■ 神経症化するマクロ経済 ■

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1金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
■神経症化するマクロ経済


需要サイドと供給サイドの心身二元論


貨幣経済は二面性をもつ。自給自足から分業への過程でうまれた分離であり、貨幣の
仲買いにより可能になった。必要なものをつくるから、必要なもの買う、買うためのお金を
稼ぐ。そこに需要サイドと供給サイドの分離が生まれた。

古典経済学は、経済の分析の重点を供給サイドにおく。生産技術、労働能力、設備投資な
ど、いかに共有サイドの能力をあげて、生産性を構造させるか。よりものを提供すれば、需
要サイドは自然とついてくる。

しかし世界恐慌に直面したケインズはこの考えに疑問をもち、需要サイドの重要性をとく。
いくらよいものを提供する共有サイドがあっても、需要サイドが消費しなければ、経済は停
滞する。この転換で重要であるのが、社会がある程度豊かになったことが上げられるだろ
う。もはや需要サイドは、供給されるものをただ喜ぶのではなく、えり好みするだけの贅沢
さをもつようになったのだ。

つづき>>2-10
2金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/04/01(水) 13:09:47
きまぐれなマクロ経済


これはまたマクロ経済の発生でもあった。マクロ経済は経済学者が発見したのではなく、経
済学者に名指しされることで、自律的に自己を認識していく。特にこの自律性は需要サイド
に現れる。 需要サイドは、余力をもち、なにを消費するか、しないかという短期的な選択を
行う。

さらにその選択は自己言及的である。需要サイドはマクロな経済を意識し、マクロ経済の
動きに対応するように反応するが、また自らもマクロ経済の一部であるというこの循環論を
もつ。そこに自己組織的な運動が生まれる。

このために短期景気はとても気まぐれで、不安的なものとなった。精神分析的なメタファー
を用いれば、マクロ経済は心身二言論的といえるだろう。供給サイドに関係し比較的に安
定している長期成長は「身体」である。それは言わば、バラバラな身体である。そことから
需要サイドに関係し変動が激しい短期景気を「精神」は目覚め、自らを統一したものを認識
するようになる。
3金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/04/01(水) 13:10:38
神経症不況


ここで信頼をささえるのが供給サイドに関係する長期成長である。長期経済成長は、資
源、インフラ、人材など蓄積される経済の潜在的な能力であり簡単に消失したり、変化した
りするものではない。短期景気が多少変動しようとも長期的に経済は成長し、うまくいくとい
う信頼が短期的な変動を乗り越えて、需要サイドを経済活動へ向かわせる。

しかし過大に長期成長を信用しすぎるとバブルが生じる。日本の土地バブル、アメリカのIT
バブルなど、長期成長の実質以上の過大な自信が、身体能力をこえた精神の肥大を生んだ。

そしてどこかで破綻し、長期成長を信頼できなくなったとき、信用不安から不況は訪れる。
これはまるで神経症である。この食堂のスプーンはちゃんとあらわれているのだろうか。友
達は本当に友達なのだろうか。これらの懐疑は終わりがない。どこかで信頼するしかない
が、世界への信頼を失うと循環論的な懐疑にとらえられて、当たり前のことさえできなくなっ
てしまう。

特に現代は情報化社会であり、誰もが瞬時に情報を受け取り、政治家やアナリストの発言
に機敏に反応してしまう。というように、より自律的に、繊細になっている。
4金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/04/01(水) 13:11:26
>>
ワシントンで救済策を立案している利口なエコノミストたち・・・の仕事は投資家の信頼が揺
らぎやすい国の経済を立て直すことだった。ほとんどの場合、アメリカやIMFに駆けこんでき
た国は、すでにその通貨が壊滅的な打撃を受けており、さらなる危機に瀕している。そこで
救済策の最大の目標は、市場の不安な心理を静めることになる。けれども危機は、起きて
いると信じ込まれてしまえば実際に起きてしまうという特徴をもっているために、健全な政
策だけでは市場の信頼を勝ち取ることはできない。市場に認識、偏見、あるいは気まぐれ
さえも満足させなくてはならない。ないしは、市場はこのように認識しているだろうと「期待」
して、それに合った政策を実施しなければならないということだ。

