兵庫リサイタルで主催してる大野企画とはつき合いが長いとはいえ、
唯一絶対、ってわけじゃないからな
やっぱ山下にもう声がかからないのかな?
大野企画以外じゃ、
プログラムは山下サイドの希望ごり押しで藤家作品だらけになるけど、
藤家なんで誰も聴きたがらないからな。
おまけに藤家作品の演奏だと、
タッチまで神経衰弱みたいなそれに変えちゃうので、
演奏そのものもつまらないし。
別に大野の回し者じゃないけど、クラギの普及や山下氏の演奏会企画等に
熱心な、日本でも有数のギター団体だと思うよ。
昔は豊中アクアホールで、山下氏のコンサートをよくやっていた。
ビートルズの編曲物をやったのも、国内では大野主催ぐらいだったんじゃ?
あと、兵庫県立芸術文化センターの存在も大きいと思う。
400席ほどのキャパで低料金、器楽独奏に向いたホールの作り、
近隣に毎日が日曜の富裕層が多く、熱心なファンの存在と合わせて集客が見込める。
最近の山下氏のコンサートで、ほぼ満席になったのはここだけだった。
大野主催の芸文センターの公演予定を見ても、ディアンス、木村大、福田進一
といった顔ぶれで、何となく感じ入るものがある。
しかしそれにしても、来年のコンサートは「ソロリサイタル」という所が
素晴らしい。去年5月の「アラビアンナイト」を観た時に強く感じたのは、
次回はぜひ単独コンサートを堪能したい、という事だった。
「火の鳥」の時といい、夢が叶って感無量だ。
おおの企画は希望をかなえてくれるが、PCMは削除するだけの糞だな。
いいなあ。関東でもやらないかな?
藤家作品でもいいから
>>951 いまさらだがthx
たいへん貴重な記録だと思う
まあアンコールならもうちょっと気楽に聴ける曲がいいと思うが
アンコールの選曲に対する山下氏の考えが示された例として、
風色ベクトルのライナーに興味深い一文がある。
>「アンコール・ピースのようなやさしい小品を」という注文で〜
トロントのアンコールの印象が強すぎて、山下氏はアンコールでも
バリバリ弾くイメージがあったが、実際はコンポステラの歌などの
平易な曲を弾く方が多い。
・・・まあ第三の靴はアンコール向きじゃないなww
という事で来年のコンサートのアンコールは、
ゴールドベルク変奏曲アリアか平均律クラヴィーア第1番を希望。
全然平易じゃないけどw
955 :
ドレミファ名無シド:2013/07/24(水) 11:10:28.16 ID:wgBTqPE9
>>953 昔、バッハのバイオリンソナタ1番と3番をプログラムの後半で弾いたあと、
同2番のフーガをアンコールで弾かれたのを聴きました。
今考えても、すごい集中力と体力ですよね。
確かに演奏は凄かったのですが、聴衆サイドがもう「おなかいっぱい」感が
漂ってました。
そう考えるとアンコールはホッとする小品の方がいいかもしれません。
956 :
ドレミファ名無シド:2013/07/25(木) 16:19:41.94 ID:0w70X3L8
アリアより第一変奏の方が聞きたい
>>955 バッハメインでやってた頃は、確かにお腹いっぱいでノーサンキューって
感じだった。今にして思えば贅沢な感想だなw
1989年12月15日
1.前奏曲とフーガとアレグロ
2.組曲 ホ短調
3.無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番
4.無伴奏ヴァイオリンパルティータ第1番
1989年12月16日
1.無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番
2.無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番
3.無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番
4.無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番
当時はこんなとんでもないプログラムをやってたwww
ところで、バッハを暗譜するのは困難だと思うんだが、山下氏は今でも
コンサート5回分のレパートリーがあると言うのが理解できんw
音の並びが複雑で、単純なメロディと伴奏という形が少なく、旋律の横の流れと
対位法が縦横に絡み合い、半音階の動きを伴って進行するので
