/ ̄ ̄〕/ ̄ ̄ ̄〉 i⌒ー―'^フ √ ̄ ̄ヽ_ √ヽ
| √/ /7 / ┌‐└‐っ c--‐¬√ √ヽ | [ ̄ __゚丿
| レ´ / ̄ハ | | 几 q p lフ ノ| ∧ フ ノ | / 'ー┐
| ∠っ└┐| L_ノ こ二二フ ̄ |_|/ ` __ノ 〈__入 <__几_
└-┘「 ″゚_人 ヽ (‘ ̄ ̄ ̄〕 / 〉 |i `ーっ┌‐┘
_フ レへ、 \_ハ `フ こl⌒ヽ / /| ム_ノ l └─,ヽ
〈___ノ〉ノ \_ノ〈__ノヽ__ノ (__/ 乂__ノ こ二二ノ 題字 平田弘史
・リイド社「コミック乱」(毎月27日発売)にて「風雲児たち-幕末編-」連載中。
「風雲児たち-幕末編-」単行本はリイド社より既刊1〜19巻絶賛発売中。
「風雲児たちワイド版」全20巻もあわせてどうぞ。
ttp://www.leed.co.jp/ 前スレ
〜みなもと太郎「風雲児たち」茶屋 其の参拾伍〜
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/comic/1322880051/ 関連リンク、スレのガイドライン等は
>>2-4辺りにあります。
【ガイドライン】
・「コミック乱」連載のネタバレ解禁は発売日の午前零時から。
ただし歴史漫画である本作は壮大なネタバレがあっちこっちに転がってますので、
その辺はどうかどうか節度を守って振舞うようお願い申し上げます。
・議論はマナーを守って熱くなりすぎない程度に。
物言いが付いたら一旦休憩して頭を覚ますのが上策。
後、意見というものは内容の正しさよりも発言者の態度が相手に与える影響大です。
子平さんや長英兄貴や蔵六先生を思い出して自らの戒めにすると吉です。
・明らかな荒しは相手をすれば居座るだけです。
玄白先生や阿部正弘侯なみの世渡りで華麗にスルーして下さい。
・レスが
>>980を越えたらさっさと新スレを立てましょう。
いじょ。ヌケ等ありましたなら適宜補ってくだされ。
9 :
AA移転中:2012/02/15(水) 18:37:06.44 ID:mXrOrjZ00
__________________
、;‐'"´ ``ヾノ"´ :::`‐、::::::::
`ヽ:::::::::
|:::::::
l:::::::
|:::::::
_ _ /:::::::: 村田蔵六であります
/ \ /_ \ノ:::::::::::
// ̄\ \ // :::::`ヽ\::::::::: 新スレ……実に喜ばしきことであります
|/ \ \| |/// ` `::\|::::::::
__\ル/__ ヽ:::::::::::: 私とて嬉しさのあまり
γ´ ・`Lノ´・ ヽ |::::::::::
| _| |_ | |:::::::: いつになく取り乱しております
乂_γ´ ::::::ヽ_ノ ノ::::::::
γ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ゝ___::::::::ノ ̄ ̄ ̄ ̄::ヽ:::::::
{───────────────:::}:::::
10 :
AA移転中:2012/02/15(水) 18:38:18.10 ID:mXrOrjZ00
|
| 新スレ、乙かれさん!
|
└─────────────ノ─────────────┘
,.、
ヽヽ ,,,,
\ゞ,,ノ.-─==--、
/;;;ヽ"(⌒ヽ(⌒`ト
l;;;;;;;;) ,.-、 ,.-、 リ
l;;;;;;i ( ・ 、・ )ト、
l;/~; ,.、`-ん_ニニっ
l(∂(ヽ--──`つ
__ヾ`、.. ,,....__,.) /
く"~ i 丶\//) `~ノ /
l::人、 i l /ノ ,l イヽ,.,.,.,., /
|:( `-、 l |,./ / l 人ι))))/______
ヾノ `~ノ-、,.、,._,.,.ノ l / (;;;;;;;) /|/
/ ((_、 ))))=== ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|((
( ノノ `'^'^'^、 | | |\
`ト---"イ ヽ__________|/||
ハ、____,.、 )二二二二二二二二二||/||
/,.、/ ノ||ノ ||
(,.//_______,./
11 :
AA移転中:2012/02/15(水) 18:39:33.87 ID:mXrOrjZ00
レ'∠
貴 /
打 >
様 <
ち >
じ _,,,>------、,,__
首 /:":::::::::::::::::::::::::::::::::::.ヽ,
ゃ /::;!フヽー--xー<'"ヾ:::::::::::::,
|;/v!-`i, , / ,~フi "ヘミ、::::::::::! ハ
. | n|; {:: .Vリ. :: }: ^-i_,:::::::`、_ /:::
.{ | !,_ ノヽ、_ノノ レn):::::::::::::::::::::::
っ /ー-` .i""____ニいー-ミミ、 <::::::::::::::::::^ー-.
/_,,,,、--ーニニ=、彡==ー-、___ミミ、`、:::::::::::::::::::
7" "''γ~ Y ~`r" `Υー、`i:::::::::^ーフ
( /!、,_____,ノ、__,,,,,,ノ、__,,,,,ノ、___)、 'i:::ヾ/
ヘ、フ"'''''''`i/ `Y `f" `V""| レ'
,λ|、iヽ,! i !、_ _,!、____,,,,,ノ、____,,,ノ、__! }
/ _______ニニニ,,,,,,ニニニ、、、、、、、、、、、、--ーニノノー-、、
{~ヽ、ミー-------------ーーーーフ~T! //!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
`ー-r~ニ,~~ニつーヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ .i// /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
('ミー,r' _,,---tヲ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i / i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
<ニ彡ノ ソ;;;;;;;;;;;;;;;;;;|ヾm__,,,,,;;,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
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12 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/15(水) 20:58:23.56 ID:XIQafXrbO
スレは落ち、そしてまた立つ
その離合集散の繰り返しがスレとスレとのドラマを作っていく
スレは生きる、そこにしかいない住人を引っ下げて
そしてまた新スレが立つ
>>1乙
前スレでフリーメーソンとか言ってた奴居るが、幕末日本でフリーメーソンに
入ってた奴で作中に出てきた奴って誰か居たっけ?
グラバー邸にあるメーソンシンボルはグラバー死後に他の所から引っ張ってきた奴
じゃなかったっけ?
フリメ厨ってどこにも出るけど、フリーメーソンって「困ったときは助け合う」って言うだけの
基本、政治活動なしの「親睦団体」だぞ
主な活動がバーべキュー大会とかのw
>>14 ハッテン場だって表向きはただのサウナだったりする
wikiのフリーメイソンから
>フリーメイソンリーが広まった時期は、絶対王政から啓蒙君主、市民革命へと政治的な
>激動が続く時代でもあり、特定の宗教を持たずに理性や自由博愛の思想を掲げる
>ヨーロッパ系フリーメイソンリーは、特定の宗教を否定することから、
>自由思想としてカトリック教会などの宗教権力からは敵視された。
>とりわけフランス革命の当事者たちの多くがフリーメイソンであったため、
>しばしば旧体制側から体制を転覆するための陰謀組織とみなされた。
第二転換期でのフリーメイソンが『自由博愛の思想』を強く持っていたのは事実であり、
フランス革命・アメリカ独立に強く関わっていたのも周知の事実。
日本の幕末維新に関連性を考察するのも普通だと思うけどな
んな事より他にやんなきゃならん事は山のようにある。
つかキミの思い入れだけで漫画は左右できないよーん♪
つまりフリーメーソンは同性愛の世界を作ることを画策する秘密結社である可能性が微粒子レベルで存在する…?
男同士で友愛とかおかしいと思ったんだよ!
やっぱりホモ野郎か!
醜い汚いホモ野郎が!
仕方ないから俺もフリーメーソンになってやるぜ!
フリーメーソンとは言っていないが明治期にどうも欧米の博愛思想はうさんくさいと懐疑的だったのが
夏目漱石。
グラバーがフリーメーソンメンバーで、
坂本龍馬は武器商人グラバーの代理人となって動いていた。とか言う説もあるわな。
グラバーは亀山社中を通じて強く関与していたのは事実だし
一介の浪人に過ぎない竜馬が各藩の要人達と頻繁に交友出来た考察として面白いと思う。
グラバーは薩摩・長州の英国留学の手引きをしてたりとか幕末に関わりが多いながら
同時に謎も多くて実像が掴みにくい人物なんだよな…
一介の浪人云々って言ったら風雲児に出てきたキャラでも微禄ながら各藩の要人に
顔を売った人間ってちょくちょく出てきたと思うが、それらもメイソンなのかい?
〜〜はおかしい!だから××に違いない!て言うのは陰謀論やトンデモ論では
よくある論理展開だが、それを唱えたければそうだと言う証拠を出さないと話にならないよね
>>16 >>しばしば旧体制側から体制を転覆するための陰謀組織とみなされた。
「しばしば・・・・・の陰謀組織とみなされた」
という事はやっぱこれ、「実態としては陰謀めいた事はしてまへん」って説明じゃないの?
竜馬の活躍とよく知られている『長州藩への武器・軍艦の斡旋』
武器の買えない長州へ薩摩名義で購入して薩長の経済的結びつきの既成事実を固めて
後の薩長同盟の布石になる出来事とか。
竜馬が亀山社中で仲介売買した物って要はグラバー経由な訳で
現在の価値に換算すると軽く百億を超える額をグラバーは取引してる。
五代友厚や岩崎弥太郎などの活動歴などを考察すると竜馬の活動も判りやすいんじゃないかな
>>23 >という事はやっぱこれ、「実態としては陰謀めいた事はしてまへん」って説明じゃないの?
アメリカ建国の歴史背景への関わりや1ドル紙幣の『英知の目』とか
自由の女神とかフリーメイソンゆかりのものだよ。
フリーメイソンは秘密結社だから陰謀論とかトンデモ論も多いけど
実際に関わってた事実も多いからトンデモだと一蹴するのは間違ってると思う
フリーメーソンゆかりという話はないようだが。
桜田門、なかなか丁寧に描いているけど、次回で終わるかな?
直弼の首が離れるところくらいまでは行くと思うけど、場面はまだ桜田門前のまま次回にひくかも。
逆に、いきなり井伊直弼のクビがなくなっているところから始まったりしてな
「桜田門外の変は・・・」
「終わった・・・」
みたいに
桜田門外の変は旧暦に直しても3月24日辺りになるから今月号で決着はつけるでしょ。漫画で年末年始イベントを
前倒しするのと一緒w
むしろ桜田門の後始末の話で2話くらい費やしそう。
誰か腹切った、誰が処分されたみたいな。
>>30 変後のドタバタの方が大変なのであって、3話でも収まるかどうか・・・
薩摩との連携失敗、斉昭からの抑え付け、
信じていたはずの相手から次々に見放されていくからね彼らは。
悲劇の義士として忠臣蔵なみに語られてもおかしくないかも。
ただの原理主義者で外国とうまく付き合って行かなければ日本に未来がないって事に
最後まで耳も傾けなかった連中だから同情の余地はない。
少なくとも斉昭の寿命はこの「壮挙」で確実に縮めたな。
体が弱かったという慶篤の早死にはこのせいばかりにできないにしても。
まあ、斉昭はこの時には60歳くらいだったわけで、その年齢でこんなストレスにさらされたら寿命はつきるわな
>>34 このまま徳川も長州や薩摩も龍馬も放り投げて
水戸藩の血なまぐさい騒動だけで維新まで持って行くという手もあるな
徳川慶喜も一応活躍するし
39 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/17(金) 18:21:08.98 ID:YAtRbgW90
そういえば天海僧正は「水戸から将軍が出たとき幕府が滅ぶ」と予言していたらしいな。
まあ普通に考えたら、「水戸から出るようじゃ徳川もおしまいだ」って思うわな
42 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/17(金) 20:09:01.14 ID:C98dVhsh0
>>41 御三家にも入れてないって説があるし(江戸本家、尾張、紀州が本来の御三家)
水戸はスペアのスペアのそのまたスペアくらいで考えられてたんでしょうなぁ
そこが本家を継ぐとなったらまあ、そら終了のお知らせでしょう
ほんとに予言するんなら一ツ橋を渡る時幕府滅ぶくらい言わないとな。
>>44 > 水戸はスペアのスペアのそのまたスペアくらいで考えられてたんでしょうなぁ
名前の字を見ると判るように、水戸徳川家の開祖である「頼房」は
初代尾張藩主の「義直」や、初代紀州藩主の「頼宣」らと同じく家康の息子ではあるが、
生母が紀州「頼宣」と同じである為「紀州頼宣の傍流」という扱いをされていた
だから将軍家のスペアのスペアの...じゃなくて、あくまで「頼宣のスペア扱い」だったともいえる
義直は初代尾張藩主、頼宣は初代紀州藩主と呼ばれるが頼房の場合は初代水戸藩主じゃなくて
あえて「水戸徳川家の開祖」という言い方をされる場合が多い
理由は江戸時代初期は、兄の頼宣が数年間水戸藩主をしていたから
こんなところも頼宣のスペアっぽい理由かも
義直や頼宣らと違いずっと「松平」姓で、
「徳川」を名乗れたのは家康の死後だいぶ経って、30過ぎになってから
「どうせ将軍にゃなれねーしw」って家風だからこそ光圀のような学者肌の藩主が生まれたり、
水戸学が盛んになった理由ともいえる
将来、こんな家から将軍が出たりするようじゃあ...って天海が思うのもうなずけるw
嫡流が継げず傍流も三家も探さなければ将軍職継げる人材いないとなったらそりゃ普通に家滅ぶだろうし。
お家騒動起こしまくれと言ってるようなもんだ。
最近の天皇家の話もそうだが、男子直系を続けるのは大変だってことだ。
>最近の天皇家の話もそうだが
「最近も」というより、側室たくさん持って良い時代と比較したら「最近の方が」大変だよなあ
俺は昔、「昭和天皇の隠し子」と自称するおっさんと遭遇した事あるがw
昭和天皇の若い頃って側室とかいたんだろうか?
天皇の側室なんて大正天皇の代で実質的にいなくなってる。
教育勅語で
「夫婦相和シ」
なんて言っときながら、言った本人が側室持つわけにはいかんからなぁ。
そういやアホウヨが今上と雅子さまを離婚させろとか言ってるが、
天皇に教育勅語をやぶらせるなんて無茶苦茶だよな。
そりゃ舅と長男嫁を離婚させるなんて不可能だよ。
ごめん、平成天皇は死にかけだったけどまだ死んで無かったね。
>>46 水戸黄門だと、「おそれ多くも天下の副将軍」と自称しているけど、副将軍なんて役職はないよね
水戸は、江戸に近かったので、参勤交代も免除されていた
東北の人間は、そのまましゃべると江戸で通じないので、ズーズー弁を直して一生懸命標準語を覚えようとするが
水戸あたりだと、いちおう通じてしまうので、一生直らない
デーブ大久保とかが、水戸出身
栃木、茨城の人間は方言直さないからな。
多分、今だと鹿児島県人の方が栃木、茨城の人間より遥かに標準語喋ってる。
天皇家の問題として、大戦後の宮家の皇籍離脱もでかいわな
宮様軍人系はほとんど離脱させられたんじゃなかったっけ?
そう言えば、第二次世界大戦で皇、王族の戦死率が高かったのは日本だったそうだ
次にイギリス。まあ王家を存続させてた所もかなり減ってたって言うのもあるが
天皇家のお局制度は昭和天皇が強固に拒否し続けたせいで自然消滅した
成婚後長い間親王が生まれなかった頃に側近がお局の採用を強く打診した時も
「良宮が良いのだ」と言って全く聞き入れなかったという
これは昭和天皇が良子皇后にぞっこんだった、というよりは
摂政宮時代に大正天皇の名代としてヨーロッパ歴訪した際の経験による影響が強いと言われる
この旅行は他にも様々な点でその後の昭和天皇に影響を与えている
生涯に渡って朝食にオートミールを採用したのもその一つ
>>54 平成天皇などいない
>>55 >東北の人間は、そのまましゃべると江戸で通じないので、ズーズー弁を直して一生懸命標準語を覚えようとするが
江戸弁は標準語ではない
島田しんすけの番組で有名になった大阪の若い弁護士が調子に乗って「船中八策」とやらで、国民をだまそうとしているぞ
公明党とも連携を組むようだ、こいつは危険だぞ、坂本龍馬のように、殺されてしまえ
>>61 いいニダ、どうせ日王アキヒトはノロウィルスの下痢でウンコまみれになって死ぬニダ
血筋だけでいうと、幕末あたりでは水戸頼房の末裔が親藩の諸大名家に相当入り込んでる。
>>大阪の船中八策
成否はともかく十年後ぐらいに作中でその時期がきたらコマの外でネタにされそうな気はするな
>>66 知らない読者も多くてギャグ注が必要ですね。
でも十年後って…
船場センター(中央)ビル8号館で作ったから船中八策なんだよ。
先祖も末孫も島津に仇されたわけか。でも島津が西軍についたのって伏見城を守っていた徳川の
家臣が強情張って島津を場内に入れなかったからだよね。井伊はその城代の係累にを
敵と狙っても許されるね。
70 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/20(月) 04:25:21.79 ID:XapzEQGw0
船場
中津
八尾
策
>>69 鳥居元忠は伏見城で最後まで西軍に抵抗して戦死しているから怨むわけには行かないでしょ。
>>72 オレが小学4年生のときに読んだ徳川家康の伝記では、安倍川の石合戦で、
人質の竹千代と従者の元忠が駿府の子どもらにいじめられるところから始まっていた。
伏見城で家康と元忠が最後の別れをするシーンの挿絵もあった。
ガイシュツかも知れんが、
WyrmとかをDiveさせた状態でParallel Universeでクリコピーすると
能力アップ倍化状態をデフォとしてコピーして 攻撃力2倍クリを作れるね
以前もバグ技として報告されてたが
Wyrm → Dive → Parallel Universe → 次ターンでさらにDiveで倍加 → Parallel Universe
とかが可能。
Elite Wyrm → Unstoppable → Chaos Power 数回 →
Dive → Sky Blitz →Parallel Universe数回 とかが効果的
安定はしないが攻撃力50超えとかを簡単に数匹作れる。
PVP2のこと考えてUnstoppableを組むなら3色になるから安定はしない。
遊び用のネタと言うか奇襲デッキですね
鳥居家は幕末には下野壬生3万石か。すくなっ。
譜代中の譜代なのに。
池波正太郎の小説によれば徳川譜代の家臣たちは自分たちの加増より、親藩に手厚く
加増して徳川の味方を増やすべしと家康に進言したとか。
77 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/20(月) 20:07:48.08 ID:CPG2llb/0
>>76 >池波正太郎の小説によれば
それって、作者が作品書くときに掲げた基本方針ってだけじゃないの?
よく知らないけど
78 :
:2012/02/20(月) 20:48:30.19 ID:4nkIbTPH0
身分と富の分離は江戸幕府の基本方針
ただし井伊家は例外とみなもと先生も書いてた
>>77 出典があるかどうかも知らないからはっきりわからないが、真田太平記の中で徳川家臣の忠実さを
説明する記述があり、そこで徳川家の家臣たちは関ヶ原や大阪の役などの後、本多忠勝などは自分の加増より
親藩に手厚く加増したまえと進言したと書かれている。
譜代には権力を宛がい、外様には本領安堵してやるのが徳川って言うか織田→豊臣
→徳川の基本政策じゃないの?
織田は譜代なんて使い捨てで基本的に全権力は信長だけが持っていたよ。だから柴田勝家も
連戦させられて北陸で苦労してるし、佐久間信盛などは放逐された。豊臣秀吉は譜代の家臣でも
政権中枢には置かず親藩の扱いにしかしなかった。蜂須賀なんて清州の頃からの付き合いだが
五大老にも入れなかった。政権に置いた五奉行は秀吉が死ぬ少し前にようやく領地もらった。
その構図を通してるのは徳川だけだよ。
720 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/02/21(火) 06:03:07.10 ID:c1pz+qKv0
手塚治虫の《火の鳥 「乱世編」》に
[ 源太郎聖悠紀作画具留夫(みなもとのたろう ひじりのゆき さくがぐるぷ) ]という
キャラクターが一回だけ登場した
《『マンガ少年』(1978年4月号 - 1980年7月号)で連載作品 》
当時その雑誌でエッセイを連載していた みなもと太郎が
やたらと喜んで作画グループの事を書いていた
超人ロックが幕末に現れてもおれは許せる。
>>79 創業時代を苦労した家臣達はそうなんだけど、
後代の家臣達はありがたく貰っちゃうんだよな。
本多正純、宇都宮15万石、柳沢吉保、甲府15万石
なんてのや、間部や田沼もほとんどゼロから5万石というのは
四天王家や親藩家などの名門から見れば貰いすぎに見えてしまう
だろうな。
>>57 戦後、皇籍離脱させられた伏見宮系の旧皇族なんてのは600年以上遡らなければ男系では
繋がらない、実際は今の天皇家とはかけ離れた血統。
水戸徳川家の比ではない。
天皇の男系子孫でも3世から4世後には臣籍降下するのが普通だから、伏見宮系などそもそも
皇族として存在し続けてきた事自体が異例で異常な存在。
600年続いたならもうそれが普通なんじゃないか
皇別摂家の子孫なら400年くらいで旧皇族より近い血筋だけど400年丸々皇族じゃなかったから復帰させようって対象にはならないんだよね
わざわざ伏見宮系に皇女を嫁がした明治帝の意思を蔑ろにするのは不敬。
明治帝の叡慮を踏まえて(男系が皇別であろうとなかろうと)女系継承
アリにするんですね。わかります。
べ、蔑ろ…
有識者に聞くより宇佐八幡にお伺いを立てねば。
血縁関係だけでヨーロッパそのものを手に入れてしまったハプスブルグ家にはかなわんな。
縁戚関係を利用して天皇家と繋がり、天皇家に寄生する形で権威を保ってきた、
要するに藤原氏と同じなんだよな、伏見宮家ってのは。
こんなものが皇族復帰して皇統を継ぐなど悪い冗談だ。
なんか徳川将軍を復活させた方がましな気がしてきた。
桜田門外の変について図書館でちょっと調べてみたけど、みなもと先生が井伊にあまり好意的でないのも
わかるね。まあテロなんて起こるわけないと過信していたんだろうけど、士道不覚悟な話
ばかりで同情しようがなくなってしまった。たぶん今月号に出るだろうけど、井伊直弼自身
これでは駄目だろうと言う感じ。しょせんボンボンだったのかな。
井伊大老に対してはかなり同情的じゃね?
経緯については因果応報としか言いようがないが
それと、襲った水戸側の視点でいえばかなりの大博打だったと。
結果論からいえば士道不覚悟な護衛ばかりだったんだが、成功する可能性は
かなり低い奇跡的な勝利(季節外れの大雪が降ったことも加え)だったこと
を丁寧に描いているね。
そもそもは大量の薩摩藩士が参加するはずだったんだからw
同情的というか「駄目な権力者になってしまうまで」のプロセスも含めて一人の人間として丁寧に掘り下げて描写してると思うな。
諦めかけていた社会参加が叶った幸運に感涙した男が、誠実であるが故に重責の奴隷になっていくところとか。
(/-\) 昨夜の「歴史秘話ヒストリア・葛飾北斎」は面白かった。リアル・じゅげむ。風雲児たちの番外編で北斎を描いてほしい。
>>100 北斎だと杉浦日向子の百日紅がよかった。
全編平田弘史先生の絵で風雲児たちを
あの絵で
「あ、きれいなねーちゃん」
とかw
104 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/23(木) 15:23:23.01 ID:TWkz897e0
井伊って無勅許での条約調印迫られて気違いみたいに駄々こねたらしいね
ルールと前例至上主義。なんか井伊の後ガラガラと崩れ去ってるのをみるとあまりに哀れだ・・・
幕末テロ合戦は、
井伊直弼が口火を切ったとも言える。
私情で死刑を連発したから。
私情とは本人かけらも思っていなかっただろうからなおさら始末に負えない。260年の徳川幕府至上主義。
それを1ミリでも変えようとする者はすべて死罪が当然と思ってたわけだな。
安政の大獄って井伊以外の幕閣が自重していなかったらもっとひどいことになってたかもしれないと
言う研究者もいるからな。漫画でも出てたけど。
例えばどういう振る舞いが「自重していな」いと言える?
今来たんだけど、もしかしてひょっとしてぇ、すでに桜田門外始まってますかーっ!?
まだまだ引き伸ばすと思ってて数号読んでねー!
先月の号では直弼はまだ五体無事だった。
結局、幕末編第一話の集合写真みたいな扉絵での直弼が、一番目つき悪かった。
ありがとう、あー焦ったわ
人生で最もちゃかぽんの首の行く末を心配した瞬間だったわ
>>109 京都の公家衆にも手を出す寸前だったはず。譜代外様に蘭学完全禁止申し渡す計画も立てていたらしい。
要するに時計の針一人で戻す気だったんだね。
攘夷だの王政復古だのってのも時計の針を戻す発想
維新自体、市民革命じゃないんだから針を進めも戻しもしてないわな
時計の針は元には戻らない。だが、自らの手で進めることはできる。
井伊の場合自分の先祖が活躍したから生まれた徳川幕府体制ってのにプライドありすぎたんじゃないのかな。
他の幕閣の大半は新しい文明を取り入れる方がいいと考え始めていたのに、井伊の思考は他藩に力つけさせては
ならぬの一点張り。
>>他藩に力つけさせては ならぬの一点張り。
まあ幕藩体制を維持することが至上命題なら結果的には合ってる。
>>117 某銀英伝で「権力者を暗殺して歴史が良い方向に向かったことがあったか?」てなセリフがあって伊藤博文暗殺やら二・二六事件やらサラエボ事件やらが思い浮かんでなんとなく納得できた
しかし桜田門外の変に関しては何となく違う感情を抱いてしまうんだよな
明治の元勲さん達も結局は井伊と似たような事するからね
大化の改新はどうだ?
>>122 「本来移行しつつあった蘇我王朝による政権交代がなくなり
後世の王朝の刷新という活性化の芽が出にくくなったことで…」
とか言って、現在の日本のだらしなさの一因にしてる人がいそうだw
>>122 天皇への権力集中という時代の逆行、もしくは反動化でしかなくね?
過去の歴史について、「良い方向/悪い方向」って評価する事そのものにムリがある
立場や時代によって評価はガラリと変わるんだから
「正しい歴史認識を!」ってタカってくる乞食国家とか見てると特にそう思う。
天皇とかさっさと滅ぼすなり八丈島とかに島流しにしときゃいいのに
なんで家康はしなかったのかな?
127 :
↑:2012/02/26(日) 05:49:19.22 ID:Nh6aseQG0
ハングルでおk
>>127 ↑
可愛そうに、風雲児2〜4巻に家康が天皇についての懸念が描かれてるが
読んだことないにわか君なんだね
>>128 そんなもん風雲児を読まなくても周知の事実
まさか、みなもと太郎が始めて唱えた説だとでも..?
歴史 = 風雲児に描いてる事
っていうのがいかにも世界が狭いw
天皇に対しての懸念なんかどの時代の権力者でも持っている
家康しかり信長しかりGHQしかり
しかし、大事なのは結局天皇家を滅ぼした奴はいないという事実
>さっさと滅ぼすなり八丈島とかに島流しにしときゃいいのに
↑
これがキムチ臭いんだわw
130 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/26(日) 08:35:54.62 ID:ZB80XfgQ0
>>129 >そんなもん風雲児を読まなくても周知の事実
>まさか、みなもと太郎が始めて唱えた説だとでも..?
