完全に正史基準での三国志武将の能力値

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1名無しさん@お腹いっぱい。
(例)
趙雲

統率75
武力82
知力62
政治61
魅力70
2名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 19:03:33 ID:/FweGMcS0
歴史ゲーム板でやるべきだな
3名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 22:19:31 ID:0fOj6toO0
王平
統率85
武力70
知力69
政治40
魅力48
4名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 04:11:21 ID:chboFQUyO
諸葛亮

統率81
武力30
知力87
政治90
魅力93


完全に俺のイメージ
5名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 08:47:53 ID:DKvyNPPa0
平均的な雑兵の武力はどれぐらい?
6名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 10:42:33 ID:S2ndxIcn0
関羽

統率82
武力94
知力67
政治68
魅力84
7名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 11:04:04 ID:Mpt5c5+w0
>>5
50
8名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 11:55:20 ID:rDm35yep0
だから、歴史ゲーム板に行けよ
確実にあっちのが伸びるぞ
9名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 18:12:14 ID:s3rAUwWH0
黄忠
統率81
武力85
知力55
政治50
魅力60
10名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 13:04:58 ID:3SyulaMK0
魏延
統率91
武力92
知力60
政治49
魅力38
11名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 16:15:43 ID:ZDoSnO6g0
蜀兵・統率ランキング
1:魏延(91)
2:馬超(90)
3:王平(85)
4:姜維(84)
5:羅憲(83)
6:張嶷(83)
7:関羽(82)
8:諸葛亮(81)
8:馬忠(81)
10:黄忠(80)
11:張飛(76)
12:趙雲(75)
12名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 20:00:08 ID:Lao0Blc50
・中英
光栄式に能力評価してみるスレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161929065/
・歴ゲー
三國志で過大過小評価されている武将 二十一人目
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1220157738/
・三戦
光栄三国志の理不尽な能力について語れ42
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1221223115/
13名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 20:46:54 ID:SdQ/BATdO
>>12
下のは久しぶりに真性の困った方が集団or自演で現れて移転中。
一応歴ゲーの方に誘導しておいた。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 21:36:22 ID:IsFeUeH60
>>13
移転しようとしてる連中のほうが痛いやつだと思ってたが。
スレがちょっと荒れただけで他板に移転考えるとかマトモじゃないわ。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 21:40:56 ID:N7gP0HXd0
>>14
あれをちょっとと言える感覚は理解不能だわw
16名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 23:14:08 ID:kdjL+UT40
>>14
vipとかニュース系板とかのノリならあれでも「ちょっと」の領域だとは思う。
趣味板等では結構な異常事態。
あそこまで行くとほぼ携帯ユーザーが議論参加不可能に陥る。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 23:58:24 ID:KG87VWuq0
>>15
互いを罵りあうことだけで500くらいスレを使ってたしな。
もう、覗いてるだけでお腹一杯になったよ。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 00:06:23 ID:xuNwXU5e0
>>16
三戦板を趣味系の板と考えてはいけない
あそこのカテゴリーは基本的に最悪板とかなんでもあり板の仲間だ
これまではたまたま話が出来ていただけ
19名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 00:22:00 ID:RbpL/1pE0
・歴ゲ
光栄三国志の理不尽な能力について語れ41
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1221321796/
20名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 11:53:40 ID:58D4JAR60
劉備

統率87
武力74
知力80
政治84
魅力99
21名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 12:30:41 ID:loL6QsmEO
今こそ、いや今だからこそ初代の「体力」パラを復活させるべきだろう。

たとえば晩年呂蒙。
文武に優れた提督だが、健康に難があり前線での指揮には適さない。

たとえば廖化。
能力はほどほどだが頑健で最前線を渡り歩ける。寿命も長い。

体力は、出陣中に消費されていき低下すると能力値に影響する。
ゼロに近くなると負傷や戦死しやすくなる。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 12:20:02 ID:RsArC/8g0
正史のカコウトンんって、そんなに統率も武力も高くないよね?
魅力と政治は高そうだけど
23名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 13:00:57 ID:0F/V+vDt0
カコウトン
統率65
武力82
知力60
政治75
魅力80
24名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 17:40:31 ID:kh2t9dYA0
>>21
体力というコストの概念は良い案かもな。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 22:06:20 ID:kF+vHhpM0
武力がちと高いような気がするが…
魅力はもうちょいあっていいかもね
26名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 11:07:49 ID:Fe1T386K0
カコウトン
統率60
武力70
知力60
政治80
魅力90
27名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 12:51:45 ID:9X9lSlEsO
完全に正史基準にするなら、武力なんか廃止しなきゃ
28名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 07:36:41 ID:zmXyJJvw0
葛根湯

統率60
知力60
政治80
魅力90
29名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 13:59:58 ID:RRLTdzbr0
>>25
逆だ
トンは二十六軍の責任者だったり統率の方がむしろ高い
30名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 04:35:40 ID:rIRxbbOT0
でも大した戦績ないしなあ
31名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 19:41:01 ID:v/UjkwNr0
つ三城死守。
群雄以下の部将の中で
これに勝る戦績を立てたのは界橋での麹義だけだろう。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 19:42:13 ID:j6aKc6+x0
ビミョーっすね
33名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 23:01:59 ID:KFR3+uvm0
さんざん言われてることだろうけど、「統率」って何を示すの?
戦場での戦の上手さ?
では、軍を訓練して組織し、刑罰を執行し士兵の日常を監理し行軍と築陣を指揮して
会戦地点へ投入する、漢魏時代の将軍と後漢末に武功によって頭角を現した群雄に
最も要求された能力は何を以って表現する?
それを智力と政治で表現し、統率を単に「戦場での強さ」とするならば、
「正史基準」に於いて武力を100分率の正パラの一つとして他の四つと同等に扱う理由はないんでない?

因みに夏侯惇の戦場での特筆された功績は、
・エン州にて蜂起した呂布を遭遇戦にて破り、テイ城へ駆けつける。
・三城固守
・冀州攻めの際、(撤退する曹操の)殿軍
くらいか。後は新野攻めで失敗もあるけど、前線に出ることはなくなってる。
のちに河南尹・対呉都督二十六軍。中二千石は曹操幕下序列第一位で、
都督としては張遼らを指揮下に入れていたと思われる。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 23:24:39 ID:dUG6Jkn50
演義に拠らず史料に限定するなら↓スレの定義の方が良いと思うが

光栄式に能力評価してみるスレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161929065/l50
35名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 01:17:18 ID:f9xAoi7X0
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161929065/76
か。
いい感じだと思うけど三国時代なりにアレンジしていいんじゃないかな。
たとえば、諸葛亮・荀ケ・張昭
陸遜・司馬懿・満寵
関羽・張飛・張遼・徐晃
禰衡・孔融・虞翻
許チョ・典韋
伍孚
のような人物を上手く個性的にパラメータ化する定義を考える。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 23:13:11 ID:TlxGJPbh0
曹操ってホントはそんなに悪くない。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 05:40:54 ID:nPPgzIAR0
とりあえずトップ集団から決めようぜ
統率 曹操 劉備 孫策
武力 典韋 許チョ 関羽 呂布
知力 郭嘉 賈ク
政治 諸葛亮 陳羣 顧雍
魅力 ヘイ原 管寧 張昭
38名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 11:24:00 ID:p7YFzjyiO
正史基準なら、能力を細分化するなり、定義をハッキリした方がいい。

個人武勇
指揮用兵
軍隊運用(大軍編成、兵站、軍政)
作戦戦術

理解判断
権謀術数

国家経営
統治民政

その他、特殊能力もろもろ
39名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 11:59:58 ID:M6PqLgX+0
マンドクセw
40名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 13:48:24 ID:xyZREx6c0
細分化なんて尚更gdgdになる原因だと思うが。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 16:59:02 ID:CGSe1TbWO
いっそSWEET準拠にしようぜ。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/02(火) 11:02:52 ID:+auh8dEr0
SWEET基準だとボケと突っ込みのパラメータが必要になるな
43名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/02(火) 12:04:30 ID:UOuO9gzO0
>>42
武力がボケ、統率がツッコミでおk
44名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 13:42:48 ID:9yXWpkUb0
黄蓋
統率70
武力70
知力90
政治70
魅力80
45名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 01:19:29 ID:Ax5kgeer0
黄忠
統率82 武力84 知力58 政治21 魅力66
46董卓:2008/12/25(木) 18:03:26 ID:Dc4ppFZj0
董卓
統率76
武力91
知力63
政治15
魅力45
47名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 19:20:43 ID:Bua5blGi0
>>46
董卓はもっと知力高いだろ
48董卓:2008/12/25(木) 21:37:46 ID:Dc4ppFZj0
ほんとはこうしたいんだがな・・・。
董卓
統率88
武力91
知力73
政治22
魅力50
49名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 05:25:44 ID:nwI9gjTqO
董卓最強じゃん
50名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 08:43:27 ID:HwrOuaRJ0
覇 -Load- 見てる人なら董卓好きになれるかも
51名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 16:52:32 ID:sm7Lecs80
>>48
董卓は知力と統率を逆にすればいい。
史実では指揮能力を示すエピソードより、
洞察力や策謀を示すエピソードの方が多い。
52董卓:2008/12/26(金) 22:39:24 ID:P8E+rgLu0
じゃあこれ
董卓
統率75
武力91
知力83
政治16
魅力45
53名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 00:30:43 ID:hZb+NVGX0
>>52
数日で長安の実権を完全に掌握した政治センスがあっても政治16とかにしかならんのかね?
54名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 07:39:28 ID:BXOvFMMaO
個人的に張飛の統率は高くていいと思う
関羽より少し低いくらいで
55名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 13:07:10 ID:ylDsMJkR0
張飛
統率87 武力93 知力42 政治60 魅力35

こんな感じか、知力が低めだがその分統率と政治を評価した
56名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 13:53:44 ID:hZb+NVGX0
>>55
正史の張飛は厳罰と知略、そして胆力によって功績を積み重ねた知将だよ
もっと知力を高くするべきだと思う
57名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 17:39:37 ID:hIpK+Qdw0
張飛
統率83 武力93 知力76 政治60 魅力30

こんな感じかねえ、個人的には戦術的な知力は統率か知力どちらかにまとめてもいいと思うけど
58名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 19:04:14 ID:hZb+NVGX0
>>57
知力76で曹操を騙せると思ってその数値付け?
つまり曹操は精々知力85くらいってことかい?
大体知力10違えばゲーム的に計略なんぞほぼ掛けられないよね
59名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 23:31:00 ID:CjXsjt3LO
甄氏

統率:82
武力:8
知力:96
政治:100
魅力:100
60董卓:2008/12/27(土) 23:38:50 ID:idbvt99R0
53。董卓の政治が低いのは暴政により大減点。董卓の場合、政治力というより、
軍の兵力に物を言わせただけ。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 00:59:23 ID:m3oeLQVK0
>>60
「目的を達成する力」として能力を設定する場合
董卓の行動は正しく目的を達成していて能力は高いと評価出来るんだが
思想による減点とかアホだろ
62名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 01:32:52 ID:s3qrCvLA0
甘寧
統率86
武力92
知力78
正史32
魅力67
性格 粗暴
63名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 01:33:37 ID:mVz2CSUP0
董卓の洛陽掌握は知力の範疇に入るかと。
三千の兵を城門から行ったり来たりさせて大軍に見せかけたり、
呂布を寝返らせて丁原の兵力を奪ったり、
司空の劉弘に因縁をつけて地位を奪って朝政を掌握したり、、
いずれも計略の範囲ではないかと
64名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 05:32:51 ID:m3oeLQVK0
>>63
大事なのはそこではなく
朝廷の勘所を見極める政治的視点
65名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 17:39:34 ID:s3qrCvLA0
馬超
統率96 一時は曹操を追い詰めるほどの軍事手腕
武力82 演義のような具体的実績はないが武勇に評判と自信はあったようだ
知力73 カクの計略にかかったのはマイナスだが戦術的にはすぐれていた
政治68 大軍閥の長としてこれくらいか
魅力84 関中の諸将を統率し敗走後も蛮族を配下に加えた
66名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 17:58:21 ID:d9Hmx1ULO
曹叡

統率:98
武力:18
知力:100
政治:96
魅力:100
67董卓:2008/12/28(日) 22:11:16 ID:fK7b7uVp0
董卓はサイヨウとかを登用するなどしたことは評価できるが、少帝廃立、長安遷都、
太師就任、び城建設、五シュ銭廃止し、小銭を鋳造したりしたが、これらは全て、自らの
権力を誇示する為であり暴政以外の何物でもない。特に五シュ銭廃止、小銭鋳造などをしたこと
により物価が高騰し、民衆の生活が苦しくなった。これらを総合して鑑みるにどの角度
をどうついて、政治力が高いと評価できるのか?
68名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 22:25:52 ID:s3qrCvLA0
李典

統率75
武力75
知力75
政治75
魅力75
69名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 22:27:27 ID:03MUX8mm0
李典は張遼と共に800人で孫権にカチコミかけた豪の者だよ
70董卓:2008/12/28(日) 22:27:53 ID:fK7b7uVp0
唯一つ評価できるのは清流派の人士を何人か登用した事。
まず少帝廃立 これは少帝より献帝が賢いと思ったので廃立を実行したらしいが
実際は少帝と献帝の差はあんまりないだろう。要は何皇后(外戚)の影響を受ける少帝より
外戚がいない献帝の方が何かと御しやすい。
次に長安遷都だが董卓は洛陽を焼き払い歴代皇帝の墓を暴き、財宝を奪っていくという暴挙。
次に太師就任・び城建設だがこれらは自らの権勢を誇示しただけ。び城建設は城壁を長安の城壁と
同じ高さにし、30年分の食糧をため込んでいる。
五シュ銭廃止は物価の高騰を招いた。60よ。君はアホみたいだからもう一度正史を
読み直したらどうだ?
71董卓:2008/12/28(日) 22:29:45 ID:fK7b7uVp0
間違えた61だ。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 22:32:51 ID:KM48rwPk0
正史での各部門トップ
統率 曹操
武力 許ネ者
知力 郭嘉

あまり知らんけど・・・
73名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 01:36:25 ID:ym0qijmR0
楽進
統率86 武力83 知力65 政治30 魅力61
74名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 04:09:24 ID:GxGnurGX0
>>67
・少帝廃立
元々少帝は何進と何太后のお陰で皇帝になっていた
何進は曹操、袁紹らのグループに所属する人間で少帝を生かしておけば
この同一グループから何かの働き掛け等があって邪魔
権力を握るならば誰の手垢も付いていない献帝を持ってきた方がいい

・長安遷都
軍事的に高度な判断、凄まじい一手なのになんでこれが暴政?
さすがに正気を疑うよ

・び城建設
長安遷都によって長安近辺で戦う事をある程度覚悟してるんだから城を増やす事は極普通
財貨をそこに貯蓄したそうだが、長安のバックアップ用に建てた城ならば当然の話では?

・五シュ銭廃止し、小銭を鋳造したりした
当時貨幣の鋳造というものは王朝以外できなかった
つまり貨幣の改鋳により「天下の主は自分である」という宣言をしたのも同然なのだ
権力の誇示ではなく、次なる王朝建設のための前準備
また董卓は大量に貨幣以外の資産を持っていたのだが、長安では銅人をぶっ壊すほどの銅不足になっていた
銅銭の価値を下げる事で軍需物資でもある銅を以前に比較して少ない資産で回収していたとも考えられるのだよ
75名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 04:10:35 ID:GxGnurGX0
>>70
・唯一つ評価できるのは清流派の人士を何人か登用した事
というが董卓ってのは清流派の軍人だぞ?
自分の与党を増やすのは当たり前のことじゃないか
お前の評価点は何から何まで的外れもいいところだ
76名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 10:02:38 ID:iH+scgKv0
軍事的に高度な判断をした結果、民衆が苦しんだんなら暴政以外の何者でもないだろ。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 10:51:01 ID:GxGnurGX0
>>76
軍事的な判断で目的達成をしてるのだからそれは暴政とは言わない
苛政と暴政は違うのだよ
そして董卓はそもそも「民衆の安寧」を目標としていない
78名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 11:39:48 ID:La74nCE50
三戦板向けっぽいスレだな。
79董卓:2008/12/29(月) 13:12:17 ID:3s7GPBXp0
政治と戦略は違うのだよ?俺が言ってるのは「政治」だよ?君たちが言ってるのは
「戦略」だよね。どー考えても。75に言いたい。与党増やす云々の話は言っていない。
そこしか評価する所が無いと言ったのだ。長安遷都?あれはどう考えても「戦略」の部類だ。
周囲を敵に囲まれる洛陽より自分の支持基盤である長安の方が守りやすい。しかも自分の都合で
首都を遷すなどとんでもないことだ。これを政治と考えるならどう考えても「暴政」の部類に入る。
76さんを除いてお前らは「政治」と「戦略」の違いを分かっていない。
お前らは俺の評価点以前の問題だな。もう一度「政治」と「戦略」の違いについて調べて出直してこい。
ほんとはもっといっぱい書きたいけどキリが無いので止めておく。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 13:37:33 ID:GxGnurGX0
>>79
そもそも董卓がそれを目標にしていないし
戦略的な必要上に迫られてそれをやらないと勢力が潰れるないし大損害を被る段階だったのだから
それを行ったところで「政治」の低さには繋がらない

>しかも自分の都合で首都を遷すなどとんでもないことだ
という事は劉邦も劉秀も、そして曹操もとんでもない事やったって言うつもりかね?
遷都なんて「自分の都合」以外じゃ行わないよ
少なくとも董卓の都合は董卓勢力の都合にも直結している

政治と戦略の違いはほとんどない
政治とは戦略の一部であり、戦略もまた政治の一部だからだ
政治と戦略が不可分である事は過去の政治家や偉人達の話、
そして古代は執務者と軍人が兼任だった事を合わせると否定しようの無い事実
戦術級以下に限らないと軍事と政治を分ける意味が全くない

董卓の政治を批判するならば「清流派として出世したのに、党人達の支持を取り付ける事に失敗した調整能力の無さ」を指摘するべきであって
「党人達を採用すること」を評価なんて全くの出鱈目もいいところだ
81名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 13:39:30 ID:ym0qijmR0
于禁

統率87
武力80
知力74
政治71
魅力46
82董卓:2008/12/29(月) 16:56:31 ID:3s7GPBXp0
79に言いたい。董卓の長安遷都を高祖、世祖、魏武と同類にすること自体おかしい。
王朝を築いた時に首都を定めるのは当たり前。魏武においても、李カク・郭シらの抗争
によって長安は荒廃し、洛陽も焦土と化していた。これらの条件が重なったことにより、
許昌に首都を遷すしかなかったのだ。そんな都市より都として機能する許昌に遷都した方が良い。
これこそ高度な政治判断だと言えるだろう。長安遷都と許昌遷都は意義が全く違う。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 17:25:20 ID:SiF4L77Q0
許県への遷都は自分の勢力下に置こうという意味での政治的判断だろ
もちろん洛陽が荒廃していたのも一因だが、行き先が許であった理由は曹操の都合だけだ
84とうたく:2008/12/29(月) 17:43:38 ID:1CoJnyxrO
君の考えてるとうたくの能力を提示してごらん。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 17:51:34 ID:HY5WdfsOO
>>83
許への遷都は曹操の都合ばかりかといえばそうではない。
頴川地方は人口からも首都にふさわしい税収があることがうかがえるし、
後漢の藩屏たる南陽地方にも洛陽よりも近い。

董卓の場合も洛陽を荒廃させず、易々と放棄しなければその遷都もまた意義を認められるのだが、
そうではなかったことが何よりも大きい。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 18:23:51 ID:VjpuKZwIO
洛陽を散々にぶっ壊して放棄する事に妙味があるのにか?
87名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 21:04:29 ID:iH+scgKv0
自分の都合で民百姓に多大な迷惑をかけたのは暴政としか言いようがないし、
暴政をしいた上で勢力確立に失敗したのはマイナスといわざるを得ない。

>>77は暴政と苛政の違いを説明して。
辞書的には殆ど同義だけど。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 21:15:46 ID:GxGnurGX0
>>87
暴という字には無目的に乱暴である事という意味がある
無法という意味で使う事もある
逆に苛という字にそれらの意味はない
(だからと言って優しいわけではないんだが)

つまり暴政とは一部に出鱈目、無目的な虐政という意味がある
苛政とはただ単純に只管に厳しい政治ということで暴政とはまた意味がちょっと違う
89名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 01:39:50 ID:1BjRo/zN0
>>74=>>77=>>88だと仮定して、
つまり董卓の政策は、暴政の一部の意味に当てはまらないから
彼の政策は暴政ではない、って主張?
90名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 01:58:20 ID:XG8urDkC0
>>89
暴政ではなく戦略的に積み重ねられた緻密なもの
ただし、民衆は苦しんだだろうね、ということだね
そこまでは否定しないんだが、それは董卓の政治能力の低さではないってこと
91名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 02:04:45 ID:YMLfdClZO
>>86
防衛線をより外郭に保持しておくことは大いに意義あることだが。
関が多く山脈を盾に出来るために補給線の心配も薄いのにわざわざ放棄したことが解せない。

>>89
仮定の前にID見ようよ。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 02:35:17 ID:XG8urDkC0
>>91
単純に言えば焦土戦術だよ
93名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 04:40:40 ID:8mjH7N+90
政治の目的を生産能力の向上や治安維持だとすると董卓の政治力は
最低レベル。

一方、政権奪取や自分の権力欲を満足させられる政治形態の構築を
政治の目的とするなら政治力は高くても良い。

・・・と、書いてて思ったけど後者はやっぱ、政治力って感じじゃないなぁ。
統率力と知力と野心を足した感じよね。
9493:2008/12/30(火) 04:54:29 ID:8mjH7N+90
さらに補足すると、董卓っていう人物を統率、武力、知力、政治、魅力
の五つで全て表現しようとするから話がこじれるんだろうな。
野心99
モラル10
位追加すれば個人的にはすっきりするんだけど、
このスレのルールからはみ出るからな〜。

結論は>>52さんの方向性に賛成に一票で。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 05:11:22 ID:XG8urDkC0
>>94
6だと人徳パラで、8だと悪名っていうパラでその辺は表現されてたんだよ
軍事力等を背景にしてたとは言えども太師にまで登りつめた強引な政治的腕力を16とかで表現されてもな
それに生産性というか30年分の飯を買うだけの資産を強引に作り出す商才なんかもあるわけで
董卓の政治力を低くする理由がない

まあ仮に百歩譲って城ぶっ壊して焦土戦術取ったら政治力ダウンってんだったら
曹丕、曹仁辺りの曹操没年直後の荊州関係者も軒並み大幅下降させるべきだな
彼らも襄樊をぶっ壊して前線を後退させているからね
96名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 09:34:43 ID:XLauX8wOO
ゲーム内の政治という能力値と政治的腕力なんかは別だろ
97名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 15:15:23 ID:9ztqoEb40
董卓
統率80(数々の戦いで勝利を得るも、 皇甫嵩や孫堅に遅れをとった)
武力91(腕力が強く、武術・弓馬の達人も、呂布の裏切りの前に屈する)
知力90(数々の計略を駆使して、勝利を得、後漢政権を私物化した)
政治1  (統治者としては最悪の部類)
魅力70(道徳的には最悪レベルだが、それなりに人望はあった)
98名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 17:16:50 ID:8HJmIUPu0
よくもまあ極端な。それで正史基準とか笑わせる。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 20:34:36 ID:KFvMFzMJ0
>>95
襄樊を打っ壊したって記述の後が嘘なのに信頼していいものか?
それに陵墓を暴いた董卓とは差別化すべきだと思う
一時的とはいえ要所を呉に奪われたというのはマイナス要素かな
すぐに取り戻したんで帳消しでもいいと思うが…
100名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 21:01:27 ID:dFyYTIih0
ゲームの中の政治力は国を富ませる能力。
その方面では、董卓は全く手腕を発揮していないどころか、
配下に領内での略奪を許したり、銭を改鋳して経済を混乱させたりと、
間違ったことばかりしてる。

政治的腕力や戦略は、ゲーム的には知力に還元されるべきであり、
政治力ではないと思う。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 22:10:22 ID:XG8urDkC0
>>99
すぐに?

丹念に三国志を洗えば曹丕は数年放置して即位後にやっと取り返せてたと言う事がわかるのに
102名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 22:41:21 ID:KFvMFzMJ0
>>101
えーと丹念に洗ってはいないけど曹仁伝では襄陽奪還後、大将軍任命
文帝紀では曹仁が大将軍任命は221年4月
呉主伝注では襄陽獲ったのが曹操死後(220年以降)
最長で見積もっても1年4ヶ月だと思うんだが…
呉の侵攻が宛に戻された後なら期間はもっと狭まるよ

> 曹丕は数年放置して即位後に
そもそも曹丕は魏王になって1年経たずに皇帝に即位してるからこの文はおかしい
103名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 23:13:34 ID:XG8urDkC0
>>102
数年放置、即位してから、だよ
104名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 23:20:17 ID:KFvMFzMJ0
それなら即位後という言葉がいらないでしょ
数年放置の時点で即位後なのは明らかだし
まあ下二行は重箱の隅で本題は上段なんだけどね
105名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 01:28:35 ID:PMORxX8JO
諸葛亮

統率:80
武力:10
知力:92
政治:80
魅力:72
106名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 03:13:41 ID:W6bh4rIe0
>>104
2年半くらいだと勘違いしてたけど城を放棄したら政治的にはマイナスなるか?って話題には関係ないな
数年ですぐ取り返したらokって言うなら董卓だって洛陽放棄後またすぐに中原まで軍を派遣してすぐに勢力圏内に取り戻してるからokだし

どちらにしても遷都と住民の移動等による民衆の混乱等はそれを無目的に行ったならイザ知らず
きちんと戦略的、戦術的な目標があってその実現の為の一手なんだから
マイナス評価として扱うべきではないな
107名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 11:14:16 ID:E3sz+P0Q0
董卓の場合、大基の政略と言う意味では間違ったことはそうしてないと思う。
貨幣鋳造もそれ自体は問題無いし、遷都についても後漢末の混乱した洛陽の状況
を考えると自分の拠点の近くである長安に移すこと自体問題は無いと言える。

墓荒らしについては曹操も行っていることだし、無意味に墓に財宝を埋めるなら
取り出して活用した方が余程有効とも言える。合理的と言う意味では非常に合理
的だと思います。心情的な判断は別としてね。

名士達を登用して彼らに政治を任せようとした辺りは先見の明はあるし、何より
彼らに対して非常にへりくだった態度を取っていることから実は謙虚さも持って
いるように思える。

問題は実際政策を担当してくれるような人物がいなかったことと、彼の粗暴さに
名士達がついてこれなかった(だから政策担当の有能な人物がいなかったことに
繋がる訳ですが)点にあると思いますね。

実は董卓と劉備って結構似てる部分もあると思うのですよね。子飼いの武将達に
慕われる一方、名士達の信をなかなか得られない。本人は名士の重要性を知って
いることから、もし董卓に諸葛亮のようなが人物が配下としてついたら、彼らを
中心をする名士グループが政治を取りしきって意外とうまくやってくれたように
思います。まぁ、仮定の話なので意味が無いですが・・・。

そう言う意味で史書の記述からだけでも、武勇、統率、知力、政治、魅力全てに
おいて高かったのではないかと思います。まぁ、性格を「暴」としてそれに合う
人材がいれば、って感じですかねぇ。気が向けば数値化します。

108名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 11:18:41 ID:Ud/48lTd0
>>107
劉備は名士に好かれてるよ
その点で董卓に似ているのはどっちかというと曹操や孫策
109名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 11:23:27 ID:CesWBcaa0
>>105
武力10って演義のイメージじゃん
正史だけならそんなに低くはならんと思うけど
110名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 16:54:30 ID:XhFTy2RS0
>>105
馬に乗れず、弓も下手だったという杜預がそんな感じの能力値があってそう
111名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 21:55:49 ID:9vMN8fg20
王允は名士グループの中心としては不足してた人間なのか?
112名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 22:57:39 ID:4LwwM4Pi0
>>107
いや、董卓もサイヨウが哀悼の意を示すなど、全ての名士に嫌われていた、と言う
訳でもない。ある程度の評価をされても結局ついてこない、と言うのが一番の問題
劉備も陳登や陳群など名士層にそれなりの評価はされているけど、結局彼らは劉備
についていかなかったでしょ。

恐らく名士達よりも子飼いの武将達の言を聞いてしまっていたことなどが原因だと
思われますが、そう言う面においては似ているかな、と思います。孫策辺りは陸康
(でしたっけ)を攻めたりするなどして、むしろ名士を敵に回したりしている。

そう言った意味においては董卓よりもまずいことをやっているとも言えるし(まぁ
仕方なしだったかもしれませんがね)、最終的にはその辺りが原因で暗殺されて
しまっている。

>>111
王允はそもそもが董卓にとっての反逆者であり、信服していたとはいえないから
信用できる有能な部下、と言うのには当てはまらないかと思います。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 01:55:18 ID:hff5bh5cO
>>112
彼らは名士である前に徐州一帯の大豪族だろう
114名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 02:00:17 ID:CVpZV7qs0
>>112
地盤を捨ててまで敗残の劉備についていかないと名士に好かれたことにならないのか?
随分厳しい基準だなオイ
115名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 10:12:16 ID:mUiBP+Hk0
>>114
そんなに厳しいですかねぇ。でも事実彼らの支援を受けることはできなかった。
結果として見たらケイ州に入るまでの劉備と董卓の間にそれほどの差はないと
思いますよ。

どっちかと言うと劉備を貶めたいんじゃなくて、董卓の魅力を引っ張り上げたい
意見なんですけどね。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 11:35:17 ID:1Kxo0+JdO
>>115
孫策は名士とも豪族とも、格段に敵対していたとは言えない。

それと、身一つで逃げる人物に名士がついていくのはかなりのハードルだろう。
よく「任侠的結び付き」なんて言葉も使われるが、
当時の群雄ってのは日本の戦国大名とは違うわけで、
配下の全てと任侠的主従関係があったのではない(日本の戦国大名と配下もある種の契約関係ではあるが)。
官吏は、つまりは後漢の役人なわけで。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 12:28:16 ID:7OdXplbg0
>>115
董卓の魅力を高くするのはいいのだが、統治能力に定評のあった劉備と虐殺マシーンの董卓では
政治力は雲泥の差だろうな
118名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 12:30:51 ID:7OdXplbg0
そういう意味じゃ虐殺マシーンの曹操の政治力が90以上なのは違和感があるな
119名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 13:12:19 ID:xAjLlNQy0
>>107
貨幣鋳造が問題無い、というのは五銖銭に問題があったということ?
遷都については仕方がない面があるとおもうけどその事態を招いたのは董卓
自身の政治力の欠如であるし、洛陽が混乱したのは遷都の所為でしょう。

悪貨を大量流通させ、インフレをおこし、遷都後に使い道は幾らでもあったたに
も関わらず董卓死後も財宝は残っているから、有効活用したとは言い切れない
と思う。

理想の政策を語っても実行されなければ無意味だし、失敗すれば汚名を被る。
劉備と違って董卓は周りに政策担当の有能な人物は幾らでもいたのにそれを上
手く利用できなかった。実際には、裏切られたかたちだけど人を利用するという
のは政治の基本でしょう。

ちょっと最後の方が分かりづらかったんだけど仮定の話で”うまくやってくれた
ように思います”としているのは、実際には”うまくやれてなかった”ことを示
唆していると思う。その後に政治が高かったと出てくるけどこれは合う人物がい
れば政治を高く評価できたという意味なのかな?
120名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 18:06:07 ID:NcYxgmvJ0
>>119
方向性として大きな政略、と言う意味では間違っていない、と言うことです。
新貨幣鋳造については己の権勢を示すと言う政治的判断においては問題がある
とは言えない。

問題があるとすれば、現場で実際に指揮するような神経のこまやかな人材が
誰もついてこず、どう言った貨幣なら問題無いかを判断できなかった点かと
思います。

例えば、張飛辺りでも名士連中に無視されて 怒ってるように、当時の軍人
上がりの人物に対する名士の対応は少々気の毒に思えるぐらい偏見に満ちた
部分があります。

それを本人の政治能力の欠如のためと言うのはちょっとどうかなぁ、と言う
のが私の持論。もっとも失政も目立つのでトップクラスの能力とは言わない
ですが、50〜60ぐらいの能力値はあっても良いかと思います。

119さんのおっしゃるように財宝は有効活用したとは言えないし、問題点も
色々とありますが、名士層の反乱以前、名士を高位につけ、彼らに政治的な
判断を仰ごうとしていた側面、また若い頃の部下達や異民族に対する対応等
を考えると、実像以上に悪く書かれているとも考えられませんか?
121名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 19:16:26 ID:hff5bh5cO
>>120
新貨幣鋳造に関していえば、まず、己の権勢を示す目的があるにせよ、
王莽という身近な失敗例があるために、リスクは省みるべきであるが、
彼はその失敗を生かしていると言いうるだろうか。
王莽のような、劉キンなど名士の支持をかなり得ていた人間が、何年もかけて行っても失敗した事業であり、
その先例があっても強行したことは軽視出来る問題じゃない。
例え権勢強化のためであろうと、自己神格化にでも陥っていたとしか思えない。

また、歴史人物を評価するにあたり、名も伝わらない幕僚の功罪、才能の有無については、
双方とも代表して歴史人物個人に帰すべきものであろうと考えるが。
そうでなければ評価が出来なくなる人物が多いだろう。
まさか孟嘗君の功をして、史書に明確ならざる食客の功を、
わざわざ孟嘗君と分離して考えるべきだと考える人間はいないだろう。
さらに言えば幕僚や実務者の不足を認識できないまま、或いは不足の事実を軽視したまま、
極めて軽率に権勢を求めて大事業に着手したとも言えるが、それは擁護しうる事績だろうか?
例え反発があろうと時を重ね、根回しを繰り返してマシな水準にもっていくことは可能であろう。
拙速極まりなく大それた事業に手を出したのは彼自身の失策以外の何物でもない。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 22:33:50 ID:b9WxqYAb0
>>121
おお、ということは歴代魏の皇帝は貨幣鋳造しては改鋳、使用停止を繰り返してるわけだから
曹丕、曹叡の政治力は低くなってしまうのか
しかも董卓と違って二人で20年少々掛けてるからもっとマイナス評価だな

なんてバカな話があると思ってるのか?
123名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 23:57:45 ID:4ID8V4RJ0
貨幣政策は失敗してるんだからそこだけ見ればマイナス評価だろ
結果を見ればどちらをよりマイナスにすべきか一目瞭然だよな?

成功した政策をプラス、失敗した政策をマイナス評価するのってそんなにバカな話なのか
124名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 00:07:18 ID:BLpXgJjy0
>>123
うん
どちらも貨幣政策には問題がないのに失敗してる例だからね
125名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 01:04:33 ID:p4Nf72Uj0
曹丕、曹叡の場合は機能していなかった貨幣を復活させようとした政策で
大成功とはいかないまでも失敗と考えるのは違うと思う。

董卓の場合は貨幣政策に問題があって失敗した例だと思うのだけど>>124
はどこに問題があったと考えているのかな?
126名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 01:52:18 ID:uM1SH2wa0
>>121
私も別に董卓の貨幣政策をそこまで擁護しようとは思っていません。
自己神格化しようとしてたような節も見受けられますし、失政も目立つ
と上に書いているじゃないですか。貨幣政策などは結果を見れば確かに
失敗だったと言えますから、これは明らかにマイナスポイントだったと
思います。

ただ、そういったマイナス面ばかり強調されすぎていませんか?と言う
風にも思うのです。董卓がやろうとしたこと、そして結果どうなったか
今はそのうちの結果ばかり見ている。私は何故そう言う結果になったのか、
と言う過程の部分を常に考えてから評価を行うようにしているのです。

曹丕、曹叡の場合だって、結果だけ見たら失政ですよ。でも彼らは政治家
として一定評価を受けている。それは過程を見ているからじゃないですか?
何故董卓だけは過程の部分がすっ飛ばされるのか。全て董卓の場合は自己
の権勢欲のため、と決め付けていませんか。そう言う人間がわざわざ名士
達にへりくだったり、配下に褒美を分け与えたりするのか?

少なくとも某K○EIのように政治力10台とかはやり過ぎじゃないの?
と思うのです。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 02:15:58 ID:p4Nf72Uj0
曹丕、曹叡の場合は一応、物々交換から貨幣経済を少しは立て直したでしょう。
費用対効果でいえば失政といわれても仕方がないけどね。
ただ彼らの政治が高いのは過程をみてるからじゃなくてその他の政策で結果を
出しているからでは?

マイナス面が強調されてる可能性は高いと思うし、名士側にも非があるのも分
かるけど特に政治においては結果が重要だと思う。
権勢欲のためでも民衆のためでも結果が出ていれば高く評価するべき。

まあ10台はやり過ぎというのは同意。
数値に関しては完全にイメージだけど個人的には40前後ぐらいあってもいい。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 02:33:02 ID:BLpXgJjy0
>>125
政策自体は間違っちゃいない
というか政権担当者が貨幣を鋳造しないと経済政策自体始まらないから

ただ根源的な問題として、董卓の作った貨幣がとことん悪貨で
そもそも技術的に稚拙だったと言う事があるわけで
董卓を責めるのはそういった貨幣鋳造をする職人達をちゃんと抱え込まなかった、もしくはちゃんと監督しなかった点
129121:2009/01/02(金) 12:54:24 ID:B5+pxi0HO
>>126
私も10台はやりすぎとは思わないでもないが、それで董卓が50〜60台が相応しいと言うものだから、
過大評価にも程があるだろうと言わざるを得ないだけ。

権勢を広げようとしたことは誰もマイナス評価してはいない。
権勢強化に失敗したばかりか、しかも自分の権勢に多大なダメージを与えていることに
マイナス評価の肝があるわけで。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 09:12:06 ID:ja3xzZE/0
>>129
ダメージとは具体的になんだい?

ぶっちゃけ民衆の怨嗟とかはダメージじゃないよね
131名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 11:18:12 ID:CpXo3ESL0
まぁ、結局は失政部分をどれだけマイナスとして捉えるか、にもよるので、
この辺りは言い争いしてもあまり意味無い部分と言えるかと思います。

そう言えば孫策については陸康を殺害してしまったことにより、江東の四姓
(陸、顧、張、朱氏)の支持を受けることができなくなっています。陸遜、
顧雍、朱桓、張温と言ったこれら四姓を代表する人物はいずれも孫策死後、
孫権の時代になってようやく仕えるような状況です。

また許貢と言う人物を殺害した件についても、彼は後漢末の官僚であり、
許靖と親交があるような、名士層の人物であったと思われます。そのような
人物を殺害したことで結局彼の食客により暗殺されている。

そう言う意味では孫策は名士層と対立していたことになりますし、董卓と同じ
位あるいはそれ以上に政治面でマイナスポイントが多いと思います。そんな彼
が政治70とか言うのもおかしな話ですよね。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 11:44:05 ID:ja3xzZE/0
>>131
具体的には?
133名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 13:02:33 ID:Socqlikv0
陸康を攻めたのは部将だった頃で殺してもいないよ。息子の陸績は後に孫策に仕えてる。
呉(郡)の四姓は呉国ができた後に作られた言葉で全氏、虞氏や賀氏といった江東の豪族は従えている。

多くの名士を抱えた孫策と董卓では比べるまでもないでしょ。
134名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 13:38:17 ID:mAMbsK6mO
>>130
王允らの暗殺を招いたのは何故かという問題がある。
彼らは董卓の招聘に対し関わっていたとされるが、
そこには先入観としての「名士以外であるから中央に参画すべきではない」というような偏見は見られない。
では致命的分岐点は何であったのだろうか。
一つは確実に貨幣発行の失敗にあり、
また一つは官吏に対する政治的配慮の不足した振る舞いに起因するのは疑い得ないと思うが。

またはっきりと貨幣価値が暴落していると描かれている。
これは商都である洛陽近隣にとっては税収の暴落を意味する。
これでは中央の統制能力も低下するし、董卓政権そのものの経済力を低下させる。

>>131
しかし酷いインフレだな。
孫策なら高くても40くらいだろう。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 21:45:43 ID:ja3xzZE/0
>>133
多くの名士を抱えたんじゃなくて豪族にそっぽ向かれて名士以外をあまり抱えられなかったってのが正しいだろ
136名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 21:55:17 ID:ja3xzZE/0
>>134
董卓政権そのものは漢の陵墓を暴いて貨幣以外の宝物を持っているから経済力は低下してない
つーか今と違って税は「税金」だけでなく物でも色々取ってるから
相場の変動次第じゃ税収低下するとは限らないし、董卓は長安近辺の徴税は出来ても
洛陽近辺の徴税が出来てたかは結構不明なところがあるので
洛陽で減収しても割かし気にしなくていいところがあったんだろうと容易に推測できる

この相場の急変動が董卓政権に与えたダメージと言うものは君が言う程大きくない
これが傷跡となって人々の貨幣不信を呼び何時までもこの魏を苦しめたのは否定しないが
短期的に見れば極端な貨幣発行差益による軍資金の調達という面では大成功なんだよ
137名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 23:19:38 ID:6O/2Yt3i0
>>135
豪族にそっぽ向かれたら名士の支持を得られるわけじゃないだろ。
まず名士と豪族が別物という考え方がおかしい。虞翻は名士かつ豪族だし、陸康とかもそう。両者はかなり重複した存在だよ。

前にも書いてるが呉の全氏、会稽の賀氏といった豪族は孫策時代に率先して仕えてるんだが…
138名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 23:55:05 ID:ja3xzZE/0
>>137
>豪族にそっぽ向かれたら名士の支持を得られるわけじゃないだろ。
違う、そんなことは言ってない
豪族に敵視されたから名士と呼ばれる土着でない連中を抱えるしかないと言ってる
孫策時代の有名な配下の二張とかを多く抱え込んだが、楊州の豪族は孫権時代になんとか味方にしてる状況じゃないか
139名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 00:51:20 ID:v3S8cuyv0
>>137
そりゃ、呉の名族が全部そっぽを向いたら独立勢力としては全く成り立たない
訳ですから、ある程度は従っていたと見るのは自然だと思います。

ただ、138さんが言ってるように、後に呉の柱石となる配下は孫権時代に参入
しているケースが多い。それらを考慮すると孫策時代の統治はあまりうまく
行っているとは言えないのではないかな。

何より孫策自身が許貢を殺害してしまったことにより許貢の食客に暗殺される
と言うのは最大の失点でしょう。郭嘉に暗殺を予言されるぐらいだから、相当
危ない橋を渡っていたのではないでしょうか。

陸康については直接的には殺害していないものの、降伏し心労により死亡とある
からやはり孫策のせいで、と見られても仕方ないのではないでしょうか。

陸績については200年当時でも13歳ですし、孫策に仕えていた、と言うのは
少々無理があるようにも思います。孫権が陸氏を代表する陸遜と姻戚関係を結び、
(関係修復してはどうか、と言う意味か)と言う話から陸績もその頃に預かって
養育した(あるいは人質?)と言うのが真相じゃないでしょうか?

何にしても陸遜と姻戚関係を結んだりする等、かなり気を使っているような感じ
ですし、陸康を攻めたことの影響は政治的に大きなマイナスだったのではないで
しょうか。個人的には董卓と孫策の政治能力は同じぐらいじゃないかと思うので
すが。
140董卓:2009/01/04(日) 11:22:12 ID:kgtxMqYL0
色々76みて頑張って考えてみた。
董卓
統率 75
武力 91
知力 76
政治 36
魅力 50
リアルにこんなんじゃね?
141董卓:2009/01/04(日) 11:31:46 ID:kgtxMqYL0
第2候補 董卓
統率 76
武力 93
知力 77
政治 28
魅力 45
142名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 16:15:26 ID:/Wbd/QglO
精力 100
143名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 16:42:38 ID:OO2MoJsj0
袁術や李カクの能力値はどんな感じになる?
コーエーだと政治力極端に低いけど。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 22:33:17 ID:Q8/YlpMs0
>>138
名士を抱えた後に根拠地を手に入れてるんだから順番が違うよ。

>>139
孫権と孫策の違いは豪族を招聘できる状況だったか如何かというだけではな
いかな?孫策が敵対的な豪族を殆ど排除したおかげで孫権の代に招聘でき
るだけの環境が整った。孫権だって盛憲を殺しているし、敵対的勢力の討伐
は行っているからやってることは孫策と大して変わらない。孫策の頃に豪族が
招聘を断ったというわけでもないし、長生きしてたら同じ様な陣容になってたと
思う。

許貢殺害については上表が事実かは分からないけど反孫策であったのは間
違いないから一般的には放置しておくほうが危険だったでしょう。郭嘉の予言
は、警戒心が無さ過ぎるから暗殺される、という内容。孫策死亡の問題はまさ
に無警戒なところで敵が多いとかではないよ。この無警戒さを能力値で評価
するとしたら知力0でもいいくらいだと思うけどね。

陸康については袁術の部将の頃だから命令を受けただけだね。孫策も私怨を
持っていたから喜んで受けたんだろうけど。。。ただこれを受けなければその後
の飛躍が無かった可能性は高いので戦略としては間違ってないでしょう。

陸績の年齢については陸遜の数歳下ということしか分からなかった。
ただ客分にせよ孫策の身近にいたことは否定する材料がないと思う。

陸康を攻めたことの影響は政治的に大きなマイナスと書かれているけど具体
的には何だろう?董卓は名士層に嫌われ、裏切られ反董卓連合を結成され
るに至るし、暗殺されたのも同じ理由。陸忠と称されるほど呉に尽くした一族
が大きなマイナスを与えたとは思えない。董卓は貨幣暴落もあるし孫策と同じ
くらいには評価できないなあ。孫策は政治の実績があまりないから50くらいだ
と思うけどね。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 04:24:06 ID:1kBpcRsH0
>>144
いや順序は関係ないよ
名士と呼ばれる連中は出仕しても豪族の慰撫は孫策じゃなくて孫権の仕事だったし
146名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 12:19:09 ID:78v4pu680
趙雲

統81
武87
知67
政41
魅78
147名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 11:15:47 ID:VXKAp5U+0
>>131
>顧雍、朱桓、張温と言ったこれら四姓を代表する人物はいずれも孫策死後、
>孫権の時代になってようやく仕えるような状況です。

これに関してどこらへんの伝に書いてあるか詳しく頼む。
とりあえず、本人達の伝を読んでも顧雍は孫策の代から居るみたいだし
張温は父が孫権の時に死んだだけ、朱桓はその前の頭首の動向が分からん。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 14:34:17 ID:VW564CC+0
曹操の武力ってどんなだろう?
魏書だと猛獣を捕らえたり一人で何十人も斬るような大暴れだし
正史じゃないが異同雑語には有名な大立ち回りがあるが
149名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 15:05:31 ID:ebuQSiC30
曹操
統率98
武力92
知力92
政治93
魅力99
150名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 18:54:02 ID:Gx/4FvB+O
>>148
猛獣捕らえた例ってあったっけ?
151名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 19:02:42 ID:glDimyHvO
虎痴の心を擒にしたじゃない
152名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 19:05:10 ID:+YlKYDzP0
世語の引用文にあるよ
153名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 19:19:03 ID:r9Yt6FD10
キングゴンタがいるな。
154544:2009/01/06(火) 21:17:40 ID:KqEs1ME00
>>147
少なくともどこかに仕えてたって記述があるならともかく、無いのに
どこにとか言わんでくれ。そういうのはいろんな文脈から読み取って
行くしかなかろう。

顧雍に関しても孫策に仕えたって記述は正史上では見えてきませんよ。
顧雍の県長経歴の合肥・婁・曲阿・上虞はいずれも孫策の勢力範囲外、
もしくは攻略目標であり、そんなとこにわざわざ有能な人材を推挙して
送り込むとも思えません。

張温にしても父親の名前が分かっているにも関わらず孫策の代に仕えて、
と言う記述は見られませんし(凌統のように父がって言う記述は他にも
あるのに張温に関してそういうのが無いってのもヘンです)少々無理が
あるんじゃないでしょうか。

一説には陸一族は孫策侵攻の際、数十人単位で一族を殺害された、とも
聞きますし、同郷の名族仲間として考えると心中穏やかに仕える、とは
いかないんじゃないでしょうか?
155名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 23:28:52 ID:Gx/4FvB+O
>>152
すまない。
何に対する引用か教えていただけるだろうか。
何度か読み返したけど見落としているみたいだ。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 02:31:13 ID:LBjqKczT0
>>154
上虞は会稽郡に属しているから孫策の勢力圏内で県長を務め、その後引き立てたのが孫権だね。
> 数十人単位で一族を殺害された
出典は陸康伝で簡単に書くと
孫策により落城→陸康病死→一族百余人が離散→飢えや災いで半数が死亡という流れ。
呉の四姓については孫ぽこ氏のサイトが勉強になる。
名族仲間と一纏めにするのは無理があると思うけど
四姓を引き立てたのは孫権といって間違いないだろうね。

>>155
武帝紀の一番後、葬高陵のとこ。引用は魏書だね。
才力絶人,手射飛鳥,躬禽猛獸,嘗于南皮一日射雉獲六十三頭.
157名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 08:47:53 ID:6joU1Dy10
あ、魏書だったね
世語はその前の引用だわ

失敬失敬
158董卓:2009/01/07(水) 08:59:31 ID:Xiq57Fvq0
曹操
統率 100
武力 80
知力 93
政治 96
魅力 96
159董卓:2009/01/07(水) 09:09:18 ID:Xiq57Fvq0
じゅんいく
統率 16
武力 14
知力 96
政治 95
魅力 93
160名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 09:33:14 ID:GkR9T+y8O
数値にするから紛糾するんだよ

できる
できない
バカ

ぐらいにしとけ
161董卓:2009/01/07(水) 09:55:49 ID:Xiq57Fvq0
じゃあ、曹操
統率 できる
武力 できる
知力 できる
政治 できる
魅力 できる
みたいな?
162名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 12:12:10 ID:8D5soPAl0
>>148
魏書は魏帝国健在時に魏の役人が書いたものだから
曹操の武勇伝はあまり信用できないな
163董卓:2009/01/07(水) 12:35:13 ID:Xiq57Fvq0
当時の人が書いたものだから信憑性が高いってもんじゃないの?
164名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 12:42:35 ID:6joU1Dy10
>>162
ま、そうなんだけど曹操がその手の武勇に優れてなければ元ネタにもならんでしょ
165名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 12:46:50 ID:7JRJ2WTAO
>>156
ありがとう。
見つけられたよ。
若い頃だろうと思って最初の方ばかり読んでたw
166名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/09(金) 18:57:30 ID:ePF+SKwS0
周瑜 統95 武60 知90 政70 魅85
陸遜 統90 武50 知95 政80 魅70
167名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 02:12:10 ID:iYWNb86+0
ここまで読んで思ったんだが途中議論になってた政治力って
善政しないとマイナスってのに凄く違和感があるんだが。

悪い意味での政治力ってのもあるじゃないかと。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 13:38:14 ID:N063ytZh0
>>167
品性と能力を一緒にしてる儒者たちなんだろ
169名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 15:48:33 ID:2azLwLO70
>>167
ゲーム上のシステムにおける政治力は国を発展させる能力で、
権力を握るための権謀術数は範囲外。
悪い意味での政治力はどっちかというと謀略に関係する知力の範疇だと思う。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 19:51:39 ID:N063ytZh0
>>169
悪い意味での政治力って例えば民衆を絞れるだけ絞って税金を奪い私服を肥やす、なんてのだろ
董卓は実際その悪い意味での政治力で民衆を絞り上げて金二、三万斤、銀八、九万斤他多数を蓄えていた
171名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 20:00:53 ID:2azLwLO70
>>170
強権に物を言わせて民衆から絞り取るだけなら、誰だって出来ますがな。
そういう統治者は古今東西いくらでもいる。
絞りあげた金で何か大事業でも成し遂げたなら評価の対象になるだろうが、
私腹肥やしただけならただの無能・暴君扱いでおしまい。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 21:29:11 ID:N063ytZh0
>>171
彼らの目標地点は「蓄財」にあるのであって、君の言う大事業ではないわけだ
実際に財宝の搾取を目標にして達成したならそれは政治的な実力
私腹を肥やして何もせず恨みを買うのは目標の設置を失敗した知力の範囲の事
つまり実際に財宝を貯め込んだ董卓は政治力がある
173名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 00:44:51 ID:Fb/Cv8vzO
>>172
部下として使ったときに、その財力が勢力発展に意味をなさなければそれは政治力があるとはいえないだろう。
その志向を矯正し様々なことに適応させることが出来た実績がないのであれば
どれだけ財力をため込む力があろうとプレイヤーに意味をなさないし
ゲーム能力値としての政治力の意味にはならない。

公益をもたらさないことが問題視されるのは、
倫理なんちゅうしちめんどくさい代物の話ではなく公益→プレイヤー益だから。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 00:48:11 ID:Fb/Cv8vzO
というか今回の話題はむしろ武力基準の「徴発」で表現できる話では。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 00:57:32 ID:98GxPFhp0
>>173
>部下として使ったときに、その財力が勢力発展に意味をなさなければそれは政治力があるとはいえないだろう。
いや、その人物が「何を目標にして」「その目標が達成されたか」で政治力は評価すべきだろ
意欲無くサボタージュする奴や自分勝手に行動する奴でも、
自己が掲げた目標を実現する政治能力があるならそれは高い政治力があるってことだ
命令を聞く、聞かないってのは忠誠とかの領分

>>174
董卓の場合、ただ強奪して資金を作ったのではなく相場を狂わせる事によって資金作ってる
176名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 01:17:32 ID:NhbykC4M0
でもそれだと誰にでもできる権力に任せた強制徴発を行った董卓が政治力高くて、
魏を滅ぼし漢を復興するっていう難題のために小国を目一杯回転させたが成功出来なかった諸葛亮は政治低いことになっちゃうぜ
177名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 01:25:46 ID:Altu8ZEn0
>>175
貨幣鋳造が相場を狂わせ蓄財する為だったとする根拠は何?
178名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 02:31:52 ID:98GxPFhp0
>>176
権力に任せた徴発は誰にでもできるわけじゃない
しかも董卓の場合、念入りに
それと諸葛亮の目標達成失敗は政治じゃなくて別のものだろ

>>177
偶然か意図的かはともかく董卓は大量の金銀財宝を手に入れてる
強奪もしたし、それ以外の方法も使って資金を作ってる上に、相場が狂った事でその財宝の価値も上がってる
179名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 02:33:26 ID:98GxPFhp0
二行目が尻きれトンボだな
董卓の場合、念入りに徴発する相手に止めを刺して後顧の憂いも断っている優れた徴発だよ
180名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 12:27:28 ID:XffV+LnSO
「政治力」という言葉の話とゲームの能力値「政治」を分けて話さないと仕方がないと思う。
言葉の面なら、人心掌握や派閥形成、権力奪取も「政治力」と呼べるが、
ゲーム内では知力/魅力の方に還元されるだろう。
で、ゲーム内の「政治」はインフラ整備(や外交)の能力なんだから、董卓は低くなっておかしくない。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 12:46:42 ID:sUO92m3G0
>>180
違うぞ?
ゲーム内の政治は「如何に税金を巻き上げるか」
「民衆とかに如何に言う事聞かせるか」「外交」という能力
インフラ整備は民衆に言う事聞かせた結果整備されるもんだ
182名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 13:19:43 ID:XffV+LnSO
>>181
ゲーム内の政治は、単年度のみの税収を決定するものではないだろう。
「恒常的に多額の税を取れる」インフラの整備(=農地拡大や治水対策、商業振興)だ。
そしてゲーム内では税は決まった季節にしか取れないし税率も変えられない。
董卓のやったこととは違う。
そして、民衆が従えばインフラが整備されるというのも違うと思う。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 13:29:08 ID:sUO92m3G0
>>181
ゲーム内の政治は税率を決めるものでもなけりゃ治水や灌漑を配備するものでもない
「とにかく取れるようにする」だから間違ってるのはお前
184名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 14:08:19 ID:XffV+LnSO
ゲーム内の政治は治水や灌漑やらだよ。
んで、それらの内政値があがって初めて税収が増大する。
そしてそれは短期的なものではない。
今年一年だけ税収増えた代わりに来年はスッカラカンじゃゲームの能力値とは違ってくる。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 14:11:41 ID:BrmF6CnU0
董卓がやった一族を高官に付けて名士を遠ざけるって言うのも成り上がり者の自分が権力を確立するための中央集権政策だしな
ただの暴君ではなかったって言うのは賛成
でも失敗してるからそんなに点数高く上げるのはどうかな?
曹操は同じようなやり方で成功させたし
186名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 14:21:05 ID:7yjD7jAxO
>>184
董卓の場合自分の権力基盤からは収奪してないがな
あいつが奪ってるのは放棄する地域の連中から
洛陽の掠奪は焦土戦術だし政治を下げる理由にはならないだろ

187名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 14:35:20 ID:7yjD7jAxO
>>186
その前に名士採用試みてるんだよ
失敗してるんだが、これは袁紹と奔走の友を褒めるべきでしょ
董卓は見事に謀略に引っ掛かりまんまと袁紹に反乱の機会を与えてしまったわけだしな
あとは呂布の制御を王允にされてしまうし謀略に弱いな
政治でなく知力が低くで謀略に引っ掛かりまくりというところか
だから親族に頼ったんだろう
その体制から暗殺までほとんど間がないから曹操と比較は無理では?
188名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 14:39:06 ID:7yjD7jAxO
>>187>>186でなく>>185でよろしく
189名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 15:46:53 ID:CXkMgJePO
>>186
放棄する前提の所からしか収奪できないなら尚更上げる理由にはならなくないか?
恒常化しないわけだし。
190名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 16:05:22 ID:7yjD7jAxO
掠奪で下がらないことに同意いただけたようで満足だ

董卓は騎馬民族と話し付けて自分だけ無事帰るような奴だし外交面から見ても政治力あるよ
191董卓:2009/01/14(水) 16:33:18 ID:5nDGTjXI0
外交面は確かに優れているな。でも内政面は余り・・・。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 17:02:25 ID:a2Dh7aOZ0
諸侯に一斉蜂起されてるんだから外交面だって褒められたもんじゃない
193名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 17:30:38 ID:7yjD7jAxO
諸侯つったって蜂起したのは袁氏の若手とそのグループ程度だろ
ゲーム的には部下の裏切りや独立は政治じゃなくって知力だよ
194名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 17:35:08 ID:XffV+LnSO
袁氏の若手とそのグループ、と呼べるような規模じゃないだろ
195名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 17:39:57 ID:a2Dh7aOZ0
>>193は董卓の知力・政治力をどの程度と考えてるの?
196名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 17:52:33 ID:7yjD7jAxO
統率 85
武力 85
知力 70
政治 75
魅力 85

くらいのを今のところ想定してる
ただ董卓を評価するためには周囲の人と評価と合わせて相対的にある程度調整する必要がある
董卓は彼を出し抜いた諸氏よりは知力低い方が望ましいとかね
197名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 18:51:10 ID:6Bz2V6830
絶対値で話してるのか相対値(偏差値)で話してるのか、どっちなんだ
198名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 20:11:13 ID:7yjD7jAxO
相対だから周り云々言ってるんだけどな
ただ数値化の目星はある程度付けていると言うだけで
199名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 20:24:24 ID:CXkMgJePO
>>193
知力ではなく、魅力だろ。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 21:01:26 ID:sUO92m3G0
>>199
ゲーム内だと裏切られる理由は魅力ではなく相性と謀略による忠誠低下だろ
201名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 11:39:54 ID:mGmOq/rr0
>>198
劉囂にやらせた掠奪は政治を下げるべきじゃないか?

税収については全国から国庫に納める分があるはずだよね。
董卓への叛乱でそれらの税収が消えたと考えると大きなマイナスじゃないかな。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 13:23:15 ID:2F5h+5OD0
>>196
知力70は多いよ
あれだけ裏切りを繰り返しながらしぶとく生き残った劉備が70台だもの
203名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 15:41:15 ID:kHKheaNU0
>>202
あれは演義劉備の採点だからでしょ
正史基準で劉備の知力評価したら曹操にやや劣るけどそう変わらないレベルだよ
204董卓:2009/01/15(木) 18:49:33 ID:byq6GuPs0
董卓が高いのは、統率・武力で、知力は少し高い、政治・魅力は並。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 19:40:09 ID:wkiw6GO3O
>>196
名士らと付き合えなかったこと、民衆の人気を得られなかったこと、
その他を考えても魅力80はないわ。
あれ半分以上が名士登用とあと民衆評価なんだから。
武官評価と折半して色々大目にみても50後半くらいだろ。

政治を上げる理由もない。
今までの意見を総合しても最大限好意的に見て政治も50後半あたりならなんとか。
206董卓:2009/01/15(木) 19:48:53 ID:byq6GuPs0
だからこれやって。
董卓
統率 76
武力 91
知力 73
政治 33
魅力 50
207名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 20:23:53 ID:kHKheaNU0
>>205
名士らとは付き合えてるぞ?
そもそも董卓が台頭したのは袁隗という大物が董卓を中央に一本釣りしたから
ただ袁紹達若手清流派が董卓を徹底的に憎んで色々画策しただけで
名士の代表と言ってもいい劉表とかは董卓と付き合ってる
また董卓は羌の頭領とかと若い頃仲良くしてた
男気があって魅力的だったと正史にある
208名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 21:20:43 ID:wkiw6GO3O
>>207
後漢書見る限り、呼び出したのは何進に思えるのだが。
劉表は何の記述にあるの?
209544:2009/01/15(木) 21:28:16 ID:+J0Lx6MR0
董卓
統率 51
武力 89
知力 70
政治 47
魅力 75

ちなみに参考
曹操
統率 73
武力 84
知力 89
政治 78
魅力 94

これでも総合能力は曹操が一番になる、からウチの評価はシビアかなぁ。 
210名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 21:50:54 ID:kHKheaNU0
>>207
袁隗によって司空掾として招かれてから一気に出世したって話なんだけど…
211名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 22:02:39 ID:+SsGsJMhO
董卓が中央に呼ばれたのは軍事力を買われたからで、それは魅力に還元していいのか?
212名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 22:20:09 ID:kHKheaNU0
>>211
いやそこからただの軍人ではなく清流派みたいな活動開始してるよ

>>208
劉表は孫堅によって殺された王叡の後釜
孫堅が長沙から北上したのは董卓による専横開始後
つまり劉表は董卓によって派遣された州刺使ということになる
袁紹の如くボイコットされたわけでなく劉表はちゃんと董卓に付き合って帝国の統治に協力してるわけだ
董卓が横死するまで劉表はかなり親董卓の動きを見せているしな
213名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 22:31:18 ID:wkiw6GO3O
>>210
三国志の注の記述か。
三国志は見落としていたわ。
司徒袁隗辟為掾ね。

けれど尚更辟召受けた相手をみだりに殺している点は、
後の蜂起や内部の非協力の淵源となってないか?
政治力的には大きくマイナスだし、それを認識できていないなら政治も魅力も下げざる得ないだろう。
そもそもなんでその当の袁隗に嫌われてるのよって話。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 23:17:25 ID:kHKheaNU0
>>213
あ、司空じゃなくて司徒だったか
ちょっと思い違いしてた、申し訳ない

董卓は当初かなり袁紹を多目に見てて、脱走を許して事後承諾的に渤海郡太守にまで任命してる
にも関わらず反乱起こして、そこで董卓はまず何やったかっていうと実力行使ではなく解散の勧告
そこまでやっても袁紹達は突っ撥ねて、董卓と完全に決裂して、ここから董卓との戦争になっていく
(といっても董卓軍と戦ったのは曹操と孫堅だけだけど)

後漢書の袁紹伝読むと袁隗ら袁氏を皆殺しにしてから董卓が袁紹達に解散の話し合いをしたと言う事になってるが
話し合いをする前に人質を皆殺しにするバカはいないわけで、俺はこの話し合いが決裂したから董卓が皆殺しにしたと考えてるが
強ち間違いでもないと思うんだ
215名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 23:19:49 ID:mGmOq/rr0
>>212
叛乱の最中に外に出したんだから信頼あったんだろうけど
結果的に董卓の助けになることはあるけど支援しようという動きは皆無じゃないか?
しかも山陽公載記を見ると明らかに敵に回ってるよ。
出奔した袁術を南陽太守にしたのも劉表だし
孫堅の死期によっては董卓存命中に袁紹と組んだ可能性も残る。

朱雋も信用して洛陽を任せた筈なのに出奔されてるし
恐怖政治に仕方なく従ってる者が大勢では?
216名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 23:59:34 ID:kHKheaNU0
>>215
董卓を支援する動きはあるよ

孫堅、袁術と抗争を繰り広げてたのは紛れも無く劉表
董卓と最も激しい闘争をしてたのは孫堅とその補給をする袁術

っていうか南陽太守に袁術を上奏したのは劉表って誰の伝のどの辺の注釈?
よくわからん
217名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 00:23:20 ID:r4MHyXrD0
>>216
後漢書袁術伝
劉表から仕掛けたわけじゃないでしょ。
だから2行目の表現をしたんだけど…
218名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 01:01:27 ID:S6g7rwex0
>>217
おお、確かにそう書いてあるな、サンクス

ただ、三国志劉表伝の注釈戦略だと、劉表達は袁術に対して敵意を剥き出しにしてるんだよね
後漢書劉表伝でも今確認してたら同様の記述があった
何故劉表は上奏したんだろう、敵意剥き出しなのにな
219名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 13:01:15 ID:r4MHyXrD0
>>218
某ブログでは劉表が荊州刺史になって宜城に入った頃は
袁術、劉表、朱雋、陶謙、孫堅が連動していたと仮説を立てているけど
単純に袁術に足止めされて襄陽に入れないから懐柔策を取ったのかも?

