505)
―――――――――――――――――――――――

「対象」は哲学的な概念である、
と言って僕が表したかったのは、
「対象」は観念的な言葉である、
ということです。
誤解を招いてしまいました。ごめんなさい。
523p-a:2006/04/05(水) 06:59:26
>>505

(1) 彼女が その場に いる。(>>407

における「いる」は「その場に」という補語をとる、
と僕は言いました。
これにたいして[>>412]は
「対象補語をとらない」と「補語をとらない」とをすり替えるな、
と僕に忠告しました。
つまり、「その場に」は補語ではなく対象補語なんだよ、
と[412]は考えていたのです。
そこへ……

―――――――――――――――――――――――
「対象補語」⊂「補語」(505)
―――――――――――――――――――――――

たしかに「対象補語」は「補語」の一種だけど、
すると、
僕が[407]で「その場に」を補語として捉えたことにたいする異論を唱えた[412]はいったい何なのでしょうか。

―――――――――――――――――――――――
詭弁を展開し、自らの誤りを認めまいとする、
君の卑怯さの現れであると考える。(505)
―――――――――――――――――――――――

どっちが詭弁家なのでしょう。

僕は、自分が誤っているとわかったらそれを認めるのですが。
524p-a:2006/04/05(水) 07:05:17
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
具体的に、「著しく規則性を欠いている」とはどういう現象について言っているわけ?(>>507
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「語順の規則において1つや2つといった少しの例外があるだけではなく」
という現象です。
つまり、語順がとくに自由である、という意味です。
例文は[>>509]で挙げてみました。
525名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 07:16:35
>>523
> つまり、「その場に」は補語ではなく対象補語なんだよ、
> と[412]は考えていたのです。
詭弁。>>412 は、「その場に」は補語ではあるが対象補語ではないと考えている。
「補語」⊃「対象補語」 と何ら矛盾しない。
526p-a:2006/04/05(水) 07:18:52
――――――――――――――――――――――――――――――――――
どう食い違ったかわからなくなったときだけ、用語について確認すれば済むこと。(>>508
――――――――――――――――――――――――――――――――――

「どう食い違ったか・わからなくなった・とき」というのはどんな時ですか?

――――――――――――――――――――――――――――――――――
未来の議論は現在の議論をふまえてしか成り立たない。現在の議論を邪魔する者はバカ。(508)
――――――――――――――――――――――――――――――――――

現在の議論における食い違いを放っておくのも問題ですよね。
食い違っているということがわかった時に確認を入れても損はしませんよ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
「相手は nonsense なことは言っていないはずだ」という前提から出発しない君はバカ。(508)
――――――――――――――――――――――――――――――――――

僕もそういう前提から出発しているんですよ。
だから多くの事を尋ねているんですよ。
相手が nonsense な事を言っているのだと思っていたならば、
僕はあなたの回答にどんな期待をも抱いたりはしていなかったはずです。
527p-a:2006/04/05(水) 07:53:09
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「いる」 (厳密には「い‐」) は、「対格」の補語をとらない。(「対格」にはヲ格とニ格とがあるものとする)
「い (る)」はニ格補語をとるが、それは場所を表すものであり、「対格」の補語ではない。(>>512
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

その事に間違いはありません。
ただし、何度も言っているように、僕が問題としているのは
「い‐」は補語をとるかどうか、
ということであって、それは、
「い‐」は「対格」の補語をとるかどうか、
という話とは違うのです。
「現場に彼はいる」という文における「現場に」は「対格の補語」ではありませんが、
まぎれもなく「補語」の一つですよね。
その事を確認できればいいわけです。

いくらノウタリンな僕でも、「その場に」が対格の補語でないことはわかっているんです。
「論破」(512)ということに拘って議論を都合よくすり替える*必要はありません。

(* 僕は、「い‐」が「対格」の補語をとるのだなんて主張したことがなく、
「い‐」は補語をとる、と言い続けてきたのであって、
それをあなたは[512]で「補語」から「対格の補語」に置き換えた説明をおっぱじめたのです。)
528p-a:2006/04/05(水) 07:54:15
>>527]のつづき

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「対格」の補語をとらない動詞は、受動態にすると、自動的に被害・迷惑の意味が生ずる。
「いられる」を受動態と解釈したとき、
生じた被害・迷惑の意味が、他の語の意味と矛盾を来すならば、
受動態の解釈は撤回されて、可能態と解釈し直される。
上のような矛盾を来さない場合、
「いられる」全体がニ格補語をとっていれば受動態であり、ガ格補語をとっていれば可能態である。
「いられる」全体がとりうるニ格補語は、
補語基 (「X ニ」の「X」) に人・動物・擬人化されたものしか来ないので、
「い (る)」がとる、場所を表すニ格補語と、混同されることはない。(>>512
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

その事に間違いはありませんし、僕も既に理解しています。
529p-a:2006/04/05(水) 08:01:59
>>528]のつづき

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
上記の計算を、日本語ネイティヴは、
テクストに接したとき、瞬時のうちに行う。
6 歳の子供でも。
「いられる」を用いた表現において、受動態と可能態の混乱が起こることはない。
論破終了。(>>512
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

そういった計算の対象こそがあなたのおっしゃる「文法」なのだということはわかりました。

「いられる」を用いたって話し手や聞き手が受動態と可能態について混乱するわけではない、
ということについては、
このスレッドに書き込みをする以前からも僕は既に理解していました。
僕が問題としていたのは「混用」ということです。
受動態における形と可能態におけるそれとを混ぜた文語を日本語では用いる、
ということに僕は注目しているのです。
「混乱」と「混用」とが違うのはわかりますよね。
「男女混浴の風呂」と聞いたときに
男女が乱交している場面をあなたが想像するわけではないでしょ。
530p-a:2006/04/05(水) 08:13:36
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
語順が固定的か自由かどうかなんて一貫性の議論とは全く関係ないと思うけどどう?(>>513
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

語順が固定的だったほうが、
人はその言語を一貫的に学べる
というような気がするけど。

日本語は語順が比較的に自由だけれど、
その分かえって知識が必要となったりするでしょ。
>>509]で挙げた例文を、
「忠告していたというのに彼に危険性をまえもって私はその調査隊は行ってしまった。」
とは言えないのであって、すると、
この語はいったいどれだけ動かせてあの語はどれぐらい動かせるのか
ということに関する多様な知識が必要となります。
531名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 08:32:36
数千年の歴史を経てきた
日本語が劣等言語なわけはありません!!!!

もうやめてください!!!このスレの内容は不愉快の極みです!!
532名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 08:34:23
>>530
基本的には日本語の語順は、
いろいろ(先)、動詞(後)
修飾語(先)、被修飾語(後)
っていう順序を守らないといけないから、

(彼に私はその危険性をまえもって忠告していたというのに)の部分は、
「彼に」「私は」「その危険性を」「まえもって」の4つは入れ替えられる。
次に、「調査隊は」と上の括弧内のひとまとまりは入れ替えられる。

だから24×2で48通りがあり得るというので計算あってるかな?
上に書いた2つのルールを守ればいいから、非常に簡単でわかりやすいんじゃない?


語順が固定的だったほうが、人はその言語を一貫的に学べるかどうかは、
学ぶ人の母語がどんな言語かによると思う。


英語のように修飾語と被修飾語の順序が様々ある言語より、
日本語のように修飾語-被修飾語で一貫してるほうが、
「語順が一貫している」と考える人もいる。
533名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 08:35:02
>>520 君の言ってることで、いくらか意味があるのはこの点だけだな。
そこに「いる」というだけで、存在の場所に影響を与えることは、ありそうに思えるが、それが言語に反映されるか否かを、どうやって調べればよいのか?
実際には、「*現場が彼 {に/から/によって} いられる」が言えないことを証拠に、「現場に」を「対格」でないと判定するという、循環論法が行われてるしなあ。
534名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 08:51:03
しかし実際のところ判定方法が無いよね。
535p-a:2006/04/05(水) 08:51:10
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まさかあなたは主辞と賓辞との間の論理的連結が人工のものであると考えているのですか?(>>489
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
もちろん「人工」のものだよ w
人間の言語が存在しなければ、主辞も賓辞も論理も存在しない。(>>515
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

地球において物が下に落下するところの原理を人は与えなかったように、
主辞が賓辞へと論理的に振りかかるところの原理も人が意図的に準備したものではありません。(489)

「人間の言語」に先立って既に存在していた理性に関する留意があなたにはありません。
直角三角形を造ったのはピタゴラスではないし、
主辞‐賓辞の関係を造ったのも人間ではありません。
人間は、そのような先見的な理性にたいする「参照能力」を持ったことで言語を発明したのです。
言語が存在しなければ論理はない(515)、という考えには僕も賛成しますが、
言語が成立するために必要な理性構造を造ったのは言語自身ではありません。
536名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 08:53:59
>>526
> 「どう食い違ったか・わからなくなった・とき」というのはどんな時ですか?
そのままの意味。相手が自分と違う用語を使っており、かつ、それの指す対象が何であるかわからなくなった時。

> 現在の議論における食い違いを放っておくのも問題ですよね。
> 食い違っているということがわかった時に確認を入れても損はしませんよ。
自分の用語に相手を従わせようとするだけの不毛な議論をしたいか?

> 僕もそういう前提から出発しているんですよ。
していない。していないから、>>473 のような、相手をありえない矛盾の塊と見なしたレスを付けるのだ。
537p-a:2006/04/05(水) 08:55:19
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
何千種類もの言語があり、何千種類もの文法が存在するといっても、
何千種類もの日本語があり、何千種類もの日本語文法が存在するわけではないでしょう。(>>490
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それはそうだが、なんで世界中の人が日本語文法を知らなければいけないんだ?
それぞれの母語で生きればいいじゃないか。 (>>515
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

いったいどのように思考すればそんなレスを返すことができるようになるんですか?

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いくつもの算法があるといっても、
いくつもの乗法が存在するわけではないように。(>>490
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
算法って何だ?(>>515
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

あなたは掛け算しかできないのですか?
538p-a:2006/04/05(水) 08:59:12
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
疑うのなら、コーパスを使って、「の方」の用法を調べてみればいいんじゃないの?(>>515
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ほう【方】

並べて幾つか考えられるものの、一つ。「酒より菓子の方がいい」

ある部面・分野。「酒の方では引けを取らない」

(広辞苑)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「の方」が2つのものしか対比できないということにはなっていないし、
そのように規定する必要もありません。
あなたが習慣的に2つの対比項しか並べないだけ。
ほんとうは、2つでも3つでも4つでも5つでも対比できる。
あなたは日本語の使い道を不必要に狭めているのです。
539名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 09:14:17
>>527
> 「現場に彼はいる」という文における「現場に」は「対格の補語」ではありませんが、
> まぎれもなく「補語」の一つですよね。
> その事を確認できればいいわけです。
それで君は何を主張したいの?

