曹操は所詮ローカルレベル

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1名無しさん@お腹いっぱい。
バカが主張しているような優れた指導力も無く(そんなに優れた指導者なら三国鼎立なんかありえないつーの)
バカが主張しているような大規模な決戦での勝利も一回しかなく(最重要拠点をくれてやるような不様な敗北を隠蔽する始末w)
項羽のように大敵を打倒したとかそういうのは無く、唐太宗のような似非名君という訳でも無く。
日本ローカル英雄である織田信長以下だろ。

中国史ですらこれなのに(笑)
帝位に触れたことすら無かったかわいそうな孟徳。後の評価は自称通の過大評価だけ(笑)
2名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 19:31:59 ID:NHrxPQMV0
軍事的な才能に欠乏していたのは事実だろうな。
曹操個人が挙げた歴史的業績は内政面が主。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 19:37:59 ID:/zvOKzgL0
アンチスレを立てといてなんだが、
生涯戦績8割近い勝率で「将才が欠乏していた」は冗談だろ。
部隊指揮官としては支那史上でも屈指の存在なのは確実。

問題は配下の頭数が増えるほどにそのキレ味と凄味が落ちている不思議現象を、
この板の住人諸賢がどう解釈しているのか、ということが俺の専らの興味な訳で。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 19:46:06 ID:NHrxPQMV0
でも、天下分け目の戦いで負けちゃってるからなあ・・・。
官渡では許ユウの裏切りがなったら、恐らく敗北してたし。
孫武、韓信、班超、馬援、李靖あたりに感じるそうな凄みがないんだよね。
曹操の場合は。

5名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 19:49:24 ID:ZaGIik0l0
中国史上だと勝率8割ってのはゴロゴロいそうだけど。
しかも、陳御大に「2流、3流の人物しかいない」と言われちゃった三国時代だしその価値は・・・
6名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 19:55:01 ID:ZvPiX+xMO
勝率はせいぜい参考記録にしかならないよ
赤壁や漢中での重要かつ致命的な敗戦も一敗にしかカウントされていないんだろ?
勝敗の内容やそれぞれの戦いにおける用兵から判断しないと
7名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 20:07:12 ID:/zvOKzgL0
その微妙な官渡戦役こそ俺は神だと思うが。
前哨戦の徐州離反と白馬戦、延津戦で一手でも仕損じていたら容易に中原を逐われていたように思う。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 22:11:42 ID:tz3VYUrK0
個人的には劉邦のように主要な一戦で勝利を収めて天下を治める勝ち方と、曹操のように勝ちを逃してしまって天下を取れないパターンがあると思う

神がかり的な戦術を曹操がやったとは思えないが、あの時代の人物の中では抜きんでいた事は確か。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:13:41 ID:8g5rCn/I0
戦乱の時代によくいるちょっと優れた指揮官レベル
10名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:16:34 ID:VoyFcEbQ0
孔明に真似たアンチスレか。
確かに曹操信者はうざい。
三国時代以外はよく知らないくせに、ありとあらゆる時代の人物にからみついてくる。
そのくせ、原典は蒼天航路のゴンタ素人学説と正史の魏に都合いい部分だけの抜き出しだけ
全然関係ないスレにすら、徙戎政策の失敗を曹操に帰せば、必ず反論を返してくる
そのくせ、曹操の功績は過大に評価し、魏の武将たちの方が韓信や李靖よりも遥かに上とまで語る
蜀や呉、後漢の人物はゴミのように見下す。
このスレでは徹底的にそいつらの理論を叩きのめして欲しい。
(もちろん、曹操を正当に評価した上でな)

>>3
自分解釈では
・曹操の驕りによる失敗
・曹操の年齢による衰え
・水軍の価値に対する曹操の認識の欠如
・配下に韓信や李靖のような方面部隊を率い、万単位の軍を扱い、
 同数の敵を破る名将がいなかったこと
・荀ケを排除したため、政治や儀礼などの重圧も曹操が一身に背負い、
 戦争に集中しきれなかったため

 じゃないかな?
11名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:24:05 ID:Ns/0f2kb0
>>10
おごりというより、曹操の底が見えちゃったんだと思うよ。
実のところ曹操が得意なのは「え?なんで曹操こんなとこにいるの?」的な奇襲や速攻。
それと「勝ったら大勝、負けたら大敗」というバクチ的な行軍。

しかしそういう奇襲や速攻が通用しない状況では並みよりはマシな将というとこだし、ちゃんと対策を立てるクレバーな将が相手だとバクチも逆効果しか生まない。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:26:44 ID:g/mNcp0n0
まあ総合的に見れば、中華史上のトップ10入りは無理としても、
Aクラス入りはできるんじゃないの?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:35:28 ID:Ns/0f2kb0
>>12
中華名将100傑には入っても文句は言わないな、俺は
14名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:45:54 ID:5eC/r4Ap0
しかし帝位に触れたことすらなかったのはどうみても間違いだろ
子供の時代に帝位を奪うと名言してるんだから
現に死後すぐに息子が皇帝になってるし
15名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:47:51 ID:VoyFcEbQ0
>>11
あと、言い忘れていたけど、曹操自身にも大軍を率いる将才が不足していたのではないか
官渡で兵力が異様に減っているけど、曹操自身が率いきれず、兵力を絞った可能性もある。
徐州での大虐殺の背景には、黄巾軍から吸収した兵を養いきれず、
全てを食らい尽くす戦法しかなかったからではないか
(確か、一説にはこの時点では百万近い大軍だったはず。とても維持できるはずがない)
しかもその大軍でせいぜい、数千と思われる呂布の中核部隊に蹴散らされている。
この時、曹操は大軍を率いるのを一旦、諦めたと思う。
しかし、赤壁でその失敗を繰り返し、馬超や張魯との戦いはかなり幸運な勝利。
だが、自分に匹敵する軍才を持つ劉備が法正や諸葛亮の補佐のもと曹操の長所を封じられ、
敗北。撤退に追い込まれている。
さらには、関羽相手に曹仁、于禁、徐晃など手駒を小出しにし、最後には逃走をはかる始末。
曹操信者が一体、どこを見て、曹操を神と言っているのかさっぱり分からない
16名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 00:10:35 ID:L3fIa6be0
孫武、韓信、李広、霍去病、衛青、馬延、班超
李靖、郭子儀、楊業、狄青、岳飛

とりあえず曹操が挑んだらボロ負けしそうな軍略家達を集めてみたよ。
まだまだいるよな。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 00:24:19 ID:1znsA4GK0
>>15
青州黄巾は全てが兵だったわけじゃないからね、もともと。
むしろ非戦闘員が多かっただろう。
で、おそらくは相当曹操が譲歩した条件で兵として働くことになったというのが「吸収」の実態なんだろう。
だから吸収した数は多くても、兵として同時に働ける数はせいぜい一将が率いることができる程度の数だろ。1万程度か?
仮に1万だとしても十分戦力になっただろう(補充がきくというのも大きい)。

何が言いたいかと言うと、曹操が率いることができた兵の数はもともとそんな多くなかったんじゃないかな。
だから赤壁なんかは指揮したことない大兵力抱えちゃって内心ビビッてたかもしれん。

あえて比較するなら、優秀な忠臣を理由不明の毛嫌いして兵を取り上げたり、適材適所ができずに要地を失ったりする曹操は「将の将」としては劉邦の足元にも及ばないし、「兵の将」としては韓信に及ばないだろうな。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 00:54:20 ID:RwZJQBxd0
ていうか曹操には自分以外に大軍を統率することのできる優秀な部下がいなかったのが痛いな。
大体統一を果たした皇帝には非常に優秀な指揮官が部下に何人かいるもんだけど、曹操陣営にはそういう奴が見当たらない。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 00:57:27 ID:6Wlcbhjh0
いたけど、逃げられた。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 00:59:38 ID:1znsA4GK0
>>19
劉備のことやね
間違いなく曹操は劉備の実力をかなり買ってるからね
21名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 01:03:39 ID:yrLy39xW0
袁紹も曹操に逃げられたと思ってるぜ
22名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 01:49:29 ID:NPr+depV0
私としては>>10のアンチになりたい気分だ。
言い分はわかるが、言うべきでないという事はある。

>18 一勢力を掌握している人間は、半独立させたり厚遇して何とか扱っていたようだな。
臧覇とか張燕とか張魯とか
23名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 02:01:26 ID:1znsA4GK0
>>22
それは半独立させたんじゃなく完全に服属させる余裕がなかったので委任統治させたという感じじゃない?
劉邦が英布や彭越を遇したのと同じような感じ
24名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 07:10:25 ID:aJB48RuiO
曹操陣営で独立して大軍を動かせたのは夏候淵ぐらいか
しかしそれも黄忠に斬られとるしね
25名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 11:09:36 ID:bwcwQKWz0
>>24
夏候淵は黄忠に斬られた事が災いして演義で何かと単純な人物に描かれているのがかわいそうだ
夏候淵が敗れた理由の一つに、曹操の援軍の出し方の遅さがあったともいえなくないか??
26名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 12:18:13 ID:ytkcmPg8O
いや、漢中については土地柄を考えたら援軍よりは曹操が適材適所の配置をできなかったことを重く見るべきだよ
韓浩を推す声があったのにも関わらず、曹操自らが一抹の不安を感じていた夏侯淵をわざわざ選んだんだから
27名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 15:49:02 ID:bwcwQKWz0
>>26
なるほど。
ところで韓浩と韓玄は本当に兄弟なのか?あまりにも違いすぎる。。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 17:08:02 ID:8yr6iv2G0
大軍を使いこなすのが淮陰侯、大軍に呑まれるのが魏武
城市を奪うのが平陽侯、城市を奪われるのが魏武
天下分け目の決戦で勝つのが周亜父、天下分け目の決戦で逃げるのが魏武
快男児なのが石勒、チビ人間なのが魏武
家来を集めて使うのが唐太宗、家来を集めて腐らすのが魏武
主筋に忠義を尽くすのが郭子儀、主筋に非道を働くのが魏武
船を焼くのが明太祖、船を焼かれるのが魏武
29名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 18:57:45 ID:bwcwQKWz0
本当に韓浩と韓玄は兄弟なのか???

あまりにも能力が違いすぎる。。。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 19:34:36 ID:0sXmUkWM0
>>16
呉起、李牧、白起、李世民、李セキ、柴栄、孟キョウ、永楽帝、戚継光
31名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 19:44:22 ID:L3fIa6be0
孫武、韓信、李広、霍去病、衛青、馬延、班超
李靖、郭子儀、楊業、狄青、岳飛
呉起、李牧、白起、李世民、李セキ、柴栄、孟キョウ、永楽帝、戚継光

これら人材が一堂に会する場面に曹操を放り込んだら
瞬時に叩き潰されるなw
32名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 20:06:25 ID:4x5zcs1g0
>>31
馬延って誰だよw馬援だろ。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 20:27:39 ID:HezPz3Wm0
軍事に関していえば石勒、劉裕、光武帝、徐達あたりも曹操より上かも
34名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 21:16:07 ID:putwG43d0
韓浩と韓玄が兄っていう奴は正史見ろ
兄弟と書いてるのは演技だけだ
正史に兄弟じゃないとは書いてないけどな
35名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 21:24:26 ID:4x5zcs1g0
>>33
軍事の才能
石勒、劉裕、光武帝、徐達>>>>>>>>>越えられない壁>>>曹操
36名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 21:40:09 ID:4x5zcs1g0
>>16
楽毅、楚の荘王(熊侶)、王翦、孫武、樗里疾、士会 
項羽、趙充国、陳湯、周亜父、章邯       
劉秀、馮異、耿エン、岑彭、段ケイ、馬賢、        
石勒、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪 
劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、拓跋トウ、蘭欽、斛律光
、高洋、韋叔裕、段韶  楊素、韓擒虎、賀若弼、
朱温、李克用、李存勗、趙匡胤、楊師厚、李存審
宗沢、常遇春、袁崇煥、朱元璋、李文忠、張士徳、馬芳           
37名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 21:55:36 ID:1znsA4GK0
まあ、東都大学リーグで三冠王と、アメリカ大リーグで3割のどっちがすごいのか、ということじゃないかな
38名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 22:29:02 ID:4MuDvbIUO
なんでも野球に例える馬鹿ってどこにでもいるんだな
39名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 22:41:43 ID:lac1ItqX0
>>36
さすがに、文句なしで名将100選入りした曹操が、
士会、馬援、郭子儀、楊業、狄青、章邯、段ケイ、馬賢、劉曜、桓温、
韓擒虎、賀若弼あたりに一方的に負けることはないだろう。
やりすぎだと思う。
ただ、隙が多く、名将30選入りはやばいと思うが。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 23:01:53 ID:+2z9mIWX0
軍事面に限らず、政治面、文化面を含めた総合面で比較するとどうだろう。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 23:30:56 ID:HezPz3Wm0
>>39
馬援、郭子儀、楊業、狄青あたりには一方的に負けることも有り得る
42名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 00:11:58 ID:b9prgXFl0
寡をもって衆を制す戦法がお得意の馬援、郭子儀、楊業、狄青に
衆をもって寡に潰される曹操が勝てるとは思えないのだが・・・。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 17:07:29 ID:5Etg9mnn0
>40 曹操の文化的功績って? 詩以外に、何か文化産業を奨励したり援助してたの?
44名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 19:34:02 ID:VLdUuFZgO
酒とか他にもいろいろあったな
45名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 19:54:30 ID:b9prgXFl0
猛徳新書なる同人誌も書いてたな。
なんの役にも立たなかったクズ本な。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 20:41:28 ID:Nsys35gVO
なんの話だ?
47名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 23:48:03 ID:63Fht0Kh0
>>43
文化的な功績とまではいかなくても、
それなりに文の分野でも教養があった、ってことでいいんじゃないの。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 23:54:09 ID:SVpBWxrm0
関羽100番勝負並みに各武将と勝負させて
49名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 23:55:18 ID:37TD2nyZ0
びっくり人間としてはかなりハイレベル
鴆毒飲んで死ななかったそうだからね
50名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 00:06:42 ID:mEzBY+u30
>>48
向こうは丘飛びという奇妙なキャラの乱入でスレ自体が炎上してたがなw
51名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 00:46:43 ID:4gT7cbZVO
>>49
それがマジならびっくり人間の50位には入るわ
52名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 00:48:08 ID:ADy9Vppm0
>>51
それでもまだ低いな
びっくり人間としてもメジャーにはなれんのか
53名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 05:09:45 ID:vfgU5Jl+0
三国志の英雄自体がローカル英雄の集まりなのに。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 10:52:47 ID:29TmflBFO
どうみても三国時代最強は曹操です。本当にありがとうございました。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 21:03:23 ID:+neI57710
三国時代はドングリの背比べ。
しかしだからこそ面白い。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 11:41:29 ID:RzL/5RhK0
曹操厨が只今必死になっております。
しばらくおまちください。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 15:22:25 ID:PWw7kc2s0
曹操厨は他の奴を叩き台にしたりしないと称賛できないからなぁ。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 15:41:43 ID:RzL/5RhK0
関羽、諸葛亮の話をしてるとよく割り込んでくるよな。
そこまでして曹操マンセーに必死にならんでもと思うよ。
向こうは既に神扱いなんだから桁が違う。
身の丈にあった話題で盛り上がればいいのにな。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 16:56:51 ID:T447kK8GO
>もし曹操が呂布と戦って負けたり袁紹と戦って負けたり馬超と戦って負けたりしていたら今の評価はない。
>孔明はよくて引き分けであり曹操レベルの評価を得ているのが気に入らない。
>曹操は超靖の英雄であったが孔明がそういうことは無い。
>朱子学の影響で孔明がやたらと英雄化されているのが気に入らない。
>本当の英雄は格が違う。
以上の様にアスペルンガーな某固定は英雄化されてたりすることが許せないんだって。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 17:14:22 ID:D/ToyTe/O
何ここ結局あの孔明スレのイタイタしいアレな人を叩くスレなのか?だったら奴と同レベル、がっかり。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 17:47:26 ID:T447kK8GO
>>60よ変な言い掛かりはやめてくれ。
それにがっかりもなにもイタイタしいアレがそこら構わず現れ荒らしまくるから
こんなスレ立ったんだろうが。
誰も曹操のこと好んで叩こうなんて思ってないはず。
俺は曹操のこと嫌いだがちゃんと評価はしてる。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 18:19:45 ID:mnbYQDX+0
サッカー部員に扮した曹操がヤクザの車に追突
63名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 18:44:50 ID:pYNMNzkD0
>向こうは既に神扱いなんだから桁が違う
64名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 18:49:58 ID:RzL/5RhK0
おや、三国志の事しか知らないのかい?
65名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 07:20:29 ID:PW+t+9rdO
關羽は所詮ファンタジー
岳飛と違って歴史評価はかなり空気w
66名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 10:46:24 ID:Q7a2OXla0
まあ語るに落ちてる関羽信者に理性や論理性を求めても無駄なわけで
67名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 11:15:25 ID:uxWGWQHp0
でも実際に関羽に勝てそうなキャラがいないのも事実
68名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 14:17:44 ID:uZn9O/QIO
1は三国志も含め他の時代のこともよく知らないのにシッタカするのが許せない。
1は孔明が司馬氏の晋から既に評価されてるのにそれを無視して持論を展開してるのが許せない。
1は朱子学がどういう経緯で成立し、どういう思想なのか全く知らないくせにシッタカするのが許せない。
1は他の人は曹操の善悪をちゃんと理解した上で話しているのに
自分は都合のいいところだけ抽出してマンセーしてるのが許せない。
1の蛮行の所為で曹操が好きな人に迷惑を掛けてるのが許せない。
1は自分の旗色が悪くなると話や論点をずらすのが許せない。
1はこちらの問い掛けに対しまともな返答をしないのが許せない。 極めつけは1がこの板に現れること自体が許せない。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 14:19:10 ID:uZn9O/QIO
誤爆
70名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 18:59:50 ID:RJfVGWYd0
>>69
いやいや、次スレはこっちになる予定だから誤爆でもないぞw
しっかし、関羽にまで迷惑をかけるようになったな、あっちの>>1は。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:17:55 ID:uZn9O/QIO
>>70
でも来るかな?あっちの1は・・・
奴は誰かを叩き台にしないと持論?を展開出来ないし。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:23:58 ID:wNeBwebI0
>>71
石勒あたりを叩き台にすればいいのにね
73名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:34:05 ID:HLu49SFD0
>>72
それ、返り討ち喰らってなかったか?
また、唐との比較も撃砕されていた。
…それでもなお、持論を曲げない不屈さ(頑迷と無知)がある。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:36:28 ID:uZn9O/QIO
>>72
実際、石勒スレに現れて荒らしてたがいとも簡単に論破されてた。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:39:16 ID:wNeBwebI0
>>73
>>74
もちろん、それを期待して挙げてみた
76名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:48:37 ID:uZn9O/QIO
さらに言わせてもらうと前漢、明辺りでも容易く論破されてた。
そしてやはり論点ずらしてたり、曹操は偉大だしか言わなかったし…
77名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:51:46 ID:mjA/frO30
実は曹操が嫌いでこきおろされるのに快感を感じてたりして
78名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:53:07 ID:3aSmKNjS0
曹操について一つだけ評価できる点がある。

