現代美術(平面、etc)VS古典美術(絵画・彫刻)

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1ひろ
現代美術よりの考えVS古典絵画よりの考え、双方の主義主張を
幅広くここで、語りましょう。
美術の中にも革新寄りの思想と保守寄りの思想があると思います。
各スレにも、結局どちらかよりの対話があるようです。
アートを日本人の立場から、または、国際人としての立場からでも、
様々な、視点の切り口で意見をぶつけて欲しいです。
ガイシュツ
3ひろ:02/12/20 11:42
、、、といっても、始まりが、なければ、後に続かないわけで。
とりあえず、定義として、古典美術(他にいい分け方があれば、教えて)
は、絵画(油画、日本画、彫刻)と呼ぶような、後期印象派以前の価値のニュアンスとして、

現代美術は、インスタレーション、平面、立体と呼ばれるような、コンセプト
が主体で、その結果、の装置、として呼ぶような、ニュアンスとして
双方を、解釈していただけたらと思います。
4ひろ:02/12/20 12:00
なにぶん、ニュアンス、、という言葉から想像してほしいんですが、
厳密な美術史的区分というより、冒頭で述べたように、革新的(新しい価値観)
考えと保守的(アカデミズム的価値観)考えの立場としての意見交換を
目的にしています。(例えば、 ニューペインティングを両者の立場から考えたり、)
5?<ETH>?e¨:02/12/20 13:03
まずは、
他のスレで、見かけましたが、
「技術は、作品の質の良さと比例するのか?
っていうのは、どうでしょうか?」
6わたしはダリ?名無しさん?:02/12/20 20:22
それの定義は無数に存在し、一概に言えないよね。
必ずしも比例するかと言うと、そうでもないよね。
7わたしはダリ?名無しさん?:02/12/20 22:10
どんなすごい技術を使った絵でも、描かれた内容で、名作と言われる場合もある。
技術って、描く側から考えるといくらでも、マニアックなまでに、細かくこだわれる。
でも、鑑賞する側からみるとどうでもよかったりする。
8わたしはダリ?名無しさん?:02/12/20 23:07
┐('〜`;)┌
http://hkwr.com/
91:02/12/20 23:12
>>1

私のスレと重複しますんでヤメてください。

「今の絵描きに、昔ほど優れた絵画が描けないのはなぜか 」
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1039792877/l50
10わたしはダリ?名無しさん?:02/12/21 05:14
現代美術が革新とは思えない。ジャンルだよね。
マーケットの違いではないでしょうか?
11わたしはダリ?名無しさん?:02/12/21 08:05
>10
マーケットって、ニーズが、あって成り立つもんでしょ。
そのニーズは、意見でもある。
確かに、どちらが、革新で、どちらが保守かは、言えない。逆もありうる。
しかし、現代を語ろうとするなら、自らの位置を確認するのも大事だな。
12ひろ:02/12/21 08:15
>11
そうですね。そのことを言いたかったんです。
2元論的に話をもっていきすぎるのも、なんなんですが、
このスレでやりたかったのは、結局、
なぜ、自分は、こんな立場の意見なのか、それは、どこからきているのか?
何を大事にしているからなのか、って展開すると面白いと思ったからです。
例えば、「象の本質は、鼻である。」「いいや、耳である。」っていう議論より
なぜ、鼻の立場をとるのか?、なぜ、耳の立場をとるのか?という本筋を
語りたいんです。
13ひろ:02/12/21 08:22
9>私のスレと重複しますんでヤメてください。

どちらかというと、「今の絵描きに、昔ほど優れた絵画が描けないのはなぜか 」
という問題も、枝葉の問題にすぎないと思います。
でも、それはそれで、すごく率直で、正直な疑問のスレだと思います。
どのスレも、同じような問題を根っこに抱えた問題だと思いませんか?
そろそろ、その根っこの部分を意識してもいいのでは、ないでしょうか?
でないと、本質は(人により解釈がずれますが、)、見えてこないと思われます。
14わたしはダリ?名無しさん?:02/12/21 08:51
10
なにいってんのー?現代美術は、革新だ。
言い方なんてどーでもよいが。
価値を変えていったり、概念をつくっていったり。
保守的なものへの意見だったりする。
勉強せー
15わたしはダリ?名無しさん?:02/12/21 12:29
壊しの芸術。
価値は徐々に進化してると言っても間違いではない。
昔のような作品がないのは、先人がすでにしているから。
創造と破壊は同義。
16わたしはダリ?名無しさん?:02/12/21 15:45
17わたしはダリ?名無しさん?:02/12/22 00:14
現在"新しい美術とは?"とかそういうもの言葉そのものの発想は、
西洋絵画の歴史の流れに沿っての考えから生まれたものであり、

つまり、経済的に豊である国々の価値観で勝手に決められた考えの元でしか
語られていないのである。

たとえば、「コロンブス新大陸発見!!」とか教科書には書かれているが、
立場を変えて言えば、「コロンブスがアメリカ大陸を占領し、
原住民であるインディアンの土地を奪った」とも言える。

デュシャンの「泉」が芸術の価値観を根底から覆した!
なんて言われているけれど、それはあくまで欧米の考えではなかろうか?
地球に住むそれ以外の大多数の人間にとっては、どうなのか?
18迂よく:02/12/22 00:52
その視点なら、少しは面白い話になるかもな。
たとえば、なんでおまえら西暦使ってるんだよ?
という問いも投げてみたいな。
ちょいと前の話になるが、1999年、世紀末だなんだと騒いでいたが、そんなのは西洋的価値観に毒された者達だけで騒げばいいのであって、
西暦以外の社会からすればどうでもいいことだったはず。


「西洋の価値観」は西洋以外の地域にとって価値があるとは絶対的には言えない。
たまたま、西洋が国際的に影響力を持っている時代性だから、西洋系歴史観が国際的に猛威(?)をふるっているに過ぎない。
とも言えるしな。

そろそろ、西洋とくに米帝に洗脳されてる状態から脱したらどうよ?>日本人
19迂よく:02/12/22 01:02
だから俺は、日本民族の伝統表現を踏まえて制作することにした。
欧米とくに米帝に洗脳されている段階から(なるべく)離れるのだ。
英語でサインする奴は売国奴 打倒米帝 民族の魂の再起を
20差よく:02/12/22 01:26
便宜上西暦を使うのは、単に利便性が大きいからなんで、
当然生活の上で和暦と使い分けてるのが現実。日本人が受け入れている
西洋的価値観なんて、結局日本人の使い勝手で加工されてる。ホテルに行きゃ
ツインルームより和洋折衷の部屋が好まれるのと同じ。価値観なんてのは
文化様式の概観とは別に個人の内面に存在し解釈されるもので人それぞれだ。
それをひとくくりにして皆同じ「西洋の価値観」だと決め付けるには無理がある。
逆を言えば、学校の卒業式で「君が代」を歌えとする国家主義的思想操作のほうが、
過去の歴史的事実が語るように、文化破壊の危険性をはらんでいると言える。
21迂よく:02/12/22 01:35
国家主義的押し付けには俺も反対だ。
まぁこの人格はカリカチャライズされた人格と思ってくれ。
君が代論争をしとるわけではない。

ことの話題は、西洋中心系の歴史観でいいのか?ということだと思う。
米軍に身も心も占領されてるんじゃねぇの?
アメリカを筆頭とする欧米系価値観で動いていない地域(たとえばイスラム圏)からすれば、
芸術の価値ってのはもっと多様ではないのか?
という話題だ。
デュシャンがひっくり返したのは西洋の芸術観であって、それを“芸術の根底から”覆したと言い切ってしまうのは難ありだろう。
つーこと。
他の地域における芸術観までひっくり返したとは言えないだろう。という設問だよねこのスレ
22差よく :02/12/22 01:56
そのとおりかもしれない。何ものにも束縛されず、かと言って排他的にも
ならず、自分にとって何が大切かを検証する必要を感じる。
23ひろ:02/12/22 10:28
なるほどー。
しかし、現在の日本の美術館や、ギャラリー、雑誌社などで働く、
いわゆる、「取り上げるもの達」は、実際のところ、迂よく氏や、差よく氏
みたいな、考えや、気概を持つ人たちだろうか?できれば、その関係または、
その卵の方の意見を聞きたいものだけど。
芸術は、権力者に対抗するものであったのに、現代は、世に出る為に、西欧美術史の
文脈(アート・ワールド)に入る為に、発表する感じになってしまってるね。
24ひろ:02/12/22 10:50
実際、現在の日本は、戦前の価値観(昔から、影響は受けているが、)
が、大きく変化したでしょ。これは、過去の日本の変化なんてものより、大きい。
それを、ポジティブに考えた場合、和洋折衷みたいな面白いものになってるけど、
西欧から見た場合、それって、価値基準に一貫性がないと、見られている部分がある
のも確か。取り扱う美術もポリシーがないとか。そういう部分のネガティブな和洋折衷
も考えると、現在の日本文化(という価値の有無)はどう解釈すべきなんだろう?
25わたしはダリ?名無しさん?:02/12/23 03:48
現在の日本文化は?といっても、一言で言い尽くせるものでもないと思うが、
いわゆる欧米的価値観をあこがれた民族の文化である事は間違いない。
しかし根本にあるアジアらしさもにじみ出てしまうところもある。
例えば>20さんのコメントで、
ホテルに行きゃツインルームより和洋折衷の部屋が好まれ・・
と言うように欧米人には理解できないだろうが、何か日本人として
惹かれてしまう“美”があるようだ。
いまや先進国と言われる何処の国へ行っても、それほど違いに大差ない建物が立ち並ぶ。
何処へいっても同じ物が手に入り、同じ食べ物を口にする事ができる。
それは、「先進国=高い文化であるとう価値観に大きく関係していて、
目指せ!先進国!と必死に欧米に追いつこうとする国々は何時の間にか
欧米文化にすっかり洗脳されてしまったようである。

数年前、世界ミスコンテストTVで放映されていた。
欧米の国々はもちろんのことアジア、アフリカの行進国の女性達も参加していた。
確かNO1はオーストリアの女性だったと記憶している。
そのコンテストを見ていて思ったのは、
「世界でNO1の美女を決めるなんて、不可能だ!」
各国にあるそれぞれの美的感覚(美女の感覚)はさまざまであるからだ。
それを無理やり欧米的価値観の尺度でアジアやアフリカを計られても・・・。

この事は、美術の世界にも共通しているのは無かろうかとも感じた。
欧米人の論理的な思考するタイプの民族であるのに対し、
アジア人は感覚的に理解する民族である。詳しく説明するには長くなりすぎるので省くが、
美術の歴史を統計的にまとめる事自体が欧米的あると言いたい。

“美術”という日本語は、明治になって生まれた言葉である。
26ひろ:02/12/23 08:16
説得力あります。
ただ、もし、そう考えて、日本(アジア)的価値観でいざ、と
思っても、かなり、矛盾してくるかも知れない。
和洋折衷は、つまるところ「西欧文化へのあこがれ」と「でも、我が家や一番!」
と、ゴロンと畳みに寝転がり、コタツに哀愁?を感じてしまう、両極が同居
しているとしたら、
それは、常に、何時も西欧文化を取り入れてしまう、「意志のない」
ものとして、美術表現としては、今だ未熟なままと言えないだろうか?
かといって、エキゾチックなままの日本もどうも怪しい気がするし。
その部分が明確でないと、(というか、定義しないと、どのスレもここどまり
になってしまう)
27わたしはダリ?名無しさん?:03/01/06 01:31
>>美術表現としては、今だ未熟なままと言えないだろうか?
未熟ってなんだ?
美術表現の質の良し悪しって、西洋の尺度で測っているだけじゃないの?
・・・ってことが18〜25あたりで語られているのではなかろうか。

今や日本文化は西洋を取り入れたのではなくって、
西洋文化に支配されたといっても良いと思う。
わずかに日本らしさが根強く残っているくらいなもんでさ。
28わりこんでスマンが:03/01/06 02:34
日本文化?日本らしさってなんだ!遠く日本文化は中国・朝鮮文化の影響を
受けてきたのでは?27さんの言ってることは言葉だけなら
明治時代にも言われてきたのでは?
それよりこのスレの「現代美術(平面、etc)VS古典美術(絵画・彫刻)」
白痴的な題名(笑)これに論ずるべきだな はたしてこのような対立構造が
美術売文家の頭の中以外実在するかどうかだね
29わたしはダリ?名無しさん?:03/01/06 02:57
西洋人は日本人のことをどう思ってるかな?そこに問題がありそうだよ
30わたしはダリ?名無しさん?:03/01/06 12:22
個人的なつながり以外で、基本的には興味ないと思うよ。
友人のスペイン人と子どもの頃見たアニメの話で盛り上がったんだけど
タッチが好きだったと言っていた。日本の学園ラブコメ解るの?って
聞いたら、そういうの意識しないで見てたといってた。日本のエンタメ
は、結構受け入れられてるけど、それは日本文化への興味とは別物。
31山崎渉:03/01/08 22:29
(^^)
32山崎渉:03/01/18 11:28
(^^)
33山崎渉:03/03/13 14:50
(^^)
34山崎渉:03/04/17 09:26
(^^)
35山崎渉:03/04/20 04:01
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
36山崎渉:03/05/21 22:18
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
37山崎渉:03/05/21 23:11
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
38山崎渉:03/05/28 14:26
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
39山崎 渉:03/07/15 13:06

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
44山崎 渉:03/08/15 18:23
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
45わたしはダリ?名無しさん?:03/09/28 22:42
http://e404.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img/img-box/img20030928224001.jpg

これのタイトルなど何かわかるひといましたら教えてください。
46catt ◆nKX.ore.zA :04/02/03 20:52
>>1
日本人と国際人の定義をしてくれ。
ふるやんの日記でも、よめや!
48わたしはダリ?名無しさん?:04/06/08 09:51
現代美術(コンテンポラリー・アート)は、
歴史的には早くても1960年代ぐらいから、現在までの
美術に関する呼び方だと思う。
19世紀末のセザンヌなどのポスト印象派による絵画の革新、
20世紀初頭のブランクーシによる彫刻の革新を起源とし、
50年代の抽象表現主義に至るまでの、西洋美術の流れを
近代美術(モダン・アート)と呼びわけ、現代美術を
近代美術を超克しようとする芸術運動とみなす方が、
状況が分かりやすくなると思う。
古典美術という概念は、ギリシャ古典期の芸術を範と
する、比例的秩序に美を見出す運動で、近世の西洋美術史上
何度も「新・古典主義」という形で現れては消えるリバイバル
現象をさすので、現代美術と対置させるのはナンセンスと
思います。
4948:04/06/08 10:03
現代美術の起源を尋ねるなら、間違いなく
マルセル・デュシャンにたどりつきます。
50年代後半のラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズらの
ネオ・ダダイズムへの影響。ロバート・モリスのような
ミニマリストや、コスースのコンセプチュアリズムへの影響。
ボイスもジョン・ケージもマシュー・バーニーも、デュシャンの
多大な影響下にあります。
デュシャンを理解できなければ、現代美術は理解できないと
言えるでしょう。逆に言えば、デュシャンさえ理解できれば、
現代美術は、ちっとも難解では無くなるのです。
50ひさびさの、ひろ:04/06/13 08:00
なつかしいスレだな〜。
48>
わかりやすいです。たしかにそのとおりです。  1での発言は、近代、現代をまとめて
絵画とは?というシステム自体を問うことを始めた時代としてを試しに区切ったんです。
つまり、「内容の物語」から「絵画自身の物語」といったところでしょうか。
内容の物語って、文系的(笑)で極論すれば小説の挿し絵のようなもので、
絵画自身の物語は、数学的、哲学的ですよね。
そもそも絵を「理解」するという観念が要求されるようになったのは、
その区切りだったのではないかと思ったのでそうしました。
でも48氏の言い方のほうがより正確ではありますね。

>デュシャンさえ理解できれば、現代美術は、ちっとも難解では無くなるのです。

まさにコンセプチャルの神髄だとは思うけど、だからこそ聞きたいけれど、
「答え探し」ということと理解していいんでしょうかね。
ならば、検討違いという可能性もありうるんではないですか?
つまりデュシャンを理解出来たとして、コスースや、マシュー・バーニー、ボイスなど
もその「応用」で導き出せる「普遍」的な公式があるかどうか?
「内容の物語」とは、その時代の共有されうる「大きな物語」ですが、
コンセプチャルになっていくと、個人の論理になってくると思うのです。
5148:04/06/13 10:14
ひろさん、はじめまして。
デュシャンの作品が、それ以前の芸術作品、あるいはダダイズム、
シュールレアリスムの他の芸術家と、どのように違うか、何で画期的
だったかが理解されれば、偏見で現代美術を貶す態度をとる、近代美術
擁護者は、悔い改めるようになるかもしれないと思ってます。
デュシャンをコンセプチャルアートとの関連だけで理解すると、狭い
解釈に陥ると思いますが、80年代以降のポストコンセプチャルな流れに
対しても、デュシャンは大きな指針であり続けていると思います。
5248:04/06/13 10:22
具体的に話しましょう。僕はデュシャンを長いこと嫌ってました。
彼のレディメイド作品は、楽をして一発芸で有名になっただけという
印象を持ってました。ところが、数年前に「3つの停止原器」という
作品のデュシャン自身による解説を読んで、眼から鱗が落ちたような
気がしました。(『デュシャンは語る』ちくま学芸文庫)
1913年当時、デュシャンは大ガラスの構想を練りつつ、さまざまな
実験的作品を残しましたが、停止原器もその1つです。
5348:04/06/13 10:39
3つの停止原器は、1mの糸を1mの高さから、床の上に敷いた
ガラス板か何かの上に落とし、落ちた糸の形状を樹脂で固める
作業を3回繰り返し、3本の曲がった糸を基にして、3つの
メートル原器のような曲線定規をつくり、それらをビロードの
布で内装した用具箱の中に収めたものです。
インタビューの中で、偶然を缶詰にするというアイデアが、
気に入ったとデュシャンは語っています。
この作品においては、作品が視覚的に美しいかどうかという観点は
全く意味を持ちません。そのアイデア、落下する糸の運動、それを
現代の聖具箱ともいえる、科学的測量機器を入れる箱に収めるという
馬鹿馬鹿しさ。この作品は、大ガラスの画面上に曲線を描画する
必要が生じたため、手で描く代わりに、このような仕掛けが考案
されて生まれたので、大ガラスの関連作品でもあります。作品と
作品がこんな形で、連携するというのも、何とも不思議では
ありませんか?この作品の意図を知ることで、僕はデュシャンが
好きになりました。
5448:04/06/13 11:10
>つまりデュシャンを理解出来たとして、コスースや、マシュー・バーニー、
>ボイスなどもその「応用」で導き出せる「普遍」的な公式があるかどうか?
もちろん公式などあるわけが無い。でもデュシャンを西洋美術界が
受容したことで、この美術界のルールが変わったことを踏まえないと、
現代美術を理解するのは難しいと思います。
特別に感性が優れ造形能力がある人が、形態、色彩を、ある意図に従い構成
することで、今までに無い芸術作品が作られ、芸術家同様の美的な感性を
持ってる人は、その作品の素晴らしさが直感できるといった、天才神話、
感性の絶対視、フォルマリズムなどは、19世紀末から、20世紀のはじめ
頃に作られた近代の物語といえるでしょう。そういうモダニズム神話が、
根も葉もないもので、美とは制度的なもの、歴史的、文化依存的な概念だ
という認識に立脚しているのが、ポストモダン社会における唯一の美術
としての現代美術なのです。
55ひろ:04/06/13 21:15
おお〜こんなにカキコしてくれてサンクス。

ぼくもデュシャンに関しては、大ガラス関連のシリーズから好きになりました。
糸の作り出す偶然の可能性による視点や、箱に詰める行為に、こめられた意味は
実は絵画的な文脈としてもつながるものに思えます。仮に、彼に絵を描かせたならば、かなり
粋な絵画を「やってくれそう」な気もします。

「美とは制度的なもの、歴史的、文化依存的な概念だ」という認識は、間違いないですが
しかしやはり、作品というシステムに低通する物語というのは、共有しづらい物語であることは
確かであると思わざるを得ないんですね。

ぼくもフォーマリズムのように、文化や時代に影響うけない普遍的な美という思想は、
今振り返ればかなり特異な存在だったとは思いますが、やはり、振り幅が制限された作品という
意味でいえば、純化されることで、捨てられたものが多いのではと、現代美術には感じます。

やはり多様性の時代においては全ての美術は、嗜好品と同じレベルになると思うので
VSというのはナンセンスでしたが(今思えば)
5648:04/06/14 06:37
>>55
>やはり多様性の時代においては全ての美術は、嗜好品と同じレベルになると思うので
現代美術以外の、過去の美術品を模倣する似非美術は、美術史に残らない
という意味で、美術ではなく、工芸、つまりは高級家具のような嗜好品と
いう意味でおっしゃるのなら、同意します。
57ひろ:04/06/14 07:35
48>
いや、現代美術も含めて。
現代美術自体、過去の美術(品、イデオロギー、概念)を模倣するレベルでは
48氏のいわれる似非美術と同じだと現代においてそう思います。

大きな共同体で共有されうるべき「大きな物語」が見出せなくなった状態では
美術史も単一の価値基準(単一の時間軸)だけでは計られなくなってきたのでは。
つまり、今や現代美術でさえ、ここ50年前後を振り返ると、トップダウン(文化環境の提示)としての役割を終え、
ボトムアップ(既にある(大衆)文化環境の整備)にシフトしていっていると
思われます。実際、ドクメンタや、ビエンナーレなどは、各国文化博覧会的様相をますます
増していると思っています。簡単に言えば、大衆文化の裏にある欲望を模倣という形で吸い上げた「モデル」としての
擬態としての役割が、大きい。それによって大衆を動かし魅了していく原動力があるかという
意味において。
58ひろ:04/06/14 08:01
考えてみれば、本来ものを作る欲望があっても、形にするには、先に概念化しないと
制作出来ない。そのモデルを提示するのがアートの役割であり、その概念を常に
定型化させることなく、議論を繰り返し今日より明日の概念を組み替え直していくことが
進化の証であったわけです。その恩恵は、その時代時代の宗教概念や、イデオロギーを参考に
されていたんですね。それが行き詰まるとフォークロア的な概念に揺り返しが来たりしました。
いずれにしてもある概念は、ある欲望を否定する繰返しで美術の歴史は繰り返されてきたことを
思えば、現代美術という美術史は、非美術史で支えられいたという事実も存在します。
実際、過去抑圧した欲望を時代を経るごとに、逆に美術史が内包していっている事実を
考えれば、内が裏返り、外側に転じているという見方もありうると思います。
5948:04/06/16 06:05
>実際、ドクメンタや、ビエンナーレなどは、各国文化博覧会的様相を
>ますます増していると思っています。
ドクメンタは各国別の展示なんてしてないし、過去2回のヴェネツィア
ビエンナーレを観ましたが、ゼーマンにせよボナミにせよ、
ますます国籍はどうでもよく、個々のアーティストの力量が、
ピックアップされる基準になっていると思いますよ。
ひろさんのご意見が、観念的な傾向を帯び、現代美術に対し、否定的
なのは、ただ単に良い作品を実際に観ていないだけだと思います。
これ以上話が面白い方向に進みそうにありませんね。
60わたしはダリ?名無しさん?:04/06/16 07:21
良い作品は人それぞれだよ。
作品を見て感動した経験があるといいね。
61ひろ:04/06/16 11:37
48>ゼーマンにせよボナミにせよ、
ますます国籍はどうでもよく、個々のアーティストの力量が、
ピックアップされる基準になっていると思いますよ。

なぜ国籍はどうでもよくなったんでしょうかね?
アーティストが生み出す作品を味わうには、何が必要だと思いますか?
わたしが「物語」といったのはその作家のアイデンティティと、それを支える
文化であり、その時代に生きた文化、社会から抑圧されたり、見逃された素材、視点を
掘り起こすことではないですか?

そもそも現代美術が、ある流れのイデオロギーや、思想という全体のテーマから逸脱し
個人史をモチーフにされはじめていることとはどういう意味だと思いますか?
正に、現代美術という歴史的観念が、個人の生活の視点、物語に移っていっている
からではないですか?
62ひろ:04/06/16 11:38
>ドクメンタは各国別の展示なんてしてないし〜

国別展示してるから、、、という意味ではないです(笑)
アーティストの作品を批評するときに、本当にその国の文化風土や、歴史などに
触れないんですか?

誤解されているようなのでもう一度カキコしますが、
無国籍になったというのは、裏を返せば、アート後進国という視点が無くなってきた
ということです。東南アジアなら東南アジアの風土に根ざした美術の物語を
現代美術仕立てに接続出来るわけです。
それは、東南アジアの民族美術が、現代美術仕立てになることで美術史に残るといった
一元的な視点で48氏は語っているように見受けられたので、
>過去の美術品を模倣する似非美術は、美術史に残らないという意味で、〜

ぼくは、現代美術を否定的には見ていませんよ。自己批判的に現代美術が
個の感覚を取り入れていっていることに喜びを感じているくらいです。
しかし個が、純粋な個として伝えられるわけではなく、受けてとの間には
なんらかの共同化された常識がなければ、非常識もありえないわけで。
そのつながりが、各文化の正直な感覚に還元されつつあるということでは?
でないと、なぜ秋葉原の一角が、展示会場に再現されたかの意味がありません。
63ひろ:04/06/16 12:35
なにを基準に良い作品、というのかわかりませんが
誰某のアーティスト、作品がどうした、こうしたというのは、まさに
好き嫌いでいいわけで、勝手にやって欲しい。

ぼくが面白い話を48氏に期待したのは、メタ美術論です。
それに興味を示さないならぼくも面白くないので、無理にレス返さなくていいですよ。
64ひろ:訂正と補足:04/06/16 12:48
ぼくが面白い話を48氏に期待したのは、メタ美術論です。

ぼくが面白い話を48氏に期待したのは、メタ美術論的やりとりです。
現代美術とは現代美術以外のもを定義する(「似非美術」)ことで現代美術たりえる部分を
語りたいわけで。
6548:04/06/16 16:18
57>>
>大きな共同体で共有されうるべき「大きな物語」が見出せなくなった状態では
>美術史も単一の価値基準(単一の時間軸)だけでは計られなくなってきたのでは。
そもそも、美術が進歩し続けるという考えは「前衛」概念とともに、80年代前半には
完全に崩壊してると思う。それは社会主義の崩壊に先んじて。
この前提は僕にも理解できるのですが、この文に続けて。
>つまり、今や現代美術でさえ、ここ50年前後を振り返ると、
>トップダウン(文化環境の提示)としての役割を終え、
>ボトムアップ(既にある(大衆)文化環境の整備)に
>シフトしていっていると思われます。
>実際、ドクメンタや、ビエンナーレなどは、各国文化博覧会的様相を
>ますます...
という文章は、僕には意味不明。
具体的に過去50年の近代美術と現代美術の歴史を考えても、アートが
トップダウンだったりボトムアップに変わったりという事態は、全く
思い当たりませんが、いったいどんなムーブメントや批評家の言説を
前提に、おっしゃってるのでしょう?
アートは大衆の支持など無関係に、発展(進歩ではないにせよ)してきたし、これからも
現代美術のアーティストは、大衆を魅了しようなどということは、
これから先も考えないと思います。ひょっとして、ドクメンタ11で
エスキモーの記録映像とかエスニックなものが、取り上げられたことを、
ああいったものが主流になったと、勘違いされてるんじゃないでしょうか?
6648:04/06/16 16:49
>>58
この文章全体が、抽象的すぎてわかりません。
欲望を抑圧することが概念化することだと?
>思えば、現代美術という美術史は、非美術史で支えられいたという
>事実も存在します。
何をおっしゃりたいのか、良く分からないのですが、
70年代までのアーティストは、ほとんどが社会主義シンパだった
ようで、例えばカール・アンドレの鉄板や枕木、クネリスの石炭、
などなどの工業素材の使用の背景に、何らかの影響があったことは、
間違いないと思います。それに学生運動とかベトナム戦争とか、
作品の時代的背景の知識なしには、今日から見ると十分に理解できない
作品があることも事実です。ただ、良い作品は、時代を超越して、
文化的コノテーションを抜きにしても了解可能だとも思う。
たとえばロバート・スミッソンの『スパイラル・ジェッティ』とか。
僕は実際に観たことはないけど、写真を見ただけでも感動する。
6748:04/06/16 17:28
>>61
>わたしが「物語」といったのはその作家のアイデンティティと、
>それを支える文化であり、その時代に生きた文化、社会から抑圧されたり、
>見逃された素材、視点を掘り起こすことではないですか?
自分が生まれ育った固有の文化(非西洋)や西洋文化との摩擦を
モティーフにする、アジア、アフリカ、その他マイナリティ出身の
アーティストが、特に90年代以降たくさん出てきて、特色ある仕事を
してます。シリン・ネシャッドとかリクリット・ティラヴァーニャとか。
重要な点は、彼ら成功したアーティストたちは、
フォークロアをそのまんま持ち出すのではなく、現代美術が根ざす
欧米の文化との何らかの葛藤(潜在化された植民地主義への批判とか)、
欧米の眼差しにさらされた存在として、自らの文化を意識的に、
批判的意識で相対化して、欧米の美術関係者に提示する戦略に
長けていたということだと思います。
6848:04/06/16 17:45
>>62
>アーティストの作品を批評するときに、本当にその国の文化風土や、
>歴史などに触れないんですか?
人によるでしょう。フェリックス・ゴンザレス・トーレス、ガブリエル・オロツコ、
オラファ・エリアソンの作品を理解するのに、国籍やら文化的背景を、
ひとまず度外視しても何ら支障はないと思います。先進資本主義国の共通文化
を理解していれば良いので。他方で、ウィリアム・ケントリッジとかシリン・ネシャッド
とかの作品を理解するには、彼らの文化や歴史について、ある程度知っておいた
ほうが良いとは思いますが。ただ、知らなくても、彼らの優れた作品は、
十分にインパクトが伝わるとは思います。
6948:04/06/16 18:00
>>63
>なにを基準に良い作品、というのかわかりませんが
>誰某のアーティスト、作品がどうした、こうしたというのは、
>まさに好き嫌いでいいわけで、勝手にやって欲しい。
基準も何も、あなたが重要だと思える作品が何かあるわけでしょう?
そういった作品の選別、見極めなしに、しかじかの傾向の作品が、
単に多い(ように見える)という理由だけで、それらがみな駄作かも
しれないのに、
「既にある(大衆)文化環境の整備にシフトしていっている」
なんて結論付けて良いわけがないと思いますが?
48はキャットさんに似てるね。
71ひろ:04/06/16 22:03
けっこう、いろいろ作家知ってますねー。こういう意見を聞きたかった。(笑)

あと、最初から結論づけているならここに初めからレスなんてしないわけで、
ぼくは、〜と思うんですが、その点についてどう思います?
という意味なんでそれについて「駄作ではなく、いい作品見なさい、そうすれば
理解できますよ」と一蹴されれば話しは、それまでです。(笑)
布教活動と変らないと、、、。

さて、「文化環境の提示」とは、48氏の言う「ムーブメントや批評家の言説」が
はじめに、仮説、未来像として提示されたモデルであったのが、
テクノロジーの大衆への浸透、大衆文化や、生活スタイル、環境の変化、若者文化の認知度の拡大
から、それに基づくモチーフを制作者が、自然発生的に(不可避的に)選び取り、扱いだしたことに対して
記述していく言説(既にある(大衆)文化環境の整備)へとシフトしていってる(いった)
とぼくは思われます。
ただ、そこで、

>良い作品は、時代を超越して、文化的コノテーションを抜きにしても了解可能だとも思う。

が、実のところ成立するためには、

48氏の言うところの
「自らの文化を意識的に、批判的意識で相対化して、欧米の美術関係者に提示する戦略」(←うまい言い方!)
の重要性を共有出来ていないと、現代美術がどんなモチーフを扱っても、一部のものしか理解されることは
難しいのではないかなと思うのです。
逆にいえば、例えばそれを共有しえない作品は、「駄作」であり、「フォークロアをそのまんま」持ち出した枠づけが
決定(排除)されいっていると思いました。

ただ、その基準が今だんだんと、多軸化していって、現代美術が、いい意味での各現代文化交流(博覧会=工芸、高級家具を連想されてるようですが)
の役割をになっていってくれてるように思えました。

48氏は、どうやら、大衆文化とは関係ない状態が現代美術の理想の様に受けとられますが
そんな感じでしょうか?(注:別に議論とか説得しようという気はないですよ)
72ひろ:訂正と補足:04/06/16 22:16
逆にいえば、例えばそれを共有しえない作品は、「フォークロアをそのまんま」持ち出した「駄作」として枠づけが
決定(排除)されいっていると思いました。「自らの文化を意識的に、批判的意識で相対化」した非現代美術的表現(非似美術)も現に
存在している事実との共存を考えたいと個人的には思いますが、嗜好の問題だろうとぼくは結論づけています。
73すてら:04/06/16 23:23

ひろさんと48さん 似たもの同士ね
7448:04/06/16 23:51
>>71
>48氏は、どうやら、大衆文化とは関係ない状態が現代美術の理想の様に
>受けとられますがそんな感じでしょうか?
僕が述べたのは、現代美術の受容者(コレクター、キュレイター、批評家、
アーティスト)は、西洋の美術的教養をふまえ、現代美術の動向に敏感な、
ごく限られた美術関係者であり、一般大衆、マスメディアでは無い
ということです。それゆえに、逆説的に、今日では映画やTV番組のような
大衆的といわれるメディア、あるいは日本のオタク文化、ヒップホップなどの
サブカルチャー的な様々な文化が、「素材として」(このことを強調したい)
使われることが多い。大雑把に言えば、80年代以降のアプロプリエーショニズム
(シミュレーショニズム)以降の多くのアーティストが採用してきた戦略
といえます。
つまり、「大衆文化」、サブカルチャーの素材が、単純に肯定的にポンと提示
されてるわけではなく、アイロニーとか、何らかの独自な概念的味付けが重要。
化かし合いみたいに、きわどいところで、作品が機能するか、
アートとして成功するか、批評にかけられるわけで、現在進行形の
現代美術作品の価値判断は、たいへん難しいです。でも、常に多くの作品を
実見し、優れたアーティストのインタビューなどを読み、考えを理解しつつ、
鑑賞者自らが取捨選択していく中で、ごくたまに魂を揺さぶられる良い作品に
出会えることがある。そして、そういう出会いが手がかりになって、今まで
見てきた他の作品の理解が深められたり、今まで良いと思ってたものが、
実は他のアーティストの模倣だったことに気づいたり、などなど、その
繰り返しの体験が、現代美術を現実的問題として考えるベースとして
不可欠と僕は思います。
75ひろ:04/06/17 07:58
東 浩紀氏がこんな事を言ってました。

『オリジナルとコピーの対立がなくなって全部シュミラークルばかりなのだと述べてきたのですが、
この発想はどうしても作品を批評する軸にならない。それに対して僕の提案は、データベースとシュミラークル
という新たな対立軸を導入することで、新しい言葉で作品の動きや消費者の動きを捉えることができるのではないか、
ということです。 』

これは、最近の言説ではありませんが、好きな評論家の一人です。つまり、現代美術の「魂を揺さぶられる良い作品(本質)」を支える要素を問う以前に、
48氏いわく、「アイロニーとか、何らかの独自な概念的味付け」が、すでに過去の何らかのデータベースから、
援用される「ネタ」として、今や哲学体系、思想体系の細部や大筋の物語が、問われることなく、
『文脈としての現代美術』というデータベースと大衆文化のデータベースが、並列的に(区別する必然性なく)消費されていくだろうと
いう前提に僕は立っています。
「ごく限られた美術関係者」も「オタク」「一般消費者」も弁証法的な論法でいえば
同じデータベース消費者として括られていく(=嗜好)だろうと勝手に思うわけです。
どちらが「非似」かが本質ではなくなって、引用、組み合わせ自体に
各個人(「ごく限られた美術関係者」も「オタク」「一般消費者」)のオリジナリティが
出現されていくのじゃないのかなと思ってます。
76ひろ:補足:04/06/17 10:37
具体的に言えば、
48氏は、51、52、53とデュシャンの作品理解への説明をしてくれました。
そして
>常に多くの作品を実見し、優れたアーティストのインタビューなどを読み、考えを理解しつつ、、、

とあります。
これらは、すでに、この物体(対象)は、現代美術と了承されたうえでの、エキス(見出し)的理解
であるわけです。(リアルタイムにデュシャンの本質を理解したわけでなく、アーティストの引用、影響された
思想、背景を追体験したわけではないという意味で)
ある言説に対し、「簡単に言えば、つまりはこういうことだね」という事自体がアプロプリエーションを
内在した再解釈であり、その解釈が、見出し(アイコン)となって他者へと伝播する。
現代美術も、こういう積み重ねを経ているということにおいては、実のところ誰も
作品の質、オリジナルに触れて得ないし、逆説的に言えば、再解釈、再構築するところに
情報発信者のオリジナリティがあると言えると思います。

下世話例えになりますが、「エヴァンゲリオン」異常なブレイクの時に、様々な知識人が
過去の、言説、思想、を引用、参照(大きな物語)して評論に挑みましたが、それとは
別にアニメや、サブカルの中での正にシュミラークル的現状に、批評が対応出来ていなかった(笑)。
つまり、まるで、現代美術史の盗用芸術的文脈そのままに、あのアニメの情報のほとんどは、
自らアニメ、サブカルチャー体系自身からのアプロプリエーションだったわけです。
現代美術が、現代文化を批評しているように見える機能さえも、対象(素材)を現代美術的データベースという
ものでただ、再構築しているだけという可能性も視野にいれたいな〜なんて思ってます。
7748:04/06/17 16:43
>>75
なるほど、東浩紀経由でボードリャールの語彙を孫引きされてたわけですね。

>「ごく限られた美術関係者」も「オタク」「一般消費者」も弁証法的な論法でいえば
>同じデータベース消費者として括られていく(=嗜好)だろうと勝手に思うわけです。
大きな歴史が終わったと言ってる人が、弁証法は信奉されてるというのも、
不思議な感じです。それともヘーゲル・マルクス的な意味でなく、弁証法という「論理」
を使っておられるのでしょうか?
>どちらが「非似」かが本質ではなくなって、引用、組み合わせ自体に
>各個人(「ごく限られた美術関係者」も「オタク」「一般消費者」)のオリジナリティが
>出現されていくのじゃないのかなと思ってます。
現象的には似た構造が、現代美術の世界、日本的オタク世界などなどに現れている
からといって、それらの別々の世界の住人を、「同じデータベース消費者」とくくって、
差異を解消する見方は、味噌と糞を一緒にしてるだけだと思います。
ごく限られた美術関係者によって維持されてきた西洋近現代美術は、
西洋文化のなかに権威付けられた存在、いわゆるハイカルチャーなわけで、
だから国家的支援も得られ、公共の美術館も維持されているわけで、
だからこのようなスレッドで、無駄ともいえる話を長々とやってたりも
するのですが。
7848:04/06/17 17:17
現在の日本の文化的環境において、現代美術を抑圧することが、
意図的に行われているように思える。
過去の美術品の模倣、再生産によって、利益を得ている利益共同体
(日本画、洋画、彫刻、工芸、古美術など)が、大きな力を持っていて、
そういう団体と画商、画材屋、美大、美大受験予備校など、古いシステムの
維持により、既得権益を守ろうとする勢力が、美術メディアのスポンサー
となっており、現代美術のマーケットは無に等しいので、美術メディアは、
現代美術が何か特殊な、美術の1ジャンルに過ぎないように扱っている
という印象を受ける。美術批評も八方美人的な印象批評ばかり。
欧米では美術メディアのスポンサーは画商。
現代美術は大きなマーケットで、現代美術を専門に扱う、強い画商がたくさんいる。
現代美術に特化した、複数のメディアが発行されている。
当然批評も日本とは比較にならないほど成熟している。
欧米人の美術鑑賞者にとっては、彼らの伝統的文化が発展してきた現在形が、
現代美術だという認識がある。
行政も小学校の授業で現代美術館にも足を運ばせ、自分たちの文化を理解させる
教育を行っている。
79ひろ:04/06/17 19:21
>それともヘーゲル・マルクス的な意味でなく、弁証法という「論理」
を使っておられるのでしょうか?

まさに。というか、大きな物語の崩壊というのは、その由来とディテールが
切断され、別の論法に接続されて新しい「系」をなす現象だと理解しています。
つまり、「信奉」ではなくなってきている。

78で言っている事 よくわかりますね。
「現在の日本の文化的環境において、現代美術を抑圧することが、意図的に行われているように思える。」
ように感じるのは、多分48氏が現代美術側の立場で考えているからだと思います。
つまり、枠をもうけると枠からはずされたものが抑圧されるわけです。
ここ最近の日本のアートマーケットの様相は、日本と西欧のギャップを
解消しようとした一つの戦略であると思いますし、48氏の言う
「現代美術の受容者は、西洋の美術的教養をふまえ、現代美術の動向に敏感な、
ごく限られた美術関係者であり、一般大衆、マスメディアでは無い」
現状を打開「したい側」の一つの動きであることは事実です。
確かに今、現在進行中ということで、どうなるか検討つきませんが。


>だからこのようなスレッドで、無駄ともいえる話を長々とやってたりもするのですが。
もともと、会話や、おしゃべりなんていうのは、無駄と思えば無駄であり、有益と思えば有益である。
その程度のものです。2ちゃんごときに期待してはいけません。(笑)
でないとここまで無駄なスレッドにわざわざレスした48氏自身の行動に跳ね返ってきます。(笑)
わたしはおしゃべり出来て楽しかったですよ。いろいろ「いいまわし」を学習出来ましたし。

そろそろ潮時かと思いますんで、お開きにしましょうかね。
おつきあいありがとうございました。
80ひろ:補足:04/06/17 20:55
77>「同じデータベース消費者」とくくって、
差異を解消する見方は、味噌と糞を一緒にしてるだけだと思います。

立場の違いだけですよ。48氏は、都合のいいところに、糞という解釈をし
自己肯定したいところで、味噌を持ち出している。(笑)
いや、別に煽っているわけではなく、マジレスで、
つまり、大きな物語とはまさに「信奉」であり「絶対視」であり「真理」への道なんです。
それだけの思想に根ざした生活をしてない一貫性のなさ、逆に言えば、嗜好レベルの使い分けが
まさに、「データベース消費者」たる所以なんですね。現代美術の論理と
資本論理とを都合よく使い分けて生活している48氏が、一方を「糞」といったところで
自分も「糞」と同じ行為をしていると自覚しないかぎり、この「データベースとシュミラークル」の
問題は、根深いものだ理解出来ないかもしれません。(理解しなくても生きていけますが(笑))
当時のヘーゲル・マルクス自身が、思想そのものを生き方で、体現していたように
48氏が実践しているのなら、他方を「糞」と言える権利はあるかもしれませんね。
「嗜好」といったのはそのことです。

では。
8148:04/06/18 02:07
>>80
>大きな物語とはまさに「信奉」であり「絶対視」であり「真理」への道なんです。
僕は今の現代美術を大きな物語だとは思ってません。モダニズムの進歩を信奉していた
歴史観は崩壊した。しかしアートは現代美術として残っている。
僕が信用するのは、個々の優れた作品との出会いの経験。それだけ。
逆にひろさんは、日本版現代思想ダイジェストをマニュアルのように信奉し、
都合よく元の文脈を無視して利用されておられるだけのように受け取れ、
何かリアリティを伴った、首尾一貫したお話を伺えたようには思えません。
>それだけの思想に根ざした生活をしてない一貫性のなさ、逆に言えば、
>嗜好レベルの使い分けがまさに、「データベース消費者」たる所以なんですね。
データベースのデータの真贋の判断は、消費者の責任です。ゴミばかりの情報
ソースはジャンクベースとでも名付ければよいと思う。何がゴミで何が貴重な
宝なのか、個々人の判断で選び取ることが求められる時代。つまり個々人の「嗜好」
自体の、質が問われる時代なのだと思う。
ということで、僕も投稿を打ち切ることにします。
82ひろの素朴な疑問:04/06/18 12:43
48氏は、矛盾にきずいてない。
ひとりごと。

>アートは現代美術として残っている。
>僕が信用するのは、個々の優れた作品との出会いの経験。それだけ。

「個々の優れた作品」「質」の判断基準はすべて嗜好です。

その時点で、48氏は、他方でゴミだと言っておきながら、そのゴミを消費している
自分に気付いておられるだろうか(笑)
83ぽー:04/06/18 18:44
確かに「個々の優れた作品」「質」というのは判断基準を提示する団体や
権力保持者、そして個人にゆだねられているからね。
結局、現代アートはその筋の人にとったら凄く新しく崇高なものかもしれないけど
興味を持たない一般の人からみれば必ずしも「優れた作品」でもないだろうし
「質」が高いとも限らないし。
今、世界で一番売れている作家は間違いなくトーマス キンケード
(あらゆるショッピングモールに自分のギャラリーショップを持ち
自分達のコミューンを作り全米で最も売れている=一般の人々に愛されている
アーティスト)だろうけど
この現状を現代アート側の人間はどう捕らえるべきなのだろうか?


8448:04/06/19 06:41
>>83
>今、世界で一番売れている作家は間違いなくトーマス キンケード
こんな絵描きがいることをはじめて知りました。
公式サイト
thomaskinkade.com
日本語でキンケードの制作を紹介してるサイト
http://homepage1.nifty.com/hidex/left3/kinkade.html
この人の絵画はキャンバスに印刷したものの上に絵の具をのせて、
(もちろんアシスタントにやらせてるんでしょうが)、本人のサイン
を入れて出来上がりというシロモノで、それを100ドル以下で多売
してるわけですね。この人の扱うテーマは宗教と愛国心みたいですから、
アメリカで一般人に買われているのでしょう。こういうものはアートの
雑誌では決して取り上げないし、現代美術のマーケットとは全く
無関係なものです。マーク・コスタビのほうが、いくぶんマシに見えます。
まあ、こんなものでも、ひろさんの主張では、アートとして同列に扱えと
いうことに、なるのでしょうが・・・。
ピカソの『アビニョンの娘たち』だって当時の一般の人が支持したという
ことは決して無いし、50年100年たって、やっと一般のレベルでも
愛好者が出てくるという、昔からそういうものなんです。ピカソでも
ウォーホルでも、ごく限られた欧米の美術関係者によって評価が確立された
のであって、一般大衆によってではないのです。
8548:04/06/19 07:40
ひろさんとの対話は終了しましたが、本来の本スレッドの趣旨に即して、
もうすこし補足意見を書きます。
>確かに「個々の優れた作品」「質」というのは判断基準を提示する団体や
>権力保持者、そして個人にゆだねられているからね。
つまんなそうに見える茶碗が、日本ではえらい高値で取引されていて、
値段を見積もる専門家が、「目利き」とみなされて、権威をもってるようですが、
美術のマーケットも、大方似たようなものと言えるかもしれません。
コレクターは、作品を手放すつもりはなくても、購入した物件が、
将来価値が上昇すること、少なくとも値崩れしないことを期待するでしょうから、
現代美術の作品は、評価が完全に確定していないという点で、投資として
考えれば、リスクが大きい。でも欧米の大金持ちのコレクターは、単に
投資と考えるだけでなく、現代美術のコレクションを持つことが、
自分のステータスを上昇させると考えているのでしょう。実際、自分の邸宅
を1晩だけ一般に開放して、ある現代美術の若手アーティストの展示会とパーティー
をやった人がいて、僕も招待されたわけでもなく出かけて、結構おいしい
料理やワインを楽しめました。昨年のヴェネツィア・ビエンナーレに参加した
29か30歳くらいのアーティストで、ほんの数年前まで、僕の通う美術学校の
学生だったのですが、いったん有力ギャラリー、スポンサーの後ろ盾が
つくと、一躍のし上がって行ける世界です。ほんとに正直な話、うらやましいです。
86ひろ:04/06/19 10:53
アートとして扱えとは一言もいってないですよ(笑)
アート以外の面白さは、アートとは無関係なのかとということ。

>つまんなそうに見える茶碗が、日本ではえらい高値で取引されていて、
値段を見積もる専門家が、「目利き」とみなされて、権威をもってるようですが、
美術のマーケットも、大方似たようなものと言えるかもしれません。

>現代美術のコレクションを持つことが、
自分のステータスを上昇させると考えているのでしょう。

同じような世界が、アート意外にも沢山あるんです。

ある価値を「信奉」するものにとっては、それが認められず、
いかに自らの理想とする道が「優れ」それを言わんがために、他を「糞」と言いたがるもんです。

別に「こういう見方」「こういう考え方」が「好きなんです」と言えば、いいんじゃないでしょうかね。
自分のやること、望む事を「価値あること」になぜ、すりかえるのか、、、。
一つ価値ある事をつくれば、それを価値ならしめるために、いちいち「価値のないクズ」を
定義していかざるを得ないということ。
それほど、純粋に「正しい、あるべき美術」をめざすなら、
それ以外の都合の良い消費をやめたらいい。それぞれの面白さを語ってほしい
だけであって、他を「クズ」という人には本当の「現代美術」の面白さを語れない
んじゃないかと、疑ってしまう。

87ぽー:04/06/19 12:27
48氏、レスさんきゅー。
なんで俺が美術史を知っている人間からすればゴミにしか見えない
トーマス キンケードの話を出したかと言うとあなたのレスポンス
を予想し得たからなんですよ。
結局、現代アートの直面している根本的な問題がそこにあるからなんですよ。
キンケードの商売のやり方はまさしく社会、道徳主義にそって美術史の
バックグラウンドを持たない人が癒される為に購入しているわけで、
現代アートの枠だけでコマーシャルの要素をシュミレートしている
村上やコスタビ以上に金銭的にも社会的にも成功しているわけですよ。
それなのに芸術的に評価されないと言うのは結局は現代アートの権威
が評価しない(主観的な)と言う問題なんです。


88ぽー:04/06/19 12:35
つまり、現代美術は前衛でなければいけないと仮定したとしましょう。
そうすると結局、ゴミ、良質な物の判断基準が足枷となり現代美術の
中にいる権威者のゲームの材料になる恐れがあるんじゃないかな。
だから現代アートを信じる者にとってなるべくオープンな視野を
持たないと作品を楽しむ事は難しいと思うよ。
そういう事をひろ氏は言っているのだと思う。
89ぽー:04/06/19 12:43
キンケードは自分でギャラリーや会社を運営して既存のギャラリー
やミュージアムのシステムに乗っかっていないだけで自分のアートの布教
をしている訳で、見るに耐えないクラフト的なテイストはクーンズのそれら
と実際そこまで変わらないと思うよ。
現代アートのサーキットに入らないとそれをアンチテーゼとして認められない
というのはおかしくないかい?
90ぽー:04/06/19 13:03
仮に現代アートを志を持った人がキンケードの作品を模写をして
現代アート作品として出品したならばそれはアートになりうるだろうし
それをやってきたのがクーンズや村上じゃないのかな?
現代アートの作家は脱アートまたは脱アートシステムを使命として作品を
作っているのだろうけど、そのアートのシステムのそとで脱現代アートシステム
を作り上げている人間に対して冷たいのは前衛という概念をもった者として
心が狭くはないかな?

自分も現代アートが好きなのだけどそういう事を考えずにはいられないので。
過去と未来のすり替え。
消失と出現。
遺伝子さえやがては変化する。
不変などこの世にはないのだよ。
9248:04/06/19 22:58
>>88
>つまり、現代美術は前衛でなければいけないと仮定したとしましょう。
>そうすると結局、ゴミ、良質な物の判断基準が足枷となり現代美術の
>中にいる権威者のゲームの材料になる恐れがあるんじゃないかな。
まさしく現代美術の価値評価システムは、ゲーム的だとおもいます。
批評家、キュレイター、画廊経営者、それぞれが新しいムーヴメントを
つくりだす、あるいは便乗する、せめて乗り遅れまいとすることに
必死になってるんだと思う。そのために新興勢力は、既存の価値体系を
崩そうとする。ただし、表向きはあくまで、理論的な理由付けが必要で、
美術史にのっとった正当化が試みられる。
そういう価値体系を転換させようとした、典型的な例と僕が感じるのは、
80年代の初頭に、世界各地でほぼ同時に起こった、「新表現主義」の運動です。
日本ではニューペインティングと呼ばれてましたが、ドイツのキーファー、バゼリッツ、
イタリアの3C(クッキ、クレメンテ、キア)、アメリカのシュナーベル、
バスキア、キース・へリングなど、表現主義的具象絵画を手がけるアーティストが、
どういうわけか一斉に脚光をあびてアメリカの現代美術のマーケットで馬鹿売れし、
日本にもアメリカ経由で、これらのアーティストの作品が入ってきた。
コンセプチャルアート全盛だった70年代には、美術関係者はおそらく誰も10年後に
こうした事態になることを予想できなかったと思う。
この変化の経緯を調べるのは、現代美術の動向の不確実性を認識する上で有意義だと思う。
9348:04/06/19 23:23
>>89
>見るに耐えないクラフト的なテイストはクーンズのそれら
>と実際そこまで変わらないと思うよ。
僕はジェフ・クーンズを高く評価してます。ウォーホル以後の
アメリカ現代美術史を語る上で、欠かせないアーティスト。村上だって
はじめにクーンズが等身大の人形を発表してなければ、等身大フィギュアの
着想は出なかったと思う。彼が油絵の職人的ペインターに発注して描かせている、
絵画シリーズも、アメリカ的俗悪的パラダイスに対するアイロニーに満ちてると
思う。キンケードは、天然でああいうラッセンみたいなことをやってる
わけで、あの絵で何万人のアメリカ人が癒されようと、キリスト教伝道番組を見て、
感激して涙を流す人々が何十万人いようと、それがメジャーな文化としては、まともに
扱われないのと同様に、ハイアートの文脈で扱われ得ないのです。
(キンケードが美術雑誌を買収してしまわない限りはですが)
しかし、現代美術の1素材として、こういう現象を皮肉ることは、やり方によっては、
十分にアートとして評価され得ると思います。
94ぽー:04/06/19 23:29
2000年に入ってからはまた「ネオ新表現主義的」なトレンド
(あえて運動ではなくトレンドという言葉を使いますが)になってきてると思います。

>コンセプチャルアート全盛だった70年代には、美術関係者はおそらく誰も10年後に
こうした事態になることを予想できなかったと思う。

今の現代アートの状況では予測可能になりつつあるんじゃないのかな?
実際、数年ごとに絵のリバイバルだと称して「ネオなになに派」って感じで
絵がもどってきて、それが飽和状態に入るとまた映像やインスタレーションが
主流になりって感じで。
作り手はスタイルを変える事はそうそうないけどアートマーケットのトレンドは
すぐ変わるしね。
ポップミュージックのトレンドの動向が結構予測可能なように現代アートの
トレンドも予想しやすくなっているのは確かじゃないかな?
95ぽー:04/06/19 23:46
>あの絵で何万人のアメリカ人が癒されようと、キリスト教伝道番組を見て、
感激して涙を流す人々が何十万人いようと、それがメジャーな文化としては、まともに
扱われないのと同様に、ハイアートの文脈で扱われ得ないのです。

アメリカでもキンケードは現代アート側の人間から見ればゴミ扱いだし
嫌われ方もクーンズ以上ですよ。
しかし、一方でキンケードを違う角度から観察している現代美術家も
いて、これからいろんな議論が行われる様になると思う。
実際、アメリカの現代アート側の人間も嫌悪感を持ちつつも無視出来ない
存在だろうし。

ここで俺が言いたいのは、美術史に名前を残す事が必ずしも良いアートだと
断言出来ないと言う事です。
具体にしろほとんど西洋のアーティストが興味を持たなければ日本でも
評価されずにそのまま歴史に残らなかったかもしれないし。。。
9648:04/06/19 23:50
>>92
の補足説明。
イタリアでは、80年頃に批評家でキュレーターでもある、
アキレ・ボニト=オリーヴァが、トランス・アヴァンギャルディアという
新語をつくって、フランスから輸入されたポスト・モダニズム理論を援用しつつ、
絵画のリヴァイヴァル運動を理論的に後押ししました。
つまり前衛(アヴァンギャルディア)という概念は、美術が進歩するという考えの
終わりとともに、無効になったんだけれども、ノマド的に美術史、さらに従来は
ハイアートの世界では価値を認められず、抑圧されてきた風俗的な大衆文化をも
取り込んで、それらの境界線を自由に横断していくアートは、決して後ろ向きな
退行現象じゃないんだよと、言葉巧みに正当化したのです。
トランス・アヴァンギャルディアのアーティストとして、彼は3Cと
ミンモ・パラディーノ、ニコラ・デ・マリアの5名を選び、彼らの展覧会を
国内外でキュレートしました。ニコラ・デ・マリアだけは抽象画家で、
他の4人とは明らかに作風が異なるのですが、何で選ばれたのか僕には説明
できません。
97ぽー:04/06/20 00:06
>ハイアートの文脈で扱われ得ないのです

そこなんだなー多分、俺が引っ掛かるのは。
脱ハイアートを唱いながら結局はどっぷりとハイアートのシステムに依存する、という
現代アートのレトリックに嫌気がさす事が多くなってきたよ。
9848:04/06/20 00:22
>>94
>ポップミュージックのトレンドの動向が結構予測可能なように現代アートの
>トレンドも予想しやすくなっているのは確かじゃないかな?
今年のホイットニー・ビエンナーレについて、保守的な美術メディアでは
絵画の復権といった見出しで扱ってました。僕は実際には金欠なもので
行けなかったんですが、最近カタログを入手したところ、確かにヴィデオアート
全盛の頃よりは、ペインティング、ドローイングが増えたような感じもします。
といっても似たり寄ったりで印象に残るものは無かったです。
(まだあんまり詳しく見てませんが)
エリザベス・ペイトンやジョン・カリンの絵は、僕は大嫌いなんです。
特にペイトンについては、彼女が評価される裏に、何か公にされない事情が
あるのかと勘ぐりたくなるくらい。長い眼でみれば淘汰されて消えていく
んじゃないかと、今のところ思ってますが。マシュー・バーニーのほうが、
圧倒的に面白いし、これからも期待できると思ってます。
トレンドとしての絵画の流行は、やはり取り扱いやすいので、コレクター側の
ニーズが関係してるんじゃないでしょうか。
9948:04/06/20 08:13
>>97
>脱ハイアートを唱いながら結局はどっぷりとハイアートのシステムに依存する、という
>現代アートのレトリックに嫌気がさす事が多くなってきたよ。
ピエール・ユイグが公演で、こんなことを言ってました。
君たち若いアーティストは、現代美術は自由な世界だと思ってるかもしれないが、
実はとっても制約が多いんだと。具体的に、何がとは言ってませんけど。
例えばスポンサーである企業を皮肉った作品を発表すれば、そのアーティストは、
どこのギャラリーからも敬遠されてしまうだろうという意味のことを、
僕の学校の絵画科の教授が言ってました。ハンス・ハーケは、かなり例外的に
アートシステムと資本家とのつながりを批判的に暴露した作品を作ってますが、
とても勇気あることだと思います。旧社会主義国出身のアーティストは、
まさに表現の自由が制約された社会で、経済的成功はもともと望めないなか、
ある意味純粋に体制批判を盛り込んだアートを実践していたわけですが、
西側に亡命したり、さらに社会主義体制自体が崩壊した結果、従来のテーマ
自体が、西側世界では通用しなくなり、途方にくれる経験を味わった人が
多いそうです。マリーナ・アブラモヴィッチにせよイリア・カバコフにせよ、
そういった危機を乗り越えて、薄っぺらい流行とは無縁に、従来の自らのテーマを
掘り下げ、リニューアルして、歴史に残る優れた仕事してきたアーティストの
存在は貴重だと思います。一般化しすぎるかもしれませんが、最近ではヨーロッパの
アーティストの方が、アメリカ出身のアーティストよりは精神的バックボーンが強く、
作品コンセプトもしっかりしている傾向があるように思います。
極端に保守化してるアメリカ社会が悪い影響を与えてるのかもしれません。
>>96
>ノマド的に

(笑)
101ぽー:04/06/20 12:18
>最近ではヨーロッパのアーティストの方が、
>アメリカ出身のアーティストよりは精神的バックボーンが強く、
>作品コンセプトもしっかりしている傾向があるように思います。

まあそれは的をえているかもね。
南米、中国、中近東、旧ロシア近辺のアーティストは政治的な意志を内に秘めながら
快楽主義的な資本主義圏のアーティストのアクションを冷ややかに見ているだろうね。
それは冷戦構造崩壊後の賜だよね。
102わたしはダリ?名無しさん?:04/06/20 13:04
真の現代美術は、ジャンルを越えた、地球上の様々な表現を相対化することを目的とするからいいんだよ。
既存のどっかで読んだことあるような、現代美術情報だけ追っかけてるようじゃ、まだまだだな(w

いい作家を見つけた。で作品からどんなメッセージを受け取った?
そ れ が 大 事 だ 
歴史に残りたいがために彼らは、やってるのか?
その時代時代に反抗しているだけなんだよ。
だから、胸を打つんだよ。
ゲームだなんて言っているのは、株価上下の動向しか興味ねえやつだけだ!!!。
なーんてね。
>>101
>まあそれは的をえているかもね。
正しくは「的を射ている」か「当を得ている」
104ぽー:04/06/20 14:49
>ゲームだなんて言っているのは、株価上下の動向しか興味ねえやつだけだ!!!。

そうだよね。
例えば1000人のアーティストがいてアートのサーキットで通用する
ギャラリーに30人所属していて、その30人の中の10人が美術館で
個展が出来るとして、残りの970人は評価の対象にもならないって
あまりにも無理がある。
結局、評価する側も見たい物しか見ていないことになる。
だから判断基準をビエンナーレや雑誌に頼ると今のアートの3%未満の
事だけしか知らない事になる。
まあ、動向を全て追うのは不可能だけど。。。

訂正サンキュッ。
105ぽー:04/06/20 14:55
ひろ氏、そろそろ帰ってきてよ。
馴れ合い的なスレになるのは良くないからここらでスレ主の
主旨にそった議論が出来ればいいんじゃない?
>>104
>例えば1000人のアーティストがいてアートのサーキットで通用する
ギャラリーに30人所属していて、その30人の中の10人が美術館で
個展が出来るとして、残りの970人は評価の対象にもならないって
あまりにも無理がある。

その1000人ってどこのどんなアーティスト?
107わたしはダリ?名無しさん?:04/06/20 15:10
まあ、現代美術という枠を外して創作活動している全ての人だね。
と言うのは今、制作されている物は全て同等に扱われる必要性があるから。
コンテンポラリー、クラシックってカテゴリーは無意味だと思うから。
結局はその作品が過去の作品より革新的な部分があり、更に将来ナニかに
つながって行ける様な要素を持ち得るかどうかと言う事で。
ヘーゲルが誤読されている…
109わたしはダリ?名無しさん?:04/06/20 16:23
良スレ認定
>>107
勝手に枠外すなよw
111わたしはダリ?名無しさん?:04/06/20 17:13
>>80
当時のヘーゲル・マルクス自身が、思想そのものを生き方で、
体現していたように

付け焼き刃の知識は見苦しい。
112ひろ:04/06/20 18:01
ぼくが、言いたい事、ぽーさんが言ってくれちゃったみたいですね。
個人的にぽーさんと一杯やりたい気分です。(笑)

実は、このスレ、かなり古いんですよ。
「枠と枠の外」という部分でそれぞれ訪れたかたの美術に
対する枠付けをカキコしてもらおうと、かなり、主旨は限定あえてしませんでした。
しかし、やはり、現代美術という枠づけの話しを始めると「日本と、本場のシステム」
という流れになってくもんですね。
一度放置したスレなので、自然な流れに任せます。(無責任!)