こうしてケイジアン・コンパクトは崩れ去ったのだ。国際的な経済政策は、経済学とほとんど
無関係なものになった。それはアマチュア心理学になってしまったのだ。・・・信頼をめぐる
市場とのゲームを繰り広げることのほうが、通常の経済政策よりも重要だと考えられている
のだ。これは狂気の沙汰だと思われるかもしれない−事実、そうなのだ。

なぜ経済政策は、一国また一国とその経済に大きな打撃を与えていた破壊的な連鎖を阻
止できなかったのか、・・・その答えは、政策を実施している人々がこの信頼という名のゲー
ムをやらなければならないと思ったからだ。そしてそのゲームとは、危機を解消するのでは
なく、悪化させるようなマクロ経済政策を実施することを意味したからだ。しかし、本当にこ
のゲームをする必要があったのか?P159-160


「世界大不況からの脱出」 ポール・クルーグマン (ISBN:4152090170) 2009
<<
5金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/04/03(金) 01:47:05
日経新聞が神経症的だもんで
合わなくて購読やめましたw
>>1
神経症ってのとは違う。それじゃ単なる不安不況じゃん。
古典的な大景気変動とかわらん。
経済学が合理性に拘りすぎ。
8金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/04/06(月) 15:20:03
これだけ大雑把で経済学が成立してるのが奇跡。
合理性なんか世界にほぼないからな
経済学って意味あんの?
数式とかグラフとか微分積分やな気分駆使して
金融工学とかポートフォリオとかやるのはいいけどさ
国民の血税が「定額給付金」と称して聖教新聞社を経由して信濃町へ直行するのを
だまってみてるだけじゃんwww
つか、金融工学さえも、このザマだからな
というか(現状の)金融工学、その経済学がトンデモ。
12金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/04/07(火) 08:39:56
経済学は権力者が自己正当化するため科学だから
13そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/08(水) 16:50:35
■経済はマクロなコンテクストからミクロへのコンテクストの転倒によって動く

ケインズの欲望経済

ケインズは自由主義に対する保護政策ということで、保守的なイメージがあるが、機械論
的な自由主義経済学に、「欲望」を導入した。自由主義では、供給(生産)サイドが順調に
運営されれば、需要(消費)サイドがそれに合わせて育つという「セイの法則」が基本であっ
た。供給(生産)サイドでは経営者などは営利をもとめて合理的に行為するのだから、国家
による干渉は必要がなく、自由にすることがもっとも効率的な生産性を導く。

ここにおいて、自由主義経済の主体は功利主義的なものとなる。それに対して、ケインズ
は需要(消費)サイドの貨幣への「物神性(フェティシズム)」に注目する。需要サイドの
人々、主に消費者は、貨幣への欲望をもっている。

それが顕著に表れるのが不況である。不況では人々は貨幣の「流動性選好」から、貨幣を
貯蓄しようする。このために市場の貨幣量が減少し、慢性的なインフレが起こる。このよう
な傾向は長期的には、解消されるとしても、短期的には、政府による介入によって、解消し
なければ直らない。だから経済への政府の干渉が必要になる。

すなわち人は、合理的な主体ではなく、欲望の主体であるために、自由経済への干渉し、
補助しなければならないという、人間像の取り戻しである。

ここにフロイトの影響がある。精神分析を考えるにあたり、「快感原則」という功利主義的な
主体像を導入する。しかし分析をすすめるうちに、「快感原則の彼岸」を見出す。人はあえ
て合理的でないようにふるまう。ケインズはまさにこのフロイトの欲望論の影響を受けている。
14そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/08(水) 16:51:29
「崖っぷち犬」と保健所で処理される犬