曹操が文書として残した段掛け法は今でも酒造界で用いられている事だ。
曹操の功績は皇甫諡のそれに近いのではなかろうか。

うむ、我ながら良い弁護だ。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:04:21 ID:HLu49SFD0
>>77
… なんという「饅頭怖い」なヤツだ。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:12:38 ID:YT40PrlM0
曹操が頼りないからこそ面白くなったんだから結果オーライ。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:20:28 ID:RJfVGWYd0
曹操は近代でも物凄くマンセー化された時期があったらしいな。
でも、結局は行き過ぎたマンセー評価を諌められたらしいが。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:21:47 ID:84BVcYXm0
まともなスレかと思ったらただのアンチスレですか
83名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:24:31 ID:uZn9O/QIO
>>78
孫子兵法に注釈を加え整理したのも評価してやれよ。
確かに孫子の研究家は唐の杜牧とかもいるけどさ。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:26:03 ID:RJfVGWYd0
まともだよ。
寧ろ、曹操の実状を皆で洗い出してる良スレ。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:26:14 ID:3aSmKNjS0
>>83
畑違いなんで、そっちは良くわかんなくてね。
段掛け法については殆ど変わって無いから、単純にすごいな。と。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:35:27 ID:uZn9O/QIO
>>85
そうなんだ。俺は無類の孫子スキーで
あっちの1じゃないが曹操が注釈加えた整理した点は高く評価してる。
曹操の注釈がスタンダード化してるみたいだからね。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:41:26 ID:3aSmKNjS0
>>86
何かにつけて原本は注釈つけないと分からないの多いしね。
そういう点では注釈のある無しは非常に大きい。
しかし、どうせ書くなら名書家の鍾ヨウに代筆頼めばよかったのに、とは思わないでもない。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 21:35:26 ID:KNlkcvtyO
曹操を2度に渡り破り降将なのに最後にはに三公の位に上り詰め
何処へ行っても常勝無敗の賈クが最強じゃねーの?
第一、曹操は荀イク、郭嘉に支えられた部分が大きいしな。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 21:57:33 ID:Z6QLZ9Sm0
カクは曹操の情夫だったからだろ
90名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 22:18:36 ID:KNlkcvtyO
曹操を2度に渡り破っただけでなく
曹操のハートまで射ぬくとはやっぱ賈クが最強だな。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 23:46:22 ID:234p5txV0
・典イが居なかったらエン城でくたばってた曹操
・荀イク、許ユウが居なかったら官渡で終わってた曹操
・賈クが居なかったら西涼軍閥に滅ぼされてた曹操
・司馬イが居なかったら関羽に荊州を丸々奪われていた曹操

曹操は単品だと本当に弱っちいな。
真に称えられるべきはこんな駄目君主を支えた名臣達だよな。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 23:54:51 ID:mcstjeJA0
>>91
劉邦とかも同じだから、部下に支えられるのは別に問題じゃないさ
ただ、そんな身を捨てて働いた名臣たちがいたのに天下統一を果たせなかったのはかなりアレだな

あと
・荀イク、程イクがいなかったらエン州全部取られて立ち往生して終わってた曹操
・曹真の父がいなかったら死んでた曹操
・夏侯淵に罪をかぶせなかったら獄中で死んでいた曹操
も追加で
93名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 00:39:15 ID:nq/sklvz0
漢の三傑がはいかにいてれば曹操は李世民にもかてる
94名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 00:51:32 ID:AKvRHVD+0
さすがにそれはないと思われ・・・
95名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 00:59:57 ID:VO5Tr8dh0
じゃ

・曹洪がいなかったら徐栄に殺されてた曹操
96名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 02:44:46 ID:iin73k4r0
>>92
まぁ、名臣の言葉を素直に聞くのも名君の条件だしな。

・荊州攻略時、賈クの献策を聞かず、劉備撃破で大満足。江陵攻略を後回しにし、曹仁の足を引っ張った孟徳

も追加で。
97名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 02:46:59 ID:GBn1sJ+HO
こうして見るとかなりミスが多いな曹操
98名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 06:44:57 ID:+Dyq/araO
だって曹操の戦下手は有名じゃん。
優れたブレーンに助けられた部分多いし。
劉邦は人のことを素直に聞くし、(逆に欠点にもなる場合はあるが)
部下のやりたいようにやらせた
だから部下は思うように働けた。
ここら辺が天下を取った要因じゃないかな?
99名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 08:59:45 ID:d+7+XujJ0
人物としての器の大きさの違いなんだろうか。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 11:46:06 ID:w3yZLJEe0
袁術にはこれでもかと言うくらい勝ってるから許して上げて
101名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 12:09:41 ID:SUG9Rm9OO
結局三国時代に1流の人間は一人も居なかった、で完
102名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 19:03:46 ID:fuQN4MKd0
何を持って1流と見るかによるな。
曹操は全てにおいて3流。
呂布、関羽、張飛は個人武力のみならば1流。
用は曹操はどれをとっても大したことがないんだよ。
すべてのことを広く浅くこなせる程度の人物。
103名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 19:28:37 ID:nq/sklvz0
李世民や朱元璋と比べたらチンコレベルなのはわかるが、さすがに楊堅には勝てるよな
104名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 19:53:57 ID:HUAgpm+10
>>103
内政もいれたら、微妙。
勝てるのは、王莽と司馬炎ぐらい?
105名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 20:11:52 ID:+Dyq/araO
>>103
楊堅の何に対して勝てると言ってるんだ?
仮にも相手は中華を統一してるんだぜ。
軍事担当は楊素なんだし。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 20:17:59 ID:7Kx8RCQlO
>>102
ヒゲとデブは雑魚武将に殺されただろw
107名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 20:31:00 ID:KOk4+Ybz0
>>28
華北でも華南でも勝てるのが李靖、華北で勝てても華南で勝てないのが魏武

李靖が好きなんで書いてみたが、実際は曹操も好き
108名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 20:32:41 ID:/HnGcTyu0
呂布、関羽、張飛は個人武力のみならば1流。

尉遅恭や楊太眼クラスなら瞬殺しそうだけど。
109名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 21:14:15 ID:nq/sklvz0
項羽だのショウマカだの李広だののほうが関張より強そう
110名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 22:15:33 ID:M6tcUl5e0
個人の武力が強いからってだからどうしたと言いたいが…
ここは一騎討ちの話とかするスレじゃないよな。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 23:59:39 ID:fuQN4MKd0
兵一万に匹敵する武だぞ。
中国でも屈指の猛将だろ。
呂布、関羽、張飛は。
隋、唐では関張は猛将の代名詞にもなるほどだしな。

三国志を曹操レベルの雑魚目線でみるから
彼らの武も廃れるんじゃないか?
曹操が認められないなら、他の奴も的な目線はよくない。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 00:04:05 ID:fyu6U7sZ0
関羽、張飛はまだいいとして
呂布に例えられた隋唐の武将って誰よ?
113名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 00:07:19 ID:NHFlFCfm0
すまん、それは勝手に贔屓しちまった。
訂正するよ。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 01:39:59 ID:yKvd2Cdv0
考察もろくにしないでただけなすばかりで
たちの悪いヲタと同じレベルに落ちてないか?
115名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 01:58:39 ID:uoAdHoQiO
落ちるも何も始めてからその為のスレですが
116名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 03:17:38 ID:cG3CuuXz0
質の悪い陳りんの集まるスレはここですか
117名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 04:01:43 ID:uzkLQyGd0
>>100 秦伯南いないと危なかった事あったけどな。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 06:49:52 ID:7VaDG+Nz0
時代も状況も全く違う人物を単純比較して優劣をつけるのって、全くの無意味だよね。
某曹操と比較して孔明批判してるやつのスレと、全くの同レベルの人がやたら多いな。

あと、三国志の人物を他の時代の人物と比較してけなす→俺様中国史詳しい
という思考パターンが多いのも中国史オタの特徴。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 06:58:50 ID:QhV27Rrc0
曹操が名将だと認めたうえで、名将グループで比較した場合は
突出していない、としている人が多いんじゃない.?
時代も状況もすべて同じにして比較なんてできないわけだし。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 09:41:47 ID:2DwIC3xZ0
この間から一人悟りすましてるつもりになってる奴ってなんなの?
しかも同一人物だろ?
121名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 11:29:05 ID:ArRF381V0
122名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 18:52:48 ID:NHFlFCfm0
>>120
曹操のメッキが剥がされはじめたんできっと必死なんだよ。
孔明はボロクソに貶し尽くす癖に勝手だよな。
しかも、自演なのでタチも悪い。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:27:03 ID:h0+mPzHu0
石勒の

「オレは曹操や司馬氏のように幼児や未亡人を脅して天下を奪うようなセコイ真似はしない」

は至言だよな。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:29:38 ID:KsyvjWmK0
>>123
意外と袁紹は男らしいのかもな
125名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 22:22:21 ID:yKvd2Cdv0
つまりここは単なるアンチ隔離スレってことか?
126名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 22:26:54 ID:2DwIC3xZ0
アンチ隔離スレもなにも、元々アンチスレじゃん・・・
>>1をよく嫁。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 22:50:56 ID:VBBfNQF/0
孔明には軍事の才能無しスレを立てた1氏がいるのはここですか
128名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 22:53:59 ID:KsyvjWmK0
徙戎政策批判の擁護として「匈奴は前から侵入してた」ってのを良く見るんだが、
他の異民族については言わないままスルーしようとするんだよな
鮮卑は明らかに曹操以降勢力拡大してるのに
129名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 22:54:24 ID:2DwIC3xZ0
か悟りすましててる奴やアンチの隔離所とか言ってる奴は
裴松之も批判している徐州での虐殺をどう弁護するつもりだろうか?
雛氏に溺れその所為で曹昂を死なせた事や
二喬肉便器計画の詩についてもどう弁護するつもりだろうか?
130名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 23:21:02 ID:L4WPpzt/0
1 :無名武将@お腹せっぷく:2007/05/21(月) 22:32:33
某漫画の影響なのか三戦板での曹操マンセーの風潮は酷すぎる。
このスレではその風潮を正していきたいと思う。

以下に曹操のマイナス点を列挙していく
・徐州に於いて罪の無い民衆を虐殺
・袁紹軍の降兵八万を阬殺
・赤壁、漢中戦等ここぞという場面で惨めに敗退し天下統一を逃す
・屯田制、兵戸制の実施によって民衆を苦しめる
・荀ケ、崔琰、毛玠、孔融といった有能な人材を死に追いやる
・才能による人材登用を謳いながら一族近親者を重用
・異民族内徙政策により五胡十六国時代到来の原因を作る

まだまだ挙げていけばキリがないが、これほど失策の多い人物を
中国史最大の英雄などと言う奴さえいる。
中国史最大の英雄なんてとんでもない、むしろ中国史最大の暴君を
呼んだ方がふさわしい。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 23:27:42 ID:KsyvjWmK0
失策自体は大抵の天下人もたくさんやってるんだが、曹操の場合リカバリできてないからな
あと、後世に禍根を残した政策のほうが有名で、たとえば劉邦の首都長安決定とか、諸侯抑圧のように長期的展望に立った適切な判断って感じの政策決定があまり見えないのもな
132名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 23:46:10 ID:PvpXDexR0
演義の張松の曹操評が全く的を射ている
133名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 23:53:01 ID:NHFlFCfm0
東晋以降には既に蜀漢正統論まで出てるから
永い中国の歴史から見れば、やっぱり曹操の天下簒奪は
外道の所業として見られてるんだなと思えてならない。

134名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 00:13:53 ID:Zn6E5D9h0
俺118だけど、ID:2DwIC3xZ0の機嫌をえらく損ねてしまったみたいだなw
ここ書き込んだの初めてだけど、何か他の人や孔明スレの1と同一に認定されたあげく
何度も「悟りすました」と必死すぎ。そんなに悔しかったの?

俺は低レベルな単純比較と、煽りにしかみえない難癖があちらの1と同レベルと、
むこうの1も含めて批判してるんだがね。
>>119のいうように、真面目に曹操の過度な持ち上げに対して議論するのは俺も歓迎だが
単なる低レベルなアンチの煽りや、痛い中国史オタが多くてついね。
ただのアンチ隔離スレ・孔明スレの1へのあてつけのためだけのスレ
だったのならいらんおせっかいだった。すまんね。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 00:28:36 ID:ScPb1VN50
カルシュームとろうぜ
136名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 00:30:25 ID:HwVM4mww0
>>134
くやしくてたまらないのは分かるけど
特に言いたい事もないのなら黙っててもらえるかな?
別に荒れてるわけでもない良スレなのに。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 00:47:04 ID:k21TVXcg0
>>134
おまえスレ主じゃねーし。歓迎もくそもない。
だいたいこのスレのスレ主はあっちの1とは方針からして違うし。
自分と意見を異にするやつが受け入れられないなら立ち去るが良い。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 01:21:12 ID:nrH/I3gk0
>>134
自ら火種撒いといて指摘されたら必死とか何なんだ?何がやりたい?
自分でいらぬおせっかいとわかってるならわざわざいらんこと言いに再登場するな。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 08:35:32 ID:78yZT9U80
>>118
むこうの1は、君の言う
「三国志の人物を他の時代の人物と比較してけなす→俺様中国史詳しい」
ではなく、
「他の時代の人物を三国志の人物と比較してけなす→俺様中国史詳しい」
をまさしくやっているわけだから、その論評はおかしいと気付くはず。

君はたぶん、むこうの1の愉快さを身をもって味わっていないのではないか。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 19:01:55 ID:HwVM4mww0
ここまで3流テイストな曹操を押し上げたのは言うまでもなく
三国志そのものの人気だろうなあ。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 19:20:53 ID:rYUPEvek0
武将の能力は2流以下ばっかだけど物語としての面白さは1流だからな
142名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 22:14:27 ID:ScPb1VN50
陳舜臣乙
143名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 00:15:42 ID:o2PwvNq80
陳舜臣曰く

魏を一強、蜀呉を二弱
張飛くらいの猛士なら魏には掃いて捨てるほどいる

いずれも根拠は一切ありません
陳先生は実に素晴らしき独善的なエゴをお持ちです
144名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 01:29:18 ID:V/+LVkqU0
昔、蜀漢正統派を鵜呑みにしている中国人のガキにいじめられた経験でもあんじゃねえの?
145名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 01:45:00 ID:sGUjO0lx0
坊主憎いと袈裟まで憎いのか
曹操を叩くのはいいがちんすんしん叩くスレじゃないだろ
146名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 01:53:19 ID:D2b6Wtlr0
陳舜臣氏の肩を持つ訳じゃないけど、三国時代ってA級の名将は多いけど
韓信や李靖、徐達みたいなずば抜けた才能を持つS級の名将がいないんだよなあ。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 02:14:04 ID:sGUjO0lx0
S級の武将は結構いると思うぞ
それを使いきれるS級の支配者がいなかっただけのこと
148名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 02:34:30 ID:V/+LVkqU0
>146は三国時代の批判をしている
陳ちゃんは蜀、呉を馬鹿にしている
これは大きな違いかと。

一方面軍の軍事から行政まで任されて、
それで防ぐどころか攻めいって領地まで切り取れるような人物はいないよな。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 02:47:54 ID:rWntYkiK0
>>145
何かを叩かなければ気がすまない連中が多すぎだよな。
みんなそんなに普段抑圧されて、ストレスがたまってんのか?
もっと心に余裕をもとうぜ。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 06:47:32 ID:uHSxEGSq0
関羽、張飛は高祖における周勃、樊噲で、創業がなれば元勲にはなれるが、国士無双とまではいかない。
思うに後漢末において韓信となれる唯一の人間は曹操だけだったように思う。
劉備―曹操、関羽、張飛
と、こんな感じになってれば、>>148のような「三国時代には超弩級名将がいない」発言も無かっただろう。
突き詰めて言えば劉備の指導者としての(曹操には並ぶが、それを超える程ではない)器量の問題と言える。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 06:53:47 ID:uHSxEGSq0
>>143
あと実際一強二弱なので陳御大の言うことはそれほど間違っていない。
ただ一流二流の匙加減はちょっとキツいかな、という程度。
本来、呉蜀なんか取るに足らないはずなのだが、それを崩せない魏の弱さが問題。
それは曹操個人のカリスマに依存した曹氏の求心力の無さが原因と思われる。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 06:59:02 ID:uHSxEGSq0
つまり個人としては曹操≧劉備でも、
氏族全体では劉氏>曹氏なのが三国鼎立のパラドックスを発生させたと言える。
南に逃げたのが袁紹程度の名門なら取るに足らない。
まあ劉備が正当な劉氏か?と言われれば、やはりハッタリだろうな。
劉操と曹備だったらあそこまでややこしくなってなかったろう。
パターン通りに赤壁で詰んでる。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 11:21:29 ID:ZB2YQ9az0
劉備、皇叔になっておいてよかったなw
154名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 19:02:53 ID:o2PwvNq80
>>150
曹操が韓信なわけないだろ。
韓信と違って負け戦を相当やらかしたのが曹操だぞ。
曹操の場合はどうでもいい局地戦では常勝だが
天下分け目の戦いでは辛勝、もしくは完敗。
常に完勝を収めた韓信とではレベルが違うよ。
自分の力ではどうにも出来ず
優秀な配下の献言、活躍によって、窮地を脱するあたり劉邦に近い存在だよ。
曹操の真骨頂は人を上手く使えること。自身は相当な戦下手。
武将としてなら関羽、張飛は中国史でも例を見ないほどのS級武将。
個人武勇でここまで突出した存在は稀。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 21:43:49 ID:iFow5hkV0
いや、ひょっとして 劉備―曹操、関羽、張飛
と、こんな感じになってれば、以外と話は変わってたかもよ。
確かに曹操は戦下手だが重要な戦に負けたのは自身が勢力のトップでなにもかも
自分で背負い込もうとしたからじゃないか?
そう考えてみるのは余りに無茶か?
156名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 22:37:15 ID:uHSxEGSq0
>>154
俺は配下の使役が得手とは思えない。
逆に使いこなせなかったから勝ち切れなかった、と思う。
まあそれは劉備にも同じことが言えるけど曹操の場合死蔵と言っていいレベル。
優れたコレクターであっても優れたユーザーでは無かった。

また、国士無双になれるか否かだが、
この鉄道の発達以前では七万以上の兵力を一路に集中して遠征するのはまったく効率的では無い。
それだったら二路以上に分けた方がいいが、三国ともにこれが出来るのがほとんどいなかった。
晋呉戦争でどうにかなったのは呉が暴政で半死の状態だったからで長江防衛ラインが機能してればやはり梃子摺っただろう。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 22:40:02 ID:uHSxEGSq0
あと「なれた可能性がある」というだけで、現状では一枚落ちるのは確かですね。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 10:24:20 ID:lmmBMoDI0
>>154
曹操評はともかく、関羽がS級武将って段階でもう
159名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 10:45:58 ID:q5Z9MP1E0
戦術以下の指揮官としてはだろ。
ここは関羽アンチスレじゃないから自粛してくれ。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 11:00:17 ID:WD2r/qAA0
>>158
完全な個人論だよな?
俺からも頼む、自粛してくれ。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/29(日) 00:34:17 ID:sIVFJWEV0
曹操は単に運が良かっただけなんだよな。


162名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:28:32 ID:jpw5qBRi0
曹操って、詩人、学者じゃないの?孫子の注釈した人でしょう?
李白や杜甫が尊敬してた曹植の、父親だし。あと酒造りの名人?

