平成に入ってあたりではないでしょうかね、昭和初期は日本女は女らしさがあったらしいですよ
日本の女から女らしさが失われたのは、自分が思うにはですけれど。
男と女が近づき過ぎているということでしょう
日本語の言葉の成り立ちそのものにが関係してくるんですけれど
日本の男が使う言葉は他国の男の使う言葉と比べると汚いということです。
言葉と心は常に表裏の関係にあるという事です
言葉が汚くなってきたら心も汚くなっている可能性が高いと言う事でしょう。
まぁ昔から所謂ズベコウは存在したでしょうけれどもね
言葉と心は常に表裏の関係にあると言う事です
男からの、願望ですけれど女が女らしくして全く損する事はありません。
男と同じような言葉、立ち振る舞いになればなるほど
女らしさが、失われていくのは当然の成り行きです。
昔こんな書き込みをしますた。
平安時代には、最澄と空海が仏教の新しい潮流をもたらします、最澄が天台宗が、空海が真言宗をおこします
この時代も天皇や貴族が言ってみれば自分たちの安泰を祈る為の宗教で、まだ一般の人には浸透しません。
最澄 伝教大師の教えは天台法華宗を大切としているのでわかりやすく、何しろお釈迦様が一番重要なのは法華経としていたので
鎌倉時代に活躍される、僧侶はここの宗教出身者です。
空海 弘法大師の教えはわかり難い為、少し極端な話ですけれど弘法大師一代状態になったそうです
http://www.osoushiki-plaza.com/library/data/data131.html信者さんのおおよその人数です 何しろ「密教」なんですから、非常に理解しにくいそうですしとらえどころが無いと言いましょうか。
鎌倉時代になると、いよいよ本格的な武士の世の中の扉がこじ開けられます、源義経が平家を滅ぼしてしまうのです
日本の歴史が大転換します、これにより朝廷中心の世の中が終了し武士(一般庶民)の夜が明けます
そもそも武士とは最初からそこに住んでいて自分達の財産は自分で守るという、在家の武士(一般庶民)
そして、貴族の血はひいているのですけれど都に住んでいてもたいして出世できないので地方に出てきた、貴族の武士
このふたとうりだそうです、しかし奈良時代にも武士という文字が存在するので、武士が何時できたか明確なは解らないそうです
在家の武士というのは自分達の耕した土地の正式な所有者になりたいということで、源頼朝を神輿としてかつぎ力をつけます。
武士は普段人を殺せざる負えなくなりますから、罪の意識があるので自分達に悪い事がおきないように又死後極楽浄土に行けるように祈ります
鎌倉時代には沢山の僧侶が出現します、法然・親鸞・道元・日蓮等です、最澄がつくった比叡山の延暦寺で、仏教の基礎を学んだそうです。
法華経の基礎を学び一応の修行を終えそれぞれ、法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、道元が曹洞宗、日蓮上人が日蓮宗を開きます
この人或いはこの神?が作られた宗教が今の宗教の礎となっているのでしょう、それと日本に古くからある神道ですね。
政治家 法律を作る 外交を通じ国益を考える 国家予算を考える 国際平和の実現
いい政治家を育てるには国民が選挙に行かなければならないということでしょう
国民が幸せで豊かで平穏な生活を送るには、何をするべきかを考えるのが政治家の役割でしょう。
では実際、戦後日本に「政治」が本当にあったのかどうかというとどうでしょうかね
選挙は民主主義の基本でしょう。
戦後の政治で税金をばら撒いた結果、日本は政治不在リダー不在の国になった気がする
税金のばら撒き方は、日本のリーダーシップにとなり日本人を引っ張っていくもんではないと思う
自分の信念自己弛張を堂々と貫くタイプは 政界 各界 財界 でも異端視扱いされた感じもします
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るのだ。だが、この始末に困る人でなければ
難関をともにして国家の大業をなすことはできないまさに至言である。「現代語訳」
日本の政界は本当の意味で自分の考えで行動できる政治家がいないようにも思います。
官僚霞ヶ関で働いている有名大学法学部卒のエリート集団ですから法律を作ることでは政治家より優れている。
膨大な統計データを保存し補助金をどうするかを考えることは官僚にかなう者はいないでしょう
日本列島隅々の行政ネットワークを持ち、それらのデータを握っているのですから
そこで官僚に任せてしまったんでしょう、と言いますか乗っ取られたのでしょう。
外交に目を向けますと、日米安全保障体制の下アメリカに従うことが基本姿勢であったから
改正も政治家が決断したり行動したり責任を取ることもなかったのでしょう
官僚任せにした結果、日本人はなんでも(上)役人、官僚に任せてしまい「自己責任」が無くなったのかもしれません