不況について、信用不安、消費マインドの冷え込みなどの言葉が一般に使われるように
なった。現在の不況においてもそうであるが、原因の本質が、貨幣の流動性選好であるか
どうかは別にして、もはやケインズのいった需要サイドの影響を無視することはできない。

たとえば今回の原因がサブプライムローン問題であるとしても、このような衝撃的な不況現
象のきっかけは、リーマン・ブラザーズの破綻である。この事件が世界の人々に衝撃を与
えることで、経済活動がこれほどに停滞することになった。

しかしこれは不思議な現象である。もし自由主義経済学のいうような合理的な主体であれ
ば、リーマン倒産そのものが与える経済的な影響は限定的であったはずである。しかし
人々の心理的な面へ、すなわち信用不安として現れた。

たとえばこのような集団心理を説明するのに、「崖っぷち犬」が良いだろう。崖の中腹で身
動きがとれなくなった野良犬が発見される。連日、テレビで放映されて、人々はその動向を
心配する。しかしこれは合理的に考えると、不思議な現象である。みなが「崖っぷち犬」を
心配してある間も、何千匹の犬が保健所で処理されている。

保健所で処理される野良犬と、「崖っぷち犬」はなにが違うのだろうが。コンテクストが違う
のである。保健所で処理される野良犬は「マクロなコンテクスト」であり、「崖っぷち犬」は運
良く、「ミクロなコンテクスト」を手に入れた。

あるいは、海外支援の経済政策2兆円という政府の方針に対して、テレビでは派遣切りに
あい路頭に迷う人がたた数万円あれば助かるのにと言っている。この違いもマクロなコン
テクストとミクロなコンテクストの違いである。派遣切りの悲惨さはテレビ放映されたミクロな
コンテクストとして紹介され、人々の不安をかき立てるが、そのような人々も政府の支援の
一部というマクロなコンテクストの中では、全体の一部となる。
15そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/08(水) 16:52:30
ミクロなコンテクストとマクロなコンテクスト


現代人はミクロなコンテクストとマクロなコンテクストに生きている。ミクロなコンテクストと
は、身近な社会生活である。名前はなにで、どこに住み、親は誰で、友は誰で、どのような
趣味をもち、どのように経験をしてきたか。すなわち代替不可能な私であって、繰り返せな
い経験であり、そこには自らが世界の中心という思い入れである。

マクロなコンテクストは、日本人の中の一人のように集団の一部である。たとえば税金の
徴収には、法律にもとづいて徴収される。そこでは日本国民の一人という立場しかない。あ
るいは電車にのるとき、自動改札機をとおり、エレベータののり、列に並び、電車にのりこ
む。このような集団の一部として整然とふるまう行為において、人はマクロなコンテクストに
属している。

マクロなコンテクストは大量の人を管理するための環境との関係であらわれやすい。環境
の設計において、人は集団としてあつかわれ、単体では統計的、功利主義的な「快感機
械」として想定される。現代において、マクロなコンテクストは、「環境」そのものを構成し、人
々を包囲している。また科学、そして経済学において人はマクロなコンテクストとして現
れる。
16そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/08(水) 16:53:28
不況と神経症


08年当初、アメリカでサブプライムローン問題が浮上し、アメリカ経済が心配されていたと
き、実際に経済に影響を与え始めていたが、それはまだマクロなコンテクストであった。

しかしリーマン・ブラザーズが倒産したとき、ニュースを通して世界に配信されて、マクロな
コンテクストはミクロなコンテクストへと転倒した。すなわち合理的に自分の身になにがおこ
るか以上に、身近な不安感として体感された。そしてその心理的な衝撃は、雪崩(カスケー
ド)のように、世界に波及し、人々の経済活動を抑制し、世界経済は大不況へと崩れていった。