163名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:12:50 ID:HuOodmkW0
>>162
これはひどいな。知識に偏りが有りすぎるというか受け売りだし。
酒造りの名人?って曹操は何時から杜氏になったんだ…
4
164名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:53:14 ID:vccZlQEM0
>>162
学者って・・・
曹操は結構アホだぞ。
165名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 13:03:23 ID:GEDqQPW0O
曹操は、文学史と政治史では一流評価。これ常識。
166名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 14:10:53 ID:sIVFJWEV0
その割には民間には浸透してないようだがな。
文学神の座も関羽に持ってかれてるしw
167名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:08:52 ID:woTjXJ+00
政治で一流とかねーよwww
168名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:30:31 ID:zLap6PSe0
>>166は関羽こそ一流の文学人と言いたいのかな?
まさか、民間での人気と、歴史上果たした役割・評価を一緒と思ってないよね。
169名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:24:01 ID:jpw5qBRi0
なんかレベルの低さに愕然とするな。
もっと釣られ方と言うものがあると思うよ。

曹操は歴史上の人物としてはローカルレベル、文化史上ではトップレベルの人物と言うことで、もういいだろ。

クソすれさっさと終了しろ
170名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:42:57 ID:sIVFJWEV0
>>168
民間評価が低い=ローカルレベルってことだろ。

171名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 10:51:44 ID:RBapHOJm0
関羽もそうだったが、曹操はライバルに将軍位などを贈りまくっているな。
これってやっぱりゴマすりだったんだろうかな。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 10:53:38 ID:FuXRZUfx0
晴信の眉芸マダー
173名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 18:47:55 ID:LL9hsQEY0
>>169
曹操厨はこの程度でギブアップか?
孔明の時はばっちり1000まで貶しまくった癖に
いざ、曹操の番となると論破できず勝手に終了宣言をかけるとはな。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 19:08:48 ID:FuXRZUfx0
あのアレな奴と同レベルにそんなに成りたいのかね。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 19:35:04 ID:ztmNXIOC0
あの人の曹操の持ち上げ方はぶっちゃけ誉め殺しのレベルだと思うんだ。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 20:33:56 ID:dilzr8Ba0
>>163
曹操が上奏した上九温法がなければ日本酒は生まれなかった

>>164
小学生の相手するのもなんだが
魏武注孫子が無かったら・・

>>166
関羽が文学の神になったという話は寡聞にして知らないのだが
177名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 20:36:04 ID:dilzr8Ba0
九温春酒法だww間違えた
178名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 21:44:27 ID:KQJqgWfi0
マウリッツは神、曹操のはただ現存する孫子というだけ
179名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 22:09:51 ID:qBw6f8UO0
>>166
関羽は文衡聖帝という文学・儒教神でもある。
孔子が書いたとされる春秋を愛読してたという縁らしい。
関羽信仰の人気で、派生したものだろうけどね。
こんなことを根拠に、歴史上の関羽が文学面でも曹操以上の一流の人物とするなら
関羽は中国史上超一流の武人かつ、一流の商人で算盤の発明者。敬虔な仏教徒で、
裏社会の大ボス、未来予知ができる超能力者、以下ry
という超人だったことになるw
180名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 22:26:05 ID:Dvglkn/A0
>>176
いやいやそういうことじゃなく、酒造りの名人とか言ってる奴がいるから
(なんか酒造りしか出来ないみたいな言い方だったし)
曹操は杜氏なんですか?と問うた訳。       
181名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 23:41:51 ID:LL9hsQEY0
>>179
曹操は文学史に置いてもそれほど目立ってなry
182名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 23:43:09 ID:4NBniD7d0
福田元官房長官は曹操の生まれ変わりだという説も
183162=169:2007/07/31(火) 12:33:02 ID:wwo7Zar40
>>173
この発言に対して曹操厨とは、相当脳が腐ってるらしいwwww
俺は夏厨を馬鹿にしに来た、ただの荒らしだ。
ちょっと気の利いた事を言ってみたつもりだったのが、理解される気配もないので少し暴言吐いてみた。

>>178
なぜマウリッツwww
現存する孫子であることが、どれだけすごい事か分からん奴は歴史難民版へ帰れwww

>>180
>>162のあの文章を読んで、本気でああ思ってると受け取るヤシがいることに驚きだ。
禰衡みたいな、人物の一面だけ取り上げた罵り方をしてみただけなんだが、厨房にはまだ早かったらしい。

そもそも現代の日本で、歴史上の業績を知らずに曹操を知ることが、ありうるとでも思っているのか?
ああ、質問に対する答えは、「杜氏じゃない。」コレで満足かな?

>>181
まあ、見方によっては、「三国志演義で曹操は目立ってない」とも言えるからな。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 12:47:16 ID:CgPDIb4e0
曹操だいすき!
185名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 14:45:15 ID:TAv8sgAJO
曹操ってどこかうっかり八兵衛っぽいよね。
186名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 14:58:14 ID:+VbyDW/T0
孫子がすごいのは、その保存した人達が凄いのであって、曹操は何にもすごくないじゃん
馬鹿じゃねーの?
曹操オタは何から何まで曹操の手柄にしたがるんだな
1871:2007/07/31(火) 15:19:45 ID:6DPgmNXN0
うるさい曹操厨!
188名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 15:33:14 ID:7nywn1VS0
曹操の孫子注は、注釈の中身自体はそんなに大したこと書いてないって聞いた事あるけど
実際どうなの?
189名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 18:05:12 ID:IxW/BLf20
>>188
元々、孫子自体至ってシンプルな内容でそのままじゃ訳の分からない代物だから
内容を分かるように曹操がが注釈を加えたに過ぎないんだから
そら注釈自体も大したこと書いてないことになる。
190名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 18:27:03 ID:EiUDCv0D0
高祖に韓信、洪武帝に徐達。
曹家や夏侯家じゃ、役者不足だし。
曹操には、完全に軍事任せられる奴いねんだな…

軍を任せられる劉備を手元に置けなかったから、器量不足なんだろうな。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 18:43:53 ID:VfgVbKvH0
だからよく負けたんだろうな
192名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 23:00:42 ID:ZpCti8CY0
>>183を読んで「ああ今夏休みなんだなあ」と実感した。
>俺は夏厨を馬鹿にしに来た、ただの荒らしだ。
>ちょっと気の利いた事を言ってみたつもりだったのが、理解される気配もないので少し暴言吐いてみた。
ほんと、夏真っ盛りでおめでたい方ですね。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 23:08:24 ID:z0itiX1X0
蒸し返すレスを見て夏を実感し、自分がこのレスを書き込んだことで自らも同じ穴の狢である事を知る
194名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 23:19:04 ID:IxW/BLf20
>>193
自ら過ちを過ちと認めることが出来るならそれはそれで立派なことじゃないか?
195名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 00:32:43 ID:jq0cRD0z0
言葉遊びはイラン
曹操はワールドクラス
196名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 16:28:33 ID:XaL6E/8t0
なんだか派生もとの孔明スレに比べても酷すぎるレベルの低さだな。
むこうはまだ、1が馬鹿だっただけで、定期的に真面目な考察とかあったし、反論のレベルも高かったのに。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 19:03:26 ID:V7/EchxY0
>>195みたいな低レベルも多いからな。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 20:25:02 ID:lc2CtO1h0
孔明が軍事能才能ないってのは捏造だけど曹操がローカルレベルなのは本当だから
反論できないだけ
199名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 20:28:30 ID:rnbDJc450
そこまでいくと宗教レベルに近い
200名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 23:41:15 ID:V7/EchxY0
曹操厨は反論できなくなると「糞スレ」
「さっさと終わらせろ」などのワードも連発し始めて
スレの空気まで悪くするんだよな。
気に入らないのなら、閲覧せずレスもしなければいいのに。
2011 ◆Lw/krO0rCQ :2007/08/01(水) 23:55:08 ID:GMRi4L210
お前らは糞スレ立ててる暇あれば次スレ立てろ
202名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 00:06:03 ID:JX9Uak5E0
まだ200しかいってないし次スレは当分先でしょ
203名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 00:16:16 ID:G3j3wryX0
まあ、スレタイも「曹操は所詮ローカルレベル パート2」として引き継ぐんだけどね。
204このスレの1:2007/08/02(木) 01:59:49 ID:tPWTtHLo0
俺の意図としては曹操アンチスレではなく、曹操儲アンチスレなんだけどね。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 04:05:25 ID:8pFq7uVg0
>>204
うん、アンチ孔明スレからの派生の経緯知ってるから、
そういう意図で、信者の過大評価を史料に基づいて的確に批判していくの流れを期待してたんだよね。
そしたら、ただのアンチと信者の煽りあいの低レベルなスレと化しててガッカリした。

多分>>1だけ読んで、アンチと信者が反応して、
同じ1さんの書いた>>3とかほとんど読まれてないんだろうね。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 04:14:43 ID:wYNnGH9i0
青州兵はテラかっこいい
207名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 16:25:41 ID:YlV/1S940
まず三国時代が小物しかいない時代ってのが大間違い
異民族に弱い中国史の中で珍しく異民族を圧倒してた時代の一つ
中国に才能が集中してた時期なのだよ
208名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 17:27:59 ID:Xb/KHjH30
うわ、来た!
漢武帝や唐太宗無視な発言。
向こうの1もそれをえんえん主張していたっけな。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 17:35:30 ID:tPWTtHLo0
強い遊牧民族>弱い遊牧民族≧強い定住民族>弱い定住民族

ってとこ。
定住民族が遊牧民族に占領、征服されるのは多くてもその逆は稀。
確かに曹操の烏丸討伐は大したものなんだが、
他の時期に人無しと言い切るのは無理がある。
契丹以降は寝技がだんだん通用しなくなって来てるしな。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 18:46:19 ID:G3j3wryX0
>>205
>>100〜くらいはちゃんと曹操の戦下手を正論を持って意見してるレスが多かったぞ。
それに反して、信者がなんの定義もなく「曹操は中国史上最も偉大な・・・」的な
ことをいうから低レベルな流れに見えるんだよ。
信者は他時代の戦巧者のことも勝手に曹操以下に認定したがるし。
211名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 23:19:09 ID:eVOnG+b10
某スレより「信長の野望」での朱元璋、曹操、劉秀の能力

曹操  政治98戦闘80采配100智謀95
劉秀  政治96戦闘89采配98智謀95
朱元璋 政治86戦闘69采配88智謀92
212名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 00:38:05 ID:Bgu14VPc0
>>211
うん、これはいい釣りだね。

多分、烈風伝、嵐世記のボーナスシナリオに出てくる時の能力だね。
三国志の人物は、三國志シリーズの能力をそのまま置き換えている。
この曹操は三國志6のまんま。
朱元璋はチンギスハーン4からかな?
劉秀はほんとのおまけ武将。
なので、別に中国史上基準に曹操を采配100とかしたわけじゃない。
本来、それぞれの基準が違う能力値というわけだ。

それを、説明抜きで貼り付け、誤解させた上での反応を誘う巧みな釣り。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 00:39:59 ID:BcKxL11n0
光栄の評価なんかどうでもいい
214名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 12:23:29 ID:Hr44Jj/9O
農民反乱で頭角現した朱元璋や劉邦では三国時代の統一は無理。農民起義軍が一年未満で鎮圧された時点で負け。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 12:27:54 ID:2F4/w0dD0
生まれ育ってない時代でどうこうとか意味ねー
完成された人格をタイムマシンでさらって来て、三国時代に放り込むんですか?w
216名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 13:26:00 ID:wvf3jVmJ0
天命という言葉を信じる訳じゃないが、天に操られるようにしてなったとしか思えん。
劉邦や朱元璋はまさにそれ。

初めての農民一揆を起こした陳勝のように、1年ほどで鎮圧される人間にならなかっただけでもサバイバル力が長けていたのだろう。
三国時代に劉邦らが放り込まれたとすれば、あれだけ人をたらしこむのが得意の人間であるから
鎮圧された後に登用されて懐刀→密勅→実験を握る
になっていたかもしれない
217名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 13:33:10 ID:OcU2+Z8Y0
>>214
曹操はその時代すら統一出来てねえじゃねかw
馬鹿じゃねえの?
218名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 13:58:19 ID:Bgu14VPc0
「○○があの時代にいたら」というのは、基本妄想小説レベルの話であって、
実際どうなるか誰にもわかるわけが無い。論理的な主張も反論も不可能。
妄想を楽しむ話であって、議論をしてもほぼ無意味。
>>214みたいに妄想を断定口調で語るやつなど論外。
219名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 14:05:52 ID:38kxr9JT0
>>208
漢武の時も珍しく勝ってた時期
そして唐太祖は異民族だろ
唐は漢人の王朝じゃねーぞ

そもそも漢人が異民族に負けて王朝を中原におっ立てられてた時期の方が圧倒的になげーじゃねーか
中国史は大半が異民族による被征服の歴史だぞ
220名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 14:08:28 ID:SvQ2s11q0
曹操は曹家というバックボーンがスタート時点からあったのと既存の権力を後ろ盾にしたからこそ
あそこまで伸し上がることが出来たと思うのだが… 
仮に劉邦や朱元璋と同じ条件でのスタートなら果たして劉邦や朱元璋の様な結果を出せたかは甚だ疑問。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 15:13:06 ID:t/++DWZr0
>>219
おまいは向こうの1か。
鮮卑拓跋の唐はたしかに遡れば外来種族だが、すでにこの頃は農耕民族となっている。
つまりは漢民族側なのだ。
周の以来の漢民族というのも、基本それ。もとは異民族、でも根付いて農耕民族となり
それが漢民族と分類される。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 16:33:04 ID:38kxr9JT0
農耕民族=漢民族側だなんていうのはどこの学者の分類ですか?
何その結論ありきな理屈
223名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 17:15:48 ID:SvQ2s11q0
>>219
>漢武の時も珍しく勝ってた時期
東漢は勝ってた時期じゃないのか?班超、段ケイは無視かい。
>そして唐太祖は異民族だろ
>唐は漢人の王朝じゃねーぞ
かと言って純異民族じゃないだろ?李氏は鮮卑の血を引いてるが
この頃はほぼ漢人と言っていいはず。
漢化、漢人との混血化は北魏の頃から始まってるし。
そもそも>>208は異民族を討伐したのは曹操オンリーって言ってるレスに
対してのものでアンタが噛み付いてくるのはちょっと違うじゃねーの。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 17:51:16 ID:t/++DWZr0
>>222
ならそちらの主張どおりとしよう。
そうすると西晋以降は異民族との混血が多くなり、純な漢民族とやらはいなくなる。
つまりは、漢民族国家は三国時代で終わり、と言いたいわけだ。
劉邦からの系譜にあたる蜀漢が滅んだ時点で「漢」民族の終焉とするのはあってるかもな。

…そもそも異民族と漢民族ではなく、遊牧民族と農耕あるいは定住民族との相克と考えるものなのだがな。
むこうの1は何が何でも曹操を持ち上げたいらしい。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 18:00:30 ID:j0hBukbl0
そもそも純粋な漢民族の定義自体が曖昧だしなあ・・・
あと前々から疑問だったんだけど「漢民族国家」ってのは、支配者一族が漢民族の場合を指すの?
226名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 18:55:10 ID:Bgu14VPc0
ID:38kxr9JT0は、異民族の漢化という問題を学んだほうがいい。
そして、唐を異民族の征服王朝とは普通は言わない。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 19:05:52 ID:zrjBJAdD0
どうであれ曹操は戦に弱かったから。
孫子の兵法を熱心に研究してる割には相当負けたしな。
自身の色ボケで、滅亡しかけた張シュウ戦における大敗など
無様極まりない。
そんな奴が漢武帝時代の精強且つ、大兵力を擁する匈奴に勝てるとは思えないな。

それに施政者としてもとんでもない大失態を犯してるわけで。
徐州大虐殺に劉備に付き従い逃亡する荊州の領民までをも手にかけた蛮行。
民意を第一に考えられない施政者などたかが知れてる。
糧を与えておけば適当に懐くなんて考えてるのは大間違いだろうな。


228名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 19:22:30 ID:SvQ2s11q0
ID:38kxr9JT0へ
征服王朝とは北方民族が中国の領土の一部または全部を征服して建てた中国風の王朝国家であり
遼・金・元・清がそれに相当する。
北魏→北周→隋と流れを受けてる唐の場合それに該当しない。

>>225
そもそも純粋な漢民族なんてものは存在しないよ。
只のカテゴライズな訳だし。
塞内に置ける最初の長期統一王朝のが東漢たからそう名付けただけじゃないのかな?
もし秦が最初の長期統一王朝となっていれば秦民族になってたかもしれない。
秦は最初の統一王朝だから中国を支那=Chinaと呼んでいると思うし。
この話題は荒れるからもう止めるけど。
229228:2007/08/03(金) 19:35:02 ID:SvQ2s11q0
東漢じゃなく西漢の間違いね。
230名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 20:10:39 ID:IfKgIpOEO
知ったかまたは生半可な知識しかない奴に対し
有識な諸兄が正論を以て突っ込みを入れる。
うーん、これが本来の正しい流れだな。
ID:8pFq7uVg0は>>205での発言を撤回するべきだ。
>>227
烏丸辺りに勝ったからといって曹操が匈奴・突厥に勝てる、また匈奴・突厥を散々に打ち破ってる人物が
曹操より遥かに劣ると思い込んでる奴ってなんなんだろうね。 
231名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 20:34:33 ID:Bgu14VPc0
まず、異民族といって烏丸も匈奴も突厥もひとくくりに扱う論法をどうにかすべし。
部族ごとで、同部族でも時代ごとで、その勢力や形態、軍事力は大きく違う。
そこのとこの比較もせず、烏丸に勝てたことだけ振りかざして単純比較されても話にならん。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 22:05:04 ID:SvQ2s11q0
>>231
そうだよね。毎回毎回、曹操は烏丸を平定、烏丸を平定ってバカの一つ憶えを連呼、
異民族、遊牧民っても色々あるのに烏丸も匈奴も突厥も一纏め。
その上他の時代の事実はまるで無視。恥ずかしいにも程がある。
曹操厨にはもう少し色々なことをちゃんと勉強してから語ってほしいもんだ。
233名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 23:40:41 ID:r8wxAQfl0
今度は時代を超えて他と比較するんすか?
時代にあった背景でどれだけの功績を残したということのほうがだいじだろ。
234名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 00:19:22 ID:AqIhkL9G0
>>233
残念ながらその手の比較は曹操自身も大好きな行為だったんだよね。
荀ケのことを「わが子房なり」
許チョのことを「わが樊噲なり」
典イのことを「古代の英傑、悪来の再来」
などと例え喜んでたしね。
ならば、他の時代の名君、名将、事変、功績などと比較しても違和感はないと思うが?

