>>前スレ999
日記見る限り、面白そうな座談なので、活字化されたのを読んでみたいな。
>>1乙
>>3 活字化するでしょ
ただ、フルヤンがだんまりだった様子がみたかったぜ
たまにブラウザで開いて確認すると驚くものだな
前スレ
キーワード【 岡崎 樫村 黒瀬 古谷 南川 美術 批評 】
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今スレ
キーワード【 古谷 日記 岡崎 gallery 樫村 ゴルベーザ 批評 】
取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
記念に魚拓的に書き込んでおく
今頃おすすめ2ちゃんかよ
人文系はスキル低い
フルヤンの執拗な二枚組叩きが三枚組を生んだんだとするなら感慨深いな
そういやなんで福住が攻撃されてんの?
特に攻撃されてないよ。
チンポム絡みで晒されてね?
ニュー速とか芸デ板の方のことか・・
福住って駄目なカルスタだよな
「外傷」ってはやってるの? 概念やことばとして?
モギ氏の本にも書いてあった気がするけど
世界自体が外傷化するって、意味としてはわかりやすすぎて、
かえって、ぜんぜんわかんないよ〜
古谷がかわいそうだから、石屋も最低限の古谷のもってる教養ぐらい追跡してください。
っていうか、外傷がわかんないのに象徴界はスルーとか、お前字面だけでわかった気分になってるだろ。
あれ全部、ラカン概念。ただし、あの日記では樫村流の読解を下地に重視してるんだろうが。
ラカン、樫村氏を経由してからでないと、古谷氏の書いた物には辿り着けないということ?
>>15 特定の理論に依拠するのって嫌なのかなと思ってたからラカン、樫村にはまってるのは意外
そのくせ岡崎理論は否定するんだから
>>16 普通の古谷の日記ですら、力動の話をやってるんだから、あからさまにそうだろ。
古谷が可愛そうだ。石屋もファン面するのなら、古谷の本ぐらい読んだらどうだ。
絵画論以外ではかなり精神分析系統の議論枠を(もちろん緩くではあるが)使ってるんだよ。
お前は一体いままで古谷の何を読んできたんだと・・。
一番頭抱えてるのは日記で石屋をへんにヨイショしちゃった古谷に思えるw
>>16 偽日記で樫村の言葉が貼ってある日は、なんか辛いことがあったときっぽいよ
人生の支えになっちゃってる
日本の抽象って、勇気がない具象画家なのが駄目
岡崎の言ってた重力が外傷って、シモーヌ・ヴェーユかよ!と思った
WEB重力に書いたことが外傷になってるんじゃないの
www
木村覚も晒されてるのか
磯崎氏、古谷氏のことを「かわいそう」なんて言わないで
小説はいいのに、、
外傷は、身体にでる
古谷が岡崎(の理論と作品)を好きになりきれないのはなんとなくわかったけど、
岡崎の方はどうなんだろうね?
少なくとも樫村とかを気に入るようには見えない
イソケン良いやつだな
全然関係ないけれど、猫も子猫のころから飼い主が完全に受動的だと、けっこうすごいよ(笑)
W140×D50×H151cm
のスチール製のケージなら、2〜3mなら、噛んで引きずるし、
なんじゃそりゃw
ケージはいつも開放状態(そこへの出入り自由)なのだけど、
子猫のころは、指をすうわけ、私の。それで、血まみれ手仕事ができなくて
(ペンも握れないからね)、
横尾をめぐるフルヤンと黒瀬の闘争がはじまった
38 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/26(日) 23:48:39
黒瀬〜ここ見てる〜?イェーイ
磯崎ナイスアシストw
銭湯にあったポスターのかたですね
古谷が油絵の描き方を指導した横尾かw
黒瀬は明らかに書き込(ry
>マンガは小説を読むより難しい。
うんうん。
そうか?
ゴルベーザのさんまいぐみをフルヤンは倒したつもりでいるんだろうか?
言葉でいくら叩いても絵で頑張らないと無意味だし、
なによりもフルヤンが嫌いなはずの理屈野郎になってしまっているんじゃね?
絵のほうをしげしげみてしまう、先になかなかすすめない
絵が類型となってみえてくるまで時間がかかる
>コスタリカ、タイ、アフリカ的な風景
>タイにはゲイが多いけど、そこにはグラデーションがあり、どこまで本気でゲイなのか分からない、たんに女性的なイメージと同一化しているだけみたいな人も多い
こういうの読むと、樫村が左翼気取りだったことに心底頭にくるわ
左翼はみんな若い頃にかかる麻疹
タイって、表象?(ポルノグラィとかね)としての性って禁止されてる(とういうか、出合わないみたい)
だけど、
ところで、コルベーザーってどういうニュアンス?
”ゴルベーザとは - はてなキーワード”
を読んだけれど、よくわからない
樫村氏の声(肉声)はマイルドだったとおもう。ツンツンした感じはまったくしなかった
磯崎は横尾に、偽日記の5月10日の記述も一緒に渡さなかったのだろうか。
まあしかし、樫村のトークは実に凄まじかったな。
「頭が良すぎてビビる」という経験を久々にしたよ。
出入り口のところにいた、女性のすこしだけふっくらした書店員さん?が
こまったというか、なんともいえいない表情で会場をみてた(笑)
>>49 ああ、ゲイリベレーションみたいな文脈で樫村が言ってるってことか。
あそこ(青山ブックセンターの会場?)って、いつもカーテン締切りなの?
タイガか〜
>>58 そうじゃねえよ
最悪の植民地主義的視線だろ
ジェンダーやポスコロ的観点から叩かれても仕方ない
あまりPCっぽいのは好きじゃないが、
樫村のようなやつがこうも偏見丸出しだとさすがにどうよと言いたい
>>55 いいなあ、そういうのマジ羨ましい
めったにチャンスないんだよね、オーラルな場でビビっと衝撃食らうのって。
一度食らうと数年は衝撃が反響したりする。その発言者の主旨や立場を超えて残響が。
>>60 「どこまで本気でゲイなのか分からない」
というのがすでに「ゲイなるもの」を本質主義的に規定した発言のように見え、
それがヤバイという意味で
>>58を書いたんだけど、
>>49の着眼点は「タイ=アジア=女性的」みたいなオリエンタリズムにどっぷり漬かってる
みたいな意味での苛立ちだったってこと?
無知だから、さらに曲解してるかもしれない。すまん。
>>62 両方だね
樫村は賢者でも何でもなく、単なる高等遊民にすぎないことを痛感させられる
樫村の無意味な神格化は心底信じがたい
ただ、タイに同性愛者やトランスセクシュアルが多いのはたしか事実なんじゃなかったかな。
だとしてもああいう言い方してたら叩かれても文句言えないよというのはそうだろうけど。
トランスセクシュアルじゃなくて、トランスベスタイトだっけ。
クイア、ゲイ/レズビアンリべレーションの語彙って最近触れてないからすっかり忘れてしまった。
病者の光学気取りの常人にすぎないぜ
ドゥルーズ以上にそのへんは無自覚
>>65 もちろん、誰も樫村の言説内容を真に受けず、
「伝説の天才」として遇しているわけだから、実際には無害なんだけどね
傲慢な「旅行者」という立場をむき出しにした発言ではある感じがするね。
樫村を褒め称える人たちは、
自分が樫村にとっては単なる民草に過ぎず、
彼の孤独な視点を共有することが許されていない厳然たる事実に気付くべきだ
要するに、保坂・樫村・古谷が描き出す共同体に感情移入しない限り、
一連の放言にはついていけないはず。
全く恣意的なあの分類は、安楽椅子人類学にすぎないでしょう
樫村流紀行エッセイ、ぐらいのもんだね、せいぜい。真に受けてはならない。
樫村エッセイ読みたい!
哲学を腐して科学を褒める文章も、結局エッセイだもんな
その意味でこの三人は同じジャンルの書き手だな
いずれも「文学」が扱う範囲の人
>>74 古谷が言う金属的な、というのはわからんでもないんだが、
樫村のあの奇妙な修辞やエッセイ文体でなくてもそれは可能なんじゃないか、とは思ったな。
古谷はあの文体が好きなんだろうが、どうもなあ…
金属的って80年代浅田のレトリックじゃん
>>75 でも樫村のカルト的人気は、
あの妙に色々な物を断罪する文体と切り離せないよ
樫村氏の絶倫エッセイ!!
うん、son metaliqueとかね。強度のこと言ってたわけだけど。
古谷の今日の日記の「金属質の感触の強い力と圧倒的に凝縮された密度をもった言葉」
というのを見て思ったのは、要するに言葉と論理構成に負荷かければいいじゃね、と。
強度と言わずに何か考えられないかとふと思ってね。
たとえばああいう隠遁的態度や世に受け入れられていない事実について、
保坂あたりは
「世の中が樫村を必要としていないのではなく、樫村が世の中を必要としていない」
みたいな反時代性として賞賛してしまいそうだ
>>77 岡崎は岡崎で癖のある展開をもった文章だけど、結構クリアに書くでしょう。
俺は岡崎文体は好ましいけれど、樫村みたいなのって不要な気取り、省略過多にばかり見えてね。
あんなものの何がいいのかと、俺は理解を拒みつづけている
>>80 そもそも、「必要とされる」哲学というものが、普通ないんだから、
そのレトリックはすでに転倒してると思うね。
まあ、マイノリティを気取る人ってこういう所感におぼれる人よくいるけど。
保坂ってやっぱりそういう感じなの? たまに保坂の小文を読むと
自意識の臭みと馬鹿臭をまのあたりにして嫌気を感じるんだが。
>>81 病の露呈なんでしょw
樫村について、古谷はスキゾフレニックといいたいのだと思うけど、
俺にはボーダーにしか見えないわ
>>82 新潮の保坂古谷対談がグロテスクだ
「分かってない人」がウザイみたいな話に終始している
>>83 まあ、病とまで言うのは可哀想だし、それこそPCな微妙さがあるのでそうは言わないとしても、
一種の美文主義なんだろうねえ。そんで、古谷はそこに共振してるんだろう。
俺は美文よりもベンヤミン的貧しさに惹かれるので、
美文なんぞに魅入られるのは田吾作じゃねえの、とか先入観に近い嫌悪をしちゃうな。
あと、散文的な修辞をからめれば現前性を確保できるって暗黙の前提も相当やばい気がする。
>>84 その要約だけを聞くと「蓮実派シネフィルの悪癖と一緒ですね。
んなことより議論の成果出せば?」と即答してFAだな俺は。
自意識をむきだしにして共有しあって癒されててどうすんのよ、としか思わない。
対話形式の販促文なんだから、なにもそこまで、、
保坂古谷「俺たちはわかってんだぜ!」
>>87 だってお前も実際には「分かってないやつ」なんだぜ?
そこに目をつぶることで始めてああいうのが好きになれる
岡崎がすごいのは、そういう言葉を全く言わないことなんだよな。すんごいタフだと思う。
というか趣味的な選民会話みたいなのが大嫌いなのかもしれないが。
>>88 しかしそんな猿山みたいなトリックにひっかかる読者が今時いるのだろうか・・・
何が不快かというと、
樫村流の断罪を真に論理的に遂行すれば、
保坂や古谷がその刃の餌食になることはほぼ自明なのに、そうしないことにある。
また、分かっている/分かってないの識別も保坂の裁量一つだ。
蓮實と似て非なる部分は、彼は自分の趣味に基準を設定しているところ。
わかるところもあれば、わからないところもある
んだとおもう
いや、
>>55みたいな反応は、ある種の口頭の場の・・・
なんていうかなあ、一気にしゃべりながらも話の筋が明確であり、
かつ展開していき、他の発言者の主旨を絡めながらつながっていく、という光景が展開されると、
出てくる反応だと思うよ。そういうのは一種の快感で、
樫村・保坂のヤバさとはまた別に生じたりはすると思う。
いまにして思えば、批評空間HPで古谷が書いた岡崎展レヴューってのは、
「わかってるんだぜ」の側の語彙に引き寄せる行為だったんだよな。
で、古谷自身の「俺はわかるぜ」語りに自ら淫するという最悪なことになった。
面白い電波を浴びたわw
みたいな気楽な感想ってことだろ?
そんなのは分かるけど、当の発言内容が、
「コスタリカ、タイ、アフリカ」みたいな類だから困る
>>92 樫村って大して読めてないけど、そんな断罪なのか・・・!
>>96 あれなら「岡崎理論で岡崎を語る」方がよっぽど愚直でまっとうだと思うんだが
作家研究に作家の言葉を使うのってほとんど常識だし
フルヤンが好きなゴッホ・セザンヌ・マティスを、
彼が画家の言葉から厳密に切り離しているとはとうてい思えないんだ
さすがにあんなことばかり言ってたわけでもないと願いたいがw
まあ、泡風呂の衝撃みたいなもんかもしれんね。
>>98 ドゥルーズ論とか大島弓子論とか見ると、
「嘘」とか「欺瞞」みたいな物言いが異様に目立つぜ
あれってようは少々ロジカルな鎌田哲哉だろ
>>100 >泡風呂の衝撃
俺はお前が心配だわwww
>>101 >ロジカルな鎌田哲哉だろ
ああ、なるほど。どういうことを言ってるのかそれでわかりやすくなった。
前スレで言われてた保坂・樫村って「無謬の論理」だろ、っていうのもそこにかかるのか。
ああ、古谷はこの手の言説構成にはまりやすいだろうなあ…。
俺は鎌田が大嫌いなんだよなあ。
議論の成果も何にもなくってさ、単にかくあれかし、と何かを指差すだけの人だと見てる。
樫村の場合、その対象を成型してるってぐらいの差がある程度なのかな。
政治的左右で言えば左にシンパシーあるけど、
大西巨人の満場一致の賛美とか、何かと気持ち悪いんだよね
古谷は作品主義のように見えて、実際には作家の生の全体性を愛する批評だろう。
(和泉式部とかどうなのかな?ちょっとダサイはいってるかも
紫式部にくらべると)
小説や詩の趣味には一貫しているものをかんじたけれども、、
大文字の名前しかでてこなかったのが気になったけれど
>保坂さんが、でもそれってあんまり実感ないんだよね、ウチには猫がいるし、この猫は情報化されてないから、猫がいれば大丈夫、という話をして
石屋って保坂か?w
その単純さはたしかに似ているが・・・ww
まあ、保坂は素朴なんでどうでもいいや
古谷は嫁をもらえって結論でおk
浅田と保坂の関係ってどうなの?
112 :
55:2008/10/27(月) 08:44:58
本人とは上手くいかないくせにその周辺のことは気に入ってるんだよね
樫村をGSや批評空間に書かせたり、古屋を発見したり
鎌田は柄谷行人は永遠に正しいとか言ってたな
アホかと
保坂が昔からの友人面しているだけ
美術史の知識が適当すぎるんだが……
>横尾忠則は、美術史的には、80年代に世界的に流行したニューペインティング(新表現主義)の画家の一員ということになるだろう。イラストレーターから「画家宣言」をしたのも、そのような流れのなかでのことだ。
>ただこれは、美術史上の出来事というより、特定の画廊が仕掛けた流行という側面が強くて、今では、新表現主義として活躍した画家の名前を聞くことはほとんどなくなってしまった。
120 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 13:21:07
それにしても、みんなは樫村のドゥルーズがどうのこうのって言うのはよんだのか?
このスレの住人は、美大生とかふるやん同様自称美術家だからそういう知識は
ないか・・。
いちおう、樫村のドゥルーズ批判はデコンブの批判と似てるね。
彼は、鏡に映ったヘーゲル主義者だね。
読んだ上で批判してるよ
それと樫村の楳図論は楳図と全然関係ないと思った
>昨日の話で樫村さんが、鈍い人だからこそ、カントやヘーゲルの研究なんかを一生やってられるんだ、というような発言をしていたけど、
フルヤンの近代絵画フェチもこれと同類じゃね?
