1 :
助教授:
芸術は永く、人生は短い。
真理だ。
しかしこの一杯を愉しむ時間くらいは、たぶんあるだろう。
(開高 健風に)
無頼派6本目の始まり。
2 :
:02/01/22 04:31 ID:???
このスレよく見るけどなにするとこ?
3 :
助教授:02/01/22 04:31 ID:+YUo0cmh
2getto-zusa--
へぇ
助教授の別ハンていくつあるの?
無頼派というとミフネみたいな?
おはよーさんですわ。
助教授はSM考察隊じゃないの?
10 :
助教授:02/01/22 04:35 ID:???
>>2(空欄氏)
酒飲んでくだ巻くところです。
>>4(名無しさん?)
4でした。
「今回の目標」
3日に一回は更新。(少し弱気)
レスはできる限りの範囲で。
同一話題に対して、まとめて返すケースもあり。
全体的にまたーりと。
>>9 せっかく俺が誘導でもっていこうとしたのに!
おまえってやつは!!
助教授殿。
貧困さと愚鈍さと凡庸さ。
この3つの中でもっとも罪深いものはどれですか?
お答え下され。
14 :
助教授:02/01/22 04:59 ID:???
> 別ハン
持ってないですよ。
> 無頼派
サントリーのウィスキーに「無頼派」というものがあります。
安いですが美味いです。「トリス」の後継にあたるのかな?
「トリス」の宣伝をしていたのが、開高 健さんだそうです。
ま、安吾さんでも、何でもいいです。
>貧困さと愚鈍さと凡庸さ。
試練にかえ、それを乗り越えられるなら、どれにも罪はありません。
自分を責め失望し、結果自分の器を小さくしてしまうなら、どれも良くないものです。
「貧困」が多くの場合、人間の度量を小さなものにしてしまうように感じられます。
試練にするには、貧困はつらいものです。多くの成功談は貧困から始まるものですが、
それはそれに耐えられたごく一部の人のことです。苦しい生活の時に、自分を潰されることが多い。
私は経験から、精神を蝕まれる気さえしました。精神が自滅するような感覚、その連鎖状態です。
その代わり乗り越えたら、一番大きな物を手にするような気もします。
これは、「自分の価値を低く思わせる=罪深い」という判断による回答のひとつですが、
ちなみにあなたならどれだと思いますか?
>>12氏
15 :
助教授:02/01/22 05:04 ID:???
>>14(訂正)
「自分の価値を低く思わせる=罪深い」
↓
「自分の価値を自分に対して低く思わせる=罪深い」
・・・です。
他人が自分をそう見るのではなく、自分で自分の精神的な価値を
下げてしまうということです。それを「(良い意味での)自尊心」と言い換えても
いいかもしれません。
>14
(?)=12=11です。
自分にとってはただの熟語の形容動詞活用に他なりません。
実は助教授に選んでいただいた答えを9に贈ろうと考えました。
この不遜な試みにマジレスいただき、正直なところ感謝感激恐縮至極です。
16の続きです。私なりにあえて答えるならば凡庸でしょうか?
貧困、愚鈍は外的な要因からもたらされる境遇に左右されやすいでしょう。
そして精神の状態として捉えるならばともにおっしゃるとおり、
努力次第ではその状態からは抜け出しうるものです。
しかし凡庸はそのような外因とは関係なく状況にどっぷりと浸かり、
あまつさえその内面に甘んじつつも、さらに踏みとどまろうとする
計算高さえ感じられます。
マキシム・デュカンの例えを持ち出すまでもなく
そのような凡庸さは相対主義が幅を利かせた80年代ならともかく
9.11事件以降、劇的に変質していこうとする今日の新たな枠組みの中では
もっともインパクトの薄いキーワードであり、
さらに時間を経るに従ってより罪深いものになっていくと私は考えます。
特に凡庸さなるものが圧し進めてきた圧迫感は教育の現場はおろか、
今や日本中に蔓延しているではありませんか。
20 :
殺助:02/01/22 05:53 ID:???
本当だ面白そうだ。
でもこの時間読むのキビチイかも。
つか助教授はいつも早起きだなあ。すげえなあ。
おれはそっちの理由の方が知りたい。
てか、この時間まで起きててそれから寝るんじゃないか?
俺も休みのときとかは(今日もそう)そうしてる。
で、昼まで寝て、活動開始!と。
22 :
ぐるぐる:02/01/22 05:58 ID:???