113ぽー:04/06/20 18:50
根本的に現代アートと前置きしなければ現代アートとして成立しないと言う理論
は、それこそ現代アート(前衛)たる資格が無いと言う事なのだと思う。
だからあえて、絵画、デザイン、建築、音楽、パフォーマンス、その他の
あらゆる創作活動(たとえそれがイラスト風であろうが、コマーシャル的であろうが)
を一旦すべて同じテーブルに乗せて議論しない限り結局はジャンル分けや
好き嫌いなどの主観的な議論にしかならないんじゃないかな。
だから、ひろ氏の言った『メタ美術議論』とは表裏一体になっている事柄を分けて
考えるとまず議論にすらならないんだよね。
結局、自分が現代美術から学ぶ事があるなら、自分のイマジネーションが自分の
限界を作る事もあるし、また限界から解き放たれる事もあるって感じかな。
まるで禅問答のようだね。 discorse
114ひろ:04/06/20 21:27
まったく同感!

当時「 VS 」とつけた時点でそのことをあまり理解していなかった。
というか、自分が美術やる上で、あまりにも既存の美術の情報量に圧倒され
迷っていた。
でも、向うの美術家の話を伺ったりするうち、全て地続きなんだなって思えてきた。(若造です)
西欧は、ファインの本場というだけあって、実はクラシックとコンテンポラリーは
現在進行形(生きているという意味で)なんだよな。つまり例えは変かもしれないけれど、いきなし前衛ではなく
建築なら建築、ダンスならダンス、もちろん油絵なら油絵、ときには木材なら家具職人のもとで
徹底的に、クラシック(モダン)を学ばされる。学んでる。
インダストリアルデザインも差別なく「意匠」を学ぶ。
っていうか、「現代美術は、日常という名の美術の中にちょこっと垣間見える非日常と言う感じか。
非日常も、限り無く続く日常に取り込まれる。故に日常を大事にしましょう」と言われたよ。

いずれにしても「現代アートとそれ以外」という捉え方はされていないんだよね。
一見華やかに見えるアートシーンの裏は、一つのテーマで地味〜に制作してる
アーティストばっかだったりする。いや、自分のテーマが見つけられただけその人の人生では
成功なのかもしれないね。

日本は、クラシックと現在が、断絶して評価軸がない。というか地味に作家活動支えていけるような
幅広いマーケットが出来ていないということかな(村上隆氏いわく)
さて、日本クラシックの継承者は、、、?
と、、、これまた禅問答だ。
11548:04/06/21 00:18
>>95
>ここで俺が言いたいのは、美術史に名前を残す事が必ずしも良いアートだと
>断言出来ないと言う事です。
僕は美術史(もちろん唯一のアートである現代美術の歴史という意味)に残るには、
厳しい淘汰を生き残る必要があるので、10年間以上世界のアートワールドの第一線で
活躍できたアーティストは、優れた、良い、歴史に残るアーティストと言ってよい
と思います。20年以上続けられれば巨匠と呼べるでしょう。
美術史に残るアーティストかどうかを判断する基準は、あくまで僕の場合ですが、
どれだけオリジナルで良い作品を残したか、ということがまず第一ですが、
その他に、自分が好きか嫌いかは別にして、その作品が他のアーティストに、
どれだけ影響を与えたか、どれだけ批評家に言及されてるかということも参考
にします。そういう意味では、バスキアやゴンザレス=トレスは、若死にして
活動期間が短くても、歴史に残るアーティストだと思ってます。

>具体にしろほとんど西洋のアーティストが興味を持たなければ日本でも
>評価されずにそのまま歴史に残らなかったかもしれないし。。。
日本では西洋に比べて、まともな近代的批評システムは機能していなかったと
思いますので、具体美術協会を例に出すのは、あまり適切ではないと思います。
日本での低い評価にもかかわらず、同時代的に西洋美術世界に情報発信しつづけた
ことが幸いして、後になって先駆者として正当に評価されるようになったと
言うべきでしょう。現代美術の批評空間は、長期的に見れば公正に、良いものだけを
残すように機能していると思います。
11648:04/06/21 00:56
48の僕の投稿以来の、すべての投稿を読み直してみたのですが、
57で、現代美術が嗜好品だと言われて、多少腹が立ったため、反論の中で、
きつい表現をしてる点があったことを少々反省しました。しかし僕の発言内容は
首尾一貫しているし、矛盾があるとは思えない。
アートの現在形は現代美術のみであり、近代美術を反復、模倣する態度は、
職人であると思う。ただし、僕は職人の作る工芸品を、嗜好品とは呼んだが、
糞とかゴミ呼ばわりした覚えはない。工芸品には工芸的価値があるということは認めている。
80や82でのひろ氏の不当な決め付けは、不快ではありますが、2chではよく見かける、
くだらない罵りあいに発展するのは本意でないので、反論を自重しました。
僕はとびきり頭が柔軟な人間だと自認していますので、このスレッドで、いろいろな意見を読むことで、
自分の考えが間違っていることが分かれば、それを訂正することに躊躇はしません。
日本の美術なんて結局アジアのオリエンタル趣味としてしか
認知されてないだろ。
論点をちゃんと国際サーキットで語れよ。
少なくとも国内に現代美術のマーケットと呼べるものは未だに存在しないと。
それで日本の現代美術作家や関係者は、ハイアートのプライドのみにしがみついている印象があります。
もっとも粉山某ギャラリーなど新しい動きの人たちは違うのでしょうか?
119ひろ:04/06/21 02:09
嗜好と言う意味は、そんなに腹が立つことなんですかね。
ぼくは、嗜好と言う言葉は、人間の感情の素直な発露、理性以外の最終的な感情面を大切に
思っている理由から嗜好という言葉を使っただけですよ。

嗜好:たしなみ、好むこと。趣味。
嗜好品:栄養のためでなく、味わうことを目的にとる意

これのどこが失礼なんでしょうかね。
ひとえに48氏自身のものの考え方でしょ。

48氏が提示した、「糞」という比喩、「ゴミ」という比喩、すべてメタファーとしてぼくは
言葉を受けとって、その言葉どおりにぼくは、返球しただけですよ。
48氏がもし、糞に対応する対象を「A」、ゴミを対象とするものを「B」と言っていたならば、
ぼくは、「A」,「B」という言葉で、返球したことでしょう。
ただそれだけですよ。
もし不快なことがあれば、皮肉なんて言わず、その場でストレートに
「それは不快に感じた」と言ってください。
そこからそれをきっかけに、新たな会話につながるから。


そして、工芸品という「言葉」もメタファーです。

「〜には、〜的価値がある」といった枠づけ、カテゴリをとっぱらってみませんか?

ぽーさんの
>根本的に現代アートと前置きしなければ現代アートとして成立しないと言う理論
>は、それこそ現代アート(前衛)たる資格が無いと言う事なのだと思う。

これでしょ!やっぱり!(笑)
120わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 02:20
宇川直宏って現代美術なのか?
彼はどこの大学出身なの?
12148:04/06/21 04:15
>>119
>嗜好品:栄養のためでなく、味わうことを目的にとる意
嗜好品というのは、コーヒーやお茶のことをさすんですよ。
僕はひろさんの言葉遣いに、いちいち反応することは2度としないつもりだけど、
もっと普通の言葉で素直に書いてもらったら、もうすこし僕にも反応のしようがあったと思いますよ。
>そして、工芸品という「言葉」もメタファーです。
>「〜には、〜的価値がある」といった枠づけ、カテゴリをとっぱらってみませんか?
「工芸品には、工芸品なりの価値がある。」ということを116では言ってるにすぎないのですが。
確かに工芸品を作ってる人が、アートを創造してると思い込んでる場合ってのは、
古今東西よくあることですね。
僕の考え方では、例えばクラシック音楽の演奏家は、いくら優れた演奏技術を持ち、
優れた解釈を観客に提示できたとしても、彼が演奏する曲を作った作曲家と、同格
のアーティストと認めることはできません。またアレンジがうまいだけの、
パクリばかりの作曲家は、たとえ大衆的人気を博そうが、僕は評価できません。
優れた職人には、それなりの敬意を表しますが、アートというのは、そういう職人技術によって、
成立しているわけでは無いと思う。
>ぽーさんの
>>根本的に現代アートと前置きしなければ現代アートとして成立しないと言う理論
>>は、それこそ現代アート(前衛)たる資格が無いと言う事なのだと思う。
>これでしょ!やっぱり!(笑)
僕は、80年代以降の現代美術においては、前衛という概念は無効になったと、
何度も述べてますし、引用されたぼーさんの主張が、僕の発言とどのように関係して
いるのか、批判なのかすら、よく理解できません。
現代美術としての前置きって?普通展示においてはそんなことしませんけど。
ひろさんは、本当に制作する側の方なんでしょうか?
僕は日本国外で現代美術を学び制作しつつ、なんとか這い上がろうと
してる人間です。ひろさんが話されたという「向うの美術家」というのは、
僕には現代美術の世界からは、外れてる人のような印象を受けます。
122ぽー:04/06/21 04:40
一般的に『現代美術』って言葉があたかも一つのジャンルとして使われてる
と思うのだけど(自分も実際、何となく便宜上、使ってるのだけど)、
実際は、その言葉に『前衛、又は革新的なアート』であって欲しいと
言う期待観がもともと込められているはずだよね。
その革新的な姿勢というのは、後戻りしてはいけないという暗黙のルールが
そこにあるから、必然的にクラシック的なテクニック、そして理論を受け継ごう
とする人達の作品をはなっから排除しようとし『差別化』をはかる意味合い
で使われていると思うんだ。
だけど実際は今を生きる表現者にとっては全てがコンテンポラリーだと
言う事には間違いないんじゃないかな。
だから、本当は『現代美術』の称号は常にその時代に制作された作品全ての中で
最も革新的、前衛的な作品に送られるべきな最終的な『称号』でなければ
ならないはずなんだと思うね。
しかし、それを『現代アート』と言う枠組みを権力化したとたん、現代アートの
中でしか成立しない作品が乱立するはめになる。
『称号』は目指すものではなくて、結果的に与えられるものじゃないかな?
123ぽー:04/06/21 04:53
>僕は、80年代以降の現代美術においては、
>前衛という概念は無効になったと、何度も述べてますし、

美術が学問として成立している以上、常に過去の作品との関連した
歴史的検証が行われるよね。
それはやっぱり言葉では『前衛』は古臭く聞こえるかもしれないけど
実際、アートを見る人はナニなにか過去にあった作品より新しい物を
期待してるはずじゃないかい?
124ぽー:04/06/21 05:14
>僕の考え方では、例えばクラシック音楽の演奏家は、いくら優れた演奏技術を持ち、
>優れた解釈を観客に提示できたとしても、彼が演奏する曲を作った作曲家と、同格
>のアーティストと認めることはできません。

自分はむしろ、そういう伝統的な芸術があるから革新という理論が成立すると言う
考えなんでテクニックを持った人たちは尊敬するね。
実際、自分も制作する側だけど技術は絶対的なものだからね。
ただし、その絶対的な技術が自分の作品をつくるうえで必要とは限らないけど。
だから48氏の言っていることは二元論的な事だよね。
つまり、月と地球は違うって言ってるにしかすぎないんじゃないかな?
昔の日本人は夜空の月を見上げて花鳥風月って考えがあった、
遠くに見えるものも近くにあるものも全て自分の生活と一体化
してるって事だと思うけど、月を地球から切り離す事は闇夜を照らす
光が無いって事じゃないかい?
125わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 05:48
126ぽー:04/06/21 05:50
>少なくとも国内に現代美術のマーケットと呼べるものは未だに存在しないと。

やはり、マーケットを育てるには日本の税金制度が変わらないと難しいよね。
アメリカでは美術品の寄付で免税してくれる制度があるから、コレクターが
税金を払う代わりに以前に買った作品の価値が上がったあとにそれ相応
の額面で公共の美術館に寄付する。
公共の美術館にその作品が収蔵される事によってその作品価値が上がり
作家自身の価値も上がりセカンダリーマーケットが活性化する。
セカンダリーマーケットが活性化する事によって、青田買いしようと
若手の作家の作品を買う動きが出てくるって感じなのかな。
12748:04/06/21 06:25
>>122
>だけど実際は今を生きる表現者にとっては全てがコンテンポラリーだと
>言う事には間違いないんじゃないかな。
同意します。
>だから、本当は『現代美術』の称号は常にその時代に制作された作品全ての中で
>最も革新的、前衛的な作品に送られるべきな最終的な『称号』でなければ
>ならないはずなんだと思うね。
それは理想論だと思いますが、実際のところ欧米の現代美術の批評家の視野に入るには、
ある展覧会がどこで開催されるかということ、その場所が現代美術にとって、権威のある
場所(現代美術館、国際的なビエンナーレの類、有力ギャラリー、有名なコンペなど)
であることが、絶対条件になっていると思います。貸し画廊で個展をやっても、現代美術の
アーティストにとっては、経歴にプラスにはならない(あくまでも欧米の場合ですが)という
のが常識です。だからアーティストの経歴に、ニューヨークで個展をやったと書いてる場合、
その場所は要チェックです。
>僕の考え方では、例えばクラシック音楽の演奏家は、いくら優れた演奏技術を持ち、
>優れた解釈を観客に提示できたとしても、彼が演奏する曲を作った作曲家と、同格
>のアーティストと認めることはできません。

確かに、48氏の言っていることは二元論的な事だな。


12948:04/06/21 06:41
>>118
>もっとも粉山某ギャラリーなど新しい動きの人たちは違うのでしょうか?
小山登美夫ギャラリーは東京に住んでたら通うべきところだと思います。
http://www.tomiokoyamagallery.com/

トム・フリードマン展とか、捨てたものじゃなかったと思いますよ。
僕は行ったことありませんが。なんで批判のスレが立つのか不思議です。
妬む人も多いんでしょうね。
>>127
>ある展覧会がどこで開催されるかということ、その場所が現代美術にとって、権威のある
>場所(現代美術館、国際的なビエンナーレの類、有力ギャラリー、有名なコンペなど)
>であることが、絶対条件になっていると思います。貸し画廊で個展をやっても、現代美術の
>アーティストにとっては、経歴にプラスにはならない

これが現代美術家の本音か。権威を否定するといいながら、
ちゃっかり権威を利用する。まるでビートたけし並みの処世術だ。
>>130
現代美術家ではなくて、48だけ。
13248:04/06/21 07:12
>>124
>自分はむしろ、そういう伝統的な芸術があるから革新という理論が成立すると言う
>考えなんでテクニックを持った人たちは尊敬するね。
僕はもともとはルネッサンス期の古典的美術を理想と考え、そういう技術を本格的に学ぼうと
日本を離れたのですが、何度も見ればルネッサンスでもバロックでも、優れた巨匠の作品も、
技術的には、べつに大したものでは無いとわかり、技法も簡単に習得できたので、次第に
コンテンポラリーアートに興味の対象が移っていきました。
今でも僕はオールドマスター達のファンです。でも現代においてその亜流をやってる人たちは、
全く尊敬に値しないと思ってます。例えば昔、僕は有元利夫が好きでしたが、
ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を観てからは、有本は下手なコピーに
過ぎないと思うようになりました。
>実際、自分も制作する側だけど技術は絶対的なものだからね。
>ただし、その絶対的な技術が自分の作品をつくるうえで必要とは限らないけど。
技術は、持ってる人のを使えばよい、金で雇えばよいというのが、理想ですね。
わざわざ絵を描いたり、大理石を彫ったりするのは、時間がかかるし、
できればやりたくない。
でも、技術があるということは、美術の素人でも分かりやすいので、心ならずも
そういう作品を作ったりもしましたが・・・。
13348:04/06/21 07:28
>>130
>これが現代美術家の本音か。権威を否定するといいながら、
>ちゃっかり権威を利用する。まるでビートたけし並みの処世術だ。
本音とか関係なく、欧米の美術関係者の常識だと、その関係者の1人から僕が
聞いたことを書いただけです。事実に反するとお思いなら、反論してください。
権威を利用するも何も、僕が住んでる国では、アーティストがデビューしていく
経路は、だいたい決まってます。有力な若手を扱うギャラリーに作品を持ち込んだり、
若手のコンペで賞をとったりして、認められたら若手のグループ展などに呼ばれ、
そこでまた認められたら、さらに大きなギャラリーと契約でき、世界の美術サーキット、
国際展などにも参加の道が開けるという、針の穴のように細い道があるのです。
キタノはお嫌いですか?僕は尊敬してますが。
134ぽー:04/06/21 07:28
>貸し画廊で個展をやっても、現代美術のアーティストにとっては、
>経歴にプラスにはならない(あくまでも欧米の場合ですが)というのが常識です。
>だからアーティストの経歴に、ニューヨークで個展をやったと書いてる場合、
>その場所は要チェックです。

それが現代アートは傲慢だという意見につながり必要の無い偏見を産んでいるのですよ。
あなたの言っていることはアートビジネスに言及しているだけで、実際に制作
している作家達の地域というとらえ方は完璧に無視されているんじゃないかな。
実際にアメリカ各地にアーティストが住んでいて制作活動をしていて、それらの
人間が皆ニューヨークでの成功が必ずしも彼らの望んでいる事では無いと思います。
自分も実際、ウイットニーやベニスのビエンナーレに出展している友人が数名
いますが、彼らの思い描いている成功が必ずしもニューヨークとは結びついていないと思うよ。
ユニバーサルという概念はローカリティー(地域性)という概念がなければ理解は出来ないし、
地域性もまた逆で共通性が何かを知り得ないことには定義出来ないよね。

ニューヨークは世界で一番大きなアートマーケットではあるけれど、それこそあなたの言う
良質なアートが揃っているという思い込みには賛成できないね。
135ぽー:04/06/21 07:46
48氏が言及しているのは成功へのフォーミュラを延々と語っているだけじゃ
ないのかな?
そういう意見に対して反論するのが現代美術の使命だと思うけどね。

13648:04/06/21 07:47
>>134
>自分も実際、ウイットニーやベニスのビエンナーレに出展している友人が数名
>いますが、彼らの思い描いている成功が必ずしもニューヨークとは結びついていないと思うよ。
ニューヨークを例にあげたのは、日本の作家の経歴に、そういう誤魔化しが多いからであって、
アメリカ在住のアーティストの経歴のことではありません。当然、西海岸には
ニューヨークとは、ある程度独立したアートシーンがあると思います。
レイモンド・ペティボン、マイク・ケリー、ポール・マッカーシーとか。

>ニューヨークは世界で一番大きなアートマーケットではあるけれど、それこそあなたの言う
>良質なアートが揃っているという思い込みには賛成できないね。
どうして、ニューヨークという1語から、ここまで想像を膨らまされるのか、不思議です。
137ぽー:04/06/21 07:58
チェックって言葉にも二通りの解釈がアルからそれを書いてくれないと
間違えるよ!

チェック=要注目(ポジティブ)
チェック=要注意(ネガティブ)
13848:04/06/21 08:04
>>135
>48氏が言及しているのは成功へのフォーミュラを延々と語っているだけじゃ
>ないのかな?
>そういう意見に対して反論するのが現代美術の使命だと思うけどね。
僕は職業としてアーティストを目指す以上、その世界の中で認められることが、
絶対条件だと思います。本音は誰でもそうなんじゃないですか?
別に金持ちになりたいとは思わないし、歴史に残るアーティストが、
みんな経済的に成功してたわけじゃない。パフォーマンスとか、ランドアートとか、
コンセプチュアルとか、売れにくい作品を作って、名声はあっても金持ちじゃない
人はたくさんいる。でも、とにかく制作して生きていける、ということ、
売らんがためのブツでなく、次のつくりたい作品をつくれて、発表の場を用意してもらえるんなら、
アートシステムの中に地位を占めるしかないと思います。
こういうことはヨーコ・オノでもヤヨイ・クサマでもオン・カワラでも、皆やってきたことではないですか?
139ぽー:04/06/21 08:14
>売らんがためのブツでなく、次のつくりたい作品をつくれて、発表の場を用意してもらえるんなら、
>アートシステムの中に地位を占めるしかないと思います。

だからこそ既存のアートに対する愛情や批判精神をもって制作する事が第一
じゃないかな?
それをやってきたからこそ草間、小野、河原は生き残れた訳でしょう。
ギャラリー契約は結果として与えられたオプションでしょ。
だからこそ、理想のアート観が先に論じられなければいけないんじゃないかな。
順序が違うと思うのだけど。
140わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 08:26
48氏は、本当にそう思って書いてるの?

>僕の考え方では、例えばクラシック音楽の演奏家は、いくら優れた演奏技術を持ち、
>優れた解釈を観客に提示できたとしても、彼が演奏する曲を作った作曲家と、同格
>のアーティストと認めることはできません。

    千住明>千住真理子 とも聞こえるけど?

>でも現代においてその亜流をやってる人たちは、全く尊敬に値しないと
>思ってます。例えば昔、僕は有元利夫が好きでしたが、ピエロ・デッラ・
>フランチェスカの作品を観てからは、有本は下手なコピーに過ぎないと
>思うようになりました。

 「有本はフランチェスの下手なコピー」ですか?

 大衆には、ただでさえ分かり難い現代美術家が、片方で制度批判、片方で
「金儲けの」商業主義に便乗してる姿が、胡散臭く映っている。
14148:04/06/21 08:48
>>140
> 「有本はフランチェスの下手なコピー」ですか?
アレッツォのサン・フランチェスコ教会で、ピエロ・デッラ・フランチェスカの
聖十字架伝説の連作フレスコ画を観れば、誰でもそのことを納得できると思います。
ファンの方には申し訳ないが、有元も日本人の洋画系の画家の例に漏れないと
思います。
14248:04/06/21 09:19
>>139
>だからこそ既存のアートに対する愛情や批判精神をもって制作する事が第一
>じゃないかな?
そりゃ制作が第一にきまってますよ。ただし、既存アート、アートシステム
への批判が必ずしも必要不可欠とは思いません。いかに独自のアプローチが
提示できるかによる。今のところハンス・ハーケに対抗できるアイデアが無いし、
ティラヴァニージャみたいにギャラリーで焼きそば作る気もしませんので、
当分そうしたテーマには行かないと思います。
>それをやってきたからこそ草間、小野、河原は生き残れた訳でしょう。
ティラヴァーニャが90年にやったリレーショナルアートを60年代に
やってたという小野の先駆性はすごいです。だから長いことアートワールドからは
阻害されていたのだと思う。まだ一般人からは誤解されてるけど。
>だからこそ、理想のアート観が先に論じられなければいけないんじゃないかな。
>順序が違うと思うのだけど。
その通りですよ。何で話の方向がそれたのかといえば、自分でもよくわからないんですけど(苦笑)
でもまだ、ぼーさんの理想のアート観も、うかがってない気がしますけど。
僕の理想は、そのまま作品のアイデアを晒すことになるので、ここでは書けません。
話の方向として、90年代以降のリレーショナルアートの動向とか、ドキュメンタリーばやりの
トレンドをどう見るかとか、そういう話題なら自分の作品とは接点が少ないから、語れますが。
143ぽー:04/06/21 10:07
理想のアート観は既に示していますよ。

全ての創作活動にヒエラルキーの理論を持ちだして差別してはいけない。
現代アートとはその時代の前衛である『称号』故に自分から申告する事ではない。
アートマーケットは自分でコントロールは出来ないので考えてもしょうがない。


政治家は政治理念があり、その政治理念が支持されて政治家になるのであって
政治家になりたいが為に政治理論を組み立てる訳では無い,アーティストも同じ事。



144ぽー:04/06/21 10:07
理想のアート観は既に示していますよ。

全ての創作活動にヒエラルキーの理論を持ちだして差別してはいけない。
現代アートとはその時代の前衛である『称号』故に自分から申告する事ではない。
アートマーケットは自分でコントロールは出来ないので考えてもしょうがない。


政治家は政治理念があり、その政治理念が支持されて政治家になるのであって
政治家になりたいが為に政治理論を組み立てる訳では無い,アーティストも同じ事。



145ぽー:04/06/21 10:11
重複メンゴ。
14648:04/06/21 10:17
>>140
> 大衆には、ただでさえ分かり難い現代美術家が、片方で制度批判、片方で
>「金儲けの」商業主義に便乗してる姿が、胡散臭く映っている。
なんとも、ひどい言いようですが、たぶん僕が78で日本の美術制度を批判的に述べる一方、
欧米の現代美術のマーケットの制度は肯定しているので、胡散臭いとおっしゃり
たいのでしょう。あらゆる美術マーケットには、多かれ少なかれ商業主義が不可欠
で、そのこと自体は良くも悪くもない。僕が日本の美術マーケットの問題点と思うのは、
変化を拒否するシステムだという点です。
欧米では扱う作家が時代遅れになれば、ギャラリーも衰退し、その代わりに勢いの良い
アーティストとギャラリーが出てくるという新陳代謝が、常時進行しているから、たとえ
一時は権威あるギャラリーでも20年後は、存続してても、まず批評家からは相手にされなく
なると思うんです。それから欧米各地の勢いのあるギャラリーは、提携してお互いのかかえる
アーティストの個展を交換して行ったりする。小山登美夫ギャラリーなんかも
日本では数少ないと思いますが、そういう海外のまともなギャラリーと提携してるものの1つ。
要するにマーケットが新陳代謝を繰り返し流動的で、グローバルかつ規模が大きいほうが、
日本のような閉鎖的市場より、革新的で良い仕事をするいろんな国のアーティストが、活躍できる
機会が多いということが、言いたかったのです。
お金を払って現代美術の展覧会に行って、つまらなくて損した気分になり、
現代美術嫌いに拍車がかかるといった鑑賞者が、日本では多いと思いますが、
無料で作品を観れるギャラリーがもっと増えれば、通うことで、たまにでも
良いと思える作品に出会え、偏見から解放される人も多くなるんじゃないかと思うんです。
147わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 10:40
まずそれぞれの人が自分の(現代)美術を評価する基準を説得的に提示するべきだと思います。
それなしにいくら実際の現象を語っても実りある議論にはならないでしょう。
そもそも(現代)美術というのはそういう基準軸の闘争の場としてあるんじゃないでしょうか。
148ひろ:04/06/21 10:48
君らは寝たのか?(笑)
なんか、すごいレスついてるね。(笑)
アメリカの正義を保つ為に、イラクが必要なように、このレスには48氏の存在は
必要なのでしょうね。

まず一言、48氏の116での「苦言」に「いちいち反応」した僕にそれ以外言う事ないのですかね?(笑)

>嗜好品というのは、コーヒーやお茶のことをさすんですよ。
もちろん知ってますよ(笑)
嗜好という言葉は、別に食品だけに限って用いられているわけではないでしょ?
嗜好品というのも、メタファー。
「嗜好品レベル」といった場合、発言者がどういう意図を持って発言したのか、
48氏自身の歴史的観点から見た「嗜好品レベル」と照らしあわしてもらいたい。
対象Aを「アートと呼ぶべきか?」考える時、既存のメタファーを違うメタファーに
接続することで、認識が広がるという「アートの基本」だと思うのですが。

嗜好品レベル=コーヒーや、お茶を愛用するように、現代美術も愛用されてもいい。
という発想は、48氏にとって許せませんか?
149ひろ:04/06/21 10:50
ぽーさんの
>月と地球は違うって言ってるにしかすぎないんじゃないかな?

まさに僕もそう思うよ。

つまり、今までの現代美術という枠は、今まで枠でなかった対象に視線を向けたものの歴史だ。
現代美術は、「今まで枠でなかった対象に視線を向る」性質を内包しているが故に
今認められている現代美術をいくら、それを100%理解、説明しえたところで、
「地球は地球です。」と言っているのを繰り返すだけ。
5年後、10年後は、地球というメタファーに月が入るかもしれない。(笑)
そうすれば、5年後、10年後の48氏の主張は、「火星は、地球と違う!」と言うのだろうか?
(地球、月というのは、もちろん、何も名詞だけではないですよ)
150ひろ:04/06/21 10:51
僕の発言した「向うの美術家」を、匿名掲示板で、語ったところで、何の信憑性もありません。
それに反応するのは、「野暮」ってもんです。
それとも、現代アートの旗手以外のアーティストの発言(ぼく含め(笑))以外は全て
「聞くに値しない」ですか?
彼、(別に僕でもいいですよ)が言うには、
現代美術は実体がない日常の「影」という解釈と捉えれば、いくら影を追い掛けても
それは、日常から派生されるものである以上、「まじめに這い上がろう」と考える人は
自らの足元(日常)を見なさいという意味でしょ。これは、別にいアートに関係なく
少なくとも「自分/自我」を確立するためのごく、当たり前のうんちくではないですかね。
151ひろ:04/06/21 10:52
引用されたぼーさんの主張が、僕の発言とどのように関係しているのか、批判なのかすら、よく理解できません。

いちいち答えさせていただくと、( 笑)
>僕は職業としてアーティストを目指す以上、その世界の中で認められることが、
絶対条件だと思います。本音は誰でもそうなんじゃないですか?

この「職業」の話しを延々と話されてるわけですよ。48氏は。
で、「この職業」を渇望するのは別に構いませんが、「この職業」は
「この職業」以外に支えられている部分を知らずしてこの職業に
なれるのか?ってこと。わかりませんか?
現代アートの旗手を熱く語っている48氏ならば、これから歴史に残るような、または、
20年も続けられる今の無名の作家を、見つけられますか?
もし、現代アートに精通するということとはどう言うことか?
152ひろ、訂正:04/06/21 10:58
151は
48氏の
>引用されたぼーさんの主張が、僕の発言とどのように関係しているのか、批判なのかすら、よく理解できません。

について
15348:04/06/21 11:00
>>143
>政治家は政治理念があり、その政治理念が支持されて政治家になるのであって
>政治家になりたいが為に政治理論を組み立てる訳では無い,アーティストも同じ事。
なるほど。オーソドックスなご意見ですね。言い換えれば政治家は、当選できなくては
政治家たり得ない、当選した政治家のみが、大衆に支持される理念をあらかじめ持って
いたことが証明される。1度も当選していない者は、どんな理念を持とうが、その理念は
正当化されないし、政治家を自称すらできない。政治理論のくみたては、政治家の仕事ではないと
いうことですね。この主張をアーティストにあてはめれば、アーティストは、アートの理念をまず持つべきだが、
その理念がアートの世界で有効か否かは、アートマーケットあるいはアート関係者に認められるかどうかで決まる。
アート理論の構築はアーティストの仕事ではない。
僕はアーティストが生涯を通じて1つの理念(あるいは理想)を追求すべきだとは思ってません。
もちろん、そういう態度をとるアーティストを否定はしません。
たとえばロマン・オパルカなんか徹底してますよね。偏執狂的態度だと思いますが迫力はある。
僕はデュシャンのように、一見飄々として何の理念も持たぬかのようなアーティストを、
それこそ理想にしています。彼が何で絵画を捨てたか?
15448:04/06/21 11:13
>>148
>アメリカの正義を保つ為に、イラクが必要なように、このレスには48氏の存在は
>必要なのでしょうね。
ははっ!初めて君の発言にウィットを感じたよ。さながら米英軍の
空爆を交互に受けてるような感じだね(笑)。僕はもう寝るから、またね。
155わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 11:14
政治家だけが政治を営む訳ではなく活動家が政治家にもなりうるし
一般の主婦が政治家にもなりうる,その個人がなにをどうしたいのか
という意見が波紋をよんで支持を得る訳だよね。
全ての人はその最低条件を満たす限り直接政治に参加出来るチャンスがアルって
事を言ってるんだけどな。
156ぽー:04/06/21 11:20
>僕はデュシャンのように、一見飄々として何の理念も持たぬかのようなアーティストを、
>それこそ理想にしています。彼が何で絵画を捨てたか?

だからそれが個人の理念ってもんでしょ。
ポジティブでもネガティブでも関係なく理念がないと作品つくれないでしょ。
157ひろ:04/06/21 11:31
現代美術のステータスについて。

48>現代美術の受容者(コレクター、キュレイター、批評家、
アーティスト)は、西洋の美術的教養をふまえ、現代美術の動向に敏感な、
ごく限られた美術関係者であり、一般大衆、マスメディアでは無い
ということです。

まず、確かなことは、アーティストを精神的、金銭的に支えているのは
裕福な、ホワイトカラーや、投資家や、経営者が、アートに関心あることは、事実です。
では、彼らは、特殊な現代美術を、それこそカタログのように知識を完備し、
アートの動向を株価のように逐一熟知している人が多いのでしょうか?
アートを投資ではなく、ステータスとして彼らが大切に望むのは、言論です。
つまり、彼ら受容者は、社会の言論人としてアーティストの言論を所有しているんですよ。
その言論が、受容者のステータスたりえる為には、メジャーかどうかではなく
まさに、「このわたしが評価しているのだ」という自らの先見性(自己顕示欲)が支えているわけだ。
西欧の受容者のすごいところは、「今は無名でも、押し上げてやろう」という心いきであろう。
彼ら受容者は、アートというより、社会に精通している。
教養人とはそういうことだろう。彼らは、コーヒーの銘柄をこだわりそれと社会の言論を
相対化し、結び付けて語れる「遊び人」でもあるのだと思う。
アートが、技術の裏にある思想、こだわり、視点、言論がメインになる理由は、
アート以外の世界の、マネーゲームの成功者、宗教家、音楽家、芸能、すべての
「長者」の発言と同じレベルとして、「文化的言論」として相対化しているに
他ならない。
現代美術オタクでは決してない、普通の消費者という顔を裏にもった「お金持ちの社会人」
なんですよ。
158catt ◆nKX.ore.zA :04/06/21 11:46
なかなか香ばしいスレだな
自分が作家であることを謳い文句みたいにして語るやつって
やっぱりちょっと頭わるいのが多いんだろうか。
160わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 17:37
なに一人ごと話して、
悦にいってんだ?この低脳共。
161わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 17:38
こんなとこでぐちぐち言ってねえで、
浅田彰にでも質問してこいよ。

162デュシャン:04/06/21 17:44
アートの話なんておもしろくも何ともないんです。
163ウォーホル:04/06/21 17:46
なんの思想?なにいってんだか全然わかんない。
自分たちわかってんのかね。
一銭にもならないのによくやるよ。金持ちなんだね。
164マイク・ケリー:04/06/21 17:52
良スレ認定。
165朝田彰:04/06/21 18:18
「ルネッサンスでもバロックでも、優れた巨匠の作品も、
技術的には、べつに大したものでは無いとわかり、技法も
簡単に習得できた」

ここまで言い切る「48氏」の自信も凄いものがある。
166わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 18:28
荒し、いや、嵐の前の静けさ、、、?
今夜また始まる?
167ひろ:訂正:04/06/21 18:56
157>現代美術オタクでは決してない、普通の消費者という顔を裏にもった「お金持ちの社会人」
なんですよ。

こういうとオタクに失礼だな。おれもある意味そうだしな、、。
日本の大事な受容者だし。
ま、言いたい事は伝わるでしょう。きっと。
168ひろ:04/06/21 20:45
途中から、このスレに来た人の為に一応、あらすじとして、また自分自身の
ポジションの整理も含め、僕個人の見解をまとめます。


*1の「VS」は、かなりのスレなので、今は、考えが違ってます。(ちと偏ってた)
 (で、たまたま顔出して48氏にレスしたらこーなった。のちに、ぽーさんが参加。
 今は面白いから別にいいですが)

*現代美術は、資本主義社会のただなかにあっては、嗜好品と同じものである。
 さまざまな価値を相対化しうるアートの面白さを評価した上で、 
 「大きな物語」に束縛されることなく自由に、言説、言論を嗜好するように
 アーティストの作品(主張)を支持出来る。と考えてる。

*西欧美術文化は、温故知新が、実はしっかり根付いていることを知った。
 クラシック、モダン(呼び方は何でもいい)の歴史が、差別される事なく最先端のアートシーンに
 矛盾なく接続されている。(大学では、現代美術枠の教育/クラシック、モダン枠という教育が
 コースとして、横並びであるわけでなく、ノンジャンルでさまざまな経験を。学ばされてることを
 知り、「現代美術」という現代評価の枠に捕われない多様性の価値基準がある)

* 故に、現代美術以外の美術を「非似美術」というのは、異論がある。
 (工芸美術(品)とは「工芸・美術・品」というカテゴリーの言説を前提としたものであり、
  そのメタファーを、解体し、違う言説に文脈に接続し直し別の「系」による対象Aを提示した場合、
  それは、アートと呼ばれるのではないか? 実際西欧では、その「系」の積み重ねによるバイブル「現代美術史」が
  日本のように断絶しておらず、「非似美術」という矛盾した言説はない。)

*同じように、現代美術たる根拠に、現代の現代美術での評価を基準に、他の美術を「「非似美術」と
 定義することに、どんな生産的意味があるのか?
 ぽーさんの言葉を借りるなら、「地球以外は、地球ではない」といっているにすぎないのではないか?

ざっとこんな感じです。
169ひろ:訂正:04/06/21 20:49
*1の「VS」は、かなりのスレなので、今は、考えが違ってます。

かなり前のスレなので、
>>158
48はキャットさんに似てるね。
171catt ◆nKX.ore.zA :04/06/21 21:38
>>170
そうかい?
やっぱ色男なのかな?
前スレには
「知識ひけらかしてるだけの的はずれの奴」
といわれてた「黒騎士」って、人も何故かいたね。
173ひろ:04/06/21 23:18
いい例え思い付いた。
「地球以外は、地球ではない」というより、

「人間は、動物ではない」のほうが、近いかもしれない。

言説によっては、否定でも、肯定でも、どんな文脈にも接続されうるからね。
174ひろ:04/06/21 23:24
ん〜こっちの方がいいか。

「人間と動物は、似て非なるものである」

ま、どっちでもいいけど。
175わたしはダリ?名無しさん?:04/06/21 23:35
>172

この程度は知識と言えないよ(w
雑誌読んでればこれくらい雑知識はつく。
てか、空ですらすら言えるなら対したもんだけどね。
17648:04/06/22 00:21
>>119
>48氏が提示した、「糞」という比喩、「ゴミ」という比喩、すべてメタファーとしてぼくは
>言葉を受けとって、その言葉どおりにぼくは、返球しただけですよ。
>48氏がもし、糞に対応する対象を「A」、ゴミを対象とするものを「B」と言っていたならば、
>ぼくは、「A」,「B」という言葉で、返球したことでしょう。
77で、僕は次のように述べただけです。
>現象的には似た構造が、現代美術の世界、日本的オタク世界などなどに現れている
>からといって、それらの別々の世界の住人を、「同じデータベース消費者」とくくって、
>差異を解消する見方は、味噌と糞を一緒にしてるだけだと思います。
たったこれだけの文章から、ひろさんは、僕が現代美術以外のあらゆる文化現象を、
糞呼ばわりしているかのような曲解を広めておられますが、僕はあなたが76でエヴァンゲリオンの
例をあげたのを受けて、アニメと現代美術を同列にあつかうことに異議をとなえただけであることは、
明らかなことと思います。
17748:04/06/22 00:46
>>148
>嗜好品レベル=コーヒーや、お茶を愛用するように、現代美術も愛用されてもいい。
>という発想は、48氏にとって許せませんか?
いや、ひろさんのように、一般の美術愛好家として、アートとつきあってる場合は、
それでよいと思います。僕はアート(現代美術に限らず)は、基本的には、僕たちが生きる上で
無くても良いものだと思ってます。第3世界に生きる、下層階級の人々にとっては、アートは全生涯を
通じて無縁な事象だと思う。つまり今、地球上で生きてる人々の過半数にとって、アートは
全く存在すらしていない。文化というのは、そんなものなわけです。働いてお金を稼いで、
レジャーで消費して、というサイクルで人生を過ごすなかで、たまにはアートにも接してみるか、
という程度の関係。それでいいじゃないですか。決して皮肉ではありません。
他方でアートを専門に研究したり、制作したり、売ったり買ったりしてる、少数の人々
(別に彼らがエリートだと言ってるわけではないですよ)にとっては、アートは最も大切なことなのです。
178catt ◆nKX.ore.zA :04/06/22 01:10
>>178
>一般の美術愛好家

>地球上で生きてる人々の過半数

>アートを専門に研究したり、制作したり、売ったり買ったりしてる、少数の人々
にくくってるが乱暴だろ。

だいたい「僕はアート(現代美術に限らず)は、基本的には、僕たちが生きる上で
無くても良いものだと思ってます。」と言い切れる者が「制作者」という立場で
語るのが不自然すぎる。アートは人間が人間としてあろうとする限り、必要不可欠な
ものであり、人生の最後まで追い求められるべき課題でもある。たとえば戦地で
リリーマルレーンを涙して聞き入る兵士がいるように、どこにでも聞く者・観る者は
存在する。おれがそこにいれば、制作者として喜んで彼らのために作りたいと思う。
>第3世界に生きる、下層階級の人々
がアートで命を輝かす瞬間だって有り得るとたやすく想像できるが。

国際サーキットだのマスコミだの画壇だの眠いこと言う奴は古典美術の時代から
いたと思うけどなw
179catt ◆nKX.ore.zA :04/06/22 02:00
なんか我ながら薄っぺらなレスだなぁ・・
18048:04/06/22 02:03
>>147
>まずそれぞれの人が自分の(現代)美術を評価する基準を説得的に提示するべきだと思います。
>それなしにいくら実際の現象を語っても実りある議論にはならないでしょう。
>そもそも(現代)美術というのはそういう基準軸の闘争の場としてあるんじゃないでしょうか。
おっしゃる通りですね。では、現代美術という括りを外して、1つの未知のアート作品(とりあえず絵画)を、
僕自身が評価する場合のプロセスを思考実験として反省して記述してみます。作品がどこに展示されているかは、
問わず、作者も未知とします。
まず画面を観たときに、どっかで似たものを観たことがある場合は、作品の傾向が自然に絞り込まれます。
具象か抽象かコンセプチャルか。具象なら、写実的具象か近代的具象か、あるいはポップ風か、などなど。
抽象なら、近代的抽象(20世紀前半)か、アンフォルメルか、モノクロームか、ミニマルか、もう少し
新らし目の抽象(トォンブリーやリヒター)に似てるか。だいたいどれかのカテゴリーにあてはまると思う。
第一印象で、気になる絵だなと思えば、どういう作家がいつ描いたか、題名は何かという興味がわきます。
で、同時代の絵だった場合に、それがアートと言えるかどうかは、既存のアートのアレンジ、模倣で終わってないこと。
それがまず絶対条件。技術的に優れているといえるには、たとえば写実絵画の場合、ファン・アイクのゲントの祭壇画、
フェルメールの『デルフト眺望』、レオナルド、カラヴァッジョなんかと比べて、それより優れた表現か?ということに
なりますが、本当にそれら以上なら僕も認めると思う。
抽象の場合は、コンポジションみたいなものを見せられても、不快に思えるだけ。たとえ色彩が綺麗だと思っても、
結局どこかで誰かが既にやったことに似てくることが多いので、見た感じが良くっても、本当にオリジナルなのかの判断は、
保留すると思う。コンセプトのない抽象を現代に提示すること自体、アナクロニズムとみなす風潮があるわけで、
僕もそうした風潮に染まっています。
コンセプチャルな要素を持つ平面作品の場合、そのアイデアが機能してるかという評価になり、ケースバイケースです。
まあでも、たとえ駄作でも、モノマネでなくコンテンポラリーなことを志向する作品には、興味が沸きます。
181ひろ:04/06/22 02:12
48>僕はあなたが76でエヴァンゲリオンの
例をあげたのを受けて、アニメと現代美術を同列にあつかうことに異議をとなえただけであることは、
明らかなことと思います。

まず、糞と味噌が、48氏にとってどういった対象を示そうと
ぼくは、それ(糞=アニメその他の対象物、とにかく現代の現代美術のカテゴリに入っていないもの全て))さえも、
現代美術(的)発想では、アートのメタファーを支えてくれる「写し鏡」に変えていける可能性として着目出来るのじゃないの?と
という意味ですよ。
つまり、48氏が糞という裏には、多分、嫌悪する「ジャンクデータ」を
意味していることをわかったうえで、それを表象して僕は言ったんです。
「人が表現したもの、そして現象、ブーム含む、存在しているものは、なにか理由があるから
存在しているわけであって、糞(アニメ)のメタファーを、
見逃したり、軽んじるのはどうだろうか?と返球したんです。
人の見方によっては、糞もヒントに変える情報源、自らのアートとの「メタレベル」でのアートシステムの検証、
内省を出来るのではないか?と言ったんです。
182ひろ:181の追加:04/06/22 02:20
僕は、アニメを見て育った感性を自覚していますんで、
48氏が、「アニメを糞」呼ばわりすることと、同等の権利を持って
本来なら、「アートは糞」と言えるわけですが、
ぼくは、なにしろ相対的に、世の中の対象に興味を持つことをアートから教えてもらった経験が
あるので、「アートの方がもっと糞!」と返す気にはならないんです。
183ひろ:04/06/22 02:29
>179
いや、惚れなおしました。
18448:04/06/22 02:49
>>182
>僕は、アニメを見て育った感性を自覚していますんで、
>48氏が、「アニメを糞」呼ばわりすることと、同等の権利を持って
>本来なら、「アートは糞」と言えるわけですが、
>ぼくは、なにしろ相対的に、世の中の対象に興味を持つことをアートから教えてもらった経験が
>あるので、「アートの方がもっと糞!」と返す気にはならないんです。
悪いこと言わないから、一時でもアーティストをめざされたんなら、アートのことを、もっと学んだ
ほうがいいですよ。庵野さんのほうが、ひろさんよりはアートを勉強してると思います。
優れた表現者になるには、さまざまな文化、アートを幅広く吸収すべきです。
僕もエヴァンゲリオンには、相当はまってましたし、そのことを恥ずかしくは思ってませんけど、
アニメを受動的に享受するだけでは、感性なんて磨かれやしません。
185ひろ:04/06/22 02:59
180のレス読んだら、急に48氏へ返すレスする気が失せました。
予想は、してましたが。
ぼくは、48氏の作品も、キャットさんの作品も知らないです。
匿名板では、不粋とわきまえたうえで、あえていいますが、

作品買うなら、キャットさんのを買うよ。

キャットさんの178のレスを読んでそう思いました。

これは、ぼくのただの「嗜好」です。他意はありません。

では。
18648:04/06/22 03:15
>>178
>だいたい「僕はアート(現代美術に限らず)は、基本的には、僕たちが生きる上で
>無くても良いものだと思ってます。」と言い切れる者が「制作者」という立場で
>語るのが不自然すぎる。アートは人間が人間としてあろうとする限り、必要不可欠な
>ものであり、人生の最後まで追い求められるべき課題でもある。
僕は、アート作品よりも、個々の人生、生活の中での各人が感じられる幸福のほうが、
絶対的に貴重であり、そのためにアートが必ずしも必要ではないと思うに至りました。
アートが必要不可欠だという近代的な芸術至上主義こそ、現実を無視したアーティストの
傲慢だと思います。リレーショナルアートの考え方の根底には、cattさんが述べられた昔ながらの
アート礼賛に対する批判意識があるわけです。
187小山:04/06/22 03:56
商売になりそうなら良いんだよ。
くさるほどアーティストいるんだし。
君たち青いね。
188わたしはダリ?名無しさん?:04/06/22 05:41
>>186
>cattさんが述べられた昔ながらのアート礼賛

こういうことを書く神経疑うね。
「現実を無視したアーティストの傲慢」そのものだ。

>>177
>第3世界に生きる、下層階級の人々にとっては、アートは全生涯を
>通じて無縁な事象だと思う。つまり今、地球上で生きてる人々の過
>半数にとって、アートは全く存在すらしていない。文化というのは、
>そんなものなわけです。

傲慢で、失礼な話だ。
18948:04/06/22 06:17
>>188
どういうところが傲慢なのでしょう?
cattさんに対して失礼だとおっしゃりたいのでしょうか?
僕は個人攻撃を意図したわけではなく、1つの典型的な
アートについての考え方だなと思ったので、そういう考え方に
批判的な立場もあるようですよと言いたかっただけです。
感情的にならずに、論理で説得していただけると、僕も対応しやすいのですが。
僕の住む国には、多くの第3世界出身の人々が暮らしており、僕の住むアパートの
住民の大半はアフリカや南米の人たちです。バスに乗れば仕事が無さそうな貧しそうな人たちが
乗ってます。現代美術に限らず、アートはそんなに万能ではないし、衣食が足りた上での、
ものなのだということを感じずにはいられません。
日本においでよ。
アート礼賛なんてされないし、衣食も足りてるよ。
191ぽー:04/06/22 07:06
48氏の言いたい事はわかりますよ。
実際、自分もあなたと同じように海外でアートの勉強をしてましたから。
現実的なアートマーケットに介入していく問題や日本の現状に対しての絶望感とか。。。
あなたが前に触れたように、今、第三諸国のアートが注目されているのは
必ずしもアメリカの植民地的な視野からではなくて、アメリカのアートのヌルさ
との比較の中でエネルギーを人々が感じているからなんですよ。
冷戦構造が崩壊したいまカメラ一台、又はビデオカメラ一台で表現したいものが
あれば表現出来る時代です。
西洋のアートスクールの修士の卒業証書が無くとも表現出来る事はまだまだ
沢山あるんじゃ無いかな?
192ぽー:04/06/22 07:15
>優れた表現者になるには、さまざまな文化、アートを幅広く吸収すべきです。
>僕もエヴァンゲリオンには、相当はまってましたし、そのことを恥ずかしくは思ってませんけど、
>アニメを受動的に享受するだけでは、感性なんて磨かれやしません。

それを言うんだったら、浮世絵も江戸時代の大衆漫画、ピンアップ,GOROみたいな
ものでしょ? その大衆漫画が日本の美術史の大切な部分であり、又更に
西洋近代美術史の中にも影響を残す作品群として評価されていると言う事実に
違和感を持っているのかな?
なにがアートと呼ばれるかわからないところにアートの素晴らしさが
あると思わない?


