1 :
名無しさん@ピンキー:
純愛エロSSのスレです。
『純愛』をテーマに書かれた作品なら、
オリジナルでもパロディ(*)でもかまいません。
作品の長さも自由です。
読み手の多くが「これは純愛だ」と共感できるようなSS、
「俺にはこれぐらいまでなら純愛って言えるな」っていう限界に挑戦したSS、
「こういう純愛のかたちはどうだろう?」なんて試験的なSS、
泣ける系、切ない系、純愛+お笑いの意欲作、なんでもオッケーです。
(*) 予備知識や専門知識のいるものについては、SSを投稿する前に
補足説明してもらえると、読み手の多くに対して親切かと思われます。
それと、感想・批評、軽い雑談など、SS以外のレスももちろんありですが、
純愛SSのスレであって、純愛について議論するためのスレじゃないつもりでいます。
「純愛とは……」とか、「それは純愛じゃないだろ」的な、
主観を人に押しつたり、他人の価値観を否定するようなレスは、
荒れの元にもなりますので、できるだけご遠慮ください。
また、そういったレスがついても、反応したり議論したりせずに
スルーしてくださると、荒れずに済んでいい感じなんじゃないかと思いますです。
純愛についての主張は、ぜひSSにして表現してくださいませ。
前スレ
純愛SS『其の3』
http://sakura03.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1133878541/l50 前々スレ
純愛SS『其の2』
http://sakura03.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1106890022/l50 次スレは
>>970、もしくは容量次第で。
3 :
前スレ789:2007/08/01(水) 22:49:13 ID:TEPTwWdt
4 :
花火の日 14:2007/08/01(水) 22:51:23 ID:TEPTwWdt
「っと」
崩れ落ちそうになった彼女を、慌てて支える。
まだ絶頂の余韻に浸っているのか、その瞳は茫洋としていて、はっきりしない。
「大丈夫か?」
掛けられた声でようやく焦点が合い、俺の顔を見上げて、
「……えへへ、気持ち、よかったね」
無邪気に笑う。
さっきまであんな事をしていたというのに、子供のような笑みで。
でもまだ熱の残滓は残っていて、息も少し荒くて、瞳も潤んでいる。
そんな清純さと淫靡さを混在させられるのが美由紀で、それが彼女の魅力のひとつで、俺を夢中にさせている要素のひとつで。
「あ」
そんな彼女を見ているうちに、ペニスが力を取り戻してしまった。
ぴったりと身体をくっつけ合っているので、美由紀もすぐに気付いたらしい。
何と言うか……元気だな、俺。
「…………すまん」
今日はいつもよりちょっとだけ激しかったので、流石に連戦は出来ない。俺はともかく、彼女が辛いだろう。
一回出したにもかかわらずペニスは全然鎮まりそうにないが、まぁそのうちに……。
「…………しよう」
「え?」
美由紀が発した言葉が、俺の思考を奪う。
「たーくんがしたいなら、しよ?」
「……無理しなくてもいいぞ?」
戸惑う俺に、彼女ははにかみながら、
「無理してないよ。私にとって、たーくんとエッチするのは幸せなことなんだもん」
微笑む。
――あぁ、駄目だ。こんなこと言われちゃあ、陥落するほか道はない。
奥底に封じ込めていた欲望が理性をたたき壊し、情熱を溢れさせる。
俺は美由紀をぎゅっと抱きしめ、耳元で囁いた。
「美由紀……愛してる」
「うん、私も。世界で一番、たーくんのこと愛してる」
長い、長いキスを交わす。
唇で触れ合うだけのキスだったけど、熱はどんどん高まっていく。
俺は持ってきていたビニールシートをコンビニ袋から引っ張り出して、地面に敷いた。
服を脱いで、仰向けになって美由紀を誘う。
この体位なら美由紀が自分のペースで動けるから、そう負担もかからないだろう。
「美由紀、上で……」
「うん……」
美由紀はまだおぼつかない足取りで俺の所にふらふらとやって来る。
膝立ちになって俺をまたぎ、ペニスを掴んで、俺の瞳を見返した。
「はむっ……んっ……んむっ……」
そして、いつものキス。
舌を絡め唾液を交換するたび、彼女の目が陶酔したように緩む。
俺のペニスも、彼女の手の中でぴくぴくと自己主張を繰り返していた。
5 :
花火の日 15:2007/08/01(水) 22:54:05 ID:TEPTwWdt
「ぷはぁ………………じゃあ、いれるね」
そう断りを入れてから、美由紀は自分の秘唇を開き、ペニスをあてがった。
膣内からこぼれた精子と愛液の混じり合った液体が、陰茎を伝い俺の腹部に流れてくる。
何ともいやらしい光景だった。
「ふっ……んんっ…………」
ゆっくりとペニスが彼女の膣に埋没していく。
そのスピードは遅々としていて、我慢の効かない俺の分身が暴れたそうにビクビク蠢いている。
「んっ! ふぅ……、はぁ…………」
ようやく全て収まったが、美由紀はそこで動きを止めてしまった。
俺の腹部に両手を置いて自分の身体を支えながら、肩を大きく上下させている。汗で額に貼り付いた前髪が、少し艶めかしい。
俺は手を伸ばしてそれを払ってやりながら、
「やっぱり辛いか?」
「ううん。……でもちょっと、感じ過ぎちゃってるみたい……んっ」
彼女の言葉に嘘はないようだった。頬は上気し呼吸も荒いが、苦痛を堪えてる雰囲気は微塵もない。
むしろさっきの絶頂が強すぎたため、その残り香がまだ彼女の全身を覆っていて、敏感になってしまっているのだろう。
こういう時、幼馴染みは便利だな。相手が無理してないかどうか、すぐにわかる。
だから、大切にしなければいけないときは大切に出来るし――
「ふっ…………んん……!」
両手足を踏ん張って上下運動を再開するが、やはりそのスピードは遅い。それでも美由紀は健気に動き続ける。
そんな彼女を見ていると、嗜虐心にも似た悪戯心が湧いてきた。
俺はタイミングを見計らって、彼女が腰を下ろすのと同時に自分の腰を跳ね上げた。
「ひぁあああぁぁっ!」
――求めたいときには、求められる。
予想だにしなかった奇襲に美由紀は悲鳴の様な喘ぎ声を上げ、ガクガク腰を前後に揺らした。
続けて奥を数回抉ってやると、
「んっ! あっ! やぁんっ!」
全ての力を使い果たして、俺の胸に倒れ込んできた。
俺は彼女を優しく抱き留めながら、からかい気味に尋ねてみる。
「感じ過ぎちゃったか?」
「たーくんの、いじわるぅ……」
美由紀は拗ねたような声音で、けれど甘えるように鼻を擦りつけてきた。俺は苦笑しながら上半身を起こす。
結合部からニチャッという音がして、溢れ出た愛液がビニールシートに水たまりを作った。
6 :
花火の日 16:2007/08/01(水) 22:55:37 ID:TEPTwWdt
「ふぅんっ」
体位を変えたことで別の部分に刺激を受けたのか、美由紀が鼻にかかったような声を上げて、俺の首に手を回した。
彼女の浴衣はすっかりはだけてしまっていて、もう衣服の役目を半分放棄してしまっている。
胸どころか肩や背中も外気に晒されていて、手首の辺りででくるめられた袖と腰帯によって辛うじで彼女の身体にまとわりついていた。
下半身に目をやれば裾の方も乱れに乱れて、俺と美由紀を繋いでいる部分がはっきり見えてしまっている。
「やぁっ! あっ! んっ! はぁっ!」
俺は美由紀の尻を持ち上げると、座ったまま律動を開始した。
あまり激しい往復が出来ない代わりに、腰を回して彼女の膣内のいろんな所を突いてやる。
固い地面の上で跳ねているせいか時々鈍い痛みが走るが、膣から与えられる感覚の方がずっと強大で、
苦痛は意識の端に上ることもなく消えていく。
「ふぅあっ! ん、ん! あ、やぁっ! おくっ、あたってっ! ああっ!」
少し動きを大きくして奥をノックすると、美由紀は泣いているような声を上げながら、俺からの快感を受け取る。
膣襞がキュッとペニスに絡みついて、更に俺を求める。
下から突き上げられることによって彼女の身体と乳房が大きく上下して、桜色の蕾が俺の胸板を擦る。
結合部からはクチュクチュと水音が鳴り響き、二人の体液がビニールシートに落ちる。
「んんっ! はぁ、ああっ! あ、ふぁっ!」
そんないやらしい姿になっていても、美由紀はやっぱり綺麗で。
そんな美由紀を俺が乱れさせているんだと思うと、情動が加速して。
「あっ! あっ! んむっ! ん、んんっ!」
無防備な彼女の唇を奪い、奥を突き上げ、掻き回す。
舌を絡めて唾液を交換しながら、最奥を抉る。
「んっ! んふっ! ちゅ、あ、ひぅっ! んむ、ぴちゃ、はむっ、んんんんっ!」
上と下と、同時に奏でられる水音。
キスをされて舌を絡められ、しかし歯を食いしばり快感に耐えることも出来ない。
結果彼女は膣を突き上げられる刺激になすすべなく、全身を快感に灼かれていった。
「んちゅ、んんっ! ぷはぁ、は、あっ! あ、あ、あああっ!」
唇を解放されても、もう彼女は喘ぎ声を出すことしかできないようだった。
口の端からこぼれる唾液を舐め取ってやっても、それすら悦楽に変換してしまっている。
膣壁がキュッと締め付け襞を絡め、射精を促してくる。
俺のペニスも膣内でビクビクと脈打っている。
お互いそろそろ限界だ。
7 :
花火の日 17:2007/08/01(水) 22:56:57 ID:TEPTwWdt
「ああっ! あっ! たーく、たーく、たーくぅんっ!」
美由紀が最後の力で俺の名を呼びながら、全身で俺を抱き寄せる。
腕を背中に回し、足を腰に絡みつかせ、乳房を俺の胸板で押し潰し、
決して離れないと言うように、俺のモノを奥深くまで飲み込む。
陰茎が最奥に達した瞬間、柔肉が今日一番強くペニスを締め付け、
「あっ! あああっ! あああああああぁぁぁぁぁぁっっ〜〜〜〜〜!!!」
俺は美由紀の一番奥に、精液を吐き出した。
頭の中が真っ白になる。
己の全てで美由紀を染めているような、そんな感覚。
美由紀はビクンビクンと断続的に放たれる精子の感触を胎内に受けて、何度も体を震わせていた。
まだ絶頂が続いているのかもしれない。
「あ……」
やがてペニスの脈動がおさまる。すると彼女の全身から力が抜け落ちて、俺に身体の全てを預けてきた。
俺の胸に顔を埋めながら、睫を震わせて快楽にまみれた幸福の余韻に浸っている。
「たーくん……」
甘えるように呼ばれた名前。
そして俺は答える代わりに、美由紀にそっとキスをした。
8 :
花火の日 18:2007/08/01(水) 22:59:20 ID:TEPTwWdt
空に咲いた花が消えて、控えめに星が瞬く夜、二人で一緒に帰路につく。
でも、月明かりに照らされた影はひとつだけ。
何故かというと――
「おんぶっ、おんぶっ、た〜くんのおんぶ〜♪」
「こらっ、揺れるな」
こういうわけなのだが。
コトを終えた後、軽いキスを交わしたりしてちょっとだけイチャついて、それから簡単に体を拭いて後始末をした。
服装も整え、さぁ帰ろうとしたところで美由紀が、
『腰抜けちゃって立てない〜』
そんなことを言い出した。
普段なら呆れるところだが、今回は俺にも原因があるわけで、素直に背中を貸し出した、と言うわけだ。
「えへへ〜〜。た〜くんのおんぶ、ひさしぶり〜♪」
こいつの脳天気な歌声を聞いていると、謀られたような気がしないでもないが。
「懐かしいね、たーくん」
今まで変な自作の歌を披露していた美由紀が、突然演奏を止めて囁いてくる。
「何がだ?」
聞き返した俺に、美由紀は両手に持った下駄をぶらぶらさせながら、
「こうやってたーくんにおんぶして貰って帰るの。子供の頃、私よくたーくんにおんぶして貰ってたよね」
昔を思い出しているのだろう、彼女は懐かしむような口調で言葉を紡いだ。
「そうだったな……」
俺も思い出の海に沈み、あの頃の記憶を再生する。
子供時代、楽しかった頃の思い出。
みんなで日が暮れるまで遊んで、美由紀と手を繋いで一緒に家路につく。
美由紀が転んで泣きやまないときは、おんぶして帰った。
今は周りを取り巻く環境も変わり、友人達も自分の道を往っている。
9 :
花火の日 19:2007/08/01(水) 23:00:23 ID:TEPTwWdt
でも――
「えへへ。実は私、たーくんにおんぶして貰うの好きだったんだ〜。
たーくんにおんぶしてもらいたくて、泣きやまないふりをしてたこともあったんだよ〜」
「知ってたよ」
「ええ〜〜!?」
俺と美由紀の関係は、変わらないんだなと、こうしていると、思う。
「あっ!」
突然大声を上げた美由紀に、俺は何事かと振り向いた。
彼女は照れたような笑みを浮かべながら、
「……なかのせーえき、たれてきちゃった」
「……………………」
「だってたーくん、いっぱい出すんだもん〜」
前言訂正。
俺と美由紀の関係も色々変わっていた。細かいところから大きなところまで。
「取りあえず家まで我慢してくれ」
「うん、いいよ〜。別に嫌じゃないし。
たーくんが私で気持ちよくなってくれた証拠だもんね〜」
「そういうこと大声で言うな」
でも、それは悲しくない。二人で選び、望んだ嬉しい変化だから。
「たーくんって、見かけによらずえっちだもんね〜」
「反論は出来ないが指摘するなっ」
変わってしまうことの寂しさと、変われることの喜びを胸に抱き、
「えっちのあとの、おんぶ〜おんぶ〜♪」
「歌うなっ!」
俺達はふたり一緒に、胸を張れるくらいに幸せになろう。
そして――
「また花火、見に来ような」
「うんっ!」
(おわり)
10 :
前スレ789:2007/08/01(水) 23:11:04 ID:TEPTwWdt
えーと、知ってる方もいると思いますが、
浴衣の下には浴衣用の下着っていうのを着るらしいです。
ですから浴衣の下はノーブラなんて事はないらしいです。ちくしょう。
というわけで、作品中の描写に疑問をもたれた方、
『エロはロマンとファンタジー』
ということで許してください。
それと私、直接的なエロシーンは初めて書いたので、
まだ手探り状態です。
指摘などがありましたら、遠慮せずにお願いします。精進します。
というわけで8月1日・花火の日でした。
それではまた。
乙
乙です。エロいな。
乙です。
つい最近保管庫で『海の日』読んだばかりですw
また新作書いたら投下してください。
>>10あんた悪魔か?
ここに来る前に4発抜いたのに、あんたのSSで今日最高のMAX状態じゃないか。
責任とって尻穴をry
エロの文の書き方がもの凄く上手い。ぜひまた見たいので待ってます。
超GJ!!
GJ!
夏のイベントの次は秋の月見エッチで、
その次はクリスマスエッチ、そして年越しエッチかな?
たーくんと美由紀は止まらない!
GJ!!
あんた最高だよ・・・
マジ糖尿病になっちまうよ・・・GJ!
保守
保守
20 :
名無しさん@ピンキー:2007/08/12(日) 07:41:26 ID:q9SEJ9pg
age
俺の隣には彼女がいる。
あの時からもう二度と会うこともないと思っていたのに、思いがけない再会、
すれ違いに喧嘩を繰り返し、別の相手が横にいた時もあった。
なのにいつの間にか目で追っていたのは何故だろう。
腐れ縁で片付けるには、彼女は俺の心に棲みすぎた。
そよ風になびく柔らかな髪をかき上げる彼女の薬指には、
真新しいプラチナの指輪が煌めいている。
細く長い指に整えられた爪先から恥じらう耳元、
そよぐ髪の間から覗くうなじへと視線を流していると、ふとこちらを向いた。
「なに?」
視線に気が付いていたのか、わずかに頬を染めて上目使いに軽く笑う。
「そろそろ時間だな、と」
「そうね」
ごまかしも含めて彼女の手を取り指を絡めると、嬉しそうに微笑んだ。
この笑顔をずっと見ていたい、これからはずっと一緒だ。
お互いにきゅっと手を握り締め目を合わせて呼吸を整える。
はじめての二人での仕事。緊張でかすかに震える彼女に大丈夫と声をかけ、
深呼吸をする。
「「保守」」
22 :
名無しさん@ピンキー:2007/08/19(日) 14:14:33 ID:IsZV3g+F
can't〜の続きはないのか…?
保守
24 :
名無しさん@ピンキー:2007/08/30(木) 02:11:04 ID:1+uObXf/
can't まだぁ?
保守
保守
27 :
名無しさん@ピンキー:2007/09/12(水) 16:03:38 ID:5zVyb4c+
保守
昨日まとめサイトみたいなやつを読み始めたんだが、綾咲さんの続きが激しく気になる・・・・・
CATマダー
「KNOCK DOWN!」の続きも読みたい…
31 :
名無しさん@ピンキー:2007/09/20(木) 00:31:04 ID:z0ldgNun
未完の大作ばかりじゃないか
Cat何か一年以上待っていると言うのにっ…………………………!
hoshu
33 :
名無しさん@ピンキー:2007/09/24(月) 09:07:21 ID:JDVWShro
保守
34 :
名無しさん@ピンキー:2007/09/27(木) 08:47:17 ID:g6KlRFTJ
保守
35 :
名無しさん@ピンキー:2007/10/01(月) 09:04:55 ID:MkJRbJSY
復活を信じて
保守
ここって何レスくらいで連投制限かかるんだっけ?
timecount=10
timeclose=8
だから、
直近10回のIPのうち
8回同一IPだったら警告が出る。
だれかこないかな
・長。甘。
・NGワード「39@FHD」
ではドゾー。
川面を流れる風が、俄かに冷たく湿り出す。辺りが急速に薄暗さを増し始めたのは、そろそろ西の地平に傾きつつある陽の所為だけではない。
河を渡る小さな舟の上で、船頭の男は静かに顔を上げた。
年の頃はせいぜい三十路前、だがその精悍な面差しには年に似ぬ老成した落ち着きを湛えている。
じきに一荒れ来るであろう前兆に、男は軽く眉をひそめた。
その読みが正しい事を示すかの如く、遥か遠くから雷鳴が聞こえて来る。既に上流ではまとまった量の雨が降り注いでいるのか、濁った流れに抗う櫂が徐々に重くなっていくのが分かった。
元々、ほとんど地元の人間しか利用しない交通手段である。今日は恐らく、先程向こう岸に渡した客で仕舞いであろう。
後は戻るだけである事を幸いに思いつつ、男―八極拳士・李典徳(リー・ディエンドー)は束ねた長髪を翻し、対岸へと舟を急がせた。
「お仕事、もう終わり?」
舟を舫い終えて詰所へと帰ろうとした李の背中に、突然若い娘の声が投げ掛けられた。
「申し訳ない、今日はもう…」
客か。応えつつ振り向きかけて、その流暢だが僅かに韓国訛りのある広東語に気付く。
その声には、確かに覚えがあった。
「お前は…」
「久しぶりね、李さん!」
結い上げられた黒髪。いかにも快活そうな、美しくも勝気さの方が際立った顔立ち。引き締まった腕と脚を、惜しげもなく見せ付ける動き易そうな軽装。
野宿を伴う旅の途中と思しきバックパックを背負いこちらを見上げる娘は、確かに記憶の中の道着姿の彼女と重なる。
先の試合―第二回世界格闘技選手権の準決勝戦で出会い、そして破った「テコンドー界の若き女王」こと柳英美(リュウ・ヨンミー)であった。
「どうした、こんな田舎に旅行の下調べにでも来たのか?」
「ううん。わたし、あなたに会いに来たのよ」
ツアーコンダクターという彼女の本業を思い出すが、今ここにいるのはどうやら仕事とは無関係のようである。
「私にか? 何故…」
「聞いたわ、またあのK≠ノ勝ったんですって? 凄いじゃない」
K=B二度に渡る世界格闘技選手権の主催者にして決勝戦の相手をも務めた格闘技界の帝王であり、その昔やはり八極拳士であった李の父を野試合の果てに殺した、言わば親の敵でもある。
怒りと憎しみに、一時は激しく身を焦がした。己の心身を高める為の力と技を、何の躊躇いもなく復讐の刃と変えようとした時期さえあった。
だが、今は違う。また、あの時も。
「そんな事を言う為にわざわざ来たのか? 全くご苦労な事だ」
昨年に引き続く世界格闘技選手権の制覇、それは即ち世界一の格闘家の称号をより強固な物とした事を意味する。
「何よ、嬉しくないの?」
「私の積んだ修業の成果が、今回も奴のそれに勝っただけの事。その結果に過ぎん」
だがその名声に全く驕る事なく、更なる高みを目指して終りなき修業に打ち込む真の八極拳士。
出会ってたった一戦交えただけだったが、英美にとって初めての敗北となったその試合は、彼女にこの李典徳という男の武術家たるべき真摯な性格を印象づけるのに余りにも充分であった。
「ふうん、相変わらずストイックなのね。でも、李さんならきっとそう言うと思ってたわ」
やはり彼は、あの時からずっと思っていた通りの人物であった。
改めて覚えたその好ましさに、笑みが浮かぶ。
「ところで、その修業の成果なんだけど…今もちゃんと生きているのかしらね?」
「…何が言いたい?」
つい口の端に現れた好戦的な響きは、さすがに読み取られてしまったらしい。
だが、敢えて隠す気もない。
「じゃあ単刀直入に言うわ。また勝負して欲しいのよ」
言うなり、英美は背中の荷物を河原に放り投げて構えた。
「何だと!?」
「いくわよ!」
始まりの挨拶代わりに、テコンドーならではの鋭い飛び後ろ回し蹴りを放つ。
身体中の瞬発力とバネを見事に効かせた足技は、しかし掲げられた腕にあっさりとブロックされた。
弾かれるように間合いを取り、低く腰を落とした八極拳の構えを取る。
彼女のテコンドーに対する深い愛着と誇りが感じられる、相も変わらず胸のすくような美技であった。
防いだ腕は大事こそ無かったが、肩まで痺れるその衝撃はやはり侮れない。
「今の蹴り、ちょっと自信あったのに…やっぱり、あなた強いわね!」
「世辞や減らず口など無用。私を倒したければ、全力でかかって来い!」
「ええ、そのつもりよ!」
膝で牽制しつつ一足跳びに距離を詰め、前に戦ったあの時よりスピードも切れも格段に増した凄まじい蹴りを縦横無尽に飛ばして来る。
「ふっ、はっ! えいっ!」
これまた相も変わらずの、ひたむきで狡さのない攻めであった。
確かに強くなった。だがこの程度では、まだまだ李を打ち負かすには至らない。
更に何が今の彼女をそうさせているのか、痛々しいほど全てをぶつけてくるような無謀なその戦いぶりは前にも増して顕著になっていた。
初手を交わして、どれくらい時間が流れただろう。
曇天模様だった空はすっかり暮れ、いつしか二人の身体に冷たい雨の飛礫を浴びせていた。
「はぁ、はぁ…」
未だ涼しい顔の李に対し、やはり先に息を上げ始めたのは英美の方だった。
「どうした、もう限界か」
「舐めないで…まだまだ、これからよ!」
側面へ回り込むステップからの上段蹴りを、李は上体を軽く引いただけでかわした。
最初の勢いを失いすっかり大振りで単調なものとなった今の彼女の技は、最早見切るのは造作もない。
「きゃっ!」
軸足に低く足払いをかけ、そこへ素早く踏み込む。
「はっ!!」
体勢を崩し全く無防備となった鳩尾に、勁を込めた掌打―八極拳の奥義、猛虎硬爬山を叩き込んだ。
「っ…」
必殺の重い一撃に気を失った英美の身体が、眠るように均衡を失う。その肩を掴んで支え、しっかりと抱き止めた。
香水か或いは肌そのものの匂いか、咲き初めの花とも果実ともつかぬ甘い香りが仄かに鼻腔をくすぐる。
あんな男顔負けの技を操る癖に、その肢体は思ったよりずいぶん頼りなく柔らかい。
雨足は先程より弱まるどころか、雷を伴ってだんだんと勢いを増していく。この様子では、少なくとも今夜はこのまま一晩中荒れ続けるであろう事が容易に予想出来た。
今夜は李しかいない船頭の詰所に戻れば、熱い湯を浴びて着替える事が出来る。そして簡素だが仮眠を取る為のベッドも、こうした場合に一晩を凌ぐくらいの充分な備えもある。
とりあえず、今は速やかに二人でそこへ避難するのが最善に思われた。
「うぅ、んっ…」
冷えて寒気を帯び始めたのか、腕の中で艶めかしい声が上がる。
「…いかんな」
知らず身の内に燻り始めた男ゆえの劣情を振り払うと、李はぐっしょりと濡れたその身を抱え上げた。
屋根を叩く喧しい雨の音が聞こえる。
ようやく目を覚ました英美が最初に見たのは、見覚えのない室内の明かりであった。
「え…えっ?」
かけられた毛布を除け、緩やかに慣れてきた目で辺りを見回す。粗末だがただ眠る分には充分なベッドに寝かされ、すぐに手の届くその傍らには自分の靴とバックパックが置かれていた。
――ここは?
まだずきずきと残る全身の痛みを押して起き上がると、濡れた身体を包んでいたバスタオルがはらりと落ちる。
「やっ…!」
反射的に身を改めたが、丹念に水気を拭い取られた着衣のどこにも乱れはない。
濡れた服を脱がせず、だが体温を奪われぬように次善の策として誰かがわざわざこうしてくれたのだ。
次第にクリアになる意識に伴い、直前の記憶が次々と甦ってくる。
李に会いにここに押しかけ、一方的に勝負を吹っかけた事。自分なりにあの時よりも腕を上げたつもりだったが、更に上を行った彼に再び負けた事。
だが自分は何故、この場所にいるのだろう。一体誰が、ここまで介抱してくれたのだろう。
――もしかして、李さんが…?」
状況からどう考えても、李以外に有り得ない。
夢か現か思い出される彼の体温、抱き止められた胸のがっしりとした感触にみるみる顔が火照っていく。
「気がついたようだな」
突然のドアの開く音、降ってきたその声に心臓が勢い良く跳ね上がる。
既に湯を浴び傷の手当てを終えた様子で、洗い晒した拳法着に着替えた李その人が入ってきた。
「李さん…」
ここは一体どこか、どのような経緯を経て今に至るのか。
どぎまぎしつつ矢継ぎ早に尋ねる英美に対し、憎らしいほど冷静に李は一つ一つ淡々と答えて聞かせる。
「ごめんなさい、すっかり迷惑かけちゃったわ」
厚意のまま身繕いを整えて手当てを受け、人心地がついた所で英美はさすがに申し訳なく頭を下げた。
「いや、構わん」
その顔を上げさせるかのように、淹れたての茶で満たされた湯飲みが差し出される。
程良く熱い茶は、湯で心地良く温まった身体に今度は内側から優しく沁みた。
「おいしい…男の人って、あまりこういう事はしないものだと思ってたけど」
「一人身の上、こんな男所帯の最年少だ。飯や茶の用意くらい、嫌でもすぐ慣れる」
「ふうん、必要に迫られてって訳?」
彼らしく冗談の欠片もない言葉に安堵を覚えながら、英美は湯飲みに口をつけた。
「それにしても何故、突然私の所へ来た?」
戦いの最中からずっと気になっていた李の疑問に、二煎目の茶を受け取ろうとした手がふと止まる。
「えっ、それは…言ったじゃない、あなたとまた勝負したくって」
「それは分かっている。だが、ならば何故次回の試合まで待たぬ?」
「……」
「急かずとも、その時までじっくりと修練を積んでいればもう少し結果は違っていただろうに」
決して責めるつもりではなかったが、さっきまで明るかった英美は急に黙り込んで俯いた。
雨音が、いっそう重苦しく響く。
「それとも、そうまでして今すぐ私と戦いたい理由でもあったのか?」
「…どうしても会いたかったの、李さんに」
噛むように固く噤まれていた唇が、ようやく何かを白状するように開く。
「だって、わたし…」
あの真っ直ぐな攻めを思い起こさせる語気と眼差しが、こちらを射抜いてくる。
だがその瞳はすぐに伏せられ、突然大粒の雫をぽろぽろと零し始めた。
後は、言葉にならなかった。
何事かと思わず立ち上がった李の胸に、先刻抱き止めたあの感触が今度は自らの意思で飛び込んで来る。
突然の涙、普段の気丈な英美からは想像もつかない無防備なしおらしさに内心困惑しつつも、李は幼い子供のように泣きじゃくる彼女の肩を受け止めた。
嗚咽で苦しげに震える背中を撫で擦ってやると、自然と恋人同士のように抱き合う格好になる。
拳法着の襟元を掴んだ手が、きつく握り締められた。
「ごめんなさい、訳分からないわよね…ちゃんと説明するわ、だからもう少し…」
「焦らずとも良い。落ち着くまでこうしていろ」
濡れた目元を、ぎこちなく指先で拭ってやる。それでも宥めきれぬ涙は、全て胸に押し当てる事にした。
「わたしの父と母も…テコンドー使いだったわ」
ようやく乱れた呼吸を落ち着けた英美は、李の胸に頭を預けたまま少しずつ語り始めた。
両親譲りの技でテコンドー界を制した喜びも束の間、三年前彼らはK≠ニ呼ばれる格闘家との勝負に出向いたまま行方不明になってしまったのである。
手がかりを求めてK≠フ主催する世界格闘技選手権に出場し、惜しくも李に敗れた後も独自に両親の消息を追い続けた。
しかし旅の果てに英美を待ち受けていたのは、余りにも受け入れがたい真実であった。
K≠ノ敗北を喫した父はその場で自らの命を断ち、それを看取った母も何処かへ姿を消したという。
人知れず憎しみと深い絶望に打ちのめされたそんな折、風の噂で李の二度目の優勝を耳にした。
同時に、知る事となる。彼もまた、かつてK≠ノよって父親を殺されていた事を。
自分と同じ、というのはおこがましい。
だが拳を交えれば分かる。あの穏やかに研ぎ澄まされた力と技は、負の感情を糧とした禍々しいそれとは明らかに異質なものであった。
現に彼は父親の敵に二度も相対しながら、二度とも止めを刺す事無く勝利している。
あの強さは、憎しみに打ち克ち私心を乗り越えて得られたものだったのだ。
どうすれば、彼のように心まで強くなれるのか。もう一度戦って、その強さを改めて確かめてみたい。
もう一度、会いたい。
初めて両親以外に覚えた尊敬と羨望の念は、知らぬ間に一人の男に対する想いへと変わっていた。
日毎に募るその気持ちに居ても立ってもいられなくなった英美は、ついに休暇を取って中国行きの飛行機に飛び乗ったのだった。
道理で、ただ勝負を挑みに来るにしては少々不自然だと思っていた。
よもや彼女もまた、敬愛する父親を死に追いやられていたとは。
この自分とてようやく乗り越えた苦しみを、女の身で今まで一人抱え込んでいたとは。
「だから…また負けちゃったけど、会えてとても嬉しかったの」
自分を慕ってここまで来たこの美しく一本気な娘がいじらしく、またいとおしさを掻き立てられる。
「あなたが、好きだから…」
真っ直ぐに見上げてくる潤んだ瞳から、また一筋新たな涙が流れ落ちた。思わずその頬に触れた李の手に、英美の掌が重なる。
挟まれた手に感じるほんのりと優しい体温、娘ゆえの肌の滑らかさが身体の芯を鋭く焼く。
一度は抑えたはずのどうしようもない衝動が、また熱く猛り出していくのが分かった。
縋りついたままの彼女を、緩く突き放す。
「…今夜はもう遅い。私は向こうの部屋で寝るから、お前もここの内鍵を閉めてもう寝ろ」
ぶつけられた真剣な気持ちを、結果的にはぐらかしてしまうのは本意ではない。
だがこのまま一つ部屋にいては、その想いにつけ込んで何をしてしまうか分からない。彼女の望まぬ事ですら、力ずくで無理矢理にでも完遂してしまいかねず恐ろしかった。
「李さん!」
「分かるだろう、私とて木石ではない。これ以上、お前とここにいては…もはや己を保てぬ」
子供でもあるまいし、苦しく押し殺した言葉の意味は察する事くらい出来たはずである。
「…いいわ」
しかし返ってきたのは、意外な答えだった。
「お前…」
「要は、そういう事…でしょ? いいわ、あなたとなら…そう、なっても…」
恥らって消え入るような語尾の代わりに、李は己の理性の鎖が弾け飛ぶ音をはっきりと聞いた。
ごくり、と音を立てて目の前の彼の喉仏が動く。
「!」
次の瞬間には強い力で抱きすくめられ、英美の身体は今まで寝かされていたベッドの上に体重をかけて押し倒されていた。
痩身だが逞しく鍛え上げられた肉体の重みに酔う暇さえ与えられず、唇が奪われる。
「んっ…んぅっ…」
幾度も角度を変え、触れるだけの口付けがひたすら繰り返される。
思わず緩んだ唇の隙間から、お世辞にも慣れているとは思えない性急さで舌先が入り込んでくる。本能に任せて荒々しく口中を貪る愛しい男の舌を、英美は目を閉じて受け入れた。
濡れた粘膜同士が擦れ合い、捕らえられた舌が音を立てて根元から執拗に絡められる。
「っ…んっ、ふぅ…」
これから先の行為を予感させるその感触、密度の濃い水音の卑猥さに徐々に身体中の力が奪われていく。
代わりに怖気にも似た得体の知れぬ疼きが背筋を走り、じわじわと下腹に向かって収束し始めた。
「っは…ぁ…」
同じ茶の香りの残る互いの唾液を引きずりながら、ようやく唇が解放される。
はっと我に返り目を開けると、李の手は衣服にかかっていた。程なく着衣から髪を結った飾りまで全てをほどかれ、英美は生まれたままの姿に剥かれてしまった。
戦いの時にも似た、熱の込もった双眸がこちらを見下ろしてくる。
その中に映り込む一糸纏わぬ身体を晒した自分に、否応なく彼の視線を意識してしまう。
「いやっ…見ないで…」
手で肌を覆い隠そうとするが、自らも拳法着の上を脱ぎ捨てて上半身裸になった李はしっかりと両腕を押さえつけてそれを許さない。
せめて視線を逸らして羞恥に耐えるも、見られているという事実は根本的に覆せない。
「望んだのは、お前もだろう?」
耳元で低く囁く唇が、首筋から喉笛を辿っていく。
「だっ、だけど…や、ぁん、あぁっ…!」
ただ息がかかり肌を啄まれるだけで身の内に爆ぜるもどかしい感覚に戸惑い、英美は淫らに身を捩った。
抗って身じろぐ度、形の美しい豊かな両の乳房も目の前で柔らかく弾んで揺れる。その中途半端な抵抗が余計に男を誘い燃え上がらせるという事を、思っていたよりずっと初心なこの娘は全然分かっていない。
縛めた腕を頭の上で一括りにして片手に持ち替え、李は空いた手で胸を包み込んだ。
力を込める度しっとりと掌に心地良く吸い付く膨らみの上で、桜色の小さな果実が主張し始める。
透き通るような丘の白さと頂の清らかな淡さに誘われるままに、固く熟したそれを軽く摘んだ。
「きゃっ、そこは…!」
びくりと背が跳ね、結果として李に感じやすい胸を差し出してしまう。
「ほう、ここが良いのか?」
「や…違っ、あっ…いやぁ…っん!」
ただ指先で弄ぶだけでは飽き足らず口に含んで責め立ててやれば、吐息の交じった声は一段と色めいた甘ったるさを増した。
うっすらと痕の浮いた腕を放してやるが、もう言うほどの抵抗は感じられない。
「やはり、嫌か?」
行為そのものを嫌がっている訳ではない様子だが、念には念を入れる。
「今ならまだ、拒まれれば止めるくらいの分別はあるが」
「…もう、何度も言わせないでよ…」
息を荒げつつも、そう答えるのが彼女らしい。
彼女も同じくまだ先を望んでいると解釈し、愛撫する手を下に滑らせていく。
「ぃっ…!」
程良く筋肉の乗った太腿を撫で上げ、濡れそぼったその部分に指が這うと、さすがに詰めた息が漏れた。
拒絶と取られかねぬ言葉をもう口走らぬように意識してか、これ以上あられもない声を出さぬようにか、歯形が残るほど指をきつく噛み締めて耐えている。
「そうまでして堪える事はない。声を聞かせてくれ」
「え、だって…そんなの、恥ずかしいじゃない…」
「大丈夫だ。ここには、私とお前しかいない」
不意を突き、柔らかい茂みを掻き分けて秘裂に触れる。
「…きゃっ、あぁん…!」
愛液のまとわりつく指を擦り上げると、溜められて却って色香を増した悲鳴が迸った。
「李、さん…」
蕩けきった英美の声が、自分の名を紡ぐ。浅く早い喘ぎの間に切なく響く己の名に、彼女をこうさせたのは他の誰でもなく自分だという事実に、李の欲望は勢いを増して滾るばかりである。
殊更に口付けの時よりも濃厚な音を立て、潤いを湛えた襞、探り当てた花芯を何度も何度もなぞる。
「ぁあ…!」
蹴りさえ忘れて頼りなく震える脚を押さえつけ、シーツまで濡らすほどに快感の証を溢れさせたそこに指先を沈めていった。
潤って尚狭過ぎるそこは、蜜を絡めてぬるつく指のたった一本でさえ難儀する。
男の自分には想像もつかないが、指でこれ程ならましてやこれから侵入する物にはどれほど酷い苦痛を強いてしまうのだろうか。
それだけはどうにかして和らげてやりたくて、柔肉を掻き分けじっくりと時間をかけて解きほぐす。
そんな気遣いとは裏腹に既に拳法着の下で半身は熱く固く反り返り、指でさえきつく締め付ける極上の快楽の予感に身震いさえ覚えていた。
「初めてか」
今までの反応とあまりにも初々しい不慣れさに手を止め、ずっと気になっていた事を口に出してみる。
潤んだ瞳がゆっくりと焦点を結び、小さな頷きが一つ返ってきた。
「し、仕方ないじゃない…わたしの国じゃ、こんなおしとやかじゃない女は受けが悪いのよ」
「…そうか、韓国の男共は随分と見る目がないものだ」
言いつつも普段の強気な彼女の言動を思い出し、さもありなんと深く納得する。
「それにこういう事って…簡単にしたくなかったの。本当に、好きな人とじゃなきゃ…」
「私で、いいのか?」
「あなたで、じゃないわ。あなたが、いいの…」
その言葉を合図に李は拳法着と下着を脱ぎ去り、ずっと待ち焦がれていた自身をあらわにした。
さすがにそれだけは直視出来ないのか、英美は在らぬ方向に顔を背ける。
脚を思い切り開かせ、ふっくらと瑞々しく熟れたその中心の入り口に先端を宛がった。
「痛っ…!」
予想を遥かに上回る痛みと圧迫感が、英美の身体を貫く。
いくら初めてとはいえ話くらいには聞いていたし、彼ならばと覚悟も決めていた。なのにその決心さえも揺らいでしまいそうな衝撃に、全身は慄いて言う事を聞いてくれない。
気が付けば、しがみついた李の背中に爪を立てていた。
「落ち着け、そんなに力んでは痛くなる一方だろう」
「無茶言わないでよ…だってこれ、こんなに大きくて…指よりもずっと太いのに…!」
「…大胆だな」
苦し紛れにひどく恥ずかしい事を口走っていたのに気付き、耳まで赤く染まる。
脱力した一瞬の隙に、ほんの少しだけ腰が押し進められた。最初よりは痛くない。
「あ、今…」
その意味は、理解してもらえたらしい。
耳朶から首筋を甘噛みし、肌のあちこちに赤い痕を付けつつ緊張を逃がしてやりながら、李は少しずつだが確実に英美の中に入ってきた。
身の最奥を引き裂かれるようなひときわ強い一瞬の激痛の後に、下腹同士がぴったりと重なる。
「大丈夫か、痛かっただろう」
「ううん…もう平気」
望んだ男に純潔を捧げられた嬉しさと誇らしさに痛みも忘れ、英美は気遣わしく見下ろす李の首に腕を伸ばした。
汗で乱れた後ろ髪の束をほどき、指先で梳いて括り直してやる。
頭を掻き抱き、耳元で小さくねだった。
「良いのか」
「うん…試合の時に来ちゃうといけないから…いつも薬を飲んでるの」
重なった胸から伝わる同調した鼓動に、今の彼も見た目ほど冷静ではない事を知る。
具合を確かめるように、まずはゆっくりと抜き差しが始まる。まだ僅かな痛みと異物感は残っていたが、一度彼を奥まで迎え入れた身体にもう何も迷いはない。
ゆらゆらと揺れていたベッドが、徐々に大きく軋み始めた。
きつく閉ざされた内壁を押し開かれ、返しの部分で擦られる刺激の連続に、破瓜の鮮血の混じった新鮮な蜜は泡立つほど練り上げられて粘度を増す。
「あっ、ぁ…は、あん…ぁっ…」
慣れてしまえばその激しい往復は容易に苦痛を塗りつぶし、ただ肌の表面を愛撫されるのとは桁違いの快楽に英美を溺れさせた。
朦朧とした意識は急速に浮き上がり、そして叩きつけられるように沈む。
全ては幸せな夢で、今に何もかも消え失せてしまいそうで怖かった。
「李…さん、李さん…!」
愛しい男を何度も呼び、遠ざかりそうな意識を繋ぎとめる。
与えられる全てを逃すまいと、夢中になって李の身体を求めた。下から手を伸ばして自分から口付け、彼をより奥深くまで誘い込むべく脚を胴に絡めて引き寄せる。
その反応に箍が外れたかのように腰の動きは力強く振れ幅を増し、肌と肌の打ちつけられる湿った音と男女の息遣いが雨の音に負けず部屋の中に響いた。
「英美…」
強く穿ちながら、快感に掠れた声が初めて名前を呼ぶ。
「っ、名で呼べ…典徳、と…」
眉根を寄せ苦しく歪められた、まるで苦痛を堪えるようなその表情に、李もまた同じく限界を迎えそうな事を知る。
「…典、徳…。典徳…ぅっ…あ、あぁん…!」
きちんと名を呼んでもらえた、名で呼ぶ事を許された甘酸っぱい嬉しさを噛み締めた刹那、それは不意に訪れた。
無意識に腰から身体の奥が引き攣り、断続的に李の物を締め付けた。
力が入らずついに首筋から滑り落ちた手が強く握り締められ、指が絡み合う。
「く、うっ…!」
悩ましいとさえ思える男の微かな呻き声、ひときわ強い脈動と共にどくどくと胎内に注ぎ込まれる精の熱さを最後に、英美の意識は真っ白に煌いて消えた。
「雨…まだ止まないわね」
「ああ、この調子では明日も舟は出せんな」
混ざり合った男女の体液と汗でしっとりと湿ったベッドの中で、未だ身の内に残り火のように灯る絶頂の余韻を愉しみながら、二人は弱まる気配もなく降り注ぐ土砂降りの音を聞いていた。
夜半を過ぎて冷えた空気に、互いの素肌の温もりが心地良い。
「ごめんなさい…血で汚しちゃったわね。後が大変でしょ」
シーツに目を落とせば、あからさまに情交の跡と見て取れる真紅の花が滲んでいた。
血液は洗っても落ちにくい。次にこの詰所のベッドを使う船頭仲間に見咎められでもしたら、言い訳がさぞ大変だろう。
「明日はここの片付け、わたしも手伝うから」
「ああ、それは助かる…」
しおらしく詫びる英美に一つ口付けを落とし、李はふと考え込んだ。
「…いや、やはりいい。その代わり」
「その代わり…何?」
「英美…ここを出たら、私の家で朝飯を作ってくれぬか。食後の茶も忘れずにな」
「え…ええっ!」
瞬時に赤面する彼女に、更に続けた。
「一度私も、好きな女に飯や茶の用意をしてもらいたいと思っていた。頼めるな?」
「…はい」
男勝りで気の強い、だがその実一途で純情なテコンドー使いの娘は、真っ赤な顔のままこくりと頷いた。
(終)
うほ、GJ!
ええ話でした
保守
56 :
名無しさん@ピンキー:2007/10/15(月) 22:48:40 ID:BFKoCEjj
華麗に舞うように保守
>53
ファイヒスとは以外ですた。
可愛いヨンミーとむっつりスケベなリーに萌え。
たぶんここでは初です。
何となく思いついたものを書こうと思っています。
で、キャラクター設定だけを落とすんで、修正案などがあれば教えてもらえるとうれしいです。
高田 聡:主人公。中学校以来幼馴染のみなもと恋人同士だったが、ある日に親友である啓太とみなもがデートしているのを見て、失意のどん底に落ちる。
人間不信気味になってしまった現在は学校にも通わず誰とも会わずに引きこもっている。
本来は穏やかでやさしく、お人好しな所もある青年だった。
坂本みなも:聡の恋人兼幼馴染だった少女。明朗快活な性格だったが、聡がみなもを大切にしすぎていることに窮屈さを感じ、一度だけの火遊びに手を出した結果、聡に目撃されてしまっている。
まだ聡を好きではあるが、誤解も解けないまま啓太との関係におぼれつつある。
坂本優奈:みなもの実の姉で、聡にとっても姉的な存在。
昨年から聡たちの学校に赴任しており、今は聡のクラス担任でもある。
ほわほわした性格で、生徒たちには優奈ちゃんとして親しまれている。
不登校の聡を心配する反面、みなもの事情も汲んであげたい優しいお姉さん。
木之本 啓太:聡の小学校以来の親友。ずっと前からみなもが好きだった。
みなもからの誘いに、聡への後ろめたさを隠して付き合った結果、聡とは絶縁する羽目になる。
みなもに対しても厳しく当たった聡に、些かながら反感を覚えてもいる。
熱血漢で、常にリーダーシップを発揮するタイプだが、反面考えずに行動することも多い。
獅子堂 蛍子:聡たちの学園のカウンセラー。聡と仲が良かったため、今回のことを重く感じている。
無駄に色っぽく、その色気に篭絡され、そして撃沈した男性は多数。
蛍子と優奈は共に男性経験が全くない。
これから増やしてみようとか思っていますが、ここまでで変だとか、変えるべきだとかいう場所があれば教えて貰えると嬉しいです。
>>60 三角関係スレの方がしっくりくるんじゃね?
って、ふと思ったり
>>60 難しい設定にしたな、というのが感想。
ヒロイン(最終的に主人公とくっつくキャラ)を元恋人にするには、
あまりにも理由が身勝手すぎ、読者の共感を得られそうにない。
親友も同様。主人公にハッパ掛けたり説教しようものなら、
「お前がそれを言うな」とツッコまれる。
その辺りの展開、表現、感情移入を相当上手くやらないと厳しいと思う。
>>62 いえ、現状復縁はまずない方向で行きたいと思ってます。
ただ他にヒロインに据えるべきキャラを考えてみようとか、サブをきっちりしないと無理ですよね・・。
>>63 オリジナルの場合、登場人物は絞った方がいい
映画や漫画と違ってビジュアルがないから、あまりごちゃごちゃすると読み手が混乱する。
長期連載や群像劇をするならともかく、そうじゃないならキャラ増加はお勧めしない。
あまり増やすと書いてる本人が把握しきれなくなることもあるし、
最悪の場合、キャラは空気でストーリーはがんじがらめで動けない、
なんて事にもなりかねない
重要なのは取捨選択だと思う。
SSを書こうと思ったのなら、何かしら書きたい『中心』があるはず。
それはテーマかもしれんし、とある場面かもしれんし、キャラかもしれない
>>63本人にしかわからないと思う。
それを見極めて、そこからいらないモノは削り、変えるモノは変え、
書きたいモノ、書くべきモノは書く。
・・・なんか説教臭くなってしまった、スマン
>>64 いえ、ご忠告痛み入ります。
荒削りで見苦しいかも知れませんが、一度思い切って書いてみますね。
66 :
名無しさん@ピンキー:2007/11/05(月) 00:39:32 ID:NH8hgPw6
保守age
何事もなかったように投下
するにはあまりにも前回から期間が空きすぎていますねすいません。
以前投下した作品の続きです。
タイトルは『Can't Stop Fallin' in Love』。
内容なんか覚えてねーよ!と言う方は
>>2のオリジナルシュチュエーションの部屋の純愛スレ保管庫をご覧下さい。
それもめんどくせぇ、と言う方には下に簡単な人物紹介を用意しました。
ご覧あれ
篠原直弥:主人公。ヘタレ。
綾咲優奈:お嬢。
葉山由理:恐ろしい子……!!
では、投下。
緩やかな坂を上りきると、数年前に造られた『雪ヶ丘公園』という名の公園がある。
鉄棒と滑り台しか備えられていない、高級住宅街に存在するにしては簡素な広場だ。
「着いたぞ〜」
綾咲に声を掛けて合図しながら、徐々にスピードを落としていく。公園には俺達以外誰もいない。
まだ日没前だというのに、この辺りの子供達はもう帰ったのか? それとも家でゲームか? 塾か? 出会い系サイトに夢中なのか?
などとどうでもいいことを考えながら、自転車を止める。
先に降りた綾咲を追うように園内へ入り、奥にあるベンチに腰を下ろした。
ため息と共に疲労を吐き出しながら、ここに来た経緯を思い出す。
『それで、サボタージュってこの後どうすればいいんでしょうか?』
サボろうと言ったものの、突発的な思いつきだったらしく、何処へ行くかまでは考えていなかったらしい。
好きにすればいい、と答えると、
『それでは、篠原くんのお好きなところに案内してくださいな』
そう返してきた。
一瞬本気で近所のスーパーの特売に連れて行こうかと思ったが(本日の目玉・トイレットペーパー198円お一人様一個限り)、
何とか誘惑を振り切り、現在に至る。
この場所を選んだ理由は近場で、金のかからないところという、ただそれだけである。
公園で二人きりなどいかにも学生の放課後デートシチュエーションだが、他意はない。
いや、あるいは葉山との契約が頭の隅に残っていたのか?
……いかん。あの魔女の思い通りになってきているぞ。
吹き付けてきた風に身を震わせる。ものすごい悪寒。
葉山め、俺をここまで恐怖させるとは。12月とはいえ、この寒さは異常だぞ。
……そういや、全力疾走して汗かいてたなぁ、俺。
冷たい風にビュンビュン煽られ、体温が容赦なく奪われていく。
まさかこんな町中で凍死か? 冗談じゃないぞ。だがあり得るかもしれん。今年の冬は寒いらしいし。
マッチ売りの少女もこんな気持ちだったのだろうか?
少女よ、売るならカイロにしなさい。間違っても微炭酸飲料を販売してはいけないよ。
「はい、どうぞ」
急に掛けられた声で我に返る。急激な温度変化にまた思考が乱れていたらしい。
差し出された綾咲の手には、液体が揺れる銀色のコップが。
表情から俺の意図を察したのか、左手に持った同色の筒を見せながら続ける。
「紅茶です。朝に作ったので、もうだいぶ冷めていると思いますけど」
謙遜なのか、はたまた俺の身体が冷え切っていたのか、受け取った紅茶は充分すぎるほど暖かかった。
よほど高性能な魔法瓶に違いない。冬山遭難用か? いやそんな物あるか知らないが。
「ありがてぇ〜」
心の底から感謝しながら、コップを受け取る。紅茶を胃の中に流し込むと、身体の奥の凍えが取り払われていった。
「もう少し残ってますけど、飲みます? あと一杯分くらいしかありませんけど」
「ありがたくいただきます」
反射的におかわりも頂戴してしまう。
綾咲の厚意に甘えまくっているが、仕方ないんです。
時間内に彼女を送り届けるという依頼を達成できなかったから、報酬の喫茶店全メニュー制覇も夢の彼方へと消えたのです。
だから別の方法で消費したエネルギーを補給するしかないんです。
言い訳を並べ立てて罪の意識を沈静化させながら、今度はゆっくりと液体を口に運ぶ。
うん、美味い。銘柄まではわからんが、高級な葉を使っているようだ。
これを毎日飲んでたら、パックの紅茶など飲めなくなるだろうなぁ。
……………………毎日?
脳内でもう一人の俺が警鐘を鳴らしてくる。何かとんでもないことをしているような。
落ち着いて整理してみよう。
綾咲が持っていた紅茶。朝に作った。残り少ない。誰が飲んだ? 何に入れて飲んだ? 俺に渡されたコップ。
これらから推測される結論。間接キ
「篠原くん」
「ひゃいっ!? いかがいたしなされましたでせうか!?」
いきなり話しかけられ、少女のような悲鳴を上げてしまう。
当然、綾咲は突如挙動不審に陥った俺を怪訝な顔で見やった。
「? どうしたんですか? 声が裏返ってますよ」
「いいえ何ともありませんよ塵ほども動揺してませんよ植物のように心穏やかですよ?」
早口で捲したてながら何とか綾咲の興味を持たさぬよう試みる。冷静とは180度かけ離れた態度だが、今はこれが精一杯。
あなたは大切なものを盗んでいきました。僕の平常心です。
「そうなんですか?」
「そうなんです。お茶ごちそうさま」
綾咲に空になったコップを押しつけると、この話題はおしまいとばかりに口をつぐむ。
幸いにしてそれ以上の追求はなく、彼女は魔法瓶を鞄に戻した。
よーし、どうにか乗り切ったぞ。
危機が去ったことに安心して力を抜くと、急に疲れが押し寄せてきた。
綾咲よぉ、俺を信頼してくれてるんだろうけど、もう少し警戒心持とうや。
「篠原くん、夕焼けですよ。ほらっ」
口に出さない思いはもちろん通じることはない。
無邪気な声に振り返ると、いつの間にかお姫様はベンチのすぐ後ろにある手すりに寄りかかっていた。
「気を付けろよ。落ちると危ないぞ」
大丈夫だろうとは思ったが、一応注意しておいた。
この公園は高台にあるため、柵の向こうは急な斜面になっている。
下は柔らかい草が生えているので転げ落ちても怪我することはないだろうが、念のため。
「わかってます。私、子供じゃないんですよ」
綾咲はふくれっ面をしてみせるが、すぐに機嫌を直して眼下の景色に向き直ると、見覚えのある建物を指さす。
「あっ! あれって学校ですよねっ」
「そーだな」
入り口とは逆方向になるここからは、街が一望できる。
俺達が通っている学校、もうすぐ混雑し始めるであろう駅前、さっきまで買い物をしていたショッピングモール、一軒家やアパートが並ぶ住宅街。
全てを夕日の赤が染め上げていた。
「家も、学校も、すごく小さい……。ふふっ、ここから見てると、あそこで授業受けたり、おしゃべりしてるなんて信じられませんね」
遊園地に連れて行ってもらった子供みたいなはしゃぎ様に、呆れてため息を吐く。
「初めて見るわけじゃあるまいし、そんなに珍しいものでもないだろうに」
「え? ここに来たのは初めてですけど」
意外な返答。あれ? でも確か……。
「そうなのか? 家の近くなのに?」
「こちら側にはあまり詳しくないんです。学校も駅も、反対方向でしょう?」
あぁ、納得。この辺って民家しかないからなぁ。
子供の頃から住んでいる俺と違って、綾咲はまだこっちに来てそんなに経ってないから、無理もないか。
「だからこの公園のことも知りませんでした。こんなに眺めのいい場所があったなんて」
そんな大層なものでもないぞ。
しかし言葉は音にならず、吐息となって宙を舞った。
何故なら――
「篠原くんのおかげ、ですね」
振り向いた綾咲が、とても柔らかな笑みを浮かべていたから。
「…………さあな」
やっとそれだけ絞り出して、視線を外す。夕日が少し眩しかった。茜色の空を、雲がゆったりと泳いでいる。
「似たような所なんて他にも山ほどあると思うぞ」
「どんなに似ていても、同じではないでしょう?」
苦し紛れの誤魔化しは、やはり彼女には通用しない。
「ここからの景色は、この公園だけのものですから。だから素敵なんですよ」
戻した瞳に飛び込んできた綾咲の笑顔が、とても素直で。
それはきっと、己を虚飾で覆うことに必死になっていた俺が、既に失くしてしまった気持ちで。
だから。
「……そうだな」
控えめに、頷いた。
口に出してしまえば、馬鹿らしくなるくらいに簡単だった。
やれやれ、俺はどうして意地になってたんだろうね? 別にムキになって否定するものでもないだろうに。
ベンチから立ち上がり、綾咲の隣へ行く。見慣れた風景を普段とは違った感情で眺めるのも、いいかもしれない。そんな思いが胸によぎった。
綾咲に影響受けたな、これは。
手すりに体重を預けながら朱色に染められた街並みを目に写していると、懐かしい情景が甦ってくる。
子供の頃、同じようによく夕日を眺めていた。
世界が己の物になったような錯覚と、世界で一人きりになったような孤独感とを、同時に味わいながら。
そんな感傷も年を経るにつれ、次第に削り取られてしまったが。
今訪れているのは、その時とはまったく別の感情だった。
たまにはこんな静かな時間を、誰かと一緒に過ごすというのも――
チラリと横目で盗み見た彼女が、本当に楽しそうな表情を浮かべていたから。
「――悪くないのかもな」
そう思った。多分、心の底から。
一瞬強い風が吹いて、綾咲の髪が翻る。踊る髪を押さえるその姿さえ嬉しそうで、我知らず笑みがこぼれた。
「どうかしました?」
掛けられた声で現実に引き戻される。いつの間にか彼女と目が合っていた。
ずっと綾咲を凝視していたことに今更ながら気付き、顔面の温度が急上昇する。
「え、あっと」
慌てて取り繕おうとするも、うまい言葉が出てこない。
視線も何故か彼女から外れてくれず、身体は魔法をかけられたように固まったままだ。
「篠原くん?」
綾咲の小首を傾げる仕草で、互いの顔が想像していたよりも近かったことを知る。
そんなはずもないのに、さらさらと揺れた髪の香りさえ届きそうに感じた。
それだけじゃない。瞬きする瞳、夕焼けの色を纏った頬、小さく開いた唇、何気ない動作のひとつひとつから目が離せない。
マズイ。マズイマズイマズイマズイ! 何だかわからんがこのままの状態は非常に危険だ!
緊急警報発令! 緊急警報発令! 血圧が臨界点を突破しました! すぐに遮断して! 駄目です、間に合いません!
心拍数が危険領域に到達! レッドアラームレッドアラームすっげー!
うお、尋常ではなくうろたえてるぞ俺。これが夕日の魔力か? レジデントオブサンの陰謀なのかっ!?
つまりよこしまな気持ちがダンシンインザサンしてこの胸で暴れて止まらないのも、みんな太陽がさせたことだったんだよ! な、何だってー!?
ああ俺壊れてる。間違いなく壊れてる。今期一番の錯乱っぷりだ。いかん、早く冷静にならなくては。
しかしクールになれと念じようが、九九を唱えようが、今月の出費を計算しようがまったく効果無し。心臓には相変わらず天変地異が巻き起こっている。
どうしたらいいの? 教えて神様。教えてMr.sky。
全身全霊で祈るが、この世には神も仏もいないらしい。
打開策も打ち立てられぬまま、いたずらに時間は過ぎてゆく。これ以上黙っていると綾咲が不審に思うだろう。
ええい、こうなったら出たとこ勝負だ! 意味不明のセリフを口走る可能性が高いが、その時はその時だ。
綾咲よ、心して聞くがよい! 俺の想いの内が今ここに!
「綺麗だな……」
口をついて出たのは、そんな言葉だった。
あれ? 意外に普通だ。いや、違うだろ。この状況でこんなこと言ったら、まるで――
「そうですね。私、夕焼けを見るのって久しぶりです。篠原くんもですか?」
「あ、ああ。なかなか機会が無くて」
微笑みと共に返された彼女の言葉に拍子抜けしながらも、反射的に同意を返す。
「不思議ですよね。こうすれば時間なんてすぐ作れるのに」
「わざわざそれだけを見ようって気にはならないんだよな」
取り留めのない会話を交わしている内に、徐々に心臓の鼓動がペースダウンしてくる。
彼女が誤解してくれたおかげで、何とか恐れていた事態は免れたようだ。
…………誤解、か? そうじゃないよな? あのセリフに他意なんてない。ただ、夕日を見た感想を述べただけだ。
自分にそう言い聞かせながら、後ろ向きに一歩二歩と下がっていく。ベンチに腰を下ろすと、ようやく全身の緊張が解けた。
はぁ、と長く深いため息を吐く。本当に疲れた。綾咲にはいつもペースを乱されっぱなしだが、今回のは極めつけだ。
いや、あいつが何をしたってわけでもないから、俺の独り相撲か。
どっちにしろ、このままではいけない。天然な綾咲の行動にいちいち動揺していたら体が持たない。もっとタフにならないと。
そう、生まれ変わるのだ! クールでタフなナイスガイに! 今が革命の時。大丈夫、僕なら出来る。
古き未熟な殻を打ち破り、雄々しきハードボイルドの扉を開くのだ!
「篠原くん、ちょっといいですか?」
顔を上げると、綾咲がこちらを窺っていた。
ちょうどよい。進化した篠原直弥改め新・篠原直弥の平静っぷりを、この無防備小娘にとくと拝見させてやろう。
「ハハハ。どうしたんだい? 何か気になることでもあるのかな?」
さすがは新・篠原直弥。受け答えに微塵の狼狽も表れない。何やら間違った方向に進化を遂げてしまった気もするが、それは諦めよう。
「学校に誰もいないみたいなのですけれど、どうしてなのでしょう? 部活が終わるにはまだ少し早いのでは?」
俺は無意味に白い歯を輝かせながら、親指を立てて朗らかに答えてやった。
「それはね、期末テスト前だからさっ!」
だから本当は勉強しなきゃいけないのさっ!
進化したとか言って喜んでる場合じゃないのさっ!
……。
…………。
「……………………」
落ち込んだ。すごく落ち込んだ。ずーんと心が重くなった。恐ろしく肩が下がった。
「やなこと思い出させるなよぅ」
涙目になりながらベンチ下の雑草をプチプチむしる。
え? 何事にも動じない新・篠原直弥じゃなかったのかって? 彼は1分も経たずに木っ端微塵になりました、はい。
「ご、ごめんなさい。篠原くんってそんなに勉強苦手でした?」
「得意教科なら問題はないが、不得手の英語と数学は赤点付近をさまよう鎧です」
ちなみに綾咲は学年10位以内にいつも名を連ねる優等生である。
しかも全教科まんべんなく高得点という隙の無さ。入る学校間違えてるよな、絶対。
「でも篠原くん、数学と英語の授業の時、寝ていませんでした? 苦手なら聞いていた方がいいのでは?」
「苦手だから寝てるんだよ。起きててもチンプンカンプンだし。
つーか綾咲、お前こそ真面目に授業受けてるだけじゃ、あそこまで点数は取れないだろ。
どんな裏技を使ってるんだ? 先生怒らないから正直に話しなさい」
俺の言いがかりに綾咲は困ったような表情で、
「と申されましても……普通に復習しているだけですよ? それと、前の学校はもう少し進んでいましたので」
我々の現在地など既に一年前も昔に通り過ぎていたのか。凄まじくレベルの高いところだな。
ふと、疑問を覚える。綾咲は何故こんな田舎の町に移り住むことに決めたのか。
思いつきなどではないだろう。両親の説得だって大変なはずだ。
彼女の振る舞いや言動からは、厳しく、かつ大切に育てられてきたのが窺える。きっと反対されたに違いない。
しかしその制止を振り切って、綾咲はこの街に来た。
理由を聞いてみたい。激しい欲求が胸に渦巻き、突き動かされそうになる。そしてそんな自分に、俺自身がひどく驚いていた。
いつもなら興味を引かれても、口に出そうなんて思わなかったろう。他人の事情に足を突っ込むと、引き返せなくなるから。
猫だって好奇心に殺されるのだ。死ぬとわかっている箱に入る必要はない。
「綾咲は……」
けれど俺は一歩、
「どうしてこっちの学校に転校してきたんだ?」
踏み出していた。
いきなりの問いに綾咲は目を見開いてきょとんとしている。そりゃそうか。知り合ってから半年以上経つのに、今更だもんな。
時間が経つにつれ、聞くんじゃなかったという後悔が強くなっていく。
やっぱいいや、そう口を開きかけたときだった。
「友達がいなかったんですよ」
「……え?」
想像もつかなかった答えに思考の全てが霧散する。聞き違いかと綾咲に顔を向けるが、彼女は穏やかな表情で、もう一度同じ言葉を繰り返す。
「友達がいなかったんです。あまり他の人には教えてませんけど」
知っているのは由理さんくらいですよ、と綾咲は微笑む。言っている内容とは裏腹に、彼女の振る舞いは明るい。
「えーと。何というか……悪いこと聞いたか?」
「いいえ。どうしてです? ……あ、篠原くんが考えているような理由ではありませんよ。いじめが原因ではないですから」
俺の内心を読みとったらしく、訂正してくる。その口調に陰りは窺えない。
辛い思い出ではないみたいだな。
いつもみたいに瞳を覗き込むようにして、綾咲が尋ねてくる。
「少し長くなりますけど、構いませんか?」
「それはいいんだが。別に話したくないなら話さなくてもいいぞ」
「どちらかと言えば、篠原くんには聞いてもらいたいです」
ぐ、と喉が詰まる。そんな風に返されたら、今更質問を取り消しなんて出来そうにない。
はぁ、これも自業自得か。ま、そんな重いエピソードでもないみたいだし、気楽に耳を傾ければいいさ。
俺の頷きを受け、綾咲は何から話すか一瞬迷うような素振りをして――ゆっくりと語り始めた。
「私、ずっと女子校に通っていたんです。幼稚園から大学まで一貫式の」
そういえば葉山からそんな話をされた気がする。ずっと女子校通いだったから、男に対する免疫がないとか何とか。
だから『昼休み案内事件』などというものが起きたわけで。俺が葉山に脅迫されて、こんな所にいるわけで。
うーむ、意識はしていなかったが、今俺は全ての災厄の根本を知ろうとしているのではないか?
だとすればぼんやり流せそうにもない。居住まいを正して傾聴しよう。
しかし俺の意気込みを裏切るかのごとく、彼女の歯切れは悪い。
「歴史と伝統がある学校でして、生徒も……その、良家の子女や会社の社長の子供とかが多くて」
「いわゆるお嬢のお嬢によるお嬢のためのお嬢学校というわけだな」
綾咲が無言でつかつかと歩み寄ってくる。そして、
「えい」
向こう脛を蹴っ飛ばされた。足部を襲う激しい痛みに苦悶する。
ここで豆知識。たとえ女の子のキック力でも、急所を狙えば相手にクリティカルダメージを与えることは可能です。
不意打ちならより効果的でしょう。
「おまっ……! 筋肉のない部分への攻撃は反則っ……」
「お嬢お嬢と馬鹿にするからです。篠原くんが悪いんですよ」
ふくれっ面でぷいっと横を向く綾咲。どうやら完全に機嫌を損ねてしまったようだ。
しかしいきなり実力行使に訴えるとは、段々葉山に似てきたな。だとすればこれ以上神経を逆なでするのは得策ではない。
「すまなかった。謹んで謝罪し訂正する」
激痛を堪えながら、ひとつ咳払いをし、言い直す。
「お嬢様のお嬢様によるお嬢様のためのお嬢様学校というわけだな」
「えいっ」
反対側の脛を強打された。俺は子供のように両足を抱えながら、ベンチを転がり悶絶する。
そんなのたうち回る哀れな蓑虫に投げ掛けられる、わざとらしいほど明るい声。
「あら、とっても楽しそうですね、篠原くん」
「おまえ、なぁ……。誰のせいで……こうなったと……!」
怒りを込めて睨め上げると、そこには天使のような笑顔と同時に底冷えするオーラを醸し出した綾咲の姿が。
正直に告白しよう。僕とても怖いです。
「誰のせいでしょう? 自分の胸に聞いてみてはいかがです?」
彼女はわざとらしいほど優しげな口調で問いかける。表情は穏やかだけど、目が全然笑ってないよ、綾咲さん。
だがこのプレッシャーは一度経験している。過去から何も学び取らない俺ではない。つまり対処法はもう存在するということだ!