開高さんですか。
闇はいくつか読んだけど。
比喩の卓抜さをみれば、
釣り、グルメ以外のエッセイとかおもしろそう。
今度探して読んでみよ。
23 :
9:02/01/22 06:10 ID:???
どう考えても別人だと思ったんだけどなあ
26 :
助教授:02/01/22 08:33 ID:???
訂正
(今週はここまで!)
誰だ
誰だ
新スレだし、助教授に問いたい。
助教授はモー娘。では誰が好きなのか、と。
/ ̄ ̄ `ヽ
/ r----|
| / - -|
ヽ ゝ _ゝ| ,/フ ほしゅ〜♪
 ̄ >、___,< /"ノ
∠ ||ヽ//
/ /| //∩
,-| |-‐'^//ノ
| ∪彡 ___>|
ヽ、_____/| | |
(_) |__|
(_)
age
34 :
助教授:02/01/23 23:17 ID:???
どこかのスレで、こんなコピペを拾った。
>>1よ聞いてくれ。
世の中の人間は5つのタイプに大別出来るんだよ。
赤レンジャー = 中居
青レンジャー = 木村
黄レンジャー = 香取
緑レンジャー = 草g
桃レンジャー = 稲垣
の様にな。
>>1よ、お前は社会の中では何色の役割だ?
さぁ、
>>1よ、自分の色を探しに旅に出てみようじゃないか!
どう贔屓目に見ても、私は灰色です・・・。
35 :
助教授:02/01/23 23:20 ID:???
ちなみに私が着る服は、黒ばかりです。
自分の人生とコーディネートしています。
黒い人生・・・・。くす。
休肝日。
>>36 助教授が余計ブラックになるようなこと、言うんじゃない!
38 :
助教授:02/01/25 05:23 ID:???
39 :
助教授:02/01/25 05:30 ID:???
起きて。
So much for today!
>>34-35 自分も灰色です。
自分の願望が叶うチャンスを逃さないために色に染まる事を拒否し、
白紙状態をkeepしていたら、ホコリが溜まって白い部分が見えなくなりつつあります。
>>38 まるで新聞少年(古!)のような生活だ・・・
黒い服には体型を覆い隠す効用がありますなァ・・・。
いや独り言ですが・・・。
凡人だけが与えてくれる安らぎがある。
非凡な才人と接する時の興奮も捨て難い。
田舎と都会を往還する自由。
それは手放したくない。
黒い服ばかり着ていると、シワが増えるらしいです…。
(゚∀゚)アヒャヒャ
49 :
名無し芋:02/01/27 21:19 ID:???
黒い服が多いなぁ・・・。
それにしても黒いなぁ・・・
赤いパンツは健康にいいそうです。
パンツが赤くなった場合は健康ではありません。
鬼のパンツはいいパンツ
同じパンツを5日間穿き続ければ、気分はもう無頼派
ならば、もうとっくの昔に無頼派。
いやいや無頼派と世捨て人は違うだろう。
無頼派はむしろ汚れたパンツを窓から投げ捨てる奴だ。
ハッ! まさか立て逃げ...
「無頼派」なので呑み逃げかも(w
頑なに保守sage
62 :
助教授:02/01/31 02:43 ID:FBpdRUH7
保守ありがとう!
ここ数日、人生が忙しかったのです。
もうちょっと忙しいです。
さてここで次のテーマを。
「ジェネレーション・ギャップ」
皆様も思いつくままに適当に書いてみてください。
更新は、2月2日予定です。
nanisama
jyokyoujyusama
シュ
好きな音楽はプログレ、と言うと化石を見る目をされるなぁ…という訳で保守。
新宿のプログレ専門CDショップ(地下にあるやつ)
店内ワラタ。
以前はけっこう若いヤツに対する偏見があった。考えがイマイチ読めなかった。
でも2chに出入りするようになってから、断層だと思ってたものが地続きだと悟った。
ここでは10歳近く年下のヤツから厨房扱いされたり、時には説教されたりもするが、
そういう年齢差を無視したやり取りの中で色々学ばせてもらった感じだな。
いいことです。よかったね
>>70 これだけの長文でそれだけ無意味な内容が書けるのも才能だな(ワラ
>70が長文とはね・・・
74 :
助教授:02/02/03 09:24 ID:???
えーっと、一日延びて今晩更新予定。
今晩といっても、日付が変わる可能性あり。
てことは二日延びることに・・・・・。
むー。
いずれにせよもうちょっとお待たせします。
76 :
助教授:02/02/04 01:03 ID:???
