201 :
shodoka_a:
多忙につき謙慎展は無理かも。創玄展は回顧展を観たいのですが。
>>200 2ちゃんねるでのタイプミスにわざわざどうも。ご意見ありがたく拝長(笑)
>>201 ミスタイピングではありません。
拝観+させて+いただいて+おります
過剰敬語にも程があります。
「拝観しました」とか「見ております」で充分です。
指摘されても気付かないなら、やっぱり日本語の勉強を先になさった方がいいんじゃ・・
203 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/03/02 23:07
くだらない揚げ足を取って何が楽しいの?
そんなことより書について語ってみなよ。
言葉尻をとらえて喜んでるだけの厨房じゃないところを見せてみな。
204 :
shodoka_a:02/03/03 02:42
まあまあ、日本語にも朱筆を入れてもらえる書道スレということで、ありがたく御勉
強させていただきたく存じますでございます。
>>199 雰囲気作りは重要な要素だと思いますが、暗くしてしまうと確かに墨色など分かりに
くいかもしれません。見せる方法を考えることも大事だと思うのですが、照明や会場
設営についてもっと意見ないですか。
ところで九州にも国立博物館ができるそうですね。書のひときわ盛んな九州ですが、
書作品の収蔵品はいかに。九州には中国や韓国からの旅行者が多いと聞きますので、
中韓の書も数多く入るといいですね。
http://www.pref.fukuoka.jp/somu/01b110201.htm
205 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/03/04 00:53
200はfj住民
206 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/03/04 22:44
じゃあ
参拝させていただいております。
書道の臨書に付いて、気が付いたこと。
臨書するなら、オリジナルの字の大きさ、使った筆の形(大きいか小さい 太い細い長い短い
硬い柔らかい)、立って書いたか 座って書いたか、姿勢はよかったか 猫背か
右利きか左利きか、おおらかな筆使いか せこいか 几帳面か ぶっきらぼうか
慌てて書いたか、ゆったり書いたか、
紙は生か熟しか、繊維が細かいか粗いか 絹本か、墨はねばいか さらさらか
とにかく、いろいろ注意してしっかり鑑賞してから
始めると、楽です。
イタチの毛の小筆で書いた法帖を、羊毛の太い筆で書くのと
力の入れ方や癖のまねの仕方も、ぜんぜん腕の使い方が変わってくるので
臨書しても意味が無いかも知れません。
臨書するってのは、しっかり鑑賞する上で 書きはじめないと何をしてるか
わけが解らなくなってくると思いました。
208 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/03/07 04:44
柿沼康二さんも一日5時間くらい臨書をしてるそうですね。
自分もはじめようかな。>臨書
209 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/03/07 08:14
毎日じゃ 無いと思われます、1日5時間臨書する時もあるって
ことじゃないかな
このあいだ 収録に時間のかかるテレビに出てたし
その後か 前に 5時間も時間とれないって。
しょどーかってHKなの?
211 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/03/08 09:04
HKってなに?
212 :
麻姑ちゃん:02/03/14 14:01
『墨』の最新号(たぶん…)は面白かったです
いろんな先生方の「臨書観」が比較できて…
それにしても○飛先生って
○のもんたにソックリ!
213 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/03/21 20:58
はらぐろさもそくり
age
倉庫行き決定
くだらんこと 書くからだ はやくなくなれ
216 :
DQN書家:02/05/09 17:39
初めてこの板に来ました、、、もう誰もいないのかな?
