【隔離】【孤立】【メンヘラ】【精神遍歴】【文学】

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1名無しさん@英語勉強中
【隔離】【孤立】【メンヘラ】【精神遍歴】【文学】
2名無しさん@英語勉強中:2014/04/28(月) 17:26:01.78
 直治の遺書。

 姉さん。
 だめだ。さきに行くよ。
 僕ぼくは自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。
 生きていたい人だけは、生きるがよい。
 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。
 僕のこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当り前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
 生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の栄冠とでもいうものも、きっとその辺にあるのでしょうが、しかし、死ぬことだって、罪では無いと思うんです。
 僕は、僕という草は、この世の空気と陽ひの中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。

太宰治「斜陽」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1565_8559.html
3名無しさん@英語勉強中:2014/04/29(火) 16:02:34.68
SECTION XI

THE PROPHECIES

692

When I see the blindness and the wretchedness of man, when I regard
the whole silent universe, and man without light, left to himself,
and, as it were, lost in this corner of the universe, without knowing
who has put him there, what he has come to do, what will become of
him at death, and incapable of all knowledge, I become terrified,
like a man who should be carried in his sleep to a dreadful desert
island, and should awake without knowing where he is, and without
means of escape. And thereupon I wonder how people in a condition
so wretched do not fall into despair. I see other persons around me
of a like nature. I ask them if they are better informed than I am.
They tell me that they are not. And thereupon these wretched and lost
beings, having looked around them, and seen some pleasing objects,
have given and attached themselves to them. For my own part, I have
not been able to attach myself to them, and, considering how strongly
it appears that there is something else than what I see, I have
examined whether this God has not left some sign of Himself.

("Les Pensees," Blaise Pascal)
http://www.gutenberg.org/files/18269/18269-h/18269-h.htm#SECTION_XI
4名無しさん@英語勉強中:2014/05/01(木) 18:58:07.49 ID:MJRKxKYl
 私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、
さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。

芥川龍之介「蜜柑」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/98_15272.html
5名無しさん@英語勉強中:2014/05/01(木) 19:09:55.39 ID:MJRKxKYl
そのうちに又あらゆるものの嘘であることを感じ出した。
政治、実業、芸術、科学、――いづれも皆かう云ふ
僕にはこの恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかつた。
僕はだんだん息苦しさを感じ、タクシイの窓をあけ放つたりした。
が、何か心臓をしめられる感じは去らなかつた。

芥川龍之介「歯車」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/40_15151.html
6名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 05:34:24.94 ID:WAmJip6d
このスレでは、今のところは、僕がよく思い出す文学作品などの一節を引用するだけに留まると思う。
覚え書きのようなものでもある。何十年も前に読んだあと、何度も何度も思い出す一節ばかりだ。
そのうち、もし時間と気力があれば、自分で書いた文章も載せてみたい。詩も書きたいが、
どれほど書けるだろうか?

【隔離・孤立スレ】専門的すぎる書き込みを歓迎
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1389234352/l50

上記のスレでは、ただの英語学・言語学についての話題や文学作品の一節を取り出して
どうのこうの論じるに過ぎないとはいえ、それでも書くのは大変だ。僕のように頭が悪く、
学もなく、さらには気力さえない者にとっては、なおのこと大変だ。

自分の内面を棚に挙げて、他人の文章や学術的な話題について書くだけでも大変なのに、
自分の内面をさらけ出して書くというのは、ものすごく大変だ。だから、詩などというものは、
おいそれと書けはしない。

そうは言いながらも、10年くらい前に僕は、2年間くらいにわたって、激しい僕のそのころの
思いを、あるヨーロッパ言語で書いていた。どこの国の言葉で書いていたかは、恥ずかしい
特殊な事情があるので、ここでは伏せておく。たくさんの詩を書いた。詩といえるのかどうか
自分ではわからないような稚拙きわまりないものだったし、第一、ろくに知りもしないマイナーな
言語で書いていたのだから、余計にそうだ。

それでも、その言語のネイティブたち15人くらいに見せたら、とても喜び、「もっと書いてくれ」
とせがまれた。僕の詩もどきの文章を読み、笑ったり感動したりしてくれた。

もうその言語を書けなくなり、読むことさえできなくなったけど、今度は日本語で、あるいは英語で
詩を書けるときがあれば書きたいと思っている。

しかし、たとえ稚拙な「詩もどき」の文章であっても、それでもやはり書くのは大変だった。
激しい思いがないと書けなかった。ごく少ししか書けなかった。あるとき取りつかれたかのように
一気に書き、書きながら涙をさめざめと流していた。
7名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 06:17:05.81 ID:WAmJip6d
【芥川龍之介における「神経」について】

僕はかつて、正邪善悪真偽の存在を信じていた。生きていることには整然とした理由や目的が
あり、善悪の基準は厳然と存在し、本当のことというものが存在するものと信じていた。
それを信じなくなったとはいえ、依然として僕はそれを信じたくてたまらない。そんな中で
思い出すのが、次の「侏儒の言葉」の一節だ。芥川だって、良心というものを持っていたはずだし、
それどころか倫理的観念に常にさいなまれていただろうと思う。だからこそ神経のあまりの鋭敏さに
苦しみ続けたんだろうと思う。

********** 以下は、引用 ******************

   或物質主義者の信条
「わたしは神を信じていない。しかし神経を信じている。」

わたし
わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。

*********** 引用、おわり ****************

(芥川龍之介「侏儒の言葉」)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html
8名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 06:38:41.46 ID:WAmJip6d
【悪魔】

僕は、神を信じていない。
しかし、悪魔を信じているのかもしれない。

23歳のころ、大学を出て間もない僕は、職業生活で苦しみ続けていた。
そんなとき、ふとドイツ語の教授に路上でばったりと出会った。僕は彼の講義に半年しか出なかったけど、
彼は僕のことをはっきり覚えていてくれたのだと、あとで別の人から又聞きで聞いた。
ともかく彼はそのとき、僕に話しかけ、喫茶店に誘ってくれた。
いろいろな話をしていた。別に特に暗い話をしていたわけでも何でもないのに、
教授は僕に言った。
「君の人生観や世界観は、悪魔的だね」
彼の言葉を正確には覚えていないが、そういうようなことを言っていた。

僕の23歳のころの物の考え方は、やはり恐ろしく絶望的だったのだろうか?そうは言いながらも、僕は
非常に活動的であり、実にたくさんの人と関わり、常に動いていて、常にしゃべり、常に
物を書いていた。常に走り回っていた。それでも僕は、自分自身や人類や世界や宇宙を、
まるで信用していなかったらしい。宇宙を支配しているのは神だというよりも、悪魔なのだと
どこかで信じていたらしい。

これについても、どんどん書きたい。しかし一応、今の僕は手元に仕事がある。仕事の合間に
これを書いている。よっぽど暇な仕事なんだろうと言われそうだが、仕事が忙しいときほど、
余計に気分転換が必要となる。だからこそ僕は、仕事の忙しいときにたくさん書き込みをする。

贅沢を言って申し訳ないが、僕は仕事が大嫌いなのだ。他人から与えられた課題をこなすのが
嫌なのだ。しかし、僕は僕自身と他人を経済的に養わないといけない。さらに、僕が
価値を置いている学問的あるいは芸術的な方面の勉強などをしようと思えば、金が必要だ。
そして僕を頼りにしている人もいる。だから働かなければならない。それが非常に苦痛であり、
生れてから一度も、僕は仕事によって本当の充実感なんて感じたことがない。
9名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 15:56:01.89 ID:WAmJip6d
【日記】

たくさんの人と出会い、別れ、絶交してきた。友人は、一人だけ残った。40年以上、付き合っている。
その友人とも、ろくに酒も飲まず、娯楽を楽しむわけでもなく、相変わらず二人で経済英語の勉強会を、今日も
朝8時から5時間にわたって行った。5時間のあいだ、みっちり頑張った。休憩は、全部で
5回くらいで、それぞれ2分くらいずつ。トイレ休憩だった。

いつものように、へとへとになった。第一、僕は経済など好きでも何でもない。友人は、経済が
好きで、その代わり英語が不得意だ。だから僕が、経済記事の英語の部分を教えて、僕は
彼から経済面の内容を教わる。

なんで自分に向いてもいないこんなことを、ヒイヒイ言いながらいつもいつもやってるのか。
結局、僕は通常の楽しい生活なんて大嫌いなのだ。気楽に楽しむなんてことは、絶対に
嫌なのだ。だから、友人と雑談ばかりしてないで、さっさと勉強会に移る。そして二人で、
へとへとになるまで勉強する。僕らにとってはかなり難しい "The Economist" の記事ばかりだ。
10年くらい前には、"International Herald Tribune" の経済記事を二人でよく
読んでいた。そのころもやはり、一回につき4時間くらいほとんど休みなくやっていた。
10名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 15:56:56.35 ID:WAmJip6d
>>9 からの続き 【日記】


経済が好きなわけじゃないけど、放送大学などを通して、勉強してきた。わかりもしないのに、
無理やり知識を詰め込もうとしてきた。苦手な分野の勉強をすることは、効率が悪いけど、
その代り、苦手な分野を勉強して、その方面の英語や日本語の表現をたくさん頭に詰め込んで、
そのあとにいつもの古典文学の読書に入ると、以前よりもらくに小説が読めるような気がする。
文学だけを読んでいたらなかなか頭に入らなかったような単語や表現も、経済英語を媒介として、
比較的に楽に頭に入るような気もしている。

経済だけじゃなく、工学・法律・政治・歴史・自然科学・芸術、その他ありとあらゆる勉強をしてきた。
すべてつまみ食いみたいないい加減な勉強ではあったけど、そういう方面の話を放送大学で
聞いたり、本を読んだりして、英語や日本語やその他の言語での単語や表現を覚えまくってきた。

大変ではあったし、非効率的ではあった。遠回りではあったけど、でもやはり何か大切なものを
得たような気がする。第一、僕は自分の好きなことだけをやっていると、どうしようもなく
後ろめたいのだ。文学や言語学や哲学だけをやっていてはいけないと若い時から思っていた。そんなことを
やっている自分が後ろめたかったのだ。
11名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 16:57:45.87 ID:WAmJip6d
【テレビ】
テレビは、12年ほど前に手放した。それ以前も、僕は基本的には娯楽番組を見なかった。
17歳のときに、僕は娯楽番組を「基本的には」見なくなった。誘惑に負けて見てしまうことはあった。
でも、できるだけその誘惑に負けないように頑張った。そのあと、何十年にもわたり、僕は
テレビと言えば、英語やフランス語などの語学番組、語学を勉強するための洋画やドラマ、
放送大学や市民大学などの教養・教育番組だけを見るようにした。テレビを見る時は、
必死で見ていた。一日に12時間、毎日毎日、見ていたこともよくある。ほとんど娯楽番組は
見なかった。

そんなにまで頑なにならずにはいられなかったのも、僕は、中学さえろくに通うことのできなかった
両親から育てられ、僕が生まれたときには本が一冊もなかったどころか、ろくに炊事道具さえ
周りになかった。幼いときには2畳の部屋1室で、親子三人が住んでいた。幼少時代は、
両親が命がけで喧嘩をしている姿を見ながら育った。

そんな中で育ったにも関わらず、学問や芸術の広大無辺な世界に深く憧れないではいられなかった
僕が、いったいどのように知識人たちの世界に入れたろうか?不可能に近い。両親は
アルファベットも知らなかった。僕はそれでも、まずは日本語の漢字、そして英語、それから
中国語やフランス語、そしてついには20か国語くらいの言語に手を付けないではいられなかった。
そして文学や芸術や哲学や、その他、ありとあらゆる学問や芸術に手を付けないではいられなかった。

そんな僕が、ほんの平均的な教養を身に付けるだけでも、薄氷を踏むがごとき、命がけの
闘いをする以外には方法がなかった。通常の努力だけでは、僕は平均値に到達することさえ
できなかったろう。
12名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 17:40:53.19 ID:WAmJip6d
生れてから今まで、人と話したことがあまりない。いや、表面上は、僕は常に人と関わり、
常ににこやかに付き合っていた。人から嫌われるよりも、好かれることの方が多かった。
それはなぜかというと、常に僕は人の意向や好みに自分を合わせていたからだ。

人間は誰でも、自分のことを他人にわかってほしいと思っている。自分が好きなことについて
他人に話をしたいと思い、自分の感じているように他人にも感じてほしいと思っている。
僕は常に、他人が気持ちよくなるよう、笑顔を作り、他人の考えを僕も共有しているかのように
芝居をしてきた。だから僕は、人から好かれることが多かった。
しかし、好かれれば好かれるほど、僕は嘘をついているような、単なる芝居をしているだけの
ような気が常にしていた。

僕が自分らしく振る舞うようになったのは、かなり歳をとったあとのことだ。絶交したい相手とは
絶交した。嫌いな相手とは付き合わないようにした。

しかし、どうしても、嫌いな相手と付き合わねば人間社会は成り立たない。いや、そもそも
人間と人間とが好きあうはずがないのだ。人間と人間が、心を通わせることなど不可能なのだ。
「そんなことはない」と人は言うが、それは自分が適度にわがままで、他人を自分に合わせさせて
いるだけではないのか?他人が自分に合わせてくれているだけなのではないか?

僕は、他人が自分を曲げて自分に合わせてくれているのではないかという恐怖に脅えるあまり、
人とろくに話ができない。他人を犠牲にして僕が幸せになることはできない。
犠牲になって呻吟する苦労は、僕はすでに少なくとも40年は嘗めてきたのだ。

これ以上、不幸な人を作ってはならない。だからこそ、僕は他人と付き合わないようにしている。
他人を不幸にしたくはないのだ。

そういうわけで、常に一人でいるので、僕はろくに言葉をしゃべったり聞いたりしたことがないのだ。
だからこそ、僕は、英語だけでなく日本語さえ下手なのだ。僕が覚えた言葉は、日本語でさえ、
基本的には読書やテレビによって覚えたものだ。直に人と付き合って覚えたものではない。
13名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 17:57:14.02 ID:WAmJip6d
僕は、本来は生きてはならない人間だと幼いころから思っていた。
若いうちに死んでおかねばならないと思っていた。
若い時には、まだ自殺する勇気や情熱が少しはあった。
自殺することに、いわば「意味」があると思っていた。

残念ながら、僕にも下らない「生きんとする意志」があり、
そのゆえに、生き恥をさらし、必要もなく有害なだけの人間存在と
しての日々を送ってしまっている。そのため、他の人間に迷惑をかけ
苦しめてきた。他人からも苦しめられたが、僕も他の人を苦しめてきた。

人間は本来的に、他者を苦しめないでは生きてはいけないのだ。
いや、人間だけでなく、存在するということはそういうことなのだ。
一つの生物や一つの無機物が存在するこということは、別の存在物を
犠牲にしているのだ。共存なんてありえない。

誰かが僕の犠牲になっている。ずうずうしく、無神経だからこそ、
僕は今まで生き永らえてきた。

残念ながら、僕は死ぬことにさえ意味を見いだせないし、
僕が死ぬことにより、多大な迷惑を他人にかけてしまうので、
生き続けねばならない。

そのような思いは、僕だけでなく、かなりたくさんの人の
本音であるはずだ。ただ、現代のこの世では、ポジティブ思考に
汚染された人たちが多数派を占めている。
14名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 18:12:52.56 ID:WAmJip6d
僕の頭の中には、膨大な感情と考えがあるらしい。そしてその吐き出し口を求めて、
いつも苦しんでいる。そんな中で、たまたま2ちゃんねるなどの場所があると、
膨大な書き込みをする。忙しい中であっても、ものすごくたくさん書ける。
何十年も毎日のように考えたり感じたりしていることが無数にあり、それをあとは
書くだけなので、時間はさほどかからない。

おそらくは、僕は他人の10倍くらいの
早さで物が書けるらしい。他人からよくそう言われる。日本語で物を書けば、
メール相手の日本人からそのように驚嘆される。そして英語で物を書くと、
メール相手のアメリカ人からそのように驚かれるのだ。

僕には、言わねばならない、書かねばならないことがありすぎる。だからこそ、
僕は誰とも付き合えなかったとも言える。あまりにも思いが深すぎ、考えや感情が
多すぎるため、口が動かなくなってしまう。そして仮に僕が本音で話を始めたら、
通常の人は耐えられない。

したがって、僕が感じ方や考え方を述べる場所としては、ネットの、しかも
他の人のいない隔離された僕一人の空間しかない。

他人が絡むと、僕の想いに耐えられず、僕にアドバイスを与えないではいられなくなったり、
僕を攻撃したり、あるいは僕を根本的に変えてあげよう、救ってあげようと
いう気持ちになってしまうらしい。そして僕は、救ってもらうことなど
ありえない、それほど傲慢で残酷なことはないと思ってしまうため、
反撃してしまう。そして相手は、驚愕する。
15名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 18:21:44.28 ID:WAmJip6d
そう言えば、フランス語で作文してたときにも、フランス人の先生からよく言われた。
一週間に一度、フランス語で10枚くらいの作文をして提出していたけど、
いつも驚嘆された。「あなたは、本当に文章を書くのが上手だ。ぜひとも
本格的に文章を書いて出版しなさい。」

言っておくけど、僕はここで自慢話をしているんじゃない。僕が言ってるのは、
どの言語で書いても同じであって、ともかく僕の頭には膨大な考えや感情が
渦を巻いていて、幼少時代から、いや恐らくは赤ん坊のときから
はけ口を求めてさまよってきたのだ。だから、どの言語で書いたって同じだ。
あとは指の動くままに書いたらおしまいだ。乱筆乱文だろう。いちいち
推敲している時間ももったいない。第一、今だって、僕は仕事の最中だ。
仕事の合間に、僕はこのような長文連投をしている。

書くことは、僕にとっては息をしているのに等しい。
ボウフラがときどき水上に頭を出して呼吸をしているのに等しい。
書くことは、別に素晴らしいことでも何でもない。
息をすることと同じなのだから。便所へ行くのと同じことなのだから。
誰が、便所に行く回数が多いことを自慢にするだろうか?
排便の仕方がうまいからって、誰が自慢をするだろうか?
僕は病気なので、便所に行く回数が多いだけの話だ。
16名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 18:54:19.51 ID:WAmJip6d
ふと思い出して、樋口一葉の「にごりえ」を引き出して、その冒頭を流し読みして、
再び驚嘆した。何と美しい文章なんだ、これは。