19348:04/06/22 07:55
>>191
>あなたが前に触れたように、今、第三諸国のアートが注目されているのは
>必ずしもアメリカの植民地的な視野からではなくて、アメリカのアートのヌルさ
>との比較の中でエネルギーを人々が感じているからなんですよ。
確かにアメリカに限らず、日本、欧米先進国で育ったアーティストは純粋培養的で、
知的で洗練されてるけど、反面ヌルさ、いかがわしいパワーの無さという点で、
第3世界出身のアーティストに負けてますね。ピエール・ユイグとか
トビアス・レンベルガとか知的で、見た目も綺麗で、映画とかサブカルチャーを
題材にしてトレンドに乗ってますけど、そういうのばっかり見せられると、カメルン出身の
パスカル・マルタン・タヨウのヴィデオなんかが、逆に新鮮に見えたりします。
もちろんご存知でしょうが、第3世界出身のアーティストで成功してるのは、西洋のアートスクールで
現代美術の歴史や表現法を十分に学んだ人たちなわけです。
194ぽー:04/06/22 08:24
>第3世界出身のアーティストで成功してるのは、西洋のアートスクールで
>現代美術の歴史や表現法を十分に学んだ人たちなわけです。

結局、48氏は成功のフォーミュラしか語っていないと言われるのはそうことじゃないのかな?
たとえば村上隆と会田誠を比べると前者はニューヨークで学んだ期間があり
それが成功に繋がったと。
しかし、好き嫌いは別として日本での二人の評価を検証した場合、支持率は
同じぐらいか、もしかしたら会田のほうが高いかもしれない。
しかしアーティスティックな評価とは本来、売れる売れないだけではないであろうし、
成功の基準をマーケットの動向で判断するのは間違いじゃ無いかな。
48氏が成功したいと言う気持ちはわかるけど、それがマーケットの理論にしか
結びついていない所に違和感があるのだと思う。
19548:04/06/22 08:50
>>192
>それを言うんだったら、浮世絵も江戸時代の大衆漫画、ピンアップ,GOROみたいな
>ものでしょ? その大衆漫画が日本の美術史の大切な部分であり、又更に
>西洋近代美術史の中にも影響を残す作品群として評価されていると言う事実に
>違和感を持っているのかな?
先日も、明治期に海外に流出した浮世絵の展覧会を観て、あらためて日本人の色彩感覚が、
当時の西洋に比べれば、良い意味で繊細、悪い意味ではちょっと大胆さにかけるということを
考えさせられました。広重の肉筆画下絵には、グレーの指定だけでも3色使い分けしてたり、
中間トーンの微妙な違いにこだわるあたり、今日の日本漫画やイラストにまで、連綿と伝えられた
感覚だと思った。だからモランディなんて日本人には親しみやすいわけですね。
そういう良いものを明治時代の日本人は、自分たちでは価値を正当に評価できず、古い無価値なものと
みなして、輸出用のお茶箱の飾りに使い、偶然フランスの画家たちによって、再評価されたという経緯を思えば、
要するに具体美術協会の例と同じく、近代日本における美術批評の不在、目利きの不在を示す事例といえましょう。
フェノロサや岡倉天心が、狩野派、円山派、琳派などのいわばハイアートの保護、伝承につとめても、
浮世絵を軽んじたことは残念なことです。
19648:04/06/22 09:39
>>194
>成功の基準をマーケットの動向で判断するのは間違いじゃ無いかな。
>48氏が成功したいと言う気持ちはわかるけど、それがマーケットの理論にしか
>結びついていない所に違和感があるのだと思う。
会田はヨーロッパでも徐々にではあるが、認められはじめてますよ。
ただ、日本の漫画オタクが支持する文脈とは、全く視点が違うと思うけど。
僕は、ドメスティックな視点が強すぎるのが災いして、村上の作品ほど、
会田の作品はよく機能し得ていないと思う。調性が必要という気がします。
ぼーさんは、マーケットで生き残ることを、単に金儲けが上手いとか、
アーティストの実力以外の要素で説明したいように見えますが、
僕はマーケットでというより、シビアな多くの批評家の目にさらされながら、
10年、20年も、批評の対象となり続け得たアーティストは、好みを度外視して、
巨匠だと思います。例えばブルース・ナウマンなんか、僕は大好きですが、
いつまでも挑戦的だし、若い世代のアーティストに、大きな影響を与えてる。
僕が使う「成功」という言葉は、金銭的な成功を意味してはいません。
作品がアートとして成功してるか、機能してるかどうかを言ってるんで、
美術的教育なしに、西洋の価値観と、自分の生まれ育った国のそれとの突合せなしに、
ただストレートな表現欲求だけで、コンセプトも戦略もなく、ヴィデオをまわしても、
良い作品ができるわけではないと思います。その作品が機能するためには、
やはり現代美術の良い展示に沢山接することができる環境に身をおき、関係者の意見に
耳を傾けることが有効だと思います。
すごい伸びだ。
198ぽー:04/06/22 10:53
>ぼーさんは、マーケットで生き残ることを、単に金儲けが上手いとか、
>アーティストの実力以外の要素で説明したいように見えますが、

そうじゃ無いよ。
俺は個々のアーティストの生き残り方には一切興味は無いよ。
ただ全ての表現活動の営みの枠組みの理想論に言説してるだけだから。

例えば。
>フェノロサや岡倉天心が、狩野派、円山派、琳派などのいわばハイアートの保護、伝承につとめても、
>浮世絵を軽んじたことは残念なことです。
そういう歴史的後悔を繰り返えさない為にも枠組みを取り払って考えなければ
現代アートの価値なんて無くて、ただのジャンルとしての生存を目的として
生きてゆかなければならないって言ってるんだよ。

だから現代アートの価値、評価とは一度、現代アートという枠組みを外して
文化的に全ての事柄と照らし合わせて考えなければ相対的評価は生まれないんじゃないかな。
そういう意味で、ひろ氏は 「これから歴史に残るような、または、
20年も続けられる今の無名の作家を、見つけられますか?
もし、現代アートに精通するということとはどう言うことか?」と質問してると
思うんだけど。

アーティストは清貧を貫き、その上でマーケットでも評価されるべし!
200catt ◆nKX.ore.zA :04/06/22 13:43
>>196
>だから現代アートの価値、評価とは一度、現代アートという枠組みを外して
文化的に全ての事柄と照らし合わせて考えなければ相対的評価は生まれないんじゃないかな。

外すべきは「経済的成功」「社会的地位向上」という枠なんじゃないか?
それを願うならアートより他のことしたほうが良い。
だいたい金銭的・名声的見返りを期待してアートしてる奴ってろくなもんじゃないよw
201わたしはダリ?名無しさん?:04/06/22 13:53
48さんの
>僕は、アート作品よりも、個々の人生、生活の中での各人が感じられる幸福のほうが、
>絶対的に貴重であり、そのためにアートが必ずしも必要ではないと思うに至りました。

は同意できるのですが、

>現代美術に限らず、アートはそんなに万能ではないし、衣食が足りた上での、
>ものなのだということを感じずにはいられません。

との認識の結果、狭い美術村での評論家、美術史家に評価されること目指してみえるようですが、何か非常に残念な気がします。

アートによって下層階級の人々の人生に少しでも幸福を感じてもらえる可能性は考えられないのでしょうか?

また、衣食足りたてもなお感じる空虚感のためにアートが何かしら役割を果たすのでは?

各人の幸福が貴重と考えるなら、「成功」を求めるより人々を幸福にするアートを目指して欲しいと思います。
(余計なお世話は承知の上です。)
202ひろ:04/06/22 17:29
キャットさんへ。

200>外すべきは「経済的成功」「社会的地位向上」という枠なんじゃないか?
それを願うならアートより他のことしたほうが良い。
だいたい金銭的・名声的見返りを期待してアートしてる奴ってろくなもんじゃないよw


アートの目的のうちには、「経済的成功/社会的地位向上」というテーゼもアートとして評価される場合もあるのでは?。
清貧に対するアンチテーゼというものも内包しています。
逆に言えば、「名声的見返り」をアンチテーゼにするアートも存在しえるわけです。
その中に、今の現代美術のテーゼをアンチテーゼに返すアートも存在しえるわけです。
アートはアートだけで存在することが出来ず社会との関係でアートでいられるわけです。
だから、アートは凝り固まった膿を出して新しい転換をはかるパラダイム・シフトが
たびたびおこるわけです。 
それは、アートの意義は、社会の動向の認識を無私しては存続出来ない故だと思います。
キャットさんは、承知だと思いますが、自己弁護のつもりです(笑)

アートは、文化論だし文化人類学でもあるし、心理学であるし、文学、経済学でもあるし、宗教でもあるし、
とにかくその人の視点ならなる「独自の人間論」を、大きな物語に依存しないで、任意の手法、形式、技術に反映させるから
現代アートなんでしょう。
既成のアートの批評や、アートの裏事情、アートの歴史をどんなにくわしく調べたところで
アートが社会に対する言説を持たない限り、魅力はないと思います。

いいアートとは?というのがわかったとたん、わからないことがまたひとつ
わかった。という繰り返しかな〜と正直そう思います。

いきなり失礼しました。
ものは言いようだな
204ひろ:補足:04/06/22 17:46
キャットさん、すまん!
肝心なことを外してしまった。
意味がわかんなかったね。

僕が言った、「現代アートという枠」といった意味は、
以上のような、
アート自体が持つさまざまなテーゼ(言説が視覚化されたアートという提示概念)
という「枠」を外そうという意味なので、
キャットさんの言った、
>外すべきは「経済的成功」「社会的地位向上」という枠なんじゃないか?
も、外すべき枠内です。

205ひろ:04/06/22 17:49
そう、だからひねくれていく(w
206catt ◆nKX.ore.zA :04/06/22 17:50
>>202
>アートの目的のうちには、「経済的成功/社会的地位向上」というテーゼもアートとして評価
される場合もあるのでは?。
清貧に対するアンチテーゼというものも内包しています。
逆に言えば、「名声的見返り」をアンチテーゼにするアートも存在しえるわけです。
その中に、今の現代美術のテーゼをアンチテーゼに返すアートも存在しえるわけです。

それは表題であって目的ではない。作家はこの世のあらゆるものについての意見を表現することが
できる。表題を目的化して作家活動をする者もいる。戯画化も含めて「存在し得る作品」はあらゆる
表現手法や表題を容認するが、決して「アートの目的」ではない。なぜならおれは作品に触れる時
「これは良い表題だ」として評価する習慣が無いからかな。それよりも「これはこの表題を見事に
視覚化している」「この表現は表題から壮大な暗喩を示している」とかの「視覚体験の醍醐味」に
気を取られるからだろうな。
「アートの目的」の定義は例えば視覚的作品ならその作品を見ることの出来る人間の数だけ存在
するんだと考える。だって作るのはアートのこっち側だけだろ。受け手がいてはじめてアートは
「目的」「存在意義」を持ち得るのだと思う。「見る」ばかりか「見たい」人の数も含めばさらに
その目的の数は増える。「フランダースの犬」のネルロ少年は果たして本当に絵を見られたのか?

「受け手」を意識しない「作り手」は美術作家ではない。
>アートはアートだけで存在することが出来ず社会との関係でアートでいられるわけです。
だから、アートは凝り固まった膿を出して新しい転換をはかるパラダイム・シフトが
たびたびおこるわけです。 
これはその意味において正しい。

>いいアートとは?
なもの分かったら、おれはアートはやめてるな多分。w
207ひろ:04/06/22 17:53
205レスは、203に対して。

鬱だ、、、
208ひろ:04/06/22 18:02
キャットさんへ
>それよりも「これはこの表題を見事に
>視覚化している」「この表現は表題から壮大な暗喩を示している」とかの「視覚体験の醍醐味」に
>気を取られるからだろうな。

そうそう!それを

「アート自体が持つさまざまなテーゼ(言説が視覚化されたアートという提示概念) 」

で、いいたかった。(笑
catt相変わらず熱いヤシ
210ひろ:04/06/22 18:24
キャットさん
>「フランダースの犬」のネルロ少年は果たして本当に絵を見られたのか?
難しいな。
「本質的な意味では彼は見ていない」ということは、簡単だけど。
ネルロ少年の生きた時代からするとやはり、絵は宗教体験を目的にしてるわけだから
そういうことでは、
「見た」と言えるのかもしれない。
ただし、その絵を宗教が違う文化の人が見ればかなり違和感があるだろうね。

キリストとかの宗教画の絵は、宗教を外してみれば、「血と肉」のオンパレードだからね。
地獄絵図と見まがうものもあるし。

僕は、予備校や、大学では、そう言った絵を「構図」や、「絵具の成分組成」「技法」
「デッサン」など西欧美術史の文脈で、見る事を「教わった」けど、
果たして「絵を見た」といえるのだろうか。
ネルロ少年の「見た」とぼくが「見た」は質としては違うが、
一元的縛りにかけられるものかどうか。

むしろこういう話しのほうが興味はある。
ラッセンほど「受け手」を意識した「作り手」「美術家」はいない。
21248:04/06/22 18:50
>>198
>そういう歴史的後悔を繰り返えさない為にも枠組みを取り払って考えなければ
>現代アートの価値なんて無くて、ただのジャンルとしての生存を目的として
>生きてゆかなければならないって言ってるんだよ。
おっしゃることは、よくわかりますよ。現代美術の世界も、境界があいまいになりつつあると思う。
例えば、もともとは商業的アートの中で、ヴィデオクリップを制作してたクリス・カニンガムが、
正当にも作品が現代美術として評価され、ヴェネツィアビエンナーレに招待されたことなど象徴的だと思う。
ビョークの「All Is Full Of Love」のヴィデオクリップは、みなさんご記憶だと思いますが、
押井守の「甲殻機動隊」のタイトルシーンから、強い影響を受けてるように見えました。
そういう意味では、日本のアニメ作家も、ハイアートの文脈でも評価され得るし、現にいくつかのアニメは、
ネタとして使われてます。
213ぽー:04/06/22 19:18
>そういう意味では、日本のアニメ作家も、ハイアートの文脈でも評価され得るし、
>現にいくつかのアニメは、ネタとして使われてます。

なんか論点をはぐらかされてる気になるのは俺だけか?




21448:04/06/22 19:27
>>201
>アートによって下層階級の人々の人生に少しでも幸福を感じてもらえる可能性は考えられないのでしょうか?
僕もそういうことを考えたこともありましたが、偽善的なアイデアしか浮かばなかったので、封印中です。
下層階級の人々を素材に利用した作品は、古くはムリリョが貧乏な子供たちの絵を描いて、お金持ちに売るという
ことをしてたわけですが、それによって貧困を救済しようという社会的機運が高まったという話は、ききません。
「アートで」救おうというのは、迂回的な気がする。音楽で救おうとかなら、よくありましたけど、有効だったのかな?

>また、衣食足りたてもなお感じる空虚感のためにアートが何かしら役割を果たすのでは?
そういう場合もあると思います。というかそういう欲求があるおかげで、アートは未だに
権威を持ちえているんでしょうね。

>各人の幸福が貴重と考えるなら、「成功」を求めるより人々を幸福にするアートを目指して欲しいと思います。
たとえばシャガールの絵が人々を幸福にしたのか?ということを考えると、僕はそうは思えません。
アートである限りは、鑑賞者の世界観を変える力を持つべきだと思ってます。僕は未だそういうものを
作っていませんが、それが理想です。書物を書くという方法もありますが、言葉でだけでは表現できないものが
あるから、コンセプトを提示するのに、言葉以外の手段も使うというのがアートなんだと思います。
215わたしはダリ?名無しさん?:04/06/22 19:29
ぽーさんとやら、早く気付いた方がいい!

覚えた情報をただ披露したいだけなんだからw
216わたしはダリ?名無しさん?:04/06/22 19:39
>アートで」救おうというのは、迂回的な気がする。音楽で救おうとかなら、よくありましたけど、有効だったのかな?

>アートである限りは、鑑賞者の世界観を変える力を持つべきだと思ってます。僕は未だそういうものを
作っていませんが、それが理想です。

もう支離滅裂 w
48さんは幼い感じがするね。
>言説が視覚化されたアートという提示概念

w
21948:04/06/22 20:09
>>213
>なんか論点をはぐらかされてる気になるのは俺だけか?
はぐらかしてるつもりはなかったんですが、明確な回答にはなってなかったようなので、
補足します。
ぼーさんとひろさんの主張は、現代美術という枠、あるいはアートという枠をはずして、
同時代の文化的表現行為の全てを、わけへだてなく鑑賞すべきで、結果として本当に革新的な
表現行為だと認められたものだけが現代のアートなんだということですよね?
僕はその考えに、何ら異存はありません。僕が同意できないのは、あなたがたが僕の立場を、現代美術という
枠にとらわれて、その枠組みからしか、あらゆる文化事象を評価できない歪んだ人間だと、
マーケットでの成功のことしか頭にないとか、勝手にレッテルを貼ろうとされていることです。
僕は趣味では映画も好きだし、現代音楽も聴くし、漫画だってよみますよ。現代美術が現代音楽や商業映画より
優れているとは思ってません。同格だと思う。
僕が似非美術呼ばわりしたのは、観光地の道端で売ってるのと原理的に変わらない、近代美術をアレンジ、
模倣、再生産、している「美術」のことです。それも言いすぎでした。嗜好品と言われたことで、つい本音が出て
しまったわけで、そういう産業に従事している方々のご不興を買っているようで、謹んでお詫びいたします。
>>211
受け手を軽んじる、または欺いている美術家だと思う。
>>220
 それ「釣り」だって…
22248:04/06/22 21:02
ひろさんは、現代美術も、過去と同時代のアート、文化、社会的現象を素材にして、それらをアレンジしてるだけだから、
決してオリジナルでは無いとおっしゃりたいのでしょう。僕は、中には優れたものがあると思ってます。
僕がこのスレッドであげた、アーティストは、いくつかの優れた作品を残していると僕は確信しています。
具体的に作品を観た上で、評価してほしいと思う。評価の基準は、人から教えられるものではなく、
鑑賞経験をつんで、アートの目利きになっていくしかないと思う。
223わたしはダリ?名無しさん?:04/06/22 21:03
投影がはげしい人は、
議論や、問答にはむかないよ。

純粋に、相手の言説と自分の言説の矛盾点をすりあわしていこうと
客観的に出来ないと、どんどん自分から、率先して本筋からずれていくことに
なるからね。
>>170
猫も食わん。
225わたしはダリ?名無しさん?:04/06/23 00:50
非常に細かいことだが、

確実に言えることは、、。



いつまでたっても、「ぽーさん」を
「ぼーさん」といっていることに
48は、気付いてないことは確かだ。
間違いない。
226わたしはダリ?名無しさん?:04/06/23 00:51
作品製作だけで、飯食いたいね。

これを否定するヤツは、女か親に感謝すべきだね、どうでもいい野郎だけどな。

22748:04/06/23 04:41
>>225
>いつまでたっても、「ぽーさん」を「ぼーさん」といっていることに
>48は、気付いてないことは確かだ。
>間違いない。
気付いてませんでした。ぽーさんごめんなさい。4回もぼーさんと
書いてしまいました。
22848:04/06/23 05:43
>>168
>*西欧美術文化は、温故知新が、実はしっかり根付いていることを知った。
> クラシック、モダン(呼び方は何でもいい)の歴史が、差別される事なく最先端のアートシーンに
> 矛盾なく接続されている。(大学では、現代美術枠の教育/クラシック、モダン枠という教育が
> コースとして、横並びであるわけでなく、ノンジャンルでさまざまな経験を。学ばされてることを
> 知り、「現代美術」という現代評価の枠に捕われない多様性の価値基準がある)
僕の通う美術学校の実態は、たとえば美術史の場合、現代美術を知らない、あるいは頭が70年代で止まってるような
年寄りと、自ら批評家、キュレーターとして活躍する教授では、授業内容が大きく異なり、後者の授業ではギャラリーで
アーティストの話をきいたり、授業に招待したりといったことが多いです。
絵画科の教授でも、教室で学生にデッサンさせたり絵を描かせたりする時代遅れな教授が半数いますが、僕の教室は制作禁止で、
白い壁があるだけ。作品を持ってきた学生が、1人ずつ作品を展示し、テーマを説明し、教授と学生たちで、作品が現代美術として
機能するかどうがディスカッションします。
ビデオアートや映画の選択授業がある一方、版画の授業が必修で、版画の教授たちは、すべからく現代美術音痴だったりします。
学生には選択の幅が大きいので、1年生からヴィデオ制作しかしないアートが分かってる学生もいれば、
4年間抽象画ばかり描いている馬鹿学生も大勢います。馬鹿教授9割、馬鹿学性8割といった感じです。
馬鹿学生は馬鹿教授の授業を受けたがります。

>* 故に、現代美術以外の美術を「非似美術」というのは、異論がある。
似非美術という表現は、ちょっと言いすぎだったかもしれません。
ちょと現代では無い美術、ノン・コンテンポラリー・アートという言い方なら、違和感ないかな。
229わたしはダリ?名無しさん?:04/06/23 06:36
>>219
 48氏は「皮肉」ってるのか「お詫び」してるのか、よく分からない。
相変わらず差別主義丸出しの発言が続く。

「似非美術」→「観光地の道端で売ってるのと原理的に変わらない、
       近代美術をアレンジ、模倣、再生産、している「美術」のこと。

       「そういう産業」に従事している方々のご不興

「現代美術の作品」(たとえばさざえのオブジェ)にせよ「観光地の道端
で売られてる土産物」(さざえの形をしたチープな灰皿でも何でもいい)
にせよ、「売って利益」をあげるという次元においては、原理的には
何にも変わらないことだよ。
23048:04/06/23 06:49
>>229
>「現代美術の作品」(たとえばさざえのオブジェ)にせよ「観光地の道端
>で売られてる土産物」(さざえの形をしたチープな灰皿でも何でもいい)
>にせよ、「売って利益」をあげるという次元においては、原理的には
>何にも変わらないことだよ。
さざえのオブジェって?誰のどんな作品ですか?
229さんは、近代美術をアレンジ、模倣、再生産、している「美術」に従事
されておられるのでしょうか?
228で、ノン・コンテンポラリー・アートという称号に言い換えてみたのですが、
それでもご不満でしょうか?
あなたの現代美術に対する認識度は、よくわかりました。「売って利益」をあげられれば、
みんなアートなんだというご意見はご意見として、きちんと承りました。
231わたしはダリ?名無しさん?:04/06/23 07:26
>>230
>「売って利益」をあげられれば、みんなアートなんだというご意見
 誰もそんな「認識」等していない。意味、曲解してる。結局、48氏は
様々な美辞麗句な言説を弄してるけれど、「経済性の追求」という本音の
部分では、「商売人」と発想は同じ。有名画廊やコンペでのキャリアでステップ
アップを図るなど、さながら青年実業家のよう。「衣の下から鎧が覗いてる」。

 原理的に変わらないと言ったのは、以下の質問・感想をスルーしてるため。
>>201
>狭い美術村での評論家、美術史家に評価されること目指してみえる
>衣食足りたてもなお感じる空虚感のためにアートが何かしら役割を
 果たすのでは?


48氏には現代美術家の等身大性(こんな言葉あるかな?)を感じるので、わたしは割と好
感をもって見ています。ほかの方々は残念ながら、究極的にはトイレット・ロール一個と絵
一枚を等価とするような、倒錯的論理を弄んでいるように感じられます。もちろん倒錯的芸
術というのもありですが、48氏は健全なんでしょう(藁
皆さんが大好きなデュシャンも言っているように、芸術作品は、個人としてであれ「極」と
してであれ、鑑賞者に作用してはじめて価値をもつ訳ですから、「誰にどのように見せるか」、
ということは芸術家の活動にとって本質的な訳です。(デュシャンはこの点に関しては、ま
さにエキスパートだったと思います。)
信を置くということを無味乾燥に表現すれば「嗜好」になるとしても、自分の作品を、気ま
ぐれな大衆ではなく、自分が信を置く「目利きたち」に見てもらいたい、彼らのメガネにか
ないたいと考える、決して独り善がりでない作家のなにが問題なのか?
233わたしはダリ?名無しさん?:04/06/23 08:45
>>228
>馬鹿教授9割、馬鹿学性8割といった感じです。
>馬鹿学生は馬鹿教授の授業を受けたがります。

「馬鹿学生」のその一人というわけだw

48を含め、このスレで「ネルロは本当に絵を見たのだろうか」
などと悩み合ってる仲間の姿も、どんぐりの背比べ。失笑ものだ。
(パノフスキー辺りも禄に読んでないだろう)
>>232
48さんを好きか嫌いかは「嗜好」でしかない。
発言内容から矛盾点を指摘されているのみ。
23548:04/06/23 09:53
>>232
>信を置くということを無味乾燥に表現すれば「嗜好」になるとしても、自分の作品を、気ま
>ぐれな大衆ではなく、自分が信を置く「目利きたち」に見てもらいたい、彼らのメガネにか
>ないたいと考える、決して独り善がりでない作家のなにが問題なのか?
やっと普通の意見を投稿する方がいて、ほっとしました。
ギャラリー経営者というと、金儲けばかり考えてる人という、悪いイメージを持つ方が多い
ようですが、実際にはギャラリスト自身が、以前はキュレーターや批評家といった、
目利きとしての経験を積んだ人たちが多く、アポイントを取れば、若いアーティストでも作品を
見てくれたり、辛口のアドヴァイスをしてくれるそうです。僕が住む街には、近代現代のギャラリーは
100件ぐらいありますが、最先端が5件、重要といえるのは、せいぜい10件ぐらい。毎週そうした
良いギャラリーに通い、個展のオープニングの日には、海外のアーティストと話したりできます。
とにかく、西洋で現代美術を専門に研究してる人間の知識は、質量ともに、日本人では絶対に
太刀打ちできないと思う。浅田彰や椹木野衣なんて、僕から見たら美術評論に関しては、
全く話にならない幼稚に見える。それくらい、違いすぎるんです。
どう読んでも48さんとその擁護者達は幼稚だな。
237わたしはダリ?名無しさん?:04/06/23 10:20
幼稚というより
人格障害ですね。パラノイア的で、実社会になんら寄与する才能
を感じない、言葉遊びばかりで、知識はいい加減。追求すると
論点のすり替え、話題の方向性を変えてしまう。自分でも
読んだことの無い話や、知りもしない理論の受け売りが延々と
書き込まれている。その程度なら苦にならないが、作家の場当たり的批評
中傷、アンチテーゼ。全く話にならない。
いくらなんでも釣りでしょう。
>>235
>やっと普通の意見を投稿する方がいて、ほっとしました。

>浅田彰や椹木野衣なんて、僕から見たら美術評論に関しては、
>全く話にならない幼稚に見える。

 語れば語るほど、自家撞着に陥っていく。

>>236
 同意
>>233
>>228はどう見ても釣りだろ。
パノフスキーって誰?
イコノロジーの人だろ。
>>233
イコノロジーとこのスレとなんか関係あるのか?
>>233
感情的な野次を飛ばしている方々の程度も怪しいものだ。
他人の意見を自分の知識の範囲に投影し、くだらないと切って捨て、
それを公然とのたまう姿勢は48氏となんら変わらない。
24448:04/06/23 12:03
>>231
>>「売って利益」をあげられれば、みんなアートなんだというご意見
> 誰もそんな「認識」等していない。意味、曲解してる。
もうすこし分かりやすくたとえを使ってくださいね。
ところで「さざえのオブジェ」の件はどうなりました?とても興味があります(笑)
>結局、48氏は様々な美辞麗句な言説を弄してるけれど、「経済性の追求」という本音の
>部分では、「商売人」と発想は同じ。有名画廊やコンペでのキャリアでステップ
>アップを図るなど、さながら青年実業家のよう。「衣の下から鎧が覗いてる」。
235で述べた通り、自分の作品を西洋の目利きたちに、認めさせようとしているだけの
話です。僕だけが特別なのではなく、南米や東欧から来てる学生たちも含め、
アーティストをめざす人間は、みな同じです。日本とは、美術の世界の習慣が違うのです。
日本から留学してくる美大出の人たちは、喫茶店みたいなところで個展をしちゃったり、
それだけで満足して、帰国する人たちが多いです。美術関係者が来ない場所で、個展をやることは、
こちらでは無意味だし、そんなものを展示歴に入れられるわけ無いのですが、彼らにとっては、
それが何か実績だと思ってるようです。
>>244
>浅田彰なんて美術評論に関しては、全く話にならない幼稚に見える。

「全く話にならない」「幼稚」とは、どの辺りが? 詳しく聞きたい。
>>243
 ラッセンレベルの「釣り」だろう。

>他人の意見を自分の知識の範囲に投影し、くだらないと切って捨て、
 それを公然とのたまう姿勢の「48氏」
24748:04/06/23 12:57
>>245
>>浅田彰なんて美術評論に関しては、全く話にならない幼稚に見える。
>「全く話にならない」「幼稚」とは、どの辺りが? 詳しく聞きたい。
あくまで欧米の美術評論と比較しての話ですよ。
僕は『ヘルメスの音楽』に所載のベイコン論にせよ、フェルメール論
にせよ、素人のエッセイの域を出ていないと思いました。
いちいち、どこがとは指摘する気はありませんが。
浅田のWEB上で読める美術関係の小論も、いくつか目を通したうえでの
ことです。横浜トリエンナーレの評論で、ピエール・ユイグを貶してたけど、
上っ面の印象批評だと思いました。浅田は、たまにしか作品を見てないんじゃ
ないかな?地元のダム・タイプとかは、評価してるようだけど、奈良のことは
凄く嫌ってて、その理由が「あんな小汚い白痴的な絵を平気で使うというのは、
著者や編集者が知性もセンスもないことを告白しているようなもの」
(かくも幼稚なる「現代美術」voice 2001年10月)
なんて、僕でも言わないよそんな暴言。単に嗜好の問題だと言ってあげたいよ。
パノフスキーレベルでかえしていただきたいものだな。
249影踏み(232共):04/06/23 13:08
48氏には「2ちゃんねる」でトラウマのひとつも作って、深みのあるヴィデオ作品にでも昇華
してもらいたいものだ(藁
このスレではどうも不興を買いそうだが、一般論を言えば、芸術に関わるコミュニケーション・
スキルというものは、芸術家側だけでなく、鑑賞者側にも要請されるものではないだろうか?
48氏の目が欧米や業界に向くのは、そういう文脈では、当然すぎるほど当然だと思うよ。
芸術作品は、それが真摯なものであれば、それは作家の何事かを反映した、作家の分身として、
他者と向き合うことになるのだろう。そして、そうであるからには、それなりに慎重なとり扱い
を受けることが期待されてもいる訳だ。それも「嗜好」だ、と言えばそれまでだが、それは芸術
というカテゴリーが本来的にもっている嗜好であって、わたしはそれを相対化することは出来な
いと思う。
48氏の粘着ぶり・必死さを見てると、かなりの「トラウマ」
になってるのは確かだ。昇華できる才能があれば、の話だが。
浅田についても「印象批評」の域でてないし。
251catt ◆nKX.ore.zA :04/06/23 15:20
>>249
>一般論を言えば、芸術に関わるコミュニケーション・スキルというものは、
芸術家側だけでなく、鑑賞者側にも要請されるものではないだろうか?

おおむね同意だ。というのは「見て分からなきゃ聞くなよ」的な謎解きに
夢中になった現代芸術も存在したから。いわば「良い医者」と「学会での
地位・名声」とがイコールであるという認識が通用した頃の話。
(まるで部屋に籠もりきり妙な試薬の開発に明け暮れる化学者のように、
一握りの現代美術関係者の知的満足感を刺激することにやっきになっていた。)
ただ、現代芸術がその頃よりPOPな扱いになり「趣味・嗜好」として享受される
現在において、「見て分かりやすい」表現=下敷き無しに理解に到達できる作品
こそ必要なのかも知れないと考える。おれの個人的な好き嫌いはおいといて
コミカルな作品が妙に増えているのはそういう流れもあるのだろう。

だから、「鑑賞者に要請されるスキル」は低ければ低いほど良いのでは
ないかと思ったりする。それは評論家のあり方にも関わる現代芸術の現在形に
重なったりするわけなんだが。
252ぽー:04/06/23 16:06
まずココまで急速に伸びたスレを立てたひろ氏に一礼。
そして戦うファイティングスピリットを見せてくれてる48氏にも一礼。
戦うファイティングスピリットを見せてくれてる48氏 (藁
「あんな小汚い白痴的な絵を平気で使うというのは、
著者や編集者が知性もセンスもないことを告白して
いるようなもの」

なんて、僕でも言わないよそんな暴言。
255ぽー:04/06/23 18:52
浅田のあの発言は大切だと思うよ。
俺は奈良の作品のファンだけど、そこまでバシッと作家を切れる評論家が
もっと増えるべきだと思う。
ただ残念なのはそこに奈良を推している評論家のそれに対しての反論が
どこにも無いってことじゃないかな。(あったかも知れないが自分の知る範囲
では。。。)
あれだけ世界的認知度もあり沢山の推薦者がいるのにもかかわらず、誰も公に
彼のバックアップが出来ない事に絶望するよ。
256わたしはダリ?名無しさん?:04/06/23 19:26
先日、イタリア人の批評家の話を聴く機会がありました。
その批評家は、アーティストの知り合いがたくさんいるそうですが、
アーティストになる人のタイプが昔とは変わったように感じる
と言っていました。現在のアーティストは、作品が出来なくなると、
コロッと転職したり、また普通にサラリーマンのような一般的な
仕事をしていた人が、突然現代美術作家に転身したり、という状況を
目にするそうです。以前のアーティストにとっては、作品が出来なくなる
ということは、命を絶つことを考えるぐらいの重大事件だったのに。
アーティストはアートだけしか出来ないのではなく、アートもやるけど、
他のことも出来る、というふうに変わってきているのかもしれませんね。
だから、このスレを読んでいて、アートの世界って、そんなに善良なところ
じゃないし、アーティストは、貧しい人々を助け、清貧を貫けなんて
時代からずれてるんじゃないかと思いました。
青年実業家的な印象を与えるアーティストがいても、全然おかしくないと
思いました。
257ぽー:04/06/23 20:35
>256

それは自分より一回り以上も年の離れている作家と話していても
そういう話になるよ。
それが良いのか悪いのかの判断はわからないけども、普通の仕事と
照らし合わせても終身雇用という概念が欧米でも日本でも希薄に
なっている事とも関係してるんじゃないのかな。
以前は手に職、又は専門的な事を地道にやっていれば食いはぐれる
可能性が少なかっただろうけどね。
美術系学校の多さ、そして入学者全員がほぼ卒業出来る現実もそういう
傾向に拍車をかけてるのかもね。

258ひろ:04/06/23 21:11
ぽーさん
>まずココまで急速に伸びたスレを立てたひろ氏に一礼。
そして戦うファイティングスピリットを見せてくれてる48氏にも一礼。

ぽーさんの人柄が見えてくるようです。
2ちゃんにいるのは、もったいない(笑

48氏へ
レス延ばしてくれてるんで、放置するわけにもいかず、、、(笑)

もう怒りはおさまりました?
なんか、219読む限り、僕にあやまってほしいみたいだね。
「『あらゆる文化事象を評価できない歪んだ人間だ』と言ってごめんなさい」と。

、、、、で、あやまったとする。  で、それで、48氏はスッキリする?
こんな、文字だけ打つだけなら雑作もないことだよ。

48氏は、自分の見識眼に確信があるんでしょ?ならば、
現実世界で、だれかも確かめられない、どんな馬の骨ともわからない「文字だけの僕」に
「わたしが誤解してました」と言ってもらわなければ、腹の虫がおさまらないくらい
君の「確信」は、不確かなのか?

お互い匿名なんだから、例えば、ぼくは、誰某で、某の作家とコラボレーションしたとか
言ったって、意味がないだろ?(笑)たとえば、僕が言った「向うの美術家」が「アーネスト・ネト」で、
彼と打ち上げで飲んだ時に話した話だ、と言ったとして信じるのか?(笑)
僕が本当に48氏をあきらかに、馬鹿にした発言かどうか、どう客観的に判断出来る?
259ひろ:04/06/23 21:13
ぼくは発言に悪意は、まったくないと言っても、
48氏が「いや、あなたは、私を歪んだ人間呼ばわりした!」
と言い続ける限り、僕は証明しようがないんじゃないの?
たとえば、馬鹿!とか、低脳!と直接わかりやすい言葉をいうのと意味が違うだろ?

この文を48氏が読みながら、48氏の頭の中で聞こえる「僕の声」は、
果たして、怒鳴り声?それとも、おだやかな談笑するような声? どっち?

アートのことを、もっと学んだほうがいいですよ。庵野さんのほうが、ひろさんよりはアートを勉強してると思います。
評価の基準は、人から教えられるものではなく、鑑賞経験をつんで、アートの目利きになっていくしかないと思う。

んな、わかりきっていること、当たり前なことわかってるよ。(笑)
202のとこで、キャットさんに、たしなめられたけど、
いいアートなんて、わかったと思った瞬間、わからないことが、またひとつ増えた、
の繰り返しなんだから。
260ひろ:04/06/23 21:14
くどいかもしれないけど、
「データベース」とか「嗜好」とかは、僕のアートの新しい角度から見た
楽しみ方だし、「糞」とか「クズ」も弁証法てきな言葉遊びのなんだから
それが、悪意に満ちていると言われても、それだけを理由に、撤回は出来ないよ。(笑)
だって、僕の自由意思だもん。


ただ、言わんとしている意味を一番的確に伝えるボキャブラリーが、出てこなくて
感覚的に、造語をつくって相手を不安におとしめる(笑)ことは、自覚してるよ。
そういう言葉を使いたい年頃だから。(例えば、言説が視覚化されたアートという提示概念とか(笑)

他になんか、言いたい事あります?

しかし
やっぱり、一人くらい熱い人がいるとみんなひっぱられて盛り上がるようだね。
26148:04/06/23 21:55
>>258
>なんか、219読む限り、僕にあやまってほしいみたいだね。
いや、もういいから。僕が君にあやまってあげるよ。
「味噌と糞を一緒にする」ということわざを使ったことが、気に障ったようで、
すみませんでしたね。
僕はひろさんとの対話を通して、現代美術についての啓蒙を、当初は意図していたのですが、
言葉遣いの問題で感情的反発を招いたことは、失敗だったと反省しています。
ただ、ひろさんとでは、あんまり面白い方向に話が進まないとは思った。
ひろさん流のメタ美術論は、アートの現場と接続してない、空理空論と思えるから、
話をあわせるのに一方的に疲れるんです。こういうこと書くとまた反発されるかも、
しれないけど。エルネスト・ネトの作品に触れて、彼と話したんなら、そこからリアリティと
接続できるんじゃないかな?
このスレッドは、ひろさん自身「VS」という方向にこだわっておられないようなので、
現代美術をめぐる対話(メタ美術論も含め)ということにしたらどうでしょう?
過去美術の擁護者からは、まともな発言は1つも出ないようだから。カットしちゃっていいと思う。
現代美術と古典美術の両方をやっているのですが、
古典でも現代でも、お金にならないのは一緒。
しかし、自分をおいつめれば作品を作れない、またそうしむける
周囲はとても残酷だと思う。創作って、ものすごく命をすり減らす
仕事だからね。美大ならびに芸術関係の自殺率の高さを知らない人の
言う話だと思う。
263わたしはダリ?名無しさん?:04/06/23 23:04
>>252
>まずココまで急速に伸びたスレを立てたひろ氏に一礼。
>そして戦うファイティングスピリットを見せてくれてる48氏にも一礼。
ぽーさんのおかげで、何がしか深みのある議論ができたと思います。
ひろさんの発言も、ぽーさんのような救済者を引き出してくれた点で、評価に値すると
思います。
デュシャンがそうであったように、知的で冷静な対話をするよう、心がけたいものです。
264ひろ:04/06/23 23:31
48氏
>「味噌と糞を一緒にする」ということわざを使ったことが、気に障ったようで、すみませんでしたね。

しょーがないなー(笑)怒ってないよー。
っていうか、ことわざを検証して問題提議しただけじゃんよー。(笑)
だから、はじめに、80で、僕が
>いや、別に煽っているわけではなく、マジレスで、

って言ったじゃん。
しかも(笑)マークつけたのに。それが誤解された?

265ひろ:04/06/23 23:32
48氏
>ひろさん流のメタ美術論は、アートの現場と接続してない、と思えるから、

うん。そのとおり(笑)
誤解してるかもしれないから確認の為にいいます。

アートの現場(事象)に具体的に接続して、記述するのが、アート論。

「メタ美術論」というのは、基本的にアートを論じる、論じ方について「論じる」わけだから
もともと空理空論なんですね。
つまり、「アート論」論。
むしろ、個別の事象に捕われているようでは記述できない言説についてのことだから、仮証なんですよ。
だから、現場のアーティストは、あまり気分が良くないものなんです。(笑)

48氏自身、面白くない話らしので、無理して付合わなくていいですよ。
この分野は、実際の制作になんら、ともなわない話しだから、心得ているよ。

>このスレッドは、ひろさん自身「VS」という方向にこだわっておられないようなので、
現代美術をめぐる対話(メタ美術論も含め)ということにしたらどうでしょう?

ぼくは、あんまりレス出来る機会ないかもしれないから放置率高い。(笑)
48氏主導で、がんがん行ってください!!興味が沸けば、レスします。

でもいろいろ48氏はくわしいので感心します。マジレスです。
26648:04/06/23 23:36
263は僕の投稿でした。
232氏がいわれた、「現代美術家の等身大性」について、イリア・カバコフが水戸芸で
公演したときの内容を関連資料としてご紹介します。
>この2つの時代、2つのモダニズムとポストモダニズムの 違いというものは、決して形の上だけのことではありません。
>つまり、スタイルの問題であるだけではなく、 むしろ、メンタリティ、特にそのモダニズムの芸術家のメンタリティと、
>ポストモダニズムの芸術家のメンタリティ。 この違いのほうが大きいと思います。
>(中略)モダニズムの芸術家というのは、 自分と自分の思想というものを、特別なもの例外的なものユニークなもの、
>そういう風に考えているのに対して、 ポストモダニズムの芸術家は、自分は月並みな、普通の人間であるということ、
>そして、自分と自分の思想については、 いつも一定の距離をおいて、評価する、であるから、アイロニーとかユーモア
>というものを 常に伴うということであります。
「イリヤ・カバコフ オープニング・レクチャー」1999年8月7日(土)
水戸芸術館現代美術ギャラリー・ワークショップ より、
http://www.arttowermito.or.jp/art/kabakovlecj.html
267わたしはダリ?名無しさん?:04/06/24 00:10
>>266
つまりあなたは自分を
「月並みな、普通の人間であるということ、そして、自分と自分の
思想についていつも一定の距離をおいて 評価しているから、アイロニーとか
ユーモアというものを常に伴う等身大性を持った作家である」ことを
「自分の思想、考え方として考え確信している」のでしょうか?
268ひろ:04/06/24 03:25
影踏みさん
249>一般論を言えば、芸術に関わるコミュニケーション・
スキルというものは、芸術家側だけでなく、鑑賞者側にも要請されるものではないだろうか?

要請というのは、原理として立てられる命題(真理として存在していないまでもね)
と厳密に言えばいえるんです。

>芸術作品は、それが真摯なものであれば、それは作家の何事かを反映した、作家の分身として、
他者と向き合うことになるのだろう。

で、一般的には要求と、同じようなものなんだけど、上記を、それを芸術に
適用すれば、
「他者がその作品と向き合うことを、原理として立てられる」という命題自体が
アート作品の自明性に結びつかなければ、アートたりえないでない。と解釈できる。
つまり、鑑賞者側に自明的に向き合わされている作品だからこそが、要請(=作品)
なわけだ。
だから、間違っちゃいけないのが、

キャットさんの
251>「鑑賞者に要請されるスキル」は低ければ低いほど良い
というのは、「鑑賞者に低いスキルを要求しちゃいけないわけです。」
要求自体すでにその自明性は崩れている。

「低い」「高い」という問題以前に、
鑑賞者と向き合わせる原理を求めた結果=Aという提示形体=鑑賞者が向き合わざるおをえない現状
以上の3つが等価であることがないと、厳密な定義では、要請したことにならないんだよね。
269ひろ:04/06/24 03:26
だから、影踏みさん
>芸術というカテゴリーが本来的にもっている嗜好であって、わたしはそれを相対化することは出来ないと思う。

は、まったく逆であり、
ある共同体の嗜好(これは、国民的、文化的にね)に相対化されねばならないのは、むしろ
アートの方なんですよ。この「要請」という理屈でいうと。
だから、48氏が、西欧のアートのトップをめざして西欧文化にまみれるのは、
当たり前の近道で、もちろん、なんら批難される筋合いはない。
ただし、西欧のアート自身が持つ命題のせいで、48氏が西欧のアートの流儀をもってして
大衆的美術を「もし」否定したとしたら、それは西欧のアートシステム自体を
「48氏が認めていない」という仮説が出来上がる。(笑)
西欧の大衆美術は、アートの形式がトップダウンとして大衆に定着したわけだから
ちゃんとしたアート概念を学んだ専門家先生ならば、大衆美術は、西欧アートのひとつの
「要請した」成果としてコンテンポラリーと区別はしても差別は決してしない。
ただ、権威として歪んだかたちで膿みがでてきてるところもあるかもしれないね。
270ひろ:04/06/24 03:28
他者(日本)の嗜好に相対化していないアートは、アートとしては失格なのは確か。
西欧に習えば、本来なら今の大衆美術全般は、江戸文化の末裔として現在に接続されても
いいんだけど、アメリカの洗礼で、分断されてしまった。だから西欧現代アート文脈をもって
なぜか、「日本のアートはダメだ、、。もっと西欧のギャラリーシステムを学ばなきゃ」
と、分けわからない自体になってる。
西欧の美術のシステムを自ら否定することにもなりかねない(笑)
西欧が日本に、もとめるアートは、以上のような仮説として考えれば、
対象Aが、展示されている自体をもって、日本人が、肯定にしろ否定にしろ、「向き合わざるを得ない状態」
でなければ、対象Aは、アートではないわけです。
だから、
キャットさんの
>まるで部屋に籠もりきり妙な試薬の開発に明け暮れる化学者のように、
一握りの現代美術関係者の知的満足感を刺激することにやっきになっていた。)

は、西欧アート自体パラダイムシフトが起ったように、
日本にも歪んだ形にしろ、パラダイムシフトが起こりうるし起ってるかもしれない。
という仮説。村上隆は、どういうアクションなんでしょうね。
271ひろ:訂正:04/06/24 03:34
268>アート作品の自明性に結びつかなければ、アートたりえないでない。と解釈できる。

アートたりえない。
272わたしはダリ?名無しさん?:04/06/24 05:16
>>269
>48氏が、西欧のアートのトップをめざして西欧文化にまみれるのは、
>当たり前の近道で、もちろん、なんら批難される筋合いはない。

非難されている部分は、そこにはない。

>48氏が西欧のアートの流儀をもってして大衆的美術を「もし」否定したと
>したら、それは西欧のアートシステム自体を「48氏が認めていない」という
>仮説が出来上がる。(笑)

>権威として歪んだかたちで膿みがでてきてるところ



>過去美術の擁護者からは、まともな発言は1つも出ないようだから。
 カットしちゃっていいと思う。


「追求すると論点のすり替え、話題の方向性を変えてしまう。」
27448:04/06/24 07:39
>>273
>「追求すると論点のすり替え、話題の方向性を変えてしまう。」
いったいあなたが僕に対して何を追及されたのですか?
ちゃんと質問されれば、納得がいくまで答えますよ。
275影踏み:04/06/24 07:43
>>266
「イリヤ・カバコフ オープニング・レクチャー」1999年8月7日(土)
水戸芸術館現代美術ギャラリー・ワークショップ より、
http://www.arttowermito.or.jp/art/kabakovlecj.html

やっぱりユダヤ人かというお家芸的(藁 な着想がありますね。わたしには大変おもしろかった
です。感謝感謝 m(__)m

ひろさんへ
わたしは芸術を、他者とつながるための一技術、とくに昇華という防衛技術と深く結びつ
いた、一技術として捉えているんです。
狭義の芸術は、(1)制度的なもの(2)他者への浸透(3)昇華   つまり…、
ラカンの「象徴界」「想像界」「現実界」という三つの円集合の重なる部分によって表現
できるのではないだろうか?もちろんこれは可能なモデルのうちのひとつにすぎないのだけ
れども…。わたしはこういう風に考えているので、芸術をある程度には相対的なものと考え
つつ(当然でしょう)、またある程度には安定したものであるとも見なしたいと、そういう
ことです。
27648:04/06/24 07:51
>>267
>つまりあなたは自分を
>「月並みな、普通の人間であるということ、そして、自分と自分の
>思想についていつも一定の距離をおいて 評価しているから、アイロニーとか
>ユーモアというものを常に伴う等身大性を持った作家である」ことを
>「自分の思想、考え方として考え確信している」のでしょうか?
カバコフの文章を改ざんされてますね。カバコフは、思想として確信しているなんて
言ってません。カバコフがあげた2つのタイプでは、自分は普通の人間で、
アーティストであるということを何の不自然さも感じずに受け入れているので、
ポストモダンのアーティストに近いなあと思ってます。
それで、何がおっしゃりたいんでしょう?
27748:04/06/24 09:06
>>255
>浅田のあの発言は大切だと思うよ。
>俺は奈良の作品のファンだけど、そこまでバシッと作家を切れる評論家が
>もっと増えるべきだと思う。
浅田彰【かくも幼稚なる「現代美術」】
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/voice0110.html

>ただ残念なのはそこに奈良を推している評論家のそれに対しての反論が
>どこにも無いってことじゃないかな。(あったかも知れないが自分の知る範囲
>では。。。)
ユリイカ2001年10月号「特集 村上VS奈良」のなかの、ある文の付記で、
椹木野衣がほんのちょっと反論してました。あんまり説得力ない反論だったけど。
278ぽー:04/06/24 09:41
検索サンキュー。
そういうのが論争になって欲しいのだけど。
日本の美術雑誌読む限りでは馴れ合い的な程度なのかな。残念。

279ひろ:04/06/24 10:42
影踏みさんへ

あー、ラカンですか。なら話がはやい。(笑)
といっても、ぼくが肩入れしているのは「思想として」のフロイドや、ユングの方の「昇華」
の方ですけど。(笑)
補足。
イデオロギーとしての「共同化」のもっとも過激なものが革命。
失敗したのが発狂。
一般には、その努力?は中間のさまざまなレベルで行われる(犯罪、神話、迷信、など)
成功か失敗かはさておき。
新興宗教の下位(サブ)集団をつくるかもしれない。
これらが、潜在的(レイテント)文化を形づくる。サブ集団が、
顕在的(マニフェスト)文化に、昇華した一つの形式が芸術ってわけだもんね。

回りくどく説明していまいましたね。
お手間かけさせました。
280ひろ:04/06/24 11:47
「オリジナルって?」なんでしょうか?

複製元って釣りはなしで。(w
>>280
私もそう思いました。
>>222のですよね?
282ひろ:04/06/24 12:57
そうです。

あと48氏がどこかで言われていたと思いますが、
「革新的」っていうキーワードや、
266にコピペしていただいた
「スタイルの問題だけではなく、芸術家のメンタリティの違い」
「 自分と自分の思想というものを、特別なもの例外的なものユニークなもの」
「 自分は月並みな、普通の人間であるということ」
これらについて、みなさんからレスしてもらう、、、とか。
具体的な方がいいかと思いまして。
283ひろ:04/06/24 13:18
イリヤ・カバコフ 言うこともいいねー。
284ぽー:04/06/24 18:59
「オリジナルって?」なんでしょうか?

この言葉って凄く抽象的な使いまわしされてるからね。

アートの文脈で使うと「独創的」と言う意味が殆どだろうけど、
全ての創作は基本的には何も無い状態からは始まらないしね。
第一人者と言う意味もあるだろうけど西洋で一番最初に何かしたと
しても違う世界から見るとオリジナルでなかったり。

そこで自分はオリジナルって言葉の後ろにコンビネーションって言葉が
不可欠だと思ってます。
オリジナルなコンビネーション。

例えば、すう桁のダイヤル式の鍵を啓蒙を触発する鍵と見立てて、
それを開ける為にはコンビネーション(番号の結合)を必要としますよね。
その番号はその時代とリンクしていてその時々で変化する。
その番号を読解する事を『オリジナル』なコンビネーションと定義したい。

こんな感じでどうですか?
285256:04/06/24 19:17
ぽーさん、レスありがとうございました。
現代美術の話が出来る知り合いがいないので、
みなさんのお話が聞けて、うれしいです。
私は、日本の美術をもっと面白くするためには
どうしたらいいかということに興味があります。
それについて、ぽーさんは非力な私たちにはなにも出来ない、
長いものには巻かれよとお考えなのでしょうか?
公募展の審査員、正会員をやっている日本の大学教授が、学生もいるところで、
「ベネツィア・ビエンナーレなんてどうしようもないぞ。
あんなの出品作家はみんなコネで選んでいるんだからな。」
なんて言っているのを見てしまって、目が点!になったという
経験があるのです。公募展の審査員をやって、マターリしている人が、
現代美術に目を向けたくないのはわかるのですが、
学生たちにそういうことをすりこんでいるのはよくないと思いました。
日本の美術界の新陳代謝を促し、新しいもの、何より面白いものを前面に出していく
ことは可能でしょうか?

286ぽー:04/06/24 19:46
いやー、基本的に長い物に巻かれるくらいなら、そいつら共々道連れにして
自爆してやるって気持ちです。アルカイダ的に。。。 w

ビエンナーレとか基本的にアーティスト以外が盛り上がる様なところもあるから
結構冷ややかに見てしまう部分もあるけど、コネでビエンナーレに参加出来るくらいなら
それこそ殆どのアーティストがパーティーを主催して表集めしないと出れない事になる。w
しかし実際、アメリカの美術館のキュレイターなどは凄く真面目な人が多いですよ。
そして作家の人も地道にしっかりと活動してる人が殆どだとおもいます。
やっぱり最近の日本人作家の活躍で日本のアートに関心を持ちはじめているし
今後はオリエンタリズムの色眼鏡で日本人作家を評価する動きも変るんじゃ無いかな。
そのためには「スーパーフラット」系を凌ぐ第二の勢力が不可欠だと思う。
そうすれば日本国内にもある作家の多様性があると証明出来るんじゃ無いかな?

287わたしはダリ?名無しさん?:04/06/24 20:04
<<262
<自分をおいつめれば作品を作れない、またそうしむける
<周囲はとても残酷だと思う。創作って、ものすごく命をすり減らす
<仕事だからね。
アートの世界は堅気の世界とは違うから、
最後にニヤリと出来た人の勝ち、というゲームだと思っています。
ゲームといっても遊びではなく、生死の問題よりも、もっと真剣なもの。
サッカーの世界だって、全員がトッティや、デル・ピエロになれるわけじゃないように。


288わたしはダリ?名無しさん?:04/06/24 20:07
素朴な意見だと自分でも分かっているのですが、ちょっと書き込みさせてください。
現代美術と言われるものは全般的に「概念的」な傾向が強いと思います。
もちろん古典的な作品にも概念的な要素が強く含まれているものも多いでしょう。
けれども、それらは時代を超えて感覚的(?)にわれわれに深い満足をもたらしてくれる側面を
持っているというのも事実なのではないでしょうか。
現代美術からはこのような感覚的な側面の探求が失われつつあるような気がします。
このような傾向についてみなさんはどう考えますか。
289ぽー:04/06/24 20:08
文章がガタガタで酷いね。メンゴ。
290ひろ:04/06/24 20:59
横浜ビエンナーレオープニングに行きましたが、
大きな会場で、立食形式で、わいわいひしめいています。
ギャラリーオープニングレセプの盛大版。

>コネでビエンナーレに参加出来るくらいなら
それこそ殆どのアーティストがパーティーを主催して表集めしないと出れない事になる。


もう名刺交換から自己紹介から作品紹介からなにやらスゲービジネスマンやってるんですよ。
で、すけービジネスライクなんだけど、格好が仮装行列。(笑)
ちんどん屋みたいな格好で、名詞配りながらあるいたり、民族色出して
民族衣装まとっている女性がいたり、かなり目立とう精神旺盛でくらくらします。(笑)
いずれにしても、そういうキワものの方たちの中で地味なアーティストを見つけては
「こーゆーの苦手でねー」とお互い苦笑しつつ、ちゃっかり名刺交換。
やはり、ほとんどのかたに、日本の歴史観を聞かれます。
自己紹介の中に趣味や自分の過去の経歴という「自分史」を語ることの中に、
当然自国の歴史認識が含まれます。それらを包括的な「自分史」を語る中に独自の作家としての
アイデンティティーがあると見なされるわけです。
そして日本の歴史の一番のターニングポイントである、戦前/戦後の
分断された「事実」に目を背けることは当然できないわけです。
目を背けるということは、誇大的なナショナリズムとそれに対する、親米よりの反日感情という
両極端な言説となり、その歪みの一つの現象が、256さんの
>日本の大学教授が、学生もいるところで、「ベネツィア・ビエンナーレなんてどうしようもないぞ。
だと思います。
つまり、コンプレックスを自覚しないと的を得ない発言、自分でも何を言っているのかわからない
矛盾したことを言い出すわけです。その対極は、日本制度批判です。どちらも
作家のメンタリティに関わる大事な足場を見失ってる。
最近の日本人作家の活躍は、その「足場」を避けないというごく当然の
ことをしている。コンプレックスを抑圧した言説は、日本の歴史にうとい「外人」さん
から見ても「違和感」を与えるものです。
29148:04/06/24 23:03
>>288
>現代美術と言われるものは全般的に「概念的」な傾向が強いと思います。
>もちろん古典的な作品にも概念的な要素が強く含まれているものも多いでしょう。
>けれども、それらは時代を超えて感覚的(?)にわれわれに深い満足をもたらして
>くれる側面を持っているというのも事実なのではないでしょうか。
おっしゃることは、よくわかります。僕自身も数年前まで、西洋のルネッサンス芸術
こそ、最高の到達点だと思ってましたから。
ただ、僕自身の経験では、どんなに良いと感じられた作品でも、何度も注意深く見れば、
ありきたりのものだということが分かり、興ざめすることが多かった。
例えばルーヴル美術館に展示されてる絵画の9割は、さしてオリジナリティがない、
過去または同時代の、より優れた作品の影響下に描かれたアレンジ作品であって、
一度見ればもうたくさんという程度のものと思います。
ほんとに何度でも観て飽きない作品こそ、オリジナルなんだと思います。
『モナ・リザ』は素晴らしい。
現代美術的な作品には、概念的傾向が強いことはおっしゃるとおりですが、
感覚というか、感性というか、ことばで説明するのが難しい、何らかのセンスを経由して、
直接的に訴える力をもった、優れた作品も多いと思います。ただその訴える内容が、
「美しい」という感覚とはちょっと違うことが多い。
ありきたりな美しさよりも、「なんだか凄く変だ、けどパワーを感じる」という印象を与えようとする。
つまりアーティストは普通じゃない表現を探求してるので、それが機能すれば、
鑑賞者に深い満足をもたらしてくれると思う。
たとえばボイスのドローイングとか、実物を観ると、感覚的にも面白いと思います。
>>291
>ありきたりな美しさよりも、「なんだか凄く変だ、けどパワーを感じる」という印象を与えようとする。
つまりアーティストは普通じゃない表現を探求してるので、それが機能すれば、
鑑賞者に深い満足をもたらしてくれると思う。

それが「美」なんじゃないの?
293狂牛:04/06/25 00:55
人類の美の探求は常に進歩していると思うので、
現在「美とは?」と質問されても答えは多種多様に
返ってくるんじゃないかな、って思う。

現代美術は前衛的な美の探求をしている要素が強いと思うので、
ギリシャ彫刻や古典絵画に観られる「フォルムの美しさ」や「色彩、構成の美しさ」
などのアプローチとはまた世界が違うのかな。

変態的フェチズムっていうか、現代人って偏愛する対象が異性だけとは
限らなくなってきているからね。
当然、アートの中身も変わってくると思う。

29448:04/06/25 03:32
>>292
>それが「美」なんじゃないの?
それを美だと言う人もいます。そのとき、美という概念が拡張されて使用されていると思います。
僕は美とは何か?とかアートとは何か?といった本質を問うことは、原理的に無意味だと思います。
ある時代、ある地域において、美とは何を意味していたかという問いには、歴史学的意味はあると
思いますが。
なぜなら20世紀の100年間だけ考えても、ある前衛的な作品に対し、「作品X は美しい」という、
美術の専門家の宣言が、美術世界においてオーソライズされるや、美の概念自体がアートの領域において、
その都度拡張され、既存の美のスタンダードの価値を、危機に陥れてきたからです。
デュシャンの『自転車の車輪』を、ジャスパー・ジョーンズは、「今までこんな美しいものを観たことがない」
と、絶賛したわけですが、デュシャン自身は、美しさを意図した作品では無いと断言してます。
逆さまにスツールに設置された、機能から解放された車輪という存在が、どんな前衛彫刻作品よりも強く、
何か不可思議な存在感を提示してること。それに対する驚きを、美と言ってしまい安心しちゃっていいのか、
という問題提起をデュシャンはしていたのではないでしょうか。
295わたしはダリ?名無しさん?:04/06/25 05:34
現代美術作品を観たとき、心地よさよりも、好奇心が沸く感じ
がすることが多いかも。
296わたしはダリ?名無しさん?:04/06/25 08:10
暇人だな・・・
貧乏学生だろ?こんなとこで長々と書いて
一銭にもならないのに。。。馬鹿みたい。
誰も読んでないよ。
聞いた風な生半可な知識ばかり。。
ラカンも変だよ。
298わたしはダリ?名無しさん?:04/06/25 10:00
>一銭にもならないのに。。。馬鹿みたい。

一銭にもならないのに音楽をやってる人もいるし
一銭にもならないのに絵を描いてる人もいる。
一銭にもならないのに子供を作るし
一銭にもならないのにただみんな生きてる。

そして一銭にもならないのに文句を言う。


半可な48を笑うスレですか?
300わたしはダリ?名無しさん?:04/06/25 16:34
>>298
要するに無意味なおしゃべりが趣味な暇人
団地内公園の立ち話の主婦の性格。
>>298
それで、何がおっしゃりたいんでしょう?
30248:04/06/25 18:08
>>269
>ある共同体の嗜好(これは、国民的、文化的にね)に相対化されねばならないのは、むしろ
>アートの方なんですよ。この「要請」という理屈でいうと。
その共同体という発想で世界をながめれば、日本を1個の共同体とするなら、欧米の各国も個々に
違う共同体と見なければならないはずです。しかし、実際には欧米のアート世界は、国際的に認められた
アーティストの作品が、循環していくため、1度どこかの欧米のアート先進国で認知されれば、
本当に力があるアーティストなら、短期間にあらゆる国で認知されるようになると思います。
デミアン・ハーストとか村上隆とかの例を見ればあきらかだと思います。小さな共同体の枠を
超えられないアートというのも、あるわけですが、西洋世界に限っていえば(日本のことは知りませんが)
アーティストの力量が不足している限りは、国内的に認知されるだけの存在で終わると思います。

>ただし、西欧のアート自身が持つ命題のせいで、48氏が西欧のアートの流儀をもってして
>大衆的美術を「もし」否定したとしたら、それは西欧のアートシステム自体を
>「48氏が認めていない」という仮説が出来上がる。(笑)
西洋のアートと日本のアートが、何故一致してはいけないのか?という疑問が浮かびます。
僕は日本画と呼ばれるものも、岩絵具をニカワで支持体に定着させる1種のテンペラ技法であり、
特別なものではないと思ってます。粗い岩絵具は、戦後に多用されるようになっただけで、
日本の伝統には無く、洋画(日本人が描く西洋風絵画)の世界で、マチエールという、
ほんの1時期、近代の西洋の絵画で重視されただけの概念に影響された結果、
猫も杓子も使っているだけのことだと思ってます。間違っていたら、指摘していただけると
ありがたいです。
ひろさんは、大衆的美術という言葉で、具体的に何をさしておられるのでしょう?
西欧の大衆的美術と、日本の大衆的美術について。キンケードのことですか?
商業映画を大衆的美術といわれるなら、ゴダール、ブレッソン、小津、ヒッチコックなどの
尊敬すべき映像作家たちをアーティストと呼ぶことに、全く違和感ありません。
303ひろ:04/06/25 18:10
生半可大歓迎です。どしどしレスしてください。
ただし自己責任で(笑)

僕は、過去になんどか模型板へ行き、彼らと投稿しあいましたが、
特徴的なのが、

確かなことしか言わない。
技術に為になる話(模型批評)情報以外は嫌う。
理屈(語る)より、手を動かせ。

彼らが求めるのが、イコン(模型でいう実物)の再解釈(考察)に限定されているが
故に、非常にシビアで、かつ、わかりやすい。技術屋なんだよね。いい意味だけど。
アートは、むしろ生半可なほうがいい。むしろアートは、仮説でなきゃ存在する意味がない。
専門分野がありそうで、ない。だから美術板で、プラモデル屋と建築屋が熱く(潜水艦の
居住空間)についての議論を交えると面白いンだけど、どうも「生半可な知識」じゃ、
「ファンタジー」を語っちゃいけない空気があるね。
304ぽー:04/06/25 20:03
>むしろアートは、仮説でなきゃ存在する意味がない。

それが現代アートの存在意義だとオレも信じたいね。

アーティストは常に仮説をビジュアルにして表現しているわけで
説得力の無い仮説はどんどんオミットされてゆく。
だから入り口はどんなに大きくても結構な事だと思う。
入り口を狭めてフィルターを作ったとしても結局は仮説の幅が
狭くなるだけで良い事では無いね。
だから48氏が言ったカニングハムの例にせよ、最近の演奏家(メルツバウや
パンソニックなど)が現代アートのサーキットで発表する事は意義のある
事じゃないかな。
でも確かなのは、彼らは現代アートの枠で無くても充分に表現方法を確立
できたし、むしろ現代アートのほうがそういう表現者を取り込んでいかなければ
生き残れないであろうと思う。
だからもっと謙虚にいろんな物を見たいね。


305ぽー:04/06/25 20:48
>西欧の大衆的美術と、日本の大衆的美術について。キンケードのことですか?