「完膚無きまでに私が悪いです。ごめんなさい」
対処法・さっさと己の非を認め罰を待ちましょう。そこ、情けないとか言うな。こいつが怒ると怖いんだから、本当。
綾咲はしばらくこちらをじっと見つめていたが、やがて小さなため息を吐いた。
「何だか由理さんの気持ちが分かったような気がします」
「理解はしても真似はするなよ。奴は人類の敵だぞ」
何はともあれこの場は切り抜けられたらしい。やはり人間に大切なのは過ちを悔いる真摯な姿勢だな、うん。
いまだ激痛の鐘を鳴らしている足をさすりながら、空を見上げる。
まだ雲は茜色だが、冬の日暮れは早い。稽古事をサボったわけだし、日が落ちるまでには彼女を家に帰さなきゃならんだろう。
となれば、これ以上脇に逸れるわけにもいかないな。……いや、話の腰をバキバキ折ったのは俺なんですけどね。
「よし、話題を戻そう。レッツ閑話休題。なるほど! 裕福な子供が集まっていたんだな。それで?」
「篠原くんって時々すごいですね……」
綾咲は微量の羨望と大量の呆れの入り交じった眼差しを送ってきていたが、やがて気を取り直すように二、三度可愛らしい咳払いをする。
まだ続けようとするお前も結構すごいぞ、と思ったが口には出さないでおいた。
ま、あれだけお嬢お嬢と連呼すれば、開き直るだろ。
お前がお嬢なのはもう充分知ってるから、以前の学校のブルジョアっぷりを聞いても引いたりしないっつーに。変な気を遣うな、阿呆。
肩の力が向けたのか、先程よりも少しだけ滑らかに彼女の唇は動きだす。
「それで――そんな学校だったから、友人同士で作るグループも、普通とは少し違っていたんです」
当時を思い出すように、綾咲が視線を遠くに向ける。ただ浮かんでいるのは、懐かしさを含んだ郷愁の色ではない。
「あの子の父親の会社は大きいから、仲良くしておこう。
あの人の家は政界や財界とも繋がりが深いから、嫌われないようにしよう。
あそこの企業はもう駄目らしいから、彼女と一緒にいても意味がない……。
少し前までクラスの中心だったのに、父親の会社が不渡りを出した途端、誰も近寄らなくなったりするんです。
そういう関係って、友達って呼べますか?」
「……違うだろうな」
それは利害が一致しただけだ。本人同士がどう考えているかはともかく。
「そんな光景を何度も目にして……なのにみんなおかしいなんて思わない。
当然のことのように受け止めて、いつものように授業を受けたり、誰かとお喋りしたりして、一日を過ごしていく。
……嫌になってしまったんですよ。学校と、その場所にいる私自身に」
綾咲は緩やかに足を進めると、ベンチの後ろにある手すりに身体を預ける。
夕日と向き合う彼女の顔は、この位置からは見えない。
「ここにいたら、私が私でなくなってしまうんじゃないか。大切なものをなくしてしまうんじゃないか。
一度そう考えたら、たまらなくなって。胸にあるモヤモヤが、日に日に大きくなっていって。耐えられなくなって。環境を変えたくなって。
どこでもいい、別の場所に行きたくなって。それで――この街に来たんです」
振り向くと、いつもの笑顔。いつもと変わらないように見える、笑顔。
何か言葉を掛けようとしたが、どれも的はずれになってしまう気がして、結局無難なセリフを選ぶ。
「よく両親が納得したな」
「反対されましたよ。お母様と大喧嘩して、3日間口をききませんでしたし。その間に勝手に編入届けを用意していたら渋々承諾してくれました。
雪ヶ丘にまだ家が残っているからそこに住むこと、徒歩で通える学校に行くこと。この二つが条件でしたけど」
アグレッシブなのは昔からか。
「またずいぶんと思いきったことをやったもんだ」
「そうでもしないと認めてくれそうもありませんでしたから。先手必勝ですよ」
小さく舌を出した綾咲に、俺は苦笑するしかない。
先程とは違う、緩やかな空気が場を支配する。その雰囲気に乗って、出来るだけさり気ない口調で彼女に尋ねてみた。
「で、こっちに越してきて何か変わったか?」
問いかけに綾咲は間を置くように一度だけ目を伏せ、
「転校しただけで全部うまくいくなら、簡単ですよね」
言葉の内容とは裏腹の柔らかい表情を向けてくる。
「……かもな」
曖昧な相づちを打ちながら、綾咲をじっと観察する。
決して愉快ではない自分の過去を吐露しても崩れない、穏やかで屈託のない笑顔。
それはもう乗り越えているからなのか、それとも作られているものなのか、俺にはわからない。
もし無理をしているのなら。まだ彼女が孤独や疎外感から抜け出していないというなら。
普段の笑顔が、本物で無いというのなら。
「最初はそれだけで何もかも解決するって、そう信じてました。格式や伝統に縛られない、普通の学校に行くんだから。
両親の仕事とか、今までの環境とかは関係がない、クラスメートとの間には壁なんて無いんだって……」
感情を偽る余裕もないくらい引っ張り回してやろう。そう決意する。
お節介なんて柄じゃないし、更に深く泥沼にはまっていくような気がしたが……仕方ないよな。毒を喰らわば皿まで、だ。
綾咲はそんな俺の心中も知らず、淡々と続ける。
「でも、そんな甘い考えの通りになるはずがなくて。
クラスのみんなは遠巻きに様子を見ているだけで、声を掛けてくるのは興味本位の男性の方ばかりで……。
やっぱり私は世間知らずのお嬢様でみんなとは違うんだって、突きつけられた気がして。
前の学校の時と同じように、いえ、それ以上に疎外感が大きくなって。
正直に言うと、転校したことをちょっと後悔したこともあったんですよ。これじゃあ何も変わってないって」
そこで綾咲がくすっと笑みをこぼす。怪訝に思って視線を向けると、
「そんなとき、声を掛けてくれたのが篠原くんだったんですよ」
「……俺、そんなことしたか?」
憶えがない。葉山から紹介されるまでまともに話したこともなかったはずだが。
「ええ。いきなり私の席に来て、『困っているか転校生!』って」
「……………………あ」
「思い出しました?」
「思い出してしまいました」
そう、記憶の隅を掘り返したら、確かにそのような事実はあった。
あれは綾咲が転校してきて間もない頃。
その当時、彼女は休み時間のたびに男子連中に囲まれて質問責めにされるのが恒例となっていた。
我よ我よと案内を買ってでる下心満載の男子達。その中心には困惑した綾咲の姿。
当然まとまるはずもなく、勃発する闘争、生まれるカオス。
これは遊べる……もとい、混乱を鎮めなければ思った俺は、綾咲に声を掛け意思確認した後、拳を振り上げこう宣言したのだ。
『ならばここにっ! 第1回転校生案内役争奪ジャンケン大会を開催するっ!』
もちろん直後に『転校してきたばかりの子をネタに遊ぶなっ!』と葉山の回し蹴りが炸裂したわけですが。
あれはマジであばらが折れたかと思った。
それからは無用な混乱を招かないために葉山が綾咲の面倒を見るようになり、現在のような関係を成立させていったというわけだ。
「由理さんと友達になれたのも、篠原くんのあの言葉が始まりだったんですよ?」
つまりあばらで繋がれた友情というわけだな。
そんな茶化したセリフを投げようとした俺の口は、しかし空気を震わせることなく動きを止めた。
「そうして由理さんと仲良くなれて……秋田さんや星野さんとも話すようになって……篠原くんとも友達になれて。
それでようやくわかったんです」
何故なら彼女の表情が、心の奥にしまいこんだ大切な記憶を反芻するような、愛おしげなもので。
「友達が欲しいなら、誰かと仲良くなりたいなら、まず自分から声を掛けなくちゃいけないって。
待っているだけじゃ何も変わらない。周りを変えたいなら、まず自分から動かなくちゃいけないって」
胸に手を当てて、物理的には存在しないけど、でも確かにそこにある暖かさを感じている、そんな姿だったから。
「簡単なことだったんですよ。私が抱え込んでいたものは。
篠原くんや由理さんに切っ掛けを貰っただけで、あっさり解決しちゃうくらい簡単なことだったんです」
そして綾咲はいたずらっぽい光を湛えた瞳をこちらに向け、
「結局、転校しただけで全部うまくいっちゃいましたね」
くすっと、楽しそうに笑う。
それは偽りの入り込む余地など無い、本物の微笑みだと確信できるもので、どうしてだろう、ひどく安心している自分に気付いた。
「そうだな。難しく悩みすぎだ、お前は」
答えながら俺は膝に頬杖を付いて、心の中だけで自嘲する。
感情を偽る余裕もないくらい引っ張り回してやる、か。
どうやら心配は杞憂だったらしい。
既に綾咲は、小さな切っ掛けと自分の力だけで己を取り巻く閉塞感を打ち破っていた。
危うく余計なお節介をするところだった。まったく、らしくもない考えをするものじゃない。
思っていたよりずっと、彼女は強いのだろう。きっと俺よりも。
「でも、そのことにもう少しだけ早く気付けていれば」
少しだけ沈んだ綾咲の声に思考の海から呼び戻される。街並みを見つめる彼女の瞳は、ここではないどこか遠い場所を映しているようで。
「向こうのクラスのみんなとも、もっと違った関係に……友達になれていたのかもしれませんね」
これまでには存在しなかった、郷愁の想いが滲んでいた。
「戻る気はないのか?」
「えっ?」
俺の問いかけに、綾咲は驚いたように目を丸くする。
「前の学校に。やり直しってわけでもないが、まだ遅くないだろ」
そう、遅くない。慣れ親しんだ環境で、自分と同じような家柄の少女達と今度は本当の友人同士になって、日々を過ごしていく。
今の彼女なら、それが出来る。一年前に抱いた望みを叶えられる。
「いいえ、もう遅いです」
しかし綾咲は小さく首を振り、
「だって私、戻ろうなんて全然考えつかないくらいに、この街のことがすっかり好きになっちゃたんですよ?」
微笑んだ。そして詩を詠み上げるようにはっきりと、自分の想いを言葉にしていく。
「由理さんや秋田さんやクラスのみんな――離れたくない人たちがたくさん出来て。
まだ行っていない場所も、入ったことのないお店もたくさんあって。
それに…………えっと……」
と、そこで急に彼女は口ごもった。
照れたように髪の毛の先を弄りながら、はにかんだ笑顔を浮かべる。
もじもじした仕草と重なるように、耳も少しだけ赤くなっている。
それはきっと――
「…………好きな人も、いるんです」
恋をしているからなのだろう。
胸の奥底にかすかな痛みを感じる。けど、それは錯覚だ。綾咲が好きな相手は知っていたし、そもそも俺と彼女はただの友人だ。
痛みを感じる必要なんて、ない。
「……そうなのか? へぇ、意外だな」
ここで『ああ、葉山だろ? 大丈夫、俺は応援するぞ』などと口走ろうものなら、
今までの計画と明日以降の昼飯と俺の生命がまとめて(葉山の拳によって)おじゃんになってしまうので、わざとらしくとぼけておくことにする。
しかし、頭に入っている情報をさも初めて耳にしたように振る舞うというのもなかなか難しいな。
「い、意外って……。私に好きな人がいたら、そんなにおかしいですかっ?」
「そういう意味じゃないって。取りあえず落ち着け。どうどうどう」
「私、馬じゃありませんっ」
恥ずかしさのせいか少々興奮気味の綾咲を静めながら、こっそり胸をなで下ろす。
どうやら俺の演技はバレてはいないらしい。まぁそれもそうか。告白相手である葉山本人から情報が流れているなど夢にも思うまい。
綾咲は不満そうに「うー」と唸りながら、
「じゃあどういう意味ですっ?」
ずい、と顔を近づけてくる。
俺は上体をその距離と同じだけ後方に反らしながら、視線をあさっての方向に向けつつ、
「いや、綾咲って色んな奴から告白とかされてるのに、全部断ってるだろ?
だから今はまだそういうことに興味がないのかなーとか思ったり」
弁明開始。しかし仰け反りながらなので、そろそろ限界に達している。
このままでは非常にまずい。主に背骨が。更にはベンチから落ちそう。頑張れ俺の腹筋背筋。希望の未来を掴むまで。
つーかそろそろ阻止限界点を突破しそうだ。早くこの状況を打開せねば。
「って、そういや誰なんだ?」
「え?」
「綾咲の好きになった奴って。うちのクラス?」
「そっ、そんなの言えませんっ!」
苦し紛れの反撃は、しかし追求を止めるには充分だったらしい。
赤面して顔を引いた綾咲の隙をついて、上体を戻す。苦境に耐え抜いた自らの上半身を心ゆくまで労ってやりたいが、それは後回しだ。
せっかく手に入れた主導権、手放してなるものか。
「そりゃそうか。じゃあ具体名は言わなくていいから、どんな奴かってだけでも」
実は名前はおろか、中学時代は演劇部のくせに何故か頻繁にバレー部やバスケ部の助っ人に呼ばれていたことまで知ってるがな。
「……どうしてそんなこと知りたいんです?」
拗ねたような口調で、綾咲。彼女相手にここまで優勢な状況というのも珍しい……というか初めてかもしれない。ちょっぴり優越感。
「単なる好奇心……かな? だから、教えたくないなら別にいいけど」
これは本当。葉山のどこを好きになったのか、微妙に興味があったり無かったり。
綾咲はしばらく躊躇していたが、やがて決意を固めたのか小さく深呼吸すると、唇を開いた。
「…………優しい人、です」
普段のはっきりとした発音とは対極の、風に流され消えてしまいそうな、小さな声だった。
それでも、そこには決して小さくない想いが込められているとわかる。
優しい人、か。
ありきたりな上に抽象的すぎるが、人を好きになる理由なんて案外そんなものなのかもしれない。それを言葉に出来る綾咲が――
「――少し、羨ましいかもな」
「え? 篠原くん、何か仰いました?」
気がつくと綾咲が瞳を覗き込むように近づいてきていた。考えがいつの間にか声になって漏れてしまっていたらしい。
「……いや、寒くなってきたなって」
何とか当たり障りのない返答をして、ベンチから立ち上がる。いかんいかん、今日は色々ミスが多いぞ、俺。
「そうですね、風も出てきましたし」
流れる髪を手で押さえながら、綾咲が同意する。
空を見ればもう日は沈みかけいて、夜の気配を漂わせている。
12月初旬の空気を胸から吐き出すと、白く色を付けた吐息が宙に浮かび上がる。もう少し時間が経てば黒とのコントラストでより鮮明になるだろう。
そろそろ頃合いだな。
『んじゃ、帰るとしますか、お嬢様』
そう声を掛ける。いや、掛けるつもりだった。
「なぁ、綾咲」
なのに、出てきたのはまったく別の問いかけだった。
「……怖くないか?」
「え? 怖いって……何がです?」
綾咲は目を丸くして、俺の質問の真意を計りかねている。それはそうだろう。突然こんなことを聞かれたら、誰だって戸惑う。
俺だって、何故こんなことを聞いているのか自分でもわからない。
「誰かを好きになることが。誰かを好きでいることが――」
彼女の瞳が、とても素直だったから。恋を語る彼女の姿が、とても幸せそうだったから。
理由を付けるならそんなところかもしれない。だけど、それは恐らく違っていて。
ただ単に、聞いてみたかったんだろう。綾咲の気持ちを。
想いは届かないかもしれないのに。届いても、相手とずっと一緒にいられる保証なんてどこにもないのに。
それでも――
「――怖いと思ったりしないか?」
恋をするのかって。
静寂が辺りを包み込む。耳に届くのは優しい葉擦れの音だけだ。冷たい空気を肺に送り込むと、刺されたように胸がキリキリ痛む。
綾咲の視線は、俺から離れない。真っ直ぐにこちらを見つめている。
10秒か、一分か。時の経過と共に冬が熱を奪っていったのか、次第に頭が冷えてくる。
というか何を変な質問してますか俺は。『怖くないか?』などと突如突然唐突に。
まるで『俺は恋愛恐怖症のヘタレです』と公言しているようなものじゃないか。
しかも綾咲相手に。うわ。何だかものすごく恥ずかしくなってきた。
時間を逆行できるならあのときの自分をぶん殴りてぇ。サンドバッグにしてぇ。そしてそのまま砂となり母なる大地を見守りたい。
いや待て俺の思考。ファンタジックに飛ぶな俺の思考。現実と戦え俺の思考。
「やっぱいいわ。忘れ」
「――怖い、ですよ」
話を消そうとしたのを遮ったのは、もう得られないかと思っていた綾咲の答えだった。
「……え?」
今度はこっちが戸惑う番だった。彼女は俺に小さく笑いかけて、続ける。
「嫌われていたらどうしようとか、迷惑に思われてるんじゃないかとか。
一人になったらそんなことばかり考えて。夜、眠れなくなるときもあります」
訥々と語られるのは、普段からは想像もつかないような、気弱な綾咲の姿だった。
他愛もないことに悩んで、些細なことで臆病になる、どこにでもいる一人の少女。
「好きな人と一緒にいるとそれだけで嬉しくて、楽しくて、幸せなのに。
同じくらい不安で、苦しくて、泣き出しそうで。
会えなかったら寂しくて。いつも頭の中はその人のことでいっぱいになって。
嬉しくても悲しくても、胸がきゅって締め付けられるんです」
誰かを好きになること。誰かを好きでいること。それが幸福なだけじゃないって知っている、普通の女の子。
「私、今までこんな気持ちがあるなんて知りませんでした。こんなに幸せで、怖い想いがあるんだって……」
彼女はくるっと背を向けて、手すりへ一歩、足を進める。
その時、今日一番強い風が吹き抜けた。
「でも、怖くたって平気なんです。だって、私――」
風とダンスを踊るように両手をいっぱいに広げて、綾咲が振り向く。
「恋、しちゃったんですから」
柔らかく微笑みながら。
「恋に落ちちゃったんですから」
夢見るように幸せな表情で。
「恋する気持ちは、誰にも止められないから」
怖さも痛みも、胸を張って受け入れて。
「だから、私はこの想いを離したりしません」
夕日が放つ黄金色の光が、舞い踊る髪からきらきらこぼれて。
「世界でたったひとつの、私だけの恋ですから」
その姿に、我知らず惹かれた。
時計の針も、冬の寒さも、心臓の高鳴りも、綾咲以外の全てが世界から消え。
俺はその幻想的な光景を、いつまでも見つめていた。
まるで魔法をかけられたように。
完全に日が沈み、夜のとばりが降りた頃、俺はようやく綾咲を家まで送り届けていた。
「篠原くん、送ってくださってありがとうございます」
「ん、ああ」
鞄を両手で持った綾咲が、ぺこりと礼をする。
俺は生返事をしながら、すっかり冷たくなった手をポケットに突っ込んだ。気温はもうかなり下がってきていて、制服だけでは少々辛い。
雪ヶ丘の街路樹は葉を落とし、辺りはすっかり冬の気配を漂わせていた。気の早い家はもうクリスマス用のイルミネーションを飾っている。
ちなみに綾咲の家は外観こそ少々古いものの、立派な大きさを誇っていた。
いつもなら何か茶化した感想でも述べるところが、今はそんな気になれず、小さく手を振る。
「じゃあ、また明日な」
「はい。また明日です」
短い別れの挨拶に、綾咲は笑顔で返した。ただそれだけで、心臓が過剰に鼓動を打ち鳴らす。
彼女と目を合わすどころか、顔もまともに見られない。
俺はそれらの感情を無理矢理閉じこめて、自転車を発進させる。
後ろを振り向かなくとも、綾咲が見送ってくれているのがわかった。
そして角を曲がり、姿が見えなくなってから――
「だらっしゃ――――――――っっっっっっっっっっ!!!!!!」
走る。走る走る走る走る全てを解き放ってひたすらペダルを踏み込み、走る。
角を曲がり、曲がり、曲がり、アパートまで辿り着き自転車置き場に強引に愛車を繋ぎ、階段を踏み抜く勢いで駆け上がる。
身体を自宅の扉にぶつけながら止め、鍵を出すのももどかしくドアノブを引き、回し、引き、回し、ようやく開錠して靴を脱ぐのも慌ただしく部屋の中へ入り。
「はぁ、はぁ、はぁ…………」
荒い息を吐きながら、ようやく落ち着いて
『篠原くん』
「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!」
思い出した声をかき消すかのごとく壁にパンチ。パンチパンチパンチ。抉り込むように打つべし打つべし打つペキッという音が鳴って指に激痛が走り悶絶し床を転がる。
ベッドの足に頭をぶつけ、その衝撃で落下した目覚まし時計が額にヒットして――動きを止めた。
「あ〜…………」
口を開けて天井を見上げ、馬鹿みたいに呻く。手も頭も痛い。でもこれはすぐに消える。
消えないのは――
『恋、しちゃったんですから』
彼女の微笑みと、声と、この胸の痛み。
……ちくしょう。
ああ、認めるよ。認めてやるよ。
俺は綾咲優奈が――――好きなんだ。
(中編・おわり)
82 :
いつかの57:2007/11/08(木) 23:46:46 ID:ltfTw9gl
憶えていられた方、待っていられた方、忘れていた方、お久しぶりです。
初めての人は初めまして。
言い訳出来ないほどの月日が流れてしまいました。
お待たせしてすいません。申し訳ないです。
……空白期間が2年にもなるとはなぁ……。
今回で長かった中編が終わりました。しかしここまで長くなるとは。
今回出てこなかった人がいますが、次回はちゃんと出ますので。
取りあえず次で一応の決着が付きます。
決着の舞台はクリスマス。
でもクリスマスに投下できるかどうかは……頑張ります。
それでは。
正直なところ未完のままだと思っていた。戻ってきてくれてとても嬉しい。
まさか投下がされるとは・・・
もう無いものと諦めていたけど、心のどこかでずっと引っかかっていたものが
こんなすばらしい形で戻ってきてくれるとは!
ベタベタな青春劇だけどそれがイイ!恋するお嬢も恋を自覚したヘタレも
すごくイイ!
GJでした!続き期待して待ってます!
これは、な ん て 神 SS ?!!
ちょっと補完してくる
>>82 やっと戻ってきてくれましたか、長かった…www
確かにベタっちゃベタだけど、読み応えあっていいです。
二年越しでお待ちしておりましたっ。
嬉しいよぉ……ヘンだな、目から汗がw
お嬢もいいけど、葉山ちゃんもカモーン。
クリスマス編、正座して待ってます〜。
綾咲さんは帰ってきてくれた・・・
あとはノックダウンだ
GJ!
保管庫も読んだよ
しかしここまで純粋な告白されると
葉山さんと綾咲さんの仲を応援してしまうなw
いや、篠原にも頑張って欲しいが。ここまで真剣だとは・・・
しーっ。
>>89さんは、とてもピュアな心をお持ちなのですよ。
しかし、
>>82氏のSSは凄いな。ギャグ含みなおかげでグイグイ読める。
GJ。
もうGJとしかいえないw
たとえ2年後のクリスマスになろうとも続きを待つさ。全裸で。
そうか、もう2年も経っていたのか…
待っていた甲斐があったというものだ
大丈夫、M.A氏やY.T氏を待てたんだから、2年や3年、余裕で待てる。
大丈夫大丈夫大丈夫……
GJです
ずっと待っておりました
続きが読めて幸せデスヨ俺は
マジGJです!!
さぁ、これからこれまでの名作を読み返すとするか…
ノックダウン、cat〜、can't〜…etc.
いつまでも待ち続ける所存っす。
GJ!
hosyu
GJ!
他の方と同感。
まさか続きが読めるとは思ってなかったので、嬉しい誤算です。
クリスマスまでは…
ほしゅ!!
うぅ……GJ過ぎる
>>82さんの大作が投下されたから投下する勇気がないぜ……
さあ、勇気を出して投下するんだ。
楽しみに待ってるぜ >101
103 :
元幽霊柔道部員:2007/12/08(土) 21:46:59 ID:Jl127ACL
あんなに良い大作の後なので、皆さんに不快感を与えてしまいそうだが、唐突に投下。
あとはケータイからの書き込み、ご容赦。
あと今の所エロ無し。
『勘違いばかりの口癖』
人物
俺:高2の男子。名前は紺。あだ名は「キツネ」
彼女:高2の女子。名前はゆつき。紺とは小学校からの付き合いで、紺や親しい仲間には「ゆっき」と呼ばれる。
104 :
元幽霊柔道部員:2007/12/08(土) 21:48:33 ID:Jl127ACL
今は夕方で放課後だった。
夕日がくっきりと教室の隅々まで朱く染め上げ、彼女と俺以外誰もいなかった。
彼女は両手で箒を持って、ただ静かに、疲れた表情で、軽く伸びた髪を揺らしながら、床を掃いていた。
俺はただそれを眺めて、ずっと机に座っていた。何をしていた訳でも無かった。ただ、どうしてだがわからないが、そうしていた。理由も無く彼女を眺めていた。
「あのさぁ。あんたもやってよ掃除」
口を開いたと思ったらそれか、と正直落胆した。
彼女の綺麗な顔が少し不服そうに歪み、その瞳は俺を睨みつけたまま、固定されていた。濃い茶色の瞳が、夕日で朱く染まっていた。
まるで赤セロファンを通して世界を見ているようだ。
「なんか言ったらどうよ!?」
「赤セロファンを通してるみたいだなーと」
「はぁ?」
「ん?今日は夕日が綺麗だからな。誰かさんも真っ赤に染まって綺麗だから、見とれてたんだよ」
彼女は沈黙し、顔を俯ける。
だがすぐに顔をこちらに戻した。怒りがありありと見て取れる。
「なんで平気でそーゆー事言えんの!?」
「どうしてだかわからないけど、自然に」
「あっあのねぇ!彼女に言いなさいよ彼女に!」
「いや俺彼女いねー」
「じゃあ、あたしに言わないでよ!変に勘違いしちゃうでしょバカ!」
「何を?」
「何をって何が」
「何をどういう風に勘違いすんだ?」
彼女は止まり、俯き、うなだれた。ただ、さっきよりも顔が朱く見えるのは気のせいなのか、それとも本当なのか。
「あっあああんたが!」
105 :
元幽霊柔道部員:2007/12/08(土) 21:55:49 ID:Jl127ACL
びしっと俺を、箒を持っていない左手で指差す。いや、そうしようとした。
だが彼女は、少し混乱していたせいなのか周囲の状況を把握し忘れたようで、思いっきり手を机の角っこにぶつけた。
がん。
「いったぁ〜い!!」
「…大丈夫か」
優しく声をかけたつもり、だった。
だが彼女はそれが気に食わないらしく、涙目で俺に掴みかかった。
こいつ狼かっ!?
「ぐっほ!」
どべっと床に叩きつけられ、鈍い音を立てて頭を打った。鈍痛が走り、ああ俺は受け身を取れないぐらい驚いてたんだな、と少し冷静に悲しんでいた。
「あんたさぁっ!あんたさぁっ!」
彼女は、泣いていた。涙が俺の顔に落ちて、少しの暖かさを与えた。
そして、胸を鷲掴みにされたような苦しみも。
「あたしをおちょくってんなら変に優しくしないでよ!バーカって笑えばいいじゃない!なんで?なんで!?」
マウントポジションなので、胸ぐらを掴まれて何度も揺さぶられた。彼女は俺の顔を見つめず、一瞥すらせずに俺の胸ぐらを揺すり、叩いた。
「ゆっきが好きだからだよ」
どうしてだかわからないけど、すらっと口から、胸から、心から、言葉が出た。
「…え…っあ…うそ?」
「うそ」
「クソバカっ!」
振り上げられた拳をなんとか寸前で押しとどめ、空いたほうの右手で、彼女の背中に手を当て、ぐっと引き寄せた。
「冗談だよ」
彼女は相変わらずに泣いていて、相変わらずにバカっ、と力無く繰り返していた。
どうしてだかわからないけど、ゆっきがたまらなく愛しくて、たまらなく悲しくて、ただ抱き締めた。
106 :
元幽霊柔道部員:2007/12/09(日) 00:05:38 ID:I17LNslx
以上で投下終了です。
エロ編は後日
書いてくれるのは大歓迎だ。
しかし、まずはsageから頼むぜ
108 :
元幽霊柔道部員:2007/12/09(日) 15:15:39 ID:I17LNslx
sage…とは?
俺あんまり2ちゃんに出入りしてないので、すいません。
>>108 メール欄に半角小文字で sage って入れてくれれば、OK
スレッドが上がるのを嫌がる人も多いので、基本的には sage 推奨で4649
110 :
元幽霊柔道部員:2007/12/09(日) 17:22:58 ID:I17LNslx
sageですか。
分かりました。
常識なくてすんまへん
とりあえずsageて、誘い受けとコテ付けて必要以上の雑談はしないほうがいい
わからんかったらグーグル先生に聞きなさい
112 :
名無しさん@ピンキー:2007/12/18(火) 01:59:55 ID:A5su/Ir9
むほほ
>>89には吹いた
こういう鈍さがないと主人公にはなれないんだよな
さて予定通りに行けば今日か明日に綾咲さんだな。
念のため保守
スクリプト攻撃による爆撃のため保守
117 :
名無しさん@ピンキー:2007/12/26(水) 17:15:56 ID:PlTVnskB
保守
118 :
名無しさん@ピンキー:2007/12/26(水) 21:04:50 ID:aOo2sxg5
保守age
119 :
名無しさん@ピンキー:2007/12/27(木) 01:37:07 ID:bZ63qztn
保守
>114
お年玉になっても、おk
121 :
名無しさん@ピンキー:2007/12/29(土) 08:43:23 ID:UXhz3Zgw
age
122 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/01(火) 18:29:05 ID:NFeMToCY
保守
ほ
124 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/08(火) 00:47:32 ID:yevFCVGy
保守
125 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/12(土) 21:30:45 ID:y1O5iV6S
age
お
127 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/19(土) 20:34:51 ID:nzoLOixn
は
128 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/21(月) 20:51:57 ID:TXSEuwEW
し
129 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/22(火) 01:00:18 ID:N4LRD+gK
も
130 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/23(水) 23:19:11 ID:9vG4yUyd
き
131 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/26(土) 22:44:45 ID:YN5Xb2Wl
た
あ
133 :
名無しさん@ピンキー:2008/01/30(水) 21:54:48 ID:N7hgaOEo
ほ
134 :
名無しさん@ピンキー:2008/02/06(水) 22:55:32 ID:hxbPIaGd
age
☆
136 :
名無しさん@ピンキー:2008/02/12(火) 17:50:44 ID:AvQRHIEd
以前こちらに投下したSSを加筆リメイク中です。
綾咲さんはまだ来ないのか・・・
ノックダウンの続きも読みたいな・・・
139 :
名無しさん@ピンキー:2008/02/15(金) 23:32:50 ID:KUA/AqTL
あげ
保守
141 :
名無しさん@ピンキー:2008/02/21(木) 22:50:08 ID:ye9X//mE
保守
142 :
名無しさん@ピンキー:2008/02/24(日) 12:28:53 ID:XreOha6P
ほ
143 :
名無しさん@ピンキー:2008/02/27(水) 20:12:28 ID:GCBqSggg
age
144 :
名無しさん@ピンキー:2008/03/01(土) 20:31:13 ID:RoH+4zRu
職人期待age
145 :
名無しさん@ピンキー:2008/03/05(水) 08:16:57 ID:SZME1L4F
保守だ
147 :
名無しさん@ピンキー:2008/03/11(火) 12:53:30 ID:iIUv3Qr6
ほ
ら
149 :
名無しさん@ピンキー:2008/03/19(水) 09:37:20 ID:nmQTNMU+
ね
150 :
名無しさん@ピンキー:2008/03/23(日) 12:08:29 ID:wVTHlr5B
ぞ
☆
152 :
名無しさん@ピンキー:2008/03/31(月) 21:04:54 ID:4yjg38cg
保志
153 :
名無しさん@ピンキー:2008/04/04(金) 12:44:14 ID:K05DiMWd
★
154 :
名無しさん@ピンキー:2008/04/04(金) 22:06:10 ID:phR+XBUZ
昔に趣味で書いてた話しを手直しして落とそうと思ったのですが、このスレはエロ必須ですか?
純愛が主でエロは従だと思う
もちろん両立できたらいいけど、そこまでは俺は問わない
というか、ものっすごいご無沙汰なので早く投下してくださいお願いします
分かりました。
元の文は既に有るので、月曜か火曜日辺りに投下しようと思います。
エロは、淫語バリバリのしか書いた事がないので、今回は省かせて下さい。
157 :
156:2008/04/08(火) 00:15:54 ID:hMp0fLXM
ノートに書いてた文を、打ち直しただけで力尽きたぜ……青臭さを感じてください。
それと、連続投稿規制が入るかもしれないので、気付いた方がいましたら、何か挟んで下さいませ。
次から投下。
158 :
月明かり:2008/04/08(火) 00:17:39 ID:hMp0fLXM
『月明かりの雨に濡れて』
1:変わらない軌跡
カラカラカラカラ。
車輪が回る音。
病院の中庭。ここでは、この音だけが唯一で在り無二。
人の気配は無く、すっかり秋色に染まった風景だけが、この空間全体を彩っていた。
「いつも迷惑掛けて、ゴメンね……」
目の前に居る彼女の口から出た言葉。『ゴメンね』と言う台詞は、この一週間で数え切れない程に聴いた。
だからそれが出た時、どう返せば良いのかも知っている。
「気にしないでよ。好きでやってるんだからさ」
そう言ってみるが、
「うん。ゴメン……」
彼女はココに来てから謝るのが癖になったのか、誰にでもすぐに謝罪を吐く様になっていた。
「ねぇ、真理(まこと)?」
先を行く彼女が、空への見上げを移さずに僕の名を呼ぶ。
「んっ? どうしたの朱夏(あやか)?」
一応問うが、朱夏の次言は決まってる。『予感』なんて曖昧なものじゃない。『確信』でさえ当て嵌まらない。
既に先の事を知っているんだから。
朱夏は、必ずこう言う。
「私……鳥になりたい」
聞こえた。一字一句間違っていない。
「翼が有れば、真理に迷惑を掛けなくて済むもの」
朱夏の瞳は夢見る少女。純粋過ぎるその瞳は、虚ろなまでに何も映さない。
「僕の事は気にしないで……だから一生懸命リハビリして、早く治そう?」
今から七日前、朱夏は自由を失った。
――不幸な事故。
相手側の飲酒運転による衝突事故は、朱夏から家族と両足の自由を奪った。
「足……きっと治らないわ」
朱夏は分かってない。
どうして僕が、朱夏の車椅子を押しているのか。
幼い頃からの付き合いとか、同情とかじゃないんだ。ただ、朱夏の事が好きだから。
だからって、「絶対に治る!」とか確証の無い台詞は言えない。
でも、でもさ。これなら約束出来る。もし治らなかったら……
「もし治らなかったら、僕が翼になるよ! どこへだって連れて行くし、なんだってさせて上げるよ!!」
本気の言葉。
確かな約束。
どんな事があっても、それだけは守る自信がが有った。
――それでも、
「ううん、悪いよ……真理くらいは、良い人を見付けて幸せになって。私が側に居ると、真理の幸せまで無くなっちゃうから」
――それでも。
それでも、朱夏の隣に居たいと思うのは駄目なのか?
幼い頃から恋い焦がれていた初恋の相手が、最悪の事態に向かおうとしているのに放って置ける筈が無い。
僕の気持ちは、朱夏と一緒の場所に在るんだ。
「真理……私、鳥になりたい」
この日二度目の台詞は、僕の言葉が彼女の心境に何の変化も与えてない事を教えてくれた。
159 :
月明かり その二:2008/04/08(火) 00:19:26 ID:hMp0fLXM
2:夢見る少女の愛し方
「上手だね」
病室のベットの横。
僕の座る椅子ともう一つの椅子の上。
朱夏が視線を送る先には、僕の剥いたリンゴが紙皿の上で綺麗に六等分されている。
「たくさん、剥いたから」
この言葉は謙遜じゃない。本当にたくさん剥いたから、これほど出来るまでになったんだ。
朱夏が病院で生活するようになって一ヶ月。毎日一つ剥いたとしても三十個は剥いた事になる。
その間、僕も手伝って朱夏は朱夏はリハビリを毎日続けた。
僕が帰ってからも勤しんでいたのか、翌日になると初見の擦り傷を発見するほど。
朱夏が残した言葉に、「努力は人の見てない所でするから努力って言うのよ」と言う台詞が有る。
正直、感心した。言った本人も、「この言葉は後世に伝えられる」。と自画自賛するほど気に入っていた様だった。
「真理、何か飲み物ないかな?」
その言葉である事を思い出し、持って来たコンビニの袋へと手を伸ばす。
して茶色のパックと朱色のパックを確認。それらを一つずつ片手に掴んで朱夏の前へ差し出し、
「アイスで良いなら、ココアと紅茶が有るけど?」
どっちが良い? と視線だけで続けた。
「それじゃあ……こっちにする」
言って、茶色のパックを指差す。
「ココアで良いんだね?」
余った紅茶を残し、ココアとストローを一緒に手渡した。
すると直ぐに開封され、
「甘いわ……」
不満が発せられる。
「ココアだからね」
それでも朱夏は、「甘い」を連発しながら二分も掛けずに全て飲み干し、
「ふぅ、ごちそうさま」
満足そうに息を吐いて両手を合わせた。
「おそまつさまでした」
久し振りに朱夏の嬉しそうな顔を見れた気がする。
硬貨一枚でこれを見れたのは大した成果だ……と思っていたのだが、
「甘だるい」
この姫様は一筋縄では行かない様で。早く口直しさせろ、と視線で催促して来る。
しかしこちらのズズッと言う不定音は、中身が全て胃に収まった事を示していた。
160 :
月明かり その三:2008/04/08(火) 00:20:59 ID:hMp0fLXM
その音に気付き朱夏は落胆するが、思い出したように再び表情を戻す。
「真理……動いちゃダメよ」
朱夏の両手が、僕の顔を捕らえる。一瞬の硬直。
――動けない。
頭の仲で、これから起こる事を想像してしまっている。
すぐに離れなくちゃイケない。分かってるのに、身体が動かない。
悟ってしまってるんだ。『この魅力には勝てない』と。
だか、ら。せめて平然としていなければ。何事も無かった様に振る舞わないと。
こっちの心境を見抜かれちゃ……『されたいから動かなかった』と思われちゃ駄目だ。
――顔が近づく。
そして、
「「んっ……」」
当然のように、赤く色付いた場所を重ねた。
たった数秒の、短い接吻。
「苦いわ」
どうやら、これもお気に召さなかったらしい。
「ストレートだからね」
僕の一言目。ポーカーフェイスで言えてるだろうか?
朱夏はスッと上体を元に。何とも思ってないのか、表情に変化は無い……無く見える。
僕は、初めてだったんだけどな。
「真理、いつもありがとね」
――――――――ッ。
ちょっと待て!
今の台詞はオカシイだろ!? こんな事をした後に、朱夏が吐く言葉じゃない。
嫌な、予感が、する。
まさか朱夏は……
「あ、あのさ朱夏」
僕の事を好いてしてくれたのであれば一番良い。僕の事を何とも思ってなくて、からかっただけって言うのでも良い。
でも、
「気にしないで。いつも迷惑掛けてるから……そのお礼よ」
破顔一笑。
やっぱりそうだ。
やっぱり朱夏は僕を哀れんでる。いつも迷惑掛けられて大変、って。
いつまで……いつまで、のぼせ上がってんだ?
何とも想ってない奴を、スキ好んで毎日見舞いに来る馬鹿がいるか? そんなお人よしがいるか?
毎日見舞いに来る理由なんて、そいつに好意を持ってるからに決まってるだろ!?
それを、この女は。
「朱夏……」
朱夏、お前は。
「どうしたの? 顔、怖いよ?」
嗚呼、
もう駄目だ。
堪えられない。
161 :
月明かり その四:2008/04/08(火) 00:23:21 ID:hMp0fLXM
「誰にでもするのか?」
朱夏の顔は見ていない。見えるのは、足元の白いタイルだけ。
「えっ、何の事?」
白いタイルさえ見えなくなった。
眼を閉じたから見えない。
「お前は、誰にでも抱き着くのか?」
何も見えていない。
でも、それでも分かる。
朱夏の顔は、怒りと恥辱で、赤くなってる、と。
「そ、そんな訳ないでしょ!! 私、そんな愚かな女じゃないわ!!」
――まだ、『そうよ』って肯定された方がましだった。そうすれば、多少ショックを受けるかも知れないが、何も言わなかった。僕も『そうなんだ』って苦笑いして終わりだった。
「僕はね……朱夏が好きだったんだ」
瞳は閉じて俯(うつむ)いたまま。
朱夏の顔を見るのが怖いから。
「知ってたわ! でも……」
「だったら! だったら……哀れみの気持ちで、慰めなんか掛けるなよ」
その気持ちの中に、幻想を抱いてしまうだろ?
「僕は朱夏が好きだったから毎日ここに来てる。少しでも側に居たかったから……」
再び朱夏の表情を見ようと顔を上げる。
だが、今度は朱夏が俯いていた。
「私も真理の事は好きよ……だからね、さっきのは心からの感謝の気持ち。私も、真理に何かして上げたかったのよ。それにね……最後に、真理と絆を作っておきたかったの」
そう言うと朱夏は顔を戻し、舌を出して悪戯そうに笑う。
今朝からだ。思い出せば、今朝から違和感を感じていた。そして、今の言葉で確信する。
また、朱夏はオカシイ事を言った、と。
「最後……って、どう言う……」
「もう、ここには来ないで」
質問の結末を、彼女が告げる。
涙を流しながら微笑んで紡ぐ。
「お医者さんが言うにはね……私の足が完治するまで、最低でも五年は掛かるんだって」
知らなかった。
そんな事さえも知らなかった。
「だから、ね……」
その先は言わせたくない。
言わせたくない、のに。
唇は震えるばかりで、大切な言葉を発してくれない。
もう、
「さよならだよ」
間に合わない。
「真理も、私に付き添って時間を無駄にする事はないよ。もう、じゅうぶん甘えさせて貰ったからさ」
朱夏がさっきから言ってるのは、きっと『別れの言葉』。
「迷惑掛けてくれていいんだ! 頼ってくれていいんだ! 僕は、それで嬉しいんだよ!」
朱夏の一番近くに居るのは、自分で在りたいんだ!
「ダメ……だよ。これからは、自分の力だけで乗り越えてみたいの」
朱夏は真剣な眼差しで僕を見据えている。
162 :
月明かり その五:2008/04/08(火) 00:24:15 ID:hMp0fLXM
――ここまで、か。
これ以上引き止めるのは逆効果になる。朱夏の意志は、誰にも崩せない程に鉄壁なもねだろう。
僕の幸せだった夢も、ここでおしまい。
「いつか真理と一緒に歩ける様になった時、隣に居ても恥ずかしくない人間になりたいの。ちゃんと一人で生きていけるんだって、負い目を感じたくないのよ。ねっ……わかって?」
――止まっていた時間が、動き出す。
これからは、それぞれの道を。
「だから……はい」
朱夏が小指を突き出す。
「絶対幸せになるって、約束」
簡単な契約。
僕が小指を絡ませれば、それで終わり。
「朱夏……どうしても、しなくちゃ駄目なのか?」
朱夏は僕が隣に居る事を望んでいない。
僕の人生を奪いたくないって思ってる。早く好きな人を見つけて、幸せになって欲しいと思ってる。
そう。僕だって、立場が逆だったら、きっと……
「うん。してくれないと、真理のこと嫌いになっちゃうよ」
――笑顔。
無理して表情を作ってる。これは僕だから分かるんじゃない。引き攣った口や震えた指を見れば誰にだってバレる。そんな笑顔を、精一杯の気持ちで作ってる。
これ以上、朱夏のこんな顔は見たくなかった。楽にして上げたかった。
だから、僕も小指を出す。
絡み合う指。それを合図に、朱夏が口を開く。
「約束……絶対幸せになるって、約束」
この瞬間に僕は、一番の幸せを失った。
でも、今だけなら我慢出来る。朱夏を待っていられる。朱夏の足が治ったら、必ず迎えに来るって約束出来る。
なっ……その時は、俺を幸せにさせてくれ。
自分の中の盟約。だからこれには『絶対』はない。自分自身の勝手なもの。
朱夏に良い人が出来るかもしれないし、僕が死ぬかもしれない。条件なんて、考えれば幾らでもある。
でも、それでも信じていたい。朱夏と一緒にいたい。
だから、
「迎えに来るから……朱夏が僕を待っていてくれる限り、必ず迎えに来る」
頷いてくれ。
頼む。僕の生き甲斐まで消さないでくれ。
「わた……んっ……」
朱夏は複雑そうな表情をして何かを言おうとするが、すぐに飲み込む。
心情を悟ってくれたのか?
良かった。これまで否定されたら、今まで築いた『自分』が崩れ去っていた。
163 :
月明かり その六:2008/04/08(火) 00:26:39 ID:hMp0fLXM
一つ深呼吸をする。
――もう大丈夫だ。
自らに言い聞かせる。
――大丈夫。
何度も、なんども。
言いたい事は全て言った。朱夏も、僕も、最後の一言を残すのみ。
朱夏は笑顔。
僕も、笑顔を作る。
これが、最後の……
「「さよなら」」
指を解き、そのまま朱夏に背を向ける。表情が崩れる前に。
何も言わない。言ったら、感情を殺し切れなくなるから。
朱夏も……
――――。
部屋を、出る。
これでもう、振り返っても朱夏を見る事は出来ない。
「さよなら……朱夏」
病室のドアに向かって、もう一度、別れの言葉を掛けた。
涙は出ない。家に着くまでは我慢出来るだろう。
「大丈夫だ」
僕が生きていれば。
朱夏が好いていてくれれば。
僕らは必ず巡り会う。朱夏が居る、この世界のどこかで。
――いつか、きっと。
3:剣と盾の誓い
彼が消えてから、四度目の春が来た。
つい先日、地元の大学に入学したばかり。
『迎えに来るから……朱夏が僕を待っていてくれる限り、必ず迎えに来る』
真理が言ってくれた言葉。
『私も待ってる……ずっと、待ってるから』
あの時……本当はこう言う筈だった。なぜ口を閉ざしてしまったんだろう?
言っていれば、待ってる時間も、こんな苦痛にはならなかったのに。
……毎日のリハビリの甲斐も有り、完治するまで五年は掛かると言われた両足も、あの日から三年で普通に暮らして行けるレベルまで回復した。
頑張れたのは、早く真理に会いたいと願う想い。
元はと言えば、一人で何かをやり遂げたいと言う私の我が儘な思いが有ったから。
今となっては、それも怪しい。
私は最低の女ではないのか? 悲劇のヒロインを演じたかっただけではないのか? 『真理の為』なんて、単なるエゴだったのではないか?
分からない。
ただ……激しい後悔だけが残ってる。きっとそれはドンドン降り積もり、いずれ私を押し潰してしまうだろう。
だって、真理が居ないから。真理の家族は、二年前に引っ越していた。
どこに居るのかさえも……
もう会えないかもって思っただけで泣きたくなる。
でも、涙は出ない。すっかり枯れてしまった。
「待ってるよ」
今でも待ってる。
真理のいない世界で、笑顔でいる。
いつまでも……
幸せなフリをしながら。
164 :
月明かり その七:2008/04/08(火) 00:28:10 ID:hMp0fLXM
4:月明かりの雨に濡れて
「帰らないの?」
突然、私の名を呼ばれる。
「えっ?」
その声に気付き横に視線を流す。最近よく声を掛けて来る男の子。
そのまま辺りを見渡すと、既に最後の講義が終わった様で、教室に残っている者はそれぞれに帰り支度をしていた。
「うーん……」
頭を押さえ、声を出してまで思い返してみるが、受けた講義の内容は思い出せなかった。
「朱夏さん。帰らない?」
――『一緒に』って単語は使われてないけど、恐らく『どこかに寄って遊んで行こう』と言う意味。
「ごめんなさい」
誘いを断る。
「そっか……うん分かった。それじゃあ、また明日」
そう言うと、声を掛けて来た名も知らぬ青年は、駆け足で廊下へと出て行く。
――疲れた。
毎日の愛想笑いが、こんなに大変なものだとは思わなかった。
毎日、毎日。出る筈のない涙を流しながら心を濡らす。
――もう出来ない。
これ以上、真理のいない世界で生きていけない。
だから……真理を待つのは、今日でおしまい。今日はアノ日からちょうど五年。
真理が迎えに来ると信じて待つ事は、もう出来そうにない。明日になったら、真理の事を忘れよう。
「ふふっ……なーんて、出来るわけないか……帰ろ」
教室を出る。
――そう、忘れるなんて出来ない。
大学を出る。
――二人で過ごした思い出は、どんな季節にも刻まれているから。
家に向かって足を動かす。
自宅までは近い距離じゃないけど、電車やバスに乗る気分じゃなかった。人に接したくなかった。
ゆっくり、ゆっくり歩んでいく。
見上げれば、そらにはまんまるおつきさま。
見下ろせば、型遅れの携帯電話。
私は……『今日が終わる』までに、真理から声を掛けて貰う事を望んでる。
早く。早く掛けて!
もうカウントダウンしてるんだよ真理!!
「……っ!」
165 :
月明かり その八:2008/04/08(火) 00:29:22 ID:hMp0fLXM
――――。
そして、携帯の日付表示が明日へと変わる。
「嘘つき……」
私だけが今日に取り残されてた……真理は、来なかった。
ふぅっ、と溜め息を吐いて空を仰ぐ。夜に在る月は、その私だけに光を降らせている様に優しい。
明日からは、違う自分になろう。ずっと私の側に居てくれる人を見付けて幸せになる。
そう言う……約束だから。止まっていた時間を、動かさないと。
切り替え、残り百メートル弱の家路を急ぎ……そこで異変に気付く。
「誰か、居る?」
家の表札の前に、誰か立っているのだ。
―――ドクン。
自分の鼓動が聞こえる。
嗚呼っ……間違いない。間違いなくあの人。
――身体が覚えてる。心が覚えてるよ。
近くに居るだけで、私の鼓動を聞こえるまでに高くする人なんて、この世界で一人しかいない。
相手もこちらに気付いて駆け寄って来る。
もう出ないと思ったけど、涙が……停まんないや。
「ごめん。治るまで五年だって聞いてたから、それそろ大丈夫かなと思って戻って来たんだけど、だいぶ前に良くなってたんだな?」
ずっと待ってた。
やっと、時間が動く。
「遅いわ真理……待たせ過ぎよ」
震える喉を絞り、枯れそうな声を出す。
真理は何か言いたそうに表情を強張らせるけど、すぐに笑顔を作り直した。
「僕を待っててくれたって、自惚れてもいいのかな?」
思えば、真理にはちゃんとした態度を取った事がない。
「今日だけ……特別よ」
こんな状況でも、やっぱり逃げてしまう。そんなだから、抱き着いても真理は動かない。
こっちの本音を待ってる……恥ずかしがってなんかいられない。真理の気持ちは五年前に聞いてるから。
「ずっと、側に居てくれる?」
その言葉でようやく、背中に腕を回してくれた。
「もちろん」
――涙が止まらない。
そしてそれは、
月明かりの雨に濡れて、きっと輝いてる。
166 :
月明かり ラスト:2008/04/08(火) 00:30:36 ID:hMp0fLXM
5:君の名を呼べば
大学二年。
真理と再開してから、一年近くが経過しました。私のいる大学へ入学して来た真理と、毎日一緒に過ごしてます。
それと真理がここを離れていた理由は、単なる親の転勤だったそうです。それから私が言った事を律儀に守り、五年後に親元を離れて地元に一人で戻って来たそう。
決心が揺らぐから、という理由で連絡も取らずにいたのが、一番しんどかったとか。
真理も苦しかったんだな……と、共感してみたり
○月×日 真道 朱夏
「ふぅー……」
人生初の日記を書き終えた。この場合、小学生の時の絵日記は除外する。
急に書きたくなったから、大学ノートに殴り書き。
今は真理の暮らすマンション。ルームメイトって感じで一緒に住んでる。
でも、何年かすれば家族になる予定なので問題無し。
「あやかー! 遅れるぞー!」
開いたドアから、私の名を呼ぶ声が聞こえる。こんな時に返すセリフはもちろん……
「いま行くー!」
そう覇気良く答えて部屋を出ようとした時、書き忘れていた事を思い出して再び日記を開く。
すらすらすらっ。
いまとても幸せです。あの時の指切りは守れそう……っと。
「置いてくぞー!」
真理から催促が掛かる。
「わっ、待ってよー!」
急いで部屋を出て、玄関に向かう。きっと彼は、眉をしかめて待っているだろう。
絶対に幸せになるって約束。あの時は枷でしかなかったけど、今は二人を繋ぐ絆になってる。
顔が会う。
「いつまで待……ッ!?」
遮る為に詰め寄り、真理の頭をかかえて胸に抱く。
「ごめんね」
彼の耳元で小さく囁くと、
「わ……わかってくれれば良いんだよ」
照れてどもった声が聞こえてくる。かわいい。
いつもの道を、肩を並べて歩く。
太陽の祝福はとても暖かくて、凍っていたあの時を溶かし、ここまで導いてくれた。
――もう大丈夫。
あの契りは、これからもずっと守られる。
だって隣には……
太陽よりも暖かい、あなたがいるから。
FIN
以上です。
昔の自分は、こんなの書いてたんだなと懐かしくなった。
それではこれで失礼します。
GJ!綺麗な二人の愛に祝福を贈りたい
ラストで真理を胸に抱く朱夏に萌えた
まさに恵みの雨だったな
ふたりとも有難う、そしてお幸せに
170 :
名無しさん@ピンキー:2008/04/12(土) 18:29:00 ID:xSxkkHD3
二人が幸せで有ります様に。
それとオリジナルで、顔や体型の人物造形描写が全くないのに、最後まで気にならなかった。
green
-*-*-*
唯奈さんの話をしようと思う。
時間が無いからちょっと駆け足かもしれないけれど。
岡田唯奈さんはすごく背が高い。
175cm位ある。女の子としては相当背が高い。
因みに僕は168Cmだから男子の平均より小さいし、
勿論唯奈さんよりもだいぶ背が低い。
唯奈さん曰くこれは遺伝で、お母さんも凄く背が高くてバレーボールの選手だったとか。
まあとにかく、唯奈さんは背が高くてすらりとしていて髪の毛が長くて、 目つきは鋭いけれど、結構正統派の美人なのだ。
唯奈さんと僕は中学校の時に知り合った。
唯奈さんが隣町から引っ越してきて僕の通っていた中学校に転入してきたのだ。
唯奈さんが転入してきたのは中学1年生の時だけれど
中学生時代、僕と唯奈さんが初めて話したのはそれよりずっと後で、
しかも中学時代はその一回だけだった。
何故か。
僕達はクラスがずっと違ったからというのもある。
中学生の男の子はクラスが違う女の子とそんなに喋らないものだからだ。
放課後も接点が無かったというのもある。
僕は文芸部で彼女は帰宅部だったからだ。
でも合同授業で近くの席に座ったり、文化祭や体育祭で何度か話す機会はあったのだ。
それでも一度も話をしなかった一番の原因は僕が唯奈さんの事を怖がっていたからだった。
唯奈さんは不良だったのだ。
いや、不良グループに属していたといった方が良いかも知れない。
唯奈さんは転校してきて以来、黒崎とか本田とかああいう本当の不良といつも一緒にいて、
しかも周りの普通の生徒達からはその女の子達の中でもリーダーなのだと噂されていた。
つまり、女の子達の中の番長だったのだ。
これは怖い。
そもそも背も高いし、喧嘩なんてしようものなら僕なんかきっとけちょんけちょんに負けるに違いない。
それに何せあの黒崎とか本田とかを手下にしているのだ。
きっと凶暴な女の子に違いない。
と、そう思っていた僕は出来るだけ唯奈さんに近づかないようにしていた。
正確に言えば合同授業で近くの席に座った時は出来るだけ唯奈さんの方を向かないようにしたし、
廊下ですれ違うような時は目を逸らして歩くようにしたのだ。
僕は友達が不良に関してアドバイスしてくれた事を守ったにすぎない。
「不良は目を合わせると絡んでくるからな。
すれ違ったりするような時は目を合わせずに歩き去ってしまえば大丈夫なんだ。」
っていうアドバイスを。
これは未だに真を突いているアドバイスだと思っている。
ちなみに親戚の警察官をやっているおじさんは僕が中学校に入る前、
「不良やチンピラなんてのは弱い奴らなんだ。 胸を張ってまっすぐ目を見つめてやれば奴らなんて大人しいもんさ。」
なんて、がははははと笑いながら友達と全く逆の事を僕にアドバイスしてくれたものだった。
おじさんっていうのは20年以上も警察官をやっていて地域住民にも慕われている人で
それに何度も悪い人を逮捕した事もある立派な警察官で僕も叔父さんの事が大好きだけれど、
身長190Cm、柔道黒帯で真四角の顔に角刈りという風貌のおじさんの言う事よりも
同じくらいの身長と体重と性格を持っている同年代の友達の言う事の方が信用でき、
しかもその内容は概ね正しいという事柄も残念ながら世の中には沢山ある。
そんな訳で僕は出来るだけ不良には近づかないようにしていたし、
その不良のリストの中には唯奈さんもいたのだ。しかもかなり上位に。
-*-*-*-*-*-*-*
そんな風に避けていたにも拘らずなのか、もしかしたら避けていたからなのか
僕が唯奈さんと初めて話したのは中学校2年生の最後らへん、
場所は僕の憩いの場所の図書室でだった。
高校生になってからもそうだが文芸部とはいったい何をやっている部活なのか。
と良く聞かれる。
良く聞かれるのだが僕はそう聞いてくる人の言っている意味が今一つわからない。
なんで何やっているかわからないのだ。
野球部はグラウンドで野球をやってるだろう?
サッカー部もそうだ。バスケ部は体育館でバスケットをしてるし
吹奏楽部は音楽室で合奏している。
文芸部は図書室で本を読んでいるに決まっているじゃないか。
だから文芸部にとっての図書室というのは云わば吹奏楽部でいう音楽室であり、
野球部で言うグラウンドみたいなものだ。
だからその日も僕は野球部の人間がグラウンドに立つように、
吹奏楽部の人間が音楽室に向かうように厳かな気分で図書室にいたのだ。
お気に入りのスティーブンキングの小説(その時は図書館警察という短編集を手にしていた。)を書棚から取り出し、
片手にぶら下げながらいつも放課後に自分専用にしている図書室の奥にある少し小さめの4人掛け用の机に僕は向かった。
窓際の席が僕のお気に入りで、少しがたつく椅子をギコギコ言わせながらお気に入りの本を読むのが僕のスタンスだった。
放課後の図書室というのはとにかく人がいない。
中学生なんていうものは放課後に図書室へは来ないのだ。
おまけに文芸部は万年部員不足という事もあって
僕はその日も図書室には自分しかいないと思い込んでいた。
人はその空間に自分ひとりしかいないと思い込むととても気の緩んだ行動をするものだ。
例えば自分の部屋に自分一人しかいなければ遠慮なくおならをするように。
その時僕は図書室に自分一人しかいないと思い込んでおり、
これからお気に入りのスティーブンキングをじっくりと読む予定であり、
従って気の緩んだ行動をしても良い気分になっていた。
僕は腰をくねらせながらお気に入りのガンズアンドローゼスを歌い、
---ジャングルへようこそ、ここはお楽しみとゲームで溢れてるんだぜ!
いつもの机のいつもの椅子を引き、どっかりと腰を下ろして1ページ目を捲ろうとして--
机の対面側でフクロウのように目を丸くしてこちらを見ている唯奈さんに気がついた。
まさにばったりであったという表現が似合う位の出会いだった。
唯奈さんは椅子に座り本から顔を上げて僕の方を向いており、
僕は唯奈さんの対面に思いっきり座り、
しかも二人とも顔を上げているからお互いの視線ががっきりと噛み合っていた。
さっと視線を逸らせばよかったのかもしれないが、
僕は混乱していたのとあまりに唯奈さんが近くにいたものだから完全に固まってしまい
暫く僕と唯奈さんは互いに見つめあうような格好になった。
最早何か喋らないと大変な事になる位の沈黙の時間が過ぎた後、
僕はようやく覚悟を決めて口を開いた。
「こんにちは。」
僕の言葉を聞いた後、唯奈さんは僕の目を見つめながら慎重に言葉を選ぶようにして言った。
「こ、こんにちは。」
あああああああああ
思い出す度に顔が赤くなる。
僕はその時、ガンズアンドローゼスをそこそこでかい声でご機嫌に歌っており、
その上歌を歌いながら椅子に座り、恐らく普段絶対に他人には見せないくらい幸せそうな顔をして
舌なめずりをするようにページを捲った瞬間を他人に見られたのだ。
もし図書室が1階ではなく、3階にあったなら僕は何も考えず力いっぱい走って窓ガラスに飛び込んだに違いない。
もしくは前に座っていたのが全然見た事無い人だったら僕は一目散に走って逃げただろう。
そしてその後一生、図書室には一切近寄らなかったに違いない。
しかし残念ながら図書室は1階にあり、目の前にいたのは話した事こそないものの
学年でこの人ありと言われている唯奈さんだった。
退路は絶たれていた。
唯奈さんは僕の手元に目をやり、そして顔を歪めた。
僕は覚悟を決めた。
「キモいんだよお前」
その位は言われると。
そして次の日から廊下を歩くたびに顔を歪められ、もしくはくすくすと笑われるのだ。
あいつ、図書室で歌歌ってたらしいぜ。友達いないからな、あいつ。
きもーい。
しかし実際は違った。
唯奈さんは僕の手元を指差して、こう言ったのだ。
「き、岸本君はす、スティーブンキング、読んでるんだ。怖くない?」
わ、私、キングって凄く怖いって聞いたから、読んだ事ないんだ。と。
想像していたよりも高い、うん、言ってしまっても構わないだろう。
綺麗な声だと僕は思った。
緊張しているかのように声は震えていて、
しかもそれはこの日だけでなく、随分、本当に随分後まで彼女はずっと僕に対してそうだった。
きもいでもうざいでも殴られるでもなく、
ごく普通に話題を振られるとは思わなかったので僕は慌てた。
「岡田さんは何読んでるの?」
慌ててそう聞くとその時唯奈さんはばっと慌てたように手に持っていた本を背中の方に隠した。
唯奈さんは制服のブラウスの第2ボタンまで空けて(ちょっと不良っぽくだ)
リボンを結んでいない上にそうやって急に両手を背中に回したものだから
いきなり胸を突きしたように見えた上に、
勢いあまってぴょんと跳ねた瞬間に白い下着が第2ボタンの上からちらりと覗けてしまった。
唯奈さんはスレンダーな体系だからあんまり胸は大きくなさそうだけど、
僕は見ちゃいけないような気がして(半分くらい殴られるような気もしていた)
そっと見ないふりをして目線を逸らした。
「な、な、なんでもないの。授業で夏目漱石のがあったから図書室にあるかなって思って、
でも探してる途中にこ、この本見つけちゃって読み出したら止まらなくなっちゃったから。」
「そ、そうなんだ。」
言い訳をしているようにまくし立てている唯奈さんを見ながらそう言うと、
唯奈さんはあっと言いながらガタリと椅子を揺らせて立ち上がった。
「あ、あ、あの、あの岸本君は私の事し、し、知ってたの?」
上から見下ろすようにして聞いてくる。
「知ってた?」
彼女が何を言っているか判らずに聞き返すと唯奈さんは顔を真っ赤にしながらこっちをじっと睨んだ。
「い、今岸本君、岡田さんって言った。」
不満そうにそう言ってくる。
「ああ」
なんだ、名前を知ってたって事か。そりゃ知ってるに決まっている。
君は女番長で有名じゃないか。と口にはださないものの頷く。
「し、知ってたんだ。」
「うん。」
と頷く。
その瞬間、唯奈さんはそうなんだ。と言って、にへら。と笑った。
その一瞬、鋭い目つきがにい、と下がってなんていうか、とても魅力的な笑顔になった。
今なら唯奈さんが喜んだのが判るし、唯奈さんはあまり笑わないけれど笑顔が魅力的だし、
この当時もそういう所は全く同じだったのだろうと思う。
けれど残念ながらその時の僕は正直怖い、と思った。
よくわからないけどこの話を続けていくとカツアゲとかされそう。と思った。
「す、スティーブンキングは怖くないのもあるよ。」
慌てて話題を変えた僕に唯奈さんは暫く考えてから言った。
「そうなの?」
「うん。勿論怖いのはすっごく怖いけど。ペットセメタリーなんか途中で挫折しちゃったしね。
でもスタンドバイミーとか、結構感動するよ。」
「スタンドバイミーって映画の?スティーブンキングなの?」
びっくりした。という感じに聞き返してきた唯奈さんに僕は頷いた。
「読んでみる?」
そう言うと僕は小説の棚に行って、そこからスタンドバイミーを探し出して手に取った。
机に戻って手渡すと、唯奈さんは素直に受け取ってきた。
「よ、読んでみたいな。」
そう言ってぱらぱらと捲りながら僕の方を見てくる唯奈さんを見て僕は思わず言っていた。
「貸してあげるよ。」
「か、か、貸すって・・・」
「ああ、僕図書委員じゃないけど、やり方知ってるから。」
本当はばれると怒られる。という事は黙って僕がカウンターの前まで歩いていくと、
唯奈さんはとてとてと僕の後ろを着いてきた。
不良の唯奈さんが素直に本を持って僕の後ろをついてくる。
どことなく変な感じがして、その時初めて僕は唯奈さんって不良じゃないんじゃないかって、そう僕は思った。
「や、やっぱりこ、これも借りていい?」
カウンターにつくと、唯奈さんは背中に隠していた本を渡してきた。
それは山田太一の【君を見上げて】で、
僕はいいよ。と言いながら2冊の本から裏面のカードを取り出した。
そして僕は唯奈さんの見ている前でそのカードに「岡田唯奈」、と唯奈さんの名前を書いて
図書室の判子をカードにぽんと押してから唯奈さんに2冊の本を渡した。
唯奈さんは暫く手渡された本をじっと見つめた後、
「あ、ありがとう」と言って慌てたように図書室を出て行ったのだ。
うん。
これが僕が唯奈さんと中学生の時に話をした全てだ。
その次に唯奈さんと話したのは随分間が開いて高校1年生の最後くらいになった時だ。
つまり、2年程間が空いた事になる。
何故か。
唯奈さんが僕と同じ高校に来ている事は知っていたけれど、
クラスが一緒にならなかったという事もある。
高校生の男の子はクラスが違う女の子とそんなに喋らないものだ。
放課後も接点が無かったというのもある。
僕は文芸部で彼女は帰宅部だったからだ。
彼女が不良でない事はあの図書館で話をした時に僕にはもう、判っていた。
まあ、その時の話はまた今度、という事にしよう。
了
GJ!
当然、続くんだよな?
続きが気になって堪らない!
この先の展開が、かーなーりー気になるんだが!