1曲や2曲ならまだしも全曲暗譜というのは・・・
959 :
ドレミファ名無シド:2013/08/05(月) 11:27:58.65 ID:oez1Jtmn
バッハは7夜分では。
単なる暗譜なら、バッハの組曲を初めて取り組んだとしたら1組曲なら
大将なら1日もあれば十分に暗譜できるんじゃないの。
レパは50プロ分1000曲、コンチェルトは20曲くらいは余裕では。
デビューしたての頃のインタビューでレパが300曲という噂が一人歩きして
困惑しているとのコメントがあった。
それでも、覚えている曲は三桁。ただし、そのうち発表できるとなるさらに絞られる
ということも言っていた。
大抵の難曲なら、ほぼ初見で完璧に弾けるよ。1〜2回通して弾けば、完全暗譜。
最低、そのくらいのレベルにあると思う。
960 :
ドレミファ名無シド:2013/08/05(月) 11:58:00.94 ID:oez1Jtmn
ソル全集16CDだって、正味2週間(確か)の録音でしょ。
以前からのレパは魔笛、グランソロ、羊歯くらいで、その他は録音用に初めて
取り組んだ曲ばかり(だと思う)。
大将の指ばかり注目されているけど、指の構造よりも、他の奏者とは音楽の素養が違い過ぎる。
その差が、演奏力の差になっている。
大将の録音は、それまで暖めたレパを収録するというよりも、
録音用に新曲に取り組む(フォッサ、ポンセ、タンスマン)ケースのほうが
むしろ多いんじゃないかな。
タンスマンは、事後、タンスマンの夕べのリサイタルを開催したけどね。
録音は、軽く1000曲を超えているし、録音されているものの発売されていない
ものも多数あるらしーし。
その録音さえしていないレパも無数にあるしね。
もう既に並みの巨匠の4人分くらいは録音してしまっているね。
961 :
ドレミファ名無シド:2013/08/07(水) 10:01:48.90 ID:U+VmxyH4
LD手に入った。
正式なタイトルは
「中学校音楽鑑賞教材・下」
ジャケには演奏者の表記はない。
この教材は、教科書が変わるたびに
全てのLD・DVDが対象とは限らないので注意。
962 :
訂正と補足:2013/08/07(水) 11:57:23.60 ID:U+VmxyH4
「この教材は、教科書が変わるたびに作り変えるので」
「すべての教材用LDやDVDに大将が出ているとは限らないので」
>>961 昔話題になってた教材のアランフェス?
いつ、どこのオケと共演したものか分かりますか?
>74 名前: ドレミファ名無シド 投稿日: 2008/11/08(土) 22:20:08 ID:06wjAHRf
>山下のアランフェスが収録されているLD、
>ヤフオクで二万五千円以上の値がついた。
>LDで、しかも音楽教材用のやつなんだけどな(´・ω・‘)
>612 名前: ドレミファ名無シド 投稿日: 2007/03/17(土) 11:57:31 ID:uLT88KQu
>3.LD:アランフェス協奏曲<1990年頃?詳細不明、恐らく国内の管弦楽団、中学校の音>楽教材があると音楽教師情報、一般非売品?>
>613 名前: ドレミファ名無シド [sage] 投稿日: 2007/03/17(土) 12:27:51 ID:wEOpOD4m
>それって非売品で、しかも抜粋版じゃなかったかなあ確か。
>ソースはNHKコンサートで収録したやつ。
964 :
ドレミファ名無シド:2013/08/08(木) 11:59:49.01 ID:sbA9RjkR
十束尚宏、東フィル です。
アルベルト・アルグード指揮
ヴァジェス・シンフォニー・オーケストラ
独奏:ジャウミ・トレンツ
なんていうのも併録されてます。
抜粋ではないです。
この人コードの運指を保ったままソロ弾くんだな。速いわけだ
966 :
さらに訂正:2013/08/08(木) 15:46:02.50 ID:sbA9RjkR
正式なタイトルは「中学校音楽鑑賞共通教材・下」
中学校の教材のなんちゃらってのCDもあるよね
次スレ立てるやつは、↓こーいうバカなマネはしないように!
なぜこいつ ( ID:N+vRbUta ) が超絶バカなのか、理由はわかるよな?
>>1スレに前スレのウラルを入れとかないと、
dat 落ち後に過去スレを遡れなくなるからだ。
だからどこの板のどこのスレでも皆、
テンプレ途中でもとりあえず前スレのウラルは
>>1に必ず入れてるのに!