このような傾向は、精神分析のいう神経症に似ている。神経症もマクロなコンテクストから
ミクロなコンテクストへ転倒として見ることができる。先に、「崖っぷち犬」はただ「悲しい犬」
という感情移入程度であったが、たとえばとてもナイーブな人がいて、毎日、保健所で処理
されている犬たちというマクロなコンテクストがミクロなコンテクストへと転倒したらどうだろ
うか。「まさにいまこのときも犬が殺されつづけている」と気に病んで仕方がない。その痛み
から離れられずに同調し続けるとき、その人はもはや健全な精神ではいられないだろう。

たしかに処理される犬、あるいは世界の貧しい人々、虐待される子供達、これらは問題で
あるし、人ごととして片づけることができないが、たえずミクロなコンテクストとして感じてい
ては人は耐えられないだろう。すなわちマクロなコンテクストとは、世界は不完全で、不確
実であることを受け流す役割がある。
17そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/08(水) 16:54:49
経済成長とミクロコンテクストな熱狂


自由主義経済学は本質的に、功利主義的な主体によるマクロなコンテクストでのみ経済を
考える。それに対して、実際の経済ではマクロなコンテクストからミクロなコンテクストの転
倒は切り離せない。これがただの感情移入程度なら良いが、それが「雪崩(カスケード)現
象」として、大きな流れを生み出す。それは信用不安という不況だけではなく、過剰信用と
いう好況をも生み出す。

さらにいえば、継続的な経済成長そのものが不思議な現象である。経済成長の継続のた
めには、新たなイノベーションへの飛躍が必要である。飛躍は合理性からは出てこない。そ
の飛躍にはマクロからミクロへのコンテクストの転倒が不可欠だろう。そこに新たな未来像
をみるという想像力である。それは一人だけではなく、多くの人々がそのイノベーションの
未来像へ「熱狂」するというミクロコンテクストな錯覚である。

しかしただ錯覚だけで、経済成長は起こらない。その熱狂が実際に、固定資本による環境
として具現化するときに、マクロなコンテクストとして現れるときに長期的な経済成長は起こ
るのだろう。
18そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/08(水) 16:55:42
不況対策と精神分析


では不況からの回復への短期的な対策は可能であるか。インフレ政策や、公共投資(財政
政策)などのマクロなコンテクストへの作用とともに、そのような対策が効果があるというミ
クロなコンテクストとして安心感を与えることが重要になるだろう。

これはまた精神分析的ではないだろうか。現代において精神分析の効果は懐疑にさらされ
ている。神経症の患者が長期的に治癒していく可能性があるとしても、いかにすれば短期
に直す方法はあるのか。フロイト自身も最後まで悩んだ問題である。問題の一つは「転移」
である。通常の医学のように患部がありそれを治療するのではなく、患部(患者)自体が学
習し、治療そのもの(医者)の影響を受けて変化していく。

これはマネタリズムのフリードマンがケインズ経済学を批判した方法論に似ている。患者
(経済)には自己治癒力があるのだから自由に任せた方がよい。無理に治療(介入)しよう
とすると、その治療(介入)に反応して余計に悪化する。

ここに精神分析的な心身二元論のメタファーを導入しよう。

>>
ケインズ経済学・・・ミクロなコンテクスト重視、需要サイド、精神(欲望主体)、精神分析
マネタリズム・・・マクロなコンテクスト重視、共有サイド、身体(快感機械)、自然治癒
<<
言いたい放題だな
20そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/09(木) 15:03:45
■ケインズと欲望と腐敗と

古典派では経済学とはマクロ分析であった。マクロにあわせてミクロを説明するために功
利主義が導入される。しかしそこに積極的意味はなかった。ただ快楽機械という具体的な
ミクロ像が提示されることで、その違和感が浮き彫りになったということだろうか。

そしてケインズはそのミクロ像に「欲望」を導入することで、新たなミクロ理論と古典派のマ
クロとの利害のギヤップが生まれる。ケインズはその調整として政府の役割を重視したのだ。