続きwktk
この生殺し感も悪くない
この話、いいですね。「図書館警察」に不意を突かれましたw
あれはシュールなホラーって感じがしますが
唯奈さんかわいいですね。今後に期待
「IT」はいい話だぞ
俺はピエロがトラウマになったが
Can't Stop Fallin' in Loveの続きをいまだ待っている俺ガイル
Can't Stop Fallin' in Loveを初めて読みました。
こんなに笑えて切なくなれる作品は久しぶりでした。
面白かったです。続き、期待しています。
-*-*-*-*-*-*-*-*
get started その1 本屋にて
-*-*-*-*-*-*-*-*
中々時間が取れなくて申し訳ないね。
色々と忙しくって。
そこ座って。そうそこ、ソファのとこ。
今お茶出すから。
あ、カステラあるんだけど食べる?
あっそう。じゃ煎餅は?あれ?どこだっけ。
まあいいや何か出すね。
唯奈さんがいればどこに何があるかすぐわかるんだけど・・・
で、どこまで喋ったっけ。
ああ、そうそう。
そうだね。そこんところ。
唯奈さんと僕が次に喋ったのはってところだ---
@@
つまり、唯奈さんと僕が継続して喋るようになったのはって意味だけれど
それは僕が高校1年生の最後の頃、
日曜日の午前中に地元の本屋で偶然に唯奈さんと桜ちゃんに会った事が切欠だった。
僕はその時ジョン・グリシャムか藤沢周平か池波正太郎あたりの小説でも買って
休日の昼下がりに気軽な読書でも楽しもうかななどと考えて、
お小遣いを握り締めて地元の駅ビルの3階にある有隣堂に足を運んだところだった。
僕は本屋で知り合いに会う、というのは気まずいものだと思っている。
少なくともあまり歓迎すべき事ではない、と。
だってさ、日によって色々あるじゃないか。読みたい本の気分って。
漫画を読みたい時もあれば純文学とかとにかく小難しそうなものを読みたい時もある。
漫画雑誌を5冊と新刊の漫画を4冊抱えてレジに行くときもあれば
眉をひそめ、指で顎の先端を弄んで気取った顔をしながら
カフカあたりの短編を一冊だけレジに持っていくこともある。
たまにはライトノベルコーナーにも行ったり、
ハードボイルド小説の銃撃シーンと濡れ場をじっくりと立ち読んでからレジに持っていくこともある。
そういうのを知り合いにみられるのって嫌じゃないか?
僕は何か内面を見透かされるような気がして嫌だ。
漫画雑誌だと何か幼く見られそうだし、
カフカだと何か難しい事を考えていそうに思われるかもしれない。
ハードボイルド小説なんかを買う所を見られたらこう思われるかもしれない。
あいつ、今日は布団にもぐりこんで名探偵マイクになりきるつもりだぜ。
--よう、あんたが最近越してきたって言う美人のおねえちゃんか。
俺は私立探偵のマイクっていうんだ。この街の事なら何でも聞いてくれよ。ヨロシクな。
まあもちろん、そういうのって自意識過剰なのかもしれない。
誰もお前のことなんか見ちゃいないよ。って奴。
でもやっぱり本を買う時は気になるし、
なんだかお風呂場やトイレを覗かれているようなそんな気さえしてくるのだからしょうがない。
僕はその時のその気分で好きな本を買いたい。
他人の目なんか、気にしたくないのだ。
まあそう思っていたから、有隣堂の外国小説の棚でうんうんと唸っている唯奈さんを確認したときに
僕は正直、しまったなと思った。
思わず引き返しそうになったくらいだ。
唯奈さんの事は勿論覚えていたけれど中学3年生の時以来話したことが無かったし、
すこぶる美人なのは判っているのだけれどこう、取っ付き難い感じがするしね。
それに僕はその時まだ半分くらい、やっぱり唯奈さんは不良なんだと思っていた。
これは僕だけじゃない。クラスメイトだってそう言っていた。
「あの岡田さんって女の子、中学の時有名な不良だったらしいぜ。
可愛いけど怖いよな。背高いし。」
何故かその時、僕は唯奈さんと同じ学校だったっていう事を友達には伏せてしまった。
それにたぶん不良じゃないという事も。
不良じゃないと思うよ。と言った方が唯奈さんの為になるかも、とは思ったのだけれど
そこまで確信がもてなかったのと、
なんだか中学2年生の時のあの事は現実味がなくて、そして何だか面白くて、
友達とはいえあんまり人に話してしまいたいとは思わなかったからだ。
何故だか判らないけれどこういう秘密は自分の中でだけ持っていたかったっていうのもある。
そんなこんなで僕は唯奈さんを前に引き返すべきか挨拶をするべきか逡巡した。
とっさに引き返さなかったのは唯奈さんの状態が僕が立ち止まってしまう位に酷く珍しい状態だったのと、
その時僕が持っていた本は池波正太郎の鬼平犯科帳が2冊でまあ見られたとしても
爺臭いと思われる位のもので漫画雑誌ほど恥ずかしくは無いし、
あんまり気取ってるようにも見えなさそうと瞬時に判断したからだった。
唯奈さんは薄いピンクのコートにチェックのスカート姿、
白くてリボンの付いているクロッシェの帽子から長めの髪を垂らすという
なんだかとてもお嬢様っぽい風情(可愛らしいと言ってよかった)
で175Cmの身長をかがめる様にして下のほうの棚にある小説を1冊づつ取り出しては手に取り、
表紙を眺め、片手でぺらぺらと捲ってから棚に戻すという事を繰り返していた。
これはまあいい。唯奈さんの足が長く、僕の背が低いから
もう少し屈むとパンツが見えてしまいそうという以外には
唯奈さんのやり方は本屋で本を探すスタンダードなやり方でごく普通の光景だ。
左手に3歳くらいの女の子を抱えていなければの話だが。
唯奈さんは左手に小さな女の子を抱えていた。
赤い子供用コートを着て肩くらいの髪を両脇で結わえた可愛い髪型をしているその女の子は
抱えられた唯奈さんの手から脱出しようと必死にもがいていて、その度に唯奈さんが
「こぉら。桜、おとなしくするの。」
と言って視線は棚の本を見つめながら女の子を慣れた手つきで抱えなおしていたのだ。
え、唯奈さんの子供?
一瞬考えて僕は頭を振った。
いやいやいやいやそんな訳があるか。
僕も唯奈さんも高校一年生だし、あの子は多分2〜3歳位にはなってる。
4年前と言ったら中学一年生じゃないか。
いやいやいやいや。何を馬鹿な。
混乱しながらぼんやりと唯奈さんの方を見ているうちに、
「おろして、ゆーね、おろして」
と繰り返し言い出した女の子を唯奈さんはもう、と言いながら床に降ろした。
「桜、走ったりしちゃ駄目だよ。後遠くに行っても駄目。ここにいて。」
その子の目線になるように屈みながら唯奈さんがそう言ってその子の頭を撫でた後、
桜ちゃんと呼ばれた女の子はまったく唯奈さんの言葉に関係なく
とてとてとたどたどしい走り方で僕の方に走り出し、そして転びそうになって。
「こら、言ったそばから、桜ぁ」
「あ、危な」
必然的にしゃがんだ格好で女の子を目線で追った唯奈さんと
女の子を受け止めようと咄嗟に屈んだ僕との目が合った。
唯奈さんは桜ちゃんを受け止めた僕をフクロウのように目を丸くして見て、
僕は2年前の図書室での出来事を思い出した。
まあ今度は僕は鼻歌を歌っておらず、不意打ちを受けたのは
どちらかというと恐らく唯奈さんの方だという違いはあるけれど。
あの時と同じように暫く僕と唯奈さんは互いに見つめあうような格好になった。
今度はお互い本屋で屈んだ格好で。
ちなみにスカートをはいてしゃがみ込んだ格好でいるので
僕の所からは唯奈さんの下着がしっかりと見えている。
転びそうになった所を僕にがっしりと受け止められた桜ちゃんは
不思議そうに僕と唯奈さんの方を交互に見ている。
やっぱり何か喋らないと大変な事になる位の沈黙の時間が過ぎた後、
僕はようやく覚悟を決めて口を開いた。
できるだけ唯奈さんの下着を見ないようにしながら。
「こんにちは。」
やっぱりこのセリフになるのか。
「こ、こんにちは。」
呆然と僕と桜ちゃんと呼ばれた子を交互に見ている唯奈さんを見て、ふと気が付いた。
もしかして覚えられてない?不振人物?
誰こいつ、キモーイ。何してんの?ロリコン?とか思われてる?
「お、岡田さんは僕の事覚えてる?一緒の中学校だったんだけど。今も同じ高校で。」
慌てて自分を指差しながら僕がそう言うと
唯奈さんは僕にもまして慌てたようにこくこくこくと3回も頷いた。
「う、うん。うん。お、覚えてるよ。あ、あのね、あのね岸本君、こんにちは。でね。
この子い、妹なの。あの、その随分年が離れてるんだけど、うち5人姉妹で、で、末っ子の桜っていうの。」
その桜ちゃんは僕に抱きとめられたままだ。
「そ、そうなんだ。」
「きょ、今日私ね。スティーブンキング探してて、ほら岸本君は覚えてないと思うけど
む、昔私、岸本君にスタンドバイミーって教えてもらって
それから時々そういう小説も読んでみようかなって買ったりしてて
でも怖いのは嫌だからちょっと読んで怖く無さそうなのから買ってるの。
で、今日もそう思ってたらね、岸本君がいて、あれ私何言ってるんだろう。」
しゃがんでわたわたと手を動かしながらマシンガンのように喋る唯奈さんに圧倒される。
「ねーね。」
その時、僕の手の中にいた桜ちゃんと呼ばれた女の子が唯奈さんに手を伸ばした。
女の子の言葉に我に返ったように唯奈さんが立ち上がって近寄ってくる。
「ご、ごめんね。岸本君。ほら、桜、迷惑、だよ。」
「い、いやそんな事無いよ。」
ひょいと女の子を持ち上げて唯奈さんに渡してあげると
「そんあことないよー」
桜ちゃんがケタケタと笑いながら僕の言葉を繰り返して真似た。
「こら、桜。ほら来て。」
「そんあことないよー」
「もう。あ、桜トイレ行きたいんでしょ。」
あ、と言いながら唯奈さんは桜ちゃんを揺さぶった。
桜ちゃんは
「といえいくー」
とにこにこしながら唯奈さんに抱かれている。
唯奈さんはばっと振り返った。
「ご、ごめん岸本君、ちょ、ちょっと待っててくれる?」
「え、ま、待つってなんで?」
言ってみて自分がいかに愚かな事を口にしたか判った。
女の子が待っていてと言ってなんでと答える阿呆がいるか。
その位高校1年生でも判る。
でも唯奈さんは僕の言葉に、一瞬逡巡した。
「そ、その、お、お話したいから。だ、だ、駄目かな。」
そう言ったその一瞬、猛烈に唯奈さんの顔が赤くなった。
慌てたようにクロッシェの帽子をぐいと押し下げた彼女を見て、
僕はやっぱり唯奈さんは不良じゃないかもしれないとそう思った。
何より女の子からお話のお誘いを受けるのは幼稚園以来で、しかも美人の唯奈さんからだ。
うん、今思うにこれが僕と唯奈さんが何かを約束したその初めの一つ目だ。
そして一緒に喫茶店に行って本の話をした初めての日でもあった。
「も、勿論僕は全然構わないけど。」
僕の身長はその時まだ168cmで結局最終的には171cmにしかならなくて、
その頃もう唯奈さんは175cmはあった。
だから僕は真っ赤になっている唯奈さんの顔を見上げながら喜んでそう答えたのだ。
*=*=*=*=*=*=*
感想ありがとうございます。
次回は喫茶店編。
1〜2週間に1話程度の予定です。
ノシ
GJです!池波正太郎とはなかなかいい趣味ですね
それにしても桜ちゃんかわいい
……いや、もちろん微笑ましいという意味ですよ?
本を読まない俺には知らない題名ばっかりだw
>>198 このロリコ(ry
当てもなく本屋に行って、気分買いする俺としてはすげぇよくわかる。
>僕は本屋で知り合いに会う、というのは気まずいものだと思っている。
冒頭の文にさりげなく微笑ましい爆弾が仕込まれている気がするw
ほ
し
が
クラスの女子が「富野に訊け!」「教えてください。富野です」をレジに持ってってたら
205 :
名無しさん@ピンキー:2008/05/18(日) 22:03:21 ID:Pu5bkaNE
保守
自分に久しく読みごたえがある作品だったから、気長に待つよ
過疎?
捕手
まだだ!まだ終わらせんよ!
ほ
し
い
216 :
名無しさん@ピンキー:2008/06/13(金) 23:20:41 ID:dcce35dW
の
これで最後の保守にするわ。もう書き手も見てないと思われる…
続きをひたすらに待ってる作品とかあるけど、こうなったら己の妄想で補うしかないのか
俺はこのスレに投下するためのSSを書いている途中だ。
だからそんな悲しいこと言うな
>>217よ。
みんな、ゲッターの力を信じるんだ
221 :
名無しさん@ピンキー:2008/06/18(水) 21:27:14 ID:RfksQwwW
ほ
最後まで書ききってから投下したほうがいいの?
>>222 完結させられるなら書いてる途中でもいいかと。
>>222だけど、途中まで書いて力尽きたんだ……orz
一応、完結は出来ると思うから、途中まで投下する。
あと、話しの中で容姿を説明するのがめんどくさかったから、
最初に補足で登場人物の容姿、その他を書いておく。
補足読まなくても、読めるようにしてあるけど、脳内補完したい人は読んでくれ。
んじゃ、投下する。
やべ、トリミスったorz
以下、物語の補足。
≪俺≫
寿司屋で住み込みで働く男。25歳。
身長175センチの中肉中背、刈り込み頭。
親方に恩義があるため、親方の娘≪お嬢≫を思い、思われながらも、
その思いを伝えようとしない。
また、中卒という立場である自分を卑下し続けている。
≪お嬢≫
本名:美香 21歳。現在、大学生。親方の娘。
身長158センチ。Cカップの中肉中背。
セミロングのつやのある黒髪と愛嬌のある顔が特徴。
≪俺≫にずっと好意を寄せているが、その好意への返答は、
いつもはぐらかされ、ごまかされ続けている。
自分の思いが届いていてほしいと思いつつ、
いままでの関係が『家族』も含めて崩れてしまうのを少し恐れている。
最近は酒に逃げる事が多い。
夜1時、玄関に何かが倒れこむような、音が響き渡る。
だが、もはや日常となってきたので、俺はあわてない。
2階の自室から出て、階段を下りるとやはり玄関にお嬢が倒れこんでいた。
「たらいまー、かえったじょー」
「……お帰りなさい、お嬢。今日も大学の飲み会で?」
「そうなのー、もうね、こう、先輩とか、付き合いが大変にゃのよー」
中学卒業と同時にこの寿司屋「魚丸」に入った俺は、大学などのそういう付き合いの大変さは、わからない。特に、お酒にここまで飲まれてまで付き合わなければならないという必要性が理解できない。もちろん、だからといってそういう付き合いを否定するわけじゃないのだが。
「連中飲まないと怒るしねー、って、あれー、お母はんじゃないねー」
「俺ですよ、次郎です」
「……あー、なんらー、ジロー君かー、うひゃひゃひゃー、次郎君らー」
何が面白いのだろうか、全く分からない。
まぁ、ともかくお嬢の部屋に運ばなければならないので、玄関に倒れこみながら、奇声を上げて笑うお嬢の背中に手を回しそのまま一気に担ぎ上げる。
「お姫様だっこらー、ジロー君ちっからもちー♪うひゃひゃひゃー」
手を叩き、またも大声を出して笑うお嬢をなだめすかすように俺は小さな声で彼女に言う。
「もう少し静かにしてください。親方と女将さんはもう寝ているんですから」
一階には親方と女将さんの寝室があるのだ。ここで騒ぐと起きてくる心配がある。(ちなみに二階にお嬢の部屋が、さらに屋根裏に俺は居候させてもらっている)
「……うんー、わかっら」
「……お嬢にしては、珍しく物分りがいいですね」
「あー、わたしー、いつだって物分りいいもんねー」
「はいはい」
俺は苦笑いしながら、階段を一段ずつ踏み外さないように登っていく。
「次郎君に抱っこされるのー、気持ちいいねー。ゆっさゆっさしてゆりかごみたい。わたし、今日ここで寝ようかなー」
「それは、俺に一晩中持っていろと?」
「ジロー君ならできるよー、ほら、こんなに胸板厚いしー」
「むちゃ、言わないでくださいよ……。あとさりげなく、俺の胸触らないでください」
「いいじゃん、減るもんじゃないんだから」
お嬢はニヘニヘとだらしなく笑うと、ここぞとばかりに俺の胸板をぺたぺたと触りまくる。
「それで許されたら、世の中のセクハラが全てなくなりますね……っと 」
俺は『美香の部屋(許可なく入ったら殺す、特にパパ)』と名札が着いた部屋のドアをゆっくりと開く。
お嬢の部屋は、いわゆる女の子らしい部屋とは違い、白と黒をメインとした全体的にシンプルなまとまりになっている。
本人曰く、
「見た目より、機能重視」
だ、そうだ。
俺は部屋の左端に置かれたベッドまでお嬢を連れて行き、ゆっくりと下ろす。
「気分はどうですかね? 水持ってきましょうか?」
「うーん、いいよー。それよりさー」
「なんです? なにか、胃薬とか持ってきたほうがいいですかね?」
「ここに座って」
ベッドで寝そべるお嬢が指で示すのは床だ。
「はい? 」
「いいから、座るの!! 座りなさい!!命令!!」
……だんだんと説教おじさんモードに入りつつあるのだろうか?
とりあえず、しぶしぶと俺は床に座り込……
「ちがーう!! 体育座りじゃない!! 正座!!」
……正座する。
「あんたれ、わかってるの?! 私が、毎日、どういう、思いしてるか!!」
「いや、大学のご学友との付き合いも大変そうだなー、と」
「バカーーーーーーーー!!」
いきなり、大声で叫んだお嬢は手元の枕をつかむとこちらに向かってものすごい勢いで投げつけてきた。
とっさに、俺は体を左に倒し回避する。
枕は壁に当たり、背後のゴミ箱にあたり中身をぶちまける。
「あーあーあー。ちょっと酔っ払いすぎですよ、お嬢……」
「うるらい、うるらい、うるさーーーーーーーーーい!! 何で、当たらないのよ、ジロー君の馬鹿!! ジロー君なんか、枕に当たって死んじゃえばいいんだ!!」
「……枕で殺されるのは勘弁ですね。とりあえず、ゴミ箱片付けますよ」
俺は倒れたゴミ箱を立て、散らばったゴミを拾いいれながら、お嬢に話しかける。
「で、それで? そんなに荒れてる理由は何です?」
「……」
黙りこくるお嬢に、俺は口を開きかけ……
……やめた。妙な心遣いはお嬢をさらに傷つけるだけだ。
本当はお嬢が何を言いたいのか分かる。お嬢は一体何に悩んでいるのかも。
……お嬢は、俺に好意を持っている。
これは、単なるうぬぼれとかではない。
長年、同じ屋根の下で暮らしてきたのだ……
ちょっとした、仕草、言葉、表情。
その一つ一つでお嬢が家族としての好意以上に俺を意識しているのを感じる。
けど、駄目だ……。俺は親方を裏切れない。
当時どうしようもない悪がきで、何をしてもうまくいかなくて、世界そのものを憎んでいた俺を立ち直らせてくれ、さらに仕事や家の世話をしてくれたのは親方だった。
その親方が、本当に宝物のように大事に育ててきたお嬢を俺がもらうわけにはいかない。
お嬢はもっと幸せになるべきなのだ、俺なんかみたいな屑と一緒にならないで。
俺はずっとそう誓い続けていた。
……そして、俺がお嬢の思いに気づいているように、お嬢も俺の思いに気づいているだろう。
思いを伝えたとしても、俺が拒絶することが分かっている。
ゆえにお嬢はその鬱屈した思いを酒で晴らすのだろう。
だから、俺には、酒に向かうお嬢を止める資格はない。
「お嬢、これ以上お話がないようなら俺は戻りますよ」
そう言うと、俺はゆっくりと立ち上がる。
「ま、待って!」
あわてるお嬢に俺は笑顔を向ける。
「なんですか?」
俺の顔を見て一瞬、お嬢の表情がこわばる。
それもそうだろう。俺は笑っている、けど、お嬢には分かるのだろう、この笑みが、俺の全ての感情を封じ込めた冷たい笑みだということを。
「特に用事は無いですね。それじゃあ、戻りますよ?」
俺はお嬢に背を向け、部屋から出ようとする。
だが……
「もぅ、ぃやだよぅ……」
震える声が室内に響く。
俺は拳を爪が食い込むほど握り締める。
振り向きたくなかった、振り向いたら、自分の誓いも、もう何もかも忘れてしまいそうで。
だけど、俺はそれ以上に……
「お嬢……」
お嬢を泣かせたくなかった……。
振り向けば、ベッドの上に座りながらお嬢はしゃくりあげるように泣いていた。
「ひっく、もぅ、やだぁ……。なんで、ひっく、なんでぇ? だって、私は、私はぁ、ジロー君のこと好きなのに、ひっく、どうして、どうして、気づいてるのに、気づかないふりするの?」
それは言ってはいけなかったのに、そして聞いてはいけなかったのに……
それを言えば俺たちの関係は……
「……俺は、俺なんかはお嬢に釣り合いませんよ」
「……なんで、ひっく、どうして? どうして、そんなこと言うの?」
俺は、目を伏せるようにして語る。
「……俺は親方に恩義があるんです。そして、その親方が本当に目に入れても痛くないくらい、大切に大切に育ててきたのがお嬢です。当たり前ですが、親方はお嬢に幸せになって欲しいと願っている」
「……」
「だから、俺もお嬢には本当に幸せになって欲しいと思っている」
お嬢は涙をためた目でこちらを見つめる。
「俺には、お嬢を幸せにできる自信なんて全くありません。
俺は、いろんな人と仲良くなれるお嬢と違って、
人付き合いはめっぽう苦手です。中卒の俺には学もありません。
親方のおかげで寿司作りや料理はうまくなったものの、
寿司屋でこの先も食って行ける保証なんて存在しない。だったら……」
「……私にはもっと幸せにしてくれる人と、一緒にいて欲しいの?」
俺は首を縦に振る。
「大学には俺より学があり、人当たりもよく、
有望な未来をもっている人なんてたくさんいるでしょう」
改めて、お嬢の瞳を見つめ返す。
ずっと、一緒にいた。
友達のような、妹のような、恋人のような……そんな仲。
しかし、それでいて主人と従者としての関係と変わりなかった。
初めて会った時から、ずっと、ずっと好きだった。
けれど、その思いは一生届かない、届けてはいけない。本当に彼女の幸せを願うならば。
だから……
「もう一度、言います。俺には、あなたを幸せにできな……」
俺の口を閉ざすように、そっとお嬢は俺の顔を両手で包み込んだ。
そして、
「優しいんだね、ジロー君は」
涙で濡れた顔でやわらかく微笑んだ。
「俺は、優しいわけじゃ……」
「うん、知ってる。だから、優しくて、ひどいよ、ジロー君……」
そのままお嬢は俺の顔を両腕で胸元に抱き寄せる
「ねぇ、ジロー君」
「……はい」
「幸せって何なのかなぁ……」
「……」
お嬢はゆっくりと、言葉を紡ぎ続ける。
「あのね、ジロー君は自分のこと卑下してるみたいだけど、
そんなことないよ。たしかに、ジロー君は学がないかもしれないし、
人見知り激しいし、お寿司作りにしか能が無いのかもしれない。
けどね、私は知ってるよ。ジロー君は誰よりも優しいし、
打ち解ければ今までの仏頂面が気にならなくなるくらいにいい笑顔で笑うし、
責任感もあるよね、他にもいーっぱい、いいところあるよ」
俺は何も言わない。お嬢に、温かく包まれているのが気持ちよくて。そして……
「私ね、ジロー君がいると幸せになれるかどうか、なんて分からない。
だって、未来がどうなるかなんて誰にも分からないし、
私には幸せっていうのがどういうのかよくわからない。
……だけどね、一つだけ言えるのはね」
一息。
「ジロー君に好きって言えなかったのは、ずっと、ずっと苦しかったよ。
だからジロー君がいなくなったら、私、もっと、もっと、もーっと辛いよ。
もう、そんな思いしたくないよ……」
また、お嬢の声が震え始める。
「ひっく、もしかしたら、私ね、ジロー君といるだけでね、ひっく、幸せだったのかもしれない」
俺は……間違えていたのだろうか?
他の人と一緒にいるほうが幸せになるなんて言ったのは俺のエゴでしかなかったのだろうか?
「いやだよぉ……ジロー君と離れたら幸せになんてなれないよぉ……
うぅ……他の人と一緒になってもジロー君が一緒じゃなきゃ、絶対幸せじゃないよぉ……」
お嬢は嗚咽交じりに、言う。
俺は、自分のことを人間の屑だと思っていた。親方に出会うまで、いろんな悪さをしたし、何も学ぼうとしなかった。若さゆえとはいえ、俺はそんな自分が許せなかったし、これからも決して許すことは無いだろう。
だから、俺のような人間が誰かに思われるなんてことは無いと思っていた。
だけど、お嬢はそんな俺を認めてくれた、好きだと、一緒にいたいと。
俺はそんなことが許される人間ではないというのに……
俺は……俺は……
「? ジロー君? 大丈夫?」
何もしゃべらない、俺を心配したのか、お嬢が俺に話しかけてくる。
「ごめんなさい……もう少しだけ、あともう少しだけ、このままでいさせてください」
「……うん、いいよ」
お嬢のやわらかい指が俺の髪を、優しくなでる。
俺は心を落ち着かせるために、大きく息を吸う。
あー、なんか、甘い臭いがすると思ったら、案の定、酒の臭いだった。
「お嬢……酒臭いです」
「う、う、うるさい!!誰のせいで、酒飲んでたと思ってるの?!」
俺の頭を軽く叩く。
ハハハと笑いながら、俺はゆっくりと顔を上げる。
俺たちは見つめあう。お嬢の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
「お嬢……ひどい顔ですね」
「……お互い、はい、ティッシュ」
「え?」
自分の顔に手で触れれば、そこには涙のあとがあった。
「ハハハ……何で、泣いてるんでしょうね、俺」
「泣いてるの、気づかなかったの?」
「えぇ、十年ぶりくらいに泣いたから、自分では分からなくなっちゃたのかもしれないですね」
俺はお嬢にもらったティッシュで涙を拭く。
同じように、お嬢も涙を拭う。
「馬鹿みたいだね、もう大人になったっていうのに二人して泣いて」
「……そうですね、けれど」
「けれど?」
お嬢が疑問の声とともに、首をかしげる。
俺はゆっくりとお嬢を胸に抱き寄せる。
「このことでもう二度と泣かせません。俺もお嬢のことが好きです。付き合ってください」
お嬢は一瞬きょとんとした顔をしたが、俺のいった言葉をゆっくりと咀嚼するように考え、
次の瞬間、また涙を流し始めた。
「うわ、二度と泣かさないといった矢先に泣き出さないでください!!」
「だってぇ、だってぇ……い、いままでジロー君のほうから、
ひっく、好きなんていってくれたことな、ないから、うれしくて」
俺は、しゃくりあげなら泣くお嬢の頬に流れる涙のあとをなぞるようにそっと舐める。
「ひぅ!!」
思わずお嬢が声を上げる。
「ほら、これでお嬢の涙は俺のものですね。だから、もう泣く必要はないですよ」
「うぅ〜、な、涙とられたー」
恨めしげに俺を見上げるお嬢、その顔が急に愛おしくなり、俺はさらに強く抱きしめる。
そして……俺はそのままそっと、お嬢と口付けを交わした。
とりあえず、キリのいいところでいったん終了。
様子、というか反応によるけど、続きは一週間以内に、書けたら書く。
では。
乙、続きに期待
これはきましたね・・・・期待して待ってます
書けたら書く、じゃなくてぜってー書け。
正座して待ってるからな。
ssは完結させなきゃ評価の対象にすらならないんだよ。
という訳で、続きを今すぐ書き出すんだ!
イイ!!
ムリはせんでもいいが、あまり焦らさんでくれ。期待して待ってる
「……ん」
最初は唇だけをかせね合わせる、
お嬢のやわらかい唇をゆっくりと確かめるように感触を味わう。
「……んぁ、ふぅ」
時折もれるお嬢の声に、少しずつ興奮を覚える。
そして、唇同士の接触だけでは物足りなくなり、俺はお嬢の唇に舌を伸ばした。
お嬢もこちらの意図が分かったのだろう。ほんの少し躊躇したが、同じように舌を出す。
触れ合う、舌と舌は互いの唾液とともに濃密に絡み合う。
俺は、まだ、怖がるお嬢のためにさらに舌を進めていく。
口内で互いの舌が求め合い、さらに口の中を蹂躙する。
「んふ、あふぅ……ん、あぅ……」
お嬢の悩ましげな声が、俺の脳を甘い痺れのような感覚で支配する。
もう、これ以上何も考えられなくなるような、そんな感じだ。
俺はキスしたまま、ゆっくりとお嬢とベッドに倒れこむ。
そして、一応念のために
「いい……ですよね?」
ここから先に進んでいいかどうか、確認する。
これ以上進んだら、俺たちは、行くところまで行くしかない。
それに対してお嬢は何も言わない、ただ、顔を赤くして、俺から目をそらし、小さく頷いた。
俺たちはもう、戻れない。
俺は、返事を確認すると、仰向けになったお嬢のYシャツの前ボタンを、順番に外していく。
全てはずし終えれば、ピンク色のレースののブラジャーがあらわになる。
俺はお嬢の背中に手を回し、ブラジャーを外そうとする、が、
「あ、あれ?」
ホックが何故か見つからない。
「あ、あの、それフロントホックだから……」
「えぇ? あっ」
よく見れば、前にホックがあった。なるほど、こういうタイプもあるのか……
当たり前だが、今までブラジャーなんてものをまともに触ったことは無い。
やはり、AVのようにはうまく行かないものだ。
「うわ、慣れてないの丸出しでかっこ悪いですね、俺」
自分が知識だけでしか知らない事に思わず苦笑いする。
「……ジロー君がこういうのに慣れてたら、それはそれで嫌だよ」
お嬢も、つられるように微笑む。
俺は言われたように、今度はフロントホックを外すと、お嬢の胸が現れる。
小ぶりでもなく、だからといって大きすぎない、そんな、ちょうどいい大きさだった。
ツンと上向きにたった乳首が可愛らしい。
思わず、俺はお嬢に質問する。
「……お嬢って、何カップなんですか?」
「……Cカップ、って、そんなの知ってどうするの? もっと、大きいほうが良かった?」
「いや、単なる興味本位です。 あと、個人的にはこれくらいの大きさが一番好きですよ」
ハハ、と俺ははにかむ。
それに対して、
「……ジロー君のスケベ」
と、恥ずかしげにお嬢は顔を赤らめる。
「お嬢、俺、多分これからもっとスケベになりますよ?」
「え? って、きゃ!!」
左胸の乳首を、優しくそっと舐めあげた。
「だから、覚悟してくださいね?」
「……覚悟って、あぅ、んんぅ……」
俺は返事をしない、乳輪を最初はゆっくりと回わするように舐める。
そして、その間、右胸をやわらかく揉みしだく。
「ふぅ……あっ……ん、ぃゃぁ……」
「ぃゃぁ」と言われたが、ここでやめたら男ではない。
さらに執拗に舌と指で乳首を攻め続けた。
「ぁう……ぅく……や、やぁ……」
お嬢の呼吸が、それに反応するようにだんだんと荒くなる。
舌で乳首を舐め回しながら、徐々に吸う。
「ひぅっ!!あぁぁぁ……」
お嬢が思わず、声を上げる。
しかし、俺はそれでは飽き足らず、執拗に乳首を攻め続ける。
「ふぅ……あっ、あっ、あぅっ……」
と、そこで今度はあえて舌を胸からはなす。
「……ふぇ?」
気が緩んだのか、お嬢は間の抜けた声を出した。
だが、もちろん俺は手を緩めたわけではない。
今度は反対側の胸をおもむろに口に含み、舌でその先端を転がす。
「ぅっ……あぅ……」
切なげに声を漏らす、お嬢。
俺の左手はその間ゆっくりと、お嬢の下半身に伸びる。
そして、そっとスカートの中に手を入れた。
少し、湿ったような下着の感触を指先が感じ取る。
俺は、そこをゆっくりと、なぞる。
「あぁぁぁ………」
悩ましげな声を上げ、お嬢が軽く震える。
下着をさらに撫で続けると、下着がさらに湿ってくる。
そこで俺は胸へのくちづけをやめると、お嬢の耳もとで告げた。
「下も脱がしますよ?」
「……え、えっと、別に自分で脱げるよ?」
お嬢は恥ずかしそうに、こちらを見つめる。
「いやいや、ここは俺に脱がさせてくださいよ」
俺は満面の笑顔で遠慮してもらう。男なら、一度は自分の手で脱がしたいと思うのだ。
これは理屈じゃない、浪漫だ。
「ジロー君やっぱりスケベだ……」
俺の満面の笑顔を見て、もうどうにもならないと悟ったのか、お嬢は諦めるように苦笑いすると、投げやり気味にこちらに身を任す。
そして、そっと言う。
「……わ、わたしだって初めてなんだから……」
「……だから?」
「……その……優しくしてね?」
照れながら、そう言うお嬢に俺は
「……ハハ、できる限りは。」
と答えておくことにした。
まぁ、内心、この時点で、いろいろといっぱいいっぱいなのだが。
お嬢を不安にさせるわけにもいかない。
とりあえず、慣れない手つきで、お嬢のスカートを脱がしていく。
そうすれば、スカートの下、ブラジャーと同じピンク色のレースの下着があらわになる。
「かわいい下着ですね」
「何、かわいいのは下着だけなの?」
お嬢がその言葉に、軽くムッとした顔になった。
「いや、もう、お嬢もめちゃくちゃ可愛いですよ。こう、照れる姿とか」
「むー、なんか言い訳くさいー」
「そんな、下着に嫉妬しないでくださいよ」
そんなお嬢の態度に思わず、笑いかける。
「じゃあ、こんな悪い下着は取っちゃいますか、
これ以上見てたらお嬢が嫉妬しつづけちゃいますから」
「……って、えっ? ちょ、ちょっと、まだ、心の準備が……」
今更、言っても遅い。
もちろん、聞く耳をもたない、俺は容赦なく下着を脱がす。
お嬢の黒いこんもりとしたアンダーヘアーが、露出する。
「あぅ……、恥ずかしいよ……」
両手で赤くなった顔を隠すように覆う、お嬢。
「ほら、ちゃんと、顔も見せてください」
「うぅ……」
俺から目を背けながら、おずおずと両手を下げる。
「お嬢、もう一回言っていいですか?」
「……な、何を?」
「すっげぇ、可愛い」
臆面もなく、俺は自分の思ったところを、お嬢に伝えた。
「……ジロー君も、かわいいよ」
「かわいいじゃなくて、せめて、かっこいいにしてくださいよ。
なんか、いろいろ男としての自信がなくなりますから」
くすっ、お嬢は笑うとこちらに顔を近づけて、そっと言う。
「じゃあ、ジロー君かっこいい」
そうして、頬に優しくキスをしてくれた。
「強くて、まっすぐで、頼りがいがあって、時たま不器用だけど、だけど、それ以上に優しくて……大好きだよ。ジロー君、だーい好き」
甘く、とろけるような声で俺に思いを伝えてくれる。
俺はその言葉でほんの少し心が温かくなる。
だが、出る言葉は
「すいません、俺、もう、これ以上我慢できないかも。お嬢が、その……可愛すぎて」
最低だ、いろんな意味で。
しかし、そろそろ俺の下半身は我慢限界だったのだ。
その言葉に、お嬢はもう一度ベッドに倒れこむと、こちらに両手を広げた。
「……うん。いいよ、来て」
そっと、俺はお嬢の股間を指で触れる。
敏感なところを触れられて、軽く、びくっと悶える、お嬢。
だが、軽く触れただけなのに、指はお嬢が濡れているのを、しっかり確認できた。
前戯は必要なさそうだった。
俺は自らのズボンをおろすと、自分の屹立したペニスを取り出す。
そんな、立派なものではないが、お嬢は、チラッと見ると「うわぁ……」という声を上げた。
どういう方向性で驚いてくれてるかは知らないが。
そして、それをゆっくりと、お嬢のヴァギナの入り口に近づけると、
最後にもう一度だけ尋ねる。
「……いいですよね?」
「……うん、ジロー君と、つながりたい」
お嬢はそういうと、こちらの首に腕を絡ませた。
俺はペニス先っぽを入り口に軽くこすりつけ、ペニスの先をお嬢の愛液で濡らす。
もう、覚悟は決まった。
俺はペニスをお嬢のヴァギナの中に少しずつ挿れていく。
まずは亀頭をゆっくりと、ゆっくりと、温かく包みこんでいく。
「う……くっ……」
お嬢が何かをこらえるような声をあげると、苦しそうな顔でこちらを見つめる。
首に回っている腕に、力がこもるのが分かる。
やはり、初めてだから痛いのだろう。
「……すいません、お嬢、もう少しの間、我慢してください……」
俺が、真剣な顔でそういうと、お嬢は痛みをこらえた必死な笑顔で答える。
「……う、ん、大丈夫」
「……分かりました」
もう、ここはあえて一気にいくことにした。
「……いきます、今までより痛いかもしれませんが」
「……だ、大丈夫」
お嬢は、俺の首から腕を放すと、両手でシーツをぎゅっと握り締める。
「……いきます!!」
「……うん!!」
俺は腰に力を入れると、強引にお嬢の中を一気に進んでいく。
「……あぐぅっ!!あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
部屋に、お嬢の叫びが響く。
だが、もう止められない。
一瞬、ペニスをキュッと絞まったような感覚に陥るが、そこを無理やり抜けると、
気づけば、ペニスは根元までお嬢に包み込まれていた。
「……あぅぅぅ」
涙目でこちらを見つめるお嬢。だが、その表情はどこか晴れ晴れしていた。
「……大丈夫ですか? 痛いですか?」
俺は心配になり、尋ねる。
「う、うん……け、けど、もうちょっと、動かないで。まだ、痛いから」
「え、えぇ」
俺は、ちょっと我慢する事にした。
ぶっちゃければ、お嬢の中が気持ちよすぎて、いつ出てもおかしくない状態だが、気合で我慢だ。
お嬢は痛みをこらえながら、こちらに笑顔で言う。
「……やっと、一つになれたね」
「そうですね」
俺は、ふと、気になって聞く。
「後悔してますか?」
「バカ」
こつんと、頭をこづかれる。
「ジロー君と一緒になれる、このときを何年待ったと思ってるの?」
「……」
「ジロー君は私が待ち焦がれた、この10年間まで後悔させるつもり?」
「……全く、お嬢にはかなわないな」
俺は、思わず、頭を掻く。
「ジロー君は後悔してるの?」
同じように俺に問う。だから、俺は正直に答える。
「……えぇ、後悔してます」
「えっ?」
失望したような表情がお嬢の顔に浮かぶ。
俺はすかさず続ける。
「こんなことなら、もっと早くこういう関係になればよかったって」
俺の答えに一瞬きょとんとしたお嬢は、今度は俺をジロッとした目で見つめる。
「ジロー君、性格悪い」
「お嬢に対抗したんですよ」
「むー」
と、抗議の声を上げようとするお嬢の唇を、俺の唇で封じる。
今度は唇と唇同士の軽いキス。
互いに顔を向かい合わせ、そして、くすっ、と笑いあう。
「お嬢、俺、そろそろ、我慢できないです、動きますよ?」
「うん、多分、大丈夫、まだヒリヒリするけど」
その言葉に、俺はコクリと頷く。
そして、俺はゆっくりと腰を動かし始める。
「くっ……あぅ……」
俺のピストンに合わせるようにお嬢が声を上げる。
ペニスに肉ひだが絡みつき、温かく俺を包みながら、時たまキュッと締め上げる。
俺はその感覚に思わず、射精しそうになるが、そこを必死に我慢する。
「あぁん、あっ、あっ、あっ、あぅ!!」
こんな、反応見せられて自分だけ先にイクわけにはいかない。
ピストン運動を徐々にスピードアップしながら、聞く。
「……気持ち、いいんですか?」
「わか、わかんないよぉ、だ、だけど、声が出ちゃうの!!
ジロー君が動くと!! あぅっ!!」
俺が出し入れするたびにお嬢の愛液が飛び散り、グチュ、グチュと卑猥な音を立てる。
「……いた、痛いのにぃ!! ジロー君のが、ズン!! ズン!! ってくるのぉぉ!!」
お嬢の手が、シーツを強く握り締めているのが分かる。
耐えているのは痛みからだろうか、快感からだろうか。
俺は無言で、そのまま腰を振り続ける。
もう、これ以上余計な事をしゃべる余裕は無い。
「ふっ、あっ、あっ、いや、ぃやぁ、あぁぁぁ!!」
お嬢はシーツから手を離し、こんどは俺にしがみついてくる。
俺の二の腕を、ギュッと、つかむ。
「あっ、あぅ、あっ、ん、ちゅぅ、ちゅぱ、んむんんんん」
俺はあえぎ声を上げるお嬢の唇を熱く重ねる。
「むちゅぅ、あむ、れろ、あぅ、んちゅ……」
舌を濃厚に絡み合わせ、互いの唾液をむさぼる。
そして、そこで唇を離す。
「ぷはっ!!あっ、あっ、あっ、きゃぅん!!」
跳ねるようにお嬢が、ベッドでのけぞる。
俺のピストンは、これが最後とばかりにラストスパートをかける。
「お嬢!! 俺、俺、もうっ!!」
「う、ん!! いい、いいよ!! 中に!! 中に出してぇ!!」
「!? け、けど!!」
「大丈夫!! あぅっ!! だ、大丈夫だから!!」
「わか、わかりました!!」
お嬢の言葉を信じる。
パン、パンと肌と肌がぶつかり合う音が部屋に響く。
「っく!! すいませんっ!!い、いきます!!」
「きて、ジロー君きてぇぇぇぇぇ!!」
痙攣するように、俺は貯めていたものを、一気にお嬢の中に放出する。
「くっ!!」
まるで、最後の一滴まで搾り取られるようにヴァギナが脈動する。
俺はいままでの人生の中で一番長いと思われる、射精をした。
ゆっくりと、ゆっくりと、お嬢の中を満たしていく。
そして、最後の一滴を出し終え、
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
部屋に響く、お嬢の声がゆっくりと収束していく。
俺とのつながりを名残惜しむように。
……俺たちの初めての行為はこうして、終焉を迎えた。
「で? 大丈夫なんですか?」
「100%大丈夫なんて日があると思う?」
「……それじゃあ」
「だって、ずっと一緒にいてくれるんでしょ?」
「……お嬢にはかないません」
以上で、気合のみで書いた『二人の距離』の物語は、一応完結。
ですが、恋愛&エロ無しの番外編で『二人の距離後日談 〜親方〜』を用意した。
番外編にて一応、完全な完結となるけど、
恋愛とエロが無いなら興味がない人は、
読まなくても本編に支障は無いからスルーしてくれ。
純愛もエロもないと、ややスレ違い気味なのは承知してるんだが、
どうしても続きとして投下したかった……orz
だって、このままだと、親方が二人の仲、阻害してるようにしか見えないから……
興味がある人は『二人の距離後日談 〜親方〜』を、続けて読んでください。
では、投下。
「よぉ、ジロー、たまには酒に付き合えや」
親方の声が閉店後の店内に響く。
「別に構わないですけどけど……禁酒は?」
「あぁ? 別にかまわねーよ、今日はな」
親方は俺にずっと禁酒を命じていた。
中学時代、ドラッグ、煙草、飲酒、全てを行っていた俺は親方のもとについて以来、その全てをやめた。
もちろん、親方にやめるように言われたのも理由の一つだが、自分でも今までの生活とのけじめをつけるつもりだった。
だから、酒を飲むのは実に十年ぶりとなる。
「ビールでかまわねーよな」
「それでいいです」
親方は業務用の冷蔵庫から、ビンのビールを取り出すとコップに注ぐ。
「ほらよ、十年ぶりのお酒様だ、丁寧に扱えや」
「ありがたく、受け取らせていただきます、お酒様。と、これでいいですか?」
「お前、相変わらず冗談のセンスねーな」
クックッ、と親方は笑う。
俺は酒を受け取ると、机に着く。だが、まだ酒は飲まない。
というのも、親方が酒を飲むのは、何か話したい時だ。
しらふでは、恥ずかしくてしゃべれない事は酔いに任せてしゃべる。
この人は、そういう人だ。
そして、もちろん今日、この場でしゃべるとしたら、
「てめー、夜は随分とごさかんだったみたいじゃねーか」
昨夜のことに決まってる。この人が、気づかないわけが無いのだ。
じろりと敵が目の前にいるかのように、こちらを睨みつける。
「……」
俺は、何も言い返さない、ただ、その親方の目をじっと見つめ返す。
重苦しい沈黙が店内を支配する。
親方がときおり、酒を喉に通す音だけが、店内に響く。
十分ほど、経っただろうか。
親方が、笑い始めた。先ほどみたいに忍び笑いではなく、豪快に。
「ハーハッハハ!!ハハハハハハハハハ!!」
「親方、気が狂いましたか?」
「お前の冗談、やっぱ、センスねーよ」
笑顔のまま、親方はちびりとビールを口に含む。
「ったく、お前らくっつくのに何年かかってるんだ」
「十年ですね、初めて会った時から考えるなら」
そうか、十年か、そう呟くと、親方はしゃべり始めた。
「お前が美香に好意を持ってたのは、ずっと知ってる。
もちろん、美香もお前にずっと好意を抱いていたろ」
「やっぱり、気づいてましたよね」
俺はずっと、親方が気づいているのだ、ということに気づいていた。
そう、だから……
「……だから、しょっちゅう俺に対して言いましたよね。
美香に指触れる奴は、家族以外、誰にも許さんって」
「あぁ、言ったな」
そう、親方は気づいていた、ゆえに俺に釘を刺したのだ。手を触れるなと。
「まぁ、最終的には触れる以上のことをしたわけですが」
「あぁ、そうだな」
相槌を打つ親方の顔はどこかうれしそうだった。
俺はその顔を見て、ようやく確信する。
昨日からずっと考えていた事、
ずっと親方をどう説得すべきかということを考え続けていた。
親方のいままで言ってきた事を思い出し、
親方に納得してもらうにはどうしたらいいのかを。
そこで、一つおかしなことに気づいた。
それは、何故、親方は俺とお嬢をくっつけるのを嫌がるのか。
親方の性格からして、本当はそれはありえなかった。
何よりも誰よりも自由奔放で、決して縛られる事を望まず、
縛る事をしない人が、たとえ大事な娘とはいえ、お嬢と俺の間だけ……
俺は、考え続け、それを納得させる理由を一つだけ思い当てた。
それは……
「親方は、俺を試し続けてたんですね……」
「気づくのおせーんだよ、バカ」
親方は自らのコップにさらにビールを注ぐ。
「大体、おれっちの態度一つで娘との仲をあきらめるだぁ?
そんな、軟弱者に俺は娘を嫁にやりたくはねーな」
「それじゃあ……」
「ったく、てめーも美香も時間と手間かけさせやがって」
ビールを一気に飲み干し、こちらを睨みつける。
「すいません……」
俺は一応謝っておく。
「わざわざ、嫌いな嘘ついてまで、俺を試させて……」
本当に親方には、頭が上がらない。
と、そこで、親方は予想外の一言を言った。
「あ? 俺がいつ嘘ついた?」
「は? だって、美香に指触れる奴は、誰も許さんって」
「だから、おまえは馬鹿だって言ってんだよ。いったじゃねーか、『家族以外』って」
「……え?」
親方はそこで一息つくと、こちらを真剣なまなざしで見つめる。
「てめーは、俺の息子だ。俺が、背中を見せて、育てた、大切な息子だ。
たとえ、戸籍が認めなくても、お前は俺の家族だ。……だから、いいんだよ」
ぶっきらぼうな口調で告げたのは、俺を家族と認める言葉。
「け、けど、俺を引き取る時、養子縁組が出来るのにしないとか言ったって」
それは、俺を引き取るが、『家族』にはいれないという宣告だとずっと思っていた。
だが……
「てめーが戸籍上まで俺の息子になったら、美香と義兄妹になって
結婚とかやりにくくなってたぞー」
クックッと悪事が成功したように喜ぶ、親方。
ということは……
「俺はずっと親方の手の平で踊り続けてたわけですか……」
「てめーが勝手に踊り続けたんだろ。俺は用意してやっただけだぜ」
俺はもう、驚きを通り越して、ただ、唖然としていた。
「親方……あんたには一生かけても、かないませんよ」
「テメーが俺に勝つなんて一生どころか、1000年かかってもねーよ」
俺たちは互いに笑いあう。
話しが終わった事を確認した俺は、机においていたビールを一気に飲む干す。
十年ぶりのビールは当時と味は全く変わらず、しかし
「……当時飲んだ時より、美味しいですね」
「あたりめーだろ、酒は大人になって飲むからうまいんだ。ガキが大人ぶってに飲んだところでそのうまさが分かるわけねーんだよ」
俺は親方のその言葉に、涙が、こぼれそうになりながらも、グッとこらえた。
「まったく、親方、強すぎですよ」
「酒がか?」
「全てです」
俺は、笑いながら言う。
この人たちには一生かなわないと思いながら。
以上で、終了。
読んでくれた人はお疲れ様。
純愛ものって、勢いで書いたあとに読み返すと
相当こっぱずかしいことを知ったw
こっぱずかしくて推敲しにくい……orz
また、何か書くことがあったら投下する。
では。
GJとしか言いようがない
そして親父に惚れた
GJだぜ
なんか登場人物みんなが輝いてるなあ
親父何だかかっこいいな
やはりエロだけじゃつまんねーということだ。
親方、いい味出してるぜ。
俺はエロを読みに来たはずだった。
なのになぜか親父に惚れてしまった。
な・何のことだかry
保守
保守
KNOCK DOWN!
Can't Stop Fallin' in Love
cat_girl
の3大作をいまだに待ち続けてる俺が来ましたよ
256 :
名無しさん@ピンキー:2008/07/10(木) 23:10:40 ID:IBEapTPk
最後の保守
ほしゅしゅ
ほしゅ
保守
260 :
名無しさん@ピンキー:2008/07/26(土) 19:50:09 ID:TwxxDQOz
ageage
261 :
名無しさん@ピンキー:2008/07/28(月) 23:08:14 ID:5SXMufZV
圧縮回避
262 :
名無しさん@ピンキー:2008/07/30(水) 19:07:11 ID:O5cDZn43
ほっしゅ
未完の大作の多さに驚いた
Can't Stop Fallin' in Loveってお嬢は実はレズじゃなくてお弁当とかも作ってるのは・・・ってことでいいんだよな?
ほ
266 :
名無しさん@ピンキー:2008/08/21(木) 00:17:15 ID:N8Sg+V5m
>>264 俺もその線で考えてる。
ただひとつ引っかかるのが、なぜユーリーがこんな面倒な方法を選んだのかということだな。
主人公の気持ちをはっきりさせる意図があったのかもしれん
ほ
>>267 勘違いって言うのは
>>265,266の考え方を指してる?
それとも葉山さんが勘違いしてるって言う意味?
>>269 葉山さんが勘違いしてるって意味。
まあそこは告白が本当にあったのかどうかによるけど。
主人公と葉山がくっつくんじゃね?と思った事がある。
葉山は主人公のこと好きだろうな・・・
保守
ほ
275 :
名無しさん@ピンキー:2008/09/25(木) 18:30:11 ID:CBtCgDe1
ラストあげ
保守
ほしゅ
278 :
名無しさん@ピンキー:2008/10/07(火) 01:30:46 ID:5DNd2wlG
あげ
保守
280 :
1/2:2008/10/22(水) 00:38:04 ID:EELYUvPS
何も無かった俺。家、自分の物、兄弟、両親さえも無くしてしまった俺。幸いなのは忘れられる、言ってみれば知らない程、幼い頃に起きた出来事だったと言うことだ。
どうやって生き延びていたかは覚えていない。ただ、心休まる時が無かったのを覚えている。
昼も夜も無関係だった時代。今、こうやって振り返る事が出来るのはどうやら神が俺に人生最初で、最大の幸運を、その時に掴ませてくれたかららしい。
出会いの場所は、雨に濡れた路地だった。他人の、そこそこの生活が出来てる連中の喧騒の聞こえる路地で、俺は物乞い同然の格好で、食料をどう調達するかを考えていた所だった。
雨に濡れたシャツが重く、靴の中にはイヤな湿りが満ちていた。体臭なんか気付かなかったが、きっと好き好んで近付いてくるヤツなんて居なかった程だろう。
野良の獣にすら与えられる食事が与えられない、道端の、生ゴミ同然のガキ。好き好んで俺に何か恵む人間など、居るわけが無かった。
「…孤児か」
俺の前で歩みを止めた。ああ、きっと上流階級なのだろうと察しのつく、体格の良い男。目は眼光鋭いと言った風の、何も知らない俺でさえ気圧してしまう程の目をしていた。
その時の俺は、慈しみの瞳を知らなかった。
暫くして、小さな影がやって来た。この灰色の街に似合わない赤いワンピース。
何の恐れも無くその男の足元に取り付き、会話を始めていた。
281 :
2/2:2008/10/22(水) 00:40:35 ID:EELYUvPS
「…?」
好奇心の塊の目が、荒んだ俺の目と合った。あっちは好奇心が勝ったのか俺に近付き、動物園の動物でも見るような感じで俺を見ていた。
いや、端から見れば俺はそのものだったろう。見せ物にもならなかったろうが。
「なあ、おまえ?」
「?」
「家は?家族は?」
見た目と服装とは反した妙な口調。無いと答えるのが癪だった。俺はただ沈黙を続けていた。その部分の代弁は、そこの親父にさせた。
「楓。止めなさい」
「父様?」
「彼には彼の事情がある」
「…う〜」
本当は親子のやりとりなど、余裕のある奴から見れば微笑ましかったのだろうが、俺にすれば鬱陶しいだけだった。
「彼が気になるのか?」
「…」
楓と呼ばれた女は暫く、俺の瞳を覗き込んでいた。
澄んだ、眩しい瞳をしていた。益々俺と別世界の人間なんだと実感させられた。
が。
あっちの方は俺の瞳から別の意味を受け取っていた。
「父様?」
「?」
「私は、この者が良い」
「来い」
始めて、車と言う物に乗った気がした。始めて、大人の人間と話をした気がした。始めて、俺を人間として扱ってくれる人に出会った気がした。
いきなり与えられたのは温かい食事と、上等な服と、明るい部屋と、尽くすべき相手。
「名前は?」
「…クウ」
「コウ?」
その時はただ戸惑いで息が漏れただけなのを、相手が間違えて聞き取った。そんなもんだった。
今にしてみれば「空しい」のクウ。それを間違って聞かれたコウ。なかなからしいとも思う。
その日から俺の名前は変わっていない。
「おまえは今日から、私から離れてはならないんだぞ。コウ」
「…」
返事の仕方も解らなかった俺は、ただ頷くだけだった。
相当ブランクあってパソコン整理してたら出て来たんで…orz
久々に作品が……
続きはどうなるの?全裸でwktkなのですよ
>>280の続きに期待です。
ちょっと質問なんですが、ここに投下するなら、自サイトでの掲載はやめた方がいいんですかね?
別に問題ないと思う。
>>283 投下自体は問題ないよ
ただコピペと勘違いされることがあるから、トリ付きで自サイトにも掲載していることを始めに明記した方がいい
もうすぐ「Can't Stop Fallin' in Love」の作者さんが来なくなって1年だな。
クリスマスが舞台ということで今年のクリスマスにはぜひプレゼント投下がありますように
裸になるのが早い?
はっ、だからどうした?
風邪ひいちゃうよ?
最近寒くなったから
裸になるのは週5回って決めてるし
君もそうしなよ?
風呂に入らない日があるのか
自分は服着たまま入ります
それで風邪ひいて寝込んでるところに幼馴染がやってきて純愛でらぶらぶな流れになることを期待してるんだなこの野郎
・・・・・・俺に幼馴染なんていない
妹はいるけど!
幼馴染は自分の闇歴史を知る生き証人でしかない
黒歴史
295 :
名無しさん@ピンキー:2008/10/29(水) 07:18:02 ID:P9q6ideK
あげ
意外とまだ人残ってたんだなw
今can't〜を一揆読みした……
さて、机の引き出しに飛び込むとするか
行き先は2009年12月25日辺りでいいよな
やっぱどこでもド……冗談はさておき、冒頭の感じからすると作者様の中ではもう筋は決まってるっぽいよな?
未完の大作が全て完結
する夢を見た マジで
300 :
名無しさん@ピンキー:2008/11/01(土) 23:03:47 ID:kqN5SvQT
さんびゃく〜
そろそろcatの続編が来てもいい頃だ
百歩譲ってcatはあそこで完結でもいい
それより唯奈さん喫茶店編はもう諦めた方がいいのかな…
KNOCK DOWN!の続きにも永遠と期待してる俺が来ましたよ・・・
304 :
名無しさん@ピンキー:2008/11/05(水) 13:05:47 ID:mjrtWMfn
あ
305 :
名無しさん@ピンキー:2008/11/09(日) 23:12:12 ID:PEg7pb7P
getマダー?
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ほしゅ、するよ?
308 :
名無しさん@ピンキー:2008/11/21(金) 04:21:32 ID:Pr4xOKmv
い
い
よ
ごめんなさい
↑↑↑3レスとも私です
312 :
名無しさん@ピンキー:2008/12/07(日) 04:02:35 ID:EUsC9A0Y
じ
え
314 :
名無しさん@ピンキー:2008/12/08(月) 00:56:36 ID:QnqtFB6e
ん
ど
終わらせんよ!!
もうすぐ…きっともうすぐだ!
きっとクリスマスにサプライズが・・・!
319 :
名無しさん@ピンキー:2008/12/12(金) 03:36:04 ID:7qjf3aOl
クリスマスなんてかんけいないよ。ずうっといっしょにいようね♪
320 :
2-57:2008/12/14(日) 00:37:16 ID:3/3CSYSb
まだだ、まだ終わらんよ!
というわけで
>>82の続きです。
タイトルは『Can't Stop Fallin' in Love』。
内容なんか覚えてねーよ!と言う方は
>>2のオリジナルシチュエーションの部屋の純愛スレ保管庫をご覧下さい。
あと、一応主要人物の名前の読みを。
篠原 直弥(しのはら なおや)
綾咲 優奈(あやさき ゆうな)
葉山 由理(はやま ゆり)
ちなみに今回の投下ではまだ終わりません。では、投下。
ずっとひとりだった。
見慣れた部屋の中。いつもの部屋の中。
溶けて消えてしまいそうな暗闇の中で。
世界から切り離された静寂の中で。
ただひとりで、ただひとりを待っている。
心ではわかっている。
頭では理解している。
きっと来ない。
もう戻っては来ない。
あの扉が開かれることは、無い。
それでも――
待つ。
待ち続ける。
その時、不意に。
あっけなく、冗談のように。
固く閉ざされていた扉が、開いた。
光が部屋に射し込んでくる。
眩しさに目を細めて狭くなった視界に、誰かの影が映った。
逆光で、顔は見えない。
でも、待っていた人じゃないということは、わかった。
でも、知っている人のような気がした。
その人は、すぐ傍で足を止めた。
長い髪がさらりとこぼれる。
ゆっくりとこちらに手を差し出してくる。
不思議と恐怖感はなかった。
むしろ、ずっと求めていたような気さえする。
そして、その人はいつものような微笑みで――
「篠原くん」
「――――――――っ!!」
目を開くと、いつもの天井。今の学校に入学した時から住処にしている、ボロアパートの一室の天井だった。
冬の朝の控えめな日光が、室内を照らしている。
起きたばかりなのに、心臓の鼓動がやけに早い。
俺は顔を片手で覆いながら、ため息と共に朝の第一声を吐き出した。
「なんつー夢だ……」
わかっていた。わかっていたことなのだ。
覚悟もしていた。既に避けられないところまで来ていると。
言うならば――そう、運命。
だがそれでも、信じたくはなかったのだ。
「おお……こ、これは……」
手が震える。汗が一筋、額から流れ落ちた。
頭を振り、眼球から送られてくる映像を一旦リセットする。
まず心を落ち着けるため、大きく深呼吸を二回。首と肩を大きく回してから、指をぽきぽき鳴らし、戦闘態勢を整える。
念のために胸で十字を切り、覚えている限りのお経を口の中で唱えてから、手の中の紙に目を落とした。そこには巨大な文字でこう書かれている。
『二学期末試験結果』と。
その下には古文、数学など各教科ごと枠で区切られ、それぞれ今回のテストの点数が記入されている。
ちなみに全教科共通で満点は100であり、欠点となる30点以下だった場合は容赦なく数字が赤色で記載される。
さて、ここで篠原直弥くんの今回の成績なわけですが……。
「何という赤色……!」
赤。
赤です。赤なのです、ええ。
赤い。ひたすら赤い。素敵に赤い。そりゃもー赤い。真っ赤に赤い。
左端の現代国語が何とかセーフ。しかし無事だったのはそれだけで、そこから右へずらりと並ぶ赤・赤・赤。
中間テストで欠点はひとつもなかったので、今回軒並み急降下したことになる。
既に採点されたテスト用紙は返ってきているので、この結果はわかってはいたのだが、改めて一覧にされると破壊力抜群だ。
「……やべぇ」
今回はこれまでの貯金で何とか補習を免れたが、もし次もこんな点数だと、追試が確定してしまう。
そして追試でも調子が上がらなければ……うわ考えたくねぇ。
取りあえず精神の安定を保つため試験結果を鞄の中にしまいながら、何故成績がこんなにバンジージャンプしてしまったのか、
原因を考える――までもないんだけどな。思い当たる節はひとつしかない。
チラリと教室の中程に目を向けると、そこでは長い髪の少女が、クラスメートと何やら談笑している。今回も相変わらずの好成績を修めたのだろう。
何か気配を感じたのか、突然彼女が振り向いた。一瞬だけ目があったが、慌てて窓の外へと顔を向ける。
数秒にも満たない出来事だったのに、心臓は既に早鐘を鳴らしていた。
そう、原因は彼女――綾咲優奈だ。容姿端麗、成績優秀、意外に頑固で怒りっぽくて、でも茶目っ気もあるクラスメート。
そして…………まぁ、その………俺の片想いの相手だったり、する。
彼女への想いを自覚してからというもの、どうにも調子が出ない。というか、確実に集中力を欠いている。
ちょっとした時間、不意に訪れる空白の時間、気付いたら綾咲の姿や声を思い出している。
振り払おうとしても叶わず、何か別のことを考えていても、すぐに浮かび上がってくる。
ちなみに余談ですが夜中に好きな娘との会話を思い出してひとりニヤけるという決して人様に見せられない姿を
自室にあった鏡が極めて無機物的かつ客観的に映しておりうっかりそれを発見してしまい
突発的にさらば青春の日々と叫びながら窓から星が瞬く夜空へ飛び立ちたくなるという出来事もありました。
まぁ、そんな状態だから試験勉強など満足に出来るはずもなく、机に向かえど内容は頭に入ってこず。
結果、成績がこんな血塗れになってしまったというわけだ。
しかし、このままじゃマズイよなぁ……。
流れていく雲を目で追いながら、心の中でそっと呟く。
何というか、自分が恋愛するというのも想像がつかなかったが、まさか日常生活にまで影響を来すとは。
この恋心って奴は本当に厄介だ。まるでブレーキの壊れた自転車のように、コントロールが出来ない。
油断すると突っ走りそうになり、かと思えば浮ついた気分を急に奈落の底に叩き落としてくる。まるで出鱈目だ。
まったく、恋の病とはよく言ったものである。
だが、ずっとこの調子が続くわけでもないだろう。
今はまだこの感覚に戸惑っているが、そのうちに落ち着いてくるに違いない、というかそうなってくれないと困る。そうなってくれ頼むから。
取りあえず今やらなければならないのは、上っ面だけでもいつものように振る舞うことだな。
挙動不審の怪しい人物認定されるのは避けたいところだし。
冬休みまで残り一週間。まずはその期間を耐え抜き、休みの間に頭を冷やそう、うん。
そして元旦の抱負に『冷静沈着』と掲げ、以前のクールな自分を取り戻すのだ。
よし、やってやるぜっ!
決意を新たに教室に視線を戻した俺の間近に黒い瞳があって
「篠原くん?」
「――――っ!」
がったーんっ! という音と共に目に映る光景が天井へと切り替わった。
「きゃっ! だ、大丈夫ですかっ?」
どきどきどきどきどっくんどっくんどっくんどっくん。あ、よかったまだ生きてる。
心臓が激しくビートを刻み、血圧が急上昇しているのがわかる。
椅子ごと派手にひっくり返ったせいか背中が少し痛むが、そんなことはどうでもいい。
今、傍に立っている少女の存在に比べれば。
「篠原くん? 大丈夫ですか?」
さらりとこぼれる黒髪を押さえながら、心配そうにこちらを覗き込んでくるのは、俺を驚かせた張本人――綾咲だ。
急に声を掛けるな驚くだろ。でも声って急に掛けるものだよな。
あとあんまり顔を近づけるなドキドキするから。いや綾咲は前からこんな感じだぞ変わったのは俺の方だ。
色々な言葉が頭の中をぐるぐる回って、何を口に出していいかわからない。思考が支離滅裂になっている。
「あの……」
何も答えない俺に、彼女が戸惑った表情を向ける。ああやっぱこいつ綺麗だよな――って見とれてちゃ駄目だろ俺っ!!
いつも通りいつも通りいつも通りとハイスピードで心の中で繰り返し、無理矢理脳に落ち着きを取り戻させる。
よし、これなら大丈夫さりげなく何気なく平常心で鉄のハートでっ!
