1 :
名無し曰く、:
2 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:00:54 ID:nN1mIjB1
3 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:01:34 ID:nN1mIjB1
4 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:02:58 ID:nN1mIjB1
信長の野望革新(ボーナス武将は除く)
【統率90以上】
120上杉謙信
110武田信玄
107立花道雪
105島津義弘、真田幸村
097長野業正、立花宗茂、真田昌幸
096本願寺顕如、竹中重治
095伊達政宗、徳川家康、朝倉宗滴、鈴木重秀、吉川元春、高橋紹運、島津家久、北条氏康
094北条綱成、柴田勝家、佐竹義重
093福島正則、武田信虎、長宗我部元親 、井伊直政
092毛利元就、織田信長、村上義清、下間頼廉
091黒田孝高、本多忠勝、高坂昌信、斎藤義龍、三好長慶
090加藤清正、大谷吉継、鍋島直茂、蒲生氏郷、島清興、陶晴賢、浅井長政、柿崎景家、榊原康政
【智謀90以上】
105毛利元就
102竹中重治
101本多正信
100斎藤道三、松永久秀
099宇喜多直家、黒田孝高、真田幸隆
098真田昌幸、太原雪斎
097山本晴幸、宇佐美定満、南光坊天海
096織田信長、武田信玄、最上義光
095長宗我部元親、津軽為信、片倉景綱、藤堂高虎
094徳川家康、北条氏康、羽柴秀吉
093百地三太夫
092鈴木重秀、伊達政宗、明智光秀、小早川隆景、三好長慶、足利義昭
091朝倉宗滴、鍋島直茂、長野業正、大谷吉継、島津日新斎、本多正純
090下間頼廉、風魔小太郎、直江兼続、甲斐宗運
【政治90以上】
107北条氏康
105織田信長
104羽柴秀吉
100徳川家康
099石田三成
098毛利元就、細川藤孝、大久保長安、村井貞勝
096太原雪斎、明智光秀、長束正家、島津日新斎
095松永久秀、斎藤道三、本多正信
094三好長慶、武田信玄、本願寺顕如、津軽為信、南光坊天海、小早川隆景
093伊達政宗、伊奈忠次、羽柴秀長、藤堂高虎、宇喜多直家、鍋島直茂、島津義久
092伊達稙宗、本多正純、増田長盛
091片倉景綱、真田昌幸、直江兼続、黒田孝高、安国寺恵瓊
090川村重吉、板倉勝重、前田玄以
5 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:04:11 ID:nN1mIjB1
【武勇90以上】(ボーナス武将は除く)
115上泉信綱
110前田利益
105上杉謙信、柳生石舟斎
104長尾為景、
103丸目長恵
102宮本武蔵、小野忠明
100佐々木小次郎、真田幸村
099鈴木重秀
098富田景政
097島津家久、本多忠勝、足利義輝、北畠具教
096真壁氏幹、武田信虎、島清興、柴田勝家
095下間頼廉、柿崎景家、富田重政
094可児吉長、北条綱成、伊達成実、立花宗茂 、高橋紹運、福島正則、佐野房綱、吉川元春、島津義弘、山県昌景、小島貞興
093斎藤義龍、渡辺守綱、武田勝頼、十河一存
092柳生宗矩、真柄直隆、原虎胤、加藤清正
091服部正成、飯富虎昌、龍造寺隆信
090朝倉宗滴、山上道及、井伊直政、本庄繁長、戸沢盛安、佐久間盛政、七条兼仲、母里友信
6 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:06:06 ID:X+JZWln9
信長の野望革新総合能力値ベスト50(ボーナス武将は除く)
順位 武将名 統率 武勇 知略 政治 合計
01位 武田信玄 110 88 96 94 388
02位 織田信長 92 89 96 105 382
03位 徳川家康 95 89 94 100 378
04位 北条氏康 95 79 94 107 375
05位 伊達政宗 95 86 92 93 366
06位 毛利元就 92 69 105 98 364
07位 長宗我部元親 93 86 95 88 362
07位 真田昌幸 97 76 98 91 362
09位 明智光秀 88 85 92 96 361
10位 鍋島直茂 90 85 91 93 359
10位 斎藤道三 85 79 100 95 359
12位 佐竹義重 94 86 88 89 357
13位 朝倉宗滴 95 90 91 77 353
13位 上杉謙信 120 105 74 54 353
15位 島津義弘 105 94 82 70 351
16位 羽柴秀吉 87 65 94 104 350
17位 小早川隆景 87 76 92 94 349
18位 大谷吉継 90 78 91 89 348
19位 直江兼続 88 78 90 91 347
19位 太原雪斎 87 66 98 96 347
21位 蒲生氏郷 90 82 84 89 345
22位 三好長慶 91 67 92 94 344
23位 最上義光 82 77 96 88 343
23位 津軽為信 82 72 95 94 343
25位 本願寺顕如 96 65 87 94 342
26位 片倉景綱 85 70 95 91 341
26位 黒田孝高 91 60 99 91 341
28位 宇喜多直家 77 71 99 93 340
29位 甲斐宗運 84 77 90 87 338
29位 島津義久 85 74 86 93 338
29位 松永久秀 81 62 100 95 338
32位 立花道雪 107 89 86 54 336
33位 武田信繁 87 83 83 82 335
33位 上杉景勝 93 87 71 84 335
35位 井伊直政 93 90 72 75 330
35位 真田幸村 105 100 89 36 330
37位 蘆名盛氏 87 71 85 86 329
37位 藤堂高虎 77 64 95 93 329
37位 島津日新斎 83 59 91 96 329
37位 細川藤孝 75 67 89 98 329
41位 三好義賢 85 76 81 86 328
41位 吉川元春 95 94 78 61 328
43位 山本晴幸 84 74 97 72 327
44位 真田幸隆 83 60 99 84 326
45位 斎藤朝信 87 80 82 76 325
46位 今川義元 85 70 79 89 323
47位 陶晴賢 90 85 72 75 322
47位 本多忠勝 91 97 74 60 322
47位 高坂昌信 91 75 85 71 322
50位 黒田長政 78 74 82 86 320
7 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:06:43 ID:X+JZWln9
信長の野望革新 武勇を除いた総合能力値ベスト50(ボーナス武将は除く)
順位 武将名 統率 知略 政治 合計
01位 武田信玄 110 96 94 300
02位 北条氏康 95 94 107 296
03位 毛利元就 92 105 98 295
04位 織田信長 92 96 105 293
05位 徳川家康 95 94 100 289
06位 真田昌幸 97 98 91 286
07位 羽柴秀吉 87 94 104 285
08位 黒田孝高 91 99 91 281
08位 太原雪斎 87 98 96 281
10位 斎藤道三 85 100 95 280
10位 伊達政宗 95 92 93 280
12位 三好長慶 91 92 94 277
12位 本願寺顕如 96 87 94 277
14位 長宗我部元親 93 95 88 276
14位 松永久秀 81 100 95 276
14位 明智光秀 88 92 96 276
17位 鍋島直茂 90 91 93 274
18位 小早川隆景 87 92 94 273
19位 片倉景綱 85 95 91 271
19位 津軽為信 82 95 94 271
19位 佐竹義重 94 88 89 271
22位 大谷吉継 90 91 89 270
22位 島津日新斎 83 91 96 270
24位 直江兼続 88 90 91 269
24位 宇喜多直家 77 99 93 269
26位 最上義光 82 96 88 266
26位 真田幸隆 83 99 84 266
28位 藤堂高虎 77 95 93 265
29位 島津義久 85 86 93 264
30位 朝倉宗滴 95 91 77 263
30位 蒲生氏郷 90 84 89 263
32位 細川藤孝 75 89 98 262
33位 甲斐宗運 84 90 87 261
34位 蘆名盛氏 87 85 86 258
35位 島津義弘 105 82 70 257
36位 竹中重治 96 102 57 255
37位 島津貴久 79 87 88 254
38位 今川義元 85 79 89 253
38位 山本晴幸 84 97 72 253
40位 武田信繁 87 83 82 252
40位 三好義賢 85 81 86 252
42位 羽柴秀長 74 83 93 250
43位 安東愛季 78 84 87 249
44位 上杉景勝 93 71 84 248
44位 上杉謙信 120 74 54 248
46位 高坂昌信 91 85 71 247
46位 立花道雪 107 86 54 247
48位 黒田長政 78 82 86 246
49位 斎藤朝信 87 82 76 245
50位 大友宗麟 82 75 87 244
51位 内藤昌豊 82 82 79 243
52位 香宗我部親泰 76 83 83 242
53位 井伊直政 93 72 75 240
8 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:08:32 ID:X+JZWln9
総合能力値ワースト20
順位 武将名 統率 武勇 知略 政治 合計
01位 一条兼定 7 3 4 29 43
01位 肝付兼亮 11 8 4 20 43
03位 斯波詮直 9 14 5 31 59
04位 北畠具房 15 16 10 22 63
05位 斯波義銀 12 10 21 27 70
06位 柴田勝豊 12 25 10 31 78
07位 阿蘇惟光 26 14 12 28 80
08位 最上義時 19 21 14 30 84
09位 伊達盛重 19 21 14 32 86
10位 大内義長 22 20 12 36 90
11位 鵜殿氏長 24 7 23 38 92
12位 赤松晴政 16 21 27 29 93
13位 上杉憲政 28 20 19 27 94
13位 今川氏真 10 6 8 70 94
15位 尼子義久 21 27 22 28 98
16位 有馬義貞 17 15 21 44 99
16位 後藤高治 14 10 40 35 99
18位 小早川秀秋 38 23 23 16 100
19位 斎藤龍興 23 26 14 40 103
20位 織田有楽斎 24 7 5 68 104
9 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:09:28 ID:X+JZWln9
総合50位に入ってる武将の最大適正値
S3つ
武田信玄(騎馬、計略、内政)、織田信長(鉄砲、築城、内政)、徳川家康(足軽、兵器、内政)
北条氏康(足軽、築城、内政)、毛利元就(弓、計略、内政)、真田昌幸(足軽、計略、築城)
羽柴秀吉(足軽、築城、内政)、松永久秀(計略、兵器、築城)、山本晴幸(計略、兵器、築城)
S2つ
伊達政宗(鉄砲、兵器)、長宗我部元親(足軽、兵器)、明智光秀(鉄砲、内政)
斎藤道三(足軽、計略)、直江兼続(計略、内政)、太原雪斎(弓、計略)、津軽為信(計略、兵器)
黒田孝高(計略、兵器)、甲斐宗運(弓、計略)、真田幸村(騎馬、築城)、藤堂高虎(計略、築城)
島津日新斎(計略、内政)、真田幸隆(弓、計略)
S1つ
佐竹義重(騎馬)、上杉謙信(騎馬)、島津義弘(鉄砲)、小早川隆景(弓)、蒲生氏郷(内政)
最上義光(計略)、本願寺顕如(足軽)、片倉景綱(計略)、宇喜多直家(計略)、島津義久(内政)
立花道雪(足軽)、吉川元春(騎馬)、本多忠勝(騎馬)
A上位(4個以上)
鍋島直茂(騎馬、鉄砲、計略、築城、内政)、朝倉宗滴(足軽、騎馬、計略、兵器)
三好長慶(足軽、計略、兵器、築城、内政)
A下位(4個未満)
大谷吉続(足軽、築城、内政)、武田信繁(騎馬)、上杉景勝(騎馬、内政)
井伊直政(騎馬、鉄砲、築城)、蘆名盛氏(足軽、計略、内政)、細川藤孝(弓、計略、内政)
三好義賢(内政)、今川義元(弓、内政)、斎藤朝信(騎馬、内政)、陶晴賢(足軽、兵器)
高坂昌信(騎馬)、黒田長政(兵器)
10 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:10:09 ID:X+JZWln9
固有戦法所持者
足軽 乱戦 足利義輝 佐々木小次郎 小野忠明 上泉信綱 北畠具教
佐野房綱 竹内久盛 富田景政 富田重政 柳生宗矩 柳生宗厳
真壁氏幹 丸目長恵 宮本武蔵
強襲 大谷吉継 立花道雪
千成衾 木下秀長 木下秀吉
騎馬 啄木鳥 武田信玄 山本晴幸
乗崩 本多忠勝 前田利益 真田幸村
車懸り 上杉景勝 上杉謙信 直江兼継
弓 三矢訓 吉川元春 小早川隆景 毛利隆元 毛利元就
鉄砲 捨て奸 島津家久 島津歳久 島津義弘 島津義久
組撃ち 鈴木重秀 伊達政宗
釣瓶撃 明智光秀 織田信長 蒲生氏郷
計略 火牛計 黒田考高 真田昌幸 北条早雲
治療 竹中重治 徳川家康
11 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 14:17:19 ID:b49m1h+M
本多忠勝って本当に強かったの?
他の有名武将と比べてイマイチ話が地味なんだけど。
12 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 15:28:08 ID:qn6Td7aT
>>11 ・姉川の戦いで朝倉勢に単騎突撃し、そこから徳川軍が付け入り朝倉軍を撃退
・一言坂の戦いで殿を務め、煙幕を使い武田勢を撹乱
・伊賀越えの際、家康の側を離れず夜は寝ずの番を務める
・小牧・長久手では500の手勢を率いて羽柴軍を牽制、長久手方面に展開していた家康本隊到着
の時間を稼ぐ
・関ヶ原の役では井伊直政、黒田長政と共に誓紙を乱発して西軍大名の切り崩しに務める。
・織田信長からは「花実兼備の武将」、豊臣秀吉からは「東の忠勝、西の宗茂(統虎)」と称えられる(名将言行録より)
こんなところか。個人的には智謀が80台でも構わないと思う。
13 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 15:28:50 ID:uVCybdRy
よく知らない奴を低いんじゃないかと評価する奴は何なんだ?
14 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 16:25:47 ID:t3wVcx9j
過大過少を論じるなら、とりあえず理由は必須だな。
イメージだけで語るのはいかんね
15 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 17:16:40 ID:Y/mD02fQ
一回、○○の武将は政治とかができない無骨の将だと知ると、
その武将の政治的実績やらを知ったときとかに、あまりいい感じはしないと。
頑なに信じず、「あいつの考えじゃなくてどうせ上司の指示だろ」とか言う人がいる。
だがそれが教育なんだね。
手軽なやつに悪評を付けて、反面教師とする。
それはそれで○○武将による後生への貢献てやつか。
16 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 17:18:24 ID:Y/mD02fQ
つまり歴史人物は役者・タレントなのだよ。
みな、民度を上げてくれている偉大な人物たちだと思う。俺はね。
17 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 18:08:19 ID:d1PWhXH+
>>11 本多忠勝は基本的に率いる兵が少なかったからな。
軍を采配した実績に乏しいのは仕方がない。
しかし、家康はもとより信玄や信長や秀吉からも高く評価されているから実際に凄い武将だったんだろう。
18 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 19:01:29 ID:22dr8RLJ
合戦でまったく傷を負ったことがないとも聞くしね。
19 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 19:07:11 ID:7++3Il8y
生涯五十数度の合戦で掠り傷一つ負わなかったといわれる
船の櫂で葦原を薙いだら一面鎌で切ったようになってたとか、武勇に優れていたという逸話があるからね
20 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 19:11:12 ID:rsYhaBrk
よく生涯傷が無いってのは後方指揮してたからだろ
って言う奴居るけど忠勝はガチ
対武田とかで小規模な合戦やりあってきてるしな
21 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 19:12:30 ID:7++3Il8y
もっとも逸話だけなら、その忠勝が家康と清洲同盟締結に言った時
前田利家に勝てそうか、と聞かれてとても勝てません、と答えたという話も
22 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 19:47:14 ID:d04g1ukf
>>21 それは、
利家に おまえ忠勝に勝てるのか?と聞いて、勝てそうに無いと言ったのか
忠勝に おまえ利家に勝てるのか?と聞いて、勝てそうに無いと言ったのか
どっちかのう。
23 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 19:50:23 ID:d04g1ukf
あと、
戦国最強の武田信玄に誉められた、忠勝や道雪なのか
過剰評価のしんげんに誉められた、忠勝や道雪なのか
どっちかのう。
24 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 19:57:45 ID:1N6hypxz
馬鹿は書き込むなw
25 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 20:01:04 ID:yaSC3HKu
朝倉宗滴の賞賛した武将の内に入ってるから(毛利元就、武田信玄、織田信長
正木時茂、今川殿、長尾殿)戦国2番手の武田信玄に誉められた、忠勝や道雪で
26 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 20:12:05 ID:d04g1ukf
上に書いてある武将の表見たが、ほとんど過剰評価に見える。
太閤立志伝一のように、もっと適当にアホらしく設定した方がいいと思う。
確か信玄も統率戦闘両方とも90も無かったような気がする。
他の武将も、なんかでたらめだった。顔グラフィックも、てきとーだった。
27 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 20:16:05 ID:d04g1ukf
とにかく、90以上が多すぎる。
統率力で90以上と言えるのは、まあとりあえず
信長、秀吉、家康、信玄、謙信くらいにしておいたらいいんじゃないかな。
それだったら揉めることもなくなるだろう。
28 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 20:18:51 ID:d04g1ukf
最高値は95と言うのがベストだろうと思う。
これは光栄の水滸伝やってみての感想。
95信長、94謙信、93家康、92秀吉、91信玄
あと適当ってところか。信玄と家康逆かな?
29 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 20:43:18 ID:BujaXmZ9
なんでそんな中途半端な最高値がベストなんだよ。
普通に100でいいだろ
30 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 20:44:28 ID:Y/mD02fQ
31 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 20:50:32 ID:X+0IYbY5
>>30 人気武将というより有名大名ベスト5のが近くないか?
90以上なんて10〜20ぐらいに厳選されてる方がメリハリがあっていいよ。
32 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 21:27:13 ID:cOkH8FPP
初期値は低めに抑えて、ゲーム内での活躍で能力が上がる経験値制なら別に各人が気に入った武将育てることで済むんだけどな
最初から数値が上下差がありすぎるとどうしてもケチつけたくなる
33 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 21:32:54 ID:d1PWhXH+
>>32 スレ違いだが同意だな。
ただ、天翔記は能力が上がり過ぎた。
蒼天録・革新は上がらなすぎ。
肥はゲームバランスがホント糞。
34 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 22:21:39 ID:Y/mD02fQ
>>31 うん、そのほうがありがたさが出ると思う。
好きな武将への思い入れとか強まるし。
35 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 22:30:33 ID:SqvEkWsh
統率+武勇ベスト29
1 225 上杉謙信(120+115)
2 205 真田幸村(105+100)
3 199 島津義弘(105+94)
4 198 武田信玄(110+88)
5 196 立花道雪(107+89)
6 194 鈴木重秀(95+99)
7 192 島津家久(95+97)
8 191 立花宗茂(97+94)
9 190 柴田勝家(94+96)
10 189 吉川元春(95+94) 高橋紹運(95+94) 武田信虎(93+96)
13 188 北条綱成(94+94) 本多忠勝(91+97)
15 187 福島正則(93+94) 下間頼廉 (92+95)
17 186 島左近(90+96)
18 185 柿崎景家(90+95)
19 184 徳川家康(95+89) 斎藤義龍(91+93)
21 183 井伊直政(93+90)
22 182 加藤清正(90+92) 武田勝頼(89+93) 山県昌景(88+94)
25 181 伊達政宗(95+86) 村上義清(92+89) 伊達成実(87+94) 織田信長(92+89)
29 180 佐竹義重(94+86)
36 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 23:33:22 ID:JhxgR7+Y
>>12 こういう逸話の類って、何で徳川系の武将は認められるの?
武田信玄や武田四名臣とかだと、
つ「甲陽軍鑑」だし、
真田幸村だと、講談プギャーだろ?
立花道雪なんかも過大評価の代名詞みたいに言われることがあるのに。
37 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 23:46:21 ID:ieJ9wOO5
コーエーの歴史シミュでは軍記物や講談も史実と同じくらい重視されてるから無問題
このスレでもそういうスタンスの人が多いんじゃないかな
武田が殊更問題視されがちなのは他の勢力(特に北条や今川)なんかとのバランスが悪いから
38 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 23:47:19 ID:P0uLCKxh
次回作では仙石秀久の武勇が大幅うp
39 :
名無し曰く、:2006/05/26(金) 23:53:53 ID:cpO2W1kR
ゲームとしてみるとバランス良くてそれなりに繁栄した勢力ならどこでやっても大して苦労しないようなのはやだな。
武田や上杉なんか革新の強さで良いよ。強力な敵は必要だ。
島津でやってて肥大化した武田や上杉に出会って驚愕、みたいなのが面白いじゃん。
40 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 00:27:58 ID:6KOyUnQI
講談どころか漫画の影響も受けるのが肥クオリティ
前田慶次に謙信並の特性(軍神)がついてたときもあったし
41 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 00:31:55 ID:DiwdrS/v
能力値も上げすぎだが、他にも家宝、兵器、船、技能、パラの種類多すぎ、兵数、物資の量溜まりすぎ、坊主二人強くしすぎ・・
今作は何もかもがやりすぎ。これだけやりすぎると希少性が薄れて有り難味がねえよ。
42 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 00:38:58 ID:X3wFl6/G
>>36 別に徳川系だけ認められてるわけじゃないよ、
井伊直政とか散々言われてたし、
ただ忠勝だけはその逸話の量が他の四天王とは比べ物にならん位多くて、
様々な大名から言われてる実績もあるので、ある程度変わってくるんだろう。
同じく武田四名臣でも山県昌景だけは他三人とは別だと思う。
真田幸村に関しては4名臣や徳川四天王ぐらいの数値だったら誰も何も言わんと思うよ、
でもそんなレベルじゃないから言われるわけで。
>>38 来年の大河効果でスーパー勘助になる方が凄そう。
まぁそれは大目に見るとして、お願いだから肥よ・・・謙信の顔グラだけは勘弁してくれ、
あの酒飲み風のヒゲヅラがいいんじゃないか・・・。
43 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 00:53:10 ID:elCDjPMw
ケンシンブルーアイ!
44 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 00:57:19 ID:R+p1VWTq
Gacktはさすがに勘弁だけど謙信の顔グラは現状でも美化しすぎだろう
肖像画は無精ヒゲの生えた下膨れの汚いおっさん
45 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 01:03:41 ID:h4GTBiMP
当時の人物画みんなブサイクやん。
宣教師の書いた写実的なスケッチ画の信長とか顔優しすぎてイヤだよ。
46 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 03:25:26 ID:2IJrlIFF
確かに。でも他のと比べると確かに信長と光秀は貴公子な感じがするw
47 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 04:50:33 ID:UVWOGO92
じゃあ池上遼一あたりにキャラデザをさせるよう投書しようか
48 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 04:53:49 ID:Tyk4rAun
池上遼一からぱくってるからね?なにがって?革新というゲームがさ。
49 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 05:52:28 ID:nkBqjZ1t
竹中半兵衛と山本勘助なんてほとんど講談能力
半兵衛は秀吉の統率智謀能力吸っちゃてるけどなー
50 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 08:04:12 ID:37LBB8lC
>>49 半兵衛は記録に残ってないだけで、秀吉に献策したことは多いだろう。
本多正信と一緒だ。
でなければ重用されるわけがない。
あと、秀長を教育したのは半兵衛だな。
51 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 08:15:44 ID:Tyk4rAun
重用だけだったらば前野長康も同じだな。意味がわからん。
52 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 08:18:36 ID:Tyk4rAun
しかも本多正信と、竹中のポジションが何故同じになるのだ。
そもそもにして、本多正信には客観的な事実も多いが、竹中なんぞなにをしたかもわかるわけもなく
幕僚や、重陽ならばほかにまだ沢山いるわけであって、いくらなんでも過大すぎる。
そもそも、教育係が凄いんだったらば、平手なんとかなんて、もっと上じゃないのか?
53 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 08:28:51 ID:Tyk4rAun
そもそも、半兵衛なんて、沢山いた織田家直臣クラスのそれまた、寄子の軍監程度なんだから、そんなもんは沢山いるのだ。
信長が、柴田に送りつけた、前田利家のように秀吉には半兵衛を冷たくあつかうことなんて出来るわけが無い。
いくらクソみたいな人間でもな。
しかも独立した動きが全くの皆無。なんだ、あの統率と智謀。
54 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 08:59:51 ID:NMEMZz8H
武田信玄→もみあげハゲ
上杉謙信→白い布かぶったひと
伊達菊正宗→片目
隈部なんとか→口全開
顔グラがこれだったら能力はどうでもいい
55 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 09:23:21 ID:ymHEy9Ui
肥的に、今孔明なんて渾名がある奴を雑魚には出来んだろうね。
56 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 09:39:22 ID:NMEMZz8H
北斗の拳を数値化したら政治1桁の奴ばかりだろうな・・・
2桁あるのはシン・ユダ・ラオウ・サウザーくらいか
57 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 09:52:21 ID:nkBqjZ1t
恐怖政治ばっかだからな
58 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 09:54:12 ID:jsECteVx
利家も1582年には勝家に人質預けなくて
柴田佐々組と対立関係にあったから本能寺なかったら危なかったな
59 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 10:28:31 ID:dsUxjL++
19位 斎藤龍興 23 26 14 40 103
センゴクですきになりかけてたのにがっかりだ
60 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 10:48:33 ID:X+cL6soZ
>>59実際無能じゃない?
美濃三人衆とかにも裏切られてるし。
義龍と比べるとどーしよーもないカスじゃん。
61 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 11:36:49 ID:Jmcp0UJM
62 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 12:28:30 ID:YKFGocrn
三人衆を工作した織田がすごいのか、龍興が馬鹿なのか。
それか織田工作者ageで龍興sageか。
63 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 12:29:55 ID:8uTOJYmt
>>59-60 ゲームに限らないんだけど、人格と能力が混同されてることってよくある。
山中鹿之助なんていい例だけど、死ぬまで諦めず目標を目指したってのは立派な
ことだけど、それと能力評価は別ものだよな。龍興も同様。
64 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 12:30:24 ID:R+p1VWTq
美濃の有力者たちを調略した藤吉郎・半兵衛コンビの能力値は妥当だと見ていいですか
65 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 12:39:32 ID:YKFGocrn
長秀もわすれんといて
66 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 12:49:55 ID:elCDjPMw
67 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 15:16:58 ID:N0t2Ep3c
武功夜話や太閤記みたいな話が元なんでしょ>半兵衛
武田家臣団が講談補正で異様に上がってるのに比べれば一人ぐらい他家中でそういうのがいてもおかしくはない
68 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 15:16:58 ID:LF5VKOFw
半兵衛は秀吉の能力吸ってると考えればいいのかなぁ
でも秀吉前半生の功績をそのまま数値化したとしても過大だよな
69 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 15:40:47 ID:jQtKJ2FM
今孔明とか言うあだ名での知略が高いのはある程度容認できるが
統率は絶対納得できない。仮に秀吉の前半をプラスしても高すぎ。
別に秀吉の配下は竹中だけじゃないし蜂須賀とかの方が間違いなく活躍してる
蜂須賀は秀吉が天下統一するまでの紛れもない片腕。
最も蜂須賀は今の能力で丁度いいと思うけどね。つまり竹中は過大
70 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 16:06:02 ID:nkBqjZ1t
一条兼定もまさか
後世、戦国時代の中で最低な評価されてるとは夢にもおもわなかっただろうな
うっかり歴史に名を残すと恐ろしいなー
71 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 16:35:26 ID:D9hJRlQ0
72 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 16:42:09 ID:YKFGocrn
秀吉が半兵衛の能力なのだよ
秀吉がコピーしているのだ
73 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 16:43:06 ID:6Y1r86JF
ν速+から来ました
乳井という武将の評判はどうですか?
対南部戦で活躍したそうですが・・・
74 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 17:29:32 ID:nkBqjZ1t
検索したら津軽の武将っぽいね
正直、信長にはでてこない小物
75 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 18:46:04 ID:KFzwvGAs
91:無名武将@お腹せっぷく :2006/05/27(土) 16:08:20 [sage]
武田信玄
政治 77
統率 92
軍略 81
知謀 80
上杉謙信
政治 56
統率 87
軍略 90
知謀 68
やっぱり俺も軒並み90を超えるのは好かんな。あくまでシビアに…
貼ってみる。
76 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 18:57:29 ID:R+p1VWTq
三戦板からわざわざ晒さなくてもいいだろうに
77 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 19:34:31 ID:Jmcp0UJM
>>69 蜂須賀正勝の場合は、楼ノ岸とか大村の合戦とかで武功も上げてるけど、むしろ後方の支援任務とか民事や内政面で評価されてる記録の方が多いしなあ。
秀吉が京にいた頃には足利義昭から二匹両紋付と桐紋の衣を下賜されてるし。
最近の蜂須賀正勝は、一時に比べて統率が低くなって、代わりに智謀と政治が高くなってきてるけど、そっちの方が記録上の功績には近いな。
78 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 19:47:59 ID:jsECteVx
中国責めの時にうっかり出過ぎてピンチになり清正に助けられる
ちょっとお茶目な蜂須賀さん
79 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 19:55:20 ID:2Q40MxZ7
>>75 実際信玄はこんなもんだろ
統率を下げて智謀あげれば完璧
80 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 21:30:15 ID:YKFGocrn
苗字呼びと名前呼びの差ってなに
81 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 21:51:53 ID:nkBqjZ1t
信長の野望のシナリオで
一番早いのが
蒼天の1495年
一番遅いのが
天下創生の1599年?