> (* 僕は、「い‐」が「対格」の補語をとるのだなんて主張したことがなく、
> 「い‐」は補語をとる、と言い続けてきたのであって、
> それをあなたは[512]で「補語」から「対格の補語」に置き換えた説明をおっぱじめたのです。)
私は、「い (る)」は「対象、相手を表す補語」「対象補語」をとらないと言ったのだから、君がそれに反論するなら、ただ「い (る)」は「補語」をとる、と言い続けたって無意味だろう?
君が「対象」はおかしい、「対格」と呼ぶべきだと言うから、それに合わせて、「い (る)」は「対格」の補語をとらないと言い直してやったのだ。
君がそれに反論するなら、「い (る)」は「対格」の補語をとると主張しなければならない。

>>529
> 僕が問題としていたのは「混用」ということです。
> 受動態における形と可能態におけるそれとを混ぜた文語を日本語では用いる、
> ということに僕は注目しているのです。
> 「混乱」と「混用」とが違うのはわかりますよね。
同音異義語は一切認めないつもり?
540p-a:2006/04/05(水) 09:21:03
――――――――――――――――――――――――――――
衣服という体系は、個人を離れたところにあるんであって、
個人が着ている衣服そのものは、体系じゃないだろ。(>>516
――――――――――――――――――――――――――――

個人が着る衣服は、
特定の体系の内に位置する観念への参照機能を有する物体です。
或る人が穿いているジーンズは、
ファッションに疎くない人から見れば特定の体系に組みする対象の一つとなります。
60s、70s、綾織、赤耳……ボタンのデザインで年代を特定することだってできるんですよ。
「個人」に穿かれてしまうせいで 70s のジーンズが 70s じゃなくなるなんてことはないでしょう。
「個人」を離れようが離れまいが、物体そのものが観念にたいして有する参照機能は変わらないんですよ。
541名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 09:25:02
>>535
> 主辞が賓辞へと論理的に振りかかるところの原理も人が意図的に準備したものではありません。
それは原理じゃなくて、ただの現象だ。

> 主辞‐賓辞の関係を造ったのも人間ではありません。
間違いなく人間。

>>537
> あなたは掛け算しかできないのですか?
「フランス語文法:日本語文法 = 加法:乗法」? なんというシュールな比例式だろう。

>>538
> > 疑うのなら、コーパスを使って、「の方」の用法を調べてみればいいんじゃないの?
> (広辞苑)
ダメだこりゃ。
542名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 09:36:11
主辞−賓辞という構造を持たない言語だってあるわけだよ・・・
日本語だって「〜は」で表される主題とそれに対する叙述という構造を考えて、
主格や対格以下様々な格は全て補語だという考え方だってあるんだから。
543p-a:2006/04/05(水) 09:36:28
――――――――――――――――――――――――――――――
「憧れる」という語は、ほんとうは意志的な動きを含蓄します。(>>494
――――――――――――――――――――――――――――――
何を根拠に「ほんとう」なの? 君が「ほんとう」だと思うから「ほんとう」?
ライフスペースの「定説ですから」と同じだね。(>>518
――――――――――――――――――――――――――――――

[494]のその文と同じ段落で僕はその根拠を説明しているでしょ?
一つの段落を開始する最初の文を読んだだけでそんな馬鹿げた反応をするのはやめてくれませんか?
また、どうせ最後まで読んだのなら上のようなレスをしなくてもいいでしょ?
「ほんとう」というのは、「実のところ、そのような意味を構造的に含蓄している」というつもりで僕は言ったんです。
あなたはただ p-a という相手をけなしたいだけで、対話なんてどうでもいいんでしょう?
544p-a:2006/04/05(水) 09:37:18
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
より能動的な趣のする「あこがる」の使用が消え、
より遠回しな趣を醸し出す「あこがれる」が普及したのはそういったことによるのでしょう。(>>494
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
もはや完全な電波だな。(>>518
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「あこがる」の使用が消え、
「あこがれる」が普及したの何故だと、あなたは思いますか?
545p-a:2006/04/05(水) 09:40:00
――――――――――――――――――――――
日本語と英語の表現が等価になるわけないだろ。(>>518
――――――――――――――――――――――

僕は、日本語に英訳を付けたまでです。
あなたは、どうぞ、世界中の日英辞書に火をつけてください。
546518ではないけど:2006/04/05(水) 09:40:51
>>544
2段動詞が存在した時代に生きていないからよくわからないけど、
「あこがる」と「あこがれる」の違いって能動的な趣と遠回しな趣の違いなの?

単に、2段動詞の活用が変化して、今のような1段動詞になったっていうだけではないの?
547p-a:2006/04/05(水) 09:49:23
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そのとき(430)、あなたがそれまで「正しい日本語」として捉えていたものの中身はどうなり、
またそれは、新しく登場した「正しい日本語」とどのように関連するものなのですか?(>>497
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
通用していたものが通用しなくなったということ。互いに関係はない。
昔の言い方を知識としてわかっている人はもちろんいる。
しかし、その人が現在行う言い方とは、関係がない。
[…]どんな無教養なネイティヴでも、
文法を知らないということは、ありえない。(>>519
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

それでは、
「この曲めっちゃいくねえ」とか
「この服ちょーよくなくなくねえ」と言う日本語ネイティヴたちは、
従来使われることのなかった表現を現在使っているというだけで、
彼らの言葉もまた「正しい日本語」の一つにほかならない、
ということですよね。
あなたいわく、
例外なく文法を知っている日本語ネイティヴが使う日本語はかならず文法的なのだから、
どんなに無教養な日本語ネイティヴでも「正しくない日本語」を話すことはありえない、
ということですよね。
548p-a:2006/04/05(水) 09:54:12
――――――――――――――――――――――――――――――
文法そのものは
「母語話者によって使われている日本語の文法のしくみを記述したもの」
であって、ごく客体的なものなのです。(>>514
――――――――――――――――――――――――――――――
母語話者が使わない表現の「文法」は、記述できないの。わかった?(>>521
――――――――――――――――――――――――――――――

日本語ネイティヴが使わず、非日本語ネイティヴが使うような表現は、
正式な日本語文法ではない、
ということを言いたいのですか?
だから?

僕が言っているのは、
日本語ネイティヴによって使われている日本語の文法のしくみを記述したものを、
非日本語ネイティヴは「観察」することできる、
ということですよ。
549p-a:2006/04/05(水) 10:11:09
――――――――――――――――――――――――――――――――――
つまり、「その場に」は補語ではなく対象補語なんだよ、
と[412]は考えていたのです。(>>523
――――――――――――――――――――――――――――――――――
詭弁。412 は、「その場に」は補語ではあるが対象補語ではないと考えている。
「補語」⊃「対象補語」 と何ら矛盾しない。 (>>525
――――――――――――――――――――――――――――――――――

「補語ではあるが対象補語ではないと考えている」……だから厄介なんですよ。
次のやりとりの内容があなたにはわからないのですか?

――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)の「いる」は補語をとらない(* ほんとうはとる) (>>407
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「対象補語をとらない」を「補語をとらない」にどうしてすり替えるわけ? (>>412
――――――――――――――――――――――――――――――――――

[412]は、僕の「補語をとらない」を「対象補語をとらない」に言い改めろ、
と忠告しているのです。
あなたの言うように
「補語」⊃「対象補語」(補語は対象補語を含む)
であるとすれば(そして僕もその考えに賛成しているのですが)、
なぜ[412]はあのような指摘をしたのですか?
「補語をとらない」を「対象補語をとらない」に言い改める必要はないのです。
詭弁をしているのは僕ではありません。
よく観てください。
550p-a:2006/04/05(水) 10:16:16
――――――――――――――――――――――――――――――――
語順が固定的だったほうが、人はその言語を一貫的に学べるかどうかは、
学ぶ人の母語がどんな言語かによると思う。(>>532
――――――――――――――――――――――――――――――――

たしかにそうですね。
イタリア語(SVO)を母語とする人がヒッシュカリアナ語(OVS)を学ぶのは苦労しそうですよね。
551p-a:2006/04/05(水) 10:22:32
――――――――――――――――――――――――――――――――――
そこに「いる」というだけで、存在の場所に影響を与えることは、ありそうに思えるが、
それが言語に反映されるか否かを、どうやって調べればよいのか?(>>533
――――――――――――――――――――――――――――――――――

「現場に」の「に」が何を受けとめているのか、
を調べることで、
「いる」が「現場」に働きかけているのを知ることはできないのでしょうか?
552p-a:2006/04/05(水) 10:35:15
――――――――――――――――――――――――――――――――
現在の議論における食い違いを放っておくのも問題ですよね。
食い違っているということがわかった時に確認を入れても損はしませんよ。(>>526
――――――――――――――――――――――――――――――――
自分の用語に相手を従わせようとするだけの不毛な議論をしたいか?(>>536
――――――――――――――――――――――――――――――――

あなたはもう p-a のような「パー」や「バカ」にたいしてはそうゆう閉鎖的な回答しかできなくなったんですね。

おたがいの食い違いを確認する作業のことを、
あなたはどうして「自分の用語に相手を従わせようとすること」として一方的に捉えるのですか?

議論を不毛にしているのはあなたですよ。
553p-a:2006/04/05(水) 10:41:11
――――――――――――――――――――――――――
していないから、>>473 のような、
相手をありえない矛盾の塊と見なしたレスを付けるのだ。(>>536
――――――――――――――――――――――――――

[473]は、「相手をありえない矛盾の塊」と見なしたレスではありません。
あなた自身が引け目を感じているだけでしょう。
もっとも、匿名であるあなたがどう感じようが僕の知ったことではありません。
僕がこのスレッドでおこなっているのは、
わからないことをはっきりさせ、わかったことをわかったのだと返答するだけです。
554p-a:2006/04/05(水) 10:50:40
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「現場に彼はいる」という文における「現場に」は「対格の補語」ではありませんが、
まぎれもなく「補語」の一つですよね。
その事を確認できればいいわけです。(>>527
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それで君は何を主張したいの? (>>539
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

まず、下の言い方は不適切なのだということを僕は主張します――

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「いる」は対象、相手を表す補語をとらない。(>>334
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

というのも、「いる」は補語をとるものであり、
上の言い方は誤解を招くことになるからです。
誤解は実際に招かれ、
僕はとんでもない量の説明に追われてしまっています。勘弁してください。
555名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 15:50:13
>>524
> ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
> 具体的に、「著しく規則性を欠いている」とはどういう現象について言っているわけ?(>>507
> ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>
> 「語順の規則において1つや2つといった少しの例外があるだけではなく」
> という現象です。
> つまり、語順がとくに自由である、という意味です。

「語順がとくに自由である」と「規則性を欠いている」では、
表面上の意味は似ているが、根本的なところが異なるよ。

「欠ける」という語を、辞書で確認してみてよ。
「(単に)○○がない」ではないよ。
「“あるべき要素が”ない」だよ。

「規則性を欠いている」というのは、
「規則性の有無」という単なる事実の表現ではなく、
「言語には規則性があるのが当然であって、
その規則性が十分に備わっていない言語はおかしい」という
発言者にとっての価値観を含んだ表現だよ。
556555:2006/04/05(水) 15:51:43
>>494
> 日本人は一般的に主体と客体との間のこの「指向的な動き」が明瞭に表出することを無意識的に忌避します。
> そうして「主体‐客体」という対立構造そのものを隠蔽します。

「忌避」とか「隠蔽」とかいった表現も、適切なのかなあ?