樋口一葉「にごりえ」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/387_15293.html

彼女の苦悩、くやしさ、神経の過敏性、その他、彼女の全存在が現れた文章じゃないか。
こういう文章を、若き日に家族の家計を背負って、おそらくは悔し涙を噛みしめながら書いたのだ。
17名無しさん@英語勉強中:2014/05/03(土) 20:14:01.16 ID:WAmJip6d
こんなことばかり書いていないで、早く今の仕事を終わらせて、Jane Austen の続きを読み、
そこで使われている英語表現や文体について考察してみたい。

今日、長文連投によって書いてきたことは、幼少時代から今まで毎日毎日、感じたり考えたり
してきたことなので、何も考えないでも、仕事の合間の3分とか5分を費やせば、一本くらいは
書ける。

しかし、200年以上も前の文学小説を英文で読んで、それについて曲がりなりにもまとまりのある
考察をしようとすると、とてもじゃないけど、仕事の合間の5分とか10分では、何もできない。

早く仕事を終わらせよう。
18名無しさん@英語勉強中:2014/05/04(日) 04:59:06.62 ID:TzJQApU8
>>11
>>幼いときには2畳の部屋1室で、親子三人が住んでいた

昨日、忙しいとは言いながらも、イライラする思いをキーボードに叩きつけ続けたので、
読み返しもせず、舌足らずで大きな誤解を生む書き方をしてしまったこともあったろう。
ふと思いついた。この箇所は、誤解を生む。親子三人で2畳という狭い部屋1室に、
僕が幼少時代をずっと暮らしたかのように誤解されてしまう。

僕は、幼少時代の0歳から1歳までの「1年間ほどだけ」、2畳くらいの部屋1室に、親子三人で
暮らしていた。本当は4畳半くらいの部屋であるはずのものを、べニア板をあいだに立てて
仕切ると、2つの部屋になるのだ。そのうちの一つの部屋に、僕らは住んでいたそうだ。
窓もない。台所やトイレは他の多くの家族と共有。僕が幼少のころは、極貧家庭の人々だけが
住む有名な地域があって、そのど真ん中で僕は育った。

そのあと、少しでも人間らしい生活を求めて、少しずつ広いアパートへ引っ越ししていった。
何度も何度も引越しした。8回くらい引越ししたころ、ついに小さな一軒家を持つことになった。
それでも飽き足らず、2年後くらいにまた引っ越し、さらにその数年後にまた引っ越した。
僕の親は、僕や僕の兄弟を抱えて、10回だったか12回だったか知らないけど、ともかく
引越しした。その習慣が身についてしまっていたのか、独立したあとの僕も、あちこちに引っ越し
を頻繁に繰り返した。
19名無しさん@英語勉強中:2014/05/04(日) 05:08:50.46 ID:TzJQApU8
>>11>>18 の続き
僕がここで言いたかったことは、僕がガリ勉せざるを得なかった事情や精神状況にいたということだった。
ガリ勉以外に、どういう方法があったろうか?人並みの努力しかせず、あとは人並みに遊び、
人並みに楽しく、少しばかりの遊びの要素を持つ人生を送っていたら、僕は耐え難く低い文化水準に
甘んじたままに生きなければならなかったろう。それでいいじゃないか、と思う人はそれでいい。
しかし、僕はそうではなかった。

これについても、また気力と時間のあるときに、続きを書く。ともかく僕は忙しい。何が忙しいかという
と、死ぬまでに、何が何でも高いレベルの知識を身に付けないといけないからだ。生活のための
下らない仕事をこなし、自分と他人を経済的に支えながら、やっとの思いで作った時間を最大限に
活用し、洋書を今までに600冊ほど読んできたが、そんなもんで足りるはずがない。死ぬまでに、
少なくともあと1,000冊くらいは読みたい。しかも、そのほとんどは古典でないといけない。
軽薄な文化に酔いしれる時間などない。
20名無しさん@英語勉強中:2014/05/04(日) 06:15:09.89 ID:TzJQApU8
英文で古典がそれなりに読めるようになってきたのは、ごく最近のことだ。今まで 600冊の洋書を
読んだとはいえ、その大半は軽い読み物だった。ビジネス書や童話や、読みやすい歴史書や、
ベストセラー小説や娯楽小説だった。

そういうものを何百冊も読むことにより、ともかく僕は、
まずは翻訳で飯をきちんと食えるようにならなければならなかった。次に、基本的な英語読解力
を身に付けることによって、次の段階として、僕は古今東西の古典的な思想書や文学書を
楽に英文で読めるようにならなくてはならなかった。今までの600冊は、単なる準備運動で
しかなかった。
21名無しさん@英語勉強中:2014/05/04(日) 06:31:46.65 ID:TzJQApU8
僕が持っている二つのスレは、【隔離】【孤立】スレだと銘打っている。だから、僕は好きなことを
書いていく。他の、たくさんの人が集まっているスレでは遠慮して言わなかったことがたくさんあるけど、
ここでは遠慮しない。「以前だって、遠慮なく偉そうなことを口走ったり罵倒したりしてたくせに」と
言われるだろう。確かに他のスレでも大いにそれはやってたけど、あれでさえ、僕は遠慮していた。
ここでは、下らないと思うものは遠慮なく下らないと言う。僕を嫌う人がたくさんいるだろうけど、
僕以外の人はほとんど誰も書き込まないスレなんだから、僕のことが嫌いなら、どうか何も言わないで
立ち去ってほしい。

「こいつはメンヘラタイプの男だけど、それなりに頑張ってて、他の奴にはないような長所もあるぞ」
と思ってくれる人が、一人か二人だけでもいてくれて、その人たちが黙って僕のコメントを拾い読み
してくれるときがあれば、それで満足だ。遠慮して僕にコメントをくれることがなかったとしても、
それは仕方がない。

ほとんど誰からもコメントがないとしたら、それは寂しいことだけど、仕方がない。第一、若い時に
たくさんの人と一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりしていたとき、そしてしゃべりまくっていたときでさえ、
僕は本当には人と心が通じ合ってはいなかったと思う。そういう僕は、おそらく完璧主義なんだろう。
通常の人が僕の立場にいたら、十分に他人と心が通じ合っていると感じるだろう。しかし僕は、
そうではない。

支離滅裂で分かりにくい書き方をしているかもしれないけど、文章を推敲する気力や時間がないので、
書き散らしていく。ともかく僕は、孤独ではあるけど、耐えるしかない。孤独だからと言って、
偽物の人間関係を求めて、他の多くの人々のように妥協した生き方はしたくない。したくても、
どうしてもできなかったのだ。
22名無しさん@英語勉強中:2014/05/04(日) 06:49:20.47 ID:TzJQApU8
★僕がブログをやめて、2ちゃんねるに来た理由★

僕はかつて、膨大な文章をブログなどの、僕が運営するサイトに書いていた。6年間くらい、
実名を使って、日本語や英語でたくさんの文章を書いていた。原稿用紙に換算すると、
全部で数千枚だろう。他の人が運営するサイトにコメントしたものを含めると、原稿用紙に
1万枚になるかもしれない。それくらいの膨大な文章を、この10年ほどの間にネット上で
書いてきた。毎日毎日、長文の連投だった。

そしてあるとき、僕はそれらをすべて削除した。ボタン一つで管理人は自分のサイトを削除できる。
だからそれらの文章はどこにも残っていない。僕自身は、自分の文章を CDなどに保管したりはしない。
消えればそれでいいと思っている。たくさんの人がそれを惜しんでくれた。第一、単なる雑談だけではなく、
大部分はかなり学術的で、英語学、その他の言語学、文学、翻訳などについての文章ばかりで、
少し書くのでも、膨大な準備時間が必要だった。そういうものをすべて削除した。

そのあと、知恵袋でも書きまくったときが2か月ほどあった。最初の2週間で「カテゴリーマスター」
になってしまうほど、集中的に物を書いた。すべて英語に関するもの。2,000文字くらいの
文章はあっちこっちの回答として書いていた。短い回答はしなかった。短い回答で済むような
質問には、最初から対応しなかった。誰も手を付けないような面倒な質問にばかり答えていた。

知恵袋もやめた。Goo もやめた。そして、2ちゃんねるに来た。ここにきてから、3年くらいしか
経たない。最初は、別の板にいた。そして文学板でも1年くらい書いた。そのあと、
英語板に来て、おそらく1年6か月くらい経ったと思う.新参者だ。

2ちゃんねるが気に入っている最大の理由は、僕自身が僕の投稿を削除できないことだ。
おかげで、以前とは違って、僕自身が書いた過去の投稿を自分で検索して閲覧できる。
以前は、すぐに自分の投稿を消してしまうので、あとで後悔することがよくあった。
23名無しさん@英語勉強中:2014/05/04(日) 07:16:06.41 ID:TzJQApU8
還暦前後という、かなりの年齢なので、体が弱ってしまっているせいもあるけど、
僕は2年くらい前から、酒をほとんど飲んでいない。一か月か二か月に一度くらいしか飲まない。
飲んでも、ビールをコップで2杯くらい。3か月ほど飲まなくても平気。一年に4回から6回くらいしか
飲まない。こないだ、友人が「愚痴を言わせてくれ」というので酒に付き合ったけど、そのとき
中瓶で1本半ほど飲んだけど、それだけで十分に体が弱ってしまった。それくらいに酒に弱くなった。

22歳から25歳くらいまでの僕は、アルコール中毒になるかと思うくらいに、激しく酒を飲んでいた。
生きているのが苦しくて、飲まないではいられなかった。昼間っから胸ポケットからウィスキーの
小瓶を取り出して、路上でがぶ飲みしていた。路上で吐くこともあった。慢性的に体が弱まっていた。
一晩に日本酒を一升瓶一本、あるいはウィスキーの大き目の瓶で7割ほどを飲んでしまえるほどだった。

そのあと、酒なんてくだらないやめようと思い、26歳から36歳くらいまでの10年ほどは、
ほとんど酒を飲まなかった。ひたすら仕事して勉強していた。

36歳のころから、少し経済的に楽になったし、少しは飲んでもいいだろうと思うようになって、
いくらか飲んだ。さらに数年後、また酒をほとんどやめてしまった。基本的には、僕は
酒を飲めばたくさん飲めるけど、飲んでも仕方がないという気もあるので、
飲まない時が多い。

この歳になって、やっと酒を飲まなくても何とかこの人生の辛さにぎりぎり耐えることができる
ようになった。おかげで、下らないことにお金を使わなくてすむようになった。煙草も、40歳のときに
やめた。

今では、電車やバスにさえ乗らないので、経済的に楽になった。書籍以外には、ほとんど
お金を使わなくて済むようになった。書籍には、ぜいたくをしてしまう。しかし、食べることにも
こだわらないし、他の趣味もまるでないし、持とうとも思わない。
24名無しさん@英語勉強中:2014/05/04(日) 07:26:25.74 ID:TzJQApU8
12年くらい前、僕は一世一代の激しい、絶望的な、地の果てにまで波打つような恋をした。
失恋した。恋を失っただけでなく、その他のたくさんのものも失った。その失恋の痛手から
立ち直るのに、10年もの歳月を必要とした。10年間、死に物狂いで、僕にはまるで
似合わないような活動をしまくった。そのために膨大な時間と労力と金を費やした。
落ち着いたのは、ほんの2年ほど前だった。落ち着いた頃にやっと、知恵袋で
英語に関するコメントを書き始め、しばらくたってから2ちゃんねるに来たのだった。
25名無しさん@英語勉強中:2014/05/05(月) 19:17:44.63 ID:DJkRGIzk
Robert Burns の詩をいろいろと読んでいたら、ちょっと疲れてしまった。昨日までは方言が
比較的に少なくてよかったけど、今日取り組んでいた "To a Mouse" というものは、かなり
方言が多くて、方言辞典をあっちこっち読んで調べたし、ネットの力もしっかり借りて頑張ったけど、
かなり疲れた。

そこで Jane Austen の "Northanger Abbey" の最後の方で読み残しが少しあったので、
少しだけ読んでみたら、スコットランド方言が満載の詩に比べて Jane Austen の方がはるかに
読みやすいので、気分がよかった。

ああ、それにしても、本を読み続けること、特に洋書を読み続けることは本当にしんどい。
楽しんで読むべきだという考え方はもっともだけど、楽しいうちはまだまだ大して読んでは
いないのだと感じる。苦しいくらいにまで読み続け、自分にとって少し背伸びをした難しい
本に常に挑戦し続けないと、伸びない。そう思って、いつも少しずつ難しい本に手を伸ばすので、
いつもしんどい思いをするのだ。
26名無しさん@英語勉強中:2014/05/06(火) 20:34:47.05 ID:GG/rWWMC
test

æ ɑ ð ə ᵊ ɚ ɜ ɛ ʌ ʊ θ ʃ ɔ ŋ 
ɑ ð 
æ ɑ ð ə ᵊ ɚ ɜ ɛ ʌ ʊ θ ʃ ɔ ŋ 
ɑ ð
æ ɑ ð ə ᵊ ɚ ɜ ɛ ʌ ʊ θ ʃ ɔ ŋ 
ɑ ð
27名無しさん@英語勉強中:2014/05/06(火) 20:45:00.69 ID:GG/rWWMC
再びテスト

Greek alphabet
ψωβνμζσδφγηξκλπθρες

Cyrillic alphabet
йцук
НпМТтт  шщхейЯ Ч

Arabic alphabet
أل
عئن ظزوةى
اللاه اكبارا موهامماد
28名無しさん@英語勉強中:2014/05/06(火) 20:49:25.54 ID:GG/rWWMC
pinyin keyboard
(中国語のピンイン文字のキーボードのテスト)


tūo shǎo qián
ǒóōèěéēàǎáāǜǚ
29名無しさん@英語勉強中:2014/05/06(火) 20:57:43.64 ID:GG/rWWMC
IPA symbol keyboard のテスト

Boys be ambitious!

IPA では
bɔiz biː æmbˈiʃəs

brothers
brˈʌðɚz

garage
gˈærɑːʒ
gærədʒ

special IPA symbols
βɓʙɕçd͡ʒɖʝɪ̈ɧħɥʛ
ɠɞɬɮɱɲt͡ʃʂχɰʔʑ∅
30名無しさん@英語勉強中:2014/05/06(火) 21:02:09.13 ID:GG/rWWMC
French keyboard test

Il y a longtemps, j’ai appris le français. Malheureusement, j’en ai beaucoup oublié.
En fait, j’ai terminé mes études françaises il y a presque trente ans.
31名無しさん@英語勉強中:2014/05/07(水) 09:02:42.42 ID:WB50QEQj
Choonpu (長音符)、特殊文字 テスト

chōonpu


Romaji Hiragana Katakana
hā はあ ハー
hī ひい ヒー
fū / hū ふう フー
hē (hei) へい ヘー
hē (hee) へえ
hō (hou) ほう ホー
hō (hoo
32名無しさん@英語勉強中:2014/05/08(木) 10:26:41.60 ID:mJtvdfOU
musical note keyboard (音符のタイプ打ちテスト)

♪ ♫ ♬ ♮ ø
33名無しさん@英語勉強中:2014/05/08(木) 10:28:22.07 ID:mJtvdfOU
>>26-32
いろいろな特殊文字のタイプうちテストを行ったけど、
これはすべて、これからのいろんな種類の書き込みにあたって、
いろいろな記号を駆使して、よりわかりやすい記事を書きたいと
思うから、準備していたのだ。
34必殺翻訳人:2014/05/12(月) 21:06:08.20 ID:7m3YUdM4
芥川龍之介の自伝的作品の中に、

「人生は一行のボードレールにも如かない」

という台詞が出てくる。

ここのスレ主さんもこの台詞に同感する人間だろうか。
35名無しさん@英語勉強中:2014/05/14(水) 10:07:46.60 ID:1YstfgLW
>>34
ああ、びっくりした。こんな、誰も読んではくれないだろうと思われるスレの書き込みを
わざわざ読んでくれる人がいるなんて期待してなかったし、仮に拾い読みしてくれる
人がいたとしても、わざわざ書きこんでくれる人なんているはずがないと思ったのに、
書いてくれる人がいるとは驚きだ。そしてもっともっとびっくりしたのは、必殺翻訳人さんが
書き込みして下さるとは、本当に光栄だ。

その芥川の言葉は、いつもいつも思い出す言葉だ。大いにその言葉に同感する。
ただ、それに同感する人でも、人それぞれでいろんな立場があって、様々だとは
思うけど、大雑把にいって「その言葉に同感する」と言っておこう。
36名無しさん@英語勉強中:2014/05/14(水) 12:16:02.38 ID:1YstfgLW
英語板上にある他のスレはいっさい読まないつもりだったけど、いくつか読んでしまっている。
そして、ときどき書き込みしたくてウズウズすることもある。しかし我慢する。僕が何かを
書き始めると、ついついまたもや罵倒してしまうことになる。だから、どこかのスレで
提起された問題について、僕が何かをどうしても書きたいときには、孤立スレで書きたいと思う。

僕としては正当な罵倒のつもりでも、他の大多数の人たちは過剰反応としか思えないようなので、
やはり僕は他の人とは関わらない方がいいのだと、この年齢になって、やっと納得できるように
なった。そして、このような隔離スレにこもっている方が、他の人たちの精神衛生のみならず、
僕自身の精神衛生にとってもよいことらしいということにも気づいた。

第一、何かの問題を追求したくても、他の人と話をしたりしていると、ついつい下らない雑談に走ってしまいそうになって、
僕自身も結局は怠けてしまうことになる。雑談している間は、やはり何といっても怠けているのだ。
雑談から本物が生まれるなどという言い訳もしたくない。そういう論理は、ノーベル賞級の人たち、
天才たち同士が雑談したときに初めて素晴らしいものが生まれるのであって、凡庸な人間が
怠け心で雑談したところで、何も生まれはしない。

というわけで、強烈に寂しいけれども、やはり僕は隔離スレにこもり続けようと思う。しばらく
このスレと、その隣にある

【隔離・孤立スレ】専門的すぎる書き込みを歓迎
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1389234352/l50

というスレに閉じこもっているおかげで、特定のテーマを追いかけやすい。
37必殺翻訳人:2014/05/16(金) 20:29:31.44 ID:HF8Nj5HU
>>35
ふうむ、やはりそうなのか。

時々書き込みを拝見するけど、それにしても、すさまじく
ペシミスティックな世界観・人生観だ。
38必殺翻訳人:2014/05/16(金) 20:35:12.48 ID:HF8Nj5HU
>>7
>僕はかつて、正邪善悪真偽の存在を信じていた。生きていることには
>整然とした理由や目的があり、善悪の基準は厳然と存在し、本当のこと
>というものが存在するものと信じていた。
>それを信じなくなったとはいえ、依然として僕はそれを信じたくてたまらない。

