純愛SS『其の5』

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@ピンキー
純愛エロSSのスレです。

『純愛』をテーマに書かれた作品なら、
オリジナルでもパロディ(*)でもかまいません。
作品の長さも自由です。
読み手の多くが「これは純愛だ」と共感できるようなSS、
「俺にはこれぐらいまでなら純愛って言えるな」っていう限界に挑戦したSS、
「こういう純愛のかたちはどうだろう?」なんて試験的なSS、
泣ける系、切ない系、純愛+お笑いの意欲作、なんでもオッケーです。

(*) 予備知識や専門知識のいるものについては、SSを投稿する前に
  補足説明してもらえると、読み手の多くに対して親切かと思われます。

それと、感想・批評、軽い雑談など、SS以外のレスももちろんありですが、
純愛SSのスレであって、純愛について議論するためのスレじゃないつもりでいます。
「純愛とは……」とか、「それは純愛じゃないだろ」的な、
主観を人に押しつたり、他人の価値観を否定するようなレスは、
荒れの元にもなりますので、できるだけご遠慮ください。
また、そういったレスがついても、反応したり議論したりせずに
スルーしてくださると、荒れずに済んでいい感じなんじゃないかと思いますです。
純愛についての主張は、ぜひSSにして表現してくださいませ。

前スレ

純愛SS『其の4』
http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1185975371/l50

前々スレ

純愛SS『其の3』
http://sakura03.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1133878541/l50


次スレは>>970、もしくは容量次第で。
2名無しさん@ピンキー:2009/07/19(日) 00:35:59 ID:USjSMxDh
容量がいっぱいだったので建てました。


あと、前スレ「コトノハ ヒラヒラ」氏GJ!
3名無しさん@ピンキー:2009/07/19(日) 01:20:11 ID:YA0MvXoZ
ぬるぽ愛
4名無しさん@ピンキー:2009/07/19(日) 02:08:41 ID:n+q4dw/C
俺はいつまでも
Can't Stop Fallin' in Love
cat_girl
KNOCK DOWN!
これらの3作を待ち続けてみせるぞ・・・
5名無しさん@ピンキー:2009/07/19(日) 04:00:33 ID:mSYWKmuy
>>1乙!
そして前スレラスト、GJ!
……ひょっとしたら容量オーバーで途切れちゃったのかもしれないけど

>>4
俺もいつまでも待ち続ける。10年経っても待ち続ける

Can't〜は過去二年経ってから続き来たことあったし
信じて待ってればきっちり完結させてくれそうな気がするんだ
6沢井:2009/07/19(日) 14:06:15 ID:ctiNq7CJ
≫1様
スレ立て乙です。最後の容量確認せずに投下してしまい色んな方々にご迷惑おかけしました・・・
それと、コトノハの第十三話、改めて投下していきます。
7コトノハ ヒラヒラ:2009/07/19(日) 14:07:02 ID:ctiNq7CJ
 目の前の男。その顔をよく見れば見るほど、それがよく知る人物の持ち物だと思い知る。
「な・・・あ、あんた・・・」
 ちょっと待て。おかしいだろう。何故。何故あんたが、ここにいる?あんたは七年前に、ふらっと勝手に居なくなって。それから咲耶が変わってしまって。なんで。なんで今更、のこのこと現れた?
「あんた・・・ここで、何してやがる!?」
 言った後から自分でも驚くほど、大きな声が飛び出した。俺の背を掴んでいた咲耶がびくりと身を震わせたのが、着物越しでも分かった。
「か、和宏君、これには訳が・・・」
「うるせえっ!訳だぁ!?んなモン知った事か!」
 驚いた咲耶の手を振り払い、目の前の憎い者の襟首を掴む。まるで自分の身体じゃないかのように、腕はスムーズに動いた。
「っぐ!?」
「か、かずくん!?やめ・・・」
「あんたのせいでっ・・・あんたのせいで咲耶はなあっ!」
 そうだ・・・この男さえ居なければ。この男さえ居なければ咲耶は、今のようになる事だって無かった。
 俺の後ろに隠れて人の目に怯える事も、彼女の親族から後ろ指を差される事も無かった・・・全部、この男のせいで―――――!
「―――かずくんっ!」
 どん、と。またしても、背に衝撃。覚えのある温かさが、俺を捕まえる。・・・何か言われる前に、俺は両手の力を抜く。高橋光也が、俺の前に屈み込んで苦しそうに二、三度咳き込んだ。
 それから、咲耶は俺を見る。その目には大粒の涙が浮かんでいて。いつもよりも若干険しくなった瞳が、真っ直ぐに俺を見据えていて。
(・・・あ、やべ)
 また泣かせちまった、と気付いた瞬間。
8コトノハ ヒラヒラ:2009/07/19(日) 14:07:28 ID:ctiNq7CJ


―――――パンッ、と乾いた音。


ビンタ、と言うにはあまりにも力の入っていない一撃が、俺の頬を張った。
「・・・・・・」
 俺は何も言わなかった。否、言えなかった。・・・まさか、咲耶にビンタ喰らうとは思ってなかったんだ。
「・・・っ・・・」
 そのまま、咲耶は何かを言いかけて・・・結局、何も言わなかった。呆然とする俺たちを置いて、俺が元来た道を走り去っていく。
「咲耶っ!」
 光也の声だけが、夜の境内に虚しく響いた。
「な、なあ和宏君・・・咲耶は一体、どうしてしまったんだ?話し掛けても、逃げるだけで何も話してくれないんだ・・・」
(どうして・・・しまった・・・だと?)
 ごめん咲耶。俺、やっぱりこの男は許せないや。そう思ったときにはもう、俺の拳が光也の頬に突き刺さっていた。
「あんたのせいだろうが!あんたが咲耶を置いて行ったせいで・・・!」
 目を白黒させる光也を見下ろして、俺は吼える。本当なら、もう五、六十発はぶん殴ってやりたいが、俺は辛うじて自分を押し止める。
「わ、私の・・・?」
「・・・七年前、あんたが居なくなってからの事だ」
 俺は、無様に尻餅を付く光也から目を逸らす。本当なら、こんな奴に何も話してやりたくない。だが、この男が事情を知らなければ・・・また、咲耶に近付こうとするだろう。
9コトノハ ヒラヒラ:2009/07/19(日) 14:08:08 ID:ctiNq7CJ
「あんたが消えてから暫く、咲耶は何の連絡も、うちに寄越さなかった・・・あんたの言った通りにしなければ、あんたが怒って帰ってくるって信じて、あいつは・・・」
「な・・・そ、そんな・・・」
 相当、堪えている様だった。娘が何も知らずに保護を受けられる環境を、この男は作ろうとしていた。けどその娘の賢さが、それらをすべて壊したんだ。当たり前だろう。
「三日だ。たった十歳の子供が、三日間も、誰も帰らない家の留守を守ってたんだぞ・・・それから、あいつは俺たち家族以外の人と、話すことが出来なくなったんだ!」
 怒鳴り、ふう、と息を吐く。これで全部だ、と言う代わりに、俺は光也に背を向ける。こんな奴よりも、家に向かったであろう咲耶のほうが、よっぽど心配だった。
「か、和広く・・・」
「呼ぶな」
 俺は顔だけ振り向いて、憎き男を睨む。
「『光也おじさん』は、七年前に死んだよ。あんたは咲耶の父親でも何でもない、ただの幽霊だ!」
 叫び、走り出す。待ってくれ、話を聞いてくれと、何かに縋るような声が、背後から俺を呼び続けていた。もちろん、後は一度も振り向かなかった。


10コトノハ ヒラヒラ:2009/07/19(日) 14:08:50 ID:ctiNq7CJ
 咲耶を追って家に辿り着いたとき、父さんと母さんは居なかった。
「・・・なんで、こんな時に・・・!」
 テーブルの上に置いてあったメモ書き・・・祭りのついでに近くの居酒屋でクラス会を開く、と言った趣旨のそれを右手で握り潰し、くしゃくしゃに丸まったそれをゴミ箱に叩き込む。
 咲耶が部屋に居るのは知っていた。履いていたサンダルは玄関にあったし、暗い廊下に、開けっ放しになったドアから月の光が差し込んで、少女の姿をくっきりと浮かべていた。
 決心が付いていないのは、俺だった。
(・・・こういう時、なんて言えば良いんだ?『気にするな』とか?それとも、『俺が守る』とか?・・・アホか、俺は何様だ)
 自嘲し、心を落ち着かせて彼女の部屋へ向かう。・・・取り敢えず、無事を確認したら直ぐに自分の部屋に戻ろう。気まず過ぎる。
(なんだかんだで、俺達は結局他人同士だもんな・・・あいつの家のことに、俺が首を突っ込むわけにもいかない、か)
 その事実を再確認したとき、不意に、左胸の辺りがぎりっと痛んだ。けど、俺はそれに気付かないふりをして、ドアの脇の柱―――ドアをノックしようとしたけど、開いたままだった―――を、こんこん、と叩く。
「咲耶、入るぞ」
 返事は、聞かなかった。咲耶は、浴衣を着たまま、ベッドの上で膝を抱えていた。
「幾らか、落ち着いたか?」
「・・・・・・(ふるふる)」
 問いに、首を横に振る咲耶。当たり前だよな。そう一人ごち、俺は彼女の脇に腰を下ろす・・・普段何気なく撫でていた彼女の頭が、妙に遠く感じた。
「・・・・・・」
 そのうち、咲耶は俺の浴衣の端を掴んでいた。・・・捕まったってのが正しいのかもしれない。俺はそれを除けず、そのままにしていた。
「・・・・・・」
 咲耶はそのまま、俺の左腕に寄り添うように身を寄せてくる。そして、俺の方をおずおずと見上げると、言い辛そうに、口を開いた。
11コトノハ ヒラヒラ:2009/07/19(日) 14:09:36 ID:ctiNq7CJ
「・・・さっき・・・ごめんなさい」
「ん・・・いや、いいって」
 さっき、というのは、先ほどのビンタの事を言っているのだろう。咲耶は手を伸ばして、俺の左の頬に触れる。正直言って痛くも痒くも無かったが、それでも咲耶は、腫れてもいない頬を、摩っていた。
「俺の方こそ、ごめんな。もう殴らないって言ったのに・・・」
「・・・・・・(ふるふる)」
 また首を横に振る。
「・・・・・・かずくんは、悪くない。悪いのはあのひとだもん・・・」
 言葉に、俺は溜息をつく。
・・・あんた呼ばわりした俺が言うのも何だが、実の娘に『あの人』としか言われなかったあの男が、少しだけ哀れだった。
 不意に、左腕に微かな震えが伝わってきて、俺は息を呑んだ。
「咲耶?」
 俺の声に顔を上げることも無く、咲耶は俯いて・・・両手で自分の肩を抱いて、震えていた。寒いのかと思い、そう問おうとして・・・俺は固まった。
 伏せられて口元は見えないが、微かに聞こえた。

「・・・っ・・・ぃ・・・」
 苦しげに、呻くように、彼女が何かを言おうとしているのを。

「咲耶!?おい、どうした!?」
 咄嗟に、咲耶の肩を抱いて軽く揺さぶる。俯いていた彼女の顔には・・・
「・・・っ・・・ぁ」
 大粒の涙が、浮かんでいた。
「・・・こわい、よ・・・かずく・・・っ!」
 そのまま咲耶は、俺に抱きついて嗚咽を漏らす。
「ど、どうした?」
 一瞬で、鼓動が跳ね上がる。どうかしたのは俺の心臓だけだ。でも、そんな事はどうでもいい。咲耶が、今、涙を流している。それだけ見れば充分だ。
 咲耶は俺の胸に顔を埋めて、ひっくひっく、と、子供のように泣きじゃくる。
「・・・だって・・・変だよ、こんなの・・・今まであの人、なにも・・・何も、言わなかったのに・・・」
12コトノハ ヒラヒラ:2009/07/19(日) 14:10:29 ID:ctiNq7CJ
・・・彼女は、自らに降りかかった『異変』に、怯えていた。それもそうだろう、彼女にとって、あの男が目の前に現れるなど、有り得なかった事だ。
 その有り得なかった事が、起こった。それはつまり、これから更に様々な異変が、咲耶の身に降りかかる・・・その予兆とも取れた。
(・・・冗談じゃねえぞ)
 知らず、震える背を抱き締めていた。
(こいつが、何したってんだよ。父親に置いて行かれて、親戚に会うことも出来ないままで・・・これ以上、こいつがどういう目に遭わなきゃならないってんだよ!)
 或いは、ずっと近くに置いておきたかったのだと思う。もしかして、彼女が俺の遠くに行ってしまうのではないかと・・・俺はどこか漠然と感じていた。
「・・・守るから。俺が、守るから」
 口を突いて出たのは、馬鹿げてると思った言葉。意味がないと思っていても、言わずには居られなかった。
「だから・・・だから、ここに居てくれ・・・俺の傍に・・・!」
 咲耶は、何も言わなかった。けど、その代わりに顔を上げて・・・涙を拭かず、黙って目を閉じる。
 俺は、何かに導かれるように、彼女の顔に、自分の顔を重ねる。一瞬だけ、唇が触れて、離れて・・・そして、また触れた。
「ん・・・っ」
 息つく暇なく唇を再び塞がれて、咲耶が小さな呻きを漏らす。いつしか、彼女の腕は俺の背に回されていた。
「咲耶、俺・・・」
 いつか言いたかった、ただ一つの言の葉。それが今・・・
「・・・君が、好きだ」
 音を伴って、空気を震わせて。やがて彼女に届く。見詰めた彼女の瞳が、再び涙に濡れて・・・
「・・・っ」
 今度は咲耶から、唇を重ねてくる。

 頭の中で、誰かが言う。
『良いのか、これで?彼女は情緒不安定になっているだけだ。今本当に、咲耶に必要なのは誰なんだ?』
・・・弱っているのに付け込んだ、とか。どさくさ紛れ、とか。傷の舐めあい、とか。何を言われても、俺に反論の材料は無い。それでも・・・ 
(知るか)
 声に心の中で答えて、俺は三度、咲耶を抱き締める。


 月明かりに照らされた、六畳一間の狭い部屋の中。呼吸に疲れて眠りに落ちるまで、俺達は、唇から繋がった熱を共有していた。
13コトノハ ヒラヒラ:2009/07/19(日) 14:11:02 ID:ctiNq7CJ
あとがき

沢井「今回からあとがきのスタイルを『キャラクターをゲストに招いての作者との会話』に切り替えていきます。というわけで、嬉し恥ずかしファーストキス直後な山口和宏君」
和宏「おいコラ」
沢井「まぁ!出てきて早々なんですかお口の悪い!お父さんはそんな風に育てた覚えはありませんよ!?」
和宏「残り容量よく見もしないで他の職人さんに便乗して、挙句スゲエ中途半端なところで前スレ埋めちゃった男の言う事か?」
沢井「う゛っ!?そ、それを言われると弱い・・・が、ここはあとがきのコーナーなんでな。それより先にトークでやらせてもらう」
和宏「最低だこの作者・・・」
沢井「今回は簡単に作品に関する説明をば。えー、時代に関してですが、高校生が携帯電話を持っていないのが当たり前な時代ですね」
和宏「祭りの時もその手の話題は何一つとして出なかったもんな。実は携帯電話そのものが登場していない時代とか?」
沢井「いや、その辺の設定は特に決めてはいない。読者の皆様に自由に想像して頂くのも楽しみの一つってことで」
和宏「結局アバウトなんだな・・・」
沢井「次に、土地について。私が住んでた地域がモデルですので、クソ田舎も良い所です」
和宏「大通りまで行くのに電車じゃなくてバスって辺りで田舎炸裂だよな」
沢井「ええ、偶に実家の庭でカモシカが草を食べていました」
和宏「豪快な嘘付くなよ」
沢井「つまり、一昔前の片田舎で繰り広げられるハートフルストーリーです」
和宏「うわっ!?スゲエ簡単に締めた!」
沢井「ページ数の都合もあるので、今回はこの辺で。さようならー」
和宏「いいのかなー、こんなノリで・・・」
14名無しさん@ピンキー:2009/07/19(日) 14:47:21 ID:USjSMxDh
>>13
いいんじゃない? こういうノリは好きだ。
何はともあれ投下お疲れ様です。
15名無しさん@ピンキー:2009/07/19(日) 20:59:40 ID:aMFhHLUL
>>13
乙―
ヒロインは勿論、直情気味な主人公も好印象です
もう一波乱ありそうな展開に期待してます
16名無しさん@ピンキー:2009/07/20(月) 02:38:59 ID:PbNkOH5f
GJ!

…劇中は90年代前半辺りかな…?
17ひとつだけ・6 1/13:2009/07/22(水) 16:05:01 ID:PthbOL+k
 トランクス1枚の格好で頭をがしがしと拭きながら冷蔵庫から缶ビールを2本取り出し、あたしに
1本寄越すと隣に座った。
 2人でちびちびとそれに口をつけしばらく無言で過ごした。
「なあ」
「何?」
「……やめるなら今だぞ?」
 こんな格好で今更何を言うのか。あたしは黙って首を振って側にあるむき出しの胸におでこをつけた。
「聞こえません」
 両手を耳に当てた状態で俯いた。引き延ばさないで、これ以上。
 彼の手が頭に置かれ、それから肩に降りてくる。それと同時にさっきの手のひらとは別の暖かな重みが
頭のてっぺんに乗っかっている。
 端から見たら抱き寄せられた格好になってるんだろうか。多分乗っかってるのは顎だろうな。動くと
危ないよねとか言い訳しながらそれに甘えた。
「葵」
 なに?と言おうとした唇はその前に濡れた彼のそれで塞がれた。柔らかく、冷たく苦い。剃ったばかりの
髭の跡にはへんに甘い香りがして何だかおかしかった。
 ファーストキスは幾つの時だったっけ。
 そういうことを最中に考える程の余裕があるくせに、巻いてあったバスタオルにかかった手を反射的に
掴んでしまった。
「あ……やっぱりやめようか?」
「え、や、あの」
 裸を見せるのってこんなに勇気のいるもんだったっけ?
「だって、震えてる」
「……」
 見せた経験はあるのだから多分平気だとたかをくくっていた。だが実際はどうだ。確かにその回数
だけ言えばかなりのもんになるんじゃないかと思うのだが、人数にすれば……。
 同じ相手に延々と見せ続けてきたわけだから、慣れるといってもその人間に対してだけだ。完全に
経験不足。何人も相手にしてきていれば、もう少し余裕が持てたのだろうか?
 自分の躰が変なのかそうでないのかわからない。だから恥ずかしい。何よりもがっかりされるのは怖い。
18ひとつだけ・6 2/13:2009/07/22(水) 16:05:54 ID:PthbOL+k
 片手にまだ持ったままの缶を枕元に置こうとしているのを見て、押し止めていたほうの手を離した。
 あたしの足元に置いてあった飲みかけの缶もそっちへ片付けると、タオルを引きながら布団の上に
押し倒された。
 えっ!?なんて言う間もなくのしかかった躰はまた唇を奪い、はだけた布から零れた胸を躊躇なく弄る。
 さっきはそっと重ねただけのキスは最初はそんなふうだったのが徐々に圧を増し、軽く啄み始めた
と思いきや今度はあたしの唇の隙間を彼の舌先でつーっと滑らかに押し開いてくる。
「んふっ……」
 それを受け入れるためにほんの少し開いたためについ洩れてしまった声に肩がぴくんと跳ねた。
 同時にそれを嗅ぎ取ってねだるまでもなく胸の中心を指が的確に捕らえる。
 押し込まれるようにくりくりと摘んでは転がされる。きっとそれだけ硬く尖ってしまっているのだろうと
思い浮かんで、恥ずかしさに腰元にあるタオルのきれをみつけて掴んだ。
「で、電気……っ」
 部屋は彼が風呂に行く前につけた明かりが灯ったままだった。
「お願い、あの……っ」
 首筋に当たる唇の感触にぞくぞくしながら天井の蛍光灯の眩しさに目を細め、彼がふいと顔を上げて
目が合ってしまった恥ずかしさにぎょっとして開けかけた目をまた閉じた。
「男と女になるんだろう?」
「え?」
「女になった葵を……見ときたい」
 腕を伸ばして見下ろしてくる。
 いわゆる舐め回すようなゲスなものではないが、それでもしげしげと今まで触っていた胸やらお腹、
はだけて丸見えのその先まで確認するような視線はじゅうぶんいやらしい。そして恥ずかしい。
「俺も男なんだよ」
 肩をするりと撫でられる。ただそれだけなのにぞわっとして声が出た。
「……っぁ」
「だから止めないから、悪いけど……ごめんな」
 ちゅ、と濡れた音を立てて唇が重なり、肩をさする指は首筋を這ってまた肩へ戻る。
19ひとつだけ・6 3/13:2009/07/22(水) 16:06:37 ID:PthbOL+k
「ん……ひっぁ」
 少しの間隙間から忍び込んであたしの口内を弄んだ舌は、耳朶を伝って首筋を舐めた。
「イイのか?」
「……んっ」
 さっきよりももっと熱くてねっとりと吸い付くように感じる。
 唇が当たる度にのげぞって、余計に強くそこにキスが降り注ぐ。
「そんな声出すんだ……」
「っやぁっ!?」
 鎖骨まで降りていった唇が胸の上を滑るように動いていきなり先に吸いついた。
 軽くくわえながらコロコロと転がす。わざとなのかどうだが、半開きの口からちらちらと舌先のその
様が見えて余計に息が上がってしまった。
「ふ……う、ん、ふっ……ぁ」
 片方の手でもう一方の胸を揉みながら時折上目遣いにあたしを見て、せわしなく唇を動かしては揉む
手を指先の愛撫に変えてあたしの動きを確かめている。
「はぁ……あ……」
 両胸の愛撫それぞれ舌と指を入れ替えてもあたしを見上げるのは変わらない。それをわかっているから
何度も目が合って、声を出す度に苦笑される。
 見たいってのは本当に言葉通り「見る」という事だったんだ。
「我慢してない?」
「え?」
「さっきから声出すの我慢してるだろう?それか不満な事でもある?」
 ない。けどぉ……。何となく首を振りながら胸元と下腹に手をやった。
「……そんな不安そうな顔しなくても、お前が本当に嫌がる事はしないから。大丈夫?」
「うん」
 じゃあ、とあたしの両手を掴むとそれぞれ腕を伸ばした状態で引っ張られ、がっちりと腰元で押さえられる。
「えっ!?」
 これって真上から見ればまるで仁王立ち?さっきまではがっちり閉じたあたしの脚を跨ぐように乗って
いた躰は、今はやや強引?とも思える力で脚を割り入り胸元に頬をすり寄せる。
 左右それぞれの胸に何度も少しずつ場所を変えながら、キスをし時々吸って舌を這わせる。
 その度にふっと洩らしてしまいそうになる声を、抑えるための手が使えない事を思い出して辛うじて
唇を噛んで我慢する。
 だが必死のそれもいつまでも保たない。
20ひとつだけ・6 4/13:2009/07/22(水) 16:08:05 ID:PthbOL+k
「あんっ……あ……やあっ」
 すっかり硬くなってぴんと立った先っぽをずるりと舌で撫でるように舐められて我慢出来ずに声が出た。
「やっ、いや、だめっ。だめ、だ、あ……やっ」
 弱く吸われたり、いきなり大きくくわえられて舐め回されたり、くわえたままついと引っ張られたり、
手を変え攻められる度に背中が浮いて胸が跳ね上がる。
「ああ……やっ、それ、あっ……」
 片手が浮き上がった背中と布団の隙間に滑り込んでそろりと撫で上げる動きに、ぞくんと電気が走った。
 何本もの指でこしょこしょと背骨に沿って撫でられると、胸との同時の愛撫に前も後ろもむずむずと
くすぐったいのとジンジンするのとで逃げ場が無くなる。
 熱くなるばかりの吐息が胸に浴びせられるのに自由の利かない躰がもどかしくなって、喉元をくすぐる
髪を撫でそのまま頭を抱え込んでくしゅくしゅに掻き回し声を上げた。
 少しして、顔を上げた彼に唇にキスされ落ち着いてから片手が自由になっていた事に気がついた。
「……やだ」
 やだやだやだ!
 慌てて今更に口元を押さえようとしてその手をまた掴まれ、唇を咬まれるような少し痛いキスをした。
「いっ……ちょっ」
「可愛いから食べてやった」
 ぺろりと咬んだ跡を舐め、軽く吸うとまたその上からくわえるようなキスをする。
「可愛いよ。葵は可愛い」
 うわぁ恥ずかしい!
「だから困ってる」
「何を……ひゃっ!?」
 ぱっと手を離すと脇を抱かれて、そのままひっくり返された。
 えっと思う間もなくまた両手をそれぞれ押さえられ、うなじに熱い息が掛かる。
「背中、好き?」
「あ……う、ん」
 すうと暖かいものが背筋を走り、軽くのけぞった。
「んあっ!?……あ、あ、やあんっ!」
 上から下に快感が走る。のけぞった拍子に勃ちきった乳首が布団に擦れて少しだけ痛い……。
 ふと唇と舌が離れた。ほっとする間もなくまた下から上までそれが戻ってきて、今度は逆に背中を
くの字に折り曲げて膝を立てた。
21ひとつだけ・6 5/13:2009/07/22(水) 16:08:52 ID:PthbOL+k
 その拍子にまたふっと両手が自由になった。あたしの手首から離れた2本の腕は後ろから回されて
今度は胸を揉みしだく。
 実際胸ってのは揉まれて気持ちいいもんじゃない。視覚的には良さげだが、少なくともあたしはそう
感じた事はなかった。
 なのに、今うつ伏せのせいで普段よりも数割増しに豊かであろう膨らみをたゆたゆと下から掬い上げる
ようにされるだけで胸の奥が熱くなる。
 大きな暖かい手のひらの熱にそのままうかされてしまったみたいに頭がくらくらする。
 普通の事をされてるだけだと思うのに、その手の感触がたまらなく愛おしい。
「ん……」
 ぼうっとそれに酔っていた。何も考えず彼からの愛撫に流され身を任せて。
「葵」
「ん……えっ!?」
 片手を胸に残して、もう一方の手はお尻の膨らみを撫でていた。その手が割れ目に指を這わせ、つんと
した感触がそこに止まった。
 嫌な予感がして慌てて振り返ると、そこを押し広げる感覚に喉が詰まった。
「!……嫌っ!!」
 くっとそれぞれの丸みを圧され、多分彼が体を離して後ろに立てば丸見えになっているだろう事は察しがついた。
「やだ……」
 セックスした事があるのなら当然それも見られてしまった経験があるのは否定しない。だが実際に
そこを弄られるのは別だ。あたしはまだそこまでは踏み込んだ事はないのだ。
「やあ、嫌、怖いっ……」
 窄みの周りをくすぐるように指が蠢いている。
「き、汚いよ?」
 つうと縦に撫でてくいくいと圧力が掛かる。
「!!……いや……っ」
 初めてそこに物が入り込もうとしている。あたしは至ってノーマルだ。だからそんなの想像だにした
事がないのに。
「痛……」
 多分、ほんの少しだけつついた程度のものなのだろう。だが恐怖に固まった躰はガチガチに力が入って
それを拒む。
「嫌って言ったら止めてくれるって……」
 答えがない。
「やだ。怖い……お願い」
 でも動きは止まったみたい。
「……やぁ、抜いてぇ」
 だけど返事もなくそこからなかなか進まない動作に、顔が見えない分不安と恐怖がピークに達した。
22ひとつだけ・6 6/13:2009/07/22(水) 16:09:42 ID:PthbOL+k
「そこは嫌なの……っ。本当に嫌。怖い……」
 泣きそうになるのを堪えて訴えるとやっと指が離れたっぽい。
 思わずほっとして膝の力が抜けそうになった。だがそれはお腹まわりをがっしりと抱え込んだ腕に
よって崩れ落ちる事はなかった。
「もう終わるから」
 立て直してしっかと四つん這いになった膝の間に背後から躰を密着させて割り込んでくる。
「えっ……あ!?」
 下からというよりも後ろからねじ込まれるように栓をされ、杭を打ち込まれるような痛みが襲った。
「ぐっ……あ……うっ」
 ずるりと言う感触と共に一旦それは引かれた。だがまたすぐ狭い入り口を押し開くようにして入ってくる。
 さっきの感触からすれば、もうあたしの準備は整ってはいるらしかった。だが軽く1年以上もの間
何も受け入れることの無かったそこは、それが出入りする度に苦痛をもたらした。
「……ふっ……」
 息を吐いて力を抜こうと試みる。
「……初めてじゃないんだよな?」
「うん」
 ごめんなさい。こういう格好もした事ある。……あんまり好きじゃないけど。
「でも痛いのか?」
「……平気。すぐ慣れるよ」
 本音を言えばこの体勢は元々合っていないのか、いつも少し痛いと思ったけど我慢してた。だから
久しぶりの受け入れは正直辛かった。
 でも止めて欲しくなかった。さっきのお詫びに貴方の好きにして少しでも満足して貰えたらそれで
いいと思って。
 だけど、
「ごめん。葵、ごめん」
そう言って彼はあたしの中から消えた。
 突然苦しいほど満たされた痛みが楽になったのも束の間、とてつもない寂しさがあたしを襲った。
「に……」
「頭冷やしてくる。も、止めよう」
 1度も振り向かず風呂場へ消えた。

 過去に相手を拒んだ事で怒らせ、泣きながら縋った事があった。
 その時の惨めな自分を思い出して、突き放される恐怖に慌てて後を追った。
23ひとつだけ・6 7/13:2009/07/22(水) 16:10:43 ID:PthbOL+k
 トイレと1つになったタイプの風呂場に行くとバスタブに引かれてあったカーテンを捲った。
「ど……したの?」
 流しっぱなしのシャワーに打たれながら、バスタブの真ん中でしゃがんで膝を抱えていた。
「しないの?あ、あのあたし大丈夫だから、いいよ」
「……いや、いいよ」
「ほんとにいいから!」
「もういいって」
 くしゃくしゃと濡れ鼠になりながら頭をかきむしって消え入りそうな声で言われた返事に、胸が詰まる。
「……くそっ」
「怒ってるの?」
 ぎゅうと自らの頭を掴むように彼は自分の指に力を込めていた。
 怒らせて機嫌を損ねたのだろうか?もしそうなら。
「ごめんなさい」
「……なんで謝るんだ?」
「だって……」
 こういう時あたしはどうしていいのかわからない。嫌われて独りになるのが死ぬほど怖かったから、
いつでも必死だった。
 要らないと言われるのが本当に辛かったから。
「謝るな。悪くないのにごめんって言わないでくれ。簡単に自分を卑下するな」
「でも……」
「それに俺はお前に怒ってるんじゃない。腹が立つのは俺自身にだ」
 少しだけ顔を上げたけど、それでもこっちを向いてくれない。
「……止めるね。よく聞こえないから」
 思い切ってバスタブに足を入れ、僅かな隙間に立つとシャワーを止めた。栓の抜けた排水口からお湯が
ゴボゴボと流れて抜けてゆく。そのまま振り返ると、しばらくじっとしていた彼は僅かに後ろに躰を
動かした。
 ぴったりと縁によせてくれたお陰でできた僅かな隙間に、無理やり膝を抱えて真似して座った。丁度
向かい合わせになっているから、普通なら大事な箇所は丸見えというとんでもない事態になるだろうが、
ぴったり膝同士がぶつかる程近いと却って安心。灯台下暗し?
 だってやっぱり恥ずかしいのには変わりがないから。自分でもここまでしといて何だとは思わなくもないけど。
24ひとつだけ・6 8/13:2009/07/22(水) 16:11:23 ID:PthbOL+k
sage
25ひとつだけ・6 8/13:2009/07/22(水) 16:12:10 ID:PthbOL+k
「少し脅かして、嫌がらせてやろうかと思ったんだよ。それでお前が怖じ気づいてやめるって言えば
 いいと考えて。だけど」
 鼻声になってる。
「お前の声も、最中の顔も、実際は思ってたよりずっと大人で本当に可愛くて計算外だった。我慢が
 利かなくなりそうでやばかった。困った。だから絶対嫌がりそうな事してみようとしたんだけど、
 ……出来なかったよ。我慢して泣くのを堪えたお前はちっこい時の葵のまんまで、壊れそうで、やっぱり
 可哀想で出来なかった」
 あたしを抱くのにこの人は相当な勇気を振り絞ったのだろう。ごめんと何度も繰り返すけど、悪い
のはあたしのような気がしてきた。
「あたし大丈夫だよ。だからいいよ。顔上げてよ」
「馬鹿。お前にこんな顔見せらんないよ」
 だからずっとあんなふうに顔を見ないやり方であたしをいたぶったのか。
 可哀想なのはこの人のほうなんじゃないだろうか。
 でもだめ。許さない。
「顔上げて。だめなら……」
 むぎゅっとあたしよりも大きな躰を抱えるようにして抱きつく。
「あお……」
 驚いて顔を上げた拍子にあたしから狙ってキスをした。離されないようにしがみついて舌を強引に
ねじ込んだ。
 初めは怯んだ様子を見せたものの、やがて攻守は逆転されていつの間にかあたしの方が彼の腕の中に
抱え込まれていた。
「……ねぇ」
「ん?」
「ちゃんとして、最後まで」
 唇を離したあと耳元で呟いた。
「可哀想だとか思わないで」
 あたしは妹じゃない。
 貴方は兄じゃない。
 だけど貴方は優しすぎる。それが辛い。
「俺だって男ってゆったじゃん」
「ん……」
「あたしも女だよ?」
 だからそれを忘れるの。
 





 ――貴方の「葵」をそこから消して。
26ひとつだけ・6 9/13:2009/07/22(水) 16:13:30 ID:PthbOL+k
「……おいで」
 後ろ向きになり、あたしの背中に彼の胸がくるような形で座った。両膝の間に挟まれて抱っこされる。
「膝が邪魔だったからね」
 脇の下から手をまわして両胸を持ち上げてくる。
「……こういう事できないから」
「……ぅ」
「いい。柔らかい。大きくなったな本当に」
 むにむにと揉みまわして左右同時に乳首を擦りあげる。
「あ……あああ、や……ん」
「昔はつるぺただったのになぁ」
 すっと片手が離れておへその下を探る。
「こんな風に生えてなんか無かったし。……最後に風呂入ったのいつだっけ?」
「え……やだ……忘れた!」
 嘘。覚えてる。
 兄ちゃんが中学に入った歳までは入ってた。あたしは自分で出来なかったから、頭、洗ってくれた。
 くすくすと思い出し笑いでもしてるのか愉しげにそこを探りくすぐる。
「……っ」
 くすぐったい感触がもどかしくて焦れったくて、でも熱くなって息が上がる。
 お尻を浮かすように言われ、さっきとは逆に彼が脚を閉じ、跨ぐようにあたしの脚が開かれる。
「え……」
「さっきはしてやらなかったから」
 片手で胸をいじりながら片手がそこに差し込まれる。
 ぬるんとした指の感触が伝わって、ちゃんと濡れていた事に何となく安堵した。
「やらしくなっちゃったんだな」
「え……」
 どう取っていいのか解らずに困惑して俯いたあたしに
「褒めてるんだよ。いい女になったな、と」
と言って首筋に吸い付いた。
「やっ」
 首を竦めてぴくっと震えた。その隙に入り込んだ指は粘膜を濡らす露をからめ取ると、一番敏感な
部分をつついた。
「あっ!!……あ……ああ……っ」
 待っていたと言わんばかりにあっという間に熱く痺れて、ほんの少し擦るだけで我慢出来ずに悲鳴の
ような声がでた。
「う……う……ぁ……いやぁ……ぁ……」
 ぐりぐりと押し付けるように撫でられ、膝が跳ねる。
27ひとつだけ・6 10/13 :2009/07/22(水) 16:14:50 ID:PthbOL+k
「気持ちいいの?葵」
 こくこくと頷く。
「だったらもっとしようね」
 つんとつつきながら指が離れて、焦らすように周囲をゆっくりと撫でる。それから時々思い出した
ように肝心のものをちゅくちゅくといたぶっては離れる。
「くぅ……」
 指先がゆっくり沈んでゆく。
「凄いね。これだけ溢れてるからすっと入るよ。痛い?」
 ふるふると首を振る。
「そう。だよな、これ、お湯でも汗でもないぞ?」
 滑り具合が滑らかに動く指から嫌でも伝わってくる。中でついついと動かされる度に場合によっては
「やあんっ!」
甲高く甘い声が出る。
「可愛く跳ねるなぁ……」
「あっあっ」
 割れ目を滑って再びそれに専念される。
 やだ、と思う間も無く。
「ひっ……ひぁっ……あぁぁっ!!」
 押し当て擦り付けられた指の腹の強さを味わう余裕無く、恥ずかしい位躰をくねらせてイってしまった。

「ちゃんと感じた?」
「……ん」
 くたっともたれた躰を優しく丁寧に撫でてくれる。
「……葵」
「ん?」
「お前でイかせてもらっていいかな?」
 あたしを抱く手に力がこもる。
 解ってるくせに。
 お尻に当たる彼自身がさっきからひっきりなしに主張しているのに気づかないわけがなかった。
「あたしどうしたらいい?」
「こっち向いて」
 狭いので一旦立ち上がり、跨るように促された。
「良かったぁ」
「何が?」
「今度は顔見れるもん」
「……辛かったら言うんだぞ?」
 ぬるぬると滑るように動き、数回確認するように周囲をつつくとずるりとまた押し広げるように割り
込んであたしの中を満たした。
「……っあっ」
 一旦奥まで突き刺さるとぐりぐりとかき回すように動いて、そのたびにぶつかるあたしと彼の皮膚が
びちゃびちゃと擦れる。
 おまけに押し上げられる度に入り口がぐうっと広がる感じがして痛苦しい。でも気持ちいい。
28ひとつだけ・6 11/13:2009/07/22(水) 16:15:51 ID:PthbOL+k
 バスタブの底にぺったりと座った窮屈な躰を前後左右に揺する度に、あたしの中に嵌ったものがぐいと
かき回されてお腹いっぱいきゅんとなる。
 さっき一度挿れられたせいで久々の貫通でも痛みはそれ程でもない。逆に待ちわびたと言っていい
程心も躰も悦びを隠しきれないでいた。
「ああっあっあっ!」
「葵……葵っ」
 木に登るみたいに両手両脚をしっかりと回して絡み付くようにしがみつくと、あたしの背中と腰を
ぎゅっと力を込めて抱き締められる。
 水に濡れた場所だけに躰も雫が流れてびちゃびちゃと跳ねた音がする。でも多分それだけのせいでは
ないだろう。
「んぁっ……や、あ、だめっ。あ、ああっあ……ぁ」
 響く。部屋よりも狭い上にすぐ四方は壁だらけのここはちょっとした声がダイレクトに跳ね返る。
 それがさすがにマズい事に気がついて、彼の首筋に押し当て堪えた声も半開きの唇から洩れる。
「んむっ……ふっ」
「苦しいか?」
 動きを止めた彼もしんどいのか息が少し上がっていた。
「……キスしようか」
 その言葉に唇を離すと肩にうすら朱い跡が付いてしまっていた。
 頬が擦れ合って鼻とおでこがぶつかる。目を閉じる間もなくキスされる。
「ん……んっ!ん、ぁ、むぅ……ん」
 またぐいぐい動き出した腰の揺れでついた唇がずれて、せっかく我慢した声がまた洩れてしまう。
「ん……んんー」
 力いっぱいしがみついて脳天まで突き抜けそうな衝動にひたすら耐えた。
 離れたくない。
 このまま死んでもいい。
 彼の胸板に押し潰されてつぶれた胸が擦れて圧されて痛い。
「出しちゃえ」
 押し当てるように続けていたキスをやめて耳元で呟かれる。
「声出せ。大丈夫だから我慢するな」
「でも……やっ!?やああぁぁっ!!」
 両腕で腰を押さえ込むようにして激しく突き上げてくる。慌ててしがみついたせいで我慢を忘れて
開いたままの口から思いっ切り声があがった。
29ひとつだけ・6 12/13:2009/07/22(水) 16:16:54 ID:PthbOL+k
「やあんっ!あっ!!あ……だめだって……ば!聞こえるっ」
「いいよ」
「よくな……」
「すぐ居なくなるんだから、いい」
 ずきんと胸が痛んだ。
 居なくなる。
「兄ちゃ……」
「兄ちゃんはよせっ……」
「……ぁ」
「……将希でいい」
「まさ……」
「うん」
「まさき……ま……さ……」
 初めて“兄ちゃん”以外の呼び方で呼んだ。
「将希……っ。ま、まさっ」
 涙がこみ上げて零れ落ちる。だめ、喉が詰まってうまく呼べない。
 やっぱりこのまま死んでもいい。
「葵……っ葵!!」
「あ……あっああっ!!」
 くうっと絞り出すように呻くとあたしを抱く手に力が入った。きつく、きつく掴まれてこれでもかと
いうふうに奥まで突かれてかき回される。
「――――っぁ……!!」
 ぐいと圧された瞬間、あたしの中で暴れながら熱い何かを満たして何度か跳ねてそれはやっと鎮まった。
「あ……おい……」
「……まさき……ぃ」
 かすれた声を絞り出すように互いの名を呼んで、そのまましばらくキスばかりしながら抱き合った。



* * *

 互いの躰を流してシャワーから出ると布団に並んで寝転んだ。
「狭いからもっとおいで」
と言われたのでそれに従いぴったりと寄り添った。
「暑い。狭い」
「仕方がないだろう。でも夏で良かったな。冬だったらたまらん。絶対寒い」
「だよね〜」
 くすくすと笑いながら裸のままの体にタオルケットをかけた。それを押さえるように乗せたあたしの手を
彼の手が包んだ。
「……明日の始発で帰るね。仕事あるから」
「え?……あ、ああそうか。じゃあ一緒に起こして。駅まで行くから」
「うん」
 おやすみ、と目を閉じれば、握られた手の温もりが消えてしまう事をふと考えて少し寂しい気がした。
「……葵」
「ん?」
「俺、もうお前の兄ちゃんじゃないから」
 ぐうっと痛い位に手に力がこもった。
「兄ちゃんは終わりだ」
「……はい」
 その手を負けずに握り返して目を瞑った。
30ひとつだけ・6 13/13:2009/07/22(水) 16:18:32 ID:PthbOL+k
* * *

 始発にはまだ時間がある。
 ぐっすり眠る愛おしい寝息を背にゆっくりとドアを閉めた。

 8つという歳の差はアメリカと日本との距離位遠くて、決して埋まる事などないと諦めていた。
大人になって――男と女になってしまえはそれ程大差ないものなのに。

 だがあたしの心はその頃のままに止まっていた。
 美化されてゆく想い出の中でも、手に入らないものなら尚更に眩しく心の奥にいつまでもつきまとって
離さない。
 だからそれを棄てるのだ。
 前に進むために。
 これ以上叶わぬ夢に惑わされないように。

 俯いて歩くと涙がこぼれてしまいそうになる。
 だから真っすぐ前を見て空を仰いで進むのだ。
 ただひとつだけの満ち足りた想いに鍵を掛けてしまおう。
 例え望まれる事が無かろうとも、命がある限りあたしは生きていくのだから。

 まだ暗い早朝の空にもう泣かないと決めながら、頬を拭って駅まで歩いた。


 ――20歳、初恋の想い出と共に夏は終わり、やがて来る秋にあたしは強くまっすぐ独りきりで生きると決めた。


 だけど。













 神様はなぜ戯れにそんな決意を嘲笑うように意地悪をするのだろう――。
31ひとつだけ:2009/07/22(水) 16:19:30 ID:PthbOL+k
途中書き込み失敗したorzスイマセン
32名無しさん@ピンキー:2009/07/22(水) 21:11:30 ID:IA7+ObLL
てっきりこれで終わりだと思っていたんだが……
まだ何か波乱があるのか!?
GJ。続きが気になって仕方がない
33名無しさん@ピンキー:2009/07/26(日) 13:33:09 ID:NhyK9eUR
GOODJOB
34名無しさん@ピンキー:2009/07/29(水) 16:08:53 ID:0TKuLIUs
保守
35ひとつだけ・7(終) 1/9:2009/07/31(金) 21:04:37 ID:Yl5kUqqy
最後です
投下の場をお借りさせて頂きありがとうございました


* * *

 会社を休んだ。
 もう秋だというのに今日は残暑がきつくて、そのためか体がだるい。
 汗でじんわりと貼り付いてくるパジャマが気持ちが悪くて仕方無い。着替えるのもだるい。喉渇いた。
お腹減った。でも食べたくない。
 気持ち悪い。吐きそう。
 水を飲んで誤魔化そうと流しに立つと同時に玄関のドアに気配を感じる。
 古い安アパートは壁一枚隔ててすぐ通路だからすぐ解る。なんかの集金か勧誘だろうか。もう夕方
だから帰宅する事の多いこの時間帯にはよくぶつかるのだ。
 こんななりだし誰だか知らないが悪いけど無視しよう。そう思ってドアを叩く客人を息を殺してやり
過ごした。
 何度か叩いた後、反応が無いのに失望したのか密かにため息が聞こえた。が、後ずさるような靴音に
諦めて去るものとほっとして気を抜いた瞬間。
「……えっ!?」
 目の前の景色がぐらりと揺れた。
 慌てて流しに掴まるが膝に力が入らなくてそのまま床に崩れる。手にしていたコップが砕けて大きな
音を立てて散った。
 あーあ、百均だけど気に入ってたのになぁ。
 やばい。いるのバレちゃった!?
 ドアの前の訪問者はさっきよりも凄い音でばんばん叩いてる。
 片づけなきゃ、とかまずいよ、とか色んなことが頭にうかぶのに、流しの扉にもたれた体はなかなか
いうことを聞かなくて思うように動いてくれない。
 焦ってるのかガチャガチャとこれまた凄い音でノブが回されて――そして開いた。
 あれっ?鍵、閉め忘れてたんだ。まあ取られるものは無いけど。
 誰かが飛び込んで来たと同時に力が尽きてあたしの体は床に崩れた。

 ああ、なんだか懐かしい声がする。大きな靴が目に入った。

 地べたについた頬の下に暖かい手が入り込んで体が宙に浮いた気がした。

 ――そこで目の前が暗くなった。

36ひとつだけ・7 2/9:2009/07/31(金) 21:05:35 ID:Yl5kUqqy
 ああ、辛いなぁ。苦しいな。ちょっと甘く考えていた。でもなんとかなる、すぐ。そう、すぐに楽になる。
 この生活さえ終われば――終わらせなければならない。だからすぐに楽になる。
「……んね」
 むかむかする喉のつかえもあと少しの我慢だ。
「ごめんね……」
 こうやって謝るしか出来ない。情けない。でも仕方がない。

 瞑った目からじわじわと滲み出る雫が頬を伝う。なんだろう、胸がくうっとなる。
 自分でがしがしと瞼を擦ると冷たい何かがそれを掴んだ。
「……ぃ」
 誰?
「ぁ……ぉ……ぃ?」
 呼んでる?あたしを?
 冷たくて気持ちいいごついこの感触は手だ。頬をぴしゃぴしゃと撫でるように叩いておでこに載る。
 夢ならこのまま寝かせて欲しいのに。
「葵?……葵っ!?」
「……兄……?」
 でも天井を背に必死の形相で横たわるあたしを覗き込む彼の姿を認めて、どうもそういうわけにも
いかないらしいと束の間の逃避を諦めた。
「兄ちゃん……?」
 どうして?あれからすぐに帰ったんじゃ無かったの。何でここにいるの。
「こっちに移動願いを出して移って来た。色々あってやっと終わったよ。……何もかも」
 飲めと勧められてスポーツドリンクの缶を差し出された。「冷蔵庫なんも無いじゃないか。ちゃんと飯食ってるのか?」
 近くの自販機にわざわざ走ってくれたのだろう。体を起こしてそれを受け取ると触れた手もほんのり
冷たく濡れていた。さっきの感触はこのせいか。
「なんか食うか?起きられたら飯行こう」
「いい。食欲なくて……」
「良くないだろう!医者は?」
「……行った。大丈夫。病気じゃない。大した事ないからへーき」
「へーきって……お前なぁ」
 流しの上に割れたコップがビニールに入って置かれてあった。それを片付けてあたしを布団まで運んで
くれたりもしたらしい。
 側に脱いだ上着と鞄が置かれてあった。
37ひとつだけ・7 3/9:2009/07/31(金) 21:06:25 ID:Yl5kUqqy
 ワイシャツ姿のままネクタイを軽く緩めてあぐらをかいている。きっと会社が終わってそのままうちへ
来たのだ。
 しかし、何故。
「何でここ知ってるの?」
「ん?伯母さんに聞いた」
 やっぱり。口止めしておけば良かった。勝手な事を……。
「そう嫌な顔をするな。仕方ないだろう、連絡取れなかったんだから。……お前は勝手に出てっちゃうし、
 電話もメールも無視したろ!?まあ、俺もゴタゴタしてそれ以上の事が出来なかったために、今頃に
 なっちまったけどな。ごめんよ」
 謝る事なんかないのに。
 あれから着拒して連絡をシャットアウトしたのはあたしだ。逢う間もなく別れてしまえばもうその
ままおしまいになると考えた。
 従兄妹という繋がりがあったとしても、離婚後父が死んだ事でそれももう保たないはずだ。だから
自然に流れて途切れて忘れて終わり。元の生活に戻ればあたしとの事も忘れてしまうだろうと。
 そしてあたしも忘れてしまえるだろうと。
 なのにどうして今頃になって。
「葵」
 一息ついたあたしから受け取った缶を脇に置くと膝を正して向き直った。
「察しはついてると思うけど、俺は今独りだ」
 何となくそれは解った。元々それらしい前振り話はあったわけだし。
「そう……なんだ」
 結局だめだったんだ。でも何で今それをあたしに言うの?とは聞けなかった。どのみちそれを訊いた
ところであたしには関係ないと変な気を遣われるだけだろうという事は目に見えている。
「そこで、というわけじゃないんだが」
 部屋を見回してまた視線をあたしに戻す。
「とりあえず今はまたウィークリーに住んでる。この前とは別だけど、ちゃんと部屋が見つかるまで
 はとりあえずと思ってな。……葵」
「はい」
「休みになったら探しに行こう。それで俺と一緒に暮らさないか?」

 頭の中が一瞬真っ白になった。
38ひとつだけ・7 4/9:2009/07/31(金) 21:07:11 ID:Yl5kUqqy
 一緒に暮らす?あたしと?
「前より痩せてるんじゃないか?きちんと食べてないんだろう?こんな状態じゃ1人になんかしておけるか!
 だから一緒に住もう。仕事だってもっと楽なやつ探して、な?」
「……嫌だ」
「葵!」
「嫌だって言ったの。そんな心配いらないよ」
 本当なら、こんな風に言って貰えて喜ぶか有り難がるのが普通なんだろうけれど。
「……兄ちゃんじゃないって言ったよね?だからあたしももう妹じゃないんだよ。だからそういうの
 いらない」
 あたし達がそうなったのはそういうのを棄てるため。
「言ったけどそれは」
「心配してくれるのは本当に嬉しい。だけど」
 甘えちゃいけない。
「そういう優しさはいらない」
 同情は嫌だって言った。縋るのはもっと嫌。
 だから貴方を忘れたのに。――筈なのに。
「葵俺は」
「帰って。お願い……来ないでいいから、もう。あたしの事は気にしないで!」
 立ち上がろうと膝をたてかけて目眩を起こした。そのままぐらりとして彼の反対側にひっくり返って
倒れた。
「葵!!」
 慌ててあたしを抱き起こそうとして側にあったバッグを引っ掛け、ぶちまけられた中身を何気に見た
彼は顔色を変えた。
「確かに病気ではないな」
 手のひらサイズの感熱紙を眺めながらがしがしと頭をかきむしり、はあと息を吐いた。
「……大丈夫」
「何がだ」
 もう決意は固めていたから平気だ。このまま秘密に葬ってしまうつもりでいた。
「だから、大丈夫だから。心配しないで。迷惑は掛けません」
「何だと?」
「忘れて」
 見なかった事にして。
 黙ってそれを眺めながら彼は俯いていた。
 しばらくの間あたしも口を噤んでそんな彼を見つめていた。
39ひとつだけ・7 5/9:2009/07/31(金) 21:08:23 ID:Yl5kUqqy
「駄目だ」
 暫くしてようやく口を開いた彼の声は恐ろしく低く冷たかった。
「何が?あたし1人でちゃんとしょ……」
「言うな!!」
 体がビクッとして竦んだ。
「それ以上言うな。……馬鹿な事考えるんじゃない!」
 初めてそんな声を聞いた。そんな顔も見た。だから驚いた。
「……だって」
 無理だもの。そう思ったもの。だからそれしかないと思った。当たり前なんだと諦めた。
「やっぱりすぐにでも俺んとこに来い。なるべく早く部屋探すから。一緒に住もう。な?」
「……だめだよ」
「何で?そんな事言ってる場合じゃ」
「だからだめ!嫌なの!!同情なんかいらない。そんな風に優しくしないでって……っ」
 言ったでしょう。辛いの。頼ってはいけないのに頼って甘えて縋りたくなる。きれいな昔の幻想に
引きずられて抜けられなくなる。だからそう決めたのに――。

 それだけでは終わることを許されなかった。

「同情なんかするか馬鹿!!」
 怯んであとずさりかけたあたしの肩を掴まれて逃げられない。
「親が……産まれてくる子供の心配して何が悪い?」
「兄ち」
「よせ。それは。……葵お前、お母さんになるんだろう?」

 肩ごと掴まれてシワのいったペラペラの紙にプリントされた小さな豆粒のような影を、彼は広げ直して
食い入るように眺めた。
「……ならないよ」
「葵」
「ならない。産まない。産めない……」
「どうして?」
「だって」
「言っておくがお前だけの問題じゃない。半分は俺の責任だ」
「だから同情とか責任とかも」
「だから!同情じゃないし、責任だって……父親なら持って当たり前の事だろうが。だよな?違うか、ん?」
 何と言い返せば良いかわからなくて黙って目を逸らした。
「いいか?半分は言わば俺の権利だ。だからそんな思い詰めるな。な?」
 思ってもみなかった言葉や展開に頭が混乱する。
40ひとつだけ・7 6/9:2009/07/31(金) 21:09:13 ID:Yl5kUqqy
 権利って。責任はわかるけど。
「だってあたし自信ない。自分がそうなれずに生きてきたのに誰かを幸せになんて出来ないもの」
 何故生まれてきたのだろうと、両親を――運命を呪った。命があるから仕方なく生きてきた。
「嘘だ」
「だから」
「じゃあ何で“ごめんね”なんて言うんだ?……産みたいんだろう本当は」
 ああ、さっきの。独り言のつもりの呟きは彼には筒抜けだったわけか。
「産んでくれよ。俺だってお父さんになりたいよ」
「そんな……だめだよ。だって離婚したばかりだよ?前の奥さんが知ったらいい気しないよ。それに
 会社でも立場があるでしょう?第一……おばちゃんがいい顔しないと思う。心配かけちゃだめだよ」
 そう言うと彼は押し黙ってしまった。
 ただでさえ息子の離婚転勤で心を痛めてるだろうに……うちの親はともかくとしても、だ。
 寝取ったわけでは無いけども、世話になった人を裏切るようで辛い。
 それに、初めての孫がこんな授かり方では気の毒だと思えてしまう。

 いきなり立ち上がると写真をあたしに返して携帯を取り出した。
「もしもし……俺。悪いね急に。ちょっといいかな?」
 どこかへ掛け始めたので静かに膝を抱えたまま、ぼうっと手元の写真を眺めながら『明日は出勤しな
ければ』と考えていた。
 部屋の隅で小声で背を丸めながら時折「すまない」とか「ありがとう」という彼の誰かとのやり取り
を聞こえないふりをして終わるのを待った。
「じゃ、元気で。君も……お幸せに」
 電話を終えた彼は、あたしの前に座ると真顔で手を取った。
「今何ヶ月?」
「は?」
「だから……ああ、そうかこっちがいいか。予定日は?」
「来年の5が……」
「5月か。ギリギリだったな」
 ギリギリって?その前につい言っちゃったけどあたしは……。
「男はともかく女はすぐ再婚出来ないって知ってるよな?……今の電話、前の妻なんだ」
「え……」
 別れた奥さん。もう他人になったとはいえ、元夫の側に別の女――それもこんな状態だと知ったら。
やはりいい気はしないのではないだろうか。
41ひとつだけ・7 7/9:2009/07/31(金) 21:10:12 ID:Yl5kUqqy
「そんな顔するな。お前は昔から周りを気にしすぎる。我慢して傷ついて、全部辛い事背負いこんで。
 今だって俺に何も言わずに1人で勝手に決めて、うちの親や……元妻の事ばかり考えてるだろう?」
「そ、そんな……だってそりゃそうだよ。あたしなんかのために」
 自分の不運や苦労はともかく、それが誰かに少しでも及ぶのは申し訳ないと思ってしまう。あたし自身は
それに慣れているぶん、自分が黙っていればことが済むというのならと黙ってやり過ごすのが当たり
前になっていた。
「そんなだからだよ。だから1人にしときたくない、出来ない。こんな時なのに自分の事後回しにして……。
 優しすぎるよ。お前は俺の事優しいって言うけどお前のほうが優しいひとだよ。そして強い」
 違うよ。多分あたしは優しいというよりただ諦めがいいだけだ。強いのは傷つく事に慣れているから。
 だから誰かを不幸にしてまで自分が幸せになろうなんて思えない。苦しむのは自分だけで沢山だ。
「さっきの話に戻るけど、離婚後半年。半年待ってお前が受け入れてくれたら、一緒に住もうと思ってた。
 だけど予定が狂った。悠長な事言ってられなくなったからな。……向こうにも他に好きな人がいたんだ。
 再婚についてははっきりしないが、それでもその期間だけは俺の勝手なけじめとして、抜け駆けは
 しないと約束してたんだ」
「あたしの事……」
「うん、話した。あの後あっちで話し合って、その時に向こうのも打ち明けられた。正直互いにショック
 じゃないと言えば嘘になるけど、恨みごとは言わなかった。今もさすがに驚いてはいたけど了承して
 くれた」
 ぎゅうとあたしの両手を包んで強く握る。
「こんな奴が何を言うかと思うだろうけど、葵。俺は……責任だとか後ろめたさでこんな事してるわけじゃ
 ないんだ。お前の事も抱いたから好きになったんじゃない。気持ちが先に立ったからそうなったんだ。
 俺は……お前にずっと一緒に居て欲しい」
 
 一瞬、息が止まった。

42ひとつだけ・7 8/9:2009/07/31(金) 21:12:16 ID:Yl5kUqqy
「お前を守りたい。大事にしたい。その気持ちに変わりはないけど、妹としてだけ想う気持ちが当たり前
 のものから無理やり言い聞かせるものに変わってた」
 あたしが兄ちゃんに永年に渡って引きずってきた気持ちを今にして味わったという事か。
「あの服。買った時は可愛い妹に軽い気持ちで贈ったつもりだったのに、着て見せてくれた時、純粋に
 嬉しかった気持ちの他に、お前が言ってた通りの下心も本当はあったんだ。だから……それだけは……
 それを剥ぎ取るような振る舞いはすまいと思ってた。お前にとっては兄ちゃんとしてずっとこれからは
 甘えて、頼って欲しかった。そんな人間でありたかったから」
 部屋の隅に掛けたあの夏服を眺めながら、どれほどこの人が自分を想ってくれていたのか、いや
――いるのかという初めて自分を心から欲してくれたひとの暖かさに胸が詰まった。
「お前は自分が幸せじゃないから誰かを幸せに出来ないと言った。でも俺は今幸せな気持ちじゃないと思う?」
 片手であたしの手を握りながら、白黒のかすれた生命の証しを目を細めて眺める。
「順番めちゃくちゃだけど、俺は実はお前が思うより情けない奴だろうけど、頑張ってお前達を幸せにする。
 これまではそうなって欲しいと思ってたけど、おれがそうしたいと思う。気に病んでる親の事も、
 何だかんだ言われるかもしれないが、お前を手に入れるためならいくらだってどっちの親にも頭下げるよ」
 法的に良しとされていても多分あたし達は諸手をあげて賛成というわけにはいかないだろう。諦めの
気持ちはあるにせよ、歓迎されずに生まれてくるのはやはり不幸な事だ。
「だからもうこの手を二度と離したくなんかない。――葵」
「はい」
 何気なくお腹に目をやって俯いた。
43ひとつだけ・7 9/9:2009/07/31(金) 21:13:25 ID:Yl5kUqqy
「俺がお前を幸せにしたい。それでお前がそう思ってくれるよう頑張る。大事にする。だから、産んで」
 声が出ない。
「そしたら俺も幸せになれるから。だから何でも1人で抱えるな。今まで人より頑張って来た分休め。
 甘えて頼れ」
 鼻がツンとして視界がぼやけた。

「俺を幸せに出来るんだよお前は。だから一緒に生きて。俺と子供を幸せにして。俺は腹の中身含めて
 葵が欲しい。他に何もいらない位」

「兄ちゃ……」
「それはよせ」

 泣き暮らしてすっかり涸れたと思った涙は底を知らずどんどん溢れてくる。
「兄ちゃんじゃないからって言っただろう?」
 笑って両頬を包んでそのまましょっぱいキスをする。
「……まさき?」
「何?」
 思い切って声に出してみれば、あの夜の嘘偽りない気持ちを思い出す。
「……終わりだと思った。あたしの夢なんかきっと一生掛かっても叶いっこないと思って諦めてた」
「そっかー」
 え?それだけ?
 顔に出たのだろう。腕を伸ばすと覗き込んでくすと笑った。
「覚えてるよ。確か4つ位の時かなぁ?お前俺の嫁になるって言ったんだぞ。しかも風呂ん中……」
「わあっ!いい、もういいっ!!」
 些細な子供の戯言を覚えていてくれた事は嬉しくて、でもそれを実際に思い出すと顔から火が出る
程恥ずかしい。
「その願い、今更だけど叶えさせて」
「に……将希」
「あ、良い顔だ。そういうので幸せになれる男なんだよ、俺は」
 笑うのに慣れてないあたしは自然に弛んだ頬が嬉し恥ずかしく、戸惑って背けようとした顔を向けられ
またキスされ手を握られる。
 懐かしく暖かなその感触を味わいながら呟いた。
「このまま死んでもいい……」
 そう本気で思った。あの夜も、そして今も。
「ばか!生きて幸せになれ」


 神様がゆるしてくれるなら、ひとつだけ心の隅に仕舞い込まれた夢をもう一度引っ張り出して見てみたい。
 そして今度はそれを懐かしく振り返り、生きる糧となればいいと思う。
 それができればきっと、あたしは――あたし達は幸せになれるのかもしれない。


 ――将希28歳、葵20歳の秋:完――
44名無しさん@ピンキー:2009/07/31(金) 22:29:57 ID:M0qy8onu
二人が一緒になれてよかった。
これからもいろいろ苦労しそうな感じだけど、二人で幸せを掴んでほしいね
GJです。お疲れ様でした
45名無しさん@ピンキー:2009/07/31(金) 22:50:46 ID:9yUshz/3
よかったヨカッタ
じんわりあったまりました、投下ありがとでした!
46名無しさん@ピンキー:2009/08/04(火) 01:45:29 ID:OIku4Wxy
今までの中で最大GJを作者と二人と未来の三人目に捧げます
47名無しさん@ピンキー:2009/08/09(日) 15:22:11 ID:jsof6Y+1
保守
48名無しさん@ピンキー:2009/08/12(水) 09:10:36 ID:YHDWV4Rm
久し振りに会ったらすっかり不良化or引き籠もり化していた従妹と純愛
49名無しさん@ピンキー:2009/08/18(火) 16:47:20 ID:ylfpI9s7
50名無しさん@ピンキー:2009/08/21(金) 08:16:27 ID:vg5WUq0P
51名無しさん@ピンキー:2009/08/28(金) 01:19:04 ID:2ffWpEbu
52名無しさん@ピンキー:2009/08/28(金) 06:24:32 ID:tWwfKVHq
>>48
苛められて登校拒否になってた感じが良いな。
53沢井:2009/08/30(日) 21:26:01 ID:Pt/sZaHW
こんばんは。コトノハ 第14話置いて行きます。
54コトノハ ヒラヒラ:2009/08/30(日) 21:26:32 ID:Pt/sZaHW
 夢を見た。どこか、遠くの方で蝉の声がして。周囲には人が溢れていて、ごちゃごちゃと喋っているけど、俺には何を言ってるのかさっぱり分からない。
 その中・・・俺の視界の中心に、彼女がいた。倒れて生気を失っている人間に寄り添って、その最後の言葉を聞こうとしている。

『・・・やだよ・・・なんで・・・どうして・・・!・・・いかないで・・・わたしを、置いて行かないで!』

 やがて、その腕の中にいた人が息を引き取ったのだろう。亡骸となってしまったその身体にしがみついた彼女が、胸も張り裂かんばかりに慟哭する。
 すぐ近くから、涙に濡れた顔を見詰めていた俺は・・・

(・・・・・・・・・・)

 指一つ動かす事は愚か、その頬の涙を拭うことすら、出来なかった・・・


55コトノハ ヒラヒラ:2009/08/30(日) 21:27:10 ID:Pt/sZaHW
「・・・っ!?」
 頭を揺さぶられるように、目を覚ました。・・・本日の目覚め、最悪。
「・・・くそっ、なんて夢だ・・・」
 昨日の今日で縁起が悪すぎる。頭を掻くが、苛立ちは消えなかった。
「・・・ん、かずくん?」
 隣で、もぞもぞと咲耶が身体を起こす。誤解の無いよう予め言っておくが、昨日のうちに色気の漂う事態に発展したりはしていないので悪しからず。
・・・今ヘタレとか言った奴、表出ろ。
「ああ悪い、起こしちまったか」
「・・・・・・(ふるふる)」
 謝ろうとした俺を制して、咲耶が首を振る。
「んっとね・・・ありがと。わたしね、すごく嬉しいよ」
 昨日の俺の告白の事を言っているのだろうか。面と向かって言われると、すげえ気恥ずかしい物があった。
「あー、うん。まあその、なんだ・・・あー、っと」
 何を言えば良いのか解らず、盛大にどもる俺。そんな俺を見て、咲耶は微笑みながら、俺の胸に顔を埋めてきた。
・・・そうだ。夢なんてどうでも良い。今、現実として、咲耶はここに居る。俺の腕の中で、微笑んでいる。それで、充分じゃないか。
 咲耶の顎を指で持ち上げて、薄く開いた唇に自分の唇を重ねる。咲耶は、抵抗も何もしなかった。
「ん、ぅ・・・」
 彼女が息をする動作さえ、俺にはとても美しく見えた。
56コトノハ ヒラヒラ:2009/08/30(日) 21:27:41 ID:Pt/sZaHW
「・・・あの、かずくん・・・」
 胸元から、呟くような声が聞こえた。
「ん?どうした?」
 視線を落とすと、咲耶が真っ赤になっている。まさか熱でもあるのかと思ったが、それを俺が言うより早く。
「・・・え、えと・・・その・・・あ・・・あたってる・・・」
 咲耶はそれだけ言うと、赤くなった頬を更に赤くして、自分と俺の腰の辺りから目を逸らした。
・・・腰の辺り?
(・・・って、うぉ!?)
・・・まあ、その、なんだ。今は朝で。俺は起きたばっかりで。その俺は咲耶と身体を密着させていて。それでなくてもこういう年齢なので。重ねて言うが今は朝で。以下お察し下さい。
・・・嗚呼、俺の馬鹿。せっかくいい雰囲気だったのに一気に台無しじゃん・・・
「えっと・・・し、失礼しました」
「・・・・・・(ぶんぶんぶん)」
 気にしないで、といったニュアンスで咲耶が頭を振る。が、それで分かりましたと言える程に俺も達観してはおらず。すげえ気まずい空気の中、俺はすごすごと咲耶から身体を離した。

********************

 頭を冷やして来る、と言って、和宏は咲耶の部屋を辞した。多分洗面台に顔を突っ込んで水を被ってくるのだろう、と結論付けて、咲耶はもう一度ベッドに横になった。
(・・・まあ、かずくんも男の子なんだし・・・)
 保健体育の授業で分かってはいるのだが・・・先程、腰の辺りに当っていた硬い感触を思い出すと、女としてはどうにも言いようの無い恐怖感を覚えずには居られない。
 そういえば中学校の時、やたらと和宏が『頼むから朝は絶っっっ対に部屋に入るなよ?』と言っていたのを思い出す。
 しばらく経ってからうっかり失念して部屋に入り、その理由を知ってしまったのだが・・・それから気恥ずかしくて、和宏としばらくまともに口を利けなかった。
 しかし、朝起きて隣に誰かが居る、というのは今までに無い経験で、自分の心が何とはなしに高揚している事に、咲耶は遅ればせながら気付いた。
(・・・キス、したんだよね、わたし。かずくんと・・・)
 自分の唇を指でなぞる。和宏の体温がまだ残っている気がして、瞬時に頬が熱くなる。
「・・・っ」
 気恥ずかしくなり、タオルケットに再びくるまって敷布団に潜り込む。もぢもぢと身体を揺らすと、ついさっきまでそのタオルケットを二人で使っていたという事実も思い出し、更に頬が赤くなった。


********************
57コトノハ ヒラヒラ:2009/08/30(日) 21:28:09 ID:Pt/sZaHW
 洗面所で冷水を頭から被ってから自室に戻ろうと思い、廊下に出る。と、そこで。
「昨日はお楽しみだったようだな」
 煙草の臭いと共に、ドスの効いた声が耳に入り、咄嗟に俺は息を呑む。まさかと思い、声の聞こえてきた辺りに目を遣ると・・・
「・・・お、おかえり」
「うむ、ただいま」
・・・廊下に仁王立ちになった親父が、射殺さんばかりに俺を睨みつけていた。
「あ・・・あの、親父、これはその・・・」
「・・・とりあえず、リビングまでツラ貸してもらうぞマイサン」
 万力のような腕で首根っこをがっしり掴まれて廊下をずるずる引きずられ、俺は市中引き回し刑の罪人よろしく連行される羽目になった。


 いつもの食卓で、俺と親父が向かい合って座っている。それはまだ良い。親父は先程から煙草を吸っては握り潰し、吸っては握り潰しを四回ほど繰り返している。
 よっぽど心を落ち着ける必要があるんだろう。そんな状態の親父に何か言ったら言ったで死ぬまで殴られそうなので、俺としても何も言えない。
 やがて煙草の箱が一箱、まるごと空になった頃。
「・・・まあ、これだけは確認させろ」
 親父は天井を仰ぎながら、重苦しく息を吐きつつ言った。
「事前か?事後か?」
 一瞬、何の話かと思い・・・直ぐに、昨日俺たちがいかがわしい行為に及んだかどうかを聞いているのだと理解する。
「・・・事前です」
 簡潔に、そう答える。
「どはぁぁぁぁぁ・・・」
すると親父は、大きく息を吐きながらテーブルに突っ伏した。
「お、親父?どうした?」
「・・・うん、まあ良い。なら良いんだ。取り敢えずよく耐えた和宏」
 俺の答えに、心底安堵しているようだった。すると親父は食器の入った戸棚の方まで歩いていくと、何やら下段の引き戸を開けてがさがさと物色を始め・・・
「うむ、あったあった」
 戻ってきた親父の手には、まだ封の切られていない煙草の箱が握られていた・・・将来の夢は肺がん患者か、この親父は。
58コトノハ ヒラヒラ:2009/08/30(日) 21:28:35 ID:Pt/sZaHW
「で、何があったんだ?七年も一つ屋根の下に置いといて何も無かったお前らがいきなりくっつくなんて、何か触媒になるような事があったとしか思えんぞ」
 触媒というフレーズに、この親父が元々理系の出身である事を思い出すと同時。忘れてしまいたかった事もついでに思い出す。
・・・話した方が良いのだろうか。あの男が、七年ぶりに俺達の前に姿を見せた事を。
「・・・高橋光也」
 ぼそり。俺が呟くと、親父の手から煙草の灰が落ちる。ただそれは、灰皿の上には落ちなかった。
「昨日、祭りの会場に居た。咲耶と話していて・・・咄嗟に、逃げてきた」
 大嘘も良い所だ。実際は、そんな利口な手段は取れなかった。感情に任せてあの男に怒りをぶつけて・・・不安に襲われる咲耶を、ほんの数分でも一人ぼっちにした。
「・・・そうか、あいつが・・・」
 言って、親父は手に持った煙草を銜え・・・それから、火が消えていたことを思い出し、それを灰皿の中に放り込んだ。そして、数刻の逡巡の後に・・・
「和宏、しばらく兄貴の家に泊めてもらえ」
 いきなり、そんな事を言った。
「は・・・?」
「こうなった以上、お前らを同じ家の中に置いておく訳には行かん。夏休みの間だけで良い、咲耶とは離れて暮らしてもらうぞ」
 呆けていた俺にも、親父の言葉の意味がようやく分かった。
「ふ・・・ふざけんなよ!?んな事よりも今は・・・!」
「なら聞くが、お前、この機に乗じようって気持ちが全く無いと言えるか?」
 続けて放たれた言葉に、俺はぐっと言葉を詰まらせる・・・全くどころか、昨日の告白はまさに『それ』に因る物だった。
「・・・ガキの間ってのはな、何が起きても不思議じゃないんだよ。今お前がやましい事を何も考えていなくても、ふとした拍子に外に出てくる」
 言葉が、容赦なく突き刺さる。最後に親父は、テーブルから立ち上がりながら言う。
「こんな事言うのは卑怯だがな、そんな風にして咲耶とゴールインできて、お前は満足か?」
59コトノハ ヒラヒラ:2009/08/30(日) 21:29:00 ID:Pt/sZaHW
 もはや、俺に反論の余地は残っていなかった。・・・言いたい事は多々あったが、それを言うべきではない事に、俺は気付いてしまっていたから。
「・・・わかった。出てけば良いんだろ、出てけば」
 夏休みの間だけだ。自分に言い聞かせて、部屋に戻る。程なくしてクローゼットから鞄を取り出し、俺は身支度を始めた。