官僚(お役人)いわゆる、霞ヶ関で働いているエリート集団・不祥事、スキャンダルでやはりイメージがよくはないですね
民間企業への監督・指導・許認可等の政策決定に関して大きな影響を与えうる権限を付与される地位にある者を指す
他方、大臣や副大臣・政務官は上級の公務員であるものの、政治家(国会議員)であるため官僚にあたらない。
明治時代の文豪 ラフガディオ・ハーン 小泉八雲
http://www.matsue-tourism.or.jp/yakumo/ http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/yakumo.html 「日本で最も美しいのは、日本の婦人である」 と書き残しているそうです
その当時の日本人はさぞ美しかったのでしょう、では何が美しかったか想像すると
日本には、女らしい綺麗で優しい女ならではの言葉使いがありますし、言葉を綺麗に使っていたのでしょう。
言葉の美しい女性が心も美しいという証明は、言葉と心は表裏一体の関係にあるということです
心を最高最善に表現するのは言葉ですからね、でも言葉も時代により揺れますからね
言葉は揺れながら時代に合うようになっていくし、大勢の人が使うことにより日本語に定着するでしょう
日本語を乱れさせる原因は流行語が次から次にできるからでしょう。
やはり小さい時から男女平等という生活に慣れているから男の言葉に女が慣れてしまったということでしょう
日本語の大きな欠点として男が使う言葉は汚い!ということがあげられるでしょう
男が使う言葉を女が真似と言いますか、女に伝染するとしたなら当然女の使う言葉は汚くなります。
しかも尚且つ同世代の人とだけとしか付きあわないとすると、敬語が介入する余地もなくなり
結果は言葉がどういうものになっていくのか、一目瞭然ということになります
女性である貴方が男と付きあうのは結構なことですけれど、言葉まで男が使う言葉にならない方が良いと思いますよ
あるいは男の使う言葉が汚いと思い、これは女として使うべきではない、女として美しさが損なわれる
と判断したなら、その言葉から遠ざかっていくべきでしょう。
神様が人間に送った最高のプレゼントは言葉である!と言い切っても過言ではないでしょう
人間と他の動物との最大の違いは言葉というのもは、人間しかもっていないということです
その言葉を娘さんそして女として生まれからには、より美しく使ってい頂きたいものです。
顔がいまいちに生まれようが、悩んだりしないで、普段使う言葉そして立ち振る舞いを
美しくしようと心がけるといいと思いますよ、男の視線がまったく気にならないのなら別ですけれどね。
言葉が美しい女性は心も美しいということです、女を顔で選ぶ男には通用しない場合もあるでしょうが
言葉使い立ち振る舞いが綺麗な女性は、見かけが綺麗な女の美しさをも超えてしまうということです。
時には女を顔で選ぶ男の心をも揺り動かしてしまうのは、やはり言葉使い立ち振る舞いが美しい女性です
普段から言葉使い立ち振る舞いを女らしくやさしくして頂きたいものです、男の願望ですけれどね。
心を表現する最高最善の、そして直接な方法は言葉以外にはないということです(言葉こそ最強であるということです)
沈黙は金雄弁は銀黙して語らないことをよしとして、沈黙は金のように値打ちがあるという時代はもう終わったのです。
心と言葉は常に表裏一体の関係にある、ということです、自分の心を最高最善に表現するのは「言葉」です
女性である貴方がどういう人間に成長し、どういう考えを持っているのか
それを証明してくれるのは、言葉なんですだからこそ「言葉」が大切なんです。
この世の中には、女であるからこそ身につける知恵ふさわしい光景があるということでしょう
粗暴な言葉使い立ち振る舞いになるほど、女らしさが失われていく事は、当然の成り行きです。
心の中に存在する女のなにかが、体を伝わって自然に男にも女にもその女がもっている「女らしさ」が伝わるでしょう。
ハイパーインフレがくるなんていう人がいますけれど預金封鎖 円暴落 まぁ国家破綻ですか。
ハイパーインフレになったとして物価がもし8倍になったとすると。
例えばですけれど1ドル80円が800円になったとして。
日本の外貨準備は約1兆ドルだそうです。
1兆ドルあるのですから万が一、ハイパーインフレが来たら80兆円が800兆円になると。
なんと800兆ですから、800兆あれば日本の謝金の半分以上返せます。
財務省がなんで巨額な外貨を準備しているかはインフレ対策であるそうです。
という事で日本においては国家破綻はあるえないそうです。
ギリシャなんて産業は観光位でしょうし、公務員の数も国民比率で相当な数になるそうですから。
安倍政権は適度なインフレ、適度な円安(まぁ110円前後でしょうか輸入輸出がありますし)を目指しているのでしょう。
自分が日本はインフレに向かっていると考えるのは理屈ではないのです、これ以上デフレが続くなんてあるでしょうか?