「よ、綾咲。どうした?」
完璧。パーフェクト。これぞまさにいつも通りの篠原直弥。
あの混乱から数秒で立ち直るとは、我ながら神懸かっているとしか言いようがない。
しかし綾咲は何故か困ったような顔で、
「あの、取りあえず起きません?」
「……………………そだね」
嘘ついてましたごめんなさい。いまだ混乱中でした。
床に倒れたままの身体と椅子を起こし、すごすごと座り直す。
格好悪いことこの上なかった。叶うものなら全速力でこの場から逃げ出したい気分だった。
すぐに綾咲を直視する勇気も出ず一旦ぐるりと教室を見回してみる。
他のクラスメートは倒れたときは派手な音に何事かと一瞬注目したが、原因がわかるとすぐに興味が失せたらしく、また雑談に戻っていた。
薄情な奴らである。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんですけど」
声の方向に視線を上げると、申し訳なさそうな綾咲が。今回の場合、明らかに俺の驚きすぎなので、そんな表情をされると座りが悪い。
「いや、こっちこそすまん。考え事してたんで」
答えながら、微妙に目線をずらす。これは彼女と話すときに平静を保つための、自分なりの防衛策である。
ついでに言うと防衛策はもう一つあって、
「それより綾咲くん。テストの結果はどうだったのかね?」
このように、会話の主導権を握ることである。そうすれば自分のペースを崩されず、不意を打たれることも少ない。
「まぁまぁでしたよ。篠原くんはどうでした?」
「話題の選択をミスったと後悔している僕の心を察してください」
……逆に更なるダメージを負うこともよくあるが。
「もしかして、補習受けるんですか?」
「いや、それは何とか回避した。代わりに今までの貯金を全部吐き出したが」
「冬休み、自習しないといけませんね」
くすっと、綾咲が笑う。
こら、俺の成績が落ちたのはお前のせいなんだぞ。まったく、人の気も知らないで。
とはもちろん口に出せず、俺はむっつり顔をしかめた。
「あの、もし――」
と、綾咲が口を開きかけたところで、教室に備え付けられたスピーカーから電子音が鳴り響いた。
本日の授業は全て終了しているので、今からはホームルームの時間ということになる。
タイミングの悪さに彼女は少しだけ苦笑して、
「それでは、また」
「ああ」
軽く一礼して、自分の席に戻っていった。最後に何か言いかけていたみたいだったが、まぁいいか。必要なことなら後で聞けばいいだろう。
喧噪が飛んでいた教室が沈黙に包まれると同時に、担任教師が扉を開けて登場した。
教壇に立った教師からの連絡事項を聞き流しながら、ぼんやりと今日の予定を考える。
本日俺は中庭の掃除当番。綾咲はピアノのレッスンがあり、葉山は部活に顔を出すらしい。
三人の時間が合わないため、綾咲と一緒に帰宅するという放課後の労働は免除するとの通達が葉山から届いていた。
最初は仕方なく葉山の作戦に協力しただけのはずなのに、今は綾咲と会う時間が少なくなるのを残念に感じている。
一ヶ月前までなら想像も出来ないほどの、恐ろしいまでの変わりっぷりだ。ホント、どうしたもんかね。
「――起立、礼」
物思いに耽っているうちに、ホームルームは終了していた。号令通り挨拶を済ませると、みんな思い思いの方向に散っていく。
俺も鞄を持ち、立ち上がったところで、
「あ、篠原。ちょっと話が」
「さらばだ葉山また会う日まで」
声を掛けてきた葉山に別れを告げ、足早に教室を後にする。
さぁ今日は自由だぞぅ。ひゃっほぅ何をしようかなぁ。
「待ちなさい」
しかし人生はそう上手く運ばなかった。廊下を数歩も行かぬところで腕をがっしり掴まえられる。
振り向くとそこには予想通りというか必然というか、ポニーテールの少女が微妙に冷たい目で立っていた。
「話があるって言ってるのに、何で逃げるわけ?」
「急に葉山が来たので」
「何よその言い訳は」
呆れたように葉山がため息を吐く。くぅ、やはりこのセリフでは煙に巻くことは出来ぬか。
だけど『嫌な予感がしたから』とか本音を晒すと怒られそうだしなぁ。
……いや、同じか。
「取りあえず一緒に来なさい。ちょっと話したいことがあるから」
結局はこうなるんだろうし。
売られていく子牛のような気分で、諾々と葉山の後に続く。
あぁ、この哀れな子羊の運命やいかに。頑張れ子羊。負けるな子羊。わんぱくでもいい、たくましく育ってくれ。
あ、牛から羊へとクラスチェンジしているけど気にしないように。先生とみんなの約束だ。
などとどうでもいいことを考えているうちに、
「この辺でいいかな」
そう呟いて葉山が足を止めた。辿り着いたのは俺もたびたび利用する学生食堂、略して学食である。
学食は放課後も経営しているのだが、まだ授業が終わってそれほど経っていないため、周囲に人の気配はない。
料理人のおばちゃん達も奥に引っ込んでいるのか、姿が見えなかった。
うむ、一旦整理してみよう。
問1・この式の解を述べよ。
葉山+人気のない場所+話がある+嫌な予感=??
「ついに葉山がカツアゲのターゲットに俺を選択っ!?」
「んなわけあるかっ!」
「何故だ葉山! どうしてこんなこと! 本当に裏切ったんですか!?」
「こらそこ、いかにも私に何かされた的な演技しないように」
葉山は頭痛を感じているように額を指で押さえながら、盛大にため息を吐く。
「前々から聞きたかったんだけど、あんた私のことを一体どんな目で見てるわけ?」
「うーん、詩的に答えるなら、君の力は1万馬力・地上に降りた最後の戦士、だろうか」
「ふふふふふー、じゃあその1万馬力、全力で殴ったらどれくらいの威力か篠原の身体で実験してみましょうか?」
「葉山由理さんはどうしようもない俺の冗談をいつも受け止めてくれる、天使のように優しい女の子だと思ってます」
光の速度で手のひら返し。何か最近こんなスキルばっかり上達しているような気がするなぁ。うんわかってる自業自得だよね。
ミス・エンジェルから攻撃の意志が消え去っていくのを確認しながら、チラリと時計に目をやる。
うおおお、キッター!
支援
いつまでも時間を掛けると掃除当番に間に合わなくなってしまうし、そろそろ問題の解答を出題者に求めることにするか。
「で、だ。話とは何だ葉山よ。ん、待て。この状況…………もしや愛の告白っ!?」
「自惚れんな超絶ヘタレ」
「……泣いていいですか?」
ばっさりと斬り捨てられた。致命傷だった。心のトラウマ大辞典にくっきりと刻まれた一言だった。
ブラックホールの中心点と見間違うほど暗いオーラを纏った俺に、流石に葉山も反省したのか、幾分か優しい声を掛ける。
「いつまでもぐちぐちしないの。それより、これ」
なんてことは当然なく、いつも通りのさっぱりした口調で何かが目の前に差し出された。
反射的に受け取り、まじまじと見つめる。手渡されたのは二枚のチケットだった。
「白岡シーズンランド無料招待券?」
白岡シーズンランドとはこの街から電車で数駅離れた場所にある遊園地である。
全国的に話題になるほどのアトラクション等は無いが、地元の人間には家族サービスやカップルのデートなどに利用されており、そこそこ賑わっているらしい。
「ここにお前と一緒に行けと?」
「正確にはみんなと、だけど。それ団体チケットだから」
確かにチケットには『本券一枚で四名様まで入場できます』とあった。
……何か話が読めてきたような。
「うちの父親からの貰い物なんだけどね。せっかく大勢で行けるんだし、終業式終わったらさ、暇な連中誘って遊園地で打ち上げしようって思って」
嫌な予感を裏打ちするように、葉山が続けてくる。
終業式が行われるのは12月24日。子供が夢を膨らませ、カップルは寄り添い、独り者は呪詛を吐くクリスマスイブである。
「まだメンバー全員は決まってないけど、あんたは参加ってことで」
当然のように葉山はそう告げて、最後にそれがいかにも自然なことのように付け加えてくる。
「もちろん優奈も誘ってるから」
一瞬、心が揺れた。だが俺は動揺を無理矢理押さえ込み、何気ない風を装う。
「俺の意志は無視か?」
「都合悪いの?」
きょとんとした顔で葉山が聞いてくる。俺が参加することは決定事項だったらしい。
葉山め、俺を相当な暇人だと思っているな。いいだろう、奴にこの世の真実を教えてやろうではないか。
「貴様は知らんだろうが、俺様はとても多忙を極めているのだ。
その日も炊事洗濯掃除からゲームのレベル上げまで、分刻みのスケジュールが組まれている。具体的に言うならお金がありません」
胸を張って暴露する。まぁ金欠なのはいつものことだけど。
このチケットは入場料は無料だが、アトラクションの類には普通に金が掛かるのだ。
先立つものが無い俺としては、このイベントの参加は厳しいと言わざるを得ない。
だが葉山は俺の説明にまったく動じず、
「それくらい大丈夫でしょ。今月は結構余裕って聞いたけど?」
そうあっさり返す。
「何故お前が俺の預金残高を知っている!?」
「あんたが自分で吹聴したんでしょうが。『期間限定ブルジョワジー篠原』って」
まさかそんな凡ミスを犯していたとはっ! くそっ、口は災いの元とはこのことか!
「それに少しなら私が貸してあげてもいいわよ。無利子無担保で」
「そこまでしなくていいけど……でもなぁ」
葉山の申し出をやんわりと拒否しながら、しかし俺ははっきりと答えを出せない。
正直に告白するなら、葉山の言う通りなのだ。
今月は彼女が用意した弁当によって昼飯代が浮いたため、遊園地に遊びに行くくらいの余裕はある。貯金を使う予定もないから、この計画に乗ったって構わない。
なのに俺が二の足を踏む理由、それは。
『もちろん優奈も誘ってるから』
綾咲優奈の存在だ。
本音は、行きたい。綾咲と一緒にいたい。同じ場所で同じ時間を過ごしたい。
けれど、怖い。離れていたい。近付きすぎれば、決定的な何かを決めてしまうことになるのかもしれないから。
もう自分で自分がよくわからない。どうしたいのか、この気持ちは何なのか。
濁流に呑まれた木の葉のように、思考がぐるぐるさまよっている。
「別に家で財布と相談してもいいけど。あと一週間あるんだし」
迷いを見て取ったのか葉山がそんな提案をするが、俺は小さく首を横に振った。
結論を先延ばしにしても、何も変わらないだろう。結局時間ぎりぎりまで悩んで、焦燥感に胸を灼かれるだけだ。
なら、ここで決めてしまえ。
一度、綾咲の姿を強く心に思い浮かべてから――
俺は答えを口にした。
(後編・つづく)
328 :
2-57:2008/12/14(日) 00:55:56 ID:3/3CSYSb
憶えていられた方、待っていられた方、忘れていた方、お久しぶりです。
初めての人は初めまして。
またもや言い訳出来ないほどの月日が流れてしまいました。
お待たせして本当にすいません。
しかも『次で一応の決着』と言ってたのに終わってません。ごめんなさい。
あと支援くれた
>>326さん、ありがとう。
というわけで今回は後編・導入部です。
残りは後日、3〜4回程度に分けて投下することになるかと。
というか中編よりも少ない分量で済む予定だったのが何故こんなに増えてるんでしょう。
世の中は不思議がいっぱいですね。
次の舞台はあの場所です。
それではまた、近々。
おお帰って来たー。
GJです。
うおおおおおおおおおおおおおおおおかえりなさいいいいいいいいいいい!!!!
篠原くんや綾咲さん、ユーリーにまた会えるなんて……ヤバい、嬉しすぎる
この独特のユーモアセンス、軽妙な言い回し、読みやすくも繊細な文体、相変わらず面白いぜ!
篠原、今回は平均付近すらさまよえない鎧かw
GJです!続きに大期待
God Job!
Q(急に)H(葉山が)K(来たので)と期間限定ブルジョワジー吹いたw
GJ!!
近々って言葉、信じてますからね…
今日久しぶりに生きてて良かったと思えた
これが投下されるのを読むたびに待っていた甲斐があったと思う
近々ということは今度こそクリスマス決着が実現…か?
335 :
2-57:2008/12/22(月) 02:06:04 ID:kwybWZj3
というわけで近々参上。
タイトルは『Can't Stop Fallin' in Love』です。
キャラの名前の読みを。
秋田 小町(あきた こまち)
日野 ひかり(ひの ひかり)
笹木 貴子(ささき たかこ)
今回はちょっと長めです。では、投下。
空は憎らしいくらい晴れ渡っていた。けれど漂う冬の空気は、身を竦めてしまうくらいに冷たい。
俺は愛車を駅近くの駐輪場にチェーンで繋ぎながら、朝に見たお天気キャスターの言葉を思い出した。
夕方までは晴れだが、日が沈む頃には少し機嫌を損ねる可能性有り。今日は全体的に冷え込むので、もしかしたら雪が降るかもしれない――
「ホワイトクリスマス、か」
何とはなしに呟いて、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、歩き出す。
目指す場所はすぐそこにある駅前広場。
俺達と同じように待ち合わせしている奴らがちらほらいたが、その一団はひどく目立つため、遠目でもすぐに見分けることが出来た。
俺が広場に到着すると相手もこちらに気付いたらしく、ひとりの少女がブンブンと手を振ってくる。
「おーい、しのっちー。こっちこっち」
人数を数えると、どうやら俺が最後だったらしい。遅刻者がいないとは、なかなか優秀なメンツと言える。
まもなく集団に合流すると、手を振っていた少女が待ってましたとばかりに不満を口に出してきた。
「しのっち遅い。遅刻ギリギリ」
茶色がかった髪を肩より少し伸ばし、ヘアアクセサリーで飾ったこの少女の名は、秋田小町。ノリの良さと気安さが売りのクラスメートである。
「うむ、待たせたようだな皆の衆」
「うわ。滑り込みセーフのくせに一番偉そうですよ、この人は。何様のつもりか」
この野郎。普段は自分が遅刻する事が一番多いくせに、ちょっとビリを逃れたと思ったらここぞとばかりに攻撃してきやがる。
だが俺はそんなことで怒り狂うほど心の狭い男ではない。余裕の態度でさらりと受け流してやる。
「ふっ、真打ちは最後に登場するものなのだよ」
しかし秋田の隣にいた葉山がそれを聞いてニヤリと笑い、
「そう。それじゃあ今日のお昼ご飯は真打ちさん持ちってことでよろしく」
「すごいじゃん、しのっち太っ腹ぁ」
「貴様ら俺に年を越させないつもりか!?」
とんでもない罠に嵌められそうになった。まったく油断も隙も無い。
と、そこで俺の背中がポンと叩かれる。
振り向くと、ウェーブのかかった髪をショートにした小柄な少女がこちらを見上げていた。そしていつも通りの抑揚のない声で告げる。
「大丈夫。シノラーにそんな甲斐性誰も期待してないから」
「実際口に出されると傷つくからそこはさり気ない優しさを混ぜてください。つーかシノラー言うな」
俺の控えめな要求に彼女――日野ひかりは了解というように何度か頷いた後、
「パン買ってこいやシノラー」
「優しさカケラもねぇ!」
やっぱり苦手だこいつ。綾咲とは別の意味でペースを崩す達人だ。
というか、何で遅刻もしていないのにここまで好き放題言われなきゃならんのか。この世に情けはないのか神は死んだのかそうなのか。
「ほら、騒いでないでそろそろ行きましょう?」
救いの手は意外なところから差し伸べられた。
事態を収拾しようと腰に手を当ててその声を発したのは、はっきりとした目鼻立ちの、きびきびとした動作が印象的な女の子。
額を隠すように流した前髪をヘアピンで纏め、腰まである長い髪を揺らしている。その姿にはファッション雑誌のモデルになりそうなほどの華があった。
彼女こそ我が2年D組委員長、笹木貴子その人である。
「委員長の言うとおりだ。貴様ら全員反省するように」
「あ・な・た・が、一番反省なさい」
ギロリと睨まれた。
馬鹿な俺は被害者だぞ! と身の潔白を訴えようとしたが、笹木の口元が怒りに歪んでいるのを見たのでやめておく。
実は彼女、いつも俺に対してこんな感じである。どうも嫌われてるっぽい。
笹木とはほとんど喋らないし、何かした覚えもないんだけどなぁ。うーむ、謎だ。
そんな学校という閉鎖環境で形成される人間関係に思春期の少年らしく悩んでいると、秋田がひょっこり顔を出した。
「キーコ、あんまりしのっち虐めると可哀想だよ」
こいつ、自分が火付け役なことをすっかり忘れてやがる。
「虐めてません。正当な意見を述べたまでです。それに今から昼食を食べに行くんでしょう? 早くしないと、どこも満席になってしまうわよ」
「ちょっと話してただけじゃん。そんなに急ぐことないのにー」
諭す笹木に、秋田は子供みたいに口をとがらせてブーイングする。が、突然何か思いついたようにニヤリと笑った。
「キーコ、そんなにお腹すいてるの?」
「ちっ、違うわよっ」
笹木が慌てた口調で否定した瞬間、ぐぅっという小さな音が、しかしはっきりと我々の耳に届いた。
「…………っ!」
笹木の顔が羞恥に染まる。
発信源は明らかだった。
「わお。お約束ぅ」
「乙女の秘密ぅ」
秋田と、いつの間にか参戦してきた日野の茶化しに、笹木の顔が限界まで赤く染まる。
そして小刻みに肩を震わせ――
「ふ、ふふふふ…………こまち〜、ひかりぃ〜っ!」
爆発。広場にいた人々が全員振り向くくらいの大爆発。騒ぐなと注意していたあなたはどこへ消えたのですかと問いたいくらいの大音量だった。
「ほらキーコ、声が大きい注目されてるよー」
「どうどうどう」
すかさず秋田と日野は慣れた様子で笹木を宥めに入る。その手付きは一切の無駄が無く、まさに職人の仕事と評して差し支えない。
というかお前らいつもこんなことやってるのか。いやもう何が何だか。
取りあえず他人のフリをしておこうと秋田達から距離を取る。
かしまし娘たちの漫才を見物しながら昼飯はもう少し時間が掛かりそうだなぁとぼんやり考えていると、スッと俺の隣に並ぶ影があった。
「賑やかになっちゃいましたね」
微笑みかけられた途端、全身に緊張が走る。俺は悟られぬよう小さく深呼吸し、充分に間を取ってから彼女に同意を返した。
「まったく、一体いつまでやるんだか。いや俺とあの三人は何の関係もない赤の他人ですけどね?」
「篠原くん、その言い方はひどくありません? 友達は大事にしないといけませんよ」
綾咲優奈は言葉の内容とは裏腹のからかうような口調で、いつものように俺の瞳を覗き込んできた。
俺は顔と胸の奥が同時に熱くなる錯覚をやり過ごしながら、まだわいわいやってる三人組を指し示す。
「よし綾咲、あいつらのそばに行って『私はこの人達の友人です』と宣言してこい。俺はここで見守ってるから」
「それは遠慮しておきます」
俺の提案を控えめに、だがきっぱりと却下して綾咲は姿勢を戻した。困ったように秋田達を見つめるその姿に、俺はチラリと視線を送る。
黒のタートルネックに落ち着いた色のワンピース。コートと頭に乗せたベレーを同色の赤で合わせ、足はブーツで飾っている。
鮮やかな色合いが彼女にとてもよく似合っていて、思わず見とれそうになって慌てて目を逸らす。
私服姿の綾咲を見るのは初めてだったので、何だか落ち着かない。
そう、今回は全員私服集合なのだ。
冬休みに向けての心構えをたっぷり聞かされた終業式。
その直後に制服姿で遊んでいるところを教師にでも見つかったら流石にお説教は免れないだろう、という判断が下されてのことである。
昼間なら別に注意程度で済むだろうが、日が落ちてからだとややこしいことになるし。
そんなわけで自宅に着替えに戻る時間を考慮した結果、集合時間は12時ちょうどに決定。
ついでだから遊園地に入る前にみんなで昼飯を済ませてしまおうという魂胆だ。
このままだと昼食にありつけるのはいつになるかわからないが。
「貴子、もうそのぐらいにしたら?」
と思っていたら、あの大騒ぎしている集団に率先して関わる勇気ある人が登場。
パンツスタイルとコートに身を包んだ葉山由理が、呆れの混じった表情で笹木の肩をやんわりと押さえていた。この惨状にいい加減痺れを切らしたか。
「うう〜、ううううう〜〜〜」
笹木はしばらく涙目で子供のような唸り声を上げていたが、やがて徐々に落ち着きを取り戻していった。さすがは葉山、見事な手腕である。
などと感心していると、隣にいた綾咲が急に一歩前へ出た。そして俺を肩越しに見上げながら、
「そろそろ集まらないと、怒られちゃいますね」
くすっと笑う。
「というか既に怒ってるような気がするんだが」
実は事態が収束に向かったあたりから、葉山が『さっさとこっちに来なさい』とでも言うようにこちらを睨み付けているのである。
目の錯覚だったらいいなぁと思いつつ、気がつかないフリでやり過ごそうと考えていたのだが、やはり無理だったようだ。
というわけで葉山よ、騒ぎの後始末をお前に押しつけたのは謝るから、その鋭すぎる眼光はやめてくれ。生きてる心地がしないから。
「では、一緒に怒られに参りましょう、篠原くん」
「勘弁してくれ」
何故か楽しそうな綾咲にため息と共に返して、俺は彼女の隣へと足を踏み出した。
そんなこんなで昼食を取るべく向かった先は、バーガーショップだった。
昼飯の選択としては無難なチョイスである。俺達くらいの歳でハンバーガーが嫌いな奴はあまりいないだろうし、値段も程々、客層も男女問わない。
昼食を何処で済ませるか皆で相談したときも、この提案には誰も反対はしなかった。
だからといって、問題がゼロだったわけでもないのだが。
まず店内が混みあっていて六人席が確保できなかったため、四人と二人のグループに分かれることになった。
ちなみに内訳は葉山と綾咲で一つ、残りでもう一丁。
これはいい。店に入った時刻が昼飯時まっただ中であったため、充分予想できた事態だ。
問題はその次、席順だ。陣取った四人席には俺、その隣に秋田、左斜めに日野、そして、
「………………ふんっ」
真正面に我らが委員長、笹木貴子。イッツ予想外。つーか誰だこの配置にしたのは。
俺が彼女に嫌われていることを知らない奴はこの中にいないはず。つまり犯人はこの中にいる!
というわけで俺は犯人を捜すべく、慎重に容疑者達に探りを入れていく。まずは呑気にバーガーを口に運んでいる小娘からだ。
「どしたの、しのっち? 食べないの?」
違う。こいつはシロだ。続けて日野を見ると、何故かピースサインをしている。
犯人は目の前にいた!
「動機は『そっちの方が面白そうだったから』。アイアム愉快犯」
「貴様の仕業かっ! そして心を読むなっ」
「篠原がわかりやすいのがいけない」
「くっ、清廉潔白・公明正大・正直三昧に生きてきたことが仇になったか」
「うわぁ……。ここまで自分を客観視できないヒト初めて見た」
秋田が微妙に冷たい視線を送ってきたが、それは気にしないことにする。
取りあえず黒幕は見つかったので、すっぱりと探偵は廃業。目の前のチーズバーガーセットを攻略するとした。
「せめて本田と松下の奴らがいれば……」
バーガーの包みを開きながら、そんな愚痴をこぼす。
そもそも本日遊園地に行くメンバーは女子五人に男子三人の予定だったのだ。それが野郎どもが当日にキャンセルしたため、男は俺一人に。
両手どころか抱えるほどに花いっぱいと言えば聞こえはいいが、肩身が狭いったらありゃしない。恨むぞちくしょう。
「ま、仕方ないんじゃない。あの二人の性格考えたら」
「秋田、あいつらがドタキャンした理由知ってるのか?」
ポテトを口に運びながら発した俺の問いに、秋田はきょとんと瞳を向けてくる。
「あれ? しのっち聞いてないの?」
俺が頷いたのを確認すると、秋田は一旦ジュースで唇をしめらせてから、微妙に呆れたような顔で話し始めた。
「あー、本田ってさ、カノジョいるじゃない?」
「ああ、知ってる。あいつはことあるごとに他人に自分の恋人の可愛さを説こうとするからな」
「うん。ぶっちゃけあれウザイよねー」
思い出しでもしたのか、秋田が辟易したようにため息を吐く。
そう、本日参加予定だった本田には恋人がいる。
では何故クリスマスイヴを彼女と過ごさず、この独り者達のイベントに参加予定だったのかというと、
彼女のバイト先がケーキ屋だから、というのがその答えだ。
――知り合いの店だしいつもお世話になってるから、一番の書き入れ時に休むわけにいかないの。クリスマス一緒に過ごせなくてごめんね。
『彼女そう言うんだよオイ! な、健気だろいい娘だろぉっ!
それで、俺がそんなに忙しいなら手伝おうかって言ったら、なんて答えたと思うよオイ篠原ぁっ』
『知らねーって』
『ううん大丈夫。私のことはいいから、クラスの人たちと楽しんできてよ。その代わり、ケーキが売れ残ったら全部買ってね――――って!
なんていい娘なんだ最高の彼女だぁっっ!!』
『お前それはきっと騙されてる!』
回想終了。うん、同感。確かにあれはウザかった。
「もしかしてその彼女に何かあったとか?」
病気とか怪我とか。それなら予定をキャンセルしたのも納得がいく。
しかし秋田は首を振り、
「『ごめんやっぱり人手が足りないから手伝って』って言われたらしいよ」
「やっぱあいつ騙されてないか?」
「あ、人数は多い方がいいからって松下も連れてかれた」
「哀れな……」
上背もあり、がっしりとした体つきなのにどこか呑気なクラスメートの姿を思い浮かべ、俺は同情の涙を禁じ得なかった。
「いいんじゃない。本田に『そこの客層は熟女と未亡人が多い』って吹き込まれたら、むちゃくちゃ乗り気になってたし」
「…………あいつもあれさえなければ……」
同年代の少女には目もくれない松下の趣味を思い出し、嘆息する。
まぁ他人の好みをどうこう言うつもりはないが、熟女が絡むと暴走するのは何とかしてほしい。
「つまりは奴らを今から呼び出しても無駄ってことか」
憂鬱な気分で頬杖を突いた俺に、秋田はニカッとした笑顔を見せる。
「いいじゃん、しのっち。オトメ五人を独り占め。両手に花でハーレムだよん。嬉しくない?」
「この状況をハーレムと表現するにはかなりの抵抗があるぞ」
「ほほう、つまり本命は一人だと」
今まで黙々とバーガーを消化していた日野が口を出してくる。
綾咲のことを指しているのかと思って一瞬ドキッとしたが、日野の声にそんな含みはない。
どうやらいつもの軽口のようだ。
「そうなんだ。で、しのっち、本命は誰なの? 綺麗な花はいっぱい咲いてるけど」
「立てば芍薬座れば牡丹、歩く彼女は葉山由理。優雅な優奈はお嬢様。小町よお待ちよお友達?
笹の葉さらさら、貴子に揺れて。綺麗なバラには刺がある、ひかり浴びれば色は付く。
よりどりみどりの色とりどり。あなたのお好みどんな子のみ?
四の五の言わずに腹をくくれよ男なら」
「あー、こらこら待ちなさい」
畳みかけてくる二人の勢いを手で制してから、一つ咳払い。
腕を組んでふんぞり返り、たっぷり間を置いてから、俺は口を開いた。
「確かにこのナチュラルダンディ篠原に憧れる君たちの気持ちはよくわかる」
「こまち、唇にケチャップ付いてる」
「うそっ、どこに?」
ここにきてまさかの超絶スルーだと!? ちょっとそれはひどくないっすか?
いいや諦めるな篠原直弥。勝負はまだ決まっていない。今こそこの世間知らずの子猫ちゃん達に俺のダンディズムを見せつけてやるときだ!
「ヘイ、そこの礼儀知らずのベイビーちゃんよぉ」
「違う、逆」
「ホントだ。サンキューひかり」
「………………」
な、泣いてなんかないんだからっ! 悲しくなんてないんだもんねっ!
傷ついたハートを強がりのセリフで隠しながら、心持ち猫背でもそもそとポテトを頬張る。ちくしょう、今日のポテトはやけに塩っ辛いぜ。
目の端に浮かんだ涙をこっそり拭き取りながら、芋の食感と世間の冷たさを味わっていると、偶然にも正面に座っている女性と目が合う。
いや、それは偶然と言うべきなのか。そもそも向かい合っているのにこれまで一度も目が合わなかったということ自体、不自然だったのだから。
「ふんっ」
ぷいっと擬音が聞こえてきそうなほど露骨に笹木は顔を逸らした。うーん、嫌われてるなぁ。何か悪いコトしたっけ、俺?
いくら考えても答えは出ない。しかし、だからといってこのままでいいのだろうか。
たかが学生されど学生、馬鹿には出来ないこの小さな社会。円滑に人生を過ごしていくためには人間関係が良好であるに越したことはない。
俺自身笹木が嫌いなわけではないし、ここらでひとつ関係の改善を試みてみよう。せめて嫌われている理由だけでも探り出したい。
と、いうわけでコミュニケーション開始。
「笹木、聞きたいことがあるんだけど」
「…………何かしら?」
「いえごめんなさい何でもありません」
思わず光の速度で目を逸らしてしまった。だって睨むんだもん、彼女。
だが踏ん張れ俺、挫けるな俺。ここで挫折するのは容易いが、それでは今までと何も変わらない。
そう、人間は日々進化していくのだ。明日への成長のため痛みに耐え、希望をこの手につかみ取れ!
「おおー、まさかのキーコ狙いとは。しのっち頑張るぅ」
「ツンデレスキー? むしろM?」
好き勝手騒いでいる外野を渾身の精神力で黙殺して、笹木に再挑戦を申し込む。
「よくバーガーショップとか来るのか?」
いきなり『俺を嫌っている理由を教えてくれ』とは聞き難いので、まずはマイルドな話題から。
しかし笹木からの答えはない。取り付く島もないか、どうすりゃいいんだ。
「……………………ふぅ」
心の中で白旗を上げる準備を始めていると、彼女がため息をひとつ吐く。
そしてドリンクで喉を潤してから、不本意な様子がありありと見て取れる態度で、口を開いた。
「たまに。小町やひかりと一緒の時にはよく使うけど、一人では滅多に入らないわ」
わがままを無理矢理諭された子供のような口調だが、それでも会話には違いない。嫌いな相手だろうが質問には答えるところが笹木の律儀さを表している。
とにもかくにも一歩前進。しかしこの空気ではこれから会話を弾ませることは難しい。というわけで助っ人を頼るとしよう。
「じゃあ三人の時はいつもファーストフード?」
救援陣に目配せすると、二人は了解と小さく頷く。
さすがは笹木の友人、彼女の人間関係を円滑にするための協力は惜しまない――というわけではなく、面白そうだから乗っただけだろう、きっと。
「手頃だし」
「たまに喫茶店も行くけどね。しのっちはあんまり来ないの?」
日野が受け、秋田が話を振ってくる。実に見事なコンビネーション。毎日仲良くお喋りに興じているのは伊達ではないということか。
うむうむ、いい感じだ。俺は満足げに頷きながら、話題を膨らましていく。
「来たくても来れない金銭的事情というものがあるのですよ世の中には」
「そんなもったいぶらなくても金銭的って言ってる時点でばれてるから」
三人の醸し出す雰囲気に少しだけ笹木の顔が和らいでる様な気がした。いや、錯覚かもしれないけどさ。でも悪い方向には行っていないだろう。
よし、このまま軽やかな場を維持しつつ、笹木とゆっくり打ち解けていくとしよう。
そんな決意をしながら、俺は秋田に言葉を返す。
「まぁ贅沢と贅肉は一文字違いで紙一重だからな」
――――瞬間、空気が凍った。
「篠原……」
「しのっち……言うてはならんことを」
フライドポテト(高カロリー)を口に含んでいた日野、チーズバーガー(高カロリー)を手にした秋田の絶対零度の視線が突き刺さる。
笹木は目を伏せたまま、無言でオレンジジュース(高カロリー)の容器を握りしめた。
あれ? 笹木だけでなく恐ろしい勢いで女性陣の好感度が下がってますよ?
いや、俺もあれが失言だったってとっくに気付いているんだけどね。残念ながら既に後の祭り。和やかな雰囲気は粉微塵に消し飛んでいた。
やがて食事が再開されたが、みんな一言も喋らずまるでお通夜のようだった。
いや、秋田だけは「明日からはおやつ禁止おやつ禁止」などとぶつぶつ呟きながらポテトを貪っているが。
声を掛けると命が無くなりそうなので、そっとしておこう。つーかみんな、正直すまん。
さて肝心のターゲット笹木であるが、また表情が頑ななものに戻ってしまっている。
二人のヘルプは望めそうもないし、仕方ない、俺一人で何とかするしかないか。いや、俺のうっかり発言が原因なんだけどさ。
「あー、笹木?」
「…………ふんっ」
取りあえず声を掛けてみるが、すげなく無視された。しかしこのくらいで諦めるのは早すぎるので、懲りずにアプローチを続けるとする。
「もしもーし、笹木さーん」
「……………………」
「へんじがない。ただのしかばねのようだ」
「誰がっ!」
笹木は叫びと共に一瞬立ち上がり掛けたが、すぐに我に返って周囲の視線が集まっていることに気付くと、耳を真っ赤にしながら腰を下ろす。
そのまま唇を噛んで、俺を思いっきり睨み付けてきた。うーむ、さっきよりも態度がきつくなっている気がする。当たり前だけど。
つーか痛い痛い視線が痛い。
生きた心地がしないまま、味の感じられないハンバーガーを口の中に放り込み、包装紙を手の中で丸める。
あー、万策尽きたか。こうなった以上人間関係の改善はひとまず保留して、嫌われている理由だけでも聞いてみよう。
「あのさ、俺って笹木に嫌われるようなことした?」
「別に」
直球ストレートで勝負してみるが、にべもない返事で打ち返される。ちくしょう負けるもんか。
「せめて理由を教えてくれると助かるんだけど」
「だから特別あなただけを嫌ってなどいません。考え過ぎじゃないかしら」
「そんな態度で言われても説得力ナッシングですよ、おぜうさん」
「…………っ、ち・が・い・ま・す!」
力の限りに否定してから、笹木はもう一切喋らないというように、目と口を閉じてしまった。うーん、困った。取っかかりさえ掴めない。
「というか今日はいつもよりキツイような……」
普段怒られることは多いが、会話を拒否されるというのはほとんど記憶にない。
いつの間にか笹木の俺に対する憎しみがアップしていたのだろうか。やだなぁ、それ。
陰鬱な想像に気を滅入らせていると、カロリーショックから立ち直った日野がひょいっと顔を出しながら、仮説を説明する学者のように指を一本立てる。
「駅前で篠原におなかの音を聞かれたのが恥ずかしいから、照れ隠しに怒ってるだけ」
「なっ!」
驚愕の声と共に、笹木は弾かれたように立ち上がった。
蹴飛ばされた椅子が派手な音を立てて周囲の注目を集めるが、笹木はそれらを一瞥もせず、金魚のように口をぱくぱくさせている。
どうやらそれどころじゃないらしい。
「ばっ、ひか、ち、ちがっ、ちがうっ!」
顔を耳まで真っ赤にしながら裏返った声で否定するが、それが無駄なのは誰の目にも明らかだった。
日野がにやりと笑って、
「ひょっとして、大胆図星?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
笹木は声にならない悲鳴を上げ、更に顔を真紅に染めた。
おいおい大丈夫か興奮しすぎると体に良くないぞ、などと的の外れたことを考えていると、笹木は突然涙混じりの双眸でキッと睨み付けてきて、
「あっ、あなたのせいよっっ!」
ビシィ! と指を突きつけてくる。呆気にとられて彼女の表情を眺めるだけしかできない俺に、笹木は更にエキサイト。
「いっつも不真面目で、人のこと馬鹿にしてっ! どうせさっきのこともからかうんでしょうっ!?」
捲したてられた中に『笹木が俺を嫌う理由』が見えた気がして、あぁなるほどと納得してしまった。身に覚えがあり過ぎるわ。
笹木を特にからかった覚えはないのだが、根が真面目な彼女はそう受け止めてしまったのだろう。反省、これからは気を付けよう。
「聞いているのっ、篠原っ!」
ところでこの大魔神のお怒りをどうやって鎮めればいいんだろうか。
現実逃避気味の思考を打ちきって、目の前の少女を見上げる。
残念ながら俺には怒る女性を宥めるスキルが皆無なので、対応策がまったく浮かばない。
いや、一つだけあるか。ひたすら謝るっていう悲しい選択肢だけど。でもそれしかなさそうだなぁ。
「キーコ、それくらいにしとこ、ね?」
と、額をすり減らす覚悟をしたところで、秋田が笹木をやんわりと抑えに掛かる。
遅れて日野も続き、笹木の怒りがわずかだが緩んだ。おお、いいぞ頑張れふたりとも。
二人は子供をあやすように手をひらひらさせながら、
「ほらほら、あんまり怒るとおデコにシワ寄るよー、キーコ」
「どうどう、あんまり怒るとおデコから湯気出るよ、キーコ」
「まぁまぁ、あんまり怒るとデコが広がるぞ、デーコ」
しまったつい流れに乗ってしまった!
「ふ、うふふふふふふふ……………………」
後悔先に立たず、時既に遅し。不穏な笑みと共に笹木が肩をぷるぷる震わせていた。
「うわ、しのっちそれ禁句」
「キーコ結構気にしてるのに。おデコの話題は地雷原」
「お前らも似たようなこと言ってたろっ! つーか最初から止める気なかったな!?」
そして――
「し・の・ふぁ・らぁぁぁぁっっっっ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
大爆発。腹の底から噴き上がる絶叫は、恥も外聞も吹き飛んだ、高純度の怒りの迸りだった。
しかし何で俺だけ名指しで。そんな反論をする間もなく、
「デコ言うなぁぁぁぁぁっっっっっっ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
笹木が叫ぶ。
彼女の瞳に涙がいっぱい溜められているのが見え、さすがに申し訳なくなる。
それと同時に他人に空腹の音を聞かれたのを気にしていたり、照れ隠しに怒ったりする彼女の姿を思い出し、
笹木をからかう秋田と日野の気持ちがちょっとだけわかるような気がした。確かにこれは楽しいかもしれない。
「落ち着け笹木っ! デコ、じゃなかった頭を冷やせっ!」
「うるさいうるさい覚悟しろぉ――――――っ!!」
後のことを考えなければ、だけど。
俺は頭をフルスピードで回転させて、笹木を宥める手段を探し――結局、大人しく心の中で十字を切った。
ゲートをくぐり抜けると、最初に聞こえてきたのは子供の歓声だった。続いて底抜けに明るい音楽と、アトラクションの音。
辺りに目をやれば笑顔を振りまく親子連れと、寄り添うカップルが視界に飛び込んでくる。
俺達のような男女数人のグループもちらほら見かけるが、カップルの数が一番多いのは、やはりこのクリスマスイブという日のせいか。
まぁこの遊園地の普段の客層なんて知らないから、今日が特別カップルが多いのかどうかなんてわからないわけだが。
昔はどうだったか記憶を甦らそうとして、すぐに打ち切る。
過去に一度だけここに来たことがあるが、子供の頃の話だ。周りのことなんて覚えちゃいないし、そもそも記憶自体があやふやな気がする。
益体もない考えと行き交う人の流れから目を切ると、ちょうど葉山がやってくるところだった。
これで全員、白岡シーズンランドへの入場を果たしたことになる。
「お待たせ。それじゃ行こうか」
葉山の言葉を合図にぞろぞろと動き出す。
既にゲート前の話し合いで、だらだらと歩きながら気に入ったアトラクションを見つけたらそれに乗ろう、という計画性皆無の行動方針が満場一致で決定されていた。
俺は葉山達とつかず離れずの距離を保ちながら、ゆっくりと足を進めていた。
何故そんなことをしているのかというと、長時間女子の中に男一人だったので、気疲れした――というのは建前で、
実は笹木の怒りがまだ完全に冷めていないからである。流石に殺気をガシガシぶつけられながら遊園地をエンジョイ出来るほど俺は神経が太くない。
というわけで一人寂しくとぼとぼ歩く。
前方から時折聞こえてくる笑い声に周囲の人間の、主に男性の視線が注がれる。
そりゃそうだろう。知り合いであるという贔屓目を抜きにしても、これほど華やかな集団はなかなかない。
その中で最も目を惹いているのは、やはり綾咲だった。
ただそれは容姿の優劣とかそういう話ではなく、普段見かけることのないお嬢様という存在の珍しさがあるのだと思う。
では何故初対面の人間が彼女をお嬢様だと直感するのか。もちろん綾咲の雰囲気や言葉遣いも理由の一端だけれど、それとは別の大きな要素がある。
彼女と他の娘との決定的な違いはその佇まいだ。
姿勢や食事の仕方はもちろん、何気ない仕草ひとつ取ってみても、綾咲のそれは洗練されている。
恐らく幼い頃から親か、または専門の講師に徹底的に叩き込まれたのだろう。
そんなきちんと礼儀作法を受けた人間を目にする機会など俺達一般人には滅多にない。だから興味を引かれ彼女に視線を送ってしまうのであろう。
まぁ綾咲もいつもは道を歩くだけでここまで目を向けられることはないのだが、今回は一緒にいるメンバーにつられる形で注目度を上げているのだ。
クリスマスの遊園地で同い年の女子が五人集合して騒いでいる。しかもみんな結構レベル高いし、そのうち一人はお嬢っぽい。そりゃみんな見るわ。
しかしホント目立つなあいつらは。さすがに五人もいると……、
「ん?」
ひいふうみいよう、一人足りない。いつの間にか大輪の花から色がひとつ消えていた。
あやつめ何処に行ったのやらと左右を見回していると、
「ねぇ、しのっち」
背後から声が掛けられる。それは捜していた人物のもので、俺は振り返らずに彼女の名を呼んだ。
「どうした、秋田小町」
「フルネームで呼ぶな」
秋田小町が不満そうに口をとがらせながら、隣に並ぶ。俺は少しだけ足並みを遅くして、葉山達との距離を大きく空けた。
それを待っていたように、秋田が口を開く。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何だ? 秋田こめち」
「米言うなっ。ぶっとばすぞこんにゃろ」
秋田は憤慨したようにふんっと鼻を鳴らすと、脇腹に一発拳を放ってきた。しかし俺は平然とそれを受け止めて、逆に勝ち誇ってやる。
「ふはは、甘いわ温いわ効かぬわ。常に葉山の暴力の渦に晒されているこの身体、貴様ごときの攻撃など蚊に刺されたようなものよ」
「しのっち、それ全然自慢になんないよ」
勝利したはずなのに秋田が呆れと同情の入り交じった顔で見つめてくるのは何故だろう。悲しい気分になっているのはどうしてだろう。
深く考えると落ち込みそうな気がしたので、すっぱり思考を切り替えて彼女を促す。
「で、何が聞きたいって?」
「しのっちってこういうときの立ち直りホント早いよね」
感心しているのか馬鹿にしているのか複雑な感想を漏らしながら、秋田は自分の爪先に視線を落とした。
「ま、いいや。ところでさ……」
そして一旦言葉を切って、チラリと俺を見上げてその問いを発する。
「しのっちとゆーなって、付き合ってんの?」
「……………………は?」
ひらがなが一文字、真っ白になった脳髄からこぼれた。
えーと、何を仰っているのですかこの小娘は? 何を見てどのように判断してそういう結論に至ったのだ?
いや混乱するな俺、まずは否定だ。人々には常に正しい情報を。それこそが誤解のない世界への第一歩だ。
「いや、んなわけないって。見りゃわかるだろ?」
あまりに意外な発言に脳がフリーズしかかっていたが、強引に再起動する。
そして秋田に正しい事実を認識させるため諭すように返した言葉は、
「ま、そだけどね。最近急に二人仲良くなったみたいだから一応聞いてみました」
拍子抜けするくらいあっさりと肯定された。
つーかそれだけか。ものは試しに聞いただけなのか。
俺はがっくりと肩を落とし、ため息を吐く。
もしかしたら秋田は俺の綾咲への気持ちを見抜いていて、その確証を得るためにこんな質問をしたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
まったく、人騒がせな奴め。
「第一そんなことあるわけないだろうが。だってあいつは――」
他に好きな奴がいる、と口にしかけてすんでの所で飲み込んだ。
他人の秘密を勝手に喋るわけにもいかないだろう。反射的に別の言葉にすり替える。
「お嬢だぞ」
けれどそれは意識せずに発したからこその、本心かもしれなかった。
彼女に告白しない理由。この想いを誰にも打ち明ける気がない理由。
綾咲に好きな相手がいるというのは理由のひとつであって、全てじゃない。
きっと俺は怖いんだろう。もし何らかの幸運で彼女の隣に立てても、釣り合いがとれるとは思えない。その事実を想像するだけでも怖いのだ。
「しのっち、それはゆーなに失礼だよ」
だがそんな俺の心を咎めるように、秋田が強い口調で反論してくる。
「もしゆーながしのっちのことを好きだったとして、告白してきても、しのっちは認めないの?
そんなの変だって、気の迷いだって言うの? お嬢様だとしのっちのことを好きになっちゃいけないんだ? 付き合うなんてあり得ないんだ?」
普段は喜怒哀楽がはっきりしている秋田が、静かに怒っていた。こんな彼女は珍しい、というか初めてだ。本気で腹を立てているのかもしれない。
「あー、いや。悪い」
確かにこれは彼女が正しい。お嬢だろうと何だろうと恋をする。人を好きになる。誰だって例外じゃない。そう、誰だって。
「あたしが何で怒ってるのか、わかってる?」
秋田はまだこちらを睨んだままだったが、俺が頷きを返すと、身体から力を抜いた。そして視線を空へと外す。
「理屈じゃないんだよ、恋って。どんなに頭で考えても、あっさり飛び越えちゃうんだから。
好きな人のことだけで胸がいっぱいになって、周りなんか全然見えなくなるの」
紡がれた声は、遠い記憶を揺り起こすように優しく聞こえて。
「ゆーなだってきっと同じだよ。お嬢様でもお金持ちでも、女の子なんだから」
柔らかい、大人びた顔で彼女は語る。その姿は普段の秋田からは想像も出来ないもので、俺は思わず彼女をまじまじと見つめてしまう。
不躾な視線に気付いたのか、秋田はいつもの表情に戻って照れ笑いを浮かべた。
「どしたの、しのっち? ……あ、もしかしてあたしに惚れちった? こまっちゃんの魅力にメロメロなんでしょ?」
にししー、と秋田が歯を見せて微笑む。本音を暴露するとちょっと可愛いと思ったのだけれど、もちろん口には出さない。
俺はダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで、素っ気なく言い返す。
「安心しろ。俺のときめきセンサーはピクリとも反応してない」
「またまたぁ〜。隠さなくてもいいって。ほらほら、告白しちゃいなよ。大丈夫、冗談で流したりしないから。返事は聞いてのお楽しみだけど」
「隠すも何もきっぱりと本心だ」
うりうりと指でつついてくる秋田に辟易して、俺は明後日の方向を向いた。
彼女の言葉を強い口調で否定できないのは、先程可愛いなどと心の中で認めてしまったせいか。不覚。
「素直じゃないなぁ」
やれやれと首を振る気配がする。
この野郎、いい気になりやがって。このまま攻撃されっぱなしも癪だ、何か物申してやろうと俺は勢いよく振り向き、
「でも――そうだよね。そんな簡単に素直になんかなれないよね」
その先にあったものが、全てを霧散させた。
耳に届いた声はいつもの彼女の、いつもの口調なのに。
けれどその響きにはどうしようもない寂しさのようなものが混じっていて。
「――好きって言うだけなのにね」
その瞳は、泣き出しそうに潤んでいた。
喉まで出かかっていた単語はバラバラに解け、もう意味をなさない。
それでも何か言わなければならないような気がして、かすれた声で彼女の名を呼ぶ。
「……秋田?」
「どしたのしのっち?」
恐る恐る掛けた声に反応した秋田の表情は、いつも通りの俺のよく知るクラスメートのものだ。
先程まで漂っていた寂しさの気配は、まるで蜃気楼のように消えている。
でも、見間違いじゃない……よな?
「あ、やっと告る気になったんでしょ? よしよし、こっちはいつでもいいよ」
「ああ、いや……違うって」
呆けたように立ちつくす俺に秋田は苦笑を漏らして、くるっとその場で半回転。
「もう、仕方ないなぁ。照れ屋のしのっちには、あたしへの告白は宿題ってことで」
そしてからかい混じりの笑みと共に、ステップを踏むような足取りで、
「それじゃ、あたし戻るね〜」
「こら待て、宿題とか勝手に決めるな。つーか照れてねぇ」
身を翻し葉山達の元へ駆けていく。
我に返った俺は慌てて後ろ姿に異議を投げつけたが、却下と言わんばかりにまったく振り返らず、彼女は去っていった。
「……何しに来たんだ、あいつは」
小さくなっていく背中にぼやいて、いつの間にか止まっていた足を動かす。
秋田の奴、まさか本当に俺と綾咲が恋人なのか確認しに来ただけなのか? そんなものわざわざ聞かなくても。
「その前に俺と綾咲ってそんなに仲が良いように見えるか?」
確かに最近は葉山の策略によって一緒にいることが増えたが、恋人だと誤解されるような付き合い方はしていない。
あくまで友人の範囲内だ。実際付き合っているのか聞いてきたのは秋田が初めてだし。葉山との関係は昔からしょっちゅう疑われたけど。
まぁ異性の友人とはそういう風に見られやすい。今回もその類だろう。
そういえば昔、秋田とも付き合ってるのか疑われたことがあったな。
確か以前クラスメートだった男に聞かれたんだった。もちろんそんな事実はないので否定したが。
交友関係の広い秋田には度々そんな噂が飛び交う。相手も隣のクラスのバスケ部員からバンドをやってる一年上の先輩まで幅広い。
ちなみに俺の場合は不可解なことに九割九分葉山が相手である。それはともかく。
そんな秋田に特定の相手はいない。ノリの良い、悪く言えば軽いイメージに反して彼女が誰かと付き合っているという具体的な話はない。
俺が知る限りではゼロ、流れるのはあくまで噂だけだ。
もちろん秋田が男からの人気が低いわけではない。
むしろ逆だ。気安くてノリも良く、顔もいい。そして適度に女の子っぽい。本気で告白された数はもしかしたら綾咲よりも上かもしれない。
綾咲の場合、お嬢様という肩書きに目がくらんだ奴やイベント気分で告白した奴らが転校直後はかなり多かったらしいし。
まぁ人気が高いのはいいことなのかもしれないが、当然煩わしいことも発生するようで。
秋田本人もポツリと漏らしたことがある。
いつの間にかカノジョ扱いされてた。そんなつもりもないし、紛らわしい素振りもしたことないのに。
しかも周りに言いふらしてなし崩し的に事実にしようとしてるし。頭きたからみんながいる前であたしら付き合ってないよね〜って笑顔で言ってやった、と。
そしてその後仕返しされると怖いからという理由で数日間俺は放課後になると連れ回され、時には自転車で自宅付近まで送らされたりした。
俺と秋田との関係を尋ねられたのはこの時が原因である。
後日調べてみると振られた男に仕返しする意志はなく、あっさり別の学校の女子にターゲットを変更したらしい。ある意味そのバイタリティは凄い。
そういや帰る途中で寄った公園でその話をした後、秋田が俺の自転車の荷台に乗って呟いた言葉が、妙に印象に残っている。
『ねぇしのっち、恋ってムツカシイよね』
その時は何か適当に流したような気がする。何と答えていいのかわからなかったからだ。
でも今になって、ふと感じたことがある。
『――好きって言うだけなのにね』
あいつも、もしかしたら俺と同じなのかもしれない。届かないかもしれない、だから伝えられない、臆病な恋をしているのかもしれない。
秋田のあのときの寂しそうな表情が甦り、そんな思いが浮かぶ。
だが全て推測の域を出ない。俺の勘違いってことも充分にあり得る。っていうかそっちの方が可能性は高いだろうな。今まで流れた有象無象の噂と同じだ。
自分にはそう見えるからといって、それが真実であるとは限らない。
まったく、ムツカシイ。恋も、人間も。
考えを纏めているとすれ違ったのカップルの声が耳に届いて、何とはなしにそちらへ目を向ける。
連れだって歩く楽しげな男女。手を繋いでいるからきっと恋人同士なのだろう。こんな感じでわかりやすければいいんだろうけど。
しかし本当に今日はカップルが多い。クリスマスだから仕方ないんだが、しかし男一人で歩いているのを自覚してしまうと少々居心地が悪い。
そろそろ葉山と合流するか。
と、足を早めようとしたところで、視界の端に見覚えのある姿が引っ掛かった。
赤いコートにベレー帽の少女が、土産物の屋台の前でじっと商品を覗き込んでいる。
「綾咲?」
周りに他の人物の姿はない。俺は小走りに駆け寄って、真剣な瞳で何かを見比べている綾咲に声を掛ける。
「何してるんだ?」
「あ、篠原くん」
俺に気付いた綾咲が顔を上げ、笑みを浮かべる。その拍子に彼女の手の中で金属音が鳴った。
音につられて視線を下げると、そこには短い銀のチェーンとプラスチック製のアクセサリーをつなげた小物が。
「キーホルダー?」
「はい。これ、可愛くありません?」
綾咲から差し出されるキーホルダーを受けると、サンタの衣装を着た雪だるまが回転しながら宙を泳いだ。
実にクリスマスらしいデザインで、女の子が喜びそうではある。
「いいんじゃないか。ただ、年間通して使うにはちょっと季節はずれの時期が多そうだけど」
「やはりそうでしょうか」
頬に人差し指をあて、綾咲が迷う素振りを見せる。
「こちらにしようかとも思ったのですけれど……」
そう言って彼女が俺の目に見せたのは、雪の結晶の形をしたキーホルダー。
そのキーホルダーと俺が返却した雪だるまとを示しながら、小首を傾げて尋ねてくる。
「篠原くんならどちらにします?」
「聞いても参考にならんだろ……。雪だるまは俺にはファンシーすぎるぞ」
呻くように答えつつ、ついでに自分の意見も述べておく。
「まぁこの店の中で俺が買うとしたらそいつかな。これも季節限定されそうだけど」
チラリと店の商品を一瞥してから、綾咲の手の中にある結晶を爪でこつこつ叩いた。
「でもそんなに高い物じゃないんだし、気に入ったのなら両方買ってもいいんじゃないか」
「…………あっ、それもそうですね。では少し待っていていただけます?」
彼女は一瞬の間を置いて俺の提案に賛成すると、持っていた小さなバックから小銭入れを取り出した。
俺は綾咲が会計を済ませるまでの間、適当に店の商品を眺めながら待つことにする。
お、あの携帯ストラップ、綾咲が買ったデザインと一緒じゃないか。どうせならキーホルダーじゃなくてストラップにしておけばよかったのに。
「お待たせしました」
支払いを終えた綾咲が小さな包みを大事そうにバックの中にしまって、俺の傍に並ぶ。
「よし。そろそろ葉山達に追いつかないとな」
「はい。そうですね」
俺達は連れだって屋台から離れ、十字路の中心に造られている円形の花壇の前で立ち止まった。
その横に立っている案内板からすると、このまままっすぐ大通りを進めばジェットコースターなどの人気アトラクション、
左に行けばミラーハウスやコーヒーカップといった地味だが定番のもの、右は子供やファミリー向け、そんな区分けらしい。
「で、綾咲。葉山達はどっちに向かったんだ?」
「え?」
肩越しに振り返って尋ねると、綾咲はきょとんと目を丸くしていた。
言葉が足りなかったのだろうかと、俺は案内板を指さしたまま、彼女に向き直った。
「合流場所決めてるんだろ? あいつらもそんなに急がなくても、買い物の間くらい待っててもいいのにな」
「ああ、そういうことですか」
綾咲は得心したようにポンと手を合わせると、少し言いにくそうな様子で、
「実は私、みなさんに断ってあの場所にいたわけではないんです」
己の罪を告白した。そして恥ずかしそうに視線を逸らして、続ける。
「みんながお話に夢中になっているときにあのお店を見つけて、その……、少しだけのつもりだったのですけれど、つい見入ってしまいまして……」
「……つまり合流以前に、あいつらは俺達がいないことに気付いてないと」
「かもしれません。篠原くんは元々ずいぶん後ろを歩いていましたし、すぐには気付かないのではないかと。
私のことは篠原くんと一緒にいると思っているでしょうし」
「あー、だろうな」
俺は頭を掻きながら、三つの分かれ道に目を凝らす。残念なことに見覚えのある姿はどこにもない。
あの集団は特に目立つから、近くにいれば絶対に発見できるはずだ。ということはいまだ俺達の消失に気付いていないか、それとも、
「あいつ、また変な気を回してるんじゃないだろうな」
脳内に悪魔の笑みを浮かべた葉山の顔がよぎるが、すぐにそれはないだろうと思い直す。
今日は秋田達も一緒なのだ。あまりに露骨だと察しのいい奴ら(特に日野)に一瞬で計画を見破られてしまい、後々ややこしいことになるだろう。
秋田達もグルだという線もあるが、笹木の存在を考えると可能性は低い。悪ノリはしなさそうだし、彼女。
それに…………そうか! あれがあったじゃないか。あれならこの状況からの脱出も可能。ついでに葉山の計略の線も消えた。
「ごめんなさい。私のせいで、由理さん達とはぐれてしまって……」
申し訳なさそうに謝る綾咲に俺は気にするなと手を振り、
「それに打開策は既に思いついてある」
ニヤリと笑って親指を立ててみせた。
「打開策、ですか?」
おうむ返しに問うた彼女に頷き、俺は先程閃いたアイデアを披露する。
「そう、俺達には携帯電話があるじゃないか。寂しがり屋の現代人が発明した文明の利器、これを使わない手はない。
今日も見えないところで飛ばされているあの電波が、今度は俺達の切り札となるのだ。ビバ電波」
「電波ってあまりよくない意味を伴っているような……」
「言葉を美しく飾ることの重要性について議論している暇はない。さぁ綾咲、飛ばせ電波を。葉山に向けて力の限りに」
「篠原くんが連絡されるのではないのですか?」
意外そうな表情をした綾咲に、無駄に胸を張って答える。
「俺が携帯などという高級品を所持しているわけないだろう。そんな余裕があったら日々の食生活をもっと向上させているぞ」
しかし彼女からあっさりと放たれた一言に、俺は全身の動きを止めざるを得なかった。
「私も持っていませんけど」
「………………はい?」
瞬きを数度繰り返し、改めて綾咲を見つめる。
その瞳に「冗談です」というからかいの色を期待していたのだが、いくら凝視してもそんなものは見つからない。
二人ともそのままの姿勢で、しばしの沈黙が流れた。
「………………マジ?」
「まじです」
ようやく捻り出した言葉は間髪入れず肯定された。再び訪れる沈黙の時。
さて、今日の晩飯は何にしよう。昼はハンバーガーだったから、夜は節約するか。でも冬休みの始まりを祝って贅沢するのもいいかもしれない。
何だか楽しくなってきたぞ。よーし、みんな、ガッツでいこう!
「何故っ!?」
現実逃避から強引に帰還して、叫ぶ。
「この情報化社会の荒波を楽々と泳ぎ切るツールをあえて所有しないのは何故だ綾咲っ。
信念かポリシーか俺イズムか? つーか親には持たされなかったのか?」
「いえ、契約はしてはいるのですけど、学校以外には持ち歩かないので……」
「携帯の意味ねぇ!」
思わず頭を抱える。そうか今日は一回家に帰ったから携帯は置いてきたのか納得納得……してる場合じゃない。
俺のナイスな提案は実現不可能なことがあっさりとわかってしまった。このままじゃああいつらと合流できずに、綾咲とだけで回ることに…………。
え? 待て待て。えーと、その。
落ち着け俺。状況を整理してみよう。
時は12月24日。
場所はクリスマス色に染められ、カップル渦巻く遊園地。
そこで他の皆とはぐれ、連絡も取れない状態になって。
「篠原くん、これからどうしましょう?」
俺の隣には、可愛らしく小首を傾げて相談してくる綾咲がいる。
つまり――
「二人、きり……?」
呆然と呟いた言葉は幸運にも俺以外の誰の耳にも届かず、宙を舞った。
(後編・つづく)
350 :
2-57:2008/12/22(月) 02:28:29 ID:kwybWZj3
というわけで今回新キャラ登場しました。
ですが次回はまたあの娘とのイベントです。
それでは、また近日中。
乙。
乙
しかし、なんというハーレムな状況
しかもどの娘をヒロインに据えても一つや二つ話が作れそうなくらいに魅力的で困る
353 :
名無しさん@ピンキー:2008/12/22(月) 23:23:28 ID:W1Hxkwfb
あ
GJ!まさかここにきて新キャラが三人も増えるとは
しかし本命はやはり綾咲さん。ベクトルは彼女に一直線
二人っきりになって事態がどう展開していくのか、後編に期待です
それにしても、しのっち結構モテるのね
GJ。心の底からGJ。
そしてありがとう。
小町の可愛さに一瞬傾いてしまったw
それでもやはり優奈に真っ直ぐなわけですがw
テンションあがってきたぜえええええええええええええええええ
こ、これはまさか夢にまでみたマジでクリスマスに決着くるー?
本当にきたらクリスマスから正月まで出勤も耐えられるぜ俺
358 :
名無しさん@ピンキー:2008/12/25(木) 23:46:28 ID:P7j2POrW
久方ぶりに来たらCan't Stop Fallin' in Loveが更新されていますね。ラスまでもう少しかな
いいんちょのツンデレを〜〜〜
なんてな。ラスを楽しみに待っています
Can'tものすごくGJ
まさか新キャラくるとは思いませんでしたww
まとめのとこで読んだ
「絢音と信」
ってもう続き書かないのかな…?
ものすごく気になる…
360 :
2-57:2008/12/27(土) 22:39:48 ID:ofNFNZso
みんな帰ってきてほしいですね
そんな祈りを込めて続きを投下。
タイトルは『Can't Stop Fallin' in Love』です。
それでは投下
黒い液体がカップの中をゆらゆら揺れる。伝わる熱は、知らないうちにかじかんでいた指先を優しく暖めてくれた。
カップをテーブルに置き顔を上げようとして、正面に座っている少女と目が合いそうになる。
慌てて視線を窓へと逃がした俺は、冬風が吹く外を見て五分前と同じセリフを吐いた。
「来ないな」
視界に映る円形の花壇、そこから延びる十字路に求める人物の姿はない。
「そうですね」
その答えも五分前とまったく同じで、まるでリピートしているようなやり取りになる。
彼女もそのことに気付いたのか、可笑しそうにくすっと笑った。そして包み込むように持っていたミルクティーのカップを傾け、ほっと息を吐く。
「美味しいですね」
「自販機で買った安物だけどな。しかも紙コップだし」
「寒いときには暖かいものが一番美味しいんですよ」
笑顔でそう返されては何も言えない。俺は黙って自分のコーヒーを口に運んだ。
ここは花壇からさほど離れていない位置に設けられた休憩ブース。そこで俺達は向かい合って座りながら会話を交わしていた。
葉山達とはぐれてしまった俺と綾咲。両者とも携帯電話を持っていないので、連絡を取る手段はない。
これからどうするか協議した結果、葉山達が探しに戻ってくるかもしれないので少しの時間この近くで待ってみよう、ということになった。
初めは花壇のそばに立っていたのだが、何しろ今は冬である。歩きもせず外に居続けるのは少々辛い。
そんなわけでどこか屋根のある所に入ろうと決めたのだが、店内から十字路を観察できる場所でないと、葉山らが来ても見落としてしまう可能性がある。
そしてあいにくこの周囲に条件と一致する喫茶店がなかった。仕方なく近くにあった休憩ブースに駆け込んだ、というのがここで茶を飲んでいる経緯だ。
ブース内は決してスペース的にゆとりがあるとは言えないが、机と椅子があり、自販機もある。
そして何より暖かい。待つには適した環境だろう。
しかし……、
「俺達ってもしかしたら恐ろしくレアな人種なんじゃないのか……?」
「どうしてです?」
不思議そうに尋ねてくる綾咲に、苦々しげに答える。
「一人は今時携帯も持ってなくて、もう一人は持ち歩かない。そんな若者が大勢いるとはとても思えん」
「確かにそう言われると……」
苦笑を返す綾咲に、俺は机に頬杖をついて先程から抱いていた疑問を投げ掛ける。
「つーか何で携帯を学校にしか持っていかないんだ? 普通携帯はいつも持ち歩くだろ」
「それはそうなんですけど……」
言葉を濁しつつ、綾咲は視線を手元の紙コップに落とした。
彼女にしては歯切れが悪い。もしかして地雷を踏んでしまったのだろうか。
「話しづらいこと?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
首を横に振って、綾咲は苦笑を浮かべた。
その表情は拒否というより、困っているように見える。取りあえず即死確定の爆弾ではなかったらしい。
俺がこっそりと安堵の息を漏らしていると、綾咲が急に今まで気まずげに逸らしていた瞳を向けた。
驚きで反応できない俺に、綾咲は子供の頃の失敗を告白するときのような、羞恥を纏った口調で語り始める。
「実は……」
聞くところによると、こうだ。
前の学校に通っていたときに持っていた携帯は、衛星から詳細な場所が確認できる機能が付いた優れものだったそうで。
そしてその機能を使えば、両親の携帯からも綾咲の現在地が確認可能だったらしい。
引っ越す前はそれでも問題なかったが、彼女は親元を離れ、一人この地にやってきた。
厳しく躾るもやはり可愛がった我が子、手元にいないと心配になる。
綾咲の両親、特に母親はそれが顕著だったらしく、前述の機能を使って綾咲の居場所を調べ、
友人と寄り道をしていたり休日に出掛けていたりするとつい娘が悪い遊びを覚えているんじゃないだろうかという不安から
電話を掛けてきて注意したり言い聞かせたり説教したり――で。
「ついにキレた、と」
「人聞きが悪いです」
綾咲がむくれながら反論してくる。が、すぐに視線を逸らすと小さな声で、
「少し言い過ぎたかな、とは思ってますけど……」
呟く。どうやら少々派手な親子喧嘩だったらしい。
俺は唇をコーヒーで湿らすと、ふと気になったことを尋ねてみた。
「そんなに多かったのか? お袋さんからの電話」
彼女は決してわがままが過ぎる性格ではない。意志を曲げない頑固さはあるが、相手の気持ちをくみ取れる柔軟さも持っている。
もちろん子供を心配する母親の思いもわかっていたことだろう。
しかもこちらに越してきたのは自分のわがまま、とくれば定期連絡くらい我慢しそうなものなのだが。
「それはもう」
綾咲は即座に頷いて、指を折りながら説明を始める。当時を思い出しているのか、その表情は硬い。
「電話が掛かってくるのは朝学校に行く前と、お昼休みに放課後、あと六時に家に帰ってなかったらお説教です。
放課後寄り道したり休日に外出したりすると一時間置きに電話が鳴ってました」
「うわぁ……」
自分のことでもないのに顔が引きつる。綾咲がキレた気持ちもわからんではない。というか綾咲さんのお母さん、あなた少々やりすぎですよ。
まぁ確かにそれだと持ち歩きたくもなくなるよなぁ……って、
「あれ? でも今は学校には持っていってるんだよな?」
俺の確認に綾咲は首を縦に振る。
「その後話し合って、お母様を説得したんです。それ以来、平日の学校がある時間に電話を掛けてくるのは控えてくれるようになったのですけれど」
彼女はそこで小さくため息をつき、続けた。
「でも休日に出掛けたりすると、やっぱり連絡してくるんですよ。回数は少なくなったんですけど、その分時間が長くなって……。
私もう頭に来てしまって、『携帯電話なんていりません!』って宣言したんです」
「お袋さんはそれで引き下がったのか?」
「いえ。それからもう一度話し合って、学校に持っていくことには納得しました。
お母様は電話を掛けるのを平日休日関係なく常識的な範囲に収める、とは言っていましたけど、信用できません。
だから登校するとき以外に携帯電話を持たないようにしてるんです」
一息に言い終えると、綾咲は手の中のミルクティーを口に運んだ。
徐々に怒りが甦ってきたのか、空になった紙コップを置く動作も少しだけ感情的になっていた。
「お母様は私のことを信用してないんです。私だっていつまでも世間知らずのままではないのに」
「今でも世間知らずには変わりないような」
思わず素直な感想がこぼれてしまう。あ、こりゃまずいかも。
「篠原くんまでそんなことを言うんですかっ」
綾咲はぷいっと横を向いて、それからむっつり黙ってしまった。どうやらへそを曲げてしまったらしい。
まるっきり子供が拗ねたような態度だが、そんな彼女も微笑ましい。いや、あばたもえくぼとか惚れた弱みとかそんなんじゃないですよ?