自分はキンケード、ラッセン、ヤマガタ、鶴太郎、工藤静香をもアーティスト
としてアーティストとあえて呼びます。
そして有名でもない普通の表現者もアーティストだと思っています。
48氏が現代美術(自分自身)からしてみればそういう人たちはアーティストでは
ないと言う根拠も充分わかります。
自分も以前はあなたの様な感情があったから。しかしなぜそういう人たちを
忌み嫌うかと言う質問を自分自身に投げかけた事はありますか?
それは自分のやっている事が他者のそれより崇高な事であって欲しいと願う
不安観からくる自己防衛の為の差別意識ではないかな?
今のところ細かい問題はあるにせよ現代アートの作家、作品に対しての
評価基準はそこまで悪くないと思う。
48氏もそれを認めているじゃないですか?
>本当に力があるアーティストなら、短期間にあらゆる国で認知されるようになると思います。
それだったら、何故、表現者の差別化する作業が必要なのかな?
306ひろ:04/06/25 21:04
まず、僕がどういう立場で言っているかを確認させてください。
ぼくは、大見得をきりますが、(笑)アートのパラダイムシフトを狙って
いるということです。
>欧米のアート先進国で認知されれば、 本当に力があるアーティストなら、
短期間にあらゆる国で認知されるようになると思います。

これは多分、国レベルではなく一神教支配中心の西欧文明のヒエラルキーのことを
48氏は、言っているのだと思います。
アートの力およぶ所すなわち西欧化された社会=ある価値の共有体=共同体なんですね。
だから48氏の言うことは間違っていない。ぼくは、アートが保守的な面と自己解体的な面が
あると思っています。48氏は前者を、ぼくは後者を前提に話しているに過ぎないと思います。

ギリシャ哲学のころからの伝統的考え方として「世の中の物事は、すべて論理的に存在していて、
人間が努力して賢くなればあらゆる事は、解明できる」という思想があります。
その考えが反映しているのがキリスト教で、「世の中には、はっきりとした秩序(コスモス)の部分と
無秩序(カオス)の部分がある。前者が神の領域、後者が悪魔の領域という教え。
神が滅んで、科学がそれを引き継いだわけね。貴族社会が、前者の秩序だった教養(メインカルチャー)を享受していたわけだけど、貴族文化が大衆に吸収され、中産階級が、それを引き継ぐ。
優良市民(教養者)の証しは大衆化された貴族文化「メインカルチャー」を身につけているかどうかで決まる。それに意を唱える者たちは、対抗(反抗文化)としてカウンターカルチャーであるわけね。
アメリカでは、対抗すべき階級がなく、単純に大人の教養に対抗する「サブカルチャー」に
変質してった。教養に対抗するための思想が、日本にはない。思想なき日本のサブカルチャーは
秩序VS無秩序の本場の西欧では相手にされない。
307ぽー:04/06/25 21:07
>自分はキンケード、ラッセン、ヤマガタ、鶴太郎、工藤静香をもアーティスト
>としてアーティストとあえて呼びます。

酷いねW

自分は一般的に現代アートの人たちから嫌われてるキンケード、
ラッセン、ヤマガタ、鶴太郎、工藤静香をもアーティストだと呼びます。

だね。。。失礼。
308ひろ:04/06/25 21:08
したがって日本には、そのサブカルチャーが、思想ではなく、「嗜好」という形で
独自のオタク的カルチャーが出てくる。(オタク=アニメ、マンガだけではなく、)
思想(秩序、反秩序形成)を前提としない日本のカルチャーは、日本だけに
自然発生したのではないと考える。高度情報化社会が蔓延するとパラダイムシフトが
おこる。つまりインターネットなどの個人普及により、誰でもが情報を発信(嗜好)出来る自体に
なる。まさに、世界的スーパーフラット状態=ノンヒエラルキーになると予想している。
(全然文化の違う地球の裏側で、日本の番組を見られる。)
もちろん、合理主義、民主主義といった西欧を中心とする価値体系に今、ほころびを
僕は感じている故の個人的な発言だ。
メインカルチャーの衰退によりアート(メインカル)がサブカルとの共存を
計ろうとする点でもわかる。アートは、アートだけでは存在できず、
それを無視できないわけだ。この「事態」が流行り病として楽観視しているひとは、
以前とかわらず、アート文脈の延長で、全世界の制作物を体系わけし、
取捨選択していくだろう。しかし、アートがアート文脈によって捨てているものの中で、
自己完結した別の体系化した、「アートとは、違う評価システム」が、
出来つつあるのではないか?(アンチメインカルチャーとして、カウンターカルチャーが
過去に出現したように)というのがぼくの仮説であるわけで、、、。
なにぶん世の中が現在進行形ですので(笑)

その「評価システムを享受する共同体」に対した言論に有力なのが「データベース」という言説が
一番近いのかなと評価しているわけなんです。
詳しくはいえませんが。
309ひろ:04/06/25 23:38
アートが受容者に要請するということは、以上の仮説を前提に言えば、
西欧支配という理論を軽々と、とびこえる新たな嗜好による共同体(国を越えた)に要請
出来る制作物の批評体系が時と共に成熟し、メインカルチャーとサブカルチャーが
緩やかな平行線を描きながら存在したように、永続的に共存するか、徐々に、アートがそれを
取り込んでいく(西欧社会の変質)のか、、。机上の空論レベルではありますが,
理屈では、間違いではないわけです。アートに匹敵する批評家が必要ですが、
アート文脈に依存されない、新たな言論家は出てきています。
特徴的なのは、アートとは、畑違いの批評家なのが特徴です。
>アート文脈に依存されない、新たな言論家は出てきています。
特徴的なのは、アートとは、畑違いの批評家なのが特徴です。

それは誰ですか?
浅田明
31248:04/06/26 01:03
>>305
>>本当に力があるアーティストなら、短期間にあらゆる国で認知されるようになると思います。
>それだったら、何故、表現者の差別化する作業が必要なのかな?
鶴太郎が自他共に認めるアーティストであることを、躍起になって否定しても、僕には何にも意味がないし、
誰がアーティストであっても、僕には関係ないことなわけです。鶴太郎スレッドで鶴太郎を貶すのは時間の無駄です。
僕は同時代の表現行為に対する評価を、好きか嫌いかという個人の嗜好のレベルに水平化することは、
批評行為を否定することだと思うから、それに対して異議を唱えているだけです。
表現者をその表現から切り離して差別する(芸能人だから駄目だ等)ことは慎むべきことです。しかし、同時代の
表現を鑑賞する場合には、僕は1つの作品として批評したい。惰性で音楽を聴いたり、TV番組を見て、すぐに
忘れてしまうという、メディアを暇つぶしに受動的に消費する態度とは、意識のあり方が根本的に異なっていると思います。
アニメを受容する場合でも、その鑑賞姿勢が問題だと思います。村上がスーパーフラット論の中で、金田伊巧という
アニメーターを、アーティストとして高く評価してますが、村上流に解釈された日本のアートの伝統的文脈の中に、
金田を位置づけることは、アニメオタクには不可能だったと思います。僕にはその正当性の判断は出来ませんが。
アートは、まじめに鑑賞することを要求している。意識を集中して考える、読み取られることを求めている。同時に意識を解放して、言葉で考えることをやめ、感じ取られることも求めている。鑑賞者個々人が、積極的な鑑賞行為を介して、
批評を行わない限り、アート(特に現代アート)は僕たちの内部に浸透することはないと思う。批評するということは、
質を問うことであり、差別化することだと思う。作品の差別化の結果として、表現者が差別化されることは、当たり前のこと
だと思います。以上の前提をふまえて、個々の表現が、同時代の表現として機能しているか、オリジナルか、模倣的な
アレンジか、あるいはオリジナルなアレンジとして有効に機能しているか(笑)、などなどを批評してゆくべきでしょう。
>>302
>日本画と呼ばれるものも、岩絵具をニカワで支持体に定着させる1種のテンペラ技法

テンペラは卵黄だよん
314catt ◆nKX.ore.zA :04/06/26 01:42
ふと思うが、国内で言われる「現代アート」の評価って雑誌の1コラムやバラエティー
番組キャスターのコメントと並列なんだろうと思うよ。良く言えば日本的に洗練され
「おしゃれ+インテリジェンス」の粉砂糖にまぶされたおやつだな。
それはきっと日本の伝統的表現の「みなし」の粋さでもあるんだが、たとえば
ニューペインティングを自分の武器として世界を粉砕しようとしたイタリヤ作家の
壮烈な使命感とはだいぶ遠いところにある美意識だ。

>>312
>個々の表現が、同時代の表現として機能しているか
あなたはよく「表現が機能する」と用いるが、具体的に説明できるか?
表現=作者から受け手への投げかけであれば、受け止められて初めて機能する。
受け止め手がいなければ表現にならない。受け止め手は社会において教育され、
成長する生身の人間であり、社会そのものでもある。更に言えば受け止め手は
未だ作り始めていない作家であるとも言える。

>アートは、まじめに鑑賞することを要求している。意識を集中して考える、読み取られることを求めている。同時に意識を解放して、言葉で考えることをやめ、感じ取られることも求めている。

アートが求めるのではなく、作り手が求めてるんだろ。
なぜなら受け止められていないからじゃないのか?
31548:04/06/26 02:21
>>313
>>日本画と呼ばれるものも、岩絵具をニカワで支持体に定着させる1種のテンペラ技法
>テンペラは卵黄だよん
それは基本的誤解です。西洋でも卵テンペラ(卵黄だけでなく卵白も使われました)のほか、
膠テンペラも古くからありました。膠は鶏卵よりも色が濁るので、あまり好まれませんでした。
デルナーかヴェールテかの技法書を読めばわかることですよ。
イタリアでは、合成樹脂を使ったチューブ入りテンペラ絵の具も売られており、
小学生でも使っています。
31648:04/06/26 02:39
>>314
>あなたはよく「表現が機能する」と用いるが、具体的に説明できるか?
>表現=作者から受け手への投げかけであれば、受け止められて初めて機能する。
>受け止め手がいなければ表現にならない。受け止め手は社会において教育され、
>成長する生身の人間であり、社会そのものでもある。更に言えば受け止め手は
>未だ作り始めていない作家であるとも言える。
特に意義はありません。ただ表現者が、その表現の最初の批評家であるべきで、
その表現が冷静なアートの目利きの視点から見て、ほんとうにアートとして通用するか、
批判的に眺める習慣をアーティストは持つべきだと思います。子供にでもわかる作品
をめざすべきだなどという、倒錯的見解は僕は持ってませんから、想定される受け手は、
ある程度限定しています。
317catt ◆nKX.ore.zA :04/06/26 02:45
>>316
>その表現が冷静なアートの目利きの視点から見て、ほんとうにアートとして通用するか、
批判的に眺める習慣をアーティストは持つべきだと思います。子供にでもわかる作品
をめざすべきだなどという、倒錯的見解は僕は持ってませんから、想定される受け手は、
ある程度限定しています。

ふむ、「冷静なアートの目利き」と「子供」の間にはどのくらい階層があるんだい?

>倒錯的見解
どう倒錯していると考えている?

案外、そこらへんが具体的に見えると整理されるかもな。
31848:04/06/26 02:52
>>316
>特に意義はありません。
間違えました。
(正)特に異議はありません。
>>314
>それはきっと日本の伝統的表現の「みなし」の粋さでもあるんだが、たとえば
>ニューペインティングを自分の武器として世界を粉砕しようとしたイタリヤ作家の
>壮烈な使命感とはだいぶ遠いところにある美意識だ。
サンドロ・キアはニューヨークでの初個展に備え、アメリカ人向けに、
より分かりやすい絵を描いたらいい、というアドヴァイスに素直に従い、
絵があっという間に売れたことに、素直に喜んだそうです。
壮烈な使命感とはだいぶ遠い意識を持っていたようです。
31948:04/06/26 05:03
>>317
>ふむ、「冷静なアートの目利き」と「子供」の間にはどのくらい階層があるんだい?
大まかに階層づけすれば、
(1)アート批評家(これもピンからキリまである)
(2)アート愛好家(やはりピンからキリまである)
(3)アートに全く関心が無い社会人
(4)アートに関心が無く、かつ社会的に未熟な子供
このように便宜的にですが分類すると、(1)は専門的な美術史、美術概念史の知識を持ち、
かつ職業として(たとえ職にあぶれていても、職業意識を持って)、新しいアートを評価、
理論付けし、その考えを自らの責任において、公にすることで、新しいアートの運動を、
バックアップする立場にある。1時代前のアート運動を擁護する、保守的な立場に立つ場合には、
新しいアート運動を否定し、古いアートを擁護する立場にある。批評家を狭い美術村の住人と
見做すのは自由だろうが、20世紀のアートは彼らによって支えられてきたことは否定できない。
(2)アートを好き嫌いの観点から評価する立場。教養の1つとしてアートを嗜む。
(3)アートを経済価値、販売価格でしか評価できない立場。人生に教養は不要と思っている。
  あるいは、生活に余裕が無く、アートから疎外されている。
(4)アートの存在すら知らない。
>>倒錯的見解
>どう倒錯していると考えている?
>アートは人間が人間としてあろうとする限り、必要不可欠な
>ものであり、人生の最後まで追い求められるべき課題でもある。たとえば戦地で
>リリーマルレーンを涙して聞き入る兵士がいるように、どこにでも聞く者・観る者は
>存在する。おれがそこにいれば、制作者として喜んで彼らのために作りたいと思う。
>>第3世界に生きる、下層階級の人々
>がアートで命を輝かす瞬間だって有り得るとたやすく想像できるが。
という見解は、聞こえは良いでしょうが、単なるロマンティシズムであり、あなた自身が制作する場合に、
実際に考えることとは乖離していると思う。そういう意味で倒錯的見解と申し上げました。
320わたしはダリ?名無しさん?:04/06/26 08:52

>>303
>どうも「生半可な知識」じゃ、「ファンタジー」を語っちゃいけない空気があるね。

「生半可大歓迎」ということですので…。ここはいろんな人が見ていると思いますが、
ここで交わされてる、以下のような会話は読んでいて非常に苦しい。

(影踏みさん)狭義の芸術は、〜つまり…、ラカンの「象徴界」「想像界」「現実界」
という三つの円集合の重なる部分によって表現できるのではないだろうか?

(ひろさん)あー、ラカンですか。なら話がはやい。(笑)

? ラカンといえば、哲学板の連中でさえ骨の折れる巨大で難儀な思想家です。
(翻訳ですら誤訳が多いとされる)で、なぜここで、わざわざラカンが出てくる
のかと…。「なら話が早い」という位ですから、新書、入門書、あるいは浅田本
を囓った程度でのラカン引用じゃないと存じますが。
模型板の住人が「引いた」のは、「ここで半可なラカンを語るなよ」「他の言い
方できないの?」と。共通のコンセンサス「空気」を共有できなかったからでは
ないでしょうか? 結局、3〜4人のメンツだけでぐるぐる会話を続けている
という感じがしてならないのですが、如何?
321catt ◆nKX.ore.zA :04/06/26 11:01
>>319
>という見解は、聞こえは良いでしょうが、単なるロマンティシズムであり、あなた自身が制作する場合に、
実際に考えることとは乖離していると思う。そういう意味で倒錯的見解と申し上げました。

やっぱおれは倒錯者なんだなw
あなたの挙げた階層づけを見ると「作家」が含まれていないが、前出のレス
から見るとアート批評家に含まれると考えて良いのか?

>結局、3〜4人のメンツだけでぐるぐる会話を続けている
という感じがしてならないのですが

まぁ、閑古板だからしゃーないわな・・
322ひろ:04/06/26 11:44
>320
確かに、むずかしいですね。日本でラカンを本当に理解しているのは、一握りでしょう。
ぼくも良くわからない。(笑)しかし勉強不足を理由に投稿しないことより
不足部分を補うために、自分の思い込みをお互い、語り、指摘しあうという姿はいいと思うし、、
わざと思わせぶりに専門知識を持ち出すようなフリをしつつ実は、嘲笑、あげへつらうために、
ハッタリで、発言する人もいることでしょう。でもそれも含めて、そのレスに反応したいのか
スルーしたいのかそういう判断は、自己責任。わからないことはわからない。
わかる範囲で会話をする。それでいいと思う。話し方にレベルはないし。っていうか、
顔の見えない初めての人がどんなレベルか、気にするということがどれだけ意義のあることか。
お互い、知識の断片であることは、わかりきっているし、その奥に発言者が
どう言うバックボーンの元に発言しているかを詮索しても始まらない。

それを勘ぐり、やたら向こうのレベルを低いと言いたがるひとがたまにいますが、
相手がどんな発言(中傷的な発言ふくめ)しようと、それに感心がある人がそのレスにレスするだけの話です。
ラカンならラカンのある部分にイメージを触発され、言葉だけ引用する。その言葉だけの引用に反応し
誰かがレスする。それもいいのではないですか。
間違いを指摘するひとが出て来て、そのレスがどれほど信憑性があるか?
自己責任といったのはそのことで。(笑)お互い勘違いで会話を続けている前提で語った方が健康的です。
共通のコンセンサス「空気」を共有していると思いこむから、その空気を壊したくなるのでは?。
しかしそういう空気は、掲示板では必要ないかと。

ちなみに、模型板の住人とは、注意深く相手のレスの種類に合わせてこちらも
合わせた上で、「話が脱線」することの範囲が非常に専門性に限られていることへの
感想です。
模型板の人のうちだれかが、「ラカン」を一言でも引用すれば、ぼくもそれに対して少し
上乗せして引用したことでしょう。ボロが出れば、やめればいいし、ボロを謙虚にうけとめ
指摘してくれる相手に恵まれれば、来た甲斐があるもんです。

32348:04/06/26 19:05
>やっぱおれは倒錯者なんだなw
そんなこと僕は言ってませんよ(笑)
見方を変えると、アーティストにとって、倒錯、妄想、ファンタジーとかって、現代のアートにおいても、
貴重だと思います。僕も実は妄想大好きなので、塹壕戦の戦場でランドアートを作って、戦ってる双方の
兵士たちに見せるという光景を想像してみると、案外面白いかもなあと。さすがcattさん、考えることが違うと
(良い意味で)考え直しました。そういえばドミトリー・コザリスというアーティストは、世界的に有名な人では
ないと思うけど、古今東西の様々な映像メディアをリミックスして、パロディぽい作品を作っていて、彼ならこういう
傾向のヴィデオ作品を作るかもしれないと思いました。
ある意味アートに対する問いかけとも、とれるような気がするので、アーティストが今のイラクで命懸けで制作する
ドキュメンタリーなんかも、いけるかもしれません(笑)。

>あなたの挙げた階層づけを見ると「作家」が含まれていないが、前出のレス
>から見るとアート批評家に含まれると考えて良いのか?
アーティストは、見方が偏向する傾向はあるにせよ、批評家という立場だと思います。
自分自身の作品に対しては、最もシビアな批評家でなければいけないと自戒してます。
324わたしはダリ?名無しさん?:04/06/26 20:54
作風にもよると思いますが、作家でも医者でもだれでも「自分が軍人として戦場に行く事になったなら、どういう役割をはたしうるのか?」
について考えないと、現実から悪い意味で遊離した存在になってしまうと思います。

「自軍の勝利・無事帰還」にくらべれば、それ以外の戦場での感動なんてどうでも良い事なんだろうなと思いますが?

一生懸命仕事してるところに、アンノン族みたいな人がふらふらやってきたら、うっとおしいですよ。
役に立つ事してくれるなら、ともかく

コンセプチャル系の人なら、もしかしたら参謀本部関連が向いているかもしれないし、文学系の人なら報道が向いているかもしれないし、そんな事とは関わり無く二等兵なのかもしれないし。

ただ、戦争を現実の事としてとらえていない在り方から、凄い作品が生まれる可能性はあると思います。
他の国の人達には、真似できないでしょうから。
32548:04/06/26 22:28
>>324
>「自軍の勝利・無事帰還」にくらべれば、それ以外の戦場での感動なんてどうでも良い事なんだろうなと思いますが?
>一生懸命仕事してるところに、アンノン族みたいな人がふらふらやってきたら、うっとおしいですよ。
>役に立つ事してくれるなら、ともかく
その通りです。「介入」とかハプニングと呼ばれるパフォーマンスアートの手法は、ギャラリーの外の世界、
アート関係者以外の一般の人たちを巻き込み、ゲリラ的に一般人の日常性の意識、社会の歯車として一生懸命
仕事してる人々の意識を攪拌し、脱臼させることを意図した、60年代70年代の前衛芸術の戦略でした。
日本ではハイ・レッド・センターの活動が有名です。
アーティストの真摯な目的意識とは裏腹に、アートに無関心な人々にとっては、ただうっとおしかっただけかも
しれません。
>ただ、戦争を現実の事としてとらえていない在り方から、凄い作品が生まれる可能性はあると思います。
>他の国の人達には、真似できないでしょうから。
例えばケビン・コスナーの「ダンシング・ウイズ・ウルヴス」という映画の中で、ケビンが南北戦争で対峙する
両軍の間に馬に乗って割って入り、両手をひろげて反戦のメッセージを伝えようとするという、
カッコいい「名場面」があるのですが、僕が監督なら、ケビンにチンチンを股に挟んで素っ裸で走らせたいと思います。
これはヴィート・アコンチが70年代に実際に行った、有名なパフォーマンスの再現です。
フィクションでなく、現実にやったら凄いかも(笑)
32648:04/06/26 22:38
「ダンス・ウイズ・ウルブス」でした。
もんた&ブラザーズの歌と混同してしまいました。
おい、48氏って微妙におもろいぞ・・
328わたしはダリ?名無しさん?:04/06/27 01:30
>>319
私は(自分では)(2)に近いと思っているのですが、世の中のほとんどの人は(3)、ないし(4)です。
20世紀美術が(1)の人々によって支えられてきたことも確かにそのとおりだと思いますが、
(3)、(4)の人たちにもっと働きかける必要がありはしないかと考えています。
現代アートよりラッセン、鶴太郎を好む人が多いというのは、単に良質な美術に出会う機会がなかったためではと思えるのです。
古今東西の美術の知識をもちさまざまな作品に触れて、なおかつラッセンが好きというなら嗜好の問題といえるのでしょうが、
なにか「嗜好」という以前に教育や普及の問題があるように感じます。
329わたしはダリ?名無しさん?:04/06/27 06:25
>>328
>単に良質な美術に出会う機会がなかったためではと思えるのです。
私もそう思います。
日本では、まだ文化がお茶の間までは浸透していない、重視されていないと思います。
ヨーロッパでは、道端や、地下鉄の駅で無料で配っている新聞にも、毎日
アートの記事が1ページの半分くらいはあって、今日は、どこで、どんな
展覧会がはじまるか、そのアーティストはどんな人か、
というのが分かるようになっています。
日本で、ギャラリーで今、何をやっているか調べようとすると、
わざわざ「ぴあ」を買うとかしなければならない。アートに興味をもたない人
には、情報が提供されにくいというところがあります。
新聞には、金曜日の夕刊にちょっとアート欄があって、
日曜に名画特集やってるとか、その程度ですよね。(朝日新聞しか知らないですが)
私の希望としては、新聞は、スポーツと同じくらい重要にアートを扱ってもらいたいです。



330ぽー:04/06/27 06:29
>なにか「嗜好」という以前に教育や普及の問題があるように感じます。

全くその通りだと思います。
教育システムや教育者の質が結果として人々の嗜好に影響する事は
大きいかもしれないですね。
選択肢を広げて見せてあげる事が将来のテイストを左右するでしょうから。
例えば上で出てるヴィト・アコンチ、正直言って最近まで知らなかったっす。
美大行ったし、20年以上もそっち系の仕事してるのに。
そっち系でも現代美術じゃなかったからかな。
最近こっちに興味が出てきて本読んだりして初めて知ったのさ。
自分でさえこうなんだから一般の日本人で彼の名を知ってる人なんざ、ほぼゼロだろう
「ストリーキング」を初めてやった人なのにね〜
一般のマスコミにも知識のあるヤツがほとんどいないだろ。
332わたしはダリ?名無しさん?:04/06/27 09:15
>>322
レス有難うございます。2ch的には、ある言葉が起爆剤になって、スレが活性化するのもアリかと。
ただ、やはり「現代美術」を語る際、やたらポストモダン思想を援用する「語り口」は、こういう
(不特定多数の人が見ている)掲示板では諸刃の剣でもありますよね。比喩の安直な濫用を揶揄した
「アナロジーの罠〜フランス現代思想批判」なんて本も出てる訳で、思想用語を、パフォーマンス目的
で使った場合、援用が生半可でいい加減だと、それだけで反発を覚える人もいるでしょう。(ネタ元は
「寝ながら学ぶ構造主義」辺りだろう、などと。煽りや荒らしの形で返ってくる)

結果、ますます現代美術が難解さに拍車をかけ、一般人から縁遠くなるとすれば、シャレにならない。
(ここのスレ、何となく活気づいてきたようですね。)
33348:04/06/27 09:16
>>331
>例えば上で出てるヴィト・アコンチ、正直言って最近まで知らなかったっす。
>「ストリーキング」を初めてやった人なのにね〜
チンチンを股に挟み、両性具有性を表現したらしいですが、やったことないけど、
走りにくかったでしょうね(笑)
PhaidonPressから作品集が出てるんですけど、立ち読みしただけなので、彼の作品は
よく知らないんです。自分の2の腕を噛んで歯形をつけてる写真とか、割と有名かも。
マリナ・アブラモヴィッチのレクチャーの様子をヴィデオで見たんですが、
彼女はパフォーマンスアートのパイオニアとして、アコンチを賞賛してました。
そのときに1本だけ70年頃のアコンチのパフォーマンスヴィデオ
(たぶん元はフィルム)を見ました。
カメラは仰向けに寝たアコンチの顔を下からあおって固定になっていて、
アコンチが目を閉じてカウボーイの歌(?)を歌ったり、ブツブツつぶやいたり
(英語だったと思いますが聞き取れませんでした)し続ける間、右手の指先で自分の額を
ゴッツン・ゴッツンと、歌の拍子にあわせて(馬のギャロップの擬音という感じ)
叩き続けるというものでした。
その骨を叩く音が、聴いてるうちに凄まじい感じに迫ってきて、とっても痛そうなのに、
延々とやってる。好き嫌いをいえば、正直言って2度と見たい作品じゃないわけです。
でも要するに、自分の肉体だけで、しかもダンサーみたいに鍛錬されていない、
普通の自分の体を使って、きわめてシンプルにアートを創造しようとした点を
評価しないわけにはいかないと思います。レクチャーでこの作品をチョイスした
アブラモヴィッチに、多大な影響を与えたことは、容易に想像できます。
334ぽー:04/06/27 09:56
アコンチを僕が評価する点はその身体表現がフェミニズムを支持する
作家達(女性作家のみならず男性作家にも)に直接的な影響を与えた事だと
思う。
たとえば、アメリカ西海岸のマイク・ケリー、ポール・マッカーシーも
『フレッシュ・アコンチ』なんてオマージュ的な作品を作ってますし、
チャールズ・レイの初期の作品も影響を強く受けてる感じがします。
それが今の若い作家にも影響を与えて今の大きな評価があるんじゃないかな。
そういう意味では個人的にはダン・グラアム(日本語表記がわからない)も
アコンチにも劣らない影響力はあると思います。
美術も古典になると、工芸と一緒で
刺激がなく
つまらない。
336ひろ:04/06/27 12:54
スレの活性化感謝!。

>332

例えば、他人の発言レスを読んで、
それが、
「思想用語を、パフォーマンス目的に使用している」ように見えたり、
「援用が生半可」に見える根拠は、2つしか考えられませんよね。

一つは、明らかに使い方が間違っている場合。
その場合は、指摘するか、スルーする。

2つ目は、自分が、「思想用語を、パフォーマンス目的に使用する」発想や、
         「生半可な援用」をしたことがある場合。
そのような発想があれば、他者の発言をその前提で、受け取り、断定するか、呆れてスルーするか
どちらかでしょうね。

ものは、言いようで、例えば、アーティストをあまり知らない人がいて、
自分が知らないことに劣等意識があれば、
ぽーさんや、48氏のレスやりとり(彼らは、純粋に興味を持ったことを語り合っているだけ)を、
面白くない人が、いらん一言をレスしていくことでしょう。

それだけの話です。(笑)
ちなみに332さんは、「寝ながら学ぶ構造主義」が元ネタですか?
読んでみようかな。
337ひろ:04/06/27 13:13
キャットさん
>「冷静なアートの目利き」と「子供」の間にはどのくらい階層があるんだい?
>案外、そこらへんが具体的に見えると整理されるかもな。

違う意味かもしれませんが、ぼくもそこが今後大事なキーワードじゃないかなと思ってます。
ぼくは、「成熟した大人」の定義から外された「子供」が、
定義された「大人」とどういった差異があるのかが。
またその差異の定義は、かわっていくのか。

ぽーさん
>教育システムや教育者の質が結果として人々の嗜好に影響する事は
>大きいかもしれないですね。

教育によって文化も形成されたものと考えられます?
日本の大衆美術と、西欧の大衆美術は同じと思われますか?。
33848:04/06/27 13:30
現代美術を手っ取り早く理解するのに役立つと思われる、
僕の手元にある日本語の参考文献をあげておきます。

・松井みどり著 『アート:”芸術”が終わったあとの”アート”』(朝日出版社)
平明に書かれ、1990年代の美術史を理解するのに役立つ良書と思います。
松井みどり氏の文章はネット上でもいくつか読むことが出来るので、
検索されることをお勧めします。

・暮沢剛巳編 『現代美術を知るクリティカル・ワーズ』 (フィルムアート社)
20世紀後半の美術史について、用語別、アーティスト別に簡略に解説され
ています。案外、よくまとめられています。本を買わなくても下記のサイトでも読めます。
http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/index.html

・椹木野衣著 『増補シミュレーショニズム』(ちくま学芸文庫)
著者が美術手帳の編集をやっていたからかもしれませんが、いろいろな
美術関係者からは、やたらと持ち上げられてる本のようです。が、本文は
ちょっとクセがある独断表現が多く、今から見ると誤解もあります。
80年代の美術の傾向を、いちはやく紹介したという功績はあるでしょう。
33948:04/06/27 13:52
>>334
>たとえば、アメリカ西海岸のマイク・ケリー、ポール・マッカーシーも
>『フレッシュ・アコンチ』なんてオマージュ的な作品を作ってますし、
>チャールズ・レイの初期の作品も影響を強く受けてる感じがします。
知りませんでした。勉強になります。
>そういう意味では個人的にはダン・グラアム(日本語表記がわからない)も
>アコンチにも劣らない影響力はあると思います。
去年ダン・グラハムの個展を見ました。本人は来なかったのが残念でした。
近作はサイト・スペシフィック(水辺とかの屋外)な、建築の1部みたいな、
透明のプレクシグラスの曲面で、鑑賞者が内部に入れるようなものとか、
子供のたちのための公共建築をやってますが、もともとはミニマリストを
バックアップするギャラリストで、批評家出身だったような。
岩波書店『コンセプチャルアート』(トニー・ゴドフリー著)に、割と詳しく
紹介されてます。"Homes for America"とか、ファッション雑誌の広告欄を使った
文字だけの作品とか、コンセプチャルの先駆者でもあり、ヴィデオや鏡を使った
パフォーマンスアートの先駆者。渋い作風の本格派という感じがします。
ブルース・ナウマンとは、どっかで繋がるのかな?不勉強でわかりませんが。
340catt ◆nKX.ore.zA :04/06/27 14:45
現代美術ファンは現代美術に詳しく、古典美術ファンは古典美術に詳しい。
西洋美術・東洋美術もしかり、さらには平面作品ファン・立体作品ファン、
もっと好みの分野は細分化されていく。作家・批評家はそれぞれの分野での
情報を精密に検証し、仮説として作品化・文章化するものであり、
まんべんなく詳しい作家や批評家なんてあんまり見たことがない。
おれのレスの「作り手」という言葉は「誰かに見てもらうために作るもの」であり
「受け手」は「他者が作った作品を見るもの」という以上の意味を持たない。
そして「作り手=受け手」であり、「受け手=作り手」でもある。言葉の遊びじゃないよ。

>>337
>ぼくは、「成熟した大人」の定義から外された「子供」が、
定義された「大人」とどういった差異があるのかが。
またその差異の定義は、かわっていくのか。

成熟した大人は、その記憶の内に子供を含んでいる。子供の記憶に大人は
含まれていない。子供の目にするものは、たいてい大人が作ったものである。
そして子供は、やがて大人になる。と言うことだと思う。言葉の遊びじゃないから
念のためw
34148:04/06/27 15:00
>>75
>東 浩紀氏がこんな事を言ってました。
>『オリジナルとコピーの対立がなくなって全部シュミラークルばかりなのだと述べてきたのですが、
東浩紀のホームページの中のインタビューに、ひろさんが引用されてる文章を見つけました。
http://www.hirokiazuma.com/texts/dokushojin2.html
僕は彼の文章は読んだこと無く、村上との対談を読んだだけだけなので良く知らないけど、スーパーフラットを
擁護する文で、日本のオタクをポストモダンだと分析したことなど、浅田から当然ながら批判されても、
反論してないみたいですね。少し目を通してみます。
そういえば、前の投稿で浅田彰と椹木野衣を、あたかも同列のように扱ったけど、それはちょっと問題でした。
浅田は西洋文化の厚みが身に染みてよく分かってるし、フランス語と英語ぐらいでは文献を読め、
リオタールやボードリャールなどとの対談でも、慎重な言い回しを保ちつつ、しかも要点を鋭く突くといった、
批評性をしっかり表明できる、日本では数少ない知識人の1人に違いない。だから、そういう知識人が、
アート外からの視点で、現代アートの批評を、広い文化批評の枠組みから、アートを相対化した形で試みることは、
本職の美術批評家からは出てこない考えを提示してくれるという意味で、歓迎すべきことであり、
多少の彼独特の審美眼の歪みと見える点も、さして彼を貶す根拠とは言えない。
しかるに、椹木野衣に関しては、おそらく英語の文献どころか、日本語の文献すらろくに読まず、
(内職で文芸批評なんぞしてるようだが)、それゆえに素人目には独創的とみえるかもしれないが、
実際には独断的な間違った文章を平気で書いてるように見える。文献の引用をほとんどしない、
引用するのは怪しい文献ばかり。美術批評家が直接海外のアーティストと会話できないというのは、
やはりどうかと思う。もともとハウスミュージックのほうが、現代美術より面白いと思ってる人だから、
とても美術批評家とは言えないと思う。この程度の人材でも、ましに見えた時代があったのは不幸なことだ。
松井みどりの方が、しっかり文献調査して、批評も的確だと思う。彼女のような人材が、あと10人ぐらいいれば、
日本の美術批評も大きく変わると思う。
342ひろ:04/06/27 17:37
キャットさん。
>「受け手=作り手」でもある。言葉の遊びじゃないよ。

よーくわかります。的確です。その言い方使わせてもらいます。(笑)

>子供の目にするものは、たいてい大人が作ったものである。
そして子供は、やがて大人になる。

その考えが、「教養」メインカルチャーって事だと思います。
西欧では、子供が「無秩序」的存在、大人が「秩序」的存在という思想が前提というわけです。
子供を、教養ある大人にするために、子供の玩具は、大人が与えるものであり
日本の子供観のように、いち人格をもった存在として見てはいない。その
倫理観が、西欧の根幹にあると思います。
日本では、西欧のように綺麗に民主主義に移行したわけではなく、
真理とか、規範という「自らを律する」という観念が弱い文化圏にいると思いますね。
そこが、日本で、アートが根付きにくい原因の一つだと思いますね。


343わたしはダリ?名無しさん?:04/06/28 03:18
日本で、アートが根付きにくい原因・・
民主主義とか観念とかではなく、
日本人が理解できる作品、見たり経験して、快感を得られる作品が無いんじゃないの?
一般の人は、単なるアジアの島国の人間であって、
日本人としての文脈で理解できる一般人にも理解できる作品が無い。
西欧で受けているものも、向こうで生活していたら
理解できるものも多いのではないですか。大して観念的にレベルが高い物でもない。
日本のモーニング娘を留学しているアメリカ美大生が見たら狂ってる!と言っていました。
西欧人の文化からは理解不可能の様です。
アートもそんなレベルで考えてもよいのではないでしょうか?
日本ほど一般の人が自ら絵筆をとる国はないそうですよ!
たしかに巷のカルチャーセンターとか、「絵手紙」とか、
そういう意味では>日本で、アートはしっかり根付いてるのです。
アートの意味がここのようなところで語られてる文脈とはかなり違うだけで。。。
本来美を愛する国民性はあるんですよねえ。。ただ論理性が弱いので、現代美術を
理解できないという事は大きそうです。
345わたしはダリ?名無しさん?:04/06/28 05:05
>>344
>ただ論理性が弱いので、現代美術を
>理解できないという事は大きそうです。
そうですね。
日本では、お笑い番組に、日本語なのに、さらに分かりやすいよう字幕つきに
なってたり、分かりやすいことに慣らされているような気がします。
現代美術を鑑賞し、コンテクストを読み取ることは、頭を使って考えさせる、
ちょっぴり頭脳ゲームのような部分もあるので、
一般大衆には理解されにくいかと思います。
小、中学校では、写実的に絵やデッサンをすることばかり教えるから、
さらに現代美術に不慣れなまま成長した大人になるのですね。
森美術館で今やっているイリア・エミリア カバコフ展など、小学生にも
楽しめる内容だと思うから、校外授業で連れて行ったりすればいいと思うのですが。



346わたしはダリ?名無しさん?:04/06/28 05:09
お笑い番組に
正しくは、お笑い番組でも
です。書き間違いスマソ。
347ぽー:04/06/28 06:21
>教育によって文化も形成されたものと考えられます?

教育によって文化が形成される可能性は大きいんじゃないかな。

例えば、日本独自の文化の代表はカタログ文化だと思うんですが、そのカタログとは
まずディテールへのこだわりが以上に高く、プロセスの議論よりもディテールの
議論に関心が高いというのが特徴じゃ無いでしょうか?
それは日本の教育制度の特徴といえばセンター試験などの入試システムでしょうが、
それをパスするにはディテールを覚えるのが最もパスする確立が高い。
それが一億総オタクといわれる由縁では。

浅田が言う「子供の資本主義』というのはプロセスの議論を欠いてディテールの議論
ばかりに集中することが成長出来ないとしてる由縁ではなかろうか?

あまり考えたことない質問なんで指摘があればお願いします。
348影踏み:04/06/28 08:12
スローターダイクの受け売りだけれども、「大衆」(あるいは子供)が好きとか分かると言う時には、
彼ら彼女らは水平的な鏡像を通して、自己崇拝しているわけでしょ。モー娘なんかその典型だよね。
スローターダイクはヒトラーを例に言ったわけだけれど、大衆とちょうどつりあう下品さのサーキット
で勝利したのが、モー娘&ヒトラーということなんだと思うね。


コテも名無しもこのスレの住人にはお薦めの一冊。
『大衆の侮蔑―現代社会における文化闘争についての試論』
         by Peter Sloterdijk, ペーター スローターダイク, 仲正 昌樹 お茶の水書房
349わたしはダリ?名無しさん?:04/06/28 13:34
現代美術を理解できるできないというのは、
やはり、美術の知識や知性が問題になるのではないの?
学歴高く知能レベル高い人でも現代美術や美術の知識が皆無の人で
ルノアールしか理解できない人もいる。
難しい問題だが、知識や見方を得てしまえば
得ていない自分には戻れないので、どうしても自分なりに理解してしまうけど、
現代美術の作品の中には作品を見るのに知識が必要な物も多いということは
見る物を選ぶ特権的美術ということかね?
アフリカの原住民にゴッホは絵として認識できても現代美術は・・
その原住民レベルの人も日本の大衆にはいっぱいいるわけだし。。。
>>349
私はまさに>見る物を選ぶ特権的美術ということかね?
このへんに現代美術の矛盾を感じてるものです。
現代美術って、古い体質を批判するもののはずなのに、
結局狭い狭い世界に閉じこもって、特権意識を持ってるように見えますね。
 >例えば、アーティストをあまり知らない人がいて、自分が
 知らないことに劣等意識があれば、ぽーさんや、48氏のレスやりとり
(彼らは、純粋に興味を持ったことを語り合っているだけ)を、面白
 くない人が、いらん一言をレスしていくことでしょう。

 「劣等意識」というのもどうかと思うが。

>ちなみに332さんは、「寝ながら学ぶ構造主義」が元ネタですか?
 読んでみようかな。

 余計な一言。それこそ「スルー」すればいいだけ。
352catt ◆nKX.ore.zA :04/06/28 22:41
>>350
>現代美術って、古い体質を批判するもののはずなのに、

「古い体質を非難するもの」じゃないだろ。
「新しい表現方法と主題を探求するもの」ではあるだろうけど。


>結局狭い狭い世界に閉じこもって、特権意識を持ってるように見えますね。

そらそういう人たちもいるだろうし、そうでない人もいるわな。
「狭い世界」ってのは>>340参照。
現代美術は「古い体質を非難するために広い世界に訴えかける」ものだけでは
ないよ。断じてさ。
>結局狭い狭い世界に閉じこもって、特権意識を持ってるように見えますね。

それは偏見だよ。
もし特権を行使しようと思えば団体をつくれば良い事だろうけど
現代美術に団体なんてないしさ。
それに美大を卒業しようがアーティストになる試験なんて無い訳だから、
特権の基準もナニも無いよ。
有名になれば特権が与えられる程甘くもないし、駄目な作品を出すと叩かれるし。
354catt ◆nKX.ore.zA :04/06/28 23:03
>>342
>日本では、西欧のように綺麗に民主主義に移行したわけではなく、
真理とか、規範という「自らを律する」という観念が弱い文化圏にいると思いますね。

儒教思想は「年功序列」だろ。

>日本で、アートが根付きにくい原因
根付いてるよ。西洋と比べてどう根付いていないと思う?
355catt ◆nKX.ore.zA :04/06/28 23:08
>>353
>それは偏見だよ。
もし特権を行使しようと思えば団体をつくれば良い事だろうけど

特権じゃなくて>>350では「特権意識」と言われている。
おれは「俺たちって頭のいい美術に詳しいアーテリジェントだからさー」的な
意識だと理解したぞ。

既存特権が存在していないということについて意義はないけどな。
356350です:04/06/28 23:11
>>352

非難とは書いてないです。
「新しい表現方法と主題を探求」するのは、今あるものでは表現できないと看做す
なにがしかの欲求があるからで、この「表現できないと看做す」の
部分が批判に当たるわけです。批判は非難なんかより冷静で客観的な根拠があるものだと思う。
新しい表現方法や主題ももちろん大切なのは言うまでもないですが、自由とか平等とかの
理念は現代美術にとってあんまり重要じゃないことなんでしょうか?
線引きをする、、それも少し捻曲がったコンプレックスのある線引きをする傾向があると感じた事があるのですが、
しかし売れる売れないは結果に過ぎないと思うのです。
でも「自分は売り絵は描かないから、、」と言う発言をする人が珍しくないのでは。?
いくら新しい表現方法と主題を探求しても、自分の生きてる世界のシステム自体には疑問を持たないのかなと思った事がありました。
357350:04/06/28 23:14
ちょっとディレートしすぎてた。
>線引きをする、、
の前に、売れる絵を描く人などに対して、
というのが入ります。
358350:04/06/28 23:22
>>350の発言を受ければ、既存の特権階級はないけれど、
自分たちの意識の中に特権意識を育んでるように思います。
それは幻想に基づいてるだけに強固なものなんでしょうね。
359358:04/06/28 23:23
うえ、また間違いw
>>350の発言じゃなくて>>355です。
360catt ◆nKX.ore.zA :04/06/29 00:42
>>356
うん、批判だね。間違えたごめん。
>自由とか平等とかの
理念は現代美術にとってあんまり重要じゃないことなんでしょうか?

これってどこに係るのかな?
361ひろ:04/06/29 02:19


キャットさん。
>儒教思想は「年功序列」だろ。

年功序列は、終身雇用ってことで、その考えはむしろ、社長(親)さんが、
社員(子)を養うという会社を家族と見立てる、日本独自の血縁による結びつきを
大事にする慣習(思想でない)により、変質したもの。

そもそも儒教思想は、人格者教育のこと。師の言葉=、思想、観念。 
キリスト教、などの一神教は、神の言葉=バイブル、思想、観念。
いずれも、日本では、いずれも、すでに形骸化しているのでは?


>>日本で、アートが根付きにくい原因
>根付いてるよ。西洋と比べてどう根付いていないと思う?

では、なぜ、現代アーティストは、海外へ活躍の場を求めていくのですか?
日本で現代アーティストとして生活出来ている%は、西欧に比べて差はないと思いますか?

>351
確かに、いらん一言だよね。ワルイ。(笑)
今後ともごひいきに!

>影踏みさん。
紹介ありがとう。ちょっとそれ、そそります。
>大衆とちょうどつりあう下品さのサーキットで勝利したのが、モー娘&ヒトラーということなんだと思うね。

ちなみに、ぼく個人の考えでは、下品ではないとは思いますが(笑)

362ひろ:04/06/29 03:01
ぽーさん。
自分から聞いておきながら、レス遅れてすいません。

>日本の教育制度の特徴といえばセンター試験などの入試システムでしょうが、それをパスするにはディテールを覚えるのが最もパスする確立が高い。
それが一億総オタクといわれる由縁では。

なぜそうなってしまっているのか、、。
実は僕自身興味があって調べている途中なので、指摘もなにもないんですが(じゃあ聞くな!って?すいません)
ただ、日本には、教育理念がないんですね。受験のテクとしての教育と、人格者を育てる(社会理念含む)教育が
乖離してしまっているのかなと、ぽーさんの発言読んで、フッとよぎりました。
建て前ばかりが先行する教育のもとでは、難しいと思います。

現代アートを見た時、感動する為の「素地」というか、「あっ、そういう考え方面白い!」
と思えなければ見せても始まらないと思いました。
で、子供達は、そういう考え方がなぜ必要なのか?という「快楽」より「真善美」という「美徳」
がなければ、難しいかなーと。
または、単純に、父の背中を見て育つ的な「ヒーロー像」とか、あといいかどうかわかりませんが、
「現代アートやると、周りの人の僕を見る目が変る、、、かも」といったものもありかと。
ぼくは、やっぱり環境と教育では、子供は環境に適応するのではないかと。

>浅田が言う「子供の資本主義』というのはプロセスの議論を欠いてディテールの議論
ばかりに集中することが成長出来ないとしてる由縁ではなかろうか?

引用ありがとう。
浅田さんは、源泉をたどる(本来の目的をたどる)議論が欠けているという意味だと思います。
つまり源泉をたどるということは、前提を議論することであり、前提とは、お題ということであり、、、。
プロセスは、やっている最中、途中、つながり(メカニズム)であり、オタクのいう「世界観」というのは
「それがどういう過程でなりたっているか」というメカニズムの興味は示すが
それが、為になるのか?という理念が欠けていると、ぼくは、個人的には解釈しました。
ですので、その前提(源泉)なしは、無秩序のまま=子供のままということかと。
ただ、本当に、無秩序なのかどうなのか、、。
363わたしはダリ?名無しさん?:04/06/29 04:55
やはり日本に現代美術は根づいているように見えませんね。
西欧と比べて買う側が少ないことがそれを象徴しているような。。
かろうじて美術館買い上げではなく一般に売れる現代美術は奈良・村上のような
観念ではなく、やはり具体的なモチーフの物が多いですよね。
上記で語られている知的現代美術?の範疇のものは少ないでしょう。
これは日本の特質なのでしょうか?
そうなると日本人は西欧的な観念が理解できない、知的ではない
ある意味後進国の原始的な民族なのでしょうか?
それとも根本的に西欧の現代美術の表現が体質になじまないのでしょうか?
36448:04/06/29 05:40
>>345
>小、中学校では、写実的に絵やデッサンをすることばかり教えるから、
>さらに現代美術に不慣れなまま成長した大人になるのですね。
誰もがアーティストをめざすわけではないから、実技は制作の楽しさを、
子供たちに教えるだけでよいと思う。子供の絵の優劣をつけたって意味ないから、
実技の時間を半分に削って、美術史の教育ヴィデオを見せ、アートが文化なんだという
教育をやってほしい。

>森美術館で今やっているイリア・エミリア カバコフ展など、小学生にも
>楽しめる内容だと思うから、校外授業で連れて行ったりすればいいと思うのですが。
あの展示は、去年の夏にヴェネツィアで観ました。深い理解はできなくても、
子供でも楽しめるでしょうね。ただ写真と文章はちょっと難解ですが・・・。
365わたしはダリ?名無しさん?:04/06/29 06:34
日本にアートは根付いてると思うが、現代アートは一部の専門家
を除いて根付いていないと思う。
音楽の世界だと、18〜19世紀の音楽(モーツァルトやベート
ーベンなど)の調性音楽は耳に心地よく、表現もわかりやすいけ
れど、現代音楽(ウエーベルンやコダーイでも)は耳に「異音」
として響いてくる。時に辛辣に、不気味に複雑に。
それは一般大衆が、印象派と現代美術に抱いている気持ちと同じ
ではない? 仕事で疲れたとき、問題意識や知的解釈を強いてく
る現代アートよりは、素直にルノワールを見て心が癒されたいと。
多くの日本人にとって、現代アートへの共感・理解は、ギリギリ
「ピカソ」位までなんだと思う。。
36648:04/06/29 07:35
>>344
>日本ほど一般の人が自ら絵筆をとる国はないそうですよ!
>たしかに巷のカルチャーセンターとか、「絵手紙」とか、
そういう意味では>日本で、アートはしっかり根付いてるのです。
カルチャーセンターで、一番人気があるのは日本画だと思いますが、生徒はなぜか圧倒的に女性が多いです。
日本で一般にハイアートとして認められているのは、まず院展を頂点とする日本画壇であり、
家庭の主婦層を中心とした固定のファン層に支えられ、デパートでの展示会が、毎年日本各地を巡回して、
それなりの観客数を動員してるのではないでしょうか。(よく知りませんが。)
その日本画壇システムを真似たのが、洋画系の各種公募団体なのだと思いますが、日本画ほどは潤っては
いないようですが、少なくともアマチュアのペインターに対しては、いまだにそれなりの権威を持ってる存在なのでは、
ないかという気がします。(よく知りませんが。)
公募団体システムは、多分日本にしか存在しないものですが、その特徴は要するに、序列上位のアーティストが、
彼が属する狭い狭い世界では、審査員という形で、序列が下のアーティストの作品の当選・落選に1票を投じる
ことができること。そういう団体に属するアーティストは、序列の階段を1歩ずつ上って行って、無審査で展示できる
地位に上がり、団体内での地位上昇に応じて、マーケットでの作品の価値も相対的に上昇し、さらにいろいろ努力して、
地方の美術館に作品が収蔵されたり、長生きしてうまくすると勲章なんかもらっちゃうとか、そういう生涯をおくるんだと
思います。そして、こういうシステムが、日本のアート環境においては、ハイアートの権威を支えてきたので、
アート作品は革新的である必要はなく、審査員である古いアーティストの嗜好や大衆の嗜好に合えばよいという、
批評不在の状況が半世紀以上続いている。
そういうわけで、日本のアートは、世界標準とは全く無縁に、「伝統的」技術を踏襲したもの、かつ一般大衆に受ける、
癒し系の作品ばかりが、もてはやされてきたのだと思います。そういう意味では、むしろ漫画やアニメの方が、
日本のハイアートよりも、より革新的だったと言えると思いますが。
36748:04/06/29 07:57
>>365
>現代音楽(ウエーベルンやコダーイでも)は耳に「異音」
>として響いてくる。時に辛辣に、不気味に複雑に。
僕も昔はウェーベルンの壁に阻まれて、マーラー、サティあたりで、
耳の成長が止まっていたんですが、2年ぐらい前にジョン・ケージを
集中的に聴いてから、現代音楽全般にだんだん違和感が無くなり、
誰の作品でも興味を持って聴けるようになりました。
リゲティの音楽などキューブリックの映画でよく使われ、
映像の強度を増幅させてましたが、とてもよいと思います。
あとライヒとかのミニマル音楽は聴きやすいと思います。
現代美術も現代音楽も、結局は慣れだと思います。愛好者が、
ある程度いればいいわけですが、今の日本の状況は、少なすぎると思います。
368ぽー:04/06/29 09:39
>日本には、教育理念がないんですね。

教育理念を柱としたシステムは行政にも関わる事で、つまりは日本人自身
が変化を求めない限り変らないと思う。
だから、ひろさんの言うパラダイムシフトはまず日本人の価値観が変らなければ
アートの価値観をかえるシフトには向かわないんじゃ無いかな。
たとえば、戦後日本の政治は自由民主党の政治の歴史であり、それに対等する
政治団体もなく今日まできていますよね。
それは民主主義だから変えようと思えば51%をとれば勝ちなのだけど
客観的に見ても大きな問題を今抱えている国の国民が他の団体に賭けようとしないのは
やはり最低でも現状維持で良いという国民の意識だと考えずにはいられない。
例えば、アメリカのように2大政党制であれば常にその二者間が緊張感があり
互いに牽制しあうというチェックの機能が働いているのだろうけど。
日本の場合、戦後大胆な政権交換が行われないまま全てが棚上げになっている
状態だとおもう。
単純に考えても変化を求めない国民にラジカルと言う意識を植え付ける事は
容易では無いのは確かじゃないかな?