まぁ短期的に見てもおそらく年末に向けて円が安くなり、結果株価は上がると考えています。
長期的に見てもハイパーインフレも起こらないし、デフレは終わっていると考えているのです。
そもそも経済というのは基本的にインフレなんですよ。
デフレはすでに終了しています、日本の歴史でデフレなんてたった20年ですから( ^^) _旦~~。
明治政府が西南戦争のインフレの時紙幣が不足して紙幣を発行1881年から1887円の5年。
1920年から1933年の第一次世界大戦の戦後恐怖、銀行不況、関東大震災、金輸出解禁、昭和恐怖の13年。
太平洋戦争のGHQ経済ドッジ1949年、朝鮮戦争でこのデフレも1年で終了。
トータルで日本におけるデフレは約20年、アメリカは230年でデフレは50年。
1989年から12月から始まったデフレは株価、為替レートなんか考えて既に終了していますね( ^^) _旦~~。
デフレが今もって続いているのなら、円は今頃1ドル70円→68円→66円→60円→55円→50円無制限に落下?
デフレが今だに続いているならばマクドナルドのハンバーガーなんて50円になっていると思いますよ。
インフレ論とかデフレ論?をする時は、デフレという「悲観論」を述べた方が説得力があると言いますからね
インフレ論というのはどちらかというと「能天気」なんですよ、だからインフレ論はアホとかバカに見えるんです( ^^) _旦~~。
日常の挨拶の言葉は家庭内でも、そう沢山あるものではないと思います。
「おはようございます」「いただきます」「ごちそうさま」「いってまいります」「いってらっしゃい」
「ただいま」「おかえりなさい」「おやすみなさい」「すみません」「ありがとうございます」
この10の挨拶の「言葉」を日常の生活で欠かさずに行いたいものです、日本人の礼儀作法の基本がお辞儀ですから。
ハキハキと挨拶ができる女性は美しいと思います、ではなぜ挨拶ができると女性が美しく見えるかと言いますと
日本人は挨拶をする時頭を下げるからでしょう、女の人が頭を下げて挨拶をする時の動作は、非常に美しいという事です
西洋では握手なんですけれど握手は体がくっつかないと手を握り合えませんが、挨拶は距離を置いてもできる行為です。
「おはようございます」を「どうも」なんていう挨拶になってしまいますと頭が下がらないところに問題があると思います。
日本はアジア大陸の東端にあるのであらゆる文化が吹き溜まるのでしょう、独特の文化を作ってきたという事です
神道の自然を大切にする教え、仏教の智恵が、アジアの東の端にある日本に入りあらゆる文化が吹き溜まるのでしょうね
神道、仏教の尊い教えが、すべて総合されてできたのが「頭を下げる、お辞儀」という事だとおもいます
神道の自然の恵みに感謝し自然を大切にする気持ち、仏教も人のお陰に感謝する慈悲の気持ち。
この二つがかみ合って、すべて総合されてできたのが頭を下げる、お辞儀をするようになったのでしょう。
「おはよう」という挨拶がない家庭というのは、お父さんお母さんのあいだにも「おはよう」という挨拶がないということです
ということはその家庭には、お爺ちゃんお婆ちゃんも「おはよう」という挨拶がなかったということです
要するに先祖代々その家庭には「おはよう」という挨拶がなかったということになります。
その家庭に「おはよう」という挨拶がないということは、「おはよう」という挨拶がある家庭より
劣った環境でいつまでも暮らさなければならないということになります。
その家庭に「おはよう」という挨拶がないとしたら、あなた自身がその家庭で初めて
「おはよう」ということをしなければいけないでしょね。
「おはよう」という挨拶があらゆる人間関係を築いていく最初の一歩であるということです。
今イジメの問題がありますが、そういう家庭ではもしかしたら「おはよう」という挨拶がない気かします