オバカだねぇ
「風雲児たち]のスレだから、
作品に書かれた(または書かれなかった)所からが、論議の出発点なのに・・・
きっと、ID:Nh6aseQG0って、
空気も読めない発言を繰り返して、周りからは惹かれてるのに、
「俺って一目置かれてるゼ!」とか勘違いするヤツなんだろうな。
某半島人のように
家康は豊臣家を滅ぼす勅許をなかなか出さない天皇に激怒して流してしまえと怒ったと
記録があるよ。
>>132 尊号問題や許勅とかで幕府が苦労してくる事態が色々見えてきたでしょ?
伊井大老にしても条約港開港問題で苦労してるの見てて、
公家諸法法度とか作ってた家康が段階的にでもフェードアウトしていくような
朝廷処理みたいなの何でやらなかったのかなぁと。
項羽が義帝を僻地に転居させたように、淡路島や佐渡島に移すとか
そういう狡猾さを公家や天皇家にはやらなかったのかなぁと。
昭和天皇や今生天皇を罵ったりしてるわけでもないのに朝鮮人扱いとかアホじゃないですかね。
過去の時代の天皇家について話してるだけで脊髄反射とか知能が足りないと思う
島流しなんて強行な処置に出ると反発が大きいだろ。征夷大将軍のそもそもの統治根拠って何だっけ?
徳川政権のやったことこそ、自然にその存在をみなが忘れるフェードアウトの模範的なやり方だと思うが。
水戸学が誤算だっただけで。
>>133 >今生天皇
とりあえず『今上』も書けない程度の人間なのは把握した。
何で自分が取り合ってもらえないのかを理解してないのかも把握した。
スルー推奨。
>>133 リアルでも、こんじょう天皇とか言ってたの?
言われた方も困るなーそういうのは
伊井とか公家諸法法度も有り得んね
137 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/26(日) 14:27:44.49 ID:HJ6BnWAn0
「こんじょう」なんて言ってはいないがなw
昭和世代だが、『今上天皇』とか使わないな
昭和天皇の場合、普通に『天皇陛下』『昭和天皇』で呼称してた気がする。
「今上天皇」の表記が正しいとか言ってるの見ると実例知らないような違和感感じる。
『確信犯』とか『的を得る』とかで観念論繰り広げる面倒くさいタイプの人たち連想してしまう。
今の天皇陛下だが昭和天皇の在位が御長命で長すぎたから
皇太子殿下時代のイメージが焼付いてるんだよな…
なんか天皇陛下と言う気がしない。(昭和天皇の存在感が強すぎて)
昭和天皇のような独特の存在感のあるひとはもう出ないような気がする。
まぁ誤りを指摘されたら逆切れするタイプってのはたしかにいるよな。
知らないで使っていたなら、知らなかったといえばすむだけだし、
誤りだと知っている上で使っている(カッコいいとでも思ってる?)のなら
可哀想な人に見られるのも仕方ないんじゃないの。
『今上天皇』とかの用語は儀礼上での用例方法であって、
歴史的事例とかの話しする場合には『元号 + 天皇』用例の方が慣用的だと思う。
そりゃ歴史的事例の話の場合は、ほとんどが過去の天皇についての話だからね。
まして幕末を描いている風雲児たちスレでならなおさら。
今セブンイレブン通りかかったら、ゴルゴ13の別冊だか増刊、同じく藤枝梅安と、
もひとつさいとう時代劇マンガの雑誌(雲切り何とか?)が店の外に向けて並べられてた。
30年以上続いてる、若しくは終了したマンガがコンビニでカンバンになってるって、
日本が誇るMANGA文化は終焉の一途ということ?
>>131 豊臣家を滅ぼす前に天皇を島流しにしたら、全国の大名が勤皇の旗を掲げて豊臣家に味方してしまう。
豊臣家を滅ぼした後なら天皇なんて無視して差し支えない。
>歴史的事例とかの話しする場合には『元号 + 天皇』用例の方が慣用的だと思う。
じゃあ、当時の天皇は「安政天皇」とよべばよいのか ?
アホラシ
そういや元々慶喜とライバルって捉え方してたよな。直弼に対して。
147 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/27(月) 01:21:04.73 ID:YhzKAcuX0
↑
ライバルってのとは違う気がするが
概ね
>>27の予想どおりでしたな。後は
>>30>>32の懸念(変の後始末で何話引っ張るか)だが。
んで結局、茶店の爺ぃは唯の爺ぃ?
「ライバル日本史」的な視点だとライバルかも。
とりあえず井伊大老のご冥福をお祈りします。合掌。
「死ねばみな仏」は日本的美徳かもしれんけど
こいつばかりはな
>>151 安政の大獄は行き過ぎな面もあったが、伊井直弼は別に悪人じゃないだろ…
幕末編第1話で振ったネタをここに持ってくるとは思わなんだ
(/-\) 今月の乱を買ってきた。大老の首がdj
井伊直弼死亡確認
桜田門外フットボール大会はこれからだ!
赤鬼の最期自体は意外にあっけなかった...拳銃で脊椎砕かれてたの知らんかった。
でも有村の口が「笑うせぇるすまん」に変わるのは何故...まさか幕末編一話...
「大老にドーーーーン!!」
倹約で枕いらずの御病人
遺言は尻でなさるや御大病
>>152 すべて幕府のためって前提でぎりぎり同情しても、最高権力でどう見ても無罪の人間たちを
死罪にしまくってる時点で悪人と言わざるを得ない。無能ならまだ救われたかもしれないが
有能だったからなおさら始末に負えなかった。
>>159 その狂歌?や落首が町人が作ったものだったとしたら、
少なくとも江戸時代の庶民は今の中国人民よりも逞しく自由だったと思うw
落花紛々(ふんぷん)。雪紛々。
雪を踏み花を蹴つて伏兵起(た)つ
白昼斬取(ざんしゅ)す大臣の頭(かふべ)
噫々(ああ)、時事(じじ)知るべしのみ
落花紛々 雪紛々
或いは恐る天下の多事ここに兆(ちよう)するを
ネットで拾える程度のネタを知ったかぶってここで披露するアホって何なの?
なんでいきなりモグロ福蔵の唇がでてきたの?
ああそういうことなの。あのモグロは。ていうか
そもそも第一話のモグロ自体がそれほどうまくないというか。ただいきなりびっくり
させただけのギャグにしか思えないから今更もってこられてもって感じなんだけど。
なんのこだわりだろう。
それとあの絵の描き方みると有村がモグロになったみたいな感じなんだが。ていうかモグロの
唇の前の有村の顔が歪んだ表情してるからそっちの方が印象に残ってしまうなあ。
まあ単に今回のストーリー考えてる中でたまたま1話を思い出しただけかもしれないよなw
>>167 モグロとアンタッチャブル山崎のCMが流れてるからただ書きたくなっただけかも。
当たり前といえば当たり前だけど、今回はギャグが殆どないね。
パートタイム、写メる大名ヲタ、喪黒口くらいか。
あと、さりげなく「まげもん」への祝辞がある。
さあ次回は有村が追ってきた小姓に後ろから袈裟懸けにバッサリの巻
さあ次回は有村が追ってきた小姓に後ろから袈裟懸けにバッサリの巻
なんで2回言うたん?
173 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/27(月) 23:21:55.79 ID:ci4qnzq+0
不遇をかこっていた男が「誘惑」に乗って、思わぬ成功と栄華を手にするけど
どんどん本来の目的を見失い、当初の人徳も失われて最悪の破滅って井伊の人生が
典型的な「せぇるすまん」パターンだからじゃないの?
ネタに使ったのはたまたまだろうけど
大老の暴走とその果てのオチはせぇるすまんっぽいから
最初と最後を喪黒で締めるのは良い演出だなー
イメージと言うか擬態語オノマトペやね(;^^)
歴史に名を残せたから
部屋住みで終わるよりは幸せだったかも知れませんね
オ〜ホッホッホッ FIN
>>170 万延元年のラグビー次号キックオフ!
だろ
御本人は「花の生涯」を全うできて御満足かも知れないが…
> 徳川家の盾に
なってないなってない。却って、余計な事して迷惑掛ける結果になってる。
というか、水戸家取り潰しまで内心画策してた気配まであるって歴史読本で書いてる人もいる。
井伊に取っての徳川本家ってなんなの?と聞きたくなる。お前ただの家臣だろう。水戸が仮に勤皇を
掲げたとしても幕藩体制覆したりするわけないのに。
有能な人は無能な人よりもタチが悪いな
みんな伊井直弼に厳しいね。
蛮社の獄みたいな私怨の弾圧事件みたからなのか、安政の大獄はまだ理解出来るんだがなぁ…。
伊井直弼も個人的見解からすると攘夷やむなしな心情ではあったが
いざ自分が為政者の側で国の舵取りするようになると国家の動かし方を考えないといけない。
あのままずるずると条約港を開けずいたら欧米のどのような反発を招くか分からない。
許勅を得ずに開港に踏み切ったのには非があるが、だからと言って幕府の外交方針を
妨害するような策動は厳罰をもって当たられても仕方なかったとも思う。
大老職にあったと伊井が強権発動したのも当然だと思う。
次期将軍の選出争いは権力闘争の面もあるから置いとくとして
条約港の開港へ動くのは基本的に伊井の判断は正しかったと思う。
外国人と付き合うのは嫌だが交友の窓口を広げて 侵略されないよう日本と言う国を強くさせる。
内心は嫌でも付き合っていくしかないと言う開国論の方が正解に近いと思うなぁ あの時点では。
今回井沢元彦が唱えた説とかなんとかいう文章出てたけど、
井沢史観って最近の学会とか史学に影響与えてるの?
数年前だと珍奇な説唱えて大学生レベルからも失笑されてたぐらいの出来だったと思うんだが?
引用したってことは、最近だとそれ相応に市民権得たってこと?
王家論みたいに
学界が勝手に味噌つけてるんじゃないの ?
186 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/28(火) 17:05:56.71 ID:rG7drXYf0
>>183 >幕府の外交方針を妨害するような策動
策動の裏には水戸がいる - この証拠(密書)や自白をつかもうとしたのが
安政の大獄の発端。
次々に連行して拷問にかけたけど何も出てこなかった。
口封じあるいは鬱憤ばらしに死刑や遠島、追放。
許される所業じゃないでしょう。まさに鬼。
>>183 井伊が弾圧をした理由やスレ民が井伊を叩いてる理由は、開国を推し進めたからじゃないぞ
徳川家以外のものが自分でモノを考えて口出すことを悪とみなして、それらすべてを滅ぼそうとしたからだ
じゃあ徳川の家来で有能な者をちゃんと使ってたかというと、責任逃れのシッポ切りばかりやってたし・・・
もう「井伊直弼」も正しく書けない奴に構うのはやめないか?
E・カモン
>>184 もともとが司馬遼の小説も参考文献としてあげる漫画だけになあ
まあリンかけまでもあげてるがw
191 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/02/28(火) 20:03:33.83 ID:jNjgBIRs0
>>189 NSP隊長サミー・コンドック
正常気よ永遠なれ
民衆のクソッタレ!w
>>184 週刊ポストの逆説の日本史で桜田門の変をやったときにそういう話が出た。
逆説の方でも風雲児たちの話が出たし、エール交換ってところだろう。
ちなみに井沢史観は話が近代になるにつれてだんだん減って来た。
古代と違って近代は資料がいっぱいあって独自の珍説・奇説をとなえるのがむずかしいみたいだ。
>>183 そもそも朝廷が攘夷を盾に開国を拒み続けたのは徳川幕府が一方的に鎖国行ったつけだよ。
勝手に鎖国して朝廷には夷敵が日本国を侵略しますから鎖国続けますと260年説明し続けてきて、
なんの根回しもせず開国だじゃそりゃ怒ります。
オランダ・中国・朝鮮からの使者はずーっと京都完全スルーだったんだからなw
開国出来ないのは京都朝廷が許さないからだとかいきなりなに人をダシに使ってんだ
と怒ったって当然。
>>195 井伊 「それを言い出したのは堀田じゃー!外様びいきの奴が言い出したんじゃー! やっぱり俺は正しいんじゃー!」
武っちゃん達もケータイ持ってるんなら通報してやりゃいいのに
桜田門なら警視庁のど真ん前じゃないか...
今の鉄ちゃんは事故があったら通報するんだろうか ?
先生なりの皮肉だろう。
ついこの前鉄っちゃんが電車止めて叱られたw
>>195 (/-\) オウムとか、白象とか、オランダから献上された鳥や動物は貴族になって、御所で帝と対面しております。
岩倉具視よりも位は上です。
しかし最初の銃撃の効力はすごいな
離れた距離からいきなりターゲットの足を止めたんだから
もし襲撃側に銃がなければ井伊は外の状況を即座に判断して逃げ切ってたかもしれん
合図のための鉄砲だったと言われていた気がするけど、本気で狙撃する気で
撃ってたのかね?
直弼が銃撃を浴びていなかったら、かなりの確率で屋敷か門内に逃げのびたろ。
襲撃側が味方同士で斬り合ってるくらい周りが見えていない状況なんだから。
あの最初の一発が結局井伊直弼の致命傷になってたんだな
他の4丁は誰々が持ってたんだろう、籠ががらあきなら狙い撃ちし放題だったのに
大名の乗ってるカゴって、漆塗りで頑丈そうなイメージだけどな。
外側から刀させるほど薄っぺらな板だったのか、板と板の間に隙間が空いてたのか
出入口はスダレみたいになってんじゃないの?
あまり頑丈だと重くなるからな、思ったより薄いんじゃないかな
>>201 >>202 そこは大老様と言えど一武士としての面目があるからな、駕籠から出たら一応は応戦するんじゃないか?
まあ応戦するような格好で刀振り回しながら藩邸に逃げ込みを図るんだろうけど。
一目散に逃げたら気付かれないかも知れないが、応戦してたら逆に目立って取り囲まれそうだな。
>>203 >他の4丁は誰々が持ってたんだろう、籠ががらあきなら狙い撃ちし放題だったのに
一旦、刀で斬り合いになったらもう刀から片手を放して拳銃を取り出す余裕なんてなくなるよ
恐らく両手とも刀を握った状態で固まってる感じじゃね?
>>202 運が良かっただけじゃないの?
現在でも小口径の拳銃だと観葉植物の葉に当たっただけで弾道が変わる
有効射程距離は数十メートル程なんて言われるし
多分、これって当時でもそんなに変わらないか工作技術の発達具合から考えると
もっと射程が短くてもおかしくないわけだしさ
>>202 大名屋敷の門ってすぐにすぐ開けて避難出来そうにないんだが。
潜戸ならすぐ空くんじゃないか。
門番はいただろうし。
江戸に雪が積もった、小沢一郎を襲撃するなら今だ
桜田門そのものが開いていたはずだしね。藩邸に戻るより門内に駆け込む方が
時間はかからなかったろうね。
最初に発砲した人間がもう一度狙撃して当たる確率は猛烈に低いし、見届け人が
追いかけて斬りつけても、警護の者にすれば動かない駕籠を守るよりも楽な形で
防ぎながら逃げられるはず。
異常気象ともいえる春の雪、警護の気の緩み、鉄砲のまぐれ当たり…
太郎ちゃんのいわく「奇跡」が本当に幾重にも重なって歴史が動いたんだなあ。
異常と言ったって新暦に直しても3月24日あたりだから特に異常な雪と言うわけではない。
偶然と言うとなにか運命論っぽくなるけど、やるだけの準備は万端整えたから成功しただけ。
村田蔵六ならそういうだろう。
チャカポン時代に剣術や居合術にも打ち込んでかなりの腕前だったらしいから動けたなら応戦しつつ逃げられただろうな
まさに一発の封団が歴史を動かしたのか
直弼は暗殺されてラッキーだったな
徳川幕府滅亡を見ずにすんだ
彦根藩も直弼死後は時勢に上手く対応して
会津藩のような目に遭わずにすんだし
結局、井伊直弼の評価って今はどうなってるの?
統一的な評価はないでしょう。昔も今も。
徳川幕府の立場に立っても維新側に立っても余計なことをした先の見えない俗物以上じゃないよ。
阿部老中の路線で行けばまだ徳川幕府は存続できたかもしれない。堀田老中の失敗が響いたのは
確かだけど、井伊のやったことはあまりに稚拙でしかなかった。
アニメ『機巧奇傳ヒヲウ戦記』で桜田門外の変あったな
今日のヒステリアのヘレンケラーにちょと出てきた塙某つう盲目の学者、お前ら知ってました?
塙保己一か
さすがに「風雲児たち」には出てこなかったな
七田眞の能力開発の本をうかつにも買うと必ず名前が出てくるよ。
番町で目明き盲に道を聞き
息子が伊藤博文に暗殺されてるんだったか
しかし今月圧巻だったよ。
笑うセールスマンはキャラしか知らないからよくわからなかったけど。
このために来たる3月を楽しみにしてたからな
あの「ドッ、ガッ、ガスッ」、のシーンは
戦艦に殺到する雷撃機を思い起こさせる。
いずれにしても守りきるのは大変だ。
>>225 伊藤と共に塙の息子を暗殺した山尾が、
後に聾唖学校の設立に尽力する、てのが因縁めいてるね
たまたま?成功して首とられちゃったけど、
襲撃を撃退できなかった時点で直弼は、政治的には死んだんじゃなかろうか。
逃げ延びたとしても、逃げたこと自体が攻撃材料になるし。
無事に逃げ延びていればそのくらいは押しつぶせる権力持ってはいたけど、小心な人だったから
なにやらかしたかわからないね。安政の大獄が他の幕閣から見てもやりすぎと思われていたから、
息子はそれも理由にされて減封されてるし。
>>228 襲撃を撃退できたらお咎めなしだった可能性も無きにしも非ずだとは思うが
松の廊下事件でも田沼意知襲撃事件でも襲ったほうは断罪されてるが、襲われた方は
一応お咎め無しな訳だし
まあ、反井伊派が攻撃材料にする可能性も高いとは思うが
安藤信正は坂下門外の変が原因の一つになって失脚する。
>>184 みなもとも司馬作品他各種小説ネタ鵜呑みにしてるから
同レベルなんだろう。
>松の廊下事件でも田沼意知襲撃事件でも襲ったほうは断罪されてるが、襲われた方は
>一応お咎め無しな訳だし
だが、吉良邸襲撃ではその養子(実孫だけど)が配流されて吉良家は改易
けっきょくしでかしたこと自体よりも、その人が普段どう見られていたかなんだな。
佐久間象山にしてもそうだけど、普段から(良くも悪くも)周囲との折り合いがうまく
付けられずに怨みを買っていた人は、些細な口実でも拡大解釈して引き下ろされる。
そうでない人は筋論で言えば許されないようなことでも大目に見てもらえる。
水野の強硬姿勢を見て阿部は穏健路線を取り
それを軟弱土下座外交と見た伊井直弼は国士路線を取り
その結果直弼は怨みを買って、子孫まで政治的に抹殺された
この頃から幕府内部が報復人事の繰り返しで、自分たちから瓦解する。
マンガの中の島津斉彬がいかに偉大かよく分かる。
龍馬が暗殺された後敵討ちじゃ〜と言ってた陸奥みたいに
周りから愛されてるか嫌われ捲っているかで違ってくるわな
>その結果直弼は怨みを買って、子孫まで政治的に抹殺された
子孫は彦根市長になったんだが
彦根藩士たちも情けないしなあ。新渡戸稲造が武士道を日本の哲学として海外に紹介したけど、
新渡戸の家って下級藩士ですごく貧乏だったんだよな。武士道だけを心の支えにして生きてきた。
裕福な上士たちは武士道なんてもうかけらも持っていなかったんじゃないのか?
>>216 ナベツネ、小沢一郎みたいなもんかなあ
自分に逆らう人間は次々と粛清したけど、多くの恨みを買い、最後には・・・
条約に調印したのだって別に日本国のためじゃなくアメリカやイギリスに脅されたからで、
開国して海外と広く通商や文化交流していこうと考えたなら、あんな濡れ衣に近い形で蘭学者たちを
処刑したりしないでしょ。
>>239 といっても他所と当たる時には国論統一は必須よ
その方法論として時代錯誤な幕府強権思想しか持てなかったのが彼の不幸
河西さんかっけーな。
>その方法論として時代錯誤な幕府強権思想しか持てなかったのが彼の不幸
平成の今だから「時代錯誤」って普通に言うけど、少なくとも調印当時は時代錯誤でも何でもなく
「徳川幕府=日本唯一の絶対政権」だろ
>>マンガの中の島津斉彬がいかに偉大かよく分かる。
この人なんて実父との確執が埋められずに毒殺されたんだよね?
246 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/01(木) 23:55:46.19 ID:3/3ZqkqV0
とは言うけど徳川絶対ではなく外様まで含めた諸藩連合にソフトランディングし
日本の総力を結集しつつ外国と渡り合っていこうとした阿部や島津などが既にいる以上
井伊直弼に「頑迷な守旧派」という批判があるのは仕方ないとも思う。
そもそも司馬遼が龍馬をダシにアメリカ型共和制をマンセーした影響だもんな
徳川最強のはずの井伊勢があんな体たらく。
幕府専制はできなくなってしまってる。
その現状を知らずして家光の時代に戻そうとした阿呆だよ。
>>244 自分たちは天子様から国政を任されてはいるが、国家政権ではありませんと
詭弁に近い逃げ口上を使ったのも幕府なんだから同情は出来ない。
>>244 幕府が日本の全てを力で押さえ込める時代なんてとっくに終わってるって
水野忠邦が自分の政治生命かけて証明しちゃってるじゃない
井伊直弼の方針はあの時点ですら完全に時代錯誤よ
>>246-250 つまり、そういうのは全部「今だから言える」って事だ
「信長もあんな少人数で本能寺に泊まるとか...ヴァカ丸出しww」
って言ってる自称歴史オタと変わらん
当時でも分かる人には分かっていたからそう書いているんじゃね。
風雲児たちの場面でも、阿部が最期に「ポイントは水戸殿、水戸家の扱いに注意されたし」と
堀田に遺言していたまさにその通りになったわけだし。(まぁあの台詞が史実がどうかは
分からんけど、阿部が斉昭の扱いに細心の注意を払いうまく懐柔していたのは事実)
斉彬にしても、権力の奴隷になった直弼がこの後どう突き進むのかがかなりの程度まで
見えていた(と作中ではなっている)。
なまじ大老の暗殺に成功してしまったもので
水戸の連中はその後、歯止めも統制も利かなくなって
無駄に人材とエネルギーを消耗してしまった。
信長は単に部下の裏切りを見抜けなかっだけで、『時代錯誤』とは関係ないべさ。
てか作中でもしつこいくらいに書かれていたけど、そもそも井伊が、捏造大獄虐殺起こしてまで、
「とにかく徳川家を守るぞー!」 って必死になったこと自体、既に 「黒船、プチャーチン、アヘン戦争」
(続き) と国際情勢が危うくなってて、
「こりゃもう、徳川だけ守れればどーにかなる、みてーな事抜かしている時代じゃねーべ!?」
ってのが、外様は愚か幕臣、老中(阿部ちゃんとか)の中からすら出てきていたからでしょ。
そしてその、後世の我々の視点から見ても「正しかった時代認識」の逆を邁進していたんだから、それこそ全く文字通りに、『時代錯誤』だったんだよ。
>>254 水戸藩は保守派(諸生党)と改革派(天狗党)の抗争酷かったから
大老の暗殺に成功はあんまり関係ないような…
むしろ土佐藩が維新乗り切った方がすごいと思う
>>251 信長は人生で何度か本能寺と同じようなことやってピンチに陥ってるよ。たまたま助かってきたけど
さすがに天も早々信長のうかつな行動を許さなかったってだけ。信長の戦略は水も漏らさないくらい
慎重に慎重を重ねるものなのに、なぜか自分はわざとかというくらい隙だらけになろうとする。
桶狭間をはじめとして、
敵中に孤立しかけた金ヶ崎退き口とか、
信長が陣頭指揮をとって五倍の敵と戦った天王寺の戦いとか。
信長は何度も死にそうな目にあってるよ。
個人として無謀な行動は最初の上京時などもある。美濃が命狙ってるのわかってるのに
数人の供回りだけ連れて出かけた。案の定刺客に襲われたがなんとか追い払ってる。
六条合戦の時も京都が襲われていると聞くや、軍勢を後から追わせる形にして自分だけ
数十人の近習下士だけ伴って駆けつけている。
262 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/02(金) 12:36:05.70 ID:Slko+YNbO
>>255 >黒船、プチャーチン、アヘン戦争
鉄、病原菌、銃みたいな
井伊の場合は政敵もまとめて排除したり同志の間部にまでやりすぎって言われたくらいだからな
>>232 たまに「逆説の日本史」を真に受けてるオッサンがいて笑うw
風雲児たちって比較的ライトな本しか参考にしてないよな
明治天皇のお兄さんだかがあっぱらぱーってのは通説なん?
266 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/02(金) 15:02:40.73 ID:Slko+YNbO
>>264 学者は物証がなければ説を唱えられない
学者でなければ状況証拠や推測で説を唱えられる
ただし学者もしがらみなんか色々あるし
専門家の言うことが往々にして当てにならないのは
この1年でいやというほど目の当たりにした。
>>266 「王家」なんて思い込みだけで提唱してる。
「おね」にしても「ね」一字の署名が1件見つかったというだけ。
それなら、お江の名前も「五」になっちゃう。
淀君蔑称論にしてもひどいもんだ。
昔のバチカン坊主が聖書を独占してインチキ秘蹟で荒稼ぎしたように、
史料独占に甘えてきたインチキ学者が多いということ。
とにかく徳川家を守るのを最優先にしてたから、虐殺に走るのも仕方ないとは思う
しかし京都に自分で行かなかったこと、有能な部下に責任を押し付けてシッポ切りしてたのは無能としか言えないな
『自分は研究者じゃなくて小説家』
って公言する奴の発言も信用できないけどな。
これは自分の発言に責任を持たないって言ってるのと同義語だし。
↑
無能なレスの見本w
>>270 そう公言して「フィクション」として書いているのなら批判するのは的外れ。
「事実」として主張したら袋だたきにしていい。
>>270 いや、その場合はフィクションと公言してるのに信用する方が馬鹿なだけだろ。
逆に
「これは小説だが、書いていることは事実だ」
みたいなことを言ってる作家の方が駄目。
「信長の棺」の作者とか。
>>273 作家の妄想がさも事実のように書かれてる逆説の日本史の事ですね。わかります
>>258 その時点で正式に「親藩」だったかどうか知らんが、将軍の叔父ってことで
常設・準常設の役職には就けなかったってことなのかね?
松平春嶽が「大老」でなく「政事総裁」だったみたいなモンで。
277 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/02(金) 23:00:49.87 ID:vK5BbSjB0
>>276 老中や大老の要件が決まってる以上、それに該当しないなら成りようがないんだろ。
それに、老中の肩書きなんかなくったって、幕政に意見できるだけの家格なんだから、
名称にはこだわってないんじゃないか?
>>276 というか、この時期に大老職自体の概念がなかったのでは?
