タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part15

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183
「ゲイ・ビアンのタチネコと、ジェンダー論/ジェンダー・スタディーズの関係」についての話を
中心に、 様々なテーマについて、少しマジメにマタリと語り合うスレッドですヽ(´ー`)ノ

  「ネコだから甘えていいんだよ」って何か変じゃん…って感じたかた、
  ジェンダー論やセクシャリティー研究に興味のあるかた、
  とにかく頭の体操的に「知的好奇心」で参加してみたいかた、

身近な体験談も論理的な話も何でもOK、どんどんお気軽に(屮゚Д゚)屮 カモーン

過去スレ
タチとネコのジェンダー論 (□ω□)
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1081521600/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part2
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1084546884/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part3
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1086107825/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part4
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1087574564/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part5
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タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part6
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1102169679/
【暫定】ジェンダー論など(□ω□)★part7
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1106420385/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part8
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1109175834
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part9
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1120916216
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part10
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1128217791/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part11
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1131641547/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part12
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1137069805/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part13
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1142944982/
タチとネコのジェンダー論(□ω□)★Part14
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1145199836/

「タチとネコのジェンダー論」ガイドライン
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/2342/flame.htm
2禁断の名無しさん:2006/06/06(火) 16:59:20 ID:n4GaggMw
                  
  ( ´∀`)     
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_  
  \/    / 
     ̄ ̄ ̄ 
  
  ( ´∀` ) < 糞スレ大歓迎だお
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_  
  \/    / 
3はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/06(火) 22:35:35 ID:oEwIPdIb
乙でーす☆>1
4quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/07(水) 00:03:40 ID:t7AbQBuK
>>1
乙です^^
5quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/08(木) 13:53:42 ID:Zdss0guW
前スレ645の続き

「地域共同体」が十全に機能し、「大家族」で「農業」で
生計を立てていた時代には、「母親」という「役割」は、
「農業労働」と「家事労働」の「二重負担」を負う「子どもの
母親であるひとりの女性」に負わせるのは「無理」だから、
「共同体」のメンバーや必ずしも「女性」とは限らない「大家族」の
メンバーが部分的に「委任代行」したり、あるいは「共同参画遂行」して、
「母親」という「役割」を「分担」、「家事労働」を「分業」していたわけです。

要するに、今の「企業労働」と「家事労働」の「二重負担」を
負わされているキャリア女性に対してより、サポート体制ははるかに
「マシ」なんです。

でも、これが「産業構造の転換、高度化」とそれによる「国内、国際双方の
労働市場における女性労働力の需要の高まり」で、「農村」においても
「都市」においても壊れた。「地域共同体」は「若年労働力」の
「都市」への流出で機能不全を起こし、「大家族」は「核家族」化する。
その結果が「少子高齢化」です。それへの対応は「国益」に関わる
「国策」でしかありません。

大沢真理にしても猪口邦子にしても「真っ当な保守」なんで、
「最低限」やるべきことをやっているだけです。それゆえ、
彼女たちの「近代」批判の不十分さ、を上野千鶴子が
新たな「問題」としている。そこに「セクシュアル・
マイノリティのフェミニズム」の問題も関わっているんです。
「『男』並みがフェミのゴールではない」というところで。
6quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/08(木) 13:57:10 ID:Zdss0guW
前スレ639と645も再掲しておきます。

639 :はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/07(水) 22:48:50 ID:emM8vayK
こっちまだ書けるのかな??

秋田の事件、母親失格をやたら強調する報道にうんざりだな。
母親とか母性とか神聖視するのって何なんだあれ。
処女を有難がるのと一緒???

645 :quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/08(木) 13:38:03 ID:Zdss0guW
>前スレ639
「母」という「親族呼称」と「母親」という「役割」を1対1対応させ、
「あるひとつのメスの身体」にその「役割」を「規範」として課す、
というのは、いつの時代でもどの場所でも行われていることじゃありません。
むしろ、そんなことしてることの方が少ない。「近代」に限定される現象ですね。

「役割」は「委任代行」できれば「共同参画遂行」もできます。
文化人類学研究、経済人類学研究にはそうした事例は多数ある。
日本の安定成長期までだって、「農業中心の産業構造」
「地域共同体」「大家族」が「母親」の「委任代行」「共同参画遂行」を
可能にしてきた。「地方」のみならず「大都市」でも「子ども会」の
ような組織が、年少の女性の子育ての悩みを年長の女性が解消する、と
いった機能を不十分ながらも果たしていた。

この社会がかつてもっていた、「農作業」という苛酷な「労働」と
「育児」「介護」や「調理」「洗濯」「掃除」といった「家事労働」の
「二重負担」を「ひとつの身体」に負わせる「無理」を避けるという
「知恵」を、戦後生まれの「団塊」からその直後あたりのとくに「男性」が、
自らはその「知恵」の「恩恵」を受けておきながら、「知恵」の
「継承」ができないままきたこと、そのため「知恵」の「継承」が
断ち切られ、それを「近代」批判というかたちで「フェミニズム」の
「輸入」、導入によって補わなければならなくなったこと、
そこにいわゆる「ジェンダーフリー」をめぐる「問題」の淵源があるんです。

「知恵」の「継承」を断ち切る「近代」に対する「批判」ができず、
「知恵」を「継承」して「懐かしい未来」をつくることができない、
「何もかもが新しい、だけどこれは見たことがある、知っている」という
光景をつくることが「団塊およびその直後の男たち」にはできない。
自分たちが「恩恵」を受け、そのおかげで「今、ここにある」、
そうした「知恵」の「懐かしさ」が「男女共同参画社会」にあることが、
理解できない。産業構造の転換、高度化によってその「知恵」を
必要とする「場所」が変わっただけのことなのに。

「母親」という「役割」を「委任代行可能」で「共同遂行可能」なものに
「再び」すること、それが「男女共同参画社会」の実現なんです。
7quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/08(木) 14:13:54 ID:Zdss0guW
今スレ>>5の続き

年長の子どもが年少の子どもの「子守り」をする、
これは「アンペイド・ワーク」「無償の家事労働」として
「分業」された「育児」です。

それを「有償化」し「ベビーシッター」という「労働」として
市場に乗せれば「育児」の「市場化」、「ボランティア」
「有償ボランティア」がその「役割」を担えば「育児」の
「社会化」です。

先進国が取った「少子化対策」は大きくわければ「市場化」と
「社会化」の2つで、少なくともそれで「歯止め」はかかった。
「育児」という「家事労働」を、「委任代行可能」「共同参画遂行
可能」なものに「再び」することで、なんとかもちこたえた。

しかし、それにより、「アメリカ国籍をもつ白人女性によって
ベビーシッターとしてロサンゼルスで雇われるフィリピン国籍の女性」を
めぐる問題が起きている。どこまでもいっても、「皺寄せ」は
「女性」に向かっている。そんななかで時折生じる「ベビーシッターによる
乳児虐待」を「2人の女性」間の関係に還元するのは間違いでしょう。
8quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/08(木) 14:23:33 ID:Zdss0guW
従来の意味に加え、デリダの言うような意味で「性的差異」の問題までを
含めた意味で economy 「経済」「節約」という言葉を用いるなら、
Personal is Political-Economical だということです。

従来の経済学 economics の不十分さの克服が evolutionary economics
「進化経済学」によって開始されていますが、それが economy を
どう扱うのか、それはまだこれからですね。
9禁断の名無しさん:2006/06/08(木) 18:54:51 ID:v6H4fp+U
>>前スレ645
前半の意識大きな間違い。
貴方の「近代」の期間に問題があるのかもしれませんが。

ま、同性愛板には関係ない話ね。
10禁断の名無しさん:2006/06/08(木) 22:53:00 ID:MDWxwWW7
まるで「なんでもいいから今は嫌」と言ってるみたい。
11禁断の名無しさん:2006/06/09(金) 09:59:27 ID:A9smTBhJ
同性愛の問題をフェミとかそういう下らない活動と一緒にしてほしくないわ。
同性愛者の中でも不遇をうけてるからってみんなまとめてブスにしないでちょうだい
12quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/09(金) 13:44:10 ID:qbEtZ0rm
>>10
前スレ583さんの

583 :禁断の名無しさん :2006/06/04(日) 04:35:38 ID:FoHwAagU
モノに名を与えるのが人間という生き物の必然ならもう話はおわりじゃない?

については前スレ584で、

584 :quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/04(日) 16:45:26 ID:b3MXTyrM
>583
>583が「問い」であるなら、「話はおわるかどうか」を「問う」ものであるなら、
とりあえずの「答え」をレスとしてここに記すことができるでしょう。

でも、それが>583さんの「信念の表明」であるなら、「『もう』話は
おわるはず、おわらなければならないはずなのに、『まだ』おわってないのは
ヘンだ、おかしい、愚かだ、等々」、あるいは、「話は『もう』おわるはずなのだから、
話を終わらせろ」という「要求」「命令」であるなら、どうして
「話はおわるはず」なのか、その「道筋」「プロセス」をもう少し丁寧に、
僕も含めたスレの参加者のみなさんに、説明なさる方がよろしいかと思います。

で、どちらなのでしょう?

とおうかがいしたわけですが、前スレ583を「問い」として受け取った場合の
僕のとりあえずの答えはこうなります。

「区別」は必ずしも「差別」ではないし、「差別」化された「区別」は新たな「区別」により
「区別」に戻すことも可能である、ということではないかと。そしてそれもまた
「モノに名を与える、与えてしまう」という「人間という生き物」の「必然」に由来する
「人間という生き物」の「必然」であると。

「人間という(他の生物より優れていると信じている)生き物」は「生物進化」の end
「目的」「終わり」ではなく、「人間を超えていくもの」が「人間」のなかにいる。「必然」として。
したがって「生物進化のプロセス」=「話」は続く、続いてしまう、そういうことではないでしょうか。

これがミシェル・フーコーが『言葉と物』の最後で「人間は波打ち際の砂の顔のように
自らを消していくだろう」と言い、ブランショ論である「外の思考」の最後の文章で、
「だが言語が起源と死の相互的な透明性として露呈されるならば、いかなる人間といえども、
『私は話す』 je parle というこのただひとつの明言のうちに、みずからの消滅の、
みずからの来たるべき出現の脅威的な約束を受け取らない者はいないのである」と述べる、理由です。

この「外」というのは「今、ここにある『なんでもいい』『いつでもいい』『どこでもいい』場所、時空」のことです。
anything ,anytime , anywhere 。「なんでもいいから今は嫌」というのは、「生物進化のプロセス」のなかにある、
途上にある「生物種としての人間」が、「話す」「書く」という「行為」において必然的に口にしている「言表」です。
つまり、>>10さんは

> まるで「なんでもいいから今は嫌」と言ってるみたい。

と「話す」「書く」ことによって「なんでもいいから今は嫌」と自分もまたおっしゃってると
僕は思うのですが、それに気付いていない、というか、気付いていて「否認」なさっている。
「なんでもいいから今は嫌」というのは、「生物進化のプロセス」のなか、途上にある
「人間という生き物」「生物種としての人間」が必然的に「話す」「書く」ことによって
「言表」してしまう「言表」であって、「話す」「書く」という「行為」が行われているなら、
そこに必ず響いている、ゆえに、聞こえる「言表」です。「人間」を「生物種」としてみた場合、
「なんでもいいから今は嫌」と言っていない「人間」はいない、ということです。したがって、
「まるで〜言ってるみたい」なのではなく、「確実にそう言っている」、「人間」であるはずの>>10さんも。
13quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/09(金) 13:45:41 ID:qbEtZ0rm
ちなみに、この「生物進化のプロセス」のなか、途上にある「生物種としての
人間」が必然的に「話す」「書く」ということで何を語ろうと、何を書こうと、
それと同時に「言表」してしまう「なんでもいいから今は嫌」という
「言表」それ自体を指して、このスレで使われ続けてきた言葉が「モニョリ」です。

現在、このスレには少なくとも2つの類型の「生物種としての人間」がいます。
「自らが『モニョリ』を口にしている」という事実を認める「生物種としての人間」と、
「自らが『モニョリ』を口にしている」という事実に気付きながら、その気付いている
ということ自体を「否定」することで、「自らが『モニョリ』を口にしている」という
事実を「否認」しようとしつつ、結局、その「否認」を「話す」「書く」という
「行為」によって遂行することで、「モニョリ」を口にしてしまっている、
「言表」してしまっている「人間」。