関西でかの著名作家の元にいます。
、、といってもまだご飯が食べれるレベルではなく、
おまけに失業しちゃってへこみ気味。。。
ここで語って奮起したひ。。。。
217 :
DQN書家:02/05/09 17:52
なんとなくしばらくレスが付きそうな気がしないので、
一人でウンチクしてます。。(笑)
私が書を始めたのは今から18年前です。
最初は公民館の「習字」でしたが、
私の能力を見込んだ親が(根拠はない)、今の教室に
変わらせてくれたのが、中学にあがる時でした。
けど、大分長い事ブランクがあって、、、
つまり、いい加減にしてきたんですよね。先生も誉めてくれてたってのに。
今回リストラされて、自分には何も出来る事が無いんだ、
と自信喪失した時、目に入ったのが筆と墨だった。
仕事も全然見つからなくて、ヒッキーみたいになっていく中で、
筆が本当に私を支えてくれています。
お稽古も真面目に通い始めました。
どこへ就職活動をしに行っても断られて、疲労感が蓄積していく中で、
書だけは私の味方、慰めてくれるもの、と思っています。
先生が著名な方なので、チャンスを信じて頑張りたいです。
私をこれほどまでに助けてくれた書に、恩返しがしたいな、と思ってます。
218 :
DQN書家:02/05/09 17:53
そして、、、
同じように書を志す方々に何か書いて欲しひ(笑)
219 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/09 21:32
>>217 書道塾の場所を調べて、人口や子供の数に比べて、教室がない所で
教室ひらけば?なんとかなるって。
団地の近くとか、住宅地の近くなど、子供相手だと習字を教えると言うより
しつけるって感じかな、先生の出してる小冊子を使って、
作品を提出してもらって ちょっとづつ級をあげて、ほめてほめて おだてて
良い気持ちにさせてあげて、、、、
楽しく習字って感じかな。
220 :
DQN書家:02/05/09 23:55
>>219 今はまだ教えるとこ迄は考えて無いんですよね。
ブランク埋めるのが先でして、、、それに、やっぱし先生に黙って
勝手な事は出来ないし、、それを不自由に思った事はありません。
好きな事ですから。。。。。
221 :
DQN書家:02/05/10 11:09
今日もお恵子開始です。誰か書き込んで下さい、リバイバル書家板!
222 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/10 14:00
>先生が著名な方なので、チャンスを信じて頑張りたいです。
先生が著名でないと、チャンスはないのか?
それじゃ、私は無理だ。
でも、そんなチャンスは欲しくないな。
223 :
DQN書家:02/05/10 20:32
>>222 あの、別に著名な方に付かないと望みはないなんてつもりで言ったんじゃないんです。
すみません。。あの、どういった方ですか?良ければ教えて下さい。。(^-^)
224 :
DQN書家:02/05/11 09:45
今日はお稽古日。朝から筆ならししとかなきゃ。。
225 :
DQN書家:02/05/11 09:56
しかしあれだな、一人で喋り続けるのも変だな…(笑)このスレって続けていいんだよね?
前は沢山来られていた様だけど…
226 :
DQN書家:02/05/11 10:05
しかしあれだな、なんで過去にはかなり書をやってます、みたいな人が
来てたのにさっぱりになったんだ?(笑)
227 :
DQN書家:02/05/11 23:36
今日は稽古日。今やっているのは仮名と細字(さいじ)の勉強です。
仮名は右への揺れ、細字は、お手本毎の特徴を掴め、と言われました。
心を新たに頑張りたいですね。
書を志す方々は、どのようなお稽古をされてるのかな?聞きたいなぁ…
228 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/11 23:54
じゃあ
草書は楊州八怪の黄慎のけっこう好きです
行草は蒲華
篆書は呉昌碩
をよく臨書してます。
229 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/11 23:55
紙がもったいないので
とりあえず
毎日 昨日の新聞紙を使っていろいろ臨書して
無くなったら終わり。
って練習かな。
230 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/12 00:04
書の白と黒の美しさにはまりかけています。
ところで楷書から練習したいのですが、
模写(っていうのか)するのにおすすめの書家さんなど教えて。
231 :
DQN書家:02/05/12 10:59
>>228 篆書以外は手元に手本がなく、どういう作品か判らなかったのですが、
見たところ癖のないスタンダードなもののようですね。呉昌碩の篆書、清々しく美しい。