----------------------------------------------------------------------
ジェネレーション
[generation]
〔ゼネレーションとも〕世代。また、同世代の人々。「ヤング-―」「―-ギャップ」
ギャップ
[gap]
(1)すき間。間隙(かんげき)。
(2)考え方や意見などの隔たり、また食い違い。「―を埋める」
77 :
助教授:02/02/04 01:05 ID:???
----------------------------------------------------------------------
突然ですが読書・本を買うことの弊害って、何が考えれるでしょうねえ。
1.現実との区別がつかなくなる
2.時間を取られる。
3.買うならお金がかかる。
4.とにかく場所を取る。
5.積み上げておくと、笑いながら雪崩れのように崩れてくる。
1は、たいしたことではないです。ハッキリいって。
これは時代を経るにしたがって、「テレビ」「映画」になり「ゲーム」になり、
今では「インターネット」になっています。
この手のことは昔から言われていることです。
大体、一冊程度の凶悪な内容の本で崩れる常識や現実感覚なんて
ひ弱すぎます。いくらメディアに強い力があるにしても、よく親や
PTAが「○○のせいで子供が非行に・・・」なんて言っているのは
実に馬鹿っぽくてほほえましいです。それは親自身の影響力・指導力・しつけが、
たかだか本やゲームの一つや二つで崩れる程度のものでしかなかったわけで。
他人の創作物に負ける親子関係って・・・・。笑っちゃいます。
逆にいえば創作者の勝利、ですかね。
善悪の判断は、悪から子供を遠ざけるのではなく、悪を害のない程度に
広く知らせることによって身につくものでは。無菌培養は弱いものです。
78 :
助教授:02/02/04 01:06 ID:???
2.時間を取られるのは確かにあります。
特にぶっ通しで全部読むタイプの人は、二時間三時間あっという間に使います。
しかし電車での移動など、空き時間をうまく埋めて使っている人もいますので
全部が全部読書のみに必要な時間と断じることはできません。
3.これは結構大きな問題です。
古本屋は強い味方でした。私の学生のころ、今のように大手チェーン店はありませんでしたが、
集中して古本屋がある場所がありました。古本街ともいいます。で、そこで安く仕入れてくる。
中高生のころは、安いという理由で自転車で4時間かけて他県まで出かけたものです。
馬鹿そのものです。(笑
4と5。ああ、これですこれ。
大変です。本棚にぎっしり入った本は見ていて気持ちがいいですが、扱いが結構大変。
3000冊を超えると、そう簡単に引っ越すこともできやしない・・・。
家によっては床が抜けそうになることもあります。
ああ、本が崩れてくると、とても痛いです。気をつけましょう。
79 :
助教授:02/02/04 01:07 ID:???
まあ、ここまではごく普通に考えられる範囲ですが、私はもうひとつ読書には
決定的な弊害があると思うのです。それがジェネレーションギャップの発生です。
他世代にではなく、「同世代」に対する!
それは二つの点から発生します。
一つ目は、読書によって思考方法、思考内容が変わるということ。
二つ目は、言葉・専門用語そのもののせいで。ボキャブラリー(語彙)の幅の違いができるのです。
思考方法の違い。読書とは要は、他人の思考方法を読むようなものですから
読めば読むほど変わった考え方が頭に入ってきます。で、学生時代の読書の多くの場合、
本は自分よりも年上の世代が書いていますから、同世代よりも多少大人びた考え方を
読むことになります。同世代以上の人たちと交流しているようなものです。
言葉・専門用語も大きなギャップになります。
我々が話し言葉で使うボキャブラリーなんて、実はたかが知れています。
結構、話し言葉と書き言葉の乖離はあるものです。
80 :
助教授:02/02/04 01:08 ID:???
これは全くの余談ですが、明治の昔から話し言葉と書き言葉の違いはありました。
これら二つを一致させようという「言文一致」という運動をしたのが二葉亭四迷。
で、今はインターネット時代ですが、特に匿名掲示板での書き込み、雑談を、「日常会話をそのまま
書き言葉に取り入れた、現代の言文一致運動、第二の言文一致運動に他ならない!」と喝破した人も
いるくらい、実は大きな転換期にきているようなのです。
81 :
助教授:02/02/04 01:08 ID:???