やっぱり右と左が交差しあうのが健全だと思うけどね。

海外に住んでいるのであまり外から批判するのは気持ちは良くないけど。。。
369ぽー:04/06/29 10:01
現代アートのアーティストも捨てたもんじゃありませんよ。
6月29日、NYのガビン・ブラウン画廊でブッシュ政権を倒すための
政治資金を集うためにオークションが開かれます。
アーティストが作品を通して政治を語らずとも出来る事はいっぱいあります。
民主主義は政権交代というダイナミズムがあってこそ意義がアルのじゃ無いでしょうか?
以下のアーティストが参加してます。

Participating artists include John Baldessari, Matthew Barney, Cecily Brown,
Edgar Bryan, Mathew Cerletty, Paul Chan, Dan Colen, Meg Cranston, Steve di Benedetto,
Trisha Donnelly, Keith Edmier, Harrell Fletcher, Jeremy Gilbert-Rolfe,
Chris Hanson & Hendrika Sonnenberg, Rachel Harrison, James Hayward, Christian Holstad,
Jacqueline Humphries, Ryan Johnson, Thomas Johnson, Tony Just, Julie Kirkpatrick,
David Korty, Nick Lowe, Christie Lyons, Nick Mauss, Adam McEwen, Sam Messer, Laura Owens,
Elizabeth Peyton, Monique Prieto, Michael Rees, Kim Schoenstadt, Pieter Schoolwerth,
Michelle Segre, Amy Sillman, Josh Smith, Aaron Spangler, Spencer Sweeney,
Charline von Heyl and TJ Wilcox
370ぽー:04/06/29 10:18
>あとライヒとかのミニマル音楽は聴きやすいと思います。
>現代美術も現代音楽も、結局は慣れだと思います。愛好者が、
>ある程度いればいいわけですが、今の日本の状況は、少なすぎると思います。

現代音楽家の殆どは日本の伝統芸能の様式美(能、狂言)から影響を
受けてミニマルと言う着地点に辿り着いたはずなんだけどね。
理論的には何も知らないけどあの反復から産み出されるトリップ感が好きなんだよね。

まあ現代音楽家は日本びいきの人は凄く多いね。
371ひろ:04/06/29 11:11
まったくそうです。

ただ、ぼくのいう転換点(シフト)は、
日本に対してではなく、むしろ「日本はこのままでいい。」「日本に馴染む流儀でいいじゃんか」という
立場です。現代アートを語る前提において「だから日本は、、」という言い方や、
「西欧に比べ、一貫思想的に弱い」とかそういう前提を逆に日本のよさに出来ないか、、
という考えです。

理念や、真理は、今まで人を抑圧し、植民地化(野蛮の民を「人間」にしよう)し、
正義を押しつえ戦争をこしらえたりすることしかしてなかった。(物事には必ずネガ/ポジがあるけど)
と、思います。別に反米というわけじゃありませんが、要は問題の根幹は何かを
考えたいな、、と。
372ひろ:訂正:04/06/29 11:13
371の発言は、ぽーさんへのものでした。
373ぽー:04/06/29 11:40
>「西欧に比べ、一貫思想的に弱い」とかそういう前提を逆に日本のよさに出来ないか、、
という考えです。

それが今の日本のアートの得意分野の「デザイン」「建築デザイン」に生きているんじゃないかな?
デザインはまず枠から決められるものですよね。
つまりは実用性です。
日本は昔からスペースに対してのコンシャスネスが発達していた民族だと思うんです。
だからフランク・ロイドやバウハウス、イームズなど優れたデザイナーは
日本の美意識を知って目から鱗を落としたんじゃないかな。
その美意識は自分の思う限りでは思想的なものだと思うんですよ。
だから、西洋の思想と対極する東洋の思想というか美徳だったと。
そこから考えれば日本がアート後身国だとも思えないしね。

しかしファインアートと考えるとやっぱり独自の美徳がアルかは疑わしいとおもう。
ファインアートの美徳=民主主義的政権交代。。。かな?






ないかな。
374わたしはダリ?名無しさん?:04/06/29 12:48
ここのスレをみる限りでは
どこかで勉強をして知識を得たことを快感として
分析・分類してアートがわからない人に現代美術を説明しなくてはならない
状況が続くかぎり一般の人には浸透しないでしょう。
欧米の一般の人は現代美術を楽しんでみています。
375わたしはダリ?名無しさん?:04/06/29 12:54
上記でかたられている通り、
今日もおねーちゃん・おばちゃんたちはミニマルアートが影響を受けた
根元の日本の伝統芸能の様式美(能、狂言 歌舞伎)他を
楽しんでみているので西欧の美術なんて見なくていいじゃないの。
376ぽー:04/06/29 13:28
>欧米の一般の人は現代美術を楽しんでみています。

欧米の一般の人が好きな作家って誰ですか? 教えて下さい。
37748:04/06/29 13:30
>>373
>それが今の日本のアートの得意分野の「デザイン」「建築デザイン」に生きているんじゃないかな?
世界的に評価されてる日本人の建築家って、いつの間にこんなに増えたんだ!?
と、TASCHENの"ARCHITECTURE NOW"という本を見て驚きました。紹介されてる建築家の1割以上日本人。
川久保玲やデミアン・ハースト(pharmacyというレストランをデザイン)も建築家として扱われていて、
面白い本です。
背後にゼネコンの力があるとはいえ、日本の建築家は日本で学び仕事をして、世界的に注目される
ようになるわけで、美術の世界よりずっと風通しがよい、実力主義の世界なんだろうなと思います。
日本でアートやるなら美大じゃなく、それなりの大学の建築学科に行くべき時代なんじゃないかと思った。
378catt ◆nKX.ore.zA :04/06/29 14:00
>>377
>日本でアートやるなら美大じゃなく、それなりの大学の建築学科に行くべき時代なんじゃないかと思った。
美大の建築科でも良いしね。

>>373
しかしファインアートと考えるとやっぱり独自の美徳がアルかは疑わしいとおもう。
たとえば工芸作家でも芸術性の高い作品を作り人間国宝となる方もいるし、
実用の美=非ファインアートと考えなくても良い。
たとえば特許や実用新案の添付図だって美しい場合がある。
それが美術作品として認知されず、評論されなくても「そう見る」ものがいれば
「作品」となりうる。当たり前だけど。

>>374
>欧米の一般の人は現代美術を楽しんでみています。
ある意味そうかも知れない。目の前の事実として作品を見ることに抵抗がなく、
無邪気に楽しむことは大事だと思う。自分のものの見方に自信がない者ほど
「無邪気に見て楽しむ」ことに臆病になり、「第三者の評価」にとらわれる。
自分の知っている限りの欧米人を考えると、社会の事物について自分の意見を持ち
自分で発言する者が多かった。引用と受け売りは別物だよね。
花火大会に行って花火を楽しむとき、「これはどういう火薬をどう配合したか」で
楽しむ者もいれば、花火の雄大さやはかなさを楽しむ者もいる。初めて花火を見るとき
「花火の楽しみ方について」の解説や教育が必要であるとは思わない。
先進国知識層でも第三世界の文盲でも、共有できる面白さがそこにはあり、
それこそが美術作品の魅力の一断面でもあるような気がしないでもない。
37948:04/06/29 23:45
>>356
>線引きをする、、それも少し捻曲がったコンプレックスのある線引きをする傾向があると感じた事があるのですが、
>しかし売れる売れないは結果に過ぎないと思うのです。
>でも「自分は売り絵は描かないから、、」と言う発言をする人が珍しくないのでは。?
>いくら新しい表現方法と主題を探求しても、自分の生きてる世界のシステム自体には疑問を持たないのかなと思った事がありました。
このような捻れた特権意識は、別に現代美術のアーティストに限らず、日本的な小さな<公募団体=セクト>に所属する、
売れないアーティストの1部(全部ではないでしょうが)にも共有されていると思う。あるいは売れないアーティスト一般にも、そういう
コンプレックスを抱く傾向はあると思う。そういう1部の悪い例で、現代美術のアーティストと、現代美術全体を批判するのは、
有効な手段とは思えません。
>>379
そうですね。
現代美術全体ではなく、日本の、と言うべきか?
むしろ日本人の欠点かもしれない。
>>380
日本の一部の、じゃないの?
382わたしはダリ?名無しさん?:04/06/30 03:40
●日本的な<公募団体=セクト>に所属する、
売れないアーティスト
●現代美術ギャラリーに所属する、売れない現代美術のアーティスト
同じでしょ。
383わたしはダリ?名無しさん?:04/06/30 03:43
お金にならないアーティスト。
お金にならない事をやっている人。
お金にならない美術評論家。
結局同じなのか。
384わたしはダリ?名無しさん?:04/06/30 03:46
語り得ないことを2ちゃんねるで語ってる人も同じ。

おはようございます!
おはようございます!
38548:04/06/30 04:00
>>349
>現代美術の作品の中には作品を見るのに知識が必要な物も多いということは
>見る物を選ぶ特権的美術ということかね?
古美術でも歌舞伎でも、作品を鑑賞するために、何がしかの専門知識が必要であるのと同様、
現代美術を鑑賞する場合でも、ある程度は20世紀の前衛美術の歴史についての知識が必要であり、
特にデュシャンが受容されたことによって、ルールが大きく変わったのだということを押さえておく必要があります。
それだけのことで、無駄な偏見から自由になれると思います。いくつか変更されたルールを列挙します。
・アートは見た目が綺麗である必要はない。
アートに癒しを求める人は多いですが、癒しを与えなければアートではないと考えるのは、大きな誤解です。
知的に理解されることで、楽しみを与えるアートもあります。
・アートは、アーティストが自分の手で作り上げなくてもアートたり得る。
工業製品である男性用便器でも、その見せ方と状況次第で、立派にアートになる。
だから村上隆がフィギュアの原型師という職人に作品を作らせたり、曽根裕が中国の職人に
大理石を彫らせたとしても、何ら非難する理由は無い。
・作品のタイトルや、場合によっては説明の文章、作品が設置されている場所も、アートを構成する重要な
要素となり得る。
まだまだあるはずですが、とりあえずこれらの前提を理解するだけでも、現代のアート表現に正しく向き合う
準備ができると思います。
>アフリカの原住民にゴッホは絵として認識できても現代美術は・・
19世紀末の一般人には、ゴッホの絵は、絵としては認識されても、決して評価され無かったわけですから、
21世紀の一般人に現代美術が評価されないことは、当たり前なのです。美術愛好者の総人口を
増やし、さらに啓蒙し、優れた作品に接する機会を増やしていくことで、現代美術の愛好者の総人口を増やす。
そうすることで、現代美術をハイアートとして日本の一般大衆、マスメディア、政治家に認知させて、はじめて
現代のアートが日本に根付くことになると思います。まず不可能でしょうが。
386ひろ:04/06/30 10:33
>ファインアートの美徳=民主主義的政権交代。。。かな?

むしろ、ずぼしでしょう(笑)
民主主義は、「自分で自分の判断が出来る大人」という理想像(神の後釜の「理性」)を前提とした
システムなわけで。つきつめれば、民主主義はコミュニケーションをみんなに促し、コミュニケーションの覇権を
争う「広告」合戦でもあるわけだから。ファインアートと、デザインの違いは、そのコミュニケーションの覇権争いの仕方が
東洋と西洋で違うと思われます。
387ひろ:04/06/30 10:41
ファインアートは、トップダウンといわれるシステムで、要は啓蒙思想ですよね。
概知の環境は、よりいい環境へ変えられるべき「成長過程としての現実」であり、
現在に依存することなく、可能性を開拓していくべき指針を発表していく発想法と捉えられます。
これは、自分を今の環境から切り離し他者(環境)を客観視し、依存することのない独立した
コミュニケーション(理想となるコミュニケーション)を確立して、他者を取りまとめることを
美徳とするものだと思います。
芸術という理念は常に、現実にそぐわない、現在を超越した理念としてが前提であるが故に、
後世に認められることは不可避なのは当然かもしれません。

民主主義をボロクソに言っているように聞こえるかもしれませんが(笑)
そうではなく、社会主義も、コミュニケーションの覇権争いというヒエラルキーの争奪の
仕方が違うだけだという意味でね。
日本は、島国で緑があって土地が越えていたので、他者を制圧しコントロールするという発想(理念)のない
おだやかな慣習の「癖」が抜け切れていないのかもしれません。
ちなみに、厳密に言えば、文化は「慣習」であり、文明は「理念」だそうですね。西欧文明は、すべて
原理主義といえるでしょう。
38848:04/06/30 13:19
20世紀後半の美術史を解説する書物が、日本ではほとんど翻訳されてないことが、
日本の若いアーティストの意識を、「未開状態」に留めてしまう大きな原因ではないだろうか?
欧米では、通史的なものだけでも何冊か出てるはずだし、さらに詳しく主題別に
研究されたアート史を扱う書物(フェミニズム、性、人体などなど)の数は、欧米各国のものを
合わせれば何百冊と出版され、評価の高いものは割とすぐに翻訳されている。
もちろん、そんなに売れるものではないので、数年で絶版になったりもするが、それでも
アート書籍を扱う本屋に行けば、日本で言えば岩波新書みたいな、メジャーな出版社が出す
ソフトカバーの本で、現代アートの歴史、理論に関する書籍は数十冊は見ることができる。
欧米の若いアーティストには、美術史の情報が、求めれば容易に得られるのに対し、
日本の若いアーティストから、新しい価値を創造するためには最も重要な、20世紀後半の
美術史の情報が、日本語では十全な形で得られないというのは、とても大きな足かせだと思う。
美術雑誌で、そのときどきの最新のアートについての表面的な情報は得られても、
そもそも何故、こうした表現が評価されているのか、掘り下げて理解することは、
歴史的知識を欠いては不可能であろう。
389ひろ:訂正:04/06/30 13:40
387:日本は、島国で緑があって土地が越えていたので、

日本は、島国で緑があって土地が肥えていたので、
390わたしはダリ?名無しさん?:04/06/30 18:40
天皇家の皆様に、現代美術館を訪問していただくしかないですな。
そうすれば、きっと、お昼のワイドショーを観たおばちゃんたちが、次の日に、
現代美術館に押しかけるよ(笑)

>>388>20世紀後半の美術史を解説する書物が、日本ではほとんど翻訳されてないことが、
日本の若いアーティストの意識を、「未開状態」に留めてしまう大きな原因ではないだろうか?

激しく同意します
あと
>>387>芸術という理念は常に、現実にそぐわない、現在を超越した理念としてが前提であるが故に、
後世に認められることは不可避なのは当然かもしれません。

10年くらい前演劇の○上尚史が「昔は情報網が発達してなかったから死後認められる天才、とか
いうはなしもあったけど、現在では優れたものはすぐに認められる」とか書いてて、
すげーひっかかったことを思い出した。空しさを感じた
392ひろ:04/06/30 19:33
ここでやはり、気になってくるのが、

>「花火の楽しみ方について」の解説や教育が必要であるとは思わない。
先進国知識層でも第三世界の文盲でも、共有できる面白さ

という考えと

>古美術でも歌舞伎でも、作品を鑑賞するために、何がしかの専門知識が必要であるのと同様、
現代美術を鑑賞する場合でも、ある程度は20世紀の前衛美術の歴史についての知識が必要であり、
特にデュシャンが受容されたことによって、ルールが大きく変わったのだということを押さえておく必要があります。

の考えの違いだろう。
そういう話しは「一部の」とか、「例外」としての話しにしてしまうと
玉虫色の話しに落ち着いてしまうので、
ここらで、上のような部分をつきつめていけばどうだろうか。

393ぽー:04/06/30 19:58
>逆に日本のよさに出来ないか、という考えです。

その日本の主権を放棄した社会でいいじゃないか的な事を表現している代表的な例が奈良美智ですよ。
奈良の作品の評価ってみんな疑問に思っていると思うのだけど、彼の作品の
凄いところは、西洋的な文脈では語ろうしてもスルリと逸脱してしまうとこじゃないかな。
あのダメダメ感というか、安っぽさっていうのは今の世界の状況からしてみても
すごく稀だし、欧米人も実際に奈良の作品の真意なんてどうでも良いと思ってるだろうし、
第一深読みしたところでも結局「癒し」ぐらいしか言葉がでないだろう。
村上は戦略的だけど奈良の作品には戦略さえも感じられないし、あったとしても
それが外に伝わらないのはほんとに今の日本人以外の作家にもいないんじゃないかな。
それを浅田彰はバッサリと切った訳だけど。

394わたしはダリ?名無しさん?:04/06/30 20:06
現代美術と言うのは文脈依存型の芸術であって、いわば風刺芸術の一種だと思う。
古典のジャンルでいうといわゆる喜劇ってやつだね。
つまりその時代の文脈に対して何かを主張することを主眼とするものであって、
「知識」といわれているのはそういう文脈のことでしょう。
まさにデュシャンがそういう文脈に対して批判的主張をすることによって、
文脈を浮き立たせるような作品を作ったわけだけど、
それは同時に文脈に依存して成立している作品と言うことでもあるわけで、
ある国で成立するジョークが別の国ではまったく意味をなさないように、
現代美術の多くは現代の非常に特殊な文脈を失ったらほとんと意味をなさなくなるのでは
という一抹の不安がなくもなくもなくもなくない。
395ぽー:04/06/30 20:14
>ある国で成立するジョークが別の国ではまったく意味をなさないように

言ってる事良く解ります。
自分もアートをコメディやジョークと考える事も良くあります。
だから、コメディやジョークをやった後にどの部分がパンチラインだって
観客に説明するほどジョークにならない事はないですから。
396ひろ:04/06/30 20:54
ぽーさん
>第一深読みしたところでも結局「癒し」ぐらいしか言葉がでないだろう。


この「癒し」という言葉は、近代的自我を支えとする「大人/社会人」から
すると「ドロップアウト」というネガティブなイメージがあるらしいですね。
西欧でいう「癒し」は「自己を滅する」「召される」=「死ぬ」ということなので、
自らを開拓する立場からすれば、日本の癒しは、理解されずらいし、
せいぜい「退行」手段としてしか見なされないでしょう。
この「癒し」は、日本の共同体の性質を理解する上で、大事な人間関係のツールとして
積極的に、理解されるべきキーワードだとぼくは評価しているのですが。
ぼくは、現代美術からドロップアウトした視点で奈良美智の絵を見るようになって
「ああ、これでいいんだな、、」とひとりでほくそ笑んでいました。

394>ある国で成立するジョークが別の国ではまったく意味をなさないように、

そう!そう!日本のジョークは、欧米のジョークと違う発想、メカニズムでないと
日本のアートになるわけないよね。
いやー読みごたえあるなあ
マジで、勉強になります
398catt ◆nKX.ore.zA :04/06/30 21:07
>>394
>>395
喜劇やジョークは、属する社会を俯瞰し、「笑い」に着地させる。
いわば社会の特徴的なシミュレーションであり、読む者・観る者と作者とは
共通の社会や体験がある時に一層面白く感じられる。
ただ、現代美術の落としどころは「笑い」ではなくて「美」なんだと
思うがな。
399ぽー:04/06/30 21:21
>現代美術からドロップアウトした視点で奈良美智の絵を見るようになって
>「ああ、これでいいんだな、、」とひとりでほくそ笑んでいました。

自分も今の欧米の文脈に納まりどころのないところに奈良の作品の意味があると
考えていて、決して好きな(嗜好的に)部類の作品では決してないのだけど
あの説得力のなさというか直感だけにしか訴えかけないある種の宗教的アイコン
や仏像みたいな心にしか訴えかけない魅力があると思う。
それは今の現代美術ではある意味タブーなのだけど、それをスルスルと
間を抜けて欧米の子供達や美術館に関心を持ちえなかった人たちにも
興味を持たせる事のできた稀なアーティストだと考えてます。
結局、村上は戦略的なニヒリズムであのスタイルに落ち着いたのだろうけど、
奈良に感じるのは、ただただ絵を真面目に描きたいという戦略の無さ、ある意味
こっぱずかしいくらいに今の現代アートに逆行したひた向きさが絵から
理屈っぽさが感じられない要因じゃないかな。
バカにしてるのか褒めてるのかって感じだけど。僕は評価します。
奈良美智はカス
401ぽー:04/06/30 21:29
>ただ、現代美術の落としどころは「笑い」ではなくて「美」なんだと
>思うがな。

現代アートはコンテクストがその「美」を決めるひとつの鍵になるのだけど
そのコンテクストは国によって理解の指数は違うものなのかな?
もし違っていれば「美」の基準もかわるだろうし。
それでは今の状況では作者の意図は完璧には伝わらないのかな?
402ぽー:04/06/30 21:33
>奈良美智はカス

カスが何故、国境を超えて共感を得たかって事が不思議な事実なんだよね。
403ぽー:04/06/30 21:47
>いわば社会の特徴的なシミュレーションであり、読む者・観る者と作者とは
>共通の社会や体験がある時に一層面白く感じられる。

だから真の世界的なコメディアンは無声映画の頃のチャップリンだけなんだろうね。
言語が介入したとたんにコミックを成立させるためにわざわざ一つ壁を
付け加える訳だからね。
404catt ◆nKX.ore.zA :04/06/30 21:48
>>401
国によってもなにも「現代アート」は日本だけのものだろ。
現代美術のコンテクストなら国それぞれあって当たり前だ。
>それでは今の状況では作者の意図は完璧には伝わらないのかな?
意味不明だぞw
405ぽー:04/06/30 22:11
>国によってもなにも現代アートは日本だけのものだろ。

便宜上「現代アート」も「現代美術」同義語として使ってるんだけど
何がちがうのかな?

>共通の社会や体験がある時に一層面白く感じられる。
>ただ、現代美術の落としどころは「笑い」ではなくて「美」なんだと
>思うがな。

共通性を持たない人々にはコンテクストをまず理解する必要性があるよね。
それではコンテクストを理解出来ない人は「美」を理解しえないって結論で
いいのかって疑問なんだよね。
406catt ◆nKX.ore.zA :04/06/30 22:26
>>405
>>国によってもなにも現代アートは日本だけのものだろ。
カギ括弧外さないように。おれは現代美術と「現代アート」は
別物として理解してる。
「現代アート」=「現代アート」ファンの需要が産み育てたものだね。

>それではコンテクストを理解出来ない人は「美」を理解しえないって結論で
いいのかって疑問なんだよね。

おおむね良いよ。ただし「美」の定義にもよるがな。
現代美術のコンテクストは国ごと文化圏ごと少しづつ違う。
市場経済から現代美術を考えるときは、売買されている商品としての作品が
コンテクスト理解のための物差しになるかも知れんが。ましてや「美」を
認識するにいたるコンテクストはさらに多様だ。
たとえば異種格闘技でレスラーとボクサーが戦うとき、「ダウン」させた方が
「勝ち」というルールのもとで「勝者」として理解される。
現在、現代美術を理解する=「美」を理解するためのルールっていえば?
いきなり「美」って、あんたさ…
408わたしはダリ?名無しさん?:04/07/01 00:26
語り得ないことを2ちゃんねるで語ってる人は貧乏な暇人。
おやすみなさい!
おやすみなさい!
40948:04/07/01 01:05
>>394
>まさにデュシャンがそういう文脈に対して批判的主張をすることによって、
>文脈を浮き立たせるような作品を作ったわけだけど、
>それは同時に文脈に依存して成立している作品と言うことでもあるわけで、
おっしやる通りだと思います。西洋は歴史を批判的に継承していくことが、
文化の連続性を支えるという意識が強く存在する。
デュシャンは作品を通して「アートとは何か?」という問いかけをした。
そういう歴史的事件は西洋では決して忘却されない。
日本の歴史を振り返っても、明治維新や第2次大戦の敗戦直後の激動期には、
西洋的な文化と伝統文化との軋轢を外圧的に意識せざるを得なかった多くの知識人、文化人が、
西洋文化による文化的植民地化に直面した危機意識から、日本の文化を批判的に相対化し、
彼らが良いと信じたものは必死に守ろうとした。
そのために西洋の論理を利用して、西洋人にも説得しようとした。
(そういう意味で僕は、岡倉天心に、とても興味を持ってます。)
今の平成の日本社会は、きわめて日本的な歴史健忘症、批判意識の蒸発状態に急速に回帰している
ように思えます。考えなくても和める、羊水の快楽に浸って、幼児化することが、世界に通用する未来の
ユートピアだとは、僕には思えません。それゆえに僕は西洋のアートの文脈を学び、自分の表現を模索
しているわけです。
41048:04/07/01 01:08
>>394
>ある国で成立するジョークが別の国ではまったく意味をなさないように、
>現代美術の多くは現代の非常に特殊な文脈を失ったらほとんと意味をなさなくなるのでは
ある小さな共同体の中でしか機能しない表現は、その共同体内部では、大人から子供まで、
非常に大きな影響力を持ち得る場合がある。そういう文化的コノテーションに依存した作品が、
全て悪いとは思いません(例えばイチハラヒロコが日本語しか使わないから、そのアートが国際性が無く、
駄目だとは思わない)が、歴史を批判的に継承しつつ、現代の資本主義社会に生きている僕たちに特有の、
何らかのリアリティを、アートとして提示したいというのが今の僕のスタンスであって、自分が日本人だから、
今の日本の一般的嗜好にあわせた嗜好品を作ろうとは全く考えられない。ジョークでたとえれば、
ある程度普遍性のあるジョークは、生き残ると思う。バスター・キートンの映画のように。
411ひろ:04/07/01 01:47
キャットさんがあえて「笑い」と「美」の使い方の違いにこだわる理由は?


>おれは現代美術と「現代アート」は別物として理解してる。

先にそれを言っとかないと!(笑)

412catt ◆nKX.ore.zA :04/07/01 02:27
>>411
>「笑い」と「美」の使い方の違いにこだわる理由
どこを読んでのレスだろう?
現代美術と「現代アート」の境目はそこにあるとも言える。
ジョークでの笑いは狭義の「漫画」であって狭義の「美術」ではないよ。
ひろさんは美術作品で笑ったことがあるかい?知的満足の愉快さは別として。
「現代アート」にはジョークとしか思えない作品もあるがな。
「美」は憧れであり明快さであり畏怖である。「笑い」は?
「美」を神格化せず解体し、再構築することが「作品化」であればこそ、
文化圏・言語圏を越えた美術作品理解へのコンテクストが立ち上がるんじゃないのかい?
413ひろ:04/07/01 07:44
要は、共有化されてるモチーフに対する意識を、再構築するか
ひきずり下ろすかって差だけで、共通理解のためのコンテクストの必要性
を、「美」ではなく「ジョーク」の例で言ったという394の解釈は問題ないわけだね。

まあ、カリカチュアはアート概念の一部であるけどね。
414catt ◆nKX.ore.zA :04/07/01 10:45
>>413
>要は、共有化されてるモチーフに対する意識を、再構築するか
ひきずり下ろすかって差だけで、共通理解のためのコンテクストの必要性
を、「美」ではなく「ジョーク」の例で言ったという394の解釈は問題ないわけだね。

そうだね。美術は「美」で語るべきだというだけの話。
スレタイに沿って言えば、その「美」が古典的な「美」でなくてもね。

>カリカチュアはアート概念の一部
戯画と漫画の境目もあるんだろうな。
41548:04/07/01 17:13
>>399
>あの説得力のなさというか直感だけにしか訴えかけないある種の宗教的アイコン
>や仏像みたいな心にしか訴えかけない魅力があると思う。
奈良の作品を仏像的とたとえるのは、とても面白いうがった見方だと思います。
僕は奈良の作品は、ほんの数点しか直接観た事がないので、確かなことは言えませんが、
オーソドックスな洋画技法をそれなりに洗練させて、大きな明暗のコントラストを避けて、
彩度を落とし、中間トーンによる浅い空間感を出してる。そういう意味ではバルチュスや
モランディに近いし、日本画にも近いように思います。
アイコンのモティーフ自体は、たぶんバスキアやキース・へリングからの影響もあるでしょうが、
もちろん直接体験としての日本の漫画やアニメからの影響が大きいのでしょう。
あと有元利夫との近さを感じます。有元は意図的に古びたような画面を作り、歴史を経て風化
したフレスコ画みたいなマチエールと、西洋の古画っぽい描き方で、シュールレアリスム的
主題(それ自体はクリシェでつまらないと僕には思えるけれど)を包み込み、
ある程度独自の作品を残しました。
有元と奈良は、共通してアルカイック(古拙と訳される)な感覚を狙いにしてるのではないかと思う。
有元は、空想された、失われた起源として、西洋的なアルカディアを表現しようとした(私見ですが)のに対し、
奈良は、くすんだ色調の幼児の大首絵から、もっと個人的な、幼児期の記憶を喚起させようとしてるように思う。
奈良はジョットが好きだと言ってます。たぶん修復され鮮やかな色彩が蘇った、スクロヴェーニの
ジョットではなく、アッシージの聖フランチェスコ大聖堂上堂の退色した連作壁画が、彼の好みなんだと思う。
そういう意味で、有元や奈良の作品には、古びた仏像(本来の金ぴかのものではなく)を愛でる、
日本人のメンタリティに、響くものがあるのではないでしょうか?
416わたしはダリ?名無しさん?:04/07/01 19:32

友達いないのか?
41748:04/07/01 20:34
415を書いてから、奈良の画像をWEBでいくつか見てみましたが、
特に古びた感じを狙ったものばかりでは無いですね。たまたま僕が観た
作品が、くすんだ感じだったので、一般化して書きましたが。
歌麿の美人画をコラージュしたりしてるけど、中間色が好きなんでしょうね。
どうもあまり感心できる作品が無かったです。立体作品にしてもワンパターンに
見えてしまって。奈良については、僕には評価の仕様が無いです。
てゆーか奈良はカスだろ
41948:04/07/01 21:10
>>412
>「美」は憧れであり明快さであり畏怖である。「笑い」は?
>「美」を神格化せず解体し、再構築することが「作品化」であればこそ、
>文化圏・言語圏を越えた美術作品理解へのコンテクストが立ち上がるんじゃないのかい?
美しさの感情を与えずに、笑いを伴って人々に感銘を与えるアートも、あり得ると思います。
花火を遠くから眺めて、「美しいねえ!風情があるねえ!」と賛嘆する人もいれば、
打ち上げる間近で見て、大音響や硝煙の臭いに酔って「ゲハハ!面白え!」と笑い出す
人もいるかもしれません。
美術、芸術、アート、ファインアート、何と呼ぼうと同じことだと思います。
「美」を「憧れ」、「明快さ」、「畏怖」と説明しても、それは個人的な見解に過ぎないと
思います。「美」というあいまいな観念を、実体化し、定義するのは無駄なことで、制作上
なんら有益なことはないと思ってます。岡倉天心も美学は役に立たないと言ったそうですが、
僕も同感です。
>>419
ムダに考えすぎてる感じがする。
花火を見て美しいと思う人だって、あの音がなければ魅力が半減すると思うんじゃないかな
普通ならね。音と匂いに酔う人も同じで、昼間のように明るい美しい光が無ければ全然違ったものに
なると思うのが普通じゃないか?そういう普通の感覚を忘れかけてないか?
421ぽー:04/07/01 21:28
48さん、奈良の最近の大きな紙のドローイング(1m50x1m50ぐらい)
の作品とか機会があったら見てね。
ちなみに奈良の作品は本物見ないと全然評価出来ないからなるべく大きな
絵を見る事を勧めるよ。
ちなみに立体と小さなドローイング群はあんまり良くない。
とにかく、彼の作品は雑誌とか本でプリントされると全然良さがなくなるね。
実際に見ると凄く古典的な手法で塗られててちゃんと勉強してるのがわかるよ。
422わたしはダリ?名無しさん?:04/07/01 21:37
でもアクリルなんですよね>奈良さん
なんでだろう?
なんで最近アクリル使う人多いんですか?
42348:04/07/01 22:30
>>421
>ちなみに立体と小さなドローイング群はあんまり良くない。
僕も奈良犬が4匹壁を向いてる作品は実際観ましたが、村上の立体のような
バロック的造形性に比べれば、インパクトないですね。
>とにかく、彼の作品は雑誌とか本でプリントされると全然良さがなくなるね。
>実際に見ると凄く古典的な手法で塗られててちゃんと勉強してるのがわかるよ。
直径2mぐらいのお盆型の曲面に、正方形のキャンバスを貼った上に女の子の顔を描いた、
ペインティングを観ましたが、おっしゃるように破綻なく、
オーソドックスによく塗られてることはわかりましたよ。でも、それは別に彼が初めて
やったことじゃないし。予想通りだなあと、特に感心はしませんでした。
>>422
>なんで最近アクリル使う人多いんですか?
彼がアクリルを好むのは、マットなつや消しの表現が好きだからでしょう。
それに早く乾くから。パステルも好きみたいだし。初期の新表現主義風の絵は、
油彩だったようです。
42448:04/07/01 22:53
>>420
>花火を見て美しいと思う人だって、あの音がなければ魅力が半減すると思うんじゃないかな
>普通ならね。音と匂いに酔う人も同じで、昼間のように明るい美しい光が無ければ全然違ったものに
>なると思うのが普通じゃないか?そういう普通の感覚を忘れかけてないか?
別に無理して「美しい」という言葉を吐く必要はないんじゃないですか?
岡本太郎みたいに「爆発だ!」「何だこれは!」と表現したほうが、アート(特に現代の)を鑑賞する、
生の感覚に近い気がします。それが「美」だと言ったところで、あとから付けられた理屈ではないかと
思うわけです。美とは単なる名前。

48さんって 面白いね。絵がすきなの?
426catt ◆nKX.ore.zA :04/07/02 00:52
>>424
>美とは単なる名前。
そうだな。複雑で多種多様でなんでもありの概念に付けられた名前だ。
だから美術作品を作る奴がいなくならないわけなんだがw
427420:04/07/02 01:51
>>48
別に美しいと無理して言わなくたっていいんですよ。
そんな意味では書いてないし。そうじゃなくて

わくわくするって感じですかね。
それもダメなのかな?w
428わたしはダリ?名無しさん?:04/07/02 01:55
ぜひ48さんには、固定HNを名乗っていただきたい。
他のスレにもカキコよろすく。
ほめ殺しはやめれ。
430わたしはダリ?名無しさん?:04/07/02 15:23
「何だこれは!」という感覚を持つのは美術作品を見たときに限らないですよね。

美術の文脈のなかで製作され、美術の文脈を理解している鑑賞者が見たときに「何だこれは!」と思うものが「美術作品」ということになるのかな?

上の方の書き込みで話題とされていた「コンテクスト」と、ここのところでてきている(とりあえずの名前として)「美」、「美しい」との関係がいまひとつ良くわからない。
431ひろ:04/07/02 15:44
おひさです。

「美」というのが、仮の言葉という話しでしたが
そこでやはり引っ掛かるのが、
そもそも、その「美」の相対化とは、何でしょう?
やはりスレの流れを読んでいくと「文脈の存在」という矛盾にぶつかってしまうと感じます。
つまり、ある始めての作品を目にした場合。それを評価する基準を、フォーム(形式)のデータで
判断するのか、他の基準で判断するのか?、、です。
奈良美智氏の作品に対する評価を、フォームだけで語り得るものなのか?
それは、彼の作品に限らず。
ぽーさんが、村上隆氏について
399>結局、村上は戦略的なニヒリズムであのスタイルに落ち着いたのだろうけど、

で、言われているように
村上氏の作品は、まさにフォームなわけです。フリなんだと思います。(客観的に)
それは、村上氏本人が「文脈」という割り切った発言を繰り返していたこと自体、
確かなことでしょう。
正確な引用は今、出来ませんが

印象的なエピソードに、彼のフィギュアを当時一世風靡したキングオブオタクの岡田斗司夫氏(現・東大教養学部ゼミ担当)
に、意見を求めたところ、「まるで、(アニメ)業界にくわしくない素人が、町おこしのために急にこしえたニセキャラみたいですね」
と言ったとか。
つまり、ある基準でいけば、「オリジナル/正統」違う基準でいけば「似せたもの」という自体が
発生してくるのではないか?。
フォームで考えていくと「はじめてか、過去にやったことか」に行き着いてしまいそうですが
果たしてそれで、全ての表現をくくれるものでしょうか?
432ひろ:04/07/02 15:45
ちなみに個人的な意見ですが、
岡倉天心の功罪が、今の村上隆のような表現者を登場させたと考えられます。
明治政府は、西欧の「国家」を模倣したモデルです。
西欧の基準上での日本という位置なわけです。当時は西欧の基準での日本のあり方を模索していた
時代でしたから、洋画/日本画という矛盾を作り出したわけですよ。(日本にとって海外はみんな外人と言うのと同じ)
もし本当に相対化するとしたら、「日本画」という言い方自体存在しません。
(他の国ではそんな言い方はないしね。)
画材や、使い方で表現を規定しようとした矛盾が今、噴出しているのではないでしょうか。
433ひろ:04/07/02 16:02
自分の発言431、432が、お店をひろげすぎたようなので
「花火」の例にもどすと、
日本の花火と、中国の花火と形式は同じですが、それを
「爆発させる」「音」「色」というカテゴリーに分散させ
過去の西欧美術の文脈に重ねて語ろうとすることと同じ強引さを感じます。
そこには語り得ない、隙間からこぼれ落ちた何かがあるはずです。
それは西欧が、中国をキリスト教の思想で語れないのと同じであると考えられます。
フェミニズムにしても、そうです。フェミニズムとは、西欧の男女間のモラルの波状から
不可避的に出現した問題です。西欧化を逃れた文化圏ではフェミニズムという発想はありません。
434ひろ:訂正、修正:04/07/02 16:15
433>フェミニズムとは、西欧の男女間のモラルの波状から不可避的に出現した問題です。

フェミニズムとは、西欧のキリスト教による、男女間の抑圧された性差の破掟から不可避的に出現した問題です。

江戸時代では、性差別なく大らかでした。身分区別はあっても身分による卑下はなかったという日本文化史の佐伯順子氏の発言を受けて。(引用省略)
435わたしはダリ?名無しさん?:04/07/02 17:00
>>434
江戸時代は男尊女卑じゃないの?
>>431
「フォーム」ってどういう意味で使ってるのかよくわからないな。
フォーム=文脈的判断てこと?
フォーマリズムのフォーム?
437ひろ:04/07/02 18:38
>436
フォーマリズムは、西欧美術の一つの流れなので違う意味です。

ココで言うフォームは、形式ピッチングフォームのフォーム)という
そのままの意味でいいました。
「見た目」ですね。

>435
江戸時代は一体どういう社会であったかは、いろいろな研究家が新たな解釈が展開されており
過去の解釈の批判もあります。
封建社会とは実際は西欧社会での言葉で、明治維新以前を、封建社会だというくくりで(それこそ文脈で)
ひとまとめに出来ないようです。江戸文化の男女は、かなり性に対して自由であったらしいです。
夜這い(レイプではない)という慣習もあります。遊女や、芸者は、体を売る職業でありましたが
体を売る=汚れた思想はなかったそうです。キリスト教は、体と精神を分離させ神の「愛」がないセックスを許さない(道徳ではなく原理として)
強い律戒が存在し、神が許した相手意外に体を勝手に使う行為は汚れとして、一般社会からはいわゆる「総スカン」くらったわけです。
西欧からみると、江戸文化は、低俗な未開人のとんでもない世界に見えたと。
話しだすと横道それまくりなので遠慮しますが(笑)
438ひろ:追加:04/07/02 18:46
436>フォーム=文脈的判断てこと?
それも含まれます。

西欧美術の中には様々な運動や、主義があります。その中にある
一つの「フォーマリズム」という意味ではなく、
西欧美術全ての形式ということです。
フォームという言い方がまぎらわしかったですね。スマン。
439わたしはダリ?名無しさん?:04/07/02 22:22
完全に文化的コンテクストから独立して作品を作るのは無理だとしても、
事後的にそのようなコンテクストから自らを引き離す力をもち、
そして、自らの力で独自のコンテクストを構築、生成するような作品というのを
望みたいですね。
ジャンルを問わずいわゆる生き残る作品とはそういうものであるだろうと。
440わたしはダリ?名無しさん?:04/07/02 22:35
生き残る作品なんてないよ。
441わたしはダリ?名無しさん?:04/07/02 22:41
>>440
美術教育受けたことない人ですか?
442ひろ:04/07/02 23:04
439>事後的にそのようなコンテクストから自らを引き離す力をもち、
そして、自らの力で独自のコンテクストを構築、生成するような作品

それをフォーマリズムが、めざした結果なんじゃないでしょうか。
あれは理想の形体だと思いました。
ただ、実際は、ある対象物から独自のコンテクストを生成するということとは、
既存のコンテクストからの展開から引き出されるわけだから、ある部分だけを切り離して
存在させて鑑賞することは、不可能かと思います。
「人」に例えれば、純粋に他者のコンテクストに影響されない「人」というのが存在しないのと
同じなのではないかな。


44348:04/07/02 23:08
>>430
>「何だこれは!」という感覚を持つのは美術作品を見たときに限らないですよね。
そうですね。日常性の感覚を乱される場合に、僕たちは即座にその事態を理解
できず、うろたえるわけです。美術の文脈でいえば、ギャラリーや美術館において、
ある作品が僕たちが見知ってきた美術品の文脈を逸脱しているとき、こういう
感覚を持ちますし、CNNのライヴ中継で、9.11のツインタワー崩壊の光景を
見たときにも、僕たちはまさしく、テロル(恐慌)に遭遇しました。作曲家の
シュトックハウゼンが、その崩壊シーンを美しいと形容し、周囲から猛烈な攻撃を
受けて、謝罪したそうですが、僕もそう言いたくなる気持ちは良く分かります。
もちろんテロが絶対的に悪だということを認めた上で、ですが。
例えば会田誠の『紐育空爆之図』(1996年)なんかの、大和絵の様式美では表現
できないインパクトの強さが、あの映像にはあったと思います。会田の作品が
駄目だということではなく、イメージの強度について、僕自身大きな反省を促された
ので、例に出したのですが。
むしろ花火を素材に使うことで有名な蔡國強による、
"The Century with Mushroom Clouds- Projects for the 20th Century"(1996年)
という作品に僕は感銘を受けます。
彼はニューヨークの摩天楼や原爆ゆかりの地を背景に、10グラムの火薬を爆発させ、
空中にキノコ雲をつくる連作パフォーマンスを行いました。その記録映像から受ける
インパクトは、細密に描かれた絵画よりも直接的にメッセージを伝えるように思えます。
蔡國強の下記ホームページの、PROJECTS - 1996 でたどれます。
http://www.caiguoqiang.com/

>美術の文脈のなかで製作され、美術の文脈を理解している鑑賞者が見たときに
>「何だこれは!」と思うものが「美術作品」ということになるのかな?
美術の文脈もありますし、特に最近の傾向では、僕たちの日常性の文脈を攪拌するこ
とを、意図する表現者は多いです。
日常性の文脈とは、高度な資本主義社会に生きているという意味であって、日本と
欧米との差異は、以前ほど大きくはないと思います。それは日本社会が欧米の大衆文化
を受容した結果なわけですが。
444439:04/07/02 23:28
>>442
普通に考えればそうなんだけど、一方で作品というのは成立したコンテクストから
引き離されざるをえない、現にそういうふうにして作品を鑑賞するということは普通に
やっていることだったりしますよね。
たとえば東浩紀が固有名や散種について言っていることって、
こういうことなんじゃないかなあ、と勝手に解釈して読んだ記憶がありますけど。
445ひろ:04/07/03 00:03
439氏へ。
444>たとえば東浩紀が固有名や散種について言っていることって

細かい部分は、長くなるので控えますが、
彼が展開している内容は、
たとえば、簡単に言ってしまえば、
ある過去の作品Aが、評価として定着しているからこそその作品の一部分から
別の物語(コンテクスト)による対象Bを再構成出来るわけです。

Aを知らないものはなぜBがそうなったのか理解出来ない。
また人によっては、作品Bから別の物語を再構成し対象Cに仕立てることもできるわけです。

つまり、作品価値を創出することを、石をとおくに飛ばすことだとします。
自分の位置を基準に石がどれだけとんだかを見る。それがコンテクストA。
でもそうやって散らばった石に違う見方をする。
横一列につながっているか、とか
向う側からみたら石が遠く飛んでるのがこっち側の足元の奴だなとか
一つの基準ではなくその基準から、違う基準を導き出していく、、。
そうなると、石をどうつなげたか?というのがオリジナリティー(作品個性)に
変質していくと。
足場をなくして、別の足場へは行けないという感じかなあ、、、。
44648:04/07/03 00:24
>>430
>上の方の書き込みで話題とされていた「コンテクスト」と、ここのところでてきている
>(とりあえずの名前として)「美」、「美しい」との関係がいまひとつ良くわからない。
文化的コンテクスト(文脈)、あるいはコノテーション(共通理解)という概念について説明します。
人と人とのコミュニケーションが成立するためには、両者の間に暗黙に、社会通念などの
知識が共有されていることが前提になります。アーティストが作品を通して鑑賞者と
コミュニケートする場合、言い換えれば鑑賞者が作品を鑑賞する場合にも、同様に
知識や、認識の枠組みを共有することが前提となります。このようなコンテクストは、
時代や地域とともに変化するものです。
前衛概念が誕生する前の西洋美術の世界では、その主題が宗教的であれ、
王侯貴族的であれブルジョア的であれ、美術作品の評価軸は、美しい(崇高性という軸もありますが)
という言葉でくくることができ、時代の変化によっても、ギリシャ時代から印象派まで、大きな揺らぎは
無かった。もっともロマネスク美術においては、アフリカ彫刻に似たプリミティヴィスムの感覚があり、
とっても魅力的な宗教的作品が沢山あるが、長らく後世の美術史からは否定的に扱われていた。
簡単に言えば、美しい女性の裸体とか、美しい風景とか、花とかを、美しく再現すれば、美しい
作品が生まれるという思想が長いこと疑われなかった。社会の価値観の変遷に従い、美しさの
嗜好も微妙に変化し、主題や技法、構図法、様式も変遷したが、大筋では美という観念の普遍性は
疑われなかった。陶磁器や浮世絵を通じて東洋にも、西洋とは異なった美的表現があることを知り、
印象派やポスト印象派のアーティストたちは、浮世絵の表現を吸収して、西洋美術においては
新しい表現を開拓した。それでもやはり、絵画や彫刻などの視覚美術の目的は、美しいもの
(目に見えるものであれ、想像されたイメージであれ)を再現(再び現す)ことだった。
その美への信頼は20世紀になると大きく揺らぎ、美という概念が普遍的ではなく、
文化的コンテクストに依存するものだと考えられるようになり、アート作品が美を表現する
必要はないと考えられるようになった。簡単に言えばこういうことです。
447439:04/07/03 01:30
>>445
たとえばクリプキは固有名を最終的に共同体のコンテクストに帰そうとしたけれど、
デリダはコミュニケーションの失敗こそが固有名を支えているんだとしたわけでしょ。
ある作品のコンテクトと言った場合、すでにそれが本来的なコンテクストであると
保証するものは条件としてどこにもないわけですよね。
本来的なコンテクストが失われている状態こそが実は本来的であると。

>実際は、ある対象物から独自のコンテクストを生成するということとは、
>既存のコンテクストからの展開から引き出されるわけだから、ある部分だけを切り離して
>存在させて鑑賞することは、不可能かと思います。
既存のコンテクストというけれど、そもそもそれ自体、多数的、散種的、確率的、断片的なもの
だと思いますけど。
そもそも断片的でないコンテクストってないと思うんだけどな。
448ひろ:04/07/03 02:39
439氏

東浩紀氏の言説を理解されているようなので仕切り直しします。(笑)

444>普通に考えればそうなんだけど、一方で作品というのは成立したコンテクストから
引き離されざるをえない、現にそういうふうにして作品を鑑賞するということは普通に
やっていることだったりしますよね。

いつの時代の表現までを対象範囲にした話しですか?現代批評においてですか?
それによって447の発言に対するぼくのレスが変ってきます。

一応、東浩紀の言説を、過去までさかのぼった西欧美術まで適応させた場合の話しなのか
最近の作品批評に限った話しなのかをまずおして下さい。

、、、といってももう寝ますが。(笑)

44948:04/07/03 06:34
>>431
>印象的なエピソードに、彼のフィギュアを当時一世風靡したキングオブオタクの岡田斗司夫氏
>に、意見を求めたところ、「まるで、(アニメ)業界にくわしくない素人が、町おこしのために
>急にこしえたニセキャラみたいですね」と言ったとか。
村上の立体作品はアートなので、岡田斗司夫みたいな、美術に関して無教養の人間の意見
なんて、全く意味が無いのです。岡田の感想は、フィギュアしか知らない1オタクの印象
というだけですから。
>つまり、ある基準でいけば、「オリジナル/正統」違う基準でいけば「似せたもの」という自体が
>発生してくるのではないか?。
アート作品の評価は、海外の専門の評論家たちによってシビアに行われているわけで、
日本のフィギュアの批評家が仮に何か言ったとしても、何の説得力もないわけです。
アート専門の批評家たちの間で、それぞれの基準での評価が行われ、その結果として
アートワールドの中で、確固とした地位を与えられたわけですから、村上の作品のオリジナリティ
を疑うならば、それなりに説得力のある論理を出して批判するのでなければ、
単なる僻みに過ぎないということです。
450439:04/07/03 10:49
>>448
過去か現代かと問われるとちょっとギョッっとしますが、
デリダの議論自体は過去も現代もない超越論的な話ですよね。
問題はそれを過去なら過去、現代なら現代にどう嵌め込むかということかな。
いずれにしてもコンテクストという場合、その構造についてつっこんで考えないと、
あたかも汎用的なコンテクストがどこかに設定され、
それによってすべてが決定されているというつまらない結論にしかなりようがない。
実は、あたりまえの話ですが、汎用的なコンテクストが一つある、というよりは、
マクロ的にもミクロ的にも、つねに、断片的で多数のコンテクストが、対立したり、
分裂したり、オーヴァーラップしたりしているコンフリクト状態があるわけですよね。
時代によってそれが統一化されようとしたり、分裂化が進んだりとうことがあるかもしれない。
けれども根源的にはつねにコンフリクトがあると。
作品を作るということはそういう複数の分裂したコンテクストのコンフリクトを
新しいやり方で纏めあげたり、配列しなおしたりという作業のことかもしれない。
そこに従来のコンテクストに依存しない新しいコンテクストが生成する可能性
みたいなものがあるんじゃないかな、と希望的に思うわけです。
ちょっと楽観的かな。
451わたしはダリ?名無しさん?:04/07/03 11:16
漏れのお気に入りの神サイト
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kazgeki/

隠し入り口もあり、ネタコーナーが笑える。
452ひろ:04/07/03 11:32
48

341
>東浩紀のホームページの中のインタビューに、ひろさんが引用されてる文章を見つけました。
僕は彼の文章は読んだこと無く、村上との対談を読んだだけだけなので良く知らないけど、
>椹木野衣に関しては、おそらく英語の文献どころか、日本語の文献すらろくに読まず、
409
>西洋的な文化と伝統文化との軋轢を外圧的に意識せざるを得なかった多くの知識人、文化人が、
西洋文化による文化的植民地化に直面した危機意識から、日本の文化を批判的に相対化し、
彼らが良いと信じたものは必死に守ろうとした。
そのために西洋の論理を利用して、西洋人にも説得しようとした。
(そういう意味で僕は、岡倉天心に、とても興味を持ってます。)

上記のような印象批判をのべておられる状態では、

449
>岡田の感想は、フィギュアしか知らない1オタクの印象というだけですから。

このような発言をされても何の説得力も感じない。村上隆が作品展開する上で、岡田斗司夫とどういう接触をし、
どういう関係であるか知らないんだろうね。

当たり前の美術知識を用いて個々の作品に対して印象批評を言っているぶんなら全然構わないが、
少なくとも文献を読まない部分に関してまで、理論、人物批判するなど少々勇み足かと思われます。
過去レスにおいて、ただ「感情的に」黒を白だと、意固地に対話につきあわせ(理解された上での批判だと思っていましたが)
それに対して「僕は彼の文章は読んだこと無く、」と淡々と言うあたり、ぼくは指摘する気もレスに付合う気も失せました。(笑)

なお
これに対するレスはしなくてよいですよ。煽ってものりません。
以後自由に発言してくださって結構です。
453ひろ:04/07/03 11:43
439氏へ。

言っている事よくわかります。
>デリダの議論自体は過去も現代もない超越論的な話ですよね。
問題はそれを過去なら過去、現代なら現代にどう嵌め込むかということかな。

実は、この発言を引き出したかったので、448のような言い方をしてしまいました。(笑)
今は時間がないので、まともなレスを439氏へ出来ませんが、
75でぼくの考え(といってもちょこっとですが)のレスがありますので
読んでいただけたら幸いです。
454わたしはダリ?名無しさん?:04/07/03 14:24




哲学板で語れや友達がいない馬鹿共。
おまえらの言うことなんざ、周知の話なんだよ!
美出鑑賞版が学歴が低く言語理解の能力低い奴が多いからって
偉そうに言葉遊びしてるんじゃねーよ!
まじめに働いて金を稼いでこい!
油うってんじゃねーよ!親不孝者!
455わたしはダリ?名無しさん?:04/07/03 14:25












放置
アーティストの発言は、本気で言ってるのか、
不快な発言をして注目を集めるパフォーマンスなのか時々わからなくなるよ。
>>457
それを鑑賞するのも悪くないと思うけど。
うーん・・・。
46048:04/07/03 15:28
>>452
ひろ氏が何を憤慨してるのか、さっぱり分かりません。
>上記のような印象批判をのべておられる状態では、
僕が書いた内容のどこが間違ってるのか指摘してくれれば、僕にも対応できるんですが。
>このような発言をされても何の説得力も感じない。村上隆が作品展開する上で、岡田斗司夫とどういう接触をし、
>どういう関係であるか知らないんだろうね。
岡田は村上にフィギュア製造販売会社の海洋堂を紹介し、初期において仲介したというだけじゃないの?
村上は義理堅く岡田を先生呼ばわりしてるようだけど、だからといって岡田が村上の作品をアートとして
理解し得る人だとは思えないんですけどね。
椹木野衣の本を人に貸したままで、今手元に文献が少ないんですけど、一般論として、シミュレーショニズムを
論ずるなら、同じテーマを研究してる研究者の文献を否定・肯定はともかく引用すべきじゃないかと
思ったわけです。何も引用がないというのは、読んでないんだろうなあと。
46148:04/07/03 15:30
>>452
>過去レスにおいて、ただ「感情的に」黒を白だと、意固地に対話につきあわせ
>(理解された上での批判だと思っていましたが)
僕は黒を白と言った覚えは無いので、具体的にどこで、どのような内容が、そう思われるのか
指摘していただかないと。それに、あなた自身が僕にいろいろと質問され、僕はそれらの質問に、自分なりに
あなたの言わんとすることを理解しようとつとめ、お返事したつもりです。それに対し無理に返事しなくてよいとか、
対話をやめると、ひろ氏が一方的に書かれただけであって、僕からは対話をお付き合いくださいと、ひろ氏に
お願いしたことは、1度も無いですよ。正直、止めてもらって良かったと思ったわけで(笑)
>それに対して「僕は彼の文章は読んだこと無く、」と淡々と言うあたり、ぼくは指摘する気もレスに
>付合う気も失せました。(笑)
東の本は読んだこと無いんです。僕が日本にいた頃は、そんなに知られてもいなかったと思う。
だからひろ氏が説明もなく引用してきた、リオタールやボードリャールが作った用語を、
オタク現象を分析する際に、東がどんな風に利用したのか、僕には確認するすべが無い。
日本から東の本をとり寄せる気はしないので、東のホームページを読んだ限りの情報から判断するしかない。
データベースという比喩の意味はいちおうは分かったつもりだが、僕には説得力がある意見とは思えなかった。
ひろ氏が僕の投稿を嘲笑したいという意思だけは、僕に伝わったが、僕にはここで議論されている内容に
しか興味がない。
462?<ETH>?e¨:04/07/03 18:50
439氏へ。
448のようないかがわしい(笑)言い方をなぜしたかは、
便宜上、「ひとまとまりのコンテクストが現代美術にあるとして」言っているにすぎないので
全てをメタレベルでとらえれば、全て並列的となるでしょう。
ただそういう回りくどい話は敬遠されていると自覚しているので
失礼ながらアバウトな言い方をしてしまいました。

439氏の発言に全般的に同意します。
ぼくは、西欧の美術の「文脈?」というものに出来るだけ理解したくて美術の評論書を
読んでいったのですが、読めば読むほど実体が見えてこない(笑)
というのは、日本の美術評論を読むと、核心部分は西欧の美術評論の言説や、思想家、哲学者を引用されている。で、じゃあ西欧の美術評論(もちろん訳ですが)を読んでいくと、やはり思想家、哲学者を引用
されてる。もちろん思想家、哲学者だけでなく比較文化論とか、いわゆる(知の体系が)いろいろ引用されている。現代美術の文脈というものを初めは少しでも理解したくてこの蜘蛛の巣のような迷宮に
入っていったわけですが、まるで、デリダではないですが、パソコンのインターフェースのように
ある言説をクリックするとぱっと、次々と下の階層があらわれていく。
気がつくと現代美術は、大きな社会というムーブメントの位置表象にすぎないのではないか、
独立して「現代美術」の文脈というのはないんじゃないか。っていうか
439氏の言葉を使えば、正に
「既存のコンテクストというけれど、そもそもそれ自体、多数的、散種的、確率的、断片的なもの」
で、
「断片的でないコンテクストってない」という思い(諦め?)に今至ってるわけです。
463ひろ:04/07/03 18:52
462の発言はひろでした。
464ひろ:04/07/03 18:54
ぼくの理解していく流れとしては東浩紀氏を足場にしてデリダへ、、という風に噛み砕かれた(再解釈された)
部分をアイコンのようにより難易度の高いところへいく感じですが。(斉藤 環→ラカンとか)
こんな感じで全て再構成再解釈の曼陀羅!にめまいがします。
現代美術というものが、実は実体のない組み合わせ再構成として存在するならば
現代美術という西欧の理念に依存されない形で東洋思想的(日本は歴史は理念では成立っていないそうですが)
からなる、西欧と反相する文脈は成立つだろうかと考えています。

439氏の「従来のコンテクストに依存しない新しいコンテクストが生成する可能性
みたいなものがあるんじゃないかな」と、ぼくも希望的に思うわけです。
楽観視しましょう!(笑)
いやこれって楽観的なのか、、。
465catt ◆nKX.ore.zA :04/07/04 00:10
>>464
言葉で作品を解析しても終わらないだろ。
作品の実体そのものをコンテクストとして飲み込んで行かないとな。
美術作品は思索的な理解を簡単に突き放すからさ。
「目の前のコップを記述する」に等しい虚しさがつきまとうぞ。w
おれは美術作品を理解するには「体験識」とでも言うべき分野の
情報についての理解力が必要だと感じている。
美術学校で教えてくれるものでもなければ、年齢を積み重ねて
覚えるものでもない。みんな持っているんだが、使わないと使わないまま
済んでしまう能力と言えば近いかな。抽象的で悪いけどさ。
46648:04/07/04 00:58
岡田斗司夫にも偉いと思わせるところがあって、わざわざ金を払ってまで読む価値の
無い自著を、WEB上で読めるようにしてくれている。
岡田と村上隆の立場の違い、岡田がアートの門外漢であることを理解する
には、下記のURL、岡田自身のサイトにある、東大でのオタク講座に村上をゲストに
呼んだとき(1996年10月23日)の、フィギュアとアートの違いについてのやりとりを
読めば明らかだろう。
村上の現代アートの文脈に関する発言は、とても明快であるから、参考になると思う。
『東大オタク学講座』 第八講 現代アートの超理論
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakusemi/No8.html

岡田は、2002年6月11日付けの公開日記において、
>現代美術家の村上隆さんから手紙が来る。もうこの人は歴史に名が残ることは決まっ
>た作家なので、彼の手書き文字を公開しよう
と、プライベートな村上からの手紙を公開している。村上の承諾を得ているのだろうが、
大人気ない無節操な行為だと思う。(手紙の内容はそれなりに興味深いけど)
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/nikki/o2002/o0206a.html
>>466
カスとカスのやり取りが何だっての?
468ひろ:04/07/04 02:03
キャットさん

あっ、わざわざレスありがとう。

はーっ。
なんかため息でるね。
ループしてんじゃないの?