もちろん家庭で「おはよう」と言わないお父さんもお母さんも、職場では「おはよう」という挨拶はするでしょう
なにしろ職場ではお金をくれるんですから、お金をくれるところでは「おはよう」と挨拶するわけです
なぜ、家庭で「おはよう」と言わないお父さんお母さんが職場で「おはよう」ございますと挨拶するかといいますと
職場ではお金が支給されるからです、日本人はお金をもらえるところでは「おはよう」としっかり挨拶できるんでしょうね。
人が恋愛をするという事は素敵な事だと思います、恋人達が二人で町を歩いている姿はとても素敵な風景ですね
さらにそれが、結婚に到達すれば幸福につながりSEXという行為が含まれていても善の行為だと思います
ただ「愛」している、その時は愛していた、軽々しく愛という言葉を使い過ぎるのはどうでしょうか
やはり特に女性の場合将来を共にする人が現れるまでSEXしない方が良い感じもしますけどね
結婚の意志が無くただ一時的衝動に駆られてのSEXとなると、少なくとも女性にとっては不幸に成りかねないのではないでしょうか
しかし、自由恋愛主義者は言うでしょう愛しているのだからSEXしてあたりまえだと今時恋愛してSEXしないなんて信じられないと
盲目的な自由恋愛主義に飲まれてしまってはいかがなものかと思いますね。
恋愛状態にあって恋人にSEXを求められても、結婚という前提が無いのなら
NOと拒否できる判断力を育てていく、という考えに賛同してくれればいいなあと思います。
恋愛で成長できる生き物はあらゆる生き物の中でも人間位かも知れませんね
恋人同士で、時には励ましあい時にはけんかをする時もあるでしょう、時には辛い時共に泣いたりすることもありますよね
将来の夢や希望を話し合い、自分自身の本当の姿をさらけ出すことが出来るのも恋人がいるからこそでしょう
人は恋愛で成長すると思います、人として生まれたら恋愛を経験しなくてはそれこそ異性の本質を知ることは出来ないかもしれません。
ただ一時の恋愛状態でSEXまで経験してしまうと、幸福になれるものより不幸になってしまう人のほうが多い様にも思えます
やはり特に女性の場合、結婚ということを前提にSEXした方がより幸福になれるのではないですかね。
へたをすればイケている女像を、性経験が豊富SEXの回数(経験人数)が多いと女としての魅力がます
何て言うマスゴミ、フェミニズム思想にはくれぐれも騙されない様に。
自分の体はこの世でたった一つのもの、自分の体は自分で大切にして下さいね。
たいていの男は、割と簡単に愛してるよと言う。
しかし、本当に難しいのは、しっかりした職に付いている男に僕と結婚してくれるかいと言わせることでしょう。
日本の歴史で他国の歴史と違い解りづらいところは、朝幕並存ということでしょう
朝廷と武士(幕府)が並立しているということです(権力が一元化していない)
他国の歴史には詳しくないのですけれど、外国では普通権力は一元化しているという事でしょうね
宗はモンゴルに滅ぼされ、元はとなり、元は明に滅ぼされ、明は清に滅ぼされます。
平安末期、朝廷はあるのですけれど、肝心な力(武力)は無いに等しいのですから
そこで武士にある時はまかせ、ある時は依存し、ある時は利用したのでしょう
普通王朝は一つしか無く前の王朝は滅ぼされるのが世の常ですが
日本の場合朝廷から幕府に政権が移行したにもかかわらずそのまま残ります
その状態が約700年続き明治維新の時、武士の政権が朝廷に日本の統治権を返還する
「大政奉還」と言うかたちで終わりました。
朝廷と武士が両立していた謎と説くには、何故武士が興ったのか考えるべきでしょう
武士が台頭してきた当時平安末期日本は、中国から輸入された律令制度の国家です
日本に大きな変化が起きたのは、平安中期戦争が無くなってしまったという事なのです
異民族である蝦夷を征伐する為の将軍が征夷大将軍の起こりですが