で、反論したいけど思いきっていうことが出来ないから、こうなる。
>しかしまさにその「鈍さ」によってこそ、転移の持続が保証され、そこから力が供給されるという側面もある。
とうとう炎上の犠牲になったか……
犠牲というか自業自得
(略)
(そういうことを認めたうえで)、私はヤギがヤギ的であるようにキツネもあくまでキッネで、ヤギにはなれない。
そんなことをくどくどとくりかえすことよりも、(私が前にいったように)、
ヤギはヤギであることによって、力をもっていてすこしも井戸から出て行ったキツネに劣るものではなく、
外に出て嘲笑しているキツネは、穴の中にいて餓死する運命にあり、一ぱいくわされたと
思いなげいているヤギと較べて、すこしもすぐれているとは思えない。というより、
いかにもキツネがおり、いかにもヤギがあり、生き生きとしてそこにいるものだから、(略)
訓(おし)えをかいくぐって二つの動物は互いに存在を主張し、私どもは、
生暖かい彼らの身体や眼つきや、もしその時間さえあれば何から何まで思いうかべることが出来、
どこかの古井戸のあるところへ出かけて行き、(略)
※略と括弧は引用者
フルヤンにたいしてではなく、<私ども>に ▼o・ェ・o▼
スレ民はキツネって言いたいのね
ずっと意味不明な寓話を投げ続けているけど、
127がどうしてヤギなどと言えるのか。
唐心=キツネ
やまとごころ=ヤギ
読まずに食べるから
でも、ほんとうは、前提にあるテーゼが間違っている。
「ヤギは紙を食べない」
132 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 17:01:17
どうして、自称美術家が作品についての批評理論など書くのだ?
岡崎も市場では一切評価されていないみたいだけど、だからか?
単なる抽象絵画の絵描きではだめなのか?画家が理論書を書いた
り批評書(それも美術だけではない他分野の)を書いたりするの
はなぜ?それほど、知的なハク付けが必要な業界なのか?
133 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 18:26:11
>>132 批評は単純に面白いからやってるだけだろ
それにフルヤンは
批評というより
整理と要約
生樫村はここの馬鹿どもが霞む
135 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 18:44:56
>>133 絵を描くより面白いってわけだね。そういう理論をこねくり
まわさなければならないような環境があるってこと。
136 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 18:57:29
>>132 >>135 結局、画家では食っていけないからさ。
最後に大学なり専門学校なりの教師になれば今まで無名で
売れなかったけど難しい本が読めるほど俺って頭が良いって
思っていたプライドも満足できるからだよ。実際、大学教授
になった批評家や自称w画家wなんて好々爺そのものだもん。
>>136 当たってる部分もあるけど理論は理論であったっていいだろ
138 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 19:14:45
>>137 自称w画家wが書いてるのがね〜・・。でも、理論って
ほどじゃないぞ!w。あえていえば、弁解かなw
139 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 20:03:54
生き方にはいろいろあってよいのでは
大成しなかったら無意味だなんてのは極論だし
どっかにURLでも貼られたのか、ずいぶん空気が以前と変わってるな。
>>120は「このスレの住人は、美大生とかふるやん同様自称美術家だから」
って言うが、とても過去スレから逸脱している推測で驚きだ。
実際見る目のある人って少ないよ
フルヤンのようにそれを逆手に安住するのはダメだけど
総合スレをスレタイにして新たに立てるとこうなったんだろうな、といういい見本だよなあ。
やっぱり古谷スレの名目をゲートとして維持した方がいいみたいね。
多分、木村の名前が上の方に出ているので、ワード検索か何かで流れてきたんだろうな。
しばらくここはさよなら
ちなみに、あの例の「チ〜」騒ぎでね。
まあ、楽しかったとはいえネタ展開にもなっていたし、
じっくりテキストなり何なり取り掛かってできる議論もあるから、
しばらく過疎スレ化させておいた方がいいかもね。
俺もとうぶん去っておくよ
147 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 22:08:07
やっぱり、自称wだらけだったってわけね♪
残念w
こんなスレで煽っても意味無いよ
149 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 22:13:59
>>140 ほんとうのことを言われて怒ったりしちゃだめぇ〜〜〜^^
それにしても平面の作家に限って理論をこねくるとは
これいかに。
どうも遠くから眺めていると自分は特別だって言いたいわけだな
ってことがわかる。
どう見ても美大生や自称美術家より東大関係が多いわけだが。
151 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/27(月) 22:31:52
>>150 東大だったらwもっと美大生や自称美術家より頭よれならなくっちゃねw
同じにみられて東大だせばおそれいるだろうwっていう貧しい発想が
落ちこぼれた現代美術関係者とどっこいだなw
せいぜいお勉強がんばってねw
恐れいらせようとして東大という名前を出したと思う方が貧しい発想なんじゃないの。
前スレかなにかで、このスレは東大関係が多いよねという話になったから言ったまでだが。
今時東大ぐらいで恐れ入ると思うかよw
誰かがレス一個貼っただけでこんなになるのかw
レビューハウスってどこに売ってんの?
なでぃふ
なるほど
恵比寿になってから行ってないんだよな
表参道は駅の近くで楽だった
辺鄙な場所にあるよ
一財産できたので、ビルを建てたらしいが
なんかやることがあるような気がするのだが為替トレードしかやることが思いつかん
ーヒー牛乳飲もう
あんな荒らし一匹程度でしばらくさよならって、お前ら沸点低すぎだろ
他人をそんな風に簡単に貶すお前も同類だから二匹でいいだろ
荒らしは荒らし
批評に興味を持つ画家がそのまま駄目って、どんだけ頭悪いのかと
しかも「平面」という言葉の使い方から見ても、昔岡崎スレを荒らしてた馬鹿だろ
162 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/28(火) 09:47:21
>>161 そのままだめとか頭悪いとかは書いていないんじゃないか?
>>162 132以降のレスは、さんざん聞き飽きた美大卒中年の戯れ言だろう
ダ・ヴィンチのような人がいなければ、美術はクラフトのままだったんだ
日本の美大教育はアートをクラフトのまま賞味したい人が多すぎる
165 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/28(火) 10:37:01
>>165 美術史上の各時代にいるでしょ
ディゼーニョ(構想としてのデッサン)なしにアートの普遍性はあり得ないし
コンセプトと言ってもいいよ
朝のバルコンから 波のやうにおしよせ
そこらぢゆうあふれてしまふ
私は山のみちで溺れさうになり
息がつまつていく度もまへのめりになるのを支える
視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする
それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる
揺籃はごんごん鳴つてゐる
しぶきがまひあがり
羽毛を掻きむしつたやうだ
眠れるものの帰りを待つ
音楽が明るい時刻を知らせる
私は大声をだし訴へようとし
波はあとから消してしまふ
果樹園を昆虫が緑色に貫き
葉裏をはひ
たえず繁殖してゐる。
鼻孔から吐きだす粘液、
それは青い霧がふつてゐるやうに思はれる。
時々、彼らは
音もなく羽搏きをして空へ消える。
婦人らはいつもただれた目付で
未熟な実を拾つてゆく。
空には無数の瘡痕がついてゐる。
肘のやうにぶらさがつて。
そして私は見る、
果樹園がまん中から裂けてしまふのを。
そこから雲のやうにもえてゐる地肌が現はれる。
ttp://soredemo.org/archives_sagawa1.html
169 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/28(火) 18:12:03
>>163 そうですか。言い方を間違えました。自称美術家と瑣末な理論好きの
美大卒中年男性の方々ですね。
口惜しいですっ !
>批評に興味を持つ画家がそのまま駄目って、どんだけ頭悪いのかと
まあ批評に興味をもつことで堕ちていく芸術家は多いがな
一芸芸術家
172 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/28(火) 22:49:43
どこかの学校の先生が、今の学生は全く勉強をしないし、勉強をするやつはするやつで、半世紀前の絵を描いてると嘆いていた。
173 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/28(火) 22:52:05
時事批評みたいのは難しい状況でしょう?
で、他に読むものがないから、昔の批評が読まれている。
どっかの美大の先生がいうには、勉強をする奴は半世紀前の絵を描くし、今風の作品を作る奴は勉強を全くしないと。
一気にスレのレベルが下がってて吹いた
横尾に関して本で取り繕ってもな……
ワロス
>関係ないけど、ぼくは去年の冬からまったく風邪をひいていなくて(ちょっとヤバいかな、ということは何度かあったけど)、それはおそらく髪が長くなって、後頭部と首の後ろが直接冷気に触れていないからじゃないかと思う。
いかにも地頭が悪そうな発言はなごむw
レビューハウスは買いなのかい?
明日ジュンクに行くつもりだぜ
安いし試しに買ってみたら?
ジャンク堂なら座り読みできるが
そうだな。座り読みしてみる
あとユリイカのピカソ論のレポ頼む
いや、三人称的視点(実際に三人称にするかは別にして)から書ければ、小説になる。
>おそらく
以下を、せめてワンクッション以上の視点を挟んでから言わせる。で、かたちとしては
小説になるんだけど、それだけでは、かたちとしてだけで、、
フルヤンは絵画においても「私」の視点を外せないのが駄目だ
福○と木○がマシ危険ワードになってる 試しに「福○ ch×××m」でググったら、
検索結果の1ページ目に、このスレがでたw
RHネタも少し抑えた方がいいと思うのは俺だけか また荒らされたりしたら...
抑えなくていいでしょ
前スレだと、結局石岡の文章は面白いのか肩すかしなのか分からなかった
伊藤、黒瀬(笑)
の、工作
自演があってもかまわん
むしろその方が情報の精度が上がる
自演に客観性は...w
朝日新聞夕刊に岡崎さんまいぐみktkr
客観性=叩きw
194 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/29(水) 20:26:32
ピカソ論はほとんど妄想だけどね。まじめに批判するのもばからしいっつうか。
ピカソはマッスでもボリュームでもない、なんてたいした根拠もないくせにあえて書く必要あんのかと。
基底面の重なり合いとかいうのは、前からのネタだけど、あの理屈なら木目だって壁の染みだって基底面の重なり合いw
まあ、だからこそセザンヌと村上隆が同じにもなるんだろうけど。
>二種類の人間 ある種の訓練、お勉強を経なければ芸術的感性が身につかない人間と、文化的訓練を経ずに、作品から伝わってくる感触をそのままつかめる人間
こういうのってこの三人っぽいな
彼ら自身を含めて後者に位置付けて前者を嗤う
>>194 つうか普通に考えたらマッスかつボリュームじゃね?
まだ読んでないから何言ってるのかわからないけど
古谷って蓮實を避けてるのかな
>>195 そんなことわざわざ言うことないのに
他に話題がないんだろうな
>>199 そこで話が止まるよな
残念だがお前らはわかってないと言ってあげるしかないかも
樫村って盛期を迎えないで後期ヘルダーリンになっちゃった人だろ
マイナーなところがくすぐるんだろう
今美術界のドンって誰なんですか?
千住博?
>選ばれし者みたいな言説
そんなのどこにも書かれてないとおもう
>>205 少なくとも保坂や樫村は徹頭徹尾そういう言説だよ
そう思わないのはかなり鈍感
岡崎はドンにならなさそうなのが美点
なれないってのもあると思うが
>>206 樫村氏に関してはわからない(正確にはほとんど知らないので、わかるともわからないともいえない)けれど、
保坂氏は「言説」にならないようにならないように、書き継いでいるんだとおもう。
ディスクールとか、そうしたことには関心がないとおもう(むしろどちらかといえば嫌っていると思う)。
言説ってここから言説でここから言説じゃないなんて内外の境界あったのか?
「理論的言説」にならないように、と言ってるのならわかるが。
でも、反理論的言説が同時にさまざまな論理を形成していることはよくあることだ、
というのがグリーンバーグや蓮実について語られた過去スレで言われたことで、
反理論を標榜しても回避できないものなんじゃないかな。
古谷だって当人主観では理論的に振舞っているつもりがない、経験の語りをやっても、
同時にそれは論理を構成しているえわけでね。
ゆえにその素朴さがこのスレでは突付かれがちだってことになってる。
言説の言葉上の定義自体はおそらくあまり重要でなくて、
1)言説が現実を抑圧するように働いているのだったら問題で、
2)言説がすでに現実だったらさらに問題で、
1)は充分にありえる(ある側面はいま実際に抑圧されていると痛感する)
けど、
2)はありえないんじゃないかな、
現実は言葉にならないことのほうが多いのだから。
(現実そのものはは、そのなかにいる自分には定義できません。
考えてもしかたがないことのような気がしています。
具体的なことでないと、、)
>グリーンバーグや蓮実
に関しては、実際に権力を持ってしまったところが
問題視されてるのかもしれないけれど、現実において
どれだけ問題だったのか、当事者でない私には
わかりかねるのです。
<批評分野>に限ぎっては、実害(?)を被ったひとが
いるということでしょうか?
上のひとによって発言を抑圧されている人々が
いるということ?
うん、でもいるということだよね〜、このスレの
感じでは。偉そうにすいません<(_ _)>
保坂氏の「非理論」(?)が、そもそも、理論−非理論と
対比できるか、もしくは同一できるものとしてか、いずれであるとも
私は受けとっていないのだけれど。この無自覚さが、
ある種の言説にやられてしまっているといわれればそれまでだけれど、、
(言表領域においては、言説に外部はないってことで、それは
それでわかる気がします)
文章読むときって、それを読んで元気がでるかでないかと
いうことで私は読んでいて、理論の整合性により
元気がでるタイプではないのです(むしろ凹む)。
理論の超越性、説得性、明快性、公平性・・・に勇気づけられる、
言葉においてはそうしたことにしか関心がない、といったひとが
いるのも知っています。ただ、両方あっていいんじゃないでしょうか。
互いを抑圧しないということでいいんじゃないかな〜
>グリーンバーグや蓮実
は、へんな所にいるみたいだね。このスレの文脈では。
「非理論」をよそおって、「理論」を否定しているのであれば、
もうそれ自体は充分な「理論」っていうことだと思います。
(そうして、この文章自体がイライラするといわれれば、
すいませんとしか申し上げられないのです)
言葉は、ひとりでは成立しないから、レスありがとうございます!
…もう放っとこう
214 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/10/31(金) 23:27:26
フルヤン的には斎藤環ってどうなの?リンチとか、かぶってるけど。
樫村理論で斎藤環を撃つというスタンス
216 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 01:14:30
ほー
217 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 01:31:40
219 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 02:29:04
各自がプライベートの領域で好き勝手やってるだけだもの、
ドンなんて存在のしようがないよ。
220 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 02:38:57
古谷や岡崎どうのなんて言ってるのも、微小グループ内の自慰行為みたいなもんだしね
チ○にかかわらず、このスレの悪化はも止まりそうにないのかね
チキがなんかしでかしたの?
伏せ字キモイ
223 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 12:45:00
>>214 ラカンを引用する割に斎藤への言及がないのはたしかに気になる。
ラカニアンからみれば斉藤環は邪道
でも古谷はもともと偽日記でも嫌ってたよ
それを言うなら蓮實ガン無視とか色々あるでしょ
225 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 13:28:46
環の変な批評って、困ったものだと思う。
美術批評家の怠慢が原因だと思う。
美術批評家連盟って機能してんの?