常設も何も、あの時代はまだ幕府の組織や制度そのものが固まっていなかった。
井伊の支離滅裂なやり方のまま暗殺されずに大老を続けていたらアメリカから帰った勝麟太郎や小栗忠順たちも
冷や飯食い一直線だった可能性もある。開国はしても欧米かぶれになった幕臣はみんな
処罰してやると言わんばかりだったからな。福沢諭吉なんかだってどうなっていたやら。
史料の都合の良い所だけ抜き出して手前味噌な主張をくり返し、
都合の悪い部分は黙殺して済ませてしまうような「学説」に
説得力があるわけないでしょうが。
逆説の日本史を読んで説得力があると思うのは史料を読んだことが
ない素人さんだけで、本職の人間が騙されることはありません。
井沢は素人さんを相手にあこぎな商売をしているだけです。
>>276 家光からの信頼が相当篤かったようで、風雲児での描写が正しいみたいね。
この大政参与ってのは重要な問題に関与・決定出来て
月番制・評定所出座・老中奉書連判は免除されているそうだから
常設役職としての性格よりも臨時執政職の意味合いが強いと思う。
>執事職(大政参与)は幕政全般の関与だけでなく将軍の後見、殿中の諸儀式や
>将軍家の法事・参詣の差配も担当、元老(大老)は将軍の内意を受けつつ財政・民政など
>時の最重要問題を担当することが職務となっている[2]。
上意下達される伝達機関のトップと言うよりも
将軍後見人に近いような感じですね。
作中で多くの「風雲児たち」を弾圧した権力者ベスト3となると、やっぱり松平定信、水野忠邦、井伊直弼に
なるんだろうな。直弼が最も過激に見えるけど、置かれた状況がより厳しかったせいであって、多少の違いは
あれど、目指していたものとなるとこの3人、かなり似通っていると思う。
それぞれの功罪を評価してみるとどうなるかな?
忠邦の場合は鳥居込みの評価になってしまうが、それは直弼も長野の影響が大きかったから近いといえるかも。
井伊直弼と長野主膳のコンビについてだが
彦根藩では善政をしいていたという話は意外だった。
松岡英夫「安政の大獄 井伊直弼と長野主膳」では両者とも(特に長野は)
偏頗な(国学の)思想しか持ち合わせず、
それに凝り固まって幕政を誤った方向に向かわせた、
みたいな酷評だったもので。
徳川幕府の枠内では優秀だったが、
諸外国や朝廷・外様といった幕府の威光が届かない相手との交渉が全然だめだったということだな。
まあ言っちゃあ何だが会津や米沢みたいに不作や飢饉まで来たような土地で善政敷いていた
人たちよりは彦根は領内経営は楽。
来月の展開だが
・カチコミメンツの顛末
・待機メンツの顛末
・彦根藩
・江戸城内
・水戸藩
・薩摩藩
などが描かれる事が考えられるけど、一話じゃとても描ききれんわな。
事件無視して、いきなり太平洋上の咸臨丸にカメラが振られたら笑うがw
>>280 諭吉なら井伊の時代がきたとしても切り抜けたんじゃないかな
政道を見下す性格してるから関わろうとしないだろうし、商人の才能のある科学畑の緒方洪庵って印象があるな
289 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/03(土) 15:58:03.24 ID:+kFQmdD10
ふと思ったけど、センセは家康はあんまり好きじゃないのかな。
東国の頭領が好きなミヤコの人と言うのも珍しよし
旧版30巻の家康についての先生のコメントは
かなり辛口だったね
下手したら年内桜田門外の余波を描いて終わるかもしれないな。
関ヶ原以降の家康が好きって人はあまりいないんじゃない? そこから描いたらだいたい腹黒い
寝業師じじいになる。
徳川幕府の功績がでかいので
関ヶ原以降の家康も嫌いではないが好きでもない
寝業師爺より西軍の武将や東軍外様の連中の方がずっと気になるし
>>284 >彦根藩では善政をしいていたという話は意外だった
吉田松陰は彦根時代の直弼を名君として絶賛してたよ
松岡英夫も(?)世代的に国学を嫌悪しているのかな、と思った。
初代の井伊直政の前の領主だった石田三成も佐和山城主だった頃はこんなすばらしい
ご領主さまは見たことも聞いたこともないと言われるぐらい、領民に慕われたよ。でもあの当時での
国際政治である秀吉補佐から関ヶ原までの政治運営は、敵しか作らん馬鹿って話になる。
だけど大谷吉継みたいに親友として命を預ける人物もいたくらいで、決して人間として評価が低いわけじゃない。
要するに分ってのがあるんだろうな。ここまでは自分の才覚や見識、そして良心で優れた
人物として評価できる、でもそこから上には本来いけない人。分をわきまえれば近づかなかったはずって人。
ていうか司馬遼太郎の「関が原」は三成主役で家康が敵役だからな。
司馬作品の影響受けてるみなもと太郎もそうなるでしょ。
司馬作品で嫌に書かれてるキャラは扱い悪そうだし。有村とか。
>>297 いや、敵しか作らんってほど悪くは無いぞ。
はるかに格上の家康とほぼ互角の勢力を作りあげたんだから。
>>299 五大老である毛利を総大将にして太閤恩顧の大名たちをかき集めたけど、その太閤子飼いで
最強だった加藤清正も福島正則も誠心誠意で力を貸してくれと頭を下げる事も出来なかった。
ある意味出来もしない寝技を使おうとして結局失敗したと言える。心から信服して
加わった大名の数で言えば、家康の勝ちは動かなかった。それでもいい勝負をしたんだから
石田三成が無能だとはもちろん思わない。ただひたすら豊臣家への忠誠だけでみな従うと思っていた
辺りは、やはり背伸びし過ぎて現実を見る力がなかったんだと思うよ。
前田家と上杉家が動けば戦況も変わっただろうけどね。三成。
>>300 そこらへんは事前の家康の工作もあるから一概に三成だけを責めることはできない。
互いに工作し合った結果互角の勢力なんだから。
「三成に足り無かったのはプレゼンテーション能力」という話をどこかで聞いたな。
それまでは「秀吉様のご命令である」と言うだけでみんな言うこと聞いてたけど、
石田三成自身が命令者になった時点で本人の「言うこと聞かせて従わせて纏める」
能力が問われ、そして一官僚にそれができたかというと…って話。
治世の能臣でも乱世には奸雄になれないなら人はついていかないって事かな。
庄内の乱も三成が本来どうにかせんといけなかったと思われるんだが
どうにも出来ずに手をこまねいてたのがなぁ、三成は島津の取次だったんだし
調停とかは苦手だったっぽいんだよね、三成。
時代を動かした指導的な立場の人たちはほとんど戊辰戦争までで精根使い果たして、明治まで生き残っても
抜け殻みたいになってしまってるし、徳川幕府というより800年近く続いてきた武士の時代を
終わらせるのは、並大抵じゃ出来なかったんだろうな。井伊にも同情はする。たぶん開国したら徳川や
日本という国がどうなるかなんて想像すらつかなかったんだろ。
西の人間は太閤さんが天下人で内府は極悪人って皆思ってるんだって聞いたぞ。
帝もコッチにお住まいになって日本の中心は東に決まってるのに、
まだ天下に未練でもあるのか
変な煽りと勘違いされないように言っておくが
もちろん冗談だが
京都の人間の言う「いなかから はるばるよう おこしや した」
的な
太閤の死後、豊臣家から徳川家への権力移行を天下に示すことが出来たのは三成のおかげ
さすがに豊臣家を高家のように残すことは難しかったろう
家康から見たら三成は恩人に近い存在
まあ大閣はんも織田家裏切っとるし自業自得や
早いとこ話を進めて欲しい
>>311 >まあ大閣はんも織田家裏切っとるし自業自得や
秀吉は織田家から天下を奪ったものの、織田家を滅ぼしてはいない
信長の弟の有楽斎を御伽衆に、嫡孫の三法師(織田秀信)を大名として取り立てて、
少なくとも秀吉の存命中、この2人は安泰だった
この点において豊臣家の血筋を徹底的に絶やした家康とは根本的に異なる
そもそも家康も信長の三男信雄を推して秀吉と張り合った経緯があったが、
もしここで家康が勝っていたら織田信雄が天下人となり織田家の治世で徳川家が
一家臣の地位に甘んじていたかというと絶対にそういう事はないw
間違いなく色々な手を使って信雄から実権を奪い、最後はその子孫も含めて抹殺してたはず
314 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/04(日) 08:15:53.58 ID:3aeueZ9W0
織田家の血筋は沢山いたけど秀吉の血筋なんて、まるでいないからそりゃそうなるでしょ。
豊臣家に傍系なんてあったら、切り崩して味方につけるとかしたかも。
織田信雄ってなんだかんだ言われても、子孫が大名家で何家も残っていて、
結果からいえば前半生の失点をカバーしたと言えなくもない。
(/-\) 豊臣の傍系といえば、浅野家。ねねの実家。本家分家とあわせて、それなりの数があり、幕末までつづいてる。
忠臣蔵のときに断絶したわけではない。赤穂浅野家以外にも、浅野家はある。
赤穂浅野家は分家なんてみんな知ってるだろう
織田家って明治維新のときどうなってたの?大名だったの?
織田家は大名で数家、旗本で数家が残っていて、そのいくつかは信雄の血統で続いてる。
丹波柏原藩2万石、出羽天童藩2万石、大和柳本藩1万石、大和芝村藩1万石、と小大名が4家。
旗本の方は分家が多すぎて把握できん。
数が多ければ皆殺しで顰蹙かうより搦め手で取り込んで利用して無力化の方が楽だしね。
つまり太閤さんに足りなかったのは亜鉛。エビオス錠で歴史が変わる。
今日経で長谷川等伯の一生を描いた小説連載されてるね。ちょうど利休が首切られた直後の
話になってる。家康の諸大名への根回しが強化される時期だし、関が原にもかかってくるから
チラ見しておくのもいいかもしれない。
織田信助とか。
324 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/04(日) 13:15:54.52 ID:sDNUdl0e0
ブレイクショット?
325 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/04(日) 16:11:26.00 ID:GEtHec8Y0
「織田信助さんでやしょう?織田信長の親戚か何かで?」
フィギュアスケートの織田選手の家系はあやしい
祖父が存命なのに曾祖父から三代不明という
とてもあやしい
「織田信長の子孫」は
「中山靖王劉勝の子孫」(劉備がそう称している)ほどじゃなくても
相当な数が存在するのは確か。
まあ自称抜きでも名前売る以外に使い道無いしどっちでも同じだけどね?
全然関係無い関羽の名前利用した中国人のバイタリティにはかなわない。
まあ反天皇制みたいな思想から言い出したのかもしれないが
「もともと人類は万世一系デス」という作者のセリフは好きだ。
元ネタとかあるのか?
アフリカのイブじゃないの?遺伝子たどるとたった一人の女性に先祖が行きつくとか言うやつ。
ミトコンドリアのDNAでたどるとルーツはかなり狭まるので、昔ただ一人の女性がイブであるみたいな
学説が唱えられて注目された。現在はその仮説そのものは間違いだったって事になっている。
にわかの競馬ファンが
「知ってる? サラブレッドってたったの3頭から始まったんだよ」
って言ってるのと同じだなw
>>330 >昔ただ一人の女性がイブであるみたいな学説
主張する学者が当時からそういう誤解をしないでくれと釘を刺してたんだがな。
evaは全人類の共通の祖先である≠昔ただ一人の女性がイブである
evaと同時期に女性はたくさんいた。しかし、それらの女性の遺伝子はevaほど
広範囲に広がっていないというだけのこと。下図のAはevaと同世代の女性だけ
ど現代に遺伝子は残ってない。
人類の祖先は一世代遡るごとに倍々ゲームで増えていくんだぜ。天皇家万世
一系仮説に引きずられた考え方だろ。昔ただ一人の女性がイブである。
eva ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ A ♂
\/ \/ \/ \/ \/ \/ \/ \/ \/
♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀
\/ \/ \/ \/ 子孫残さず
♀───┬─── ♂ ♀───┬── ♂
♀────────┬───────♂
>>330
アフリカでもしDNAまで検出できるような原人のミイラでも見つかれば、実際にはかなりの確率で
ルーツ特定までは出来るとは言われているが、なにせ高温のアフリカじゃ無理。イブって
仮説自体ユダヤ・キリスト教信者たちのいわば願望だからw 自分たちの伝説が真実だった!って
言いたかっただけw
>>329 皇室の系統が長い事(家系の長さが由緒正しいとされる家柄主義)と
『先祖の繋がっていない人間なんていない(系統の古さなんか競っても意味ない)』
って言う、単なる皮肉なんじゃないの?
某カルトが天皇制を批判するときによく使う言葉らしいな >万世一系
>>335 万世一系ってアホウヨがホルホルするときの常套句じゃん。
まああれだ、よそのうちの家計がどうとかよけいなお世話だって話か。
直弼とあの若い奥方との間の子孫っているの?
340 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/05(月) 16:49:01.47 ID:x+w5Uga90
「血統なんて無意味だ」ってのも乱暴だぜみなもと先生よ
だったら自分らがお題目唱えて池田大先生に金貢ぐのは意味あんのかよ
>>339 よく判らないらしい。奥方が嫁いで以後生まれた子供
(長生きしたのは男3人女2人)は全員「奥方の子供扱い」になっているので
側室腹でも奥方の養子にして嫡出の格式を与えたんだろうと推測される。
そのことで逆に、誰が本当の正室腹なのか、そもそも正室腹がいるのかいないのか
はっきりしなくなっている。
奥方が嫁ぐ前に生まれた、松平千代子と井伊直憲が側室腹なのは確実だが。
>>333 >イブって仮説自体ユダヤ・キリスト教信者たちのいわば願望だからw
>自分たちの伝説が真実だった!って
>言いたかっただけw
しかしキリスト教の大前提として「宇宙を含めたこの世のありとあらゆるものは約6千年前に神が創造した」って
事になってるから、数十万年以上昔のアフリカ女性ってだけで矛盾が生じるのでは?
論理の通じない人々は実在する。
すぐ近くの半島に実例があるではないか。
だいたい女性上皇が天皇を廃位させて殺したり、子供じゃない人間が
皇太子になっていたりが当たり前だった日本の歴史を「万世一系」と
言ってた戦時中がアホの極みだったからな。
そもそも平安期の天皇はずっと藤原氏の血で染められてたし、それ以前は
蘇我氏の血が入っていたけど、どちらにも半島や大陸の血が入ってると
いう説があるくらいだし、そもそも弥生期以来の大陸からの血を云々
していたらきりがないよ。
それより内田樹じゃないけど、たとえば父方のひい爺さんが偉人Aだ、
という人がいた場合、こいつには父方の祖父の両親であるAとその妻B、
父方の祖母の両親CD、母方の祖父の両親EF、母方の祖母の両親GH、
と8人の血が均等に入っているわけだけ。
けどたいてい「おれはAのひ孫だ」とは言うけど、A以外のB〜H7人の
祖先の血は自分の中に入っていないっていう捏造みたいなことをしている
ことになるんじゃないか?
まあ誰と誰がどう関係があるかは興味深いのは事実なんだけど。
家光の乳母・春日局が対立していた秀忠の次男の乳母は、実は土井利勝の
妹だったとか。
岩瀬忠震の母方のおじが鳥居耀蔵とか。
>けどたいてい「おれはAのひ孫だ」とは言うけど、A以外のB〜H7人の
>祖先の血は自分の中に入っていないっていう捏造みたいなことをしている
>ことになるんじゃないか?
何言ってるんだ??
父母は2人,祖父母は4人,曾祖父母は8人....まずこれが大前提だろう
「おれはAのひ孫だ」と言えば「曾祖父母8人のうちの1人がAである」という意味に取るのが普通だ
「曾祖父母はAひとりだ」なんて理解する奴がいたらそいつが規格外のアホだろw
>>342 ローマ法王は「神のみ技は計り知れない」ので地動説を承認したから問題ないんだろう。
349 :
329:2012/03/06(火) 01:11:59.49 ID:dHiP9njw0
>>330 >>アフリカのイブじゃないの?
それは最近になってよく聞く学説(?)だが、ワイド版の何巻だったか「万世一系デス」のセリフが描かれた頃は聞いたことなかったよ。
最近ってw アフリカのイブの話が一般的になったのは1988年にニューズウィーク誌の表紙を
黒人のアダムとイブが飾った時からだよ。日本語版もすでにあって日本でも話題になった。
乱って意外と読めるもの多くて良いね。今買ってる漫画誌の中じゃ一番面白いかも
時代劇敬遠してたけど損だったかな
>>347 >345が言いたいのは、Aを強調はするけど、B〜Hは無視しがちだってことじゃないの。
旧家の人が、うちは何代前からの先祖からはっきりしているとはいっても、実際にはその家の一系統のみで、他の先祖は全く無視。それでいてご先祖様を大切に、とかいう奴がいるから笑えるって話でしょ。
日本は家中心で血統は無視しがちだし。
まあ内田樹の議論は夫婦別姓への違和感表明の文脈だったはずだから保守派とも結論だけは重なるけど。
井伊が部屋住みから将軍家を守る盾になれて本望じゃーっ!!とか叫んだって書いたのは
みなもと先生のせめてものレクイエムかね。
井伊は元々は、知識→開国殖産論 気持ち→攘夷 だったけど
いざ老中になってみれば開闢以来の鎖国の法は解けないし
不勉強なアホは攘夷の現実不可能さが認識出来てないわで手詰まりだったんだろうな…
外国から期限付きで開国(条約港開放)迫られてたんだから
そこを南紀伊派に勅許妨害されたんだから弾圧に向かうのは自然な流れだと思う。
俺は安政の大獄は無根拠な仕置きだとは思わないな。大老の立場ならむしろ当然。
ただ、水戸はともかくとして開明派大名まで処罰したのはマズかった。
許勅なしで独断開港したんだからその詰問には真摯に対応すべきだった。
[a.理解有る将軍を仰ぐ] → [b.老中など幕閣の政敵対策をする] → [c.天皇・公家対応]
[d.開港・打ち払い いずれにしても予算確保] → [e.立案者および遂行者を立てる]
a.が まず家斉時代がまずかった。松平定信を起用したはいいが田沼意次を罷免し
殖産ではなくて締め付け方向での改革で乗り切ろうとした。これは時計を巻き戻す行為だろう。
なにをやるにしてもこの頃から幕府は慢性的な財政難になってる。
水野忠邦の上知令が成功していれば大阪近郊・東京湾の海防は進んだだろうし
幕府の行政運営費も改善していたかもしれない。でもb.でダメになった。
阿部正弘は劇薬斉昭をうまくバランス感覚で読み切って政権運営したように思う。これはすごい。
(f..ただ惜しいのは、家慶が家定の器量を心配して徳川慶喜を将軍継嗣にしようとしたのに反対した、
難局が山積みになる前に慶喜が将軍になっていればa.はクリヤしてb.d.eが打開出来てたかも)
そのあとはただもう病弱やまともじゃない将軍が続いてb.の政争が激化 c.も悪化。
もうほとんど無理ゲー状態な感じ。
a.b.クリア出来る南紀伊派が政治主導奪取に成功してたら可能性はあったかもしれないけど、
この徳川慶喜神輿構想には御三家の癖に勤皇で攘夷の過激思想な爆弾斉昭のヒモ付きだから
佐幕で攘夷不可能達観派にはよりヤバく見えたに違いない。
なのであの状況では井伊直弼はよくやった方なんじゃないかと自分は思う
ごめん、折角必死に長文書き込んでくれたのに全然読む気にならん。
南紀派と一橋派間違えてない?
ごめん
まちがえてた
>開闢以来の鎖国の法は解けないし
そもそも「開闢以来の鎖国の法」なんて無いだろ
島原の乱のトラウマを200年以上引きずってただけ
鎖国と言うか、海禁政策は日本だけの政策じゃないって。
清や朝鮮もやってるわけで、むしろ日本は清・朝鮮との共同外交の結果同じことをやっただけ。
そもそも当時の日本の最大の外交・貿易相手は清・朝鮮だったんだから、
その2国が鎖国したら日本も鎖国せざるを得なくなる。
病弱・精神薄弱者・性欲過多 まともな将軍に恵まれてないね。幕末の系譜。
おまけに浅間山の大噴火とかでグスコーブドリの世界みたく寒冷化で冷害飢饉。
大型地震や大型津波台風の連打。こりゃ人心も安定せんわな
早いうちに交易型の海洋国家に転換出来んかったのが幕末の不幸なんだろうな。
幕末の日本って運が良かったのか悪かったのかさっぱり判らん。
幕府の体たらくで外国に食い荒らされなかったのは僥倖みたいなもんだけど、
立っては消えていった『風雲児たち』の足跡も否定できん。
来月はもうちょい話を進めて欲しいな
徳川家の将軍で頑健で思考力も正常だった人を探す方が難しいくらいだからな。
身体が虚弱で早世している将軍の方が多い。だから毒殺の疑惑がつきまとってる。
1.2.3.4.5.8.11.12.15は普通でしょう。
>>364 でも1、8、15は将軍の息子じゃないからな。
11も将軍の子じゃないな。
慶喜は頑健で思考力も正常だが幕府内に敵が多すぎる
本人がやる気出して周りも協力的なら家康の再来(桂曰く)だったろうに
家光は子供の頃どもりで感情の起伏も激しくてんかん持ちだったと言う説もある。
そのために母親に嫌われて切腹しようとまでした。あとホモ。綱吉もどうも精神的に
起伏が激しく母親にいうなりになって殺生憐みの令につながった。
要するに将軍を支える家臣が優秀な人が続いて、将軍のアラが隠されているだけ。
吉宗が現れなければやばかったって言われるのも当然かもしれない。
生類憐みの令は、水戸黄門が反対したせいで水戸学においてけちょんけちょんに貶され、
その後も悪法の代名詞みたいに扱われることになった。
けど最近の研究ではかなり肯定的な評価をされており、
日本人の倫理観がこの令によって劇的に改善されたとも言われている。
>>369 これが出るまでは、日本人も普通に犬を食ってたらしいw
まあ、当時の人には評判悪かったし、寺院の復興事業合わせて幕府の予算使いすぎて吉宗いなきゃ幕府破綻してたかもというくらいだからな
文化面、日本人論という点では転換期ではあったけれど、政治的にはねぇ
ただでさえ人口過密の江戸で馬鹿でかい御犬屋敷を数箇所に作って、
数十万匹の犬の世話代専門の税金取られてこれは良い法律だって言うのもちょっとなぁ
例えば、今総理大臣が「日本はこれからは絶滅しそうな全ての動物を保護します」って
言って東京のど真ん中に馬鹿でかい動物園作って、「この動物園を運営する為に
消費税をさらに10%上げます」なんて言ったら即効解散総選挙モノだろ?
そりゃ、後世からみたら良いかも知らんが生きてる当人からしたらたまったもんじゃなかろう
まあ、生類憐みの令も天領外だと、あんまり守られてなかったっぽいが
そもそも、たかだか法令実施期間が15年程度でしかも、遵守させてたのがほぼ
江戸のみと言う狭い範囲でしか適用されてなかった法令に日本人の倫理観を
劇的に変化させるような効果があったのかどうか怪しくないか?
>まあ、生類憐みの令も天領外だと、あんまり守られてなかったっぽいが
「生類憐みの令」は無能かつ保身主義の官吏達が法の精神を単純拡大・歪曲したせいで
あそこまで酷い運用になったという説もある
元禄当時、数寄ものやお大尽達の間で珍しい動物(「ちん」とか「おうむ」とか「らんちゅう」とか)を
飼う事が流行っていて、それを諫める意味合いで
「食べる訳でもないのに観賞用だけで生き物を飼うのは可哀想だから止めなさい」
というレベルの内容だったから、本来なら魚や獣類なんかは食べてもOKだった。
でも奉行や代官,与力,同心,目明しと現場レベルに行くに従い意図が捻じ曲げられ 「犬 > ひと」 みたいな
理不尽な取締りがエスカレートしたとの事。
だから幕臣じゃない地方の藩とかは必然的に取り締まりもヌルくなると思われ
まあ「ペット禁止」も充分余計なお世話なんだけどw
>>373 この法令は影響ないと思うが、自ら能を舞ったり学問を奨励したり「平和な時代の将軍」綱吉の時代に
醸成した文化はその後の日本に影響を残したと思う
元禄時代は幕府が金使い果たした時代だw 東京の桃園ってところは昔犬を集めて買っていた飼育場で、
生類憐みの令が撤回された後桃の木を植えて江戸の住民たちの憩いの場にした歴史がある。
あれは調べると本当に悲惨な話が多いから、とてもじゃないが肯定なんか出来ないぞw
島原の乱のおかげで日本はキリスト教の侵略から守られたって言うくらい無茶なこじつけ論。
ユダヤ人は、国を失い、散り散りになったが、「金融」など、汚い金儲けが得意で、力をつけていった
ドイツのヒトラーは、そんなユダヤ人が大嫌いで、虐殺して根絶やしにしようとした
やがてユダヤ人は、アメリカで、金融界、ハリウッドの映画会社などで力をつけ、世界を支配、イスラエルを建国した
そして日本では、GHQの政策で、在日朝鮮人を優遇し、芸能界やスポーツ界は在日朝鮮人が多い、力道山もそうだった
在日朝鮮人も、ユダヤ人と同じく、汚い金儲けが得意、相手を倒すためなら手段を選ばない
六本木ヒルズなどは、ユダヤ人と在日朝鮮人の融合の象徴だった
ボクシングの亀田一家のように、無理やり在日朝鮮人をヒーローに仕立て上げた
そしてプロ野球チーム、テレビ局、出版社などの株式を買い占めて傘下に入れ、「韓流」を押し付けるようになった
キリスト教や欧米カッコイイという洗脳はある程度受け入れた日本人も、「韓流」に対しては、激しく拒否反応を示した
いまの日本では、「生類憐れみの令」ならぬ、「チョン類憐れみの令」というお触れが出ているかのようだ
KARA、少女時代、チャン・グンソクなど、頼みもしないのに、韓国の芸能人がテレビを占拠している
僕はK-POPより日本のアイドルのほうが好きです、と発言しただけで、フジテレビの番組から消えてしまった芸人もいる
日韓併合という屈辱をうけた朝鮮民族が、何百年ぶりかで、日本にリベンジを果たすときがやってきたのだ
西郷隆盛の「征韓論」の逆、韓国の「征日論」が着々と進行しつつある
>>374 その説で笑う所は法令を出した本人様が「狆」のトップブリーダーだった所ですかね?
>>376 ひと事でまとめると
除 鮮 が 必 要
でOK?
先生が嫌いなのは家康やチャカポンとして
好きなのはやっぱ竜馬や勝あたりなのかな?
井伊が政治から隔離された状態から大老になって幕府の盾となった云々は司馬史観なの?