82 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 22:46:36 ID:2wM3RI9L
山野辺義忠は過小。水戸徳川の家老にもなってるし、黄門様の教育係りもこの人だぞ。
最上騒動の中心人物だが有力家臣が多数ついただけあって人物だったと思う。
片桐且元くらいの能力あってもおかしくないはず。
83 :
名無し曰く、:2006/05/27(土) 23:02:58 ID:e1pi5AaQ
84 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 00:05:29 ID:lrXXWUXj
パクストクガワーナなめすぎ。家康の政治が200なのはマジ。
85 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 00:36:37 ID:I3VkMSV9
>>82 片桐且元も大した事ないぞ。武力馬鹿タイプになってるし。
86 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 01:00:48 ID:MfLLojgK
片桐且元は元々大したこと無いだろ
87 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 01:27:44 ID:p5hCLTWg
何でか秀吉がボケて最晩年は大阪城の家老みたいな存在になってるのに相変わらず領地の石高は
低いし侮られまくって結局家康に寝返ってるしなw
88 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 04:41:42 ID:MfLLojgK
片桐且元は純粋に家康を豊臣家に属する五大老と本気で信じてたんだろうか
だとしたら奴の政治力は10代後半でもいいな
普通考えたら豊臣家と家康の間に対立が起きるのは分かりそうなもの
俺なら絶対に関ヶ原後はどちらか一方にしか協力しないぞ
何で両天秤にかけてんだろうな
89 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 07:09:27 ID:rSH8qW7A
大坂の陣前後の且元は別に豊臣と徳川の間で去就に迷ってたわけじゃなく、
徳川の天下を認めた上で豊臣家を存続させようとしてたように自分には思えるけどな
あの緊迫した状況のなか大野たちに追放されるまで大坂城に留まって
最後まで和平の道を模索してたのはそれなりに評価できるんでないの
まあ結局成功しなかったわけだけど
90 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 07:42:48 ID:I3VkMSV9
片桐の早すぎる死は昔から自害だと噂されたらしいね。落城後すぐだし。
淀からの使者は家康が対応して丁寧に歓待し、片桐は本多正信に詰問されて現実的な妥協案を出される。
大阪城に帰ると無能呼ばわりされてと、全部徳川の作戦なんだけどね。
無能と呼ぶには気の毒なポジション。誰がやっても同じ事だ。
91 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 08:45:44 ID:MfLLojgK
別に気の毒って程のポジションでも無いと思うけどな
徳川か豊臣かはっきり選ばなかったから辛かっただけで
最初からどっちか一方のみを選べていれば
忠臣としての死か徳川家への功臣としての出世かは選べたはずだぞ
92 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 08:54:47 ID:wbD+Sch7
忠臣だから、だろ
93 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 09:03:39 ID:lODD2KRp
>>91 選んでいたよ、豊臣の方を。だからこそ悩んだし、最後まで彼なりに努力を重ねた。
こういう和平派って、日本人はたいてい悪扱いするよね。本当は簡単に開戦を叫ぶ
ようなやからよりもよっぽどものを考えていたり忠誠をもっていたりするものなん
だが。
94 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 11:03:15 ID:eUdezzqz
まあ豊臣最後の良心だったのは確かだね
95 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 11:07:24 ID:typ+xqP8
96 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 12:59:03 ID:1zCq/Can
片桐且元(革新)
統率55武勇70知略39政治60義理70
十分じゃね?何が不満なの?
97 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 13:14:03 ID:aPAma9zf
全然選んでねえだろ
本気で豊臣に協力するなら関ヶ原後に何で家康から領地貰うんだよ
そういうあやふやな態度じゃ間者と疑われても文句言えないだろ
まるで政治的駆け引きが分かってないじゃないか
しかも最終的には家康についてるしな
こんなのが豊臣の忠臣とは片腹痛い、切腹しろよ
98 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 13:23:35 ID:rSH8qW7A
関ヶ原以後に秀頼に近侍してた武将は殆ど家康から領土を安堵してもらった武将ばかりだが
あの大野治長でさえそう
後別に革新での片桐の能力値が過小だと逝ってる人はいないでそ
政治力が10後半で妥当、って主張する人がいるから反論してるだけで、
現状十分な能力値だ
99 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 15:08:26 ID:Q/99Nj6q
>97
豊臣方に襲われたからやむなく家康についただけだと。
石川数正の状況に似てるかな
100 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 15:18:16 ID:I3VkMSV9
片桐の死は大阪方の刺客にやられたって噂も当時からあったらしい。
後世の俺らから見れば、内紛をさせる為の徳川の調略だったって分かるわけだが
当時の人は片桐の事を大分冷ややかに見ていたようだね。
101 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 15:34:50 ID:B9VAa6oW
豊臣の忠臣といえば
福島正則や加藤清正の義理が高くて驚いたな
102 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 15:40:12 ID:wbD+Sch7
豊臣には忠臣がいなくて、かわいそう。
そういや勝家の義理が低いね。
3人くらい異議者出てくるかな。
103 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 16:30:36 ID:iJnyKpaa
>>98 それはちょっと違うな
安堵されたというのは元々豊臣方から貰ったもので
片桐の場合は新規に家康より加増されているのであって
明らかに立場が違うだろ
のこのこ家康から知行もらっといて豊臣の忠臣ぶるとは
誰だっておかしいと思うぞ
104 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 16:44:01 ID:EBnTjH6j
山内一豊
統率72
武勇89
知略65
政治81
義理90
漏れは来年あたり、来ると思うんだが・・・・・・・・・
ザコなのに天下とっちゃう。
105 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 16:53:58 ID:rSH8qW7A
関ヶ原終了時点での家康はあくまで豊臣家の執政に過ぎない立場
彼から加増を受けたということはすなわち豊臣家からの加増を受けたと同じことでそ
それに自分は別に片桐が重成みたいな無類の忠臣だとは思ってないし、
そもそもそんなことはこのスレ的にはどうでもいい話
(「義理」の数値には多少関係するだろうけど)
106 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 18:00:14 ID:2yaSqnR/
山内一豊なんて全能力50で問題ないだろ
107 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 18:09:57 ID:p5hCLTWg
>>104 元々あの小説の中では殆ど評価されてないじゃんw
常に「凡庸なこの男」「特に抜群の功も無いのに国主になった運の良い男」
「妻のおかげで功を見出した男」じゃんw
108 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 19:25:55 ID:typ+xqP8
逆に司馬補正で落ちるし
金ヶ崎の活躍も一豊の力じゃなくて嫁のおかげにして嫁の能力あげるし
109 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 19:32:56 ID:zfF1520B
>103
現実てきに豊臣がこの先生きのこるには徳川に妥協していくしかなかったろ。
徳川と豊臣の間をとれる人材は必要だったし。片桐且元の落ち度はない。主家のために難しい役をやりとげて充分忠臣だ。
やりようによっては和平の道もあったが、豊臣自身が滅亡を選んだし。秀頼と淀には殉死するほどの価値も無いな。
110 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 21:03:24 ID:EAmHJlc2
つまり片桐はそれほど注目をあびる優れた存在って訳じゃなかったってだけだな
111 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 21:17:37 ID:wbD+Sch7
江戸時代に成立した『絵本太閤記』では、
賤ヶ岳七本槍としての武勇伝が描かれている。
明治には、劇作家の坪内逍遥が史劇『桐一葉』において忠臣としての且元を描き、
歴史学においても忠・不忠の視点で論じられた。
戦後に実証的研究が行われるようになると、
昭和51年(1976年)に高木昭作は且元が豊臣家の家老でありつつも徳川方の国奉行であることに着目し、
関ヶ原の合戦前後の政治状況を考察する際にも注目される。
112 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 21:18:18 ID:wbD+Sch7
Wikipediaから引用
113 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 21:29:48 ID:eUdezzqz
114 :
名無し曰く、:2006/05/28(日) 22:11:54 ID:s7uZxk3/
南条隆信ってどうなの?
嵐世記のプロフィールとかだと「神の如き」とか凄い表現されてるけど、能力値は軒並み平均程度
東北のマイナー武将だからかね?
115 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 00:30:48 ID:8Xv74rQv
もはや好きな武将を語りましょうスレになってるな。
もしくは良く知らないけど教えてスレか。
116 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 10:09:49 ID:voj3GDJW
清正や正則は中心とするなら政治力はマイナス補正かかるよな。
逆に豊臣を売ったとすれば義理は低く知略が高くなるのか、意見わかれるだろうな。
俺はどっちもマイナス補正されてても文句ないけどな。清正の方が治国の実績があるけど。
>>110 途中に芸能人の名が、そこで目がとまってしまった。
117 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 11:17:13 ID:PXWWPyN5
片桐は忠臣に似たる奸臣
大野は奸臣に似たる忠臣
という言葉があったくらいなんだけどね。
片桐は実際は大阪にいながら徳川に通じ、
大阪の財宝をすり潰す徳川の策に協力した男。
大阪の陣の展開も講談のような話しとは違い。
実際は徳川方の陰謀に片桐が意図的に協力したっぽいよ。
あと、大野は秀頼母子と大阪方のために最後まで
誠心誠意働き続け、最後は秀頼母子と共に腹を切った忠臣。
非のつけどころがないね。
118 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 11:52:48 ID:/jJ9XgpH
でも大野に政務の才能なく且元が退出した後の大坂城の政務は1ヶ月滞り
さらに大砲の長官の担当の件で大野は他者となすりつけあって結局放置する始末
119 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 12:00:01 ID:1DMlCZT4
片桐は徳川政権下に豊臣を組み込もうと努力してたから、徳川に通じていて当然。
それが豊臣の唯一生き残る道だったから。
だが淀を始め先の見えない大坂の愚将らに猛反発を喰らって命まで狙われて追い出された。
何にも出来なかったカスが忠臣なんて笑わせないでくれ。
120 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 12:14:47 ID:6OtUYNcT
忠臣かどうか、というのなら片桐も大野も忠臣ではあるな。あくまで主観的な
ものになるが。
両者の差は現実認識の違い。
「忠誠は視野を狭くする」の典型だと思う。
121 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 12:19:53 ID:8Xv74rQv
>>119 最後の一行は片桐且元にも当てはまるような・・
でもそれを言い出すと加藤清正、浅野幸長らも当てはまっちゃう。
ま仮に徳川政権下に収まっても、関ヶ原における毛利の二の舞になるだろうけどな。
122 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 16:37:37 ID:O/XsjQAw
大阪城からダンボールで金銀を運び出す… あ び る 優 が 見 え ま す ! !
123 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 17:06:10 ID:b0imON2P
カスだってさ
124 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 17:47:49 ID:hJPIJk8E
幸村がいつも評価高いですよね 幸隆や昌幸は実績あるけど 幸村は何かあったかな…大阪の陣でも美化されてるだけだと思うのですが…
125 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 18:14:13 ID:/4gC5m0C
今更そんな話かよ いつもながらグダグダだな
126 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 18:20:49 ID:YmqkWv7l
127 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 19:15:46 ID:5teiJ7zp
>>119 忠臣の定義というのは、滅び行く国に殉じた人をさすんじゃないのか?
沈み行く船から逃げ出す鼠は、賢い。
逆に沈むと解った船で、最後まで無駄な努力をしている姿にも美を感じる。
大野治長。名臣にしろとは間違ってもいわないが、もうちょっと使い道がある能力値にはならないものかなぁ……。
128 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 19:26:05 ID:1DMlCZT4
無能な忠義者って信長が一番嫌いなタイプだったな。
129 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 19:31:38 ID:MTkrGPfP
>>127 問題は大野治長は「沈むと解っていなかった」点なんだが。
現在でたとえるなら、二月末まで永田メールが本物と思い込んで前原誠司みたいなもの。
130 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 19:36:06 ID:5teiJ7zp
>>128 そうなのか? だったら、信長は所詮天下を取れない器だったんだろうね。
無能だって、忠義者は大事にしてやろうとする家康に比べて器量が小さい。
131 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 19:42:57 ID:5teiJ7zp
>>129 それは、治長が、どの時点で豊臣家が沈みとみたかだろう。
少なくとも、冬の陣の開始時は、乗り切れるとみていた。事実、和睦という形で乗り切った。
しかし、夏の陣では沈むと解っていたんじゃないかな。
再戦に反対したり、和議の永続に努力したりしている姿から想像だが……。
132 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 19:48:54 ID:wIGGEPKP
つか大阪城の防御力が根幹にあったのにそれを捨てるとかwww
その時点で豊臣方に戦略家がいないことが分かる
一回目で決着がつけれなかった時点で終ってるという話もあるがねw
133 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 19:49:05 ID:1DMlCZT4
徳川に宣戦布告した時点でもう手遅れなんだが・・
134 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 19:55:22 ID:6OtUYNcT
>>128>>130 違います。信長が一番嫌ったのは無能ではなく怠け者。
佐久間信盛も、無能ではなく本願寺攻囲を怠けた(と信長がみなした)から。
そもそも、信長は無能とみなした人物を重用はしなくても虐待なぞしてませんが。
まあ人によっては、あるいは江戸時代の価値観でいけば「代々仕えた家臣を重用
しない」というのはそれだけで虐待なのかもしれないが。
例えば林秀貞。信長は彼を重用はせず大きな任務も授けていないが、だからと
いって虐待もせずその後も長い間織田家の家老として丁重に扱っている。追放を
受けるまではね。
135 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 20:04:36 ID:cLy6cPSW
真田信繁は戦力比からすれば相当な奮戦といえるだろう
講談や創作からの影響大なノブナボらしいといえばらしい高評価
条件としてはら毛利勝永・大野治房・明石全登らも同じだが…
136 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 20:10:21 ID:5teiJ7zp
>>132 徳川が、再戦を考えていると見抜けなかったのは、治長の限界なのだろう。
しかし、あの時点で、どんな手段を使ってでも和睦するというのは、間違いではないと思う。
後世、家康が悪者とされるのは、つまるところ、この城の防御力をなくしたところを、再戦するという、卑怯さに所以しているのではないのか?
治長は、家康の厚顔さを甘く見ていたんだろうね。
治長も、2回目はダメだと悟っていたように見受けられる。
>>133 いや、まぁ、そうかもしれないが……。
危ない橋だが、一戦しておくことが豊臣家の面目になるとか考えていたんじゃないか?
小牧の役の家康のように……。
137 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 20:40:53 ID:i3w4FF7/
>>121 もちろん且元の言う通りに徳川に従うと毛利の二の舞になる以前に秀頼の天下人への道がまた難しくなる
難しい問題だよ
138 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 21:15:31 ID:MTkrGPfP
まあ秀忠の世になったら、一大名になろうがどうしようが難癖つけて改易するのは必至だからなあ。
その点から考えたらどう転んでも滅びるしかなかったのかもしれんが。
ある意味、秀忠という暗黒時代を改易されずに乗り越えた旧豊臣恩顧の大名たちは智謀が80以上あったんだろうなと。
黒田長政、蜂須賀家政、前田利長あたり。
139 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 21:35:11 ID:pDrWXluY
秀吉に壮年の嫡子がいなかったというのがでかいよなあ。
140 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 21:54:36 ID:Brluu6qN
信忠が死んだものでかい
141 :
名無し曰く、:2006/05/29(月) 23:47:24 ID:bT6M79rH
>>132 お前バカ?外堀埋めらたあの話が何であそこまで有名な話になってるのか分からないの?
当時の城郭構造理解していますか?
142 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 00:01:26 ID:XwB8un2n
無能な忠義者なんて毒にしかならない
有能な怠け者がいるなら其奴はリーダーをやらせろ
有能な働き者がいるなら其奴は参謀をやらせろ
無能な怠け者は偵察や使い番ぐらいなら出来るだろう
無能な働き者は組織を滅ぼす。即座に排除すべきだ
至極の格言なり
143 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 00:02:22 ID:nRgpo2q5
福島正則が5年早く、また5年遅かったと嘆いた通り、開戦は最悪のタイミング
豊臣譜代も完全に幕府体制化に組み込まれており、また圧倒的な存在である家康が存命中
講和にしても口約束がメインで、どうとでも取れる内容だったから当然強いほうが都合よく処理する素地は十分あった
豊臣の開戦はもう名誉ある全滅か、面子を示した後のより酷い処遇を覚悟しての投降しかありえなかった
144 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 00:05:53 ID:lKuZzrAt
嘆いても豊臣家に開戦は勧めない福島正則。いつも思うけど滑稽な逸話だよな
145 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 00:27:09 ID:Fbn4oBfv
>>137 生き残る道が従属しかないのに何で
秀頼の天下人への道まで考えなきゃいけないんだよ
そこは世間知らずの馬鹿母子を命をかけて説得してこその忠臣だろ
>>142 無能な忠義者なら神風特攻くらいしてくれそうじゃない?
146 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 00:39:06 ID:nRgpo2q5
説得しようと努力したら殺されかけたんじゃないかw>片桐
江戸期の武士でも嫌になる扱いうけたのに、戦国武士がそこまでされて忠義持ちつづけるほうが異常じゃないかね
147 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 00:43:05 ID:lKuZzrAt
>>145 「城を枕にするとも和議の儀はあるまじく候」
肝心の秀頼が生き残るより死んだ方がマシだと思っているんだよ。残念ながら
148 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 01:04:35 ID:Fbn4oBfv
>>146 それもそうだな
ま、俺は別に片桐は忠臣とは思ってないからどうでもいいけど
>>147 その言葉はいつのもの?
少なくともこのレスの流れは片桐が家老就任中の話で
開戦後の言葉は意味を持たないんだが?
149 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 01:10:31 ID:lKuZzrAt
150 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 01:46:12 ID:nRgpo2q5
夏の陣の前に交渉役だった大野治長も強硬派に殺されかかってるな
出奔はしなかったけど講和は立ち消え
どうせ家康が許さなかった公算は高いが、まともに交渉させてもらえない立場だったんだろう、片桐も大野も
151 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 01:48:20 ID:sHgyNf75
当たり前だ。その時点で和議なんて遅すぎるよ。
死に際を汚すなんて武士じゃない。
152 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 04:02:13 ID:euTsg/Rc
強硬派つっても、家康が内部から開戦に持って行く様に煽っていたわけで>例えば織田常真
結局、片桐にできる事なんて皆無に近かったし、早い段階で暇乞いして自領に退転するのが最善だった。
そうすりゃ無用な汚名も着ずにすんだ。
結局、そこそこ使えるけど平凡な奴だったというだけの武将に過ぎないだろうよ>片桐
153 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 05:48:23 ID:XcftLRP1
片桐も大野も豊臣を支え徳川を抑えられる器ではなかったっちゅうことかな。
154 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 05:53:44 ID:7MIeMHyZ
徳川方にもいるんだから、んな事は百も承知だったのでは?
それでも死に行く運命にある豊臣家を見捨てる事はできなかったと言う事だろう。
この状況に置かれた場合に誰だったら打破できたと言うのだろう。
155 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 06:31:25 ID:euTsg/Rc
だから打破する必要なんかねーって。
156 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 06:59:28 ID:OLau6FCy
豊臣を支え徳川を抑える必要はないから
それで片桐や大野の器を悪く言う必要もない、
と言いたいの?
157 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 13:52:33 ID:sHgyNf75
結果論は下らないよ。
158 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 16:58:35 ID:R3OXzfcR
>>145 特攻する無能な忠義者にかける軍事費がもったいないな
神風はなんとも効率のわるい作戦だった
159 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 17:09:45 ID:7MIeMHyZ
というか、良い方向へと特攻できる忠義者は無能とは呼ばない気がする。
160 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 19:42:25 ID:UGKwAvYP
高橋紹運みたいに玉砕が豊臣・大友勢のための大きな布石になった例とかかね?>良い方向への〜
161 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 20:05:55 ID:T/o4zTl1
ここの意見みているとさ、なんか女流作家(←名前忘れた)がいっていた、
「日本人の判官贔屓は、義経が好きなだけ。敗者は嫌い」
という言葉を思い出すなぁ。別にどうでもいいことだけど。
162 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 20:36:34 ID:qA33avxC
楠正成とか真田幸村とか、判官びいきじゃないか?凄い人間ではあるけど人気はさらに高い。
つーかここの意見って…「好きだから・人気あるから」じゃ納得できない人の集まりで何言ってるんですか君は?
好き嫌いと能力は別問題だから。
163 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 20:40:32 ID:T/o4zTl1
いやさ、大野治長とか、これでもか、というほど全否定されているからさ。
敗軍の将だから、無能の呼ばわりされても仕方がないのもかしれないが、
そこまでいう必要はないでないかい、と思ったわけ。
164 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 20:53:56 ID:qA33avxC
無能だと思う奴もいればそうじゃないと思う奴もいるわけで、上の議論だって大野の立場を擁護する意見だって同じくらい出てる。
素直に反論するなり賛成するなり持論を述べるなりすればいいんじゃないか?日本人の判官贔屓がどうのは意見として見当違いでしょ。
165 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 21:14:58 ID:7MIeMHyZ
どっちにしろ、スレの本題から離れすぎだ、
要するにこの二人の武将の能力に異存が無いならそれで終わるべきじゃないか?
大野治長 25 14 42 56
片桐且元 55 70 39 60
賤ヶ岳七本槍の且元が治長より戦闘能力で上なのは当然として、
智略・政治で言うと大差ないな。つまりは肥基準で言えばその程度と言う事なんだろう。
166 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 21:17:17 ID:XcftLRP1
>>161 能力はあったけど悲運の敗者と能力のない順当な敗者じゃあ違うだろうにと思う。
167 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 22:31:35 ID:wGN8M9M2
>>161 >女流作家
その時点でピントの外れた意見だってわかるだろうが。
今年の大河見て、つくづく思い知らされたよ。
168 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 22:51:54 ID:Cw5xi1w5
大野兄弟はオール50ぐらいはあっていいんじゃないの?
なんか義景とか氏真とかと大差なくて哀れだ
169 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 23:03:57 ID:7Fg2W84v
>>167 >なんか女流作家
の、別に敗者を判官贔屓して好きになってる訳じゃなくて、
義経っていう個人の生涯が好きだから贔屓してるだけっていうのは
結構合ってると思うよ。
義経にしてみても義経が滅ぼした平氏の方がより弱者な訳だけど、
やっぱり人気があるのは義経、敗者だから好きになるというより、
個人の背景が人気を呼ぶ方が理に適ってる、
もっとも敗者っていうのもその背景の華の一つなんだろうけど。
170 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 23:32:51 ID:zWryJD0f
>>168 また紛糾するようなことを言うなぁ。
大野兄弟程度と比べるなんて、義景や氏真に失礼だぞ?
ゲームの数値なんで、能力に大差なくても仕方ないが、普通なら義景や氏真と比べたり出来ないよ。
171 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 23:35:49 ID:Cw5xi1w5
氏真はともかく、大野兄弟>>>義景は確実だろ
172 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 23:43:17 ID:T/o4zTl1
>>165 大野治長と片桐且元って、結局、ぜんぜん別の生き方をした人だ。
治長と比べるべきは、主家をミスリードした迷軍師たちだろう。
武田家の跡部勝資とか、大友家の田原親賢といった連中。
治長のしでかしたことは、跡部や田原よりもスケールが大きいと思うので、二人の能力値に毛が生えた程度が相応しいと思う。
173 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 23:51:20 ID:zWryJD0f
>>171 君が言っている義景は朝倉義景のことだよね?
一度は将軍が頼って行こうとした人物ですよ。
大野兄弟なんてジョークにもならんと思うけど。
174 :
名無し曰く、:2006/05/30(火) 23:58:31 ID:T/o4zTl1
>>172 あと、長宗我部の久武親直なんかも、主家を誤らせた迷軍師のお仲間。
175 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 00:07:36 ID:Vs8UmMOA
>>173 でも結局「こいつダメだわ」って呆れられて去られた人物ね
176 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 00:12:42 ID:O7m4BGQf
将軍が頼って行ったのは朝倉家が越前を中心に大きな勢力をもっていたからでしょ。
その勢力圏は大半が先祖が獲得したもので義景が優れていた訳じゃないな。
まぁ文化面での功績に限れば戦国屈指の素晴らしいものだと思うけどね
177 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 00:14:22 ID:8YlyUxn3
>>161 それはオメーの理論だろ。って言いたくなるな。
家康とか勝者だけどメチャクチャ嫌われてるし。
178 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 00:45:32 ID:6ysGW2kR
主 主たらずば、臣 臣たらずって事だ。大野がどんなに優れた人材であっても秀頼母子が居ては無理。
頭が変わっただけで滅びた例はいくらでも知ってるだろ。
一般的に考えて無能を重要な役には付けない。交渉役の片桐も然り。政知ともに最低50位は上げても良い。
179 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 00:57:16 ID:UC1cqVhT
>>161 意味がわからない
日本人の義経好きが転じて判官びいきという言葉が生まれたのだから
その突っ込みは変
180 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 01:06:23 ID:wb0DFlrF
>>172 それでいいと思うな。家康に武勇と秀頼への忠義を褒められた上に本多正純に対して治長にあやかるよう言わせた点は好材料
義景が将軍に頼られたんなら治房は将軍(秀忠)を追い詰めた武将。毛利勝永も上がったから治房の評価こそ上がっていいと思うんだけどな
義景は義景で志賀の陣で信長を追い詰めて天下は朝倉殿にと言わせている
181 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 01:53:00 ID:YmfuV4bB
>>178 >一般的に考えて無能を重要な役には付けない
もう少し現実を見たほうがよろしいんじゃありませんか?
182 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 02:06:26 ID:e8BsJxFU
いや一理はあるだろ。
有能かリストラ再有力候補かどっちかだな。
183 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 03:13:34 ID:lEf6cL2+
とりあえず、無能を重要な役につけないのは無能じゃない上司だけだな。
無能を重要な役につけるから、無能な上司とよばれるわけで。
さて淀様はどっち?
184 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 03:23:03 ID:6SpUS+7Q
無能な上司が重職につけた人間が必ず無能とは限らない
185 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 03:24:06 ID:6SpUS+7Q
十分条件と必要条件がどうとかこうとか
186 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 03:39:51 ID:lEf6cL2+
>>184 だから、無能をしっかり排除できるのは無能じゃない上司だけ、
無能な上司がたまには有能な奴を配置するかもしれないが、
少なくとも有能な上司でなければ
>一般的に考えて無能を重要な役には付けない
の理論は成り立たないと言うこった。
要するに大野が無能かどうかなど所詮は結果でしか測れんと言う事。
187 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 03:43:23 ID:6ysGW2kR
淀が上司って考えがおかしいんだけど。大野は淀に取り立てられたわけ?
188 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 03:45:12 ID:wvpUmuvg
>>178 無能なものが重要な役職につくなんて事はよくあるわなあ。
縁故系なんかがそう。
189 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 03:46:54 ID:ft5oBD05
そうじゃないの
秀吉存命中・関ヶ原以前は大したことの無い存在
190 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:00:17 ID:KibiY0oW
>187
大野兄弟は淀の乳母の子供だったから取り立てられたんだよ。
191 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:05:54 ID:6ysGW2kR
そうじゃなくて取り立てたのは秀吉だろ
192 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:11:27 ID:KibiY0oW
>191
それはただの屁理屈じゃないかい?淀の乳母の子だったから取り立てられたんだし、関ヶ原で東軍について戦後徳川方の使者として大坂に行った後江戸に返らなかったのも淀がいたから。
193 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:14:59 ID:6SpUS+7Q
それでは淀がコネなだけで
やっぱり取り立てたのは秀吉に見えるが
194 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:24:52 ID:ypg4Dx2a
仮に有能だとしてもどうにもならん状況に放り込まれてたからな…
大野勢の奮戦をみる限り(前田勢を突破し、秀忠本陣を陥れかける)武人としては無能と程遠そうだけど
治長だって暗殺されかけても秀頼見捨てなかったんだから忠臣ではある(最後は自分らの切腹と引き換えに秀頼母子の助命を願った)
195 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:27:39 ID:KibiY0oW
治長が重用されたり且元の後釜に取り立てられたのは秀吉の死後だよ?
これは淀の意向以外の何物でもないよね?
理解出来る?
196 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:33:01 ID:6ysGW2kR
そんな事は誰でも知ってるよw めぼしい人材は関ヶ原で死に絶えたからな。
197 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:33:24 ID:lEf6cL2+
>>191 秀頼付きなんていう重職についたのも無論秀吉が死んだ後になってから、
それまでは単なる一武将で、特に秀吉に重用された形跡は無い。実績も無い。
淀のコネだけで決定されたといって全く過言じゃない。
賤ヶ岳七本槍や五奉行らが秀吉に取り立てられたとかならともかく。
198 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:38:11 ID:KibiY0oW
>196
なら治長の上司は淀だろ。なんでこの流れになったか理解出来てるか?