確か岡崎も会員だったと思うが
228 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 13:55:29
機能してないでしょうそんなもん。
学芸員が物を言わずに業界を仕切っている
230 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 14:23:47
学芸員って、官僚みたいな存在だな。
学芸員はアメリカみたいにバリバリ批評やっていいと思うんだが
――木はどうしてまっすぐ上に伸びる? 冒頭近くにそう書かれた文章をよんでいて、パソコンを起動させ
メールを送受信している間に、偽日記のサイトに行ってびっくりしました。
ちょっと元気でた。先日、わたしもイチョウの切り株をみていました。いや、見上げていました。
私より背よりも高い位置で切り株を空にさらしているイチョウ
と書くと詩的ですが、切り株はそこから腐らないように配慮されてか、なにか金属のようなもので閉じているようでした。
でも、その木の私の背たけのくらいの高さから別れている枝には、葉が茂っていました。
>>212 保坂はあからさまに抑圧的でしょ
あの人セゾンで講演会とか企画してたんだぜ
234 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/01(土) 14:51:28
このスレの加齢臭はヒドイ
古谷の読者に若者がいない
書き込み人の年齢とかどうでもいい
けっきょく古谷にとって大事なのは自分の身体感覚なんだろうな
岡崎展見てきたよ。面白かった。
三枚組と言われていったいどうなってることかと思っていたけれど、
一枚目と二枚目の間の余白(画廊壁面)が大きいからずいぶん変わってるね。
あと、以前に比べて筆触個々は外形輪郭と筆触内部のフォルムのせめぎ合いが
すごくなってて、2000年前後の作品とはまた違った方向に向かっているのかなと思った。
ああなるとあみだくじと言いにくくなるな。
画廊には2007年の図版「zero thumbnail」が販売されていたのもうれしかった。
色彩がしみったれてないのがいいよな
異様な透明感があったり、かと思えば上書きされてたり、
ものすごいマッス感のある筆触といい、すごい世界になってきてるよね
マジでフルヤンが枚数にこだわるのが謎だわ
奴の趣味と岡崎の絵は別物だというのに
なんで道を歩くだけでセザンヌになれるのかわからん
30日の日記
さすがにセザンヌになれるとは言ってないだろうl
,,,,,
(・e・)チッチッッピピ
彡,,, ノ
何その謎のAAww
今日、中央線の下りの電車のなかから、三鷹のホームをみると、セザンヌのポスター?が2種類(2枚並んで)あった。
いまなんかセザンヌの展覧会やってるの?
ことばにしたとき、セザンヌの絵でなく、ゼザンヌとなってしまう、、
247 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 01:14:31
余白をおきながら色を並べるって、
わりと無難だと思うのだけどね。
248 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 02:17:07
Chim Pomスレへ移動中www
935 名前:ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2008/11/02(日) 02:14:05
美術鑑賞板の、古谷スレの住人がここにいる!以外と下世話な話題が好きなんだね、哲学がどうのとか言いつつww
いないんじゃね
古谷の絵って古谷理論がないと厳しい
251 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 04:17:29
横浜美術館 セザンヌ主義
まあ要は批評家なんて肩書きを持つわけわかんないのがいることでしょう
批評家=職業とする変なのがいなくなれば、自然に学芸員が批評を担うよ
このスレ、もう駄目っぽいな・・・
>>253 アホが時々来るぐらいで耐性なさ過ぎ
ここは2ちゃん
256 :
252:2008/11/02(日) 11:18:18
どう逆なのかアホに説明してくれ
学芸員が批評できない無能ってこと?
そもそも批評家って学芸員になりたいの?
批評だけやってるやつってどういう自意識で批評なんてすんの?
ボードレールぐらいよめよ……
学芸員はスポイルされているから、市場価値を下げるような批評は絶対に出来ない
市場VS批評
252みたいな人は、仕事を黙々とやってる職人は偉くて、
批評家みたいな小理屈をこねる奴はチャラチャラしてる程度の印象論で物を言ってるんだろう
261 :
252:2008/11/02(日) 11:53:31
>学芸員はスポイルされているから、市場価値を下げるような批評は絶対に出来ない
レスありがと
ってことは批評家はスポイルされるから学芸員にはならない・なりたくない
ってこと?
市場価値を下げる批評なんてできないっていうけど、市場価値を上げたい作家
を展示という形で紹介できる気がするんだが
市場価値を下げる批評をできること、市場原理に拘束されないことが批評家の
価値なのかもしれませんが、かといって別の原理というか慣習にとらわれてい
る(その意味でスポイルされている)御用批評家が多いのも確かなのでは?
いずれにせよ学芸員がスポイルされてる・・なんて嘆かずに批評家が学芸員
になって現状打破するか、学芸員が批評をもっとやってくべきだと思うんだけど。
あとそもそも批評に耐えうる作品があるのかってのはまた別の問題だと思うけど。
アホな発言でごめん。でもご意見いただけるとウレシー
そもそも学芸員にこだわるのはなぜ?
もちろん御用ライターが多いのは分かりきってることですが
>>261 >批評家が学芸員になって現状打破するか、学芸員が批評をもっとやってくべき
こういう二択しかでない理由が知りたい
個人的には学芸員は批評じゃなくて学者的な文章を書くべきだと思う
批評家にも色々いる、学芸員にも色々いる
当たり前の事 261は2度と来ないでくれ
そんな殺生なこと言わんでも・・・
今のところ、ほとんどの学芸員の文章が半端きわまりないのが問題
267 :
252:2008/11/02(日) 12:12:25
うーん自分の学芸員・批評家像はかなり偏りのあるものかもしれないけど、
なんというか上の市場VS批評のように
学芸員VS批評家になっている感じに違和感があるのかな
市場に参画する批評家がもっといていいし、市場に訴えることによる批評ってあると思う
「批評家みたいな小理屈をこねる奴はチャラチャラしてる」と思ってるんじゃなくて、
自分の印象ではおとなしすぎる。テクストと市場の評価の乖離に甘んじているという印象かな。
すれ違いすぎる
市場が強すぎて多くの作家は正当な評価を得ていないと思い込んでいる
>>268 そんなことはない
むしろ問題はコレクターが作家を支配してしまう状況ではなかろうか
今は美術手帖とかでもコレクターが取り上げられるようになってるけど、
俺はかなりドン引きだわ
あと学芸員も含めて、特定ギャラリーの言うがままになってる
>>267 フルヤンみたいに、今の美術界が間違っているのだ!と開き直るのも一つの手じゃね?
広島の件のせいで他所の人達がここに流れ込んでいるけど、結果異趣混交で
スレ議論が活性化されているともとれるw
3スレぐらい前の、キュレーター、コレクター、批評、美術館の機能に関する継続にもなるから、
全くスレつながりがないわけでもないんだよね。
>>270 >>272 >>はそのときにも明確な意見を言ってた人だろうと思う。
特定ギャラリーに所属しないと海外に出て行けないんだよ
海外に行かなくても国内が盛り上がれば向こうから来る
欧州からアメリカに覇権が移ったようにアメリカから日本に移せばいいんだから
282 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 13:10:53
>>280 日本の経済状況をかんがえてみれば、自ずと答えが出ている。
チャンスがあったとすればバブルのときかな。
00年代は圧倒的にチャイナの時代だったろ
さすがにバブルは弾けそうだけど
>>281 会田はメジャーギャラリーの人だから十分海外に出ている
欧米受けしないのは彼の作品の力
>>284 山下裕二がフィクサーだったんでしょ
逆輸入戦略
出たw
真のガンは山下裕二
こいつは悪辣
>>286 最近冬子が近づいてるねw
日本美術荒らされっぱなし
椹木野衣がしくじったのは、山下みたいな奴と区別が付かなくなってることだと思うね
山下がフィクサーなのは、
会田じゃなくて山口晃ではなかろうか
>>289 上野での二人展も奴が糸引いてたのか
とすると岡崎批判の作品も・・・
291 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 13:56:36
荒らしなんていうと、逆に神秘化されてしまいかねないのだけれども、
会田や冬子みたいな、キチッと輪郭線でくくって、塗り分けていくような人物画って、
日本画とかを見ていると以前から多かったような気がするし、
近代派が乗り越えようとしてたのもこういう表現だったような。
椹木は山口みたいな単なるコンサバを褒めるタイプではないはず
今なら日和るかもしれないが
>>291 安田靫彦みたいなもんだろ
手法として古臭いんだよ
画題が現代的になっただけで
>>295 山下裕二を経たことで、ポストモダン的な論理に居直れるだろ
手法が古くて何が悪い?と。
>>296 ボケてきた赤瀬川に近づいたり見え透いてるんだよな
奇想の系譜をただの権威に変えてしまった罪は重い
だれか業界勢力分布図を書いてくれー
Review House買ってきた
荒れるかもしれないけど松下学gj
●ポストモダン派
赤瀬川(美学校)−建築探偵
(権威付け)
↓ ミヅマ
辻惟雄←(私淑)山下裕二(フィクサー)→会田誠→(ライバル)村上隆→(戦友)奈良→(ビジネス)小山登美夫
chimpom kaikaikiki
↑
冬子 (接近)
↓対立(会田・山口展)
○モダニズム派
松浦(友人)
↑
彦坂(Bゼミ)・宇佐美・浅田(批評空間)←(師匠)岡崎乾二郎→石岡(弟子)
↓
(二枚組緊張関係)
樫村(友人)←保坂←フルヤン(保坂派)
石岡はゲーオタだからモダニズムじゃないんじゃね
イエーイ黒瀬君見てるー?AA略
お前何回その書き込みやってんだよw
東 浅田 岡崎 磯崎
↓ ↓ ↓ ↓
黒瀬
黒瀬降臨まだ〜?チンチン
岡崎は、赤瀬川と仲がいい藤森と親しい
ループしてんだよな
俺たちが黒瀬だ
久々に来たらとんでもなく荒れているw
椹木のアイディアの多くは岡崎経由だしな
椹木って自分で「私は本を読まないんです」とか言っている
こいつが批評ってだけで吐き気する ディレッタンティズムの始祖
会田誠「ワシはミヅマの岩鬼じゃーい!」
>>314 昔はそんなことなかった
俺は初期のファン
椹木野衣(さわらぎのい、1962年-)は、美術評論家。埼玉県秩父市出身。
同志社大学文学部(専攻は科学哲学)を卒業後、1987年から1990年にかけて『美術手帖』(美術出版社)編集部に在籍。
1991年に評論集『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』(洋泉社)を刊行。シミュレーション・アートとハウス
・ミュージックを〈サンプリング・カットアップ・リミックス〉というキーワードで横断的に論じ、1990年代の文化を予見した。
1992年にはレントゲン藝術研究所で展覧会『アノーマリー』を企画、村上隆やヤノベケンジを美術界の新しい波として紹介した。
1995年の「地下鉄サリン事件」をきっかけに戦後日本美術の論考に転じ、1997年に『日本・現代・美術』を刊行。戦後日本には
「歴史」がなく、蓄積なき忘却と悪しき反復を繰り返す「悪い場所」であると論じ、大きな波紋を起こした。2005年にはその続編
というべき『戦争と万博』を刊行。大阪万博と太平洋戦争の類似性を「万博芸術」という観点から語り、話題となった。
実証的な美術史とジャーナリスティックな解説の二極分裂に陥りやすい日本の美術評論界にあって、例外的にアクチュアルな
視点を提供している貴重な評論家といえる。日本の現代美術をリセットすると公言して賛否両論を巻き起こした『日本ゼロ年』
(水戸芸術館)など展覧会のキュレーションを行っているほか、2003年のイラク戦争の際には〈アート=反戦ユニット〉「殺す・な」
を組織し、アクティヴィストとしての面も見せている。現在、多摩美術大学美術学部助教授。
>>316 アイデアは浅田の受け売り 引用する哲学思想を表面的にしか理解していない(引くためだけ)
これがシミュレーショニズムという名の自己宣伝広告戦略
320 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 19:37:25
くろせくんさぁ〜
書き込むの横の「名前」のところに、く・ろ・せ ってすればイイノ 皆知ってるんだからねw
椹木と黒瀬を煽ってる荒らしマジウゼー
322 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 19:39:48
319は、浅田の暴露を全力で阻止した、あの一件を知らないんだよね。。
浅田が自分の真似してるって言ったの?
>>322 こういう奴が批評を書かないで悪口ばかり言う風土が良くないんだぜ
325 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 19:44:59
ソウ でもここに人達あまりその件知らないみたいだから、もういいよ。
こんにちは、最近2ch美術鑑賞板の某スレがおもしろすぎて、毎日見ている黒瀬ですw
美術板のスレに福嶋さんや濱野さん、宇野さん、チキさんらの名前が出るなんて、
ちょっと前には考えられなかったことですが、どうかこの盛り上がりがそのまま続いて欲しいと願ってます。
突発的な荒らしにめげることなく、ね。
つい黒瀬ブログ開いちまったじゃないかwww
まあでも、前々スレ、前スレあたりの流れだね、黒瀬が言ってるのは。
とりあえずRHは買ったと応援レスしておこう。
ここの人は信じやすすぎ
前に石岡が降臨?したときもそうだった
いや、降臨は特に信じてないけど、
>>326の引用文が黒瀬ブログ転載なのは本当だぞ。
書き込んでないとは思ってる。
いつしか2ch最注目スレになってるな
>>330 書き込んでないとは思ってる。
いやいやいや。w
ぶっちゃけフルヤンの自己申告も疑わしい
明後日は四谷でオフ会だなw
黒瀬ってエゴとか根拠ない自信が強そうでウザ
某板で炎上の犠牲になった「RH」の人達みたいにならないようにね♪w
お調子者の黒瀬が書き込まないわけが・・・
エゴが弱そうな上の世代よりは面白いんじゃね
>>333 古谷からすると「さすがにそんな読まれ方されるとむかつくよ!」
となりそうなレスもかなりあるから、書き込まない方が精神衛生的にはいいと思うんだがな。
住人にしてもレスの傾向にぴったり一致してるわけでもないだろうし、
割とROM専も多かろうと思ってる。
>>338 古谷の日記のエントリー内容は、どう考えてもここ見てるとしか思えない
340 :
330:2008/11/02(日) 20:17:06
>>339 この二月ほど見てはいるだろうことは間違いないが、
毎日かどうかはわからないってのと、
「書き込んでない」の自己申告はそうかもね、って意味。
見てはいるんじゃないかな。
上の勢力分布図もっと批評家の名前追加できないかな?
モダニズム派のほとんどがモダニストじゃないのが欠点
>>342 さっきまでの話をする分にはあのぐらいの分布図の方がいいけど、
批評文脈を考えると、分布図の暴力性が際立ってしまうから、批評家分布図はよした方がいいのでは。
ただ、ギャラリー、コレクター、美術館、学芸員、批評家の
傾向分布図、人脈分布図なんかはたしかに重宝しそうではある。
福住なんかの話題を避けたいのが本音なんでしょw
分布図に林道郎とかは入れてもよさげ。前に話題に出た近藤や加治屋も入るし
ゴルベーザに会うにはどうすればいいの?