そんな観察力もなければ考えを掘り下げられねー、
ID:N+vRbUta みてーな超絶バカは死んだ方がいい
ま、俺は●持ちなんで dat 落ちしても関係ないんだけどねw
1 名前:ドレミファ名無シド[] 投稿日:2012/05/25(金) 13:34:23.04 ID:N+vRbUta [1/2]
天才
2 名前:ドレミファ名無シド[] 投稿日:2012/05/25(金) 18:35:44.20 ID:N+vRbUta [2/2]
■ 山下和仁は地球上で最もうまいギタリスト 7 ■
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/compose/1291177641/l50
973 :
ドレミファ名無シド:2013/08/20(火) 17:46:49.38 ID:ZGyc43Qh
>>972 本当に出た?
アラートにかからなかった
1,000円で終了したねw
〜バッハ・チェロ組曲1番から6番〜
山下和仁ソロリサイタル
マジっすか! こう来るとはね〜
1と6だけでいい
それ以上長いとつらいわ
また随分と先ですなぁ。
まぁ奥さんの曲よりはずっといいという事でw
山下はチェロ組曲が本当に好きで、1日に全曲通しを2回も弾くことがあるらしい。
山下和仁についてのノート
山下和仁氏との出会いは1980年5月にさかのぼる。当時、彼は既に三つの
国際コンクールを制覇した19歳の疾走する天才少年。私はまだデビュー作すら
発表していない27歳の鈍行作曲家。それが不思議ないきさつから原田力男さん
というプロデューサーの引き合わせで出会い、東京での彼のミニ・コンサートの
ために曲を書くことになった。それが「リトマス・ディスタンス」という曲である。
しかし、彼の演奏を間近で聴いて思ったのは「彼のギターはもはやギターでは
ない」ということだった。彼のギターはグランド・ピアノであり、普通のギター
音楽が個人的なロマンスをつぶやく楽器なら、彼のギターは巨大な人間の存在を
音楽で構築できる壮大な楽器。これはもう、トカゲと恐竜の差なのである。
それから「真に山下和仁氏のギターに相応しい大きさと速度とファンタジーを
持ったギター協奏曲」を書く、という夢に向けての七転八倒が始まった。
書き上げるまでに何度も彼の助言を得たのだが、「これは弾けませんよ。ほら」
と言いながら弾いてしまうので、そのテクニックには唖然とするばかり。
そして、ほぼ4年をかけて「天馬効果(ペガサス・エフェクト)」という名の
ギター協奏曲を完成。1985年3月に初演した。彼は初演を暗譜で弾き切り、
私の夢に見事に答えてくれた。これはもう作曲家冥利に尽きると言うしかない。
その後も、東京に出てくるたびに飲みに行ったりする付き合いが続き、
鋭利な刃物のような彼の技術に(年齢相応の)円熟味が加わってきたころ、
「そろそろ、またギターに曲を書きたくなりません?」とささやかれ、新作を
書き下ろす約束になった。「コンチェルト初演から7年目の冬のことである。
その時に書いた「風色ベクトル」という曲を端緒にして始まった連作が、
このCDに収められた「三部作」というわけである。
思えば、最初の「リトマス」のころは山下氏がまだ10代で私は20代。
「天馬効果」のころは山下氏が20代で私は30代。そして今回の「三部作」では
山下氏が30代で私は40代。妙な作曲家とこれだけ長いこと付き合ったことが、
演奏家である彼にとって幸運なのか不運なのかよく分からないが、超一流の
演奏家と同時代に生きて作品を提供できた私にとっては幸運以外の何者でもない。
長く不思議な、そしてこれからも大事にしてゆきたい素晴らしい付き合いである。
作品についてのノート
●ギター・ソナタ「空色テンソル」(1992)
ギターの動的な推進力と多面性を、空の色をしたテンソル(張力)に模した
5つの楽章からなるソナタ。
この曲は、「とにかく長大で巨大な構造を持った交響曲みたいなギター曲」
という発想で書かれたもの。最初は全7楽章40分ほどの構想だったのだが、
いくら何でも長大すぎて断念。最終的に半分ほどの長さになった。
ソナタであると同時に、空によせるラーガでもあり、いわゆる描写音楽では
ないが、疾走する真昼のプレストで始まり、夕暮れと夜を経て、最後は太陽が
地平線を昇ってゆく壮大なドローンまでがギター一本で描かれる。