********************

 和宏が部屋に戻ってから、和也は新しい煙草に火を点けた。途端に、肺の中がニコチンとタールと一酸化炭素の混合気体に満たされる。
 ふと、自分が和宏と同じ年の時、何をしていたか考える。煙草の味を覚えた辺りだったな、と思って苦笑すると同時に、人の顔を二つほど思い出す。
(光也・・・沙希・・・)
 高橋光也と、久遠沙希。後に彼らが夫婦となるなど、当時の自分は思っていなかった。それは自分と、まだ桐生の姓を名乗っていた華澄も同じなのだが。
「あなた、今日は随分早いんですね」
 和也の思考を中断したのは、勝手知ったる妻の声。
「うむ、ちょっと考え事をな」
 言って、煙草を再び銜えようとした所で・・・
ぱしっ。
「・・・何をする、華澄」
 目にも留まらぬ早業で煙草を没収された。
「何本目ですか?」
「まだ二本目だぞ。ほれ、箱の中にはまだこんなに残っている」
「あら。それじゃあゴミ箱の中にある空箱は私の見間違いかしら。昨日は無かったはずだけど」
「・・・・・・」
「それに我が家のリビングって、こんなに煙草の臭いが充満してたかしら」
「・・・ごめんなさい」
 素直に負けを認めて、リビングの窓を開ける。華澄は没収した煙草を洗い桶の水に漬けてから灰皿に置いて、苦笑しながら言った。
「頭を使うと煙草を吸うのは、あなたの昔からの癖よね・・・特に、深刻な事を考える時には」
 本当に、この妻には何も隠せない。和也は煙草の代わりに飴玉を一つ、口の中に放り込むと、溜息と共に言葉を吐いた。
「・・・光也に会わせるべきだと思うか?」
「咲ちゃんがそれを望むならね。けど私は咲ちゃんじゃないから、そんな事は分からないわ」
 当たり障りの無い返答が返って来る。心のどこかで、和也も同じことを考えてはいたのだが。
「けど・・・私は、会わせてあげたいわ。『例え咲ちゃんが拒んだとしても』ね」
「・・・だな。荒療治だが、それが一番か」
 胸の中で一つの決意を固めると、小さくなった飴玉をがりっと噛み砕く。と、その衝撃で、思わぬことを思い出した。
(そういえば、今兄貴の家にはあの子が居たが・・・まあ、良いか)
 先ほど和宏に伝え損ねた事を、和也は黙殺する事にした。


********************
60コトノハ ヒラヒラ:2009/08/30(日) 21:29:44 ID:Pt/sZaHW
あとがき
沢井「と言うわけで久々の更新です。いぇい」
咲耶「・・・・・・(なんで自分がここに居るんだろう、という顔)」
沢井「今回のゲストはご存知ヒロイン高橋咲耶ちゃんでお送りします。えーそれでは今回の感想をどうぞ」
咲耶「・・・・・・」
沢井「・・・・・・」
咲耶「・・・・・・」
沢井「・・・あー、うん。コレ使って、コレ(画用紙とペンを手渡す)」

(以下、『』内の咲耶の台詞は筆談です。ご了承下さい)

沢井「では改めて今回の感想を」
咲耶『なんか、プロローグから不吉。最後にかずくんと会えなくなりそうで凄く怖い』
沢井「俗に言う『バッドエンドフラグ』って奴だねー。これを回収しちゃうかへし折るかは、今後の和宏の行動に掛かってる訳だけど」
咲耶『そもそもこのお話、なんでこんな暗い話にしたの?』
沢井「人生で今のところ二番目に鬱ってた時期に気晴らしに書いたからさ☆」
咲耶「・・・・・・」
沢井「・・・うん、ごめん。取り敢えず☆はいらなかったよね。けど実際これ、当初はもっと暗い話だったからねぇ。君も構想段階では死人の一人だったんだよ」
咲耶『死んじゃう人はこれでも減らした、と?』
沢井「そうそう。ついでにライバルヒロインもね。人数増やして本格的なラブコメにするだけの技量が当時は無かったし」
咲耶『今も無いと思う』
沢井「げふぅっ!?(吐血)・・・ま、まあ良いや。とりあえず今回はここまで。さよーならー」
咲耶「・・・・・・(『続きます』と書いた画用紙をぶんぶんと振っている)」
61名無しさん@ピンキー:2009/08/31(月) 12:36:14 ID:iYe4KhIe
え、これバッドエンドありの話だったのか?
それはきついぞ……読むのに覚悟がいるじゃないか
62名無しさん@ピンキー:2009/09/07(月) 07:23:12 ID:u2s+c6QF
やべえ、久々に来たらコトヒラ投下されてた!
相変わらず咲耶が可愛過ぎるgj!
63名無しさん@ピンキー:2009/09/10(木) 21:44:36 ID:4/rIVAL8
わくてか
64名無しさん@ピンキー:2009/09/11(金) 01:52:32 ID:H6amw7JQ
下がりすぎだぁぁっ!!
65名無しさん@ピンキー:2009/09/17(木) 00:27:59 ID:biOjVA/u
66名無しさん@ピンキー:2009/09/19(土) 02:53:54 ID:/iI6PdMO
純愛ってむずかしいよな……。
67名無しさん@ピンキー:2009/09/21(月) 20:01:07 ID:0jXB0ExM
保守
68名無しさん@ピンキー:2009/09/26(土) 22:13:52 ID:en9+lI9S
保管庫が貼ってなかったので


2chエロパロ板SS保管庫
http://sslibrary.arings2.com/
69名無しさん@ピンキー:2009/09/29(火) 23:16:21 ID:S6rglQaQ
そこなんだ
70名無しさん@ピンキー:2009/10/05(月) 18:18:30 ID:1PL9795f
71サナギ:2009/10/09(金) 23:44:53 ID:Y1/VYRC+
すみません。純愛というには微妙ですが、投下させて下さい。
7レスです。
72サナギ1/7:2009/10/09(金) 23:45:16 ID:Y1/VYRC+
『サナギ』

 男の子の涙を初めて見た。
 切れ長の瞳から零れ落ちそうになっているそれは澄んで美しく、それでいて胸の奥をキュッと疼か
繭せる。
 繭は思わずそれに指を伸ばして絡めとる。
「繭……?」
 真司の意外そうな表情を見ていたら、頬が何故か赤らんだ。



 スーパー高校クイズ。
 真司はこの一年、優勝するためにあらゆる努力を重ねてきた。
 伝統ある進学校のクイズ研究会に所属する彼は、クイズ史上最高難度を誇ると言われるこの番組
で、王座を奪取すべく取り組んできた。
 要求される知識量は大学受験を遥かに凌駕する。
 それでいて暗記だけでは勝てない。
 チーム3人のバランスが重要で、文系科目から理系、果ては数学五輪の問題やひらめきを要求する
パズルまで出るという。
 真司の担当は理系科目だった。
 数学五輪出場経験を持ち、抜群のセンスと広い暗記量を誇る。
 だが、彼は痛恨のミスをする。
 準決勝。
 並み居る私立難関高に並び、唯一勝ち残っていた公立高である彼らは、一対一のこの勝負でイーブ
ンだった。
 雌雄を決する最後の問題。
 数学五輪の問題だった。
 見た瞬間、方針は立った。後はパズルのピースを当て嵌めるように解いていくだけだった。
 彼にとっては楽勝の筈だった。
 だがその油断がミスを誘った。
 最後の最後の、繰り下がりを間違うという単純な計算ミス。
 チェックをしていた筈の両隣の仲間達もそれを見過ごした。
 解答ボタンを押した時、あまりの瞬殺に周りがどよめいた。
 真司は勝利を確信していた。
 フリップに書いた解答を掲げる。が、不正解のブザー。
 その瞬間、頭が真っ白になった。
 簡単に紐解いて見せた筈の問題は、突如高い城壁に包まれた城塞と化した。
 もう一度、方針を洗い直す。
 だが、慌てた頭には別解など浮かばない。
 足掻いて足掻いて、どうしようもなくなった時、隣の敵が解答ボタンを押す。
 間違ってくれ!──祈る。
 だが、無情にも正解を告げる軽やかな音。 この瞬間、真司の高二の夏は終わった──



 繭とは二年になって同じクラスになった。
 初めはその天然キャラが鬱陶しく感じられ、正直好きではないタイプだったのだが、逆に妙に目に
入るため、気になるようになった。
 気になり始めるとどんどん突き詰めずにはいられない。
 何事も始めたら突き進むのが彼の信条だ。
 いつしか、クラスの中で常に彼女の存在を探すようになり、そして自分の気持ちを自覚した。
 繭のことが好きだと。
 終業式の日。彼女を体育館の裏に呼び出し告白した。
 スーパー高校クイズで優勝したら付き合ってくれ、と。
 その時繭は不思議そうに小首を傾げ、曖昧に微笑んだだけだった。
 イエスとは言わなかったが、ノーとも言わなかった。
 真司は不敵に笑う。
「優勝してみせるよ」

73サナギ 2/7:2009/10/09(金) 23:45:53 ID:Y1/VYRC+
 繭はその白い指先で絡め取った涙を赤い舌先でペロリと舐めた。
 その、霞がかかったような不思議な瞳を細めて笑う。
「美味しい」
 何故かその姿は扇情的で、真司はぞくりと背を震わせた。
 淡い色合いの瞳。
 色素が薄く、肌も髪も淡い。
 もしかしたらハーフなのかと思ったら、クォーターだと言う。
 華やかな美少女ではないが、その淡い雰囲気と容貌で一度見たら忘れられない強烈な印象を与え
る。
 真司は切れ長の瞳を細めて、そっと少女の頬を触る。
 繭が欲しかった。
 しかし、悲願の優勝と共に彼女も失った。
 そのはずが、何故か今彼女は彼の隣にいた。
 敗戦の後、一緒に出場した仲間達の誘いを断って、応援の友人達とも離れるためにマックに寄って
時間を潰したと言うのに。
 人もまばらなホームで放心していたら、いつの間にか隣にいた。
 励ますでもなく、諌めるでもなく。
 ただ静かに隣にいる。
 だが、真司は見た。彼が敗戦した瞬間、悲痛な表情を浮かべた彼女の顔を。
 悲しませてしまった。
 ──辛い。
 また、涙が込み上げてくる。
 頬に温かなものを感じた。
 顔を上げると、彼女が彼の涙を舐めていた。
 舌先の感覚に驚き、しばらく呆然とする。
 繭の顔が近づいた──と思ったら、軽くキスをされていた。
「うちにおいでよ」
 プラットホームに滑り込んできた列車に、繭は真司をいざなった。



 繭の家は真司宅の最寄り駅の隣だった。駅から徒歩10分。
 ごく普通のマンションだ。
「誰もいないよ」
 繭は微笑み、真司を招き入れる。
「お邪魔します」
 まるでショールームのような調度品なのだが、どこか現実感がない。
 一度は諦めた繭に、こうして彼女の家に招かれているという事態からして現実とは思えない。
 夢の世界にいるかのような心地がする。
 繭はエアコンを入れ、窓を開けていた。
 その現実的な動きを見て、やはり夢ではないのかと自問する。
 勧められるまま腰を下ろし、彼女が差し出すグラスを手に取った。
 よく冷えた烏龍茶を一気に飲み干すと、ようやく人心地つく。
「何で誘った?」
 向かいのソファーに座り、同じく烏龍茶を飲んでいた繭は、けぶるような笑みを浮かべる。
「何となく」
「優勝してみせるなんて格好付けたのに──この様だ」
「別に」
 繭は小首を傾げた。
「何でキスした……」
「うーん……」
 繭は言い淀み、立ち上がった。
 後ろを向いたかと思うと、しばらくしてそっと振り返った。
「涙が綺麗だったから」
「俺の……?」
「そう」
 しなやかな動きで真司の傍に近寄ったかと思うと、またキスをした。
 軽く触れただけなのに、その部分だけが発熱したかのように感じた。
 あの時が初めてのキスだったんだと気付いたら、頬も熱くなった。
74サナギ 3/7:2009/10/09(金) 23:46:33 ID:Y1/VYRC+
 唇の熱は腹の奥へと伝わり、直接的な欲望へと化学反応を起こす。
 ──誘っているのか?
 だが、踏ん切りがつかない。
 少女は彼を見つめながら、淡い瞳に笑みを浮かべている。
「もう一度、舐めたい」
「──何を?」
「涙」
 その答えに困惑する。
 流せと言われて流せるものでもない。
「無理だよ──」
「残念」
 ちっとも残念そうに思えない声音。
 もう一度、彼女の顔が近づく。
「何でキスする?」
 もう一度訊く。
「綺麗だから」
 唇が触れそうな距離で繭が囁く。
「誰が」
「正木くん」
「男に言うセリフじゃないだろ」
「そう?」
「そうだよ──」
 彼女の後頭部に手を伸ばし、そっと引き寄せる。
 今度は目を閉じた。
 夢なら覚めないように。



 強引に舌を割り込ませたらピクッと肩を震わせた。
 嫌がるかと思ったが、繭は微かに頬を赤らめ身体を離そうとする。
 後頭部を押さえる手に力を込め、強引に口内を蹂躙する。
「あ──…」
 更に深く探ろうと唇を離した一瞬、小さな声が上がった。
 脊髄を刺激する微かな声に、下腹部に痛みを伴って勃ち上がるものを感じる。
 色素の薄い白い首、細い肩。
 真司の胸の中で微かに震えている。
 怖がらせたか──
 自分の行動を後悔する。
「悪い……」
 後頭部から手を離した。
 そのぬくもりが手から離れてしまうのが惜しい。
 繭はその瞳を開き、真司を見つめた。
 霞の掛かったような──と思っていた瞳が濡れていた。
 匂い立つ色香に眩惑される。
「駄目」
 何が駄目なんだと詰問したかったが、頬に口付けられる感覚に何も考えられなくなる。
 柔らかな舌が頬を撫でる。
 くちゅ、と唾液の絡まる音がした。
 捉えようとすれば逃げ、手を離すと寄ってくる。
 苦しくなって髪に手を伸ばせば、甘く香る。
 ──やはり、夢か……。
 ならばと肩を引き寄せ、もう一度口付ける。
 唇を舐めればようやくその扉は開き、彼を甘く受け入れた。



 ソファーに押し倒すように体重を掛けると、呆気ない軽さで倒れた。
 耳朶を甘噛みし、首筋に唇を滑らせる。
 柔らかな皮膚に甘い香りを感じた。
 年頃の少女らしいコロンなのか? いや、もっと清涼感のあるそれは──彼女の体臭だろう。
75サナギ 4/7:2009/10/09(金) 23:47:07 ID:Y1/VYRC+
 強めに吸うと、また「あ……」と声をあげた。
 制服のリボン、水色のシャツのボタンと徐々に彼女を解いていく。
 隙間から顕になった抜けるように白い肌に興奮を覚えた。
 そして、白地に水色の小花のレースをあしらったブラジャー。
 その小さめのカップの後ろには柔らかな膨らみが息づいている。
 下の部分に手を掛けて、上にずらし乳房を露出させた。
 桜色の乳首が柔らかそうだった。
 そっと指の腹で撫で上げた。
「ふ……ぁあんっ……」
 漏れる息づかいに甘い声が混じった。
 その瞬間、彼の中の何かが音をたてて切れ落ち、むしゃぶりつくように舌を這わせた。
「蔵田……!」
 彼女の名字を呼ぶ。
 本当は名前を呼びたかったが、気恥ずかしく名字でしか呼べない。
 繭は熱を持った瞳で真司を見つめる。
 そして、今度は自分から口付けをせがんだ。
 唾液を交換し合う。
 舌の絡まり合う淫らな水音。
 何て柔らかく、蕩けるような口付けなんだろう──
 やはり夢だと確信する。
 小さな膨らみを、掌全体を使ってそっと包み込む。
 暖かな体温。そして、例えようもない柔らかさ。
 指先に微かに力を入れるようにすると、彼女の肩が震えた。
 唇を離して顔を覗き込むと、眉根に小さな皺を寄せ、頬を微かに赤らめていた。
「感じるのか……?」
 呟くように囁いた声に小さく頷く。
「どうすればいい?」
 目の奥を覗き込む。
「判らない……」
 小さな声だった。
「しても……いいのか?」
 何が、とは言わなかった。
「したいの?」
 何が、とは言われなかった。

 ──憐憫なのか。
 ──性欲なのか。
 ──愛情なのか。

「蔵田……」
 もう一度名を呼ぶ。
 繭がその薔薇色の唇を開いた。
「繭──」
『と呼んで』とは言わなかったが意味は通じた。
 口の中で「繭──」と反復する。
「俺は真司だ」
「真司──」
 まるで幼子のようにおうむ返しする。
 名を交換し合うと本当の恋人同士になれたような気がした。
 真司は口付けながら、繭のスカートを捲った。

 ブラジャーとお揃いの白いショーツ。
 クロッチ部分を布地の上から輪郭をなぞった。
 そこは染みができており、生地越しにじっとりとした湿気を伝えた。
 柔らかな体毛の直ぐ下を指で探すと──あった。
 女の快感を伝えると言われる突起。
 生地の上から優しく撫でる。
 彼の肩を掴む指先に力が込められ、痛みを感じた。
 繭は苦しそうに息をあらげ、頬を上気させている。
 乳首を舌先で愛撫しながら、円を描くように撫でる。
76サナギ 5/7:2009/10/09(金) 23:47:36 ID:Y1/VYRC+
 我慢できず、横から指を差し込んだ。
 くちゅと粘った水音。とろとろに蕩ける柔らかな泥濘。
 真司は感動のままに指を蠢かして中を探った。
 入口近くのざらっとした部分を引っ掻くように刺激する。
 甘い吐息はいつしか、嬌声と呼ぶべきものへと変わっていった。
「真司──いやっ、怖い……」
「繭──」
 そっと腕の中に包み込んだ。
「怖いのか?」
 真司が問うと長い睫毛を震わせてその瞳を開いた。
 夢見るような──濡れた熱い瞳。
「気持ち好すぎて怖いの……」
 恥ずかしそうに微笑んだ。
 真司は胸が一杯になり口付けすると、無言で繭のショーツを剥ぎ取った。
 髪よりも幾分濃い色の翳りの下に、薔薇色の花弁が開いていた。
 上部の突起は既に顔を出し、赤く色付いている。
 そして、先程までの彼の指を受け入れていた花弁の奥からは愛液が滴っていた。
「恥ずかしい……」
 繭は顔を両手で隠した。
 シャツのボタンを全開にし、ブラジャーのカップを胸の上に乗せ、タータンチェックのプリーツス
カートを捲り上げたその姿は、息を飲むほど扇情的な眺めだった。
 眩惑されるように、花弁の中心に口付けた。
「あぁ……んっ──」
 一際高く甘い声。
 小さな突起を、固くした舌先で刺激し、唇で包み込み、吸い込む。
 中指で中を解すように愛撫し──さらに一本、そしてもう一本と増やす。
 繭はソファーの端を握り締め、嫌々をするかのように首を振っている。
 嬲れば嬲る程に柔肉は溶ける。
 真司は夢中で自身のベルトを解き、ファスナーを下ろして固くなった陰茎を取り出した。
 避妊をしなくてはならないという意識は飛んでいた。
 この柔らかなものに己れを突き立て、包まれ、そして快楽を得たい、もうそれだけしか考えられな
かった。
 互いに着衣のまま、彼女の中に押し入った。
 ──これは、夢なんだから。
 リアルな淫夢だと思う。
 想像していたような抵抗もなく、するりと中に入ったが──どう動けばいいのか。
 戸惑いながら繭を見つめると、彼女は静かに涙を流していた。
「ど、どうした? 痛いのか?」
 今まで夢中で、彼女を思いやる余裕が無かった。
 明確な同意も得られぬまま繋がってしまった。
 もしや、処女──?
「繭……痛い?」
 だが、もしやそうだと言われても最早抜くこともできない。
 入れているだけで、全身を快感が貫くようなのだ。
「初めて……なのか?」
 ただ、涙を流しているだけだった繭にようやく反応があった。
 こくり、と小さく頷いた。
 真司も全くの初めてで──彼女もそうだと言う。
 バクバクと心臓が大きく鼓動し、頭が真っ白になる。
 昼間のクイズの再現のような気がした。
 これは淫夢ではなく、悪夢だったらしい。
「続けて──真司」
 パニック寸前の彼を救ったのは繭だった。
「大丈夫──嬉しいから」
 嬉しい?
「え……」
「真司、泣いてた。私、あなたを癒してあげたかった。ずっと好きだったから」
 彼女は彼の腕の中で小さく微笑んだ。
 やっと捕まえた──
77サナギ 6/7:2009/10/09(金) 23:48:06 ID:Y1/VYRC+
 夢は今、現実の重みを持って目の前に拡がっていった。



「俺、夢中だったから避妊具着けていない……」
 おたおたと慌てる真司に繭子は微笑んだ。
「この前、学校帰りに貰ったのがある」
 身体を起こす繭に譲って、陰茎を抜く。
 繭は財布から小さな避妊具を取り出した。
「着け方、知ってる?」
「多分……」
 パッケージごと貰い、口を使って封を切る。
 上下を確認し、空気を抜きゆっくりと被せる。
 ついでに、制服も下着も脱ぐ。
 繭も彼の横で脱いでいた。
 横になっていた時より、胸が大きい──気がする。
 互いに生まれたままの姿になって抱き合った。
 優しく口付け合う。
「怖かったら言って」
 こくん、と繭は頷いた。
 もう一度繭をソファーに横たえ、両足を肩に担ぎ、己れの昂りを突き入れる。
 今度は慎重に腰を進めた。
 柔らかな締め付けが脊髄を這い上がり、思わず声を漏らしてしまう。
 繭は泣いていなかった。
「痛い?」
「平気」
「そっと動くよ」
 彼女のいらえを待たず、腰を引く。
 気を付けながらも本能のままに浅く深く動かす。
 懸命にこらえるその様が愛おしい。
「繭……」
 繭の吐息は徐々に甘くなってきた。
 痛みだけではない疼きを感じているのか──?
 繭は蕩けるような笑みを浮かべた。
「真司──」
 彼の名を呼ぶ。
 言葉にできない熱い想いが身体の奥から込み上げ、胸の奥を締め付ける。
 もう限界だった。
 彼女の身体を気遣う余裕も無くなり、真司は繭の名を何度も呼びながら激しく腰を打ち付け、身体
中の全ての想いを解放した。



 気付いたら、部屋の中は暗くなっていた。
 真司は慌てて彼女から身を離した。
「繭、大丈夫か? 最後、優しくできなくてごめん」
 繭は静かに首を振る。
 足の間に流れる鮮血──純血の証が胸に刺さる。
 テッシュを持って来てそっと拭ってやり、自分のも処理した。
 互いに身繕いを終え、もう一度抱き合って口付けし合う。
「おうちの方が戻って来る?」
「大丈夫だけど、ご飯作らなきゃ」
 たしか、繭は母子家庭だった。
 繭を見つめる。
 ついさっき彼が手折ったばかり花は、輝くばかりの美しさで鮮やかに香っていた。
 どちらかと言えば曖昧な印象だった瞳は、今やきらきらと澄んだ輝きを放っていた。
 たったそれだけで、なんと美しい少女に生まれ変わるのだろう!
 真司はそっと恋人を抱き締めた。
「ありがとな……繭」
 昼間の悪夢は繭に昇華され、もう奥の方で小さく疼くだけだった。
78サナギ 7/7:2009/10/09(金) 23:48:27 ID:Y1/VYRC+
 真司は想いを込めてもう一度彼女を抱き締めた。
 繭は柔らかく微笑んだ。
 そこにはもう少女の不安定さはなく、女の優しさに溢れていた。
 それは蛹が蝶になる鮮やかさに似ていた。
 俺は、そんな繭に似合う男になれたのだろうか?──真司は自問した。

<fin>
79名無しさん@ピンキー:2009/10/11(日) 01:53:10 ID:98KaTOny
投下乙!!
俺の母校の去年の高校生クイズwww と不覚にも思ってしまった
80名無しさん@ピンキー:2009/10/11(日) 02:50:11 ID:cOS7nn05
GJ!女の子に癒される作品は好きです
しかし、数学オリンピック級の問題が出るのか……すごいな
81名無しさん@ピンキー:2009/10/15(木) 07:38:48 ID:VNzwwk3G
GJ!
82名無しさん@ピンキー:2009/10/19(月) 19:14:31 ID:44ikntio
(・´ω`・)ゞホシュ
83名無しさん@ピンキー:2009/10/21(水) 01:03:49 ID:N8dOW+or
プラトニックな二人
84名無しさん@ピンキー:2009/10/21(水) 01:49:45 ID:P34ysxM4
最近あの作品見ないな、と思ってたらもう一年近くたっていた件
85名無しさん@ピンキー:2009/10/21(水) 03:04:00 ID:s7aLVkiW
>>84
まだだ、まだ終わらんよ
86名無しさん@ピンキー:2009/10/22(木) 01:38:40 ID:sfddMBZQ
何、我々は1年待った
あと1年や2年、どうということはない
次こそは綾咲さんとのクリスマスが終わってるはずさ
87名無しさん@ピンキー:2009/10/28(水) 16:09:25 ID:+3KBBHve
純愛と恥ずかしがりって違うのだろうか
88名無しさん@ピンキー:2009/11/05(木) 02:20:37 ID:oqJub31t
この気持ちぃ、まさしく愛だ!
89沢井:2009/11/06(金) 21:59:09 ID:uihpGSoL
どうも、お久しぶりです。コトノハ 第15話置いて行きます。
90コトノハ ヒラヒラ:2009/11/06(金) 22:00:08 ID:uihpGSoL
 家の近くの駅から電車に乗り、十分ほどがたんごとんと揺られると、隣町に着く。そこからバスに乗って、またも揺られる事数分。そこに、伯父さんの家はあった。
「・・・あっつー・・・」
 バスから降りると、途端に熱気に包まれる。一週間分の着替えと夏休みの課題を詰め込んだ鞄が、やけに重かった。
 辺りを見回すと、視界は広い。畑と田んぼが広がり、それらの間に点々と民家が立ち並んでいる。はっきり言って、俺の住んでいる場所よりも田舎だ。
「伯父さんの家は・・・ここから歩いて十分・・・」
 言葉にすると、気が遠くなりそうだった。

********************

「・・・・・・」
 咲耶は不機嫌だった。原因は分かっている、和宏の不在だ。朝起きて朝食を食べて、いきなり和宏が出掛けた。大荷物に気付かず、「買い物でもしてくるのだろう」程度と思ったがそうではなかった。
 華澄に理由を聞かされて、和宏がしばらく帰って来ない事を知ったのは、つい先程の事だった。
(・・・・・・かずくんのばか)
 今朝まではあんなに幸せだったのに、と思うと、余計に寂しかった。
 現在、家の中には咲耶しか居ない。和也は仕事だし、華澄も買い物に出かけた。ついでに友達の家に行って来ると華澄は言っていたから、多分二時間は帰って来ないだろう。
 宿題を片付けようと思ったがどうにも手に付かず、休憩がてらリビングに来てよく冷えたジュースを飲んでいた次第である。
「・・・・・・」
 ふと、和宏の部屋に入ってみようと思い立ち、ソファから立ち上がる。
(・・・きのうはわたしの部屋にいたから、これでおあいこ・・・かな?)
 お邪魔します、と心の中で言いながら、立て付けの悪いドアを開く。見知った部屋が、眼前に広がった。
91コトノハ ヒラヒラ:2009/11/06(金) 22:00:52 ID:uihpGSoL
「・・・・・・はぁ」
 が、やはり最大の違いというのはどうにも目に付いてしまうもので。人の気配の無い部屋を見て、咲耶は盛大に溜息を吐いた。来るんじゃなかった、和宏が居ない事を改めて確認しただけだった。
 とりあえず、以前借りたままになっていた漢和辞典を、本棚に戻す。和宏の本棚はベッドの脇に付けてあるので、まずはベッドに昇るのだが・・・
「・・・・・・(ぴくっ)」
 咲耶の眉毛が、何か閃いたようにぴくんと跳ね上がる。そして。
「・・・・・・えいっ」
 ころん、と横になってみる。安物のパイプベッドが、ぎし、と揺れた。そのまま横を向いてみると、本棚が見える。三国志とか水滸伝とか、小難しそうなタイトルの本が並んでいた。
「・・・・・・(ぷいっ)」
 中国史にはさほど興味は無いので、そこからは視線を逸らす。今度は上を向き、背泳ぎをするように手をすいすいと動かしてみる。
「・・・・・・・・・・・・(ぱたぱた)」
 なかなか楽しい。もうちょっとオーバーな動作で空気を掻いてみる。すいすい。すいすいすい。すいすいすいすい。すいすいすいすいすい・・・ごっ。
「っ!?あ、っ・・・!〜〜〜っ!(ふるふるふる)」
 伸ばした右手を壁にぶつけた。とても痛い。あまりに痛かったので、ベッドの上で身を縮めて、しばらく痛みに打ち震える。傍から見ればただのお馬鹿さんだが、まあ咲耶なので。
「・・・・・・はぁ」
 一通り悶絶した後、身体を伸ばし、またもや大きな溜息を一つ。
(これじゃわたし、まるでただの変な人だ・・・)
 まるで、というか全く以ってその通りなのだが、彼女はまだその事に気付いていない。
「・・・・・・あ」
 ふと、ぶつけた右手を見てみると、手の甲の外側、親指の付け根の辺りが赤く腫れていた。今までは気になっていなかったが、一度目にすると、どうにもじんじんと痛み始めた気がした。
92コトノハ ヒラヒラ:2009/11/06(金) 22:01:22 ID:uihpGSoL
「ん・・・」
 ほぼ反射的に、右手を口元に運び、腫れている手の甲を吸ってみる。虫刺されなどを見つけたときに、彼女は患部を吸う癖があった。
「ちゅ・・・っ、ん・・・はふ・・・」
・・・健康な諸兄に言っておくが、あくまでも打撲の応急処置の音である。念の為。
(・・・かずくんが居ないだけで、こんな風になっちゃうなんて)
 じんじんと痛む指を舐めながら、ふと思った。こうして冷静に考えると、自分はかなり和宏に依存している。今だって、和宏の居ない部屋で、なんとか和宏の形跡を探そうと躍起になっている。
(これで、良いのかな・・・?)
 七年前に父が消えた時、周囲の心無い声から自分を守ってくれた和宏。そして昨日父が現れた時、不安に震える自分を抱き締めてくれた和宏。ずっと、彼に惹かれていた。恐らく、出会った時から。
 だから、昨日の夜に互いの想いが通じたとき、手放しで嬉しかった。こんなに深く愛された経験が、咲耶には無かったから。けれど彼の想いに、自分は真っ向から向き合っただろうか?
(・・・わたしは、かずくんが好き。けど、昨日のわたしは、かずくんじゃなくても良かった・・・?)
 脳裏をよぎった言葉に、背筋が冷える。そんな馬鹿な、自分はそんな女じゃない。それでも、昨晩自分のそばに居たのがたまたま和宏だった、という疑念は消えない。
「・・・違う・・・」
 違う。
(わたしは・・・わたしは、本当にかずくんが好き。慰めてくれなくても、抱き締めてくれなくても・・・!)
 自分自身に言い聞かせるように自答する咲耶。それでも、いや、だからこそ余計に・・・和宏がそばに居ない事が、悲しく、切なかった。
「・・・っ!」
 不意に涙が零れそうになり、咄嗟にそれを枕に押し付けて拭う。しばらくそのまま、込み上げる嗚咽を押し殺す。枕からは、愛しい人の匂いだけがした。
(・・・かずくんの、匂い・・・)
93コトノハ ヒラヒラ:2009/11/06(金) 22:02:04 ID:uihpGSoL
 枕を胸元に抱えこむようにして、両手で抱き締める。和宏の髪からかすかに漂う、日差しに灼かれたような香りが、枕に移っていたのだろう。懐かしい匂いに、少しだけ呼吸は落ち着いた。
「・・・・・・」
 冷静さを取り戻した頭は、無意識に、それを与える物を求める・・・もっとも、その時点で冷静でも何でも無かったのだろうが。
(・・・もう少しだけ・・・もう少しだけ・・・)
 枕に顔を埋めたまま、すうっ、と息を吸い込む。和宏の匂いに肺が満たされるような気がして、無意識に、何度も何度もその行為を繰り返す。
「・・・かず、くん・・・」
 その名を呼んだ時、自分の身体に異変が起こっている事に、咲耶は気付いた。薄着をしているのに、全身が熱かった。それだけじゃない。いつの間にか、呼吸は荒くなっていた。
 深呼吸をしすぎたからかと、一瞬思う。が、それだけでない事は、どこかで気付いていた。全身が熱くて、ベッドの上の敷布団に触れているとじっとりと汗をかいてる事が余計によく分かる。
 けれど、ベッドから離れる事ができない。むしろ、もっと触れていたい。少しでも、和宏の痕に触れていたい。
(わたし、何して・・・)
 不快とも何とも言えない感覚に、咲耶は寝返りを打つ。と、その時。

「・・・!?」

 擦れた太ももの辺りを、湿っぽい感触が這い、咲耶は大いに動揺し・・・そこまで来てやっと、自分の大事な場所が汗とは違う湿り気を帯びていた事に気付いた。

「え、っ・・・うそ・・・!?」
 精神的に幼く見えても、咲耶とて年頃の少女だ。それが何を意味する現象なのかは、保健体育の時間に嫌と言うほど教えられた。まあ正直聞きたくも無かったが、テストで点を取れなければ拙いので。
(こ、これって・・・)
 自分が今、現在進行形で、和宏に欲情している。それは咲耶にとっては、不快も快も無く、ただ混乱だけをもたらす事実だった。
94コトノハ ヒラヒラ:2009/11/06(金) 22:02:34 ID:uihpGSoL
あとがき
沢井「はい今回はここまでです。いぇあ」
英一「・・・・・・(目を閉じてヘッドホンでガンガンと音楽を流している為、聞こえません)」
沢井「おお忘れてた。ほれ、もうヘッドホン取って良いぞ(ひょい)」
英一「・・・ん、もう俺は目ぇ開けて良いのか?」
沢井「ばっちり。後片付けはもう終わったし」
英一「後片付け?・・・つか、そもそもなんで俺はこんな状態になってんだ?」
沢井「いやー今回は導入オンリーだけど、ちょっとキャッキャウフフな感じだったから。和宏から『古賀の視覚と聴覚を厳重に封じておくように』と言われてね」
英一「なんでわざわざそんな面倒くさい事を・・・」
沢井「しょうがないじゃん、『さもないと二話の古賀以上の目に遭わす』って脅されたんだもん」
英一「二次元の住人に脅されんなよ三次元の住人」
沢井「(無視)えーそれでは今回は、キャラについての説明をちらほらと」
英一「いえーい(棒読み)」
沢井「まずは和宏ですが、この話を書き始めた当初、身の回りのラブコメに『ヒロインから積極的にアプローチされつつも気付かない鈍感主人公』が溢れていた為、逆だったらどうかなと思ったのが原型です」
英一「学生寮に酒持ち込んでその勢いでアイディアだけはポンポン出てきたんだよな」
沢井「あーあー聞こえなーい。っていうかもう時効ー」
英一「で、咲耶ちゃんは?」
沢井「慌てたり凹んだりと忙しい和宏と対照的ってのがコンセプトだけど、結局のところ完っ全に俺の趣味。この子もなかなか表情豊かでしょ?」
英一「まあ、確かに・・・」
沢井「あと当時の友達に一番聞かれたのが、古賀英一のモチーフです」
英一「これお前だろって結構言われてたよな」
沢井「厳密に言うと『書いた当時の俺』じゃなくて『中学二年生の俺』なんだけどね」
英一「結局てめえかよ!ちったぁ頭捻れよ!」
沢井「あーあー聞こえない全然聞こえなーい!・・・と、まあこんな感じで、主要キャラ以外は大概身の回りに居た人をモチーフにしてます」
英一「・・・え?俺って主要キャラじゃないの?」
沢井「もしかしたら読んでて『これ俺っぽくね?』と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、ご安心下さい。主要キャラは頑張って自分の頭からアイディアを捻り出しています」
英一「ねえちょっと?こんだけ濃いキャラにしといて俺って脇役なの?」
沢井「では、今回はこの辺で失礼します。しーゆーあげいんっ!(ダッシュで逃走)」
英一「待てこらぁぁ!質問に答えろー!(ダッシュで追う)」
95名無しさん@ピンキー:2009/11/14(土) 00:13:51 ID:uEBkW/4r
ようやく規制も解けたか……?
遅まきながらGJだぜ!
96かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 16:43:36 ID:aQyEUyOl
こんにちは。こちらのスレでは初投下です
どのスレに投下すべきか迷いましたが、こちらに

すみません、エロ無しです
97かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 16:46:11 ID:aQyEUyOl
 窓の向こうに見える彼女はいつも淋しそうで、
 でも十数メートル離れたその場所から、彼女の声は聞こえなくて、
 いつからか切実に、ぼくはその娘のことを知りたいと思うようになった。



『しりたくて』



 通学路の途中に白く綺麗な家がある。
 塀に囲まれた二階建ての大きな家で、一階の様子は見えない。見えるのはひたすらに
白い壁と、二階の小さな窓。
 最近ぼくはその窓をよく見上げている。
 もちろんじろじろ人の家を眺め回すことはできないけど、通学の途中に心持ちゆったり
したスピードで歩きながら、さりげなく窓を見やることくらいはできる。
 時刻は大体七時くらいだろうか。彼女はいつもそこにいる。
 窓の向こうで、椅子に座っているのか横向きで、無表情に外を眺めている。
 電気は点けてないようで部屋は薄暗い。そんなところの窓に人影が見えたら不気味に
映るかもしれないけど、なぜか彼女に対してはそういう印象は抱かなかった。
 多分彼女がとても綺麗な娘だったからだろう。
 十メートルは離れているし、窓越しのため胸から上しか見たことはないけど、遠目にも
はっきり美人と言える顔立ちだと思う。2.0オーバーの視力に感謝だ。
 深窓の令嬢、という言葉がぴったり合う。窓から見える時点で深窓じゃないかもしれない
けど、とにかく綺麗な娘だった。



 彼女を初めて見たのは三ヶ月前。入学して間もない四月半ばのことだった。
 ぼくは結構早起きで、朝六時には起きている。でもそのあとはのんびりしたもので、
いつも八時くらいに家を出ていた。
 ただ、その日は一限目の数学の課題をするために早めに登校した。教室に問題の載った
教科書を置き忘れたため、家ではできなかったのだ。
 時刻は七時。そんなに早く出ることもなかったかなと思ったけど、誰もいない通学路を
一人歩くのはなかなか気持ちよかった。
 涼しい朝の風が体を優しく撫でて、まだ弱い日の光が山の向こうから射してきていて。
 光につられて軽く見上げたその先に、その家はあった。
 真っ白な壁が目立つ家。その窓の向こうに人影が見えた。
 それは多分同い年くらいの女の子で、淋しげに外を眺めていた。
 ぼくは一瞬言葉を失った。
 そして次の瞬間、まずいと思った。
 何がまずいのか自分でもよくわからなかったけど、とにかくその女の子を見ることが
自分を何かいけない方向に向かわせるような、そんな気がしたのだ。
 だから彼女と目が合った瞬間、ぼくはつい目を逸らしていた。
 そのまま早歩きでその場を去ろうとして、でももう一度だけ窓に目をやった。
 その時にはもう窓のカーテンが閉められていて、女の子の姿を窺うことはできなかった。



 一番に着いた教室で課題を解きながら、ぼくは頭の隅で女の子のことを考えた。
 かわいい娘だったと思う。一瞬しか見えなかったけど、その顔は脳裏に焼き付いていた。
 同い年くらいに見えた。彼女は高校生だろうか。ひょっとしてこの学校の生徒だろうか。
 閉められたカーテンを残念に思った。もうちょっと彼女の姿を見ていたかった。
 と、そこでおかしなことに気付く。
 なぜ自分は「まずい」と思ったのか。
 残念ならまずく思う必要はないはず。どうしてまずいと思ったのか。
 彼女のことを思い浮かべる。
 焼き付いた彼女の姿。きっと忘れない、忘れられないと思う。
 瞼を閉じればこんなにもはっきりと、彼女の姿を思い浮かべることができるのだから。
98かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 16:51:11 ID:aQyEUyOl
 帰りに同じ道を通ってみたけど、窓の向こうに彼女の姿は見えなかった。
 閉じられたカーテンがこちらを拒絶しているようだった。



 翌日、昨日と同じ時間にぼくは家を出た。
 目的は一つ。彼女に会いたい。
 塀に囲まれて、さらには窓に遮られて、目線の高さすら違う。それでも彼女の姿を一目
見たかった。
 そしてその願いは叶った。
 彼女は昨日と同じように窓際にいた。
 特に表情を変えることもなく、外を眺めていた。淋しげな雰囲気も昨日と変わらない。
 どくん、と心臓が高く波打った。
 波は収まらない。どくん、どくん、と第二第三の波が次々に胸の内から起こり、全身に
響き渡るように広がっていく。
 震える体を無理矢理動かして、ぼくは彼女を見つめた。
 また、目が合った。
 それは一瞬の出来事だった。彼女は視線がぶつかった瞬間驚いた顔をして、慌てて
カーテンを閉めた。
 それきり、水色の布は揺らぎもしない。
 ぼくは呆然と固まっていたけど、やがて恥ずかしくなって足早にそこを離れた。



 恥ずかしくなって当然だと思う。
 体中が熱くなっていくような感覚にとらわれて、ぼくは何度も深呼吸する。
 こんなことがありうるのか。
 そういうものがあるのは知っていた。でも自分には縁のないものだろうと思っていた。
 でも、彼女のことを思うと、高揚とも焦燥ともつかない熱が体の奥からじりじり生まれて
きて、それが間違いだったことを思い知らされる。

 ──ぼくは彼女に一目惚れしてしまったようだ。



 とは言え、ぼくにできることなんて何もない。
 彼女は外には出てこない。少なくともぼくは見たことがない。朝の早い時間、窓際に
姿を見せるだけだ。名前すらわからないし、接触する機会もない。
 ぼくなりに調べてわかったのは、ぼくの高校に彼女はいないということ。それどころか
彼女は学校にも行っていないようだということ。
 朝のどの時間帯にも彼女は外に出てこない。ひょっとしたら通信制の学校に入っているの
かもしれないけど、少なくとも通学はしていない。
 門の表札には「池田」とあった。彼女の苗字は池田というのか。池田さん。なんとなく
彼女には合わないと思った。
 ぼくは彼女の姿を見たくて毎日早起きをした。
 彼女はぼくの姿を見るとすぐにカーテンを閉めて隠れてしまった。
 嫌われたかなと思ったけど、どうやらそれは違うようだった。その後も毎朝同じことが
繰り返されたからだ。
 嫌っているなら姿を見せなければいい。なのに彼女はそうしなかった。
 朝の光を浴びるのが好きなのか。街の景色を眺めるのが好きなのか。それはわからない
けど、彼女は毎日ぼくの前に姿を現してくれた。それはぼくにとって幸せなことだった。
毎回隠れてしまうのはちょっと残念だったけど。
99かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 16:56:38 ID:aQyEUyOl
 五月晴れの日々も、梅雨空の季節も過ぎ去って、蒸し暑い七月。
 夏休みまでもうすぐというその日の朝、彼女は姿を見せなかった。
 閉め切られた窓は朝日を受けたまま小揺るぎもせず、カーテンに覆われて向こう側の
様子は何も窺えなかった。
 残念に思いながらもぼくはいつも通り登校した。明日また会えることを祈って。



 しかし翌日も、翌々日も彼女は現れなかった。
 風邪でもひいたのかとぼくは心配になった。
 さらに一週間が過ぎ、心配はいっそう増した。ひょっとして風邪どころかとても悪い
病気にかかっているのではないか。
 やがてふと思った。
 ひょっとして彼女は重い病気を抱えているのではないか。だからいつも家の中にいるの
ではないか。
 悪い想像ばかりが膨らんでいく。
 いや、普通に玄関のベルを鳴らして訪ねればわかるのかもしれないけど、ぼくらは別に
友達でもなんでもないのだ。一方的に心配していきなり訪問するなんて、そんなストーカー
じみたことをできるわけがない。

 結局、ぼくにできることは何もなかった。
100かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 16:58:33 ID:aQyEUyOl
「すみません、少しよろしいですか?」
 そう呼び止められたのは、終業式前日の夕方のことだった。
 帰り道、彼女の家の前を通る際、知らない女の人がぼくの前に現れたのだ。
「は」
 ぼくは自分が呼ばれたことにびっくりして、間の抜けた声を洩らした。
 背の高い人だった。切れ長の眉を持った、真面目そうな大人の女性。
 その人が確認してきた。
「毎朝、うちの前を通ってらっしゃいますよね」
「……へ?」
 うちって。
 その人が示すうちは、『彼女』の家。
 ぼくはひどく慌てた。
「あ、ええと、その、はい」
「いつもあの子を見ていた方ですか?」
「……!」
 心臓が止まるかと思った。
 あの子って、あの子?
 それ以外に心当たりはない。けどそのことを言われるのはなんだかひどく後ろめたい
気がして、ぼくは黙り込んだ。
 答えられないでいると、その人は続けて言った。
「すみません、お願いがあるのです」
「お願い……ですか?」
 はい、と頷く。
「明日の朝、いつもと同じ時間にここに来てほしいのです。あの子が、あなたに会いたい
そうです」
「……え!?」
 思いがけない申し出だった。
 呆然としていると、女性はさらに続ける。
「ただ、あの子はひどく臆病で、人目を極端に嫌います。唐突なお願いですし、ひょっと
したらあなたに不快な思いをさせてしまうかもしれません。それでも失礼を承知でお願い
したいのです。あの子に会っていただけませんか?」
 ぼくは混乱する頭を必死で落ち着かせようとした。
 ぼくに会いたいだって? 彼女が?
 毎日眺めることしかできなかったぼくにとって、それはあまりに急な事態だった。
101かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 17:00:07 ID:aQyEUyOl
 でも、
「明日の朝じゃないといけないんですか?」
 会うなら時間のない早朝よりもっと落ち着いた時間の方がよさそうな気がする。そう
訊ねると女性は首を振った。
「私があなたにこうしてお願いしていることを、あの子は知りません。あの子には秘密で
やっていることなのです」
 女性はほう、と息をついた。
「あの子はあなたに会いたいと思っています。でもずっと躊躇していて、なかなか踏ん
切りがつかなくて、今日まで来てしまいました。明日は終業式
ですよね。夏休みになるとしばらくあなたを見ることは叶いません。その前になんとか
あなたと知り合いたいと、ようやくあの子は決心したのです。明日、あなたに直接会うと。
でももし、もしあなたがいつもの時間に現れなかったら──せっかくの決心が、勇気が、
萎み、消えてしまうかもしれない。そんなこと、あってほしくありません。だから──」
 ぼくは静かに聞いていた。
 話を聞くに、『彼女』はひどく人見知りする性質のようだ。ぼくも結構迷う方だけど
彼女はどうも段違いのような気がする。
 そんな彼女がぼくに対して勇気を振り絞ってくれるというのは、すごく嬉しかった。
「わかりました。じゃあ、明日の朝に」
「お願いします。あと、このことは一応秘密に」
「はい。……あ、そうだ。彼女の名前を教えてくれませんか?」
 すると女性は一瞬目を見開き、それから小さく笑みを浮かべた。
「あの子はあなたの名前も知りません。なのにあなたの方は知っているというのは不公平
じゃないですか?」
「いや、それは……」
「あの子に直接訊いてください。私が教えるのも野暮ですし」
 それでは、と女性は頭を下げると、門の向こうに消えていった。
「……」
 ぼくはしばらく『彼女』の部屋の窓を見つめていた。
 そこに彼女がいるのか、窺い知ることはできなかった。
102かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 17:04:17 ID:aQyEUyOl
 眠れない夜を過ごし、ぼくは朝を迎えた。
 いつもと同じようにと気を付けてはいたけど、いつもより早く準備ができてしまった。
 やっぱり気がはやっているのだろう。ぼくは眠気覚ましのコーヒーをもう一杯だけ飲んで、
家を出た。
 外の空気はとても澄んでいた。今日も暑くなる予感をさせる青い空には雲一つなくて、
早い時間帯の通学路に人影はなく喧騒とは程遠くて、建物の隙間をついて射してくる朝日の
光は美しく真っ白だった。
 夢のように優しい、一人の世界。
 そんなことを思いながら、ぼくはやがていつもの場所に着いた。
 住宅地の一角。高そうな一戸建てが並ぶ中、道の正面に立つ塀に囲まれた白い家。
 雪のように白い壁をぼんやり見つめていると、ふと門の前に人影があることに気付いた。
 息を呑んだ。
 ぼくがこうして早い時間に家を出るのは、いつもわけがあった。
 でも今日は、いつもよりずっと特別で、昨日頼まれたことに驚きながらもそれはぼくに
とって願ってもないことで。
 2.0の視力ははっきりその姿を捉えていて、一歩一歩確実に、ぼくは近付いていく。
 そしてぼくは、ついに彼女の前に立った。
 窓ガラス越しではない、二階の部屋向こうでもない、ちゃんと目の前に彼女がいる。
 初めて目の前に現れた彼女は、ぼくが考えていた以上にずっと綺麗な姿だった。
 黒髪は鏡のように光っていて、肌は朝日に負けないくらい白くて、ワンピース姿の彼女は
まるで天使のようだった。
 こんな恥ずかしい表現が頭に浮かんでしまうくらい彼女は綺麗で、ぼくは呼吸を忘れる程
見とれた。
 ぼくの姿を見て、彼女の顔が明るくなった。
 でもそれは一瞬で、すぐにうつむいてしまった。
 昨日の女性の言葉を思い出す。彼女は人目を嫌い、ひどく人見知りするという。
 ぼくは慎重に言葉を選んだ。
「お、おはよう」
「……」
 いきなり失敗したような気がする。
 ぼくは焦る。何か言わなきゃ。でも一体何を、
「あ……あの……お、おはようございます……」
 初めて彼女が口を開いた。
 それはソプラノの心地好い声質で、耳に染み込むようにぼくの中に届いた。
 胸が高鳴る。
 ずっと聞きたかった声が、ぼくの心を掴んで離さない。
 もっと彼女の声を聞きたい。さっきまで焦って仕方がなかった心はもう落ち着いていて、
口が自然と開いた。
103かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 17:05:41 ID:aQyEUyOl
「ずっと、話がしたかったんだ」
 彼女は驚いたように顔を上げた。
「だから、嬉しい。君とこうして、会えて」
 彼女は顔を真っ赤にして、再びうつむいてしまう。
 何か言いたげに顔を何度か上げようとして、しかし何も言えずにまた顔を伏せて、そんな
彼女は見た目にもはっきりと不安でいっぱいだった。
 ああ、とぼくは納得した。
 ぼくは彼女のことを何も知らない。でも、その態度が何を表しているのかはわかる気が
した。
 怖いのだ。
 多分……嫌われたり気分を損ねてしまうのが。
 ぼくは嫌わない。
 嫌うわけがない。こんなに膨れ上がった気持ちがあるのだ。
 君の前にこうして立って、君を見つめていられることがぼくにとってどんなに幸せか、
君は知らないんだ。
 怖がらないでほしい。ぼくは君と──

「友達になりたい」

 彼女は呆然とぼくを見つめた。
「友達になってほしい。明日から夏休みで、これまでみたいに朝早くは会えなくなる。
それにもう、窓越しに見つめるのは嫌なんだ」
 君の声を聞いたから。
「もし迷惑じゃなかったら、ぼくと友達になってください」
 真摯に、素直な気持ちをぶつけた。
 彼女は喉が詰まったようにしばらく何も言わなかった。
 けど、やがてぎゅっと目をつぶると、何かを飲み込むように深く頷き、それから目を
開けて絞り出すように言った。

「私も、あなたと……友達になりたい、です」

 ぼくはそれを聞いてにっこり笑った。
「じゃあ」
「はい……よろしくお願いします」
 彼女は深々とお辞儀をする。
 できることならこのまま彼女と話をしていたい。でも今日は終業式で、今から学校で、
ぼくは恨めしく思った。
 まあでも、仕方がない。今日は朝からあまりに幸運すぎた。これ以上を望むのは贅沢と
言えるかもしれない。
 だからぼくは一つだけ訊いた。
「じゃあ自己紹介しようか。まだ名前も知らないし、君の名前を知りたい」
 彼女は小さく頷く。
「私も……あなたの名前を知りたいです」
 そしてぼくらは互いの名を名のった。

「ぼくは──」
「私は──」
104名無しさん@ピンキー:2009/11/15(日) 17:07:49 ID:9coYiSVb
紫煙
105かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/15(日) 17:08:38 ID:aQyEUyOl
投下終了です。続きはまた次に
次は女の子視点の話です
106名無しさん@ピンキー:2009/11/15(日) 20:41:23 ID:kwRrNkQE
1番槍GJ
相変わらず丁寧な作りですね
107名無しさん@ピンキー:2009/11/15(日) 22:52:05 ID:0a+f8/iJ
GGGJ!!
いいなあいいなあ純愛だなあ。

俺もこんな恋がしてみたかっ……否、してみたいぜ。
108かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 20:32:52 ID:Wg6k/Vat
こんばんは。
>>103の続きを投下します。

今回、若干のレイプ(未遂)描写があります。描写自体は短いですが。
苦手な方は気を付けて下さい。
109かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 20:35:49 ID:Wg6k/Vat
『とりたくて』



 大変です。大事件です。
 友達ができました。
 それも男の子です。少し前の私ならありえないことです。異性の友達ができるなんて。
 同性の友達すらできなかった私に、神様はものすごい出会いを与えてくれました。
 でも私は不安を覚えています。
 友達とはいったものの、彼とどのように接すればいいのか私にはわからないのです。
 彼はとても優しそうな男の子です。私がこれまで会ってきた異性の方とは全然違って、
柔らかい印象を受けます。
 だからそんなに不安になることはないとは思いますが、それでも不安なのです。
 彼を怒らせてしまったらどうしよう。
 彼に嫌われてしまったらどうしよう。
 彼がひどいことをしてきたらどうしよう。
 あらゆる不安が私を覆います。
 それを払拭することは簡単ではなく、私はまるでがんじがらめに縛られたように何も
できなくなってしまいます。
 勇気がほしい。
 彼を恐れない勇気が。

      ◇   ◇   ◇

 私の父はある企業の社長で、いろいろな事業を展開して結構な成功を収めています。
 つまりは私の家は余所よりも裕福な家で、私は生まれた時から不自由なく育ってきました。
 子供の頃にそれを意識することはありませんでしたが、小学校中学校と進んでいくうちに
嫌でもそれを意識するようになりました。
 周囲の扱いが他とは明らかに違ったからです。
 私よりもずっと年上の方々が私に対して気を遣うのです。それは見ていて滑稽でしたが、
父や会社との関係を損なわないためにそれはその方々にとって必要だったのでしょう。
 中学に上がると私はより自分の立場を理解しました。
 邪な考えを抱いて近付く人間が多くなりました。はっきりそうわかるわけではありません
でしたが、なんとなく同級生からそれを察する機会が増えたように感じました。
 でも私には、私自身には何の力もないのです。
 父は仕事を家庭に一切持ち込まない人でしたし、優しさと甘さを区別する人でもありました。
私は不自由なく過ごしてきましたが、それは一般的な枠内に収まる範囲だったと思います。
 私に近付いても何のメリットもないのです。
 加えて私は気を強く持てない性質でしたし、人付き合いも得意ではありませんでした。
小学生の頃からずっと本を読んで日々を過ごしてきた人間です。
 不器用が災いしたのでしょうか、やがて私はいじめられるようになりました。
 理由があったかと言えばないと思います。あえて言うなら私が使えない、無能だと知られて
しまったから、端的に言えばむかつく存在だったから、ということになるのでしょう。
 靴や鞄を隠されたり、トイレの個室に閉じ込められたり、机に落書きされたりしました。
 それだけならまだ我慢できたのですが、強請られた時はさすがに困りました。
 それなりに小遣いをいただいてはいましたが、要求される額はそれだけでは足りなかった
からです。
 傷つけられても私は我慢することができます。でもお金だけはままなりません。私は
子供で、手にするお金も両親が稼いだものです。たとえ家が裕福でも、みだりに使っては
ならないでしょう。それは私が額に汗して手に入れたものではないのです。
 私は強請にだけは抵抗しました。お金なんて持っていない。だから要求されても払えない。
そう答えるとこづかれたり服を脱がされたりしましたが、私は答え続けました。
 誰かに訴えればなんとかなったのかもしれません。しかし私はそれをできませんでした。
訴えるというのも勇気がいるものです。私には備わっていませんでした。
 そうやってひたすら我慢して、一年が過ぎました。
110かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 20:39:49 ID:Wg6k/Vat
 中学三年の秋。
 私は見知らぬ男たちに襲われました。
 多分年上で高校生くらいでした。学校からの帰り道、いきなり羽交い締めにされて近くの
公園の草むらに引っ張り込まれました。
 無理矢理押し倒され、乱暴な手つきで服を破られ、体をまさぐられ、私は突然の出来事に
頭が真っ白になってしまいました。
 ろくに抵抗できないまま、私は裸にされました。彼らの下卑た顔が不快で目を瞑りました。
触られる感触が肌寒くて身を強張らせました。彼らの話す声が耳障りで意識を投げ出しました。
 だからでしょうか。私はその時の記憶が曖昧になっています。
 気付いた時には、温かい腕に抱きかかえられていました。
 優しく抱きかかえてくれるその人は、私が最も信頼している人でした。
「愛莉(あいり)……?」
「はい、お嬢様」
 私の専属使用人が優しく微笑みました。
 周りには誰もいません。顔を起こして見るとそこは公園ではなく、自宅のベッドの上でした。
 ちょうど寝かせる途中だったみたいで、愛莉は少しだけ決まり悪げに微笑みました。
「愛莉……私……」
「お疲れのようです。今はお休みになってください」
「違います、私は襲われて……」
 愛莉は小さく溜め息をつきました。
「夢です……と言っても納得はされませんか」
「……」
「簡潔に申し上げます。お嬢様には何も、何事もありませんでした。どうかご安心ください」
「……愛莉が助けてくれたのですか?」
「はい。できれば襲われる前に駆け付けられればよかったのですが」
 体に目立った外傷はありません。多少軋みを覚えましたが、痛みもほとんどありません。
 本当に何事もなかったのでしょうか。
 私にははっきりとはわかりません。でも愛莉の目に誤魔化しの色はなく、体にも違和感は
ありません。だからきっと、本当に何事もなかったのでしょう。私はほっとするとともに
愛莉に深く感謝しました。
「愛莉……ありがとうございます」
 すると愛莉は顔を僅かに歪めて私を抱き締めました。
「愛莉……?」
「間に合ってよかったです……本当に」
 愛莉の胸の中はとても温かく、私は安心しました。ここならば怖くない。何も恐れることは
ない。
 愛莉の体は少し震えていました。
 心配かけてごめんなさい。私がもう少し気を付けていれば、こんなことにはならなかった
のに。
「……お嬢様」
「はい」
「しばらく学校はお休みになられてはいかがでしょう」
 心臓が強く跳ねました。
「……どうしてですか?」
「お嬢様はお疲れです。それに今日のようなことがまた起きないとも限りません」
 私は首を振りました。
「大丈夫です。いくらなんでも学校内でそんなことはありえませんし、外でもできるだけ
人通りの多いところを通れば」
「お嬢様、無理はいけません。本当に何かあってからでは遅いのです」
 それは純粋に私を気遣う言葉だったのでしょう。しかし私はそう受け取ることができません
でした。
 私はこう思ったのです。
『ひょっとしていじめのことがばれてしまったのか?』と。
 私は誰にもいじめのことを言いませんでした。余計な心配をかけたくなかったからです。
 それは愛莉に対しても例外ではなく、この時もまずばれていないかどうかを先に考えました。
 今思えば愚かなことです。愛莉はいつだって私のことを思ってくれていたのに、私はその
ことを少しもわかっていなかったのですから。
 愛莉は尚も私に休むよう言ってきましたが、私は妙に意固地になって拒否しました。
111かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 20:41:53 ID:Wg6k/Vat
 次の日、変わらず行った学校で私はクラスメイトの会話を密かに聞いてしまいました。
 トイレの個室にこもっていると、後から来てたむろしていた同級生の声が耳に入ったのです。
 彼女たちはいじめグループの中心にいる子たちでした。その子たちがこんなことを言った
のです。

「あいつ無事だったみたいよ」
「失敗したの?」
「なんかボディガードみたいな女が途中で邪魔したみたいで、最後までヤれなかったんだって」
「何それ? 金持ちってマジで護衛とかいるんだ」
「ありえなくね? 邪魔入らなかったらあいつも終わりだったのに」
「次よ次。邪魔されないように、今度はホテルとかに連れ込んでさ……」

 私は体の震えを抑えられませんでした。
 会話の内容は明らかに昨日のことを言っていました。
 昨日の出来事は彼女たちの仕業だったのです。
 しかもそれは終わりではなく、これからまた攻撃の矢が放たれようとしています。
 なぜ? なぜ彼女たちはそこまでやるのでしょう?
 私はそんなに憎まれる存在なのでしょうか。
 いるだけで目障りな、邪魔な存在なのでしょうか。
 私にはわかりません。人の悪意とはそこまで深く、暗いものなのでしょうか。
 彼女たちが出ていった後も、私はしばらく動けませんでした。
 教室に戻ることが恐ろしく、午後まで閉じ籠っていました。
 そして体育の時間まで待つと、誰もいない教室にこっそり戻り、急いで荷物を抱えて
学校を出ました。
 怖い。
 人が怖い。
 あんなところにいるなんて、そんな恐ろしいことできません。
 愛莉に連絡して迎えに来てもらうまで、私の心は恐怖に覆い尽くされていました。
112かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 20:47:30 ID:Wg6k/Vat
 自室で私たちは話をしました。
「お嬢様」
「……」
「今日一日、私はずっと落ち着きませんでした」
「……」
「日を置けばなんとか根回しをして対処もできたとは思います。しかし昨日の今日では
さすがに何もできません。今日だけは本当に学校に行ってほしくなかったのです」
「……」
「彼女たちはどこか感覚が麻痺しつつあります。それは人としてとても間違った方向です。
悪意は、ときに意味さえも有しないものですから」
「愛莉は……知っていたのですか? 私がいじめの対象になっていることを」
「……」
「昨日の出来事があの子たちの差し金ということも、わかっていたのですか?」
「……昨日の輩に白状させました」
「……」
「学校でクラスメイトから何かしらされているとは思っていました。しかしお嬢様がそれを
知られたくないと思っておられることもわかっていましたから、私は気付かぬふりをして
いました。
 ですが……それは大いなる過ちだったと私は後悔しています。昨日のようなことがある
なら、無理にでも介入すべきだったのに。今日も引き止めていればあなたが嫌な思いをする
こともなかったのに」
「……」
「もう学校には行かないでください。中学は出席日数が少なくても卒業できます。お嬢様の
成績なら受験も問題ありません。しかし、学校内のトラブルだけは私にはどうすることも
できないのです。受験間近のこの時期に彼女たちも馬鹿な真似はしないとは思いますが、
絶対ではありません。もしクラスの男子を彼女たちがけしかけたりすれば──」
「……お父様に知られてしまいます」
「それがなんですか。旦那様はいつもあなたを想っておいでです。心配をかけたくない
お気持ちもわかりますが、子供が親に弱さを見せるのは当然のことではありませんか」
「……かもしれませんね」
「弱さを見せるのは恥ずかしいことではないのですよ。どうか旦那様を、奥様を、そして
私を頼ってください」
「……はい」



 しかし、私は結局高校に進学しませんでした。
 できなかったのです。人の悪意を知ってしまったがために、学校という特殊な空間を私は
恐れるようになってしまいました。
 それどころか、人と接することさえ怖くなってしまったのです。
 異性の目が怖く、同性の目が辛く、世界が悪意を帯びて私を包んでいるような感じさえ
受けました。
 しばらく屋敷から離れて生活させてはどうでしょうと、愛莉が父に提案しました。父は
それを了承し、私は愛莉とともに一軒家に引っ越しました。
 冬が過ぎ、春が訪れ、中学を卒業して、
 新しい季節を迎えながら、私の中にはいまだ恐れが残っていました。



 そんなとき、『彼』が現れたのです。
113かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 20:49:09 ID:Wg6k/Vat
      ◇   ◇   ◇

 離れの一軒家の二階から、私は毎朝外を眺めていました。
 朝日が上り、暗い世界が光に包まれていく時間帯、家の前の道には誰の姿もなく、静謐な
空気はどこまでも澄んでいます。
 手を伸ばせば簡単に触れられるこの世界。
 しかし私は触れるのをためらってしまいます。
 世界が怖いものであることを知っているから。
 私はいつも眺めるだけです。
 その日、私はいつもと同じように外を眺めていました。
 すると家の前に人影が見えました。
 私は反射的に体をすくませました。その人影と目が合い、慌てて私はカーテンを閉めます。
 人影はすぐに立ち去ってしまったようで、カーテンの隙間から窺った時には影も形も
ありませんでした。
 しかし私の目にその姿ははっきり焼き付いていました。同い年くらいの背の低い男の子。
 線の細い、どこか清潔感のある男の子でした。
 近くの高校の制服を着ていたので、おそらくそこに通っているのでしょう。向こうは
こちらの存在に気付いたでしょうか? 一瞬のことで気付かなかったかもしれません。
(でも、もし気付いていたら?)
 ぞくり、と怖気が走りました。
 やはり、怖い。
 外は、人は、世界は、どこまでも私に恐怖しか与えません。
 そんなことあるわけがない、と理性は言います。あの男の子だってたまたま通りがかった
だけで、別に悪意を抱えてこちらを見ていたわけではないと、それくらい理解はしています。
 ですが奥底に根付いた恐れは私の見る世界を一変させました。
 人は本当に恐ろしいのです。
 赤の他人が他人を傷付けることも、親しい隣人が隣人を嬲ることも、共に生きてきた
肉親が肉親を殺すことも、人にはありうるのです。
 私にとって唯一安心できる相手は愛莉だけでした。
 本当に人そのものを恐れるならば愛莉さえ遠ざけたかもしれません。でも幸いなことに
彼女だけは平気でした。
 随分と私は都合よく生きているようです。自分の都合だけで愛莉を例外にしているのです
から。
 そんな自分が浅ましく思えました。
114かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 20:56:10 ID:Wg6k/Vat
 次の日、私はまた窓から外を眺めていました。
 これも自分に都合のいい行いなのかもしれません。本当に世界を恐れるなら、こんなこと
できるわけがないのに。
 自嘲しながらも私は図々しく景色を眺めます。
 ふと下に目を向けました。
「!」
 そこには昨日と同じ男の子がいました。
 そしてはっきりとこちらに目を向けていました。
 また、目が合います。
 私はまたカーテンを閉めました。
 どうして彼が?
 いえ、家の前の道が通学路にあたるのだと理解はできます。だから家の前を通るのは
不思議でもなんでもありません。
 しかし彼ははっきりこちらを見つめていました。
 それはどういうことなのでしょうか。
 私は恐る恐る隙間から下を見やります。
 少年は立ち去らずにしばらくこちらを見上げていました。
 そして、

 とても嬉しそうな笑顔を浮かべたのです。

 なぜでしょう。その笑顔に悪意は感じられませんでした。
 それどころかどこまでも純真にさえ映りました。
 私は胸が苦しくなり、部屋から出て台所に行きました。
 そして、水を飲みました。
 一杯では治まらず、二杯三杯とあおりましたが、動悸の激しさは止まりません。
 これは一体何なのでしょうか。
 恐怖ではありません。
 緊張や動揺というのは非常に近い気がしましたが、正確ではないと思います。
 では、
 では一体何なのでしょう。
115かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:03:03 ID:Wg6k/Vat
 翌日も少年は家の前を通りました。
 また目が合い、私は逃げるようにカーテンを閉めました。
 その次の日も、さらに次の日も、同じことが繰り返され、私は不思議な気分でした。
 不快さはありません。むしろ少年の存在を、私は心のどこかで望んでいる気がしました。
 望む。
 あんなに他者に恐怖を抱いていた私が、他者を望むなんて。
 でも確かに彼の存在は私には心地好く、毎朝の邂逅を期待している自分がいました。
 相変わらずカーテンを閉めてしまいますが、それは多分怖さから来るものではなくて、
(恥ずかしいんだわ、きっと)
 何が恥ずかしいのかまるでわかりませんが、彼と目が合うと私は真っ赤になってしまうの
です。
 真っ赤になりながらもいつしか朝が楽しみになっていました。



 愛莉にそのことを言ってみると、彼女はおかしげに笑いました。
「お嬢様。それは少しも不思議なことではありませんよ」
「え?」
 愛莉は微笑みを浮かべながら言います。
「お嬢様はきっと、その方のことをよく想っておいでなのです」
「……?」
「嬉しかったのではないですか? 誰かに笑ってもらえるということが。確かなことは
申し上げられませんが、お嬢様はおそらくその方の笑顔を嬉しく思われたのでしょう。
誰かが笑ってくれるということは、とても安心することなのですよ」
 愛莉はどこか嬉しそうでした。
 確かに、愛莉の笑顔を見ると私は嬉しく思いますし、それはあの男の子の笑顔にも感じる
ことだと思います。
 でも恥ずかしいのはなぜなのでしょうか。
「それは当たり前です」
「え?」
「だって、お嬢様はその子とまだ少しも触れ合っていないのですよ。知らない人に自分の
プライベートを見られるというのは、ちょっと恥ずかしいじゃないですか」
「……毎日会っていても、ですか?」
「お互い名前も知らない間柄です。お嬢様は彼と一種繋がりを感じておられるのかもしれ
ませんが、私から見れば関係というのもはばかられる、拙いものにしか見えません」
「……」
 厳しい言葉です。しかしそれはよくわかります。
 窓の向こう。目線の高さすら並ばない位置にいて、少し目が合ったくらいで互いの関係
などと口にするのは、確かに滑稽です。
 繋がりは確かに感じていますが、それが一方的な勘違いではないという保証がどこにある
のでしょう。
 その時になって、ようやく私は自覚しました。
(私は、彼と知り合いたいんだ)
 そして、できることなら友達になりたい。そう思っているのです。
 それはとても素敵なことだと思いました。
 でも彼はどうなのでしょう。
 彼は私を知りたいと少しでも思っているでしょうか。
116かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:05:12 ID:Wg6k/Vat
 薫風が吹き過ぎ、雨空も立ち消えて盛夏の時節を迎える頃。
 私は久々に屋敷に戻っていました。
 父と、母と、幾月ぶりに顔を合わせます。
 父が言いました。いつまでも今の生活を続けるわけにはいかない、と。
 確かにその通りです。私は重々しく頷きました。戻ってこいと父は言っているのです。
 しかし、今はだめです。私は彼とまだ知り合えていないのです。
 私は言いました。
 どうか夏の間は今の生活をお許しください。
 父は一言だけ尋ねました。
 必要なことなのか、と。
 私は頷きました。はっきり頷きました。
 父の返事は簡潔でした。
『九月になったら戻ってこい』
 私は弱気になる心を無理矢理引き起こし、叱咤します。
 期限は定められました。もう先送りにはできません。
 本当に知り合いたいと思うならば。
 やることは一つです。