敬語はどうなの?
「おっしゃる」とか「拝見する」とかさ。
これだと、主体はハッキリ分かるわけだけども。


> 日本語文から主語が欠けがちとなっているのはそういうことによります。

朝鮮語や中国語などは、どうでしょうか?
朝鮮語における主語の明示は日本語並だし、
中国語も日本語ほどではないですが、
英語に比べたら主語の明示は少ないですよ。

そもそも、p-aさんの「日本語(日本人)は〜」という主張の多くは、
「英語・フランス語(英米人・フランス人)以外の言語(人間)は〜」
と言い換えた方がしっくりくるのではないでしょうか?

「日本語(日本人)は〜」と仰ることに対して、
「それだったら、○○語や○○語にもあるんだけど」
って言いたくなるものが多々ありますが。
557名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 22:07:23
>>547
> 彼らの言葉もまた「正しい日本語」の一つにほかならない、
> ということですよね。
それは共通語には登録されていない。
彼らが、いついかなる時もそんなふうにしか話せず、また、そんな言葉しか聞いて十分に理解できないとすれば、彼らは共通語のネイティヴではないことになる。
実際にはそんな人はいないだろうが。

> 例外なく文法を知っている日本語ネイティヴが使う日本語はかならず文法的なのだから
> どんなに無教養な日本語ネイティヴでも「正しくない日本語」を話すことはありえない、
> ということですよね。
共通語で話すかぎりはね。少々の変異 (訛り) は許容されるし。

>>548
> 日本語ネイティヴによって使われている日本語の文法のしくみを記述したものを
ネイティヴがある表現を使わないと証言し、かつ、それが使われる事実が認められないにもかかわらず、その表現が記述されているなら、その記述は誤っており、観察しても意味がない。
558名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 22:08:49
>>549
> だから厄介なんですよ。
なにが厄介なのだ。

> [412]は、僕の「補語をとらない」を「対象補語をとらない」に言い改めろ、
> と忠告しているのです。
君の「補語をとらない (ほんとうはとるぞ)」は、私の「対象補語をとらない」に対する反論だったのだから、「対象補語をとらない (ほんとうはとるぞ)」と言わなければ、意味をなさない。

> 「補語」⊃「対象補語」(補語は対象補語を含む)
> であるとすれば(そして僕もその考えに賛成しているのですが)、
> なぜ[412]はあのような指摘をしたのですか?
> 「補語をとらない」を「対象補語をとらない」に言い改める必要はないのです。
「対象補語をとらない」に対して、「補語をとらない (ほんとうはとるぞ)」と言い返しても、「対象補語」でない「補語」をとりうることはもとより否定されていないから、反論にならない。
「対象補語をとらない」に対しては、当然、「対象補語をとらない (ほんとうはとるぞ)」と反論しなければならない。

> 詭弁をしているのは僕ではありません。
> よく観てください。
見れば見るほど君は詭弁屋。
559名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/05(水) 22:09:24
>>554
> まず、下の言い方は不適切なのだということを僕は主張します――
> > 「いる」は対象、相手を表す補語をとらない。(>>334
> というのも、「いる」は補語をとるものであり、
> 上の言い方は誤解を招くことになるからです。
日本語の述語がとる補語には、いろいろな種類がある。
動きや状態の主体を表す補語、相棒を表す補語、同伴者を表す補語、動きの出どころを表す補語、動きの到着点を表す補語、道具を表す補語、動きの場所を表す補語、存在の場所を表す補語、状態の比較対象を表す補語、事態の時を表す補語、等々。
それらのうちの「対象、相手を表す補語」と言われたときに、たとえ「対象、相手」にわかりにくい点があったとしても、「対象、相手を表す補語」を「補語全般」「あらゆる補語」にすり替えて解釈するというのは、まともな人間のやることではない。
「対象、相手を表す補語をとらない」に対して、「いや、とにかく補語をとるぞ」と言い返すのは、誤解ではなく、悪意のこもった曲解にほかならない。

まあ、「コーパスで調べてみたら?」と言うと、「広辞苑では○○」と返す奴だから、本物のノウタリンなんだろうな。
560p-a:2006/04/05(水) 22:09:57
――――――――――――――――――――――――――――――――――
僕が問題としていたのは「混用」ということです。
受動態における形と可能態におけるそれとを混ぜた文語を日本語では用いる、
ということに僕は注目しているのです。
「混乱」と「混用」とが違うのはわかりますよね。(>>529
――――――――――――――――――――――――――――――――――
同音異義語は一切認めないつもり?(>>539
――――――――――――――――――――――――――――――――――

あなたは僕のことを端から「日本語を否定して認容しない者」として受けとめているのかもしれませんが、
「いられる」が受動態と可能態とを兼ねているという事実を僕は認めていないわけではないのです。
「同音異義語」としての「いられる」をこれまでの日本語ネイティヴが「問題なく」使ってきたことを
僕は認めているし、認めざるをえないのです。
僕がここでおこなっているのは……
「いる」の活用として「いれる」と「いられる」とを論理的に分別できるにもかかわらず
「いれる」を「ら抜き言葉」として認容したがらないといった一部の日本人の慣習的思考にたいする疑問の投げかけ、です。
「いられる」を受動態と捉えると「被害や迷惑の意味」が出てきて、可能態と捉えるとなるとこうで、ということならば、
「いれる」と「いられる」とをはじめから分ければいいじゃないですか。
ちょうど「やれる」と「やられる」とが既に区別されているように。
そもそも、「いれる」といった「ら抜き言葉」を使いたがっているのは僕だけではなく
むしろ今の若い日本語ネイティヴたち自身なんです。
「正しい日本語」を決定する「特権」がネイティヴにあるのなら(224/304/318/333/373/391)、
そのような同音異義語の使用が日本語ネイティヴたち自身によって見直されているという傾向は
正当に許容されるべきです。
561p-a:2006/04/05(水) 22:38:34
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主辞が賓辞へと論理的に振りかかるところの原理も人が意図的に準備したものではありません。(>>535
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それは原理じゃなくて、ただの現象だ。
(主辞‐賓辞の関係を造ったのは)間違いなく人間。(>>541
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

どうせあなたは存在学あるいは本体学(ontology)にどの興味も抱いてはいないのかもしれませんが、
主辞と賓辞といった理性観念の間の論理的連結は、
人間が造った「現象」ではなくて、
人間の知性によって「参照」されるのを待機していた潜在的な「構造」なのです。

あなたが「間違いなく人間」と言っているのは、
その潜在的な「構造」の単位である主辞や賓辞に「音声」や「文字列」を付与するところの立場、についてです。
言語の具体的内容(音声、文字列)を創作するのは間違いなく人間です。
けれども、宇宙の生誕当時から言語の本質的構造を準備していたのは人間ではありません。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主辞−賓辞という構造を持たない言語だってあるわけだよ・・・(>>542
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

だからそれは、
そのような構造を、その言語の話者がただ「参照」していないだけ、
ということなんですよ。
代わりに他の本質的構造が彼らによって「参照」されている、
ということですよ。
そういった構造の一つ一つは、「本質的」ではあっても「必然的」ではありません。
三角形の本質的構造の単位の一つとして鋭角があるからといって
世の中において描かれた三角形がどれも鋭角からなっているわけではないように。
562p-a:2006/04/05(水) 22:54:04
――――――――――――――――――――――――――――――
単に、2段動詞の活用が変化して、
今のような1段動詞になったっていうだけではないの?(>>546
――――――――――――――――――――――――――――――

言語学者はそのような表面的な「見た目の変化」に専ら注目して理論を立てますが、
実際に言葉を使うかどうかを「選択」してきたのが話者たち自身であるいじょう、
二段動詞の活用を「変化」させて一段動詞にしたところの主体もまた話者たち自身なのであって、
すると、
言葉のそのような変異をもたらした話者たちの「心的契機」とは何なのか、
という問もまた残るわけです。

「二段動詞の活用を変化させて一段動詞を普及させた」話者たちの気質的な契機とは何なのだと、
あなたは考えますか?
これについて確実な答を得ることは僕たちにはできませんが、
そういった問題を考察してみることじたいは僕たちを卑劣な存在とはしないはずです。
563p-a:2006/04/05(水) 23:07:14
――――――――――――――――――――――――――
「欠ける」という語を、辞書で確認してみてよ。
「(単に)○○がない」ではないよ。
「“あるべき要素が”ない」だよ。

「規則性を欠いている」というのは、
「規則性の有無」という単なる事実の表現ではなく、
「言語には規則性があるのが当然であって、
その規則性が十分に備わっていない言語はおかしい」という
発言者にとっての価値観を含んだ表現だよ。(>>555
――――――――――――――――――――――――――

たしかにそうですね。僕が間違っていました。

ただ、「規則性が無い」と言えば誇大となってしまいます。
僕は、「日本語の語順には規則性が無い」ということを言いたいのではないから。
「日本語の語順は比較的に自由である」という表現で代替することもできますが、
「規則性」を念頭に置いて議論するとき、
僕はどのような言い方をするべきだったのでしょうか?
564p-a:2006/04/05(水) 23:51:57
――――――――――――――――――――――――――――――
「忌避」とか「隠蔽」とかいった表現も、適切なのかなあ?(>>556
――――――――――――――――――――――――――――――

僕は思うのですが、日本人は「慣用」というものに縛られすぎていませんか?
発話における語彙の応用性があまり無いというか、
言葉の使用機会が特定化されすぎていて、
たとえば「隠蔽」と聞いたときにすぐさま「悪質な何か」を連想してしまう。
これはもともと「物が人目につかないよう隠す」という作業を指しているのであって、
「汚職の事実が発覚してしまわないよう証拠を隠滅する工作」そのものを意味するのではありませんよ。
「主体‐客体」という対立構造を隠蔽する、
と言ったって、べつにそのことで当人が犯罪を問われる立場に陥るわけではないでしょう。
僕は[>>494]で日本人があくどい事をしてきたのだと主張したのではないし、
あなたもきっとそれをわかってくれているとは思います。