スレ主さんは、エドガー・アラン・ポーの詩を訳してたけど、そのポーの散文詩的
宇宙論『ユリイカ』の序は、あなたのような人間に捧げられている。

わたしを愛し、わたしが愛する数少ない人たちに———考えるより、むしろ感じる
性(さが)の人たちに———夢みる人たちに、現実に劣らず夢を信じる人たちに———
わたしはこの真理の書をささげます———本書に真理の語り手としての資格がある
からではなく、その真理に充溢(じゅういつ)する美のゆえに———真理をして真
たらしめる美のゆえに。そのような人たちに、わたしはこの仕事をもっぱら芸術
作品(アート・プロダクト)として———言うなれば一篇の物語(ロマンス)として、
また、もしあまりに過大な要求でないとするならば、一篇の詩として提供いたします。
わたしがここに提唱するものは真であります———それゆえに不滅です。よしや
踏みにじられて死ぬことがあろうとも、それは「ふたたび永遠のいのちによみがえる」
でありましょう。
ともあれ、わたしの死後、この作品がもっぱら詩としてのみ評価されんことを
切望してやみません。

ポーもまた、美と真を追求した人間だが、結局、中道で斃れてしまった。
(しかし、『ユリイカ』においてポーは究極の秩序をこの世に発見したかもしれない)
39名無しさん@英語勉強中:2014/05/17(土) 05:05:50.99 ID:2II+JlKq
>>37
そう?そんなにペシミスティックか?道理で、誰も僕の話を2分たりとも聞けないはずだよね。
現実生活で面と向かって話すと、僕の本音は、誰も2分たりとも聞けないんだよね。

子供のときにはさすがにあまり細かい人生観とか世界観はなかったとはいえ、それでも
うすうす感じてたことを誰にもしゃべったことはなかったし、少しでも何かを見せようとしたら、
途端に親を初めとする周囲の人々は拒絶反応を示した。そんなことをお前が考えている
はずはない。それは嘘だ。似合わない。そう思い込んでるだけだろ?そんなふうに
優しく拒絶する人もいたけど、たいていは相手は怒り出す。

僕は優しいというか気が弱いので、
相手が少しでも眉をひそめると、すぐに僕は僕の本音を語るのをやめてしまう。だから
1分たりとも本音で話したことはない。あまりにそれがひどいから、僕は僕自身をも騙し続けて
いきていた。本音の上に、十二単(じゅうにひとえ)みたいに何重にも服をかぶって、
自分でも自分の本音がわからないという人生を何十年も生きていたようだ。
そしてごくたまに何か文章を自分だけのために書くと、恐ろしく絶望的なことを書き殴っているので、
自分でも意外だった。

僕は、見かけは決して絶望的な、元気のない顔や姿をしていない。むしろ僕は、常に
明朗快活だと言われてたくらいだった。僕は自分でも元気な男だと信じ込んでいたくらいだ。
40名無しさん@英語勉強中:2014/05/17(土) 05:07:04.78 ID:2II+JlKq
>>39 の続き

Edgar Allan Poe の "Eureka" は、残念ながらまだ読んでいない。もっと理屈っぽい
本かと思ったら、散文詩であり、Poe 自身はこれをあくまで詩と考えてほしいと言っているのだな。
それはぜひとも読まないといけないなあ。近いうち、読んでみる。なお、ここにその序文の
原文を引用しておこう。

PREFACE.

To the few who love me and whom I love―to those who feel rather than
to those who think―to the dreamers and those who put faith in dreams
as in the only realities―I offer this Book of Truths, not in its
character of Truth-Teller, but for the Beauty that abounds in its
Truth; constituting it true. To these I present the composition as
an Art-Product alone:―let us say as a Romance; or, if I be not
urging too lofty a claim, as a Poem.

What I here propound is true:―therefore it cannot die:―or if by any means it be now trodden down so that it die, it will “rise again to the Life Everlasting.”

Nevertheless it is as a Poem only that I wish this work to be judged after I am dead.

E. A. P.
("Eureka," Preface, Edgar Allan Poe, Project Gutenberg)
http://www.gutenberg.org/files/32037/32037-h/32037-h.htm
41名無しさん@英語勉強中:2014/05/17(土) 06:41:40.56 ID:2II+JlKq
【本当は、世界のあらゆる言語とあらゆる学問・芸術分野を】

ところで、僕は英語の実用的な側面(つまり実務翻訳や文芸翻訳、そして話したり書いたりすること)
や英語学や英文学のみにこだわっているわけではない。いや、それどころか。英語とか英語学
なんてものは実に下らないと思っている。いや、もっと正確に言うと、その分野「だけ」に
焦点を当てるなんぞ、実に下らないことだと思っている。

本当は、たとえば英語の歴史的な変遷ぶりを観察するだけでは物足りない。世界のあらゆる言語
を視野に置き、印欧諸語のみならずマライポリネシア諸語やウラルアルタイ諸語やアフリカの
諸言語やセム語族の言語や、その他ありとあらゆる言語を見わたし、そのうえで印欧諸語の
全体(つまりサンスクリット語、ギリシャ語、ラテン語、古代ペルシャ語、スラブ諸語、ゲルマン諸語、
ロマンス諸語、ケルト諸語などをすべて含む全体)を見わたし、そのごくごく一部である
英語学を眺めたいと思っているのだ。しかし、単に歴史言語学や比較言語学という狭い狭い
領域に限っただけでも、このように膨大で広大無辺なのだ。

他にもあまりにもたくさん取り組むべき分野はある。まさに学問や芸術の世界は広大無辺で、
絶望的に深い。だけども、僕は知力や精神力があまりにも平凡だから、ごくごく一部の
分野に一応はこだわらないと仕方がないのだ。そういうわけで、仕方なく僕は、
少なくとも今は、ごくごく狭い分野であり(それだけを見ると実に下らない)英語学や
英文学のうちの、そのまた狭い分野である領域だけを見ているに過ぎない。
42名無しさん@英語勉強中:2014/05/17(土) 14:22:37.57 ID:2II+JlKq
【再び経済英語の勉強】

仕事が今日と明日はないので、安心して勉強ができる。朝、いつものように4時半に起きた。
今日は、友人と一緒にいつもの経済英語の勉強会をするので、その下準備として3時間くらい
勉強。さらに友人と出会って、またもや5時間ほど勉強。というわけで、合計8時間も、
慣れない経済分野の英語の勉強をした。

すでに言ったことだけど、慣れない分野の英文を読むのは非効率的なようにも思えるけど、
急がば回れという言葉通り、巨視的かつ長期的に見ると、結局は勝つと信じている。
もちろん金を稼ぐための仕事にも直結するし、古典文学や思想書を英文で読むときにも、
回り回って間接的に必ず役立つ。

古典文学ばかり読んでると、自分がわかっていると思い込んでいた部分は後回しになってしまって、
実はまるでわかってもいないものを放置してしまう。しかし、自分がよく知らない分野の英文を読むと、
自分がいかに英語さえろくにわかっていなかったかということが思い知らされ、いやでも初心に
帰り、簡単な単語や表現さえ再びきちんと調べ、隅々まで理解しようとする。

今までにも何度も、The Economist を読んでいるうちに無理やりに覚えよう理解しようと苦闘した
単語や表現が、19世紀から現代にかけての文学小説にもきちんと使われていて、実は
日常的ともいえる言葉だったのだと気づかされ、ああ、こんな簡単な言葉さえ僕はいまだに
わからなかったんだな、と思い知らされる。
43必殺翻訳人:2014/05/17(土) 20:49:24.49 ID:DMVKIQLf
申し訳ないが、再度、ポーのことを話題にさせてもらう。

>>3のパスカルの文章を読むと、どうしてもポーの『ユリイカ』との親近性を
感じてしまう。ポーがパスカルを読んでいたかどうかは知らない。しかし、
読んでいたとすれば、ひょっとして、ポーはパスカルに張り合おうという気持ちが
あったかもしれない。
パスカルの文章のその最後の部分には、
I have examined whether this God has not left some sign of Himself
とあるが、ポーは『ユリイカ』において、神(あるいは秩序と言った方がいいか)を
この世に見出したらしい。
あなたと同じくポーもこの世にほとんど絶望していたと思うけれど、その絶望の果てに
ついに神のヴィジョンをつかんだように思われる。
(それによって、少なくとも一時的には精神的な平穏を得ただろう。もっとも、
実生活は相変わらず極貧で、しかもなお文芸誌創刊の夢を追求して奮闘し、結局
その途上で死ぬことになったわけだけれども)
44名無しさん@英語勉強中:2014/05/18(日) 15:35:35.87 ID:d+wk8cU+
>>43
Edgar Allan Poe にしても Blaise Pascal にしても、大いに興味があるので、
どんどん話題にしてくれていいよ。もっとも、まだこの二人について詳しく知っている
わけじゃないので、これからもっと勉強していきたいところだ。

Blaise Pascal のその言葉は、高校生のときに日本語版を読み、そのあと大学生のときには
英語板であちこち頻繁に拾い読みしていた。残念ながら通読はあまりしていない。
そしてその中でも、>>3 の一節は、英語板(そしてフランス語版)なら幸いにしてネット上で
無料でいつでも読めるので、1か月に一度くらいは引き出して読んでいる。その場所ばかり、
高校生の時から何度も何度も読んできた。

昔、フランス語に熱中してたんだけど、そのときには
フランス語版のパンセを読んでた。20代のときには実存主義に凝ってて、Jean-Paul Sartre
の「嘔吐」や「存在と無」や Albert Camus の書いた「シーシュポスの神話」は、
本気で読んでた。
45必殺翻訳人:2014/05/20(火) 20:14:12.46 ID:o0k1uMuH
>>44
ありがとう。
パスカルのこの文章は非常に気に入った。
広大無辺な宇宙、それと対比されての人間の卑小さのヴィジョン。

そして、同時に、それを一挙に把握するパスカルの広大無辺な想像力。

こういった宇宙的な広がりを読者に感じさせる想像力はポーにも見出せる。
ほかにはシェークスピアの『嵐』とか。
46必殺翻訳人:2014/05/20(火) 20:24:12.60 ID:o0k1uMuH
それにしても、スレ主さんの一連の書き込みは、2ちゃんではなくてブログ
の方がふさわしいかもしれないと思う。
気になる言葉をグーグルで検索して、サイトが2ちゃんだったら、それを
理由に読まない人がいると思うのだ。なにしろ2ちゃんは人格低劣な人間の
書き込みや差別的発言が多いから。
2ちゃんの書き込みという理由だけで読まれないのは実に残念。
ブログに書けば、もっとまともな人が多く読むことになると思うのだけれど。
47名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 05:01:35.47 ID:TT/kmgPB
>>45-46
ありがとう。うれしいことを言ってくれるね。ところで、いつもあなたのように「ブログに書けば?」と
言ってくれる人がいるけど、僕も本当はもともとは2ちゃんねるなどは大嫌いで、そもそも2ちゃんねる
を初めて見たのは3年ほど前。しかも最初の1年ほどはまるで別のジャンルの板にいた。

僕には似合わないある種の芸術活動のための板だったんだけど、その活動はやめて、そのあと文学版に
行き、知恵袋や Goo で半年ほど書きまくり、そこに愛想を尽かしてそこでの書き込みも自分で
消せる範囲内のものは消してしまって、そこのアカウントもキャンセルしてしまって、2ちゃんねるの
英語板では1年半ほど前からほとんど毎日書いている。

長文連投の毎日。指がひとりでに動いてしまう。
冗長と言われるが、必要なことはすべて書こうとすると、長くなってしまう。さらには、赤ん坊のときから
常に、親兄弟を初めとして僕とはまったく異質の人々と接触せざるを得ず、まったくの異邦人として
生きているうちに、僕が僕自身の考えや感情を伝えようとすると、どうしても長い文章を書かざるを
得なかった。そして千万言を尽くしても、それでも相手には僕の言いたいことの千分の一さえ
伝わってはいないと感じていた。だから、今のような長文でも、それでも僕にとっては短文なのだ。

僕がネットで毎日長文連投を始めたのは、たぶん12年前。最初の数年はあちこちの同業者の
メーリングリストや掲示板などで英語・英語学・翻訳などについて書いていた。実名で書くことが
多かった。そのころは「ブログ」というものは存在しなかったけど、それに似たものを「掲示板」
と呼ばれる媒体をいくつも持っていて、そこで英語、英語学、比較言語学(めいたもの)、
語源学、そしてある一つのマイナーな言語(どの言語かについては伏せる)についての
文章を書きまくっていた。英文でもたくさん書いた。Myspace っていうタイトルのサイトだったと
思うけど、そこで実名を使って英文でものすごくたくさん書いた。
48名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 05:17:29.16 ID:TT/kmgPB
>>47

そして、ほんの6年ほど前だったかな?僕が消せる範囲内の書き込みは、すべて消してしまった。
僕が管理人をしていたサイトでは、管理人としてボタン一つで一瞬にして消せる。それから、
他のサイトで書き込んだものにしても、僕自身が消せるようになっているものはできる限り消した。
何かに所属していた場合には、アカウントも削除した。

僕がブログ(あるいはそれに似た場所)で書くのをやめて2ちゃんねるに来た理由については、
すでに3回くらいチラッと書いたけど、その理由を再び書いてみる。

(1) 僕は、自分の書いた膨大な文章が、たとえ6年ほどかけて毎日何時間もかけて調査したり
考えたりして丹念に(そして命がけと言ってもいいくらいに必死な思いで)書いたものであっても、
あるとき急に嫌になり、消してしまうという変な性癖がある。それは昔からそうだ。ネットのなかった
時代でも、自分が10年くらいかけて書いた文章でも、あるときそれを捨ててしまう。僕を写した
写真もすべて捨ててしまう。僕が貯めたたくさんの本も処分してしまう。ついでに、家具も何もかも
処分してしまう。おまけに離婚までしてしまう。

基本的に、僕は自分の身の回りにいろんなものがあるのが嫌なのだ。たくさんのものが貯まってくると、
まるでその量だけを見て、自分が少しは立派なことを成し遂げてきたかのように錯覚してしまう
人間の習性を僕も持ってしまうんだけど、それが嫌でたまらないのだ。だから、あえてそれを
捨ててしまおうとする。

ブログこそ、自己満足の集大成ではないか?そんなもん、糞食らえと僕はいつも思っている。
学問だと?芸術だと?ふざけんな。確かに俺も学問や芸術の広大無辺な世界に、17歳のときから
(あるいは幼少のときからかもしれないが)恋焦がれて、それに命を賭けてぶつかってきた
と言ってもいいくらいに熱中してきた。しかしそれが何だってんだ?そんなものを書きためたりしても、
僕がすべて焼き捨てようとしているところを人が「何ということをするのだ。私にくれ。私が
それをすべて出版したい」と言ってくれて、それで出版してくれるくらいの価値ある文章でない限りは、
すべて自己満足でしかない。
49名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 05:28:48.02 ID:TT/kmgPB
>>48

いや、出版したところで、本当に価値あるものは、そのうちの1万分の1以下ではないか。
大学の教師が業者との癒着のゆえに書いて、「単位をやるからこの本を買え」という形で
無理やりに買わせて印税と名誉を勝ち取る卑劣なやり口によって「書いてきた著書のリスト」
がどんどん長くなっていくのを楽しみにする似非知識人たちのやり口は、狡猾な手口で
他人から金や土地や企業を奪い取って私腹を肥やし続けて、銀行にある貸金庫に貯まっていく
自らの財産を楽しみに毎日通ってそれを数える連中とまったく同じではないか。

ブログは、その小規模版だということができる。だから僕はブログなどが嫌いだ。そして固定ハンドル
ネームをつけるのも嫌いなのだ。固定ハンドルネームや実名を使って、僕自身も最初の6年くらいは
膨大な文章を毎日書いていた。しかしそれは僕にとっては「礼儀」のつもりだった。2ちゃんねる
以外の場所では通常は、実名または固定ハンドルネームをつけないといけないことになっている。
そして、みんなが固定ハンドルのときでも、僕だけは実名を名乗っていたことも6年くらいあった。
それには大変な勇気が必要だった。折り目正しくて情緒の安定した人なら問題ない。でも僕の場合、
許せない相手を頻繁に罵倒する。最初は罵倒しながら、「固定ハンドルつまり匿名で他人を
罵倒したり批判するのは卑怯ではないか」とよく煩悶した。いろいろ考えて、僕は実名を使って
正々堂々と他人を批判し罵倒しようと思うようになった。そしてそれを実行した。

その6年間は、大変だった。僕のように神経の繊細な(言い換えれば「弱い」)人間にとって、
それは本当に辛いことだった。しかし、たとえどんなに辛くても、やっていることが正しければ、
そしてそれが他人にとっても「ためになる」ことなのなら、耐え続けることができる。しかし、
僕は僕が実名でそういうことをやり続けることが、かえって他人を傷つけたり不快な思いをさせて
いることも多いということに気づき始めた。
50名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 05:47:13.11 ID:TT/kmgPB
>>49
そこで僕は、実名を使うのをやめた。僕自身はとても楽になったし、さらには他人にとっても
その方がはるかに楽であるようだった。ただし、僕の書き込みは非常に特徴的であるらしく、
恥ずかしがりの僕はできるだけ正体を見破られないように文体さえ変えるよう努力したりなんかしても、
それでも、「名無し」であるにも関わらず、みんなから「例の人」と見破られてしまう。それは、
ここだけではない。英語板であろうとその他の趣味の板であろうと、どこにいても僕は特定されて
しまう。そして僕には、特定されては困るたくさんの恥ずかしい過去を持っている。そして
僕だけが恥ずかしい思いをするだけならいいんだけど、それによって僕の身の回りの人が
職場で変な攻撃を受けることもあるかもしれない。

ともかく僕には、特定されては困るたくさんの傷を抱えている。それにもかかわらず、6年ものあいだ
実名で、しかも同業者のメーリングリストで罵倒を繰り返していたんだから、どうしようもない。
それくらいに、僕にはいろんなことに対するこだわりを持っているのだ。どこに行ってもメンヘラ扱い
されるゆえんだ。

僕自身の経歴や実生活や人間関係について、すべてぼかして書いているにもかかわらず、
このような、他人から言わせれば「きわめて粘着質」な性格のゆえに、僕の一連の
「名無し」の書き込みを読んだだけで、実生活の僕を少しでも知っている人はすぐに
僕を特定できるはずだ。