ジャック・ラカンならここに「性的差異」を置き、前者を「女性」、
後者を「男性」とするところでしょうね。あるいは、前者を「言語」、
後者を「人間」として、「言語は人間に寄生する」なんていうかもしれない。
チャールズ・サンダース・パースによれば「言語」と「人間」は「共進化」の
関係、つまり、「共生」にあるのではないか、ということになるのだけれど、
それを「寄生」と言ってしまうところにラカンの「存在論化されたミソジニー」を
みることはできるかもしれませんね。「言語=女性を『寄生者』として嫌う人間=男性」。

これは前スレで述べた、「インターセックス」をめぐる「身体」の「位相」と
関わる問題で、あそこではふれませんでしたが、「アクチュアリティ」「バーチャリティ」
「リアリティ」「ポッシビリティ」はそれぞれ無限のグラデーションをもつわけですが、
それゆえ、「アクチュアルな男性器」をもつ「リアルな身体」と「バーチャルなインターセックス」を
もつ「ポッシブルな身体」と「バーチャルな翼」をもつ「ポッシブルな身体」という
自らの「身体」の「重層性」と、テクノロジーによる「徴発」 Gestell の可能性の
程度によって、その「強度」を考えることができるのですが、ラカンはこの
「重層性」の頂点に「アクチュアリティ」と「リアリティ」の無限の度合いとして
「人間=男性」の「身体」を置き、「それ以外」を平板に「死」、引用符つきの死、
として扱っているんじゃないか。その結果、「言語」は「シニフィアン」「シニフィエ」で
説明され尽くすことになる。「文学」は、この「死」の引用符をはずす営みで、
たとえば、カフカの「動物」を考えてみると、どうなるか、それがドゥルーズ=ガタリの
『カフカ マイナー文学のために』ですね。

なぜ、このスレが「ジェンダー論」なのかという理由のひとつ、
それはそこにラカンのこの「存在論化されたミソジニー」が
関わるからなんじゃないでしょうかね。で、僕はこの「ミソジニー」は
価値概念としての「近代」において「構築」されたものであると考える。
それが今から100万年前であろうと、この「存在論化されたミソジニー」の
あるところ、それを「近代」と呼ぶことができる。あるひとつの歴史概念としての
時代のなか、たとえば「中世」のなかで価値概念としての別の時代は
「出現」しては「消滅」を繰り返し、別の時代への「入り口=出口」をつくる。

この「入り口=出口」としての「近代」は確かに「歴史を超えて」「いつの
時代にも」存在しうる。しかし、それは「生物種としての人間」の歴史のすべてが
この価値概念としての「近代」に「平板に」覆われてきた、ということではない。
歴史概念としての「近代」のなかには価値概念としての別の時代が「入り口=出口」として
「出現」し「消滅」している。たとえば、その「入り口=出口」のひとつが
このスレだったり、あるいは、ギンズ+荒川の「養老天命反転地」や
「三鷹天命反転住宅」だったりする、そういうことじゃないか。あるいは、
「ヘテロセクシュアル」の「身体」、「セクシュアル・マイノリティ」の
「身体」もまたそうした「入り口=出口」たりうるし、その「身体」において
「入り口=出口」は「出現」と「消滅」を繰り返している。

「なんでもいいから今は嫌」と言い続けることは、「今を愛する」こと、
「今の自分を肯定する」ことと決して矛盾せず、それが「創発」としての
「自由」につながる、ということでしょうか。「今を愛する」「今の自分を
肯定する」ことと「不自由を甘受する」ということが「同じ」なのは、
「近代」の「人間=男性」だけです。
14禁断の名無しさん:2006/06/09(金) 20:49:48 ID:KE6pq78F
「なんでもいい」ってわけじゃないでしょ?
普通は。
15quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/09(金) 22:37:14 ID:qbEtZ0rm
>>14
ええ、このスレでも「ジェンダー」と「セクシュアリティ」に関して、
という限定はついてます。ただ、「変化」の「結果」がわかってから
「変化」する、ということはないわけです。なにもかもがわかってから
「書く」ということがなく、「知」と「非知」とのあいだで「書く」ように。

なぜ、「モニョ」るのかがよくわからなければ、「なんでもいい」となるでしょうし、
このスレではいろいろ話していますので、その「なんでもよさ」が少しばかり
減ってもいるわけです。サッセンが国連とともに、やっているグローバルな
プロジェクトとかね。あるいはインターセックスに関して、関連団体が
やろうとしていることとか。

そういうのを「見たくない」者にだけ、相変わらず「なんでもいい」と
見えるだけです。
16quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/09(金) 22:46:47 ID:qbEtZ0rm
前スレ624の「身体」の話はなにもおかしな話ではなく、
どうして「性別再判定手術」が可能であり、そんなものが
存在するとみんなが「了解」可能なのか、ということを
説明しているにすぎません。前スレ624は、誰もが「知っている」ことです。

「知っている」が「気付いてはおらず」、「言語化」もされていないこと、と
いうのはいくらもありますし、それを「言語化」することで変わることも
いくらもあります。

なぜ、「男性」は自らの「身体」に「性別再判定手術」が行われ、
「インターセックス」となることを恐れるのか、が問題ですね。
17禁断の名無しさん:2006/06/09(金) 23:52:00 ID:TwPs9/xT
自演乙。
18はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/10(土) 00:30:57 ID:bpiMogm6
>>6
>産業構造の転換、高度化によってその「知恵」を
>必要とする「場所」が変わっただけのことなのに。

俺は自分ではけっこう保守派だと思っていたんだけど、
ここでフェミ系の話をしてるだけで、
「左派」とか「ラディカル」とか「リベラル」とか言われがちなことが
すごい不思議なんだよね。
突き詰めて考えると、すんげありきたりというか、古臭いことを言ってる気がして
自分的には照れくさいと思うことも多々あるのにw(「共生」とか)

「母親」という役割を、あるていど共同参画遂行できてる人だっているよね。
夫がいたり兄弟姉妹がいたり舅姑がいたり実家の両親がいたり、さ。
でもあの容疑者は育児を分かち持ってくれる人は誰もいなかったんでしょ。
なんかねえ……
モザイクでインタビューに答えてる中に、むかつくコメントが少なくなくて、
イラついちゃってー
19はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/10(土) 00:36:08 ID:bpiMogm6
>前スレ643(395さん)
>マウスにも子育ての上手な家系と下手な
>家系があって、下手な家系の子どもを上手な家に里子に出すと、
>その里子のマウスが成長して自分の子どもを生んだときには、
>自分がそうされたように面倒見よく上手に子どもを育てられるように
>なっていたのだそうです。

へえ、「育児能力」なんて言い方を聞いたことがあるけれど、
学習できるんですねー?
20はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/10(土) 00:39:37 ID:bpiMogm6
>>10
「なんでもいいから今は嫌」ってどういう意味????

「なんでもいいけど今は嫌」なら分かるんだけど。
21quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/10(土) 10:59:32 ID:M26FLauQ
>>18
「知恵」の継承が断たれた原因のひとつは「戦争」ですね。
そして、その「知恵」の「断絶」が継承されている。たぶん、30年おきくらいに。
「従軍慰安婦」を「戦地」で「利用」した「父」の「息子」である
「団塊およびその前後の世代」は、「革命慰安婦」を「バリケード」の
なかで「利用」したわけですが、さらにその「息子」である「全共闘ジュニアと
その前後の世代」にも、「知恵」の「断絶」が継承されている。

「戦後」処理の問題なんです、これも。そして、「革命慰安婦」として
「利用」された「女性たち」からリブがはじまり、「知恵」の
「断絶」を「輸入」された「フェミニズム」で「回復」しようとした、
というのも、今ではわかりにくくなっているし。「フェミ」が「サヨ」批判として
始まったことが忘れられている。
22禁断の名無しさん:2006/06/10(土) 11:12:27 ID:/ID31QjR
「断絶」ってのはよく判る感覚だなー
単純に世代闘争へと置き換えられて
問題点が曖昧になりがちなんだよね
23quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/10(土) 11:59:17 ID:M26FLauQ
>>18
「懐かしい未来」を構築するための「過去」の「知恵」の「反復」ですから、
「古臭いこと」を言うのは、当然のことです。それを「新しいこと」だと
思っている方が妙です。

「性教育」にしたって、かつては「筆おろし」なんて言葉があったわけで、
「学校」ではない「地域共同体」のなかで、現在からみればもっと
「過激なかたち」で行われていたわけですよね。「若衆宿」だとかも。
年長の男性や同級生から自慰を教わるなんてそんなめずらしいことじゃ
なかったんで。森繁久彌なんかもエッセイでそんなこと書いてた。

「性」に関して「過敏」「ナーバス」になってるのも、上に挙げた
「知恵」の「断絶」を継承する世代の、これは「女性」も含めて、
特徴でしょうね。「ジェンダーフリー」をめぐる騒動を見てると
隔世の感がある。たぶん、「性」と「罪悪感」が他の世代よりも
結びつきやすいんでしょう。「従軍慰安婦」「革命慰安婦」を思い出すから。
その「トラウマ」を「非モテ」は継承してるのかもしれませんね。
24禁断の名無しさん:2006/06/10(土) 12:13:08 ID:01ehxRaa
いつのまにやら同性愛に限らずモニョル人のためのスレになっちゃったのね。
残念だわ。最初の方は有意義だったのに。
25quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/10(土) 12:22:58 ID:M26FLauQ
フロイトの理論と第1次世界大戦は密接に結びついていて、
たぶん、それをラカンの理論と第2次世界大戦が「反復」している。

日本も「戦争」を通じて「精神分析」を必要とする世代が現れた。
しかし、幸か不幸か、「精神分析」は他の先進国のように制度化されるには
至らなかった。香山リカや斎藤環はそのフォローをしている、という感じでしょうか。
『ぷちナショナリズム症候群』や『戦闘美少女の精神分析』で。

ラカンに関してはあの「論理」の「美しさ」が、労働規範としての「ジェンダー」や
「インターセックス」の「手術」を「必然」化し、「正当」化するのだとしたら、
その「論理」は「精神分析の倫理」以外の「倫理」たりうるのか、そこが問題ですね。
26禁断の名無しさん:2006/06/10(土) 16:06:09 ID:RfdMsn7u
27quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/10(土) 19:16:15 ID:M26FLauQ
今スレでフーコーの「外の思考」にふれ「言語と死」について
書いたわけですが、タイミングよくちくま学芸文庫の
『フーコー・コレクション2』が出て、「外の思考」をはじめとする
フーコーの「文芸批評」がまとまって読めるようになりました。

かつて朝日出版社のエピステーメー叢書でバタイユ論、クロソフスキー論と
合わせて『外の思考』として出版されたあとは、筑摩の言論集成でしか
読めなかったものが、とりあえず文庫化されたというのはよろこばしい。

コレクションのなかにはエピステーメーのフーコー追悼特集号「死の閾」に
翻訳、掲載された「J・P・リシャールのマラルメ」も入っています。
その文章でフーコーがとりあげているリシャールの『マラルメの想像的宇宙』も
一昨年、原書公刊から40年以上の時間を経て、邦訳されました。
「言語」と自らの「セクシュアリティ」との関係を考えるヒントが
多数鏤められた星雲のような書物。「読む」という「行為」と
「セクシュアリティ」との関係についてもまた、いろいろと
考えさせられます。両者を併せて読むのをおすすめします。
28はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/11(日) 23:24:02 ID:jMYt9oYb
>>21
「性」いわゆるセックス、性行為、への男たちが感じる後ろめたさは、
「従軍慰安婦」の問題とかに関わる「ある世代」の存在、意識というのは
実はすごく大きいんですかね???