劉表って荊州を保持することを目標にしてるから
董卓の為に孫堅、袁術と争ったというのは無理があると思うよ。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 14:05:18 ID:S6g7rwex0
>>219
目標にしてるから、ってどうしてそうなるかね?

確かに劉表着任から1年で董卓が横死してるから以降の劉表の独立した行動が目立つのは確かだ
董卓没後は李カクとは距離とって袁紹たちと付かず離れずでやってる

ただ、董卓生存中は董卓のために動いてる
袁術は孫堅を疑って兵糧を止めた、と孫堅伝には書かれているが
孫堅の兵糧の催促を受けて袁術は即座に兵糧を徴発したとあり、これは民間人から巻き上げてるという事になる
疑って兵糧を止めたならば、民間から巻き上げる事もなく、そのまま送ればいいのに袁術は徴発して送った
ここから、袁術は疑って兵糧を止めたんではなく単純に物資が足りなくなって孫堅の説得か激励か何かによって慌てて集めたと言う事が判る
南陽は漢水から洛陽への物流が集中する事によって栄えた場所で南側からの物流を止められると自前で穀物等を生産する力は無い
袁術による強引な徴発によって豊かな南陽は一、二年で飢えた南陽に早代わり
元々自前で食料をそれ程作れない商業都市が飢える理由は、物流の停止に他ならない

董卓を一番追い詰めている孫堅、袁術はの商業の中心地で「調發」してまで集める理由は
俺はここで劉表が南陽への物流を締め上げていたという事があったからではないかと思うよ
221名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 16:26:25 ID:oJ+rPhprO
>>220
南陽が商業都市とは知らなんだが、本当にそうなん?
牛耕の発祥地で、劉秀が豪族時代農業を好んだことや、耕作面積を誇る豪農の多いことが南陽のイメージだったが。
地図をみても凄い綺麗な平野の中心に漢水が走っていて、灌漑の難しい地域には見えないし。
東漢代は江南地域や巴蜀の開発が進んだ時代ではあるけど。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 20:20:22 ID:r4MHyXrD0
>>220
南陽が自前で穀物等を生産する力は無いってことはないでしょ。
荘園の囲い込み、黄巾の乱、孫堅の兵糧奪取、袁術の贅沢三昧。
正史に書かれてないことを想像しなくても物資が足りなくなって普通。

袁隗の事もそうだけど仮説を積み重ねて数値化しても収拾がつかなくなるよ。
223名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 20:55:32 ID:S6g7rwex0
>>222
ただ後漢書では人口243万人余りとされる南陽が、たった数万の兵士のための兵糧を徴収するだけで飢え始めるってのはどう思う?
もし南陽に独立して自給できる生産力があるなら、243万が245万になったところでそれ程深刻な事態は招かないよ
三国志の方を見れば後漢書においては五十万戸余りに過ぎなかったこの頃には南陽が数百万戸に到達してたと言う事らしい
いかに袁術が贅沢したってこれを極短期で食い潰せるものではない

そもそも袁術が強欲だったから南陽が荒廃したってのにはかなり疑問がある
224名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 21:12:40 ID:r4MHyXrD0
>>223
一番大きいのは黄巾の乱でしょ。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 21:27:59 ID:S6g7rwex0
>>224
黄巾で田畑が荒廃しているならそもそも数百万戸と言われる戸数は養えないと思うんだが
別に三国志や後漢書では袁術が南陽に入る前に飢饉があったって話も見た覚えはないし
何故か袁術によって荒廃した筈の南陽が張繍、劉備と親劉表勢力が入った時に民衆が飢えただの何だの等という話も出てこない
劉表と対立する勢力が南陽にいた時だけ南陽は飢えるってのは不思議ではないかね?
226名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 21:38:16 ID:r4MHyXrD0
>>225
飢饉や災厄があれば民は避難するし黄巾後も同じ数がいたと考えるほうが変だよ。
袁術が去った後、張繍が下った後しばらくは放置されてるから荒廃してるでしょ。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 22:00:32 ID:S6g7rwex0
>>226
俺は一つ重大な間違いをしていたので訂正
>>223で数百万戸と言ってしまったが三国志の記述は「口数百万」だった
後漢書においては口二百四十三万なので三国志の時代には維持ないし微増というところだろう

まあ本題がブレるわけではないが、三国志において南陽が口数百万だったのは黄巾の乱の後の事らしい
と言うのも三国志袁術伝において、口数百万人だったので袁術はそこから搾取しようと考えた、とある
賊乱で人数が減ってその数なんだろ
228名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 22:16:29 ID:r4MHyXrD0
>>227
確かに書いてあるね。
宛城落とされるほどの被害を受けても数百万残ってたとしたら
どのみち維持できなかっただろうね。止めをさしたのが袁術かな。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 22:39:38 ID:S6g7rwex0
>>228
黄巾賊乱から関東諸侯蜂起までが約6年だから
もし人口流出が始まってるとしてもある程度落ち着いてる時期かと
また南陽は宛も発展しているけれど、周辺都市も発展してたようだがね
特に新野は新の王莽が一度封じられたり、後に劉備が根城に選んだり宛一極集中ではない事をうかがわせるよ
230名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 23:00:41 ID:r4MHyXrD0
>>229
とはいえ袁術が去った後も数百万残ってれば曹操や劉表が真先に手をつけそうだが・・・
231名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 01:19:38 ID:9QdZyQP+0
>>230
袁術が去った後即座に人口の多い南陽を統治するだけの体力のある勢力が周囲にはなかった
曹操は余裕が出始めてからちょくちょく南陽にちょっかいかけ始めるし
劉表は南陽に親劉表勢力を入れて曹操への防壁にしつつ、自分は南部を固めてる
その間にも戦乱を避けて流民は南陽に集まってるようだ
戸籍外の人が増えてるという話がある
232名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 08:43:11 ID:V1u9gYs0O
チラ裏でやれ
鬱陶しい
233名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/18(日) 17:11:16 ID:0o0gPJzVO
ここ数日のこの板、レスを凍結したかと思うくらいレスないな
234209:2009/01/30(金) 07:04:45 ID:pOxhafhN0
最近カキコがないので何か入れておこう。

孫堅
統率89 武力86 知力58 政治40 魅力91 

孫策
統率99 武力91 知力47 政治45 魅力89

周瑜
統率86 武力67 知力83 政治51 魅力88

周瑜は政治能力を除けば曹操とタメはれるぐらいの能力かと思ってます。
孫一族は武勇と統率に優れてる、と言う感じにしてます。一本気な部分が
あるので知力政治は並程度。
235とうたく:2009/01/31(土) 10:37:05 ID:uo+GFl7pO
平清盛
統率 84
武力 68
知力 90
政治 99
魅力 88
236名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 11:09:24 ID:B4SuT+nA0
王平
83 68 60 20 45
237名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 09:27:24 ID:HHPuunRcO
>>230
>袁術が去ったあと…

っ張繍
238名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 13:05:38 ID:iuOg+0P50
曹操
統率89 武力89 知力89 政治89 魅力89

劉備 
統率80 武力70 知力79 政治79 魅力90
239名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 14:54:06 ID:P+hzCjVD0
>>237
数年ブランクあるんだけどね
一応劉表の支配地域ではあったけどあまりの人口にまともに統治できなかったってのが実情っぽい
240名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 21:48:50 ID:Mf71lK39O
>>234
周喩の知力83は、幾らなんでも低くない?
241名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 23:21:44 ID:YvPSxuC60
王平は知力80あっても良くないか?
街亭の戦い、漢中防衛戦における状況判断は見事だし、
魏延の反乱を一喝しただけで失敗に追い込んだのもポイント高い。
242209:2009/02/02(月) 21:17:57 ID:CBuMuOLc0
>>240
一応知力は戦術レベルにおいて優秀な策を示した人物等を中心に数値を
つけていっているのですが、史実の周瑜は意外とその辺りの記述と言う
のが無いんですよね。

ただし曹操軍の状況をきちんと把握していたりするなどの話から、当然
ただの猪武者でもない。と言うことで優秀な軍指揮官と言う感じで数値
設定を行なってます。

私が個人的に作ったデータで恐縮ですが、それでも軍指揮官に関係する
数値(武力、統率、知力の値を合計した値)で周瑜はTOP3の一角に
食い込む能力値(3000人ほどいる中での、です)になっています。

ウチのデータは平均値がかなり低くて、だいたい上記数値の平均が70
あれば名将クラスとして評価しています(満寵や羊祜、陳泰クラス)。
そういう意味で周瑜の数字はかなり高いとご理解頂けるでしょうか。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 21:43:40 ID:+O3L3ml40
>>242
>ウチのデータは平均値がかなり低くて、
>だいたい上記数値の平均が70あれば名将クラスとして評価しています

すばらしい心がけだと俺は思う
244名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 23:14:16 ID:EBn6XY9hO
>>242
そのデータを見せて頂くわけにはまいりませぬか
245209:2009/02/03(火) 00:39:13 ID:1eFPBOLS0
>>243
ありがとうございます。

>>244
あくまでも個人的にまとめたものなので簡単に見せられるようなモンでも
ないのです、申し訳ない。しかもこう言った場での話などから今でもボツ
ボツと能力値が変わっていくようなモノなので・・・。

ただ、議論のネタとして数人の能力を載せるぐらいはできますので、もし
希望する人とかいたら言っていただけたら載せるようにはします。

議論からまた能力値の変更が成ったりするかもしれませんしね。
246名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/03(火) 09:28:28 ID:Ifg7F2zcO
それ偏差値じゃん
247名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/03(火) 16:11:39 ID:jteuyGMQ0
もっとも版図を拡大した曹操の武力は100
ケ艾が99
孫策が98
248名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/03(火) 17:55:52 ID:8xMAV9KzO
その基準だと袁紹99 劉備98 公孫王賛98だな
249名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/03(火) 22:02:11 ID:1FxmSvFL0
袁術の武力もめでたく95に復活だな
250209:2009/02/04(水) 19:53:39 ID:A9WUttTh0
>>246
偏差値・・・ですか、まあ分布が山型になっていることは認めますが、
ちゃんと90台の人もいます。

なるべく万能タイプより特化タイプの人が専門分野においてはより高い
数字になるように評価しているだけですよ。
251名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/05(木) 16:26:00 ID:qNWg504t0
夏侯惇とか、正史だけならどういう評価になるんだろう
252209:2009/02/05(木) 20:59:11 ID:nKJu8eJ50
自分のデータだとこんな感じになってますね。
夏侯惇
統率75 武力67 知力47 政治70 魅力85

統率は曹操が出兵している時、良く本拠地を抑えている点を考慮して少し
プラス目にしています。武力はまぁ適当ですが部隊攻撃力として考えたら
もう少し低めになるのかもしれません。

知力は劉備と戦った時の話とかを聞いてもコレぐらいが適当かと。

政治は治水等を自ら率先して行なったりした、と言う記述からやや高め
に設定してます。魅力は曹軍筆頭の将軍として誰からも信頼されていた
点を考慮すればこれぐらいはあっていいかと思います。
253名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/05(木) 21:46:52 ID:qNWg504t0
曹操より統率が高いってことはないと思う
254名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/05(木) 22:30:11 ID:8RyPsy5J0
そんな低くもないけどな
二十六軍の統帥は至難の業だけどそこでミスったってわけではないからね
二十六軍を率いて成功したってわけでもないから高得点の理由にはならんけど
255名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 03:38:22 ID:51ZUDE4T0
>>252
知力が低すぎるのでは。

惇は曹操の後を引き継いで東郡太守となったことや、河南尹として
長年洛陽の復興に努めた政治家としての側面も持っている(というか、
こちらの方が彼の本領だったりする)。

しかも204年という早い時期から、法令に拘束されず自己の判断で
処置することを曹操から許されている。
そのような低い知力の人間に、自己の判断可の許可を曹操が与える
とは思えないし、不臣の礼の曹操とのやり取りも含めて考えたら、
知力がもっと高いのではないだろうか。
256209:2009/02/06(金) 07:54:29 ID:zr+NGenC0
自分の場合は曹操でかろうじて弱点と言えるのは大軍を率いた時は少し
切れが悪いかな、と思ってるのですよ。統率が少し低めなのはそういう
要素を加味しているのです。

いっぽうの夏侯惇は26軍の統率、呂布侵攻時の3郡死守、曹操遠征時
の本拠地防衛などでそれなりの実績を残しています。そういう意味では
守勢において本領を発揮するタイプではないかと。

それと曹操があれだけ重宝すると言うのは、何か曹操に足りない部分を
埋めてくれる要素があるからじゃないかな、と
257名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 11:25:45 ID:OuyqlJPE0
>>256>>253-254への答えにはなっているけど、>>255への答えにはなっていないような・・
258名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 16:19:11 ID:s94fNaeg0
>>255のは政治評価でいいのでは?
ゲーム的な知力というとどうしても戦場での知力を重要視してしまう
戦場での惇の立ち回りはどうも頭良さそうには見えない
俺は>>209では無いけれども
同じく教養の高さも政治か魅力でいいと思ってる
259名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 20:06:39 ID:ItttESie0
>呂布侵攻時の3郡死守
戦闘あったっけ
260名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 20:43:55 ID:1Y/LStVy0
>>259
濮陽で呂布軍と戦ってる。勝負は付かなかったが。
261209:2009/02/06(金) 20:50:02 ID:zOJ18Fdx0
>>257
実は256を書いている最中に寝てしまってて、しかも朝寝坊してアワ食って
とりあえず投稿だけしてたので、実は255の文章が書き込まれていたことを
知らなかったのですよ。で、258さんが書いているように、それらの実績は
政治能力として評価している次第です。

それと知力の47と言うのは決して低い訳ではなく平均的な数値と言ったら
良いでしょうか。某KOEIのゲームの60ぐらいで考えて頂いたらよろしい
でしょうか。

まぁ、正直言いますともう少し、知力と政治を上げて政治家向きのパラに
してももいいかな、とかも思ったりはするのですが、武官と言うイメージ
が微妙に演義によって刷り込まれちゃってるので・・・なかなか難しいモン
です。

>>259
三郡死守、と言うか三城死守ですね。当然陳宮達の反乱が発覚してきてから
一日二日で曹操が戻ってこれるって言うものでもありませんから、その間は
荀ケ、夏侯惇、程cと言った面々で呂布の侵攻を防いでいる訳です。そこは
荀ケ伝にも曹操帰還まで三城を死守した、とあるので戦闘も普通にあったと
見てよろしいかと思います。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 21:45:08 ID:ItttESie0
荀ケ伝の原文だと「卒全三城」
263名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 02:02:12 ID:ECtWsCfn0
>>258 >>261
捉え方が違ったみたいだな。
自分の場合、知力には政治面と軍事面の両方が含まれると
捉えているので、政治が70なのに知力が47なのは変だと
思って255を書いた。

あと演義の刷り込みに影響を受けているということは、209が
やっているのは、スレタイにあるような正史基準での能力値では
無かったのかな?
264名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 03:42:54 ID:K8O1Xz5RO
張飛

統率89
武力98
知力50
政治50
魅力60
265名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 05:09:07 ID:yWCWkU26O
>>264
そりゃない
266209:2009/02/07(土) 09:10:40 ID:oQboY3vy0
>>263
いえ、あくまでも正史準拠は正史準拠なのです。なのですがたまに
そう思っていながら、実はどこかで演義に引きずられている部分が
あるんではないか、と思ってしまうのです。特に有名どころはそう
言う影響を全く受けない、とは言いづらいですね。なので能力値の
見直しはしょっちゅう行なっています。

そういう意味で、逆に有名どころはそういう幻影を振り切るために
少し極端な数値設定を行なっているかもしれません。

ちなみに張飛は
統率58 武力95 知力55 政治20 魅力40

統率は防衛戦での実績はそれほど無いので中の上。ただし武力が90
超える武将で統率が50以上の武将はあまりいないので実は優秀。

武力は魏の五将の1人である張コウを破ったり、少数兵で魏軍と対峙
したりする等の点を考慮して蜀随一の猛将、と言う感じで数値設定を
行なっています。

知力は意外と戦場で知略を駆使しているシーンが多いので少し高めに
設定しています。もう少し高くてもいいんじゃないかな、とも思って
いますが、そこは他の武将とのバランスを見ながら調整ですね。

政治と魅力は、まぁ漢中を任されなかった点や部下に裏切られている
点などを考慮して、あまり高い数値はつけられないですね。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 09:46:35 ID:w8RY2MsZ0
中国通史でも世界史上のでもなく、時代区分を明確に三国志とスレタイで
銘打っててこういう評価の数々って、いくらなんでも辛さを通り越して
変な色眼鏡でもあるのかと思えるな

世界史系のスレで涌いて出る、三国志を辛口に評価した通気取り、と同じ
手合いとは思いたくはないけどさ
268名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 11:27:56 ID:AI5cf1WC0
正史準拠で夏侯惇 統率75 張飛 統率58

これは失礼ですが贔屓の引き倒しにしか・・・
269名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 13:20:02 ID:eI4FYZlw0
統率・武力の捉え方の違いじゃね?
今までのレス見てると統率は大軍と防御、武力を寡兵と攻撃で分けてる気がする
それでも夏侯惇の統率、張飛の武力は高いし孫堅・策は武>統だと思うけど…

知力・政治でも食い違いがあったから、簡単でいいので能力値の定義を教えてほしいな
270名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 14:32:52 ID:EQT+T5Ky0
>>266
なるほど。<演義の影響
下手に演義を知ってしまうと、そういうこともあるかもなぁ。
271名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 14:47:02 ID:Ym0O+g9d0
>>269
その基準で行くと武力も統率と同じくらい重要だね
272名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 19:04:28 ID:t6PjlnZM0
「曹操が初めて挙兵したとき、夏侯惇は裨将として常に征伐に従った。」
征伐とは具体的に何を指しているのだろう。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 23:00:17 ID:5IUw6edm0
敵との戦いだろう。時間経過とともにだんだん留守番の方が増えてくるよね…
274名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 00:02:08 ID:rQMHkAnA0
敵とは黄巾賊だろうか
275209:2009/02/08(日) 10:24:02 ID:2W2nE1O80
>>268
269さんのおっしゃるように統率は部隊の防衛能力とでも言いましょうか、正面から
敵の軍勢を受け止め、耐え凌いだ、と言うような実績のある人物。それと大軍を統率
した人物が高めになるようにしています。

于禁なんかは防衛戦で実績があるので統率が高めになっています。夏侯惇は二つ目の
条件を元に高めに設定していますね。ただ、どちらかと言えばこの値は後期武将の方
が高い人物が多いような感じになっています。

一方武力は、武勇伝があることや敵軍を打ち破る能力の高い人物を高めの設定にして
います。一般的に将軍としてのイメージが強い人はこちらの値が高くなっています。

曹仁、張遼や甘寧、後もちろん許チョや典イ辺りは統率よりも武力を高めに設定して
います。

感じとして総司令官クラスは統率が高めで、その下の一般的に言う雑号将軍達はどちら
かと言えば武力>統率の傾向があります。もちろんそれなりの名声、実績を残すことは
最低条件になりますけどね。

孫策や孫堅も本来は武力>統率なのですが、後に三国の一角を占める呉軍の統率者、
と言う部分を加味して統率は高めの数値にしました。両者の比較では袁術の一武将で
しかなかった孫堅よりは、独立勢力として江東に勢力の基盤を作り上げた孫策の方を
高くしてます。

この辺りは三国の一角である魏の大将軍となった夏侯惇の統率をやや高めに設定した
のと意味合いは同じですね。
276209:2009/02/08(日) 10:37:54 ID:2W2nE1O80
具体的な数値にしちゃうと、それで高い低いと言う細かい部分の議論になって
しまうので傾向を示すような感じで5段階評価ぐらいで示すと言うのも一つの
手ですね。

100段階での序列で言うとどうしても某KOEIとの数値比較になってしまう
ので、張飛とかが統率70無いのは低すぎとか思ってしまう人は絶対いるでしょう
からね。
277名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 11:34:35 ID:huIXc4nI0
部隊指揮能力が武力で張飛が95だとすると…
武力90代けっこう多くなりそうな希ガス
何人枠とか作った方がいいんじゃない?
278董卓:2009/02/08(日) 13:05:56 ID:mDSAGE950
何進
統率 13
武力 28
知力 5
政治 8
魅力 7
279名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 13:43:59 ID:rQMHkAnA0
張飛や許チョは、個人の武力が90代で、部隊率いた時の強さも90代って感じ。
大軍を率いた時の強さは別だな。
280209:2009/02/08(日) 18:59:27 ID:NLVVMb5A0
>>277
ん〜〜、確かに今数えてみたら20人弱ぐらいが90台になりそう。
多いといえばちょっと多いのかな。でも3000人ぐらいいる中の
20人弱ですから割合的には1%未満ですね。

ちなみに80台は70人強。割合的には2%ちょいってトコですな。

人数で考えると多いかなとも思いますが全体数の中での割合で言うと
少ないようにも思えるからフシギですな。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 19:33:51 ID:huIXc4nI0
魏 曹操 曹仁 夏侯淵 張遼 徐晃 楽進 ケ艾
呉 孫策 甘寧 呂蒙 凌統 朱桓 徐盛
蜀 関羽 張飛 馬超 姜維
他 孫堅 呂布 高順 麹義 公孫サン 郭

武力を部隊指揮として、とりあえず適当に武力90以上になりそうなやつを
20人くらい挙げてみたけどこんな感じ?
282名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 20:00:16 ID:NOEPQ+bIO
周瑜 陸遜 陸抗 劉備 この辺も入るよね
283名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 20:01:01 ID:sS+JO99Z0
この時代の統率1は劉虞が該当するんじゃないか。
あんな不味い指揮は劉禅でもやらない。
284209:2009/02/08(日) 20:36:25 ID:NLVVMb5A0
曹操は209で書いていますが80台ですね。夏侯淵と徐晃はぎりぎり90に
届かない80台後半の値にしています。楽進も同じですね。魏で90台と
しているのは曹彰と李通、文稷、と言った所でしょうか。あ、後はちょっと
ネタ系になるかもしれませんが成済もこっそり90台にしてます。

ケ艾や周瑜、陸遜と言ったバランスタイプは突出した90台と言う数値は
敢えてつけないようにしておきました。彼らはトータルの数値が優れている
と言う形で能力を評価しています。

呉では甘寧、丁奉を90台にしています。他は比較的知力を高めにしてる
ので80台の人物が多いですね。蜀は関羽は知力を、姜維は統率を高めに
設定したので両者とも武力はぎりぎり90台に届かないぐらいにしてます。

麹義も姜維と同様で統率を高めにして武力は80台と言う感じにしてます。

後は個人的武勇に優れた、と言うか正史でそういう記述が載っている人物
と言う事で許猪、典韋、趙雲、周泰、閻行と言った辺りですね、90台は。
成済もこちらに該当しますね。まあ統率とか極端に低いのでそれだけでも
ちょっときついですが。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 21:10:12 ID:YSdRRR0BO
孫堅・曹操がいて、徐栄がいないのってどう?
286名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 21:23:51 ID:huIXc4nI0
>>282
その辺は統率が高いタイプだと思うけど
今挙がってる基準では
287名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 21:42:11 ID:huIXc4nI0
>>284
部将としての能力よりもかなり個人武勇よりに見えますな
武力が部隊の攻撃力なら曹操は余裕で90いくと思うんだけど
288名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 21:55:58 ID:k4vK3pKl0
でも大軍勢を率いた時は不思議と勝ってない様な・・・
289名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 21:58:02 ID:huIXc4nI0
そう、だから統率は80代で
290名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 22:00:32 ID:sS+JO99Z0
加齢で健康も頭脳の働きも落ちただけじゃね。
年寄りと壮年のやつが戦うと
必ず若い方が勝つとかいう話を聞いたことがある。
劉備は曹操より年下だけど陸遜よりは年上だったしな。
291209:2009/02/09(月) 01:07:05 ID:+FpFiFar0
>>287
まあ、個人武勇に優れた人物は特技とかないと武力以外評価のしよう
が無いので、今の私の設定方法では仕方ない面もあるのです。

曹操以外でも、武勇の他に優れた能力を持っている武将はなるべく
突出しすぎないように個々の能力は特化型よりも少し抑え目にして
いるのです。ただ他の優れた能力を加味することで単純な殴り合い
以外でもその才を発揮できるようにと言う感じでしょうか。

曹操の場合は武力の高さは80台と超一流には少し届いてませんが
そこに知力の高さを加えることにより部隊の強さだけでなく、奇襲
の成功率や奇襲時に相手陣営与える被害をより甚大にできる、奇襲
攻撃特化型、と言うような感じでしょうか。

一つだけ能力が優れている人物の場合は配下に優秀な人材を配置
するか、優秀な人材の足りない要素を補うような感じで配置して
やり、主将の能力補正に貢献させる、と言う使い方ができるよう
なイメージでいます。

典韋とかを曹操直属の部隊に配置することで部隊の武力がさらに
アップする、と言うような感じですね。
292名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 19:41:44 ID:tlxpGObP0
袁紹の統率力とか評価分かれそうだな
293名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 19:55:21 ID:4DaP+voi0
>>209
いい機会だから袁紹の能力教えてくれ。
294209:2009/02/11(水) 09:19:57 ID:JvSiBhc70
袁紹のように史書の上で3国の敵役となっている人物の能力を設定するのは
非常に難しいですね。私の場合は以下のような数値にしています。

袁紹
統率53 武力70 知力50 政治91 魅力94

統率は家臣の意見をまとめきれず、沮授の軍権を奪ったり、結局それが元で
曹操軍に敗れるなどした点を考慮してやや低めに設定しました。

武力は公孫サンまでの戦いぶりなどから、それなりの数値にしています。
曹操敗北後も国内の反乱を自ら鎮めたりするなど軍事面の才覚はそれなり
のものではないでしょうか。官渡は相手が悪かった、のだと思います。

知力に関しては策略は思いつくがそれを有効に活用することができない、と
言われてますので・・・。まぁ王道を好む人物ですからあまり余計な策略は
必要ない、と言うことの裏返しですね。一応並ぐらいにはしてます。

政治は後世にあっても袁紹時代の統治を懐かしんだ、とあるのでこの部分は
かなり高く評価してみました。具体的にどういう統治を行なっていたのかが
余り詳細な記述がないのが残念ですね。

ちなみに沮授
統率83 武力53 知力78 政治75 魅力80
おまけで麹義
統率70 武力85 知力62 政治12 魅力35
295名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 12:54:41 ID:PbRnC3VS0
>>294
俺が評価してもそういう感じになるな

にしても無闇やたらと辛く見積もってないか?
三国志って以上は後漢末から晋初までの時代に限ったもんだろ?
その部分だけがどうにも鼻につくとでもいうか
296209:2009/02/11(水) 13:38:50 ID:JvSiBhc70
>>295
カラいですかね。実は私のは上限値200で元々数値設定を行なっている
のです。そうすると上限100の時とは全く数字の見方が変わって、感覚
的には100超える能力値があると結構使える、と言うような数字になる
のです。

丁度KOEIで70以上に該当するのが私の方での100以上、と言う
感じですね。コレがまず一点。

もう一点は、歴史に名を残す人物は多少差はあると言えど、ごく少数の
人間だけがブッチギリで全ての能力トップクラス、と言うことは恐らく
あり得ないだろうということ。

一番良い例を挙げれば、曹操はオールマイティで有名ですが、知謀では
郭嘉や賈詡、武勇で言えば典韋や許猪、詩歌では息子の曹植等と言う様
に曹操ですら万能ではあっても全てにおいて最高ではない、と言うこと
です。

武力で専門の連中が上位に来ているように、各部門の能力トップはその
分野における第一人者が来る様な感じにしているので、オールマイティ
の人は専門職の人に次ぐ様に、ただし総合力では専門職の人を凌駕する
と言うような感じでパラメータ設定を行なった結果としてややカラめの
数値になっているのかと思います。
297名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 20:45:57 ID:oK6i+AG10
>>267>>295
デフレ評価をつけられる俺SUGOI厨とか三国時代はレベルが低い厨は論外としても
相手の人格や基準にそういう容疑を掛けて自分が気に入らない評価を腐すのは陰険なやり口だ。
209氏に失礼ではないか?
298名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 21:09:23 ID:4lP8ncRI0
沮授の魅力80の根拠は?
人望があったとか、名声が高かったとかそういう記述は無いはず。
299209:2009/02/12(木) 01:28:27 ID:QiHQW5gW0
>>298
魅力があったとかの記述は無いのですが、彼は袁紹の元で軍権を握り、
その影響力はかなり大きかったことが史書からは読み取れます。袁紹が
途中で軍権を分割させたのも、下手したら沮授に取って代わられるかも
しれんと言うような恐怖感があったのではないか、と思えるのです。

後に曹操も彼を厚遇しようとしてることとか、彼の死を惜しんだこと等
を考えると魅力も結構あったと思うのですよね。

まぁ、ただ魅力は数値で表しにくいモノですからね。

ちなみに沮授の構想力や軍の統率力諸々を含めると呉の周瑜や魯粛辺り
と遜色ない能力であったのではないかな、と個人的に思ってます。

>>297
何か口添えしていただき、ありがとうございます。ただ私はあまり気に
ならないのですよ。従来の評価基準ってやはり光栄の三国志ぐらいしか
ないですし、それと比較した場合、当然出てくる疑問ではあるかな、と
思います。

ただ実際正史を読むとすごい人たちのオンパレードなのですよね。そこ
で差をつけることは非常に難しい。オールマイティに優れた人物をあまり
高い数値にすると一芸タイプの人物が埋もれてしまうのです。それは防ぎ
たいですからね。
300名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 17:05:48 ID:8DLWTxqT0
審配と郭図はどんな感じかな。
あと君主クラスの能力を一通り知りたい。
301209:2009/02/13(金) 04:08:23 ID:1dXnuSyX0
君主は書き出すと長いので、とりあえずは審配と郭図から

審配
統率74 武力70 知力46 政治64 魅力75
郭図
統率40 武力45 知力54 政治86 魅力66

審配はギョウの攻防戦が見事でしたので統率力をまず高くしました。武力
もそれに伴いある程度評価しておきました。ただ身内から裏切り者を出し
た他にも、許攸裏切りの原因を作り、荀ケからも計略がない、と評されて
いるので知力は少し低めです。政治は袁紹の幕府を総攬した、とあるので
それなりの評価としておきました。

郭図は軍事関係では目立った実績を残せていないので統率、武力共に低め
です。知力は韓馥を説得し冀州を袁紹に譲らせた人物の1人、と言う実績
と、官渡におけるマズイ進言とを考慮して並程度としておきました。

政治能力は献帝を受け入れるように進言した、との説もあることですし、
他に袁譚を推した点も政治的判断としては至極まっとうと思うので高めの
評価としておきました。

郭図の場合、軍事部門は評価が低く、逆に政治部門においては非常に評価
できる人物、と言うことになるでしょうか。知力は軍事と政治のどちらに
ウェイトを置くかで評価が変わると思います。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 10:31:37 ID:Zv7jyXsC0
袁紹陣営の幕僚でも殆ど語られる事のない張導はどんなものだろうか
303名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 11:13:38 ID:5wbv3gfo0
施績ってコーエー三国志に一度も出てこないんだけど
統率いくつくらい付けれる?
304名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 20:19:47 ID:Nl7YMKBV0
>>301
ちょっと郭図の政治高すぎでない?
政治的にまっとうな発言をしただけで政治80もらえるなら、
列伝立てられてるような文官連中は軒並み90超えるんじゃないかと。

あと、審配の政治はもっと高く評価してもいいような気が。
10万の大軍の軍務を統括するのは相当な政治手腕だと思うけど。
305209:2009/02/13(金) 20:38:55 ID:T+JEleIG0
張導と施績(朱績)ってまた渋いトコ指名してきますね。

張導
統率34 武力31 知力50 政治62 魅力45
朱績
統率66 武力63 知力51 政治42 魅力68

張導は身を守れなかった点を考慮して知力政治を少し低く評価しています。
それが無ければ功臣としてもうちょっと高い評価をつけたかもしれません。

朱績は父の後を良く継ぎ、また政争からもうまく離れ、クーデター時には
蜀にサポートを頼むなどなかなかに優秀、ただし伝を立てられなかった点
を考慮して父よりは多少劣る、と言う感じでしょうか。

ちなみに朱然
統率73 武力81 知力53 政治40 魅力72

江陵の攻防戦で見事に城を守りきった点より統率、異民族討伐の功績及び
関羽捕縛などから武力を評価しています。知力政治は特筆した実績がない
ので並ですが、統率武力共に70以上の人物と言うのは結構少ないので、
そういう意味では貴重な人材です。
306209:2009/02/13(金) 21:06:42 ID:T+JEleIG0
>>304
書いている間に書き込みが!そうですねぇ、審配の場合、いたずらに後継
問題をこじらせた点を考慮して少し政治面にマイナス評価を加えているの
です。

それが無ければ政治も70台あってもいいかな、と思うのですが・・・。

郭図に関しては確かにちょっと高いかな、とも思うのですが、献帝を受ける
ように、と言う進言が本当ならば政治的にはかなり慧眼の持ち主、と思い、
期待値もこめて少し高めの評価にしてます。

これは持論なので正当な評価にはならないのですが、敗者側と言うのは全体
敵に辛い評価になりがちです。しかしそこから寝返った人物で高評価となる
人もいますし、バランスを考えると敗者側にももっと評価されるべき人物が
いてもおかしくは無いと思うのです。

なので一つ二つ目立つ実績がある人物の場合はなるべくそちら方面で能力を
評価してやろう、と思うのです。それにしても確かに郭図はちょっと高い、
かなと思うのでもう少し実績を見直してみます。

ついでに君主の能力で公孫サン
公孫サン
統率62 武力94 知力42 政治20 魅力65

政治は既存の人物評価(名士)に捉われない、斬新な人材登用をした、
と考えたらスゴイヤツなのかも、とも思ったのですが実際にはそれで
実績をあげられなかった訳ですからやはり高い評価は出来ないですね。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 14:17:22 ID:fGPdzcit0
知力 戦略と戦術。幕僚としての能力。
武力 個人の武勇。小部隊の指揮力。
統率 軍の統率。大部隊の指揮力。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 14:25:03 ID:fGPdzcit0
徐晃
知75 武70 統90 政30 魅70

張コウ
知80 武75 統85 政45 魅70
309名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 15:09:53 ID:Lhfh5yWC0
やっぱその二人は似たような数値になるか
310209:2009/02/18(水) 20:28:12 ID:dONlotkM0
劉虞
統率10 武力31 知力51 政治78 魅力85

魏攸死後に彼の進言を無視して公孫サンに手を出したのが惜しまれるね。
素直に袁紹の御輿に担がれていたらもうちょっと違った評価になってたの
かもしれませんな。

>>308
私の場合、魏の五将は以下の感じですね。

張遼  統率51 武力93 知力75 政治31 魅力66

徐晃  統率63 武力89 知力67 政治42 魅力77

張コウ 統率75 武力78 知力81 政治51 魅力75

楽進  統率68 武力88 知力40 政治48 魅力70

于禁  統率92 武力76 知力48 政治45 魅力55

張遼は奇襲時の能力は曹操と並ぶ最高峰の人物(武勇と知略で相手の不意をつく)。

徐晃は負けない手はずを整えてから相手を攻撃する、張遼よりもバランスタイプ。

張コウは五将最後の将として大軍を率いる等の実績から五将で一番のバランスタイプ。

楽進は一番乗りエピソードから武力を高評価、また合肥で城を守る役目を受けたり、
荊州で関羽撃退の実績より統率も評価。

于禁は官渡において敵の猛攻を凌いだ点等を考慮し、統率を高評価。
311名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 21:35:53 ID:Lhfh5yWC0
またかなり極端な数値だね
低いと思うのが張遼、の統率、徐晃、楽進、于禁の知力
気になるのが全員の政治かな、政治とかどいつも同じようなもんだと思うんだけど
強いていうなら一番は于禁か張コウかなってくらいで
312名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 00:02:57 ID:1CPJHAbS0
曹仁、曹洪、曹真とかは?
313209:2009/02/19(木) 06:45:09 ID:TE65w9PX0
>>311
張遼の統率に関してですが、史書を紐解くと彼の行動は常に攻撃的なの
ですよね。受けに回ったことが無い。つまり統率を評価できるだけの話
がないのです。彼が得意とした(であろう)騎馬と言うのも受けが得意
な部隊とは少々言い難い。張遼が常に攻撃的なのはそう言う部隊適正の
ようなものもあったのかな、と思い上記数値にしたのです。

楽進と于禁の知力も同じで具体的な知謀の冴えを見せる話が無いので、
現状ではこの数字としています。徐晃は他とのバランスを考えながら、
もう少し数値を考えてみます。

政治に関しては儒学者を愛し、学者を推薦した張コウを一番手、法遵守
した于禁、元文官だった楽進をそれに次ぐようにしました。張遼は史書
からの記述では他者と折り合いが悪く、根っからの武人、と言う感じの
記述ばかり目立つので5人の中では一番政治が低めです。

>>312
時間のある時にその3者のも載せます。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 12:31:54 ID:p0WVAt0z0
正史張遼は妥当かもな。少人数での攻撃が得意って感じだ
蜀なら趙雲、呉なら甘寧・凌統とかも少人数部隊で成功してるからそんな感じの数値になるのかな?
315311:2009/02/19(木) 12:39:42 ID:IdzwkCuJ0
>>313
根拠は分かるんだけど、それでもちょっと数値が極端というか
じゃあ総合値が皆同じくらいかというとそうでもないようだし

50が平均値という前提で話しちゃうけど
5人とも曹操配下の外様武将の中ではトップクラスの評価という前提がある
楽進は確かに智略を見せる部分はないけど
逆にいえば特に智略面での失敗は無いし(大雨のアレを抜かせば于禁も)
曹操の上奏文では「計略は行き届いてる」と評価されてる
わざわざ平均値より下にする必要はないと思う、50以上はあっていい

張遼の統率に関しては呂布配下時代魯相や北地太守に任命されていたり(具体的じゃないが)
合肥でも奇襲の後守備を固めたとあるので一応拠点防衛の実績はあると見える
また陳蘭らの鎮圧の時に一軍を任され張コウら諸将をひきいてたり長社での統治面も評価できると思う
これまた平均値よりもう少し上でいい

政治に関してはまあいいんだけど個人的な人間関係に関しては魅力でいいかなと思う
あくまで平均値が50という前提でいくとね
316名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 12:43:50 ID:IdzwkCuJ0
>>314
3人とも防御面での実績も結構目立つんで統率50代は微妙かなと思う
少数ではあったようだけど
317209:2009/02/19(木) 20:18:24 ID:KJi3QJVU0
>>315
合肥での防衛はあくまでも楽進が主として努めていたのでそこまで高評価
の対象にはならないかと思います。

陳蘭鎮圧時も当初兵が少なく他の人物は退却した方がいい、と言ったのを
無理に進軍した、と言うこともありますしやはりここからも攻撃的な性格
が伺えます。

五将が曹操配下でトップクラスの評価、と言うのはわかりますが、どういう
面を評価しているか、と言う部分は各人ごとに違ってくるでしょうし、また
それがある程度分かるように数値を設定しなければそもそも数値化すること
自体に意味は無くなってしまいます。

数値と言うのは高い低いではなく、その人物の個性を表しているのですから。

ただ、確かに楽進の知力は少々低いかもしれません。ここはもう少し見直す
ようにします。
318209:2009/02/19(木) 20:44:51 ID:KJi3QJVU0
>>315
総合が同じぐらいでないのは活躍期間の長短や、史書の記述量、内容も関係
してきますからそこはご容赦ください。ただ、誰か1人が飛びぬけて高い、
と言う形にはしないようにしています。どこか特筆すべき面を高く評価する、
と言う形で横並び状態にしているのです。

統率に関しては持論が一つありまして、この時代、統一国家が出来なかった
理由として方面軍を指揮できる人が少なかった、と言う点が考えられます。
魏では曹操生存時は親族以外で方面軍司令官までなった人はいません。蜀も
基本的には常に劉備が陣頭に立つ形です。

呉だけが少々特殊で荊州に駐屯した司令官が代々、呉軍の中核を担っている
のですが、短命な人物が多かったのが惜しまれます。

こういう状況なので、特に前半で統率が高い人物と言うのはある程度限られ、
後期に方面軍を率いて、3国間で対峙していた武将の方に統率が高い人物が
増えてくる、と言う形が三国時代を通した上で適切な評価になるのではない
でしょうか。
319名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 20:05:34 ID:EEfLn+YU0
209さんの基準だと、于禁・張コウは統率が高いから、方面軍を指揮できるのでは?
この二人はどうして遊軍に留まったの?
320名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 21:29:00 ID:h5mfo5uE0
張コウは車騎将軍・都督関中諸軍事。武人としては曹魏最高の出世頭。まさに方面司令官。

于禁は魏王の左将軍・仮節斧で同時期の二夏侯には及ばないが指揮兵数では曹仁に匹敵する、
当時の五将では出世頭。同格かちょい下くらいが張遼。
321209:2009/02/22(日) 11:58:22 ID:pTwa7uAp0
>>319
曹操生存時は曹操自身が漢の丞相として最高位ではあったものの、他の
武将もほとんどが漢の官職を得ている状況です。

あくまでも間接的に配下におさまっているだけなので、余り権限を与え
過ぎると董承のように曹操を排そうと企む人物も出てくる恐れがあるの
です。それを防ぐため親族武将の配下として大きな権限を与えないよう
にしていたと考えられます。

魏国ができて于禁や楽進が魏国の四方将軍となり、直接の配下となって
からこの辺りはある程度解消されたのでしょうけどね。

それはそうと、何人かの能力値
曹洪  統率81 武力75 知力31 政治38 魅力50
曹仁  統率67 武力95 知力45 政治41 魅力75
曹真  統率93 武力73 知力53 政治58 魅力72

君主
公孫度 統率51 武力66 知力31 政治54 魅力66
韓馥  統率26 武力41 知力31 政治34 魅力43
鮑信  統率50 武力42 知力66 政治83 魅力81
劉備  統率94 武力57 知力67 政治59 魅力97
322名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 21:50:01 ID:HnCVVoke0
曹仁は籠城戦に強い人だから統率はもっと高めでいいな
まあそうすると強くなりすぎるから武力との兼ね合いもあるんだろうけど
戦略的な進言も何度か行って的中してるし知力もtakaiと思う
曹真はちょっと統率下げて知力上げた方がらしいと思う

しかし基準の話になってしまうけど
それぞれ得意分野を先に推測してそれに合わせて他の数値を決めるって方式は
かえって想像の余地が大きくなって実際と剥離する可能性が高くなると思うんだ
323209:2009/02/23(月) 20:36:05 ID:rsuZoFPT0
>>322
曹真に関しては曹魏後期を代表する方面軍司令官として諸葛亮の北伐を
防ぎきった点、そして実際、彼の優れた統率力を示すエピソードが多々
あることを考慮して最上級の評価としました。

曹仁の場合は最終的に周瑜に破れ、撤退したと言う事実もあり、評価は
しているのですが、これ以上はちょっと苦しいですね。
知力に関してはもう少し見直してみます。他との兼ね合いもあるので、
簡単にはいかないのですが知略を示すエピソードがありますから。

ただ、評価をしていくと魏の武将ってほんと優秀なのが多いですよね。
蜀なんかは資料が少ないせいとかもあるのでしょうが、そういったのを
考慮しても圧倒的な差がありますからね。魏、呉、蜀の力が7:2:1
ぐらいってのをどこかで見ましたがうなずける話です。
324209:2009/02/23(月) 21:17:47 ID:rsuZoFPT0
>>322
基準の話ですが、私は得意分野を推測して数値を決めたりはしてません。
あくまでも実際の実績がある部分は評価し、記述のない部分はさほど高く
評価しない、と言うだけです。

それと統率の60台が低い、と言われてもこちらは充分評価してるつもり
での数値と言うこともあります。前も言いましたが私は元々MAX200
で評価していました。すると数値3桁が一種の閾値となるのです。例えば

曹真  統率186 武力147 知力107 政治116
曹仁  統率135 武力190 知力 90 政治 83
張遼  統率103 武力187 知力150 政治 63
徐晃  統率126 武力179 知力134 政治 85

公孫度 統率102 武力132 知力 62 政治108

上の4人は別格にしても、公孫度でも知力さえ補えることができたら
ソコソコの能力じゃない?って思えませんか。

上記の理由から、実際に平均値は取っていないのですが恐らくMAX
100とした場合、40よりも低いかもしれません。

某KOEIの三国志では確か90台が全体の2〜3%、80台は8%位と
あるのですが、私のは80台も含めて全体の3%前後、70台も6%弱と
(一生懸命数えました)なっているので平均はかなり低いと思います。
325名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 00:05:21 ID:6kJvu9xB0
そろそろ蜀将の話題も欲しいところ。
関羽と趙雲は光栄のゲームでは万能だが、
実際はどうなんだろう
326名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 09:24:56 ID:l5YHea9HO
カンウ
統率93 知力81 武力98 政治61 魅力84
チョウウン
統率88 知力79 武力96 政治68 魅力90
327209:2009/02/25(水) 05:10:23 ID:5WX3cSQt0
>>325
蜀は評価しづらい部分あるんですよね。資料少ないですから。

関羽 統率55 武力89 知力70 政治44 魅力69

張飛 統率58 武力95 知力55 政治20 魅力40

馬超 統率66 武力92 知力31 政治34 魅力72

黄忠 統率52 武力86 知力48 政治37 魅力60

趙雲 統率50 武力91 知力60 政治48 魅力74

参考
魏延 統率69 武力84 知力45 政治42 魅力55
328名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 14:28:52 ID:4NNZPYfC0
>>327
あなたが考える、蜀将で最も統率の高い人物は誰になりますか?
参考として挙げられている魏延でしょうか?

数値と人物、良ろしければ見解などお聞きしたいです。
329名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 15:44:31 ID:vu8PDvuY0
>>327
関羽って知力高いか?
学問があるとは言っても、状況判断が甘すぎる。
こいつに知力70やるぐらいばら、曹真にやった方がいいわ。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 15:50:44 ID:OJPDSvct0
関羽の統率・武力・魅力は正史基準にしても低いかと
331名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 17:20:47 ID:9veHeS0X0
>>329
敵正面の背後にインテリジェンス活動を仕掛けるのが異常に上手い。
状況判断が甘すぎるというより、
自分の病気すらネタにして出し抜いた呂蒙が化け物すぎる。
あと政治が評判の割に低いな。魅力はもっと低くていいけど。
士大夫にケンカ売る方が民衆に慕われる云々よりはるかにマイナスで致命傷

>>327
張飛は関羽に亜ぐと明記されてる。
当陽の戦いの活躍も武力換算より知力でカウントするのが正史的じゃないかと。
戦争に関しては特に穴がない。曹洪配下の曹真に一蹴されてるけど。
あと関羽同様魅力高いな。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 18:18:07 ID:9veHeS0X0
>張飛は関羽に亜ぐと明記されてる。
出展は本人の伝ね。

初,飛雄壯威猛,亞於關羽,魏謀臣程c等鹹稱羽、飛萬人之敵也。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 18:51:06 ID:dUhBAgUX0
もうちょっと全体的に見てみないとなんとも言えないんではないかな
統率90、80、70台の代表者とか
209氏がどんなシステムを想定しているのかとか。
例えば
統率:大軍の大将としての統率力  武力:部将としての指揮能力 なのか
それとも
統率:防御・持久力  武力:攻撃力 なのか
前者なら、数万の軍の中に大将と役割分担する前線指揮官がいるイメージになる。
後者なら、5000とか1万人とかの規模の、武将一人が率いる軍が
たくさん戦場に展開しているイメージになる。

後者っぽいけど。
前者だとしたら、例えば十万の大軍を統率する能力について、曹操(73)よりも
沮授(83)于禁(92)曹真(93)のような指揮経験さえない連中の方が優れていることになってしまうし
334209:2009/02/25(水) 20:24:00 ID:myCjyDhd0
う〜〜む、人によってまるで言ってることが正反対ってのは面白いですな。
ある意味こういうのは刺激になりますね。

>>329
>>330
関羽については呂蒙も自分がいては関羽の警戒が解けず、荊州も簡単には
取れない、と判断しているのでそこまで低く見積もることはできんです。
しかも北上時は魏領内で反乱を煽る等して魏側の動揺を誘ったりしている。

一方で楽進と徐晃にそれぞれ敗れるなど、守勢に回った時は案外ころりと
やられています。統率が少し低いのはその辺りが影響しています。武力は
他の武将とのバランスを考えても高すぎると言うことは無いと思います。
魅力もクセがかなりあるので高評価か、となると少々微妙かと思います。

>>331
張飛は私ももう少し知力を高くしても良いかな、と迷っていたのです。
将としてなら私は張飛が5人の中では一番弱点が無かったと思います。
知力はやはり一度考慮してみます。
335209:2009/02/25(水) 20:31:55 ID:myCjyDhd0
>>333
ちょっとあやふやになるので申し訳ないのですが、一応私は後者的な評価に
統率は大軍の統率力を加味して評価しています。ただし、この場合の閾値は
10万までは行かないですね、万を超える兵数があればある程度評価するに
値すると思います。そもそも三国時代はそこまでの大軍を動かすこと自体が
稀ですから。

部隊としての指揮能力は、例えば知力の要素を加味する事などで表すことも
可能ですが統率力、となると評価する場所が他に無いですからね。今のトコ
はコレでやっているのです。

沮授は袁紹軍の総司令官として実質的な指揮権を持っていた人物で、実際に
彼が司令官であった間は公孫サンを滅ぼすなど実績を残してます。逆に彼が
司令官を解かれてから後、官渡で敗北する等の結果が発生しています。資料
は乏しいですが沮授は間違いなく一流の司令官であったと考えられます。

曹真もやはり方面軍司令官として西方の軍隊を指揮し、諸葛亮の北伐を防ぐ
と言う実績を残しています。10万とは言わないまでも大軍を統率する司令
官としては充分な指揮能力と言ってよろしいかと思います。

于禁はどちらかと言えば前者の評価になるのですが、それでも関羽討伐時に
はそれなりの数の軍を指揮していたと思われますし、統率力もある程度評価
できるのではないかと思います。

曹操は意外と大軍統率時の実績が少ないのです。どちらかと言うと機動力と
機略を得意とするので、動きが重くなる大軍の指揮はあまり得手ではないの
かもしれません。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 20:54:56 ID:dUhBAgUX0
于禁くらいの規模を基準値にしていいなら、曹操はより大規模な対馬超戦の勝利があるし、
数次の冀州平定での兵力もこれに劣るとは思わない。勝ったり負けたりしてるけどね。

沮授の袁紹軍都督というのは、袁紹直下の軍の指揮を代行したということだろう。
他の大将、例えば対公孫サンや匈奴戦に何度も派遣された麹義とか、
青州軍を管轄する袁譚、他の太守などへの指揮権まで領する「全権代理」のようではない。
さほどの大軍ではないと思える。
公孫サンを易京に追い詰めた時、袁紹は後方にいて主戦力は麹義などだし。

曹真は中外都督諸軍事として間違いなく大功の持ち主だけど、
曹操を「動きが重くなる大軍の指揮はあまり得手ではない」と言ってしまうと、
曹真の現場指揮の功績は何? ということになってしまうかな。趙雲と長雨に引っ掛かったくらいか。
大軍を滞りなく運用する能力を「統率」に入れていいのなら、
総司令官として諸葛亮を退けた曹真と同様に、曹操の漢中攻略をも高く評価しなければならないだろう。
337209:2009/02/25(水) 21:05:01 ID:myCjyDhd0
>>328
魏延は雑号将軍クラスでほぼ同時代にいた、五将と同格の人物を例として
上げたものです。これ以上となると蜀の場合は以下の人達でしょうか。

王平  統率86 武力70 知力57 政治42 魅力60
魏の張コウを2度まで防ぎ、その後も曹爽の侵攻を援軍が来るまで持ち
こたえる等、防衛戦での評価はかなり高い。正直もう少し統率が高くても
良いのでは、と思ってるところです。

羅憲  統率85 武力71 知力74 政治55 魅力72
蜀の完全滅亡を防いだ人物、蜀滅亡時、呉が蜀に侵入するのを防ぎ、陸抗の
攻撃をも防いだのは高評価。厳格で下の人間のことを良く考える人物だが、
黄皓におもねらなかったため冷や飯食らいになる点より政治は少しマイナス。

諸葛亮 統率80 武力47 知力68 政治97 魅力83
応変の機略が無いと書かれてますが、普通に軍司令官として評価できる人物。
政治は同時代人の中でも五指に入るほど。

黄権  統率79 武力67 知力76 政治58 魅力75
もしかして蜀に残っていれば北伐軍の総司令官になっていた可能性を感じさ
せる人物。呉遠征時、自分が先鋒となり呉を攻撃していきますので云々、と
言う進言は日本の戦国史における鍋島直茂をイメージさせる。

それほどおかしい人選では無いと思いますが、大体こんなとこでしょうか。
次点にはホウ統あたりも候補として上がってきますね。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 21:19:20 ID:cWXq7ov90
>>337
関羽や趙雲と知力トントンな諸葛亮とかどんな評定なんだよ
339名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 21:22:53 ID:9veHeS0X0
>>338
いや、俺はこんなもんだと思う。
隆中対を全部読んでみろ。あれはご都合主義がすぎる
340名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 21:32:32 ID:cWXq7ov90
>>339
209氏の基準は戦術レベルの優秀な判断らしいが
諸葛亮は戦術レベルだと自身が率いれば野戦の負けは無いし、不利と見れば即座に引っ込む判断力がある
戦機を見誤った関羽よりはマシじゃないかね

また隆中でのアレは後世的な俯瞰視点からはともかく、あの時、あの場所にいた劉備にはアレしかないと言う状態だろ
しかも、諸葛亮は曹操の死期まで暗示してる
これでどこがダメな策なんだよ
341名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 21:33:58 ID:sqODwWjxO
他はある程度納得出来ても、孔明の知力がこれでは説得力は無いです。面白かったのに残念
342名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 22:05:01 ID:wOLI6L4e0
魏の五将軍が率いた最大兵力ってそれぞれどの位?
343209:2009/02/25(水) 22:29:56 ID:myCjyDhd0
>>336
曹操の場合、勝ったり負けたり、と言うのがあるので意外と評価しづらい
のですよ。守勢に徹することが出来れば実は凄い粘り強いようにも思うの
ですが、馬超の時も、スキを突かれて結構危ないトコまで攻め込まれたり、
張繍にも同じような感じで危険な目にあったりしている。意外と危うい面
がある、と言う意味で安定度がやはり曹真とかと比べると目減りするので
はないでしょうか。

まぁ、裏返せば曹操のより攻撃的な側面を表していると思うのですけどね。
だから攻撃的な武力と知力を高く評価しているのです。

曹真の場合、諸葛亮の一次北伐以外で趙雲、ケ芝を破った以外にも度々発生
する雍州・涼州の反乱を鎮圧したり、諸葛亮の陳倉攻めを予測しあらかじめ
備えを固めておくようにするなど、配下の人材を上手く使いこなし、諸葛亮
の北伐を防いでいます。

しかもマイナス評価といえば漢中攻略を進言したが長雨が原因で撤退した事
ぐらい。それも指揮能力が問題ではなく、天災によるものですから本人自身
にマイナス要素はほとんど見当たりません。

曹操も漢中攻略などで見事な手腕を発揮しているから、70以上と充分名将
に値する評価を行なっているのです。ただ、マイナス要素もいくつかあるの
も事実。

以上のことを考えると統率に関しては、曹操以上であっても決しておかしく
無いと思います。
344209:2009/02/25(水) 23:08:08 ID:myCjyDhd0
沮授に関してはどうなんでしょう。それでも後に沮授の権力が大きすぎる、
と郭図に言われて軍権を分割されてしまっています。それほど大軍でないの
ならば、ことさら記述するほどのことも無いと思います。わざわざ書いて
いるところに沮授の軍権の大きさがあると考えられます。

しかも当時、監軍・奮威将軍に任ぜられると言う記述も他の配下は官職不明
なのがほとんどの袁紹配下としてはかなり異例です(他には名声のあった
淳于瓊ぐらいが官名が分かっている程度)。コレだけの事実を考慮してみる
と如何に沮授が袁紹陣内で特殊な立場にあったか伺えるかと思います。

しかも監軍として、実質的に彼の戦略に沿って公孫サン征伐は行なわれたと
考えられ、その貢献度は相当大きかったと思います。
345209:2009/02/25(水) 23:53:06 ID:myCjyDhd0
>>339
>>340
申し訳ないです。ちょっと言われるかなとは思ってたのですが・・。ただ、
諸葛亮のどこを評価してこういう数値になったか、と言う部分はわかって
欲しいです。単純に評価していない、と言うことではありませんので。

まず、諸葛亮の場合、統率力の高さで良く魏軍の攻撃を防いだ功績があり、
当然統率はAランク評価となります。ただ、その才能はもっぱら防衛時に
発揮されるものであり、曹操のように攻撃方面に発揮されるものではない
と言うことです。あくまでも正攻法での戦いを旨とし、奇襲機略を駆使する
タイプではない。

知力の数値は奇襲や機略を得意とする人物が高くなるように設定している
ので、諸葛亮の知力はそこまでずば抜けた数値にはならないのです。

後、隆中対ですが、これらはむしろ大局的な方針、政略となりますので、
むしろ政治能力の方で評価を行なっています。同じタイプで荀ケもいます
が彼に関しても政治能力を高く、知力は同じように少し低く設定してます。

荀ケ  統率59 武力42 知力76 政治95 魅力90

荀ケの方が知略を利用したエピソードが多いので知力は荀ケの方が高いと
判断しているのですが、軍指揮としては諸葛亮の方が実績があると判断し
た数値にしています。

実際諸葛亮の北伐時の戦績を見てみると、彼から仕掛けたケースと言うのは
ほとんど無く、常に魏軍が攻めてきたのを撃退すると言う形に持ち込もうと
しています。コレは諸葛亮の性格もあると思うのですが、曹操のように相手
のスキをつき奇襲をかけるような戦い方は行なっていない、そう言う側面を
考慮し、統率を高く、知力はそれよりは低くなるように設定しているのです。
346名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 00:31:42 ID:22JotN0b0
>>345
性格というよりも蜀がそういう戦い方を模索してるからでしょ
騎兵の運用に優れた魏を相手にするために槍と弩で武装して野戦築城した場所に追い込み
自慢の機動力を殺してから高い火力と装甲で相手を一方的に蹴散らす戦術なんだから
そういう陣地に追い込んでる諸葛亮の知力をもっと評価すべきでは?
347名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 04:18:28 ID:tTfUZKwW0
監軍の沮授が83だとすると、
護軍の張儼は80、賈充は95くらいかな
348名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 04:29:10 ID:tTfUZKwW0
張儼は呉の人だったw 曹操の荊州出征のとき後方を守った七軍の護軍は趙儼か
合肥周辺7000の護軍で張遼らを指揮下に置いた薛悌は70くらい?
349209:2009/02/26(木) 04:32:24 ID:hb4ADSqp0
>>346
追い込んでいた、とは言えないのではないでしょうか。実際司馬懿にいくら
挑発を行なってものらりくらりと交わされ続けているし、張コウにも蜀軍の
弱点は補給線だから背後に回って糧道を絶つ構えを見せれば蜀軍は退却する、
と敢えて正面決戦する必要性が無いことを進言されている。

もし本当におっしゃるとおりの部分を評価するならば如何に己の陣地に敵を
誘い込むか、と言う部分までできて初めて評価する、と言うものではないで
しょうか。

例えば日本の戦国で島津は兵数の少ない部隊でわざと敗走させ、敵が追撃し
深追いしてきたところをあらかじめ仕掛けておいた伏兵で敵を叩き潰す、と
言うような戦法を行なっていましたが、陣を構築し、そこに敵を誘い込もう
というのであれば、それぐらいの工夫を行なう必要はあると思います。

ですが史書からはそう言った工夫が行なわれた、と言う記述はありません。

それに、同じ蜀軍でも姜維が軍を率いた時の戦い方はまた諸葛亮のそれとも
大分違います。彼の場合は敵のスキをつき、そこから一気に殲滅させよう、
と言う様な戦術も考えたりしており、やろうと思えば奇兵を利用した戦い方
も充分できたのではないでしょうか。
350209:2009/02/26(木) 07:35:29 ID:hb4ADSqp0
>>347
そうですねぇ、趙儼はそれぐらいにしてありますね。ただ、父親の
賈逵ならばともかく呉侵攻に反対し続けていた賈充は職務をまっとう
出来ていたとは思えませんので、そちらの評価は高くありません。
351名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 08:40:19 ID:22JotN0b0
>>349
四度目の北伐では見事に成功して張コウは王平を攻め、司馬懿自ら諸葛亮軍に当たり
ものの見事に大破されて大量の軍需物資と精鋭の首を奪われてるよ

最後の北伐で司馬懿はその失敗経験から諸葛亮のいる場所には攻め込まなくなったというだけで
最初の直接対決では見事に引っ掛かってるのに
>誘い込むか、と言う部分までできて初めて評価する、と言うものではないで
しょうか。

というのは不適当では?
352名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 09:03:04 ID:tTfUZKwW0
>>350
なるほどね、そういう方針ならそれは十分納得できる。夏侯惇は85くらいかな?
でもその序列で言うと、諸都督、監・護軍の更に上に立って後漢の支配を2/3まで回復し
魏の礎を築いた曹操だけが、なぜ赤壁や潼関・陽平関などの直接敵を目にした距離での
現場指揮能力で「統率」を判断されるのか説明付かないと思うけど。
353209:2009/02/26(木) 20:32:34 ID:TKLs52GU0
>>351
第4次の北伐は魏側が色々と問題を抱えていたことが原因であの正面攻撃
が起こったものであり、諸葛亮が誘発したものではない、と言うのが私の
判断です。

順に見ていきますと、まず総司令官の曹真が病気に倒れる。急遽、司馬懿が
代行することになり、対蜀で成果を挙げている張コウにサポートさせようと
する。しかし、戦術方針で張コウと意見が食い違う。司馬懿は蜀の兵糧切れ
を単純に待つ作戦。張コウは征西方面で初めて指揮を執る司馬懿が蜀の後を
追うだけで戦を行なう構えを見せないでいると、配下の諸将が司馬懿を軽く
見て、まともに指揮できなくなる恐れがあると見て、蜀の背後をつく構えを
見せたら如何か?と進言する。

張コウも蜀の兵站問題は見抜いているので、その方面から蜀を伺うことで、
上手くいけば戦闘前に蜀は退却、司馬懿自身も戦を行なう姿勢を見せること
で配下の信用も勝ち取ることができる、と判断しての進言。

しかし司馬懿は結局これも退け、蜀の後をついていくだけ、その内部下達の
突き上げが激しくなり、抑えることが出来なくなったため、結局正面からの
攻撃を行なうことになる。

いわば魏側の自滅であり、司馬懿が正面攻撃をかける原因に諸葛亮が絡んで
くる余地がほとんど無いのです。一応魏軍が現われる前に周辺の作物を刈る
等して魏側を挑発&自分達の補給問題を解決しようと試みていますが、これ
も作戦途中で張コウが急行してきたために、充分な効果を得る前に退却する
事態になったりしています。

もちろん、第4次の正面攻撃の戦果そのものは充分評価されるものでありま
すし、だからこそ、諸葛亮の統率を高く評価しているのです。しかしこの時
に評価されるべきはあくまでも諸葛亮の統率力であり、知略方面、となると
それはまた別の話ではないでしょうか。
354209:2009/02/26(木) 21:07:23 ID:TKLs52GU0
>>342
ちとレスが遅れてますな、申し訳ない。
魏の五将で一番兵力を率いていたのは張コウですね。彼は諸葛亮の第一次
北伐の際に五万の兵を率いて街亭に向かっています。またそれ以降は車騎
将軍(兼務征西将軍?)と言う親族以外の武官としては司馬懿に次ぐ程の
位まで上り、西方の諸軍を統率したりしています。

次いで、具体的な兵数は分からないのですが、于禁が関羽討伐時に七軍を
率いています。この七軍と言うのが、第七軍を率いてなのか、軍団七つを
率いてなのかが不明ですが、その後の徐晃が兵数不足に悩んでいたことや
降伏した于禁軍を受け入れたため極端な兵糧不足に陥ったこと等から考慮
して、私は七つの軍団を率いていた可能性も充分ありえるのではないかと
思っています。その場合はやはり数万いたのでは、と思っています。

それ以外は恐らく万を超えないケースがほとんどですね。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 21:09:16 ID:22JotN0b0
>>353
当初、張コウは長安周辺に駐屯する事を希望したが
諸葛亮が麦刈りをした結果魏はまんまと引っ張り出された
司馬懿は張コウが長期戦を勧めるにも関わらず短期でケリ付けようとした結果、自壊のような敗北を喫したわけで
麦刈りからして一連の誘引だろ
そのまま焼けば魏の兵糧が尽きて退却してしまい引っ張り込んでのフルボッコが出来ないから焼かなかったわけだし

ここの流れは李平のアレ以外、ほぼ諸葛亮の思い通り完璧に話が動いてるよ
356名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 21:12:39 ID:22JotN0b0
>>354
陣地が水没して軍が崩壊しても尚捕虜は30000以上いたので
恐らくは1軍12500人の7倍を率いてたと考えていいのでは?
同時期夏侯惇が26軍で325000人を率いてたと考えると魏の動員は当時50万前後あったという計算になってしまうがな
357209:2009/02/26(木) 21:24:12 ID:TKLs52GU0
>>352
そうですねぇ、評価方法で難しいところなのですがが、たとえ100勝1敗でも
10戦1敗でも1戦1敗でも1敗の重みに差はあまり無いのです。もっともあまり
にヒドイ負け方をすると別ですけれどもね。

つまり、負けは負けとして現場指揮での敗戦があればそれはマイナス評価を
考慮しないといけなくなります。

そうなると例えば100勝1敗よりは5勝0敗の方が評価が高くなるケースがある
のです。言わば曹操はそう言った数少ない敗戦のために少し割りを食って
しまっている、と言えなくはないです。

今回のケース、沮授は監軍として全軍を統率していた間はほぼ勝ち続け状態
であった。そのためマイナス評価がほとんど無く現場指揮でいくつか負けの
ある曹操の方が低くなっている、と言う形になるのです。

ただこれは勝率で見ても0敗があれば評価は覆らないですし、勝ち数を積み
上げるだけでも人によって評価に大きな差ができることになるので難しい
問題と言えるのではないでしょうか。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 21:36:55 ID:6IoZU3Oa0
>恐らくは1軍12500人の7倍を率いてたと考えていいのでは?