>>345 ぶっちゃけ福住にかんして何も知らないので、
なんでこのスレでたまに不思議な文脈で名前が挙げられるのかわからないでいる。
批評家をくくるって難しいと思ってね。石岡はフーコー研究でもあるし、
ドゥルーズの美術論近辺の人でもあるし、田中純界隈の人でもあるし、
灰塚参加者でもあるし…。
グリンバーグー藤枝ー上田とかだったら、まあ、クリアに書けるんだけどさw
>>347 四谷にいくのが一番の早道ではないかと。
石岡ってイマイチ全貌が見えないよな
改訂版
●ポストモダン派 (マーケット重視)
赤瀬川(美学校)−建築探偵
(権威付け) 西村画廊
↓ ミヅマ ↑(丁稚奉公)
辻惟雄←(私淑)山下裕二(フィクサー)→会田誠→(ライバル)村上隆→(戦友)奈良→(ビジネス)小山登美夫
chimpom kaikaikiki
↑ ↓(微妙な関係)
冬子(接近)-NHK-上野千鶴子 東浩紀
↓
黒瀬
↓対立(会田・山口展)
○モダニズム派 (批評重視)
グリーンバーグ→フリード→クラウス→林道郎→加治屋・近藤
↓ 田中純(表象)
藤枝→上田(弟子) ↑
柄谷 松浦寿夫(友人)-小林康夫→(弟子)平倉
↑(学ぶ) ↑ ↑
彦坂(Bゼミ)・宇佐美・浅田(批評空間)←(師匠)岡崎乾二郎→石岡(弟子)
↓
(二枚組緊張関係)
樫村(友人)←保坂←フルヤン(保坂派)
↓
蓮実派
352 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 22:13:05
どこからどう突っ込んでいいのか...
>>344 学芸員はまだしもコレクターまではよくわからないね
詳しい人頼む
美術手帖ではしばしばコレクターが取り上げられる
ポストモダン派が大幅に見当違いな件について
こんな狭いところで図式化なんて出来る訳ないだろう
平倉は田中純の弟子だろ。
林道郎みたいにアメリカで研究して日本で活躍してる批評家って他にはいないの?
というか図式を正確に書ける奴はインサイダーだけだろw
>>358 加治屋・近藤とか、松岡新一郎みたいな人になっちゃうのでは。
ユリイカのフルヤンはどうだったの?
雑誌媒体だといつも反応が薄い気がする
363 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/02(日) 23:36:15
テキストなんてどうでもいいんだよ
ひでーw
フルヤンの職業はライターだよ?
ただのはてなダイアラーかと思ってた
黒瀬はフルヤン本読んだかしら
黒瀬はもう寝たかしら
黒瀬君かんなぎ見てるよね?
正直退屈じゃない?
ここにいる古谷ファンは、あくまでも散歩の話が読みたいのであって、雑誌の批評には興味がないんだと思う
正直みんな今回のチ○○ムについてはどう思ってる?ここの住人たちの意見を聴きたい
RHの松下gjって書いたのはおれ
これ以上はタイトルから察してくれ
読んでないんだけど松下ってのはチ...を批判してたって事?
373 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/03(月) 00:31:30
古谷、永瀬、黒瀬、池田まとめてみんな、はてなダイヤラーだ
374 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/03(月) 00:33:02
そして全員、チ...をスルー
>>372 単なる批判じゃないのがミソ
「弱虫のハイジャック」てのはうますぎ
件の事件が飛行機雲だったのとかw
スレ民は本買わないからユリイカとか映画芸術とか読んでない
377 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/03(月) 01:08:02
買えないんだよ
それじゃだめじゃん
ロスジェネ的な贔屓でフルヤンを推してただけか
フルヤン本も高くて買えねーよ
380 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/03(月) 02:57:46
貧しきものは幸いなり。
時間を区切って使ってたら見えないものがあるってことか
1日の日記
猿に何かを教えると死ぬまで何かをやり続けるらしいけど
猿の境地に憧れてるのかな
>>369 黒瀬・古谷文章が入ってるユリイカ買ったけどまだしっかり読んでねぇ。
古谷の文章は結論部が
>>194で突っ込まれてるが、
出だしの、セザンヌとピカソは一見似てるようでありながらぜんぜん違い、
セザンヌが筆触を絵の単位とするところをピカソならば立体形態を単位にする、
といった組織単位のズレがありながらも微妙に平行している、という指摘は
読んでてなるほどと思った。
なんでもセザンヌと比べちゃうのな
フルヤンのはユリイカのなかではマシなほうだと思うよ。
斉藤環なんてひどいものだった。ピカソがロリコンかどうかとか。
ピカソがロリだったら男は全員ロリになってしまわね?
388 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/03(月) 13:22:16
芸大での公開講義も「ロリコンとアート」..なんでもオタクと結ぶのはどうかと。
>>388 ロリとオタクを結ぶお前がどうかと
ショタなめんな
スレ民は本が買えないんじゃなくて表に出られないんじゃないの?
今ならジュンクとかで座り読みできるのにさ
斉藤環は正直ダメダメだと思う
何で色々なところに書いているのか分からない。読んでも何も発見がない
>>390 美術の素人なので割り引いて聞いて欲しいが、そこそこ面白かった。
でも論文としてみると、ちょっと論理に飛躍があるような。
最後の記憶云々の話はもうちょっと展開してくれないと、はっきりと分からない。
>>393 これから読むつもりだけど、本人がブログで弁解してたのはそういうことじゃね
>>392 編集者から見ればこういう人が欲しいんじゃないの
個人的には松岡新一郎もかなりダメだった
一回表に出たものを、ブログで弁解はちょっとどうかと
ブロガーってみんなそうじゃん
フルヤンも図版の間違いを弁解してる
フルヤンも納得いかない批判には抗議する言ってたね
フルヤン自身がすでに色々な人に対して納得いかない批判をしてそうだ
古谷の文章はウェブでこそ映えるな
最近は出し惜しみしてるから散歩日記ぐらいしか面白くない
>歩いて3、40分のところに大きな敷地の少年院があって
あまりにシンクロするのでこわくなった。感激した。
今日、刑務所の敷地のなかを見てきた。
さすがフルヤン、ありがとん(^o_o^)
1.57.2
斎藤は宮崎駿については以前からよく語っているな
なんで松岡の文章ってあんなにひどいの
405 :
382:2008/11/03(月) 18:12:03
>>385 そんな感じするね。ほんとユリイカって思いつきの随筆みたいなものばかりで、
古谷がまだしも面白くなるから困る。
翻訳禁止になってからずっとそんな感じ
>>406 ジャン=クロード・レーベンシュタインが昔ユリイカで訳出されてたとか、嘘みたいだよね…
>>407 つうか松岡は意味分からんクラウス叩きやってないで翻訳するべき
たぶん青土社の社長の方針なんじゃないの
言説の右傾化でしょ
それは粗雑すぎる
だって最近流行の「考える人」とか「風の旅人」って単なる右翼雑誌じゃん
>>408 たしかに松岡には翻訳・紹介してほしい感はすごくある。
彼は勉強家っぽいから、せめて紹介してほしい。
たしか留学時代はダミッシュ講義受けてたんだっけ。
>>413 ダミッシュの文体の悪影響であんなになっちゃったと思う
>>412 そこは区別するべき
東大の比較文学は翻訳しまくるけど右翼
416 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/03(月) 19:09:30
90年代中盤ぐらいまでは多少翻訳があったのが、ぱったりなくなった。
翻訳だけが読みどころだったのに・・・
古本屋に行くと、ごく初期のユリイカも翻訳載ってないことに気付く
>>420 特集号によるよ。70年代前半のフランス現代詩特集を持ってるが、
ポンジュとか訳されてたりする。
>>422 しかし特集タイトルは割と変わったと思うよ。
ブランショ、セザンヌ、ドゥルーズ『シネマ』、ボードレール、アルトーなどを
立て続けに特集していた90年代初頭〜中盤とは違うんじゃないかな。
2000年前後から、〜〜が文庫化したから、新訳が出たから、
云々の流れとのマッチポンプがきつくなった気がする。ベンヤミン特集、バルト特集とか。
そして翻訳論文は減ってきている。
>>425 ほんと初期って、70年代ぐらいになるよね。
あのころは特集も全然違った。あのころに近づいてきてるってのはあるかもしれん。
>>426 わりい
そのつもりで書いてた
青土社はオーナーの意向が重要みたいよ
弱小出版はどこもそうだけど
そりゃ翻訳したのより質の高いものを日本人執筆者が書いてくれればいいんだが、
どう考えても無理だからな。
翻訳だろうとなんだろうと質の高いものを読みたい。
寂しいな
翻訳しか能がない人はどんどん訳して欲しいよな
松岡さんよろしく。
それこそ不勉強でもへっちゃらな雰囲気は、雑誌に翻訳が載らないからというのが大きい。
昨今の編集者はこういう状況を狙ってるんでしょう。
敷居が高いとライターに不利だし。
敷居が高いと書けないライターなんていらね
>東大の比較文学は翻訳しまくるけど右翼
だろうな〜
それに気づいている大江はさすが
大江の嗅覚は凄い
ある意味嗅覚だけの男
保坂も気づいてる。古井も。気づいてないのは鈍すぎでは ?
カラヤンは露骨
比較文学というと四方田を思い出すんだが
四方田、中沢、ダメだろ〜
笙野もすごいとおもう
>>415>>438-442の流れが正直つかめん。
比較文学の人って誰だろう。(人名出しても別に荒れないよね?)
現在の研究スタッフ在籍でも、門脇俊介、野矢茂樹は哲学の方だし。
北川東子は・・よくわからん。
三浦篤は『西洋美術研究』にも寄稿してる新進だがどうも興味が薄い。
比較文学出身って意味かな。
でも、(総合文化研究科の)地域文化研究と対比されてるわけでもないのか。
四方田や沼野とかはたしか比較文化出身だが・・・
文学比較してどうすんの?
>>446 芳賀徹とか平川祐弘とかモロ右翼
稲賀重美だって
449 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 00:56:56
なんか他人に対して、言いたい放題だね。ここはあまり2ちゃんねるぽくなくていいと思っていたのに。
自分たちの実力を伸ばしなよ。
809 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/11/03(月) 22:17:03 0
>右翼のすくつの比文
>>800 なんでヒブンは右翼の巣窟なの?
比較することで日本の優位性を誇示するの?教えて。
柄谷スレでも同じ話題がw
>>449 すでに実力がある人も暗躍してるんじゃないかな
2008-11-03
■今日!
日付変わって今日、11月4日、四谷アート・ステュディウムにて「批評(創造)の現在」レクチャーです。
「キャラクターが、見ている。」のその後。美術の話も、『かんなぎ』の話もします。
当日の方もぜひぜひ、お越しください!
レポよろ
ktkr
そういえば黒瀬はまだ動画デビューしていないな…
けっこう慎重なんじゃないの
東のブロ具で写真デビューはしてる
なにげに池田も出るのな
459 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 03:43:32
460 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 08:33:18
池田の作品って面白くないなと思いつつ、
文章をよんでも、あんまり利口そうでもない。
何故、こんなに元気なんだろうというか、奴は金があるのか?
翻訳業が忙しいらしい
浅田が気に入ってるみたい
なんか批評ブームというか、有象無象の低レベルかが著しい。
勢いあるのはいいけど、実力が伴ってないのばっか
463
芸大の先端出身が良い例
池田はMITにインターンにいってたからその辺が武器になるのだろう
MITといっても前橋工科大学のことだが
60年代後半から70年代生まれの人が、
実力あっても勢いなかったから仕方ない
先端って絵が描けなくても入れるの?
たしか小理屈(小論)でも入れる
池田と黒瀬ってふたりとも芸大先端の木幡研究室?
>>468 そっか
だから目端の利く奴は先端に入るんだな
木幡か、そもそも木幡だもんな...この人翻訳業やってるけど、喋りはまずい
シンポジウムで「How come 主語+動詞」を、ずっと「動詞+主語」の語順にまちがえていた。
先端はどうしても胡散臭い
だって教授が日比野だろ
表象がうさんくさいってのと同じ偏見じゃね
表象と比べても更にってことじゃね
先端的な表現はどうしても胡散臭いわけだが
もともと芸大が油絵科にコンテンポラリーを収容できなかった。
度量が狭すぎ
でもこのスレでは手堅い論文とか評判悪いじゃん
加治屋とか近藤を評価する流れなら、
表象や先端を断固として退けられると思うけど、
フルヤンなんかアカデミズム界隈を回避することでなんとか頑張ってるんだぜ?
宮島も油絵科だろ
制度から外れたとこに価値があったんじゃないの?
制度化したらつまらなくなるのはよくあること
それはない
そういう前衛主義なんかあんたも好きじゃないだろうに
>>475 加治屋とか近藤を評価したほうがいいのかもね
もうちょっと面白いものを書いてくれれば・・
多摩美武蔵美が現代美術を担っていた時期がある
でも今はどうなんだろう
>>477 前衛主義は確かに嫌だけど、囲い込まれた前衛なんて最悪でしょ
>>478 面白くないんじゃんw
ああいう人はたぶん面白さ=うさんくささと解して、批評を嫌ってるんだよ
>>480 嘘つけw
なら「あえて」反動のアカデミズムを評価するの?
浅田みたいなポーズだけモダニズムじゃん
あと、松岡新一郎を褒める気になる?
彼はきっと実力あるぜ?
>>482 消去法的にアカデミズムを評価せざるを得ないところまで状況は切迫しているw
>>484 日本だと結局日展系ですがw
新国立とかw
だから結論として、スレ民は結局面白さを欲してるんだと思うね
俺は自分の実力に全然自信ないよw
池田が空っぽだなんてとても言えないやw
>>488 でも芸大油絵が現代美術を受け入れられないってのはそっち系の影響力だぜ
>>490 そんなに影響力あんのかよ・・・
芸術やるやつなんて9割方駄目だからその弊害だな
<芸術やるやつなんて9割方駄目
全否定w
1割でもいいのがいれがめっけもの
494 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 10:45:58
先端学生からのカキコ希望w
こんなとこ見てないだろ
>>449 このスレは、話題が息切れするとすぐに人脈話に陥って言いたい放題になるのが悪いところ。
過去スレでもすぐそうなってるね。
>>496 なら新しい話をしなされ
あんただってスレ民
先端が脆弱なのは、日本の美術教育が硬直していることと関係あるよ
>>497 すまんかった。だがまだ先日ドカ買いした本・雑誌が読めてないので話題提供できずじまい。
SITE ZERO2号が面白そうな特集であった。翻訳もあるよ。
つうかReview Houseの話すらできてないし
人脈話と言い放ってしまったあとで言うのもなんだが、
>>498の言うのはそのとおりだとは思う。
しかしこれを詳細に論じ始めると、どうしても散漫な人脈エピソードとかになっちゃうのかな
>>500 一応買ってきたんだけどね。このスレで持ってる人、3,4人ぐらいしかいなさそうだな。
試しに人脈無しで語ってみれ
502さんが面白かった記事は?
もっといるでしょ
石岡ふつうに面白かった
でもふつうだな
芸大や東大が今のありように対応した事自体はいいんじゃないの
彼らのふがいなさを叩くのもいいが、
むしろもっと彼らがいろいろやってくれた方がマシと俺は考える
>>507 石岡のは詰め込みすぎていて何だかどうも
石岡文体は癖があるな
全然レトリカルではないけどな
>>509 あのまま文章がうまくなればいいんじゃね
まあ、癖があるのは珍しいことではないし、論旨が飛躍してなければいいんじゃないの。
514 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 11:43:58
皆 自分の事は棚上げか
自分のことをスレでしゃべるか普通?