英語やフランス語を特選的に美化するつもりはありませんが、
語彙の使用機会における柔軟性を日本語ネイティヴはもっと大切にしたほうがいい、
と僕は思います。
「一週間後にひかえた彼の誕生日のために、プレゼントを部屋の隅に隠蔽しておく」という表現も、
本来ならば可能であるはずなんです。
慣習的な先入観は脇に置いて
その語が有する観念的構造や基本的性格を観ることができるというのは良いことです。
日本の若い人たちにとって沢山の「学校の授業でしか使わないような言葉」とそれにたいする除斥感があるのにたいして、
年配の人も十代の人も同じ語彙世界を共有できるということが欧米では伝統化しています。
それは良い傾向だと僕は思うのです。
565p-a:2006/04/05(水) 23:55:55
――――――――――――――――――――――――――――――
敬語はどうなの?
「おっしゃる」とか「拝見する」とかさ。
これだと、主体はハッキリ分かるわけだけども。(>>556
――――――――――――――――――――――――――――――

それ単体で、という場合?
そういった語そのものは主体をハッキリ明示してはいないでしょう。
「おっしゃる」の主体が「他者」であり
「拝見する」の主体が「話者」あるいは「彼/彼女/彼等」であるといったことを
日本語ネイティヴが無理なく推察あるいは「計算」(>>512)できるだけです。
主体が表出するというのは、たとえば
「彼等がそれを拝見してもよろしいでしょうか?」
といった文において主語が明記されていることをいいます。
英語でも同様です。主語が無いことには主体は「ハッキリ」明示されないのです。
566p-a:2006/04/06(木) 00:17:58
――――――――――――――――――――――――
朝鮮語や中国語などは、どうでしょうか?
朝鮮語における主語の明示は日本語並だし、
中国語も日本語ほどではないですが、
英語に比べたら主語の明示は少ないですよ。(>>556
――――――――――――――――――――――――

朝鮮語や中国語の話者も、日本語の話者と同様に、
個的主体ではない別な何かにたいして意識をより払ってきた、
ということでしょう。

安徴省出身の中国人の友達がいますが、
彼は、イギリスへ発つに際して、父親から、
「大学を卒業するまでは帰ってくるな。必ず学位を取ってこい。」
と約束されたそうです。
彼自身はあまり英語ができず、留学についてかなり挫折していたのですが、
そのまま帰郷してしまえば「家族」の名誉を損ねることになるというのです。
実家を取り巻く近所の人々が彼を「駄目息子」と評するだろうということが自明だというのです。
そういう考え方が彼の故郷全体の風紀を支配しているらしく、
彼が個人的にどうこう思おうが、「家族」という単位がまずもって優先されるのです。

東アジアにおいては、
「個人的主体」よりも「環境的統一体」に重きを置く価値観が伝統的に醸成されてきました。
朝鮮語や中国語そして日本語の仕組には、
そういった価値観が反映されているのだと思われます。
567名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 00:46:32
自明な主語を省略するのは実に合理的だ。

常に我を意識させるような言語習慣が、好戦的でエゴイステックな文化を創ってきたとも言えないか?
逆に<「環境的統一体」に重きを置く価値観>、つまり和を尊ぶことこそ平和につながるだろう。

また「私は」という表現習慣のある言語は主観的習慣づけを行っていると考えられるのに対し、
なるべく現象記述に努めようという習慣のある言語は、客観的と言えないか?

別に東アジアだけではなく、インド、ネパール、チベットもそうである。
逆に「個人的主体」を盛んに礼賛するのは欧近代の非常に特殊な現象と思われる。
彼らはプロパガンダに長けてるので、p-a のように容易に洗脳され、無自覚広告塔となるものが後を絶たない、と思われ。

568p-a:2006/04/06(木) 00:46:46
――――――――――――――――――――――――――――――
そもそも、p-aさんの「日本語(日本人)は〜」という主張の多くは、
「英語・フランス語(英米人・フランス人)以外の言語(人間)は〜」
と言い換えた方がしっくりくるのではないでしょうか?(>>556
――――――――――――――――――――――――――――――

たしかにそうなのですが、
それをやってしまえば僕は嘘をつくこととなります。
僕は、英語とフランス語と日本語以外の言語については、
それほどの言語学的な知識を持ってはいないからです。

また、
「地球上の言語のうち……」といった表現はやっぱり豪語すぎたと思います。
ごめんなさい。
569名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 00:47:49
>>560
> 僕がここでおこなっているのは……
> 「いる」の活用として「いれる」と「いられる」とを論理的に分別できるにもかかわらず
> 「いれる」を「ら抜き言葉」として認容したがらないといった一部の日本人の慣習的思考にたいする疑問の投げかけ、です。
「ら抜き」は話し言葉では定着しているが、まだ共通語の文法には登録されない。その理由は明快だ。
「ら抜き」の発現する語には偏りがある。「見れる」「出れる」などは、話し言葉ではほとんどの場合、この形で使われる。必ずしも若い世代に限らない。「見られる」「出られる」はやや硬苦しく、文章語的な印象を与える。
他方、話し言葉で「いれる」が「いられる」より圧倒的に優勢かというと、そんなことはなさそうだ。若い世代でも「いれる」「いられる」の両方を使っている。
「飛び降りれる」「片づけれる」などになると、「ら抜き」の方がむしろぎこちなく、「飛び降りられる」「片づけられる」の方が自然だ。若い世代でも同様だろう。
語ごとに、「ら抜き」を共通語としたり、非「ら抜き」を共通語としたりすると、文法があまりに複雑になる。
受動態との弁別性を重視して「ら抜き」を規範化すると、これから共通語では (可能の意味の場合) 「いられる」「飛び降りられる」「片づけられる」などと言ってはいけないということになり、多くの人に無理を強いる。
どうせ実情に沿わない点が出るのなら、まだ広まったことのない「飛び降りれる」「片づけれる」を共通語とするよりも、かつては広まっていた「見られる」「出られる」を共通語とするほうが穏当という判断なのだ。
570p-a:2006/04/06(木) 00:54:13
――――――――――――――――――――――――――――――
「日本語(日本人)は〜」と仰ることに対して、
「それだったら、○○語や○○語にもあるんだけど」
って言いたくなるものが多々ありますが。(>>556
――――――――――――――――――――――――――――――

おっしゃることはわかるけど、
このスレッドは「日本語」をテーマとしているわけでしょ。
ボルドー・ワインとフランケン・ワインと山梨ワインとの間にいくらかの共通点があるとしても、
山梨ワインの特徴そのものを追究する作業において
「ああ、これだったらボルドー・ワインにも有りえることだが、フランケン産のやつには無いな」
と一言一言挿んだって、
山梨ワインがそのような特徴を持っているのだという事実それじたいに変わりはないわけです。

また、「仰る」と言われたって、
僕は日本語について語っているだけなんですよ。
日本人を怒らせたくてやっているのではないし、
日本人が「仰られる」と感じる必要もないのです。
「日本語(日本人)は〜」という言説によって対立関係が特定されることを
日本人は得意とはしていないのかもわかりませんが、
だからといって議論の宛先を曖昧にするわけにもいかないのです。
「対立」そのものは「対戦」と違って悪質な構造ではないのだし、
「批判」という作業も「非難」と違って中傷的な行為ではないのです。
571超名曲:2006/04/06(木) 00:55:41
子供の頃から夢見てた
ホントの願いを話したい
大人になるたびふくらんだ(私、負けないんだから)
秘密の願いも少しだけ

もっとまっすぐにひたむきに
gimme gimme gimme キミだけに(キミだけにね)
夢を打ち明けたい

ありのままでlovin'U
キミにいつも(ついていっちゃおうかなぁ)
まるごとこのココロあげたいよ
ありったけの anytime
キミの側に(いたいんだから)
ボクらが今めざすあの場所で

どうしてキミの目見るたびに
強がりばかり言っちゃうのかなあ?
ひとりになったらさみしくて(あら?か〜わいい♪)
両手で守ってほしいのに

572超名曲:2006/04/06(木) 00:56:20
もっと素直にねなれたらね
skip skip skip スキって言う(スキって言いなさ〜い!)
ギュッと抱いてほしい

とっておきの only U
キミにきっと(ドキドキしてる?)
弱いとこも全部見せたいよ
とびっきりの every time
キミとただ(一緒にいたいな)
見たことない未来(あす)のその先へ

ありのままでlovin'U
キミにいつも(ついていっちゃおうかなぁ)
まるごとこのココロあげたいよ
ありったけの anytime
キミの側に(いたいんだから)
ボクらが今めざすあの場所で

これくらい分かりなさいよ!
こんなに気持ちを込めて伝えてるんだから、届くはずよ ね
気付かないと丸焼きよぉ――!!
573名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 01:02:17
>>571-572
この歌からも日本語が主語を明記しない言語であるということがにじみ出ているな

574名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 01:19:26
>>573
アメリカには歌詞のほとんどが「FUCK」で構成されている歌もありますがどう思いますか?
575p-a:2006/04/06(木) 01:46:26
>>557

すると、
どんなに無教養な日本語ネイティヴでも、共通語で話すかぎりは、「正しい日本語」の用法を誤るはずはない、
ということになりますが、
これを次の事と比べたとき、あなたは何を思いますか――

日本語について無教養な日本語ネイティヴよりも多くを知ることとなった「非ネイティヴ」の日本語話者は、
たとえ日本で日本語に関する実践的な経験を多く培ってきたにせよ、
日本国内で生まれ育ちはしなかったという自身のその閲歴的根拠ただそれだけによって、
いくら共通語を念頭に置くにしたって、
「正しい日本語」を無教養な日本語ネイティヴに「教える」ことはできない。

僕は思うのですが、あなたの言う「ネイティヴ」という概念は、
なかなかに脆弱的なものなのです。
それはまるで、
日本の中身にたいする僕のような者による「視線」を無条件に除斥しようとして設けた柵塁で、
でも実際に日本の文化世界にたいする眼を持ってしまった者にたいしてはどんな抗力をもなさないという、
いたく抽象的な想像物なのです。
「ネイティヴ」という概念のそのような扱い方を、あなたのような日本人のそれ以外には僕は見たことがありません。
そういった考えが通用するのは、おそらく日本においてだけです。
パプアニューギニアの原住民だって、「ネイティヴに逆らうの?」なんて保守的な態度を執ることはありません。
多様な人種でごったがえす地域(インド、イギリス、アメリカ、フランスなど)では、
「ネイティヴ」というステータスについてあなたが据えるような価値はそれほどの意義を有さないばかりか、
ときとして社会的な煩悶を引き起こすことになります。
576p-a:2006/04/06(木) 02:01:09
――――――――――――――――――――――――
僕が言っているのは、
日本語ネイティヴによって使われている日本語の文法のしくみを記述したものを、
非日本語ネイティヴは「観察」することができる、
ということですよ。(>>548
――――――――――――――――――――――――
ネイティヴがある表現を使わないと証言し、かつ、
それが使われる事実が認められないにもかかわらず、
その表現が記述されているなら、
その記述は誤っており、
観察しても意味がない。(>>557
――――――――――――――――――――――――