さて、いろいろと脱線してしまったけど、話をもとに戻す。僕は、2ちゃんねるが気に入っている。
いや、決して理想的な空間というわけじゃない。でも、欺瞞と虚飾に満ち満ちた自己満足の
空間であるブログや実生活に比べたら、この空間において、僕が物を書き続けることは
少しは「まし」なことではないかと思っている。
51名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 05:53:25.39 ID:TT/kmgPB
>>50
ここでは、みんなが「名無し」だ。この
「名無し」を名乗ることは卑劣きわまりない態度にもなりうるが、同時に、きわめて民主的
な世界を作ろうという態度の表れだと見ることもできる。誰が何を書こうとも、誰にも手柄はない。
大学教授も小学生も、知的障害者も天才も、みんなが同じ空間で、平等に語り合える。
そこにもいろんな差別や偏見はあるだろうが、実生活では風貌、服装、住まい、職業、肩書き
を見ただけで、語る前からすでに自分も他人も、自他の上下関係を作ってしまい、自分と他人が
何を言いそうであるかを最初から推測してしまって、せっかく語り始めてもまともな話にはならない。

せっかくかなり内容の濃いことを書いても、それを Google 検索して他人が「おお、これはもしかしたら
面白い記事かもしれない」と思っても、そのリンク先が2ちゃんねるだからという理由だけで
最初からアクセスしない、アクセスして記事を読んだとしても、「どうせ2ちゃんねるの書き込みだ。
本気で読むには値しない」と途中で投げ出してしまう人たちがたくさんいるだろう。それは、2ちゃんねる
上で有益なことを書き続ける人たちにとってはとても残念なことではあろう。

しかし、2ちゃんねるだからどうせその書き込み内容は下らないだろう、ブログだからもしかしたら
読むに値するかもしれない、と考えるような人は、まさに「黒人だから、どうせ云々」とか
「労働者階級の人間だから、どうせ云々」とか言っている人々とまさに同じだ。そういう連中に
無理に読んでもらっても、果たして2ちゃんねる上の良心的な書き手たちの文章の価値が
本当に理解されるときが来るだろうか?
52名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 05:55:59.51 ID:TT/kmgPB
>>51
その一方、2ちゃんねる上には、ごくたまに、きわめて内容の濃いものを毎日毎日、長文連投
してくれている人がいる。その人たちはみんな、名無しであったり、仮に固定ハンドルをつけていても、
どこの誰かはわからない。固定ハンドルを付けている人も、別に特に目立ちたがりだからそうしている
とも限らず、むしろ便宜上、議論するときに互いに議論を進めやすいから固定ハンドルをつけている
に過ぎない場合も多い。

そういう名無しあるいは匿名の空間で、今日も、知識や情報は基本的には無料でみんなに平等に
行き渡るべきだという理想のもとに、有益なことを書き続けてくれている人がどこかにいる。
自分の手柄になるはずのことはこんなところでは書かずにすべて実名で論文にして出版するなどと
言っている人には何も書いてもらわなくてもいいじゃないか。そんなふうに考えている。
53名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 06:18:48.31 ID:TT/kmgPB
いろんなことを書いているうちに、「ブログに書かない理由」のうちの最大のものを書くのを忘れていた。
最大の理由は、ブログまたはそれに似たものに僕はたくさん書いていたけど、すべて
削除してしまった。そして、再びまた別のブログを書いてもいいし、現に書こうともしたけど、
やっぱりやめた。それは、ブログに書いても、あるときにまた急にそれをすべて削除して
しまいたくなるときが来るに違いないからだ。でも2ちゃんねるなら、僕が自分で削除する
ことはできない。だから、僕が自分で自分の過去の記事を参照したいと思ったときでも、
すぐに参照できる。

よく「チラ裏乙」と書かれる。これは「どうせお前の書いてることなんざ、チラシの裏にでも書くべき
下らねえことなんだろ」という意味だが、僕は、人間が言ったり書いたりすることは、どうせすべては
チラ裏だと思っている。歴史的に有名な何百年もの前の大統領が行った演説であろうと、数千年
前から残っている偉人たちの言葉だろうと、そして2ちゃんねる上の誹謗中傷であろうと、
所詮はすべてチラ裏なのだ。

とはいえ、同じチラ裏であっても、命がけで言ったり書いたりしたものもある。何かの拍子に
ついでに、八つ当たりとして言ったり書いたりした衝動的な言葉もある。じゃあ、誹謗中傷の
一行レスよりも学術的な長大な記事の方が価値が高いのか?書いた本人はそう思いたいけど、
結局はそれも下らないものなのだ。そういう視点を持った上で、なおかつ書かずにはいられないから
書く。古今東西の偉人と呼ばれる人たちも、その文章を、やはり書かずにいられなかったから
書いたにすぎず、自分たちの書いた文章が、無教養と呼ばれる人たちの誹謗中傷の殴り書きに
比べて価値が高いなんて思ってはいなかったのではないか。だからこそ、たとえばキリストは、
この世で最も高い地位にいる人は、神の前では最も低い地位にいる、子供のような人こそが
実は最も高い地位にいる、というような意味のことを言ったのではないかと僕は思う。
54名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 07:20:41.83 ID:TT/kmgPB
【ブログは民主的でない】

ブログの最大の問題は、ブログの管理人が自分や他人の書き込みの正邪善悪真偽を一方的に
自己満足的に決めてしまえることだ。気に入らない相手の書き込みは、ボタン一つで一瞬にして
消せるし、二度と相手が書き込めないように封鎖することができる。

それこそ非民主的で差別的なことではないだろうか?一見、折り目正しく善良な市民を気取っては
いるけど、その実態は、自らの独断と偏見を良識だと思い込んだ上で、自分にとって不快なものは
邪悪であり虚偽であり偽りであると決めつけてしまっているに過ぎない。

ところが2ちゃんねるでは、基本的には管理人というものは存在しないように見える。よほどのことが
ない限りは、誰かのどこかの書き込みが削除されることはない。どんなに邪悪なように見える書き込みも、
良識あるかのように見える書き込みと同じように扱われる。それはひどいことだとも言えるけど、
しかし、どの書き込みの正邪善悪真偽を誰がいったいどのような権限で決定できるというのか?
もしかしたら、それを決定している人こそが邪悪で偽りかもしれないではないか?

かく言う僕も、自分では自分が正しいと思って隔離スレを立てて、自分の好きなことを書き続けている。
しかしこの空間では、ブログなどとは違って、僕を嫌う人、僕に対して批判的な人は、自由に
いつでもここに書きこんで、僕を妨害することもできる。いわば、僕と、僕に敵対する人とは
平等の立場にいる。それは素晴らしいことだ。長文連投で毎日毎日、あたかも学術的なことを
書いているかのように見える僕と、それから「チラ裏乙」と4文字だけを書き捨てていく人とは、
基本的には平等なのだ。
55名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 07:21:39.44 ID:TT/kmgPB
>>54 の続き 【ブログは民主的ではない】

僕はそいつらをぶっ殺してやりたいと思うくらいに憎いけど、
しかし彼らだってもしかしたら素晴らしい見識を持っているかもしれないし、彼らの視点から見れば
僕などは嘘だらけかもしれないのだ。極端な言い方をすれば、人間は人間の敵である AIDSウィルス
を撲滅すべく日夜奮闘しているが、AIDS ウィルスから見れば、人間こそ撲滅すべき敵なのかもしれない。
巨視的な観点から見れば、AIDS ウィルスは、傲慢にも宇宙を破壊し続けてきた大敵である
人類を痛めつけてくれる正義の味方なのかもしれない。

そういう理由で、僕はブログだけでなく、世の中で折り目正しく振る舞っている善良な市民たちと、
それを破壊しようとする悪人たち(だと思われがちな人々)とが、同じレベルにいるように見える。
どちらも同じくらいの説得力を持っているのだ。そう簡単には、どちらが正しいなどとは言えないのだ。

2ちゃんねるは、どちらが正しいとは言い切れないあいだは、どちらをもそのまま抹殺することなく、
そのまま放置しておいた方がよかろうという考えを持つ民主的な空間だと思う。だからこそ僕は、
この3年間は2ちゃんねるを大いに利用してきたし、1年半ほど前からは他の媒体は使わなく
なった。2ちゃんねるにあるいろいろな弊害を除去した新しい媒体が現れればそこに移るけど、
今のところ、ここ以上に「まし」な媒体は見つからない。
56名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 17:38:00.18 ID:TT/kmgPB
【色即是空、空即是色】

この言葉をどれほど僕が理解しているのかはわからないけど、この言葉を僕は、若いときからずっと、
頻繁に思い出してきた。歳を取ると、ますますその頻度が高まってきた。漢文版と、手元にある
岩波文庫に収録されている中村元の日本語訳と、それからネット上の英訳とを並べてみる。

般若波羅蜜多心経

色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。


色は空に異ならず。空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり。
受想行識もまたまたかくのごとし。

●中村元による日本語訳
この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で
(あり得るので)ある。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、
実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
(このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。
およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。

ネット上の英訳
Form does not differ from voidness, and voidness does not differ from
form. Form is voidness and voidness is form; the same is true for
feeling, conception, volition and consciousness.

英訳を収録した URL
http://www.buddhanet.net/pdf_file/heart_s2.pdf
57名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 18:09:18.72 ID:TT/kmgPB
>>3 の 【パスカルの「パンセ」の一節の日本語訳】

第十一章 預言

693
人間の盲目と悲惨とを見、沈黙している全宇宙をながめるとき、人間がなんの光もなく、ひとり置き
去りにされ、 宇宙のこの一瞬にさまよっているかのように、だれが自分をそこにおいたのか、
何をしにそこへ来たのか、死んだら どうなるかをも知らずに、あらゆる認識を奪われているのを
見るとき、私は、眠っているあいだに荒れ果てた恐ろしい 島につれてこられ、さめてみると
〔自分がどこにいるのか〕わからず、そこからのがれ出る手段も知らない人のような、 恐怖に
おそわれる。それを思うと、かくも悲惨な状態にある人がどうして絶望に陥らないかを、私は
あやしむ。私は 自分の周囲に、同様な性質の人々を見る。彼らに、私より多くのことを知っている
かどうかを尋ねてみても、彼らは 否と答える。そこで、これらの惨めなさすらい人らは、自分の
周囲を見まわし、何か楽しそうなものが見つかると、 それに専心し執着した。私はといえば、
そんなものに執着することはできなかった。そして、自分の見ているもの以外に 何かあるような
様子が多分にあるのを見て、あるいは神がみずからのしるしを何か残しておられはしないかと
探求したのだ。

私は多くの相反する宗教があるのを見る。ゆえに、一つのほかは、すべて偽りである。おのおのの
宗教はそれ自身の 権威によって信仰を要求し、不信仰者をおびやかす。だから、私はそれらを
信じない。だれでもそういうことは言える。 だれでも自分を預言者と呼ぶことはできる。だが、
キリスト教を見ると、そこには預言が存在する。これはだれにもできない ことだ。

http://james.3zoku.com/kojintekina.com/pascal/pascal693.html
58名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 18:25:07.43 ID:TT/kmgPB
>>3 の 【パスカルの「パンセ」のフランス語原文】

"Les Pensees" par Blaise Pascal --- 693

En voyant l’aveuglément et la misère de l’homme, en regardant tout
l’univers muet et l’homme sans lumière abandonné à lui-même et
comme égaré dans ce recoin de l’univers sans savoir qui l’y a mis,
ce qu’il y est venu faire, ce qu’il deviendra en mourant,
incapable de toute connaissance, j’entre en effroi comme un homme
qu’on aurait porté endormi dans une île déserte et effroyable
et qui s’éveillerait sans connaître et sans moyen d’en sortir.
En sur cela j’admire comment on n’entre point en désespoir d’un si
misérable état. Je vois d’autres personnes auprès de moi d’une
semblable nature, je leur demande s’ils sont mieux instruits que
moi. Ils me disent que non. Et sur cela les misérables égarés,
ayant regardé autour d’eux et ayant vu quelques objets plaisants,
s’y sont donnés et s’y sont attachés. Pour moi je n’ai pu y prendre
d’attache, et considérant combien il y a plus d’apparence
qu’il y a autre chose que ce que je vois, j’ai recherché si ce Dieu
n’aurait point laissé quelque marque de soi.

http://www.harrystaut.fr/2011/09/lecons-de-tenebres/
59名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 18:26:53.09 ID:TT/kmgPB
>>58 【パスカルの「パンセ」のフランス語原文をたくさん収録しているサイト】

http://fr.wikisource.org/wiki/Pens%C3%A9es/%C3%89dition_de_Port-Royal/VIII
60名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 18:50:48.50 ID:TT/kmgPB
【エミール・シオラン(Emile Cioran)の「生誕の災厄」】

Emile Cioran は、ルーマニアで生まれ、フランスで暮らし、フランス語でたくさんの著書を残した
人だが、体系的な哲学を嫌ってはいるけど、哲学的なアフォリズムをたくさん残しているペシミストだ。
彼の「生誕の災厄」(De l'inconvénient d'être né、英訳では
"The Trouble With Being Born")の日本語版を僕は20歳のときに
夢中になって読んだが、それを手放したあともずっとそれは気になっており、彼の言葉はいつも
思い出す。後になってネット上でその言葉の一部を検索したり、英語板やフランス語版をときどき
拾い読みしている。はっきり言って彼の考え方はとことん絶望的だけど、彼ほど正直な人はいない
と僕は思う。僕などは、人に嫌われたくないので、正面を切って彼のような言葉を紡ぎ続けて
生きていくなどということは到底できない。

英語で彼の著書 ("The Trouble With Being Born") を紹介しているサイト
http://www.goodreads.com/work/quotes/580808-de-l-inconv-nient-d-tre-n

彼の著書は、とてもじゃないけど日本語版を揃えて手元に置いておく度胸がない。僕が死んだあとに
それを手に取った人がどう思うかを考えると、できない。さらには、僕自身が彼のああいう文章
ばかりを日本語で読み続ける気力もない。
61名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 18:51:28.78 ID:TT/kmgPB
>>60 の続き

英語やフランス語でなら、いくらかクッションがあって、
僕自身も楽だし、英語版やフランス語版の本が僕の本棚にあることが見つかっても、あまり
人は絶望しないだろうという一種の「逃げ」の動機が僕にはある。さらにはやはり、僕はやはり、
すでに言ったように、好きなものを好きなだけ読むなんてことは後ろめたくてできないのだ。

やはり、読みたい本があっても、日本語で楽をして読む気にはなれない。好きなことを
楽に行うことができない。好きなこと、好きな本があれば、それをせめて英語で苦労して読めば、
少なくともその英語を身に付けることによって僕は世間に対して申し訳が立つ。そういうわけで、
僕は外国の文学書や哲学書や教養書を、読みたいからと言ってそのまま日本語訳では読む気に
どうしてもなれない。じゃあ、ロシア語のものはロシア語で読むのか。チベット語のものは
チベット語で読むのか。そう言われると困るが、せめて英語で読み、苦労せねばならぬと
思っている。

英語がネイティブ並みに読めるわけじゃないのに、それでもそのようにしてしまう。
だから僕は、読んだ本の数があまりにも少ないのだ。いまだに古今東西の必読書のうちの
ごくごく一部しか読んでいない。それでも、25歳くらいまでは、英語がろくに読めなかった
ので、さすがに世界中の古典を片っ端から読み続けるなんてことはできなかった。だから
そのころまでは、日本語でも読んでいた。でも、苦労してでも、少しずつしか読めなくても、
英語の原書または外国語から英語への訳書で読もうとしていた。
62必殺翻訳人:2014/05/21(水) 20:40:11.11 ID:P4LxUUbw
あー、長文で対応されちゃったよ。

スレ主さんの意向を変えることは最初から無理だろうと思っていた。
前に2ちゃんに書き込むようになった経緯が書かれていたから。
>>46のレスは「もっと多くの人に読まれないのが残念」という単なる
感想、つぶやきにすぎない。
長文のレスを誘発させることになってちょっと恐縮。

スレ主さんのペースと量には永久に追いつけそうにない。
最初の方から順に、気になるレスにコメントとか感想とかを書き込んで
いこうと当初思っていたが(それでパスカルから始めたわけだ)。

おいらもおいらなりに忙しい(生活費をかせぐことはもちろん、ボランティア
活動的なこともやってるからね)。
いろいろ書きたいことはあるが、もう諦めて、これからは単発的に思いついた
ことをポツポツと書き込ませていただくことにしよう。
63必殺翻訳人:2014/05/21(水) 20:49:15.41 ID:P4LxUUbw
それにしてもうかつな話であった。
前に文学板で、ヴァージニア・ウルフについて原文を引用しつつ
語っている人がいて、2ちゃんにしては珍しい人がいたもんだと思い、
しばらくして、ここのスレ主さんが書いていたことに気がついた次第。
英語で読める人なんかそうそういるはずがないから、もっと早く
気づいて当然だった(笑)。
64名無しさん@英語勉強中:2014/05/21(水) 21:02:44.81 ID:TT/kmgPB
>>62-63
いろいろとありがとう。僕の書く回数と量は、やはり大多数の人とはまるで違ってるね。
暇人だと言われても仕方がない。しかし僕は、現実の人と接触することがほとんどなく、
接触したとしても、どうせ僕の本音の話なんて誰も聞かないから、結局はネット上で
書くことになるんだよね。

僕が現実生活の中で人と会うと、いつも僕は、相手が好みそうな話題ばかりを提供する。
僕は、決して話下手ではなく、けっこう話題が豊富なのだ。すると相手は喜んでくれる。
しかし、いくら相手が喜んだところで、僕自身は退屈で仕方がない。なんせ僕の本音だけじゃ
なく、英語や文学や哲学の話題にさえまったく触れることができないから、こっちとしては
退屈なだけ。だから自然と相手から僕は離れていく。しかし、相手はまさか僕がその相手との
付き合いに退屈を感じているなどとは思っていないらしい。
65必殺翻訳人:2014/05/22(木) 20:13:53.29 ID:6N2byBVS
>>64
あなたのペースについていける人は文学板にも英語板にもまずいないでしょう。
それでも書かずにはいられないだろうからしようがない。
いわゆる「業」というやつで、詩を書くならその人は「呪われた詩人」と
呼ばれることになる。
ごくまれにそういう人がいるのは知っているが、ネットでこういう風に遭遇
するのは初めてだ。
(続く)
66必殺翻訳人:2014/05/22(木) 20:31:51.18 ID:6N2byBVS
(続き)
では、相手となる人間はどうか。
このスレ主さんのスレに書き込みをする可能性のある人間についてちょっと
考えてみた。
いわゆる「ガイブン読み」(海外文学または外国文学の読者)は、書評誌
『本の雑誌』などによると、2000人程度であるらしい。
(だから、出版社はこの数字を土台にして販売戦略その他を検討するらしい)