 その日、私は朝早くから家の玄関先に立っていました。
 いつも通りならもうすぐここを彼が通ります。
 私は不安と恐れを内に抱えながら、しかし両足で立ちます。
 声をかけるだけでいいのです。
 勘違いでも構いません。勇気を出して、声をかけるだけで、私は少し変われるような
気がしました。
 やがて、道の先に男の子の姿が見えました。
 小さな影が少しずつ近付いてきます。
 心臓が急速に締め付けられました。苦しく思いながらも、私は目を逸らしません。
 そして、ついに私たちは何も隔たずに出会いました。
 眼前の男の子は思っていたよりもずっと柔らかい印象を受けました。
 しかし、反射的に恐れが湧き起こります。
 違う。必死に私はそれを押さえ付けます。
 違うのです。この人が怖いのではありません。
 世界は確かに恐ろしいかもしれません。でも、きっと素敵なこともたくさんあります。
 愛莉は私にとって素敵な『姉』です。いつも私のことを想ってくれる素敵な理解者です。
 両親はこんな私を大事に想ってくれます。それも素敵なことに違いありません。
 他にも素敵なことはたくさんあるでしょう。
 ならば──彼が私にとって素敵な存在になることもきっとあると思います。
 私はいざ話しかけようと口を開きました。
117かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:06:03 ID:Wg6k/Vat
 ところが、
「お、おはよう」
 彼の方が先に話しかけてきました。
 あ、あいさつです。朝ですから、そう、あいさつは当然の行動です。私もきちんと返さ
ないと、
「あ……あの……お、おはようございます……」
 小声になってしまいました。
 駄目です。こんなことでは知り合うなんてとても、
「ずっと、話がしたかったんだ」
 思わず私は顔を上げました。
「だから、嬉しい。君とこうして、会えて」
 真っ直ぐな言葉に私は真っ赤になってしまいました。恥ずかしさにまたうつむいてしまい
ます。
 嬉しい。嬉しいです。向こうもこちらをそんな風に見てくれていたなんて。
 でも、私はうまく返せません。この嬉しさを彼に伝えるにはどうすればいいのでしょう。
変なことを言って嫌われたくありません。
 ああ、どうして私はうまく言葉を操れないのでしょう。
 紡ぐ言葉はもう明らかなのです。私は、私はあなたと、

「友達になりたい」

 そう、言われました。
「友達になってほしい。明日から夏休みで、これまでみたいに朝早くは会えなくなる。
それにもう、窓越しに見つめるのは嫌なんだ」
 私だって、そうです。
「もし迷惑じゃなかったら、ぼくと友達になってください」
 とても真摯な言葉でした。
 こんなに想われて、私は幸いです。
 でもその幸いなことに甘えてはならないと思います。
 だから私は、同じくらい真摯に返事をしなければいけないのです。
 たとえみっともなくても、私にできる精一杯の返事を、真っ直ぐに。

「私も、あなたと……友達になりたい、です」

 一生懸命言葉を返すと、彼はにっこり笑いました。
「じゃあ」
「はい……よろしくお願いします」
 私は深々と頭を下げました。



 それは拙いやり取りながら、私が初めて彼と触れ合った瞬間でした。
118かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:07:21 ID:Wg6k/Vat
      ◇   ◇   ◇

 言葉を交わしてから二日後。
 彼が私の家に来ました。
 この一軒家に誰かを招くのは、家族以外では初めてのことです。
 彼はリビングのソファーに座りながら、若干緊張の色を顔に浮かべていました。
 私だって緊張します。男の子を家に招くなんて初めてのことですから。胸が妙な具合に
ドキドキうるさいのも仕方がないことです。
 愛莉は何を考えているのか、彼が来てからニコニコしっぱなしです。まったく何を考えて
いるのか。
「あ、あの」
 彼が控え目に声を発しました。
「は、はい!」
「あ、いや、ちょっと訊きたいことがあって」
 私の力一杯の返事に彼は気圧されたのか、やや身を引いて言いました。
 ああ、もう少し落ち着かないと。いえ、今はそれより、
「なん、ですか?」
「この家に入る時に表札が見えたんだけど、『池田』って書いてあったんだ。でもその、
君の苗字とは違うから、気になって」
 首を傾げながら彼は尋ねました。
 えっと、どう説明すればいいでしょう。
 苗字が違うのは当たり前です。この家は元々私のものでも両親のものでもなく、いきなり
愛莉が用意してくれた家だったからです。
 ですがそういった事情をうまく説明できるかわかりません。私の身の上を話す必要も
ありますし、せっかく遊びに来てもらった彼に重く込み入った話をするのは気が引けました。
 私が答えられないでいると、愛莉が先んじました。
「池田とは私の母方の姓です」
「「え?」」
 私と彼の声が重なりました。彼が驚いてこちらを見ますが、私は慌てて首を振ります。
 初耳でした。
 それはつまり、この家は愛莉の実家、あるいは親族所有の家ということになるのでしょうか。
「説明するのは難しいですが、一言で言いますと私の家です。ただ、元々親の持ち物だった
ここを名義上受け継いだだけで、ろくに使ってませんでした」
「使ってなかった、って」
「屋敷に住み込みで働いていましたので、ここを使う必要がなかったのです。今はお嬢様に
使っていただけるので、持ち腐れしませんが」
 最後のはやや皮肉に聞こえましたが、多分私の引け目がそうさせているのでしょう。
 本来なら私がここに住む必要はありませんし、愛莉はきっと私が今の生活から脱する
ことを望んでいます。
 愛莉には本当に苦労をかけて申し訳なく思います。
 でもここに来なければ彼と知り合うこともなかったと思うので、それだけはごめんなさい
ではなくありがとうと言いたいです。
119かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:08:39 ID:Wg6k/Vat
 愛莉は立ち上がると軽く目礼してその場から離れようとします。
「少し出てきます。買い物を忘れていました」
「愛莉?」
 た、大変です。今出ていかれるのは非常にまずいです。二人っきりだなんて、そんな急に、
「お嬢様、頑張ってくださいね。時間は限られているのですから」
 その言葉を残して愛莉は部屋から出ていきました。
 彼は愛莉の出ていったドアを見て、次いで私を見ます。
 そして「どうしたらいいかわからない」とでも言うような、曖昧な笑顔を浮かべました。
 どうしたらいいかわからないのは私も同じです。
 できることなら彼と楽しく話してみたいです。でも何をどのように話せばいいのか、
うまく言葉が出てきません。
 私が迷っていると彼が言いました。
「あの、さ」
「……はい」
「部屋を見せてもらってもいいかな?」
 部屋?
「ずっと二階から顔を出していたよね」
 私の部屋のことでしょうか。
 ええと、それはもちろん構いませんけど、部屋なんて見たいのでしょうか。
 しかし逆の立場なら確かに私も彼の部屋は見たいと思うので、私は納得して頷きました。
 少し恥ずかしいですけど、彼なら。
「ありがとう」
 彼の嬉しげな顔に私は反射的に顔を背けました。
120かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:10:40 ID:Wg6k/Vat
 二階の四つの部屋のうち、東側が私の部屋です。
 中にあるのは机に椅子にベッド、本棚、クローゼットくらいのもので、持ち物といえば
本ばかり。あまり彼の興味を惹くようなものはないと思います。
 あ、ベッドの上に抱き枕があるのを忘れていました。丸っこいパンダの抱き枕です。
 私は慌てて拾い上げてクローゼットに放り込みました。ごめんなさい、乱暴で。
 彼は隠すことないのにと苦笑します。どうやら変に思われてはいないようです。それとも
抱き枕って他の女の子もよく持ってたりするのでしょうか。
 彼は窓に近付いて外の景色を眺めます。
「ここからいつも見ていたんだ。いい眺めだね」
 言われても私はうまく答えられません。
 だって私は、別に景色を見ていたわけじゃないから。
 恐怖を抱えたまま、安全地帯から漠然と世界を見ていただけだから。
 彼がいなかったら、きっとそんな行為もそのうちやめていたに違いなく、今だって世界に
好意を向けられません。
 でも彼は私とは違います。
 閉じ籠らず、ちゃんと世界に立っています。
 私はそれが羨ましいのでしょうか。
「どうしたの?」
 彼の心配そうな目が私の顔を覗き込みます。
 私はうつむき、首を振りました。
 うまく話せません。できることといったら軽い相槌や首を動かすことばかり。
 どうして私はこうなのでしょうか。本当は彼ともっと楽しく話をしたいのに。
 時間がないのに。
121かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:16:17 ID:Wg6k/Vat
 椅子を引く音がしました。ああ、椅子くらい出すべきですよね。こういうところまで気が
回りません。
「しりとり」
 彼の穏やかな声が聞こえました。
 私は言われたことの意味がわからず、顔を上げて彼をぼんやり見つめました。
 彼は椅子に腰掛けながら、もう一度言葉を重ねます。
「しりとり、だよ。何でもいい。『り』のつく言葉」
 ……しりとり?
 私は戸惑いながらもなんとか答えました。
「り……りんご?」
 彼は嬉しそうに笑いました。
「ゴンドラ」
「ら……ラク、ダ」
「だし巻き玉子」
「……ごみ箱」
「コアラ」
 しりとりは続きます。
「……ラッコ」
「昆布」
「ぶ、鰤」
「陸地」
「地図」
「ズッキーニ」
「にんにく」
「栗」
「理科」
「狩り」
「……旅行」
「瓜」
 ……り?
「りゅ、留学生」
「囲炉裏」
「リズム」
「無理」
 な、なるほど、『り』で攻めているのですね。これはなかなか凄い作戦です。『り』で
始まる言葉は他と比べて少ないと思いますし。
 感心している場合ではありません。なんとかしなければ、
「り、り、理学部」
「……部室」
 やりました! さっき既に鰤は出てるので彼は『り』で返せません。
 本当は物理とかブロッコリーとかいろいろあるのですが、彼は気付かないようです。
 もちろん教えてなんかあげません。今度はこちらが『り』で攻めさせてもらいます。
122かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:18:33 ID:Wg6k/Vat
「つ、釣り」
「料理」
「…………」
 この人いじわるです。
「り、り、リトマス試験紙」
「しおり」
「リス」
「スリ」
「り……り……」
 彼は楽しそうにしていますが、私は苦闘の真っ最中でなんだか憎らしいです。
「り、リケッチア」
「……何それ?」
 え? わかりませんか? リケッチア。
「え、ええと、リケッチアというのはですね、細菌とウイルスの中間的な微生物で、発疹
チフスとかツツガムシ病なんかの病原体のことなんですが……」
「そうなんだ。物知りだね」
「あ、その、ありがとうございます」
「じゃあ再開。アリ」
「…………」
 この人本当は性格悪いんじゃないでしょうか。
「……リップスティック」
 栗は出ましたよ。
「鎖」
「力学」
「薬」
「流木」
「曇り」
「流動食」
「下り」
「利息」
「……くま」
 ようやく『り』を止めることができました。そちらが『り』攻めならこちらは『く』攻め
です。
「祭り」
「倫理」
「…………うう〜〜」
 ひどいです。ひどすぎます。
「ごめんごめん。いや、あんまり君が面白いからついね」
「嫌いです、そういう風にからかう人」
 彼は笑顔で謝ってきますが、反省が見えません。まあ別にルール違反を犯したわけじゃ
ないので、彼は悪くないのですけど。
123かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:19:53 ID:Wg6k/Vat
 彼は頭を上げると言いました。
「よかった、ちゃんと話せて」
「……え?」
 私は目を丸くします。
「何でもいいから話したかったんだ。でもずっと緊張してるみたいだったから、どうにか
それをほぐしたくて」
「……」
 確かに緊張は解けています。そして楽しかったです。
 これが狙いだったのでしょうか。
「それで、しりとり?」
「他に思い付かなかった。でも悪くはなかったと思うよ」
「……ちょっといじわるでしたけどね」
 半目で軽く睨むと彼はうろたえました。
「だ、だから悪かったってば」
「別にいいですよ。全然悪いことなんてありません」
 精一杯意地悪く言うと、彼は困ったように身をすくませました。
 私はおかしくなってくすりと笑います。
「冗談です。しりとり、楽しかったですよ」
「……本当に?」
「誰かとこんな風におしゃべりするのなんて、久しくなかったことですから」
 ましてや冗談を言える友達なんて。
 私はほう、と息を一つ吐きました。
「……私、中学の時にいじめに遭ってたんです」
 彼は、表情を変えませんでした。
「それで人が怖くなって、進学を諦めたんです。こんな引きこもりの生活を続けていて、
いつまでもこんなことじゃいけないと思ったんですけど、なかなか勇気が出なくて」
「……」
「でも、そんな時あなたに会ったんです」
 私は彼の目を真っ直ぐ見つめました。
「最初は怖かったけど、あなたが嬉しそうに笑っているのを見て、興味を持ったんです。
そのうちあなたのことを知りたくなって、ひょっとしたら友達になれるかもしれないって
思えて」
「……」
「なかなか踏ん切りがつかなくて、結局夏休みに入っちゃいましたけどね。でも知り合えて
よかったです。本当に」
 ちゃんと言えました。
 思いをはっきり口にできました。これもしりとりのおかげでしょうか。
「……今でも怖い?」
 彼の問いに私は答えます。
「わからないです。でもこうして話せているのだから、きっと……」
 あなたは怖くないと思います。
 あなたのこと、好きです。
 彼は安心したように破顔しました。
「もっと知りたいな、君のこと」
「はい……私も」

 その日はずっと、互いのことを教え合っていました。
124かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:21:51 ID:Wg6k/Vat
      ◇   ◇   ◇

 彼と過ごす時間はとても楽しく、充実したものでした。
 夏休みの間に彼は何度も遊びに来てくれました。その度に私は手作りのお菓子で迎える
のです。
 愛莉に教えてもらった料理を振る舞ったり、一緒にDVDを観たり、彼が持ってきたゲームで
遊んだり。
 でもやっぱり一番楽しいのは彼と話す時間です。
 私も彼も読書が好きで、互いの愛読書を教え合ったりしました。
 彼の学校生活を聞くのはワクワクしましたし、私の小さい頃の話をするのはドキドキ
しました。
 本当に楽しい時間でした。
 ですが、それも長くは続きません。
 時間は限られていました。
 それは仕方ないことです。九月には戻ると、父と約束したのですから。



「お別れ?」
 八月三十一日。夏休み最後の日。
 私は彼と最後の時間を過ごしていました。
 ただそれは、彼にお別れを告げなければならない時間で、
「ごめんなさい……もう実家に戻らないといけないんです」
 彼は突然のことに驚いたようでした。
「いつまで?」
「……わかりません。次にいつ会えるかも、ちょっと」
「……そう、なんだ」
 彼はひどく残念そうに呟きました。
 もっと早くに言っておかなければならなかったのに、結局ギリギリまで言い出せません
でした。私はいつもこうです。本当に自分に呆れます。
 彼はいつも私に優しく手を伸ばしてくれるのに。
 私はいつも彼にちゃんと応えられなくて。
 さしのべられた手をせめてうまく取りたいと思うのに、私はそれさえ不器用にしかでき
なくて。
 最後まで私はこうなのでしょうか。
125かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:23:53 ID:Wg6k/Vat
「もう会えないの?」
「……わかりません」
「ならぼくが会いに行く。それなら」
「それは嬉しいですけど……遠いですよ?」
 実家の住所を言うと、彼は嘆息しました。
「……遠いね」
「……遠いです」
 行けない距離ではありません。半日もかければ行ける距離です。でも彼は学生ですし、
決して簡単な距離ではないでしょう。
 私は悲しく思いながらも彼に言いました。
「……会いには来ないでください。私、甘えてしまいます」
「甘えるなんてそんな、」
「いえ、私は甘えています。愛莉にも、親にも、……あなたにも」
 私は自分の気持ちを素直に告白しました。
「いつまでも怖がっていてはいけないんです。私はあなたの隣に立ちたい。けど今の私では、
弱いままの私では駄目なんです。あなたの隣には立てません」
「……」
「だから……待っていてください。私、必ず戻ってきますから」
「……戻ってくる?」
「……はい、きっと」
 やることは決まっています。彼の隣に立つために、私は努力しなければなりません。
 そのためには私自身が変わらなければならないのです。
 大丈夫、と自分に言い聞かせます。必ず戻ってこれます。
 私は、取りたいから。
 彼の優しい手を、取りたいから。
「……きっと」
 彼が私の手を握りました。
「待ってるから。きっと、またこうして……」
 その手の温もりを胸に刻むように、私は深く頷きました。
「はい、きっと……また」
126かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:25:10 ID:Wg6k/Vat
 実家に戻って、私は父と母にこれからの目標を伝えました。
 愛莉は私のすることにすぐ賛同してくれましたが、両親は少し渋りました。私の目標は
あの街にまた戻ることだったからです。
 できれば家族一緒に暮らしたいというのが二人の希望でしたから、私のすることはこれに
反することになります。でも私は引く気はありませんでした。
 彼と約束したのですから。
 愛莉のフォローもあって、両親は私のすることを認めてくれました。
 これも甘えなのかもしれません。しかしこれまでの甘えとは中身がまったく違います。
 惰性じゃなく、私はきちんと目標に向かっているからです。愛莉に言わせれば一年遅れと
いうことになりますが、まだ間に合います。
 私は家に閉じ籠ることもなく、積極的に外に出るようになりました。
 恐怖に立ち止まることはもうありません。
 彼と会えなくなることの方がずっと恐ろしいからです。
 約束を果たすには、もう今までの私では駄目なのです。
 怯えず、閉じ籠らず、世界をありのままに受け入れて、ちゃんと生きていかなければ
なりません。
 そうすることで彼と手を取り合えるような気がするから。



 そして、半年が過ぎました。
127かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:30:15 ID:Wg6k/Vat
      ◇   ◇   ◇

 秋が過ぎ、冬を越えて、私はまた春を迎えました。
 彼を初めて見掛けたあの日から、もうすぐ一年になります。
 その日、私は朝から家の前に出て人を待っていました。
 実家の屋敷ではありません。去年愛莉と二人で住んでいたあの家です。
 半年振りに私はこの街に戻ってきました。
 少し緊張します。でも、不思議です。前とは違い、恐れはまるでありません。
 私は胸の高揚を抑えるように、深呼吸をしました。
 やがて、待ち人が現れました。
 以前と変わらず、ちゃんと家の前を通ってくれます。
 私は道の真ん中に立ち、その人を迎えます。
 彼は少し背が高くなっていました。制服が細身の体にフィットしてよく似合っています。
 彼は私の姿を認めて、驚いたように立ち止まってしまいました。
 私は下ろし立ての服を見せびらかすように、袖を軽く上げました。
「お久しぶりです」
 彼は目を何度かしばたたきました。
「……え? なんでここに。……いつ? ってそれよりその制服、」
 彼は混乱しているのか、私の『制服』姿に取り乱しています。
128かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:32:03 ID:Wg6k/Vat
 予想通りの反応に私は愉快な気持ちになりました。
「驚きました?」
「あ……その」
 彼の歯切れ悪い声に私は答えます。
「こっちに戻ってくるときは、ちゃんと受験し直そうと思っていたんです。一年遅れの
高校デビューです」
「いや、それ意味違う……」
「半年しかなかったから結構大変でした。でもおかげで大分成長したと思います。塾にも
通って、人もあまり怖くなくなりましたし」
「……」
 彼の呆気に取られた顔を見ると、自然と笑みがこぼれます。
「とりあえず、二年間は一緒です」
「……うん」
「そこから先はわからないですけど……できれば、一緒にいたいです。ずっと」
「……うん。ぼくも、君と一緒にいたい」
「……あは、なんだか告白みたいですね」
 私は照れ隠しにそんなことを言いました。前の私なら絶対に口に出せない冗談です。
 彼は一つ肩をすくめました。
「……そのつもりじゃ、ダメ?」
 その言葉に私の笑顔が引きつりました。
 彼は清浄な朝の空気の中で、ひどく澄んだ声を響かせました。
 それともそう聞こえたのは、私の心持ちのせいだったでしょうか。
「ぼくは君が好きだ。だから、恋人になってほしい」
 冗談なんかではありません。彼の唇はぎゅっと力が入って、噛み締められていて、緊張が
窺えます。
 私はそれを見て妙に心が落ち着いていました。
 高揚はしています。生まれて初めて告白を受けたのですから、当たり前です。
 ただ、それとは違う部分がとても落ち着いていたのです。
 心のどこかで、私はこうなると予期していたのかもしれません。
 多分、あの夏休み最後の日からずっと。
 でもあの時の私では、きっと受け止められなかったでしょう。
 隣に立つこともままならない私では、彼の想いに押し潰されていたかもしれません。
 でも、今なら。
 私はその手を、想いを、受け取れる。
「私も、好きです」
 私は小さな声で、しかしはっきりと応えました。
 彼の顔がぱっ、と輝きます。
「それじゃ」
「はい、これからよろしくお願いします。『先輩』」
 私は丁寧に頭を下げると、同い年の先輩に手を差し出しました。
 握られた手の温もりが溶け合うように、胸に刻まれた記憶と重なりました。
129かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2009/11/17(火) 21:36:46 ID:Wg6k/Vat
以上で投下終了です。
次回まで少し時間がかかりそうです。
当初はエロ無し話のつもりだったのですが、
二人の初めてを書きたくなったので、そこを目標に頑張ります。
多分全五話くらいで。
130名無しさん@ピンキー:2009/11/17(火) 21:51:34 ID:70By4VgD
GJ
初々しくも地道に一歩ずつ進んでいきそうな2人ですなぁ
131名無しさん@ピンキー:2009/11/18(水) 02:54:44 ID:2puRIOCd
GJです!
名前を出さずにここまで話を広げられるのは凄いな……。
「はじめて」編も楽しみにしてます。
132名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 10:13:11 ID:zz/c2C6/
わくてか
133名無しさん@ピンキー:2009/11/26(木) 20:00:19 ID:kB+fqZaU
マイナーなギャルゲーSS祭り!変更事項!

1. SS祭り規定
自分の個人サイトに未発表の初恋ばれんたいん スペシャル、エーベルージュ、センチメンタルグラフティ2、canvas 百合奈・瑠璃子シナリオ
のSSを掲載して下さい。(それぞれの作品 一話完結型の短編 10本)

EX)
初恋ばれんたいん スペシャル 一話完結型の短編 10本
エーベルージュ 一話完結型の短編 10本
センチメンタルグラフティ2 一話完結型の短編 10本
canvas 百合奈・瑠璃子 一話完結型の短編 10本

BL、GL、ダーク、18禁、バトル、クロスオーバー、オリキャラ禁止
一話完結型の短編 1本 プレーンテキストで15KB以下禁止
大文字、太字、台本形式禁止

2. 日程
SS祭り期間 2009/11/07〜2011/11/07
SS祭り結果・賞金発表 2011/12/07

3. 賞金
私が個人的に最高と思う最優秀TOP3SSサイト管理人に賞金を授与します。

1位 10万円
2位 5万円
3位 3万円
134名無しさん@ピンキー:2009/11/26(木) 20:00:58 ID:kB+fqZaU
(1) 初恋ばれんたいん スペシャル
初恋ばれんたいん スペシャル PS版は あまりのテンポの悪さ,ロードは遅い(パラメーターが上がる度に、
いちいち読み込みに行くらしい・・・)のせいで、悪評が集中しました。ですが 初恋ばれんたいん スペシャル PC版は
テンポ,ロード問題が改善して 快適です。(初恋ばれんたいん スペシャル PC版 プレイをお勧めします!)
初恋ばれんたいん スペシャルは ゲームシステム的にはどうしようもない欠陥品だけど。
初恋ばれんたいん スペシャル のキャラ設定とか、イベント、ストーリーに素晴らしいだけにとても惜しいと思います。

(2) エーベルージュ
科学と魔法が共存する異世界を舞台にしたトリフェルズ魔法学園の初等部に入学するところからスタートする。
前半は初等部で2年間、後半は高等部で3年間の学園生活を送り卒業するまでとなる。
(音声、イベントが追加された PS,SS版 プレイをおすすめします。)

(3) センチメンタルグラフティ2
前作『センチメンタルグラフティ1』の主人公が交通事故で死亡したという設定で
センチメンタルグラフティ2の主人公と前作 センチメンタルグラフティ1の12人のヒロインたちとの感動的な話です
前作(センチメンタルグラフティ1)がなければ センチメンタルグラフティ2は『ONE〜輝く季節へ〜』の茜シナリオを
を軽くしのぐ名作なのではないかと思っております。 (システムはクソ、シナリオ回想モードプレイをおすすめします。)

(4) canvas 百合奈・瑠璃子シナリオ
個人的には 「呪い」 と「花言葉」 を組み合わせた百合奈 シナリオは canvas 最高と思います。
135名無しさん@ピンキー:2009/12/05(土) 20:45:48 ID:/zg68K1/
保守
136名無しさん@ピンキー:2009/12/11(金) 07:35:51 ID:pe8LMGOx
長い文章を投下する場合の注意点ってある?
137名無しさん@ピンキー:2009/12/13(日) 03:04:01 ID:wF2xuBBx
ジャンルとか傾向とかおおよそのレス数とか、あとNGワードとかを事前にレスしときゃ良いんじゃないか?
そして大作wktk
138名無しさん@ピンキー:2009/12/16(水) 03:06:11 ID:0yR0rxpU
もうすぐクリスマス…
今年こそ篠原くんと綾咲さんの関係に決着がついてほしいなあ
139名無しさん@ピンキー:2009/12/17(木) 17:46:51 ID:C7TUszJz
年に一度の楽しみ
140名無しさん@ピンキー:2009/12/22(火) 17:08:09 ID:OhFgja4y
Can't stop〜
KNOCK DOWN
cat girl

この3作はいつまででも待とう。
シノラーの人は去年降臨したから今年も来てくれそうな気がする。
あとの二つは完全に音沙汰なしですなあ・・・
141名無しさん@ピンキー:2009/12/24(木) 02:08:39 ID:ufc3QxJu
シノラーはいつになったら俺に服を着させてくれるんだ?
1422-57:2009/12/24(木) 22:17:50 ID:CXn+Rzqc
取りあえずお前ら服を着ろ。
そんなわけでお久しぶり、もうすまんとしか言えない俺参上。
では以前の作品の続きです。
タイトルは『Can't Stop Fallin' in Love』。
内容なんか覚えてねーよ!と言う方は
>>68のオリジナルシチュエーションの部屋の純愛スレ保管庫をご覧下さい。

それでは、投下。
143Can't Stop Fallin' in Love(91):2009/12/24(木) 22:19:03 ID:CXn+Rzqc
駅から吐き出される人の波は、なかなか途切れることがなかった。
それでも皆心なしか足早に見えるのは、やはりこの聖なる夜を誰かと迎えるためなのだろうか。
寒いからさっさと帰りたい、という意見が一番多いかもしれないけど。
時刻は夜の冷たさが身体に染み込んでくる午後九時。
うっかりナイトパレードなんてものを見物してしまったため、地元に帰ってくるのが予定より大きく遅れてしまった。
俺はもっと早く帰還しようと主張したのだが、民主主義という名の数の暴力に敗北を余儀なくされた。
まぁ家にいても特にやることもないので特に強く反対はしなかったのだけれど。
パレードが終わってから遊園地を出て、電車でこの駅に着いたのがつい先程。
それでもすぐ自宅に足を向けずにここでだらだらと話し込んでいるのは、何だかんだ言いつつみんな名残惜しいのかもしれない。
大勢で遊びに行くというのは、やはり楽しいものだからだ。
でも、それも終わりが来る。
「んじゃ、お疲れー」
「おっつー」
別れの挨拶を投げながら、秋田と日野、そして笹木が紅葉台方面のバスに乗車していく。
秋田と日野はこの後笹木の家に泊まりに行くらしい。タフだねぇ、三人とも。
そんな感想を抱きながら、綾咲と葉山が別れの挨拶を返すのを横目に、一人無言でひらひらと手を振る。
と、それに気付いた笹木が二、三秒葛藤した後、ぎこちなく手を振り返えしてきた。うーん、律儀だ。
三人を乗せたバスが発車すると、残された俺達の間に沈黙が降りた。
祭りの後の倦怠感。馬鹿みたいに明るいイルミネーションと、そこら中から聞こえる陽気なクリスマスソングと、人々の喧噪と。
賑やかで楽しい雰囲気が町中に溢れているのに、どこか寂寥感が漂う。
「それじゃ、帰ろっか」
それを打ち破ったのは葉山だった。いつもと変わらない態度で、俺達を促す。
その一言で、ギアが日常に戻ったような気がした。
「そうだな。気温も懐も寒いし」
「今月は余裕なんでしょ?」
「第5次篠原バブルは本日をもってはじけました」
駅に到着してすぐ回収してきていたマイ自転車から降り、スタンドを跳ね上げる。
ハンドルを握った手に、冷たさが急激に伝わってきた。
わずかに残っていた寂寥感と身体に染み入ってくる寒さを吹き飛ばすように、腹から声を上げる。
「よしアジトに帰るぞ野郎ども!」
「どうしてバイキング風なんですか?」
「まだ遊園地の気分が抜けてないんじゃない」
部下達の心はバラバラだった。というかお約束を解さない奴らだった。
くっ、これだから社会の常識を知らない世代は。
「あ、私用事思いだしたから先に帰ってて」
「うぉい!」
更に部下の一人が離反した。つーか帰宅の音頭を取ったのはお前だろうが。
そんな思いを込めて葉山を睨むと、彼女は苦笑を浮かべつつ、
「ごめんごめん。ケーキ買って帰らなくちゃいけないのよねー」
「それくらいなら待ちますけど」
「いいわよ。寒いし、時間だって遅いんだから。二人で先に帰ってて」
綾咲の提案をやんわりと断り、葉山はショッピングモールへ足を向ける。
「優奈、またね。篠原も」
「あ、はい。また」
肩すかしを食らったような気分で、綾咲と共に葉山を見送る。
つーかあいつ、本当に用事あるのか? また余計なこと考えてるんじゃないのか? 
しかしそれを確かめる術はない。
葉山の背中が人に紛れて見えなくなってから、俺は隣の綾咲へと視線を移す。
「どうする? ここで待っておくか?」
もし待つなら暇つぶしに付き合うぞ、そんなニュアンスを込めて尋ねたが、綾咲は首を横に振った。
「いえ。由理さんのお言葉に甘えて、先に帰りましょうか」
「お嬢様のご意志のままに」
彼女はくすっと笑って、
「では、エスコートをお願いしますね」
「今度は迷子にならないようにしないとな」
二人で帰路を歩み始めた。
144Can't Stop Fallin' in Love(92):2009/12/24(木) 22:21:18 ID:CXn+Rzqc




夜空の星は薄い雲に覆われて、その輝きを窺うことは出来なかった。
それでも月だけは邪魔な帳の影響を受けず、暗闇を彩っている。夜の空気は痛いほどに澄んでいて、時折吹く風に身を竦める。
そんな冬の夜道を、月明かりと街灯に照らされながら、綾咲と一緒にゆっくり歩く。
皆家の中でパーティに興じているのか、街は静寂に包まれていた。
耳に流れてくるのは、自転車の車輪が奏でる音と、綾咲のブーツがアスファルトに響く音だけ。
世界で二人きりになったような錯覚の中で、稀にすれ違う自動車が、他者の存在を思い出させてくれる。
駅からここまで、俺と綾咲の間に会話はほとんどなかった。たまに短いやり取りを交わすだけで、後は無言で肩を並べている。
別に緊張しているわけじゃない。むしろ逆だ。ひどく心は穏やかで、程良く力が抜けている。
こんなことは今まで一度もなかった。二人の時はいつも話の種を捜していたような気がするのに。
遊園地で喋りすぎた影響か、それとも無言でも居心地が悪くならないくらいの関係になったのか――あるいは、その両方だろうか。
何にせよ、この雰囲気は嫌いじゃなかった。彼女もそう思っていてくれるといいのだけれど。
横断歩道の前で足を止め、信号が青になるのを待つ。肺から息を吐くと、白い煙がゆらりと広がり、消えていく。
「雪、降りませんね」
夜空を見上げながら、綾咲がポツリと呟いた。
つられるように視線を上げるが、星の見えない空からはまだ雪の降る気配はない。
「ホワイトクリスマスは難しいかもな」
答えた俺の言葉に、彼女の表情がわずかに曇る。俺は何気なく浮かび上がった疑問を、そのまま彼女に投げ掛けた。
「やっぱり、クリスマスには雪、降ってほしいもんか?」
恋人のロマンチックな夜を演出するには最適かもしれないが、残念ながら俺は悲しきロンリーウルフ。
子供の頃ならいざ知らず、この年になってからはホワイトクリスマスを願ったことはない。
綾咲も俺と同じく独り者のはずだが、女の子にはまた違った思いがあるのかもしれない。
「そうですね……」
と、そこで信号の色が変化する。俺達はどちらからともなく歩き出し、車輪の回る音が二人の間に流れた。
横断歩道を渡り終えたところで、自分の中の感情を整理するように、綾咲がゆっくり口を開く。
「私、今日とっても楽しかったんです。みんなと一緒にお昼を食べて、遊園地で遊んで、ナイトパレードを見て。
こんな楽しいクリスマス、初めてでした」
思い出を反芻しているのか、綾咲から笑みがこぼれる。
「今日は私にとって、きっと一生忘れない、特別な一日なんです。だから終わってしまうのが少し寂しくて。
でもホワイトクリスマスになって、雪で街が綺麗に色づいたら――眠るまで笑顔でいられそうな気がするんです。
きっとみんなもこの雪を見てるって、そう思えるから」
そこで彼女は顔を向け、いたずらっぽく微笑んだ。
「私、わがままでしょうか?」
俺は小さく首を振り、民家の庭のクリスマスツリーに目をやる。
その先には姿を見せない本物の代わりに、月の光を受けて輝く星飾り。
「いいんじゃないか? もうサンタさんからプレゼントも貰えないんだ。それくらいお願いしても罰は当たらないだろ」
「篠原くんがそう仰ってくださるなら、安心です」
二人してくすっと笑って、また帰路を歩み始める。
不思議なものだ。こんな雰囲気で綾咲と冗談を言い合える日が来るなんて、春には想像もしなかった。
ちょっと珍しいお嬢様の転校生、葉山の友達。
そんな認識だったのに、今はこの時が少しでも長く続けばいいと思う自分がいる。冬休みになれば、しばらくは彼女に会えない。
あぁ、確かに彼女の言う通りだ。恋するってことは嬉しくて楽しいけど、不安で寂しいよな。
だからせめて、幸せなこの日のことは忘れないでおこうと思った。
145Can't Stop Fallin' in Love(93):2009/12/24(木) 22:24:11 ID:CXn+Rzqc
そしてその時間が終わりを告げる。
互いの家への分かれ道に辿り着き、俺達は足を止めた。名残惜しさが胸を占めるが、いつまでもこのままというわけにもいかない。
それじゃあ、と別れの挨拶を投げようとしたところで、
「あの、篠原くんっ」
綾咲に強く名を呼ばれた。視線を向けると、唇をキュッと惹き結んだ綾咲が、じっとこちらを見つめている。
その瞳に宿っているのは――決意、だろうか。意志のこもった眼差しに、思わずたじろいてしまう。
「えっと、どうした?」
戸惑い混じりに問うた俺に、彼女は一度大きく息を吸って、一歩だけ距離を詰めた。
その勢いのまま、彼女は口を開く。
「私っ…………その……」
しかし言葉はそれ以上紡がれずに、やがて消えていった。
声量と共に決意も萎んだのか、綾咲からは張りつめた雰囲気が失せている。
彼女は小さく息を吐き、
「いえ、やっぱり何でもありません。ごめんなさい」
いつもの笑顔に戻ってそう言った。『何でもない』わけはないのは明らかだったが、追求するのも憚られる。
取りあえず気にしないことにして、場の空気を変えるために別の話題を持ち出す。
「ま、今日は色々あったしな。人も多かったし。結構疲れたんじゃないか?」
「いえ、そんなに疲れてはいませんよ。本当に楽しかったですし。次の機会があったら、またみんなで行きませんか?」
「その時は携帯電話を忘れないように」
そんなやり取りを交わして、一区切り付いたところで綾咲が丁寧に一礼する。
「それでは失礼しますね」
一瞬離れがたい感情が胸を突いたが、それを押し込めて普段通り手をひらひらと振った。
「ああ。それじゃまたな」
「はい。また」
段々と小さくなっていく後ろ姿を見送る。
曲がり角でこちらに小さく手を振ってから、彼女は完全に姿を消した。
それを見届けると、俺はぎゅっとハンドルを握った。そして自宅へと自転車を走らせようとして――
「…………」
けれど、何故かそんな気になれなかった。
その場に愛車のスタンドを立てて、壁に背を預ける。ダウンジャケットのポケットに手を突っ込むと、じんわりとした痺れが手に広がった。
そのまま何をするわけでもなく、ただ空を見上げ、佇む。
夜空の様子は先程と変わらない。星は見えず、雪も降らない。
吐き出した呼気だけが白く色づき、天へと昇っていく。すっかり冷え込んだ身体は、瞼すら冷たい。
時折通り過ぎる人がチラリと視線を向けてくるが、すぐに興味を失い目を逸らす。
お喋りにしながらすれ違う女子高生が、喧噪を残して去っていく。
耳に届くのは風の音と、どこかの民家から微かに流れてくるジングルベル。
漠然とした寂寥感と、倦怠感。そんなものに身を浸しながら、雪が降ればいいのにと、ぼんやりと考えていた。
「――篠原?」
それを打ち破ったのは、聞き覚えのある声だった。
億劫に顔を動かすと、良く見知ったポニーテールの少女が視界に飛び込んでくる。
「こんなところで何してんの?」
駅前で別れたときと同じ格好、変わらない口調で尋ねてくる彼女に引っ張られるように、思考が普段の調子を取り戻す。
「うむ。サンタクロースというと基本的にひげ面の爺さんを想像するが、
もし本当に爺さんしかなれないとするならサンタの社会も高齢化で大変だな、
そろそろ新しい血を取り入れるべきなのではないかというどうでもいい心配をしていた」
「うん。ホントどうでもいいわね」
一切の躊躇無く断言する葉山さんの優しさに、わたくし涙が止まりません。
「――で、どうしたのよ?」
重ねて聞いてくる葉山に、俺は仕方なく正直に打ち明けるとする。
といっても、何故こんなところで突っ立っているのか、自分でもよくわかってないのだが。
「まぁ、何となく……」
俺の答えに葉山は綾咲の家へと続く道を見やり、
「優奈と何かあったの?」
「いや、別にないぞ」
「ふーん」
疑わしげな目で見られても、本当に何もなかったのだからこれ以上は答えようがない。
146Can't Stop Fallin' in Love(94):2009/12/24(木) 22:26:26 ID:CXn+Rzqc
「つーか俺にはお前がここにいる方が不思議だよ。何故こんな所を彷徨っている? 
……ん? ひょっとして迷子か?」
「昼間思いっきりはぐれたあんたが言うセリフ?」
「……その節は誠に申し訳ありませんでした」
繰り出した軽口は見事にカウンターで返された。まさしくその通りなのでぐぅの音も出ない。
厳しいがこれが世の掟、敗者に許された権利は勝者を称えることのみ。
「悔しいが認めざるを得ないな。……葉山、お前がナンバーワンだ」
「あんたの中でどんな物語が完結したか知らないけど、取りあえず辞退しておく」
頂点の称号をすげなく投げ返すと、葉山は手に持っていた小さな紙袋を示して見せた。
「優奈から借りてたCD。今日渡すつもりだったんだけど、すっかり忘れてて。今から返しに行くところ」
ケーキを家族に渡して一度着替えのため部屋に戻ってから思い出したのだという。
どうやら俺は結構な時間、ここでぼうっとしていたようだ。
「休み明けでもいいんじゃないか?」
「優奈はいつでもいいって言ってくれてたんだけどね。でも冬休みの間、ずっと気にしておく方が精神的に良くないでしょ、っと」
そう説明しながら彼女は俺へと近付いてきて、
「……おい」
「ん? 何?」
自転車の荷台に女の子座りした葉山が俺を見上げた。
「まさか運転手をさせるつもりじゃないだろうな」
「いいじゃない、送ってよ。どうせ暇なんでしょ」
若干あどけなさを残した瞳で、彼女は笑った。俺はため息を吐いて、頭を掻く。
「貸しにしとくぞ」
断るのも面倒になって、俺は自転車のサドルに跨った。後ろ手に紙袋を受け取ると、前面に設置されているカゴに放り込む。
地面につけた両足を蹴り出すと、ガタンという衝撃と共にスタンドが上がった。
「いいわよ。篠原が今まで溜め込んだ借りを全部返してくれるなら」
「相殺でお願いします」
グッとペダルに力を込め、俺は愛車を発進させた。
車輪が回転し景色が動き出すと、冷たい空気が風になって吹き付けてくる。
そんなに急ぐ用事でもないだろうと判断し、緩やかな速度を維持することにした。あんまりスピード上げると寒いしな。
チラリと後ろに目をやると、葉山は慣れた様子で自転車に掴まりバランスを取っている。
ま、たまにこいつを後ろに乗せることもあるし、当然と言えば当然なのだが。
俺の視線に気付き、葉山は面白がっているような声を上げる。
「おおー、速い速い。楽ちん楽ちん」
「おおー、重い重い」
瞬間、ひやりとした感触が首筋に。
「うふふー、篠原? 私が後ろに乗ってるんだから、滅多なことは言わないようにね」
「はい、マスターチーフ!」
哀れな子犬のごとく無条件降伏。
もうちょっと頑張れよという意見もあるだろうが、仕方ないのだ。頸椎の安全には代えられない。
しかし葉山の奴、送ってもらう立場でありながらドライバーを脅すとは。
もしかして俺はとんでもない危険物を運んでいるんじゃないだろうか。
そんな考えを抱きながら、自転車を走らせていく。徐々に高級めいた家が並ぶようになり、現在地が雪ヶ丘だということを教えてくれた。
それと同時に、緩い上り坂が始まる。だが両足に感じる重量感はさほど無い。
先程『重い』などと冗談を飛ばしたが、実際は彼女の重みなど大したことはなかったりする。
しかし葉山でもやっぱり体重は気にするものなんだなー、太りすぎなけりゃいいと思うんだが。
というかあのスタイルだったら十分すぎてお釣りが来るだろうに。そこは男子と女子の違いというやつか。俺にはいまいちよくわからない。
「わっ、と!」
坂が終わり平地に差し掛かったところで、段差を踏んだ自転車が縦に揺れた。
それほど大きな揺れでもなかったが、葉山は体勢を崩してしまったらしく、とっさに俺の腰に掴まってくる。
「ごめん、思わず力入れちゃった。痛くなかった?」
少しだけ近くなった声に、正面を向いたまま答える。
「ああ、ダウンジャケットだったし。別にバランス取りやすいトコに掴まってていいぞ。
ただし首を締めるのだけは勘弁な」
「そんなことしたら二人とも転倒するでしょうが」
「大丈夫だ、俺に構わず先に行け!」
「いや、そんなに急いでないし」
「おみやげ忘れないでね」
「子供か、あんたは」
という話とも呼べないやり取りを続けているうちに、覚えのある家が見えてくる。
147Can't Stop Fallin' in Love(95):2009/12/24(木) 22:29:23 ID:CXn+Rzqc
綾咲家には一度しか行ったことがないので少々不安だったが、脳はちゃんと覚えていたらしい。
凄いぞ俺の記憶力。テストの時ももうちょっと頑張ってくれ。
徐々に減速していき、門の前で停車する。同時に腰の感触が消え、葉山の両足が地面に付いた。
「流石に、篠原の自転車だと早いわねー」
こちらに向き直り賞賛を送ってくる葉山に、カゴに放り込んであった紙袋を手渡す。
「どうせ帰りも送らせるつもりなんだろ」
「ここからなら途中まで一緒だし、いいでしょ?」
「トナカイ使いの荒いサンタクロースだな」
予想できていたことなので、特に抗議もせず肩をすくめて、自転車を降りた。
「ありがと」
まぁ、こんな風に笑顔で礼を言われると、悪い気はしない。
すっかり冷えて固まってしまった手を揉みほぐしながら、彼女の傍に立つ。
葉山が門の脇に備え付けられたインターホンを押すと、すぐに応対の声が流れてきた。
『はい』
「夜分遅くすいません。葉山ですけど、優奈さんいますか?」
『あ、由理ちゃん? ちょっと待っててね』
葉山が名乗ると声が砕けたものに変わり、心持ちトーンも高くなる。
応対に出てる人は恐らく綾咲が以前言っていたお手伝いさんだろう。どうやら葉山とは知り合いらしい。
「それにしても、一人で住むには確かに大きすぎるよな」
インターホンの通話が切れているのを確認して、俺は独りごちた。
高級住宅街雪ヶ丘基準なら、綾咲宅はそれほど飛び抜けて広いわけでもない。むしろ造りが古い分、少々見劣りするかもしれない。
だが住人が一人というなら話は別だ。夜中にここで一人っきりって、想像しただけでちょっと怖いぞ。
綾咲よ、是非ともお手伝いさんにはローテーションで泊まっていってもらいなさい。
などと余計な心配をしていると、ガチャリと鍵の外れる音がして、扉が開いた。
しかし姿を見せたのは綾咲ではなく、還暦ほどの年齢のお手伝いさんだった。
「あ、石井さん」
葉山がお手伝いさんの名を呼ぶと、彼女は困ったような笑みを浮かべながらこちらに歩いてきた。
門を開き俺達の前で立ち止まると、申し訳なさそうな口調で告げる。
「ごめんなさいね、由理ちゃん。優奈ちゃんまだ帰ってきていないの」
「えっ、そうなんですか」
驚きを隠せない俺達に、石井さんは頷く。
「そうなの。さっき『少し寄り道してくる』って電話があったのだけど。何処に行ったのかしら?」
石井さんと同様に俺も首を傾げた。
俺はあの後もずっと同じ場所で佇んでいたが、綾咲には会っていない。つまり駅に戻ったということはない。
でもこの辺りは民家ばかりで、行くところもないしなぁ。
「あら? そちらの男の子は?」
三人で頭を捻っていると、石井さんが俺の存在に気付いたらしい。ここは軽く自己紹介をしておこう。
「初めまして。通りすがりのトナカイです」
「真面目にやれ」
葉山に睨まれてしまったので、背筋を正し気合いを入れて自己紹介テイク2を敢行する。
「初めまして。気が向いたときだけあなたの街の運び屋さん、篠原タクシーです」
「ごめんなさい石井さん、彼ちょっと残念な子なんです」
待て葉山、その称号は非常に不本意だぞ。
不当な扱いに抗議しようとしたが、石井さんのころころした笑いがそれを遮った。
「そうなの、あなたが篠原くんなの。優奈ちゃんとクラスメートなんでしょ? いつも話は聞いてるわー。
あ、ごめんなさい。私ったら名乗りもしないで。この家で働かせてもらっている石井と申します」
「あ、はい、どうも……」
急に饒舌になった石井さんに気圧されつつ、初めて会う人が自分のことを知っているとわかって、妙に照れくさい気分になる。
同時に綾咲が家でも俺の話題を口にしてくれているのが何だか嬉しかった。
「それで由理ちゃん、優奈ちゃんに急ぎの用事があるの? それとも渡すものがあるのかしら?」
俺を解放してようやく本題に戻った石井さんに、葉山が紙袋を持ち上げてみせる。
「ええ。これを返しに来たんですけど」
「だったら私から返しておきましょうか?」
愛想良く請け負ってくれる石井さんに、葉山はお願いしますと頭を下げた。
「はい、確かに預かりました。それじゃあ二人とも、いいクリスマスを」
そう残して家の中へ消えていく石井さんを見送ってから、俺と葉山は止めてある自転車の元に赴いた。
一際冷たい風が吹いて、反射的に体を震わせる。もう身体は芯まで冷えきっていて、肌が露出している部分が痛みを訴えている。
もしかしたらこの冬一番の寒さかもしれない。
148Can't Stop Fallin' in Love(96):2009/12/24(木) 22:30:27 ID:CXn+Rzqc
「でも優奈、どこ行ってるんだろ」
独り言のような言葉が葉山の口から漏れるが、俺も彼女が求める答えを持ち合わせてはいない。
「さぁなぁ。途中まで一緒に帰ったけど、寄り道するなんて聞いてないな」
「確かあの娘携帯持ってないはずだけど、駅の電話ボックス使ってた?」
俺は首を横に振りながら、そういえば綾咲が携帯を所持していなかったことを思い出す。
「いや、駅からまっすぐ帰ってきて、いつもの所で別れた。
その後俺はお前が来るまでずっとあの場に居たから、引き返して駅に行った可能性は無いな」
もちろん別のルートを使えば別だが、と付け足す。しかし遠回りになるだけなので、考慮に入れなくても良いだろう。
だが駅の方面ではないとすると、綾咲が何処に向かったのか見当も付かない。電話ボックスだってこの辺りにはそうそう設置されてないだろうし。
葉山はしばらく腕を組んで唸っていたが、やがて降参するように大きく息を吐いた。
「ダメ、思いつかないわ。篠原、あんた優奈が行きそうな場所に心当たりある?」
何を言い出すんだ、この女。親友のお前がわからないのに俺が知っているわけがないだろう。
「あのなぁ、そんな場所――」
ない、と答えようとした瞬間、脳裏に一つの光景がよぎった。
茜色の空。黄金色の光。
『ここからの景色は、この公園だけのものですから。だから素敵なんですよ』
彼女の言葉。
もしかして、そうなら。そうだとするなら、俺は。
「……篠原?」
黙り込んだ俺を怪訝に思ったのか、葉山が名を呼んでくる。
「悪い、帰りの送迎、パスさせてくれ。大事な用事を思いついた」
俺は自転車のハンドルを手に取ると、勢いよくスタンドを跳ね上げた。ひやりとした冷気が指に伝わるが、まるで気にならない。
「何、いきなり? もしかして優奈のいそうな場所思いついたの?」
質問に答えず、俺はサドルに跨った。それから傍にいるポニーテールの少女を見上げる。
不思議なものだ。一ヶ月前、こいつからの提案を受けなければ、決してこんなことはしなかっただろう。
「あと、新学期からの弁当はいらないわ。すまんがあの契約、破棄させてくれ」
「え?」
驚きで目を丸くしている彼女に、俺は不敵に笑って見せた。
「今から当たって砕けてくる」
「ちょっと、篠原――!?」
葉山の制止を振り切って、俺はペダルに体重を乗せた。
綾咲があの場所にいるかどうかなんて、本当はわからない。近くに公衆電話があり、駅の方向とも違うので、一応条件には合う。
けれどこんな時間にわざわざ女の子一人で向かう所だとは考えにくい。
だが奇妙な予感があった。その場所に彼女がいるという、確信めいた予感。
彼女のことを知り、彼女への恋を自覚した、雪ヶ丘公園。
そこへ向かって、俺は自転車を走らせた。

149Can't Stop Fallin' in Love(97):2009/12/24(木) 22:35:36 ID:CXn+Rzqc



風が吹き付ける。なけなしの体温を奪われて、手足が固まりそうになる。
震えからかハンドルは安定せずガクガク揺れて、タイヤの軌道がぐちゃぐちゃに曲がる。
緩やかな坂道が、やけに急勾配に感じる。肺がすぐに酸素を欲して、呼吸が荒くなり余計に体力を奪う。
心臓が激しく胸を打ち、痛みさえ覚える。いつもは何て事のない距離なのに、公園までがやけに遠い。
だけど俺は走る。止まってしまったら、この決心が鈍るような気がして。そんな気持ちで彼女の前に立つことは出来ないから。
だから、走る。ペダルを踏み込み、愛車と共に彼女の元へ向かう。
走りながら甦るのは、綾咲との思い出だ。
第一印象は、この辺りで見るのは珍しい、ただのお嬢様だった。
少しだけ話すようになって、ちょっと変わった、でも普通の女の子だとわかった。
そして葉山のおかげで一緒にいる時間が増えて、色々と綾咲のことを知った。
きっとあの公園で想いに気付く前から、俺は彼女のことが好きだったんだろう。ただそれを認めなかっただけだ。認めるのが怖かっただけだ。
でも今は胸を張って口に出せる。
俺は綾咲が好きなんだって。
どうしようもなく好きなんだって。
ふたり一緒の時間を幸せに感じるくらいに好きなんだって。
だから――――

俺はこの恋を終わらせようと思う。

本当は胸の奥にずっと閉じこめておくつもりだった。
ずっと隠し続けて、自分を騙し続けて。気持ちと記憶が風化するまで、鍵を掛けておくつもりだった。
けど、無理だった。綾咲、お前は正しかったよ。
恋する気持ちは止められない。これは世界でたった一つの、俺だけの恋だ。
人を好きになることを怖がっていた、嘘つきで臆病者の俺が落ちた、本当の恋だ。
告白の結果なんて百も承知している。この先にはハッピーエンドなんか用意されていない。
だけど彼女にこの気持ちを伝えられたら、少しだけ前へ進めるような気がする。
胸が張り裂けそうな痛みはしばらく癒えないだろうけど、また誰か好きになることが出来そうな気がする。
そして何より、この想いをなかったことになんてしたくないんだ。
だから彼女に会おう。たとえそれで幸せな時間が終わることになっても。恋を終わらせることになっても。
坂を上りきると、目指していた公園が現れる。その奥、以前夕日を見た場所に、見覚えのある赤いコートの後ろ姿があった。
最後の力を振り絞って、公園の中へ突っ込む。
そういや自転車進入禁止だった気がするが、今だけ見逃してもらおう。そんな考えが一瞬頭に浮かび、すぐに消える。
必要なことは、やらなきゃいけないことは、ただ一つだけだ。
「綾咲ぃぃぃっっっ!!」
彼女の名を叫んだ途端、ぐらりと世界が傾いた。
激しい金属音と共に容赦なく衝撃が襲いかかる。遅れて、自分が転んだのだと理解した。
「篠原くん!? 大丈夫ですか!?」
綾咲が駆け寄ってくる気配がする。俺はそれを手で制し、ふらつきながら立ち上がった。
息を吸い込むと、冷たい空気が肺を刺激し強く咳き込んでしまう。
口の中はカラカラに乾いていて、なのに喉の奥だけが粘ついている。身体のあちこちが痛むが、そんなものに構っている余裕はない。
虫の鳴き声のような音が耳に届き、チラリとそちらへ目をやると、愛車が地面に横たわったまま虚しく車輪を空転させていた。
すまん相棒、少しだけ我慢してくれ。
心の内で短く謝罪すると、ようやく整った呼吸を引き連れて俺は顔を上げた。
目の前には、驚きと心配を混ぜ合わせた表情で綾咲が立っている。
ごめんな、びっくりさせて。しかもまだ転んだときの汚れも落としてないや。いや、ホント格好悪いな俺。
「どうしてここに……?」
彼女の問いに、俺は視線を真上に向ける。そこには綺麗な夜空が広がっていた。
流石、聖なる夜は伊達じゃない。願ってみるもんだ。
――星が見える。
俺は綾咲を見つめると、ありったけの想いを乗せて、
「俺さ、綾咲のことが好きだ」
その言葉を告げた。
空から雪が舞い落ちるようにゆっくりと彼女は言葉の意味を理解して――息を呑み、驚きの色に瞳を揺らした。
信じられないものを耳にしたように、そのまま固まってしまう。
お互い指先一つ動かさず、静けさが世界を覆う中、俺は何だか不思議な気分に包まれていた。
脈は早くて心臓は騒がしいのに、何故か心は落ち着いていて、満足感に溢れている。これなら大丈夫だ、と確信が湧いた。
彼女のどんな答えでも、笑って受け入れられる。
150Can't Stop Fallin' in Love(98):2009/12/24(木) 22:38:00 ID:CXn+Rzqc
そして奇跡のような時間が終わりの鐘を鳴らす。
彼女はその震える唇を開き、
「――はい。私も篠原くんのこと好きです」
微笑みと共に、そう言った。
俺は拳を握りしめてその事実を受け止める。
答えはわかっていた。ふられる覚悟は決まっていた。
泣きたくなるような痛みはやっぱり変わらないけど、でもこれで俺は前に進める。前を向いて歩いていけ………………。
………………………………。
……………………………………。
「…………………………………………え?」
あれだよね今のは俺が都合のいい幻聴を生み出したんだよねハハハこいつめ仕方のない奴だ正気に戻れぃ。
「ふつつか者ですが、これからよろしくお願いしますね」
ぺこりと綾咲が頭を下げ、一枚布が掛かったようにぼやけた頭脳がようやく理解した。
ええ、篠原さん。これは現実らしいですよ? 幻覚でも幻聴でも幻想でもなく、真実らしいですよ? 
よし、結果が出たところで状況を整理してみよう。
俺の告白を綾咲は受け入れてくれて、実は両思いだったと判明しました。つまりこれで晴れて恋人同士――
「何ぃぃぃぃっっっっ!?」
叫んだ。
驚愕と歓喜と疑問とが絶妙なハーモニーとなり口からほとばしった。その声、まさに天を貫く矢のごとし。ごめん自分でも訳が分からない。
っていうかどうしてこんな展開にいや嬉しいんだけど今にも喜びの奇声を上げそうなんだけど
それよりあり得ない事態に身体が硬直しているというかああああああああ。
さっきまでの穏やかな気持ちは何処へやら、心臓がガンガン銅鑼を鳴らして止まらない。
顔は今にも火を噴きそうに熱くて、突然走り出したい気分が襲ってくる。
落ち着け俺、冷静になるんだ! 
いつものようにクールな姿を彼女に見、カノジョってことは恋人って事でつまり両思いで告白成功であああああ。
駄目だ落ち着くなんて無理だ不可能だ当たり前だっ! ならこのまま突っ走れ! そして世界の謎を解け!
「ちょ、ちょっと待て綾咲っ! 俺でいいのか? つーか好きな奴がいるとか言ってなかったか!?」
混乱した頭に浮かんだ問いを、整理もせず綾咲にぶつける。彼女は可愛らしく小首を傾げて、
「はい。好きな人って篠原くんのことですけど」
「マジですかっ!」
反射的に口走った俺に、綾咲ははにかみながら頷いた。
その姿に胸のど真ん中を打ち抜かれる。つーか、ヤバイ。今彼女に触れたら本気でどうにかなりそうだ。
視線を逸らすことによって抱きしめたい衝動を必死に抑えつつ(でも視界から完全に外せない。だってスゲー可愛いし)、巡りの悪い頭で考える。
嬉しい。嬉しいが、予定と違う。つーか聞いていた事実そのものが違わないか? 
綾咲が好きなのは俺だという。いつからだ? 一体何がどうしてる? 何を間違えている?
俺の思い違い聞き間違いか? いやそもそも前提からしておかしかったのでは? ああもう頭がグチャグチャで何が何だか――
「あの……」
纏まりのない疑問に思考を陥らせていると、綾咲が俺をじっと見上げていた。
心なしか表情を不安で覆った彼女が、胸に手を当てておずおずと尋ねてくる。
「もしかしてさっきの告白って、からかっただけ、なんですか……?」
その声が泣き出しそうな子供のようで、一瞬呆気にとられ、
「は? ……いやいやいやいや! ない! それはないから!」
我に返ってから全力で否定した。力の限り否定した。
「俺は本当に綾咲のことが好きだから!」
そして力を入れすぎて再告白までしてしまった。
うあ何やってんだ俺、と恥ずかしさに悶えそうになるが、綾咲が安堵の息と共に微笑みを浮かべるのを見て、やっぱりこれで良かったんだと思い直した。
変わり身早くて悪いかこちとら色ボケ中だこんちくしょう!
「何でそう思ったんだ? えっと、そんな態度取ってた?」
「その、凄く驚いてましたし、何だか困っているみたいに考え込んでいらしたので、
ひょっとしてからかわれただけなんじゃないかって思ってしまって……」
綾咲の答えに、浮ついていたさっきまでの自分を殴りつけたくなる。
そりゃ告白のすぐ後に目を逸らして考え事なんて、不安にさせて当然だろうが。反省と後悔が一気に襲ってきたが、それらは全部後回しだ。
151Can't Stop Fallin' in Love(99):2009/12/24(木) 22:39:18 ID:CXn+Rzqc
俺は綾咲の目を見てから小さく息を吸い込み、
「あ……」
意を決して彼女の手を取った。
長い間冬の空気にさらされて、すっかり冷たくなってしまっているお互いの手。
それでも感じる体温と柔らかな感触が、愛しさを伝えてくれる。
「不安にさせて、ごめん」
彼女が俺の手を握り返し、触れあう面積が大きくなる。
ただそれだけで嬉しくて幸せで、穏やかな気持ちになれる。
「それは私もです。篠原くんがあんなに走ってきてまでくれた言葉なのに、疑っちゃうなんて。
少し考えれば、篠原くんがそんな嘘つくはずないってわかるのに」
でも、それが恋なんだろう。
舞い上がって、心配して、笑って、泣いて、苦しくて楽しくて、手放せない。俺達の恋だ。
そのまま二人、ずっと手を繋いでいた。
時折握る力に強弱をつけて、可笑しくもないのにくすくす笑い合う。
恥ずかしいけど嬉しくて、いつまでもこうしていたい。こんな気持ちは、きっと生まれて初めてだ。
「そういえば、何を困っていらしたんです?」
短いのか長いのかよくわからないくらいの時間が過ぎた頃、綾咲が俺の中指の腹で遊びながら聞いてくる。
そういやわからないことがまだ残ってたなぁ。もうかなりどうでもよくなってきてるけど。
「あー、そうだな。話した方がいいな」
彼女も無関係ではないんだし。しかしどこから話したものやらと悩んでいると、
「――ようやく、追いついた、はぁ、篠原、あんた、突然なんだからっ」
切れ切れの声が耳に飛び込んでくる。
聞き覚えのある声色に顔を向けると、そこには肩で息をしている見知った少女の姿が一人。
そして全ての始まりはこいつからだったと、今更ながら思い出す。
「あ、でもその様子だと上手くいったみたいね」
そう言って、葉山由理が笑った。