私のところは、篆書、隷書は殆どやらないです。大体それ以外の三体を小学生
は楷書の四文字(先生の書かれた手本のコピー)、中学生は同様に行書、そして高校生に
なると仮名基礎から、三体の臨書をやります。
確か…虞世南・王義之・ちょ遂良(漢字が無くてごめんなさい)、辺りからです。蘭亭序や孔子廟堂碑等から入ります。
232 :
DQN書家:02/05/12 11:13
>>229 習いに行かれてるんですか?紙は確かにバカになりませんね。改めて紙を大切に
使うことを学びました。私意見ですが、紙はお使いになられることをおすすめします。
筆ならしや字形の稽古なら新聞紙で十分ですが、滲み具合や白と黒のコントラスト、
スペースに合わせた練習等は半紙なんじゃないかと。紙問屋さんなら、千枚単位で格安です(^-^)
>>230 これまた私意見ですが、今まで見た中で一番基本稽古に適してると思ったの
は通信教育です。「日本書道協会」の「現代書道講座 本科」
という冨田翠江先生の講座はいいと思いました。
233 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/13 00:36
>>228 私の勝手な解釈かもしれませんが・・・
宋時代以降の書家のものって、王羲之や顔真卿の踏襲だったり、あるいは妙な習気
が感じられて、どうも好きになれません。作品を作る際に、文字の崩し方などを書
道字典に出ているような範囲で参考にしたりはしますが。石鼓文を臨書する際に、
よく見えない文字について呉昌碩の臨書を参考にしたり。
私が臨書で習うのは、
草書は王羲之の尺牘か、書譜あたり。
行書は王羲之・顔真卿・空海・太宗など。
楷書は顔真卿まで。唐楷はもちろんですが北魏の造像記や隋あたりの墓誌銘なども。
篆書や隷書はそれぞれ成立した頃のものを。
といった感じです。
初心者が楷書を習う場合、初唐の物より隋あたりの墓誌銘が私的にはお薦めです。
少しクセがあるけれど、点画がはっきりしていて見やすい物が多いのと、必要以上
にテクに走ってないところがいい。三大家の書は完璧すぎて、最初のうちはいくら
練習しても全然上達した感じがしない。最初のうちに墓誌のクセに対応することで
あとから三大家の書にもすんなり入っていけるような気がします。
こんな私に、明清あたりの書の魅力について語っていただけませんか?
234 :
DQN書家:02/05/13 06:55
すごいですねぇ…習うところによって、全く違う教材や教え方…自分の世間狭さが良く解ります。
私はイワユル習字から入った人間なんで…今の教室になってからは、
先生の書かれたお手本ばかりだし、とにかく年を重ねる毎に三体は余り練習しなくなってます。
多分風信帖すらかじったかかじってないか位…こういう伝統のある芸術は、
まず古典を、は定説なんで私も更に学びたいな。特に余り中国の古典を知らないと言う点もウィークポイントかなと。
多分先生の作風が仮名芸術の流れを汲み、代々そういうお家だというのも大きいんだろうな。
235 :
DQN書家:02/05/13 07:29
>>233 。。。という訳で私は明清の書の魅力に関しては、
漢字の御稽古を余りしていないので無理みたい。
他に、漢字を良く御存じの方意見キボンヌ。
皆さん、どんな書籍を手元においてお稽古なさってますか??
是非知りたいです。
236 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/13 08:19
中国での 書の勉強の仕方は、子供の時まず篆書から 勉強して
隷書 楷書 行 草 と、書の成り立ちの歴史をなぞって
勉強しているみたいです、篆書だと字の上手い下手がめだたず
絵のようなので 楽しく筆になじむとこから入る様です。
筆力もつくし、ぞうほう 逆筆も身に付くし、なるほどなって感じです。
237 :
DQN書家:02/05/13 08:27
そうなの?すごーい!!知らなかった…合理的だよね、ウン、ホント。日本は平がなもしくは線から、、うーん(ワラ
238 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/15 23:32
中国では初等教育から毛筆を芸術として
教えている。
それにくらべて、わが日本
「硬筆の基礎としての毛筆」。
中途半端でよくわかんないよね。
既に実用の品ではなくなった伝統文化を、
必死で学校教育に残そうとする、
悲しい現実がそこにある感じがしますね。
いっそのこと毛筆の授業をなくしてしまったら
すっきりするのではないかな。
239 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/05/26 01:01
age
240 :
くらこっと:02/05/28 13:34
このスレ、生き残っていたんですね〜。
書に恩返しっていうのがいいですね。書でたくさん稼げるようになるのが、
一番の恩返しと思いますので、がんばってください!