ユダ公が金融業務を引き受けたのはユダヤ教に
「異教徒相手なら利子を取って金を貸しても良い」
という教義があったからなわけだが
>>380 まああれだけ情勢読めないで、その力もないのに幕府が全部仕切ると息巻いて、やってる事は
自分のシンパすら粛清に近い排斥して、この人物はなにをしたかったんだと首をひねったのは
なにも司馬遼太郎だけじゃないし。
>>381 典型的なユダヤ陰謀論だね。
どこにそんな協議があるのか具体的にこたえられる人間はいない。
実際は差別されていたユダヤ人には金貸しくらいしか出来る仕事が無かっただけ。
日本において盲人が金貸しをやってたのと一緒。
旧約聖書には貧しいものと同胞に金を貸しても利息を取ってはならないと書かれている。
ベニスの商人が載っている新潮世界文学の旧版には「キリスト教徒は異教徒なので金を貸して
利息を取る事はユダヤの律法に触れないと解釈された」と解説されている。
>>379 (/-\) 蔵六先生がお気に入りだと思う。ギャグメーカーとしても、使えるキャラだし。
まともな仕事に就かせないで汚い仕事だけを押し付け、こんどは
「あいつらは汚い仕事しかできないんだから差別されて当然」
というデマを流すのはまともな統治ができないダメ為政者の
お決まりのパターンだからね。
で、奇麗事を言って「純血主義」とかで弾圧を開始する時は必ず
差別していた相手が蓄えていた財産、カネが目当て。
江戸時代の商人とかもそうだけど、こういう狂った差別主義者や
ダメ為政者たちと同じ時代に生まれてしまった人間は悲劇でしかない。
みなもと先生もそういう差別がまかり通っていたから、江戸時代に
行きたいなんて全く思わないと書いてるけどまったく当然だろう。
差別主義でしか語れない「誇り」なんて狂人のウワゴトでしかない。
「品格」っていうのは群れないこと、他人の大勢をあてにしないこと、
孤高を恐れないことだと誰かが言ってたけど、血統主義や差別主義は
品格から一番遠い人間のダメな部分の溜め落とし場だもんな。
その一方で江戸時代を暗黒時代扱いもしてないけどね
暗黒時代というには江戸は当時の世界見渡してもありえないほど清潔で遵法精神に
あふれた町だったのは確か。前に出た打ち壊しの話とかも考えるとね。ただ身分制社会は
現代人が行ったら順応するのは大変だよ。
不正や犯罪は諸外国と比べて極端に少なかったが、
都市部以外は疲弊して手詰まり状態だった<江戸時代
>>390 手詰まりでなく、疲弊していなかった時代っていつよ?
日本中の民から搾取しながら自身は全く生産的なことをしていない武士階級が
参勤交代で江戸に集中し、格式を守った生活してた訳だから
結果的に日本中の富の何割かを江戸に集約して武士達が消費してた事になる
両国にある江戸博物館(?)で見たパネルの資料によると、ある藩が参勤交代および江戸屋敷に
費やした費用は、藩の全収入の25%〜40%にも達すると書いてあった。
ようするに農民からの年貢の25%〜40%を江戸に仕送りしてたという事だ
大名だけじゃなく旗本も入れると何百人何千人の殿様、姫様、若様、奥方、
その何十倍もの家臣や侍女が地方から送られてきた血金で消費三昧の暮らしをしていた...
そりゃ「江戸の中」に関しては景気かいいに決まってるw
例えるなら農村で多数の餓死者出しながら特権階級が贅沢な生活してる平壌のようなもんだ
>>392 釣りか絶許狙いかのどっちだ?
当時の武士階級は現代と比べりゃもちろん非効率極まりないが一応官僚としての性格を
持っていたし、参勤交代の費用が全て江戸に注がれるわけも無く、しかも、江戸屋敷は
対外交渉としての大使館的役回りも持っているんだがそこらへん全部無視か
まるで、ポルポトの全部農民ならこの世はパラダイスみたいなマルクス史観だね
>>391 例えば、石高制でコメの収穫量で給料と支払うようにしてたが、
時代が移り米以外の産物が広がるようになると経済全体での米の価格価値が相対的に低下した、
これによって幕府・各藩の行政運営費用も低下し武士も給料価値が減っていくようになった。
この事は現金収入のある人達以外を苦しめた。
加えて貨幣経済と相場取引の発展で米価は乱高下し庶民の生活を直撃した。
米価が下がれば藩の収入・武士の収入が低下し、
米価が上がれば米の購買層の生活を直撃した。
幕末は特にひどく、政情不安や各種災害・為替レート問題(金銀交換比率)などで
米価は30年間で100倍 他の諸物価も10倍くらいになってる。
貨幣経済ではなく米による兌換経済だから実際に生活を直撃したのは飢饉だけどな。
江戸で言えば庶民の家庭が暮らしていくにはそうかかるわけではなかった。また武州・相州など
江戸近郊はわりと幕末も経済は穏やかだったので、百姓たちが剣術修行なんて事も出来た。
ただ関八州はもうひどい有様で江川さんが早死にしたのも当然だったろう。
風雲児にも描かれてたが、
米以外の換金収入があれば比較的マシな生活水準になれたりしたが、
多くは藩などの制約からコメの作付け面積を減らせなかったのでドラスティックな転換は無理だった。
(はなっからコメの採れない松前藩とか、藩政改革で殖産の奨励したようのとこは例外)
知行持ちを例に出すと判りやすい
農民が米以外の作物を作るために稲の作付面積を減らすと米の収穫量が減るわけで
領地の米の収穫量が減ると それは知行米の低下を意味するので
単純に作物を変えられない。
重商主義に対応できる税収体制に対応できないと簡単に対応できなかった。
経済改革で乗り切れなかった藩は没落した。
年貢が十公零民なんて地域もあったんだし、簡単に作物が変えられなかったってのは
どうなんだろうな
ぶっちゃけ、米価が下落したのは農業関連技術が大きく発展したのが最大の要因だと思うわ
そりゃ、二百年も立てば技術革新なんてえらい事になりますよ
この時代いくら学問が出来たってしょせん論語の暗誦が出来ますよってのが知識人だからな。
知識よりまず先に好奇心がなければついていけなかっただろう。井伊になかったのはそれじゃないかな。
そういえばハリスがアロー戦争後の英仏との橋渡しをする話は、空文化した?
>>397 >>年貢が十公零民なんて地域もあったんだし
百姓は何食って生きてたん? 余程気候の温暖なところで米以外の作物が大量に取れる地域でないとありえないんじゃあ?
401 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/09(金) 07:58:35.36 ID:kxnVxc8p0
>>400 >百姓は何食って生きてたん?
裏作分を農民の生存用に作ってたんじゃね?
でも、「十公零民」ってのは初めて聞いた言葉だけど。
農作は重労働だからカロリー大量摂取が必要だし、それだけのカロリー供給できるのは米だけ。
あまりに非人道的なことやったら農民いなくなって年貢も取れなくなるから、常識的なとこに落ち着く。
だいたい実行税率は35%くらい。
逆に言うと、当時の日本の農業はその程度の余剰生産力があったということで、それが文化を生んだ。
同時期の中国・朝鮮は農業余剰生産力に乏しく以下略
マジで「十公零民」なんてことやったら農民飢え死にするし、それ以前に全員逃げる。
一定以上の重税だと農村維持できないし、おかしな政治をやるといろんな形で反抗する。
農民は奴隷じゃないし、武士も鬼じゃない。
結局はお互いなだめすかして持ちつ持たれつになる。
ぶっちゃけ切ったら血が流れてやれば孕むんだ
武士がそんなに農民を手酷く扱えるか、なんて無理だよな
それなりに自治ですませていたので
武士は人口比だとさほど多くなくて
江戸時代は小さな政府ですんでた。
>>386 でも蔵六先生、この先は使われれば使われるほど
諸人の恨みを買っていくんだろうなあと思うと…
処世術0なとこが蔵六先生のキャラの魅力でもあるがねえ
58 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/03/03(土) 05:52:15.85 0
天保2 年、渡辺崋山が、先代藩主
の弟の生母を相模国高座郡小園村へ訪問したが、そのときに出された食べものの内
容が『游相日記』(天保2 年)に載っている。それをみると、「そはかき二椀食す。梧庵
(弟子の)は一椀にて止む。酒三盞かるく飲す。濁酒のどへ通らす。吸もの、とうふ・た
まこ・味よろしからす。一箸給へる梅ぼしうまし。粟餅壹ツ食ふ。其人よろこびのあまり、
何かと工夫してかくはもてなしけり」とある。はるばる訪ねて来てくれた人をもてなすに、
これがこの農家の最高のごちそうで、武士にはとても食べられた物ではなかった。供
をした町人の梧庵も同じようにのどに通らない様子が描かれており、武士は無論、町
人との食の違いが大きかったことを物語っている。
http://www.city.yamato.lg.jp/web/content/000002028.pdf 食生活は貧しかった
>>407 先代藩主の弟の生母って回りくどいな。
先々代藩主の正室又は側室じゃだめなのか。
あと、玉子は食べてたのね。鴨とか鳥は食べてたろうから不思議じゃないが、
ああ、そうだったのかという感じがした。
当時の食生活で問題なのは、流通が全くないこと。
他の地方で取れた魚や作物を別の地方にもって行って売ると言うことが都市部以外では不可能だった。
したがって、手近で取れるものをたべるしかなく、それが食べ物のまずさにつながった。
貧しいと言うよりも、他に食べるものが無いと言うのが正解だよ。
これは貧しいとか豊かとか以前の問題。お金があっても売ってるものなんて何もないんだから。
そういう流通が存在したのは江戸大阪といった大都市や、藩の中心部のみ。
なんでそういう流通が存在しなかったかと言えば、幕府が村や町の間の移動を規制し、街道を整備しなかったから。
海や川沿いなら船による流通が存在できたが、山の中ともなれば年に一回流れの商人が塩を売りに来るだけという地域も多かった。
でもこれは飢え死にとはまた違う話。調味料は買えなくても、食っていくだけの食糧は確保できてるわけだし。
>>408 >
>>407 > 先代藩主の弟の生母って回りくどいな。
> 先々代藩主の正室又は側室じゃだめなのか。
三宅友信 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E5%8F%8B%E4%BF%A1 多分、このひとの生母 側室の方だと思うが、
『先々代藩主の側室』だと言うことが言いたいのではなくて
『三宅友信』のご母堂だと言うことが主眼なのだと思う。
渡辺崋山は田原藩に養子が入るの事を反対し(養子賛成派は金銭的打算が目当てだった)
先代藩主の血筋のほうこそ優先すべきだと主張してやまなかったが叶わなかった…。
しかしこの抗議活動の効果も有ったのか
迎えた養子藩主の子と友信の子供を娶せていく了解を得れた。
それで結局は友信の息子が藩主になれて 友信は前藩主格相当の待遇も得られた。
こういう経緯もあったので 渡辺崋山の蘭書の購入費用なども負担してくれた。
農村の裕福度は国によってかなりの差もあったから一概には言えないけどね。今の中京から西側は
台風などの被害はあるが全般的に豊か。関東から北は全般的に良くない。関東も山に近づくほど
土地がやせていた。
十公零民だが、別に取れた米を全部お上が持ってくってことじゃなくて
殖産で米以外の物を作るようになって、秋表高分の年貢を持って行こうと思ったら
書類上取れた米を全部持っていかないと年貢が足りなくなったからこの歩合になった
勿論、百姓は困窮したかって言うと他のものを売ってたから特に困窮してたと言う訳ではない
× 別に取れた米を
○ 別に取れた物を
>>393 >江戸屋敷は対外交渉としての大使館的役回りも持っているんだがそこらへん全部無視か
>>392に対する反論としては意味が全くわからんのだが...??
>>392が書いてるのは
「江戸は武士階級が全国から富を集中させ、消費していた特殊な都市なので景気が良かったのは当然」
という事だろう
歴史人口学者の速水融によると。江戸は他の地域に比べると異常に死亡率が高く、平均寿命も短かったそうだ。
どうも農村で吸収しきれない人口を江戸に押し込んで処理していたというのが現実。
>>407 (/-\) 出汁とか、醤油、味噌、塩の料が口にあわなかったのでは?
貧しい田舎だと、調味料とか、出汁のもと(コンブ、干し椎茸、カツオブシ)などを買う余裕がない。
出汁のきいた、塩気の多いものを食べなれている人は、田舎の貧しい料理は美味しくないと思う。
あるいは逆に、醤油や塩が多すぎたのかもしれない。
城下の味と、田舎の味は、ひと昔前の関西と関東以上に味の差があると思う。
>>417 江戸時代に出汁なんてものは貧農農家では使われたりしなかったはずだよ。塩すら山奥では
貴重だったし。流通自体が相模の国あたりでも厳しかった。醤油なんてのも貧農では高くて
使えなかっただろう。
味噌が効いて腹に貯まれば良いって権現様が。
しかしもうちょっと流通をどうにかすれば、大都市圏以外の生活もどうにかなったろうに。
一方江戸では初物が大金に化けているのに。
>味噌が効いて腹に貯まれば良いって権現様が。
それは家康じゃなくて井伊か榊原の台詞じゃなかったか?
>>416 それ、農村部における乳児の死亡数を計算に入れてないんじゃないかな...
>>419 大量輸送はすべて軍事力につながるから一切技術発展させなかったからな。
このころの拳銃はライフリングされてない丸い弾を撃ちだすもので、
どこに飛んでくかわからない代物だったんだろ?
井伊を撃ったのはコルトM1851のレプリカモデル。
金属薬莢ではないもの雷管と回転式弾倉を持つ連発銃でライフリング付だぞ。
過渡期とはいえ当時最新鋭に近い銃であり、決して旧式低威力なシロモノではない。
しっかり旋条を切ってあった、最新式の拳銃(の模造)だというが。
カゴん中にいる人間を狙うんだから、そもそも命中精度は気にしてないんじゃないか?
当ればもうけで撃ったんじゃなかろか?
>>421 人口統計で乳幼児死亡率を計算に入れないわけないだろ。
そもそも都市部でも農村部でも乳幼児死亡率は大差ないし。
それに加えて都市部では出生率自体も低かった。
東電 清水元社長に退職金 5億円
清水元社長の奥さんは勝保会長の娘で身内経営
震災前に契約していた原発保険を掛け金が高いと解約したのは清水元社長
清水元社長の家族は震災3日後海外に避難し、1週間後には避難のためのマンションを大阪にて購入
そして今年は電力料金値上げ
井伊直弼の「桜田門外の変」 、豊田商事の永野会長の事件みたいなことが起こるのでは・・・?
その2つじゃ大違いだとツッコんでほしかったのだろうか?
>>423 拳銃なんてもともと正確に狙いつけて撃てるよーなもんじゃないけどな
しかし襲撃初期の段階で撃ったんだから、駕籠からはまだかなり距離あったはずだよな。
目立つから射撃の練習なんてろくに(まったく?)してないだろうし、ましてあのみなが
ハイになった状況で、しかも一発だけ。
正直、標的の大きい駕籠に当てただけでも上出来と思えるのに、それで中にいる直弼の、
腰骨を砕いて活動不能にしてしまうんだから、その点で考えても奇跡的だよなこの襲撃。
首を落とした有村弟より、この狙撃主こそ一番の大手柄かも。
しょーじき、本当に弾が当たってたのか怪しいと思うな
主君がロクな抵抗もなく討たれたとか恥ずかしいから、弾が当たって抵抗できなくなっていたと、
そういうことにして報告したような気がしないでもない
こういう場合評定所の検死は行われるはず。まあそっちに金ふりまいて事実を隠すって形もあるだろうけど。
たとえ彦根藩が即座に遺体を藩邸内に運び込んでも必ず取り調べはある。
でもこの件では、襲撃による負傷自体、なかったことにされ、
急病を発した末に病死したことにされたわけだものなあ。
じゃぁ
・撃った弾丸は一発のみ
・その弾丸が直弼の腰骨を砕いていた
この2点は出典どこだろうな。
撃った弾については襲撃者側(あるいは目撃者)の談話かもしれないが、それがどこに命中
していたかまでは襲った側には分からんだろう(駕籠の底から刀を刺しているから、引きずり
だした時はすでに血まみれ)。やっぱり遺体を検死した記録があるんじゃないの?
首を縫い合わせたって話もあるくらいだし。
松の廊下事件と同じじゃない?
駕籠から出てこなかった→腰を撃ち抜かれていたんだよ!
あるいは小説が元とか
しょうもないところにこだわるなあ、という率直な感想
>>435 彦根藩医・岡島玄達が、首を縫い合わせる前に取った検屍記録が残っているらしい
(解剖した訳じゃなく、貫通銃創を確認しただけだろうケド)。
>>438 ありがと。
早速「岡島玄達」でぐぐってみたらいくつか記事があったよ。
Yahoo!の「知恵袋」だけど、分かりやすく書かれてたのではこんなのが。
>「桜田門外の変」での「井伊直弼への狙撃」の件ですが、「桜田門外の変」直後に井伊直弼の
>遺体検分をした彦根藩医、岡島玄達の記録が現存しています。
>それには「致命傷は太股から腰にかけての貫通銃創」と記述されていて、岡島の検分に間違いが
>無ければ「井伊直弼は銃による狙撃で落命した後に首を取られた」事になります。
>狙撃のタイミングについては諸説あってはっきりしていませんが、「一番最初に狙撃された
>(桜田門外の変は銃声によって始まったとされている)」説が有力視されています。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1065372360
>>435 Wikipediaの「桜田門外の変」によると、彦根藩士側は「銃撃で怪我を負った者が多」く、「銃創と鞘袋が
邪魔して咄嗟に抜刀できなかった」とあり、更に「永田太郎兵衛も二刀流で大奮戦し、襲撃者に重症を
負わせたが、銃創が酷く闘死した」とあるから、現場では何発も撃たれているようだ。
井伊に当たったのはそのうちの1発ということだろう。
攘夷を掲げて夷敵の武器で徳川幕府体制守ろうとした人物を殺した
歴史って外側から見るくらい残酷な見世物はないな。
尊皇思想の総本山みたいな水戸は内乱みたくなってあんまり活躍出来んかったんよなぁ…
水戸は幕末動乱で埋没していき土佐は明治に埋没していく
内部抗争で人材殺しまくった末路がこれです
長州も大差ないくらいに人材殺しまくってるんだけど
それでも人材がまだたんまりあったのは流石は実質100万石か
存命しとったら歴史が変わってたと思えるような人物挙げてみない?
自分は渡辺崋山が好きなんだが、蛮社の獄がなければかなり政治に関わってたような気がする。
尚歯会のリーダー的存在だったし、藩政改革の経験もあった。
史実でも水野忠邦が同じく尚歯会の江川太郎左衛門重用してたから
オブザーバー的に意見交流してたような可能性が高いと思う。
かなり前の人間になるが田沼息子が佐野の手にかからなかったらかなり変わってた
と思う、まあ、多分一般人の受けはあまり宜しくなかっただろうが
>>444 阿部政権の時に尚歯会が存在してれば大活躍してただろうな。
吉田松陰は存命してもし海外留学していたら、討幕運動より教育に力注いで大学作っていたような気がする。
将軍家定が家茂より長生きしていたら、
本人が何もしなくても、歴史のコースは相当変わっていたろう。
>>438-440 やっぱり何発も撃ってたんだなぁ
>>444 バランサーである阿部さんが死んだのが地味に痛いような・・・まあ引退した老中が活躍したって話は聞かないけど
>>452 織田信長って、秀吉に毛利の備中高松城を攻めさせたけど、いつまでたっても陥落しないから
しびれを切らして「俺が直接行ってやるわ!」って出発したところを、本能寺で光秀に殺されたんだっけ
信長本人が行ってたら、毛利を完全に滅ぼして、さらに四国の長宗我部も滅ぼしていたかな
>>453 それは秀吉がゴマすって信長に報告しただけで、
実際は毛利は壊滅寸前だった。
実際信長が討たれたのを知ったら次の日には高松城開城させてるぐらいだからな。
本来の予定では「信長が到着したらその威を恐れて高松城は降伏した」とか言う予定だったんだろう。
第六天魔王ってのはデビルマンみたいでいいよねw
当時の織田家に抗することができるほどの国力は毛利家にももう無かったしね
何事もなければ武田を滅ぼしたときのように、順番に鉄槌下していくだけだっただろうさ
まずは毛利、次に長宗我部、そして九州かあるいは越後か関東か
信長の「第六天魔王」という自称は武田信玄に対する書状に書かれたもので、
その内容は全般にわたって信玄にへりくだっており、
能の「第六天」に出来る素戔鳴尊に折檻されて逃げ出す第六天魔王になぞらえてると考えられる。
397 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい [sage] 投稿日: 2011/10/16(日) 15:08:22.03 ID:T2Fr49tP0
中国地方の覇者であった毛利輝元は石田三成に西軍の総大将を要請され、深く考えずうっかり引き受けてしまう
吉川広家はこれに猛反対、しかし一度受けた以上は取り消せない
吉川広家は思い悩んだ末、朝鮮出兵のときに親しくなった東軍の黒田長政を通じて、徳川家康に
「必ず寝返りますから、毛利家を潰さないでください。」と懇願
関ヶ原の戦いではその通りしにて土佐と毛利本家の軍を通せんぼ、早く動けと言われても「わしはこれから弁当を食べる。」と動かず
小早川秀秋もこれに同調、東軍が勝利した
徳川家康は、寝返ってくれた礼として周防・長門の2国を吉川広家に与えると言ってきたが、これを固辞して毛利本家のものに
西軍の総大将なのだから、本来は毛利家を完全にお取り潰しになっても仕方のないところを、吉川広家の「ギリギリの選択」で
広島城を追い出されるものの、周防・長門の2国で、萩という小さな土地でなんとか毛利家は存続できた
(/-\) 信長は中央集権制を目指していたらしいから、長生きしていたら、日本はヨーロッパの絶対君主国家のようになっていたかも。
歴史の流れで仮想すると、やがてはイギリスのうような無血革命を経て、象徴天皇を戴く民主国家になっていく。
明治維新が100年ぐらい早くなってるかも。
>>460 中央集権国家の絶対条件は交通網の整備。
国の中央から末端まで高速で情報を伝達できなければ中央集権なんて無理。
中国もローマも舗装道路のとどくまでが中央集権の行き届く地域だった。
日本は国土は狭いが河川が多く土地が山がちで入り組んでおり、
中央集権の実現は明治の汽船と鉄道による交通が張り巡らされるまで不可能だった。
同じヨーロッパでも1871年までずっと分裂していた山岳地帯の多いドイツに近い条件。
信長はそう考えていたかもしれないが、どう考えても中央集権国家を作るなんて不可能。
>>451 ここ面白いな 他にもよさそうなサイト教えて
日本の国土の何倍もある上に地形もアレな中国で中央集権国家やってた実例があるんだが。
徳川政権が長持ちしたのは,政治のしくみが優れていたからではなくて
大航海時代が一息ついて外国から日本への干渉が少なかったからだって
説を聞いたことがあるな。
どっちみち帆船時代ではたいした干渉はできんよ、ヨーロッパからあまりにも遠すぎる
日本人が戦争に不慣れだったりするならともかく
466 :
451:2012/03/11(日) 15:40:00.19 ID:NKqDR3wH0
>>462 さがせばいろいろ見つかると思う。
「戦争経済」とか「仮想戦記ノート」とか「月夜裏」とかw
幕末つながりでいうと月夜裏で連載中の投稿作品で
慶喜を仏蘭西に往かせて将来の鉄道建設に携わらせることによるIF展開が試みられている
>>461 (/-\) 江戸時代には、飛脚というものがあってのぅ・・・
電信以前のレベルでも、我が国はきわめて高速の情報伝達システムを持っていた。
そんな当たり前のことドヤ顔で言われても…
>>445 坂本龍馬は過大評価されすぎw
勝海舟の所から最終的に横領して逃げた件はやるのかねぇ
>>467 飛脚って…
地方が言うことを聞かなくなったら飛脚が走って鎮圧するのか?
地方からの大量の朝貢物資を飛脚が運ぶのか???
>>471 まぁ情報を伝達するにしたって街道の整備は必須だけどな。
江戸時代の飛脚だって山賊の被害に遭ったり大雨で何日も足止めを食らうなんて普通にあったし。
馬車で舗装道路を移動するほど確実じゃない。
ローマや中国の中央集権を甘く見過ぎ。
そんなムキにならんでも(;^^)
中世から江戸末期まで日本の街道整備が進まなかったのは、単純に大量輸イコール軍事力の拡大につながるからだよ。
織田信長も豊臣秀吉も輸送の重要性はわかっていたから大交通道路の整備計画はもっていたらしい。ただどうやっても
領地争いが絶えない状態で縦貫道路を作るのはまず無理。徳川に至っては外国との交易を縮小して言ったから
三浦按針などから欧州の交通網の話を聞いても、むしろ各藩の経済力を抑えるために陸上・海上の大量輸送をさまざまな形で
禁止してしまった。
ローマのような街道の整備には及ばなくても、江戸以前に比べたら交通網はマシになったと言うべきじゃないの?
一応各地に宿場も整備されて、ある程度治安も確保されている。
庶民も伊勢参りなど、気軽にとは言えないまでもレジャーを目的として旅行ができるようになった。
各地に軍閥や野武士が跳梁して、旅が本当に命懸けだったそれまでの時代より随分マシな気はするんだけど。
その通り。ただ基本的にまず五街道は徳川家のために整備したようなもんだから。そこから先は
各藩が自己都合で道作ってるだけだから幕末でも高野長英や吉田松陰たちが苦労する事になった。
大量輸送の馬車の開発や大帆船の開発も一切禁止したから、街道も基本的には人と荷車と馬が
通れればいいってだけが基本になってしまった。
信長はシャムへ秀吉は朝鮮から大陸に侵攻し、ヨーロッパ勢に対抗するよ。
船中八策とか言葉だけ先走ってる現状から見れば龍馬はカリスマだよ。史実的にも西郷達と対等なスタンスだし。
明るさは大事だよ。プロ野球の最後の輝きは長嶋巨人なんだよ。
なにこの池沼w
利根川の東遷事業みたいに自然河川を利用して運河的運用をしてたことにも少し注目を
改革的になると技術者を大事にして補修に回ると技術者を軽んじる。昔から変わらない日本の体質。
「〜は日本の体質」
と言っても別に日本に限定した体質ではない場合がほとんど。
日本はさんざん痛めつけられたから
左巻き自虐を養う余裕はなくなったよ。
日本が嫌いならさっさと出ていけよ。
>>484 日本が世界に誇る自虐文化を否定する奴こそ日本から出ていくべし。
切腹は日本の自虐文化の精華だ。
社畜として喜んで搾取され、
非正規雇用のワーキングプアで結婚もできず、
政府の増税にもろ手を挙げて賛成し、
放射能を浴びて幸せだと歓喜する。
これからはお国のために笑いながら死んでいく自虐人間を大量に育てるべきなのだ。
自虐人間こそ日本を救う鍵。
ID:Bj72pm+B0 ←キチガイ
>>487 お前他虐人間だな。
他虐人間は日本に必要ない、
日本に必要なのは自虐人間だ。
水戸と薩摩の脱藩者が中心になって暗殺を行ったのにここから水戸は幕末と切り離されて、
それこそ時代からの島流し状態になっていくんだよな。そしてここからしばらく長州のターン。
やっぱ西の雄藩がこの頃力を持ってたのは、箱根以東に比べたら米の作付けが安定してた
ってのがあるんだろうか?
南部藩クラスに酷いのって西の藩の中にあったっけかな?
>>489 長州も水戸も同時期に挙兵し、
第一次長州征伐と天狗党処刑で一旦鎮圧
その後藩内抗争が起きるのも同じだが、
そこから報復合戦に明け暮れる水戸と、
対幕府の名目で団結出来た長州の違いだな
>>490 (/-\) 鹿児島は桜島の噴火でしばしば凶作になるし、渡辺崋山さんトコは台風でムチャクチャになったりしてる。
米に頼らない経済体制を作った藩が、雄藩になったのでは?