古典派の「セイの法則」に対して、ミクロに左右されやすい需要サイドこそが経済を主導す
るという「有効需要の原理」への展開に特徴的である。供給(生産)サイドは利潤を重視し、
労働者も合理的な快楽機械であるかもしれないが、需要(消費)サイドは人間性があらわ
れてしまう。

しかしケインズが重視する「流動性選考」というミクロなコンテクストは、欲望の一部でしか
ない。経済学というマクロコンテクストへミクロコンテクストを導入するために整流されたも
のである。

ミクロコンテクストはもっと複雑である。いわば、ケインズ経済学が修正資本主義として政
治化されるときにこそ、現れる。すなわち「権力は必ず腐敗する。」ということこそがミクロの
本質である。マルクス経済学が共産主義として政治化されたときに起こったことと同じである。
21そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/09(木) 16:01:18
ケインズにおいて、供給量と需要量がずれることで、有効需要原理は生まれる。
このズレを生み出すのが、ケインズの欲望の二元論である。
生活に絶対必要な需要と、消費性向によって決定する需要。

>>
(人間のもつ必要は)われわれが仲間の人間の状態の如何にかかわらず
感じるという意味で、絶対的な必要( absolute needs )と、その充足に
よって仲間たちの上に立ち、優越感を与えられる場合に限って感じると
いう意味での相対的な必要( relative needs )(の二つである。)

「わが孫たちの経済的可能性」 ケインズ
<<

これはまさにヘーゲルの欲求と欲望の二元論がある。欲求とは、動物のもつもの
すなわち古典派の功利主義的な「快感機械」、そしてフロイトの快感原則。
それに対して、人間は欲望をもつ。フロイトの快感原則の彼岸である。

すなわち古典派は人間を動物として考えるのに対して、ケインズは欲望を導入する。
経済学へのこのような欲望の導入は、ケインズが初めてではない。
マルクスが物神性を中心に据える。
22そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/10(金) 13:52:04
■経済政策の企業中心から市民中心社会へ


ゼロ金利が生む格差

金持ちは資産運用のために積極的に投資をする。貧しいものはなかなか投資することは
むずかしく、安心から貯蓄するだろう。ゼロ金利時代では貯蓄は増えることはなく、慢性的
なインフレにより減らすのみである。そしてなおさら、投資は株、土地など、専門性や有力
情報などむずかしいものになり、金持ち特権が優位になる。

インフレ、金利ゼロがよいのは、資金調達する企業に有利であり、貧しいものも雇用確保、
賃金アップで還元されるはずであるが、現実は正社員の既得から賃金が回ってこない状
態にある。貧しいものには受難の時代である。

日本は企業中心社会であり、企業が富むことで労働者に還元される仕組みになっている。
それは、経済政策しかり、社会制度しかり。それは優遇だけではなく責任もである。たとえ
ば環境対策にしても、環境対策規制は企業にかかるようななっている。

だから企業に帰属していなければさまざまな優遇は受けにくいのが実情である。正社員で
あること、それは一つの特権なのである。正社員が当たり前であった時代はよいが、限定
されてくることで、特権を持つものと持たざるものとの格差が開いている。
23そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/10(金) 13:52:53
経済低成長社会

金利の低いにもかかわらず企業は収益をあげられず、経済は成長しない。だからなおさら
人々は将来への不安から貯蓄する。金利がゼロで増えないにもかかわらず。そして内需
は冷え込み、企業が儲からないという悪循環である。ではいっそ荒ら治療で金利をあげる
べきか。それもあるかもしれない。逆に消費者心理を和らげるかもしれない。

しかし本質は経済成長の停滞だろう。それは内需がのびないのだ。なにかを買おうという
熱狂ない。経済成長率の伸び悩みは高齢化、少子化などと同じ先進国の強い傾向であ
る。そして戦後の企業中心社会の限界だろう。企業が成長することで、労働者に利益が還
元され、消費がのび、経済が成長する。