律令制度の中の武官として軍人として定義されていたのでしょう
征夷大将軍である坂上田村麻呂の活躍により東北地方から異民はほぼ駆使され
大和朝廷は本州九州四国を支配する事になりました、異民族による戦争が終わったのです。
ここで平安朝政府は軍備を排除してしまったのです、日本国律令政府は兵士が一人もいない状態になったのです
もともと律令制度は中国で作られたもので中国の考えに沿った構造をしていますが
律令制度の軍事と警察は必要ないと考えたのでしょう(と言うか朝廷側が人殺しという穢れを避けた結果)
何故日本朝廷は軍事部門を担当しなくなったか、貴族達が自らの手で人を殺したくないと考えたのでしょう
そういった「穢れた事は武士にやらせれば良いではないか」とこれが中国との違いでしょうね
現実問題として軍事警察部門を廃止してしまえば国(都)は荒れてしまいます
そこで設けられたのが「検非違使」です、令外官(本来の律令には規定されていない官職)です( ^ω^) 〆。
都には検非違使がいますけど地方へ行くと警察がいないのです、治安が悪くなると皆が武器を持つようになります
必然的結果自分達の身は自分で守らなければならない、これが武士の興りの理由の一つでもあるでしょうね
武士とは最初からそこに住んでいて自分達の財産は自分で守るという、在家の武士(一般庶民)
貴族の血はひいているのですけれど都に住んでいてもたいして出世できないので地方に出てきた、貴族出身の武士
このふたとうりだそうです、しかし奈良時代にも武士という文字が存在するので、武士が何時できたか明確な事は解らないそうです。
平安末期武士が興ると、中国の真似をしていても世の中を収める事が出来なくなります
中国にはそもそも武士が存在しないからです、中国の兵士は全て軍人だからです
三国志では関羽張飛等国家の正式な将軍なので、明らかに日本の武士とは違います
日本では私設の武装集団である(武士)が国家の警察部門を担当するという極めて変則的な状態になってしまった。
在家の武士というのは自分達の耕した土地の正式な所有者になりたいということで、源頼朝を神輿としてかつぎ力をつけます
平安末期になるといよいよ本格的な武士の世の中の扉がこじ開けられます、源義経が平家を滅ぼしてしまうのです
幼名牛若丸 遮那王 源義経が平家を滅ぼした事により日本の歴史が大転換します。
毘盧遮那仏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E7%9B%A7%E9%81%AE%E9%82%A3%E4%BB%8F 判官贔屓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A4%E5%AE%98%E8%B4%94%E5%B1%93他国には無い弱者への同情 義経の活躍これにより朝廷中心の世の中が終了しいよいよ武士(一般庶民)の本格的な夜が明けます
この日本の歴史を大転換した源義経の偉業は、飛鳥時代に活躍された聖徳太子の偉業に匹敵するのです。
幕府政治というのは建前としては朝廷が日本の統治権を将軍にゆだねているというかたちなので
将軍が役に立たなくなれば、将軍家から朝廷に統治権を返せば戦争をすることなく収まるというのが「大政奉還」です
あくまで武家の棟梁「征夷大将軍」は天皇に委任されているというかたちですねですから、奉還(返還)なのでしょう
天皇が委任したから征夷大将軍であり、委任であるからこそ朝廷と幕府が併存できたのでしょうね( ^ω^) 〆。
すべての事が混沌としていてやがて、陽と陰に分かれ天と地になり天上界の高天原に3人の神様が現われ
イザナギ、イザナミという兄弟神を生みました、この兄弟神も日本列島を覆うほど巨大であったそうです
イザナギノミコトは、妻のイザナミノミコトにお尋ねになりました。
「あなたの身体はどのようになっていますか?」