この2000人のうち、いくらかでも英語で原文を味わえる人はどれぐらいだろうか。
英検1級程度の英語力は必要だろう。そうすると、せいぜい10人に1人ぐらい
だろうか。いや、おそらくもっと少ないだろう。
従って、2000人のうちの1割の、そのまた半分としよう。
すなわち、100人ぐらい。
この中には、大学教授、准教授、そのまた手前の研究者が含まれるだろう。
しかし、こういった人々は2ちゃんに書き込まないだろう。新規な見解は
自分の論文のためにとっておくだろう。自分の身元がバレルのも恐れるだろうし。
これらの人々を除外すると、最終的に数十人ぐらいになるか。

(この中にはプロの翻訳家や編集者が含まれている。
そうすると、アマチュアで、ハーディやディケンズ、ヴァージニア・ウルフなど
を読み、原文も一応味わえる人というのは本当に限られた人間になる。
都内でオフ会でもすれば、あの書き込みは誰々とすぐに特定されそうである(笑))。

というわけで、このスレに書き込む可能性のある人は日本全国で数十人。
これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれ。
おいらは、まあ、こんなものかなあ、と特に悲観もうれしがりもしないけれども。
67名無しさん@英語勉強中:2014/05/22(木) 20:47:49.71 ID:NTIIMXP9
>>66
必殺翻訳人さんが >>66で言ってくれたような意味でも、僕はすぐに他人に特定されてしまう。
そして、それだけでなく、僕には実にいろんな強烈な特徴があるんだよね。風貌、性格、生活態度、
仕草、声の大きさ、過去のいろいろな体験、親兄弟や元の配偶者のプロフィール、などなど。
すべてに特徴がありすぎる。

といえば、「そんなもん、誰にだって特徴はある」と言われそうだが、僕の場合は何もかも強烈
な特徴なのだ。だから、何もかもすべてをぼかしてここでは書いている。思いっきり僕のいろんな
特徴をぼかしているつもりだけど、それでもボロボロと特徴のごく一部が漏れ出てしまう。それら
すべてを総合すると、やはり僕は特定されてしまいそうだ。それが実に怖い。

何が怖いかというと、すでにこれも言った通り、僕自身は別に法律に触れることはやったことが
ないので、その点は心配ない。ただ、たくさんの恥ずかしいこと、他人の大多数は「きちがい」
としか見てくれないようなことをいろいろとやってきた。その「きちがい」と呼ばれるような行動は、
決して誇張ではなく、僕を本物の「きちがい」だと思っている人がけっこういるのだ。

そして、そういう僕が特定されてしまうと、僕自身は僕だけがその屈辱に耐えればいいんだけど、
僕と血のつながった家族や親せきや、僕と深く関わりを持った人たちが職業上あるいは私生活で
多大な迷惑をこうむることがありうる。現に僕や僕の家族も、かつて僕の親戚の一人が
少し変なことをやらかしたため、職業上の問題を含めて迷惑をこうむった。
これと同じような迷惑を、僕のせいで誰かにかけてしまうのではないかと恐れている。

そしてそう言いながらも、僕は書き続けないではいられないのだ。安楽死が合法化され、
冷静に死ぬことを選んだ人は誰でも安楽に死ぬことのできる日が仮に来たら、
僕は自らに安楽死を与えるだろう。そうすれば、僕は人にこれ以上は迷惑をかけずに
すむし、第一、僕自身の毎日の(大げさを言ってすまんけど)阿鼻叫喚の地獄も終わる。
68名無しさん@英語勉強中:2014/05/23(金) 10:03:25.48 ID:E1P8ztYB
【男は暴力的、女は残忍】

女はよく男を暴力的だと言う。
残酷、冷酷、残虐だと言う。
それにはまったく同感だ。
男に生まれてきた僕は
それを本当に申し訳なく思う。

数千年、いや、もしかしたら
数十万年にわたって
男は女を残虐に扱ってきたのだろう。
その最たるものが強姦である。
そういう夥(おびただし)い暴力の数々に
押しつぶされてきて
現在の女たちがいる。

その女たちの姿は残忍で冷酷である。
男たちと同じように残虐で暴力的である。
そうでないと女は子孫を残せなかったろう。
そもそも子孫を残したものだけが
自分の遺伝子を後世に伝えることができる。
だからいま存続している人間たちは
残虐で冷酷で無神経な男女の遺伝子が集積した結果だ。

(続く)
69名無しさん@英語勉強中:2014/05/23(金) 10:08:12.82 ID:E1P8ztYB
(続き)


男は女を強姦する。
無神経で残虐で冷酷で暴力的だからこそ、
そんなことをやりおおせる。
結婚した幸せそうな男女がベッドに入る。
その行為も、強姦と大して違いはしない。
男女が互いを強姦し合っていると言ってもいい。

強姦行為に代表されるような残忍性を持った男たちに対して、
女たちも残虐な行為を繰り返してきた。
それは出産である。
自分が親たる資格がないとわかっていながら、
いや、それをまるで意に介することなく、
いや、自分が立派な親となりうると無邪気に信じ込み、
生れたくないと思っているかもしれない子供たちを
犬のように大量生産してきた。
出産は強姦と同じく残虐で無神経で暴力的な行為だ。

(その3に続く)
70名無しさん@英語勉強中:2014/05/23(金) 10:09:40.27 ID:E1P8ztYB
(その3)

その残虐性に気づかないでいられるような人間でありたかった。
そうすれば、少しは楽しく生きていけたろうに。
少しは楽しくセックスできたろうに。
大らかに恋愛できたろうに。
僕は、人を愛するとき、
常に罪悪感を感じていた。
愛というもののエゴイズムを
常に意識しないではいられなかったから。
愛すること、セックスすることが
恐ろしくてたまらなかった。
しかしそれでも
愛さないではいられなかったし、
好きなタイプの女性との
精神的・肉体的な結合を求めないではいられなかった。
71名無しさん@英語勉強中:2014/05/23(金) 19:37:15.02 ID:E1P8ztYB
【仕事が舞い込んだ】

何日か仕事がなくて、そのあいだは、寝ている時間以外は常に Jane Austen の小説や、
英詩を読んだりして過ごしていた。そこで今日、昼ごろに仕事が舞い込んだ。電気や機械に
関係する文書だけど、いつも文学ばかり読んでいるよりもこういう仕事もした方がよかろうとも思う。
何が幸いするかはわからないものだ。まあ、産業界が大嫌いな僕だけど、それでも無理やりに
自らを鞭打って産業界に身を投じ、無理やりに、僕としてはよくはわからない科学技術や法律や
経済の世界の言葉を追いかけて生きてきたんだけど、まあこれでよかったと考えることにしよう。
72名無しさん@英語勉強中:2014/05/23(金) 20:30:45.59 ID:E1P8ztYB
【時計を見る狂人】

ここで紹介する文章も、やはり僕が高校2年生くらいに初めて読んだ文章だ。これを収録した
萩原朔太郎の随筆集1冊を、実に真剣に読んだ。それ以来、再び通読はしなかったけど、
あちこちをいつも拾い読みする。「時計を見る狂人」は、まさに僕自身の姿だ。

****************************

 時計を見る狂人

 或る瘋癲(ふうてん)病院の部屋の中で、終日椅子の上に坐り、爲(な)すこともなく、
毎日時計の指針を凝視して居る男が居た。おそらく世界中で、最も退屈な、「時」を持て餘して
居る人間が此處に居る、と私は思つた。ところが反對であり、院長は次のやうに話してくれた。
この不幸な人は、人生を不斷の活動と考へて居るのです。それで一瞬の生も無駄にせず、
貴重な時間を浪費すまいと考へ、ああして毎日、時計をみつめて居るのです。何か話しかけて
ご覽なさい。屹度(きっと)腹立たしげに呶鳴るでせう。「默れ! いま貴重な一秒時が
過ぎ去つて行く。Time is life! Time is life!」と。

(萩原朔太郎「宿命」より)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1790.html
73名無しさん@英語勉強中:2014/05/24(土) 07:29:21.72 ID:OzuAyhfA
次の一節も、高校時代から今まで、何度も何度も思い出す言葉だ。

***************

兄さんが突然後うしろから私の肩をつかんで、「君の心と僕の心とはいったいどこまで通じていて、
どこから離れているのだろう」と聞いたのは。(中略)私は平生から兄さんを思索家と考えていま
した。いっしょに旅に出てからは、宗教に這入はいろうと思って這入口はいりくちが分らないで
困っている人のようにも解釈して見ました。(中略)
「Keine Bruecke fuehrt von Mensch zu Mensch.(人から人へ掛け渡す橋はない)」
(中略)すると兄さんは、「そうだろう、今の君はそうよりほかに答えられまい」と云うのです。
(中略)「自分に誠実でないものは、けっして他人に誠実であり得ない」(中略)
「君は僕のお守もりになって、わざわざいっしょに旅行しているんじゃないか。僕は君の好意を
感謝する。けれどもそういう動機から出る君の言動は、誠まことを装よそおう偽いつわりに過ぎない
と思う。朋友ほうゆうとしての僕は君から離れるだけだ」
 兄さんはこう断言しました。そうして私をそこへ取残したまま、一人でどんどん山道を馳かけ下りて
行きました。その時私も兄さんの口を迸ほとばしる Einsamkeit, du meine Heimat
Einsamkeit !(孤独なるものよ、汝はわが住居すまいなり)という独逸語を聞きました。

(夏目漱石「行人」)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/775_14942.html
74名無しさん@英語勉強中:2014/05/24(土) 10:07:18.47 ID:OzuAyhfA
【怖いくらいに楽しかった思い出?】

むかし親しくしていた人が言っていた。「私の子供のころ、怖いくらいに楽しい思いをしたことがよくあった」
その人は思春期に入ってから、実は辛いこともたくさんあるということに気づいたらしい。
しかし、そういう人が成長してからいくら辛い思いをしても、幼少のときに「怖いくらいに楽しい思い」を
したことがあるわけだから、それをバネにして結局は強く生きていくことになるだろう。実際、その
人はそういう感じで、辛いことは確かにたくさんあるけれども、何が何でも生き続けたいと思うタイプの
人だった。

僕は、「怖いくらいに楽しい思い」なんてしたことが一度もない。それどころか、普通の楽しみさえ
あまり感じたことがない。楽しみといえば、知識を習得して、さんざん苦労したあとにほんの少しだけ
自分が前に進んだと感じたときに感じるものだった。

僕にとって人生とは、断じて楽しいところではなかった。幼少時代は、退屈か恐怖か不安か悲哀
だけの毎日だった。とはいえ、子供のことだから、それなりには楽しかった。しかしその楽しみは、
いつぶち壊され、恐怖と不安に突き落とされるかわからないものだった。親はいつも怒号を
張り上げているか、物を壊しているか、泣いているか、不平や愚痴を言っているかのいずれか
だった。楽しそうに笑っているときもあったが、その笑いはいつ怒りに変わるかわからなかったので、
僕はいつも親の顔色を窺っていた。
75名無しさん@英語勉強中:2014/05/24(土) 10:09:58.05 ID:OzuAyhfA
>>74 の続き


人生は、極端な退屈と悲哀と不安と恐怖に耐えることであり、それに耐えながら何かに対して
命がけで取り組んで、その努力の結果としてわずかに楽しみというご褒美をもらう場所だ。
断じて楽しむところではない。僕にとっての人生は、そういう場所だった。何もしなくても
楽しみの方が追っかけてくれるなんてことは、もちろんなかった。それどころか、いくら努力しても、
通常の、たとえば物を食べる楽しみや恋愛の楽しみやみんなで遊ぶ楽しみなんてものは
得られなかった。

そういう僕にとっては、学問や芸術に対して命がけで取り組み、気が狂う一歩手前までがつがつ
勉強して、やっとの思いで身についたほんのわずかの知識を使って、ごくわずかの知的な
楽しみを獲得することだけが、この地獄のごとき人生を何とか天寿を全うするまでのあいだ
生き続け、何とかぎりぎり発狂も自殺もせず、殺人も犯さずに最後の日を迎えるための
方法だった。

僕が最もきらいな言葉は、
親、娯楽、楽しみ、食事、子供。

食べたりテレビを見たりしていると、猿になったような気分がして、イライラしてくる。
76名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 09:24:12.74 ID:Dgj49DHV
【The Cambridge Grammar of the English Language (Rodney Huddleston et al.】

上記の本は、ほんの1年ほど前に買ったばかりだし、通読したことがないだけでなく、ときどき
拾い読みしかしないのだが、実に素晴らしい本だと思う。とても重い、2,000ページほどあるし、
2万円以上もするし、1ページあたりの文字数もかなり多い。Quirk et al. も素晴らしい本だと
思うが、この二冊は、いずれは通読したいもんだ。ただ僕は文法書を読むのはあまり好きではなく、
今までに通読したことのある文法書は、安藤貞雄「現代英文法講義」だけだ。

ともかく、上に挙げた3冊の本は、どれも実に素晴らしく、この英語板での質問に答えるときでも、
よくこの三冊は引き、解答のときに大いに引用している。それにしても、2,000ページはきつい。
77名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 13:15:24.71 ID:Dgj49DHV
【恋や愛について】

恋や愛ほど美しいものはない。それは人生の苦しさや恐ろしさや暗黒部分をすべて忘れさせてくれる。
無意味な人生を、あたかも意味があるかのように錯覚させてくれる。麻薬のようなものだ。
このときの「愛」には、もちろん親子・夫婦・兄弟の愛や友情や人類愛などもすべて含まれる。

ところが、恋や愛ほど恐ろしいものもない。無意味なものに意味があるかのごとく錯覚させ、
その対象に対して命を捨てることさえ意味があると思わせ、相手のために全人生が狂ってしまう。
そして一生は、奴隷として暮らさなければならなくなる。その恋とか愛がさめたときに再び
その対象である人間や物を見直してみると、実に下らないものであることに気づく。

しかし、人間は恋したり愛したりすることをやめることができない。僕自身も、やめられない。
そして死ぬまで呻吟し続け、恋心や愛情のゆえに呪縛されたままなのだ。
78777 ◆TFWBMdHdF7zL :2014/05/25(日) 19:06:54.68 ID:O4OM6hsg
Friedrich Nietzsche
Ecce homo
Wie man wird, was man ist

http://www.gutenberg.org/cache/epub/7202/pg7202.html

Warum ich so klug bin.

10.
An dieser Stelle thut eine grosse Besinnung Noth.
Man wird mich fragen, warum ich eigentlich alle diese kleinen und
nach herkömmlichem Urtheil gleichgültigen Dinge erzählt habe;
ich schade mir selbst damit, um so mehr, wenn ich grosse Aufgaben zu vertreten bestimmt sei.
Antwort: diese kleinen Dinge Ernährung, Ort, Clima, Erholung, die ganze Casuistik
der Selbstsucht - sind über alle Begriffe hinaus wichtiger als Alles,
was man bisher wichtig nahm. Hier gerade muss man anfangen, umzulernen.
Das, was die Menschheit bisher ernsthaft erwogen hat, sind nicht einmal Realitäten,
blosse Einbildungen, strenger geredet, Lügen aus den schlechten Instinkten kranker,
im tiefsten Sinne schädlicher Naturen heraus alle die Begriffe "Gott", "Seele", "Tugend",
"Sünde", "Jenseits", "Wahrheit", "ewiges Leben"…
Aber man hat die Grösse der menschlichen Natur, ihre "Göttlichkeit" in ihnen gesucht…
Alle Fragen der Politik, der Gesellschafts-Ordnung, der Erziehung sind dadurch
bis in Grund und Boden gefälscht, dass man die schädlichsten Menschen für grosse
Menschen nahm, - dass man die "kleinen" Dinge, will sagen die Grundangelegenheiten
des Lebens selber verachten lehrte…
Unsre jetzige Cultur ist im höchsten Grade zweideutig…
79名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 19:54:33.48 ID:Dgj49DHV
>>78
手元に「独和」辞典がないので、Oxford の German-English Dictionary のオンライン版を
使って、訳せるところまで訳してみる。英語訳ということで。

(1) Ecce homo === Look at this man!
(2) Wie man wird, was man ist === How one becomes, what one is.
(3) Warum ich so klug bin. === Why I am so clever (bright, intelligent, wise)
(4) An dieser Stelle thut eine grosse Besinnung Noth.
=== 直訳すると、"In this place, one big consciousness need does."
(thut は tut つまり tun という動詞の三人称単数現在だと解釈した。Noth は Not のことだと解釈した。)
この (4) は、「ここに、注意(注目)すべき大いなる必要性がある」という意味だろうか?

(5) Man wird mich fragen, warum ich eigentlich alle diese kleinen
und nach herkömmlichem Urtheil gleichgültigen Dinge erzählt habe;

=== "wird" は "(he) becomes" という意味だということはわかるが、ここでは
どういう意味になるんだっけ?忘れた。一応、"Man wird mich fragen" は
"One comes to ask me" というような意味だと解釈しておく。
そのあとの "warum ich eigentlich 云々" を訳してみる。
"why I have really asked all these little things that are trivial
(または indifferent) to traditional judgment"

つまり、(5) の全体は、次のような意味になろうか?
人は私に次のようなことを尋ねてくる。「なぜあなたは(本当に)従来の判断からすればどうでもいい
(下らない)ささいなことを問題にしたのか?」と。
80名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 20:09:12.97 ID:Dgj49DHV
>>78
当然のことながら、辞書を引かなかったら、さっぱりわからん。いや、辞書を引いても、ろくにわからんけど。

(6) ich schade mir selbst damit, um so mehr,
wenn ich grosse Aufgaben zu vertreten bestimmt sei.

=== schaden は "to damage, to harm" という意味なので、"ich schade mir selbst damit"
は "I do myself harm with it" というような意味だと解釈しておこう。"um so mehr" は
"all the more"(その分だけいっそう)というような意味かな?Aufgabe は task, question,
problem というような意味。vertreten は、"to act for, to represent, to support"
という意味。bestimmt は、"particular, certain, definite, firm"。そうすると、
wenn ich grosse Aufgaben zu vertreten bestimmt sei.
これは、"if I am sure to support (または to represent) big tasks"
ということになろうか?すると (6) の全体の意味は、次のような感じかな?