墓誌銘のお話は納得。
やってみようかな……。
241 :
joseph:02/06/15 11:11
私は魏の造像記群が好きですね。
あのヒリヒリした鋭さがいいな。
九成宮も好きだけど。
>>35 思うに、音楽と書との類似点って、それを鑑賞する際の
我々の側の内的な時間のあり方なんでしょうね。
というのも、書を見る時間は、書く時間でもあるからです。
つまりその作品を見ながら、その文字を、内的な筆で
なぞるかたどるかしていますよね。
音楽も、それを聴いている際によく注意してみれば、
自分が一緒になってそれを歌っているのに気付きますよね。
鑑賞することが、一つの創造になっているんではないでしょうか。
一方、絵は、それを見ながら、我々の内的な筆をとって、その絵を
描き直しているわけではない。むしろ、その全体の構成が
一気に与えられて、それを捉える方がよほどの「かなめ」である
(このような意見には、大いに反論の余地がありましょうけれど)。
例えばレオナルドやアングルなどの絵には、ほとんど「ふであと」が
見られない(実際彼等はそれを消す努力もしていたようですが)けれど、
あれは時間(の流れ)を封じ込める効果をもたらしてるように思えます
(制作にかかった時間じゃなくて、作品の中の時間、のことですが)。
磨きあげられた大理石の彫刻もそうなのでしょうが、
あれらの一瞬の表現は、「ふであと」や「のみあと」の
なさにその成功の一つの原因を負っているように見えます。
243 :
DQN書家:02/06/24 15:18
久しぶりです・・・
少しでもレスが進んでますね、嬉しい。
まずは
>>240 くらこっとさん、ありがとうございます。
今は職も決まり、今度は仕事を爽やかに続ける上での支えになってくれています。
そしてそして、今までは普通に大先生が書いたのをコピー機で印刷した、
言っては悪いですが全然濃淡や筆跡がわかりにくいお手本でしたのが、
大先生の息子先生(つまり今習ってる方ですね)の直筆手本に変わりますた。
ちょっと出世したw
今までは仮名と漢字の能力の差が余りにも激しく、
目も当てられないほどでしたが、今はほんの少しだけましになって、
毎日コンスタントに細細とですが稽古し、お稽古にも通っています。
何十年経ったら、「描く書」に辿り着けるかしらん。。。。(遠い目)
244 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/07/20 16:53
國井誠海って方はどうなんですか?
245 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/20 20:16
あちこちで宣伝してる東博の西川寧展をみてきた。
例えば、東京オリンピックの体操の演技を見てるような雰囲気。
→当時は斬新ですごかったんだろうけど、いま見るとどこもぱっとしない。
誰か行った人いる?
246 :
くらこっと:02/08/21 08:44
>>245 そのすぐ後用事があるにもかかわらず、見に行ってしまいました……。
全然じっくり見られなかった。もったいない。
私の印象は、ぱっとしないというほどではなかったです。
今はいろんなことやる人がいますからね〜。でも、西川さんはやっぱり
底力が違うような気がするな。
247 :
くらこっと:02/08/21 08:55
>>243 さん
直筆のお手本、おめでとうございます。
書作品って(まあ書に関わらずですが)、ライブ感がとっても大事です
よね。それがあるとお手本といえど見ているのが楽しくなってきて、
練習するにも励みになろうというものです。
>>241 さん
書って、絵や写真よりも切り取る時間帯が大きい気がします。
今その一瞬を残そうとした西洋絵画がものすごく写実的なのはむべなるかな。
それはある意味神様への傾斜であり挑戦であったような気がしますが、
書は筆が紙にのろうとする瞬間から、離れてながれてゆく瞬間までを切り取り、
残そうとする。どちらもそれぞれに、面白いところがありますね。
248 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/21 17:06
>>245 本館に飾ってあった青山杉雨が良かった。あれを収蔵した東博はさすがって思う。
西川展平日に逝ったらガラガラだったぞ。客は入ったのだろうか?
250 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/24 22:44
age
251 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/02 13:01
公募展って、出品者以外にはどういう人が見に行くんだろう。
田●文▲
はじめてココを知りました。最初から読まして頂きましたけど、
いろいろ勉強されていますね〜。
紙・筆・墨・・・など、相性もありますし、奥深いものだと思います。
皆さんは、関西系?関東系?どちらですか?
これからは、毎日書き込んでいきたいと思います。
よろしくです。
今月の芸術新潮 読んだ?
鉄斎の書っていいねー
今の書家となんか根本的に違う気がする
なんなんだろう。
私は、関西(大阪)に住んでいます。いろいろ専門店がおおくて・・・。
学生時代から某天満のお店で買っています。
↑
ここってマイナーなお店なんですかねっ?