初演は、1992年10月の東京文化会館小ホールでの彼のリサイタル。
●風色ベクトル(1991)
ギターの静的で透明な響きを、風の色をしたベクトル(方向量)に模した
3つの部分からなる前奏曲。
三部作の中で最初に書かれたこの曲は、「リサイタル用の、やさしい
10分ぐらいの曲」という依頼で書かれたもの。最初はもっと短いミニ・サイズの
小品だったが、後半のいくぶん動的な部分を付加して現在の形になった。
風に触れて音を発する「糸」と、凧の静けさ、および風に乗って聞こえてくる
異国の音楽のイメージを元にし、かなりやさしくギター向きのサイズと楽想を
持った曲にしたつもりだったが、山下氏によれば「そんなにやさしくはないですよ」
とのこと。反省しきり。
初演は、1992年1月の東京カザルス・ホールでの彼のリサイタル。
●水色スカラー(1993)
ギターの線的なリズムを、水色のスカラー(実数量)に模した
擬似古典的な5つの小さな舞曲集。
三部作の中で最後に書かれたこの曲は、「プレイアデス舞曲集」という
ピアノ連作の姉妹作とでも言うべき作品で、ルネサンス音楽のリュートによる
擬似古典的な舞曲を現代に翻案したもの。
八分音符と十六分音符だけの譜面で書かれているので一見するとやさしそうに
見えるが、不思議な変拍子と奇妙なパッセージが連続するので、山下氏によれば
「繰り返し弾いていると指がネンザする」…そうである。
1993年7月に福岡でのリサイタルで初演された。
●2つの小品
淋しい魚と白い風景によせる2つの小品
この2つの小品は、ギターのオリジナル曲ではなくいずれもピアノ小品を
アレンジしたもの。「聖歌」は10代のころ書いたピアノ小品のひとつで、
ピアノ曲集「夢の動物園」(東亜音楽社)第3巻に「淋しい魚の聖歌」として
収められている。「ノエル」の方はフルートとハープとファゴットのために書いた
「3つの白い風景」(1992)という作品の中でハープが弾くメロディ。
「アンコール・ピースのようなやさしい小品を」という注文で、旧作から
ギターに向きそうな小品を数曲選んでギター用に編曲したのだが、今回の
アルバムではその中から最も遅くて最もシンプルな2曲だけを並べることにした。
やさしいことはやさしいが、二曲とも「弾いていると、どんどん遅くどんどん
静かになる」あぶない曲でもある。
●リトマス・ディスタンス(1980)
夢の中に、淡い色をした青い砂漠と赤い砂漠とがある。そこに乾いた瞳を持った
ヴェドウィン(遊牧民)たちが棲んでいる。
酸性のベドウィン、そしてアルカリ性のベドウィン。つまりはリトマス試験紙の
上の架空の砂漠らしいのだが、彼らは砂の上に腰をおろし、ギターによく似た
弦楽器を抱きかかえると、遠い幻のような不思議な歌を歌い始める。
私はそれを採譜し、リトマスによせるディスタンス(遠景)を想う。
この曲は、山下和仁氏のために書いた最初の作品で、アラビアのウードあたりを
想定した擬似民族音楽とでもいうべき曲。アラビア音階風の特殊な調弦を使ううえ、
後半では、演奏しながら胴を叩いてリズムを作り同時にチューニング・ペグに
引っ掛けた風鈴を鳴らす、というアクロバットのような離れ技が要求される。
初演は、1980年10月の東京でのミニ・コンサート。
翌々年、彼の「モダン・コレクション」(Alfa)というアルバムに収録された。
■ベートーヴェン:ギター協奏曲■
若くして卓抜な技倆をたくわえた演奏家が、先人の残したものに飽き足らず、
新しい世界を切り拓いていこうとする様子はつねに魅力的である。
ことにその試みが真底からの欲求と情熱をこめて行われ、そのうえに広い意味で
音楽の基盤を守る聡明さに裏づけられているならば…。
先年、話題を呼んだ《展覧会の絵》全曲演奏につづき、ここにまた山下和仁は
きわめて大胆な構想を実現へと運んだ。しかも、非常にむずかしい仕事ではあれ
「個」の範囲内に場を限った独奏曲とは異なって、オーケストラを相手どった
協奏曲である。それも、選んだのがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とあっては、
最初の反応はどうであれ、関心を惹かれぬ人もないであろう。
いま、冷静かつ公平に見れば、この試みのことを耳にしたとき
「ギターにそんなことができるのか?」と不信を表明する人びとの方が、
「彼なら立派にやりとおせるだろう」と即座に肯定する人びとより、