(性行為としての)セックスって、昔は、もっと大らかだったと思うんだけど
昨今の「倫理」の締め付けは一体どこから来るんだろう?と
ちょっと疑問なんだよね。
29quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/11(日) 23:55:05 ID:bSdlggze
>>28
「戦争」から始まる「世代」の「反復」の問題はあるような気がしますね。

で、締め付けは社会の「学校化」の一側面でしょうね。背景にあるのは、
ケータイの普及と出会い系サイトの発明による社会の「ハッテン場」化の
急激な進行です。いつでもどこでも誰とでも。なので「不純異性交友」の
取り締まりが強化される、ってことなんじゃないでしょうか。
「校則」の「社会化」というか。だいたい、「学校」ってほうっておけば
「ハッテン場」になるわけで、だから少女マンガでもドラマでも物語の舞台にできる。
30はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/12(月) 00:15:17 ID:Fo5T5IyZ
「学校化」の問題って、改めて考えてみるとデカイすね。
>>6とか読んで、まっすぐに思い浮かんだのは「学校化」「エスカレーター式」
「トップダウン」で縦の形なんですよ。横の形じゃない。

そのね、「不純異性交遊」「発展場」の、上年代が下年代を性的に搾取すると考えた場合、
従来からあった「年功序列」と「学校化」が組み合わさって、
よけいに酷くなってるんじゃないか????って気がする。
31禁断の名無しさん:2006/06/12(月) 01:51:19 ID:ecFvRG6D
>>29
だいたい、「学校」ってほうっておけば
「ハッテン場」になるわけで

そうかしら。ウサギみたいね。

>>28にあるように
>(性行為としての)セックスって、昔は、もっと大らかだったと思うんだけど

であるならば昔はもっと乱れてたかといえばそうじゃないでしょ?

昔はだかが恋愛ごときに大騒ぎしなかったんじゃないかしら。
つまり考えることが個人の幸せというちっぽけなスケールじゃなかったような
気がするのね。だからある意味セックスするのに大義名分が必要なかった。
だけど今より乱れてなかったのは、そんなことで頭をいっぱいにしてる
ような人も多くなかったってことかしら。


32禁断の名無しさん:2006/06/17(土) 14:37:28 ID:o+OP7YlC
保守
33いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/06/18(日) 16:01:14 ID:nFfMlRVp
日本民間放送連盟の放送基準第77条
「性的少数者を取り上げる場合は、その人権に十分配慮する」 だとさ。

      | \
      |Å`ヽ ダレモイナイ・・・ オドル チャンス
      |⊂
      |

        ♪   A   性的多数者を取り上げる場合は
      ♪    / \   その虚構性を充分配慮しる!
         ヽノ´Å`;ヽノ
            (  へ)  人間を取り上げる場合もだお!
             く


              | \
              |Å・ヽノシ  イソイデ ニゲヨウ
              |
              |
34禁断の名無しさん:2006/06/20(火) 14:38:41 ID:WlLuXCbr
ホッシュ
35禁断の名無しさん:2006/06/21(水) 16:30:21 ID:g8+R5HsB
おさらい


学校化社会

ttp://kihachin.net/bookshelf/ueno.html
 大事なことは、いま、自分になにがキモチいいかという感覚を鈍らせないことです。
 それこそが「生きる力」なのですから(同書より引用)。

山口母子殺害事件
ttp://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1192.html
 『犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか』

性的少数者
ttp://blog.livedoor.jp/kingcurtis/archives/cat_335729.html#50236920
36いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/06/25(日) 15:43:20 ID:NMYC5BDa
>『犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか』

この一文、つい、エロ広告として読んでしまう…。
興奮しちゃうじゃないのよ、もうっ。
エロ宣伝メールに引っかかるかたの気持ちが、ちょっとわかった気がしたw
37禁断の名無しさん:2006/06/25(日) 23:28:01 ID:j8sQabeH
「川崎市人権施策推進基本計画(骨子)」パブリックコメント募集
ttp://conservative.seesaa.net/article/19202634.html

性的マイノリティの人権尊重には反対する。
性同一性障害者の人権尊重といっても、現実にそのような人は僅かしかない。
そのような障害を持った人が出た場合にケースバイケースで対応すれば済む話である。
例外的な性的マイノリティに配慮して、「男らしさ、女らしさ」を否定する教育を行うことは断じて許されない。
同性愛も同様である。同性愛は社会的タブーであり、これは健全な規範意識である。
男女の愛を大事にするところから家庭が築かれ、親子の愛が育まれる。
同性愛を容認すれば、意図して同性愛を選択する者が出てくるだろう。そうなったら男女関係から成り立つ家庭は崩れてしまう。
同性愛の人権尊重は必要ない。日本国憲法は「両性」の合意による結婚を規定しており、同性愛を認めていない。
同性愛者の人権尊重施策を行いたければ、憲法を改正してからにすべきだ。性的指向の自由も断じて容認すべきでない。
教育に持ち込むことにも反対である。
38はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/26(月) 19:00:11 ID:NTf5KAQ6
>>37
その中で、もっとも不思議に思うのは、

>同性愛を容認すれば、意図して同性愛を選択する者が出てくるだろう。
の部分なんだよね。
同じ理屈で、
「「ジェンダーフリー」を認めれば、「オトコオンナ」「オンナオトコ」だらけになってしまう」
ってのもあるよね。何なんだろう??
ロンゲに化粧して可愛いもの好きな男でも、男は男じゃん??
坊主刈にパンツスーツきめた竹を割った性格の女も、女じゃん??

みんな、そんなに、普段から「オトコオンナ」「オンナオトコ」になりたい、
同性を愛したいと思ってんのかな??
たかだか、「性的マイノリティの人権を尊重」したり、
「ジェンダーフリー」が広まっただけで、
「男女関係から成り立つ家庭が崩れる」のを心配しなきゃならないほど???

「性的マイノリティの人権を尊重」したり「ジェンダーフリー」が広まるだけで、
男女の愛を大事にした家庭は崩壊し、親子の愛は育まれなくなるっての???

ちっとおかしくね??
39いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/06/26(月) 23:17:44 ID:lVuWcLRt
>>37はスルーしようと思ったけど…。

>>38 はくタン
実はあたし、それ、一理あると思ってるのよね。

>同性愛を容認すれば、意図して同性愛を選択する者が出てくるだろう。

現在容認されてないから、意図して同性愛を選択できない者がいる。
ってことでしょ? その通りだわ。

>「ジェンダーフリー」を認めれば、「オトコオンナ」「オンナオトコ」だらけになってしまう

これ、「オトコオトコ」や「オンナオンナ」が、強制されてなければ成り立たないものだって
白状してるんでしょ?

「男女の愛を大事にした家庭」とされたものが、支配被支配の構造のピースに過ぎないと
気付かれたら、崩壊してしまうこともあるんじゃない?

規範を擁護しようとして、自分から規範は虚構にすぎないと白状してるような。
40禁断の名無しさん:2006/06/27(火) 00:12:31 ID:Iu4EBKqR
>「男女の愛を大事にした家庭」

こんなもん伝統的な日本の家族観とは別物。
41quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/27(火) 00:35:43 ID:0rb/1I9Y
>>38
PACS が導入されたフランスでも、同性婚が認められたオランダでも
そんなことにはなってませんね。なので、日本でそうなるとしたら、
それは「異性愛者の異性愛嫌い」の問題です。みんなそんなに
「異性愛」を「選択せざるを得ない」がゆえに「いやいやながら、
意図的」に選んでいるんでしょうか?

だとしたら、まず「国家」により「人権侵害」を受けているのは
「異性愛者」だということになります。「同性愛者になる権利」が
「侵害」されている。

社会契約論と立憲主義のおさらいをするまでもなく、
「国家」が「個人」の「人権」を保障するのは当然で、
「人権」は「権利のゼロ度」「義務なき権利」です。
だから「基本的」なわけで。「人権」は「国家」に
「保障してもらう」ものではない。個人が別の個人に
対してふるいうる「暴力」を「委託」した結果、
「最大最強の暴力装置」と化した「国家」に対して、
「国民」は「人権」を「保障させる」べく「憲法」をつくる。
「憲法」は「禁止事項」ではなくて「権利章典」です。
そして、そこに書かれたものだけが「人権」として「保障」されればよい、と
いうことではない。それ以外にも「保障」されるべき「人権」は
存在します。「同性愛者の権利」というのはそうした「人権」です。

「人権」とは「暴力装置としての国家」から「保障を獲得するもの」で、
「与えてもらうもの」ではない。それは「与えてもらうもの」ではないが
ゆえに「剥奪可能でないもの」であり、可能なのは「国家」による「侵害」です。
女性の選挙権や黒人の公民権が「保障を獲得」してきた歴史を見てもわかるはずです。
そして、「マイノリティの人権」に関して「マジョリティ」は何も言うべきことを
持たない。「マジョリティ」は「マイノリティ」に「人権」を
「与えてやれる」存在でもないし、「剥奪できる」存在でもないですから。
「人権」は「国家」から「与えてもらうもの」ですらない。「国家」には
ただ「人権」を「保障」する「責任」があるだけです。「国民」は「国家」に
「人権」を「保障させる」ことはあっても「保障してもらう」ということはない。
42quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/27(火) 00:37:23 ID:0rb/1I9Y
「マジョリティ」というのは「自らが国家を代表できると思っている者」ですが、
「理念」としての「国家」をいかなる「個人」も「集団」も「代表」できませんし、
「日本」「アメリカ」といった「現実」の「国家」ですら、「理念」としての
「国家」の「代表」はできない。ゆえにある「現実」の「国家」において、
「人権侵害」が存在するのであれば、その「国家」は「理念」としての
「国家」として「失格」であり、「現実」の「国家」はその「理念」としての
「国家」に照らして、さらなる「人権保障」を行う必要がある。

そして、その「失格」をイエローカードとするかレッドカードにするかを決定できる、
というのが「国民主権」というものです。そうでなければ、「主権」は「国家」に
あることになります。なので、論理的には「国家」に対する「抵抗権」が
憲法に明記されていなければ「国民主権」というのは意味をなさない。
そのへんが現在の日本国憲法にしても曖昧なわけですね。植木枝盛のように
「抵抗権」はおろか「革命権」まで明記する、それでやっと論理的には矛盾がなくなる。

「国家」に「退場」を命ずることができる、それが「国民主権」で、
これは「国民」が「国民国家」の「領域」内におさまらない「市民」 citizen で
あるところに由来する。サッセンやバトラーが近年「グローバルな市民権」を
問題とするのはそのためですね。サッセンの最新著のタイトルは、
Territory・Authority・Rights ですが、この「テリトリー」「領域」は
もちろんドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』から取られている。

>>37のリンク先の方が「国民主権」を否定すれば、行政の決定に対して
反対意見を述べようとしている自らを否定せざるを得なくなります。
それならば、唯々諾々と行政の決定に従えばよい。そして、自らが反対意見を述べることを
「国民主権」と考えるのであれば、論理的には「国家」に対する「抵抗権」を
認めているのと同じになります。行政の決定に「抵抗」している
わけですから。そして「国民主権」としての「抵抗権」はすべての者に
「ある」か、それとも「ない」かのどちらかです。俺にはあるが、
おまえにはない、というものではありません。

リンク先の方はたぶん「無意識の左翼」なんじゃないかと思いますね。
で、どういうわけか、それを「否認」している。行政の決定に直接
「抵抗」することのない僕なんかより、はるかに「左翼」です。
43quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/27(火) 00:46:24 ID:0rb/1I9Y
「国民主権」を「否定」する「非論理的な国民」というのが「右翼」の定義です。
それは自分が「国家」を「代表」でき、「自らの他者」に「人権」を「与えてやれる」
存在であるかのような「妄想」を抱くことでしか、「自己のアイデンティティ」を
「構築」できないほどまでに、「国家」により「人権侵害」されている「国民」であるわけですが、
実は現在では「左翼」もそう変わらない。「右翼」が「自らが代表可能なもの」であると
信じているのが「現実」の「国家」であるのに対して、「理念」としての
「国家」を「自らが代表可能なもの」であると信じているのが「左翼」で、
で、これはいずれもたいてい「男」なわけです。前者は「日本」を「代表」し、
後者は「世界共和国」を「代表」する。つまり、いわゆる「ウヨ」「サヨ」
対立は「にせの問題」で、双方が「現実」の「国家」に生きる「マイノリティの人権」の
「獲得」を妨害する「マジョリティ」である、ということになります。