>>255 駅前の額縁屋?紙なら天満橋のあそこかな?
257 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/11 10:21
僕はあめみや改めキョーワ。
でも、筆はとてもじゃないが買う気がしない。
258 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/22 14:29
書道とはちょっとスレ違いになるのだけど、他に良いスレが無いので。
今日の日経朝刊に日本書道協会の筆順字典ってのの広告があるんだけど、
婿の字の楷書、行書、草書の字が土へんになってる。なんか見ただけで
色々と間違いがあるんだけど、この団体ってDQNになっちゃったの?
>>258 「土」じゃなくて、「士」ですよ。つまり男という意味です。
字義としては「士」のほうが正しい。
260 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/25 05:33
261 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/26 18:50
「士」とはサムライのことを本来示し、何かあるものを司る行為をする人
言わばその道のスペシャリストのことをそう呼ぶようになった。
ある意味、美男と考えることもできるのであるが、
「男」と言う意味とはチョト違うんでないかい?259YO、と思うぞい?
262 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/27 01:31
>>261 確かに「士」単独の意味は、そのとおりでしょうが、
婿という字で使われる「士」の意味はそこまで限定するのですか?
婿はスペシャリストでなくてはならないのですか?
初めまして。これまで「書道の好きな方々へ」に顔を出していましたが、知らぬ間
にスレッドがなくなっていました。それでこれからは折に触れてこちらに顔を出さ
せていただきます。各人各様の見解があって面白く見ています。
かねてから小さなホームページを開いて、毎月新たなページを加えてきました。長
くなりますから、僕が何をしているのかはお手数ですがそちらをご覧ください。今
日、10月分をUPしました。Netscapeでは画面が崩れれるようなのであ
しからず。
ようやく酷暑から逃れて一息ついたところです。
9月中は廟堂碑拓本の書丹を探っていました。主に虞世南が習ったといわれる智永
の真草千字文とを並べて習いました。
その過程をHPに載せようかと思いましたが、読出すのにあまりにも長時間を要す
るので断念しました。
廟堂碑を真草千字文やこの時代の肉筆の用筆のように書いてみましたが、同じよう
にはなりませんでした。しかし、拓本は書丹とはかなり違ったものになっていると
いうことは間違いないようです。
研究者の研究成果は十分参考にしなければなりませんが、その一つ一つを自分でや
ってみることは勉強に不可欠の条件だということを痛感しました。
書は楽しく面白いものですが僕のような老人には、健康上はあまり好ましくないよ
うです。
僕のURLは下記のとおりです。よろしく。
http://member.nifty.ne.jp/HKJB/index.htm
>>258
婿はもともと士部に属する字、壻が正字です。土ではなく士が正解、壻は妻から見
た夫の義とあります。士はもともと戦士の階級。(字通)
265 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/01 10:20
誰か馬王堆木竹簡・帛書のいい図版がのってる本知らない?
266 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/01 10:29
>263
あるよ。
267 :
DD猫 ◆liLPqQr. :02/10/01 19:59
みなさん、文房四宝にはこだわりまふか?
>>267 私は特にこだわりません。
練習の墨・紙代で精一杯・・・
文房四宝の良いものを手に入れるにはお金がかかる。
しかも大事すぎて鑑賞用になってしまうという罠。
269 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/02 20:13
オレは毎日乾隆墨磨るけどね。
貧乏人に書はできないよ。
いやさぁ、文房四宝の仕事についちゃったもんで、
この期に書道はじめようかと・・・
展覧会のご案内
横田順展(沈黙の形)。
場所 東京銀座 小野画廊。
104−0061
東京都中央区銀座1−9−6、第2銀鴻rル2F。Tel。03−3535−1185
日時 2002年10月28日〜11月2日。
11:30〜19:00(最終日16:00)。
これは書か絵画か。
272 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/08 12:33
唐突ですが。書を音楽に喩える人って多いけど、伝統書(漢詩を書くヤツね)に関していえば、
歌みたいなもんなんじゃないかと。どちらも詩(言葉)を歌い上げるものだから。
んでね。すごい歌のうまい人は、ちょっとした台詞の節回しに、ホレボレさせる
ものがあるでしょ。フェイクかけながらも、発音が意外にきちっとしてたり。
なのでその辺のこまかい魅力にピンと来ると、はまるのだ。
だからあたしゃあ、前衛書とか、文字からはみ出したものはどうか?となってしまう。
歌でいえば、言葉にならん声を聞かされてるようで・・。んで書は芸術だのいう前に、
大衆の娯楽だと思うものなり。とくに明代以降の額とか条幅ものを部屋に飾るという
習慣は、現代で、お気に入りの歌をBGMで部屋に流すのと大差ない楽しみ方だと思いますけど
言い過ぎか?