それはない
359209:2009/02/26(木) 21:39:35 ID:TKLs52GU0
>>355
少なくとも史書から司馬懿が自ら短期決戦を望んでいた、というような
記述は一切見られませんね。あるのは部下の突き上げに耐えられなくなり
攻撃を行ったと言う事実のみです。

>>356
捕虜の数は大抵誇張(10倍ほど?)して書かれるものなので、実際はかなり
間引いて考える必要があるのではないでしょうか。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 22:07:52 ID:6ePO/uI00
なんだか209氏は減点基準が極端なんだよな。出題・採点方針にはケチを付ける必要はないけど。
答案用紙全問埋めて8割当たったら80点。
5割埋めてその内9割当たったら90点。
と言ってる。
地位の上昇・権限の大きさに伴う、運用に必要な基本的技量の上昇や負荷の増大、限界点での判断のシビアさを考慮してない。

>>357
一軍が12500人というのは周や戦国時代の制度。
肝心の漢代にどんな運用が採用されていたのか自分の知識にはないのだけど、
後漢末は運用兵員が激減し「将軍」の価値が下がっているから
それほど多数ではないだろう。
合肥城に楽進・李典・張遼の少なくとも三軍が集結して7000人だからね。
いつも定員を満たしているとは限らないし。
仮に2000-4000人程度だとすると、夏侯惇の都督二十六軍は78000人。
当時最大の兵站地の一つだった冀州の戸籍上の最大動員力が30万だった時期に、
淮南の諸軍及び郡県の総兵力としてはこの辺りが妥当かな。
それに照らすと、于禁や曹仁の督七軍は21000人。
ずっと時代が下って車騎将軍・都督関中時代の張コウが3万、
公孫淵討伐に出征する司馬懿の直属が4万、
東征時の劉備軍の呉から見た展開兵数(よって兵站などの後方兵力は含まないだろう)が4万数千だったか
214年の孫権の合肥攻撃や諸葛亮の第五次北伐時の『動員兵力』が10万だから、
無理が無い設定に思う。
361名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 23:04:20 ID:22JotN0b0
>>359
いや、張コウの進言を容れなかったって漢晋春秋にきっちり書いてあるだろ
張コウの長期戦を志向する発言に対して「宣王不從」とな
これは漢晋春秋の時系列に沿うなら麦刈り戦の後に諸葛亮が退いてからの出来事で、
司馬懿は諸葛亮の行き先を尋ねて、明らかに麦刈り後にそのまま追撃して勝利を得ようとしている
そして追い掛けていったら凄まじい陣地が敷かれていたので手を出しあぐねてた
そこから君の言う
>あるのは部下の突き上げに耐えられなくなり攻撃を行った
という状況になるが、最初は司馬懿もイケイケだよ

戦果誇張の件については魏がそうだったというだけで三国全てがそうであるかはわからない
また、三万という具体的な数字が出るのは呉書の方で蜀書は関羽が于禁を降伏させてホウ徳を斬ったという程度
三万を捕らえた当事者の蜀の記述ではないから、戦果誇張する例には当てはまりにくい

>>360
李衛公問対だと曹操の軍制は古式ゆかしいものらしい
これをどこまで信じていいのかはわからんが(偽書だし)、
少なくとも唐代辺りには曹操は古い軍制を用いて戦ったと考えられていたようだな
362名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 23:52:07 ID:6ePO/uI00
>>361
李衛公問対はよく知らないんだけど、「曹公の新書に曰く」の下り?
これは曹操の孫子注釈からの引用であって、実際に曹魏がこの運用をしていたと言ってるのではないだろう。
後漢末に戦車隊なんかあるわけないし。

戦果誇張は国淵伝にある。馬超の乱と同時期で曹操に問われたときの答え。間違いなく後漢代だよ。
古来の慣習を国淵は破って実数を報告したという話。勿論呉や蜀漢も受け継いだだろう。
どの程度時代を下れるのかは先学にして知らないけど。
于禁軍の捕虜は関羽が公式に三万と触れ回り、呉はそれをそのまま書き写したのだろう。
曹魏の被害報告で三万とあったなら別だけどね。
でもそんな被害受けたら華北の継戦能力はゼロになって数年も持たずに滅びてると思うよ。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 00:12:41 ID:qHfPLrIr0
>>362
だからそれは漢魏の慣例なんだから呉蜀で適用されるかは不明だっての
あと三万程度で滅ぶなら後期になるけど五万を全滅させられたって魏は危ういはずだろ
でも魏は全く問題なかった
10万程度ならなんとかなると思うよ
また、魏はその後、荊州を保持できなくなって放棄してるのは
遊軍とは言え数万を一挙に失った事も関係してると考えられる
364名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 00:38:31 ID:4JG2iJgZ0
漢の習慣を、特別な根拠無く漢の後継を称する蜀呉が受け継がないとする理由は無いよ。特に蜀漢。
董卓・曹操の官制どころか、乱世特有の中郎将や将軍のインフレさえ両国は引き継いでいる。
この手の習慣は将兵の一般的な論功行賞の感覚と結びついただろうから、
劉禅や孫権が特に実数で報告するようになどと布告を出したのでもない限り、継続されたと見るのが自然。
簡単に言うと「そういう時代だった」だろう。
一軍=12500なら、219年の夏侯惇と曹操と于禁だけで当時の曹魏の動員兵力をぶっちぎってしまう。
徐晃どころか他の将軍も州郡や京師の守備も辺防も農繁期も兵站輸送の人員もゼロになって
50万以上の兵力が国境に張り付いていたことになってしまうんだけど。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 00:49:50 ID:qHfPLrIr0
>>364
漢の習慣を特別な根拠も無く蜀は変えてるよ
四方将軍と四征将軍の序列とか全然漢と違う
366名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 00:50:48 ID:4JG2iJgZ0
ところで魏が五万を全滅させられたっていつだっけ?
367名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 00:54:13 ID:qHfPLrIr0
>>366
五万じゃなくて死者数万だったわ
ただ死者数万ってことは十万単位の軍が壊滅してるって事になるがね
王経が二十万くらい率いてたなら話は別だが
368名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 00:55:33 ID:4JG2iJgZ0
>>365
おーい
四方と四征鎮の序列は漢の兵制を魏が変えたのであって、
四鎮征将軍の出現は後漢末、董卓・李カクの時代ではあるものの、
蜀漢はそれを含めて漢の兵制を再現しているよ
諸大将軍>四方>散号の序列は光武帝の時代に忠実なものだ。
369名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 01:01:27 ID:qHfPLrIr0
>>368
史官の廃止等含めて色々蜀は理由不明な変更してる
370名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 01:07:16 ID:4JG2iJgZ0
>>367
ああ、それなら良かった。
王経の敗戦の記述は、姜維伝では「経衆死者数萬人」
高貴郷侯紀の詔勅では「将士死亡,計以千数」(数千の意か)
十倍報告をきれいに裏付けるものになっている。
当時隴西での魏の兵站能力は一万しか率いていない姜維を捕捉出来ないくらいしかなかったので、
数千の死者は大打撃であり、詔勅を出してでも民を慰撫する必要があったのだろう。

>>369
それは諸葛亮が小国を慮って官吏を簡略化したと明記されている一環じゃないか。
史官は国史を編纂する官であって、不要不急のことと判断したのだろう。
盧植も中断させられて黄巾討伐に派遣されている。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 01:08:27 ID:4JG2iJgZ0
…ごめん。今気づいたが調子に乗りすぎた。
ここ能力値スレだったんだよな。これで撤退する。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 01:19:03 ID:qHfPLrIr0
>>370
それは魏が過小報告する慣例あったからと見たほうがいい
いくら十倍しても千数じゃ数万にならんしな
千数は「千といくつか」の意だね
373209:2009/02/27(金) 01:43:59 ID:X7LlqD9z0
>>361
漢晋春秋の記述の信憑性自体は如何なんでしょう。コレに載っている事績
はともかく発言に関しては他の史書には見られない記述も多いし、何より
三国志の方ではこの内容は採用されていない。むしろ戦功等に違いはあれど
その内容は晋書の方に近い、とも言える。

裴松之自身も漢晋春秋の内容は信用ならない部分がある、と書いている所も
あります。それにもし内容が全て事実だったとしても蜀の陣営がきっちりと
統率されているため司馬懿は手を出そうとしなかった、と言う意味では結局
は同じことだと思います。そこから蜀軍に手を出させる、と言う機略が発生
していない。

>>360
おっしゃることはわかりますし、私の力量不足なのは認めるところです。
ただ、誰もが同じだけ戦績を重ねることはできませんし、特に敗者側の記述
は歴史の闇に埋もれてしまう部分が多い。

敢えて言うなら人それぞれ違う問題が出され、その問題の難しさもバラバラ
しかも一部の答案は所々燃えたり、破り捨てられたりしてて全てを採点する
ことができない、と言う状態。難しいのは難しいのです。

それと私の持論ですが、各陣営の勢力と人材はある程度比例する、と思って
いますのでそのバランスなども加味し、敗者側の人材の質の予想もある程度
行なう必要があると思うのです。

後、地位の上昇による運用に必要な技量云々ですが、ここは私はばっさりと
割り切っています。どういうことかというと、実際の仕事場でもそうですが
現場で動くのが得意な人間、そういう人間をまとめ行動を調整するのが得意
な人間と言うのは必ずしも一致しない。

なんだかんだ言って、得意分野とそうでない部分と言うのは分かれてくるの
です。なので私の場合は史書に載っている評価項目は高く評価、そうでない
部分は並、と言う形に割り切っているのです。小隊を率いて高評価だったと
してもそれは大部隊の評価には繋がらない、それはまた違った能力が求めら
れるからです。だから大部隊での失策があればそこはマイナス評価になる。
その代わり小部隊での評価は評価として残しておく。そういうことです。

今回沮授の件に関しては当時の袁紹軍を統率していたことになります。軍の
規模から行くと後年の蜀や呉とも充分に渡り合えることになります。それ程
の規模の軍を統率して公孫サン討伐に功績を残したと言うことは周瑜や陸遜、
諸葛亮辺りにも劣らぬ力量があったと予想できます。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 02:04:28 ID:qHfPLrIr0
>>373
晋書と三国志にはこの司馬懿の大敗は載らない
晋書は春秋の筆法で当人の悪いことは書かれ難いという紀伝体の特徴により隠されてしまうし
三国志は晋に遠慮して書けないし諸葛亮の敗戦等も書かれにくい
というかそもそも三国志の記述ではただ張コウだけ死んだという事しか判らないしな

漢晋春秋が本当に信用できないなら記載しないか、他の説も一緒に引用するだろ
実際によくわからないものに対してはその都度判らん、って書くし異説も載せてる
そういう記載がない以上、漢晋春秋の該当箇所はある程度信じていいと思うぞ
375名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 02:12:05 ID:4JG2iJgZ0
>>373
得意分野の差は判る。曹操を統率下手と判断するならまあ構わない。そりゃ設定者の判断だ。
けども、ならば古来の兵制に従って、君>監>将>士>卒の段階に合わせて能力値を設定するのが
設定者の世界観の表現じゃないかな。例えば 政事>統率>指揮>武勇 のように。
現状だと、曹操には人の上に立つ能力が足りず、同等の条件なら趙儼や沮授、曹真の方が
群雄諸侯として曹操より上手くやれたことになってしまう。それはさすが史実を反映していないよね。


出鱈目言ってしまったので最後に
>>372
ごめん。漢書の訳注にそんな記事があったので釣られた。確かにそんな用法は見当たらなかった。
数千の死者を蜀は十倍して数万と記し、魏は過少に千数百と述べたわけだね
376名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 02:31:24 ID:qHfPLrIr0
>>375
魏の過小申告ぶりと蜀の過大申告ぶりのさじ加減を見出す方法でもありゃいいんだけどな

王経の率いてた軍が数千人死んで大破となると規模としては多く見積もっても精々1、2万と言う事になる
ちょっと前まで姜維が1万しか貰えなくてブーたれてる時代に雍州刺史である王経がその程度しか率いていないとは考えにくい
377209:2009/02/27(金) 03:21:17 ID:X7LlqD9z0
>>374
ただ、元々裴松之は諸葛亮関連の記述に甘いところがある。特に今回の話は
異説やどちらが信憑性があるかないか、と言ったことをまるで書いていない。
逆にこれは諸葛亮を持ち上げたいがために信憑性の有無関係なく載せたので
は?と言う風にも考えられる。本人にその意図は無くとも彼の記述を見ると
結構決め付けてる部分も見られるしね。と言うかそれ以前に諸葛亮の本陣に
攻めさせるような知略が見られないのだから信憑性の有無は関係ないデス。

>>375
その考え方こそ極端ではないでしょうか?曹操とて万能ではあっても全てに
おいて最高とは限らない。むしろ万能であるがゆえに専門家には及ばない面
も必ずでてくる。詩において、知略において、政治において375さんの理屈で
あれば当然それら全ても最高である必要が出てくる。しかし後世の評価から
当然それら全てにおいて相当な高水準ではあっても最高、とまでは至らない。

統率だって同じですよ。軍の統率者は最高責任者が常に最高とは限らない。
それに勘違いされていると思うのですが、私は軍の統率が下手とは一言も
言っていませんよ。より攻撃的な性格の方を評価しているのです。

それともうちょっと軽い気持ちで見てください。例えば曹操と沮授が能力
以外、全て同条件で戦ったとした時、どちらが勝者になるか、と言えば私
の能力値では圧倒的に曹操です。

沮授は統率こそ曹操よりも優れますが、肝心の攻める側は曹操ほど破壊力
があるわけではありません。しかも知力においても曹操を出し抜けるまでの
数値には至っていませんので、この場合こう着状態にもっていくのがやっと
の状態です。

君としての評価をするなら軍の運営だけでなく、知略、武略、政略諸々を
複合的に評価するべきで、私の評価で各能力においては曹操を凌ぐ人物は
いたとしても総合値としてみた場合、曹操の値はダントツでトップです。
一国を率いる人物としてここまで評価してもダメなんでしょうか・・・。

そうだとしたらお互いの考える統率の意味自体が違っているのでは・・・。
378名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 12:35:31 ID:QXeKRnwD0
209氏の統率の意味は防衛戦なんだろ。
地味にキツイ戦いは部下に丸投げして、一番リスキーな作戦に特攻するのが曹操。
だから俺は武力特化型の万能屋だと思うから209氏に賛成だな。
それまでの作戦にしても参謀クラスの議論を採決する感じだし。

統率がほかの連中より低いから曹操は組織のリーダーとしてどうとかいう批判は、
今までの氏の主張を何も見ていない。

評価基準自体は無理やり曹操以上のスペシャリストを作ろうとして
イマイチな感じだけど、アプローチの方法自体は納得がいく。

細かい誤差は主観の違い程度だろ。
1勝無敗と百勝百敗のどっちが価値があるかなんてのはよく分からんけど
多戦であることで統率、武力をある程度高くする考え方自体はおkなはず。
じゃあ何で負けたんだと聞かれれば
「相手の方が地勢、兵力、知力、統率で上だったから」となるような評価になればいい。

俺的には攻撃側なのに鉄壁防御陣地を築く作戦を運用した諸葛亮が
統率100でも何ら問題はない。何しろあの司馬イが決戦を避けるくらいだしw
379名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:33:09 ID:l5cKAP590
とりあえず、>>209以降に挙がった数値をまとめておく

・後漢末群雄

董卓
統率51 武力89 知力70 政治47 魅力75

公孫サン
統率62 武力94 知力42 政治20 魅力65

劉虞
統率10 武力31 知力51 政治78 魅力85

公孫度
統率51 武力66 知力31 政治54 魅力66

韓馥
統率26 武力41 知力31 政治34 魅力43

鮑信
統率50 武力42 知力66 政治83 魅力81
380名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:33:44 ID:l5cKAP590
・袁紹陣営

袁紹
統率53 武力70 知力50 政治91 魅力94

沮授
統率83 武力53 知力78 政治75 魅力80

麹義
統率70 武力85 知力62 政治12 魅力35

審配
統率74 武力70 知力46 政治64 魅力75

郭図
統率40 武力45 知力54 政治86 魅力66

張導
統率34 武力31 知力50 政治62 魅力45
381名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:34:15 ID:l5cKAP590
・魏

曹操
統率73 武力84 知力89 政治78 魅力94

荀ケ
統率59 武力42 知力76 政治95 魅力90

夏侯惇
統率75 武力67 知力47 政治70 魅力85

曹洪
統率81 武力75 知力31 政治38 魅力50

曹仁
統率67 武力95 知力45 政治41 魅力75

曹真
統率93 武力73 知力53 政治58 魅力72
382名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:34:46 ID:l5cKAP590
張遼
統率51 武力93 知力75 政治31 魅力66

徐晃
統率63 武力89 知力67 政治42 魅力77

張コウ
統率75 武力78 知力81 政治51 魅力75

楽進
統率68 武力88 知力40 政治48 魅力70

于禁
統率92 武力76 知力48 政治45 魅力55
383名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:35:17 ID:l5cKAP590
・呉

孫堅
統率89 武力86 知力58 政治40 魅力91

孫策
統率99 武力91 知力47 政治45 魅力89

周瑜
統率86 武力67 知力83 政治51 魅力88

朱然
統率73 武力81 知力53 政治40 魅力72

朱績
統率66 武力63 知力51 政治42 魅力68


384名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:35:48 ID:l5cKAP590
・蜀

劉備
統率94 武力57 知力67 政治59 魅力97

諸葛亮
統率80 武力47 知力68 政治97 魅力83

関羽
統率55 武力89 知力70 政治44 魅力69

張飛
統率58 武力95 知力55 政治20 魅力40

馬超
統率66 武力92 知力31 政治34 魅力72

黄忠
統率52 武力86 知力48 政治37 魅力60

趙雲
統率50 武力91 知力60 政治48 魅力74
385名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:36:22 ID:l5cKAP590
黄権
統率79 武力67 知力76 政治58 魅力75

魏延 
統率69 武力84 知力45 政治42 魅力55

王平
統率86 武力70 知力57 政治42 魅力60

羅憲
統率85 武力71 知力74 政治55 魅力72


以上

個人的な希望では、田豊と孫権の数値をお願いしたい
386名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 19:02:03 ID:Y5hJkEcQ0
羅憲が強すぎる気が
こいつが防いだのは実際には陸抗じゃなく歩協じゃなかった?
統率で十分評価されてるのに武力まで妙に高いのも気になる
まあ審配とかにもいえることではあるが
387名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 19:21:19 ID:YvMQwMRG0
>>386
陸抗も援軍で来てるけど、どうも魏への牽制が主だったはず。
388209:2009/02/27(金) 21:02:10 ID:F0lLFny20
>>378
ご助言ありがとうございます。ただ、私も防衛能力だけでなく、一応統率力
も加味して評価しているのでややこしいことにしてしまっているのだと思い
ます。そこは私の責任でもあります。申し訳ない。

諸葛亮に関しては私も上げるとするなら統率だと思っております。ただ、
その場合は司馬懿の統率も考慮する必要があるかと思います。彼の場合も
知略謀略と奇襲を得意とする戦い方を結構行なっています。逆に4次の時
のように、正面から掛かるようなケースはほとんど見られない。そう言う
戦い方を得手としていたかどうか、ここは一つ検証の余地があるのではと
個人的に思っております。

>>386
羅憲については霍峻伝の裴注などに記述がありますが歩協は城外で撃ち破り、
陸抗が来てからは城に立て篭もり半年以上持ちこたえています。統率は言う
までもありませんが、最初に歩協を城外で撃ち破ったと言う点は武力面での
評価に加味してもよろしいかと思います。他にも後年、任地にて呉の巫城を
攻め取ったりもしています。

蜀は北伐軍ばかり目立ってますが、隠れた名将と呼んでもいい人物ではない
かと思います。

孫権 統率60 武力67 知力55 政治83 魅力91
勇猛で陣頭指揮を執ったり、殿を自らやったりする点から武力はそれなり、
しかし如何せん結果があまりよろしくないので、統率、知力は中の上程度。
魏蜀の間を上手く渡った点を評価して政治は高め、ただし晩年の失政等も
あるので最高クラスとまでは行きません。

田豊 統率42 武力38 知力93 政治82 魅力60
先見性の高さより知力は最高クラス。政略面も充分評価できるので政治能力
も評価しています。ただし剛直で厳しい性格のため、敵も多かった点を考慮
して魅力はやや低めの評価です。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 13:28:16 ID:vO29OP5j0
鳥取市の誘致企業リコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行っていた。
勤務態度不良でリコーのアルバイトをクビ同然で辞めた。

その後、鳥取市のテスコという工場に勤め真面目に働いていた。
「真面目に働いているのはリコーに対する報復」という噂でテスコをクビになった。
直後、テスコの社長から雇用保険の書類をとりに来るよう泣きそうな声で電話があった。
噂は嘘だと知ったのだろう。

雇用保険の手続きのため職安に行った。
職安の次長と相談すると、口止めをされた。
職安と会社は連絡を取り合っていたらしい。

しかし噂は狭い鳥取市である程度広がっているようだ。

リコーマイクロエレクトロニクスに電話を掛けた。
「君はうちのような一流企業が組織ぐるみでやったとでも思っているのかね?」
「そんなことはありませんけど」
「じゃあ会社には関係ないじゃないか」

しかし公的機関(職安)も巻き込んだ組織ぐるみの人権侵害の揉み消しである。
390209:2009/03/03(火) 21:00:06 ID:l3Er6opd0
>>347
そういえば薛悌のこと書くの忘れてますね。統率はほぼビンゴですね。
私の方では統率68に設定しています。ちなみに全能力は以下の通り。

薛悌
統率68 武力49 知力55 政治63 魅力74

配下だった高堂隆が薛悌を呼び捨てにした人を切り捨てようとしたぐらい
慕っていたようなので、上に立つ人間として魅力を高評価、また護軍として
張遼、李典、楽進達のお目付け役を行い、合肥に駐屯していた事実より統率
を高め、清濁併せ呑む柔軟な統治を行なったことを曹丕に評価?されたこと
により政治もソコソコとしています。

超一流とまではいきませんが、充分評価に値する人物かと思います。
391209:2009/03/05(木) 03:10:20 ID:HcifQ55v0
評価に値するってすごい上から目線やな・・・言葉には気をつけよう。
さて、もう誰も見ていないかもしれんが、君主の方がまだ結構残ってる
ので順々に載せておこう。

孔融 統率20 武力37 知力84 政治34 魅力70
すごい評価の難しい人物。機知に富んで、古書をよく知ってる、詩もよく
する、けど実務能力はあまり高くないようで、理想を追い求めたあげく、
青州は失い、最後は曹操に処刑される。まあ、上のような能力かな、と。

袁術 統率23 武力55 知力66 政治31 魅力55
評価の難しい人物その2。一応、策士的な側面が見て取れるので、知力は
ちと高め。政治は低いと思うのですが、統率と武力はどんなモンですかね。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 09:05:14 ID:7AMcFsfH0
>>391
孔融の武力と知力はやや高いと思うが、両者ともそんな感じだと思う
知力だけに関していえば、袁術>袁紹、だと思うし
393名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 11:46:44 ID:NdHhGYZwO
張飛は武力100あってもいいんじゃないか
演義だと曹操が伏兵を警戒したから助かったってエクスキューズがあるけど
正史じゃ掛け値なしの実力での長坂橋だろ
394名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 12:59:12 ID:0FFZKacw0
>>391
後漢書の孔融と三国志の孔融は別人
曹操の政敵だったせいで三国志では扱い悪いよ
395名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 21:29:11 ID:kv2D4AQS0
>>393
長坂橋って橋落として川の向こうの敵に怒鳴ってびびらせてたって話だよね
戦闘行為がないから大して武力を評価することではないと思う
396209:2009/03/06(金) 07:02:46 ID:VYKtbMlY0
>>393
395さんの言うように史実では橋を落として対岸の敵に怒鳴ったエピソード
なのでそこまで武力を評価するポイントにはならないですね。

>>394
一応、後漢書では名声もあり。有能な人物と言うことになってるんですよね。
どちらが本当の孔融像かと言われると非常に難しい。どちらの要素も含んで
いるのかと個人的には思っています。

なので実績のみを考え、袁一族に青州を追われたことから武力統率は低め。
理想の政治を求めたが青州で実績を残した、とは言えないので政治も低め。
見直すとしたらここら辺ですかねえ。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 08:16:24 ID:UfAG1DWq0
普通に読んで、張飛は川を背にして挑戦したんだと思うよ。
じゃないと共に死を決せんと言ってる意味が分からなくなる。

あと孔融は後漢書も三国志注も書いてることほとんど一緒。
ただ、視点が違う。三国志注だと孔融が何をしたいかよく分からんけど、
後漢書視点だと曹操の簒奪を決死の覚悟で阻止しようとしてるのが分かる。
398名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 20:07:15 ID:+ZJwsyVv0
孔融は魅力が高ければ問題無い。
後漢末で優に三指に入る声望を持つ名士だろう
だから曹操は厚遇せざるを得ず、反抗を御しえなくなった時点で殺さざるを得なかった
魏臣中心の「三国志」では、あたかも士人共同体の周縁にいたように見えてしまうけどね
行政実務としての政治や軍事は、まあ、史書に名を残す才吏達を平均とすれば、それ以下かもしれないけどね
399209:2009/03/06(金) 20:23:13 ID:GwIr0HQl0
>>397
原文は「飛據水斷橋」(張飛は川を頼りにして橋を断ち)、とあります。
この場合は川を盾にして橋を断った、と見るのが普通の解釈です。

曹操に簒奪の意思が見え出すのは赤壁後のこと。後漢書の方を見ても曹操
の簒奪を止めようと言うよりも、曹操の政策の細かい所にツッコンで嫌悪
させたり、意固地になって曹操の言うことを聞かない、と言うような内容
が多い。

辞世が「言多ければ事をして敗れしむ」(一言多いのは身を滅ぼす)と言う
のは、本人も己のそういう欠点が身を滅ぼす元となったことを自覚したもの
ではないでしょうか。

実際に実績を残した曹操と比べても、政治で高い評価をつけるのはちょっと
無理があると思います。
400209:2009/03/06(金) 20:31:21 ID:GwIr0HQl0
>>398
確かに、魅力はもっと高くてもいいかもしれませんね。実を取る曹操に
してみたら虚名のようなものだと思っていたかもしれませんけどね。

魅力はもうちょっと検討します。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 21:03:03 ID:+ZJwsyVv0
曹操が本当に「実」を重んじたとするなら、
名士の声望や学識は、曹操が極めて重んじた「実」の一つだと言える。
曹操が辟召し、軍師などの丞相府に任じた人物の八割方は声望高い名士であり、
孔融が従順だったなら、そんな名士群の筆頭格となっただろう。
史実としては、荀ケ・荀攸の脱落をチ慮や華キンが補い、チ慮も不明な理由で脱落した
後の士人達を華キンや王朗が率いて魏公・王、そして帝国の骨子を構築した。
曹丕時代の宮廷は彼ら無しでは成立しない。
国家機能としては、派手な功績が好まれる方任や軍将達は枝葉の部類だと言えるだろう。
402名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 21:59:27 ID:UYu0zLYt0
>>397
水に拠って橋を断ってるし、普通に読めば対岸だよ。
飛據水斷橋,瞋目矛曰「身是張益コ也,可來共決死!」敵皆無敢近者,故遂得免。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 22:23:50 ID:otvI/xcpO
川を盾にしたくらいで張飛に近付くことすらできなかった曹操軍が情けない奴ばっかだったと言うだけの話だな
404名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 22:26:41 ID:BzzvgNcr0
面白い流れになってるな
という事で、ご足労だが>>209には、チ慮、董昭、王朗、華キン、陳羣あたりの
面々の数値を訊いてみたい
405名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 22:37:46 ID:+ZJwsyVv0
曹操の先鋒は数もそう多くはなかったはずで、対岸に待ち受ける張飛の隊を
正面に回して渡河攻撃を掛けるのを躊躇ったのだろう。
川幅とかはわからないけど。
当陽から漢津へ逃げる道だから漢水なのかな。
406名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/07(土) 00:49:47 ID:Czdg4rO20
呂布は?
407名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/07(土) 07:16:05 ID:v8LwCD930
20対5000でどうやって勝つんだ?
ハッタリを用いただけのように思うが
408209:2009/03/07(土) 10:22:35 ID:tgs/34/00
郗慮  統率37 武力22 知力42 政治64 魅力60
董昭  統率24 武力53 知力84 政治80 魅力55
王朗  統率33 武力35 知力49 政治86 魅力76
華歆  統率25 武力31 知力70 政治83 魅力68
陳羣  統率23 武力42 知力69 政治99 魅力80

陳羣は後世にも受け継がれた九品官人法を制定した実績からこの時代最高
の政治力としました(次点に諸葛亮)。董昭は策略家としての側面も見ら
れるので知力も高めです。華歆は伏皇后のエピソードの件がどこまで事実
かで魅力の数値が変わってくるかと思います。王朗は孫策の武略を計らず
に戦いを挑んでいるので華歆よりも知力は低めです。

郗慮は5人の中では一番実績がはっきりしないので評価も一番低くなって
います。

呂布  統率50 武力99 知力26 政治29 魅力83
基本的には張遼と同タイプ(ただし知力は低い)ので武力>>統率として
ます。統率と知力に優れた配下を部隊にいれて、弱点を補うことができれ
ば、かなり有力な勢力になれたかもしれません。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/07(土) 17:41:27 ID:ES42bo10O
何で呂布が死後民衆が祠を立てて祭りたいと願い出たほどの孔明と同じ魅力なの?
これは他の80代以上の人物にも言えることだが
410名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/07(土) 18:10:37 ID:H0xj091B0
九品官人法を制定したからこの時代最高?

おかしいだろ
あれって分水嶺という意味では重要だけど法律そのものはザル法だぞ
411名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/07(土) 19:12:50 ID:ZT1lZKc40
呂布は出身からして一端の士人だろうし、一度は献帝を奉じて董卓を討った者としての
求心力が相応にあったように思われる。だから張バクと交流を結べたし、
エン州でも徐州でも首領として割拠できたんだろうね。
といっても、他の成功した群雄やそれらに重んじられた名士・宰相達と比べると大分見劣りするだろうけど。
俺的には名士群>呂布>その他大勢の武官達 って感じかな
209氏は「魅力」を名士としての魅力に留まらず群雄諸侯の実績や勢力も考慮に入れているようだから、
50を境界とする採点基準で、俺的に考えると

90〜張昭 荀ケ 孔融 劉備 曹操 諸葛亮 孫権 袁紹 劉表 鄭玄
80〜孫策 国淵 袁渙 華キン 王朗 沮授 袁術 許靖 チ慮 盧植
70〜陳羣 鍾ヨウ 夏侯惇 周瑜 董昭 司馬懿
60〜孫堅 呂布 公孫サン 馬超 審配 淳于瓊 (他、60〜80に多くの名士連)
50〜董卓 関羽 李典 鮑信 曹仁 郭図 曹真 黄権 羅憲 薛悌 満寵 (他名太守刺史など)
40〜夏侯淵 許チョ 張コウ 曹洪 王平 (武官でも名声や地盤のある連中)
30〜張遼 楽進 麹義 于禁 黄忠 趙雲 (他、有名武官)
20〜典韋 張飛 (他、多くの武人型武官)

見たいな感じか 確かにチ慮は難しいけど
412209:2009/03/08(日) 00:41:38 ID:HoBLcXRj0
>>410
法律そのものがザルというのはわからんでもありませんが、そもそもあれは漢から魏へ移行する
過渡期に作られたものであり、しかもそれまで長いこと使われていた郷挙里選を大きく変える
登用制度として作られたものですから欠点がいくつかあったとしてもそれは仕方がないものと思い
ますよ。

それでも漢から魏へと仕官したい人物が単にモラルのみの人物なのか、それとも曹操の望む徳行や
品性は劣ったとしても能力に優れた人物かを見極めるか、と言う判断をするのに非常に効果を発揮
した法律でありその点において非常に評価できると法律だと思います。

時期に見合った法律として当初充分機能していたといえるでしょう。むしろ欠点が判明した後にそれ
を改正せずに、逆に改悪化してしまった司馬懿の方に問題があったと見るべきではないでしょうか。

>>409
呂布の魅力は自分でも少し高いと思っています。ただ、口では上手く言えんのですが、呂布の場合邪険
にされても何故か配下の人間がついてくると言う不思議な魅力があるのです。張バクや張超と言った
名声の高い人物と親しく袁紹とも一時期同盟関係にある。陳宮や高順と言った人物は結局最後まで彼
に従っているし、袁渙に関して言えば武器を呂布に突きつけられたりしてことがあっても彼に対して
敬意を払っている。

彼の裏切りの人生を考えると、あの儒教全盛であった後漢末にあれだけ長期間一方の雄として存在し
得たのが不思議に思うのです。で、理由として思ったのが彼には魅力が非常にあったのではないかと
思った次第なのです。
413209:2009/03/08(日) 01:27:11 ID:HoBLcXRj0
>>409
祠を建てて祭るって言うのは結構あちこちで行なわれています。変わった
所では甘寧を祭っている呉王廟と言うものもあるそうです。ちなみにそこ
は現在甘寧公園等、大テーマパークになっているそうです。

じゃあ甘寧は諸葛亮と同じぐらい魅力高くする必要がありますか?となる
とたいていの人がうーん、となるでしょう。

何が言いたいかと言うと死後の祠やら廟やらの話になると、本人そのもの
の魅力と言うよりもいろんな噂や虚名によって過大に評価されてしまう事
があるので魅力を語る上での指針としてはあまり適当ではないと思う、と
言うことデス。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 08:10:22 ID:kf6bed8s0
呂布の魅力が有る程度あるのはいいとして、
甘寧の昭勇廟がいつ作られたのかはよく判らないみたいだよ。少なくとも東呉時代ではなかろう。
諸葛亮のように、死の直後郷里でもない各地で廟を立てる要請が上げられて、
臣下の身分で礼を曲げて朝廷自らが廟を立て、それを以って勝手な祭祀を禁じたというのは
稀な話だし、同列に語ってはいけない。

或いは、演義での甘寧大活躍はこのネームバリューを基にしたのかもしれないなと
関係ないけどふと思った。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 10:48:20 ID:jW60FzUV0
>>413
大テーマパークってほどじゃないと思うがw
呉将軍廟の人気のピークはおそらく北宋・南宋の頃であって現代じゃないしね

>>414
下2行はその通りだよ。例えば丁奉も一地方で信仰の対象になってるから、
演義では登場がかなり早いなどやや優遇されている
416209:2009/03/08(日) 11:05:22 ID:HoBLcXRj0
>>414
ん〜〜、そういうモンですかねえ。ウチ的には廟とか建てられずにそれだけ
長期間民衆から慕われてたって方が凄いと思うんですが・・・それに諸葛亮
の場合はそれだけ蜀国内における権限が大きかったことの裏返しでしょうし、
何より国家戦略としてそういうことが行なわれたってのを個人の魅力として
見るのはどうも抵抗を感じるのですよね。

魏延なんかも死後その功績を認め、罪を取り消されて蒋エンが漢中に立派な
お墓を造っているみたいです。地元の人間は魏大将軍と尊敬し慕っていた、
と言う話もありますし、意外と知られていないだけでこういうエピソードは
あちらこちらに転がっていると思うのですよね。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 11:42:14 ID:kf6bed8s0
ならば関羽の魅力は90オーバーでなければおかしい。

1000年前の英雄の説話が1000年とか900年前に作られたとは限らない。
民間伝承というのは思うよりずっと大きく時代を飛び越えて成立する。
好例が、北宋に至って祀られ、明では武廟の座を太公望から奪った関羽だ。
この場合でいうと、彼らを直接知る人間によって慕われたり、名誉を回復されたりした
諸葛亮や魏延、ケ艾などの例と、甘寧・関羽などの例は全く異なるのだけど、
あなたが同種と判断するのなら、「武神」関羽も同じように評価しないとおかしなことになる。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 11:51:20 ID:379bKDxGO
>>412
呂布の魅力がそんなに高かったら、長安脱出後は引く手あまただったろうな。
だが、実際はどうか?
袁術には断られ、袁紹からは刺客を送られる始末。

>配下の人間がついてくる
↑これってむしろ魅力ではなく統率では?
419名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 12:04:21 ID:kf6bed8s0
>>418
いや。
後漢書によると袁術・張楊・袁紹・張バクと寄る先々で歓待されている。この辺は劉備に似ているね。
そのような待遇に相応しい名声を備えていたと見るべきだろう。
ただ、兵士を野放しで略奪させたり、董卓を偲ぶ李カクの勢力との兼ね合いで居辛くなって転々とした。

この際は「魅力」という数値を、当時の士人社会での名声・著名度を大きく重視して設定するか、
記録に残る具体的な素行人品を重視して設定するかで変わるだろうと思う。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 13:39:30 ID:q/2zlyefO
>>416
誤解してるな
むしろ民衆が勝手に諸葛亮を敬い諸葛亮信仰が増してくのを国家戦略で抑えようとしたんだよ
一個人がしかも故人が皇帝飛び越えて尊崇を受け続けるのは面白くないしね
421209:2009/03/08(日) 18:25:49 ID:HoBLcXRj0
>>417
>>420
何か話がおかしくなってる・・・。もちろんそういうことなら関羽なんか
は魅力100でもおかしくないと思います。ただそれだと本人の評価、と
言う部分から乖離してしまう、そういうのはおかしいでしょう、と言いたい
のです。

諸葛亮にしてもそうです。420さんのおっしゃることは知っていますが民衆
が直接会ってもいない諸葛亮の何をそんなに慕うのか。そういうのは情報
操作等でいくらでもイメージを植えつけることが出来ます。

事実、息子の諸葛瞻の時代は何か善政があった際は「葛侯の為す所なり」と
何でも彼の政治のおかげだ、と民衆は言い合っている。裏を返せば諸葛一族
の徳のおかげだ、と刷りこまれちゃってるとも言える。

魏延に関しても国家戦略以前に、民衆達が自ら慕って祠を作って祭っている
のです。そういう意味では諸葛亮と同じだと思います。

と言うことでそういう話は本人本来の魅力からは乖離してしまうことになる
と思うので意味が無いと思うのです。←コレが言いたい。
422209:2009/03/08(日) 18:36:45 ID:HoBLcXRj0
>>419
私の場合は基本的にあの当時の情勢でどれだけの人に受け入れられているか、
ですね、配下も含めて・・・。

呂布は言われるとおりかなり名声の高い人達からも受け入れられているし、
下の人間の離反も少ない点は結構高評価になると思うのですよね。

人品素行なんていったら曹操なんかは下品な方になっちゃいますよw
423名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 19:54:53 ID:3lrlJZT40
209氏の曹操評、呂布評などはかなりいいと思う

どこを下げるかで問題になるが、曹操の武力、知力は下げられないし、
守備や末端の乱れが問題となる統率を下げるしかない
ここで「大軍は統率が大変なのだ。やはり評価するべき」としたら、
曹操の数度にわたる大敗が表現できなくなる。
このため、コーエーのシリーズは甘々の高能力化の連発でバランス崩壊に至った
同時代最強でも曹操はダントツではない
劉備や呂布にも同条件では2〜3割ぐらいの勝ち目を残した方がいい

司馬懿など司馬一族はどうかな?
最後の勝利者ってことで評価が異様に高くなりがちだけど
遠望無き権力者ってのも言い得てるような
424名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 20:21:23 ID:MsAcUtGk0
>>422
そういうことなら孔融や華キンの魅力を20は上げないとね
425名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 20:34:55 ID:MsAcUtGk0
209氏の能力値の定義は、適用範囲の大きなものから並べ直した方が判りやすいんだろうな

魅力 群雄・士人としての求心力
政治 行政法務能力
知力 軍事戦略以下での立案・決断力
統率 軍を率いた場合の耐久力 大軍の統率力も加味
武力 軍を率いた場合の攻撃力 少数指揮での武勇も加味
426名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 21:12:34 ID:vYjHJlwk0
陳群の九品官人法は司馬懿の州大中正の制で完全に骨抜きにされたっぽいな。
空論というか現実的でないというか
人事ってのは難しいねえ
427名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 00:34:26 ID:JW4gcaE0O
呂布の受け入れって魅力がものをいったのか?
むしろ腕っ節に期待されただけなんじゃないの
428名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 00:46:25 ID:L3IIEyPD0
>>426
元々ザル法で恣意的な運用が可能だったものだから司馬懿のせいにはならんけどな
司馬懿の法改正でさらに恣意的な運用が可能にはなったから全く関係ないわけじゃないけど
429209:2009/03/09(月) 01:11:10 ID:xHCHPtm60
>>428
いや、その元々ザル法って言うのもああいう転換期に作られるものですから
多少の欠点は目をつぶってもいいと思うのですよ。

そもそもイチから全く新しいものを作り出すわけですから改訂やらなしで
いきなりパーフェクトなものが出来る訳が無い。それでも陳群が生存中は
漢に仕えてた人物を受け入れる際の評価基準としてきちんと機能していた
訳です。

何よりあの時代、政治的にアレ以上に評価できそうな事績って余り無いと
思いますが・・・そういったことはまるで評価しない、と言うのですか?
430209:2009/03/09(月) 01:21:27 ID:xHCHPtm60
>>424
孔融は上のほうでも書いていますが魅力の見直しを図っています。
問題は華歆の方ですね。彼の伏皇后に対して行なった行為が事実とすると
そこで魅力を上げて良いものか、サスガに不快感を感じる人間はいるかと
思います。一応その辺りを色々考えてマイナスしているのです。

それが無ければ確かに80台はいってると思います。

>>427
袁紹の所ではそういった要素もあるかもしれませんが、張超や張バクの所は
親しく、とあるので好意を持って受け入れられたと思いますね。何よりそう
でなければ反曹操の旗頭になったりはしないですよ。御輿として担ぐだけの
魅力があった、と言うことだと思います。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 01:30:26 ID:NcqSNZ7j0
>>427
無論呂布の武勇は尊重されただろうが、特にそれのみ期待されたとは書いていないし、
ただの武辺者を名士の張バクや張楊が歓待するはずがない。
当時は経歴と軍事力込みで「名声がある」と見なされたからね。
英雄記を信じるなら、河東に逃れた献帝(一派)もまた呂布に期待していたし、
董卓を討った者という肩書きは少なくない影響力があったようだ。
呂布というのはそれに加えて戦略・政略的思考もできる士人であったようだけど、
目の前の益に流されて一貫した実行力が無かったために
陳宮や陳珪・登親子の不義を招き、最後には配下の分裂によって潰えてしまった。
432209:2009/03/09(月) 01:35:54 ID:xHCHPtm60
>>423
司馬一族も人によって評価が違うから非難されそうで怖いですね。
ちなみにとりあえず司馬懿について

司馬懿 統率64 武力72 知力94 政治75 魅力79

基本的に曹操に近いタイプで、より謀略を駆使するタイプ。統率について、
そのほとんどが自軍が兵力的に有利、と言うケースが多いので、意外にも
評価しづらかった。対蜀戦線における戦いぶりから少々減点。

個人的印象ですが袁紹にもちょっと似てるように思います。
433名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 01:36:44 ID:NcqSNZ7j0
>>430
繰り返しになってしまうが、華キンの伏皇后への行動を以って魅力をマイナスにするのに、
呂布の数々の不義不忠をマイナス評価に加えないのはずるくね?
ましてや、華キンは漢朝廷への不義があっても魏朝での地位名声に陰を落とすことはなく綺麗な終わりを迎えたが、
呂布は自身の行いの応報によって旧来の部下にまで裏切られ破滅を齎したと評価されていて、生前死後の人間的評価に雲泥の差があるのに。
両方高めか、両方低目か、どっちかだよ。
434209:2009/03/09(月) 02:49:13 ID:Etd1eUcx0
>>433
ん〜〜、これ書いていなかったのですが、一応ですね、群雄のトップ
だった人物は多少魅力を甘めにつけているのですよ。

理由としては上に立った人物と言うのは何かしらの魅力が無ければ
一時的とは言え簡単にトップになることは難しいからです。

呂布の場合は不忠不義を働いても配下の人間がついて来ているという
事実があります。それに本当の不忠不義って丁原を裏切った時ぐらい
ですからねぇ。

一方の華歆はその後の周囲の人間がどう思っていたかの記述が見えん
のでそれでも魅力的だったと、読み取ることが難しかったのです。

とは言え、今もう一度見返してみると皇后の件の出典は曹瞞伝か、
呉の人の作だけに呉から魏へと行った彼が実像以上に悪く書かれて
いる可能性はありますね。しかも裴注の龍の話もそういう逸話から
不当に落とされてる可能性がありますね。

すいません、三国志本文の記述をベースに評価、と言う意味では少々
観点がずれてましたね。彼の魅力はもう一度見直ししておきます。

435名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 05:22:41 ID:CbTZ09EM0
>>209
凌統をお願いします
436名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 06:16:58 ID:MzvbymCZO
そういえば宮城谷三国志だと呂布は董卓を倒した漢の忠臣として名声があったっていう書かれかたしてたな
437209:2009/03/09(月) 21:33:35 ID:iNYxDaEp0
>>435
凌統  統率62 武力85 知力46 政治50 魅力78

統率は南郡攻略時に甘寧救出に周瑜達が向かった後、本陣を守っていた点を
評価。

武力は自ら矢面に立ったり、数十人の敵兵を打ち倒したり、等の記述がある
ため高評価。

知力は特筆すべき事績は無い(賢に親しみ、等の記述はある)ので並程度。

政治もあくまで武官なのでそこまで高い訳ではないが、後に左将軍となる
留賛を推挙していることなどからやや高めの評価としておいた。

魅力は若くして国士の風格を備えており、昇進後も故郷を通りかかった際に、
役人に対し礼を尽くすなど、魅力ある人物。
438名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 22:09:59 ID:e3B9OfAR0
>>432
とりあえず、サンクス!
しかし、どれを見ても諸葛亮とのバランスがとれないんだよな・・
正史で誅殺を怖れてわざと負けたってのはないから、微妙だ・・
魏だって防ぎきれればよしと思っていたとしても、追撃できなかったのは誉めようがない

政治・・軍事力に裏打ちされたとりあえずその場限りの政権奪取、維持と戦略はできる能力。70代。OK
魅力・・人間的魅力は乏しいが、名士の代表。70代。OK
知力・・呉や蜀を攻めきれなかった。二度の奇襲を評価しすぎのような。周瑜より下では。70代だと思う。
武力・・知力は下げる代わりにこちらを維持で。70代。OK
統率・・70代でもいいと思うが、諸葛亮とのバランスで60代でいいだろう。OK

知力はせめて80代(本当は70代)が妥当な評価ではないでしょうか?
439名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 23:24:48 ID:L3IIEyPD0
>>432
司馬懿が謀略を駆使するタイプ?
どっちかというと軍事畑の人だぞ
一回失脚食らってクーデターでうっちゃったように謀略はむしろ苦手
440名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 23:51:37 ID:NcqSNZ7j0
あんまり関係ないけど司馬懿は失脚してない
太傅督中外諸軍事司馬懿
尚書令司馬孚
中護軍司馬師
魏王朝の権勢を曹爽派とがっちり分割している。

ただ、これを二分というには曹爽の権勢が圧倒的だっただけ。
この状況で曹爽を不意打ちして独裁体制を固めた。
441名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 02:50:47 ID:bv0s/4oN0
>>440
一時隠棲をしないと命の危険を感じる状況に陥るのが失脚でないとな
442名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 05:55:27 ID:VCgMJgy30
>>441
隠棲は曹爽派の警戒をやり過ごすための行動で、思慮深さ≒知力として評価するべきだろう>仲達
それより、>>209は統率は7〜80代で良いと思うが。
戦力的に上だったのが殆どとはいえ、大軍を率いて確実に戦果を挙げてる訳だし。

>>434
その配下たちが付いて来たのも、
個人的武勇&騎兵戦での圧倒的強さであって統率・武力方面じゃないか?>呂布
とくに目下の人間(将兵・民衆)を大切にした、或いは慕われたエピソードもないし。

群雄・名士たちとの関係も、
呂布が裏切ったか、逆に警戒・忌み嫌われ破綻、って言う破局ばかりなのもねえ……
武名込みで魅力5〜60位かと。
443442:2009/03/10(火) 05:57:15 ID:VCgMJgy30
間違った、209さんの>>432ね。
444209:2009/03/10(火) 06:40:05 ID:ne3IyABT0
>>438
>>442
難しいところなんですけどね。曹爽討伐の出来事も明らかに謀略の類だと思っている
ので、その辺りも加点しているのです。それと司馬懿の場合、単に奇襲だけでなく、
相手を騙しすかした所に不意打ちをかけることで、戦意を喪失させて勝利している。
戦う前に大勢を決するような戦いが多い、言わば実際の戦闘そのものよりもかけひき
の上手さを表現する要素として知力の高さを表したのです。

そういう意味で実は統率の評価が難しい、と言うことにも繋がるのですけどね。既に
相手が戦意を喪失しており、しかも兵数も有利、となれば余程指揮官がヘボでもない
限り負けないでしょうから。

で、唯一ガチで戦ったと思われる対蜀戦があの結果、なので私としてはあまり
統率を高くは評価出来ないです。と言うか60台って立派に名将の範疇になる
のですけどね、私の評価基準では。

まあ他にも呉の朱然らが樊城を包囲するのを、自ら軽騎兵を率いて退却させる
等もそういう奇襲、不意打ちの類になりますよね。
445209:2009/03/10(火) 06:55:27 ID:ne3IyABT0
>>439
曹爽との一件はどちらかと言えば政治闘争で破れた、と見ています。なので
むしろ政治能力の評価として、極端に高くは設定しないようにしたのです。

>>442
呂布の警戒、忌み嫌われと言うのは袁兄弟のトコぐらいですね。他は比較的
良好ですよ。更に言うと、目下を大切にしたというエピソードが無いのにも
関わらず、下の人間の大部分が最後の最後まで離反しなかったことは魅力と
して評価すべきではないですかね。

と言うか敗者側ですから、人間的に魅力があったとしてもそういうエピソード
を簡単に書くはずも無いでしょうからね。
446442:2009/03/10(火) 07:59:09 ID:VCgMJgy30
出勤前にもうチョットだけ

>>448
策士としての頭脳>>将軍としての指揮能力 というわけですね。
60台でも名将なんだ……自分は、三国でも最大規模の魏で大軍の指揮を任され
何度も功績を挙げた(遼東討伐も彼でしたっけ)、というのを高く買ってもいい気がしたのですが。

>>445
言われてみれば……
でも、陳宮は曹操にハッキリと造反したから戻りようが無かったしなあ。
個人的に魅力7〜80以上は、名君・名士としての評、もしくは人格を称える逸話の無い人物には違和感ある。
まして、正史でも裏切りの代名詞である武将だし……
447442:2009/03/10(火) 08:01:29 ID:VCgMJgy30
また間違えた、>>448>>444 だわw

逝ってきます(仕事へ)
448名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 19:36:45 ID:ohjx5G+b0
438だけど、自分は209さんと真逆ではないが、
442さんとはほぼ真逆だな

呂布こそ、もっと評価されていいと思う。魅力80代はちゃっと高いとも思えるが。
司馬懿のクーデターが知力に認められるなら、警戒されるヘイ州派閥でありながら
成功させた呂布も50代ぐらいでもおかしくないと思えるな
戦略ミスは政治で十分、表現されているし。

司馬懿は知力を下げないなら、思い切って、武力50代でいいと思う。
純粋な正面激突は苦手で、諸葛亮に勝てないところが表現できそうだ。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 23:07:13 ID:XyBvaMg7O
仲達は追撃出来るときは必ず追撃し勝ってるからどっちかと言うと攻めのタイプでしょ
朱然程度なら退けてるし対蜀で失敗したのは孔明の野戦能力が化け物レベルなだけだと思う
450名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 23:27:03 ID:cQlQZYjI0
確か朱然は樊城包囲中で
司馬懿の救援軍が来たら退却したんだっけな。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 23:27:37 ID:BdHcigT30
サッカー風採点
曹操 統率7.0 武力8.0 知力7.0 政治6.5 魅力6.5
劉備 統率6.0 武力6.0 知力6.5 政治6.5 魅力7.0
孫権 統率6.0 武力4.5 知力7.0 政治7.0 魅力7.0

孔明 統率8.0 武力5.5 知力7.0 政治8.0 魅力6.5
仲達 統率7.0 武力7.0 知力8.0 政治7.0 魅力5.0
452名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 00:51:32 ID:qa1RDlND0
>>449
朱然程度って言うけど、朱然も呂蒙が跡を継ぐよう指名した人物な訳だし、
充分名将の範疇に入る。諸葛亮の野戦能力が化け物レベルと言うが、朱然
と比べてそこまで極端に諸葛亮の方が上と言うことはない。

本来、攻撃と防衛を比べると、攻撃側は部隊の動きが流動的になり、統制
が取りづらく、防衛側がきちんと統率されていれば余程の戦力差や攻撃側
の士気が高くない限りは防衛側の方が有利に戦いを運ぶことができる。

諸葛亮の場合は恐らく陣地を構築し相手を迎え撃つ方法をマニュアル化する
ことで、防衛戦術としてある程度の戦果挙げることができたのだと思う。

しかし当然それだけで戦は勝てるものではなく、こと攻撃に関しては防衛側
の弱点をつくような戦い方をしないとなかなか勝てるものでもない。そして
そういった方面においては素早く状況判断し、臨機応変に動くことが重要で
あったと思われます。

魏の張コウや彼と同等の評価を得ている張遼達はそういうことができた。
だからこそ張コウ辺りは諸葛亮以下蜀軍に恐れられていたのだと思うのです。
何をしてくるか読めないところがある。諸葛亮の場合はそこまではなかなか
できなかった、用兵家としてのそこが諸葛亮の限界であり、陳寿の応変の
才略は云々、と言う評価に繋がるのだと思います。
453209:2009/03/11(水) 01:37:26 ID:qa1RDlND0
あ、名前のところの209が抜けていた。452は私が書いたものです。

ちなみに司馬懿が退却する蜀軍を追っていますが退却時は部隊が陣を
払い、それまで統制されていた軍が動き出すため、隙が生じやすい。

司馬懿はその辺りを考慮して攻撃を仕掛けたのではないでしょうか。
そういう意味で相手の隙をつこうとしてる訳なので兵法としては理に
適っている。
454名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 10:31:00 ID:yA76OJaKO
司馬懿は諸葛亮に敗れる(死んだのは張コウだけど)前は当然として後でも呉軍に対して追撃を行い
どちらも成功してるからやっぱり諸葛亮の野戦能力はかなり高いと思われるね
結果論に惑わされず攻撃出来るときは迷わず攻撃!な司馬懿もカッコいいけどさ
455名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 18:45:44 ID:bjf1cukP0
諸葛亮の野戦の強さというのは、多分、組織された強い軍隊を錬成し十分な装備を用意し
兵站を整え大軍を混乱無く戦場へ投入する能力、だったように思う。
その強さを統率に振るか、武力か政治か、というのは考える面白さがあるところだと思う。
456209:2009/03/11(水) 20:24:36 ID:gPvqJqZB0
>>454
>>455
455さんのおっしゃるとおり、諸葛亮の野戦の強さと言うのは軍隊を混乱
なく戦場に投入し、戦闘時に決まりごとを設け、動きの無駄を無くすこと
だったと思います。

そしてそう言う軍団が一番得意とする戦い方と言うのが、陣地を構築し、
そこに攻めてくる敵を撃退する手法だと思うのです。一度陣が構築される
と、その中の各部隊の動きと言うのはより限定され、結果として各部隊の
行動が明確になるので迷いが無く、より統制が取れることになるのだと
思います。

特に連弩の改良は防衛目的とすればかなり効果を発揮したと思われます。
457209:2009/03/11(水) 21:01:46 ID:gPvqJqZB0
>>454
>>455
ただし問題点は当然あり、上でも書いてますが柔軟な動きと言うのは取り
づらくなってくる。234年の時もあれだけ司馬懿を挑発しながら自らは戦闘
を仕掛けなかったのはそういう軍団の特徴が逆に攻勢にはあまり向かない
編成になっていたからではないでしょうか。

それと諸葛亮は退却する時必ず伏兵を配置していますが、これも軍を動かす
際に生じる隙を突かれることを防ぐためと思われます。非常に慎重で、ある
意味王道と言えば王道の用兵でしょうか。

ちなみに231年の退却の時には確かに張コウを討ち取っていますが、ここで
魏側を打ち破った、と言う記述はありません。晋書では逆に司馬懿の方が
大いに打ち破ったと言う記述もあります。話半分とみても敗者側にはその
事実を記述しない、と言う陳寿の書法から実は蜀側の被害も結構大きかった
とも思えます。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 21:39:38 ID:/AwP0Qbc0
なるほど
確かに209さんの言われることは分かります
もはや真相も分からぬことなのは承知だが

しかし、三国志正史では、司馬懿の批判は許されないだろう
司馬懿が大勝したのなら、正史本文に書かれていないのはおかしい
また、その後、蜀が魏軍と対峙できたことのも説明できない
この場合の信憑性は漢晋春秋>>>>>晋書