企業中心から市民中心社会へ

これからの経済政策は、市民中心へとシフトしていく必要があるし、また社会的責任も企業
を介して行われ、労働者はただがむしゃらに企業のために働いていればいいということは
なくなる。その意味ではやはり自由化、自己責任は必要である。しかしそれと福祉の充実
は対立しないだろう。市民中心の政策、市民責任、そして市民による社会活動、そして少
子高齢化、緩やかな経済成長社会へ。成熟した資本主義社会へ。

市民は政府のケツを叩き、政府は企業のケツを叩き、企業は市民のケツを叩く。いままで
は企業が結果を出すことで、このサイクルは回っていたが、もはや機能していない。だから
市民は政府のケツを叩き、政府は市民のケツを叩く。それは市民の自主的協力と政府の
直接の支援を必要とする社会である。
24そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/10(金) 13:53:47
自由主義という社会


自由主義の本質は経済の自由化だろうか。経済は貨幣価値として見えやすいが、そこに
はたえず「社会」が動いている。経済的な自由と民主主義社会は切り離せないし、また実
際には経済的な自由といいながら実現されたことはなく企業中心主義社会である。これは
経済学者が言うように歪められた形ではなく、自由主義が受け入れられた形である。真に
経済的自由な社会は実現しないだけでなく、受け入れられるかあやしい。なぜならそこに
は「社会」がないからだ。

自由主義とは経済の自由を通していかなる社会が生まれるか、という審判である。だから
保護主義、寡占から自由放任主義まで自由度は高い。それは社会の在り方である。
ちょいと支援


712 名前: 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 投稿日: 2009/04/11(土) 07:42:12
今年の正月のブログで池田は大恐慌のときの話をして

>ローマーがブリタニカに書いているように
>財政政策はほとんど役に立たなかったというのが現在の学界のコンセンサスである。

なんて書いてるけど引用先の原文でローマ-は
relatively small role「(金融政策に)比べると小さな役割」
と言ってるだけだ。
その上、ドイツと日本では英仏などと比べて財政政策が効いたと
書いてある。
Fiscal policy was used more successfully in Germany and Japan.
誰も読まないと思ってデタラメ書くなよ、ノビー。

構造改革を知らない経済学者たち by 池田信夫 19
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1236919861/l50
26そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/13(月) 14:19:42
■資本主義の本質は流動性選好(ケインズ)ではなく賭博選好であるのはなぜか。

流動性選好から賭博選好


限界革命の要素還元主義化に対する、ケインズ革命の実働化への揺り戻し。ケインズは
実働性をいかに組み込んだのか。一番は供給サイドから需要サイドのシフトである。すな
わち「セイの法則」から「有効需要の原理」へ。

さらに需要サイドの独立的な主導を決定するための、消費者の消費関数と投資家の流動
性選好(貨幣愛)。これらは、まさに欲望論の導入である。消費は所得に比例するのではな
く、最低限の欲求消費と終わりない欲望消費がある。投資は利子率に比例するのではな
く、投資家の流動性選好(貨幣愛)が働く。

ケインズの「流動性選好」は、貯蓄による「安定性」を重視するが、この裏面、すなわち「危
険性」を考えなければならない。なぜ投資せずに貯蓄するのかではなく、なぜ貯蓄しない
投資するのか。そこにあるのは危険への選好である。

なぜこのような説明か必要であるか。資本主義の本質がリスクとチャンスにあるからだ。リ
スク(偶然性)は誰にも平等に訪れる。封建主義のような偶然性が排除され社会階級に埋
め込まれた状態からの離脱としてのインセンティブがある。それこそが人々を資本主義経
済にむかわせる。

このようなリスクとチャンスは投資のみにあるわけではなく、単なる商品交換にも、また貯
蓄にもある。問題は一般的に、商品交換や貯蓄に比べて、投資はリスクが高く、チャンスが
大きい。すなわち「賭博選好」が高い。このように考えると、貯蓄欲の意味がよく見えてく
る。すなわち賭博選好への萎縮が投資を抑制し貯蓄を増やす。