199 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:51:50 ID:ypg4Dx2a
大野治長は秀吉存命中から馬廻・伏見城警護番を歴任。秀吉死後は家康暗殺計画の疑いかけられて蟄居・関ヶ原で東軍に参加して許され、片桐出奔後に大坂方の主導的立場に、だろ
200 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 04:54:12 ID:6ysGW2kR
>>198 だから淀の近侍にしたのは秀吉だろw その後の出世はいわば約束されたようなもんだ。
一から説明しなきゃ分からんようだな
201 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 05:16:20 ID:lEf6cL2+
>>200 >>178のレスに対するものだろ、全て。あと別に上司って一人じゃないぞ。
平社員から見れば社長も部長も上司だ。
そして秀吉が治長に上司として頼んだ事など、
>>199に書いてあること以上のものではない、淀の血縁だった事の信頼性以外何も期待してない。
>>178に書いてある「重要な役」を任せた上司が淀なんだろ。
202 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 06:10:53 ID:YmfuV4bB
まあ確かに馬廻りや警護番程度じゃ出世は約束されてないわな
それと淀はあくまで側室、近侍はいないだろ
出世が約束されてるのは小姓の方で、これは秀頼につくもの
以上の事から大野の出世はただのコネ
203 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 07:28:12 ID:JzTkzlv9
そもそも秀頼は体格、才略の差異からしても本当に秀吉の息子かどうかわからないし、当時から実は治長の胤じゃないのかとは噂されてたわけで。
そうなると主君の室と姦通して、自分の胤に天下人の跡を継がせた奴を忠臣とか言ってるということになるわけだw
204 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 07:34:19 ID:fy/XowLk
大野は無能
大野治長 25 14 42 56
肥の評価は妥当
205 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 08:49:55 ID:8P8qLuYf
206 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 09:43:41 ID:6SpUS+7Q
嫡子生んでる側室に近侍がいないとか言ってる子は
207 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 10:00:24 ID:HxVlu433
カプコンとしては浜崎あゆみじゃなかっただけ感謝しろよって感じか
208 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 10:00:56 ID:HxVlu433
ごめん誤爆
209 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 10:04:28 ID:ft5oBD05
治長が有能であると主張したければ、彼が秀吉に取り立てられたか
そうでないかとかいうことよりも、治長自身の実績を挙げるべきじゃないかな
まあ自分もゲームの治長の能力値はちょっと可哀相だと思うけどね
(幸村や又兵衛などの大坂浪人が高く評価されてる現状ではしかたないことだが)
せめて義理くらいもっと高く評価してやればいいのにと思う
210 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 11:13:17 ID:tTLopMB1
大野治房はどうなん?
兄貴と喧嘩してかなりの武断派として権勢振るい
大阪の陣では秀忠本陣に突っ込んでいるという猛者ぶり
211 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 13:25:41 ID:7gr3qDiq
本当の有能っていうのは三成くらいの域だろう。
大野と片桐を比べたり大野だけ見ても、所詮は秀吉の目には特に止まらず、三成死後
の城内の状態をみれば大野に指揮官の力もなく、むしろ大野も豊臣の没落の象徴的存在だろう。
あと秀よりが誰の子とか、ゲーム内では秀吉の子なんだしそこを話しても意味ナス
212 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 14:25:13 ID:Vs8UmMOA
治房は、統率65 戦闘74ぐらいはやってもいいだろ
213 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 14:32:35 ID:bxN49C9d
代わりに他の20以下で
214 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 16:32:28 ID:eqy1xjPN
でも治房旗下って、それなりの戦巧者で形成されてたんでしょ?
木村重成が秀頼直轄の七手組を率いてたのと違って
215 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 18:23:58 ID:8YlyUxn3
>>203 >そもそも秀頼は体格、才略の差異からしても本当に秀吉の息子かどうかわからないし
お前マジでバカだろ?w
才略なんて親から受け継ぐもんじゃねーし体格だって遺伝的根拠なんて皆無だろボケ
怒らないからどの小説の受け売りか言ってみろよ
216 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 18:29:55 ID:wb0DFlrF
秀頼の体格は祖父の浅井長政から受け継いだものとは聞いているが
どのみち調べようがないから秀吉の息子と仮定すればいいんじゃない
217 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 18:42:08 ID:UC1cqVhT
つーか板違いだろ
218 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 18:44:11 ID:uJI1cKsh
秀吉は確かに側室の数に比べて生まれた子が少なかったけど(秀頼以前には早世した息子と娘一人ずつだけ)
だからって子じゃなかったってのは無茶苦茶
三成や大野を悪玉にする江戸期の創作から発したネタだし
219 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 19:09:26 ID:swvQPk14
このスレ見てるとおもしろい。
もっと楽しませてくれないか、諸君。
220 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 19:37:48 ID:0rmBK6z1
主家を滅ぼした迷軍師一覧
豊臣 大野治長 統率25 武勇14 知略42 政治56
武田 跡部勝資 統率15 武勇30 知略58 政治36
大友 田原親賢 統率38 武勇30 知略76 政治51
長宗我部 久武親直 統率29 武勇21 知略82 政治62
この四人の中では、治長が一番スケールがでかいことをやらかした。よって、治長は過小評価に思える。
いいとこ取りすると。
大野治長 統率38 武勇30 知略82 政治62
なんだかんだいって、日本史上に残る大戦争を引き起こした一方の立役者には違いないのだから、このくらいあってもいいじゃねぇ?
221 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 19:41:54 ID:swvQPk14
かんべんしてくれ
222 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 20:44:47 ID:9X7Ppa4R
>>220 跡部勝資って過小評価しすぎじゃね?
政治は5,60あってもいいと思う。
223 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 21:06:34 ID:IFxeeSA+
>>218 子供は計4人
長浜時代に2人生んでる
がすぐにあぼん
224 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 21:08:06 ID:ft5oBD05
>>218は長浜時代の子供は知ってても鶴松は忘れてるのなw
225 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 21:15:25 ID:3JAQ8WRO
大野が軍師・・ねぇ・・
226 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 21:58:50 ID:swvQPk14
まずそうな青年歴史考察者が多いなこのスレ
そういう俺も歴ゲー板に期待している時点で阿呆決定!
227 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 22:28:36 ID:8P8qLuYf
>>220 そうやって見ると、二流は二流なりに御家を守ろうとしたけど力不足で守れなかった松田憲秀や篠原長房と、本物の迷軍師では何かが違うな。
228 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 23:19:19 ID:kFqR5u6l
跡部と久武は批判のスケープゴートにされた面が強い気がする
229 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 23:50:47 ID:lEf6cL2+
とりあえず大野治長の智略が82なら毛利元就とかは300超えてて良い。
230 :
名無し曰く、:2006/05/31(水) 23:59:30 ID:iV5M33FQ
大野もスケープゴートもいいとこ
231 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 00:10:48 ID:YJbQvQQw
「今の世に日本を引き受けて戦をする大将を知らない。俄集めで家康公程の名将を悩まされる戦をして、最後に秀頼を切腹させて形もわからないようした武略は敵にしても味方にしても憎み難い」
(翁雑話)
「若年者と思っていたが、城の主将としての武勇はいうに及ばず、秀頼に対する忠誠残る所無し」
(冬の陣講和後の家康)
大野も跡部と同じく後世創作で虐められてるような気がする
232 :
231:2006/06/01(木) 00:13:58 ID:YJbQvQQw
訂正
×雑話
○物語
233 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 00:39:40 ID:DW4H9okv
234 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 03:49:49 ID:PCK+cwPX
久武親直が国を滅ぼしたって本当かね?
実際は関ヶ原のあとに兄を殺したのも盛親主導らしいし、
単に盛親のミスを久武のせいにしてるだけっぽい。
まあ、講談重視の信長ら全て久武が悪いでいいのかな?
235 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 04:49:27 ID:dPrzNLm2
斎藤道三零号機 政治88 統率1 知略84
斎藤道三初号機 政治82 統率76 知略92
236 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 08:02:18 ID:4zvKfqVu
道三は二体目が本番だよな
イケメンで歌がうまいし
237 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 12:23:50 ID:08s3cBUA
>>229 いくらなんでも低過ぎ‥ 1100くらいが妥当な数値だろ
238 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 16:47:42 ID:Z57cRxyT
お前らの知略が過大評価
239 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 16:52:35 ID:gN6+vkYc
知略比較
毛利元就 100000
大野治長 1000
>>237 10
240 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 16:55:16 ID:Z57cRxyT
241 :
名無し曰く、:2006/06/01(木) 23:44:53 ID:YUwL4VyN
>>235 初代は智略別に高くない、
高い教養を持つ僧出身で、その縁で美濃の土豪の家臣に取り立てられただけ。
国盗り物語だとこの間に、女騙して油屋乗っ取ってみたり、野武士と合戦したりするけど、
元々講談だから虚構だろうが、道三ですらなかったんなら説得力も無くなる。
そんで二代目道三の統率が下がる意味がわからん。
初代を1にしてるんなら、統率実績は全て2代目のものと言うのは判ってるんだろうに。
政治は多少下げてもいいかも。ただ井ノ口の評価が高いのでやっぱり80代後半ぐらいはある。
242 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 09:55:09 ID:S92p65Y8
政治顧問みたいな奴は特例的に智謀高いよな。
243 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 12:10:36 ID:AlM3VrWZ
>>231 殺された女が、全員美人と称されるのと一緒だな。
家康は、豊臣を滅ぼすにあたって小汚い難癖つけたりしてて、世間に恥じる所がある。
その上、倒した後に
「大阪城に籠もってたのは、バカな無頼漢ばっかりで楽勝だった。」
とは言い難いだけじゃね?
敵がなかなか優秀だったと語るのは、勝者にとって得になるだけで損は無いからね。
244 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 13:04:12 ID:5/x5OtM7
へーえそうかね。
敵の大将を豊臣への忠義者と褒めるのは
それと敵対する自分を豊臣への不忠者と認める
危険を伴う行為なんだが。
245 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 13:27:57 ID:AlM3VrWZ
>>244 わかった、得になるとは限らず、危険の伴う行為なんだね。
では、本気で賞賛するつもりでも、敗者への鎮魂のつもりであったとしても、あんたの言う危険である行為に変わりないと思う。
とすれば、あんたが本気で賞賛したと信じる根拠は何?
家康は、危険を冒しても相手を賞賛するほどのナイスガイなのかい?
246 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 13:58:05 ID:5/x5OtM7
じゃああんたが243みたいに信じる根拠は何なんだ
247 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 14:36:32 ID:shdbMVF+
イメージによる解釈の問題じゃね
248 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 14:55:20 ID:5/x5OtM7
そっか。
俺が逸話から受けるイメージでは、
家康はナイスガイだから人を褒めてるというより
激情で後先考えず人を激賞したり痛罵したりしてる印象がある。
激情家というか晩年はほとんど癇癪持ちに近いんじゃないか。
本多忠朝の件とか。
249 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 15:18:53 ID:AlM3VrWZ
>>246 根拠はわかり切ってるじゃん。
自分に何の利益も無いのに、他人を褒めちぎるとはイマイチ信じられない。
しかも、大野治長と家康の間に親密な関係があったわけじゃない、赤の他人でしょう。
何で、無条件に危険を冒して褒めちぎるのか解らない。
だから、本気の賞賛とする根拠があるのかな?と思っている。
250 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 15:36:54 ID:5/x5OtM7
だーかーらー、お前さんの言ってる理由では
利益にならないどころか害だ、って
>>244で俺は言ってるの。
仮にお前さんの言う通り家康に世間に恥じる所があるなら
大野を褒めるのはその恥の追認なんだから、
褒めるのはますますおかしい、ってことなの。
251 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 15:44:22 ID:5/x5OtM7
家康が実際にした、大野を「忠義者」として褒める褒め方では
その「世間に恥じる所」を追認する方向になっちゃうんだから、
お前さんの言うような配慮から出てる賞賛だとすれば違う褒め方をしてるはずだろ、
ってこと。
仮にお前さんの理屈で言ってすら利益に沿わない褒め方なんだから、
そもそも利益度外視の賞賛と見たほうが余計な仮定が1つ少なくて済むし
家康晩年の気性とも整合するよ、と言いたい。
252 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:07:35 ID:AlM3VrWZ
ますます解らんな、深読みしすぎじゃね?
あんたが押す忠義者っていう褒め方は、それほど重要なファクターじゃないと思うんだが。
発言内容こそ、勢いで美辞を並べただけなんじゃねーの?
それに、もっと自然な解釈があるよ。
>>231は家康自身の言葉ではない。
これが一番自然だ。
無知ですまんが、
>>231の家康の言葉の出典は何?
253 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:18:03 ID:MlkVqVZL
小者の評価に拘る小者共乙
254 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:19:18 ID:5/x5OtM7
褒める意図は何かの配慮なのに
発言内容は勢いで美辞を並べただけってのはますます不自然。
> 無知ですまんが、
>>231の家康の言葉の出典は何?
なんだっけ?
『大坂御陣覚書』か?
手元に名将言行録でもあればいいんだけど。
255 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:23:06 ID:5/x5OtM7
『大坂御陣覚書』であってたみたい。
256 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:36:04 ID:5/x5OtM7
というか別に大野修理の評価にそれほど拘ってる
わけでもないよ。
家康が褒めたこと自体が過大評価であるという
可能性もあるんだし(特に俺は家康の激賞も痛罵も
感情的過ぎてあまりあてにならないと思ってるしね)。
まあ、寄せ集め5万を瓦解もさせず20万相手に
まとも以上に一戦やらかした幹部がどうしてこれほど
おとしめられてるのか個人的に理解に苦しんでるのは
確かだけど。徳川の世ならいざ知らず。
真田信繁ファンのせいなのか?
257 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:38:03 ID:PXbnrijJ
忠臣か奸臣かより有能か無能かで語れ
258 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:40:47 ID:5/x5OtM7
すぐ上に
>>231へのアンカーがあるでしょ。
そして231には有能か無能かの話も入ってるでしょ。
>>256の後半も有能か無能かの話のつもりだったけど。
259 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:45:10 ID:PXbnrijJ
実績を上げろ。褒め言葉だけで能力上げてたら秀頼はどうなると思ってんだw
260 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:49:55 ID:5/x5OtM7
だーかーらーさ、
>>256嫁よ。
家康の褒め言葉自体が過大評価かもしれんから
評価のために褒め言葉に拘ってるわけじゃない、
って前段で言ってるだろーが。
そして
>>256の後半は褒め言葉の話に見えるのか?
261 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:56:24 ID:ywPU8s0T
だーかーらー、だーかーらーさ、みんなのだ〜か〜ら〜♪
262 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 16:57:29 ID:AlM3VrWZ
>>255 サンキュー。
ググってみたけど、史料としての価値は良く解らんな。
263 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 17:05:19 ID:5/x5OtM7
>>262 一応、徳川の正史かそれに準ずるもので
研究者も引用する程度のものみたいだけど
俺も研究者でないのでよくわからない。
264 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 17:56:05 ID:/2Tlm6Am
だーかーらーさ、褒めることにそれほど意味はないっていってるんじゃないの?
265 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 18:09:34 ID:5/x5OtM7
そうね。俺がそう言ってる。
266 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 18:10:55 ID:shdbMVF+
著者が山口休庵と言って大坂の陣参加者。どっちの陣営かは忘れた
267 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 18:14:10 ID:5/x5OtM7
山口休庵は大坂方。
268 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 18:17:32 ID:5/x5OtM7
だけど山口休庵は『大坂御陣山口休庵咄』では
『大坂御陣覚書』もそうなのか
269 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 18:21:16 ID:shdbMVF+
言われてみるとそうだな。記憶違いだったのかな
270 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 18:43:53 ID:JkHNrzQP
とりあえず
連投しないで考えはまとめてから書き込め。
271 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 18:49:17 ID:5/x5OtM7
どうでもいいね。
272 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 19:00:29 ID:bhnyrtFd
大阪の陣の過小評価と言えば前田利光だろ。
なにしろ夏の陣では首級3200を挙げたのに登場すらしないんだからw
273 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 19:01:11 ID:shdbMVF+
二木謙一が出した本に「後世にまとめられた記録」という説明があった
たったそれだけの説明だったが
>>263が言ってる程度の信憑性と見るべきか
274 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 20:00:57 ID:mRCLMbxh
大坂方は短期間で浪人衆をとりあえず戦えるだけの軍隊に仕立てて
戦力比が全体で二対一以上・質や装備兵站は比べ物にならずという状況でかなり奮戦したから、無能扱いはできないと思う
ただ講談準拠の肥だから、当然大坂方無能悪玉論の江戸期創作の影響を受けているんだろ
その反動が幸村(信繁)あたりの高評価
275 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 20:17:50 ID:abJkSF+p
>>272 多分日本で一番首級をあげた武将の
松平忠直がいる限り難しい
彼は毛利勝永は完全にとりにがしたけど真田隊を壊滅させて3750の首級をあげて
さらに大坂城一番のりだし
276 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 21:37:46 ID:1jPVGGov
おいおいおいおいおいおいおいおい
277 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 21:40:40 ID:jZ35W99I
江戸期の講談でも幸村や又兵衛たちは凄く高く評価されてたよ
浪人たちの高評価を受けて割りを食ったのが淀殿や大野などの豊臣家首脳
278 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 21:41:46 ID:1jPVGGov
>>274 それが野戦での評価なら分かるが、当時も今でも天下第一の超巨大城の
大阪城に篭ってた事を忘れてないか?
それに金銀を下手したら家康以上に持ってたってのもあるし。
「無能」の評価をどこから決めるかというのもあるが、長い事挑発されてきて
爆発寸前だったんだし結構前から戦の準備はしてて、家康は故意に見逃してたから、
戦準備についてはそこまで早いというわけでもないぞ。
まぁ俺も無能だとは思わないけどね。
279 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 21:45:08 ID:1jPVGGov
ただ、外堀内堀を埋められてしまったのは完全にしてやられてるね。
やはりその辺を考えると、豊臣首脳は一段劣った評価になるのは止むを得ないだろう。
280 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 22:06:38 ID:eIm5CMuW
遺産は家康>秀吉じゃなかったっけ?
相続後に散々金使わせた上でだから徳川以上に金持ってたって事はないかと
281 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 22:09:58 ID:tYvWgCO7
とりあえず小西はもう少し強くてもいいと思う
80は欲しい
282 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 22:17:44 ID:1jPVGGov
>>280 それでも秀吉が佐渡の金山とかから掘り出した金は膨大な量に上るし
もしかしたら家康以上だったかも。その程度でよろ。
283 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 22:33:41 ID:jZ35W99I
佐渡金山の発見は1601年で秀吉の死後だから秀吉の遺産とは関係ないんじゃないの
豊臣家の財政基盤といえば石見銀山や海外貿易での収入だけど、それらも関ヶ原以後は家康が独占したしな
284 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 23:43:27 ID:jgWn/Fm+
家康は甲州金山も持ってたから金採掘量では比較にならないだろうけど
秀吉は朝鮮出兵等でも金をたくさん使ってたくせに
それでも秀頼の時に何万もの浪人をいっぺんに召抱えたり
武器弾薬を大量に購入できる財力を残したのは凄い
秀吉の卓抜した商才もあるが
生野・石見銀山の収入がそれほど大きかったって事になるな
285 :
名無し曰く、:2006/06/02(金) 23:57:20 ID:ywPU8s0T
なるほど、秀吉は卓抜した商才があったんだね。
286 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 00:14:55 ID:NJy3Wasg
こんなことも知らなかった俺って・・・テラハズカシスw
287 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 00:32:38 ID:pu6/cd9b
>>161 あるアメリカ人(名前忘れた)は日本人の民族性を評して
「弱者を劣等と見なし差別する気質が強い」
と評してるね
うなずける言葉だ
288 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 00:51:41 ID:Mj/fRjjx
農民出身で無学同然の元針売り秀吉の政策に経済的意味をもたらしたのは
子飼いの商人であり、多くの家臣、そして先代の信長公
秀吉個人の能力はたかが知れてるってかw
289 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 01:09:08 ID:8KPNzk1z
信長は天皇をも廃嫡して自ら神になろうとした。
そこまではいい。
だが、旧勢力の水面下での陰謀が暗殺という最悪の形で
具現化された。
日本が生んだ最大最強の現人神を暗殺した旧勢力はまさに逝ってよし、だ。
信長=ニュータイプ。信長=神だ。
そして信長の野望で最も過小評価されている。旧勢力=光栄逝ってよし!
290 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 01:11:52 ID:TIxxoBIL
>>278 まぁ無能って言っても実務能力だけは普通にはあったという所だろう
(それにしたって、牢人をまとめた方だけで、内政実績が無いからそれほど上がらない)
政治だけ5〜60という肥の評価はいたって妥当と言える。
本当の意味での無能など、このゲーム出てくるレベルの人物じゃ滅多に居ないし。
291 :
信長後記:2006/06/03(土) 01:19:10 ID:8KPNzk1z
歴史にIFはない。だがあえて言おう。
もし重臣の謀反という最も奇抜な手段を抜きにしたとしたら、
一体どこの誰がこの現人神に楯突くことが出来たであろうか。
奇抜な手段抜きであったなら、
信長はあのまま日本はおろか、少なくとも韓国・中国程度は
制覇・統一していたであろう。
そして世界に先駆けイチ早く産業革命を成し遂げ、
明治維新ならぬ、安土維新を勃発させていたであろうことは想像に難くない。
ああ、神よ。何故あなたはあんなにも早く逝ってしまわれたのか。
日本が生んだ最大最強のあらひと神よ。
292 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 01:53:02 ID:EgjWWX0+
なんか馬鹿っぽいというか厨房っぽい文章多いな。
293 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 01:56:20 ID:SapRkkLA
どーでもいいーですよ♪
294 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 02:01:09 ID:ed8Q8Q8P
秀吉の大陸進出の野望は信長譲りだといわれてるけど
信長だったら確かに世界とはいわないまでも朝鮮ぐらいは支配できたろうな
結論 明智光秀はゴミ
295 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 02:34:44 ID:xgpIuJMa
そうだね、そのころまともに支配していれば
チョソにぐだぐだ言われなくて、良かったのにね。
旧陸軍が中途半端な植民地経営したせいで
なにかにつけぐだぐだ言ってくる。
296 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 03:18:44 ID:2KM01MRI
根本的に違うぞ
秀吉はかの国にかかわったから死んでから豊臣が滅亡した
OK?
297 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 03:36:59 ID:ywRUHz4Y
とりあえず話を元に戻そう。
っていうか大野はもういいよな。
所で剣豪で一派を開いてるのに武勇70-80とかなのはどこが判断基準なんだ?
298 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 04:33:49 ID:WwdPgnQn
信長はヤタ烏を裏切ったから彼等にやられたのだよ。
299 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 05:20:11 ID:NTOONoFa
判断基準なんてないでそ>武勇
このスレでもスルーしてる人が多い
300 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 05:20:17 ID:BpdXswNk
>>297 >剣豪で一派を開いてるのに武勇70-80
革新じゃそんな奴いないが?そもそも剣豪扱いされていないとかか?
統率だとしたら合戦の強さがメインで組織とかはあまり重視されてないと思うけど
301 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 07:20:36 ID:e/dbnnKq
家中のバランスも考慮されている予感
幕末もののシナリオだったら薩・長なんて後の軍&政重鎮がゴロゴロいるわけだし
高政治力・高戦闘力の奴が相当数いることになりバランスが悪くなる。
だから薩・長所属の武将は比較的弱めに設定されるんじゃなかろうか?
302 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 07:59:18 ID:SUhuEZeF
>>300 太閤立志伝だったら富田重政あたりか。古くは風雲録の御子神典膳とか?
柳生宗矩なんかも、一時期の肥ゲーではやけに武力が低くされてたことがあったな。
303 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 08:28:00 ID:2G4vcP4V
柳生宗矩はいつの間にか武勇が高くなってたな
いつからだろう
304 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 09:16:50 ID:N5FW52Yt
天下創世あたりかな
秀忠本陣に突っ込んで来た奴7人を斬って感状もらったりしてるしまあ強いんじゃない
突然無欲かつ武勇高めの万能武将に近い史実ベースになってちと驚き
昔は欲深くて武勇の低いから尾張柳生の捏造論文を真に受けてたのかってくらい能力が不自然だった
305 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 10:09:39 ID:z/s3szuB
群雄 戦闘82、風雲 戦闘88、覇王 戦闘88、天翔 戦才150
将星 戦闘70、烈風 戦闘56、嵐世 采配42、蒼天 統率35
創世 統率36、革新 武勇92
火間虫さんのHPで調べる限り、宗矩の戦闘系パラはこんな感じ。
采配や統率しかパラにない場合はまだしも、烈風は可哀想だな…
それにしても、何げに皆勤してるのね。
306 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 10:29:58 ID:z/s3szuB
…剣豪絡みで思い出したけど。
富田景政・重政の、知略・政治の低さはなんなんだと。
コーエー的剣豪パラのお約束だから、武勇は高くしてやるかわりに政智はポンコツで決まりな、
って手抜き方にしか見えんわ。
307 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 10:57:08 ID:NUrfjG6L
>>287 建国以前の開拓時代から、今日まで
その精神を実践してるアメリカ人だけには言われたくないセリフだなw
308 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 11:16:20 ID:SUhuEZeF
>>306 景政はともかく、重政は万石取りだからなあ。
309 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 15:57:52 ID:EgjWWX0+
敵が攻めてこないんだけど壊れてるのこれ?
310 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 16:16:03 ID:w5pGVtx9
>>309 そういや、天翔記か烈風伝やったときにある程度年数が過ぎると攻めてこなくなったな。
311 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 17:25:02 ID:kd0SOsaC
312 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 18:42:53 ID:B02ZHu8d
なんか万石いっちゃった剣豪とか武辺者は武力を下げられてしまう印象がある
313 :
名無し曰く、:2006/06/03(土) 23:27:22 ID:NJy3Wasg
>>311 ということは、知略80代は必要だと思う。
314 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 01:41:39 ID:RacYkZ2I
スレの止まりっぷりが・・・。
315 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 03:00:13 ID:8pIRgEQq
このゲーム自体が糞だから能力とかどうでもいいという結論に達して終わり
316 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 04:19:28 ID:CXIAmuiI
終了
317 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 14:19:19 ID:ozhlWtTF
大友宗麟…やっぱり過大
大友義統…ちょっと過小
立花道雪…妥当
高橋紹運…やや過大か
立花宗茂…妥当
志賀親次…過小かな
318 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 15:15:25 ID:Uph/aSoZ
>>317 まてw 義統親子は、どちらもかなり過大だ
319 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 16:20:31 ID:NjNAJ6Wz
義鑑が死にっぷりだけで過少評価気味なのと対照的だな
320 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 16:51:25 ID:3o6kbegY
前期、後期とかほしいよな
321 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 17:46:50 ID:YlE7tTXA
九州イラネ 全員知略マイナス10でいいよ
322 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 18:05:24 ID:4V+S6z8P
九州(゚听)イラネ
さらに全員政治マイナス10でいいよ
323 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 18:12:08 ID:eFytoPgn
武田イラね(゜∀゜)
全員マイナス30くらいでいいよ。
324 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 18:17:35 ID:hvPiZ8Ri
蝦夷はいるよな?
325 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 20:00:10 ID:eFytoPgn
えぞはいる(゜∀゜)
あんな恵まれない場所から天下統一するなんて、神だよ、
326 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 20:25:37 ID:UpNAGwtx
九州は統率や武勇高いやつがぞろぞろいればいいよ。知略と政治は全員マイナス10でいいよ。それを糞四国に分けようよ
327 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 20:37:58 ID:YlE7tTXA
革新の島津義弘の顔倉が日ハムの小笠原にそっくりな件について
328 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 22:03:37 ID:bNTMsqaO
秀吉は毛利に負けまくったから、統率85で妥当
329 :
名無し曰く、:2006/06/05(月) 22:08:56 ID:fCF9cmoP
正親町天皇マダー
政治力を高くしてね
330 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 00:47:41 ID:kWEDf+de
そんなもんゲームに登場させられるわけないだろ。
肖像権とか無いはずだけど、やっぱな。。
>>328 与力は多く付いてたとはいえ毛利全軍以下の戦力で巧みに戦略戦術調略外交を繰り返して
切り崩しつつ最終的に毛利に不利な地での決戦を強した秀吉の圧倒的な戦争能力をたかが戦術的撤退ごときで過小評価するなよ
331 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 00:47:46 ID:xPUuQNP+
>>328 毛利に負け?
>>329 将軍が大名で存在してる事自体妙なのに、天皇まで出してどうするw
332 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 02:27:53 ID:XnH9M3OQ
軍事力もない天皇なんて出しても意味ない。
まぁ朝敵指名された時、憂さ晴らしに虐殺できるのはいいかもね
333 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 02:39:14 ID:xPUuQNP+
>>332 っていうかそれができちゃうから全く持って意味無いなw
朝廷は京にさりげなく存在しててさりげなく利用価値があるぐらいが、
史実ともバランス取れてて丁度良い。京と他の土地との差別化にも一役買ってるし。
334 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 02:48:11 ID:qIj+MKJs
「もはや、この国に朝廷はいらぬ」とか言いたいんだろ、ヒロシばりに。
335 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 04:23:56 ID:ReuylcG1
そして反対派の光秀を虐めて謀反を誘発と
部下に謀反発生フラグを立てまくるのが信長プレイの真骨頂
336 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 04:29:23 ID:xPUuQNP+
>>334 将軍家はともかく、朝廷は出過ぎてないからそれなりに重んじてるのにね。
右府様は。
337 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 07:31:52 ID:eedmLZlg
>>328 それなんて仮想戦記?
秀吉は中国戦線では一度たりとも負けていませんが。
338 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 09:04:49 ID:JDHzsbpR
つ上月城
339 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 09:33:35 ID:gXWJG1Eu
60000もの大軍を擁しながら尼子の残党3000が籠もる上月城を攻めあぐねてた戦いですね>上月城
兵数だけは十分に有りながらそれを使いこなせない様は関ヶ原の時の醜態を思い出させる
340 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 10:11:17 ID:778QsWXD
一益、光秀が後詰してるけどな、さらに追加の秀吉まで送ったのに敗戦
341 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 12:55:28 ID:FhGZSBUP
6万って、それ絶対、戦闘部隊の人員数じゃないと思うんですが…
どこの国の兵をからっぽにしてきたんよ
342 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 13:32:22 ID:6SJO3sMV
上月城は織田軍の援軍が多数参戦、毛利も主力を投入したが、
直接対決で被害が大きくなるのを恐れた信長が秀吉に命じて、別の方面に転戦させた。
だから上月城が落ちたのは秀吉の責とは言えない。
343 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 13:39:56 ID:mYGmu9kI
>>339 はぁ?どうゆう脳みそしてたら関ヶ原を思いだせれるんだw?