で、読書。
読書は、どうしても書き手と読み手の間に世代・時代の隔たりが存在します。
それ自体は悪いことではないのです。同世代と話していたのではまず出てこない発想・
アイデア・思考方法などは、読書から得られる最高の宝物です。しかし、それゆえ同世代が
幼稚に見えることもあるのです。本人にその気はなくとも。
また、読書によって自然に覚えられた抽象度の高い単語をその気は無しに口にしたとき、
同世代の仲間・人間はそこに何かの断絶間を感じるようです。
要はその人の文化的・思想的背景を著しく変えてしまうことがあるのです。読書することによって。
「自分の知的能力を広げようとする人、その誰もが、自分の人生と孤独を交差させるだろう。」
とはド・クィンシー(1785-1859)の言葉ですが、知ることによって孤独になって行く感覚を
的確に著しているように感じられてなりません。
知的好奇心が生み出す、やりきれないほど悲しい副作用。
これが同世代に対するジェネレーション・ギャップなのです。
82 :
助教授:02/02/04 01:12 ID:???
てことで、ジェネレーション・ギャップについてはこんな感じで。
「同世代に対するジェネレーション・ギャップ」は存在するのか?
なんていう疑問を持っていた(その副作用に苦しんでいる)ので、敢えて変化球で考えてみました。
So much for Today!
迂遠です。
もっと直截に「同世代」概念の虚妄をついてください。
迂遠。難解、または回りくどい等の意味を持ちます。
うえん、と読むそうです。
そして私に出来る事はここまでです。
さあ、次の誰かさん。 意思を継ぎ、そして先へと進みなさい。
私は見守っていますよ。
ウエーン (ノД`。) ウエーン
>>83 迂遠というより入口として書いてるんじゃないのか?
どうもアンタは同世代という概念が虚妄であると結論づけられなきゃ
気が済まないようだが、何か思うことがあるんだったら、まず自分で書きなよ。
で、オマエモナーと言われるのも癪だから俺は自分の考えを手短に書いとこう。
同世代ならではの共通認識、共感が存在すると無批判に信じる奴を俺は信用しない。
かといって、そんなものは全部ウソっぱちだ、とわめきちらす厨房にも与しない。
愛や友情、心の紐帯…それはDNAの指令に服従しているだけという見方も面白くない。
実は幻想であれ、虚妄であれ、それを「ある」ことにしてしまおう。その方が面白い…
という考え方に俺は同意(「ない」ことにしてしまっても可)。
醒めた目をして虚無に身を浸すのは簡単だが、ゲームは参加した方が面白い。
Oh! My mona?
そもそもジェネレーションギャップどころじゃありません。
まぁ、誤読の自由というものもある。
どうでもいい事や当たり前の事を、わざと小難しく書いてるだけじゃねーか。
>>90 どうでもよい事だから、ここで語るのです。
同世代は常に同世代によって見下される。
とか言ってみる。
同世代で他の世代と上手くいってる人をみると羨ましい。
test
六本木で六本目
つか助教授っていくつ?
30過ぎてるでしょ?
20代後半から30半ば迄の間と思われる。
オーバー40と見た。
保守代わりに・・・
そもそもジェネレーションギャップって昔もあったんでしょうか?
漏れは昔はジェネレーションって考え方がなかったんじゃないか、と勝手に
かんがえてます
ジェネレーションギャップっていうのが、意識されるようになるのは「同報通信」
って言うんでしょうか、マスメディアがおこってからだと思うんですが・・・
まぁ、そう単純なもんでもないのかな
縄文人の発言 :
なんだその土器は?
弥生人の発言 :
これ?今流行ってるんすよ。知らないんすか?
縄文人の発言 :
こんなの認められん!
弥生人の発言 :
おっさん考え方古いんじゃねえの?:
縄文人の発言 :
土器っ!
弥生人の発言 :
おやじギャグかよ…
お前ら、ジェネレーションギャップの言葉の意味を定義せずに好き勝手言ってるだけじゃねぇか?
考え方や意見が違えば、それがジェネレーションギャップなのか?
無理して難しい事、書こうとするなよ。
出版業の発展・・・とりわけペーパーバックの普及によって、
読書という行為が個人的な愉しみになった、とは言えるでしょうね。
欧米では19世紀あるいは前世紀初頭ぐらいまで、家族や客人と共有できるものだったそうです。
食後に暖炉の傍らでくつろぎながら、父親や娘が家族や客人の前で詩や小説の一節を朗読するといった形で。
いまでも「詩人の朗読」として名残はあるようですが、、
言文一致といっても、韻を踏んだり語調を整える習慣が無くなったのは、
声に出して読むという前提を失ったからかも知れませんね。
一応、世紀を跨いだ読書のジェネレーションギャップということで(笑
107 :
助教授:02/02/07 04:58 ID:???