いや、自分はこう読んだ、こういう論点に関心もった、って意味のことだろう。
>>514 このスレは回避の傾向がやたら強いよ。
517 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 12:02:34
514です 516が上手くパラフレーズしてくれた
フルヤンと保坂の対談読んだ
前のページに載ってる大澤の柄谷論を簡単にした感じだった
じゃあふつうと書いた俺の感想
単なる研究は超えてるし密度もある
身体で終わりにしてないのもよい
でもその後のしょぼいモリスに一言ほしい
安易な批判を避けてるんだろうけど
でもそれは最初に言ってるんだよな
だから欠点とは言いにくい
自分を棚上げしないように言うと、
もっと迂闊な事を書いてもいいんじゃないかな
厳密にやっても詰め込みすぎとかつまらんとか言われるんだし、
結局ほどほどが受けるんじゃね
松岡とは違うタイプだから頑張ってほしいね
詰め込みすぎって、字数っていう意味なんでないの
>>523 前スレでは話題の方で言われていた
872 名前:わたしはダリ?名無しさん?[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 02:46:54
871は石岡の感想ね
範囲を絞っているわりにかなり色々なこと書いてる感じだ
876 名前:わたしはダリ?名無しさん?[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 02:52:00
>>875 話題が多すぎるぐらいってのは一応石岡の感想なんだが
書いたぜw
何だかどうもなんて曖昧じゃなくなw
結局フルヤンみたいな方が文芸誌で書けるから得だな
その意味では石岡はうまくない
526 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 12:55:30
石岡の話題になると、なんかすごい気張る人いるけど、
ちょっと怖いんですがw
>>525 逆に言えば、古谷は「何だか」「どうも」「僕は」「思う」とか付け足してるだけなんだよな。
それは同時にアリバイ作りにもなるってわけだ。
文芸誌はああいうアリバイ作りに弱いんだろう。
528 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 12:57:01
まあ、自分のこといわれれば気張るわなw
こういうふうにあたかも降臨してるように誘導してるのが
結局人脈話と同じ流れになるってのがわかんないんだろうな
降臨だの本人書き込みだの意識するほど、いい議論ではないだろ、率直に言って。
自意識過剰すぎる。
人脈の話を嫌がるやつも、具体的な文章の話をするでもないし
ようするにつらつらエッセイの方が需要があるんだよw
あまり本屋に行かない人が多いし、
誰かの文章をうpしないと話が進まないんだな
石岡認定されちゃったよ
ちょっと内容に踏み込むとこうなるんだよな
やっぱ人脈話でいいよ
散歩たのすぃw
このスレって、まともにつっこんでもレスの期待値があまり成立しないだろう。
過去スレでも何度かそういうレスが死産してるし。
その上で書くって人はどうしても希少にならざるを得ない。
>>253に
>>255は「ここは2ちゃん」で返しているが、
まともなレスがつく期待・見込みが減り、書かなくなる状況を
ここは2ちゃん、で済まんだろう。
そうした結果、だから人脈話だの業界分布図だのにどうしても流れやすくなり、
叩きやすい・言及しやすいweb日記へのレスが増える。
結局、このスレは怠惰に流れやすいし、
意欲があって書き込んでくれる人が来ないことには何も始まらないんじゃないかな。
>>530だって言ってることが自分のレスにそのまま当てはまるんだから。
>>533 だって立ち入ったこと書くと本人乙になるじゃん
先端なんて取手だぜ、あんなとこで何をしろと・・?
>>534 「まともにつっこんでもレスの期待値があまり成立しない」の一例がそれ。
岡崎ゴルべーザってなんでここまで有名というか、力をもってるの?
作品売れてんの?
面白いから。以上。
>>537 一応パブリックコレクションはいくつかあるみたいだ
ホームページに記載の通り
ああ、なんだ浅田を師匠にしたからか
むしろ逆だろ
売れたい時の浅田頼み
543 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 13:45:43
84 :わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/03(月) 14:50:28
岡崎シンパ キモスキ&必死すぎwww
この人の話し方って、新興宗教の教祖みたいでキモイ 目とかいっちゃってるし
教祖様を崇めるニートを引き寄せ 美術関係者にガン無視される駄作をムリヤリ誉めさせる
この点において岡崎は長けているのかな。
ソースが2ちゃんwww
どんだけ2ちゃん脳なんだよ
>>475 ていうか加治屋って表象だろ。近藤もそうなんじゃないの?
じゃあ、その教祖岡崎ゴルべーザに支配され、また教祖を崇める
場となっているのが四谷アート何たらってことでおK?
あすこに行く人はみんなシンパっていう意識なん?
んで岡崎ゴルべーザに対立してるのって誰?
くだらねえ
宗教だって言うとまた信者が出てくるよ
馬鹿はこのスレにこなくていいよ
>>545 加治屋表象はそのとおり。近藤学歴は忘れた。
たしか彼のグリンバーグ論所収の『西洋美術研究』に載ってたと思うが。
>>548の一言によって、今後このスレで岡崎を好意的に語る人間は全員信者にされてしまうということですね、わかります
近藤はハーバードじゃね?
いきなりハーバードじゃないでしょ?
表象周辺にいるから勝手に表象出身だと思ってたんだが。
博士課程を留学先でとってるのは加治屋だって一緒。
そのとき籍をおいてた国内の院がどこかって話だろ。
地域研究にしろ表象にしろ、研究者になる人で留学してない人の方がまれ。
ネットで見る限り書いてないッぽい
前に加治屋の英語論文張ってくれたひといたよね
あれ見たら、ニューヨーク大学で美術史の博士号取得と書いてある
定期的に信者乙本人乙になるのはどうもならんの?
他人に褒められた経験がないんじゃないか
>>557 とりあえず
>>255的にその種のレスにめげず、徹底して無視するほかない、って感じだね。
それでも何か踏み込んで書き込もうとする人がどれほどいるかはかなり疑問だが。
このスレから俺は当分離れて、RHを読むなり手持ちピカソ論とユリイカを平行して読むなり
しようかと思ってるけど。このスレは無駄に流れが速いので、
スレの速度、流れを無視するのが一番いいんじゃないかな。
駄レスに付き合うと馬鹿を見るし・・・
岡崎は浅田がいなくても作家として知られてたよな
美術についてはむしろ浅田が岡崎にいろいろ学んだのでは
会田誠のアレのせいかな
>>560 スタインバーグ、フラットベッドあたりの議論を浅田がやるようになったのは、
たぶん岡崎からの影響と見ていいと思うよ
>>560 美術プロパーでは有名だったけど浅田との付き合いで一気にブレイクした
今日って岡崎その他大勢が来てるって認識でおk?
石岡も来てるでしょ
このスレの住人が勢ぞろい
ものをつくるひとの視点や感じ方や方法や、もうすこしいうと"触れる"ということかな〜 "INTERFACE"
実作者の感じ方みたいなものが、古谷氏の書くものにはあるような気がするよ
?
ここからは完全な憶測だけれど、、
アカデミズム、編集者、画廊…>実作者という力関係があるんじゃないかな〜?
いまこそ、実作者と批評家とが垣根を取り払って、あたらしい関係をきづいていく時期なんじゃ、、
批評性をもたない実作者はいなんだから、おそらく
実作者性(?)をもたない批評ってもないと思うのだけど ?
石屋はどうか、名前欄か文中に署名してほしい。
石屋と思わずまともにレスをつけて馬鹿展開になるのはもう十分だ
568 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 15:43:21
フルヤンも来なよー
ぜってーいかね
あんな若造の話なんぞ聞いたってしょうがねーがな
大事な時期、こないで、参考になることだけひろってって
照屋勇賢ってどこにでも出てくるな
のろまったから行けねー
静かなのはみんな四谷にいるから?
四谷でオフ会中
>消去法的にアカデミズムを評価せざるを得ないところまで
もう、大学でさえ新たに常勤は雇わないしね
大学こそ に訂正
576 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 23:01:35
レポ期待age
577 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/04(火) 23:22:22
若造の粋がりトークは興味ないから
まあまあそう言わずに
,,,,,
(・e・)チッチッッピピ
彡,,, ノ
,,,,,
(・e・)ピピチッチッッ
彡,,, ノ
レポまだー??
みんな飲み会とか行ってんじゃないだろうな・・平日だぜ?
582 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/05(水) 01:59:33
RH読んだ。名前をぜんぜn知らない人達のが、けっこう面白かったよ。面倒くさいから書かないけど
逆にしらないジャンルのが新鮮だったな。あと、荒れるから、石岡のモリスについてはノーコメ。
黒瀬のゴジラは後半の持っていき方が少し無理矢理な印象 ナカザワは、レヴィーン論よりインタビューの方が○
以上、あくまで個人の感想 お願いだから荒らさないでね
石岡涙目w
>午前中には、駅前の塀に子供たちが絵
フルアが僕は画家になるって意識して絵を描き始めたのはいつなんだろ
そういやそういう自分語りって読んだことない気がする
九周年おめ
>>582 >逆にしらないジャンルのが新鮮だったな。
実は俺も俺も。『ヒストリエ』論とか入ってるなんて思いもしなかった。
まあ、目次画像UPをしっかり見てなかったんだが。
>電話機はやはり必要なので、買い替えなければならず、また出費が....。
誰か、使ってない(できればFAX付きの)電話もってないかな〜
みんなで千円ずつカンパすれば、二十人いれば、2万円で、
安いFAX付きの電話買えるかな ?
いくらなんでも馬鹿だろ
石屋は古谷の本を買ってやれよww 俺は買ったよ。
実現しないカンパ妄想するより、本を買ってやれと。
石屋は微妙にストーカ化してきたな
自宅を突き止める日も近い
手紙があれば電話なんていらないだろ
本より作品買ってやればフルヤンがしばらく遊んで暮らせるよ
俺の作品は高いよwって言ってなかったっけ
言ってたね
それでも本当は割りに合わないと書いてた
月給取りと比べたら気楽だと思ってくれw
郵便局の課長代理なんて営業ノルマ消化のために年賀ハガキ千枚とか自分で買うし
とても異様な感じがするけど中の人々は当たり前のようにやってるんだよな
オフ会情報出ないね
,,,,,
(・e・)チッチッッピピ
(・e・)ピピチッチッッ
彡,,, ノ
,,,,,
(・e・)チッチッッピピ
彡,,, ノ
,,,,,
(・e・)チッチッッピピ
彡,,, ノ
最近はオナガが来ない
昔はオナガの大群が柿を襲
石屋スレになっとる
>>559のようにじっくり沈静して何か読んだりしてるのでは、と希望的観測をしてみる
樫村氏のいった源氏は、
源氏物語 ウェイリー版 かな〜
るーせるといい、このライブラリーって、、
(樫村氏の場合、英語訳と“日本語“を往還して読んでいる、、?)
源氏の原典?は、残ってないわけだけど、、
写本で、受容されてきたなら、それをモトとして考えていいとおもう。
ねー、いまだに、日本の小説が、源氏っていうのは、、
素直なところ、カンバンなしで、いきなりおもしろいか?
ねむたくなるよ、、ウェイリー版でないと、、
ねむれるものは、いいものなわけだけど、、、
美術的な価値も高い(らしい)、源氏絵巻さまざまややその他(の美術品)について・・・
石屋、お前本当は古谷のことなんかどうでもいいんだろ…。
チラ裏書き込みが過ぎる。古谷なりの議論形成もないわけではいのに、
そういうのには徹底的ノータッチでは古谷がかわいそうだ。
過去スレの古谷批判レスにしたって、もっと古谷の議論に食いつきながらやるぐらいの気概はあったんだぜ。
いい加減にしてくれ。
ダーウィンが来たを見てるんだなフルヤン
>>606 今日のエントリーは、前スレでコウガイビルの日のエントリーの文章が褒められたから
今回もやってみましたという感じだね。磯崎テキストを一度挟んで、
さらにその人の描写に移って、その後「で、たった今まで、その番組を観ていた。」とつなぐあたり、
かなり意識したんだろうな。ただ、コウガイビルの時のほうがなんか好きだったが。
フルヤン彼女いるっぽいよな
いいことじゃないか
でも同居は無理だろ
同居なんていらん
RHって何気に色々とバランス取ってるよな
>ねー、いまだに、日本の小説が、源氏っていうのは
日本の小説は源氏物語から西鶴へ飛んで終わりって
古いほうのノーベル受賞作家が言ってた
フルヤの切抜きだけ読んでみると樫村という人は康成全集を
隠れて読んでいそうだ
読んでなくてもいいけど
614 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/06(木) 02:59:18
で実際、古谷とか岡崎の作品って幾らくらいなの
南天子の岡崎展で値段わかるよ
サイズで考えたらフルヤンのほうが高いかも
モーリスルイス展やってること知らんかったのか、フルヤン。
このルイス展って見ておいたほうがいいかな? ロスコ展は行こうと思ってたんだが。
いい画家だけど、グリーンバーグとかフリードの行き詰まりもわかるからぜひ見るべき
そうか、今度の日曜日でも行こうかな。フルヤンもいるかもしれないし。
あの顔ならすぐ分かりそうだ。声は掛けないけど。
西洋美術史の集大成のわけねーよwと思えるはず
フルヤンは作品を手放す勇気ぐらい持てと
最近の富裕層って審美眼あるの?
現在のこのスレの勢力は主に三つ。
1石屋・野鳥派
2フルヤン周辺派
3四谷関係派
,,,,,
(・e・)チッチッッピピ
彡,,, ノ
>>623 もともと美術批評には、富裕層が審美眼を持つことを促す役割があった
今の日本ではどうなんだろう?
>>629 そうなの?
批評家と富裕層の付き合いとかよく知らん
>>630 ディドロとかボードレールの「サロン」評が起源だぜ
日本の文芸批評だと小林秀雄がそれに近い
今は青山二郎を経て白州正子まで弱体化した
4モダニズムのハードコア熟読系
>>631 小林はそうかもな
今は財力と教養を兼ね備えた御仁が少ない
古谷は富裕層を一本釣りするべき
今の文芸路線を続けるならなんとかなる可能性がある
こういう保守的な趣味なら、けっこうコレクターと気が合うかもしれない
>ロバート・ライマン展を実現させ、ルイス展も実現させたのだから、是非ともつづいて、ブライス・マーデンとヘレン・フランケンサーラーのまとまった展示もお願いしたい。
源氏物語を片手に散歩した方がいいよw
,,,,,
(・e・)ピピチッチッッ
ノ,,, ミ
そういえばRyota Sakanakaが古谷作品買ったとブログに書いてたな
#
(・e・)チッチッッピピッチチ
彡,,, ノ
♪
(・e・)ピッピッッチチッピピ
彡,,, ノ
そろそろ小鳥は荒らしだろ
連投は自重してくれ
君も鳥の鳴き声で話してみなよ
楽しいよ
正当化ウザス
ようはログを流したいだけだろう
フルヤンにとって理想的なフォロワーって感じ
646 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/06(木) 19:12:12
ニートがどうやって富裕層に認められんだよw元の育ちがよくないとねえ
ニートって何? 富裕層って何?
せんじちゅうせんそうにつれていかれたせんせで、「がくせいのことはしんじね〜」っていっていた
ひとがいた(くちでそういっているだけで、がくせいのことだれよりもしんじていた)
そのせんせがいうには、ぐんたんにいたとき、せんじょうで、だれかが、食べ物なくしたら、
ひゃしょうあがり(もろもろの姓 だからじっさいはいい意味なんだけど、、)は、
じぶんらのたべものすこしずつ、なくしたひとにだしてあげるんだけど、
がくせいは、じぶんのぶんは、じぶんのぶん、きまりだから って、、
まあ、その。
そうすると富裕層の奥様相手になんちゃって美術講座とか開いてる山師の役割は大きいな
フルヤンもジェッソ画の講座持てばいい
永瀬みたいなものの考え方に興味を持つと無能が伝染りそうで厭だ
ブログ見なきゃいい
652 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/06(木) 23:44:12
>>650 ナガセは、本気なのか冗談なのかわからないところが怖い。
阿呆なことを得意気に書くのはいい加減止めて欲しい。
ブログなんてやるもんじゃないな・・
>>653 わりと欲望がストレートにでるみたいだからね。
欲望?