あと実際の兵士より多く見積もっていうのは常識だ。桶狭間の今川義元みたいにな
344 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 14:16:21 ID:FhGZSBUP
まあ秀吉の中国経略に関しちゃ、文句を付けるのはひどいでしょう
当時の羽柴家の身代、畿内・山陽・山陰・瀬戸内の煩雑な状況の中、
山陽司令官として戦果をあげていったというだけで、マイナスされようは無いと思う
345 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 15:34:34 ID:UkLnsBbX
元就の水軍適正がCなのがどうしても納得いかない
何故だ?せめてAはあっても良いかと思う
346 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 15:50:58 ID:SxaJfiKV
>>1-345 まぁまぁ熱くなるなって
こ れ ゲ ー ム だ か ら w
347 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 15:51:22 ID:qIj+MKJs
>>336 まぁそこは本能寺の変がなければ勅旨をけって初代国王になる寸法だった
そして神としてまつられるという皇帝思想のような持ち主ってのが最近の信長観というかね。
過小というわけじゃないけど、これはノブヤボで再現できないだろうなぁ。
普通に織田幕府とかもIFなんだが織田朝廷はもっとIFだしな。それに
信長評価なんてころころ変わるし今もいろいろだし。別に英雄でも独裁者でも
言葉はなんでも良いんだよな、どうせゲーム内じゃ謙信も信玄も信長も政治面では違いなんてないし。
348 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 16:13:51 ID:778QsWXD
349 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 16:18:45 ID:O4kTh0s1
>>348 熊見川の戦いは上月城の戦いにおける一局地戦だから、
この二つを敢えて切り離す意味はないと思われ。
350 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 16:55:42 ID:FhGZSBUP
一局地戦の勝敗を引いて評価すべき人物と、そうでない人物、というのもあるしね
信長・秀吉・家康・元就・信玄・謙信・氏康とか、戦国史を代表する大大名クラスは後者でしょう
局地戦の敗北を重視し出すと、謙信・信玄だってもっと暴落させんといかんw
351 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 17:18:06 ID:fSbRHFvz
352 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:18:55 ID:ZtOKTMO6
小牧長久手も結局は秀吉の勝ちみたいなもんだもんな
その一年後の勢力の伸びをみても明らか
バトルが微妙でもウォーで勝つのが秀吉って南條さん言ってたけどその通りだと思うよ
353 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:39:45 ID:3MAhNL1U
>>352 そもそも家康を滅ぼさなかったことが秀吉最大の失策だろう。
家康さえいなければ多少の長期政権も可能だった。
小牧長久手での家康にとっては、領土の保全と名声の獲得こそが目標だったから、その目標を十分に達成できている家康を負けとするのはおかしい。
むしろ滅ぼすつもりで攻めて小城一つしか獲れなかった秀吉こそ敗北者である。
結果として家康に有形無形の多大な財産を残したんだから。
354 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:43:59 ID:3MAhNL1U
妹を送っても上洛しなかった時点で滅ぼすべきだったな。
355 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:45:55 ID:sQdL9C/U
>>352 別働隊の一部がやられただけであって
もう一つの別働隊は勝ちまくってるんだから
バトルでも勝ちと見るほうが自然だと思う。
むしろ講和で占領地域を返還しまくっているから
戦略でこそ微妙な気がする。
>>353 小笠原か木曽が寝返っていなかったか?
それに秀吉領と家康領の間には信雄領があるんだから
家康領の城を取るのは難しいだろ。
356 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:52:53 ID:3MAhNL1U
>>355 城をいくつ取ったとかが主論じゃないから。
減った戦力なんか家康の全勢力から見たらカスみたいに微小なんだから。
それよりも得たものの方がはるかに大きい。
357 :
356:2006/06/06(火) 19:54:49 ID:3MAhNL1U
要するに、自分の死後に脅威となる相手を残してしまった時点で秀吉の敗北。
358 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:55:54 ID:kWEDf+de
大体あの当時家康に時間をかけすぎないという戦略目標があったのだし、睨み合いになってそれが達成できなくなったので
信雄と早期講和した。そこから家康を無理やり滅ぼしたらまた信雄が決起せざるをえなくなるし、家康はあの時点では滅ぼせなかった。
北条を滅ぼしてからだった、が、無理やり家康を滅ぼす口実も無かったし。
関東四国九州を目標としていた時に家康と手を握らないといつまでたってもその目標が達成できないという
最も重要な目標があったんだから、秀吉は別に間違ってはいない。
359 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:58:08 ID:/cXmObBV
>>357 そんな理論でいいのなら、家康も敗北者だね。
毛利と島津を滅ぼせずに自分の死後に禍根を残した。
はっきりいって、対象を貶めるためだけの理屈。
360 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:58:17 ID:3MAhNL1U
>>358 >大体あの当時家康に時間をかけすぎないという戦略目標があったのだし
その戦略目標自体が間違っているわけだが。
361 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 19:59:26 ID:sQdL9C/U
いや
伊勢ほぼ全域に尾張の一部を占領しているのだが・・・
問題はそこまで押していても
講和で妥協しなければならない秀吉の基盤の弱さだろうな
長期戦になったら協力している大名が離反しかねない。
362 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:00:34 ID:3MAhNL1U
>>359 豊臣の短命な政権と徳川の長期政権を同列で語ってる時点で論外。
江戸の幕末にはまた情勢も変わってたし。
363 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:01:38 ID:p1TI+OrR
そんな未来を予知した備えまで求めるのは酷だと思う
364 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:01:47 ID:sQdL9C/U
361は356へのレスね
ついでに355も別に議論する気は無くただ間違いを指摘しただけですから
365 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:03:42 ID:3MAhNL1U
>>361 だから秀吉は早期統一を望んだ結果、家康と妥協せざるを得なかったんだよ。
政権基盤を考えないその戦略そのものが問題。
366 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:04:49 ID:3MAhNL1U
>>363 いや政権基盤の強弱は予見不可能な問題じゃないから。
367 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:11:05 ID:sQdL9C/U
>>365 そうだよ、だから一番最初に
>戦略でこそ微妙な気がする。
と書いてる。
368 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:29:22 ID:AcEr1Faz
結局秀吉は勝ち続けることでしか政権を維持できなかったと
ギレン総帥もそうだが政権基盤が弱い独裁政権の宿命だな
369 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:38:56 ID:kWEDf+de
それでもその結果長い長い戦国時代を信長の後を自力で継いで一代であっという間に終わらせたのは凄いけどな
生きてる間は結局何もさせなかったのだし。
370 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 20:40:58 ID:3MAhNL1U
まあそうだけどね。
秀吉は信長の家臣だった頃が一番輝いていたなあ。
371 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 21:42:07 ID:kNScsLnV
そもそも夏の陣の豊臣方軍師(参謀)が大野治長な訳?
開戦後の陣頭指揮は真田幸村だろ
しかも大野治長実戦経験ないだろ
372 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 21:47:03 ID:RO7sMJwL
講談か司馬でいいから100回読んで来い
373 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 22:33:55 ID:MdMtU+GR
>>329 遅レスだけど、、、
天皇を登場させるとして、やっぱ「処断」とか出来ちゃうのかな。
それはカナーリ、、、、アレでつね。
374 :
名無し曰く、:2006/06/06(火) 22:41:35 ID:FFUgYw3f
329はそれがしたいんだろうな。
そんなゲーム日本では見たことないな。
375 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 01:57:52 ID:NA+FN+0Y
小早川隆景は政治より智謀が高いように思うのだが。
376 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 02:20:26 ID:HK1Y3fc6
政治的にも秀吉との外交を取り仕切ったのだし高いとは思うよ
377 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 02:23:24 ID:YgRHhSSe
>>374 このシリーズの天皇はあくまでオプションであるべきだが、
太閤のシリーズで公家プレイってのがあったら面白そうだ。
官位の意味も大きくなるし。
大名プレイして醍醐の花見を終えてエンディングに行こうとしたら、
公家の政争が激化してて天子さまがどこに居るんだかわからんとかなりそうだが。
菊亭以外の公家がいっぱい居て、上手く状況と人物を見極めて
口添えの投資をしないと、失敗してかえって機嫌を損ねる事もある仕組み。
公家側からすると逆。
・・スレ違いだな。
378 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 02:31:52 ID:Fh3UmNPw
>>366 秀吉の政治基盤の弱さは親族の少なさや、元々の譜代家臣がいないという所から来てる、
成り上がりの宿命というか、予見不可では無いけど不可避の問題だからねぇ…。
逆にそういう政治基盤の弱さを抱えながらも織田家では立身出世を遂げ、
最終的には天下統一し、自身の死後までは政権を破綻させなかったという
秀吉個人の能力は図抜けている。
379 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 02:45:32 ID:17hgyqkj
豊臣政権が秀吉死後に破綻して、徳川政権が長続きしたのは二人の政治能力の差と言うより単純に後継者の問題でそ
江戸幕府があそこまでの長期政権になったのは成人した秀忠・家光が有力な外様大名を取り潰したおかげ
大坂の陣で家康・秀忠が討たれて10歳の家光が将軍になったのと同じ状況>秀吉死後の豊臣政権
秀頼が秀吉存命中に成人しててある程度権力の委譲も行われてたらああまであっけなく滅びることはなかったはず
380 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 03:21:18 ID:YgRHhSSe
>>379 だね、秀吉は運が無かった。しかし政治能力で言うならそれも実力の一つではあるな。
秀吉の子種の無さは能力を下げるようなもんじゃないが、
ただ逆に家康の子沢山&それをも上手く使った基盤の強さ自体は評価すべきではあると思う。
子が居ない事による悩みというのは勿論あるだろうが、
家康のように生まれるのはいいが、気性で悩まされるパターンもあるだけに、
結果はある程度の判断材料ではある。
信康やら秀康やら忠輝やら武勲はともかく気性の荒い三河武士ばかりが生まれてくる中で、
しっかり秀忠を見抜き、その後を任せられた面は無視できないと思う。
せっかく育てた秀次を殺してしまった秀吉との政治的能力の差はやはり無視できんのではなかろうか。
後継問題だけで言えばね。
それにしてもこのゲームって全能力が90台以上にいってる武将が居ないんだよなぁ、
家康こそそれに相応しいと思うんだがなぁ。武勇を後一つ上げてくんないかな。政治一個下げていいから。
最終的な天下人という感じで良いと思うんだが。
381 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 04:22:47 ID:b1eqwhne
信長の外交は手抜きだろ。ひたすら友好度上げればOK、相性悪けりゃ最初から無理。
成功、失敗は難易度で%が変わるだけ、戦略もクソもない。
COMの行動もアホで話しにならない。信長の野望で笑えた出来事スレまで立ってる始末。
382 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 05:02:23 ID:HK1Y3fc6
だから外交無しプレイとかが面白い。
三国志は殆ど全てのシチュで外交が必要ないな
>>380 いや、秀吉は後継者問題で運が無かった(というか弟以外に家族にマシな人材がいなかった(市松寅之助は良かったけど))
が、それ以外では相当に運が強いよ。
信長に首尾よく仕えられた事はともかく越前の殿で生き残った事や絶妙のタイミングで光秀が謀反を起こしてくれた事、
毛利を抑えて中国大返しできた事、賤ヶ岳の戦いで佐久間盛政が突出して来たのを上手く衝けた事、秀吉が政権を握った途端に
巨大な佐渡金山が新たに見つかった事等等
ただこれらにしても殆ど秀吉の仕込が入ってるし戦に関しては勝つべくして勝ってるんだけどね
383 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 05:27:39 ID:YgRHhSSe
>>380 まぁ後継問題以外の比較は話が広がりすぎると思うので遠慮しとく。
強いて言うなら賤ヶ岳はむしろ勝家が盛政の後詰で突進してこなかった事の方が運が良かったように思える。
盛政の突撃自体は成功してるし。だからって勝家の選択も間違っていたとは言い難いんだがね、
どちらかが譲っていたら、ああも上手くはいかなかったと思う。
384 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 08:19:01 ID:+CkU5UQr
秀吉が後継者に恵まれなかったことは確かだが、豊臣と徳川の政権基盤の強固さは比較にならない。
直轄地の広さや政治体制を見れば明らか。
徳川政権は、家康が死んだときにたとえ後継者が幼少でも揺るぐような政権ではなかった。
そもそも敵対勢力になりそうな大勢力がなかったし。
385 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 08:47:08 ID:ykYDSC4Z
だから直轄地やらは一代でのし上がったゆえの政治基盤の弱さが影響してるじゃんよ
しかも徳川は豊臣の失敗を見てからなわけでね
386 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 08:54:19 ID:YeNOd5HF
つーかね、秀吉が後々まで続く豊臣政権というものを目標として行動していたのなら
家康などの禍根を残しておくことはマイナス要因だけども
秀吉が何を考えていたのかなんてわからないしな・・・
ゲーム的にどうかといってもそんな能力にかかわるほどの話じゃねー
387 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 08:58:40 ID:cQMehcs4
徳川長期政権の理由を豊臣と比較して述べよ
いまさらこんなテーマ語りあうなよ・・・・いったい誰のパラの話よ。
つ「織田がつき、羽柴がこねし天下持ち、座りしままに食うは徳川」
単純比較なんてできんよ。
388 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 10:25:54 ID:JBpbXMBm
それは人の信というものじゃなかろうか
秀吉は秀頼を頼むと家康をはじめ他大老たちに言ってる
それは秀吉が家康を信用してたからではなかろうか
政権基盤だの禍根だの大人の事情の前に人を信ずるということをしたのが秀吉じゃろ
それは愚、賢関わらず、人の大事とすることと重きをなした秀吉は全能力100にするべきじゃなかろうか
裏切った家康は20でいいよ
389 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 10:29:15 ID:b1eqwhne
信じていた人間を裏切ったが秀吉だな
390 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 10:40:39 ID:JBpbXMBm
アーーーーッ!
391 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 11:09:33 ID:Fh3UmNPw
>>380 秀次も秀頼が生まれると独断での朝廷への献金とか行ってるし、
後継者を定めた後に実子が生まれてしまったという、
ここらへんも巡り合わせが悪かった面が強い。
家康も最終的に秀忠を後継者にしたのは消去法みたいなもんだよ、
信康は死んだ(色々説もあるけど、死後も惜しがっていた人物で嫡男だから、
生きていれば秀忠が継げた可能性は低いかも)
秀康は一旦は秀吉への養子に出した人物で、母が築山氏の侍女って事もあり、
家康から冷遇を受けていたし、忠直は関ヶ原当時まだ21歳、
後継者選びの時は忠輝は幼少だった。
関ヶ原後の家康が後継者を家臣達に合議させた時、
既にいつ死んでもおかしくない年齢の家康にとって、後継候補は秀忠しか居ない。
まあ秀忠を守成の君主と目してはいたようだけど。
392 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 11:26:22 ID:+CkU5UQr
秀吉厨多すぎだわw
家康を滅ぼす機会はあったのにそれをせず、晩年になってから脆弱な政権基盤を心配する。
秀吉の失策以外の何物でもないのにな。
393 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 11:32:08 ID:+CkU5UQr
別に俺は秀吉が無能と言っているのではない。
信長に仕えていた頃はもちろん、天下統一事業については非常に高く評価している。
しかし、長期政権を樹立する能力のみ足りなかった。
それだけ。
394 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 11:40:45 ID:4h8CAqsV
後半ボケてるからなぁ・・・秀吉は。
ただ、ボケてるのに周りが生きてる間は
大人しく従ってたのは、相当のカリスマがあったんだろうね
395 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 11:41:01 ID:17hgyqkj
秀吉存命中の家康は従順な犬で容易に尻尾をつかませなかったからな
それに例え家康を潰してても結局別の勢力に簒奪されてただろう
あの時代に跡継ぎが幼君だというのはそれだけで致命的
396 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 11:50:49 ID:dBYgEuIo
>>385>>395 同じ成りあがりの宇喜多直家は、幼少の後継ぎを家臣団が支えているから
やはり秀吉自身の問題も大きいよ。
397 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 11:55:37 ID:b1eqwhne
だって重用していたのが前田だの旧織田家家臣団なんだろ?しかもそいつらは一度主家裏切った連中なわけだからね。
398 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 11:58:02 ID:17hgyqkj
宇喜多秀家が無事に成人できたのは宇喜多家臣というより養父である秀吉の庇護があったからでそ
忠家みたいな有能な弟が存命してたのも大きい
秀長がいれば豊臣家が滅びることは無かった、ってのは誰の台詞だったか
399 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 12:20:49 ID:YgRHhSSe
>>391 秀次に関して言えばいくらでもやりようがあったように思えてならん、
ボケてたから評価除外というならむしろ話もわかるが、巡り合わせ以前の問題。
400 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 13:39:41 ID:ykYDSC4Z
他はともかく秀次に関しては擁護のしようもないな
廃嫡しても大過なく家を残した大名がいる以上
まあそれらも失敗例を見た上でかも知れんが
401 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 15:25:30 ID:HK1Y3fc6
>>397 旧織田家臣団はそうでもないだろ。
むしろ優遇されてたのはやはり子飼いの武将や長年従ってきた武将(与力達)
っていうかこんな例は無意味かもしれんが本能寺で秀吉が出遅れたとして、家康にもチャンスがあったとしても
それでも結局家康は天下を獲ろうとはしなかっただろうしできなかっただろうよ。
その辺を成し遂げたのは完全に秀吉の天才の成せる業。
はっきりいってそういう意味での能力では秀吉は家康より圧倒的に上を行っている。
信長、家康、秀吉を比べた場合個人の能力だけなら 秀吉>信長>>家康 となるだろう。
そういう個人の能力的部分と、死後に政権奪取されたという事は全く関係が無いだろう。
402 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 15:34:03 ID:+CkU5UQr
>>401 何ちゃっかり秀吉>信長とかにしてるんだよw
秀吉厨は調子に乗りすぎw
403 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 16:30:12 ID:FcrH1119
この三者は基本的に方向性が違いすぎるし
404 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 16:31:43 ID:fgsjGpez
>>401 家康が天下取れなかった場合のシミュレーションよろ。
それとも根拠は無いが何となくですか?
405 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 16:32:00 ID:17hgyqkj
天下人三人の優劣は完全に個人の嗜好の問題じゃないかな
406 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 16:33:29 ID:JBpbXMBm
てかさ、比べる物が何か示唆されてない状態で優劣つけられてもねって話でしょ
君たちは何をもって家康が上、秀吉が上っていってるんだい?
軍事事業?政治手腕?外交手腕?先見の明?床上手さ?
407 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 16:40:10 ID:ULdvb7/0
歴史にIFはない、これ常識。
408 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 17:19:27 ID:L6fZyPOK
秀吉は本能寺変後の方が能力高いと思うのは俺だけ?
秀吉は個人能力があるとは思えん。おそらく優秀な家臣がいたのだろう。
家臣から見て魅力があったのだろうね。
農民出身だから、学問もなし。
家臣の助言などで成長していったのだと思う。
それにしても、このスレの秀吉厨は痛すぎる。
409 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 17:22:20 ID:L6fZyPOK
美濃の工作・中国大垣大返しは、個人能力として見ます。
410 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 17:47:06 ID:JBpbXMBm
また 「 家 臣 が 優 秀 だ っ た か ら 」 か
411 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 17:57:03 ID:mEjYm9t1
>>408 農民出身で学問も能力もない人間は家臣持てませんから。
412 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 17:59:49 ID:L6fZyPOK
だから、秀吉の秀吉厨が語る上で必須な、カリスマ性や、おもしろい人間性を
認めてやっているのよ。
413 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 18:11:53 ID:ykYDSC4Z
このスレで語られた秀吉評って
・中国攻めは総じてまあ優秀
・成り上がりゆえの基盤の脆弱さ
・ただでさえ少ない近親の相次ぐ死
・秀次事件は糞
ってとこくらいじゃね
どれもありふれた評な気がするが
414 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 18:12:51 ID:W4sxQ8wO
秀吉個人の能力が無いとか言うのは釣りにしか見えんなw
415 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 18:33:26 ID:xIBkm3hN
だいたい秀吉死後早速簒奪の疑いのある家康に子飼いだった
家臣団がみんなついていくような政権に問題がある。
後継者の問題もあるし少なくとも政権維持の点で家康より上は無い
秀吉の天下統一の手腕もかなり卓抜しているのは認めるが信長より
上とも言えないと思う。秀吉はスタート地点がかなり条件がいい。
当時最大勢力の織田家の主力武将で、他の有力者で秀吉と対抗できるのは柴田と徳川だけ。
勿論この二大勢力を潰しまたは傘下に加えた手腕は十分の評価だがあとは惰性で統一できる状態
基盤が弱かったのはそうだが、信長みたいに各地の大勢力及び厄介な一向一揆相手に一歩も引かない
戦いを続け、各個撃破し、天下は目前だったわけだから秀吉より上ってのは無いでしょ
家康とてかなり苦労してる。秀吉死後、自分の味方を次々つくり、一種の賭けのような関ヶ原で勝利した
あとは家康は秀吉のような愚は犯さず、死ぬその時まで気を抜かずに政権維持に努めてる。
あえてこの三英傑に優劣をつけなくても良いでしょ。それぞれ素晴らしい能力者。
秀吉だけ天才とか言って信長や家康より上にしようとするから厨って呼ばれるんだよ
416 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 18:38:24 ID:+gwEf5fT
人間って、所詮は自分のレベルより上の人間を理解するのは無理なんだなとしみじみ。
417 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 18:59:47 ID:L6fZyPOK
意見が合わないのも当然だよね。
4・500年も前の時代だもの。
歴史は勝利者の都合良くかかれる物が多いし。
418 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 20:10:24 ID:4v9oDOdE
>>407 「歴史に能力値はない」も格言に加えたいね
419 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 21:04:59 ID:gW3HwXxD
秀次事件ってそんなに叩かれる内容かな?
壬申の乱しかり、応任の乱しかり、嫡子と親族の争いはいつの時代にも起こってる。
やり方はどうあれ、一応後継者をはっきりさせて憂いを絶ったと言えるわけで。
少なくとも死んだ後に後継者問題に発展した武田や上杉よりマシ。
420 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 21:42:51 ID:C2QTZ7mo
てか実際に人は斬ってたのは事実だからなんか処罰は必要だった
421 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 22:38:30 ID:RqVzSJVo
天下統一後の秀吉の不安材料は黒田勘兵衛の存在でしょ
家康は関八州の立て直しでいっぱいいっぱいだったし(まぁ結果これが裏目に出た訳で)
それに関ヶ原は豊臣家臣団の権力闘争にすぎない
422 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 23:11:31 ID:UBlOi5Vt
>>420 太田牛一の大かうさまぐんきのうちに秀次の殺生の記述があったはずだよね。
なんで昨今、殺生関白がでっち上げなんて言われるんだろう?
423 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 23:12:58 ID:17hgyqkj
太田牛一の記事も公卿の日記も伝聞史料に過ぎないからでそ
424 :
名無し曰く、:2006/06/07(水) 23:14:32 ID:qW7Fg00m
>>399 他にやりようとは?秀次の動きは秀吉の権力基盤を脅かすものだし。
>>400 廃嫡の対象が天下人の後継の上に、秀次自身が不服としてるし、
秀次処罰も仕方ないと思うけど。
425 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 00:41:53 ID:qZ1dCCVm
あーめんどくせ
誰か、タイムマシンとまで言わないから
タイムテレビでも発明しろよ
そしたらこの不毛な論争にも決着つくよ
426 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 00:59:27 ID:WF88lnuA
俺
統率 109
武勇 113
知力 103
政治 99
なんか文句ある?
427 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 01:08:18 ID:Os47tcPZ
428 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 01:35:49 ID:UCFM+2zS
>>426 無いです
存分にご活躍下さい
あ、マスクデータで 妄想 255 を追加することをお勧めします
429 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 02:28:25 ID:KmblELko
>>419 壬申の乱も応仁の乱も政権基盤を揺るがすいわば失政なわけで、
その渦中にいた山名などの管領家やらにとっては関係ないが、
治めるべき足利義政にとっては間違いなくマイナスになるだろう。
秀次事件に関して言えば、後継者を無理矢理決めただけであって、
憂いはまるっきり絶ててない、むしろ最上などもそうだし、
中村・堀尾・山内・田中、または伊達などなど秀次に関係した大名家はほとんど
関ヶ原で東軍に回られてるし(この事件で家康の口添えで助かった人物多し)
家康に対して隙を作った失政以外の何物でもない。
別に秀次を頼れって事じゃない、処分すべきならばそれ自体は仕方ない。
だが、その処刑をもって全国の大名家の進退にまで飛び火させた事はどう考えても失政。
妻子も側室も皆殺しにしたとか、愚の骨頂。
形だけでも「本当は殺したくなかった」という所を見せるなり、
側室は手厚く扱って憂いの無いようにした上で、関係する大名公家などは
そのまま秀頼付きにすることでかえって親密になるよう謀り、
「今後も変わらず秀頼の力になってくだされ」という面を出すなりできたろう、
それもできなくとも、秀次の首一つで済んだこと。
晩年の秀吉は衰えすぎてるので評価すべきでないとかなら理解できるが、
単にこの事件を評価するならば、全面的に叩かれて然るべき事件だろう、
若い頃の秀吉ならありえない。
あと過大の代名詞の武田はともかく、政治50台の謙信よりマシだったから何?
比較してどうすんの?比較するなら同じ100超えてる信長や家康でしょ。
430 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 02:48:10 ID:Jqjl4wmr
>>429 信康を殺した家康は
その影響をほぼ信康のみに留めている
義信を殺した信玄は
その影響を義信以外の重臣や重臣の一族など多数に与えている
みたいなものか
431 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 02:52:22 ID:KaC4q/8w
>>429 その辺は全面的に同意。
あの事件は鶴松死去で頭がボケてる当時の秀吉だしわざわざ公開処刑で
一族皆殺しとかありえない。
432 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 03:04:37 ID:NGR1Y2ch
>>429 ほぼ全面的に同意するんだが、
中村・堀尾・山内・田中といった秀吉に付けられた秀次の家老たちは
秀次事件の時は秀吉に讒言して秀次を陥れた連中
事件後は秀吉の直臣として中央政権に参画してるし、逆に加増された人もいるくらい
最上や伊達、後は細川なんかが家康に接近する理由になったのは事実だが
まあ何が言いたいかというと中村・堀尾・山内・田中といった奸臣共の義理は低くてもいいよ、と
433 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 03:12:34 ID:Jqjl4wmr
斬られたのは前野とかか
藤堂はこの時出家したな
434 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 03:57:35 ID:L3unsiGA
政治的粛清事件なら、完遂したのならむしろ+じゃないかい?
最上義光なんてまさにそれ
死後何年も経った後の結果論はちと…
435 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 04:10:30 ID:KaC4q/8w
義光の話と英次の話じゃ中味は全く別物
436 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 05:35:27 ID:KmblELko
>>434 無駄に敵を作っただけ、秀次自身とその他重臣だけ粛清してりゃ十分だった。
+要素などこれっぽっちも無い。
こんなボケ老人の迷惑な子煩悩から来た大失態を
義光の謀略と一緒にするのは失礼。若い頃の秀吉自身に対しても失礼。
437 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 06:05:34 ID:NGR1Y2ch
秀次事件の時に見せた秀吉の冷酷さは中国の皇帝みたいだな
大陸では政治的ライバルを粛正するときは復讐の芽を
摘むために一族皆殺しというのがデフォなんだけど、
日本では国民感情的に馴染まないわな
何れにせよあまり秀吉にとってプラスになる事柄ではない
438 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 06:49:26 ID:KmblELko
>>437 考えた上での復讐の芽を摘んでの皆殺しなら結果はともかく智略の方でアップもわかるんだけど、
最上の件とかどうしよもない、あれで最上が豊臣家に愛想つかすのは当たり前だし、
他の側室の親も、秀次そのものに取り入って〜というよりは秀吉の権威が前提での話。
秀次自身やそそのかしてたのかもしれないその側近はともかく
側室の関係大名はどう見ても秀吉に逆らうとは思えん奴らばかり。
いっそやるなら簡単に主君を裏切ってきてる
>>432らも処罰すべきだろう、
少なくともそのまま家康と近い場所において、不安を感じなかったのか?
