現代曲ってどうして駄作ばかりなの?

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924名無しの笛の踊り
>>922 >>劇伴のような仕事
早坂文雄や深井史郎なんて、映画音楽に新しい可能性を賭けて、
純音楽よりも力を入れてましたからね。
多くても千人くらいの人間にしか聞かれない、そして、CDになどなることもない
(もちろん、当時はそんなもの無かったし、LPになるのもごく一部)
物に力を入れるより、より多くの聴衆を獲得する事が出来、さらに何度も上映される
映画音楽の仕事は魅力的だったのでしょう。

また、映画音楽が若い作曲家の実験の場であった1950〜70年代も特筆すべきです。
黛が映画音楽を書く過程で「涅槃交響曲」を書くキッカケをつかんだ話は有名ですし、
武満のコンクレート作品で今現在、容易に聞けるのは「怪談」「砂の女」などの
映画音楽くらいです。
ほかにも、いろんな作曲家が、映画音楽で行った実験を、その純音楽へ実を結んでいます。
日本の作曲界は日本映画黄金期が無ければ成り立たなかったと言っても過言ではありません。

さらに、他の分野の人間が現代音楽に興味を持つキッカケを
映画音楽が担っていた部分も大きいでしょう。
例えが悪いですが、伊福部昭のファンは大多数が、その映画音楽から現代音楽を聴くようになっています。
その中に片山杜秀などの、評論家としての逸材もいたわけです。
劇伴は侮れません。