昔から日本は西高東低でしょ。
下りもののが上。
化政期で江戸の地位向上、明治期、大戦、新幹線開通で東京寄りになったけど。
最近は西の復権あるね。
西の復権というより東が勝手に転んでるだけだけどな
薩摩は調所がいなければ斉彬が頑張ってもきつかったと思う
なんとか産業をおこしはしただろうが元となる金がないとな
美濃の水害対策で金を使いきった薩摩が幕末にあれだけの金を持ってたのが未だに不思議
>>490 一応西日本は二毛作が可能であるから余力が生まれ
商業が発展したりする
>>496 使いきったどころかその次の代が島津重豪ですぜ
ひ孫の斉彬を可愛がり息子や孫の先手を打って島津家の跡取りに据えちゃったあの島津顔のジーさん
密貿易だろ。しかもかなりの量のアヘン扱ってる。
つうか薩摩が慢性的に赤字になるように木曽三川の治水工事とかさせた訳だよ
それでも余力ある薩すげー
あ、大阪商人も大分煮え湯を飲んだな。
内心ではみんな分裂状態の中世国家じゃなにも改善できないのはわかってたと思う。維新で
統一国家になってから堰を切ったように国を挙げての近代化にみんな邁進したんだから。
誰かなんとかしてくれないかなあってのはあったんだろう。でも自分からはやりたくない。
>>501 そらまあ幕府が把握してる収支は表の石高と雑収入程度だもの
裏の石高、そして密貿易までは掴ませなかったからこそ「余力」が残った
(/-\) 日本の近代化。最初の構想は幕府を中心としたもの。その次がドイツ型の諸藩連合。
島津斉彬の構想は、雄藩を新譜代として幕政に参加せる幕府。幕府を倒すことは考えていない。
だけどどれも時代遅れになったから、天皇を中心とした太政官政府になった。
薩摩→借金踏み倒し、密貿易、奄美琉球から搾取、偽金作り
長州→借金踏み倒し、密貿易、100年間の貯金
よく言われるが、今の日本ほど赤字抱えていたらどっかで踏み倒さないと、まともに返すのは
絶対無理って説があるよな。
過去の歴史をみても、この状態から返しきった例はほとんどないとか。まぁ紙幣大量に刷りまくって
超インフレさせた例ならあったようだが。薩摩長州に見習うべきなのかやっぱり。
>>507 昭和20年の敗戦のときにも、政府が発行した戦争債は、パーになったそうだが
また、国債がデフォルトするのかな? ギリシャみたいに
密貿易って具体的にどんな事してどういう風にお金もうけてたんだ?
大日本帝国なんて憲法作って帝国を成立させてからたったの60年足らずしか
成立していない国だったのに、国民中から国債を取り立てて、それを盛大に
踏み倒したもんなw
「琉球王国」と「李氏朝鮮」は、ずっと中国の属国だった
首里城の琉球の王様は、中国から使者が来ると、守礼の門まで降りてきて土下座して、「あなたの子分です!」と中国をヨイショして
たっぷり貢ぎ物を献上、すると中国側は子分に数倍にして返してくれるという土下座外交を、何百年も続けていた
ところが、関ヶ原の戦いでボロボロに負けた薩摩藩は財政的に困窮し、琉球に侵略することにした
400年以上も戦争をしていなかった琉球王国は武器を取って戦うことも出来ず、わずか数日で首里城まで攻め落とされた
以後、琉球王国は、長きに渡って、薩摩藩に密貿易の利益をかすめとられ、搾取される
薩摩藩は、琉球イモを持ち帰ってこれを栽培、「サツマイモ」として広め、天候不順でコメがとれなくても、食糧には困らなくなった
明治政府になると、薩摩閥の人間が「琉球処分」を発表、沖縄は、正式に日本の一部とされた
「ノンマルトの使者」は、薩摩藩に搾取された琉球王国がモチーフになっている
モロボシダンは、炭鉱労働者だった「薩摩次郎」という人間に惚れこんで、彼の姿を真似て、地球人に化けた
ラストで、モロボシダンがボロボロになって「西の空」へと帰っていくのは、金城哲夫の自身の心境を現している
>>507 日本は海外資産を全部清算したら赤字なんて胡散無償するよ。ただそれやられたら世界経済が
崩壊するから、海外資産に手をつけないで赤字減らしてくれって拝み倒されてるんだよ。
本来IMFごときが金主である日本に注文付けるのが本末転倒。ならIMFに貸し付けた金全部引き上げたら
どうなるか知ってるか?途上国の大半がつぶれるぞ。
>>512 いざという時に引き出せない資産は、ないも同じだよ。
帳簿上はちゃんと利益が出ているのに、流動資産が不足したために資金繰りがショートして
拝みまくって借りなきゃいけなくなった企業と同じ。
別に引き出せないわけじゃないよ。アメリカ国債だって少しずつ償還するプランも立てている。
今まではひどい話で利息まで全部新しいアメリカ国債買うのにつぎ込んでいたんだよ。
日本の帳簿を普通の国が運用したらもっと状況は違ってるよ。たとえばロシアが日本の帳簿持ってたら
他の国がつぶれてもお構いなしだろうな。日本があなたのように自分で制限作るお人よしすぎるだけ。
>>512 そんなことやる前に金を刷ってインフレ起こせばいいだけ。
今の日本はデフレで苦しんでるんだからインフレ方向に動かせば正常になる。
>>515 日銀「インフレ怖いインフレ怖い。
デフレ?デフレギャップ?シニョリッジ政策?
何それおいしいの?」だからなあ。
円安だろうと円高だろうと
企業にとって望ましいのは通過の安定
通貨が乱高下すると収支が乱れて収益の予測も出来んし
原価にいくら盛れば売れるか売れんか価格設定にも困る
>515
ま た お ま え か !
ちょっと敏感過ぎるぞ。
自分のコミュニティーじゃないんだから。
インフレを主張する奴は全部同一人物。
何度論破してもしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこく食い下がって来やがる。
インフレと薩摩のつながりがわからん・・・・
ここ、風雲児スレだよな?
それにしても「相棒」好きとしてはこういう事が起きたから警視庁はあそこに出来たのかと感心する事多かったわ
移転後の復活カキコ
>>520 デフレ時にインフレに誘導するのは、世界中の常識だが?
ちなみに、このスレ(其の参拾六)には初めて書き込んだ。
いまだに国家の経済を家計簿感覚でしか理解できない
自称専門家やマスコミが闊歩してるというのに、
あの時代に近代経済指向の田沼意次は何だったんだろうな。
正信も忠邦も家計簿感覚の改革で失敗してる。
21世紀になってもにっぽんはデフレ下でインフレ対策ばっかりやってるし。
田沼時代って国家予算黒字に出来たの?
貿易収支がはじめて黒に転換したのは知ってるが
目指してる途中で失脚してるからなぁ。
おしいよな。
もう50年くらい続いてたら、明治維新はなかったかもしれん
>>526 田沼政権の経済政策は結果的に失敗してる。
重商主義に転換しようとしてた その方向性は良かったんだけど、
経済新興しても株仲間からの冥加金で賄うやり方では限界がみえてた。
株仲間と言う認可制で 認可業者から揚がりを取る方式なんだが
経済が発展すると天領以外での経済活動も増えたし
認可業者以外の取り扱う特産品も増えた。
加えて田沼政権時代には商人と役人の汚職収賄が激増した。
ただ、天変地異が史実よりも少なくて 蝦夷開発が進んでいれば、
ロシア経由の貿易も不可能ではなかったので、贔屓目に見れば好転してた可能性もある。
でも現実的には邦雄群藩連合の雄藩一つの幕府が内政をすべて受け持つのは無理があるので
経済的に破たんするのは必然だと思う。
意外に知られていないが、
江戸時代の信じられない常識に
・役職に伴う利権は当然のものだと思われてた。
(賄賂が日常茶飯事、よほどのヘマさえしなければ咎められなかった)
・人殺し等の凶悪犯罪以外などは土下座すればほぼ許される慣習があった。
(公の場で謝罪している人間を訴追するような行為は大人げない行為だと認識されてた)
・飲酒に関してものすごくルーズだった。
当直での酒の持ち込みは当然として、登城して勤務中に飲酒しても大目に見られてた。
泥酔して大失態を犯してもよほどの行為じゃない限り大目にみてもらえた。
(忠臣蔵の朝の内匠頭の場合も周囲は『乱心扱い』にして穏便に済まそうとしてたが意地で拒否)
当時の酒のアルコール度数は低かったからな。
というか、江戸時代に現代的な感覚で収賄を定義すること自体がそもそも不可能なんだってさんざん指摘されてんだがな。
え!?でも、傷口に焼酎を吹きかけて消毒できてたんだから、焼酎は80%くらいあったんじゃないの?
幾らなんでも水割りにしてお湯割りにして飲んでいたと思うよ、焼酎
>>533 そりゃ明治以降の処置。
江戸時代以前にそんなことやる人間はいないし、やっても意味が無い。
>>533 消毒というよりは「雑菌の少ない清潔な水で洗浄」と見るべきだとか>傷口に焼酎
江戸時代の賄賂は今で言うお歳暮みたいなもんか
>江戸時代の賄賂は今で言うお歳暮みたいなもんか
お歳暮も最初は現物が行き来してたが、
そのうち 鰹節とか日持ちする乾物が行き来するようになって、
要領のいい人は商品券でやりとりするようになった。
塾や道場で学ぶ人は束履(漢字うろ覚え)ってのを収める慣わしだったが、
(本来は筆や硯を物納してたが、授業料を収める形に変遷した)
古来道理のセレモニーとして受けるひともあれば、
露骨に現金に拘るようなひととか色々いたようね。
武士の金銭感覚は色々差があって面白いw
昔は、濁り酒が普通だったろ
透明な「清酒」が普及したのは、いつごろからだ?
>意外に知られていないが、
>江戸時代の信じられない常識に
誰でも知ってる気がするが....
>・役職に伴う利権は当然のものだと思われてた。
「役得」という言葉があるくらいだからな
今なら会社命令で出張行ったら、新幹線代&ホテル代&決められた日当が清算されて
社員に支払われるが、幕府から「橋をかけろ」「堤防工事しろ」と命令されれば費用は自腹で
行うのが常識だった
だから逆にその命令された職務で発生した「得」は遠慮なく貰うのが常識だ
吉良上野介が浅野内匠頭をいじめたのは浅野が吉良に賄賂を払わなかったからと吉良が悪いように
言われているが、そもそもあれは賄賂ではなく授業料だ
吉良は高家筆頭という役目柄、情報収集のために、たかだか4千石程度の収入で京都の公家達との
頻繁な交流・接待等をしていて、実子の上杉家に多額の借金までしていた。
だから饗応指南役の機会があればそういう時こそ元を取らなきゃやってられない。
莫大なコストで得たノウハウをタダで教えろと言う浅野が非常識。
現代に例えると披露宴に招待されて手ぶらで行ったようなもんだ
>・人殺し等の凶悪犯罪以外などは土下座すればほぼ許される慣習があった。
「十両盗めば首が飛ぶ」って知ってる?
清酒は16世紀末頃にどっかの造り酒屋が酒ダルに灰をぶち込まれてできたんじゃなかったっけ
>清酒は16世紀末頃にどっかの造り酒屋が酒ダルに灰をぶち込まれてできたんじゃなかったっけ
よく言われる鴻池のエピソードだな
時代考証好きが、TVドラマで戦国武将が透明な酒を注いで飲んでるシーンを「ありえない」とか
指摘したりするが、濁酒から清酒を造ることは別にとりたてて特別な発明などしなくても「ろ過」すれば
いいだけなので、清酒そのものは平安の昔からあったとも言われている
鴻池のエピソードは、おそらく「少ない手間で大量に清酒を作る方法を見つけた」という話だと思う。
544 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/15(木) 20:33:51.81 ID:tvtIx5yz0
>>543 >濁酒から清酒を造ることは別にとりたてて特別な発明などしなくても「ろ過」すれば
>いいだけなので、清酒そのものは平安の昔からあったとも言われている
保存のこととか、味のこととか考えなくていいなら、清酒つくるのってそんなに難しくはない。
もう時効だから書いてもいいだろうが、
学生の頃、飯米から清酒まで、見よう見まねで造ったことある。
ごく普通の台所にある道具だけで。
このスレは勉強になるなあ。
脱線する話もとても興味深く読ませてもらってる。
マンガの話も政治の話もw
水戸黄門では東野英治郎が濁り酒に灰をぶち込んで清酒作ってたなぁ
>>541 江戸時代 土下座 でググってみるといいよ
あと、江戸期は訴訟事が大変嫌がられていたので
(役所や名主などが調停役になる←有力者のご厄介になる事なので)
公にならなかったり うやむやに済まされるような事も多かった。いわゆる泣き寝入り。
>>547 別口だが、ググってもwiki程度しか出てこなかったぞ?
後は個人ブログくらい
>>543 平安時代どころか、三国志の曹操が上奏した酒造法が清酒の造り方の元祖って説もあるらしい
まあ、これは酒造法であって、清酒であるとは限らないんじゃないかと思うが
「どうして九両三分二朱」でぐぐると、
いっぱい出てくるね。
今でも訴訟は嫌がられるし酒に甘いのは変わらん。
法律や裁判制度を輸入しても元が違うから仕方ない。
>酒に甘いのは変わらん。
「酒席で飲んだ上での失態」には今でも甘いが、「飲んじゃいけない場所・状況での飲酒」には今は厳しいだろ
>法律や裁判制度を輸入しても元が違うから仕方ない。
別に日本が海外と比べて飲酒に甘い文化とは思わんけどな...
ヨーロッパだと子供でもワイン飲むし、ロシアの寒冷地ではウオトカ必須だぞ
(/-\) 井沢元彦の「逆説の日本史・第18巻・幕末年代史編T」を買ってきた。
副題は「黒船来航と開国交渉の謎」
おなじみのメンバーがゾロゾロ出てくる。
アルコールを分解する酵素の有無という体質の違いも
飲酒文化の違いに大いに影響しているだろう。
ところで一般に売ってる濁り酒って本当の濁り酒なの?
何か普通の日本酒に後で酒粕混ぜただけとかじゃないよね?
>何か普通の日本酒に後で酒粕混ぜただけとかじゃないよね?
なんでそんな2度手間を??
無濾過活性生酒のにごり酒は、温度管理などで流通にかなり気を使うからね
いや普通に
>>554のような作り方してる商品もあるだろ、全部とは言わんが。
どぶろくみたいなもんをマスプロするより、大量に出来てくる清酒に混ぜ物するほうが工程的に楽なんじゃね?よう知らんけど。
市販されている甘酒を見れば
濾過行程が無い濁り酒作るのに
そんな手間もかかってないと思えるけどな
おれは地元のどぶろくを取り寄せてるが、
火入れをしてないので発酵が現在進行ですすむため、
気を付けてふたを開けないと中身が飛び散ってしまう。
>気を付けてふたを開けないと中身が飛び散ってしまう。
探偵ナイトスクープであったな
凄い勢いで吹き出て中身が無くなってしまうやつw
20年くらい前に買ってた濁り酒は蓋に孔あけてたな。
普通に量販店で売ってたが、管理大変だったろうな・・・。
中央から離れた中津藩で、貧乏だった福沢諭吉が子供の頃飲んでたって酒は
やっぱ濁り酒だったのだろうかと、本題へ戻す努力をしてみる。
何故かスレの中身が「もやしもん」になった
財務大臣がヨーロッパでアル中記者会見やったり
仮面ライダーが酔っ払って交番のガラスにライダーキックかましたり
SMAPのメンバーが酔っ払って公園で全裸になる国だもんな
なんだイタリアか。
桜田門外の変から西南戦争まで何年だっけ?
西南戦争は桜田門外の変から17年後の明治10年
>仮面ライダーが酔っ払って交番のガラスにライダーキックかましたり
>SMAPのメンバーが酔っ払って公園で全裸になる国だもんな
日本以外で仮面ライダーやSMAPがいる国を教えてくれ
ちゅうご
なんか、友達が今更明治天皇すり替え説にはまったんだが
当時玉顔に拝せたのって官位どこまでだっけ?
多分五摂家、清華家、大臣家辺りまでは天皇に直接拝謁できたと思うが
ヨーロッパ諸国は飲み水の問題もあって「飲酒」に寛容。
一方日本は何故か、無礼講に代表されるように「酔っぱらい」に寛容。
この違いを忘れないように。
>>567 立場のある有名人が、酒で失敗するという例だろ
>>570 日本人は肝臓弱いからアルコールですぐ悪酔いするししかたがない。それに日本で飲酒は
禁じられるような歴史はないが、欧州は宗教も絡んで昔から飲酒については何回も禁じられたり
重い課税がかけられたりしている。寛容と言うのはちょっと違うと思うぞ。
明治天皇の幼少期から遊び相手だったらしい西園寺公望は清華家だね
>日本で飲酒は禁じられるような歴史はないが
落語で『禁酒番屋』って話があって、人間国宝にもなった柳家小さんの得意ネタだったね。
もちろん落語だからフィクションだろうけど、元ネタになったような出来事はあったんじゃないかな。
仏教は酒禁じてるからでしょ。本来国教にした時点で禁酒令出さなきゃいけなかったのに
なぜか仏門に入っていなければOKという理屈で誰かが押し切った。時の天皇じゃないかと言う話もあるようだが。
仏門に入っていても般若湯という名で飲まれていたとか。大っぴらにかどうかは知らんけど。
577 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/18(日) 16:09:00.27 ID:1FKEF3/u0
世の中は色と酒とが敵(かたき)なり どうぞ敵にめぐりあいたい
・・・ってのを大田蜀山人が出てきた時に紹介してたね
20巻まだ?
>>535 普通に使われていた
消毒ではなく、止血用だが
アルコールの刺激で、傷口が収縮する効果があるため
>>567 どこかの松平家の末裔もんなことやってたな
もうじき佐久間象山も退場か。初期を支えて来たメンバーがどんどんいなくなるなあ。
正直勝や桂じゃ小物でギャグがつまらなくなる。
>>582 今気づいたけど、コミックトムのときから出てた風雲児のうちで、明治以降も生きてたのって
勝とイネくらいしかいないんじゃないか?
>>583 あっもちろん、「風雲児たち」に限った話ね。
「雲竜」入れるといっぱい増えるから。
>>582 ただでさえ文久年間は重要な事件が多いんだから、
象山暗殺までには後10年はかかると思う
今更だが、井伊大老が倒れたけど
連載開始からも
作品内でペースを早める宣言してからも
かなりかかったなあ
これからが本編になるのかなあ
>>587 出てなかったか。
あ、一人思い出した。
長英をかくまった伊賀ものの人。
あの人はその後明治政府に仕えて太陽暦への改暦の責任者になった。
層化晩の風雲児たちコミックスの方が
表紙がかわいくて好きだったな。
移籍して発行ペースが上がったのは嬉しいが
表紙が源絵でないのが不満。
>>589 あっそうだ。500円札がいるじゃん。
明治を生きたという意味では鳥居も
>>583 (/-\) 明治以降というなら、蔵六さんに、桂、西郷、大久保。維新から西南戦争までの間に亡くなった風雲児も多い。
593 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/20(火) 11:25:30.85 ID:zuDWeTnc0
>>583 いわゆる明治の元勲とかはみんな生きてるし、
幕府側だって、ホモ次郎なんて明治末まで存命
あと、ジョン万は?
長英を蹴飛ばして階段から落とした人も結構栄達するんじゃなかったっけ?
伊東玄朴は幕末蘭方医のキーパーソンだよな
シーボルトはどうだっけと調べたら1886(慶応2)年までか。惜しいな
ねらーは今頃になってステマ、ステマと騒いでるが、このスレ住民は忘れてはいけない。
江戸時代、既に「それはヒキョウな商いである」と見抜いた先人がいたことを。
あれって元々土用の日には“う”の付く食べ物を食べると良いという習慣があったからだよ
だから別にうどんでも潮汁でも良いんだよ
今年は(というか近年は)稚魚が不漁で高騰してるらしいね<うなぎ
しょうがない、今年はうさぎにしとくか。
うさぎを1羽、2羽と数えるのは、生類憐れみの例がきっかけ
動物の肉を食べることは禁止されたが、鶏肉は除外されていた
そこで、うさぎは鵜(う)と鷺(さぎ)という鳥ということにして、長い耳は鳥の羽のように見えるので、
無理やりこれは鳥だ、ということにして、こっそりウサギの肉は食用にしていたらしい
「やきとり」もそうで、実際には豚肉を使っていても、関東では串にさすものはなんでも「鳥」だということにして
規制をまぬがれていた
関西では、豚肉を使っていれば「やきとり」ではなく「やきとん」と正直に言っている
うさぎ美味し
今夜は冷えそうだから「薬食い」でもするかw
旧暦を新暦に直すとだいたい今日二十四日が襲撃の日。亡くなった人たち全員の冥福をお祈りします。
>>605 WIkiによると
>桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)は、安政7年3月3日(1860年3月24日)に
なので今日は旧暦新暦どっちも同じ日付という稀な年なんだな
昨日の朝桜田門の辺りで異変があったらしいぞ。雪に血が飛び散ってたよ。
>>606 旧暦新暦どっちも同じ日付
どういうこと?
>>608 安政7年3月3日(1860年3月24日)
↑ ↑
同じ 同じ
↓ ↓
平成24年3月3日(2012年3月24日)
安政7年の旧暦3月3日を新暦に直すと3月24日
平成24年旧暦3月3日を新暦に直しても3月24日
旧暦3月3日を新暦に直すと3月24日でない場合も結構あるということなんじゃないか。
610 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/26(月) 13:37:31.96 ID:tCE9Dw6T0
直弼の側近として登場した宇津木六之丞は、最後は斬首されたな。
尊皇攘夷の志士たちが安政の大獄の恨みを晴らす為に主膳・六之丞らの命を狙った為に
彦根藩での反長野派の家老・岡本半介は自藩の重臣が暗殺されると言う事件に発展する事を恐れて
長野主膳を捕らえて取り調べもしないままに3日後に斬首としたのです。
文久2年8月27日の事でした。
そして江戸に居た宇津木六之丞も彦根に招聘されて首を斬られたのでした。
主膳も六之丞も武士でありながら切腹も許されなかったのです。
(六之丞の句)
“月影の 更行ままに身にしみて
氷ると見ゆる 芹の河水”
611 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/26(月) 13:46:56.76 ID:tCE9Dw6T0
ニ刀流で、桜田門で奮戦した河西忠左衛門の弟子が、大東義徹で、
大東義徹は、彦根藩を倒幕に誘導することになっているな。
徳川幕府は、水戸出身者を将軍にしたことで、彦根藩から見限られたという事かな?
http://blog.goo.ne.jp/hikonejou400/e/c6e33c001ad63f061118ab475c47568a 資料に出ていた以下の文章がよくわからなかった部分だな。
歴史上、“鳥羽伏見の戦い”と呼ばれる戦争は、終始、官軍有利に進んでいたイメージがありますが、
実は開戦からしばらくは旧幕府軍が有利だったのです。
官軍を指揮していた西郷隆盛が撤退も仕方ないと考えていた時、
彦根藩の大砲が旧幕府軍に打ち込まれ、その一撃で形勢が逆転したのです。
その砲撃を指揮したのが義徹でした。
この時の活躍で西郷隆盛との縁ができた義徹は明治維新後に中央政界に進む足掛かりを得ることになるのです。
612 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/26(月) 13:51:25.13 ID:tCE9Dw6T0
文久2年10月の 出来事
彦根藩士・朝比奈三郎八、桜田門外の変から無傷で帰邸した為、拘禁され斬首。
彦根藩士・朝比奈文之進、桜田門外の変から無傷で帰邸した為、拘禁され斬首。
彦根藩士・木幡又八郎、桜田門外の変から無傷で帰邸した為、拘禁され斬首。
彦根藩士・小島新太郎、桜田門外の変から無傷で帰邸した為、拘禁され斬首。
彦根藩士・長野十之丞、桜田門外の変から無傷で帰邸した為、拘禁され斬首。
彦根藩士・藤田忠蔵、桜田門外の変から無傷で帰邸した為、拘禁され斬首。
彦根藩士・水谷求馬、桜田門外の変から無傷で帰邸した為、拘禁され斬首。
613 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/26(月) 14:18:41.06 ID:tCE9Dw6T0
614 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/26(月) 14:32:16.48 ID:tCE9Dw6T0
>痔持ちゆえに不合格となってしまった。
ぢだったらなんでダメなんだと一瞬思ったが、馬に乗れないのがマズいってことなんかね。
>>615 みずしな貴之の漫画でお尻の怪我が酷いので馬に乗れなかった人の話が有ったな
そりゃ1ヶ月もの閏日(閏月)を入れて地球の公転周期とのずれを調整するくらいだもの。
>>615 兵学校に入学後に痔になる人もいそうだけど。
いや深い意味はありません。
アッー
それじゃ薩摩っぽの大半が不合格
622 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 09:45:32.59 ID:/DdaU3jlO
有村斬った小姓ってオサーンだったのか
小姓っていうからてっきり前髪の蕾だとばかり
623 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 10:49:58.48 ID:FZNLEBvs0
60代の小姓と言うのもいたみたいだよ。
織田長喬(おだ ながたか、寛文12年(1672年) - 寛延4年9月28日(1751年11月15日))は江戸時代の旗本。交代寄合織田長政の三男。養父は織田貞輝。生母は松平英親の養女。通称は八十郎、権十郎。
元禄2年(1689年)7月10日養父貞輝の死去により、家督を相続する。元禄10年(1697年)3月18日小姓組に加えられる。後に桐間番に転じる。
元禄14年(1701年)2月19日桐間番免職となり、小普請組所属となる。
宝永元年(1704年)6月11日再び小姓組に加えられる。
寛保元年(1741年)6月28日高齢を理由に小姓を辞職、黄金二枚を賜る。
寛延4年(1751年)9月28日死去、享年80。
正妻は遠藤信澄の娘。後妻は大河内秀政の娘。三男一女あり。
次男信義は旗本織田信政の養子になった。三男信尹は家督を相続した。
624 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 10:52:14.54 ID:FZNLEBvs0
小姓組(こしょうくみ)とは、江戸幕府及び諸藩の組織で、軍事を司る番方のひとつ。同様の組織として五番方(小姓組、書院番、新番、大番、小十人組)があり、小姓組はその中でも両番(小姓組、書院番)に含まれている。因みに一般的イメージの小姓とは異なり、
純然たる戦闘部隊である。設立初期は勤番所の前に花畑があったことから花畑番と呼ばれた。
慶長11年(1606年)11月に設立され、水野忠元・日下部正冬・成瀬正武・大久保教隆・井上正就・板倉重宗の六人を番頭とした。
戦時の任務は旗本部隊に於いて将軍の直掩備・騎馬隊の任に就き、平時は城内の将軍警護に就く。
書院番とともに親衛隊的性格を持つため、番士になる資格が家格や親の役職などで制限されていた。
そのため番士の格が他の番方より高いとみられ、その後も高い役職に就くことが多かった。
若年寄支配で、番頭の役高4000石。6番あり、番頭の他に与頭1人と番士50人。西の丸に他に4番あった。
625 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 11:00:32.10 ID:FZNLEBvs0
●旗本の三男坊に生まれても、養子先がないと、寺小姓にされちゃうんだよな。
●保守政治家や馬鹿な学者や経団連が、ニートの人を馬鹿にしているけど、江戸時代のほうがニートの人は多かった。
藩主の中には、元服したての優秀な若い藩士を小姓・側用人等に任じて、
将来自分の手足として働けるような人材に育成する事を心がける藩主もいた。
藩主の元服前の男子のお相手役・側衆として、上級家臣の子弟が、部屋住み身分で小姓として、召し出されることもあった。
小姓は、物理的に主君に最も近い位置で奉公し、その警護と、枢機に預かったため、
小姓に任じられた者は、親族を含む他家との交際を禁止する藩もあった。
幕臣である旗本のうち、相当数の家臣団を抱える大身旗本の場合は、次男・三男などの庶子のうち、
他家に養子に行きそびれた者の直系子孫は、その旗本家の家臣取り扱いとなり、
中小姓(中奥小姓)となることが多かった。ただし、諸大名においては同様の場合、
給人格(給人席)となることはあっても、中小姓となることは、まず無かった。
ちなみに藩によっては小(児)小姓、中小姓、大小姓に分かれるところもある。
また、貧しい武士の次男・三男は、口減らしと学問習得などの理由で寺に売られるなどして、
「寺小姓」として僧侶の身の回りの世話などをした。
一般的には大抵十八・十九と成人する頃には、纏まった金をもらって御家人株・諸藩の足軽株を買う者、
あるいは町家に囲われるなどして(援助を受けて)寺を出された(寺小姓から解放された)者、
及び妻子を持って所帯を持っても、いわば公認・法律婚によるものでなく、
その子供は、武士と認められずに町民・百姓となる者などがあった。
626 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 11:12:02.52 ID:FZNLEBvs0
会津藩の関係で、面白い本があった。 図書館にリクエストしたい本だな。
しかし、タイトルが、なまなましいな^^
『会津藩 女性をめぐる犯科帳』
会津藩の正史『家世實紀』の中から女性をめぐる犯罪、風俗に関するものを収録。
目次
まえがき
第一章 不倫は獄門
一 会津藩の不倫(不義・密通)に対する刑罰
第三章 婦女子のかどわかし 一 かどわかしの罪
人妻と密通の上かどわかし、追ってきた夫を殺害、江戸で取り調べをうけた男
たびたび悪事を重ね、娘をかどわかした罪で、誅伐・梟首となった男
第七章 相対死(心中・情死)
一 情死は罪悪
(1)大阪で茶屋女と相対死した廻米役人
(2)人妻と密通・出奔・無理心中をしたが死に損なった侍
(3)百姓の妻と密通し、相対死したので屍が磔となった僧侶
(4)相対死を申し合わせ、女の首を切ったが自分は死に切れず逃げた男
(5)病気養生中密通をし、相対死した江戸常詰御側医の妻
(6)三味線稽古に行き、そこの娘のふと出逢い密懐し、相対死した若侍
第八章 恋慕と艶書
一 艶書も御法度
(1)人妻に艶書を送り、その人妻に刺し殺された足軽
(2)侍の妹に艶書をおくり、誅伐となった町人
(3)艶書事件から虚説をまきちらし、処分された侍たち
(4)妾への艶書から不義が発覚した侍
(5)奥女中の下女達の艶書事件、盗難より発覚し、それぞれ処分さる
あとがき
附 刑法、風俗等取締に関する年表
627 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 11:20:45.16 ID:FZNLEBvs0
第四章 密通事犯いろいろ
一 密通と刑罰 二 罪にならなかった討留め
(3)下男と妻が出奔、これを討留め、小普請組を仰せ付かった侍
(4)妻と密通した者を手打ちにし、自殺した侍
三 武士階級の密通事犯
(1)密通を諫め頭を踏まれたので、その者を討ち果たした浪人
(6)不義をしたが普請の功績によって打首をまぬがれた侍
(7)下女らとの密通により処刑された侍たち
(8)妻が若党と密通したので、妻と共に追放となった侍
(9)密通の女を殺害し、牢死後屍が磔となった侍
(10)下女と密通、その夫を殺し屋敷に埋めておいた侍 (11)物頭中沢家の下女をめぐる密通
(12)人妻を嬲り、侘証文を出したため追放になった知行六百石の侍
(13)御部屋女中をことわりなく妻にし、給分(給料)を取り上げられた侍
(14)奥女中と密通しようと忍び込み、搦め捕らえられた侍
(15)後妻が忰と不義をし、二人で出奔したため御目付役を辞任した侍
(16)妹の不義について、教えいましめができなかったとして知行半分取り上げられた侍
(18)同僚妻を犯し、めったたたきにあいあほう扱いにされた侍
628 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 11:35:33.49 ID:FZNLEBvs0
629 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 11:47:25.21 ID:FZNLEBvs0
上杉鷹山の功績、(ホモ禁止令)
米沢藩の上杉治憲が安永4年(1775年)に男色を衆道と称し、厳重な取り締まりを命じた。
薩摩藩のせいで、明治維新後に、東京にホモが増えたのは残念だな。
平成の現在で、HIVの薬は、症状を悪化させない現状維持レベルなので、
20代でホモがHIVになって、80歳ぐらいまで、薬で生存すると、
医療費の税金負担が、1人1億円ぐらいらしい。
HIVの人が、100人いると、100億円
日本に帰化する人でも、ホモには、日本国籍を与えないほうが良いと思うな。
薩摩のホモ遺伝子には困ったものだ
630 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/27(火) 11:55:43.85 ID:FZNLEBvs0
鶏姦とは、男色らしい。
たぶん、男色禁止の条文を明治13年に撤廃させたのは、薩摩出身者だな
明治6年(1873年)6月13日に制定された「改定律例」第266条において
「鶏姦罪」の規定が設けられ、
「凡(およそ)、鶏姦スル者ハ各懲役九十日。華士族ハ破廉恥甚ヲ以テ論ス
其鶏姦セラルルノ幼童一五歳以下ノ者ハ坐(罪)セス モシ強姦スル者ハ懲役十年
未ダ成ラサル者ハ一等を減ス」とされ、
男性同士の性行為が法的に禁止されるに至った。
この規定は明治13年制定の旧刑法からは削除されたが、
日本で同性愛行為が刑事罰の対象とされた唯一の時期である。
今月は有村の自害までか・・・
他の水戸藩士たちの最後はダイジェスト風に描くのかな?