マス・メディア、とりわけ出版メディアしかなく、「革命」に現在よりも
まだリアリティのあった時代には、「左翼」は「マイノリティの人権」の
「獲得」のサポーターたりえたけれど、「冷戦」崩壊、ネットの出現以降はそうはいかない。
「現実」にしろ、「理念」にしろ、「国家」を「代表することが可能」な「個人」や「集団」がある、と考え、
そうなることにしか「男」の「幸福」がないこと、それが問題なわけです。

「マイノリティの人権」をめぐって問題なのは、今回の例でもわかるように
実は、すでに行われている「マジョリティ」に対する「人権侵害」で、
前にこのスレで定義したように、「他者が自らの他者を歓待し、享受し、愛し、ともに
望む生き延びを生きる権利」を「人権」であるとすれば、「〜になる権利」と
いうのが「剥奪」されていること、「異性愛者が自らの他者としての同性愛者を
享受する権利」を「侵害」されていることが、なによりもまず問題なのであって、
はくタンの疑問はそこに由来する。「意図的に選択する」というのは「職業選択」などのように
「権利」のカテゴリーであって、それを「マジョリティとしての異性愛者」って
「侵害」されてるの? ってことになる。「同性愛者になる権利」を
「侵害」されてるの? ってことに。だったら、どうして「国家」による
その「権利」の「侵害」を問題にしないのか。それは、「侵害」の事実を
「否認」せざるをえないまでに「権利」を「侵害」されている、と
いうことを意味する。

したがって、「マジョリティ」の新たな定義は「自らの人権を侵害されていることに
無知かつ無関心な男、ウヨであれサヨであれ」となります。そして、そうした者が
「マイノリティの人権」に対してなすべきことは「沈黙」と「承認」の
「反復」以外にありません。「マジョリティ」はいかなる「マイノリティ」に対しても
「人権」を「与えてやれる」存在ではありませんし、また「日本」のような
「現実」の「国家」ですらそうした存在ではない。もちろん、「理念」としての
「国家」もそんな存在ではない。「自らの他者」に「人権」を「与えてやれる」
存在になりたがり、ということは、「剥奪することもできる」存在になりたがり、
それによってしか「自己のアイデンティティ」を「構築」できない「男」の「脆弱な健康さ」、
これは「オス」だけでなく「メス」にも「感染」する「脆弱な健康さ」ですが、
それをどうするか、それがドゥルーズ=ガタリが「マイノリティになる」という言葉で語った問題です。

>>40
明治以降の話ですね。キリスト教における「恋愛」が
「殖産興行」の推進と同時に普及する。
44quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/27(火) 00:50:37 ID:0rb/1I9Y
>>43補足

最終行の「マイノリティになる」の前に、「女になる」を追加します。
45quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/27(火) 00:55:19 ID:0rb/1I9Y
>>43訂正

「獲得」→「保障の獲得」
46quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/27(火) 13:06:49 ID:0rb/1I9Y
>>37および>>38のはくタンの問いからわかるのは、「男性のホモフォビア」が
「男性のヘテロフォビア」とそれに対する「否認」により
「構築」され続けている、ということですね。

「否認」の機制は、「男性のミソジニー」にもある。これは
「男性の自分嫌い」しての「男性のミサンドリー」とそれに対する
「否認」により「構築」され続けている。

で、これ、ぐるぐる回っている。「男性のヘテロフォビア」って
「男性の女嫌い」つまり「男性のミソジニー」でそれは、
「男性の男嫌い」つまり「男性のミサンドリー」と
それに対する「否認」によってできあがっていて、
でも、「男性の男嫌い」って要するにそれが「否認」されれば、
「自己嫌い」ではなく「投影」され「他者嫌い」に転化するので、
要するに「男性のホモフォビア」で、それは「男性のヘテロフォビア」と
それに対する「否認」でできがっていて、といった具合に「否認」を
オートポイエティックに「永久化」できる仕組みになっている。
それが「貨幣」を「資本」に変容させるのに不可欠の「労働力所持者」という
「種族」の「永続化」を可能にする。

その「ホモフォビア」と「ミソジニー」からなる「男性のホモソーシャリティ」が
「モノガミー」という規範を通して、女性、非ヘテロにも「感染」することで、
「カテゴリー」としての「セクシュアリティ」は成立するので、女性、非ヘテロは
それぞれに異なる「ホモフォビア」「ミソジニー」を「構築」し続け、
これまた、規範としての「ジェンダー」の再生産「労働」に従事することになる。

「男性」が自らが「去勢されうる存在」であるということを
「死に向かう存在」である、ということに短絡させず、
「自分嫌い」を「否認」するのではなく克服して、「自分好き」に
なってくれると、ずいぶんとコストを安く押さえた社会改革が
できるんですね。「女性」をはじめとする「子ども」「高齢者」
「動物」「植物」「無機物」etc.の「非理性的存在」を自らが
重層的に「潜在」させていることを「楽しむ」ことが、
「理性的存在」たれ、という命令が下されている「近代」の「オス」たる
「男性」にはできない。それらを「非理性」と「排除」し続け、「脆弱な自己」を
「維持」することでしか「生」を獲得できない、そこに「近代」における
あらゆる「差別」の「根源」がある。ミシェル・フーコーが生涯、「狂気」と
「排除」の主題を手放さなかったことを、思い出す必要があります。
47quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/27(火) 13:19:02 ID:0rb/1I9Y
このスレに「電波浴」に来る「脆弱な理性的存在」もいるわけですね。
で、それに関しては、たとえば、このスレとしては、

ttp://d.hatena.ne.jp/Backlash/

および『バックラッシュ!』なる新刊書籍を話題にしたり、
おすすめしたりするのが、一見ふさわしく思われもするんですが、
で、確かに、上野千鶴子のインタビューをはじめとして、
宮台真司、斎藤環、小谷真理ほか、によるインタビュー、文章は
このスレと関係するし、それはそれで悪くはないんですが、にもかかわらず、
あまり話題にする気にはなれず、むしろ最新刊では

郡司ペギオ-幸夫  『生きていることの科学』 講談社現代新書
エミール・ブレイエ  『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』 月曜社
ロラン・バルト    『〈中性〉について』 みすず書房

を、新刊予告されているものでは、

アブラハム、トローク 『狼男の言語標本』 法政大学出版局
シャルル・フーリエ   『愛の新世界』 作品社
スタフォード      『ヴィジュアル・アナロジー』 産業図書

なんかを、新刊にこだわらなければ、

岡崎乾二郎       『経験の条件』 筑摩書房
岡崎乾二郎、松浦寿夫 『絵画の準備を!』 朝日出版社
ディディ=ユベルマン  『残存するイメージ』 人文書院
郡司ペギオ-幸夫    『生命理論』  哲学書房
マテ‐ブランコ     『無意識の思考』  新曜社
バルトルシャイティス  『バルトルシャイティス著作集』全4巻 国書刊行会

を、読んで、自分の「身体」について考える方がヘテロであれ非ヘテロであれ、
「楽しい」し、その「楽しさ」が何かにつながっていくのではあるまいか、と
思ったりします。その「楽しさ」を「楽しむ」ための条件もまた、「人権」として
「保障」されるべきもののはずですが、「国家」により幾重にも「侵害」されている。
ここでは、男女板や社会学板が『バックラッシュ!』をめぐって陥るであろう、
上記の書物リストを読み、考える「楽しみ」と「幸福」とは無縁な展開とは
別の展開があってもいいんじゃないか、という気がするわけです。
ゲイ・サイエンス、「悦ばしき知」の板として。
48quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/27(火) 13:19:53 ID:0rb/1I9Y
岡崎やディディ=ユベルマンの、そして何よりもバルトルシャイティスの、
書物にあふれる図版を眺め、その図版をめぐる文章を読み、
自らの「身体」について考えることを「楽しむ」。これは「複製技術時代」における
「大衆」の「楽しみ」です。それを「楽しむ」権利を「侵害」されている「男たち」がいる。
自分が「大衆」であると考えているか、宮台のように自分を「亜インテリではない真のインテリ」であると
考えているかに限らず、「人権侵害」を受けた「男たち」がいる。

>>37のリンク先の文章なんてそうした「人権侵害」に対する「告発」文書だとしか
思えません。なぜ、私はバルトルシャイティスを「楽しむ」ことができないのか?
「バックラッシュ」言説はたいていそうした「告発」文書ですし、「バックラッシュ」批判言説は
その「人権侵害」に無感覚だったりする。宮台真司が上記の『バックラッシュ!』の
インタビューで述べていることはきわめて「正論」なんですが、これが「魅力」に欠ける。
「宮台真司」になりたい、と思う「文化官僚志望のパターナリスティックな男の子」にしか「魅力」がない。

僕は冗談抜きで、アイロニーなしで、ロラン・バルトの文章をフランス語で、
ヴァルター・ベンヤミンの文章をドイツ語で読んで「楽しむ」ことができるというのを
「保障」すべき「グローバルな人権」として、制度構築を考えれば、
現在の世界において、存在するあらかたの社会問題は解決する、と思っている。

『零度のエクリチュール』や『ドイツ悲劇の根源』『暴力批判論』
『複製技術時代の芸術作品』じゃなくて、『現代における神話』や
『パサージュ論』、あるいは、『彼自身によるロラン・バルト』や
『ベルリンの幼年時代』を、原書で読んで「楽しむ」。もしかすると、
僕が読めない言語で彼らのと同じような文章は存在するかもしれないけれど、
それならその文章でも別にいい。彼らの「大衆文化」「複製文化」をめぐる文章や
自伝的な文章を原書で「楽しむ」権利を「グローバルな人権」とし、
「保障」する。整備しなければならない制度は、経済、教育、社会保障を
はじめとして多岐に渡るけれど、現在の予算で十分なはずです。
そして、バルトを、ベンヤミンを原書で読み、「楽しむ」という「行為」の
「反復」がつくる「政治制度」において、 Undoing Gender が行われる。
そして、この「人権」はまだ僕にも十分に「保障」されてはいない。

「楽しむ」というのは jouir 、enjoy つまり「享受する」ということで、
バルトやベンヤミンを「他者」が「享受」する「他者の他者」=「彼」として
遇する。決して「他者の他者」は「私」に短絡しない。「歓待の掟」は
「私」が「私」に命じている。クロソフスキーが演じるオクターヴが
ドゥニーズが演じるロベルトを客人に「生きた貨幣」として贈与するように、
「私」がまだ十分に「楽しむ」ことができていないバルトをベンヤミンを、
「私」は「あなた」に贈与する。誰かがいつかどこかで
「私」に贈与してくれたのと同じように。
49禁断の名無しさん:2006/06/27(火) 13:43:09 ID:kVqOmhLm
姐さんにはブログ書いて欲しいわ
50はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/27(火) 22:56:55 ID:oSyOrVHN
うーむ。政治とか「人権」とかの部分は分かんないw

でも
>「意図的に選択する」というのは「職業選択」などのように「権利」のカテゴリーであって、
>それを「マジョリティとしての異性愛者」って「侵害」されてるの?ってことになる。
>「同性愛者になる権利」を「侵害」されてるの?ってことに。

そーなの。そう言ってるようにしか思えないの。
本当は「同性愛者になりたい」と思っているんだけども、
「男女の愛を大事にした家庭が崩壊しないように&親子の愛を育む」為に、
自分たちは頑張っているんだ!!と言ってるようにしか。

そんな意に染まない「頑張り」で、はたしてどこまで、
「男女の愛を大事にした家庭」や「親子の愛」を維持できるんだろう。
>>37によると、
本当の欲望(=同性を愛したい)を押し殺して無理やり異性を愛してるって事なんだから、
それだけでも、かなり大変だと思うんだけどね。
なんか、ノンケさんたちテラカワイソス(´・ω・`)……


>だったら、どうして「国家」によるその「権利」の「侵害」を問題にしないのか。
>それは、「侵害」の事実を「否認」せざるをえないまでに
>「権利」を「侵害」されている、ということを意味する。