現代美術のコンテクストの話しで盛り上がると、それに偏るなと言われ、
普遍的な「美」はあるのだ、となれば、やはり普遍的文脈としての「美」と、西欧文脈としての「美術」は相対的に考えにゃならん
という話しのなかで、美という文脈は、いろいろあるねという話しの例えで、岡田斗司夫を例に
視点や観点の「文脈の違い」で、ここまで逆になる。というエピソードの話しをすれば、
「アートの文脈を理解している人意外は、なんら説得力ない」とくる。

ぐるぐる話しがまわってさっぱりわからんよ。

キャットさんもそうだよ。
>言葉で作品を解析しても終わらないだろ。作品の実体そのものをコンテクストとして飲み込んで行かないとな。

って、始めてお互いレスしあってんじゃないんだから(笑)そういうレベルの認識は
すでに過去レスで確認済みじゃないか〜。


コンプレックスぷんぷん匂うぞ!!


もーーーーーーう、やーーーーーーーーめた!!!!
469catt ◆nKX.ore.zA :04/07/04 02:29
>>467
まぁ、そう言うな。
>言葉で作品を解析しても終わらないだろ。
終わらないから話題として常に新しい。
記述することでコンテクストが無数に見え隠れするから、
新しい挑戦が始まる。

>ぐるぐる話しがまわってさっぱりわからんよ。
ちゃんと切り分けろよw
470わたしはダリ?名無しさん?:04/07/04 03:39
みなさんがこうやって、意見を出し合っているのを読んだり、
自分も少し質問を書き込んでみたりして、ここ2週間くらいで、
私の美術経験値(?)が上がり、少し成長した気がします。
以前は、奈良や会田などの若手作家に興味を持てなかったけど、
討論してみると、彼らに対する批評を読むのにも身が入ります。
より問題が身近に感じられるというか。
ある一つの話題に興味を持った人々と意見をぶつけ合えるのは、
2ちゃんねるの良いところですね。
美術のメーリング・リストに参加すると、みんなで仲良くしていなくては
いけない雰囲気があって、いまいち真剣な討論がしにくいし。
ぽーさんの奈良論もとても面白かったです。
奈良の作品を、西洋美術史に当てはめて理論的に解釈しようと、いざ、まな板の上に
のせると、するすると逃げていってしまう。
居るのか、居ないのか、どこに居るのか分からない、オサマ・ビンラーデンみたい、
と思って、一人で楽しんじゃいました。
471わたしはダリ?名無しさん?:04/07/04 08:17
一連のレスをみていく限り
とりあえず、相手の意見を拒否していながら、しっかりその
相手の発言の情報を確認するというやりかたの48の行為は、見苦しい。
相手の話は全て情報なのだからそれには、少なくとも敬意を払うべきでは?

47248:04/07/04 08:33
>>439
>完全に文化的コンテクストから独立して作品を作るのは無理だとしても、
>事後的にそのようなコンテクストから自らを引き離す力をもち、
>そして、自らの力で独自のコンテクストを構築、生成するような作品というのを
>望みたいですね。
>ジャンルを問わずいわゆる生き残る作品とはそういうものであるだろうと。
ルーヴル美術館で『モナ・リザ』は周囲に鑑賞者の渦巻きをつくっているのですが、
僕はその光景を見てある感銘を受けました。鑑賞者の国籍、性別、年齢はまちまちだけど、
みんな複製でイメージを見知っているので、本物がちゃんと存在してるってのを見て
安心するという、ご本尊を拝めたという喜びが、顔をスカーフでおおったイスラムの
若い女性の表情にも見て取れるのです。同じレオナルド作でも『岩窟の聖母』のような
キリスト教と不可分なものでは、イスラムの人にとっては異教のイコンに見えちゃうから、
人気を得るには宗教的ニュートラルさが大事なんでしょうね。いろんな国籍の人々が
いっせいに、小さな肖像画を見て、楽しんでるという意識が、きっっと一般の鑑賞者の
心理に作用して、さらに忘れがたい経験になるんじゃないかと思います。
『モナ・リザ』は幸運にも、自らの力で独自のコンテクストを構築、生成するような作品に
なったとは思いますが、すべてのアートが第2、第3の『モナ・リザ』を目指さなければ
いけないとしたら、それはとっても息苦しいだろうとも思います。
そういう風刺をこめて、デュシャンは『L・H・O・O・Q』を発表したのではないでしょうか。
ともあれ、単一の文脈だけで読み取れてしまう作品より、複数の文脈において有効なもの、
文脈を横断し得るもの、専門家レベルにも評価され、なおかつ一般大衆的レベルの嗜好
からも歓迎される(少なくとも忌避されない)作品のほうが、生き残りやすいのかな?
そんなこと考えてもしょうがないと思うけど。
47348:04/07/04 08:47
>>471
>一連のレスをみていく限り
>とりあえず、相手の意見を拒否していながら、しっかりその
>相手の発言の情報を確認するというやりかたの48の行為は、見苦しい。
>相手の話は全て情報なのだからそれには、少なくとも敬意を払うべきでは?
例えば岡田と村上のことを僕が事後的に調べて、466で紹介したことをさして、
見苦しいと言われるのは、僕としては心外です。僕はひろ氏が引用した岡田の
的外れな村上評を批判しましたが、ひろ氏が「岡田と村上の関係を知らない」と
指摘されたので、自分で再度調査したが、結局岡田が村上に与えた影響というのは、
製造業者を紹介しただけという、自分の認識の正当性を裏付けただけだった。
その認識が間違いなら、それを指摘していただけるとありがたいです。
敬意を払えというのは、正しい情報を教えてくれた場合のことじゃないですか?
>>471
そんないまさら…
475439:04/07/04 10:51
>>472
いろんな立場があっていいと思いますよ。
48さんは「専門家レベル」みたいな話が好きなようですけど、
そんな「専門家レベル」を「息苦しい」と感じる人もいるでしょうし。
48さんの言う「専門家レベル」というのが一体どれだけ正当性をもつものなのか分かりませんが、
僕にとってそれはただの断片的な1コンテクストでしかないかもしれない。
デュシャンはある意味で一部のもののコンテクストと化しつつあった美術を
ああいった作品でパロディとして批判したんでしょ。
それが当時はマーケット化し形骸化しつつある視覚芸術であった。
今日デュシャンが生きていたら、一体何を批判するだろうか、と考えてみるもの
面白いかもしれませんね。
第二のモナ・リザを作ろうなんて思いませんが(実際あれあまり好きじゃないし)、少なくとも、
非常に限られた文脈の中で自己言及しているだけに見えるようなものには抵抗したいですね。
476わたしはダリ?名無しさん?:04/07/04 11:58
究極の現代美術が最強です。
http://bbs.coolnavi.com/16627/
47748:04/07/04 12:37
>>475
>48さんの言う「専門家レベル」というのが一体どれだけ正当性をもつものなのか分かりませんが、
>僕にとってそれはただの断片的な1コンテクストでしかないかもしれない。
ある批評家が、ある作品を、あるコンテクストに沿って評価し、別の批評家は
別のコンテクストから批判し、というように、専門家レベルでも、それぞれが
重視するコンテクストによって、どういうアーティストを支持するかという、
批評家同士のコンフリクトがあって、またその対立をアーティストが受けて、
さらに作品で問いかけをするという形で、コンテクストの破壊と再構成の連続
によって20世紀の美術史は動いていたと僕は思うわけです。
70年代までは、後の時代から見れば、とても分かりやすい流れがあったと思います。
80年代になるとコンテクストを統合することを放棄して、断片化されたコンテクストを
断片のままにリミックスすることが試みられたり、90年以降は、またまた
文化多元主義とかPC(政治的正しさ)とかジェンダーとか観客参加とか
日常性を大事にしましょうとか、様々な雑多なコンテクストが、さながら
割られたタイルが重なり合い、散乱したように提示されてきている状態に
見えなくも無いです。とにかく作家側としては、諸コンテクストに批判的に
向き合って、クリアに秩序付けていくというか、ちゃんと考えることが大切
だということでしょう。
478わたしはダリ?名無しさん?:04/07/04 13:25
素人ととしては現代美術は評価が定まってないところに面白さを感じます。

過去の作品は概ね評価が定まっていますが、「これが名画だ!」といわれても実際に見てもぴんと来なかったりします。
そんなときに「ああ自分は美術がわからない人間だ」と思い、やがて敬遠するようになる。

現代の美術も実際のところは権威の方がいて評価を定めているのかもしれませんが、
なんか自分勝手に見ることが出来る自由さ・気ままさに自分は魅力を感じています。

479(・д・):04/07/04 14:39
へー、続いてんね、このスレ。がんばれよ。
480わたしはダリ?名無しさん?:04/07/04 17:15
471だけど、473(48)

いや、いや、 おいらがいっているのは、

>的外れな村上評を批判しました、

ってとこなんだけどさ、

ホビーの側からの文脈とアートの文脈で、オリジナルの意味が
こんなにも違う、、、って話じゃないのかねえ、、、。

結局、「専門家レベル」って視点で、「美」っちゅーやつを選り分けてる限り
この話しは発展しそうもないぜ?
先が見えてるでしょ。
第一、「専門家レベル」とそのレベルに満たない人、
んー 例えでいえば、48と他のコテハンどっちが、「専門化レベル」かって
どうやって比べられるのかね?やっぱり、専門家は、専門家に聞けってか?
認められたもん勝ち?そしたら、専門家でもなんでもないんじゃない?
はっきり言えないんじゃさ。

いや、どーでもいいが。
48148:04/07/04 21:05
>>480
>ホビーの側からの文脈とアートの文脈で、オリジナルの意味が
>こんなにも違う、、、って話じゃないのかねえ、、、。
だいぶまともなご意見に変換されたので、僕もまともに対応します。
僕もそういうことだと受け取ってはいますけど、村上の立体作品を
岡田のようなオタクと呼ばれるホビーマニアの視点で、1つの
フィギュアと見做して語っても、何にも出てこないと思うのです。
まず、フィギュアと見做すこと自体が間違いで、アートの文脈で
提示されている以上は、アートとしての評価同士を比較しないと無意味
だと思うのです。例えばジェフ・クーンズの"PUPPY"という植木を犬の形に
刈って作った作品について、専門の植木屋が植木としてどう見えるかコメント
したところで、全く的外れなコメントにしかならないのと同じことでしょう?
http://www.xs4all.nl/~exadega/koons/puppy.html
仮にひろ氏が村上の立体作品を、アートとしてどう見るかを、自分の言葉で
語られるんなら、僕はそれを尊重しますよ。でも彼の文章を見る限り、ひろ
氏自身は、村上の作品をフィギュアと呼んでいるわけで、アートをアートとして扱う
という最低限の約束事を逸脱しているわけですね。ご納得いただけませんでしょうか?
48248:04/07/04 21:13
クーンズのPUPPY(ロックフェラーセンター)の写真は、こっちのサイト
の方が沢山よいものがありました。時間の経過とともに花が咲いたり
して、楽しい作品なんですね。
http://members.jcom.home.ne.jp/d-muto/puppy/puppy.html
>>468
長いあいだ良スレをありがとう。
勉強になりました。気が向いたらまたカキコしてください!
484(・д ・):04/07/04 21:45
あ、なんだ、もう終わりなのか。さいなら〜。
48548:04/07/04 21:59
>>478
>現代の美術も実際のところは権威の方がいて評価を定めているのかもしれませんが、
>なんか自分勝手に見ることが出来る自由さ・気ままさに自分は魅力を感じています。
おっしゃる通りです。あらゆるアートを自由気ままに鑑賞する態度を持ってる方々が、
アートの世界を文化として支えているのです。

僕は書きたいことをだいたい書きつくしたというか、当面特に回答すべきことも無い
くらい、矛盾なく自分の考えを書きましたので、ここらで休筆します。
1週間ほど、ある欧州の国の首都に滞在し、現代美術&過去美術の名品を、いやというほど
見まくる旅行に出かけます。それでは、最後に、ひろさん、ぽーさん、cattさんほか、僕の
拙い投稿に対し、意味のある反応をしていただいた方々にお礼を申し上げます。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

いちおう、いろいろ罵声をあびせておられた方々に、最後に一言アドヴァイスをしておきます。
アーティストであることにしがみついていないで、アートを放棄するのも1つの勇気です。
アートは人生にとって無くても済むものなのです。人から認められなくっても、絶望して自殺
を考えたりするなんて無駄なことです。ただ運が悪かっただけです。今日からでも、アートの無い
人生の再スタートをしましょう!以上、皮肉は一切なく、挫折によってトラウマを
しょった方々に、心よりご同情申し上げるからこそ、このように言うのです。
486わたしはダリ?名無しさん?:04/07/05 00:26
場違いですが、おしえて下さい。
『日本秀作美術展』、今年は無いのでしょうか?
東京日本橋の高島屋で毎年開催されてたのに、終わってしまったんでしょうか
487catt ◆nKX.ore.zA :04/07/05 01:59
>>485
良い旅を。
>1週間ほど、ある欧州の国の首都に滞在し、現代美術&過去美術の名品を、
いやというほど見まくる旅行に出かけます。

良いね。何十年経っても忘れないくらい、しっかり楽しんでおいで。

>アーティストであることにしがみついていないで、アートを放棄するのも
1つの勇気です。

まぁ、放棄できる奴をアーティストと呼ばないわな。w
488わたしはダリ?名無しさん?:04/07/05 06:45
この美術板では旗色が悪くなると、突然「休筆」したり
「旅に出る」というパターンが、実に多いね(笑)

「罵声をあびせておられた方々」=「挫折によってトラウマをしょった方々」
とはね。
まあ、海外でいろいろ大変な思いをされているんでしょうよ。
それに、わざわざ呼び戻すこともないでしょ。
490480:04/07/05 17:39
>アートの文脈で提示されている以上は、アートとしての評価同士を比較しないと無意味だと思うのです。

それは相対的にアートを考えるとは言わないよw
ここは、絵画同士を比較する板でもないし、あえてアート以外を
比較することをここでやろうとしてたんじゃないのかな?
相対化というのは、異種同士を、鏡のように写し合って、共通点を探しあう行為を言うんじゃないのかな。
だとしたら、48の方がそもそも板違いというものじゃないの?
なぜここまで他のコテハンが寛容に接してたのかの方が驚きだ。
本来の議論では、板主のひろ氏は、堂々と48に「板違い」と言うべきだし
アート性の議論へ軌道修正の役に徹したほうがよかったかもね
491480:04/07/05 17:40
第一、アーティストが語るアートってのは、社会だろ?
他者のアート作品を延々と引用し続けるアーティストなんて見た事も聞いた事もないよw
アート作品を語るというより、アート性自体を論じてないことが一番、他のコテハンたちにとって48の方が意味のない反応だったのではないかと、おいらは思う。(ぽーさんも途中で来なくなっちゃったし、、。)
果たして、初めと終わりで、結局48は、アート性について論じてたのかな?
おいらは、美学出身(制作の側でないから)だから、形どおりの作品批評より、
反骨的な独自の切り口を期待してたが。


>村上の作品をフィギュアと呼んでいるわけで、

ちなみに、おいらは、ロダン大好きなんだけど、画集(もちろん洋書)に
作品紹介で、フィギュア(fig.1〜fig.5とか含め)ってことば連発してたぞw 
フィギュア=「人体」だろ?まさか48は「人形」って意味だと思ってたとか?
第一、「ペインティング」っていうのは、アートって呼んじゃいないけど
あれもアートだろ?
ペインティングのアート性。フィギュアのアート性を
おいらからすれば、どんどん語って欲しかったな、、、。

結局、48は、アートとして認められた作品をテキスト(まとも?)どおりに終始説明されただけで
一番この板で為になった人は、現代美術入門(の本)的なレベルの解説として
見ていた人ではないか。(奈良をああいう見方をすればいいのか、、、とか
え?そんなアーティスト始めて聞いた−、とか)

あとアートやってると、アート意外関心なくなって、以外と世間知らず
(おいら含め)になりやすい。
492わたしはダリ?名無しさん?:04/07/05 18:09
しかしよく飽きないな。まだよほどアートが珍しいんだな。
10年後には静かになってアートのアの字も
無い人生かもね。
>>490
寛容かどうかは言葉面だけじゃないんじゃないかな。
48氏の主張するようなアートが、寛容に入れられたかどうか。
それが一番厳しいところですよね。
49448:04/07/05 19:47
明後日から旅行に出発するので、あまり時間がとれませんが、481氏のファイティングスピリットに
敬意を表して、議論を続けましょう。
>>491
>第一、アーティストが語るアートってのは、社会だろ?
現代アーティストの社会的主題を持った作品例として、>>443において蔡國強の作品を紹介したつもりです。
481氏は、ひろ氏が僕より社会的視点から西洋的アートを相対化しており、アート性を論じていると評価されて
おられるようですが、僕の常識からは、>>433や434で、ひろ氏が述べられている、
>フェミニズムにしても、そうです。フェミニズムとは、西欧の男女間のモラルの波状から
>不可避的に出現した問題です。西欧化を逃れた文化圏ではフェミニズムという発想はありません。
というような主観的意見は、あいた口が塞がらないくらい珍妙なもので、日本人同士の会話なら許される
のでしょうが、現代の日本人に特有の批判意識の欠如の典型的な例だと思いました。フェミニズムその他の
西洋的思想圏から提示された社会テーマは、キリスト教1神教文化が生み出したものだから、日本には
適用されないなどと、本当にあなた方は信じているのでしょうか?僕は美術板で、こういう根本的な無理解を
正す作業に首をつっこみたくなかったので、単に黙殺していたのです。
>>491
>アート作品を語るというより、アート性自体を論じてないことが一番、他のコテハンたちにとって48の方が
>意味のない反応だったのではないかと、おいらは思う。(ぽーさんも途中で来なくなっちゃったし、、。)
そういう見方をされていたとは、意外です。僕としては>>446などで、アートのコンテクスト性について説明していた
つもりでした。では具体的にアートがアートとして成立するために何が必要であるか、もっと掘り下げて
議論していってもいいですよ。もっとも教科書的な認識だと言われるかもしれないけど、そういう基礎認識から
欠如してる方がたくさんおられるようなので、基礎認識から共通理解を深めていくべきだと思います。
495わたしはダリ?名無しさん?:04/07/05 19:47
ん?
言葉面だけじゃないんじゃないかな。

言葉面以外も寛容ってこと?

寛容に入れられたかどうか。

どこに?

ごめん。気になる
496480:04/07/05 20:52
今まとめてるから
ちょっと待ってて〜
>>495
ミスすまそ。
寛容に受け入れられたかどうか ですね。
激しい批判がないからといって、受け入れられたかどうかは別と言いたかった。
でも考えてみると、表面だけの寛容な扱いは、アートにとってプラスじゃないかもしれないナ。
498おまたせ!480ですっ:04/07/05 21:52
>現代アーティストの社会的主題を持った作品例として、>>443において蔡國強の作品を紹介したつもりです。

上は、430の「「美」、「美しい」との関係がいまひとつ良くわからない。」つまり
現代美術の文脈で「惹きつけられる事」と、花火などの美術対象以外の文脈で「惹きつけられる事」の関係(違い)がわからないということでしょ?(美でも畏敬の念でもなんでもいいので、呼び名を「惹きつけられる事」に以後統一。)

に受けて、443の蔡國強のところで、作品を紹介するかたちで
48氏は、上について答えたわけですね?。
499480:04/07/05 21:54
で、本題。

>日常性の感覚を乱される場合に、僕たちは即座にその事態を理解
できず、うろたえるわけです。
A)つまり日常性「見知っているもの」の崩壊。

>ある作品が僕たちが見知ってきた美術品の文脈を逸脱しているとき、こういう
感覚を持ちます

B)美術品の文脈の逸脱つまり、、A)と同じ。

>9.11のツインタワー崩壊の光景

ツインタワーという日常の崩壊→つまりA)と同じ。

48氏いわく「蔡國強の空中にキノコ雲の作品にインパクトを感じる」
会田誠の『紐育空爆之図』(1996年)なんかの、大和絵の様式美では表現
できない。イメージの強度について、僕自身大きな反省を促された。」
「その記録映像から受けるインパクトは、細密に描かれた絵画よりも直接的にメッセージを伝えるように思えます。」
だそうですね。
500480:04/07/05 21:55
本題にうけて

疑問1。
では、会田誠の大和絵の様式美では表現できなくて、蔡國強の空中にキノコ雲に表現出来てるインパクトの違いとは何だと思いますか?
なぜ、「細密に描かれた絵画よりも直接的にメッセージを伝えるように思え」るんですか?
疑問2。
先程のA)とB)の関係つまり、
現代美術の文脈で「惹きつけられる事」と、花火などの美術対象以外の文脈で「惹きつけられる事」の関係(違い)がわからない。
について48氏の見解は、出されているんですか?
501480:04/07/05 21:59
お題その2

>美術の文脈のなかで製作され、美術の文脈を理解している鑑賞者が見たときに
>「何だこれは!」と思うものが「美術作品」ということになるのかな?
美術の文脈もありますし、特に最近の傾向では、僕たちの日常性の文脈を攪拌
することを、意図する表現者は多いです。日常性の文脈とは、高度な資本主義社会に生きているという意味であって、日本と欧米との差異は、以前ほど大きくはないと思います。それは日本社会が欧米の大衆文化
を受容した結果なわけですが。

つまり、
「美術作品」には
A)「何だこれは!」=日常性の文脈=高度な資本主義社会の文脈の崩壊

B)が内包されているのだ。
と48氏は、言っているわけですよね。

疑問3。
先程の現代美術の文脈で「惹きつけられる事」と、
花火などの美術対象以外の文脈で「惹きつけられる事」の関係(違い)がわからない。
について48氏の見解は、出されているんですか?

502480:04/07/05 22:05
疑問2、3は、まず、答えてくれと言っているのではなくて、
答えていたか?否かでだけでもいいですよん。
あっ、でも疑問1は、答えてくださってもいいですね。

以上で、まず休憩。
次の「フェミニズム」の件は、まとめ中〜
503480:04/07/05 23:07
48氏
お待ち!!反フェミニズム論

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、宗教は、宗教原理によって、男女の規範を定める。
セックスと女の抑圧の権化だ。つまり、原理主義にもとずいたシステムを破壊する戦いが、フェミニズムだ。
日本は、ちと様相が違う。
現代アートで、フェミニズムといったって、文化の違いを前提に考えないとね。
フェムニズムの「質」をひろ氏は言っているのだと思う。
これは、今論争になっている。一つの提示だ。

くわしくは、本を読みなさいとしか言えないが、
私の大学で、フェミニズムの歴史の講義で配られた冊子を
しょうがないので、手打ちしました。なんでもネットで情報得ようと思うなよw
なんてね。
504わたしはダリ?名無しさん?:04/07/05 23:10
50548:04/07/05 23:11
>>500
>疑問1。
>では、会田誠の大和絵の様式美では表現できなくて、蔡國強の空中にキノコ雲に
>表現出来てるインパクトの違いとは何だと思いますか?
>なぜ、「細密に描かれた絵画よりも直接的にメッセージを伝えるように思え」るん
>ですか?
まず、テロによるツインタワー崩壊という事件は、会田と蔡の2つの作品の後に
起きたものなので、9.11の事件の記憶は除外して、2作品を比較すべきと思います。
さて、両者に共通するのは、ニューヨークという巨大都市が爆撃されるという仮想によって、
鑑賞者にセンセーションを引き起こす意図があると思います。
会田の作品は戦争画リターンズという連作の1つであり、蔡のパフォーマンスも、
"The Century with Mushroom Clouds- Projects for the 20th Century"
という1連のパフォーマンスのドキュメントとしての写真なりヴィデオである。
それぞれの連作のテーマをまず考えてみましょう。会田の戦争画リターンズは、ご存知の
ように、第2次大戦中に日本人の画家たちが国家の戦意高揚政策として描かされ、
敗戦後にGHQにより没収、非公開にされた「戦争画」を復活させようという、20世紀の
日本の絵画史、および日本人の戦争観を問い直す意図で制作されたものだと思う。
会田の意図は、日本人が「一億火の玉」となり、玉砕を誓い合っていた、狂気の時代の
意識を、伝統的日本絵画の形象を借りて、再び蘇らせようとした。ある意味で松本零士
が、戦艦大和を宇宙戦艦として蘇らせた意図とも似ているように思います。
506480:04/07/05 23:11
以下は、それ。長いから存在だけでも知ってくれれば満足じゃ、、。

2001年4月25日
「恋愛」をめぐって
女と男
和光大学共通教養科目
担当:xxx

歴史的、社会的に作られたものとしての「恋愛」
では、「恋愛におけるジェンダーの規範」はなぜ存在するのだろうか。
「恋愛」を「女」から見ると、どうなるだろうか。「恋愛」において、「女と男」は、
「上下」関係、「被支配/支配」の関係にあるのだろうか。
こういうフェミニズムの考え方を一般には「ラディカル・フェミニズム」と呼んでいる。
「ラディカル・フェミニズム」は、1970年代以降の「第二波フェミニズム」の中心となったフェミニズム思想のひとつで、
特徴として、概して「男性による女性差別/女性支配」を強調し、とくに「その核心に性と愛による支配がある」とすることが多い。

「ロマンチック・ラブ」イデオロギー
*まず、「恋愛」は「自然な感情」(というだけ)ではなく、日々、たとえば映画やテレビやマンガや
小説などを通じて流布される「ロマンチック・ラブ」イデオロギーによって「作られて」いる。
それは手を変え品を変えさまざまなバリエーションで「恋愛讃歌」と「恋愛規範」をわたしたちにふきこむ。
507480:04/07/05 23:15
以下に続く。

「恋愛」の誕生
*恋愛なんていつの世にもあったもの、と思うかもしれないが、実はそれは「近代」の産物であり、
18世紀〜19世紀の西洋ブルジョワ社会に誕生したもの。
*それ以前は、「男女の交わり」において「恋愛感情」と「性的欲求」とが分離されるのでなく
渾然一体としていた。西洋中世。日本でも……有名な「八百屋お七」。また、「恋愛」と「結婚」とは
別物だった。中世騎士道物語。源氏物語。
*それにたいして「近代(西洋)恋愛」の最大の特徴は、「恋愛は結婚のためのもの」という規範を
作ったことにある、といわれる。つまり、恋愛のゴールは結婚であるべき
*結婚には恋愛感情が必要である、という規範。これが「近代恋愛」。それ以外のものは
「恋愛ではない」とされ違った名で呼ばれる・・「遊び」「浮気」「情事」「不倫」。揺らいではいるが、
いまもわたしたちはその規範の下にいる。
*ただしそこには、男女でダブル・スタンダード(二重基準)がある。
3.日本における「近代恋愛」の輸入。
*西洋における「近代恋愛」が、近代西洋社会の成立とともに「誕生」したものであるとするなら、
日本における「近代恋愛」は、明治以降、「輸入」されたもの。
*「近代的恋愛」は、「進歩」「文明開花」イデオロギーと結びつき、
とりわけ大正以降都市インテリ層を中心に、「近代的自我」の追求と結びついて発展した。
508480:04/07/05 23:20
以上です。

つまり、男女の「聖性と俗」概念を輸入したのも西欧だし、
その男女の「聖性と俗」概念の破錠をついたフェミニズムも
西欧で起った。その尻馬にのってる日本の歴史を考えろってことだね。
509(・д・):04/07/05 23:24
ありゃー、まだ続くのかよー。

昔、「レスはなるべく短めに」なんて言われたもんだが…
510480:04/07/05 23:54
これで、494での48氏に対する疑問はとりあえず、最後ね。

>446でアートのコンテクスト性について説明していたつもりでした。

446では、
「美しいという文脈の信頼は20世紀になると大きく揺らぎ、美という概念が普遍的ではなく、アート作品が美を表現する必要はなくなった。
つまり、文化的文脈=先程のA)に依存すると考えられるようになった」と。
こうゆうわけですね。

でも、これは確かにアートの歴史を振り返った文脈の変化をおったものですが、
それによって、
先程の、現代美術の文脈で「惹きつけられる事」と、花火などの美術対象以外の文脈で「惹きつけられる事」の関係(違い)がわからない。
について48氏の見解は、くどいようですが、出されているんですか?

出されているか、否かだけで、結構です。
511480:04/07/06 00:07
ありゃー、誤植や、
以下に訂正〜、訂正〜

508
>つまり、男女の「聖性と俗」概念を輸入したのも西欧だし、
              
              概念を輸入したのも西欧からだし、
ねん。
51248:04/07/06 00:13
蔡のパフォーマンスのテーマは、その題名からもわかるように20世紀の最先端の科学によって
もたらされた、原爆という人類史上最大の暴力のイメージを、鑑賞者の現在の意識に蘇らせる
ことを意図していると思う。手製の小さなキノコ雲を、マンハッタン計画の実験場跡地や、
ニューヨークのマンハッタンを背景に再現させることで、歴史を風化させまいとする意図を
もっていると思う。実験に使われた建物(その建物が壊れる様子は、最初の原爆実験の
記録フィルムに残され、僕たちにもなじみのあるイメージである)が、現在は風化して
見捨てられたような状態になっているところに、再びキノコ雲を浮き上がらせ、過去と現在とを
繋げて見せている。そのイメージの直接性は、やはり絵画では表現できない強さがあると
思うのです。蔡がやったこと自体は単純で、誰でもできるだろうとか思う素人さんも多いだろうけど、
シンプルなアイデアが勝利することの方が多いんだと言いたい。
会田の空爆図の、洛中洛外図屏風の俯瞰構図、鶴の舞のように半透明のゼロ戦が、
編隊飛行する日本画的様式美。それはそれで面白いと思う。戦争画というテーマ自体の、
非常に屈折した、日本人の過去の戦争についての思い、忘れたいことを思い出させるという、
それはそれで意義があり、ぜひ続けてもらいたいのだが、この絵を見て単純にカタルシスを
感じてしまう連中もいるんだろうなあと思うと、なんだかいやなんですよ。日本の美術史の
研究者なんかが、『美しい旗』は美しい、わからん奴は馬鹿だ、なんて書いてたりしてるんですが、
それは違うだろうと思うんですね。
513480:04/07/06 00:47
48氏
512&505
>会田の意図は、日本人が「一億火の玉」となり、玉砕を誓い合っていた、狂気の時代の
意識を、伝統的日本絵画の形象を借りて、再び蘇らせようとした。ある意味で松本零士
が、戦艦大和を宇宙戦艦として蘇らせた意図とも似ているように思います。


現在は風化して見捨てられたような状態になっているところに、再びキノコ雲を浮き上がらせ、過去と現在とを
繋げて見せている。そのイメージの直接性は、やはり絵画では表現できない強さがあると
思うのです。蔡がやったこと自体は単純で、誰でもできるだろうとか思う素人さんも多いだろうけど、
シンプルなアイデアが勝利することの方が多いんだと言いたい。

>忘れたいことを思い出させるという、
それはそれで意義があり、ぜひ続けてもらいたいのだが、この絵を見て単純にカタルシスを
感じてしまう連中もいるんだろうなあと思うと、なんだかいやなんですよ。

「過去と現在とを繋げて見せている。」「忘れたいことを思い出させる」この2つは、共通する
歴史について確かに同じですね。
で、
蔡のパフォーマンスの「キノコ雲」のほうが、会田の作品より
そのイメージの直接性や、シンプルなアイデア、カタルシスを感じさせない、という
理由で優位だと(勝利した?)と48氏は思ったわけですね?。

イメージの直接性、シンプルなアイデア、カタルシスを感じさせない、
以上の3つ(他もあるでしょうが)をあげてもらいましたが、
これは、48氏の主観?
514480:04/07/06 00:52
すまん、
48氏の引用の

戦艦大和を宇宙戦艦として蘇らせた意図とも似ているように思います。

現在は風化して見捨てられたような状態になっているところに、
の間が空いていて見苦しかったね。失礼。
515480:04/07/06 00:57
勝手に、質問ぜめにしておいてわるいけど、
続きは、明日にね。

51648:04/07/06 01:13
疑問2と3は区別せずに1まとめに回答します。というか同じ質問に見えるんですけど?
A)日常性「見知っているもの」の崩壊
B)美術品の文脈の逸脱
>>501
>「美術作品」には
>A)「何だこれは!」=日常性の文脈=高度な資本主義社会の文脈の崩壊と
>B)が内包されているのだ。
>と48氏は、言っているわけですよね。
A)を意図した作品もあれば、B)を意図した作品もあり、A)とB)両方を意図したものもあります。
B)を意図しない作品の全てがA)を意図していると要約しちゃうのも、ちょっと強引ですね。
既存のものの見方(なんらかの暗黙の社会的常識というコンテクスト)を、ちょっと変えてみる
程度のテーマでも、見せ方次第でよい作品は生まれると思います。
51748:04/07/06 01:17
>疑問3。
>先程の現代美術の文脈で「惹きつけられる事」と、
>花火などの美術対象以外の文脈で「惹きつけられる事」の関係(違い)がわからない。
>について48氏の見解は、出されているんですか?
明確に出されていないようなので、順をおって説明します。
美術品というとパフォーマンスアートやプロセスアートなど、品として物象化されない作品を排除するので、
アート作品と呼びます。作品だから品だろうとか言わないでね。
アート作品がアートとして鑑賞者に了解されるためには、アートの文脈群(複数ある)の全てから、
完全に逸脱してしまってはいけない。
アート作品をアート作品たらしめるために必要最低限の基準とは、
アーティストが、「これはアートだ。自分の作品だ。」と指示すること。
これはジャスパー・ジョーンズの定義だったと思うけど、僕もそう思います。
ではアーティストとは誰のことか?アーティストとは、「自分はアーティストだ」と称する人。
だから鶴太郎がアーティストを自称すれば、彼はアーティストであり、「これは僕の作品です」と言えば、
その作品はアートなのです。とりあえず、そうなのです。それを否定しようがありません。
どんな権威のある批評家が「こんなものアートではない」と訴えようが、自称アーティストが、
「これはアート。僕の作品。」と言えば、くつがえしようがない。それを踏まえて、アート作品として
どうなのか、良いのか駄目かを問うことができるのです。
51848:04/07/06 03:08
517を踏まえて、
現代美術の文脈で「惹きつけられる事」と、花火などの美術対象以外の文脈で
「惹きつけられる事」の関係(違い)について、説明します。
花火を見た人が花火に惹きつけられ感動したとしても、それはアートを鑑賞して
感動したわけではありませんね。なぜなら花火はアート作品ではないからです。
では仮に、花火職人が蔡國強のように「自分はアーティストだ。火薬を使ってアートを
実践するぞ!」と宣言し、アート・エキシビジョン花火大会を実施した場合、その行為は
最低限のアートの文脈に乗ります。そのときに、表現内容が普通の花火大会と同じで
あっても、花火が好きな人々は、そのアート作品を見て感動したりすることでしょう。
大人から子供まで、多くの人々が喜ぶでしょうが、アート作品として、アートの文脈を
踏まえた人たちから見ると、いったい何が新しいのか?作品のテーマは何なんだ?
と疑問に思うだろうし、アーティストが明快に答えられないならば、「そりゃ駄目じゃん」
と思われるでしょう。花火を使うにしても、蔡國強のように自分なりのコンセプトを持ち、
どんな歴史的、文化的コンテキストで、どんな批判意識で花火を使うのかがアート作品
としての評価に繋がるのです。ただ効果ばかりを狙った作品は、一時的には評判を
得ても、すぐに忘れられてしまいます。
51948:04/07/06 03:29
>>513
>イメージの直接性、シンプルなアイデア、カタルシスを感じさせない、
>以上の3つ(他もあるでしょうが)をあげてもらいましたが、
>これは、48氏の主観?
主観ですよ。てゆうか、誰もこの2作品を比較して語ってる人はいないと
思うんですけど。だから印象批評に過ぎません。
会田の作品は日本では割りと知られてるから、いろんな人がいろいろ
コメントしてるだろうけど、僕には調べるすべが無いのです。蔡國強の作品は、
PHAIDON PRESSから出てる、"LAND AND ENVIRONMENTAL ART"という本にも
紹介されているので、さっき説明を読んでみましたが、僕が書いたことは、
そんなに的外れではなかったと思いますよ。
蔡國強のコメントとして、人類史上最悪の悲劇の1つを引き起こしたもので
あると同時に、記念碑的で美しいイメージをも生み出したことに核兵器の
アイロニーがあると蔡は語ったそうです。美しいという表現には、1日本人として
抵抗感はありますけど、大多数のアメリカ人にとっては、キノコ雲には
戦勝の誇らしいイメージとして回顧されていると思うので(これも主観だけど)、
それを現代においてニューヨークの上空で炸裂させたことを主観的に評価したいのです。
52048:04/07/06 03:47
>>508
>つまり、男女の「聖性と俗」概念を輸入したのも西欧からだし、
>その男女の「聖性と俗」概念の破錠をついたフェミニズムも
>西欧で起った。その尻馬にのってる日本の歴史を考えろってことだね。
ご苦労様です。たいへんよく理解できました。つまり日本にも明治以降
西洋的恋愛観念が輸入され、根付いたので、フェミニズムは日本でも
大いに議論されてしかるべき問題なんですよね。だから日本型
フェミニズムをテーマにした、日本社会を風刺した作品だって、大いに
やってみた方が良いってことですね。例えば女性社員が男性社員に、
お茶を入れてあげるなんて習慣は、海外では日本独特の男尊女卑の
悪習だとTVの日本特集番組なんかで、非難されているんですけど、
ちょっと考えれば男女不平等な習慣がたくさんありますから。
52148:04/07/06 04:19
>>491
>>村上の作品をフィギュアと呼んでいるわけで、
>ちなみに、おいらは、ロダン大好きなんだけど、画集(もちろん洋書)に
>作品紹介で、フィギュア(fig.1〜fig.5とか含め)ってことば連発してたぞw 
>フィギュア=「人体」だろ?まさか48は「人形」って意味だと思ってたとか?
微笑ましいご意見ですね(笑)美術を語る文脈では、内外問わずフィギュアって言い方はしません。
ロダンの本でも、人体作品は、work of (human)figure とか、figurative work と呼ぶんじゃないですか?
それに、fig.1ってのは、「図1」ってことですよね?別に人体じゃなくって形象、図ですよ(笑)

>第一、「ペインティング」っていうのは、アートって呼んじゃいないけど
>あれもアートだろ?
美術を語る文脈では、絵画のことを最近ではペインティングと呼ぶほうが普通なので、
僕もそう呼んだだけです。ただの流行で、何の違いもないんだけど。
例えばデッサンと呼ばずにドローイングと呼び、ペインティングと区別してますね。
フランス語の美術用語を避ける傾向があるんですね。
ちなみに具象絵画はfigurative paintingsと呼ぶけど、人体が描かれてなくてもいいんですよ。
52248:04/07/06 05:17
518を踏まえると、岡田と村上の以下の会話(等身大綾波レイのフィギュアをにして)
での、村上の発言の意味が明確にわかると思います。
>岡田 じゃあ村上さんの文脈としては、この綾波はホビーなんですね。
>村上 まだこの状態では、うーん……ホビーですね。これをアートだと思って製作し
>ているのか否かが大事な問題なように思いますけど。
>岡田 アートだと思って作ってると、ディテールがちがってくるもんなんでしょうか。
>村上 いや、そういう問題ではまったくないんですよ。詰め将棋ですね、これは。最
>後の一手を思いつくために考えるという。だから、その一手が思いつかないからこそ
>チャレンジするという部分もあるんです。同じスタッフで同じような現物を作って両
>者を並べたときに、皆さんから「同じやんけ。レイの方が可愛いやんけ」というリア
>クションがきますよね、多分。でもアートシーンでの評価はちがってくる。それが
>さっき言った「文脈の差」なんですよ。つまり、この綾波はアニメやガレージキット
>など、ホビーの文脈にはバシッと当てはまってるんです。ところが別の文脈の中に放
>り込もうとすると、相当のヒネリ技を付加しなければアートにならない。この綾波は
>ホビーの文脈は完全に踏まえているけど、アートの文脈は踏まえていないんです。そ
>こを収まりよくするために変えていって、アートの文脈上にこれがあっても違和感が
>ないようにしていけば、だんだんアートになっていくんですね。

ちなみに僕自身は、村上の真価は、作品の最初のイメージをひねり出す段階
(相当のヒネリ技)にあると思ってます。そのイメージが枯渇すると、すぐ駄目に
なるでしょうね。
52348:04/07/06 05:32
>>522
誤:(等身大綾波レイのフィギュアをにして)
正:(等身大綾波レイのフィギュアを前にして)
アニメやガレージキットなど、ホビーの文脈においては、アニメ作品の
登場人物として見知っているキャラクタと、目の前に再現されたフィギュア
とを比較して、顔がよく似ているとか、ディテールがよく再現されているとか、
表情が可愛くて萌えるとか、そういう評価軸しか一般のファンは持たない。
原型を自分で作ったりするファンだと、もっと造形的な独自性に着目する
ようになり、ロダンみたいな具象の彫刻家と変わらない視点を持つように
もなるかもしれないけど、それだけでは現代のアートの文脈を踏まえてないから、
アート作品としては評価されないということなのです。
524480:04/07/06 12:54
521
>ロダンの本でも、人体作品は、work of (human)fig とか、figurative work と呼ぶんじゃないですか?
それに、fig.1ってのは、「図1」ってこureとですよね?別に人体じゃなくって形象、図ですよ(笑)

逆に、補足してもらったかたちになっちゃったね。
言いたかったのは、 (human)fig=(人)形象
つまり、造型職人がなぜフィギュアという言い方をしたかは、
ちゃんと、(人)形象=人の図像という語源を理解して
言っているのよ。(その際たるものが「イノセンスのテーマ」ま、どーでもいいけど(笑))
だから、ロダンの彫刻、fig.1=図像というのと、そんなにずれた解釈では
ないだろ?、、と言いたかった。どうだろね?
ちょっと飛ばした説明をしてしまったね。
525480:04/07/06 13:00
疑問2、3の見解をいただきありがとう。
(村上隆氏のコメントの引用含め)まとめれば、

アートの文脈(歴史的、文化的なもの含め)を踏まえながら、
「新しさ」「テーマ」「批判意識」の提示の仕方。
これらが、作品(花火、他)にあれば、評価に繋がるのだ、、、と、
48氏は言うわけですね。
これは、先程の「惹きつけられる事」の関係、違い
言っていない気がしますが?
つまり、
「新しさ」「テーマ」「批判意識」の提示の仕方。
「惹きつけられる」為には、それ相応の条件が必要と48氏は言いますが、
アニメ、マンガ、工芸美術、デザイン、花火などの文脈にも、上記のような
「惹きつけられる」為の同じ条件が「文脈」としてあります。
(売り上げも響きますし、「テーマ」「批判意識」も作品のステイタスをアピールする上で求められます)
批評者、鑑賞者の主観的意識で、「新しさ」「テーマ」「批判意識」をそれに感じたか感じないか、
ということだけでは、とくに、現代美術と他の表現分野をわける特殊性、(優位性?)違いが
説明されていない気がするのですが?
いかがでしょうか。
526480:04/07/06 14:06
524の補足ー

造型師は、フィギュアと、ドールという使い分けをしていました。
527480:04/07/06 14:37
ここで、このスレの原点を確認するために
525のようなことを何故言ったのかを説明させてください。
ファイン、現代美術、総称は、なんでもいいのですが、それが、地球上の
人の表現(と、その受容者)の最先端(総括)として存在しているとみるのか
相対基準としてみるのか(ダイヤは、緩和な圧力では、硬度は高いが、衝撃による耐性では、硬度は、並である
つまり、ダイヤは、「丈夫」という絶対基準ではない。)だと考えられます。
「惹き付けられる」基準をどこでもうけるかで、評価は真逆になることもあります。
現代美術とアートは、確かに違いますが、アートという呼び名は、各文化圏で
相対的に変るべきと考えられます。
エスペラント(語)という国際基準の言語では、
各国の文法・造語上の違いを、「不規則性」として一蹴する概念になりがちで
結局うやむやになってますが、それを連想させます。
結局、現代美術の「基準」とは、なんでしょうね?
52848:04/07/06 15:19
>>525
>「新しさ」「テーマ」「批判意識」の提示の仕方。
>「惹きつけられる」為には、それ相応の条件が必要と48氏は言いますが、
>アニメ、マンガ、工芸美術、デザイン、花火などの文脈にも、上記のような
>「惹きつけられる」為の同じ条件が「文脈」としてあります。
>(売り上げも響きますし、「テーマ」「批判意識」も作品のステイタスをアピールする上で求められます)
それぞれの分野において、作品の優劣を決める条件となる文脈が、それぞれ違った風にあるんだろう
と思います。例えば漫画アニメにも、愛と勇気と友情を表現したいとかテーマ的なものはあるでしょう。
工芸的テーマというと、侘び寂びとか、渋みとか、伝統と現代性を兼ね備えるとか、
また工芸の種類によっても、いろいろな文脈があるだろうし、デザインでも機能性と人間的温か味を
調和させたいとか何とか商品の種類によって変わってきます。
「テーマ」といっても、このように分野が違えば、別の文脈で、全然違う方向で評価されているんじゃないか
と思うんですけど?
「批判意識」というと、物語的な表現ができる漫画アニメの分野なら可能でしょうが、工芸、デザイン、花火では
どうやって表現するのか、僕には想像できないです。「新しさ」という評価軸は、たぶん各分野で共通して
いるでしょうね。古いものを守り続けることに固執しない分野であれば。
52948:04/07/06 15:20
>>525
>批評者、鑑賞者の主観的意識で、「新しさ」「テーマ」「批判意識」をそれに感じたか感じないか、
>ということだけでは、とくに、現代美術と他の表現分野をわける特殊性、(優位性?)違いが
>説明されていない気がするのですが?
それぞれの分野のファンおよび批評家が、それぞれの分野の作品に惹きつけられるときの、
惹きつけられ方は、それぞれの分野ごとに、それぞれの分野固有の歴史に応じて、別個に文脈が
つくられているというのが、僕(48)の認識で、その点が480氏の認識とは違っています。
したがって、原則的には、個々の表現分野はそれぞれに違う以上、現代アートは他の表現分野とは
違う(優位かどうかは別にして)と思うわけです。

ただし、会田誠のようなアーティスト(あるいは無名の自称アーティストでもいっこうにかまわない)が、
『ミュータント花子』のような漫画を描き、それをアートとして提示した場合、現代アートの批評の文脈で
評価されるし、同時に同じ表現が漫画としても提示されれば、漫画の文脈でもまたアートとは別個に、
漫画評論家によって評価されるということもあり得るでしょう。
53048:04/07/06 15:47
>>527
>現代美術とアートは、確かに違いますが、アートという呼び名は、各文化圏で
>相対的に変るべきと考えられます。
僕は、現代美術と現代アートと現代のアートは、みんな同じと考えてますが、どうして480氏は
確かに違うと確信されているのでしょう?

ここで各文化圏といわれているのは何のことでしょう?
日本文化圏と西洋文化圏ということでしょうか?

この文化圏なるものと、先に述べられた表現分野とはどのように関係していますか?

1週間、旅行に行くので、次回の投稿は14日以降になります。
480さん、どんどん話題を盛り上げてくださいね。では、また。
531わたしはダリ?名無しさん?:04/07/06 15:53



誰もいない部屋で
一人でよくしゃべるなあ・・・
ノイローゼじゃねーのこいつ。オカマっぽいね。
わるいけど読んでないよ。
532catt ◆nKX.ore.zA :04/07/06 16:35
>>530
>僕は、現代美術と現代アートと現代のアートは、みんな同じと考えてますが
そんな目じゃせっかくの美術鑑賞旅行も(ry
533480:04/07/06 17:37
48氏

529
>それぞれの分野のファンおよび批評家が、それぞれの分野の作品に惹きつけられるときの、
惹きつけられ方は、それぞれの分野ごとに、それぞれの分野固有の歴史に応じて、別個に文脈が
つくられているというのが、僕(48)の認識

だとするならば、おいらも同じだよ。
そうなると疑問なのが、

149で
>美術、芸術、アート、ファインアート、何と呼ぼうと同じことだと思います。
「美」を「憧れ」、「明快さ」、「畏怖」と説明しても、それは個人的な見解に過ぎないと
思います。

48氏は、と言っている。これを便宜上「アート」と呼んだ場合、
それぞれの分野の文脈上で「美」「憧れ」「明快さ」「畏怖」「新しさ」「テーマ」「批判意識」
があると、その分野の評論家や、受容者が認めれば、「アート」と呼ばれてもなんら
問題はないわけですね?
そうなると現代美術というのも、「現代」・「美術」の「現代性」さえも見方で変るわけだから、
「花火、漫画、映画、フィギュア」の文脈上のAという作品(出来事)を、
西欧文脈に価値をおいている制作者、受容者、批評者がそれをアートではないと評価したものでも、
西欧文脈に価値をおいてない制作者、受容者、批評者(文化の価値感、慣習に影響され違う評価軸の価値を信じる)
の集団が、
そのAという作品(出来事)を「アート」と呼んでも
48氏は問題ないと結論づけてよろしいでしょうか?

おいらはそれでいいという見解です。
534480:04/07/06 17:49
アート性を論じるにおいて、世界の絶対基準があるならば、また、世界上の人が、その絶対基準を
信じている(価値を置いている)ならば、アート性(「美」「憧れ」「明快さ」「畏怖」「新しさ」「テーマ」「批判意識」)は自然と統一され万事うまくいきますが、
問題は、
これはアートです。A集団が言った場合「ちょっとまったー!」とB集団からストップがかかります。
理由を聞いたA集団はその理由を「そんなの理由にならない」とくる。B集団は、A集団の理由を聞いて
仰天する「そんなことが、理由なのかい?」
以上のやり取りは、別にアートに限ったことではありません。
問題は、A集団の信じる価値とB集団の信じる価値のどちらが価値があるか?という話しになるわけです。
人の価値観は、ひろ氏がいわれているように、教育や、啓蒙だけでは到底変えられない問題です。
変える必要があるかどうかは別問題ですがw
535わたしはダリ?名無しさん?:04/07/06 19:13
>>532
>僕は、現代美術と現代アートと現代のアートは、みんな同じと考えてますが
>そんな目じゃせっかくの美術鑑賞旅行も(ry
海外生活、国際結婚などしたら、言葉は意思の疎通が第一になる。
ちゃんぽん語でも、なんでも、意味が通じればよいという大雑把なレヴェルで
言葉を使うから、味噌汁もミソスープも同じものを意味するようになる。
現代美術、現代アート、コンテンポラリー・アートの3語に意味の違いを
見出すのは、繊細で日本人らしいけど、それをみんなに強要するのは、
酷ってもんじやないのかな?
536catt ◆nKX.ore.zA :04/07/06 19:30
>>535
そうだね。
537わたしはダリ?名無しさん?:04/07/06 19:44
>それをみんなに強要するのは、
酷ってもんじやないのかな?

誰が、強要してるの?
48氏が厳密に現代アートのサーキットにこだわるからには、
はっきりとした基準を持っているはずだと思うけど。
なんとなくアートサーキットがアートのすべてだと言ってたのか。
539480:04/07/06 22:07
忘れないように一応レスしとくねん。

530
>ここで各文化圏といわれているのは何のことでしょう?日本文化圏と西洋文化圏ということでしょうか?

文化圏というのは、地域に限定されない。特に情報化社会の現代においてはね。


>この文化圏なるものと、先に述べられた表現分野とはどのように関係していますか?

簡単な話、
A文化圏の影響下の各表現分野がめざす、「新しさ」「テーマ」「批判意識」の提示方法と
B文化圏の影響下の各表現分野がめざす、「新しさ」「テーマ」「批判意識」の提示方法は
ともに、それぞれが違う「アート」になってもおかしくないと思います。

それは、アメコミと日本の漫画の「質」が違うのと同じで、
もし「アート」が表現者の目指す呼び名であるなら、「アート」の質も
必然的に変ってきていいのではないかと思います。

443>日常性の文脈とは、高度な資本主義社会に生きているという意味であって、日本と
欧米との差異は、以前ほど大きくはないと思います。それは日本社会が欧米の大衆文化
を受容した結果なわけですが。

この資本主義社会は、イラクをも飲み込もうとしている現状ですが、
それは、国交を結ぶ共通の交渉化(いかにも欧米的ですが)を対象とした国際社会全体としては
大差なく受容されていると考えられますが、
大衆文化は、かなり違うのではないですか?これは数値化し比較できるものではないですが。
大衆文化論関係もの、などをひも解けば、一目瞭然と思うんだけどね。
ましては、西欧アート概念に関しては、ハッキリしてるのではないですか?
540わたしはダリ?名無しさん?:04/07/06 22:41
つまり、48は、あれだけ他のコテハンを説得力ないと突きながら、
自分は、自分で論じてたつもりになってたのね。
人のアラを攻めるだけじゃん。

もっと素直になればいいのに、、
なんであんなにつっぱるんだろ。
批判で成り立っているアートを目指していたに違いない。  そういうの食傷気味だけど。
542480:04/07/07 00:21
あっ、48氏にレス返すの最後一つ、忘れとった。

>日本型フェミニズムをテーマにした、日本社会を風刺した作品だって、大いに
やってみた方が良いってことですね。

ん〜、ひろ氏が例えに出した話は、
現代美術という概念が、日本に当たり前のように適用されるような「前提」に
疑問を投げることを言ってるんじゃないの?

つまり男女の色恋をなんでも西欧の自我の独立!!というフェミニズムという「イズム」で、
定型にはめることに対する警鐘としては、なんら問題ない発言とおいらは、おもうけど、、。

男女の色恋の話=反フェミニストorフェミニストという図式の直結型思考というか、対立項で、いいかという
話しでしょ。
それは、油絵で具象画を描く人に向って、「あなたは、平面性という問題をどれだけ意識されているのか!」
と問いつめる事と同じで、Aという問題意識を共通に持っていないことを理由に
「アート」を理解していないという強引さと同じなんではないかな。

543わたしはダリ?名無しさん?:04/07/07 01:09
油絵具ってどこの会社がよいのですか?
544ド素人が質問です:04/07/07 01:33
>>542
>油絵で具象画を描く人に向って、「あなたは、平面性という問題をどれだけ意識されているのか!」
と問いつめる事と同じで、Aという問題意識を共通に持っていないことを理由に
「アート」を理解していないという強引さと同じなんではないかな。
あの。。これはつまり油絵の具で具象画を描いてるということ≠アートを理解してない人
ということでいいですか?
>>544
あの。。これはつまり油絵の具で具象画を描いてるということ=アートを理解してない人
といいたいんですか?
546ド素人:04/07/07 02:07
>>545
ん、、?私に私がしている質問ですか??
ド素人さん、寝たら?
まあまあ。自分を素人だと認める人が、油絵の具で具象画を描いてる人はアートを理解していない、
と言う理由は聞いてみたい。
549ド素人です:04/07/07 03:02
あの、、、、、
>>545=547=548ですか?
激しく誤解されてるようですが、私は油で具象画を描いてる人はアートを理解してないのではないと
書いてるんですよ???等記号と不等記号の違いが見られないPC使ってるんですかね。不思議なお人だ。
550549:04/07/07 03:33
脊髄反射なヒトのせいで分かりにくくなってはいけないので
改めてお聞きします
>>542さん
>>544の答、待ってます。私は画材は関係ないと思っていますし、一口に具象画といっても
もう色々だと思っています。
>>550
>あの。。これはつまり油絵の具で具象画を描いてるということ≠アートを理解してない人
ということでいいですか?