それに曹操は歴史的に見ても功よりも罪の方が大きい。
2度に渡る民への虐殺行為、安易な天下簒奪行為により
隋の時代まで暗迷の分裂時代を生み中華全体の国力を分散、疲弊させてしまった遠因まで作った。
上手い酒の一種の製造法、後世の詩人が称える詩才があった程度の功績では
とてもじゃないがその穴埋めができるとは思えないな。
235名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 02:39:03 ID:ZwWB7mJR0
>>233
おいおい、時代を超えて他と比較するための知識すらちゃんともってないじゃん。
また曹操の活躍した時代の背景、功績すらもまともに把握してない輩が多いから
突っ込み入れられてるんでしょ。
変な言い掛かりは止めろ。オマエみたいなのが一番質悪いぞ。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 09:38:43 ID:IX5zlS6l0
とりあえず誰か曹操の墓をみつけてやれよ
237名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 10:39:51 ID:AqIhkL9G0
>>233
どんな時代であれ大虐殺は鬼畜の所業だろうに。
しかも私情を込めた報復行為でもあるためタチが悪い。

曹操の活躍した時代の背景、功績といわれてもな。
まあ、異民族勢力の弱体化により国が内紛のような状態になっても国外から
攻めてこられる危険性が極めて低くなり、悠々と群雄割拠の時代を迎えられた。
曹操には偉業と言えるような功績は特になし。
趣味の分野を活性化させた程度。
北と西に巨大な異民族勢力があり、そんな中群雄割拠時代に突入して
すべての勢力(異民族も)を駆逐、唐帝国を作り上げた唐太宗に比べたら曹操など取るに足らん小人だよ。

238名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 10:49:35 ID:njft/SuZ0
取るに足らんは言い過ぎだろw
頭一つ下くらいが妥当。
239名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 10:57:01 ID:aHwwYmJj0
頭、五つぐらいだと思う
240名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 12:06:08 ID:buZZcF760
天下統一した人と領土半分程度の人を比べたらそりゃ足らん人物だろ
でもその時代では曹操倒して領土広げられるやつがいなかったんだからな。そっちのほうが問題
241名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 16:59:09 ID:+0FBmh7G0
曹操は自分の失策で天下統一の機会を失ってるウンコ
でも、そんな奴は曹操に限らず幾らでもいるので、やはりone of themに過ぎない
242名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 17:01:14 ID:njft/SuZ0
01:平行隊形
02:鉤型隊形

03:正面強化隊形
04:両翼強化隊形
05:一翼強化隊形

06:両翼直行隊形
07:一翼直行隊形

08:凹型隊形
09:凸型隊形

10:正面梯子隊形
11:両翼梯子隊形
12:一翼梯子隊形

13:斜行隊形
243名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 17:14:14 ID:pA83uTaC0
曹操信者の批判をしてたら、それにまぎれてアンチ曹操も活発化しちゃったなw
>>231で曹操の烏丸討伐を振りかざす曹操信者の論法を批判したが、
アンチも、>>237>>240みたいに、
当時の中国の情勢や社会の変化といった諸要素を全く無視して、
統一できなかったから取るに足らない小人とか短絡的にいってるあたり、
>>231で批判した曹操信者と思考パターンが基本的に全く同じ。目糞鼻糞を笑うというやつだ。

>>230
せっかくまともな議論になっても、
結局この手のアンチと信者の低レベルな口喧嘩、煽りあいがすぐ再発する。
残念ながら撤回はまだ出来ないみたいです。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 18:33:41 ID:AqIhkL9G0
>>243
必死になってるのは十分に分かったのでとりあえず
「当時の中国の情勢や社会の変化といった諸要素」の部分を詳しく解説しておくれ。
お前さんの言い方だと、天下統一など偉人を語る上で取るに足らない要素だと
言ってるようにも聞こえる。
長命の王朝はどの時代でも創業時には並々ならぬ苦労があったわけだが。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 18:52:18 ID:e1/d2jvQO
>>244
せっかく良いこと言ってるのに唐太宗に比べたら曹操など取るに足らん小人だよ。
といらんこと付け加えるから低レベルなアンチと同列に扱われるだよ。
貴方は低レベルなアンチとは違うんでしょ?
246名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 19:10:17 ID:WtDfG1Om0
>>244
いや、長命王朝の場合、創業者が偉大なのは当然ではあるが、それだけではない。
二代目、あるいは二代目三代目などとまともなのが皇帝として、あるいは為政者としてあるからこそ
長命になりえるし、長命となるとそこに歴史的価値というものが備わってありがたがられる。

漢も劉邦の統一というが、正体は宗主的なものに近く、文帝や景帝によって安定され
武帝によってその領土が決定したといってもいい。と思う。
唐は実質3代で滅亡。則天武后はいいカンフル剤で、玄宗の再生と破壊、粛宗、代宗、徳宗と名君が輩出
されたので、唐はのち生きながらえることができたようなもん。と思う。

天下統一事業だけみてはいけない。その地盤とか歴史的意義とかそういったものを総合的に見ないと。
曹操は、というか曹操の作り出した魏は、後の貴族社会や文化に多大な影響を与えてもいる。
このあたりは説明が長くなるから、当該概説書を読むといい、としか言えないかな。
自分もまだ飲み込み過程でもあるし。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 20:15:08 ID:TjTgR0G+0
>>237
>趣味の分野を活性化させた程度。
あらゆる文学・芸術家を馬鹿にしてる気がする
248名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 20:44:45 ID:pA83uTaC0
>>244
なんでそう極論でしか反論できないのかなあ。
天下統一の功績を認めないなんて、どこにも書いてないだろ。
他の諸要素を考慮せず、それのみを単一の物差しにして評価するのが問題と言ってるんだよ。
曹操信者が異民族に勝ったか負けたか、そのことだけを単一の物差しにしてるのと
結局は思考が全く一緒ということを指摘してるんだよ。

必死とか言って煽ってないで、まず自分が冷静に批判を受け止めてみるといいよ。
ただのアンチじゃないというのならね。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 21:25:18 ID:ZwWB7mJR0
>>244
>長命の王朝はどの時代でも創業時には並々ならぬ苦労があったわけだが。
短命に終った統一王朝の秦や隋も並々ならぬ苦労があった事実はスルーされるのか?
で君の0か1論が指摘されてるのはわかってる?
250名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 21:34:39 ID:njft/SuZ0
なんかアンチと儲って似たり寄ったりだ。
魏武>唐太宗とか魏武≧唐太宗という評価は
「正確に両者の仕事を検証すれば先ず有り得ない」と言ったら、
一気に反転して唐太宗>>>>>>>>魏武とか無茶苦茶な結論に飛躍して中傷するんだもの。
まったく勝負にならないと言うのはいくらなんでも暴論すぎる。
評価の手段が過度に買被るか馬鹿にするかというのも、
なるだけ実像を捉えようという努力がまるで欠けている。
それでは厨臭い煽り合いと呼ばれても無理はないと思うよ。

曹操は項羽とか石ロクとか苻堅とか梁武帝みたいな
準天下人たちと同列に扱うのが妥当。
そいつらはツキとその場の雰囲気だけで天下人になったような司馬盛塩みたいなのよりは余程上だし。
何だかんだいって重要な人間なのは間違いない事実。
251名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 22:50:40 ID:JieKdUUL0
劉曜、石勒、苻堅、慕容垂、道武帝、太武帝、高歓、宇文泰、
劉裕、蕭道成、蕭衍、陳覇先あたりと比較すればいいわけだな
252名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:08:13 ID:ZwWB7mJR0
陳覇先はちょっと…
253244:2007/08/04(土) 23:58:07 ID:AqIhkL9G0
なるほどね。
ちょっと極端すぎた
盲目的になりすぎたわ、スマヌ。
俺も未熟だなあ、皆意見が本当に有難いわw
254名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 00:35:11 ID:4g+LqPkA0
なんかこのスレの方が下手な専門書よりもためになるような気がしてきた

軍事=韓信並
政治=唐太宗並

よって曹操は中国英雄史上に置いても
五指に入る傑物みたいなことを書いてある本もあったんだよなあ
さすがに軍事面はそれほどでもないだろう、曹操の場合は
255名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 00:36:02 ID:6ePdysMu0
人の意見に聞く耳持つだけ
>>253は相当まともな人間だということを確信した。

前スレの1は途中で何もかもリセットされてたからな。
あそこまで行くと馬鹿というか病のレベル。
彼との論戦は本当に煩わしいだけだった。
256名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 02:04:10 ID:aIk26koE0
軍事=候景並
政治=漢武帝並
257名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 06:11:57 ID:ebgbPy0o0
>>256
>軍事=候景並
>政治=漢武帝並

スマン根拠というかなぜこういう評価になるのかお教え願えないかだろか?
なんか>>254のある本にかいてる評価を元に
曹操はこんなもんだろとランク付けてる様に見えるんだが。
候景に関しては北魏にいた時と南梁にいた時では
状況が全然異なるのをもちろん考慮してるよね?
258名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 06:14:09 ID:ebgbPy0o0
>>256
>軍事=候景並
>政治=漢武帝並

スマン根拠というかなぜこういう評価になるのかお教え願えないかだろか?
なんか>>254のある本にかいてる評価を元に
曹操はこんなもんだろとランク付けてる様に見えるんだが。
候景に関しては北魏にいた時と南梁にいた時では
状況が全然異なるのをもちろん考慮してるよね?  
それに唐太宗>漢武帝とも見えるのだが…
259名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 13:36:31 ID:6ePdysMu0
漢武帝は国内を疲弊させたが、同時に国外も疲弊させた、だから差し引きゼロ。
対外戦争ってのはそういうものです。
そして、その後の関係性は漢朝≧匈奴なので、漢武帝の手腕もそんなに悪くは無い。
というか優秀。まあ民草に利する類の優秀さではないのだけど。
一代で漢高祖の白登山の大敗の負債をきっちり償却したのだから、やはり流石だよ。

またスペースグレートゼネラルと同列なのは納得がいかん。
あそこまで道化じゃないし。
260名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 14:31:24 ID:ebgbPy0o0
軍事=候景並について突っ込み入れてるんだけどなぁ。
候景は北魏にいた時は高歡の懐刀として活躍し南梁に行った時は計算が狂ってあんなことになっちゃったけど
決して戦下手じゃないのだが…
確か天敵は慕容紹宗だけだったはずだし。
曹総は荀イクたちブレーンや夏侯惇、張遼とかに随分助けられてるし。
261名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 14:49:35 ID:5VxKapA/0
>>260
慕容紹宗や陳覇先みたいな名将100選スレの候補にあがるレベルには勝てない程度
という意味じゃないの?(侯景は準候補レベルであった)
確か、あのスレでも周瑜は候補どまりだったし。
でも、曹操って張遼より戦は下手なんじゃ? 
合肥じゃ張遼は八百騎で呉軍を撃破したのに、曹操本隊が来たら呉軍を追い払うのがやっと
かえって足を引っ張っている。
まあ、張遼が独立軍を率いても、呂布以上にはなれないんだろうけど

参謀たちの戦略や謀略があったから勝てただけで、戦術だけなら呂布に負けていたんじゃないの?
262名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 15:34:41 ID:yGn3rfkc0
>>251
個人的には軍事面なら

石勒、慕容垂、劉裕(超一流、中国史通じてトップ争いできる名将クラス、打倒韓信、項羽?)
        ↓
劉曜、(桓温)、北魏道武帝、北魏太武帝、高歓、陳覇先(一流)
        ↓
苻堅、蕭道成、蕭衍、宇文泰(一流半、決定力不足の壁)

曹操は下位グループ(中国史全体で見ればトップクラスだが)内じゃないかな?
263名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 15:45:40 ID:ebgbPy0o0
>>261
259ので>スペースグレートゼネラルと同列なのは納得がいかん。
>あそこまで道化じゃないし。
あれは宇宙大将軍を名乗ったり、南梁では全く冴えなかったところを言ってるのかな?
と思ったんだか違うの?

また例の考察無視になんか見えたし。
まあ確かにピンじゃ慕容紹宗や陳覇先とかには勝てなさそうだし、戦術だけなら呂布に負けてただろね。

しかしまた正面な流れになりつつないか?
264名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 16:12:31 ID:6ePdysMu0
戦術だけなら、というが呂布に劣ってたのは騎兵運用だけ。
相手の持ち味を消す戦い方で篭城に追い詰めて最後には殺したのだから、
騎兵以外は全部曹操が上だろ。
265名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 16:14:45 ID:6ePdysMu0
あと部下に裏切られて殺された匹夫と一緒くたにするのは
いくらなんでも無理がある。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 16:23:43 ID:x0N/eeGZ0
>>262
曹操は劉曜等と同じグループかな
267名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 16:48:05 ID:Y2bgQl860
>>264
別に、一緒にしているわけじゃないだろう。
宇宙大将軍だって、部下に裏切られて殺されている。
誰だって敗残の身はつらいものだ。
部下に殺されただけの理由で、匹夫扱いはよくない。

この場合、戦術というのは、戦場に限定された戦いのこと。
曹操が歩兵の運用に優れていても、呂布の騎兵に全てを蹴散らされては意味がない。

篭城に追い詰めるまでの過程に多くの戦略や謀略があった。
確かにこれも軍事面の能力に含めることは分かっている。

だが、曹操信者は曹操の戦術に限ってすら、絶対的なものと考える傾向にある。
(「蒼天航路」では曹操は五百で呂布の一万を破っている。
 所詮、漫画だが、本当に曹操がそうしたと信じている信者は多い)

そこでとりあえず同時代の呂布を戦術面の比較対照に持ち出したわけだが
(あと、騎兵を得意とする呂布は、本当に曹操が石勒や劉曜よりはるか上か
 と考察するに良い材料だと思う。
 石勒・劉曜が呂布以下であることはないだろう)
268名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 17:25:00 ID:3ujHeuIYO
宇宙大将軍曹操
269名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 17:36:34 ID:ebgbPy0o0
>>263での正面な流れ発言撤回するわ。
正論を持って話してるのにまた首を傾げたくなる奴が騒ぎ始めたし。
(オマケにバカも沸いてるし)
能力の話と生きざまというか末路を混合してほしくないから
指摘してるのにやれやれまた同じ流れかよ…
270名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 19:40:40 ID:6ePdysMu0
>>269
おまえさんが何を言いたいのかよく判らんのだが。
何だ正面な流れって?
人間は実力次第で人生の終わりをコントロール出来る。
侯景の最期は自業自得で弁護の余地が無い。
曲りなりにもマシな晩節を全うした曹操とでは比較になるまい。
第一、曹操とでは戦争指揮官として戦局に介入出来る次元からして違うし。
比較の相手としては全く不適当と判断した。

前スレの1と同じ印象を受けるが、同じ人ですか?
271名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 20:07:21 ID:6ePdysMu0
>>269
あと侯景の単なる一部将としての機能を否定している訳ではない。
独孤信をボコボコにしたのは大したものだと思うし。
そこらへん誤解がありそうなので付け足しておきます

>>264
呂布に勝機があったのは濮陽の戦いだけ。
仕切りなおした定陶の戦いでは完全敗北。
徐州でさして得意とも思えない篭城にまで追い込まれたのは、
戦場で肝心の騎兵戦術を封殺されていたからではないか?

総帥としては石勒・劉曜あたりとは比較にさえならないはずだし、
呂布をもって曹操と彼らの対比には直結しようがないと思うけど。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 21:09:55 ID:ZaaehyHd0
>>267
なんだかねえ。
「本当は俺の方がつよいんだけど、
得意分野で相手をしてもらえなかったから負けました」
という子供じみた言い訳に聞こえてしまうのは俺だけか?

つまり、君が言う戦術とは、同程度の条件同士の軍隊を率いて、
真正面からスポーツ的にぶつかり合う戦闘に限定されているのかな。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 21:56:42 ID:ebgbPy0o0
>>270
用兵の上手、下手の話してるんだよね?
なのに>>259で>スペースグレートゼネラルと同列なのは納得がいかん。
>あそこまで道化じゃないし。
>>265の>あと部下に裏切られて殺された匹夫と一緒くたにするのは
>いくらなんでも無理がある。
とか言うから>>269で能力の話と生きざまというか末路を混合してほしくないから
指摘してるのにやれやれまた同じ流れかよ…
と言ったのだがこれがあっちの1となぜ同じ論法になるんだ?
あと>>270の>人間は実力次第で人生の終わりをコントロール出来る。
これも別の話でしょ?
侯景と曹操なら策略抜きならどうかな?って言ってるだけなんだがな。
曹操は荀イクや夏侯惇らに助けられてる部分が多いと思ってるからそう書いたんだし。
侯景の一武将としての能力を認めているのは了解しました。
ちなみにバカとはID:3ujHeuIYOのことね。
274名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 22:55:54 ID:ZaaehyHd0
>>273
前線・現場で直接ぶつかり合う指揮官クラスの話をするなら、
策略抜きでもいいかもしんないけど、
曹操みたいに、一勢力の大将クラスの軍事を論ずるなら、
戦争に関する策略なども含んで当然だと思うが。

優れた将、策士なんかを部下に持つのを減点的にとらえるのもよくわからん。
比較している名将連中だって、一人で全部戦術、作戦を立てて、
一人で軍を指揮して戦闘してたわけじゃないよね?

自分ルールにこりかたまって、それを認めない人を馬鹿扱いしてない?
自分こそが正論と決めつけ、都合の悪い話、気に入らない指摘を馬鹿にしてない?
そこら辺も誰かさん達に似てないかな。
275名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 22:59:31 ID:5GI6aNRY0
基本的に優秀な部下も含めての勢力としての話だろ?
まあそうなると劉邦とかが曹操を圧倒することになるわけだが・・・

問題は曹操は優秀な部下を持っていても致命的な失策を犯して天下を取れずに終わっているということだろうな
天下が見えていたのに失ったというのは評価としてかなり痛い
276名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 23:21:30 ID:l3Zi2srD0
>>275
冷静に考えれば、天下は取れなかったんじゃないかな?
漢代には中央政府の統制力が地方分権を完全に圧倒できていたが
後漢末期に至り、ついに地方割拠が可能になったというか
一州で他の複数の州を併せた勢力と互角に渡りあえるような、強州が誕生したことが
一番の原因だと思う(それまでは、それが出来る地方と言うのは長安=三輔地域ぐらいしかなかった)
特に江陵、建康、成都を中心とした地方割拠が可能になった点はデカイ

結局、魏晋南北朝は長安軍閥、業軍閥、江陵軍閥、建康軍閥の四極分立が対立軸になっていたし
もう時代の趨勢には、曹操と言えど逆らえなかったと思う
277名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 23:27:18 ID:ebgbPy0o0
>>274
>自分ルールにこりかたまって、それを認めない人を馬鹿扱いしてない?
>自分こそが正論と決めつけ、都合の悪い話、気に入らない指摘を馬鹿にしてない?
別に馬鹿にしてませんが、なぜ誰かさん達と一緒にされるのか
なぜ変な風に捕えられてるのかわかんないんだけど。
そっちこそ変に決め付けてないか?

どうせまた必死とか叩かれるんだろうな…
278名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 23:32:53 ID:5GI6aNRY0
>>276
魏が統一を長期的には維持できないだろう、というなら分かるが、江陵を抑えた時点では間違いなく天下統一が見えていたでしょ
晋だって一度は統一してるんだしさ
279名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 00:19:18 ID:IbX6t0W/0
>>274
曹操個人の軍才ならば並程度だろう。
彼の名臣達を曹操の手足のように扱ってしまっては
それこそ彼らへの侮辱にもなってしまいかねない。
彼らあってこその勝利も少なくはないからね。
数多くの窮地に瀕した曹操に乾坤一擲の進言、策略を授けたのは
名臣達の冴えと見るべきでは?

酷評、好評の差が激しいのも現代の曹操評に置ける面白味かもしれないけど
それこそ見るべきはしっかりと見ておくべきじゃないかな。
曹操自身の本領は優れた内政面にあると思う。


280名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 01:07:35 ID:KRxbz9ui0
>>279
別に名臣の存在・功績を否定した覚えはないんだけどね。
名臣達の功績を全部曹操の才覚というつもりはないけど、
逆に、名臣達が活躍したから、曹操自身はたいしたこと無いというのはどうかな?
という指摘なんだけど。

名臣を爪牙として扱い戦を制するのも、将の才覚なわけだし、
それで曹操自身はたいしたことないというなら、それを示す論拠も必要。
勝ちの場合は名臣のおかげだけど、敗北ならば曹操のせい、
というのもおかしくない?