俺は、「否認」てよりか、単に「何も気づいていないバカ」くらいにしか
思ってなかったw
「バカ」はあんまりかなw だったら「ニブチン」くらいでw

>>39
>自分から規範は虚構にすぎないと白状してるような。
だよね。
つか>>37を読んで怒らないノンケはどうかしてんじゃね?と思うよ。
異性のパートナーと心から愛し合い、家庭を作り、親子愛を育んでいるのに、
それは実は嘘っぱちですから、と言ってんだからさ>>37は。
51禁断の名無しさん:2006/06/29(木) 18:46:47 ID:D8lKfbht
52健 ◆Ken/THU5bw :2006/07/02(日) 20:32:17 ID:8LeJ6Xm2
保守
53禁断の名無しさん:2006/07/02(日) 21:52:03 ID:KWx8CPVD
革新

ttp://macska.org/article/140
>ゲイとフェミニズムが共闘できるかと問われれば、ミソジナスでないゲイとなら、と私は答えます。
>ミソジナスでないゲイという存在を、私は想像することができません。
>ミソジナスでないゲイとは、男性性を美化しないゲイということになりますが、お目にかかりたいものですね。


そのとぉーりっ。
たまには的を射たこと言うねぇ。
54禁断の名無しさん:2006/07/02(日) 22:05:19 ID:q+TeRMoX
どこがさ?
55禁断の名無しさん:2006/07/02(日) 22:27:21 ID:Gjuwwr9d
>>53の「核心」せいで、>>52の「保守」が違う意味にみえるw
56quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/03(月) 08:17:28 ID:+9MgbC3Y
『バックラッシュ!』398ページの「みっつめの論点は」から始まる文章を
全部引用すれば、リンク先も含め、このスレでも見られる
「単純な誤読」は避けられる。そうした「単純な誤読」は、
ド・マンのいう「誤読」、事後において「責任」の発生する
「誤読の自由」とは何の関係もない。

「ジェンダー」が近代における「規範」であり、それが「ミソジニー」を
「本質」としている。その「規範」と無関係に「構築」される「身体」はなく、
その「規範」と無関係に「構築」される「セクシュアリティ」もない。
したがって、すべての「セクシュアリティ」はそれぞれの「ミソジニー」を
解消する必要がある。

「ジェンダー」が「ミソジニー」を「本質」とするからといって、
「構築」されたある「セクシュアリティ」におけるある「ミソジニー」が、
「本質化」されるのは誤りである。これは「ホモフォビア」についても同様。

ゲイやトランスジェンダーが自らのカテゴリーに特有の「ミソジニー」の
解消を行うことが「原理的に不可能である」とは、398ページで上野千鶴子は言っていないので、
ゲイというカテゴリーにおける「ミソジニー」が解消されていない現状においては、
「男性性を美化しないゲイは存在しない」、と主張することの何が問題なのか、
僕にはまったくわからない。「共闘」が行われるということと、「ゲイが自らの
カテゴリーに特有のミソジニーを解消、克服する」ということは、論理的に同値である、と
いうだけのことだから。そして、その際に、「規範」としての「ジェンダー」の
解体が必要であり、それによる「本質」としての「ミソジニー」の解消と、
ゲイというある「セクシュアリティ」に特有の「構築」された
「ミソジニー」の解消とは、平行する。それだけのこと。

「ジェンダー」の「本質」である「ミソジニー」の解消無しに、
「セクシュアル・マイノリティ」のカテゴリーの多数性を
主張しても、それではそれぞれの「セクシュアリティ」の固定化を
通じてのあるカテゴリーに特有の「ミソジニー」の温存と
それによる「規範」としての「ジェンダー」の強化にしかならない。
「セクシュアル・カテゴリー」の多数性が「セクシュアリティ」の
多様性と混同されている。

その結果、「バックラッシュ」派は「フェミニズム」を「モテない女の
ひがみに由来するセクシュアリティの相対化」だと芸もなく繰り返す一方で、
「アンチ・バックラッシュ」派が「バックラッシュ」を「ダメ男の開き直りによる
ジェンダーの本質化」であると揶揄する展開となる。それはそれでやりたい者がやればよい。
しかし、僕は別のことをする、というのが、>>48です。
57quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/03(月) 09:37:05 ID:+9MgbC3Y
>>56訂正

>それぞれの「セクシュアリティ」の固定化を通じての

は、

それぞれの「セクシュアリティ」の「本質化」と
それぞれの「セクシュアル・カテゴリー」の固定化を通じての

に訂正。
58いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/07/03(月) 18:59:27 ID:qA0fYSWo
>ジェンダー秩序がなければ、同性愛も存在しないし、トランスセクシュアルも存在しない。
>だからこそ、ジェンダー秩序の解体が、共通の目標になりえます。
>それを日本語で「男女平等」と呼ぶのがどうしていけないのでしょうか。

上二行は認めるわ。ただ、それがどうして最後の行に繋がるのかが、解せないのよねえ。
ジェンダー秩序の解体は、ジェンダーの解体をなくしてはありえないでしょ?
もともと、秩序づけて支配被支配の構造を固定化させるための装置がジェンダーだから。
ジェンダー秩序って言い方もおかしいわね。
ジェンダーは、性に付与された、秩序そのものよ。

男も女も、ジェンダー秩序の狂信的な信奉者であるから、男であり女なわけでしょ。
それで男女平等?どうしてそこに「男女」が付くわけ?
平等を否定した支配構造のために設定された概念が、男、そして女。
男女と平等、相反する言葉を重ねちゃって。変なのー。
ただの「平等」でいいじゃない。

…上野千鶴子は、ミサンドリーとミソジニーが足りないと思うの。
彼女には「男も嫌い。女も嫌い。あんたが好き」とは言えないと思うの。
せいぜい「男だけどあんたが好き」かしら。

リンク先で上野さんが今回言ってることと、その目的には、否定的じゃないのよ。
でも「男女平等」はどうかと思うの。
59禁断の名無しさん:2006/07/03(月) 19:02:39 ID:dah+rQg+
言いたいことがあるならリンク先のブログに書き込めばいいのにー
60quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/07(金) 12:46:03 ID:pZwQ175k
>>58
>「男も嫌い。女も嫌い。あんたが好き」

と言うには、「近代」のすべてのセクシュアリティが
「嫌っている」負性を帯びた「女」に「なる」、ということが必要なので、
いぬまわりさんの違和感はわからなくもないんですが、
「女」だからという理由で、稼得能力の育成および稼得機会が
さまざまに制限され、生き延びが制限される状況(『にごりえ』の
お力の置かれた状況です)において、「男も嫌い」と言うことを
「反復」するには、「男女平等」という「理念」が
まずは必要、ってことなんじゃないかと思いますけどね。

「男も嫌い、女も嫌い」って「男のミソジニーも嫌い、
女のミソジニーも嫌い」ってことで、これ、「あんたが好き」に
たどりつくには、当然のことながら「ゲイのミソジニーも嫌い、
ビアンのミソジニーも嫌い、トランスのミソジニーも嫌い……」と
続くわけでしょ? このスレの発端となった、タチとネコのあいだに
発生する「モニョリ」って「ゲイのミソジニー」と「ゲイのホモフォビア」の
問題なわけで。

問題は、「女のミソジニー」を嫌って「女も嫌い」というときの
「女」と、「近代」のセクシュアリティが無意識のうちにつねにすでに
さまざまに口にしている「女が嫌い」というときの「女」とは別なのに、
これがたいてい混同されてしまっている。

その混同を回避するには、「女が好き」と言える状況がとりあえず
必要だ、ってことなんじゃないかな。「女に生まれて喜んでくれたのは、
菓子屋とドレス屋と女衒と女たらし」とかじゃ、そうは言えないから。

「シングルの女」の「生き延びの可能性」を「シングルの男」程度までに
とりあえず上げる、そうした「生き延びを制限された者=マイノリティ」としての
「女」に対する「女のミソジニー」の解消を「男女平等」という、と。
で、これが「マイノリティ嫌い」の解消と「同時」に行われる必要があるんですが、
この「同時」って構造的に「同時」で、歴史的にはズレが出る。
それが「非モテ」問題でしょう、おそらく。そして、それに関しては
「メンズリブが必要」で、それは「あたしのやることではない」、と
上野千鶴子は言う。「男男格差」は「男同士の絆」をぶっちぎって
解決してね、と。
61はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/07(金) 16:39:17 ID:Eg46PDhz
ごきげん伺いに保守りにきたら大丈夫だった☆
62quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/07(金) 20:06:33 ID:pZwQ175k
「生き延びさせられる」のと「生き延びる」のとは違うわけですね。
現在、過去、未来において「生き延びを制限された者」が
「男」に突きつけ続けるのは、「おまえは生き延びているのか?」という
問いで、「男」がその問いに対して、「生き延びさせられている」という
事実を「否認」するかたちでしか答えられないがゆえに、
さまざまな「差別」が「近代」において存在し、「男性」の「身体」も
含め、すべての「身体」に「生き延びの制限」が課され続ける。
その帰結が、年間数万人を数える中高年「男性」の自殺、です。

「構築」されるさまざまなセクシュアリティにおいては、
まず「ヘテロ」が優位に置かれ、「非ヘテロ」と対立しながら、
自らをメタレベル、「非ヘテロ」をオブジェクトレベルとする
セクシュアリティのシステムを形成し、さらに「ヘテロ」は、
「男性」をメタレベル、「女性」をオブジェクトレベルとする
ジェンダーのシステムを形成し、そこに「モテ」をメタレベル、
「非モテ」をオブジェクトレベルとするモノガミーの
システムが加わり、この3つのシステムがカップリングされながら、
「近代」における規範としての「ジェンダー」を再生産、維持してきたけれど、
その3つのシステムすべてに破綻が生じている。

メタレベルに置かれ、「本質化」されたものの「自然さ」の「不自然さ」が
問われており、「ヘテロ」「男性」「モテ」がそれぞれにその「構築性」を
問われると「同時」に、「非ヘテロ」「女性」「非モテ」の「構築性」も
問われている。それがある「身体」の「生き延びの制限解除」につながるか、
viable になるか、そこが問題。
63quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/07(金) 22:21:56 ID:pZwQ175k
「バックラッシュ」派の男性および女性の「妄想」に対しては
「現実」を語ればそれでいいんじゃないでしょうか。

「男女共同参画社会基本法」の成立とそれによる gender-equality の実現、
女性の社会進出支援とエンパワーメントは、別に「日本」一国の問題ではなく、
「女性の人権」という「国民国家」の枠を超えた「グローバルな人権」を
めぐる30年余りの国連の活動によるものである、ということを
まず押さえておく必要があります。

1974年を「国際女性年」と定めて以来、3月8日の「国際女性デー」には
事務総長が「女性の社会進出とエンパワーメントの実現」を呼びかけることが
慣例化し、国連のサイトで gender-equal 、gender-equality で検索すれば
わかるように、その方針に従ってさまざまな活動が行われてきたし、
現在も行われている。

つまり、「女性の社会進出とエンパワーメント」という「目的」を
実現しようとすること自体を「秩序破壊」であると主張し、
それを「ナチ」「ポル・ポト」等の「凡庸な政治的レトリック」で
語るのであれば、まずはそれを「国連」に向けて言うと同時に、
そこから脱退する覚悟が必要だということです。

脱退する覚悟なしに、「バックラッシュ」派の言説を「日本政府」が
公式見解として国連で主張すればどうなるか。「人権侵害国家」の
レッテルを貼られて終わり、です。短期的なダメージはたいしたことは
ないでしょうが、長期的には経済的なダメージも受ける。それは「国益」に
反する。そうした政策決定に関する国際的な「政治過程」を考えずに
「男女共同参画社会基本法」の「成立」における「男性官僚」によるサポートは
ありえない。それは gender-equality が実現すると困る「国際競争力を欠いた
ヘタれ負け組保守男」とは違う「国際競争力を有するデキる勝ち組保守男」の選択にすぎない。
まあ、後者の「デキる」も「妄想」ならぬ「幻想」である可能性はありますが。

このスレでも繰り返し言ったことですが、「基本法」はなんら「革新」でもないし、
「社会主義」「共産主義」とは何の関係もない。「真っ当な保守」による
「真っ当な保守主義」の産物です。なので、まず2つの「保守男」集団の
対決、「ヘタれ保守男」と「デキる保守男」の対決がなされるべきでしょう。
宮台は『バックラッシュ!』でああいうことを言うなら、「デキる保守男」代表で
そこまでやってくれるとありがたいんですが。