蜀漢正統論者とはいえ、東晋の人が司馬懿の敗北を捏造するとは思えない
張コウも戦死していることから、とりあえず撤退させたので、不問にされたのが真相と思える
記述しなかったのは、司馬懿バイアスと考えた方が納得いくのでは
蜀が圧勝かどうかはさすがに微妙だが
459名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 23:47:40 ID:yA76OJaKO
司令官である張コウが戦死してるのに勝ちや引き分けというのはちょっと考えにくい
張コウがいわゆる猪突猛進タイプで必要のない冒険を冒しうっかり討ち死にするタイプとも考えられないし
460209:2009/03/12(木) 02:36:39 ID:Pm9h3FuP0
>>458
>>459
だからこそおかしいな、と思うのでしょうね。張コウがそうなるというのは
いくつか考えられるのですが

1.急襲用の追撃のために軽騎兵のみで攻勢をかけたために兵数が少なく
 張コウも前線に立つような状況であった。
2.飛んできた矢が流矢(集中して飛んでくる矢)ではなく、一般的な流れ矢
 と言うタイプで本当に張コウにとっては運が悪かった。

2の場合は本当に運が悪かった、と言うしかないでしょうね。孫堅やホウ統の
ケースと同じ、とみていいのではないでしょうか。

問題は1の場合で、追撃を成功させるため蜀軍が不意打ち部隊の配置を終える
前に急襲できるよう敢えてそういう編成で突っ込んだか、司馬懿によってわざ
とそういう部隊編成で追撃させられるようになったか。

司馬懿の謀略で死亡云々説が出るのって、ここで追撃の先鋒として部隊を編成
させられたのか、もしくはそういう司馬懿の意図に敢えて乗る形で張コウが
無理な追撃を行なったのか。

まあ小説家ならそこから話をあれこれ膨らますんでしょうけどねw

晋側勝利の記述がない、と言うのは三国志本文には司馬懿本紀がなく、他の
魏の有力武将が張コウぐらいしかいないため、当の張コウが死んだことにより
書きようが無かった、とも考えられますね。

それと諸葛亮側でもその前の陳倉攻防の際には追撃してきた王双を一戦して
破り王双を斬った、とありますがこの時は張コウ軍を破って、と言う記述が
見当たらないのですよね。

そうなると2になるのかな。実際は運悪く矢に当たったために魏軍は追撃を
中止、蜀軍も撤退。でその後張コウは戦病死。まあ、面白みのない結論には
なりますがそういう辺りが真実に近いのかな、と思います。

何にしてもこういう考察は武将の能力云々とかとは別に面白いモンですね。
461209:2009/03/12(木) 03:17:49 ID:Pm9h3FuP0
>>446
大分上の方でも書いているのですが元々私の能力値は200上限で作って
いたものを100上限に換算しなおして数値化したものなのです。そうすると
だいたい100辺りが閾値となって100以上(ここでは50以上)になる
とそれなりに優秀、と言うイメージになるのです。私のパラメータで主な
武官の統率が軒並み50以上になっているのはそのためですね。司馬懿の
場合は

司馬懿 統率128 武力144 知力188 政治150 魅力158
諸葛亮 統率160 武力 94 知力136 政治194 魅力166
周瑜  統率172 武力134 知力166 政治102 魅力176

朱績  統率132 武力126 知力102 政治 84 魅力136

朱績は立伝こそされていませんが父の名を汚さないぐらい優秀な人物と評価
してます。その朱績と比べてもトータルで如何に3人が優れているかが理解
いただけるかと思います。

ちなみにほとんど名前だけで詳細な事績の少ない人物の場合
管承  統率 62 武力106 知力 79 政治 62 魅力 66
従銭  統率 46 武力 95 知力 62 政治 35 魅力 50

それでも管承ぐらいなら使いどころはあるかも、と言うぐらいのパラメータ
ですが上記の人達との差は歴然です。
462435:2009/03/12(木) 11:00:49 ID:9p2vaYra0
>>437
ほぼ完璧にイメージ通り、納得の数値でした(欲を言えば武力にあと数ポイント欲しいくらい)
評価の理由まで丁寧に書いてくださって嬉しいです
レスが遅くなりましたが、ありがとうございました
463名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 12:59:46 ID:D1G6j2t3O
>>460
仲達は追撃に賛成してるから負けたと書けなくてぼかした可能性もあるんじゃないかな
張コウは追撃に反対してるし伏兵も当然予想してるだろうから編成が悪かろうがむざむざ殺られるような動きはしないと思う
むしろ仲達追撃賛成張コウ反対の前振りから推して理解してくれ(BY陳寿)ということでは
464名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 13:00:48 ID:vSibKY/A0
>>461
漢晋春秋を晋書よりも信憑性の高いものとする前提で訊ねるけれど、
その数値で司馬懿と諸葛亮が会戦を行ったとして、祁山での戦いの様に
諸葛亮が司馬懿に勝てる?
465名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 17:48:59 ID:D1G6j2t3O
仲達VS孔明についてこういう戦いもあったみたい

臣先遣虎?監孟(琥)〔?〕據武功水東,司馬懿因渭水漲,以二十日出騎萬人,來攻(琥)〔?〕營。臣作(竹)〔車〕橋,越水射之,橋成馳去。*《太平御覽》卷七十三。

孔明はここでも勝利をおさめてるね
466458:2009/03/12(木) 22:24:14 ID:AzcXdRgt0
能力値を変えさせるつもりはないけど、
>>464のとおり、バランスとれないな
演義における諸葛亮神格化による過大評価をおそれるあまり、
多くの人が過小評価に傾いているように思える
それに比べ、正史の司馬懿バイアスはほとんど考慮されていないんじゃないかな?
曹操が超一流の器用貧乏なら、司馬懿は一流の器用貧乏って感じが自分の評価

>晋側勝利の記述がない、と言うのは三国志本文には司馬懿本紀がなく、他の
>魏の有力武将が張コウぐらいしかいないため、当の張コウが死んだことにより
>書きようが無かった、とも考えられますね。

これはあまり考えにくいな。始祖・ 司馬懿の大勝利なら、晋がその史実をもぐりこます
ように本紀あたりに書かせるだろう。司馬懿大勝利が大本営発表だったがゆえに晋も沈黙したと
考えるのが妥当。陳寿がそこまで抵抗できたとは思えない。
漢晋春秋は高名な東晋の名士によるもので歴史の闇を明らかにする性格の方が強い

運悪く矢に当たったってのもちょっと反論
鉄の鎧をつけ、護衛がいる指揮官が正面に敵を見据え、ただの流れ矢で死ぬ可能性は非常に低い
暗闇か不意をつけたか、奇襲に成功したのだろう。
もちろん、親衛隊全滅の大敗か、たまたま矢が鎧の縫い目にあたったかで違うだろうけど

司馬懿がその能力値なら、諸葛亮の統率は最低90以上(できれば95以上)
にして、新陣形、兵器の創始者としての部分を評価してやった方が妥当と思う
467名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 23:43:20 ID:4RTtETRi0
> 司馬懿の大勝利なら、晋がその史実をもぐりこますように本紀あたりに書かせる
荀勗の反感をかってるし晋が注文をつけるというより
陳寿が自主規制をしながら書いたと考えるほうが自然でしょう。
漢晋春秋は諸葛亮を礼賛してる書で
歴史の闇を明らかにするというより思想書の性格が強い。
戦果の誇張は当然として漢晋春秋も晋書も内容から疑う必要があると思う。

諸葛亮の安定感をみると統率はもう少しあっていいと思うけど
一度の戦闘で能力の相関を決めるのは短絡的ではないかな?
468209:2009/03/13(金) 01:03:34 ID:c0Q1lK3c0
>>465
太平御覽って、張コウが木の下が削ってあるのが気になって覗いたところ
を狙い撃たれたって話が載ってるヤツでしたっけ。あれは前代にあったと
言われるエピソードを焼きなおしたり、不注意な引用があったりと使用する
には注意が必要だったかと思います。

>>466
司馬懿が一流の器用貧乏と言うのは私も賛成です。んでまあ能力値の比較ですが、
確かにあのままだと司馬懿の方が有利になるのですが、統率と武力の関係について、
ゲーム的な説明になっちゃうのは勘弁していただくとして、部隊編成による能力の
補正を考慮しています。

張コウ別軍を除いた司馬懿本軍の能力値は変わりません。基本的にアノ部隊では張コウ
以外に司馬懿の能力を超えうる配下と言うのはほぼ皆無ですので。郭淮も行動を共には
していないようですしね。

一方諸葛亮側ですが王平は単独で張コウに当たらせるので別軍扱いとしても直接指揮する
配下に魏延がいます。彼を諸葛亮軍に組み込んだ場合、彼の武力が諸葛亮よりもかなり高い
ため部隊補正がかかります。その場合の両者の比較は、

司馬懿 統率128 武力144 知力188 政治150 魅力158
諸葛亮 統率160 武力152 知力136 政治194 魅力166

となります。武力の数値は

軍団長を超える武将の能力値×0.8+軍団長の能力値×0.2でだしてます。

こうなると武力、統率共に司馬懿を圧倒することになり、正面から当たった場合
諸葛亮の方に分があると思います。

一応戦場においてはそう言った軍団全体の総合力がモノをいうと思いますので、
そう言ったことも考慮して能力値の設定は行なっているのです。結構タイヘン
なんです・・・。
469209:2009/03/13(金) 01:20:03 ID:c0Q1lK3c0
>>466
矢の件について
張コウの矢が当たった部分と言うのは右ひざの辺りです。上半身をガード
する鎧はありますが、下半身までカバーするようなものが使用されるように
なるのはもっと後年の話です。そういう意味では普通に流れ矢が当たる、と
言うことも充分あり得る話です。

また、連弩などのようなものから発射されるものに関しては、鎧はおろか
盾ですら貫通することがあるぐらいですから、正面で鎧を着ていたからと
言って安全と言う訳にはいきません。鎧に関しても一枚板から作られる俗
に言うプレートメイルと言うのは当時の中国には無く、鱗状の金属の札を
重ねた魚鱗甲と言うものがほとんどです。当然札と札との間に隙間は生じ
ますので、矢が当たれば簡単に怪我をする恐れはあります。
470209:2009/03/13(金) 01:34:44 ID:c0Q1lK3c0
騎兵で使われた鎧は魚鱗甲でなく、裲襠甲(りょうとうこう)だった。失礼。
ちなみに騎兵の方が歩兵よりもさらに軽装になります。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 05:57:00 ID:8jZ0Xumj0
>>469
諸葛亮の元戎はあんま威力が高くないって話だけどな
472458:2009/03/13(金) 05:57:03 ID:xnoXrlbo0
>>467
おおむね理解できるが、一つだけ反論

>漢晋春秋も晋書も内容から疑う必要があると思う。

繰り返しになるが、東晋の名士が王朝創始者の敗北を捏造できるできるとは思えない
漢晋春秋は別に家伝というものではない

裴松之などの反応を見ても、ただの諸葛亮ファンでは説明はつきにくい
諸葛亮の功績の記述が正史で少ないことに対する、公憤といった感じになっている

司馬懿と対陣してしまったがために、実績が隠されてしまった諸葛亮の実績を明らかにする
意味があるのではないか
裴松之はわざわざ怪しい資料すら引っ張り出し、自分で否定するようなことまでしている

司馬懿を持ち上げるために、勝てなかった諸葛亮を持ち上げた説もあるがそれは肯定しない
晋書のように司馬懿大勝利の記述がある方を正史と認めた方がいいし、
東晋の時には、そんなメリットはほとんどない

>>209
お疲れさまでした。とりあえず了解しました。
下半身は守っていなかったのか・・。
それでもなかなか流れ矢があたるものではないと思いますが。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 10:05:49 ID:zOkzxM3eO
>>468
くだんの孔明の上表ってのは川の東西に分かれて布陣してたら雨で川が渡れず分断されたと踏んで仲達が攻撃仕掛けたら
目論みが外れて矢をいかけられるわ渡河されるわで退却したって話だろ
別におかしくないし史記のパクリが明白な話と同列に扱うのはどうよ?
474209:2009/03/13(金) 20:22:04 ID:XWnnxN3m0
>>473
この話って234年の五丈原の戦いの時のはなしですよね。私も一応話は
知っていますが、この時は、蜀軍の孟琰が南北に流れる武功水の東側に
陣取って、蜀本軍は武功水西の五丈原に陣を敷きます。

一方の魏軍は武功水と東西に走る渭水がぶつかる辺りに渭水を背に諸葛亮
本陣と対峙します。ある時、渭水が増水したため武功水も増水し、東西に
分かれた蜀軍の連絡が絶たれたか、と思った司馬懿は兵を派遣して孟琰を
攻撃しようとしました。それを知った諸葛亮は急遽橋を渡し、孟琰を援護
するために射撃を行なった。

渡河が可能になった状況を確認した魏軍は後退した。

別にこれによって蜀軍が大きく陣を進めた訳でもありません。渡河が可能に
なったと言っても諸葛亮は相変わらず五丈原に陣取ったままですし、司馬懿
もこの戦によって陣を大きく後退させた、ということも無い。

この程度の小競り合いで蜀側が大きく勝ったというのは明らかに誇張表現で
しょう。

そもそも太平御覽と言うのは宋代以前にあったいろんな書から情報を引用した
百科事典のようなものと言ったら良いでしょうか。種々雑多な情報が載ってい
るため、過去の書が散逸して失われた記録を調べるには便利良いですが、何分
書の性格から誤記や不注意な引用、過去の事績の焼き直しもあったりと各内容
の信憑性もさまざまです。

そういう所から引用して情報を載せるからにはきちんと検証を行い、事実関係
を確認した上で載せないと下手な誤解を与えることになります。だからこそ、
使用には注意が必要、と書いたのです。
475209:2009/03/13(金) 20:38:05 ID:XWnnxN3m0
それとこの戦いの最中、諸葛亮は膠着状態を打破するため迂回部隊を西進
させ、渭水北岸にある北原を制して魏軍と隴西の連絡を断とうとしていますが
あらかじめ動きを読んで、司馬懿に派遣された郭淮によって進軍を阻まれて
います。

さらにその後、西進を失敗した諸葛亮は西方に固執しているように見せかけ
つつ、東へ部隊を派遣して手薄になっている陽遂から、渭水の渡河を試みて
いますがこの行動も郭淮に読まれ、陽遂の兵力は増強され、渡河は阻まれて
います。

上記内容を載せるなら、当然こういう諸葛亮が進軍を阻止されている、と言う
事実も載せないと不公平と言うものじゃないでしょうか。

一方的な方面からのみの話だけでは片手落ちというものであり、それだけで
人物の能力を推し量れるものでないことだけは間違いないと思います。
476209:2009/03/13(金) 21:33:14 ID:XWnnxN3m0
>>472
東晋時代と言うのは前秦に北方(中原)を押さえられた状態で南方に成立
した王朝です。心情的には三国時代でいう、呉蜀の方に親近感が湧くように
なっています。事実、西晋末には既にあちこちに諸葛亮を賛美するような
逸話が出てきます。

論語に「君君たり、臣臣たる」とあるように、君主が相応しくないならば
危難を避けても良いというのが倫理の中にありました。

ですが匈奴の進出に追われて東晋が成立すると「君君たらずとも臣臣たれ」
という倫理観が発展し、同じ亡命王朝の蜀漢の再評価の機運も起きてます。

そういう歴史的流れの中、諸葛亮が持ち上げられる、と言うことは充分あり
得る話です。

張コウの矢の話については結構きっちりとしてるなと思うのですが、陳倉攻防
時の王双は「破って斬り殺した」とあります。こういう部分の表現はかなり
きっちりと書かれ、関羽が官渡で顔良を倒した時は「刺し殺した」と表現され
顔良は槍のような武器でやられたのだな、と言うことが伺えます。

張コウは諸葛亮伝で射殺した、とあるだけで蜀側が勝ったと言う記録が無い。
王双の記述を基に考えるならもし蜀側が魏の追撃部隊を撃退したのであれば、
当然ここも「魏軍を破り、張コウを射殺した」と言う表現になっていないと
おかしいのです。

それがないというのは考えられる要素としては

1.追撃戦で大きな戦闘は発生しない内に張コウが負傷し魏軍が退却した。
2.追撃戦で蜀側の被害も大きく、さすがに勝利したと記述できなかった。

およそこの二つのどちらかでしょうか。私は1かなぁ、と思っているのです。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 21:36:24 ID:xnoXrlbo0
次はよかったら、郭淮と姜維、ケ乂をお願いします
478名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 23:54:09 ID:ZnKOHBLj0
陸遜、陸抗親子も頼みます
479名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 08:01:08 ID:h19ata4DO
>>475
それは司馬仲達が郭淮のお陰で助かったという話で二人の優劣には関係なくね?
その話で郭淮の知力を上げようという話にはなっても司馬仲達の評価が上がるどころか
部下がしっかりしてたから何とかなった無能な上司と評価を下げることにしか繋がらない
480209:2009/03/14(土) 09:24:38 ID:mooB/Nir0
>>477
姜維 統率76 武力85 知力60 政治18 魅力69
張嶷 統率50 武力82 知力75 政治66 魅力74
張翼 統率48 武力67 知力64 政治56 魅力57

ついでなので姜維の北伐とかかわりのある人物を一緒に何人か。
姜維は武力統率は戦績から高評価、また知力も漢中の守備をより攻撃的なもの
へ変更したり、策をめぐらせている点よりそれなりに評価。政治はまぁ、彼の
立場も察してください、と言うことです。

張嶷は気性が激しく数々の武勇伝がある一方、知略面での冴えも見られ、南蛮
平定でその才を遺憾なく発揮する。また費イの災いを予見したりもしており、
武力と知力は高評価。また異民族統治に成功し、実質的な南蛮平定の功績者の
1人と言えるであろうことから政治も高め。

張翼は北伐に反対した1人でそこでの実績はあまり良く分からない。南方では
統治で異民族に対し融通を利かすことが無かったため反乱を招いている。後の
処置はヨシとしてもそれまでの経過より政治等はちょいと低め。
481209:2009/03/14(土) 10:18:08 ID:mooB/Nir0
>>479
それを言うなら司馬懿が孟琰を攻撃したのだって司馬懿が派遣した軍であって
司馬懿自身が直接指揮したものではないでしょう。先にこの件で司馬懿と諸葛
亮の勝敗を言っていますが、完全にお門違いと言うことですよ。そういう所を
何で片方だけ都合よく見ようとするのですか?

しかも郭淮が別働隊を率いたのも他の諸将が反対したのを1人司令官の司馬懿
が賛成して派遣したもの。これでどうして無能な上司と言う話になるのか?
この時はむしろ諸葛亮の動きが司馬懿と郭淮読み取られ、蜀側が後手に回って
いる、と言う事が両軍の動きから読み取れますが、どこをどう読んだら司馬懿
無能論に繋がるのかが理解できません。

479さんが473さんだとすれば言ってることが矛盾だらけですよ。

私は諸葛亮の能力を他の人が予想するよりは知力とか少し低めに見ているかも
しれません。ただ、これは事績や陳寿の諸葛亮評を尊重した上でのものです。
全ての基は史書の三国志になる訳ですから。そこに諸葛亮が好きとか嫌いとか
はありませんし、能力を判断する上ではそういう要素はジャマにしかならない
と思っています。あえて言うなら三国志に出てくる人物には皆敬意を払います。
無能だとか言う言葉は軽々しく使いません。自分だったら名も残せないでしょう
から。

むう、何かとっちらかってきた。つまりですね、1人だけを追っていたら能力値
なんて作れないってコトデスヨ。相手がいて配下がいて上司がいて、そういう
いろんな人物との兼ね合いの中でその人の役割ってのは浮かび上がってくるし
それによって周りの人間の能力もある程度比較対照として成り立ってくる。

でも、特に熱烈?な諸葛亮信奉者は諸葛亮の良いトコだけを引っ張り出して、
彼の悪い部分を見ようとしない。結果としてできた歪んだ諸葛亮像が三国志
演義の諸葛亮でしょう。それは本当にその人物を評価している、と言えるの
でしょうか?私はそうは思いません、以上です。この件はもう話しません。

本当は魏のケ艾とかの能力も載せるつもりでしたが、少し頭が冷えてからに
します。
482名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 11:25:40 ID:98CkSZBMO
姜維と張嶷の武力差が僅かって、ちょっと疑問
張嶷が高過ぎる気がする様な
483名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 11:49:30 ID:GnM82jqc0
>いろんな人物との兼ね合いの中でその人の役割ってのは浮かび上がってくるし
>それによって周りの人間の能力もある程度比較対照として成り立ってくる。
ド正論だと思うけどね。
あなたの設定した全人物の能力値をソート機能付きでリストアップでもしなければ
見てる方は「一人だけを追って」対応する以外に得ないよ
484名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 12:12:56 ID:dPf9OIXS0
>>481
陳寿の諸葛亮評をちゃんと読んだ?

然連年動衆,未能成功,蓋應變將略,非其所長歟
応変の将略が「もしかしたら」得意でなかったのかもしれない

と言ってるのに「もしかしたら」じゃなくて確定的に「得意でなかった」と言い張るのは
自説に頑迷に拘泥し過ぎじゃない?
485名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 12:31:55 ID:v2yKD1f90
>>482
正史基準なら、武力に関しては姜維と張嶷の差はこれ位だろ
>>480は統率で差をつけてるし。

姜維評は妥当だと思う。場面場面では勝ち戦も結構挙げてるし
単なる武辺者でもないけど、惜しむらくは視野が狭すぎた、ってのが良く出ていて。

209さんは自分と意見の違うところもあるけど、結構冷静に論じられてるし興味深く読ませてもらってマス
(落ち着いたら蒋エン、費イ、董允、楊儀あたりもお願いします)
486名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 12:55:25 ID:sLLbrjd00
残念なことに

然れども連 年衆を動かし、未だ成功すること能はず。

の方がはるかに重要。
「もしかしたら」より「おおよそ」「おそらく」の可能性もありうる。
自論に都合のいい解釈だけして
相手に「頑迷に拘泥」と言い掛かりをつけるのはちょっと攻撃的じゃないの。

李厳が余計なことしなければ
第四次あたりで明確に諸葛亮>司馬懿になった可能性はあるけど、
「亮慮多決少,必安營自固,然後芟麥。吾得二日兼行足矣。」
「亮志大而不見機,多謀而少決,好兵而無權,雖提卒十萬,已墮吾畫中,破之必矣」
など司馬懿には舐められまくりだ。
魏延、高翔、呉班、陳式あたりがそれなりの評価なら
別に騒ぐほどの評価でもないように思うが。
487209:2009/03/14(土) 13:25:55 ID:mooB/Nir0
少し頭冷えた。

>>484
もちろん読んで理解してますよ。実際戦果を上げ切れてない。部分的には
見るべきところがある、だから超一流に少し届かないが統帥者としては及第
の60台の数値にした、ということです。得意でなかったと言い張ったり
してる訳でもない。本当に得意で無いなら私の場合30、40台ですよ。

>>483
いえ、なので一応関連していきそうな人物は挙げていくようにしていますし、
その数値の比較理由も説明していってるのです。全人物と言っても今の段階
でも3000人以上いますので、簡単にリストアップできるようなものでも
ないのです・・・。

>>482
張嶷ですが、若い頃山賊に襲われた県令が家族を捨てて単独で逃亡した際、
彼は単独で白刃をかいくぐり、県令の家族を救い避難させています。また、
馬忠によって行なわれた西南夷討伐と、北伐などの遠征でチベット系羌族
などの異民族を討伐した際は、彼の武勇と計略に拠るところが大きかった
とのことです。

また彼は魏で勇将と言われる除質と戦った際に戦死していますが、彼の部隊
は味方の損害の倍に当たる敵を殺傷しています。この時張嶷は南方に長期間
滞在した影響で杖をつかないと歩けないぐらい状態が悪かったそうです。

それだけ状態が悪かったにもかかわらずそういった戦果を上げたことを評価
して武力を高くしてあります。

また彼は最後の北伐に出立する前、劉禅に別れの言葉を残しています。内容
は書きませんが、劉禅はその心意気に感動し、涙したとあります。劉禅自身
の意思を示す数少ない貴重な資料ですね。
488名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 13:37:59 ID:Wsk4GW0uO
良ければ各能力値のベスト5を教えてほしいです
489名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 15:26:48 ID:h19ata4DO
でも、特に熱烈?な諸葛亮信奉者は諸葛亮の良いトコだけを引っ張り出して、
彼の悪い部分を見ようとしない。結果としてできた歪んだ諸葛亮像が三国志
演義の諸葛亮でしょう。それは本当にその人物を評価している、と言えるの
でしょうか?私はそうは思いません、以上です。この件はもう話しません。

異論に対して反論するのは構わないがこのレッテル貼りは流石に酷い
仲達は大したことはない、郭淮の知力を上げろって言ったら孔明信者だと?
反論に対してつまんないレッテルを貼って喚き散らすようならこんなとこに評価を書かずに自分のメモ帳に書けばどうでしょうか
因みに進言を受け入れたぐらいじゃ評価には値しないと思いますね、少なくとも郭淮>仲達なのは確実でしょう?普通に評価したら

あえて言うなら三国志に出てくる人物には皆敬意を払います。
無能だとか言う言葉は軽々しく使いません。自分だったら名も残せないでしょう
から。

こんなことを考えてるのならそもそも評価を下し能力値をつけること自体が不遜でしょう
あなたは自分よりはるかに偉大な人々の通信簿をつけてるという自覚があるのですか?
490名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 16:21:27 ID:8cD1WPQh0
>>489
最下段はちょい難癖じゃないか?
過疎気味だったスレがせっかく良い感じで流れてるところ、もう少し
温かく長い目でみてもいいんじゃないかとも思うんだが…
491名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 17:05:12 ID:dPf9OIXS0
>>486
「然れども成功しなかった」というのを接続詞の意味から考えようか
「〜であったのに成功しなかった」ということだよ

つまり陳寿は「成功する程の能力はある」と見てる
492209:2009/03/14(土) 18:13:23 ID:mooB/Nir0
>>489
批判は受け入れますが、そういう簡単な不等号をいれる方は如何でしょう。
自覚があるから敬意を払ってると言うのです。ある人物を特定して無能だ、
誰より下だ、評価に値していないと蔑視してるような人に言われたくありま
せん。

>>490
であったのに、の前は政治家としては管仲や蕭何と言った名相の仲間であった
のに〜、です。軍事家として話が繋がっていません。
493名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 19:44:34 ID:dPf9OIXS0
>>486
「非其所長歟」
これ、最後に疑問語くっ付けて反語か疑問文だろ
つまり陳寿は「得意じゃなかったかもしれない(でもそんな事ない)」
と言う表現をしてる

>>492
実際にそういう文章なんだからしょうがないだろ
分けて書くと
「人をよく用いて蜀の地を治めた」
「公平だった」
「でも」
「軍事的には成功しなかった」
「もしかしたら臨機応変なのは苦手だったのかもしれない(でもそんなこたぁないよ)」

陳寿は諸葛亮の能力ならば本来ならば成功していたハズだったと書いてるんだよ
じゃなけりゃ軍事的に失敗した理由を疑問、反語にしないで「下手だから」ってストレートに書けばいい
この言い回しを見るにつけ思うことは陳寿は失敗理由を諸葛亮の運に求めたいんじゃないかと思うけど
ここは俺の推測でしかないからあんま強くはいえない
494209:2009/03/14(土) 20:18:09 ID:mooB/Nir0
>>477
郭淮 統率60 武力68 知力82 政治48 魅力70
陳泰 統率81 武力57 知力75 政治62 魅力81
ケ艾 統率73 武力75 知力63 政治81 魅力60

夏侯淵が討たれた時の判断力、それと諸葛亮の北伐で彼の動きを読み、渭水
の渡河を阻んだ点を考慮して知力は高めの数値としておきました。その一方
で魏延に破れたりしているので統率は多少低め、何度も羌族らの反乱を鎮圧
しているので武力はそれなり。あくまでも武官として評価された人物なので
政治は並としておきました。

陳泰は晋代に「優れた統率力を備えて要を得ること、功績を打ち立てるという
点では、玄伯(陳泰の字)が(父の陳群より)勝る」と評された人物。麹山に
姜維が城を築いた時は城攻めを行いつつ、郭淮に依頼し姜維の退路を遮断して
もらい、見事姜維を撃退、麹城も陥落させると言う功績を挙げている。他にも
王経が姜維に敗北し、狄道城に包囲された際も見事な判断力で救い、姜維自身
も撤退に追い込んでいる。これらのことから統率、知力を高評価、尚書左僕射
まで昇進したことや、高貴郷公殺害時、司馬昭に対応を相談されたこと、それ
に対する見事な行動などから政治もそれなりに、またその時の行動から魅力も
高評価としておきました。

ケ艾は能力まだ迷っています。武力と統率は言うまでも無く高評価。政治も
済河論を書くなどして農政面で多大な貢献をしています。その点を考慮して
政治も高評価としておきました。一方知力ですが、姜維の動きを見破ったり
するなど、こちらもそれなりに評価しているのです。しかし鍾会にはめられ
ることを読めなかった点より他の3つより多少能力を低くしています。魅力
も彼を弁護する人がほとんどいなかった点より多少低目としています。
495209:2009/03/14(土) 20:34:45 ID:mooB/Nir0
>>493
そこはやはり故国の英雄であるから、多少ぼかしたのでは、と言う見方もある
かと思います。軍事的に見ても、統率力や判断力に問題点はみられない。それ
でも成功しなかったとなると、他に考えられる要素となると策略面で多少劣る
ところがあったのかなぁ、と。

実際曹操や周瑜、呂蒙ら結果を出した人達との違いを見ていくと、いざと言う
時に相手の不意を付き、大きく破る、と言うことができなかった。陳寿が見て
いるのも同じところなのではないでしょうか。何より、この書を作った張本人
な訳ですから。

それでもこの一言で陳寿は諸葛亮を嫌い、わざと貶めているのではなどと言わ
れ、相当非難されたりもしている。まぁ、色々難しいモンですよね。
496名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 21:39:33 ID:sLLbrjd00
>>491>>493
反語の部分が(いやそうではない)の場合と
(どーしようもなく駄目だった)の場合の二種類ある。
俺は司馬懿の諸葛亮評を一応は信じる前提で読んでる。だから、

略)諸葛亮は管仲・蕭何に匹敵する。
しかし、連年動員していながら、ついに成功することは出来なかった。
おそらく、臨機応変に戦うのは得意ではなかったんだろう。

くらいの意味に捉えた。
もちろん、公平無私や信賞必罰といった政治能力の応用で
それなりの戦争能力もあったろうが、
それは応変之将略そのものではないと見るのが自然。

正攻法だけなら司馬懿以上の部分もあったろうが
総合的には足元にも及ばなかったから遂に得る所がなかった。
497名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 22:11:30 ID:ExNfc4U00
>>496
真面目に頷いていたのに最後の一行でずっこけたw

二度に渡って総大将として対峙し、彼我の総兵力は遜色なく、
結局のところ互いの軍に決定的な打撃を与えられずに攻撃側の撤収で
幕を閉じた二者を比べて、一方を「総合的には足元にも及ばなかった」
とか言うのは論理の飛躍って域を超えている。
長じるところはそれぞれ違うが、
二人の能力にそんなに差があったのなら戦闘で決着付いてるよ。
498名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 22:24:26 ID:+6bXA9ms0
二人の能力に差が無かったらしばいが勝ってるはずだから別におかしくない
499名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 22:30:52 ID:ExNfc4U00
>>498
そんな>>496と真逆の評価を突然語りつつ「496は別におかしくない」とか言われても困る。

が、共に遠方から駆けつけ、兵糧難に苦しむ同じような条件下で
指揮下の兵数にも大差無い環境では、「同等の能力なら司馬懿が勝っていた」とは
断定できないだろう。
…と、俺は評価している。まあ、この辺は取りようで差があるだろうけどね。
500名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/15(日) 04:48:22 ID:BsDX8Ob+0
>>496
文脈から判断して後者の意味はないよ
501209:2009/03/15(日) 05:33:24 ID:8mCCaa8X0
まあ、諸葛亮と司馬懿の力関係はもういいんじゃないでしょうか。これ以上
は別スレでも立てて議論していったほうがいいかと。

人によって評価する数値に違い生じるのは仕方ないとしても、いずれもこの
時代を代表する人物の1人、と言う認識は同じでしょうし。
502209:2009/03/15(日) 08:48:02 ID:8mCCaa8X0
>>478
陸遜 統率82 武力73 知力77 政治57 魅力82
陸抗 統率78 武力68 知力86 政治56 魅力79

後、ライバルの羊祜
羊祜 統率75 武力59 知力74 政治80 魅力87

陸遜と陸抗の比較ですが、まず陸遜は山越討伐などの功績より武力面を評価。
また夷陵の戦いにおける見事な指揮ぶりと火攻による攻撃などから統率と知略
面も高評価。後に丞相となったが政争に巻き込まれた点などから政治面の評価
はやや辛目。

陸抗は歩闡が裏切った際の対応、また援護に来た羊祜に付け入る隙を与えずに
素早く攻略した知略を評価。その一方で蜀滅亡時に羅憲を包囲するも城を落と
せず、撤退。これは魏への牽制、と言う話なのでやや武力を下げる程度として
おきました。統率は羊祜と対峙状態を維持していた点を評価。

羊祜は知略面では陸抗に多少先手をうたれたりしていますが、それでも知略面
で呉の石城太守を計略を巡らせ、罷免させたりしているので高評価。また長年
陸抗と対峙していた点より統率も高評価。専ら防衛を重視し、紛争を避けた点
より武力の方は並程度としておいた。農政家としての実績、徳治政治により呉
から流入する人が多かったことから、政治はかなり高評価としておきました。
503名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/15(日) 09:03:12 ID:8KsDypXO0
姜維 統率76 武力85 知力60 政治18 魅力69
ケ艾 統率73 武力75 知力63 政治81 魅力60

諸葛亮と司馬懿の数値比較もそうだが、このふたつもしっくりこない気が
極論的な言い方になるけど、これじゃケ艾が姜維が勝っていたのは
殆ど国力ありきって事にならん?
504名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/15(日) 09:24:25 ID:k/IB5StQ0
>>503
実際そうじゃないの。
同僚に陳泰、郭淮もいるし、ほとんど変わらんだろ
505名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/15(日) 10:39:22 ID:9WkttfrD0
ケ艾というのは、直接対決で姜維を破った唯一の魏将
郭淮も陳泰も遂に出来なかったことだ
一方、郭淮陳泰は都督雍涼諸軍事として西方の軍事を統括し姜維の侵攻を数次に渡って防いだが、
ケ艾が担当したのは隴右諸軍事に過ぎない。
三人を比べたときそういう差は欲しいね
506209:2009/03/15(日) 10:48:12 ID:8mCCaa8X0
>>503
国力ありき、と言うのは確かに言えてます。蜀は年々優秀な将が少なくなり
魏との国力に差がついて行ってる。一方、魏はケ艾の献策を基に運河を開通
させ、食料の備蓄に成功している。255年に魏は大敗していますが、そこから
ケ艾は兵を鍛錬し、翌年は段谷の戦いで逆に蜀を大破するにいたる。私が彼
を一番評価しているのはそう言った農政面から魏を強化し、蜀を圧倒するよう
に持っていった手腕です。姜維にはそれが出来なかった、政治面で圧倒的大差
をつけているのはそのためです。

一方で軍事面ですが、これは防衛する側と攻める側、との差も多少考慮して
あげないといけないでしょう。諸葛亮は攻めながら防衛すると言う少々特殊
な戦い方をしていますが、結果として被害を減らし、兵力を温存させること
ができました。これは攻める側が敵地に入ると言うのは相応のリスクを負う
ためです。姜維はより攻撃的であったため、敗北時のリスクが大きくなり、
結果としてケ艾や陳泰達に破れています。

段谷以降は蜀の将兵が弱体化したので、撃退する側としてはやりやすかった
かと思います。それでも蜀侵攻の際は姜維の防衛する漢中を避けて迂回する
ルートをとっている。それだけ弱対化していても、攻防が逆転すればケ艾も
簡単に勝てる相手ではない、と言う判断があったかと思います。

国力の差が勝敗にある程度影響は及ぼしたと思いますが、その差を農政面から
国力の底上げをし、蜀を圧倒したのがケ艾、と言う感じ評価しています。

上に書いている羊祜もケ艾に似た面を持っていますね。羊祜自身、武略面では
やや陸抗に及ばないように感じるのですが、徳治によって結果的に魏を強国に
持って行くようにしている。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/15(日) 11:37:38 ID:k/AnkFQz0
477です。姜維、ケ艾、郭淮どうもありがとうございます。
なかなかの評価だと思います。

姜維は政治は30ぐらいはあっていいとも思ったけど(^_^;)
ケ艾は知力よりも政治に重きを置くというのは同意
こと内政に関しては、魏・晋の重臣連中よりも深いレベルの政治ができる人物ととらえている
生き残っていれば、よき州刺史になれただろう

>>476
自分へのレスもあったのか
それはこのスレ的には常識で通説だろうけど
学者先生や三国志正史の企画出版、あるいはそれをかじった人がその面を強調し過ぎるのが
納得できんのですよ。それだけが全てではない。裴松之がそこまでレベルが低いととても思えない。
学者も正史の記述を重視し過ぎるし、曹操ならまだしも、それなら、歴史の勝利者・司馬懿が
あまりに有利になってしまう。過剰な一部の諸葛亮叩きにはそれが背景にあると思う

司馬一族に多くの士人が弾圧されているし、竹林の七賢みたいな政治意欲への放棄すら
生み出している。その反面、支持に回った士人には過剰なまでの特権を与えている
そんな連中が歴史の記述を操作しないわけがない。李世民どころではないだろう

あまりの陰湿さにモラルの低下を生み、東晋の明帝すらそのやり口を否定され
元帝が牛金の子なんて俗説すら生み出すほど嫌われている
諸葛亮再評価もその一環と考えた

だから、司馬一族はかなり割引いて考えるのは妥当と思える。
かなり彼らに不利と思えるぐらいがちょうどいいぐらいではないか。

この話しはここまでにしますが、ご理解をお願いします。
508名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 14:21:39 ID:t+7O0mTMO
トウガイは独断で蜀の新体制を決めて反感を招きために抹殺された人
オタク的な地理研究には一目置くべきものがあるが政治的センスはなかろう
509名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 16:21:34 ID:9T6OnQx0O
陸遜の政治57か…
凌統の政治50と大して変わらないなぁ。
510名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 18:28:04 ID:8Qpbgw+60
ケ艾は元々屯田の官吏。いわば下級の技術官僚からのし上がった人物で、そっちが専門分野。
むしろ、若い頃は下吏の癖に軍事オタクだった、という方が正確だろう。
士人の教養分野にそんな明確な線引きはなかっただろうけど。
511209:2009/03/16(月) 21:31:33 ID:Dhg2VmDa0
>>488
少々遅れましたが、各部門のベスト5です。そんな極端に予想を外れる人は
そう多く(一部えーってのはあると思います)は無いと思います。

統率
孫策99 劉備94 曹真93 于禁92 孫堅・賈逵89
次点 王平・周瑜86

武力
呂布99 許褚98 典韋97 曹彰96 張飛・曹仁・周泰95
次点 公孫サン・閻行・丁奉・文稷94

知力
郭嘉99 管輅97 賈詡96 曹沖95 司馬懿・法正94
次点 田豊・龐統93

政治
陳群99 諸葛亮97 張昭・賈充96 荀ケ・劉馥95
次点 張紘・棗祗94

統率以外はいずれも90台に10人以上いるのですが、統率だけは人材不足と
いう当時の事情を鑑みて極端に少なくしています。これが良いのか悪いのかは
分かりません。恐らく普通の割り振りで行くと今の80ぐらいが他の能力では
90、50台が60後半から70前半ぐらいになるかと思います。

>>509
陸遜は元々名族の出とは言え、孫呉政権では武官としての道を歩んできてます。
晩年、丞相となっていますのが結局1年で亡くなっていますので実績は残せて
いません。そういう面を考慮すると並よりは上ですが一流には少し届かない値
になります。

凌統も武官肌ですので普通は30後半〜40前半ぐらいになるのですが、賢に
親しみ士に接し、有能な人材を推挙したりしています。そういった面を考慮し、
50と武官としては高めの数値にしているのです。
512名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 21:43:15 ID:U3yhf2YLO
周泰の武力どう考えても高すぎでは?
呉の武将の中でナンバー1はちょっと
513名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 21:57:38 ID:U3yhf2YLO
あと関羽の武力は張飛と同等くらいは欲しいかなと思う
514名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 22:14:53 ID:8Qpbgw+60
陸遜は劉備を破った功績で荊州牧。玉璽を与えられて蜀漢との外交を委任された。
その後、太子を輔け、 荊州及び豫章三郡のことを掌り軍国を董督し
数々の建議を行って国政に参与した末に丞相に昇った。
晩年の孫権との破綻からして名宰相とまでは呼べずとも
呉の西方をほぼ総督するに足る能力があったと見るべきだろう。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 01:30:15 ID:RCapL6iMO
統率トップが孫策かあ
総合トップが曹操で、なおかつ孫策の場合、武力が80下ることは無いだろうから
よほど知力と政治が低いのかな

あと曹沖の知力はネタ評価だよね?
516名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 01:44:00 ID:hM0kd3O/O
曹操は高く評価しても良いんじゃないですかね?
魏を作り上げた偉人だし、それは部下がと言うなら
その部下を纏めあげた才能は評価できるし
517名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 01:57:11 ID:RCapL6iMO
一応総合トップらしいので充分高評価なのでは?
統率をもっと上げて良いということ?
518209:2009/03/17(火) 02:48:20 ID:aA1VRtnA0
>>513
関羽に関しては色々と迷ったのですが今のところは90にギリギリ届かない
ところにしています。張飛の方が実績では豊富なため、一応武勇面ではこの
ような差にしています。武力、知力、統率の総合では張飛と並ぶ程の能力に
なっています。

>>514
陸遜の政治は実はかなり迷っているんですよ。実際、呂蒙が後継指名した朱然
の常に一歩上を言ってる感じですし、おっしゃるとおりの実績もある。ただ、
他の武将と比べて、政治を上げることで他の武将との能力バランスが崩れない
か、と言う懸念があるのですよね。少しずつ調整して確認しながら今のところ
はその辺り、と言う感じです。

問題なければ政治も60半ばから後半ぐらいまでは上げれるかな、と個人的に
は思っております。

>>515
まぁ、すぐに亡くなっちゃう人物ですからね。イベントで寿命が延びた、とか
なれば後継者になれるかも、ぐらいの感じで能力値を決めてます。ただ、幼年
時にアルキメデスの原理を理解していた、となると半端じゃない天才児かなぁ
とは思いますね。

何気に思いましたが、中国にアルキメデスの原理が伝わったのって何時頃なん
でしょうね。

>>515
>>516
曹操  統率73 武力84 知力89 政治78 魅力94 計418
孫策  統率99 武力91 知力47 政治45 魅力89 計371
劉備  統率94 武力57 知力67 政治59 魅力97 計374

周瑜  統率86 武力67 知力83 政治51 魅力88 計375
司馬懿 統率64 武力72 知力94 政治75 魅力79 計384
諸葛亮 統率80 武力47 知力68 政治97 魅力83 計375

一応平均で80以上の人物って曹操だけなんですよね。他は平均でも70台
後半まで。と言うか司馬懿合計してみると高いな。どこかで計算間違ってる
気がする。元々合計したら周瑜や諸葛亮と並ぶぐらいにしておいたはずなの
ですが・・・。一度調べておきます。
519名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 02:59:15 ID:cp8MzKeV0
呉のトップ周泰はないわw 山越相手にしただけじゃん
次点丁奉? そこまでのことしたっけ?
思ったより>>209の好みや主観が幅を利かせているようで残念だ

甘寧はどういう数値になってんの?
520名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 03:34:16 ID:aURx8Gt0O
周泰トップの是非はともかく、丁奉は凄いだろ。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 04:13:43 ID:9S7OoITt0
>>209
遅くなりましたが陸遜、陸抗の評価ありがとうございます。
政治の低さについては>>514氏と同じく異論があるけど
平均を気にするのであれば下げるのは魅力ではないかな?
夷陵で諸将がなかなか従わなかったこととか魅力をトップクラスにする理由はないと思う。
あと夷陵、石亭と蜀魏に大打撃を与えてるのでもう少し武力があってもいいかな。

>>519
周泰は自分も疑問だけど丁奉は戦毎に将を斬り旗を奪う活躍をしてるので高くて問題ないと思う。
個人的には武力の評価で個人武勇がかなり優先されてるのが残念かな。
正史評価の場合、敵軍を打ち破る能力をより評価するほうが自分の好みなだけだが…
個人武勇を重視するとしても閻行と張飛、周泰よりは張遼、関羽、凌統を評価して欲しいな。
あと文稷は文鴦の間違いですか?

管輅がランクインするとは思ってなかったので
呉ヲタとしては呉範先生の知力が気になって仕様がない。
522209:2009/03/17(火) 07:32:14 ID:aA1VRtnA0
>>519
甘寧は93ですね。周泰の場合、己の身を盾に孫権を救い、何箇所も傷を負って
いる点を評価しているのです。典韋もそうですが周泰の場合、宴席で傷の一つ
一つに孫権を守るための由来があったそうですから、相当己の体を盾にして
孫権を守ったのでは、と言うことで通常の将軍と言うよりも護衛隊長的な評価
として高めの数値にしてたのです。

丁奉は自ら前線に乗り込んで味方の士気を鼓舞したり、配下の鎧を脱がせて
短刀1振りを持たせて決死の突撃を敢行して敵陣を陥落させています。甘寧
との比較は微妙なのですが、前期後期のバランスを取るために数少ない後期
の猛将代表として評価してます。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 07:38:45 ID:aMkxN9pD0
統率:陸遜、司馬懿、曹仁、羅憲、公孫サン
武力:呂布、関羽、張遼、曹仁、麹義、董襲
知力:賈詡、魯粛、司馬懿、郭嘉、法正、黄権、ソ授、荀ケ
政治:孫権、諸葛亮、荀ケ、袁紹、劉表
魅力:劉虞、張角、張魯、劉備
524名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 09:12:05 ID:8FcSuu3T0
賈逵の統率89も気になるな
法正の知力94もやや高い気がするが
525名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 10:35:32 ID:vqH5rZc+0
>>522
>護衛隊長的な評価として

同じ土俵で評価しないと公平さに欠けないかな?
護衛隊長は〜だから他の武将と同じく武力に反映されるみたいな
あなたの考え方も聞きたいところ
526名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 11:28:07 ID:aURx8Gt0O
>>522
二つのエピソードが混同されてる。
まず、孫策時代に周泰が孫権の配下として山越として戦った時に12の傷を負って死にかけた。
孫権を守ったのだが、別に護衛隊長ではない。
山越数千が突如押し寄せて逃走する孫権を守るために白兵せざるを得なかった。
彼は孫権に配属される前に別部司馬になって兵を預かっている立派な指揮官。
孫権部隊の軍事責任者、若い孫権の守り役(もりやく)ということだろう。
孫権が自分の部隊に請うたのも「人となりを愛した」とのことで、護衛に秀でた武芸者というような立ち位置ではない。
この戦いの後に孫策は周泰を春穀県長に任じた。
以後は前線に駐屯。

そして宴で傷を数えた件も、上記の山越戦の傷を数えたのではない。
孫策の挙兵以来の、数々の戦への参加を周泰に話させて若手を黙らせたわけだ。
護衛隊長としての実績を語らせたのじゃない。

周泰は好きだし、エピソードもかっこいいから呉トップの武力であるのは構わないが、
彼を典韋許チョあたりと同種視されるのは違和感。
527名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 15:14:31 ID:gywc4y1e0
賈逵の統率は俺も気になるな
確かに防衛の実績もあるし優秀だが
こいつを統率トップ5に入れるなら他にいるのでは・・・と思ってしまう
528名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 15:16:17 ID:aMkxN9pD0
とりあえずワースト5の方も聞いてみたいね
529名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 17:33:45 ID:3tohMhr00
太史慈とかは?
部将としての活躍は少ないけど
530209:2009/03/17(火) 19:56:52 ID:gG2ZAMW30
周泰はやはり色々と物議を醸しましたか。いや、自分としても彼の能力は色々
と迷って、実は今も迷走中なのです。と言うのも彼の場合は正史の中では非常
に簡潔な記述しか載っていない。もちろん、孫権救出の話以上に朱然達を統率
したということは将軍としても有能であったことを物語っていると思うのです。

なので許チョや典韋は武力以外の能力は極端に低くしてますが、周泰は知力は
ともかく統率は他の将軍クラスと遜色ないぐらいと思っています。ただ、正直
言えば落としどころが見つからない。護衛によるエピを重要視するのか、将軍
としての能力を評価すべきなのか、ただしそれだと際立った戦績、と言う面が
今ひとつ読み取れない。

彼を語る上で一番有名なエピソードが526さんのような話なのです。単に自分の
読みが甘いだけなのかもしれませんので、彼の将軍としてこういう特徴がある、
こういう実績があるとかあれば教えて欲しいです。それによってもっと違った
評価に落ち着くかもしれませんので。
531209:2009/03/17(火) 20:43:32 ID:gG2ZAMW30
>>529
太史慈はこんな感じですね。
太史慈 統率49 武力88 知力71 政治44 魅力77

文稷は文鴦(文俶)の間違いです。名前順に並べてて文欽の下だから息子と
思い込んでました。鴦は幼名と言うのを覚えていてシュクだかショクだかが
本名とだけ記憶してたら見事に間違ってました、は、恥ずかしい。

賈逵についてですが、曹操から「天下の二千石が全て賈逵のようであったなら、
わしは何を心配しよう」との評価。そして幼少の頃から部隊を編成して遊び、
祖父が「将来立派な将軍になるだろう」と言ったエピソード。満寵や胡質を督
し、曹休が罠にかかったと見るや見事な行軍行動により救出。その辺りを考慮
して統率を高目に評価しておきました。

>>521
呉範は知力88、趙達は91としてますが、コレどちらの方が占術の方が評価
されてたのでしょうか。
532名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 20:47:10 ID:lJ8pPfqD0
太史慈は武勲は少ないが、逆に言うとただの軍将じゃないね
孫策の四人の中郎将の一人として最高位を占め、帰順した群雄として遇されている。
魏の臧覇、蜀の馬超が近いか。

周泰と近い位置を呉で占めたのは、呂蒙と蒋欽だろう。
孫権は士人豪族を厚遇し要衝を守らせつつ、名士ではなく一族のような拠り所も無い
子飼の武人から信頼する者をその隙間に滑り込ませて指揮系統を制御した。
傷を数え絹蓋を与えた逸話は、孫権からの厚い信頼と周泰の忠誠心を示すことで
濡須督の人事が孫権の気まぐれ的な与太などではないこと、
いわば周泰に従わないことは孫権に従わないのと同義だということを、
高官の子弟や士人的武官に示したものだ。
関係の古さや立ち位置からして、小関羽と言えるかもしれない。
もちろん、孫権の周囲には非常に多様な出身・身分の強力な派閥が
ひしめいていたので、劉備と関羽の関係ほど強力なものにはなれなかったけれど。
まあ、周泰の督としての能力は戦果の記録が残ってないので不明だけどね。
533名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/18(水) 07:27:22 ID:qgXQyFtv0
諸葛氏集

特徴
1治戎に長たれど奇謀に短たり
2理民之幹>(応変之)将略

敗因
1敵が英雄
2戦力差がありすぎ
3孔明にとっての王子城父、韓信が不在
4天命
534名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/18(水) 09:47:07 ID:NU/v4M5R0
王子城父っていろんな史料で名将だとされてるけど、具体的な事績が殆ど
わかってない人物じゃなかった?

昔だけど気になってかなり史料を漁りまくったけど、どうにも実像がみえてこない
感じで俺はお手上げだったんだが
535名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/18(水) 11:19:37 ID:gGMVll4p0
814 :名無し曰く、:2009/03/17(火) 07:07:59 ID:kFlny1CS
朱桓は過小評価されている!
大事なことなんでもう一度言います。 朱桓最高!

兵5千で10万の魏軍を撃退したとか、胡散臭い逸話のせいかw
どこぞのSLGでは呉の武将っていうとすぐに陸遜だの呂蒙だのってのが
出てくるが、やつらの能力値のほうが胡散臭いわ。

朱桓は部下を思いやって恩賞を分け与えたり
大軍にも臆さない(内心は臆していたはずだけど)
兵の士気を上げるため鼓舞し最前線で戦い抜いた良将なのです。
部下の兵士としてはこれほど頼りになる指揮官はいないでしょうよ。

ちょっとキレると人殺す性格だったみたいでアレですがww

という上記の点を踏まえて能力値を振ると・・・

武力95 (人殺し補正)
知力85
政治80
統率98 (大軍を前に上等きっちゃったけど皆ついてきてくれた補正)
魅力99 (財産分与補正)

ぐらいが妥当ではないでしょうか?

私兵が1万いたくらいだから武芸や魅力はあったんだろうと。
あと、ここでいう政治ってのは内政のことであり、知力ってのは
用兵力だったり論破力だったりです。

と、ここまで書いておいてアレですが
所詮、どんなに英雄視された武将であっても人間なんで
流れ矢で戦死したり
落馬して戦死(?)したり
農民に投石されて戦死(!?)したりと・・・
夢のない最期だったりしてるわけですもんね。

後世にそんな最期を残したんじゃ哀れだってことで
色々と脚色されてる人が殆どじゃないのかな〜
文官だって戦場出たら妖怪みたいな戦する奴とかいたんじゃないかなww
536209:2009/03/18(水) 20:42:30 ID:H9/pJXV20
朱桓については一応私は以下のような感じにしています。

朱桓 統率61 武力82 知力76 政治33 魅力68

曹仁を相手に大勝をおさめた実績から武力と知力を評価してます。最後には
万を超える兵を統率した点から統率力もそれなりに評価しています。政治面
に関しては周囲との軋轢が多い点からやや減点気味です。魅力も人によって
大きく評価が違うため、中の上程度にしておきました。
537名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/18(水) 23:03:26 ID:EkBGOJH40
全般的にやっぱ能力が上すぎない?
俺的には

100:存在することが奇跡 小説補正の呂布の武力
90台:一時代に一人居るかどうか 曹操なら…
80台:一時代にやっと数人 周瑜や魯粛、諸葛亮なら持ち得る数値
70台:一国を支える才能 関張や魏五将、呂蒙の軍事的才能でこれぐらい
60台:優れた実績を残した人物の能力 郭淮とか魏延とかの軍事センス
50台:それなりに優れていると言われる人物の能力
40台:優れているとまでも行かなくても、無難な能力
30台:その方面で能力を発揮しなかった人物の能力

姜維で↓ぐらい?
統率:55 武力:60 知力:45 政治:25 魅力50
538名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/18(水) 23:09:55 ID:hQBFpibC0
その基準なら曹操はオール70くらいになりそうだが。
539名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/19(木) 00:25:15 ID:h5w+8J5RO
>>209氏へ
正史オンリーのキャラ
涼茂
棗シ(示へんに低のつくり)
令狐愚
の評価お願いします
540名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/19(木) 00:55:03 ID:I8uWa8Ns0
どの辺を平均にするかなんて評者の勝手だけど、>>537基準なら
例えば政治のトップ5が
諸葛亮88 司馬昭85 荀ケ82 陳羣79 顧雍77 (あくまで例示)
みたいになるから、百分率で設定するのは無駄だろうね
中華史上三千年の人物を網羅するつもりなら90台も10人くらい埋まるから有益だろうけど
541名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/19(木) 03:54:56 ID:4rc+uJLiO
あくまで三国志だけだからな
これで中華全部だったら軒並み下がるだろうけど
542209:2009/03/19(木) 07:14:55 ID:IOoX4u+50
>>539
涼茂  統率34 武力43 知力67 政治76 魅力77
棗祗  統率60 武力52 知力42 政治91 魅力75
令狐愚 統率36 武力42 知力53 政治41 魅力55

おまけ
令狐邵 統率47 武力41 知力66 政治58 魅力65

同族の令狐愚の方が位は上だけど、人を見る目は邵の方があるっちゅう
ことですね。棗祗の政治力は屯田制を行い、国力を増強させたことから
トップクラスの評価としています。

涼茂のように太守として治績を挙げた、と言う人物はだいたい政治70
台ぐらい、そこから更にプラスアルファがあればその上まで、と言う形
ですね。
543209:2009/03/19(木) 07:27:20 ID:IOoX4u+50
>>528
ワースト5は実績の無い人物等で占められるので無名の人がかなり多いです。
それと、3000人ほどいる中からよりによって低いほうの人を探すのは色々
と萎えるので、そちらはちょっと勘弁してください。

ちなみに統率ですが劉備の94は特に何も言われんですね。もしかしたらこの
あたりもおかしい、と言われるかな、と思ったのですが。

ちなみに統率が高い理由は、漢中を魏軍の猛攻から防ぎきった手腕、陸遜に
破れた以外、敗戦はヤバイとわかったら素早く見切りをつけて退却する手腕
等を評価してのことです。

ちょっと武力との差が極端ですが、そちらは張飛等を直の配下にすることで
補っているようなイメージで考えてます。
544名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/19(木) 08:23:19 ID:hVArreJp0
>>543
いや、失敗した人間と未経験の人間、
どっちが下に置かれるのかに興味があっただけです。

個人的に減点評価のワースト候補をあげるなら↓あたりかなあと
統率:劉虞、孔融、馬ショク
武力:厳シュン
知力:
政治:董卓、袁術、姜維、孫皓
魅力:公孫サン、張飛、曹ヒ、孫皓

逆に正史を読む限り、あっさり降伏したせいでやたら馬鹿にされてる劉ショウ、劉禅あたりは
それほど問題があったのだろうかとも思いますね
545名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/19(木) 19:09:47 ID:W4+4pF3L0
>>542
539だけどサンクス。
棗祗は屯田の立役者としての政治評価はもちろんですが、軍を統率して城を防備した実績があることろを、
統率60で評価は納得できますね。
涼茂は領民に慕われたところから、自分は政治力より魅力で評価してたんだけど、政治で評価していたんですね。
知力67は公孫度を諌めた件を評価したのかな。
令狐愚は完全に趣味でピックアップw 
まあ、才能はありそうだが人格に問題があって、たいした実績もなく晩節を汚したこの人物をどう評価するか、
ちょっと興味があったものでして。
546名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 09:45:55 ID:6eOm+E7g0
董卓の政治や知力は高いと思う・・・王匡を見せしめに使ったりと
方向は悪だけど、政治30とかそこまで無能かなぁ
547名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 15:16:02 ID:po0P5ilI0
>>544
おい、董卓のどこが政治ワーストなんだ?
548名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 15:18:16 ID:po0P5ilI0
>>544
魅力評価の曹丕とか、お前頭沸いてんのか?
正史をちゃんと読めば減点評価どころか加点要素のオンパレードだぞ
549名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 16:27:26 ID:HnfoJzLUO
曹丕の魅力の大幅減点はちょっと思い付かないが、
加点のオンパレードのイメージもないな。

それと、いくら何でもこの流れで「頭湧いてんのか」はねーよ。
それはお前。
550名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 18:38:41 ID:po0P5ilI0
>>549
正史の本紀だけでなく彼方此方に出てる典論の切れ端とかちゃんと拾い読みしてみた?
非常に魅力的な人物像がそこに描かれてるし
曹丕の関連人物の伝ではユーモラスな文人皇帝の曹丕を見る事が出来る
「正史を読む限り」と言いつつロクに読んでないから「頭沸いてるの?」と言ってるんだ
551名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 18:46:56 ID:HnfoJzLUO
「魅力的」だの「ユーモラスな人物像」だのはゲームの能力値の「魅力」と関係あるのか?
552名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 19:11:10 ID:po0P5ilI0
関係大有り

曹丕という人間がどれだけ人を惹き付ける才能があったかという事を考察する材料になるからな
553名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 19:20:23 ID:HnfoJzLUO
ねーよw
554名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 19:44:13 ID:mUJ5B+960
>>ID:po0P5ilI0
ワースト候補に挙げられてファビョる気持ちはわかるが、落ち着け

孫皓が政治、魅力ともにワーストに入ってるのはしっくりこないなぁ
確かに結果を見るとアレだけど、帝位についたばかりのころはまともに政治してたし、期待もされてたって言うし
孫皓以外にも、544が各々の人物をワースト候補に挙げた理由が気になる。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 20:00:12 ID:+BejxOgD0
名声を政治力の一部に含むなら、董卓の政治力は低めかもね。
権力握って当初はまともな施政を心がけてたんだけど、
一部の蔡陽なんかを除く名士連中に軒並みそっぽ向かれておっぱいおっぱい!
556名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 21:23:44 ID:HnfoJzLUO
>>554
俺も最初よく分からなかったが、能力値ワーストじゃなくて「減点」のワーストなんでしょ。
つまり大幅減点となる事蹟がある、と。
まぁ、かといってそこに挙げられてる人物がそれにふさわしいかは疑問だが。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 23:40:38 ID:zeGMGqbU0
董卓の朝廷からは逃げ出した名士も多いが、
王允以下楊彪・荀爽・馬日テイ・張温・皇甫嵩・朱儁・蔡ヨウ他の赫々とした名士が残存していて、
董卓はそれらを時々粛清したり最期には暗殺されたりしたが、結局最後まで朝廷の権能を維持した。
「尚盗窃の道はあった」と後漢書は評する。ワースト候補というほどではないかな。
朝廷の機能と権威が崩壊したのは李カク以後だとされる。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 06:57:53 ID:+Q5O4JrU0
559名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 06:58:18 ID:tzVJ3ZSEO
政治を政治屋能力とするか行政能力とするか、などで変わってくると思う。
任命した関東諸侯にことごく裏切られたりしたのは言葉の上では「政治センスがない」とは言えるが
それが知力換算なのか政治換算なのか魅力換算なのかは議論の余地がある。
貨幣改鋳で失敗したのは政治でいいだろうけど。
560209:2009/03/21(土) 10:25:23 ID:lY+EPJIw0
本日はちと別のトコから
董卓の政治については政治方針的な面はそれほど非難されるほど酷いものでは無いと
思うのですよね。実務方面がダメだったですけど。それら原因としては名士層の支持
があまり得られなかったことが大きかった訳ですし、極端にマイナスにはできないと
思いますね。

なので私は政治は47とそこまで極端に低くはしてないです。武官としてはソコソコ
だったのではないか、と。

曹丕の場合は短命王朝で終わったことの悪い面がもろに出てる感じはありますね。
短命王朝の場合、悪い噂とかが噴出しやすいため、どうしても悪く言われがちになり
ます。正史からは名君としての側面の方が強いですね。私の評価基準はまずは正史の
内容を基に真贋を考察し、注にある文の内容等を吟味して判断するようにしています。

と言っても余程の有名人で無い限りはそこまで深くは考察しないですけどね。ちなみ
に曹丕の場合

曹丕 統率52 武力65 知力70 政治89 魅力85

孫権に少し近いですが、軍事面はより低く、政治面はより高く、と言う形で評価して
います。ついでに曹叡

曹叡 統率79 武力59 知力84 政治71 魅力88

曹叡は少し難しいのですが、自らの親征によって諸葛亮、孫権の北伐をそれぞれ抑え
こんだのは見事だと思います。軍事的才能は父親よりあったのではないでしょうか。
問題は政治面ですが、後年宮殿造営をどう判断するか、でしょうね。民間に金をばら
まくことで経済の活性化、及び軍事面にかかる費用をある程度減少させようとしてた
のなら非難されるほどのことではないかと思います。
561209:2009/03/21(土) 10:40:46 ID:lY+EPJIw0
>>544
>>545
名前ぐらいしか載らない人物の場合、ある程度武官よりか文官よりかを判断し、その
不得手側の方を低くするようにしています。場合によってはそこで不得手側において
最低値を示すことがあります。

ある程度有名な人物の場合はどちらかと言うと他の同じぐらい実績がある人物との兼
合いがありますので、あまり極端に低くはしないのです。

ちなみに劉禅の場合

劉禅 統率51 武力23 知力31 政治45 魅力81

平均よりは低いかもしれませんが、そこまで非難されるほどの人物ではないのでは
ないかと思います。少なくとも魅力は高くしておきたいです。
562董卓:2009/03/21(土) 11:07:14 ID:YT19lqpF0
一旦各能力について整理しておきたいと思うが、統率は用兵術や戦術の巧みさ。
武力は個人的な武芸や腕力。知力は学問や機転の利くもの。政治は内政面に関する
政策。魅力はその人となりや、カリスマ性だよな?
563名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 11:22:01 ID:40hg4YnH0
違います
564名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 19:26:55 ID:4PpIjlsH0
>>560
曹操時代末期にズタボロだった国境地帯を整備して
滅多なことじゃ地方が離反しない体制を作り上げた事とか
文化事業によって荒れた中原を安定させたとかはもう少し評価されてもいいと思うがね
あの時代、曹丕以外じゃもっと劉備や孫権たちに領土削られてても全くおかしくない状況なのに
ちゃんと盛り返せたのは曹丕の体制作りが上手く行ったからという側面もある
565名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 22:11:41 ID:fBHK8AJe0
『あの』曹操死後、一年未満での即位・基盤固めとか
青徐州の押さえ込みで魏の版図を確定した手腕とか、
曹丕は確かに三国時代屈指の政治手腕の持ち主だろう。
しかしながら、楊荊州の豪族名士士人武人蛮族入り乱れる東呉を統括した
孫権の名君ぶりも、ほとんど中華皇帝の理想態の一つと言っていいと思う。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 23:06:19 ID:IriWuLJw0
しかしそんな曹丕の実績も「曹操が地盤を固めていたから」などで済ましてしまう人が多いこと多いこと
ある程度は仕方ないのかもしれないが。

ここの人たちは多角的な見方ができてすごいのう
スレタイの主旨が主旨だからなのかもだけど、勉強になります
567名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 23:23:43 ID:tKrL/JoE0
このスレでは曹丕がしっかり評価されてんのね

帝位簒奪、皇族冷遇、軍事能力の欠如
まるでお定まりのテンプレでもあるのかと思うくらい、曹丕を評価するにも
上記の三つくらいしか掲げない人も多くて疑問だったし

>>209式の査定なら政治は90くらいはつくと思ってたんで安心はした
個人的には守成の指導者としての秀でた手腕を評価して、統率も60以上は
あるかもとは思ってたが
568名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 02:29:24 ID:Vi/VYdGz0
>>567
完全に正史基準で曹丕を評価するなら曹丕は
古代の聖王達や漢世祖に匹敵するほどの名君になる可能性のあった人物
という評価が陳寿によってなされてる

正史基準なら曹丕を評価しない理由を探す方が難しい
569209:2009/03/22(日) 02:30:34 ID:6EfYxAE70
>>564
>>565
いやまぁ、政治については曹丕も孫権も三国志中でほぼ最上級の評価にしているの
ですよ。実際ランキングで言えば三国志全体でも曹丕はTOP20以内、孫権でも
恐らくTOP30以内に入っているのです。およそ3000人いる中でのですから
上位1%の中に入っている訳です。

これ、例えば某KOEIの三国志で申し訳無いですが、90台は全体の大体2〜3%
ぐらいを占めているらしいのです。そうやって考えると、あちらで言う95以上位に
匹敵するのです。

人数がそんなに多いわけではないので、ここらは敢えて順位をつけるなら、私の場合
はこんな感じ的な並びになっているだけということですね。人によって多少の変動は
あるかと思いますが、曹丕も孫権もトップクラスの中に十分入ることのできる人物、
と私は思ってます。

曹丕の統率は呉親征の結果を見る限りではやはりそこまで高く評価はできないですね。
その辺りは自ら陣頭指揮に立ったり、殿を行ったけど、しばしば危機に陥ったりした
孫権とも少々近しいかと思います。日本で言うなら源頼朝なんかがイメージ的に近い
かな、と思います。
570209:2009/03/22(日) 03:01:29 ID:6EfYxAE70
ちなみに統率と魅力ですが師団全体のパラメータ補正に影響を及ぼす、とか個人的に
は考えてたりするんですけどね。ちとゲーム的な話ですが。

例えば統率が50魅力が70と言う武将が軍を統括していたとします。統率と魅力の
平均は60となります。この場合、計算によって部下の能力63%、己の能力37%
を合計した値が軍団としての能力となります。

あくまでも軍の統括者を越える能力のみですが。

どういう計算で63%とかが出てきたのは割愛しますが、まぁ魅力と統率が高ければ
高いほど、その下で働く有能な部下が能力を発揮しやすい、と言うのをイメージして
います。

まぁ、蛇足と言えば蛇足ですけどね。
571名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 03:13:09 ID:33fdya1z0
しかし、大軍を指揮したり、大組織を運営したりして成果をあげたわけではない于禁が
統率高い司令官タイプというのもなんか納得いかんな。
572名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 03:28:42 ID:Vi/VYdGz0
>>571
青州兵の取り締まりという組織運営上の成果を上げちゃいるがね
573名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 04:05:20 ID:wz2kubkCO
統率=守備という扱われ方もあるから、白馬・官渡の功績考えれば妥当。
あと、現状では武勇伝のない于禁みたいなタイプは武力あげづらいのもあるし。
574名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 08:39:47 ID:u2fkYFsd0
>>567
三国鼎立以後、どの国も軍事行動が成功している例は皆無
曹操ですら、国が固まり始めた後は勝率がいきなり下がっている
575名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 12:07:32 ID:O30ZOdkz0
三国時代に入ってからは、蜀や魏ばかり、注目が集まるので
呉の諸葛恪、孫峻、孫綝についてリクエストします
576名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 15:02:47 ID:eW1CdMZP0
>>574
曹操後期までは勝率高いよ。赤壁の敗戦と漢中を再奪取できなかったことくらいだ。
逆に言うとその二点で踏ん張った二者が鼎立の時代を導くことが出来たといえるが。
と言っても、冀州平定に梃子摺った以外は、関中幽涼州淮南で連勝して確実に支配権を広げ続けている。
曹操の大きな敗戦・失敗というのは前期の方が多い。
鼎立が固まると途端に国境が動かせなくなるのは当時の農業事情や前線での基盤不足のためなんだろうな。
577董卓:2009/03/22(日) 15:13:03 ID:amJIQErr0
563に言う。じゃあ、統率・武力・知力・政治・魅力とはどういう事
なのだね?
578名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 15:18:09 ID:eW1CdMZP0
>>209氏の設定上の意図は>>209以降を全部読めばだいたい書いてあるよ
579名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 18:03:22 ID:pgLZ8L7AP
>>547
>おい、董卓のどこが政治ワーストなんだ?