心の中でよくわからない弁解をしつつ、椅子の背に体重を預ける。キシッという軽い音が休憩ブース内に響いた。
まぁ結局は母親と仲がいいってことだよな。
俺はまだ機嫌を損ねたままの綾咲の顔を眺めながら、初めに抱いた印象が間違っていなかったことを確信する。
母の過剰な連絡を拒否する発言をしながら、携帯を学校に持っていくことには納得した娘。
『常に連絡を取れるようでなければ一人暮らしなど認められない』と言えば娘は渋々従うだろうに、許容している母親。
娘は母親に無自覚な部分で甘えて、母親は小言を漏らしながらも娘の意志を尊重する。
お互いに相手の意見が正しいと判断すれば聞き入れ、行き過ぎたときは叱り、受け入れる。
きっとこういうのが、いい親子関係のひとつの形なんだろう。……まぁ電話の回数は少しやりすぎだったけど。
友達とのお喋りの最中に頻繁に電話が掛かってきて綾咲もいらいらしてたんだろうなぁ。
俺にも似た経験がある。休みの日、惰眠を貪っているときに限ってしつこく電話が鳴り続けるんだよなぁ。
何度コードを引っこ抜いてやろうかと………………。
「あのー、綾咲?」
「……何でしょう?」
ようやく怒りを収めてくれたのか、綾咲が不満げながらも呼びかけに反応する。
俺は椅子に座り直して、先程浮かんだアイデアを口に出した。
「別に携帯を置いてこなくても、電源切っとけばいいんじゃないか?」
……何だか全てを台無しにしてしまったような気がした。やっぱ言わなきゃよかったかなと瞬時に後悔する。
綾咲と母の確執とか和解とか親子の絆とか(謝罪の意を込めて表現を多少美化)、色々なものに水をぶっかけてしまったような……。
しかし綾咲はそんな俺の苦悩を尻目に、
「確かにそうですね。持ち歩かないのも電源を入れないのも同じだと思ってましたけど、もしもの時には必要ですし。
これからは篠原くんの言う通りにします」
あっけらかんと言い放った。大物だ。
とにかくこれで今後は綾咲が集団からはぐれても大丈夫ということか。やっぱり文明の利器は活用しないとな、うんうん。
…………いやわかってるけどね、問題は今どうするかだってことは。
定期的に窓の外へ目をやっても、見知った顔は現れない。本当にあいつらは俺達を捜しているのか、段々不安になってきた。
「ところで綾咲、葉山の携帯番号のメモとか持ってないよな?」
駄目で元々で聞いてみるが、やはり綾咲の返事はノーだった。そうだよなぁ、俺だってそんなもの手元にないし。
ちなみに学生手帳に葉山の番号を控えてはいるのだが、残念ながら制服のポケットに突っ込んだままである。
もし連絡しなくちゃいけないことがあったら誰かの携帯借りればいいか、などと思っていたらこの有様だ。俺も綾咲を笑えないな。
肩を落とした俺をじっと見ていた綾咲は、やがて何か思いついたのかポンッと手を打つ。
「篠原くん、インフォメーションセンターで由理さん達を呼んでもらうというのはどうでしょう?」
「インフォメーションセンター? そんなのあったか?」
聞き返した俺に綾咲は「本館にあるそうですよ」と説明を付け、
「園内放送で呼びかければ、由理さん達と連絡が取れるのではないでしょうか」
その直後、天井から吊されているスピーカーが音を発した。
『園内のお客様に迷子のご案内をいたします。青色の服を着た石橋帯矢ちゃんのお母さん。
帯矢ちゃんが本館一階・インフォメーションセンターにおりますので至急お越し下さい』
ピンポンパンポーン、という軽やかな音楽を残してスピーカーが沈黙する。
二人ともしばしの間無言。そしてどちらからともなく、
「やめといた方がよさそうだな」
「そうですね」
同じタイミングで頷く。
確かに葉山達と合流できるだろうが、その後三年は笑いものにされるだろう。想像するだに恐ろしい事態だ。
「でも、これからどうしましょう?」
最悪の未来が起こらなかったことにほっと胸を撫で下ろしていると、綾咲がまっすぐに俺を見つめながら相談を持ちかけてくる。
俺は意図的に窓へ視線を逃がしながら、頭を掻いた。
「あいつら来そうにないんだよなぁ……」
目に付くのはカップル七割親子連れ三割。当然見知らぬ人ばかり。このままここで待っていても、時間を浪費するだけだろう。
ならどうするか。一応考えはある。というかそうするのが一番自然だと思う。でも、実行に移すには少しだけ勇気がいる。
断られたらどうしようとか、受けてくれても本心では嫌がるんじゃないかとかネガティブな思考がぐるぐる頭を回る。
喉の渇きを覚えて、俺は残りのコーヒーを一気に飲み干した。すっかり冷めていたコーヒーは喉の奥に苦みを残して胃に落ちていく。
だけど今は味なんて関係ない。欲しかったのは動くための勢いだ。
俺は息を吸って腹に力を入れて、出来るだけ平静を装いながら彼女にその言葉を投げ掛けた。
「俺達だけで行くか?」
わずかだが声が上擦ってしまったかもしれない。
失敗したという後悔と、期待と不安。それらがごちゃ混ぜになって、一言では表せない気持ちになる。一秒がとてつもなく長く感じられた。
「みんな戻ってきそうにないし、このままここにいても退屈だろ? せっかく遊園地に来たんだし、羽を伸ばさないとな。
遊んで色々忘れたいこともあるし。通知表とか通知表とか通知表とか」
急に胸の奥から気恥ずかしさが湧き出してきて、余計なことまで喋ってしまう。いつもより早口になって、何だか言い訳みたいだ。
脳がショートしそうな上に、得体の知れない焦燥感みたいなものがずっと心臓を蹴飛ばしてくる。
一体何ですかこれは? デートに誘ったわけでもない、ただみんながいないから仕方なく二人で遊ぼうって持ちかけただけなのに。
自分がこんなにチキンだとは知らなかったぞ。
そんな俺の葛藤を当然知る由もない綾咲は、驚きで目を丸くしていた。
やっぱり後半捲したてちゃったから戸惑ってるんだろうか。変に思われたか? あああどうしようどうするんだどうしようもねぇ。
混乱した思考に絶望感がミックスされて、もう何も考えられない。出来るのは彼女の答えを待つことだけだ。
そして綾咲の唇がゆっくりと開き、
「はい。行きましょうか、二人で」
微笑みと共に、同意する。拍子抜けするくらいあっさりと。
一瞬の間を置いて、歓喜が胸に溢れた。心臓が痛いほど高鳴って、どうしようもなくなる。
葉山達がいないんだから二人きりで遊園地を回るのは自然なことだ。
だから綾咲が俺に特別な感情を抱いているということはない。ただ嫌われていないだけ、せいぜい仲のいい友達レベルだ。
何度自分にそう言い聞かせても、心は躍るのをやめそうにない。
俺は顔面の筋肉が緩みそうになるのを必死で堪えながら、ゆっくり立ち上がった。
いつの間にか汗をかいていた手を悟られないよう、ポケットに入れる。
「何か乗りたいものとかある?」
「すぐには浮かびませんね。色々回りながらゆっくり考えさせてもらってよろしいでしょうか?」
そんな会話を交わしながら二人一緒にブースの外へ足を踏み出す。
空気がひどく冷たく感じられたが、暖かかった室内に戻ろうなどという気は全く起こらない。我ながら呆れるくらいに単純だ。
綾咲のペースに合わせるため、俺はいやに軽い身体を自制しながら歩き始めた。
コーヒーカップ、占いの館、レーザー銃で得点を競う体験型シューティングゲーム。
それらを横目で見ながら、俺達二人は遊園地を闊歩していた。
綾咲は興味深そうにひとつひとつアトラクションを観察し、時に質問を投げ掛け、俺やアトラクションの受付スタッフの説明にしきりに感心していた。
実は彼女、こういう普通の遊園地に来るのは初めてらしい。日常とは違う独自の世界を徹底的に作り上げている『テーマパーク』には行ったことがあるらしいが。
そんなわけだから、歩みは遅々として進まない。まぁ急いでいるわけでもないし、遊園地は楽しむことが最重要。
綾咲もいつもよりはしゃいでいるような様子だし、その意味では成功と言える。
しかし全てが順風満帆なわけではない。ひとつ重大な問題が誕生していた。
「どこの遊園地でもこんな本格的な占いが出来るんですか?」
占いの館の看板を見ていた綾咲が、振り返って俺に尋ねてくる。
「遊園地にもよるけど、それほど珍しいものじゃないと思う」
感情を抑えすぎてぶっきらぼうに聞こえる俺の口調に気を悪くした風もなく、彼女は納得したように頷いた。
俺はこっそり額の汗を拭いながら、冬の空へと目線を逸らす。
休憩ブースから十字路まで辿り着いた後、俺達は左側の道を進むことにした。
中央の大通りはジェットコースターなどの人気アトラクションがあるが、当然人も多く、搭乗待ちの行列が出来ている。
表の気温に慣れるまで立って待つのは遠慮したい。かといってファミリー向けの遊具には乗らないだろうし。
相談の末、俺達は比較的人の少ない定番アトラクションが建ち並ぶコースを選択したのだが。
「あ、ごめんなさい」
占いの館に入ろうとするカップルに道を譲るため、受付嬢の話を聞いていた綾咲が一歩、そこから離れる。
自然と俺の方へと身を寄せてくる形になり、途端に体温が上がったような気がした。
そう、問題はカップル向けのアトラクションばかりだった、ということである。
流石に人気アトラクションがある大通りには劣るが、充分に人通りは多い。そして見る人間がみんな手を繋いでいたり、腕を組んでいたり。
そんな光景を見ていたら、意識しなくてもいい事実が内なる声となり浮き上がってきてしまったのだ。
……俺達も二人なんだよなぁ。
そうなのだ。今ここにいるのは俺と綾咲の二人のみ。しかも今日はクリスマス、場所は遊園地。
そんなシチュエーションでカップル達が放つ甘い空気の中を好きな相手と歩いたら、とてもじゃないが平静なんて保てませんぜ、旦那。
もしかしたら俺達もカップルに見えているんだろうかとか、それなら嬉しいが真実じゃないから複雑な気分だなとか、余計な思考が次々に湧いてきて浮かれそうになる。
それらを頭の中でガシガシ殴りつけ無理矢理静めていれば、他のことに手が回らなくなるのも必然である。
よって綾咲とは質問に答えるとき以外はほとんど喋れていない。
まぁ他の場所を選んだからといって緊張しないわけではないので、同じ結果になる可能性は高いけど。
だがこのままでいいはずがない。会話がほとんどない状態では彼女もそのうち気を遣うだろう。二人で回ろうと誘ったのは俺だし、何より楽しんでもらいたい。
そんなわけで勇気を出してゴー! 単に俺が綾咲と話したいだけなんじゃね? という心の声は無視してゴー!
「入りたいところとか見つかった?」
思った以上に唇はスムーズに動いた。
この極限状態の中、ごくごく自然に接しているように振る舞えるとは、我ながら恐ろしき才能よ……などと勝手に堂に入っていると、
「篠原くんはどこか行きたいところありました?」
綾咲がいつものように瞳を覗き込んでくる。でもさっき身を寄せられた分だけ、いつもより距離が近い。
距離が近いということは顔が近いということで。顔が近いということは瞳やら唇やらがすぐ目の前にあるということで。
あああもう駄目だっていうかお願い綾咲少しだけ離れて心臓がパンクしそうだからっ。
早くも白旗を上げながら何とか首を横に振ると、願いが通じたわけでもないだろうが綾咲はスッと体勢を戻した。
ほっと安堵の息を吐いたのも束の間、今度は彼女の口から爆弾発言が放たれる。
「では、ホラーハウスにお付き合いしてもらっても構いませんか?」
「はい。………………はい?」
一瞬耳を疑う。頭が身体ごとフリーズしたのは、決して寒さのせいではない。
「あー、ホラーハウスってお化け屋敷のこと……だよな?」
「はい。そうですけど」
聞き間違いかと思って確認してみたが、やはり聴覚は正しかったらしい。
「別に構わないけど……どこにあったっけ?」
「すぐそこの建物ですよ。ほら、あの洋館風の」
ならば場を軽くする冗談かと疑ったが、そんな様子は微塵も見られない。
ホラーハウスの建物を示す綾咲は何だか楽しそうで、俺はそんな彼女をまじまじと見てしまう。
「篠原くん、どうしました?」
「ああ、いや……」
注がれている視線に気付いた綾咲が、小首を傾げながら黒い瞳を向けてきた。俺は視界を洋館へとずらしながら、全速力で脳を回転させる。
綾咲とふたりでホラーハウス。いやホラーハウスに抵抗があるわけではないのだが、いいのか?
あれって男女で入る場合は大体が恋人同士でキャーッとか叫んで女が男に抱きつくという予定調和を楽しむためのものだと思っていたのだが違うのか?
俺の認識が古いのか、それともこの脳が恋愛に浸食されているだけで男女で入ろうが別に何とも思わないのか世間の皆は?
そして綾咲は恋人ではない異性とホラーハウスに入るのに抵抗がないのだろうか。
いや、わかったぞ! そういえば綾咲は俺を男性として意識していないんだった! いやっほぅ謎は全て解けた!
ちなみに無駄に力強くしているのは悲しい事実を思い出して涙がこぼれちゃうだって女の子だもんな気分になりそうだからだ!
俺のハートにときめきラブ! だけど真実せつなさ炸裂!
ちくしょう今は泣くものかと歯を食いしばりながら空を見上げていると、後方から窺うような声が掛けられる。
「もしかして篠原くん、お化け屋敷って苦手ですか?」
「……何ですと?」
聞き捨てならない言葉に振り返ると、綾咲が心配そうな顔をして俺を見つめていた。
その表情から漂わせるのはからかいでも挑発でもなく、純粋な気遣い。
どうやら考え事をしていた姿を、ホラーハウスに二の足を踏んでいると誤解されてしまったらしい。そして間違いを訂正する前に、
「でしたら、別のアトラクションにしましょうか」
彼女はそう判断を下してしまった。
いかん、このままでは俺がお化け屋敷が苦手な気の小さい男だと勘違いされたままになってしまう。悠長に思考を巡らしている場合じゃない。
「ちょいと待った綾咲よ。どうやらこの篠原直弥を侮っているようだな」
俺は親指で己を指し、不敵な笑みを浮かべてみせる。
彼女には露ほどもそんな気はなかったろうが、あの発言は男子の意地とプライドを刺激してしまったのだ。これは言わば挑戦状、受けて立たねばなるまい。
「いいだろう、貴様に俺の本気を見せてやろうではないか。
幽霊と肩を組んだりスケルトンとダンスを踊ったり吸血鬼と乾杯をする俺の姿を見て恐れおののくがいい」
「確かに驚くとは思いますけど……」
反応に困ったような表情の綾咲は見なかったことにして、俺は高らかに宣言する。
「さぁ行くぞ綾咲! 死と破壊と混沌が渦巻く暗黒の館へ!」
「恐怖は入ってないんですか?」
そんなやり取りをしながら意気揚々とホラーハウスの受付へと向かい、二人分のチケットを差し出す。
この遊園地は入場料とアトラクション使用料は別になっているので、遊ぶためには園内に所々設置してある券売機か売店でチケットを購入しなければならない。
受付のお姉さんはチケットを確認すると、
「はいカップル二名様ごあんな〜い」
金属が錆び付いた耳障りな音と共に、入り口の扉が開かれる。これも演出の一環なんだろう。
いやそれはいいんだが、何かとんでもないことを言われたような。
「あ、そこのカノジョ、もし全然怖くなくても驚いたフリしてカレに抱きついたりするといいよ。カレもその方が喜ぶだろうし」
「あ、はい」
こら何を吹き込んでやがりますか。綾咲も勢いに流されて頷くんじゃない。
最近の俺ならこの勘違いに舞い上がり脳内にノイズが乱れ飛んでいたかもしれないが、今ここにいるのは名誉の回復に身を捧げる熱き一匹の狼。
何人たりともこの胸の炎は消せはしない。俺は毅然とした態度でお姉さんの思い込みを正した。
「いや、俺達恋人じゃなくて友達なんで」
「そうなの? でもあたしが言った作戦、むしろ友達以上恋人未満の時の方が使えるから。
ベタだけど落とせる確率は結構高いよ。頑張ってね、カノジョ」
「はい。ありがとうございます」
全然話聞いてないなこの人は。そして綾咲も流れに身を任せるな帰ってこい。
このままだと話が変な方向へ行きそうだったので、そろそろホラーハウスへ突入することにする。
「準備はいいか?」
「はい、いつでもどうぞ」
俺の確認に余裕の顔で返す綾咲。
くくく、そうやって澄ましていられるのも今のうちだけだ。
これからお前はこの世のものとは思えぬ恐怖体験をすることになるのだっ、というわけで頑張れ脅かし役の皆さん。
「それでは、ごゆっくりどうぞ〜」
明るい太陽の下から暗い室内へと足を踏み出す俺達の後ろで、受付のお姉さんがにっこり笑って手を振ってくれる。
「いや、ホラーハウスでくつろぎませんって」
「それもそうね」
俺の言葉にお姉さんは顎に人差し指を当てしばし考え、やがて満面の笑みで親指を立ててウィンクひとつ。
「びっくりしていってね!」
「それもどうかと思うなぁ!」
抗議の声も虚しく、扉が音を立てて閉まる。
訪れたのは完全な闇――ではなく、ぼんやりとだが周囲が見渡せるほどの光量だった。
まったく見えないと意味ないし、明るすぎては怖くない。なるほど、よく考えられている。
「足下、気をつけろよ」
客の安全には気を配っているだろうから躓くような物は置いていないだろうが、念のために注意を促す。
すると綾咲はいたずらっぽく笑って、
「もし転んでしまったときには手を貸してくださいます?」
「残念ながら俺はアンデッドの相手をするのに忙しいんだ。代わりに猫の手でも借りてきてやろう」
「ではお願いしますね。篠原にゃお弥くん」
「勝手に他人から霊長類の資格を剥奪するんじゃない」
そんな会話を交わしてから、薄暗い通路の先へと目を凝らす。
闇に目が慣れてきたのか先程よりもはっきりと周囲を見渡せるようになったが、さすがに蛍光灯の下とは天と地との開きがある。
近くにいる相手の表情はわかるが、顔色までは判然としない。
よかった、万が一綾咲に手を貸すことがあっても赤面しているのがバレずに済む。
保険の確認を終え隣に目をやると、彼女が黙って頷くのが見えた。準備万端覚悟完了らしい。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「西洋風な造りなので、出てくるとしたらやはり吸血鬼ではないでしょうか」
そして俺達は通路を進み始めた。
空気が流れているのか、生ぬるい風が首筋をくすぐる。
動いていたらうっすらと汗をかく程度に湿気も調節してあるのだろう、梅雨の夜を彷彿とさせる、実に嫌な温度だ。
まぁこの季節、外のような気温にしてたら寒さで驚くどころじゃないからな。
内部の造りは外見と違わず西洋風にしてあった。確かこのホラーハウスのコンセプトが『怪しい洋館での恐怖体験』だったか。
コンセプト通りに床は石畳か、もしくは近い素材をそれらしく見せていて、隣にいる綾咲が足を進めるたびにブーツがこつこつ音を立てていた。
更に時折姿を現す壁に掛けられたロウソクの燭台が、古風かつ気味の悪さ醸し出している。
しかし何より不気味な雰囲気を演出しているのは、沈黙という名の音楽だ。
いや、正確にはまったく無音というわけではない。風が扉の隙間を通り抜ける音、自分の呼吸音、綾咲のブーツが響く音、と耳に届くものはある。
しかし派手な音楽が奏でられ喧噪が飛び交う表の音量に慣れてしまっていたため、現在の状態がひどく静かに思える。
まるで絶海の孤島に取り残されたかのような孤独感。それはやがて口数を減らし、沈黙は圧迫感となって精神を焦燥させ余裕を奪う。
そこに前触れもなく登場する強烈なインパクトの脅かし役。うん、そりゃ常人なら悲鳴を上げる。
しかしこの俺、篠原直弥にそんなものは通じない。気力胆力精神力全てを高いレベルで兼ね備えている上、今回は尊厳の回復まで懸かっている。
ちょっとやそっとのことで驚くわけには
『ヴァァァァァァ――――!!』
「うおわぁっ!」
突如目の前に逆さ吊りにされたゾンビが登場し、思わず声を上げてしまう。
いきなり出てくるとはこの野郎反則だぞ。しかも意識していなかった天井からとはやってくれるぜ。
頭上を見上げると、両開きの扉が開いてその先からロープが伸びている。それがゾンビの足にくくりつけられていた。
勢いが死んでいないのか、ゾンビの身体はまだプラプラ揺れている。
俺は硬直していた全身の緊張を解き、胸を撫で下ろした。まだ心臓は激しく収縮している。まるで全速力で走った後のようだ。
俺は自らを落ち着かせるためにほっと一息吐いて、
「急だったのでびっくりしましたね」
隣から聞こえてくるそんな言葉に身体が再び硬直した。恐怖とは別の意味で冷や汗がだらだら流れる。
錆び付いた機械のごとき動きでゆっくりと彼女の方へ顔を向けると、そこにいたのはもちろん綾咲優奈嬢。いや忘れていたわけではないけど。
「綾咲さん、つかぬ事をお伺いしますが、聞いていらしたでしょうか?」
もしかしたら聞こえてないんじゃないかなぁだといいなぁと淡く儚い奇跡を望みながら、恐る恐る彼女に確認を取ってみる。
「何をです?」
「僕の魂の叫びを」
「えっと……」
綾咲は答えにくそうに視線をずらし、困ったような表情で言葉を濁した。
うん、これは聞かれてたね。偉そうなこと言っておきながら思いっきり狼狽して悲鳴を上げたのを聞かれちゃってたね。
そう理解した瞬間、頬が熱くなるほどの恥ずかしさが全身を覆う。足に力が入らず、その場にうずくまりたい衝動に駆られた。
胸が圧迫されたように苦しい。そしてそれほどまでにショックを受けている自分に驚く。
今まで綾咲には散々格好悪いところを見られているのに、ちょっとホラーハウスで情けない姿を見られただけでこんなにダメージがあるとは。
「違うんだ綾咲。まず俺の言い分を心に留めてくれると助かりますのでお耳をお貸しあれ」
なのに口だけは高速回転でどうでもいい弁明を垂れ流す。だってどうにかして説明しとかないとマズイし。今更何がマズイのかはわからないけど。
自問自答している暇もなく、焦燥感に煽られ、突き動かされる。
「別にホラー系が苦手なわけじゃないんだが、突然出てこられると反射的に身体が反応するんだ。映画とかで前フリがあるのは全然平気なんだけど。
ほら人間ってやっぱり予想しなかった結果には焦るし驚くし動転するだろ? 今もそんな感じなようなそうでないような……」
長広舌はすぐに尻窄みになり、やがて風の音と同化した。額に浮いた汗は、決してこの湿気が原因ではないだろう。
いや、今言ったことに嘘はないんだ。ホラー映画は苦手なわけじゃないが、突然驚かされるのに弱いのも事実。
しかし必死に力説したせいで余計に嘘臭くなってしまったような。
つーか俺、ますます格好悪くなった気が。プライドも尊厳も誇りも、もはや挽回不可能なまでに失墜してしまった気が。
はい、素直に白状します。真剣に泣きたいです。真っ暗な部屋の中布団にくるまるという非常にわかりやすい状態でしくしく泣きたいです。
「わかります。私も突然で驚いちゃいましたから」
そう気遣ってくれる彼女の優しさが心に染みる。だが同時にその優しさが胸が痛い。
うぅ、綾咲さん生意気言ってすいませんでした。
と今までの非礼を詫びる準備をしていると、ぽんっと慰めるように肩に手が置かれた。
「まぁそんなときもあるって。元気出せ」
「ありがとう、見知らぬ人……つーかゾンビかよ」
振り返るとすっかり存在を忘れていたゾンビが腕組みをして俺達の話を聞いていた。ちなみにまだ逆さ吊りのままである。
声からすると若い男であろうそのゾンビはうんうんと頷きながら、
「そんな卑下することもねーって。彼女放ったらかして逃げたわけじゃあるまいし。んな落ち込まなくても大概の野郎はお前と同じ反応するよ」
励ましてくれているのはわかるが、空中を逆さ吊りのままプラプラ揺れながらだと、何だか馬鹿にされているような気になるのは俺の心が狭いからだろうか?
そんな俺の胸中を余所にゾンビは機敏に親指を立てると、
「とにかく第一関門は突破だ。これから先、何があっても彼女を守ってやるんだぜ?」
「そんな兄貴ポジション的な格好いいセリフ吐かれても。あと恋人じゃなくて友達です」
何故俺はゾンビと仲良く会話しているのだろう。そんな疑問を抱いたまま行った俺の訂正に、ゾンビはメイクで歪んでいた顔を更に歪ませる。
「ああ? 男らしくねーぞてめぇコラ。はっきりしやがれこの野郎。
つーか何で俺はカップル共を元気付けてんだよ。こちとらクリスマスから正月明けまで休みなしだってのに。
クソッタレめ、むかついてきた。おらおら、とっとと先に進みやがれ」
「恐ろしいまでの手のひら返しっすね!」
今までの面倒見の良い兄ちゃんな発言は夢だったんだと錯覚させるような、すがすがしいまでの変貌っぷりだった。
つーかあんた、最初に脅かしたとき以外仕事忘れてただろ。
「あーあ、俺も女とイチャイチャしてぇなぁ。ヘーイそこのカノジョ、お茶しない?」
「ヒトの連れ口説くなそしてゾンビ仕事しろ」
アンデッドにあるまじき軽薄さを漂わせるゾンビに吐き捨てて、俺達は先へ進むことにした。
というかこいつに付き合ってたら日が暮れる。きっとこのシーズン、客が来なくて暇なんだろう。最初の仕掛けであれだけ時間使ったのに後続の奴が全く姿を見せないし。
もしかして今この館にいる客って俺達だけなんじゃないのか?
まぁこんな風に考えられるってことは、最悪の精神状態からは脱したらしい。その点はゾンビの兄ちゃんに感謝、か。
俺はある程度進んだところで足を止めると、すぐ隣を歩いていた綾咲に声を掛けた。
「あー、すまん。偉そうに言っておきながらものの数秒も持ちませんでした」
ばつの悪さを誤魔化すため指が無意識に頬を掻いていた。綾咲はそんな俺を見て、
「いえ、あれは誰でも驚くと思いますよ。ゾンビの方もそう仰ってたじゃないですか。それに……」
綾咲はそこで一旦言葉を句切り、どこか安心したように微笑んだ。
「よかったです。篠原くんが驚いてくれて」
……どういう意味だろう。
はっ! もしや先程の俺の姿が携帯のカメラで隠し撮りされていて、後日脅迫されるのでは。
ふふふ、篠原くん、この写真がばらまかれたくなかったら次のテストの時にこっそり解答を教えてくださいな。優奈……恐ろしい子……!!
ってあり得ないな。こいつ俺より成績いいし。何より携帯があったらこんな事態になってない。
発言の意図を読みかねて怪訝な顔を向けると、綾咲はそんな俺の行動を待っていたように続けてくる。
「だって驚くってことは楽しんでくれている証拠でしょう? お化け屋敷は驚いたり怖がったりすることを楽しむ場所ですから。
つまらなかったら、そんな反応しないと思いません?」
「まぁ、確かにな」
「ここに誘ったのは私ですから、ちょっと不安だったんです。もしかしたら篠原くんは退屈に感じてるんじゃないかって」
俺が綾咲に遊園地を楽しんでほしいと考えていたのと同様に、彼女も俺に楽しんでほしいと思っていた。それを聞いて何だか嬉しくなる。
でも素直に言葉にするのは照れくさいから、俺らしく皮肉げに返してやる。
「もしかしたらエンジョイタイムはあれだけかもしれないぞ。準備体操はもう終了したからな。
鋼の心と身体を兼ね備えるこの俺にもう油断はない。何故なら鋼だと油が切れると動けなくなるから。そんなわけで俺を驚愕させるのはもう不可能だぞ綾咲よ」
「篠原くん、意地悪です」
彼女はちょっとへそを曲げる素振りをしてみせてから、二、三歩舞うような足取りで前に出た。
それから俺に向き直って、柔らかい笑みを浮かべる。
「では、本当かどうか確かめに参りましょう」
だが俺はすぐには答えられなかった。彼女の表情に目を奪われていたのもあるが、それよりも左腕が軽くなったような不自然な感覚に戸惑っていたからだ。
まるでつい先程まで誰かに掴まれていて、綾咲が離れた瞬間に消失したような――――
いや、都合良すぎだろ。そう否定するものの、頭の奥ではどんどん推論が組み上がっていく。
腕を掴まれれば感触でわかる。だけど別のことに気を取られているときは例外だ。例えば突然目の前にゾンビがぶら下がったときなら。
そういえば少し開いていたはずの綾咲との距離は、いつの間にか肩を並べるほどになっていた。
「なぁ、綾咲」
受付のお姉さんが言っていた『友達以上恋人未満を落とすのに有効だから』という理由は綾咲には当てはまらない。
あいつは、その……俺を恋愛対象とは思ってないはずだし。
だったら残る選択肢は二つ。単に俺をからかったか、それとも。
俺は背後を親指で指し、問いかけてみる。
「さっきのやつ、もしかしてかなり怖かった?」
「さあ、どうでしょう? 自分でお考えくださいな」
しかし彼女はにこにこ笑ってはぐらかすだけだ。綾咲さん、意地悪です。
「悲鳴を上げなかったのは声が出ないくらい驚いたから、とか」
出来れば頼りにされた結果であってほしい。そんな多少の願望を込めて、俺は彼女を見つめる。
綾咲は立てた人差し指を唇に当てて、いたずらっぽく微笑んだ。
「ひみつ、です」
そうやってホラーハウスを満喫した後は。
二人でわいわい騒ぎながら、色々なアトラクションに挑戦した。
体験型の3Dガンシューティングをやって、綾咲と一緒に初心者丸出しの低いスコアを叩き出したり。
ミラーハウスに入って、ものの見事に出口がわからなくなってさまよったり。
ふらりと立ち寄ってみたゲームパークで、人生で初めて目にするというモグラたたきにおっかなびっくりな綾咲に吹き出してしまい、少しの間口をきいてくれなくなったり。
そんな時間を過ごして。
夕方になると葉山達と偶然に再会して、またみんなで行動した。
そうなってから、改めて思った。
あぁ、俺は綾咲が好きなんだって。
どうしようもなく好きなんだって。
ふたり一緒の時間を幸せに感じるくらいに好きなんだって。
だから――――
(後編・つづく)
373 :
2-57:2008/12/27(土) 22:58:35 ID:ofNFNZso
みなさんメリークリスマsすいません。間に合いませんでした。
しかも終わってません。後一回あります。ごめんなさい。
次回で一応の決着がつく予定です。
なるべく早く完成させるつもりです。
それでは、また。
Can't Stop Fallin'in Love乙
このまま綾咲と甘々な展開を妄想した
GJ!
……本当に決着着くのか?
なんかこのまま付かず離れずになりそうな気が……
いやいや、綾咲さんとのフラグは十分だし、いい決着を見られるに違いない
次回超期待してます
逆さ吊りになったまま真面目なアドバイスすんなゾンビwww
GJ
いよいよか…ユーリーの出番が少ないのは嵐の前の静けさなんだろうか
圧縮回避保守
保守
おお、続ききてた、決着楽しみ
Gjです
いや新年早々良い物を読ませてもらいました。
ところで、新年早々駄文を投下しますんで数スレお借りしますよ。
そんなに?!
きっと1レスに1文字なんだぜ! そんな初夢作品に期待するぜw
全裸で待ってる
385 :
381:2009/01/02(金) 03:03:20 ID:02hWG5a2
ごめん誤爆った・・・数レスの間違いです。
始まりは、高校二年の夏休み・・・の、直前。学期末考査で授業が午前中で終わる期間。俺が停学処分を受ける辺りから。
********************
七月も半ばになると、通学路には陽炎が立ち昇る。黒のスラックスが太陽の熱を、これでもかこれでもかっ、ええいこれでもかっ、と言わんばかりに吸い込み、汗ばんだ下半身がとても熱い(変な意味に非ず)。
ちくしょうどうしてスラックスに短パンは無いのだろう。最初にこのスタイル考えた奴を誰かここに呼んで来い。
「あぢいー」
「・・・(こくり)」
手の甲で汗を拭いながら呟くと、傍らの少女がぼんやりと頷く。無表情ではあるが、その額にも珠の汗が浮かんでいるのを見ると、ミニスカート着用の彼女でも相当辛いようだ。
うだる様な暑さに、着ていたシャツの襟元をばさばさと広げて風を取り入れる。が、取り込んだ風も熱くて外側から身体を冷やせない場合はどうすれば良いんだろう。
答えは至って簡単、冷たい食べ物を食べて内側から冷やせば良い。そう思って、傍らでおかっぱの黒髪をふらふらと揺らしていた少女に声を掛ける。
「咲耶(さくや)、辛くないか?」
「・・・(ふるふる)」
首を振るが、額には汗が浮かんでいるし、瞳もいつもより三割り増しでぼんやりとしている。
「無理するなって。帰りにアイスでも食っていこうぜ」
「・・・(こくこく)」
心の底から賛成らしく、いつもよりも多めに首を振る彼女。
「よし、俺の奢りだ」
「・・・!(ぶんぶんぶんっ)」
む、そうだった。咲耶はあまり人から奢られるのを良しとしない性格だった。だが、高校生の男女が連れ立って買い物をするのだから、ここは男が払いを持つべきだろう。それ以前に俺から誘ったのだし。
「気にするなよ。少しは格好付けさせろって」
「・・・(もじもじ)」
うーん、敵も手強い。ならば。
「だったら、今日は俺の奢りだ。そんで、明日は咲耶の奢りな。これで良いだろう?」
それでもまだ咲耶は、眉毛を八の字に曲げて悩んだり、ちらちらと俺の顔を窺ったりしていたけど。
「・・・・・・・・・・・・(こくり)」
「よし決まり」
やがて、ぎこちなく頷くと、俺にしか分からない程度に微笑んでくれた。
それから二人並んで、通学路にある喫茶店に入る。俺も咲耶も入ったことの無い店だったけど、落ち着いたジャズと共に店内にゆったりと流れる雰囲気は、好きになれそうだった。
「いらっしゃい」
カウンターの奥に居た人影が、俺を見て声を掛ける。エプロンをつけていたその女性が店主なのかと思ったが、俺達が座ったテーブルにメニューを置いてから厨房の奥で誰かを呼んでいたから、多分店主の奥さんとかなのだろう。
「咲耶、どれ食べる?」
「・・・・・・(じーっ)」
俺が声を掛けたときにはもう、咲耶は季節限定のメニューに釘付けだった。
「あん?どれどれ・・・おお、うまそ」
「・・・・・・(きらきら)」
俺が向かいからメニューを覗き込んでも、目を輝かせて食い入るようにパフェの写真を見詰めるだけで、互いの息遣いが分かるような位置に居る俺はガン無視。ふつう女の子って、あんまり男と近づくと緊張したりするんじゃないの?
「咲耶、少し顔除けてもらえる?俺も見たいから」
「・・・・・・(きらきらきら)」
・・・気にしないケドサ、ふんっ。
「へー、白玉団子と抹茶アイスのパフェか・・・黒蜜とチョコレートのソースが乗っかって・・・うわ、甘そー」
「・・・・・・(きらきらきら)」
「『夏季限定クイーンパフェ』・・・これだけ和風なのに何処がクイーン・・・?」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
「んっと、お値段は・・・ぶふうっ!?く、クイーンってお値段のレベルだったのか!?」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
相も変わらず目をきらきら輝かせている咲耶だったが、俺はそれどころではない。こんなものを注文された日には、財布の中から虎の子の樋口先生が旅立ってしまう。
奢るとか言っておいて咲耶には申し訳ないが、どうにかしてそれだけは阻止しなければっ!
「さ、咲耶・・・ほ、ほら、こんなに甘そうなの食べると、太っちゃうぞ?それに、いっぱいありそうだから食べきれないんじゃ・・・」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
「っていうか聞いてる?咲耶?さーくーやー、おーい。咲耶ちゃーん?」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
「・・・・・・」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
「・・・すんません、このクイーンパフェってのとアイスコーヒーのセットで」
樋口先生、どうかお達者で。
高橋咲耶(たかはしさくや)と俺・・・山口和宏(やまぐちかずひろ)は、小さい頃からの友達だ。親同士が親友だった事もあり、ちょくちょく互いの家に遊びに行っては遅くまで遊んでいた。
今は、彼女の家の都合で、俺達は一緒に暮らしている。といっても、どっかの下手なラブコメみたいに二人っきりで暮らしてマース、という訳ではない。ちゃんと、俺の両親が一緒である。
咲耶はあまり人と話をしない。というか、あまり人と話すことが出来ない。幼馴染である俺や、小さい頃から面倒を見てきた俺の両親ともせいぜい小声でぼそぼそと話す程度だ。
昔は活発な少女だったのだが・・・まあ、その理由を話すには今の雰囲気はゆったりし過ぎている。それをかき乱すのは、どうか今だけはご勘弁願いたい。
で、しばらく経って。咲耶のパフェと、俺のコーヒーが一緒に運ばれてくる。セットにした分いくらか安くなったのは不幸中の幸いだった。
「・・・ふ、んく・・・ん」
「美味いか?」
やたらめったら色っぽい声を出しながら抹茶アイスを頬張る咲耶だが、口元に緑色のクリームが付きまくっている辺り全然全くこれっぽっちも色気が無い。
「・・・んふぅ(こくこくこく)」
「そっかーよかったなーあははははは」
もうこの場で死んでも言いやという笑みを浮かべる咲耶とは対照的に、俺の笑顔はどこか薄っぺらで、乾いたものだった・・・その前に財布が薄くなっちゃったからね。ぐすん。
「・・・かずくん」
「ん?どうした」
ふと名前を呼ばれて彼女の方を見てみると、咲耶はスプーンを口に咥えたまま小首を傾げて、上目遣いに俺を見ていた。
あどけない仕草に胸がどきりとするが、平静を装って笑顔を保つ。
「・・・コーヒーだけでいいの?」
お前がお値段四ケタのパフェなんか頼むからだろうが。危うく喉下までせり上がったその言葉を、何とか飲み込む。
(奢るって言ったのは俺だしな・・・それに咲耶に悪気は無いんだろうし)
「ん、あー・・・ちょっとな。そんなに甘そうだと気後れしちまってさ」
「・・・・・・そんなに、甘くないよ?・・・おいしいけど・・・」
嘘だ。ぜってー嘘だ。そんなゲロ甘そうなものを、どうしてお前はぱくぱくと食えるんだ。
「咲耶は甘党だからだろ。ほら、前にも桃缶の桃に練乳と蜂蜜かけて食ってたし。俺だったら絶対に食えないぞ、あんなの」
「・・・・・おいしいのに」
眉を八の字に曲げて可愛らしく肩を落とすが、スプーンを口から離さない辺りはいい根性していると思う。
「ま、もうちょっと暖かい時にな」
冗談めかして言った俺の言葉に、咲耶がまたも首を傾げる。
「・・・こんなに暑いのに?」
「いや、懐が寒い」
「・・・え」
「あ」
しまった本音が。このままでは咲耶が責任感じて落ち込む・・・って。
「・・・わたしの・・・せい?(ふるふる)」
や、やばい!早くも目に涙が溜まっているっ!?
「い、いやあの咲耶っ・・・今のちょっとしたジョークだぞ、ジョーク!はい、ここ、笑うところーっ!わっはっはーっ!」
「・・・・・・ごめ・・・なさ・・・(ふるふるふる)」
ああああ効果ゼロだああっ!?
(えーっとえーっとこういう場合に俺はどうすれば・・・ち、ちくしょう年齢イコール彼女いない歴の俺には難しすぎる課題だぞ・・・)
「・・・じゃあ、はい・・・」
俺がテンパっていると、彼女は俺に向けておずおずと手を差し出してくる。よくよく見るとその手の先には、スプーンで掬われた緑色のアイスクリーム。
「え?・・・あの、咲耶?一体何を」
「は・・・はい・・・あーん・・・」
・・・・・・・・・・は?
「おい?咲耶、何してんの?」
「・・・だって・・・かずくんも、食べなきゃ・・・なんか・・・わたしだけ、ずるい、から・・・」
「む、むう・・・いや、そりゃ言われてみればそうなんだが・・・」
「・・・だから、かずくんも、たべて・・・」
・・・いや、だからって。何故に『はい、あーん』?っていうか、店主の奥さん(と思しき人)や他のお客さん(大抵はジジババ
)の生暖かい視線が何故かスゲエ痛いんだけど。生暖かいはずなのにスゲエ痛いんだけど。『いやあ、若いって良いわねえ、見せ付けてくれちゃって。おほほほほ』とか聞こえてきそうな感じなんだけど。
「・・・ちっちゃな頃はよくこうしてたよね?」
「何年前の話だよっ・・・」
「・・・はやく・・・とけちゃうよ?」
「・・・っ、わ、わかったよ」
不承不承、俺は伸ばされたスプーンに顔を近づけて、その先端にかじり付く。爽やかな冷たさと、予想よりも甘さが控えられた上品な甘さが口の中に広がった。
「ん、ほんとだ。結構美味いなコレ」
「・・・・・・(こくこく)」
やっぱり高校生にもなって『はいあーん』は恥ずかしかったのだろう。咲耶も少しばかり頬を赤らめている。・・・だったら最初からするなよ。
それから、再びもぐもぐとアイスを頬張り始める咲耶。俺は何とはなしにそれを眺めていたが、咲耶の持つスプーンに目が行った時、ふと、頭に浮かんだ単語があった。
(つか、さっきのアレ・・・間接キス、だよな・・・)
その事実が脳裏を掠めたとき、一気に熱が上がる。
(う、うわあああ。な、なんかやばい。なんかやばい。何がって、なにかがっ)
「・・・・・・(じーっ)」
「ぬぁ!?さ、咲耶、どうした?」
「・・・かお、あかい・・・」
「っ!?べべべ別に赤くなんてないぞ!?」
それからも心配そうに俺の顔を覗き込んでくる咲耶を前にして、間がもたなかった俺は、ちびちびとアイスコーヒーを啜る事しかできなかった。
392 :
381:2009/01/02(金) 03:15:13 ID:02hWG5a2
以上、学生時代に書いたものに申し訳程度の推敲を施した駄文でした。
以上とか言っておいてなんですが続きます。
・・・当時の友人に読ませてみたら、十中八九が「これは純愛小説じゃなくてラブコメだ」と言ったんですが何故でしょうか。
では、今日はこの辺りで。家族が(特に娘が)起きていなかったら明日もまた来て落としていきますので。
GJ!
ラブコメ歓迎!!
>>392 >娘
つまりこれは学生時代の実話だけど恥ずかしいから学生時代の小説としたんだな!
395 :
381:2009/01/04(日) 14:41:03 ID:HnOU7sYD
どうも、381です。昨日は姿を見せず失礼しました。急に時間と家の中が空いたので第二話投下していきます。
会計も済ませて外に出ると、途端に熱さが蘇る。カランコロン、というドアベルの音に続いて再び身体を包み込んだ、ぬるま湯に浸かっているようなじっとりとした暑苦しさに、俺達は揃って目を細めた。
「・・・あぢー」
「・・・・・・(こくり)」
三十分前と同じ台詞を言う俺と、やっぱり無言で頷く咲耶。
「・・・咲耶、家までダッシュで行けるか?」
「・・・・・・(ふるふる)」
無理か・・・まあ、当たり前だよなあ・・・
「まあ、日陰に入りながら行くか」
「・・・・・・(こくり)」
咲耶が頷いたのを確認して、俺達は歩き出す。の、だが。
「あっれー?山口、オンナ連れ?」
俺の耳に不法侵入を果たしやがったのは、不本意な事に聞き覚えのある声だった。声の聞こえた方を振り向くと、予想を裏切らず、軽薄そうな顔が見えた。
「古賀・・・」
古賀英一(こが えいいち)。俺と同じクラスの男子で、現役の柔道部員。一年の冬までは普通に話をするごくごく普通のクラスメイトだった。
だったのだが、去年の体育で行われた柔道の授業で帰宅部相手に手を抜いて・・・結果として俺に投げ飛ばされた事が気に入らないらしく、以来俺に向かって何かと挑発的な態度を取るようになった。
こいつの嫌なところはそれだけじゃない。何年も前の漫画みたいに、偉そうに取り巻きなんぞ連れて居やがる。現に今だって、古賀の後ろには二人、金髪やらピアスやらでごちゃごちゃと頭を飾った連中が気だるそうに突っ立っていた。
こいつと関わるとろくな事が無い。そう思って、俺は咲耶を連れて逃げようとする。
「咲耶、行くぞっ・・・」
「あ、わ・・・」
ところが、運が悪かった。俺は焦って咲耶の手首を掴んで歩き出そうとしたのだが、驚いた咲耶は足をもつれさせてしまった。
結果、咲耶がバランスを崩して倒れかけて・・・
「おっと、危ない危ない」
最悪な事に、それを古賀が抱き留める。
「わ・・・すい、ませ・・・」
反射的に、古賀に謝る咲耶。
「ふーん、あんたが高橋咲耶?」
対照的に、面白そうに口元を歪める古賀。
「あんたの事は知ってるよ、有名人だからな」
―――『有名人』。その言葉に、咲耶の唇が引きつるのが見えた。
「おい古賀・・・」
「可哀そうだよなぁ、喋れないなんて。でもそれだったら、山口にとっては男の威厳振りかざすには絶好の相手だよな」
間違いない、こいつは・・・咲耶が、俺達家族以外と口を利けない『理由』を知っている!
「古賀、黙れっ!」
「おお、コエエ。ねえねえ咲耶ちゃーん、こんな怖い奴よりもさ、俺に乗り換えない?おとーさんとおかーさんが家に居ないんじゃ、こいつに襲われちゃうよー?」
「古賀っ!」
「ひゃはは!落ち着けって山口!」
軽薄な笑みを浮かべながら、古賀は容赦なく咲耶を突き飛ばした。そして、言ってはいけないことを、言い放った。
「嘘に決まってんだろ、バーカ。親に捨てられてヒッキーになった女なんて、いらねーよ」
「てめえ、古賀っ!」
咄嗟に古賀に掴み掛かりそうになるが、それよりも突き飛ばされた咲耶を支える方が先だった。
ぼすっ、という手応えと共に、咲耶が俺の腕の中に倒れ込んで来る。
「咲耶っ、大丈夫・・・」
大丈夫か、と聞こうとして、俺の頭は凍りついた。
咲耶の瞳から、透明な雫が一筋。つう・・・っと頬を流れるのが見えて。
(・・・この、やろう。)
その光景をスイッチに、頭が動かなくなった。
「ま、お前もラッキーだよな。喋んないんだったら、犯そうがマワそうがチクられねえしよ」
「・・・黙れよ」
「なんなら今度、俺達も仲間に入れてくれよ。どーせそいつ、お前の言う事なら何でも聞くだろ?」
「・・・古賀」
「あ、でもヨガんねえんなら興奮しないんじゃねえ?もったいねえよな、喘ぎ声なしじゃ・・・」
ウルセエ、黙レ。ブッ殺スゾコノくそ野郎ガ。
怒りに、視界が真っ赤に染まった。赤いセロハンを貼り付けたような視界で、古賀の顔が一気に近づく。
俺はそこに、迷わず拳を叩き込んだ。
「がっ、ぁああっ!?」
下品な声と鼻血を撒き散らしながら、古賀の巨体がアスファルトに倒れる。視界から伸びた見覚えのあるスニーカーが、ワイシャツの下の鳩尾を的確に踏み貫く。
「てめえ、山口ッ!」
「こ、古賀!大丈夫かっ」
うるせえ、お前らも失せろ。拳を振りかぶって向かってきた雑魚二匹の顔面に、もう片方の靴底を順番にめり込ませてやる。二匹とも黙らせるまでに二回殴られたけど、どうでも良かった。
蹴ったときに、ごき、とけっこう派手な音が聞こえた。脆いな、つっぱってても所詮は雑魚か。
(・・・ごき?・・・ああ、どっか折れたのか・・・まあ良いや、俺には関係無いし)
もう一度足元の巨体に足を乗せると、やめろ、とか、許してくれ、とかいう声が聞こえたが、そんなつもりは毛頭無い。うるさかったから、答える代わりにもう一回、赤く染まった口元を踏みつけてやった。耳障りな絶叫が、聞こえた気がした。
・・・下品な声だ。
耳に響くその声を聞いても尚、俺は意識がぼんやりとしていて、まるでアクションゲームのプロモーション映像を見ているような気分だった。
踏んでも黙らなかったから、もう一度踏もうとした。けど。
「・・・・・・っ!」
突如、背中を揺らした衝撃に、俺の意識は一気にクリアになった。
「あ・・・?」
自分の腹に温かさを感じて、ふと視線を巡らせて見る。細い腕。女の子の、白くて綺麗な腕が、俺を捕まえている。
誰だ、と思って視線を巡らせる。
「・・・・・・かず、くん・・・だめ」
「咲耶・・・」
細い身体の、どこにそんな力があるのだろうと思うような力で。咲耶が俺を捕まえていた。
「・・・わたしは、いいから・・・」
「なに、言ってんだよ・・・こいつらは、お前の事を」
「・・・お願い、だから」
咲耶は、泣いていた。涙を拭こうともせず、俺を捕まえていた。その気になれば簡単に振りほどく事はできるのに、俺には何故か出来なかった。
大人しく一歩下がり、足を除けると、水を得た魚、というべきか、それまでぐったりとしていた古賀は生き返ったように飛び起きて、足を引きずりながら逃げていった。取り巻きの雑魚共が、それに続く。
それを見送ると同時に、殴られた頬と腹が、急に痛み出した。
「あ、ぐっ・・・」
短く息を吐いて、俺は道路にペタリと座り込んでしまった。
「っ!」
鋭く息を呑んだ咲耶が、俺の正面に屈み込んだ。
「いたそう・・・かずくん、いたい?」
「あ、ああ・・・ちょっと、いつつっ・・・すげえ痛い」
・・・あの野郎共、尖った指輪か何か身に着けていたのか。頬の皮膚が線を引いたように切れていて、そこから血が流れていた。
咲耶がスカートのポケットからハンカチを取り出して、俺の頬に当てた。
「さんきゅ・・・いててっ」
それから、数分経って。咲耶が、小さな口を開いた。
「ごめんね・・・かずくん」
「んあ?どうして咲耶が謝るんだよ」
咲耶は俯いていて、整った口元が微かに動いている事しか、俺の位置からは見えなかった。
「・・・わたしの・・・せいで」
「・・・・・・馬鹿、そんなこと言うなよ」
ああ、この少女は。どうして、そんなことを言うのだろう。俺は彼女を守りたかったから、あいつらを殴ったのに。彼女を傷付けるものを消してしまいたくて、手を出したのに。
そうやって、俺が彼女を傷付けてしまった。
「けど・・・」
「うん?」
「・・・ひとをぶつときのかずくんは・・・こわくて・・・きらい」
「そっか」
「だから・・・・・・いつものかずくんでいて・・・おねがいだから・・・」
「うん・・・ごめんな」
俺の前で涙を流している少女。そんな顔を見て居たくなくて、抱きしめて隠してしまいたかった。もう泣かないでくれと言って、両手で抱きしめて、涙を俺の服で拭いてしまいたかった。
けど、俺にそんな資格は無い。今彼女が涙を流しているのは、俺のせいなのだから。
俺は、咲耶が好きだ。
402 :
381:2009/01/04(日) 14:52:54 ID:HnOU7sYD
今回はこれで終わりです。今回厨二病が出てきましたが、後々目立たせるつもりなんで大目に見てやって下さい。
では失礼します。
次回から、コテハンを「沢井」に変更します(381→沢井)。
>>402 GJ!! 良かったですー。萌えたし燃えた。
404 :
沢井:2009/01/05(月) 23:16:47 ID:J0hqn1jl
皆さんこんばんは。私は今日から仕事でしたが皆様いかがお過ごしでしょうか。
『コトノハ ヒラヒラ』第三話投下していきます。
奥さんを亡くしてから男手一つで咲耶を育ててきた彼女の父親が、多額の借金と幼い咲耶を残して失踪したのは、七年前だ。
その日、小学校に咲耶が来なかった事に、俺は気付いていた。けれど、風邪でも引いたんだろうと思って、特に気にも留めなかった。
次の日も、咲耶は学校に来なかった。風邪がまだ治らないんだろうと思って、やはり俺は気にしなかった。
また次の日も、咲耶は学校に来なかった。相当質の悪い風邪なんだろうと思って、今度お見舞いに行ってやろうと思った。
けれど、その日はそろばん塾があって忙しかったし、何より、女子の家に遊びに行くのは当時の俺にとってどうにも気恥ずかしいものがあって、結局行かなかった。
次の日に何も連絡が無くて、やっと俺はおかしいと思った。担任に、咲耶の欠席の内容を聞いても、連絡が何も無いために分からないと言うのだ。担任も咲耶の家を訪ねてはみたそうだが、玄関に鍵が掛かっていて、誰も居なかったのだと言う。
そして俺は、その事を父に話した。すると父には、何か心当たりがあったらしく、以前に咲耶の父から預けられていた合鍵を引き出しから引っ張り出すと、俺を連れて咲耶の家へと向かった。
咲耶の家の郵便受けには、もう何日分も新聞が溜まっていた。父の顔つきは段々と深刻になっていき、俺は訳の分からない不安に襲われた。
そして、合鍵でドアを開けた時。
――――数日の間まともに食事もせずに父親の帰宅を信じて、痩せ細った身体で懸命に家の留守を守っていた、一人の少女が居た。
咲耶は俺達の姿を見た瞬間、安心したように微笑むと、椅子からずるりと崩れ落ちた。咄嗟に父が受け止めた為、怪我は無かったのだが、その瞳がいつもの快活な、輝きに満ちたものでなかった事は、傍で見ていた俺にもわかった。
『あの大馬鹿野郎!!』
親友が娘を置き去りに蒸発した事を悟った父の怒号が、人気の無くなった部屋に響き渡った。温厚な父が激怒した事も、当時はそういった事情を理解できなかった俺にとってはショックだった。
けれど、訳も分からず、泣きながら咲耶の名前を呼んでいた俺にも、たった一つだけ、分かる事があった。
咲耶の幸せな時間が終わって、それが二度と再開される事は無くなってしまったのだ、と。
後になってから分かった事だが、咲耶の父は失踪する日、予め事の顛末を記した手紙を咲耶に渡していたのだ。今日からお父さんはしばらく会えないから、夜になったら山口さんの家に電話をかけてお家に来てもらって、この手紙を見せなさい、と。
聡い子供であった咲耶は、父の表情から、それを行えば父親とは二度と会えないことを直感で感じ取った。そして、子供なりに考えて、言われた事をしなければ、お父さんが怒って帰ってくる、と考えたらしい。
そして咲耶は、数日の間、子供一人で過ごすには大きすぎる家の中で留守番をしていたのだ。
咲耶に異変が起こったのは、その次の日。病院で目を覚ました後だった。意識を取り戻した咲耶に、傍に着いていた看護士が話しかけたらしい。けれど、咲耶は何も答えなかった。
表情で何かを伝えようとはしたし、首を縦に振るか横に振るかで意思表示も出来た。けれど、医者や看護士、カウンセラーがどれだけ話しかけても、咲耶が言葉を発する事は無かった。
俺がそんな咲耶の様子を担任から聞いて、学校を飛び出していったのは、更に翌日の事だった。病院の受付で咲耶の病室の場所を聞くと、彼方此方から聞こえてくる注意の声も聞かず、全力で走り出した。
『さくやっ!』
病室に辿り着いたとき、面会謝絶の札が出ていたが、『めんかい』から下の漢字がまだ読めなかった俺は、無視して扉を開け放った。病院に相応しくない乱暴な登場に、当然医者に怒られて看護士につまみ出されそうになったのだが。
『・・・かず・・・くん・・・?』
誰もが目を瞠った。咲耶が意識を取り戻して、初めて発した言葉。それは、病院の廊下を平気で走り回り、面会謝絶のドアを乱暴に開け放つような、馬鹿な子供の名前だったのだから。
もしかしたら俺の存在が、咲耶の回復のための何らかの鍵になっている、と医者達は踏んだのだろう。俺の両親が必死に頼み込んだこともあって、保護施設に入れられる筈だった咲耶は急遽、俺の家に引き取られる事になった。
咲耶はそれから、俺と、俺の家族以外の人間とはまともに口を利かぬまま、七年の時を過ごした。
喫茶店帰りの騒ぎから十数時間が過ぎて、翌日。朝から俺は注目を浴びていた。教室に入ればクラスの連中が俺を見て眉を顰め、廊下に出れば大抵の奴らが視線を逸らして道を空ける。
(・・・まあ、あれだけ派手にやらかせばこうなるだろうな)
汚いものを見るような視線と、珍しいものを見るような視線。遠慮もへったくれも無いそれらを浴びて、どうにも肌がぴりぴりとする。なんとなく、頬に貼った絆創膏の下の傷まで、じくじくと痛んだ気がした。
品行方正且つ成績優秀と名の知れた二年三組クラス委員長の山口和宏が、現役の運動部員をあわや殺人未遂の目に合わせたという噂は、翌日には既に学校中に広まっていた。
とりわけ仲の良かった奴らは心配して、何があったんだと話しかけてくれたけど、他のやつらには既に『キレると容赦なく殺戮に走る男』のレッテルが貼られてしまったらしく、怖がって誰も近付いて来ない。
そうこうしている内に、俺は校内放送で呼び出された。行き先は、校長室だった。
「俺が先に殴りました。特に理由は無いです。ただ、むかついたから殴りました」
俺の言葉に、校長以下数名の教師は、呆気に取られていた。そちらを見ていないから何とも言えないが、多分隣を向けば、古賀以下三匹の馬鹿が、揃って同じような表情を浮かべているのだろう。
「しかしだね、山口。日頃の君の生活態度を見る限り、私達には、君がそんな軽薄な理由で暴力に訴えるような人間とは思えないのだが」
校長の髭面の奥から言葉が流れる。何でも良いから煮るなり焼くなりしてもらってさっさと終わりにしたかった俺は、ぶっきらぼうに述べる。
「ええ、日頃からいい子ちゃんのふりしていて疲れましたし。なんでもいいからストレスの捌け口が欲しかっただけです。そこに、ちょうど良くこの三人が居た。それだけです」
スラスラと口を突いて出た台詞に、担任と教頭は唖然としていた。しかし、校長はふーっと大きく溜息をつくと、未だに納得の行っていない部下達を一瞥して、こう言った。
「なるほど、よくわかった。明日から終業式までの一週間、同校学生間における暴力行為で山口を停学処分とする。朝倉と篠田が山口に振るった暴力は正当防衛とするが、反省文をA4レポート用紙で十枚、明日までに提出する事。尚、山口はこの後、ここに残りなさい。以上」
「すんませんでした」
深々と頭を下げる俺につられて、隣に居た古賀、篠田、朝倉の三馬鹿がぎこちなく頭を下げる。そのまま教頭と担任に連れられ、三馬鹿が退室する。擦れ違いざま、古賀がこっちを見て、何か複雑そうな表情をしていた。
・・・・・・勘違いすんな、お前を庇ったわけじゃない。俺はここにいる教師達にまで、咲耶のことを知られたくなかっただけだ。
そして、校長室には俺と、その部屋の主だけが残った。
「・・・・・・さて、和宏。あれで良かったのか?」
「ああ、助かったよ伯父さん」
部屋の主・・・この高校で校長を務める俺の伯父、山口和樹(やまぐち かずき)は、やれやれ、といった表情で俺を見た。立っていた俺にソファに座るように促すと、自分の机から煙草の箱と、使い古されたオイルライターを取り出した。
「おいおい、ここって禁煙じゃないの?」
俺が言うのも聞かず、四角い形の彼方此方に傷が目立つライターの火打石を指先で弾く伯父さん。やがて伯父さんが俺に背を向けて、大きな窓をガラガラと開け放つ。
一瞬だけ吹き込んだ風に流されたのだろう、煙草特有のいがらっぽい匂いが、換気しきれずに俺のほうまで微かに漂ってきた。
「吸いたくもなるわい。ったく、お前は何を考えとるんだ・・・教師として和也に合わす顔が無いぞ。俺はあいつに何をどう言い訳すれば良いんだ」
「悪かったって、つーか親父にはもうバレてるし既にボッコボコにぶん殴られたよ」
俺が顔に張り付いた絆創膏の一つ―――取り巻き共のパンチではなく、親父の拳骨で発生したもの(複数)―――を指差して苦笑いを浮かべると、伯父さんは、あいつならそうするだろうな、と言って軽く笑った。
やがて、開け放った窓からすぱーっ、と紫煙を吐いた伯父さんは、先程よりも若干硬い・・・要するに真面目な声で言った。
「古賀のハナタレ小僧が、咲耶ちゃんのことで何か言ったらしいな」
「げ、なんでもうバレてんだよ!?」
「今朝方、お前の親父に電話で聞いた。咲耶ちゃん、お前が和也に殴り倒された後で和也と華澄さんに涙ながらに説明して『和宏は悪くない』って訴えたそうだぞ」
親父達にそこまでバレてるって伯父さん知ってたんじゃん・・・
「ていうか、咲耶・・・あれほど何も言うなって言ったのに」
「まあ、お前の気持ちもわからんではない。咲耶ちゃんの前でその話をさせて傷付けたくないと思うお前の気持ちは、立派だと思う」
伯父さんはそこで一旦言葉を切り、煙草を携帯灰皿の蓋に押し付けて火の消えたそれを灰皿本体の中に放り込むと、子供の悪戯を窘める様な優しい声音で俺に言った。
「けどなあ、あの子の事を心配するあまりお前が暴走してたら、本末転倒も良い所だぞ。お前だって、それは嫌だろう?」
それは、昨晩親父にも言われた事だった。親父の時は拳骨のサービス付きだったけど。
『咲耶を心配するお前の気持ちは分かる。だがな、お前はそうやって咲耶の為と思って突っ走って、結局あの子に心配をかけたんだぞ。それを忘れるな』
「・・・ああ、気を付けるよ」
二人分の忠告をありがたく受け取って、その意味を噛み締めた。
410 :
沢井:2009/01/05(月) 23:25:40 ID:J0hqn1jl
第三話は以上です。
>つまりこれは学生時代の実話だけど恥ずかしいから学生時代の小説としたんだな!
いえ、カミさんとは大学の合コンで・・・
これは続きがみたいぜえええええええええええ
>いえ、カミさんとは大学の合コンで・・・
かみさんいるだけいいじゃねええええかああああああああああああああああああああああああ
保守
414 :
名無しさん@ピンキー:2009/01/15(木) 03:27:40 ID:p3NGmuVS
保守age
そしてまた一年先へ
甘いな
コトノハの一話二話って何処行ったら読めますか?
これぞ愛
421 :
名無しさん@ピンキー:2009/01/23(金) 09:09:22 ID:KqK37y9p
ぎゅー♪
すりすり♪
ツンデレか
423 :
沢井:2009/01/24(土) 23:15:42 ID:TkBTqt4x
どうも、ご無沙汰してます。
コトノハ 第4話投下していきます。
直後、俺の名前はでかでかと職員室前の廊下に貼り出された。右の生徒を、暴力行為により一週間の停学処分とする。二年三組 山口和宏 以上。
テスト期間中だというのに、刺激に飢えた学生達は休み時間になるとわらわらと職員室前に集まってそのスクープにかじりついていた・・・勉強しろ、てめえら。
「おいおい、山口って言ったら去年英語のスピーチで何かの賞もらってた奴だろ?」
「人って見かけによらないよなー・・・」
「あっ、私その噂聞いたよ。山口君、高笑いしながら古賀の顔踏み付けたって・・・」
「うわ、キレると結構怖いんだね・・・」
などという噂が聞こえたので、俺は耐え切れず、今日の授業の全てを受け終わる前に学校を出た。
「俺、夏休み明けたら学校行けなくなってるかも・・・」
「!(びくっ)」
「あ・・・さ、咲耶のせいじゃないぞ。コレはホント、俺の自業自得だから」
「・・・・・・(こくり)」
咲耶も、ホームルームが残っているにも関わらず、そんな俺を心配して付いて来てくれた。俺が言うのも不謹慎極まりないが、咲耶が学校をサボってまで俺を心配してくれるのはちょっと・・・いや、かなり嬉しかった。
下校がてら、昨日の喫茶店に寄って行こうかと一瞬考えたが・・・仮にも自宅謹慎の身だというのに流石にそれはまずいだろうと思って、真っ直ぐ家、にっ、おわぁ!?