「私の身体は、すっかり美しく出来上がっていますが、一カ所だけ出来きれていないところがあります。」
とイザナミノミコトがお答えになられると、
「ほう、私の身体もよく出来上がっているが、一カ所だけ出来き過ぎたところがあります。では、
私のからだの出来すぎたところをあなたの身体の出来きれないところに刺して塞いで、この国を生みたいと思うのだが、どうだろうか?」
「それがよろしいでしょう。」
「今、私たちが生んだ子どもたちは、どうもよくない。もう一度、天つ神様たちの所へ行って、尋ねてみよう。」
と二柱の神は相談され、ご一緒に天つ神のところに参上し、お伺いを立てました。
天つ神のご命令で、鹿の骨を焼いて占ったところ、「女が先に声をかける事はよくない。また戻って改めて言いなおせ。」とのお告げがありました。
そこで二柱の神は、島に降り戻って、もう一度、天の御柱を前のようにお回りになられました。今度は、イザナギノミコトが先に
「やあ、本当に美しい女性ですね。」とおっしゃると、その後でイザナミノミコトが、 「まあ、本当にすてきな男性ですね。」とおっしゃいました。
このように言い終わった後に男女の交わりをしてお生みなった子が、淡路島(あわじしま)次々にお生みになり
八つの島をお生みになったので、この国を「大八島国=おおやしまのくに」というそうです。
それこそが日本列島(豊葦原瑞穂の国)最初に1淡路島2豊秋津島(本州)3四国 4九州5 隠岐+佐渡6 越野島(北陸地方)7大島8児島
と8つの島からなるので、「大八島の国」と呼ばれ、これが「日本の誕生」だそうです。
イザナギノミコト、イザナミノミコトが国生みをしているときは、あの世とこの世の行き来は自由だったそうです。
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、国をお生みになった後、次の十柱の神々をお生みになられました。
しかし、イザナミノミコトは、火の神のホノカグツチの神をお生みになった時に、陰部を火傷(やけど)され、
ご病気になられ、しばらくしてお亡くなりになられたのです。
イザナギノミコトは黄泉の国に出かけ、イザナミノミコトを連れ戻そうと考えました。
黄泉の国の館で妻に会うと、イザナキノミコトは「まだやり残したことがあるから戻ってきてほしい。」
と頼むのですが、イザナミノミコトは「残念です。もう既にこの国の食べ物を口に入れてしまったので帰ることが出来ません。」
と言いました。
しかし「せっかく会いに来てくれたのだから黄泉の国の神にお願いしてみます。」と言いました。
そして「私がもどるまで絶対に私を見ないでください。」と言い残して館の中に入っていきました。
しかし、いつまで待ってもイザナミノミコトは戻ってきません。
我慢が出来なくなって,髪に挿していた櫛の歯を折って火を付け、館の奧に入っていきました。
そこでイザナキノミコトは,ゴロゴロと音をたててウジ虫がはい回っている変わり果てた妻の姿を見てしまいました。
そして、今まさに8の雷神が生まれるところでしたあまりの恐ろしさにイザナギノミコトは大あわてで逃げ出しました。
それに気づいたイザナミノミコトは、「よくも私に恥をかかせたな。」と怒って追っ手を差し向けてイザナキノミコトを捕まえようとしました。
鬼のように恐ろしい女たちが追ってくるので、髪につけていた物を投げつけて時間稼ぎをしましたが
雷や黄泉の国の軍勢も加わって追ってきました。
桃の木があり、イザナキノミコトはその実を3つほど取って投げつけました。
すると、追っ手はみな黄泉の国へ戻っていきました。
イザナキノミコトは「人々が苦しい目にあって困っている時に助けてやってくれ」と言って
桃に「オホカムヅミ」という名を授けました、今度はイザナミノミコトが追いかけてきました。
イザナギノミコトは大きな岩で坂道をふさいで、それ以上現世には入ってこれないようにしました。