ずっと多いにちがいない。ギターと管弦楽の協奏ということ自体にすら、
今なお否定的な意見を持つ人は少なくないのだから。
しかし、山下和仁にとって、オーケストラとの競演はなんら特殊な体験ではない。
私個人の記憶をたどってみても、テレビを通じ初めて彼の演奏ぶりに触れたとき、
彼はなんとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第1楽章をギターで弾いてのけて
いたのである。
その後しばしば実演で彼とオーケストラの共演を聴く機会があったが、
いつも私を感心させたのは、若い彼が懸命のひたむきさと同時に示す自信であった。
そして、とくに合奏の場合のこうした自信は、充分な体験の裏づけなしには
けっして生まれるものではない。
彼の場合、その体験は父・山下亨の指揮する<長崎ギター合奏団>の存在によって
つちかわれた。これはギターのみを集めたアマチュアの団体であるが、
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの作品をつねに編曲・演奏し、
すぐれた効果を挙げている。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をギターに
移し全曲くまなく演奏するという発想も、そうした環境に支えられてこそ
生まれ得たのである。
ところで、なぜベートーヴェンの協奏曲なのであろう。もちろんそこには、
この曲がヴァイオリン協奏曲の王者であり、どうせ挑戦するならば大樹をめがけて
ぶつかろうという若者の覇気を誘ったこともあろう。
だが、彼自身が意識しているか否かにかかわらず、そこには、もう少し掘り下げた
意味での要因もあるはずだ。まず技術的なことで、この曲の調性ニ長調は
ギターではごく弾きやすいものに属するし、旋律的な主題のあいだをつなぐ、
あるいは他の楽器が主題を奏でる間、それを装飾する独奏楽器の動きには
アルペジオ風の音型がたいへん多く、これがギターの特性とぴったり合う。
もうひとつは、どうしてもこの曲を弾きたかったという山下和仁の気持に関する
ことである。最近(1982年)径書房から出版をみた渡辺香津美(ジャズ・ギター
界の俊秀)と山下和仁の対談集<ギター対話>はまれに見るすがすがしさを
湛えた本であるが、その中で、山下はこう語っている―
「……(ぼくは)複雑で豊かな人間の内面を作品の中からいかに引き出して
いくかということと、そうして創造された音楽の格調が、いかに精神的に
高められるかに関心を持っています。(中略)
クラシック音楽は刺激が少ないとか、聴いてて退屈だというようなイメージを
持たれている人もいるかも知れませんが、それは全く違います。
ほんとうにすぐれたものに触れるチャンスに一度でも恵まれればすごい
ショックを受けるんです。しかもそれは数ヶ月で消えるようなショックではなくて、
その人の生涯にとって深い意味をもつものだと思うんです。
感動の連続に退屈なんかないんです。クラシック音楽をする人たちには、
そういう深い使命があるし、そういうものを創っていかなくては、クラシックを
やる意味が半減されると思うんです」と。
彼がベートーヴェンのこの曲を選んだことにちなんで、これ以上つけ加える
言葉があるだろうか。
編曲はもちろん一音符もゆるがせにしていない。ヴァイオリンに比べて
ギターの大きな引け目(ないし相違)は音を持続できぬことで、とくに高音域では
それが目立つが、山下はあえて姑息な手段(マンドリン式のトレモロといった)を
とることなく、思いきって余韻にまかせた。
また、ギターにはヴァイオリンより多くの和音が可能だからといって
それを施すことを濫用せず、必要の最小限にとどめた。この曲に存在する
ベートーヴェン自身の<ピアノの編曲版>を参照するよりは、原譜の方に
忠実であることを選んだ。
ギターが他楽器と協奏する場合、なるべく負担を楽にして一音一音を美しく
響かせることこそ肝要なのだから、これは正しい方法である。
ほかに当を得たハーモニックスの使用など注目すべき点は少なくないが、ここでは措く。
(このギター版の楽譜は、当レコードの発売と同時に現代ギター社より出版される)
誰しも心を奪われるであろう第1楽章のカデンツァは、よく知られた
フリッツ・クライスラーのそれに手を加え、まことに見事に”ギター化”したものである。
埋め