これは、不況に安心を担保するという不況論だけではなく、好況、あるいは経済成長そのも
のを説明する。好況は賭博選好が向上している状態であり、人々が高いリスクへも向か
い、経済活動を活性化する。
27そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/13(月) 14:21:23
賭博選好の主導者

ケインズの分類にあわせて、「投資者層」、「企業家層」、「労働者層」に分けて考える。
需要サイドのうち「投資」について考える。投資者層はその豊富な資産をもとに賭博選好を
高め、投資することができる。しかし労働者層はわずかな資金しかなくリスクが高い投資は
避けられ、貯蓄が求められる。

需要サイドのうち「消費」について考える。投資家のように多くの資金を持っていても、消費
関数に示されるように消費することには限界がある。だから消費へ影響を与えるのは消費
者としての労働者のマスである。

ただ消費にも賭博選好は働いている。商品を買うという行為はより安価でより望んだ以上
の効用がえられるかというトレードオフにあるが、そこにただ必要なものを購入するだけで
はなく、消費そのものの快楽がある。

「供給サイド」は営利を目的とした計画をもった企業活動を中心として合理的に進められる
が、需要サイドは賭博選好という時代の「気分」が大きく影響する。

しかし供給サイドにおいても「気分」は重要である。労働者は生産効率のための合理的な
行為に関係するが、企業家は新事業や将来にむけての経営判断、新商品など将来成長
にむけての選択が求められる。これは合理的な判断に限界があり、賭博選好が働き、時
代の「気分」に影響されやすい。

>>
賭博選好の主導者

需要サイド
 ・投資→投資家
 ・消費→労働者
供給サイド
 ・生産→企業家
<<
28そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/13(月) 14:22:13
短期的な「気分」と長期的な慣習(コンベンション)

賭博選考は先が見えないことで、「気分」に流されやすい。しかしこれだけでは安定的な経
済活動が行えない。「気分」は短期変動であって、その基底には長期成長があるだろう。そ
の一つが、リスクに対するチャンスをより確実にするための「助け合い」である。

投資における投資家は投資家たち、コンサルタント、政府などの「助け合い」のコミュニティ
を形成する。生産において企業家は企業家たち、幹部従業員、政府などと「助け合い」を形
成します。これらはほとんどの場合、合法的な「助け合い」である。

消費における消費者は消費者、広告業、企業と「助け合い」を形成する。ただ消費者はマ
スが大きいために広告などメディアを介して繋がる。だから企業は消費者にブランドを信用
してもらえるようにブランド戦略が重要になる。

「助け合い」が安定性を支える本質は、「助け合い」が反復されることで長期的な慣習(コン
ベンション)として形成されることだ。それは様々な社会的な、そして企業内の文化、あるい
は業界慣習そして国家制度としてある。そして慣習(コンベンション)は本質的には環境とし
て「固定資本」として具現化されている。このために変革するために膨大なコストがかかり、
短期で容易に変化しない。短期景気が「気分」として変動しても、長期的には堅実に経済成
長が進むのはそのためだろう。

計画経済のむずかしさは、計画が「気分」という経済の不安定を計画で押さえ込もうすると
き、権力者に「助け合い」が働き、権力の腐食が社会に根深く慣習化する。だからマルク
ス、ケインズが腐敗に破れたのは偶然ではない。