こうしてイザナギノミコトは、やっと黄泉の国から地上へ戻られました。
イザナギノミコトは、「わたしは、とても汚く穢れた醜い国へ行ってしまったので、禊ぎをしなければならない。」がおっしゃって
九州の日向(現在の宮崎県北部)の「橘の小門の阿波岐原」にお出ましになり、みそぎをなさいました。
最後にうまれた三柱の神々は、左の目をお洗いになった時に出現したアマテラスオオミカミ(天照大御神)
右の目をお洗いになった時に出現したツクヨミノミコト(月読命)、鼻をお洗いになった時に出現したスサノオノミコト(須佐之男命)です。
イザナギノミコトは、「わたしは、これまで多くの子を生んだが、一番最後に貴い三人の子どもたちを得た。」とお喜びになられました。
アマテラスオオミカミに「あなたは、天を支配しなさい。」とおしゃっいました。次にツクヨミノミコトに「あなたは、夜の国を治めなさい。」といい
スサノオノミコトには、「あなたは、海原を治めなさい。」とおっしゃいました。
こうしてそれぞれの神は、イザナギノミコトから命じられた国を治められましたが、スナオノミコトだけは海国を治めずにヒゲが胸元までのびたおとなになっても
泣きさわいでおりましたその泣く有様はものすごくて緑の山々が枯山になり、海や川の水が乾ききってしまうほどでした。
この悪い神が起こした乱暴な物音は、ハエのように世界に満ち満ちてしまったので、あらゆる災い(わざわい)ごとが次々と起こりました。
そこでイザナギノミコトが 「なぜ、お前は、命じた国を治めないで、泣きさわいでいるのか。」
とお聞きになると、スサノオは 「わたしは、お母さんのいる黄泉の国へ行きたくて、泣いております。」
と答えたので、イザナギノミコトは、たいへんお怒りになり 「それならば、お前はこの国にいてはならない。」
とおっしゃって、スサノオノミコトを海原の国から追いはらわれてしまいました。
アマテラスオオミカミは神聖な機織場(はたおりば)で神様のお着物を織らせている時にスサノオノミコトは
斑模様の馬の皮をはいでその死体を機織場の天上に穴をあけて投げ込んだのです。
それに驚いた機織りの娘は、機織りで横糸を通すための道具板で、女陰をついて死んでしまいました。
これには、さすがのアマテラスオオミカミも恐ろしくなって、天の岩屋戸(とびらが大きな岩で作られた洞窟)の中に隠れてしまわれました。
するとあらゆる禍いが起きました。
アマテラスが「天の岩屋」に隠れると、天も地も真っ暗になり、あらゆる災いが起こったそうです。
高天原はアマテラスが納めていましたが、スサノオの気性が荒すぎたのでイザナギがスサノオを追放したそうです。
そこで困った神々はお祭り踊りを始めアマテラスを「天の岩屋」から招きだしたそうです
「私が隠れてしまったので高天原も葦原の中国も闇につつまれ暗くなったというのにどうしてアメノウズメノミコトは
楽しんで踊り、多くの神様たちは大声で笑っているのだろうか。」そこで、アメノウズメノミコトが、
「あなた以上の尊い神がいらっしゃるので、われわれはみな喜んで笑い、楽しんでおりました。」
と申し上げている間にアメノコヤネノミコトとフトダマノミコトは鏡を差し出してアマテラスオオミカミにお見せしました。
するとその姿が鏡に映ったので、アマテラスオオミカミはますます怪しいと思って少し戸から出て外をのぞかれたところ
隠れていたタヂカラオノミコトがアマテラスオオミカミの手をとって引き出し、すぐにフトダマノミコトが、注連縄を天の岩屋戸の入り口に引き渡し、
「もう、ここから中へは帰ることはできません。」と申し上げました。
こうして、アマテラスオオミカミが、天の岩屋戸から出てこられたので、高天原も葦原の中国も自然に明るくなったのです。
すると、ついに光がよみがえれました。スサノオは追放されました。
しかし、風の神スサノオはその当時、豊葦原瑞穂の出雲で暴れていたヤマタノオロチを退治!