永瀬は自分が芸術という経済活動の中にいるとは考えていないんだろう
四谷の人って実際には書き込んでないっぽいな
なんとなく自覚はありそうだけど
>>658 だったらあんな気楽なエントリー書かないだろう
なんとなくインスタレーションを敵視していればいいって感じでイージーだと思う
で、トークはどうだったの?
池田のトークがどうだったのかが気になる
662 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/07(金) 03:21:50
名和浩平とフランシスベーコン、早口だった
内容はあんま記憶にない
黒瀬は?
>>653 いろんな意味で、そうだと思う。
論文しかないとは決して思わないが、ブログ記事特有の甘さ、
それによる当人のスポイルってかなりあると思う。
やるとしても、自分で縛り作ってやるしかないんだろうと思うね。
批評言説じたいがブログ化しているしね。某板でさんざん叩かれた輩も、ある意味自己責任
かと思えば、院の研究発表みたいなのが「批評」と称される。基準なき過渡期って感じだ
具体例がないから何言ってんかわかんねー
名和浩平って面白い?
>>665 >院の研究発表みたいなのが「批評」と称される。
これ何?
わからないんならそれでいいんでは?
そういう曖昧な叩きってよくないよ
大学教師全員ダメって言説かもしれないし
もったいぶるなよ
むしろ院の研究発表以下のものが横行してるんじゃないの。美術ライターとか。
院の研究発表みたいならまだマシ。
IDでないんだから誰が誰にいってるのかも
妙につっかかってくる奴ってコンプ丸出し
所詮匿名なんだから反応なければ流しておけよ
665でしょ
でも「自己責任」なんて最低な言葉を使ってるから信用ならん
あれって人を見殺しにするだけで批評の放棄だったろ
冷笑的な奴こそがコンプ丸出しなんだぜ
「古谷信者とか馬鹿じゃねw」みたいな奴はフルヤンに嫉妬しているのだ
,,,,,
(・e・)チッチッッピピ
彡,,, ノ
こいつアタマワリー
聞き手:福住廉(美術評論家)
■美術評論家や学芸員の話はもう聞き飽きた。
おもしろくもない
>>679 お前最低だな。もうそっとしておいてやれよ。ここに貼る何の意味があるんだ
お散歩が一番
結局レビューハウスの話も誰もしなくなっちまったよね
福住はもっとサブカル評論をやってみればいいと思う
古谷は80年代文化に怨念持ちまくってるね
686 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/07(金) 14:03:32
池田は美術業界にすり寄ってるようにしか思えないんだが。名和とか。
有名になった名和に憧れてんだろうな
取手に色々な人を呼びたいんだと思う
取手遠いからなあ
近所の人はいいけど
池田は大学教員狙いでしょう
古谷は生理的嫌悪感を克服できないんだな
二枚組や三枚組にもそういう態度だったのだとわかる
数年で勝負決めてやるって教員のことだったの
二枚組みを嫌がるのはモダニストの潔癖症
アヴァンギャルドなら当たり前の手法じゃね?
>>692 池田のような人は美大にとっては便利でしょう
モダニストの物言いってやつですか
若いしゴルベーザの安定感を求めても酷だけどね
インタビュアーとしてのソツのなさを見ると、黒瀬の方が安定しそう
ゴルベーザは永続的に安定しないことで安定感を作ってる
へんな日課はよせ
ペコリ、たしかに鳥はおんもにいるのが自然だー
>美術講座とか開いてる山師の役割は大きいな
カルチャーセンターも山師しだいなのかもしれませんね
>ブログなんてやるもんじゃないな・・
手書きだと書きながらそのときの体調がつかみやすいのだけど、
パソは、縛りを設けないと、、ですね〜
物書きでブログや日記やってるひとがいるけど、、
?
広告ですかね〜、ばななさんとか、
原稿用紙換算にすると結構な量の日も、、
なんでこんなに書けるのだろう??
(フルヤンの場合は、媒体としてブログが大切だから
別です。ブログからデビューしたのでないひとが
ブログにはまるんだから、コワイ)
ダーウィンが来た! おもしろいですね〜
わたりで留守になります。
("チラ裏"へのお叱り?)
↓
,,,,,
(・e・)チッチッッピピ
彡,,, ノ
馬鹿を装う賢い人のつもりの馬鹿、の好例というべきか。
「自分のことは客観的に把握できてるよ 自己分析できてるよ」
と自意識を強化しながら真逆のことを繰り返す。
字面しか読んでないんだろうな。
あなたが日記帳レスに熱中するのと同様に、
プロアマ問わず「はまり」がちなんだということに気づかないのかね・・・。
「媒体としてブログが大切だから」と言い切って、
どういう意味でというのを抜かすのが自明な感覚になってるあたり、もう手がつけられない。
日記帳だって「媒体」ですが何か? と突っ込んでおくわ。
言葉の勉強からやり直したらどう?
俺様キーワードでお話しないでね。まあ、人が「ブログにはまる」理由もそんなもんだよ。
石屋は変な動画や鳥AAを貼ることで、
からごころからフルヤンを守っているんだよ
わかりやすすぎるパフォーマンス
石屋の言うことは自分への救済措置図をりまくりだからなあ
「作家だから」特権で議論回避、
「個人じゃなくて環境とか場次第だから」で主張に対する責任放棄とか。
逃げ道を作って特権的に偉ぶるのが作家なんですね、わかります。
とでも返してほしいのかと。
自分のアピールのダシに古谷を使いたいだけなんだろう。
エクスキューズが全部用意されてるし。
この点でもブログ記事の成立動機と根が一緒。
2ch用語と2ch論法に溺れてる馬鹿と大差無く見える。
実際問題古谷が気にするのは石屋のレスだけ
>>709 あの石屋レス引用は、古谷なりのかっこつけだったとも思った。
石屋レスだけ一本釣りすればスレの議論にタッチしなくていいもの。
あのレスの時期は石屋も一見まともそうだったしね。
今では引用を後悔してるだろうけど…。
気にしてる云々で言うと、欝記事になったりコウガイビルエントリーの構成を反復したりと
割と気にはされてるんじゃないかな。
ただ、スレの議論がこのところ停滞してるからもうチェックしてないかもしれないが。
まああれがフルヤン的な処世術だったのかもしれない
スレの話題は以前から気にしてる雰囲気はあるから定期的にチェックはしてそう
議論の停滞は具体的に打開すべきなんだぜ
もっとも「誰々乙」呼ばわりのせいでやりにくいわけだが
俺が知りたいのは、なぜ特定世代がみんな研究に走ったのかったこと
特定世代って具体的に?
注の多い批評空間スタイルの影響じゃないの
みんな話題を避けてる木村覚や福住って、東浩紀の世代だけど、多くは研究に専念したんだと思う。
だからこそ件の問題が起きたとも言える
あとは、本当に石屋レスにギクっとしたってのもあったんだろうね。
書くこととイメージの関係についての実存的な突っ込みでもあったから。
古谷にとっては「そういう実存的なところをスレでも突付いてくんないかな」という要望だったなのかとも思う。
散歩とか生活を単に叩くんじゃなくて、と。
その後のスレの流れでも結果的に、テクストへのコメンタリー手法であるとか、
引用文と地の文の関係であるとか、コウガイビルエントリーなどについても触れられたんだし、
なんだかんだ言って引用された石屋レスに近い指摘も出るようになってて、
単純に他のレス傾向と分離してるわけでもないし。
それを受けてのトビウオ話でもあるんだろうしね。
ただ、古谷の媒介を経た引用テキストの反復だとか、
日常雑記や散歩と光景の関係が考察と混ざることについて議論ができなくもないが、
特定の論点を形成しないから、どうもあやふやになりがちなんで微妙なんだよね。
ライターと学者の乖離が激しくなってる隙に、小山とかミヅマがどんどんのさばるように。
で、残念ながらフルヤンもライターに過ぎないと思う。
古谷にもある種の言い訳の配置があって、
それはライターとしてのポジションのもつ言い訳というか境界設定だという意味では、
そのとおりだと思う。
>>715 そういうのは文学の問題じゃね?
文芸としての洗練は、
フルヤンが美術批評にあまり絡んでこない理由でもある
>>718 書き手の実存を提示するのが文章の役目に移行してしまい、
論点や議論の局面が後退するという意味では、文学になってるんじゃないかな。
古谷自身、それを目指してしまっていて、だから石屋みたいな人間が釣られているわけだ。
俺は書き手の実存で引っ張る、逃げるのではなく、
議論、論理形成こそで戦わなきゃやばいと思うので、
もちろんこうした問題を積極的に無視するのも手ではある。
ただ、日記枠といい、日常雑記といい、文学的に救済措置を張って維持したがってるんだよね…。
保坂-古谷ラインが成立しちゃってるのはこのためだろうと思う。
論理的な人がみんな研究に行ってしまったのでは
しかしそうなるとこのスレ民ですら読みにくくなる
美術研究の人間が批評にいかなくなった理由はよくわからないが、
仏文独文あたりでも近い現象が起きてるよ。
80年代の不毛な面を目の当たりにした層がいま40代だし、
30代以下は現在の40−50代と接して勉強してきたから。
まっとうにものを考える→研究 みたいなのが強力になってる。
批評はさまざまあったが、かなり放言だらけの無責任世界になってたからね。
それゆえ、どうしても批評がろくなものに思えないといった流れに。
批評家なんて50年に一人出ればいいほうなんじゃないの?
美術手帖の評論賞系とユリイカ方面との解離なんて、昔からあったじゃん。
それがネットで色々名前がわかるようになって、バラバラした構図が分かり
やすくなったってだけだと思う。
面白そうなのは、黒瀬池田の芸大先端系 これは前にはなかった 後の図式は今も昔も。
ただ、福住の批評の質があぶり出されたのは、別のところの問題なきはするが
古谷永瀬の造形大系も昔はなかった
要するに激しくすみ分けされているだけかと。
このスレ住民的にはマシューバーニーとか失笑に付されるだけだが、そういうのをテーマに
まともな論文を書いている大学人は欧米にはおそらくいる。それが評価される土壌も多分ある
しかし、それが「論理的な研究」と無縁の時事文というならそこで話はオワリってだけで
大きな物語が失効して小さな無数の物語が住み分けるポストモダンを地で行ってるだけかと
美術の理論・分析の下地みたいなのがあるかないかってあたりなのかな。
欧米でそのような論文が書かれても、必ずしも極度にモノグラフィーというわけでもない、
しかし論文と言うべき記述、分析、注釈、解釈のものにはなってる。
この箇所がどうも日本だとうまく成立してないという感じになるのかな。
黒瀬のニコ動にしろ池田の名和にしろ物凄くマイナーだもんな
マシューバーニーは失笑なんかされてないだろ
当人は失速したけど90年代美術の重要な担い手では
>>727 日本ではアカデミズムが弱すぎる
アカデミズムが打倒すべき前提にさえなっていない
そのくせ表象やら比較文学のような周縁系の鼻息が荒いと
>>727 欧米だとシャーマンホルツァーは大勢回収できるが、それ以降の時代は市原研太郎とか
だろうから、学問的な下地も糞も
周縁系の鼻息って荒いか?
おとなしいんちゃうかと
平倉一人勝ちなのとか
田中純がおとなしい人筆頭だと思う
甘い
ブログ見てみるといい
みてるっつうの
よっぽど駒場が嫌いなんだな
ちなみに木村覚は一応研究もやってる
がんばれ池田 がんばれ黒瀬
>>739 でもこの二人って作り手なんじゃなかったけ?
もうやめたの?
最近は作り手の立場じゃないと批評とかやる気にならない感じ?
黒瀬の作品は見たことないね
鑑賞者よりは作り手の方が有利な時代かも
田中純は怒らせたら怖い。股先生は怒らせた。
でも股先生の元気に走り回ってる姿は健在
股先生映画化
>>744 田中純の本に関して、例によってテキトウな書評を書いて批判。
田中純怒って、「批評も批評されるんだ」と反論を書く。
股先生逃げる。
股先生が一度ブログを辞めたのもここら辺に遠因がある。
田中純は女性的というかヒステリック
<池田 数年で教員狙うって随分なご身分だな 作家としても研究者としても
何の業績があるんだか 芸大そんなイージーなの
>>747 そんなことがあったとは・・・
フルヤンの本のほうがよっぽど突っ込みどころがあると思うが、
股先生なぜかフルヤンはリスペクトしてるからなあ
>>751 w
さすがにそれは情けないw
黒瀬の目標ならわかるが
フルヤンの怒りはここの人ぐらいしか苛立せないからなあ
公的に指摘する価値がないと思われているうちに流通してるんだよな
池田って、色とりどりの金魚を貼り付けてる香具師だっけ?
どんな理屈がつこうがあの作品は陳腐だろ。
池田乙
ここのカキコしている奴って、ひょっとしてライター志望君たちかな。
そりゃそうでしょ
研究にたいして関心がないことからも
こんにちは 研究者です
俺も研究者だYO
ジャッドにせよ、コスースにせよ、
アート系の作品って、作品そのものが批評のようなところがあるね。
絵画でも彫刻でもないもので、絵画や彫刻についての批評をしているような、
更にそれについて批評をする必要があるのかと、、
浅田が、村上を評価しても東を評価しなかったのも一理あるし、
論文読んでるほうが楽しいと思うことあるな。
批評家より作家が知的だった時代
>>760 だから岡崎の作品を語ると批評についての批評みたくなっちゃうんだよね
>>762 それが悪いことだと思われているのが不思議
フルヤンってジャッドやコスースに対する感性がないでしょ
そういう人の岡崎論を鵜呑みにしていいのか?
>>764 別に鵜呑みにする必要ない。
見た目通り、処世として書いてるんじゃないかい。
>>763 ナガセはつくづく厚顔無知
最近もルイスについてこんなことかいてるけど、
>ただし、オールオーバーに絵の具が画面を覆ってはいないため、いわゆる抽象表現主義における深奥空間とは異なる。
たとえば、ポロックの no'30を思い浮かべれば、この記述が出鱈目であるのはあきらか。
>「アンビII」の黒は、事実上一切他の色彩と協調することなく関係を断っていて、半ば画面を潰そうとしている印象なのだ。
こういう世迷いごとも相変わらずだ。
そもそも抽象表現主義って「浅い」深奥空間だからルイスと相反しない
ブログは恥の書き捨て、
かんなぎって見るべき?
>>766 多分ポロックじゃなくてロスコが念頭にあるんでしょ
抽象表現主義なんて曖昧に書かなければいいのに
画家の癖にグリーンバーグを通してしか彼らを見てないっぽいよね
レビューハウスってもう次の号はなさそうな気する
あるだろ
みんなここを「最近話題の美術鑑賞某スレ」って書くけど話題になってるのはごく狭い範囲だよな
295 名前:ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2008/11/08(土) 21:57:35
福住廉って批評家マジできっついな。こいつチンポムと完全同類だろ、こういう無意味な兆発とか↓
本展の全体を貫いていたのは、時代錯誤も甚だしい貴族的な態度だが、
こうした勘違いしたエリート意識をもっとも体現しているのが、公式
ホームページに発表されている「ゲームの規則」という一文だ。どう
やら展覧会主旨として書かれているらしいこと、そして翻訳文である
らしいことは、どうにか推測できる。だが、その文章が悪文極まりな
いことに加えて、そもそも筆者名が隠されているので、だれが書いているのかすら、まったくわからない。
296 名前:ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2008/11/08(土) 22:00:30
読んでいて本気で胸くそ悪くなった。こいつ美術の何をそんなに知ってるんだよ、福住とやら・・
福住は自己撞着だな
富裕層向けにアートを売り込む文章を書きまくっている現実から目を背けている
福住はなんでこんなに。。天狗
>>775 >スタジオから帰ってきて最近話題の美術鑑賞某スレをのぞくと、なんだかスゴいことになってますね。レクチャーなどを話題にしてもらうのはいいが、「本人乙」的なのはさすがに..しかし、某オタク評論の権威の方ならまだしも、僕ではつまんないかと。 ...