和訳の試み: もし私が大きな仕事(問題)に確実に取り組むとしたら、より一層、自分の立場が危うくなるのだ。
*********

なお、僕はドイツ語を勉強していたのは何十年も前で、それからはまるで勉強していないので、
かなり忘れている。
81名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 20:26:24.77 ID:Dgj49DHV
>>78 【Friedrich Nietsche の "Ecce Homo"(この人を見よ)をドイツ語で解読できるかな?】

(7) Antwort: diese kleinen Dinge Ernährung, Ort, Clima, Erholung,
die ganze Casuistik der Selbstsucht
- sind über alle Begriffe hinaus wichtiger als Alles,
was man bisher wichtig nahm.

=== Ernährung は "feeding, diet" という意味。Ort は、"place, village, town"。
Erholung は、"recovery, rest"。Sucht が addiction という意味だけど、
Selbstsucht というのは self-addiction という意味か?いったいそれはどういう意味かな?
自分の問題にこだわっているということかな?Casuistik は英語にもある言葉だが、
「詭弁、こじつけ」とでも訳しておこう。Begriff は、"concept, idea”。
"ueber etwas (Akk.) hinaus" は "in addition to" という意味。
bisher は、"until now"。さて、単語の意味は一応はわかったから、(7) の全体を
和訳してみる。けっこう構文が単純なので、僕でも何とか訳せる。

Antwort: diese kleinen Dinge Ernährung, Ort, Clima, Erholung,
答え:これらの小さな事柄、つまり食事、場所、気候、休憩、
die ganze Casuistik der Selbstsucht
自分の問題にこだわることについての詭弁(こじつけ)のすべて
- sind über alle Begriffe hinaus wichtiger als Alles, was man bisher wichtig nahm.
-- それらは、あらゆる考えに加えて、人が今まで重要だと考えてきたあらゆることにもまして重要だ。

わお、今までのところは、何とか訳せたぞ。
82名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 20:50:01.86 ID:Dgj49DHV
>>78
(8) Hier gerade muss man anfangen, umzulernen.

gerade は、"straight, upright, forthright, direct"。
anfangen は、"to begin, to start"。
umlernen は、わからん。lernen なら "to learn" だから、"umlernen" も
同じような意味だと解釈しておこう。というわけで、

全体の和訳: ここで単刀直入に、人は事情を探り始めるに違いない。

(9) Das, was die Menschheit bisher ernsthaft erwogen hat,
sind nicht einmal Realitäten, blosse Einbildungen, strenger geredet,
Lügen aus den schlechten Instinkten kranker,
im tiefsten Sinne schädlicher Naturen heraus alle die Begriffe "Gott",
"Seele", "Tugend", "Sünde", "Jenseits", "Wahrheit", "ewiges Leben"…

Menschheit は、"mankind, human race"。bisher は、"until now"。
ernsthaft は、"serious"。erwogen は、わからん。wogen ならば intransitive
verb で、"to surge" という意味。bloss は、"naked, mere" という意味。
Einbildung は、imagination とか fantasy という意味。
geredet は、わからん。Luegen は、Luege (= a lie) の複数形。schlecht は、
bad とか poor という意味。tief は、deep という意味。Sinne は、Sinn (= a sense)
の複数形。schaedlich は、harmful という意味。heraus は out という意味。
Begriff は、idea とか concept という意味。Tugend は、virtue という意味。
Suende は misdeed, sin という意味。Jenseits は、hereafter, beyond という意味。
"das Jenseits" は名詞で、たぶん「あの世」という意味かな?ewig は、eternal という意味。
ということで、単語はすべて理解できた。(あやふやなところもあるだろうけど。)
83名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 20:57:48.50 ID:Dgj49DHV
>>78
というわけで (9) の和訳をしてみる。

(9) Das, was die Menschheit bisher ernsthaft erwogen hat,
人類が今まで真剣に発展させてきたことは、

sind nicht einmal Realitäten, blosse Einbildungen, strenger geredet,
現実、単なる空想、強い geredet(?)、

Lügen aus den schlechten Instinkten kranker,
病める邪悪な本能から出てくる嘘、

im tiefsten Sinne schädlicher Naturen heraus alle die Begriffe "Gott",
「神」という概念の全体から出てくる有害な性格を持つ深い感覚において、

"Seele", "Tugend", "Sünde", "Jenseits", "Wahrheit", "ewiges Leben"…
「魂」、「徳」、「罪」、「未来(あの世?)」、「真理」、「永遠の命」・・・
84名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 21:05:08.09 ID:Dgj49DHV
>>78
(10) Aber man hat die Grösse der menschlichen Natur,
ihre "Göttlichkeit" in ihnen gesucht…

*************

German-English Dictionary には、次のような熟語を載せている。
● die Größe der Katastrophe = the [full] extent of the catastrophe

gesucht は、suchen の過去分詞。だからこの (10) の全体の和訳は、次のようになるだろう。

(10) Aber man hat die Grösse der menschlichen Natur,
しかし人は、人間性の全体を、

ihre "Göttlichkeit" in ihnen gesucht…
つまりその「神性」を模索してきたのだ。
85名無しさん@英語勉強中:2014/05/25(日) 21:09:52.20 ID:Dgj49DHV
>>78
あと、次の数行だけ残っている。もし明日、時間と気力があったら、訳してみる。
ニーチェの文章って、僕みたいなドイツ語文法の初級の部分をほとんど忘れている人間にとってさえ、
辞書さえ引けば、何とかぼんやりとした意味だけはわかるということがわかった。
そういえば、Goethe の "Faust" もやはり、辞書を丹念に引きさえすれば、今の僕でさえ、
一応は読めそうな部分が多いみたいだ。

★まだ訳していないドイツ語原文★
Alle Fragen der Politik, der Gesellschafts-Ordnung, der Erziehung sind dadurch
bis in Grund und Boden gefälscht, dass man die schädlichsten Menschen für grosse
Menschen nahm, - dass man die "kleinen" Dinge, will sagen die Grundangelegenheiten
des Lebens selber verachten lehrte…
Unsre jetzige Cultur ist im höchsten Grade zweideutig…
86名無しさん@英語勉強中:2014/05/26(月) 07:23:25.80 ID:w/yPPXOj
【朝、起きると、すでに疲れている -- 人生は闘いだ】

僕は20代のときから、朝起きたときからすでに疲れていた。さわやかな目覚めなんてものは
なかった。なぜかというと、いつも、起きている時間は一秒たりとも無駄にせず、いつも
がつがつと勉強していたからだ。

サラリーマンをしていたときも、同僚同士が隣の席の人と
無駄話をしている数分間にも、僕はがつがつと仕事をするふりをしながら、実は工業や商業関係の
専門用語辞典に出てくる英語・フランス語・ドイツ語そしてその他ありとあらゆる言語の単語を
頭に詰め込もうと躍起になっていた。席を立ってトイレに行けば、トイレまで歩く道すがら、そして
便器の前で、そして手を洗いながら、フランス語やドイツ語やラテン語やギリシャ語の単語を
つぶやいていた。

食事の時間として1時間が与えられていたとはいえ、休んだことなんて一度もない。決して
同僚とはいっしょには食事をしなかった。誰かと一緒に行動しようものなら、下らない話に
付き合わされる。時間がもったいない。僕には、広大無辺な学問と芸術の世界に飛翔する
という遠大な使命があるのだ。

だから、起きている時間、目が開いている時間は、一秒たりとも頭をからっぽにしたことがなかった。
会社から帰るときの電車の中では、もちろんラテン語やフランス語やアラビア語や中国語、
そして時には韓国語や、それからいろんな言語をかじっていた。残念ながら、すべての
言語がモノになったわけじゃないが、ともかくがむしゃらだった。

だから僕は、寝ている時間だけしか休息の時間がなかった。寝床についたときは、いつも
へとへとだった。そして、朝、目覚めると、昨日の勉強の疲れがどっと出るので、
目覚めたときからすでに疲れていた。

(続く)
87名無しさん@英語勉強中:2014/05/26(月) 07:23:53.90 ID:w/yPPXOj
(続き)【人生は闘いだ】

17歳くらいのときから(もしかしたらもっと以前から)、還暦前後の今まで、この何十年ものあいだ、
僕はずっとそうだった。

そして今日も、朝からすでに疲れている。そして、お金を稼ぐための仕事についたときは、
仕事なんてする気になれないくらいに疲れている。だから僕は、サラリーマン時代には
怠け者だと思われていた。9時ぎりぎりにしか出社しないし、5時を過ぎるとすぐに走るように
帰宅する癖に、いつも疲れたと言っていたので、僕はいつも嫌味を言われていた。
仕事をしてないのに疲れるはずがない、というのが彼らの言い分だった。

僕に言わせれば、仕事だけなら疲れることなんてない。本当に大変なのは、仕事の合間を縫って
学問と芸術の奥深い世界の本質をつかまえることだった。人生の本質、人間の本質を体得すること
が、本当に大変なのだ。その遠大な使命に押しつぶされそうになりながら、僕は思春期のときから
今までの40年以上にわたって、猪突猛進してきたのだ。

疲れた。こんなことは本当にやめてしまいたい。とはいいながら、やはり続けてきた。
今も疲れている。朝なのに、仕事をする前から、すでに疲れている。仕事の合間に、
その合間を縫って、一瞬たりとも無駄にせず、古典文学や幾多の外国語に命がけで
取り組まねばならぬのだ。

僕の人生に休息などというものはない。休息は、そして本当の幸せは、死んだあとにある。
死んだあとにいくらでも休める。死んだあとにいくらでも幸せをかみしめることができる。
それまでは苦闘だ。

Leben ist Kampf! (人生は闘いだ。)
88777 ◆TFWBMdHdF7zL :2014/05/26(月) 07:44:27.64 ID:QgD5PhGA
TheThe question will be asked of me why I actually have brought
up these small and, according to traditional judgment, quite
insignificant things: I hurt myself thereby, all the more so if I am
destined to assume great tasks. Answer: these small things ―
nutrition, locality, climate, recreation, the entire casuistry of
selfishness ― are inconceivably more important than everything that
has hitherto been considered important. Precisely here one must
begin to learn anew. Those things which mankind has seriously
considered heretofore are not even realities, merely fancies, more
strictly speaking, lies, arising from the bad instincts of sick, in the
deepest sense destructive, natures ― all the concepts of “God,” “soul,”
“virtue,” “sin,” “the beyond,” “truth,” “eternal life”...
But what was sought in them was the greatness of human nature,
its “divinity”...All questions of politics, of social organization,
of education have been falsified down to the ground and ground-floor
because the most destructive men have been taken for great men,
because people were taught to despise the “little” things,
meaning the fundamental affairs of life itself...
If I now compare myself with the men who have heretofore been honored
as the foremost among men, then the difference is obvious.
I do not even count these alleged “foremost ones” as men in general
― to me they are the refuse of humanity, products of sickness and vengeful instincts:
they are absolutely pernicious, fundamentally incurable monsters taking their revenge
upon life...I want to be the opposite of this: it is my privilege to have
the highest acuteness with respect to all the signs of healthy instincts.
89名無しさん@英語勉強中:2014/05/26(月) 16:35:47.34 ID:w/yPPXOj
>>88 とは別の英訳もあるな。
10
The question will be raised why I should actually have related all
these trivial and, judged according to ordinary standards,
insignificant details. I would seem to be hurting my own cause, more
particularly if I am destined to assume great tasks. I rep ly that
these trivial details-diet, locality, climate, recreation, the whole
casuistry of self-love-are inconceivably more important than
everything men have hitherto considered essential. It is just here
that we must begin to learn afresh. All the things men have valued
with such earnestness heretofore are not even realities; they are
mere fantasies, or, more strictly speaking, lies arising from the
evil instincts of diseased and, in the deepest sense, harmful
natures-all the concepts, "God," "soul," "virtue, "sin," "Beyond,"
"truth," "eternal life." And yet men sought in them for the greatness
of human nature, its "divinity. All questions of politics, of the
social order, of education, have been falsified from top to bottom,
because the most harmful men have been taken for great men, and
because people were taught to despise the "details," more properly,
the fundamentals of life. If I now compare myself with those creatures
who have hitherto been honored as the first among men, the difference
becomes obvious. I do not consider these so-called "first" men as
human beings-for me they are the excrement of mankind, the products
of disease and the instinct of revenge: they are so many monsters,
rotten, utterly incurable, avenging themselves on life. . . . I would
be their very opposite. It is my privilege to be extremely sensitive
to any sign of healthy instincts.
http://nietzsche.holtof.com/Nietzsche_ecce_homo/eh2.html

(Friedrich Nietzsche, "Ecce Homo")
90名無しさん@英語勉強中:2014/05/26(月) 16:58:01.77 ID:w/yPPXOj
>>89 の続き。Nietzsche のドイツ語原文のことは知らないけど、少なくとも英訳は読みやすいな。

There is not a morbid trait in me; even in times of serious illness I
have never become morbid; you will look in vain for a trace of
fanaticism in my nature. No one can point out -I single moment of my
life in which I have assumed either an arrogant or a pathetic attitude
. Pathetic attitudes do not belong to greatness; he who needs
attitudes is false. . . . Beware of all picturesque men t Life came
most easily to me when it demanded the greatest labor from me. Whoever
could have seen me during the seventy days of this autumn, when,
without interruption, with a sense of responsibility to posterity, I
performed so much work of the highest type-work no man did before or
will do after m@would have noticed no sign of tension in me, but on
the contrary exuberant freshness and gayety. Never have my meals been
more enjoyable, never has my sleep been better. I know of no other
manner of dealing with great tasks than as play: this, as a sign of
greatness, is an essential prerequisite.
91名無しさん@英語勉強中:2014/05/26(月) 16:58:45.64 ID:w/yPPXOj
>>90 の続き 【Ecce Homo】

The slightest constraint, a
gloomy appearance, anv hard accent in the voice -all these things are
objections to a man, but how much more to his work! . . . One must
have no nerves. . . . Even to suffer from solitude is an objection-
the only thing I have always suffered from is "multitude," the
infinite variety of my own soul. At the absurdly tender age of seven,
I already knew that no human speech would ever reach me: did any one
ever see me disconsolate therefor? To-day I still possess the same
affability towards everybody, I am even full of consideration for the
humblest: in all this there is not an ounce of arrogance or contempt.
He whom I despise divines the fact that I despise him; my mere
existence angers those who have bad blood in their veins.
http://nietzsche.holtof.com/Nietzsche_ecce_homo/eh2.html
92名無しさん@英語勉強中:2014/05/26(月) 17:11:59.93 ID:w/yPPXOj
【Nietzsche が Everyman's Library に入っていない】

僕は Everyman's Library のシリーズが大好きで、2年ほど前から集めている。このシリーズの
数は知れていて、全部合わせてもたぶん500冊くらいにしかならない。そのせいもあるだろうけど、
かなり有名な名著でもこのシリーズに入っていないものがたくさんある。

たとえば、今ここで話題になっている Nietzsche。せめて "Also Sprach Zarathustra" (Thus Spake
Zarathustra" くらいは入れてほしい。それから、Schopenhauer を一冊でもいいから
入れてほしい。二人とも、哲学者であるだけでなく、名文家であり、文学者だと言ってもいい。
Kierkegaard や Voltaire や Rousseau が入っているのだから、ちゃんとこの二人を
いずれは入れてほしいもんだ。
93必殺翻訳人:2014/05/27(火) 20:46:06.57 ID:zFpR6/Wb
>>78で、777がどういう意図でニーチェの文章を掲げたのかよくわからないが、
スレ主さんの世界観、人生観とニーチェの思想は方向性が正反対だね。
94必殺翻訳人:2014/05/27(火) 20:48:36.90 ID:zFpR6/Wb
■再びパスカルについて。

>>57
>>3の英文に対する日本語訳を掲げてくれてありがとう。

しかし、最後の「私は多くの〜」の段落の文章は、うーむ・・・。

おいらがパスカルを読まないできたのは、昔何かの一節で、パスカルの論法が
「キリスト教ありき」、「神ありき」であるように感じられたからだ。

>>57でも
「私は多くの相反する宗教があるのを見る。ゆえに、一つのほかは、すべて偽り
である」
と言い、正しいのは唯一キリスト教だけだと主張したいらしい。
しかし、「多くの相反する宗教がある」からといって、一つが正しいという結論は
おかしい。すべて正しくないかもしれない。
パスカルの書くものにはそういう論理の飛躍がある。決め付けがある。
そう感じるのでパスカルは信用できない(笑)。

ただ、>>3の一節だけは心に沁みる。これは不朽の文章だ。
しかし、>>57の最後の方は単なるドグマと化している。ない方がよかった
(少なくともおいらにとっては)。

(ポーの『ユリイカ』の感触はこれとは違う。
端正な文章の積み重ねによって神(もしくは秩序)に到達している。
そして、「真」に到達しようとするポーの真摯な姿勢と静かな情熱に心を打たれるのだ)
95必殺翻訳人:2014/05/27(火) 20:51:38.35 ID:zFpR6/Wb
>>86
>僕には、広大無辺な学問と芸術の世界に飛翔するという遠大な
>使命があるのだ。
>>87
>人生の本質、人間の本質を体得することが、本当に大変なのだ。
>その遠大な使命に押しつぶされそうになりながら

なぜ「使命」なのかよくわからないなあ。うーむ。
この「使命」のために自らの人生を辛いものにしているわけだけど。
96名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 05:03:11.69 ID:KHSfpQs9
必殺翻訳人さんへ
>>93
確かに今回のニーチェの文章は、僕の考え方と反対だね。おそらく777は、僕が日常生活を
軽視し、むしろ非日常に恋焦がれる考え方を批判したがってるのだろう。少し前なら僕は
彼をここで罵るところだったけど、やめておいた。

それよりも、昔のドイツ語、しかも小難しそうな
哲学者の書いたドイツ語の文章にしては、超初心者の僕でもひょっとしたら解読できるかもしれない
と思ってやってみて、辞書を引きまくったら何とかぼんやりとでも意味が分かったような気がしたので、
うれしかった。だから777の批判的な(嫌味ともとれるような)態度にも腹は立たなかった。
もし日本語版をいきなり示されたら、腹を立てたかもしれない。ドイツ語版によってクッションを置き、
そのあとにかなり読みやすい英語版を示されただけなので、腹も立たなかった。変な話だけど、
日本語だったら身につまされるような話だったとしても、外国語ならそれを読んで勉強しようと
いう気になるので、クッションが置かれ、オブラートに包まれて、嫌なものも嫌でなくなるのだ。