ネイティヴが使わないと証言した表現(557)を観察するとは言っていないし、
実際に使われているかどうかを確認されていない表現(557)を観察するとも言っていません。

あなたはいったい何についてレスをしているのですか?
冗談ぬきで理解に苦しみます(これはあなたにたいする罵倒なんかではなくて、僕の本音です)。

僕が言ったのは、

ネイティヴが使っている文法のしくみを記述したもの(548)を、
ネイティヴも非ネイティヴも平等に観察できる、
ということですよ。

あなたはどうして、

ネイティヴが使っていないと証言し、かつ、それが実際に使われていることも確認されていない
誤った記述を観察することには、意味がない、

という返答をしてくるのですか?
577p-a:2006/04/06(木) 02:40:01
――――――――――――――――――――――――――――――――――
君の「補語をとらない (ほんとうはとるぞ)」は、
私の「対象補語をとらない」に対する反論だったのだから、
「対象補語をとらない (ほんとうはとるぞ)」と言わなければ、意味をなさない。(>>558
――――――――――――――――――――――――――――――――――

それは違います。
>>407]を見ていただければわかるのですが、
僕のその文「(1)の「いる」は補語をとらないで」は、
あなたのレス[>>334: 「いる」は対象、相手を表す補語をとらない。]
の内容を確認するためにした「質問」なのです。
(1) 彼女が その場に いる。
という例文における「その場に」が「対象補語」ではないということは僕もわかっているので、
あなたの指図(558)に従って「対象補語をとらない (ほんとうはとるぞ)」と言うことはできません。
僕が「補語をとらない」の後に「(* ほんとうはとる)」と添えたのは、
(1) 彼女が その場に いる。
における「いる」が「その場に」という「補語」をたしかにとるものだからです。
けれども、[407]であなたに返信する時点で僕にはあなたが[334]で何のことを言っていたのかが確信できずにいたので、
念のために「(1)の「いる」は補語をとらないで、(2)の「いられる」は補語をとる、ということですか?」
と質問したのです。
[558]において上記に後続するあなたの見解は、その事を見落としたものとなっています。
「対象補語」についてあなたは間違ったことを言っているわけではなく、
これまでのやりとりの脈絡を把握できていないだけです。

僕がノウタリンであるせいであなたにはもう何が何だかわからなくなっているようなので、
とりあえず以下のように整理します――

あなたも僕も、
「いる」は「対象補語」(対格の補語/目的語)をとらない、と考えている。

僕は、
「いる」が「補語」をとる、と考えている(例: 「その場に」「現場に」)。
578名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 02:41:58
>>575
> 日本語について無教養な日本語ネイティヴよりも多くを知ることとなった「非ネイティヴ」の日本語話者は、
> たとえ日本で日本語に関する実践的な経験を多く培ってきたにせよ、
> 日本国内で生まれ育ちはしなかったという自身のその閲歴的根拠ただそれだけによって、
> いくら共通語を念頭に置くにしたって、
> 「正しい日本語」を無教養な日本語ネイティヴに「教える」ことはできない。
現実に、教養のあるネイティヴもないネイティヴも関係なく、そんな言い方しないという日本語の表現について、君にはおかしいという直観がはたらかないんだから、仕方がないじゃないの。
それ以上何をどう思えと?

>>576
> ネイティヴが使わないと証言した表現(557)を観察するとは言っていないし、
> 実際に使われているかどうかを確認されていない表現(557)を観察するとも言っていません。
私も言ってない。そのような表現を観察するんじゃなくて、そのような表現についての記述を観察することには、意味がない、と >>557 に書いてあるだろ。

> あなたはどうして、
> ネイティヴが使っていないと証言し、かつ、それが実際に使われていることも確認されていない
> 誤った記述を観察することには、意味がない、
> という返答をしてくるのですか?
選択肢が 3 つ以上あるときに、ネイティヴは「よし、この道の方にしよう」とは言わない。
かつ、そういった用法の実例を、君は 1 つも挙げていない。
『広辞苑』には、上のような「の方」の用法の特徴は、記述されていない。それを「誤り」と呼ぶことはできないが、「不備」であるとはいえるだろう。(日本人向けの辞書だから問題にならないが)
『広辞苑』の記述 (正確には記述がないこと) に拠って、「よし、この道の方にしよう」は文法的だと、君が言い張ることには、全く意味がない (>>538)。
それだけでなく、「日本語にたいする自分の知識の不備を有事の際に擁護するための言い訳を準備する或る日本語ネイティヴ」 (>>490) だとか、
「あなたは日本語の使い道を不必要に狭めているのです」 (>>538) だとか、君にどういう資格があってそんな口が利けるのか、ぜひ教えてもらいたいものだ。
要するにバカなんだろうけどね。
579p-a:2006/04/06(木) 02:42:58
――――――――――――――――――――――――――――
まあ、「コーパスで調べてみたら?」と言うと、
「広辞苑では○○」と返す奴だから、本物のノウタリンなんだろうな。(>>559
――――――――――――――――――――――――――――

ごめんなさい。僕の手元には今そういったものしかないのです。

あなたは、日本語のコーパスとしてどんなものを知っていますか?
580p-a:2006/04/06(木) 03:51:08
>>567

「個人的主体」と「環境的統一体」、どちらがいいか、判断はあなたに任せるし、
そのような判断が必要であるとも僕は考えていない。

また、「個人的主体」を僕が「礼賛」しているのだとあなたが捉えているのだとすれば、
それはあなたの錯覚だ。
僕は日本人の文化的気質の特徴のことを話しているにすぎない。
どの人種にもそれぞれの特徴があるように、日本人にだって特徴はある。
あなたは「批判的言説/criticism」というものにたいする耐性をもっと持ちなさい。
批判は対象や相手を傷つけるためにあるのではなくて、
対象や相手がどんな姿をしているのかを明るめるための行為だ。
批判の内容について引け目を感じるようならば、その感慨を克服しなさい。
あなたは知らないのだろうけど、
フランスとアイルランドそして日本という異なる文化的脈絡の絡み合いの中で育った僕は、
アイデンティティについてけっして鈍感となるわけにはいかないという切迫性に追われながら生きてきた。
そうして人間の自己や文化的実体について敏感になればなるほど、
別々な文化圏における知的枠組によって形而上的に分け離れられた人間どうしのあいだの
哀しい隔絶を僕は認識するようになった。
西洋人が日本人を理解していないこと、そして日本人が西洋人を理解していないこと、
その如実な光景の世界で自覚的に生きざるをえないということは、僕を確実に孤独にした。
そこへ、「無自覚広告塔」なんて呼ばれたりすると、
僕は妙な嘔吐感に襲われる。
結局、自分の小さな窓からしか世界を観れていない人が多すぎる。
もうどうでもいい。
このスレッドで僕が綴ってきたことはすべて「誤り」として見棄てなさい。
迷惑をかけて済まなかった。
581名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 08:21:27
>>561
2段動詞が1段化した最大の理由は、
活用によって語幹自体が変化する2段動詞を、
規則的なものにしようとする自然な変化を起こしただけと言うことだと思う。

>「二段動詞の活用を変化させて一段動詞を普及させた」話者たちの気質的な契機とは何なのだと、
>あなたは考えますか?
これはどうやったら気質的な契機が何だったかを考えられるだろうか。
例えばだけど、日本に2段動詞が生き残っている地域がある。
紀伊半島南西部と四国の南西部の愛媛側の一部、九州なんだけど、
この地域の2段動詞とそれ以外の地域の1段動詞の用法の違いでも調べれば何かわかるかもしれないね。

>>561
自分としては、主辞−賓辞という構造が本質的なもので、
宇宙がうまれた時に有った構造であるかどうかには、
興味がないというか、議論する必要がないと思う。
三角形が人間の作り出したものか、本質的に存在するかの議論も同じ。
このあたりは、どっちかというと哲学の分野だし、証明不能であるから、議論自体に意味がない。

主辞が他の補語から決定的に区別される理由って何だろう?
もしも日本語に、西洋語ほど明瞭な「主語」が無いならば、
無理矢理日本語を主体−客体という構造で解釈して、
>「主体‐客体」という対立構造そのものを隠蔽します。
というような解釈をする必要が無いような気がするんだけど。
582名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 09:30:42
>>580結局、自分の小さな窓からしか世界を観れていない人が多すぎる。

この言葉、全く貴方のことですね。貴方の説は仏・英思想的で陳腐すぎる。
仏・英・和だけで言語一般論を語るのは無理があるということだ。
無自覚に仏・英思想が規範的前提になっているのは否めないだろう。

貴方の仏・英体験は貴方自身のリアルな体験だろうが、
それを一般化して一般言語論を展開するのは無理がある。

もっと範囲を限定して仏・英・和言語の感想ぐらいにすれば文句はない。
583名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 18:03:21
文化的気質というものがあるとしても、それはおそらく遺伝によるものであり、言語とは関係がない。文化的気質の方が言語の特徴をつくるのだろう。
584名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 18:05:50
>>583
いや「文化的」っていうくらいだから、文化が気質を作るんじゃないか?
585名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 19:25:26
>>584 文化は人が創るもので、結局、どんな人たちが生きているかによる。
586名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 19:33:25
人が2人生きていればそこに文化はあるのだよ
587名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 19:40:53
>>586 確かにそうだな。2 人の持っている気質が、文化をつくる。気質は遺伝的なものだ。
気質が全く合わなければ、2 人は決別し、文化は生まれないだろう。
588日本語学者:2006/04/06(木) 21:01:31
>>1
しかし、日本語は故事成語や熟語など
すばらしい言語だと思いますよ。
589名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 21:34:11
日本語の何が糞で、それをどうやって直すのかってことを議論すればいいのに。
590名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 21:39:25
>>587 民主党にも文化は生まれないのかな
591名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 21:59:50
誰か長文読むのめんどくさい俺に、日本語のどの辺りが他言語と比べて糞なのか箇条書きで説明してくれ
592名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 22:11:53
そもそも比べること自体無意味
593名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 23:16:17
>>589
>>591

1スレ目の>>1がそれらについて一言も述べてないので無理
こんな状態でよくPart3まできたもんだw
594名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/06(木) 23:34:40
>>1 は相手にしないのが暗黙のルールだと思ってた
595名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/07(金) 04:02:13
平仮名は癒しの文字
596名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/07(金) 07:09:09
『答え』を聞きたくて書きこみます。
主題から反れた事で申し訳ないのが、

私は「人間語」を新しく作るほうが良いと思っています(犬語と同列)。

前から、『多言語あること自体では、物を生産をしていない』と思っています。
だったら、1つで良いのでは?
数百年の単位で考えれば、プラスになっていくと思います。
人間が生きていく中で、共通認識は必要ですから、1つの言語は必要ですが
多数の言語はいらないと思います。
現在ある言語のどれかを「人間語」にすることは、他言語の人々にとって
できないと思うので、新しく作るほうが良いと思います。

主題「こんな日本語よりドイツ語、英語」とありますが、
新しく『人間語』を作り、で世界共通にしたほうが良いと思います。
人間にとって、多言語の世界は非生産的であると思います。
密かに、世界平和への近道なのではと思います。

低脳な考えですが、『答え』を教えてください。
(そんな考えで英語を広めているのでしょうか?)
597名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/07(金) 22:22:40
偉大なる二大言語
 ラテン語・ギリシア語

三大高級高等文明言語
 ドイツ語・フランス語・英語

準高等文明言語
 ロシア語・スペイン語・中国語

庶民の蛮語
 日本語・朝鮮語

土人言語
 フィリピノ語・タイ語・ベトナム語 
598名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/07(金) 22:24:10
そういやショペンハウエルが自著の中で
ドイツ語を高貴な言語とか自画自賛してたな。。
599名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/07(金) 22:25:38
以下、このスレは
各々の主観による言語格付けスレとなりました!