このあたりか。すでにブログから抹消されてるね。
池田もこのスレを気にしすぎだろ。
ぶっちゃけ、黒瀬、古谷にしても気にしすぎだし、
プロ付近にいるのならスレ言及しない方がいいんだよ。
スレ荒廃が始まるきっかけになりやすいし、ブログ内で言及してしまうと
スレの言及傾向を何らかの確固たるものに見せてしまいかねないんだから。
2chのスレ議論、そこでのコンセンサスは5人以下の書き手の関心の連鎖で
簡単に作られてしまいがちであり、それゆえの甘さもあるんだから、
「議論としてカウントしない」という扱いがスレにとっても、
プロとして活動する点でも(きちっとした言説・批評活動だけをカウントするという姿勢を維持するためにも)
望ましいはずなんだ。
まあ、ブログよりも2chの方がつい人の意見が出やすい偏った日本国内のネット特殊性はあって、
彼らのような批評スタイル人間には気になってしまいがちなんだろうが。
親の七光りでしょ
あと経歴詐称がひどいな
非常勤でしかも音楽学部のくせに東京芸術大学「講師」とか
>>776 純粋に、これは不快感しか与えないな。
抜粋だからあれだけど 。
福住の攻撃対象って意味不明なんだよ
フルヤンもそうだ
だから批評をやってるようでいても安全なライターになってしまう
>>783 批判する対象が明示されてないってこと?
>>784 先行する「権威」を撃つかに見えて、内実がないこと。
福住と一緒にしたら、古谷に失礼w
古谷が嫌いな対象に見せる攻撃性はかなり幼稚だから、福住と一緒にしてもかまわんと思うね
>だから、ほかのジャンルについても批評が書けるひとは、もはやアニメについて批評を書かなくなっている。『思想地図』に『らき☆すた』論を書いた黒瀬さんも、ネットで枝葉末節ばかり突っ込まれていたので、
>そのあとはすっかり現代美術の世界に戻ってしまいました(ぼくの印象だから本人の意識としては違うかもしれないけど)。
>そうやって、アニメについてしか書けないひと、語らないひとばかりが、アニメ批評を占有していくことになる。
福住の攻撃性って、何かもはや病的なものを感じるよな、神経的な。
それとちがって古谷は真摯で、道を間違ってはいないよ。
>>789 現代美術を十把一絡げにしているところとか、かなり軽率だと思うが
このスレには現代美術ファンがいるのかな
自己愛性人格障害
たとえばこれ。またかよwって感じだ。
>(ちなみに、現在当たり前のように行われている、印刷物をモチーフに絵画を描く、というような、平面から平面へと移行-変換させる行為は、
>大衆的な印刷物と、アートで手描きである絵画というような、「あらかじめある社会的文脈」の違いに依存し、
>「はじめから分かっているズレ」に帰着するしかないので、表現として脆弱にならざるを得ない)。
>>792 「現代美術」と括ることで軽蔑的なポーズを取ることには何の意味もない
>>779の主旨ではスレ的な中傷を認める立場になるということで
>>788が東のブログから抜粋してきたのなら、
東のその話はアニメ論、オタク論の問題であってまた別だろう? と返しておく。
>>799 事態は一見似ているようだが違う。
東のあの記事ではこうある。
>アニメ批評の読者が育っていないことこそが、問題なのです。
>批評というだけでヒステリーを起こし、くだらない揚げ足取りをするひとばかりが目立つのでは、
>だれもアニメについて批評なんかしなくなるに決まっている。
このスレでは批評であることへのヒステリー、反感はそんなに無い。
むしろ、批評としての議論進行が曖昧だったり(さっきの例で言うと「抽象表現主義」とか)、
仮想敵に対する空を撃つ振る舞いだったり(福住、古谷のまずい面)、
議論の成長が無いままに言い訳が増え続けていたり繰り返しになっていたり
などへの不満というのが多い。
ちょっと前の論文、アカデミズム近辺の話にしても、
そうした下地が弱いから批評も弱くなっているということであって、
批評では駄目というほど単純な話じゃない。
むしろ、批評にもっと力がついて欲しいのだし、
英米仏の議論の紹介、翻訳がもっと出てほしいというのもそれにつながってる。
あと、東の主旨だ読者層が批評を求めてないから、批評をする人間にリターンが無く、
意欲が減退すると言うが、リターンを求める動機付けもそれはそれで結構やばい。
リターン=反応を求めるがゆえに宇野みたいなカルスタじみた議論が多発する結果になってるのだから。
本来なら福住が宇野の美術版じゃないといけないのに、
そういう議論すらないのはアレだと思うなあ
俺はむやみにカルスタを嘲笑すればいいとは思わないので。
いや、カルスタはカルスタでいいところもあるけど、
作品読解が平易な構図に回収する議論に後退しかねないだろう。
宇野にいたってはものすごくペラペラな議論になってしまっていると思うが。
一見アクチュアルであるかのように見えて、実は隘路なんじゃないかな。
結局、ブログで知名度を上げるような方法論を結果的に古谷が確立してしまい、
知名度をあげたい若手がブログで鼻息を粗くしている、と。
大学も少子化でタレント養成学校化しているから、活きのいい若手は司会者などに使いやすい。
啓蒙にもなるから。
だが、実力は?言説の内実は? 今回のチン○○の騒ぎは、こうしたネットを駆使した虚像構築と無縁の話しでもない。
福住はカルスタでもないだろ、あれ。
勉強なぞなにもしてこなかったに等しいぞ、ネットにでまわってるの読んでみ。中二病の凡例
取手の山奥が、妙なタコツボ化してそうな悪寒w
福住の師匠はカルスタだろう
あと、そこまで批判的だと誰もいなくならね?
平倉とか石岡もだめっぽい流れみたいだし
>>800 >あと、東の主旨だ読者層が批評を求めてないから、批評をする人間にリターンが無く、
意欲が減退すると言うが、リターンを求める動機付けもそれはそれで結構やばい。
リターン=反応を求めるがゆえに宇野みたいなカルスタじみた議論が多発する結果になってるのだから。
これは同意。前から感じてたけど東には批評してやってるみたいな傲慢な面がある。
批評は批評家が必要だと思ったらやればいいわけで、別に誰も頼んでいない。
ちょっと叩かれたくらいで何甘えたこと言ってるのかと。
福住とか松井みどりとかって批評家じゃなくて美術ライターだろ
書いてるもの目にしても署名原稿だとも思わない
その種の傲慢さは批評家の条件だと思うんだけど。
謙虚を装うやつが一番怪しい世界だし、手の内を晒す東はまだマシな方。
>>808 随所で欧米の批評理論をつまみ食いしているのが半端な印象
F住クンは今回叩かれようがすさまじかったし、干されてしまうんでない?
彼は美術と、アカデミズムが嫌いなんです。
でもって、それを美術とアカデミズムの「中」で言っているの。だって評論家を叩いて自分は「評論家」
なんだからw
メッキはメッキでも、やっすいメッキw
二世はめったなことでは干されないよ
最低だよな。まあ今後ガン無視されるだろ
木村はすでにアカポス持ちだし、ダンスだし、論文も書けるからね
なんでフルヤンはフランケンズに毎回行くの?
好きなんじゃないの?
>>817 保坂の方がずっと傲慢なのはわかるだろ?
>>818 そりゃそうだ
でもそんなこと言い出したらいくらでも上には上がいる
>>819 ある種の傲慢さがないと、研究者にはなれても批評家にはなれない
これは絶対条件だと思うんだよ
土屋誠一はどう?
もっとがんばれ
しらみつぶしに批評家を挙げていって叩いても、それはそれでニュー速と変わらない
ぶっちゃけ持ち上げても同じ
>>807 批評してやるといった傲慢というよりも、
東は仲間を求めすぎだと思う。思考の孤独に耐えろと言いたくなる。
>>806 心構えは昭和初期ぐらいの作家・批評家ぐらいでいいと思うんだけどね。
国内に誰かがいなければならないという前提があの頃の連中には無く、
しかし自分で海外のものを読んでいたんだろうと思っている。
その意味では、小説家を含め、翻訳・紹介を兼ねてる連中が今よりはるかに多かった。
何も日本人のものをしゃにむになって読むことは無いと本気で思うよ。
もちろん鋭い人が育ってきて、面白い状況になるに越したことはないが、
自分の思考の糧になるかならないかだろう、大事なのは。
世界性が欠如して、場当たり的なアクチュアリティに振り回されるのが一番まずい。
もちろん、アクチュアルであることを捨てろと言ってるわけではないんだけど。
まあ、ネオリベとグローバリゼーションへの対抗、といった軸ばかりが出やすい昨今、
おそらく批評の対象、場の設定のごときものがしにくい事態になってきてるんだろうな今は。
>>827 >国内に誰かがいなければならないという前提があの頃の連中には無く、
あったろw
昔は文人に選良意識があるのは当然だった
タイトルなしでつべ貼ると散歩かと思うじゃないかw
>>829 でも選良意識は、同時に啓蒙や翻訳とも容易に結びついていて、
国内的立ち位置取りで済まなかったよ
福住はとにかくエスクァイアの文章がひどい
なんか、立ち位置とか「批評とは何か」って別に肩に力入れずやりたいように個々がやってもいいんでね?
どうせ基準は作れない訳だから。
それでも俺も福住は酷いに一票。他人のなじり方が、人間性のレベルで首をかしげさせる。
福住のような稚拙な無思想が美術批評として流通していた状況は、おそらく今後への反省として考えるに値するとは思う。
でも福住はそう簡単に消えないでしょう
限界芸術がどうのみたいな本を出すみたいだからそれ次第では
今度の一見でもうだめだろ イメージが悪すぎる
どうせ本だすっつったって珍ポムほめ殺してんだろうから
微妙なダメージ程度で終わると思う
そうだけど、擁護なんてしてねーぞ
コネ的な後ろ盾あるから干されるわけないという諦念だ
エスクァイア編集とかと切れないだろ
ああいう雑誌は格差社会の富裕層狙いだし、本人が二世な書き手を必要としている
社会派ポーズのボンボンがちょっとミスった程度だね
んだね。
福住は二世じゃないって。2ちゃん情報鵜呑みするな。
あと業界もイメージで捉えすぎだろ、「富裕層」とかw
二世だってば
ライターは同じポジションのやつが出るまで安泰だから、
誰かが福住以上のクオリティで凌駕するのが一番
どのみち批評家でも研究者でもないからスレ違い
ここだけマジレスしてあげる。
福住廉のお父さんが美術手帖の昔のどうのってのは、
名字が同じだけで、まったく違う人だよ。
話題そのものを嫌がるのはどうかと
やっぱり擁護派ではないとかいいつつ、必死なのが約一名
お願いだから止めてください ただでさえ最近荒れぎみで、古株が離れていってるんだから。
スレ住人的には大半がどうでもいいと思っている筈、
要するに広島の事件を話題から締め出したいんだろ?
しかし批評はこういうケースで試されるんだぜ
高踏派ですますというフルヤン作戦がすべてではない
俺も古株w
美術を巡る言説状況について考える必要はあるだろ
俺が研究ネタだしても食いつかないじゃん
じゃあ木村は?木村は、あれでいいの?
今後はダンスだけに批評のわくを狭めれば、もうそれですむ?
広島の件は、まず評価していた人間がキッチリ今後の姿勢を示すべきだろう、しかも早急に。
小鳥とか散歩の話題の連投が過疎化の原因だよ
>>853 それは同感
単なる糾弾じゃだめだけどね
レビューハウスの次号とかいいんじゃないの
批判的な松下学の論考もあったし
アルマジロ問題について書いた岡崎なら絶対に関心を持つテーマだろう。
関心はもつだろうけど具体的に何かは言わないだろう
そうかなあ?シンポジウムとかで話題にすると思うよ
ここの人は潔癖すぎるきらいがある
広島ネタ粘着ウザイ。
それは言えてる
嫌悪感で遠ざけるんじゃなくて理論的に叩けよ
じゃないとフルヤン理論と一緒
863 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/09(日) 22:39:48
同調圧力乙
なんでフルヤンスレでチンポン叩かなきゃいけないんだ
批評の現在とか考えるなら徴候的
じゃ、862が最初に口火を切って自身の考えを披歴してみればどうですか?
↓ハイ。
批評の現在を語るスレじゃありませんから
ここもID制にすればキチガイをNG登録できるのに。
なら1を変えるべきだろ
色々な話題を排除するつもりならもっと狭いスレにしないと
古谷スレなんだから批評の話もフルヤンに関連する範囲だな。
批評の現在を語りたいなら新スレでも立てたら?
うざいから次スレではもっと限定したスレにしたほうがいいかもね。
野鳥はアリって事ですか
しろいろ君がせっかく話題を拡げていたのに
じゃあ岡崎とか四谷関連も外すべき
今の古谷とはもうほとんど関係ないから
で、柴崎由香とかフランケンズの話をしよう
まあそもそも2ちゃんでまともに話そうというのが間違ってるだろうな。
広島の一件はRHと直接関係ないじゃ
話題狭めるのは反対
ウザイとか言ってる奴がうざいよ
それ以外言うことないのかって感じ
広島の件にこだわってる奴こそまさに「それ以外言うことないのかって感じ」だがw
批評がさ、ブームなんだよね、今。
だからどうしても批評を批評したくなるんだと思うんだけど、
やはりそれでは「きりがない」。
どっかで区切ってあとは別スレ立てろってのも正当な意見だよ
フルヤンに特化したスレ作ってもしゃべることないと思うよ
ここも数ヶ月前まで過疎スレ化してたし
まあチンモムに粘着するのもつまらないけど
このスレの古株自治厨マジうぜえな
せっかく色々な話題ができるようにしたのにな
椹木とか東方面の話題を嫌悪してるって事なんだろうな
モダニストの潔癖症
890 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/10(月) 10:19:16
じゃ、書き込みたいこと好きに書き込めばいいんじゃ?
それで誰も食いつかないから吠えるってのはおかしい
吠えてるのは排除厨だろ
吠えてたのは福住廉や朕ポみたいな、超どうでもいい輩に固執してたからなんでは
語るにも値しないじゃん
じゃ軽いのを〜
柴崎友香と付き合ってるのってみんな知ってんの?
フルヤン隠してるっぽいけど
>>893 なんでそんなこと知ってんの?
最近ウキウキした文面なのはその影響なのか?
じゃ軽いのを
柴崎友香と付き合ってるのってみんな知ってんの?
フルヤン隠してるっぽいけど
フルヤン、ピカソ展もルイス展も見ておいたほうがいいよ。
ルイス展の図録は買わなくてもいいかもね。あの薄さで1600円はねえ。俺は買っちゃったけど。
新美術館のピカソ展の充実ぶりはすごい。サントリーはまだ行ってない。
ルイス展はちょっと出品数が少ないがしょうがないか。
「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、
やっぱり、惚れたの、腫れたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」
「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」
「おやそう。それだから画工(えかき)なんぞになれるんですね」
「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、
どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留しているうちは
毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。
しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。
惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」
「すると不人情(ふにんじょう)な惚れ方をするのが画工なんですね」
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、
筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤を引くように、ぱっと開けて、
開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」
夏目漱石『草枕』より
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html
さいきん漱石の小説を深刻に?、またそいいう箇所ばかり、とりあげる有識者がいるけど、
それがわるいとはおもわないけれど、、
漱石の小説に出てくる男性って、だめんず?みたいなのばっかりだよね〜
(じぶんがそうだからよくわかる)
スレ違い?