第一、僕は高校の時から、Nietzsche の "Also Sprach Zarathustra"(ツァラトゥストラ
はこう語った)の日本語版を愛読していた。彼の思想を本当に理解していたわけじゃないだろうけど、
猿から超人への過渡的な存在として人間を捉えていて、超人になろうと日夜奮闘しながら生きなければ
ならぬという厳しい彼の考え方が僕は大好きだった。今でも好きだ。だからその作品はあれからも
何度もネット上で英語板で拾い読みしてきた。たまにドイツ語版をちらちら覗いてもいた。
さらに、35歳のころ、彼の「この人を見よ」(Ecce Homo) の英語版をペンギンブックスで
読んだこともあった。だから777が引用したこの文章も、大昔に英文ですでに読んであったのだ。
97名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 05:17:12.18 ID:KHSfpQs9
>>94
>>パスカルの論法が「キリスト教ありき」、「神ありき」であるように感じられたからだ。

その気持ちは、よくわかる。実は、僕自身もそういう意味では、パスカルをずっと読み続ける気には
なれないんだ。でも、あなたと同じで、>>3 の、全宇宙の沈黙の中で呆然とたたずむ人間の
姿を描いた文章だけは、この40年間にわたり、一か月に一度、あるいは数か月に一度、
英文で読んできたのだ。パスカルの他の文章は、40年前に一度か二度ほど通読しただけで、
さほど感心してはいないのだ。

ただ、僕自身は40年ほど前に家族や親族の反対を押し切って本気でキリスト教の洗礼を
受けようとしたこともあるくらいに、キリスト教にはさほど嫌悪感はないのだ。あれから僕は
キリスト教のみならず、どの宗教にも入る気になれず、神や仏の存在もまるで信じる気に
なれなくなったけど、宗教を信じる人たちの気持ちはわからないでもないような気がするのだ。

僕は正直を言って、何百年も前の時代には、特に西洋では、神を信じる方がむしろ楽だったろうと思う。
大多数が神を信じる世の中においては、神を信じる気がさほどなくても、一応は大勢に順応して
神を信じたふりをした方が楽だったろう。怠惰な連中にとっては、神を信じる方が楽だった。
人間というものは、99.9%の連中はそういうふうに怠惰なので、楽な生き方として有神論に
盲従していた。

しかし現代はその反対だ。無神論を唱える方が楽だ。その方がかっこいい。その方が
頭のいい生き方のように感じられる。だから、怠惰な連中は、神が存在するかどうかを
命がけで考えたこともないくせに、さっさと無神論に傾く。そうしておいた方が楽なのだ。
そういう現代においては、神(そして仏)を信じる生き方の方が厳しく、苦しく、孤独だ。
こんな世の中において厳しく宗教を信仰し、実行し続けている人たちもいる。そういう
修行者的な生き方を貫いている人たちを、僕は尊敬する。
98名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 05:23:15.13 ID:KHSfpQs9
>>95
確かに、それを「使命」だと感じることには、論理の飛躍がある。でも、あえて「使命」という
大げさな言い方をしないではいられないくらいに、狂おしい思いが、17歳のときから40年以上にも
わたり、僕の全存在を根底から突き動かしてきたのだ。その思いがあまりにも強烈なため、
その衝動に突き動かされて生きることは苦しみ以外の何ものでもなかった。

人はそれを馬鹿と言う。バカと言わないまでも、一応は尊敬しながらも冷笑する。しかし、こんなにまで苦おしい衝動に
突き動かされてきた僕、3頭の荒馬に綱で結ばれ、どどどおおっと引っ張り回されるがままになるしか
なかったような僕は、これ以外にどういう生き方をすればよかったのだろう?その思いを
「理性的に」抑制して、大多数の人々と共に平和に仲よく楽しく暮らすなんてことは、とうてい
僕にはできなかった。
99名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 06:12:18.49 ID:KHSfpQs9
現代では宗教をこき下ろすことが流行っている。でも、僕が思うには、現代には従来の宗教に
馴染まない人が増えてはいるけど、数百年前までの世界では、宗教は大いなる役割を
果たしたと思う。

特に白人社会におけるキリスト教がやり玉に挙げられるけど、白人社会には、
ぜひともキリスト教が必要だったのだと思う。あれがなければ、白人たちはその傲慢さに
歯止めを加えるものがなく、悪魔そのものに成り下がっていただろう。

強大な絶対神を設定しない限りは、白人たちの社会は成立せず、途中で、彼ら自身の傲慢さゆえに自滅
していただろうと思う。キリスト教は、この世が最悪の状態になるのをかろうじて止めていた
歯止めだったのだと思う。キリスト教のせいで今の世の中がここまでひどくなったのではなく、
もともと地獄そのものにまで堕ちて自滅していたはずのこの世界が何とかゴミ捨て場くらいの
レベルで留まったのは、キリスト教などのおかげだと僕は思っている。

キリスト教を押し付けようとして白人たちがアメリカ先住民を全滅に近い状態にまで追い込んだのではなく、
本当は、キリスト教がなくても同じことを彼らはしていただけじゃなく、キリスト教がなければはるかに
もっとひどいことをしていただろう。それに歯止めを加えようとしたのが、キリスト教徒を初めとする
一部の人たちだったろうと思う。
100名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 06:50:11.64 ID:KHSfpQs9
ニーチェはキリスト教に敵対し、「神は死んだ」と叫んで、それまで人々がうすうす感じていたことを
果敢に唱えたわけだけど、彼の生き方は逆説的に、最も宗教的だと思う。超人になろうという考えは、
宗教的と言わざるを得ない。宗教的と言って悪ければ、修行者的と言うべきか。そもそも宗教という
ものは、自らを超えようという健気な思いの現れではないか?怠惰な人間、周囲の人々の意向に
合わせて何となく楽しく生きればいいと思っている人に、宗教など必要なわけはない。

残念ながら、そういう最も修行者的な人にとってさえ、従来の宗教には矛盾がいっぱいに見えてしまうから、
従来の宗教だけを取り上げて宗教全体を否定してしまってはもったいないと思う。

僕は宗教を信じないし神も仏も信じないけど、僕はある意味で最も宗教的な人間だと思っている。
究極の生き方を目指して、人生を絶え間ない修行の場と捉える人間を、宗教的と呼ばずして
何と呼べばいいのだろうか?

神は存在しないかもしれないけど、神を存在するものと仮定して、あたかも人生や森羅万象に
整然たる一つの目的と秩序があるかのように信じているふりをしながら一生を生きている人々を
僕は尊敬している。実存主義も、そういうものじゃないかと思う。
101名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 07:05:33.13 ID:KHSfpQs9
ニーチェの「この人を見よ」(Ecce Homo)の10あたりの文章を誰かが引用していた。そこには、
神だとか永遠性だとかいう目の前に見えていないものばっかり求めていないで、目の前の日常的な
ものを大切にせよと言っている。

しごくもっともなことを言っているように見える。そしてこの言葉を振りかざして、何だかんだと
修行者的な生き方や宗教人たちを非難したがる現代人の安易な豚のような生き方を僕は
弾劾したい。

ニーチェの時代には、永遠性とか神とかを第一に考える姿勢が主流を占めていて、それを否定して
日常的な楽しみや本能的な喜びを追求することが罪悪だと思われていたのだ。そういうときに
それと反対のことを言ったニーチェは偉大だ。

しかし、そのニーチェの考え方が主流となった現代において、その現代の多数派の考え方に
そのまま乗っかるのは、ただの安易な怠惰な生き方に他ならない。

現代にはむしろ、厳しい宗教人の方が偉大なのだ。どの世においても、その時代の主流に
逆らってでも厳しく自分を見つめる生き方が偉大なのだ。大多数の連中に迎合するだけなら、
猿でも豚でもできる。一見、かっこよさそうに見える無神論をふりかざす現代人は、
ただの豚だ。
102名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 07:14:28.32 ID:KHSfpQs9
僕が言いたいのは、現代であっても、無神論者であっても宗教人であってもいいのだ。
どっちにせよ、命がけで生き、命がけで考え、自らの生命の根底から湧き上ってくる
思いと、社会におけるあらゆる悲哀とを敏感に感じ取って、その上で無神論者になったり
ペシミストになったり、自殺したり、あるいは金の亡者になったり、あるいは性の奴隷に
なったりするのは偉大だ。

しかし、ろくに考えもしないで、ろくに命を賭けて生きたこともないくせに、
その時代の主流の考え方に乗っかって生きるのは、親や先祖の残した
財産によって敷かれたレールの上をそのまま走って威張っているアホどもと
同じく、ただの豚に過ぎないということだ。

そういうカスどもに比べたら、「洋書スレ」にいる「性」さんは
はるかに偉大だと思う。
103名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 12:49:05.04 ID:KHSfpQs9
【僕のペシミズムの根本原因】

僕のペシミズムの根本原因は、子供をこの世に生み出すことをどんなことがあっても自分に許しては
ならないと固く決意しているからであるらしい。

もし僕がこの世に生きていることをしばしの間でも楽しんだら、僕は僕にもこの世に子供を生み出す
権利ができたかのように思ってしまう。僕も人並みの人間なので、旅は道連れというわけで、
僕自身の分身がほしいに決まってる。

しかし、分身を作ったらおしまいだ。子供を作り出すことは、人類の犯しうる最も大きな罪悪なのだ。
親となる僕は、人並みに子供を「愛し」、人並みに子供を利用し、人並みに子供に
生きがいを感じ、人並みに子供に期待し、人並みに子供に対して適度に価値観を押し付け、
そして人並みに子供を苦しめ、人並みに子供を精神的に虐待し続けながらも、
人並みに「俺は子供を誰よりも愛しているんだ」と思い込んで生きるだろう。

その人間の性(さが)の恐ろしさ、妖婆性を、その根本から僕は知り抜いているのだ。
愛というものの恐ろしさ、愛というもののエゴイズムを根底から感じているのだ。
だから僕は、どんなことがあっても、どんなにみじめであっても、どんなに死ぬほど寂しくても、
分身を作ってはならないのだ。

そう自分に言い聞かせ、22歳のころからか、あるいは20歳のころからか、僕は今まで40年近く、
分身を作ることだけは自らに厳しく禁じてきた。そのために、僕は性交のときに避妊具は
欠かさなかった。いわゆる「中出し」は一度もやったことがない。だから、本当の性交の
歓喜も味わったことがない。中出しは、どれほど楽しいことだろうか。セックスを肯定し、
人間の欲望をそのまま素直に肯定すれば、どれほど楽しいだろうか。

しかし僕は、人生を楽しんではいけなかった。楽しむことを自ら禁じた。それは、学問や
芸術の広大無辺な世界に飛翔することを遠大なる使命だと感じていたからだけではなかった。
実は、本当の理由は、いま言ったことにあるのだ。すなわち、自らの欲望を肯定するという
ことは、性欲を肯定することにつながり、それは自らの分身を作り出すことにつながる。
104名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 12:56:05.85 ID:KHSfpQs9
>>103 の続き 【僕のペシミズムの根本原因】

それだけは、その大罪だけは犯してはならなかった。僕の噛みしめてきた、僕が
体験してきた恐ろしいほどの悲劇を、この悲哀に満ちた思いを、誰か別の者に味あわせては
ならない。そんな思いをする子供が、僕の子孫のうち10人か100人に一人でもいるとしたら、
僕は子孫をまったく残さないことを躊躇(ためら)いもなく選ぶ。

僕が一人だけしか分身を作らないとしても、その子供がまた一人だけ分身を作り、その孫がまた分身を作っていけば、
ゆくゆくは100人くらいの子孫が生まれることになるではないか。そしてその100人のうち
一人でも僕のような思いをしながら生きたら、僕はその子孫に対して申し訳が立たない。

そういうわけで、僕は分身を作らなかった。それは絶望的に寂しい選択だった。
その寂しさを紛らわすためにも、僕は余計に学問と芸術の道に邁進する必要があった。
血のにじむ思いだった。命がけだった。髪の毛を振り乱し、目は血走っていた。
そんな思いで、思春期以降の40年も50年もの人生を生きてきたのだ。
そんな僕を、カスどもは「遊びも知らないガリ勉」と嘲笑し、「糞まじめ」だと
軽蔑し、誹謗中傷を繰り返してきた。僕は何も言わずに堪えてきたのだ。

2ちゃんねるでは僕は確かに周囲を罵倒しまくっている。しかし僕は、現実の世界では
そんなことをしたことがない。それどころか、品行方正なることきわまりない。
いつも静かに笑っていて、人の話を真面目に聞き、相手の望む話題にそのまま
合わせ、豊富な話題を提供するので、僕の本質的なペシミズムを知らない人は、
僕に近づいてくる。しきりに誘ってくる。静かに僕はそれをお断りする。
105名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 12:56:47.69 ID:KHSfpQs9
>>104 の続き 【僕のペシミズムの根本原因】

どうせ僕と本気で付き合おうなんて思う人はいないのだ。僕の本質的な
ペシミズムを根底から知れば、みんな逃げていくだろう。
僕の激しく絶望的な思いに耐えられる人なんて、いるはずがない。

ネット上、特にこの2ちゃんねるのような匿名掲示板では話が別だ。
常に僕は名無しだ。仮にこの隔離・孤立スレで連日連夜にわたって長文連投している
から僕が特定されるとはいえ、あくまで僕の顔や住所が特定されるわけではない。
あくまで僕は名無しであり続けられる。僕の素性のうちかなりの部分が暴露されてしまったら、
そのときは黙ってこの2ちゃんねるから去っていけば済むことだ。

だからこそ、僕はここでかなり好きなことが書ける。こんなに僕は僕自身の魂の奥底を
素直に書き綴ったのは初めてかもしれない。以前も、ブログや掲示板やメーリングリストで
書きまくったこともあったが、今ほどではなかった。
106名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 13:14:32.93 ID:KHSfpQs9
【友達を作るのは簡単だが、孤独である】

僕は孤独だ。いつも一人でいる。一人だけ、40年以上も前からの友人がいて、その人とだけは、
週に1度または2度、会う。会ったら、いろいろと世間話をしたり、互いの生活の大変さを報告し
合って慰めあったりするが、一緒に経済英語の勉強会もする。二人で一週間あたり3時間から5時間
くらい、勉強会をする。

その他の人とは、すべて付き合いをやめてきた。正面切って絶交を言い渡した相手もたくさんいる。
口げんかして、そのあと連絡するのをやめた相手も、何人もいる。さらに、絶交を言い渡したけども
相手から10回くらい付き合いの再開を求められたこともある。それでも僕は、どうしても付き合いを
再開できなかった。それを試みたことは何度もあった。しかしまた喧嘩してしまうのだ。
喧嘩してしまって、僕も嫌な思いをするのが嫌だし、相手に嫌な思いをさせるのもいやなので、
付き合いを再開しないでいる。

そこまで濃厚な付き合いをしないまでも、たとえば散歩をしていると、話しかけてくる人がときどき
いる。毎日、少しずつ話をしていると、たとえば食事に誘われたり、一緒にどこかへ行こうとか
いう話になる。しかし僕は、すべて丁重にお断りしている。
107名無しさん@英語勉強中:2014/05/28(水) 13:15:01.95 ID:KHSfpQs9
>>106 続き

若い時には、そういう付き合いをも大事にしていた。たくさんの人と付き合った。そしてたくさんの
人と絶交し、喧嘩し、あるいは喧嘩しないで疎遠になっていった。

喧嘩したわけではないが、離婚もした。そのあと何人かの人に激しく恋した。そして失恋したり、
あるいは別の理由で別れた。

好きなタイプの女性は何人も見かける。話ができる関係になるときもある。しかし僕は、なるべく
好きな相手には話しかけないようにしている。相手が男であれ女であれ、好きな相手であれ、
さほどではない相手であれ、ともかく僕は、僕のようなものが話しかけては申し訳ないという
思いが強く、ついつい話しかけないままで終わる。

好きでたまらない相手にも出会うことがある。道を歩いていると、好きでたまらないタイプの女性が
ちらほら見受けられる。話がしたくてたまらないが、しかし、僕が話しかけたりしては申し訳ない
と思ってしまう。

そういうわけで、僕は一人ぼっちなのだ。気が狂いそうに寂しいが、同時に、これで誰をも
傷つけなくて済むのだから、それでいいか、と思っている。
108名無しさん@英語勉強中:2014/05/29(木) 12:38:02.63 ID:APuG9uZo
【たかが英語、されど英語】

吹けば飛ぶような下らぬ英語に、
賭けた命を笑わば笑え。
凡庸な頭を持って生まれ、
12歳という、頭の最も柔軟な時期にさえ、
俺は英単語1つを覚えるのに
百回も大声で唱えながら、
百回も書かないと
覚えられなかった。
いや、百回でも覚えられない単語も多かった。
そういうときには、二百回も唱えながら書いた。

たかが英語ごときに命をかけないとダメなくらいに
凡庸な俺は、中学さえろくに通えない両親に
育てられ、アルファベットさえわからない親から
何かを教わるなんてことは無理だった。
きょうだいや親戚からも、知識を教わるなんてことは
夢の話だった。
109名無しさん@英語勉強中:2014/05/29(木) 12:38:32.82 ID:APuG9uZo
>>109 からの続き

塾にも英会話学校にも通えず、
大学院にも行けないし、
英語圏に旅行さえできなかった俺は、
命を賭けて英語に取り組んだけど、
結果は、見ての通り、たかが知れている。

しかし、俺は英語でしか飯を食っていく手段がない。
メンヘラ寸前の俺に、他の仕事なんてどだい無理な話。
さすれば、強靭な英語力を身に付けるしか道はない。
外国で博士号を取ったような人に勝てるはずなどない。
誰かに勝とうとしても、無理に決まっている。
だから俺は、自分と競争してきた。
これからも、死ぬまで苦闘は続く。
命を削ってでも、英語をモノにしてみせる。
たかが英語、しかしそれくらいのことしか俺にはできないのだ。
だから、せめて英語だけはちゃんとできるようにならないといけない。
でないと、俺は飯が食っていけないのだ。
いつ競争から振り落されるかわからんのだ。
90歳まで生きられるとしたら、
俺は死ぬ直前の90歳まで
英語で金を稼ぎ続けねばならぬ。
110必殺翻訳人:2014/05/29(木) 20:09:43.09 ID:5zqMumg+
>>96
777の意図についてはおいらもそう推測した。

『この人を見よ』のペーパーバックはおいらも持ってる。

このスレのキーワードである「孤立」、「精神遍歴」に沿おうとするなら、
やはり『この人を見よ』の冒頭の一節を掲げておくべきだろう。
実に印象的な文章だ。

PREFACE
1
Seeing that shortly I must confront mankind with the heaviest demand
ever put on it, it seems to me indispensable to say who I am. Basically
one should know it: for I have not left myself "unattested." But the
disparity between the greatness of my task and the smallness of my
contemporaries has found expression in the fact that one has neither
heard nor even seen me. I live on my own credit, it is perhaps merely
a prejudice to say that I am alive? ... I need only speak to one of
the "cultured people" who come to the Ober-Engadin in the summer to
convince myself that I am not alive ... Under these circumstances it
is a duty against which my habit, even more so the pride of my instincts
basically rebels namely to say: Hear me! For I am such and such. Above
all, do not mistake me for someone else!
111必殺翻訳人:2014/05/29(木) 20:12:33.10 ID:5zqMumg+
>>97に関連して。

無神論もしくはキリスト教の神の否定は少数派ながら西欧の歴史を強靭に
貫いて流れているようだ。
ヴォルテールの『カンディード』もそのひとつらしい。
スピノザもその気配がある。
ニーチェはその潮流の中のひとつの頂点だった。

つい最近も著名な生物学者であるリチャード・ドーキンスが『神は妄想である』
という過激な書を上梓して、物議をかもした。
欧米の無神論者たちの戦いはまだ苛烈に戦われている。


ポーもおそらくキリスト教の神は信じていない。
しかし、妻と義母が敬虔な信者であったから、無神論を唱えるわけには
いかなかったのだろう。当時の米国南部で無神論を公言することは社会的な
死を意味しただろうし。
『ユリイカ』でポーが示した神はキリスト教の神ではまったくない。
それはほとんど合理性または理性の同義語であって、トートロジーの趣きを
呈する(とおいらには感じられる)。
しかし、とにもかくにも、ポーは、キリスト教の神ではないにしろ、現世に
おける神の存在、秩序の存在を示すことで、美と真の統一を成し遂げたのである。
112必殺翻訳人:2014/05/29(木) 20:15:32.96 ID:5zqMumg+
>>98
なるほど。多少は理解できた。

スレ主さんの論には同意できない点があるけれども、ここでおいらの
持論を展開する気にはなれない。
レスは主に文学的なものにしぼって、自分の感想や補足的な情報を
書きつけるだけにしたいと思う。
113名無しさん@英語勉強中:2014/05/29(木) 20:51:15.82 ID:APuG9uZo
>>110
その文章の別の英訳をここに挙げておこう。僕自身がこの文章をよく理解するために必要だから。

Ecce Homo
How One Becomes What One Is
Written 1888; Published 1908.