どうぞ。
600名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/08(土) 00:18:57
ラテン語・ギリシア語 に、サンスクリット、ヘブライ語、アラビヤ語、
ペルシャ語は入るだろう。

タイ語とベトナム語はかなり高度な気がする。

英語が高級言語ってのは納得できないな。
601名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/08(土) 00:33:04
>>597
ロシア語こそ土人言語だろうが
602名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/08(土) 01:00:24
ロシア語は英語より遙かに優れていると思う。
603名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/08(土) 01:08:23
現存する言語の格付けなら簡単。

http://www.wikipedia.org/

このヰキペヂア・ポータルの順位通りだろ。まんまじゃん。
604名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/08(土) 01:14:55
>>603

誇らしいですか?そんなことが?
恥ずかしい、ですね。。。 ^^;
605名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/08(土) 01:43:37
日本語は無限の宇宙空間のような言語
日本語は地球を照らす太陽のような言語
606名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/08(土) 19:20:56
言語は一種の芸術品だからな
607名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 01:24:13
日本語が糞言語なら
半島語は糞のカス言語
608名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 01:58:34
知らんがな(´・ω・`)
609名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 02:01:48
お前らは白人の評価を過剰に気にしすぎなんだよ。
もしも白人が日本の文化も言語も何もかもを全否定したら、お前らは自殺でもするのか?
白人の評価にビクビクすることが馬鹿馬鹿しいということに気付かないのか?
610名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 10:12:41
インドネシア語が世界一簡単
611名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 12:40:26
ハングル語なんて聞いてて汚くてやだよ。日本語が非論理的かどうか知らないが、少なくとも標準語は響きが綺麗だ。
612名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 12:50:30
ハングル語
613名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 13:19:21
俺も日本語が論理的かどうかは知らんが、
とにもかくにも「普通は」って言い回しが大嫌いだね。
よく知った仲のやつが言うならまだしも昨日今日知り合ったような
やつに「普通は???じゃない?」とか言われるとすげえ腹立つ。
お前の普通なんか知らんしそれにあてはめんなよ、って。
勿論相手は単純な言い回しで使ってるの分かるけど。
何がいいてえかってえとそこかしこにある「皆一緒」という考え方。
614名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 13:20:15
NHKの謀略が奏功してる
漢字語、ラテン文字語、蒙古文字語
キリル文字語、西夏文字後
615名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 13:53:40
>>609 そう2からずっと言ってきてるんですけど
616韓国人:2006/04/09(日) 18:43:04
>>612
ハングル語?

ハングル
偉大なる言葉語?
617名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 18:53:30
>>616
> ハングル
> 偉大なる言葉語?

言葉?
618IRBON-SARAM:2006/04/09(日) 20:38:34
han(偉大な)gyr(文字)

文字と言葉の区別がつかない》616は、まさに馬韓国人。
619名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 20:43:26
面倒だからハングル語でいいよ。
620名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 22:56:58
★★ハングル語はハッキリいって痛でぇはん言語アニムニダ★★
621名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 23:31:17
>>609
> お前らは白人の評価を過剰に気にしすぎなんだよ。
> もしも白人が日本の文化も言語も何もかもを全否定したら、お前らは自殺でもするのか?
> 白人の評価にビクビクすることが馬鹿馬鹿しいということに気付かないのか?

というか、逆に日本語で書いた論文を理解し得るレベルにあるのが
西欧東欧の言語及びロシア語で、それに次ぐのが、中国語、朝鮮語というのがあると思う。
前スレ>>327氏の指摘のとおり、近代的な政治・経済・科学を訳し得る言語が、
ヨーロッパ圏以外では極少数というのは、多分事実であると思われます。

ところで、アラビア語はどうなんでしょうか、詳しい人解説をお願いします。
622名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 23:36:47
>>620
次スレのタイトル案を少し変えます。

★★ハングル語は本当に痛てぇ言語ニカ★★
623名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/09(日) 23:59:32
次スレのタイトルのバリエーション。

★★ハングル語は本当に「偉大」なのか? それとも「痛い」だけなのか?★★


ごめん。もうやめる。
624名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 00:05:56
なんですぐ嫌韓蠅がたかるんだろうな
625名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 00:10:18
>>621
ロシア語を除く東欧の言語は近代的な政治経済用語とか科学用語がそろってないんじゃない?
旧ソ連の言語は、ソビエト時代に新しい用語を作ることをしなかっただろうし、
他の東側諸国も似たような感じだと思う。

アラビア語も難しいだろう。
アラビア語標準語が無いから、地域・国によって別々の造語をすることになるし、
フスハーで論文を書くわけにはいかないだろうしね。
626名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 00:16:38
>>624
うーん、やはり、あなたが言うように
  糞に蠅がたかるように、
  韓国には嫌韓蠅がたかる
ということなんじゃないかと。
627名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 00:45:51
文盲の国

学力低下がいわれて久しいが、学生たちは本当にものを知らない。
何人もの学生がジョージ・ワシントンを知らなかった。
計算もできない。1ドルが100円の時、日本で100万円する日産の車は(関税等は考慮しないで)アメリカでは何ドルで売られている?、
と聞くと「私計算が苦手です。分かりません」。レイチェル・カーソンのSilent Springを「黙っているバネ」と訳した大学院生もいた。
中学までは勉強がよくできた人たちがこの体たらくだ。

 中世ヨーロッパのキリスト教会は、字の読めない人たちのために絵物語を作って聖書の教えを説いていた。
日本人は自国民の識字率の高さを誇るが、大学を出た人でも、三島由紀夫の小説を読みこなせる人は少ない。
日本人が識字能力という時、その基準は恐ろしく低い。日本はマンガ王国だが、それは日本が実質的に文盲の国だからである。
小津や黒澤をアメリカに紹介した81歳の知日家、ドナルド・リチ−は近著のなかでこう述べている。

 「あやぱん」というあだ名の女子アナが、「団塊の世代」を「だんこんの世代」といって話題になった。
ニュースを読めないことを売り物にしている女子アナがもう一人、同じ局にいる。ニュース原稿が読めない人は、
新聞も読めないだろう。成人に達して新聞が読めない人は通常、識字人口にカウントしない。すなわち文盲である。
この女子アナは慶応を出ている。この上もなくハイレベルな大学の卒業生だ。これでは日本が「文盲の国」だと言われても仕方がない。

 先の総選挙での小泉首相の主張には論理性がまったくなかった。ところが小泉自民党に、
国民は圧倒的な支持を与えたのである。小泉首相は「文盲の国」の民の知力を見抜いていたのであろう。
しかし、不思議に思うことがある。日本の子どもたちは何世代にもわたって、
受験戦争を勝ち抜くための世界にも稀な、「重労働」ならぬ「重勉強」を強いられてきた。
その末路に生まれたのが「文盲の国」である。これは一体どうしたことなのだろうか。
628名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 00:54:10

さあ、脳みそが沸いてきますた!
629名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 01:07:48
つまり、文盲とは
 1.三島由紀夫の小説を読みこなせない
 2.漢字が読めない
ことを指すのである。1and2ではない。1or2である。
ってことは・・・1は大丈夫だろうけど、2が全滅。某国。
あっ、
 3.マンガしか読まない
 4.暗算ができない
ってのもあるのか。。。。でも、2.で全滅だな。やっぱし。
ゼロに何を掛けてもゼロだもんな。暗算だし。
630名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 01:17:51
>>626 蠅は、糞にもたかるが、100g 当り 2000 円の肉にもたかる。
所詮、嫌韓という連中は、蠅並みなのだ。
631名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 01:28:40
>何人もの学生がジョージ・ワシントンを知らなかった。
アメリカの属国がそれはマジイな。
632名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 01:32:59
日本語は表意文字と表音文字が組み合わさってる言語
先進国で表意文字を使ってるのは日本だけ
633名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 01:41:23
お前らは半島人の評価を過剰に気にしすぎなんだよ。
もしも半島人が日本の文化も言語も何もかもを全否定したら、お前らは自殺でもするのか?
半島人の評価にビクビクすることが馬鹿馬鹿しいということに気付かないのか?
634名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 01:49:23
Silent Springを『沈黙の春』と訳せるかどうかは言語的能力とは
全く無関係。そういう書名の物議を醸した本がかつて出版されたという
知識がなければ「音のしないバネ」と訳したほうがはるかに
自然だからだ。
それこそ、Le Petit Princeを『星の王子さま』と意訳できなければ
言語的能力が劣るとでも言いたいのだろうか?
635名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 01:54:28
大学院生がレイチェル・カーソンの著書を知らんようでは困るな。
636名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 02:06:14
簡単に言えば、『沈黙の春』がアメリカ人の著書だったから、
日本人がその原題を知らなかったことに彼らは腹を立てているわけで、
例えばイギリス人による『指輪物語』の原題The Lord of the Ringsを
日本人が知らなかったとて、彼らは学力低下などと揶揄することも
なかろう。
637名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 02:16:38
ムスリムは皆、聖典クルアーンをアラビア語で読まねばならないが、
ヘブライ語なりギリシャ語の原典で聖書を読めるキリスト教徒など
ほとんどいない。なぜなら、キリスト教の聖書は民族語の
翻訳版を読むことが積極的に認められているからだ。
これは学力の差とは何らの関係もない、文化的事情に過ぎない。