そっちは逆に中途半端。んでたった5年でいざ決戦になったら揃いも揃って裏切られてちゃ弁護のしようもない。
粛清を完遂したともとても言い難い。
逆にそれであっさり放逐された秀次の精鋭、
若江八人衆らなどはその後三成に抱えられ豊臣のために見事に玉砕している。
これでは結局息子かわいさの余り何も見えていなかったのではないかと言われても仕方ない。
若い頃の秀吉ならこの辺の機微は瞬時に察知してたろうに、
家康はこの件で秀吉の衰えを確信してさぞ舌なめずりしたことだろう、随分積極的に動いてる。
439 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 12:57:52 ID:KaC4q/8w
家康は秀吉の死後徳川の天下を作る為に随分汚い事をやってるな。
目障りな奴の罪をでっちあげて失脚させたり挙句の果てには征伐するとか言い出したり
勝手に喧嘩売るわ天下獲った後外様を次々と潰したり豊国大明神は滅ぼすわ
この辺を政治力というなら確かに穴が無いが家康は所詮保身の武将でしかないわな。
徳川の基本方針「鎖国」「農民主義」が徳川の特色。
所詮三河の田舎武将がたまたま天下獲ったってだけ。
まだボケる前の秀吉の官僚行政・貿易経済や信長の革新主義の方が有用な政治力
だわな
440 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 13:06:00 ID:RakDHxdE
>官僚行政・貿易経済・革新主義
釣り確定
441 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 13:30:43 ID:y+iRWFEN
鎖国したのは家康じゃないし…w
442 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 15:20:38 ID:Aw/Y2Uo+
まあ3行目までは概ね同意
まあ悪どさとかは秀吉とかと変わらないけど、
家康の場合ねちっこいっていうか、女の腐ったような手段だったっていうか
そういうを嫌って徳川嫌いには多いわな
残虐っていうなら秀吉の方が残虐
どっちにしろ戦国時代では日常ちゃめしごと
443 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 15:27:38 ID:ymyQ3NMN
>この辺を政治力というなら確かに穴が無い
そうそう、この辺を政治力というんだろうな。
信長や秀吉と比較してどうこうというのはおいといて
少なくとも無能ではなかったと思う。
444 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 16:45:42 ID:61AGA+r3
徳川嫌いが家康を語るなと
そういう意味で徳川が嫌いって言うなら本質的に戦国時代を理解してないよ
445 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 17:03:47 ID:89NuFQJw
家康より秀吉の方が悪徳
家康は、安定した政権を作れない秀吉さん死後の平和を創ってくれた。
みんな晩年秀吉のことをボケボケ言うが、若いころってのはいつの頃?
446 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 17:04:39 ID:89NuFQJw
447 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 18:11:49 ID:ozmcdC3o
まあ、ある意味での英傑時代には違いない罠
現実の英雄なんざ一歩間違えれば基地外のロクでもない奴等ばかりだが
448 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 18:23:53 ID:e1UxhHJT
一人殺したら殺人鬼、百人殺せば英雄だ、って言うよね。
そういう意味では信長も秀吉も家康も十分に英雄だ。
449 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 18:56:51 ID:KaC4q/8w
450 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 19:00:07 ID:SCtO87dZ
鎖国という政策が駄目だったとかいうのは司馬信者か?w
日本固有の文化が生まれる要因となったという
肯定的な捕らえ方もあるぞ。
んで今は何の話が進行してるのか微妙につかみづらいw
451 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 19:19:01 ID:61AGA+r3
>>439 当時の人間で家康は卑怯だの根暗だの陰湿だの言って嫌いだって言ってた武将居ると思うか?
家康は当時ある意味最強の人格者であり戦国の呼吸を心得てて
そして基本的には律儀な人って認識だろ。
戦国武将のやる事に卑怯だのなんだのっていう人格攻撃とか出自の罵りとかは何の意味もなさない
あるのは事実であり信長は事業半ばで家臣の謀反に倒れ、
秀吉は統治こそ成功したがあとがグダグダになって無謀な朝鮮出兵、後継者問題。結局死後数年で瓦解し滅亡
家康は統一に成功しその後も油断せずある時は非情な手段も使い結果的に270年の日本国統治の土台を作り上げた
誰が優秀とかはいずれもすごいので優劣はつけ難い。
好き嫌いは誰にでもあるし家康が嫌いならそれでもいい。ただし汚いだの嫌いだのが理由で
秀吉や信長の方が上だとか田舎武将がたまたま天下とっただけとか言うのは辞めて貰おうか
家康について議論に参加したいならその嫌いっていう主観を排除してからにして改めて勉強してからにしてくれ
452 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 19:36:31 ID:9Ugh2iJw
家康 糞味噌テクニック
信長 蘭丸(*´д`*)
こいつらに比べると秀吉がなんとまともに見えることか!
453 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 19:53:52 ID:89NuFQJw
454 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 20:00:23 ID:KaC4q/8w
>>451 家康がそういう顔を見せたのは秀吉死後だけだし?
だから皆騙されたわけでしょ。
それに家康の陰湿なやり口を嫌ってた武将なんていくらでもいるよ。
それこそ「直江状」で有名だし。
実力者の家康だから従ってただけでね。
それに一応家康についてはちゃんと評価しているつもりだが?
嫌いだけどそれとこれとは別だし。
455 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 20:04:43 ID:nhfkPF11
嫌いだろうが何だろうが関係ねーだろwww
まともに話せるやつか否かってことが問題なだけでよ
456 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 20:06:30 ID:NGR1Y2ch
同時代の人間でも蒲生氏郷なんか随分家康の吝嗇を軽蔑してたみたいだけどね
というか関ヶ原で西軍に付いた武将は概ね反家康じゃないか
457 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 20:21:27 ID:zWerHdTE
家康が腹黒だと考えつつも打算で家康側に付いた武将がいくらいても、そんな
発言はまず記録に残らないしな。
>>456 IDが2ch
458 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 21:08:23 ID:ozmcdC3o
秀吉が信長を基地外と考えてたとしてもそんな発言はまず記録に残らないしな
459 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 21:26:53 ID:89NuFQJw
前右府はアホだった。とか言う記録はなかったっけか。
460 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 21:29:24 ID:NGR1Y2ch
>>458は皮肉じゃないか
家康が嫌いだった人間も、秀吉が信長を「ちょっとこれはどうかと」と思ってた記録も残ってる
461 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 21:42:56 ID:v/IHKg7y
>>445>>449 戸次川の戦いの人選あたりから呆け始めていると思う。
明らかに権力に溺れ始めて、自分の決定した人選なら万事円滑に進むと思っている。
司馬遼太郎も似たようなこと言ってた。
462 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 22:07:15 ID:89NuFQJw
人選なんてもともと
463 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 22:15:59 ID:XfULcMr6
結果しか見ないで結論だすなよ。
戦じゃ勇敢な奴ほど早く死ぬと言うし、歴史の表舞台にたてなかったポスト信長や秀吉はたくさんいただろう。同じようにただ一つの失敗で全てを失い、その事だけが伝わる人物もいる。
当時の人選が間違っていたなんて結果論以外の何物でもないな。
464 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 22:28:43 ID:NGR1Y2ch
戸次川の人選は秀吉の意図あってのものじゃないか
既に天下の情勢は決して、秀吉には来るべき日本の政権構想
(有力大名による合議制)がはっきりと見えてた頃だろう
その時に嘗ての因縁で大名同士が激しく敵対するようでは何かと不都合
同じような理由で政宗を茶会で佐竹とか上杉といった仇敵と陪席させるように仕組ませた、
なんてエピソードが残ってる
465 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 23:03:47 ID:v/IHKg7y
仙石秀久についてはスルーでつか。
466 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 23:13:48 ID:NGR1Y2ch
秀久のことを言ってるつもりなの?
あれはある意味仕方ないよ
あんまり賢くなくても当時の秀吉には数少ない大事な譜代、
しっかり実績や経験を積ませて一人前に育てなきゃいけなかった
豊臣政権には大して有能でなくても縁や義理で領土を貰った小大名がごろごろ居る
467 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 23:22:00 ID:v/IHKg7y
>>466 戦全体について言ってるつもりだけど。
長宗我部と十河の対立。
十河に肩入れして亀裂を深め、さらに愚かにも功に焦る仙石秀久。
すべてにおいて最悪。
秀吉は秀久の性格を分かっていたはずなのに。
茶会で同席させるとかとは訳が違うから。
468 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 23:24:20 ID:KaC4q/8w
>>461 いや、あの後すぐに千石を激しく罵倒して放逐してるし、長宗加部に一国やると詫びを入れてる(誤魔化しだろうし断られたけど)
あの辺りではまだマトモだったと思う。
469 :
名無し曰く、:2006/06/08(木) 23:26:41 ID:v/IHKg7y
>>468 いやそれは当然の処置だろ。
有能無能以前に人としての分別の問題。
470 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 00:00:42 ID:LJa/OiNt
秀吉が関白後におかしくなってるのはきっと今で言うところの更年期障害だべ。
病気や怪我でステータス下がるのと同じだと思えばいいと思うよ。
471 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 00:47:06 ID:cP4bUwVJ
しかし小田原攻めでは大軍で押し潰すだけではなく
城一つあっというまに建築する離れ業もしてみせたと
その辺はあまりボケてはいないだろうな
472 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 00:57:13 ID:21evE3Ga
流れに乗れなくてすまないが、
毛利隆元は毒殺されたんだっけ?
政治とかが相当すごかったらしいね。財政面含めて。
彼が死ななかったらどれだけ歴史が動いただろう。
473 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 01:04:23 ID:Yjwt7fy4
つーか戸次川合戦は本気で勝つ気があったんかね。
もともと四国征伐も自分が出張るまではほどほどの戦線で抑えておけばいいぐらいだったらしいし、
秀長に対して無理をする必要は無いというような書状が結構あったはず、
だけど秀長自身が自分に任せてもらいたいということで、驚異的なスピードで制圧してしまった。
戸次川合戦時の兵力も随分他人任せで、兵力的にも中途半端だし、
とはいえ結局負けたが、すかさず秀長が本軍を寄せてこれまた驚異的なスピードで制圧してしまった。
所詮は遠くで指示してるだけなんで本人が指揮してる合戦とは比べようが無いのもあるけど、
そもそも必勝の気分で居たかどうか自体謎、小手調べ程度だったのは間違いないと思われる。
474 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 01:22:31 ID:JqTlB+OY
475 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 01:23:49 ID:Qhca17Wt
>>473 まあ結局ミスは挽回できてるんだからボケと決めるには早すぎるわな
476 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 01:27:26 ID:WN40TY7i
>>473 戸次川合戦は本来、豊臣本隊が来るまでの時間稼ぎ
大友の支援が目的なんじゃ
最悪九州に橋頭堡を保てればいいぐらいの。
477 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 02:18:51 ID:hrmSDxyp
その通り
秀吉本人は本隊が九州に到着するまでに戦をするな、という命令だったはず
まだ中央情勢が固まらない状況では当然の判断
一体秀吉の何が問題だと言うのか
478 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 02:21:43 ID:LJa/OiNt
戸次川であえて上げるとするとやっぱ人選じゃね?
479 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 02:27:48 ID:Hqsm21GZ
秀吉はいつでも人選ミスばかりやらかしてるのは秘密だ
播磨の別所家とかも黒田如水の小寺家とか片方重用しすぎて片方謀反誘発させてるし
480 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 02:39:21 ID:aeRXgxGS
>>477 だね。そこで大友に炊きつけられた手柄目当ての千石が戦目付けとして十河と長宗加部に戦闘準備を指図し、
兵力でも随分負けてる敵を撃破しようとした。元親は諌めたが十河は宿敵元親の意見に
賛同せず、千石の尻馬に乗った。
十河が戦に出る前には「千石のような無能者と一緒に戦をするとは思わなかった。多分負けるので長子を密かに離脱させよ」
と言ったとか。人選ミスはともかく戦略目標としては「大友氏を安心させる為になるべく早く九州に進出する先人役として、
橋頭堡を確保し、本体到着までに周囲の情報収集に努め戦機を計る」
程度だった。
>>479 だからって大した事にもなってないけどね。
481 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 02:39:29 ID:hrmSDxyp
それは人選ミスとは言わないんじゃないの
別所でも重宗なんか当初から割りと大事に扱ってたし
まあ重宗を重用しすぎて政敵の吉親が怒って織田から離反、
という播磨灘物語のストーリーが事実ならまあ一種の人選ミスかもしれない
信長の野望には登場してないみたいだけど、登場してれば最底辺の能力値間違いなし>吉親
482 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 03:53:00 ID:Hqsm21GZ
しかし別所の謀反がなければ一年以上張り付けにされた播磨三木攻めもやらずに済んだのも事実。
宇喜多の心変わりがなければ毛利の挟み撃ちでアウト
やらずに済むならそれに越したこと無いんじゃない?
483 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 03:58:36 ID:aeRXgxGS
っていうか、その辺の結果的な所で人選ミス云々かどうかは微妙でしょ。
例えば家康なら石川数正を秀吉担当の外交官にしたのは不味かったともいえるし
信長に板っては謀反されまくってるし
戸次川のような明らかな人選ミスとは別個の問題だと思われ
484 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 04:20:53 ID:Hqsm21GZ
因幡の鳥取攻めも現地で秀吉が兵糧徴発した結果
織田派の地元山名の殿様が下から突き上げ喰らって城追い出されたのが発端のようだが
これも結果論なのだろうか
485 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 04:29:47 ID:hrmSDxyp
山名豊国が追放されたのは、支城にいた娘を人質に取られて、
織田方に降伏しようとした豊国に重臣たちが反発したからだと言われてるけど
ていうかその話一体何がソースなの?
486 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 04:37:30 ID:Hqsm21GZ
山名は秀吉が来る以前に既に織田に臣従して所領安堵されてたみたいだけど
487 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 04:41:40 ID:hrmSDxyp
ソースは?と聞いてるのになぜ無視するのか
488 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 04:47:09 ID:1raRreZz
仙石は過小評価されすぎだろ。
稲葉山でも一騎駆けで織田軍に一目置かせ、
金ヶ崎では殿で大活躍。
姉川でも相手の先駆けを打ち崩し、三方原では馬場信春を退けている。
無能な人間がそこまでできるわけが無い
489 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 04:50:33 ID:Hqsm21GZ
>>487 > 信長の野望には登場してないみたいだけど、登場してれば最底辺の能力値間違いなし>吉親
ではそちらがそう断定するソースをお願いしたい
490 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 04:56:45 ID:hrmSDxyp
491 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 05:04:58 ID:Hqsm21GZ
>>490 それも相当の偏りがあるように思えるのは気のせいだろうか?
軍記ものの信長公記は信長サイドからの主観でしか見てないから内容が客観的なものとはいい難い
何が起こったかについては一応わかるようにはなってるがそれを全て鵜呑みにするのもどうかと思うぞ
こちらのソースはその信長公記とそれに若干の歴史資料を加えたものでもあるからあまり文句は言わないが
492 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 05:26:10 ID:Yjwt7fy4
>>491 ここは歴史ゲーム板、
それでも講談の類を鵜呑みにするしないを語るのならともかく、
信長公記の内容の客観性にまで異を唱えるような話はいくらなんでも場違い。
そういうのは三戦行ってやれ。
493 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 05:26:22 ID:hrmSDxyp
信長公記のどこに秀吉が重税を科したのが山名離反の原因だと書いてるのやら
鳥取城を兵糧攻めするために周囲の商人から米を買い漁ってたのは事実だけどね
それは鳥取城の連中が豊国を追い出して吉川経家を城主に迎え入れて、
徹底抗戦の姿勢を明らかにした後の話
494 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 06:01:44 ID:Hqsm21GZ
>>493 そのくだりは信長公記には書いていない。
兵糧を徴発してたのは播磨別所三木城攻めの時の話。
だいたい一年以上攻囲してるのに兵糧はどこから調達したのかと
それと同時期の丹後攻めやってた長岡(細川)藤孝用の兵糧も集めてそっちに回してた
信長の公文書関係からそれが史実として出ている
で、だ。秀吉の人選に関しての話だったような?
495 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 06:24:09 ID:hrmSDxyp
秀吉が三木城を包囲してたのは1578年の6月から1580年の1月15日にかけて、
反面鳥取城は1575年に豊国が毛利と和睦して尼子の残党を追放して以来、
1580年5-9月の第一次鳥取城攻めが成功するまでずっと毛利の傘下にあったと思われる
因幡が毛利の勢力圏にあったのに織田方の秀吉がどうやって兵糧を徴発できるというのかw
秀吉の人選の話が本題なのは知ってるよ
君の知ったかが酷いからからかってただけ
496 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 06:37:10 ID:xlbsRTiM
ID:Hqsm21GZは秀吉アンチのいつもの朝鮮人。
信長公記が客観的でないから信用できないとか失笑ものw
信長の公文書とやらも多分実在しない脳内史料だろう。
497 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 06:46:59 ID:Qo9oZN1p
>こちらのソースはその信長公記とそれに若干の歴史資料を加えたもの
>そのくだりは信長公記には書いていない
信長公記関係ないならソースに挙げるなよw
「ソースは信長公記」って書くと書き込みの信憑性が上がるとでも思ったかw
498 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 06:57:32 ID:Hqsm21GZ
>>495 ???
本当に因幡山名が一貫して毛利と信じているのか?
因幡は織田と毛利の中間地帯、そこの山名は織田方でもあり毛利派でもあった
だから織田と毛利に両方パイプを持っていた
そこに播磨を押さえた秀吉は三木攻め前に恫喝も兼ねて但馬に一度軍を進め
山名を織田につけることに成功している、その後上月攻めの後別所謀反となったのはともかく
それに責任者山名豊国は織田方、それなら兵糧徴発は容易じゃないの?
重臣の森下道与などが毛利派なのは知っているが
ちなみに秀吉が因幡但馬で兵糧買い付けをしていたのは
鳥取攻め前かつ三木攻め真っ最中の1579年秋。
決してこちらも人のことは言えないがそっちも相当知ったかのような
そろそろお互い資料を穿り返してあら捜しするのもしんどいし止めにしない?
499 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 07:20:59 ID:jvPILd9/
もういいから馬鹿は帰れ
見苦しすぎる
500 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 07:26:55 ID:jvPILd9/
結局ひとつもまともなソースを挙げれなかったな
で、その話は信長公記のどこに書いてるのw
501 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 07:33:41 ID:Hqsm21GZ
なるへそ。
山名についてはwikipediaの紹介を出したのか。
こちらの参考資料「増訂 織田信長文書の研究」吉川弘文館
著者 奥野高広
他には学習研究社「歴史群像」2003年10月号。
秀吉は優れた稀有の英雄であり戦略家だとは思うが一から十までマンセーとはいえんだろ
502 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 08:47:41 ID:YH0mT8GY
>>488 奴の本領は立ち回りの良さと領民に慕われる内政パワーだと思ってたよ
503 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 08:57:21 ID:Qhca17Wt
マンセーじゃなくて後に挽回している些細な失敗は
一々評価に入れるほどじゃないってだけじゃないかなぁ
なんでもかんでも減点してたら事跡が詳しく残ってる奴ほど損するんだから
504 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 10:31:46 ID:LftP9PtJ
秀吉を死後の後継者問題や家臣団の統一の問題で揚足とって弱くするその論法、
信玄や謙信にも是非とも適応してほしいものだよ。突然の死と言えど他家の養子に
目をかけて禍根を残す、後継者のはずの子を原因はどうあれ死においやり立てた後継には
家臣は従わず分裂。これをその後継者や家臣の問題と割り切らずに先代当主にも責任を
取らせるなら信玄謙信はおろかほとんどの戦国大名当主にマイナス補正かけることになる。
むしろかからないのが家康くらいで、それ以外をマイナスするならむしろ家康評価するだけでいいだろ。
505 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 11:01:32 ID:aa2BZWKQ
上杉家の御家騒動はともかく、信玄はそれなりに上手く処置したから政治−2くらい
一方、秀吉のお粗末さは−10レベルだと思うから同一視はできないな。
506 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 11:16:10 ID:J8D4CQk5
上杉家の御家騒動はともかく、秀吉はそれなりに上手く処置したから政治−2くらい
一方、信玄のお粗末さは−10レベルだと思うから同一視はできないな。
507 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 11:18:51 ID:Yjwt7fy4
>>504 秀次事件以外のことではさほど言われてないと思うが。
別に死後のことでマイナスされたわけでもない。
だが秀次事件はそれ以前の問題、秀次を死に追いやっただけで済んでないのが問題だと
過去に散々言われてる。
508 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 11:40:33 ID:aa2BZWKQ
>>506 優秀な家吏、家臣団を残し、後継者問題で損失はあったが
禍根を残さなかった信玄と比べて
忠誠心か能力に疑問の付く譜代家臣団と
お粗末な秀次問題等の処理の結果、秀吉の死後あっけなく瓦解した
豊臣政権の脆弱さの方を高く評価する理由がわからん。
509 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 11:48:25 ID:ZgtIFGRu
信玄なんて嫡子殺してんだからなあ
510 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 12:07:44 ID:J8D4CQk5
その結果息子の家督相続が家臣団に受け入れられず
形式上の相続者は孫で息子はその後見人
おかげでますます家臣に軽んじられるとか
ほんとありえなーい
勝頼自身はなかなかの名将であるにもかかわらずそんな始末
いったい誰のせいなのかしらねえ
511 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 12:08:14 ID:BQPctjLY
>>507 秀次の立場を考えれば秀次を死に追いやるだけで済む問題ではない、
秀吉に内密での朝廷献金、大名に忠誠を誓わせる連判状、独断での蒲生家相続承認、
秀次の行動は秀吉への謀反ととられた、素行の問題ではすまない話なんだよ、
妻妾・子供の処刑も謀反人の連座なんだから当たり前なんだけどね、
実際この事件が影を落としたと言える大名は最上くらいだろう、
利家と家康が争いかけた際、浅野長政なんかは利家側に集まってるし。
処罰としては逆に中途半端すぎる気がする、まあ秀吉もすぐに死んでしまったから
なんとも言えんけど。
512 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 12:21:33 ID:aa2BZWKQ
513 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 12:24:45 ID:J8D4CQk5
そりゃお互い様だよねえ
514 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 12:35:33 ID:ZgtIFGRu
>>512 上手く処理した割に身内からサクサク見捨てられてるね、勝頼チャソ
なんで?
515 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 12:56:07 ID:sooxKk4s
何できまいらは下方目線でしか議論できないのかね
良いトコあげていけばいいじゃない
そうしたらもうちょっと世界は平和になると思うんだ
516 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 13:07:29 ID:J8D4CQk5
まあね
517 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 13:35:00 ID:NFWcZipr
そうそう、一人を落としはじめたら連鎖で次々落とされていく。
518 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 13:54:13 ID:aa2BZWKQ
>>514 長篠で大敗したからだよ、当時期には織田家との戦力差も明確になっているし。
秀吉はそうじゃないよね、仮にも天下人だったものが瞬く間に瓦解した
519 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 14:12:27 ID:2Sok082v
まーだ個人的空想で下方下方やってるやつがいるな。
じゃあ上方路線だけど、
豊臣だって秀吉の死から滅亡まで17年かかってるよ。
これは信玄の死から武田氏滅亡までよりむしろ長い。
別に信玄や勝頼をおとしめる意図はないけど。
信玄の死から長篠までがまる2年なら、
秀吉の死から関ヶ原までは2年と1ヶ月。
徳川家との戦力差も明確になっているし。
お前さんが秀吉をおとしめるために言ってることは
秀吉と信玄の違いを指摘できてない、とさっきから
さんざん集中砲火を浴びてるのにまだ気付かないのかな。
520 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 15:01:38 ID:PbQJxTNE
関ヶ原で西軍が負けた時点で豊臣終わってるけどね。
521 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 15:03:33 ID:fLUCRN7P
>>519 おれは信玄・秀吉、どっちも貶める気はないが
勝頼と秀頼とでは、当時の立場(身分)・敵国の政略
なにより社会的状況が違いすぎて、比較にはならないよ
それに徳川家と豊臣家の立場が逆転するのは、関ヶ原以降だよ
俺としては、豊臣家が没落するのは宿命だった気もするなあ
なにより嫡子が幼少だったのと、譜代の臣がいないのが決定的
天下人の割に石高が少ないのもあるけど、あったところで任せられる家臣もいないし
もっとも秀吉に成人の子がいたとしても
家康がいるかぎり滅亡はともかく、天下人からの没落は免れなかったと思うなあ
意味ない想像だけど、秀吉が家康より数年は長生きするしかなかったと思う
522 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 15:04:51 ID:BQPctjLY
秀吉亡き後の豊臣家は親族不在の幼君秀頼という政治の実権が無きに等しい状態という、
秀長共々子供に恵まれなかった上に、成り上がり故に譜代の家臣が居ないという、
秀吉個人にはどうしようもない運の要素が強いというのは既出、
仮に秀次事件の際、秀次のみを処罰したところで情勢は変わらんよ。
523 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 15:11:07 ID:2Sok082v
524 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 15:34:26 ID:/dpsxD5K
佐久間信盛の過小評価は異常
525 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 15:50:40 ID:aa2BZWKQ
>>519 オウム返したいようだけど文脈繋がってないから、意味がよくわからん
>徳川家との戦力差も明確になっているし。
家康と違い武田は織田の風下へ付いた傘下大名でもなし‥
秀吉の天下はまったくの幻想だったという意味?
526 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 16:06:05 ID:2Sok082v
じゃあそもそも
> 当時期には織田家との戦力差も明確になっているし。
はどういう意味で書いたのかな?
527 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 16:20:05 ID:aa2BZWKQ
528 :
526:2006/06/09(金) 16:25:02 ID:KPFDMxfl
いや、そういう意味だと思ったんだよ。
そして当然俺も同じ意味で書いたつもりだったんだけど、
君には読み取れないのかなあ?
529 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 16:37:16 ID:MO28ye72
結局、おまいら韓国人は日本人を貶めるしか生きがいが無いんだな。
530 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 16:51:53 ID:EBT9JgS2
秀吉を無理に評価したり代わりに家康や信玄を叩き台にして秀吉の評価を
上げようとする心理的なやりかた
挙句の果てには反論する奴にチョン認定
秀吉厨はずいぶんキモイな
531 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 16:53:50 ID:KPFDMxfl
確かに韓国人とか言ってるのはあれだが。
「厨」って字も出てきたし議論も終了かね。
532 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 16:59:36 ID:JWJMI42U
で、aa2BZWKQは結局何が言いたいんだ?
豊臣と武田の後継者問題で、信玄>秀吉と主張したいようだが、まったく説得力ないぞ。
武田の滅亡が不可抗力と言うなら、豊臣は秀次が生きていたら長続きしたということが言えないと何の意味もない。
現実問題として、秀次が生きていたら、秀頼と後継者争いに発展した公算大なんだから、
より滅亡が早まる可能性もあった。
だから豊臣の滅亡も一種の不可抗力と言える。
後信玄は、嫡子の義信を殺した際に、重臣クラスの飯富を失っているから、
秀次事件と比べても大差はないと思う。寧ろ嫡子を殺して後継ぎに問題を投げかけた分、
信玄のほうが罪は重い。
533 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 16:59:42 ID:Yjwt7fy4
>>511 あと細川も、伊達も。さらに三中老家などもそうだけど、
家康に借りを作ってしまった大名家も少なくない。
更に自分で言ってるけど、蒲生家もこれによって秀次に感謝をしていた事は言うまでもない。
また世間一般に対して大きな影を残したことは言うまでもないだろう。
そういうのを失政と言うの。
過去レスでも素行の話などしてない、確認のしようもないし、
原因が秀次にあるならばそれは仕方なし。
しかし妻妾の処刑に関してはいくらでも避けられただろう?
上記のようなマイナス面を読めていれば少なくともね。
中途半端に過ぎるのも過去で書かれてる、やるならいっその事
山内や中村などの家も根こそぎ削ってしかるべきだった。
それを秀次がやばいと見るや否やあっさり見捨てて尻尾振ってくるような奴が、
自分の死後、京から東海と言う要地を守ってくれると考えてる事が甘すぎ。
逆に運良く処刑を免れた若江八人衆や、秀次の娘を嫁に迎えた真田幸村などは
獅子奮迅の活躍をして豊臣家に華を添えたと言うのに。
人道的にも政略的にも中途半端で穴だらけ、
個人的には天下統一までの秀吉に関してはこのスレでもいつも擁護に回って過小を訴えているんだが、
この事件だけは擁護のしようが無い。
ボケてたからしょうがないで流して欲しい事件なのに、無闇に擁護しようとしないで欲しい。
534 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:04:43 ID:aa2BZWKQ
>>528 意味わからん
勝頼が裏切られ始めたのは、力の差が明確になったあと。
>そして当然俺も同じ意味で書いたつもり だとすれば
>徳川家との戦力差も明確になっているし
とするのは謎がいっぱいw
あ‥まさか、関ヶ原後も豊臣は健在とか主張する気?
535 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:06:18 ID:ZgtIFGRu
結局IF議論はIFの要素が増え続けるだけで終わるって言う典型的なパターンですね
536 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:08:07 ID:KPFDMxfl
なんでそういう推論するのか君の頭はさっぱりわからん。
というか君のようなアホは何言ってもわからないんだろうけど。
> 関ヶ原後も豊臣は健在
でないならなおさら、秀頼が見捨てられたのは
> 力の差が明確になった
で説明できちゃうだろ、ってことなんだが。
537 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:08:39 ID:KPFDMxfl
538 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:11:15 ID:2gDJppog
>>530 このスレでは秀吉の話と朝鮮人認定はセットみたいなもんだからな。
幼稚すぎ。
539 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:13:04 ID:aa2BZWKQ
>>532 秀吉の譜代家臣は忠誠か能力に疑問符が付く
そしてそれは回避できた事だし
秀次事件の処置により家康が突け込む亀裂?を作ったのは事実
対して、信玄の義信殺害はそれほど大きな後遺症を残していない。
540 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:20:55 ID:Dt0Ds8vv
俺も一応秀吉厨だが、なぜ他の秀吉厨らは、
すぐに朝鮮だとか韓国人だとか言うのか。
それでは話し合いできないのは分かるか?