>深刻に?、またそいいう箇所ばかり、とりあげる有識者
たとえば、誰の批評or論文のこと言ってるの?
大正時代以来、「こころ」は教科書に取り上げられる傾向にあり、
大正教養主義と旧制高校下の感情教育のもとで漱石が読まれ、
ある種の「深刻なる悩み」の漱石像というものがあったのは石原千秋が言うように事実だが
それは今に始まったことではなく、
むしろ90年代前半あたりにはじまる文芸批評での漱石論の潮流は
一旦それを切断するものだったのだが。
たぶん昨日カンサンジュンを案内人とする漱石特集番組をやってたから
書き込んだだけじゃね?
>>900 そっか。それ見てないから知らないな。内容はどういうものだったの?
>>898はどうせ石屋だろうけど、
>>800でいう「仮想敵に対する空を撃つ振る舞いだったり(福住、古谷のまずい面)」
と同じことになってるね。「有識者がいるけど」って誰のことなんだと。
そこで人名を隠したら、インテリはみんなこう、みたいに代表の構図を持ち込むことになる。
よそよそしいからごころ=深刻 vs 身近にも感じられる人物造形=だめんず
って感じなんだろう。人物に注目をするのが悪いとはいわないが、
3・4行目を言いたいがために引き合いに対比を使うこともないんじゃないかと。
しかしほんと日記帳だな・・
鳥やめただけでも進歩w
石屋のバカあたま
ちなみに、草枕は批評空間方面で特に高い評価になってないが、
石原千秋は「朝日新聞社入社以前で、『虞美人草』のように
売れるために同時代の小説を意識して作ってるところも少なく、かなり野心的な作品」と評したり、
岡崎は近代美術の機制を見抜いた上で模索していると評すするなど、
議論されきってはいない、面白い作品なんじゃないかな。
柄谷は草枕をヌーヴォーロマンに近いと言ってたこともあったが、
何気に「漱石と描写」という問題はまだしっかり議論されていないようにも思う。
なお、初期東の「写生文的認識と恋愛」という批評文は、
記述というかたちでメタレベルにいるほかないにもかかわらず、
恋愛というメタレベルになりようがない主題との相克を論じたものだった。
小森・石原らが主宰していた『漱石研究』所収の論文はチェックしてないから知らないけど、
意外にいろんな読解がされてるんじゃないかと思う。
というか草枕ってグールドのフェイバリットじゃん
そうそう。グールドって漱石好きだよね。
謎のような愛しっぷりだったが、あそこにどんな結びつきがあったのかと考えると、刺激されるものがある
謎ではないとおもう。
グールドが草枕を読んでいることを知らなかったのに、
草枕読みながら、グールドを聴いていたひとってけっこういるから
>>899 質問が浅すぎます。
そんなことは手持ちの論文に書いてあります。
また日記ですか
909は何の冗談だ
浅い・深いの軸はもういいよ
>大正教養主義と旧制高校下の感情教育のもとで漱石が読まれ、
こうした文脈でもうされるならば、
石原千秋のまえに、今井清一、竹内洋、見田宗介くらいは読んでますね。
そんなの漱石の「こころ」にかぎらないでしょ
>90年代前半あたり
ざっくりいって、テクスト…論ってやつですね
名前はもうあなたの頭にあるので出しません
この流れってフルヤンの文学教養のなさを指摘ってことですかw
また面白い流れになってきましたなw
どんな脱線でもいいと思えてきたw
教養って何?
918 :
899:2008/11/10(月) 23:58:29
いや、俺はあなたほどは知見ないと思う。
「こころ」には限らないというのはそのとおりだね。
漱石が白樺派に好んで受容されたことや、
大正時代に私学が増えて大卒作家層が出てきたこととか、
そういうのも関係してるんじゃなかったかな。
>ざっくりいって、テクスト…論ってやつですね
そうです。テクスト論の後で何ができるかみたいなのが今の状況だと思う。
文芸批評だとまた別に微妙な漱石ブームもあったけど。
俺は馬脚がそろそろ出まくりそうなので、ひっこもります。。
「立身出世・英雄」のイデオロギーそのものは、
「個人の野心追求と国家の興隆との幸福な予定調和観」
(見田宗介「「立身出世主義」の構造」『現代日本の心情と論理』、筑摩書房、1971、195頁)
に立脚しており、国家の枠組みを超えていく普遍的な方向性を持ち得なかったと考えられる。
ただし、その構造を図式としてとらえるだけでなく、「立身出世に物語性をあたえた風景」に
注目する観点も重要である(竹内洋『立身出世主義――近代日本のロマンと欲望』、
日本放送協会、1997、6頁)。
教養主義については、
ジェンダー的視点が暑苦しくない程度に入ってる高田里恵子が面白い
いまどき、「である」はないね〜
>大正時代に私学が増えて大卒作家層が出てきたこととか、
>そういうのも関係してる
それではうわずみですよ〜
そうしたものをもたらしたものをゆっくりかんがえてー
石屋は文学が専門か
1918年
もうこのスレ目茶苦茶w
仲俣はスルー対象だからノーコメントにしておくわ。
平日のこんな時間に2chに書き込める俺超勝ち組^^
仲俣は「知」を腐せばいいと思ってるフシがある
よくあるライター
股先生すごいなw フルヤンもこのぐらいとんでも文章で楽しませられるようにならないと駄目だよ。
水村についていまさら岩井だ柄谷だと言ってるなんて、股先生は全く批評空間を読んでなかったことがバレバレだなw
そもそもポール・ド・マンの弟子じゃないか。
このスレで仕入れて今度はド・マンを叩くよw
フルヤンも斉藤環あたりに噛みつくときは、こんな感じのエンタメになってると思う
最近はそういうのを控えすぎている印象だけど
股先生はド・マンを知らないと見た
水村のその本は読んでないんだが、彼女は決して理論的に冴えてるわけでも
頭がいいわけでもない、という微妙なところがあるのも事実なんだよなあ…。
嫌いにはなれない作家、どまりになってしまう。
>>931>>934 水村の『私小説』ではフェルマンとド・マンが出てくるね。
柄谷の亡くなった奥さんもド・マンが出てくる私小説書いてたね
それは知らなかった。冥王ってそんな小説も書いてたのか。
「天馬空を行く」だったかな
柄谷とのアメリカ行きがテーマ
>・芸大とか出てるんだし
先端表現を、芸大のアブラみたいなイメージでとってるよな、これ。。難易度違うだろ
黒瀬はとにかく、作品をどんどん見せるべきだろ。批評ばっかで名前売ってると存在が胡散臭くなってくるぞ
先端って他大からの編入が多いだろ
学部から油入れるやつは院で先端なんて行かない
943 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/11(火) 20:53:03
油絵と先端では取る基準が違うでしょう。
油絵は素朴な作家系だから
基礎が大事
>>652 自分たちの枠内を指す用語で何かやってるぶんには生ぬるく見守れるんだけどねえ
「富裕層」がどうたらこうたら言ってるのを見ると何だこいつは…ってねえw
差別に差別で対抗してどうすんだ俺って気もするけどね
ところで永瀬ってのは「本気なのか冗談なのかわからないところが怖い」とのことですが
その正体は組織暴力組織の構成員なのだったってオチってことで納得していいですか?
つまんね
>>947 面白い分析はそれはそれで取り上げたいものだね。
と、…参考図版のところがうまく表示されないのだが…。947のブラウザは表示できた?
見られないね
>>947 純粋な疑問なんだけど、これ書いている暇あったら自分の制作に力入れればいいのに、
なんでこんなことしてんの?
うーん、そんなに時間は削らなくてもできると思うけど。
使ってるソフトや加工の手間は知らないけど、
かかってる時間で言ったら、美術館でじっくり見る時間にちょっと足したぐらいのものじゃないかな。
こういう手探りでいじる作業は、図版見ながらあれこれ空想するのとそんなに変わらない。
(特に皮肉で言うわけではないが)本読みながら頭ひねって無理矢理試行錯誤するよりは
この記事書くのに、そこまで言うほどの時間コストはかからないと思う。
俺はこういう記事好きだけどね。ああ、やるやるw とか思って見てた。別に俺は画家でもなんでもないが。
あ、図版と加工の画像が見れるようになった。
やっと何の話をしてるのかわかった。
というか、この程度の解析って、実物みなくても、
それこそ、画集の図版からでも起こせるっしょ。
っていうか、ナガセもカタログからおこしてるね。
リ・ウファンの絵の筆順を、わざわざ解説するバカおらんでしょう?
そのレベルでないの?
>>945 >その正体は組織暴力組織の構成員なのだったってオチってことで納得していいですか?
ソウカ?
たしかに匂うね。
>>945 >その正体は組織暴力組織の構成員なのだったってオチってことで納得していいですか?
ソウカ?
そういえば、内海の「三千世界」とか、ひくものがある。
>>953 馬鹿とまで言ったらかわいそうでしょ。
制作プロセスを考えてみたいってのはあるだろうよ。
ユリイカのバックナンバーで、
宮島某が、ポロックの絵のレイヤー解析という的外れなことを書いてたのをみたことがある。
宮島ってソウカだっけか?
シュールのオートマチズムの影響かもしれないけれども、
半ば、制作プロセスをみせることが、主題化された制作だろ?
精神医学を意識して制作された作品を、
精神医学の言葉で分析するようなもんだ。
>>958 それって15年近く前のポロック特集号?
宮島はともかくとして、あの号はなんとなく買わずじまいだったが、
今古書で好奇心で買うとしたら、お勧め?
>>960 こう見ました、というプロセスを加工画像使って示していると思えばいいじゃないかな
>>961 >今古書で好奇心で買うとしたら、お勧め?
薦められません。
キーファーの特集号もつまらなかったし、
ユリイカの美術関係特集はクオリティが低いような印象がある。
>>963 そっか、レスありがとう。
たしかにキーファー特集は酷かった。
セザンヌ特集はさほど悲惨ではなかった気もするが…
これは不勉強な頃に見たからただの錯覚かもしれない。
ユリイカの美術特集は悲惨なのは同意。
そういえばそろそろ次スレのタイトル考えようか。
今回は停滞もあったけど、途中から和んできて楽しげなスレにはなったね。
ゴルベーザネタはもう時期外れだろうし、
この和気藹々な雰囲気を反映させた、適度にgdgdタイトルがいいかも。
変にスレタイで張り切ると幸先不安になるし。
RHや黒瀬関係は排除って事でいい?
>>966 >>1-2から排除ってこと? あっても話題に出ることが約束されているわけでもないんだし、
あってもいいんじゃないかぐらいに思ってる。
情勢や人脈の話に傾きさえしなきゃ、そんなにくだらない項目でもないし。
話題選択の問題というより、このスレに定着してる語り方の悪癖も目立つような。
とりあえず思うのは、のんびりしたスレになってほしいものだと。
誰だ!?俺のことゴルべーザって呼んでる奴は!!
黒瀬です
あいつ〜!
やっちまったなぁ〜!!
,;r'"´;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ヽ、
,r'";;;;:::::;彡-=―-=:、;;;;;;ヽ、
/;;ィ''"´ _,,,,....ニ、 ,.,_ `ヾ;;;;〉
`i!:: ,rニ彡三=、' ゙''ニ≧=、!´ 屋上へ行こうぜ・・・・・・
r'ニヽ, ( ・ソ,; (、・') i'
ll' '゙ ,;:'''"´~~,f_,,j ヾ~`''ヾ. 久しぶりに・・・・・・
ヽ) , : ''" `ー''^ヘ i!
ll`7´ _,r''二ニヽ. l キレちまったよ・・・・・・
!::: ^''"''ー-=゙ゝ リ
l;::: ヾ゙゙`^''フ /
人、 `゙’゙::. イ
RHや黒瀬を排除する理由ってあるの?
フルヤンの論敵だし入れておいてもいい
松岡がいらないんじゃないの
あと宮川淳
このへんの人はほとんど話題になっていない
問題は範囲を広げすぎると荒れやすいということだと思う。
チンポみたいなことがあるとね。
それを防ぎたいなら、翻訳書の読書会を延々続けるのが一番いいんだよ
でもそうなってないから現状がある
そんなことを言ってしまったら、オクトーバー系の人らは重要だが
話題になってないわけで、話題になってないことを理由に削除というのはおかしいのでは。
>>977の意見はそのとおりっすね。
読書会進行も含めてのんびりスレになれば望ましいかも
979 :
976:2008/11/12(水) 12:59:21
読書会やりたいねえ。でもここ2ちゃんでやるのは無理だろうな。
黒瀬の話題って何気に荒れるよな。
学問系板のスレでは読書会進行はできるし、俺もやりたいけど、うーん
・モノグラフィカルな参考テキストを補助線にしながら、代表的なテキストをじっくり読む
・一定の論脈の議論を理解、身に着けることが暗黙の目的となり、
そのため意見交換や参考文献の相互紹介なども進みやすい
・基本的にそれ一つでスレが進む
って感じになりやすいのね。
このスレの良さは和気藹々、ざっくばらんに話が進むことでもあるので、
読書会進行で失うものも多いかもしれない、と考えると悩ましい。
あと、テキスト設定が難しい? かも。
ざっくばらんを生かして、読書会も平行進行、みたいにやれば、
途切れ途切れに維持しやすいし、進行速度に悩まされずに済むかもしれない。
英語文献読むのが一番だよw
でもそうならない
なぜか?
そういうスキル持ちが限られているから面がわれやすい
そうならない理由は、面割れだけじゃなくて、テキスト選択で意見が割れるからとか、
入手で頭数が減るとか、英語文献を読む時間コスト問題とかもあって、
メンタル面でハードルがあがるからって理由もあるだろ
(まあpdfで論文ぐらいのサイズをアップするって手もあるが・・)
例えば今だったらフリードのモーリス・ルイス論読むとかすればいいと思うんだよね
永瀬はその劣化版なわけだし
>>1-2のリンク、人名等はそのままにするとして、
せめてスレタイだけでも決めないとかないと、990番台になって困るよ。
【そろそろ】古谷利裕の偽日記7【読書会する?】
こんなんでいいか。
外語文献は短いものにするか、よほど代表的なものにするなどしないと、
モチベーションの一致が難しいと思うよ
永瀬のルイス記事一本への関心から
FriedのMorris Louis(1970)一冊読むというのは、ちょっとモチベーション維持力に疑問が。
それだったら、クラウスの既訳物読みながら、
クラウスの短い英語論文読んでみるとかの方がとっつきいいんじゃないかな。
もっといい選択肢もあるかもしれんけど。
Art and Objecthoodに入ってるよ
スレ民なら必読だろう
>>989 あの30pほどのか。あれなら長さ的にもいけるかな。
993 :
976:2008/11/12(水) 13:39:47
Art and Objecthoodか。持ってるけど、ルイス論は読んでなかったわw
それだとフルヤンその他を笑えないなw
995 :
988:2008/11/12(水) 13:49:38
>>992 70年刊ハードカバー版以来ペーパーバック版も出てないようなので、
マジでこれやるんか、と目が飛び出そうになった
997 :
976:2008/11/12(水) 13:57:25
>>994 まあ美術は素人なんでねw だからここではあまり偉そうなことも書き込んでない。
フリードの例の論文が必要で買っただけだから。
>>996 乙です。
998 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/11/12(水) 21:20:58
どうせお前らリアルで駒場本郷で顔合わせてんだから、そこでやればいいだろ。
実はねらーなんです、って皆で一斉にいえばいいだけの話www
ROMならけっこういるんじゃないか
ぐぐれば出るし
糸冬
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制作・著作 NHK
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。