ヒツジニワトリイトミミズ
(/-\) 今月の乱を買ってきた。桜田門外の変、つづく。井伊の首をめぐる乱戦。
小河原秀之丞の最後はwikiだと
>朦朧と一人で立ち向かい、数名の浪士に斬られ尽くした有様は目を覆うほど壮絶無残だったという
としか書いてなかったけど
あんな感じだったんだな・・・・凄まじい最後だ
635 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/28(水) 00:56:33.77 ID:F9xsHZws0
みなもと先生って竜馬がゆくそのままだったり、家康嫌いだったり結構司馬遼太郎の影響受けてるね。
蔵六も花神そのままだし今更何を
イネと蔵六はHしてないけどね
森村誠一の「人間の剣」だと
このとき小河原秀之丞が使ったのが「無銘剣」だったんだな。
携帯でヲタがパシャパシャネタ、今回もあったな
かなり執拗というか、個人的に恨みを覚えるようなことでもあったのかね?
ギャグ貧乏だからせめて小ネタとしていれたんじゃないかな?
彦根藩邸の門が開いて武装藩士が飛び出したとか書いてるけど
あんな武装したり馬の準備とかして体制整える暇があったらさっさと駆けつければいいのに
目と鼻の先なんだろう?
>>642 100人もの刺客が襲ってきた、なんて報告したからじゃね?
椿三十朗かよw
>100人もの刺客が襲ってきた、なんて報告したからじゃね?
だったらなおさら早く駆けつけるべきじゃね?
合戦とか勝負ごとじゃなくて「主君救出」が目的なんだから
藩邸の連中があんなユルユルで、行列にいた家臣を「軽傷者は切腹、無傷の者は斬首」って、よく処分できたもんだ
でも「100人から」って誰が報告したんだろw
真っ先に逃げた連中かな
>>640 前回からの流れ上、あった方が自然。
単行本でまとめて読むと違和感なくなると思う。
多分。
担当氏降臨?
なんでや?w
際どい時間内での出来事だったのは間違いないみたいだな。
実際は襲撃から撤退までどのくらいかかったんだろ。10分かそこら?
>>640 当時彦根藩が必死に隠したのに数日で全貌が江戸中に知れ渡っていたらしく狂歌などが
氾濫したわけで。目撃者と正確な情報と言う歴史的事実を伝えるにはあれが一番的確な表現
なのかもしれない。
朝日の夕刊に連載されている三谷幸喜のコラムで、女優の杏さんと
一緒に犬の散歩に行った話が書かれていて、杏と三谷が2人とも
風雲児ファンで、徳内さんと奥さんの再会シーンは感動したと
盛り上がった話が載っていたよ。
652 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/30(金) 00:22:19.85 ID:RthobNrN0
>>650 単に、先生が自分がやられてイヤだったからとかじゃない?。
コミケ会場とかで
そんな人がコミケ会場なんかに行かないだろw
(/-\) 携帯でカシャカシャは、単に現代の風俗を風刺してるだけと思う。
先生は役者出身だから、写されることの抵抗感は、一般人よりも少ないと思う。
珍しいもんがあったら携帯でパシャパシャ、は現代の野次馬のお約束的行動だしね
キャラを出したら場面が切り替わるか退場するまではそいつがいることを前提に描くのなら
この場面で野次馬大名ヲタたちの行動として他にもっとも適切なものがあるわけでもねぇし
アレで笑ってくれないともうギャグ入れる尺無いですよ。
最初は笑えても繰り返して笑えるネタではないな
歴史に明るくないから、詳しくやってくれて分かりやすかった
ホントに教科書ではあっさり暗殺成功、だからね
考えてみりゃ武装集団の行列を待ち伏せて襲撃したんだから、乱戦になると分かるんだけど
首持って歩いてたってのがグロいね
そんなの噂になるに決まってる
佐賀城主伝とかみると武士としてありえないぐらいの失態らしいね。
首を持っていかれるってのは。
猫にたぶらかされた苦い思いがあるからな
661 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/31(土) 13:14:38.00 ID:pApe+xoi0
>>653 >そんな人がコミケ会場なんかに行かないだろw
最近は、サークルみにゃもとって活動してないのか?
>>658 首は討ち取った証だから
後で病死したとか言い訳もさせないで済むし
>>662 彦根藩はこの後次左衛門が自害したのを見届けた遠藤家に首を受け取りに
行くんだけど、「その首は藩士の首」と偽ってもらい受けます。
その後、直弼の胴体と縫い合わせて葬儀をした。
幕府には「病没」と届けて、幕府は偽りと承知の上で届け出を受理してる。
664 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/31(土) 20:47:30.08 ID:pApe+xoi0
>>663 こういう事もあったらしい。
〜〜 以下引用 〜〜
直弼の死を秘匿するため、存命を装って直弼の名で桜田門外で負傷した旨の届けが幕府へ提出され、
将軍家からは直弼への見舞品が藩邸に届けられている。
これにならい、諸大名からも続々と見舞いの使者が訪れたが、その中には当の水戸藩の者もおり、
彦根藩士たちの憎悪に満ちた視線の中で重役の応接を受けたという。
(Wikipediaより)
〜〜 引用終わり 〜〜
このあたりの事、先生描くのかな?
665 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/03/31(土) 20:52:52.76 ID:ggpyhJ+u0
水戸藩の剣技のレベルの高さが意外に思う。
イメージ的には文弱に思うが・・
首をはねた次左衛門は薩摩藩だから、水戸藩だけでなく薩摩藩も憎悪の対象に
なってもおかしくないと思うが、表に出ない(記録に残ってない?)と言う事で、
一蔵が精忠組のはねっ返りを押さえた事が生きた、って事でしょうか。
しかし、有村の不意打ち卑怯って台詞は、どの面さげてって感じだよな
>667
はげしく同意。
ははは
襲撃自体が不意打ち以外の何者でもないからな
直訴に見せかけての騙し討ちだし、飛び道具つかってるしな。
というか書いてあるな
「おまえらが言うな」ってw
あと言ったのは有村じゃなくて広岡という描写だな
でも登城行列なんだからどこから攻めても不意打ちとは思わんけどなw
ところで「水戸との合戦もある」と言ってるが、あの時点で水戸の仕業と即断できたんだなやっぱ
そらまあ、あんだけ水戸を敵視してたんだから
真っ先に疑うのは水戸だろうさ
673 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/01(日) 07:04:36.65 ID:dnIAlUaK0
水戸藩に対しては、藩取りつぶしの一歩前まで弾圧して、藩士の不穏の動きも把握してたんだから、当然そうだろ。
来月号あたり
大老の首をめぐってラグビー合戦するかな 筒井某記述
(不謹慎だからやらないかな)
あの「不意打ち卑怯」は今回で一番笑ったわ。
「お前らが言うな」に後で気づいたが、あれなくてもよかったかも。
誰かが言ってたけど、桜田門外を皮切りに血なまぐさい事件が続くんだよな。
いよいよ幕末のスプラッタ劇がはじまるって事か・・・。
ギャグを織り交ぜて書くのも大変だろうな・・・。
黒鉄ヒロシの漫画よりも面白くしないと読者が満足しないだろうから大変だな
黒鉄の漫画と竜馬がイク〜ッは正直何が面白いかよう分からん
679 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/01(日) 17:44:20.63 ID:sJoTv6Se0
>>661 コミケでは1/3の確率で先生に会えるな
同人版向こう傷のチョンボを買ったとき、みりゃもと先生にブラックジャックの元ネタが自分のキャラだったとう解説の部分を強調されたな。
>>676 要人暗殺で政治が変わる、というのが実証されてしまったからな
血で血を洗う維新の動乱は安政の大獄で始まり大久保暗殺で終わる
テロリズムと神秘主義が、歴史を建設的な方向に動かしたことはない、という某キャラクターの言葉は
全面的に首肯できないよなあ
ではもし桜田門外で直弼が暗殺されていなかったら?
まぁあんなムチャクチャやってれば、遠からず失脚していたとは思うがね。
>>681 ヤン提督ですか
蔵六さんがモデルの一人だとも言われてるよね
司馬遼太郎は桜田門外の変を
「暗殺が歴史を前向きに動かした希有な例」と言ってんだよな。
>>681 まああの人もしょせんはアマチュア歴史家でしかないですから……
687 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/01(日) 23:55:52.00 ID:dnIAlUaK0
>>683 >蔵六さんがモデルの一人だとも言われてるよね
そんな話初めて聞いたけど、ソースは?
中国史大好きの作者が、中国をさておいて、日本人を主役のモデルにもってくるとは思えないが・・・
>>681 必ずしも桜田門外の変は建設的な方向には向かってないんじゃ
そう思うわ。歴史を動かしたことには違いないが、あれのせいで血なまぐさい事件が相次いで
維新も二転三転した形になっていったわけだし。
明治維新を成し遂げた中心人物たちの誰もが、あんな政権を作る予定ではなかったものが出来
上がった産物になったわけで。
>>687 田中本人が言及してた訳ではなく、
文庫版の解説で、複数いるだろうモデルの一人として触れられてる
691 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/02(月) 01:39:10.93 ID:nYIw2FZX0
>>690 じゃ、外野が勝手に騒いでるだけジャン。
作者に関係なく
>>689 そっかなあ……井伊路線はどのみち押し通すのは無理があったし、
必然的に幕府のレームダック化も避けられない
個人の暗殺は減ったかもしれんがそれで「あんな政権を作る予定ではなかったものができた」ってほど
大きな影響があったかねえ?
有村って22歳だったのか
年取ると若い人が命散らすのに何かクルものがあるなあ
幕末はほんと若い人が己の信念のためにどんどん死んでいったんだと
改めて思った
(/-\) 桜田門外の変は、テロ肯定の見本となり、昭和の5.15事件や2.26事件、終戦の玉音盤強奪未遂事件を経て、三島由紀夫の切腹事件までつながる。
これらの事件は、「武力によって生まれた政権は武力によって倒される」という歴史の典型だと思う。
ヤン提督が武力による政権奪取を否定したのも、理解できる。
これテロ行為だが、有か無しかと問われたら有りと答えるのは精々赤穂浪士たちぐらいだな
昨日平清盛やっていたのを思い出したが、そう言えば白旗が降伏の印だってのはペリーが教えたようなもんだったんだなw
バッフクランでは徹底抗戦を意味する。
>>695 >つ連合赤軍
あれは革命ゴッコの末のいじめ・リンチの殺し合いだろw
ブスの女幹部が美人の女子同志を見て「あの子私より可愛い、許せない!」でリンチしたり....
男幹部が部下の彼女に惚れちゃって「革命的見地から俺たちは結婚した方が良い」とか言って彼女無理やり寝取ったり...
「己の信念」とは対極の自堕落集団w
武力によらず政権が打倒される方がレアケースだろ
歴史において平和裏に政権交代した例なんて歴史から見たら微々たるもんだろ
「武力によって生まれた政権は武力によって倒される」なんて、
意味が有る様な事言ってるつもりで、その実何にも言ってないのと同じだろ
歴史上において大半の政権が武力によって立ってるんだから
>699
知らないんだから黙ってた方がいいよ
>>700 この場合の武力はテロという意味でしょ、要人を殺せば世の中がよくなるんやーみたいな思想
だもんで、仇討ちである忠臣蔵がテロと言われると?ではある
鳥居を暗殺したら世の中よくなってたのかしら
追記、そもそもテロで生まれた王朝や政権ってピンと来ないでござる
それならそもそも忠臣蔵が仇討ちかといわれればそれもピンと来ないよな。
主君は吉良に殺されたわけじゃなく、むしろ吉良に斬りかかったわけだし。
この裁きは不当だから実力行使でお上に逆らうでござる、という意味ではテロなのか
でも世の中を変えようとしたわけでなし、本人も周囲もだいたいは仇討ちと思ってたろうしなあ
このへんの感覚も人によってばらつきが激しいのかな
>>703 >>704 ひょっとして「テロとテロじゃない武力行使の違い」って「数十人でやるか数万人でやるかの違い」 って感覚?
>>704 シーザー亡き後の古代ローマとか、「本能寺の変」の後の明智政権とか。
戦国時代のお家騒動で、父殺しとか、兄殺し、弟殺しが行なわれた家は多い。
神話のアマノウズメと猿田彦のエピソードも、暗殺っぽい。
明治維新だって、多数の天誅の後の政権。
昭和の軍部は明治維新を参考にして、暗殺やクーデターを繰り返している。
大化の改新はテロで歴史が前向きな方向に動いた例になるのかね?
クーデターとテロってワンセットだからね。
理想的な政治としてよくいわれる唐の太宗も、政権奪取はクーデターみたいなもん。
自分の中ではテロってのは、政権の中枢ではない勢力・個人が、ゲリラ的に破壊と殺人を犯して
国家に反逆をする行為、かな
だからクーデターや内乱をテロとして語られると違和感を持っちゃうな
それなりに力のある勢力が最後のツメとして武力で政権を奪取するんだから、そりゃ効果はある
テロなんてのは要するに「自分達にとって都合の悪い暴力」のこと
政権側がやることだってあるし、その逆もある
西郷どんが起こした西南戦争はクーデターなのかテロなのか
今のテロを昔と置き換えて云々するのはあまり意味がないと思うよ。現代のテロは主義や目的に
関わらず、無差別に人間を巻き込んで殺人を行って騒乱を起こそうとする行為だから。
特定の人間だけに絞った暗殺もテロに含まれるってくくりだろう。
西郷どんが起こしたと言うか
流れを止められずに起きてしまった西南戦争は普通に内戦だろ
ここまでやっちゃっていいんだ、とタガが外れるきっかけになったかもね
それまでは連合やら結託やらで、幕府と開戦しても勝てるという背景を気付いての威圧による政権移譲路線
もちろんいざやるとなれば勝てるだけの下地作りだし、開戦も想定していただろうけど
そのための皇室利用やら暗闘で済んでいたのに、一気に内乱に向かってしまった
テロ=政治目的による暴力でしょ
安政の大獄だって白色テロ
テロはその語源どおり「恐怖をもって世の中に作為・不作為を強いる行為」って定義されるけど
例えば「政敵を巧妙に事故・病気に見せかけて殺害する」という行為はどうなるのかな?
世の中に恐怖を与えていないがやはりテロなのか...?
逆に病気や事故で死んだ人物に関して「あいつは○○をしようとしたから消された」ってデマを流すのは
血は流れてないけどテロになると思うんだが、どうだろ?
>>693 それだ。
中学生の頃に読んだ幕末物と、今、感じ方がものすごく違うのは
あの頃読んだ維新志士たちは年上だったけど
歳食ってから読むと、幕末物に限らず、
今の自分の半分も生きてない若者がなあって、ションボリした気持ちになってるんだな。
仕事帰りに覗いたら、うちの近所の某ブ●ク●フに
ワイド版全巻と幕末編の8巻までが入ってきてた。
嬉しいような、悲しいような…
自分は全部持ってるから無理だが、誰か救ってやってほしいわ。
>>703 その場合だとスラが首長の寡頭制共和ローマやソ連なんかは定義にはまらないよな?
テロル(スラは白色テロルだが)で政権を作ったが、最終的には談合やらなんやらで
テロによらず政権が瓦解したし
724 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/03(火) 00:27:29.24 ID:443vb4Em0
721さんが羨ましい 当方京都だが救ってやりたい。
どのみち、このペースじゃ、作者が存命中に完結しないだろうなあ。
安政の大獄なんて、 阿部正弘の改革に、幕府守旧派が反発。
無茶な粛清を繰り返した結果
テロの標的とされ、皮肉にも幕府の権威が失墜、討幕運動の契機を作った…で終わりだし。
月刊の今のペースと、自分の年齢を逆算すれば、どう考えたって足りなくなる事は分かろうに。
仕入れたネタを使い切る前に、自分の寿命を使い切ってしまうだろうよ。
その話題よく出るが、本当に絶対足りないかな?
あと20年くらいで完結まで持っていけないかね。
固定客がいるし手塚治虫漫画賞受賞作なら
原作者死後もプロダクションが仕事を引き継いで完結させてくれるかもよ
上手くいけば明治編、大正編、昭和編もやってくれるかもしれない。
そもそも今どのぐらいのペースで進んでるんだ?
一年の連載で作中だと何年すすんだんだろう?
1年前って島流し後の西郷と、大久保が色々やってるあたりだっけ
1年かけて進んだのは4ヶ月くらいか
漫画家の死んだ後のなんとかプロダクション製作でまともな作品を見た事がない。
絶筆の方がましだ。
石ノ森章太郎の「ホテル」の続編とかも、酷かったしなあ。
絵は似せられるけど、ストーリーとかアイデアは、読めるレベルじゃなかった。
みなもと先生も、きっちり進行スケジュールを作って、5年か10年以内に仕事を完成させて欲しいな。
描けなかった分は、後で番外編とかで出せばいいんだし。
時間が足りなくなって、肝心の後半がスカスカのグダグダってのは止めて欲しい。
みなもとがコミケでほむほむ本出してたって本当?
733 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/03(火) 17:30:44.69 ID:443vb4Em0
本当 その名も「ほむほむ7」。
>>697 みなもと先生はピルトダウン人なみのデマと訂正しているんだな
光太夫が難破した時も、こんな季節外れの嵐だったのだろうか・・・
>>731 普通に今のペースで描き続けて寿命と勝負するだけじゃないの?
もう今からじゃどうペースいじったところで、君の言う「肝心の後半がスカスカグダグダ」にしかならん。
そもそも仮にそうなったとしても、この漫画の価値が落ちるとは毛頭思わんけどね。
江戸中期〜後期の読みやすい通史ってなかなか無いんだよ。
すごいQB臭がするw
>江戸中期〜後期の読みやすい通史ってなかなか無いんだよ。
そうなんだよな。作者がそもそも描きたかった幕末に来てこんなこというのは大変失礼だとは
思うんだが、ここからは結構みんなよく知っている時代なんだよな。いや今でも十分面白いんだ
けどさ。
でも幕末に至る前の時代の方が、この作品のウリになっているというか、他の類似作品がほとんど
ない貴重な描写だと思うわ。
確かに江戸時代の蘭学の歴史なんか解体新書ぐらいしか知らなかったから
幕末まで深く関わってるものだとは思わなかった
>>740 だからこの先すすめるより,爆走部分を…
松平定信がいろんなもの規制しまくって、田沼時代あたりから十三代将軍辺りまでの文化資料が資料が
著しく少なくなったのが痛かった。定信自身は学問好きで儒学は奨励したがそれ以外は一切認めないと言う
なんだかな〜な人物で、定信が失脚した後もその政策は引き継がれてしまったため学問的暗黒時代に突入してしまった。
ところで、昨日朝の「とくダネ!」の冒頭で、チチングの名前出てこなかったか?
>>744 出てたね。
通詞同士の会話をメモしたものが発見されたとか。
「さぁ、もう一杯の飲め」
「いや、もう顔が真っ赤で飲めません」
「じゃ、いらないの?」
「いえ、頂きます」
めんどくせーwww
>>743 蛮社の獄で有名な鳥居耀蔵は明治時代まで生き残っていたが、晩年旧幕藩士たちに「だからわしが
夷荻の学問などすべて捨てねば徳川は大乱に巻き込まれると言ったのじゃ」と言ってきかなかったそうなw
しかしみなもと太郎の暁美ほむらは似てなかったw
萌え絵マスターしたんじゃなかったのか
しかし、みなもと先生。まどかを観ているのなら、本家?プリキュアは観ているのかな?