「・・・・・・(くいくい)」
「ど、どうした咲耶」
突然服を引っ張られて何事かと思い後ろを振り向くと、咲耶が俺のシャツの裾をくいくいと引っ張っていた。
「・・・ぁ、う・・・」
何かを言おうとはしたが、結局言葉にしないまま、無言である一点を指差す咲耶。指の先には、先程俺がスルーした喫茶店。
「・・・いや、あのな咲耶。俺ね、一応停学中なの」
「・・・・・・(こくり)」
「その俺が、サ店に寄り道して帰るのは問題があるだろ?」
「・・・・・・でも(もじもじ)」
「アイスだったら、親父にでも買って来て貰えよ。良いから、早く帰るぞ」
「・・・・・・ごめんなさい」
小声でそう言ってからしゅんと項垂れてしまった咲耶を連れて、早めにその場を離れた。
後々になって考えてみれば、その時の俺はとても機嫌が悪かった。
「ただいまー」
「・・・まー」
それぞれが帰宅を知らせる挨拶をしてから、玄関の扉をくぐる。
「あらー?二人とも、今日は随分と早いのね」
間延びした声がキッチンから聞こえてくる。俺のお袋だ。息子の俺から見ても美女ではあるが、相変わらず少女趣味な猫の模様のエプロンが全く以って似合っていない。
分かりやすく言うと二十か三十の女に子供服を着せているような・・・まあ、それはそれで一部の人には破壊力があるんだろうけど、とにかくそれぐらい、似合っていない。
・・・前に親父が、フリルがふんだんに使われた、通称『新妻エプロン』をプレゼントした時は、「私の趣味にけちをつけるなんていい度胸ねえ、あなた?」とか言いつつ笑顔のままで親父を殴り倒していたから誰も何も言わないけど。
「何か色々と噂立てられて、気分悪くなってサボった」
「和ちゃん、お母さんに嘘は駄目よ。あなたはそんな繊細でナイーブな子じゃないでしょ?」
優しい口調ですげえ酷い事息子に言っていませんか、あんた。
「・・・まあでも、実際気分は悪いな。停学明けたら怪獣扱いされてそうだ」
「あら、和ちゃんってば怪獣だったの?」
そんな訳があるかい。
「違うんなら、気にしないのが一番よ」
母さんはいとも簡単に言うと、クッキーと紅茶のポットを持ってキッチンからリビングへと歩いてきた。
アイスのほうが良かったかしらねー、と言って、俺のマグカップと咲耶のティーカップに交互にお茶を注いだ母さんは、クッキーを三分の一ほど―――多分、自分の分なのだろう―――をにこやかな笑顔のまま一気に鷲掴み、豪快に頬張ってから再びキッチンに戻って行った。
「ほえじゃあ、ふはりおもうっくりたえあはいえー(それじゃあ、二人ともゆっくり食べなさいねー)」
その台詞は俺達があんたに言いたいぞ、母さん。がりごりぼりべり、という音と共に聞こえてくる意味不明の言葉をなんとか解読した俺は、心の中で呟いた。
「・・・かすみさん、すごい」
「全くだ。咲耶はああいう風に物を食うようにはなるなよ」
「・・・・・・(こくり)」
そのまま椅子に座って、咲耶と二人、紅茶を啜る。
「美味いな、このクッキー」
「・・・・・・ん(こくこく)」
口の中に甘いものが入ったことでご満悦の咲耶。昨日に引き続き瞳がきらきらと輝いていた。
「・・・でも、いっしょに食べてるから・・・だと思う」
「うん?」
「・・・いっしょに食べると、おいしい・・・」
そう言った咲耶の頬は、少しだけ、赤かった。それが紅茶の熱によるものか、照り付ける日差しによるものなのか、はたまた別の理由があるのか。それは、咲耶ではない俺には分からない。
・・・けど、俺の頬が熱かったのは別に照れたわけではなく、暑い日にホットの紅茶をがぶがぶと飲んだせいだ。そのせいだったらそのせいだ。
腹が膨れると、俺達はそれぞれ自分の部屋へ引っ込んで机に向かう。俺は教科書を広げて、夏休み明けに行われるであろう実力テストの勉強をする。
・・・期末試験の期間中に停学処分を喰らったので、その間の試験は全て0点となるのが決定しているのだ。留年を回避するためには、この後に行われる試験の全教科で、及第点の二倍の点数を取らなければならない。そう思うと、とてもとても気が重かった。
まあ、他の奴らよりも早めに休みになってじっくりと腰を据えて取り組める事を考えると善し悪し・・・いや、やっぱり悪いか。点数がっつり差っ引かれてる訳だし。
しばらくして、コンコン、と。廊下に面したドアが控えめにノックされた。見なくても分かる。咲耶だ。
・・・誤解の無いよう言っておくが、音で分かるとかそんな凄い芸当ではない。ノックの時に「和宏、居るかー?」とか、「和ちゃん、ご飯よー」とかいう声が聞こえなければ大概は咲耶であるというだけだ。
「咲耶か?どうした」
俺の言葉に、立て付けの悪い木製のドアがギィ、と開けられて、キャミソールに身を包んだ咲耶が入ってくる。
「・・・あ、う・・・テストの・・・」
ぎこちなく言って、自分の腕の中にある数冊の冊子に目を落とす咲耶。冊子の表には・・・
「・・・微積か。そういえばお前、苦手だったな」
「・・・・・・(かくん)」
頷いた、というよりは落ち込んだ様子で首を縦に振る。ただ、俺はそこで疑問に思った。
「微積って、今日の科目じゃなかったか?なんで今になって・・・あ」
そこまで言って思い出す。そういえば、今日は咲耶は、何時に下校した?俺と一緒に、『今日の授業が終わる前に』。つまり・・・『今日の試験日程が終わる前に』、帰ってきた。
「な、お前・・・まさか、そっちのクラスのテスト、終わる前に帰って来てたのかよ!?」
初耳どころか、寝耳に水も良いところだった。一緒に帰ると言ったときは、もう終わったから退室してきたと言っていた。なのにこいつは、俺を心配して、自分のテストを受けなかったのだ。
「あ、ちが・・・あの、た・・・担当のせんせいが、お休みで・・・延期に・・・」
「嘘こけ!じゃあなんでそんなに慌てるんだよ!?」
「あ・・・ぅぅ」
ちょっと強めに言うと、咲耶はしょんぼりと項垂れてしまった。確定的だった。・・・その後、いろいろと聞いたが、咲耶はこのテストで欠席しても、追試を受けさせてもらえると高を括って、思い切ってサボったのだという。
あほかー!と怒鳴ってやりたかったが、それをすれば確実に咲耶は泣くだろうし、第一にそこまで彼女に心配をかけたのは俺なのだから何も言えなかった。
俺は暗い気分を払うためにがしがしと頭を掻き毟ると、それじゃこっちに座れ、と言って自分の席を少しずらす。咲耶は、あらかじめ隣の部屋から持ってきた椅子を俺の隣まで引っ張って、その上に座った。
「・・・で、ここのところ。要はこの式を通分して両辺を揃えれば証明できるから・・・」
「・・・うん・・・えと、あ・・・」
俺の説明に納得が行ったらしく、シャーペンを動かして代数Xを埋めていく咲耶。やがてX、Y、Zの全ての文字が埋まり、公式の証明文が完成すると、一仕事終えたように二人揃って背中を伸ばす。
「・・・できた・・・」
「アホ言え、ここで分配法則使うまで何分かけてるんだよ。こんなローペースじゃ、書き終わる前に試験時間終わるぞ?」
満足げな気分で居たところを俺に突っ込まれ、またもしょんぼりする咲耶。ちょっと苛め過ぎただろうかと思い、俺はふっと表情を変える。
「まあ、さっきよりは時間は掛からなくなったな。偉い偉い」
頭を撫でてやると、嬉しそうにはにかんだ。・・・ちくしょーホンットに可愛いなあもう。
432 :
沢井:2009/01/24(土) 23:41:03 ID:TkBTqt4x
今回は以上です
ktkr!
GJ!
434 :
名無しさん@ピンキー:2009/01/27(火) 07:32:02 ID:+RnnxAxD
良いなぁ。咲耶が可愛いのはもちろんなんだが、
両親とか学校の偉い人とかが主人公をちゃんと理解してくれてるから安心して読めるな。
これは期待大
保守
437 :
沢井:2009/02/07(土) 01:40:30 ID:H0Q8PAd9
こんばんは、沢井です。コトノハ 5話の推敲が終わったので投下していきます。
西日が差し込む頃、親父が帰ってきた。廊下を歩きながら既に外したのだろう、汗だくになったワイシャツの襟元にネクタイは見当たらなかった。そのままテーブルに突っ伏す。
「うおお、溶けるっ。溶けてしまうっ・・・か、華澄、ビールをくれ」
「まだ早いからジュースで我慢してくださいね、あなた」
切実に見えてどさくさ紛れな親父の嘆願を笑顔でスルーした母さんは、冷蔵庫からよく冷えたりんごジュースを出した。
「ぬうっ、華澄よ・・・仕事帰りの夫に、ノンアルコールで我慢しろというのか!?」
「あら、だったらビールが出てくるまで何も飲まないで待っていますか?その方がありがたみがあるでしょうし」
「すいませんジュースで良いです」
・・・我が父ながら、本当に情けない。
「・・・おじさん、おかえりなさい」
「おお咲耶、ただいま。和宏に変な事はされなかっただろうな」
「ブッ飛ばすぞクソ親父」
三者三様好き勝手に言いながら、俺達は食事を始めた。
「・・・ごちそうさま」
少食な咲耶が一番最初に食事を終えて席を立つのは、いつもの事だ。けど、その日はすこし、いつもと違う事があった。咲耶がパーカーを着て、玄関へと向かったのだ。
「あれ、咲耶?どこ行くんだよ、こんな時間に」
俺の質問に、指をもじもじさせたり視線をきょろきょろと巡らせたり眉を八の字に曲げたりしながらたっぷり十数秒は悩んだ後、咲耶はポツリと言った。
「・・・おでかけ」
・・・スゲエ気になる。
「俺も行くよ。夜に女の子が一人で出歩くなんて危ないだろ」
「・・・・・・(ふるふるふる)」
拒否されてしまった。がーん。
微妙に落ち込む俺にはお構い無しに、咲耶は微笑んで玄関から右側を指差す。そういえば、そちらの方角には彼女のお気に入りの甘味のお店があった。
「あ、『かかしや』行くのか?」
「・・・・・・(こくり)」
正解らしかった。
まあ、そこなら家からは歩いて三分程度だし、人通りも多いから大丈夫だろう。俺は手を振って見送った。
「わーった。でもまあ気を付けろよ」
「・・・・・・(こくり)」
はにかみながら頷いた咲耶は、足取り軽く出かけて行った。
数分の後、咲耶はビニール袋を左手にぶら下げて、帰ってきた。
「おう、お帰り。早かったな」
「・・・はぁ・・・はぁ・・・っ、うん(こくこく)」
走ってきたようだった。上気してほんのり赤く染まった頬がとてもとても可愛い。
「落ち着け。深呼吸しろ深呼吸」
「ん・・・すぅ・・・はぁ・・・すぅ・・・」
しばらくすると落ち着いたらしく、はふ、と大きく息を吐いて瞳を開いた。微かに赤みが残る頬と運動後で潤んだ瞳がとてもとても以下略。
「・・・・・・(くいくい)」
自分の部屋に戻ろうとすると、またしても服を引っ張られる。
「お?な、なんだ咲耶」
「・・・・・・(もじもじ)」
何やら言いにくそうにもじもじしている咲耶。よく見ると、ビニール袋には『かかしや』特製のアイスクリームが二つほど入っていた。
「・・・一緒に食おうって?」
「・・・・・・(こくこくこく)」
いつもよりも多めに首を振る咲耶。特に断る理由も無かったので、誘いに乗る事にした。
「・・・・・・おいしい?」
「・・・をう、すげー美味い」
甘ったるくて胃がもたれそうだとは一言も言わない俺。良い紳士になれそうである。別になりたくないけど。
あ、やばい。なんか前頭葉がちりちりしてきた。つーかこれ、絶対歯ぁ溶けてる。なんか口の中が変だし。
「・・・すまん、流石にこれ以上は食えん」
「・・・・・・(かくん)」
半分ほど残った抹茶(と呼べるかどうか疑問に感じるほど甘い)アイスを受け取り、またも落ち込む咲耶。
「・・・・・・これなら、だいじょぶだとおもったのに」
「俺でも食えるような甘さだってか?」
「・・・・・・(こくこく)」
し、信じられん・・・これでもまだ甘くない方だってのか?いったいこいつ、何食って・・・
「・・・・・・うわー」
「・・・?」
「いや、なんでもない」
覗き込んだ彼女の手元には、季節限定練乳チョコレート&トリプルベリーミックスという恐ろしい文字の並びがあった。
「お前、身体のあちこちがもう砂糖に置き換わってそうだよな」
「・・・・・・(ぽっ)」
頬を赤らめられた。なんでだよ。
「お前さ。どうして急に、俺にも分ける気になったんだ?」
なんとなく、話題を変える。
誘いを受けたときから気になってはいた。咲耶はとてつもない甘党であり、甘いものを人に分ける事など、滅多に無い。俺や、俺の両親が相手であってもである。
その咲耶が自分から甘いものを人に与えるというのは、俺としてはある意味悪い予感がした。有り体に言えば、何か企んでいるようにも思えるのだ。
「・・・・・・(もじもじ)」
もじもじしている。
「・・・・・・・・・えと、その・・・」
何かを言いかけている。
「・・・・・・あぅ」
黙ってしまった。
(察してやるしかないか・・・)
何か照れくさかったりするような理由があるんだろうなと勝手に決めつけ、俺は彼女の持ち物に視線を巡らす。
(アイスか・・・そういえばこの間も食ったっけな、俺の奢りで・・・奢り?)
あ。
「もしかして、昨日の奢りの約束、覚えてたのか?」
「・・・!(こくこくこく)」
なるほど、それなら納得がいく。
「ぁ・・・ひ、昼間も・・・そこの喫茶店で・・・」
「え?喫茶店って・・・あ」
言われて思い浮かんだのは、学校からの帰り道にあった、落ち着いた雰囲気の喫茶店。もしかして、下校するときに咲耶があのサ店に拘ってたのって、その為に・・・?
「ぐぁぁっ、俺サイアク過ぎだぁ・・・」
「・・・!!(ぶんぶんぶんぶん)」
俺の考えが伝わったのだろう。全力で首を横に振る咲耶。気持ちは嬉しいが、どう考えてもあの時の態度は俺の八つ当たりだった。考えただけで、自分自身が許せなくなってくる。それだけならまだしも、約束を綺麗さっぱり忘れた挙句に何か企んでいるなどと・・・
「ごめんな、咲耶。咲耶はちゃんと覚えててくれたのにな」
「あ、ぅ・・・だ・・・だいじょぶ・・・きにして、ないから」
がっくりと項垂れた俺に、懸命に話しかけてくる咲耶。しかし俺は一向に頭を上げる事が出来ず・・・
「・・・・・・」
そのうち咲耶も黙りこくってしまう。しばらくして、すっ、と衣擦れの音が聞こえる。
おや、と思ったときにはもう、白い腕が伸びて、俺の頬に温かいものが触れていた。
「咲耶?」
何を、と聞こうとした時。
むに。ぐいっ。
「べぅっ!?」
頬っぺたをつねられ、上のほうに引っ張られる。って、いたたたた、本気で痛いってこれ!え!?咲耶さん実は凄い怒っていらっしゃったの!?つーか指が食い込んでる辺りにちょうど良くニキビがあるからスゲエ痛いっ!
痛みと驚きに目を白黒させている俺に、咲耶が若干怒った表情で言う。
「わらってなきゃ、だめ」
あ、そういうことですか・・・ってじゃあやめんかいっ!
「へべっ、いてえってのっ!」
咲耶の手首を掴んで俺の頬から無理矢理剥がすと、咲耶が大きくバランスを崩す。
「あ、わ・・・」
「うわっ、とっ、あぶね・・・」
で、咄嗟に抱きとめたのだが・・・お約束と言うか、なんというか。咲耶を思いっきり抱きしめる形になってしまった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
双方、沈黙。ややあって・・・
「うわわ、わ、悪いっ」
先に飛び退いたのは、俺だった。
「その・・・つ、つい反射的にって、あ、ちがっ、ああああいやあのえと別に本能的に行動したと言うわけでわ」
ぐあああ駄目だ、自分が何を言いたいのかさっぱりわからん・・・
「・・・くす」
しかし、慌てる俺とは対照的に、咲耶はほのかにはにかむと、言った。
「よかった。かずくん、元通り」
「へ?」
言われた事の意味が分からず、ついつい素っ頓狂な声を出してしまう俺。
「おこったり、あかくなったり・・・うん、いつものかずくん」
「あ、うん・・・」
・・・俺は、今更ながら、一生こいつに頭が上がらない事を悟った。いや、自分でも大概重傷だなあとは思うんだけど、さ。
444 :
沢井:2009/02/07(土) 01:48:09 ID:H0Q8PAd9
今回は以上です。これで一応、一学期編は終了です。
さて、事件発生。
学生時代に書いたこれ以降の原稿用紙が発掘できませんでした・・・
まあ、思い出しながら書き下ろしていこうと思います。
では、今日はこの辺で。ありがとうございました。
咲耶かわええ。GJ!
GJ!
447 :
沢井:2009/02/08(日) 00:19:32 ID:s41YsIAX
どうもこんばんは。沢井です。休日の午後にする事が無かったので速攻で第六話の執筆を終わらせました。
一応推敲はしたので投下しておきます。
では、どうぞ。
夏休みに入ってからしばらくの間が、特に大変だった。いや何がって、理性とかその他諸々?
・・・・聞くな。察してくれ。
*********************
夏休みになった。と言っても、生活に何か劇的な変化が有る訳でもなく。俺と咲耶は、揃いも揃ってだらけていた。
「・・・なんていうか、クーラー万歳って無性に叫びたいぞ」
「・・・・・・(こくこく)」
午前中はそれぞれの部屋で机に向かっていた俺達だったが、10時を回って日が高くなってからはもう我慢ができず、冷房の効いたリビングでごろごろしていた。文明の利器って最高の響きだと思う。
「なんか、面白いテレビとかやってたっけ?」
「・・・・・・(ふるふる)」
分かるわけ無いか・・・普段は学校にいる時間帯だし。
それでも何か面白いものは在るかと思い、電源をつけて適当にチャンネルを回してみる。
・・・今日の料理・・・テレフォンショッピング・・・答えてチョーダイ・・・火曜ワイド・・・
「つまんねー・・・」
ぼやき、ソファの上にリモコンを放り投げる。ぽふ、と軽い音を立ててプラスチックの長方形が布の上にバウンドした。
「咲耶、図書館とか行くか?」
「・・・・・・(ふるふるふる)」
「そっか・・・うーむ」
行っても俺達が読むような頭の悪い本は置いてないだろうから、当たり前と言えば当たり前である。
・・・ま、母さんもまだ買い物から帰ってないし、もうしばらくごろごろしていよう。
「ただーいまー」
お母様、何故あなたはこの絶妙なタイミングで帰宅なさるのですか。
「はー、あっつーい・・・って、和ちゃん、咲ちゃん!いい若者が真っ昼間からごろごろするんじゃありません!」
ビニール袋をテーブルに置いてから俺達を見るなり怒る母さん。自分はクソ暑い中買い物に出かけていた時に、子供達がクーラーの風の下でだらけていたのが気に入らないようだ。
「つってもこの暑さじゃやる気も起きねえって・・・する事も無いし」
「ぶつぶつ言わない!お昼ご飯出来るまで出かけてらっしゃい!」
追い出されてしまった。
「あっちい・・・咲耶、これからどうする?」
「・・・・・・(ふるふる)」
特に考え付いた事は無いようで、困った顔で考えた後、困った顔で首を振るだけだった。
俺はというと、何とはなしにそんな彼女に視線を向ける。が、向けた先が悪かった。いや、良かったと言うべきか。
(おわ、汗で背中が透けて・・・)
健康な諸兄ならばもうお分かりかと思うが、薄着+真夏の日差しのコンボは威力抜群だ。
「・・・かずくん?」
「は、はいっ!?」
俺の視線に気付いたらしく、咲耶が振り返って声を掛けてくる。俺は必死に平静を装う。
「・・・わたしのふく、なにかついてる?」
「・・・いえ、ナンデモアリマセン」
気まずく視線を逸らす俺に、彼女はきょとんとした表情を向けるだけだった・・・頼むから、そんな何の疑いもない清らかな視線で俺を見ないでくれ・・・心がスゲエ痛む・・・
結局俺達は冷房のある場所を求めるうちに、夏休み前に入ったあの喫茶店のドアをくぐっていた。
「いらっしゃい」
前に注文をとってくれた女性が、また俺達を出迎える。
「ご注文はお決まりですか?」
「俺はアイスコーヒーにするかな。で、こっちが・・・」
言って、お品書きの上に浮かぶ、咲耶の指が指し示す一点を見て俺は固まった。固まるしかなかった。
「・・・・・・(きらきらきら)」
「・・・おい、待て」
この阿呆、よりにもよってこの間と同じものを・・・っ。
「・・・・・・(きらきらきら)」
「すいません、こっちの子はミルクティー。アイスで」
目をきらきら輝かせている咲耶を無視して勝手に注文する俺。先手必勝。やったね、俺の財布。
「ふぇ!?」
相当ショックだったらしい。咲耶の口から飛び出すとは思えない素っ頓狂な声が聞こえた。
「はい、アイスコーヒーとアイスミルクティーが一つずつですね?」
「あ、あの・・・」
「それでお願いします」
かしこまりました少々お待ちくださーい、といった具合に女性が厨房へと去っていくと、テーブルに載せていた手をギュゥウウッ、と思いっきり抓られる。
「いだだだだだだ。こら、何すんだ」
「・・・・・・」
大人しく手を引っ込めるが。
(ゲシッ)
「でっ!」
次はすねを蹴られた。力の無い蹴りだったからまだ良いが、場所が場所なだけに結構効いた。
「いっててて・・・お前な、昼飯の前だろうが。あんな合成糖分てんこ盛りなシロモノなんか食うなっての」
「・・・・・・(むすっ)」
お姫様が完璧に機嫌を損ねてしまったようだ。うむ、どうしよう・・・こういう時は・・・
@ 耳元で愛を囁いてみる
A デートに誘ってみる
B プレゼントをしてみる
うろ覚えなので順番は曖昧だがこの選択肢に見覚えのある方は挙手。感想文をA4レポート用紙で提出する事。
(・・・いや、そうでなくて)
冗談はさておき、冷静に考えてみる。@・・・キモ過ぎるので却下。A・・・今この状況はデートに該当するのか?Bは・・・まあ、妥当なところか。
(あ、そういえば・・・)
プレゼントで思い当たる節があり、俺は口を開いた。
「咲耶、ハンカチ買いに行こう」
「・・・ハンカチ?」
そう。俺が思いついた咲耶へのプレゼントは、ハンカチだった。彼女の制服のポケットに常備されていたハンカチは、先日の一件で俺の血で汚れてしまっていた。
なまじ乾いてしまったものだから洗っても赤黒い染みが抜け切らず、人の血を拭いたものだから衛生的にもよろしくないので捨てさせたのだ。
「ほら、こないだ俺の傷口拭いて、駄目にしちゃっただろ。お詫びって言ったらなんだけど、新しいハンカチ買いに行こう」
「・・・・・・(こくり)」
よし、第一段階成功。この調子で上手く買い物を済ませれば咲耶の機嫌も直るだろう。
454 :
沢井:2009/02/08(日) 00:28:27 ID:s41YsIAX
第6話は以上です。今回短いですすいません。
で、これだけだと私の気が済まないので急遽6,5話を投下致します。連投に引っ掛かるかもしれないのであと1時間ほどしたらまたお邪魔させていただきます。
では、後ほど。
GJ!まっとるぞ〜
456 :
沢井:2009/02/08(日) 01:22:25 ID:s41YsIAX
どうも皆さん、再びこんばんは沢井です。予告通り6,5話投下していきます。
夏休み八日目。俺は自室で机に向かっていた。現国の宿題である。
(くっそ、漢字とかさっぱりわかんねー・・・)
夏休みの宿題の中で、俺が最も恐れていた教科がこの現国だった。
自慢じゃないが俺は成績優秀だ。さほど豊かとはいえない我が家の経済状況で俺と咲耶の二人を高校に通わせるため、苦手科目の少ない俺は奨学金制度の世話になっていた。
咲耶も奨学金の試験は受けたのだが・・・まあ、結果は各自予想して欲しい。
つまり、俺の成績が落ち込めば奨学金が受けられなくなり、退学の危険があるのだ。いくら伯父が校長を務めているとはいえ、そこに家族だから、という理由を持ち込むわけには行かないのだ。
話を戻すが、その甲斐あって俺は理数系は殆ど難なくこなせる。体育も人並みである。だが、国語と英語だけはどうにも理解が追い付かず、毎回赤点すれすれの点数だった。
そんな感じでうだうだ言いつつも作文の宿題を片付けていると、読み返しているうちに妙な違和感を覚えた。
「んっと、私達が小耳に挟んだ情報は・・・あれ、ここ・・・」
平仮名で書いた文章があったのだが、読み返してみると漢字に直せるのに直っていない部分を一箇所発見。
放って置いても問題は無いが、そうもできない自分の性格が呪わしい。
「ざしき・・・えーっと・・・」
『座』の文字は分かるのだが、『しき』の文字がどうにも頭に浮かばない。適当に思いついた『しき』の文字を原稿用紙の端っこに書き出してみる。
『式』。違う。『識』。これもなんか違う。『織』。殆どさっきと一緒。『色』。着色してどうする。『四季』。問題外。
・・・まずいぞ、完璧にド忘れした。
咲耶に漢和辞典を借りようと思い、彼女の部屋のドアを叩く。
「咲耶、居るかー?」
「・・・・・・・んぅ」
・・・なんじゃ、今の無駄に色っぽい声は。
部屋の中にいるのは確認したので、とりあえず開ける。着替えだったら鍵は閉めているだろうからその辺はあまり気にしない。
「入るぞー、って・・・」
咲耶は眠っていた。ベッドにうつ伏せになり、タオルケットもかけずに。こう、くーくー、とか小動物っぽい音を飛ばしながら。お気に入りだという白のキャミソールを着ていて、負けず劣らず真っ白な肌が剥き出しになっている。
「風邪引くぞ、あほ」
彼女の足元に蹴飛ばされていたタオルケットを広げて、剥き出しになった肩にかけてやる。ちょっと名残惜しかったりするのは勘弁して欲しい・・・いやほら、俺も男の子だし。
すると、肩に触れた布の感触がくすぐったかったのだろうか。微かに身じろぎをする。
「ふゃ・・・・・・っん」
・・・やばい。何っつーか、かなり来る物がある。主に本能とか煩悩とかその辺に向けて。
(う、わー・・・すげえ可愛い)
気が付くと、ベッドの傍に座り込み、彼女の艶やかな黒髪を手で梳いていた。するすると指の間から黒い線がすり抜ける度に皮膚に走る柔らかな手触りが、心地よかった。
「・・・んん・・・」
ふと、再び咲耶が身じろぎを一つ。その動作と息遣いに、途端に意識がクリアになった・・・・・・って、これじゃ俺、ただの変態じゃねえか。
「あ、阿呆か俺は・・・」
このままここに居たら狼になりかねない。ちょうど良く机の上に出ていた辞典を手に取ると、俺は足早に部屋を出る、ん、です、が。
「・・・かず、くん・・・」
「ぬぁ!?さ、咲耶っ、起きて・・・」
「・・・・・・んー・・・」
・・・いなかった。び、びっくりさせやがって・・・寝言かよ。
反射的に騒いだので起こしてしまったかと思い、早めに部屋を出ようとする。が、またもそこでハプニング発生。
「・・・んゅ・・・ふふ」
再び聞こえてきた寝息に、俺は思わず足を止める。そこで振り返ったときに目に入った咲耶は、とても穏やかな笑顔を浮かべていた。それは、俺だって見たことが無いほど幸せそうな顔で。
・・・俺にも見せてもらえない微笑みを彼女にもたらしている夢の内容が、すこし気になった。
「むにゃ・・・かずくん」
「何だよ」
聞いている訳は無いけれど、なんとなくぶっきらぼうに言い返してしまった。
その、次の瞬間。
「・・・・・・だいすき」
俺は、ダッシュで部屋から逃げ出した。
きゅっ、ざばーばしゃばしゃばしゃ。
ぜーはーぜーはーぜーはー。
どっどっどっどっどっどっどっどっどっ。
息も絶え絶えに台所まで走っていって流し台に頭を突っ込み、青線の入ったバルブを右手で掴んで思いっきり捻る。あんまり混乱したものだから、聞こえてきた音のどれが呼吸でどれが鼓動でどれが水道の音なのか、一瞬だけ分からなくなった。
(おおおおお落ち着け落ち着け落ち着け俺えええええ!!そうだこういう時は素数を数えるんだ!2、3、5、7、9・・・は3で割れるから飛ばして11、13・・・)
心頭滅却すれば火もまた涼しけり。俺は何とかして先程のハプニングを忘れようとするが、意識すれば意識するほど、より鮮明にそれは浮かび上がってくる。
幸せそうな微笑み。伏せられた長い睫毛。小さな唇から漏れ出した言葉・・・・・・
『かずくん・・・・・・だいすき』
「だああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」
鏡のように磨かれたシンクの流し台にがんがんと頭をぶつける。死ぬほど痛いが今はそれどころではない。
「忘れろっ!忘れろおおおおおおおっ!!」
がんがんがん、がづすっ。
「げがぅっ!?」
額から感覚を奪おうとしていた鈍い衝撃とは違う、突如として不意打ち的に後頭部に突き刺さった鋭い一撃に、俺は頭上にあった蛇口の先端という存在を思い出した。そのまま崩れ落ち、後頭部を押さえて悶絶する俺。
「ぬぐをををををををををををををををを・・・・・・」
秘技、一人大騒ぎ。十年に一度見るか見ないかという、本人からすれば切羽詰っているが傍目から見るとただの馬鹿であるという禁断の一発ネタが今、俺自身の手で成立した。
・・・全っ然嬉しくなかったりする。
痛む頭を氷で冷やしつつ、部屋に戻る。全く酷い目に遭った。咲耶といい蛇口といい不意打ちと言うのはどうしてここまで破壊力が高いものなのか。
・・・そこ、完璧にお前の自爆だろとか言うな。突っ込み禁止だ突っ込み禁止。俺だってやりたくてやったわけじゃねえよ。あれだ、孔明の罠だ。
痛みを紛らわそうと、ベッドにごろっと横になって目を閉じる。夏の日差しが瞼越しでも目に染みた。
(・・・・・・あれ?)
すると、一つの疑問が浮かんでくる。
「・・・・・・俺・・・・・・なんで、咲耶の部屋に行ったんだっけ?」
ズキズキと痛む頭の奥には、何の答えも浮かばなかった。
463 :
沢井:2009/02/08(日) 01:32:32 ID:s41YsIAX
えー、はい。まあ、なんですか。
・・・ゴメンナサイ。フザケスギマシタ。
もともと7話投下後のお話として予定していたので6話7話とは何の関係も無いエピソードですが、本編よりもこっちの方がはっきり覚えていたので使いました。
因みに、こんな感じのユルイ番外もこれから取り込んでいこうと思います。
では、失礼します。
464 :
名無しさん@ピンキー:2009/02/08(日) 07:21:40 ID:23TpuBW1
いいなぁ……マジいいなぁ。
俺もこんな学生時代を送りたかったぜ。
素数www
466 :
名無しさん@ピンキー:2009/02/15(日) 23:49:10 ID:3V94l+4h
虐待から助けた親戚の少女と純愛
467 :
名無しさん@ピンキー:2009/02/16(月) 00:03:46 ID:ivxwNqZR
プッチ神父wwww
>>468 素数の元ねたは
ジョジョ第六部でプッチ神父が素数数えること
たしかね・・・
>>469 ああ、そっちかwww
てっきりプッチ神父に
>>466的なエピソードでもあるのかと思ってたんだw
471 :
名無しさん@ピンキー:2009/02/20(金) 09:34:09 ID:+Td8Fzrp
>>470 想像しただけで恐ろしいwwwww
でも
>>466のシチュって凄い良くね?
引き取った当初はこちらのちょっとした動作にもびくびくしてるけど、
次第に心を許してくれて終いにはべったり懐いてくれるとか。
さらに付け加えるなら
「でもこんな年の離れた娘と、あまつさえ虐待をうけていたんだぞ!助けた俺が彼女を傷つけちゃだめだろ・・・」
てな具合の若干ジジ臭い紳士風の男君とのすれ違い属性を含むSS希望。
少女の方は、助けてくれた感謝と尊敬の気持ちが、だんだん恋慕に変わっていくんですねわかります。
でも、「こんな穢れた私なんか……」って若干諦め気味――みたいな?
お互い恋心を隠しながら生活するも、ある日男君に見合いの話が!
→女君勇気をみせます
→急展開
→夢落ち
→男君の見合い相手は女君
476 :
名無しさん@ピンキー:2009/02/27(金) 02:04:45 ID:GNq/eEVo
虐待ってのが性的なものなのかそれ以外なのかで結構変わるだろうな。
虐待と純愛って難しそうだけど、ぴったり嵌まったら凄い破壊力になりそうw
純愛の定義って何だろう?
時々ここに投下してみたくなるが書いてみても
「これって純愛なのか?」ってなっちゃうんだよな。
純愛は108式まであるんだぜ
投下待ってます
遠距離純愛
482 :
名無しさん@ピンキー:2009/03/06(金) 01:39:11 ID:CqdFM1pW
遠距離恋愛って大抵が純愛じゃね?
483 :
沢井:2009/03/07(土) 22:37:52 ID:QitZQPqN
こんばんはご無沙汰してます沢井です。コトノハ 第七話投下していきます。
午後になってから、俺達は連れ立って家を出る。最寄のバス停からバスに乗り、ごうんごうんと揺られる事二、三分。駅前通り三丁目のアナウンスが聞こえて、降車ボタンを押す。
俺達が降りたのは、駅前の大通りのど真ん中だった。上を向くとアーケード街の屋根が広がり、足元を見ると歩行者天国として道路とは違う舗装がされていた。
・・・それはまだ良い。前を向くと人。後ろを向いても人。右を向いても以下面倒なので略。要するにスゲエ混んでる。
「・・・ひと、いっぱいいるね」
休日の人ごみに圧倒されたのか、咲耶がそんな事を呟く。
「・・・まあ、昼飯も食い終わってまた遊びに行こうっていう暇な奴らばっかりなんだろうな」
予想以上の混み具合に、俺も若干引き気味に答える。実際、俺達もその一部と言えなくも無いんだけど。
「とにかく、その辺ぶらついてみよう」
「・・・・・・(こくり)」
言って、俺達は歩き出した。咲耶のハンカチ以外にも買おうと思ったものはあったから、立ち並ぶショーウィンドウを眺めながらゆっくりと見て回る事にした。
歩き始めてから数分。俺達は婦人服と小物を取り扱っている店の中で陳列棚を見ていた。いつもはあまり見ない店だが、婦人小物千円均一セールの広告が目に入ったのだ。逃す手はあるまい。
咲耶は、棚に並ぶ色とりどりのハンカチを手にとって模様を見たり、手触りを確かめたりしながら品定めしている。
その目は真剣そのもので、今にも「うーん、うーん」と唸り声が聞こえてきそうである。こうなると付き添い兼財布係というのは暇なもので、俺は手持ち無沙汰にそれを眺めていた。
何とはなしに店内を見回す。すると、セール対象商品のシールが貼ってない婦人服のコーナーに、一際目立つ代物があった。
「あ、浴衣」
思わず口に出してしまった。それぐらい浮いている。周りに洋服しかないのにそこだけ『夏のお供に』とかいうキャッチコピーと数着の浴衣が展示されていたのだ。
「・・・ゆかた?」
俺の声に、咲耶の視線がハンカチから逸れる。
「ほら、そこ。浴衣売ってるぞ」
「あ・・・ほんとだ」
咲耶も、洋服ばかりの店の中で浴衣を見つけるとは思わなかったのだろう。ハンカチの棚を離れて、俺の隣に並んで浴衣を眺める。
そのうち、咲耶は浴衣の一つを手に取り、一面にあしらわれた金魚の模様をしげしげと眺める。
「・・・・・・(うずうずうず)」
「気に入ったのか?」
「・・・・・・(こくり)」
咲耶は照れくさそうに首を振ると、またもしげしげと眺める。買いたいけど我慢しているのがスゲエ良く分かる。
「分かってるだろうが買ってはやらんぞ」
「・・・・・・(かくん)」
冗談めかして言うと、少々残念そうに頷く咲耶。・・・学習しろ、この阿呆。
すると、売り場にいた店員の一人が、俺達を微笑ましそうに眺めながら歩み寄ってきて、一言。
「宜しかったら、ご試着なさいますか?」
咲耶が反射的に頷いたのは、言うまでもない。
で、試着室のカーテンの前で待つ事数分。一人では浴衣を着れない彼女を手伝うため、試着を勧めてきた店員が一緒に試着室の中にいる。
もとからこういう事を考えて作られているのか、試着室は大きめで、人が二人いっぺんに入っても狭くは無いようだった。
「お客様、スタイルが良いからとても似合っていますよー」
とか、
「髪型も浴衣にぴったりですねー」
とか、
「これ、セットで巾着もあるんですよー」
とか。
流れるような売り文句がカーテンの中からスラスラと聞こえてくるが、多分咲耶の耳には入っていないだろう。甘いものを食うときは特にそうだが、咲耶は好きな事に夢中になると周りが見えなくなる。
いつもの咲耶がそこに居ることに間違いが無ければ、ものスゲエ高確率で目をきらきら輝かせて夢見心地で浴衣に袖を通しているに違いない。
やがて、シャッ、という音と共に、カーテンが開けられた。
「・・・じゃん」
「おお・・・」
試着室の中から姿を現した咲耶を見て、俺は思わず阿呆な声を漏らす。
ある程度の予想はしていたが、実際に見るとそれは思った以上の威力があった。浴衣の下地は爽やかな青で、赤と金の糸が一面に泳ぐ金魚たちを描いている。
この浴衣のコンセプトは「夏休みの池」なのだろう。描かれた金魚もただの模様ではなく、水を思わせる青の上に白の波紋と共に描かれていて、そこに泳いでいるような錯覚を覚えさせた。
「・・・にあう?」
「おう、すげえ似合ってるぞ」
「・・・えへへ」
店員も言っていたが、咲耶の髪は黒のおかっぱなので、着物とか、そういった和服にとても良く似合う。店員の台詞といえば、袖の内側を見せるように広げていた右手には、件のセットの巾着袋も握られていた。
で、店員のもう一つの台詞は。
『お客様、スタイルが良いからとても似合っていますよー』
・・・・・・
(うん、深くは考えるまい)
彼女の浴衣のうち数箇所からは微妙に目を逸らしつつ、俺は冷静を保った。
更に数分立つと、今度は先程までの咲耶に戻っていた。浴衣は既に元通りに畳まれ、彼女の腕にあった。
「・・・なあ咲耶。いい加減、本来の買い物に戻らないか?」
「・・・ん、もうちょっとだけ」
・・・相当気に入ったようで、金魚の模様を見詰めながら目を輝かせる咲耶。しかし、流石に浴衣と巾着を一式買ってやるほど俺の懐は潤っていない。
「今度、夏祭りのときにでも母さんに頼んだら良いんじゃないか?」
「・・・・・・(こくん)」
頷き、持っていた浴衣を名残惜しそうに列へと戻す。それからまた、俺達はハンカチの棚に向かい、いろいろと品定めをしていた。
ありがとうございましたー、と店員の声を背に受けながら、俺達は店を出る。結局咲耶は、あの浴衣と同じ生地で作られたらしい金魚のハンカチを選んだ。
(よっぽど気に入ったんだな、あの浴衣)
せめて巾着だけでも買ってやれればよかったのだろうが、ハンカチと一緒に買うには、いかんせん懐の寒さはどうにもならなかった。
・・・誤解を招かないよう言っておくが、決して俺が貧乏なのではない。無駄遣いをしないように必要最低限しか持たない事にしているんだ、俺は。嘘じゃないぞ。
「かずくん」
「ん?」
不意に名前を呼ばれて振り向くと、俺の隣で、ハンカチの入った小さな袋を大事に持つ咲耶が、俺に微笑んだ。
「・・・ありがと、だいじにするね」
「ん、そうしろそうしろ」
・・・ま、いっか。喜んでるみたいだし。
489 :
沢井:2009/03/07(土) 22:44:56 ID:QitZQPqN
第七話は以上です・・・実際のところ浴衣はスレンダーな方が似合うそうですが。
いやでも私個人の好みとしてはスタイルいい人が浴衣着てボンキュッボンが強調されるのもなかなかオツn(ry
では、失礼します。
やはり浴衣はスレンダーでないとなw
とにかく乙
>>489 浴衣イイなあ。
とある純愛コピペ
138 名前:離婚さんいらっしゃい[] 投稿日:2009/02/15(日) 17:26:05
5歳の時、君を愛してると言ったよね。すると君は首をかしげて、
水晶のようにキラキラした目で瞬きしながら、
不思議そうに聞いたよね。『それはどういう意味?』ってね。
「15歳の時、君を愛してると言ったよね。すると君はまるで真っ赤な夕日のように顔を赤らめて、
顔を下に向けたまま、洋服の襟をいじってたね。あの時君はどこかうれしそうだった。
「20歳の時、君を愛してると言ったよね。すると君は頭を僕の肩に乗せたまま、
僕の腕を抱きしめたよね。
まるで次の瞬間に僕が消えてしまうことを心配しているかのように。
「25歳の時、君を愛してると言ったよね。すると君は朝食をテーブルの上に置いてから、
僕の鼻を小突いて、
『分かったわよ!ものぐささん、もう起きなきゃダメでしょ!』と言ったよね。
「30歳の時、君を愛してると言ったよね。すると君は笑いながら、
『あなたって人はもう!もし本当に愛してるなら、仕事が終わったらあちこちぶらぶらしないでね。
それから、買ってくるようにお願いしたものを忘れないでね!』と言ったよね。
「40歳の時、君を愛してると言ったよね。すると君は食器を片づけながら表情も変えずに、
『はいはい、さっさと子供に復習させてね』と言ったよね。
「50歳の時、君を愛してると言ったよね。すると君は毛糸玉を丸めながら顔も上げずに、
『本気で言ってるの?本当は私に早く死んでもらいたいんじゃないの』
と笑いが止まらない様子だったよね。
「60歳の時、君を愛してると言ったよね。すると君は笑いながらパンチをしつつ、
『いい年こいて何言ってるの!孫もこんなに大きくなったって言うのに、口の減らない人ね!』
と言ったよね。
「70歳の時、二人でロッキングチェアに座って、老眼鏡をかけながら、
50年前に僕が君に渡したラブレターを読んだよね。
もうしわくちゃになってしまった二人の手がまた一つになり、君を愛してると言ったよね。
すると君は感慨深げに僕を見上げたけど、
しわだらけの君の顔はやはり美しい……お湯を沸かしているポットが湯気を上げ、
温かい雰囲気が家じゅうに広がった……
「80歳の時、君は僕を愛してると言ったよね。僕は何も言わなかった。涙が止まらなかったから。
でもあれは僕の人生の中で一番うれしい日だったよ。
だって君がようやく『あなたを愛してる』と言ってくれたんだから。
493 :
沢井:2009/03/14(土) 22:42:25 ID:oT8noP5U
どうもご無沙汰してます沢井です。コトノハ 第八話置いていきます。
夏祭りの日。それからが、本当に大変な時期だった。理性とか、そんな馬鹿馬鹿しい話じゃない。
あの時は、本当に冗談抜きで困ったんだ。
********************
今日は町内の夏祭りの日だった。去年は咲耶と二人して縁日のバイトに励んだものだが、生憎と今年の俺には学校からバイトの許可が下りなかった。夏休み直前に停学喰らってるんだから当たり前といえば当たり前なんだけど。
学校の許可が無くてもバイトをしようかとも思ったが、少なくともこういう不特定多数の人間が集まるイベントでは止した方が良いと考えた。許可なしに無断でバイトをした場合、うちの学校では四日以内の停学処分が下る。
これ以上停学の数を増やしたらやばいってのに、先生に見つかりやすいお祭り会場で無断バイトだなんて、自殺行為も良いところだった。
で、話を戻すんだけど。前述の通り、夏祭りである。花火が始まるまであと一時間ほどある今現在、俺と咲耶はそれぞれの部屋で浴衣相手に悪戦苦闘していた。
「んと、あれ?帯ってこう結ぶんじゃないのか・・・?えーっと、ここの結び目、どう解けば・・・」
・・・少なくとも、俺は確実に悪戦苦闘していた。むしろ圧され気味である。仕方ないだろ、浴衣なんて自分で着たこと無いんだから。
母さんから借りた着付けの本を眺めるが、写真に載っている結び目は明らかに俺の腰の後ろにあるものと形が違う。しかも戻せない。じーざす。
(いっそ一旦足の方まで下ろして解くか・・・いててて、だめだ、腰のところで引っかかる・・・)
うーんうーんと唸っていると、木製のドアから、ノックの音が聞こえた。
「あ、咲耶か?悪い、ちょっと待ってくれ。どうにも上手く行かなくてな・・・すぐ行くから、玄関で待ってろ」
そう言ったのだが。予想に反して、ギィ、とドアが開く音が。
「・・・え・・・?」
俺が呆けていると、咲耶が部屋に入ってくる。そのまま俺の背後に立ち、腰で引っかかっていた帯に手をかけ・・・って、
(なに!?なんですか!?え、もしかしてこのままドキドキタイム突入!?俺ってば大人の階段登っちゃう!?)
一秒くらいの間にそこまでかっ飛んだ思考が脳内に展開されたが、もう一秒後にそれはどこかへ飛んでいく事になる。
「・・・ここ、ほどけなくなったの?」
言いながら咲耶は、俺の浴衣の帯をちょいちょいと引っ張る。
「あ・・・ああ、うん。直そうとしたんだけど解くに解けなくて」
「・・・わたしがやってあげる。さっき、覚えたから」
言うなり咲耶が、がんじがらめになっていた俺の帯をすっと解く。いきなり腰周りが楽になり、俺はふっと息を付く。
「・・・うで上げて」
「あ、はい」
言われるままに両腕を広げる。すると肩越しに咲耶が顔を出し、俺の浴衣の前面を覗き込む。
「・・・かずくん、合わせ方ぐちゃぐちゃだよ」
手厳しい一言が待っていた。
「う、仕方ないだろ・・・こういうの苦手なんだって」
こういう手先の器用さがものをいう作業は昔から苦手なんだ。思い返すとそういった精密さが求められる事で咲耶に勝てた事は一度たりとも無かった。
「・・・むかしから、ぶきっちょさんだったもんね。かずくん」
くす、と笑いながら言う咲耶。どうやら彼女も、俺と同じことを考えていたらしい。
それから咲耶は手際よく俺の帯を結んでいく。俺はその流れるような手捌きをぼへっと突っ立って見ているだけだった。
(よく考えると、年頃の男が年頃の女の子に服を着せてもらうって嬉しいような哀しいような・・・)
俺の心のため息は、夏の西日に溶けて消えた。
数分後。なんとか浴衣を着る事のできた俺は、腕時計を見て舌打ちをする。当初の出かける予定の時間を大幅に過ぎていた。
「やべ、大分遅くなっちまったな。行こうか、咲耶」
「・・・・・・(こくん)」
頷いた咲耶の手をとり、俺たちは歩き出した。
咲耶は、何時ぞやに見た金魚の浴衣に身を包んでいた。三日ほど前に咲耶が母さんに拝み倒して買ってもらったもので、俺と咲耶はあまり期待はしていなかったのだが・・・
「あの我慢強い咲ちゃんがそんなに欲しがるなんて・・・!」
と、むしろ母さんはテンションを上げつついそいそと買いに行ったのだった。
居候の立場からか、咲耶はこれまで父さんや母さんに物をねだった事など無かったから、その彼女から服を買って欲しいと頼み込まれたのがよっぽど嬉しかったんだろう。
で、咲耶が浴衣なのに俺がTシャツじゃ駄目でしょ、という母さんの意見で、急遽俺の分の浴衣も用意してもらった。咲耶のものよりは深くて暗い青地に、シンプルな井桁模様のものだ。
届いたのが昨日だったから、着付けの練習でもすればよかったんだろうが・・・正直に言います。浴衣、舐めきっておりました。こんなに難しいと思っていませんでした。何事も予習は大事ですねハイ。
数分歩くと、町の中では一番大きい神社が見えてきた。神社の境内は人で溢れ、それに面した通りまで露天が立ち並んでいる。
俺がそれらをきょろきょろと眺めて、今年はどんな出店があるのかと思っていると、咲耶の目は綿菓子に釘付けになっていた。
「咲耶、綿菓子食うか」
「・・・・・・(こくこくこく)」
相変わらず無口だが表情豊かな少女である。
一通り露天を見終えて、花火が始まるまで俺たちはその辺をぶらぶらと歩く事にした。時間を潰すときのお決まりのパターンである。
「・・・・・・(もぐもぐもぐ)」
「・・・・・・はぁ」
綿菓子を頬張る咲耶の隣で、俺は結構落ち込んでいた。そのうち、脈絡無く一気に暗くなった俺を見兼ねて、咲耶が困った顔で声を掛けてくる。
「・・・・・・かずくん」
「何だよ」
「・・・・・・ケバブ、そんなに食べたかったの?」
「うん・・・」
ちくしょう何で今年はドネルケバブの屋台が出ていないんだ・・・
俺のお目当ての品のドネルケバブは、ここ数年で見かけるようになった新しいメニューである。二年ほど前からは屋台に常に行列が出来るほどに人気が出た為、辛抱強く列に並ばないと食えなくなってしまった。
小学校の給食で出てきたナンによく似た生地に、細切りのキャベツと火に通した肉を挟みフレンチドレッシングを垂らしたもので、一度食べると病み付きになるシロモノだ。
特に屋台がスゴイ。阿呆みたいなでかい肉を串に通し、それをごーろごーろと回転させながら豪快に火で炙るのだ。あれは宣伝になる。人気が出る訳である。
「それが今年は無いなんて・・・」
「・・・そんなに、落ち込むような事かな・・・」
うわコイツ。自分はちゃっかりお目当ての甘いもの食ってるくせに・・・
「考えてみろ、咲耶。祭りの屋台からアイスも林檎飴も、綿菓子すらも消え去ったとき、お前はそんな事を言えるか?」
俺の台詞に咲耶はうーん、と考え込み、徐々に顔色を暗くしていった。やがて、俺と同じ結論に達したらしく。
「・・・・・・あぅ」
眉を八の字に曲げて力なく呻いた。
「んむ、分かってくれて嬉しいぞ」
そう言って歩いていると、視界の端にジュースの店が見えた。そう言えば、さっきから喋っていた事と人ごみの熱気の中にいた事で、大分のどが渇いていた。
「咲耶、ジュース飲むか?」
「・・・・・・(こくこく)」
「おっけ。ちょっと待ってろ」
彼女が頷いたのを確認した俺は、ジュース屋へと足を向けた。あいつの分は甘いのにしないとなー、と考えながらさほど長くは無い列に並ぶ。やがて、前にいたカップルがジュースを受け取って列から離れると、店番と思しき少年が声を掛けてきた。
「いらっしゃいませー!どれにしますか?」
「あ、はい、えっと・・・」
マンゴーオレンジとメロンサイダー、と言おうとして俺は・・・いや、『俺たち』は硬直した。
「あ・・・や、山口?」
「え・・・古賀?」
・・・なんというか。まさかこんな所でコイツと会うとは思っていなかった。互いにアホ面突き合わせたまま硬直する事、たっぷり五秒。先に自分を取り戻したのは俺だった。
「なにお前、バイトしてんの?」
「いや、この屋台、俺ん家で出してる奴だから」
あ、そう言えばコイツの家って商店街で雑貨屋やってたっけ。
・・・・・・・・・にしたって、わざわざここで顔合わせなくてもなあ。
498 :
沢井:2009/03/14(土) 22:48:52 ID:oT8noP5U
今日は以上です。元厨二病患者英一くん再登場です。
では、失礼します。
追伸。
ケバブの屋台のくだりで「じょーずに焼けましたー」って呟いちゃった人は挙手。
呟かなかったけど、グッジョブです。
500 :
沢井:2009/03/16(月) 00:06:39 ID:ieHdOmOZ
こんばんは沢井です。コトノハ 第九話置いていきます。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ここまでのあらすじ。夏祭りに来たら、休み直前にぶん殴った人とぶん殴られた人が顔を合わせました。以上。
(・・・・・・き、気まずい・・・)
俺たちは互いに顔を見合わせたまま、硬直した。やがて、古賀がぎこちなく口を開く。
「えーと・・・とりあえず、どれにする?」
「あ、ああ。えっと、マンゴーオレンジとメロンサイダーくれ」
俺がぎこちなく答えると、あいよ、と言って古賀がボトルを手に取る。その手つきは慣れた物で、見る間にマンゴーオレンジのミックスジュースが俺の目の前に現れた。
それを見ている間、俺はぼーっとしていたのだが。
「・・・あのさ」
また、古賀が先に口を開く。
「この前は、悪かったな」
「この前・・・ああ、あの時か」
口調から、夏休み直前のことを言っているのだと気付いた。
「あー、えっとまあ、俺も悪かったよ、顔大丈夫か?」
「お、おう。痣も残らなかったし、気にすんな」
「ああ、うん。そりゃ良かった」
何だこの会話。
「・・・あの時さ、お前、マジでキレたろ」
その言葉に、あの時の景色がはっきりと頭の中に浮かぶ。ゲームのプロモーション映像を見ているような気分で人を殴る自分がいた。
「ああ、うん。こう言っちゃなんだけど、俺、本気でお前の事殺そうかと思ったぞ」
「そっか・・・まあ、そうだよな」
しみじみと言いながら、古賀がメロンのカキ氷シロップを開ける。
「いや、あの時お前がぶちキレたの考えると、本気でやべえ事言っちまったんだなって思ってよ」
・・・ああ、そうか。あれからコイツもコイツなりに反省していたのか。なんだ、死ななきゃ直らない馬鹿かと思ってたけどちょっと見直したぞ。
「まあ、それで詫び入れといた方が良いと思ってな」
「ふーん」
「で、だな」
そこまで言ってから古賀は、あー、うー、と唸りだした。
「なんだよ急に」
「いや、うんまあ、お前にこういう事を聞くのもどうかと思うんだがな」
古賀は再び押し黙ると、ちょいちょいと俺を手招きする。おおっぴらに話しづらい話題のようである。
(まあ、ここまで頭下げたんだから聞いてやるか)
そう思い、俺はカウンターに身を乗り出す。俺の耳元に顔を近づけた古賀は、やがて決心したかのようにぼそりと一言。
「・・・咲耶ちゃんって、どんな男が好みなんだ?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?
こいつ今、なんて言った?咲耶『ちゃん』?咲耶の好みの男?ちょっと待て、状況を整理してみよう。
(・・・・・・・・・・)
黙考する事約五秒。導き出せた結論は、一つしかなかった。
「・・・おまえ、もしかして咲耶のこと・・・」
「ち、違うぞ!?いや、ただ単に気になってだなー。それでお前に聞けば早いかなー、なんて思ってよー、あはははははは」
間違いない・・・古賀の奴、咲耶に惚れたな・・・
「いつからだ?俺がお前の事蹴ろうとしてあいつが止めた時か?」
「い、いつからって何だよ。お、俺は別に・・・」
「いや、お前がどういう経緯で咲耶に惚れ・・・」
「うづぁああああああっ!?」
俺が最後まで言うのも待たず、一人絶叫する古賀。ここまで分かりやすい男も稀である。
「と、とにかくだ!この事は他言無用だぞ!?ばらしたりしたらこの前の分上乗せしてブッ飛ばすからな!?良いな!?」
古賀はそう言ってジュースを強引に俺に受け取らせると、後輩と思しきバイトの少年に屋台を任せて呼び込みに出て行った。
「・・・馬鹿だ・・・やっぱりあいつスゲエ馬鹿だ・・・」
トロピカルジュースいかがっすかー、とか叫びながら遠ざかっていく背中を呆然と見詰めながら、俺は一人呟いた。呟くしかなかった。
ジュースを持って咲耶のところまで戻ると、待ちくたびれたのか、彼女は手近な柵に腰を下ろしていた。
「・・・じかん、かかったね」
「あー、まあな・・・」
さっきのやりとりは、彼女には知らせるまい・・・
そうして二人、甘ったるいジュースを飲みながら周りを眺めていた。
「毎年毎年混んでるな、ここの祭りは」
「・・・・・・(こくん)」
行き交う人の群れを何とはなしに見詰めながら、俺達は頷きあった。俺達が小さな頃から、この神社の祭りはこんな風だった。
「・・・かずくん、おぼえてる?」
「うん?」
「さいしょに、ふたりでここに来たときの事」
咲耶の問いに、俺はああ、と頷く。
「忘れたくても忘れられねえよ。あの時俺、めちゃめちゃ焦ったんだぞ」
「・・・えへへ、そうだよね」
それから暫くの間、昔話が始まった。
俺たちが、互いの親を伴わずに二人だけでお祭りに来たのは、小学生の時だった。当時の咲耶はまだ自分の家で暮らしていて、もっと活発だった。
俺も馬鹿丸出しで、物事をろくに考えもしないで走り回ってばかりで、まだまだ子供だった。
その日の俺達は、もう三年生なんだからお祭りぐらい自分達だけで行けるもん、と意気込んで出掛けて行ったんだ。けど花火が始まった途端に、人の流れに巻き込まれて、俺達ははぐれてしまったんだ。
俺は二時間以上そこらを走り回って、やっと咲耶と再会できたのだった。
「・・・あのときね、一人になって本当に怖かった。もしかしたら、もうかずくんと会えないのかな、って思うくらい怖かったの。だから、かずくんがわたしのこと見付けてくれた時、すごく嬉しかった」
咲耶は、遠く過ぎ去った日々を懐かしむように、そう言った。けどそれは、俺も同じだった。
結局、祭りも終わって辺りは暗くなって、極度に疲れていた俺達は帰れなくなって、二人してわんわんと泣いていた。
「それから通り掛かったお巡りさんに助けてもらって、夜の十一時にやっとこさ家に帰れたんだったな」
「・・・かずくん、あのときもおじさんにすごい怒られてたよね」
「・・・余計な事まで覚えてんじゃねえ」
多少、意地の悪い笑いを浮かべながら咲耶が言った言葉に、俺は苦笑いを浮かべた。
それから、何個か決めたことがあった。お祭りに行くときは、ちゃんとお父さんとお母さんと一緒に行く事。お財布の中にお金を入れすぎないこと。それと・・・
(あれ?あと一つは何だったっけな・・・)
確か、約束事はもう一つあった筈なのだが、どうにも思い出せなかった。えーっと、うーんと、と呻く俺に気付いた咲耶が声を掛けてくる。
「・・・どうしたの?」
「いや、あの時・・・」
『―――まもなく、打ち上げ花火の、開始予定時刻です。ご来場の皆様は・・・』
響き渡ったアナウンスの声が、俺の思考を打ち消した。
「あ、はなび」
「もうそんな時間か?」
俺達は腰掛けていた柵から立ち上がり、視線を夜空へ向ける。やがて、ひゅるるるる、という音と共に空へ上った炎塊が、星空の中で弾け、鮮やかな花を咲かせた。
一瞬遅れて、破裂の音が鼓膜を叩く。
「・・・きれいだね」
「ああ」
俺達は二人、その幻想的な光景に見入っていた・・・んだけど。
顔を上に向けていた事で注意が逸れていたんだろう。阿呆な話だが、俺達は一瞬の後・・・本当に一瞬の間に、人の波に飲み込まれた。
「っきゃ!?」
「おわぁ!?」
素っ頓狂な声を上げたときにはもう辺り一面に観光客の流れが出来上がり、それらは目まぐるしく動いていた。
そこかしこから、にしやまさーんこっちのほうが見えますわよー!とか、あーほらほら見えた見えた!とか、すずきさんカメラカメラ!とかオバサン共のけたたましい声が聞こえる。
「どぁあっ!?さ、さくやっ、どこに・・・ぐお!?」
いててて、ばっ、ババア!てめ、人の足を踏みながら走るなっ!
なんとか脱出を試みるが、流れを割って進もうとする度にババアの壁に弾き返される。くそっ、「ちょっとあーたじゃまよ!」じゃねえよ!全部こっちの台詞だろーがっ!
ち、ちくしょうこれが噂のオバサマフィールド!?なんて威力だ!
結局俺が恐怖の中年結界から抜け出せたのは、それから一分後だった。
「咲耶っ!?」
叫ぶが、返事は聞こえず。・・・あれ?なんだこのすげえデジャヴ。もしかして、『また』か?
(おいおい冗談じゃねえぞ・・・)
まさか、さすがにそれは無いだろうと思い、辺りを見回す。が、金魚の浴衣を着た少女は影も形も見当たらず。
・・・・・・間違いない・・・完っ璧にはぐれた・・・・・・
507 :
沢井:2009/03/16(月) 00:14:13 ID:ieHdOmOZ
第九話は以上です。
お約束です。清々しいまでにお約束路線です。書いてて自分が楽しいので。決して手抜きではげふんげふん。
では、失礼します。
GJです。
読んでるほうも楽しいです。
無口スレ住人でもある自分にはこのシリーズは大好物です。
GJ!ちゃんと手をつないでないと
……ひょっとして約束ってそれか?
510 :
沢井:2009/03/20(金) 23:55:06 ID:n/4ZbpBb
こんばんは沢井です。コトノハ 第十話置いていきます。
はぐれた。どこからどう見てもはぐれた。もう完全無比なまでにはぐれた。
「マジか・・・」
途方にくれる俺の前には、一面の人だかり。そこに咲耶の顔を見つけ出す事はできず。
・・・まさか、小さい頃の迷子の話をした直後にまた迷子になるとは思わなかった。あれか、言霊って奴か。話のネタにして言葉に出したから再現されちゃったのか。ざけんなチキショー。
(どうすれば良いんだ・・・この人込みの中から人一人見つけ出すなんて無茶だぞ・・・)
しばし、呆然としていた俺であったが。
「仕方ない・・・なんとかして探そう・・・」
結局、それしか方法は無いのだった。
*********************
「はーい、トロピカルジュースいかがっすかー。甘くて美味しいよー。良く冷えてるよー」
英一は、呼び込みをしていた。縁日の屋台は、なかなか収入源になるのである。この日の売り上げの一部は後々彼の懐に入ることもあり、英一は俄然やる気を出していた。
夏祭りの会場は熱気に包まれているため、氷の入った冷たいジュースは飛ぶように売れる。
先程、とあるクラスメイトとの会話で彼自身の体温も2℃くらい上昇した気がするのだが、とりあえず人ごみのせいにして呼び込みを続ける。
「よー、えーいちじゃん。何してんの?」
飄々とした声が聞こえてきて、そちらを振り向く。隣町の南高に通う知り合いだった。もっとも、彼の場合知り合いとは、『ヤンキー仲間』という読み仮名が振られるのだが。
「お前か、大輔。何ってバイトだよバイト。見りゃわかんだろが」
「へー。なあジュース奢ってくれよ」
「汗でも舐めてろ」
大輔、と呼ばれた少年にぶっきらぼうに答えると、今度は英一が質問をする。
「お前こそ何してんだよ、わざわざこっちまで来て。オヤジでも狩るのか?」
「馬鹿言え。お祭りで浮かれる女の子と熱い一夜を過ごしに来たんだよ」
早い話がナンパである。
「なあ、バイトなんて後輩に押し付けてお前も行かねえ?昔は二人してよく引っ掛けて遊んでたじゃん。お前けっこう顔は良いからさ、付いて来てくれよ」
英一のことを良く知るような口調。大輔は英一にとって幼馴染であった。この男の顔を見ると、『ちくしょう山口にはあんな可愛い幼馴染がいるのに何で俺の幼馴染はコイツなんだ』と思う。
「うるせーな、俺は忙しいんだよ。営業妨害すんならその辺の木に注連縄でふん縛ってやっても良いんだぞ」
「ちぇ、つまんねーの。もしかしてもう予約済みとか?」
大輔の言葉に、黒髪のおかっぱの少女が脳裏に浮かび、慌ててその姿を脳内から追い払う。
「違えよバカ。さっさと失せろ」
「ふーん、まあいいや」
飄々と言うと、大輔はつまらなそうに踵を返す。と、そこで彼は思い出したように言った。
「気になってる子でも居るんなら言っておくけどさ。俺みたいな奴は他にもいるから、その子のガードとかした方良いんじゃない?」
ひらひらと手を振りながら歩いていく大輔を見送った英一は、背中に嫌な汗が伝うのを感じた。この辺りの不良の性質の悪さは、不良と呼ばれる彼自身が嫌と言うほど知っている。
(ガード・・・いや、でもあの子には山口が付いてるしな)
独りごち、呼び込みを再開しようとする。が、割と近くから聞こえてきた声に、意識をそちらに持っていかれてしまう。
「いいじゃない、君の事放っぽりだしてどっか行くような友達よりさ、俺と来たほうが楽しいって」
「あ、あの・・・」
何とはなしにそちらを向くのだが・・・英一はこの行動が間違っていなかった事を、後々になってから天に感謝する。
振り向いた先で二人の少年を前にオロオロしていたのは、先程まで自分の脳裏に浮かんでいたおかっぱの少女そのものだった。
「・・・げ」
一瞬絶句するが、そこから先は早かった。三人のもとまでずかずかと歩いて行き、少女の後ろに立つ。
「おいてめえら、南高か?三高の学区で何してんだ?」
声に若干の凄みを利かせて目の前の少年二人を睨み付ける。少年のうち茶髪にピアスの少年が怪訝に眉を顰めるが、もう一人、金髪の少年はというと英一を見て、ひっ、と息を呑む。
(・・・ん、こいつは確か・・・)
良く見るとその少年は、以前学校をサボって遊んでいるときに、英一にちょっかいをかけてきたチンピラだった。
ナイフを持って金出せごらぁ、と絡んできたので、自慢の一本背負いでゴミ捨て場に沈めてやったのだ。
「んだよ、てめえは」
凄んでみせる茶髪だったが、金髪に肩を掴まれて動きを止める。
「ば、バカ止せ!三高の古賀だ!」
「げぇっ・・・」
言うが早いか、少年達はダッシュで逃げていった。
「ったく、大輔のヤロー・・・下っ端の手綱ぐらいきっちり締めとけよな」
腕を組みながら言うと、呆然としている咲耶に声を掛ける。
「大丈夫か?山口は・・・」
「・・・あ、ぅ」
いきなりそんな声が聞こえたものだから、英一はぎょっとする。しかし、彼の思考が現状に追いつくよりも早く。
「・・・こわかった・・・」
そう言って、咲耶はその場にへなへなと座り込んだ。
「うぉ!?ちょ、だっ、大丈夫か!?なんだ、どっか痛くしたんか!?」
女性経験はあっても恋愛経験は皆無な英一には予想外のアクシデントである。
「えーっとえーっと怪我したときは水道で傷を洗ってそれから・・・ってそこのガキども!何見てやがるさっさと散れコラぁ!ジジイとババアもだ!墓場はあっちだってーの!」
混乱のあまり普段の癖で野次馬に吼える英一だったが、兎にも角にも人通りの多い場所でこれはまずい。ひとまず、古賀雑貨店の屋台へと連れて行くことにした。
そして、この一部始終を見ている男が居た。和宏、ではない。男は人込みの中、去って行く少年少女をじっと見ていた。
花火が終わり、満足気な顔をした群衆が、面白かったねえと言いつつ歩き始めても。男は、遠ざかる小さな背中を、ただ見詰めていた。
ちなみにこの十数秒後、英一と咲耶が居た場所を、心底困った表情の和宏が走って行ったのだが、二人がそんな事を知る由もなかった。
515 :
沢井:2009/03/21(土) 00:02:56 ID:n/4ZbpBb
第十話は以上です。
≫508
実はこれ、無口スレに投下するか幼馴染みスレに投下するか悩んだ挙句、スピンオフの書き易さから純愛スレに投下したものでして・・・色んな方々に見て頂ければ幸いです。
≫509
残りの一つについては・・・追々明らかになります。
あ、あれー?挙手してる方が少ないなー・・・おのれ同僚その1っ!でっけぇお肉の丸焼きといえばモンスターハンターというのは嘘かぁぁぁっ!
では、失礼します。
516 :
名無しさん@ピンキー:2009/03/22(日) 01:01:39 ID:8wE3zpkT
ヤット追いついた。1からじゃつらいな
GJです。
私は呟いてしまった・・・FRONTIERと2Gしかしてないのに
517 :
名無しさん@ピンキー:2009/03/28(土) 00:30:32 ID:6PhWC6Fm
ロリと純愛
>>515 素晴らしい
実に素晴らしい
思わず時間を忘れて最初から読み直すほど素晴らしい
GJです
519 :
沢井:2009/03/31(火) 23:28:10 ID:1dhBoQBb
こんばんはご無沙汰してます。土日に来れなかったのでコトノハ 第十一話は今日置いていきます。
「・・・じゃあ、山口とはぐれたのか」
英一の問いに、咲耶はこくんと頷く。咲耶は、古賀雑貨店の屋台に居た。
(んんん・・・これはよくよく考えるとチャンスなんだが・・・)
和宏の不在を良い事に不埒な事を考える英一であったが、咲耶の心底困った顔を見ると、どうにも一歩踏み出せない。ヤンキーの初恋とは大抵こんな物である。
「待ち合わせ場所とか決めてないんか?」
「・・・・・・(ぶんぶんぶん)」
「おいおい・・・」
しばし、沈黙が流れる。やがて、英一が腰を上げ、咲耶の隣にどっかと座り込む。咲耶はびくりと身体を震わせて、慌てて距離をとった。
「・・・(じーっ)」
そのまま、威嚇するように英一を見る。本人は睨んでいるつもりなのだが、全く以って迫力が無い。どうにもここの辺りが、和宏が彼女を必要以上に可愛がる要因となっているのだろう。
うわ俺めっちゃ嫌われてる、と英一がちょっと落ち込んだのは言うまでも無い。
「・・・この前、悪かった」
言い難そうに切り出したのは、英一だった。その一言に、咲耶はきょとんとした表情を浮かべる。
「さっき、山口にも謝った。馬鹿な事言って悪かった。この通りだ」
言って、英一は両手を合わせる。人に謝る事に慣れていない彼の、精一杯の謝罪である。
言いながら英一は、他にもうちょっと上手い言い方があるだろ俺のボケ、とか思っていたのだが、何とか謝罪の言葉を捻り出そうとする気持ちは、無口な咲耶に伝わったらしい。
咲耶は無言のまま、はにかんでみせる。
(・・・ぐ)
英一は、気まずくなって目を逸らす。
(なるほど・・・山口が守りたがるわけだ)
無防備な微笑みは、英一の中でちろちろと燻っていた炎を一気に起爆させるには充分すぎる威力があった。何の炎かは各自の判断に委ねるとして。顔を赤くした英一は照れ隠しに言う。
「にしても、普通こういうイベントに来るときって、迷った場合はどこに集まるって決めるもんなんだけどな。鳥居の前だとか賽銭箱の近くだとか・・・」
英一の言葉をそこまで聞いて、咲耶は不意に、脳裏に閃くものがあった。
「・・・あ」
小さい頃に和宏とはぐれて、迷子になった時。双方の親にみっちりと怒られ、それから決めたいくつかの約束事。
お父さんとお母さんと一緒に行く事、お財布にお金を入れすぎないこと、もしも迷子になったら―――
******************************
「・・・そうだ、賽銭箱の前に行くんだ!」
俺は、先程思い出せなかった約束事の最後の一つを、絶妙のタイミングで思い出した。
はぐれた時には、神社の本殿の賽銭箱前に行く事。一人になったときに何の連絡手段も持たない俺たちの、唯一の確実な合流の手段。
そうと決まれば急がなければ。確か、本殿はここの階段を真っ直ぐ上って―――うわっ!?