周、伍瓊、韓馥、劉岱、孔伷、張咨、張邈、蔡邕らの登用はプラスだが、
劉弁の廃立。劉弁、何太后の殺害。諸侯の造反。長安への遷都。捜牢。陽城の虐殺。五銖銭の改鋳などで、差し引きマイナス。ほぼワースト。
多少潤色されてる可能性もあるだろうが、基本的に最悪の部類だろう。
桓霊期からの社会混乱の拡大は董卓が適材不適所なポジションにいたのが原因といっても過言ではない。

>>548
>魅力評価の曹丕とか、お前頭沸いてんのか?
>正史をちゃんと読めば減点評価どころか加点要素のオンパレードだぞ

「若加之曠大之度,勵以公平之誠,邁志存道,克廣コ心,則古之賢主,何遠之有哉!」

人格以外は完璧という評価に見えるね。

戴陵に諫言されて大怒して減死罪一等。意見を聞かないだけでなく逆ギレ脅迫は酷い。
即位して8ヶ月でつまらない理由で甄氏を廃后。
曹操と丁夫人の例を比較すれば、どれほどの差をつくのか分からない。
于禁に関する扱いも酷い。故事を引いて慰めておきながら、高陵で降伏を侮辱して悶死させる。諡は詞。
これほど回りくどいことをする必要はあるのか。陰湿すぎる。
なのに似たようなシチュエーションで降った孟達は厚遇。一貫性がない。
夏侯尚の愛人を刺客に殺させるというのも酷い。結果、夏侯尚は精神病に。
夏侯尚が「非益友」かどうかは分からないが、曹丕は「害友」だろう。
曹植の扱いは微妙だからあえてスルーとしても、曹洪、張繍、丁儀、王忠あたりのエピソードも減点要素。
教養とユーモアはあったろうが、それの使い所を弁えられない幼児性とそれにふさわしいマイナスの実績。
在位期間が短くて中途半端な所で死んでしまったが為に過小評価気味だが
得手でもない部分まで肯定的に評価してしまうのは反動的じゃねーの
580名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 19:13:06 ID:eW1CdMZP0
董卓はまあ、後漢末三国時代の権臣の中ではブービーかな。
その下が李カク。郭らとの連合政権的ではあるけれど。
さらにその下には政治とは無縁の武官武人達が居並ぶので、全ランク的には中の下ってとこか。
581名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 19:50:50 ID:cJv4yHZv0
いや、無縁の武官たちは害を為さないだけマシな評価だろ

>>579
俺は魅力もその他の能力も、曹丕を取り立てて持ち上げる気はないし、
曹丕の魅力に関してはマイナスのエピソードも多くあるとは思う。
だけどそれは他の人物と比べた上で、相対的に能力値に反映すべきだと思う。
マイナスな事例だけなら曹操も孫権も多いから。

むしろ俺は曹丕好きの人たちに、曹丕の魅力面でのプラス・エピソードをまとめて欲しいな。
ユーモアとかそういう類の話じゃなくて。
582名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 21:04:54 ID:eW1CdMZP0
董卓に限らないが、曲がりなりにも朝廷を掌握し人事を切り回す政治力があった権臣達と、
そこまで昇れてすらいない、教養も無いことが多い武人達とでは、
歴史に残した事績から判断される「能力」においては比べるべくもない。
特に武人劣等の時代だからね。
koei風に「義理」とかいうパラを作るなら別だろうけど。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 23:00:40 ID:pgLZ8L7AP
有能な働き者>有能な怠け者>無能な怠け者>無能な働き者
584名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 00:55:28 ID:iWKOtAfV0
曹丕のプラスエピソードっていうと

・王粲の好きだった驢馬の鳴き声を真似をして故人(王粲)を弔おうぜ!
・呉質に励まし(?)の手紙
・鐘繇に長生きしてね、と菊の花プレゼント
・鐘繇に玉飾り譲ってくれてありがとうの手紙
・自分を「お父さん」と呼ぶ曹幹に「お兄さんだよ」と言い聞かせていた
・桓階に「子どもに褌着せてあげてね」と衣類プレゼント

かなりテキトーで悪いけど、こんくらい?
585名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 03:01:13 ID:cJHepkKO0
>>579
于禁は自前の責任感で悶死してるだけで曹丕が侮辱してるわけじゃない
っていうか廟にわざわざ書いてある時点で魏では于禁の降伏をどう見てたかわかるもんだろ
獅ヘ悪諡の中でも本人が悪いって意味じゃない
586209:2009/03/23(月) 05:10:55 ID:+Fsf01Qp0
>>579
劉弁の廃立と諸侯の造反、長安への遷都は政治マイナス、と言うほどのものでも
ないと思うけどね。

名士を登用し、異常なほど彼らにへりくだっていたことを考慮すると董卓自身
政治体制をどのように固めることが必要か、と言うことは理解していたはずで
あるし、政治センスはあったと見て良いと思う。ただ、アノ時代そこにいては
いけない存在であった、と言うのは同意。本人にとっては運が悪いとしか言い
ようがないのですけどね。だから私の場合はそこまで低くはしない。見るべき
こともやっているのですから、トータルで見ても、そんな極端にマイナスには
ならない、と言う判断です。

>>575
諸葛恪 統率78 武力62 知力82 政治65 魅力55
孫峻  統率39 武力58 知力66 政治39 魅力50
孫綝  統率23 武力42 知力65 政治32 魅力45

孫峻、孫綝ともに軍事的政治的実績はほぼ皆無。孫綝の方は戦の前に味方を
攻撃したり、全一族を寝返らしてしまったりと軍事的にはかなり低評価。統率
23と言うのは3000人いる中でもかなり低い部類かと思われます。
587名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 07:36:14 ID:Krpdd0CJ0
>>586
どうも、ありがとうございます。
しかし、諸葛恪の失態がいくつかあったにせよ、孫峻のような小人物にクーデターが
成功できてしまうというのは、なぜかな?
呉は三国の中でも政治という面では、全体的に自分の評価が低い
地の利と江南開発のおかげで長く残れただけのような。東晋も似たようなものだけど
588名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 07:59:37 ID:EAWfpMMtO
幼帝だから。
曹爽と同じだろう。
589名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 14:10:45 ID:DCQY5uRAP
>>585
>獅ヘ悪諡の中でも本人が悪いって意味じゃない

致殺戮無喜曰獅ニあるけど。
第一、他の降将が美諡ばっかなのに、
利に釣られて降った訳ではなく、
天災で捕虜になった為に一人だけ悪諡とは道理に合わない。
曠大之度も公平之誠もなかった証拠だね。

>于禁は自前の責任感で悶死してるだけで曹丕が侮辱してるわけじゃない
>っていうか廟にわざわざ書いてある時点で魏では于禁の降伏をどう見てたかわかるもんだろ

太祖聞之,哀歎者久之,曰「吾知禁三十年,何意臨危處難,反不如龐コ邪!」
司馬宣王及濟說太祖曰「于禁等為水所沒,非戰攻之失,於國家大計未足有損。
とあり曹丕自身も「樊城之敗,水災暴至,非戰之咎,其複禁等官」と言ってるね。
將軍董衡、部曲將董超等欲降,コ皆收斬之。の状況で不屈節を貫いた龐徳が
体制側にとって都合のいい人間というのは分かるよ。

まあ正史だけでなく資治通鑑もちゃんと読んでる人間なら↓に同意するのが当然だろー。
臣光曰:於禁將數萬眾,敗不能死,生降於敵,既而復歸。
文帝廢之可也,殺之可也,乃畫陵屋以辱之,斯為不君矣!
590名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 18:13:22 ID:1cZGmmTD0
どうでもいいが原文を提示する必要がある場合以外は日本語で書け。
あたま悪そうに見えるぞ。
591名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 18:56:54 ID:AQj2X0ro0
ホウ徳を「体制側にとって都合のいい」と言うのもいささか偏向だな。
降伏というのは敵方へ帰順したという意味。基本的には重罪だ(精確な規定とか恩赦などの抜け道があっただろうけど)
魏の国法的にホウ徳は正しい行動を取った。それを賞賛するのに「体制的」な圧力は必要としない。
もちろん帰国後の于禁の処遇については、司馬光の評がまさに当を得ていると思う。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 19:35:50 ID:fOtwtCgX0
国法的と体制的ってほとんど同じじゃね?
593名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 19:51:00 ID:AQj2X0ro0
違うと思うよ。
法は勿論、制定者の都合によって制定されるが、適用される側の圧力が当然あるし、
制定された瞬間から双方から独立して運用され始める面がある。
普通「体制的」とか「体制側」という言葉は、権力側がその独立性を侵して
圧力を加える意思が働いたときに用いられる。例えば恩赦とか。
594名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 21:04:51 ID:cJHepkKO0
>>589
単純に敗戦の将には悪諡が与えられるのがあの時期の魏ってだけだろ
西北方面に多大な功績を残した夏侯淵だって愍侯だぞ
それと、廟を作ったのは于禁ダメって言った曹操じゃなくて、于禁を慰めた曹丕だ
曹操の意見=廟の意図というのは短絡的過ぎる

それと資治通鑑なんて後世に書かれたモンのバイアス入りまくりな意見に同意できるかっての
595名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 21:44:43 ID:bCz24uam0
自分は>>594より、>>589の方に同意だな
>後世に書かれたモンのバイアス入りまくりな意見

司馬光が根拠をあげていないなら同意できないが、その根拠に同意できるってこと
当時の史書も同じニュアンスだろ
愍侯はその不運を嘆くというニュアンスも感じられるが、詞はどこにも同情的ニュアンスがないな

後世だから、儒教だからというのはあまりにも頭が固い気がする
于禁の憤死は、悶死じゃなくて、公表してないだけで自害という意味じゃないかね?
596名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 22:48:05 ID:48DKYLMf0
>>595
憤死や憂死は自殺と思ったほうがいいだろうね
怒りのあまり自殺するか、憂いのあまり自殺するかの違い
597名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 23:13:41 ID:EAWfpMMtO
自殺だったら自殺と書くんじゃないか?
俺は憤死=病死(時期的に悩みがあったら憤死扱い)だと思ってる。
若い奴は憤死しないし。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 00:58:40 ID:5Bcf+r0iP
>>594
>単純に敗戦の将には悪諡が与えられるのがあの時期の魏ってだけだろ

つまり曹丕の人柄に帰結するのでは。

忠成侯馬援 元侯ケ禹 忠侯呉漢、銚期 剛侯賈復 愍侯耿弇、臧宮 威侯寇恂、傅俊
壮侯岑彭 節侯馮異、王常 成侯祭遵、耿純 靖侯劉隆 恭侯李通 戴侯竇融

宣文侯司馬懿 忠侯夏侯惇、曹仁 愍侯夏侯淵、李典 威侯曹純、楽進、朱霊、臧覇 恭侯曹洪 元侯曹真
景侯満寵 壮侯曹休、張郃、徐晃、文聘、許褚、龐徳、ケ艾 剛侯張遼、李通 悼侯夏侯尚 詞于禁

↑で明らかな悪諡は夏侯尚、于禁……曹丕よ。
詞はそんなに悪い意味じゃないとか淵でも愍侯だったとかとか言ってるが、うーん……

>曹操の意見=廟の意図というのは短絡的過ぎる

単純に斬るか流すかなら、魅力以外で評価する。
曹操の言った「ホウ徳>于禁」の評価は魏人の暗黙の了解だったろう。
弁護に値する事情は曹丕自身が分かっている。一応慰めた。そこまでなら大幅にプラスするかな。
しかし于禁は胡散臭い死に方をした。廟を作ったのは曹丕。曹丕の本音=廟の意図だとしよう。陰湿。評価は反転してマイナス。
そんな意図はなく「勝手に于禁が死んだ」だけならば于禁の自業自得で終わりでいいや。
でも、それ珍解釈というか、文帝紀の曹丕評と全然リンクしてないじゃん。
短命王朝だからバイアスかかってるとか?
599名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 02:21:52 ID:1P/gici2O
諡号は朝廷で議論して決めたこともあるようだから世論の反映によるという方があるように思う。
呉漢についての諡号談義が後漢書にはあるし。
曹丕一人の責任に帰すのはいかがなものか。
600209:2009/03/24(火) 02:34:51 ID:BJb+Q7v10
まあ曹丕の人柄については弁護しようの無い部分も確かにある。ただ冷酷で
陰湿って言うのとはちょっと違うようにも思う。

どちらかと言うと情が厚すぎて好悪が極端になっちゃうタイプなんではない
のかな。まあ芸術家タイプにありそうな性格ではある。于禁の場合は蜀に降り
更にその後呉に降っていると言うのがちょっとケチがついたかもしれんですね。
于禁クラスだといざと言う時の切り札にもなりかねんですし。

夏侯尚の場合は彼の方にも問題があったんじゃないかな。幾らなんでも愛妾に
溺れ過ぎでしょう。夏侯尚に対する親愛の情は変わらなかったことから考える
と夏侯尚も態度を改めるべき部分があったのだと思う。息子の夏侯玄はそれら
の影響からか側室を持とうとしなかったみたいだしね。曹丕だけに問題がある
とはちょっと言えないと思いますね。
601名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 04:15:34 ID:iZH4RkQX0
文帝は好き嫌い激しすぎだろう
嫌ったときの行動をみると多分に子供っぽい部分がありそうだ
602名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 04:40:15 ID:QHn0vZql0
>>598
>詞はそんなに悪い意味じゃないとか
言ってない言ってない
「悪諡を贈られる原因が本人以外のところにある」と言ってるんだ
愍侯ってのも悪諡だがこれもまた本人が悪いというわけではない

第一曹丕が本当に于禁に嫌がらせしたいなら素直に殺すっていうか
もしくは「おめおめとよく帰ったな」的なことを直言するよ
前者は曹洪の時、後者は張繍の時のようにやると決めたらストレートにやる
わざわざ回りくどく廟まで作って嫌がらせなんかしない
っていうか曹丕個人の質素倹約大好きな割りには食道楽な性格を考えると
廟を作って嫌がらせする金があるなら別のことに使うだろ
603名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 08:37:21 ID:79hj2+5m0
>>600
好悪が激しい性格って、身分が高ければ高いほどマズイ性質ではあるな
604名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 10:38:59 ID:qlOuVSZN0
愍とか悼とかって嫌悪の入った意味じゃないよ。
早死にしたので残念に思う、憐愍する、哀悼する、ということ。
605名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 15:32:15 ID:IC5TALobO
どちらかと言うと、文官名士には甘い所あるな(諡号は文帝だし)
逆に、現場の武官(特に寒門より)には冷たいイメージ。
王忠のエピソードとか、
人の苦労を「これだから下賤の者は…」と侮蔑した悪意みたいな物を感じる。

思うに、カンガンの孫から始まり
時に朝廷での政争に揉まれ、時に戦場で陣頭指揮に立ち
苦労して這い上がった父曹操(それゆえ柔軟性にも富んでいたけど)と比べて
多分にエリート意識の高い人だったんじゃないのかな>曹丕
物心付いた頃には、父親は中原の最有力者だった訳だし。
勿論、甘ったるい二世などではなく、
非常にバランスの取れた為政者だっただろうとは思うけど。

スレからずれるけど、
漫画やゲームで曹操と風貌は似てるのに、目つきが悪い事が多いのは笑える
606名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 16:44:48 ID:mc6SPlTB0
諡号は本人の文学的素質およびその治世を称えたもので、
文官びいきだったからなどではないはず……
文官名士に甘いのではなく、彼らにおべっか(この言葉は適切ではないけど)をしないと
国もしくは帝位が成り立たなかったという側面もあるのでは?
苦労比べみたいなものは本来ならばするべきことではないが、
曹丕自身も10歳(11だっけ?)の頃から従軍、長子なのになかなか後継者に冊立されない、と
曹操とはまた違った苦労をしてきた人物だと思う。
まあ基盤がしっかりしていたのは確かだし、エリート意識というか、プライドは恐ろしく高かったんだろうなとは思うけど(笑)。

それにしても、曹丕は本人の性格ばかりではなく、他人からの好悪の差も激しいね
607名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 18:50:55 ID:QHn0vZql0
>>606
曹操とその辺の好かれる嫌われる、好く嫌う的な部分はあんま変わらんけどね
608名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 20:14:42 ID:lETt0Sy50
>>602
新たに廟を造ったのではなく、ギョウの曹操の廟に予め人を派遣して于禁とホウ徳の絵を描かせておいた。
于禁伝の記述の限りでは、于禁を許した後、于禁が廟に詣でる前に書かせたことになるし、
曹操も出てこない絵を特に目的もなく廟に書くというのも不自然なので、曹丕にははっきりと目的があったと見たほうがいい。
ついでながら大して金も手間もかからないだろう。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 21:35:07 ID:y5ZOey5T0
愍はともかく悼も労祀を行った、の方だろう。
夏侯玄が15歳前後で年中(30歳)に満たずに夭折というのはありえない。

>>607
曹操というと杜氏を関羽にくれてやるとか約束して
結局反故にしたのがあったな
610名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 23:34:46 ID:QHn0vZql0
>>608
于禁伝の記述では詣でる前に書かせたじゃなくて「帝使豫於陵屋畫」だから
三国志の「使」の用法だと于禁が詣でることを決定する前か後かわからんよ

曹丕が「絵を描かせた」という事実しかわからない書き方になってる
611名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 23:56:24 ID:N6mRNhzX0
>>598
>>585=>>595=>>602はわざわざ長文書いて相手するほどの相手じゃないよ
論理に飛躍がありすぎる。正史を読むのはいいが読解力から難がある

>バイアス入りまくりな意見 の内容も意味不明なままで説明もないし
曹洪も張繍も于禁も逆らえない状態を利用しての陰湿なやり方で全く矛盾していない
ただの曹丕信者として思えない

612名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 00:52:57 ID:qsdflc7J0
>>611
陰湿じゃないぞ

やる時はちゃんとやる
迂遠なやり方はしない

という傾向にこの于禁の件だけ合ってない
613名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 01:15:19 ID:ZpR0yAaH0
>>611
曹洪と于禁は帝位についた後のことだからともかく、まだ“曹操の長子”でしかなかった頃の
張繍の件も「逆らえない状態を利用した」と決めつけるのは如何なものかと。
と、思ったけど、陣中では表立って口にすることはないが、「一度裏切ったくせに〜」と張繍への
風当たりが強くて、曹丕がそれにトドメを刺したという可能性もなくはないか。
614名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 17:24:51 ID:r0LIW5IR0
>>611
曹丕の性格なら于禁を赦免してから侮辱するなんて絶対にありえない。
曹丕は一貫性のある性格の人間なので原則主義的に罵倒し、法に照らして処刑するだろう。
曹丕は陰湿な性格ではなく
好悪が激しく自分の気に入らない人間に対して偏狭で過去の遺恨に対して執念深いというだけ。
615名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 18:58:11 ID:0qa6dM1D0
>>614
>曹丕は一貫性のある性格

一貫して陰湿ってこと?
616名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 19:34:16 ID:EN7t6XLu0
記録に残る曹丕の行状について、張粛に対したものを真、于禁に対したものを偽と立証することは不可能。
だから「曹丕は一貫性のある性格の人間なので」という前提を作ってから曹丕を論じるのは不当。

「帝は使いして予め」だから、洛陽からギョウへ画家(というか宗廟の担当官)を派遣したことになる。
于禁の帰還と関わり無くそんな派遣をわざわざ行う意味がない。ホウ徳の墓ならともかく、曹操の霊廟だからね。
ギョウへ曹丕自身が詣でた際にでも思いついて書かせたなら、「使豫」の字はありえない。
少なくとも陳寿は「公式には于禁を許し、一方で廟に画を書かせて見せた」という意図をもって于禁伝を書いた。
「その行状を真と前提することは出来ない」けれどね。

仮に于禁の帰還決定前に画が書かれたのだとしても、自分で父親の廟に絵を書かせたことをうっかり忘れていた、
というのはありえないだろうから、判った上で于禁を廟へやったことになる。

「好悪が激しく自分の気に入らない人間に対して偏狭」という性格には賛成だけど、
気に食わない人間を見るそばから攻撃する狂犬のような人間でもないかぎり
張粛の件と于禁の件は両立しても問題は無いだろう。人間の言動にはそのくらいのブレはある。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 20:29:16 ID:0qa6dM1D0
だよな
>>614
はそろそろ引っ込めたら? これ以上は不毛だよ
618名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 21:27:50 ID:VUQ/1ecrP
>>617
了解
曹丕は性格最悪候補の一人ということでFA
619名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 21:43:32 ID:r0LIW5IR0
>>617
まあ、これ以上gdgdやっても平行線だろうから言う通りにするよ。
620名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 22:09:47 ID:qsdflc7J0
>>616
曹真とかも殺そうとする時はちゃんと「殺す」って言ってやってるだろ
于禁みたいに嫌がらせを迂遠にするケースって他に無い状況で于禁の話を考える必要がある
621名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/26(木) 07:40:26 ID:3pd6M+yE0
>>621
もはや、ネタか釣りとしか思えんw
622名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/26(木) 12:30:16 ID:DTlP/nixP
強引な擁護より加点評価のオンパレードで中和する方がマシだな
623名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/26(木) 15:48:11 ID:pdxTE+Fc0
しつこすぎてワロタw
624名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/26(木) 19:59:42 ID:3pd6M+yE0
話題を変えるために>>209氏にリクエスト
曹丕つながりなのは変えないということで

曹昂、曹植、曹彰、曹沖、(あったら曹熊も)をお願いします
625名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 05:19:20 ID:w202pCXLP
夏侯淵は?
626209:2009/03/27(金) 05:50:56 ID:RPEOXQAX0
>>624
曹昂 統率64 武力58 知力62 政治53 魅力77
曹植 統率37 武力45 知力84 政治48 魅力88
曹彰 統率53 武力96 知力42 政治30 魅力79
曹沖 統率78 武力17 知力95 政治82 魅力90(寿命13歳)
曹熊 統率37 武力31 知力34 政治30 魅力65
曹爽 統率23 武力36 知力47 政治87 魅力66
曹髦 統率38 武力70 知力74 政治66 魅力82

2人ほど追加しておきました。曹爽は一時的とは言え司馬懿を失脚に近い状態
にもっていった点より政治を、曹髦は曹操を彷彿とさせると言う評より、全体
的に高め、ただし統率のみは低く設定しました。

曹操の息子は曹丕が政治、曹植が天才的文化人と言う面から知力、曹彰は父譲り
の軍事面の才能から武力を突出させてあります。曹沖は半分ネタです。イベント
でもあって寿命が延びたりしたら、ぐらいの感じで極端に高くしてます。

曹昴は後継候補だったことから無能とも考えにくいので平均的ですが全体的に
少し能力を底上げしてる感じです。曹熊は病弱でそういうこともないので逆に
平均を少し下げたような能力にしています。
627209:2009/03/27(金) 07:10:08 ID:RPEOXQAX0
>>625
夏侯淵 統率49 武力90 知力32 政治63 魅力78
夏侯覇 統率54 武力80 知力51 政治33 魅力72(次男)
夏侯称 統率42 武力86 知力49 政治39 魅力71(三男)
夏侯栄 統率48 武力69 知力77 政治43 魅力75(五男)

夏侯尚 統率76 武力64 知力68 政治52 魅力69
夏侯玄 統率41 武力49 知力55 政治84 魅力70

淵は西方討伐した功績を武力としてみるか統率として見るかで評価は変わって
来るかと思います。一応私は武力で評価しました。

ついでに一族の主だった人物も載せておきました。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 10:38:57 ID:IEh8dNI+0
若年で夭折した夏侯称と夏侯栄も曹沖に劣らずネタ評価だわな
629名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 18:58:20 ID:8WNVNpydO
ネタにしても曹沖は酷いと思うな
630名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 19:31:16 ID:r4Jbr0ba0
もう全部ネタでいいよ
マジは疲れるし
631209:2009/03/27(金) 21:08:22 ID:DaODZTBK0
>>629
ヒドイ、と言うほどとは思いません。一応私の評価はある程度年齢によって
数値が上下するような感じで考えています。今まで載せてきたのは順調に歳
を重ね、3〜40歳まで順調に成長し続けた場合の最高値なのです。

大抵の人は40前後ぐらいまでは生きていますので、その時点を基準として
若い頃はそれより多少低い値になるように考えています。

ですがこう言う評価から外れるのが夭折した人達です。彼らは成長する前に
亡くなってしまうので、亡くなった時点の評価が基準になり、そこから歳を
重ねた歳に数値が加算されるため、場合によって数値が妙に高くなるのです。

数値の上昇度は呂蒙等のような特筆すべき話が無い限りはほぼ同じにしてます。
まあ、そういうのが評価としていいか悪いかは別としてそういうことをやって
いる、と言うことです。

ネタと書いているのはそういう意味を含んでいるため、です。
ちなみに夭折時と言うか15歳ぐらいを基準にして考えた時の各人の能力

曹沖  統率60 武力 5 知力77 政治63 魅力90
夏侯称 統率29 武力69 知力34 政治27 魅力71
夏侯栄 統率33 武力50 知力55 政治29 魅力75
632名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 04:06:39 ID:ADexzNIv0
>>631
十分ひどい

”ぼくのかんがえたげーむしすてむ”の”ぼくのかんがえたぱらめーた”を語るのもいいが、
評価基準が貴兄の頭の中にしかないものであると認識するべき
どのようなゲーム性でパラメータがどのように用いられるのか、他の誰もがわからないのだから
そして、実際にゲームにならないシステムを語られても困るし、語られたとしても全てが伝わるものでもない

>>1のパラメータの種類と数がまんまコーエーの三国志に一致していることなどから、多少のぶれがあったとしても、
この手の評価はコーエーの三国志のゲームシステムを判断基準の根幹とすべきと、オレは考える。
それならば、判断基準の共通認識を持ちやすいからね

そして、コーエーの三国志を判断基準とすれば、知力は戦場での戦術・策略や謀略などの実行力(または防衛力)を
数値化したもの頭のよさを表すものではない。
さらに、例え神童と称えられるほど聡明な人物だったとしても、戦術家や謀臣として大成するとは限らないと考える
その為、多少の色をつけるのは良いとしても、曹沖や管輅がトップクラスの評価を得ることは、ネタとしか感じられない

これに年齢に応じて変化するというシステムがあったとしても、70台後半(優秀の部類の範疇)程度が精々と考える

ってか、100分率(貴兄の場合、200分率?)で20近くも変動するのは変わりすぎ
ここまで変動させるなら、絶頂期は逆にインフレ状態の設定にするべきだよ(システムへのツッコミなのでスレ違いだが)

ってか、他の武将たちがかなり低く見積もられている中、1人孫策だけが統率・武力90台ってのが
評価にえこ贔屓を感じざるおえない。能力値の総計が低いのは言い訳にならん
この手の数値は総計が高いより、何か1点でも特化して高い方が遥に有用だぜ?
633名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 08:23:56 ID:1oCic/VD0
えらそうな態度と馴れ馴れしさが見事に一致してる厨房よ。
209基準がお気に召さないなら自分でやれ。
揶揄してコケにするより遥かに建設的だぜ?
634209:2009/03/28(土) 09:41:53 ID:Z5Ansl2j0
>>632
ん〜〜、ゲームシステムが光栄準拠なら最初からゲーム版に書けばいいと思う
のですよ。そうでない以上は自分のシステムを説明して書き込むのはアリなの
ではないですかな。

数値変動は天下統一Uを参考にしました。あれもインフレ気味でもなかったし
200分率で言えば40〜50ぐらい変動してましたがそれが問題になっては
いないと思いますよ。

早熟だったかもしれないとしたら、曹沖の若い頃の彼の知力が70台でそこから
ほとんど変動しないのですから妥当ですよね。

管輅の能力が云々と言うのはアノ当時いろんな人物が占いをやっています。
呉の呉範なんかは敵の動き等を予測し戦争時に数々の進言をしている。最後、
死ぬ時は孫権にコレで軍師が1人いなくなります、とまで言っている。管輅
自身も何晏の死を予言し、また司馬昭も彼に厚意を寄せ取り立てようとした
と言う記述もあるぐらいです。

占いだからネタ、などという括りは正直出来ないと思います。それは正史を
きちんと読めば分かることです。

孫策は事実上死ぬまで負け知らず、そして呉軍の統率者であった訳ですから
他の武将と差があって何らおかしくないと思いますが。総計が高いより一点が
と言うのは有用かどうかは分かりませんが、それは評価とはまた別の話、です
よね。

小覇王とまで言われた人物なのですから言われるほど過大でもないと思います。
635名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 11:37:15 ID:ADexzNIv0
>>634
>ん〜〜、ゲームシステムが〜
ならば、最初からひと言システムについて注釈が欲しい。
各項目の主な用途と判断基準、値による効果の差などが曖昧では、どんな数値を上げられても、その数値の良し悪しが測れない。
謀れないからこそ、オレや貴兄以外の人が述べた反論が的外れな論になっているとも考えられる。

>天下統一U〜
天下統一シリーズは、いくつかプレイしたことがあるけど、能力値が変動する天下統一はやったことないな
ググって見たが、能力値をまとめた攻略サイトも見当たらなかったので、どんなもんか判断できない。
しかし、想定するに根本から格差がついている設定に、さらに格差を広げるシステムを組み込む事に良い結果が生まれ難いと考えるな。
特定の武将が無双状態で暴れまわるゲームになるのが目に浮かぶ。

>曹沖の〜
判断基準が定かでないから妥当かどうか解らないが、他の武将との相対評価で見れば能力変動性で若年から70は過大に見える。

>管輅の能力〜
知力は主に助言の為のパラメータであるなら、オレが的外れな反論をしただけ
しかし、戦術・策略・謀略などの実行力(成功率)にも関わるなら、占い師たちが高い評価になるのはおかしいと考える。
占い師たちは、予見力はあっても権謀数術の実行力に欠けると思われるからね。

>孫策は事実上死ぬまで負け知らず〜
つ陳登
孫策を1回、2回撃退している記述がありますけど?
なぜかこの記述はなかったことにされる傾向にある。

数値については、以前、武将同士を組み合わせて、能力の補填をしあうような記述があったはず。
補填しあえるのであれば、オール70の武将より、90の能力を持つ武将の方がいくらでも使いようがあると思われる。

そして、孫策自体の能力が高いのに異論はないが、他の武将に大差をつけている事には異を唱える。
細かい差であれば、誰がトップであろうととやかく言うつもりはない。
しかし、孫堅・孫策が魏の五将軍や蜀の五将軍と比べて、武に関わるパラメータが100分率中20や30も勝るとは到底考えられない。

>小覇王とまで〜
小覇王と言われていたのは三国演義の中の話しで正史ではなかったと思う。
それらしき記述はありましたっけ?
636名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 13:15:18 ID:WTk+AkYk0
>>635
陳登戦については
陳矯伝本文で二度目の戦いの相手が孫権。
孫策自身が徐州に行った記述がない。
徐州方面を攻めていたのは呂範と徐逸。
なので孫策の評価で無視されるのは仕方ないかと。
孫策自身の敗北といえば祖郎戦がある。

項籍相似とは言われてるけど小覇王は演義だね。
637名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 13:44:18 ID:eYiZEoc60
209氏、曹髦を出したついでに曹芳、曹奐もやってみてくれませんか
曹奐は少し難しいかもしれませんが。

それと、曹髦の武力70は曹操似補正があったとしてもちと高すぎなような気がします。
本人は戦場に立ったことがない、唯一の戦らしき逆クーデターも失敗、となると補正込みで55〜65ぐらいかと。
638209:2009/03/28(土) 13:55:57 ID:7U9RqFCx0
>>635
うおお、小覇王と言う単語自体は確かに演義ですな、元は許貢が孫策について
「今の勢いは項羽を思わせるものがある」って言う上奏をしたことからですね。

能力補填については90以上の人物を軍の配下に据えるのであれば有効ですが
軍団としての強さを考えればどちらが有利、と言うことはありません。孫策の
場合も知力、政治はかなり低いため、まあ政治は良いとしても知力を補うため
にはかなりの能力の部下を組み込まなければなりません。同じことをすれば、
曹操辺りは充分以上に対抗できるだけの能力になります。

陳登の件ですが、あれは孫策自身が、と言うのはどうでしょうか。ここは解釈
の問題ですが、一度目は陳登一族陳瑀を孫策配下の武将(呂範、徐逸)が攻め
た時のことではないかと思います。呂範達は広陵の更に北の海西にまで攻めて
いるので、陳登ともぶつかっていたとしてもおかしくありません。

しかしこの時は孫策自身は厳白虎と対峙していた時期です。また2度目の時は
孫策は丹徒と言う建業近くで糧秣を待っている時に許貢の食客に襲われ、それ
が元で亡くなった、とあります。建業近くですから、広陵からはかなり距離が
あり、やはり孫策が直接指揮を執っていたとは少々考えにくい。

しかも記述には場所によって孫策ではなく、孫権が攻めた、と言うようなモノ
も見られますし、孫策軍の誰かではあっても孫策自身が敗れたと言うには少々
無理がある、と判断した次第です。

天下統一で言えば上杉謙信が丁度孫策に当たりますね。彼も勢力拡大し易い
ですが、それとて絶対ではない。そういうものと考えるとバランスが極端に
悪い、と言うほどのものではないと思いますよ。

魏や蜀の五将軍との比較については立場の違い、率いる兵数の違いなど、
やはりそれなりの差はあると、私は判断しているのです。

占いと言うのは例えば日本の戦国時代ですが、軍師としての立派な仕事の一つ
でありました。先にも書いていますが、呉範も戦場で数々の進言をしている
ことから、やはり戦術の実行力の一つ、と考えられます。その辺りに明確な
差は無いと私は判断し、占術の大家である管輅を評価した、と言うことです。

システム面は正直申し訳ない、ただ、長々とシステムを書くスレではないから
何か無い限りは能力(とその理由)だけをなるべく書くようにしてるのです。
639名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 23:09:49 ID:9xoyM6iY0
209氏はもはや長々と俺設定を披露し続けて久しいわけだから、
今後も続けるなら混乱を回避し設定を整理・周知するためにも
ここらで各能力の詳細な定義と構造くらいは披露しておいた方がいいと思うよ
640名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 23:42:57 ID:9XX0DlQa0
最初は客観的にシビアに設定してるのかと思ってたが、
一部の人物の能力値とその評価の理由を見ると、贔屓目としか思えない
周泰とか孫策とかあれとかそれとか…

一部が贔屓目だと全体が駄目に見えてくる不思議w
641名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 00:17:31 ID:AGTRHDI+0
客観的な主観なんかこの世のどこにもあるわけないだろ。
そんなの209氏に求める時点で間違ってる。
単にお前が間抜けなだけだよ。
642名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 00:19:44 ID:FyfJzhXq0
孫策は確かに自分の才覚で地歩を築いた群雄だから、
曹魏五将や劉備の武臣達と比べて明確な差をどこかでつけるのは当然だろう。
その意味で、統率=軍団・軍閥の長として人の上に立つ能力とするなら、孫策の99(や劉備の94)は有り得る数字なんだけど、
209氏は「統率=防御、大軍の指揮」と設定していて、曹操が73だから、あれれれ? となってしまう。
孫策の経歴はどう見ても攻撃型で「防御の実績に乏しい」し、大軍の指揮も劉備・曹操に比べて遙かに
劣るはずなのに、なぜか 防御99>攻撃91 評価という。

劉備辺りも、人の上に立つ器であったとしても戦術局面で強将・智将という評価はないから、
統率(攻撃)・武力(防御)・知力を戦場の範疇に収めるのなら、トップクラスの能力はないだろう
平均すればかなり高い位置にはいるだろうけど。

他に呉だと周瑜は智将型ではないだろうね。ど突き合いに強い勇将だ。
呉で最高の智将は、二度の荊州奪取に会戦を行わなかった呂蒙だろう。
周泰の武力だけど、呉で個人または少数の戦果で周泰を越える可能性があるのは甘寧・董襲・凌統だろうか。
呉書第十の後発武人はあまり高い地位に昇れなかったせいか、個人の武勇の逸話が多くて、
大将級の人物が多い魏とは対照的だね。
643209:2009/03/29(日) 01:02:09 ID:olyfkKJS0
>>642
まあ、孫策と劉備の統率は非難受けることを覚悟してましたけどね。ただ孫策
に関してはそれでも攻撃的でありながら一度も負けが無い、と言う部分は評価
すべき点だと思いますけどね。

いくら孫呉が貧弱だったとしても、それでも最盛期は数万単位の軍隊を指揮し
ていたと思われます。簡単に大軍の指揮は曹操や劉備より劣る、なんて言える
ほどのことはないと思いますよ。

劉ヨウとか簡単に倒しているように見えますが、それでも勢力が大きい時期の
袁術が数年に渡って倒すことの出来なかった相手な訳です。

その辺りを少々甘く見すぎなんじゃないでしょうか。その辺りで評価が違うの
ではないかと。万単位の大軍を指揮して戦に勝ち続ける、これは立派に統率の
評価に繋がりますよ。

劉備についてはちょっと自分でも無理があるな、とは思ってるのですが以前は
魅力が無く、劉備の能力を表現する術が無かったのです。そこで配下を自在に
使いこなし、能力を発揮させる、と言う面を強調するためだったのです。ここ
はもう少し見直すようにします。

ある意味では攻撃的な曹操と防衛的な劉備と言う漢中時の状況を良く表してる
かなあ、とも思うのですけどね。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 01:15:38 ID:FyfJzhXq0
簡単に大軍の指揮は孫策や劉備より劣る、なんて言える
ほどのことはないと思いますよ。 曹操は。

程度の論拠じゃないかね、それは
645209:2009/03/29(日) 01:16:24 ID:olyfkKJS0
周瑜に関しては私も統率型将帥ではあると思っています。状況判断に優れて
いるため、知力も低いとは思いませんが、確かに呂蒙の方が私の場合でも知
力に優れていますね。

呉は将帥型とそれに続く将軍との差が大きい感じは否めないですね。将帥の次
がいきなり部隊長クラスに飛んでしまっているような感じです。
魏は将帥型、その次に続く雑号将軍、部隊長クラスも満遍なくいるような感じ
ですね。
蜀は将帥型が極端に少なく、雑号将軍クラスから部隊長クラスがほとんど、と
言う状況ですね。
646209:2009/03/29(日) 01:22:58 ID:olyfkKJS0
>>644
そこは曹操や劉備が直接劉ヨウと戦ってる訳ではありませんから、何とも言え
ないでしょうね。そこは最終的には個人の主観による判断しかないと思います。

私は「項羽のようだ」と言う評価と劉ヨウや王朗を打ち倒し、実質軍を率いて
の戦で負け無し、と言う面から孫策の統率を評価した、と言うことです。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 01:52:04 ID:FyfJzhXq0
別に江東勢力を評価しようと、戦場での強さで孫策がトップだろうと、それ自体は問題は無いんだけどね。
バランスが悪いんだよな。軍事に精通していたとは全く思えず、かつ余所者官吏の劉ヨウ・王朗らを破ったのがえらく高評価で、
その割に明確に強兵と謳われしかも地元出身者中心の関中・涼州諸軍や、それを破った夏侯淵らの評価が悪すぎるとか。
史書の考察は頷ける面が多いんだけど、所々に唐突にでっかい穴が空いてる感。
それを他人には理論で解釈し辛いから、結局「贔屓目としか思えない」と見られてしまうんだと思うよ。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 02:09:22 ID:hfL/ANyx0
夏侯淵は韓遂との戦いでは智略の冴えを見せているし、
魏の西半分の領土を単独で切り取っている。
そのわりに統率と知力が低い気がする。
個人的には、夏侯淵は五将軍や曹仁と比較しても劣らないぐらいの能力があると思う。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 02:16:23 ID:FyfJzhXq0
ついでながら、劉ヨウが始めて対峙した時期の袁術は、勢力が大きい時期とは決していえないはずだ。
元々袁術の勢力基盤は精々荊州北部から豫州西部付近までだっただろうけど、
193年の後半に曹操から逃れ寿春に本拠を移して以後、淮南淮北の方々に軍を派遣して地盤を固め直す作業に奔走し、
廬江の陸康と揉めたりしている。劉ヨウ攻撃もその一環で、多分この時期袁術軍の相手としては最大のもの(陶謙とは開戦したのだろうか)
だろう一方、袁術軍は長江を越えてこれを打ち破るほどの勢力を持っていなかった。むしろ苦しい時期だろう。
袁術のピークは多分197年の淮南飢饉直前で、西は陳王寵を殺し、北は呂布に合縦を働きかけている。
この年まで、袁術と孫策の勢力拡大は互いに背中を預けつつ歩調を同じくしていると把握した方が良いと思う。
650209:2009/03/29(日) 02:41:29 ID:olyfkKJS0
>>647
孫策をそこまで評価するのは、小さい頃に読んだ項羽と劉邦のためでしょうね。
あれで項羽は最後は知略に屈する形なのですが、それまで自分が陣頭に立って
戦った場合はまさに負け無し。

そう言った項羽に比されると言うのは私にとって武人としては最上級の価値が
あると思っているのです。

>>649
夏侯淵に関しては私も色々迷っているのです。彼の場合は実績はあるのですが
白痴将軍と言う評価もあるし、実際に最後は己の軽率な行動が元で劉備に討ち
取られている。ただしそこは知謀の問題だから統率はもう少し上げるべきか、
実際西涼と直接対峙してたのは徐晃や張コウといった五将軍達ですからね。

と言う感じで色々夏侯淵の場合は迷ってる次第なのです。

ちなみに王朗はともかく劉ヨウは戦ベタの官吏というのには当てはまらないか
と。それに孫策が劉ヨウと直接対峙したのは196年ごろからです。197年
の絶頂期とはいかないまでも、この直前ぐらいにはかなり袁術も勢力を盛り返
しているはず。でもそれを押し返せるだけの勢力であったのです。この時期、
651209:2009/03/29(日) 02:44:38 ID:olyfkKJS0
何か間違えて書き込んでしまった・・。まぁ私にとって項羽に比せられるのは
武人として何よりも価値がある、と言う思いから、統率と武力が高くなってる
のだと思います。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 04:32:39 ID:Z0wHs3fm0
>>638
>魏や蜀の五将軍との比較については立場の違い、率いる兵数の違いなど、
>やはりそれなりの差はあると、私は判断しているのです。
>>643
>いくら孫呉が貧弱だったとしても、それでも最盛期は数万単位の軍隊を指揮し
>ていたと思われます。簡単に大軍の指揮は曹操や劉備より劣る、なんて言える
>ほどのことはないと思いますよ。

この手の能力査定で常々疑問を抱く
ここで査定している能力は、武将(部隊長)としての能力であり、群雄や司令官としての能力査定ではなかったはず。

ゲームで言えば、指示を出す者(=群雄、司令官)はユーザーであり、
そのキャラが群雄や司令官(本来、指示を出す立場にある者)であっても、ゲーム中では1武将(部隊長)に過ぎない
であるのにも関わらず、群雄や司令官としての評価を重きに置くのは、査定の基準がおかしくないか?と考える。

”総大将とした時、能力に応じて+効果を発生する”の類のシステムを組み込むとしても、
それらは武将(部隊長)としての能力とは別物で、特殊能力や武将(部隊長)としての能力以外のパラメータ(例えば魅力)などで設定するべき
武将(部隊長)の能力と一緒くたにして良いものではない。

野球に例えると
選手(武将)としての能力を査定しているのに、監督(群雄・司令官)としての実績が重視されている。
って話しになる。
監督はユーザー、武将は(群雄、司令官に相当する人物でも)選手。

群雄や司令官としての功績は、多少の色をつける程度に留めるべき
群雄や司令官の経験を盾に、武将(部隊長)としての能力に高い値を設けるのは、判断基準がおかしいと考える。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 04:55:42 ID:Z0wHs3fm0
追記
例え、10万を率いた総司令官だとしても、その10万全てが直属の兵と言う訳でなく
多くは部隊長たちが率いているはず

その部隊長クラスの人材が、武将としてゲームに登場しないとか
ゲーム中、1人の武将で10万や20万の大兵力を率いる事ができるとかなら兎も角、
個の武将が率いるのは5千〜1万、多くても2万程度の部隊でしかないなら
”部隊長クラスより、10万を率いた総司令官の方が(部隊長の)能力が高い”は、おかしいと考える
654209:2009/03/29(日) 07:42:33 ID:olyfkKJS0
>>639
いちど、能力の説明をするようにします。
各能力の基準
武力:@部隊の攻撃力A個人的武勇
統率:@部隊の防御力A大軍を率いる能力B配下武将の能力補正にも若干関与
知力:@謀略策略の成功率A占いなどによる予見
政治:@大局的判断力A地方長官としての治績B法制定などの実務実績
魅力:@群雄として魅力ある人物A名声の高い人物B配下武将の能力補正に若干関与

武力で個人的武勇が高いだけの人は極端に統率を下げます(20〜30ほど)。
数千単位の兵を統率する将軍として実績のある人はだいたい統率が50以上に
なるようにしています。

統率が70以上と言うのは防衛面で特筆すべき人物、もしくは大軍を率いて特筆
すべき実績を残した人物です。大軍を率いて、と言うのは後期武将に多いです。

統率と魅力の配下武将の能力補正と言うのは一つの軍団に軍団長、配下の人間
を配置した場合、軍団長の能力を超える能力が配下にあった場合、軍団としての
能力に補正値が掛かることを言います。具体的には以下の通り

統率と魅力の平均が80以上あれば
0.8×配下の能力+0.2×軍団長の能力
70以上であれば
0.75×配下の能力+0.25×軍団長の能力
以下60以上で0.7、50以上で0.65と言う形で能力が下がれば徐々に
補正値が低くなり、部下の能力を引き出せない、と言う形にしてます。

知力は相手の引き抜きや、策略の成功率、逆に策略を見抜く力、奇襲の成功率
辺りと関係。奇襲時は武力と知力が高い方が成功時、より敵陣に多大な犠牲を
与える。

基本は実績重視ですが、古代の人物に比せられる場合はその人物のイメージに
合うような感じの能力値になっています。孫策や張コウ、許チョ辺りは代表例
ですね。

能力は変動性。だいたい若い頃から10〜20近くまで変動します。最高値に
到達するのは30〜40歳ごろです。
655209:2009/03/29(日) 08:10:39 ID:olyfkKJS0
>>652
私の場合は、だからこそ能力補正をつけるようにしているのです。一つの軍団
の最高兵数は2万程度でしょうか。そこに軍団長や配下が数人いたとして当然
軍団内に先鋒を務める部隊や、作戦参謀などが入ってくる。それらをバラバラ
にすると収拾がつかなくなるので一つの軍団にまとめて軍団全体の能力、とし
て見るように考えているのです。

特に魏に見られますが、前期は部隊長クラスの兵数で自らも前線で戦うタイプ
が多かったので武力>統率となっている人物が多いですが、後期になっていく
に従い、統率>武力となっていく人物が増えていく。これは群雄の兵数が増加
するに従い、求められる能力が徐々に変わっていったため、と言うことです。

前期は己の能力自身が、後期は配下の能力を引き出す能力が必要。例外は群雄
の頭ぐらいでしょうか。彼らは早い段階から配下の能力を引き出す能力が必要
となります。なのでそこで成功した人物は統率や魅力を高めにするのです。
656名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 09:13:45 ID:BlqmU+v/0
ちょ。寝ている間にこんな状況にw
ID:FyfJzhXq0とID:Z0wHs3fm0は自重しろ(同じ人か? 時間が経つとIDが変わることはある)

完璧に客観点な基準などは無く、全ての人物の部隊長としての経験や実績が判断できない以上
様々な経験から能力を類推する手法はあり
というか、その時の経験を完璧に無視したらそれまた問題

統率を下げないと曹操が完璧超人になり幾度かの敗北は表現できないし、
全体のバランスがある

ただ単に魏シンパの例によっての横暴としか思えない
「だから呉オタ、蜀オタは」などという先手をうっての自分たちのわがままを通す手法はもう古い
自分は、「正史は魏を正統としているから魏の人物を過大評価している。
あれだけの物量差をはじき返し、互角に拮抗した呉蜀を評価して欲しい」といいたいのを押さえている

曹操から「自分に匹敵する」といわれた劉備はもっと高く評価してもいいと思っているぐらいなのにな
657名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 10:53:24 ID:5brWP2bs0
夏侯淵の「白地将軍」って具体的にどういうことなんだろう
戦略、戦術共に問題あったんだろうか
658名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 11:00:00 ID:1r5LOz4n0
>>656
後半の文章、どう見てもただの言いがかりだろ
誰もそんなこと言ってないし言いたいこと抑えてもないしな〜
659名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 11:07:46 ID:Z0wHs3fm0
>>656
否、別人

>統率を下げないと曹操が完璧超人になり幾度かの敗北は表現できないし、
武将の能力値だけで勝敗が決する訳ではないから、能力がどれだけ高くとも敗北の表現はできなかない
 例えば、張繍の奇襲による敗戦も、賈詡の策略が大いに関わると考えれば再現可能

>全体のバランスがある
一部が突出した設定の方がバランスが悪い。

>ただ単に魏シンパの〜
オレ、どっちかというと呉よりの人なんですけどw
一部、怪しい設定が成されている点に異を唱えているだけ。

>あれだけの物量差をはじき返し〜
長江と蜀の天険、この2つは100万の軍勢に優る


>>654
>統率が70以上と言うのは〜
1に、孫堅・孫策に防衛面で特筆すべき功績は見当たらない、
どちらかと言えば攻勢において功績を上げた人。
2に、孫堅・孫策に大兵力を擁して特筆すべき功績は見当たらない。
そもそも大兵力と呼べるほどの兵を率いたことがあるのか解らない。

方や、曹操は官途、楽進・張遼・李典は合肥にて、司令官として大兵力の敵を前に防衛に成功している。
率いた兵数で言えば、孫堅・孫策より曹操の方が圧倒的に上。

で、あるのに能力値にここまで格差がつく理由が解らない。
 曹操 統率73 武力84  孫堅 統率89 武力86 
 張遼 統率51 武力93  孫策 統率99 武力91
 楽進 統率68 武力88 
 李典 No DATE

また、大兵力(大兵力が何万を指すのかわからんが)を擁して特筆すべき実績を持つ者って、
それこそ三国末晋初に極限られた数人しかいないんじゃないか?
後漢末から三国鼎立中は、大軍を擁して攻めた方が概ね負けてる。

ってか、大軍を率いる能力と、部隊の防御力は別モノでしょ
同一のパラメータの判断基準にする意味が解らない
660名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 11:23:16 ID:Z0wHs3fm0
追記
曹操は、どちらかと言えばその偉業は守勢にあるように思える。
黄巾の残党、袁術の侵攻、対呂布での反攻の切欠、官途の戦い
赤壁後は、各地に方面司令官を置き、自分は遊軍として西へ東へ奔走して迎撃する。

>>654の基準で考えたとしても、曹操の能力は統率>武力になるように思える。
逆に孫策の能力は武力>統率でしょう、事績的に考えたら
661名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 12:30:47 ID:suknafzO0
一連の流れを見ていると

ただ単にここ最近209氏以外に能力値を提示する人が少なくなったのがいけないんじゃ?