152Can't Stop Fallin' in Love(100):2009/12/24(木) 22:42:38 ID:CXn+Rzqc


再び雪ヶ丘公園に足を踏み入れると、更に風が冷たくなったような気がした。
首をすぼめて外気からなけなしの体温を守りながら、そういやもう結構遅い時間なんじゃないのかと脳の端っこが警告してくる。
一人暮らしの日本男児の俺はともかく、他の二人は女の子だ。早めに帰した方がいいのは間違いない。
けど、今すぐにってわけにもいかないのが辛いところだ。葉山に全ての種明かしをしてもらわなければ、こちらが落ち着かない。
例えるなら推理ドラマで犯人を暴いたのに、犯行方法が語らないようなものだ。
続きは映画館で! おのれ商業主義め。騙されてなるものか。まぁ騙されようにも劇場に行くための元手がありませんが。
実は綾咲と手を繋いでいたときは真相解明などに興味を失っていたのだが、一旦冷静になると猛烈に気になってきた。
というか手を繋いだだけで一時的にでも混乱を忘れさせるとは、恐るべきかな綾咲の魔力。
おのれ恋愛主義めハードボイルドはどこへ行った、という内なる声は多数決の結果、圧倒的敗北により心の墓場に埋葬された。
俺は左手の中から缶コーヒーを一本抜くと、ベンチに向かって歩き出した。俺に気付いた葉山が、右手を大きく差し出す。
「ほれ」
無糖のコーヒーを彼女に手渡すと、葉山は缶を手の中で転がしながら短く礼を述べる。
「サンキュ」
しかし何故この女が我が愛車グローバルスタンダード号に座っているんだと訝しんだが、傍らのベンチを見てすぐに理解した。
「ミルクティー、昼間も飲んでたよな」
「紅茶、好きなんです」
ベンチには綾咲が腰を下ろしており、その隣にはスペースが。つまりそこに座れということか。
いや、いいけどさ。……ききき緊張なんかしてないんだからねっ!
需要不明のツンデレ要素で強がりつつ、綾咲の隣に腰掛ける。
少しでも間を持たせたくて、俺は自分のカフェオレを口に運んだ。甘みを帯びた液体が胃に落ちて、内側から温めてくれる。
どうやら考えていた以上に身体は冷え切っていたらしい。周りを見ると、女性陣も揃って喉を潤していた。
そうやって三人、しばしの間もたらされた温もりを味わう。
ちなみにこのコーヒーは葉山の奢りだった。
葉山は体力を消耗している事に加えパトロン権力があるため、俺がパシリになっていたというわけだ。
しかし奴の奢りとは。何だか嫌な、というかとんでもない事実が明らかにされそうな予感がする。
「……で、説明してもらおうか。まさかコーヒーで煙に巻くつもりじゃないだろうな」
多少ドスをきかせて葉山を睨め上げるが、全く怯えた様子がない。
彼女は立てた膝の上に余裕の表情で頬杖を付きながら、器用に肩をすくめた。
「そんなことしないってば。ちゃんと全部教えてあげるわよ。それで、何から聞きたい?」
「色々あり過ぎるんだが……まず『綾咲がお前のことが好きで告白した』って話はどこ行った」
「ああ、あれ嘘」
「薄々は感づいていたけどやっぱりか――――――っ!!」
今日の夕飯のメニュー並にあっさり語られた衝撃の事実。
つまり俺が綾咲に告白しようかどうしようか悩んだことや、ふられるための心の準備が全て無駄だったことに。
あまりに美しすぎるちゃぶ台返しに涙も出やしねぇ。
「あ、何となくは気付いてたんだ? いつから?」
意外そうにこちらを見やる葉山に、胸を張って答えてやる。
「さっき自販機でコーヒーを買っているとき、俺の直感が囁いたのです」
「遅すぎ。っていうかそこまで来たら感づいたって言わない」
そんな俺達のやり取りに、沈黙を保っていた綾咲が目を丸くしながら口を挟んできた。
153Can't Stop Fallin' in Love(101):2009/12/24(木) 22:45:34 ID:CXn+Rzqc
「あの、私が由理さんに告白したって、そんな話になっていたんですか?」
頷く俺達を確認した綾咲はしばし呆然とした後、
「ち、違います篠原くんっ! 由理さんのことは好きですけど、それは友達としてであって、女の人にそういう感情を抱いたことはありませんっ。
男の人だってこんな気持ちになったのは篠原くんだけで、篠原くんしか知りませんからっ!」
「わ、わかった! わかってるからちょっと落ち着けっ」
急に身を乗り出し捲したててくる綾咲の肩を押さえながら、必死で宥める。
つーか近い近い顔が近い。だが誤解を解こうと躍起になっている綾咲は客観的な意識がすっぽり抜けていて、
俺の方は俺の方で恥ずかしさで顔を逸らそうとする自分と、もっと間近で彼女の顔を見ていたいという自分が互角に戦っていてもう大変。
そしてこの混沌を引き起こした張本人である葉山は、その様子をにやにやと鑑賞中。誰かこいつに天罰を落としてくれ。
結局綾咲が冷静になったのは、たっぷりと俺への想いを語り尽くした後だった。
というかあれは壮大な告白だった。正気に返ってしまうと、もう赤面してうなだれるしかない。
葉山が「あー、話し続けていい?」と尋ねてくるが、俺達には「どうぞ」と促すことしかできなかった。
葉山は二、三度咳払いすると、当時を思い出すように視線を宙に向ける。
「十月の終わりくらいだったかな? 偶然優奈が篠原のこと好きだって知っちゃってね。
相談に乗っているうちに、一肌脱ぐことにしたの」
え? その頃から綾咲は俺のことを? 
慌てて綾咲に目を向けると、彼女はしっかりと頷き返してきた。マジか。全然気付かなかったぞ。
「それで優奈が私に告白したことにして、断りづらいから篠原に手伝ってくれるように頼んだのよ。
『優奈の興味が篠原に移るように協力して』って」
そこから先は俺も知っている。ホイホイと弁当に釣られた俺は葉山の提案するままに綾咲との一緒に時間を増やし、
「そして二人は付き合うことになりましたっと。こんな感じかな」
話を締めくくり、葉山は俺達を順に眺めた。綾咲は「そういうことだったんですね」と感心しているが、俺はそこまで素直じゃない。
「弄ばれたっ! 俺の1/3の純情な感情が弄ばれたっ!」
大仰に嘆いていると、綾咲が不思議そうな顔をして聞いてくる。
「三分の一しか純情じゃないんですか?」
「残りはチキンハートと下心で構成されています」
「えーっと……」
困ったような笑みを綾咲が浮かべるが、俺は気にせず葉山へと視線を向けた。
まだ腑に落ちない点がいくつかあるので、それを確認しなければならない。
「まぁ大体の所はわかったが、何でそんなややこしいことを」
そこまで遠回しにしなくても、綾咲に気持ちを告げさせるだけで良かったんじゃないか。
俺の問いに、葉山はあっさりと答える。
「だってあんた、逃げるでしょ?」
けれどその瞳は俺の深い場所までも見透かしているようで、何も反論できない。
「実は私が話を聞いたときには、優奈はもうあんたに告白する気だったの。
でも作戦があるからってしばらく待ってもらった。今告白しても篠原は冗談って事にするだろうなって思ったから」
缶コーヒーを最後まで飲み干し、彼女は続けた。
「別にそれが悪いって言うわけじゃないけど、優奈の気持ちには本気で答えてあげて欲しかったの。
受け入れても断っても、それが本気じゃないと優奈が可哀想だから。だからこんな回りくどいことをして、優奈とあんたを近づけた。
優奈がどんな娘かわかって、その上で真剣に気持ちをぶつけてきたら、あんたも冗談じゃ逃げられないでしょ?」
「全部お前の掌の上か……」
苦し紛れの呻きは、あっさりと一蹴される。
「違うってば。人の気持ちなんて他人がどうこうできるものでもないでしょ。
私は舞台のお膳立てしただけ。一番いい賽の目が出た、ただそれだけよ。
まぁ予定が狂ったと言えば狂ったんだけど。告白はバレンタインに優奈からさせるつもりだったし。まさか篠原の方が我慢が利かなくなるなんてねー」
「うるせいやい」
からかいを含んだ葉山の口調に、拗ねたように横を向く。
「大体何で今回に限って首突っ込んできたんだ。いつもは自分から進んで他人の恋愛協力なんてやらないのに」
よく頼み事をされるからか、葉山はその辺りの機微は心得ている。
頼られない限りは口出しせず、本当に困ったときだけアドバイスを送る。深入りはせず、理由もなく突き放したりもしない。
この匙加減が絶妙だからこそ、彼女には頻繁に相談を持ちかけられるのだろう。
もっとも本人は好きこのんで聞き役をやってるわけでもないらしいが。
154Can't Stop Fallin' in Love(102):2009/12/24(木) 22:47:24 ID:CXn+Rzqc
「ま、そうなんだけどね。でも偶然とはいえ知っちゃったし、あんたは当然として優奈もこういうことには不器用みたいだったから」
そして葉山は茶目っ気たっぷりに微笑む。
「二人とも私の友達だし、ちょっとお節介してみた」
その表情を見たら、もう何も言い返すことが出来なかった。
こいつが本当に俺達のことを考えて行動して、その結果を祝福してくれているってわかるから。
後頭部をガシガシ掻き、ため息を吐く。気恥ずかしさと嬉しさと、してやられた悔しさが入り交じった不思議な感覚。
そんな状態では、皮肉の一つも返せやしない。少しひねくれるだけで精一杯だ。
「よくも騙してくれたなー」
「騙される方が悪いのよ」
俺の棒読み台詞に葉山は満足げに笑って、自転車から腰を上げた。
一度大きく全身で伸びをして、俺達へと向き直る。
「それじゃ、一足先に退散させてもらうわね。篠原、ちゃんと優奈を送ってあげなさいよ」
「でも今の時間だと、由理さんお一人では危なくありません?」
別れの挨拶を送ろうとする葉山を、綾咲が止める。
というかお嬢さんや、こんな時間に公園に来ていたあなたが言いますか。
だが綾咲の心配を杞憂だというように葉山はひらひら手を振って、
「大丈夫よ。この辺は治安もいいし、篠原の自転車借りていくから」
「相棒ぉぉっっ! 必ず、必ず助けに行くからなぁぁっっ!」
「コラそこ。勝手に悲劇の別れを演出して盛り上がるんじゃない」
半眼で葉山が指摘してくるが、心の友と引き離される悲しみに俺の涙は止まらない。だって初耳だし。
せめて本人に許可を取ってからにしましょうや、葉山さん。
「まったく……。あんた、私を悪の大魔王か何かだと思ってない?」
「いや、どっちかって言うと甘言を弄し他人を操るタチの悪いお節介サンタ」
「……今日だけは反論しないであげる」
不本意そうに呟き、自転車のスタンドを上げる。
ハンドルを握りサドルに跨ってから、葉山は俺へと含みのある視線を投げてきた。
「あ、そうそう。新学期からのお弁当も楽しみにしておきなさいよ」
「は? どっちにしろ契約はもう終わりだろ?」
不可解なことを告げてくる彼女を怪訝に見やる。
契約はどちらかが破棄するか、決着が付くまで。俺と綾咲の関係が変化した以上、奴に弁当を作る理由など無いはずなのだが。
俺の顔を面白そうに眺めつつ、葉山はいたずらが成功した子供のような口調で最後の種明かしをする。
「あれ、全部優奈が作ってたの」
「な、何?」
頭に理解が追いついていない俺に、葉山が懇切丁寧に説明してくれる。
「優奈が料理教えて欲しいって言うから、なら篠原への報酬は優奈のお弁当でいいかなーって閃いて。
練習にもなるし、一石二鳥でしょ? あ、ちゃんと篠原の好きなおかずと味付け、みっちり仕込んでおいたから」
「なっ、お前、そんな素振り一度も……」
驚きで単語が上手く文にならない俺に、葉山は得意そうに自分を指さした。
「私の中学時代の部活、忘れた?」
瞬時に脳裏に甦る漢字が三文字。その音をゆっくり葉山が紡ぎ出す。
「え・ん・げ・き・ぶ」
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
K・O。完膚無きまでにマットに沈んだ俺の上を、葉山の快活な別れの挨拶が通り過ぎていく。
「それじゃ二人とも、あんまり遅くならないようにね」
「あ、はい。由理さん、ごきげんよう」
車輪の回る音と共に葉山の気配が遠ざかっていくが、見送る気力もありゃしない。
敗北感を指の先までたっぷり塗りつけられた男は、哀れ、空を見上げるだけだった。
あぁ、今日は月が綺麗だなぁ。
「あー、ちくしょう」
完敗。胸を占めるのはそれだけだ。それも完敗中の完敗、完全敗北だ。
後味すらも悪くなく、何度一からやり直そうが同じ選択をするしかないというのがまた極めつけだ。
まったく、ホントとびきりタチが悪くて、友達思いのサンタクロースだよ。
155Can't Stop Fallin' in Love(103):2009/12/24(木) 22:49:29 ID:CXn+Rzqc
肺に染み込んだ冷たい空気を吐き出してのろのろとベンチから身を起こすと、こちらに顔を向けた綾咲が視界に映った。
その瞳は恋人同士になる前と同じようにまっすぐ俺に向けられていて、本当に彼女が以前から俺を好きでいてくれてたんだと得心する。
「綾咲は知ってたのか? 葉山の計画」
そう言えば綾咲は最初こそ慌てていたが、後は大人しく葉山のネタバレを聞いていた。
俺ほど驚きはなかったということは、勘のいい彼女のことだ、色々と気付いていたのかもしれない。
しかし綾咲は首を横に振り、
「いいえ。私も全然聞かされていませんでしたよ。だから私が由理さんに告白したことになってたって耳にしたときは、凄く驚きました」
その後の自分の言動を思い出したのか、綾咲の頬がちょっと赤くなる。
いや、あれはあれで可愛かったし嬉しかったんだけどね、うん。
「でも、お弁当のことは予想してました。
教えてもらったわけではないですけど、自分が食べるわけじゃないお弁当を毎日作ってくれって頼むんですから。
ちゃんと『日々飢餓と闘う味覚王』さんの感想も伝えてくれますし」
それは俺のことだな、きっと。昔、葉山の前でそんな称号を名乗ったことがあったような気がする。
「不安にはならなかったのか? 自分が作った物が、葉山が作ったと思って俺が食べてるって……」
もし葉山がその気なら、それを利用して俺と親密になることが可能だった。
もちろん俺も葉山も互いに恋愛感情はないし、綾咲もそのことはわかっている。
そもそも弁当で気を引くなら葉山自身が作った方が手っ取り早いし、効果的だ。残念ながらあいつの腕に綾咲はまだ追いつけていない。
だが、恋愛は理屈じゃなく感情だ。猜疑心を抱いてしまっても無理はない。
俺の問いに綾咲は目を伏せ、一呼吸置いてから答える。
「少しだけ考えたときもありました。でも由理さんを信じてましたから。
きっと由理さんなら、篠原くんを好きになっても正面からぶつかっていくだろうなって。
本当の自分を好きになってもらわないと意味がない、そう思うだろうなって」
その綾咲の笑みを見て、二人が想像以上に互いを理解しているとわかった。
だからこそ葉山は舞台を整えられ、綾咲はその時まで待つことが出来た。出会ってからまだ一年も経ってないのに、コンビネーション良すぎだろ。
ちょっと嫉妬心が芽生えたのは、内緒だ。
「あの、篠原くん。私も一つ、伺ってもいいですか?」
「どうした?」
心なしか控えめに切り出してくる綾咲に、俺は内心首を傾げながら先を促した。
また彼女の表情が曇っているような気がして、早く心配の芽を取り除いてやりたくなる。大丈夫だと根拠無く元気付けてやりたくなる。
「私、詳細までは知りませんでしたけど、由理さんが色々してくれているのには気付いていたんです。
急に篠原くんと帰る機会が多くなったり、どこかへ出掛けるのにも篠原くんを誘ってくれたりしましたから。
でも篠原くんと一緒にいられるのが嬉しくて、ずっと黙っていたんです」
けれど俺の思いとは裏腹に、その口調には隠しきれない重さが滲んでいた。
それを構成しているのは幾ばくかの不安と、嫌われたくないという怯え。
「私って、ズルイでしょうか?」
俺は彼女に見せつけるように、大仰にため息を吐いた。
基本素直な癖に人をからかったり謎掛けしたり、かと思えば変なところで馬鹿正直だったり。
でもこれが綾咲優奈という少女で、俺が好きになった女の子だ。
帽子の上から頭をポンポンと軽く叩き、戸惑う彼女に言ってやる。
「だったら俺だってズルイ。初めは昼飯目的だったし、好きになってからは綾咲と一緒にいたかったから、葉山の計画に喜んで乗ってた」
俺の言葉に綾咲の顔が花が咲いたように綻ぶ。そして、
「じゃあズルイ者同士ですね、私達」
大事な思い出をしまい込むみたいに胸に手を当てて微笑む彼女に、思わず見とれた。
一瞬の後、急に気恥ずかしくなって明後日の方向を向くが、そんな照れ隠しを綾咲は許してくれない。
肘が触れ合うほどの距離まで身を寄せてくる。
「篠原くん、もう一つよろしいですか? 今度はお願い事なんですけど」
「あー、何だ言ってみろ。バッグでも財布でも宝石でも好きな物を望むがよい。ちなみに偽物でも手が出ないぞ」
「そんなのより、もっと大切なことです」
一途に見つめてくる彼女に負けて、目を合わせる。いつの間にか俺達の手は重なっていて、暖かな体温が互いを行き交う。
キュッとその指に力を込めて、綾咲が囁いた。
156Can't Stop Fallin' in Love(104):2009/12/24(木) 22:51:33 ID:CXn+Rzqc
「直弥くんって呼んでもいいですか?」
ただ呼び方を変えるだけ。けれどそれは俺達のステップには欠かせないもので。
「ずっとそう呼べたらいいなって思ってたんです。好きになったときから、ずっと」
どこにでもあって、ありふれていて、なのに二人の間にはたった一つか存在しない、そうするだけで幸せを伴なう通過儀礼。
「嫌なわけない、というか」
断る理屈など、あるはずがない。
「そう呼んで欲しい」
「はいっ、直弥くんっ」
耳に届いたその響きは新鮮でくすぐったくて、でも待ちわびていたかのようにするっと心に収まった。
自然に馴染むのに心が躍る、そんな不思議で優しい音。
綾咲もその感覚を共有しているのだろうか。何度も何度も、子供のように俺の名を呼ぶ。
「直弥くん」
「何だ?」
「直弥くんのことを呼んでみたくなったんですよ、直弥くん」
「うあ……」
いや、確かに嬉しいけど、これは流石に……。
「どうしたんですか直弥くん? なーおーやーくーん」
「そうだ! そろそろ遅くなってきたから帰るかっ!」
くすぐったさに耐えられなくなって、ベンチから勢いよく立ち上がった。
中断を受けた綾咲は不満げな顔をしていたが、これ以上はこっちの精神がもたん。
つーかあんまり呼ばれすぎて慣れるのももったいないし。…………待て俺の思考。かなりピンク色に毒されてね?
「もうちょっと続けたかったのに……」
「ふくれるな。これからは、いつでも、そう呼んでいいんだから」
照れを押さえつけながら無理に口に出したため、言葉は途切れ途切れになる。
そんな腰砕けのセリフでも綾咲ははにかみながら受け止めて、差し出された俺の手を取り立ち上がった。
「じゃあ、行くとするか」
名残惜しいが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
俺達の恋は今日でゴールなわけじゃない。明日も明後日も、越えて行かなくちゃいけないんだから。
そのためには健康第一安全運転。急がず慌てず踏み外さずやっていこう。
157Can't Stop Fallin' in Love(105):2009/12/24(木) 22:52:52 ID:CXn+Rzqc
「あ、少しだけ待ってください」
何か思いついたらしい綾咲が俺の手を引っ張ってくる。
誘われるままに歩いたのは数歩だけ。辿り着いたのはベンチの裏手側、いつか綾咲と一緒に夕日を見た場所だ。
そこには――光が、広がっていた。
街の灯り、家の灯り、ヒトの光。星を降らせて散りばめたような、そんな幻想的な光景が冬の世界に満ちていた。
空に佇む本物の星と月が輝きを舞い上げ、黄金色の粒子が空に浮かび、妖精のように夜の闇を彩っていく。
そしてその光に照らされる、彼女の姿。
言葉が出ない。何も言うことが出来ない。瞬きもせずに見つめて、ただそれだけを心に浸していた。
柔らかな笑みと共に、鈴の音のような心地よい声が俺へと送られる。
「この場所を教えてもらったときから、ずっと思ってたんです。今度は夜に来て、また直弥くんと一緒にここからの景色を見たいなって」
踊るような足取りで、綾咲が俺の前に立つ。その姿は夢のように綺麗で、幻想のように美しくて、だけど確かにここにいる。
「お願い叶っちゃいました。神様からのクリスマスプレゼント、ですね」
今までで一番幸せそうに微笑む彼女を引き寄せて、抱きしめる。
腕の中の感触と、触れあう体温と、髪の香り。そこにあるのは優しい現実。世界で一番大切な、俺の恋人。
「直弥くん……」
彼女が――優奈が俺の名を呼ぶ。少しだけ腕の力を緩めた。
手を繋がり、指と指が絡まる。
もう片方の手で背中を抱き寄せる。
俺の胸に彼女の手が添えられる。
彼女が踵を浮かせて、二人の距離が縮まる。
長い睫が揺れ、潤んだ瞳が俺を映す。
ゆっくりと瞼が閉じられ、震えも音も時間も、全てが止まる。
そして――



158Can't Stop Fallin' in Love(106):2009/12/24(木) 22:55:54 ID:CXn+Rzqc
唇が触れ合った。




心臓に直接届く、少し早い彼女の鼓動。唇の感触も、繋いだ指の強さも、分け合える温もりも、全てが愛しい。
雪が降っていた。空から穏やかに白い欠片が舞い落ちる。
抱きしめても、キスをしてもまだ伝わらない、伝えたりない、伝えたい想いがたくさん胸の中にしまってある。
これからひとつひとつ、彼女と分け合っていこう。
雪が降り積もるように、ゆっくりと。俺達のペースで。溶けて見失わないように、大事に、強く、離さないように。
優奈が俺の手を握る。
俺も握り返した。
今日はクリスマス。この後に贈る言葉は決まっている。
精一杯の心を込めて。ありったけの気持ちを乗せて。
俺の想いを彼女に告げよう。



(おわり)
1592-57:2009/12/24(木) 22:57:14 ID:CXn+Rzqc
憶えていられた方、待っていられた方、忘れていた方、お久しぶりです。
初めての人は初めまして。
と、いうわけで色々ありましたが、何とか一区切りつきました。
ハイパースローペースなこの作品にお付き合いいただいた方、
今は感謝の言葉しか言えません。
本当にありがとうございました。
それでは。




と、締めくくりたいところなのですが、
実はまだ書きたいことが残ってまして。
もう少しだけ続けようと思います。
Can't Stop Fallin' in Love『恋人編』、
期待せずにお待ち下さい。ひっそりと忘れたほうがいいかも。


それではみなさん、メリークリスマス。
みんなが良いクリスマスを送れますように。
160名無しさん@ピンキー:2009/12/24(木) 23:28:53 ID:NljbcPwn
畜生・・・・・・
今年のイヴは独り身だからゆっくり服が着てられる筈だったのに結局全裸になる運命かよ・・・・・・
なんにせよ大作完結乙!!
涙とニヤニヤが止められん
161名無しさん@ピンキー:2009/12/25(金) 01:00:34 ID:r48N7XXv
これであと2年くらいは全裸でいけるな
162名無しさん@ピンキー:2009/12/25(金) 02:17:35 ID:GbFAyXFB
うおおおおっっ、遂にキタ!
一時はもう無理かとさえ思ったのに、待った甲斐があったなあ
遂に告白……そして恋人に。シノラー頑張った、感動した!
しかし相変わらず掛け合いが面白いな
GJでした

恋人編……だと……?
よし、あと五年は待てる
163名無しさん@ピンキー:2009/12/25(金) 02:48:42 ID:aRMETD9D
GOD JOB!!!
弁当と告白の件は大方予想通りで安心した。

綾咲さんも良いけどユーリーが最高すぎる。
シノラーとユーリーのやり取りのセンスも相変わらずのレベルの高さですばらしかったです。
初期から計3年くらい待った甲斐がありました。ありがとう。
続編も期待してます
164名無しさん@ピンキー:2009/12/26(土) 02:59:59 ID:jIAPvFBd
誰か鈍感な俺に教えて欲しいんだけど、シノラーが初めて優奈ちゃんと帰ったときに踏んだ地雷ってなんだったの?
お嬢呼ばわりとは違うって本編ではあったよね。
弁当も、葉山さんの企みもほぼ気づいてたけどこれだけがわかんなかった。

作者さん大作お疲れ様でした。
完結を熱望してたものの、いざ終わってみると寂しい感じがします。好きなゲームをクリアしたあとの喪失感みたいな・・・
あと、続編ではクラスメイト3人の出番を増やしてくれるとうれしいです。
165名無しさん@ピンキー:2009/12/26(土) 04:15:22 ID:SdBC0KhI
神の存在を信じるか

A.信じる
B.わからない
C.純愛スレで見た
166名無しさん@ピンキー:2009/12/28(月) 04:02:11 ID:JLpgMOdN
>57 :名無しさん@ピンキー:05/02/06 20:16:40 ID:il7HyZps
>とりあえず投下

>58 :Can't Stop Fallin' in Love (1):05/02/06 20:17:53 ID:il7HyZps


ここまで5年弱か……待っただけのことはあるな
本当にお疲れさまでした

恋人編ですか? 10年でも待ってみせますよ

>>164
俺も鈍いからよくわからんけど、なにか引っ掛かるとしたら
分かれ道で何の迷いもなくあっさり別れて帰ろうとしたあたりとか?
家まで送る、もしくは「送ろうか?」と言うぐらいのことはしてほしかったのかもしれん
167名無しさん@ピンキー:2009/12/28(月) 17:13:52 ID:tSGG3zms
「お嬢様」はともかく「格が違う〜」がアウト?
自分とは別の世界の人間みたいに言われるのが嫌だったとか?
あとは「雇ってくれたら〜」のあたり?

しかしユーリィー、恐ろしい子…!w
168名無しさん@ピンキー:2010/01/01(金) 02:28:03 ID:yXIbnj4q
>166が正解じゃね?
一人歩きをさせない程度には自分を意識してほしい女心。
……をこれっぽっちも理解しない朴念仁にちょっと制裁を。
169名無しさん@ピンキー:2010/01/07(木) 01:23:37 ID:+vKbG5gR
なんというか文章にセンスがありすぎるw
ここまで笑えるSSはじめてだよ
お疲れ様でした
170沢井:2010/01/11(月) 23:50:08 ID:GVRnUBhG
ご無沙汰してます沢井です。コトノハ 第16話投下していきます。
171コトノハ ヒラヒラ:2010/01/11(月) 23:51:02 ID:GVRnUBhG
 初めて味わう感触。第一印象としてのそれは、『気持ち悪い』の一言に尽きた。当たり前だ、自分の身体が意識を置いてけぼりにして熱を発しているのだから。
「・・・あ、あぅ・・・えっと・・・」
 学校で習った性教育の知識を総動員して、現状を確認する。自分のこれは、女性としての本能から来る分泌作用である。うん、合ってる。こういった時の対処法としては・・・
「・・・っ!」
 その具体的な『方法』に思い当たってしまい、瞬時に顔が真っ赤に染まる。あっという間に焼き林檎が一つ出来上がり。しかし、それ以外の方法で『この』現象が収まるとも考えづらい。
「・・・うぅ・・・」
 正直に言えば、年頃の興味と言うものが少なからず有ったのも否めないが。あくまで応急処置の一環だと自分に言い聞かせ、咲耶は恐る恐る、自分の『そこ』に手を伸ばした。
172コトノハ ヒラヒラ:2010/01/11(月) 23:51:53 ID:GVRnUBhG
 下着の上から、足の付け根に触れてみると、微かな湿気が指先に触れた。
(ん・・・なんか、へんな感じ・・・)
 これまで見慣れてきた自分のそこが、まるで別の生き物のように思えてくるから不思議だ。
「ん・・・」
 おっかなびっくり、といった感じに、下着の上から指で触れる。
「ひぅっ・・・」
 途端、何とも言えない気持ちの悪さを感じて指を離す。
「・・・・・・うー」
 で、心臓をばっくんばっくんと高鳴らせながらも、もう一度指を這わせる。
「・・・っ、ん!」
 以下ループ。
(・・・む、無理!むり!ゼッタイ、絶対に無理だよぉ・・・)
 どうにも事が進まない。五分ほどそうしているうちに、咲耶は羞恥心に押し潰された。一気に緊張の糸が途切れ、ぜぇはぁと荒い息を吐きながらベッドの上で大の字に身体を伸ばした。
(・・・そもそもこれって、一人ですることじゃないような・・・)
 不意にそう思い、むー、と唸る。いろいろな意味で間違ってはいない意見だが、そういった場合があることを彼女は知らない。
 まあ確かに、男女が一人ずつ居なければ性行為は成り立たない訳で。偶に同性間での物もあるにはあるのだが、どうにも咲耶はそっちの方向の物は生理的に受け付けない。
173コトノハ ヒラヒラ:2010/01/11(月) 23:52:45 ID:GVRnUBhG
 話を戻すが、だったら咲耶にとって、対になる異性と言うのは・・・
「・・・あう・・・」
 瞬時に和宏の顔が脳裏に浮かび、もとから赤かった顔が更に赤くなる。きっと今なら顔から火が噴ける。実際に噴く気にはならないが。
(・・・お、お付き合いしてれば、そういう事もあるだろうし・・・れ、練習!練習!もしかしたらかずくんとそういう事するかもだし・・・だからこれは別にやましい事では・・・うぅ)
 熱暴走を続ける脳内でとんでもない理論が展開されるが、理論の内容に耐え切れず、先に脳が焼き切れる。しかし、和宏にだったらそういう事をされたいという欲求もあった。
(・・・かずくんに、されるんだったら・・・)
 その言葉で、思考の一部にもやが掛かる。のろのろと持ち上げた右手を、再び足の付け根へと持って行き・・・
「ふぁ・・・んんっ・・・!」
 今度は指は離れなかった。

 右手を下着に宛がったまま、咲耶は器用に左手で上着のボタンを外した。呼吸が苦しくて、身体が異常に熱かった。
「ぁ・・・っ・・・はぁっ・・・」
 目を閉じると、和宏の笑顔が見えて。けど、もしも自分の衣服を脱がせる時は、多分彼はもっと意地悪い笑みを浮かべるのだろう。
(かずく・・・っ・・・)
 するり、と。ブラウスの袖から、腕が驚くほどスムーズに抜けた。何かに取り憑かれたように自分の身体が動く。
『咲耶、好きだよ』
 瞼の裏の和宏が、そう言って咲耶の額に口付ける。気恥ずかしさに固まってしまった咲耶は、そうして彼の掌を受け入れる。
174コトノハ ヒラヒラ:2010/01/11(月) 23:53:41 ID:GVRnUBhG
 ブラの上から胸に触れてみる。小さい頃、医者に連れて行かれると、聴診器を当てられて、くすぐったくて笑い転げたくなった事があったが、あの時とは何もかもが違う。
「ん・・・!」
 そこから、力が抜ける。いや、掌の力が、そのまま背筋に伝わって身体を勝手にしならせる。自分の手で触れてこれでは、和宏に触れられた時、自分はどうなってしまうのだろうか。
「っ、あ・・・」
 同時に、無意識のまま右手が下着の下へ潜り込んでいた。既にそこは洪水が起きていて。それを認識した瞬間、余計に恥ずかしくなって。
「あっ・・・ひぅ、んっ・・・!」
 途端、変な方向に力が入り、そこに鋭い刺激が走った。
(・・・わたし・・・どう、なっちゃう、の・・・っ!?)
 気が付いた時には、底なし沼に肩までどっぷり。というのは些か言い過ぎだろうが、既にその快楽の沼から、一人では脱け出せなくなっていた。
「やぁっ・・・かず、く・・・っ」
 救いを求めるように、和宏の名前を呼ぶ。けれど瞼の裏の和宏は、そんな咲耶をいとおしげに眺めると、更に咲耶を攻め立てる。
「ふっ、あ・・・ぁあっ・・・」
 指が、意識に反して動きを早める。クレヴァスから蜜が溢れ、咲耶の理性を削ぎ落として行く。
(っ、あっ、や・・・もうっ・・・・、――――――――っ!)
 声にならない悲鳴を、引き結んだ唇から漏らして、幻影に抱かれる咲耶の意識が、綺麗に弾け飛んだ。







175コトノハ ヒラヒラ:2010/01/11(月) 23:54:27 ID:GVRnUBhG
「・・・・・・うぅ、ん・・・」
 不意に目を覚ますと、そこには見慣れない天井があった。ここはどこだろう、と辺りを見回すと、見覚えのある部屋と本棚が見えて、そこが和宏の部屋なのだと分かった。
(眠っちゃったのかな・・・いけない、今日の分の宿題終わってなかった・・・)
 まだぼんやりと霞のかかった視界が、徐々に晴れる。鉛のように重たい瞼をごしごしと掌で擦りながら、脱ぎ捨てていた上着を手に取り・・・
「・・・・・・?」
 はた、と。唐突に我に返り、自分の身体とその周囲を見回してみる。どうして自分は上着を脱ぎ捨てていたんだろう。それに何で右手からチーズっぽい臭いが漂って来るんだろう。
「・・・・・・」
 たっぷり十秒かけて収集した情報が数点。とりあえず、和宏のベッドの上である。そして現在時刻は正午のちょっと前。極めつけに、自分の着衣は激しく乱れている。
「・・・・・・」
 頭を抱えてみた。
「・・・・・・?」
 色々考えてみた。
「・・・・・・っ!?」
 諸々思い出した。
(わ、わたし・・・かずくんのベッドで・・・なんて事・・・!)
 思い出したくない自分の痴態をホップステップジャンプの順番で思い出し(もとより思い出したくないから忘れていたのだが)、頭から湯気でも出そうな位に顔を赤くする咲耶。
(・・・と、とりあえず服着なきゃっていうかシーツどうにかしなきゃっていうかおじさん達帰ってきちゃうっていうかお腹空いたってああもうそれは今どうでもいいのわたしの馬鹿ーっ!)
 一言たりとも言葉にならないゆえに彼女の焦燥を外見から感じ取る事は不可能に等しい。が、和宏に負けず劣らず忙しい事この上ない彼女の思考回路は、一瞬にしてショート寸前に陥った。
176コトノハ ヒラヒラ:2010/01/11(月) 23:55:21 ID:GVRnUBhG
 数秒間の逡巡の後、猛禽類に見つかった小動物のように行動を開始する。ひとまずシーツをがーっと腕に巻き取り、汗とその他の液体で汚れた衣服もろとも自分の部屋へ放り込む。
 廊下に誰も居ない事を確認してから風呂場へ飛び込み、シャワーの水で身体を洗う。冷たくて泣きたかったがそれどころではないので我慢した。
(えーっとえーっと、シーツは後から洗っちゃおう。もし見つかったら『寝汗かいちゃった』って誤魔化すのよわたし!)
 先程とは違う意味で、心臓がばっくんばっくんと早鐘を打つ。答案用紙を隠す野比家の長男の気分を味わった咲耶はその後、井戸端会議から帰ってきた華澄を何食わぬ顔で迎えることに成功する。
 ごめんなさいもう二度とこんな事しません、と。離れている和宏に固く誓って。


 余談だが。
 次の日、和宏の部屋に掃除機をかけようと足を踏み入れた華澄が、ベッドの下に落ちていた女物の下着を見つけ強烈且つ邪悪な表情を浮かべてほくそ笑んだ事を、咲耶は知らない。


177コトノハ ヒラヒラ:2010/01/11(月) 23:56:13 ID:GVRnUBhG
********************

「へっくしっ!」
 突如鼻を襲ったむず痒さに、俺は思いっきり息を吐き出した。
(くっそー・・・汗かいて風邪でも引いたら洒落にならねえぞー・・・)
 ちり紙で鼻をかみ、ついでにくしゃみのせいで潤んだ目元も拭いて顔を上げると、築三十年の大きな家が見えた。
「っはー・・・やっと着いた」
 言って、大きな荷物を肩から下ろす。家に着いたらまずひとっ風呂浴びるかなー、と考えながら、丸まった背筋を伸ばした、その時。

―――ばしゃっ。

 突如、よく冷えた液体状の一酸化二水素・・・まあ、よく冷えた水が、俺に思いっきり掛かっていた。しとしとぴっちゃん、と髪から鼻先に滴るそれに俺が呆然としていると。
「あっはははははっ!油断したな、和宏!」
 してやったり、といった顔で、恥じらいも何も無く馬鹿笑いする女が居た。その女の顔には見覚えがあって。こういう悪戯を平気でやる奴だとも知っていて。
「・・・なーなーせーーっ!!!てめえなぁあああーーーーっっっ!!!」
 五人居る従兄弟の一人・・・藤村七瀬(ふじむら ななせ)に向かって、俺は腹の底から怒号を放った。
178コトノハ ヒラヒラ:2010/01/11(月) 23:57:39 ID:GVRnUBhG
あとがき
沢井「という訳で今回のゲストは突如登場した新キャラ、藤村七瀬ちゃんです」
七瀬「いえーい!」
沢井「いきなりぶっちゃけますと、もともとのお話だと結構ド暗い流れになってしまう為、急遽テコ入れ的に追加したヒロインだったりします」
七瀬「某有名恋愛小説だって一巻でカップル成立させておいて二巻で新しいヒロイン追加したし、どうかご理解を・・・」
沢井「そんな背景がございますので、これからは話が少々軽いノリの方向に転がるかと思われます」
七瀬「っていうか今のところ、あたしのキャラや外見も殆ど未定だもんね」
沢井「というかそれ以前に、これ以降の話殆ど書き直しになるんだが・・・」
七瀬「・・・まあ、今回の話だって殆ど新規追加だし(書いた当初はエロを入れる予定すらありませんでした)」
沢井「これからまた、投下のペースが落ちるかと思われますが、こんな駄文で宜しければ最後までお付き合い下さい。では、さようならー(深々と頭下げる)」
七瀬「お読みいただきありがとうございましたー(頭下げる)」
179名無しさん@ピンキー:2010/01/12(火) 22:05:31 ID:cZcuFUMC
GJ!
咲耶さんのキャラがかわっとる……。だが可愛いので全く問題ない。
このまま良い方向に変わっていけばいいのだが……
180名無しさん@ピンキー:2010/01/17(日) 01:04:01 ID:0UclGwKw
あげ
181名無しさん@ピンキー:2010/01/25(月) 07:04:56 ID:KXN9Cewe
保守
182名無しさん@ピンキー:2010/01/31(日) 07:24:11 ID:45iY8ggt
純愛と言えばロミジュリ
183名無しさん@ピンキー:2010/02/02(火) 07:59:36 ID:4YAPwq8w
断然ドリスタンとイゾルデ
184名無しさん@ピンキー:2010/02/07(日) 18:26:06 ID:snMxmY/u
ジュリエットはロリいんだよな。純愛に命を賭けるロリ。良い!
185名無しさん@ピンキー:2010/02/07(日) 22:41:40 ID:L3hN/6Td
「え、転科……ですか?」
 柔らかい午後の日差しが凝った装飾の窓から入りこむ王立魔法学院の豪奢な廊下で、コニーは担当の教授の言葉に首を傾げた。コニーことコーニーリアスはこの魔法学院の1回生で、主に薬学に力を入れている見習いの若い魔法使いだ。
 ここでは珍しい漆のように黒い髪と瞳が特徴の少年である。 
 「ええそうよ、コニー君。あなた確か進路希望調査には調薬科って書いていたわよね」
 そしてやや背の低い彼をさらに見上げるように声をかけているのが、シドニー女史。1回生の担当で、コニーのクラスの担任でもある。
 1回生の後期セメスターを終えた現在、コニーたちはどの系統の魔法を習得していくのかという大事な選択を迫られている。
 クラスのみんなはウチは代々続く霊媒魔法の家系で云々、白魔法の担当の先生の実技採点がとても厳しくて云々などと各々の進路について何かと騒いでいた。
 特に有名な家系の出でもなければ別段魔力の扱いに長けているわけでもないコニーは最初から進むべき道を決めていたので、そくささと調査表を提出しては大図書館でのんびりと読書に耽っていた。
 そこに呼び出しを喰らったので何かと思って来てみれば、進路変更を考えてみろとのことだったのだ。
  「ええ、そうです。僕は空を飛ぶのと鍋をかき回しているくらいしかできないんです。ウチのクラスのキャロラインさんみたいにドンパチ派手な魔法を使うのはどうも苦手でして」
 「彼女には困ったものね、こないだ校庭にあるセントリスタ大樹の枝を折ってしまって教頭先生に大目玉くらってたわ。まあそれは別の話よ。……どう、コニー君。考え直してみる気はないかしら?」 
 シドニー先生は榛色の大きな瞳をこちらに向け、凛とした声でそう言った。
 開いた窓から入ってきた風がカチューシャでまとめた桃色のショートヘアがふわりと揺らした。コニーは先生の端整な顔だちで覗きこまれてわずかにどきりとしたが、それよりも早く頭に浮かんだ質問を口にした。
 「ええと、なんでですか? 僕は調薬学が得意科目ですし、いま言った通り魔力を扱う大概の事は苦手なんです」 
 「あなたが薬学に長けているから勧めたのよ。最近の子たちはああいう魔力を使わない地味な作業苦手な人が多いから。
 コニー君に入ってもらいたいところは、最低でも水薬・散薬・錠剤の基本検定準2級、特殊製薬技術認定3級が必要なの。
 でも条件満たしている優秀な子たちはたいてい有名な家の出でその家の魔法系統の進路を選んでしまうわ」 
 「そりゃそうですね」 
 そんな科があるのは初耳だった。調薬科ですら前者3級のみがラインなのだ。
 ということは、シドニー先生が自分に勧めているのは相当特殊な学科だろう。それも調薬技能の向上が目的なのではなく、どちらかというとそのレベルの薬を扱えることを前提とした実験や実技がメインなのだ。
 一体何だろう? 錬金でも召喚でもテイミングでもない。
 そんなことを考えているコニーを知ってか知らずか、シドニー先生は訥々と説明を続ける。
 「その科は年々受講者が減ってきていてね、現在は全学年あわせて10人もいないの。さすがに廃科も近いと思っていたけれど、今回の進路指導で来期受講する子が3人もいるってわかったの」
 「はぁ」
 3人って……と、さすがにそれしかいないのでは気にかかる。もしかして黒魔術関係だろうか。不穏な憶測が頭をよぎった。
 「でも女の子しかいなくて、さすがにバランスが悪いし科の方針に触るから男子にも声をかけているんだけど、今のところ成果ナシよ。
 どう、頼まれてもらえないかしら?」
 「えっと……それはどんな魔法を扱うところなんですか?」
 なので最初から疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。
 「あら、言ってなかったかしら?」
 すると先生はあくまで淡々と、こう告げた。
 「……性魔術科よ」

こんな電波が届いたんだが……
ここからどうやって純愛に持ってこう?
186名無しさん@ピンキー:2010/02/07(日) 22:57:52 ID:qLmyI9dI
あげ
187名無しさん@ピンキー:2010/02/07(日) 23:11:00 ID:snMxmY/u
>>185
なんてwktkする設定なんだw
とりあえずこのSSでの性魔術の設定についてkwsk
188名無しさん@ピンキー:2010/02/08(月) 00:25:19 ID:m1AIJt02
ヒロインが三人ってところがミソだな。
三人同時攻略と純愛を成立させられたら神。
189名無しさん@ピンキー:2010/02/08(月) 11:35:15 ID:BEBMYzHy
たまにはファンタジーもいいな
190名無しさん@ピンキー:2010/02/09(火) 06:36:12 ID:EVZB/MsR
ここ保管庫ないの?
191名無しさん@ピンキー:2010/02/09(火) 19:48:31 ID:+2mfTfU2
>>190
>>68のリンクから入って『オリジナル、シチュエーション系の部屋』の二号室に
192名無しさん@ピンキー:2010/02/13(土) 01:43:41 ID:OFgUdSE+
倉庫の2号室は俺の嗜好にモロヒットしてるスレの組み合わせだ
193名無しさん@ピンキー:2010/02/14(日) 22:22:38 ID:1+LX804f
俺、画力と神レベルの構成力がついたらCan't Stop Fallin' in Loveの漫画を描くんだ…
んで作者さんに一番に見てもらってお墨付きもらってから一人で綾崎に萌えるんだ…
194名無しさん@ピンキー:2010/02/15(月) 16:26:58 ID:VXE9vwDg
バンバンバンバンバレンタイン♪
バンバンバンバンバレンタイン♪
バンバンバンバンバレンタインバレンタインデー♪


ふぅ……
純愛、か……
195名無しさん@ピンキー:2010/02/16(火) 22:06:58 ID:VyO4LqHt
>>185
の続きが気になって仕方ない件。
時間さえあれば俺も設定借りて書きたいくらいだw
196名無しさん@ピンキー:2010/02/19(金) 15:20:53 ID:4lb3lsBt
>>195
禿同、なんだが…
設定とこのスレの趣旨が矛盾しそうで、純愛にするには敷居が高いような…w

告白なら「性魔術抜きに、好きだ」ってな感じにすれば行けそうだが、
その前後が純愛に出来るかどうか
197名無しさん@ピンキー:2010/02/20(土) 02:02:51 ID:g5/sEqob
ファンタジーとはいえ学園モノであることを考えれば手がないわけではない


例1
主人公の幼なじみだったが偶然同じ科にて再会 → 性魔術でギシギシアンアン → ラブ

例2
開放的な性格でえっちなことに興味津々 → 性魔術でキャッキャウフフ → ラブ

例3
イジメにより無理矢理性魔術科へ来させられたところを優しく慰める → 性魔術でチュッチュ → ラブ

例4
主人公のことが大嫌いなのに運悪く同じ性魔術科に → いつの間にか主人公なしじゃいられない身体になりツンデレ化 → デレ

例5
実は女教師とのラブストーリー
198名無しさん@ピンキー:2010/02/23(火) 04:23:40 ID:VcsgzTEG
性魔術って実際にギシアンするものなのだろうか。房中術みたいな?
199名無しさん@ピンキー:2010/02/23(火) 09:43:21 ID:FQtXwl8H
いろんなものがあるけど作者の設定が全てだろ?
電波言ってるから続きが書かれるのかは謎だが
200名無しさん@ピンキー:2010/02/23(火) 09:45:40 ID:MW+XxS6s
とりあえず電波受信者が性魔術の詳細書いてくれないことには始まれない

何かこの電波は名作の原石な気がする
201沢井:2010/02/25(木) 02:48:10 ID:aymXQcNv
何やら素敵な電波が届いたようですが、こんばんはご無沙汰してます。
空気を読まずにコトノハ 第17話投下していきます。
202コトノハ ヒラヒラ:2010/02/25(木) 02:49:22 ID:aymXQcNv
「あー・・・ったく、酷い目に遭った」
 洗面所から借りたタオルでがしがしと頭を拭きながら、俺は日差しの照り付ける縁側に座り込んだ。冷たい麦茶とスイカを持った伯父さんが遅れて現れ、俺の隣に座る。
「お前も学習しないなぁ。小さい頃から七瀬がうちに来る度にあの子の悪戯の餌食になってただろうに」
「まさかこの年になってまでやられるとは思わなかったんだって。つーか、学習しないっつったら、あいつこそ昔とやる事が全然変わってないじゃないかよ」
 ぶつぶつと言いながら、俺はスイカにかぶりつく。しゃりっと音を立てて、口いっぱいに水っぽい甘さが広がった。
「何よー。和宏だって悪いんだよ?あんな面白いリアクションされたら、誰だっていじめたくなるよ」
「お前だけだ、そんな悪趣味の持ち主は」
 伯父さんの反対側に座って麦茶を啜りながら悪びれもせずに言う従妹に、俺は素っ気無く言い返す。
 七瀬は、俺から見て遠い親戚に当たる。同世代ではあるものの親等も離れているので従妹という言い方も正しく無いのだろうが、俺にとってはどうでも良いので従妹の一人と思っている。
 小さい頃から活発だった七瀬は、年の近かった俺によくちょっかいを掛けて来た。どうにも、毎度毎度悪戯の度が過ぎて、俺にはいじめられている様にしか思えなかったが。
「好かれてるとでも思っときなさいよ。人間ちょっかい出されるうちが華なんだから」
「・・・落とし穴に落とされたり、寝てる間に髪にリボン巻かれたり、コーヒー牛乳だといって牛乳に醤油混ぜたものを飲まされたり、宿題のノートに消しゴムかけられたりするのが?」
「・・・まあ、小学生の頃って、大概誰だってそんなもんでしょ」
203コトノハ ヒラヒラ:2010/02/25(木) 02:50:10 ID:aymXQcNv
 夏休みの課題を白紙にしやがったのは中二の時だろうが。言いさした俺に、七瀬はいきなり肩をびたっとくっ付けて、柄にも無く俺にしなだれかかって来た。
「かーずーひーろー。もうそんな昔の事なんて忘れてさぁ、お姉さんとイイ事しない?年齢マイナス彼女居ない歴イコールゼロの坊やにはいい体験かもよ?」
「離れろ気持ち悪い」
 一言だけ言って俺は七瀬の頭を掴み、べりっと引き剥がした。言っておくが俺の方が誕生日は先である。
 どうにも、今こいつと話していると無性に腹が立ってくる。八つ当たりだと分かっているが、それでも胃の辺りの疼きは治まらず。結局俺は、客間に引っ込もうと思い立ち上がる。
「あ、台所行くんなら麦茶のおかわり頂戴」
・・・・・・めんつゆ飲ましたろーか、この女。

********************

「・・・ねえ、伯父さん」
「ん?」
  苛立たしげに縁側を立った和宏が台所へ消えるのを見送った七瀬は、傍らに座る和樹に声を掛ける。
「和宏の奴、どうしたの?」
「恋煩いだろうよ。若いというのは本当に羨ましい」
「ふーん・・・」
 言って、七瀬はコップに口を付け・・・
「・・・あ」
 中身が空になっていた事を思い出した。

********************
204コトノハ ヒラヒラ:2010/02/25(木) 02:51:17 ID:aymXQcNv
 麦茶の入っていたガラス瓶を縁側に置いてから(注いでやるのは腹立たしいので)、俺は荷物を持って客間に足を踏み入れる。部屋の隅っこに鞄を放り投げて、畳の上に横になった。
「・・・・・・はぁ」
 溜息を一つ。この家に来ても、正直言ってすることが無い。課題を片付ける気にもならない。ああ気だるい。しかし暑苦しくて寝ようにも寝られやしない。要約すると気分は最悪。
・・・原因は、分かっているのだが。
(守るとか言っておいて、次の日にはこれだものな)
 咲耶が居ない。それが、俺にとってこれほどに堪える物だとは思わなかった。今までは、俺が咲耶の面倒を見ているつもりだった。が、どうやら俺も俺で彼女に依存していたのだろう。
(会いたい・・・)
 自分が、こんな事を考えるようになるとは思っても居なかった。ずっと、咲耶が傍に居るのは俺にとって当たり前の事だったから。
・・・あの男との再会から、僅か一夜。二十四時間経っていない。それなのに、俺の周りではいろいろな事が起こった。
 咲耶に想いを伝えて。彼女はそれに応えてくれて。その直後に家から追い出されて。そして、七瀬と再会した。最後の項目は、個人的には無くても良かったが。
(くそっ・・・全部あいつのせいじゃないかよ)
 高橋光也。あの男のせいで、全てが無茶苦茶になったというのに。あの男は、何食わぬ顔をして戻ってきやがった。俺は、それが気に入らない。
(七年前に、咲耶がどんな気持ちで居たか知らないくせに・・・!)

 七年前。あの男が失踪してから、咲耶を引き取ると最初に言って来たのは、咲耶の母方の家だった。
 彼女の祖父母は多忙を極める身で、我が家にその話を持って訪れたのは彼女の叔父だという人だった。
『・・・ですから、咲耶ちゃんは私どもの方で・・・』
 その時に知った事が、幾つかある。咲耶の母の実家・・・久遠の家は、隣町の名家だった事。そして、そこの長女・・・咲耶の母と共にこの町まで駆け落ちてきたのが、あの男だったと言う事。
『・・・断る。こんな状態のこの子を見知らぬ土地に放り出せば、俺たち夫婦は沙希にも光也にも申し訳が立たん』
 その手助けをしたのが、二人と仲の良かった俺の両親だったと言う事。
『ですが、彼女は久遠の縁者です。彼女を引き取る義務が、私には御座いまして・・・』
『この子は!・・・この子は、高橋咲耶だ。久遠なんて苗字じゃない』
 俺と昨夜は隣の部屋で、そのやりとりを聞いていた。咲耶の傍に居ろと言われて俺達は隣の部屋に居たけど、聞きたくも無いその声は、薄い壁を越えてしっかり聞こえていた。
205コトノハ ヒラヒラ:2010/02/25(木) 02:52:05 ID:aymXQcNv
『・・・致し方ありませんな・・・山口和也さん、建築会社にお勤めですね?』
『・・・それがどうした』
『奇遇ですな、私も同業でして・・・そちらの会社にも、学生時代の友人が居ます。少々の口利きは可能ですが・・・それに、あの男と姉の事を略取誘拐と捉えれば、あなた方も・・・』
『貴様・・・』
 父の柳眉が逆立ったのが、声だけで分かった。
『申し訳ありません、このような方法は使いたくないのですが・・・私としても、どうしてもあの子を引き取りたいのです。私達夫婦には子供が生まれませんで・・・』
『養子にとって次の代にでも据える気か!?・・・久遠の家は昔から、金の話で揉めやすいと聞く。沙希は、それが嫌で光也に付いて行ったんだろうが!』
『・・・姉の事は、私も残念だったと思っております。ですが逆を言えば、姉が逃げなければ、あの子は久遠の娘として幸せな未来を保証されていました』
『あの子は人の心に敏感だ。あんたがあの子を『長女の忘れ形見』と言って担ぎ出せば、あの子には直ぐに分かるぞ』
『久遠の家に生まれた以上、我慢してもらわねばなりませんが・・・』

 そこまで聞いた俺の目に、ある光景が映った。
『・・・とう、さん・・・』
 俺の服の裾を握り締めて、咲耶が震えていた。その頬に、透明な雫が、一筋伝って。それを見た俺は。

『でてけぇっ!この野郎!』

 生まれて初めて、キレた。

『『えんじゃ』だの『くおんのむすめ』だのうるせーよ!あいつには咲耶って名前があるんだ、ばかやろぉっ!あいつの名前も覚えてないよーな奴が訳わかんねえ事言うなーっ!』
206コトノハ ヒラヒラ:2010/02/25(木) 02:53:12 ID:aymXQcNv
・・・うん、我ながら滅茶苦茶だな、この言い分。
 まあ、それはさて置き。木製の野球バットで俺にボコボコにされた男は、そのまま逃げるようにして出て行った。まあ、実際逃げたんだろうが。
 俺は親父に散々どやされたが、後から同じぐらい褒められた。言った事は立派だが、他人をバットで殴るのは駄目だぞ、と。
 それから、光也が残していった巨額の借金は、久遠の家で肩代わりしてくれた。後から聞いた話だが、その男は咲耶の祖父母に話を通さず・・・早い話が『抜け駆け』しようとしたそうだ。
 後に祖父母に当たる老夫婦がちゃんと訪ねてきて、親父と母さんといくつかの取り決めをしていた。咲耶と言う人間を、久遠の名から完全に切り離す為に。
 三人の叔父叔母の家のどこに養子に入ろうと、家に戻れば彼女に自由が無くなる事を知っていて、彼女の祖父母は先に手を打ってくれたのだった。
・・・ただしそれは、咲耶が、肉親と呼べる人を失うという意味でもあったのだが。


(あいつはずっと、泣いていて・・・「お父さん」って、ずっと泣いてたんだぞ・・・!あいつが泣いてる時に何もしなかったくせに、今更・・・!)
 俺が回想に耽っていると、廊下から声を掛けられた。
「和宏ー。メシだから降りて来いってさー」
 七瀬の声で、俺は現実に引き戻された。
「・・・わーった」
 俺はそうして、重い身体をのそりと起こした。暑さのせいだろうか。頭が、鈍く痛んだ。

********************

 和也は、山道を歩いていた。勤め先から数分の所にある、八百万参道の道である。口の端に銜えた煙草を揺らしながら、懐かしい道を登っていく。
(俺も老けたな・・・昔ならこんな道、後ろ向きにでも登れたんだが)
 しみじみと考える。学生時代から変わらない光景の中で、自分はというと髭を生やして校章の無いワイシャツに身を包み、鞄の中には教科書や雑誌ではなく書類が入っている。
 自分だけは、何もかもが変化していた。それがもの悲しく・・・
「よう、やっぱりここに居たか」
 見つけた人影に声を掛けても、その人影が笑顔を浮かべていなかった事が、更に拍車をかけた。
「・・・どうして、分かったんだ」
「この町でお前の来そうな場所と言ったら、ここしか無い」
 二十年来の友人である和也に声を掛けられて、高橋光也は驚愕に大きく眼を見開いた。
207コトノハ ヒラヒラ:2010/02/25(木) 02:54:36 ID:aymXQcNv
あとがき

沢井「コトノハヒラヒラ一周年!」
和也「一ヶ月以上遅いわ」
沢井「すいません・・・えー次回くらいまで、オッサン二人の回想話になります。むさいのが嫌い!とか後付け設定うぜぇ。という方はその次までスルーすることをお勧めします」
和也「本来後付けでなくても、このタイミングで出したら後付けにしか見えないしな」
沢井「今回は、本文中で描写し切れなかった内容を解説します。咲耶の叔父の行動が、抜け駆けと呼ばれた辺りです」
和也「いや、あとがきじゃなくてちゃんと本編中で書けよそれは」
沢井「回想での設定にあまり字数かけると読んで下さる方が萎えるでしょうしかといってコンパクトに纏めて文中に組み込む事ができませんでした・・・ひとえに私の文章力不足が原因です、はい」
和也「ったく・・・えー、咲耶の叔父叔母が全部で三人居る、と文中にありますが、その三人全員が、『本来の次期当主だった沙希の娘を養子に取れば現当主の心象が良くなる』と考えています」
沢井「日本では女性が当主になる家は少ないと思われますが、あくまで血縁と年功序列に拘る家系であれば『長女が当主で、その夫は婿』というのは珍しくありません。私の曾祖母がそうだったらしいです」
和也「しかし心底どうでも良い話だよな。今時こんな武家みたいな話ありゃしねえだろうよ」
沢井「うん、まあそうですけど・・・読んでる途中で『あれ、これおかしくね?』と疑問に思う方が居ないとも限りませんので・・・」
和也「まあ、抜け駆けする必要がある辺り、久遠の家は年功序列には拘っていないんだろうがな」
沢井「今回は以上です。読んでくださり、ありがとうございました」
208名無しさん@ピンキー:2010/02/27(土) 05:00:48 ID:McDMpTJf
何と言うか、性的な意味で手を出そうとした訳でもないのに、想いが通じ合った二人を引き離そうとする父親には共感できんなあ。
友人の娘で大事な預かりものって意識なのは分かるが、もう少し息子を信じてやれよと思う。
209沢井:2010/03/04(木) 00:29:14 ID:KTGa602C
こんばんは。コトノハ 第18話投下します。
210コトノハ ヒラヒラ:2010/03/04(木) 00:29:50 ID:KTGa602C
 昼の、稲荷神社。賽銭箱へと伸びる階段に並んで腰掛け、男二人が何とはなしに空を見上げている。
「ここは相変わらずだなぁ」
 呑気な声色で、まるで世間話でもするかのように、和也が切り出した。
「お前と沙希、確か暫くはここの世話になってたんだよな」
 ここ、とは、二人の背後にある寂れた神社の事だった。今でこそ無人となってしまったが、彼らが若い頃は多少なりとも人の手が入っていたのだ。
「俺と華澄で切符やらなにやら手配して。ここの神主さんに頼み込んで、アパートが見つかるまで神社の手伝いしながら住まわせてもらって」
「・・・・・・」
 懐かしむように言う和也だが、対照的に光也は視線を下に向け、深く項垂れていた。その内、和也はいつもの癖で煙草に火を点け・・・
「・・・お、いかんいかん」
 何かに気付いたように、慌ててそれを消した。
「沙希は、煙草が嫌いだったか」
「・・・ああ、そうだな」
 ようやく、光也が口を開いた。まるで、自分も今思い出したという風に。
「もう二十年も前か・・・授業サボって屋上で煙草吹かしてたら、必ずと言って良いほど華澄に竹刀で後ろから殴られたな」
「殴られたのは俺だけだぞ、和也。俺は煙草は吸っていなかったのにお前だけ逃げおって」
「けどお前だって、持ち込んでた駄菓子は根こそぎ取り上げられただろうが」
 二人の脳裏に、在りし日の光景が映る。誰一人欠ける事無く青春を謳歌していた、輝かしき日々。
211コトノハ ヒラヒラ:2010/03/04(木) 00:30:26 ID:KTGa602C
『山口っ!今日という今日は許さないわよ!』
 走りやすいようにスカートを端折り、風紀委員の腕章を付けた華澄が、剣道場から拝借した竹刀を持って追い回してきて。
『うわっ!?出やがったな、えーっと・・・風紀委員A!』
 煙草の臭いを制服にしみこませた和也が、悪態をつきながら逃げ回って。
『だーっ、だから屋上はまずいって言ったろ!風紀委員が張ってるんだから!』
 早弁代わりに駄菓子屋で買った瓶詰めの酢漬けイカを後生大事に抱えた光也が、それに続いて。

『き、桐生さん落ち着いて・・・』
 そして、その阿呆な寸劇を、おろおろしながら見守る少女が居て。

『私の名前は桐生華澄だって何回言わせれば気が済むのよーっ!』
『おいっ、久遠!お前のダチ何とかしろ!本気で殺しに来てるぞ!』
『あああ、沙希ちゃんの事は覚えてるのにやっぱり私だけ!わざとね!?わざとなのね!?』
『えと・・・高橋くん、生きてます・・・?』
『せ、背骨に一撃は効いた・・・いててっ』

 授業を抜け出して屋上で好き勝手やっていると、必ず二人の風紀委員が現れて。尤も、一人の役目は主に、もう一人の暴走を止める事にあったようだが。
 そんな日々。それが、彼らの幸せの象徴だった。それが、ゆっくりと動き始めたのは、とある質問がきっかけだった。
『久遠さんってさ、俺たちのこと怖くないの?』
 セブンスターの箱を鞄から取り出しながら訊いたのは、光也だった。騒ぎが収まり、走り回った疲労で床に伸びている華澄と和也を尻目に、気になっていた事を訊いてみた。
 久遠沙希という少女は、光也と和也にとって異端とも言える存在だった。『頭は良いのに素行の悪い二人』として名の通っていた光也たちに付き纏うのは、大抵が悪い噂。
 対して久遠沙希といえば、校内に親衛隊なる物まで存在するような、絵に描いた様な美少女。普段の素行にも本人の性格にも目立った問題は無い。
 風紀委員だからと言っても、沙希のような大人しい少女がそんな自分達にわざわざ近付いてくるのは、本当に華澄の面倒を見るためだけなのか、と。
『ほら、俺たちってこんなだろ?華澄ちゃん以外に、俺たちに近付いてくるような奴なんて滅多に居ないし』
『煙草とかは怖いですけど・・・私、皆さんの事見るの、好きですから』
 意外な返事が返ってきて驚いたのを、光也は覚えている。
『・・・物好きだね』
『いえ、あの・・・私の事、沙希ちゃんとか久遠とか気軽に呼んでくれるの、皆さんだけで・・・その』
 恥ずかしそうに話す沙希の様子に、光也はしまった、と思った。
 沙希の実家が、町一番の名家である事は、同じ学校に通う誰もが知っていた。貧乏人である自分には分からないが、大きな家というものは総じて、厳格な空気に包まれたものが多い。
 目の前の穏やかな少女が、それを快く受け止めているようには、到底見えなかった。大きな権力の中で、正直者は大抵痛い目を見る。しかも、縁者であればリタイアする事さえも出来ない。
212コトノハ ヒラヒラ:2010/03/04(木) 00:30:48 ID:KTGa602C
『悪い、聞かなくて良い事聞いたかな』
『いえ、慣れてますから・・・あの、高橋くんも、私の事、さん付けじゃなくて良いですよ?』
『・・・わかった。じゃあ、沙希って呼ぶ』
『えっ・・・』
『なーんてな。冗談だって、久遠』
 すぱー、と紫煙を吐きながら、飄々と笑う光也。
『・・・あ、あの!』
『んっ?』
 しかし、真っ赤になった沙希がしどろもどろに放った言葉に、光也の顔から笑みが消えた。
『・・・・・・え、えと・・・さ・・・沙希、で・・・良いです』
 光也がきっぱりと煙草を吸わなくなったのは、その翌日からだった。


 それから、急速に二人は惹かれ合った。沙希にとって、自分に冗談を仕掛けてくるような男性は、光也が初めてだったのである。その過程を誰よりも近くで見ていた和也は、心の中で確信していた。
(光也は久遠のところに婿入りするんだろうな、きっと)
 そう思って、疑っていなかった・・・だから、その一年と半年の後。卒業を控えた、真冬のある日。

『何だよ、相談って。結婚式で挨拶しろとか言うのは無しだぞ』
『・・・和也、真面目な話だ』
『・・・あ?』
『・・・・・・俺は、沙希と一緒にこの町を出る』

 その言葉を聞いた時、銜えていた煙草を地面に落としていた事に、数十秒間気付かなかった。



213コトノハ ヒラヒラ:2010/03/04(木) 00:31:10 ID:KTGa602C
「・・・なあ、今でも俺は、お前が何であんな事をしたのか分からんぞ」
 そして、今。その相談を受けたときと同じように空を見上げて、二人並んで座り込んでいる。あの時と違うのは、和也が煙草を吸っていない事だけ。
「別にお前は、久遠の家から逃げる必要は無かった。お前が沙希を支えるだけでも良かった筈だ。それでもお前らは、茨の道を歩き始めた。・・・何があった?」
「・・・すまない」
 問いに返って来たのは、答えならざる声。答える気が無い事を示す言葉に、和也は大きく溜息を吐き、煙草を懐から一本取り出す。帰る、という意思表示だった。
「今、和宏は兄貴の家に泊まらせてる。咲耶に会うんなら今のうちだ」
「な・・・そ、それじゃああの子は今一人で、お前の家に・・・!?」
 和也が煙草を銜えながら、ぼそりと言う。すると光也は大きく目を見開き、和也に食って掛かる。
「うちの馬鹿息子が居ると、邪魔が入って誤解を解くどころじゃないだろう?」
「そんな!じゃあ、誰が・・・誰が、咲耶を守って・・・!」
 光也は、つい一日前に見かけた光景を見て、咲耶の前から姿を消そうと思っていた。自分が居なくなった理由を話しても、咲耶は自分のもとには戻って来ないと確信したからだった。
 自分が居なくても、親友の息子が、愛娘を守ってくれると。自分はもう既に、必要とされていない人間なのだと。

・・・その言い方が、親友の逆鱗に触れた。

「・・・お前なぁっ!大概にしろよ!?」
214コトノハ ヒラヒラ:2010/03/04(木) 00:31:31 ID:KTGa602C
「・・・っ!」
 気が付いた時には、建築現場で鍛え上げられた和也の掌が、自分の襟元をきつく締め上げていた。
「そんなにあの子を潰したいか!?何時からお前が、俺の倅をこき使えるようになった!?お前だって分からないわけじゃないだろうが!あの子にとって、本当に必要だったのは誰なのか!」
「・・・それは・・・」
「和宏達は今、互いに依存しすぎている。お前達がそうだったように・・・これからあの子達の人生に何も起こらないとは限らないんだぞ。あの子達に、お前と同じ思いをさせる気か!?」
 最後は、怒鳴り声に近かった。咲耶は自分の父を、穏やかな人、と見ていたようだが、冗談ではない。記憶の中に居る、自分と同じぐらい血の気が多い男は、もう居ない。
 最愛の妻を亡くしてから、光也は変わってしまった。暫くは食事も碌にとらず、下手をすれば咲耶を育てる事さえ放棄しかねないほどに、当時の光也は憔悴していた。
「っ・・・」
 身に覚えがあったのだろう。光也が、ぐっと息を呑んだ。
「・・・俺だってな、馬に蹴られるような真似はしたくねえさ。だが、そうして繰り返してからじゃ遅いだろう?あの二人はまだ、一人で生きていけるだけの強さが無い」
「・・・繰り返さないで、くれるだろうか」
 光也が、自分に問うように呟いた。本来別々に育つべきだった子供達は、七年の時を親密に過ごしすぎた。そこに居るのが当たり前というように。出会ってからの自分達が、そうだったように。
 しかし、そんな光也と対照的に、和也は自信満々に言い切る。
「ったりめえだ。なんせ、俺の息子とお前の娘だからな。俺たちのことなんざ、軽々と超えて行くさ」
 その言葉には、子供達を育ててきた『二児の父』の貫禄が在った。

215コトノハ ヒラヒラ:2010/03/04(木) 00:31:53 ID:KTGa602C
********************


 昼食は、涼しげな器に山と盛られたそうめんだった。ずるずると音を立ててそれを啜っていると、七瀬が声を掛けてきた。
「和宏、この後なんか予定とかある?」
「・・・別にねえけど」
 咲耶が一緒じゃないと、どうにも何をやってもつまらないという気がした。しかし、そんな俺の胸中などお構い無しに七瀬が提案してくる。
「じゃあさ、ちょっと付き合ってよ。ここの裏の川ってさ、よく子供が泳いでるじゃない?溺れたりしない様に見張っててくれーって地元の人たちに言われててさ」
「そうだな。和宏、七瀬だけにやらせるのも何だし、お前も付いて行ってやれ」
 反論する前に伯父さんにもそう言われて、俺に頷く以外の選択肢は残されていなかった。
「わかったよ。行けばいいんだろ、行けば・・・」
 俺は投げやりに頷いて、器の中の麺を啜る。ちりんちりん、という風鈴の音が、やたらと耳障りだった。
216コトノハ ヒラヒラ:2010/03/04(木) 00:32:16 ID:KTGa602C
あとがき
沢井「華澄さんは実は『ツンデレ→デレ』の人だったんだよ!!」
華澄「な、なんだってー(棒読み)」
沢井「華澄さん、いつからデレに?」
華澄「えー?えーっとあの人との馴れ初めは・・・きゃ(思い出し赤面)」
沢井「まあ、冗談はさて置き。仕事の合間にさくっと書けました。コトノハ ヒラヒラ 第十八話です」
華澄「前回の投下から間隔空かなかったわね。試験直前の学生が、気が付いたら部屋の大掃除してる様なものかしら?」
沢井「げふんげふん・・・前回、和也の行動についての指摘がございましたのでそれをフォローする描写を入れました」
華澄「あら本当。うちの亭主が活躍してるわね」
沢井「本当はもうちょっと後に書こうと思ったくだりですが、オッサン二人の熱血な話は手短に済ませたかったので。これならお叱りも少なくなるかな!?」
華澄「チキンねー」
沢井「うっさいわい・・・続きましてアンケートです。実は私、コトノハが無事完結した暁には番外編を幾つか書いてみようかなーと思っています」
華澄「まだ終わっていないどころか大幅に書き直してるくせにね」
沢井「それを言われると弱い・・・」
華澄「選択肢としては、
  @:過去編『主人公は和也or和樹』
  A:番外編『主人公は古賀or別の新キャラ』
の二つね」
沢井「本編中では拾わない伏線を既に幾つか文中に仕込んでおりますのでそれを用いた物となります。もちろん、『横着しないで別の設定考えろ!』という声がございましたらそちらも検討します」
華澄「ネタのストックは大丈夫なの?」
沢井「この間本棚の整理してたら、当時のネタ帳が出てきたので。純愛に持っていけるかどうかは謎ですが、若かりし日の妄想ならば文字通り『痛い』ほどにストックがございます」
華澄「・・・本当に大掃除したのね。納期の日程マズいってのに」
沢井「(無視)では、今回はここまでです。ありがとうございましたー」
217名無しさん@ピンキー:2010/03/05(金) 04:32:36 ID:uVKHOFnj
あー成る程。父親は二人が依存し合ってると感じた訳か。納得。
218名無しさん@ピンキー:2010/03/08(月) 15:20:56 ID:F70ocveh
保守
219名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 05:16:02 ID:IbST7vno
曲がり角での衝動によるファーストキスから始まる純愛
220名無しさん@ピンキー:2010/03/26(金) 03:58:12 ID:Fe22kCpU
そらまた古風な
221名無しさん@ピンキー:2010/03/27(土) 07:58:04 ID:ZZ4ZBiD4
ん? 「衝動」? 「衝突」じゃなくて?
222名無しさん@ピンキー:2010/03/31(水) 07:16:22 ID:gRIkJcRW
だが待って欲しい。走っている人同士が唇で衝突したら、キスどころか唇を切ったり最悪歯が飛ぶんじゃないだろうか。
223かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 22:49:18 ID:G8E2QHfX
こんばんは。約四ヶ月ぶりです。はじめましての方ははじめまして
>>128からの続きを投下します
三話目です。今回はまだエロなしです
224かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 22:50:24 ID:G8E2QHfX
 
『ふれたくて』





 ぼくの家の裏手には小さな山がある。
 その山の頂上付近には神社があって、古いながらも催事にはよく使われることもあって、
町の人たちには馴染みの場所だ。
 最近は訪れていないけど、子供の頃にはよく友達と缶蹴りなんかをして遊んでいた。
 境内は意外と隠れる場所が多く、と言って広すぎることもないので、缶蹴りや鬼ごっこ
などの遊びには最適だったのだ。
 小学生の時にはジュースやお菓子を賭けたりもした。
 だんだん家でゲームをする方に傾いていったけど、それでもたまにやったりすると、
やたら夢中になって盛り上がった。
 今思い出しても本当に楽しかった、昔の思い出だ。
 学校からの帰り道にその話を聞かせると、彼女はどこかうらやましそうな目でぼくを見た。
「行ってみたいです」
 山の上にあるから大変だよと言うと、それでもいいと答える。
 今からだと遅くなる。週末に行こうと約束すると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。



 彼女と再会して三ヶ月が経った。
 友達から恋人になって、少し不思議だけど同じ学校の先輩後輩の関係にもなって、ぼく
たちはまた隣り合っている。
 彼女は変わった。劇的な変化をしたわけじゃないけど、以前と比べると明らかに変わった。
 前はいつも何かに怯えている風だった。でも今は、控え目ながらはっきりものを言うように
なったし、友達もできた。
 それは彼女の努力の結果だ。
 彼女のかつての苦しみや恐れを完璧に理解することは、ぼくにはできない。だから彼女が
どれだけの努力を重ねなければならなかったかも、正確にはわからない。
 それでも彼女が一生懸命頑張ったことはわかる。
 その理由がぼくというのは、嬉しくもこそばゆい気持ちなのだけど。
 ぼくはその気持ちに真摯に応えようと思う。
 理由は簡単。
 ぼくだって、彼女のことが大好きなのだから。
225かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 22:52:32 ID:G8E2QHfX
 久々に訪れた神社は少しだけ変化していた。
 鳥居が新しくなっていた。ところどころ剥げ落ちていた前のものとは比べようもなく綺麗で、
朱色が鮮やかに映る。
 境内に入ると正面に社が見えた。こちらは特に変わらず、昔の姿を見せてくれる。
「ここが、昔の遊び場ですか?」
 彼女が珍しげに首を巡らす。
「結構広いでしょ」
「確かに鬼ごっこにはもってこいかもしれません……」
 感嘆の息が彼女の口から漏れた。客観的に見たらそんなに面白い場所じゃないと思うん
だけどね。
 拝殿に向かって参道をまっすぐ歩いていく。足裏に受ける石畳の感触が懐かしい。
「鬼ごっこ、かくれんぼ、缶蹴り、氷オニ。ああ、陣取りゲームもしたかな? サッカーとか
野球みたいなボールを使う遊びはできなかったけどね」
「? なぜですか?」
「一度、奥の物置小屋の壁をボールぶつけて壊しちゃったから」
「……」
 裏手の方にあった小屋は薄い板で囲っただけの実に貧相な小屋だった。嵐が来たら吹き
飛ぶんじゃないかといつも思っていたけど、それより先に軟式ボールの餌食になった。元々
部分部分で腐っていたから、ぼくらのせいと言い切れない気もするけど。
「まあさすがに二人じゃ何も出来ないかな。お参りだけしていこうか」
 賽銭箱の前に立って適当に小銭を放り込む。鈴の緒を振ってガランガランと鳴る鈴の音を
聴いた後、二礼二拍手一礼。ぼくが先にやって、彼女が後に続いた。
「何か願いごとした?」
「はい。あなたは?」
「ぼくもしたよ。で、何を願ったの?」
「何だと思います?」
 心の中の願いごとなんて当たり前だけどわからない。ぼくは当てずっぽうに答えた。
「夏休みを楽しく過ごせますように、とか」
「ああ、それはいい願いごとですね」
 いやいや、楽しく過ごせますようになんて、適当な願いごとの代表格だ。
 神様は多分、そんな曖昧な願いごとをいちいち相手にはしないだろう。何をどう過ごせば
楽しくなるのか、それは人それぞれなわけで、楽しく過ごせるかどうかは本人次第だ。
 ああ、でも彼女の願いごとなら叶えてあげたいかな。
「違ったか。で、正解は?」
 彼女はにっこり微笑んだ。
「秘密です」
「もったいぶるなあ」
「いえ、こういうのは、人に教えると叶わないのではなかったですか?」
「そうだっけ」
 ちなみにぼくの願いごとは『彼女との仲が進展しますように』だ。
 一応ぼくたちは付き合っているんだけど、健全すぎるくらい健全な付き合いにとどまっている。
 それはそれでいいんだけど、ぼくだって男なわけで。
 もっと深く繋がり合いたいと思うのも仕方ないわけで。
 手を繋ぐのさえ彼女はためらう。恐れたり嫌がっているわけじゃなく、単に恥ずかしい
だけみたいだけど。
226かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 22:55:59 ID:G8E2QHfX
「来週、ここでお祭りやるんだ」
「え?」
 彼女が顔を上げた。
「お祭り。いや、縁日かな。出店もいっぱい並ぶ」
 彼女は小さく頭を傾けた。
「お祭りは、夏休みの終わり頃ではなかったですか?」
 ああ、それもある。
「それは駅裏でやるやつだね。商店街の方でやるから街中だ」
「二つもあるのですか?」
「隣町のも含めれば四つかな」
 彼女は感心したように溜め息をついた。
「お祭りなんて子供のとき以来です」
「来週はもう夏休みに入ってるから、ゆっくり楽しめるよ」
 すると彼女は急にふふ、と笑った。
「なに?」
「いいえ。何でもありません」
「そうは見えないけど」
「秘密です」
 またか。ちょっとずるい。
「来週、楽しみにしててくださいね」
「? 何を?」
 彼女は答えず、にこにこ笑っている。
 何のことかまるでわからず、ぼくは小さく肩をすくめた。



      ◇   ◇   ◇



 瞬く間に二週間が過ぎた。
 三日前に世間は夏休みに入った。宿題のことを考えると憂鬱な気分にもなるけど、やっぱり
休みは嬉しい。
 去年の夏休みも楽しかった。なんといっても彼女とたくさんの時間を共有したから。
 でもきっと今年の方が楽しいに違いない。
 去年は外に出て遊ぶ機会は一切なかった。でも今年は違う。彼女と出かけることが出来る。
 それはささやかだけど、とても喜ばしいことだ。

「そう思ってたんだけどなぁ……」

 冷房の効いた彼女の部屋で、ぼくは気だるげに両手を後ろにつき、天を仰いだ。
 外は灼熱地獄。太陽がこれでもかっていうくらい熱射線を放っていて、気温は40℃に迫る勢いだ。
サボテンですら悲鳴を上げる、そんな恐るべき日がすでに三日続いていた。
 一応彼女の家を訪れはするのだけれど、ここまでひどいとさすがに外に出て遊ぼうという気は
なくなる。彼女の家に来るまでの道も結構しんどかったりする。
227かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 22:58:25 ID:G8E2QHfX
「わざわざ来てもらって、申し訳ないです」
 彼女は恐縮したようにうつむいた。
「次は私がそちらの家に行きましょうか?」
 せっかくの提案だけど、やめたほうがいい。
「今ぼくの家には扇風機が一台しかない」
「え」
「クーラーが壊れててね。業者が取り付けに来るのは五日後。夜はそれでも何とか過ごせるけど、
日中そんな場所にいたら冗談抜きに命の危機だ」
 両親は仕事に行っている。冷房完備の職場の方がはるかに過ごしやすいだろう。
 対してぼくの避難先は、図書館か、ネットカフェか、
「ここが一番ぼくにとって気持ちよく過ごせる場所なんだ」
「我が家は避難場所ですか?」
 彼女の目が細まった。実に複雑な気持ちをたたえた表情だ。ぼくは見ない振りをした。
「あんまりだらけていると、何もできなくなってしまいますよ」
「そんなこと言っても」
「休むのはいつでもできます。今はそれより勉強に集中しましょう」
 学年三位の優等生らしく、彼女はそう言って机の上の課題集に向かった。
 ぼくも溜め息をつきながら数学の問題集に挑む。
 数学は苦手じゃない。むしろ得意な教科だ。しかし証明問題は好きじゃない。文を書いて
「ああなってこうなってこうなるから、これはこうなのだ」といちいち説明するという行為が
めんどくさいから。答えることはできるけど、好きかどうかは別だ。
 彼女の顔をちらりと見やる。
 静かな様子でさらさらと課題をこなしている。シャーペンの音が淀みなく響く。こんな姿さえ
彼女は美しい。
 彼女が成績優秀な理由はこういう点にあるのではないだろうか。頭がいいとか覚えがいいとか
そういうことではなく(もちろん頭もいいんだろうけど)、普段の振る舞いや物事への接し方が
洗練されているために優秀なんじゃないか。ぼくはそう思った。
 鋭いわけじゃない。要領がいいわけでもない。ただ彼女は彼女らしく、気負うでもなく真面目
だから、
「手が止まってますよ」
 ぴしゃりと言われてぼくははっと意識を戻した。慌てて課題を再開する。どこまでやったっけ。
ああ、何も顔も上げずにそんな冷たい言葉を吐かなくても、
「……頑張りましょうね。今だけはちゃんと。そうすれば」
 彼女の言葉に柔らかい響きが混じった。
 同時にどこかわくわくしているような、そんな気持ちの高ぶりも感じ取れる。
 その言葉に、ぼくは気を引き締め直した。
「頑張るよ。夜のためにも」
 例の神社で今夜お祭りがある。約束通り、ぼくたちは一緒にそこを回る予定なのだ。
 別に必ずしも今課題をこなさなければならないわけじゃないけど、まあそこはメリハリを
つけるところなのだろう。彼女の受け売りだから、ぼくは多少ぶれるけど。