別に本家でもないだろ
かなり昔だが姫泥棒というエロ漫画雑誌があってだな
>750
×姫泥棒
○姫盗人(と書いて「ひめどろぼう」と読む)
姫盗人だろ
休刊したのも2年と半年前でかなり昔とは言えん
↑英語はあるがオランダ語がない。
国会図書館のやる気が中途半端と思わざるを得ない。
755 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/07(土) 12:48:38.51 ID:xIG0dz8R0
756 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/07(土) 12:58:26.06 ID:xIG0dz8R0
鳥居の逸話も面白いけど、鳥居の罠にはめられた矢部定謙の逸話も興味深いな。
定謙の和歌
定謙は北村季文の門人であつて和歌を能くし、又刀剣を愛しその鑑定眼もあつた、奉行としての述懐の歌に、
たがへしと心のみこそいたまるれ
罪をたゞすも神ならぬ身は
といふのがある。司法事務に当たる者の心得となるべき名吟である。
家庭の生活は至つて質素であつて、家庭は内室がよく治め婢僕は喜んで忠実に仕へてゐた、
邸宅を没収せられて伊勢国に出発する際、定謙は妻を戒めいたづらに泣き哀しみ
恥をさらすが如きことなからしめ、又家扶に命じて居宅を清掃して、
書院の床には平素愛する文天祥の石ずりの双幅をかけ花を挿して飾り、
そして邸宅を受取の役人に引渡したから、世人は之を聞いて感嘆した。
桑名に幽囚中の歌に左の如きものがある。
うつすべき鏡なければ妻子のみか
我影にさへ別れてしかな
定謙は桑名に於て絶食して死を決した時、幕府の役人は医師をして診察せしめたるに、
既に憔悴して骨ばかりである、その時定謙は医師に向ひ「拙者既に死を決したのであるから
薬を用ゐる必要はない、
只拙者は三月二十一日に罪を蒙りたれば必ずこの日を以て拙者を陥れたる者に報復したいと思うてゐる、
貴君は之を記憶せられよ」といつて天保十四年五月二十二日 *2 死去した。
三月二十一日は桑名に幽囚の命を受けた日であるが、弘化元年の二月二十二日より三月にかけて
水野鳥居等の処分が始まつたのであるから、的中はしないが大体に於て当つてゐるといへよう、
定謙の赦免
幕府は定謙の死後に至りその罪を宥赦しその子鶴松を召し出し家名を相続せしめた。(続名将言行録)
757 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/07(土) 13:14:14.24 ID:xIG0dz8R0
>>755 卒論書く時の参考文献に図書館で借りたな
内容は本当にあっさりとした日記で、一日数行の記事だったと思う
養子で入ったとは言え、先祖である鳥居元忠の命日に“御藩祖命日”って記述があったのが印象的だった
結局井伊直弼が善人だったか悪人だったか良く解らないな。
素直に悪人にしてても良かったと思うんだが。
>>759 むしろその複雑な人間性がキャラの魅力、作品の魅力だと思うけどね。
自分の一生は無意味なんじゃないかと思いながら努力を怠らなかった男が
転がり込んできた重責を愚直に果たそうとした結果、無慈悲な独裁者になっちゃった。
あんま善悪で、簡単に割り切らん方がいいんじゃないの。
けど鳥居ヨウゾウは悪人と割り切って描いたじゃない。
無実と言うしかない人間を何人も殺したり牢に封じ込めたり。彼らが幕府転覆でも企てていたならまだしも、
幕藩体制や自分の殿様には忠義を立てていたのに。善悪で言ったらはっきりバカ悪人。妄昧と断じられても
仕方がない。
鳥居は鳥居で、徹底した小悪党ぶりに「駄目な意味での人間くささ」があって
キャラとしては嫌いじゃない。
鳥居は林家の出身で朱子学以外の学問全廃させたがってたし、井伊はとにかく自分の家が譜代筆頭って
だけですべての物差しの基準にしたし、善悪と言うか完全な原理主義者。現代でも宗教や政治体制の原理主義者が
どれだけ中道の世の中混乱させてるか考えれば、いない方がよかった人と言うしかない。
考えてみれば高山彦九郎もとんでもない原理主義者だ。
768 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 01:51:58.55 ID:d4ESoI/I0
>>758 鳥居みたいな上司がいたら、怖いよね。
http://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/ii_naosuke.htm 鳥居は、あれだけ多くの人を破滅させても平気だというのは、
平成の毒婦の木嶋と同じような気がする。
(鳥居は、裏切り者だしね)
井伊直弼は、 畳で死ねないと覚悟していたようだよ。
家臣に送った手紙に 「恐ろしさのあまり薄氷を踏む思いである。以前案じていたより難しい事態となり、この先どうなるか心配である。
水戸殿ににらまれて、どのような災難がふりかかるかわからない。天下のためとはいえ心痛のかぎりである」
この手紙とともに、「極秘」と書かれた包み紙に入った紙が残されている。
そこには直弼の自筆で、自分の戒名が記されていた。
戒号 宗観院柳暁覚翁大居士
直弼は、この国難に際し、畳の上での往生ができないことを予感していたのであろうか。
769 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 01:55:33.55 ID:d4ESoI/I0
770 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 01:59:33.10 ID:d4ESoI/I0
最後の将軍慶喜の父、水戸斉昭は精力絶倫でした。
将軍家斉の娘が紀州に嫁ぐときに側近の高級奥女中としてついていった唐橋という元大奥のお局さまを御殿でレイプしたという話があります。
唐橋は大変な美人でしたが、才色兼備であったため、その実務能力が期待されて「お清」でした。
お清とは大奥の高級奥女中のうち、将軍がセックスの対象としないで、管理職業務に専念させる奥女中です。
自分自身が将軍のお相手になると、側室の間に入って公平な管理をすることができなくなりますからね。
この件で斉昭は特に処罰されていないと思いますが、
大奥に「水戸は色魔、野獣」という評判がひろまり、慶喜の将軍就任の大きな妨げになりました。
嫌われてる理由ってそれか
772 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 14:23:28.57 ID:26glvN1n0
みなみと先生が友人の死に対して、追悼の言葉を残していた文章があった。
抜粋
e-manga通信 ▲トップに戻る
代表作30ページ、一挙掲載! 最後の叙情漫画家あすなひろし氏逝く!
http://kodansha.cplaza.ne.jp/e-manga/whatnew/news010601.html 20001年3月22日(木)、漫画家・あすなひろし氏が肺がんのため亡くなりました。享年60歳でした。
◆「これほどの優れた作品があったことを、みんなに教えたい」
みなもと太郎(漫画家。あすな氏のファンであり友人)
実にくやしい。
あすな氏の早すぎる死を悼む気持ちはもちろんだが、まアそれは避けられない悲しみでもある。彼の真価が世間に知られていない。
それは僕にとって地を転げ回りたいほどの悔しさだ。彼は自作の単行本(アンソロジー)を組むことに消極的だった。
だから今、かなりのあすなファンでも、その全貌をほとんど知らない。
当然、彼がマンガ界に遺した偉大な功績も。
『白い霧の物語』という『那羅原伝説(ならわらでんせつ)』の外伝を知っている人がどれだけいるだろうか?
(『那羅原伝説』の本伝は未発表。したがって僕も知らない)この作品をはじめとする、1965年前後の珠玉の短編を知らなければ、
彼が少女マンガ界をどれだけ底上げしてくれたか、語ることは不可能だ。
同じ頃、青年誌に発表された『獣の熱い息』という作品をもし読んでいないのなら、
あなたは「さいとう劇画」でも「アメリカンコミック」でもない、華麗なるハードボイルド・コミックの世界を知らないことになる。
『嵐が丘』を読んでいないのなら、あなたは「マンガ化された文学」の最高峰を知らないことになる。
『オーケストラの少女』『チップス先生さようなら』を読んでいないのなら、あなたは──。ああ、キリが無い。
ざっと数えあげても百を越える1960年代のあすな作品が、まったく単行本化されていないのだ。
773 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 14:31:32.56 ID:26glvN1n0
(真ん中の文章は、リンク先に書かれています)
みなみと先生が友人の死に対して、追悼の言葉を残していた文章があった
http://kodansha.cplaza.ne.jp/e-manga/whatnew/news010601.html ・・・・・・・・・・・・・・・・
「太郎は口先だけで、それほど僕のファンじゃなかったのだな」そう思われてしまったかも知れない。たぶん……。もう、どうあがいたって取り返せない。慚愧(ざんき)の極みだ。でもそれは、僕個人の問題だ。マヌケを一生悔やめばいい。
読者とは関係ないことだ。愚痴はもうやめる。
ただ、僕の本棚には、彼の初期の、おびただしい作品群がある。黄ばんだ雑誌に印刷された、それでも信じられない程美しい、初期の珠玉の作品。あすなひろしがこの世に残してくれた、
貴(とうと)い遺産の数々。どれひとつ、単行本化されていない。
1960年代、これほどの優れた作品があったことを、みんなに教えたい。それができれば、そう遠くない将来──彼に逢った時に、少しは顔向けできるような機がするのだ。
何しろ僕だって、酒こそやらないものの三十数年夜昼逆転、
タバコとコーヒー運動不足と、メチャクチャな生活をしているのだ。いずれにせよ、やがて逢って、詫びが出来る。
「ヤだよ、あんな印刷、人に見せたりするんじゃないよ」
そう言って、また叱られるかも知れないが。
774 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 14:48:15.34 ID:26glvN1n0
青山 延寿(あおやま・のぶとし、1820年(文政3年) - 1906年(明治39年)11月)は水戸藩士で儒学者・史学者。
藩校である弘道館の教授頭取代理、彰考館権総裁を務めた。婦人運動家・山川菊栄の外祖父。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E5%BB%B6%E5%AF%BF 山川菊栄は、母や故老からの聞き書きや祖父の日誌をもとに、「武家の女性」「幕末の水戸藩」などの社会史を残した。
話を戻すと、青山延寿は、若年の頃は槍術・水泳に優れ、特に槍術は主君である徳川斉昭から鉄の槍を拝領したこともある腕前で、
四男に生まれて長兄・延光のように本家を継ぐことはなく、2人の兄(延昌・延之)のように他家の養子にならないまま、
同居していた家族と数少ない従者や住み込みの門弟に対して気取りのない態度で接し、さらに身寄りのなかった妻の生母を引き取り面倒を見た。延寿は快活かつ無遠慮な性格で世話好きであり、
一家の主となってからも畑作業や襖の貼り替えをこなし、門弟や親戚からはしばしば相談事を持ちかけられ慕われていた。
政治的な人脈としては父や長兄の友人であった藤田東湖やそれに連なる天狗党に近く、安政の大獄で永蟄居となった主君・斉昭の雪冤を訴える運動に参加している
しかし上記のような性格から、弘道館教授として天狗党・諸生党(斉昭や東湖・天狗党と対立した藩内保守派)双方に分け隔てなく接したため両派に知人・友人が多く、
派閥抗争からは距離を置く態度を取った。
1868年、王政復古により藩を追われ会津戦争に参戦していた諸生党が、会津落城にともない突如水戸を急襲し弘道館を占拠した
(弘道館戦争参照)際、病身の延寿は官軍支持の藩内主流派が立てこもる水戸城に向かおうとしたが、
徒歩に難渋して立ち往生し、諸生党に取り囲まれてしまった。
しかしその中に旧知の人物がおり「先生ならよし」と見逃され命拾いした。
後日武田金次郎(耕雲斎の遺孫)が朝廷の威光を背景に藩政を独占、諸生党に対する報復を開始すると、
延寿は敵である諸生党と刃を交えなかったとして蟄居処分を下された。
このさい職を奪われ邸宅も没収されたため、廃藩置県で放免されるまでのしばらくの間、家族とともに生活に困窮していたという。
775 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 14:57:02.21 ID:26glvN1n0
徳川慶光は、徳川慶喜の孫なのに、何で、二等兵として徴兵されたんだろうか?
1940年(昭和15年)1月に召集され、二等兵として入隊。しかし内地で肺炎にかかって陸軍病院に入院、
退院と同時に除隊。1941年(昭和16年)7月、再び召集されるも徴兵検査で即日帰郷となる。
1944年(昭和19年)2月、3度目の召集で二等兵として歩兵第101連隊東部62部隊に入隊。中国大陸を転戦したが、
行く先々で入退院を繰り返していた。長沙の野戦病院では赤痢とマラリアに栄養失調も加わり、生死の境をさまよった。
終戦は上等兵として北京で迎え、1945年(昭和20年)12月に復員
晩年は料理や野菜作りなど趣味に没頭して生きる一方、愛人との不倫同棲事件で和製ウィンザー公と報じられたこともあった。1993年(平成5年)2月6日、パーキンソン病のため東京都町田市の自宅で死去。80歳没。
陸軍病院入院中に高松宮宣仁親王の義弟(姉は宣仁親王妃喜久子)であることが判明した途端、第6方面軍司令官・岡部直三郎陸軍大将や旧水戸藩出身の櫛淵?一陸軍中将が見舞いに来たり、
旧幕臣出身で支那派遣軍総司令官・岡村寧次陸軍大将から無線電信が届いたりするなど、
急に病院内が慌ただしくなったという。
病院側は軍高官による見舞いを受ける都度、掃除やシラミ駆除、軍服での送迎をすることになり、
慶光は「ご迷惑をかけてしまった」と述懐している
776 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 15:07:37.77 ID:26glvN1n0
777 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 15:24:32.59 ID:26glvN1n0
●水戸の暴走 昭和20年の(「上野公園占拠事件」)
http://www42.tok2.com/home/moijan/kyuujoujiken/index.html 岡島哲少佐率いる水戸教導航空通信師団教導通信第二隊第二中隊による一連の事件(「水戸教導航空通信師団事件」)はその一つである。
八月十五日昼、空襲を避けて茨城県水戸市郊外に疎開していた同師団でも、
将兵は集合して「玉音放送」を拝聴したが、これに納得できない岡島少佐ら一部将校は、「東京で終戦阻止のために蹶起した部隊があるらしい。」との情報に基づき、
自分たちもこれに合流しようと上京を検討した。
岡島少佐は、第二中隊を基幹として臨時の「大隊」を編成し、夜襲訓練を行う等準備を進めた。
翌十六日の日中、教導通信第二隊では非常呼集が行われ、「筑波山に立て籠もる」という名目で「斬込隊」が編成された。
また、第二中隊の荒牧健一郎中尉は、以前陸軍戸山学校で知り合った、第八十一師団歩兵第百七十二聯隊大隊長の津田耕作少佐を訪問して
蹶起を促したが、結局津田少佐は動かなかった。
十七日未明、林少尉は蹶起に同意しなかった上官の田中少佐を射殺(「田中常吉少佐射殺事件」)、
続いて吹田隆一技術中尉を刺突し負傷させた。(「吹田隆一技術中尉傷害事件」)。
この後、何者かによる「師団司令部襲撃事件」も発生した。次いで林少尉は中隊長岡島少佐に蹶起の意見具申をした。
岡島少佐は慎重に状況判断をしようとしていたところだったが、田中少佐殺害を聞いて速やかな出動を決心した。
そして非常呼集をかけて水戸駅まで徒歩で行軍、たまたま入線した仙台行き下り列車を徴発し、機関車を前後付け替えて乗り込み東京に向かった。
上京した部隊は鶯谷駅付近で下車、線路伝いに徒歩で上野公園に入った。
そして斥候が上野公園内にある東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)が無人であるのを見つけ、同校に一時進駐(占拠)、ここを拠点として、
各人の人脈を辿るなどして各方面に蹶起参加を呼びかけた。これがいわゆる「上野公園占拠事件」の始まりである。
また、同じ十七日の朝、対空航測乙種学生長浜田卓志中尉が率いる第二陣が殿軍(しんがり)として師団を出発する際、
これを止めようとした吹田技術中尉を松島利雄少尉が射殺したという(「吹田隆一技術中尉射殺事件」)。
ID:26glvN1n0
本日の困ったちゃん
>>772 先生が20001年3月22日まで生き続けてくれるのなら、風雲児たちが完結するかどうかを
心配する必要ないな。オレは読みないと思うが
780 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/08(日) 19:15:36.27 ID:G1ov7sUh0
>>779 20001年は、たぶん、ホームページのミスだね。
自分も、そのミスに気づかなかったです。
ネットでは、以外と、2001年が、2万1年になっているんだなと気づいたよ
>>779 つまり、どこぞの宇宙英雄ローダンの如く「我が子息、彼の作品を追い続けるべし」
という遺言が風雲児ファンの間で残されるわけですな?
できれば源平時代とか書いて欲しいな。
源平時代で幕末に直結してる事ってないもんかね。
崇徳天皇かな
崇徳天皇の呪いにより朝廷は源平以来政治の中心に戻れなかったのだーというお話
で、明治天皇が京都に向かいいれて武士の時代が終わるのだ
崇徳院て、落語でしか知らなかった。
直結とは言えないが源頼朝の墓のそばに、
毛利と島津の始祖の墓が隣あってる
島津が江戸時代に頼朝の墓を整備したので当たり前ではあるんだけどね
>>786 毛利の始祖は大江広元で、さらにさかのぼれば皇室になっちゃう。
島津氏は頼朝の末裔だと早くから称していたらしい。実際はわからんと佐藤進一の本にはあったな。
島津はそれまでまともな勢力も無く多大な武功を立てた訳でも無いのに何であそこまで
鎌倉幕府に優遇されたのか未だに判らんからなあ。
歴史的にみると毛利が一番古いんだっけ?徳川は源氏を称してたけど怪しいんだっけ?
織田とかも怪しいらしいね。
北条が古いんだろうけど。秀吉の北条攻めで滅んだんだっけ?
佐竹も源氏
前田は菅原氏を称してたけど嘘くさい
>>789 大名としては滅んだけど
北条や今川や足利とかは高家や旗本として家は残っただろ
792 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/09(月) 21:28:25.80 ID:hW19lCuM0
大江広元なー
大学時代ゼミで吾妻鏡読み下してたけどヤツが登場する場面って学者として小難しい理屈ひねる場面ばっかりで、途端に文章が難しくなるんで嫌いだった
793 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/09(月) 22:07:35.95 ID:ZCTCkNCP0
蘇我が、だいぶ古いと思う。
蘇我が先祖と言うのは、以外と多い。
坂上田村麻呂の子孫が、平安の中期以降は、あまり資料が無いな
それに、大内の先祖は、百済の末裔らしいし
794 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/09(月) 22:11:10.43 ID:ZCTCkNCP0
井伊家も、以外と先祖は、古いようだし
【三国氏/酒人氏】 継体帝閨閥図
継体天皇の子椀子皇子の後裔にして、天武天皇13(684)年に三国真人姓を賜姓。
旧説で藤原氏良門流と称する大名井伊家(2家)は三国真人の末裔である。
菟皇子の後裔も同年に酒人真人姓を賜姓、能楽の金剛氏は後裔と伝える。
源平とか武家の古さの話で蘇我は遡り過ぎでは?
>坂上田村麻呂の子孫が、平安の中期以降は、あまり資料が無いな
伊達政宗の正室 愛姫(めごひめ) は奥州田村家の出、
この田村家は小国ながら坂上田村麻呂の末裔だったはず
まあ武家社会なら「家」がアイデンティティって側面はあるけど
家風や社会的立場に関わらない「血筋」を遡っても
このマンガにはあまり関係ない話じゃないだろうか。
>>792 入試の時に、守護・地頭設置を頼朝に建議しているところをやったけど、
たしかにまどろっこしい言い方をしてたなw
>>793 大内の場合、そう称して朝鮮との貿易を有利に運ぼうとしてたんじゃないか。
多々良氏とかいう在庁官人が元らしいと聞いた。
800 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/10(火) 00:21:30.46 ID:YiqM/lHD0
>>796 三春田村氏は、偽家系らしいよ。 本当は、藤原か、平氏の家系らしい。
奥州藤原氏の関係文書には同氏の影響下にあったと見られる坂上氏が確認でき、
田村地方の坂上氏が奥州藤原氏の文官官僚として活躍し、源頼朝の奥州合戦に
よって没落したとする説もある。
応仁の乱以降の有名大名の家系なんて全然信用おけないものばかり。貴族連中に家系図販売なんて稼業まであったんだから。
田沼時代に鉢の木の佐野の話はあったが、あれじゃダメなのか。
鎌倉時代と源平時代は別か。
803 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/10(火) 02:21:30.13 ID:YiqM/lHD0
804 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/10(火) 02:28:32.85 ID:YiqM/lHD0
>>802 田沼の息子を襲った旗本の佐野は、元々大名家の末裔だよ。
佐野久綱
移動: 案内, 検索 田沼 家系 佐野
http://tade964.moo.jp/tadehistory.html 佐野 久綱(さの ひさつな、1600年(慶長5年) - 1679年8月1日(延宝7年6月25日))は、江戸時代前期の旗本で、
下野国佐野藩の嫡子だった。
系図では佐野信吉の長男。母は佐野宗綱の娘。正室は大森氏。
子に佐野盛綱(三男)など。初名は定綱。通称は小吉、吉兵衛。号は雲峰。
慶長19年(1614年)、父の兄にあたる伊予国宇和島藩主富田信高の事件に連座して佐野藩は改易され、父とともに信濃国松本藩に預かりの身となった。
元和8年(1622年)赦免
江戸時代初期の当主佐野信吉に不行跡があったため江戸幕府を開いた徳川氏により改易処分となり、
大名としての佐野氏は終焉した。
子孫は旗本として数系統が存続した。
天保4年(1784年)に江戸城中で時の老中田沼意次の子息、若年寄田沼意知に斬りつけて殺害した旗本
佐野政言も子孫の一人である。
迂闊にもこのマンガが続いていることを知らないで、やっと幕末編を買ってきて19巻まで読んだ。
どうしたってみなもと先生存命中には完結しないんだろうけど、坂本龍馬のエピソードを省いて、
できるだけ先の時代まで書いてほしい。
安政御前試合とか、龍馬関係の話だけほかから浮いてて(フィクションまるだしだし)萎える。
そりゃ龍馬関係の話はほとんどが別作品からの引用だし。ノリが違うのも当たり前かと。
>>803 為政者として当然のことを書いている。それだけに実に正しく大切なこと。
昨日放送したどこぞの番組では意次肖像画に「賄色政治が横行」と説明付けてた。
なんだかな〜〜。
このマンガって、二匹目のドジョウいないね。
幕末(とくに龍馬)に限ってならある程度あるんだけど。
爆走編が残念でならないので、
ゴローニンとか間宮林蔵主人公にしたマンガ書く奴いないか。
>>797 「へうげもの」に出て来る細川藤孝が肖像画見ると子孫の護煕そっくりなので笑った事があるけどね
>>804 >田沼の息子を襲った旗本の佐野は、元々大名家の末裔だよ。
小身でも家柄が良くて古くまで遡れるがゆえに田沼のせがれに家系図をパクられたんだよな
いくら栄達しても所詮は紀州の足軽出身だから家系図が無いんだよ、田沼家はそれがコンプレックスだった
>811
風雲児たちでは違う設定だケドな。出世目当てに政言が自家の系図を
意知に売り込み、はねつけられて逆恨みしたことになってる。
811の御説()とみにゃもとの描写のどちらが真実に近いかは…
俺が知るもんかw
細川は古いのかな、応仁の乱でも出てくるし
子孫が総理大臣になったけど
昔、細川護煕と鳩山(兄ぽっぽ)とが雑談したときの話
話題が火事の話になって
細川 「火事といえば、ウチも前に家が燃えたんだけど...」
鳩山 「えっ!? そ、それは知りませんでした、いやーお見舞いもしませんで...」
細川 「いやまあ、応仁の乱なんだけどさ」
鳩山 「・・・・」
それ、元々は近衛文麿のエピソード。
「先の戦災で父祖伝来の書画が何点か消失してしまいました」って奴。
細川護煕でただの火事だと、ネタとしても意味不明になっちゃう。
細川はネタのつもりで言ったんじゃないと思うがw
ちなみに鳩山自身がTVで言ってた事だからこれ
室町幕府の最初の管領を出した細川家
武家では名門といって良かろう
足利家の下風に立つのを不満にしていたくらいだ。
鳩山がその通り語ったとしたら、
細川が妻の祖父である近衛のエピソードを口にしたのを勘違いしたんじゃないか?
近衛自身は東京生まれだが父の代は京都なので「応仁の乱」が実家の話になるけど
細川護煕ではそういう事にはならない。
819 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/10(火) 18:46:59.62 ID:QHnWtZoJ0
>>809 護煕殿の息子もへうげの忠興そっくしの顔してんだよな
京都人にとって前の戦争とは応仁の乱を指すらしい
「この柱の傷は前の戦争に出来たもんどす」とか
まあ、京都の大学に居てそんな事言う京都人は見たこと無かったが
割と鉄板ジョークっぽい
伊賀出身の俺が「庭を掘れば手裏剣が出てくる」って言うみたいなもんかw
きんさんぎんさんがインタビューに答えて
「あの戦争は怖かった」といったんでインタビュアーが「太平洋戦争ですか?」と聞いたら
「いや日露戦争」
って言ったのは笑ったな
でも、日露戦争って別に日本に居る分には何も怖くなかったと思うけどな
空襲とかも無いし
何か戦争というものがとりあえず初めてだから怖かったらしい
ロシアに侵略されると真面目に脅されたんだろうし
太平洋戦争のときはまたバカなことして、としか思えなかったんだろうな
まあ日露戦争に惨敗してたら良くてロシアの属国
下手すりゃロシアに併合されてたのは誇張じゃないと思うよ
>>822 伊賀者発見!
信長は天正伊賀の乱で焼き討ちしたので嫌い
芭蕉のことを芭蕉さんという
>>826 それはない。日露戦争から数十年経った時代で海軍力がもっと増強されていれば別だが、地理的に日露の頃の
ロシアは日本まで南下して併合なんて非効率的すぎてやる気も起きなかっただろう。朝鮮半島確保して
日本には巨額の賠償金払わせるってとこだろうね。
>>828 >日本には巨額の賠償金払わせるってとこだろうね。
それは実質属国化に近いと思うけど
まあ惨敗と態々書いたのは
旅順も落とせないうちにバルチック艦隊来航して旅順港内で太平洋艦隊と合流
次第に制海権も脅かされて補給の滞った陸軍も反撃をくらって潰走
最終的に艦隊決戦でも大敗北して制海権を完全に奪われて完全に孤立した陸軍も降伏
この程度のことが起きればってつもりだったんだけどね
まずあの時代のロシアは一番上がやる気なしだったのを忘れてるよ。属国にするには欧米が当時の日本に
すでに相当の資金貸し付けたりしていたし簡単に了承しない。軍隊送り込むなんて補給船考えたらきちがい沙汰だ。
第一次世界大戦後のドイツくらいにあちこちからついばまれると言うのが妥当なところ。
うんまあ地続きでないし人口も多い日本を併合するのはかなり困難なのは同意するよ
しかし上に書いた程の惨敗を喫すれば英国にも見限られるだろうし
千島、北海道は割譲、巨大な損害賠償と戦時国債の債務を抱え
実質第一の債権国になったロシアに無理難題を吹っかけられても反論できない
属国に近い状態にまでおちぶれるのは荒唐無稽な話ではないと思うけどね
>>814 俺が聞いた話だと、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」という番組が流行っていた頃に
鳩山「細川さんの家にも、お宝はいっぱいあるんじゃないんですか。」
細川「いやー、それが、こないだの戦争で、みんな焼けちゃったんですよ。」
鳩山「えっ、熊本にも空襲があったんですか?」
細川「いや、応仁の乱で。」
鳩山「????」
みたいな流れだったと思う
833 :
805:2012/04/11(水) 20:31:32.84 ID:EDMjn0KW0
>>806 『雲龍奔馬』からの引用(流用?)があるのは知ってるけど、別の作品で書いたのを
ノリがちがう『風雲児たち』でやらなくてもなぁ…ってことなんだ。
安政御前試合なんて史実でないのは明らかだし、今さら龍馬ヒーローの作品にして
ほしくはないんだよなぁ。
それより、江川英竜をじっくり書いたみたいに、もっと地味な人にスポットライト
を当ててほしい。
小栗忠順がどうなるか期待してるんだけど、まだ出てないよね。
ライバルだった勝海舟が早くから登場して主役格だというのに。
>>832 ふと思ったんだが、総理の細川家って分家じゃね?
応仁の乱の時そんなにお宝抱え込めるほど勢力あったの?
>834
分家ったって守護大名だぞ。
雲龍奔馬の中で語られた時期なんてとっくに終わってるぜ?
今更過去に戻って原稿無かったことにしろって言ってもしょうがなかろう。どこぞの時間操作魔法少女じゃあるまいし。
小栗登場の際に過去に戻ってエピソード語ってくれることを期待するほうがええんじゃないかね。
勝が早期から登場してんのは尚歯会系列の人物として語られてるからわりと当たり前だが、
小栗にそこらへんのつながりっつったら剣術方向しかなかったからちょっと難しいところはある。
とりあえず直弼ちゃんの没後処理が終わったらポーハタン号ネタに戻るでしょ。
4月12日は天保13年のこの日、江川太郎左衛門が日本で初めてパンを焼いたことに因んで「パンの日」なんだそうな。
839 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/13(金) 00:35:57.01 ID:WL+zWsxa0
>>838 軍隊用糧食の研究だった事を忘れてはいけない。
光太夫が食ってた黒パンも似たようなもん。
>>836 『雲龍奔馬』は読んでないので、情報をありがとう。
『雲龍奔馬』の原稿が尽きてるなら、なおさら(ほかに描くこともいっぱいあるだろうに)龍馬の青春譚やってないで、話を進めてほしいものだ。
間延びしてる感じがするし、武市半平太や岡田以蔵との絡みとか、『お〜い竜馬』っぽくていけない。
小栗忠順はペリー来航の頃から活動し始めてるんだよなぁ。
渡米使節団の話でも、咸臨丸の一行より(マンガ内で)冷遇されそうな気がする。
雲龍奔馬の使いまわしが尽きて以降、幕末編オリジナルでの龍馬の登場ってあったっけ?