Translation by Walter Kaufmann © Random House 1968

Preface
1.

Seeing that before long I must confront humanity with the most
difficult demand ever made of it, it seems indispensable to me to
say who I am. Really, one should know it, for I have not left myself
"without testimony." But the disproportion between the greatness of
my task and the smallness of my contemporaries has found expression
in the fact that one has neither heard nor even seen me. I live on
my own credit; it is perhaps a mere prejudice that I live.

I need only to speak with one of the "educated" who come to the Upper
Engadine for the summer, and I am convinced that I do not live.

Under these circumstances I have a duty against which my habits, even
more the pride of my instincts, revolt at bottom―namely, to say: Hear
me! For I am such and such a person. Above all, do not mistake me for
someone else.

http://nietzsche.holtof.com/Nietzsche_ecce_homo/preface.htm
114名無しさん@英語勉強中:2014/05/29(木) 21:03:53.27 ID:APuG9uZo
>>113
ドイツ語がすいすい読めるわけではないけど、勉強のためにここに原文を貼り付けておく。

Friedrich Nietzsche

Ecce homo

Wie man wird, was man ist

Vorwort

1.

(1) In Voraussicht, dass ich über Kurzem mit der schwersten Forderung
an die Menschheit herantreten muss, die je an sie gestellt wurde,
scheint es mir unerlässlich, zu sagen, wer ich bin.

(2) Im Grunde dürfte man's wissen: denn ich habe mich nicht
"unbezeugt gelassen".

(3) Das Missverhältniss aber zwischen der Grösse meiner Aufgabe und
der Kleinheit meiner Zeitgenossen ist darin zum Ausdruck gekommen,
dass man mich weder gehört, noch auch nur gesehn hat.
115名無しさん@英語勉強中:2014/05/29(木) 21:04:37.60 ID:APuG9uZo
>>114 からの続き


(4) Ich lebe auf meinen eignen Credit hin, es ist vielleicht bloss ein
Vorurtheil, dass ich lebe?…

(5) Ich brauche nur irgend einen "Gebildeten" zu sprechen, der im
Sommer ins Oberengadin kommt, um mich zu überzeugen, dass ich nicht lebe…

(6) Unter diesen Umständen giebt es eine Pflicht, gegen die im Grunde
meine Gewohnheit, noch mehr der Stolz meiner Instinkte revoltirt,
nämlich zu sagen: Hört mich! denn ich bin der und der.

(7) Verwechselt mich vor Allem nicht!

http://www.gutenberg.org/cache/epub/7202/pg7202.html
116必殺翻訳人:2014/05/30(金) 21:25:52.67 ID:MD9Oa0wN
>>110で引用したニーチェの『この人を見よ』の序文をおいらなりに
訳しておこう。


1.
まもなく私は人間にかつて課せられたもっとも大きな要求を引っさげて
彼らに対峙しなければならない。であるから、自分が何者であるかを
まず言っておくことがどうしても不可欠であると私は感じる。もっとも
彼らはとうにそれを知っているはずだった。なぜなら、私は自分を「証明」
せずにはおかなかったのであるから。しかし、私の作品の偉大さと私の
同時代人の卑小さとの間の隔たりのために、人が私のことをまるで知らない
という事態が生まれた。私が生きているのは私がそう信じているからであり、
ひょっとすると、私が生きているというのは思い込みにすぎないのかもしれぬ
・・・。夏にオーバーエンガーデンにやってくる「文化人」のひとりに
話しかけてみさえすれば、自分が生きてはいないのだと納得するには十分である
・・・。こういった次第であるから、私の習慣、さらには私の本能的な誇りが
逆らうにもかかわらず、こう言っておかなくてはならない。私の言うことを
よく聞け。私はかくかくしかじかの者だ。どうか他の誰かと取り違えるのは
よしてもらいたい、と。
117名無しさん@英語勉強中:2014/05/31(土) 05:29:23.41 ID:8UHtVAvA
>>116 の日本語訳をありがとう。おかげで深くこの部分が理解できた。それにしても、この
"Ecce Homo" を読んだことがあって面白く思っていたのに、それが25年近く前のことなので、
内容を忘れてしまっている。いま改めて読んでいると、「ほう、こんなことが書いてあったのか」と
感心したりしている。まあ、ニーチェのことだからこういうことは書くだろうとは思うけど、でもやっぱり
そうだったのか、と改めて感心したり確認したりして、面白く思っている。

それにしても、序文の1と2を読んでみて思うのは、必殺翻訳人さんの言う通り、僕の希求してきたものとニーチェの
生き方とは正反対だな。どこかで共通すると思っていたのだが、少なくとも言葉づらを見る限りでは、
正反対のように思える。さて、コピペばかりですまんけど、ちらほらと読んでいて面白く思ったので、
序文の2の英訳をここに貼り付ける。それにしても、ドイツ語原文はわからないけど、英語訳を
見る限りでは、やはりニーチェは名文家だと思う。

2.
I am, for example, by no means a bogey, or a moralistic monster―I am
actually the very opposite of the type of man who so far has been
revered as virtuous. Between ourselves, it seems to me that precisely
this is part of my pride. I am a disciple of the philosopher Dionysus;
I should prefer to be even a satyr to being a saint. But one should
really read this essay. Perhaps I have succeeded; perhaps this essay
had no other meaning than to give expression to this contrast in a
cheerful and philanthropic manner.(続く)
118名無しさん@英語勉強中:2014/05/31(土) 05:30:15.25 ID:8UHtVAvA
>>117 の続き 【"Ecce Homo" の序文の (2)】

The last thing I should promise would be to "improve" mankind. No new
idols are erected by me; let the old ones learn what feet of clay mean
. Overthrowing idols (my word for "ideals")―that comes closer to being
part of my craft. One has deprived reality of its value, its meaning,
its truthfulness, to precisely the extent to which one has
mendaciously invented an ideal world.

The "true world" and the "apparent world"―that means: the mendaciously
invented world and reality.

The lie of the ideal has so far been the curse on reality; on account
of it, mankind itself has become mendacious and false down to its
most fundamental instincts―to the point of worshipping the opposite
values of those which alone would guarantee its health, its future,
the lofty right to its future.
http://nietzsche.holtof.com/Nietzsche_ecce_homo/preface.htm
119必殺翻訳人:2014/06/02(月) 21:09:43.96 ID:/2QMREi2
>>116に補足。
おいらの訳の他に、新潮文庫『この人を見よ』の西尾幹二氏の訳も念のため
掲げておこう。
おいらの訳は>>110の英訳文に基づいたもの。西尾氏の訳はもちろんドイツ語原文に
基づき、哲学的著作という側面に重点を置いた、かなり原文に忠実たらんとした訳文
であるらしく思われる。

序言

私の予測では、近いうちに、私はかつて人類に課せられた要求の中でも最も困難な
要求を人類に突きつけなければならなくなる。それだけに、そもそも私が誰である
のかを言っておくことが、必要であるように思われる。こんなことは私が言わなくても、
世間の方で知っていてよいことであろう。私が自分を「身元不詳のままに放置」して
おいたわけではないのだから。それはそうなのだが、私の課題は大きいのに私の
同時代人は小さく、両者の関係が不釣合いであるために、結局、私の言を聴く者はなく、
私の書いたものに誰も目を向けさえもしないという事態に立ち至ってしまった。私は
自分で振り出した信用借入金(クレジット)を当てにして生きているようなものだ。
ひょっとしたら私が生存しているということ自体が、私の独りよがりにすぎないのでは? 
・・・ 夏にオーバーエンガディーンにやって来る「教養人」の誰か一人をつかまえて
私が話し掛けてみさえすれば、それは分る。そうすれば、私は自分が生存していない
のだな、と得心がいく。・・・ 以上のような次第であるから、本来なら私の習慣に
反しさらにまた私の本能の誇りにも反していることではあるのだが、次のように言う
義務が私にはあるのである。すなわち、吾が言を聴くべし! 吾はかやうしかじかの
人間なれば也。何よりもまづ吾を取り違へ給ふな! と。
120名無しさん@英語勉強中:2014/06/04(水) 15:38:50.36 ID:tUrIvA3N
【Pascal の言葉:気晴らしなどについて】

131
Weariness.[66]―Nothing is so insufferable to man as to be completely
at rest, without passions, without business, without diversion,
without study. He then feels his nothingness, his forlornness,
his insufficiency, his dependence, his weakness, his emptiness.
There will immediately arise from the depth of his heart weariness,
gloom, sadness, fretfulness, vexation, despair.
http://www.gutenberg.org/files/18269/18269-h/18269-h.htm
121名無しさん@英語勉強中:2014/06/04(水) 16:16:20.65 ID:tUrIvA3N
【Pascal: Diversion】

"Les Pensees", 139
★Diversion★.―When I have occasionally set myself to consider the
different ●distractions● of men, the pains and perils to which they
expose themselves at court or in war, whence arise so many quarrels,
passions, bold and often bad ventures, etc., I have discovered that
all the unhappiness of men arises from one single fact, that they
cannot stay quietly in their own chamber. (中略)

The king is surrounded by persons whose only thought is to ★divert★
the king, and to prevent his thinking of self. For he is unhappy,
king though he be, if he think of himself.

This is all that men have been able to discover to make themselves
happy. And those who philosophise on the matter, and who think men
unreasonable for spending a whole day in chasing a hare which they
would not have bought, scarce know our nature. The hare in itself
would not screen us from the sight of death and calamities; but the
chase which turns away our attention from these, does screen us. (中略)

Thus passes away all man's life. Men seek rest in a struggle against
difficulties; and when they have conquered these, rest becomes
insufferable. For we think either of the misfortunes we have or of
those which threaten us.

("Les Pensees," Blaise Pascal, 1669)
http://www.gutenberg.org/files/18269/18269-h/18269-h.htm
122名無しさん@英語勉強中:2014/06/04(水) 16:34:13.07 ID:tUrIvA3N
>>121 のフランス語原文 【Pascal: Les Pensees】

Quand je m'y suis mis quelquefois à considérer les diverses agitations
des hommes, et les périls, et les peines où
ils s'exposent dans la Cour, dans la guerre d'où naissent tant de
querelles, de passions, d'entreprises hardies et
souvent mauvaises, etc., j'ai dit souvent que tout le malheur des
hommes vient d'une seule chose, qui est de ne savoir pas demeurer en
repos dans une chambre. (中略)

Le roi est environné de gens qui ne pensent qu'à divertir le roi
et à l'empêcher de penser à lui.
Car il est malheureux tout roi qu'il est s'il y pense.

Voilà tout ce que les hommes ont pu inventer pour se rendre heureux
et ceux qui font sur cela les philosophes et
qui croient que le monde est bien peu raisonnable de passer tout le
jour à courir après un lièvre qu'ils ne
voudraient pas avoir acheté, ne connaissent guère notre nature. Ce
lièvre ne nous garantirait pas de la vue de la
mort et des misères qui nous en détournent, mais la chasse nous en garantit.
(中略)
Ainsi s'écoule toute la vie; on cherche le repos en combattant
quelques obstacles et si on les a surmontés le
repos devient insupportable par l'ennui qu'il engendre. Il en faut
sortir et mendier le tumulte.
Car ou l'on pense aux misères qu'on a ou à celles qui nous menacent.
http://www.ub.uni-freiburg.de/fileadmin/ub/referate/04/pascal/pensees.pdf
123名無しさん@英語勉強中:2014/06/04(水) 17:06:54.78 ID:tUrIvA3N
>>120 の英訳に対応するフランス語原文

622-131 Ennui.
Rien n'est si insupportable à l'homme que d'être dans un plein repos, sans passions, sans affaires, sans
divertissement, sans application.
Il sent alors son néant, son abandon, son insuffisance, sa dépendance, son impuissance, son vide.
Incontinent il sortira du fond de son âme, l'ennui, la noirceur, la tristesse, le chagrin, le dépit, le désespoir.
http://www.ub.uni-freiburg.de/fileadmin/ub/referate/04/pascal/pensees.pdf
124名無しさん@英語勉強中:2014/06/05(木) 20:24:38.57 ID:8LJY6Unt
【回答者としての心境】

以下の文章は、あるスレで書きたかったけど、説教がましく聞こえてもいけないので、
ここにひっそりと書く。

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回答者は、必ずしも自己顕示欲だけに突き動かされているとは限りません。
確かに人間には誰でも、そういう欲求はあるでしょうし、僕にもあります。
しかしそれよりも何よりも、自分自身が勉強したくてたまらないのに
勉強することが許されない環境にあり、誰一人として自分に何かを
教えてくれる気力も学力も何もない状況に育った人が、
死にもの狂いで勉強したあと、なんでかわからないけど、
僕は僕と同じように勉強したくてもできない環境にいる人も
いるんじゃないかと思ってしまうのです。

それで、おせっかいかもしれないのに、ついつい
いろんなことを教えてあげたくなってしまうのです。
それはただの自己満足だろうし、他人にとってはむしろ
迷惑なことかもしれません。だから、感謝してもらおうなんて
思っていません。

(続き)
125名無しさん@英語勉強中:2014/06/05(木) 20:25:12.66 ID:8LJY6Unt
>>124 の続き

ただ、勉強するためには、
恥をかかないといけないのです。教える側も、恥ばかりかいているのです。
英語がすごくできるようになったあとで教え始めたのではないのです。
初心者のうちから教えていたのです。初心者のうちから
英語で飯を食っていたのです。そして恥ばかりかいてきたのです。
恥をかいてきた回数により、人は技能を身に付けるのです。

回答者は、実は質問者よりもはるかに恥をかき続け、
質問者よりも実は臆病なのです。
血と涙と汗を流しながら、回答しているのです。
大げさに言えば、命を賭けて回答しているのです。

そういう思いで回答している僕に対して、
何でもかんでも簡単そうに頼らないでください。
少しだけでいいから、自分でも恥をかいて、
涙がこぼれそうになるほど辛い思いをしながら
質問してください。
126名無しさん@英語勉強中:2014/07/20(日) 18:07:21.11 ID:3Bd0YGRv
もともと僕が主な拠点としていた隔離スレである「専門的すぎる〜」というスレが、
500 kB を超えたというわけで、急に書き込めなくなった。だから、次のスレを作った。

【隔離・孤立】英文学・方言学・歴史言語学など
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1405815963/l50
127OED に片思い ◆5o7MC4F0bo :2014/08/02(土) 13:32:57.47 ID:vL+dNJBd
うれしいことを書いてくれる人がごくたまにいるけど、今まではすべて日本語によるものだった。
今回は、ネイティブまたはネイティブに近い英文によるうれしいコメントを頂いた。もしかしたら
僕のことを言ってるわけじゃないかもしれないけど、僕のことを言ってくれているのだと勝手に
解釈して、喜んでこの言葉を受け止める。
****************

日本語→英語スレ Part398
972 :名無しさん@英語勉強中:2014/08/02(土) 06:21:09.62 ID:3fWMqj1E!
>>971
Most people in this thread are very selective when it comes to translating. They do only easy ones because they don't want to make a bad translation and be picked on by nasty people like you.
However, that コテ guy is different. He does literally all translation without being selective. It's a lot of work. And it definitely needs high english skills.
Now, if you don't have the nerve or abilities to do the same shit, just zip your mouth and appreciate the fact that someone else does what you can't do for you.
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1400944956/972
128OED に片思い ◆5o7MC4F0bo :2014/08/07(木) 13:42:00.39 ID:aigPd91y
面白いことを言ってる人がいて、僕は思いっきり笑った。ここにそのレスを貼り付ける。

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>>http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1407153751/101

I'm not well acquainted with those internet things,
and no idea is in my mind about the way of proving who is who,
and thus if you say you're a different figure from OED,
then I have no other choice than to take your assertion at its face value.

>>http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1407153751/102

Bizarre though your turns of speech in Japanese and patterns of behaviour are,
your intellect is way beyond average (at least hundreds of millions times what that of mine is),
and you write English in as untrammeled a manner as a soaring skylark glides in the air,
thus leading to my unavoidable suspicion that there is no such person as momi or Random Gaijin
―only one person whose name is OED.

If you feel offended owing to my scepticism, I must give my sincere apology.

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1406546975/288
129OED Loves Me Not ◆5o7MC4F0bo
★★ I've made yet another thread ★★

I've just made a thread for my own soliloquy in English. If anyone
is interested in reading any of my endless monologue, I'll welcome them.

My Endless Soliloquy【隔離孤立】英文で独り言)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1407567293/l50