と思ってしまった。
209氏に異を唱えている人は異論のある人物の能力値を自分で提示してみては?
ただ長文並べられても面白くないし、能力値がある方がスレタイにも即しているし、
209氏の能力値のどのあたりが納得できないのかわかりやすいだろうし
662209:2009/03/29(日) 12:40:56 ID:olyfkKJS0
>>659
部隊の能力を単純に武力と統率だけで考えていませんか。私の場合武将の総合
力はあくまでも武力、統率、知力が三本の柱となっている。

例えば最近の光栄の三国志はやっていませんが、昔の光栄の三国志では部隊の
殴り合いで敵を殲滅するまで殴りあう。これなら単純に武力と統率の高い方が
有利になる。

ですが、史実上の実際の戦争を見ても敵兵の1割を壊滅させるとほぼ敗走する、
と言う状況です。そういう意味では、如何にして相手の士気を下げるかが重要
となってくる。その面で知力が及ぼす影響は相当大きい。オマケ程度でなく、
こういった要素を重要視しているからこそ、曹操は知力を高め、いざと言う時
の奇襲特化型として扱っているのです。

孫策は確かに武力統率は高いですが、それは力押しに近い急襲タイプの攻撃が
多い。逆に自身は刺客にやられたり、祖郎に兵が整う前の段階で奇襲を食らい
命を落としそうになっており、知力が弱点と考えられる。仮に曹操や張遼辺り
と戦ったとしても正面からなら打ち破れるかもしれないが、不意撃ちをくらう
ともろく敗走する恐れは充分ありえる。

統率や武力はもちろん高い方がいいに越したことはないが、それが全てでなく、
知力も無ければ完全とはいえない。それを唯一高いレベルで実現しているのは
三国でも2〜3人しかいなく、曹操はその1人である。更に政治能力も高い能力
で安定しているのは唯一曹操1人でしかない。数値の多少の高低はここでは
あまり意味を成さない、あまり数字のイメージに惑わされないでもらいたい
のです。

例えば100分率で無く20分率としたら

曹操 統率15 武力16 知力17 政治16
孫策 統率20 武力18 知力10 政治 9

こんな感じ、でしょうか。これで曹操のが圧倒的に弱い、と思う人はそんなに
いないと思うのですが如何でしょうか。数値は傾向を示すもので多少人により
上下はあると思うのですが、曹操クラスで統率を評価していない、と言うので
はないのです。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 13:47:52 ID:FyfJzhXq0
つまり209の定義による「知力」は、交戦に至った段階でも「部隊の強さ」に補正を掛けられる設定ってこと?
そうでもしないと孫策が、詭計を使わないと同時代のどんな武将にも勝ち目が見出せない完璧超人の大覇王様になってしまうから
いくらほぼ負けなしだといっても、koei三国志の呂布補正じゃないんだから
664名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 14:45:08 ID:bA9NZtcn0
>>659
細かいことだが、合肥の守備側は七千人余り、張遼の奇襲は八百人
確かに大兵力を相手に防衛に成功しているが、張遼らが大兵力を率いていたとは言い難い
合肥の張遼の活躍は呉軍が集結する前と退却完了する直前の
絶妙なタイミングでの奇襲によるところが大きく、
それを>>209氏は知力75で表現しているんだろうと思う

それにしても張遼の統率は低く孫策は高すぎると俺も思う
張遼のような少人数での活躍を武力で表現するところまでは分かるが、
だったら呉の武力1位に周泰をもってくるのはおかしい
それでは少人数で活躍した有名武将の存在感が薄くなってしまう

>>209
甘寧の能力値を一通りおながいします
665名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 16:50:58 ID:f/+OgV/hO
このスレ最近は209氏の人物評価を聞くスレになっていてスレ違い気味になってきてるしさ、高い知識をお持ちなので話は興味深いし209氏はHPでも作ってそこでやった方が良いんじゃない?
666名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 17:22:23 ID:Vs88RJtV0
HP作って欲しいけど正史の能力値スレで能力値書いてるんだからスレ違いはないだろう。
667名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 17:27:38 ID:VQBdQ5xO0
埋めにはちょうどいい。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 18:05:25 ID:FyfJzhXq0
むしろスレ違いをやってるのは209以外の有象無象全員だからな
669名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 19:52:07 ID:sZf8ccL00
>>648
>魏の西半分の領土を単独で切り取っている。
いや、そんな事実はないし、夏侯淵伝を読めば張コウの手柄の大きさが分かる。
だけど209氏評価の統率は低いと思うし、政治は高いと思う。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 20:01:10 ID:sZf8ccL00
>>642
>周泰の武力だけど、呉で個人または少数の戦果で周泰を越える可能性があるのは甘寧・董襲・凌統だろうか。

もし武力=少数での戦果なら、徐盛が候補だろう。
というか、周泰に「少数の戦果」みたいな事跡は特にないと思うし、
白刃を冒して戦い手柄をあげたタイプなら丁奉のが上に思える。
671209:2009/03/29(日) 20:03:14 ID:olyfkKJS0
HPに関しては作るとなると色々とタイヘンですので(一時期作りかけて挫折
しました)人生に余裕ができたら、と言うことでご勘弁を。

専門職業とするには知識不足ですしね。

>>669
夏侯淵は皆さんの意見も聞いておこうかと思うのですが、武力はもう少し下げて
逆に統率をもっと上げるような感じがいいでしょうかね。

政治は兵站面で常に実績を挙げていた点を考慮しても50台が妥当と言ったとこ
でしょうか。知力は最後の不意討ち等を考慮してこれ以上はあまり上げられない
と思うのですが。
672209:2009/03/29(日) 20:21:17 ID:olyfkKJS0
>>663
もちろんそうです。と言っても常にかけられる、と言うものではありませんが。
例えばある地形に陣を展開していたとして、孫策と正面から部隊をぶつけた時
などは知力が及ぶ影響はありません。

正面から孫策と殴りあっていてはいずれ敗走する。しかし例えば于禁クラスが
孫策に対し、攻めずに専守防衛に徹することが出来れば簡単に敗走することは
なくなる。そうして充分に持ちこたえている間に、奇襲部隊が孫策軍の後背や
横から突き込めば一気に形勢は逆転する。

基本的に部隊なんて簡単に方向を変えれる様なものではないから、攻撃もその
方向性は決まっている。正面からなら攻防にほぼ隙はなくとも横や後ろからに
弱点があるのですから、そこをつけばいいのです。

そして横や後背からの攻撃に際して相手に与える被害の大小は武力知力による、
ということです。
673名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 20:28:27 ID:sZf8ccL00
>>647
劉ヨウに関しては特に弱体視する根拠はないよ。
余所者だが正式な刺史であるし、徐州から流れてきた軍閥も抱えていれば、丹揚兵もいた。
>明確に強兵と謳われしかも地元出身者中心の関中・涼州諸軍
この辺は精度を欠いてると思う。
地元かどうかは絶対的な条件じゃないし、関中と涼州も違えば、夏侯淵の具体的な戦果も違う。
夏侯淵は馬超に負け、その後は張コウを先鋒にして自らは後詰となっている。
そして敗残の韓遂を狩った。

兵の多寡の問題もある。
孫策の江東制圧の褒められるべき点は、資源の少ない中での勝利だろう。

ただ、数字を眺めた場合、209氏の能力値には違和感もある。
勝敗は兵の常であるのにも関わらず、また絶対的な強さとするだけの事跡がないにも関わらず、
あまりにも能力値に差がある。
個人的には能力値のデフレ化には反対なので、それのせいもあろうが。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 20:44:06 ID:FyfJzhXq0
部隊長としての能力値の話をしているのに、能力値が設定されているクラスの有名な副将を持ち出したら例えとしては駄目だろう
まあつまり一対一、同数、互角の条件(有り得ない条件だけど)で交戦に入ったら孫策に隙がないって設定だとはわかった。


ともあれ、>>661の指摘もあるので、209氏とは別枠で能力値設定をやってみるか。ゼロから考えるので大いに協力求む。

まず、ステータスの項目を決定するには、当時の人物がどのような能力・要因を評価されて頭角を現し、史書に名を残したのかを
リストアップする必要がある。以下。

1.人的統率力
・皇帝として
・軍閥の長として
・権臣として
・名士
・豪族

2.政治手腕
・行政法務
・交渉弁舌
・祭礼教養
・査察督護
・古典
・書
・卜占

3.軍事的統率力
・都督州諸軍事級
・数個軍級
・大将級
・部将級
・兵種別統率力
 ・・歩騎弩水等

4.帷幄の謀
・政略
・外交・政治戦略級
・軍事戦略級
・作戦戦略級
・戦術級

5.個人、または少数の武勇

6.詩賦等

足りないものもあるだろうので、気づいたら何か意見を。
これらの要素から重複部分を統合して、史書に登場する全人物を過不足なく表現する
何項目かのステータスに整理し直さなければならないわけだけど…こりゃ骨が折れるな
675名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 21:11:58 ID:VQBdQ5xO0
魅力:血統、名声、求心力、コネ、人間性、教養
知力:グランドデザイン、情報処理、人材登用
政治:事務処理、兵站、交渉、宣伝
統率:治安維持、土木工事、組織運営、陣地戦、機動戦
武力:匹夫の勇
676名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 22:27:22 ID:FyfJzhXq0
>>674
まず、
1.人的統率力=名望(仮)

後漢末から三国晋は、国家の求心力とは別に、声望ある名士が独自の人的結合を築き上げたことが特色とされ、
各国朝廷の中でも皇帝や権臣に心服しない名士は脅威と看做された。
群雄諸侯の勢力も、その名声と軍事力の結合と言えるだろう(その名声の拠り所は各人多様としても)
というわけで、軍閥-名士-豪族の人的統率力は一元的に表現するものとする。
この能力値は、軍事的指揮能力や政治手腕を表現しない。

「名望」の高い主な人物
曹操 劉備 孫策 孫権 袁紹 劉表 馬騰/超 臧覇 太史慈 他、大小併せ殆ど全ての群雄諸侯
張昭 荀ケ 陸遜 許靖 華キン 周瑜 魯粛 等、名士豪族勢
 もちろん、この中でも高低がある

留保:
董卓 諸葛亮 司馬父子 等
朝廷の下で権力を獲得した権臣は、その手法に差があるため各個の考慮が必要か
677名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 23:59:06 ID:FyfJzhXq0
続き
2.政治手腕 =政事(仮)

いわゆる法家のような能力と儒家の教養徳行などを一元的に扱うのは難しいが、
官庁の業務(主に文事)に当たり、行政執務に実地に携わり、人事、法務等を含め
経典故事等を適宜参照もして官府を運用する能力とする。

「政事」の高い主な人物
各朝廷高官でも、実務に携わった者。特に新体制の成立に尽力した者。
諸葛亮 荀ケ 賈充 鍾ヨウ 王朗 陳羣 顧雍 劉巴 法正 等
刺史・太守として地方行政を執った者。
張既 徐バク 張嶷 呂岱 王リョウ 等
以下、中下級に至るまで多くの官吏
政略・謀略の能力は別とする。

留保:
使者として交渉応対や、弁舌の能力をここに含めるか(声望に入れるか、サブパラ扱いがいいかもしれない)
簡雍 ケ芝等
678名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 00:32:37 ID:ijH11WS10
またもや続き
3-1.軍事的統率力 =統率(仮)
2の政事と重複が多い技能と思えるが、2が古典や儀礼への知識教養を必要とする比重が高いのに比べて、
3-1は純粋に数量的な運用や法務の厳正さなどの比重が高いように見えるので、別の能力値とする。
特に都督諸軍以上の規模の運用能力を評価し、軍事組織の組織構築、運営管理、監督下の諸軍の法務統制能力
漢代の監軍・護軍の職務を主にイメージ。

「統率」が評価される主な人物。
軍閥諸侯でも自ら直接諸軍を令下に置いた者
曹操 劉備 孫策 董卓 公孫サン 馬超 呂布 等
丞相、大将軍、都督中外諸軍など、国家全軍を掌握した者。
曹夏侯諸氏 諸葛亮 三司馬 蒋エン 費イ 姜維 等
護軍・監軍・都護 特に中護軍や中都護として国家(群雄)の下で諸軍を統括した者
賈充 夏侯玄 司馬師 司馬昭 李厳 黄権 趙雲 沮授 等
魏の都督諸軍として方面軍を統括した者。蜀呉でそれに準じる者。
魏都督諸軍事全員 夏侯惇 陸遜 鍾ヨウ 関羽
以下、数人の将軍の上に立って軍を運用した者
周瑜 呂蒙 于禁 蒋欽 淳于瓊 郭図 等

留保:
兵站運用の能力をここに含めるか?
と言っても兵站を指揮した人物は多く軍部の高位に上っているので、あまり気にする必要はないかもしれない。

この能力は、戦場での指揮の巧みさ、戦略眼、勇猛さ等を表現しない。
都督諸軍は従来の監軍と異なり諸将への直接指揮権があったようだが、その指揮の巧みさは3-2や4で表現するものとする。
679名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 00:51:35 ID:ijH11WS10
さらに続き

3-2軍事的統率力その2 =指揮(仮)
将軍、中郎将、校尉、都尉等として、配下の一軍を指揮采配して戦闘に勝利する能力。指揮する部隊の強さ。
及ぶ範囲は主に数千の単位、戦場での会敵前後。
戦術級での「智略」、彼我の情勢を読み戦場・時機を選ぶ能力等も、かなりの程度含めるものとする。
(史書の戦果からそれが伺えるケースは殆どないが、名指揮官は当然常にその判断をより良く行っていると思われるため)

「指揮」が評価される人物
曹操 張遼 于禁 楽進 張コウ 楽進 張飛 魏延 孫策 周瑜 陸遜 麹義 他、非常に沢山。

騎兵、特に騎射を得意とする遊牧民系の騎兵の指揮を得意とする者、
水軍の扱いに長じた者、篭城で特筆すべき戦果を持つ者には、
特になんらかの補正をつけるべきか。
680209:2009/03/30(月) 01:23:04 ID:UNGhDEvW0
674さんの言われる有名な副将って于禁のことを言ってるのかな?一応
断っておくけど、陣を敷いたとき双方はだいたい複数の部隊を展開する。
于禁も孫策も奇襲部隊もその複数の部隊の内の一つでしかない。

その複数の部隊のうちで例えば孫策は攻撃をする側、于禁はそれを受け
る側、曹操もしくは張遼が奇襲をかける側という風に考えるだけ。

そもそも1対1で正面から殴りあうだけって言う前提が極端すぎるって
ことを理解してほしい。


徐晃   > < 甘寧
楽進   > < 周泰
曹操 >  <  周瑜
于禁 > <   孫策
   張遼↑

戦の形態は武将とかは適当ですがシンプルにやるとこんな感じですか。
複数の部隊が向き合ってて、その際に張遼の立場が不意討ちに当たると
言う感じですね。
681名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 01:26:04 ID:ijH11WS10
どんどん続き
4-1.帷幄の謀その1=政略(仮)
外交、国家戦略、軍事戦略級の立案計画能力。
外交・国家戦略で君主の方向性を定めたが、軍事戦略での評価に疑問がある諸葛亮・魯粛らを、
賈ク・荀ケらと同じく評価することには問題があるかもしれないが、
この二種の境界線は引き難く、分割してもそれぞれに評価できる人間が少なくなりすぎると思えるので、
とりあえず統一しておく。

・外交・国家戦略の立案に貢献した者
諸葛亮 荀ケ 魯粛 董昭 郭嘉 賈ク 張松 等
・軍事戦略の立案に識見を示した者
荀ケ 賈ク 黄権 司馬懿 張既 等

実際の外交交渉能力は含めない。

留保:
宮廷謀略等の権謀の能力はどこに含めるべきか?
司馬懿 賈充 孫峻 など。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 01:29:35 ID:ijH11WS10
4-2.帷幄の謀その2=軍略(仮)
主に作戦戦略級で諸軍を率い、またはその参謀として優れた計画を立てて敵に勝利する能力。
都督諸軍事の担当する範囲の智略版をイメージ。
また、戦術級の中でも特に奇策を立案し戦闘に勝利する能力。

「軍略」が評価される主な人物
荀攸 賈ク 呂蒙 司馬懿 陳泰 郭淮 法正 等
683名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 01:35:59 ID:flvhqPHq0
>>679
やる気になっているところ申し訳ないが光栄の能力値と別だとまず盛り上がらないと思う。
6.詩賦等を魅力で評価すればそのまま適用できる。
細分化して評価するのはいいけどそれを個別の能力値とするのは評価に困る人物を増やすだけかと…
3-1と3-2で別々に評価した後に統率として纏めて評価したほうがいいと思う。

このスレ独自の定義をつくるのは賛成なので一考して欲しい。
本当はどれかのシリーズを選んでゲーム内の役割を考えて定義付けるのが一番なんだけどね。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 01:52:56 ID:ijH11WS10
5.個人、または少数の武勇 =武勇
極少数の兵を率い、奇襲などで戦場で戦局を打開する能力。
評価される人物も、生かされる局面も少ないので、五段階程度のサブパラ扱いとする。

「武勇」が評価される主な人物
・数百から数人単位を率い、自ら先陣に立って戦場で武勇を示した人物
張遼 董襲 凌統 呂布 郭 等
・補助的に、個人の武芸・武勇譚のある人物
夏侯惇 曹丕 徐庶 孫策 太史慈 周泰 虞翻 張嶷 劉曄 等

ゲーム的に言うと、少数での奇襲や、部隊が壊走した場合に踏み止まって収拾したり
主を護る場合に使われる。場合によっては「指揮」で多少の補正を掛ける。

以上、
「名望」「政事」「統率」「政略」「軍略」「指揮」の六項目に、

武勇(五段階) 騎兵 水軍 篭城 交渉 権謀 交渉 といったサブパラメータを加えることとする。

と、ここまで考えてみたものの、人物設定までする気力が湧きそうにない
685名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 02:00:31 ID:ijH11WS10
>>683
うん、ナチュラルに詩賦は無視してしまったがw
盛り上がらないなら別にいいよ。
あくまでここは「正史基準で」のスレだ。例えば3-1の統率と3-2の指揮を同じ能力で表現してしまったら、
歴史上の人物としての夏侯惇や諸葛亮・誕・瑾や鍾ヨウ、魯粛、趙儼、沮授、韓浩などの能力や地位を表現できない。
それではこのスレの価値がない。俺にとっての価値だけど。
koeiのゲームシステムに沿って能力値を考え直すのはそれ相応に楽しいけれど、
それはあくまで演義を中心とする世界観の表現なのでやはりこのスレで語るのは無理。
686209:2009/03/30(月) 02:02:31 ID:UNGhDEvW0
>>637
遅くなってしまい申し訳ない。
曹奐 統率49 武力40 知力38 政治44 魅力67
曹芳 統率37 武力41 知力45 政治34 魅力55

>>664
甘寧 統率47 武力93 知力68 政治45 魅力64
政治は蜀郡丞の補佐をやっていたりした点よりやや高め。基本的には張遼に
良く似たタイプでしょうか。

パラメータは私の場合設定がおかしいと散々言われてますが最初から数千人を
対象にしていたので極力細分化は避けないとできないと思って、無理を承知で
5つに絞っていたのです。

最大でも軍事面3、政略戦術面3ぐらいに絞っておかないときついかと。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 02:26:03 ID:ijH11WS10
ためしによく比較される四人を大雑把に設定してみる。

周瑜
名声75  政事65  政略70
統率90  軍略75  指揮85
・水軍・

魯粛
名声70  政事75  政略90
統率85  軍略65  指揮70
・武勇☆・

呂蒙
名声45  政事60  政略60
統率75  軍略95  指揮80
・水軍・

陸遜
名声85  政事80  政略75
統率95 軍略90  指揮80
・水軍・

頭の中で音読し辛いので名望は名声に。
やはりめんどくさいので武勇は 無/☆/☆☆ の三段階にする。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 05:53:11 ID:czBJQvZf0
>>662
>部隊の能力を単純に武力と統率だけで〜
そうは考えていない。
が、単純なぶつかりあいで一部、大差をつけて突出している設定に異を唱えている。

>例えば100分率で無く20分率としたら〜
100分率であろうが、20分率であろうが、1万分率であろうが、一兆分率であろうが
比率に変化がなければ、大差であることに変わりはありませんがな
それこそ、数字のイメージで惑わそうとしないで欲しい。

別に曹操と比較して曹操が劣るから〜などといった、ミニマムな所で異を唱えているわけではない。
今まで提示された値を見て、一部、不当に高い評価が見られるからこそ、異を唱えているのです。
それと提示された評価基準に見合ってもいません。↓に対する反論はないのですか?

>1に、孫堅・孫策に防衛面で特筆すべき功績は見当たらない、
>どちらかと言えば攻勢において功績を上げた人。
>2に、孫堅・孫策に大兵力を擁して特筆すべき功績は見当たらない。
>そもそも大兵力と呼べるほどの兵を率いたことがあるのか解らない。

>方や、曹操は官途、楽進・張遼・李典は合肥にて、司令官として大兵力の敵を前に防衛に成功している。
>率いた兵数で言えば、孫堅・孫策より曹操の方が圧倒的に上。

さらに、項羽になぞられた点を大いに評価しているようですが、
正史での記述は、孫策の台頭をを危険視する許貢が、漢帝(曹操?)に対して注意を喚起を促した讒言であり、誇張された表現にも考えられる
少なくとも褒め称えた表現ではありません。漢室からすれば、項羽は不倶戴天の敵ですから。
これをもって、他を圧倒する武力、策を弄さねば太刀打ちできるものがいない設定とするのは如何なものかと

そして、弱点の知力についても周瑜を参軍させるだけでカバーできてしまう程度のもの
”知力が低いから、統率・武力が高くてもなんら問題はない”と、言い張れるものになっていないように考えます。

あと、気になる点をひとつ。
奇襲の成功率や攻撃力など、知力で判定する(できる)ようですが、郭嘉はまだしも管輅が三国志bQの奇襲使いになる設定は、どうかと考える。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 11:11:21 ID:3ANwe4Ih0
甘寧は明確に防衛の実績があるし統率はもう少し高めでいいのでは?
逆に武力はもうちょっと下げていいかもな、太史慈が88しかないことを考えると

俺の甘寧評
統率62 武力89 知力64 政治52 魅力63

ちと高くなりすぎたかな…
政治、魅力に関してはプラスとマイナスのエピソードがはっきりしており落とし所が難しい
孫権以外に重用されなかった点、乱暴な点でやや魅力をマイナス
政治は無頼漢時代に自分で事件の制裁、摘発を行ってた点を少し評価
690名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 16:12:39 ID:h6fYMoKU0
孫策過大評価過ぎね?
出発点は1000でも呉景らと合流した時点でそれなりの兵力はあったと思われるし
少数で戦果挙げたと言う点は呉の誇大広告な感じがする。

それに程普伝に祖朗に包囲されて程普に救出されたことが書いてあるが、これは文脈的に江東平定戦の一環の事件
勝敗は書かれてないけど、この件で孫策が常勝不敗とまでいかないのが判る
(立ち上げ時に敗れたのは仕方ないにしても)
それに呉書は孫堅孫策の敗北の記述を出来るだけ避けてる節がある。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 19:08:23 ID:uTaAOYZvP
>>686
お前んとこみたいに一次調査の段階で半島にワープしちまうような家系と一緒にするなよ
うちは少なくとも三百年前から江戸に住んでんだ
「三代続けて」は単純に三世代続けてって意味じゃねえぞ
日本で暮らすならこの程度の日本語は覚えろや
692名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 19:44:15 ID:Oij7+Hs6O
>>691
どこの誤爆だw
693名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 20:20:43 ID:ijH11WS10
>>674
主な人物を上手く表現できるように適用範囲を調整しつつ名前も少し変えてみた。
以下、ゲーム取説的解説

1.信望
 人的統率力。自分の魅力、名声によって人心を収攬し、組織を構築維持する。
 また地方長官として民衆や異民族の歓心を得る能力。
 信望の足りない者が相応しくない高位についた場合、部下や同僚のサボタージュの
 ・軍閥、権臣、名士、宮廷高官などに必要。

2.戦略
 国家戦略及び軍事戦略。
 敵味方を定め、適切な拠点に軍備を敷き、内政を充実させる土地を定め、
 人材を配置し、適切な侵攻計画を立てる能力。
 いわば勝てる状況を整える能力。
 ・君主及び国政に参与する者に必要。

3.政治
 官庁の業務(主に文事)に当たり、行政執務に実地に携わり、
 経典故事等を適宜参照もして官府を運営する能力。
 ・行政、文治の官全般に必要。


4.統率
軍事及び警察的な統制能力。
 軍事組織の組織構築、運営管理、監督下の諸軍の法務統制、刺姦(賊の取締) などの能力。
 ・群雄の中でも直接軍を統率した者、
  都督・監・督諸軍事、監軍、護軍、司隷校尉のような諸軍を管轄下に置く者、
  また諸郡都尉などに必要。

5.策戦
 作戦戦略から戦術級にかけての戦闘計画の立案実行力。奇策を含む。
 いわば勝ちを得る能力。
 ・都督諸軍以下、一定戦域内の軍を動かす権限を持つ者、またその参謀。

6.指揮
 戦闘の強さ。指揮下の一軍から一戦場に展開する(したと思われる)諸軍を指揮し、
 敵軍を撃破する能力。
 規模の目安は数千人から1〜2万人程度。
 ・将軍、中郎将、校尉、都尉など、実戦指揮権のある者に必要。

前三つが政治、後三つが軍事の能力と見れば大体間違いないと思う
以下、主な人物の大雑把な一覧
特に史書を読み直していないのでかなり適当
694名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 20:24:44 ID:ijH11WS10
曹操 信望90 戦略80 政治80  統率99 策戦92 指揮85 ・権謀
劉備 信望95 戦略83 政治75  統率95 策戦70 指揮80 
孫策 信望85 戦略80 政治60  統率90 策戦75 指揮95 ・武勇☆
孫権 信望97 戦略55 政治85  統率75 策戦40 指揮30 
袁紹 信望92 戦略50 政治70  統率80 策戦60 指揮50
呂布 信望77 戦略45 政治40  統率70 策戦70 指揮85 ・騎兵・武勇☆☆
馬超 信望75 戦略50 政治20  統率80 策戦75 指揮90 ・騎兵・武勇☆
曹丕 信望75 戦略85 政治87  統率65 策戦50 指揮40 ・武勇☆
曹叡 信望80 戦略87 政治75  統率85 策戦60 指揮30

諸葛亮信望90 戦略85 政治99  統率95 策戦70 指揮70
司馬懿信望85 戦略90 政治85  統率90 策戦97 指揮30
張昭 信望99 戦略80 政治90  統率50 策戦40 指揮40
荀ケ 信望89 戦略95 政治95  統率20 策戦30 指揮10
孔融 信望90 戦略40 政治70  統率40 策戦40 指揮30
華キン信望88 戦略75 政治85  統率35 策戦35 指揮30
鍾ヨウ信望75 戦略70 政治88  統率80 策戦80 指揮40

張遼 信望50 戦略40 政治40  統率60 策戦55 指揮93 ・騎兵・武勇☆☆
徐晃 信望35 戦略40 政治20  統率55 策戦65 指揮97 
張コウ信望55 戦略45 政治25  統率75 策戦70 指揮85 
于禁 信望30 戦略30 政治30  統率70 策戦50 指揮90 
楽進 信望30 戦略25 政治20  統率55 策戦45 指揮92 

関羽 信望50 戦略35 政治30  統率80 策戦50 指揮87 ・武勇☆☆
張飛 信望40 戦略15 政治15  統率60 策戦40 指揮90 ・武勇☆☆
魏延 信望25 戦略30 政治20  統率70 策戦55 指揮85
黄忠 信望35 戦略20 政治20  統率50 策戦45 指揮92
趙雲 信望45 戦略40 政治30  統率65 策戦50 指揮80
695名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 20:25:27 ID:ijH11WS10
夏侯惇信望70 戦略50 政治75  統率75 策戦45 指揮75 ・武勇☆
夏侯淵信望60 戦略40 政治45  統率72 策戦55 指揮90
曹仁 信望60 戦略40 政治40  統率70 策戦70 指揮85 ・篭城・武勇☆☆
曹真 信望65 戦略55 政治55  統率77 策戦75 指揮50 ・武勇☆

周瑜 信望75 戦略70 政治65  統率90 策戦75 指揮85 ・水軍
魯粛 信望70 戦略90 政治75  統率80 策戦65 指揮70 ・武勇☆
呂蒙 信望50 戦略60 政治60  統率75 策戦95 指揮80 ・水軍
陸遜 信望90 戦略75 政治80  統率95 策戦90 指揮80 ・水軍

姜維 信望75 戦略70 政治65  統率93 策戦75 指揮80 ・武勇☆
ケ艾 信望45 戦略75 政治75  統率75 策戦90 指揮85
陳羣 信望70 戦略75 政治70  統率80 策戦85 指揮40
郭淮 信望70 戦略70 政治72  統率83 策戦83 指揮75
鍾会 信望60 戦略85 政治80  統率70 策戦70 指揮55 ・権謀

太史慈信望73 戦略70 政治55  統率70 策戦60 指揮80 ・武勇☆
臧覇 信望70 戦略60 政治60  統率75 策戦60 指揮78
許チョ信望45 戦略20 政治20  統率40 策戦30 指揮50 ・武勇☆☆
李厳 信望65 戦略65 政治70  統率75 策戦60 指揮75
696名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 20:45:31 ID:ijH11WS10
間違えた。いつどこを攻め、守るか、というのは作戦戦略の範疇か
その辺の用語は嘘用語だと思ってスルーしてくれ
697209:2009/03/30(月) 21:10:16 ID:lHqzmZ6v0
>>688
他の方がせっかく設定して言ってるのをジャマしたくないので688さんへのレス
はコレで最後にします。

数値の問題ですが、天下統一と言うゲームでは孫策と同等の能力を持つ人物と
して上杉謙信がいます。一方武田信玄が歴史上ライバルとしていますがゲーム
では曹操に比べると武力統率は低かったりする。しかしそれでバランスが崩れ
ると言うことはない。システムがしっかりしていれば成り立つ話です。

兵力の問題は何度か書いてますが、私は2〜3万の兵を率いて実績があれば
高評価する。なぜならこの当時10万を越える兵の動員は極めて稀で、その
ほとんどが攻め手側が敗北、もしくは利あらず退却、と言う状況。夷陵の時
ですら呉、蜀とも5万前後、と考えると最盛期それに劣らない兵を動員して
勝ち続けた孫策の統率を低く見積もる必要が無い。

曹操はそれ以上の兵を率いているが、そこでの勝利はやはり奇策機略に寄る所
が大きい。また兵の多寡によらず負ける時は負ける、と言う面もある。その点
において数万の兵を率い、正面からの攻撃で勝ち続けた孫策が統率面において
は曹操より高くともおかしくはない。

項羽に比せられ、は味方の身びいきならともかく敵方の人間が言ってるのに
過大もクソも無いでしょう。敵方だからこそ漢の敵として最強であった項羽
に比べられると言うのは最大級の評価になると言える。

周瑜参軍、ってマサカ孫策直下に周瑜を配置するとかもったいないことする訳
じゃないですよね。部隊の能力はあくまでも部隊長の能力依存ですから、周瑜
を参戦させてたとしても別部隊なら孫策の知力には何の影響もない。

もし孫策直下に置けば曹操にも匹敵する武力統率を死なせるだけのことです。

管輅の知力は私もやはり迷っているのですが、呉の呉範とかのように具体的に
軍事面での予見力が見られない限りは数値をもっともっと下げた方が良いかな
と思ったりしてます。あまりにもこの時代を代表する占い師と言う評価に迷わ
されてしまったかな、と思います。
698209:2009/03/30(月) 21:19:33 ID:lHqzmZ6v0
>>690
祖郎が孫策を追い詰めたのはまさに孫策を倒すにはこういう戦い方、と
言うお手本のようなものではないでしょうか?この時はおそらく対陣前
に孫策を襲う、と言うやり方。つまり完全に不意を付いたやり方ですよ
ね。さすがに孫策も陣を張っていない、配下武将もどんな状況だったか
わからない状況では勝てない、と言う良い例じゃないでしょうか。

>>689
何か、甘寧に関してはモヤモヤしてた部分があったのですが、能力値を
見てすっきりしました。私のよりも689さんの方があってると思います。
参考にさせてもらいます。

ただ、武力はあくまでも比較対照が張遼ですから、90台は堅持したい
と思います。周泰はともかく丁奉と甘寧は90台にしておきたいです。

太史慈は最高値が91で当時はまだ成長途上の孫策が相手であることを
考慮するとやはり80後半ぐらいが妥当ではないでしょうか。
699209:2009/03/30(月) 21:47:00 ID:lHqzmZ6v0
>>694
何箇所かありますが、司馬懿の指揮30はちょっと低すぎじゃないでしょうか。
荀ケの統率も呂布侵攻時に持ちこたえた実績などからもう少し高くてもよろしい
かと思います。信望も89は少し低いかと思います。顔ぶれを見ると90台は
あっても良いかと。

張遼に比べて他の4将軍の政治が低い、と言うのも少々合点がいかないです。
楽進はしばしば一番乗りだった、と言う点から武勇があっていいと思います。
張コウは名士でもなく、曹一族でもない人間でありながら実力で司馬懿に次ぐ
立場として西方諸軍を取りまとめていたので、統率はもう少し高くてもよいか
と思います。

張飛の策戦はもっと高い(60ぐらいあっても良いかと)と思います。関羽は
統率が少々高いかと思います。

夏侯淵は指揮よりも統率の方にこそ本分があるのではないでしょうか。逆でも
よろしいかと思います。

周瑜は一族から三公が出ているほどの家柄です。陸遜は呉郡限定の名士で全国
的には無名なので信望は周瑜と陸遜と逆の方が良いかと思います。戦略も天下
二分の計を構想した周瑜より陸遜の方があった、とは言えないと思います。

陳羣となってるのは陳泰ですかね?サスガに幾らなんでも政治が低いような。
700名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 21:49:48 ID:lyUqKJD80
なんかもうgdgdだな
701名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 21:54:23 ID:ny5X/FCg0
>>209
甘寧の能力値ありがとう
政治は蜀の丞の補佐をしてたといっても官を棄ててるし、自分は50なくても良いと思う
甘寧が大兵力を率いたと言う記録は無く、目立つ戦闘はいつも少人数でのものだから
武力は90台、統率は50くらいで良いんじゃないだろうか
要は自分は、張遼と比べた限り>>689氏より>>686のほうが妥当だと思った

ん、と思ったのは知力だ
甘寧は南郡の前に夷陵をとるべきと進言したりした戦局を見る力だけでなく、
長期的な展望を持った上で劉表を見限って孫権に帰順した人物
張遼が75なら甘寧も70台あって良いと思う
いや、張遼が高すぎるのかもしれない
702名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 23:21:32 ID:ijH11WS10
>>699
司馬懿は諸葛亮と違い、基本的に後方指揮・参謀型、現場の指揮は諸将任せ。
という表現のつもりだったけど、とは言え代替する部将がいるとは限らないから60くらいは要るかな。

荀ケは軍事の功は無いと本人が明言しているし、経歴上に軍の直接指揮監督の形跡は無い。
荀ケはエン州留守の政治的代表であり、呂布から防御したのは程cと夏侯惇だろう。
信望は後漢末朝廷の拮抗体制を考えて孔融・華キンらと近くに設定。…だったんだけど、
そのあと諸葛亮を85から90に上げたのを忘れてた。荀ケも95前後にするか、
孔融ら名士勢と合わせて再調整が必要と思う。

張コウや于禁もそうだけど、特に張遼はただの武人じゃない。20歳前後に州から朝廷へ
兵を指揮して派遣され、何進・董卓の直属になり、28歳で魯国相という平時ならありえないくらいの人物。
その後は武官一本の道を歩むけど、曹操に属していきなり外様武官筆頭の一角となり、
のちには征東将軍として要地を守った。
元々は、名士とはいえないまでも相応に評価された士人だったのだろう。
信望と政治はその表現。政治40は「武官専従の人物の上限いっぱいライン」と考えてくれると良い。
それに比べて、張コウ、于禁は出世に引っ張られる感じで高め。
徐晃は白波賊、楽進は軍の下吏出身のため低い。

「策戦」は、今のところ戦域規模(たとえば「淮北」とか「隴西」のような)での諸軍の運用での智略を
想定しているので、基本的に命令どおり派遣されて働く大将としてしか動いていない張飛や楽進など
殆どの武人は低め。彼らは「指揮」さえあれば十分(張飛はもっと出世しているけど、その実績には考察が必要か)。
とはいえ、徐晃などと比べてバランスが悪いかな。要調整。

「統率」は、張コウ、夏侯惇、夏侯淵らと、鍾ヨウ・郭淮・陳泰らと、司馬懿、諸葛亮らを
別に考えてしまったので格差がでてしまった。確かに拙いので修正事項。
もっと都督級の人材を集めてからにする。関羽を基準に上下をつけるのがいいかな。
因みに関羽の北上は、時機を得たとはいえ、曹操・夏侯惇をはじめとして曹魏の兵力の
ほとんど南半分を動員させた影響力があり、魯粛・呂蒙も荊州を数年狙いながら
ついに正面決戦を選べなかった。
政治・智略面に難はあれど、軍事的統率力については督荊州としてまったく不足無しと言える。
夏侯淵は確かに諸軍を統御し指導する功績の大きい人物なんだけど、
猪突家と言われる面とのバランスでちょっとなやんでる。少なくとも統率はもっとあがると思う。

各種能力値は、人物の最盛期をイメージしている。
長年忠勤し、荊州牧として軍政権を二分し、呉の丞相として対立後も孫権が処置をなあなあに
できなかった陸遜の影響力は各国の宰相陣の中でも高いほうだろう。
一方周瑜は孫策時代は主な方面軍団長の一人。
戦時以外は荊州守備の比較第一人者にすぎない。
けれど、思えば周瑜は孫権を支えた二本柱の一人なので80台でいいかな。
二分の計が益州侵攻のことを言うなら、それを孫権に提示したのは魯粛。
演義での周瑜の「軍師」のイメージはほぼそっくり魯粛に戻してると考えて欲しい。

陳羣は陳泰です。ゴメン。
703209:2009/03/31(火) 00:30:55 ID:EuJSbqmg0
>>702
戦略に関しては構想を練るだけでなくそれを実行することが重要と思います
ので周瑜の行動力からもっと評価してもいいかなあ、と思ったのです。それと
魯粛の戦略は95以上あってもいいのではないでしょうか。彼の構想力、実行
力、応用力は荀ケ以外にちょっと見当たらないと思います。

関羽の北上に対して戦力を一極に集中させる、と言うのは曹魏のスタンダード
戦法でもありますので、少々微妙かと。それと呉の場合は表面上同盟を結んで
いる以上正面からは攻められない。それでも劉備が蜀を取った時は実力で荊州
の一部を切り取ろうとしていることから、関羽の威名以外の要素も多かったと
言えるかと思います。

張コウの政治ですが、彼のシュンガイと言う字は古典の中に含まれる単語で、
「非常に優れている」と言う意味です。つまり古典に造詣の深い人物でないと
つけられない字、と言うことになります。張コウは名士だった、とまでは言い
ませんが、一風変わった字、そして儒学者を愛し同郷の人物を学者として推薦
するなどから、もしかすると学者のような人物が一族にいたか、元々そういう
家系として、地元ではかなり名の通っていた可能性が考えられます。

逆に言うとそう言う家系だからこそ武官としてあそこまで上りつめたのかも、
と思ったりもしてます。そういう意味で信望、政治はもう少し高くても良いの
ではないかな、と思ったりしますね。
704209:2009/03/31(火) 00:35:06 ID:EuJSbqmg0
>>701
ふむう、私は篭城で持ちこたえた実績を考慮して少し統率は高くても良いかと
思ったのです。それと政治ですが、大局的な戦略面の進言は多少政治面で色を
つけてもいいかな、と思ったのです。

政治と知力の関係はもう一度練り直すようにしてみます。
705名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/31(火) 00:46:07 ID:mMf+oFKW0
>>703
関羽の北上については、関羽自身の能力以外の助けも多かったのは確か。
でも、80前後の都督級の殆どは環境による有利を少なからず受けて
勝ったり負けたり引き分けたりしているので似たような水準として差し支えない。
その状況を覆して支配領域を大きく拡大・維持するとか、
この時代有数の大戦役を総指揮したとか、
驚異的な長駆侵攻をしたとかいう人物が85以上という感じ。
…にする。大分改定が必要だと思うけど。
706名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/31(火) 00:51:18 ID:5BDiwtIR0
軍事遠征で、いまいちぱっとしない曹丕は統率70くらい
過不足無く大軍を指揮できるが、そこまでな感じ
諸葛亮は曹丕の10倍なので統率700、正史!
707名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/31(火) 00:51:23 ID:mMf+oFKW0
張コウについては参考にします。ありがとう。

楽進の武勇について。
ゲーム的には魏五将や劉備五将くらいには全員武勇をつけた方がいいのだろうけど
とりあえず具体的な武勇の記述のある人物にだけ暫定的につけてみた。
楽進伝の「先登」というのは文字通り「楽進一番乗りぃ!」の
功績だと解釈していいのだろうか?
それとも楽進の部隊が最初に陣営や城壁を突破したと言う意味なのだろうか。
708名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/31(火) 02:23:22 ID:V5KN3OEH0
>>697
最後にするなら反論を促した点に全て反論してからにして欲しかったな…

>1に、孫堅・孫策に防衛面で特筆すべき功績は見当たらない、
>どちらかと言えば攻勢において功績を上げた人。
>2に、孫堅・孫策に大兵力を擁して特筆すべき功績は見当たらない。
>そもそも大兵力と呼べるほどの兵を率いたことがあるのか解らない。
 追記:大兵力を2万としても、他の人材を押しのけて破格の値を得るほどの特筆すべき功績が孫策の事績に見当たらない。
    それこそ大軍を率いての功は、曹操に限らず、夏侯淵、曹仁、司馬懿、沮授、周瑜、陸遜など、その功績は孫策に優るとしても劣るものではない
>方や、曹操は官途、楽進・張遼・李典は合肥にて、司令官として大兵力の敵を前に防衛に成功している。
 追記:周瑜は赤壁、陸遜は夷陵(に限らずその後長期にわたり)、特筆すべき防衛に成功している。率いた兵も2万は越えてる

>項羽に比せられ、は味方の身びいきならともかく敵方の人間が言ってるのに〜
注意を喚起するための諫言だぞ? 注意を喚起して欲しいからこそ大げさに表現するのは常套手段だと思うが?
特にこの場合、放置されれば我が身の立場が危うくなりかねないのだから
別に絶対に誇張が入っているとは言わない
しかし、ほかに確固たる(判断基準に対する)功績があっての加点ならば、わからなくもないが
この言をもって大幅増(オレが見積もるに20は加点されている)は、やりすぎ。

>周瑜参軍、ってマサカ孫策直下に〜
論点のすり替え? 能力の提示があったから周瑜を選んだだけで、
別に周瑜に限らず張昭でも張紘でも秦松でも陳端でも、謀主なら誰でも構わんがな
提示されてないからわからんが、それでも知力70〜80くらいには補填できるべ
極端に低い1点をそこそこ高いレベルに補填するのが楽にできることは変わらんよ
709303:2009/03/31(火) 07:36:37 ID:EuJSbqmg0
>>708

もう一回だけ
孫策のように知略をほとんど用いず、正面からの突破で勝ち続けたような人物
は同時代にはほとんどいません。他の人は大抵知略を用いて勝利している。

何故孫策が項羽と比せられるのか。それは彼のそういう面から統率と武勇が
恐れられているからでしょう。多少誇張があったとしても、と言うこと。

それこそ曹操だって配下に能力を高くする人物を配置すれば孫策と同等ぐらいに
はすぐにすることができる。なにより曹操自身、賈詡にやられているように、
知力はどうあがいても曹操に届かない以上不利なのは変わらない。
710名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/31(火) 09:55:01 ID:zrWahr8SO
横レスだが、知略の定義が分からないね。
張英戦も王朗戦も劉勲戦も知略をてこにした勝利だと思うが。
そして戦略面でも、袁術からの自立の経緯や江東制圧時の侵攻順を見れば、非常に秀でてる。
曹操=知、孫策=武のような分け方は疑問だ。
711名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/31(火) 10:48:57 ID:5Fo/pdcK0
どこから303が出てきたんだw
712名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/31(火) 14:36:06 ID:m7LwmFwX0
>>698
太史慈は例の一騎討ち以外にも賊の手を矢で張り付けにしたり単騎がけで数人を射殺したり
個人の武勇描写という意味では甘寧より上じゃないかと思う

ところで一騎打ちで対戦相手の年齢まで考慮に入れるなら閻行の武力94は過大では?
あの頃の馬超は二十歳前後だったような、孫策と違って他に何か武勇描写があるわけじゃないし
713209:2009/04/01(水) 21:01:24 ID:d0BBZB0x0
>>711
おお、実は「劉備と孫権が力を合わせて曹操を滅ぼす方法」の所で興味深い話
があったので、ちょっとそちらに浮気してたのです。それの名残ですね。失礼
しました。

>>710
知略と言うのを戦術戦略と置いた場合、孫策はそこそこ高いと思うのです。敵
の弱いところを突いて倒す、と言う意味では曹操とも似てる部分が多い。

曹操と大きく違うのは、曹操の場合敵と対陣しつつ、精鋭部隊を編成して敵の
弱点を着かせたり、離間策を用いたりするのですが、孫策の場合は弱点に向け
て兵力を集中運用させて一気に叩き潰す。そしてそれに焦って他の部隊が動い
たところで各個撃破していく。

特筆すべきは集中運用している兵を己自身で能動的に動かしながら、陣を崩す
ことがない。そうでなくては連続して敵を攻めながら勝ち続けるということは
難しいと思うのです。

実際劉ヨウを攻めているときも兵を集中させ過ぎて、補給基地を一度は奪われ
たりもしている。しかしそれもすぐに反転し敵を撃破しています。これなどは
その時はまだ兵が少なかった、と言う事情もあったのでしょうが、それにして
も半端じゃない思い切りの良さです。その気ならすぐに取り戻せる、いや取り
戻す、と言うぐらい強い意思があったのではないでしょうか。

ある意味では非常に効率的、そして裏を返せば軽率、と言うことにも繋がるの
でしょうか。戦術的、と言う意味ではところどころに周瑜や孫静の助言を受け
てるふしが見られるので、そちらは並程度(理解はすぐできる)に。

逆に兵を一極集中させるような戦い方でありながら、陣を乱さず速やかに敵を
叩き潰す点より、統率を高く評価している、と言うことです。
714名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/01(水) 22:57:16 ID:WMfavKit0
>>709
> 孫策のように知略をほとんど用いず、正面からの突破で勝ち続けたような人物
> は同時代にはほとんどいません。他の人は大抵知略を用いて勝利している。
第一に正面からの突撃と言い切っているが、正面からと断定できる記述はほとんどない

第二に判断基準がぶれている。
攻撃力を判断基準としているのは武力であり、統率の判断基準は防衛や大軍(2万程度)を率いる能力
統率に敵を倒す強さも判断基準に加わるなら、張遼や張飛が統率50台のはずがない

第三に突破力なら呂布がいる。
呂布は勝ち続けてはいないものの、その敗戦は裏切り・飢饉・策略であったりで、突破では孫策にひけを取るものではない。
さらに呂布には前漢の名将李広に準えて飛将軍と呼ばれ、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」とも賞されている。
これで統率49の差があるのはおかしい。

呂布らが50台としたら、孫策は70〜80くらい。これでもちょっと差がありすぎかなと思わなくもない差だ
逆に孫策を99とするなら、呂布や張飛、張遼ら曹魏と蜀漢の名将たちは最低でも70台はないとおかしい


> 何故孫策が項羽と比せられるのか。それは彼のそういう面から統率と武勇が
> 恐れられているからでしょう。多少誇張があったとしても、と言うこと。
孫策に武勇や統率が低いとは言わないが、ほかとの差があからさまにおかしいと言っている。
どの道、誇張があるかも知れないのに最高値をつけるのは、判断としておかしい


> それこそ曹操だって配下に能力を高くする人物を配置すれば孫策と同等ぐらいに
> はすぐにすることができる。なにより曹操自身、賈詡にやられているように、
> 知力はどうあがいても曹操に届かない以上不利なのは変わらない。
90台を10数人程度しか設定していないのに?
孫策に相当数いるであろう知力70〜80をあてがうだけで、曹操との知力の差は10数程度に縮まる。
方や10数人しか存在しない90台を2人(武力と統率)あてがわなければ、孫策との差を縮める事ができない。
これで不利?、どう見ても完全に孫策の方が有利だよ
715名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/01(水) 23:14:09 ID:t2TfgvrqO
このスレ見てると張コウの凄さがよくわかるね
716名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/01(水) 23:25:09 ID:tLlaBkzN0
そうでも無いな
717名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/01(水) 23:59:37 ID:Nb7FzhdA0
いや、わかる
718209:2009/04/02(木) 01:11:36 ID:cKd78+d80
結局レスしちゃってるな。もう辞めませんか、不毛な・・・。
>>714
もし機略を用いているなら知力評価になる。しかし他の人のところには見える
知略のエピソードが彼の場合は少なく、ほとんどが敵を破った、と言う記述に
なっている。だから統率と武力を評価する。それだけのことです。

張飛を含め、魏蜀の五将で2〜3万を超える兵数を率いた人物は張コウと于禁、
後は関羽(と馬超もか?)ぐらい。そこで実績を残しているのは唯一、張コウ
ぐらい。判断基準は全然ぶれてませんよ。

呂布も負けが大きく響いてマイナス要素となっている。その突破力は武力の方
できちんと表現している。まぁ、呂布はまだ検討してる部分もあるから統率は
もう少し上がる可能性もなくはないです。

曹操との強さの比較は何度も言っているが孫策が圧倒的有利なんてことはあり
えない。知力70〜80も相当数なんていない。張昭や張絋でも70いかん程。
70の参謀だと60ちょいぐらいにしかならん。それこそ90以上なんて条件
の人材を見つけるのが相当きつい。

それに例えばお互い知力と統率を90の人物で補ったとして、両者の数値は
曹操 統率87 武力84 知力89
孫策 統率99 武力91 知力81

確かに軍事面としてはやや孫策が有利、とも言える。だが、この程度は多少の
兵数や士気の差によって簡単に覆る。

しかも当時の孫策の勢いは曹操でも正面からぶつかったら、と言うほどの脅威
であったのは間違いない。だからこそ政略結婚をしたり、太守の地位を与える
と色々後背を付かれないように動いている。

政略結婚自体も曹操側から姪を送る方なので、むしろ人質を送るぐらい曹操側
は気をつかっている。それぐらい孫策の勢いはすさまじいものが合ったのである
から、多少正面から当たる際に武力統率が孫策側に有利であったとしても何ら
おかしいことはない。

これが曹操と比べて隔絶的に孫策が有利、とか言うならまだ反論もわからない
ではないが、配下武将を配置しようともしなくともそこまで極端に孫策が優位、
と言うわけではないのだ。

以上。何を固執して噛み付いてくるのかが理解できない。
719名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/02(木) 01:58:55 ID:4BMfoPpi0
>>718
傍から見てるとなにをそこまで孫策を贔屓にしてるのか判らない
だから資料が曖昧なのに孫策 だけ 最大限好意的解釈してる
そこが突かれてるんじゃないの?

孫策の最大のネックは強敵と好戦してないことなんだが
孫策が統率と武力を兼ね備えた将である否定しないが
曹操を上回るとは思えない
曹操に匹敵するのは周喩だけだと思う
720名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/02(木) 02:28:43 ID:Ap/zFUZd0
>>718
> 何を固執して噛み付いてくるのかが理解できない
噛み付かれてるって考えられてるならなにを言っても無駄だな、了解、もーレスはしない

>>719
> 曹操に匹敵するのは周喩だけだと思う
統率=防衛力とするなら、統率は陸遜をトップに押すな
曹操や周瑜は侵攻側に回るとしばしば反攻を受けて痛い目を見ているが
陸遜は侵攻側に回っても最小限のダメージで切り抜けているように読み取れる
721名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/02(木) 07:12:44 ID:q95BeN5Z0
>>720
俺システムで評価してる209氏にコーエー基準の常識を押し付けて噛み付くのがそもそも間違いでは。
行間から露骨に敵意が滲み出てるし、
傍から見てておいおいと思うような失礼な発言が多過ぎです。

>209氏
いくらなんでも孫策の擁護が苦しすぎるのです。
激戦区を主将として勝ち抜いた曹操が70台というのは通史的なシビアで渋い評価だなーと感心しましたが、
鳥無き里の蝙蝠止まりの孫策が99。
もはや小覇王でもなく項羽すら超えているSONSAKU!ですよ。
あと、成長要素はデータ不足で
再現出来る人間がほとんどいないから止めた方が宜しいでしょう。
722名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/02(木) 08:20:21 ID:TfApwojz0
孫策
統率72 武力92 知力61 政治57 魅力90

こんなもんでしょ
723名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/02(木) 11:37:13 ID:GVKq7rXiO
俺は孫策の相手が弱敵ばっかりだったとは思わないが、
やはり曹操との差には首を傾げてしまう。
曹操だって知略頼みで戦ってたわけじゃないし、孫策だって正面突破ばかりやっていたわけじゃない。
724名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/02(木) 18:50:45 ID:Z4TduPwQ0
劉勳戦は完全に智略の勝利だね。
725名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/02(木) 19:17:55 ID:8Vmbd+/i0
他人の脳内設定に文句言ってどうすんのよ?
脳内統制すか。
726名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 11:44:17 ID:ZXyrAaYa0
光栄の夏侯淵の武力は過大評価だと思う。
前線では碌に活躍してないし。
727名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 17:02:44 ID:JdKfvhtv0
>>721
> 俺システムで評価してる209氏にコーエー基準の常識を押し付けて噛み付くのがそもそも間違いでは。
当初は判断基準がわからなかったが、>>654で基準が提示された以降は、
209氏が提示した判断基準を元に反論してるよ
>654で提示された判断基準が思いのほかコーエー基準(ゲームでの用途)と余りずれていないことから、
そう受け取られても仕方ないかもしれないが

> 行間から露骨に敵意が滲み出てるし、
> 傍から見てておいおいと思うような失礼な発言が多過ぎです。
それは申し訳ない

>>726
コーエー評価の過大・過小は歴ゲー板で。ここでの指摘はスレ違い。

正史で言えば、夏侯淵は前線でも軍を率いてなんども功績を上げているし、高い評価も得ている
武力91(18位タイ)なら過大と言い切れるほど過大ではないな
728名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 17:39:20 ID:ZXyrAaYa0
じゃあwikiが間違いだな
729名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 19:58:54 ID:eg8R+WTu0
確かに、wikipediaの[[夏侯淵]]のラスト二行が間違っているな。
そんな評価を下した史家がいるとは聞いたことが無い。
この俺批評が仮に正しいとしても、それが学会などで認められた定評でない限り、
wikipediaの記述としては誤っている。
勝手に俺批評を書き加える人間がいるからあまり無条件に信じないほうがいいよ。
730名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 20:35:08 ID:2JS2LvG/0
というか夏侯淵に関しては、ろくすっぽ史料も検証しなければ軍事的な見地で
まともに考察もしないでやたらとこけおろす奴が時折だけど涌く

・倒した相手は無名の雑魚ばかり
・白地将軍
・黄忠に斬られた

おおよそこの三点ばかりを連呼してひたすら過大とだけ主張したがるみたいだし
前世で夏侯淵に蹂躙でもされたのかと
731名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 21:34:42 ID:UDSwOc7a0
曹操に死後にあそこまで全否定される将ってなかなかいないよ
その意味ではとても凄い存在、夏侯淵
732名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 22:57:40 ID:JdKfvhtv0
>>728
正史にある記述を見ても、↓これだけの功績がある。
「〜を監督して」ってのを外しても武勲は相当な数。

・昌豨を攻撃して、屯営を十余り降服させる。
・徐和を大いに打ち破って斬首する。
・雷緒を打ち破る。
・徐晃を監督して、商曜を攻撃して屯営を二十余り陥落して斬首する。
・韓遂征伐に従軍して渭水南岸で戦う。
・朱霊を監督して、隃麋・汧の氐族を平定する。
・曹操と合流して、楊秋を降服させる。
・劉雄を撃破して、その軍勢を降服させる。
・梁興を包囲して、陥落させて斬首する。
・韓遂を襲撃しようとしたが逃走したので、韓遂軍の食糧を接収しつつ略陽城まで追撃する。
・羌族の屯所を焼き払い、極めて多数の斬首捕虜にする。
・韓遂軍を大破して、その旌麾を奪う。
・興国を包囲し、氐王は馬超のもとへ逃れたが残りは降服する。
・高平の屠各を撃ち、食糧・牛馬を手に入れる。
・宋建および彼の任命した丞相以下を斬首する。
・氐族・羌族を攻撃し、氐族から食糧十万斛余りを没収する。

正史内の評価で
「勝機に目ざとく迅速に移動し、いつでも敵の不意を突く」
曹操の言葉に
「宋建は反逆をなして三十年余りになるが、夏侯淵は一度の行軍で滅ぼしてしまった。
 関右を虎のごとく歩いて向かうところ遮る者なし。
 仲尼(孔子)も言った。『吾と爾でも(顔回には)敵わない』、と。」

>>731
于禁に対する言葉とか、曹操は何気にいなくなった人に対する言動が厳しい。
しかし、夏侯淵に対する言葉は軍中に下した命令書の一文なので、
夏侯淵をあえてひどい評価を下して、その失敗を教訓として各々気を引き締めろとの
発言ではないかなと考える
733名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 23:12:19 ID:eg8R+WTu0
敗死やそれに近い股肱の武臣というと他に関羽くらいか?
比較対象が少ないから曹操の態度が当時特別なものだったのかはよくわからないけど。
ただ孫権の魯粛評などを見ると、壮年の頃までの孫権は度量と大局観を同時に備えたまさに名君だったと思えるな。
734名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/03(金) 23:22:23 ID:UDSwOc7a0
>>732
そりゃあわざわざあげつらう理由は軍内の引き締めと任命者責任を問われる曹操が敢えて夏侯淵に責任転嫁しようとしたというあたりだろう
ただ、あまりに世評とかけ離れたことは言わなかったと思うよ
軍内への命令だからこそ、信憑性に欠けることは言えないよ
戦功・実績と反比例するように軍内では嫌われていたんじゃないかと思う
なにしろ強行軍ばっかりだったらしいから、部下の兵卒はたまったものじゃない
735名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 00:06:13 ID:waBPfJKg0
整理しなおそう。>>726が大本みたいだが、

・光栄の夏侯淵の武力は過大評価だと思う。
過大評価ではない。
光栄の能力値は演義ベース。演義の夏侯淵は張コウよりも警戒される名将で、武勇の誉れ高い。夏侯惇より遙かに活躍している。
五虎将には及ばないが90台前半は妥当評価だろう。
(純粋に演義の活躍だけ見たらときどき夏侯淵を越える夏侯惇の武力の方が過大評価だと思う)

・前線では碌に活躍してないし。
これは嘘。夏侯淵は「前線」で活躍しまくり。曹操の代理人として諸軍を率い四方を平定した。>>732の通り

ただし、史書の夏侯淵は武芸を売りにする人物ではない。張遼や甘寧のような少数を率い自ら刃を振るうような武勲は無い。
史書ベースで評価し、かつ「武力=個人の腕っ節」と定義する場合、中下級指揮官から伸し上がってきた武人達には劣るだろう。
また、戦術能力については、勇を頼んで敵を恐れず(好意的に言えば柔軟性が足りない)、そのために自分の死を招いたと評される。

ところで、武力(=用兵能力?)に疑いを挟みたいのか、
統率力(兵士からの人気)に疑いを挟みたいのか、どっちかにした方がいいと思う。
736名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 00:35:12 ID:Hq5rQrzE0
演義夏侯惇は神関羽と戦っても死ななかったというのが大きいのでは。
正史でも留守番としての安定感は抜群。
応変の将略はなかったから大した戦功はあげられなかったのだろうが。

しかし淵のように涼州制圧に大きな戦功があった人間をカス扱いする曹操の評価はわからない。
実は本人は名義だけで張コウとかの活躍が収斂された結果とかなのかな
737名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 01:16:34 ID:waBPfJKg0
名義だけなら夏侯惇でもいいし、軍事の能力が無いなら洛陽か長安から出さずに
後方整備だけさせておけばいい。せっかく典軍校尉なんだから。
諸夏侯曹氏が軍権を握ったのは、勿論親族だからだが、その中でも適任者を選ばなければ
曹操は勝ち残れなかった。適当に封爵されて名前も残らない親族もいただろう。
功績を挙げて生き残り、親族中一、ニを争う人物になっただけで夏侯淵の能力を推し量るには十分。

一方、夏侯淵の欠点については諸評が概ね正しいのだろうけど、死後の軍令であえて厳しく言ったのは
同じく曹操の親族だから、という点がかなり大きいだろう。
曹操は求賢令などを出し能力主義で人を選ぶという名目で、漢王朝の人事を自分の下においていた。
その曹操にとって、「敗死した親族」に対して甘い態度を取るのは二重に不可能なことだっただろうと想像がつく。
738名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 01:18:14 ID:/UoBUJun0
>>735
> 演義の夏侯淵は張コウよりも警戒される名将
反対、反対。演義では夏侯淵より張コウの方が(劉備に)警戒されてたよ

スレ違いなんだけど、つっこまずにはいられなかった…

> ところで、武力(=用兵能力?)に疑いを挟みたいのか
>>726の言では、コーエー評価の武力だから、部隊の攻撃力&個人の勇じゃない?
コーエー三国志11じゃ、武力=部隊の攻撃力&一騎打ちの強さだからね
739名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 01:41:56 ID:yZyKxp7y0
>>735
光栄は別に演義ベースだと公言はしてないと思うし、
仮にそうだとしても、正史での事績を理由に、その能力値を過大だと言うことに問題はない。
それと夏侯惇を軍事能力がなかったから留守番にされたというような書き方はどうか。

>功績を挙げて生き残り、親族中一、ニを争う人物になっただけで夏侯淵の能力を推し量るには十分。
親族中でトップクラスの能力だったからといって、光栄の能力値が妥当とはならない。

議論の発端は武力だが、夏侯淵は統率も高いし、知力もそこそこ。
はっきり言ってエースクラスの名将なわけでこれは過大だと思う。
740名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 01:45:23 ID:waBPfJKg0
コピペのまんまで悪いけど
史書
魏略曰:淵雖為都督,劉備憚コウ而易淵.

演義
孔明急止之曰:「老將軍雖然英勇,然夏侯淵非張コウ之比也。淵深通韜略,善曉兵機。
741名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 01:47:19 ID:waBPfJKg0
>>739
している。あとは俺らがフィクションと歴史の区別をつけるだけ
742名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 03:44:03 ID:L4v8pRhXO
昌キ#1←張遼のサブ
昌キ#2←于禁のサブ
徐和←呂虔・ゾウ覇のサブ
雷緒←諸将の監督役
商曜←徐晃と共同
渭南戦←夏侯淵以外も多数参加
扶風テイ←徐晃・朱霊と共同
劉雄鳴←劉雄鳴やる気なし
梁興(敗残兵)←張コウ・徐晃と共同、一番の手柄は鄭コン
馬超に敗北
張コウを先鋒にして馬超追撃も馬超逃走
韓遂と興国テイ撃破
高平の屠各撃破
宋建←張コウ・張既と共同
武都のテイ・羌撃破
劉備に敗北

劉備、馬超、魏五将>夏侯淵、曹仁>テイ・羌・韓遂
743209:2009/04/04(土) 07:33:34 ID:Ma8QpZe50
>>721
当時の揚州を鳥無き島、と見るかどうか、が焦点でしょうね。これは私見です
が劉ヨウの取っていた戦法と言うのは後年孫権が魏に対して行なっていた戦法
と非常に良く似ており、防衛と言う意味では非常に効果的であったと思えます。
軍の規模としても数万規模を誇っていたみたいですし、事実ずっと袁術の攻撃
を防いでいます。同時代でも他に長江を越えて攻略した、と言うのは聞かない
ですし、非常に評価されるべきと思うのです。

袁術ごとき、と見られるかもしれませんがそれでも第一次絶頂期にあった劉備
が苦戦してる相手です。また王朗に関しても河川をうまく利用して敵の攻撃を
よく凌いでいました。コレなども劉備が対袁術戦で用いていた戦闘と同じで、
これにより劉備は苦戦しながらも袁術の攻撃を食い止めていたのです。

あまりにも孫策が一気に倒したために劉ヨウ、王朗ともすごい戦下手のように
取られがちですが、私はそういうことは無い、と思うのです。

夏侯淵ですが都督としては非常に良くできている、と思うのです。ただし、
自分が前線に立つところりとやられるところがある。馬超反乱の時も自身は
一度撃退されてるんじゃないでしたっけ。急襲を得意とするのは良いのです
がそれを読まれると少し苦しいところでしょうね。

やはり統率を上げて武力を下げる方が良いかな。
744名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 10:26:37 ID:TfbQc2nu0
>>726はあくまでwikiをそのまま信じた場合の話で
wikiに誤りがあるなら武力は特に下げなくていいと思う。
745名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 11:01:45 ID:/UoBUJun0
>>742
> 馬超に敗北
夏侯淵伝
 韋康救援に向かったが到着前に韋康は敗北。
 馬超の迎撃で戦いは不利となり、汧の氐族の反逆もあったので夏侯淵は軍勢をまとめて撤退した。
馬超伝
 記述なし

韋康が討たれた時点で夏侯淵軍の戦略目的が消失している。
馬超伝になんら記述がないことから、夏侯淵軍を打ち破ったといえる戦果はなかったと考えられる。
あったら馬超伝になんらかの記述があって然るべき。

即ち、夏侯淵は目の前の無意味(戦略目的のない)戦いに固執せず、状況不利と見るや否や
退くべき時は速やかに退き、被害を最小限に留めるくといった、将としての判断の良さを表された事績に受け取れる。
もちろん敗戦は敗戦だが、夏侯淵の能力に(少なくとも大きな)減点になる事績に見受けられない。

その後、姜叙らの救援要請に対して諸将が曹操に判断を仰ぐべきとの意見の中、夏侯淵自身の判断で救援に応じて
張コウを派遣して馬超を打ち破っている。
その余勢をもって韓遂を追撃し、先に長離の羌族を攻めることで堅固な城に篭る韓遂を野戦に引きずり出し、
韓遂が大軍であっても怯むことなく、与しやすいと判断の元、攻撃を敢行して撃退する。

これだけの判断ができる夏侯淵のどの辺りが「白地将軍」だったのか、疑問を持たざるおえない。
746名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 19:25:56 ID:SXT8XXvx0
劉備 張飛 カンヌ 孔明あたりは逆に演技を考えない方が
怪物地味てるものがあるな
747名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 22:27:00 ID:qq41owb20
>>742にとっては、戦争の勝ち負けを決めるのは中下級指揮官の奮戦次第であって、
総督は部下の補佐にすぎないんだな…
748名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/04(土) 23:26:49 ID:TF1DvwsA0
>>745
その疑問は曹操に言ってくれ
曹操がしばしば自軍の失敗の責任を部下におしつけ、親戚であるとはいえ功臣に対して死者に鞭打つような奴で、以前から軍内で批判的に見られ、曹操の注意を聞かなかったという史書の伝えるところは捏造だったということなら君の言うとおりだろう
749名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 00:09:51 ID:0DwMp5vr0
もう淵は馬超戦あたりまでがピークであとは戦の感覚が鈍っていただけでいいだろ
750名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 00:26:14 ID:wcq9Nx/+0
>>748
前半と後半がなぜ両立しないのか?
夏侯淵の将としての欠点自体を否定している人間は誰もいないのに、なぜニ極論で結論を誘導しようとするのか?
751名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 04:12:40 ID:bSPG8T3z0
ここまで読んで思ったが、209氏はホント正史をくまなく読んだという印象。
完璧ではないにしろ、少なくとも、文句をつけてる人の中に彼より(広く)読み込んでる人はいないように思う。
正史読んでて自分でもやろうとしたら、そこまで大きな差はできないだろうし。
孫策とか曹沖はまあわからなくもないけど…個人的に曹沖の成人能力は、幼少時にもエピソードのある孔融や陸積あたりを基にしていいんじゃないだろうか。
基本的に99は印象評価になっていると思うので、孫策でも別にいいかと思う。と言うか、99にして一番違和感なさそう、という消去法みたいな感じに思えた。陳群も同じで。
個人的には曹操強すぎと思うけど、時代を超えた英雄に対する評価としては至極真っ当なのかなあ。

暇だったら、魯粛、蘇飛、田チュウ、管亥、張白、王修、ビホウ、韓浩、鄭(姓のみ)あたりをリクエストしたいところ。


夏侯淵は、討ったけどチョウコウを逃したときの劉備の言「一番の大物を逃した」ってのが尾を引いてると思ったけど…実戦の叩き上げで何十年も戦闘してる劉備の評価的に、夏侯淵がそうでもない扱いなのが元なのかなあ。
過去の不当な評価の反動で最近妙に評価を受けすぎな印象があるけど(蒼天効果?)、強いと言っても名将にはならない気がする。飽くまで気がするだけなんで、突っ込まれても答えようがないんだが。

752名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 04:31:46 ID:gMfN4UHC0
>>748
疑問を持つだけで、曹操を誹謗中傷する奴か正史を捏造呼ばわりする奴扱いですか?