というような問題点の指摘を行なってるんだけどね。
なぜかこのスレ、決め付けばっかで、具体的な論拠や考察がやたら少ないし。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 01:16:01 ID:KRxbz9ui0
>>276
俺が>>243で指摘したのは、まさにそういう視点からの考察。
結果を全て人物の力量に帰して評価する人ばかりで、
そうした時代背景的なものを含んで判断しようとする人がほとんどいないのが気になっていた。

勿論、そうした評価をしようとするなら、人物伝的な知識だけでなく、
様々な時代背景の知識が必要となり、難しくなるのは承知しているが、
それなくして、曹操にしろ、他の時代の名将・名君にしろ正しい理解はできないだろう。

要は、単純に最終結論出そうとする人多すぎってことかな?
282名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 09:22:19 ID:QSGHrxtc0
大将としては曹操>侯景は確実。曹操が取り立てて良いとかじゃなく、侯景が悪すぎ。
部将としてはどっちが上かなんて良く判らん。二人とも優秀ではあるだろうし。
条件が良い方が勝つってとこだろう。よって無駄だからわざわざ甲乙を付ける必要を感じない。

また戦力の集中や幕僚の勧誘も大将としての実力のうち。
そして、それだけで単純に上回ることが出来ないなら、相手の戦力を切り崩すのは勝利において必須。
それが上手くいくかどうかは別としてな。

慕容紹宗とて独立して自分で戦争をプランニングするような立場になれば、
部将としての本来の実力を出し切れないかもしれないのは可能性の一つとして考えなければならないだろう。
だが侯景のようにそれをしなければならない立場にたったのにあの体たらくでは、
大将として曹操以下と断ぜられるのは当然と思う。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 11:59:20 ID:pQrLQqbDO
しかし曹操がローカルだとしたら有名な孔明やら劉備やら関羽やらの立場が無いなあ
こいつらは所詮物語でのみありがたがられてたって事か
284名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 12:00:28 ID:JreTZtrA0
関羽だけは別格
285名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 13:15:18 ID:nDzitSHB0
兵戸っていつ頃から始まったの?
286名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 13:21:58 ID:QSGHrxtc0
>>1>>3発言からすると本気でローカルとは思ってないだろ
スレタイの酷評は曹操だけを持ち上げすぎな厨を戒めるための方便に過ぎん
287名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 13:22:11 ID:18lquA+D0
>>285
三国時代じゃないかな
魏では既に兵戸登録から外れることが恩典となるほど賤民としての兵戸が確立してたみたい
288名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 14:12:12 ID:nDzitSHB0
民屯みたく曹操が発令したとかあれば、ちょっと評価アップなんだがなー
289名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 19:09:37 ID:IbX6t0W/0
>>283
蜀勢には現在でも成都に武侯祠があり
三国志ファンには観光スポットとしても有名だよ。

関羽は隋、唐代で神格化が始まり、宋では武神を祭る武廟の主神となり
明では帝となり「関帝」となる。
清では関羽を祭る関帝廟は様々な場所に作られ、果てには小さな村にまで
配されるようになる。国家認定の護国神にまで昇華し
現在は道教において民間信仰の最高神「玉皇上帝」並の存在として君臨している。
早い話が現在の中国で最も名の知れた英雄。

そもそも、三国志演義ありきで三国志そのものの人気が上がったと思えば
所詮物語などとは言いすぎでは?

290名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 19:30:02 ID:ZUCr0Nhz0
戦いの負けあげて大した事ないって書いてる奴もいるが
後漢末から三国時代にかけて無敗の英雄なんているのか?
291名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 19:37:30 ID:JreTZtrA0
とうがいは?
292名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 19:52:37 ID:IbX6t0W/0
>>290
それは軍才のみを指摘した場合でしょ?
それに評価すべき部分はちゃんと評価した上で意見してる人の方が多いよ。
たまに過度なアンチや荒らし目的の連中が関羽、孔明、曹操などの
一部の欠点だけを過度に叩き上げ中傷してるけど、まあ気にしなくてもいいんじゃない?
293名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 02:48:09 ID:WrRpI9fFO
関羽ってなんかやったっけ?
294名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 04:02:49 ID:8d6I/LDu0
顔良斬って、于禁撃破して、荊州失陥した
295名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 08:23:15 ID:J+hI43g60
つまり蜀が誇る最高の魏将と。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 18:47:04 ID:0yfwK66S0
言ってる傍から一部の欠点のみをすべてと割り切ってしまうような奴が現われたな。
297名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 18:48:34 ID:Jc2W6rRO0
ワンフレーズでないと理解できないからだろ。
298名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 03:05:36 ID:s+62ZKZd0
最近は曹操を持ち上げすぎだが
それでも英雄であることは間違いない
299名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 19:10:34 ID:o6NbxnAk0
しかし、ローカルレベルであることも間違いない
300名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 19:44:41 ID:WQ/15mbB0
なんか統一王朝を樹立出来なかった人物は
みんなローカルレベルって言ってるように聞こえる(ry
301名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 19:53:22 ID:/eco9RE40
王朝樹立出来なかったけど、唐太宗、康熙帝レベルの人がいるのなら挙げてくれ
302名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 19:57:43 ID:h8GLtJFX0
最初に聞くが、唐太宗や康熙帝とやらが、どの点でエライと思っているわけ?
303名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 20:07:40 ID:d8K+6Cv/0
尻の具合が素晴らしかった
304名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 20:09:59 ID:lOQ+kY8E0
話にならん、自分でぐぐれ
305名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 20:22:58 ID:A+kPKAR+0
康熙帝については教科書程度の知識しかないが、
それでも十分偉大さがわかるだろう。60年も名君続けられる奴は
いないよな。

唐太宗は経歴や性格で嫌われがちだがw
部下の能力を十全に発揮させるのが皇帝の務めだとすれば、
やはり太宗は中国史上で一、二を争うだろう。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 20:42:51 ID:h8GLtJFX0
>>305
まともな返答かえってきて安心した。
だがしかし、そういうことを聞きたいわけじゃない。
レスの流れから、長命政権をたてた立役者と、そうでないものとの優劣という感じだが
分裂から統一へと至る過程で、時代の流れというものが底流にある。
世の人の意思みたいなモノと言ってもいい。
曹操などは魏晋南北朝隋唐と言われる長い時代の、貴族社会の流れを作ったといってもいいくらい。
そういう意味での優劣。つまり、時代に果した役割というやつは慮外ですかね…

というのも、まったくの短命でしかも二代目だけど、後に君主独裁の基盤を整えた後周世宗は
そういう論点ではローカルレベルと聞こえる。
ちなみにこの「流れ」は唐貴族社会崩壊後の「中国」を貫流している。
そういうところもご一考してみては?
307名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 21:10:09 ID:lOQ+kY8E0
>>306
なんだ荒らしじゃないのか。
早とちりで悪かったとは思うが、紛らわしいから注意してくれ。

誤解してるようだが、魏晋南北朝は春秋戦国以来の「一乱」の時代だということ。
曹操本人の仕事を見れば、秦漢の「一治」の期間を、
自分とその一族の都合のいいように延長せんとして失敗したことは明らか。
秦漢以来の統治原理からすれば、貴族の台頭は帝権の縮小に直結する不本意なものでしかない。
好き好んで乱世を望む民草などいないし、曹操自身もそのような新時代になるとは思いもしなかっただろう。
「ローカルレベル」という単語が気に入らないなら「偉大な失敗者」とでもしてくれ。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 21:34:10 ID:h8GLtJFX0
>>307
別に曹操を擁護して、「すごい」と言わせたいわけじゃない。
ただ、最近の(前からあるけど)長命政権打ち立てた創始者だからエラく、他はそれ以下
とその点のみをもって切り捨てるのが目に付いただけ。

それに「一乱」といっても、その底流にあるものの行き着く先に、曹魏があるとみた。
まぁ西晋から隋までの期間をあまり詳しくやってないので、勘違いしてるのだろうけど
唐は隋の政策を延長拡大させたけど、その律令体制のキモである均田と府兵のはるか淵源が見て取れるし
清談の華やかなりし頃は建安年間ともいう(春秋の筆法呼ばわりされるかな?)。
まぁそういったあたりで、「乱」とは関係なしに時代を流れる流れ、というものにかなりな影響を与えた一人でもある
と、まぁそんな評価のしかた。いくさが強いとか、百計みな当たるとか、そういうところではないから、
うまく説明できないのがなんとも…

>>紛らわしいから注意してくれ
悪いが、それで自分の存念を語れないようでは、一行レスも荒らしと同類と思わざるを得ない、と思っている。
こういう歴史的評価というヤツはぐぐってどうにかなるもんじゃないからね。

>>単語が気に入らないなら
いやw 最近の曹操マンセー君に噛み付きまくった一人なんで、気に入らないわけがない。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 21:50:48 ID:WQ/15mbB0
まず王朝樹立出来なかった人物は唐太宗、康熙帝レベルが
いないという認識を改めてほしい。
この二名に限らず、長期統一王朝の礎を築いた人物と
比べれば多少の差はあるだろうが
曹操の様に中華の3/2を支配しただけでも普通に凄いと思う。
別に曹操以外にも石勒、劉裕、拓跋珪、拓跋トウなどは普通に凄いと思うけどな。
戦争に強いとかだけじゃなく、内政面、人材登用など評価すべき点は彼らにはあるし。
短絡的に人物の優劣を決めるのはあまりにも軽率じゃないか?
あと短命だからダメという評価も好きではないな。
(柴栄の名が出たから言うけど)
柴栄は趙匡胤に美味しいとこ持ってかれてるみたいな立場に見えるが
柴栄は全力で駆け抜け燃え尽きたんだと個人的には思う。
彼の残した遺産は次の時代にちゃんと受け継がれてる訳だし。
それはそれで評価に値すると思う。

>>307
>「ローカルレベル」という単語が気に入らないなら>「偉大な失敗者」とでもしてくれ。
貴方がローカルレベルと思ってないならいいのだが
明らかに辱める為にその単語を使う輩がいるからね、
その辺を考慮していただけると有り難い。
310名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 21:59:33 ID:h8GLtJFX0
>>309
確認しておく。
李世民が守成の皇帝だということは理解してるよね?
唐建国期の李世民の役割は韓信的なものであって、君主として国家を形成したのではないよ。
創業と守成の両方で秀でたのは、まさに後漢光武帝あるのみ、と思うが…
311名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:05:54 ID:lOQ+kY8E0
>>310
あと滅九族のお方も。
両方とも孫の代以降はさえない王朝の印象。

>ローカルレベル
本来は準天下人の方が正しい。
まあここのスレは前スレのアンチ孔明厨への反動的な部分が大いにあるので、
スレタイと>>1を真に受けない方がいいだろう。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:09:52 ID:VaEVDYDl0
>>310
2行目で「守成の皇帝だということは理解してるよね?」といいながら
「韓信的なものであって、君主として国家を形成したのではないよ」
守成といいたいのか、守成でないといいたいのか、はっきりしてくれ。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:12:57 ID:h8GLtJFX0
>>滅九族

このネタには幾度笑ったことか…(この板で)
そのお方も、むろん脳裏にはあったのだけど、「滅九族」が邪魔して書かなかったw
後ろめたさが少ないという点で、劉秀を挙げたのだけど…
>>孫の代以降はさえない
と、いう言われ方を指摘されると、どっちの時代もあんまりメジャーになってないよな、と気付く。
曹操、李世民は劉秀を模範としていたから、もっと脚光浴びてもいいのに、目立たない。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:15:32 ID:lOQ+kY8E0
創業:漢高祖 唐高祖 宋太祖 清順治
守成:漢呂后 唐太宗 宋太宗 清康熙

と対応する。
だから「唐太宗は創業の最先鋒を担ったが、”王朝の創業者”ではない」と読んだが。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:21:57 ID:lOQ+kY8E0
>>313
>光武帝
扱いが地味だから玄人受けするいぶし銀なタイプかと思いきや、
実は中高生が考えたような絵に描いたような厨キャラでびっくりしたことがある。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:31:40 ID:h8GLtJFX0
>>312
あれ? >>309さんとは別人ですか。
文脈で分かると思ったけど、紛らわしかったか。
>>314さんので正解です。李世民の国づくりは、内乱が平定してからのことだから。
あまたある群雄の中から頭ひとつ抜け出したのは、李淵の決断(とかく優柔不断よばわりされるがw)。

>>315
厨キャラ…ですねorz
優等生すぎて気に入られていないと思っているが。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:34:14 ID:+374kN0Q0
逆説的だけど劉邦みたいに弱そうなところ、悪そうなところがあったほうが好感は持てるのかも
318名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:35:21 ID:WQ/15mbB0
>>310
李世民はどういう人物かは分かってるつもりだよ。
なにが言いたかったかと言うと名君として有名な人物は偉い、
そうでない人物は大したことないみたいに言う輩が現れるから、
それだけで簡単に判断を下すなと言いたかった訳。
(誤解を招く様な文節があることについては謝ります)
あと曹操の様な業績を残したのは他にもこんな人物がいると言う意味で
石勒や劉裕たちの名前を挙げた訳。

>>311
確かに>>1があえてローカルレベルと付けてる意味を
ちゃんと理解してない人がたまにいるね。
前にも言ってた人がいたが>>1>>3の発言を見れば
本気でそんなこと言ってないのは分かるはず。
319名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:47:36 ID:VaEVDYDl0
>>316
なるほど、そういう意味ね。
内乱平定後の国づくりを含めて(というよりそちらの意に比重をおいて)
普通は「国家の形成」ということが多いので、
意味がわからんかった。

どうでもいいが、意味の取りづらい文章を書いて
>文脈で分かると思ったけど、紛らわしかったか。
はかなり失礼だから気をつけなよ。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:50:03 ID:WQ/15mbB0
>>316
>>312さんはID:h8GLtJFX0
>>309の俺はID:WQ/15mbB0(柴栄スレに携帯から失礼してた人です)
IDが違いますよw
321名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:57:23 ID:h8GLtJFX0
>>318
言ってることは同じなので、その主張に「待った」をかけたわけじゃないのです。
王朝樹立が李世民、康熙帝にかかっていたので、確認とったまで。
いらぬおせっかいでした。失礼。

>>319
またまた失礼。
失礼が服着て歩いているヤツなのでご勘弁を。

>>320
はいはい、やっぱり。上に陳述してますんでご確認の程を。
調べモンに一段落ついたから、こういうところに出没しております。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 23:04:48 ID:WQ/15mbB0
>>320
>>312さんはID:VaEVDYDlさんの間違いね。(一応訂正しときます)

>>321
了解です。
>上に陳述してますんでご確認の程を。
こちらもいらぬ世話でしたね。ご勘弁を。
323名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 23:13:09 ID:lOQ+kY8E0
>>317
劉邦が弱いというか、彼を支えた三傑、敵として対峙した項羽、冒頓の個性が強過ぎなだけと思う。
同様に李淵と隠太子とかも太宗のおかげで大分割を食ってるし。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 23:37:15 ID:WQ/15mbB0
>>323
劉邦みたいなタイプの方が人間味あふれて親しみやすいって
意味にも取れないかな? 
李世民はそつがないと言うか、隙がないと言うか…
325名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 00:05:09 ID:HYYFw0ef0
李成民はほぼ李淵軍の中核を成すような武将だったよね。
あれだけのことをすれば、李成民は創業と守成を兼ね備えた名君扱いでもいいような気もするよ。

曹操はやっぱり現在では過大評価じゃないかなあ。
没後100年そこそこで、石勒からもボロクソに言われてるあたり
やはり、曹操の天下簒奪あたりから起こり始めた大分裂時代は当時の人間には
あまり有難いものじゃなかったように思えるぞ。

比較対照が漢高祖、漢武帝、漢光武、唐太宗、清康熙など
大きすぎる存在なのも酷だな。
そういう部分を直に比べたがるアンチも続出してるみたいだし。
326このスレの1:2007/08/09(木) 00:27:33 ID:Lt+OJrMt0
>>325
どーかな。
そのレベルとなら直に比べてられるのが当然だし、後塵を拝したとしても恥ではないはずだが。
スレタイと>>1はカッとなってやったので、今は反省も後悔もしてる次第。
ここまでアンチの事実無根の不当な過小評価が蔓延るとは思わなかったのです。お許しあれ

m()m
327名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 04:54:24 ID:tfFO75aG0
>>326
三戦板のアンチ孔明スレより参加している者ですが、
あっちの1みたいな曹操アンチが本当に多すぎますね。
(アンチ孔明の逆バージョンって意味)
タイトルのローカルヒーローについてはこっちの1さんは、
悪くないと思っておりますが…(経緯を知ってるからそう感じるだけ?)
参加する前にまず最初からレスよく読めと言いたいのですが…
>>1>>3が同一人物とは一目瞭然なのですから)
それと曹操を過小評価してる輩は、
もっといろいろと勉強してから語ってほしいですね。
あまりにも情けなくて泣けてきます…
328名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 12:57:31 ID:uVZ+s4Zk0
>>325
生まれた時代の状況や敵勢力の影響は大きいと思う
曹操もあれだけできれば十分だと思う
西洋の暗黒時代は革新的な人がいても潰されたし
今の日本の政治でもやりたいことできない
もっと状況が変ればなんでもかんでも好きなことできそうだけどな
329名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 19:44:48 ID:HYYFw0ef0
>>327
正当評価が難しい英雄にも見えるからね、曹操は。
演義で悪になるであろう必然も備えてはいたとは思うけど(天下簒奪、大虐殺など)
度量寛大、文化面の開拓、充実した民政への取り組みなど褒められる部分も多い。
個人的には張魯を滅ぼさず、保護したことによって意図的ではないと思われるが
道教の根を絶やさなかったことを評価したいよ。
道教は太平道、五斗米道に始まり時代が下るにつれ、その系譜も深くなっていく上
あの関羽もまた道教神として今日に至るわけだし。
世襲制の張天師の名も現在にまで続く伝統でもあるからね。(張魯は3代目張天師)

330名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 23:28:22 ID:B8gt0PvM0
しかし、そのどこまでを計算していたのだろうか
曹操は先読みはかなり下手だと感じるが
331名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 23:33:13 ID:h98IIBt10
負けも計算の内
332名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 01:03:18 ID:6Qv488vV0
結局中国で人気なのが岳飛で、その人気はダントツ。
中国版トランプを手に入れれば分かる
333名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 01:51:17 ID:TnympX/J0
>>327
そもそも誰それは大人物であるという意見自体が感傷的であり客観性に欠いた行為じゃないのかな?