やあ、たくさんのご意見ありがとうございます。
ちょっと今調子が悪いので、大雑把に所見を。
ジェネレーションギャップという語の定義・範囲・そして語としての成立には
ちょっと疑わしいものがあるのはよくわかっています。冒頭
>>76で二つ分けて書いたのは
私がよく使うインターネット上の国語辞典で調べたところ、連続した語としてのそれが
検索できなかったからです。つまり、語としてこの二つがくっついた形で認識されているのか、
それも危ういということでもあります。
で、それの意味するところ・定義・範囲も曖昧。「同世代」という語も、具体的な数値や定義なし。
どれもこれも社会通念上の、それも自分が体験した範囲での定義でしかないのですな。
しかし日常会話(主に焼き鳥屋さんで聞かれる)の中で、あんまり違和感なく使われる語。
で、これを考えてみようと。
今回の私の文の趣旨は、厳密には「世代間の共通体験の違い」ではなく「文化体験・言語体験の違い」という
方に比重が置かれています。だからその辺で、違和感を感じられた方もいるでしょうナ。
要は中学・高校生など、親しく会話をする対象が同年代同士である場合、その言語的な横並び状態から
外れてしまうのはどんな時だろうと考え、その一つに読書があったわけで。
(家族・両親というのは根本にあるでしょうが。)
まあ、考え始めれば他にも色々あるでしょうねぇ・・・・。
おれのあん娘はタバコが好きで
いつもプカ プカ プカ
体に悪いからやめなって言っても
いつもプカ プカ プカ
110 :
105:02/02/07 20:48 ID:???
”文化・言語の相違=ジェネレーションギャップ”には、抵抗を感じるが。
えなりかずきの事を言ってるなら納得する。
112 :
助教授:02/02/08 05:09 ID:???
>>110 ハッハッハ
確かにえなりかずき君の場合は、「お江戸でござる」などの番組で
その性格が作られた感がありますなあ。
台本の時代性・用語・語彙の所為とも言えなくもないですが。
113 :
助教授:02/02/08 05:12 ID:???
別のスレでも問い掛けましたが・・・・。
「 口笛吹いてー テストに行ったー
知らない問いが山積みでー テスト用紙が笑っていたよー
一人ぼっちじゃつまらない みんなみんな留年すれば
諦めがつくサー
口笛吹いてー 結果を見たー
同級生はもういない みんな2年だ 先輩なんだー 」
・・・・ってよく歌いませんでしたか?歌ってない?
そおですか。
聞いたこと無いな……
>>115 25歳の私でもこの元歌は知ってますが・・・
122 :
:02/02/11 10:41 ID:???
125 :
助教授:02/02/12 04:08 ID:???
>>117-124 怒涛の保守ありがとう!
ここ数日、人生が忙しかったのです。
さて・・・。
あ、さて・・・
127 :
助教授:02/02/12 05:07 ID:???
忙しい日々を送っていました。
ですがそんな中、9日土曜日に、横浜行ってきたんです。横浜。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで・・・・ん?吉野家コピペ口調に・・・・。
桜木町にある神奈川県立音楽堂で「音楽遺産発掘」と題された演奏会に行ってきました。
曲は須賀田磯太郎さん作曲の、交響詩「横浜」。作曲は何と1932年(昭和7年)。
須賀田磯太郎さんは、1907年生まれの1952年没。45歳で亡くなっているわけですか・・・。
没後楽譜が行方不明になり、今回の楽譜は1999年に発見されたというもの。
気が長いというか・・・なぜか哀しくなる話ですな。
こういう邦人作曲家の演奏会って、一度聴き逃すと(脅しでもなんでもなく)
一生聞けないことがあります。ですから多少無理してでも行く価値があります。
で、そんなレアな空気をさらに盛り上げるような、なかなか面白い顔ぶれが揃っておりました。
SPA!で面白いことを書いており、NAXOSの日本人作曲のシリーズの監修者である片山杜秀氏が
演奏会前にレクチャーをしており、休憩中、N響アワーでおなじみの池辺晋一郎さんが、私の隣で
煙草を吸っていたり・・・。
池辺先生に関しては面識がないので、さすがにご挨拶のしようがありませんでしたが・・・・。
そうえば、この間作曲の芥川賞の選考の際も、休憩中、私の隣で煙草を吸っていらっしゃいましたナ。
タバコつながり。(笑
128 :
助教授:02/02/12 05:16 ID:???