 それからしばらく、ぼくらは課題に集中した。
228かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 23:00:25 ID:G8E2QHfX
 


      ◇   ◇   ◇



 昼食をとって、またしばらく勉強に集中して、その後愛莉さんのいれたアイスコーヒーを飲み
ながらリビングで談笑して、そのまま夕方を迎えた。
 彼女は「ちょっと待っててくださいね」と言って自室に引っ込んだ。ぼくはソファーに軽く
背を預けてぼんやり壁時計を眺めていた。
「少しよろしいですか?」
 愛莉さんに声をかけられて、ぼくは慌てて体を起こした。
 ソファーのすぐ傍らに立つ愛莉さんは相変わらず凛としていて、紺色のパンツスーツが妙に
似合っていた。
 愛莉さんは彼女専属のお手伝いさんだ。でもお手伝いさんというよりは姉兼お手伝い兼ボディ
ガードと言った方が正しいような気もする。
「なんですか?」
「お渡ししたいものがありますので、どうぞこちらへ」
 ぼくは何のことかわからず、首を傾げた。
「あの、何のことですか?」
「ご覧になればわかりますよ」
 そう言って愛莉さんは奥の和室に促す。
 ぼくはわからないながらも立ち上がって、それに従った。
 六畳間に入ると畳の匂いが暑さに混じって鼻に届いた。冷房の効いたリビングとの温度差が
体にまとわりつくようだ。
「こちらです」
 愛莉さんは振り返ると、用意していたものを差し出してきた。
 ぼくは軽く目を見開いて、それから二階の彼女のことを思った。



「お待たせしました!」
 部屋から出てきた彼女の姿は、呼吸を忘れてしまうほど綺麗だった。
 彼女は浴衣に着替えていた。薄水色の布地に朝顔の柄が映え、彼女の清楚さを際立たせながら
決して地味には思わせない。長い髪を後ろでまとめ上げている姿が妙に色っぽく、印象が華やいだ
風に映るのが不思議だった。
 ぼくはしばらく彼女の姿に見とれた。
229かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 23:02:57 ID:G8E2QHfX
 ところが彼女はぼくの姿を認めた瞬間、笑みを収めて目を丸くした。
「なんですかその恰好?」
 見ての通りですが。
「どうしてあなたも浴衣を着てるんですか!?」
 どうしてと言われても。
 ぼくも彼女と同じように浴衣姿だった。波柄の、比較的落ち着いたデザインだ。
 ぼくの後ろに控えていた愛莉さんが答えた。
「私が用意したんです。お嬢様だけ浴衣姿というのもなんだか具合の悪い話ではありませんか」
 そんなことはないと思うけど。
「だ、だったら教えてくれたって」
「大方驚かせるために何もお伝えしていなかったのでしょう? それはあまりフェアじゃないと
思ったんです」
「うー……」
「まあ私としてはお嬢様を驚かせることの方が本義でしたが」
「愛莉!」
 珍しく彼女が大きな声を上げた。
 こうして見ていると姉妹のようだ。愛莉さんに対してだけは彼女もあまり遠慮がない。
「ほら、お嬢様。殿方をお待たせするものではありませんよ」
 愛莉さんに言われて彼女ははっとこちらを振り向いた。
「あ、あの……驚かせようと思って内緒にしていたんですけど……」
「うん……十分驚いてるよ」
 浴衣を渡された時に彼女が着替えてくることは予測がついた。それでも目を奪われ、呆けて
しまったのだから、彼女の目論みは十分達成されたと言えるだろう。
 もっとも、自分が驚かされることは想定していなかったようだけど。
 居住まいを正して彼女は不安げに訊ねてきた。
「あの……どうですか?」
 何が、とは言わない。ここで言うべきことは一つだ。
「うん、とっても似合ってるよ。すごく……綺麗だ」
 彼女が目に見えて赤面した。
「あ……ありがとうございます。あの……あなたも、よく似合ってます」
「そうかな?」
 自らを振り返ってみても、いまいちよくわからない。体によく合っているから(なんでサイズが
ぴったりなんだろう)着やすいとは思うけど。
「似合ってますよ」
 首をひねるぼくの眼前に、彼女の顔が勢いよく迫ってきた。
「うわっ。いや、あの、」
「すごく、凛々しく見えますっ」
「────」
 彼女のストレートな主張に思わず絶句した。
 顔が急速に熱くなる。不意打ちにうまく対応できない。
 ぼくの様子を見て、彼女もまた呼応するように真っ赤になった。自分の発言に恥ずかしく
なったらしい。
 ぼくらはしばらく至近距離で見つめ合いながら、やがて茹で上がった顔を持て余すように
同時にうつむいた。
 わざとらしい咳払いが後ろから聞こえた。
「仲がよろしいのは大変結構ですが、そろそろ五時を回りますよ」
 愛莉さんが平静な声で告げる。
「御神酒徳利でいらっしゃることは十分に見せつけられましたが、外では人目を憚ることも
お忘れなきよう」
 丁寧な口調が逆にぼくらの恥ずかしさを煽り、彼女はますます縮こまった。
230かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 23:06:14 ID:G8E2QHfX
 


      ◇   ◇   ◇



 石段を上がって境内に辿り着くと、様々な屋台が整然と並んでいた。人の数はまだ少なめだ。
 ここに来る途中でもいくつか屋台が出ているのを見掛けた。何かを焼く芳ばしい匂いが鼻孔を
くすぐる。
「いっぱい並んでますねっ」
 彼女が嬉々とした声を発する。うきうきと楽しげな様子が、顔を見なくても伝わってくる。
「とりあえずお参りしようか」
「この間と同じですね」
 先日訪れた時と同様に、ぼくらは拝殿に向かって参道を進んだ。
 賽銭箱に小銭を放り込んで、またお願いごとをする。
 今日はもう少しだけ具体的な願いごとをしてみた。
 それは彼女と、
「あ、金魚すくい」
 彼女が下駄をからから鳴らしながら屋台に近付いた。簡易な水槽の中を金魚たちが元気に
泳いでいる。
「いっぱいいますね」
「やってみる?」
「……うまくできるでしょうか?」
「それは腕次第……って、ひょっとして」
「初めてです」
 金魚すくい初体験か。それで結果を求めるのは酷だろう。
「とりあえずやってみたら?」
「はい、がんばります!」
 金魚すくいにそんなに気合い入れる人を初めて見た。
 店のおじさんにお金を渡してポイを受け取る。彼女の隣で小学生くらいの女の子が小さな
金魚を一匹ゲットしていた。それを見て彼女も後に続こうと袖をまくった。
 ちゃぷ。
「あ」
 彼女の初挑戦は五秒で終わりを告げた。
 彼女は一瞬呆然となったけど、すぐに二度目に挑戦する。
 今度はかなり慎重にポイを操ろうとした。しかし手ブレをうまく抑えられず、再び失敗。
「難しいですね……」
 まあ基本的に失敗ありきの遊びだとは思う。
「でも楽しかったので良しです」
 彼女は満足したのか、すっくと立ち上がった。
「もういいの?」
「心残りではあるんですけど、他にもやってみたい遊びや巡ってみたいお店がたくさんあるので」
 彼女は店のおじさんにぺこりと頭を下げた。おじさんは照れ臭そうに手を上げて応えた。
 物珍しげに周りをきょろきょろ見回す。
 彼女はあまりこういうイベントに参加したことがないようで、期待と不安に満ちた目を周囲に
送っていた。
 ぼくは隣に立ちながらそれを危なっかしく思っていた。
 まだ明るいけど、すぐに夜になる。さっきより人も多くなってきている。そんなに広くない
神社とはいえはぐれたら危ないだろう。
 少し迷いながら、彼女の手を取った。
「あ……」
 彼女が小さな声を漏らした。顔をほんのり赤く染めて、ぼくを見つめる。
 ぼくは照れを押し隠して、にっこり笑顔を返した。
「次はどこを回る?」
「え? あ、はい、えっと……」
 祭りの喧騒の中で彼女の手の感触だけが直接肌に伝わってくる。
 その柔らかさに沈み込むように、ぼくは掌に意識を傾けた。
 まだ微かに緊張している彼女のそれを、解きほぐすように、指先に優しく力を入れた。
231かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 23:09:13 ID:G8E2QHfX
 


 それから彼女といろんな店を回った。
 射的、型抜き、籤引き、輪投げ、水風船釣り、様々な店で遊んだ。どれも他愛のない遊び
ばかりだけど、彼女と一緒に巡るだけで何よりも楽しく思えた。
 一緒に綿あめを食べながら他の人の様子を眺めるのも楽しかったし、昔懐かしの瓶入りラムネを
彼女が飲みにくそうにしていたのも面白かった。中のビー玉は窪みに引っ掛けるんだよ、と教えると
感心したのも束の間、すぐ教えてくれてもいいじゃないですか、と軽くへそを曲げられた。
 楽しかった。
 いつの間にか互いの手はしっかり指を絡めていて、恋人繋ぎになっていた。彼女は気付いて
いるだろうか。いや、気付いてないわけがない。少しでも離れそうになるとそれを拒むように
強く握り返される。彼女の想いが伝わってくるようで、それがたまらなく嬉しい。
 どれだけの時間が経っただろうか。
 あらかた屋台も巡り終えて、ぼくらは隅っこの方から祭りの様子を眺めていた。ライトや
提灯の光が夜闇を打ち消すように周囲を照らす中、ぼくらの立つ場所は喧騒の中心から離れて
いて、ちょうど闇との境目にいるような気がした。
 彼女が水風船を楽しげに動かしている。
 上下する風船はまるで生き物のように元気で、先程の金魚と僅かに重なった。夜の海を泳ぐ
風船金魚。
「そういえば」
 彼女が思い出したように尋ねてきた。
「金魚すくいだけしませんでしたね。どうしてですか?」
 ぼくが、という意味だろう。確かにそれだけやらなかった。
「飼えないから」
「え?」
「うちには水槽もないし、積極的に欲しい気もないから、やりたくなかった」
「……」
 死なせてしまうくらいなら、最初からやらない方がいい。
「お店の方にお返しすれば済むことでは?」
 彼女が不思議そうに言った。
 …………。
「……全然思いつかなかった」
 呆然と呟くと、彼女がくすくす笑った。
「笑わないでよ」
「ごめんなさい、でもおかしくって」
「なんで思いつかなかったんだろう……」
 ぼくは恥ずかしくなってうなだれる。
 気を取り直すように彼女が言った。
「そういえば、まだかき氷食べてませんね」
「ああ」
 たこ焼き、焼きそば、フランクフルト、綿あめ、りんご飴、ラムネ、いろいろ食べ歩きながら、
夏の定番を忘れていた。夜とはいえ、夏の熱気に喉も渇いている。
「じゃあ買いに行こっか」
「はい!」
 彼女の元気な返事につられるように思わず笑みがこぼれた。
 こんなに喜んでもらえている。本当に来てよかった。
 かき氷を買ったら帰ろう。そう思いながら参道に戻ろうとして、
「……」
 ふと思い出した。
「どうしたんですか?」
 彼女の問いかけにぼくは首を巡らす。
 間近にある彼女の顔を見ながら、ぼくは答えた。
「まだ行ってないところがあったよ」
232かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 23:13:05 ID:G8E2QHfX
 


 神社の裏手から獣道を抜けて、ぼくらは見晴らしのいい場所に出た。
 そこは山の頂上近くにある原っぱだった。小さいながらも町全体を見渡せる場所だ。
「わあ……!」
 彼女が感嘆の声を上げた。眼下に広がるは街の灯りたち。
「こんな場所があったんですね……」
「すっかり忘れてたよ。花火大会の時はいい穴場なんだけど」
 何人かカップルもいるようだけど、境内に比べると随分少ない。
 ちょうどいい大きさの岩が側にあったので、ぼくらはそれに腰掛けた。
「今日は楽しいことばかりです」
 ブルーハワイの氷を口に含みながら、彼女は笑った。
「ぼくも楽しかったよ。昼間頑張った分、余計にね」
 メロン味をストローの先ですくいながら返すと、彼女は肩をすくめた。
「明日もきちんとやりますからね」
「ま、真面目だなあ」
「学生の本分ですから。しっかり手本を見せてくださいね、『先輩』」
「こういうときだけ先輩呼ばわりするんだから……」
 ぼやきながらも、彼女の軽口を嬉しく思う。
 彼女が愛莉さんに遠慮しないように、ぼくに対しても遠慮しないでほしい。
 最近それが顕著に感じられて、ぼくはそのことが本当に嬉しいのだ。
 近付きたい。
 もっと触れ合いたい。心も。体も。
「綺麗ですね……」
 夜景を見ながら彼女は呟く。
 ぼくはすぐ隣の彼女の存在を苦しい程に意識した。
233かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 23:14:54 ID:G8E2QHfX
 右手を肩に回した。
「!」
 彼女の体がびくりと震えた。
 その反応に心臓が強く跳ねたけど、ぼくは動揺を抑え込んで、彼女の体を引き寄せた。
「あ……!」
 肩同士が触れ合う。
 左手で彼女の手を取る。かき氷のカップを地面に置かせた。
「あ、あの」
 ひどく狼狽した様子にぼくは怯みそうになる。でも、引きたくない。
「抱き締めたい」
 耳元で小さく囁いた。
 彼女はどう答えていいかわからず、おろおろしていた。
 ぼくはその間動かなかった。ただ静かに待った。
 やがて彼女はこくん、と頷いた。
 真っ赤に染まった耳にありがとうと囁き、ぼくは彼女を抱き締めた。
 細い体。小さな肩。柔らかい髪。
 愛しさが胸から溢れそうなくらい爆発して、ぼくはただひたすら彼女をかき抱く。
 そして思った。ぼくはもうすっかり重病だ。彼女無しにはいられない。
「心臓の、音が……聴こえます……」
 かすれた声で彼女が言った。
 心音が確かに聴こえる。
 互いのドキドキが伝わってくる。
「さっき……願いごとを、したよ」
「……何て?」
「君と触れ合いたい、って……」
「……」
「叶ったことに、なるのかな……」
「わかりません……」
「……」
「でも……幸せです」
 手が絡み合った。
 体を少しだけ離した。
 真横にあった頭が正面に来て、目と目が合う。
 視線が重なる。
 言葉はなく。
 想いだけが交錯し。



 夏の夜のひとときに、ぼくらは静かな口付けを交わした。
234かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 23:18:46 ID:G8E2QHfX
 


      ◇   ◇   ◇



 触れ合う時はほんの数秒。
 でもその数秒は、ぼくにとって永遠のように長かった。
 ゆっくり、唇を離す。
 世界で一番幸せだとさえ思い、ぼくは改めて愛しい恋人の顔を見つめた。



 ──飛び込んできたのは、彼女の泣き顔だった。



「──え?」
 予想外の光景に頭が真っ白になった。
 嬉し泣き、ではない。
 どうして?
 彼女が慌てたように飛び退る。
 彼女自身も自分の状態を理解できないでいるようだった。
 困惑気味に自分の瞼を擦り、それからぼくを見やった。
 ぼくはその時、どんな表情をしていたのだろう。

「ごめ……、なさい……っ」

 彼女は立ち上がると、そのまま来た道を駆け出した。
 彼女が、離れていく。
 ぼくは放心して、その後ろ姿をただ見つめ続けていた。
235かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/01(木) 23:23:03 ID:G8E2QHfX
以上で投下終了です
予定通り全五回で終えられそうです。あと二話
次はもう少し早く投下したいと思います
236名無しさん@ピンキー:2010/04/02(金) 03:20:14 ID:MOND1XVb
Gj!
続き楽しみにしてます!
237かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/04/02(金) 03:39:20 ID:XIjwvRcH
すみません。>>226に間違い発見。訂正させてください

×二週間
 ↓
○一週間
238名無しさん@ピンキー:2010/04/02(金) 06:43:06 ID:uYO46GRt
素晴らしい! とてもGJです。
にしても、なんてところで切りますか貴方は……気になって二度寝出来なくなってしまったじゃないですかw
続き楽しみにしてます。
239名無しさん@ピンキー:2010/04/04(日) 20:20:20 ID:hwQ66X25
きてれぅー!
展開が気になるな
240名無しさん@ピンキー:2010/04/15(木) 23:45:28 ID:fKXPhIdj
保守
241 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:00:10 ID:R+HvEKFW
お久しぶりすぎてすみません

前々スレ626-638の続き……と言っても2スレぶりなので、
ttp://red.ribbon.to/~eroparo/sslibrary/o/original999-7.html
前回分のアドレスを貼っておきます
実は前回分まで書き直したので、差し替えていただきました
よろしければ、こちらからどうぞ

というわけで、デート後編+α
途中、連投規制に引っ掛かったら分割にするかも知れません
242KNOCK DOWN!1/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:00:58 ID:R+HvEKFW
9.告白とさよなら

 ――何やってんだ、俺は。
俺の眼球は、いびつに切り取られた視界の中で、空の青が延々とスクロールしていく様を虚ろに
映し出していた。
こんな予定は無かった。
ちょっとからかって、それでまあ、何だかんだ言いつつも隣に座らせて終わりにするつもりだった。
時として現実は想像を超えるものだと、半ば身にしみて理解していたはずなのに。
 全く馬鹿みたいに見事なタイミングで転びなすった彼女を、その手前にいた俺が受け止めた。
そこは認めよう。
だが、そこに至るまでの間に、仰天、戦慄、安堵が一挙に襲来し、目くるめいたそのダメージで
起き上がれないまでの事態になるだなんて、誰が想像できようか。
情けないことに、俺の精神力は今やゼロに近かった。
 残されたのは、ただ流れ行く静謐な時間。
俺も彼女も、彼女が転んでから向こう、口を噤んだままだった。
確かに気まずい。何か言わなくては。しかし何を?
焦燥に駆られるだけで、時間だけが過ぎていく。
様々な打開策を考える内に、俺の心にある疑念が浮上した。
受け止めてからそれなりに時間は経っている訳で、これだけの時間、彼女から何らかの反応が
無いということは、気絶した可能性も考えられないだろうか。
俺がほぼ緩衝材の役割を果たしていたとは思うが、どこかをぶつけて気絶していないとは限らない。
胸の内を駆け巡った最悪な予想に不安を覚えつつ、俺はついに口を開いた。
「……相川」
「…は、はい」
彼女は身じろぎとともに、か細い声で俺の呼び掛けに答えた。
気絶したということは無さそうで安堵する。
俺はちょっと考えて、それから彼女を抱き上げ、シートの上に下ろした。
243KNOCK DOWN!2/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:01:41 ID:R+HvEKFW
「怪我は?」
「無い、です……」
ぼんやり答えたかと思うと、急にはっとしたように顔を上げ、
「すみませんでした……あの、藤沼くんこそ、お怪我はありませんでしたか?」
凄い音が、と付け足した彼女は、立ち上がる前とは一転、憤慨色をすっかり無くし、俺の様子を
心配そうな顔色で覗き込んでいる。
「んぁ、あー、石頭だから心配するな。問題無い」
尋ねられて一通り撫でさすってみたが、こぶになりそうな気配は無い。
衝突の弾みで落ちたキャップが足元に転がっているのが見えた。
俺としては現状を正直に答えたつもりだったのだが、今の言葉をやせ我慢だと受け取ったのか、
彼女の顔色は曇ったままだ。
「ほら、触ってみろって。――こぶになってるか? なってないだろ? こんな事くらいで、頑丈に
生まれついた俺の頭がどうにかなるかって」
彼女の手を取り、俺の後頭部に這わせてみた。
実際、これより強く打ち付けた教室での一幕においても、一時的な痛みだけで済んでいる。
しばらくして俺は手を離したのだが、彼女の手はそのまま後頭部に残り、心配そうにさすっていた。
「子供の頃、木から落ちたことがあるが、全く怪我をしなかったぞ」
――駄目か。
「あー、実は落ちたのは1度だけじゃなくて何度かあるんだが、いずれもかすり傷ひとつ負って
ない」
彼女は一瞬呆けたような表情で俺を見つめた後、身を屈めて小さく噴き出した。
軽やかな笑い声がゴンドラ内に満ちる。
「藤沼くんって、随分と腕白だったんですね」
「小学生男子なんてそんなもんだ」
「そうなんですか」
「そうだ」
「でも、ちょっと意外です」
俺はどういう風に見えてるんだか。
彼女は目尻に涙を溜めつつ尚もくすくすと笑い続け、ひとしきり笑った後、溜息とともに呟いた。
「……良かった。本当に……」
心底安堵する様は、俺が彼女に傷一つ負わせていない事による安堵に酷く似ているのだが、
それはそれとして。
244KNOCK DOWN!3/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:02:08 ID:R+HvEKFW
「ま、それに俺の負けだし、気にするな」
「え?」
「すごいよな。タイミングといい、フリといい、完璧だった」
視線を上げた彼女には答えず、代わりに俺は両手の指を組む。――彼女の腰の辺りで。
分かりやすく俺の意図を伝えるために、俺はニッとわざとらしく貼り付けた笑みを彼女に向けると、
優しく問い掛けた。
「隣より、膝の方が良かったんだよな」
「っ――!」
指摘されるや、彼女は声にならない悲鳴を上げて飛び上がろうとして、思惑通りに柵代わりの
腕に引っ掛かり、強制的に尻餅をつかされる。
「ちが――」
「おっと、動くな。後ろのキャップ踏むぞ」
床に足を下ろそうとした彼女を引き寄せ、その逃走を阻止する。
「違います!」
「何が?」
頬を紅潮させながら俺に掴み掛かった彼女は、完全に目が泳いでいた。
「わ、私は最初から隣に座るつもりでした!」
「へえ」
「それがっ……足を取られて…転んでしまって……今、私がここにいるのは、事故なんです!」
「いいんだぞ、俺の事を気遣ってそんな嘘を吐かなくても。見事なフェイントに引っ掛かった俺は、
甘んじて敗北を受け入れようと――」
「違います! 私は本当に――!」
言葉と同時に、ぐらりとゴンドラが揺れた。
「分かった分かった、落ち着け。これ以上暴れてゴンドラごと落ちたらどうする」
剣幕に押され、さすがにこれ以上は遊ぶ気にはなれなかった。
「ひ、膝の間に、座るつもり、なんか……」
「無かったんだよな?」
「はい……」
ようやく大人しくなった彼女の頭にポンと手を乗せて労った後、俺はだらりと後ろにもたれ掛かる。
気付けばとっくの昔に下降を始めており、てっぺんからの景色を眺める暇も無かった。
245KNOCK DOWN!4/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:02:34 ID:R+HvEKFW
「――藤沼くん……!」
「ん?」
外の景色から振り返ると、鋭い目つきで睨み付けるその顔は、静かに怒りを湛えていた。
「からかったんですね……っ」
「あー、悪かった。ほら、今度こそ隣空けるから」
隣へ促そうと脇を目で指すと、彼女は俯いてかぶりを振った。
さすがに向こうに戻るか。
彼女の邪魔にならないように、今度こそ塞いでいた両手を脇に除けた。
掴まれたままだった俺の腕から彼女の手が離れる感触がして、俺はその衣擦れの音の正体を
何とはなしに確認して、目を逸らす気でいたのだが――、
「っ!?」
異変に気付いて振り返った俺の視界にいい笑顔の彼女が飛び込んできたと思う暇もあらばこそ、
俺はまたしても後頭部を打ち付けた。
驚きのあまり一瞬止まった呼吸は、次の瞬間には空気で無い香りを吸い込む。
首に腕を巻きつけた彼女は、俺の耳元で声を弾ませた。
「私、離れませんから! ひとの事、二度もからかった罰ですっ」
いやいやいやいや、罰って、おい。
引き剥がそうと肩に手を掛けると、ぎゅっとしがみつく力を強められ、更に密着される。
「ちょっ…こら、はな……放せ!」
「嫌ですっ」
「…っ、放しなさい」
「駄目です」
「放してください」
「無理な相談です」
偉く強気で言い切られ、振り落とそうとすればするほどに縋り付かれる対応になす術も無く、
いたずらに体力が消耗していく。
「それとも、今ここで出来る別の罰がいいですか?」
「別の罰って――?」
その問いに、彼女は剥がされないようにか背に深く手を回し直し、俺に見せつけるように悪戯っぽく
唇をちょんちょん、と笑って突付いてみせたがために、俺は天を仰ぐ羽目になった。
246KNOCK DOWN!5/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:03:00 ID:R+HvEKFW
「……下から見えるようになるまでだからな」
観念して身を投げ出すと、してやったりと喜ぶ気配とともに、飛んでもない言葉が降ってきた。
「ええ。抱き締め返してくれたらそうします」
「――!」
固まった俺を打ちのめされたものと判断したのか、彼女の満足そうな笑声は、逆襲完了、と
告げていた。
 柔い体温を感じながら、俺は知らず知らずの内に溜息を吐き漏らしていた。
彼女は何か勘違いしている。
俺が彼女に何を提案されても嫌がる訳は、奴らが監視する中であれやこれやをすると命を
狙われるからであって、湧き出でる感情から生じる拒否である一方、我が身可愛さが理由の
大よそを占めている。
しかしながら、ここは学外であり、尚かつ空中。
従って、見られたとしても、相手は見知らぬ他人に当たる。
と言うことはつまり言い換えれば、監視の目が無い中で少々羽目を外すくらい、構いやしない
のだ。
この状況で彼女を掻き抱くことくらい、どうすれば罰になると言うのか。
俺を舐めているんだか、はたまた買い被ってるんだか。
ま、弄られて憤った辺りが正解だとは思うがな。
結論は出ているものの、俺は行動を起こすことを躊躇った。
何故なら、この逆襲返しの最大にして唯一の欠点が、傍から見ればバカが付くカップルの行動で
あるからだ。
さりとて、やられっ放しも性に合わない、この究極の二択。
これ以上誤解が生まれる行為も慎みたいというのに、まいったね。
「ひゃっ!?」
引き寄せた途端、彼女は間抜けな声を上げて身を竦めた。
「じゃ、そういう訳で、自分の発言は死んでも守れよ」
「えっ嘘、あの……っ」
うろたえた素振りで腕の中を蠢き、慌てて身を捩じらせようとも、放すまいとして押さえ込まれた
俺の上腕からの脱出が容易なはずも無く。
247KNOCK DOWN!6/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:03:29 ID:R+HvEKFW
「ふ、藤沼くん、放してくださいっ」
「まさか、どうして」
「だ、だって……」
口籠ってから彼女はしばらく独り相撲を繰り広げていたのだが、もがき暴れる背中につつ、と
手を滑らすと、悲鳴を上げて抵抗が止んだ。
「……藤沼くん」
泣きつくような弱々しい声音で、彼女が俺を呼ぶ。
「何だ」
俺の返事に逡巡するかのような沈黙を続けていた彼女だったが、やがて振り絞るような声色で
言葉を継いだ。
「わ、私、藤沼くんの事、好きなんです……っ」
知らないとは言わないが。
「だから……だから、こんな事されたら、私――」
言葉が途切れたのと同時に、背中側のTシャツが掴まれる。
彼女はそれきり黙り込んだ。泣いているような気配は無く、ただ俺に体重を預けているようだ。
手持ち無沙汰になった俺が何気無く外の景色に目を遣ると、つい先ほどまで眺めていた気がする
悲鳴発生装置が目の前に広がっており、その現状に驚いて下を見ようと窓側に身体を傾ける。
地面が近い。と言うか、係員の顔が見え――
その光景に目を奪われていた途端、腕が勢いよくはね除けられた。
ご丁寧にも帽子を踏み潰すことなく向かいに移った彼女は、へたり込んで荒く息を吐き、俺を変態、
とでも言わんばかりに睨み付けて縮こまっている。
あーあー髪がぐちゃぐちゃだぞ。あんなに暴れるから。
何はともあれ、ようやく手が空いた俺は、床に落ちた帽子を払い目深に被り直す。
地上は目の前だった。
248KNOCK DOWN!7/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:04:07 ID:R+HvEKFW
ガチャンと錠が外される音がして、開け放たれた扉から流れ込んだ外気がやけに涼しく頬を撫でる。
「はい、お足元、気をつけてお降りください!」
係員が溌剌(はつらつ)とした声で降りる先へと誘導する。
まず彼女が地面に降り立ち、続いて箱を抜け出した俺は、階段のところで彼女に追いついた。
取りあえず、その気も無いのに尋ねてみる。
「…もう1周するか?」
「しませんっ」

「相川」
「……」
「………相川」
 近づけばそっぽを向かれ、視線の先に回り込めば逆方向へと早足で逃げられてしまうので、
仕方なく適度に距離を置いて付いていく。
通り過ぎようとしている傍らで、日の光を浴びた池の水面がほのかに煌めきを放っているのだが、
彼女はそんな現象には目もくれず、ひたすら離れようとするかのように観覧車から遠ざかっている。
「藤沼くんはずるいです!」
靴音を鳴らすように、前のめりに歩いていた彼女が突然叫んだ。
「へー、どういうところが?」
「私ばっかりいいように翻弄されて、赤くなって、やり返してみてもひっくり返されたりして……っ
なのに、藤沼くんは何ともないところです!」
いや、俺もあなたに散々翻弄されまくってると思うのですが、それはこちらの思い違いなんでしょうか。
「聞いてますか!?」
返答の無いことに焦れたのか、くるりと勢いよく振り向いた彼女に、
「もうしない」
と返事をすると、あからさまにがっかりして見えるのは目の錯覚だろうか。
正直者め。
「な、何でしょう……?」
「いや、別に何でも。――さて、次は何に乗ろうか」
249KNOCK DOWN!8/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:04:40 ID:R+HvEKFW

 その後と言えば、途中で見かけたワゴンでアイスを奢り、罰と称してメリーゴーランドに向かわ
された頃にはすっかり機嫌は良くなっていたとは思うのだが、それでも時折何かを見つけて誘導
されそうになる(実際連れられていくと、大抵ろくでもない事態になった)ので、慌てて土産物屋に
押し込み、ぬいぐるみを買い与えてみたりして、ひたすら気を逸らすことに尽力した。
 店から外に出てみると、オレンジ色の夕焼けとは対照的な冷たい風が吹き付ける。
「寒くないか」
「平気です」
いつまでいると決めていた訳ではなかったが、俺達は揃ってあまり遅くまでいられるような装備を
して来てはいなかった。
俺は突如響いた、はしゃいだ歓声に釣られて振り返る。
まだ帰路に就くには早すぎるためか、入場門近くの土産物屋の周囲は人の姿がまばらで、辺りは
賑やかな雰囲気からぽつんと取り残されていた。
ふと彼女に目を遣れば、周りの物寂しい空気に感応したかのように、どこか憂いを帯びた視線を
彼方に送っている。
遠くを見たまま立ち尽くす彼女の髪が、沈みゆく夕日と時折吹く風に煽られ、銅(あかがね)色に
煌めいていた。
声を掛けるのがはばかれる雰囲気で佇む姿の、揺れ動く髪の先を俺は目で追い掛ける。
沈黙は不思議と嫌では無かった。
「藤沼くん、あの…私……」
彼女が寂寥感を湛えた瞳で振り返ったと気付くのに、風が頬を撫でさらうだけの間が生じた。
「…ああ、そうか。あんまり遅いと家の人が心配するよな」
「いいえ、あの、違うんです……」
言い淀んだ彼女は、何かを思い詰めたように表情を強張らせている。
250KNOCK DOWN!9/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:05:39 ID:R+HvEKFW
「何だ、どうした」
あまりにも言いにくそうにしているのを見て、俺は口調を和らげて相槌を打つ。
「お話しなければ、ならない事が……」
「話? だったら、冷えるからどこかに」
「――いいえ、ここで結構です」
彼女は俺の言葉を遮るように強い調子で言い放ち、かぶりを振る。
 口を開くまで、彼女は最後の最後まで踏ん切りがつかないようだった。
「すみません。今日が本当はどういうデートだか、私、最初から知っていました」
「えっ……?」
「真歩に脅されていたからですよね。――でなければ、今まで断られていたのに、藤沼くんが
急に私とデートしたいだなんて言い出すはずありませんよね……」
彼女は自嘲めいた笑みを零す。
――ちょっと待て。……知っていた? 初めから?
うろたえ戸惑う俺に構わず、彼女の告白は続いた。
「誘われてすぐ、それが真歩の差し金だと気付いたのに、私は結局、気付かない振りを選びました。
私の中でデートが出来る喜びの方が勝ってしまったんです。自分が最低の選択をしたと、真歩の
策略に乗っていると自覚しながらもです。
――それに、こうも思いました。私さえ黙っていれば、もしかしたら楽しい一日に出来るかも知れない、
そうしたら藤沼くんも脅迫されていることなんか忘れて、いい思い出だと思ってくれるかも知れない、
だなんて……そんな風に自分を正当化して、身勝手な理由で藤沼くんを騙す後ろめたさを頭から
追いやって来ましたけど……
やっぱり無理です…駄目です、こんなの……楽しければ楽しいほど、どんどん苦しくなって……」
まるで縋るようにバッグの柄を握り締めて、彼女は震える。
「わ、私は自分が許せないです。藤沼くんの傍にいる資格がありません。ですから、今日で――
これで付きまとうのも終わりにします。
本当に今頃、こんな謝罪をされるのも腹立たしいでしょうけど、今日まで楽しかったです。今まで
ご迷惑をお掛けしました」
251KNOCK DOWN!10/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:06:20 ID:R+HvEKFW
深々と下げた頭から流れ落ちた髪が、冷たい風に煽られて棚引く。
「――俺の方こそ、ごめん」
人はなかなか自分の欲望には打ち勝てないものだ。
俺でさえ、自分が助かりたいがために彼女を踏み台にしようとした。
騙していたのは俺も同じで、尚の事彼女に謝られる資格は無い。
彼女は耐え切れなくなるほどに苦しんだのだ。
果たして、俺も同等の罪悪感を覚えていたかと言えば、その感情を欠片でも持つことは無かった。
なぜなら、それは――
「謝らないでください! 悪いのは何もかも、……っ」
言葉は嗚咽で掻き消され、代わりに瞳からはらはらと涙が溢れ出した。
何もかも悪かったはずが無い。誘いを受けたことで自分の欲望に負けたのだとしても、その一部は
俺の事を考慮してくれた末の行動のはずだ。自分の行為が何を齎(もたら)すか考えてくれたお陰で
俺の首の皮一枚は繋がっていた訳だし、俺はそれについてとても感謝している。
しかし、そんなネガティブな謝礼を述べたところで下手な慰めにもなりはしないし、それどころか、
彼女はますます自分を責めるだろう。
ならば、俺は――。
「――相川」
この期に及んでもまだ躊躇するもうひとりの自分を黙殺する。
「確かに、最初はおまえの言う通り、一ノ瀬に強制されて誘った。人の気持ちを弄ぶような真似を
した事を謝る。すまなかった。
――だけど今日一日、嫌々付き合って、俺はつまらなそうに過ごしてたか? それとも、全部演技に
見えてたのかよ」
「それは……」
ジェットコースターの類に乗ったことが無かった彼女を空中ブランコに乗せたがために、通り過ぎる
前に5回は誘ったウォーター・フォールを拒否されてはを繰り返し、お化け屋敷は全会一致で可決に
必要な賛同が得られること無く否決され、ショーを間近で見てはしゃぐ姿を「お子ちゃま」だとからかう
のを、「夢が無い」と反論され、――それらが全て、
「俺は今日、楽しかったぞ。おまえは楽しくなかったのか?」
「わ、私も楽しかったです。……じゃ、じゃあ、これで最後にしなくていいって事ですか?」
「ああ」
「…今、ここで抱きついたとしても怒りませんか?」
「それは怒る――おわっ」
遅まきながら、土産物屋から出てくる客などから注目を浴びてる事に気付き、引き剥がそうかとも
思ったのだが……
今日のところは不問にしておこう。
252KNOCK DOWN!11/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:07:05 ID:R+HvEKFW


 薄闇色に空が染まる頃、俺達は彼女の住む地の最寄り駅へと到着した。
自宅まで送っていこうかと申し出たものの、徒歩で送っていくには遠すぎるらしく、それを往復させる
のは申し訳ないから、と断られた。
彼女が迎えの車を呼び、俺達は駅前のロータリーにてその車を待っている。
「藤沼くん」
「ん?」
泣きやんだとは言え、未だ目の周りは赤い。
「今度は正真正銘、本当のデートをしましょうね」
「……断る」
「どうしてですか? ……やっぱり、今日楽しかったって言ってくれたのも、私を宥めるための
その場しのぎの嘘だったんですね……!」
いや、それは――
再び潤みを帯び始めた瞳にうろたえ、弁解の言葉を探している俺の横で震え始めた彼女は、
くつくつと忍び笑いを漏らし始めた。
まんまと一杯食わされたらしい。
「それは、俺がまた一ノ瀬に脅されるのでも期待するんだな」
「そんな事言われると、けしかけたくなっちゃいます」
彼女は冗談っぽく、おどけた口調で拗ねる真似をした。
睨むと彼女は楽しそうに両手で笑みを隠してみせる。
――今のは、両者間で手打ちが済んでいるからこそ出来るやり取りなのだが。
 結局のところ、彼女は自らが招いた責任だと俺との関係を断ち、一ノ瀬に“処断”を下すつもりで
俺に全てを告白したのだが、それぞれの事情を考慮した結果、一ノ瀬の脅迫に気付いていたこと
自体を秘密にしよう、という事になった。
つまり、俺は約束を破ることなくデートを終えて一ノ瀬との取引を履行したことになり、契約違反を
起こすと発生する災厄を回避できるのだ。
彼女曰く、それが俺に対する罪滅ぼしだと。
253KNOCK DOWN!12/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:07:32 ID:R+HvEKFW
 大よそ過ぎてみれば、積み上がったのは秘密だけである。
彼女との間に、前述の一ノ瀬に対する秘密を。一ノ瀬との間には、彼女に対し俺が脅された材料の
秘密を(彼女は何を使って脅されたか、ということについて、聞かずにいてくれた)。
ああ、そうそう、世間に対し、彼女とのデートを隠すという秘密も拵(こさ)えたな。
彼女の語ったところの幼馴染み――表現は間違っては無いのだが……
「諦めませんからね」
やっぱり飛んでもないのに目を付けられたもんだ。
「はいはい」
今更諦めない宣言をされたところで、今までと何が変わるでも無し。
むしろ、今までの暴走が少しは収まるのではないか、という期待さえ膨らむ。
「あ、でも今日の事もあるので当面の間は自粛します。けれど、諦める代わりだと言っては何ですが、
これを受け取っていただけませんか。剥き出しのままで申し訳ないのですけど」
バッグの中から取り出した紙袋をがさがさと開き、彼女は中から小さい何かを差し出した。
周囲の明かりに反射してつやつやと光を放ち、スイングするそれをよく見ようと捕まえる。
「何だ……?」
「私からも藤沼くんにおみやげです」
「…ってこれ」
黒地に赤い目玉と口に長い耳。いつの間に買っていたのか、親指ほどの大きさの遊園地のマスコット
キャラクター型のキーホルダーだった。
「可愛かったので私の分だけこっそり買って、今日の密かな思い出にするつもりだったんです。
夢じゃなかった事の証明として、持ち歩ける物を、と。
けれど手に取ると、ペアの商品だと書かれたポップが目に飛び込んできて、それで何だか、ひとつ
だけ連れて帰るのが寂しくなって……」
言って、彼女は同じ袋から白いウサギのキーホルダーを取り出して俺に見せた。
「藤沼くんが許してくださるとは思ってもみなかったので、取って付けたような理由で差し出すのは
気が引けるのですけど、でも、もし……受け取ってくださるなら、すごく嬉しいです」
それは何だか今日の出来事を象徴しているような気がして、
「――分かった、貰っとく。ありがとな」
「はい!」
嬉しそうな、ほっとするかのような表情に変わるのを見て、俺も穏やかな気分になったりしていた
ものだった。
254KNOCK DOWN!13/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:09:33 ID:R+HvEKFW

――この時までは。

「あ、迎えが来たようです」
 ロータリーに入ってくる車を認めるなり、彼女は立ち上がって俺を振り返る。
彼女が自ら申し出たことでもあるので、俺が送るのはここまでだ。
……だから、そんなに見つめられても困るんだがな。
目を逸らした間にくすりと笑った気配がした。
「今日は…色々あったけど、すごく楽しかったです。ありがとうございました」
「ん。帰ったら目の周り、よく冷やせよ。こちらこそ、ごちそうさま」
「はい」
一瞬俺達に向かって車のライトが照射され、目を眩まされている間に黒塗りの車が横付けされて
いた。
車から降りた、いかにもお抱え運転手な格好をした相手を制し、俺はドアを開けてやる。
「じゃあ、……また、明日」
彼女は名残惜しそうな顔をしながら頷き、後部座席に乗り込む。
俺がまさに車のドアを閉めようとした時だった。
「――にいちゃん!?」
驚愕を含んだ素っ頓狂な声が背後から響いたのは。
「ウソ…何で……?」
「え、えっと……」
彼女がどうリアクションすればいいのか戸惑いながら、後ろの存在と俺とを見比べている。
「相川、別に明日待ってなくていいからな」
俺は身を屈めて言い捨て、強引にドアを閉めて送り出す形に仕上げると、運転手は空気を読んで
くれたのか、まもなく車は走り去った。
「あっ!? あ〜〜〜っ……!」
声の主はロータリーから去る車を追い掛けるように走り寄り、残念そうにその光景を見送る。
どこぞのお嬢様学校の制服姿が様にならない、髪をポニーテールに括ったそいつは、おろおろする
背後のお嬢様2人をほったらかして、俺を睨み付けた。
255KNOCK DOWN!14/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:10:22 ID:R+HvEKFW
見合ったのはほんの瞬刻にも満たない時間で、俺はその一瞥を返し終わるとすぐさま歩き出す。
「あっ ちょっと、にいちゃん!」
俺はその非難の声をまるで聞こえなかったかのように無視を決め込んだ。
「リエ、さーちゃん、ゴメン! また明日ね!」
そう声がするや否や、ぱたぱたと足音が近づいてくる。
「待ってよ、にいちゃん! にいちゃんってば!」
エスカレーターを上り終えた俺は、聞こえない振りをしつつ早足で改札口へと向かう。
「おっ …お兄ちゃん!」
ぞわりと一瞬にして総毛立ち、堪らず振り返った。
「お兄ちゃんて呼ぶな、気色悪い」
「だったら止まってよ。でないとまた呼ぶわよ」
吐き捨てるように返事をした俺に半ば脅迫まがいの事を言いながら、ご自慢のセーラーの襟を
翻らせては距離を詰めてくる。
「何でこんなところにいるんだ。部活じゃなかったのか」
「部活の後、友達のお見舞い。そしたら流れで夕食までごちそうになることになっちゃって」
「へー、そう」
それだけ言って定期入れを取り出し、改札を通り抜ける。
「あたしも聞きたい事があるんだけど」
追いついた妹――述べるまでもなく同じ父母の下に生まれた本物――が、横に並んだ。
何だって家族にはあまり見られたくない場面を見られた兄の気持ちを察することが出来ないのか、
この妹は。
「どうして相川先輩と一緒にいたワケ? どういう知り合い…って言うか、まさか! この間から
お弁当作ってくれてるカノジョと先輩が、同一人物だって事はナイでしょうね!?」
『先輩』って何だ。先輩呼ばわりしてるってことは、まさかよりにもよって彼女はこいつの中等部
出身って事なのか?
「ねえっ?」
食って掛かる妹は、心なしか青ざめながら俺を見上げるのだった。
256KNOCK DOWN!15/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:10:48 ID:R+HvEKFW


 月曜日がやって来た。
結局、現状維持を選んでしまった俺は、昨夜別れ際の言葉を忘れたのか、今日も駅で待ち伏せて
いた彼女とともに電車に乗り込んだ。
さぞかし疑問が残ったであろう、別れ際に起こった出来事の経緯を簡単に説明し(ついでに妹が
唐突に叫んだ非礼も詫び)、帰宅中後にベラベラと喋った妹によるところの中等部の先輩だった
という話の裏も取れた。
彼女は偶然の一致にとても喜び、是非妹と話をしてみたいと語ったのだが。
妹があの学校を受験したのはたまたま助けてもらった彼女に憧れて、だとか、髪を伸ばし始めた
のは、等のどうでもいい裏事情を昨夜散々聞かされた俺としては、到底受け入れられる話では無い。
何故、家でも学校でも狂信者の間に挟まれなければならないのか。
どんな事態が起こるのか目に見えるようだったので、曖昧に言葉を濁すに止(とど)めた。
 まあ、それ以外には普段と何ら変わらない、いつもと変わらぬ平穏な月曜日を迎えられた――
と思っていた。
「お・は・よ、秀司君。昨日はズイブンと楽しい現場に遭遇させていただいちゃったんだけど」
 俺が席に着くなり、語尾にハートマークでも付いていそうな浮かれた調子で手前の安堂の席に
腰を掛けたのは、俺の出席番号1つ前の東井沢だった。
とは言っても、長いし呼びづらくもあるので、誰からも下の名前の北斗で呼ばれている奴である。
「やーばいんじゃないの、あの場面はー」
どうにもこいつは、クラス内でからかわれる対象が一極集中から俺へと分散されたことが嬉しくて
仕方ないらしく、このところ話し掛けてくる時の仲間意識的同情の眼差しがウザいことこの上ない。
俺はそっち側じゃない、半分命がけでおまえとは次元が違うんだよ、という意味合いの視線を
返してはいるのだが、気付いた風も無く絶好調で今に至る。
ウザいんだよ、おまえは。早く相方と付き合っちまえよ、このクラス公認カップルめが。
と、いう言葉を呑み込んで、ちろりと北斗に視線を遣る。
「へー、どこで何を見たって?」
鞄の中身を出しつつ、俺は平常心を装って相槌を打った。
まだずばりそのものを言われた訳では無いので、動揺するには早すぎる。
257KNOCK DOWN!16/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:11:23 ID:R+HvEKFW
北斗は、「え、言っちゃっていいワケ?」という目線で、実際2度にもわたり、声に出してその台詞を
反復し、その後自身の興奮具合を抑えようというのか、大仰な動作でもって右手で口に蓋をした。
俺はその大げさなリアクションの隙に、机のフックに鞄と上から魔よけの巾着袋を掛ける。
北斗が耳元に顔を近づけた。
「7時前に、乗り換え駅の連絡通路で――」
おおっとNGワードだ。残念だったな北斗――と、俺が奴の口を塞いで連れ出そうとするより早く、
「園宮女子の、しかも中等部! 実はあのコが本命だったりするから相川さんの事断ったとか?
あ、それとも別れ話だったりしたのかな? 何かただならぬ雰囲気だったんですけどっ」
喋るスピードが急加速し、ついでに先ほどまで声のトーンを落とそうとしていた努力はどこへやら、
周囲が振り返るほどに喚き立てやがった。
目が爛々と光を放っている。
返答に脱力した俺は、身構えたのを気付かれないように座り直し、溜息を吐いた。
あるいは、安堵の吐息だったかも知れない。
確かにただならぬ雰囲気だったのは認めよう。主に相手が。
「いやぁ、でもかなり可愛かったな。園宮の生徒だと、中等部生の内に手ェ付けとくってのも――」
「北斗」
「あ?」
とんだ杞憂だった。
「おまえが制服マニアだという事は分かったから、取りあえず落ち着け」
園宮女子は、ここいらの学区からはだいぶ遠い。それを言い当てたのには少々驚いた。だが――。
俺は分かりやすく疲労色を乗せて溜息を吐く。
「ったく、妄想だけでそこまでベラベラ喋れるおまえを心底尊敬するよ。ついでに畏敬の念も
付け加えてやる」
「な、何だよ」
北斗が怯んだところで俺は真相を突き付けた。
「ありゃ妹だ」
「ええっ!?」
「おまえと兄弟の話になった時、2人とも下がいる事で一致したよな。おまえには弟。俺には妹って。
何故その可能性を考えない」
258KNOCK DOWN!17/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:12:13 ID:R+HvEKFW
「……似てないだろ!?」
「そう。似てない。というより、俺に似てる妹なんて飛んでもねえよ」
よほど驚いたのか鼻白んだ様子を見せていたが、
「確かに、お前がそのまま女装したみたいな妹なんて想像したら怖えけど、でもさ、ありゃ痴話
ゲンカっぽかったぜ。どうして、とか、ワケを、とか言ってたし、お前だってあのコ振り払ってたり
したし、ホントに妹か?」
「あれは偶然あいつの友達に俺を見られて挨拶したら嫌がられたんだよ。難しい年頃でな。生憎、
おまえのところと違って、うちは兄妹仲があまりよろしくない」
大嘘だけど。しかし、言葉の通り、会釈くらいはしておけば良かったと今頃になって思う。
こいつに兄弟話の時の会話が記憶にあれば、今の出任せもいい具合に説得力が出ることだろう。
北斗は言葉も無くたっぷりと絶句した後、
「何だよー。ぜってぇすげえスクープになるかと思って期待してたのにー!」
その20分くらい前の連れを目撃していたならば、今現在その口が開いている保障は出来なかった
がな。
「残念でした」
しれっと返し、落胆する北斗とこちらを窺っていたたむろする連中にもご愁傷様、といったような
視線をくれてやる。
しっしっ、と散会させるべく振っていたその手を明後日の方向から突然ぐんと引っぱられ、机に
無理やり肘を押し付けられた。痛い。
「だったらさ、その可愛い妹紹介しぐっ――」
懇願だか命令だかが続くはずの声はそこでくぐもり、風を感じた俺は頭上の影を振り仰ぐ。
降り注ぐ視線とともに振り下ろされている日誌の角は、煙の幻覚が見えるほど深々と北斗の頭に
突き刺さっていた。
「北斗。何、仕事サボってるの? 週番でしょ」
「痛ッ…てえな! 殴る事ねえだろ!」
「あんたが仕事もせずにだべってるから制裁の一つも加えたくなるってもんよ。昨夜あれだけ
言ったのに、まったく」
259KNOCK DOWN!18/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:13:24 ID:R+HvEKFW
まるで忍者の如く気配を殺しつつ現れたのは、北斗の幼馴染み兼、週番兼、我がクラスの学級
委員長であらせられる、西森 南乃香だった。
俺は北斗同様、席の関係で1年の頃より親しくさせてもらっている女子で、普段は明るく真面目で
面倒見が良い、クラスの良きまとめ役でもある。(現在は般若のようではあるが。)
月曜の朝から特等席で観覧する羽目になるとは、付いてない。
「西森の言う通りだ。下らん妄想談を語る前に仕事しとけ。――さて、積もる話もあるようだし、
邪魔者は退散するか」
下手をすると痴話喧嘩の応酬に巻き込まれるのは、最早お約束、と言っても過言ではない。
俺はいつの間にか縋るように掴まれていた右手を引き剥がし、立ち上がった。
「ちょっ……秀司待て!」
北斗の目が助けて、と懇願している。
が、努めて素早く追い縋ろうとする手を躱(かわ)し、
「じゃ、ごゆっくり」
ひらりと手を振って、危うく盾とされる前に脱出を果たした。そう何度も盾にされて堪るか。
「――朝早くに来といて何やってるの? 日誌取りに行くより、藤沼君と話す方が大事だったわけ?
昨日、用があって遅くなるから先に行っててって言ったじゃないの。聞いてなかったの?
それとも、そんなに言うほど可愛らしい藤沼君の妹さんのことが気になってしょうがなかったって――」
そんな説教を背に俺は教室を抜け出した。
ああ、やはりいつもの月曜日と違(たが)わなかった。
 当てもないまま教室を飛び出し、ホームルームまでの時間潰しに適当にぶらつこうとしていると、
主に1年が行き交う廊下に見知った顔を発見した。
知り合いらしき後輩に直角に礼を執られてはにこやかに挨拶を返し、通り過ぎては後ろ姿に秋波を
送られ、おまけに女子からも振り返られるわで、一身に注目を集めている。
改めて思い返すと、飛んでもない女に屈してしまった感がひしひしと込み上げてきた。
――いや、訂正しよう。悪魔だった。
俺としては時間のある放課後に済ませるつもりだったのだが、随分とせっかちなこった。
俺に気付いたような素振りを見せることもなく中央階段を上っていくのを見て、俺もそれに続いた。
260KNOCK DOWN!19/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:14:11 ID:R+HvEKFW

 昨日とは一転、雲が空一面を覆い尽くしている景色の下が、報告の場所となった。
「鈴音の機嫌から察するに、デートは上手くいったようですね」
「まあ、それなりに」
フェンスに手を掛け外を向いていた一ノ瀬が、身体を半回転させて俺を見据えた。
「デートした事を秘密にするって約束、なさらなかったんですか?」
「…したけど」
「あら、そうなんですか? あんな風に堂々と鞄に付けてきたから、隠す気は無いんだと思って
ました。あのキーホルダー、どう説明するつもりなのかしら、あの娘」
それに関しては同意見だ。
今朝、俺の視線に気付いた彼女は手の中に隠したはものの、合間合間に昨日の思い出を
懐かしむように白いウサギを眺めるので、何とは無しに言葉にすることは避けたのだが……
デートしたことを秘密にすると約束した手前、自ら口にするのも契約違反だしな。
しかし、一体どういうつもりなのか、問いただしたくはある。
ちなみに片割れの俺の分は、立派に完全犯罪を成立させるべく、自宅軟禁させてある。
「鈴音とデートしてみてどうでした? わたしの思惑通り、藤沼さんの中の鈴音の印象が、少しでも
変わっていてくれたらいいんですけど」
一ノ瀬の思惑? わざわざ口に出す時点で胡散臭くてつっこむ気にもなれない。
「何にせよ、これで取引は完了だろ。もう俺は用済みになったはずだ」
この報告までが、渡されたレポート用紙に指示されていた内容だった。
何のために必要だったかさっぱり分からないが。律儀なのか、面白半分なのか。
俺は踵を返して扉に向かう。
「あっ 待ってください、藤沼さん!」
珍しく取り乱したような鋭い一ノ瀬の声に、俺は反射的にノブに掛けた手を止めて振り返る。
261KNOCK DOWN!20/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:15:07 ID:R+HvEKFW
「でもわたし、ファンクラブの認可、取り消しちゃいましたから」
一ノ瀬は、これでもか、と言わんばかりに瞳から歪んだ光彩を放った。
んん?
意味が分からない。俺の顔色を読んだかのように、一ノ瀬は語り出す。
「取引が成立した後、わたし、席を外して電話を掛けたでしょう? あれは作戦の総指揮者に、
学校の周囲を取り巻いている人達の解散を促すものだったんです。
けど、『急にそんな事を言われても納得できない』ってぐずぐずと理由を聞き出そうとして退く様子が
見られなかったので、結局、権限を使って解散させちゃったんですけどね。
あなたとの取引に必要でしたし。
――そんな感じで話は付いたとばかり思ってたんですけど、今度は指揮者達幹部が揃って事情の
説明を求めにやって来て、大変だったんですよ、揉めに揉めちゃって。
ですけど、校内秩序の観点からも暴力行為は容認できないですし、これ以上事を荒立てる気なら、
わたしは活動を認めませんって事で――」
一ノ瀬の言わんとする結論を先読みしようとするが、思考が拒否するのか、考えが上手く――
「――結局、ケンカ別れに。わたしの承認が無ければ立ち行かないことも多かったので、事実上の
解散でしょうね。
ですから、これから先納得の行かなかった不平分子な方から至るところでケンカを売られることに
なるかも知れませんが、頑張って相手してくださいね。応援してます」
応援、される――鎖から放たれる――魑魅魍魎が虎視眈々と――ちょっと待て、ちょっと待て、
ちょっと待て!
「そして残念ながら、わたしはたくさんの手駒を失うことになってしまったので、あなたには新しく、
わたしの駒になってもらいます」
「…………はい?」
262KNOCK DOWN!21/21 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:16:18 ID:R+HvEKFW
その言葉に弾かれるようにして顔を上げると、視線の先では素晴らしく素敵な笑顔が俺を迎えて
いた。
一ノ瀬はまるで罠に掛かった虫ケラを褒め称える時に見せるような――微笑みを湛えて、こちらの
様子を楽しげに見つめている。
「まさか、藤沼さん。わたしは取引条件を全て遂行したのに、それに対して文句があると仰る
つもりですか?」
一ノ瀬は、「わたしは」という部分を殊更強調し、風に流れる髪を撫で付けるように耳に掛けた。
まるで俺が正確に約束を果たさなかったと言わんばかりの言い種だが、もしや、彼女が全てを
知っていることがバレてるのか? いや、まさか、だって尾行は無かったはず――
「それにわたしが、本当に、鈴音とデートさせるためだけに取引を持ちかけたわけでは無いことは、
あなたもご存知のはずですよね?」
いや、確かにそれは……――まさか、最初からこれが狙いで――!
一ノ瀬は、わたしが何も知らないとでも?とでも言いたげな視線で、凍りつく俺をしげしげと眺め
返している。
嫌な汗が後から後から湧いてくる。
心の底から笑んでいる、恐らく一ノ瀬本来の極上、極悪の笑顔を浴びせられながら動けずにいると、
フェンスの傍らで立ち尽くしていた一ノ瀬は歩み寄り、俺の目の前で立ち止まった。
「これからわたしのためにがんがん働いてくださいね。期待してます、色々と」

――こうして、何ひとつ得することの無い貧乏くじを引いた俺は、悪魔の下僕へと身をやつすの
   だった。
   悪魔と契約することなかれ。


(第2章・おわり)
263 ◆lIRqqqQOnU :2010/04/24(土) 01:16:47 ID:R+HvEKFW
どうもありがとうございました
264名無しさん@ピンキー:2010/04/24(土) 08:47:09 ID:DMyway7x
心の底からGJ!
鈴音可愛いよ鈴音。悪魔ちゃん恐いよ悪魔ちゃん。そして何気に妹も良いなw
265名無しさん@ピンキー:2010/04/24(土) 19:33:56 ID:7IQR5VA8
おかえりなさい! お久しぶりです。
まさか再びこの作品が読めるとは思ってもみませんでした
相変わらず主人公ツンツンしてますが、果たしてデレる日は来るのか
妹が今後どう絡んでくるのか気になります
GJでした! 次も期待
266名無しさん@ピンキー:2010/04/29(木) 01:25:31 ID:gJH+q6OE
遠距離純愛
至近距離純愛
267名無しさん@ピンキー:2010/04/30(金) 21:52:05 ID:x/pz+jln
>>263
ありがとう、続けてくれて本当にありがとう
一ノ瀬さんはきっと鈴音さんを取り戻すためにやっていると思ったがどうやらちがうっぽいなぁ
鈴音かわいいよ鈴音
268灯台と海と星屑 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 17:52:21 ID:oc1G73Q4
このスレには初めて投下します

片言褐色ロリ エロあり 全12レス
2691 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 17:53:57 ID:oc1G73Q4
 すっかり人口の減った近未来。
 各地に放置された過去の残骸、そして作られた自然へと退化した小さな島国。
 この国では人の血は混ざりに混ざってしまい、純の面影を残す者などいない。
 言わば、残すのが必要ではなかっただけのこと。
 私はそんな中、居住区を抜けて樹海を進んでいる。
「キナこ、何処向かテル?」
 手と手で繋がっている相手が、声を発した。
「南南西の軌道線を軸に歩いている」
「キナこの言うコト、難シクてチとも分カラん」
 彼女の名前はメイ・レイ。孤児院から引き取った、孤児。

「足元に気を付けなさい」
 手を握ったまま慎重に歩くメイを確認して、私も前に進む。
 彼女は褐色肌に黒髪、しなやかな体つきで、南国系が色濃い混血。
 ただ障害を持っていて、両目の視力が著しく低い。
「みートいしょ、不便ナイか?」
 言葉遣いもこんな調子で、出会って数日――慣れるのに苦労した。
「大丈夫」
 本当なら人のいる場所で生活すべきだった。彼女にもその方が良い。
 ただ今回は、私の我侭である。

 秘密基地であり、隠れ家。それは大抵高く暗く、人目につき難い場所。
 そんなものを探してみたくなる、限りある退屈の日常。
 遠い昔のロマンに思いを馳せ、知りもしないのにDNAに刻まれているような、夏の終わりの感傷的な記憶に、足を引かれる。
 ――という口上が必要だったのかは、私も分からない。
 とにかく人口が減って管理しきれなくなった物が増えた時代。
 温暖な半島の南端に、役割を失い放置された灯台があると聞いた。
 なのでそこに一時、居を構えてみようかと考えた次第だ。
 
「ヘンな、におイ?」
 彼女がそう言って、私の腕を辿る。
「潮の香り」
「うム」
 べったりと腕に絡まって、足を止めない。
 風を感じる。長い長い人工繁殖の樹海を抜け、遂に本物の海へと辿り着いたのか。
 遠くの波止場らしき岩場を前に、見えるは白い塔。灯台。
「どシタ? みーハマダ、歩ケルぞ」
 段々と足元の砂が、細かくなるのを感じていた。
 防砂林の限界。その先に、地面はない。
 もう貝殻の破片すら、落ちているような場所だ。

 私たちは小さな砂浜に出た。
 灯台への道に行くには、ここを沿ってぐるりと歩く必要がある。
「ぽカぽか、すル」
 日差しを感じた彼女は、私の手を離れて伸びをする。
「キナこ、不思議だナ? 気持ちイい」
 居住区では感じられなかった、自然を肌で感じているのか。
「行こう」
 昔は毛細血管のように国中に通じていた道路も、地震や劣化の影響を受けて壊れてしまった。
 更には自然回帰の為作られた木々に地面ごと侵食され、今は飲み込まれて跡形もない。
 そんなライフラインの断絶したこの地に、人が来なかったのは当然と言える。
 私はまた後で来ようと約束して、彼女の手を引いた。
2702 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 17:55:04 ID:oc1G73Q4
 波の音。すぐ足元で、寄せては引く。
 昔この辺りは小規模な砂丘だったらしいが、水面が上昇した現在、小さな浜が残るのみ。
「何カ、落ちてル」
 彼女は足に当たった何か――貝殻を拾い上げた。
「コレ、なぁ?」
「星屑」
 海には星の力を感じさせる、何かがある。
 そして月を、遠い遠い場所に輝く天体を、人はその時代なりに想う。
 光を反射し七色に光る貝殻は、星屑。
 砂に埋もれた星屑は、とても絵になる。まるで時間に置き去りにされた宝物のように。
 彼女はそれを、顔で触れる。
「みー、懐かシイ」
 私も同意。

 拾った宝物を、彼女はワンピースのポケットに入れた。
 しばらく歩き、石の階段を上って灯台へ。
 近くまで来てみると、恐らく真っ白だった塗装は、潮風で剥げてしまっていた。
 ただ大きさは充分、酷い劣化も見当たらず、簡単な居住には問題ないだろう。
 私は錆付いた南京錠を壊すと、重々しいドアを開けた。
「……!」
 セピア色の空間、とでも言おうか。
 散らかっているのに、落ち着く光景。居住区の煩雑したそれとは全く違って、趣すらある。
 ともあれ、
「まずは片付ける」
 今日から、ここに住むのだから。

 私たちは、特にサバイバル生活をしようとしているのではない。
 毎日少しずつ、ここを改造していく。
 今日持ってきたのは主に適当な道具類だけだが、勿論それだけで生活が出来ないのは分かっている。
 必要な物資は、無線連絡で大手の問屋に一括注文。
 月・水・金の週三回、民間の貨物飛行機がこの上空を通過していくので、その時に落としてもらうことにしている。
 費用は、当分尽きることはないだけの預金が入っている口座から引き落とし。
 単に山奥に別荘を建てて引きこもるのと、大した違いはないのである。

 円い部屋と螺旋階段。最上階には、使われていない回転灯。
 見て回って、そして物を整理する。
「キナこ、楽しイナ」
 捗らない。独特の高揚感と言うのだろうか。
 これだけで、わざわざこの場所に住もうと思った甲斐があるくらいだ。
 彼女もまたそんな感じで、年相応にはしゃいでいる。
「…」
 汚れを掃った床に腰を下ろし、一休み。足を伸ばす。
 すると彼女も隣に座ってきて、私の二の腕にもたれた。
「みー、こレカラ、キナこといしょ。二人、キり」
 そう。そして、誰にも邪魔されない場所で、二人きりになりたかったのかもしれない。

「メイ」
「なァ?」
「…何でもない」
 愛すべき感触。自然と肩を抱けてしまう。
「隠シごと、するナ」
「これからも、よろしく」
 言葉を飾って、そのまま息を吐く。
 私を慕ってくれる彼女を、単に呼んでみたくなっただけ。
 血の繋がりはないが、契りを境に、欠かさず寝食を共にしてきた。
 引き取った理由は、その時の気分に過ぎない。思えば、私は金ばかり余らせて一人に慣れ過ぎた。
 誰かと下手なりに不器用なりに、感情を分かち合ってみたいと、心に留意するものがあったのだろう。
 そして、人との交わりが希薄なここでは、ただ一人のパートナーを、強く意識出来る。
2713 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 17:56:00 ID:oc1G73Q4
 古いベッドを掃除すると、割と使うには足る状態になった。
 日も暮れたので、缶詰と携帯食の栄養タブレットを食べて、今日は休むことにした。
 二人寄り添って横になると、ランプの灯りを消す。
「…嬉しイ、カ?」
 真っ暗になった部屋に、彼女の声。
「早く寝なさい」
「うムム…難シい」
 そう言いながら、私を軸に程好い寝相を探している。
 密着した肢体が、もぞもぞと動く。腕枕の先の手のやり場に、ふと困る。
「キナこ、もと、キテ」

 横になって、体を包み込む。
 彼女はこの体勢で眠るのが一番好きらしく、よくこれを催促する。
 溜息が出た。無意識に抑えようと、している何かに。
「……メイ」
「ぽカぽか」
 孤児は同い年の普通の子に比べ、貰える愛情は多分、乏しいものだろう。
 求められるのは、その穴埋めでもある。違うとどこかで分かっていても、”親”だ。
「良い子だね」
「?」
 私などに、迷わず心を開いて甘えられる純粋さ。
 何をしてやったと言うのだろう。たいしたことは、していないじゃないか。
 それなのに、私を救ってくれる。救わせてくれる。

 程好い疲れは睡眠薬。
 メイを抱いたまま、朝まで心地良く眠ることが出来た。
 上から微かに漏れてくる光で、目が覚めた。
 海辺は悪天候の影響を諸に受ける。時化れば波風が叩きつけてくる。
 よって頑丈な分、重厚だ。普通の家よりも閉鎖的なものを肌で感じてしまう、空間。
 …それが好きでもあるのだが。
 朝も二人で簡単に食事を取って、再び片付け。
 これから毎日、この灯台に手を入れつつ、自給自足の真似事でもしようと思う。
 釣りをしたり、近くの森を探索したりしよう。することは、自分で見つける。

 とりあえず今日は、快晴。汗ばむ陽気といったところだ。
 正午近くに荷物が届いたので、ロープを解いて片っ端から中に運び込む。
 結構な量でくたびれた。昼を回ったので、再び缶詰系で食事。
 ガス電気水道は使えないが、時代は進化している。
 海水を濾過し浄水として使えるようにするフィルター、圧縮電池を使った小型コンロに、冷蔵・冷凍バッグetc…。
 食後に寛いでいると、彼女は私の肩を揺すった。
「キナこ、約束。アソこ行クぞ?」
 …相変わらず捗らない。けれど、それも良い。

 二階の現在物置の部屋で、私たちは交互に着替えることにした。
 居住区にもプール程度はある。持って来た水着の上から、洋服を重ねる。
「変ナイか?」
 部屋から出て来た彼女は、ワンピースとビニールバッグ、落ち着いた統一色を装っていた。
「大丈夫」
 すると、嬉しそうに私の手を探り、握り締める。
「良ス。行コ」
「はいはい」
 そんな様子にこちらまで、何だか嬉しくなる。
 午後はしばらく、海辺で遊ぶことになりそうだ。
2724 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 17:57:10 ID:oc1G73Q4
 手を繋いで、もう片方の手で荷物を担いで、外に出る。
 そして昨日歩いて来た砂浜に下りる。強い日差しで足元は温かい。
 しばらく歩いて、出来るだけ広く綺麗な場所を選んで、そこにシートを敷いてパラソルを立てる。
 完成。
「キナこ!」
 彼女は一人で、海風を受けていた。
 ワンピースが光で透けて、細い足のラインを映し出す。
「何?」
「こなニ気持ちイいの、初メテ!」
 彼女の目は微かながら光を、そして海を感じているのだろう。
 人の溢れた場所では感じ難かった、開放感。そして、五感に働きかける自然。
 両手を広げ、体中で受け止めている。
 心に眩しさを感じるくらいに、情景的だった。

 待ちきれなかったのか、彼女は見たこともないはしゃぎ様だった。
 他に誰もいないビーチで、私の補助も忘れて目の前で。
 足から波に触れ、その冷たさに驚く姿。バランスが崩れて、手を突く。
 そんな様子を見ていて私は、自分を忘れそうになる。
「キナこ、みーと泳グか? 砂デ遊ブか? なナ?」
「どちらでも、良いよ」
 すると私の元に戻って来る。
 濡れて砂の付いた足からサンダルを脱いで、ワンピースのボタンを外す。
「……」
 見惚れてしまい、言葉を失ってしまった。
「どシタ?」
 服と服の隙間から、ちらちらと覗く褐色の体と、黒いビキニ。

 ワンピースが、シートの上にはらりと落ちる。
 普段よりも一段と異性を感じて、胸が焼けつくようだ。
 疚しい下心を持っている自分に、呆れてしまう。
「チと、窮屈ダな」
 全身をタイトに覆う、水着の感想。体を捻って感触を試している。
 その様子にまた、年甲斐もなく悩殺される。親心と出来心が共存している。
「まダカ?」 
「少し、待っていなさい」
 思わず取り繕うように返事をして、変に思われなかっただろうか。

 簡単にストレッチをして、二人で海へ。
 海水は冷たかった。少し体を密着させて、暖を分かち合う。
 水温に少し慣らすと、彼女は早速泳ぎたいと言い始めた。
「手、握てテ」
 少し深い所で、バタ足の練習。意外と上手い。
「プは…はッ…!」
 息継ぎの度に確かめるように、向けられる顔。
 握った手の体温と、海水の温度差が際立つ。
「……ふゥ。キナこ、泳ゲるのカ?」
 短い髪がしっとりと濡れて、光る。
「…一緒に泳ごうか?」
2735 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 17:58:24 ID:oc1G73Q4
 少し練習すると、彼女はクロールに慣れた。
 腰の支えも要らなくなったので、二人で並んで泳ぐ。
 勿論、前はよく見えていない。変な方向に行かないように、気を配りながらの数分。
 それでも、嬉しかった。人に溢れた居住区では、こんなことは難しい。
「ハぁ…はァ――キナこ?」
「何?」
「いしょナノ、感じタ。魚にナたみタイ」
 体は温まっていた。だが、彼女の温もりが、欲しくなる。
 私は腰まで水中に浸った状態の彼女を、そのまま腕の中に寄せ、頭を撫でた。
「…?」
「メイは、一緒なのは私だけで、寂しくない?」
 嬉しいが、心細さを掻き立てられる、二人きりの海。そして生活。
「みー、ヨク分カラん。でモ、キナこ、信頼シてるゾ?」