ところで西洋人の歴史家はどのように三国時代を記しているのかな
334名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 08:00:57 ID:pWFR7Xar0
掃天航路に曹操は大人物って書いてあった
335名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 15:53:10 ID:LNZmGQKY0
つ群盲索象
336名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 22:49:33 ID:gXHsNMeL0
まあカクが最強という事だ
337名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 23:09:42 ID:4zEllKJBO
>>336
カク最強説は>>88>>90で既に述べてるけど。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 23:15:45 ID:A5bRGbVw0
脇役としては最強にカッコいい生き様
ただ彼みたいなのが主役になれなかったのがイマイチな時代の原因かも
339名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 23:24:58 ID:+yLp5R5P0
比較的、批判的な人が集まったスレでもこの評価
諸葛亮の時のぼろくそ言われようとは大違いだ。
曹操はみんな大好きなんだな

だけど、やっぱり

石勒に全面同意
340名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 01:01:18 ID:/J0Qt6uq0
曹操は鳥無き島の蝙蝠
341名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 03:43:11 ID:c810FfD20
そもそも、歴史上の人物のランク付けとか、誰それが最強とか、
この手の議論に俺何の意味も感じないんだよな。
人物の業績や特徴を分析する為に、他の人物との比較を行なうという手法ならいいんだけど
あくまで、特徴をわかり易くする為の手法で、それに上下をつけれるもんじゃないんだよな。

いかにも、人物の能力が数値化されてるゲームの世界にどっぷりつかって、
そこから歴史談義をはじめてるようにしか思えない。

というわけで、単純比較して上下やランク付けを決めることを目的の流れになると、
どうしてもレベル低いなあ、と思ってしまう。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 04:23:18 ID:Mh8HOsRc0
>>341
格付けは昔の時代でもやってるよ。
孔子だって、最も偉大な人物は周公旦だって言っているしね。
周公旦は孔子の時代には伝説の人で、実際妄想するしかないのにね。

それにランク付けが無ければ、始皇帝なんて言葉は、生まれないだろう?
343名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 05:09:36 ID:Deszl+A90
>>339
石勒の曹操に対する評価は彼なりの皮肉も含まれてると思う。
「俺はお前よりスタート段階が不利だがここまでやったぞ。」みたいな感じで

>>342
>>341が言いたいのはそう言うことじゃないと思うが。
孔子は別にランクを付けたんじゃなく周公旦を理想的な人物と評価して
一番上に持ってきただけでしょ?
それと始皇帝という称号とランク付けは直接関係ないと思うし。
344名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 05:09:55 ID:c810FfD20
孔子がやってたから、意義あることってな理屈にはならんよな。
345名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 05:25:16 ID:Deszl+A90
>>344
うん。ならないと思う。
だれそれがこうしてたから正しいみたいな理論は変だと思うし、
そんな事例を当てはめようとすることは詭弁だと感じる。
346名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 07:44:08 ID:0WuDd1gb0
つうか。
>>いかにも、人物の能力が数値化されてるゲームの世界にどっぷりつかって、
そこから歴史談義をはじめてるようにしか思えない。

が、真理であろう。
うお、こいつすげぇ ってな談義は好きだから、そこまで的確な表現はしないけど…
誰かを評価するとき、その基準として、肥の数値化ゲームがあるのでは、と思うな。
347名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 10:59:11 ID:NRXounE00
それでも人物評ならやはり最高評価は
後世で神扱いを受けてるか否かにも思えるんだけどね。
廟が立って、ご利益のある神様に昇華して尊威を持って
現代でも敬慕の対象になる。
時の一学者程度から実績がどうのこうのいわれるよりよっぽど
説得力のある英雄としての証だと思う。
専門書を見て、ようやく人物のその人柄、古錆びた功績を見せれて
最高位の英雄はと論じられるよりも現代にまで通用する威光の方が説得力あるしね。

348名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 11:34:23 ID:OvnTNmqb0
数値化くらいでガタガタ言うとかアホすwwwwwwwww
349名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 12:16:59 ID:0EA/JcfB0
ザ掲示板の連中は三国志を低く付ければ通とか思ってそうだ。
事実低くするのが妥当なんだろうが、低すぎだろと思う時がある。
350名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 12:24:39 ID:NRXounE00
>>349
メジャー故にアンチも多いんだろうな。
351名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 12:24:50 ID:Deszl+A90
>>347
後世で神扱いを受けてるか否かはいいんだけど、
神扱い=偉大
そうじゃない奴=取るに足らない。
みたいな人が中にはいるからね。判断基準が偏るのはちょっとどうかと思うし…
後世で神扱いはあくまで判断の目安の一つに過ぎないのだから。
352347:2007/08/11(土) 12:39:48 ID:NRXounE00
そういえばそうだね。
神格化への傾向は自分が仕えていた国に忠義を尽くした武人、老荘思想に基づく仙人
などがメインだから現実的な実績を残した英雄達は評価されづらい面があったね。
ちょっと偏った目線になってたわ、スマーヌ。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 14:17:06 ID:iCJQB4wS0
欧州史でいったらカエサルみたいな存在なのかな
カエサルも評価の揺れが激しいし
354名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 16:08:49 ID:/mQB63180
>>353
いや、過大評価過ぎるだろう
そもそも曹操自身、圧倒的に戦巧者なわけでもないし(すぐ後の時代に同レベルがゴロゴロ)
政治家として有能か?と聞かれれば、民を苦しめてばかりの苛酷な政治家としか言いようがない

文化面の功績が大きいから、歴史的偉人として評価しなければならないというわけでもあるまい
中原における仏教興隆の礎を築いた石虎なんて、超偉人になってしまうんじゃない?
(それまで王侯貴族の間で信者はそこそこいても爆発的に流行しなかった仏教を、ほぼ一代で
 華北に流行させたんだから、素晴らしい功績じゃないか)
355名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 00:12:40 ID:dh73xYCV0
陰陽の側面が激しい稀代のカオスヒーローとでもいうべきかな?>曹操
356名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 09:42:22 ID:klOVdvfK0
稀代の小悪党がいいとこ。
357名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 10:04:30 ID:PHO+fi+H0
曹操は短所も多いが、長所がそれを補って余りあるという評価を聞いたことがある。
また曹操とカロリング朝のカールマルテルを引き合いにしてたのを、
昔読んだことがあるな。
カールマルテルと違い、曹操自身は乗っ取りを行ってないけどね。
(どっちが偉大だとかいうことはもちろん書いてなかったし、
優劣も付けてなかった) 
また曹操が詩を発展させたこと、石虎の仏教を華北に普及させたのは
どちらも素晴らしい功績だと思う。
どっちの文化的功績が上なんて決める必要も無いし。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 10:13:29 ID:PHO+fi+H0
>>356の評価は演義の影響大だな。
曹操が必要以上に悪役に仕立て挙げられてる経緯を配慮してないし。
曹操のことは嫌いな方だが評価すべき点は評価している。
359名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 11:30:13 ID:dh73xYCV0
>>357
曹操の長所、短所は同じ位だろう。
自噴から軍を興して、大虐殺を敢行。
王位を求めたがその不義を咎めた功臣に死を賜る。

など臣の諫言を退けてしまうこともまちまち。
名君より今一歩劣ると感じてしまう部分もある。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 11:38:05 ID:PHO+fi+H0
>>359
その説明じゃ短所ばかりで良いとこが無いじゃないかw
361名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 11:51:39 ID:X8HECxu00
曹操の次の時代に石勒が登場しているけれど
大虐殺も強制移住も、戦場での連戦連勝ぶりも、すべてにおいて石勒の方がスケール上なんだよな
そのくせして、載記ではあんまり非難されておらんし、基本的に名君扱い
(ま、確かに奴隷経験があるからか、下級階層や異民族には寛容な殿様だったようだが)
で、極め付けが「曹操なんてガキを利用して天下取ったから、話にもならねえ」だから

>>355カオスヒーローってのは、明太祖みたいな御方を言うんでしょうな
聖賢、豪傑、盗賊を兼ねたる才物、曹操は少なくとも聖賢の点で落選だよ
362名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 12:11:17 ID:PHO+fi+H0
朱元璋が豪傑、盗賊なのは認めるが後年の行動を見ると聖賢とは言い難くない?
自身の知識人に対するコンプレックスから文字の獄とかやっちゃってるし。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 12:31:48 ID:X8HECxu00
>>362
文学上の功績=聖賢ってどんだけお目出度いんだよ
364名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 13:18:45 ID:PHO+fi+H0
>>363
聖賢=知徳共にすぐれた人という意味だろ?
朱元璋は自身の知識人に対するコンプレックスから文字の獄やらかしてるから、
徳について減点したのだが
それがなぜ文学上の功績=聖賢って結び付く訳?
文字の獄=文学上の功績なんて言ってないし、
どんだけお目出度いんだよとか、
言う前によく考えてから発言した方がええんでないかい。
なんか上から目線だし、しかも目出度(めでたい)をわざわざ漢字で表記して、
俺はオマエとは違って学があるんだ偉いんだぜと小馬鹿にしてんのか?
365名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 15:45:41 ID:DfzQgy3iO
朱元璋や石勒なんて足元に及ばん雑魚。こんな犯罪者上がりに支配されたから、中華は毎回統一するたびにレベルが下がって、儒教一尊の宗教思想に汚染された中世止まりの国になってしもうた。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 15:55:16 ID:YBj1E2EL0
日本語が不自由な人が多いスレだな
367名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:59:21 ID:G4YIQovv0
もめる原因は、自分が一番賢いと思い込んでるやつが多いせいだろう。
で、自分の意見に否定的なものを見ると、即喧嘩腰(>>363とかね)
「たとえ我が人を批判するも、人が我を批判することは許さず」
謙虚さはまるで無いが、曹操スレにはふさわしい態度といえようw
368363:2007/08/12(日) 18:21:08 ID:d2qGHPBBO
何かよく分からんが、馬鹿にされてるみたいだな。
言論統制も知識人弾圧も込みで朱元璋を聖賢と評価して何か問題でもあるのか?
そもそも知識人たちに官界進出の門戸開いたのは、他ならぬ太祖でしょ。
多くの人民をモンゴルの軛から解放して、生活を立て直すために
様々な政策を施した仁政家がいちいち弾圧、粛清程度
(一般庶民にはそこまで関係ない)
で徳がないと断じる根拠が欲しいな。
あと、太祖よりも人民の生活を考えて政治した君主もな。
369名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 18:23:58 ID:HAw6cEQe0
そうなると趙匡胤などはとりあえず盗賊にはなってないからダメか。
370名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 18:42:51 ID:G4YIQovv0
368曰く
「寧ろわれ人を馬鹿にするも、人われを馬鹿にすることなからしめん」と。

かな?文法的にあってる?
何かよくわからなくても、人に馬鹿にされるのには過敏に反応するんだね。
おれは「おまえ曹操ぽくてスゲーよ」と褒めてやってるんだから喜んどけ。
371362・364:2007/08/12(日) 18:44:29 ID:PHO+fi+H0
>>368
あんたが朱元璋のことを言論統制も知識人弾圧も込みで、
聖賢と評価してるのに別に文句は無いし、批判するつもりも無いが、
ただ俺は個人的にそう思ったから発言しただけなのに、
おめでたいとか喧嘩腰な物言いするから叩かれてるの分かってないよね?
そもそもは仁政家は弾圧、粛清などするのかね?
(いくら庶民は関係無いとはいえ)
文字の獄はその程度と言い切るほどの物かな?
(あんたがそう思ってるなら別にいいのだが)
それに徳が全く無いとは言ってない、
あの行為は個人的にはマイナスとしたと書いてますが。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 19:00:30 ID:ghRmxsIsO
>>370
>>368には小難しい言い回しより、ストレートに
「俺は聖人賢者だから俺に意見などするな、でも俺が認めない主張、
気に食わない意見をいう奴は許さねぇ」
と書いてやった方がいいんじゃねぇの?
朱元璋と同じでそこそこ知識あるみたいだからこれの方が理解し易いだろうしw
373名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 19:05:13 ID:dh73xYCV0
さすがは明太祖。
曹操の話題が霞んでしまったな。
これが本物の英雄というものか。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 22:27:05 ID:TSJDog0XO
そもそも曹操は古代の人間だわな
後世の太祖と比較されるのもまああれでしょ
まあ例えたらヒトラーとギレンを比較する様なもんでしょ
375名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 22:38:35 ID:+MDLmq6j0
聖賢て別に徳に優れた人である必要ないんだよなぁ
中国語の聖と日本語の聖は意味が違うよ
セイとヒジリの違いというべきなのかな
中国語の聖は賢と似たような意味合いで聖賢ってのは「賢い人」「優れて他に類を見ない人」
日本語の聖はヒジリという日本の価値観にさらにキリスト教的聖人(セイント)の概念が混ざっている

全てが優れ徳があり賢くってのは中国だと神に当たるわけ
これも中国語のシンと日本語のカミの違いがあってまた誤解されそうだけどそれを書くとスレ違いだな
376名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 23:22:04 ID:PHO+fi+H0
>>375
なるほどね。中国語では意味が異なるんだ。
そうやって説明加えるなり、指摘するなりして意見を述べるなら話はわかるのてすが、
例の喧嘩腰くんみたいな物言いはちょっとね…
俺はオマエらとは違うんだと勘違いしてんだなと強く感じる。
377名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 23:28:22 ID:QBoElVI9O
ナポレオンクラスの神人物なのに、チンクの民度が低いせいで小物扱い。
378名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 00:19:30 ID:6r4tvNYI0
その国の風習とかもあるからなあ。
古代中国の場合は、不義や不忠の輩は功績の有無に関わらず嫌われる傾向にある。
その上、中国で今なお神扱いを受けてる歴史上の人物は一級の思想家、武人などであるため
どうしても曹操がそれ以上に見えないのは確かに悲しいところ。
それに三国志以外の歴史を見ると曹操は確かに三国時代のみのローカルヒーローかもしれないと
思える部分はあるんだよね。


379名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 00:32:26 ID:Ydr4HdHZ0
30年に一人クラスの英雄ではあるとほおもう
380名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 01:05:46 ID:BK+6SlQtO
曹操→チビで去勢人の孫で婚前の花嫁を拉致する悪童、
ふだんの悪童ぶりを親戚が優しく注意すると
後日病気になったふりをしてビックリした親戚が親の嵩をつれてくるとピンピンして
「親戚のおじさんは僕を嫌ってるからいつもこんな嘘をつくんだ」
とうそぶく糞餓鬼なんだよな
381名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 03:16:52 ID:Etz84IxO0
>>375
でも結局、中国で「賢人」といったら、単に賢いだけでなく、徳のある人を指すんだぜ。
だから「聖賢」といったら、才能だけでなく、人格的にも優れた徳のある人物というのは間違いないんだよ。
いくら優秀でも、人格面で問題あれば聖賢なんてよばれないのは、あちらでも当然。

あ、これ漢文の世界の話で、現代中国語の話だったら知らないけど。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 07:17:32 ID:OVgxGUPG0
>>377
現在のナポレオン評価は現地では暴君。
つまり曹操も暴君でいいのかね?
383名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 07:28:30 ID:/N3mn/Ed0
>>381
才能があるのは徳のある証拠だとする考え方があった漢代とかはそうかもね
ただ逸周書の諡号の法則とかに拠れば別に聖人は善人とは限らないっぽいんだよな
礼を尽くす事と善人である事はイコールじゃないからな
384名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 08:35:51 ID:flgicu+90
曹操がナポレオンクラスの訳ないだろ
いくらチビ同士だからって、ピザ禿に失礼だ
385名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 09:10:43 ID:Z180bJmy0
諡号って生前の行動とかできまるんでしょ?
北魏の頃から諡号がやたら長ったらしくなっていくし、
たとえ聖や賢が入っててもその人物像と完全に直結するとは思えないなぁ。
(余りにスレ違いなんでもうこの件は止めた方がいいね)
まあ参考までに貼っとく。
曹操
廟号 太祖
諡号 武皇帝

朱元璋
廟号 太祖
諡号 開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊 成功高皇帝
386名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 09:15:04 ID:pq4xh6md0
ちなみに朱全忠は神武元聖孝皇帝だ。
長安破壊したハカイダーにも聖はついてる。あくまで彼の興した国の側からだから…
387名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 13:14:05 ID:OVgxGUPG0
軍人ナポレオンは、軍人ネルソン以下。
皇帝ナポレオンは戦争でアホやったから、欧州ではナポレオン=ユダヤ虐殺無しのヒトラー。
曹操のが上かもな。

才能だけなら、曹操=袁紹=袁術は同格だと思う。
若干、軍才、政才は、曹操が劣るかもしれないが。悪運補正で…
曹操の強みは悪運でしょ。普通なら張繍に殺されてる。
388名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 14:52:28 ID:2mVYJ16g0
ナポレオンが戦争下手とまでは思えんがなあ
指導者としては三流ってのはわかるけど

389名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 15:38:48 ID:VmiMK2wX0
>>387
確かに、曹操が他の群雄より勝っていたのは、運なのかもな。
曹操自身の才能が無いとは言えない、もちろん名将クラスの人間ではあると思うけど。

ただ、その名将クラスと比べて、「曹操の優れた点ってどこよ」と言う話になると
俺は「運」だと思うぜ。逆に袁紹・袁術の二人には運が無かったのかもな。
袁紹は特に。一番死んではいけない時に死んでるし、裏切られてはいけない時に
裏切られてるし。
390名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 16:00:27 ID:oWmM+kZG0
それって運なのかw
釣り乙
391名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 16:04:35 ID:Z180bJmy0
>>389
運の要素も生かせるか生かせないかは本人次第な部分もあると思うよ。
曹操はチャンスを上手く生かせた方だと思うし。
確か袁紹って決断力に欠けて無かったっけ?
392名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 16:14:45 ID:VmiMK2wX0
>>390
運で片付けすぎた気はするが
少なくとも人の生死については運なのではないか?
ただ、裏切りについてだって、人の心を読み取るなんて出来ないぜ。

>>391
それはその通りだね。ただ、官渡の戦いに限定するなら
結果的に曹操に運が回ったからこそ、曹操が勝ったのではないかと思う。
決断に欠けていたというより、官渡において
田豊や沮授の進言した策を悉く採用しなかっただけではないか?

