アバド

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74名無しの笛の踊り
>>73
<彫塑型>から<流動型>への大雑把な変化の理由は難しいな。
可能性の一つとしては、60年代からのバーンスタインの曲想の変化の
大きな演奏に対して、アバド自身が自己主張の手段として<彫塑型>
演奏によってバーンスタインのマーラーに対してアンチの姿勢を打ち出
そうとした可能性はある。それが理由に、バーンスタインの死後は、
その呪縛から開放されたために、より<流動型>へシフトしやすい環境
ができた、ということだ。

もう一つの可能性としては、本来はマーラーに限らず<彫塑型>演奏
が本質だったアバドにとって、マーラーを下敷きにして、自己の音楽の
な脱皮を図ろうとした可能性がある、ということだ。アバドも悪い意味
ではないが知能犯的なところがあり、ライヴということを逆手に取って
こっそりと<流動型>マーラーへのシフトを行ったのかも知れんな。
それが理由に、1、5の新盤、および9番はライヴだもんなあ。

いずれにせよ、上のどちらかの可能性に正解があるのではないかなあ。
2番の新盤(確かライヴではないはず)、そして3番(これもライブ
じゃあない)が<流動型>なのは、やっぱりVPOの性格だろうな。ただ、
4番については、アバド自身<流動型> へのシフトは難しかったと
思える。うまい解決策が見つかっていないのではないかな?

こんなどころでどうじゃろうか? 納得してもらえましょうかな?