「男女共同参画社会」を実現する「手段」をめぐってなら、
「議論」は「日本」国内で完結しますが、それを実現するという
「目的」を「否定」する「議論」を行うのであれば、
それは「国連」との対決を余儀なくされる。ユニラテラリズムに
走り、同様にバックラッシュが生じている現在の共和党政権下の
アメリカでさえ、「国連」脱退の経済的デメリットの
計算を行い、その選択を留保している現状で、「日本」に「脱退覚悟」の
対決ができるのか。「バックラッシュ」派がそこまで覚悟しているなら、
それなりのものだとは思いますが、「バックラッシュ」批判側が
「バックラッシュ」の現状を各国に知らせ、さまざまなところから
「国連」に報告が届き、勧告のひとつでもなされれば、次に起こるのは
「日本政府」VS「バックラッシュ」ですかね。僕は「強い男」は嫌いではないので、
「バックラッシュ」が「ヘタれ保守男」によるものではないことを
証明するためにも、「バックラッシュ」言説の担い手である「男たち」および
それを支持する「議員たち」が、「国連」と対決してくれることを期待します。
64quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/07(金) 22:37:24 ID:pZwQ175k
>>39>>50
つまり、「崩壊」に最も手を貸しているのは、>>37のような「言説」を
流通させる者だということなんですね。ところが、それを「否認」し、
「フェミニズム」「ジェンダーフリー」のせいにする。

>>37のような「言説」を流通させる者が、既存の規範のもとで
「抑圧」し、その「抑圧」の事実を「否認」し、「排除」している
「欲望」が、何よりもまず、規範の解体を押し進めるんです。
「排除」された「欲望」は「回帰」を「反復」し、規範にもはや
ふさぎようもなく取り返しもつかない「穴」を開ける。

にもかかわらず、>>37のような「言説」を流通させる者は
ふさぎようのない「穴」の開いた既存の規範を「表象=代表」しようとします。
するとどうなるか。その者の「主体」にふさぎようもなく取り返しもつかない「穴」が
開き続けることになります。自分で自分の「アイデンティティ」を
不安定にしながら、それを「自らの他者」のせいであると
しているわけです。これはメルロ=ポンティがとりあげた
「自らが相手をぶっていながら『ぶたれた』と泣く子ども」を
彷彿とさせますし、前にこのスレでも引用した、斎藤環が「ひきこもり」と
「ネット言説」に共通するものであると考えるメラニー・クラインの
「妄想-分裂態勢 paranoid-schizoid position 」と「抑鬱態勢 depressive
position 」を想起させる。

ttp://sapporo.cool.ne.jp/sigmundfreud/klein.html

ちなみに先にレスで挙げたマテ・ブランコの本はこのメラニー・クラインの
「対象関係論」を論理的に再構成したもので、前にスレで挙げた中沢新一の
「カイエ・ソバージュ」シリーズにおいても、マテ・ブランコ(マッテ・
ブランコ)は重要な役割を果たしています。
65quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/07(金) 22:39:20 ID:pZwQ175k
これは当然のことですが、たとえば、同性愛者によってカミングアウトが
行われた場合でも、そのカムアウトを「聴解」し「承認」することと
なった「異性愛者」は、「異性愛」を「選択」し続けることは可能です。
そして、そのときに、別に「同性愛」を「選びたい」のに「我慢」して
「選択」する者ばかりではないでしょう。実際、僕は現在、カムアウトしている
知人が何人かいますが、彼らはみんな「家庭」をもち、子どもを育てている。
家族や友人にカムアウトして、そのひとびとがアクチュアルに「同性愛者」になる、
なんてことはないわけです。

これが僕がいわゆる「同性愛者のカミングアウト」に続いて行われる
「ノンケのカミングアウト」、「ノンケ」という「セクシュアリティ」を
「選択」し直す、ということで言っていることで、どうして自分は
「ノンケ」という「セクシュアリティ」を「選択」しているのか、
ということの答えが、「イヤだけど規範だから」ではないようにすることが、
「被差別者」に対する「差別」「排除」の解消につながる以前に、
ある者が自らが「ノンケ」であることを、>>37のように「ノンケである」=「同性愛ではない」と
「同性愛」の「否定」を通じてしか「肯定」できず、絶えず自らが「同性愛ではない」ことの
「確認」「証明」を「反復」しなければならない「不安」から解放し、たんに「ノンケである」ことを
ことを「肯定」できるようになる、ということがあるわけですね。
それが>>37のような「言説」を流通させる者にはできないんでしょうが、
そんな「不自由な身体」ばかりじゃないんです、たんなる確認可能な事実として。

「ケ」を「ノン」で「否定」し、「ノンケ」と言わなくてもよくなる。
そもそもこの「ノンケ」という言葉の成り立ちが、規範の存在を
指し示しているわけで、かつては「同性愛者」は「ケ」を「ノン」することの
「無理」を「身をもって」知っていたわけです。僕なんかはまったく
その「無理」を感じることなく、雑誌メディアやフーコーなんかのおかげで
悩まずにすみましたから、そこにも隔世の感はあるでしょうね。
というか、「ケ」のない「男性」というのは「理念」的存在で、
僕にはそんなものがいる、とは思えない。自分の経験からして。
それだったらまだ、「ペガサス」や「ユニコーン」の方が
存在する可能性が高いんじゃないかと思う。「クィア」というのは
「ノンケ」の「理念」性を照らし出す言葉でもあるわけですね。
queerness のない「身体」って規範によって「理念」化された「身体」な
わけです。idea 「理念」「理想」としての「身体」。

規範の解体の帰結は、おそらく現在「バイ」と呼ばれているものが
もはや「バイ」と呼ばれる必要がなくなり、フーリエのいう
「愛の新世界」を開く、といったところなんじゃないかと、
僕は自分の経験から思いますけどね。あえていえば、みんな
それぞれに「トランス」である、と。フーリエの『愛の新世界』がカリフィアの
『セックス・チェンジズ』を出した作品社から出る(本年8月予定)のは、
むべなるかな、って感じです。
66禁断の名無しさん:2006/07/07(金) 22:56:22 ID:tLgQEOHH
ttp://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html

名乗りを上げるお嫁さん候補が結構いる気がするわw
67いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/07/08(土) 00:18:54 ID:EG0xvfcY
90年代のはじめに「過去最低の出生率」という報道をはじめて聞いたとき、
「男」のための子造りの道具であることを拒絶する「女」が増えてきたことだと、
男社会の「社会性」に拠らずとも、「女」は「女」を肯定も否定もせずに
存在できるように、やっとなってきたのだと希望的観測をしてしまった。
そのとき…

>その混同を回避するには、「女が好き」と言える状況がとりあえず
>必要だ、ってことなんじゃないかな。

…こんな段階はもう過ぎたと思った。
平塚らいてうタンのいた時代で終了していても良かったはずよ。
国連の言ってることも、そんな段階はとうに過ぎてるでしょ?

過渡的な状況は、いつまで続くのだろう。
68禁断の名無しさん:2006/07/08(土) 02:05:02 ID:KsqoI0J+
>過渡的な状況は、いつまで続くのだろう。

過渡的な状況が「終わる」と思ってるのね。
そらモニョる罠。

69quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/08(土) 03:34:24 ID:YpcADXN4
>>67
その「状況」は「過渡的な状況」じゃなくて、「あんたが好き」と
いうための「超越論的条件」です。言い換えれば、「人権」は
いつもつねにすでに「剥奪」されている。「反復」する
「パフォーマティヴ」でかろうじて「生き延び」を分捕る。
だから、サッセンの権利論には、「テリトリー」「領域」
「縄張り」という言葉が出てくる。

「終わる、終わらない」というのは「にせの問題」です。
「そのつど始めては終わらせる」そうした「行為」の連鎖としての
「自由」があるんじゃないでしょうか。
70f u n w a k a:2006/07/08(土) 07:51:55 ID:cArIFpmV
戦後左翼に牛耳られてしまった教育界やマスコミのせいで日本の近代史は暗
黒に塗りつぶされ、男も女も誇りを持てる人生にはほど遠く、男の本質、気
概気力は完膚無きまでに貶められてしまった。女は己の能力の差と違いを認
めず性差別にその根本をすり替え、男を敵対視する。日本男児においては精
子の数さえ減少してしまい、この国には妻子を養う事ほど遠く、自分でさえ
養うことも危ういプータローや引き籠もり併せて一千万人近くもいる。戦後
の悪しき男の骨抜き教育の弊害をもろに受け、男の気概、男の力、男の強さ、
男の自信、を若者から消し取り去ってしまったのだ。若者よ!青年よ!男が
そんな有様で、女を惚れさせる事が出来ると思うか!?

女を守り、女に安全と安心を与え、女を従え、女を娶り、女に子を産ませ、
死ぬほどの快感を与え、女を心底惚れさせ、男に尽くさせる!!それが出来
てこそ!男の甲斐性!と言えるんだぞ!!女に、真にモテル!というコトは、
女をとことん惚れさせる事が出来てこそ!なのである!!『 男が真に女に
モテる 』、という事は、「男が幸せな女を作れる 」という事である。 

女をとことん惚れさせるには、愛で包み安心と安全を与えた上に、死ぬほど
の快感を与え何年もかけて性感のレベル、段階を引き上げ続け、頂上まで連
れて行く力量が男に有ってこそ!女は、その男に心底惚れてしまう。若い男
達よ!一度で良いから、一人の女をとことん女をオマエに惚れさせて見ろ!
!惚れさせて、燃えさせて、オマエのハートに酔わせ、身体に狂わせて見ろ!!
「女とはかくもかわいいものよ・・・」そう実感出来てこそ、男の愛も力も
活力も相乗効果として倍加してくるんだぞ。とことん女を惚れさせることが
できる男。 そんな男が増えることを望んでいるのは、恋愛(セックス)マ
ニュアルの女性読者だけでは無い!全世界のオンナが望む事なのだ。

参考HP:恋愛マニュアル
71いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/07/08(土) 08:53:12 ID:HEk7h55/
>>68 >>69

補足。
>>67での「過渡的な状況」というのは、
女性のエンパワーメントがとりあえず必要な状況だけを指しています。

>「そのつど始めては終わらせる」

始まってさえいない状況のまま延々と足踏みし続けてるでしょ?
いいかげんにしな、のろま。

あ、ほら。のろま発見→>>70 表現の仕方は極端だけど、この主張の中心は極端な見解ではない。
72いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/07/08(土) 09:02:54 ID:HEk7h55/
ていうか。42さんが>>63で書いてることを、乱暴にまとめれば
「付き合い切れない。のろま。>>足踏み連中」では…?
73禁断の名無しさん:2006/07/08(土) 12:24:38 ID:JBLixA2a
>>72(いぬタン)

>付き合い切れない。のろま。

あたし、もう間もなく、すごく具体的な誰かに、こう思ってしまう気がするわ。

7483:2006/07/08(土) 12:25:21 ID:JBLixA2a
あ、忘れてた。あたしよあたし。
75禁断の名無しさん:2006/07/08(土) 14:51:56 ID:n7YJBlwV
このスレの過去ログってどこかにうpされてないんでしょうか?
勉強になるので読んでみたいのですが
76いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/07/08(土) 15:12:42 ID:esrBAkpt
>>75 Text版だけど。ZIP解凍してね。

http://puka-world.com/php/upload/large/img-box/1152338947469.zip

上のでダウソできなかったら、
http://puka-world.com/php/upload/large/index.htm
↑ここの、No.18480
77禁断の名無しさん:2006/07/08(土) 16:10:03 ID:KfF3XCNl
>>76
ありがとうございます!
少しづつ読みます
78はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/08(土) 21:43:10 ID:IXMsCNJW
>>63
>僕は「強い男」は嫌いではないので、
>「バックラッシュ」が「ヘタれ保守男」によるものではないことを
>証明するためにも、「バックラッシュ」言説の担い手である「男たち」および
>それを支持する「議員たち」が、「国連」と対決してくれることを期待します。

俺も、それ見たいかも……w

>>64
うん分かります。
>>37みたいな事を言う人に>>50を直接言ってみたい。激しく言いたい。
どんな反応が返ってくるだろう。。w

>>67
いぬまわりさんは、そこの間をひゅーって飛んでってるんだよw
世の中の人って思ったより遅いよ。俺が見積もって10倍遅い。
いぬまわりさんが見積もったら100倍かもよw

>>73
キャーーー それ俺にだったら「思う」んじゃなくて「言って」ほすい……
79f u n w a k a:2006/07/09(日) 00:27:29 ID:amzC+mcc
>>71
のろまとは何事か!!!