もちろん、袁紹が田豊や沮授の進言を聞かなかったから負けたんだと言う声もある。
だけど、結果的に曹操が勝てた原因は袁紹が田豊や沮授の進言を聞かなかっただけではない。

俺は詳しいことは良く分からんが
(まぁお前らが嫌う歴史を知らない無能と言うところか)
393名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 16:30:36 ID:OVgxGUPG0
>>391
河北が曹操に制圧された経緯を、少しは考えようよ。
袁紹が死ななければ、曹操の能力では、河北の制圧に時間が掛かりすぎる。
もしくは、河北を制圧出来ないでしょう。袁紹が生きている限り。

袁紹には曹操以上のカリスマ(家の力かもしれないが)があるから。
だから、能力は同じ位だと思うのですよ。
394名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 18:05:41 ID:RLS7OCs70
袁術>劉備>曹操>袁術…

相性的に↑の三すくみな気がする。何となくだが
395名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 18:16:08 ID:flgicu+90
運を呼び込むとか、それを利用できるとか、ポジティブに見れば運が良いのは世の覇者の必要条件
前線に立って銃弾に倒れちゃうのを運が悪いとみるか、軽率とみるか
396名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 18:40:58 ID:r0mH/qIv0
でも、そう考えると曹操はそれほどの強運の持ち主とはいえなくなる。
漢高祖、宋太祖、明太祖どうしてもここいらの方が天に愛された強運の持ち主として
見えてくるからな。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 21:17:54 ID:Etz84IxO0
なんか、ここまでくると全ての人物を運で片付けられるなw
ここでは曹操以上とか名前があがってくる連中も、
単に曹操より運が良かったということで結論がでてしまう。

まあ、世の中全て運次第というのも一種の真理だとは思うが。
人物の個人の評価がしようがなくなるよね。

自分の好みで恣意的に運と実力との説明を使い分けて、
特定の人物を持ち上げるor貶めるような論法は勘弁な。
398名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 22:07:45 ID:pq4xh6md0
運も実力のうち、という言葉があるから否定はしないな。
趙匡胤の場合、太原攻撃のとき城門を突破したとたんに狙撃され、右腕を射抜かれたけど
これが頭だったら…
現に、頭を射抜かれて、まさかの討ち死にした人もいますからねぇ。
それに真田幸村ばりの赤備えで目立つ格好してたから、いつ戦場で流れ矢に当たってもおかしくない。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 22:37:11 ID:Z180bJmy0
>>397は極論に走るのを危惧してるんだよな。
確かに運も実力の内とは思うけど、
それだけで判断しちゃうのは俺もどうかと思うし…
チャンスを物に出来るかは本人次第だとも思う。
(あくまで要素の一つとして)
せっかく自分の方に風吹いて来てるのに見す見す逃しちゃってる
歴史上の人物っているでしょ?(例えば項羽とか)
400名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 23:20:17 ID:OVgxGUPG0
では、貴兄達に質問があるのだが…

袁紹存命中に、曹操が、河北を統一出来なかったのは事実。
河北統一に約7年掛かっている。それも袁家の骨肉の争いを使ってだ。

では、袁紹がもし、曹操と同じ位の寿命を持っていたら、
東漢末はどうなっていたと考えますか?
401名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 23:20:51 ID:RLS7OCs70
宮城谷氏いわく「幸運を掴んだら離さない握力」も大事であるとのこと。
曹操は立ち回りのミスで少しこぼしたっぽいね。
402名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 23:28:23 ID:RLS7OCs70
   袁紹、公孫氏
馬超、曹操
劉璋、劉備、孫権
士氏

みたいな感じに分立かな、と。
袁氏勢力を吸収した曹操の介入がないので、
馬超と劉備の地盤固めがかなり上手くいくと思われるし。
で、ありえそうな統一パターンとしては、
劉備が孫権を飲み込むか、袁紹か曹操がどちらかを飲み込めばフラグが立つと思われる。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 23:58:10 ID:W+bKrPiQ0
袁氏の内紛で火事場泥棒ならあれだけど、曹操の策に乗せられてんじゃん
袁紹存命中に反乱も起きてるわけで、世間的にはもう曹操の流れになってる
404名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 00:11:19 ID:M6KB4cecO
>>400
アホーな俺の意見ながら陳開してみます。
まず曹操は押さえ込まれて身動き取れない可能性大かな?
(袁紹は曹操のこと滅ぼすだろうか?)
劉備はこちらに引き込み名分として利用するのでは?
しかし劉表や劉璋はともかくや孫権がどう動くのかが個人的には判断付けかねるね。
仮に袁紹が新王朝樹立してもすぐ潰れそう。    

出来れば貴兄じゃなく諸兄の方がいいんしゃない?
405名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 00:29:16 ID:wDKD3/060
>>400
さすがに劉表と馬騰が動くと思う。
袁紹軍との戦いで疲弊し、弱体化した曹操軍を叩く機会が転がり込んできたようなもの。
特に馬騰は曹操の専横をこころよくは思っていないから攻められる危険性が高かったのでは。
更に袁紹と同盟でも結ばれようものなら曹操軍は滅亡していたかもしれない。

406名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 05:26:29 ID:Kov7otGE0
>>403

>袁紹存命中に反乱も起きてるわけで、世間的にはもう曹操の流れになってる
なら劉備最強だな。漢中王に即位しただけで、魏で反乱爆発。
ま、冗談だが。

袁紹は存命中に、反乱を鎮圧している。

個人的能力は、後漢末なら、袁紹最強が結論だと思うけれど?

曹操は余りにも運に頼りすぎ。劉備を殺す事が出来なかったヘタレ。
軍師の進言聞いていたのかね?

曹操は光武帝の真似をした、項羽で結論。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 06:12:24 ID:gj4qzIq+0
袁紹は色々と性急すぎる。司馬炎なみの屑っぷりを晒しそう。
408名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 08:48:44 ID:TjAjmqG50
敗戦の心労がたたって死んじゃう袁紹は繊細な子
硝子細工を扱うように大事にしてあげなさい
409名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 12:11:50 ID:WiTGDGzJO
袁「河北を根拠にして中原を制圧すれば天下は俺のもの」曹「えーとね、とにかくどこでもいいから地盤を得たら臨機応変になんとかしてみせるよ。きっとね」
どっちについていく?
410名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 14:31:07 ID:UAnf7l5WO
劉備=曹操に蜀攻めを手加減されたどうでもいいザコ
三国時代は曹操最強
ナンバー2は周瑜
411名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 15:17:29 ID:wDKD3/060
そんな雑魚に漢中で大敗した曹操。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 15:41:14 ID:WiTGDGzJO
曹操があすこで蜀を攻めてたら、一気に劉備を倒して蜀を取り全土を平定してたか、劉備に寝技に持ち込まれて蜀で孤立し立ち往生したか、一か八かの戦いになってた
堅実にいくなら蜀は攻めずに漢中を守るべき
…まあ漢中を守るのも失敗したんだが
413名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 02:56:32 ID:FseMuBlh0
>>400
お前真性の池沼か?
運だけ説を否定してるのはそこじゃないだろ

「じゃあ劉邦が彭城で討ち死にしてたらどうなるか?」
みたいな話になるだろ

大体どんな英雄だろうが、両親がもしその夜たまたまセクロスしなかったら生まれなかったわけで
運がなければどうにもならんじゃん
414名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 09:15:33 ID:g6ZiuPQH0
曹操の大きく見せようとすればするほど、敵対した連中も大きく見せる羽目になるんだよなぁw
415名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 09:29:39 ID:McOej0aG0
やはり、運だけに拘るのもいけないよなぁ。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 10:12:41 ID:WzviTmjd0
>>414
単純に曹操は最強、劉備はザコとかいう奴がいるから、
〇〇にはどこそこで敗れてんじゃんて言われるもんな。

>>415
運も要素の一つに過ぎないのに極論に走ろうとする奴いるからなぁ。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 12:29:50 ID:oP9v/nCZ0
>>413
真性の池沼はお前。

>では、袁紹がもし、曹操と同じ位の寿命を持っていたら、
>東漢末はどうなっていたと考えますか?

これIFの話だろ?
どこで運が絡むんだ?

曹操はちょびっとだけ能力があるから、部下の進言聞かないのが問題。
徐州で虐殺=陳宮離反+張邈離反+呂布が敵となる。

徐州で虐殺は、曹操最大の汚点だよね。これがなければ、統一出来てたんじゃない?
418名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 13:27:55 ID:McOej0aG0
>>416
まぁそうだね。

袁紹の死については運と言うより、本人の生活が問題。
もっと寝て、もっとたくさん食べてストレスをためないようにカウンセリングを受けていれば
もっと長生きすることが出来たんだと思う。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 14:35:28 ID:eNmuGDwY0
讒言信じて田豊殺しちゃうような袁紹のアフターケアなんか無理
420名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 15:11:24 ID:N1tkm8JxO
「袁紹は威容は堂々としていて名は世に知れ渡り、河朔に割拠した。」
「しかし外面は寛大に見えるが、内面は猜疑心が強く、はかりごとを好みながら決断力に欠けていた。」
「良い人物がいてもこれを用いることが出来ず、良い言葉を聴いてもこれを実行に移すことが出来なかった。」
「長子を廃して庶子を後継に立て、死後に国を失ったことも不幸な出来事とは言えない」
と陳寿に斬って捨ててられてる袁紹にはアフターケア以前にメンタルケアが必要じゃねぇ?
421名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 15:19:46 ID:eNmuGDwY0
精神的に病んでる人の大半は、幼児教育の失敗です
422名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 19:40:55 ID:5labRmed0
そもそも曹操がここまでの過大評価を受ける原因はどこにあるんだろうな。
存命時の功績、死後評価などを含めてもやはり三国時代止まりのローカルレベルに
見えてしまうのだが・・・。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 20:01:20 ID:szhEPBUF0
キングゴンタ
424名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 20:04:23 ID:JxYKdl4e0
昔は曹操は悪役という認識が多数派だったから、
実は曹操は偉大な人物だった、と言うほうが少数のエリート気分を味わえた。

曹操の再評価が高まると、曹操が偉大というのが一般に浸透つつある。
そうすると、曹操を評価しても、自分は別格という気分を味わえなくなる。
そこで、逆に曹操を批判することが、歴史を知っている証拠と思う連中が増えてくる。

正史をかじった途端に、劉備や諸葛亮の悪口をさかんに言い出すのと
非常に似通った心理だといえる。

このスレを見てると、こうした流行に流されずに、冷静に曹操を評価するのは
極めて難しいことなんだなあと思ってしまう。
425名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 21:28:14 ID:WzviTmjd0
>昔は曹操は悪役という認識が多数派だったから、
>実は曹操は偉大な人物だった、と言うほうが少数のエリート気分を味わえた。
>曹操を評価しても、自分は別格という気分を味わえなくなる。
こんなカキコ見るとせっかく後半でいいこと言ってるのに
結局、曹操を叩いてるだけの輩と何ら変わらない気がするのが残念でならない…
一部の輩の曹操に対する評価は正史+演義か正史+蒼天航路の
どちらかをだけを読んで強く影響を受けてる様な気がしてならない…
もしくは個人的な好き嫌いで発言してる様に見える。
曹操に限らず良い面、悪い面はどんな偉人にもあるのに
曹操ほど一方に偏る人物も珍しい。
やはり朱子学の影響が大きいのかなあと思ってしまう。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 21:42:00 ID:IgQYCN8I0
曹操がいまいち大物に見えないのは、天下取りや天下安寧のためのグランドデザインが明確でなく、実際の施策を見るといきあたりばったりにしか思えなかったり後に禍根を残していることが少なくないからかもしれない
427名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 21:46:20 ID:QhW+Lbbf0
三国時代の中では最高の英雄、中国史全体から見ればそこそこの英雄ってことでいいじゃん
428名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 21:52:50 ID:JxYKdl4e0
>>425
多数派に対する、少数の(歪んだ)エリート意識というものの変化を
流行の変化を追いつつ説明したのだが、
それでなぜ
>曹操を叩いてるだけの輩と何ら変わらない
とされる?
歴史オタの神経を逆なでする書き込みということは百も承知だが。
これを克服・自覚できなければ、ただの嫌らしいオタのまま。
反感に遠慮するつもりはないぜ。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 21:56:09 ID:gdbP9mTv0
>>427
最大ではあるが、次点とは僅差だと思うんだがな
辛うじて頭半分抜け出している程度じゃね?(次点は劉備)

中国史歴代で見ると、途端に(三国志の中では最強クラスの)戦績が見劣りしだすから不思議だ
430名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 22:52:28 ID:WzviTmjd0
>>428
反感に遠慮するつもりはないのは大いに結構だが、
>>424前半の部分が多数派に対する、少数の(歪んだ)エリート意識というものの変化を
流行の変化を追いつつ説明したのだが
って悪いがそんな説明してる様には見えなかった。
寧ろ曹操の再評価が高まるより上の文章は要らないんじゃないか?
ヲタに指摘するならズバっと指摘だけすればいいのに
紛らわしいことまでカキコするから俺に誤解されたんじゃないの?
431名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 23:03:59 ID:WzviTmjd0
>>429
三国志の中では多大な戦績を挙げてるんだけど、
統一王朝とかと見比べた場合、
どうしてもガチャガチャやってる程度に見えちゃうんじゃない?
(実際は違うんだけどね)
432名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 23:33:34 ID:aK6dacJaO
三國志て事で曹操を見るからおかしくなる
曹操にとっての劉備、孫権
曹操→中華をほぼ支配
劉備、孫権→奥地に出向している漢の臣下
当時の国力からしてそうだし、
孫権の場合はさらに他の有力者との連合に過ぎない

曹操にとって劉備、孫権が攻めてくる事は反乱程度の些細な事

反乱の度に後で許していた、曹操て以外と人徳者?
433名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 23:39:18 ID:5labRmed0
でも、中国史全体でみると関羽の方が遥かに格上になるのは不思議なもんだね。

434名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 23:44:09 ID:JxYKdl4e0
>>430
昔の演義の悪役像が強かったころとの
曹操評価の変化による逆転現象について触れただけで、
何をそんなに噛み付いてくるんだ?
正直、何に怒ってるのかよく理解できんのだが?
435名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 23:51:05 ID:5labRmed0
>>434
再評価といってもそれほどじゃないんだよね。
大昔よりはマシになった程度だよ。
もう、演義での絶対価値は覆らないと思うよ。
日本には理解を示す専門家が多いから、日本人には曹操は偉大に見えるのかもね。
信長と重なりやすいのもプラス効果かな。
436名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 00:27:36 ID:qtF6yaUjO
曹操再評価は毛沢東がしたんだっけ?
437名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 02:34:48 ID:x7yr/ytf0
今は再評価じゃなくて過大評価だがな<曹操
438名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 06:00:13 ID:pH/yvoot0
>>431
言っちゃ悪いが、実際も大したことないだろ
正味、桓温や劉裕、高歓クラスでしかない(それでも十分高位クラスだが)
どうも、曹操=稀代の名将(世界史クラス)みたいな意見を見るが
もし、そうだったら他の時代の名将たちのインフレが止まらないっつーの

>>432
贔屓の引き倒し
征蜀や討呉論争で紛糾する魏・晋朝廷の政権中枢、どんだけ小物なんだよ、
て話になるじゃねえか
国民感情が非常に悪かった魏にとっては、呉、蜀は存在するだけで
十分に脅威なんだから(曹操の苛酷な政治が原因だが)
問題を矮小化すればするほど、実は曹操の格を下げていることに気づかんのか?
439名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 07:12:20 ID:dJaj/MosO
>>438
各勢力の対応を論議する事は小物でもないと思うけどね
まあ例えたらアメリカがイラクへの対応を考えるみたいなもんだし
後、国民感情云々は反乱までに至っていない事も考慮して欲しい所
確かに徐州では虐殺が敢行された事で評判が悪かったらしいけど
他の地域を見ると屯田政策で潤った地域の方が多いのも事実
国民感情を逆撫でしていたと言う由来が民間伝承等の
曹操の悪評と言う事を由来しているのであれば
それはむしろ曹操が彼らが自由に発言する事を黙認していたから
現在に残っているとも言える
440名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 09:45:58 ID:1fHAUGzh0
下4行みたいな事は書かない方が良いだろう
441名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 12:12:37 ID:X2z0DkZt0
曹操が希代の名将だったら、アレクサンドロスやバトゥは神
442名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 14:22:58 ID:tpOZvH6a0
ひとつ質問。
よく○○クラスとかいうが、何を基準にランク付けしてるの?
どうも主観的なものばっかで、結局自分の好きな武将ランキングにしか見えない。
443名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 14:32:42 ID:kxBYvf5n0

ttp://home.t02.itscom.net/izn/ea/index.html

ここぐらい全部読んで勉強しな坊や。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 14:51:05 ID:tpOZvH6a0
>>443
ろくに本も読まずに、個人サイトの記述をもとにランク付けしてたの?
(そのサイト様を馬鹿にしてるわけじゃないですよ)
だったら、wiki準拠で話してるのとたいして変わらんが?
こちらこそ、もっと色々なもの読んで勉強してね坊や。と言うしかないんだけど…

時代も活躍も環境も違う人物個々の事績を、
どういった基準でランク付けしてるのか聞いてるんだがね。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 15:14:41 ID:kxBYvf5n0
ぼくちゃんのレベルに合わせただけですが?それがなにか?
少しは空気読めない足りない脳みその足しになるだろうからな。
ランキングスレで野暮なこと言う人間が真っ当な大人とは思えんが。

>時代も活躍も環境も違う人物個々の事績を、
>どういった基準でランク付けしてるのか聞いてるんだがね。

統一したかどうかが最大の論点。
特に曹操は一度は機会が合った。
それを確かに掴んでおきながら、みすみす手放した握力の無さが、
他の天下人連中より確実に一段下だと言われてるのだが。過去スレをよめ。
曹操は司馬炎みたいなゴミより大臣としても大将としても刺史・太守としても上だろうが、
それでも天下人としては下という話をしてる。
それの何処が主観的だ?
ここの住人は十分すぎるほど曹操厨やアンチ曹操の客観性の無さを指摘してるはずだが。
過去スレと行間をちゃんと読め。
ただランク付けがあんたのお気に召さないだけでは?
一つ言っておくが、ゲームブックは本じゃないぞ!
446名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 16:03:48 ID:tpOZvH6a0
>>445
ランキングスレだったのかw

いや、俺は曹操について考察し
その評価の見直しを行なうスレだと思ってずっと参加してきたんだけどね。
他時代の人物との比較もその一環として行ってきた。

その一方で、そういった考察も無い、根拠のよくわからんランク付け。
ただの最終的な結果主義でしかないランク付けが多いから、
改めてそういう人達に何を基準に考えてるのか聞いてみたんだがね。

では、そんな博識の君に脳みそ足りない俺からの質問。
>統一したかどうかが最大の論点
なら、なぜ統一を果たした司馬炎がゴミで、
曹操が大臣としても大将としても刺史・太守としても上なの?
主観的ではない客観的な説明を行なって欲しい。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 16:11:57 ID:tpOZvH6a0
ついでに言うと、
統一したかどうか、という単純な成果の比較だけでランクをつけることは
曹操信者が「異民族に勝った」ということだけで、曹操最強とするのと同レベルと
ここでは何度も問題視する議論が行なわれているんだよ。

過去スレと行間よく読めてる君に、わからないはずのないことだけどねw
448名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 16:58:56 ID:XsjFgfUxO
つ 蝸牛角上の争い
449名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 18:43:00 ID:+8QMEykR0
早い話が曹操は過大評価されすぎ。
ってことでいいんだよな。

そろそろ話を纏めておかんとまたまたいらぬ方向へ脱線してしまいそうだ。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 18:54:14 ID:xFW2+Uoy0
まあ喧嘩はよそでやっとくれ
ってことでおK?
世界史なんでも議論スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1183900145/
451名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 19:24:59 ID:mYTworON0
>>445
最初に言っておくが、俺はこの議論とは全く関係ない

司馬炎が曹操以下の人物かと言われれば、そりゃ嘘でしょ
泰始律令制定や、統一後の軍縮政策、軍屯・民屯の逐次廃止、占田・課田制の施行
じ後、魏晋南北朝時代を通じて手を変え品を変え、様々な呼び名で歴史にその姿を現す
種々の政策の原型を定めた人物なわけだからね
即位当初奢侈を否定しながらの放蕩癖の発露や後継者問題での大愚断はあれど
「ゴミ」という評価は勘違いも甚だしい
もしかしたら、評価する人によっては、曹操より高く評価する人もいるかもしれない
452名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 19:47:53 ID:xYCMorHA0
>>447さん。暑さでイライラしすぎだね。
「天下統一」という視点でしか物事見れない人に、そこまで全力で釣られることもないと思うが。
自分はかねてより、中国の北半しか勢力圏内に治めていない人物のことを調べているので
あるいはそういった割拠期の人物に贔屓目が入っているのかもしれんけどね。
まぁなんせ、天下とやらを統一したから偉大で、してないのはそれ以下という輩についての気持ちは同じだ。
いったい、どこに決まった「天下」があるのだろうかね…
453名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 19:52:56 ID:+8QMEykR0
それに中国で英雄と呼ばれる者達の大半は
君主よりも忠義を尽くした武人、思想家の方が多いしね。
454名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:06:26 ID:tpOZvH6a0
>>452
すまんね。見事に全力で釣られてるよ俺…
この手の知ったかには、つい容赦無くあたってしまうんだ。
大人気ないとは思っている。