 気の済むまで泳いで、疲れた体で陸に上がる。
 波の及ばない乾いた砂の層と、濡れた砂の層。
 満干の中で、如序に動いていく境界線の、私たちはちょうどその境目に腰を下ろした。
 足と臀部に、薄い波が撫でていく。不思議な感覚は、心地が良い。
「海水、ちト塩辛イな」
 まるで毛繕いをする動物のように腕を舐めてみて、彼女はそんな感想を口にした。
 愛らしい仕草に、思わず綻んだ息が漏れる。
「デも、キナこの息遣イ、海ノ息遣い、皆好キ」
 そう言うと、空を抱くように大の字で横になるメイ。
「みー、すゴク感動シてる」
 私も、呼吸すら苦しくなるほどに、胸が満ちている。

 海と大地を背中に、空を前にして、二人でしばらく、そうしていた。
 聞こえるのは波の音だけ。
「キナこ」
 そこに、彼女の声が交ざる。
「何?」
「手、繋ゴ」
 上下に振って、私のそれを求める手。
 見つけさせてあげると、今度は形を探るように、撫でられる。
 やがて彼女の指は、私の指と指の間に絡み込んできた。
「……ズと、いしょ、だゾ?」
 握る力は、大きなものを臨んで、心細く不安になった心の表れなのかもしれない。
「勿論、そうだよ」
 だから、固く強く、意思表示をする。

 それから、濡れた砂をすくって顔や体に塗りつけてみたり、小さな穴を掘って海水を引き込んでプールにしてみたり、した。
 二人きりでも、こんなことをしているだけで楽しかった。
 彼女の好意と、そして純粋な感動は、一つ一つ違う表情を見せてくれる。
 彼女と、その周りの全てが大切に思える。
 だが、一通り遊んだところで、
「そろそろ一休みして、引き上げようか」
 と、声をかける。
「モウ、か……うム」
 遊び足りない部分は、次のお楽しみ。次を考えるのも、また楽しい。
2746 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 18:02:28 ID:oc1G73Q4
 体についた砂を海水で流して、シートに戻る。
 彼女にタオルをかけてあげると、妙に元気が無いことに気づく。
「キナこ。みー、変ないカ?」
「どうして?」
「……キナこ、今日、トても優しイ、かラ」
「メイ?」
 それは、普段よりも愛おしいから、なのか。
 そして、その言葉にふと勘づいた。
 まだ幼い少女が経験した、”取り残された日”。
 両親が彼女を残して姿を消してしまった時も、そうだったと言う。
 ”前日、妙に優しかった”――そんな落差が記憶に焼きついて、今もそのまま。
 自分に置き換えてみる度、胸が痛くなる。

 頼りなさげな肩を、抱き寄せる。
 彼女はしがみつくように、私の体に腕を回す。
「みー、捨テナい? まタ何度も、キナこといショに、こコ、来たイヨ」
「捨てないよ」
「こコ、誰もイナいかラ、みー、キナこシカ、イナいかラ……」
 私しか、相手をしてやれる人が、いない?
「…居住区にいた方が、良かったかな」
「違うノ! みー、う…ゥ…」
 胸元に、温かく湿った感触。
 そのまま私は、泣かせてあげた。

 成長途上だが、涙は流しても、彼女は子どもではない。
 自分を抑え込むように静かに泣いて、そしてすぐに平常を取り戻す。
「……みー、キナこノ、なァ?」
「大事な人。家族――かな」
「デも、血ハ繋ガテない」
 ならば、義理の家族。それとも……?
「血、繋げテ」
 血を、繋げる…?
「……メイ」
「ナぁ?」
「――愛してる」

 結局、自分のしたかったことは、これだろうか。
 彼女は、確かな保障が欲しいのだろう。どんなに抱き締めてやっても、優しくしても、不安は拭いきれない。
 だから、血の繋がりを求めた。
 義理でない本物の家族を、もう一度取り戻したいのかもしれない。
「……」
 口づけは、少し塩気交じりの味。
 ただ大人しく、じっと受け入れるように、彼女は応じてくれた。
 私の一方的かもしれない感情表現に、健気にも何を思うのだろうか。
「……メイ」
「…な、ァ?」
「本当はメイのこと、こうしたいと思っていたんだよ」
「……みー、ヨク分カラん。でモ、落ち着イタ」
 そしてもう一度、私の胸の中へ。

 誰もいない代わりに、私は何百人分の存在でなければならない。
 そこまで強力に意識させるには? そして、血を繋げるということは?
「――良い?」
「…うム。ソれスレば、血、繋がテ、キナこニも、嬉しクなテモらえル」
 メイは異性に対する感情を、自分の中ではっきり認識出来ていない。
 私を純粋な恋愛対象として見ていない内に、こんなことをするのは良くない。
 だが、
「みー、キナこの幸セニなル。ずト、キナこと生きテク。それガ、みーの愛しテルというコト」
 そう言って聞かない。
 理性を納得させて、彼女を背中から、抱く。
2757 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 18:03:49 ID:oc1G73Q4
 ビキニの上から、まだ小振りな胸を揉みしだく。
 物足りないとは思わなかった。心地良い、メイの感触が嬉しい。
「メイ…」
「くすグたイ、ゾ」
 だが、私が彼女にしようとしていること。
 それは、私の我侭か。ここに連れて来たのも、何もかも。
 或いは、最初から好意漬けにして、身も心も言いなりにしてしまおうと?
 本音は自ら引き出せない、深層心理の中。しかし人間…失格かもしれない。
「…はぁ…」
 情けない。
 自分の思いを、こんな誤った形でしか、伝えられないなんて。
「……苦しイ、のカ?」

 彼女は体を返すと、私の顔に触れてきた。
 丁寧に慈しむように、何度も撫でられる。数滴、涙が零れた。
「キナこ、みーの前デ、泣いテクレる。初めテ?」
 心配するような表情。
「心配、しないで」
「みーガ泣いタ時、キナこは優しク、慰めテくれル。だカラ、みーも慰めルよ」
 ……そうか、対等なんだ。
 私と彼女、持ちつ持たれつ。それで心は満たされていた。
 大事にしたいから、ここに連れて来た。以前よりも、そして何よりも。
「? キナこ、笑テるナ?」
 息遣いでこちらの感情を把握する彼女。
「そうだね。――メイ。これからも、私の傍にいてほしい」

 私が小さく口づけをすると、彼女は背中からシートに寝そべった。
 呼吸で振れる体。膝に軽く跨って、再び胸に手を伸ばす。
 収めて、揉み解す内に昂りを感じていく。
 手を中に差し込んで、今度は直の膨らみを感じ取る。
「ぁ…」
 そしてビキニを捲し上げ、やや強く揉む。
 乳首を優しく捏ねると、彼女の吐息が漏れた。
 今度はそっと顔を近づけて、舌で弄ぶ。
「ッ…!」
 下半身にも手を伸ばし、腰や股の辺りを、擽るように撫でる。
 細く締まった体を感じながら、次に、水着越しだが彼女の筋に触れる。
「…キナこ、そコ、変ナい…っ」
 危うい感触と、声。

 私は彼女に覆いかかると、腹部から指を、下に下にと滑らせた。
 水着の中の、先を探れば探るほど、息遣いがおかしくなっていく。
 やがて辿り着いた秘部は、滑らかで柔らかく、そして仄かに熱かった。
「はッ…ァ…っ」
 感じているのか――そんなことを考えながら、指で擦る。
 彼女の孔は、少しずつ濡れ始めた。
「んッ…っ…!」
 恐さと切なさを噛み堪えるように、悶える健気な姿。
 見慣れた褐色の肌が、見たこともないほど魅惑にしなる。
「キナこ…みー、みぃ…っッ!」
 体がびくりと仰け反って、硬直した。
 彼女が初めて、覚えたであろう絶頂。指に絡む、彼女の液。
「はッ…ハっ…!」
「とても、可愛かったよ」
「…? …みー、変、ナのに…熱クテ、やじャ、ナい」
 深い呼吸。それは安堵したような、休息だった。
2768 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 18:04:58 ID:oc1G73Q4
 彼女の水着を、下ろす。濡れた秘部に、美しい体の線。
 胸が焦げるほどに熱く、歯止めはもう、利きそうにない。
「ウ…」
 恥ずかしげに顔を覆う仕草に感じながら、丸まったそれを、片足だけ外してもらう。
 そして、与えた羞恥の代わりに今度はこちらを脱がしてもらうと、彼女は私の竿に気づき、徐に手を宛がった。
「キナこのコれ、こナに大きカタか?」
 彼女の手が、直に触れている。不慣れで恐る恐る、しかし興味深そうに。
「っ!」
 強く握られるだけで、電気が走る。
 彼女と会ってから捌け口の無かった欲求が、下半身を強く支配する。
「痛かタか? チと、優しクする」
「構わないよ。メイにしてもらえて、嬉しいから」

「うっ――!」
 溜まっていた液が、勢い良く抜けた。
 血液が、全身を廻っているのを中から感じる。
 言い様もない快感に、思わず全身の力が抜けていく。
 彼女は丁寧に竿を扱いてくれた。それが却って、半端にならず推進力になった。
「タクさン、ベとべトしタのガ、付いタぞ」
「…ありがとう、メイ」
「こレモ、熱いナ。みーのト、ヨク似てル」
 顔に白濁の液が散って、妙な面だ。
「少し、待ちなさい」
 私はタオルを取って、一旦彼女の顔を拭った。
「体、熱いヨ…もト、シタい」

 私たちは体位を入れ替えた。
 そして横になって全身を密着させると、彼女が前後に動く。
 体で体をブラッシングするように、行ったり来たりを繰り返す。
 濡れた肌は滑りが良く、擦れる感触がたまらなく気持ち良い。
「固いノ、当タルっ…!」
 私が頼んだことなのに、彼女は渋々どころか熱中するように、動くのを止めない。
 またこれだけで、自分を抑えきれなくなりそうな刺激だ。
「――メイ、またっ…!」
「キナこ?」
「…っっ!」
 反射的に彼女を捕まえたその時、二度目の射精に至った。
 再び大量に抜けて行く、私の熱分。
「あ…ああ……」
 彼女は私の胸の中で、じっとしている。

「気持チ、良かタか?」
「…とても、ね」
 そう答えると、彼女は私の首元に、顔を犬のように擦りつけてきた。
「みーモ、多分、気持チ、良ス」
 離れようとしない。その内にまた、込み上げる熱。
「メイ、顔をこっちに近づけてごらん」
 頬に触れて誘導すると、彼女は私の目の前に顔を現した。
「なァ?」
「愛してる」
 そしてもう一度、口づける。今度はもっと長く。
 何度も唇で唇を食み、何度も舌で舌を貪る。
 彼女の唾液が、重力に則って私に伝わる。
 これら全て、そしてこれからやること――ずっと望んでいたことのような、幸福感。
 メイ、好きだ。
2779 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 18:06:03 ID:oc1G73Q4
 体を横にして、そして再び入れ替えて、今度は彼女に唾液を送った。
 口づけだけで散々に感じ合って、やっと舌を離しても、独特の味が口内に残る。
「はぁ……メイ」
「…ナぁ?」
「血を、繋げよう。そして二人でいつか、子どもを作ろう」
 円らな瞳が、大きく私を映した。
「キナこの、子ドモ?」
「私とメイの、子ども」
 想像と理解が追いつかないのも、無理はない。
 しかし、子は繋がった血の結晶であり、何よりの証明。
「……うム。キナことナら、恐クなイ」
 逞しくも儚い、そしてただ、限りなく愛おしい彼女。

 彼女を下に向かい合って、竿を秘部に挿入する。
「…っッ!!」
 小さな孔。避けんばかりの、痛みだろうか。
 私はその手をしっかりと握った。自らも彼女の器に包括される、快感と同時に来る痛みに耐える為に。
 温かい液体は、恐らく血液。膜を貫いて、苦しそうに喘ぐ姿。
「キナ…こぉっ…!」
「メイ…熱い」
 それでも入る所まで、入ってしまった。少し準備をしていたから良かったのか。
「…はっ…はぁっ…」
 侵食が止まったことにふと安心したのか、彼女は荒い息とともに腕で顔を覆う。
「ダメだよ、ちゃんと見せて」
 腕を退けると涙が、止め処なく流れていた。

「み…痛イの、ホンとハ、凄クヤで、恐カタの…ニ……変ナい、ヨぉ」
 まるで底から湧き上がるものを覚えたように、表情が蕩けている。
「キナこ…」
 繋がったまま、可能な限り体を密着させ、そして口づける。
 どこでも良い。彼女を快感で、満たしたい。
 きつく締まる彼女の中。私の竿が、悶えるように更に大きくなっていく。
「動かすよ」
「――うムッ! みー、もト、変ナく、して!」
 竿を上下に出し入れし始めると、摩擦が一層下半身の暴走を促進させる。
 跳ね返るような水音が何度も、卑猥に響き渡る。
 腰が、止まらない。彼女との接触が、あまりにも気持ち良くて、そして絞られるように切ない。

「あンっ…フわッ…っ…!」
 目の前で、彼女の体が艶かしく振動する。
 その嬌声は少しだけ初々しくあって、けれど私を、心の芯から捕らえて離さない。
「はアッ…あっ…んっ…!」
 まだ、愛し足りない。勢いに乗ってきたところで、体位を変えていく。
 背面座位、騎乗位――様々な格好を一つ一つ、試すようにして何度も突いた。
「キナこ…み、ぃっ…こレ…はぁッ…好キっ…!」
「メイ…っ」
「キナこっ…好キっ…みー…好きダよッ…!」
「メイっ…!」
 彼女の言葉が、私の今を、欲望を満たしていく。
 そして全てを受け止めさせてと、彼女が全身で呼びかけてくる。
27810 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 18:07:10 ID:oc1G73Q4
 最後にまた対面座位の格好になって、抱き合ったまま、上下に動く。
 私の精は、抑えきれなくなっていた。
「もうっ……中に…注ぎ込むっ…!」
「キて! …タくさン、みー、欲しイ…ッ!」
 巻かれた腕が、力を強めた。私も、同じようにして、そして――。
「――くぐっ!!」
「キナ、こっッ…!? …ッ!! …!!」
 私の竿が激しく鼓動し、そして全てが抜ける。
 余すもの無く、全て。
 しかしそれは、彼女が全て、受け止めてくれる。
 精も、欲も、溢れるほどの感情も――どく、どく、どく、と注ぎ込まれていく。
 このまま意識も存在も、消失してしまっても良いくらいの、計り知れない達成感。
 充実と解放。

 意識が明確に戻って来た時、真っ先に感じたことがある。
 それは、腕の中で必死に私と繋がろうとした、彼女の感触だった。
 消えてはいけない。少なくとも、彼女よりも先には。
「メイ…愛してる。大好きだ」
 そう告白し、もう一度彼女の顔を手に取って、笑いかけて、そして口づける。
「…ン」
 これで、終わり。私と彼女の、最初。
 もっと相応しい場所があったのかもしれない。
 だが、今澄み渡った心の中に、後悔を挟むのは無しとしよう。
「…ハァ…はァ……みーも、キナこ、愛シテる。大好キ」
 真似するように言うと、目の前で幸福の笑みを返してくれる、彼女。
 涙で汚れてはいるが、その表情はこの世の何よりも大切な、そして美しいものだった。


「猿渡キナコ」
 ここは病院だろうか。そして私を呼ぶ声は――。
「詳しいことが分かった。そこに座れ」
 やはりそうだ。総合病院の医師、笑宮アルマ。
 古くから付き合いのある友人の一人だ。
 しかし、私はいつの間に、居住区に戻って来たのだろう?
「呆けるな。お前の引き取った、孤児の検査結果だ」
「メイの、か」
 このやり取りを、知っている。数日前のことだ。
「…!」
 悪いニュース。そうだ、こんな時に。
「結論から言おう。彼女が二十歳まで生きられる可能性は、40%」

 その台詞の後、確か私は少し、取り乱した。
 焦りを覚えた。残された時間が、漠然とだが決まってしまったのだ。
「生まれ持った寿命なんだ。視力と同様、残念だが…どうすることも出来ない」
 それは私にとっては、短い。思えば思うほどに、短く感じる。
 だが、皮肉にも決心が固まる切欠にもなった。
「彼女を幸せにしてやれ。莫迦なお前が、思いつく範囲でも良いだろう」
「…」
 アルマの言葉を、真に受けた。
 そうだ。どこか遠くに連れ立って、そこでメイを愛してあげよう、と。
 私は彼女だけを、彼女は私だけを……それは独占・依存という、ある種歪んだ思いつきだったのかもしれない。
 だが、最期の時まで、彼女を満たし続けることを、莫迦な私の生き甲斐にしたい。
 そんな責任まで引き取った上で、私は彼女の小さな体を、胸の中に収めたのだから。
「…ああ」
 夢は、そこで途切れた。
27911 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 18:08:53 ID:oc1G73Q4

 幸せの境地に、可能ならば忘れたままでいたかった、現実。
 目が覚めると私は灯台に戻り、ベッドの中にいた。
「フぅ…スぅ…」
 寝息を立てているのは、生まれたままの感触を私の腕に押しつけて、心地良さげに眠るメイ。
 私も全裸に布団だけを被っていた。
 思い出す。
 昨日は海辺での行為の後、ここに戻って来て一旦体を洗い直した。
 それからまた、このベッドの上で何度も、我を忘れたように体を交えた。
 肉体に刻み込まれた互いの味と相性には、飽きれる要素が見当たらない。
 たった一度で彼女の方も、性交の病みつきになってしまったらしく……くたびれ果てるまで絡み合い、中に注ぎ込み――そして、夢を見た。

「ン……キナこ?」
 声と共に、寝惚けたように目を擦る。
「ここにいるよ」
「…オハよウ」
「おはよう」
 挨拶を交わしてから、顔を見合わせる。
「…んン…」
 当たり前のように軽く口づけて、優しく抱き締める。
 一日でも長くこんな日が続いて、そして生きてほしい――そう願いを込めて。
「…キナこ、みー……」
「何?」
「オ腹、空いタゾ」
「…ふふ、そうだね。朝食作ろうか」

 食後の休憩。
 差し込む日差しを浴びながら、彼女と持たれ合う。
「メイ」
「なァ?」
「昨日のこと、覚えている?」
 尋ねてみると、弾む気持ちを抑えるような口調で、
「…ウむ。忘れナイ」
 そう呟いた。
「キナこと一ツになレタのガ、こナに嬉しイのダナ」

「キナこは、ドしてみーヲ、引き取タ?」
「理由なんて、分からないよ」
 如何わしい欲望の為か、無意識に飢えていた愛の為か、或いは両方だろうか。
 数いる孤児の中で、彼女を見初めた理由……。
「みーモ、分かラン。デも、みー、キナこと繋ガて、感ジた」
 膝の上には、ここに来た時に拾った星屑。
 それを玩びながら、彼女は笑う。
「きと、みータち、いショになル為に、生まレテきた」
「…!」
 彼女の言葉に、何故かとても納得させられた。
 ”運命”。
「…みー、生意気言テるな。怒らナイか?」
「…怒ったりしないよ。ありがとうメイ。メイは、とても良い子だよ」

「……」
 穏やかな気持ちだ。
 そして人の目を気にせず、純粋に正直に、感情を出していけそうな気分だ。
「キナこ、機嫌良イな」
 巧みな言葉も気の利いた行動も出来ない私を、頼ってくれることが結局、嬉しい。
 自分が頼らせているという負い目もあるが、こうしていると自然に感じられる。
 そればかりか、彼女から返ってくる、好意・気遣い・優しさ――様々なものに、時めく。
「勿論だよ」
 彼女の為にと思っていたが、違う。
 ささやかだが、これが多分、自分がずっと求めていた、理想だったのだ。
28012 ◆C3E8F9Y9U6 :2010/05/03(月) 18:10:46 ID:oc1G73Q4

 それから毎日、幸福な日々が続いた。
 失う日を思えば泣きたくなるくらいの、満ち足りた世界。
 それを忘れんが為に、時に切ない思いを共有し、時に荒々しく口づけを交わし、体を求める。
 言動一つ一つに、心が揺れ動く。生きているという実感。
 触れ合う度に、癒されていく。
 たまには喧嘩をしたり、意地悪をしたくなったりもした。
 けれども、やはり深く深く好きなのだと、認識して抱き締め合う。

 三年後、灯台での生活が板に着いた頃、彼女は妊娠した。
 一時居住区に戻り、出産以降もしばらく、子どもを優先した環境に置く。
 彼女は自分の年をしっかりと把握していなかったが、まだ十代半ばだった。
 しかし最初に比べ、そして産んでからは一層、大人びてきていた。
 長く伸びた髪に、私に少しだけ追いついた身長。
 平らに近かった体にも曲線が出て、胸も丸みを帯びた。
 そして灯台に戻り、また生活を再開する。
 二人の時間に、子育てが加わった。

 それからも営みを続けた。
 彼女を愛せる時間は、他の家族よりも限りなく少ない。
 愛し続けて、気がつけば私たちは、五人もの子どもを儲けていた。
 そして彼女は、いつしか優しい母親になっていた。
 まだ幼い少女の頃の面影を残しながらも、成長した私の妻。
 この灯台が好きらしく、居住区に戻ろうかと試しに訊いてみるが、常に首を横に振る。
 穏やかさは誰に似てきたのだろうか。落ち着いていて、いつもにこにこと笑っている。
 てきぱきと家事をこなし、子どもたちの親となり教師となり、私を忘れることなく愛してくれる。
 こんな素晴らしい女性、考えられる限り他にいない。

 あれから十五年。
 二十歳まで保つか難しいと言われていた寿命が、ここまで続いたのは奇跡かもしれない。
 子どもたちもそれなりに大きくなった、冬の入りのことだった。
 彼女は…私の妻は、静かに息を引き取った。
「メイと一緒にいることが出来て、本当に良かった」
 その言葉をあの日から、何度繰り返し呟いてきたことだろうか。
 聞こえる小波の音は、十五年前と、何ら変わらない気さえした。
 遺体は、生前の彼女の頼みで、海へと帰した。
 彼女が宝物として、生涯大事にしていたあの星屑も、首飾りにしてかけてあげた。
 小さな欠片だけが、私の手の中に、残った。

 それから夢の中に、何度か彼女が出てきた。
「泣カなイ。きト、まタ会エルよ」
 そう言って、老け込んだ私の体を、優しく包み込んでくれる。
 ならば、私はその日まで、この灯台に残る。
 子どもたちは皆、居住区の方に移り住んでしまったが、私はここで、何年でも待ち続けよう。


「メイ」
「なァ?」
「今日は何処に行こうか」
「キナこノ行きタいトコ。みー、色ンなトコに、行キタい」
「私ばかり、それだとメイに悪いよ」
「みーハ、キナこトいショにイルだけデ、すゴク、楽シクて、嬉しイ。ソれは、キナこガそナに、導イてクレるカら」
「?」
「みー、キナこガ好キ。タくサン、たくサん、好キ」
「…私もメイのこと、好きだよ。これからも、よろしく」
「ウむっ!」
「そして、ずっと愛してる」


おしまい
281名無しさん@ピンキー:2010/05/03(月) 19:30:27 ID:EaMhqdf3
めちゃめちゃGJっす!!
ヨコハマ買い出し紀行みたいな世界観も好きでした。
投下サンクスです。
282名無しさん@ピンキー:2010/05/04(火) 04:53:41 ID:rt/C8qlS
>>280
良い。凄く良い!
いいなあこの感じ。ほんわかしてじんと来ました。GJ!
283名無しさん@ピンキー:2010/05/22(土) 03:57:30 ID:vI+NTBOH
保守
284名無しさん@ピンキー:2010/05/25(火) 05:57:18 ID:6QX1un0s
五歳の従妹のおままごとに付き合って結婚の真似事をする中学生の従兄。
「いつかほんとうにおにいちゃんのおよめさんになりたいな」
それから時間が経つが従妹はずっと従兄のお嫁さんになるのを夢見ています。



そんな純愛物語。
285名無しさん@ピンキー:2010/05/26(水) 09:20:59 ID:35Nk/Y7H
純愛って漠然としてて難しいよな。
286名無しさん@ピンキー:2010/06/08(火) 01:17:36 ID:lYc7pN5a
保守
287名無しさん@ピンキー:2010/06/15(火) 07:11:13 ID:SKhvLnGj
>>284
良いじゃないか
288名無しさん@ピンキー:2010/07/01(木) 02:19:02 ID:wmdeoNJi
保守
289沢井:2010/07/06(火) 03:08:03 ID:zuI5jYIN
 皆さんお久しぶりです。コトノハ 第19話、投下していきます。
290コトノハ ヒラヒラ:2010/07/06(火) 03:08:52 ID:zuI5jYIN
 伯父さんの家の裏には、小さな川がある。春先から秋の中頃にかけて農業用水として使われるその水は、夏には子供達の何よりの遊び道具となる。
 ぼんやりと川べりに腰掛ける俺の目の前でまた一人、奇声染みた歓声と共に子供が水面にダイブした。
「あっはははー!こらこら、あんまり勢い付けちゃ駄目だよー?」
 そしてその中に一人、明らかに子供と言い切れない少女。七瀬は甲斐甲斐しく・・・というより、自分も楽しみながら、近所の悪ガキどもを見守っていた。
(・・・保母とかに向いてるのかねぇ、あいつは)
 子供達は初め仲間内だけで楽しんでいたのだが、楽しそうに遊ぶ子供の声に触発されたのか、気が付いたときには既に奴は水に飛び込んでいた。
 それとも初めからその心算だったのか、水に濡れた七瀬のシャツの下には、学校で見かけるタイプの水着が透けて見えた・・・言っておくが、別に俺は積極的にそれに視線を向けてはいない。
「和宏ー。あんたもこっち来て泳ごうよ。楽しいよー?」
 数人の小学生と水を掛け合いながら、七瀬がこっちに向かって声を張り上げる。が、そんな気分では無いので、適当に切り返して置く。
291コトノハ ヒラヒラ:2010/07/06(火) 03:09:41 ID:zuI5jYIN
「俺が水泳苦手なの知ってて言ってんだろうなー?」
「へーぇ、そりゃあいい事聞いた。野郎共!あそこで寛いでる都会のもやし男に、里山育ちのパワーを見せ付けてやれーい!」
『おぉーーーー!!』
 ちょ、待て待て待てぃっ!?お前ら間違ってる!チームワークの使いどころ間違ってる!つーか七瀬てめえ、いつの間にガキ共のリーダーになってるんだよ!?
 ガキ共の異様な雰囲気を目にして、俺は咄嗟に陸地側へと避難・・・しようとしたが、一歩遅かった。
「てりゃーっ!」
「どぁあっ!?」
 ガキの一人が俺の足元に向かって猛然とタックルを仕掛け、そのまま俺の足を両手でホールド。バランスを崩された俺は抗う術も無く重心を後方へと引っ張られていく。
(うわあ特に首とか曲げてないのに空が見えるや今日も鬱陶しいぐらいに晴れてるなあどうでも良いけどそういえば水面って意外と暖かいんだでも考えてみれば夏だし当たりま)
 ざばっしゃーん。
292コトノハ ヒラヒラ:2010/07/06(火) 03:10:42 ID:zuI5jYIN
「わーい、兄ちゃんよっえー!」
「恵太がこーこーせーの兄ちゃん倒したぞー!」
「あいあむチャンピオーン!」
 ぷかぷかとドザえもんの気分を味わっている俺を尻目に、ガキ共がぎゃーぎゃーと騒ぐ。
「・・・・・・ふ」
 ざばっと音を立てて立ち上がりながら、俺は鼻笑いを一つ。これが、子供の悪戯を笑って受け流すような大人の余裕の表れだったなら少しはまともだったのかもしれないが・・・
「・・・ふ、ふふふふふ」
・・・正直に言うと、さっきの一撃で完全に理性が飛んだ。腰とか脛とか水中の石にぶつけて痛かったし。
「そーだよな。考えてみりゃ、里山育ちってのはしぶといんだから、手加減する必要は無かったんだよな。よーし喜べクソガキ共徹底的に遊んでやらあああーーーーっっっ!!!」
 心の中で、小さい頃に見たヒーロー戦隊シリーズの三流悪役を思い浮かべながら、俺は全力で水を跳ね上げた・・・うん、とことん駄目だな、今の俺。

293コトノハ ヒラヒラ:2010/07/06(火) 03:11:40 ID:zuI5jYIN
 それからまた一時間近く経過して、子供達は岸に上がり、近所の人が持ってきたスイカにかぶりついている。俺もまた、水分と糖分を同時に補給するべくその真っ赤な果肉を口に運び・・・
「で、和宏生きてる?」
「・・・いっそ殺せ・・・」
・・・運びたかったのだが、いかんせん全身の筋肉を苛む痛みが、それを邪魔した。もちろん筋肉痛と呼ばれる類のものである。
「ったく、あんだけ大暴れしたくせに終わってみればこれだもんなー。この都会っ子め」
 るせえぞ、そこの野生児女。都会育ちと体力は関係ねえだろ。
(・・・とすると、俺の体力の無さは俺の運動不足が原因か・・・)
 大の字に寝転がりつつ、心中でぼやいた言葉に自分でダメージを受けている俺を放置して、七瀬は切り出されたスイカをもう一つ口に運んだ。
・・・ああ、それ俺の分なのに・・・
「少しは楽しみなさいよ、良い男がみっともない。彼女に会えなくて寂しいのは分かるけど、そーやってうじうじしてたって人生何も良い事無いわよー?」
 何で俺は人のスイカを取り上げる女に人生の何たるかを説かれているんだろうか。世の中は残酷だと教える腹心算ならスゲエ身に染みる方法だが。
294コトノハ ヒラヒラ:2010/07/06(火) 03:12:29 ID:zuI5jYIN
「別に咲耶は・・・」
「あ、咲耶ちゃんって言うんだ?彼女の名前」
「・・・・・・」
 ど畜生。俺の阿呆。さっきから調子狂いっぱなしじゃねえか。
「どんな子どんな子?あたしより可愛い?スタイル良い?胸とかは?」
「・・・お前も知ってるだろ。小さい頃俺達と一緒に伯父さんの家に来てた、おかっぱの・・・」
 隠すのも面倒くさくなり、俺はぽつぽつと、引き離されてしまった(というのは大袈裟かもしれないけど、さ)恋人の事を話し始める。
 つーか、可愛いか否かの基準が何でお前なんだよ。めちゃくちゃ可愛いよ。お前と比べ物にならないくらい可愛いよ。胸も実はスゲエでかいよ。服の上からしか見た事無いけど。
 俺が声に出さずに愚痴を漏らしていると、七瀬は先程の説明で咲耶のことを思い出したらしく、目をハッと見開く。
「え、あの子!?おかっぱって事はあのさっちゃん?うっわ、思わぬ伏兵だったわ」
 伏兵って何だ、伏兵って。お前は誰と戦っていたんだ。公孫勝の闇の軍とか何かか。そう言えば家から持ってくれば良かったな水滸伝。
295コトノハ ヒラヒラ:2010/07/06(火) 03:13:28 ID:zuI5jYIN
「へー、でもあの子、小さい頃はあたしと一緒に和宏の事からかってなかったっけ?」
・・・ああ、そういえば。こいつは、咲耶が変わってしまう前にしか会った事が無かったんだな。
「お前と一緒にするなよ。誰かさんと違って、今じゃすっかり大人しくなったしな」
「・・・なーんだ」
 俺がそう言うと、七瀬はつまらなそうに顔を反らした。やきもちでも焼かれたかと思ったが、七瀬に焼かれてもあんまり嬉しくない。
「つまんないの。和宏のくせに」
「・・・お前、本気で俺の事何だと思ってやがる・・・?」
「あたしを差し置いて彼女なんて作りやがって、って感じ。つまんないから、あたしは皆とまた泳いできまーす!」
 言って立ち上がると、七瀬は川に向かって歩きながら羽織っていた上着を脱いで、水に濡れたシャツ姿になった。スイカを食い終わった元気なガキ共が追従する。
「・・・ったく」
 あいつの分かりやすい所は、今でも変わらない。


 自惚れるなよ、と言われてしまえばそれまでだが、俺は、幼い頃の七瀬が俺に抱いていた感情が何だったのかを知っているつもりだ。今の俺自身が咲耶に向けるそれと同じものなのだから。
 もっとも、気が付いた時には俺と七瀬は疎遠になっていたし、はっきり言ってしまっては何だが、俺はその頃には、咲耶の隣に居たいとしか思えなくなっていた。

 暫く眺めていると、またも子供達は水中でバトルロワイヤルを開始する。今度の標的は俺じゃなくて七瀬だけど。
「あははっ!ほらほら、鬼さんこーちらー!」
 迫ってくる子供達に水をかけながら、七瀬が水中を縦横無尽に駆け回る。子供の一人が飛び込んでくると、闘牛士のようにくるりとターン。そして両手で水を跳ねてやる。
296コトノハ ヒラヒラ:2010/07/06(火) 03:14:35 ID:zuI5jYIN
「わぷっ!ねーちゃんやったなーーっ!」
「いけーっ、亮介ーっ!」
 周囲の声援を受けたその子供は顔を手で拭い、狙いを定めてもう一度ダイブ。今度は、七瀬は避けなかった。
「おおっ!?捕まっちゃった!よーし、じゃあ今度はお姉ちゃんが鬼だっ!」
 ややわざとらしく言って、今度は七瀬が子供達を追う・・・今まで背にしていた、鋭い石を勢いよく蹴りながら。
(あの子、あそこで七瀬に避けられてたら額がザックリ割れてたな・・・)
 時に闘牛士のように。時に優しい羽衣のように。七瀬の、一見すると粗野に見えて実は計算された『おふざけ』に内心で舌を巻いていると。

「・・・なあ、にーちゃん」

 隣から、声が聞こえた。振り向いてみると、先程俺の闘争心に火を付けた小学生・・・俺にタックルかましてから、一番最初にとっ捕まえられたガキが、俺を横目で睨んでいた。
・・・こいつにも、何か恨まれるような事をしただろうか。寧ろ俺の方がこいつに恨みがあるんだが。タックルとかタックルとかタックルとか。
「にーちゃんってさ、七瀬姉ちゃんのカレシなのかよ?」
「・・・いや、違うけど」
 何が言いたいんだ、このマセガキは。高校生の人間関係に口出ししてきおって。男子小学生なら男子小学生らしくお気に入りの女子を苛めてろ。そして心の底から大嫌いって言われてこっそり泣いてろ。
 俺が若干荒んだ事を考えていると、そのガキはぼそりと呟いた。

「・・・じゃあ、七瀬姉ちゃんに手ぇ出したらコロスからな」

・・・お前もかよ。古賀といいお前といいなんなんだよ、もう。

297コトノハ ヒラヒラ:2010/07/06(火) 03:15:41 ID:zuI5jYIN
あとがき
 今回からあとがきはシンプルなものに戻します。理由は、これまで書いたあとがきを自分で読み返してみたらイラッとした為です。
 ぶっちゃけ今回は最後のクソガキとの会話をやりたかっただけです。昔見た映画「この胸いっぱいの愛を」で吹いたシーンです。
 あと、劇中では以前に和宏の本棚に三国志や水滸伝など中国史にまつわる本が揃っているような書き方をしましたが、私自身は水滸伝(北方謙三版)しか読んだ事がありません。

今回は以上です。では、失礼します。

・・・あれ?ここまで投下してから気付いたけど>>284と微妙に被ってる・・・?
298名無しさん@ピンキー:2010/07/07(水) 11:51:36 ID:nLxaowMz
保守
299名無しさん@ピンキー:2010/07/09(金) 02:53:23 ID:8mLi49Yq
>>297
GJ!

お久しぶり
物語の続きを楽しみにしてます
300名無しさん@ピンキー:2010/07/17(土) 07:26:45 ID:Tnh7o7yR
最近咲耶が出て来なくて不安になる
301名無しさん@ピンキー:2010/07/23(金) 05:54:47 ID:7hqDZWRt
きっと毎日自分を慰めてるよ。性的な意味で
302名無しさん@ピンキー:2010/07/24(土) 18:36:30 ID:JtE1Oxtk
〜したくてシリーズの続きが読みたい
303かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/07/24(土) 23:55:50 ID:egllGuaf
お久しぶりです。

>>234からの続きを投下します。
今回もエロなしですが、次回は確実にあるので、その準備回みたいな感じです。エロくないけど。
304かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/07/24(土) 23:57:06 ID:egllGuaf
『いいたくて』





 走る。
 私はさっき初めて通った道をひたすら駆け下りていました。
 祭りの喧騒が冷めないまま、明るさを残している神社へと、履き慣れない下駄を懸命に動かして
戻ります。
 途中で転びそうになるのをなんとかこらえて境内に辿り着くと、私はようやく足を止めました。
 視界がぼやけています。
 先程の涙が原因です。彼とキスを……キスをして、直後に胸が苦しくなって、その苦しさを
吐き出すように私は泣いてしまったのです。
 こらえようとしても止まらなくて、その顔を彼に見せたくなかった私は、思わず逃げてしまいました。
 嬉しかったのに。
 彼の本当の『彼女』になれた気がして、嬉しかったのに。
 目を擦って痕を拭います。
 戻ろうかな、と一瞬だけ考えました。
 しかしすぐにその考えは自分の中で棄却されます。
 怖い。
 彼と付き合い始めてからはおよそ起こらなかった思いが、どうしようもなく生まれるのを自覚
しました。
 私は彼の彼女にふさわしいのでしょうか。
 こんな私でいいのでしょうか。
 彼の手を取りたいとずっと思っていたのに、想ってきたのに、今は、
 ……境内の明かりが私を照らしています。
 私はそれをうっとうしく感じ、そこから離れようとしました。うつむきながら鳥居の方へと足を向け、
 名前を呼ばれました。
 少し離れたところから、しかしはっきりとした声が届き、私は反射的に背後を振り返ろうとしました。
 それが思いとどまったのは、相手がすぐにわかったからです。私はその人に会いたくなくて、
そのまま再び駆け出しました。
「待って!」
 強い声が後ろから届きます。私が好きな、とても好きなその声は、逃げる私の心を嬉しくも
悲しくも乱すようで、胸が締め付けられます。
 彼が追いかけてくる。
 こんな私を追いかけてきてくれる。
 少なくなった人々の間を通り抜けて、急な石段を駆け下ります。両脇に設置された灯籠のおかげで
足下は見えますが、それでも下駄がネックになって速度は落ちます。
 早く、早く、
 追い付かれたらきっと彼は私に訊ねるでしょう。逃げた理由と涙のわけを。
 うまく説明できる気がしません。この恐れを、申し訳なさを、どう伝えたらいいのでしょう。
 そうです。私は彼に申し訳なく思っているのです。それを伝えなければならないということは
わかっています。ですがその理由と向き合うのは容易なことではなく。
305かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/07/24(土) 23:58:45 ID:egllGuaf
 石段の終わりが見えました。その先には道路が夜闇へとまっすぐ伸びていて、私はスピードを
上げようと足に力を入れました。
 あと五段、四段、三段、それから一足飛びに、下へ、



 あ



 後ろから、悲鳴にも似た彼の声が聞こえた気がしました。
 着地した瞬間でした。想定していたものとは違う感触が右足に走り、バランスが崩れました。
 それを立て直すことはできず、私の体は大きく傾き、固いアスファルトの上に倒れ込みました。
「っ……!」
 反射的に手をついたので、体を強く打ち付けることはありませんでした。しかし右足に走った衝撃は、
無視できないものでした。
 脂汗が身体中から吹き出したように流れます。私は息を殺して痛みに耐えました。
 足下を見ると、親指の倍くらいの大きさの石が転がっていました。たぶん、下駄の歯で踏んで
しまったのでしょう。挫いたのか、足首が焼けるように痛みます。
「……」
 傍らに人の立つ気配を感じました。
 顔を上げると、彼が私を見つめていました。ひどく深刻な表情でその場にしゃがみこむと、私の足の
様子を確認しました。
「……かなり腫れてる。帰りは車を呼んだ方がいいね」
「……」
 私はうまく答えられませんでした。
 彼は携帯を取り出してどこかに電話をかけました。おそらく愛莉に連絡をしているのでしょう。
私はその様子をぼんやり眺めていました。
 何をやっているんでしょう、私。
 急に取り乱して、逃げ出して、こんな迷惑までかけて。
 自分の馬鹿さ加減に心底呆れます。
 足の痛みは引きません。最初に感じた衝撃ほど強くはありませんが、じくじくと鈍い痛みが晴れずに
続いています。
 私はうつむき、小さくため息をつきました。直後、ばつが悪くなりました。ため息をつきたいのは
きっと彼の方だろうに。
「立てる?」
 電話を終えた彼がそう訊ねてきました。その声はいつもの優しい響きを持っていて、心地好く
聞こえました。
 私はまた答えられませんでした。彼があまりにいつもの、優しい彼だったから。
「ここだとまだ人も通るし、ちょっと落ち着けないから、少し移動するよ」
 そう言うと、彼はしゃがんだままちょこちょこと足を動かして、私に背を向けました。
「……?」
 咄嗟に反応できないでいると、彼が言いました。
「近くのバス停にベンチがあるから、そこまでおんぶするよ。痛めた足をぶつけないように気を付けて」
 彼の声は相変わらず優しいままです。
 申し訳なくて、しかし何を言っても今は意味がないと思ったので、私は彼の言う通りにしました。
 無事な左足をうまく使って、彼の背中に覆い被さるようにしがみつきます。
 お借りします、と小さく囁くと、彼は頷いてゆっくりと立ち上がりました。
306かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/07/25(日) 00:00:53 ID:egllGuaf
 


      ◇   ◇   ◇



 バス停のベンチに腰掛けながら、私は彼を待っていました。
 しばらくすると、彼が戻ってきました。両手にジュースを一本ずつ持っています。紅茶とオレンジです。
 差し出されたスチール缶を受け取ります。ありがとうございます、と素直な言葉を返せたことに、
少しだけほっとしました。
 二人並んでベンチに座り、しばらく無言でジュースを飲みました。
 夜のバス停は静かで、私の心とは違い、穏やかでした。夏特有の熱を帯びた夜気は、しかし今は
それほど苦ではなく、どこか心地好くさえありました。
 常夜灯が私たちを照らしています。
 帰途に着く人々が何人か通りすぎていきます。目立つのか、少しばかり訝しげな視線を向けられました。
 ストレートティーをちびちび飲みます。口をつけたものの通りは悪く、それでもせっかく彼が
買ってきてくれたものだからと、少し無理をして飲み続けました。
 無言の時間が続きます。
 何か言わなければ、と私は言葉を探しました。
 まずは謝らなくてはいけません。急に逃げ出してしまってごめんなさい。それはきちんと
言わなくてはと思いました。
 しかし、その言葉はなかなか外に出ていきませんでした。
 それを言ってしまうと、なぜ逃げたのかを説明しなければなりません。
 言わないと、とは思います。ですが私にとってそれはあやふやなもので、はっきり説明できる
ことではありません。そしてあやふやだからこそ私は怖くなり、逃げたのです。
 先延ばしにするようにいつまでも紅茶に口をつけて、でも喉の通りはまるでよくならなくて。
 意気地なく何もできないでいると、彼が先に口を開きました。
「さっきはごめん」
 私は思わず彼の顔を見ました。
「いきなりあんなことして、ごめん。怖がらせちゃったよね」
 そう言って彼も私の顔を見ました。
「反省してる。もう二度と、君の嫌がるような真似はしない」
 その言葉は真剣な、と言って差し支えないものでした。私への真摯な思いが明確に伝わってきて、
率直に、嬉しく思いました。
 しかし、同時にそれはひどくピントのずれた話に聞こえました。私は別に、彼を恐れたわけでは
なかったからです。
 私は顔を伏せ、まだ半分以上中身の入った缶を、強く握りしめました。体の強張りが右足に
響きました。
 その痛みに後押しをされるように、私はようやく口を開きました。
「……別に、嫌ではありません」
 彼は怪訝そうに目を細めました。
「いいえ、むしろ嬉しかったです。あなたとそういうことができるというのは、素敵なことだと
思いますから」
 彼はますます困惑しています。勘違いされるのも無理はないですが。
「私は、あなたが怖かったんじゃないです。あなたとああいうことをした私自身が怖かったんです」
「……どういうこと?」
 ぐっと、奥歯を噛みしめました。
「……あなたとは関係のないところで、あなたを嫌ってしまうかもしれないことが……怖いんです」
307かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/07/25(日) 00:02:25 ID:egllGuaf
 


「私……前に、男の人に襲われたことがあるんです」
「──」
「あ、いえ、愛莉が助けてくれたので、大事はなかったのですが……私、その時のこと、はっきりとは
憶えていないんです」
「……」
「気付いたらベッドの上で、何もなかったと愛莉に言われたんですけど……でも、完全に何も
なかったとは……言い切れません」
「……」
「最後までは、されてないと思います。でも服は、剥がされましたし、それ以上も……あった
……かも、しれません……」
「…………」
「……起きたことは仕方ないんです。問題は、そのことであなたを拒絶してしまうかもしれない
ことなんです」
「……」
「私は、あなたが好きです。それは間違いありません。でも、あなたと今以上に関係を深めていって、
その時にあなたを受け入れられるか、あなたを嫌わないでいられるか……自信、ありません」
「……」
「さっきだって、泣くつもりなんか少しもなかったのに……嫌なんです。せっかくあなたを好きに
なったのに、それが変わってしまうのが……怖い……」
「……」
「怖い……怖いです…………こんなに好きなのに、どうしてあの時泣いてしまったんでしょう……
わからない、どうして……?」
「……」
「私、自分がわからない……嬉しいはずなのに……ずっと一緒にいたいって願ったのに、こんな
ことで嫌いになりたくない……あの人たちとあなたは、全然違うのに…………」
308かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/07/25(日) 00:04:20 ID:WKmqZmeK
 


 不意に私の体を、衝撃が襲いました。
 彼に抱き締められたのです。
 腕ごと巻き込むように体を引き寄せられて、私はあっという間に彼の腕の中にいました。浴衣の
前立てが重なるように、お互いの胸が触れ合って、彼の腕に力が入るにつれて、その触れ合いは
より強く感じられました。
 姿勢を崩したせいか、右足が地面に擦れて痛みを覚えました。しかし間近に感じる彼の息遣いが、
いとも簡単にそれを吹き飛ばします。
 優しい衝撃でした。
「ありがとう」
 耳元で囁かれます。
「そんなに真剣に想ってくれてるなんて思わなかった。すごく、嬉しい」
「……」
「事情を話してくれて嬉しい。言いたくないだろうことまで言ってくれて嬉しい。ぼくを特別に
思ってくれて、すごく嬉しい」
「……」
「だから、ぼくも頑張らなくちゃいけないんだ」
「……え?」
 それはどういう意味でしょうか。
「君がぼくのことを嫌いになるかもしれないのなら、ぼくはそうならないようにしなきゃならない」
「……?」
「いや、その……」
 彼は少し躊躇しましたが、やがて小さな声で言いました。
「もっと、君を惚れさせなきゃいけないんだと思う」
「……」
 思わず彼を食い入るように見つめてしまいました。
「あー、その……それって結構大事なことなんじゃないかな、と」
 彼は照れくさそうに、しかし存外真面目な口調で言いました。
「つまり、その、君が不安になっても、怖くなっても、それでも好きでいてもらえるように、ぼくの
方も頑張る必要があるし、そのためにはただ仲が良いだけじゃ駄目で、いろいろぶつかったり
触れ合ったり、たくさんのことを積み重ねていかなくちゃいけないんじゃないか、って思うんだ」
「……」
「そういう意味ではさっきの涙もけっしてマイナスなだけじゃないと思う。考えてみたら、ぼくたち
まともにケンカしたこともないし、お互い知らないこともまだまだたくさんあって、積み重ねが
足りてないんだよ、きっと。ただ好きになるだけじゃ駄目で、それを深めていかなきゃいけないんだ。
いろいろな方向にさ」
「……」
 その言葉は私の心に深く深く浸透していきました。
 確かに彼とぶつかり合ったことはこれまで一度もなく、今回が初めての衝突でした。
 思えば私は、ただ彼を好きだと思い続けるだけで、恋人同士になってからは具体的なことは何も
してこなかったのではないでしょうか。
309かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/07/25(日) 00:06:01 ID:egllGuaf
 でも親しい間柄なら、そんな遠慮はもっと小さくてもいいはずなのです。
「……」
 私は飲みかけの紅茶をゆっくり置くと、彼の背に手を回しました。
 彼の体が微かに強張るのを感じ取りました。
「いっぱい、惚れさせてくださいね……」
 私は、強く抱き締め返しました。心臓の音が先刻よりもはっきり聞こえ、胸が震えます。
 その鼓動を通して、少しでも想いが届くように。
 それからの動きは本当に自然なものでした。
 私は気分がひどく高揚していて、でもどこか冷静な気持ちもあって、落ち着いた様子で彼と
向き合えました。
 互いを優しく抱き締めながら視線を送り合って、


 そっと、二度目のキスを交わしました。


 最初のキスほどの驚きはありませんでしたが、代わりに胸が温かくなりました。
 不思議な安心感でした。
 唇を離して、彼をじっと見つめます。
 涙はなく、今度はきちんと微笑むことができました。



 そのあと、迎えに来た愛莉の車で彼を家まで送りました。
 別れ際、これだけは言いたくて、車から降りた彼を呼び止めました。
「私も、もっと……あなたを虜にしないといけませんね」
 いつまでも、あなたと一緒にいたいから。
 振り向いた彼の顔が外灯の下で真っ赤になるのを見て、私は小さく笑いました。
310かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/07/25(日) 00:10:29 ID:WKmqZmeK
以上で投下終了です。

今回はかなり短めですが、次回はかなり長くなると思います。
予定通り、次が最後です。
311名無しさん@ピンキー:2010/07/25(日) 00:32:44 ID:tH+xDjVN
>>310
凄くいいです! GJ。
この二人のエロは凄く気になるな。
312名無しさん@ピンキー:2010/07/25(日) 01:06:01 ID:kgrCkdEF
>>310
言った直後に投下されるなんて
運命か、運命なのか?

ありがとうございます
次回作も期待させて頂きます
313名無しさん@ピンキー:2010/07/27(火) 23:51:04 ID:73qVYlH4
このスレ結構いいスレなのに過疎ってるな
314名無しさん@ピンキー:2010/07/28(水) 07:54:19 ID:ZsutsQvD
「純愛」の意味が広すぎてSS書くには難しい気はする
315名無しさん@ピンキー:2010/08/03(火) 15:57:22 ID:jSB0qv2X
まー今年もクリスマスの時期になったらいつもの人が投下してくれるはずだから気長に保守しとこう
316名無しさん@ピンキー:2010/08/03(火) 20:00:33 ID:RCMNUyU1
>>315
クリスマス編は終わったから、正月かバレンタインに合わせて来ると思う

しかしこのスレの住人は待つことに慣れすぎてないか?w
317名無しさん@ピンキー:2010/08/05(木) 05:33:47 ID:3M9gQzVL
遠距離恋愛とかいかにも純愛で良いよね
318名無しさん@ピンキー:2010/08/20(金) 06:51:53 ID:24ZQy0uW
保守
319名無しさん@ピンキー:2010/08/20(金) 21:58:49 ID:ASihFz3E
純愛凌辱
320名無しさん@ピンキー:2010/08/29(日) 06:48:15 ID:RlYRa5fP
凌辱プレイですねわかります
321名無しさん@ピンキー:2010/09/12(日) 00:04:22 ID:MQZZDlAv
純愛したい
322名無しさん@ピンキー:2010/09/12(日) 12:34:05 ID:KyE0lwva
スレ復興してくれ
323名無しさん@ピンキー:2010/09/15(水) 22:14:37 ID:8e3IbQfs
保守&続き期待
324名無しさん@ピンキー:2010/09/19(日) 08:37:47 ID:rOCZrZgZ
純くんと愛ちゃんの恋愛
325名無しさん@ピンキー:2010/09/20(月) 20:34:53 ID:xemYYPzE
ほしゅあげ
326名無しさん@ピンキー:2010/09/23(木) 01:37:30 ID:wQ68z8Ps
あげ
327名無しさん@ピンキー:2010/09/23(木) 20:04:27 ID:nDE/5P4Y
あげげ
328名無しさん@ピンキー:2010/10/03(日) 10:28:41 ID:Ofv4Ber/
あげげげ
329名無しさん@ピンキー:2010/10/11(月) 15:56:57 ID:26LwQrQ6
保守
かおるさとーさん
続き期待してます
330名無しさん@ピンキー:2010/10/28(木) 21:59:41 ID:0n0vSZLN
あぐぇ
331名無しさん@ピンキー:2010/11/01(月) 22:32:22 ID:rdJTh7Xe
ほしゅ
332名無しさん@ピンキー:2010/11/07(日) 03:10:02 ID:UTB8NnS7
純愛といえばロミオとジュリエットだよな
333名無しさん@ピンキー:2010/11/13(土) 00:02:39 ID:xDXPY7C3
ほしゅ
334名無しさん@ピンキー:2010/11/17(水) 10:32:12 ID:1oLiDJay
>>332
ジュリエットって12歳くらいなんだっけ? 情熱的なロリっ子だよな
335名無しさん@ピンキー:2010/12/07(火) 22:46:25 ID:95yR1bDW
保守
つ、続きを・・・
336名無しさん@ピンキー:2010/12/15(水) 12:53:32 ID:3WgAZ8Wf
わっといずいっと
337名無しさん@ピンキー:2010/12/22(水) 00:11:12 ID:SX3LOPTj
>>68からは保管庫に繋がらなくなったので。

現在のトップページはこっち

2chエロパロ板SS保管庫
http://red.ribbon.to/~eroparo/
338かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/12/25(土) 23:48:57 ID:iaJ9umjz
こんばんは。お久しぶりです。

クリスマスも終わりですが、短編を投下します。エロ無しです。
339かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/12/25(土) 23:50:16 ID:iaJ9umjz
 
『隣人サンタと距離感と』





 サンタクロースって本当にいるの?
 そんな質問を親にぶつけたことはあるだろうか。
 私はない。
 親には。
 親にはないけど、近所のお兄さんにぶつけたことはある。
 歳の差六歳。
 微妙な差だと思う。
 その人は特別かっこいい容姿というわけじゃない。
 なんというか、ちょっと太ってるし、脚は短いし、鼻も低くて丸っこいし、一般的なかっこよさはないと思う。
 ただ、その人はとっても優しい人だ。
 忙しい両親の代わりに家族共々私の面倒を見てくれて、一緒に遊んでもらった私にとっては大好きなお兄さんだった。
 でも私が一人でなんとか過ごせるようになってからは、昔ほど一緒に遊ぶことはなくなった。
 私は口下手であまり友達もいなかったけど、それでも成長するに伴って自分なりの社会というか、人間関係というか、そういう繋がりを形成していって、お兄さんと少しずつではあるけど、離れていった。
 そんなお兄さんに、私は冒頭の質問をしたことがあった。
 お兄さんは少しだけ迷ったように首を傾げて、それから答えてくれた。
 俺は会ったことないけど、いるんじゃないかな。
 会ったことないのにどうしてそんなことが言えるのか私には不思議だったけど、お兄さんは私にうそをついたことがなかったから、私はその言葉に喜んだ。
 じゃあ、私のところにもくるかな?
 お兄さんはにっこり笑った。
 来るといいね。



 そんなやり取りをしたその年のクリスマス、私は初めてサンタからプレゼントをもらった。
 枕元にあったぬいぐるみは、毎年プレゼントを用意してくれる両親も知らないもので、その時から私にとってサンタクロースは実在の人物になったのだ。
 
340かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/12/25(土) 23:52:32 ID:iaJ9umjz
 
      ◇   ◇   ◇



 小学六年の時に、お兄さんが密かにアルバイトをしていることを知り、私は大いに戸惑った。
 高校生ならアルバイトをするくらい別に珍しいことでもない。けど、それを聞いた時、私の中で一つの疑念が膨らみだしたのだ。
 それは少し前から、ひょっとしたら、くらいには思っていたことだったけど。
 その頃にはもうクラスの子は誰もサンタの存在なんて信じてなくて、親に携帯だのゲームだのを買ってもらう話で盛り上がっていた。
 私の家には毎年プレゼントが届くのに。
 そして私は見てしまった。お兄さんがこっそりプレゼントの箱を用意しているのを。
 はっきり言ってしまうと、気付いていた。私のところに届けられるプレゼントは、確かに両親の手によるものではないかもしれないけど、だからといってサンタの手によるものでもないのだ、と。
 どこかの世話好きで優しい誰かさんが、私が寝静まっている間に枕元に置いていっているのだ、と。
 それはとても嬉しいことなのかもしれないけど、当時の私にとっては少なからずショックな出来事だった。
 悲しくて、悔しくて、お兄さんを恨みがましく思って、じゃあ今年は朝まで起きていようと決意した。
 朝まで起きていて、お兄さんをびっくりさせてやるのだ。



 枕元の時計を見ると、日付はとっくに変わっていて、二時になろうとしていた。
 部屋の電気は消してある。私はベッドに潜り込んでお兄さんが来るのを待っている。
 眠かった。
 夜更かしはあまり好きじゃない。一人ぼっちの時間を無闇に増やしているようで、いつも日付が変わる前には眠りこけている。
 それでもその日だけは起きていようと思った。
 お兄さんはうそつきだ。サンタなんていないのにいるようなことを言って。
 ……ん? そういえばはっきりいるとは言ってないような。「いるんじゃないかな」って自分なりの考えを言っただけだから、ギリギリうそはついてない?
 いやいや、うそはついてなくても私をだましているのは違いない。
 だから私がだまされているふりをして、お兄さんを驚かせることくらいは許されると思う。
 眠い。でも眠ったら駄目だ。頑張って起きていないと。
 足音がした。
 閉じられたドアの向こう、廊下の方から聞こえてきたその音は、気を付けていないと聞き落とす程小さいものだった。
 私は目を閉じて音に注意を傾ける。
 キィ、と微かに金属の擦れる音がして、
 部屋に誰かが入ってきた。目ではまだ確認してないけど、気配でわかる。
 空気が細かに揺れ動くような、そんな様子が伝わってくる。多分忍び足で動いているんだろう。息遣いまでは聞こえない。でも感じる温かさはどこか懐かしいような。
 私はこっそり目を開けてみた。
 気付かれないように薄目で、相手の様子を窺う。
 暗闇に浮かぶ大きな影は見慣れた人のものに見えた。
 見えたけど、
「──」
 絶句した。
 そこにいたのはサンタ服を着た誰かだった。
 困惑して、私は思わず目を見開いてしまった。
 まさか、と一瞬思ったものの、しかしよく見たら、それはやっぱり見慣れた人のものだった。
 お兄さんだった。
 彼はわざわざサンタ服を着てきたのだ。
 私は驚いたまま、彼が出ていくまで声をかけることもできなかった。
 
341かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/12/25(土) 23:53:59 ID:iaJ9umjz
 
 私は何も言えなかった。
 そんな凝った真似までしなくてもいいのに、とも言えなかった。
 ただ一つ。
 私の中からお兄さんに対する恨みがましい気持ちが薄れていった。
 お兄さんはその時受験生で、大事な試験まで一ヶ月を切っていたのに、私のためにそこまでしてくれた。
 はっきり言ってバカだと思う。
 そんなことをしてもお兄さんにメリットなんてないのに。
 でも、
 そんなお兄さんが、私はキライじゃない。



      ◇   ◇   ◇



 お兄さんは無事大学に合格して、私も中学生になった。
 中学生になったら少しは大人になれるかな、と期待したけど、特別何かが変わることはなかった。
 ただ、制服姿をお兄さんに似合ってると褒められて、それはちょっと嬉しかった。



 その年のクリスマスにも、お兄さんはやってきた。
 相も変わらずのサンタ服で、私が密かに起きていることにも気付かず、プレゼントを置いていった。
 私はそんなお兄さんにお礼が言いたかった。でも面と向かってそのことを言うのも嫌だった。お兄さんの気遣いを無駄にしたくはなかった。
 それに、お兄さんはただお兄さんなわけじゃない。もう私にとっては本物のサンタだ。
 世界で私だけのサンタクロース。
 だったら、お礼を言う時は決まっている。
 
342かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/12/25(土) 23:55:26 ID:iaJ9umjz
      ◇   ◇   ◇



 一年経って、またその日がやってきた。
 私はベッドに潜りながら彼が来るのを待っていた。
 これまでとは違う緊張感に私の胸はうるさいくらい高鳴っていた。
 今まで彼からもらったプレゼントは全部大事にとってある。
 服とか靴とか、中学生になった今ではもう着れなくて、押し入れにしまってあるものもあるけど、窓際に飾っているぬいぐるみとか、枕元で光っている時計とか、私の部屋にもうなくてはならないものになっているのも結構ある。
 そんな数々のプレゼントに対して、私ができるお返しなんてささやかなものでしかないけど。
 足音。
 心臓が一際大きく跳ねた。
 直後、ドアがゆっくり開かれた。
 私は目をつぶって、彼が部屋に入ってくるのを待つ。
 気配がそろりそろりと近付いてくる。一歩踏み出すのに五秒はかかっているんじゃないかってくらいゆっくりとした気配だけど、私は辛抱強く待った。
 床にプレゼントが置かれる。
 気配が遠ざかるのがわかった。きっと背中を向けたのだろう。来た時と同じようにゆっくりとかたつむりのような速度で離れていく。
 私は一つ息を吸い込んで叫んだ。
「待って!」
 目を開けると、暗闇の中で影が驚いたように硬直していた。
 私は慌ててベッドから起きる。闇に目が慣れるのにしばらくかかって、ようやくサンタ服を捉えた時には、もう彼はこちらを振り向いていた。
「あ、あの、お……サンタさん」
 私は隠し持っていたプレゼントの袋を取り出して、彼に差し出す。
「……お返し」
 彼は呆然とこちらを見つめている。
 私は受け取るまで彼の胸元に袋を押し付けていた。
 しばらくしてようやく彼がおずおずとそれを掴む。
 瞬間。
 私はずい、と接近して、彼の頬にキスをした。
「え?」
 一秒も経たずに離れて、私は背中を向ける。
「お、おやすみなさい!」
 そう叫んで、私は恥ずかしさをごまかすようにベッドに潜り込んだ。
 しばしの静寂。
 背中を向けているから見れないけど、彼はまだ呆然と立ち尽くしているようだった。
 私の心臓はバクバクとうるさい。
「糸乃(いとの)ちゃん……」
 私の名前を呟くと、やがて彼は静かに囁いた。
「ありがとう」
 それからすぐに離れていく気配がして、ドアが閉じられた。
 また静寂が戻ってきた。
 でも私の中ではドキドキが止まらなくて。
 だけど、
(うまくいったぁ……)
 予定通りのことはできた。プレゼントを渡して、プラスアルファでおまけも一つ。
 一人になった部屋で、私はまたベッドから這い出る。
 明かりをつけて、プレゼントの袋を開けてみた。
 セーターだった。カシミアのちょっと高そうなやつ。
 私は値段とかは気にしない。高かろうと安かろうと、お兄さんの思いやりが詰まっていることに変わりはないから。
 お兄さんの様子を思い出す。
 離れたあとの、ちょっと慌てた表情が忘れられない。付け髭の奥で赤くもなっていたと思う。
 私は満足感に包まれながら、ベッドに倒れ込んだ。
343かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/12/25(土) 23:56:46 ID:iaJ9umjz
 
 
      ◇   ◇   ◇



 朝になったらお兄さんに会いに行こう。
 カシミアのセーターを着て、お兄さんに「メリークリスマス!」と言いに行こう。
 きっとお兄さんはまたびっくりするに違いない。
 私はその様子にまた満足して、そ知らぬ顔で昨夜のことをお兄さんに話すのだ。
 お兄さんはどう反応するだろう? 話を合わせてくれるかな?
 できれば合わせてほしい。
 そうしたら私は楽しそうに、来年のことも話す。
 来年、私はサンタさんをサンタ服で迎えたい。
 そして相手に負けないくらい素敵なプレゼントを贈りたい。
 サンタさんにはサンタがいない。だから私が彼のサンタになりたいと、お兄さんに言うのだ。
 お兄さんは驚くかもしれないけど、ひょっとしたら困ってしまうかもしれないけど、これは譲れない。
 お兄さんが私だけのサンタになれるなら、きっと私もお兄さんだけのサンタになれる。私は確信している。
 お兄さんは優しいから、なんだかんだで結局賛成してくれると思う。
 そうなればしめたものだ。
 私はお兄さんに、男の人へのプレゼントについてたくさん訊ねるに違いない。打ち解けたらお兄さんも、女の子へのプレゼントについて訊いてくるかもしれないし、そうしてほしい。
 そんな話をしながら街を回ってみるのもいいと思う。
 そういう風にちょっとデートっぽいことをしてみてもいいと思う。
 私はまだ中学生で、歳の差六歳で、まだまだ子供かもしれないけど、そういうことを積み重ねていけば、その微妙な差も埋められるような気がするし、私だって女の子なんだからそういうことに憧れるのも悪くないんじゃないだろうか。
 そうして、少し離れた距離感を戻したい。
 それができれば、きっとそれはお互いにとって、素敵なことだと思うのだ。



   <了>
344かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2010/12/25(土) 23:59:26 ID:iaJ9umjz
以上で投下終了です。
去年投下し損ねた話でした。

「〜たくて」シリーズ最終話はもう少しかかりそうです……。
345名無しさん@ピンキー:2010/12/26(日) 20:20:11 ID:8eZ1iLck
かおるさとーさんさすがです!!