正史の記述は、基本的に正しいと考えなければ話しにならないでしょ
 →応用的には、誤字脱字、年代の誤り、別伝との食い違いなど誤った記述、
  または書かれていない失敗談の類などがあるにはあるが。
なので、曹操が命令文を配布したことも、その内容の記述も正しいとするのは大前提

ただし、文字通りその命令文の内容を鵜呑みにするのは考え物。この場合も、
 「白地将軍」と呼ばれていた事が事実なのか?
  →曹操の命令書に「白地将軍」と呼ばれていたと書かれているのは事実だが、
   この言以外にこのことを示す記述が見当たらない
 用兵が得意でないとの評価は曹操の本心から発した言葉なのか?
 どのような意図を持って発せられた命令書なのか?
事績から見るに妥当とはいえない評価だけに疑問に思うのは当然でしょ
ってか疑問に持たないほうがおかしいよ。


なぜ、このような命令書を配布したのか?

張郃や徐晃ら夏侯淵配下の部将たちへの配慮ではないだろうか?
配下として、司令官を死なせただけでもまずいのに、それが曹操の親族でその中でも
右腕と呼べる存在であれば直のことまずい、張郃や徐晃ら部将たちこそ責任を強く感じ
(とくにその死因に一役買った張郃は)死を賜ることを覚悟していただろうと推測できる
しかしこの命令文の配布により、夏侯淵の死は全て夏侯淵の責によるもの、
と提示することで、各部将たちに司令官を死なせた責任は問わないと、暗に伝えたのではないかと考える

>>749
そんなんでいいわけないだろw
馬超戦で撤退以降も、見事な判断と勝利を重ねてる
根拠を示せ、根拠を
753名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 06:18:49 ID:D1cs+HAe0
夏侯淵伝を読むと名将にしか見えない
754名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 11:57:34 ID:l/Aicl3yO
袁紹、呂布相手には起用されず、雑魚掃討ばっかり。
唯一の見せ場は韓遂戦。
最後は劉備の前に敗死。

良将だが名将ではなかろう。
755名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 15:00:33 ID:D1cs+HAe0
そうなのか?
まあ俺は三国志詳しくないし、
詳しい人がそう言うならそうなんだろう。
756名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 20:02:51 ID:o7UiIE9p0
>>752
命令書ではなく弔辞なんじゃ…?
757名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 20:35:32 ID:BZ/paqw5O
あれだけの功績があれば夏候淵や劉備は名将だと思うな。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 20:53:00 ID:wcq9Nx/+0
>>754
袁紹、呂布に当たって勝負を決めたのは曹操自身だろ。曹操陣営の総力が必要な大敵だったということだが、
当時既に、夏侯惇や夏侯淵は曹操に付き従って戦場働きするような低い地位にはいなかったんだから
不在はまったくマイナス評価にならない。派遣されて負けた(夏侯惇と高順の小沛戦)なら別だけど。
759名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 20:59:42 ID:APQFRPuZ0
>>756
弔辞だったらあんなこきおろすなんて最低な話だぞ
760名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 21:33:07 ID:l/Aicl3yO
>>758
当時の夏侯惇と夏侯淵の官位はだいぶ違う。
夏侯惇>五将軍>夏侯淵だろう。
夏侯淵は親族代表として大事に育てられた存在。
難しい任務は与えられていない。
夏侯惇なんか、戦下手とすら見なされがちだが、
高順攻撃に新野の劉備攻撃と、重要な局面で任務を負っている。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 21:33:42 ID:/0Bnqp8T0
そして負けている
762名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/05(日) 21:36:16 ID:wcq9Nx/+0
夏侯淵は当時督軍校尉から典軍校尉。漢朝廷の中軍に関与する要職だよ
763名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 00:05:34 ID:E3Yih6vx0
>>743
劉ヨウと孫権の戦法を同列視は出来ないと思う。
劉ヨウが押さえてたのは丹楊の東北部と呉郡北部に過ぎないし、長江が絶対的な戦線ではなかった。
歴陽から出撃できる状況でもあるし、渡河に関しては徐琨の母の献策が功績の第一。
>軍の規模としても数万規模を誇っていたみたいですし
これについてはちょっと疑問。俺が調べきれてないだけかも知れないが。
そして劉ヨウ軍は笮融・薛礼などの寄り合い所帯であり、兵力の利を容易に活かせない状態にあった。
また、孫策軍も曲阿平定時に数万になっていたとあり、
寡兵の孫策軍が劉ヨウの大軍を打ち破ったのだ、と声高に言えるかどうか分らない。

>第一次絶頂期にあった劉備
この言い方がよく分らない。
そして劉備が袁術とにらみ合って1ヶ月後に下邳が呂布に奪われるのであり、
劉備が苦戦し始めるのは補給が途絶え、将兵が人質をとられた状態になったあと。
それと劉備が河川を利用して袁術を防いだと言えるものはないと思う。

王朗に関しては、河川を利用して防がれたので「知略」でもって野戦に持ち込んだ。

袁術も劉ヨウも王朗もそんなに戦下手とは言えない、というのは同意。
だが、孫策が「渡河戦の名手であり、だからこそ凄い」という言い方にも
劉ヨウを持ち上げすぎることにも同意は出来ない。
知略よりも正面対決ばかりで勝利したというような見方にも同意しない。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 00:18:32 ID:C0pBD3RK0
劉ヨウは後漢末全体でも中規模以上の群雄だといえるだろうけど、
劉ヨウが大勢力だからそれを破った孫策すごい、なら、
間違いなくトップクラスの二袁と連戦して破った曹操は…
だな
765名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 00:33:49 ID:C0pBD3RK0
戦績的に見て、曹操は大敗したことが何度か、勝てずに退いたことはたくさんあるけど、
東郡太守になって自分の基盤を持って以降、軍の中核を失ったことが張粛戦くらいしかないという桁外れの統率力の持ち主だな。
エン州を殆ど喪失しても、官渡まで押し込まれても、軍自体は維持し続け、それが反転攻勢の要となった。
一部隊の指揮よりも全体の統率の方が真価だろう。
烏巣の奇襲も歩騎五千という規模で、その時点で淳于瓊が劣勢だというのは袁紹首脳部の認めるところ。
曹操はかなり攻撃的な戦術家ではあるけど、それは自ら一部隊を率いて大敵に打ち勝つ、という戦闘の強さではなく、
全体を統御して戦線を維持しつつ、時機を捉えて的確な地点へ攻勢を仕掛け、「実を以って虚を突く」という強さを
持った人間だと思う。
同時期の劉備は負ける度に軍を離散させて一から出直しという繰り返しで、曹操には大分劣る。まあ劉備の真骨頂は赤壁以後だけど。
766209:2009/04/06(月) 02:29:05 ID:ixvQFe920
>>763
呂布に攻められる前、確か劉備は淮水の北に陣を敷いて、袁術軍を迎え撃って
います。この辺りは王朗の取った戦法と同じと見てもよろしいかと。

劉ヨウについてですが、寄り合い所帯とは言え、指揮系統がバラバラで兵力の
利を生かせないのであれば袁術にやられていますよ。劉ヨウの下、その辺りが
しっかりしていたから袁術軍を撃退できていたと思います。劉ヨウ自身は丹楊
辺りにいましたが、配下は皆長江流域に兵を駐屯させていたのですから、戦法
は孫権と同じと見て良いと思います。本拠地が前線、では本末転倒ですから。

孫策は袁術軍の戦い方よりバラバラに戦っていたのではダメだ、と思い、兵力
を集中させて、相手の弱いところから各個撃破に持っていったのだと思います。
曲阿を平定した後、兵が増えたように見えるのは太史慈のように劉ヨウ配下の
兵を吸収したと見て良いのではないですかね。

王朗に対して知略で、と言うのは孫静の助言によるものですから、孫策自身の
知略、と評価するには少々厳しいかと思います。

単純な比較になるかもしれませんが、私個人は曹操と孫策は軍事面においては
ほぼ同等の評価をしているのです。それは袁術が数年かかっても倒せなかった
劉ヨウをあっさり倒した孫策と、その袁術をあっさり倒し他の群雄もいくつか
倒している曹操とではそれほど明確にどちらが上だ、と言う差を見出すことが
できないからです。

曹操が知力型、孫策が統率型になっているのは両者の戦い方の傾向を示すもの
であって100%そういう戦いしかしない、と言うものではない、と言う点を
ご理解いただきたいです。

751さんのおっしゃるとおり、統率99は他にちょっと候補が見当たらない、
と言うのも理由ですね。魯粛達の評価はまた時間に余裕のある時にでも載せる
ようにします。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 03:37:13 ID:C0pBD3RK0
>>766
それはさすがに牽強付会というか、孫策を持ち上げるため「だけ」に劉ヨウを大きく評価しようと頑張っているように見えるな…
いくら袁術が強大だったとしても、長江を越えて劉ヨウを撃破するのに梃子摺るのは当たり前。
劉ヨウと袁術を対等の勢力に見なすことは出来ないないのだから、
劉ヨウを破った孫策と袁術を破った曹操を、それだけで同格に評価するのは無理がありすぎる。
群雄としての袁術には問題が多いし、破ったのは曹操の力だけではないけれど、
曹操が破った「その他の群雄」には最大勢力の袁紹が含まれている一方で、孫策の最大の敵は劉ヨウ。
766で書かれた論法だけでは「軍事面においてはほぼ同等」にはどうやってもできないよ。
孫策の統率を最高にしたいなら、定義付けから考え直さないと駄目なんじゃないかな。
768名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 03:59:27 ID:YqLrha+M0
>>766
うーん、東西に流れる淮水を劉備は東から、袁術は西から進んで来ているので、
王朗のような防備とは違うと思う。
偽黒氏は狭隘な地形を利用した遅滞戦術と指摘している。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/gkbd.700.338.html

次に、劉ヨウを攻めたのは袁術ではなく呉景・孫賁だということ。
でないと、孫策が劉ヨウを攻めたのも「袁術が攻めた」と言うのが正しくなるよ。
孫策>兵数は多くても一枚岩ではない劉ヨウ軍>呉景孫賁、で問題ないんじゃないだろうか。
あと劉ヨウがいたのは曲阿で、曲阿戦以前の丹揚の戦場に出た形跡はない。

>王朗に対して知略で、と言うのは孫静の助言によるものですから
つまり王朗の河川を盾にした防衛を孫策は力押しで破ったわけではないよね?
劉ヨウとの長江を挟んだ序盤の戦いも徐琨の母による助言。
であるなら、劉ヨウ戦や王朗戦での「敵が河を防衛線にして守った」ことを打ち破ったのは
孫策の手柄として挙げるのは最適ではないんじゃなかろうか。
あと孫策は于茲を偽報で破ったりしているし、劉ヨウの諸軍を各個撃破した部隊運用なんて
まさに知略の賜物じゃないか?情報収集能力と、それへの分析・決断の結果だもの。
曹操が呂布からエン州を取り返したときと似ている。
孫策にあったのは、部隊が敵と対峙した時の破壊力だけではない。

>袁術が数年かかっても倒せなかった劉ヨウをあっさり倒した孫策
193年 袁術寿春入り→陳ウ撃退
194年 呉景が周マ撃退し丹揚駐屯→陳ウに代わって劉ヨウの着任→呉景が保護して曲阿に行かせる
    呉景が劉ヨウに追い出される(状況不明)→呉景が再侵攻もなかなか勝てず→孫策が来て同年に劉ヨウ撃破
年次は資治通鑑を参照したので193年と194年に区分には疑問が残る。
だけど、おそらく呉景が攻めあぐねたのは半年くらいだろう。
それより長いなら、袁術は孫策に言われるまでもなく何か手を打つだろうし、
袁術寿春入りから呉景の一時撤退までがそんなに短期間に起こっているとも思わない。

俺自身は孫策が高能力でも何の問題もない。俺はエディットでは統率100にしてるよ。
だけど曹操との統率の能力値の差に疑問がある。あまりにも大きい差だ。
209さんは「曹操と孫策は軍事面においてはほぼ同等の評価をしている」
「それほど明確にどちらが上だ、と言う差を見出すことができない」と言い、
>>518の統率武力知力の総合では確かにほぼ同じとはなっているが、
統率ひとつで26も差があるのは、正史の事跡の一つ一つを反映したものとは思えないなぁ。
キャラを立てるために、とかなら分るけど。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 20:30:17 ID:QD9u9qd90
>>756>>759
確かに死者を弔っている言葉じゃないなw

>>760
五将軍を1括りにしているが、その頃(呂布戦・袁紹戦)の徐晃・張遼は降将なりたて、張郃はまだ降ってすらいない。
于禁・楽進は呂布戦の頃は陥陣都尉と思われるが、夏侯淵は呂布戦以前に太守の地位を任命されているように読めるので、
地位的には五将軍より夏侯淵のほうが上でない?

夏侯淵:督軍校尉(陳留・潁川太守)→(兗・予・徐州の軍糧を監督)
楽進 :陥陣都尉→討寇校尉
于禁 :陥陣都尉→裨将軍・益寿亭侯

>>762
夏侯淵が典軍校尉になったのは官途以降だね
770209:2009/04/06(月) 21:51:46 ID:nVE8WB4L0
>>767
>>768
大分上の方でも書いているのですが768さんのおっしゃる通り、キャラを立てるため、
と言うのは大いにあります。

笮融を(でしたよね?)孫策が死んだ、と言うウソ情報を流して撃退したりなど、
知略を用いてる面はありますし、本当なら統率80ぐらい、知力50〜60ぐらい、
と言うのが無難なトコかもしれません。

ただ私がその武将の傾向を示すのには過去の人物に対比させた場合はなるべくそれを
イメージさせるような評価にしているのです。孫策には項籍を彷彿とさせる、と言う
評価(悪評)があります。

それが孫策のどういった部分を評価したものであれ、なるべくそのイメージに沿った
数値にしておきたい、と言う思いがあります。私が考える項籍ですが、統率・戦術は
優れていたが戦略や政略に乏しく、直情径行型であったために人の恨みを買いやすい、
と言うとこでしょうか。孫策の能力値はそれをある程度再現したものです。

知力に関しては総大将と言う立場にも関わらず軽率な行動で己の身を危険に晒した面
から高くせず、代わりに統率を高くした、と言うことです。

ちなみに劉備を攻めたのも呉景が先鋒になって、とあるのでこの辺り対比は同条件と
私は判断してます。また助言は受けてますが、統率者として実行しているのは孫策な
訳ですから、知力はともかく統率面でマイナス評価する必要は無いと思います。

遅滞戦術と言うのはそもそも河川や城塞など防衛に適した地形を利用して相手の攻撃を
防ぐこと、なので地勢的な違いはあれど王朗も劉備も基本コンセプトは同じ、と考えて
います。
771名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 22:32:24 ID:mAd2uZQ0P
A:曹操、司馬イ、司馬師
B:夏侯淵?、張遼、徐晃、満寵、ケ艾
C:夏侯惇、曹仁、曹真、張コウ、楽進、曹洪、夏侯尚、郭淮、陳泰、王凌、毌丘倹
D:夏侯淵、于禁、ホウ徳、曹休、王経、諸葛誕
E:その他

スゲェ、と思った順に並べたらこんな感じになった
772名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 22:39:50 ID:RbvHKxSc0
みなさま、今宵如何お過ごしでしょうか?
国取物語 が1日後に開始になります

ttp://unittuki.s121.coreserver.jp//game/tm/
貴方は一人の武人としてゲームに登録します

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豊富なキャラクターイラスト

この中から選んでください。
武力 知力 統率力 にパラメーターを振って、開始します。
どこかの国に仕官してもよし、建国してもよし。

農地を開墾し、兵を徴兵し訓練し、そして戦争です。
目指すは中国大陸の統一です。

コマンドは先行入力方式で、3日分ほどまとめてセットできます。
時間が無い人でも、気楽に参加できます。
また、ゲーム内で手紙のやり取りができますので、
コミニィティへの参加も可能です。

さぁ貴方のご登録をお待ちしています。

解説URL
ttp://www.geocities.jp/sigenori131/basyou.htm

お邪魔しました....よろしくです
773名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 22:44:45 ID:iIjOpPLz0
>>771
一人だけ違和感が・・・
トン兄はエライ!と思ったことはあってもスゲェ!と思ったことはないな
774名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 23:08:10 ID:YqLrha+M0
>>770
孫策が項籍と比せられたことをもってタイプを似せたいというのは結構だけど、
であるなら、孫策の事跡を挙げてその能力値の根拠とするのはむなしい話。
あまり事跡が残っていない人物を、その評判をもって能力値を還元するなら分かるけど、
孫策の場合は十分に事跡が残っているんだし。

>知力はともかく統率面でマイナス評価する必要は無いと思います。
俺は孫策の統率を下げろなどとは言っていないんだよ。
209さんが、曹操に比べて孫策の統率が26も高い根拠として「孫策は非常に難しい渡河戦を成功した」と言うから
その手柄は孫策だけにはない、それをもって曹操と大きな差をつけるのはおかしい、と言っているんだ。

>遅滞戦術と言うのはそもそも河川や城塞など防衛に適した地形を利用して相手の攻撃を防ぐこと、
>なので地勢的な違いはあれど王朗も劉備も基本コンセプトは同じ、と考えています。
いや、地形を利用して守るというのは同じだけど、内容は違うだろう。
そもそも劉ヨウを後の孫呉になぞらえて、渡河戦の難しさを強調したのは209さん。
河川も城塞も一緒くたにしたら、攻城戦に勝利した武将は軒並み超高評化せねばならない。
また、劉備は袁術軍とわずかな期間対峙しただけでその後はカヒの反乱で一時撤退してるんだから、
劉備の防衛線を袁術軍が破ったわけではないんだよ。
劉備、袁術、劉ヨウ、孫策での対比の図式は当てはまらない。
あと、ザッと見直した限りでは、呉景が劉備戦の先鋒になっていたという事実は見つけられなかったよ。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 23:14:39 ID:q3/EuGt7O
個人的には夏候惇とウ禁は入れ換えるね
776名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 23:15:16 ID:QD9u9qd90
>>771
夏侯淵がふたりいるw
777名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 23:57:20 ID:PwFDYkGs0
>>209氏の能力値を基に議論するスレじゃないんだから
>>774氏が考える曹操と孫策の能力値を書けばいいだけだと思うが…
778209:2009/04/07(火) 00:14:42 ID:GiLTWbeE0
>>774
いや、事績が残っている、と言ってもそれが二戦級ばかり、と言われたら
実質評価がされてないと言うことになるのだから、評判からある程度能力
を表すしかないでしょう。私だって、色々調べて劉ヨウ達を結構評価して
いますが、それでも袁紹とかとは比較にならんでしょう、と言われること
もわからんではないですから。そういう意味で孫策には未知な部分が多い
と思うのですよ。

曹操との統率の差は上でも言っている通りキャラ立て、と言う部分もある
のでこれ以上は何を議論しても無駄です。常識的に見た時の数値も述べて
いるのですから、そこをおかしい、と何時までも突っ込まれても困ります。

攻城戦や渡河戦で孫策のような戦い方をするのが如何に難しいか、これに
関しても言いたいことは色々ありますが、幾ら言葉を尽くしても通じない
のは苦痛なので終わりにさせてください。これは私が美味く表現できない
せいでもあります。申し訳ない。
779名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 00:54:18 ID:bIbiNNVcP
夭折した天才に大分甘いと思ってたけど
キャラ立てなら99も仕方ないかな

俺もこの手の数値化スレに8年くらいいるけど
自分ひとりでやっても納得出来るのが一向に出来ないし
>>771みたいな簡易ランクでも決められないやつが出てきて大分迷うくらいだ
780とうたく:2009/04/07(火) 01:18:52 ID:vRkjpDz5O
いや、だから統率・武力・知力・政治・魅力の定義ってなにさ?まずこれをはっきりして貰いたい。無視すると言う事は自分達もよく分かっていない証拠だぞ。
781名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 01:27:19 ID:dCsY9aE50
何度もレスされてるだろ
読まないのが悪い
782名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 01:29:22 ID:BMtGV09i0
>>778
嫌な気分にさせてしまっていたなら申し訳ない。
自分のエディットした能力値を披歴すれば当然批判も受けるわけで、
それをやって議論している209さんを俺は尊重していますよ
(変な書き方だが、リスペクトという語を使いたくないので)。

では最後に。
俺は孫策が倒したのが二戦級ばかりだと思わないですよ。
孫策の相手の劉ヨウや王朗なんかは209さんが指摘したように、多くの情報から実態に迫れるわけで、
評判に頼る必要はあまりないと思っているわけです。
そして209さんが挙げた彼らの史書上の情報、その取り上げ方に俺は疑義を示したわけです。
俺も今回正史(ちくま)を読み返しながらレスしていたレベルで、自分の読み方が絶対だとは思っていませんが、
それでも個別の情報に対してなるべく客観的に、誠実に見てきたつもりです。
209さんは「幾ら言葉を尽くしても通じない 」「私が美味く表現できない 」と言いますが、
今回の件では事実誤認が多かったのが問題で、表現とかは関係ないと思います。
もちろん俺もそんなのはしょっちゅうで、色んなスレで恥かいては遁走してますよ。

これからもこのスレを盛り上げてくださいね。では。
783209:2009/04/07(火) 07:35:19 ID:GiLTWbeE0
>>782
事実誤認、と言うのは当たっていないです。少なくとも782さんの言われる
ことはほぼ全て把握していました。その上で782さんが評価されない部分で
評価できる、と言うところがあったが、それをうまく伝えられずもどかしく
苦痛であったのです。

ちなみに呉景ですが、劉ヨウを駆逐した後、対劉備戦を睨んで広陵太守に
なっています。つまりそれから孫策の下に走るまでは対劉備最前線にいたと
見て良いです。
784名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 12:34:52 ID:wZKNLdQ+0
なんだかんだで曹操73と孫策99という格差に納得してる人間は殆どいないわけだ
785名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 18:44:40 ID:S906phFx0
>>783
呉景は当然、対劉備の遠征軍にいただろうが、先鋒というのはニュアンスが違う。
その1年後の紀霊軍の規模、また徐州攻略に端を発しての陸康攻略という経緯、
劉ヨウ攻略時に孫策に貸与した兵数などを考えても、
袁術は江東よりも淮北に勢力を伸ばそうとしていたのであり、
劉備戦の軍権は袁術の大将の張・橋らが握っていたと考える方が自然と思う。
呉景の広陵太守任命というのは、責任を背負わせたというより、政治的なメッセージ。
丹揚太守の呉景・丹揚都尉の孫賁に丹揚攻略させた、というのとは作戦規模も陣容も違うだろう。
そして繰り返しになるが、呉景の立場に関わらず、劉備と王朗、劉ヨウの状況は違う。
地形も違うし、抗戦期間も違うし、カヒを奪われたという状況もある。

事実誤認としては「劉備は淮水の北に陣を敷いて」「劉ヨウ自身は丹楊辺りにいました」
「これにより劉備は苦戦しながらも袁術の攻撃を食い止めていた」
「太史慈のように劉ヨウ配下の兵を吸収した」(←これは孫策の方ではなく、太史慈にその事実がない)
ミスリードとしては「第一次絶頂期にあった劉備」「戦法は孫権と同じと見て良い」

「劉ヨウは後年の孫呉と同じ」「孫策の長江渡河は特別に評価されるべき」というのが根っこにあって、
そのせいで細かい事実が都合よく解釈または改変されていってるように思う。
786とうたく:2009/04/07(火) 19:51:25 ID:vRkjpDz5O
781に言う。何度もレスされてるってどこにされてるの?例を出して見てよ。
787名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 20:23:08 ID:Mh7IQCOh0
自分で探せ、>>209がはっきり挙げてる箇所があるから
人に挙げさせて反論から入ろうとしてるのが見え見え
それじゃ誰も協力しないよ
788名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 21:10:05 ID:CBKRtSyK0
>>779
陳寿からして甘いからなw
789名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 23:20:10 ID:TeQf7pcw0
>>784
そりゃあ、蒼天読んで正史語ってるような人多いしなあ…
黄巾賊相手にホウ信殺されて遺体も置いてけぼりにしたり、曹操は自ら前に出る戦いだと負け戦もいくつかある(反撃で勝利も頭脳戦や駆け引きが多い)から、73だって高めだと思うぜ?
本来問題にされてるのは孫策高すぎね? であって、曹操との差ではない(噛み付いてる人も孫策についてででしょ)。

先陣に立つことも評価に入ってるんじゃないのかと思うんだけれども、それが統率の印象にはつながりにくいか。

俺の印象だと、統率高そうなのは沮授(官渡で都督のままだったら曹操に勝ち目はまずない感じで)だけど、曹操もそうだが沮授だと頭脳戦含んだ評価になっちゃう気がするんだよなあ。
だから、他の能力を足し算で合わせ、それで調整した数値になってるんじゃないのかなあとか思った。というか、前々からそういうこと言ってなかったっけ?
790名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 23:32:51 ID:L4F7hQg/0
部隊運営能力なら劉備>>曹操のイメージあるな
曹操は君主として裏方やるとうまくことが進む感じ
実際 赤壁の酷い負け方は正直 物凄いマイナスになってもいいと思う
思慮も足りなければ 周ユを甘く見すぎ(かなり評価はしていたようであるにしても)
あの敗北以後 曹操軍ってすっきり勝った戦は無い気がする
791名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 23:37:39 ID:KCmarvkp0
>>789
全くの印象論は三戦板か歴ゲ板でやればいいと思うよ
792名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 00:59:09 ID:oZptIirK0
>>789
> 本来問題にされてるのは孫策高すぎね? であって、曹操との差ではない(噛み付いてる人も孫策についてででしょ)。
いいや、孫策自体が高いことを問題視していない。
孫策とその他の武将(曹操に限ったわけではない)との差を問題視していた。
その点は、毎度きっちり記述していたつもりなんだが…

>>790
> 部隊運営能力なら劉備>>曹操のイメージあるな
> 実際 赤壁の酷い負け方は正直 物凄いマイナスになってもいいと思う
> 思慮も足りなければ 周ユを甘く見すぎ(かなり評価はしていたようであるにしても)
> あの敗北以後 曹操軍ってすっきり勝った戦は無い気がする

赤壁の敗北は、曹操伝では撤退、周瑜伝では潰走、先主伝では大いに破るとある。
この戦いで相当の被害があったことは間違いないと思われる。
しかし、それが疫病によるものか、戦闘によるものか。酷いと称されるほどの失態であるかが疑問。
何しろ将官クラスの死者が1人も見受けられない。
 →演義ですら名も上がらぬ仕官がふたり討ち取られた程度の描写に留めている。
そしてその後、権勢が衰える所か銅雀台を築き、魏公に昇格している。

赤壁以降すっきり勝ってないと言うが、潼関の戦いに完勝して、五斗米道の張魯を降すなど領土を広げて魏王となり、
度重なる合肥の戦いでも完勝している。濡須口の戦いでは、孫権は曹操に降伏を申し出ている。
実の無い降伏であろうが、この時点から夷陵の戦いに至るまで、この関係は継続されている。

一方、夷陵の戦いでの敗北は多数の将兵を失い、さらに劉備自らの命も縮めたほどの大敗を引き起こしている。
贔屓目で見ても、軍事において劉備が曹操に優ると言われると首を傾げざるおえない。
どのあたりでそのようなイメージを抱いたか詳細を求む。
793209:2009/04/08(水) 01:56:24 ID:1ztToK/y0
>>785
劉備戦を争っている最中だったので広陵太守に任命された、と言う記述は普通に
考えれば呉景も対劉備戦線の一翼を担ったと考える方が自然かと思います。一翼
で最前線の太守であって先鋒じゃない、と言うのは逆に無理があると思います。

呂布の件ももちろんしっていますし、そこからの劉備の巻き返し方も当然知って
います。だから苦戦しながら食い止めてた、と記述してるんです。タダでさえ長文
になりがちなのであまりダラダラ書かないようにしてたのです。そこを突っ込まれ
るのは想定外でした。

川の北、と言うのは淮水は東西に流れており、徐州側から来た劉備は川の北側
への進入を防衛する目的だから何も間違っていないと思います。何より盱台より
遥かに東、淮水南の淮陰を袁術に取られていたと言うのは淮水以南は袁術支配下
である可能性を示唆しており、まさしく淮水は劉備にとって重要な防衛ラインで
あったと思います。隘路云々と言うのは少々私には同意し兼ねますね。

劉ヨウの丹楊は完全に書き間違いですね。曲阿戦以前に前線に出たこと無い、
と言うのは理解してたのですが、何故か曲阿が頭の中で丹楊にすり替わって
ました。

太史慈のように、は太史慈を配下にしたように、と言う意味で書いたのです。
コレはちょっと誤解を与える表現ですね、すんません。

統率の意見については正直見解の相違だと思います。ちなみに戦術については
まず最初に必要になるのは如何に兵を揃えるか、如何に兵を鍛えるか、ですが、
実際の戦場でまず必要になるのは如何に相手より地勢面で利を得るか、です。

劉備、王朗、劉ヨウ、孫権などはそれを美味く活用していた。そういう意味で
戦術面においての定石のようなものですから同じと見て良いでしょう。そこを
違う、などと言ったら兵法などがそもそも成り立たない。後は全てそこからの
応用で利く範疇ですよ、ウチに言わせれば。

その一方で、もし不利な地形に至った場合はどうしたら良いのか、と言う部分も
当然兵書には書かれている。袁術が呂布を誘って劉備の背後を脅かしたりしたの
もそう言った地勢面の不利を覆すための戦術の一つ、と言うだけです。

孫策の長江渡河を特別視しすぎる、と言いますがそれ以前、それ以降も含めて
三国時代で長江を越えて南方に攻め込んだ軍隊がどれだけいたか、そして三国
以降になってどれだけの南方王朝が長江を盾に王朝を維持したか、と言うこと
を考慮すれば、それがたいしたことじゃない、などと私は思いません。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 02:01:34 ID:se0W3YCwP
士燮in交州
 刺史の朱符が反乱で死んだので一族で各地の太守を独占
 後任の張津、頼恭と渡りをつける
 孫権の派遣した歩隲に服従して人質を差し出し、既得権を維持

劉焉in益州
 董扶の進言「益州には天子之気がある」
 劉宏に州牧設置を献策し、董扶、趙韙を従えて益州赴任を果たす
 賈龍が積極的に劉焉を迎え入れる
 馬相の乱を賈龍が鎮圧
 五斗米道の張魯を漢中に派遣
 現地豪族の王咸、李権ら十数名を粛清
 賈龍、任岐らの反乱を青羌を懐柔して鎮圧。首謀者を処刑

公孫度in遼東
 徐栄の推挙で董卓に遼東太守に任命される
 言い掛かりをつけて豪族を粛清
 高句麗、烏丸を討伐

劉表in荊州
 詔勅により王叡の後任として赴任
 現地豪族の蔡瑁との姻戚関係で地盤を形成
 豪族対策で蒯良に懐柔策を、蒯越に弾圧策を提示され、蒯越の策を選び、豪族を弾圧
 孫堅の侵攻を黄祖に防御させる。孫堅戦死
 張羨の乱を自ら鎮圧

袁紹in冀州
 予州刺史の人事問題で袁術、公孫瓚と対立
 逢紀の策で公孫瓚に冀州領有を勧めつつ、韓馥を脅迫。
 張導、郭図、荀ェ、高幹らの説得で州牧に
 田豊に韓馥の反対派の耿武と閔純を暗殺させる
 界橋の戦いで麹義が公孫瓚を伏兵で撃破。追撃で厳綱を殺す。騎兵に襲撃された袁紹を救出

公孫瓚in幽州
 鮮卑、烏丸、黄巾軍との戦いで地盤を形成
 意見の対立で劉虞が数万の大軍で侵攻して来たので慌てる
 公孫紀の内通で情報を把握し、数百の騎兵で奇襲して撃破
 追撃して劉虞を捕虜にし、民衆の助命嘆願を無視して処刑
795名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 02:04:20 ID:se0W3YCwP
曹操in兗州
 袁紹の下請けとして東郡太守に赴任
 黒山賊を鎮圧
 荀ケの到来
 青州黄巾の乱で劉岱が鮑信の献策を聞かずに戦死
 陳宮の活動で曹操が州牧として承認される
 張邈の乱。荀ケ、程c、夏侯惇、韓皓、曹洪、棗祗の活躍で全滅を免れる
 濮陽の戦いで惨敗。天災に助けられる
 定陶の戦い、鉅野の戦いで呂布を撃破
 于禁、楽進、曹仁、曹洪が各地を奪還
 李カクとの交渉で正式に州牧に任命される
 張超の雍丘を落として鎮圧

呂布in徐州
 曹操との争奪戦に敗れ、劉備の元に落ち延びる
 劉備が袁術と交戦中に下邳で張飛と曹豹が内乱を起こしていたので乗っ取る
 劉備が降伏したので小沛に駐屯させる

孫策in揚州
 亡父の配下千人程度を貰う
 廬江の陸康を撃破
 袁術に呉景、孫賁救援の許可を得る
 横江津、当利口の戦いで樊能、張英、于糜を撃破
 劉繇、笮融、許貢、王朗、太史慈との戦いで連戦連勝
 太史慈を降伏させる
 袁術の派遣してきた袁胤を追放
 周瑜、魯粛が合流
 曹操と婚姻同盟
 呂範に陳瑀を撃破させる
 銭銅、鄒他、王晟、許貢を粛清 
 西塞山の戦いで劉勲を撃破
 虞翻に華歆を降伏させる
 黄祖を撃退
 太史慈に劉盤を抑えさせる
 暗殺

劉備in荊州
 左将軍、予州牧として劉表のもとに亡命
 新野に駐屯し、博望の戦いで夏侯惇、于禁を撃破
 髀肉之嘆
 諸葛亮を三顧の礼で迎える
 劉表が病死し、曹操の南征で劉jが降伏
 諸葛亮の劉j攻撃の提案を却下して、江陵へ逃亡
 当陽の戦いで曹操に捕捉されるが、張飛の活躍で逃れる
 関羽と合流し、夏口の劉gのもとに逃げ込む
 孫権に派遣された魯粛の手引きで諸葛亮を送り込み孫権と同盟
 赤壁の戦いで周瑜と共同で曹操を撃破
 荊州南部の四郡を攻略し、劉gを荊州刺史に担いで荊州の人材を集める
 劉gが病死したので、そのまま荊州牧を自称
 孫権と婚姻同盟を結び南郡を借りる
 殷観の進言で孫権の入蜀を阻む
796名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 03:24:05 ID:5gWEU5uA0
曹操は洛陽都尉からキャリアを始めた生粋の部隊統率官なんだよな。
少数を指揮した武勇は平凡またはそこそこだが、智略と統率力はずば抜けており、
戦略的不利を戦場で何とかする、ということを繰り返して勢力を伸ばした。
曹操の欠点は政治力。激情的で振る舞いは軽薄、治下には叛乱が多く、後漢朝廷の名士を取り込みきれず、
戦績中の大きな会戦は開戦時には戦略的に既に劣勢だったものがかなり多い。
中華統一を阻んだ最大のネックはそこだろう。勿論、かなり高いレベルでの欠点だけど。

劉備は少数から戦場単位での統率力はあり、何より不利な状況でも士卒を収攬する
信望が最大の武器だったが、広域に展開する大軍を運用する能力はトップクラスには届かなかったのは
夷陵で証明済み。
797名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 03:25:29 ID:se0W3YCwP
張魯in漢中
 張衡から五斗米道を引き継ぐ
 劉焉に鬼道教団の張修と共に漢中に侵攻させられる
 漢中太守の蘇固を殺してから、張修を殺して手勢を吸収して独立
 劉璋に従わず、母と弟を殺される

袁術in淮南
 董卓に後将軍に任命されるが南陽に逃亡
 孫堅の北上で南陽太守になる
 袁紹の劉虞擁立に反対し孫堅、公孫瓚、陶謙を与党とする
 孫堅に劉表を攻撃させるが失敗。孫堅は戦死
 匡亭の戦いで曹操、袁紹に大敗
 李カクと同盟し左将軍になる
 陰陵の戦いで孫賁に周昂、周喁を撃破させる
 陳瑀の使者である陳jを捕縛して進軍寿春に入る
 丹楊の戦いで劉繇に敗れる
 孫策に九江、廬江を攻略させて太守任命の約束を反故にする
 僭称

馬超in涼州
 馬騰が入朝したので配下を引き継ぐ
 曹操の漢中討伐に反応して韓遂と挙兵
 関中十部を糾合し、反対派の劉雄鳴を撃破
 潼関の戦いで賈詡の策で韓遂が離反して負け、羌に逃げ込む
 馬騰と一族が処刑される
 冀城の戦いで刺史の韋康を殺し、夏侯淵を撃破し、氐の千万、阿貴と同盟
 楊阜、姜叙、趙昴、趙衢、尹奉らの反乱で冀城を失い、留守に残した家族を処刑される
 夏侯淵、張郃に攻められ、戦わずに張魯のもとに亡命
 祁山の戦いで趙昴、王異、夏侯淵に敗れる
 張魯配下の楊白と揉めて劉備のもとに亡命
798名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 04:00:39 ID:0EL6/2sy0
>>796
曹操の欠点が政治力とは・・・孫権の評価とは真逆だね
曹操が居なかったらバラバラに解体してたぞ中国は
ひとつの戦略ミス(赤壁)で三つになっちまったけどな
799名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 04:16:13 ID:5gWEU5uA0
あくまで軍事力に比べて、の話ね。他の軍閥達の多くに比べれば十分以上に上手くやってはいただろう。
ただ、前後の王朝交替、両漢・新・晋はそれぞれの立場によって治世に努めたが、
曹魏の統治は征伐偏重の苛政で評判が悪い。当然時代の限界でもあるだろう。
中原の再統一は漢帝を抑えたこと以上に、曹夏侯氏が中心に掌握したその最大の軍事力に依拠している。

確かに、本人は軍事は得手ではなく、同族をあまり重用せず多様な構成人員の均衡を上手くとって君臨した
孫権とは真逆だな。
800名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 04:25:51 ID:K27mI8GRO
>>796
細かいことだけど、洛陽北部「尉」。
洛陽県北部の警察署長。県令ではないのはハズレらしく曹操は任命者(司馬懿の親父ともう一人)を恨んでたらしい。
もう一人の方は曹操から逃げて、荊州降伏時にご用になっていたはず。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 04:32:25 ID:0EL6/2sy0
>>799
そういう意味じゃなくて孫権の曹操評価とは真逆だということ
孫権の諸葛謹にあてた手紙参照

後漢は豪族保護でそれぞれが私民や私兵を蓄えて
中央政府の目が届かなくなりボロボロになった
曹操はある程度中央集権化して権力集中させたから、華北限定だけどなんとか安定させた。
これが政治力の結果でなくてなんであろう?
軍事力だけじゃないよ
既得権益奪われた連中は文句言うのは当たり前。
802名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 04:32:39 ID:5gWEU5uA0
>>800
ありがと
県尉から典軍校尉まで昇進した管理系の職が多い人間云々だといいたかった
803名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 04:42:45 ID:5gWEU5uA0
>>801
それは当時の中原を保持しようとすれば当然通る道だ。
現にやったことを低く評価する必要はないが、
それを実行できる権限を獲得するまでの過程が、曹操政権の特質をよく示している。
袁紹は名士的統率力を背景に強大な政治・軍事的実力を蓄えたが、
曹操はそれを戦場で覆して華北を統一した。官渡然り、5年に及ぶ冀州征伐然り。
天下の北半分を統治した実績が軍事力だけではないのは当たり前。
最初に「かなり高いレベルでの欠点」だと言ったじゃないか。
だが、曹操の軍事力偏重の度合いは他の軍閥に比べても大きいだろう。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 04:50:48 ID:+GWKcpEF0
>>793
太守だから先鋒と結論付けるのは拙速だと思う。
そして209さんがそうしたいのは、劉備vs袁術(呉景)が劉ヨウvs呉景に似ているとしたいからだろうが、
呉景の存在に関わらず、二つの戦いが違うだろうという推測は述べた通り。

「だから苦戦しながら食い止めてた」と書いたというが、それがまさにミスリードなんだって。
先主伝ではにらみ合い1か月の後にカヒの反乱が起こり劉備が退却したとあるんだから。
袁術は寿春を出発点に淮水に沿って東方向へ進軍してきた。
当初は盱台のあたりで睨み合ったが、カヒを奪われた劉備はカヒに急行、
東進を続けた袁術軍が淮水南の淮陰を落としていたので戻ってきた劉備は淮陰を攻撃して奪取。
つまり淮水を盾に防衛ラインを張ったわけではなく、王朗とは違う。

というか209さんは>>766では「呂布に攻められる前、確か劉備は淮水の北に陣を敷いて」と書いている。
カヒ反乱の前も淮陰は袁術の勢力圏だったと思ってるんですか?

209さんは「戦術面においての定石のようなものですから同じと見て良い」と書くが、
そうならば、そうした戦術を執ることを持ってして大きな評価とすることは出来まい。
あらゆる戦場の勝利と敗北に地勢面の条件が大きく絡んでいるわけだから、
河川を盾に守った劉ヨウ、王朗(209さんの見方では劉備も)は持ち上げられず、
それと戦った袁術も持ち上げるわけにはいかない。
なぜなら全ての武将・群雄が河川に関わらず、城塞や丘陵を利用してそうやっているはずだからね。

劉ヨウは呉郡北部と丹揚東部を抑えていたに過ぎない。
俺は孫策の劉ヨウ撃破は大したことだと思っているが
劉ヨウと南朝を同一視するのは幾らなんでも無茶だよ。

あーあと、俺は呉景たちの劉ヨウとの対決を半年ほどとしたが、それは短すぎたかも知れない。
しかし1年程度だろう。
209さんが「袁術が数年かかっても倒せなかった劉ヨウ」と書いたのは事実誤認だと思う。
805名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 05:00:31 ID:0EL6/2sy0
>>803
う〜ん・・・袁紹は冀州そっくり手に入れて国力・兵力が強大だったのは事実だが
家臣団はボロボロなんじゃないか?
少なくとも制御はうまく言ってなかったと思うぞ。
袁紹の時代を懐かしんだ云々は信憑性の怪しい献帝春秋じゃないか
献帝の傍で冷や飯食わされてた連中が、あることないこと吹き込んだのを纏めた書物だぞ

孫権は皇帝権力強化しようとして失敗してるし、三国志に限って言えば曹操以上にうまくいったケースはないよ
806名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 05:12:24 ID:0EL6/2sy0
失敬
諸葛亮があったね
807803:2009/04/08(水) 05:15:18 ID:5gWEU5uA0
なんか纏まりに欠けてすっきりしないな

つまりさ、このスレの209氏はじめ、最近の曹操評では
「赤壁や陽平関で勝てなかったので曹操は中華を統一できなかった。
曹操は大規模な軍の運用は意外に下手。その最大の弱点は統率力だ」
って論調が目に付くけど、それは違うと言いたいのよ。
曹操という人物は、人生を通して、戦略的不利の下で戦場に身を置くことがかなり多い人物だった。
エン州再奪取、官渡、冀州征伐、赤壁、潼関、陽平関と、特に名高い戦役は殆どそうだ。
逆に言うと、曹操は大敵と戦端を開く前に政治戦略面で優勢を確立することがあまりできなかった。
献帝推戴という大金星はあるが、袁紹に優位を保つほどではなかった。
(でも献帝がいなれば勝てなかっただろうけど。特に対袁術方面には絶大だったようだ)
勿論能力の問題だけではなく、軍閥としては後発なこと、名士的な名声に欠ける生まれ育ちだったことも大きいだろう。
曹操というのは、その不利を戦場でなんとかし続けてのし上がった人物だ。

だが、十分な後方支援がある大勢力と時代を代表する名将を敵に回して
しかもさらに戦略的不利を被っていたのでは、曹操も「戦場でなんとかする」なんてことは無理難題だ。
それが赤壁と陽平関。
だから、このスレ的に曹操の欠点を設定するなら、政治・戦略面ということになるだろう。
という話。

なんとかしちゃった官渡はものすごい話だけどね。
808209:2009/04/08(水) 07:35:47 ID:1ztToK/y0
>>804
一言、あの時淮陰までを劉備の勢力圏であって、劉備がカヒに戻った後に取った
と言う記述はちょっと見当たらない。アノ周辺で争った、とあるだけだ。
淮陰がドノ段階でおちてたか、なんて言うのは正直分からんと思いますけどね。

河川や城塞を盾にして、それで実際に敵を防いだ、と言う実績があるから
評価するのでしょうが。そこでも簡単に破れていたら評価できないのは
当たり前。

それと劉ヨウは小規模でしたが、条件は孫策も一緒。規模の大小が問題なら
最初から指摘してます。
809名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 10:05:38 ID:Jlvdy2wD0
>>807というかID:5gWEU5uA0
あんたの曹操・劉備評ほど俺の中の評価としっくりくる意見はなかったわ
いろんなスレで見かける勘違い評価にはウンザリもしてたしな
810名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 11:30:04 ID:avOwwknt0
>>796
夷陵は単純な劉備対陸遜の構図じゃなくて
南下する魏軍と東進する蜀軍の二正面作戦を強いられた陸遜が
対蜀だけに全力を注いで荊北はある程度捨ててるという状況
単純に劉備が広域に大軍を運用するのをしくじったというより
その運用の基本となる情報選択に間違いがあったからこその敗戦

あの状況で我慢して荊北捨てて南部だけ守るというのは
確実に息子の陸抗にも影響与えてるよな
親子揃って我慢強いわ
811209:2009/04/08(水) 22:13:47 ID:ZnE9HDfV0
何か色々と誤解を受けてるような気が・・・何度も書いているけど、曹操の最大の
弱点は統率だ、じゃなくて、統率力よりは知謀による機略の方をより評価しており、
統率を評価しない訳じゃない。

70台と言う数字は充分名将といえる数値なのですから。

孫策との差もキャラ立て、と言う意味で孫策の統率を表しているためで、実際の
戦績からの数字からは多少ずれている、と言うことも書いています。それらを無視
して統率のみの比較をされる、と言うのは正直ツライですね。

>>789
ありがとうございます。ちょっと話がややこしいことになってますが、孫策の統率
に関する評価もおっしゃるとおりで主力軍は常に孫策指揮下で重要な局面で前線に
投入、と言う指揮ぶりも多少考慮してます。

もう一つは、上にも書いていますがキャラ立て、と言う意味もあります。

これも天下統一、と言うゲームの話で恐縮ですが、上杉謙信は天下統一では統率と
軍事(武力)の合計値が全武将中でダントツトップ、政治と知謀は並とまさに孫策
と同じような数値なのです。実際の彼の実績を評価すると政治とかはともかく知謀
とかはもっと高く、統率とかはもうちょっと他とのバランスを見て下げても良い、
と思うのですが、逆にそんな中途半端な優等生キャラじゃなくても良いんじゃね?
キャラ立て、と言う意味でそういうとんがった数値もありじゃないか、と思ったり
もするのです。

実績とか単純に比べられるものではありませんが、孫策の数値をつけようと思った
時に一番最初に頭に浮かんだのはこの上杉謙信ですね。しかも一番最初に数値を
決めたのも孫策、そこから数年かけて他の武将は結構パラメータが動いているのです
が孫策だけは多分一度もぶれていない。

そういう思いがあるので、孫策のパラは多分何言われても変わらない、と思います。
812名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 22:47:39 ID:5gWEU5uA0
70台が十分名将といいつつ、80台が結構ごろごろしてるのが問題だと思われる
「73」の有り難味がまったくというほど感じられないからね。
koei三国志に登場するクラスの有名人を集めれば、「70以上の名将」の
比率はかなり上がると思うよ。
813名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 23:01:29 ID:5gWEU5uA0
それから、あくまで俺評価だけど、
>>811に準えるなら、自分の曹操像では『武力よりも機略と統率を評価している』にすぎない
低めの武力(攻撃力)は機略で代替できるだろうし、曹操はそういう人物だったと思うが、
低めの統率(防御力)を機略で代替するには戦わず戦場外で勝負を決する必要がある。それは曹操のスタイルではない。
ということ。
多分209氏式で俺評価するなら、武力が70未満の「十分前線指揮官」(衆寡を覆すにはいたらないけど)
魅力85前後「華北を維持するには事足りる」くらいの評価にするかな。もっと下げて政治を上げてもいいかも。
これで統率が90台に上がっても総合点はさほど変わらない。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 23:11:37 ID:raykXR/E0
>>792
確かに孫策がそれほどのものか、と言うよりは、もっと近いレベルの人物もいるだろう。
その例としての曹操ってことね。できれば他の人物も教えて欲しい(反論するつもりはなく、参考にしたいだけなので気にしなくてもいいです)。

>>803
「高いレベルでの欠点が政治力」「最大の弱点が統率力というのは違う」ってのは決しておかしいとは思わないよ。
でも曹操が知略はともかく統率力がずば抜けているとは、史書からは読めない。
むしろ何事もきっちりと人に任せることで強大な軍事力を運営していたのは確かで、それを統率力と呼ぶのなら、ずば抜けてはいるだろうけど。

それと、生粋の部隊統率官って幕僚を得るまでずっと、旗揚げ当時から部隊の隊長として他の群雄に期待された劉備だと考えてたんだが、実績的には大きな戦果を挙げていないから統率に優れたという裏づけにはならんか。
曹操の実績は、一歩間違えれば単なる戦争屋の劉備や孫策とは明らかに違う。
彼は戦乱の渦中にあり続けていたが、いつまでも戦の真ん中にいなかったから、後期には少なくとも戦における統率力を量るための材料が少ないのが残念というか(孫権ほどじゃないけど)。

孫子の兵法書に註打ってそれが基準となるくらいだから、曹操がわざわざ戦略的不利になってたってのは考えにくいなあと思ってた。
ただ、その戦略的有利を、主に官渡において政略(政治力)によって得ることができてなかったのは確かだけど(降伏した張繍をあっさり許したりする件とか、ポイントもあるけど)。

あと、話は違うが、戦術と戦略についての違いは書いておくよ。
戦術は実戦での技術、戦略は実戦までの技術。兵をそろえたり鍛えたりするのは戦略じゃないか? と思ったので。
まあ、曹操はどっちも優れていたけど。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 23:30:54 ID:5gWEU5uA0
あー、いや違うか。ごめん、問題はそういうことじゃないな。
統率70以上が名将か凡将かなんてのは問題じゃないんだ。
現実に、
>曹操
>統率73 武力84 知力89 政治78 魅力94
という評価において、209氏の曹操評の最も低い評価は「統率」だ。

「かなり高いレベルの欠点」であるにしても、209氏は統率を曹操の穴としている。
俺は、統率こそが曹操の最大の長所であり、躍進の原動力と見ている。
何も誤解は無いはずだよ。ただ意見の相違があるだけだ。
俺の意見は>>207で言ったので、それに同意が得られないのなら、
史書の解釈が根本的に異なるということ。それ以上何も言うことは無い。
それでいいんでないの?

>>814
というわけであまり言うことは無いんだけど、
>何事もきっちりと人に任せることで強大な軍事力を運営していた
のは曹操だけじゃないよ。少なくとも一定以上の群雄や高位の将軍になれば
誰しもが護軍・領軍・監軍などを置いて実務を任せていた。政治なら中書や尚書がいたし
計策なら無名の参軍が常に情報を収集判断し建策を行っていただろう。
では中護軍の黄権、韓浩、趙雲、賈充などを統率80、90にできるのか、
彼らが単独の将軍になって90なりの仕事が出来たのかといえばそれは疑問符が付く。
名もない人物ならなおさらだ。
ならばその「統率」の功績を諸葛亮や司馬昭に与える(それぞれ相応に)のが普通だろうね。
816名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/09(木) 02:19:52 ID:I3jk677i0
>>814
> 確かに孫策がそれほどのものか、と言うよりは、もっと近いレベルの人物もいるだろう。
ん〜、ちょっとニュアンスが違うな、オレが指摘したのは差が大きすぎる点。
各国の名将たちと100分率中50ちかい差が設定されている。
事績からして、ここまで大差がつくほどの差を感じられない事から、それを指摘してきた。

> その例としての曹操ってことね。できれば他の人物も教えて欲しい(反論するつもりはなく、参考にしたいだけなので気にしなくてもいいです)。
統率の用途を”率いる部隊の防御力”とした時、上位に名を連ねる人材としてあげるとするならば

 曹操、司馬懿、周瑜、陸遜、諸葛亮

が上位5人かなと考える、ありがちな人選で申し訳ないが…、一押しはやはり陸遜

諸葛亮を除き、防衛戦での功績が大きい人材(官途、蜀漢の北伐、赤壁、夷陵)
諸葛亮は、度重なる北伐に置いて被害を最小限に抑えた事を高く評価
(三国鼎立以降、諸葛亮と陸遜以外の者が侵攻した場合、多くは大きな被害を被り撤退している)

次点に曹仁、曹真、満寵、呂蒙、王平
羊祜、陸抗、姜維も高くなるかな
魏の五将から于禁、職の五虎から趙雲あたりを選出だろうか

サプライズで加えるなら、田予、牽招、孫桓、張任、陳登あたりを高く評価する。
郝昭、霍峻あたりも捨てがたい
817名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/09(木) 03:25:48 ID:nuddmy2jO
張任はフを守れなかったし、
ラクの防衛は劉循・劉カイも一緒。
3者で分け合うのがいいと思う。
818209:2009/04/09(木) 04:26:55 ID:ZkOoPBpX0
私の場合はだいたい一つの軍団、規模が2〜3万程度までを運営する上での
評価が統率力、もしくは防衛力が統率の定義になっているからなぁ・・・
そういう意味では定義が違うのかも。

曹操の場合は多少の戦略的不利を知略をもって相手の隙を付く冷静な判断力
で覆し、相手の隙を付くだけの実行力で評価している。多分評価してる部分
は同じだと思うのですよね。それをどこで表しているか、だけの差だと思う
のです。

ちなみに私自身は三国志の時代は方面軍司令官に恵まれなかった時代、と言う
風に考えているので、統率は一番人材難です。80台にゴロゴロ、はいません
よ、サスガに。90台が4人しかいない。80台もそれに比例して数が少ない。
恐らく80台90台を足してやっと他の能力の90台と同じぐらいの数になる
と思います。



819209:2009/04/09(木) 05:02:53 ID:ZkOoPBpX0
>>814
まあ孫策の件はもういいでしょう。理由は811辺りでもで述べてるので。それに
統率だけの差ばかり言われても意味が無いので。何でだろうなあ、別に孫策が
スキって訳では全然ないんですよね。

私の場合もその5人は高くていい、とは思うが、他とのバランスを考えると
彼らの統率を上げると孫策どころじゃない無敵武将ができてしまいバランス
ブレイカーになってしまう。

それに諸葛亮や司馬懿、陸遜の場合は曹操やケ艾、鍾会ほどリスクを犯した戦いを
行っていない(陸遜の場合は夷陵はありますが)と言う面もあり、そこまで評価を
するにはちょっと実績が不足かな、と思いますね。

ので特に防衛面で顕著な実績を挙げた人物、を据えた方がいいかな、と思います。
そういう括りで行くと私の場合は次点クラスや于禁、と言った辺りのが上に来ます
かねえ。まあ曹仁とかは武勇が突出してるので、バランスを考えて評価する必要が
ありますが。

陳登、郝昭、霍峻とかは私の評価でも高いですね。確か今でも80前後はあったはず
です。
820209:2009/04/09(木) 22:09:38 ID:sOV5gAxM0
>>751
遅くなって申し訳ありません。私の評価を理解していただきありがとうございます。
励みになります。
魯粛  統率53 武力65 知力90 政治81 魅力71
蘇飛  統率60 武力51 知力58 政治49 魅力68
田疇  統率38 武力70 知力80 政治68 魅力85
管亥  統率31 武力49 知力23 政治26 魅力40
張晟  統率45 武力59 知力39 政治19 魅力36
王脩  統率52 武力65 知力62 政治76 魅力78
麋芳  統率40 武力63 知力52 政治34 魅力55
韓浩  統率77 武力70 知力49 政治78 魅力76
鄭ってのは誰だろう。鄭姓の人物は結構いるからなあ・・・。鄭袤か鄭黙辺り
のことかな?