なかったような
大獄メインだし
>>838 (/-\) 当時の船乗りは常食でしょ。
缶詰はまだ高級品で、他には塩漬のブタ肉、固焼きのビスケット(海軍カンパン)、チーズ、ライム、唐辛子漬けの野菜なんかを食べていたと思う。
客船の上級乗客だと、焼きたてのパンも食べたかもしれない。だけど船員もパンを食べていたかどうかは分からない。
「80日間世界一周」に描かれている食事風景が、参考になる。
蒸気船の普及と平行して、食事の内容も良くなっていく。
一番最近のが住谷寅之助が武市に会いに土佐に行ったら竜馬に接待されたという1コマだけ出たのがあった記憶があるな
>844
保存食中心になるのはやむを得ないとは言え、味気ない食事だな。
西洋人は比較的唾液の量が多いらしいから黒パンや堅焼きビスケットでも食べやすかったのかも知らんが、日本人には過酷な環境だな。
>>842 >>845 16巻のあたりは幕末編オリジナルじゃなかったっけ???
『雲龍奔馬』が手元になく、読んだのも相当むかしなので、記憶ちがいだったら申しわけない。
>>847 雲龍奔馬とは違う絵があった気がする
焼き直しと流用も多かったけど
>>821 戦後大阪で100才の人に
御祝いインタビューしたら
「前の戦争で淀川の堤にケガ人が多かった」
というので太平洋戦争かと思ったら
鳥羽伏見だったとか
850 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/14(土) 23:56:35.75 ID:MsX4SL+20
>>832 それ、俺が聞いた話では近衛文麿のエピソードだった。
どーも、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃな〜い」式の伝説っぽいなあ。
このセリフもマリーアントワネット以前にも発言したと言われてる人がいるそうな。
100年もあれば菅と枝野が原発暴走を止めた英雄にされていたっておかしくないのさ。
「アントワネット以前にも」じゃなくてアントワネットは発言してない
アントワネットが生まれる以前に某貴婦人がした発言
戦国風雲伝の単行本化はまだか
戦国風雲伝はしらないけど
風雲戦国伝ならもうなってる
856 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/15(日) 11:03:34.44 ID:JuVCr3S50
>>851 半島人ならそれくらい平気でやるだろう。
民衆に自国の歴史を知られないように、旧字(漢字)を廃止してそれらへのアクセスを止めさせたくらいだから
単なるテロリストを「義士」と奉ったり、
領土利権を国外に切り売りした売国徒を「国母」とあがめたり、
かの国では、例はいくらでもある。
ただ、惜しむらくは、日本人は、客観的資料の収集(収蔵)が大好きで、
いくら政府が焚書坑儒しても、客観的資料が残ってしまうからねぇ。
さあどうかねえ。そうならない事を後世のためにも臨むけど。すでにいちばん肝心な事故直後から
半年くらいの間の政府の会議記録は「記録されていませんでした」になってるぞ。ねつ造なんて
そんなむずかしくもないのさ。
858 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/15(日) 11:38:09.35 ID:JuVCr3S50
>>857 まぁ、大丈夫なんじゃね?
>すでにいちばん肝心な事故直後から
>半年くらいの間の政府の会議記録は「記録されていませんでした」になってるぞ
その「記録されていませんでした」の事実と、
(会議の)記録が残らないように指示した人物についての記録は、別の記録の中で残っている。
そしてその記録は、いくら時の政府が消し去ろうとしても、消え去る事はない。
風雲児的な表現で示せば、
時の政権批判の落書が、どんなに厳しく取り締まっても無くならなかったように
まぁ、単なるテロリストを義士なんて崇め奉るのは、赤穂浪士とかいう悪例がある。
こちらは被害者の吉良側がやられっぱなしで、被害者側は死後も墓をぶっ壊されたり、
事実にはないいじめ事件をでっち上げられるなど、粘着質な形でいたぶられている分、もっと悪質かも。
あと、無謀な戦争を仕掛けて案の定負けて国土を失った連中を、
靖国神社とかでは神と崇めていたりする。
他人をののしる前に、それがそのまま跳ね返ってこないように、
自分の汚れた姿をしっかり見据える勇気を持ちたいものです。
みなもとスレで、赤穂浪士をたんなるテロリストとはね。
作者がちゃんと外伝で描いているから。
>>858 >時の政権批判の落書が、どんなに厳しく取り締まっても無くならなかったように
江戸幕府は人を雇って幕府を擁護する落書きをさせたりとかはしなかったからなw
この点において民主政権は厳しく厳しくチェックし続ける要があるw
>>859 >まぁ、単なるテロリストを義士なんて崇め奉るのは、赤穂浪士とかいう悪例がある。
法治国家と人治国家の違いから説明しなきゃいかんのか?
>>860 このまえ、このスレでテロリストの定義なんて個人差が激しいって話したばかりじゃないですかー
>851
なんか、まるで原発暴走をカンとエディがが引き起こしたみたいな言い方だな
そんな訳ないじゃないですか
ただ、役に立たない所か足引っ張ってたって公的な報告書が出てるだけですよもう忘れられてるけど
歴史を正しく後の世に伝えるって重大な使命だよな。でも近世どころか現代でさえうやむやで証拠隠滅としか
思えない事行われてるからな。アポロ11号の全記録廃棄とか。
>>863 当たり前だろ。
空き缶と穢多野が事態を悪化させあれほどの被害を引き起こした。
ミンス信者には理解できないかな。
キチガイ左翼政党であるミンスが、原発を廃絶する世論を作るためにわざと原発を暴走させて事故を引き起こしたのは明らか。
空き缶が地震直後に原発に行って破壊工作をしてる事実を直視しろ。
五重の壁で守られてる地震や津波ぐらいであそこまで原発が暴走することはあり得ない。
唯一考えられるのは内部からの破壊工作だけだ。
春ですねえ。
そうだね〜、暖かくなると色んな虫が湧いてくるね〜。
そろそろ蚊の対策しなきゃ。
幕末に2ちゃんねるがあったら今回の事件直後とか祭になってんだろうな
あの野次馬達が写真うpったりして、あの二刀流の護衛スゲーとか
9.11とか、そこらへんの雰囲気に似てるんじゃね?
祇園のワゴン突っ込みの動画。
自民脳って怖いね
うむ、民主脳の1000分の1くらい怖い
両者よそでやれ
紀尾井町の町名由来はおかしい
みなもと太郎の漫画がJコミに
アレ、絶版だったのか
風雲児以外の作品読んだことなかったので読んでみよう
モンテクリストとかも入らんかな
次号はどんなシーンから始まるのかな
あのまま有村の自害シーンの後からなのか、彦根藩の首探索→幕府に届出 の様子か、
あるいは京を目指す浪士の話になるのか、はたまたガラッと変わって咸臨丸とか...?
間違っても「ここで一旦正月に戻る」とかはww
もうさすがに正月に戻る展開はないだろう……w
ほむらネタで一度シメちゃったし。
水戸、彦根、薩摩、長州の事情はもう描いたからもどる必然がないからね
あえてやるなら安藤信正ぐらい。
ここで正月に戻って岩倉具視ですよ。
黒田家って幕末でなにかやるっけ?結構扱ってるけど
それほどじゃないと思うんだけど。
黒田はペリー来るまでが目立つ。阿部ちゃんや斉彬の盟友として
これからは藩内の尊皇攘夷派を粛清するんじゃなかったっけかな
だから藩内のごたごたで全然目立たなくなる
水戸藩の同類だな。
尊王・佐幕派の対立で弱体化し、有力志士であった平野国臣も死んじゃうし。
宇和島藩も幕末本番ではパッとしないな。伊達宗城はそこそこ活躍するけど。
逆に幕末末期だけ大暴れしたのが佐賀藩。
平野亡きあとも加藤司書とか月形とか頑張ってたが処刑だもんなあ
後は高杉絡みで野村望東尼がちょっと出るかどうかくらいか
藩主が養子で自分の体制に藩内なかなか染めきらなかったのもなぁ
長溥公は蘭癖の血と長崎に近いと言う地理的条件と長崎警護で得た情報を元に
反射炉の制作や蒸気機関の製造と福岡の地で他藩に先駆けいち早く近代化を進めようとしてたのに
>>888 殿さまが、個人単位の政治活動禁止!とやったからって、佐賀藩士はなーんも
しなかったのかなあ。
西郷が、終始大隈や江藤や副島の才覚は認めても、ともに事をはかろうとは
しなかったのもわかる気がする。
けど鍋島カンソウを説得したのが桂小五郎ってのは史実なのかね?
司馬遼太郎の創作だろうか?
桂は意外と頑張ってるんだよな。他の小説とかだと引き立て役にされるけど。
>>855 ググッたら見つけた、勘違いしてたわ有難う。
コミック乱だったかが廃刊したから
大谷義継の回を最後まで見たかったんだよな。
>>コミック乱だったかが廃刊したから
また勘違いかよ?wwww
896 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/21(土) 18:41:46.94 ID:/rRdTRkS0
>>894 ヲイヲイ
乱の廃刊っていったら、たぶん御大がお星様になった時だろ
お星様になっても続きそうだけどな
>>893 桂さんは過小評価されてるきらいがあるな
乱ってメジャー雑誌になったよね。いまだとコンビニなら必ず置いてある雑誌になった。
雑誌全般不振なのに。
>>899 ネットで本を買わない、情報もネットに頼らない(=紙媒体を頻繁に利用する)世代に
売れてるんだろうな。時代劇漫画専門誌ってのは。
>>900 ていうか家にいない層とかじゃね。ネットで買うって事は家にいないといけないし。
タクシーの運ちゃんとかが退屈しのぎに買う雑誌とかなんじゃないかな。
読み終わったら捨てるような。だから売れる。
つか、乱は書店よりコンビニ展開をメインにしてるんじゃなかったっけ?
ここか乱本スレでそんなこと書いてたのを見た事ある気が
なんにせよ新刊が「どこか」で必ず手に入る状態ってのはいいことさ
リイド社自体がコンビニ本のシェアがでかい会社だったはず。
ゴルゴのコンビニ版とか文庫なんかどこのコンビニ言っても置いてあるでしょ
ゴルゴは小学館も置いているからどっちのなのかわからんw
20巻の発売日は26日だっけ?どこまで乗るのかな。
ゴルゴはともかく鬼平、梅安あたりのコンビニ本は大概のコンビニで見かけるな。
後、影狩りとか暫平も割とよく見かける。
30年以上前に描いた漫画が雑誌に再掲載されて採算とれるのはさいとう御大だけ
そう言えば、鬼平もそろそろ単行本100巻か・・・
別作品でそれぞれ単行本100巻刊行した初の漫画家になるのかな?さいとう御大
ドカベン入れて良いならあぶさん・ドカベン出してる水島御大が先になるだろうけど
駅前書店の入口すぐ横の壁に、無印が全巻表紙を表にして5×4段で展示されてた。
(何故か幕末編はなかった)何かフェアでもあるの?@東京都江戸川区
赤穂浪士の影響はでかいなぁ。
(/-\) 第20巻発売中! 咸臨丸出港、桜田門周辺の解説で、次巻につづく。
AKO47
21歳の若さで、道端で腹突いて自刃って・・・
なんかもう同じ日本人とは思えないなあ
そして赤穂浪士がどれだけ当時の武士のメンタリティーに影響を与えていたかがわかった
一生、人を殺す機会など無いのが普通になっていた(現代でも一応普通だけど)当時、開国の
影響で普通の精神状態ではなくなっていたからねえ。
ガイジンアレルギーを差し引いても、物価が20〜30倍じゃ生きていけないっしょw
(/-\) 乱6月号を買ってきた。桜田門外の変・始末記、つづく。今号は艶草紙もアリ。
100年以上昔の事件に縛られるとかほんと当時の日本は平和だったんだなあ。
他に前例がないからな
どうやってもこういうのは前例を参考にするしかないわけだし
地震には対処できても、…ねえ
でも「大老暗殺」と「亡君の遺恨を晴らす」のは全然違うからなあ...
少なくとも赤穂義士と違って「幕府に異議を唱えてる」のは間違い無いのに
何で「忠義の士」扱いなのかわからん
赤穂浪士は逆恨み以外の何者でもないのに、忠臣のシンボルに成ってる。
仇討ちの本当の矛先は裁定をした幕府のはずなのに。
てすと
小沢一郎に無罪判決が出たけど、お上に異議を唱えてあいつの家に討ち入りをする人が現れないかな
>>921 赤穂義士達は「仇討ち」じゃなくて 「殿様がしたかった事(吉良を斬りたかった)」 をしたんだよ
その殿様自身は「逆恨み」だったかもしれないけど、家臣としては「忠臣」でいいと思う
....あくまで「仇討ち」扱いなのが解せないけどw
幕府には勝てないけど、吉良なら勝てるからそっちをやったんだよ。
ごろつきなんざそんなもんさ。
この調子だとあと2〜3ヶ月は桜田門外始末記になるかねえ。
その分、ギャグも少なめになるか。
今月も、鬼太郎のオヤジとシャルロッテ、ヅラなしペリーくらいしかギャグらしいギャグがなかったなぁ。
>>923 法治国家の大原則を捻じ曲げるのを当たり前だと考えるならいつかそれは自分に帰ってくるだけだよ。
法治より宗教の不条理が上だと考えたイラクがどうなってるか見てごらん。法治としておかしいと思うなら
法律の不備を直すように努力する。それをめんどうだとか考えるなら日本だって中東になるぞ。
軽率な考え方はいかんよ。
>>923 お上は、「証拠が不十分だから無罪にすっけど、お前の言うことなんかちっとも信じちゃ
いないから。世の中なめるんじゃないぞ」と、実にまっとうなことを言ってるぞ。
小沢がこれでのうのうと生き延びたとでも思ってるのか?
>>928 情弱の被洗脳民乙ww
世の中なめるんじゃない、っていうのはこういう露骨な政治裁判をゴリ押しする奴や
「お上」の尻馬に乗って自分に不都合な相手を抹殺しようとするマスゴミだよなw
そもそも裁判所だの検察だのを「お上」と崇め奉ってる時点でメンタリティが江戸時代の人間と変わらん。
>>930 江戸時代の人間に何上から目線なんだ?おまえ。
「君辱められれば臣死す」
井伊の水戸藩公父子に対する扱いは、この言葉に該当する。
みなもと先生まどマギ好きだなぁw
彦根側は殿様が殺られてからの行動が迅速だねえ…
殺られる前からきびきびやっとけばな
しかも殿様の首取られたって事は取り潰し確定的なのに...
ああいう状態で事後処理しなきゃならないって、家臣もたまらんよな
破綻銀行の行員が殺到する預金者の対応してる時ってあんな感じだろうなw
>>914 俺のひいひいじいさんも西南戦争で薩軍に参加して自刃してるし、
藩によっては割合士道が残ってたんじゃないかと思う。
俺の昔の上司のひいじいさんは西郷隆盛その人だったけどな
代々当主の幼名が吉太郎だったが、戦後は成人後に名前変える習慣がなくなって
結局定年まで西郷吉太郎のままだったw
お父さん(隆盛の孫)が大臣経験者で、お葬式の時の苦労話とか聞かせてもらったよ
大臣経験者の孫って色々あった人かあ。
>>935 当主の首がなくなってもお家は存続できる可能性は充分ある。
金庫の金がなくなった銀行は存続不可能。
個人的には黒鉄ヒロシさんの『幕末暗殺』が一番好きな桜田門外漫画だったけど
あれは乱闘から討ち手の最後と首の顛末が話の中心で、現場の事後処理や幕府の対応までは描いてなかったから
みなもと先生版が決定版って感じ
941 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/28(土) 09:15:53.19 ID:enf3Ei6Z0
吉良と違って井伊は実害を受けた人がいっぱいいるからな。
そりゃ面の皮を緩めて大喜びする大名も多かろう。
>>923 他人頼みとは惰弱な!
お前が一人で切り込め!死して護国の鬼となれ!
goodluck!
直弼没後、彦根藩政を指導し、主膳・六之丞を斬刑に処し勤皇に路線転換
した家老の岡本黄石は、梁川星巌の弟子だったそうで。
因果は巡るということか。
ビートたけしも、子分を引き連れて講談社に「討ち入り」したよな
赤穂浪士みたいでカッコええわ
945 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/28(土) 10:27:18.21 ID:enf3Ei6Z0
>>944 そのとき一番卑怯な態度を取ったのが、1番弟子たるそのまんま東で・・・
>>925 その幕府自身が吉良家を見限った節がある。
吉良家屋敷は討ち入り前に端っこの方に引っ越したと言う説があり、
引っ越しを命じたのが他ならぬ幕府だった、と言う事。
藩取りつぶしの不満を吉良家に押しつけた形、って事だな。
>>946 その説に則るとだな
「吉良を討ち取ればお家再興の可能性が高まるんですね?」
「おう考えてやるよ」(再興できるとは言ってない)
の可能性が微粒子レベルで存在しているんだよなぁ
(/-\) エヘンエヘン。乱の大プレゼントに当選。さきほど賞品の複製原画が届きました。
第20巻、157ページ。まんが用原稿用紙に、原画をコピーしたものでした。
ネーム(セリフ)は鉛筆書きの手書きのままでした。
家宝にします。
(/-\) うっかり、昔のトリップを使ってしまった。スマソ。
伊井家はしぶとく存続し維新後は伯爵家になって
江戸時代よりずっとリッチな華族ライフを謳歌するんだから
直助亡き後の事後処理した家臣GJだな
952 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/28(土) 14:55:37.59 ID:Imh6Rj3KO
で、ゼネスト計画して中止させられて泣きベソだっけw
>>939 そういう言い方をするなら
銀行が破綻したって行員は切腹にはならん
家臣は主君の死に際してどう振舞ったかによっては切腹・斬首・御家断絶もある
少なくとも破綻銀行員より当時の井伊家家臣のほうが絶望的な心境だったと思うがなw
>>948 お、うらやましいですね。
私は手書きのサイン色紙なら持ってるけど。
(何回目かの語る会でGET)
20巻表紙の鉄之助のポーズワロタw
劇画タッチだと
2倍面白い
小河原の顔の傷に包帯ぐらいしてやれよ…
あと藩邸に戻って死亡した、名前の出なかった二名は
先月無理に直弼の駕籠を動かそうとして倒れた二人かな?
>>956 包帯しようとしたら叫びだしたんじゃないの?
それにしてもすごい生命力だこと…
>先月無理に直弼の駕籠を動かそうとして倒れた二人かな?
なんでそう思うの?
まあその可能性もゼロじゃないけど...
彦九郎が切腹してから息を引き取るまでえんえん苦しむ話もそうだけど、人間って
切られたり腕がもげたりしても簡単に死ねないものなんだよね。
ドラマだとちょっと腹を突いたり背中を切られただけで簡単かつ奇麗に死ぬけど、
現実はそうはいかない。
大戦中、米軍の捕虜になった日本兵が簡単にアメリカ軍に忠誠を誓い、ペラペラ
機密をしゃべるのにアメリカ側の方が驚いたという詳細なレポートがあるんだけど、
そこで米関係者が、「トージョーは捕虜になるくらいなら潔く自決しろと言っていたが
人間はそんなに簡単に死ねるものじゃないってことを日本軍は理解していなかった」
と言っていたのが印象的。
ヨーロッパで首が飛んだあと人間はどれくらい意識があるのかというのを確かめたくて
ギロチンにかけられた科学者が、「口は利けないから、意識のある限りまたたきをする。
どれくらいの時間、瞬きできていたか見ていてくれ」と言って首をはねられたそうだ。
友人が確認したところ、首が飛んでから20秒間またたきを続けていたらしい。
よく「首になっても憤怒の形相凄まじく」というけど、20秒あれば悔しい奴はそりゃあ
悔しそうな顔にもなるだろうなあと思ってしまった。
>>959 捕虜になるより自殺しろとは言ったが、捕虜になってしまってからどうしろとは教えられてないからねえ
日本人はぺらぺらとなんでもしゃべる。それじゃー機密が守れないから
自決して口をふさげと言ったんだ。兵隊の口がもうちょっと重かったら
捕虜になることを止めなくてもよかった。
>>958 如何に重い駕籠だろうと、再び運ぼうとする事が出来なかったのは
やはり軽傷者ではないであろう事と、人数の一致というだけです。
他に根拠はありません。
>>959 グロで申し訳ないが、太平洋戦末期の南方戦線からの帰還兵の証言で
「目からウジがわいていても、まだ生きていた人がいた」というのが
あったことを思い出しました。不快を申しました段、ご容赦下さい。
腐った傷口をウジに食わす治療法だってあるし、
>>963 自分が熊に食われているのを母親に実況中継した話があったな。
>>日本人はぺらぺらとなんでもしゃべる。
また根拠薄弱はことを書き込むバカがいるな
ガダルカナルのハエは普段人間とあまり接していないから、手で払っても
狼のように食らいついてきたそうだ。
ケガをして動けない人間なんかがいるとワッとたかって顔が真黒になるまで
食いつく。仲間が慌てて追い払うと、すでに戦友の顔は食い荒らされていて
生きたまま肉と骨がむき出しになったゾンビのような姿になってると。
ガダルカナルの怖いのは、下級兵士がこんな毎日を送っていて米兵と全く
戦闘行為をしていない間にどんどん部隊が死体で埋まっていくのに、
高級士官はデザートまである高級食と洋酒をたしなんでいたということだ。
この辺の身分感覚は江戸時代からずっと続いていたんだろうな。
アメリカ軍が捕虜になった日本人兵士たちから聴取をして強く感じたことは、
日本兵は上官をはじめとする軍人に対する恨みを非常に深く持っていること、
マスコミを信用していないこと、しかし天皇陛下は絶対に悪く言わないことで、
これを本国に伝えたレポートが戦後の占領政策に大いに生かされたという。
それにしても面白かったのは、日本兵は捕まった時はそれを恥と思っているので
名前を聞かれてもまず本名を名乗らない。そこで偽名を名乗るのだけど、聞かれて
答えられる名前にしようとして、つい有名人の名前にしたがるっていうことで、ある日
捕虜がたくさん捕らえられていた部隊で米兵が、
「市川雷蔵(林長次郎だったか?)、この中にいたら立て」
と言ったら数十人が一斉に立ち上がったという報告がある。
それと日本兵ははじめはアメリカ人を非常に恐れているけれど、部隊では今まで
見なかったような豪華な食事を与えられ、看護婦に優しく治療をしてもらうと
涙を流して感謝し、質問をすると軍事機密級の事項(作戦目的や日程、上官の名前など)
を何の躊躇もなくペラペラしゃべる。それにアメリカでは作戦事項を文字に書き残すのは
現に慎めとさせていたのに、日本軍は兵士に日記を書くことを推奨していたから、押収した
手帳やノートから重要事項がガンガン出てくる。あまりの無防備さに、はじめのうちは米軍も
陽動のためのニセ情報じゃないかと疑ったほどだったとか。
しかしそういう日本兵も素直にしゃべっていたのは腹いっぱい食べられる事に感激していた
はじめのうちだけで、十日もすると
「もうパンは飽きた、日本食はないのか」
と言い出したり、何を聞いても面倒臭がって適当にしか答えなくなったりしたと記録されていて、
担当していたアメリカ将校は
「彼らは反抗的になったのではなく怠惰になった。尋問は感激している最初の一週間以内に
まとめて行うことが望ましい」
と報告している。
なんかこのあたり「風雲児たち」風で、やっぱり人間ってそう変わるものじゃないと思わされます。
英国兵だかが日本は武士道があるからなと同僚にささやいたら捕まっていた日本軍の捕虜が
「あんなお武家と一緒にするねえ!俺は先祖代々の水のみ百姓だ!」と怒鳴ったって話。
>首が飛んだあと人間はどれくらい意識があるのかというのを確かめたくて
確かめたい本人は確かめられないだろうw
20巻買った。
水戸烈公が頭抱えてるが、どう考えても自業自得だよな。
>>971 そこが学者魂なんだろうね。
俺の遺したデータでみんな研究を続けろ!というw
「乱」のとみ新蔵先生の作品だかで、自分の首を刀でかっ切った侍が、
首の三分の一ほどを切り裂いていながら、なお二十分くらい息をしていた
…という話があったというおぼろげな記憶が。
やっぱり生物って自分で死ぬようには出来ていないと思う。
ところで二十巻は殺伐とした話が続いていたので、
「船にただのりです」
「くだらんシャレを言うなっ」
「僕を殺す気ですかっ」
の流れでアホなヒゲに似合わず有能かつ高潔なブルック大尉たちと
契約成立する展開、ホッとしたのか声あげて笑っちゃいました。
早く坂下門外の変にならないかな。桜田門外より坂下門外の方が面白くなりそう。
しかし、ギロチンの瞬きは反射の可能性が有るだか高いだか聞いた事あるべ
まあ、これは死ぬ本人しかわからん問題だが
堺事件や神戸事件の描写はどうなんだろ
作者や作品を知らないと
ただのパロでも大層なことのように見えるんだな
いや、知らなきゃただのパロだが
知ってたらどんだけ大層なことかわかる
コンビニ雑誌で橋本佐内の処刑シーンでこのマンガに興味もった。
いま、読破中なんだけど、作者はどこで完結させる予定なんだろう?
西南戦争?
>>980 五稜郭予定らしいが。どうなるかはわからないな。
982 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/30(月) 10:37:21.76 ID:5bBG5G220
>>980 もともとは、五稜郭の戦い
麟太郎と蔵六の初出に
幕府を看取る男(勝海舟)
幕府にとどめを刺す男(大村益次郎)
と言う表現があった
ていうかみなもとの描いた姿三四郎だかの漫画の最初が五稜郭の場面で。
解説かなにかで「この漫画は風雲児たちの最終回の次のシーンから始まってる」
とか書いてあったな。
自分は生麦事件から薩英戦争が早く見たい。
あの血気過ぎる薩摩隼人たちが単純攘夷論の非現実性を悟る所を楽しみにしてる。
985 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/30(月) 10:58:47.09 ID:5bBG5G220
文政六年(一八二三) 河内山早俊が世を去るのと入れ違いに、
江戸の貧乏旗本勝小吉の家に男の子が誕生した。
江戸幕府の死に水を取る男 勝海舟である!
あくる文政七年 周防鋳銭寺村で江戸幕府にとどめをさす男大村益次郎が生まれた!
風雲児たちの幕が下りるとき、彼も45年の生涯を終えるのである…
(ワイド版13巻)
そこまで行けばいいけどね・・・・・
>みなもと太郎先生、あなたこそ本当のオタキングです!
そもそもお前が「オタキング」でも何でもなかっただけだろ岡田
あと20〜30年かけて幕末編が完結した後は
飛ばした高田屋嘉兵衛のあたりを今度こそ書いて欲しい
その後は20年くらいかけて院政期から鎌倉幕府の始まりまでやって
そのまた後はまた20年くらいかけて太平記の時代やって欲しい。
その頃にはオレは死んでるだろうけど。
みなもと太郎の3代目が完結してくれるでしょ。いまのが2代目だから・・
990 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/30(月) 17:00:45.61 ID:5bBG5G220
創価信者だから、日蓮は描きにくいんじゃないか?
992 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/30(月) 18:12:53.10 ID:XLtvG/UeO
993 :
うめっぞ:2012/04/30(月) 18:13:39.34 ID:XLtvG/UeO
994 :
うめっぞ:2012/04/30(月) 18:14:04.49 ID:XLtvG/UeO
うめっぞ
995 :
うめっぞ:2012/04/30(月) 18:14:31.17 ID:XLtvG/UeO
996 :
うめっぞ:2012/04/30(月) 18:14:56.82 ID:XLtvG/UeO
997 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/30(月) 18:30:20.27 ID:MyQtYtWo0
まあ長生きしそうだしなんとかなるら
1000 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2012/04/30(月) 20:06:05.19 ID:4u3V7f230
鳥居耀蔵
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。