日本のように、外国の優れた書物が積極的に自国語に翻訳される
国にあって、Silent SpringやらThe Lord of the Ringsといった
原題を知らないことが学力低下と何の関係があろうか?
もちろん、学生が日本語版の『沈黙の春』も『指輪物語』も全く
読んでいない、というのなら話は別だが。
『ライ麦畑でつかまえて』の原題など、知らなくたってちっとも
構わないではないか?
638名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 02:17:46
カーソンはエコロジーの創始者だ。彼女のせいでゴミを分別させられてると言ってもいい。
『指輪物語』なんかとはとても並べられんよ w
639名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 04:23:10
>>637
>もちろん、学生が日本語版の『沈黙の春』も『指輪物語』も全く
>読んでいない、というのなら話は別だが。

『指輪物語』なんて、単なるエンターテインメントの小説なんだから、
読んでなくても構わないんじゃないの?
640名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 12:01:27
これね。ttp://blog.goo.ne.jp/binbin1956/e/167b870e00f51a5fe1fb83f2386c356c

この先生の教え子に対する愚痴から始まって政治への愚痴で終わるという。
実に非論理的な文章ですね。文は明解ですが、論理的ではない。

> 中世ヨーロッパのキリスト教会は、字の読めない人たちのために絵物語を作って聖書の教えを説いていた。

上の非論理的な文の挿入は、西洋への憧れを表していて恥ずかしい。

丸山正男みたいで恥ずかしい。

「だんこんの世代」いいねぇ〜
641名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 13:33:34
スレチ覚悟で質問です!質問スレが無かったので悪しからず…(´Д`)
おいらの友達に『だいすけ』って友達いるんだが漢字が珍しいんだ!大+示右の字なんだがこの『示右』で一文字なのだ!すけって読めるけど変換でないどなたか違う読み方とか解る人いますかね?
642名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 14:12:08
祐(ゆう)
643名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 16:20:22
81 :名無しさん@3周年:05/01/23 00:03:44
サブサハラの所謂仏語圏アフリカのフランス語使用についてどう思われますか。
私は中世ヨーロッパのラテン語使用と同じ状況ではないかと考えています。
理由の一番目は、その土地で一般住民の日常生活ではその言語は使われておらず、土着の言語が息づいていることです。
もちろん、現代アフリカの大都会では、母語の異なる地方出身者が入り混じって住んでいるため、リングアフランカとしてフランス語が使用されている場合もかなりあります。
しかし、母語としている人は皆無で、国によって異なるものの、フランス語の高度使用能力を持つ国民は数パーセントに過ぎない国もあります。
理由の二番目は学問、技術、芸術という社会の上層階層で使用されているという点です。
そこで問題提起ですが、サブサハラアフリカの言語状況がこのような状態でまともな現代社会を築いていけるのでしょうか。
建前としては、国内に数多くの言語が存在し、その一つを国語、公用語には採用できないという事情、そして土着言語では、教科書や教師を新たに作成、養成するのに時間、費用がかかるという理由でフランス語使用が正当化されています。
しかし、これはフランス語を操る少数のエリート層が自分たちの権益を守るために取っている政策とは言えないでしょうか。
そもそもフランス語は学校に長く通わないと習得できないわけで、貧しい庶民は師弟を学校に行かせる時間的、金銭的余裕もありません。
従って、フランス語の能力保持者か否かで支配・被支配関係が半永久的に固定されているのです。
このような状況では、健全な社会の発展は望めないと考えられます。
更に言えば、こうした言語問題がサブサハラ低開発状態の一番の根源ではないかと考えるのです。
ご意見下さい。
644名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 16:23:25
なんだかんだで
日本語って汎用性の高い言語じゃん。

世界中の言語を比較してみても、
おそらく日本語はボキャブラリー豊かな言語だろ。

英語やフランス語、ドイツ語ならまだしも、
悲惨極まる朝鮮語を日本語の代替言語として挙げる>>1
どう考えても頭おかしいよね。さっさと精神病院にいって脳内調査をしらいなさいね。
645名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 16:25:15
>>644
        _ ___
  r‐;ァ'⌒7⌒7'´ ̄:ヽ;:.`.ュ_
  L/.:.:.:.:(;;;;_ノ:./:/:,.:_:l:.:.:.:.:.ヾニユ_
  r;'l.:.:.:.:广ヽ;./:./://^ー'1:l:.l:.:Y;;;;;;>
  ∨.:.:.:ハ;;;;rイ|_イlイ{    }.:|:.|.:.ト=く
  |:.:.:.:!:.ハノrflハ「リ  ./イ;イノ-;;r「
  .|:.:.:.:|:.:ト{ ゞ=′   /ナ>ム`'「:.:!
  |:.:.i:.:|:.:トヘ.     , `" //|.:.|.:.:|
  |:.:.|:.:|:.:::::|\  一- ,. イ「::|.:.|.:.:.| < あなた・・・朝鮮語が魔術教会のラテン語的存在
  |!.:|.:.:|:.:r┴-.ニl、r;ニ´:::::||:::|.:.:|.:.:.|            であることを知らないわけじゃないでしょうね?
 ,||.:.|.:.:.l::|   /ハY ト-、--v冖、:!
-й.:.|.:.:.ヾ!  ノ什^l.ト 、j |  |  l::!
646名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 16:28:31
ハングルってのは漢字と混ぜて使うことで、
初めてその効果をあますことなく発揮できるってのに、
愚劣極まる鮮人共はハングルオンリーにしちゃったからなぁ。

一度失ったものを取り戻すのは簡単じゃないのにさ。
一体彼らはこれからどうなるんだろうね。

にしてもあの文字、合理的なのは認めるけど、
合理を追求しすぎちゃって、明らかに視認性が悪くなってるよねw
647名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 16:32:30
とりあえず

母語人口 公用語人口
1 中国語 (1,000) 1 英語 (1,400)
2 英語 (350) 2 中国語 (1,000)
3 スペイン語 (250) 3 ヒンディー語 (700)
4 ヒンディー語 (200) 4 スペイン語 (280)
5 アラビア語 (150) 5 ロシア語 (270)
6 ベンガル語 (150) 6 フランス語 (220)
7 ロシア語 (150) 7 アラビア語 (170)
8 ポルトガル語 (135) 8 ポルトガル語 (160)
9 日本語 (120) 9 マレー語 (160)
10 ドイツ語 (100) 10 ベンガル語 (150)
11 フランス語 (70) 11 日本語 (120)
12 パンジャブ語 (70) 12 ドイツ語 (100)
13 ジャワ語 (65) 13 ウルドゥー語 (85)
14 ビハール語 (65) 14 イタリア語 (60)
15 イタリア語 (60) 15 韓国語 (60)
16 韓国語 (60) 16 ベトナム語 (60)
17 テルグ語 (55) 17 ペルシア語 (55)
18 タミール語 (55) 18 タガログ語 (50)
19 マラータ語 (50) 19 タイ語 (50)
20 ベトナム語 (50) 20 トルコ語 (50)

世界の主要言語の主観的格付けでもしようぜ!!
>>599がいっているようにな!!どうせ糞スレなんだからさ!!
648名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 16:37:02
Naver enjoy koreaに行けば
日本語を喜々として貶めている韓国人のスレッドが沢山見れるおw
649名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 16:38:46
>>648
うんざりするほど、連中のハングル自慢がすごいよな。
科学的・論理的・世界一優秀などといってるわりに、
韓国人の立てたスレッドは、どこを見渡してもウンコ以下の駄文ばかり。
650名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 16:41:02
まぁ、あそこは日本人も同じようなもんだと思うがね。

科学的な文字ハングルを駆使して
韓国人が投稿するスレッドの内容は、
どれをみても科学などとは程遠いものばかり。
651名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 17:06:17
このスレをザッと見れば、
日本語がいかに糞な言語であるかが良く分かろう。

日本語は生産的な議論に向いていない。
これからは、フォーラムな場所では積極的に英語を使うべきだ。
652名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 17:07:33
英語って慣用表現の塊なんだもん。
覚えても覚えても終わりがないって感じ。
フランス語とかと比べると、やっぱり英語は雑然としてるんだよね。

あちなみに俺はアメリカに4年いたから英語はペラペラのペラリンコだよ。
653名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 17:14:14
日本語が糞とかどうでもいい。

今の俺にとって本当に重要な問題なのは、
俺が26歳にして未だ童貞だという悲惨な事実だ。

おまえら、こんなところを眺めているヒマがあったら
女の子ともっと関わりをもったほうがいいぞ。

でないと、俺や神聖童貞で名高い"伊58"みたくなってしまうからな。
654名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 17:17:12
>>653

俺の通っている高校のクラスメイトは
最近、無人のホテルで3P(男2女1)したっていっていたぞ。

方や、26歳で童貞とは・・・・現実は厳しいな・・・。
655名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 17:23:15
セックスは人の一生において
かなり重要な部分を占めている。

だからさ、疑問なんだけど・・・
20歳越えても童貞の輩って、何が楽しくて生きてるんだ?

その年になっても、女の子の一人も抱けないなんて悲惨すぎるよね?w
656名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 17:35:16
素人相手に童貞捨てるなんてのは、かなり幸運な例。
4 人に 1 人いるかいないかだと思うが。
657名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 18:06:09
>>656 どうゆう環境にいるんだ?
オラは元縄師だが、セックスなんか重要じゃないよ。
エロに溺れたら地獄だぞ。
そんなことより言語学や諸言語きっちりやった方がいいと思う。

童貞ってのは考え方によっては非常に清らかなことなんだから恥じる必要はない。
それよりエロエロなやつは恥じるべきだと。オラもで、スマソ
658名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 18:15:58
SM 趣味は全くないんだがな。
659名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 18:19:55
4人に1人いるかいないかで、「かなり幸運」っていう表現が引っかかる。

そういう表現が使えるのは、
せめて「○○人に1人」じゃねえか? (○○の部分は二桁)
660名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 18:27:05
では、4 人に 1 人を目指してくれたまえ。
661名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/10(月) 23:59:09
>>652 それも2から言い続けているです。
662名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 00:27:53
所詮15世紀になってできたものに過ぎない
663名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 13:58:26
自国の言語を晒すことに何の意味があるのだろうか
日本語は生活のあらゆる面で使われてる言語だし、
もし糞言語だったらとっくに淘汰されてるはずだ
664名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 18:05:45
>>1に言おう!