魯粛は構想力と応用力、そしてそれを実行するだけの能力があるので知力と政治
(主に政略面での評価)を田豊並に評価。軍事面は特筆すべき実績が無いので並
程度。蘇飛は都督であった点と甘寧を評価していた点より統率と知力をそれなり
に評価。政治力はやや低め。田疇は交渉能力の高さから知力と政治力をそれなり
に評価。剣術の使い手、と言う点より武力もやや高め。多数の人が慕い、異民族
も来訪するほどなので魅力を高評価。

管亥・張晟(白騎)は名前が残った、と言うだけの人物達の平均的な数値。率いた
兵の規模が大きいことから張晟の方がやや高評価。

王脩は武も文も評価を受ける人物。だが文よりの逸話が多いためそちらをより
高評価。

麋芳は裏切りと言う汚点を残していますが、それなりに評価されていたりするので
武官としては並程度は評価できる、と判断しました。

韓浩は初期には珍しいバランスタイプの武将。知略のエピソードがもうちょい
あれば、もっと知力も高くしてました。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 00:18:41 ID:6m7r/vEd0
「評価を理解」か。
つまり論議無用だったってことだなあ
822名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 00:41:58 ID:bANrSYQg0
>>820
韓浩の政治力が謎
屯田制の提案者のひとりってだけでこんなに高評価なのか?
屯田制のシステムそのものは棗祇の考えで行ったのに
韓浩は正史をみると知将で政治に携わった記述はないよ
823名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 01:28:04 ID:pOzplTRsO
張白って張温(呉)の弟だろ。
鄭は女賊。
まぁどちらも能力のつけようがないというか、
テキトーでいいんじゃね、というか
でも能力値つける人間の基準が試されるな。
824209:2009/04/10(金) 07:29:34 ID:plC0eQ5i0
>>821
数値を提示する方としては必ず批判の嵐に晒されるので、結構めげるんですよ。
多少でも励みになる記述があるとすごく救われる。それに対する感謝です。

評価基準は人によってさまざまでしょうから議論無用と言うことは無いでしょう。

>>822
ん〜〜、一応屯田制と大きく曹魏の躍進の基となる政略を提示した、と言うこと
でそれなりに評価したのです。ただ、確かに太守クラスの評価は少し高すぎるの
かもしれませんね。知力の分も含めてもう一度評価しなおしておきます。

>>823
そうか、張温の弟のことか。先に張白騎がリストに載ってたのでおもくそ
勘違いしてました。すいませぬ。実力が試されるとか書かれると怖いですな。

張白  統率34 武力37 知力48 政治43 魅力65

兄同様名声が高かった、とあるので名士に属するタイプと判断しました。ただ
兄は実が伴っていない、と言う評価もあるのでそこまで高くはできません。弟
もそれに順ずる能力としてあります。

時間切れかな。鄭はちょっとリストから見つけられなかったので、また後ほど。
825名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 20:57:54 ID:8dwMV3QC0
あー、盛り上がってるところ申し訳ないが、俺も数値付けてみていいかな?
時間できたから、大抵のリクエストには応えられると思う。
基準は厳密に設定して、なるべく機械的に付ける予定。
今のところ、統率・武勇・戦略・謀略・政務・人望の6種類を考えてる。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 21:27:16 ID:vN6Y4UmM0
じゃあまずは曹操をリクエスト。
827名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 21:32:43 ID:ARTE+Q1R0
劉備、孫策も
828名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 21:59:01 ID:Bjptff/DO
司馬懿 諸葛亮 周瑜 陸遜
上記の人物のリクエストをお願いします
829713:2009/04/10(金) 22:59:52 ID:8dwMV3QC0
数値の定義

統率
部下を統率し組織を束ねる能力。
この能力の高い者の例としては漢の劉邦。
この能力の高い君主が治める国は民衆・兵士の反乱、部下の離反、派閥闘争が起きにくく、
能力や忠誠心に欠ける者が重用されることは少なく、治安が安定している。
この数値の高い将軍が総大将を務める軍は結束力が高く軍法がしっかりと守られ、
部下の将軍を使いこなし、大軍であっても烏合の衆にならない。

武勇
戦場において敵を破ったり、陣地や城を守ったりする能力。
この能力の高い者の例としては楚の項羽。
この能力が高い将軍の指揮する軍は戦場において敵を破り、
陣を陥れ、城を取り守ったり、敵を斬ったり捕らえたりすることができる。
ただし、この能力の恩恵を受けられるのは数百から一万程度の兵を指揮したり、
一つの城を攻めたり守ったりする時に限られる。
これ以上の規模の戦いを指揮する時は、統率・戦略が問われる。

戦略
戦略レベルの思考を行う能力。
この能力の高い者の例としては漢の張良。
この能力の高い人物は正確な情勢判断や献言を行い、
君主や宰相の意思決定を自国の有利な方向に導くことができる。
戦場の外において有利な情勢を作り出すことができる。
ただし、戦場に付いてからは武勇が問われることになる。
この数値が高い君主や宰相は自らが適切な判断を下すだけでなく、
部下の献言を取捨選択し、正しい献言を聞きいれることができる。

謀略
策謀を立てて実行する能力。
この能力の高い者の例としては漢の陳平。
この能力が高い人物は計略で城を戦わずして手に入れたり、
敵を寝返らせたり、敵将を陥れたり、反乱を扇動したり、敵を撤退させたりできる。
この能力が高い将軍は敵の弱点を見つけて乗じることができる。
自国内での権力闘争にも応用され、この能力が高い者は政敵を政治的に排除して権力を独占したり、
政敵を追い落としたり、君主に巧みに取り入って権力を手に入れることができる。
830名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 23:00:15 ID:OJQ69q7M0
>>825
まずは、評価基準を聞きたいかも
あと、ゲームのパラメータとして考えているのなら、その使用用途を

そんでもって、各項目のトップ3(できれば10)を知りたいかな
831713:2009/04/10(金) 23:00:47 ID:8dwMV3QC0
数値の定義2

政務
国家や領地を統治したり、軍の補給線を維持したりなどの実務を行う能力。
この能力の高い者の例としては漢の蕭何。
この能力の高い県令や太守は領内の治安を安定させ、産業や学問を興したり、
流民を定住させて人口を増やしたり、多くの税収や兵士を集めることができる。
この能力が高い補給担当者は兵が多くても、補給線が長くなっても、
補給を途切れさせずに軍を維持することができる。
この能力が高い中央官僚は法律を作り、行政を効率化し、多くの事務仕事を処理して、
国家の税収を増加させたり、治安を安定させたり、国家の運営に関わるコストを減らしたりできる。
この能力が高い君主や宰相は優れた統治を行って国力を増大させることができる。
なお、この能力が高いことと民衆に慕われることは別である。
徳治によって善政を敷いた循吏も、法律によって厳格な政治を敷いた酷吏も、
統治下の県・郡、あるいは国家の安定や税収等に寄与していれば等しく評価の対象とするためである。

人望
人格的魅力によって人脈や名声や忠実な部下を獲得する能力。
この能力が高い君主は高い名声によって人材を獲得したり、
兵士を集めたり、豪族や名士の支援を受けたりすることができる。
この能力が高い人物はごく少数の刎頚の友や忠臣など、
最後まで忠実に尽くしてくれる友や部下を得ることができる。
この能力の高い県令や太守は民衆に慕われ、良い評判を得ることができる。
この能力が高い人物は有名人なので外交で有利になり、
高い地位につけると国家が安定しやすくなる。
なお、この能力が高くても民衆・兵士の反乱、部下の離反、派閥闘争の起きる確率とは関係ない。
統率が低いと高い人望で集めた人材が離反したり、派閥闘争が起きたりする。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 23:01:44 ID:8dwMV3QC0
スマソ。名前欄に変な数字が入っちまった。
このスレの713氏と俺は無関係なので容赦されたし。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 23:28:46 ID:8dwMV3QC0
>>830
評価基準は数値の定義に書いた通りです。
史書を読んで、定義と照らし合わせて高い能力が付けられそうな場合は高く、
そうでない場合は低く付けます。
なお、数値の定義は下の通り。

0〜9   最悪レベル  ネタ
10〜19 低能レベル  その数値と関係ある職務に就いたことあるけど、
                歴史に残るレベルの大失敗の記述しか無い人
20〜29 無能レベル  その数値と関係ある職務に就いたことあるけど、
                大失敗の記述しかない人
30〜39 素人レベル  その数値と関係ある職務に就いたことない人、
                あるいは就いたことあるけど失敗ばかりの人
40〜49 凡庸レベル  記録上はその数値と関係ある職務に就いてたけど、
                1か所でしか記述ないよねって人
50〜59 平均レベル  その数値と関係ある職務に就いてて、
                なおかつ数か所で記述のある人。
60〜69 有能レベル  その数値と関係ある職務に就いてて、
                なおかつ功績が記録されてる人。
                伝記があるけど、短い人。
                あるいは他人の伝記にあまり出てこない人。
70〜79 優秀レベル  その数値に関係ある職務に就いてて、
                なおかつ功績が数か所で記録されてる人。
                伝記が長い人。その活躍が他の人の伝記にも出てくる人。
80〜89 一流レベル  その数値に関係ある職務に就いてて、
                なおかつ功績がたくさん記録されてる人。
                伝記がびっしり功績で埋め尽くされてる人。
                一度歴史的活躍をした人。
90〜99 超一流レベル その数値に関係ある職務に就いてて、
                なおかつ功績がたくさん記録されてる人。
                何度も歴史的活躍をした人。
100    最高レベル  伝記が歴史的活躍の足跡となってる人。

なお、記述が多くて、失敗も成功も多い人は、
少ない記述の中で成功ばかりな人より、なるべく高い評価を付けます。
そうでないと、記述が多くて、失敗も多く記録されることになった人が気の毒だからです。
834名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 23:59:49 ID:8dwMV3QC0
     統率 武勇 戦略 謀略 政務 人望
曹操  75  95  83  78  60  84
劉備  91  80  62  55  43  92
孫策  82  90  80  64  42  77
司馬懿 70 65  93  89  68  70
諸葛亮 90  77  75  85 100  86
周瑜  85  75  94  70  58  73
陸遜  79  84  90  93  79  68
835名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 00:38:47 ID:ve9uvYL20
>>834
統率は国の規模を勘案して貰わないと
魏の大将が軒並み低く、蜀が高くなるな
836名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 01:17:39 ID:KoryBU4t0
>>831
人望ってより名声じゃね?
その記述だと。
837名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 01:25:30 ID:0KMxQCM20
>>834
曹操の場合は、大軍を率いた時は大して強くないってことと、
曹操の治世では反乱が絶えなかったことと、
部下にも結構裏知られてることを加味してるんですよ。
それでも一代で華北をまとめあげた手腕はさすがのものなので、
マイナス面と相殺してこの数値ってところですか。

司馬懿は諸葛亮との対戦の時に、
辛ピの力を借りないと、軍内の統制が出来なかったあたりから、
「この人は大軍の統率はあまり得意ではないのではないか」と思いました。
本当は60台にしようかとも思ったんですが、遼東まで遠征したりしてるので、
それなりにできるのではとも思いました。
この二つの考えの妥協点として、統率70にしてます。

あと、劉備の統率は彼の統治下で曹操や孫権と比べて反乱が少なかったこと。
様々な出身基盤の人間を生存中はほとんど摩擦を起こすことなく、
時には抜擢人事も交えながら、使いこなしたことなどを評価しています。

諸葛亮は連年戦争を起こしながら、
国内の統制が乱れることなく、強固な戦争体制を築き、
彼の指揮する軍勢も軍規がしっかりとして、楊儀や魏延などクセのある人材を使いこなして、
大軍の指揮官としての資質を示した点を評価しています。
838209:2009/04/11(土) 02:17:45 ID:qSyRynZ50
>>834
謀略が諸葛亮が85で曹操が78と言うのはちょっと違うかも。諸葛亮は北伐
で司馬懿に「謀多くて決しなし」と評されたと言う話もあるし、実際謀略面で
は孟達の寝返りを潰され、陳倉でもカク昭の説得に失敗しているなど、あまり
冴えた実績は残していない。曹操の場合は呂布討伐や官渡などでしばしば奇兵
を投入し、その多くを成功させている。多少マイナス面はあっても78まで低い
ことは無いと思います。

逆に曹操の戦略はどちらかと言えば行き当たりばったり的な面もあるのでもう
ちょっと低くともいいのではないかな。

後、曹操統治下での反乱だが、敵国が仕掛けたものも多く、曹操の統治がダメ
だったと言うのとはまた少々意味が違う。それと部下に裏切られたって誰かいた
でしたっけ?曹操の場合は配下と言うよりもおのれと同格の漢の臣が周囲にいた、
と言う特殊な状況下における統治を強いられている面もあり、それらのほぼ全て
がライバル、と言う状況なのでそれを無理に配下にする訳にもいかないのでは、
と思います。

劉備統治下でも曹操が漢中を取られた頃は相当国内が混乱していてあちこちで
反乱鎮圧などの話がある。また諸葛亮時代も南蛮遠征でミスがあり、南方では
しばしば反乱があったともある。単純に史官が無く記録が少ないためこの辺り
の正確な記録が蜀の方が少なく見えるのであって、必ずしも彼らの統治がうまく
いっていた訳ではないと思います。

司馬懿と陸遜は戦略レベルの思考はあまり行なっていないと思います。彼らは
その立場でできる能力はかなり高い評価になりますが、それはその立場における
役割を果たしているだけであり、戦略レベルで国家の方向性を左右するような
働きをしていたか、となると少々疑問です。

統治と言う意味では例えば魏が人口400万チョイ、呉が230万、蜀が94万
総計750万位と言う数字がありますが、呉が滅亡した歳にいきなり晋の総人口
は1600万まで増えています。増加分(800万以上)のおそらく大部分が魏
の屯田民や兵戸民、に戸籍が与えられたものではないか、と個人的には思ってい
ますがと考えられます。

反乱が本当に頻発していればもっと南方に人が流れていたと思うのですが実際は
圧倒的に魏の方へ人が流れており、そういう事実からも魏の時代はすでに安定期
にあったと見ても良いのではないでしょうか。
839名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 02:25:24 ID:OC/mZV1I0
>>834個人的には周瑜と陸遜に違和感があります。
周瑜の謀略、人望が過小評価。
陸遜の武勇、戦略、謀略、人望が過大評価だと思います。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 02:30:38 ID:sQnyM/Bk0
    傲慢  嫉妬  憤怒  怠惰  強欲  暴食  好色
董卓 100 100 100 100 100 100 100
841名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 02:56:15 ID:bXGfZzLs0
>>834>>837
いろいろツッコミ所が多くて困る。
端的に親劉備(蜀漢)・非曹操(曹魏)の者が下した評というのが色濃く見える。
評価に具体性が乏しく、イメージ先行の感が否めない。
842名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 03:00:20 ID:0KMxQCM20
>>838
諸葛亮のの謀略を高く評価したのは、
北伐において魏の豪族を味方につけたり(これは魏にとってかなり大きな脅威だった)、
蜀の国内で言い方は悪いですが対抗勢力の李厳を懐柔、
のち粛清して荊州閥の独裁権力を確立したことなどを加味しています。
孟達の調略自体は成功していたのですが、
諸葛亮より謀略の高い司馬懿が先手を打ったと見るべきです。
陳倉を攻め落とせなかったのは、戦略能力の欠如によるものでしょう。
曹真によって先手を打たれていたのです。
諸葛亮に欠けていた「応変の将略」は戦略能力だと思います。

曹操は小部隊での強襲を得意としていますが、
戦場では意外なほど謀略を用いていません。
相手の司令官の能力や状況を考えれば、
呂布戦や官渡における奇兵は謀略78であっても十分に可能だと思います。
あと、曹操には優れた謀臣が多いので、
彼らの能力を曹操が吸収するわけにはいかないと思いました。

曹操は中原の趨勢が決まっていなかった195年ごろの立ち回りが非常に優れていて、
合従連衡を繰り返して徐々に敵勢力を弱めていき、黄河以南の支配権を手中にします。
また、常に手元に主力を置き、敵を分断して戦場の外で必勝の態勢を築いてから勝負を挑んでいます。
このあたりの周到さも戦略能力に加味しています。

漢中が曹操に取られた時、劉備の領内は混乱し、
反乱も起きましたが、比較的早期に収拾しました。
反乱と盗賊に彩られた曹操の治世と比べると、雲泥の差です。
諸葛亮治下の南中ではしばしば反乱がおきていましたね。
本当は諸葛亮の統率を95にしようとおもったのですが、
南中を安定させられなかったということで減点しています。

司馬懿は諸葛亮との戦いで正面衝突では勝てないことを悟り、
持久戦で対処することにしました。
また、遼東討伐では、敵の動きを完全に読み切って、
討伐への所要時間を計算してから出発したほどです。
以上の点から極めて優れた戦略的判断を行う人物と判断しました。

陸遜は戦場の外において有利な情勢を作り出すことに優れています。
夷陵では直接対決を避け、襄陽の攻撃で敵の思考を読んで、
無傷で退却に成功するなど、戦略的判断に長じています。
また、蜀との外交文書の添削を任されるなど、
国家の意思決定にも深く関与していたようです。
劉備死後の蜀との蜜月を考えると、陸遜の外交戦略はうまくいっていたようです。
843名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 03:09:54 ID:0KMxQCM20
>>839
周瑜は本質的に戦略家であり、
小手先の計略は部下の献策に頼っていたので、低めにしました。
人望は君主並みの数値を与えるには弱いかと思いました。

陸遜の武力は夷陵での大勝利と、山越討伐の功績を考え、この数値にしました。
戦略については、先に述べました。
謀略は関羽を油断させたことや、石亭の勝利や
襄陽攻めの計を用いた巧みな退却ぶりから、高い数値を付けました。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 04:03:40 ID:jcl7Yx3tO
能力はともかく、
やはり荊州閥って言い回しがなぁ。
狷介な李厳は対抗「勢力」ではないし、李厳は荊州人だ。
なんか謀略でもって権力を掌握したなんて話にされると納得しづらい。
粛正されたのは李厳に問題がある。
史書が事実を隠蔽してるというなら別の議論になってくるが。
益州牧になった時も益州名士を招集してるし、
留府長史も向朗じゃなくて張裔を任命したし。
845名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 05:13:06 ID:ve9uvYL20
>>842
曹操が謀略を用いない?そんなバナナ
青州黄巾は計略を用いて破って降伏させたし、黒山賊は囲魏救趙の計で破ってる
合肥の戦いだって曹操の指令通りの展開だし(戦果は曹操の想像以上だったが)

それに大軍を率いた時は大して強くないってのも単なるイメージじゃん
曹操が大軍を動員できる頃にはそれぞれ地場が固まって戦線が膠着してるだけだし
846209:2009/04/11(土) 06:43:07 ID:qSyRynZ50
戦略は、戦略と言うよりももう少し規模の小さい戦術レベルに近い部分の能力
か。それなら分からんでもない。ただそれは戦略とはちょっと違うような・・・。

それに諸葛亮の場合は明帝が「コッチのおびき出し作戦に乗ってくれた」と言う
ような評価もあります。しかも孟達の調略以外は蜀国内の政敵排除ぐらいで85
って幾らなんでも基準が高すぎない?

曹操の場合、己の謀略で文醜を撃つ時の荀攸とのエピソードを見ても部下の策略
だけに身を任せるような人物じゃない。ソモソモ諸葛亮の蜀国内における政敵の
排除を謀略として評価するなら曹操はそれ以上に有象無象がひしめく後漢朝廷内
の敵を排除しているのだよ。

周瑜の人望だが、他の人の臣下に納まっているような器ではない、とまで評さ
れています。それを考えると諸葛亮と比べ、あまりに差が大きすぎます。

あと、陸遜の山越討伐を評価してますが、呉の大部分の武将が行なっており、
その基準で行くと相当数の武官が高い数値になり、バランスが崩れるよ。

大体見ていくと、曹操の相手はたいしたこと無いからコレぐらいでいいだろう。
一方劉備や諸葛亮は強敵相手にだから負けてもこれぐらいあってもいい、謀略
なんかは司馬懿より下とは言え僅かな差にしかしていない。

最初の基準が魏側が過小、蜀過大気味な査定で能力の設定を行なっている。曹操
の統治が盗賊と反乱に彩られてたらあんなに連年遠征して経済が破綻してない訳
ないよ。

私が言えた義理じゃない部分もありますが正直コレぐらいなら私も評価時に
参考にしていますし、更に相手との力関係も考慮した上でバランスを取る様
に心がけている。
847名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 09:40:28 ID:ojNLingrO
曹操の戦略は100から 南進の失策続きからマイナス10で90でいいと思う

あと李厳は対抗勢力なのかな?
コウメイへの九シャク貰っちゃいなよ発言から
シンパだったんじゃないか?空気読めないだけで

848839:2009/04/11(土) 10:35:00 ID:fEWpW+zy0
>>843
周瑜は父方の祖父の兄弟である周景とその息子周忠は漢朝の太尉までなった人物で
父の周異も洛陽の県令をやったほど、つまり家柄が物凄く良い。
また周瑜自身24歳のとき呉の人々に周郎と呼ばれていた。
孫策も周瑜が廬江で人々の信望を集めているのを知っていて春穀県の県長にしたほど。
程晋は周瑜を何かにつけて馬鹿にしていたが周瑜は我慢してけっしてやりかえそうとはしなかった。
のちに程晋もそんな周瑜を尊敬し、周りの人々にГ周瑜殿とつきあってると芳醇な酒を飲んだときのように
いつのまにか酔ってしまう」と言わせたほど。
これらのエピソードをみて私は周瑜と陸遜の人望は天と地ほどの差があると思います。
計略も江陵であの曹仁と徐晃に対して機略で部隊を分けて撃破することができました。
それから自分が重体であることを用いて状況を有利に運び、ついに曹仁と徐晃を撃破しました。
陸遜の武力についてですが夷陵と山越討伐でも自身の武勇をしめす記録はないと思います。
失礼ですが周瑜を過小評価、陸遜を過大評価しすぎだと思います。

849名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 11:14:42 ID:6AG7Zhzw0
陸遜個人の武力なら50でいいと思うが、
数千の軍を率いた時の強さなら高くなるんだろう。

陸遜は基本的に人格者だから、人望は十分あっただろうな。
周瑜と天と地の差があったとは思えんな。
850839:2009/04/11(土) 11:45:25 ID:yR85J7380
>>849陸遜が人格者というのはわかっています。私も陸遜は立派だと思います。
ただ陸遜は人に好かれていたという記録がないんですよね。
個人の想像ですが
夷陵で諸将が陸遜になかなか従わなかった理由の一つには性格みたいなものが
あったかもしれないと思います。
あと裴松之の評価は結構いい加減だと思います。

関係のないことですが中学には正史の資料がないんですが高校にはあるんですか?
関係のないことで本当にすいません。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 12:52:33 ID:pBjzEAo50
A=伝説
B=神
C=使える
D=使えない
E=未経験
F=ネタ

人事…創業守成。人材登用。
 A:光武帝、康熙帝
 F:胡亥

兵站…経世済民。殖産興業。
 A:管仲、蕭何、張居正
 F:梁冀、董卓

情報…揣摩臆測。権謀術数。
 A:孫臏、張良、陳平
 F:胡亥、徽宗

交渉…教唆扇動。合従連衡
 A:蘇秦、張儀
 F:司馬遷、禰衡

作戦…包囲殲滅。各個撃破。
 A:白起、韓信、霍去病
 F:趙括、馬謖

肉弾…暴虎馮河。匹夫之勇。
 A:項羽
 F:孫臏
852名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 12:58:21 ID:pBjzEAo50
人事のFに万暦帝を入れ忘れた
まあスレチだからいいか
853名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 13:32:42 ID:jcl7Yx3tO
馬謖の作戦がFはない。
南征の作戦を諸葛亮と共に練ったのは彼だともされる(裴注「襄陽記」)
854名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 14:00:47 ID:bXGfZzLs0
>>849
陸遜の人望は微妙。

二宮の変に措いて、孫覇閥から弾劾状を受けた事は、立場上政争として仕方のない所。
しかし、この件で陸遜を弁護した者はほとんどいない。丞相の地位にいるものがだ。
孫和の後押しをしている立場を通していながら、孫和閥からも救いの手を伸ばす者もいなかった。
このことから孫覇閥の者だけでなく、孫和閥の者たちからも距離を置かれていたと考えられる。

そして、孫権より問責の使者を何度も受け、最後は憤死(したとされる)。
それまでの事績から見ると、あまりにも報われない最後と遂げている。

>>851
ここか三国志の武将の能力スレなんで、三国志の武将内で評価を下すべき

>>853
そして、スレちのネタに食いつかないようにw
855名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 14:18:41 ID:pBjzEAo50
>>853
それは情報で評価されると思う
参謀としてCに該当するくらいで
前線指揮官としてはD〜Fが妥当だろう

>謖依阻南山,不下據城。郃絶其汲道,撃,大破之。(張郃伝)
>謖舍水上山,舉措煩擾,平連規諫謖,謖不能用,大敗於街亭 (王平伝)

孔明は韓信くらいの活躍を期待してただろうけど。

>>854
まあ個人的な印象値だから気にしないでくれ
856名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 19:28:13 ID:LaxPSXUd0
851の能力を10段階評価でアレンジしてみた

曹操   人事 9 兵站 6 情報 9 交渉 7 作戦 9 武勇 8
劉備   人事 9 兵站 4 情報 6 交渉 5 作戦 7 武勇 7
孫権   人事 8 兵站 8 情報 8 交渉 6 作戦 5 武勇 6

諸葛亮  人事 8 兵站10 情報 8 交渉 8 作戦 8 武勇 4
司馬懿  人事 7 兵站 7 情報 9 交渉 7 作戦 7 武勇 4
周瑜   人事 5 兵站 7 情報10 交渉 6 作戦 9 武勇 5

荀ケ   人事10 兵站 8 情報 9 交渉 8 作戦 5 武勇 3
法正   人事 4 兵站 6 情報 9 交渉 5 作戦 4 武勇 2
張昭   人事 6 兵站 9 情報 8 交渉 6 作戦 5 武勇 3

張遼   人事 4 兵站 4 情報 5 交渉 5 作戦 7 武勇 9
関羽   人事 5 兵站 3 情報 4 交渉 6 作戦 6 武勇 9
甘寧   人事 3 兵站 3 情報 7 交渉 5 作戦 7 武勇 9

袁紹   人事 8 兵站 7 情報 4 交渉 5 作戦 5 武勇 6
劉表   人事 7 兵站 9 情報 7 交渉 7 作戦 4 武勇 3
董卓   人事 6 兵站 2 情報 8 交渉 6 作戦 6 武勇 7
857209:2009/04/11(土) 21:38:15 ID:7gI8rz7I0
825さんの評価の仕方と言うのは所々うなずけるところもあるのですよね。ただ、例えば
曹操がほぼ独力で華北を制圧したことをえらく過小評価して、逆に諸葛亮や陸遜の北伐
でほとんど支配地域とかを広げられていない事実を無視して、単なる戦い方からのみ評価
をしちゃっている。それがために歪みが生じちゃっていると思うのですよね。そこが結構
もったいない。

例えて言えば、曹操の官渡の戦いでの勝利はそれこそ蜀が北伐で大勝利を納め、一気に
関中地方での地歩を固めるぐらいの価値がある。そう言う大きく評価しないといけない
戦争を数ある勝利の一つと見なしてしまうと正当な評価には繋がらない。周瑜の赤壁も
同様。もちろん陸遜の夷陵も同じである。しかし、そこで初めて陸孫は軍事面において
曹操や周瑜に並んだだけである。残念ながら後年の軍事行動で、曹操達の実績を大きく
越えて加点されるほどの実績は残念ながらない、と思います。

それと何より私の場合は、バランスを取ることを重要視しています。バランスとはつまり、
国力と人材の比率をある程度近い状態にする。

例えば蜀の五将と魏の五将を比較した場合、蜀の五将の各人の総合評価がA〜Cぐらい
の間に入るとして、魏の五将の総合評価はA〜Bぐらいまでに収める。そしてそれに続く
総合評価B〜Cの将軍を多数配する。

A〜Cの将の比率は魏が蜀のそれに数倍になるような感じですね。そうした大雑把な
割り当ての中から武将の傾向を見て能力を設定しています。そうした中でまず一番の
基準となるのは曹操です。個々の能力で曹操を超える人物はいたとしても総合能力で
曹操を超える人物は配しない。

各勢力のバランスを取り、曹操を総合力トップにした、と言うのは当然国力に比例し
ていないと人材の配置に歪みが生じるため。よほど運良く魏が国力を拡大できた、と
言うのであればもう少し考慮する必要もありますが、魏は実力で国力を拡大している。

純然たる実力の差がある、と言う形にするべきだからです。そこを無視するとすごく
アンバランスな勢力図になってしまうと思います。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 23:07:19 ID:8dObqB0h0
>>857
個々の人物の能力と国力は関係なくね?
関羽、張飛の武威は史実評価で後世まで名将、豪傑の誉れと言われる位なんだから
彼らにも特別視目線を与えてもいいと思うし
諸葛亮の政治能力も曹操に匹敵するものがあるんじゃないかなあ。
正史評価のみならば、魏がすべてにおいて優秀ってのは少し偏りが過ぎるんじゃないかと。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 23:19:28 ID:jcl7Yx3tO
スタートラインが違うからね。
一緒によーいドンとやったらどうなるか分からん。
860名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 23:22:04 ID:LVVrsH+O0
全体的に見てバランスを取るという考え方は賛成だが、
対戦成績から見て、魏五将と蜀の張魏黄辺りは互角くらいが尤もらしいな
関馬趙や大出世した張コウは単純に武人の役割だけを担ったわけではないので
また別にバランスを取る必要があるだろうけど。
魏にはその上に都督や刺史クラスの優秀な人材がわんさといるので
国土拡張・維持能力の差はそこでバランスが取れる。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 23:35:21 ID:KoryBU4t0
能力に国力による修正が加わるとして、
微弱なもんですよね?
10も変わるなら問題ですが。
あんまり気にしなくてもいいのでは?
862856:2009/04/11(土) 23:59:29 ID:LaxPSXUd0
15人も評価してみたのに反応がなくて寂しい。
評価してほしい武将いますか?
今晩はずっと起きてるのでリクエストに応えられると思います、ハイ。
863名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 00:19:39 ID:C16d4zmK0
>>862
そんじゃ呂布と孫策をば。
864名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 00:45:45 ID:ULRSH+qk0
>>863
呂布   人事 2 兵站 3 情報 4 交渉 5 作戦 6 武勇10
孫策   人事 8 兵站 4 情報 8 交渉 5 作戦 9 武勇 9
865名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 01:23:30 ID:yRRMIkxI0
つーかいまいちステータスから能力がつかみにくい
兵站はその名のとおり兵站業務から光栄でいう普通の政治能力、
作戦は軍事戦略から現場指揮能力(戦術)まで含んでると見ていいんだよね?
866209:2009/04/12(日) 01:44:44 ID:3eKJK9I70
>>858
もちろんトップクラスは並ぶ、ぐらいで良いと思うのですよ。蜀の五将で言えば張飛
辺りは実績も多いし、当然魏の五将と比べても遜色ないトップクラスの評価になる。

ただ、トップクラスが劣ることはないが、層の厚みではやはり魏が優勢になる、と言う
感じでしょうか。実際自分が評価して魏は本当に人材がこれでもか、と言うぐらい出て
くるのです。対して蜀は明らかに尻すぼみ感が大きい。バランスと言うのはそう言う層
の厚み、と言うことで、魏はAランク、呉はBランク、蜀はCランクの人材しかいない、
と言うことではないのです。

蜀や呉の場合は軍事政権ですからもう少し優秀な武官の比率が多く、特に最盛期の人材は
魏ともかなり良い勝負できる、ぐらいの評価にしてます。問題は後期になればなるほど、
その辺りの層に差がでる、と言うトコでしょうか。

単純に魏の五将>蜀の五将、と言うようなもんにはしてないのです。

>>856
私が見る限りではあまりおかしな数値は見られません。敢えて言うなら董卓は武勇面
のエピソードから後1ぐらいは高くても良いかと、逆に交渉は特に名士連中とで失敗
が大きいのでもっと低くとも良いかもしれません。兵站は逆に自分の本拠地で蓄えを
残し最悪生き残ろうとかしていた点からもっと高くても良いかと。

作戦は統率、になるのかな。諸葛亮と司馬懿は1ずつ低くても良いかもしれません。
そこらは蜀はやはり劉備がまず来る、と思いますので。周瑜は前線に立つタイプの
指揮官なので武勇はもう少し高くても良いかもしれませんね。張昭も軍を指揮した
実績がありますので、もう少し作戦、武勇は高いかも、と思います。

魏の張遼以外の4人と蜀の関羽以外の4人、黄蓋、程普、韓当、丁奉辺りをお願い
します。
867856:2009/04/12(日) 01:45:48 ID:ULRSH+qk0
>>865
人事=人材登用
兵站=内政
情報=計略
交渉=交渉
作戦=軍レベルの指揮・戦術
武勇=部隊レベルの指揮

こんな感じで評価してみた。
お馴染みの統率・武力・政治・知力・魅力より評価付けやすかった。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 02:02:37 ID:ULRSH+qk0
>>866
あのエピソードだけで董卓に武勇8を与えるほど安売りはしたくなかった。
董卓は武勇より智謀の将だと思うので。
交渉は異民族との蜜月関係や袁隗や王允など一部の名士を取りこんで
政権樹立にこぎつける過程で一定の交渉があったであろうことをつけたことを評価してこの数値。
関東の反乱は交渉の失敗ではないと考える。
兵站は搾取して蓄えるだけならジンバブエのムガベでもできるってことで。
それより経済政策の破綻を重く見た。

周瑜は武勇を評価するべきエピソードが特にないので前線に立った将の標準値である5を与えた。
張昭の指揮経験は作戦5で評価した。張昭の地位を考えると武勇が問われる場面はなかったように思われる。
869名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 02:07:56 ID:wDvLPqxlO
そりゃあ、国土と人口が違うんだから、層の厚みは違うだろう。
そして戦線が限定的だから、有為の軍人は発掘しにくい。
それでも羅憲、楊稷、何攀みたいなのが潜在的にいたわけだ。
北方守るだけなら、十分。
問題はやはり、凡庸な君主を補佐する大臣がいなくなり、政軍が一致しなくなったこと。
文立みたいな、おもしろいのもいるんだけど。
870856:2009/04/12(日) 02:48:17 ID:ULRSH+qk0
徐晃   人事 4 兵站 4 情報 7 交渉 4 作戦 7 武勇 8
于禁   人事 3 兵站 5 情報 5 交渉 3 作戦 6 武勇 9
楽進   人事 4 兵站 4 情報 5 交渉 4 作戦 6 武勇 8
張コウ  人事 5 兵站 3 情報 8 交渉 4 作戦 8 武勇 7

張飛   人事 2 兵站 5 情報 4 交渉 3 作戦 7 武勇 9
馬超   人事 4 兵站 4 情報 3 交渉 6 作戦 6 武勇 8
趙雲   人事 5 兵站 3 情報 6 交渉 4 作戦 5 武勇 8
黄忠   人事 4 兵站 3 情報 4 交渉 4 作戦 4 武勇 8

程普   人事 4 兵站 5 情報 5 交渉 5 作戦 7 武勇 8
黄蓋   人事 5 兵站 6 情報 7 交渉 5 作戦 5 武勇 7
韓当   人事 3 兵站 4 情報 4 交渉 4 作戦 6 武勇 8
丁奉   人事 3 兵站 2 情報 8 交渉 3 作戦 7 武勇 8
871209:2009/04/12(日) 02:52:37 ID:RQywcL2n0
>>869
もちろん羅憲とかはきちんと評価します。ただ、史書を見ても判りますように伝を
立てられる人数の数は圧倒的に魏が多い。当然資料も豊富になる分、魏の方が評価
される人物が多くなり、層が厚くなるのは仕方の無いことですね。まぁ、史書の方
は蜀の人材一人一人が飛び抜けて優秀、なんてことはありえないので、これはもう
どうしようもないことですな。

>>868
いやいや、あの程度のエピソードが載ってる人物なんて正史上では何人もいないと
思いますよ。特に鐙がまだ無かった可能性の高かった時代に騎射できると言うのは
相当特筆すべき事績だと思います。兵站はもう内政になるのであれば、それは納得
かな。貨幣経済を破綻させたのは言い訳できないですからね。

それと関羽ですが、彼の交渉能力はもう少し低いかと。実質彼が呉との交渉を破綻
させた一人でもある訳ですからね。史書の記述が本当であればあまりにも自分本意
かと。交渉はマイナス評価の4ぐらいじゃないでしょうか。
872209:2009/04/12(日) 03:07:57 ID:RQywcL2n0
>>870
比較的納得いくトコですね。于禁が武勇1下げて楽進が1上げるぐらい。代わりに
于禁が作戦1上げるぐらいでも魏はいいのではないかな。

蜀は張飛は作戦を1下げて、情報を2ぐらい上げるぐらいでもいいかもですね。馬超
は関中攻防時の実績を考えると作戦はもう1ぐらい高くてもいいかもです。

呉はほぼ良予想通りでしたが、丁奉はさすがに情報が少し高いかも、代わりに武勇は
9あってもいいかもです。時間あれば、典イや許チョと言った連中(武勇のみ高いの
かな)辺りも時間あればお願いします。私はさすがに限界ですので今日はもう寝ます。
873名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 07:27:16 ID:S+71C9TT0
>>865
>>856>>867とは大分違うから説明しとく
ランクはA=10、B=9or8、C=7〜5、D=5〜3、E=2、F=1

人事personnel
 ヒトに関わる項目。
 集団活動での協調性、組織運営、人望を評価。
 新規の人材登用はあくまで二の次。

兵站logistics
 モノに関わる項目。
 軍資金、兵糧、兵科に関する装備の調達、貯蓄に関連。
 施設設置コマンドは兵站と作戦が両方関係する。

情報intelligence
 アタマに関する項目。
 ステータス表示に影響
 具体的な戦略strategyを立てられるレベルは成否関係なくB以上

交渉negotiation
 コトバに関する項目。
 相手への心理操作に関連

作戦tactics
 士官、下士官クラスの集団戦の部隊指揮。
 機動戦から陣地戦まで何もかも。
 流石に水軍は特殊すぎるので特技か勢力兵科扱いだろうが。
 同僚との連携や部下の統括は人事で評価。

肉弾strength
 下士官、兵としての個人戦のスペック。
 明らかに部隊指揮には関係ない力士、刺客を評価する為だけの項目。
 11のようにユニークな特技を設定するなら別にいらない

イメージとしては以下のようになる

スタッフ(士大夫)=人事、兵站、情報、交渉
ライン(将軍、太守)=人事、兵站、情報、交渉、作戦
下士官(校尉、司馬、都伯、什長、伍長)=作戦、肉弾
兵=肉弾
民衆=なし
874名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 08:12:33 ID:S+71C9TT0
俺の場合だとこうなるかな

曹操   人事A 兵站B 情報B 交渉D 作戦A 肉弾C
劉備   人事B 兵站D 情報C 交渉E 作戦C 肉弾D
孫権   人事B 兵站C 情報C 交渉C 作戦D 肉弾D

諸葛亮  人事B 兵站A 情報B 交渉B 作戦C 肉弾D
司馬懿  人事B 兵站B 情報B 交渉B 作戦B 肉弾E
周瑜   人事B 兵站B 情報B 交渉B 作戦A 肉弾D

荀ケ   人事A 兵站B 情報B 交渉A 作戦E 肉弾E
法正   人事C 兵站C 情報B 交渉B 作戦D 肉弾E
張昭   人事B 兵站C 情報D 交渉B 作戦E 肉弾E

張遼   人事C 兵站E 情報C 交渉C 作戦B 肉弾C
関羽   人事C 兵站C 情報D 交渉C 作戦B 肉弾A
甘寧   人事D 兵站E 情報C 交渉E 作戦B 肉弾C

袁紹   人事B 兵站B 情報D 交渉C 作戦C 肉弾E
劉表   人事B 兵站B 情報D 交渉C 作戦E 肉弾E
董卓   人事B 兵站F 情報B 交渉C 作戦C 肉弾C
875名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 08:54:02 ID:odgN3f/CP
素晴らしい。重複部分の二重評価が大分減ったな

>>873-874
その意味だと肉弾よりかは筋力の方が一般的じゃないか?
てか肉弾はダサいだろ
粛清されて死んだ荀ケの交渉がAは過大に思える
876名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 09:46:03 ID:S+71C9TT0
>>875
>その意味だと肉弾よりかは筋力の方が一般的じゃないか?

じゃあそれでいいよ。

俺としては集団戦が
部隊指揮=情報、交渉、作戦
軍団指揮=自分のみの部隊指揮+人事、兵站
となるような感じをイメージしてたので両者を態々分けてしまうのは違和感を覚える。
それは指揮ではなく連携だろうと。
まあぼくのかんがえたしすてむ止まりでアレだが

荀ケの交渉Aは郭貢をあのタイミングで追い返し
呂布戦に集中させてエン州を確保し
官渡で撤退をストップさせたのが神と評価した
魏公の件で粛清されたかは微妙だし引いてない
877名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 09:48:24 ID:pBCmdbIE0
>>874
コーエーみたいに「肉弾」は「武力」でいいかもな
査定は文句ないくらいに素晴らしい
878名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 10:04:48 ID:4shGWP0i0
筋力と言えば尚弘
879名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 11:04:37 ID:S+71C9TT0
よく考えてみると孫権の兵站は江南開発でAでもいいか
劉表もそういえば張羨を討伐してたっけ
と言うわけで修正

孫権   人事B 兵站A 情報C 交渉C 作戦D 筋力D
劉表   人事B 兵站B 情報D 交渉C 作戦C 筋力D
880名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 11:57:20 ID:S+71C9TT0
呂布   人事B 兵站D 情報E 交渉E 作戦B 筋力B
孫策   人事B 兵站D 情報B 交渉C 作戦A 筋力C

徐晃   人事C 兵站E 情報C 交渉E 作戦B 筋力D
于禁   人事C 兵站D 情報D 交渉E 作戦C 筋力D
楽進   人事C 兵站D 情報E 交渉E 作戦C 筋力C
張コウ  人事C 兵站E 情報B 交渉D 作戦C 筋力D

張飛   人事C 兵站D 情報C 交渉E 作戦B 筋力B
馬超   人事B 兵站D 情報E 交渉E 作戦B 筋力C
趙雲   人事C 兵站E 情報C 交渉E 作戦C 筋力C
黄忠   人事C 兵站E 情報E 交渉E 作戦B 筋力D

程普   人事C 兵站D 情報E 交渉E 作戦C 筋力C
黄蓋   人事D 兵站C 情報E 交渉E 作戦B 筋力D
韓当   人事D 兵站D 情報E 交渉E 作戦C 筋力D
丁奉   人事C 兵站E 情報C 交渉D 作戦B 筋力D
881名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 12:23:54 ID:odgN3f/CP
>>880
その面子だと黄蓋、韓当の人事はCで当然だろう
他は概ね納得がいくが
882名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 12:27:49 ID:yRRMIkxI0
張飛や呂布の筋力がBて厳しくないか? 三国志内だけの評価だろ?
Aの枠がよっぽど少ないのか
883名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 13:03:42 ID:Xvr5bStR0
現時点では関羽だけAだね。
884名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 13:10:49 ID:yRRMIkxI0
つーか筋力は全体的に厳しいな
丁奉や黄忠の筋力が諸葛亮と同じ評価なのはどうかと
孫策、張遼、甘寧もBあっていいと思うんだよな
885名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 13:40:54 ID:V/8d8jNc0
張飛や呂布の筋力がBで張遼や甘寧Cなのに関羽がAなのは納得できない。
丁奉のDは馬鹿としかいいようがない。
関羽信者のように思えるね
886名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 14:19:56 ID:Xvr5bStR0
兵を率いての評価かと思って>>873みたら違うね。
完全な個人の武力ってことでしょ?
確かにもうちょっと高い方が当然かも。
887名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 14:44:21 ID:rMIERTIEO
劉備 諸葛亮 司馬懿 袁紹の作戦は1ランク上げても良いんじゃない
888名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 14:58:32 ID:S+71C9TT0
>>884
史書に載るレベルの豪傑だと攻撃より防御の方を重視するだけ

A 関羽 後親與羽交戰,射羽中額。
B 呂布 然卓性剛而褊,忿不思難,嘗小失意,拔手戟擲布。布拳捷避之
C 張遼 遼被甲持戟,先登陷陳,殺數十人,斬二將(略)權人馬皆披靡,無敢當者
D 丁奉 毎斬將搴旗,身被創夷。

完全武装して雑兵、下士官相手に無双するくらいでC
董卓を徒手空拳でいなせる呂布がB。
ホウ徳の矢で中っても死なない関羽がA。
まあ張遼、甘寧の場合作戦がBではなくAでもおかしくないかな、という感じだが
作戦Bで上司が甘寧、潘璋ならば戦果があがるのは当然
「身被創夷」の丁奉が他の「膂力過人」とかつくような連中より1ランクくらい落ちるのは
別にそれほど不自然ではないと思うが?どうよ
889名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 15:19:29 ID:yRRMIkxI0
>>888
筋力のステータスは豪傑だけでなく正史に登場するすべての人物を評価するもんでしょ?
正史で武勇描写は少数の人物に集中しておりのまともに個人武勇描写がある人物はかなり少ない
武勇の評判が高いというだけでも貴重な情報なのに、武勇描写のあるトップクラスだけそこまで評価を細分化する意味がないと思う
凄い武勇描写があってもけがをすれば諸葛亮らと同等評価というのも意味わからん
890名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 15:32:51 ID:shX7nXV60
ホウ徳が関羽を矢で射たという話は史書には無い
891名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 15:36:51 ID:yRRMIkxI0
あと防御力ってのはけがをしても死なない能力なのか、けがをしない能力なのか曖昧
前者なら丁奉を下げる理由にならんし後者なら関羽がAの根拠として微妙だし
892名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 15:55:16 ID:VuRe+U/DO
>>890
いや、あるだろ
何で自信たっぷりに言い切れるのか分からん
893名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 15:57:11 ID:S+71C9TT0
>>889>>891
よく読み直したら関羽にしてもひじに矢が中って
医者に骨を削らせたとかいうエピソードあるから破綻してるなwスマン
894名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 16:51:29 ID:shX7nXV60
>>890
すまん、勘違いしていた。ホウ徳が射た矢で関羽が筋力Aに評価されるような話はない、だな
演義のように戦陣の中で肘を手術しその後も戦い続けたならAでもいいだろうけど
895名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 17:23:15 ID:V/8d8jNc0
結論は関羽信者でしたってことでいいんじゃね
896856:2009/04/12(日) 19:22:44 ID:xHfruiGa0
>>871
董卓は騎射ができたというのを評価して武勇7。
武勇8を与えるにはもっと武勲の記述が欲しいところ。
2、30年前線で戦い抜いて抜群の功を挙げた魏の五子、蜀の五将、
あるいは呉の古参の将軍レベルでなければ、8は与えられない。

関羽は北上の際に反乱を扇動したりしてるので、
外交能力は高めに見積もった。
呉との交渉ミスについてはどうしようか迷った。
正直、もっと交渉を低くするべきかもしれないとも思う。

>>872
于禁は官渡戦役での武勲を評価。小部隊を率いての働きでは、
張遼・曹仁に匹敵すると考えるので武勇9。
作戦の妙を感じさせるような働きはあまり見られないが、
別軍を率いることがあったことを評価して作戦6に留めた。

張飛は武勇9だけでは情報・作戦8の張コウには勝ち得ないと思い作戦7に。
均衡を考えてのこと。あと長坂での見事な殿も作戦のうちに入ると考えた。
情報については情勢分析を行ったり計略を用いたりした記述がないので低め。
馬超は善戦したものの作戦の妙と言うよりは勇猛によるものと考えた。

丁奉は政争にだけはやたら強かった孫チンを計略で葬り、
石苞を召喚させるなど計略の妙は三国時代後半ではひときわ目立つ。
それゆえの情報8.
897856:2009/04/12(日) 19:26:57 ID:xHfruiGa0
>>872
典韋   人事 2 兵站 2 情報 3 交渉 3 作戦 3 武勇10
許チョ  人事 5 兵站 3 情報 3 交渉 5 作戦 5 武勇 9
898名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 19:31:32 ID:PjXQX0C50
>>870
計略名人の黄蓋の情報は8以上あっても良いと思いますよ

>>896
董卓は腕力や武術も優れていたと書かれてます。
武勲も結構多いと思いますよ。
899名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 19:45:31 ID:odgN3f/CP
曹操   人事A 兵站B 情報B 交渉D 作戦A 筋力C
劉備   人事B 兵站D 情報C 交渉E 作戦B 筋力D
孫権   人事B 兵站A 情報C 交渉C 作戦D 筋力D

諸葛亮  人事B 兵站A 情報B 交渉B 作戦B 筋力E
司馬懿  人事B 兵站B 情報B 交渉B 作戦B 筋力E
周瑜   人事B 兵站B 情報B 交渉B 作戦A 筋力D

荀ケ   人事A 兵站B 情報B 交渉A 作戦E 筋力E
法正   人事C 兵站C 情報B 交渉B 作戦D 筋力E
張昭   人事B 兵站C 情報D 交渉B 作戦E 筋力E

張遼   人事C 兵站E 情報C 交渉C 作戦B 筋力B
関羽   人事C 兵站C 情報D 交渉C 作戦B 筋力B
甘寧   人事D 兵站E 情報C 交渉E 作戦B 筋力B

袁紹   人事B 兵站B 情報D 交渉C 作戦B 筋力D
劉表   人事B 兵站B 情報D 交渉C 作戦C 筋力E
董卓   人事B 兵站F 情報B 交渉C 作戦C 筋力C

兵站:孫権(C⇒A)
作戦:劉備(C⇒B)、諸葛亮(C⇒B)、袁紹(C⇒B)、劉表(E⇒C)
筋力:諸葛亮(D⇒E)、張遼・甘寧(C⇒B)、関羽(A⇒B)、袁紹(E⇒D)

に修正
900名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 19:55:22 ID:odgN3f/CP
呂布   人事B 兵站D 情報E 交渉E 作戦B 筋力B
孫策   人事B 兵站D 情報B 交渉C 作戦A 筋力B

徐晃   人事C 兵站E 情報C 交渉E 作戦B 筋力D
于禁   人事C 兵站D 情報D 交渉E 作戦B 筋力D
楽進   人事C 兵站D 情報E 交渉E 作戦B 筋力C
張コウ  人事C 兵站E 情報B 交渉D 作戦B 筋力D

張飛   人事C 兵站D 情報C 交渉E 作戦B 筋力B
馬超   人事B 兵站D 情報E 交渉E 作戦B 筋力C
趙雲   人事C 兵站E 情報C 交渉E 作戦C 筋力C
黄忠   人事C 兵站E 情報E 交渉E 作戦B 筋力C

程普   人事C 兵站D 情報E 交渉E 作戦C 筋力B
黄蓋   人事C 兵站C 情報E 交渉E 作戦B 筋力C
韓当   人事C 兵站D 情報E 交渉E 作戦C 筋力C
丁奉   人事C 兵站E 情報C 交渉D 作戦B 筋力B

筋力:孫策(C⇒B)、程普(C⇒B)、丁奉(C⇒B)、黄忠(D⇒C)、黄蓋・韓当(D⇒C)
作戦:楽進・于禁・張コウ(C⇒B)

に修正

これでバランスは取れるかな?
901856:2009/04/12(日) 20:01:38 ID:xHfruiGa0
賈ク   人事 6 兵站 5 情報10 交渉 7 作戦 4 武勇 4
程c 人事 4 兵站 6 情報 9 交渉 7 作戦 6 武勇 5
郭嘉 人事 3 兵站 4 情報10 交渉 5 作戦 3 武勇 1

魯粛 人事 4 兵站 6 情報 8 交渉 9 作戦 5 武勇 5
呂蒙 人事 5 兵站 5 情報 9 交渉 6 作戦 8 武勇 7
陸遜 人事 6 兵站 7 情報 9 交渉 6 作戦 8 武勇 6

ホウ統 人事 6 兵站 4 情報 8 交渉 5 作戦 4 武勇 3
902名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 20:06:31 ID:odgN3f/CP
>>898
董卓は皇甫嵩と用兵を比べると明らかに一段落ちる
まあ皇甫嵩がどの程度なのかという話だけど
903名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 20:42:10 ID:VuRe+U/DO
>>900
あの…、Aは…?
904名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 20:57:26 ID:odgN3f/CP
>>903
許チョ典韋
905名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 21:00:41 ID:PjXQX0C50
>>902
皇甫嵩は黄巾討伐最大の英雄だし、あの頃の後漢最高の将軍と言って良いんじゃないかな
906名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 21:01:39 ID:oeF+ayQD0
劉備と孫権の人事が呂布並ってのは違和感ある
907209:2009/04/12(日) 21:07:34 ID:iCVLneAN0
ウチももいっかい評価基準を新たに各人物の評価をし直してみようかな。ただ
ここに載るような有名人物をやっている間は楽しいのですが、大部分は無名な
人物で、それが8〜9割ともなると苦痛になってくるんですよね。

今まで載せてたのも、数年かかってようやっとまとまったようなものですし、
新たに遣り出したら何年かかるんだろう。。。

>>901
典韋と許チョですがおおよそ予想通りなのですが、許チョの作戦が高いのが
ちょっと意外でした。黄忠との関係から考えると3〜4ぐらいかなあ、とも
思いました。

魯粛は交渉10でよろしいかと、彼以上の交渉人は三国志上ではいないかと
思います。

それとホウ統は人材を過大気味にでも評価して一人でも多くやる気を出させ
ようとしてたことより、人事はもう2ぐらい高くとも良いかもしれません。
それと諸葛亮と並び賞された人物ですから情報は9、それと事故で亡くなる
までは軍勢を率い、快進撃を続けていたので作戦はもっと高くても宜しいか
と思います。
908名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 21:12:32 ID:VuRe+U/DO
>>904
何人分の評価作ってるか知らないけど、さすがにA枠が二人というのは少な過ぎる(百人くらいなら分かるが)
だったら最初からS枠でも作って別格扱いした方がいいかも、あと程普はCでいいかと
909名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 21:20:16 ID:S+71C9TT0
まあ関羽の筋力Aはやりすぎたw
やはり顔良斬りでBくらいが妥当か

>>899-900
修正乙
まああくまで叩き台だから好きに使ってくれ

>>901
魯粛が描いたグランドデザインは途中で変更されたけど
現実は概ね彼の構想通りになった
周瑜、呂蒙の天下二分路線が自分らの勢力を過大評価気味で
上流の勢力を過小評価気味というのを考えると情報は逆になると思うが
また215年の荊州侵攻にしても主将は彼で、作戦面で活躍した甘寧、呂蒙はあくまで副将格だった
劉備の帰還でピンチになったのを丸く収めたのも彼の交渉力による部分が大きい
910名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 21:34:10 ID:odgN3f/CP
>>908
>>873を見る限りAが別格だろう
呂布、関羽、董襲あたりも十分化け物だけど
許チョ、典韋ほど力自慢の記述があるようには思えないが
ついでに程普は祖郎戦の活躍でBになる
Cだと自分は生還出来ても孫策が死んでるんじゃないかな

>>909
どもども
議論で変更が反映される方が使い勝手がいいので助かる
911名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 22:02:35 ID:S+71C9TT0
>>906
呂布は一応曹操の序盤最大のライバルだからBにした
C以下だと高順や成廉などの部将がついてくる感じがしないし、
エン州や徐州を乗っ取れないだろう。
維持出来なかったのは国力の磨耗だったり戦略の問題
912名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 22:08:18 ID:shX7nXV60
呂布の敗因は、戦略ミスもあるが陳宮・陳登らを纏められなかったことも大きい
人望はあるが意外に人の言うことを聞かない劉備はともかく、
孫権の人の扱いの上手さは曹操を越えている。間違いなく三国トップの一角だろう
少なくとも呂布と互角ということは無い

でもそうすると劉備や袁紹のようなものがもっていた求心力を表現するステータスがなくなるな
劉備がkoei三国志のような「能力としてはただの中どころ」になっているのが気になる
913名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 22:23:25 ID:ltUJZRoW0
臧覇の評価お願いします。
914名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 22:38:04 ID:m3uD7IvM0
>>912
> 孫権の人の扱いの上手さは曹操を越えている。間違いなく三国トップの一角だろう
口煩く諫言してくれる家臣(張昭など)がいれば、その言を聞き入れ大過なく勤めるが
その枷が外れると途端に佞臣を重用して、諫言が耳に届かないようにする。

その呂壱の件で重臣から見放されそうになったり(それこそあの諸葛瑾すらからも見捨てられかけた)
二宮の変で臣下間にいらぬ争いの火種を燻らせ、功臣を悶死させたりと、問題点も多々見受けられる。

正史孫権は、降臣すら重く用いて使いこなした曹操を越えてるとはとても思えないな〜
915名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 23:00:22 ID:shX7nXV60
曹操が能く使った降臣というのはせいぜい武将の範囲で、重く用いているとは言えない。
自分の周囲を名士で固めて漢朝廷の信望を奪い魏の礎を築いた点は大いに評価すべきだけど、
名士、地元豪族から寒門の武人や士人まで適宜重用し、時には一族の師弟を抑えてまで
宥めすかして団結を維持した盛期の孫権の手腕は決して劣るものではない。
歩隲や呂蒙のような抜擢は曹操ではちょっと考えられないからね。これに匹敵するのは司馬一族だろう。
916名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 23:02:08 ID:S+71C9TT0
>>912
なるほど。
それだと孫権をA、呂布をC、Dにすればいいのだろうか?
個人的に孫策がもっと高くなると思っていた。
太史慈、祖郎、王朗の処遇など覇者に相応しい振る舞いとしかいえない。
孫権でも使いきれなかった張昭、虞翻も彼には靡いていたし。
中央政権を何とか切り盛りした曹操より上かも…と思うくらいのものはある
まあ敵を殺しすぎたからあの最期なんだけど。
そういうのをどう評価するのかは決めかねるものがあるんだが

>>913
こんくらいかな
外様なのにVIP待遇。
劉備も曹操の盟友のままならこんな待遇だったように思う
臧覇 人事B 兵站C 情報B 交渉C 作戦B 筋力C

・18歳の時、数十人で父親を太守から奪回して亡命
・陶謙の黄巾討伐に従軍
・開陽で半独立
・蕭建を討伐し呂布を撃退し講和
・曹操に青州、徐州を委任される
・昌豨、徐和、陳蘭討伐に参加
・韓当を撃破、舒口、濡須口で孫権を撃破
・都督青州諸軍事
917名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 23:23:43 ID:S+71C9TT0
>>908
ほぼ>>910の言うとおりなんだが
コーエー三国志的には100、90・80台、70〜50台、40〜10台、1桁、1という感じかも
918名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 23:35:22 ID:F0VX5/YR0
>>916
孫策は孫権以上に性格が激しい。
素直に従えば良し、従わねば殺すぐらいのことやってて孫策の人事がBはない。
曹操みたいに逆らって逃げても才あれば許すみたいな度量は感じない。
曹操みたく使いつつも不要となった時に上手く粛清するとか
狡猾にやってれば暗殺で殺されることもなかったんだろうけど・・・なにもかも性急過ぎた。
919名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 23:54:20 ID:Es1fyX+20
>>918
>素直に従えば良し、従わねば殺すぐらいのことやってて孫策の人事がBはない。
>曹操みたいに逆らって逃げても才あれば許すみたいな度量は感じない。
先入観ありすぎ。
孫策が殺した人間を調べ直してみるといい。

>>915
>歩隲や呂蒙のような抜擢は曹操ではちょっと考えられないからね。これに匹敵するのは司馬一族だろう。

呂蒙は将官として着実に出世していったのであり、「抜擢」という表現について理解しかねる。
それと歩隲も諸葛瑾や厳シュンと名を挙げたことで出世していった。
これをもって孫権を特異化するのにも同意できない。
920名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 00:06:55 ID:9DHoVF680
>>917
数値は、100分率でも6分率でも、1の値は等価で考えないと分布図が歪むだけじゃないか?

A=100、B=99〜80、C=79〜50、D=49〜10、E=9〜2、F=1では、
C・Dばかりが羅列する面白みもない武将が7〜8割は〆る事にならんか?

オレはとりあえず有名所600〜800人を↓のように等価の5分割で括弧内の割合分布を目安に評価している。
有名所から始めるので最初は平均値を高めにしている。後に評価対象を増やす事で平均値も下がるであろうから。
そしてある程度評価がまとまったら、10分割、20分割を経て、100分割に持ってゆく予定。

5=100〜80(15%)、4=79〜60(20%)、3=59〜40(40%)、2=39〜20(15%)、1=19〜1(10%)

等価で考えた方が他の分割に変換しやすいと考えるので、どうせ考えるなら等価を推奨したい。
その方が参考にしやすいので、オレにとってありがたいw
921名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 00:40:22 ID:Gjv4ooOx0
>>910
>>873の意見で考えてみると
関羽、張飛は筋力Aでもいいかもしれない

http://ctwang.myweb.hinet.net/22szj/22frm.htm

廿二史劄記からの記述だが、当代の猛臣としての事績を絶賛されている
演義のメジャー武将だけに査定も慎重にしなければならないところだが
史料価値としても価値の高いものからの記述なので信用してもいいと思う
922名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 00:52:05 ID:9yVIj8e30
>>888
いっこだけ誤解があると思うので指摘しとくけど、
身に傷を負ったというのは、けがを恐れず最前線で戦ったという意味で、
勇敢さを褒め称える表現だよ。
日本でいう向こう傷と同じようなニュアンス。
923209:2009/04/13(月) 01:03:44 ID:w1hOEBS10
5段階評価とかだと大雑把になるからやはり20段階評価ぐらいは欲しいトコ
かのう。より細かく能力の比較が出来るようになるし、各分野で特に有能、と
評価できるのが15ぐらいとするとキリもいいしね。
924名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 01:08:33 ID:4ExV3mMq0
>>919
呂蒙は元々無学の人物で、本来ならいくら武勲を重ねても「着実に出世」というのはありえない身分だった。
それが孫堅・孫策の古参でもないのに、四十そこそこで荊州攻撃の大督を任せられる立場に昇った。
勿論本人の勉学の努力もあるが、曹操配下の武人でそこまで信任された者はいない。
必ず曹夏侯一族や士人の監督が付いた。
非常の措置として漢中を任された張コウでさえ、漢中撤退後は征羌護軍郭淮の監督を受けている。
これはこの時代の人事の定石だから曹操を減点するには至らないけど、
周瑜はともかく魯粛呂蒙陸遜歩隲と、近親でも古参でもないさまざまな出身の人物に
長く西方の軍事を一任した孫権の度量と調整能力はまさに特異なものだった。
歩隲にしても、寒門出身で将軍や刺史を歴任して宰相まで昇った。
曹操から曹丕初期の宰相級の人物は、後漢末にすでに名を馳せていた名士勢でびっしり埋められている。
それが中原に支配を固めるのに最良の方法だっただろうし、
曹操には安定統治の時代が短いからいささか不公平な評論ではあるけどね。
ともあれ、孫権というのは、過ちばかり取りざたされるが大部分において呉の情勢に即した統治を
行った人物であり、それこそが三国の一角として鼎立を為しえた第一の理由であるだろうと思うよ。
925856:2009/04/13(月) 01:28:57 ID:W2vNfpko0
10段階だと似たり寄ったりな武将が増えるし、
これまで通りの統率・武力・知力・政治・魅力の100段階だと
フィーリングで付ける部分が多くなって、いい加減になっちゃうね。
かといって、数値を細分化すると記録の少ない武将は評価しにくくなるし。
どうすればいいのかね?

厳密なテンプレ作ってそれに当てはめていくようにすればいいかな?
926856:2009/04/13(月) 01:33:21 ID:W2vNfpko0
http://www.geocities.jp/kaysak864/chu-hyokakijun.htm

某サイトから拾ってきたテンプレ。これは基本六段階。
武勇・采配は結構参考になるが、智略・内政がいい加減なので考慮の余地ありか。
927名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 01:58:35 ID:9DHoVF680
>>923
始まりは大雑把にぶった切り、後に細分化した方が初めから細かく設定するより結果は早い事が多い。
逆に初めから細かく設定しようとすると、考えがまとまらず行き詰ることに、往々になりえる。

まぁ、ここで評価を提示するなら10分率ぐらいからの方が適切かもね
5段階評価だと、曹操だとオール5とかの、どこの優等生ですか?って成績になりかねないし
有名所を揃えると、4や5の羅列になるだけだものな。

ただ、ここで重要なのは10=100〜91、9=90〜81・・・のように1の価値を等価にすることかな
10は1人しかいませんとかだと、実質9分率になって分布図が歪になるだけだから
928名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 02:14:38 ID:9DHoVF680
>>925
あぁ、書いているうちに似たようなネタの書き込みが・・・

10分率が適当だと思うぞ。
最も100分率に変換しやすい値で、何より切りが良い。
10分率で似たり寄ったりの能力になるって事は、100分率でも似たり寄ったりの能力(10の位は同じ能力)に
なるだけで、最も人口密度の高い中堅辺りの武将が似たり寄ったりになるのはやもうえない事だからね。
気にすることはないと思う。
929名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 02:35:56 ID:W2vNfpko0
能力はどうしようか?
統率・武力・知力・政治・魅力でいく?
それとも人事・兵站・情報・交渉・作戦・武勇でいこうか?
人事とか交渉とか、高い数値を与えられる人間がほとんどいなくて、
死に数値のような気がしてきた。
930名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 04:32:57 ID:9DHoVF680
>>929
基本的にはコーエー基準のパラ侯成の方がシンプルで汎用性も高くて良いと思う。

汎用に当て嵌まらない個々の特有の技能(医術、占星術など)は、
イレギラーなモノとして省いて考えた方が答えを出しやすいと考える。
その手の技能は、それこそ特有のスキルを持つとすれば良い。

後は細かいパラの評価基準だが、オレとしては
統率・武力・知力・政治は、部将・謀臣・官吏などとしての実務能力で、
魅力は、群雄・指導者・司令官・丞相などの人の上に建つものとしての人徳(配下に奮起を促す能力)で
評価すれば良いと考える。

例えば
統率=部隊の防御力、部隊の隠密移動、治安維持、練兵の指導力、策略を防ぐのにも影響(※)
武力=部隊の攻撃力、個人の武勇、武威を用いた策略の実行力・防御力(威圧など)
知力=策略・謀略の実行力・防御力(※)、助言の的確性(政戦両略の情報分析力)
政治=内政(統治力)・外交(交渉力)の実行力
微力=人徳(将の将としての能力)、総大将の時に兵の士気に影響

※知力が低いと武将が策略に引っかかり易く、統率が低いと兵士が引っかかるのを防ぎ難い

なんて考えは如何でしょう・・・って、まとめるのに時間がかかりすぎた、やばい
931名無しさん@お腹いっぱい。
>>924
>本来ならいくら武勲を重ねても「着実に出世」というのはありえない身分だった
それはない。蒋欽、周泰などの出世を見れば十分あり得る。
魯粛の後継になった部分のみ「抜擢」とも言い得るが、他に適任者は居なかった。
曹操は武人を信任しなかったのではなく、親族を優先しただけ。
孫権の場合は親族には問題を抱えていた。
孫策の後を継いだ時も、赤壁前にもゴタゴタがあった。
また、それ以外の親族は、みな若すぎた。
曹操が武人を信任出来なかったなら、孫権は親族を信任出来なかった、とも言える。
また、曹操は武人を監督したが、それは曹操が全方面に対して戦略を練ることが出来たからだ。
孫権の場合は本人の資質上、一人せざるを得なかったとも言える。
劉禅もまた諸将に軍事を一任していたよ。

そして歩隲だが、彼を寒門とするのには疑問がある。
彼は一族をあげて江東に避難して来たのであり、また後にすぐ名声を博したことからも、疑問が残る。
曹操との比較だが、呉にはそもそも名士など数えるほどしかいなかったのであり、
それゆえ北方からの難民名士がどんどん出世していったのだ。

孫権の強みは、将官の心をよく掴んで、死力を尽くさせたことだと思う。
だけど曹操と比較してどうこうとは思わないな。
陸積みたいな、うるさ型の忠臣をつかいこなせない弱点もあったんだし。