これ、どう読んでもおまいが具象画をさげすんでいるように読めるが。
552480:04/07/07 11:20
549

>私は画材は関係ないと思っていますし、一口に具象画といっても
もう色々だと思っています。

「平面性」の問題と言っても今は、あまりピンとこないのかもしれないな〜
でも、それで、いいんですよ。ピンとこない方がいい。

つまり、542でおいらが言っていたことは、
西欧美術の流れで、一時期絵画が求めていた命題「絵画はいかに平面であるか?)」という「イリュージョン性」を
暴くことが絵画を制作する命題であって、それを日本の画学生が歪んだ形でそれを盲信し、さも普通に具象画を描くことが、
恥ずかしい事で、即「あなたは絵画の大問題をスルーしている」と言われるのではないかと錯覚に翻弄され、
心置きなく「写生」的な絵を描くのを抑圧していた風潮をおいらは言っていました。

で、その時期で、「西欧」の時流から一番遠い過疎的イメージがあったのが「日本画」だった。
それを、思いっきりねじ伏せ、西欧絵画の歴史的必然性に接続させたのが「村上隆氏」だったわけで。
あそこらへんから、具象画がまた一気に(特に美手帖なんかみると一目瞭然だけど)息を吹き返した(と錯覚)
したわけだよ。だって一時期堂々と一部の日本の西欧美術かぶれの批評家が「絵画は死んだのか?」
とかいう議論真剣にしてたんだよ。
>で、その時期で、「西欧」の時流から一番遠い過疎的イメージがあったのが「日本画」だった。
それを、思いっきりねじ伏せ、西欧絵画の歴史的必然性に接続させたのが「村上隆氏」だったわけで。

554わたしはダリ?名無しさん?:04/07/07 14:24
>>552
作品を見る側 買う側の主観が良いか悪いか決めるだけで、
こんな事話してもしょうがねーだろ。
おまえの主観でこれがアートだと誰かに押しつけてもな・・・
お前の意見に賛同する馬鹿な奴の輩に話せばいいだろが。

555わたしはダリ?名無しさん?:04/07/07 14:25
>「平面性」の問題と言っても今は、あまりピンとこないのかもしれないな〜
でも、それで、いいんですよ。ピンとこない方がいい。

お前は何様なんだ?お前に言われたくねえよ。ぷぷぷ

556わたしはダリ?名無しさん?:04/07/07 14:26
>>552

お前日本海側出身だろう。
557549:04/07/07 15:20
>>551
私は具象を描いていますがなにか?
それより蔑んでるとか、随分コンプレックスで固まっちゃってるみたいですね。

>>552
レスありがとうです。
現代美術はホント素人なんでよく分かりませんが、
美術の独自性を追求するあまり、現実の普通の人たちの感覚から
遠く隔たりすぎたのが、美術が袋小路に入ってしまった理由じゃないでしょうか?
平面性の追求も要は独自性の追求の一環なんですよね?
文学性を排除しイリュージョンを排除し、平面の上に乗った絵具の固まりに過ぎないことを
証明しようとしたんですか。気持ちは分かるけどそんなことを証明してもそれを面白いと
思える人はごく一部の現代美術の分かる人だけ。見る人を激しく選ぶ、、
エリート主義ですね。もっと普通の人びとのことを視野に入れたものが評価されるように
なれば良いのに。
>>553-556
海外旅行はどうしたの?
559catt ◆nKX.ore.zA :04/07/07 16:51
>>557
>美術が袋小路に入ってしまった理由じゃないでしょうか?

はまってないし。

>文学性を排除しイリュージョンを排除し、平面の上に乗った絵具の固まりに過ぎないことを
証明しようとしたんですか。気持ちは分かるけどそんなことを証明してもそれを面白いと
思える人はごく一部の現代美術の分かる人だけ。見る人を激しく選ぶ、、
エリート主義ですね。もっと普通の人びとのことを視野に入れたものが評価されるように
なれば良いのに。

なんの話だい?
560549:04/07/07 17:11
>>559
そ、そうだったんですか?
浅薄な知識を元に、大間違いなことを言ってるでしょうか。。
個人的には●山●美夫ギャラリーあたりが好きです。
あのへんの画廊の姿勢(といって別に詳しくないですが)には
風通しの良さを感じる。錯覚かな、、?
561わたしはダリ?名無しさん?:04/07/07 17:39
559

コテハンなら、中途半端なレスすんなよ。

549さん。
素直そうに見受けられるので、マジレスで、忠告しときますが、
自分の反対意見を言わずに、ただひとことふたことで、
否定するだけのレスは、反応しない方がいい。
納得の行く理由をレスから探したほうがいい。

cattは茶化し専コテハンだから無視すればいいんだよ。
563catt ◆nKX.ore.zA :04/07/07 18:10
>>562
失敬な。スローガンは「合いの手」固定に愛の手を。だ。
564わたしはダリ?名無しさん?:04/07/07 18:34
スレを読んでいると、ここに常駐してる「コテハン」は、
美術論議に名を借りた「自分語り」をしているだけじゃないか、
とも思えてくる。
>>564
固定って、どこの板でも普通そうだと思うよ。
>>562
あはは、それ言えてる
まさに茶化し専コテハンだよな
つか、コテハンの意味ねーだろ、それ(笑)
>>549
548だが。545氏の書き込みを受けて言ったんだが、544だけでも「具象画を描いてるということ=アートを理解してない」と読めるぞ。最初からわかるように書けないなら、理解しない相手に対して都合の良い解釈をして言いたい放題言わないように。
>>567

しかし>>549氏=>>544氏だと思うのだが
>>544で「油絵の具で具象画を描いてるということ≠アートを理解してない人」と
明記してるんだが、、どこをどう読んだら君の言うような逆の意味になるんだ?
無駄な抵抗は見苦しいだけなんだが
>>568
頭悪い人はカキコしなくて良いよ。
>>566
自作自演?
>>548=>>567は等号と不等号の区別が出来ない環境にいるようですw
PC環境かアタマの環境かシランがw
ついに壊れたようです。
>>571
てゆか不等記号ならわざわざレスする必要のない
話じゃん?完璧に>>549の勘違い負け。
574(・д・):04/07/07 21:13
議論系スレの、典型的な末路だねー。
>>573
なんで?
油絵の具で具象画を描いてるということ≠アートを理解してない人
つまり
油絵の具で具象画を描いてるということがアートを理解してない人ということを意味しない
だす
>>545一派の勘違い負け!
>>575
わからないってことはあなたの長文読解力が未熟だってこと。
このスレにいても得るところはないよ。
しかしなにがそんなに気に障ったんでしょうかね〜w
コンプレックスの塊、、、
>>576
てゆか放置でいいっしょ。
579わたしはダリ?名無しさん?:04/07/08 01:30
age
580わたしはダリ?名無しさん?:04/07/08 11:17
現代美術で平面絵画の場合は、公募展絵画と五十歩百歩。
マチスは村上よりは好きだなぁ。
581わたしはダリ?名無しさん?:04/07/08 12:35
>>576 ハゲ同

あほな奴らって他人の言葉や語彙の意味の取り違いや、
あげあし取りで人生の時間を無駄にする。
マンションの入り口の長時間他人の悪口を楽しむ立ち話主婦集団と同じ。
中 身 は な に も な い
582わたしはダリ?名無しさん?:04/07/08 17:50
>>581
いい加減しつこすぎねーかおめーら。
ここまで粘着する理由はなにもないと思うが。
それに漏れもサラッと読んだけど、そもそも最初に誤読したのは
>>545じゃないのかね
引っ込みつかなくなって恥の上塗りかい
まぁ、仲良くやれや。
随分コンプレックスで固まっちゃってるみたいですね。

随分コンプレックスで固まっちゃってるみたいですね。

随分コンプレックスで固まっちゃってるみたいですね。

随分コンプレックスで固まっちゃってるみたいですね。
58548:04/07/14 07:10
久しぶりの投稿になりますが、ぶっ続けで丸1週間、古代から現代までの
優れたアート作品の鑑賞をして、たいへん充実した日々を過ごしてきました。
今は、制作意欲が爆発的に高まっていて、このスレッドへの投稿には、
興味を失いました。
480氏の結論には、大いに異論はありますが(全然論理的脈絡が無いし)、
蒸し返すのも面倒なので、終わりにしましょう。
みなさんの信じるアートを追いかけていけば、それでOKでしょ?
歴史的にアートという概念が、日本でどのように受容され、日本的な
アートのシステムがどのように組織され、他の文化的表現にどういう具合に
影響を与えてきたかという認識無しに、一般論で語っても、ほとんど空疎な
議論になるだけだと言っておきます。
それでは。
苦笑
587誰か助けて!!:04/07/17 00:38
誰か1500年ごろのドイツの版画家のHANS SEBALD BEHAMについて詳しい人はいないでしょうか?
589わたしはダリ?名無しさん?:04/07/29 06:47
現代美術の「理論」は、骨董品の「来歴」「箱書き」
みたいなもんだな。
現代美術の実体は「単なる汚いラーメンどんぶり」
(デュシャンの「泉」には爆笑)。
もったいつけた「思想」「理論」で補強してるだけ。
利休が褒め、評価すれば、ただの徳利でも高値がついたのと同じ。

何が現代「アート」だよw
590わたしはダリ?名無しさん?:04/07/29 08:06
585

>古代から現代までの優れたアート作品の鑑賞

>みなさんの信じるアートを追いかけていけば、それでOKでしょ?

>歴史的にアートという概念

それを一般論っていうんだよ w

歴史に残っているものを残っているからすばらしいとくりかえすことこそ
空虚そのものでしょw
59148さんへ男爵芋より:04/07/29 13:44
初めて立ち寄りました。2チャンネルってこういった面白いレスもあるんだね。
僕はブレラの卒業生みたいな、48氏を応援します。がんばってください。
 あなたも嘆いているとおり、日本の美術を取り巻く環境は良くないけど
西洋でも、どこでも、コンテポラリーなものには批判的な人はとても多いです。
だから国境を超えた賛同者を見出すために、作家はみな努力しています。
村上君だって、奈良君だってコレクターや賛同者は、ほとんど海外の人です。
日本の状況を嘆いてもあまり建設的にならないから、多くのよき理解者に
出会えるよう、そちらに力を注ぎましょう!後、とても気になったのが
ジュリオ=パオリーニって21歳ぐらいで世界デビューしてていい作家だと思うけど
美術を取り巻く現状を分析して制作しているというよりカッコいいと思うものを
自然に取り入れ、制作しているようです。分かってはいると思いますが絶対的に
分析した美術史の穴埋め的な作品はつくらないでくださいね。自分がカッコいいと
思うものを自己満足でもいいから、制作してください。ヤニス=クネッリスも
「まず、自分が満足した作品を制作し、それを信じたら成功だ」といってたよ。



59248:04/07/29 14:53
>>591
>日本の状況を嘆いてもあまり建設的にならないから、多くのよき理解者に
>出会えるよう、そちらに力を注ぎましょう!
そうですね。最近、岡本太郎の『今日の芸術』を再読したら、
太郎が批判した50年前の日本の美術状況が、改善されるどころか、さらに
保守化して悪化しているようにさえ思え、そのまま今日の日本のアート状況への
批判として、十分に読めてしまうということが残念でした。この文庫版の序文を
横尾タダノリが書き、あとがきを赤瀬川が書いてますが、これらの無気力な
現代のアーティストと、元アーティストの言ってること、やってることに比べ、
岡本太郎の文章が、いかに世界のアートの常識に即した、同時代的なもので
あることか。

>ジュリオ=パオリーニって21歳ぐらいで世界デビューしてていい作家だと思うけど
>美術を取り巻く現状を分析して制作しているというよりカッコいいと思うものを
>自然に取り入れ、制作しているようです。
パオリーニは昨年ミラノのプラダ財団で回顧展をやったり、何ヶ月か前も、
北部イタリアの現代美術館で、常設展示を利用した新作の興味深い
インスタレーションをやったりして、まだまだがんばってますね。彼が立派なのは
若いときから一貫して、絵画の表象性に対する問いかけ、メタ・アート的テーマを
続けている点です。よくネタがつきないというか感心します。
59348:04/07/29 14:54
>>591
>分かってはいると思いますが絶対的に
>分析した美術史の穴埋め的な作品はつくらないでくださいね。自分がカッコいいと
>思うものを自己満足でもいいから、制作してください。
ご忠告ありがとうございます。
僕自身の制作の方法は、日常の中での発見からの発想が多いです。美術史の
知識や美術雑誌から得る情報と言うのは、自分の作品が決定的に誰のものとも
違うこと、それらの作品の中に自分の作品を並べて、どう見えるか?を確認する
ために必要なのです。

>ヤニス=クネッリスも
>「まず、自分が満足した作品を制作し、それを信じたら成功だ」といってたよ。
クネリスと握手し、日本のこととか、少し話したことがあります。背は低いけど、
とても魅力的な人でした。気難しいタイプだという評判もあるそうですが、
ほんとに尊敬すべき真のアーティストです。
594catt ◆nKX.ore.zA :04/07/29 21:57
>>591
横レスすまんが、「自分がカッコいいと思うものを自己満足でもいいから、
制作してください。」ってのは荒唐無稽すぎるぞw
595139:04/07/29 23:08
>>594
さらに横レス。
荒唐無稽だから面白いものも出来るんじゃない?
596catt ◆nKX.ore.zA :04/07/29 23:29
>>595
んー、「しっかり作れる奴が」じゃないと面白くもないような・・
普遍的な投げかけにはなりえんだろ。
597わたしはダリ?名無しさん?:04/07/30 02:16
しっかり作れなくても、しっかり作れてない事が理解出来る奴なら、
さらに追求し続けていつか良いものを完成させるだろうね。
598595:04/07/31 00:33
んー(まねしてすいません)、普遍的であればそれに越したことはないけど、面白いことと対立するものではないような・・・
自分は「しっかり観れる人」がいれば成り立つかなと思うんだけど。
599catt ◆nKX.ore.zA :04/07/31 01:58
>>598
制作者は真摯な鑑賞者であるべきだけど
その逆はないだろうということ。
いまさらだけど「美術作品」を挟んだ対極にいるんだよ。
制作者と鑑賞者はさ。
今はごちゃ混ぜの時代だから、
スレタイにあるような VS の意識はないよ
両方にいいところがあって
それが気になるなら自分の表現に加えるだけ
601わたしはダリ?名無しさん?:04/07/31 11:54
キャット氏が言った「「美術作品」を挟んだ対極にいるんだよ。
制作者と鑑賞者はさ。」っていうのは
制作者と同じような人間が作品という鏡を介して集まってくる需要者は
制作者と写し鏡な存在というわけで。

作者がどんな理想、表題を掲げようと、作品に惹き付けられた受容者の属性や、キャパシティが、
その作者の属性や、キャパシティを表しているのだから、日本の美術を「悪化」とか「環境」が
よくないと嘆くのは、結局そういう作品を作っている自分を嘆いているのと同じ滑稽さだと思うんだけどね。

600
>両方にいいところがあって
それが気になるなら自分の表現に加えるだけ

コンテンポラリーが一つの枠(型)としてどこかに存在しそのバイブルを
楯に「わかっていない奴」と門前払いするような発言する奴を
また応援してしまう奴。
VSを作り出しているのは、そういう人なんではないのかな。
602わたしはダリ?名無しさん?:04/07/31 20:05
>>601
>コンテンポラリーが一つの枠(型)としてどこかに存在しそのバイブルを
>楯に「わかっていない奴」と門前払いするような発言する奴を
>また応援してしまう奴。
話題がこのへんのことになると、話し合いが停止してしまうのですね。
このスレでは激しい論争が行われて、すばらしかったと思いますが、
みんな、「ここは絶対引けないという点」を持っていて、それが
「誰が優れたアート作品を選ぶのか」に集中しているように見えました。

美術愛好家は、自分の好きな分野のアートを楽しみます。
批評家は、アートの専門家で、人生のうちの長い時間をアート鑑賞、研究に
費やしているのだから、美術愛好家にも分かりやすいように
展覧会のパンフレットや雑誌や本に批評文を書きます。
美術愛好家は、より多くのことを知りたいと思ったときに、
そういう批評家の文章を読めばいいわけで、
「こういうふうな作品の見方をしなければいけません」と
強制させるわけではありません。
あくまで手引きとして参考にすればいいのではないか、
ヒエラルキーというように、誰が偉いとか、窮屈なものと考えず、
自然にこの状態を受け入れることは出来ないのか?というのが
私の考えですが。
603595:04/08/01 00:42
>>599
確かに制作者と鑑賞者は「美術作品」を挟んだ対極に居るのかもしれません。
ただ、私は制作者>鑑賞者とは考えていません。優れた鑑賞者によって作品が「発見」されることは多々あるのでは。
優れた鑑賞者は制作者の意図を超えて「作品の意味」を見出すと思います。

>>602
>「こういうふうな作品の見方をしなければいけません」と
>強制させるわけではありません。
>あくまで手引きとして参考にすればいいのではないか、
>ヒエラルキーというように、誰が偉いとか、窮屈なものと考えず、
>自然にこの状態を受け入れることは出来ないのか?というのが
>私の考えですが。

大いに賛成です。ただ、批評家の書く文章は美術愛好家にわかりやすいように書かれているとは思えません。
なぜ思想という美術の枠外のものに頼らなければ批評が書けないのか。
いったい誰に向けて書いているのか全く持って不思議です。


604わたしはダリ?名無しさん?:04/08/01 03:54
>批評家の書く文章は美術愛好家にわかりやすいように書かれているとは思えません。
>なぜ思想という美術の枠外のものに頼らなければ批評が書けないのか。
>いったい誰に向けて書いているのか全く持って不思議です。
直接そのアーティストに会ったことがない人が、資料だけをみて展覧会の批評を書くと、
つめたいものになってしまうかもしれませんね。
アーティストと友好関係がある批評家が、そのアーティストを紹介すると、
とても分かりやすくて、楽しいものになりますよ。
みんなにそのアーティストのことを伝えたい、という愛情さえ感じます。
浅田彰や、蓮実重彦は、アーティストと話しをしているから、オリジナルな意見が
出せるんじゃないのかな。
あと、日本語は、難しく書かないとかっこ悪い、みたいなところがありますね。

605わたしはダリ?名無しさん?:04/08/01 07:53
>ただ、私は制作者>鑑賞者とは考えていません。優れた鑑賞者によって作品が「発見」されることは多々あるのでは。
優れた鑑賞者は制作者の意図を超えて「作品の意味」を見出すと思います。

それは、制作者と鑑賞者が同時代に生きていない場合に限られていると思う。
つまり、善かれ悪かれズレというか誤解で意味が伝播されていくものだから、
優れた鑑賞者というのは、ほめすぎで、ある解釈により作品を任意に(あくまで任意に)
体系だてようとして作品を見ようとする鑑賞者=批評家と位置付ければしっくりくる。
でなければコンテクストの揺り戻しや、反動という現象が起るはずもない。
「新大陸発見」とか「開拓」とかは一方のみの見方で、世界の制作物を任意に
コレクションしているだけと考えたほうが健全じゃないかな。
「優れた鑑賞者」とは、その裏に、その枠外を評価している者を「優れていない鑑賞者」
に仕立てるものだし。
606わたしはダリ?名無しさん?:04/08/01 09:27
古美術を愛する人にはいわゆる「目利き」だとか「審美眼」といった
レベルの高さを感じさせるようなセンスを持ってるように見えるのだ
けど、それはそういった人達の美術に対する基準があくまでも本物の
美を追求してるからだと思う。
一方で現代系の美術家やその愛好家はそれとは違いただ自分の観念の
ようなものを形で表現してるにすぎなかったり、その場その時だけしか
通用しないような流行やファッション的なものでしかないのではないだ
ろうか?
もしそうだとしたら、それこそが現代アートが安っぽく、かつ難解で
一般人の心を感動させることができないただの自己満足の物でしかないの
ではないだろうか。
とにかく美術にあまり関心がない人でも一気に感動できるだけ作品は結局
美を基準としたものでしか成しえないと思う。
>603
批評家が読者として想定しているのは広い意味での同業者、
つまり批評家、アカデミックな研究者、キュレーター、ギャラリスト、
アーティストといった人たち。
一般の美術愛好家なんか眼中にないでしょ。
608わたしはダリ?名無しさん?:04/08/01 23:40
>>606
僕もあなたのような考え方をしていましたよ。
世界堂歌舞伎町店の1階にあるデュシャンの便器のポスター
を通りすがりに見て、「あら、お下品ねぇ」なんて思ったりしてね。
でもね、現代美術は、近代美術までとは、一緒の感覚では
みれないようになっているんです。お気をつけなさいよ。
デュシャンが、ぜんぶ逆さまにしたんです。
それまでのアートが二足歩行だったとしたら、デュシャン
が逆立ちで歩いてみせて、「これからは、これが普通でーす」って
やっちゃったようなもんです。
609595:04/08/02 11:15
603の「優れた」という表現は勇み足だったかと思います。

>605 それは、制作者と鑑賞者が同時代に生きていない場合に限られていると思う。

同時代であっても、また批評家でなくても自分の目・自分の価値観で作品を見ている人はいると思います。
603で「優れた」といったのはそういった姿勢の中で新しい「作品の意味」を見出すことをさしています。
ただ確かにそれは任意にであって、その人以外には意味を持たないかもしれませんし(というか意味ない方が多いかもしれない)、
その見方を他人に押し付けるようなものであってはいけないでしょう。そういう意味で「優れた」という言葉を使ったのはまちがいでした。

基本的には602に同意ですので、批評家や製作者の言動に左右されず自由に観ることが大事かと思います。

>606
>古美術を愛する人にはいわゆる「目利き」だとか「審美眼」といった
>レベルの高さを感じさせるようなセンスを持ってるように見えるのだ
>けど、それはそういった人達の美術に対する基準があくまでも本物の
>美を追求してるからだと思う。

現代の美術においても「目利き」はいると思います。
ただ(デュシャンのためかはわかりませんが)基準が多様になったため、それぞれの見方が食い違ってなにが「本物」といえない状況だと思います。
個人的には基準が固定化された世界は息苦しいなぁと感じますが・・・








610 :04/08/02 12:54
>>608
デュシャンの作品自体にもいろいろな解釈があり得るでしょ。
デュシャンによって何が変わったと考えるのかもうちょっと具体的に書いてちょ。
611わたしはダリ?名無しさん?:04/08/02 21:45
>>610
>デュシャンの作品自体にもいろいろな解釈があり得るでしょ。
>デュシャンによって何が変わったと考えるのかもうちょっと具体的に書いてちょ。
いや、僕のオリジナルな意見は、とくにありません。
デュシャンについては、このスレでも嫌っちゅーほど語られたし、
紀伊国屋に行けば、本がたくさん出てるでしょ。

デュシャンは、当時の画家たちとは、交流を持たないのね。
漫画家たちとは友達なんだけど。
作品にアイロニーがきいているのは、そんなことも関係しているのかもね。
612わたしはダリ?名無しさん?:04/08/02 22:48
二○世紀のはじめ、マルセル・デュシャンは、
<見る>に偏った近代芸術を、あまりに「網膜的」だと批判し、
<考える>ことの重要さを説かねばなりませんでした。マル。
613 :04/08/02 22:50
>>611
デュシャンによって美術のあり方がまったく変わったのだとか書いておきながら、このまま逃げっすか。
この板ってもっともらしいこと書いても、ちょっとレス返されると何も言えなくなっちゃう人多いよね(笑)
614わたしはダリ?名無しさん?:04/08/02 23:00
>612
そんな教科書的な解説ほんとうに信じているの?
615わたしはダリ?名無しさん?:04/08/03 01:43
だから「現代美術は裸の王様」と言われるわけだなw
616わたしはダリ?名無しさん?:04/08/03 03:54
「裸の王様」って語れる程一般的でも無いでしょう、現代美術は?
「裸の王様」は団体展に属して内需の拡大に励んでる人たちでしょ。
617わたしはダリ?名無しさん?:04/08/03 09:50
デュシャンが現代美術で重要なのは、作品が売れなくて(売らない)友人の
ブランクージの作品を小売にして生活していたことでしょう。やりたいことを
やるために何でもやちゃう凄さというか、常人には真似できんよね。だから
批判するならどんどん批判してもいいけど本人には蛙のつらにしょんべんですね。
こんな人超えられる?
別に超える必要もないでしょ?
ある意味過去の人だし。
彼一人で現代美術のパラダイムシフトをすべて体現できるわけでもない。
今のアートはもっと多様だよ。
619 :04/08/03 13:14
>>617
>デュシャンが現代美術で重要なのは、作品が売れなくて(売らない)友人の
>ブランクージの作品を小売にして生活していたことでしょう。

アホクサ。
自伝とか読んで感動してデュシャン分かったつもりになってるヤツってけっこういるんだろうな。
ほとんど「炎の人ゴッホ」レベル(笑)
620わたしはダリ?名無しさん?:04/08/03 15:01
荒らしか?
621わたしはダリ?名無しさん?:04/08/03 15:05
デュシャンになると意地でも荒らしたくなる奴がいるんですよ。コンプレックスか?
622A:04/08/03 17:15
デュシャン等のアイデアに頼った作品は普遍性のある本物の芸術ではないと考えます。
アイデアや思想よりも、絵、視覚に対する純粋な感動を目的とした精神性の高い絵画について
語れる方、いますか。イタリア、ロシア、の写実は古典が現代に生きています
。現代的なコンセプチュアルアートを考える前に古典の美しさについて、文句ある奴も、
何か書き込んでください。
623ぽー:04/08/03 19:20
『古典の美しさ』って何ですか?
『普遍性のある本物の芸術』って何ですか?
『精神性の高い絵画』って何ですか?

それを突き詰めてた結果が現代美術(コンセプシャル)にシフトして
いった訳でしょう?
そういう意味では現代美術は古典を批判する事から始まっているけど
決別している訳ではない。
イタリア、ロシアの古典はローマ時代の美術を批判しているだろうし、
ローマの美術はギリシャの美術に憧れまた批判しているし、ギリシャ美術は
エジプトの美術を敬愛しそして批判している。
コンテンポラリーの概念は古典を一度愛した人たちが先人と同じように
過去を敬愛そして批判する事によってのみ生まれるものではないだろか。
マクロ的に考えれば芸術の営みの法則はなんら変ってはいない。

時計の針をどこまで戻したいのですか?
いきなり古典にもどれというのもどうかと思うけど、
デュシャンをギリシアに対するローマ美術と同じように考えるのもどうかと。
なんとも大ざっぱな議論だなあ(笑)
625わたしはダリ?名無しさん?:04/08/03 22:00
>>624
>いきなり古典にもどれというのもどうかと思うけど、
>デュシャンをギリシアに対するローマ美術と同じように考えるのもどうかと。
>なんとも大ざっぱな議論だなあ(笑)
歴史は常に、古い勢力を新しい勢力が倒そうと、七転八倒しながら
進んでいくってことですよ。批判したり、引用したりしながらね。



>>625
デュシャンをそのように一般的な図式に当て嵌めたところで、
たいして意味のある議論にはならないんじゃないかなってことですよ。
少なくともローマ美術とデュシャンの差異ぐらい把握しておかないと(笑)
627618:04/08/03 22:39
>625
という歴史観こそが実はモダニズムの本質なのだが。

ついでに言えば
現代美術=モダニズム以降の芸術というのは今や常識。
現代美術=モダニズムという図式はあまりにも時代錯誤的。

現代美術VS古典美術という構図で何か生産的なことを考えようと
するならば、モダニズムまでを「古典」の側に入れる
べきなのでは?

もうひとつついでに言えば622の
「絵、視覚に対する純粋な感動を目的とした精神性の高い絵画」とい
うのも何だかモダニズム的な観念。
グリーンバーグが擁護したフォルマニズム的な絵画を連想させるね。

フォルマリズムもしくはフォーマリズムだろ
>624
同感。
そもそもの話、
果たして、古代ギリシア、ローマ、エジプトに美術や芸術が存在したと言えるのか?
彼らが作ったモノを美術品、芸術品として認知したのは、
ヨーロッパ近代の価値観なのでは?
芸術という観念はあくまでヨーロッパ近代の産物であり、
古代から現代まであらゆる社会で綿々と受け継がれてる普遍的な概念ではない。

定義されたのはヨーロッパ近代でも概念はあるだろ。
少なくとも明治以前の日本にはなかったよな。
茶碗などは当時芸術だった
購入派の方は書き込みご遠慮ねがいます
634わたしはダリ?名無しさん?:04/08/04 19:35
>>627
例えば、2CHで
新スレッドを自分で立てるのがモダニズムだとしたら、
今ある(誰かが立てた)スレッドにカキコして遊ぶのが
ポストモダン、とも考えられるだろうか?
635わたしはダリ?名無しさん?:04/08/04 20:19
>634
逆じゃないのかな。

モダニズム=今ある(誰かが立てた)スレッドにカキコして遊ぶ(保守)
ポストモダン=新スレッドを自分で立てる(前衛)

で、近代以降は、そういった過去の価値を壊す壊されるという関係だけでは
語らなくなったと。大きな潮流がないのが現代の美術の特徴だよね。
636わたしはダリ?名無しさん?:04/08/04 20:59
>>633
作家の立場じゃないでしょう。
そういう派閥意識はどうなんだろう。
>>635
「前衛」ってモダニズムの中から生まれてきた概念でしょ。
モダン=保守
ポストモダン=前衛
って…トホホ。
>637
その通りだよね。
前衛とか革命といった理念が賞味期限切れになった時代が
現代で、それを一般にポストモダンと呼ぶ。
従って現代美術はポストモダン美術ともいえる。

現代美術を前衛美術だと思っているアーティストは
よほどの年寄りだろう。

そういえば、草間さんは自称「前衛美術家」だったよなあ。
639わたしはダリ?名無しさん?:04/08/05 01:15
ってことは、
モダンの中に前衛も入ってるのか。
キッチュについてはどうなの。
>639
前衛(アヴァンギャルド)というのは、作品の様式ではなく、
アーティストが同時代の社会に対してとるスタンスを示している。
「前衛」という言葉には社会の保守的な美意識や価値観に
反対するというだけではなく、
いわば芸術革命の先兵として闘争の最前端に立ち、
大衆を先導するという意味合いがある。

ちなみに日本共産党の政治理論誌のタイトルは
今でも「前衛」(のはず)。
かつての共産党の綱領では、党を革命を先導する
「前衛」として位置づけていた。
しかし左翼的な革命思想の退潮とともに
「前衛」という言葉は急速に力を失った。

今、かつての「前衛」に近いニュアンスで使われているのは
「オルタナティヴ」という言葉かもしれない。
ただし「オルタナティヴ」には革命的な意味合いや
少数の精鋭が大衆を先導するというエリート主義的な
ニュアンスは含まれていない。
642ぽー:04/08/05 12:15
一般的にモダンとは産業革命以降を指し示しているよね。
ポストモダンも基本的にはモダンの続きで今の現状は
ポストーポストモダンだろうね。大きな流れではモダンから
飛躍的には何も変っていない(冷戦構造崩壊以外は)。
ここで思う事は美術史を線で考えると矛盾が出てくるって事じゃないかな?
つまり線上に歴史的な事件(作品、人物)を置いてその前後を分ける
やり方だと「以前」、「以後」、つまりは「VS」バーサスって考えに
なるのだけど、本当は歴史はスパイラル(螺旋状)で考える方が合理的
ではないかな。そうすれば例えば、スパイラル(時間)を上ることによって
過去のA地点のその上のA'地点に近ずくがそれは交差はしない。
つまり過去の作品Aとは似ても完全に異なる時代背景にあるがためにA'は
A'としての存在意義を持ち得る。

どうですか?


643catt:04/08/05 12:55
>>642
線として考えるなら線として完璧に。
スパイラルで考えるなら古典からスパイラルで。
都合良くパラダイムを変えるのはただの詭弁。
644ぽー:04/08/05 13:36
説明不足だね。
全てスパイラルと言う意味だよ。
645わたしはダリ?名無しさん?:04/08/05 22:59
モダンて機能美じゃなかった?
それは主に建築・デザイン系での話よ。
建築史でいえばコルビュジェ、ミースなどから国際様式へといった流れ。
最も狭い意味での「モダニスム」ね。
スパイラルっていうのもちょっと不十分なイメージかな。
弁証法のモデルってスパイラルじゃなかったっけ。
上と下があるからどうしても進化論的な意味合いがついてくるし。
648ぽー:04/08/06 16:55
一般的な年表形式で考えると明らかに以前、以降と言う形に考えてしまう傾向
があるけど、スパイラルで考えると以前、以降に目が行くよりは過去と現在の
類似性を分かりやすくつなぐ事が出来ると思うけどね。
もちろん、類似性がない部分は上に螺旋が乗っかってこないぶん突出してしまう
からそれも検証しやすくなる。
上下のスパイラルだと進化論的な意味合いを持つと言うのなら横バイのスパイラル
でも構わない。もちろんそれは必ずしも綺麗な円を描くスパイラルではなくて
いびつな形のスパイラルに成るだろうし。
概念としては直線より説得力があると思うなー。
649わたしはダリ?名無しさん? :04/08/06 17:08
歴史モデルがスパイラルだと、
過去と未来の類似性も類推できちゃうけど、
それはOKなの?
650:04/08/06 17:42
村上隆いわく過去50年を検証すれば、先の50年が見えるとかなんとか雑誌で言ってたな。
でも村上隆以前に、美術畑以外の文化批評で趣味、快楽追求型文化の到来
を予期してたから、そういう意味では、過去を体系化、文脈化する理由自体
未来と現在の混沌性を概念化させたい証拠でしょ。

歴史を探ることは、現在の自己のアイデンティティを(とりあえず)定義すること
なわけだし。
過去のものより今のものが優れているという考えは、作品単位ではなく
体系化というシステムで考えれば今の方が過去より優れている(豊か)なのは
確かだろうね。
ただ、その体系自体が抱える批評システムの方向性自体が優れているかどうかは、
過去のレスで延々ループしちゃうわけだね。
並列的な批評体系になっていくのが理想だね。おいらは。
651訂正:04/08/06 17:46
〜を予期してたから、そういう意味では、どんなモデルを使おうと
過去を体系化、文脈化する理由自体 未来と現在の混沌性を概念化させたい気持ちは、
がある限り、、、歴史を探ることは、〜
>>648
スパイラルにどういうメリットがあるのかいまひとつわからないな。
直線にせよスパイラルにせよまず歴史を線的に考えること自体になんとなく問題を感じちゃうけど。
それと過去との類似性というけどそれがスパイラルという一定のパターンを描くとは思えないし。
ベンヤミンの「歴史哲学的テーゼ」って線的な歴史観を決定的に批判していたものだと
思うけど、あれなんかモデル化できたら面白いと思う。
653:04/08/07 19:44
歴史に、ある概念を適応すれば、類似点は出てくるのは必至。
美術の歴史しかり。ぽーさんいわく、スパイラルというのは、要は、振り子のような
不定周期的に揺り戻しを起すという意味では、おいらは同意だね。

>>653
振り子理論とスパイラルは決定的に違う。
勉強すれ・・
655:04/08/07 23:29
それを言ってくれないと話しが、進まん。
何をしたいの654は?
656ぽー:04/08/08 03:26
>歴史を線的に考えること自体になんとなく問題を感じちゃうけど。
歴史は時間に添ってしか検証できないから点で考える事は不可能だし
点で考えようが最終的には線で点と点を線で結ぶと線になる。
振り子は常に大衆の意識の様なものでその時代の美に対しての概念や
リアリティーを求め揺れ動く。
リアリティーや美(様式美)は飽和する事によって意味を失いその
反動によって振り子が反発し反対方行へ向きを変えてゆく。
その運動の連続性は過去から続いてあるがゆえに過去の歴史からは
断絶しておらず永久的にその運動を繰り返す。
だから古典美術から現代美術に変わった時期は振り子の反動が大きかった
ではあろうが断絶してはおらず現在に至っている。

どうですか?
657ぽー:04/08/08 03:30
>振り子理論とスパイラルは決定的に違う
そりゃあ振り子は一定の場所で反復しあってるだけだから
スパイラルみたいに上下に移動する訳ではないけど、ここでの
議論では分かりやすいモデルではあると思うけどね。
だからアナタのちゃんとした仮説をだして反論してね。
そうじゃないと話が進まないから。
おめーら、歴史の“検証の仕方”なんてどーでもいいっつーの。
>>638前後くらいまでは、面白い議論になってきたな、と思ってたのに…。
きゃーっ! お下品なヒトね。。。
660:04/08/08 08:45
なら、自分が面白くなるように話題を投稿してくれ。
すくなくともおいらには、638からつながる展開だとおもうけど。
>芸術という観念はあくまでヨーロッパ近代の産物であり、
>古代から現代まであらゆる社会で綿々と受け継がれてる普遍的な概念ではない。

西欧美術の歴史に(デュシャンを転換点として)以前、以降というものがあるのか、ないのか
って話題で、古代から現代まで連続した価値観であるその仮証として、「スパイラル」
というネタを出してきた。自然な反応だと思うけど?
古典美術で追求した「美」と現代美術で追求したものとの差異についての“検証の仕方”を
意見することに何の問題が?
661:04/08/08 09:00
ちなみに、振り子は横から見ると相対する2点を往復するようにみえるけど
軸上から下を見下ろすと、楕円を描いたりもする、、これはスパイラルでも
あるんじゃないだろうか。
いずれも自然界をある不動の軸からながめた場合の見方として解釈すれば
西欧美術の軸足が見えてくるのじゃないかな〜。
おいらもデュシャンと、ダビンチは同じことをしているような気がしてならないね。
デュシャンの大ガラスとダビンチの水流のデッサンは、
主観としては非常に類似点を感じる。そこには、自然の現象は描写されていないね。

で、デュシャンとレオナルド以外に
どんな具体例が考えられる?
663ぽー:04/08/08 11:22
>で、デュシャンとレオナルド以外にどんな具体例が考えられる?

美術史は全てその時代の異端者によって更新されている。
その異端者は一人として先人の作った例を鵜呑みにして死守しようとはしていない。
美術史の本を見てみれば良い、その時代のリアリティーを追求し勝ち得たもの
だけがそこに記されている。
具体例などを聞いたところでアナタにとって何になる?
アナタにとってのリアリティーが何かってことが大事じゃないの?
俺には、線的だの振り子だのスパイラルだのって議論が全然ピンと来ねぇんだけど。
美術史ってのは、あっちこっちで批判的継承だの脱構築だのが繰り返される
樹状の系図があるだけ、と捉えてたんだがな、俺なんかは。
もちろんそれを「進化」と呼ぶつもりはねーよ。
美術は、再解釈や再評価が可能な点、生物学的「淘汰」が成り立ちにくいからな。
振り子だのスパイラルだのにはそういう見かけ上の問題を云々してるようにか感じられねーの。
665つづき:04/08/08 14:18
>なら、自分が面白くなるように話題を投稿してくれ。

へいへい。そーゆーだろーなと。

デュシャン以降(かどうかは知らんが)、美術の軸足が2つあることが暴かれちまった。
ひとつは「美」。絶対的(普遍的)価値基準ってやつだ。
目利きの論理がこれにあたる。モダニズムの理念もこれだったっけな。勝手な話だが。
もうひとつは「場」。作品を美術として成り立たせる枠組み、要件ってやつだ。西欧産の概念だがね。
ポストモダンでオルタナティブな現代美術はこれを積極利用する。

この2つは両立しているようで、相容れない部分を持つ。
前者は「美」こそが美術の中心要件だと信じて疑わないし、
後者は価値基準を相対化してるから、「美」を参考要件としてしか扱わない。
美術鑑賞板でも、現代美術系のスレが立つたび、両者でバトルが繰り返されてっけど、
だれもこれを調整できずにいる。

で、スパイラルだの振り子だのには、どういう軸足が想定されとるの?
666ぽー:04/08/08 14:31
誰もそれが進化だとは言っていないよ。
様式美や価値観はテクノロジーが発達すればそれに追随するように変る。
過去の作品はその時代に得られる技術を生かす如く製作されている。
だから今、ビデオアートや写真が普通にアートとして認知されているのと
昔のひとがブロンズを材料として彫刻物をつくろうがなにが違うのか?
ダビンチだって映写機があればそれを使って映画でも作ったことだろうさ。
今年のウィットニービエンナーレでも過去2、3回のビデオやイアンターアクティブ
系の選出の多さの反動で絵画に回帰したし。。。
それは今の制作者達が映像系の作品に飽きてもっと基本的な、フィジカルな
制作過程に興味をもっているってことじゃないかな。
それはなにも古典主義的なものではなくて、そういうテクノロジーの側面を
強調される作品にリアリティーを感じ無くなってきているって事だとおもうけどね。

667ぽー:04/08/08 14:36
>655

ナイス質問!

考えときます。
668ぽー:04/08/08 14:38
ごめん >665だった。
669652:04/08/08 17:06
>>ぽーさん
レス遅れてすみません。ちょっと忙しかったもので。
ベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」の自分なりの要点を言うと、
まず歴史というのはその中に多数の分裂、亀裂、断片、飛躍を含んでいると。
かならずしもそれは線によってつながらない。
支配者の歴史というものがそんな分裂的な歴史を無理やり線によって繋げることによって、
自らの正当性を捏造しているわけですが、それはイデオロギー以外の何ものでもないと。
「歴史は時間に添ってしか検証できない」と言われますが、
ベンヤミンで重要なのは時間というもの自体を線的なものではなくあくまでも構成的なもの
として捉えたところだと思うんだけどな。
現在によってその都度過去の形は再構成されるわけ。
現在によって捉えられている過去の形というのは、その過去自体の歴史の形ではなく、
今現在でしか取りえない過去の形であると。
670652:04/08/08 17:07
(上からのつづき)
仮に今現在そこにスパイラルが読みとれたとしても、
いつまた別の形(必ずしもそれは線的とは限らないでしょう)が浮かび上がってくるかわかならいと。
ベンヤミンの主張は、そんな、今現在しか取りえない過去の形を取り逃がしてはならないよ、
ということだと思うんですね。
まあそんな今現在しか取りえない歴史の形象というのがそのまま芸術の定義であるような
気がしないでもないですけど。
ぽーさんはその形があらかじめスパイラルであると、言っちゃってるように聞こえるんですよ。

あと僕からすればぽーさんは時代というものをモノリスティックに捉えすぎているように見えます。
それは「大衆」という言葉にも言えるかも。僕はそんなもの信じられませんよ。
もし今現在のなかに現に構成的されつつある多数の形、亀裂、いわば「コンフリクト」を読み取れるならば、
単純に反動だとか、振り子だとか、スパイラルなんて言えないと思うけど。

671652:04/08/08 17:11
構成的されつつある
→構成されつつある
672:04/08/08 17:15
>ベンヤミンの「歴史哲学的テーゼ」って線的な歴史観
>振り子理論とスパイラルは決定的に違う。

の方が個人的に聞きたかったんだけど、、同一人物じゃなかったらゴミンネ。

むしろ樹状のモデルのほうが、線(時間軸/リニア)的だとは思うけどね。
つまり現在(の美術)のジャンル?は過去の美術のジャンルの変化系という理屈。ということになる。
ぽーさんが言ってたのはいわゆる「循環モデル」みたいなもので、見かけはその時代時代で
いろんな表現系態のジャンルがあるようで、実は過去と現在で、似た軌道(少しづつずれた)を
通っているという理屈なんだと思う。
制作行為を不確定要素として解釈するか、、、自我の延長として解釈するか
とか、、、。インスタレーションでも映像でも絵画でも、素材やモチーフが変っても
表題は同じような事を蒸し返していたりね。見た目の類似点ならなおさらだよね。

アジア美術のほうが、むしろ、樹状の系図に近いがするんだけど。あちきとしては。
時間がつながってるでしょ。連綿と流れが継承されて。
西欧美術は観念が軸足みたいなもんだから時代時代で揺り動きが激しいけど
実は循環理論でいえば西欧も似た事やってる。
あの違いは、どう考えても歴史に対する認識の仕方の違いな気がする。

どうですか?
673:04/08/08 17:45
あっ
上で説明してくれてたね。

ベンヤミンは、こうも言ってなかったかな〜。
「現在によってその都度、過去の形を断片的に再構成(踏襲)されるって。」
スパイラルや、振り子は、軸がはじめに決定されてる理屈ではなくて
おもり(現在)の動きから再構成されるさいの決定因子として話しなんだと。
すごいいいかげんな例えをいえば、
旅人が北斗七星をめざして方向を決めてるけれど、
北斗七星というもの自体現在の「コンフリクト」により決定されていくんだと。
つまり反動とは、ある特定空間内の座標という相似形ではなく、
「コンフリクト」そのものをそう言っているつもりなんだけどね。
674わたしはダリ?名無しさん?:04/08/08 17:57
     /    めざせ        /      ゙i,  ヽ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    j       日本一     ,ィ/        |  | <
    lィ'             ,ィ/j/          | iリ  |
   |         /l /          '"` | j   |
   リ!      /,ノ           _,、-''''` /リ   | 私の素晴らしい名を世間に知らせるときがキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
     |   _.._ l/   ,.--;==ミ 、 ___,.ノ /{.○-゙‐rV   | http://www.tv-asahi.co.jp/best/top.html
    ヽ,/`ヽヽト、 ´  {,.○-`‐‐ 、,.-ト|    ,ノ   | 諸君もここの「もう一度見たいアニメ名場面」に私の名を書いて
     ∧  ゙i,   `ヽ,r'´      ノ.  ゙、--‐''´|   | 「目がぁっ!目がぁっ!」と投票したまえ。TVであの名場面をもう一度流してやるのだ。
   ,,.く  ヽ   ゙i     ヽ、 __,,、-'"     〉   /   | 
ハ'´  |  ゙i   |           ' '     iヽ'" ̄ |        ムスカ祭が今始まろうとしている!!!
゙、゙i,_r'シニZ`ー┬ト'i       _____ ,  |  \ |
   _゙V  ヽ,.レ''ヽヽ     `ー─''''"´   /    |      あぁ、最後に行って着たいことがある。
 /./ ヽ/     ,」ヽ     __,,、-─‐-、j     |               他のスレにコピペきぼんぬ。
  / r'´  --‐‐'''"´ ヽ \   (.r‐'''""゙゙`ヽ,`)                        
  l .|     __,,、--`ヽ \ ___ヽ     /´|     |                        以上だ。 
 j |           ,⊥`ー 、 ゙!    レ' |     |
 |  |        -‐''"´   ヽ、⊥ヽ|    |彡'|
675:04/08/08 18:04
だから、繰返しになるけれど、類型モデル化する事自体、現在だろうが過去から
だろうが、世界を把握する(したい)ことでいえば、自我のあり方だって説明モデルだね。
ベンヤミンも違う形のモデルを提示したわけだしね。
西欧の美術をモデルとして考えた場合、案外単一のモデルの繰返しなのかもよって
ことを言いたいのでござる。
オリジナルを発明するのではなく、コンフリクトを見つけることが西欧美術が
連綿と続けていると言えるんじゃないかな。
どでしょか。
676(゚∀゚)/ 664-665:04/08/08 19:14
やっぱコテハンにしとかねーと議論しにくいのか…。

>の方が個人的に聞きたかったんだけど、、同一人物じゃなかったらゴミンネ。

あいにく同一人物ではないから、俺の話と>>652のベンヤミンの話は接続しない方がいい。
677:04/08/08 20:30
>676

はは、、失敬〜 w
678ぴろ:04/08/11 20:26
言い方を変えます。
ぽーさん的に言えば、
歴史には点しかない。どの点を選ぶかで、かりそめに線がねつ造されるだけ。
点を選ぶのは現在を基準に過去の点が選ばれる。
現在のAと選ばれたA'は、振り子のように反動としてA>A'としてねつ造される場合も、
スパイラルのように、A=A'と重複がねつ造される場合がある。
ベンヤミン的に言えば、ねつ造だけど当の本人達は必然を感じてるわけで。
つまり現在は、A6,A7,A8,A9,A10.......と時間が積み上げられた結果としての例えばA20という現在点でなく
現在から相対(振り子)、または相似(スパイラル)する点を過去から引っぱりだしてきて
関係づけることを再構成というという意味で、ベンヤミンと振り子、スパイラルは
矛盾しないのじゃないかと。
679わたしはダリ?名無しさん?:04/08/12 19:57
ということは、現代美術と古典
モダンとポストモダン、
それぞれ、相対として語ることも出来るし
相似としてつなげる見方も出来るということかいな?
>>679
ゴッホと浮世絵とかね。
系図を無視して孫が平気で曾祖父と結婚して自分の親の
兄弟を生んだりする摩訶不思議な理屈だよね。
樹状の美術史からへんてこなパラダイム変換をやると簡単に
そういう馬鹿馬鹿しい系図が出来上がるんだよ。
681ぴろ:04/08/13 11:49
そーだね。
西欧美術史は、突然変異の積み重ねみたいだ。

うーーん
やっぱりこちらなど読んでも思ったのですが、現代美術って日本人から
離れてしまってますよね。ほとんど全ての理念が外国からそのまま持ってきた状態のままで、
なにか論じようと思うと実感から出た言葉ではなく知識に頼ったものになってしまうみたい。
オタクもあちらの人によって読み解かれたんだと思うし。日本人はやっぱり基準がとても弱いんだと思う。
美意識は卓越したものがあるのに。
683わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 01:58:45
現代美術なんてやってると10年後には、ただの人になりそう
循環早いし、単なる駒として批評家や雑誌、ギャラリーにいいように使われて
結局流れに乗っていただけなんだなって歳クッテきずいて過去の栄光に浸って
みじめなだけですね
技術のない芸術家は、自分がとても鋭いとか思ってるんだろうけど、そんなことが
問題じゃないと悟る頃には遅いです。作品作らず能書き言っててもみんな知ってるよ
自分の意見ではないと言うことくらい。
684わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 02:17:34
683は大馬鹿だな俺は世界一鋭い、年取ってもその鋭さは衰えず
フリーターやりながらアパートで芸術活動、昔雑誌に取り上げられた
小学生の工作みたいな作品が私の誇り、
俺と公募団体やコンクールで活躍している人間どっちが尊敬できる

685へえー:04/10/04 11:46:52
683よ、あんたってさ惰性でものを作っとるんじゃないか?
おもろい話が続いとったのに、残念だな。
芸術とは名ばかりの風化した古典美術なんぞ作る意味などあるんか?
いろいろ話とる中に結局技術がどうのなんて事しか言えないことが
あんたの才能の無さと頭の悪さを立証しとるね。
下らん作品作ってばっかりじゃなくてさ、ちょっとは勉強しなよ。
686わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 11:50:05
>684
それでいいのだ!
たかが芸術、されど芸術。
やりたい事やってナンボの世界だよ。
687わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 12:27:22
683と684は同一人物です。


688わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 12:43:16
駒として使われるなんて心から同情します
689わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 13:02:07
まあ10年後大きな差がついていることでしょう
流行はすぐに終わります
こつこつ技術を磨いて自分の世界を追求した奴と 
工作作ってるひととでは、社会はそんなに甘くない
社会に出れば分るよ

690わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 14:45:28
技術があるのに、こしたことはないな
今は若いから現実見えなくて雑誌やネットの情報をうの
みにしてこれが芸術なんだと誤解して、工作アート
をつくり続ける。
691わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 15:28:53
工作アートはやめ説きましょう。ただの操り人形はいやだな ただ、計算してそう言う手法を取って
稼ぐのもいいことじゃん。
692わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 16:12:47
アーテイストは計算高く生きましょう・流れをよみましょっ・強かに生き抜きましょう!
693わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 18:21:22
計算や流れを読んで人生渡れるほど甘くないです
何人の人間が現実を誤解して落伍者になったことか
特に流れに乗ってしまうような工作アーティスト
は悲惨 と言うより技術を覚える気がない事自体
生半可な気持ちの現れ
694わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 18:41:56
工作アートってだけで色眼鏡で見ちゃうんだよね
しかも自分もそのこと意識してるらしく必死で補おうと
能書きたれたり、美大卒だの言ってくる。
自分で恥ずかしいような作品発表すんな
695わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 18:58:44
結局自分はこうだっていうのをハッキリ打ち出す人が最終的に勝つと思うな。
作品と生き方がぴったり合ってる人。
自分に嘘ついてる人が結構多いんでないかな
696わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 19:21:28
695作品と生き方がぴったりあってる人?

作品みる人は、親じゃないんだからそこまで深く見ません

時間をかけて魂を注いだ作品には、世界中どこでも感動させる
力はあるが、工作アートは人をあきれさせる
697わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 20:32:36
工作アート VS 絵画 彫刻
698わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 20:51:49
工作アート笑える、工作アーティストだけにはなりたくない
699わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 21:34:40
ほーれほれ性格の悪いアーテイスト達が集まってきたぞ〜〜
700わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 21:35:33
ホントだー
性格の悪い工作アーティストが集まってきた
701わたしはダリ?名無しさん?:04/10/04 22:21:21
683の言ってることが正しいね。684〜686悲しすぎ
美大出てまで工作アート作ってんのは、多分、向いてないよ
4年ぐらいやってれば少しは熟練してくんだろ。
702わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 00:03:42
なんか可愛そう
703わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 03:19:43
すみません、工作アートってなに?誰か教えて。
日比野K彦みたいなの?
704わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 04:57:42
工作アート否定派の人たちよちゃんと工作アートの例を挙げよ!
ちなみにオレにとっての工作アート。

クラウス・オルデンバーグ(紙粘土工作系)
ジュリアン・シュナベル(クラフト教室工作系 in Hell)
バスキア(落書き工作系)
大竹伸朗(MR.工作系 in Japan)
奈良美智(フィニッシュはキレイね)
マイク・ケリー(人形拾ってきて釣り下げたり並べたりする工作系)

結構いるじゃん工作系...よいよい。
705わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 07:56:29
工作アートと一緒にされたくない まだ伝統工芸
とかの方が尊敬できる。現に伝統的な技術を学んでから
芸術に転向した人っているし、
 
工作アートィストが歳とったとこ想像すると悲惨
介護老人のオナーニをビデオにしたアートがあったでよ。
707わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 14:43:30
そう言うのは工作アートではない 芸術
>704
川俣正も工作系?
709わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 15:08:53
大工アート
710わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 16:13:59
日比野嫌い特集見ると吐き気がする、本人も怖い顔、大工のヤーサン
711わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 16:42:33
作風が嫌い?
712わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 17:23:48
時間と精神を酷使して作品作る側から見ると
工作アーティストや大工アーティスト
の作品は芸術の毒

工作、大工アートが、ちやほやされてTV、雑誌、ネットなどで
紹介されてるから自我を持てない日本の学生が洗脳されて・・・


713わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 17:43:14
大工さんの技術はすごいが、大工アートはホント毒だね
>>712
工作風だろうと時間と精神を酷使した緻密な画風だろうと、本人の選択。
もし工作アーティストが、実はバカテクもありやれば出来るけど、自分自身が表現出来ないからって
理由であっさりテクを捨ててたと知ったら、あなたみたいな人はどう思うんだろうなあ
715わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 18:31:48
怠惰と言うことですね。見てるほうは、やんなるね
工作で表現なんて
716わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 18:48:29
工作とか書き込みしてるやつは、一人で粘着してるんだろうけど、現代作品の何を知ったつもりなんだろうか?
己のコンサバ趣味を吐露し続けるのもいいけど、実制作者なら愚かだな。
そしてコレクターだとすると、そんなに呪詛する理由がわからん。
日本ではあんたみたいな人間の方が多数派なのだから、わざわざ晒す必要ないと思うんだが。
現代美術の市場なんて存在しているか?
717わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 18:57:51
工作のムーブメントはもう終わったよね
流れに乗っちゃった人たちは何してるだろう
718わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 19:04:06
自我のない学生はいまだに頑張ってるので・・・過去形にしないように
719わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 19:59:18
流れに乗った人は2chやったりネットやってるんじゃない
>716
小さいけれど市場はありますよ。
一介のコレクターとしてしては
技術以外に見るべきもののないタブローや彫刻よりかは、
川俣の大工アートのほうがよっぽど面白い。
もちろん彼のプロジェクトは金で買ったり、
コレクションできるものじゃないんだが。
721わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 20:26:47
工作かーなつかしいなぁ
722わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 21:00:19
720
自分の価値観で判断することができないのですか?
>>712
時間をかければ良いものが出来るなんて、小学生並みの理解力だなw
精神の酷使は川俣氏的「大工アート」だろうと良いものはすべてしてる。
逆に緻密な画風wwのつもりな絵の方が、思考停止してる場合が多いな。
クリエイティブの本質が分かってないねキミp

724わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 22:24:45
工作って笑えるね
725わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 22:31:52
723に質問私は大工アート見ても感動しないし何を伝えたいのかわかりません
723は理解しているようなので、雑誌や批評家の言葉ではなく自分の言葉で
解説してください。まさか世界で評価されてるからとか言わないで下さいね。
726わたしはダリ?名無しさん? :04/10/05 22:45:07
>725
とりあえず御自分で川俣本人の言葉に当たってみれば?
彼は文章もいろいろ書いているわけだし。
727わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 23:06:10
だれか老人オナヌビデオの芸術性解説して
728わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 23:11:27
710で費美野嫌いっていったんだけど、私、この人自身が好きじゃない顔怖いしでかい
マジびびるの。作風は工作でもちゃんと構図とかデザインが計算されてるな、と
思うから単純とは思わないです。修練がない工作アートはただの工作ですが、そうではないしちゃんと1つ
の芸術になってると思います。よく考えるとかなりハイレベルな工作アートですよね。
でも、あんまり人気は・・・〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇の〇〇〇大幅減だし
作品に関係の無いことが語られていますが、その人個人も魅力のうちの1つなので・・・<ごめんなさい。>
729わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 23:11:42
726
結局工作アーティストは、口だけなんだね

726は「大工アート」だろうと”よいもの”は全てしてる。って言ったよね。
よいもの よいもの 何がよいのか言えば良いのに、結局説明できなかったね
730わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 23:14:10
728はひどいこと言っちゃったね、しかも幼稚だったね

それよりも726はなにも説明できないんだね
731わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 23:23:48
けっきょく726は、工作アーティストの典型なんだね
知ったような顔して、なにも知らない、自分表現したいことないけど
適当に作って能書きたれる
732わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 23:39:38
730へこのスレだから言えるとおもったんだよ。
誰にも言えないだろ、ふつう
733わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 23:49:47
>726さんへ 貴方は川俣先生のどのお言葉にひかれているんですか?
教えて下さい。
734わたしはダリ?名無しさん?:04/10/05 23:54:03
私も知りたい 
煽ってるヤツいい加減に汁
自分のやってることに自信があるなら人のことなんてどうだっていいだろ?
色んな表現があるから面白いって思えないなら、本質的にクリエイティブじゃないんだよな。
ロシアにでも行ってイコン画職人にでもなればいいのでわ
736わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:15:55
>712、718 アーテイスト予備軍が自我なくて一体どうするんですか?笑
 影響されてるようじゃ全然だめだよ。影響されて良い部分と悪い部分位見分ければいいじゃん
 問題はアイデンテティークライシスだな
737わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:16:07
工作もんは、以前のもの見たら作品が陳腐に見えて仕方がない。
時代が過ぎてから観たら、概念と作品があってもそんなに人を
納得させれないよ。
日日野の作品みたら、概念がそこのあるかどうかは知らんが、
作品自身は陳腐に感じてみてられない。ありゃ芸大のセンセー
やってるからまだ何とかなるけど、そうでなけりゃ今頃ルンペン
だな。
738わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:16:32
どの言葉にひかれたんですか?自分の発言に責任を持ってください
あるいは、知ったかぶったと認めてください。工作アーティストらしく
739わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:19:33
>735ひゃははははははははっは〜ロシアで修行?そりゃ大変だひゃ
740わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:20:40
急に増えたな油断してた 738は、726さん(735も同一かな?)へのスレです
>>738
頭悪いって言われない_?