私の恋愛体験に基づいての異性への愛情表現や性の本質、知識を多くの男女に参考
にしてもらう目的でHPを開設しました。 ところが、HPの運営を始め数々の相
談を受け続けているうちに、私に会って色々と教えてほしいという女性からメール
が届くようになりました。そしていつしかHPを作った当初には考えてもいなかっ
た事ですが、読者の女性と会って直接愛と性の指導をする事となりました、、、。

男性に対しての心のあり方、持ち方、表現の仕方、愛情表現が女性の幸せにとって
最も大事な事で、その事を色々な角度から何度も指導し続けます。多くの男が本質
的に好む女性の言葉遣い、気の使い方、身のこなし、、化粧、服装、髪型etc&
c.、、独り言22にも書いているように、異性に好かれ、男性にモテル女性に変
身させる。それがユートピアでの指導の基本です。

愛と性に傷ついたり、異性とのコミュニケーションの取り方が解らない女性、性的
に幼い女性、オーガズムを知らない女性、そのような女性に愛と性を理解させ、オ
ーガズムを教える、 そして恋愛や人生を刺激的に楽しく生きてゆけるように心と
身体の指導をしています。

もう17〜8年は前になるでしょうか。 大勢の若い女性がいい歳をしたオヤジの元で共同生活を送っ
ていて、心配した女性の親が「子供が拉致誘拐されている!」と警察に訴え出、中年男性が任意同行を
求められ、警察の取り調べを受けるという事件が有りました。この事件のあらましは、中年男性の元に
何故多くの若い女性ばかりが集まってしまったのか? なおかつ、集まった女性達全員と中年男性とが
性的関係を持っていたという事で、当時の新聞テレビや週刊誌に大きく取り上げられ世間の注目を浴び
ました。この事件で明るみになったのは、この団体は、『 千石イエス 』という中年男性を教祖とす
る、キリスト系らしきカタチを取った、『 イエスの方舟 』という宗教団体でした。


80f u n w a k a:2006/07/09(日) 00:28:06 ID:amzC+mcc
古今東西、新興
宗教の起こりは必ず一般世間からは奇異な有様が見受けられます。 往々にしてその行動様式教義には
一般社会とは相容れないモノが随所に見られるし顕れるからです。【 鰯の頭も信心から 】 昔から
言われる、宗教に深入りする人達の理解不能な心理状態を表す言葉です。このイエスの方舟でも、信者
は若い女性のみ、しかも一人の中年男と全員が性関係を持ちながら宗教で言う出家状態で、あまりにも
普通の宗教の形態とは違っていたのでです。しかし、若い女性とはいえ未成年者ではなく、皆が成人し
た女性で男に強制されていたわけでも無く自らの意思で性的関係を結び集団生活を送っていたのですか
ら違法性は何もなく、程なく千石イエス氏は釈放されました。過剰な報道が続いたこともあり、その特
異性ゆえか、結局イエスの方舟は女性信者7人だけが残り千石イエス氏を教祖としての宗教団体として
固まったようで、九州のどこかでスナック形態をとっての生活を維持してたようですが、2〜3年前に
千石氏が亡くなり、その後残された女性達と団体はどうなったのか。

またも似たような事例が注目を浴びています。一人の中年男の元に若い女性ばかりが集まりハーレムの
ような共同生活をしていた様子。今回の場合は宗教団体の様子は無いようですが一人の中年男の元に若
い女性が多く集まりしかもその全員と性的関係を結んでいるというカタチは、イエスの方舟、と同じで
す。但し、今回の場合、千石氏と少し違うのは怪しげな催眠法(おそらく完成されたものではないでし
ょう)を使ったりした事と、(まあ、宗教も有る意味では最も効果的な催眠法なのですが)脅迫も有っ
たようで、そのへんでの逮捕拘留となったようですが、同じなのは、殆どの女性は自らの意思でこの団
体生活を送っているという事実です。女性自ら独りの男を集団で付き合っているという事実、何故こう
した事が起こり得るのか。世のお母さん方、お父さん方に深く考えて欲しいと思います。
81f u n w a k a:2006/07/09(日) 00:29:29 ID:amzC+mcc
世間一般の殆どの男達は彼女や奥方の執拗な嫉妬に悩まされ閉口し続けているというのに、何故にこん
な正体不明のツルッパゲオヤジが10人以上の若き女とのハーレム生活が出来うるのか不思議に思われ
るでしょう。おそらく、「あんなトコに集まる女なんだから余程変わったキ印に近い女達だろう」とい
う事で結論づけるのがオチ、、人は自分の理解の範疇を越えた現象には、自分達とは違う世界、違う人
種だと結論づける事で、自らの、世間や人への狭い理解力を認めなくて済むからです。私には、千石氏
や今回の男が魔術や宗教を駆使したわけではなく、一般的な女性の心理を深く理解出来ているからこの
ようなカタチになってしまったのだと解ります。何故多くの普通の若い女達が世間とは違ったカタチを
承知しながら一人の男を愛し共有しあえるのか。

その因子は【 父性 】です。 父の愛、です。 お
そらく千石氏も今回の男も、大きな父性を持つか、その力を駆使していると思えます。 温かく、広く
、どのようなわがままも許してくれる父性。但し、時には手をあげる強さ厳しさを持つ強い愛の父性。
その絶対的な信頼を得られる強い父性を持つ男からの強い性愛を受ける。。。今の人生にとまどいと苦
しさと圧迫を感じている女性にとっては、それは他には考えられないほどの安息の場所、それを失う事
に比べれば嫉妬を我慢する方がたやすいほど、、、。一人二人なら嫉妬も先鋭的な対象となるが、五人
、六人、それ以上となると、嫉妬も分散霧のごとくなってしまう女の不思議な心理。

いずれにしても、宗教で有れ催眠法であれ、どのようなカタチであろうとも、例え女性が自ら望んだ結
果であろうとも、女性をコントロールできるほどの父性を備えた男が己の欲望追求のみで女性の人生の
一部を停滞させたり欠落させるのは、法律に犯せず罪と罰の対象とならなくとも犯罪行為に等しいと私
は認識している。年輩者が若き芽を育て、花開かせ、熟させ、若い者の未来を輝かすための捨て石とな
っても、決して芽を摘む事は許されない!女性が強くなったしまった現代においても心身共に心優しく
か弱く傷つきもがいている女性が少なからず存在する。
82f u n w a k a:2006/07/09(日) 00:30:32 ID:amzC+mcc
そうした女性にとっては何もかも受け止め包ん
でもらえる存在の(本来は親がこの位置で娘を包んでいなければならない)男が現れれば例え他にも大
勢の女の存在が有ろうとも、その温もりの中でこそ自分の価値と存在が実感できる温かい場所となる。
それが今の辛い生活、辛い生き方から解放され、救われる場所となり、他では得られない安らぎの場所
となる。そうして集まってくる女性達の将来のための指導、そのためにこそ普通の者とは違った生き方
で築き上げた人間理解術を駆使し、明日の明るさ幸の為の指導をしてほしいのだが、、、報道される限
り今回の男にはそれは望み薄のように思える。。。。様々な人生で色々な傷を負っている女性もあろう
、致し方ない場合も有るとは思うが、集う全ての女性の十年後、二十年後が幸多くなるための父性の愛
、指導であって欲しいと願う。また、その意思無くして、【 己が欲望のための人心掌握術 】 を使
い、若い女性の青春を食いつぶすなら、犯罪性が証明できなくとも一生塀の中から出してはいけないク
ズ男だという事だ。
最後に、私funwakaも、千石イエス氏や今回の中年男と同じく、『 若い女を弄ぶアヤシキオヤジ
 』に見られる面もあるようです。その辺の事については、独り言、のページ、 下部からのリンクで
、【独り言6】、の最下段の文章 【 更新 82 04.5.20.ユートピアやホームページでの
アドバイスで私がしている事はカルト宗教やマインドコントロールとは正反対、その解説 】で、詳し
く述べていますので読んで頂きたいと思います。

HP:恋愛マニュアル
83禁断の名無しさん:2006/07/09(日) 00:37:56 ID:0fQLZ6XN
ふ〜んバカ
84禁断の名無しさん:2006/07/09(日) 00:50:51 ID:oWLQWICv
85禁断の名無しさん:2006/07/09(日) 00:58:33 ID:ATUKoAC2
フンバカ久しぶりだな。もう同板はあきらめてたと思ってたのにw
86禁断の名無しさん:2006/07/09(日) 01:03:52 ID:R8FcEdSD
このバカ社会学板や哲学板のジェンダースレもバカコピペで廃墟にしたよね
気持ち悪すぎ
87quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/09(日) 10:06:51 ID:goFhE/c9
>>66
リンク先の彼の頭には、女には「主婦になる」か「ヒモを養う」かの
二者択一しかない、ってことでしょうか。

「女性の社会進出」というのは、「誰かが誰かを養うために過労死せずにすむ」
社会をつくりましょう、ということなんですがね。「誰かを養ってやらなければ
ならない」ってのがもう時代錯誤です。

「誰かが誰かを養う」システムの崩壊は年金システムの崩壊に見られます。
世代間での支え合いである「賦課方式」による国民年金も、企業福祉の
中心をなす厚生年金もともに保険料の未払いでシステムとしてはもう持たない。
「女性を自立させない」社会は「男も自立できてない」社会です。
だから「老いる」ことが「苦」にもなる。

千石イエスの「父性」は「シオンの娘」のひとりにこう言わせる。

>「主体性というのは、自分をどれだけ大事にできるかということ。親に言われたり、
>世間がそうだからと言って流されて結婚しちゃうのは、自分が希薄だからです。
>私たちは自分の幸せを真剣に考える。そうすると、自然に他人がなくなる。
>他人の壁をなくして相手のことをどれだけ親身に思えるか。大切なのは、
>他者の中に自己を見ることなんです」

彼が亡くなっても、「シオンの娘」は「自立」できる。それぞれに女たちは
「自立」している。「共同生活」をするからといって「自立」ができない
わけじゃない。「自立」というのは現在の生活における「人間関係」からの
「離脱可能性」に関わる問題です。それを千石氏は「シガラミは
断たなければならない」という言葉で語る。

ttp://home.att.ne.jp/sigma/satocantik/colum/200101.html

で、これは別に一人物の類稀なる「父性」に頼らなくても
十分可能なことですし、「シガラミ」からの「離脱可能性」、
「自立」は「女性」にだけ与えられる「特権」ではない。
「経済的扶養」であれ「性的快楽」であれ、「男が女に与えてやり続ける」
ことでしか自らの「脆弱なアイデンティティ」を維持できない社会において、
そうした「女性への依存」からの「自立」が必要なのは「男性」です。

イエスの方舟の記事を書いた記者は、千石氏が「父」となることで新たに
「共依存」関係、「シガラミ」をつくってしまったのではないか、
ということを、「『父』の役割から逃れることはできなくなったのでは
ないだろうか――。」と千石氏にも問いかけているけれど、
これは疑問としては妥当でしょう。必要なのは、「共依存」の「切断」を
「反復」することですね。

現在の福祉NPOは「弱者救済」から「自立支援」へと転換しつつあるけれど、
それもまた「共依存」の「切断」の話で、これは上野さんが『当事者主権』、
「じぶんのことはじぶんで決める」ということで言ってますね。
「女性のエンパワーメント」により「女性の男性への依存」を断つと同時に、
「男性の女性への依存」を断つ。むしろ目的は後者です。だから
メンズリブが必要なわけで。「リブ」って「自立」を求める運動以外の
何物でもないはずです。「女性」が「男性」との「共依存」で生き延びる
必要のない社会は不十分ながらも構築されつつある。あとは「男性」が
「共依存」を「切断」できるかどうか、で、それは「私の問題ではありません」と
上野は言う。当然でしょうね。
88quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/09(日) 11:35:27 ID:goFhE/c9
このスレでときどきお目にかかる長文コピペを見て、僕が思い出すのは、
ドゥルーズのいう、la honte d'etre un homme 「男=人間であることの
情けなさ」ですね。