まあしかし高校大学生が多そうなので仕方ない。
人たらしと呼ばれる秀吉のように、うまく議論しよう。
541 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:20:57 ID:LJa/OiNt
542 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:22:17 ID:aa2BZWKQ
>>536 お〜い‥
関ヶ原直前には、家康側と豊臣方の力差が明確だったと言いたい?
そんな奴おらんだろ〜から
意図的に話を逸らしてるのだろうけど
関ヶ原の戦いで覇権奪われたのは、秀吉に起因する要因も多いと思う。
(仕方ない部分はあるにしても)
543 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:23:52 ID:Dt0Ds8vv
ボケてたから仕方ないのよ。
天下人はゆるされるんだよね、失敗を。
544 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:24:02 ID:EBT9JgS2
そうそう、義信が死んだ事によって武田家が揺らいだってわけじゃない
むしろ死に際に勝頼を正式認定しなかった為のシコリが主な原因
そこから派生して義信が居ればよかったってレベルの話
秀吉の事件とは色々意味が違うよ
545 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:25:07 ID:a2YClKKe
秀吉の最大のミスは家康を大封のまま残したこと
250万石の徳川に対し、経済要地を抑えているとはいえ豊臣家自体の蔵入地(直轄領でしかも公的な性格も持つ)は200万強程度
秀吉本人という錘がなければ元々不安定な政権
そもそも豊臣家の天下統一は在地の外様を温存させるようなものであるし(だからこそ短期で天下を取れたのだが。この辺りは長所短所紙一重だからなんとも)
546 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:25:23 ID:Dt0Ds8vv
勝家
統率95
武勇95
政治85
知略80
こうなってくれれば、肥を見直す。
547 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:28:19 ID:KPFDMxfl
>>541 > なぜ他の秀吉厨らは
> それでは話し合いできないのは分かるか?
「ら」がつくほどの数いる感じは受けないんだけど。
むしろ話し合いをこれ以上したくないときのサインだと思うし。
>>542 え、ひょっとして、関ヶ原の東軍が秀頼を見限ってたとでも
思ってる? 加藤・福島あたりが東軍だったって知ってる?
548 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:29:12 ID:/dpsxD5K
そもそも秀吉死後の2年で外様に滅ぼされるような政権が終わってるよな
549 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:30:28 ID:KPFDMxfl
あ、
>>547は
>>541へのレスじゃなくて
>>540だ。失敗。
ID:aa2BZWKQと俺は前提とする事実認識の違いが大きすぎて
相互理解不能な域に達してるみたいだな。
550 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:31:08 ID:Yjwt7fy4
>>532 義信は処刑したという記録は残っていないぞ、幽閉したまでだ。
結果が結果だけに毒殺説やら病死説やら色々あるが。
飯富に関してもその波及が及んだにすぎず、信玄が責任を問うた事等無い。
いらんところまで公開処刑に踏み切った秀吉とはやった事が違いすぎ。
551 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:33:42 ID:2gDJppog
>>547 >むしろ話し合いをこれ以上したくないときのサインだと思うし。
余計に低レベルだと思うぞw
552 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:34:21 ID:KPFDMxfl
そうだよ。
553 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:36:21 ID:AqA0hQ4i
>>545 まぁそうだけどね。
そうならないように必死に家康は秀吉の前で律儀っぷりを演技していたわけで。
そう言う意味では、家康の方が一歩上だったわな。
やり口がやりたい放題だしあまり良い印象はもたれてないけどね。
その辺は秀吉のミスで間違いないが天下を獲るまでの過程では秀吉はまさに光芒の輝きだからねぇ。
それらを無視して↑だけで家康を上に置くのはどうかと思う。
結局、この辺は人間性の話であって。
これも信長は光秀に殺されたから愚人とかいうレベルの話と同じ。
554 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:39:43 ID:EBT9JgS2
>>553 秀吉が天下取るまでの過程と家康の天下取る過程に優劣なんかつけれるかっての
そんなのお前の主観じゃん
555 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:42:08 ID:AqA0hQ4i
最終的に天下を獲ったとはいえ秀吉政権の下で長い事功臣の仮面を被って
潰されないように戦々恐々の時期を過ごした家康と硬軟織り交ぜた戦略で
関東四国九州東北と各地を転戦し平らげ数十年君臨した秀吉じゃ別次元の人間だし。
それらを同列に並べていいもんじゃないわな。
ただし、このスレ的にミスらしいミスの無い家康は確かに高評価だろうが。
それはこのスレでのみ通じる減点法の結果でしょ。
556 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:43:37 ID:AqA0hQ4i
>>554 誰も優劣なんかつけてないじゃん。
ただ、一つ二つの事例をあげつらってそれが全てみたいに語ってるのが滑稽極まりない。
勿論そういう執着心で語らないとこのスレ的には面白くないのは分かるがね
557 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:43:48 ID:KPFDMxfl
> 秀吉が天下取るまでの過程と家康の天下取る過程に優劣なんかつけれるかっての
その2つに優劣つけないでおこうとしている人相手にどうして
「優劣なんかつけれるかっての」って絡むのかよくわからん。
558 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:43:56 ID:LJa/OiNt
これだけ秀吉嫌いがいることにビックリだ。
秀吉のステータスは今より下げるべきだと考えてるのかな?
信長、秀吉、家康の三人は武勇はさておき他のステータスは全部90以上でそれ+特殊能力あってもいいんじゃねーの。
559 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:44:31 ID:2gDJppog
数十年?
いっても10年くらいじゃないの?
560 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:44:37 ID:Dt0Ds8vv
始まったよ。秀吉厨の美辞麗句が。
>>554 じゃん はやめといた方が
561 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:46:07 ID:EBT9JgS2
>>555 早けりゃいいってもんじゃないし。
むしろその後の政権に穴を沢山作る結果になってしまった統一を
そこまで感情的に評価されてもなあ。
はなからあんたは家康に悪意のある書き方しかできないんだし両方を
公平に見れるようになってから改めて評価してよ
562 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:46:51 ID:AqA0hQ4i
>>561 >早けりゃいいってもんじゃないし。
いや、意味が分からんのだがw
563 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:47:13 ID:sooxKk4s
秀吉嫌い、家康嫌いは多いけど、信長嫌いって少ないよね
564 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:48:08 ID:Dt0Ds8vv
まあそりゃ、信長公は神だからね
565 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:48:28 ID:AqA0hQ4i
>>563 分かりやすい人だし、本能寺は色んな所で語られ尽くされてるからね。
もう今更何か言うほどの人物ではないというか。
566 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:50:17 ID:Dt0Ds8vv
>>561 AqA0hQ4i公記ですから
クォリティ高いよ
567 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:52:43 ID:KPFDMxfl
540より後の>ID:Dt0Ds8vvってほんとに
>>540 > それでは話し合いできないのは分かるか?
> まあしかし高校大学生が多そうなので仕方ない。
> 人たらしと呼ばれる秀吉のように、うまく議論しよう。
と同じ人物?
568 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:53:20 ID:AqA0hQ4i
あと、一つ言っておくが速さが問題じゃないだろうw
むしろ秀吉の素早い平定が天下統一に繋がったのだし。
小牧山で家康に延々関わっていたら数十年天下獲りは遅れただろう。
秀吉はその辺よく分かってた。成り上がりの秀吉についていったのも圧倒的な進出速度に
ついていくのが精一杯だったからだし。
秀吉の政権が潰れたのは
朝鮮出兵なんかで文治派と武断派の対立を招いた事。
嫡子の問題が不安定で早くから各武将に秀吉一代観をもたれていた事。
晩年のボケの大浪費(労役押し付け)で負担を押し付けすぎた事。
これらだけでしょ。家康はそれらの間隙を上手く衝いた。
ただしこれらの条件が無ければ天下獲りは非常に難しかった。
秀吉のミスはあくまでこれらだよ。
569 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:53:52 ID:Dt0Ds8vv
ボケたんだよ。
だから仕方ないよ。
どうしようもないからね。
570 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:54:20 ID:LJa/OiNt
秀吉擁護も秀吉嫌いもがんばってるが
ID:Dt0Ds8vvだけは空気読めてない希ガス。
レッテル貼りや罵倒レスなんかいらんよ。
571 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:56:02 ID:Dt0Ds8vv
俺は、ボケたからこんな変な失敗レスしているのよ。
572 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:56:38 ID:KPFDMxfl
立派な人物でもボケたらここまでひどくなるんだ、
って例を示してくれてるというのは深読みし過ぎ?
573 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 17:56:59 ID:Dt0Ds8vv
だから仕方ない希ガス。
俺だって全盛期はまさに光芒の輝きだったぞ。
574 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:03:04 ID:a2YClKKe
晩年は暴君って珍しくないんだけどね。世界史的には
日本の場合そこまで権力を持てたのが少数という話
だから秀吉が目立つw
575 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:09:14 ID:2gDJppog
>>568 >これらだけでしょ。
充分致命的だと思うんだが。あと、条件が〜ってのは当たり前、
秀吉だって本能寺の変っていう条件あってこそだし。
576 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:13:16 ID:KPFDMxfl
> 秀吉だって本能寺の変っていう条件あってこそだし。
それは別に
>>568への反論にはならないような。
「条件が〜」で家康をおとしめてるわけじゃないんだから。
577 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:17:22 ID:2gDJppog
>>576 >ただしこれらの条件が無ければ天下獲りは非常に難しかった。
この部分に対する反論であって、別に矛盾してないと思うけど。
あと、自分が言いたいのは「秀吉だって本能寺が無ければ」ってことじゃなくて、
成功する人間の条件が揃ってるのは当然なんだから、条件が無ければ〜ってのはあまりにナンセンス。
578 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:19:44 ID:2gDJppog
訂正
成功する人間の条件が揃ってる
↓
成功した人間に条件が揃ってた
579 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:21:30 ID:Dt0Ds8vv
訂正
どのシナリオどの大名家でも
↓
コマンド入力
580 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:25:18 ID:KPFDMxfl
>>577 うーん、君が矛盾してるとは言ってなくてさ、
> ただしこれらの条件が無ければ天下獲りは非常に難しかった。
というのは確かに事実なんだし、それは君の言う
> 成功する人間の条件が揃ってるのは当然
というのと整合してるし、
別にあげつらって論難する必要もないんじゃないの、
その論点に関しては君ら全然ぶつかってないよ、
って言いたいだけ。
581 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:33:00 ID:Dt0Ds8vv
のぶやぼ やるより、このスレ見てたほうがおもしろいよね。
582 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:33:49 ID:2gDJppog
>>580 あげつらってるつもりはないんだけどね。
ただ、率直に言えば
>>568の
>これらだけでしょ。家康はそれらの間隙を上手く衝いた。
>ただしこれらの条件が無ければ天下獲りは非常に難しかった。
この辺の家康の天下獲りに偶然性を強調するような部分が気になっただけ。
583 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:43:25 ID:KPFDMxfl
そっか。俺は偶然性を強調してるような印象を
あまり受けなかったんで、どうもくい違っちゃったね。すまん。
俺の解釈だと、
>>568の最後の段落はだいたい、
秀吉がもっとたくさんミスをしていれば
家康の天下とりの条件はもっとたくさんありえたわけだが、
実際に秀吉が犯したミスはおおよそ568に挙げてあるものに絞られ、
それ以外の条件というものを残さなかった。(だから秀吉は偉い?)
そして家康はそれをとりこぼさず的確に衝いていった。(だから家康も偉い?)
みたいなことを言ってる印象を受けてた。
584 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 18:52:03 ID:PvA2x0R3
>>563 俺は好きじゃない。
天才だったのは認めるが、天下を取る器ではなかったと思っている。
585 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 19:01:24 ID:2qWqyZlA
そもそも英傑を一般市民の我々が評価しようってのが無理な話しなんだよね・・・。
俺等が常識的に駄目だろ?ってのやり遂げちゃったのが英傑なんだから。
586 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 19:03:18 ID:Dt0Ds8vv
>>585 あんたも英傑かもわからんね。
英傑にしかわからんけど。
587 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 21:35:25 ID:B8BkdUTw
このスレの九割は英傑のレスで出来ております
588 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 22:03:08 ID:dhXHVhHd
信長の野望の評価は過大だと思う。
と、勘違いしている俺が来ました
589 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 22:27:04 ID:OIyWTgoO
このスレ平日の昼間に伸びすぎw
590 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 22:43:24 ID:MO28ye72
>>589 働かなくてもいい国籍の人が秀吉を貶めるのに必死だからねぇ。
591 :
名無し曰く、:2006/06/09(金) 23:44:51 ID:CdFLoMZz
우리 모국에 어리석게도 침략한 토요토미 히데요시는
최저 최악의 분야랑이다.능력은 올 1이 타당
592 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 00:02:58 ID:iiw4Cs61
>>591 キムチ臭い文字で日本の掲示板を汚すな
とりあえず竹島を侵略しているチョンの能力はALL1ということですね
593 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 00:07:52 ID:MpktU2vM
なにこの自演
594 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 00:09:19 ID:LTNkoZ/3
>>563 三戦板だと結構居るよ、アンチ信長。
でもこの板・・特にこのスレは信長の野望のスレだし、
嫌いな人はそもそもこのスレ見ないでしょ。
>>592 武勇だけは高くてもある意味許せるw
595 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 01:51:01 ID:IHSVXT2M
>>533 細川は忠興が利家派だったように、別にこの事件が問題で家康派に走った訳では無いし、
親正なんかは西軍に与しており、結局は秀吉という実力者が居なくなった後に、
家康という次の実力者へと移っただけの話。
蒲生家もそうだったな、けど秀次の独断での相続許可だからしょうがない事だしね。
妻妾なんかも後から「実は秀次の息子がいました」なんて持ち上げられたら禍根が残る、
何処かの馬の骨ならともかく、実際に秀次の妻妾だったなら信憑性が出来てしまう、
謀反人としての秀次の処刑ってのはそれほど重いんだよ、
まあだから処分は甘いと言えば甘いんだけど、山内や中村なんかは秀吉が秀次に付けた連中であり、
べつに>秀次がやばいと見るや否やあっさり見捨てて尻尾振ってくるような奴
って言われるもんではないし。
後若江八人衆や真田幸村なんかはむしろ秀次事件がそこまで秀吉に非があった訳では無い証明
だろうと思うけど、それに一大名の進退と死に場所を求めた奴の進退は同一には語れんでしょ。
天下人の後継者問題である秀次事件を単に
>ボケてたからしょうがないで流して欲しい事件
とか言われてもな、無闇な擁護っていうか巡りあいの悪さや色々な要素がある上に、
秀吉のみに非が集中している最近の現状を考えようとは思わんの?
596 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 02:07:04 ID:y2WhK2zd
若江八人衆の奮戦は拾って貰った三成への忠義って事も考えられるし
597 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 02:18:56 ID:LTNkoZ/3
>>595 なんか秀吉に恨みでもあんの?
延々と虐殺ネタを掘り返して、悪意があるとしか思えんのだが。
598 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 02:28:08 ID:mYfrvpCi
身一つで成り上がって英雄として天下を取り、晩年は煩悩のままにって
漢の高祖や明の洪武帝みたいだな
日本史上珍しいタイプ?
599 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 02:43:12 ID:/kQIWnyl
>結局は秀吉という実力者が居なくなった後に、
>家康という次の実力者へと移っただけの話。
秀吉の失点は、この事態を招いてしまったことに尽きる?
600 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 02:48:05 ID:/Oc32JGp
招いたもなにも回避策でもあるなら言ってみろ。
強いて言えば家康より長生きするくらいだな。
601 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 02:49:03 ID:ky/Ne2JY
ループしてるなw
家康に簒奪された理由は秀頼が幼かったことに尽きるし、
中々実子が生まれなかったのは秀吉のせいじゃない
秀次が生きていたら生きていたで秀吉死後に揉めるのは目に見えてる
むしろ生まれない方が良かったかもしれない>秀頼
602 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 02:56:41 ID:wXpJyipB
>>601 >中々実子が生まれなかったのは秀吉のせいじゃない
そうだね。少なくとも、謙信や細川政元のように自分で女性を近づけなかった、
子をもうけようとしなかったというのなら話は別だが、秀吉はそうではない。
603 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 03:05:46 ID:LTNkoZ/3
>>601 秀次が居ても居なくてもどうせ揉めるなら居た方が未だ豊臣の名を残すことはできたかもしれないな。
まぁこれは余談だが。
結局秀次の処理の間違い以外は仕方ない部分が多かったと言うのは同意。
604 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 03:16:42 ID:/Oc32JGp
秀長ならともかく秀次がいても同じでしょ。家康と格が違いすぎる。
605 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 03:25:45 ID:LTNkoZ/3
>>604 もちろん、勝負どころか同じ土俵に立てるわけが無い。
ただ関白の権利だけ剥奪されて生きてた場合、
秀頼に対抗するために家康の御輿として利用される可能性が考えられる。
そうなるとその後干されて改易とかされるだろうが、名前だけは残るかもと言う意味。
606 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 03:30:08 ID:/kQIWnyl
>>600 譜代家臣の質があまり良くなかったからその辺
如水も使いきれなかったし(これは誰でも無理かもしれんが)
あと、外様大名の力があまりに大き過ぎた。というより
辞世の句の通り秀吉の天下そのものが空中楼閣みたいなものとも思える。
これはやり方の違いで失点とは違うけど
607 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 03:32:14 ID:ky/Ne2JY
まあ家名を残すだけなら家康の脅迫に屈してさっさと大坂城退去
→その後因縁つけられて改易されても下手なことせず
平謝りしてれば江戸時代も高家として存続はできたかもしれない
ってこんな話はさすがにスレ違いかな
マイナー武将と違って秀吉・家康クラスになるとさすがにスレが伸びるね
608 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 07:14:23 ID:gZ+ZnXXe
>>597 俺の妹は秀吉に殺されたんだぁあああ!!!!!!
609 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 07:20:43 ID:IWw5eWXT
佐久間の活躍は柴田以上じゃないか。佐久間の方が柴田より上だろ
610 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 07:58:29 ID:MpktU2vM
秀吉が秀次でも天下が治められるような仕組みを整えられたなら、良かったかな。
>>609 そうだね
611 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 08:12:04 ID:IWw5eWXT
>>610 それだったら佐久間の方が高くするべきだよな。
612 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 08:23:17 ID:OpP3peQZ
やべぇ新しい方向性、佐久間厨のロールか?w
613 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 08:42:42 ID:w8Efg2Sb
すごい自演臭さを感じてるのは俺だけじゃあるまい
614 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 08:59:00 ID:MpktU2vM
615 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 09:19:28 ID:EgQYceK5
>>601 >ループしてるなw
>家康に簒奪された理由は秀頼が幼かったことに尽きるし
どこがだよ。
このスレ100回読め。
秀吉が脆弱な政権基盤しか築けなかったからが第一要因だろうが。
家康を滅ぼす機会はあったのにな。
616 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 09:21:35 ID:FHNyIfQf
武将の質が西高東低な件
617 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 10:46:35 ID:/Oc32JGp
家康を滅ぼす機会ってもしかして小牧長久手の事なのか?
長引けば長引くほど秀吉の優位性は消えるし、勝って当然だったという考えはおかしい。
618 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 10:55:48 ID:yJ7mgGkg
ヒント・コロンブスの卵
619 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 11:18:11 ID:wXpJyipB
>>610 まったくだ。
そして江戸幕府が「幼君でも大丈夫」なシステムに仕上げたのは家康ではなく
秀忠・家光の代で。
というかね、一代で勃興した家で二代目が幼君で滅びなかった家・国なんて世界史
で見ても極小数。そういった制度を整えるのが(守成)二代目の役割なんだから。
まあ実質的なとも言い換えてもいいけど。例えば前漢王朝では劉邦の死後、呂后が
実質二代目として諸侯の粛清を行い王朝の基盤を固めた。その功績は司馬遷も認めて
いる。(呂后の死後に一族が簒奪を企んで排除されたのは別問題)
620 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 11:32:08 ID:EgQYceK5
621 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 11:39:51 ID:EgQYceK5
てか小牧長久手で和議を結び、妹を送ったあとは放置しておいて、九州統一後に上洛しなかったことを理由に滅ぼしてもよい。
戦力差は圧倒的なんだからやりようはいくらでもある。
622 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 11:52:41 ID:yJ7mgGkg
ID:EgQYceK5
それくらいにしとけw
脳内ソースで「戦力差は圧倒的」とか言われても釣りにしか見えん。
623 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 11:53:55 ID:/Oc32JGp
んなゲームじゃないんだから無茶言うな。秀吉の天下が磐石なものありきで話してないか?
丹羽や蒲生のように2世代目になってから潰すなら兎も角。
624 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 11:59:34 ID:6HoCv4S7
↓お約束のチョン認定
625 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 12:38:41 ID:EgQYceK5
626 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 12:41:18 ID:EgQYceK5
北条を滅ぼせて徳川を滅ぼせない理由は無いが。
上洛しなかった段階においては。
627 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 13:29:59 ID:aFnwUIVN
よくも悪くも天下人三人の話題はスレ速度が非常に速いなw
628 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 13:40:31 ID:ky/Ne2JY
徳川には妹の朝日姫が人質に逝ってるんだが
それに北条が残ってる段階で徳川を滅ぼそうとすると
必ず北条と徳川(もしかすると伊達も)で手を組んで秀吉に向かってくるだろう
そうなると秀吉が生きてる間に天下を統一できたかどうか
629 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 13:46:30 ID:aM45N/I6
>>628 まだその時は手付かずの地方があったからね。
徳川を取り込むことで安心して地方侵略が可能だった。
秀吉一代での天下統一ができたかどうかは微妙だ。
630 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 14:30:30 ID:q/L38j9U
直接相手を屈服させることを重視した信長方式だと時間がかかる
朝廷権威を背景にした外交を優先して天下を取ったこと自体は結果論からマイナスにできることじゃないと思う
それがなければ統一自体が覚束なかったかもしれんし
631 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 14:58:00 ID:/Oc32JGp
1584年11月 織田信雄、羽柴秀吉と講和、徳川家康は次男の秀康を人質に出す
1585年 3月 羽柴秀吉の紀州雑賀党征伐
6月 羽柴秀長の四国長宗我部征伐
9月 羽柴秀吉の越中佐々征伐
1586年 3月 徳川家康、北条氏直と上方方面の防備について面会
5月 羽柴秀吉、妹と大政所を徳川家康へ送る
10月 徳川家康上洛
1587年 1月 戸次川の戦い
5月 豊臣秀吉の九州島津征伐
1590年 小田原北条征伐
大分端折ったけどこんな所か。1585年の関東甲信越は豊臣+上杉と徳川+北条に別れていて、
九州も残ってるし、簡単に勝てる状況じゃない。
敵が絞られてる小田原征伐と比べる事自体が間違ってるんだけどね。
632 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 15:14:45 ID:IWw5eWXT
もし佐久間が生きていて追放されていなければ、秀吉の天下は無かった
633 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 15:15:25 ID:wJH4h9NE
秀長が早く死んでしまったから
秀吉を制御する?人が居なくなって秀吉があんなんなっちゃった
634 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 15:21:14 ID:/Oc32JGp
1585年4月に死んでしまったが丹羽長秀という大大名クラスの不平不満分子もいたな。
滝川一益も1586年10月までは生きてる。この頃の秀吉はまだ織田家の羽柴秀吉から豊臣秀吉に代わりつつある非常に不安定な時期だ。
家康は織田家の家臣じゃなく同盟者であり、十分天下を狙える旗頭になりうる位置にいる事も考慮しないと。
田舎大名とは少し違う。仮に長期戦になれば、秀吉の同僚だった奴等が何時までも秀吉につく保障は無いぞ。
635 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 16:09:27 ID:C0KzQlz4
>>563 突き詰めていくとお互い信長がいたおかげだろ、みたいな感情を
よりどころとしてたりするしな。俺は家康好きだが。
そもそも、どういう根拠でどう能力変えたいのか言わない時点で議論したいだけって
感じだな。天下取りとか政権の安定とか天下人レベルで議論してるのに、結局は
信玄や氏康とどっこいっていうのを受け入れてるところがなんか悲壮感感じるなw
636 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 16:20:43 ID:IWw5eWXT
佐久間>>秀吉>柴田
637 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 16:39:26 ID:OpP3peQZ
(・∀・)ニヤニヤ
638 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 16:55:02 ID:MpktU2vM
>>636 あんた、バカァ?
勝家>>羽柴>盛政>佐久間
639 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 17:04:06 ID:I9BoH+ZK
640 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 18:05:31 ID:oLZ5aR9f
>634
それでも秀吉有利。信雄が落ちた時点で信長の後継者として揺るぎ無いものになってしまったし。
佐々や長曽我部ら同盟者も各個撃破されたあとじゃどうしようもない。長期戦がまずいのは家康も同じことだ。
小牧の事もあるから簡単には落ちないだろうがなー
641 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 18:13:01 ID:IWw5eWXT
佐久間を殺さなければ、佐久間が秀吉をどこかで撃退して、織田家が続いたのに。
秀吉ごときに、佐久間が負けるとは思えん。
642 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 18:23:22 ID:mpcknB5y
まあ個人的な能力はともかく
佐久間の地位と領地与力が追放前の状態だったら
秀吉の戦力じゃ勝つのは厳しいな
柴田滝川丹羽信雄信孝が秀吉に協力すれば別だが
643 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 19:25:09 ID:MpktU2vM
たしかに当時の盛重には勝てない
644 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 21:04:44 ID:aM45N/I6
>>640 どちらにせよ秀吉はじっくり家康倒して基盤を固める気がなかったからね。
さっさと天下征伐したくてしょうがなかった。
だからこそ家康を「戦わずして降らせる」事を望んだ。
実力者である家康を「戦わずして」降せれば秀吉政権の天下事業はそう無理やりなものではないという事の
格好のアピールになる。
だから家康が京に登るまでの過程が散々歴史家達に語られているわけで。
645 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 21:38:38 ID:d0uy+seO
646 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 21:39:10 ID:EgQYceK5
ネタだろ。
647 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 22:18:07 ID:yJ7mgGkg
勝ち目の薄い喧嘩を買って米沢三十万石にされた上杉景勝と、親を売ってまで加賀百万石を保った前田利常のどっちの能力が上かといわれたら難しいな。
648 :
名無し曰く、:2006/06/10(土) 23:56:21 ID:LTNkoZ/3
>>640 そうかな?
毛利も島津も豊臣と徳川が真っ向勝負を始めたら
日和見になる可能性も高いし、小田原征伐までの時間は確実にかかってしまう。
そうなると摺上原で東北の全権を握った政宗が東北で大暴れするのを
止める奴がいなくなるわけで。上杉も秀吉に助けてもらえなければ
はっきり言ってこの時点では信長に滅ぼされる寸前だったわけで、
家康なんかと喧嘩してたら北条&伊達連合軍に押しつぶされて終了だったと思われる。
佐竹、里見、真田もそう。
そんなこんなでちょっとでも長引いて1591年を迎えると秀長が死ぬ。
時間をかければかけるほど関東と東北の困ったちゃんが膨らんで行くのは目に見えてるわけで、
この二国は家康の味方、どう見ても長期戦で不利なのは豊臣側だと思う、
秀吉も家康もその辺まで読んでたかもね。
649 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 00:25:47 ID:HjeasteR
650 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 00:32:22 ID:/uaMusQt
政宗の過大評価だし
そもそも伊達北条の連合軍の根拠は何だ?
651 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 00:35:47 ID:uOeen7gC
伊達と北条は対佐竹などを目的にさかんに音信してたからじゃないの
秀吉対策を意識したものじゃないけど、場合によってはその可能性は十分ありえたと
652 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 00:40:17 ID:HjeasteR
毛利と上杉は明らかに秀吉に付く。
それは間違いない。
653 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 00:53:06 ID:VDOfYP9q
家康自身、小牧長久手の講和で攻めるなら攻めてみろと半ば自棄になっていたと言うし、勝算があって臣従を拒んでいた訳では無さそうだよな。
>>631の通り佐々も長宗我部も羽柴10万の兵力で短期の内に敗北してる。家康に10万の兵力と対等する力があったんだろか。
もちろん秀吉陣営も危ういもんだけども
654 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 01:11:57 ID:PlOegMzi
10年ほどかければ家康は潰せたかもしれないよ。
東北が家康につくとかありえないし、せいぜい味方になるのは長宗加部と北条と紀伊の連中だっただろうし
本気で長期戦になったら家康が勝てる可能性はかなり微妙だった。
その辺、賭けに踏み切った家康は確かに凄い。
ただしその場合は秀吉は一代で天下統一できなかったかもしれない。
その辺の恩もあって秀吉は家康を潰しずらかった。
でも結局秀吉に磐石な後継者がいればどうにでもなったかもしれない。
地名的過ぎるほど致命的だったのは明らかに後継者の問題だった。
655 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 01:22:59 ID:VDOfYP9q
いや長宗我部も言ったら島津もだが長期戦なんて出来て無い訳で。
5年も10年も耐えられる力は無いと思うんだが。
小牧長久手の時は5部に持っていく事も出来たかもしれないが、講和後は話が違う。
656 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 01:24:12 ID:HjeasteR
>>654 1585年 3月 羽柴秀吉の紀州雑賀党征伐
6月 羽柴秀長の四国長宗我部征伐
9月 羽柴秀吉の越中佐々征伐
今議論してるのは↑のあとの話だよ。
このとき再び戦ったら、10年も持つとは到底思えない。
657 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 01:34:50 ID:Dd8K1Szb
つーか北条を潰すために家康と組むんじゃなくて、
家康を潰すために北条と組めば良かったのかな。
氏政なら大大名にはなれてもどのみち天下は取れなさそう。
658 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 03:04:08 ID:xV7pbwKy
家康が勝てたのは局地戦だからでしょ
その後、秀吉が家康ほっぽって他の勢力潰している間家康は何もできなかった
信雄の勝手な講和は実は絶妙のタイミングであって、家康もその恩恵に与った
そうなったのは「戦では勝っていた」という材料をごねることで最大限に政治的に活用した家康らの手腕ではあるけどね
659 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 03:27:51 ID:VDOfYP9q
いや講和後に家康は信濃真田家を攻めてるよ。
甲斐を含む旧武田領はほぼ家康の領土になっていた。
660 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 04:18:00 ID:+pqFV6AT
確か天正壬午の乱、だっけ?