言葉は人なり。どんないい言葉でも受け取る側が頭悪くちゃ伝わらないよな
742わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:26:33
どの言葉ですか(具体的に)?
まるで政治家と話してるみたいだ
ここ当事者に近い人も見てるのか
なかなか冷静な話し合いにならないね。
744わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:31:58
>738は、726さん(735も同一かな?)へのスレです

ってスレじゃなっくて「レス」だろ。ボケてんの?
あー

頭悪いヤツの定番レス→「ソースは?」「ソース出せ」「ソースも出せないのかプッ」「どの言葉?」
          
         
746わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:37:08
揚げ足取ってないで、もっと建設的な議論しましょう
今夜は荒れる予感
748わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:38:16
そう、ならないね
もう荒れてますけど。
ん?
751わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:40:53
やっぱり川俣さんのことなにも知らずに、工作お得意の
なんのも知らないのに、知ってたふりしただけなんだね
ホントは名前すら知らなかったんですね
752わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:46:51
川俣の作品、現在でもパワーあるか?
あいつの行事が既に本人が否定してた予定調和だろ。
なんだ競馬場は、地域の為のコマーシャルみたいな作品?つくってんじゃん。
マジにアートレスになってきたよな。
753わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:51:31
日本の現代作家のやってるサイトスペシフィックアートってなんじゃありゃ。
地域産業の掘り起こしか?競馬場、炭鉱!椿にしても今度の炭焼き小屋はなんじゃ?
こいつらのサイトスペシフィックでも何でもいいけど仕組みがクリシェに
なってきたんじゃねーの。
754わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:52:23
工作、大工アートの慣れの果て、、、ヴェネティアビエンナーレの
品格が落ちましたね。やっぱり工作、大工は批評家やらギャラリーやら
マスコミに使いまわされてる捨て駒なんだね。実力不足だから、捨てられたら
まじで惨め
755わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 00:56:42
彼らは中途半端に騒いで持ち上げるからね。
756わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:02:17
尊敬できない。歳食ったらなにやってんだろ。

日展系も良いとは言えないが。日展系の彫刻家が
70、80まで作品作り続けるのは尊敬できるが
文化継承しているわけだし

工作アーティストは、堕落した生活送ってそう
757わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:04:25
人相みるとわりとそうだよね笑
758わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:04:59
工作、大工アーティストは過去の貯金で食いつないでるような精神のやつらだよ。
既に作家として見てないもん。せいぜいカビの生えた教育者してたらいいんじゃねーの。
759わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:05:13
70、80歳まで作品作るガッツは見習いたいね
でも彫刻家ってそういうのなんか多いよな
20歳くらい若くみえんの
760わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:12:40
725、世界的に評価されてるとは言わないよ、いいあきたんだよ。もう、笑
761わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:15:19
>758秘かにこう思ってる人多いから○○○減だったんだな
762わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:16:23
なんか、工作大工ボロボロだね。反面教師にしかならないね。
彫刻家の精神と生き様をみんなで見習って作品作ろうね。
もう寝ます。
763わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:18:31
そうだね
764758:04/10/06 01:19:16
○○○減ってなに?
>>761
なにが減ったのか知りたい…
766765:04/10/06 01:22:34
あ、同じことかいてしまった
767わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:32:38
・〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇の〇〇〇大幅減だし

なんだって聞いてんだろ、もうねるぞ。

768わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:34:36
あなたの知らない世界
769わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:34:36
で工作大工擁護派はどこいったの?
反駁したるから言いたいこといってみろよ。
770わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:36:09
もう結論762がいってる。おやすみ
771わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 01:36:13
>768
おまえ俺なめてんのカ
772752:04/10/06 01:42:45
書いてることショボイ奴ばっかりだから寝る
773わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 02:06:23
おまい1番しょぼいやろ
774わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 02:10:24
煽りがわからん奴はウンコ食ってろ
775へえー:04/10/06 02:19:16
技術面や知識面なんかの話になってるけどさ、ここは現代美術vs古典美術だよな?
で、現代美術と称されるものの中には工作系の奴らがいるってんだな?
俺には公募団体系の様な、技巧と会員の作品傾向にこだわるようなもんは、工作以下
だと思う。
現代美術は常に挑戦し、新しい芸術を模索する行為であるわけだろう。
技術は確かに必要だと思うが、それが一番重要だろうという考えにはうなずけない。
もし重要だというなら、伝統工芸の職人になれ。

776わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 02:52:48
最後の方は論点がずれてるよ。あんた。
>>775
どっちがマシかでしか評価できないんだ。
778わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 04:05:56
どっちもどっちだから釣りスレとして成り立つんだろが
779わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 05:11:54
ちと、やばい事か行っちゃった爆死皆さんさよならお電気でw
780わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 09:15:22
ネット上でも工作大工アートは、やられたね BTでもみててくださいきっと仲間がたくさんいるよ
781わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 09:50:50
工作大工議論は683から780くらいまで美術坂にしては早かったね
なんだかんだ言って自分たちで言い出したんだね。途中で工作って呼ぶのは
やめとこうとかいってるけど、なんか工作大工厳しいね
782わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 10:09:04
工作、工作ってみんな言ってるから 美術板じゃなくて
小学生板かと思った
783わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 10:17:06
似たようなものだよ 工作大工なんて
784わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 12:17:01
工作大工としかいいようがないな、でも幼心を忘れてない感もなかなかいい
785わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 12:36:43
いろんなびじゅつ関係者が下記子してるから怖いよね言葉には気をつけなくちゃね
786わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 12:43:46
芸術家なら批判、されてなんぼでしょ
787わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 15:54:58
特命夏期子してる人実名判るのめっちゃいややわ有名な人控えて屋、傍観者でいてくれや。
冷や汗出てくる年、心臓と胃がも他辺よ。みんな頑張ってるん、わっちみんなの作品大好き難や
788わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 16:02:33
↑ホントだよ、ワッチみんなの作品好きやねん頑張ってー名
789わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 16:37:13
意味わかんね
790わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 16:38:20
ワタシモ、リカイ、デキナイ
791わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 16:56:32
いろんな某美術関係者が下記子してるから、それが判ると少しびびるよねピーだね
792わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 17:05:09
なんや大阪弁やけど、京都の大学出たやつか。そいつやったら、
社会的にそれなりの役目果たせよ。バーベキューしてる場合やあらへんで。
793わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 17:22:01
謂衣歩素戸家区戸区素流戸多衣麻ん二名流ん田名
794わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 17:29:51
わけわからんがな
795わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 17:36:01
あんなー、工作系を批難してる人は誰の作品を具体的に示してんねん?
それを言わんと援護、又は攻撃のしがいもないやんけ。

一般人が言うてるアート工作系と美術史の知識のある奴の芸術的工作系
では結構認識がちゃうやろ。見た目は変らへんかもしれんけど W。
認識っちゅーより出所がちゃうって言ったらええんかな?

日比野がダメなんは、結局海外や国内の芸術活動より広告代理店との
土建屋的な関わり合いを求めた結果なにも残せへんかったことちゃうの?
それ考えたら村上はまだ偉いんとちゃう?
796わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 17:39:22
芸術の暗黒時代として歴史に記録される
797わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 17:45:31
>793 何を獲得すると怠慢になるの
798わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 17:46:16
いいホスト
799わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 20:01:23
妙な関西弁
800わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 22:49:28
>795村上は凄いよ
>>800はアニオタおなにー野郎
802わたしはダリ?名無しさん?:04/10/06 23:09:16
ばーか795が釣れるの待ってたのによ
803橋頭堡調停工作:04/10/10 19:57:32
ねこまねき写真館瞬間最大八百八名突破記念祝賀会
場 所  ねこまねき写真館
時間空間 ねこまねき写真館
Google検索>ねこまねき写真館>キャッシュ>ジャンプ(黄) 
804わたしはダリ?名無しさん?:04/10/11 18:12:31
現代美術ってのは今生きてる作家の作品のことじゃないのか?
細かい分野でつまんないことほじくっているより、名前でも作品でも売れてみたら。
805わたしはダリ?名無しさん?:04/10/11 18:15:18
うえ−ん 上−ん 上だ深夜です
806わたしはダリ?名無しさん?:04/10/11 18:27:01
わかった、わかった。
深夜DJでも勝手にやってろよ。
807わたしはダリ?名無しさん?:04/10/14 10:09:49
>795フェロモン分泌!
808 ◆2mxwBLFt7E :04/10/15 03:30:04
古典美術はパッと見綺麗でも聖書とか読んだこと無いと意味が分からん。
809わたしはダリ?名無しさん?:04/10/15 13:53:11
明治の絵描きなんかキリスト教徒でもないのに教会の絵かいたり、
キリストや外人描いたりとなんか違うような感じ。
一生懸命やっていたんだろうけどズレてるね。
一方、現代美術もそんな感じだろ。マンガ、アニメだってアメリカの方が早いよ。
メディアにしてもZKMとかリンツとかの2番煎じ。物派もアルテ・ポーベラ。
日本って貧しいね。やっぱ加工作品にすぎないんだよね。


810わたしはダリ?名無しさん?:04/10/15 17:28:28
だからって日本固有の文化とか民族とか考えてしまっては、
和紙とか木とかロウソクとか炭とかやってる奴らと同じだ。
811わたしはダリ?名無しさん?:04/10/15 19:22:21
えっ?!段ボール使ってる人は?
美術板自虐史観だなw>>809
勝手にくすぶってください
813わたしはダリ?名無しさん?:04/10/16 10:26:12
美術板能天気観だなw>>812
勝手につくってください
>>813
おうむ返しダサ!
もとクリA恥部にもなってね

ウッフ〜〜ン

815わたしはダリ?名無しさん?:04/10/16 19:58:47
>>815
どうでもいい。
その程度のことやってて下さい。
816わたしはダリ?名無しさん?:04/10/16 21:15:22
>>816自爆
817わたしはダリ?名無しさん?:04/12/14 04:33:54
>>809
要するに日本を代表するものはすでに作られていて、
それをどうつなぐかということなんだろうな。
それがパロディになってしまうと
会田誠や小沢剛の40年会みたいになっちゃう。
中村政人は川俣正のマネになっちまってる。
藤浩志と大竹伸郎はジャンクアートでいまひとつセンスナッシング。
最近の日比野のワークショップのネタは中西夏之から。
島袋なんて詐欺みたいだし、田中功起もお笑いみたいなオチがつきすぎ。
やっぱ、ほんとにおもしろいやつってなかなかいないよね。
美術業界人と仲良くなって、そこら辺だけに受けてるだけじゃ伝わらない。
だれかおもしろそうな人教えて下さい。
818わたしはダリ?名無しさん?:04/12/14 08:30:01
>だれかおもしろそうな人教えて下さい。

随分、抽象的な質問だね
面白いなんて、人それぞれだから...
上記の作家が全て駄目なら、日本には誰もいないのかな?
国内で評価されても海外ではイマイチの人もいるし、その逆もあるし
まあ、言いたい事なんとなくわかるけどね

カリスマって言ったら安っぽいけど、
なんか、存在感がある芸術家っていないよね。
820わたしはダリ?名無しさん?:04/12/14 09:57:53
こういう時代だからね、芸術がすでにサブカテゴリーに収められてる。
821わたしはダリ?名無しさん?:04/12/15 22:56:58
中村功、中村一美、そこらってどうよ?
822わたしはダリ?名無しさん?:04/12/16 00:55:35
こんなとこで聞いても、間違った解答しかこないよ いい加減気づけ 

   ネットから離脱しろ  自分のすべきことをしろ 
823わたしはダリ?名無しさん?:04/12/16 02:13:48
> こんなとこで聞いても、間違った解答しかこないよ

そういう君のいうことは正しいのか?
824わたしはダリ?名無しさん?:04/12/16 03:30:48
中村一美ってのは出始めの頃はグリンバーグを崇拝する藤枝晃雄というムサビ
の評論家の助けがあってデヴューした。日本の抽象表現主義を標榜していた。
YとかCとか記号という抽象化が受けた。岡崎乾二郎によるモダニズム的な考え
を援用して評判を落とし、抽象も具象もなく、絵は絵だという基本的な考えに
行き着くのも、いかに頭でっかちで描いていたかがわかる。ちなみに彼の絵に
はオリジナルな表現があると藤枝晃雄が指摘している。それがきっかけで今で
は双方ともに犬猿の仲となっている。
825わたしはダリ?名無しさん?:04/12/16 07:36:42
現美終了
826わたしはダリ?名無しさん?:04/12/16 08:16:23
俗悪なのがいいわけない
827わたしはダリ?名無しさん?:04/12/16 10:13:45
現代美術の終焉
>>824
> 中村一美ってのは出始めの頃はグリンバーグを崇拝する藤枝晃雄というムサビ
> の評論家の助けがあってデヴューした。日本の抽象表現主義を標榜していた。
> YとかCとか記号という抽象化が受けた。岡崎乾二郎によるモダニズム的な考え
> を援用して評判を落とし、抽象も具象もなく、絵は絵だという基本的な考えに
> 行き着くのも、いかに頭でっかちで描いていたかがわかる。

意味不明なんだけど?
モダニズム的な考え、って藤枝じゃん
829わたしはダリ?名無しさん?:04/12/16 14:54:16
>>828
意味不明?そうかな?もうちょっと詳しく探ってみたら?

モダニズムって言っても日本の中でもいろいろ流派がある。
日本のモダニズム、中でも日本の抽象表現には様々な考えがあるから
藤枝VS中村VS岡崎なんて構図が生まれる。
松浦寿夫、赤塚、辰野、石川順恵などの絵画系の作家が
見ることのアレゴリー展で出品されているけど、
だれがどの流れにいるかというのも調べてみると面白いと思うよ。

それとはまったく関係ない独自路線の中西夏之もいるが、孤軍奮闘。
知名度の割には世間の評価は低いと感じられる。
評論家にも理解できない水準で絵画を発明してるからだと思うが、
これは個人的な見解だから、あまり信用しないでほしい。

それに反発した形で最近の具象系というかマンガ系というかポップ系と
言っていいのかわからない作家が出てくる流れが現在ある。そんな中にも
作家や評論家の間で考えの相違がある。

現代美術といいながら結局流派に落ち着くのが日本的。
831わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 01:43:59
そういえば、一美はテリーの後輩だしな、
832わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 01:49:54
>マンガ系、ポップ系等
 今はやりに続く人達は消えちゃうだろうね。
 ばんがっても無駄。
 
833わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 02:06:02
narakamiについていこうなんて思わない方が良いと思うんだけど。
彼らにやらせておけばいいじゃん。

ジャンクアートや!てあんまり、煽動してほしくないな。
834わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 02:11:55
> 赤塚、辰野、石川順恵

ここらって、最近、駄目だな。
っていうか、日本経済がバブルのころがキャリアのピークだったよな。
835わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 04:06:01
一つの見方として、
古くさい団体系、評論家連中を巻き込む学問絵画、それとは関係ないけど人気がある
お絵描きの三つくらいに分けられるんじゃない?
腐ったメディアに踊らされるアーティスト気取り、のカテゴリがないのはなぜ?
837わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 09:34:20
なんだかんだ言って、流行に流されない人が残るんだろうな 古いとか言われながらも
やってく人が
838わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 09:57:05


詐欺師  →  植村博光(ウエムラ・ヒロミツ)
839わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 14:13:27
>>836
それも人気あるお絵描きに入らない?
840わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 17:15:14
>835評論家連中を巻き込む学問絵画

評論家喜ばせるために描くのは、芸術家ではないな 閉鎖的
日展みたいなもの 評論家という権威にすがってるだけ
841わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 19:17:40
>>840
でもさ、評論家ってグリンバーグとかロザリンド・クラウスとかの理論に
則って、作品の評価してるよね。
団体系の評論家はお抱えだけど、今描いてる人たちにもそれを強いるんだ。
842わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 19:55:07
ようやくグリーンバーグとかクラウスが参照されるようになってきたんだ。
知らなかった。
評論にとってはいいことかもしれない。作家にとってはとりあえず迷惑な話だろうけど。
今までの前近代的体制に少しは変化が出てきたと言うことだから。
もちろん、最終的にはアメリカの評論をどう乗り越えていくかという話になっていくべきなんだが。
843わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 20:30:32
結局、グリンバーグとかロザリンド・クラウスの理論に沿った作品作ってりゃ
評価される。たんなるまねごとでしかないんだな、アメリカを乗り越える
とか言ってる時点で自分を見失ってる。非日展系の団体の方がぜんぜん良いな
真似ごとと気づいてない、それが日本人 恥かしいったらない

                評論家サマーーー
845わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 21:15:49
いや、俺は日展系作家が最高峰だと思う。伝統を永遠に引きずってほしい。
工芸で大好きな先生がいるのだが、展覧会に行くと制作には時間が必要なんだと強く感じる。
インスタントでもデザインでもないので考える期間がないとあせるだけで納得できるものとはならない
とおれは何時も感じている。
846わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 21:26:26
そうなんですか。
私の信頼している学芸員さんは空気を長い時間かけてじっと見つめたらどうか
とおっしゃていました。でも最近の社会はそんなこともする暇がないぐらいに
めまぐるしいし、時間時間に追われ空気が入ってゆく余地などないんでしょうね。

私は空気の観察を極めたいと思っています。7,80年の人生では完成できないのは明白ですが
まあ、頑張ります。そうそう空気を描く作家さんもいますよ。
847わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 21:36:10
俺は単なる美術好きだが伝統を引きずり、守る作家というのはその中でしか生きられないのだ
と思う、はずれることは自己否定に繋がっていく。体制がよくないでけで
日展作家には良い先生が沢山いるよ。



848わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 21:41:33
彼は空気自体は
描いているのですが、まだ理解するには至ってないそうです。
難しいんですね。
俺、空気描けるし、理解もしてるよ
850ベストシステム:04/12/17 21:59:53
お前は誰だよ。一般の田舎美術好きがマタリと話し合ってるときに
チャチャ入れるなよ。プロは他へ粋な。レベルがあるの。
ベストシステムって優しいんだな・・・プロは引っ込むよ
852わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 23:13:11
日展系って、観衆としては、キッチュなんで驚くことがあるな。
しかし、その反面、絵を書く立場としては、あんな絵、思いっきりかいたら、
どんなに気持ちよいだろうと思うこともあるな。
日展の絵見たことない 団体には出してるけど
854わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 23:19:49
日展っていうか、日展系の白日会とか、悪趣味だなとおもうけど、楽しめるぞ。
ある意味、会田や村上よりも趣味が悪いんだが、奴らよりソリッドでいいぞ。
855わたしはダリ?名無しさん?:04/12/18 03:49:35
おまえ、saikoushaの講師だな。
856わたしはダリ?名無しさん?:04/12/18 12:35:14
最高者って埼玉方面の研究所か?
俺は行ったことないが、審美にも白日はいたぞ、今はどうだか分からないが。
857わたしはダリ?名無しさん?:04/12/19 19:36:03
団体系の人っていわゆる売れっ子の作家とかどう思ってるのかな。
また独立とか国画とか二科とか、他の団体をどう思ってるのかな。
858わたしはダリ?名無しさん?:04/12/19 19:59:13
団体に出してるけど、日展は古いなーと思ってる。体制も作風も
団体イコール日展としか思っていない素人が問題なんだけどね
日展なんて団体に出してる人の5パーセントもいないのに
859わたしはダリ?名無しさん?:04/12/19 21:33:12
思ってないし、古いから何?
860わたしはダリ?名無しさん?:04/12/19 21:39:05
ただ古いと思ってるだけ、やってる人はがんばってやってるし
彫刻家を尊敬してる 

他の団体は、ライバル心とかもないし単なる別の団体でしかない
861わたしはダリ?名無しさん?:04/12/19 21:49:22
俺の目がおかしいんだと思うが
最先端と銘打ってる展覧会みてもどこがやねん
と突っ込みたくなります。
862わたしはダリ?名無しさん?:04/12/19 21:52:44
人間はないものを求める習性があります
>>860
>>他の団体は、ライバル心とかもないし単なる別の団体でしかない
年寄りはそうでもないよ。
864わたしはダリ?名無しさん?:04/12/22 11:31:18
上村松コウは好きなモノを描いて見てるうちに画家になってたというが
ミンナもそうなんだろうなあ。

自分の見たモノ見えているものを描くんですよな。
865わたしはダリ?名無しさん?:04/12/22 12:08:42
福井爽人なんかも好きですね。
なんじゃこりゃ、ウェッセルマン追悼スレッドもないのか!!!!
867わたしはダリ?名無しさん?:04/12/23 11:33:52
トムなんてもういいよ。
868わたしはダリ?名無しさん?:04/12/23 23:37:42
”ギャラリーところ”でよく売ってたよな。
結構すきだったのだけど、”ところ”がなくなってから観てないな。
869わたしはダリ?名無しさん?:04/12/24 03:24:00


詐欺師  →  植村博光(ウエムラ・ヒロミツ)
870わたしはダリ?名無しさん?:04/12/24 06:38:48
作らない人の書き込みは目立つ
871288:04/12/24 08:03:13
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                      ゚し-J゚  ゚し-J゚
   ‐''"´''"''''"""''"`'''""`""""''''''"´'''"""''"`''"""'''"'''''"`""''''``''‐
872わたしはダリ?名無しさん?:04/12/24 18:06:07
>>325
>僕が監督なら、ケビンにチンチンを股に挟んで素っ裸で走らせたいと思います。

ふざけるなカス w
873わたしはダリ?名無しさん?:04/12/25 08:56:39
僕が監督なら、ケビンにチンチンを股に挟んで素っ裸で走らせたいと思います。
僕が監督なら、ケビンにチンチンを股に挟んで素っ裸で走らせたいと思います。
僕が監督なら、ケビンにチンチンを股に挟んで素っ裸で走らせたいと思います。
874わたしはダリ?名無しさん?:04/12/26 07:27:00
岡田斗司夫みたいな、美術に関して無教養の人間の意見
なんて、全く意味が無いのです。岡田の感想は、フィギュ
アしか知らない1オタクの印象というだけですから。
875わたしはダリ?名無しさん?:04/12/30 18:59:30

『2005年、ファーストフードを食べることが日本の未来を損なわせる!』

 レスするところが違くてすみません。
 先日『細木和子さん』が、予言されていたそうです。

 彼女の予言は、科学的、社会学的にみても納得できることではある。
 ファーストフードは、実際に世界の民族文化を崩壊させ、食を均一化させ、
日本の多くの伝統的商店街を廃業に追い込み、その食事は依存性をもちミネラルに
乏しいため健康にきわめて害毒、なおかつ客を奴隷化させることによって
成り立っている。
 さらにファーストフードは、女の子が健康な子供を生めない、男性が
強い精子を作れない、さらに子供の集中力を奪うという。

 誰か、私は2ちゃんねる初心者なので、スレを正しき場所で立てて
いただきたく存じます。よろしくお願い申し上げます。 
876わたしはダリ?名無しさん?:04/12/30 23:27:58
詐欺師だよ、そのババアは
877わたしはダリ?名無しさん?:04/12/31 10:20:42
”ギャラリーところ”
ってどうなったの?
ギャラリーわたり、ってのもあったよね。
879わたしはダリ?名無しさん?:05/01/28 12:48:02
>>875
予言じゃないじゃん
880わたしはダリ?名無しさん?:05/01/28 12:51:58
正当な意見だね。
今更何を……って感じ。
881わたしはダリ?名無しさん?:05/02/05 19:23:08
なあ、ふつうのテーマに戻ろうよ。
883わたしはダリ?名無しさん?:05/02/20 22:19:50
ミケランジェロみたいな写実的な作品創る現代彫刻家っておらんの?

公園とか行くと、これが芸術?って思う様なへんてこりんな置き物はあったり
するけど、ギリシャ時代やルネッサンス時代と比べると酷く見劣りする。
884わたしはダリ?名無しさん?:05/02/20 22:34:22
>>883
バカだね。ギリシア時代やルネッサンス時代にも、
その当時の酷い「現代彫刻」はゴロゴロあったし、
今でもヨーロッパに行くとそういうガラクタを見る事ができる。

現代の作品は、未だ淘汰が行われている途中だから、
相対的に見にくい作品が多く目に付くだけだ。
885わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/03(日) 13:13:23
>>884
何百年もたって夢の島掘り返して出てきたのが世界の至宝になったりすんのかね?
886わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/03(日) 13:18:23
美大の裏山に彫刻捨て場みたいにされてるところがあった。
あそこが何百年もたって発掘されたりするとなんだとおもわれるかな、、
887わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/03(日) 13:22:08
>>885
ラオコーン像とか、ちょっとそういう所があるね。
888わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/03(日) 13:23:29
>>887
ミロのビーナスってまさにソレでしょ?
あれ畑耕してたら出てきたって事は、ぶっちゃけ燃えないごみだったんだろ?
889TRUE ARTIST=48:2005/08/01(月) 06:27:52
このスレへは、一年ぶりの書き込みになります。
本来なら僕自身がスレ主として、現代美術に関する新スレを立てる
べきだと思っていますが、ナウマンのスレで反対意見が出たため、
スレ主が逃げてしまった廃物スレを利用して、ヴェネツィァ・
ビエンナーレなどの現代美術の話題を投稿しつつ、このスレを1000まで
進めて、終わらせた後に、改めて僕が新しい現代美術についての総合的
スレを立てることにしたいと思います。
嫌現代美術厨の煽り・荒らしは当然ながら無視してゆきます。
890TRUE ARTIST:2005/08/01(月) 07:10:50
ビエンナーレ関連のリンク

フォグレスによる第51回ビエンナーレのレポート(日本語)
ttp://www.fogless.net/index.html

artscape・村田真によるレポート
ttp://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/focus/0507_01.html

国際交流基金(日本館のスポンサー)による日本館展示(石内都「mother's」)の紹介
ttp://www.jpf.go.jp/venezia-biennale/art/j/51/

フォグレスのレポートは英語圏のアーティストの過大評価が目立つように思え、村田氏の
レポートは、あまりにも表層的な印象を持ちました。ともかくビエンナーレをご覧になった
方々と、いろいろ意見交換するうえでの、ひとつのベースとなる意見が提示されているとは
思います。
891わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/01(月) 11:22:27
確信も捕手も間違った方向え生きやすいんじゃない?
892わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/01(月) 13:44:52
>>883
モウそこまで表現できるような作家はいなさそうだね。どんどん生塗るい作家ばっかり世界は生産し続けるんじゃないですか?
893わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/01(月) 13:46:39
正直良い作家なんていませんね。
894わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/01(月) 14:11:52
そうだよねw
895TRUE ARTIST:2005/08/01(月) 19:37:35
今回のビエンナーレの展示で、個人的に最も印象深かったのは、ドイツ館の
ティノ・セーガル(Tino Sehgal)の展示でした。
僕がセーガルの名を知ったのは、フォグレスに書かれた、ロンドンのICAでのセーガル展の
レポート(下記URL参照)においてで、実際に彼の作品を体験したのは、今回が始めてでした。
ttp://www.fogless.net/artreview/050205_ica_ts/sehgal.html

フォグレスの伊東豊子さんのコメント
|撮影禁止のドイツ館の代表は、今年1月にロンドンのICAで個展が開かれたティノ・セーガル
|(Tino Sehgal)と、トーマス・シャイビツ(Thomas Scheibitz)。館内に入ると、
|セーガルが送り込んだ白いシャツに黒いパンツ姿の男女が、
|「Oh, this is so contemporary, contemporary, contemporary」と叫びながら
|ダンスをしていた。目を丸くして突っ立っている者もいれば、一緒に踊りだすノリのいい人も。
ttp://www.fogless.net/artreview/050610_venice2005/venicebiennale1.htm

ちなみに村田真のティノ・セーガル評では、単にバカバカしさで笑わされるだけの作品のように
紹介されてますが、そんなに鈍感でも良いのだろうか?と思います。
|しかしバカバカしさで金獅子賞ものだったのは、なんといってもドイツ館だ。
|パビリオンに観客が入るたびに、3人の監視のおじちゃんとおばちゃんが
|「コンテンポラリ〜、コンテンポラリ〜」と歌って踊ってはやしたてるのだ。
|初めはなにが起きているのかつかめず当惑するけれど、やがてあまりの
|バカバカしさに笑うしかなくなる。
ttp://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/focus/0507_01.html

セーガルが横浜トリエンナーレに参加すると、川俣正のダイアリーには書かれていて、
それがもし本当なら、要注目だと断言できます。川俣さん、がんばってますね!
ttp://www.yokohama2005.jp/jp/diary.php?20050605
896TRUE ARTIST:2005/08/01(月) 20:18:08
>>895の補足。
|館内に入ると、セーガルが送り込んだ白いシャツに黒いパンツ姿の男女が、
|「Oh, this is so contemporary, contemporary, contemporary」と叫びながら
|ダンスをしていた。
と書かれてますが、実際には最初に監視員らしい服装をした、かなり年配の
イギリス人っぽいおじさんが、ニコニコと歌いながら、ツイストっぽく
クネリクネリと腰を振って近付いてきて、びっくりして思わず後ずさりすると、
背後のドアの横に待機してた黒人女性が、同じように歌いながら近付いて来る、
といった具合でした。これはアート鑑賞者(関係者)の内面の声を戯画化した
表現なんだと思います。そんなにシリアスになるなよってことなんでしょうか。
すごい茶化し方だなと感心しました。気付くと芝居の舞台の上に自分がいて、
周りでミュージカルが始まっちゃったという感じでした。

セーガルの、もう一つの作品については全く紹介されてませんが、奥の部屋へ行くと
若い女性が英語で「私と経済問題について話し合いませんか?」と話し掛けてきます。
僕が、「アートと経済についてですか?」と聞くと「経済一般についてだ」と言うので、
断ってしまいました。この作品については、会話に参加しなければ、一体何を意図していたかを
理解しがたく、会話を断ったことを少し後悔しています。2つの作品は1つのペアになっていたのかも
しれません。

897わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/02(火) 00:05:29
48さん復活?
898TRUE ARTIST:2005/08/02(火) 07:25:02
日本人のレポートでは話題になってませんが、初体験だったセーガルを除いて、
僕が極めて強く惹きつけられた作品は、オラファ・エリアソン(Olafur Eliasson)の
"Your black horizon"という作品でした。
この作品は、San Lazzaroという小さい島の一角に展示されているため、この作品だけを目当てに
船に乗って見に行く必要があります。これは言葉で説明しにくい、未知の不可思議な知覚体験を
経験させる作品で、過去に類例の無いものだと思います。ヴェネツィアの海と夏の太陽を
見ながら小船で島へ行き、また作品の余韻に浸りながら島から離れるという、鑑賞者の生きられる
時間・空間・行動のプロセスが、このサイトスぺシフィックな作品にとっては、欠かせない前提であり、
きわめてシンプルである故に力強く、忘れがたい印象を残しました。

ttp://www.bookofjoe.com/2005/06/your_black_hori.html
899わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/04(木) 06:49:41
歴史教科書問題で思い出したが
開隆堂という出版社も
実にアホな中学美術教科書を作ってるらしい。
誰か見たひといる?
900REAL:2005/08/11(木) 06:53:18
ヴェネチィア・ビエナーレを見に行ってきました。今回が初めてのヴィジットです。
展覧会をするには絶好のロケーションであると思いました。
まだ行かれたことなくアートに興味のある方、機会のある方は是非一度訪れるといいと思います。
日本なみの暑さと太陽と塩風含んだ風、そして細い歩道(町中くまなく歩こうと思えば歩けてしまいそうです)
と水路に張り巡らされた町の複雑に入り込んでいるところは、アート鑑賞には絶好の時間を提供してくれます。
901TRUE ARTIST:2005/08/11(木) 12:20:33
>>900
> 展覧会をするには絶好のロケーションであると思いました。
>まだ行かれたことなくアートに興味のある方、機会のある方は是非一度訪れるといいと思います。
まったく同感です。
メイン会場のジャルディーニとアルセナーレ以外にも、市内に点々と展示の場所があり、
僕は4日間観続けましたが、全てを観ることはできませんでした。
>>898で紹介したオラファ・エリアソンとピピロッティ・リストの展示は必見だと思います。
キキ・スミスの"Homespun Tales"( Fondazione Querini Stampalia)は
ビエンナーレとは別料金ですが、これも印象に残った展示でした。
それから醜悪なプレッシの彫刻の背後にある、アルバニア館もお見逃し無く。
902わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/11(木) 12:23:56
郵政民営化が国民の為になりそれを公約にして推進してる小泉が正しい。
自民党がどうなろうと国民には関係ない。自分の利益だけを考えてるのが旧自民党。
自民党が分裂しようが全く関係ない。反対派はアホや。民主党も馬鹿。
903わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/11(木) 12:31:57
REALとTRUEはどっちが本物のARTIST?
904わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/11(木) 14:33:10
つうか美術ジャーナリズムに書いて金もらえよ
それぐらいの実力あるのにこんなところにいるのは不毛
905わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/11(木) 17:19:48
TRUE ARTISTはただの宣伝屋。
こういうアホがアートを薄っぺらでつまらないものにした。
美術ジャーナリズムは彼の居場所にふさわしい。
906REAL:2005/08/11(木) 19:29:07
私がビエナーレで今回一番印象に残りった二つの作品を紹介します。
一つ目は
グレゴリー・シュナイダーの制作が実現しなかったプロジェクト: CUBE VENISE 2005
この却下作品は、ビエナーレに招待されたシュナイダーが提案したプロジェクト。
スクリーンにシミュレーションと解説をプロジェクションしたもの。
サン・マルコ広場(バジリックのあるところ)にキューブをインスタレーションするもの。Caa^baににせたようなにもとれ
るし、西洋ではミニマルアートともとれる様々なレフェランスを含んだこのフォーム。
もともとヴェニスは歴史的に西洋と東洋の折衷の場所であること含めてテーマにしたもの。
(Caa^baはアラブ語で、「キューブ」のいみ:中は何もないキューブの形した建築で、
アラブ人正確にはイスラム教徒たちの礼拝の中心点であるシンボルで、
世界どこにいてもこの中心点に向かってイスラム教徒は礼拝するといわれる、
メッカに建てている。)
二つ目は
ダニエル・クノール(ルーマニア館):European Influenza(2005)
館内は真っ黒で何も置かれていない。館は前回のビエナーレの痕跡を残したまま。壁などは
使われた後かある。奥にジャルディーニ会場外につながる扉が会って
扉が開いている。そこから望む公共の場(現実の生活を営む生活の様子、でもとても
整備された緑の広がり、道をジョギングしている人や、立ち話している若者たち、
ベンチに座ってる人を見かけました。住宅も見えました。)
907REAL:2005/08/11(木) 19:34:08
(つづき)が印象的です。
注:Caaba(カアバ)と読んでください。うまく記入できませんでした。
908わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/11(木) 23:05:53
西欧のきれいすぎる町並みを見慣れちゃうと、肩の力が抜けた現代アートにほっとするんだよね。
ほんと、日本には500年早いって感じがする。w
909TRUE ARTIST:2005/08/13(土) 00:18:57
REALって、本当の目を持っているね。TinoSegalどころじゃなくて、DanielKnorrなんていうところがプロだね。
ところで、これらの作品てどこで買えるのかなあ?欲しいよ。
910REAL:2005/08/13(土) 20:37:51
Hi、TRUE ARTIST。そのテーマは興味があります。作品の「商品」性とでも言いましょうか?
作品そのものが完結していて、移動可能なものか、もしくは否か。LAND ARTは場所性を
不可欠とした作品であるために、クリストのように作品事態はデッサンによって売買されますね。
体験するものか、もしくはプロセスを経験するものによって作品を鑑賞することかできるか
という問題性。このところを切り口にトークを進めていけたらうれしく思います。
911わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/13(土) 21:50:06
realて以前のRだろ。丸見え、
912TRUE ARTIST:2005/08/13(土) 22:28:24
>>909は、僕の名を騙った偽物です。
こういう行為は混乱を招くだけで無意味ですので、やめていただきたいです。
ルーマニア館にはオープニングのときに行きましたけど、館の入り口で
本を配ってました(たしか)。で、その本が作品ということだったかと記憶
してますが、その本は読んでません。グレゴール・シュナイダーのカーバ神殿の
プランは、面白いとは思いましたが、いかんせん実現されていない点で、ちょっと
弱いと思いました。

>>911
違います。Rは、僕の友人で、Rrose Selavyのことですw
913わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/13(土) 22:39:29
自演乙
914わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/14(日) 01:34:05
また、御題目を唱えだす気か?
915わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/14(日) 01:48:08
理屈の通っていない独りよがりのディベートで相手を引かせる香具師だったな、
916わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/14(日) 01:49:06
独創性、オリジナリティ、新しさ、、、
917わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/14(日) 11:13:55
なんだぁ、本も読まずに良いって言っていたということか。
何を見て判断したのか、単なる印象批評か。こういう底の浅さが日本美術界に流れているンダ四なぁ。
結局のところ、分からないということ。
918TRUE ARTIST:2005/08/15(月) 14:48:50
ダニエル・クノール(ルーマニア館)の展示について、フォグレスのリポートでは、
>建物に完璧に主役を食われたルーマニア館では、館内はノータッチ&もぬけの殻(前回のスペイン館に似ているところがありますが)。
と紹介されています。ちなみに前回のスペイン館の展示は、僕が高く評価するサンチャゴ・シエラが行ったものでしたが、
スペイン館の入り口を入って1mぐらいの部分に、天井までとどくブロックの塀をつくり、館正面に並行する暗く狭く汚い通路だけしか
入れなくしてしまい、左奥へ行くと汚い便器が裸電球に照らされていた、という素晴らしい作品でした。当然ながらブルース・ナウマンの
作品を、誰もが思い浮かべるわけですね。そして便器があって、それだけということに僕は感動を覚えたものでした。
スペイン人のみ内部に入れるんだと言う噂を、あとで聞きましたが、本当なのかは判りません。

僕の印象では、展示は行わずに本を提示するという方法自体は、コンセプチャル・アートの全盛期、60年代後半〜70年代に行われて
いたものであって、ややアナクロニズムを感じました。もちろんイヴ・クラインは60年代初期に、作品を展示しない、からっぽ展を
行っていたわけですから、作品展示をしないことに、いまどきポジティヴな意義があるとは思えません。肝心の本の内容については、
読んでませんし、今は手元に無いため確認できません。けっこう分厚い本でしたけど、その存在を忘れていました。
919TRUE ARTIST:2005/08/16(火) 12:16:47
>>910
>作品の「商品」性とでも言いましょうか?
>作品そのものが完結していて、移動可能なものか、もしくは否か。
>体験するものか、もしくはプロセスを経験するものによって作品を鑑賞することか
できるか
>という問題性。このところを切り口にトークを進めていけたらうれしく思います。
REALさんは、現代美術に対する、しっかりとした見識を備えた方のようなので、
この美術鑑賞板での、僕の数少ない同志という思いがします。
よろしくお願いします。

とりあえず、このテーマから話を転がしていってみましょう。
60年代後半からポスト・ミニマリズムとして出てきたコンセプチャル・アート、
ランド・アート、プロセス・アート、あるいはパフォーマンスなどの、物として
所有できない形態のアートは、従来の絵画や彫刻のようには売買できないため、
アートのマーケットに如何にして乗せるかという問題があったわけです。
で、アーティストが生きていくための解決策としては、クリストのように
ドローイングを売ったり、ランドアートやパフォーマンスの場合は、作品の
写真やヴィデオを売ったりということに、今のところなっていると思います。
コンセプチャルの場合は、作品の所有権を保証する証書のようなものを売った
ケースもあるようで、こういう新しい試み自体がコレクターの挑戦的な独自性を
示す勲章のような性格を持っていたような感じがします。
最近の例ですと、村上隆が海洋堂にそそのかされて、食玩という形で自分の作品の
縮小コピーを売ったりしてますね。六本木ヒルズでは、「とんがり君」にちなんだ
お菓子とかキャラ商品を売ってますけど・・・。
920REAL:2005/08/18(木) 06:30:02
お待たせ致しました。こんにちは。都合上、ペースはゆっくりになると思いましが
こちらこそ、宜しくお願いします、TRUE ARTISTサン。まずはダニエル・クノールと
グレゴール・シュナイダーについての感想ありがとうございます。
クノールもシュナイダーも「政治的問題」が絡んでくるのでさらっと取り上げて(政治的問題は興味がある部分であり、
これらの作品をここに紹介したのはそういう部分も含めてではありますが。例えばルーマニアは昨年
EU加盟の調印の交渉を2007年まで保留にされたことで「西」欧州をかなり意識しているわけです。
そういうことを含め、コミッショナーのバビアスは彼を選んだわけですが。
まあ、とりあえずここでは政治問題についてながながディスカッションしていくのはやめますね。。。)
本題の「商品」性というテーマを取り出してみたいのは(唐突にですみません)
流動性のあるもの、ここではとくに価値が様々な要因によって変化し続けること、そして
関係性を含むので、おもしろいと思っているからです。
921REAL:2005/08/18(木) 06:51:55
「流動性のあるもの」というのは、

>作品そのものが完結していて、移動可能なものか、もしくは否か。
>体験するものか、もしくはプロセスを経験するものによって作品を鑑賞することかできるか という問題性。
(のことは取り上げましたね)、

そしてさらに次の二つのことを頭において取り上げたいと思います。
一つめは「資本主義における経済システム」もう一つは「表現の質(ここではものの価値にもあたるもの、
アートでいう作品とか)」です。
922わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/18(木) 11:08:35
ディーラー視線かよ、薄々わかってたけど。
だから日本の現代美術オタはダメなんだよな
923わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/18(木) 11:09:55
政治性は作品のテーマに関わるが、
市場云々は買い手のあんたらにもっぱら関わるテーマじゃん。
924REAL:2005/08/18(木) 20:26:28
<922、<923
えっと、そういうふうに見えるんですか。なるほど、そうみえるかもしれませんね。
どうしたら、作品の値が上がるか、とか、どう作品の価値を見分けるかといったことですか、
そうですね、そこをイメージしていたわけではないんですが、そういう「ディーラー」な目も
含まれますね。
925わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/18(木) 20:30:46
つうかそれに終始しているのが
日本のアートワールドの深まらなさにつながっている。
あんたら情報量はあるんだから、
しっかりしろよ
欧米の連中は、商売しながらも作品の質のことばっかり考えているぞ
926REAL:2005/08/18(木) 21:19:07
<[商売しながら] も [作品の質] のことばっかり [考えている]
この3つのこともあなたもいっているように、ですね、テーマに取り上げてみたいと思ったんです。
私たちは、この資本主義経済にのって[ビジネス]をし、同時に[表現の質]を求める。
そのために考える、というように。
927わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/18(木) 21:20:28
いやいや、残念ながらREALはビジネスしかしていない。
質の判断はあくまでも欧米有力プレス情報の後追いにすぎん。
928わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/18(木) 21:23:42
それはあんただけが悪いんじゃなくて、
日本のアートワールド全体の問題だな。
特に批評機能が壊滅的なのが痛いのではないか?
学者がコンテンポラリーに手を出さないのも、
欧米に比べてひどすぎるが。

目を持ったコレクターがいないわけじゃないんだから。

どうも日本だとアートの「理念性」をないがしろにしすぎる。
アルチザンに還元してしまうんだよ。
だから目利きすらが素材フェチに陥る。
929REAL:2005/08/18(木) 21:42:00
<927 返事どうもありがとうございます。ここでわたしなりに一つ見えたことがあります。
資本主義経済のビジネスをもってくると。こう展開するというのが、「表現の質」に対する
あるひとりの日本人の考えで、これはもしかしたら日本人一般にも当てはまるかもしれない
ということです。だから
私としては資本主義経済システムの捉え方と「表現の質」について考えることに
興味がある訳なんです。
930REAL:2005/08/18(木) 21:57:03
<928 
悪い良いの見解はとりあえずおいておいませんか?こんな感じでトークしていきましょう。
<特に批評機能が壊滅的なのが痛いのではないか? 学者がコンテンポラリーに手を出さない
これは、システムを流動的に(円滑に)塗り替えていかれるかどうか、というところが、鍵ですね。
<学者がコンテンポラリーに手を出さない
そうなんですか。
931わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/18(木) 22:15:11
そうだよ。
アメリカの美術史とはエライ違いだよ
日本だとコンテンポラリーは非アカデミズムの美大でもっぱら教えられていて、
アカデミシャンは印象派趣味の再生産にいそしんできた。
って常識だろ?
932TRUE ARTIST:2005/08/19(金) 01:31:32
>>920
スロー・ディスカッションを、ぽつりぽつりとやっていきましょう。
興味を持たれた方は、随時参加してください。
> 本題の「商品」性というテーマを取り出してみたいのは(唐突にですみません)
>流動性のあるもの、ここではとくに価値が様々な要因によって変化し続けること、そして
>関係性を含むので、おもしろいと思っているからです。
僕も「売る」という行為と現代美術との関連については、前から興味がありました。
上手に売ることでお金を稼ぐと言う俗な関心では、当然なく、REALさんがおっしゃるように、
他者とのコミュニケーション、関係性を、顧客にとっては未知の商品を売る行為は含んでおり、
こうした行為は、独自のやり方で、誰も提示しなかったコンセプトを提示し、鑑賞者である
他者を説得し、芸術的価値を認めさせる(いわば買わせる)、という現代アート作品のあり方に、
良く似ていると思うからです。
このあたりの話のネタ元は柄谷行人ですが、僕はそんなに深くは理解してません。
933TRUE ARTIST:2005/08/19(金) 09:11:04
アート作品の商品性を問う作品の先駆的事例として、ピエロ・マンゾーニの
『芸術家の糞』(1961)を思い起こしてみましょう。マンゾーニは自分の糞30gを
缶詰にし30gの金と同価格で売り物にしました。この作品は限定90個で、
版画のようにラベルに番号が打たれています。今では金よりも作品の価値が高騰して
いるので、この糞を買ったコレクターは、良いお買い物をしたことになりますね。
ttp://www.pieromanzoni.org/EN/index_en.htm
934TRUE ARTIST:2005/08/21(日) 01:37:16
美術手帖誌の9月号で、ビエンナーレの特集が、ようやく出ましたね。
詳しく読んでませんが、評論家の方々が分担して記事を書いていて、
対立する意見や否定的見解が全く見られないというのが、いかにも
和を尊ぶ日本的だなという印象を持ちました。ほとんどの作品解説の内容に
違和感を持ちましたが、それはともかくとして、この特集の写真を見て、
まだこのスレでは言及してないアーティストの重要な作品も多数あった
なと、いろいろ思い出しました。

まずBTの表紙に使われているトルコのフセイン・チャラヤンのヴィデオと
彫刻のインスタレーション作品は、CGなんかも非常に洗練されていて、
インパクトが強かったです。それからルクセンブルクのアントワーヌ・
プリュムの映像作品も、現在のアート産業の水面下での葛藤を皮肉に描いて
いて、たいへん面白かったです。
日本館の石内都の展示も、ややヴィデオのBGMに使われた通俗クラシック
音楽の芸の無さを除けば、決して悪くなかったです。もっと写真の数を
減らしても良かったかも、とも感じましたけど。あと日本観のツルツルの
床は多少目障りに感じました。和を尊ぶから壊したりできないんでしょうね。
935わたしはダリ?名無しさん?:2005/11/04(金) 12:04:37
ガイシュツ
936わたしはダリ?名無しさん?:2006/02/28(火) 13:31:19
ガイシュツ
937わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/25(火) 11:35:01
インスタレーション
ションション
938わたしはダリ?名無しさん?:2006/05/01(月) 19:32:06
いいものはいいよ。
現代美術っていっても、タレルの作品を見れば数時間素晴らしい時間を
そこですごせるよ。

正直、正直言ってルーブルを心の底から面白いと思った人、いる?
自分はギリシャ彫刻以外はほとんど見るものがなかった。
映画の看板の羅列を見てきたような感じだった。
いいものはいいんだよ。
939わたしはダリ?名無しさん?:2006/07/11(火) 10:43:15
ガイシュツ
940わたしはダリ?名無しさん?:2006/07/12(水) 16:13:36
突然の質問ですが・・
小泉首相が官邸で記者会見する時に
後ろに見える風景画は、誰の何という作品か
ご存知の方いらっしゃいますか。
941美しき肉体( ^ω^)ノ:2006/09/16(土) 04:50:36
   人   美の追求
   (  ヽσヽ
  ( ^ω^ )ノ
 く(    )
   \ ノ
    ノゝ
942ポルカ:2006/09/16(土) 17:19:43
>>933

核戦争が終わっても、マンゾーニのうんちは缶に密閉されたまま残っていた。

後の生命体はそのうんちを分析し、人類がどうゆう生物であったのか知ったとさ。

943わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/16(土) 20:40:38
うんち缶あけた人いる?
944わたしはダリ?名無しさん?:2006/10/13(金) 13:45:28
めがねの女の子って萌えない?
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/megane/1120814061/
945わたしはダリ?名無しさん?:2006/10/13(金) 22:15:17
さて次スレの季節だが
946わたしはダリ?名無しさん?:2006/10/14(土) 21:21:49
そだな
947わたしはダリ?名無しさん?:2006/10/15(日) 06:45:42
いらんな?
948わたしはダリ?名無しさん?:2006/10/19(木) 16:40:49
なんで私は人から嫌われるんだよ?
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1155837129/
949わたしはダリ?名無しさん?:2007/01/05(金) 08:01:50
とりあえず
素脚詞をヨロシク
950わたしはダリ?名無しさん?:2007/01/09(火) 16:54:42
どんなすごい技術を使った絵でも、描かれた内容で、名作と言われる場合もある
951わたしはダリ?名無しさん?:2007/01/21(日) 16:05:07
過去の美意識をふまえて現代まで残されいるもの、変化したものはなんだろう?
952わたしはダリ?名無しさん?:2007/01/21(日) 16:28:06
953わたしはダリ?名無しさん?:2007/02/20(火) 17:01:00
遺言
↓↓↓
954わたしはダリ?名無しさん?:2007/02/20(火) 18:51:52
絵画という形式に拠らなくても、
アートが成立できてしまうという時代なのだよな。

955わたしはダリ?名無しさん?:2007/02/21(水) 15:13:37

何言ってんだ? この馬鹿は
956わたしはダリ?名無しさん?:2007/02/21(水) 15:41:55
957わたしはダリ?名無しさん?:2007/04/24(火) 13:15:26
犬のアートコンクール
http://news.ameba.jp/2007/04/4290.php
958わたしはダリ?名無しさん?:2007/04/24(火) 23:53:22
age
959わたしはダリ?名無しさん?:2007/05/08(火) 09:10:34
ブロンズ像を購入したいんですけど、都内ならどこで購入できますか?
960わたしはダリ?名無しさん?:2007/05/20(日) 00:28:24
人を好きなるような感じと同じで、自分が心を開いた時にアートの世界は入って来るのだと思う。
961わたしはダリ?名無しさん?:2007/05/20(日) 00:40:04
フランク・ステラは言っています。「私は言うべきことは全て言い尽くしました。あとは私の絵をあなたが好きか嫌いかそれだけですよ。」と…
962わたしはダリ?名無しさん?:2007/05/27(日) 14:56:14
なんで古代ギリシャの彫刻はあんなにリアルになったの?
963 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/09(水) 12:11:55

ここにしようかな
964 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/12(土) 19:48:03

なんなのあれもダメこれもダメつて
965 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/19(土) 09:08:58
\ うめるよー! /
  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`       /ア@
ニニニニヽ  / /||
 ∧_∧ ‖  / / ||
@( ゚∀゚)‖ / / ||
]( つ¶つ¶/ /  ||
ト⊃ヽ厂 ̄`/ /  |θ
ヽL|キ_@/_/   ) ̄)
@@@@)三) ニ)三) ~~~
 ̄ ̄ ~~  ~~~ 
966携帯るき:2008/01/19(土) 17:23:23
今夜は電車男だああ
967 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/19(土) 21:44:02
ルキルキキタ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ !!!!!
                   ∧∧∩
                   ( ゚∀゚ )/
             ハ_ハ   ⊂   ノ    ハ_ハ
           ('(゚∀゚ ∩   (つ ノ   ∩ ゚∀゚)')
       ハ_ハ   ヽ  〈    (ノ    〉  /     ハ_ハ
     ('(゚∀゚∩   ヽヽ_)        (_ノ ノ    .∩ ゚∀゚)')
     O,_  〈                      〉  ,_O
       `ヽ_)                     (_/ ´
   ハ_ハ                               ハ_ハ
⊂(゚∀゚⊂⌒`⊃                       ⊂´⌒⊃゚∀゚)⊃
968 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/21(月) 08:36:04

雪・・・大いに期待して二時までおきてたといふのに雨さへ降らず
一滴の降水もなく終了l||li _| ̄|○ il||li
ここ數年の裏ぎりのうちでもいちばんショックをうけ、朝ごはんヤケ食ひしてやつた
つぎは二十三日と二十八日に機會があるといはれても信じやうがないね

ことしも雪見の旅へでるしかないな
練馬からバスでゆかれる草津が第一候補なり
969 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/22(火) 11:45:53

ひとはなんどでもだまされる
あす二十三日の雪にやはり期待をよせてます
970 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/23(水) 08:13:54

雪キタ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!

やはりうつくしいなあ
屋根や木の枝にすこしつもりはじめた
あとせめて0.5℃さがつてくれれば道路なんかにもつもるはず

練馬積雪たのみます
できることなら大手町も
971るきさん ◆oyOnEkO7U6 :2008/01/23(水) 16:02:19
我が家も雪降りです
972 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/24(木) 11:21:40

このあたりは二センチ弱つもり、おととし二月七日以來の積雪(;´Д`)ハァハァ
ただ途中で雨にかはつてどんどんとけてゆき、朝おきたらあとかたもなし

待ちに待つた雪を見ながら、なんとも壮大な自然現象なることよと感心した
溜飲もさがり、草津ゆきはよしてもいいかなとも思ふ・・・

つぎは二十九日と二月二日あたりにのぞみを託す
るきさんのところはしばらく冬型なので大雪かもね

そして木曜日、ロト買つてきた
めづらしくミニロトもふたくちだけ買つた
あたりますやうに
973 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/25(金) 08:57:12

     . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : ::::::::::::::::::::曰::::::::::::::::
      ..ノノ人ヽヾ. . ..: .: : ::: : :: ::::::::::::::::::::| |:::::::::::::::::
       ハ.ミ゛ヽリ| -、 . . : : : ::::: ::::::::::::::::::ノ__丶:::::::::::: 
     /ヨ~~| ヽ、ヽ、:i . .:: :.: ::: . ::::::::::::::::::||  ||::::::::::::::
    .( / ̄ ;;::::ヽ ヽ:l ..:. :. .:: : :: ::::::::::::::||泪||::::::::::::::
.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ::: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .||_|| ̄ ̄ ̄

       ロト潰滅
974 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/26(土) 18:50:03

酒と薔薇の日々
975 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/26(土) 18:59:32
976 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/26(土) 19:15:10

「嫁にゆかうぢやなし、婿とらうぢやなし、鯛の濱やき食はうぢやなし」

麥秋にでてきたせりふで、すきなのひとつ
発音は「ヨメニユコジャナシ、ムコトロジャナシ、タイノハマヤキクオジャナシ」です
977 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/26(土) 19:43:35

「なんだろ、これ」
「ガレージ」
「あ、シャコ」
もすこしすき
978 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/26(土) 19:47:09

  .  r- 、            
     l    ``''‐ .、,_        
    ト 、.,,_  r‐‐、 `'‐ .、,   
.    l   /.'┤  |     ``''‐ 、,  
    l  // │ │`>ァ 、     ``' - 、,
.   l .// U |   .|/ .// ``i‐ァ-,.、i´ `i  ``'‐、
   l, !/     l  _| ',二,‐.、 ,'/  レ |   |‐,.、,_  |
  .l ヽ. ;r 、,、-.'´ .ヾ,..(::)ヽ` ′r,ニ,'┤  |ノ!  !   |  十二本なんかすぐよね
  l/! l r'´_,,.............,」 .l~    '.(::)'i:|  |´  .|  |
.  l ノ y'        l/ u    ヽ ` .|  |  │  |
. l' /l   ー――-.v′  " ノ u .|   |  │  |
 l/ / u __  ノ  ,r==.ァ  ./|   |  │  |
 ゝ、l_       `7  u `ニ′ 入」   |  │  |
    ``' ー- ..、ノ,,_      /  |  |  │  | 
              ``'' ー-´- .、.,_│  |  │  |
                     `` ''''ー- ⊥.,,,」

979 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/28(月) 11:57:41

最後のふたつはおぼえてなかつた
980 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/28(月) 17:31:26

夜ふけて雪がみられるかもしれない
また夜中におきてみよう
房総沖にできさうな副低気圧に期待
981 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/29(火) 09:11:17

小雨五分で終了
  .  , ― 、- 、
   < < ) ):::: : .
    U( (U_つ::::.. .. .

つぎは二月二日から三日にかけての南岸低気圧
982るきさん ◆oyOnEkO7U6 :2008/01/29(火) 13:14:13
毎日雪降りですううう
983 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/29(火) 14:39:16

ソニー銀行の投資信託の口座をみたらおそろしくなつた
もう損のままでもよいからやめたい
984 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/29(火) 14:45:59
>>982
るきさん、きてたのね!

このスレッド、もう981をこしたから千までうめて落とすけど、
この板のひとたちにとつて大切な情報だつたりしないだらうね
なにしろ落書き用スレッドをさがしにはじめてひらいた板だから
事情を知らないの
985 ◆bxI8uFAAFA :2008/01/30(水) 14:28:34

あぶないところだつた
986わたしはダリ?名無しさん?
>>984
だったらageて板住人に問えよ卑怯者が
毎日レスがあるから何かと思って覗きに来ればキチガイが暴れてるだけ
レスするのもうっとおしいから放置してたけど
こんなバカ書き込み邪魔に決まってるだろ?誌ねよ