273 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/08 13:17
274 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/08 21:08
>>272 生活の中に入り込んでこその芸術だ。
あなたのおっしゃることはもっともだ。
だがはたして書は、BGMのように気楽に飾られているだろうか。
生活の中に、入り込めているだろうか。
275 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/10 00:33
書をやってれば他人の書もすらすら読めるようになる?
なんてことはないよね
>>275 おいらのようなタダの横好きでも、行草が少し読めれば
意味はなんとなくわかります。で、読めなくても情感が伝わるのがある。
その佇まいがただならぬいい雰囲気のものがある。梧竹とか。わしはそれで満足します。
>>274 う〜〜ん。題材の形骸化が問題か、はたまた権威主義のせいか・・。
それともわれわれが漢詩文化を捨てたのがそもそもの間違いか・・・。
漢字書の表情が好きなのでなんともいえないが、やっぱり指導者は、
伝統芸能などと権威ぶらず、娯楽と捉えた方が、よい作品を生むことになるとおもいます
あの碑学研究の第1人者、西川寧ですら、「だれか女子高生の書く文字(まる文字:当時)を、本気で
研究したらどうか?」と書道全集に書いていた(確か)。つまりリアルタイム
の芸術を志向してたわけで、彼の古典研究はあのボリュームをしてあくまで自作の
手がかりだったと思う。作品も現代の人に訴えるものをもっていた。題材は古文でも。
ただ権威はやはり権威ということで。それで飯食っている人にはいろいろあるし。
それは昔もあったと思います。それに本当に大衆すべてを相手にした芸術はつまらないですよ。
わしは国民的スターになった歌手は応援しない。カレーライスの旨さを力説するようで甲斐がない。
納豆なら力説できますが。
277 :
272(喩え魔):02/10/10 03:29
くどいけど、つけたし。大衆の、好きな人と、通じる人だけの(オタとよばないで)
ちょっとお洒落なたしなみ。これが理想ですよね。
ゴルフも一緒か。もとはといえばそういう位置付けなのに、
プロゴルフとか、接待とかに使われると、お洒落とはほど遠い世界に。
接待ゴルフは、させる人の幼さが諸悪の根源。きっと書道も、取り組む人の心構え
ひとつですよ。もとい、余裕がないと、できないのね〜・・
278 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/18 13:37
>276,277
わかるけどね。
実際、微妙なところですね。これは書道に限った話ではないでしょうが、
芸術の大衆化というのは、それだけその「芸」で飯を食える人が多くなる反面、
長い永い時間を経ても人の心に残るような「作品」はかえって生まれにくくなる
かもしれない。悪貨が良貨を駆逐してしまうようなところが、大衆的人間には
あるからね。
でも、人の生活をまるで無視したかのような「芸術」も、それはそれで問題なの
ではないだろうか。そういう意味で生命力を感じることが出来なくなった芸は
形式的・教条的になり、やがて廃れていくことでしょう。
僕の理想的には、カレンダー(どっかの粗品でもらってくるようなものではなく、
もっとインテリア的な使い方ができるもの)とか、普段持ち歩いている手帳の表紙
などに、わかりやすいかたちで書が活用されている……なんてのがいいな。
生活のさりげないところに、書があるといい。
そんな書が、もっと世に出てくるといい。
279 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/19 00:40
syodoka A さん、元気かなあ。
280 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/19 07:28
>279 元気だよ
趣味一般板から来ました。
マタ−リと書道を勉強している者です。
こちらも面白いですね。ちょくちょくお邪魔させていただきます。
>>263 HKJBさん
趣味板の書道スレ健在ですよ。
そちらへの書き込みがないのでどうしていらっしゃるのかと心配してました。
最近お金に関する話が多いので厭になっちゃったのかなあ?とか、いろいろ。
おまけにそっちに「HKJBさん、元気かなあ?」なんて書いてしまって・・・
失礼の段お許しくださいませね。
283 :
squal:02/10/23 01:01
始めまして。私は高校で書道を専門に学び、大学卒業後、学科では書道が専攻できなかったため、履修生として書道学んでいます。
書道に関するお仕事に就きたいのですが、中々情報がなく困っています。
どなたか、これなら書道と関われるという仕事を知っている方いらっしゃいませんか?
