衫並区高丹寺のぼろアパートの一室に宅配で書類が届いた。
部屋に棲む老人は差出人が「京部大学の大森」であることを見て首をかしげた。
汚れた部屋の万年床の上で開封すると、なかに入っていたのは
鰍主任科学官の『モヨコ双対モナドのモジュライ構造について』というプレプリントだった。
老人は最初漫然と読んでいたが、やがて喰い入るような眼になり、
時間の経つのも忘れて数式を追い始めた。
老人は往年の束京大学大学院新領域創生科学研究科衛星都市研究分室分室長・首猛夫である。
彼は富士の樹海のなかにあった次元回廊をくぐって
衛星軌道上のフダラク市まで跳んだことがある。
フダラク市の生き残りなのだ。
ほんの少し前、彼がまだ老人ではなく、中年だった頃、
アルジャーノン指数は充分高く、形而上物理学はリアルだった。
ほんのちょっと前のことだ。
いまでは宇宙の物理自体が変質してしまった。
ときどき自分の前半生が夢だったのではないかと思えてくる。
フダラク市なんて、実在したのか?
だが、首猛夫の脳裏にはいまでもフダラク市のダイモン通りの様子が立ち現れるし、
ダイモン通りの上空でマイクロブラックホールが青い光を放っている状景も浮かんだ。
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1149045915/490n-493 http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1149045915/528n-529 首猛夫と矢場徹吾市長は研究員たちを船で逃がしたあとで、
最後に自分たちはノーマルスーツを着て、なるべく重力源から遠ざかる方角にガス噴射をし、
ガスが切れたあとは宇宙空間を漂いながらひたすら救出を待った。
「漂う」というのは語弊がある。彼らの軌道に偶然的な要素などひとつもなかったからだ。
スタンダード物理学に厳密にしたがってマイクロブラックホールの重力場に引かれながら、
最初のガス噴射による運動量をひたすら喰いつぶしたのだ。
聞こえる音はノーマルスーツのなかの自分の呼吸音だけ。
矢場徹吾市長とは、はぐれてしまった。
市長の消息はそれ以来わからない。