「っと、失礼」
踵を返して走り出そうとしたとき、後ろを歩いていた男性にぶつかる。どん、と結構派手な音がして、俺達は互いに数歩ばかりよろける。
「す、すいません!」
慌てて男性に頭を下げて、俺は本殿へと走り出そうとするが。
「おい君、ちょっと良いかな」
「・・・なんすか」
さっきの男性に呼び止められて、俺は露骨にげんなりとする。そんな俺の様子に構わず、男性は悠長に喋る。俺としても先程の激突の事もあるので、無視する、という訳にいかない。
「本殿の裏にある稲荷神社は、まだあるかい?」
そう言って男性は本殿から西にある、雑草が茫々と繁った道を指差す。八幡宮を冠した神社の本殿の裏には高い山があって、ところどころに小さな神社らしき建物がちらほらと見える。
そこでは斜面に沿って大小様々な祠が建てられていて、選り取り見取り・・・という言い方は不謹慎だが、学業成就だの家内安全だのを掲げた神様が祀られているのだ。
「あー、はい。あります・・・あ、でも何年か前に土砂崩れで道が塞がっただかで、そこの道はもう通れませんよ。反対側に迂回路が出来たはずだ」
俺は本殿の東側を指差す。稲荷神社参道、と書かれた真新しい看板が立っている。
「ありがとう、おかげで道に迷わずに済んだよ」
「いーえっ、それじゃ」
みなまで言い切る前に、俺は再び走り出す。すると今度は、見覚えのある頭が見えた。丁度良い、あいつがどこかで咲耶を見たかもしれない。俺は茶色い頭に向かって声を張り上げる。
「古賀っ!」
俺の声に、頭はこちらを向き。目を丸くする。・・・なんだ?俺の顔に何か付いてるのか?
「あ、山口!い、今咲耶ちゃんが・・・」
・・・うん?何だこいつ、咲耶に会ったのか。ちょうど良かった。
「咲耶の事見かけたのか?何か、言ってなかっ・・・あー、無理か。うちの家族以外と話す訳ねえな・・・」
「いや、さっきまでうちの屋台でジュース飲んでた」
はい!?ちょっと待てどんなマジック使いやがった!?
色々と聞きたい事はあるが、取り敢えずそれは脇に置いといて、古賀から情報を得る。
「さっき、南高の奴らにナンパされてたんだ。やべえと思って取り敢えずそいつらは追っ払ったんだが、そしたら腰ぃ抜かしちまったらしくてよ。落ち着くまでうちの屋台で休ませてたんだ」
「・・・お前、俺がいないからって咲耶に変な事してないだろうな」
「・・・、し、しねーよっ!」
オイ何だ今の微妙な間は。
「と、とにかく!話してたら集合場所を思い出したって、いきなり走って行っちゃったんだよ。それでどうしたもんかと」
「どうしたもんか、って・・・咲耶が向かったのって、本殿の方だろ?俺も今からそこに・・・」
「え・・・咲耶ちゃん、裏の方に向かったぞ?ほら、あの八百万参道の方」
八百万参道。字面から解ると思うが、先程の男性に説明した、稲荷神社を含む様々な祠への参道である。
・・・・・・アレ?オッカシーナー。
「・・・な、なあ古賀。あいつ、他には何も言ってなかったのか?」
「あ?だって、お前が言ってたって・・・」
「『本殿の』賽銭箱の前だ、って言ってなかったか?」
「・・・・・・いや、『とにかくどこかの賽銭箱の前』って・・・」
「・・・・・・」
「・・・なあ、咲耶ちゃん、やばくないか?」
「・・・・・・あ」
・・・んっっのド阿呆があぁーーーーーーーーっっっ!!!
525 :
沢井:2009/03/31(火) 23:35:05 ID:1dhBoQBb
第十一話は以上です。八百万の神社は地元の物を参考にしました。うちの地元のは八百万参道なんて呼ばれていませんが。
どうでも良いですが私は『やおよろず』じゃなくて『はっぴゃくまん』とストレートに読んでいた事がありました。ええ、あの頃僕らはアホでした。
では、失礼します。
GJ!なんか咲耶がアホの子に見えてきたのは気のせいか
咲耶にはアホ毛があると見た!
GJ
誰かイラスト書いてほしいな
529 :
沢井:2009/04/01(水) 11:34:38 ID:XM3z9fIv
あ、モチーフはこちらでございます(殺
ア○スソフト「夢鬼 Night Demon」
職場から失礼しましたー
530 :
沢井:2009/04/03(金) 22:10:49 ID:dT8RcSNu
どうもこんばんは沢井です。コトノハ 第十二話投下していきます。
≫529
!?だ、誰!?マイ偽者!?
******************************
祭りの喧騒から離れた、稲荷神社の祠。訪れる者も少なく、静謐とした空気には、一種荘厳とも呼べる雰囲気が漂っている。
八百万参道、と呼ばれる道にある祠の中で、稲荷神社は咲耶にとって特別な場所だった。物心が付くか否か、という小さい頃、彼女は父に連れられてここに来ることが多かったのだ。
『―――ここは、お父さんとお母さんの、思い出の場所なんだよ』
父はいつもそう言って、夏の日差しを振り仰ぐ。それが潤んだ目元を娘に見せない為だったのかどうかはわからない。父に倣って空を見上げても、咲耶はいつも、眩しさに目を細めていただけだったから。
咲耶の母は、咲耶を産んでまもなく帰らぬ人となったらしい。何故、とは思わなかった・・・いや、思っても、父に聞こうとしなかった。
母の事を聞けば、父は決まって悲しそうな顔をして、お母さんは遠いお空の向こうから咲耶を見守っているんだよ、と言うだけだったから。父の悲しい顔を見たくなくて、咲耶はいつも、疑問を口はしなかった。
・・・もっともその父も、咲耶が十歳のとき、違う意味で遠くへ行ってしまったのだが。
(・・・わたしは、お父さんを苦しめていたのかな)
記憶の中にある父は、穏やかな人だった。山口のおじさんやおばさん・・・和宏の両親とも仲が良く、父が仕事で出かけている間は和宏と一緒に山口家に居た。
あの頃は、父の惜しみない愛情に、何の疑問も持たなかった。けど、今では時々疑問に思う。
・・・父も、苦しかったはずだ。けれど、父はそんな素振りを見せなかった。父はその苦しみをどうやって押さえていたのだろうか。そもそも父に『苦しみを和らげる方法』などあったのだろうか、と。
ひょっとしたら自分の存在が、父からその方法を奪っていたのでは無いだろうか、と。考えれば考えるほどに、暗い答えばかりが思考の底から返ってきた。
暗い記憶を振り払い、周囲に目を向ける。和宏との待ち合わせ場所は、賽銭箱の前。どの賽銭箱の前かは覚えていなかったが、自分が小さい頃からここに訪れていた事を、和宏は知っている。
ならば待ち合わせの賽銭箱は、ここなのだろう。咲耶は勝手に決めつけて、祠の階段に一人、ちょこん、と腰掛けていた。
やがて、眼下に広がる会場から、一つ、また一つと明かりが消える。もしかしたら和宏は、自分を探してまだ会場を歩いているかもしれない。それに、もしかしたら、本当の集合場所はここではなかったのかもしれない。
下に下りてみよう、と思って階段から立ち上がり、お尻に付いた砂をぽんぽん、と払う。
と、その時。
「・・・咲耶?」
振り向いた先に居たのは、和宏ではなかった。
******************************
(あのアホ!見つけたら取り敢えずデコピンの刑だっ!)
古賀と別れてから、俺は全力で走っていた。八百万参道に立ち並ぶ祠の数々を一軒一軒見て回っているのだ、その疲れる事といったらそれはもうとてもとてもとても。
大体にして、なんであいつは『賽銭箱の前』って事は覚えてんのに『本殿の』っていう超重要なポイントをすぱっと忘れてんだよ!?つーか、それにしたって一番目立つ本殿をスルーするか普通!?
(ええいもう、何で俺がこんな事に・・・)
苛立ち任せに足元の石を蹴る。ざしゃっ、と音がして砂まで飛んだ。
走り始めて十分。回り始めて十三個目の祠。稲荷神社の立派な鳥居が見えてきた。
「そういえば・・・」
咲耶は小さな頃、よくここに来ていたらしい。父親が居なくなってからは避けていたようだが・・・彼女がここに来ている可能性は高い。
よーっし、ここに居たら思いっきりデコピンしてやる。その上更に二、三日はおやつ抜きにしてやる。俺が黒い事を考えながら鳥居をくぐろうとした、その時。
「・・・やっ!」
小さな悲鳴が、聞こえた。この声、やっぱり・・・
「咲耶っ!このア・・・」
アホ、と言いたかったけど、目の前の現実に息が止まる。
咲耶を捕まえようとしている人間が居る。良く見るとそれは、さっき俺に道を聞いてきた、あの男だった。
咲耶は肩を捕まれて、その手から逃れようともがいている。
・・・そこまで見れば充分だった。
「てめ、何しやがるっ!」
走る勢いをそのままに、男に体当たり。ぎゃっ、とか言う声が聞こえた。バランスを崩した男の前に割って入り、咲耶を庇うように立つ。
「な、なんだ君は・・・」
「こっちの台詞だ!あんた、今こいつに何しようとした!?」
拳を握り込み、目の前の男を睨みつける・・・見たところ、俺の親父と同年代に見えた。頼りなさそうな表情は異常者のそれとは程遠く、穏やかなイメージすらある。
が、なんにせよ夜の神社で逃げる女に詰め寄っていたんだ。全うな人間なはずが無い。
(危ねえけど、殴って逃げるのが最善か・・・?)
ぐっ、と腰を落とし、目の前の不審者を退けるのに充分な力を拳と脚に込めようとした、その時。
「ま、待ってかずくん!」
咲耶が俺の肩を掴んで、叫ぶように言った。
「だめだよ!そのひと、ぶっちゃだめ・・・!」
「はぁ!?ばっ、お前この緊急時に何言って・・・」
俺と咲耶が言い合いを始めた所で、固まっていた男が口を開いた。
「か、『かずくん』?・・・そうか、和也の倅の和宏君か!?」
っ!?この男、俺と親父の名前を・・・一体何者―――
「和宏君、私だ、光也だ!頼む、話を聞いてくれ!」
―――ドクン、と。鼓動の音が、無闇に頭に響く。
馬鹿な、そんなはずがない。有り得ない。そんな事があって堪るか。言葉はいくらでも思い浮かべる事ができる。だがその中に、目の前の現実を突き崩せるものは無い。
弁解めいた、焦燥に満ちた声。一瞬、なんの話をしているのかと思った。けど、言葉の後ろのほうに付いていた、一人の人間を表す単語。それは、俺には・・・俺達には忘れる事の出来ない、忌まわしい名前で。
「な・・・」
頭の奥底に沈めていた記憶が、呟きとなって俺の口から漏れ出す。
「・・・たか、はし・・・みつや・・・っ・・・」
それは、七年前に失踪した咲耶の父親の名前だった。
536 :
沢井:2009/04/03(金) 22:18:25 ID:dT8RcSNu
第十二話は以上です。きな臭くなってまいりました。
うーん、イラストは自力で描けるのですが、いかんせんここにアップする方法が・・・
すいません、どなたか教えて下さい・・・orz
GJ!
予想を裏切って期待を裏切らない展開。
ここで父親が出てくるかぁ……
次回がどうなるか楽しみです。
では。
wktkしまくりだぜwwww
絵のアップロードは・・・適当なアップローダー使えば良いんじゃね?
虹ろだとか
539 :
沢井:2009/04/04(土) 19:58:19 ID:oGC0jGh7
wktkが止まらない
多才すぎるだろww
543 :
名無しさん@ピンキー:2009/04/07(火) 15:43:23 ID:YOKNSIqo
くっ、携帯で見れないぜ。パソコンで見れるまで消えてなきゃいいけど……。
保守
545 :
沢井:2009/04/15(水) 23:04:25 ID:5r+fBFi+
こんばんはご無沙汰してます。
えー、十三話で詰まりました!
わーやめてー。石投げないでー。
・・・代わりと言ってはナンデスガ、小話代わりの第0,5話を置いていきます。
では、どうぞ。
*********************
良く晴れた、春の日の朝である。
「だぁあ、やべえっ!」
悲鳴じみた和宏の声に、はふ、と溜息を一つ吐くと、咲耶は歯ブラシを持ったまま、黙って洗面台の前から後ろに下がる。直後、和宏がそこに頭を突っ込み、蛇口を思いっきり捻った。
じゃー、ばしゃばしゃばしゃ、と豪快な音と水飛沫を立てて顔を洗う幼馴染を見ながら、咲耶は内心で再び溜息を吐いた。
(わたし、何でかずくんのこと好きなんだっけ・・・)
小さい頃からの疑問の一つだ。この男は物事を何でもそつなくこなすが、それだけに失敗したときの対処法には慣れていない。故に、一度躓けば、見ていて面白いくらいに転ぶ。そりゃもうごろんごろんと。
今日の騒ぎだって、目覚まし時計を止めてからうっかり二度寝をするという、学生にすれば良くあるミスが原因なのだから、もう少し落ち着けばいいものを和宏は完全にパニックに陥っていた。
(おっちょこちょいなのに、変なところで完璧主義なんだから)
それに関してはもう、一種、和宏の本質とも言える大きな特徴なので半ば諦めているのだが。
・・・もっとも、それを口に出そうものなら「お前に言われたか無いわー!」と即座にデコピンが飛んでくるだろうから、咲耶は絶対に、その意見に音声を伴わせようとは思わない。
案の定、普段と違い非効率極まりない動作での洗顔を和宏がこなした時には、咲耶は当たり前の様に歯磨きと寝癖直しを終えていた。
二人、揃って家を出る。ちょっと走れば間に合う時間なのだが、今の和宏にそれがわかる筈も無い。玄関を飛び出すなり全力で走り出した和宏の後を、鞄を抱えた咲耶が必死に付いて行く。
「・・・はぁっ・・・はっ・・・かず、く・・・ちょっと、まっ、けほ、ぇほっ・・・」
待って、と言いたいのだが、呼吸の他に酸素を回す余裕は殆ど無かった。台詞の後半は、咳き込む音に掻き消される。
「っと・・・咲耶お前な、体力無さ過ぎだろ」
誰のせいだと思ってんの。肺活量に余裕があればそう言っていただろう。立ち止まった和宏の前でぜえはあと荒い息を吐きながら、咲耶は恨めしげに和宏を睨む。当然、迫力はゼロなのだが。
そんな咲耶を見て、和宏は暫し黙考する。やがて。
「ほれ、手ぇ出せ」
そう言って、咲耶の右手を自分の左手で握る。
「え・・・」
突然の事に、一瞬息を呑む咲耶。
「引っ張ってやるから、もうちょっと頑張れ。な?」
言うなり和宏は、前を向いて走り出す。
(・・・まあ、いいかな。こういうのも)
先程までの恨み言も何処へやら。咲耶は、右手を包み込む温もりに目を細めながら、もう少し頑張ろう、と思った。
因みに、余談だが。この時和宏の顔が真っ赤になっていた事と、手を握った後で走る速さが少しだけ遅くなっていた事に気付かなかったのが、咲耶のこの日最大のミスだったのだろう。
********************
548 :
沢井:2009/04/15(水) 23:08:28 ID:5r+fBFi+
以上です。話の流れでわかる方もいらっしゃるかと思いますが、前に描いた和宏と咲耶の絵にまつわるお話です。
・・・すんません、ホント早めに十三話書きますんでもうしばらくご勘弁を・・・
549 :
名無しさん@ピンキー:2009/04/16(木) 00:48:16 ID:9oi98s9t
>なんでかずくんのことが好きなんだろ
……何でだっけ?
好きなものに理由はないのさ。
551 :
名無しさん@ピンキー:2009/04/18(土) 19:39:15 ID:kvuLAkvr
純愛とイチャラブって違うのかね?
552 :
名無しさん@ピンキー:2009/04/25(土) 06:31:56 ID:TG/Glqyp
純愛ってのは、恋人関係になるまでの経過が重要なんだと俺は思う。
だからいちゃいちゃらぶらぶな純愛もアリ。
過疎ってるな。
ho
555 :
名無しさん@ピンキー:2009/05/02(土) 06:43:54 ID:Tfx9eKqj
少女との歳の差純愛とかが好きです。
保管庫にある『Merry after Christmas』のような感じのが大好物です
>>555 歳の差って、障害が分かりやすいから純愛にはもってこいだしな。
なんとなく書いたものを投下
高校生活が始まって、席替えがあって。
あの時、席が隣同士になったのが、俺、神谷秀行と石動理恵の始まりだった。
視界に入っていたという点でならもっと前になるが、まあお互いがお互いを認識したという点で。
「何を読んでるんだ?」
理恵が窓側で、俺が通路側。窓の外を見るのが好きだった俺は、隣の席の女子を正直邪魔な存在だと感じていた。
この配置だと、窓の外ではなく隣の女子をジロジロ見ているという形になってしまう。というかそうとしか思われない。
自分の半端なくじ運や、男女関係に敏いお年頃の周囲に対して不満を漏らしたかったが、それはあまりに不毛だ。
窓外ウォッチの代わりに誰かを誘って紙相撲でもしようとも考えたが、
5秒間の熟慮の末、俺は隣の席の女子に至極普通な質問をしてみたのだ。
「………ん」
俺の言葉を聞いた彼女は、ページに指を挟むと、背表紙と顔をこちらに向けた。
俺はそのとき、彼女を始めて意識した。なんだろう。清流のような透き通ったイメージ。
眼鏡はかけていなかったが、目鼻立ちの整った顔も、涼しげな目もいかにも理知的だった。
無地のハードカバーの背表紙に、流れるように書かれていた
タイトルは全く読めなかったのでそこには言及しないことにした。
「面白いのか?」
「面白いかと聞かれれば、面白いけど。でも、元々面白さなんて好奇心を勢いづけるための触媒でしかないわよ」
「そういうものか」
「そういうものよ」
開いた窓から5月の風が吹き込む昼下がりの教室で、ふーん、となんだか理由もなく感心したのを覚えている。
なんというか、多分…コイツは変わってるなと思ったのだろう。
それから俺は、よく理恵に話しかけるようになった。
打てば響くというか、ちっぽけな問いかけにも、理恵は真面目に自分の答えを述べる。
それがいかにも理性的な答えで、また俺はそれに感心してしまうのだ。
大きな夢を語るのもなく、熱い理想を語るのでもなく。
俺たちは若者らしさとは無縁な、地に足の着いた話ばかり繰り返していた。
「どしたの?ぼーっとして」
「いや…人生って不思議だなと思ってたんだ」
「こっちからしてみれば、今この場での唐突なその発言のほうがよほど不思議だけど」
はぁ、と息を吐きながら俺の隣を歩く、頭ひとつ分下にある横顔はあの頃と変わらず綺麗だった。
いやまあ俺も理恵もあの頃に比べれば大人になっているはずなのだが、あまりそれを感じられない。
ああ、でも胸は大きくなったかもしれない。上着を押し上げる豊かなふくらみに目をやりながら、そんなことを思う。
「通報するわよ」
「すまん」
まあなんというか、あの頃の俺たちはそんな高校生で、今の俺たちはこんな恋人同士だった。
「…ほら」
声をかけられて、足を止める。海を埋め立てたのであろう、木張りの足場に響く足音も止まり、風の音だけが耳に届く。
手すりの向こう、海の彼方に日が沈もうとしていた。
理恵は何も言わず、落ちていく夕日を眺める。
潮風に艶やかな黒いロングヘアを揺らし、どこか満足げな顔をして。多分、俺も似た表情をしているのだろう。
多分、普通なら「キレイ…」と感じ入ったり、すてきすてきと、はしゃいだりするのかもしれない。
でも俺は、こんな理恵が好きで、ただ静かに流れていくこんな時間が好きだった。
あの頃の、夕暮れの教室のような。
「神谷は、自由ね」
「何がだ?」
「全部が」
西日が差し込む教室で、自分の机に腰掛けながら理恵はそんなことを言った。
「俺が自由であるのと同程度には、お前も自由だと思うけどな」
俺の言葉と共に、窓からの風が理恵の髪を揺らした。長い髪が沈む日を返し光が散らばる。
あの頃も、今も理恵の髪は綺麗だった。
「そういうことじゃないの」
普段は何かにつけて理屈っぽいのに、この時の理恵はとても不可解で、俺は戸惑ったのを今でも良く覚えている。
日が沈み、俺たちはホテルへと移動していた。近場で旅行と言うのもいい物ではなかろうかという事で、今日はお泊りだ。
闇に包まれた外では、都会の光と海が広がっている。
「いいの?こんな高いところ」
階層の話ではない。いやまあ階も30階だから高いのだが。
「いや、そんな今更…大体折半じゃないか」
「まあ、そうなんだけどね」
荷物を下ろし、一息つくと理恵は立ち上がった。
「シャワー、使ってくる」
「ああ、俺も」
俺はさりげなく言った。
「………まあ、いいけど」
「なんだと」
「なんで秀行が驚くのよ」
呆れ顔で、理恵は息をつく。
「いや、だってお前はいつも恥ずかしいとかそんなもっともらしい理由をつけて一緒に入ってくれないじゃないか」
「…それをもっともらしい理由と言われるのは中々腹立たしいわね」
ちなみに、過去に共に風呂に入ったことは20回程度しかない。十分?いや、俺は毎回だって理恵と共に入りたい。
「お風呂では態勢を立て直したいのよ」
「ああ………理恵は凄く乱れるものな」
理恵の目がすっと細められる。
「…本当のことじゃないか」
俺は自分の発言の正当性を主張しようとしたが、何故か叱られた子供の言い訳のような口調だった。
「そうだとしても、今言うことじゃないわね」
「すまん」
「……行きましょ」
はぁ、とお約束のため息をつくと、理恵は風呂場へ向かう。
「ああ!」
俺は冒険に向かう勇者のような口調で返事を返すと、その後を追った。そして勢いあまって理恵を追い越してしまった。
「…そんなに楽しみ?」
「ああ!!」
俺は爽やかなスポーツ青年のような口調で返事を返すと、理恵の手を引いた。
そういえば、こういうことが多かったな。何かにつけて、俺は理恵の手を引いていた気がする。
…振り回していたというか。
「何してるの?」
自分の席でチラシを片手にむむむと唸っていた俺を見て、
ぶらりとやって来た石動(本を持っているので図書室帰りだ)が声をかけてきた。
「いやな、ケーキが食べたいんだ」
「食べればいいじゃない」
マリーのような口調で石動は答える。
俺は手にしたチラシを見せる。そこにはカップルのお客様には全品半額と言う文字が重々しく書かれていた。
「ふーん…」
まるで興味なさそうに、石動は自分の席に着こうとする。
日付は今日。今日しかない。だが俺一人で行っても意味がない。しかし石動を見た瞬間俺に天啓が下っていた。
「よし石動。ケーキを食べに行こう」
俺はフリーの左手で石動の手を取り、祈るように掲げた。
「…なんで?」
俺は右手に持ったチラシを見せる。そこにはカップルのお客様には全品半額と言う文字が軽やかに躍っていた。
「ケーキは嫌いか?」
「好きよ」
「友達として、俺を助けてくれ…!」
付き合いもそれなりに長くなり、俺は石動がクールな見た目と違って情に厚い女だということも知っていた。
「………」
が、石動は何故か不満げな顔で、俺を見返してきた。なので俺はさらに一条件加えた。
「俺が出すぞ」
「…それは魅力的ね」
「だろう!」
「でもそれじゃ、結局普通の額で一人前払うのと変わらないわね」
「そうだった!!」
俺はバカか!少し自分でも愕然としてしまった。
「あ、私も行きたい!」
そんなやり取りをしていると、近くにいた米田さんが会話に加わってきた。
すると米田さんに続くように、俺も俺も、私も私もとわらわらとクラスの男女が集まってくる。
…まあ、男女の数さえ等数ならば何の問題もないだろう。
「よし、じゃあ皆で行こう!」
俺はチラシを高々と掲げると、石動の手を握った片手をぶんぶんと振る。
おー!とクラスの声が重なり、石動は呆れ顔でため息をついていた。
ドアを開け、浴室の扉の前に立つと、理恵は上着を脱いだ。
豊かな胸のふくらみが、レースの縁取りがされたレモンイエローのブラに押し込められている様子が露になる。
続けて、アイボリーのロングスカートがはらりと床に落ちる。
下腹部を覆うショーツはブラとお揃いのレモンイエローで、レースの柄も上と同じだった。
その面積の予想外の小ささに、俺は少し興奮する。
「…秀行も脱ぎなさい」
険しい声がかけられる。ハッとすると、下着姿の理恵がこちらを軽く睨みつけていた。
「…そうだな」
俺はいそいそと服を脱ぎ始めた。
まったく、と理恵は下着に手をかけた。
「おお…」
理恵に言われ、俺は先に浴室に入っていた。
中は中々に広い。なんちて。
…全裸なのも手伝って我ながら薄ら寒くなってしまった。
俺はお湯の暑さを確かめると、早速湯船にお湯を張り始める。
「〜♪〜〜♪」
浴槽をお湯が満ちていくのを、俺は鼻歌を歌いながら上機嫌で眺めていた。
「………何してるのよ」
その様子を見られていた。
「…なんでもない」
「もう…」
今まで俺は何度理恵に呆れられたのだろうか。
呆れられるたびに1セント貰ってたら今頃大金持ちだぜ!と言えるぐらいだろうか。
「まあそんな事より、理恵」
俺は両手で、胸を隠すように組まれていた理恵の手を取った。
「な、何?」
「洗いっこしよう」
「………」
呆れられるたびに1セント貰ってたら今頃、俺は確実に小金持ちではあるだろうな、と思った。
「…で、まずは私が洗われるわけね」
「なんだかお前はイマイチ乗り気じゃないからな」
俺は言葉を交わしながらスポンジにボディソープを乗せ、丹念に泡立てる。
「まあゆっくりとお姫様気分でも味わってくれ」
そう言いながら俺は理恵の背中を流し始めた。
「男に体を洗わせるプリンセスは何処にもいないと思うけど」
返事を聞き流し、俺は理恵の背中に泡を広げていく。
髪がアップにされることで露出した、あまり見る機会のない理恵のうなじに少しドキドキしてしまう。
「このぐらいの強さでいいか?」
「ん……」
「腕、上げて」
スポンジを動かし、ゆっくりと丁寧に洗ってゆく。右腕、そして左腕。
理恵の体の前にスポンジを滑らす。
「ちょ、ちょっと…」
ぽよん、とした感触をスポンジ越しに感じる。
「大きいよなあ」
俺はぽよぽよ、と手の上で胸を揺らし、その感触に息をつく。
「…お姫様は、セクハラにも耐えなきゃいけないのかしら?」
「ただちにご奉仕させていただきます」
物凄く大きいわけではなく、平均より大きめ、といった感じの理恵の胸を下から持ち上げるようにして洗う。
スポンジを持ってないほうの手も動かして、今度は側面。両脇を洗い次は胸の谷間にスポンジを滑らせ上下させる
小さいながらも先端で立ち上がり自己主張する乳首も、磨くようにつまんで擦り洗う。
「……!!」
懸命に口を結び、声をこらえる様子がかわいい。
「どうだ? 」
「そ、その質問、何かおかしくない?」
「いや、全然 」
胸を洗い終え、今度はお腹を洗う。かわいいおへそも軽く指の先で洗うと、理恵がくすぐったそうに身じろぎした。
「大きいよなぁ。安産型ってやつなのか?」
そしてぷりぷりしたお尻のお肉を洗いながらふと聞いてみる。そういえばどういうのを安産型というのだろう、と思ったのだ。
「こ、この…」
「ん?」
今目の前にある理恵のお尻が少し震えている。
「くすぐったいか?」
「………」
…返事はない。仕方がないので、俺はまた陶器を磨くようにして、理恵の体を洗っていく。
尻から続く太ももを右、左。最後に両脛。泡まみれのスポンジを滑らせていく。
その間、理恵はずっと言葉もなく体を震わせていた。
「よし、んじゃあ座ってくれ」
置いてあった椅子を持ってくると、俺は理恵にそう頼んだ。
「え?」
「いや、まだ残ってるじゃないか」
股間が。
「い、いいわよ。自分で洗う」
「はいはい」
理恵の両肩に手を置いて椅子に座らせる。抵抗は強くなかった。
すとん、と理恵の泡まみれのお尻が椅子に着地する。
「ほれ、足開いて」
座ることにこそ抵抗はなかったが、もじもじと擦り合わせるように動く両脚で股間はガッチリガードされている。
「…変態」
腿にぽんぽん、と手を置いて開くよう促す俺をにらみつけながら理恵が毒ずく。
「俺は完璧主義者なんだ」
「初耳ね」
「…ほら、いいから」
「覚えておきなさいよ……」
不穏な言葉と共に緩んだ抵抗に合わせて、俺は理恵の脚を開いた。
開かれた脚の付け根にある秘部は、ぴったりと閉じられている。
俺はまず、その上を薄く飾る陰毛に手を伸ばした。
スポンジではなく、泡まみれにした指で、ぽわぽわした毛質のそれを一本一本洗ってゆくようにしてシャンプーしてゆく。
理恵は手の甲の付け根を口にあてて、完全にそっぽを向いていた。
ふてくされる仕草もかわいいよな、なんて思う俺は重症だろうか。
シャンプーが終わり、俺はスポンジを持ち直すとぴったりと閉じられている割れ目を開いた。
「やぁ…っ…」
キレイなピンク色の秘肉が露になり、とろっとした液体が入り口から漏れる。
「…ああ、少し濡れてるのか」
「〜〜〜〜!」
言葉にならない音で、顔を真っ赤にした理恵が俺の無神経な発言に抗議する。
「す、すまん」
俺は一言謝ると、大切なところに泡が入らないように気をつけながら、秘部を撫でるようにして洗った。
スポンジが上下する度に、理恵の身じろぎが徐々に大きくなる。
ぴくぴくと震える脚に、俺はなんともいえない満足感を感じた。
「はい、じゃあ腰を前にな」
「やっ、ちょっと…!」
有無を言わさず、俺は理恵の背中に手を回し支えながら、腰を引き寄せる。
「や、やだっ!」
理恵は完全にこちらに股間を突き出す体勢になった。
「はいはい、すぐ終るから」
俺は決して離さぬよう背中に回した手にしっかりと力を込めてから、
もう片方の手に持ったスポンジで優しくお尻の穴とその周辺を洗う。
「やぁ……」
女の子のお尻のお穴は、ちょこん、といった擬音が似合う感じでかわいいよな、なんて思いながら。
…いや、まあ理恵以外の女の子のなんて知らないけども。
「よし、んじゃあ流すぞ」
俺はシャワーの温度と勢いを確かめてから、理恵の体に浴びせた。
ぬるめのお湯が理恵の体の上を滑り落ち、泡もどんどん流れ落ちて排水溝に飲まれてゆく。
「………」
その間、理恵は何も言わず頭を俯けてただ黙っていた。
「……お疲れ様です」
そのせいでなんだか嫌な沈黙が漂っていたので、とりあえず俺は理恵にねぎらいの言葉をかけた。
「……………」
返事はない。
「……………頭にきた」
そう言うと、理恵は俯けていた頭を上げる。凛とした瞳には、炎が燃えていた。
「洗いっこなのよね」
確認するような口調で、理恵は問う。
「あ、ああ」
「なら私にも秀行を洗う権利があるわよね」
「ま、まあな…」
というか、本来二人でキャッキャウフフしながら
同時に洗い会うのが俺の理想だったのだが、つい流れで一方的に洗ってしまった。
世の中とはままならないものだな。
そんなことを考えている俺には構わず、理恵はスポンジを乱暴にひったくると
ボディソープのポンプを連打して石鹸を振りかけていく。
後ろから見ていてもなんだか鬼気迫る迫力だった。
「な、なんか怖いぞ」
「黙りなさい」
そう言うと、理恵はぐいと俺の胸にスポンジを押し当てた。
「…覚悟しなさい」
「何を…?」
俺の問いかけは無視され、理恵のターンが始まった。
まず俺は両手と体をゴシゴシとかなり強く磨かれた。あまり愛は感じなかった。自業自得ではあるが少し悲しい。
そして今、理恵は腰を落とし実ははずっと屹立しっぱなしだった俺の男性器をしげしげと眺めていた。
「こんなにして…」
ポツリと呟くと、理恵はスポンジでなく石鹸まみれの手で勢いよくそれをしごき始めた。
片手で竿をこすり、もう片方の手で俺がしたように陰毛をシャンプーする。
た、たしかにこれは恥ずかしいかもしれない…
ぐりぐり、と亀頭を指先が拭うように撫で回し、玉袋もぐにぐにとシワをのばすようにして洗われながらそんなことを思う。
そして理恵は腰に抱きつくようにして尻肉もスポンジでごしごしと洗っていく。
理恵の胸がちょくちょく脚に当たり、正直これは心地よかった。が、そんな幸せ気分もすぐに霧消する。
「座りなさい」
「…この床にか」
何度確認しても、理恵は椅子でなく床を指し示す。
「座りなさい」
「オーライ…」
有無を言わせぬ口調に従って、俺は浴室の床に腰を下ろす。冷たい。
「お尻を上げて」
「いや、それは…」
理恵は最後まで聞かず、俺の体を倒して腰を抱き込んだ。
先ほど俺が理恵に椅子の上でしたように、今度は俺が尻と両足を高く上げる形になる。
「お、おい」
「………」
何も言わず、理恵は無言でげしげしとタオルで俺の尻の穴を擦る。
「ま、待て!俺はもう少し優しくしたぞ」
「………」
聞く耳持たないとばかりに尻の谷間でスポンジが激しく上下する。
その後、足も抱えられて洗われた。
「う、うう…」
その後、泡を流されながら、隅々まで蹂躙された感覚に呻くしかない俺がいた。
あの後、お互いの体を触りながらベタベタしていたらいつの間にか大分時間が過ぎていたようだ。
なんだか少しふらふらするな、と思いながら浴衣に着替えた俺はぼすりとベッドに倒れこんだ。
「のぼせたか……」
ちなみに、あの後ずっと浴槽の中でベタベタしていたのだが、意地悪な理恵は俺に発射を許してはくれなかった。
それどころか、風呂から出る際に「これで我慢しなさい」と言うとシャワーで冷水を股間に浴びせてきた。ひどい。
そんな仕打ちを受けながらも、さすがに少し負い目があったので俺はあまり強く出られなかった。
自業自得ってこういうことね。
ぷりぷり怒っていた理恵も、俺と一緒にフラフラしながら風呂から出て浴衣を着ると、
今は冷蔵庫を開けてペットボトルのお茶をくぴくぴ飲っていた。
浴衣、似合ってたなあ…
俺はまた浴衣姿の理恵を存分に視姦しようと、ベッドに埋めていた顔を冷蔵庫の方に向けた。
「あれ…」
理恵がいない。部屋を見渡そうとしたその瞬間、照明が全て落ちた。
停電?俺は暗闇の中でぱっと体を起こすと理恵に声をかける。
「大丈夫か!」
「ん…」
空調の音に混じり、ささやかな返事が返ってくる。
いつも通りの簡素な返事に俺は安心し、ベッドに仰向けになった。
ごうごうと空調の音だけが耳に届く。停電じゃなくて、理恵が電気を落としたのか。
なんでだろうと思った瞬間、ぼすり、と寄り添うように理恵が倒れ込んできた。
「理恵?」
「ん」
体を擦り付けるようにして、理恵が寄り添ってくる。柔らかな感触と、人のぬくもり。鼻腔には石鹸の香り。
「………何よ」
「いや、まだ何も言ってないんだが…」
「彼女にあんなことするなんて」
首に理恵の息がかかる。くすぐったいけど心地いいな、と俺はそんなことを思った。
「変態」
「手厳しいな」
「変態…」
「愛ゆえに」
「………何が愛よ」
ふてくされたように、理恵は言った。
「ベタ惚れなもので」
素直な気持ちだった。
「よく、平然と言えるわね…」
「本当のことだからな」
「女たらし」
「惚れたほうが負けだそうだぞ」
これは名言だな、と思う。結局、夢中なのだ。いつからかも思い出せないが、
あの関係が、共にいる時間が何よりも心地よくなってしまった時から。
「…ベタ惚れよ、悪い?」
俺の言葉をどう解釈したのか、理恵は怒ったように言った。
「…俺だってベタ惚れだ」
「さっきも聞いた」
くい、と浴衣の裾が引かれる。俺は何も言わず、ただ黙っていた。
しばらく沈黙が続く。窓から差し込む町の明かりに照らされて、俺たちはただ寄り添っていた。
「…あなたは、自由ね」
いつか聞いた言葉だな、と思った。俺は何も言わず待った。
あの時言わなかったことを、理恵は言おうとしている。そう感じたのだ。多分それは大切なことなのだろう。
「…いつから、素直に物を見れなくなったのかしらね」
呟くように、理恵は言った。自嘲するような、惜しむような口調で。
「男の子が女の子に優しくすれば下心があるって思われるし、先生の前で真面目にしてると媚びてるって思われる」
「みんなの前でいいことするとカッコつけてるって思われる」
「…実際、私もそう思っちゃうの 」
「仕方ないさ」
下手をすれば、善行ですら下心としか見られない。実際そういうケースは多いのだろうし、仕方がないのだ。
まあ生きにくいよな、とは思う。ただ優しくしたいだけであっても、なんだか考えなきゃいけない事、煩わしい事が多すぎて。
「でもあなたはそんなの、何も気にしないで飛び越えていっちゃうの。自分に、正直で」
理恵は、まるで眩しいものを見るみたいに、目を細めた。
「自分の気持ちを恥ずかしがらずに、伝えるのに誤解も恐れずに。ただ、素直で」
「………恥知らずと言われているような」
「似たようなものかもね」
ふふ、と理恵が優しく笑い、俺は少し安心した。
「まあ確かに俺は人より素直な性格かもしれんが…」
「素直なんてものじゃないわよ」
「でもね、だから…あなたの側にいると、私も自由になれる気がするの」
そう言うと、理恵は体を起こした。俺の体の上で、四つんばいになる。
「気がする、んじゃなくて。事実そうなんだけどね」
ちゅ、と唇が軽く触れ合い、離れる。理恵は子供のような笑みを浮かべて俺を見つめていた。
「俺と一緒にいる時の理恵と、普段の理恵に違いがあるとは思わないけどなあ」
俺は、自分にそんな影響力があるなんてとても思えない。
そう思いながら、口付けに応えるように理恵の体を優しく抱く。理恵は素直に俺に体を預けてくれる。
「それは、いつも一緒だったからでしょ」
胸に頭を優しく擦り付けるようにしながら、理恵は言った。
「自由な理恵は、甘えん坊なわけか」
「そういうときもあるの」
窓の外からの町明かりと、回り続ける空調の音。そして触れ合った互いの体温と息づかい。
「静かね…」
理恵はとても安らいだ口調で呟いたので、俺は抱いた手を緩めた。
「このまま、眠るか?」
「眠れそうに、ない…」
そう言うと、理恵はゆらぐように体を起こす。マウントポジションを取ると、片手でさっとアップにされていた髪を解いた。
広がる艶やかな黒髪は、蒼い光を弾きとても幻想的だった。
「ひでゆき」
理恵は名前を呼んで、俺を見つめる。
俺はなんだと問い返そうとしたが、その前に口を塞がれてしまった。
「ん……ちゅ…えろ」
唇だけでなく、舌で交わる。理恵の舌は、まるで侵略するような動きでこちらの口内を責めてくる。
調べるように、確かめるように。理恵の舌が俺の口の中を動き回る。唇を合わせると、理恵はいつもこうだ。
でも俺も激しくするのは好きなので何の問題もない。世の中は上手く出来ているものだ。
俺は自分の舌で理恵の舌を絡め取ると、唾液を理恵の口に押し込む。
理恵もそれを受け取り喉を鳴らして飲み込む。そして返すように舌を伝わせて自分の唾液を流し込んでくる。
互いの体液を交換し、飲み下す。食道を伝う感触だけで体が熱くなる気がした。
歯茎を伝い、歯を撫でる舌で相手の舌も確かめる。しばらくの間、俺たちは繋がり続けていた。
息の荒くなった理恵がぷはっ、と口を離す。さっきまでの行為を証明するように唾液が糸を引いて互いの唇を繋いでいた。
「今日は、私が…ぜんぶ、する…」
荒い息のままそう言うと、理恵は俺の浴衣に手をかける。
前の部分をはだけ胸を露にすると、のしかかったままそのまま理恵は俺の首にちょん、ちょんと細かく口付ける。
そこから舌を伸ばし、胸へと舌を這わせてゆく。
「えろ…んん…ちゅっ…」
乳首を優しく舌で円を描くように転がされ、軽く吸引される感覚に俺は体を震わせた。
そんな俺の様子に、理恵はとても満足げだ。
「ふふ…」
ちゅっちゅと優しいキスを胸に降らすと、理恵は舌を下腹部へと這わせる。
道中、おへそを舌でほじくるように舐められて少し変な声を上げてしまった。
そして股間に辿り着くと、理恵はすっかり屹立した俺のモノを軽く掴みしげしげと見つめる。
「いつ見ても、凶悪よね…」
この傘の広がりとか、と言いながら理恵はその部分をなぞるように人差し指を動かす。
なんだか感心するような口調にこっちが妙に気恥ずかしい。
「割と恥ずかしいんだが…」
「我慢しなさい」
そう言うと、理恵は愛しむようにちゅっと亀頭に口付ける。
そのまま舌を伸ばし、確かめるように舐め上げていく。上から下へ、下から上へ。
隙間なく舌を這わせていく。
「何か、してほしい事はないの?」
その最中に、どこか懇願するような調子で理恵は尋ねてきた。
「…愛して欲しい」
せっかくの申し出だったが、何故か具体的な要望が思い浮かばなかった。
「バカ…」
そう言うと、理恵は俯くようにして玉袋をくわえ込んだ。
「ん…んん……」
咥えると、ころころと舌上でタマを動かすようにしたり、袋のしわをとことん舐め伸ばすように舌で優しく責めてくる。
軽く吸引される感触に、俺は腰を震わせた。
「…腰、上げて」
「え?」
「上げなさい」
言われるがままに、俺は少し腰を浮かす。そうすると、理恵はそのまま俺の腰を抱えた。
「お、おい…」
なんだか急にさっきの暴虐が思い出されて、俺は焦った。
「こんな所まで洗われて、すごく恥ずかしかったんだから…」
「お、お互い様じゃないか、って…!」
すねるように呟いた理恵はちゅ、とそのまま尻穴にキスをした。
「あ…ふぁ、えろ……」
しわの一本一本をなぞるように、中心から放射状に理恵は何度も舌を動かす。しかも妙にゆっくりと。
「こ、こら…!」
なんだか急にこみ上げてきた羞恥に俺は理恵を諌める。
が、理恵はまるで効く耳を持たず、行為を続けた。
「ん…んん…っ!」
強く押し付けられたと思った次の瞬間、ついに舌が体の中に進入してきた。
「えろえろ…ん…ちゅ……!」
腸壁を舐める舌の感覚に、俺は悶絶した。
「わ、わっ…!」
思わず上げられた俺の声に満足したのか、理恵はふふ、と笑うと
舌の届く範囲は隙間なく舐め回そうと、円を描くように、そして入り口から奥へと舌を動かす。
その丁寧な、それでいて大胆な舌のほじくり回す動きに俺は抵抗できない。
そしてほじくるだけほじくると、理恵はぷはぁっ、という息と共に口を離した。
何か言いたかったのだが、情けないことに声に力が入らなかった。やっとベッドに腰がついたのに安堵してしまう。
「いつもやられてばかりだったもの、今度はこっちの番よ…いつも人ばっかり声を上げさせて」
「…そんなこと言われましても」
さすがにそれは俺の責任ではないはずだ。多分。
「…おちんちん、こんなに勃起させて…」
一息ついた理恵はまたしげしげと眺めている。面白いものなのだろうか。
すると、ん、と唇をかぶせるようにしてくわえ込んできた。
俺は深く息をつく。暖かい粘膜に包まれる感触がたまらないのだ。
理恵はそんな俺の様子を見て幸せそうに微笑むと、艶やかな唇で男性器をしごくようにして頭を上下させ始める。
「ん、ぐちゅ、んん…れろ…ん、ちゅぱ…ちゅちゅっ…!」
それと同時に舌も動かし、さらに吸い上げる。
俺は理恵の頭を撫でながら、懸命に耐えていた。
「らさないの…?」
しばらくそれが続くと、行為を止めることなく、理恵は尋ねてきた。
「…そろそろ、限界だ」
俺の答えを聞くと、理恵はさらに頭と舌の動きを強める。
「らし…てっ…いいからっ…!」
「あ、ああ…頼む…!」
くわえ込みながら求める言葉を零す理恵に、俺は勢い良く射精した。
「ん、ちゅ…んんっ…!」
びゅくびゅくと勢い良く出しているのが自分でも分かる。
だがそれでも理恵は口を離さずに、ゆっくりと頭を上下させ続けている。
射精しながら吸い上げられる感覚に俺は体を震わせた。
「ふ…ふぁ…、んちゅ……ぱぁ、んん…ごく、んんっ…はぁ…」
射精が止まったのを確認すると、
理恵は最後の吸引を行い、口を離す。そして口内にたまった精液を飲みこんだ。
「けほ、ごほっ!」
「お、おい大丈夫か」
「ん………」
けほけほと咳き込む理恵の背中をさすってやる。
「出しすぎよ、秀行…」
「す、すまん」
どうにもならない事なのだが、そう言われると謝るしかない。
「…まあ、いいけど」
何がだろうか。
「ありがとな」
まあ深く考えることはやめて、俺は理恵にお礼の気持ちを込めて軽くキスをする。
「ん……」
理恵は照れくさそうに身じろぎした。
「さて、それじゃ今度は俺が…」
「ダメ」
さりげなく主導権を握ろうとしたが、まだ理恵のターンは終っていないようだった。
「今日は、私がするの…」
「いや、だがお前の方だって」
色々あるじゃないか、都合が。
「…大丈夫」
「何が」
質問すると、理恵は顔を赤く染めてそむけ、ぽつりと呟いた。
「もう、すごく…濡れてるから…」
目をやるが、浴衣に隠れたそこがどうなのか俺には見えない。
「俺、全く何もしてないんだが…」
「そ、そうよ。おかしい?」
なんだか怒りだした。
「いや…」
まあ、たしかに理恵は凄く濡れやすいが…
そうだな、と俺は理恵を押し倒した。
「な、ちょ、ちょっと…」
「少しいいか?」
質問しながら、答えを聞かずに俺は浴衣の隙間から理恵の股間に指を這わせた。くちゅ、という濡れた感触が指に伝わる。
「む……」
濡れてる、というかもうトロトロだった。そこは煮えるように熱くほぐれている。
「わ、わかったでしょ」
「うん……」
俺は素直に頷き体をどかした。
「ほら、寝て」
「うぃー」
まあなんかこだわりがあるようだし、今日は理恵の好きにさせてやろう。
俺は寝そべると、理恵のアクションを待つ。
「お前が上になるのか?」
「ん……」
いつも通りのイエスの返事と共に、理恵は俺に跨る。
と、俺はここで大切なことを一つ思い出した。
避妊具をつけていない。
「ちょっと待っててくれ、今コン」
「大丈夫、今日は薬、飲んでるから」
理恵はさらりと言う。
「い、いやお前それは…副作用とか、色々あるんじゃないのか?」
心配に思わず体を起こしかける俺を理恵は苦笑いしながら制する。
「常用してるわけじゃないし、今日一日だけ。大丈夫よ」
ありがと、と言いながら理恵はキスをしてきた。
そのまま、耳元で囁く。
「だから、私の中に好きなだけ出して…」
「ん………」
囁かれた卑猥な誘いに、なんだか理恵のような返事になってしまった。
理恵はそんな俺の様子に優しい笑みを浮かべる。
そして体を起こすと、腰を浮かせて俺のものを掴み、狙いを定める。
「じゃ、じゃあ…入れる、わよ…」
少し緊張した様子で理恵は徐々に腰を落としていく。
「ん……あっ…」
ちょん、と亀頭が秘裂に触れ、理恵が声を漏らす。
俺もその熱い感触を先端で感じて少しドキッとしてしまう。俺のモノが入り口をこじ開けようとしている。
「あ……はぁ…!」
ぐっ、と理恵は一気に腰を落とす。それと同時に、理恵の中をかき分けるようにして進入して
俺のモノはぴったりと理恵の中に納まった。とん、と最奥に触れている。
「ど、どう……?」
もう二人で何度もしている行為なのに、珍しい自分主導だからか理恵はまるで初めての時のように不安げだ。
「ああ、すごく、気持ちいい…」
実際、熱くとろけている理恵の中は、きゅうきゅうと優しく俺のことを歓迎してくれていた。
とろとろに煮えたいくつものヒダがもたらす快感は極大だ。理恵の中はただ入っているだけでも気持ちいい。
「じゃ、じゃあ、動く…から…っ」
俺の言葉を聞いて理恵は幸せそうに微笑むと、腰を前後に動かし始める。
「は、はぁ…ん……!あっ…!」
腰の動き自体は拙いのかもしれない。
だが、理恵の中のいくつものヒダヒダが俺を柔らかく、強く抱きしめシゴく感触は俺には例えようのない快感だった。
「い、いつでも…好きな時に出して、出してぇ、いいから…!」
理恵も俺をイカせるためにと腰を振りながらも、ときたま自身の快感のポイントに触れてしまうのか
唇を固く結び声を必死にこらえている。声がもうとろけていた。
俺はそんな様子の理恵を見て、とん、と下から理恵の動きに合わせて腰を打ち上げた。
「ひゃっ!?」
ずん、とちょうど腰を下ろした際に最奥を突き上げられて理恵は体をビクンと震わせる。
「だ、だめ…私が、する…のっ…!」
理恵の言葉に構わず、俺は理恵が特に弱い最奥の手前の辺りに狙いを定めて積極的に腰を突き上げだす。
「やら、そこ…ひでゆき、はっ…動いちゃ…あっ、ダメなのにっ…!」
単調にならないように、同じ場所を責めるのにもひねりこむようにしたり、
カリ首の返しに当たるようにしたりと考えて突き込む。
理恵はもう口に手を当てて必死に声をこらえていた。腰の動きも大分怪しい。
「理恵」
「ふぇっ…?」
俺は理恵の手をとって、引き寄せる。素直に倒れ込んでくる上半身を抱きしめると唇を合わせる。
「ん、んんっ……!」
お互い、鼻での呼吸では酸欠になるんじゃないかというぐらいに舌を絡ませて、相手の口を犯す。
理恵がキスをしながら上半身を押し付けるようにして身悶えた。
次の瞬間、痙攣するような動きと共に理恵の中が激しくうねる。
「ぷふぁ…あっ…」
唇を離すと、とろけきった表情の理恵がくてん、と倒れこんでくる。
それでも、理恵は腰の動きは止めずにゆるゆると動かし続けている。
危く出しそうになった俺も少し腰の動きを落ち着けると、
唇の端からよだれをたらしてゼエゼエと息をついている理恵に尋ねる。
「イッた、のか?」
息も絶え絶えの理恵は俺の胸に頭をこすり付けるようにして頷いた。
俺はお疲れ様、と理恵の頭をよしよしと撫でる。
俺に頭を撫でられながら、理恵は必死に呼吸を整えていた。
しばらくそうして、理恵の呼吸も大分落ち着いてきたのを見計らって、俺はまた腰を動かし始めた。
「やぁ……ぁっ!わらし、がぁっ…」
いやいやと理恵は頭を振る。私がするの、と言いたいのだろう。
でも俺はもっと乱れた理恵を見ていたい。腰を動かしながら、理恵のぷるぷると震える胸に手を当てた。
ゆっくりと揉みこむようにして全体を触り、次は乳首をつまんで軽くひねる。
「やっ!やぁぁっ、ちくび、ダメぇ!やめ……おひんひん、とめてぇっ!」
俺は理恵の言葉には耳を傾けず、思い切り腰を突き上げた。
ズン、と思い切り最奥を突かれて理恵はその衝撃に身を硬くする。
それと同時に俺は片手を胸から離すと、ゆっくりとお腹を撫でた。ここも理恵は好きなのだ。
「あ、あぁっ、ひでゆき、ひでゆきぃっ…!」
もう単語らしきものは俺の名前しかなく、理恵は思い切り舌を突き出してキスをせがむ。
俺はそれに応えてまた舌を絡ませる。
その最中に理恵がまたぶる、と小さく体を震わせる。そろそろ俺も限界だった。
震える俺の男性器に射精の予兆を感じたのか、理恵は腰を振りながら、俺の体に強く押し付ける。
「ん、んむ、ぷふぁっ、い、いいよ、ひでゆき、イッて、イッてぇっ!」
「あ、ああ……!」
俺にももう言葉をつむぐ余裕などなく、ただ必死に腰を突き上げる。
「だして、だしてぇっ!わたひの、なかにぃっ!」
その言葉を聴いた瞬間、もう限界だった。
理恵を強く抱きしめながら、俺は何度も腰を振りまた強烈に締まった理恵の中に射精していく。
理恵は俺の胸に頭を擦りつけびく、びくと体を震わせながらも俺の動きを助けて搾り出すように腰を動かしていた。
互いに息も荒く、強く抱きしめあいながらベッドに横たわる。
「あ、あはぁ、ひでゆき…いっぱい…」
「理恵……」
とろけきった微笑を見せる理恵に、俺はまたキスをする。今度はゆっくりと舌を絡ませながら、俺たちは互いを感じていた。
「いい天気だな……」
日の光が明るい部屋の中で、俺はのんびりと持ち込んだ缶コーヒーをすすっていた。
昨夜はあれからも盛大にやからし続けたので実はほとんど寝ていない。
理恵はまだ寝ている。まあ元々朝はあまり強くないし、ゆっくりと寝かせてやるべきだろう。
「ひでゆき…」
呼ばれた声にハッとなって振り返るものの、そこには昨日の痕跡も生々しいベッドで理恵が眠り続けていた。
「寝言か」
俺の寝ていたほうに理恵の手が差し出されている。何かを掴むように。
「………」
俺は静かにその手を取った。確かめるように、握る。それと共に理恵の口元がふっと緩んだように見えるのは、俺の自惚れだろうか。
そのまま何分か過ぎると、理恵が目を開けた。
「ん………?」
「おはよう」
「ん…」
「いま、何時…?」
朝起きるなり手を繋いでいるのをいぶかしげにしつつも、寝ぼけ眼で理恵は尋ねる。
「10時半だぞ」
俺は日曜日の午前に相応しい爽やかな笑みで答えた。
が、理恵の動きは凍りつく。
「チェックアウトは?」
「大丈夫、11時だ」
「あと30分で掃除の人来ちゃうじゃない!」
すっかり眼も覚めたという形相で理恵は言う。
「そうだな」
「なんで落ち着いてるのよ!」
「むしろお前のその慌てぶりのほうが珍しいと思うが…」
なんだかこっちがビックリしてしまう。
「シャ、シャワー!あとシーツも片付けないと!ええと、あと」
「シーツは俺に任せておいて、まあシャワーでも浴びてくるといい」
「そうするわよっ!」
…なんだか今日も楽しい一日になりそうだな、と俺は確信する。
窓の外では、太陽が鮮やかに日曜日の町を照らしだしていた。
以上、>>559-
>>580です
読んでくれた方、ありがとうございました。
乙!
良かったわー
>過去に共に風呂に入ったことは20回程度しかない
1回目はずいぶんとういういしかったんだろうな〜
これはGJ!理恵かわいい
なんかこの二人何年経っても同じような距離感保ってそうだなw
だがそれがいい
で、続きはありますか?
これは良作だ。
GJを捧げます
俺的には好きな作品
585 :
名無しさん@ピンキー:2009/05/16(土) 16:15:29 ID:XforI5+y
普遍的なスレだと思うので
もう少し賑わって欲しいなあと思いつつage
純愛かつ普遍的ならいいのだな
いや、純愛がネタとして普遍的だって話だろ
実際、純愛というワクの中であればその中で何をやるのかは自由っていう懐の広さがある…が逆にそれが書きにくさなのかもな
その「やること」に応じてそれぞれのシチュスレでいいじゃん的な…
純愛っていいよね
なんか かいて いいか
いいぞ かいて くれ
wktkwktk
592 :
名無しさん@ピンキー:2009/05/23(土) 22:13:06 ID:+EMTaq8M
手を繋ぐだけでドキドキしちゃうウブな二人とか良いよね。
書きたいネタが色々あるんだけど
難しいな、純愛の枠から逸脱しないようにするのって
純愛の定義がいまいち分からないな。
どこまでが純愛で
どっからがエゴになるんだろう
別にそんな難しく考えんでもいいと思うけどな…
よっぽどじゃない限り「こんなの純愛じゃない!」とか言われないと思うぞ
とりあえず保管庫やこのスレの作品を読み返してお気に入りな純愛(関係)を探してみては
「川崎ぃ!遅いよぉ、何やってんの!」
文化祭の片づけが終わった後。潰れかけた文芸部の部室に入ると、部活仲間の大船和枝が俺に怒号を飛ばした。
顔は赤く染まり、呂律が回っていない。右手には、果物の絵が書いてある缶がにぎられている。そして、妙に酒臭かった。
何か嫌な予感がしたので、俺…川崎喜一朗は、人間なら誰もが思うであろう当然の疑問を口に出す。
「大船…何飲んだ?」
「お酒。ほら、あんたも飲め飲め!」
大船はすまし顔で答え、あまつさえ俺に酒まで勧めてくる。缶の模様も、よく見ると最近CMで放送されている缶チューハイのものだった。
「酒ってお前、僕らはまだ未成年だろ!?」
「川崎!あたしの酒がぁ!飲めねぇってのかぁ!」
「いや、そうじゃなくて!」
会話がまるで成立していない。全く、これじゃあ飲んだくれたオヤジじゃないか。
僕がそっと溜め息をつくと、ちょうど携帯電話が鳴った。
美人で評判の鶴見先輩からのメールだ。「打ち上げやるんだけど、どう?」って内容の。
「あれぇ?それ、鶴見さん?」
「ああもう、酒臭い!寄るな!鶴見先輩のだよ!それがどうした!」
「…鶴見さんの酒は飲めて!私のは飲めないっていうの!?」
「いや、だから大船、落ち着いて…」
「あたしより鶴見先輩の方が好きなの?」
じっと俺の瞳を覗きこんでくる大船。もう慣れっこだ。普段の彼女も、こんなことをしてくる。
というより彼女は、俺に平気で抱き付いたりするような女だ。
女友達にはよく抱き付いているのを見掛けるが、俺以外の男には男として認識されていないのだろうか、と疑わしくなる。
まぁ女なんてそんなものだと俺は割り切っていたけれど。
「ねぇ、誰が好きなのよ!」
「誰だっていいだろ…大船、お前酔い過ぎ」
「誰が好きなの」
真剣なまなざしで俺を見据える大船。酒で赤く染まった顔は、どこかはかなげに見える。
「ああ、芸能人の水橋…」
「誤魔化さないでちゃんと答えてよ!」
普段おちゃらけている彼女の、いつになく真面目な表情に、俺は気圧されてしまう。こんな表情をしている彼女を見るのは初めてのことだった。
「わかったよ…俺が好きなのは…」
もう、いいや。どうなろうと、知ったことか。後は野となれ山となれである。
「大船和枝、ただ一人だ」
「へっ?もう一回!」
「大船和枝だよ!ああもう、いいだろそんなこと!こんな羞恥プレイさせるためにここに呼んだのか!?」
恥ずかしさに耐え切れなくなり、俺は叫んだ。まったく、こんなことをわざわざ聴き返す奴があるか。
彼女を好いているのは、紛れもない事実だ。大船和枝という女が好きじゃなければ、俺は文芸部なんか続けていない。
俺は文芸部と映研の掛け持ちをしている。映研は文芸部とちがい、かなり本格的な部活だった。
そんな俺にとって、文芸部なんていう小規模でお遊びレベルの部活なんて、邪魔なものでしかなかった。
今日だって映研の打ち上げをすっぽかしてまで、この小さな文芸部にやってきたわけだし。先輩、多分残念がっているだろうな。
だが大船和枝という女がいるから、やめることができなかったのだ。その大船はふぅ、と息を吐き、姿勢を直して座る。そして…
「…大船和枝、ただ一人だ。だーってさぁー!ああ、おかしい!」
机をバンバンとたたきながらげらげら笑いはじめた。さすがに腹が立ってきた。
「おい、そろそろ怒るぞ!」
「怒るのはぁ、あたしの話聞いてからでもいいんじゃあない?」
酒臭い息を吐きながら、大船は俺にその顔を近付ける。どれだけ飲んだんだ、こいつ。
仕方ない、この酔っ払いの戯言を聞いてやるとするか。確かに怒るのは、その後でも遅くないだろう。
「なんだよ」
「あたしも、好き」
「酒がか」
「んなわけないでしょ。あんたが大好きなのよ、川崎」
大船は途端にしおらしい表情になって、俺の顔をじっと見つめてきた。
顔に朱がさしているのは、俺から視線を逸らしているように見えるのは、本当に酒だけのせいなのだろうか。
「会ったときからずっと、ってわけじゃないけど。いつの間にか好きになってた」
「…そうか。まぁ俺もそんなもんだよ」
「ありがと…好きって言ってくれて。私も大好きだから」
「まぁそう言ってもらえるとありがたいが…お前もう酒飲むなよ。『だーってさぁー!ああおかしい!』とか叫ばれたら不愉快だからな」
「お酒飲まなきゃ…言えないわよ、こんなこと…」
「あのなぁ…そもそも未成年の飲酒はよくないだろ?常識的に考えて」
意外としおらしいところもあるのだな、と思いながら、俯く大船の頭を撫でる。
酒を飲んだ勢いで、言ってしまおうとしたのだろうか。だとしたら…まぁなんとも、彼女らしい考えである。
すると突然、大船が顔をあげた。
「ねぇ、キスしてよ」
「酒臭いから嫌」
「じゃああんたもお酒飲もうよ」
「断る!ああもう酒臭い!」
酒臭い息を吹きかけてくる我が部活仲間の頭を押さえながら、俺は何度目になるか分からないため息をついた。
まったく、俺も不思議な男だ。ガサツで自分勝手で周囲を振り回すだけの女なのに、どうして好きになっちまったんだろうなぁ。
どう考えたって、鶴見先輩の方がいい女なのに。100人に聞けばおそらく99人がそう答えるはずだ。
でもなぁ…こいつは放っておけないというか…まぁ、そんな魅力があるのだから仕方がない。
「ほら、立てるか。家まで送るぞ」
「酔いが醒めるまで川崎と一緒にここにいる!」
「…わかったよ。酒は飲まないが付き合ってやるよ」
校舎に染みている文化祭の余熱が、じんわりと体に感じられる。そんな中、俺は大船和枝という女の肩を抱いて、嘆息した。
このまま…このマイペースな女を抱きしめながら、時間が、止まってしまえばいいのになぁと。
構想10分
お酒の力を借りて自分を奮い立たせるって、いいものですよね
久々に投下されてるな
とりあえずGJ
いいよいいよ〜
GOODJOB!
投下されたのにすごい過疎だな
602 :
名無しさん@ピンキー:2009/06/02(火) 23:58:11 ID:CEPDrOz4
愛なんかある訳ない……
GJ
愛をください
>>604 もじもじ
…………ちゅっ
〜〜〜〜////
606 :
名無しさん@ピンキー:2009/06/06(土) 06:33:14 ID:BWRSvhEr
恋は奪うもの
愛は与えるもの
愛をもう一度信じたい、今はいまいち弱いけど。
久し振りに会った従妹が引き籠もりになってて、男がそれをなんとかしようと奮闘しつつ愛を育んでいく話とか良いよね
保守
610 :
名無しさん@ピンキー:2009/06/24(水) 01:36:31 ID:PBOW3Mk7
>>608 ロリっ子なら尚良し。
でも、久し振りに会ったっつーなら、いじめとか学校関連の理由じゃ手が出なくないか?