秀吉が勝家とああだこうだやってる間
北条対徳川が甲斐信濃で領土分捕り合戦やってたの
で、最後に和議で徳川が娘を送ってようやく北条と決着をつけた
が、上州沼田は真田が取ってたので北条が家康通して沼田をよこせと
昌幸が拒絶して家康が上田を攻撃、第一次上田攻防戦起こる
661 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 04:55:30 ID:PlOegMzi
>>655-656 小牧長久手で話してたわ。すまん。
>>657 家康はその辺十分理解してたから北条のご機嫌を取ってた。
有名な「蜜柑の話」はこの時の話。
662 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 07:17:34 ID:aM3zbjYB
秀吉の後継者もだが、毛利輝元がアホだったのが一番痛いだろ?
輝元が優秀だったら、家康は天下を獲れなかった。
663 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 08:21:34 ID:SQR4Gvj7
それはない
664 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 09:14:38 ID:QIWTiOS+
>輝元が優秀だったら、家康は天下を獲れなかった。
たぶんこれ関ヶ原のことだと思うけど、あの立ち位置で天下を狙わない手はないよなw
郵政解散の小泉みたく乾坤一擲の大勝負ができるか、やっぱあれが英雄の条件だとオモ
元就がもう少しなぁ、専制権を確立した上で輝元に引き継がせていれば
違う局面もあり得ただろうに
665 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 10:06:16 ID:1HYigHGA
輝元ってアホだったんだ。なるほどね。
666 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 10:16:35 ID:WfKBjf0W
佐久間は大学が一番
667 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 10:23:34 ID:HjeasteR
>輝元が優秀だったら、家康は天下を獲れなかった。
輝元が優秀だったら、本能寺の変のあとに秀吉に追撃かけてると思う。
その後、毛利が天下を取れたかどうかは別にして。
668 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 10:28:19 ID:iEypjJ0s
>>667 優秀なら秀吉に追撃をかけるということは、つまり
>>667は小早川隆景を無能だと言いたいんだな。
なるほど、よくわかった。
669 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 10:44:55 ID:AJ35tRjB
適度に阿呆だったから、存続出来たのかもしれんってIFもある罠
670 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 10:45:24 ID:HjeasteR
>>668 いや、隆景は輝元が凡庸だと思ったから追撃を控えたんじゃん。
あれは英断だぞ。
671 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 10:58:20 ID:iEypjJ0s
672 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 11:30:34 ID:SLQdzFhg
輝元は関が原後の財政再建の実績があるんだし、
武力や知力はともかく政治力だけはもっと上げてもいい。
革新で若干上がったとはいえ全体がインフレしてるから
相対的に見ると今までと変わんないし。
673 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 11:47:14 ID:kJKv1+Ch
そもそも 毛利は天下を狙うなっていうのが
元就の遺言であり家訓だから、そのifは限りなく確率が低い。
遺言まもらなくて関ヶ原にひっぱりだされて
吉川広家とか必死に家を存続するために動いてオツカレサマってかんじだ
674 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 11:51:51 ID:NdcUxP8k
>>670 つまり毛利家の天下統一よりも現状維持の存続を選んだって事だよね
後に秀秋を毛利の養子にされそうだったのを無理矢理頼んで小早川家の後継がせてるし
輝元が暗愚なのは関ヶ原辺りの立ち回りで充分理解出来るね
隆元が親父なみに長生きしてれば...
675 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 11:57:43 ID:LJR+jiBm
676 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 12:18:42 ID:HjeasteR
>>673 >そもそも 毛利は天下を狙うなっていうのが
>元就の遺言であり家訓だから、そのifは限りなく確率が低い。
その遺言も元就が輝元の凡庸を見抜いたからだけど。
677 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 13:02:14 ID:aM3zbjYB
輝元がアホじゃないと思ってる奴はどうかしてるんじゃないの。
アホじゃないなら、関ヶ原の後になんで大阪城から退去しちゃったのよ?
許されて、領土もそのまま残してくれるとでも思ってたのかね。
関ヶ原の役で一番馬鹿なのは誰でしょう?
石田三成は、100万円分の宝くじを買って大外れの0円でした。
毛利輝元は、1億円分も買ったのに大外れの0円でした。
以上。
678 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 13:05:01 ID:u+rU604L
輝元は買わされたんだろうに・・・
679 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 13:13:56 ID:1HYigHGA
アホを装っていれば安全第一
680 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 13:23:49 ID:ibOriu/L
三成は大外れの0円だったかもしれんが輝元は一応3000万円くらい返ってきたぞ
まあ関ヶ原の輝元がどうしようもないのは同意
681 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 13:59:01 ID:5yoFFURw
>>677 優柔不断で戦機を逸したのは弁護しようがないけど、
西軍が敗れた時点で大阪城を退去する他にどんな手がある?
まあ退去の交渉で家康本人の言質を取らなかったってのは確かにまずかったが。
682 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 14:01:28 ID:SLQdzFhg
>輝元がアホじゃないと思ってる奴はどうかしてるんじゃないの。
自分の意見と合わないからってこれはどうかしてる。
あなたこそどうかしてるよ。医者行け。
683 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 14:19:47 ID:sl+XX1aA
>>681 家康相手では、言質とっても無駄だろう。
なにせ三河一向一揆や大坂の役の例がある。
木村重成に至っては、家康の血判まで取ったが、すぐさま難癖をつけられてしまった。
戦争継続を断念した時点で、石高は削減は止む終えないだろう。
改易にならなかっただけマシに思える。
684 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 15:03:11 ID:d+VqQId4
関ヶ原での大勝でもう勝負は決まっていた
後は家康の胸次第で積極的な交渉材料は毛利には無い
島津ほど家康の本領から遠くなく、総大将にまでなった以上仕方なかったという言い訳もムリポ
やるなら最初から大坂より出陣するぐらいの覚悟がないと
685 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 15:09:21 ID:VDOfYP9q
吉川広家いがいはやる気まんまんだったろ。天下を狙わずとも豊臣家大老として太閤死去後の徳川家康の横暴は許せないもんだ。
だが肝心の関ヶ原で西軍本体が敗北してしまってはかなり苦しい。
686 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 16:11:57 ID:PlOegMzi
やる気まんまんだったのは広家以外の付家老くらいでしょ。
それを広家が必死に邪魔をして動かないようにした。
輝元は結局自分では決断を下さず。
輝元が動かされた一因は家康の横暴だったみたいだけどね。
っていうか、輝元の責任を云々するならどうしようもない狂人小早川秀秋の責任は大きいだろう。
奴さえ裏切らなければ関ヶ原は引き分け仕切りなおしになってた可能性が高い。もしくは家康負けてたかも。
687 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 16:45:24 ID:bS/ZnNFg
今川義元が弱すぎる
688 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 16:49:57 ID:W7Kba+HM
×奴さえ裏切らなければ関ヶ原は引き分け仕切りなおしになってた可能性が高い。もしくは家康負けてたかも
○奴さえ裏切らなければ関ヶ原は家康が負けていた可能性が高い。もしくは引き分け仕切りなおしになってたかも
689 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 17:14:56 ID:bnfG1MWD
>647
利長じゃなくて?
690 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 17:19:23 ID:bS/ZnNFg
判官贔屓にブシドーか
日本人は甘すぎるな・・・・平然と無能な跡取り息子暗殺するような舶来歴史物に叶わないわけだ
691 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 17:19:50 ID:HjeasteR
関ヶ原の東軍は本当に薄氷の勝利だったよな。
長宗我部軍の布陣がもっと戦場に近かったら、、、程度のことでも西軍の勝利はありえたよ。
692 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 17:39:27 ID:gpRoIbAa
たった一日で終わってしまったからな。黒田や上杉、真田の働きもそれで終わってしまった。
もし長引いていれば結城秀康や伊達政宗にも脚光が当たっていたはず。
693 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 17:45:58 ID:FRpYONWF
シズガタケみたく、長期戦へ持ち込むことは出来なかったんかな?
結局は、三成が誘い出されて自爆したってことなのだろうけど
694 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 17:49:06 ID:aGoc0iLM
長期戦になれば徳川軍主力がやってくる
当時の視点からすれば急に家康についた大名連中よりは、家康直轄軍のほうが脅威と思えるでしょ
数も一番多いし
695 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 17:58:04 ID:ibOriu/L
西軍派の自分としては家康に騙されて大幅減封喰らう原因となった
吉川広家の知略はもっと低くてもいいと思うな
革新では知略79だけど50台くらいでも構わない
反面義理42は低すぎる気がする
696 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 19:02:24 ID:1HYigHGA
697 :
:2006/06/11(日) 19:08:19 ID:PUAOgqbU
>>690 日本は一対一で負けたのはアメ公にだけだから問題ない
698 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 19:15:50 ID:NdcUxP8k
699 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 19:19:41 ID:zJunP/7O
吉川広家は顔グラかっこいいし能力高いし過大評価されてるな。関ヶ原は石田三成の愚作愚演みたいにいわれてるけど吉川広家こそ真の愚作愚演だと思う。知略40ぐらいでいいよ
700 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 19:38:57 ID:1HYigHGA
701 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 19:46:44 ID:gpRoIbAa
吉川広家を評価下げるとなしくずし的に毛利輝元、毛利秀元、安国寺恵けいも評価が下がるな。
そういや大野道可って登場しないんだっけ。
702 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 22:39:01 ID:PlOegMzi
安国寺は一貫して広家に対峙していたから道連れで評価が下がる事はないだろう。
703 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 23:37:10 ID:/uaMusQt
やる気満々の大津組が大坂城に籠もってもう一戦って言ってるのだから
例え三成が敗れても関ヶ原が一日で終わらない可能性は充分あったろう
大坂城に毛利本隊、立花らの大津組や各方面の西軍、関ヶ原の西軍の回収を行って一戦交えるなら
後の大坂の陣よりは勝ち目がある
それが毛利家にとって良いか悪いかは判らん
ただ、吉川広家はあんだけ立ち回って、結局いいように家康にあしらわれてるのは事実は事実だ
704 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 23:47:09 ID:HjeasteR
関ヶ原後に大坂城に篭った場合には、秀頼の権威はどのていど有効なのかね?
豊臣恩顧の東軍武将を寝返らせるとか。
705 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 23:50:06 ID:HMlIvJOD
広家はあの状態だったらもう開き直ってそのまま家康から
受領快諾しとけば惨めな思いしなくて済んだのにと思う
706 :
名無し曰く、:2006/06/11(日) 23:58:20 ID:rQLKaS2a
>>667 輝元は追撃するべきだった、ってよく見るけど、兵站の問題とかあって無理だと思うけど、どうだろう
広家は、元就の遺言の「天下を望むな」って言葉に縛られすぎちゃったんだよねえ・・・
もう戦うって決まった以上、腹くくって戦うべきだった
大体あの遺言は、普通に攻めあがって天下を狙うのは無理だからやめろって意味だと思うのだが
後、広家は元春の子だから秀吉嫌いだった、ってのは考えすぎかね
707 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 00:08:38 ID:CsmlKSiK
>>706 宇喜多領の手前までなら追撃大丈夫だろうけど。
あとは宇喜多の出方次第か。
再び毛利に付くことはありえないかな?
708 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 02:17:33 ID:CnO2eKZO
血による両家の結び付き、ひいては支配を目論みつつ厄介払いも兼ねて、
秀秋を毛利にやろうとしたのだろうが、これは結果的には豊臣家にとっては大失敗だった。
大老格では最も信頼していた隆景(だからこそ横取りの形でも養子を認めたとも言えるが)に
小早川を捨てさせる結果になり、結果両川の関係疎遠、毛利の弱体化にもつながってしまった。
そして当の秀秋はよりにもよって自分たちの滅亡の一翼を担ってしまうという最悪の展開…
まぁ秀吉にとっては毛利にだって強大になられては困るのだから仕方が無い面もあるし、
すでにボケはじめて自分の死後の事を深刻に考えられる状態でもなかっただろうから
その事を責めるのも酷ではあるかな
709 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 03:38:18 ID:U4WNuUBB
小早川秀秋は自身の裏切りによって、徳川家康以上に西軍諸将の怒りの矛先になった。
戦功抜群として備前美作55万石を与えられるが、その2年後に都合良く死亡。暗殺説もあり。
無嗣の為改易になって55万石は没収。享年20歳。
これをどう感じるかは個人によるけどな。能力をどうこう言うには若すぎる。
710 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 03:39:40 ID:XK2SlC2W
毛利を取り込む目的で送り込んだ奴に裏切られてちゃ世話ないわな・・
まぁ万が一にもああいった大規模な大戦になるとは思わなかったんだろうけど。
711 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 03:41:59 ID:XK2SlC2W
>>709 いや、能力も何も秀吉によって立身させられた元々はクズ同然の存在なのに豊臣を
裏切ってる時点で何を言う資格も無いだろう。
それこそ「人面獣心なり」ってやつだわな。
712 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 03:43:41 ID:3K9xaRSu
>>706 けど「天下を望むな」っていうのに従った広家の判断自体は間違ってないと思うよ、
輝元自身が総大将なのにハッキリとした意思表示を見せない上に、
家中の統制も取れてない(広家と安国寺の路線の違いを調整できない)
そんな状態で腹くくって戦うっていうのを危ぶむのも分かるし、
そういう状態に陥ってる時点で天下を伺うにはやはり輝元は凡庸、
仮に天下を取ってもその後の采配次第では下手すれば一気に滅亡の可能性もあるしね。
独断専行や家康を信頼しすぎた点は駄目駄目っぽいけど、まあ頑張った方な気もする。
>>708 というか秀秋の養子縁組自体が毛利家の取り込み、ひいては弱体化を狙ったものだろうから、
別に大失敗じゃないだろう、毛利本家を豊臣に取り込むことが出来なかったとはいえ、
小早川家と毛利家を分離できたんだからまあまあってなもんでしょう。
元々毛利家だけで120万石もある上に、吉川・小早川を合わせて約160万石にもなる大大名、
豊臣政権にとっては毛利家弱体化は路線としては間違ってない。
まあ秀秋はアレだったけどな、ここらへんは何度も言われてるとおり幼君ってのが問題だろう。
713 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 04:10:40 ID:U4WNuUBB
関ヶ原時点で東軍につく事が豊臣家の弱体化に繋がると誰でも気付いている事なら
東軍についた豊臣恩顧の将全員責めないと片手落ちだな。
あれだけ期待されていた前田家すら徳川に下ったんだぞ?譜代の蜂須賀家すら東軍についた。
>>709の通り秀秋は徳川に利用されただけだよ。関ヶ原の全ての悪因にされてる。
714 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 04:28:58 ID:XK2SlC2W
利用されただけって、良い見方しすぎじゃね?
結局家康には恩賞をちらつかされ石田には関白をちらつかされで両天秤にかけてるわけだし。
何度も言うようだが本来なら秀秋の分際でそんな事をするまでもなく西軍にいるべきだっただろう。
そこで迷ってる時点でそもそも言い訳の仕様も無い。
利用されただけとかじゃなくても当時の人間から見て明らかに侮蔑されてしかるべき。
わざわざ家康が煽らなくても秀秋への世間の批判は至極当然だっただろう。
715 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 08:37:21 ID:yqazHM9e
元就の天下望むなって遺言も神の啓示かなんかじゃないんだから、それを
守ったから良しとか、悪いとか基準として考え過ぎるのもおかしいだろ。
IFかけるなら、元就が本能寺の変を知ったらどうか、大坂入場するか、してて三成敗北後は
どうかで考えると決して輝本と同じにはならないだろう、それでも天下狙うなっていったのは
やはり輝元にも期待していないし、不安だった証拠じゃないか。
秀秋の裏切りは蜂須賀、前田らとはケースが違うだろう。織田以来からの自立した
存在で当主にも自家保身を考える責務があるし、ご恩と奉公の原理でもそれに応えられる
強者に付くのが当然で信長から秀吉につく時点で実践してる。この場合のご恩は秀吉個人から
受けた感情的な情に近いご恩ではなく国の統治者として自分を立ててくれるかどうか。
前田にしても情に近い方の恩がある利家が豊臣を捨てるなら別だけど、息子らが乗り換えた
からといっても秀秋とは別。秀吉以前以後の大名ではここらへんは能力の査定に基準が変わるべき。
716 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 08:40:14 ID:yqazHM9e
秀吉以前以後→秀吉政権以前以後
ちなみに
>>713をうけてのレス
あと肥は登山なめすぎ。剣術とか分け分からんことはいいから成まさの武勇は200超える。
717 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 09:08:22 ID:QzAFuzW5
よし、特技に「登山」を加えてつかわそう
718 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 11:11:26 ID:U4WNuUBB
>>714 小早川秀秋は関ヶ原より前の当初から東軍に内通していたし、それが発覚していたからこそ石田三成がそれに見合う関白や加増で引きとめ策をとった。迷うほどの恩賞でなければ意味がない。
それに加藤清正、福島正則らと同じくvs豊臣秀頼ではなく、あくまでvs石田三成だった事を考えろ。なぜ’秀秋だけ’豊臣を裏切った事になるんだ。
朝鮮の役から続く三成との反目は有名だし、家康の取り成しで助けられたりしている。
秀秋の中では、徳川家康に付く義理はあっても石田三成に付く義理は全くない。
秀秋が責められてるのは土壇場の裏切りだったからだよ。豊臣云々は関係ない。
そしてやらせたのは家康。
719 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 11:56:48 ID:Wai2mF1a
秀秋だけなんて思ってないだろ?
清正や正則の行為も豊臣に対する裏切りですよ
このスレでもよくでてただろ
720 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 12:02:13 ID:XVtdZH4f
別にいいだろ、ていうか裏切って何が悪い?
裏切られる奴が悪いだろ、裏切られたくないならそれなりの力を持たなきゃ。
正義は勝つ、勝つほうが正義、だから強い方につくのは当然。
721 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 12:51:06 ID:9ib7ZEoU
豊臣の存続を考えて身を振ったならば徳川勝利のその後を想像できなかった奴は間違いなくボンクラ
一門という立場でありしかも勝てたかもしれない戦況で寝返った秀秋はカス
結局あっさり家が潰れてるわけで
722 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 13:19:58 ID:U/kZI6AR
>>721さんは凄い人ですね!
非ボンクラの721さんには次の首相が誰になるか教えてもらいたいな!
関ヶ原の時点から数年後、10数年後のことを見通せない
ボンクラとは一味違う721さんなんだから
数ヵ月後のことなんて余裕で見通せるんでしょう?
723 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 13:26:29 ID:LMreKAqf
議論の論点すら把握してないけど、そういう皮肉レスって気持ち悪いよ
言いたいことあんならサクっと言えよ、ネクラ
724 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 13:34:14 ID:U/kZI6AR
あっそ
725 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 13:58:32 ID:XK2SlC2W
結果論で語られても困る罠
まぁ正則や清正は関ヶ原後三成の真意に気付いて後悔してたりするけどね
726 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 14:09:22 ID:9ib7ZEoU
結果論でも何でも判断ミスがあったと見受けられる奴はそれを評価に加えないといけないだろう
厨臭かったと反省はしている
727 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 14:19:18 ID:gfoaz+QG
清正・正則は家康に知謀で劣る
って評価なら同意する
728 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 15:20:36 ID:3guVKcxG
清正・正則は秀吉の血縁者だけど、秀秋は高台院の縁者だから西軍につく義理も秀頼を立てる義理も無いと思うのだが。
729 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 17:10:47 ID:huL7RKoy
18歳であり経験不足である若い秀秋を責めるのは酷すぎ。
両軍の圧迫があると流石に重い。
730 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 17:16:43 ID:Ub17g4Fh
なんで秀秋は絶対に西軍でないと駄目なわけ?秀吉の養子だったから?
能力云々はともかく秀秋がカスなら清正も正則もカスじゃないの?
後悔しただけで具体的に豊臣の為に何にも出来てないんだから
普通に豊臣恩顧が東軍に居るんだから秀秋だけが責められるいわれはない
と思うけど
731 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 17:34:53 ID:CsmlKSiK
>>718 >秀秋が責められてるのは土壇場の裏切りだったからだよ。
同意。
もう結論でてるんだから、いつまでもツマラン議論するな。
732 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 17:42:09 ID:ycRHk6Of
>>730 俺も基本的にはそう思う。
まあ
>>718が
> 秀秋が責められてるのは土壇場の裏切りだったからだよ。
と言う通りで、責められるとしても
「道義的にいかがなものか」
「世間の批判にさらされても仕方ない」
っていう次元の問題であって、とりあえず能力云々とは別だよね。
もちろん秀秋に自家繁栄以外の目標、例えば
豊臣家存続とかがあったとしたら能力の問題にも関わってくるけど。
733 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 17:50:25 ID:GVr5Lfql
関ヶ原の原因をスルーして
秀秋が悪者にされているのも
徳川の情報操作の一貫
と…いうふうにかんがえてたときがありました。
734 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 17:58:05 ID:Zq86G2PB
裏切り組も小早川秀秋以外は加増無しなのも考えないとな。
同じ松尾山の脇坂安治と朽木元綱は所領安堵だけで、小川祐忠と赤座直保は所領没収。
吉川広家は加増されたが、毛利本家が所領没収のため結局辞退して毛利本家の所領に。
不戦を貫いた島津はかろうじて本領安堵。
735 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 18:51:14 ID:UPmTPiTp
大塩平八郎とか幕末とかのシナリオを出してくれたら3万出す
736 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 18:51:53 ID:P84RIL8W
小早川の裏切り、というより実際は日和見でしょ
伊勢攻撃命令を独断で無視して松尾山の西軍を追い出して勝手に居座った時点で西軍からはもう離脱してるも同然
ところがいざ戦いが始まると今度は西軍の思わぬ奮戦を見たからか、人質差し出してたにもかかわらず東軍に加勢したのはかなり後になってから
737 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 19:57:52 ID:huL7RKoy
秀秋
政治15統率45武勇70知略55
738 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 20:55:44 ID:lFQpq3Kg
朝倉義景・・統率3武勇2知略1政治4
浅井久政・・統率4武勇1知略0政治3
これでもー秀秋の話は終りにして下さい(´・ω・`)
739 :
名無し曰く、:2006/06/12(月) 21:00:53 ID:1MTIFsY2
>>738 何その過大評価。
なんで朝倉義景の統率が3もあるんだよ。
740 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 00:20:16 ID:kZ8dXyQ7
義景は織田との消耗戦の末の領国混乱をモロに自分のせいにされてるのは可哀相
あの信長に「天下は朝倉殿に」と講和文書かせたほど追い詰めたこともあるから、実は信玄より強烈だったのに
741 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 00:36:30 ID:hnXqzCi0
国力差を考えれば朝倉は十分がんばった
浅井は将軍の血筋だから
浅井と徳川がマンセーされて朝倉と織田が貶められてるんだろう
742 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 01:14:38 ID:ZPmdD5Og
姉川の戦いがなんで有名かっていうと徳川が必死で宣伝してきたからなんだよな
織田がだめだめで徳川がよくがんばったから ようするに徳川がいなければ織田など
どうなっていたかわからないと言いたいらしい
743 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 02:01:37 ID:o4PHyZTp
>>742 実際姉川の合戦自体、戦死者の量や損害、討ち取られた大将などの人数、
その後の展開などを見ても、織田・徳川連合軍の勝利は間違いないんだけど、
織田勢が押されていたのも事実のようで結果的にどう勝ったのかはいまひとつ謎なんだよね。
そこを逆算して徳川が頑張ったからだと言う事になったんだろう、嘘ではないが
真実とも言い難い、そんな感じ。まぁ他の捏造に比べれば全然マシだが
朝倉がその煽りを食った感じはあるね。
朝倉義景は余り合戦に出てる記録が無いから、
いくさの能力はどうでもいいけど、金ヶ崎で長政を裏切らせて、曲りなりにも
信長・秀吉・家康の三英傑を追い詰めた点を考慮すれば知略34は無いんじゃないか?
という気はするな。
744 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 02:19:52 ID:Zt8W67py
浅井の離脱って、朝倉が働きかけたからなのか?そうならたしかに評価しても
いいと思うが、正直撤退戦とその後の推移をみると金ヶ崎当時の浅井と朝倉に
連携どころか連絡があったかもあやしい。
745 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 02:43:34 ID:EXa9PfpX
ところで
義景が元亀3年末に越前に引き返した理由って
どんな説があるの?
746 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 03:15:06 ID:+dec3fGy
雪
747 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 04:03:39 ID:ELZVLBnI
長期在陣の限界がきたんでしょ
軍役拒否や寝返りに悩まされてるわけだから、本当に来るかもわからない信玄のために出張り続けるほうがどうかしてる
748 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 14:41:02 ID:1q7LRSLm
>>741 越前一国に加えて若狭半国・加賀数郡
浅井も含めればいい勝負じゃないか。
749 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 14:56:04 ID:rIhh4Dok
信長は尾張、美濃、近江、山城、伊勢
勝てないよw
750 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 15:44:53 ID:usNACJ3T
朝倉義景は戦闘面のみに関して言えば島津義久に匹敵するんじゃないか?
751 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 16:10:02 ID:rIhh4Dok
もし義鏡が浅井を救援してたらどうなったんだろう
752 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 16:33:27 ID:ygDkNhrO
加藤や福島は豊臣の忠臣として考えてるなら後悔してなんもできなかった
事を考えるとカスだろうけど、自己保身はその場ではあるけど成功してるから
そういう計算もあった腹黒と考えるなら能力あるだろう。秀秋をそれと区別するなら
加藤らの血縁と秀秋の血縁の違いでどっちが忠誠心もとめられるかという話しになる。
でもどちらも直接の子ではないし、秀秋も養子ではあれど今は他家の当主という意味では
加藤らとはなんら変わらない。
それでも違うというならやっぱ、土壇場だったからだろうな。そこまで判断を躊躇した
ことで知謀か政治を下げるのかな。秀秋の状況で最初から東軍に付けたか謎なんだが。
753 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 16:35:31 ID:/YLZJjOG
そうだな
島津義久も実戦じゃ居座ってるだけで兵の指揮官としては微妙だから
我らが義景様の方が一枚上手かもな
754 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 17:28:55 ID:rvbD1CuO
加藤嘉明か
755 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 19:57:38 ID:oEPrIU7b
どの道姉川会戦は事実上の消耗戦
最終的に負けても全体兵の数が上回っていた信長方の方が有利
信長方は兵一人で敵一人道連れに倒せばいつかは相手の兵はゼロ
浅井朝倉は兵を磨り潰された時点で敗北だったと
756 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 20:04:37 ID:NvdlBk6C
姉川合戦は江戸期の徳川マンセー講談が何時の間にか通説化した典型じゃないかね
それ以前の史料だと織田が崩れまくったが徳川が踏ん張ったなんて話はないはず
757 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 20:39:24 ID:pA4ZfI2y
徳川マンセー講談が何時の間にか通説化した典型といえば関ヶ原もそうだな
758 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 21:03:17 ID:rvbD1CuO
羽柴も同
759 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 21:57:13 ID:FCijLImD
>>756 講談じゃなくて、譜代の家伝類にしか出てない話なんでしょ。
平地での戦いなのに、朝倉軍の側面に奇襲ってなんかおかしいしね。
ヒロイックファンタジーの典型みたいなお話。
760 :
hage:2006/06/13(火) 21:58:28 ID:hEwmJmDC
江戸期は豊臣貶されっぱなしでしたがな。
豊国大明神だってぶち壊されてましたがな
幻想がとっぱらわれたのはようやく明治時代だぞ
それまでは悪いのは全部石田三成
761 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 22:08:12 ID:rvbD1CuO
なんでこう な人が多いのか
762 :
名無し曰く、:2006/06/13(火) 22:30:38 ID:8n7Mex1h
ID:rvbD1CuO
なんだそのチョンがエキサイト翻訳使って書き込んだみたいな日本語はw
763 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 01:20:10 ID:yumtUGKg
過小評価
武田24将秋山信友
あまりにも低くすぎる
高坂・内藤・馬場に勝るとも劣らないハズ
764 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 02:08:21 ID:sQ8qehgR
あいつが高いから高くしろってのが悪いとは言わないが、せめてそうおもう根拠や実績を上げないと賛同は無いぞ。
765 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 07:37:29 ID:qOS4ovhj
秋山信友は十分評価されてる
高坂たちが過大なだけ
766 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 08:17:40 ID:xz3IN7ot
むしろ何故政治が70前後もあるのかが疑問。
高坂については統率91もありえない数値。
767 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 09:19:23 ID:pUg4lJAo
北条綱成みたいな華々しい戦績や武勇伝もないしな
768 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 09:45:02 ID:Zu+vKMUo
逆に考えれば、あれだけの家臣団持っておいてあの程度の領土拡張って事は
信玄ってのはたいした無能だわな。
769 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 10:14:50 ID:q3ug+ec3
無能というよりも天下取りのプランがなかったんだろう。
もともととる気がなかったのかもしれんが。
770 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 12:59:34 ID:0W6yfsPG
信長が信玄や家康の立場だったとしても差は無いだろ
家康は周囲が恐すぎる 信玄はバカ軍神がウザい
信長は云々言うと荒れるからこれ以上言わないが‥
771 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 14:49:29 ID:JOk5Gn83
>>770 無理
信玄は駿河攻めの時北条を敵に回し、既に上杉と対立している最中に盟約途中の徳川に一方的攻撃かけて三方敵に回して数年を浪費している
いわれるほど有能じゃない。結果論で駿河は取れたけど、この年月の無駄が響いて対徳川戦途上で病没・織田と半端に敵対したせいで家が滅びている
信長や家康と比べると一段劣るとしか
772 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 15:23:17 ID:0W6yfsPG
>>771 結果論ではなく、駿河切り取れてるが?