で、曲ですが。
交響詩「横浜」《1932年作》 (・・・・25歳ってことですか・・・・。)
二部よりなる横濱に於ける幼時回想の情景
第一部 第二部
・導入部 ・雑沓
・風と松の景 ・行列の入来
・櫻の咲く頃 ・花火
・子守唄 ・道化の踊り
・異人の踊り ・行列の通過---雑沓
・松山の夜
・・・・これらの副題を見ても渋いでしょう!!??
129 :
助教授:02/02/12 05:31 ID:???
今の横浜を知る人が聞いたら、まったく横浜というイメージが沸かないものです。
戦前の横浜というのは、そういう世界だったのかもしれません。音楽もそうでした。
とにかく、雰囲気が旧(ふる)い。古いではなく、旧い。
実に幻想的なものでした。少なくともこの時期行われている春節(旧正月)を思わせるような
明るさもなく、間違ってもランドマークタワーなどはご縁がなさそうな、
遠い感傷の中にある、原色の横浜。
作曲技術的にはのぺーっと平板な展開で最後まで行ってしまった感があり、メリハリが少なく、
低音でのオスティナート(執拗な繰り返し)が本当につらかったです。
しかし、わざと、陰鬱に押さえ気味にした効果を狙ったのでしょうか。
作曲年代と作曲年齢を思えば、当時としても十分な成功であったように思います。
130 :
助教授:02/02/12 06:01 ID:???
それにしてもなんでこう、戦前の作曲家の特定の作品に、哀しく、時に気高い何かが
宿るのでしょうねぇ・・・・。 生命を燃やし輝く灯火のような・・・ゆらめく幽明の灯りとでも言おうか・・・。
山田和男(一雄)さんの27歳時の作品「交響的木曾(1939年)」や、伊福部昭さん21歳時の作品「日本狂詩曲(1935年)」もそうでしたが・・・。
みんな、とても生き急いでいたような感じです。(伊福部先生はまだご存命ですが。)
いついかなる時代においても、芸術家は皆、時代の逆光を浴びて生きていますが
戦争前夜という時代の重く鈍い輝きと、自身の生命の一番燃える時期と重なったときの作品の輝き、
光芒というものは、怖いほど美しいものです。
勿論、戦争などで死の影におびえるような、そんな時代背景を良しとはしませんが、
そこから生み出されたものの持つ悲劇的な美しさにはいつも感動せずにはいられないです。
(だからといって戦争万歳と言っているわけではないと、わかってもらえると思いますが。)
瞬間に燃え上がる生命というか、煌く感性の収穫のような諸作品に対しては、
深い敬意をささげたくなります。
So much for today!
ふむ
助教授ってクラシックファンなんだ。
池辺先生!サインも握手も講釈もいらぬ、ただ一言だけ
その神懸り的なダジャレを生で・・・!!!
助教授ってヌー
ほ
し
す
る
め
ぇ
141 :
助教授:02/02/14 05:41 ID:???
>>135-140 ワラタ
保守ありがとう。
> 私の歳
「助教授泣かすにゃ 刃物はいらん 歳の話を すればよい」
これがこの話題に対する、一貫した公式見解となっております。(笑
> クラシックファン
ファンというか・・・・好きな音楽が多いですナ。
クラシック音楽って、長いものになればなるほど、一度聴いただけでは
どうしてもわかりにくい。
「一度触れただけで楽しめなけりゃ、それはエンターテイメントとしてはは失格だ。」という
言葉と照らし合わせてみると、クラシック音楽と言われるものの多くは、どうも
エンターテイメントではなさそうです。コンサートで生音で聴かない限り(生で聴いても)
即物的な楽しみ方が難しい・・・・。
で、何度も聴いて、音のストーリーがわかってくると、少し面白くなってくる。
そうすると次の展開がわかっているから、期待する楽しみが出てきます。
「イヨッ!待ってました!」とか「キタ━━━(゚∀゚)━━━━!!」いう感じですか。(笑
そうなってくると終いには、指揮者・演奏者ごとの語り口調・間の取り方など表現方法の違いが面白くなってくる・・・・。
これは落語に通ずる楽しみがあると、私は感じます。
142 :
助教授:02/02/14 05:43 ID:???
(´_`)
せっかくだから無頼派inゲラゲラは?
145 :
助教授:02/02/14 20:01 ID:qHSehs9G
ああ、やりたかったですねえ・・・・。
楽しそうでなによりでした。
ぜひ次回は張り紙すみにモナーを・・・