やっぱ従兄妹って関係を上手く利用して、家庭の事情とかか。
通りすがりに。
* * *
「永かったなぁ……ここまで」
シャワーの音を聞きながらころんと布団に横になる。
男の匂いの枕。
いわゆるこの男臭さが嫌でたまらなかった頃は、こんな事一生無いと思ってた。
低く薄暗い天井を見上げながら想うのは、過ぎてきた痛みの数とこれからの甘い疼きへの期待。
そして、新たなる苦しみへの僅かなる恐怖と予感。
「大丈夫だよね。あたしは、大丈夫」
目を閉じて呟きながら過去を振り返り、時の重さを計る。
――シャワーの音が止んだ。
* * *
「どうした?」
「あ、兄ちゃん」
家の手前にある公園の入り口で、あたしは膝を抱えてしゃがんでいた。
「入れないのか?」
黙って頷く。そんなあたしを見て溜め息をつくと、
「よし、来い」
と頭をぐりぐりと撫でてにっこりと笑う。
長い時間しゃがんで痺れた足のせいでうまく立ち上がれないあたしは、彼の差し出す腕の力によって
地面に転がる事態を免れる。それはいつもの事だった。
そう、いつもの。
「……おじさん、留守?」
「多分お客さん」
「そうか」
手を引いて貰って歩きながら、あたしの目線は履き潰して破れかけたズックに落ちる。
鍵の掛かった玄関のドアの郵便受けから中を覗くと、父の大きなサンダルと並んで派手なハイヒールがあった。
綺麗な靴、いいなぁ。
そんな事を考えながら歩いて自分ちの前を通り過ぎる。
角を曲がればすぐ兄ちゃんちが見えた。
うちより幾分か新しくて小綺麗なアパートの階段を昇ると、鍵を開けて
「入ったら鍵また掛けてな」
と言って奥に消える。
あたしは言われた通りにしてから流しで手を洗い、兄ちゃんの後に続く。
ランドセルから宿題のプリントを出してこたつの上に並べていると、奥の部屋で着替えた兄ちゃんが
台所からジュースとみかんを持ってきてくれる。
「食べな」
「うん」
そんな日常の流れが最早当たり前になっていた。
近所の家々の換気扇から夕餉の香りが漂い始め暗くなった頃、兄ちゃんに連れられてアパートへと帰る。
「おばさん帰ってるな」
「うん」
玄関横の台所の小窓に灯りが点っている事を確認すると、やっと我が家に入れるのだ。
「じゃあな」
「……うん」
ドアに手を掛けながらそっと振り返り見上げた顔は、いつもどこか不安げに思えた。そしてそれは
あたし自身の感情を映したものだったのかもしれないと後々まで心の隅に引っかかる。
目が合った途端に不自然な位ニーッと唇を引き延ばして笑うのだ。そして大きなごつい手であたしの
頭をわしわしと撫で回す。
「何かあったらまた戻れ。母……おばちゃんにも言っとくから。な?」
「う……ん」
兄ちゃんの母は父の姉でつまりあたしの叔母さんだ。先程のアパートに母子二人で住んでいる。
兄ちゃんの父親は死んだのか離婚したのかはわざわざ聞いた覚えはなく、実は未だによくわからない。
そっとノブを回すと鍵は開いていた。
ほっと一息ついて振り返ると兄ちゃんは察した顔で頷くと帰って行った。
「ただいま……」
これまたくたびれた靴の横に自分の靴を並べて脱ぐと、流しに立っている母の姿を確認する。
「……なに、また将(まさ)ちゃんとこ?」
黙り込むあたしに浴びせられるのはいつも『おかえり』の前にある溜め息混じりの苦々しい言葉だった。
あたしの事を蔑ろにしてると責められる、と普段から母はあたしが兄ちゃんちに居つくのを快く思って
いないのだった。
「なんでまっすぐ帰って来ないのあんたは!だからあの人が……」
その一言で父が居ないのだと言うことがわかる。
母がわざわざあたしにそんな愚痴をこぼすのは父が居ない時だから。
大方酒でも飲みに行ったのかもしれない。仕事もろくにせず、しょっちゅう飲み屋の女と遊んでいたのは
子供のあたしでも察しがついていた。
あたしが家にいればいくら何でも女を連れ込むような真似はしないだろう――母はそう思っていたのだ。
だがそれは全く無駄な思い込みであった。
実のところあたしは週に何度かは学校から帰っても家に入る事が出来ないのも珍しくは無かったし、
だからと言ってそれをいちいち母に言うことも出来なかった。
それを知ってか知らずか兄ちゃんも叔母さんにその事を告げずにいたのだろう、母にその事は伝わっては
いなかった。(多分あたしが父の虫の居所が悪い時に避難してくる位に思っていたのだろう)
だから母のあたしに対する苛立ちは見当違いのもので、全くの無駄でしかなかったのだが。
「ほら、早くご飯食べて。……お母さん疲れてるんだから世話かけないでよ!」
ご飯に一品だけのおかずの質素な食事が並ぶ食卓で、パート疲れの母の顔色を窺いながら口に運ぶ
食べ物の味は、未だによく思い出す事が出来ない。
――ガシャン!!
言い争う声と激しい物音に目が覚めたのはその夜も更けてからだった。
「しらばっくれんのもいい加減にしなさいよ!」
「知らねえつってんだろ」
「……さんがわざわざ教えてくれたのよ!?『今日も葵ちゃん、将希(まさき)君ちに入れて貰ってたわよ』って。
『可哀想じゃないの』なんて……。何やってんのよあんたは!何であたしがあんな事言われなくちゃなんないのよ!!
あたしが昼間一生懸命働いてるのは一体誰の……」
「るせえっ!!」
父の怒鳴り声の後に母の悲鳴が上がった。同時にがたん、とこたつの動く音がして、どすんと何かが
倒れたのが解った。
びくびくしながら襖の隙間から覗いた光景は、今でも忘れる事が出来ない。
頬を抑えた母と勢いでズレたこたつの天板に流れる零れたビール。
そのそばでグシャグシャに濡れてひん曲がった回覧板を見て、お節介な階下のおばちゃんが母に昼間の
あたしの動向を告げたのだろうと思った。
「俺はいつでも別れてやってもいいんだ。――面倒くせぇ。出ていきたきゃ出てけ。やれんならな?」
しゃがみ込んで倒れた母の顎をくいと上げニヤニヤ見下ろしながら笑っている。そんな父を唇を噛み
見上げようと顔を上げた母とその瞬間目が合った。
「何見てんの……?」
憎々しげに睨まれて体が竦み上がった。
「何だ?お前も何か文句があんのか。……言ってみろ。あ?言えよ、こら」
目が据わっていた。
日頃は口数が少なくだんまりしている。物静かと言えば聞こえが良いが、あたしの顔を見ても――というより
見ないようにしていると言った方が早いか――要は無関心なのだ。どうでもいい存在だったのだ、あたしは。
そんな父があたしに関心を抱くのはこういう時だけだ。と言っても酔ってるときは大概タチが悪い。
ちょっとした事が逆鱗に触れて、それがあたしを傷付ける。まるで言い掛かりじゃないのかと思うような事でも。
中腰の体を起こしかけているのを見て衝動的に襖を開けて玄関の方へと走った。
それからどれくらい時間が経ったのだろうか。
兄ちゃんと叔母に連れられて家に戻ったあたしが見たものは、泣き崩れて周囲の同情を誘う母親と
それを囲む数人の野次馬。
その側で近所の誰かが通報したのだろう、お巡りさんの前でだらしなくクダを巻いてうなだれる父親。
『あんな人連れて行ってくれたらいいのに』
と、今よりももっと深く根強かった民事不介入という言葉を知らなかった子供心にもそう思ったものだった。
あたし自身にも親子間の情愛という感覚は上手く備わっていなかったに違いない。
だけども、
「お前が本当の妹だったら、ずっと一緒にいてやれるのになぁ」
そう言ってかじかんだ手をぎゅっぎゅと握って白く息を吐く、兄ちゃんの願いはあたしのものでもあった。
「俺がもう少し大人なら、葵の事守ってやれるのに……」
父親とは違う、少しだけ男の匂いのし始めただぶだぶのパーカーと、素足に余るスポーツメーカーの
ロゴの光るサンダルに包まれながら、それがどれほど小さな胸を膨らませるに至る夢であったのかを
ずっと後々になって思い知る。
――将希15歳、葵7歳の冬――
615 :
名無しさん@ピンキー:2009/06/28(日) 01:21:52 ID:5C7qMQH6
うん、続き楽しみにしてます〜
>>611の続きです
* * *
使い込んだ小銭入れから残りのお金をぶちまける。
「ひい、ふう……何とかなるか」
母親のパート代とたまにあたしが手伝う内職での暮らしは楽ではない。
それでも月に僅かばかりの小遣いは与えて貰ってはいたのだが、他の子達と違い毎日の昼食もそれで
賄わなくてはならないため楽ではなかった。
父親は小学校を卒業する頃には全く姿を見せなくなった。
いいヒモの口でも見つかったのじゃないか、と叔母に母がこぼしているのを聞いてしまった事がある。
もうあたしには父親にも母親にも円満な家庭を望むだけの気力もなにも残ってはいなかった。
多感な思春期に於いて既に人生の大部分を諦めて、俯き唇を噛む日々が続いていた。
食費の入った封筒から千円札を抜いて近所のスーパーへ行く。
中学生になってからは夕飯の支度はあたしがやるようになった。といっても夕方の値引きシールの
貼られた安い鰯やアジなどの魚を焼き、味噌汁を作るくらいのものだったのでちっとも上達などしな
かったのだけれど。
「あ」
「よう、買い物?」
門を曲がったところでばったり兄ちゃんに会った。
「うん。兄ちゃんは……?」
「ん?ああ、まあちょっとな。……んじゃ俺急ぐから」
挨拶もそこそこに落ち着かない様子で駅の方へ駆けていく。
他の子達みたいに可愛い流行りの私服など持ってはいないあたしは、無理やり着ている小学校からの
それを誰かに見られるのが恥ずかしくて、いつも平日は制服姿でうろついていた。
いそいそとした後ろ姿を見送りながら、こんな時に会うなんて――学年の割には少々くたびれた
誰かからのお下がりのセーラー服に予備さえない靴を恥じ、ちくちくと締め付ける得体の知れない痛みに
怯えていた。
『子持ちの年上の女性と付き合っているらしい――』
少し前に、叔母が母に話していたのだという。
そんな事を中学生の娘に話す女親もどうかと思うのだが、その頃のあたしにはそれをどうこう考える
よりも、兄ちゃんに恋人ができたという事実の方が受け止めるには重いものであった。
小学校低学年のうちは当たり前にくっついていたあたし達だったが、徐々に父親が家に寄り付かなくなり、
兄ちゃんが高校生→大学生へと成長しその生活が変化するにつれてそんな事も無くなっていった。
特に邪険にされたわけではないし、あたしが避けたわけでもないけれど、『いつでもおいで』と言われると
安心していつの間にか足は遠のいていく。
本心は
「兄ちゃんとあれしたいなあ、これ話したいなあ」
という気持ちがはちきれんばかりに溢れてはいたのだけれど、何となくもたもたしているうちにその
きっかけを失った。
会えると思えば会わなくなってしまうものだというありきたりな事に、その頃のあたしは気がついては
いなかったのだった。
――そんなちょっとした心の寄りどころがどれだけ自分にとって大切なものだったのか、あたしは
この時死ぬほど苦しみ思い知る事になるのだ。
母と脚のぐらつき始めた不安定なこたつの上に広げられた紙を挟んで向かい合う。
テレビのドラマでよく見る事のある緑色の枠のそれには、ミミズの這ったような字で父親の名前が
書かれてあった。
「そういう事だからね」
いつかはこんな日が来るであろう事は予想も覚悟もしていたし、どこかで密かに願っていた事でも
あった 筈だった。
「……まさかやめてとか言わないわよね」
「別に」
「なら良いんだけど。ちっとも寂しそうじゃないのね、あんた」
なんだかあの人が気の毒に思えるわ、とぶつぶつ言いながら片方の欄に名前を書き込んでいた。
おとうさんがかわいそう。わかれないで、とでも言えば満足するのか?どっちにしろ面白い顔など
しないくせに――。 とりあえず何か文句を当て付けるものが無ければ気が済まないのだろう。そういうひとなのだ、この人は。
気の毒なのはどっちだ。
「明日にでも荷物、整理し始めなさいね」
「え?」
「引っ越すから。このアパートにいる必要もないし、あたしの知り合いに新しい仕事紹介して貰ったからね」
* * *
久しぶりに訪ねた兄ちゃんは慌ただしく片付けものをしていた。
「……どっか行くの?」
ちょっと大きめな鞄に衣料を詰め、紙袋まで使って教科書を持ち出そうとしていた。
「ああ?うん。ちょっとな」
「旅行?……じゃないよね」
「ん……。家、出るんだ」
「えっ!?」
聞いてない。
「独り暮らしするの?兄ちゃん」
「……」
荷造りの手を止めてちょっと困ったようにあたしを見て、また黙って続きを始めた。
その時、一番認めたくない可能性が頭の中を掠めて、まさかとは思いながらも半分恐いもの見たさに
突き動かされるような気持ちになり、冷静に考え直すより先にそれは口をついて出た。
「もしかして好きな人と暮らすの?」
ほんの少しだけ動きを止めた手はまた忙しなく動き、
「ああ」
とだけ答えた。
「嘘」
あっさりとあたしの疑問は解決したものの、その後にやってきたのはそれまでに無かった痛い程の
喪失感だった。
「行っちゃうの?」
こんな時に。
「兄ちゃん……学校どうするの?まさかやめちゃうの?」
「いや。やめないよ。バイトもするけど、後1年行けば卒業出来るし」
「じ、じゃあまだここにいたらいいじゃない。おばちゃんはどうするの?」
「……母さんが許してくれなきゃ仕方ないだろう?」
まだ子供の部類に入るであろうあたしにだって、子持ちの年上の女性ともなれば反対する叔母の心も
解らなくもなかった。
だがそれ以上にあたしは。
「あたしは……?兄ちゃんがいなくなったらどうしたらいいの?」
守ってやりたいと言ってくれたその手は、見えない誰かのために差し出されようとしている事実が
胸を押し潰されるような息苦しさを産み始めていた。
「……葵」
すっと差し出された手のひらが頭の上に優しく乗せられた。
「……ごめんな。俺がいなくても頑張れな。葵は強い子だから大丈夫だ」
ガラガラと心に入ったヒビが一気に広がって、縋りたい気持ちが行き場を失って崩れてゆく音がした気がした。
その事実をかき消したくて耳を塞いだあたしの頭にある兄ちゃんの手は変わらず暖かくて、こんな
時なのにそれが嬉しくもあり、同時に夕べは風呂に入れなくて汚れているはずの髪が恥ずかしくて仕方が無かった。
「あたし、おか、お母さんとね……」
プツンと切れた心の糸を繋ぐ間もなく、後から後から堰を切った様に涙が溢れだしては膝の上を濡らしていった。
「うん。聞いた。こんな時にごめんな。何か力になってやりたいけど……」
「だったら!」
いっちゃやだ。
そう言いたくて、でもそれは言ってはいけないと解っていて――ような気がして、口を噤んだ。
「……兄ちゃん。結婚するの?」
「いや、俺もどうしていいかよく解らないんだよ」
「じゃあ何で行っちゃうの?もっと先だっていいじゃない。おばちゃんだって可哀想だよ」
「……解らないからそうするんだよ。俺な、他に何も考えられる程余裕が無いんだ。待つ自信も。
……葵にはまだ解らないかもしれないけど。今、他には何も欲しくないんだ」
ふっと笑って離した手は、また教科書を探り、向けられた背中はそこにあるのに見えない壁で遮られた
様に遠く感じた。
「……バイバイ」
独り言のように小さな声で呟いて玄関へと足を向ける。
「葵」
僅かな期待に動いた心は、だが虚しく潰される。
「――元気でな」
返事も返せず振り向けず、別れの時間はあっさりと終わりを告げた。
それからひと月後、新しい土地で中学2年の春を迎えた。
いつもそこにいて、悲しい心を受け止めてくれた。声を聞いてくれた。
そのあたしの心が全く届かなくなってしまったこの時、それを奪ってしまった見知らぬ誰かを憎み、
リアルな胸の苦しみと痛みを、
……初めての恋と同時に失恋という形で記憶の奥に葬った。
――将希21歳、葵13歳の春――
なんだか続きが待ち遠しくなる話だな、乙。
おい、哀しさ切なさで胸がひしゃげそうなんだが
GJ! 続き待ってます
あと数回にかけて終わる予定です。
他の方の投下も楽しみにしているので遠慮なくやっちゃって下さい
* * *
兄ちゃんと会ったのはそれから5年後の事だった。
『父親が亡くなった』
その事を聞いた時、真っ先に浮かんだのは“殺されたりしたんではあるまいな”などという不謹慎な
思いであった。
(元)妻や娘にあれだけの修羅場を演じていたろくでなしだから、まあまともな死に方はしないであろう
事は常々予測されていた事態ではあった。
――実際は不摂生が祟っての何ちゃらであり、まあそれはそれで納得するに値したのだが――実の
娘なのである、あたしは。離縁したとはいえそこは親子の情愛というもので涙の一粒も零れるものなの
だろうが、そんなしおらしさは微塵も残ってなどいなかった。
それどころか生前はあれだけ周囲に迷惑をかけまくり疎まれていた人間が、死んでしまった途端
一気に同情を集める存在になるというのがおかしくて仕方がなかった。
前妻である母はおろか、ついこの前までねんごろだった女(どうもその辺は相変わらずらしい)も
姿は見えず、別れたとは言え血を分けたあたしという娘でさえもこんな状態なのだ。
こうなった今、眉をひそめられるのは生きているあたし達なのだ。しかも母はあたしに
『お父さん死んだんだって』
と一方的に連絡を寄越しただけで、線香一つあげにくるつもりはないらしい。
だから、式を取り仕切ってる叔母を除いての最も近い身内の立場としては、それを一手に引き受け
無ければならなかったのだった。
母というひとが少々自己中なのは今に始まった事ではない。
中学生のあの春の日、新しい土地で待っていたのは、新しい父親という見知らぬ男の人とその連れ子
であった。
何も聞かされてなかったあたしは突然の変化を受け入れるに間に合わず、戸惑い、後退り、閉じこもって
しまった。
「葵?」
低いやや粘りのある声に弾かれるように振り向く。
「ああ、やっぱり葵だ。……俺の事わかる?」
黙って頷くと、久しぶりだなと答え父の棺の前に跪く。
黒いスーツの肩を背中から眺めながら、やっと家族に会えたような気がして少しだけ嬉しくなった。
こんな時だというのに。
「今お前、働いてるんだってな」
飲み物を口にしながら通夜の席の隅っこで並んで座った。
叔母さんに聞いたのだろうが、あたしの事などもう忘れていると思っていたので驚いた。
「大丈夫なのか?……ちゃんとやっていけてんのか?」
「うん。大丈夫へーき」
母親があたしには寝耳に水だった再婚をした。だがあたしにはその相手と連れ子に馴染めず新しい
学校に溶け込むのにもいっぱいいっぱいだったため、気がついたら家での居場所はどこかへ行ってしまった。
母も新しい夫と子供に気を遣うのを最優先にしあたしの事は見て見ぬふりをした。
完全に孤立したあたしは中学の担任に進路は無理を言って就職先を探してもらい、卒業すると同時に
そこの寮へ入った。
「結構気楽にやってるよ。仕事しんどいけど、もう慣れた」
中卒でデスクワークなど出来るはずないので工場の肉体労働ではあるが、それなりに充実はしていた。
「そうか。友達とかいるか?楽しいか?」
「え?ああ、うん」
「彼氏とかいたりしてな」
どくん、と胸が跳ねた。
きゅうきゅうと押し潰されるような痛みに襲われ、そっと胸を押さえた。
「どうした?」
「……ううん。ひ、人のことより兄ちゃんは?……その、け、結婚とか」
「ああ、俺か?俺はまだしてない」
「えっ!?」
あたしの頭の奥の方で苦い記憶が呼び出される。
呼んでも呼んでも届かなかったあの早春の別れの日。
何が言いたいのか察したのだろう。ふ、と小さく息を洩らして笑うと
「結局すぐだめになったんだよ、あれは。だから別れてしまった。まあ、俺には背負いきることができな
かったんだよ。……若かったんだ、多分」
勢いに任せて突っ走った恋はあっという間に散ってしまったのだろうか。
叔母は何も言ってはいなかったしあたしも聞けはしなかった。
あの出来事はもしかしたら母子の間にちょっとした溝を作ってしまったのかもしれない。――あたしみたいに。
母が父となかなか別れようとしなかったのは次が居なかったからだと思う。
実際あの人はあたしより明らかに新しい父親という人を大事にしていたし、円滑な家庭が組めないのは
あたしの努力不足によるものだとよく責められたからだ。
結局男無しでは生きられない女なのではないだろうかと哀れにさえ思う。
あたしはそうはなるまい――そう考える度、誰がどう見ても愚かだと思うような惨めな実父との結婚
生活をきっぱり断ち切る勇気の無かった母を情けなく苛立たしく嘆いていた。
――幸せとは誰かに縋らなくては手に入らないものなのだろうか。
望んでも望んでも自ら掴み取れないままのそれを欲しては、未成年故の脆い立ち位置にある自分の
弱さに唇を噛んだ。
* * *
棺の蓋がいよいよ閉じられた時、本来なら駆け寄って涙の一粒でも流すべきなのだろうがあたしには
そんな感傷は残ってなどいなかった。
案の定数少ない参列者は眉をひそめていたし、叔母は心底情けないとでもいいたげに仏とあたしの
顔を交互に見ては溜め息をついていた。
「――お疲れ」
火葬場の庭でやれやれと空気に当たっていたあたしに兄ちゃんが声をかけてきた。
「大変だったなお前ひとりで。よく頑張ったな」
「あたしは何も……」
わんわん泣いて『お父さぁん』なんて棺にしがみついたりしてたわけじゃない。逆に『一体何をしに
来たのか』と思われる方が余程普通の捉えられ方だろうに。この人は何を見てそんな事を思うのだろうか。
「頑張ってないよ。冷たいよ。あたしは」
「……泣く事だけが別れじゃないよ」
はっと顔を見上げると、長年会わずに居たはずの兄ちゃんの昔と変わらぬ瞳がそこにあった。
「取り方なんて人それぞれだろう」
目を細めながら今出て来た建物を見上げていた。
「色々な事があった。ありすぎて自分の感情を置き去りにしてきてしまったんだよお前は。それは仕方の
ない事だと思う。それでも今こうやって最期にちゃんと送り出してあげてるだろう?ここにいるだろう?」
本当ならここへ来ない選択肢もあった。なのにここへ来る事を決めたのはあたしだ。母に言われた
ところで拒否しても多分叔母にチクチク言われる位の事で済んだのだろう。
「葵。お前は優しい子だよ」
成長しても女のあたしが決して抜く事のない背丈は、どんなに追いかけても追いつけない年齢と同じく
何年経っても差をつけたままで、その手のひらは気付けば髪に触れられる。
――昔のように力強い優しさでわしわしと乱される事は無かったけれども。
「もっと楽になれ。兄ちゃんの前でくらい意地張るな。頑張らなくていいんだ」
そう言って見上げる先を同じ様に見上げれば、灰色の煙が細長い煙突から風に煽られて空に流れる。
『あたしはここにいるのに』
あの日泣きつきたくてもこの存在を心に置いてくれなかったその人のたった一言に救われた気がした。
生きていてもいいのだと思うことができた。
だが、静かに命の終わりを見上げるあたしの隣で携帯電話の向こうに語り掛ける横顔は、すぐまた
側から離れていってしまうのだろうという予感に忘れていた胸の痛みを思い出す。
誰だって縋りついて寂しさを癒やす存在というものが欲しいのだ。それを軽蔑し責めて目を背けて
おいて同じぬかるみにはまっていたあたしは実は母と同じだった。
「兄ちゃん……恋人できた?」
携帯を切った兄ちゃんのどことなく弛んだ頬に、あたしは汚れた我が身を恥じた。
「お前は?」
笑って首をふった。
でも本当はこの人にだけは知られたくないと思っただけだった。
――あたしは既に女であった事を。
兄ちゃんが結婚したと聞いたのは、それから暫くしてからだった。
――将希26歳、葵18歳の秋――
627 :
名無しさん@ピンキー:2009/07/05(日) 11:28:55 ID:bmxuM27N
( ゚Д゚)マンドクセーハナシダポ
面白いんだがハッピーエンドになるんだろうかこれ
いや、精神的にきついな
続きに期待
>>611の冒頭をみると、ハピエンかなーと思ったり。
兄ちゃんに近づきそうで、近づけませんなあ。
もどかしく続きを待ちますよ〜
わっふるわっふる
空っぽの色紙が僕の手の中に残った。
「じゃあ、この色紙を持って行ってくれるやつ、誰かいないか?望月と仲の良かったやつ」と担任教師が教壇から言った。
当然のように手は挙がらない。
あいつと仲の良かったやつなんていない。
「誰もいないか。すまん清水、お前行ってくれないか?」
教師はすまなそうな笑顔で僕に頼んだ。
「いいですよ」と僕は言った。
「本当にすまんな、学級委員長」
僕は教師から色紙と手紙の入った封筒を受け取った。
薄っぺらい、ちゃちな色紙だった。
* * *
『短い間だったけどありがとう』
『次の学校でも頑張ってね』
『さようなら』
色紙に書かれた寄せ書きを見ながら、僕は石段を昇る。
この町の地形は結構独特で、町の北側に山が、すぐ南側には海があって、山肌に住宅や寺が密集していて、坂が多くて道は狭く二人がぎりぎりすれ違えるくらいしかない。
強い夏の太陽が僕の影を石畳に色濃く焼き付けている。
ふと背中に手を回してランドセルに触れる。
黒のランドセルはじんと熱を含んで、それが指先に伝わる。
僕は色紙から目をあげる。
さすがに寄せ書きに罵倒の言葉はなかった。
あれだけ望月をいじめていた連中が、わずかばかりでもまともな心を持っていたことに僕は少し安心して
それからそんな賢しさを苛立たしく思った。
「望月のこと、ちょっと気にかけてやってくれな」
職員室に日誌を届けに行ったときに、担任教師が言った。
四月の下旬のことだ。
「あの子、なかなか口下手で友達も作れてないみたいなんだ。俺も気をつけるようにするけど、なかなか目の届かないところもあるからな。
何か困ってるようだったら手助けしてやってな。頼む!」と拝むような格好をして笑った。
「はい、分かりました」と僕も笑って応えた。
「何かあったら教えてくれよな」
「はい」
教室に戻ると、やんちゃな男子数人が箒でちゃんばらをしていて、女子は仲良く喋りながら二人で一つの机を後ろから前へ運んでいた。
教室の隅っこに望月がいた。
彼女は箒を持って床に置かれたちりとりにゴミを集めようとしていた。
しかしちりとりが動いてしまって上手くいかないようで、今度はしゃがんで左手でちりとりを押さえて右手で箒を操ろうとした。
彼女の小さな右手一本で扱うには箒の柄は長すぎて、満足にごみは入らなかった。
望月がそうやって苦闘していると、ちゃんばらをしていた男子の一人がよろけて、その拍子にせっかく集めたごみを撒き散らしてしまった。
男子は謝りもせず望月を一瞥して、それからおろおろしている彼女を友人と一緒に笑いものにしていた。
「僕がちりとりやるよ」
僕はしゃがんで、彼女からちりとりを受け取った。
受け取るとき彼女の手が触れて、僕は少しどきりとした。
望月はお礼も言わず、目を合わせようともせず、立ち上がって散ったごみをまた集め始めた。
「ほうき係は三人いるはずなんだから、全部一人でやることないよ」
ちりとりに集められていく埃の塊やビニール片や、牛乳ビンの葢なんかに目を注ぎながら言った。
おそらく窓際でちゃんばらをしているやつらがそのほうき担当なのだろうが彼らがサボっていて、また周りの女子にも頼めないので仕方なく一人でやったのだろう。
「何か困ったことあったら言ってよ。僕も手伝うからさ」
箒が止まった。
僕は顔をあげた。
いつも少しうつむいている望月とちょうど目が合った。
彼女はさらにうつむいて「いいの」と言った。
彼女の白い頬もきれいな目も、長い髪に隠れて見えなくなった。
「いいの……って?」
「私が悪いから、どんくさいから、変な子だから、だから、いいの」
「そんなこと……」
望月はごみを全て片付け終えると、一度も顔を上げずにそのまま立ち去った。
後にはちりとりを持った間抜けな僕が立っているだけだった。
ある朝いつものように登校すると、三人の女子が僕の席の一つ前の机を囲んではしゃいでいた。
そこは望月の席だった。
僕は自分の席に座って、様子を窺った。
三人が何をしているのかすぐに分かった。
彼女たちは望月の机にペンで落書きをしていたのだ。
まだ書き始めたばかりのようで、机の右三分の一ほどに幼稚な嘲罵の言葉が書いてあるだけだった。
「やめなよ」という声が喉元まで出かかって、しかしそこで萎んで消えしまった。
望月が登校してこの机を見たら、と考えて、なんだか胸が絞られるように痛んだ。
こなければいいのに、と思った。
こないでくれ、と心の中で祈った。
しかし望月は来てしまった。
彼女は机の前で立ち尽くして、それから深くうつむいた。
遠くでさっきの三人がくすくす笑っていた。
その様子に気付いた他の子も愉しげに見物していた。
望月はやっと席について、ランドセルから筆箱を出して、消しゴムで落書きの上を擦った。
けれどペンの文字は消えず、消しカスが人を小馬鹿にするように机の上に散らばっただけだった。
彼女は消しゴムをしまうと、途方に暮れたようにまたうつむいてしまった。
女子三人は反応をなくしたおもちゃに興味をなくしたようで、今度はファッション雑誌を囲んではしゃいでいた。
僕は一度教室を出て水道でハンカチを濡らしてから、また教室に戻った。
そのハンカチで落書きで汚れた机を強く拭いた。
「良かった、水性だから落ちるよ」
望月は顔を上げて、僕の手元をジッと見つめていた。
軽く拭けば消えるのに、僕はなぜか意味もなく力強く拭いた。
落書きはあっという間に消えた。
彼女の孤独もこうやって消えてしまえばいいのに、と思った。
望月に目をやると、彼女は何か言いたげに口をわずかに開いたり閉じたりしながら、相変わらず机に視線を落としていた。
* * *
望月へのいじめはその後も続いた。
体育の時間、校庭を走っているとき教師の目の離れた隙に男子の一人が足をかけて彼女を転ばせた。
彼女は見事に前のめりに転んで、肘と膝を擦りむいた。
真っ赤な血が白い足に一本の線を引いて涙のように流れていった。
そのときも彼女は泣かなかった。
うつむいて耐えていた。
けれど望月はだんだん休みがちになっていった。
そして七月には学校に来なくなった。
もうすぐ夏休みに入る七月の中旬のある日、彼女が転校することを担任から聞かされた。
親の仕事の都合だと言うから、たぶんいじめが原因ではないのだろう。
担任は色紙を掲げて
「これにみんな一言ずつお別れの言葉を書いてください」と言った。
色紙は僕のところにも回ってきた。
『転校先でも頑張ってください。さようなら』と書いた。
望月をいじめていたやつらと何も変わらない言葉を書いている自分がたまらなく嫌になった。
* * *
インターホンを鳴らす。
しばらくしてドアが開いて女性が顔を出した。
望月のお母さんだろうか。
穏和な感じの人だった。
「こんにちわ、日奈子のお友達?」
僕は望月と友達なんだろうか。
この女性の言う『お友達』は『クラスメート』ぐらいの意味なんだろうと頭では分かっていても、少し言い淀んでしまった。
「あの、これ、今度転校しちゃうって聞いて、クラスのみんなで寄せ書きしたんです」
僕は色紙と手紙を差し出す。
「あら、ありがとう。今、日奈子を読んでくるからちょっと待ってて」
望月の母親は色紙を受け取らず、踵を返してさっさと中に入っていってしまった。
僕は気の重くなるのを感じながら、強い日射しの下で彼女を待った。
引き戸の開く音がして、奥から小さい足音が聞こえた。
「あの、これ、クラスのみんなが寄せ書きしてくれて、あと先生から手紙」
なんとなくしどろもどろになりながら、目の前に立っている望月にそれらを手渡した。
彼女は受け取った色紙を見て、それから悲しいような悔しいような表情をほんのわずか、僕の見間違いかと思うほどに滲ませた。
胸が痛んだ。
僕は咄嗟に彼女の手から色紙を引ったくって、それを折り曲げた。
驚くほど簡単に小さくなったそれを右のポケットに無理に押し込んだ。
望月は目を丸くしていた。
とんでもないことをしてしまったという思いが湧いて、僕は焦った。
最低の行動だ。
謝ろうとした僕に、望月は手紙を差し出した。
担任からの手紙だ。
差し出された手紙を受け取った。
彼女の思いが僕の心に流れ込んできた。
そのことがすごく嬉しかった。
僕はその手紙を封筒ごと破ってポケットに押し込んだ。
色紙も手紙も、二人の視界から消えた。
世界から消えた。
「ありがとう」と望月が言った。
彼女はうつむいてはいなかった。
目と目が合った。
優しい目をしていた。
僕は彼女に言わなければならないことがあるような気がした。
『頑張ってください』でも『寂しくなるね』でも『さようなら』でもない何かを。
けれど言葉は声にならず、思いは形にならず、夏の光に溶けてその行き場を失った。
僕は何も言えず、彼女の透き通った瞳を、頬にかかるきれいな髪を、ただ見ていることしか出来なかった。
蝉が鳴いていた。
その夏初めて、蝉の鳴き声を聞いたような気がした。
短いけどこれで終わりです
乙!
おお・・・いつの間にか新作がきてる。
保守
きりのいいとこまで落とします
* * *
それは突然の事だった。
『葵?……元気か』
「兄ちゃん……?」
休日のだらけた頭で時計が昼になろうとしているのを寝床で確かめながら、必死で今の状況を受け
入れようと頭を巡らす。
父の葬儀から2年。
突然の電話は、沈んだ泥のような澱んだあたしの日々を何の躊躇いもなくかき回していった。
電話を切ってから急いで化粧をし、着替えて電車に飛び乗った。
待ち合わせた駅に着いて懐かしい顔を見ても、まだどこか現実ではない所にいるような気がして不安だった。
「元気そうだな」
「……どうして?なんで急に……」
本物だ。本物の兄ちゃんだ。けど、なんで此処にいるのかとか番号はとか、何用だとか頭の中には
疑問符が飛び交っていた。
「仕事でこっちに1ヶ月間出張する事になってな。挨拶しようと伯母さんとこに連絡入れたら、お前
ずっと帰ってないって聞いたから。……ま、久しぶりだし、どうしてるかなって」
「今寮出てアパート借りて一人でいる」
「そうか……ちゃんとやってけてるか?」
「うん。大丈夫だよ」
あれからも実家(と呼べるのかは疑問だが)にはほとんど寄り付いていない。
母は相変わらず今の家族に気兼ねしてあたしの存在は隅に追いやっているし、あたしも向こうの人間
も未だに空気が馴染まない。
無理に仲良くなろうとしても亀裂が埋まるわけでもないので、本当に険悪になる前に避けた方が互い
の為なのだ。結局のところは。
とりあえず入った喫茶店でお茶しながらそんな話をする。空白の時間を埋めるには近況報告から入らねば
仕方ないのだ。
「そんなんでいいのか?ケーキとか頼んでもいいんだぞ」
「いい、そんなの」
「女の子ってそういうの好きなんじゃないの?遠慮すんな」
「もーいいってば」
あまり気を遣って欲しくなくて、つい意地になって断ってしまった。
「そうか……」
目の前に出されていたメニューを引っ込められる。
「ごめんな。つい子供扱いしちゃうよ」
「……あたしはもうハタチだよ」
「だよなー。ついこの前までと比べたら、随分でっかくなって驚いたばっかりなのに。すまんすまん。
あんまり好きじゃないのか?悪かったな」
「そうだよ。立派なオトナですよあたしは」
いつまでも子供じゃないんだ。
そう言おうとして合わさった視線は、ほんの少し眩しそうな、それでいて寂しげに見えたのはあたしの
思い込みだろうか。
何となく悪い事をしてしまったような気がして、黙って氷の溶けたアイスコーヒーをかき回した。
苦い。意地張ってないでシロップ位入れたら良かった。
そんな事を思いながらあたしはある事に気付いていた。
視線を落とすと目に飛び込んでくる兄ちゃんの薬指――怖々と盗み見たそこにあるべき物が見当たらない。
「兄ちゃん」
「何だ」
よせばいいのに。もう1人のあたしが高ぶる好奇心を抑えにかかる。
「……奥さん、いるって聞いたけど」
それは間に合わなかった。
兄ちゃんはふと指を見下ろして
「うん」
と呟いた。
――あたしは何を期待していたのだろう。
止せば良かったと考え無しの言葉遣いにいつも後悔する。
別れてしまえば楽になるのに、謝られると赦してしまう。縋られればその場は払っても、後で必ず
逆に縋りに行ってしまう。
それで立場は逆転し、結果――棄てられる。
一言相手を突き詰めただけで全てが音を立てて壊れてゆくのだ。
知らないふりをしていればある意味幸せなのかもしれないのに。
あたしは自分から不幸になりに行ってるようなものだ。
「葵?」
「……あ。うん、ごめんぼーっとしてた」
何事もなかったようにストローに口をつける。
「そっかー。じゃ、1ヶ月寂しいねー」
出来る限りの明るい声で冷やかすように笑って答えた。
「……大人をからかうなよ」
「あたしだってオトナですよ?」
取り繕った笑いはどう届いたのかは解らないけれど、兄ちゃんは笑ってくれた。
大好きだったあの笑顔で。
「これからどうする?久しぶりだし飯でもと思ってたんだけど、夕飯にはまだ早いしな」
どこか気の利いた所を案内出来れば良かったのだろうけど、あたしは生憎そういったものを知らない。
家を出てから、経済的にも精神的にもいっぱいいっぱいで余裕がほとんど無かった。だから友人も
少ないし、遊びに出掛けるような誘いにあった事も無かったからだ。
そんなあたしにも不満を洩らす事もなく、じゃあと適当にぶらつくかと決めて兄ちゃんは初めての
土地を珍しそうに眺めながら歩いた。
何気に立ち寄ったショッピングモールの店でふと足を止めた。
これ可愛いな。
何となく表に飾ってあった淡いクリーム色のチュニックを手にして見ていると、
「それ欲しいのか?」
と横から覗き込んでくる。
「……あ、ううん。見てただけ」
ちょんと触れた肩と屈んできたすぐ側にある横顔に思わずドキドキして、慌てて服から手を離した。
「兄ちゃんが買ってやろうか?」
「えっ!?」
いいよ、と首を振った。高いし、第一あたしにこんな可愛い系の服なんか着る機会はない。今だって
デニムのカプリに安物のTシャツというスタイルだ。久しぶりに大事な人に会うというのに、お洒落
一つするのもままならない。
若い女の子とあろうものが幻滅されたのだろうか、と少し悲しくなった。
――少しでいい。大人になって綺麗になった、と思って欲しかったのだ、多分あたしは。
まごまごしてるうちにすっ飛んできた店員に『今のパンツにも合いますよー』とか何とか言われ、
「サイズこれでいい?」
それ以上断れない空気に
「うん」
と答えると、兄ちゃんはさっさとそれをレジに持って行ってしまった。
「これ位させてくれ。頑張る葵にご褒美。たまには兄ちゃんらしい事してやりたいんだよ。」
子供に玩具を買ってあげるのを楽しみにしているという上司がいる。
「……ありがとう。兄ちゃん」
きっとそれと同じような気持ちなのだろう、この人は。
――そう思って、笑ってそれを受け取った。
それから翌週の休日も一緒にご飯でも食べようと約束した。
せっかく買ってもらったのだから、とあの服を着て待ち合わせ場所に向かう。
先に来て待っていた兄ちゃんは、あたしの姿に気付くと軽く手を上げて合図し、声を出そうとした
ように見えたのにそのまま口を閉じて少しだけ笑った。
「……なに?へ、変かな」
もしかして似合わなかったのか。せっかく買ってやったのに、とがっかりさせたのかもしれない。
そう思って申し訳なさを感じていた。
「……いや、似合う。可愛いじゃない」
「……ほんと?」
「ああ。全然変なもんか。女の子に見えるよ」
「ちょっ!?酷いなー」
はは、と悪戯っぽく笑う頬を思い切ってつまんでやった。
「ごめんごめん!いや、可愛い可愛い。本当だってば」
子供の頃よくこうやってからかわれては仕返ししてやったっけ。
怒って真っ赤に見えたであろう顔は、本当は違う理由で熱かった。
兄ちゃんの借りているウイークリーマンションが近くにあるので、そこでご飯を食べる事になっていた。
「寮に空き部屋が無かったんだよ。ビジネスホテルも1ヶ月だとばかにならないからね」
外よりゆっくり気兼ねなく長話も出来るし、何より安上がりだ。あたしも別に不満はなかった。
近くのスーパーで食材を買うことにする。
カートを押しながら歩いていると、時々
「奥さん安くするよ、どう?」
なんて販売員から声が掛かる事もあって、世間の見る目なんて適当なもんだと苦笑してしまった。
「いや、でもそんなもんかもしれないよ?」
いりません、と手を振りながら兄ちゃんがボソッとつぶやいた。
「この前これ買った所でもさ、『彼女さんによく似合うと思いますよ』とか言われたもんな。見える
人にはそう見えるんだよ」
「そうなんだ……」
少し前なら、あたし達は歳の離れた兄妹のようなものにしか見えなかっただろう。……実際、それ
以上でもそれ以下でも無かったのだけれど。
「そうだね。一歩間違えば援交だよ」
「え……!?ちょっ、お前いくら何でもそれは無いだろう!そんなに親父臭いかなぁ俺」
「あはは」
この時あたしは、少しずつズレ始めたこれまでの距離感と立ち位置に、変わらない筈の絆の強さを
信じる心が揺らいでいる事実をどう受け止めればいいのか、密かにその想いを胸に秘め始めていた。
「ほら、危ないぞ」
通りを歩きながら考えに耽っていたせいで、すぐ側を横切った車に気付かずにいた。
兄ちゃんが引っ張ってくれなかったら転んでいたかもしれない。
「うわ……ご、ごめ」
「もうー危ないなあ。考え事しながら歩く癖直ってないんだな」
そのまま掴んだ手を繋ぎ直して通りを歩く。
「ちょっ……大丈夫だよ」
「ダメだ。危なっかしいんだよ葵は」
「あたしもう子供じゃないよ」
「子供だよ」
何気ない一言だったろうに、あたしにはずきんときた。
「……子供じゃないよ」
「子供だ」
言い切られてしまって返す言葉を失くし、沈黙したまま歩いた。
「手離してよ」
「だめ。お前は見ててハラハラするの。昔から結構しっかりしてるくせして……そういうとこ、変わってない」
ビールの入った少し重い買い物袋を見ながら口を尖らす。
「お酒だって飲めるし」
「はいはい」
……結局あたしはいつまで経っても、危なっかしい歳の離れた従兄妹から終われないのだろうか?
反対側をすれ違う小さな子供の手を引く父親という親子連れと自分達を重ね合わせる事に、この人は
何の躊躇いも無いのか。
「ね、ねえ。知らない人から見たらさっきみたいに新婚さんに見えちゃうよ?」
「ああ、そうか?あ……もしかしたら嫌か?」
「……そうじゃないけど」
「……ごめん。そうだな。もう子供じゃないのにな。おじさんが相手じゃ悪かったな」
笑って、でも寂しそうに手を解かれた。
「嫌じゃないよ」
「……」
嫌なのは、そんなふうに構われるのが辛いだけ。あたしはもう“女の子”ではないのに。
少しばかり気まずい空気の中、部屋まで歩いた。
短期間の滞在だというのに意外と生活感のある部屋だった。その辺りに散らばっている服や小物、
家具も家電も備え付けてあるせいかとも思っていたが何かピンと来ない。
だが狭めのキッチンに立ってみてその理由がわかった。妙に調理器具が揃っているのだ。
包丁やまな板以外にも皮むき器に始まり、ボウルから何から一通り必要なものがしまい込まれてあった。
「兄ちゃん自炊すんの?なんか慣れてそう」
「ああ、まあな」
「奥さん幸せだねー」
「……そうかねぇ」
それ以上喋らずに野菜を洗い始めた背中を見て、あたしは聞いてはまずい事を聞いてしまったような
気になった。
せっかく入れ替わりかけた空気がまた澱んでいく。
もう何かを口に出すのもはばかられて、後について黙々と皮むきを始めた。
いいとこ見せようと思ったのになあ、なんてばかな事を考えながら、たどたどしい手付きで炊事を始めた。
独り暮らしをする女の子なら料理がうまいだろうと思われがちだが、金銭的にも時間的にも余裕が
なければ案外腕は磨かれないものである。
使えるだけのお金でそれなりの量と材料、器具(流行りのレンジ料理だってそれが買えなければ覚え
ようがない)で乗り切ろうと思うと、結局それなりの繰り返しになってしまう。
「期待外れでごめんね」
ほとんど兄ちゃんが作ったご飯を食べながら情けなくうなだれる。
「いや、大丈夫。最初からしてない」
「はあっ!?」
意地悪く笑いながら注いでくれたビールをヤケクソで飲み干してやった。
「まあ、まだ若いんだし。……結婚でもするような相手が見つかれば頑張ればいいさ」
その言葉に胸がチクンと痛む。同時にやり場のない絶望がそこへ被さってくる。
「……しないよ」
「ん?」
「あたしは結婚なんてする気ないもん。幸せな人にはわかんないだろうけどさ」
複雑な困ったような顔を向けられて少し後悔したけど、それがあたしの本音だった。
不幸になるくらいなら最初から独りで構わない。
あたしはここ数年で誰かに期待する事を止めてしまった。
暫く外を走る車の音だけが響く。
そんな中、兄ちゃんが口を開いた。
「俺な、こっちの社に移って来るかもしれないんだわ」
1ヶ月の予定だった出張はそれで終わるわけではなくなるかもしれないらしい。
「へ、へぇ。ああ、そう。じゃあ奥さんも来るよね?……今度は寂しくなくなるじゃん。良かったね!
あ、でもそしたらあたしとはもう遊んでくれなくなるかー、残念」
ここにきて現実に打ちのめされる。本来なら、ここでこうしているのはあたしではないのだ。従兄妹
という免罪符が無ければ――妹というフィルターがあればこそなのだから。
「いや、彼女は来ない」
「えっ!?まさか単身赴任?」
「いや」
はあ、と息を吐くと箸を置き、ビールを一口飲んでこっちを見直した。
「……離婚する事になると思う」
「嘘」
思わず指輪の無い薬指に目を向けた。
日焼けしたその跡の白さに、彼の決意のあとを今更に垣間見た。
「どうして……?」
「冷めたとか、これといって不満は無いんだ。だけど、気がついたら互いに必要なものが決して自分達
ではない……何て言うか、別に独りでいる時と変わりないような気がして来たんだ。一緒に居るこ
との意義が感じられないというか」
言ってることがよく解らなくて首を傾げた。
「俺はいつも相手を幸せにしたいと思ってきた。だけどそれは俺の独り善がりな傲りで、向こうはそれを
望んではいないんだ。俺に縋らなくても生きていける……。それは素晴らしい事なのに、俺は何となく
必要とされてない気がして、気がついたら色んな事が解らなくなった。虚しくなった」
もしかしたらこのまま戻らないつもりで居るのかもしれないと、僅かな期間なのに生活感の漂う部屋
を見回して思った。
「我が儘だよ」
同時にすうっと何かが醒めて、慰めでも叱咤でもない言葉が口をついて出た。
「葵」
「我が儘だね。自分がいなきゃ幸せになれないと思ってたんだ。自力で幸せになろうとする人間じゃ
兄ちゃんは価値を見いだす事が出来ないと思ってるんだ。そんなの……思い上がりだよ」
本当に縋りたい時にそれを許されなかったあたしは、誰かに不幸の淵から救い出して貰う事を諦めた。
そのかわりに、誰にも期待しない分、誰かのせいにする事も、誰かを頼る事も止めた。
だけども、心の隅にはいつもお守りのようにたったひとつ。
ひとつだけ寄りどころにしていた大切なものがあった。
「兄ちゃんは、どうしてあたしに優しかったの?」
「どうして……って」
「あたしが不幸で可哀想だったから?力のない幼い弱い子供だったから?」
冬の日の、寒さに凍えた手を温めてくれた優しさを思い出す。
「――だから守ろうと思った?」
どんな時も、ひとつだけ、あたしを支えてくれたあの時の優しさはそうだったのだろうか。
「同情なんかいらない」
自己満足な優しさならいらない。
「葵……」
「……兄ちゃんが好きだった。多分あたしの初恋だった。気付いた時には、もう離れちゃった後だったけど」
それを聞いた兄ちゃんの顔は複雑に崩れて、そして言葉が見つからないのか口を開きかけたまま何も
いうこと無くあたしをただ見つめていた。
「……がっかりだよ」
言い捨てた途端涙が零れた。
あたしを本当に妹だったらと言った事も、優しい子と慰めてくれた事も、それは兄ちゃんなりの精一杯
嘘のない優しさだったのだろう。
だからこそ悲しかった。
プレゼントされた服も、繋いでくれた手も――あたしはこの人にとって棄てられた子犬のような危なっかしい
小さな子供でしかないのだという事が。
存分に優しさを発揮出来るだけの存在でしかないのだろうという事が。
優しさは時には罪だ。
「ごめん葵……」
重苦しい空気の中、更に苦しげに声を絞り出して呟いた。
「ごめんな。兄ちゃん、お前の事は本当に大事に想ってた。だけど、そうやってしらないうちに傷つけて
たんだな。これまでもそうしてきた事あったんだろうな、他にも。俺は……嫌な奴だな。幻滅させたな」
――情けない兄ちゃんでごめんな――
テーブルの隅にぽとぽとと垂れる涙の粒を眺めるあたしの髪を優しい手が撫でる。だがそれはすぐ
はっとした様に引っ込められる。
子供扱いするなと再三に渡って言ったあたしに対する、それなりの謝りの気持ちだったのだろうか。
この人は本当に優しい人なのだろう。
だけどその優しさを素直に受け入れて貰えなければ、自分自身納得いかない人なのかもしれない。
それが時には偽善に見えるのかもしれない。……今のあたしのように。
「兄ちゃん」
「ん?」
「あたしの事怒ってる?」
「いや……。むしろ悪かったって思ってるよ。お前の事可愛がってるつもりが、逆に辛い思いさせて」
「……それはないよ」
それだけ言うと、あたしは玄関に立った。
「帰る」
「え!?……あ、じゃ、送るか」
「いい。まだ明るいし、駅から一本道だったから。いくらあたしでも大丈夫だよ」
努めて明るく言ったつもりだったけど兄ちゃんは沈んだままだった。
そんな顔を見るのがふいに辛くなって、あたしは自分でも気がふれたのかと思いたくなる様な言葉を
吐いてしまった。
「兄ちゃん……。いっそただの男と女なら良かったね、あたし達」
「え?」
「あたし兄ちゃんが思うほど子供じゃないよ」
靴を履いてドアを開ける。
「……とっくに女になっちゃった。ごめんね」
可哀想可愛いままの妹じゃなくて。
本当は傷ついたのはあたしじゃなくて、あたしが貴方を傷つけた。
名前を呼ぶ声を背にそのまま部屋を飛び出した。
視界に行く道を滲ませながら、醒めた筈の想い出は、まだ現実の中でリアルに痛みを伴っている事を
嫌と言うほど思い知らされた。
――あたしと兄ちゃん20歳と28歳の夏の夜――
GJ!!
読んでて胸がシーンとするね。
GJ! 切ないな……
葵はあと何回こんな思いを味わうんだろう
幸せになってほしいな
650 :
名無しさん@ピンキー:2009/07/11(土) 14:12:51 ID:P7NIS4Iu
切ないなあ……。てか葵たんを女にしたのは誰だよ畜生!
1ヶ月はすぐ過ぎる。
あの後何事も無ければ、時間があればきっとあたし達は何度も会っていたかもしれない。
メールも電話もわかっていたのに返さなかった。
未だリアルに疼く泣きたくなる程の胸の痛みが過去になってしまう事だけを、ただただ望んでやり過ごした。
部屋の隅に掛けた夏服はもうすぐ着る事はなくなり、次々季節が巡っていけばやがて古臭いものと
してどこかへしまい込まれてゆくのだろう。そうして忘れ去られる。
今の自分の中のどうしようもないやり場のない気持ちも、いつかそうして風化してゆくのだろう。
ただそれを願うばかりだ。
あたし達はただの男と女ではない。従兄妹という切符がある限り、必ずどこかで繋がっていられるのだ。
そのレールから外れる事は決してしてない。
一度しか袖を通さずにいた流行りの夏服を見る度にそれを思い出す日が来るのだろうか。
あたしの中でひとつだけ、ただひとつだけの優しい想い出。
誰かに幸せにして貰う事など夢だと思った。自分自身で掴むものだと思っていた。
だけどそれは望めば望む程どうしようもなく遠のいてあたしを打ちのめしていく。
あたしは幸せに生きる事を諦めた。
だからそれを棄てるために――
もう一度夢を見てみようと思う。
「もう会ってはくれないと思ったよ」
多分これが最後の休日になるだろうと思われる日、あたしはやっと兄ちゃんに連絡を入れた。
「結局あっちに戻る事になりそうだよ」
大まかな荷物はあらかた送り返してしまったらしい。部屋に残っているのは今週分の着替えと僅かな
身の回りの物の入った鞄と寝具だけだった。
「ここに居てもお前を傷つけただけに過ぎなかった。どこに居ても誰のためにもなれないと解ったよ」
本当に居なくなるのだ。
「……あれから妻とも何回か話したけど、離れてみてよく解ったよ。俺達は冷めてしまったわけじゃ
ない。けど、互いに自分達でなきゃ駄目かって言えばそういうわけでもないらしい。だったらいっそ
……独りに戻っても同じだと思う」
「……そう」
「ものわかり良過ぎるのも駄目なんだと。彼女の好きにして欲しくてよかれと思った事が、逆に自分
は必要ない人間なんだと思われたらしい」
そんなものなのか。知らない人間から見たら贅沢な不満に聞こえてくる。だけど愛や優しさの形は
人それぞれなのだ。まして夫婦の仲なぞあたしに解るわけもない。
「押し付けがましい優しさも、その逆も、結局俺はどちらも相手の求めるものを与える事が出来なかった。
必要として貰いたい気持ちが強かった。それは……葵の言うとおり、思い上がった自己満足だった」
あたしのせい?
この人は今、自分の存在意義を失いかけているのかもしれない。
必要とされない事の苦しみは、あたしが一番解っていた筈だったのに。
「ごめんな。情けない兄ちゃんでさ。すっかり幻滅させたな」
「そんな」
「いいんだ。それだけ葵は大人になったんだよ。もうあの頃のちびで危なっかしい子供なんかじゃない」
あたしをまだ子供だと言ったついこの間までの貴方はどこへ行ったのか。
謝らないで欲しかった。
傷ついたのはのはあたしじゃない。あたしが貴方を傷つけてしまったのだ。
幸せになることを諦めてしまったあたしは、色んな事に期待する事を止めてしまった。そのために
自分だけでなく、人に優しくする余裕さえ失ってしまったのだ。
酷いのはあたしの方だ。なぜ大切な筈の人間にさえ、それだけの事が解らなかっのだろう。
「兄ちゃん……」
「なに?」
やっぱり全部棄ててしまおう。
縋りつく事の無いように。
きちんと前を見るために。
決して振り返る事の無いように。
「あたし達はもう会わない方がいいのかもしれない」
貴方があたしを忘れてしまうように。あたしも想い出ばかりに囚われないために。
「あたしを……抱いて」
そして忘れて。
それまで力無く笑うだけだった顔が一瞬にして強張った。
「……は?」
「だから、抱いて」
「何を……」
まさかあたしがそんな事を言うはずがないとでもいうように目を見開いていた。
「ふざけるんじゃないよ」
「ふざけてなんかないよ」
膝の上で握り締めた手を、さらに力を込めて握る。エアコンは効いているのに、へんな汗が背中をつうと走る。
「……駄目だよ」
「なんで?」
「お前は妹だ。俺にとって、誰よりも……大切な妹だ。だから」
「大丈夫だよ。従兄妹同士って結婚もできるんだから」
だからそれ位許される。
「葵……」
「もうやめようよ。あたし達嫌でも一生縁はあるんだよ?その度に互いに腫れ物に触るみたいに過ごさ
なきゃならない。大事に想いたいからこそ言いたい事の半分も言えない気がする。そんなのはもう
嫌。辛い……」
これから先も、貴方があたしを踏み込めない優しさで守ろうとするなら、それ位ならいっそ。
「だからやめよう。傷つけるのも傷つくのも、ずっと恐れたまま生きて行くのは嫌なの」
事ある毎に罪悪感を感じなくてもいいように。
すっぱり切れてしまったとしても、それで良かったのだと振り返らずに済むように。
何よりも、あたしが貴方にしがみつかなくても良いように。
「……駄目だよ。絶対にいけない」
「あたしじゃ不満?」
「そんなんじゃない!」
突然語尾がキツくなった。言った後自分でもそれに驚いたのか、兄ちゃんは口をつぐんだ。
「……そんなんじゃない」
「だったら」
何故。
「駄目なものは駄目だ。……俺は、葵お前だけは……なにがあっても抱かない。抱く気はない。何が
あっても、だ」
あたしは女じゃないと言いたいのか?違うというのなら、あたしもそう見られるに値するという事
ではないのか。
「嫌なの?……あたしが嫌い?」
「違う。そうじゃない。そんなんじゃないんだ。お前を嫌いだなんて思った事なんて一度だってありは
しない。大事な女の子だと思ってるよ。今でも。……あの頃と変わらず」
何でだろう。大切にされていて、それはとても嬉しい事の筈なのに、何故かとても悲しい事のような
気がして涙が零れた。
ふと、兄ちゃんの肩が震えているのに気がついた。
同じように泣いていた。俯いて、鼻を啜る音がした。
「……大丈夫?」
他に何と言えば良いのかよくわからなくて、少々まぬけに思える声の掛け方をしてしまったかもしれない。
「大丈夫なもんか。辛い思いいっぱいして、それでも頑張って生きてきたお前に、本当に大事にしなきゃ
いけなかった筈のお前にこんな事言わせてるんだぞ?情けないよ。俺は、自分が情けなくてたまら
ないよ……」
悲しいのではなく寂しいのかもしれない。
やはりあたしは妹から抜け出す事が出来ないのだろうか。
「兄ちゃん。あたしはもう兄ちゃんの知ってる葵じゃないんだよ」
本当ならずっと胸にしまっておけば良い事だった。少なくとも兄ちゃんの前ではそれを知らんぷり
しておいた方が平和で楽だっただろう。
「何が」
「あたしはもうとっくに綺麗じゃない。年齢だけじゃなくて、女なの。兄ちゃんの知ってるあの頃の
ままじゃないの」
宙をさ迷うように目を泳がせて、それからゆっくりあたしを見る。無表情だった顔は徐々に驚愕した
それに変わる。
「ね?だからあたしはもう子供なんかじゃないんだってば」
「葵お前は……」
だからもうあたしを許して。
ただの女としてあたしを見て。罪悪感なんて要らないんだから。
「知ってる?兄ちゃん。男が女に服買う時ってね、脱がせる時の事想像してるんだってね」
最後の駄目押し。
二度目に袖を通した服を示しながら出来るだけ明るく振る舞った。
兄ちゃんの目はまるで知らない女の子を見るような目つきになった。
うん。それでいい、それでいいの。
――ただの男になって。
想い出からあたしを解放して下さい。
「……借りるね」
その辺にひっかけてあったタオルを手に取ると、さっさとシャワーしに向かった。
その間物音一つ、灯りを点ける気配すら無かった。
バスタオル一枚の姿で風呂から出て行った時には、薄暗くなりかけた部屋の真ん中でずっと同じく
俯き座ったままの格好をしている兄ちゃんの姿があるだけだった。
ふと顔を上げてあたしの顔を見る。
「……葵?」
「なに?」
「葵だ」
再会してからすっぴんのあたしを見るのは初めてだったからだろうか。
「俺の葵だ」
にっこりと安心したようにふにゃっと崩れた顔をして笑った。ツられてあたしもつい笑ってしまった。
「あたしじゃなかったら誰なのよぅ?」
「えー?だって何だかどこかのお嬢さんみたいになっちゃってたからさ」
「……」
さっきとはうって変わって軽口を叩くと立ち上がってこっちへ向かってきた。
あたしの前に立つと、まだ雫の伝う頬に指を添えた。
「本当にいいんだな?」
こくんと頷く。今更ながらドキドキしてきた。
ぷに、と2本の指でほっぺを摘まれる。
「痛」
「……行ってくる」
わざと摘まれたほっぺを膨らませて抵抗すると笑いながら指を離し、風呂場に消えた。
「永かったなぁ……ここまで」
シャワーの音を聞きながらころんと布団に横になる。
男の匂いのする枕。
昔はあんまり好きではなかったいわゆる“男臭さ”を愛おしく感じて、少しだけ泣きたくなった。
「大丈夫だよね。あたしは、大丈夫」
目を閉じて呟きながら過去を振り返り、時の重さを計る。
想い出というものは時間が経てば経つほど美化されて、それに囚われているあたしのような人間は、
そこから前に進めなくなってしまう。
だからそれを棄てるのだ。
――シャワーの音が止んだ。
なんという生殺し……いや、GJっすw
哀しいくらいに純愛だな……
GJです……切なくてうまくレスできねえ
658 :
沢井:2009/07/18(土) 23:34:37 ID:LTHcJ+PB
GJです。GJついでにコトノハ 第十三話置いて行きます。
目の前の男。その顔をよく見れば見るほど、それがよく知る人物の持ち物だと思い知る。
「な・・・あ、あんた・・・」
ちょっと待て。おかしいだろう。何故。何故あんたが、ここにいる?あんたは七年前に、ふらっと勝手に居なくなって。それから咲耶が変わってしまって。なんで。なんで今更、のこのこと現れた?
「あんた・・・ここで、何してやがる!?」
言った後から自分でも驚くほど、大きな声が飛び出した。俺の背を掴んでいた咲耶がびくりと身を震わせたのが、着物越しでも分かった。
「か、和宏君、これには訳が・・・」
「うるせえっ!訳だぁ!?んなモン知った事か!」
驚いた咲耶の手を振り払い、目の前の憎い者の襟首を掴む。まるで自分の身体じゃないかのように、腕はスムーズに動いた。
「っぐ!?」
「か、かずくん!?やめ・・・」
「あんたのせいでっ・・・あんたのせいで咲耶はなあっ!」
そうだ・・・この男さえ居なければ。この男さえ居なければ咲耶は、今のようになる事だって無かった。
俺の後ろに隠れて人の目に怯える事も、彼女の親族から後ろ指を差される事も無かった・・・全部、この男のせいで―――――!
「―――かずくんっ!」
どん、と。またしても、背に衝撃。覚えのある温かさが、俺を捕まえる。・・・何か言われる前に、俺は両手の力を抜く。高橋光也が、俺の前に屈み込んで苦しそうに二、三度咳き込んだ。
それから、咲耶は俺を見る。その目には大粒の涙が浮かんでいて。いつもよりも若干険しくなった瞳が、真っ直ぐに俺を見据えていて。
(・・・あ、やべ)
また泣かせちまった、と気付いた瞬間。
―――――パンッ、と乾いた音。
ビンタ、と言うにはあまりにも力の入っていない一撃が、俺の頬を張った。
「・・・・・・」
俺は何も言わなかった。否、言えなかった。・・・まさか、咲耶にビンタ喰らうとは思ってなかったんだ。
「・・・っ・・・」
そのまま、咲耶は何かを言いかけて・・・結局、何も言わなかった。呆然とする俺たちを置いて、俺が元来た道を走り去っていく。
「咲耶っ!」
光也の声だけが、夜の境内に虚しく響いた。
「な、なあ和宏君・・・咲耶は一体、どうしてしまったんだ?話し掛けても、逃げるだけで何も話してくれないんだ・・・」
(どうして・・・しまった・・・だと?)
ごめん咲耶。俺、やっぱりこの男は許せないや。そう思ったときにはもう、俺の拳が光也の頬に突き刺さっていた。
「あんたのせいだろうが!あんたが咲耶を置いて行ったせいで・・・!」
目を白黒させる光也を見下ろして、俺は吼える。本当なら、もう五、六十発はぶん殴ってやりたいが、俺は辛うじて自分を押し止める。
「わ、私の・・・?」
「・・・七年前、あんたが居なくなってからの事だ」
俺は、無様に尻餅を付く光也から目を逸らす。本当なら、こんな奴に何も話してやりたくない。だが、この男が事情を知らなければ・・・また、咲耶に近付こうとするだろう。
「あんたが消えてから暫く、咲耶は何の連絡も、うちに寄越さなかった・・・あんたの言った通りにしなければ、あんたが怒って帰ってくるって信じて、あいつは・・・」
「な・・・そ、そんな・・・」
相当、堪えている様だった。娘が何も知らずに保護を受けられる環境を、この男は作ろうとしていた。けどその娘の賢さが、それらをすべて壊したんだ。当たり前だろう。
「三日だ。たった十歳の子供が、三日間も、誰も帰らない家の留守を守ってたんだぞ・・・それから、あいつは俺たち家族以外の人と、話すことが出来なくなったんだ!」
怒鳴り、ふう、と息を吐く。これで全部だ、と言う代わりに、俺は光也に背を向ける。こんな奴よりも、家に向かったであろう咲耶のほうが、よっぽど心配だった。
「か、和広く・・・」
「呼ぶな」
俺は顔だけ振り向いて、憎き男を睨む。
「『光也おじさん』は、七年前に死んだよ。あんたは咲耶の父親でも何でもない、ただの幽霊だ!」
叫び、走り出す。待ってくれ、話を聞いてくれと、何かに縋るような声が、背後から俺を呼び続けていた。もちろん、後は一度も振り向かなかった。
咲耶を追って家に辿り着いたとき、父さんと母さんは居なかった。
「・・・なんで、こんな時に・・・!」
テーブルの上に置いてあったメモ書き・・・祭りのついでに近くの居酒屋でクラス会を開く、と言った趣旨のそれを右手で握り潰し、くしゃくしゃに丸まったそれをゴミ箱に叩き込む。
咲耶が部屋に居るのは知っていた。履いていたサンダルは玄関にあったし、暗い廊下に、開けっ放しになったドアから月の光が差し込んで、少女の姿をくっきりと浮かべていた。
決心が付いていないのは、俺だった。
(・・・こういう時、なんて言えば良いんだ?『気にするな』とか?それとも、『俺が守る』とか?・・・アホか、俺は何様だ)
自嘲し、心を落ち着かせて彼女の部屋へ向かう。・・・取り敢えず、無事を確認したら直ぐに自分の部屋に戻ろう。気まず過ぎる。
(なんだかんだで、俺達は結局他人同士だもんな・・・あいつの家のことに、俺が首を突っ込むわけにもいかない、か)
その事実を再確認したとき、不意に、左胸の辺りがぎりっと痛んだ。けど、俺はそれに気付かないふりをして、ドアの脇の柱―――ドアをノックしようとしたけど、開いたままだった―――を、こんこん、と叩く。
「咲耶、入るぞ」
返事は、聞かなかった。咲耶は、浴衣を着たまま、ベッドの上で膝を抱えていた。
「幾らか、落ち着いたか?」
「・・・・・・(ふるふる)」
問いに、首を横に振る咲耶。当たり前だよな。そう一人ごち、俺は彼女の脇に腰を下ろす・・・普段何気なく撫でていた彼女の頭が、妙に遠く感じた。
「・・・・・・」
そのうち、咲耶は俺の浴衣の端を掴んでいた。・・・捕まったってのが正しいのかもしれない。俺はそれを除けず、そのままにしていた。
「・・・・・・」
咲耶はそのまま、俺の左腕に寄り添うように身を寄せてくる。そして、俺の方をおずおずと見上げると、言い辛そうに、口を開いた。
「・・・さっき・・・ごめんなさい」
「ん・・・いや、いいって」
さっき、というのは、先ほどのビンタの事を言っているのだろう。咲耶は手を伸ばして、俺の左の頬に触れる。正直言って痛くも痒くも無かったが、それでも咲耶は、腫れてもいない頬を、摩っていた。
「俺の方こそ、ごめんな。もう殴らないって言ったのに・・・」
「・・・・・・(ふるふる)」
また首を横に振る。
「・・・・・・かずくんは、悪くない。悪いのはあのひとだもん・・・」
言葉に、俺は溜息をつく。
・・・あんた呼ばわりした俺が言うのも何だが、実の娘に『あの人』としか言われなかったあの男が、少しだけ哀れだった。
不意に、左腕に微かな震えが伝わってきて、俺は息を呑んだ。
「咲耶?」
俺の声に顔を上げることも無く、咲耶は俯いて・・・両手で自分の肩を抱いて、震えていた。寒いのかと思い、そう問おうとして・・・俺は固まった。
伏せられて口元は見えないが、微かに聞こえた。
「・・・っ・・・ぃ・・・」
苦しげに、呻くように、彼女が何かを言おうとしているのを。