少なくともこれだけはハッキリしてる。




         現代朝鮮語は単なる""劣化日本語""




本当にありがとうございました。せいぜい百年単位の視野で
誇らしい母語・朝鮮語を洗練させていってください。
665名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 18:09:02
日本語は2000年の歴史があるんだから
洗練されてるにきまってるじゃん。

朝鮮語みたいな、糞言語と一緒にしてくれるなよ。
古代朝鮮語の姿が全くわかってないってのに、朝鮮語が日本語の起源だとは笑わせるよ。

虫唾がはしる。
666名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 18:11:57
朝鮮人は朝鮮語の発音の多さを自慢するけど何で?
彼ら何か、勘違いしてるよね???
667名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 18:16:40
思うんだけど、世界一科学的・論理的な文字ハングルを
使う韓国人の思考が非・論理的なのは、朝鮮語自体が非・論理的だからじゃね?w

言語自体が非・ロジカルだったら
いくら文字が優秀でもあんま意味ないよねww
668名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 18:33:41
>>653

あぁ・・・どうせ俺は童貞だよ。
不細工すぎて外にも夜しか出れない。

http://ameblo.jp/user_images/c3/4e/10005824128.jpg

いいよな、平均顔の連中は。
俺は一生童貞だよどうせ・・・。
669名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 18:38:42
>>668

だれコレ?
伊58ですか??
670名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 19:53:42
仮性童貞ってあんのか
671名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 19:57:53
あいかわらず嫌韓蠅がうるさいなあこのスレは
672名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 20:19:07
日本語は見た目が悪い
外人は日本語を見ても日本語に興味を持てないはずだ
中身が良くても入り口が汚い店には入りたくないのと一緒だ
673\________/:2006/04/11(火) 20:36:40
  V
 ∧_∧     
 <; `∀´>   
 ( ⊃⊂ )  
 | | |   
 〈_フ__フ.  
674名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 20:46:28
ここで世界の様々な文字と、それで組まれた新聞の紙面がみられるが

ttp://www.nacos.com/moji/index_a.htm

韓国と日本の新聞紙面が突出して醜い。
漢字と仮名(韓国はハングル)が混在しているからだ。
この汚さは日本の町並みと同じような統一性の無さに起因する。
ハングルのみで組まれた北朝鮮の新聞のほうがよほど統一性があり、
美しく感じるがどうだろう?

言語の機能やナショナリズムの問題は抜きにして、
単純に視覚的な問題としてみてくれ。
675名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 20:48:09
日本語の表記体系ってさぁ・・・
たくさんのモノにあふれた日本の家の中によく似ていて、
物質的には豊かではあるが、そこにはイメージを
「こうしよう」「こうしたい」という理念がないんだな。

外字が日本語の文章をみて、
「の」が目に付くのはその前後に漢字がくることが
多いからだと思うが、目に付くということはそれだけ異質だということだ。


対して、
西洋人は自分たちの文字を1000年以上かけて洗練させてきているんだよ。
かれらの審美眼は日本人みたいに無神経じゃないよ。
いまだにアルファベットとアラビア数字がフィットしないと考えているほどだ。
676名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 20:48:49
>>675

外字じゃなくて外人。
677名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 21:39:08
>>674
統一感による見た目の良さと、読みやすさとは
トレードオフの関係にあると思うよ。

>ハングルのみで組まれた北朝鮮の新聞のほうがよほど統一性があり、
>美しく感じるがどうだろう?

視覚的美しさという点では同意できるが、
漢字ハングル混じり文より、確実に読みにくい。

>>675
>西洋人は自分たちの文字を1000年以上かけて洗練させてきているんだよ。

1000年前のアルファベットは、現在のものと
造形的にはほとんど違いは無いと思うんだが。
678名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 22:09:24
>>675
> たくさんのモノにあふれた日本の家の中によく似ていて、

日本の家ってたくさんのモノにあふれてる?
伝統的にはものがないのが日本の家だと思ったけど。

> 外字が日本語の文章をみて、
>「の」が目に付くのはその前後に漢字がくることが

本当に外字さんは「の」に目が付くって言ってた。
確かな根拠に基づいての発言かどうかだけ気になって。

>西洋人は自分たちの文字を1000年以上かけて洗練させてきているんだよ。

↑の人と同じ疑問を持った。ドイツ人が髭文字やめたとかのことを言われてます?

>>674
> ハングルのみで組まれた北朝鮮の新聞のほうがよほど統一性があり、
> 美しく感じるがどうだろう?

ハングル自身が縦横の直線、斜め線、丸などが混ざってるし、密度の多い文字や
少ない文字があって、それほど統一性を感じない。
679名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 22:43:56
馬鹿か。文字を装飾の模様かなんかと勘違いしてるんじゃないのか?
ハングルの見た目の均質度の高さは確かに世界の現用文字の中で群を抜いているが
それは間違いなくハングルの視認性の低さと言う欠陥の現れに過ぎない。
なんで抑揚に乏しく、似た文字が多くて極端に冗長性が低く、
故に読むにあたっては、一点一画ゆるがせにしない厳密な判別が要求されるという
ハングル最大の欠陥を朝鮮人は美点と勘違いしてるんだ?

あとオレの知る限り外国人から見た日本文の視覚的印象はけっして悪くはないし、
そもそも抑揚=汚いという発想は世界中の書道の傾向と正反対の珍奇な発想だな。
680名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 23:01:03
そも「の」という文字が日本語の文字面でよく目立つことこそ
日本の文字が永年の歴史で洗練されてきた証拠。
「の」こそ日本語の文法の中で要となる助詞を示す文字であり、
そういう重要で頻度の高い音にこそ単純でかつよく目立つ字形が
与えられるべきなのだ。

日本語の助詞をになう仮名は概ねそういう字形をしているし、
漢字も数字や基本的で頻度の高い文字ほどそうなっている。
ローマンアルファベットは当初この点の弱い文字だったが、
2000年の歴史の中で小文字を産み出すことによってこれを
実現している。小文字、特に筆記体の母音の文字は、
やはり相対的に単純でなおかつ目立つ字形が与えられている。

一般に学者とかが机上で創作した文字体系は決定的にこの点が劣っているものが多い。
西夏文字は、一見漢字より複雑な字形を持つ文字だが、実は辞書上の平均画数は
漢字よりも少ないのだ。ところが、実際に頻度も問題になる実用上の画数は
漢字より遥かに多い上、均質なので非常に煩雑な印象になる。
西夏王朝滅亡後もしばらく残った西夏文字が結局滅亡してしまったのも
結局この煩雑さが原因だろう。

そして、平均画数という点では若干ましとはいえ、ハングルはこれと全く同じ問題を
抱えたまま存在している文字なのである。
681名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 23:03:10
>>674 >>679 に同意。
漢字かな混じり表記は優れてると思うけどね。
理由は、判読しやすいこと。
漢字が語根や語幹を示し、仮名が助辞、活用、曲用などを示しているから。

これによって日本語は分かち書きの必要がない。

分かち書きしないと非常に読みずらいローマ字や、シナ語を見てください。
シナ語はそれでも分かち書きしないし、やっと近年になって
西洋流のパンクチュエーションを導入しただけ。

これまたズート言ってるんですが、国とか民族とかで争うのはいいことない。
やめましょう!!!
682名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/11(火) 23:11:27
>>681
中国語の学習テキストには、あることはあるんですよね。
分かち書きした文章が。
通常の文章より格段に読みやすいのに、なぜか普及しない。

おどろいたのは、外国語板で、
「この分かち書きが一般化すればいいのに」と発言したら、
「却ってその方が読みにくい」というレスがついたこと。

分かち書きが読みにくいと感じる人も多いのかなあ?
683名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 02:09:34
日本語は英語やフランス語に絶対に追いつけない・・
そこには、どんなに努力しても超えられない壁があるからだ・・
日本人がそれを自覚したとき、日本が彼らの奴隷でしかないことを悟るのだ・・
684名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 02:12:59
字面の問題は活字のデザインの問題
http://ohkadesign.cool.ne.jp/wabunfont/library.html
お好きな書体をどうぞ
685名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 02:14:04
じゃあそろそろ文学について語ろうか
となると朝鮮人の出る幕はないな・・・
686名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 03:46:24
それはさておき漢字は世界に広める価値があるよね
687名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 03:50:16
688名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 07:25:16
ハングルと日本語って文法そっくりだよ。大学の第2外国語で中国語抽選もれでハングルになったけど、文法結構近いから英語より理解が早いと思う。今年は会話まで取っちまった。逆に英語圏の人からみれば両方ともわけわかんねぇ言語かも。
689名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 10:25:00
>ハングルと日本語
性質の異なる両者を比較する可笑しさ。
690名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 10:26:36
その大学では授業名が「ハングル」なのだろう。
691名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 11:24:58
普通そう思うよな
692名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 14:31:37
日本語から漢字の訓読みを排除すれば
日本語は国際的に飛躍できる可能性が高い。

これ、ほんと。
といっても、当の日本人はそれを許さないだろうけど。
693名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 14:33:01
>>688

だからさ、現代朝鮮語ってのは
一種の激しく訛った日本語の方言みたいなもんだから・・・。

朝鮮語を占めている大部分の語彙だって日本由来だし。
本来の朝鮮語なんてとっくのとおに失われてるわけだ。
694名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 14:39:02
とりあえず国連の公用語に日本語追加しろ。
いい加減おかしいだろ、英・仏・中・露・西・アラビラの六ヶ国語だけなんて!!
695名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 14:45:18
すでにアングロ・サクソンの白人様が日常話す
高等な文明語によって日本語は内部から崩壊しつつあるのだ。

しかし、そのようなことに日本の愚昧極まる猿どもは気がつかない。





日本人よ、 

   日本語と共に、滅びるがいい!!!! 


  日本列島はまもなく海に沈没するだろう!! 
696名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 14:46:20



         僕の名前は酒鬼薔薇聖斗


               夜空を見るたびに思い出すがいい!



                                                   .
697名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 14:49:46
いま俺は、この腐りきった日本を救うため、
東大の文Tを目指して猛勉強中だ。
なぜ東大の文Tなのか、それは政治家になるためだ。

10年後には総理大臣になり、まずは日本語の使用を禁止し、朝鮮語を公用語にして
隣国との関係を超緊密にして、打倒アメリカを目指す。 それが俺がもつ唯一の夢だ。
698名無し象は鼻がウナギだ!:2006/04/12(水) 14:54:40
朝鮮語を生まれながらの思考言語にすれば、
日本人は愚鈍な思考スパイラルから解放される。

それが俺の持論だ。だから俺は総理大臣になって、
総理大臣の絶大な権限をもってして文部省に働きかけ、
言語構造改革を実施する。

その手順は、

1.隣国から大量の優秀な人材を呼び寄せる。
2.その人たちに朝鮮語普及委員会を組織させ、生まれたばかりの赤ちゃんたちに朝鮮語で教育する。
3.生まれた赤ちゃんたちは朝鮮語が母語となる。
4.日本語は緩やかに消滅する

そういうことだ。

朝鮮語が母語になった時点で初めて、
日本人総知識人化を実施することが可能となるのだ。
699名無し象は鼻がウナギだ!
韓国語が日本人の母語になったら、
韓国並みに日本国内でレイプ事件が多発しそうだな・・・。

生粋の日本人までもが韓国語に脳を侵されて、
ところ構わず女を襲うレイパーになっちゃいそう。