折角学んできたので、書道を生かせる仕事に就きたいのです。よろしくお願いします。
284 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/23 01:08
僕の母さん書道家です。
285 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/23 01:51
筆絵みたいなん描こうと思ったら結局仮名書道はやらにゃならんと気付いて
今毎日いろは歌を書くのが日課になってます。書画一致とはよくいったもんだね。
筆絵に限らず線に拘るなら書道は格好良い線引き能力の養成ギプスだわ。
286 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/23 08:32
書道で飯を食う、一番てっとり早い方法は、書道の教職に就くことだろう。
287 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/23 13:28
時代は変わったんだよ。書道の教職なんか求人が年に数人しかないんだよ。
288 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 00:33
確かに・・・書道の教職は厳しい。唯一書道の専門で募集している埼玉県は年に約一人採用です。
しかも、書道は、埼玉県の私の卒業高校のある先生が権力を握っているので、卒業生優先の状態です。
そして、お気に入りの教え子、実力、年の順番も関係ある・・・
埼玉県内では、はっきり言って、ある高校を卒業すれば教職に断然有利(例外もありますでしょうが)。
埼玉県立の高校ですし、教育の場と教育委員会が繋がっているので。
これから一層、実力ある生徒がその高校から輩出されますから。
はっきり言ってしまえば、高校から専門で技術は勿論、学術に関しても専門的に学んでいるので、書道に力を入れているD大学にほとんど推薦で入ってしまいます(日文・中文・書道にクラスに3分の2以上)
所詮コネの世界です。
289 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 02:05
書道で飯は食えないでしょう、うちの母は20年前は生徒が200人位いたけど今は10人位だよ。
290 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 03:43
>>289 そうそう、昔は書道教室って子供の習い事として結構人気あったよな。
なんでこんなに廃れちったんだろ?
291 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 11:58
フフ、俺は教員採用されたぜ
292 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 12:35
運いいですね。でも、採用されるのに何年かかったんだろう・・・
普通高校の書道教員は、1高校に一人くらいだと思うので、派閥とかはないだろうけど、生徒にそういうのを押し付けないで下さい。
結局、迷惑なのは生徒の方。純粋にやりたいのに、教師のせいで潰しちゃうのですから。
ひいきが成績に出てしまうような事、日常茶飯事でした。それで、嫌になって卒業後、全く書道に関わらない進路を選んだ人もいます。
教育委員会も、そういうのがはびこっていると思うと、本当に腐ってるなと思いますよ。いや、教育全体が腐っているのか。
どうにかしてほしいものです・・・
293 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 12:50
知り合いは結構、教職してるけど。
あ、でも講師って扱いなのかな。
作品売って食える人はまずいないし、よっぽど運が良くないと、教室の先生として
も食ってゆけないだろう……。
ああ、大変。
294 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 16:30
A県の場合、書道は芸術ではない。後に教頭に出世した主任がそう言ってた。それから、
「教育に芸術は必要ない」との事。後に校長を経て今年H市教育長に出世した教頭がそ
う言ってた。また基礎指導は全県規模で禁止されている。例えば平仮名単体を読める様に
してはならない。もちろん、「どうすれば誤字にならない様に書けるか」の指導も禁止。
高教研で何人かの書道担当教員に聞いてみたら、どこの高校も皆そうらしい。書道教員採
用試験は二十年以上実施されていないので諦めている模様。書道担当の指導主事も専門外
の人が片手間に受け持っているだけだから、要望したって無駄になる。