また自由放任にすれば「気分」によって経済は活性化するとともに不安定になる。その反
動として「助けあい」が働く。アメリカの金融破綻が自由放任すぎたというときに、消費者に
は情報交換は行われずに、投資家などの金融関係者が政府を巻き込んで暗黙の「助け合
い」を行っていたとも言える。
29そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/15(水) 11:59:21
NHKスペシャルの未開族密着をみたか、その日本人にも近い顔から不思議な気持ちになった。
なぜあそこまでベタなのか。それをテレビを通して見ながらネットで批評するメタな日本人。
人間は近代に生まれたというのもあながち言いすぎではないと思える。
あのベタさはおそらくほんのつい最近まで日本人にもあったものだろう。
フロイトは人間はみな神経症であるといったが、それはメタが全面化する最近の傾向だろう。若者の死亡原因の一位が自殺になるような国の話である。
30そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/15(水) 12:00:05
>>
古代エジプトは貴金属の探索とピラミッド建設という二つの活動をもった点で二重に幸運であったし、
伝説的なその富も疑いなくこの事実に負っている。というのもその果実は、それが消費されることによって人間の用に供するというものではなかったために、潤沢のあまり価値を減じることがなかったからである。
・・・要するに、われわれは、あまりにも分別がありすぎ、あまりに堅実な財政家になりきろうとしすぎる。
子孫のために彼らの住む家を建てよう、そのために彼らに余分の「財政」負担をさてもらわなくてはならない、そう決断すればいいものを、その前にあれこれ余計なことを考えてしまう。
だから、われわれは、失業という苦境から簡単に抜け出すことができないのである。P181

「雇用、利子および貨幣の一般理論」ケインズ
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31そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/04/15(水) 12:01:06
なぜ震源地からはなれた日本がもっとも不況にあえいでいるのか、考えるときにこの悪名高きケインズの公共投資論は示唆的であるかもしれない。
あまりに分別があり、あまりに堅実になりきろうとする。これは単に節約ということではないだろう。
将来におびえる、マスコミはネガティブキャンペーンをはるという萎縮する社会。これはただ政府の対策不足のせいだろうか、これは高度にメタ化した、すなわち神経症化した社会の宿命といえる。
愛知県立御津高等学校教諭森島美智子著「英語教育と日本経済」
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インフレターゲットFAQ
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http://www.geocities.jp/pcs06083/intage.htm
>(略)
>【インフレターゲット支持こそ経済学の本流】その104(現在リンク切れ中)
>http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1053857789/
>1 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 投稿日:03/05/25 19:16
>対日本経済インフレターゲット論支持派経済学者
>
>クルーグマン(プリンストン),スティグリッツ(コロンビア),バーナンケ
>(プリンストン,現在FRB理事),フィッシャー(MIT),
>岩田規久男(学習院),伊藤隆敏(東大),深尾光洋(慶應),野口旭(専修大),岩井克人(東大),
>伊藤元重(東大),北坂真一(神戸大学),林文夫(東大),ポール・サムエルソン(MIT),
>マネタリスト一同(メルツアー,フリードマンその他大勢),浜田宏一(エール),
>マッカラム(カーネギーメロン),IMF,OECD,ブラインダー,テイラー,ドンブッシュ
>オリヴィエ・ブランシャール,アダム・ポーゼン,ベンジャミン・フリードマン、ベッカー他
>
>前スレ http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1053367203/l50
>参考URL
>http://www.post1.com/home/hiyori13/krugman/japtrapj.html
>http://www.post1.com/home/hiyori13/krugman/liquid-j.html
>http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/stiglitz.html
>http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/iwata20020227.html
>参考文献
>初級レベル
>「恐慌の罠」クルーグマン  「インフレターゲティング」伊藤隆敏
>「デフレの経済学」岩田規久男  「日本破綻」深尾光洋
>中級レベル
>「金融政策論議の争点」小宮隆太郎編著  「マクロ経済政策の課題と争点」吉川洋編著
>「デフレ不況の実証分析」原田泰・岩田規久男編著 「経済論戦は蘇る」竹森俊平
>「日本の金融危機」三木谷良一、アダム・S.ポーゼン編
34金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/09/23(水) 01:00:44
なにこのスレ?
35金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/10/26(月) 21:12:01
age
36金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
【ニュー速経済学部】マクロについて語れるの?
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1264552763/l50