退治したヤマタノオロチの尾からは「草薙の剣」が出てきました。草薙の剣はアマテラスに献上しました。
こうしてスサノオノミコトは、高天原を追い払われ、出雲の国へ降り立ちましたするとこの河に箸が流れているのを見て上流に人が住んでいるに違いないと思い
たずねて行くと、老人と老婆が、小さな女の子を間に抱いて泣いていました。スサノオノミコトが 「お前たちは、だれだ。」
と尋ねると、その老人が、答えました。
「わたしは、この国のオオヤマツミという神の子で、名をアシナヅチ妻はテナヅチこの子の名は、クシナダヒメと申します。」
「お前たちは、なぜ泣いているのだ。」
「わたしたちの娘は、8人いましたが、ヤマタノオロチが毎年やってきては食べてしまいます。今そいつが又やってくる時期なので泣いているのです。」
「そのヤマタノオロチというのは、どんな形の動物なのか。」
「はい。それはもう恐ろしい怪物です。その目は、ホオヅキの花のように真っ赤で、ひとつのからだに頭と尾が八つづつある大蛇(だいじゃ)です。
そのからだには、コケや杉やヒノキの木などが生え、その長さは八つの谷と八つの山ほどもあり、その腹は、いつも血がしたたって、ただれています。」
と老人が説明すると、スサノオノミコトは、少し考えて老人にこう言いました。
「あなたの娘さんを私の妻としていただけませんか。」 「恐れおおいことですが、あなた様はどなたでしょうか。」
「わたしは、アマテラスオオミカミの弟です。今、天から降りてきました。」
「なんと、それは恐れおおいことです。ならば、わたしの娘を差し上げましょう。」
こうして、スサノノミコトは、その娘を櫛に変身させ、髪に刺しました。そして、アシナヅチ、テナヅチの老夫婦にこう命じられました。
「あなたたち、まず強い酒をたくさん造ってください。そして、家の回りを垣で囲んで八つの入り口を作ってください。その入り口すべてに
台を作り、その上に酒の桶を置いて強いお酒をたっぷり入れておいてください。」
老夫婦は、言われたとおりに準備をして待っていると、本当にヤマタノオロチがやって来ました。
すると怪物は八つの桶に八つの頭を突っ込んで酒を飲み始めました。とうとう怪物は酔っぱらってその場にドーンというもの凄い大きな音とともに倒れて寝てしまいました。
すこでスサノオノミコトは、持っていた長い剣で大蛇をずたずたに切り刻んでしまったので肥の河が血の川となって流れていきました。
しかし、大蛇の尾を切り裂く時に、剣の刃が少し欠けました。これはおかしいと思って剣の先を刺し、切り開いてみると一本の立派な太刀が現れました。
スサノノミコトはこれは珍しい変ったものだとお思いになりこれをアマテラスオオミカミに献上されました。
これが、後にヤマトタケルが、敵から火ぜめにあったときに、草をなぎはらったということで有名になる「草薙の剣」です。
こうしてスサノノミコトは自分の宮殿を作る場所をこの出雲の国に決められました。そして、須賀の地にたどりついた時に、
「私は、この地にやってきてから、心がたいへんすがすがしい。」とおっしゃって、宮殿を建てられました。
それでそこを今でも須賀というのですそして初めての宮殿を建てられたときにそこから雲がもくもくと立ち昇りました。
その時に、次のように歌を詠まれました。
や雲たつ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻隠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を
たくさんの雲がわき立つ わたしの宮殿 妻と一緒に暮らすための宮殿を造ろう その見事な宮殿を)
そして、アシナヅチの神をお呼びになり、
「あなたは、わたしの宮殿の長官におなりなさい。そして、稲田の宮主 須賀の八耳の神と名乗りなさい。」と命じられたのでした。
大国主命が日本の国作りをしたのに何故か高天下原に居られた天照大御神が孫に瓊瓊杵尊に国を譲ってくれと
言い小さな争いはあつたのでしょうけど基本的に話し合いにより話し合いにより国譲りが成立しているという事です。
飛鳥時代には聖徳太子が十七条憲法で話し合う事が重要性であると言われていますけど
日本神話の国譲りの根底に既に話し合いの重要性が存在していたという事です。