クリスマス頃に投下してくれる人ってかおるさとーさんだったのか
気長に保守しといてよかった

他のスレでも投下してらっしゃるので大変だろうと思うので、保守して待ってます
346名無しさん@ピンキー:2010/12/27(月) 07:07:34 ID:t1gNKt7z
かおるさとーさんキター

GJです!!!
347名無しさん@ピンキー:2011/01/11(火) 17:46:44 ID:TEGVI61j
ほっす
348名無しさん@ピンキー:2011/01/20(木) 23:50:24 ID:eioIj1VA
★ゅ
349名無しさん@ピンキー:2011/01/31(月) 21:20:13 ID:48vy2Tp9
捕手谷繁
350名無しさん@ピンキー:2011/02/11(金) 21:58:36 ID:sgkyD7x4
ほっしゅ
351名無しさん@ピンキー:2011/02/14(月) 10:43:34 ID:/wxD/W2i
運命の日がやってまいりました
352名無しさん@ピンキー:2011/02/21(月) 00:53:49.01 ID:p+2a43c/
そして過ぎました
353優しい人 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:05:09 ID:ReHzZdsK
遅れに遅れた今更バレンタインネタです

カテゴリ:慰めエロ 不思議系女子高生
全13レス
3541 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:09:40 ID:ReHzZdsK
「大木くん」
 その日、机に伏していた俺に声をかけたのは、珍しく女子だった。
「?」
 見ると、委員長だ。クラスの人気者。
「昼休みに、教室下の中庭に行ってくれない?」
「は?」
 そう返すと、う、と明らかに苦手意識全開の顔をする。
 普段は周りの女子らと集団作っていて、数で圧迫するんだけどな。
 こっちが無愛想で人見知りなもんだから。
「ちゃんと、伝えたからね」
 で、そそくさとどっか行ってしまった。
 中庭ね。ツラ貸せやしばくど、ってことじゃないだろうけど。
 どうでも良いか、なんて気持ちで授業に集中してると、すぐに忘れた。

 昼休みに入って弁当を食べ、そして仲の良い暇人を誘って、将棋を打つ。
 途中までパチパチやっていたら、周りが妙にざわついている。
 どうすんのとか、私嫌だよとか、不穏な言葉が聞こえてくる。
 ま、俺には関係ない話だろうから、こっちのチャンスに集中する。
「よし、角取った」
「ちぇー、マジかよ」
 戦況は有利だ。ここは一気に攻め立てたい。
「ちょっとさあ」
 横から声がかかったので、何だと振り向くと、女子連。
 俺は暇人と顔を見合わせた。
「大木くん、栗府さんの言ったこと忘れてない?」
 栗府とは委員長の名字だ。委員長?
 そこまできて思い出した。ああそんなこと言ってたなと。
「何か用?」
「いいから、中庭行ってよ」
 委員長とこいつらはグルか。まともな用じゃなさそうだ。
 中庭なんてこの時期寒くてけったいな場所に、無理矢理行けってさ。
「嫌だよ」
 こいつら元々、俺のこと軽蔑してるしな。誰が聞くか。
 思った通り、険悪な空気になる。
「最悪」
 あーあ言いやがった。もう慣れてるけどな。
 願わくば、年度末のクラス替えで鉢合わせないよう祈るよ。
「何なの偉そうに」
「せっかく頼んでんのにさー」
 人数いても悪口しか生産出来ないのな。日頃の行いがなってねーんだよ。

 それから女子が話しかけてくることはなかった。
 昼休みはそのまま終わり、午後の授業、掃除、放課。
 旅行の土産か何か知らないけど、女子がクラス全員にチョコレートを配ってた。
 俺に渡す時嫌そうな顔をしたので、気を利かせて「いらない」と断る。
 すると晒し者になる余裕もなく、さっさと次に行ってしまった。
 だるい。
 男子として間違ってるかもしれない。
 姉がいるから知ってるけど、女子は信じられないほど細かいことを、くどいくらいに根に持つ。
 某血液型占いのA型みたく、一旦失望したら無関心対象になるのもあれだけど、なんだ。
 自分を改めて謝って、機嫌直してやらなきゃ修復出来ないんだよな。
 そう考えると、腹立ってくる。
3552 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:14:49 ID:ReHzZdsK
「照吾」
 放課後教室に残って課題をやっていたら、今度は男子だ。
「また女子怒らせたのか? 大概にしとけって」
 言われてしまった。
 こいつの場合素がヤンチャで、悪気はないんだろうけど。
「馬鹿にされたままよりはマシだろ」
「良いけどさ、行ってやれよ中庭」
 まだ言ってんのか。それもクラス全体で寄って集って何をしようってんだ。
「イジメかよ」
「お前そうやって受け取んのやめろよ。今日が何の日か知ってるだろ?」
「平日の月曜」
「あのな、バレンタインデーだよ」
 知ってるよ。だから何? 俺には縁の無い話だけど。
「俺からも頼むからさ。まだ間に合う、今から中庭で少しだけ待ってやってくれ」
「だから、誰が何の用で中庭に呼び出すんだよ」
「お前を驚かせたいから、それは内緒だな」
 どういうノリかは分かった。ピエロになれってか。

 俺は了解して、教室内を無視して中庭に下りて来た。
 今度は一方的でなくちゃんと頼まれたので、断らなかった。
 こうもしつこいと何をされるんだか興味湧いてしまうしな。
 心の覚悟をして、その場に立つ。
 見上げると二階の教室から、野次馬が顔を出している。
 まさか間違ってもバケツとか投げ落とされたりはしないだろう。
 そうなったら笑い事じゃ済まさないだけだ。
「?」
 人気のないここに、誰か来たな。
 身長の低い女子。髪が長くて、見覚えのある奴。
 同じクラスだな。名字は小砂川だっけ、無口で自己主張をしない、影の薄い子だ。
 時々喋ってもいつも声が小さくて、短いことしか言わないのに聞き取り辛い。
 外見は人形のように白くて可愛いが、何か電波っぽいところがある。
 彼女はふらふらと不審な動きをしながら、俺の方に近づいてきた。
 あまり関わりたくないけど、どうしようか。
 と、観察していたら目が合った。

 彼女はしばらくじっとこちらを睨むように見ていた。
 そして次の瞬間、口を開いて何をするかと思えば、
「くしゅっ!」
 人に向かってくしゃみをした。
「おい」
「謝る」
 夕方の風にかき消されそうなくらい小さな声だ。
 そして手にぶら下げていたエコバッグから、何か取り出す。
 大きめの弁当箱くらいの箱、プレゼント包装されている。
「手、出して」
 いらないとは、さすがに言い難い。てか、早く用件済ませろ寒い。
「はい」
 片手を差し出すと、彼女は少しだけ間を置いて、
「!?」
 目にも留まらぬ速さで俺の手に箱を乗せ、と言うより放ってすかさず後ずさる。
 まるでチキンレースだ。思わず驚いた。
 で、彼女は相変わらず上目遣いの睨んだような目の及び腰で、俺を見る。
 あ、振り返った。一目散に駆け出した。そしてこけた。
 それでも立ち上がって砂を払い落とすと、一瞬顔をこっちに向けて、また走って。
 結局、挙動不審全開で逃げて行ってしまった。
3563 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:19:19 ID:ReHzZdsK
 呆れて教室に帰って来ると、思った通りの空気に迎えられた。
「よっ! 公開プレゼントなんて、憎いねえ」
 こっちは別に楽しくない。良いピエロ扱いされてるんだからな。
「開けてみなよー、モテモテの大木くん?」
 女子が嫌味にからかう。
 こんなの渡す為だけに、クラス巻き込んだのか? 勘弁してくれよ。
 気持ちとしては嬉しくなくもないけど、それ以上に腑に落ちない感じ。
 でも性悪みたいに、「こんなのいらねー」なんて言動すると総叩きだな。
「小砂川さんは?」
「さあ? それよりもほら、開けちゃいなよ」
 委員長や他の女子、男子にも一斉に注目される。
 悪い気分じゃなかったし、それにあんな態度だったんだから、どうせ大した物じゃないだろう。
 席に座って机の真ん中に箱を置く。
 何気なくじっと見つめる。そして、恐る恐るリボンを解く。
「おおっ!」
 箱を空けたら、大きなハート型のチョコレートが出てきた。
 そして、隣に手紙。
 何だ? と思ったら女子に横取りされた。
「えー、何々? ”大木照吾くん あなたのことが ずっと好きでした”」
『うわー!』
「”私の気持ちを このチョコレートに託します 良かったら 付き合ってください”」
 目の前で読み上げられて、周囲の盛り上がりは絶頂。
 囃し立てられてるのが煩わしいどころでなく、俺は動揺してしまって、言葉が出なかった。
 冗談か? 冗談なんだよな? 皆して、俺を騙そうと。
「良かったねーおめでとー」
「あ、小砂川さん帰って来た!」

 彼女が目の前に連れて来られる。
「ほーら大木くん?」
「お前の返事を待ってんだぜ?」
 その小砂川さんは、無言で俺を、やっぱり少し睨むような目。
 周囲は半径2mくらいの距離を置いて、俺と彼女の様子を黙って見守る。
「あ」
 何て言えば良いのか。こういうのは苦手だ。
「そ、その、ありがとうな。渡された時は、驚いたけど」
『手紙の返事ー』
 外野が小声でフォローしてくる。うるさい、分かってる。
「何か、突然で俺、どうしたら良いか分かんなくて、でも、手紙のことは、素直に嬉しい」
 彼女が表情を変えず、俺を見ている。
「だから後で、また二人で、」
「待って」
 と、そこで彼女の口が開いた。
「え?」
「一体、何の話?」
 その瞬間、ハッとなった。
 面と向かったまま思考が止まって、そしてすぐに動き出した。
「それ、チョコ?」
3574 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:23:40 ID:ReHzZdsK
 すぐに把握した。性質の悪い悪戯だった。
 周りはドッキリが成立したかのような雰囲気に変わり、
「ごめんねー大木くん」
 勝ち誇ったような女子の声が聞こえる。
 顔が熱くて、心臓がかなりバクバク言ってる。
「わりぃ照吾、お前をちょっとからかってみようって話だったんだ」
「え?」
 やっぱりお前や男子も結託してたのか。
「くすくす」
「ばーか」
 そして波が引くように皆、席に戻って行く。
「あー傑作。見た? あの真面目な顔」
「あいつ良い気味よね」
 ああ、そうか。
 そんなに俺は嫌われていたのか。
 分かってて、慣れてたはずなのに、こんな貶め方されるの、痛いわ。
 何か重くて焼けついて、気持ちが悪くなる。
 洒落にならない。どうにかなってしまう前に、一人になりたい。
 俺は鞄を取ると、逃げ出した。
 教室から、学校から少しでも離れたい一心で、走った。
 誰か何か言っていたかもしれないけど、そんなのは全く聞こえなかった。

 俺は普段乗る場所よりも三つ先のバス停にいた。
 やっと落ち着いてきたが、単純に馬鹿を晒してしまった自己嫌悪が治まらない。
 そういうことするのね、真面目に。何故か考えてもみなかった。
 告白なんてされたことないし、チョコレートもまともに貰ったことがないからか。
 あー、惨めったらしいったらないわ。
 意外でも何でもない、悪戯でこれ渡して来いって頼まれただけだったんだな。
 それを喜んで、少しでも信じてしまった自分はなんて阿呆だ。
 明日は俺、どんな顔してりゃ良いんだ?
「ん?」
 座っている俺の目の前に停まったバスが、今走り出したところだった。
 乗れば良かったか。でも、萎えた。
 非常にやる気をなくした。

 そのまま家に帰って着替えてから、こたつに横になる。
 両親は共働きで夜遅い。一人でぼーっと、何も考えずに天井を見てる。
 何も考えたくない。現実逃避したい。
 と、そこに電話がかかってきた。
「はぁ」
 出たくないので出ない。親しい奴は携帯からかけてくるし。
 しかし、何度も鳴る。
「もしもし?」
 電話を取ると、少し間が開いた。
 こんな時に悪戯電話かと、切ろうかと思ったら声がした。
「大木、くん?」
「どちら様ですか」
「小砂川、茜」
 切った。
 あんたは悪くないかもしれないけど、聞きたくない。
 これ以上頭に血が上らないように、深呼吸をする。
 もう一度深呼吸。
 腹減った。そうだ、何か食べよう。
3585 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:28:32 ID:ReHzZdsK
 スパゲティを茹で、レトルトのソースに絡めてちょうど食べ終えた頃。
 小一時間前と同じように、また長い電話がかかってきた。
 埒が明きそうもないので、取る。
「はいもしもし」
「お願い、切らないで」
「悪いけど、今は誰とも話したくない」
「どうして?」
 どうして? か。気楽なもんだ。
 ついまた静まっていたものが蒸し返す。
「あんたのせいだ」
「違う」
「何が違うんだよ。おかげで俺は良い笑い者だよ」
「違う。悪いのは、大木くん」
「!」
「でも、落ち着いて」
 捌け口が見つからないのを見透かされて、言葉が詰まった。
 俺が一番悪いってことはもう既によく分かってる。わざわざ言われたくもない。
「そんなこと指摘する為にわざわざ電話して、さぞ満足だろうな、え?」
「落ち着いて」
「落ち着きたいから、誰とも話したくないんだよ、あんたとなんかさ!」
「八つ当たり、しないで」
 責められたくなかったら、放っといてくれりゃ良いんだ。

 それからしばらく、無言になった。
 確かに俺がしているのは、八つ当たりだ。
「ごめん、悪かった。でも、そういうことだから、もう良いだろ?」
「”だから後で、また二人で”」
「は?」
「続きは、何?」
「何のこと?」
「大木くん、言いかけた」
 ああ、俺があの時言おうとしたことか。
「別に。周りがウザいから、場所を変えてお礼を言いたかっただけ」
「そう」
「けど、あんたが好意でくれたんでも何でもない。恥かいた」
「じゃ、今から、会って」
 突然話が訳の分からない方向に転がる。
「何言ってんだ? 第一、何の用の電話?」
「住所、教える」
「教えてどうするんだ。てか人の話を聞けよ」
「今から、会って」
 こいつやっぱり苦手だ。

 小砂川茜の家は隣町にあった。
 暗くなった道を自転車で20分、着いた場所はマンション。
 訳も分からないまま、また俺は流されてる。
 具体的な理由も言わずに、ただ今から会えって、どういうことだ。
 それもどこかで待ち合わせるとかでなく、一方的に家まで来させるって酷いだろ。
 とりあえず、共用玄関で教えられた部屋番号を押して、インターホンに呼び出す。
「はい」
 男の声がした。これは何か気まずい。
「こんばんは。あの、小砂川さんは、こちらですか?」
「そうですが」
「茜さんのクラスメートの、大木といいます」
「少し、お待ちください」
 そして少しして、声が替わった。
「どうぞ」
 彼女からはそれだけ告げられ、目の前のオートロックが開く。
 こんなに不満だらけなのに、何故ここに来てしまったのか。
 まだ何か良いことがあるかもしれないと、そう思うから?
3596 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:33:40 ID:ReHzZdsK
 9階の左端の部屋。
 ピンポンと鳴らすと、また短く返事がして、ドアが開いた。
 目の前に立っていた彼女は上下体操服姿で、髪を後に束ねている。
「こんばんは」
「入って」
 そう言うと、先に奥に行ってしまう。
「お邪魔します」
 靴を脱いで、上がる。芳香剤の花の匂いがする。
 居間を通り越して、自室に案内される。小奇麗で、あまり物のない部屋だ。
「さっきの人は?」
「近所の、おじいさん」
 近所のおじいさんが何でこの時間帯にいるんだ。
「すぐ、帰った」
 なるほど。さっき見た感じ、この家には彼女以外誰もいないようだし。
「で、何の用なんだ」
「煮物、食べる?」
「煮物?」
「おじいさんが、持って来た」
 ああ、お裾分けね。いいよいらないよ。
「そんなことで呼んだんじゃないんだろ?」
 そう訊いたら、黙ってしまった。

 彼女は俺の、顔色を伺っている感じがした。
 相変わらず睨むような、注視するような目で。
「わざわざ、あんなことがあった俺にちょっかい出す理由があるんだよな」
「そう、学校のこと」
「それが?」
「知らなかったから、同情する」
 電話で言えることだろそれは。
「黙って渡して来いって言われただけなんだろ?」
「そう。でも、同情する」
「同情同情って、余計なお世話だよ。どうせあんたも内心じゃ俺のこと」
「自棄に、ならないで」
 そう言うなり恐る恐る、俺の手の甲に、指先を。
「触んな」
 すると、パッと手を引っ込める。
 同じじゃないか。女子は皆、俺に直接触るの恐がってる。
「私も、一緒に」
「は?」
「私も一緒に、馬鹿にされた、気分」
 手の甲が一瞬冷やりと、そして、温かくなった。

「昔、好きな人がいた」
 俺の手に手を被せたまま、彼女は言った。
「チョコ、渡した」
「何の話だよ」
「目の前で、捨てられた」
 俯いたまま、続ける。
 トラウマなんだろうか。渡したチョコを捨てられるって。
「物を貰ったら、お礼くらい言うべき」
 と思ったら、割とあっさりしてるのか?
「大木くんは、優しい」
「そりゃどうも。けどあれは」
「そう。だから、もう一度」
 何がもう一度なのかと思ったら、彼女はポケットから何か取り出した。
 市販の一口チョコだ。それを、俺にくれる。
「これしか、なかった」
 これは彼女なりに俺を、慰めようとしているのだろうか。
 子どもじゃあるまいし、こんなこと。
「ああ、ありがとうな」
3607 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:38:42 ID:ReHzZdsK
「あの手紙、見た」
「出鱈目書いてたんだな。あんたがまるで俺にくれたみたいに」
「私とは、書いてなかった」
 じゃあ渡したのが、あんただっただけか。
「もう良いよ。ややこしく考えたくもない」
「提案、ある」
 次から次に、今度は一体?
「本当に、付き合うことに、すれば良い」
 本当に付き合う、ね。
 つまりあいつらの鼻を明かしてやろうってか。
「ちょっと待て」
 平然とした顔してるが、それってどういうことか、分かってんのか?
「私は、嫌い?」
 突然そんな話をするなよ。
 って言いたくなったけど、真剣な顔してこっち見るもんだから、返せない。
「んー」
 彼女は黙って俺を見つめてくる。
「いや、いいよ。そんなことしなくたって、俺は別に平気」
「違う、傷ついてる」

 何か、何かこの感じ、嫌だ。
 不愉快とまでは言わないけど、凄く苦手。
 そう、家に呼び出される時点で、既におかしいんだ。
 どうしてこんなことをしてくるのか、理解出来ない。
「もう放っとけよ。その通り、俺はこういう性格なんだ。俺が全部悪い」
 考えた末に、こんな馬鹿なことを言ってしまった。
 こんなお互いよく知りもしない相手なんかに、打ち明けることでも何でもない。
 じゃあ俺は、誰にモヤモヤをぶつければ良いんだろうか。
 家族か? いや、そんなもの自分で何とかするのが当然だ。
 誰かに頼ろうなんて考えが甘い。
「疲れた。帰っても良いか?」
「そう、帰るの」
 息をするくらい小さな声。
「帰るの」
 独り言みたいに呟いて、そのまま動かない。
 了解したのか、そうじゃないんだか。

「小砂川さん」
 何も言わない。
「俺が今、あんたに対して思ってることって、自意識過剰だと思うか?」
 訳の分からないことを訊いてる。
 答えないし、視線も床を向いたまま合わせてくれない。
「はあ、そうか。じゃあな」
 もう良いや。こいつと話してると、疲れる。
 立ち上がって、足早に立ち去ろうと歩き出して、
「違う」
 彼女は一言、そんなことを言った。
「大木くんを、理解したい」
 もういいって。
「止めとけよ。何になるんだそれが」
「私のこと、嫌いなら、いい」
「嫌いだからさっきからずっと、素っ気ない態度して避けてるって言うんだな。そりゃ面白い、よく考えついた」
「違う!」
「うるせえ! じゃあ何で俺なんだ。今日までロクに話したこともないのに、そんなんで好きも嫌いもあるかよ」
「私と、似てるから」
3618 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:45:19 ID:ReHzZdsK
 また何を言い出すかと思えば。
「親近感、持ってた、ずっと」
「はっ」
「仲良く、なれたら良いって」
 傷の舐め合いなんて真っ平だ。俺はそんな最低の見栄っ張りだ。
 そして、自分をこんなに、傷つけているなんて。
「はあ」
 同時に溜息が出た。
「悪い。あんたのこと、よく分かってやれなくて」
「私は、信用する」
「良いのかよ? 俺なんかに自分を投影させてさ」
「大木くんを、好きになりたい」
 一瞬取り乱したのが嘘のように平静で、けど真剣な小砂川茜。
「そうすれば、自分も少しは、好きになれる」
 似てるようで、俺とは全然違うよ。
 あんたは単純で正直だ。人の困惑も顧みないくらいに。
「じゃ、そういうことで付き合えば良いのかよ?」
「嫌いなら、いい」
「別に嫌いじゃないよ」
「そう」

 彼女が立ち上がって、俺に近づく。
「何だよ」
 遠慮の域を超えたところまで接してきて、遂に体が、密着した。
 2〜30センチくらいの差はありそうな身長。胸元に掌を当てて、頬を寄せてくる。
「付き合う」
 仕方なく、腕を背中に回してハグする。
 見た目と違わない、小さくて細い体。
 服をぎゅっと捕まれて、何か緊張する。
「良い、匂い」
「んなことない」
 俺の方こそ、あんたの良い匂いがする。
 こんなのって初めてだ。どうしたら良いか分からない。
「おい」
 彼女が俺の顔を、見上げてくる。
「今日は、このくらいで良いだろ?」
 そう言うと、理解したのかふっと体が離れる。

 付き合うってこういうことなのか。
 感触が残って、未だに落ち着けずにいる。
「俺、帰るな」
「もう少し、いて」
 ここで強気に出られるととても困る。
 俺、口が開きっ放しだ。格好悪い。
 間が悪いから、視線を外して、他のことを考える。
 そうだついでだ。貰ったチョコでも食べてみるかと、入れたポケットを探る。
「ん?」
 視界の端で彼女は、体をごそごそしたかと思ったら、トレシャツの下から何かを抜いた。
 今ここで外すもんじゃないだろそれ。
「着替えるならそう言えよ。部屋出っから」
「見てて、良い」
 そう言うなり、今度はトレパンを、目の前で脱いだ。
 あまりに平然とやってのけたので、こっちもまともに見ていてしまった。
「って、見てて良いって何だよ」
「こっち、来て」
 裸ジャージみたいな格好で、彼女は俺に呼びかける。
3629 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:50:30 ID:ReHzZdsK
 よく考えなくても、分かりやすいくらいに態度に出てる。
 これは誘ってる以外の何物でもない。
 こいつが? それも付き合うなんてその場の勢い的な話から、いきなりか?
「ちょっと待て。少し冷静になれ」
「私は、冷静」
「そんな格好になってどこがだ」
 まるで俺の方が変であるかのように、見つめてくる。
 相変わらずの睨み目だけど、段々と愛着を感じ始めてる。
「良いのかよ?」
 本当に良いんだな、なんて女子に訊くことになるなんて。
 彼女の素足、綺麗だ。学校では誰にもそんなこと感じないのに、触ってみたい。
 俺は惹き寄せられて、向かい合う。
「嫌なこと、忘れて」
 そして、抱き締めた。

 自分の中が、熱くなっていくのを感じる。
 体が段々と本能寄りに正直になりそうで、でも放すことが出来ない。
 腕を緩めると、彼女の手が俺の頬に届けられた。
 顔を上げて、指が優しく、促す。
 そのまま段々と距離が近づいて、彼女が薄く目を閉じていく。
 俺は抵抗も何もせず、ただ従うように目を閉じて、そして、
「ん」
 鼻が交差して、唇に触れた。
 まともな記憶の内では、初めてのキスだ。
 心臓がドキドキ言ってる。少し前までは馬鹿らしいと思ってたことに。
 息継ぎに、顔を離す。
「っ」
 最初がこんなで良かったのか、見つめ合いながら不安になる。
 もう一度確かめたい。そう思ったら今度は俺が、自分からキスをしていた。
 それから探るように、繰り返す。
 体格差がもどかしい。それは彼女からも何となく感じる。
「こっち」
 彼女は密着したまま、俺を誘導する。
 そして自分のベッドに腰掛けて、俺も隣に座らせて、またキスをねだる。
 この勢いで、どういうことになるかは予想出来た。

「ん、ふ」
 舌が絡んでいる。複雑な味や感触を記憶するより、ただ欲しい。
 と、途中で彼女が抜いた。そして、俺の体を探った。
 完全にそんな気分になってしまったのか、触られるだけでおかしい。
「ちょ、何?」
「チョコで、甘く、して」
 まだ食べてなかったな、そういや。
 貰ったばかりのそれをポケットから取り出して、包装を開く。
 何か少し溶けかけてら。でも口に放り込む。
「美味い」
「私も、欲しい」
 そう言うと、やや強引にキスされて、舌を挿し込まれた。
 すぐに甘さが伝染して、舌はチョコのような味に変わる。
 それでも溶けきるまで、遊ぶように口の中で取り合う。
「ぷは」
 凄いことをしてる。でも、目を覚ましたくない夢心地だ。
36310 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 18:58:52 ID:ReHzZdsK
 俺は彼女の、胸元を触る。
「あっ」
 息のような声と、体の反応が返ってきた。
 素肌の上の、冬用のトレシャツ。大きくはないけど、膨らみが分かる。
 擦れるんじゃないか。この辺か?
「んっ」
 彼女の顔は段々赤く、感情が露になっていく。
 それでも出来る限り、堪えようとしている風なのが、可愛い。
 背を向けてもらい、裾を捲し上げて、今度はへそから上に、直でなぞる。
 胸部の山なりを通って、突端の乳首が指に当たる。
「脱がすぞ」
 黙ってるけど、こっちも宣言しただけで止めるつもりはない。
 トレシャツを裏返しにして脱がせたら、掌で胸を掴む。
「小さい」
 俺が言わないことを自分で言うのか。
「関係ねーよ」
 揉み応えがある。柔らかいのが詰まってる、って分かる。
 そんな風にしながら指で乳首を捏ね回すと、つん、となってくる。
「待って」
 もう呼吸が荒い。
「座ってるの、きつい」

 向き合って、彼女が髪を解いた瞬間を、俺は見惚れてしまった。
 暗い茶色が肩まで覆って、最初は人形のようだと思ったけど、もっと生気に溢れている。
 近くで見ていてそれがよく分かった。
 俺も上半身裸になって、彼女を仰向けに寝かせた。
 そして隣から膝を突いて乗りかかるようにして、顔を覗いた。
「続き、お願い」
「おう」
 自分の影が映る、彼女の体。
 唇から始めて、頬、耳、首に沿って、キスをしていく。
 鎖骨、肩、そして、胸。
 乳首を舌で転がすように舐めて、今度は吸いつく。
 彼女の手が、俺の背中を押さえる。軽く噛むと、少し力が入る。
「くっ」
 小さな体で、感じているんだな。
 下半身はどうだろうか。しながら、片手で探る。
 足の付け根の真ん中。柔らかい場所に、触れる。
「あぁ」
 薄ら湿った感じに興奮して、下着越しに指を擦らせる。
 かなり気持ちが良いのか、乱れる彼女。
 胸を解放して表情を確かめたら、凄いエロい。

 下着の隙間をずらして、割れ目をなぞる。
 濡れていて、毛は生えていないのが指触りで分かった。
 中に指先、引っ掛けるようにして弄る。
「ふ、あっ」
 適当な知識だけが頼りだけど、今は迷わない。
 勢いでイカせてやりたい。激しくすると、更に滑り出す。
 悶えてぎゅっと、締めつけてくる。
「いっ!」
 彼女は可愛い声で、果てた。
 凄え、目の前で女の子が、イった。
 半開きの口から荒い呼吸、涙ぐんだ顔はだらしなく見える。
 下はもうベタベタに濡れて、俺の指がまだ熱い。
 普段からは想像もつかないような光景が、新鮮で残酷だった。
36411 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 19:03:52 ID:ReHzZdsK
 濡れた下着を脱がすのに、彼女はされるがままになった。
 上から、裸を見下ろした。やっぱり綺麗だ、見とれるくらい。
「大木くんも、気持ち良く、なって」
 ああ、さっきからずっと、今までにないくらいに股間が張り詰めて苦しい。
 全部脱いじまって、上から体を重ねる。
 耳元に顔を埋めて、訊く。
「生で、良いのか?」
 すると彼女は少し震えて、
「優しく、して」
 と言って、俺の腕に腕を絡めた。
 ゴムなしだ。何かあったら重大責任だ。
「分かった」
 でも、あんただけには、俺は素直になりたい。
 ありのままを、見せたい。

 曲げた膝に触れて、横に開く。
 滑りに覆われた場所は、まだ敏感な状態のはずだ。
 モノを手に取って、割れ目と突起の辺りで、何度か扱く。
「硬、い」
 これすら気持ち良すぎて、先がじっとり濡れてきた。
 もう焦らすのも止め。先端を、滑らないように慎重に押し当てる。
「行くぞ」
 結構小さいけど、ちゃんと入るのか?
 彼女の体を押さえて、指すらきついと感じた中に挿し込む。
「い、たっ!」
「大丈夫か? 力、抜いて」
 初めてを俺なんかに、くれるんだな。
「はー、ふー」
 きつそうだ。上手く緩ませないと、無理か。
 体を折り曲げて呼吸を読んで、もっと中へ。モノが膣に、包まれていく。
「ぐっ」
「う、うっ!」
 強引かもしれないけど、やっと奥、か?
 貫通した。俺のが、彼女を拓いた。
「痛かったよな」
 涙で濡れた彼女の顔。でも首を横に振った。
「なら、動くぞ」

 自分が、女の子の体を突いてる。
 信じられないくらい気持ちが良くて、それしか考えていられない。
 夢中で何度も腰を入れて、小さな膣の中で摩擦する度、熱く溶ける。
 その弾力で俺のを全部、持っていこうと締めつける。
「はっ、うっ!」
 切ない呼吸に表情は崩れに崩れて、でも俺の顔をじっと見ながら、感じている彼女。
 やばい。無茶苦茶に抱き締めて、キスしたい。
 そう思ったらもう、反射的に実行に移していた。
「んんっ! ん、ふっ」
 自分が馬鹿に思えるくらい、激しい。
 多分俺も、凄い情けない顔になってるんだろうな。
 でもあんたに受け入れてほしいって、求めてる。
 そしてあんたは、俺のことを抱き締め返してくる。
「ぷはっ」
 上も下も、どっちの口もベタベタだ。でも、今はそれが快楽。
「最後、一気に、行くぞ」
36512 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 19:11:26 ID:ReHzZdsK
 がちがちに硬くて、我慢が今にも暴発しそうな俺のモノ。
 今まで以上に速く何度も出し入れすると、遂に、
「やば、もう、出るっ!」
 背中に回された手に、ぎゅっと力が入った。
 俺も痛いくらい彼女を抱き締めたと思う。
 出したことのない場所で初めて、限界が、来た。
「うっ!」
「ああぁっ!」
 声。
 来た。
 出てる。射精してる。女の子の、胎内に。
 とんでもない量が、一気に流れ込むのを感じた。
 モノが波打って、小刻みに何度も射て放つ。歯止めが利かない。
「止ま、らね」
「満ち、てくっ」
 中で一緒の液に塗れて、熱く染まっていく。
 こいつの中、温かい。

「はー、はー」
 まだ何か、体がジンジンしてら。
 モノを抜いたら、栓をしてたみたいに精液が溢れ出てきた。
 俺、こんなに出しちまったんだ。
「小砂川さん」
「大木、くん」
 こんなに一方的に汚しても、あんたの表情は優しく見える。
 俺がまだ、夢心地の馬鹿でいる内に、もう一度キスさせてくれ。
 そう念じて、俯瞰から彼女の顔へ。
 お互いにまた目を閉じて、唇の感触を、繋ぐ。
 30秒、いや1分くらいか。
 ずっとそうしていた。そうしていたかった。
「っ、はあ」
 やっと離す。
 目の辺りがムズムズする。視界が滲んでる。
「泣いてる、の?」
「まさか」
 でも彼女の手が、俺の目に近づいてくる。
「っ」
 下睫毛に、触れた。
 小さくて繊細な指先に、潤ったような感触が当たって、気づいた。
「泣いてる」

 俺は彼女に頼んで、それからもう少しだけ、抱かせてもらった。
 長い髪と柔らかい肌の温もり、匂い、そして呼吸。
 身近にあると何だか、安心する。
 情けない。
 弱い自分が情けなくて、男泣きだとよ。
「ありがとうな」
 そしたら、横向いて俺を見つめていた彼女は、首元に顔を寄せて、
「痛かった」
 と、少しだけ拗ねた風に言った。
 でも、どこか甘えたいようにも感じる態度が、可愛い。
「さっきは痛かったか、って訊いたら強がっただろ」
「痛かった」
 そうかそうか、と頭を撫でてやる。
「だから、付き合って」
 体の関係が出来たから付き合えって、順序おかしいだろ。
 でも良い。あんたなら。
「付き合うよ。今日のこと、凄い感謝してるし」
36613 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 19:17:07 ID:ReHzZdsK
 シャワーを借りた後は、当然事後処理を手伝わされた。
 親が帰って来でもしないのかと心配していたけど、無意味だった。
 ここには何でも、彼女一人で住んでいるらしい。
 改めて、普通じゃない奴だなと思う。
 片付けが済んで、気がついたらもう夜遅い。
 こっちの親は心配してるだろうから、とりあえずメールを送った。
「そろそろ帰んないとまずい」
「帰るの」
「まだ引き止めるのかよ」
「違う」
 彼女が畏まって、俺を見る。
「私から、お願い」
 何だろう。とんでもないこと頼まれるんじゃ。
「明日、手、繋いで」
 少しだけ赤面しながらの主張だった。
「クラスの皆の、前でか」
「皆の、前で」
 なるほど。
「面白そうだな。やろうぜ」


 次の日の朝。
「悪ぃ、昨日はマジやり過ぎた」
「本当ごめん」
 男子からはこういう反応だった。
「気にすんなよ」
 一方女子も、いつものように俺を避けてはいたが、昨日あれであまり後味は良くなかったんだろう。
 男子の話だとあの後、俺を庇う奴とかもいて揉めてたようだ。
 で、下手な噂広めて貶められることもなく、無事に無かったことになっている。
 大丈夫、別にあんたらに何も期待しないよ。
「あ」
 そんな時、小砂川茜が教室に入って来た。
 すぐに目が合って、彼女は俺を視認する。
 すると何気なく自分の机に荷物を置いて、まっすぐ俺の所へ。
 周囲は気まずそうに黙りつつも、こっちに注目する。
「何だよ」
 わざとらしく声をかけたら、俺をじっと見つめてきた。
 昨日のことを、じわじわ思い出す。あれは、現実か?
「手、出して」
「おう」
 差し伸べて見せたら、彼女の表情が少しだけ緩んだ。
 そしてすっと、手を繋がれた。
「おはよう」

 クラスの反応は、痛快だった。
 手を繋いでる俺たちを見て、皆目を丸くしてざわめき立った。
 視線が気にならないと言ったら嘘になるかもしれない。つい最近までは考えもしなかったことだからな。
 でも、気持ちが晴れた。
 俺たちはそのまま、二人だけで昨日と同じ、教室下の中庭に来た。
「もう一度、あげる」
 彼女はそう言って、また何でもない市販のチョコをくれた。
 あんたらしい、けど嬉しい。
「ありがとう。今度は俺が、あんたの為に何かしてやる番だな」
 傷ついたら慰めてやる。寂しい時は抱いてやる。いつでも。
「キス、して」
「おう」
 それが付き合う、ってことだよな。
「ん、ん」
「はぁ、俺、あんたのこと、好きだ」
「私、も」
367 ◆C3E8F9Y9U6 :2011/02/24(木) 19:21:47 ID:ReHzZdsK
これで終わりです
おつかれさまでした
368名無しさん@ピンキー:2011/02/24(木) 23:19:37 ID:y3HjVQbF
GJです!
茜さんすげえいい娘や……
369名無しさん@ピンキー:2011/02/26(土) 15:15:10.53 ID:C/ebsavm
こんなSSがどうしても読んでみたい
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1281253478/
二次創作総合スレ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1282482997/
370名無しさん@ピンキー:2011/02/26(土) 16:45:36.98 ID:iNzo3QDH
gjgj!!
371名無しさん@ピンキー:2011/02/26(土) 20:09:08.66 ID:mimgaLHP
すばらしい!
372名無しさん@ピンキー:2011/03/03(木) 01:26:26.77 ID:pEArIsB6
ちょっと遅いけど、GJです
茜ちゃんいい子っ!!
373名無しさん@ピンキー:2011/03/10(木) 07:15:40.91 ID:3CQjzwAu
不良娘と純愛
374名無しさん@ピンキー:2011/03/25(金) 01:12:34.55 ID:EKMgzP3M
保守
375名無しさん@ピンキー:2011/03/25(金) 15:41:50.31 ID:auJIwCUK
>>373
フルーツバスケットの今日子と勝也ですねわかります
376名無しさん@ピンキー:2011/04/15(金) 18:45:59.70 ID:80jviCsJ
あげ
377名無しさん@ピンキー:2011/04/17(日) 01:04:41.60 ID:ni9vhJb5
ほす
378名無しさん@ピンキー:2011/04/29(金) 00:00:29.56 ID:QmyX2FZr
379名無しさん@ピンキー:2011/05/11(水) 17:47:52.76 ID:c2s2p+kA
380名無しさん@ピンキー:2011/05/12(木) 10:13:31.57 ID:nNMG6gyg
381名無しさん@ピンキー:2011/05/26(木) 22:36:31.57 ID:gKCeIJgB
382名無しさん@自治スレで設定変更議論中:2011/06/15(水) 15:44:22.61 ID:XSwoojFi
保守
383名無しさん@ピンキー:2011/07/05(火) 22:30:56.93 ID:kRdkHdsI
保守
384名無しさん@ピンキー:2011/07/15(金) 17:42:10.05 ID:Sp1McrDN
保守
385かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/21(木) 23:27:35.06 ID:TBSKI2UM
こんばんは。お久しぶりです。
>>309からの続きを投下したいと思います。
……が、忍法帖に阻まれるかもしれないので、時間かかるかもしれません。
いまいち仕組みもわかっていないのですが……
386かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/21(木) 23:36:38.29 ID:TBSKI2UM
 『なりたくて』



 今年の夏はおかしい。
 連日の暑さにやられて、毎年そう言っているような気もするけど、このときのおかしいは
違う意味だった。
「……終わっちゃったよ」
 自室の座卓の上に積み重ねられたノートや参考書の山を見つめながら、ぼくは思わず
つぶやいていた。
 夏休みの宿題をすべて終わらせた。
 当たり前のことと思うなかれ。今はまだ八月頭なのだ。いつもだったら後半までかかって
しまうのに、今年は夏休み開始二週間足らずで片付けることができた。
 無論、ぼく一人の力で達成したのではない。
「お疲れ様でした」
 向かいに座る少女が、我がことのように喜んでいる。白い薄手のワンピース姿で見せる
笑顔がまぶしい。
 彼女の手伝いがなかったら、到底ぼくは宿題を終わらせられなかっただろう。
 一学年下にもかかわらず、彼女の学力はぼくより上なのだ。わからないところを的確に
教えてもらえたのは、多少情けなくも思ったけれど、とてもありがたかった。
「本当にありがとう。こんなに早く終わらせたのは初めてだよ」
「私もここまで早く終わることは稀です」
 初めてではないのね。
「やっぱり一緒にしたことがよかったのではないでしょうか?」
 そう彼女は言うけど、『一緒に宿題をする』というのはたぶんあまり効率のいいものでは
ない。おしゃべりを始めたりして、最後まで集中が続かないからだ。
 しかし彼女は違った。アドバイスをしたり、ぼくの質問に丁寧に答える以外は、まったくの
無言でシャーペンを動かし続けるのが常だった。
 彼女がいてくれて本当によかった。これで残り一ヶ月近い休みを満喫できる。
387かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/21(木) 23:44:07.76 ID:TBSKI2UM
 が、彼女はやはりまじめだった。
「勉強はきちんとしないとダメですよ」
「え」
「受験まで一年半しかないんですから、気を抜きすぎるのはダメです」
 まるでお母さんのようだ。ぼくの母親は放任主義なのでそんなことは言わないのだけれど。
「……ヤリマスヨ、モチロン」
「どうしてカタコトなんですか」
「ハハハ、気のせいアルヨ」
「……まあ落ちても学年が一緒になるから、それはそれでかまいませんけど」
 おおう、言うね。
 この間の夏祭りから、彼女の物言いにさらに遠慮がなくなった気がする。
 それは愛莉さんに対する接し方に近いと思うのだ。
 そんな彼女の態度が嬉しくて、ぼくもつい軽口を叩いてしまう。
 彼女がボケじゃなくてツッコミタイプだから、必然的にぼくがボケにまわるだけなのかも
しれないけど。
 それはともかく。
「まあそれはおいといて。少し休憩しようよ。アイス買ってきてるから」
「あ、手伝います」
 ぼくの動きにつられるように、彼女も立ち上がろうとした。ぼくは慌てて押しとどめる。
「足、まだ万全じゃないでしょ?」
 彼女は先週、右足に怪我をした。軽い捻挫で、腫れはもう引いているようだけど、あまり
激しい動きは出来ないらしい。本当なら家で安静にしておくべきなんだろうけど。
「えっと、もう痛みも特にないですし、きちんと歩けますし、お手伝いくらいは、」
「お客様は座ってて。アイス持ってくるだけだから」
「……じゃあ、お願いします」
 座りなおす彼女に尋ねた。
「バニラとチョコとイチゴ、あと抹茶があるけど、どれがいい?」
 彼女は少しだけ考えて、
「バニラでお願いします」
「了解」
 ぼくは頷いて、一階のキッチンに向かった。
388かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/21(木) 23:48:29.17 ID:TBSKI2UM
 
          ◇     ◇     ◇

 彼の背中を見送って一人になると、私はほう、と息をつきました。
 足の痛みはもうほとんど無いのですけど、少しだけうずいたような気がしました。たぶん
緊張しているせいだと思います。
 そう、私は今、緊張しています。
 初めて、男の子の部屋に入りました。
 とても片付いてすっきりしています。机の上から本棚、床の隅々に至るまで、とても綺麗に
されています。
 普段からそうなのか、それとも昨日の夜、電話で約束をしてから大急ぎで掃除をしたのかは
わかりません。彼は真面目な性格なので、そこまでずぼらだとは思いませんけど。
 あの縁日の夜から、十日が経ちました。
 怪我は本当にたいしたことはありませんでした。一応病院にも行きましたが、骨にも異常は
なく、包帯で固定する必要もありませんでした。用心のために松葉杖もレンタルしましたが、
一週間で不要になりました。いただいた湿布薬だけ、右足の付け根に貼っています。
 あれはひょっとしたら、神様が私の願いを聞き入れてくれたのかもしれません。
 ずっとそうなればと思っていました。
 彼の本当の彼女になりたいと、思っていました。
 私は彼が好きです。それはもう確かな想いとして私の中に満ち満ちています。しかし私は、
彼の想いに十分応え切れていない気がしていました。
 彼だって、男の子ですから。
 あの人は優しい人です。私は大事にされていると思います。もちろん嬉しいことですけど、
しかし彼に悪いとも思っていました。
 彼がときおり私に熱っぽい視線を向けてくることがありました。きっとそれは、私を、その、
「そういう対象」として、見ていたのだと思います。
 当たり前です。だって、彼女なんですから。求められて当然です。でも彼はそういうことを
言い出しませんでした。私の性格を慮ったのでしょう。私の潜在的な恐れが彼に伝わって
しまってそうさせたのだとしたら、申し訳ないことです。
 でも私はその視線を、意識しないようにしていました。
 気づいていながら、彼の気遣いに甘えていました。過去を知られるのが怖くて、関係を
深めることを躊躇して、結果そのことを考えないようにしていたのです。
 時間が経てばそのうち関係も深まると、たかをくくっていました。でもそんなわけありません。
いつだって人は動かないと、何かを生み出せないのです。
 彼と今こうして一緒にいられるのも、私なりに動いた結果です。それを忘れてはいけません。
 荒療治でも、この怪我があってよかったと思います。
389かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/21(木) 23:53:29.78 ID:TBSKI2UM
 
 ふと気になって、私はベッドの下を覗き込みました。
 何もありませんでした。こういうところに隠したりはしないものなのでしょうか。
 一度気になりだすと、好奇心というものはどんどん膨れ上がっていきます。改めて部屋を
見回すと、どこもかしこも怪しく映ります。机の引き出し、クローゼットの中、本棚の裏側に
果ては床下まで。どこかに隠しているのではないかと疑ってしまいます。何を疑っているかは
お察しください。
 もちろん人様の部屋ですから、不躾なことはできません。プライバシーの侵害です。ひょっと
したらこの部屋にはなくて、別の部屋に移動させているのかもしれませんし。いえ、そうじゃ
なくて、詮索はいけません。彼も男の子ですから、そういう類の物の一つや二つ。いえ、です
からそうじゃなくて、そう、忘れましょう。そういうことを考えてはいけません。第一はしたない
ではありませんか。
 それに、ひょっとしたら彼はそういうものを持っていないかもしれません。可能性としては、
決してないとは言い切れないのではないでしょうか。何といっても彼は優しく、見た目も
清潔感があって、そういうことをする人には見えません。優しいのは関係ない気もしますが、
とにかく。
「お待たせ」
 急にドアが開いて、彼が戻ってきました。右手に二つのカップアイス、左手にスプーンを
二本持っています。私は水に打たれたように敏感に反応しました。顔を反射的に上げて、
彼の顔を見つめたきり、硬直してしまいます。
「どうしたの?」
「い、いえ、なんでみょ、なんでもありません!」
 噛んでしまいました。慌てすぎです。挙動不審です。
 彼はものすごく訝しげな目を向けてきました。
「……えっと、バニラだよね?」
「……はい」
 私は真っ赤になりながら、アイスを受け取りました。
 この火照った頭を冷やしたい。そんなことを思いながら、バニラアイスを食べます。冷たい
甘さが口の中に広がり、少しクールダウンできました。
 彼はチョコアイスを手にしています。そちらもおいしそうです。
390かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/21(木) 23:59:30.40 ID:TBSKI2UM
「あの」
「ん?」
「この後どうしましょうか」
 宿題は終わらせました。今日の勉強はもう十分でしょう。しかし特に予定を聞いていないので、
私は尋ねました。
「DVDでも観る? それともゲームかな」
 どちらかというとゲームの方が好きです。DVDだと見入ってしまって、会話が途切れてしまい
がちになりますので(ゲームも、ジャンルによりますが)。
 ただ、今はそれより。
「お話しませんか?」
「……何の話?」
「なんでもいいと思いますよ。そうですね、お借りした本の話とか」
 お話をするのは好きです。私はあまりおしゃべりな方ではありませんが、彼と一緒の時は
比較的饒舌になります。
 彼とお話をするのが大好きです。ゲームやDVDよりずっと。
 彼もそうであってほしいのですが。
「えーと、いろいろ貸したと思ったけど、どれか読んだ?」
「『李歐』を」
「ああ。おもしろかった?」
「ちょっといやな感じがしました」
 私は正直に答えました。彼のうろたえる顔がちょっとおもしろいです。
「……つまらなかったかな」
「いえ、内容はおもしろかったですよ。ただ、その、ちょっと」
 ハードボイルドは、私には合わないようです。登場人物はかっこよかったのですけど。
「……女の子に薦める話じゃなかったかもね」
「それに、ちょっとエッチな場面もありましたし」
 彼の顔が引きつりました。あまりいじめるのもかわいそうなので、少し手控えましょう。
自分で言い出しておきながら、私は話題を逸らしました。いえ、断じて気まずいからとか
恥ずかしいからとか、そういう理由ではなくてですね。
391かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:04:57.64 ID:XjxK0GL3
「ところで、私が貸した本はどうでした?」
「ええと……ああ、おもしろかったよ。『ビスコを食べればよいのです!』に笑っちゃった」
「素敵なヒロインですよね」
「憧れとか?」
「あんなにかわいくないですよ」
 彼はそんなことないけどと首を傾げました。そんなことあります。ああいうキャラは現実に
いたら、失礼ながらアホの子扱いされると思います。お話の中だから、あんなにも輝くのです。
 大学生なので、今の私より年上なんですけど。
「同じ作家の本なら『太陽の塔』もおすすめですよ」
「……岡本太郎?」
 タイトルからはとても想像できない内容だと思います。概要は伏せておきました。
 彼も私も読書が大好きです。彼はサスペンスやミステリー、ハードボイルドを好むよう
ですが、私はどちらかというとやさしい話が好きです。人が殺される話は、ちょっと。
「昔の本も読んでみたいけど、読んだことある?」
「夏目漱石とかですか? 読みやすいと思いますよ」
「芥川なら読んだことある」
 教科書に出てきますしね。
「ぼくは海外作品を読んでみたいんだ」
「? ヘミングウェイとかですか?」
「いや、クリスティ」
 やっぱり彼はミステリーが好きなようです。
「あとドイルとか、ポーも」
「私は殺人ものは苦手です」
「じゃあ少年探偵団とかどうかな?」
「国内じゃないですか」
 時代にこだわらず、好きなものを読むのが一番だと思いますが。
 ちなみに少年探偵団は既読です。二十面相はどうして後になって殺人をも辞さない
凶悪犯になったのでしょうか。殺人を好まないという設定が好きなんですけど。
「ハッピーエンドが好きなの?」
 彼が尋ねてきます。私は頷きました。
「昔はそこまで考えてなかったんですけど、ここ二年くらいは、そうですね、選んでます」
392かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:10:15.42 ID:XjxK0GL3
 すると彼は微かに目を細め、気遣わしげに言いました。
「ごめん、あまり考えて渡してなかった」
「え?」
 私はその意味がわからず、訊き返しました。
「貸した本だよ。もっと内容を考えるべきだった」
「いえ、でもそれは」
「君の過去を知っていながら、配慮が足りなかった。ごめん」
 彼はそう言って頭を垂れました。
 私はその姿を見て、申し訳ないと思いました。しかしそれは僅かなことで、それよりも
腹立たしい気持ちになりました。
 彼の態度は、よくありません。
「何でも謝らないでください」
 強い調子で言うと、彼はきょとんとした様子で顔を上げました。
「あなたが私を心配してくれるのは嬉しいです。でもたかが本の貸し借りくらいで謝ることは
ありませんよ」
「……それは」
「趣味嗜好が変わるなんてよくあることじゃないですか。先日の件があったから、過敏に
反応するのもわかりますけど、あれからもう少し強くなりましたよ、私」
「……」
「心配してくれてありがとうございます。でも、過剰はいけません。はっきり言っておきます」
「……ずけずけ言うね」
 彼は苦笑を浮かべて頬を掻きました。
「はい、彼女ですから」
「うん。ぼくも遠慮なく言わないと駄目だね。彼氏なんだから」
 私たちは顔を見合わせて、くすくす笑いました。
 穏やかに。和やかに。
 六畳間の部屋で二人して過ごす時間は、とても優しく温かいものでした。真夏の熱気を
和らげるくらいに、平和なひと時でした。
 少しばかり溶けたアイスは、ほんのり幸せな味がしました。
393かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:15:00.40 ID:XjxK0GL3
 
          ◇     ◇     ◇

 アイスも食べ終えて、しばらく他愛の無い話をしていると、突然彼女が何かに気づいた
ようにはっとなった。
 ポケットから携帯を取り出すと、こちらに軽く目礼した。立ち上がって部屋を出て行く。
ドアを閉めると、その向こうから話し声が聞こえてきた。
 しばらく待っていると、彼女が戻ってきた。
「何かあった?」
 すると彼女は言いよどんだ。
「えと、あの……」
「どうしたの?」
「愛莉からでした」
 彼女の家にはお手伝いさんが一人いる。昔から彼女の身の回りの世話をしていると
いう愛莉さんだ。親元から離れて生活をしている彼女の、いわば保護者に当たる。親と
いうより姉のような存在で、たぶん彼女はぼく以上に、愛莉さんには気を許している。
それがちょっとくやしかったり。
「愛莉さん、なんて?」
「……急用ができて、出かけるそうです。今夜は帰らないって」
「じゃあ、今日は一人?」
「そう、なりそうですね……」
 彼女はさびしそうに答えた。
 そのあとの提案が、果たして『チャンスだ』と思ったから出たのか、それとも彼女のその
表情を和らげたくて出たのか、ぼくには判別がつかなかった。ひょっとしたら両方かも
しれない。
 ただそのときはとにかく、彼女を引き止めたくて仕方がなかった。
「……泊まっていく?」
 まとまらない思考のまま、ぼくは彼女にそんなことを言っていた。言ってしまっていた。
 綺麗な顔が、寂しげなものから驚きのものに変化する。
「え?」
 意外そうに聞き返されて、ぼくは即座に後悔した。何を言ってるんだろう。いきなりそんな
提案、ありえない。
「あ、いやその、うちはいつも両親が遅いんだけど、でもえっと別にちゃんと帰ってくるし
変な意味は全然なくてその、」
「……迷惑じゃありませんか?」
 彼女の声に、不思議と拒絶の響きはまったくなかった。
 ぼくは一瞬戸惑って、しかしすぐに答えた。
 下心かもしれないけど、でも。
「全然! そんなことまったくないから!」
「でも、あまりに急ですし……」
「うちの親にはちゃんと説明する。それに、家に一人きりなんて危ないよ」
「……はしたなくありませんか?」
 彼女は恥じ入るように顔を伏せた。
「いくらお付き合いをしていても、男性の方のお宅に泊まるというのは、その……やっぱり
褒められたことじゃありませんよね」
「……」
 それはその通りで、でも、
「つまり、駄目ってこと?」
「……いいえ」
 彼女は消え入りそうな声で答えた。
「ご迷惑じゃなければ、その、私は……」
「……いいの?」
「でも、やっぱりいけないことかもしれないと、そんな思いも、その、あります」
 ぼくは少しだけ、じれったく思った。
394かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:20:46.86 ID:XjxK0GL3
 彼女がぼくと一緒にいたいと思ってくれていることは、痛いほど伝わる。しかし一方で、
節度ある付き合いが大事だという思いもあって、彼女は迷っている。
 彼女らしいその迷いを好ましく思いながらも、同時にぼくは煩わしさを覚えている。
 今すぐ彼女を自分のものにしてしまいたい。
 心も、体も、すべてをぼくのものにしたい。
 そんな支配欲が、ヘドロのように奥底にあって。
 ぼくは決して聖人じゃない。彼女はひょっとしたら、ぼくを綺麗なものとして見ているの
かもしれないけど、でもそれはぼくがそう見せているだけだ。
 汚い部分は、隠している。彼女にだけは見られたくない。
 失望させたくない。そして、嫌われたくない。
「……あの」
 考えをまとめたのか、おずおずと彼女が口を開いた。
「着替えを、取ってきますね」
「……え?」
 ぼくは彼女のぎこちない笑顔をぼんやり見やった。
「必要ですから」
「……じゃあ」
「はい。お世話になります。それと」
 彼女はぼくの隣に腰を下ろすと、そっと身を寄せてきた。
 肩が触れ合うくらい、近く。
 彼女の温もりと匂いを感じて、ぼくはどきりとする。
「な、なに?」
「責任、取ってくれますか?」
 微笑みがぼくの心を揺さぶる。
「好きです。言葉じゃ表せないくらい、あなたのことが好きです。そうさせたのはあなたです」
 言葉が、
「このあいだ、言ってましたよね。『もっと惚れさせないといけない』って。もう十分です。
これ以上好きになれないくらい好きです」
 想いが、
「あなたのこと、もう嫌いになれないくらい好きなんです。だから、もう少し私にぶつけて
いいんですよ? したいことを、もっと見せてください。きっと受け止めてみせますから」
 決意が、ぼくの稚拙な仮面を壊す。
 かっこつけてるだけのぼくに、彼女は笑って寄り添ってくれる。
「私を惚れさせた責任、ちゃんと取ってくださいね」
 頬を赤く染めながら、彼女は少しだけいたずらっぽく。
 本当に変わった。
 もう君は、世界に対して怯えていない。目を逸らさないで、物事を見据えることができる。
 一年前、初めて言葉を交わした時と比べたら、すっかり見違えた。
 そんな君をぼくは凄いと思うし、尊敬している。君はぼくのおかげだと言うけど、間違いなく
君自身の努力の賜物だ。
 そんな君に想われていることが、誇らしい。
 縁日の夜に、君の真摯な想いを聞いて、ぼくは嬉しかった。そして、その想いに負けない
ように、ぼくも頑張らないといけない。
 君と一緒にこれからを歩みたい。
395かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:25:09.87 ID:XjxK0GL3
 責任、取らせてくれる?
「言っておくけど、遠慮したわけじゃないからね」
「……違うんですか?」
「ぼくも男だからさ、いろいろ、その……欲情するんだ」
 彼女の顔が真っ赤になった。
「そういうのを見られたり知られたりすると、ちょっと恥ずかしい。だから遠慮というよりは、
かっこつけてるだけなんだ。初めて付き合った女の子には、特に」
「……え、えっと……わ、私、平気ですよ?」
 声が上ずっている。明らかに動揺している。
 その様子がおかしくて、ぼくの顔は緩んでしまう。
「笑わないでくださいよ」
「ぶつけていい?」
 ぼくはすぐ隣にある彼女の顔に、急接近した。
 彼女の表情が固まる。
 間近で見ると、本当に綺麗な作りをしている。絵画のように繊細に整っていて、ため息が
洩れそうだ。
 高鳴る胸を苦しく思いながら、ぼくは彼女を抱きしめた。
「いつだって、こうしたいんだ」
 細く柔らかい彼女の体は、服の上からでも温かく、触れ合うだけで心地良い気分になる。
 突然の抱擁に、彼女は固まったまま動かない。
 ぼくの方は幾分落ち着いている。
 この間も同じようなことをしたけど、あのときよりはもう少し冷静だ。
 あのときは彼女の奥にある不安をとにかく取り除きたくて無我夢中だった。
「平気?」
「……はい」
 その声には緊張が窺えたけど、でも恐れはなさそうだった。
「ちょっと、恥ずかしいですけど」
「うん」
 手のひらが背中に触れると、彼女の鼓動が微かに伝わってくる。
 耳元で呼吸の音がして、それも心地良い。
 このまま押し倒してしまいたいくらい、欲する気持ちが強くなる。
「あの、着替えを……」
 わかっている。今はまだ抑えないと。
 名残惜しくも離れると、彼女はぼくの顔を見て苦笑した。
「そんなに残念そうな顔をしなくても」
 慌てて表情を引き締めた。どんな顔をしていたのだろう。自覚はなかった。
「それじゃ、一旦家に戻りますね」
「……うん」
 勉強道具をまとめてバッグに入れると、彼女は玄関先でぺこりと頭を下げ、ぼくの家を
後にした。
 その後ろ姿を見ていたら不安になってきた。本当に戻ってくるだろうか。やっぱり二人
きりはよくないと、心変わりしないだろうか。
 彼女がぼくに嘘をついたことなんて一度もないのだけど、でも、
 どうかお願いします。ちゃんと戻ってきてください。
 彼女がいなくなった道の先を見つめながら、ぼくは必死に祈っていた。
396かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:29:12.99 ID:XjxK0GL3
 
          ◇     ◇     ◇

 荷物は多くありません。夏場で、着替えがかさばらないのが大きいとは思いますが、
物を増やすと迷惑になりそうですし、極力控えめにしようと思います。
 彼の家にお泊りすることになりました。
 ドキドキします。緊張で、手に汗が浮き出てしまいます。
 いろいろと考えてしまうのは、仕方ないことでしょうか。
 さっきまで、彼の腕の中にいたことを思い出します。
 羞恥や緊張に体が固まりながらも、同時にすごくほっとしました。
 私は、彼に抱きしめられることができます。
 正面から、彼の鼓動を感じることができます。
 それが私にとって、どれほどすばらしく幸運なことか。
 人の温もりを受け取ることができるというのは、幸せなことです。
 誰かの行為を、恐れず受け取れる。それがいかに大切かを、私はこの一年で知りました。
 彼との出会いによって。
 でもそれは私から見た場合の話です。
 彼にとってはどうでしょうか。
 私は受け取るばかりになってませんでしょうか。私は彼に、きちんと何かをあげることが
できているでしょうか。
 彼は私から、何かを受け取ることができているでしょうか。
 私にはわかりません。でも、彼は私を抱きしめてくれました。
 彼の欲がはっきりと伝わってきました。
 それを怖いとは思いません。逆に嬉しく感じます。
 求められて嬉しいのです、私は。
 彼が求めるのなら、喜んで応えたい。
 遠慮なんかしてほしくないのです。
「……よし」
 戸締りを確認すると、私はバッグを持って外へと出ました。時刻は三時半。昼と夕方の
隙間のような時間帯です。夏の日差しは相変わらず強く、熱気は夜まで続くでしょう。軽く
シャワーも浴びたのですけど、すぐに汗が流れます。
 この熱さから逃れるためにも、早く彼の家に戻りたいと思いました。
397かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:30:33.71 ID:XjxK0GL3
 
 彼の家を再び訪れると、迎えてくれた彼はどこか安堵したように微笑みました。
「どうしたんですか?」
「いや……戻ってきてくれるか不安だったから」
 思わず眉根を寄せました。
「ひょっとして、私信用されてません?」
「え!? いや、そんなことはないけど」
「さっきの言葉、本気ですからね」
 嫌いになれないくらいあなたが好き。
 改めて彼の部屋へと入ると、エアコンの涼しげな風が歓迎してくれました。荷物を置いて、
私はベッドに腰掛けました。
 ……ちょっと無用心でしょうか。
 彼の目が少し熱っぽく、私の体を見つめています。
「あの、ちょっと恥ずかしいです……」
「え? あ、ご、ごめん」
「いえ、その、見られること自体は、少し嬉しい気持ちもあったりするんですけど」
 目力が強いと、さすがに意識してしまって。
 視線には物理法則を超えた、何かしらの力があるんじゃないかと思います。
「……」
「……」
 沈黙。
 彼の微かな息遣いが聞き取れます。
 私の息遣いも聞こえているのでしょうか?
 目の前がぐるぐる回るような、奇妙な感覚に襲われました。五感を手放し、意識が浮遊
するような、そんなめまいにも近い感覚が私を覆います。本を長く読んでいるときに、たまに
文字が大きく見えたり小さく見えたり、浮ついた感覚になることがありますが、あれに近い
です。
 隣に彼が腰掛けました。
 私は少しだけ身じろぎ、居住まいを正しました。
 本気です。だけど、
「……緊張するね、なんか」
 彼が口を開きました。
 私は頷きます。緊張は、さっき家で準備をしていたときからずっと続いています。
「あの……どうしますか?」
「あ、え?」
 私が訊ねると、彼は少し焦ったような声を出しました。
「い、いや、どうって」
「え、と、その……」
 今、私は何を言ったのでしょう。何かとんちんかんなことを言ってしまったような。
 こういうとき、本や映画ではどのように事が展開したでしょうか。
 頭がうまく働きません。
「……ごはんにするにはちょっと早いよね」
 壁掛け時計が規則正しい音を立てています。四時半です。
 時間はあります。
 テレビを観たり、お菓子を食べたり、そんな選択肢ももちろんあります。
398かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:31:57.32 ID:XjxK0GL3
 だけど。
「……手を握ってもらえますか?」
「……うん」
 一回り大きな手が、私の右手を包み込みました。
 温かいその感触に、私は安心します。
 目を閉じて、彼と過ごした日々をゆっくりと思い出します。
 窓の向こうから笑いかけてくれて、止まっていた私の時間を動かしてくれたあのときから、
私はずっと彼のことが好きでした。
 こうして隣にいられることがどれほど幸せなことか、わかるでしょうか。
 「好き」なんて、もうそんな言葉だけで収まるものではありません。
 愛しています。
 誰よりも愛しく思っています。
 愛情はよく海の深さにたとえられますが、底が見えないほどの想いがあることを、私は
知りませんでした。
 こうして手をつなぐだけで、身を焦がすほどに熱が高まっていきます。
 私の想いは届いているでしょうか。
 彼が体をこちらに向けました。
 空いてる右手を私の左肩に伸ばして、そのまま抱きしめてきました。
 それに応えるように、私も抱きしめ返しました。つないでいた手を離し、お互いを拘束する
ように背中に腕を回し合って、体をくっつけました。
 彼は一見細身ですが、こうして密着すると意外とがっしりしていて、やっぱり男の子なんだと
強く意識してしまいます。
 不安はあります。しかしそれは小さなもので、心地良さの方がはるかに勝りました。
 見つめ合い、ゆっくり顔を近づけます。
 三度目の口付けを交わしました。
 長いキスでした。前二回とは違い、相手を強く求めるような、そんな情熱がありました。
 密着が強まり、キスも激しいものになりました。
「んっ」
 思わず声が洩れたのは、呼吸がうまくできなかったからです。唇を離して、彼の肩に
頭を預けるように顎を乗せました。
「……激しいですね」
「ごめん」
「私は構いませんけど……」
 逡巡を見せると、彼は腕の力を緩めました。
「どうしたの?」
「……いえ、その」
「……なに?」
「……これ以上続けると、止まらなくなりそうで、少し怖いです」
 彼は私の後頭部に手を添えて、優しく撫でました。
「ぼくも同じ」
「そうなんですか?」
「……いや、正確にはちょっと違うかな」
 言うが早いか、再び唇を奪われました。
 私はひどく驚いて、しかし咄嗟には反応できなくて、されるがままになってしまいます。
 そのまま体を傾けて、押し倒されました。
 重みはあまり感じませんでした。体重をかけないように気を遣ってくれているのがわかって、
私は体から力を抜きます。
399かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:33:43.87 ID:XjxK0GL3
 顔を離して、彼がどこか熱っぽい視線を向けてきました。
「怖いっていうか、なんかもう怖いものなくなりそうっていうか」
「なんですか、それ」
「あー、もうやばい。止まんない」
 冗談めかした口調で、そんなことを言います。
「あの、遠慮しないでください」
「うん」
「本当に、したいことしていいんですよ」
「うん。でも、それだと不公平な気もする」
「不公平、ですか?」
「君も、したいことしていいんだよ」
 思ってもみないことを言われました。
「ぼくばかりだとフェアじゃないし。したいことはないの?」
「……そ、それは」
 すぐには答えられません。
 私から何かするというのは、考えていませんでした。ずっと彼に応えてあげたいとばかり
思っていましたから。
 でも確かに、そうしてもいいはずです。
「こうして抱き合っているだけで私は満足ですけど……」
「けど?」
「……………………肌には、さ、触ってみたい、です」
 それだけを言うのに、三十秒はかかったでしょうか。
 言い切ると、私の顔は燃えるように熱くなりました。真っ赤になっていくのがわかります。
 こんなことを言うようになるなんて。
 彼は口元を緩めてなんだかおかしそうにしています。
 あなたのせいです、まったく。
「や、やっぱり今の無しでお願いします!」
「肌だけ?」
「なっ」
 何を言ってるんでしょうかこの人は。
 私の髪を手櫛で梳きながら、彼は微笑みます。
「今からぼく、結構暴走するかもしれないから」
「そういうこと、こんなときに言わないでください」
「一方通行は嫌なんだ。ぼくも、君に応えたい」
「言葉だけだとすごく真面目に聞こえますよね」
 ああ、この人のせいでツッコミ癖がついてしまったかもしれません。
 彼がくっ、と喉を鳴らして笑いました。
 私は呆れましたが、つられて笑ってしまいます。
 不安が少し薄れたような気がしました。
「あなたは本当に……」
「ごめん、そろそろ限界」
 私の言葉を唇で塞ぎ、彼は動き始めました。
 爪を切りそろえた綺麗な手が、私の胸に伸びました。
 服の上からそっと、押し上げられるように触られます。
 嫌悪はありません。恥ずかしさと軽い高揚に、ちょっとまばたきが多くなります。
400かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:35:40.93 ID:XjxK0GL3
「すっごいやわらかい」
「えっと、そんなに大きくありませんけど、その……どうですか?」
「夢みたい」
 ずいぶん大げさなことを言われました。
「女の子のおっぱいって、どうしてこんなに触りたくなるんだろう」
「真面目な口調で何言ってるんですか」
「いや、逆に男の胸って触りたくなる?」
「……」
 私は彼の胸に無造作に触れました。
 彼は驚いたように体をびくりと強張らせましたが、私は離しません。
 ぺたぺたと。壁に絵の具を塗り込めるように触ります。
「あなたの胸、こんなに硬いんですね」
「な、なんか恥ずかしいな……」
「ふふ、こういうのいいですね」
 彼は気まずそうに顔を逸らしました。
 男の人の胸は、女の子のそれとは違って、厚く硬いものでした。一見細身の彼でもそう
なのですから、女と男ではやっぱり質や構造が違うのでしょう。
 でも、こうして彼の胸に触れていると、なんだかドキドキします。
 この人が特別だからそう感じるのでしょうか。
「ひゃっ」
 不意に彼の手に力がこもりました。
 胸を強く揉まれたことにびっくりして声を上げると、彼の手がますます動きを滑らかにして
いきます。
「な、なんですか急に」
「ちょっと悔しくて」
「何が」
「やられっぱなしはイヤなんだ」
 宣言どおり、彼の手が逆襲に転じます。
 強くといっても力任せではなく、感触を楽しむように根元から先のほうまで全体的に指を
這わせていくやり方で、まるで蛇のようなしつこさがあります。
 一言でいうなら、いやらしいです。
 でも、そうして正面から繰り返し揉まれていると、羞恥を超えてどこか陶酔するような、
奇妙な感覚に襲われました。
 ドキドキが止まらなくて、でもそれがあまり苦しくないような。
「あ、あの、胸ばかり……」
 ずっと胸だけ触っていて、彼は飽きないのでしょうか。
「飽きはしないけど、そろそろ他の場所も触りたいかな」
「あ、う」
 他の場所と言われて、私は目が回りそうになりました。
 いえ、もちろんそういうことをしているのですから、いろんな場所を触るのは当たり前
なんですけど、でもその言葉が、私の頭を沸き立たせます。
 まだ服も脱いでいないのに。
「スカートめくっていい?」
 うまく返事ができません。
 めくるだけでは済まないのがわかっているから、うなずくこともままなりません。間近に
ある彼の顔をまともに見ることができず、うつむいてしまいます。
 一分くらい逡巡して、ようやく私は答えました。
「ど、どう、ぞ」
 辛抱強く待っていた彼が、少しだけ微笑んでうなずき返しました。
 したいことをしていいと言ったにもかかわらず、私はこんな体たらくです。それでも彼は
特に呆れもせず、私に合わせてくれます。
 きちんと応えたいと、強く思いました。
401かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:38:18.83 ID:XjxK0GL3
 家に戻った時に着替えてきた薄い水色のワンピース越しに、彼の体の感触に馴染む
ように、ぎゅっとしがみつきました。
 彼の左手が腰に回ります。そして、右手がスカートに。
 裾の下から、大きな手が内側に滑り込んできました。
 指先が内腿に触れます。
 普段ならまず人に触られることのない場所です。慣れないくすぐったさに私は身をよじり
ました。
「ふ……」
 緊張から、堅い吐息が洩れます。
 彼は動きを止めることなく、指を大胆に這わせます。
 決して乱暴にはせず、かといって遠慮も少なく、私の脚を撫で回してきます。
 左手が腰から背中に移り、密着するように抱き寄せられました。
 近づいた顔がさらに迫り、またキスをされました。
 それで、私は少しだけリラックスできました。彼のキスは優しく、落ち着きます。さっき
まではキスだけでもあんなにあがっていたのに、何度か回数を重ねたためでしょうか、
不思議と安心できました。
 目をつむり、その安心感に身を委ねます。
 唇だけ触れていたかと思うと、不意に舌を入れられました。戸惑いながらも、私も舌を
伸ばします。
 ひどくいやらしいことをしている。そんな自覚がないわけではありませんが、しかし痺れる
ような感覚に、羞恥心が呑み込まれてしまいます。
 彼の右手が私の大事なところに触れました。
 ショーツの上から指で掬うようになぞられます。
「だ、だめです、そんなところ、」
 唇を離して訴えると、彼は私の首元に噛み付くようにキスをしました。なんだかそれが
妙にいやらしくて、私は身じろぎました。
「ふ……あ……」
 掠れ声が、喉の奥から絞られるように洩れ出ました。
「したいこと、するから」
 囁き声に、反論できません。確かにそう言ったのは私ですけど、でも実際にやられると、
どうしても体が反応してしまいます。
「できればお手柔らかに……ん」
 キスで言葉を封じられました。
 下の方をショーツの上からしつこく弄られて、私は酩酊感に襲われました。自分で触った
ことは、恥ずかしながらありますけど、それでもこんな風にふわふわと浮き立つような感覚に
陥ったことはありませんでした。
 血流が激しくなり、心臓がばくばくと音を立てます。きっと今の私は、一時的に高血圧に
なっているでしょう。
402かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:39:06.36 ID:XjxK0GL3
 はっきりと快感を覚えました。
 愛撫するその手つきは優しくて、私はもう抵抗しません。
 彼はそんな私に、まるで幼子を褒めるように、頬に柔らかく口付けをしました。
 ショーツをずらされ、直に秘所をなぶられます。
 恥ずかしくてまともに見ることはできませんが、きっとその部分はすっかり濡れすぼって
いると思います。透明な液が彼の指に絡む光景を想像して、咄嗟にそれを打ち消しました。
 そんな余計な思考が、次の瞬間には強烈な刺激に吹き飛ばされました。
 彼の指が私の中に侵入してきて、内側をひっかくようにこすり上げたのです。
「ああっ!」
 私の口が短い嬌声を上げました。
 自分でもびっくりするほどの甲高い声に、彼も驚いて指を止めます。しかしすぐにまた動かし
始めました。押し開くように奥まで入ろうとしてくる指の感触を、私はただただ受け入れること
しかできません。
 声を抑えようとしてもうまくいかず、敏感な部分をこすられるたびに、喉が震えます。
「へ、変です、いま、わたし」
「変じゃない」
「で、も」
「かわいい」
 そんなことを言われても。
 彼の体にしがみついて、びりびりと麻痺するような刺激に懸命に耐えました。
 しばらくして、体中から波が引いていきました。
 高まった熱を放出するように、口から熱い吐息がこぼれます。彼の指が私の中から抜かれて、
しかし高ぶった気持ちはすぐには下がりそうにありません。
 ぼんやりとする意識の中で、視界に彼の顔を捉えました。
 額に汗が浮いているのを見て、私はおかしくなりました。
 そんなにも彼が夢中になってくれたことが、なんだかくすぐったいような、でもどこか嬉しい
ような。
 求められることは、やはり嬉しいのです。
 もちろん誰でもというわけではありません。
 あなただから。
 私が本当に愛しているあなただから。
 あなたのものになりたい。
「服……脱ぎますね」
 そっと囁くと、彼はぎこちなく頷きました。
403かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:45:11.48 ID:XjxK0GL3
 
          ◇     ◇     ◇

 彼女の裸身をこの目で見たとき、興奮よりも先に感動を覚えた。
 お互いに背中を向けながら服を脱ぎ、確認してから同時に向き直ると、そこには両手で
体を隠す彼女の姿があった。
 恥ずかしいのだろう、顔が紅潮している。白い肌もうっすらと上気して、色づいている。
それが彼女の美しさを際立たせているように思った。磁器のような硬質さと滑らかさを併せ
持っているかのように、素肌はきめが細かく、しかしその色づいた肌が生命力を感じさせて、
どんな芸術品よりも美しく輝いていた。
 ぼくは、そんな彼女におもむろに近づく。
「そ、そんなに、まじまじと見ないでください」
 彼女が焦りの混じった声で訴える。
 ぼくは視線を外さなかった。
 包み込むように抱きしめると、彼女は恥ずかしさをごまかすように顔を僕の胸に埋めた。
 温かい。
 直接触れ合う素肌から、湯たんぽのように温かさが伝わってくる。男のぼくにはない
柔らかい肌触りに、興奮が呼び起こされる。
「すごく、綺麗だ」
 素直に思ったままのことをつぶやくと、彼女は顔を胸に押し付けたまま、くぐもった声を
出した。
「……あなたも、素敵ですよ」
「そうかな」
「私だってドキドキしてるんですから」
 彼女の形のいい胸に触れて、その音を聴きたいと思った。
 ぼくは彼女の肩に手を置き、顔を上げさせた。
 赤く染まった頬を間近に認めて、唇を寄せる。
 今日だけでもう何度、彼女とキスを交わしただろう。
 こんなにたくさんしているのに、少しも飽きない。できるのなら何回でもしたい。
 ひょっとしたらしつこく思われているかもしれない。だけど彼女とのキスは、やめろと
言われてやめられるものじゃない。ぼくはすっかり虜になっている。
 その柔らかい感触は、ぼくを興奮させ、同時に落ち着かせ、幸せな気持ちにさせるんだ。
 まるで起きぬけに味わう温かいミルクのようだ。
 けれど、ミルクだけじゃ足りない。
 ぼくは、彼女のすべてが欲しい。
404かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:46:01.73 ID:XjxK0GL3
「ん……」
 唇の端からこぼれる吐息を、頬の辺りに感じながら、ぼくらはベッドの上で重なり合う。
 抱きしめる腕に力がこもりそうになるけど、なんとか抑えて体を離した。
 仰向けの体勢で、彼女がぼくを見上げている。
 まだ両手で胸と下腹部を隠していたので、やんわりとその腕を取った。
 眼前に、真っ白な乳房と股の茂みが現れる。
 ようやく彼女のすべてを、この目に映すことができた。
「今から……いい?」
 何度か短いまばたきを繰り返し、それから視線を上下させて、それからようやく彼女は
頷いた。
「これで……あなたのものになれますか?」
 今度はぼくがまばたきをする方だった。
「えっと、君は君だよ。ぼくのものじゃない」
「そういうことじゃありません」
 その真剣な目に、ぼくは少し気圧された。
「あなたと出会えたことが、私は本当に嬉しいんです。こうして恋人になって、抱きとめて
くれるあなたがいることが、言い表せないくらい嬉しくて……そんなあなたに、私はすべてを
あげたいんです。私を幸せな気持ちにしてくれるあなたに、全部あげたい。だから、私は……」
 言葉が途切れる。
 彼女の気持ちはわかる。ぼくにも、少なからずそういう気持ちはあるから。
 だけど、一方通行じゃ駄目なんだ。
「じゃあ、ぼくも」
「え?」
「君のものになりたい。ぼくを、君のものにして」
 素敵な時間を、幸せな気持ちをくれた君に、ぼくのすべてをあげたい。
 ぼくはきちんと受け止めたい。だから、君もしっかり受け止めてほしい。
 彼女はしばらく呆然としていたけど、やがて小さく微笑んで、こくんと頷いた。
 目が少し潤んでいるのを尻目に、額に優しくキスをする。
「愛してる」
 短く発した言葉に、彼女の目から涙が一筋こぼれた。
「私も……愛してます」
405かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:50:06.25 ID:XjxK0GL3
 