五十面さげて「俺は女に性的快楽を与えてやるのがうまい」ということを
「自慢」する、のが「近代」の「男=人間」のあるべき姿
だとしたら、これはやっぱり「情けない」。その程度なら「代わり」は
いくらでもいるでしょう。なので、「共依存」で「代わり」がないかのような
「関係」を「強迫反復」して作りつづけなければならなくなる。
長文コピペの主は以前、「強情な娘には愛情を込めて暴力をふるう」こともある、
と素直に告白し、「自慢」してましたが、要するに「共依存」ってことですね。

双方が「負い目の負わせ合い」でしか生き延びられない、そんな関係しか
つくれない「男=人間」は「情けない」。「男=人間であること」の「情けなさ」は
「共依存」に由来する「情けなさ」で、「母親」による「幼児、児童虐待」は
「同居男性」のその「情けなさ」が「感染」してると考えられる。「共依存」って
「感染」するわけですね。ある関係が「共依存」でない、というのは
簡単なことで、相手の側の「関係」を解消する権利を承認することが
可能かどうか、によります。その可能性の程度はさまざまでも、
そうした「権利要求」を「共依存」関係にある片方が拒むとき、
「依存」の度合いが強い側がもう一方の「依存からの離脱可能性」を
もつ存在に「暴力」をふるい、「離脱」「切断」を阻止する。

団塊の世代が定年を迎えるわけですが、厚生年金制度の改革もありますし、
おそらく妻側からの申し立てによる「熟年離婚」件数が増加するんじゃないでしょうか。
で、団塊高齢者「男性」は「自立」を迫られる。「男=人間であることの情けなさ」を
そのときはじめて「自覚」するんでしょうが、それではあまりにも遅すぎる。
「熟年離婚」の増加と熟年男性による「ドメスティック・バイオレンス」の増加は
おそらく平行するんでしょう。で、さらに離婚理由をつくる、という
スパイラルが生じる。「熟年離婚」が原因でホームレス急増なんてことに
ならなければいいんですが、さて、どうなることやら。団塊ジュニアたちを
はじめとして、他の世代の男たちが今後の展開から何を学び、
「男=人間であることの情けなさ」にどう対応するか、それも
「メンズリブ」の問題でしょうね。
89禁断の名無しさん:2006/07/09(日) 12:05:08 ID:amzC+mcc
9083:2006/07/09(日) 13:02:10 ID:IrcvCnsS
>>78

え…? なんではくタンを…? 考えすぎよ。
しかも、あたしも考えすぎてた。そんなふうに思わなかったわ。ほっ。
91禁断の名無しさん:2006/07/09(日) 18:00:14 ID:oWLQWICv
92quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/09(日) 18:09:07 ID:goFhE/c9
女を「快感依存症」にすることが「愛」だ、と思っている
団塊の男の「男=人間であることの情けなさ」に対する
ひとつの対応がAセクなんですかね。だったら、もう
そんなとこからおりてやる、という。

「非モテ」は「男=人間であることの情けなさ」を「否認」している。
彼らは、二次元で女を「快感依存症」にする「エロゲー」にハマる。

「女に快感を与えてやれる存在=男」という「理念」「理想」は
風俗産業をみてもとっくに壊れている。そこは男が金を払って
「快感を与えてくれる存在=女」を買う場所で、テクは女の側にある。
女のテクのうちには、目の前の「あわれな男」が抱く「女に快感を
与えてやれる存在=男」という「幻想」を支えてやる、というのも含まれる。
「情けなさ」の過剰な男ほどだましやすい。

「近代」における規範としてのジェンダーが構築した「女性」という
カテゴリーに「依存」する「男=人間」は、「女に笑われること」と
「女にだまされること」の不安にとりつかれている。その不安もまた
「男=人間であることの情けなさ」を構成する。そんな不安に怯えて
生きるばかりが「生」ではない、ということに気づき、別の「生」を
誰かとともに生きるのは「知性」の問題ですね。

団塊の世代はかろうじて「幻想」を維持できるかどうかの瀬戸際でしょうね。
2004年に熟年離婚の件数が始めて前年よりも減少に転じたことを、
厚生年金制度改革による妻側の手控えによるものではないか、と分析する
シンクタンクなんかもありますが、たぶんそういうことでしょう。
僕の周りでも熟年離婚をめぐる話、結構ありますし。「快感依存症」の
女って、熟年離婚して「より若い男」を選択するんじゃないでしょうか。
で、「老いた男」は「男」でなくなっていく自分を抱えてパニックを起こす。
あとは旧態依然とした「ナショナリズム」を顕揚するくらいしかなく、
要するにそれって、自分が「女に使い捨てられる存在=男」である事実の
「否認」の産物です。

自ら望んで「女に使い捨てられる存在=男」になっているわけだから、
「自業自得」ですが。自分から、「女に快感を与えるだけの道具=男」と
なっているわけで、「道具男」は取り替えがいくらもききます。

「女性のエンパワーメント」が可能としたのは、「取り替え」のしやすさであって、
別にそれが男たちを「道具男」にしてるわけじゃない。勝手に男たちが自らを
「道具化」してるわけですね。長文コピペに書いてあるのは「道具としての男」の
「機能」の「宣伝コピー」で、たいした「機能」ではないな、と僕なんかは
思うわけですが、「道具化」するならもっと徹底してサイボーグにでもなればいい。
「老い」を「否認」する必要がなくなるように。「ヘタれな団塊男」は
「道具化」の程度も「ヘタれ」です。この「ヘタれさ」は「非モテ」世代にも
「継承」されているように、僕には見えます。

このスレの発端にあった「モニョリ」のなかにはこの「身体」の
「道具化」をめぐる問題もある。それは20年以上前にダナ・ハラウェイが
「サイボーグ・フェミニズム」で提起し、現在では生命テクノロジーを
めぐって起きている諸問題で、ハラウェイの本や小泉義之の一連の本が
参考になるでしょう。あとはジョルジョ・アガンベンの「ホモ・サケル」三部作での
「ビオス」と「ゾーエー」をめぐる議論。

以上は、いずれも「自らの他者」を「快感依存症」にすることで
自らの「存在証明」を得ようとする「男=人間であることの情けなさ」、
それは「差別と抑圧は蜜の味」と口にする西尾幹二が体現している
「情けなさ」ですが、そうした「情けなさ」からの脱却を可能とする
「知性」の条件をめぐる書物です。
93quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/09(日) 19:10:20 ID:goFhE/c9
おさらいさんはいろいろ貼ってくださって重宝するのですが、一連のリンクを
拝見するに、リンク先の方々は制度に「ハード」と「ソフト」があり、
それを混同してはまずい、という基本的なことがおわかりに
なっていないんじゃないかとお見受けします。

「ソフト」における「運用」の局面でいくつか問題が生じている、
たとえば、NPOが暴力団の資金源になっている、ということと
NPOという「ハード」がねば塾のように障害者の自立支援に貢献している、
ということとはまったく別の問題で、それを「同一視」し、「ハード」としての
NPOを否定しようとするのは、俗語でいえばそれは「ミソもクソもいっしょに
語る」「たらいの水ごと赤子を流す」ということに等しい。

「ソフト」「運用」に問題があるなら、そのレベルで「ハード」をどう運用するか、
ということを考える必要があるわけで、国連人権委員会にしてもあれは「ハード」じゃ
ありません、「ソフト」です。あれは「対アメリカ」に「人権」を持ち出して
アメリカを黙らせようとしている「アメリカ=世界の敵」候補国の「互助組織」にすぎない。
そんなものは「解散」「プログラミングの変更」が可能なわけで。「ハード」としての
「国連」「人権保障」制度の必要性は、それによって別に変化は受けません。

2つのものに論理的なレベルの差があるとき、上位の論理レベルにあるものが
「ハード」、下位にあるものが「ソフト」になります。新しい「ソフト」に
古い「ハード」が対応できない、ということはあったとしても、その場合も
論理的上位にあるなら「ハード」であることに変わりはない。

「ジェンダーフリー」をめぐる一連の「悲喜劇」も、あれは要するに
「人材不足」という「ソフト」の問題で「ハード」の問題ではない。
「ソフト」の不備が「ハード」としてのコンピュータの不要に
つながらないのと同じことです。「ジェンダー平等の実現」という
「ハード」はそのままです。

「国連」という「ハード」の上位に「日本」という「国民国家」が
論理的に位置できるのであれば、「ハード」を「ソフト」化し
変更することも可能です。でも「国際人権規約」という「ハード」を
変更するのは大変でしょうね。一部の留保を除けば、日本もすでに批准してますし。
また、前にも述べましたが「人間の安全保障委員会」の共同委員長は緒方貞子さんですし。
日本は「人間の安全保障」を率先して推進しなければならない責任を
インドとともに負っているわけです。「人間の安全保障」の観点から
外国人労働者の受け入れをめぐって、国際人権規約のB規約選択議定書の
批准が求められることも十分にありうる。

「政治過程」というのは、こうした「ソフト」と「ハード」の連鎖の
問題です、「ソフト」の不備を問題にすることだけで「ハード」の否定は
できない、というのは論理的に要請されることで、そこの混同が多いのも
義務教育、高等教育で「論理学」が軽視されていることに一因があり、
それが国際競争力にも影響を及ぼしていると考えられるがゆえに、
一部の大学入試では近年それを重視した出題がなされるとともに、
野矢茂樹や三浦俊彦の一連の著作が売れてシリーズ化され、
さまざまな資格試験の参考書として用いられたりもするわけですね。
94禁断の名無しさん:2006/07/09(日) 20:01:06 ID:oWLQWICv
95quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/09(日) 20:19:09 ID:goFhE/c9
96quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/09(日) 21:13:51 ID:goFhE/c9
>>47で挙げたバーバラ・マライア・スタフォードの
『ヴィジュアル・アナロジー』が産業図書から
高山“天才”宏の訳で出ました。

高山氏の訳業によってスタフォード女史の『アートフル・サイエンス』、
『グッド・ルッキング』はすでに日本語でも読めるわけですが、それに
『ヴィジュアル・アナロジー』が加わったのは、喜ばしいことです。
訳者あとがきでは、いよいよロザリー・L・コリーの『パラドクシア・
エピデミカ』とアンガス・フレッチャーの『アレゴリー』の邦訳の
刊行準備が大詰めにさしかかっているような記述も見られますが、
さて、どうなのやら。
97禁断の名無しさん:2006/07/09(日) 21:15:30 ID:oWLQWICv
98quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/07/09(日) 21:44:08 ID:goFhE/c9
>>97に関してはすでにこのスレではいろいろと語られていますので
過去スレを参照してください。

「役割」は市場化、社会化可能で、だから「保育士」もいれば、
「ベビーシッター」、「介護ヘルパー」もいて、もちろん
これらの「役割」は「男性」も負っているわけです。

で、「国連脱退」は大いに結構なので、「バックラッシュ」派は
アメリカもやらないそれをちゃんとやってみせてくれればいい、
というのが、>>63ですね。常任理事国入りなんて「あさましい夢」は
捨てて、とっとと脱退すればいい。『正論』なんて「オヤジ慰撫雑誌」
(by 斎藤美奈子)で吠えてるだけの「ヘタれ」ではなく、そこまで
やらないと。

>>97のリンク先の方は元官僚のようですから、直接元同僚や
後輩官僚におっしゃった方がいいんじゃないでしょうか。
言われた方も困るでしょうが、しかも元郵政省では。
99いぬまわり ◆Inuoqoxvdg :2006/07/09(日) 23:14:44 ID:5GNMwY3U
きゃはははは。42さん、面白いわ。すてき。
意図が不明だった「おさらい」が何なのか、
一貫した対応だけで自白させちゃってるw
楽しく見物させていただいております。
100はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/10(月) 02:37:58 ID:Sv2K+NFI

100げっと―――☆