通常、書道の指導は国語教員が代行する。実技試験は完全免除、専門知識も選抜対象外。
まともなやり方なら、国語専攻で書道の免許を持っている人の方が書道科卒業生よりも有
利になる。ただしコネを使う場合は話が別。採用試験がないから人材不足は慢性化してお
り、秋冬になると県教委は独自に人材探しを始める。ベテラン教員に電話して、教え子や
社中の知人を紹介して貰う。そうして講師が決まる。免許保持者が見つからない場合は教
育職員免許法で許されている奥の手、臨時免許状を交付して間に合わせる(県内の教育機
関全体では、年間百名交付の実績あり)。これで最長六年間が安泰となる。県教委の説明
によると、これはいわゆる「地域の人材の活用」だから、地元ではむしろ大歓迎される。
社中の勢力分布は三つか四つくらいで、それ以外の書流は入り込む余地がない。
295 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 16:31
国語で採用された書道担当教員が国語的に教える事(学習指導要領の文言では「国語と
の接続」)を重視していると思ったら大間違いだった。あくまで「書道は読めない」とす
る常識の維持・教育が前提のため、影響は国語それ自体の中身にも丸ごと波及する。校長
曰く、「読めないものは教えるな」と。〜A県では英語教員の勢力が強い。漢字は悪魔の
文字であり、書道に至っては戦前の精神主義に加担した諸悪の元凶だから論外。書道担当
の国語教員は、大学で古文書学を学ぶだろう生徒に対する基礎指導すら禁止されている。
国語には踏み込むな、という訳だ。ここで国語教育の正体が明らかになる。そもそも国語
は明治以降の共通語政策が前提だから、それ以前の「筆文字の時代」は対象外となり「読
めないから教えるな」が正当化されるのであった。前記H市にある国立大学でも、書道
担当の教授はかなり前に絶滅した。
昨年、この件に関する投書が地元紙に掲載された。その影響だろうか、今年は二十三年
ぶりに書道教員採用試験が実施された(代わりに美術の試験が消えた…音楽・美術・書道
の芸術三科目間で、採用枠をめぐる共食い紛争が勃発?)。しかしまだ、基礎指導禁止慣
行は相変わらず生きている(「教育に芸術は必要ない」)。ちょうど実技試験復活と引き換
えに、国語との絆が完全に断たれた恰好で、「平仮名を読める様にする」指導はいっそう
困難になった。情報ある者は、書道教員採用試験の採点・選抜メンバーに注目されたし。
最後にクイズ。A県H市にある国立大学の名称を答えよ。
(ヒント/国立三大学教育学部統合には積極的。相手校の一つには書道科がある。)
296 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 16:37
鑑賞板と趣旨は違うけど、おもしろくなってきたので許す。がんがんやれ。
298 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 17:59
>>297 嫌だよーん(これ以上書いたらヤバイ)。じゃ、鑑賞板らしい話題にこじつけよう。
文字意識なし鑑賞は書道を前衛芸術に変える。線の芸術、凍れる音楽、読めなくても分
かる人には分かる伝統芸術。これじゃ「分かり方」自体が才能任せの頓悟主義で、「読め
る」所から始める「漸悟」型の人は初めから排除されているのと同じ事。書ける才能と分
かる才能の混同。読める才能は「教えなくても読める」自己学習力の精華となる。これこ
そまさに、教育の放棄から成る「ゆとり教育」の実態。過去百年の書道教育の歴史を見れ
ば、「ゆとり教育」の行く末が分かる。
仮に〜分裂的な書の鑑賞を正当化するとしよう。視覚的な美だけを求めるなら、書道展
はむしろ誤字作品に寛容であるべきではないのか。敢えて「漢字らしさ」のある非漢字で
確信犯的作品を出品し、書から言語芸術としての側面を撲滅するべきではないのか。尤も
私は、本気でそんな事を考えている訳じゃありませんけれどもね。
でも…漢字それ自体の創作・作品化は面白かったなあ。誰にも読めない書を、ひたすら
美しく書く。結局「草書もどき」にしかならなかったけどね。明朝体活字の臨書には飽き
た。披麻皴とか芝麻皴とか米点とかを駆使して、山水画にトライした方がよほど面白い。
299 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/24 18:05
誤記訂正。二行目「文字意識なし」→「文字意識なき」
300 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/25 02:04
関西の学校も若いのより年寄りを先に雇う傾向にあるな。なんとかしてくれよ。