 避妊具を着けて、彼女の両脚の間に体を入れる。
 ゴムに包まれた先端を入り口にあてがうと、彼女の体がびくりと反応した。
 ぼくは彼女の髪を一度撫でて、それからゆっくりと押し入った。
「ん……」
 呼気を洩らす彼女の表情は、それほど歪んではいない。
 まだ先の方しか入っていないせいだろうか。苦痛ではなさそうだった。
 様子を見ながら、ぼくは慎重に腰を前へと押し進めていく。
「痛い?」
 彼女は不思議そうに首をかしげた。
「いえ、今のところは……少し圧迫感はありますけど。それより、どうですか?」
「何が?」
「気持ちいいですか?」
 ぼくは思わず押し黙った。
 気持ちはいい。なんというか、落ち着く。ただ、まだ先の方しか入っていないので、
思ったほどの快感は得られていない。入れた瞬間放出してしまうんじゃないかとさえ
思っていたのだけど、そんなことはなかった。
 とはいえ、奥に突き入れて好き勝手に腰を振れば、簡単に射精してしまいそうな
気がする。
「気持ちいいよ。今はちょっと心地いい感じ」
「そう、ですか」
 よかった、と息をつく。
 ぼくは彼女の腰を抱え込んで、もう一段深く逸物を沈めた。
 狭い膣内はそれなりにぬかるんでいて、案外スムーズに進むことができた。それでも
抵抗は強く、次第に彼女の顔が苦しげに歪み始める。
 ぼくは動きを止めない。乱暴な真似は絶対にしないけど、確実に奥へと入っていく。
 泣き言を言わない彼女のことを思うと、ここで止めることなんてできなかった。
 彼女の手がシーツをぎゅっと掴んでいる。
 細い指が、調えられた白い布をぐちゃぐちゃに乱すように掴んで離さない。
 それでも、やめてとは言わなかった。
 ぼくはできる限り優しく、彼女の中へと進んでいった。
406かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:51:33.57 ID:XjxK0GL3
 しっかりと埋め込むまで、五分はかかっただろうか。
 彼女にそっと呼びかけると、とても深いため息が返ってきた。
「……おつかれさまです」
「いや、まだ終わってないけど」
「でも一段落は迎えましたよ」
「うん。感動してる」
 目を丸くする彼女がおかしい。
 愛しさが膨れ上がって、胸がいっぱいになっていた。彼女とつながっただけで、こんなにも
気持ちが抑えられなくなるなんて。
 彼女の顔に小さな笑みが生まれた。
「これって、なんなんでしょう」
 胸に手をやり、祈るように目をつぶる。
 眠るように穏やかな顔で、内側にめぐる想いに浸っている。
「きっと、愛しさに限りはないんですね」
「うん」
 数値化もできなければ、限界もない。ときにあやふやになることさえあって、愛情とは
必ずしも確かなものではないかもしれない。
 それでもぼくらは何かをはっきりと感じていて、それはきっとお互いじゃなければ駄目
なんだ。
 君じゃなければ、駄目なんだ。
「どうぞ、動いてください」
 彼女に促されて、ゆっくりと動き始める。
 中は潤っていて、動かすのに支障はない。腰を引いて、それから前に押し入って、短い
往復を開始した。
 強い締め付けに、ぼくはあまり激しく動かすことができない。刺激が強くて、動きを速めると
あっという間に達してしまいそうになる。
 彼女は呼吸を乱しながら、しかし声を上げないようにしている。
 奥を突くと、痛そうに眉をしかめた。
 できれば奥まで突き入れて、大きく腰を動かしたい。中をかき回すように蹂躙したい。でも
それはさすがにはばかられる。ぼくは自制して、中の浅い部分を動き続けた。
 しばらくすると、彼女がぼくの手を握ってきた。
「ん……体、火照っちゃいますね」
 少し余裕が出てきたのか、口調は軽い。
 彼女の手は温かかった。
 つながって、いろんなところが触れ合って、互いの温もりを感じ取って。
 動き続けると汗がにじみ出てくる。腰の奥から痺れるような快感がせり上がってくる。
 一方彼女は、最初に比べたらだいぶ慣れてきたみたいだけど、やはり快楽を得るには
到っていないようだ。
 今のぼくでは彼女をきちんと気持ちよくさせることはできない。せめて痛みを与えない
ように心掛けた。
「大丈夫?」
「あ、はい……なんだか、不思議な気分です」
「不思議?」
「満たされていくような、そんな感じです」
 充足感ということだろうか。なんだか嬉しくなる。
「気持ちいいの?」
「それは……あんまり」
「……」
 わかってはいたけど、直接言われると結構堪える。
「あ、で、でも、すごく優しくしてくれてるから、もうそんなに痛くないんですよ」
 それってフォローになるのかな?
 まあ、ぼくもまだまだ頑張らないといけないんだろう。
407かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:53:04.12 ID:XjxK0GL3
「ちょっとずつレベルアップしていかないといけないかな」
「レベル、アップ?」
「これから何度もこういうことするんだから、慣れていかないとね」
 彼女の顔が真っ赤になった。
 精神的な充足も大事だけど、男としては肉体的な充足も与えたい。
 今回は仕方ないけど、次からはもっと。
「わ……わ、私も……頑張ります、ね」
 たどたどしく宣言する彼女がかわいくて、つい彼女を抱きしめてしまう。
「んんっ、いた……」
 深く奥を突いてしまって、彼女が苦痛の声を上げた。
「ごめん。でも」
「ん……平気です」
 彼女が応えるようにぼくの体を抱きしめた。
 そのままキスをして、舌を絡ませ合って、体を少しだけ強く動かして。
 性感を刺激されて頭が茹っていく。放熱をするように中から何かがこみ上がってくる。
 高まる欲に突き動かされて、ぼくは彼女をひたすら抱いた。
 快楽の波に流されて、そのまま少しも我慢することなく絶頂を迎える。
「や、ああ、い……、んっ……」
 彼女が痛み混じりの嬌声を上げてしがみついてくる。背中に爪を立てられて痛みが
走った。
 ぼくは膨れ上がった欲望をすべて吐き出すように断続的に射精して、ゴムの内側を
白濁液で満たしていく。
 痛みにも似た快感は、射精を終えると急速に薄れていった。
 ただ、心地良い疲労感が絶頂の余韻とともに残っていて、彼女の体を抱きしめながら
それに浸るのがたまらなく気持ちよかった。こうしてつながったまま、一緒に眠りたいとも
思う。
 しかしそういうわけにもいかないだろう。避妊具から精液が洩れてしまうかもしれないし、
お互いに汗もかいている。部屋には匂いが充満していて、シーツは乱れてぐしゃぐしゃだ。
ぼくは名残惜しくも彼女の中から逸物を引き抜いた。
 彼女が仰向けのまま、体を隠しもせずにぼうっと放心している。
408かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:53:47.62 ID:XjxK0GL3
 心配になって声をかけた。
「大丈夫?」
 彼女はぼくの顔をぼんやり眺めて、小さく小首をかしげた。それからゆっくりと息を吐き出す。
 不意に今の自分の状態を自覚したのか、慌てて体を起こそうとした。しかし力が入らずに
手が滑ってしまう。背中に腕を入れて抱き起こすと、彼女は小さな声でありがとうございますと
言った。
「あ、あの」
「ちょっと待って。外すから」
 液がこぼれないように避妊具を取り外し、口を縛ってゴミ箱に捨てる。小さくなった性器を
ティッシュで拭いて、それも捨てた。
 改めて向き直る。
 目が合うと、彼女が恥ずかしそうにうつむいた。ぼくの方もつられて照れてしまう。
「……あの」
「うん」
 何か彼女は言いたいようで、ぼくは落ち着くまで辛抱強く待った。
 やがて顔を上げると、彼女は上目遣いにこちらを見つめてきた。
「……私、今すごく幸せです」
 率直な発言にぼくは咄嗟に返事ができない。
 深呼吸をして、彼女の言葉を反芻する。
 そんなの、ぼくだって、
「ぼくの方こそ、今すごく幸せだ」
 その言葉に、彼女ははにかんだ。
「これからも、こんな幸せが続くんでしょうか」
「続かせたいなあ。君がよければだけど」
「……そんなの、答えなんて決まってます」
 そう言うと、彼女はぐっと顔を寄せてきた。
 ちょん、と。
 掠るように一瞬だけ唇を重ねて、そっと体を離す。
「一緒に、続けていくんです。いつまでも」
「……うん」
 同意して頷くと、彼女は嬉しそうに笑った。
409かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:57:07.18 ID:XjxK0GL3
 
          ◇     ◇     ◇

 夜空に大輪の花が咲きました。
 鈍く大きな音が夜の街に響き、地上にいる私たちの胸にもずしりと重い衝撃が届きます。
 大きな一発を皮切りに、次々と色鮮やかな花が咲き乱れ、光跡をうっすらと残して闇に
吸い込まれるように消えていきます。
 私は今、商店街の通りにいます。
 周りにはたくさんの出店が並び、たくさんの人が行き交っています。
 今日は夏祭り。
 隣にはもちろん私の大切な人がいて、ともに浴衣姿です。ちょうど一ヶ月前、縁日の夜に
着たのと同じものです。
「綺麗ですね、花火!」
 私は柄にもなく興奮していました。花火なんて、ずいぶん久しぶりなものですから。
「去年もやったんだけど、見なかった?」
「去年は部屋に引き篭もっていましたし」
「……あの家ちょっと離れてるしなあ」
 彼は納得したようにつぶやきますが、ちょっと呆れられているかもしれません。
「いいじゃないですか。こうして今年、見ることができたんですから」
 彼の手を握り、にっこり笑いかけます。
「あなたと一緒に見ないと、意味ありませんしね」
「……そうだね」
 彼もきゅっと握り返してきます。
 この人の本当の彼女になりたいと、ずっと思っていました。
 でも、とっくに私は彼のものになっていました。あの初めての夜より前から、ずっと私たちは
想い合っていたのですから。
 大事なのは行為ではなく、想い。
 それに気づいたのは、ごく最近のことです。
 私は彼に抱かれることで、本当の彼女になれると思っていました。逆にいうと、そうしないと
なれないと思っていました。
 そんなわけありません。確かに契りを交わすのは特別なことかもしれませんけど、あくまで
一行為です。多くのふれあいの中の一つにすぎません。
 ちゃんと向き合って、想いが通じ合えば、それでもう十分なのです。
 それよりも、その想いを断たないように、継続していかないといけません。それはとても
難しいことです。想いはあやふやで、数値化できるものでもありませんから。
 だけど、同時に想いに限界はありません。
 これから私は彼のことをもっともっと好きになっていくでしょう。いろんな面を見つけて、その
中には気に入らないものもあると思いますけど、それも含めて好きになっていくでしょう。
 限りない愛情がどこまで膨らんでいくか、見当もつきません。でも私は今、彼の隣にいて、
同じ景色を見ることができ、そのことを嬉しく感じています。
 ともに歩める位置にいます。
 私は彼の彼女です。でも、それだけでしょうか。
 他になりたいものは?
410かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:58:50.31 ID:XjxK0GL3
「……くん」
 小さく、喧騒にまぎれるように彼の名前をつぶやきます。
 彼が顔を上げました。今の声が聞こえたのでしょうか。
 夜空に何度目かの花火が上がりました。
 私は顔を伏せ、遅れて届いた音にまぎれてつぶやきます。
 彼が目をしばたかせました。
 聞こえたでしょうか。きっと聞こえなかったと思います。
 いいのです。これは別に聞かせるつもりで言ったわけではありません。
 その思いを確固としたものにするために、口にしただけです。
 私の心に深く刻み込んで、いつの日かそれが叶いますように――



「ぼくも君と結婚したい」



 瞬間、私はびっくりして、彼の顔を凝視してしまいました。
「き、聞こえたんですか? 今のつぶやきが」
 彼は小さく微笑みます。
「自信はなかったけど、ひょっとしたらと思って」
「……あてずっぽうで変なこと言わないでください」
「外れてた?」
 私は言葉に詰まり、無言で首を振りました。
 彼は嬉しそうに口元を緩めて、
「よかった。すごく嬉しい」
「私たち、まだ高校生ですよ?」
 自分で言っておきながら、そんなことを口にします。
「じゃあ婚約ってことで」
「いつになるかわかりませんけど」
「ぼくは構わない」
「……気持ちが離れたりするかも」
 彼は肩をすくめました。
「確かに可能性はあるけどね」
「……」
「でも、君はもうぼくのものだから」
 心臓が一際大きく跳ねました。
「絶対に離さない」
 彼の手に力がこもります。
 痛いくらいに強く握りしめてきて、私は苦しくなります。なんだか心臓を直接絞られている
ような、そんな苦しさが胸に渦巻きました。
411かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 00:59:34.40 ID:XjxK0GL3
 負けないように歯をぐっと噛みしめて、手に力を込めます。
「私も、離れません。離しません」
 あなたは私のものだから。
 いつまでも一緒に。
「私、なりたいものがたくさんあります」
「うん」
「あなたと家族になりたいです」
「うん」
「パートナーに」
「うん」
「夫婦に」
「うん」
 一つ一つ頷いてくれる彼は、きっと私の一番の願いがわかっているのでしょう。その一言を
待っているようでした。
 私は大きく深呼吸をしました。
「あなたと一緒じゃないと、なれないんです」
「うん」
「だから、これからも――ともに歩んでくれますか?」
 彼は私の顔をじっと見つめ、私の大好きな笑顔で答えました。
「喜んで」



「……ところで、今日は泊まっていきますよね?」
 私が訊ねると、彼は目に見えて動揺しました。
「えっと……いいの?」
「今日はずっと一緒にいたい気分なんです」
 ほどよい高揚とともに、私は言葉を重ねます。
 彼は虚空を見上げてため息をつきました。
「女の子ってすごいね……」
「なんですか、それ」
 つないだ手をそっと組み替えて、指を絡めます。
 それだけで、ドキドキが強くなりました。
「今夜はいっぱい愛してくださいね」
「……頑張ります」
 彼のため息混じりの返事に、私は小さく笑いました。
412かおるさとー ◆F7/9W.nqNY :2011/07/22(金) 01:09:23.13 ID:XjxK0GL3
以上で投下終了です。
一応これで、このシリーズは終わりです。
あと一話だけ、外伝的な話を書くかもしれませんが。

ちなみにこれまでの話は>>337の保管庫、もしくは

>>97-103
>>109-128
>>224-234
>>304-309

を参照ください。
長々とスレ占領失礼しました。
413名無しさん@ピンキー:2011/07/22(金) 02:28:46.76 ID:m9DUZfmh
>>412
GJ

かおるさとさん待ってました!
414名無しさん@ピンキー:2011/07/22(金) 12:45:38.72 ID:vuX2ujyc
>>412
やった!
待ってました。
これが最終回とは残念です。




ちくしょう…………このカップルかわいいな…………
415名無しさん@ピンキー:2011/07/25(月) 20:25:44.80 ID:Pz6KPJc4
>>412
完結ありがとう!
僕も黒髪の乙女好きですw
416名無しさん@ピンキー:2011/07/28(木) 20:22:07.91 ID:vXEjz2v1
>>412
遅ればせながらGJ!
二人の初々しいやりとりにニヤニヤしちまったわ
417名無しさん@ピンキー:2011/08/01(月) 00:06:05.17 ID:Ze/hM5Bi
>>412
読む暇がなくて遅れてすみません

かおるさとーさん、ありがとうございました!!
このシリーズが終わってしまったのは寂しいけど、外伝楽しみに待ってます!!!

ああ、保守しといてよかった
418名無しさん@ピンキー:2011/09/01(木) 00:32:38.63 ID:UOGI825S
保守
419名無しさん@ピンキー:2011/09/10(土) 01:30:46.83 ID:WSyCgqcd
一か月以上放置しても落ちなくなったの?
420名無しさん@ピンキー:2011/09/15(木) 06:21:37.99 ID:yuVj458l
純愛は愛
421名無しさん@ピンキー:2011/09/19(月) 23:42:32.34 ID:9qjUz3mK
このスレって前から落ちにくいよな
ひょっとしたら、運営側がこのスレッドが気に入ってて、
落とさないようにしてくれてるんじゃないかと思うことがたまにある

まあ自分勝手な妄想だけど、そうだったらありがたい
422名無しさん@ピンキー:2011/09/27(火) 18:36:24.42 ID:01WuiGnV
取り合えず作品投下を待つのみ
423 忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/09/30(金) 05:20:34.33 ID:UasszfMK
保守
424 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/10/14(金) 15:46:40.09 ID:q3Wb149R
保守
425名無しさん@ピンキー:2011/10/22(土) 02:38:42.01 ID:AvgidulC
そも、純愛とは何ぞや
426名無しさん@ピンキー:2011/10/22(土) 07:40:09.09 ID:TR/eDnT6
1. 初恋ばれんたいん スペシャル
2. エーベルージュ
3. センチメンタルグラフティ2
4. ONE 〜輝く季節へ〜 茜 小説版、ドラマCDに登場する茜と詩子の幼馴染 城島司のSS
茜 小説版、ドラマCDに登場する茜と詩子の幼馴染 城島司を主人公にして、
中学生時代の里村茜、柚木詩子、南条先生を攻略する OR 城島司ルート、城島司 帰還END(茜以外の
他のヒロインEND後なら大丈夫なのに。)
5. Canvas 百合奈・瑠璃子先輩のSS
6. ファーランド サーガ1、ファーランド サーガ2
ファーランド シリーズ 歴代最高名作 RPG
7. MinDeaD BlooD 〜支配者の為の狂死曲〜
8. Phantom of Inferno
END.11 終わりなき悪夢(帰国end)後 玲二×美緒
9. 銀色-完全版-、朱
『銀色』『朱』に連なる 現代を 背景で 輪廻転生した久世がが通ってる学園に
ラッテが転校生,石切が先生である 石切×久世

エロなしSS予定は無いのでしょうか?
427しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:00:22.95 ID:G+UuE8Ri
突然スイマセン。いつもスレを拝見させてもらっている者なのですが、私もお話など
投下させてもらっても良いでしょうか?
ファンタジー系の作品で、また登場人物もいわゆるケモノ系のキャラクターとなりますが
自分なりに『純愛』を反映させてみたつもりです。
どうか読んでやってくださいませ。
428しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:00:39.90 ID:G+UuE8Ri
【 1 】

 ふと見上げた初夏の空には、伸ばす手に触れてしまえそうなほどの青が一面に溢れていた。
――いやだいやだ……あんなに空が青い。
 そんな青空の眩しさに眩暈を覚えたような気がして、白毛の獣人・ペインは歩みを止める。
 僅かに弾む呼吸の乱れを整えながら、今まで辿ってきた道を振り返りため息も一つ。首都帝都から北へ遠く
進んだ禿山の5合目――そこが今自分のいる場所であった。
 その広大さゆえ、外縁から緩やかに円を描くようにして登るこの山の制覇には、実に気の遠くなるような
時間を要する。
 今の行進も『登山』というよりは『丘越え』と言った方が適切だ。おかげで自慢の健脚に任せて夜明け前から
始めたそれも、正午をとうに過ぎてもなお、5合目をようやく踏みしめたばかりという有り様であった。
「目的の村はこの8合目……陽が暮れるまでに辿り着けるかどうか心配なのね」
 途端、今までの疲労が一気に背中へとのしかかったような気がしてペインは深く長くため息をついた。
 そうして山道から路肩へと外れ、その傍らにあった岩のひとつに腰を下ろす。
 改めてそこから望む禿山の壮観には、まともな樹木の類はほとんど見当たらない。ただ山道の路肩や岩肌の一角

に、
へばり着くよう生える僅かばかりの緑しか確認できない荒涼とした眺めは、この土地の貧しさを如実に物語ってい

た。
 同時にそんな光景はどこか、今は遠き己の故郷の姿をもまた想起させるようで……
「これだから田舎は嫌なのよ……」
 そんな記憶の再生にペインの心はさらに重く沈んだ。
 こう見えて彼・ペインこそは、とある一国の第一王子であったりする。そんな彼の一族が統治をする
北都レイノートもまた土地の枯れた国であった。――否、『枯れている』どころかまともに植物すらも
生えてこないそこは、氷と極寒に支配された最北最果ての地である。
 王族であることの例外もなく、そこでの暮らしは全てを切り詰めた過酷なものであった。
 特産品はおろか、鉱物資源の採掘すら期待されない氷の大地では、おのずと民達の暮らし方も決まってくる。
妙齢になれば女は性を商品とし、男はその環境で培った屈強な肉体を傭兵という商売のなかで切り売りしていく。
……そんな暮らしは、『地獄』以外の何ものでもなかった。
 今のペインの『王家の習いに則った武者修行』もまた、外貨獲得の為の出稼ぎと、そして自国の保護と援助を
諸外国に交渉する外交というのが正直なところである。
 そんな使命を帯びて諸国を漫遊する多感な年頃の王子(ペイン)にとって、他国と自国との在り方の違いはあまり
にも衝撃的であった。
429しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:01:00.38 ID:G+UuE8Ri
 他国の民達は、多少の貧富の差はあれど実に裕福で、そして実に自由に生を謳歌していた。
 そんな現実を目の当たりにしペインは自国の在り方と、しいては自分達種族の生き方に強く疑問を持ったのだっ

た。
 国とは何か? そして、そこに生きる意味とは?
 我が身を売ることでしか糧を得ることの出来ない国などに存在価値などあろうものか? 民を苦しめる国の
どこが愛しいものか――民を苦しめる国を愛することのどこが誇りであるものか。
 常々自問することではある。
 しかしそんなペインの想いとは裏腹に、臣民達にこの国を『愛する』ことへの疑問を抱く者などは、ただ一人と
して存在しなかった。それどころかそんな国の民であることに誇りすら抱いているのだ。
――まさに呪いだ。
 そしてそのことを考える時、決まってペインはこの結論にたどりつく。
 護るべき力を持たぬ統治者など滅んでしまえばいい。そして――
「……愛される価値の無い国なんて、滅んでしまえばいいのね」
 そう思ったからこそ、多感な少年は今日の自分へと至っている。
 帝都に着いたペインは王族の肩書を――『ペイン・レイノート13世』の名を捨てた。自分の代を以てレイノート

家を
終わらせてやろうと考えたのだ。
 そのことを知れば民達はさぞそれに悲しみ、そして自分に失望することだろう。しかしそれよって皆が目覚めて
くれるのならば、そしてかの地より開放されるのであるのならばそれはきっと、国民達にとって正しい選択である
はずなのだ。
 むしろ民達にそれ決起させることこそが、レイノート最後の王族となるであろう自分の、最大最後の宿題の様に
すら今のペインには思えていた。
 と――。
「あぁ、ダメダメ。こんなこと考えてたらちっとも楽しくないのね」
 ふと山脈にこだました野鳥の声に我へ返ると、ペインはそんな郷里への念を振り払った。
「こんな気持ちじゃ、いい仕事が出来ないのよ」
 自分に言い聞かせるよう独りごつると、肩掛けカバンを漁りそこから数枚の資料を取り出す。これより訪れる
村の、『ミルクドラゴン』の資料だ。
 そうして再び山道に戻り歩き出しながら、ペインはその資料を読むことに没頭する。
 ともあれそうした経緯から王族を捨て自由に生きてやろうと思ったペインは、かねてより興味のあった
『ある仕事』についていた。
430しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:01:53.50 ID:G+UuE8Ri
 それこそは、風俗ライター。
 帝都の一出版社から発行されている風俗誌『テラ・べっぴん』にて、『人外フーゾク特集』の連載を勤める
『みこすり丙淫(ぺいん)』こそが、王族でもレイノート種族でもない、今の自分であった。
 もとよりペインを始めとするレイノート種は、苛酷な環境に暮らしている性質上、非常に精力の強い種族――
要は『スケベ』であった。
 かの極寒の地では、一人の人間が成人に至るまでの生存確率はきわめて低く、そんな生存のアベレージを少しで

上げる為に、レイノート種は繁殖力を持ってそれをカバーする。かくいうペイン自身も例にもれず、その愛くるし

仔犬然とした風貌からは想像もできぬほどに絶倫で、そして底無しの精力の持ち主であったりする。
 故に初めて帝都における性の奔流を目にしたペインは下心に胸高鳴らせると同時、それに対して強く感動もした
のだった。
 ここにおける性とは、外貨稼ぎや種の保存などという『生き延びる為の手段』ではなく、あくまで『娯楽』の
一部であった。そのことに感動した。
 食を嗜み、着飾ることを喜び、そして性(こい)することを楽しむ――それら人間にとって当たり前の営みを知る
ことにより、ペインは初めて己が『人』であることに覚醒した。
 そんな感動こそが、今の自分の原風景である。
 そして、そんな原初の強き感動を他の人々に伝えたいとペインは思った。
 その結果、新生した自分こそが、『みこすり丙淫』であったというわけである。
 それからというものペインは、傭兵家業で日銭を稼いでは色町に通い、そこでのサービスや女の子の特徴を
こと細かに記録して回った。
 時にはボッたくられて痛い目をみることもあったが、そんなこともあの極寒の地での過酷な生活に比べれば、
むしろ刺激に満ちた楽しい経験であった。
 そうして原稿が溜まると出版社にそれを送るを繰り返し、ついにこの春――投稿を続けていた風俗誌『ギガ・べ
っぴん』が
新雑誌『テラ・べっぴん』に新創刊されるのを期に、ペインも晴れて念願の風俗ライターへと起用されたのであっ
た。
 そしてそんな記念すべき連載第一回目――『ミルクドラゴンの女の子特集』の取材をすべく、ペインはかの種族

集落があるというここを半日以上もかけて登っているという訳である。
431しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:02:54.57 ID:G+UuE8Ri
「ミルクドラゴンはいいけど、エッチの最中に頭かじられちゃったりしなかろーね?」
 なにぶん強行スケジュールで挑んでいる今回、出立時にはろくに目も通せなかった資料を改めてペインは確認する。
 件のミルクドラゴンは自分達同様にその種の存続が危ぶまれている種族であるのだという。
 ミルクドラゴンにも、大きく分けて翼竜型のモノと人竜型とで二種があり、絶滅が危ぶまれているのは後者の
者達であった。
 翼竜のタイプと違い翼の退化してしまった人竜は一箇所の土地に留まらざるを得ず、結果今日の衰退へと道を
歩んでしまったのだという。
 あるときは守護神、またある時は破壊神――斯様にして太古より、コインの裏表のよう正邪一体として崇められて
きた竜達も、とどのつまりは今のミルクドラゴン同様に、何らかの退化によってひとつの土地・環境にしか適応
できなくなってしまった竜の末路であるのだ。
 口碑されるその正邪とて、竜が訪れることによって起こる『環境の変化』がどう原住民の生活に反映されたかの
結果でしかない。恩恵を受けた種族にとっての竜はまさに『神』であるが、一方で厄害を被った種族にとっての
彼らはとんだ『悪魔』だということになる。各所に伝わる竜の伝承に破壊と創生の違いが見られるのは、まさに
この『結果』なのだ。
 そして今回のミルクドラゴンも、先達の竜達と同じよう退化しこの地に留まったミルクドラゴンの末裔という
訳であった。しかしながら先の話と違う点は、ここには彼女達以外の生命体がもう数えるほどしか生息しなくなって
しまったということである。
 かの地へ降り立ったその頃には、生活を共にするパートナーがまだここにもいたことだろう。しかし長き年月の
中でそれらは淘汰され、ある者は去り、いつしかこの禿山には彼女達ミルクドラゴンしか住まう者はいなくなって
しまっていた。
 この山の荒れ様は今も実感している通りである。こんな植物すらまともに生えてこないような場所において彼女達は、
今も雨露を舐めるようにして暮らしているのだ。 
――こんなところに留まっていては、増えるものも増えないだろうに。
 そんな彼女達の境遇が、ペインの中にある郷里への念を再び呼び覚ます。
432しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:03:19.82 ID:G+UuE8Ri
――竜の全てが神格化されて恐れられていた時代なんてとうに昔のこと。
  なぜ山を降りて、他の生き物達と共存の道を選択しないのか。
 確かに今もかの竜を信仰の対象として崇め奉り、はたまた禁忌として扱う地域は存在する――が、しかし。
多くの種族は竜への知識を正確に図り、近年となっては良き隣人としての付き合い方もまた確立しているのだ。
 それ故この禿山に縛られ続けるがために身売りを余儀なくされている貧しきドラゴン達の姿は、同様に極寒の地で
か細く生きる己が臣民達の姿と重なって、いつまでもペインの心を重くするのだった。
 そうして再び立ち止まりペインは空を見上げる。
「まったく、僕は余計なことを次々と。……全部この空が悪いのね」
 さらには身勝手に独りごち、鼻を鳴らすようにため息をひとつ。
 しかしながら考えなくてもよいことばかり考えてしまうのには、この山と空にも原因があるように思えた。
 高低の境界を見失うほどに雲ひとつ無い青空と、一方で一切の光彩を消失させた禿山の光景は、そのどれもが
悠久泰然としすぎていてあまりにも変化に欠ける。
 こうまで周囲の景観に変化がないと、やがては自分がいま何所を歩いているものか、さらには時間の知覚にまでも
それは影響をして、そこを行く者の精神を混乱させる。そうした距離感の喪失はやがて、外の風景ではなく内なる
己の心をのぞき見ることに意識を集中させてしまうのだ。
 古の僧達は修行の一環として登山を繰り返し行ったというが、それは肉体や精神の鍛錬にのみならず、煩悩や
懊悩を持つ自分自身と向き合う為にも行われていたことなのだろう。
 清廉なる志の下、真摯に己と向き合おうとする彼らにとっては有意義なものであるのだろうが――今まさに
『女を買う為』に山を登る俗物(ペイン)にとってのそれは、けだし拷問以外の何ものでもなかった。
 故に今日のペインは空を見上げるたびに、
「いやだいやだ……あんなに空が青い」
 故郷のことを思い出し、そして自分の矮小さに気付いては気を重くしているのだった。
「はぁ。こうなったら歩くことに集中するのね。村について女の子に会えればきっとこんなこと忘れちゃうのよ」
 やがて手にしていた件の資料を荒っぽくバックにしまうと、ペインはさらに歩みを速めた。
 修行僧でも神様でもない自分に、今の懊悩を消し去れる術が無いことは誰よりも判っている。ならば今はただ
歩くことだけに集中しようと決めた。
 もう、何を思い出そうと考えようと関係ない。ただ内なる声に耳を閉じて歩き続けるのみだ。
 そうしてひとり山道を行くペイン――目的地も己の中の答えもまだ、どちらも遠く険しい道程なのであった。
433しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:03:38.26 ID:G+UuE8Ri
【 2 】

 ひどい頭痛で目が覚めるとそこは――見知らぬ部屋のベッドの上であった。
「あれ……ここ、どこ?」
 そうして依然横たわったまま、首だけ動かしてペインは部屋の中を見渡す。
 石畳の床にレンガ造りの暖炉、飾り気の無い角材を組み合わせただけのテーブルに椅子が二脚――と、そして今
自分の寝ている巨大なベッドがこの部屋の調度の全てであった。
 巡らせていた視線を再び石造りの天井へと投じ、改めて自分がここにいる経緯を思い出そうとする。
 が、しかし――
「なんだろ? ――まったく思い出せないのよ?」
 呟く通りそれらを思い出すことは叶わず、山道を登っていた以外の記憶は切って取られたかのよう頭の中から
無くなっていた。
 しかしながらいつまでもこうはしていられない。
 体を起こし、とりあえず今の状況を少しでも把握するべくベッドから降りようとしたその時であった。
『あ。目覚めたんだ、君』
 突然の女の子の声。それに驚いて声の方向に振り向くと同時――
「わ、わわわッ」
『きゃ、危ない!』
 うまく足腰に力の入らないことから前のめりに倒れそうになるペインを、声の女の子は駆け寄り抱きとめた。
「んむむ〜」
 抱きとめられ豊かな胸の谷間に顔を埋めるペイン。胸当て一枚越しに感じられる豊満な乳房は水風船のような
艶と弾力でペインを迎える。その肉圧の中に飲み込まれていく暖かな感触はまるで、赤ん坊に還ったかのようだ。
『まだムチャしちゃダメだよ。恐いんだからね、高山病は』
 笑みを含みながら諭す彼女の声もまた、母親のように穏やかで心地よくペインの耳に届く。
「あ、あの――」
 そうして抱きしめられている胸の中から、おそるおそる声の主を見上げるそこには――雌の人竜(ドラゴン)が
一人、ペインに優しげな微笑を向けてくれていた。
 そんな彼女の微笑とそしてその姿に、ペインは息を飲んで見蕩れる。
 大麦の稲穂のよう綺麗な三つ網に編みまとめられた黄金の髪で背を覆う少女。そんな毛並みがランプのほのかに
紅い照明を受けて煌めく様は、晩秋の風景画さながらになんとも優しくそして心暖まる印象をペインへと覚えさせる
のであった。
434しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:03:59.46 ID:G+UuE8Ri
『大丈夫? もう落ち着いた?』
 そして再びの問いかけに我へ返ると同時、
「え? あ、うん。――あ、ごめんなさいなのね!」
 ペインはその胸に触れていたことに気付き、急いで離れた。
 平素日頃ならば、妙齢の女性に対しては半ば挨拶のようセクハラをするペインではあったが、さすがに命の恩人
(おそらくは)に対して無礼を働く訳にはいかない。
『うふふ、いーんだよ。遠慮しなくても』
 そう言って快活に笑う彼女をペインは改めて確認する。
 体長は2メートル弱ほど――面長の穏やかな面持ちと、洋梨のように下半身へ向かって脂肪を蓄えた豊満な体型は
人竜特有のものであった。
 しかしながら何よりもペインの目を引いたのは――やはりその胸元。
 たわわに実った乳房は赤の胸当て一枚では覆いきれず、あふれ出した下乳房をその下から大きくはみ出させていた。
――Iカップ……ううんJ? いやいや、もはや人間(ひと)を測る数値じゃ
  この子は測りきれないのね。
『気分はどう? 頭とかはもう痛くない?』
 語りかけながら、少女は入ってきた小屋のドアを閉じる。
 そうしてペインへと背を向けるその瞬間、風を孕んだ腰布がふわりと舞い上がって露となる腰元にも、
――むむむ、これは!?
 その一瞬の中で見えた尻根のラインにもペインはさらに目を見張る。
 胸当て同様赤のショーツに包まれた臀部――乳房に負けぬビックサイズのそれはたっぷりと脂肪を蓄えつつもしかし、
――大型獣人の体型なんて脂肪質か筋肉質かの大味なものだとばかり
  思っていたけれど……この子、スゴク綺麗なのね。
 メリハリ良くくびれた腰元に引き締められた彼女の臀部両房は、実に美しい張りとプロポーションとをそこに
表現していた。
 雄大にして繊細、野趣にして優美――まさに神が造りたもう天性の麗質を前にペインはただ息を飲むばかりである。
435しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:13:00.24 ID:G+UuE8Ri
『ん? どうしたの?』
「んあッ!? あ、何でもないのよ!」
 振り返り様に掛けられるその声と視線にまたもペインは慌てふためく。今日は我を見失ってばかりだ。
「あ、あのぉ、それより何で僕はここにいるのね?」
 そうしてペインはようやくその疑問を彼女に問い質す。やっと尋ねることが出来た。
『やっぱり覚えてないの、あなた? はい、コカ茶』
 一方の少女もペインにお茶のマグカップを握らせると、ベッドのその隣に腰掛けて事の経緯を語り出すのだった。
『君はねぇ、この小屋から少し出たところで倒れてたんだよ。症状からたぶん、高山病になったんだと思う』
「こ、高山病――なのね?」
『そ。ここの山ってさ、登りが緩やかだから気付きにくいけど結構高いんだよ? 酸素だって徐々に薄くなるから、
麓にいる感覚で歩くスピードとか早くすると、すぐに掛かっちゃうんだから』
 少女の言葉にようやく納得がいった。
 目的地へと急ぐあまり早足になっていたペインは、急激に意識を失い倒れたのだ。どうりで記憶に無いはずである。
『偶然あたしが通りかかって介抱したから良かったけど、時にはそれで死んじゃう人だって出るんだから。
危なかったよ、君も』
「そ、そうなのね?」
『死ぬ』の彼女の言葉に、ただでさえ貧血気味の頭からさらに血の気が引いてペインは軽い眩暈を覚えたような
気がした。危ういところだったのである。
『それにしても君、こんな所に何の用事があったの? 山の向こうに行きたいんだったら麓を迂回した方がよっぽども
楽で安全なのに』
「用事? えっと僕は……あぁ、思い出したのよ!」
 そして今になって、ようやくペインは本来の目的を思い出した。
「僕、この山の8合目にあるって言う村に用があったのよ。君、知らない? 早く行かなきゃいけないの」
『この山の、村?』
 そうなのだ。ペインはこの山に棲むというミルクドラゴンの元へ赴かなければならないのである。
436しっぽのおうじさま:2011/10/28(金) 22:15:06.61 ID:G+UuE8Ri
「そうなのね。今日中にそこに着きたくて、それでムチャして倒れちゃったのよ。……今はもう夜になっちゃてる
かなぁ?」
 ようやく本来の目的を思い出して慌てふためくペイン。そんなペインの様子を終始見守っていた彼女であったが、
ほどなく噴き出すよういたずらっぽく笑ってみせたかと思うと、
『なぁんだ。なら、もう焦ることなんてないよ。君がいま寝てるここがその目的の村、「マテ・デ・コカ」だよ』
「え?」
 掛けられその言葉に、思わずペインも目が点になる。ならば自分はもうすでに――
「僕、到着してたのね?」
『そうだよ。おめでとー♪』
 すでに今日の目的を達成していた訳である。
 そうわかった途端、今まで蓄積されてきた疲れと緊張が一気に背中にのしかかってきたようで、今度こそペインは、
本当に眩暈を起こして傍らの彼女にもたれかかった。
『あぁ! 君、だいじょうぶ?』
「う、うん、平気なのよ。安心したら一気に疲れが出ちゃって――眠くなってきちゃった」
『たしかに、麓からここまでを一日で制覇しちゃうなんて、たいした体力だと思うよ。何のお仕事か判らないけど、
今日はゆっくり休んで』
 そう言ってペインをベッドに寝かせると、彼女も立ち上がり部屋の照明(ランプ)を吹き消した。
 そうしてから再びペインのいるベッドへと戻り、
『ベッドがひとつしかないから、一緒に寝てもいい?』
 もはや返事を聞くよりも先に同じ毛布へ潜り込むと、
『それにさ、こうすると暖かいでしょ?』
 彼女はその懐にペインを抱きこんだ。
「うん、大歓迎なのよ♪ 僕こそゴメンね。ベッド、占領しちゃって」
『えへへ♪ いーよ、別に。お客さんなんて珍しいからさ、むしろ君が来てくれて嬉しいよ、あたし』
 夜闇の向こうで彼女が微笑む気配を感じて、思わずペインの口元もほころぶ。
「そういえば僕達、まだ自己紹介も済んでいなかったのね。それじゃあ、オホン――僕はペイン。ペイン・レイ
ノートっていうのね」
『へぇー、ペイン君かぁ。可愛い名前だね。あたしはティアラ』
 そうして彼女・ティアラもペインに応える。

『この村最後の、ミルクドラゴンだよ』



(明日に続きます)
437名無しさん@ピンキー:2011/10/29(土) 00:12:11.13 ID:AztvOFgL
>>436
これは期待
明日が楽しみです
438しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:41:38.03 ID:4KAZGGvc
昨日の続きを投下させてもらいます。また大変に長い読み物となっているので
投下は2〜3日かけてここに落す形となってしまうますが、どうかお許しください。

それでは今日もご迷惑おかけします。


>>437
そう言って頂けると勇気を出して投下した甲斐もあったというものです♪
秋の夜長らの暇つぶしにでもなれば幸いです。どうか楽しんでやってください


439しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:42:14.56 ID:4KAZGGvc
【 3 】

 村のはずれ――そこから山の展望を一望できるその場所が彼女の家族達と、そして一族が眠る場所であった。
 小石を積み立てただけの粗末な墓標に花を手向けると、彼女・ティアラは黙祷を捧げる。
 そんな後ろ姿に一瞥くれ、ペインは改めて目下に広がる渓谷の壮観を見下ろした。
 ティアラによって語られた事実は思わぬものであった。
 この山に住む彼女達ミルクドラゴン種は、ティアラを残して全て絶えてしまっているとのことだった。
 争いがあったとか、疫病が蔓延したという訳でもなく、単純に一族はこの痩せた土地で繁殖力を失い、結果
淘汰されたのだそうだ。
 ティアラの母が彼女を身ごもったその時――すでに山には、この家族以外のミルクドラゴンはいなくなっていた。
 そして彼女の家族も、父が断崖からの転落事故で亡くなり、母もまた産後の肥立を悪くしてその後を追ったのだという。
それ以来、祖母と二人で慎ましやかに暮らしていたティアラであったが――その祖母も今年の始め、長寿を全うして
天に召された。
 それ以来ティアラは「一人でここに暮らしているのだ」と言ってどこか寂しげに笑うのであった。
 それらを気丈に話す彼女を前に、ペインはひどく胸が傷む思いがした。
 こんな山の、こんな苛酷な環境に住む事もなければ、彼女の父も崖から落ちるなどということはなかったであろう。
人里に暮らしていたのならば母の肥立にも滋養が尽くせたはずである。
 それこそは己が故郷の臣民達の現状でもあり、やがては自分達が辿るであろう未来の姿でもあった。
『――よし。おまたせ、ペイン君』
「もういいのね?」
『うん、もう大丈夫だよ。ごめんね、こんな所に付き合わせちゃって。毎朝の日課でさ』
「全然構わないのよ」
 そうして二人、言葉を交わしながら元いた小屋への帰路を辿る。
「どうせ僕だってやること無いんだし」
 そうして何気なく出された言葉に対し、
『そうなの? でも昨日は、なんか急いでたような感じだったよね』
「えッ!? いやその、う〜んと――」
 その当然の矛盾を問うティアラにペインは固まってしまった。
440しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:42:35.68 ID:4KAZGGvc
『そういやまだ聞いていなかったけど、ペイン君って何の用事でここに来たの?』
「ええ〜っとぉ、そのぉ……」
 さすがに『女を買いに』とは言う訳にもいかず、ただペインは視線を泳がせては喘いでみせる。
 そしてふと見下ろした先に、小さな草が生えているのを発見すると、
「あ――ぼ、僕は学者さんなのね。ここには植物の調査に来たのよ」
 それを手に取り、一世一代の大芝居(ウソ)を打った。
「調査なんて特に急ぐものでもないのね。昨日は日暮れまでに村へ着きたかったから焦ってたけど、到着しちゃったら
もう、後は気楽なものなのよ」
 そんなペインの言葉に一瞬ティアラも目をぱちくりさせたものの、
『すっご〜い! 本当に学者さんなのッ? ペイン君って偉い人だったんだねぇ♪』
 すぐにその瞳を輝かせると、依然草を握り締めたままのペインの両手を取った。
「う、うん……まぁ、そんな大したことじゃないのよ」(――えらいウソついちゃったのよぉ、僕)
 そんなティアラを前に謙遜しつつも、その心中は穏やかではない。
『学者さんって、どういうことするの? 草とか虫とってきて、顕微鏡で見たりとか、論文とか書いたりするの?』
「ま、まぁそんなところかな? そこの動植物の生息を調べたり、繁殖方法や生態系の仕組みなんかをフィールド
ワークして調べるのよ」
 穏やかではない心中とは比例して、ペインの長広舌は益々その動きを滑らかにする。――もっとも、『動植物』の
単語を『風俗嬢』と置き換えれば、常日頃の彼の行動と今の言動もまた、あながち外れてはない訳だが。
 ともあれ、
『じゃあさ、「調査」ってことはしばらくここにいるんだよね? だったらあたしの家に泊まりなよ。ご飯とか
作ってあげるからさ』
「えぇッ? あ、うん――じゃあ、お言葉に甘えようかなぁ……」
 些細な嘘を発端に、話はどんどんこじれていく。
 本来ならば収穫が無い以上、ペインはいつまでもこんな場所に留まっている訳にはいかないのだ。代用の企画を立て、
一刻も早く原稿執筆に着手しなければ誌面には穴が開いてしまうことになる。
 しかしながら、
『行こ行こ、ペイン君。それじゃあ、あたしの畑に案内してあげるね♪』
 駆け出し、すっかりテンションの上がってしまったティアラにその手を引かれ、風に舞う洗濯物のよう宙になびき
ながら村へと帰るペイン。
 そこから見上げる空は――今日も憂鬱になるくらい青かった。


★     ★     ★


441しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:42:52.21 ID:4KAZGGvc
うんしょ、うんしょ……う〜ん、こんにゃろッ」
 ぶら下げるよう両手で携えていた岩石のひとつを、ペインは掛け声とともに絶壁の外へ投げ放った。
 高台のそこから見下ろす中、投げ捨てたそれはほぼ直角に近い急勾配の岩肌で何度もバウンドしながら転がり
落ちていく。
「ひえ〜。こんな所から落ちちゃったら、ひとたまりもないよね」
 その眺めに、ついそんなことを想像して身震いもひとつ。ペインは今、ティアラの整理する畑へと来ていた。
 高知の山脈の、それも一際上層の高台に作られた畑――そこには、こんな場所にしか設けられない相応の理由もある。
 山岳地域の谷間とあっては、そびえ立つ山脈に阻まれて日照時間も限られてくる。おまけに数少ない降雨の恩恵を
漏れなく受けるとなると、自然に耕地はこのような高台に設けるしか叶わなくなるという訳であった。
 そんな高台の畑仕事を、ペインは調査とうそぶきながら手伝っているという状況である。
『ごめんねー、手伝ってもらっちゃって。でも、調査の方を優先してくれてもいいんだよ?』
「ううん、いいのよいいのよ。サンプルさえ取っちゃえば、あとは現地で出来ることなんてもうないんだから。
お手伝いするのね♪」
 依然としてそんな嘘をつき続けながら、ペインは新たに耕地の中の砂利を選別し始める。斯様な手伝いの理由は、
単なる手持無沙汰を持て余しているからという訳だけではない。彼女の好意にかこつけて謀り続けることに対する
そんな贖罪の念もあった。
 また、ティアラと共に「畑仕事に興じる」というシチュエーションもまたペインは楽しんでいたりもする。
斯様にして女好きの彼にとって、女性と一体感を感じられる作業は、性交に限らず気持ちが良いものなのだ。
 そんなことをしみじみ感じて空を見上げるペイン。
 行きの道中に感じたこの青に対する嫌悪も自然と和らいでいた。
「だけど、こんな高いところで作業していて危なくない?」
 改めて見渡す景色には本当に目にとっかかるものが何もない。それだけの標高を保つこの山の、さらには
この場所である。
 先にも述べた高台のここは、畑の淵のすぐ外が標高数千メートル級の断崖であるのだ。そんな場所で日ごろ
作業するティアラをペインは心配せずにはいられなかった。
『えー? 大丈夫だよー♪  だってここ、あたしのお庭みたいなもんだもん』
 そんなペインの心配していくれている言葉が嬉しかったのか、ティアラは断崖の淵に近いそこで背を伸ばすと
足取り軽く快いリズムで踊ってみせる。
442しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:43:15.49 ID:4KAZGGvc
 編まれた三つ網が弾み、その背が露わになる。美しく伸びた背筋とそこに残る小さな羽根、そしてうなじの
露わになる後ろからの眺めに、その一時ペインも時を忘れて魅入られる。
 しかしすぐに我へ返ると、
「あ、あぶなぁい! そんなとこで踊っちゃダメなのよ、ティアラちゃん!」
 すぐにペインは、そんなティアラへと声を掛けるのであった。
 再三ながら、畑のすぐ外は断崖絶壁なのである。聞けば彼女の父もまた、墜落事故で無くなっているのだ。ならば
このティアラとて、ここから落ちれば無事では済むまい――ペインはそれを危惧するのであった。
 そうして胸騒ぎに慄きながら見守り続けるなが、予想しうる最悪の瞬間は訪れてしまう。
 数度のステップの後、小高く空へ跳ねた次の瞬間――着地したティアラの足元が地崩れを起こした。ステップに
踏み固められた土壌が、他の柔らかい部分のそれと分離したのだ。
『あ……』
 そんな突如の危機にふためく暇もなく、ただ呆気にとられるティアラ。
 やがて彼女の体は弓なりに背を反らせて、断崖の向こうへと傾く。
 その瞬間を目の当たりにし、
「ティ、ティアラちゃんッ!」
 ペインは放たれた矢のよう、地を蹴りそこへと駈け出した。
 走り続ける目の前では、バランスを取り直そうと両手を振るティアラがゆっくりと背を下に傾いていく姿が
見えていた。あのまま背から倒れれば、間違いなく谷底へまっしぐらだ。   
――間に合えッ、間に合え!  もっと速く動けッ、僕の脚!
 その光景を捉えながら、走るペインはさらに身を低くして踏みしめる両足に力を込める。
 おそらくは、生涯のうちで今日ほど『速く』と願った日はないであろう。そして今日ほど『速く』に走ったこともない。
 やがては見守り続ける中、もはや体制を持ち直すことが叶わなくなり畑の外へと落ちようとするティアラへと、
「両手、出してぇ!」
 そのギリギリで、ペインは間に合った。
 掛けられるその声に反応し、反射的にティアラも両手を伸ばすと差し出されたペインの右手を握りしめる。
 グンと右半身を引き広げられるような過重それを感じながら、ペインはさらに伸ばした左手で、土中に埋まった
岩石のひとつにしがみつく。
 斯様にしてペインを中間に、ティアラは振り子のよう畑の淵からぶら下がった。
 一見して間に合ったかのように思えたこの救出劇――しかしながら、問題はまだ何も解決はしていない。
 何よりもティアラを繋ぎ止めているペイン自身に限界が訪れていた。
443しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:43:34.55 ID:4KAZGGvc
「ぐ……ぐぅ〜ッ……んんぅ〜ッ」
 体長2メートル弱のティアラに対して一方のペインは1メートルにも満たない。そんな体格の違いからくる
体重差に、小さなペインの体はたちどころに悲鳴を上げた。
 体の中にはミリミリと肉や骨とが引き伸ばされ軋む音が響き始めている。それに伴う、両肩の引きちぎられる
痛みにもペインは唇をかみしめた。
 そして耐久の限界を超えた右肩は次の瞬間、外からも聞こえるほどに鈍い音を立ててペインの関節から外れた。
「あぐッ!?  うわあああぁぁぁんッ!」
 その痛み、そして衝撃に思わずペインは声を上げる。一方の、そこにぶら下がるティアラの体もガクンと一段、
大きく下がる。
 それでもなお、
「あぐぐぐぐ……ッ!」
『ぺ、ペインくぅん……』
 それでもなおしかし、ペインはティアラを離さなかった。
 まさに引き千切られんとするその状況と激痛の中、それでもペインは耐えたのであった。
『ペイン君ッ、もういいよ!  放していいよッ』
 そんなペインを見かね、その右腕に体を預けるティアラはそんな言葉を掛ける。
 しかし、
「いいわけないよぉ……絶対に、離さないから、ねッ」
 ペインは強く頭を振った。そしてなおかつ、心配してくれるティアラへと強がって笑顔を見せるのであった。
 とはいえしかし現実は無常である――そんな笑顔(へんじ)を返した次の瞬間、残っていた左肩すらも外れた。
「うがああぁぁぁッ!  あ、あぁ……ッ!」
『ペイン君ッ!』
 もはや骨の支えをなくした体はただ筋と肉のみでティアラを吊るすのみ。このままではペインの小さな体が
その過重で引き裂けてしまうことは時間の問題に思えた。
『無理しないでペイン君! いいから! 本当にいいから!』
「くぅ……ダメ。……離せないよぉ。絶対に、離せさないッ……!」
『でも、でもこのままじゃペイン君、千切れちゃうよ。あたしなら大丈夫だから、もう放して』
「大丈夫なわけないよぉ……こんな場所から落ちたらティアラちゃん、死んじゃうのね。それだけは、それだけは……ッ」
 両肩から体を引き離される痛みと疲労のピークの中、ペインの頭にはさながら走馬灯のよう故郷で過ごした
過酷な日々が蘇っていた。
444しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:44:01.44 ID:4KAZGGvc
 辛い暮らしの中で、その環境の過酷さに淘汰され死んでいく仲間達をペインは幼い頃より見ていたのだ。
 その中には親しかった友の姿があった――
「……もう……もういやなのよ……」
 愛した女性(ひと)の姿もあった――
「絶対に、僕は許さないんだから!  もう僕の目の前でッ、誰かが死んじゃうなんてこと許さないんだぁー!」
 そして今、ティアラの命とを繋いでいる体と心の痛みとが同調したその瞬間、まるで傷みに泣くかのようペインは
空の彼方へと叫んでみせるのであった。
 そんなペインの限界を見定めティアラは小さくため息をつく。
『ありがとね、こんなあたしにそこまで頑張ってくれて。……あたし、すごく嬉しいよ』
 ティアラは場違いなほどに穏やかな声で、そんな感謝をペインに伝える。
『ごめんね、こんなに痛い思いさせちゃって。今、楽にしてあげるからね』
 そしてそう微笑むとティアラは――両手でつかんでいたペインの右手を自ら放したのであった。
 途端に重力が消えるその感触と目の前の谷底に落ちんとするティアラを前にペインは目を剥く。
「ティ……ティアラァァァァァァァアアアアアアア!」
 そして谷底へいま落ちていく彼女を前に、この限りにその名を叫んだペインであったが、
「アアアアアアアアアアアアァァァァッ、……え?」
『あははは……』
 その瞬間、目の前の光景にペインは眉をしかめた。
 何もない断崖の彼方へ落ちたはずのティアラは――その淵から頭ひとつを出したまま、空中そこへ停止しているので
あった。
「ん? んんッ?」
 身を乗り出して何度もそんなティアラを確認する。
 飛んでいるとか浮かんでいるといった様子は見られない。まさに、落ちていかんとするはずの断崖のその向こうで、
まるで窓から顔を出すかのよう泰然とした様子で彼女はそこに在り続けるのであった。
『あー……ごめんねぇ。なんか』
 そんなペインの様子に依然として口元に苦笑いを作りながら、なんとも申し訳なさそうに語りかけてくるティアラ。
445しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:44:18.38 ID:4KAZGGvc
『あのね、さっきは急すぎて伝えられなかったんだけど――』
「な、なぁに?」
『こっち側ってさ、そこからはうまく見えないけど、もう一段畑があるの。だからココから飛び降りたって別に
危険でもなんでもないんだ』
 そんな彼女の言葉とそしてその事実にペインは愕然とした様子で口元を開ける。
 一方のティアラも覗きこんでいるそこから横へスライドしたかと思うと、いとも簡単に元の畑へと歩み登って
くるのであった。
『ごめんね、あたしなんかのせいでケガさせちゃって。本当にごめんね』
 そしてその傍らに着けてティアラもまた腰かけると、そんな呆然然自失としたペインに語りかけ謝ってみせる。
 しかしペインは、
「はぁ〜……良かったぁ。崖じゃなかったのね」
 そんな彼女の案じる自身のことよりも、ティアラが無事であったその事に大きく安堵のため息をつくのであった。
『そ、そんなにあたしのこと心配してくれたの?』
「あったりまえなのね。そっちの方がよっぽども大事なのよ」
『だけど君、両腕……』
 ティアラに言われ、改めて自分の体を見下ろすペイン。
 脱臼した両肩は糸の切れた道化人形のようだらりと地に落ちてしまっている。
「あぁ、そういえば。じゃあティアラちゃん、ちょっと右腕引っ張ってくれる?」
 さも大したことではないといった様子で自分の体を見下ろすと、ペインは己の右手をティアラに取らせて力の
限り右腕そこを引き延ばすよう指示する。
 やがては言われるがまま力いっぱいにそれを引っ張り上げるティアラ。それに対してペインも上手く関節の位置を
調整すると、自分からそれを体に納めて外れた間接を元に戻すのであった。
 そうして両肩のそれを元に戻し、改めて大きくため息をつく。
446しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:48:43.58 ID:4KAZGGvc
「こうみえても風俗ライ……じゃなくて、学者さんになる前は傭兵とかしてたからね。この程度のケガなんて慣れっこ
なのよ」
『そ、そうなの? でもまだ両腕が上がらないみたいだけど』
「うん、ちょっとスジも伸ばしちゃったからねぇ。肩は嵌ったけど、しばらくは動かせないなぁ」
 その事実に今度は小さくため息をつくペイン。言う通り、この両肩が動かせるようになるにはしばらくかかる
ことだろう。するとなると、ここから下山するのもこの怪我が完治してからだ。――例の雑誌への記事掲載は、
もはや絶望的に思えた。
 しかし、
「――だけどさ、それでも僕は嬉しいのよ」
 それでも、と顔を上げて笑顔を見せるペインにティアラは首をかしげる。
 そして継げられる言葉に、
「だって、ティアラちゃんが本当に無事だったんだもん。これ以上に嬉しいことなんてないのね♪」
『ペイン君……』
 そんな笑顔に、ティアラは胸の奥が熱く締め付けられるよう思いがした。
 今日まで一人で生きてきたティアラが初めて感じる胸のときめき。彼女はまだ、この鼓動の意味を知らない。
愛しさに胸かきむしらんとするこの――誰かを『愛する』というその意味を。
 ただ今はとてつもなくペインが愛しくなって、
「ん? うわぁぉッ♪」
 ティアラはペインの顔へ口元を寄せると、その頬へキスをひとつした。
 愛しむよう強く吸いつけて離れる唇。やがて改めてペインと瞳を合わせると、
『ごめんね、ペイン君。あたし、こんなことくらいしかお礼できないけど』
 そう言って、はにかむそこへ申し訳なさそうに笑顔のひとつを咲かせるのであった。
 そんなティアラに対し、
「そ……そんなことないよ! すごい嬉しいのね。ティアラちゃんにキスしてもらっちゃった〜♪」
 ペインもまた満更でもないといった様子で瞳を輝かせる。
 今さらではあるがペインは女の子が大好きだ。故に彼の行動原理はいかに『女の子の為に在れるか』ということを
基幹にしている。
 それゆえに今のティアラのキスは――その純粋な感謝の行為は、何にも増してペインの中の『雄(おとこ)』を
満足させてやまないのであった。
447しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:49:06.03 ID:4KAZGGvc
『本当? あたしなんかのキスでもいいの?』
 そんなペインの反応に驚いて、そしてそれがまた嬉しくてついティアラも聞き返してしまう。
「もちろんなのね♪ このキスの為ならさ、ティアラちゃんの為なら何だって出来るのよ、僕」
 さらにはそう返してくれるペインが、もう自身では抑えられなくなるほどに愛しくなり――
『う〜……ペイン君ッ』
「うは〜♪ いや〜ん」
 ついにティアラはペインを抱きしめて押し倒してしまうのだった。
 そしてこそから何度もキスをして、存分に頬を擦り寄せてはペインを愛撫するティアラ。
 そんな彼女の溢れんばかりの愛を一身に受けながら、
――もうちょっとここに留まっててもいいかな。
 まんざらでもなく、ペインはそう思うのであった。



448しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:49:24.00 ID:4KAZGGvc
【 4 】

 夕の食卓にはナイフの立てられた台形のチーズと山積みのロールパン。そして山菜のサラダのその隣に、
『はい、おまたせ♪』
 立ち上がる湯気でその向こうが見えなくなるほどに温かいクリームシチューを一皿ティアラは置いた。
 それらを前に大きく口を開けたまま、そこから垂れる涎も意に介さず食い入るよう見入るペイン。
『ごめんねー、お肉とか用意できなくて。こんな山だと魚もいないし鳥も少なくてさ』
 そんなペインの前に、ティアラもテーブルを挟んで腰かける。
 掛けられる言葉の通り、今日の食卓には肉の類は一つとして見当たらなかった。
 しかしながらペインはそんなことなど一向に気にならない。
 内に凝縮した旨みを主張するかのよう色濃く熟成されたチーズや、はたまたバターの照りを存分に輝かせた宝石の
ようなパン――そして何よりも、立ち上がる湯気を吸いこむだけで胸の奥まで甘い香りと味とが広がるかのような
シチューの料理それらは、今まで食べてきたどんなご馳走よりも今のペインの食欲を強く刺激するのであった。
「お肉だなんてとんでもないッ。これだけですごい美味しそうなのね! もう食べちゃダメ?  食べちゃダメ?」
 喉の外へと込みあがってくるかのような食欲を抑えられないペインは、つい何度もティアラに確認してしまう。
 そんなペインの様子にティアラも安堵のため息を小さくつくと、
『そう? うれしいな♪  じゃあたくさん食べてね』
 そう言って笑顔を返すのであった。
「いただきまーすッ♪」
 そしてお祈りもそこそこにシチューの皿へ鼻先を飛びこませるペイン。刺激された食欲は留まることを知らず、
無意識に体はその口元をシチュー皿へと飛びこませたのであった。
 途端にシチューの熱と香りが頭の中を駆け抜ける。
 想像通りのその味――否、想像をはるかに超えた豊潤な甘みのシチューにペインの意識は忘我に達する。
 ティアラの料理の腕もあるのだろうが、何よりも絶品と思われたのはこれの材料に使われているであろうミルクと
思われた。ここまで濃厚で、それでいて後味にしつこさや厭味な香りが残らないそれは、今までに飲んだこともない
未知のミルクそれである。
 と、
449しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:49:40.70 ID:4KAZGGvc
――あれ?  でも、お乳出せるような家畜っていたっけ?
 ふとペインはその事に気付く。
 考えるとおり、今日一日ティアラに共だって彼女の畑や村の跡地を回ったペインではあったが、そこには
農作物こそあれど生乳を出せるような家畜・山獣の姿は微塵として見られなかった。
 しかしながらそんな疑問に捉われたのも一時のこと、すぐさまペインの疑問は押し寄せる食欲に流されて、
再び食事に失心していく。それほどにこのシチューはペインを魅了してやまないのであった。
『あーもう。お顔がシチューだらけだよ、ペイン君』
 そんな様子を見守っていたティアラは、依然として犬食いを続けるペインへ苦笑いげに語りかける。
「んあ?  うわわ、ごめんねぇ」
 その声に我へと返り、顔を上げて謝ってははにかむペイン。
 そんなペインの顔がこれまた額までシチューまみれになってるのを確認し、ついにはティアラも笑い出してしまう
のであった。
「あちゃー、恥ずかしいのね。ごめんね、お行儀悪くしちゃって。でも本当に美味しくてさ、つい夢中になっちゃったのね」
『ありがと、そう言ってもらえるとあたしも嬉しい♪  それに、よくよく考えたら今のペイン君、両手が
使えなかったもんね』
 言われて自分の体を見下ろすペイン。
 昼頃に脱臼した両腕は、首からぶら下げた三角巾二丁でさながら腕を組むかのよう吊り下げられている。大した
怪我ではないのだが、それでも脱臼直後とあってはまだ動かすことがままならない。
 そんなペインの隣にティアラは席を着けたと思うと、
『食べさせてあげるね。欲しいものとかあったら言って』
 手に取ったパンを一つまみむしり、それをペインの口元へ運ぶのであった。
 そんなティアラからのパンを前に、ペインは大きく口を開けるとその指先と一緒に丸々口の中に咥えこむ。
そうしてパンを舌先で絡め取った後は唇を立ててティアラの指先を味わってくる感触に、
『んふふふッ、くすぐったいよぉ。ペイン君』
 ティアラはコロコロと笑い出してしまうのであった。
「んん〜、ぷは。だってティアラちゃんの指も美味しそうだったんだもん」
『もう、だからって食べちゃダメでしょ。いけない子なんだから』
 口では窘めながらもまんざらでもない様子で額を押し付けてくるティアラに、ペインも同じく額や頬元を擦り
寄せては仔犬が甘えるかのように応える。
450しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:49:59.05 ID:4KAZGGvc
かくして蜜月の内に終わる二人の食事。
 食器の片付けも終わり、再びテーブルに着いて向かい合ったその時であった。
「ん、んん……んぅ〜……」
 どこかペインの様子が落ち着かないことにティアラは気付く。
 そわそわと身をよじらせ、時おり視線を宙に投げだしては小刻みに体をゆするその様子に、
『どうしたの、ペイン君? 気分でも悪いの?』
 ティアラはペインの身を案じて声をかける。
「えッ? あ、あぁ……なんでもない。なんでもないのよッ」
 そんなティアラの声に一瞬、両肩を跳ね上がらせたペインはそう笑顔で応えて姿勢を取り繕う。
 しかしそん態度にティアラはむしろ、彼が何か隠しているであろうことを確信する。
『ペイン君、そんな態度じゃ何か隠してるのがバレバレだよ。本当にどうしたの? 何かあたしに話せないこと?』
 テーブル越しに身を乗り出してくるティアラを前に、ペインはそんな彼女を見つめたまま小さく息を飲む。
 そしてしばしもごもごと口籠った後、ペインはその理由を恥ずかしげに告げるのであった。
「あのね…………オシッコしたいの」
『オシッコ? そんなことで?』
 その理由を聞いてティアラも気の抜けた声を上げる。
『なにも我慢することないよ。すぐにしてきたら?』
 そして当然のような言葉をかけるティアラであったが、それに対するペインの表情は先ほど以上に困惑に眉を
しかめたものとなっていった。
「あ、あのね……すごく恥ずかしい話なんだけどね、僕のその……おチンチンって、普段は毛皮の奥に隠れてるの」
『ふんふん、それで?』
「それで、オシッコの時には自分で取り出すんだけども……ほら。今さ、両手がコレでしょ?」
 三角巾で吊り下げられた両腕と自分とを交互に見つめてくるその視線に、ようやくティアラはペインが困惑している
理由を知る。
『そっかぁ。今のペイン君って、自分でオシッコが出来ないんだね』
「ピ、ピンポ〜ン。その通りなのね」
 ようやくそのことが伝わり力無く笑うペイン。それが伝わったからといって、何も問題は解決していないのである。
 そしていよいよ以て強まる尿意に苦悶の表情を見せたその時であった。
『じゃあさ、あたしが手伝ってあげるよ。ペイン君のオシッコ』
 そんな突然のティアラの申し出に、その一瞬ペインは尿意も忘れて呆ける。
451しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:50:39.06 ID:4KAZGGvc
 しかしすぐにその意味を理解すると、ペインは激しく頭(こうべ)を振ってそれを拒否するのであった。
「だ、ダメなのよ、そんなこと。さっきも言ったけど、僕がオシッコするためには、その……チンチンを取り出さなきゃ
いけないのよッ?」 
 まさかそんな行為を堅気の娘さんにさせるわけにはいかない――ペインはそんな想いからもティアラの申し出を激しく断る。
『んもう、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。そのまま我慢し続けたら体に毒だよ』
 しかしティアラとて退かない。やがては立ち上がりペインへ近づいたかと思うと、軽々彼を抱きあげてティアラは
小屋の外へ出るのであった。
 そうして小屋の裏手にある草むらまでペインを連れてくると、刺激をしないよう静かにそこへ着地させる。
 かすかに冷気を含んだ外気(かぜ)と草むらの眺めにペインの中の排泄感はいよいよ以て刺激される。
 そして激しく痛み始める下腹部の痛みについには、
「うう〜………ごめんなさい、ティアラちゃん。僕のオシッコ、手伝って」
『もう。最初っから遠慮なんてする必要ないのに』
 涙目でそんなお願いをしてくるペインに、ティアラも小さく苦笑いを漏らすのであった。
 かくしてペインを草むらに向かって立たせると、ティアラは慎重な手つきでその腰元を探っていく。
 指先で触れるペインの腰元は予想以上に毛並みが厚くそして深い。探るように指先を潜らせると爪の根元までが
すっぽりとその中に埋まってしまった。
『どこらへん? ペイン君、誘導して』
「う、うん。もうちょっと右」
 確認しながら指先でまさぐるティアラの動きにペインも細かく指示を出していく。
「あ、今ちょこっと触れたのね」
『え、どこ? こっち? それともココ?』
「あ、うあぁ……指先が当たってるのよぉ」
 ペインの反応を見ながらそれを探すティアラではあるが、未知の他人の体であるということもあり、それを探る
彼女の指は何度もその先端をかするばかりで、一向に「本体」へは辿り着けない。
 そしてそんな彼女からの手の動きに、やがては排尿ともまた違った変化がペインの体にも現れる。

452しっぽのおうじさま:2011/10/29(土) 21:51:05.22 ID:4KAZGGvc
『あ、何か当たってるねぇ、もしかしてコレ?』
「んぅ、あうんッ。あんまりじらさないでぇ……」
『待っててね、ペイン君。今、オシッコさせてあげるからね』
「ち、違うのぉ。そうじゃなくて、別の意味で危なくなっちゃってるのね」
 ペインの語りかけにもしかし、それを探すことに夢中になってしまっているティアラにはその言葉が届かない。
 そしてついに目的の本体を探り当て、
『あ。あったぁ。これだッ』
 つまみ上げたそれを、強く引き抜いたその瞬間――
「だ、だめぇッ。大きくなっちゃう!」
『え?』
 ティアラの目の前に、今まで探しだすのも困難だった筈のペインの陰茎が大きく肥大して飛び出すのであった。
 依然としてティアラの手の中で大きく脈打つそれ。捌いたばかりの精肉のように赤くズル剥けてぬめりを帯びた
それにティアラは驚きと物珍しさから釘付けになる。
 そして一際強く痙攣したかと思うとペインのそんな陰茎は、その先端から激しく放尿の飛沫を噴き上げるのであった。
「ふ、ふわあぁ〜……ッ!」
 純真無垢な女の子に対し、何というものを見せてしまっているのかという葛藤もあるがしかし、今まで我慢し
続けてきた括約筋の限界とそして排泄感に、ティアラの手の中で排尿するその勢いは留まるところを知らなかった。
 何度も尿道を太く隆起させながら送られ続ける尿――やがて、その小さな体からは信じられない量のそれを
すべて出し終えると、その脱力感とそして罪悪感にペインは大きくため息をついて頭をうなだらせるのであった。
 しかしそんなペインとは裏腹に――ティアラは未だに彼の性器そこから目を離せないでいる。
 依然として手の平の中に在り続けるそれは、排尿と共にその大きさを縮めてはいたものの、時おり熱く脈打つ
その存在感はなぜかティアラを魅了してやまないのであった。
 そしてそんな陰茎を見つめたまま、
『すっごいね、ペイン君の……いっぱい出たね』
 感心するようそんな言葉がティアラから出されたその瞬間、
「う……うわぁ〜ん! ごめんなさ〜いッ!」
 ペインはそんなティアラを振り切って走り出していた。
 何気ないそんな乙女(ティアラ)の一言に、ついにはペインの羞恥心とタブーに耐える心とが限界を迎えたのであった。
453しっぽのおうじさま
『あ、ペイン君!』
 泣き声をこだまさせ、暗闇の山道の中をどこへ向かうともなく走り去っていくそんなペインの後ろ姿にティアラも
右手をのばす。
 しかしすぐにそんな彼の姿も闇の中に消えるのを見送ると、差し出していたそれを下ろし大きくため息をつくので
あった。
 暗がりに一人座り込むティアラの手の中には、未だにあのペインの茎の感触と温度とが残っていた。
 やがては再び手の平を見下ろし、ティアラはそこにあの陰茎の姿を思い重ねる。
 そして空想の中のそれに頬擦るかのよう手の平を頬に当てると、
『あれが、男の子かぁ……』
 ティアラは人知れず熱いため息をついて、高鳴る鼓動の余韻を味わうのであった。