朝倉への攻撃で長政離反を誘発して
多数の謀反を起こされ挙句に頓死したアホよりは数段上かな
773 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 15:34:25 ID:jhVmMhT7
>>772 だから結果論で駿河は取れたけど、と書かれているが…
レスの肝心の部分を無視するってことは武田厨乙、でいいのかね?
774 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 15:39:02 ID:hQMOkFfc
>>772 なぁお前リアルに厨房なの?荒れるのはいやだからこれ以上言わないと言って
反論されるとなぜかヒートアップして信長をアホよばわり
今日はこの良スレがおもしろくなくなりそうだ
775 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 15:47:54 ID:wEmajKw6
>>772 今川・北条との断絶、駿河侵攻は明らかに失策。
多方面に敵を作ることほど愚かなことはない。
北に上杉がいてこれ以上伸張できそうにないなら、西の美濃を攻めるべきだった。
機を掴めば、織田と斎藤の漁夫の利を狙うことも可能。
776 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 15:59:28 ID:ZM79hS/n
半数以下の村上に滅茶苦茶大敗喫してもいるからな、信玄は
777 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 16:02:30 ID:+aFpfh4f
信濃・甲斐といった内陸の貧弱な土地しか持ってない信玄にとって
駿河の豊かな海運は喉から手が出るほど欲しいものだった
だからこそ敢えて今川・北条を敵に回してまで火中の栗を拾ったんだろう
そういうことを考えずに「駿河じゃなくて美濃を攻めればいいじゃない」なんてのはちょっとな
778 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 16:28:58 ID:33rlKHtB
もし北条氏康死ななかったら延々と駿河巡って構想をしなければならなかった。
779 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 16:30:02 ID:d0HV6bcz
まるで氏康を恐れてるような言い方だな。信玄にそんな発言あったっけ?
780 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 16:32:46 ID:33rlKHtB
信玄の個人的な感想じゃない。んなもんはどうだっていいんだ。
ただ時間の消費が延々と続くだけだ。三方を敵に回しながら。
死ななかったら上洛戦が不可能だろう。
781 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 16:57:24 ID:0W6yfsPG
>>780 1569年以降病気で政務から身を引いてる
それに美濃攻めるタメに三河通るから結局同じ事。
782 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 18:14:54 ID:HHZg4112
信玄の戦上手・戦略上手は疑問か
戸石崩れとか上田ヶ原の劣勢勢力相手の大敗も一度ならずあるし
783 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 18:30:03 ID:/pIzfeb/
別のスレ立てていいですか。
こう な人は禁止の
784 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 18:33:51 ID:GiS3RvII
まあ駿河に関しては
>>772の言うように信長にも似た局面はあるし
それを根拠に無能ってのはちょっとアンチに過ぎやしないかと感じるなぁ
結局上洛を狙うには非常に有効であろう駿河取って北条と結んでって条件は達成できたんだし
785 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 18:47:10 ID:XtZjUYEe
>>783 立てるなら戦国板にした方がいいぞ。
ここだと同じことの繰り返しだ。
786 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 18:53:12 ID:HHZg4112
>>784 信長と違って信玄のほうは裏切られたわけじゃなくて自分から裏切ったんじゃんかw
787 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 19:19:26 ID:GiS3RvII
盟友攻めたからって理由はともにあるので大して変わらんでしょ
788 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 19:23:48 ID:7VrReWZt
敢えて言うなら大義名分の差?
789 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 19:37:28 ID:f6MNRXCE
信玄の最大欠点は外交の軽視だろ。
少なくとも駿河攻撃に関しては、明らかに北条を軽く見すぎていた。武田が
勢力を伸ばす為に、海のある駿河を攻撃したのは仕方ないという意見はその
とおりだと思うが、問題は駿河を得る為の仮定で北条を外交的に味方に引き
こむ努力をまったく怠ったこと。氏康は越相同盟というそれまでの外交状況
をまったく逆転させて武田を窮地に陥れた。さらに徳川を弱小と侮って盟約
違反を繰り返してこれも敵に回す。
790 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 19:48:12 ID:33rlKHtB
三河攻撃自体不可能だな。
駿河で足止めされるよ。「氏康」が死ななかったら。だろ?
単体でも北条>>>>>>武田なのに、上杉、北条、徳川、織田を敵に回してどうするんだよ。
791 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 19:52:42 ID:sQ8qehgR
てことは北条と今川と徳川を敵にしなければ天下取れたと言いたいのかい?
そうなると越後か木曾方面になるわけだな。徳川とは遅かれ早かれぶつかるし、今川領を取るのは当然だと思うが。北条なんかより上杉と組んだ方がよっぽど良いな。
792 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 20:00:21 ID:Q+qJe9Ld
天下を取れたか?
というよりも、天下を取るための外交をしてないからね。
信長と比較するとアレですが。
とにかく義昭がきた段階で、京に最速で入れる外交・戦略をとってたし。
信玄はまったくそこらへんが無頓着というか
そもそも天下を取るという気があったのかどうか。
793 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 20:20:38 ID:st98+a77
信玄の徳川攻撃のどこに大義名分があるのか教えて欲しい
大井川を境に、と盟約結んだはずが一方的に領域を越えて攻撃
これは暴挙でしょ
794 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 20:26:23 ID:xBOBqaTl
裏切り、謀反、謀殺こそ戦国の華よ
795 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 20:45:13 ID:BjXJGvVC
そりゃその通り、しかし大義名分も必要だろと
だいたい四面楚歌を作ってる状態でそういう信用の無い事してたら
どの道滅びるのは時間の問題。
796 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:25:32 ID:dgEgz/gD
大義名分=将軍様が上洛要請
しかし徳川は幕府の敵織田と手を組んだ
これでは不足だろうか?
797 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:26:04 ID:XJCxkjhD
俺も武田を庇うぜ!
まず、砥石とか上田の合戦は確かに晴信時代の負け戦だそうだが、
実質的には村上VS先鋒の板垣、甘利軍みたいだぞ。
どっちみち両方死んでるけど。
上田は信玄の本陣自体は撤退もしてないようだぞ。
砥石の撤退戦も、実質的には村上VS殿の横山のようだぞ。
殿全滅したらしいけど。
で、村上も無名だからほとんど資料残ってないだけで、城主領主討ち取られ
まくってるぞ。ほとんど壊滅しとるぞ。でないと、城が自落するわけないだろ。
798 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:31:38 ID:XJCxkjhD
↑の村上家臣団のソース捜したがねえな。
ほとんど上田で戦死してるんだが・・
村上は強いと思うぜ!
ただ、信玄の自分を戒める言葉を都合よくとって、村上を持ち上げ過ぎだと思う。
799 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:35:34 ID:sQ8qehgR
そこは問題じゃないよ。武田を叩いてる人は徳川戦が問題らしい。
敵をしぼって織田か上杉に勝てたという根拠はあるのか?織田に絞るとしても上杉とは信濃問題で和睦は難しいぞ。織田をほっておけば巨大化して徳川とはいずれぶつかるぞ。
なんか結果論に感じるね。
800 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:36:12 ID:RRgKsCrg
>>796 その織田と同盟を継続し、さらに徳川と同盟してた時の話だろ
そこまで無茶苦茶な理屈だと武田厨乙、としか言えない・・・
801 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:37:23 ID:XJCxkjhD
まあ評価っていろいろ武将多いからな。むずかしいだろうが・・・
柴田の先鋒、原長頼とかが気の毒だったりすると思うが。
文官みたいな評価だったな。
あれじゃあ先鋒になれねえだろ。
802 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:39:15 ID:/pIzfeb/
とりあえず能力話そうぜ。
信友から武田外交まで飛んだな。
803 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:44:00 ID:/pIzfeb/
>>801 結構評価されてきたね。
勝家より知略高いし。
しかし舜秀は、なぜ出ないのか。
804 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 21:44:56 ID:XJCxkjhD
数値は難しいよな。あの時代の優秀な武将なら
調子の良い時、成長のピークの時は90点はたたき出せるだろうよ。
ただ・・・
その期間が一瞬なのか、数十年長続きしたか、ってことだと思う。
805 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 22:07:35 ID:f6MNRXCE
そういや武藤舜秀ってほとんどでてこないよな。
小身ながら信長からあれだけ認められた人物が。
806 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 23:24:14 ID:LVcyM93f
807 :
名無し曰く、:2006/06/14(水) 23:47:18 ID:GiS3RvII
>>806 それを考えて理由の一つとして、という意識で書いたつもりだった
まあ窮地を招いた失策だったとして
戦略は主に政治だろうし結果的に切り抜けられたのと元々政治は多少低めってのを併せれば
これ一つで下げる理由にまではならないんじゃないかな
808 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 02:39:15 ID:E78QEgV5
実際のところ、信玄は胸苦しくて天下取りなんて気合ないんじゃないか。
最後の西上作戦も上洛ではないのも色々言われてるし、死期を悟った上での
勝頼や他の家臣団へのメッセージみたいなものだし。まぁ徳川に二ヶ月ほどかな?
足止めくらって失敗してるし。どの時点で天下取れたかなんて信玄を評価すればするほど
信玄ほどの男が天下取りをできないと判断していたという所に落ち着くのだけど。
まぁ信玄を非難しても絶対能力下がらないからこんな無駄なことはないな・・。信長と家康最強がいい。
809 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 09:32:02 ID:JzNnr9CA
>>797 >実質的には村上VS先鋒の板垣、甘利軍みたいだぞ。
>どっちみち両方死んでるけど。
みたいだぞ?
才間、初鹿野も討ち取られ本陣にも切り込まれ、信玄自身も2箇所も負傷しているが?
>上田は信玄の本陣自体は撤退もしてないようだぞ。
ようだぞ?
軍の崩壊と追撃を警戒しての話し。これをこじつけて引き分けだった言うんだよなー。
1.5倍もの兵を使った戦で倍の被害出してるわけなんだがな。信玄はさ
>砥石の撤退戦も、実質的には村上VS殿の横山のようだぞ。
ようだぞ?
横山って誰さ?
横山なんて家臣が兵1000も率いて皆殺しにされたんだ。ふ〜んwwww
完全な奇襲戦だったのにね。
>で、村上も無名だからほとんど資料残ってないだけで、城主領主討ち取られ
>まくってるぞ。ほとんど壊滅しとるぞ。でないと、城が自落するわけないだろ
意図的に上田原とごちゃ混ぜにしているようだが、上田原の村上方の被害は領主や豪族も討ち死にしてはいるが300程度の被害。
君の脳内ではほとんど壊滅なんだね。
810 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 15:14:24 ID:URgcIivU
話折ってしまうが木村重成ってどれくらい評価されてる?
太閤5だと統率低くてちょっと残念だった。2流程度の指揮官だとは思うんだが
魅力高いのは笑ったが
まあ完全に好きな武将なんですがね。主観ごめんね
811 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 17:51:14 ID:WJo6eZu+
>>809 wwwとか使って煽らなくてもいいじゃないか。
村上ファンなんだろうけど、それほど村上の大勝だったのなら
村上が逃亡する必要なんてないんじゃないのか?
無名大名ゆえに資料が残ってないのが幸いしてるだけだろ。
砥石城は奇襲じゃないだろ。砥石城攻めからの撤退時の追撃戦だろ。
812 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 18:00:21 ID:sYUqD6FD
そういえば砥石城は
城内にいた義清がいつの間にか外にいて〜ってのと
高梨と戦してたはずが和睦・両軍で返してきて〜と
二通り話を聞くんだけど、どっちが正解?
813 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 18:00:54 ID:lJsxbAl5
「だろ」も どうかな
814 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 18:03:10 ID:cu3IPAm6
なにこの嫌韓厨みたいな煽り
815 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 18:28:33 ID:WJo6eZu+
細かいことは自分は正直、知らない。
村上の勝利で、なんの問題もないと思う。
ただ、数百討ち取った。追い返した。でも結局逃亡した。
ってのは日本全国にそういう武将いると思うんだよな。
あるいは、最後は逃げずに城を枕に討ち死にってのも。
で、そのなかで村上だけは特に評価されてるよな。
816 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 18:49:03 ID:JzNnr9CA
>>811 武田ファンにしてはレベル低いな。どこからツッコミ入れていいのやら
>砥石城は奇襲じゃないだろ。砥石城攻めからの撤退時の追撃戦だろ
砥石攻めは村上義清と高梨が合戦中の留守を狙い行った戦。信玄自身も偵察を行い入念に調べた上での奇襲戦。
急遽和平をし反転してきた村上軍に蹴散らされ撤退時期を誤り敗北をした。
撤退時の追撃戦と思ってるようだが、その辺勘違いしていないか?
>村上が逃亡する必要なんてないんじゃないのか?
武田ファンなら真田幸隆ぐらい知っておけよ。それからマンセーしなさい。
>無名大名ゆえに資料が残ってないのが幸いしてるだけだろ
無名大名?信玄を中心に世界が存在しているなら君の意見は至極正しい意見だ。
村上については長野県史通史編、信濃史料刊行会編信濃史料、信濃中世史考、
当時の記録としても、妙法寺記、甲陽軍艦、高白斎記に記載されてるがなにか?
信虎と争っていた事さえ知らないんじゃない?
書いてて思ったんだが新手の釣りか?
信玄を持ち上げるにしては言う事がおかしい。全然知らないで言ってるとしか思えん。
817 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 18:59:22 ID:WJo6eZu+
>>816 >>815のとおり。そんな数や細かいことは知らない。
ただ、どう見ても村上は領土を保ててない。破壊力はあると思う。
村上に勝ち軍で家臣がしっかり残っているなら
真田幸隆?といえど城を簡単に調略できるとは思えない。
あと、信玄は好きな方なんだが、信玄中心には考えてない。
むしろ信玄中心なら村上は無名ではない。
自分の先祖は秀吉家臣なんで、ある程度は全国規模で見てるつもり。
818 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 19:04:30 ID:MdE2aAow
>>816 細かいことを言うが「甲陽軍鑑」な。
海の上に浮かべてどうする。
819 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 19:11:04 ID:lJsxbAl5
ほんと細かいな
820 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 19:34:41 ID:JhKC1BPL
>ID:JzNnr9CA
相手を小馬鹿にしたようなレスは第三者から見ても気分悪いしやめれ
821 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 19:39:37 ID:g7N8EjN4
人を上段から見下してる人が軍艦とかやれば、指摘したくもなる罠。
日本語って面白い
822 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 20:07:51 ID:GVPqA6/+
武田と村上は単純に国力の差だろ
元の国力差があるから一局地戦で村上に負けようとも武田の優位は変わらず
823 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 21:14:08 ID:p09FQhbP
ID:JzNnr9CAは歴史知識だけがアイデンティティの現無職、元いじめられっ子
824 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 21:20:22 ID:cQEKUgji
信玄のどこが戦上手なのか疑問に思えてきた
徳川に勝ったから江戸時代賞賛されている政治的な意味合いが続いてる程度なのかね?
その三方ヶ原も2倍以上の相手を押し潰したに過ぎず、それこそ信玄の数値は村上にこそ相応しいような
825 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 21:21:21 ID:GgfC2GhJ
知らないのに語る方が悪い。つっこまれるのは当然と思うが・・
826 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 21:29:45 ID:GVPqA6/+
>>824 信玄の戦は三方ヶ原に限らず常に相手より多数の兵で戦をしている
827 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 21:33:28 ID:kMMArFDT
それで負けてるんでしょ
遠江戦前期じゃあその徳川の伏兵に撃破されてる例もあるし
スタートから一国の兵力を持ちながら拙戦が幾つもあるのは馬鹿みたいな評価と繋がらない
局地的に言えば村上に劣り、戦略では駿河攻めの自爆などで氏康あたりに劣る
828 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 21:36:10 ID:VAt2QB+e
>>827 氏康みたいな保守的な戦略と一緒にするなよ。
明らかに信玄の方が領土の拡張率が大きい。
829 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 21:43:00 ID:hEytjdju
「局地的に言えば氏康に勝り、戦略では謙信あたりに勝る」
と言えばなんとなく凄くないかw>信玄
830 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 21:49:25 ID:3gPizYWh
氏康に負けてるんだが>主力決戦
831 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 22:02:12 ID:hEytjdju
信玄と氏康が野戦で堂々と雌雄を決しようとしたことってあったっけ?
信玄や謙信が軍勢を引き連れてきたらいつも小田原城に籠もってる印象があるが
三増峠の戦いのことを言ってるならあれは北条方の負けでそ
後三方ヶ原の戦いを数で押しつぶしたというなら大きな間違い
地の利を生かして奇襲しようとした家康を誘き出して完膚なきまで叩きのめしてる
後年家康が武田遺臣を大量に召抱えて武田流軍法とやらを有り難がったのには理由がある
832 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 22:05:15 ID:3gPizYWh
さつた峠の戦い
833 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 22:06:05 ID:vqMrsv5L
な、なあ木村重成は…
834 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 22:07:26 ID:hEytjdju
それは北条方の捏造だよ
835 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 22:16:54 ID:MdE2aAow
>>833 本質的に戦場で戦うには向いてなかったと思う。
もう少し成長してからなら、吏僚としてそれなりの評価を得たんじゃないかと。
836 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 22:46:56 ID:p4jA4jhg
いや、木村は政治面で賢いとも思えん
大野と一緒に片桐を追放している
しかし、戦闘経験の少ない秀頼直属軍を率いて、治房よりも活躍している
場数を踏むことが出来たら、それこそ一廉の将になったろう
結城秀康なんかよりよっぽど
837 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 23:07:13 ID:G0cGHetm
質問
氏康と信玄が家督ついでからの、膨張「率」でいえば信玄のが多いだろうが
実際増やした「石高」でいえばどちらの方が多いんだろう?
北条の場合、肥沃な土地が多かったから、敵地を切り取るより
自己開発したほうがずっと効率も良かったってこともあると思うから
単純な比較はできないよね
838 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 23:29:38 ID:o3PixSl3
信玄も謙信も跡目争いの種つくって家弱体させたアホ
839 :
名無し曰く、:2006/06/15(木) 23:43:58 ID:GVPqA6/+
>>837 石高でも恐らく信玄の方が上
信玄は
甲斐一国約20万石から
甲斐信濃西上野駿河に遠江三河美濃飛騨の一部の110万石?
氏康は
相模伊豆武蔵南部に上総下総の一部から
約60万石?
相模伊豆武蔵に下総の半分東上野の半分上総の一部といったところか?
約140万石?
謙信の関東への介入さえなければ氏綱が死んでから僅か10年ほどで
武蔵上野を支配していたんだけどね
840 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 00:22:10 ID:dUiP6bFE
たまに見かけるけど、信玄と謙信の相続ミスを同列で語ってる奴なんなの?
謙信の方が比較にならないくらい酷いわけだが。
841 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 01:05:45 ID:g8VM8vsb
信玄と氏康の差はコーエー評価でいいと思う。
統率や知略は信玄が上。政治は氏康が上。
個人的には信玄の統率は100まで落としていいと思うがね。
842 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 01:19:45 ID:0Q6rB96+
統率氏康 知略 信玄 政治 引き分け
じゃないの?
843 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 01:24:11 ID:zFAJcPYc
>>840 信玄と謙信の相続ミスが同列っていうか
有力大名の中で家督相続が特にお粗末なのがその2人くらいだからじゃないか?
それでなくとも過大評価の代表的存在でもあるわけだし
844 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 02:11:46 ID:05gidvf1
>>831 俺も武田信玄の戦術は総体的に見ればやはり凄いと思うが、
三増峠の合戦を北条方の負けとするのは納得できん。
まぁそもそも氏康は戦ってすら居ないんで話はそれるが。
局地戦でしんがりの犠牲のおかげで何とか上手く逃げれただけ、ってのが本音だと思う。
武田24将の一人浅利信種は間違いなく首を取られてるので、合戦自体はあったようだが。
負けとするには北条側の損害の記録が無さ過ぎる。もともと追撃軍を指揮している氏照・氏邦は
その直前まで滝山城や鉢形城でギリギリの篭城戦を続けてるので、追撃部隊は津久井を中心とする
手勢だったらしい(講談だと綱成が活躍してるが、玉縄勢もいたというだけで実際は謎)
が、それにしても話の通りならもっと損害があってもよさそうなもの。
綱成がその直後も積極的に伊豆の方で転戦してるのもあってこの合戦があまり影響なかったとしか思えない。
北条方からしても、武田勢は小田原包囲から数日で撤退してるだけで、
それほど戦力が磨耗したわけでもないので、下手に追い過ぎれば痛い思いをする可能性は十分にある、
また、上杉が信用できない事がはっきりした以上、無駄な火傷はお互いすべきではないという
考えも視野に入っていると思う。
だから、下手に本軍は動かさず、地元の勢力を使って追撃をかけたところ、
そこそこの成果は出たが、やはり逆に反撃も手強く、無理押しをせずお互い痛み分けに終わった。
と言うのが真相だろう。
845 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 04:05:10 ID:sXs/kwLj
とりあえず言える事は
家の後継者相続の際
戦国北条家はドロドロの相続争いと化すほど揉めた試しは一度もない。
846 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 05:37:49 ID:DLcOiWo4
まぁ5代しか続いてないし。でもま、戦国時代で5代続いたのは凄いかな。
結局断絶してりゃ意味無いけど。
信玄のどこが凄いか分からないとか言う奴はさ、戦術のちょっとした失敗とかイチイチ
考えてるうちによく分からなくなっただけなんじゃないの。
客観的に見て、北条上杉と凌ぎを削りつつ順調に領土拡大し
信長があんだけへりくだり、朝倉や本願寺、足利義昭や比叡山があれほど待ち望んだ
当時から非常に高かった戦国の雄としての声望、途中で寿命が来て頓挫したとはいえ
鮮やかな徳川領の戦力の撃破
どう考えても名将だろうよ。特に当時の声望という点。
まぁ元々源氏の棟梁の末裔の血筋だからってのもあるけどね。
847 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 06:06:37 ID:YA/S+Uxg
上杉謙信も武田信玄も織田信長も親の代からの家督が相続うまくいってないが
本人の能力次第でどうにでもなってるぞ。
毛利元就や最上義光や今川義元もそうだ。
時代や状況が違うとかいうのは所詮言い訳ね。
848 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 06:53:37 ID:bKo8PCtT
当時の声望があったってのはでかいだろうな
源氏の棟梁の末裔が将軍のために上洛するって言えば農民・武士はほいほい付いてきそうだ
849 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 07:03:21 ID:czC6CXF2
今川とか斯波とか小笠原とか、掃いて捨てるほどいるけどな>源氏の棟梁の末裔
850 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 07:39:25 ID:baRB0zEI
>>848 行くわけねぇだろ
源氏の棟梁の末裔とか関係なく金品さえばら撒ければ
乞食にだって付いていくと思うぞ
そもそも当時の農村の現状が理解出来てないんじゃないのか?
それと源氏の棟梁って地位は徳川が宣伝工作するまでは凄く凄く低かったんだぞ
851 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 08:31:13 ID:NkvP2iGk
852 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 08:37:38 ID:V2NQNEd3
>>846 信玄も信長をみならって謙信にへりくだるべきだったんじゃねえの?w
それが出来ない時点で凡将
853 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 08:41:35 ID:7qQLMcbI
最初から一国持ってたって言う人は国単位にとらわれすぎなんだと思うけどね
美濃や尾張からしたら甲斐は半国以下
ただちょうど信玄の代にかかるくらいの間が金の産出量のピークだったって話もあるから
運にも恵まれて領国を拡大できたのは間違いない
だが、まあ運を抜きにして考えると元就最強が揺るがなくなってしまうので…
854 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 09:00:36 ID:sXs/kwLj
金というか経済力を持ってるとこが強いのは真理だな
自称源氏の末裔だろうが天皇様だか公家の血筋だかなんだかしらんが
855 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 09:09:30 ID:FWTtJBYs
信玄と謙信の後継者問題は条件がまったく違うだろ。
まず死にしても信玄は死期を悟って事前に組んでたけど、謙信は突然倒れたし。
まぁ謙信がつながりの無い養子を候補にしてる時点で汚点だし、そこで謙信の方が酷いといえる。
それと領土拡大で北条と他の大名比べるのも無理がありすぎ。どこまで北条がでかく
なれば満足なんだよ。伊豆から関東にかけての領国まとめるのを過小に見過ぎだろ。
勢力拡大こそ評価すべきといっても戦国大名として限界はあるし、それを越えたら
統一できたかどうかの問題になる。その点、北条は援軍送って義理繋ぐのが現実的な道だし。
856 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 09:19:47 ID:SFozyreY
謙信、死ぬ前も雪解けしたら出陣しちゃうぞーとかってまだまだやる気満々っぽいしな。
857 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 10:27:14 ID:nqQxngn7
まあ長野業正最強って事でどうかひとつ
858 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 12:16:55 ID:3jiAobXi
甲斐一国は少なくとも信濃の割拠状態豪族に対しては圧倒的勢力でしょ
これを囚われすぎ、というのは
だいだい石高換算でも元就はもとより本拠地を弟にくれてやった上領土の何割かが親族に横領された状態からスタートした信長より遥かに裕福じゃないかね
859 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 12:27:10 ID:05gidvf1
拡大できた領土やら元から相続した領土やらはそれこそ状況によって変わるから、
「拡大できた」「少ない領土を伸ばした」と言う大雑把に評価するならともかく、
具体的にどの程度・・・とかなっていくのは無駄な議論だと思う。
またどの大名もそうだが、一定の大きさを超えてから伸びる事は実力だけでは中々できない。
信長も元就も信玄も一定の大きさになるまでは結構良い勢いで行ってるが、
それ以上になろうとした所で例外なく苦戦してる。
小さな領土からのし上がるってのが凄いのはわかるけど、
初期から大きい領土を持つ事はそれはそれで大変な場合も多い。
それを一緒くたに比べるのは難しすぎる。
特に領土の拡張率とかは無駄な議論だと思う、それが反映されてるなら、秀吉が弱いはずが無い。
860 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 12:48:50 ID:nqQxngn7
数字程誰がみても同じっていう物はないからねえ。
それを根拠の大元とするか、それとも添え物にするかは個々の主観だろうけど。
まあ国主補正なんてものがあるとするなら、大きな要素なんでないかとは思う>所領の増減。
861 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 12:51:04 ID:3jiAobXi
それこそ大雑把過ぎるような
例えば信長は尾張統一に14年を費やしている
元就が安芸をほとんど制圧するのにも19年
一国を纏め上げるというのは決して簡単なことではなく、そこで評価に差がつくのは当然でしょ
ここで大名として一国統一からはじめたわけではない秀吉のような戦国勃興時期後の人間を持ち出すことこそナンセンスでは
862 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 13:10:50 ID:05gidvf1
>>861 大雑把過ぎるといっても細かくどう説明するの?
ナンセンスと自分で言っるけど、
その通り、大名どころか何の土地も持たない事からはじめる換わりに時代が進んでた秀吉と、
国はあっても大国に挟まれてまとめ上げる為には時間がかかってしまった元就と
どっちが上かなんて数字で測る事じゃない。だから無駄な議論だということ。
だが、それを肥の評価を土台に数値で語るのがこのスレ。
じゃあ肥は上記の状況を数値に大きく反映させてるだろうか?と言う事。
863 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 13:22:51 ID:3jiAobXi
>>862 だから秀吉のような陪臣上がりはってことでしょ
信長と信玄、謙信と元就みたいな武将には共通項じゃん
どうしても信玄には辛くなるけどな
864 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 13:33:22 ID:NeMbPM0s
要するに甲斐武田家は過大評価の代表というずっと言われつづけてきたことがまたループしてるってことでしょ
865 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 15:22:24 ID:DPwg7RMP
現実の結果から遡及して考えれば、武田勢全般は過大評価は免れない
それでも他国とのバランスが取れてれば、さほど文句も出ないんだろうけどね
そういう意味で武田勢を基準として考えたとき、たとえば北条勢は全般的に低い設定になってる
各武将の能力を上げるにしろ、下げるにしろ全体的なバランス考えてやってほしいね
866 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 15:46:43 ID:NqFAeFGx
今度は北条をダシにしますか、そうですか
>>858 >信濃の割拠状態豪族
信玄の初期の相手は小笠原。
>信長より遥かに裕福じゃないかね
元就と比べて、信秀死去時の勢力は比較にならない程振るってる。
その後の相続に失敗したのは仕方ないとも思うが
信玄・元就の見事な掌握ぶりからして、見劣りする感は否めないかと。
867 :
名無し曰く、:2006/06/16(金) 15:50:15 ID:nqQxngn7
だからその信玄が手も足も出なかった長野業正最強でいいジャマイカ
868 :
名無し曰く、:
小早川秀秋は明らかに過小評価