>>451
たしかに、司馬炎は世間では過小評価気味の気がするね。
三国志関係の本では、まともに触れられることがなく、
既に大勢が決した状態で天下を取っただけの人と思われてる気がする。
軍縮やら屯田廃止やら戸調式やら、政治・制度の問題は
どうしても話が難しくなり、一般向けの本ではあまり書かれないしね。
結果、わかりやすい統一後の愚行ばかりが、面白おかしく紹介されることに。
こうした、片寄った情報だけ広まってることが過小評価の原因と思っている。
455名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:19:40 ID:tpOZvH6a0
あとこれこそ思いっきり主観的なものだが、
司馬炎の過小評価の原因に、
三国志のファンの感傷的なものがあるように思える。
各国の英傑達が辛苦を重ねながらも、志半ばに倒れていったのに、
最後のパッと出がおいしいとこだけ持っていきやがって。みたいな。

日本人の感情的に、成功するまでの過程は好きだが
頂点とってしまった者は、一転嫌悪の対象になるというのも影響してそう。
天下取ったあとの秀吉、家康、大久保利通などなど
456名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:20:04 ID:xFW2+Uoy0
>>451
司馬炎についてはイメージ先行だろうね。
(俺なんかも司馬炎の負の部分にばかり目が行っちゃってた方なんだけどね…)司馬炎について詳しい人は司馬炎に明君の素質は十分あるんだけど、
なんせ打ち出した政策が悉く裏目にでた可愛そうな人って言ってた。
俺もその意見聞いてから司馬炎についての見方が変わったね。
少なくともゴミではない罠。
457名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:39:53 ID:mYTworON0
>>455
「最後のパッと出がおいしいとこだけ持っていきやがって〜云々」のくだりは、三国志の後半を
読んでいない人の意見だろ
羊コ の討呉作戦計画の策定、死後作戦採用されるまでの流れは苦難の連続
羊コ は確かに超一級の名将ではないかもしれないが、自分の不足分を知っていたからこそ
策定できた討呉作戦であると自分は考えている

逆に曹操は幸運を自分の実力と勘違いしてしまったがゆえに(河北平定、荊州降伏、張魯降伏)
赤壁、漢中の敗戦を呼び込んでしまったような気がする(極論だけどね)
調子に乗りやすい、感情先行型の人間の悪い面だよねえ
458名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:46:19 ID:VYpxRixX0
そうそうw
459名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:57:49 ID:tpOZvH6a0
>>457
でも、実際は>>454でも触れたように
三国志の後半を詳しく書く本はほとんど無いのが現状なんだよね。
孔明の死でちょん切るか、ダイジェスト的に一気に流す。
>三国志の後半を読んでいない人の意見だろ
の三国志が何をさしてるか知らないけど、
史書の『三国志』にはそこら辺の詳しい経緯は書いてないし、
演義だって猛スピードだしね。

苦難といっても、国内をまとめる苦難で、
彼我の国力差自体は既に大勢を決するものだし。

ただ、せっかく司馬炎の事績はまじめに分析しようとしてるのに、
曹操の事績は運で片付けちゃうのはどうだろうね?
460名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 21:20:57 ID:xYCMorHA0
>>459

三国演義でいえば、通常、五丈原で終ってあと知らんって人が多いと思う。
訳本で読んでも、ぶっ飛ばしすぎでなんかよくわからんが晋が呉を滅ぼして終ったって感じだし。

それは置いて。
人物の功罪は歴史事実から、その当時の人々の考え方やその方向性を掘り下げた上で
語られるべきものだから、一言二言で済むはずがない。
ましてや他の時代の人物と引き比べて、こちらが上でこちらが下と明確なランク付けなどできっこない。
あくまでも実際の人物像を検証するなら、って話だけどね。

>>調子に乗りやすい、感情先行型の人間の悪い面だよねえ
相手に隙があれば、「なんで?」っていうくらいあっさり滅亡、なんて割りにあるし、
小国のくせにえらい難攻不落とか、その辺は相手を受け入れがたい政治体制があって
そういった結束があるから、激しい抵抗となるんだろうかね。
逆に、朝臣が互いに足の引っ張りあいとかで揺らいでいると、あっさり外圧に押しつぶされますよね。
461名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 22:34:24 ID:X2z0DkZt0
赤壁は苦しい時の変事が官渡とだぶって見えたんじゃない
許攸と黄蓋
というのは、物語的過ぎる?
462名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 00:07:25 ID:OJ/Ia60C0
ベテラン文学者の守屋洋氏は
なにを根拠にそういってるかも書かずに

・曹操は中国史で五指に入る傑物
・曹操の軍略は項羽、韓信に匹敵する

と言い切ってたりする。
それでいて敗戦時のフォローには「二度と同じような負けはしなかった」
「敗戦から学ぶものを得た」などと苦し紛れな言い訳までダラダラと書き連ねる始末。
こういう本を見たらさすがに影響を受け、そう思いこんでしまう人間もいそうだよ。

この人、他の人物評はそれなりに酸いも甘いも評価するんだけど
曹操になると大甘評価なんだよね。
このスレの方がタメになるよ。
文学者ってランク付けるの好きなのかな?

463名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 00:25:56 ID:qmQl7TN+0
文学者だからこそ、
「五指に入る傑物」とか「項羽、韓信に匹敵する」とかいう
修辞表現を多用してしまうのではないかと思った。
古の戦上手といえば、まず項羽、韓信が有名だから比喩にあげただけで
ランク付けとはちょっと違うと思う。

ちょっと前に、曹操の「我が子房」みたいな言葉をランク付けと取ってる人がいたけど、
同様に、この手のも豪傑・智者を形容する比喩表現ととるべきだと思う。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 00:29:39 ID:OJ/Ia60C0
なるほどね。
それでも、いいすぎでは?
と思えてしまうよ。
逆に、項羽や韓信が小さく見えることにもなりかねない。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 01:24:45 ID:edyKC0YV0
自論も述べずにえらそうなことをほざく知ったか超然厨は氏ね!

おまえらは勘違いしている。
司馬氏がその勢力を魏国の内部に侵蝕出来たのは
嘉平年間の政変、斉王廃立、毌丘倹の乱、諸葛誕の乱、高貴郷公暗殺、征蜀、鍾会の乱と戦ったからだ。
曹爽一派、王凌、夏侯玄、王経ら勤皇派、寿春軍閥、鍾会・ケ艾の二雄との権力闘争を勝ち抜いたのは、
あくまで司馬懿、司馬師、司馬昭の三人だ。
この三人が曹操より上ないし、それと並ぶとするなら文句は言わん。

司馬炎は恵まれ杉。
仰る通り税政等に関しての手腕は確かにあった。
だが優れた制度も機能しなければ何の意味も無い。
司馬炎が築くべきであった基盤は一体誰に作れと言うのだろう?
司馬衷を後継者にし、八王に兵馬と土地を分け与え、異民族との内訌を放置。
後宮一万人、天災など、破滅一直線じゃねーか。
肝心要の初代二代から末期的症状を示していた最低の統一王朝など西晋くらいだ。
いっそ統一しない方が司馬炎は晋の最盛期の名君として名を残していたかもしれんくらいに統一後の自堕落ぶりはギャグ。
466名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 01:38:07 ID:edyKC0YV0
先代を越えるに至らない人間が、
その遺産を以って事業を為してもどうして評価に値しようか?
彼らに出来たことをやらず、彼らがしなかったことをやった、統一後の司馬炎はやはりゴミとしか言えない。
司馬昭に三十年の余命あればもう少しマシな王朝となっていただろうになあ。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 02:01:30 ID:PTSYMTob0
司馬炎は白帝社から出てる『西晋の武帝司馬炎』を読んだ感じだと功罪両面あってなんとも評価しづらい人物だね。

この本、タイトルは『西晋の武帝司馬炎』だけど中身は司馬懿司馬師司馬昭の権力簒奪の過程から、
西晋の崩壊までを描いてるので、後期三国志のことについて詳しく知りたいっていう人にもオススメ。
468名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 04:49:28 ID:xkqh+LcaO
自分の身長や風格にコンプレックス持ってて、代役立てたって話は史実?
だとしたらそれだけでスケールちっちゃく感じてしまうよ
コンプレックス持つのはしかたないにしても、代役立てるのはどうかと思う
当時は容貌や威風もかなり重視されてたのかもだけど
469名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 07:50:41 ID:2CugasrV0
>>465
このスレ熱くなる人が多いな、嫌いじゃないけど

司馬炎については>>467にある、書籍をひと通り読んでもらえれば概略では分かると思うが
もっと詳しく知りたかったら、晋書翻訳している人たちがネット上に結構いるみたいなので
そこらへん、渉猟してくれば良いんではないかと

司馬衷を後継者にしたのは、さまざまな思惑があったと思うが
斉王司馬攸を仮に後継者に指名してしまうと、皇位継承の順序が、宗室内での実力者順
あるいは名望に従って選定されると言う、非常に不安定な選定制度になってしまうおそれが
あったから、斉王事件によって彼を亡き者にしたと俺は考えてる
師→昭→炎→攸(師の名跡を継いでいる)の流れだと、後継者争いの火種の数と言ったら
八王の乱に匹敵すること間違いなし(と言うか、それを具現したのが八王の乱と言えなくもない)

また、斉王を輔弼に就けるのも、あんまり宜しくない
はっきり言って、有為の人物が禅譲によって新王朝を開闢したのに、後継者人事では
有為の後継者ではなく、盆暗の馬鹿息子に継がせるのか?という批判が噴出すおそれが
あったからだ(まあ、噴出したけど)
禅譲という形式で王朝を開闢してしまったがゆえのジレンマではあるが、この場合だと宗室内
での皇位簒奪が正当化されてしまう可能性が秘められていた
折角の統一王朝なのに、秩序を重んじないということになってしまうと収まりが悪い
結局、斉王攸には「死んで」もらうしかなかったわけである

つーか、全部司馬炎の不甲斐ないチンポが悪りいンだよ
曹操はそういう意味じゃ、後継者人事は上手く乗り切ったなあ(名士層では軒並み失敗してたのに)
470名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 08:09:01 ID:2CugasrV0
>>465
次、異民族との問題に関しては後漢以来の問題だから、司馬炎ひとりに全責任を負わせるのは
大間違い、新たな異民族対策を打ち出せたか?と聞かれれば、もはや石勒の後趙政権による
胡漢融和政策しか回答はなかったと思っている(結実したのは北魏になってからだが)

塞外に徙戎するのはコスト的に不可能に近い
後漢においてさえ、異民族叛乱の鎮圧だけで国家財政が破綻しているのに、おそらく強制移住に
反抗すると思われる多くの異民族をどうやって、漠北、青海に駆逐しようと言うのか
事実、強制移住によって(これは内地での移住だが)成漢の李氏兄弟が大規模な叛乱を
起こしているのは、この徙戎論がいかに荒唐無稽な論説であるかの証左に他ならない

まあ、石勒みたいに内地で300万人以上(当時の華北戸籍人口の5割ほど)強制徙民させている
人物もいるが、こいつの場合やってる残虐行為の規模がそこらへんと違うからなあ
苻堅みたいに、身内のテイ族を移住させただけで叛乱起こされてる人間もいるしな
民族問題の根は深い
471名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 08:09:19 ID:TkxtcYEY0
>>465
全面同意。人を評価するのに、『ランク付け』などと卑小なもので決めつけないで欲しい。
人が傑出した行いや過誤、愚行を行うのは決して偶然や運によるものだけではない。

司馬炎の政策は、律令については、統一王朝として法制度を晋の官僚が好きなように
(良きにつけ悪きにつけ)変えたがるのは当たり前。別に言うに足りぬ。

軍縮政策、軍屯・民屯の逐次廃止は時代に対する認識の甘さとミスマッチだ。
現代視点から見れば優れているから優れているというわけでもあるまい。
異民族侵攻の根を魏から受け継ぎ、
八王の乱がおこる原因を自分がつくっているのにこれはおかしいだろう。
しかも、現実に失敗している。

さらには、統一する以前から呉討伐に関する羊コの意見を賈充らの反対で無視し、
討伐意見を主張し、呉を滅ぼした杜預たちよりも
反呉討伐意見を抑えるため、賈充たちの方の地位を引き上げている。
ビジョンが全くない、調整型政治の見本だ。
すでにこの頃から凡君以下であることが分かる。
思考や政策段階がすぐれていてもこれでは効果的な実行に移せるわけがない。
(さらにはその賈充の娘、賈南風にいいように後継者を操られている
 賈充が生きていたら晋は乗っ取られていたのではないか)

ID:mYTworON0氏が悪いイメージが先行している人物を見直そうと考えているのは分かる。
だが、創業まもなく一族同士で殺し合い、さらには異民族に侵略され、
中国北部を占領された原因を放置した
(しかも、遼や金のような強力な異民族王朝が敵ではないのに)
司馬炎を認めるならば、どのような政治家の失策も良い点があったと、認めるも同じだし
歴史に学ぶという考えそのものも放棄してしまうことになると思う
(司馬炎がなぜ失敗したかを考えるのはよいと思うが)

さらに自分も世間の曹操過大評価には怒りを感じている派だが、
さすがに司馬炎を曹操以上といわれるのには不愉快だ。
王莽も政策面ではよいところがあるが、失敗の責を一身で受けている。
司馬炎も同じように対するべきではないか
472456:2007/08/17(金) 15:26:22 ID:sLv5LZ2+0
>>471
>さすがに司馬炎を曹操以上といわれるのには不愉快だ。
>>451
>もしかしたら、評価する人によっては、曹操より高く評価する人もいるかもしれない
と言ってるだけだし、本人もゴミ扱いに反発してるだけでしょ?
>>454>>457も俺も過小評価については述べてはいるが司馬炎>曹操とは言ってない。
>>467も司馬炎を評価するのは難しいと言ってるだけだし。
>>469-470は司馬炎の政策について分析してるだけだでしょ。

>王莽も政策面ではよいところがあるが、失敗の責を一身で受けている。
>司馬炎も同じように対するべきではないか
王莽も司馬炎の行った政策は失敗に終ったが司馬炎はまだ弁護の余地がないかな?
(もちろん両者供に責任はある)
王莽は個人的な理想を叶える為だけに打ち出した時代錯誤な政策にしか見えない。
(俺だけかもしれないが)
無理矢理、周代の治世に立ち戻そうとしたり二姓限定や周辺国への扱いなど
俺は王莽については弁護できない。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 16:02:15 ID:4bu7vHS10
王莽については、中国が儒教国家となる基盤を作り上げた人物として
最近は評価の見直しが進んでいるよ。
新を否定したはずの後漢も、実は王莽から受け継がれたものが多く見られることも指摘されてるしね。

西嶋定生曰く(『秦漢帝国』より)
「われわれはかれに対する道徳的な価値判断をやめて、
かれが行なった諸改革とその結果とが、
儒教の理想社会を実現するために試みられた、
最初の試行錯誤の歴史であるとして、
これを冷静に観察することが必要であろう」

ここの司馬炎批判についても同様、
「道徳的な価値判断」の見地ばかりから感情的な批判をして
その歴史的意義について冷静に分析できていないんじゃないかな?
474名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 16:51:19 ID:edyKC0YV0
所謂「失敗作」「落伍者」でも、最高権力の座にあれば、
その信念の度合いに応じて歴史的意義のある有為の仕事はいくらか出来るだろうよ。

確かに司馬炎は統一者として無為無徳の輩ではない。
だが彼に破綻の全ての責任を被せるなと言っても、
その手にした「力」に比べて「為」も「徳」も明らかに寡な過ぎるだろう。
475名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 16:55:22 ID:edyKC0YV0
王朝の創業者にかかる責任は取り分け重く、
それを王莽のように馬鹿なりに自分の信念を貫徹したなら俺とて弁護もするだろう。
だがどう見てもそれから逃げた男を非難せずに何をすればいいのか思いつかない。
476名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 17:54:44 ID:sLv5LZ2+0
ある人物を非難、批判するのは個人の自由だから異論は無いが
〇〇はゴミや厨は氏ねってとか感情的になるのは頂けない…
みんな有意義な論議をしようとしてるんでしょ?
477名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 19:40:42 ID:edyKC0YV0
まあ創業者としてゴミというだけで、司馬炎自体が大物なのは流石に分かるさ。
煽られ揚げ足を取られたので漱石枕流したまで。本意ではない。
478名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 21:11:21 ID:0i+XVrWQ0
ゴミとかネタ程度に取っておけよ
そんなに真剣に話がしたいなら、こんなとこに来ない方がいいよ
479名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 00:05:23 ID:Z7laxeoy0
司馬炎がごっつあんで天下を取ったように見えるのはしょうがないかな。
死後、間もなく一族同士の争い、その後は大分裂時代に突入したからね。

曹操の場合、溢れる才を持ちながら天下を統一できなかったのには
様々な理由が絡んでたと言ってしまうと
相対的に敵対者の劉備・孫権が彼に匹敵するほどの大物だったと認めてしまうことにもなるんだよね。
480名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 00:49:42 ID:Q10DFQ8/0
劉備はしぶといだけが取り柄。
徐州失陥時に統一候補としては終わってるし。
まあ曹操も張邈の乱で兗州失陥を失った場合、劉備ほど粘れたかは分からんけど。
ホント呂布は疫病神だわ。

あと孫権はどう考えても不利すぎだろう。
求心力が微妙なのに戦下手なのは厳し過ぎる。
荊州を略取出来ただけで神レベル。
481名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 03:11:30 ID:JVbEMFRs0
呂布が処刑されるときの「本当の裏切り者はコイツだ」みたいなのは当たってたんだよな
あの時劉備を殺しておけば統一できただろう
482名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 03:21:29 ID:f9fJS6Tr0
何の咎があって皇叔殺すんだよ
離反された後に戦場で討ち取れwwww
483名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 11:03:49 ID:Z7laxeoy0
それが曹操には出来なかったんだよな。
484名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 11:21:04 ID:tEJ4actqO
素朴な疑問
劉備をもっと上手く取り込むことは不可能だったの?
485名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 11:28:19 ID:szs6VcjC0
無理だと思う、ただしこれは曹操自身の能力の問題じゃないとも思う
上手く取り込んだとしても、離反か反乱されそうな悪寒
486名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 11:36:23 ID:Z7laxeoy0
曹操が漢朝擁護の忠臣になってれば
歴史の評価はガラリと変わったかも。
詩才、文才に加え忠骨溢れる名臣として語れたかもしれないね。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 12:17:40 ID:5VYoQQfx0
劉備の配下として曹操がいれば漢王朝再興の一番の忠臣とされていただろうなあ
488名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 13:21:12 ID:giV3uBaO0
>>485
能力の問題だろ。
曹操の人間的魅力は、高祖以下、劉備以下。
曹操は関羽すら部下に出来なかった人ですから。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 13:31:09 ID:XAwBvg5C0
なにそのゲームっぽい意見
490名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 13:33:56 ID:f9fJS6Tr0
ゲーム的なら相性でいいだろ
先に出会ったとかもあるだろうけど
人間同士の関係なんかほんと他人には分からねーよ
491名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 14:42:12 ID:tEJ4actqO
>>488
見限られる場合より付き従ってる奴の方が多いでしょ?
高祖には及ばないものの魅力が劉備以下ってことは無いと思うが。
492名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 14:48:00 ID:XdAPIB8H0
>>487
それはない
韓信が忠臣とは言われないのと同じ
臣下のままでいたら間違いなく粛清されるよ
493名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 15:04:25 ID:tEJ4actqO
>>492
君主しだいじゃないか?
唐の太宗、宋の太祖みたいな例もあるし。
皇帝に即位後の劉邦は猜疑心の虜になってたからなぁ〜
494名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 15:57:06 ID:6Sj4Vacn0
猜疑心にとらわれたというのもあるだろうが劉邦の皇帝即位時における韓信の地位も関係してるだろう。

論功行賞で韓信は楚王に封じられ、中央を脅かしかねない強力な軍事力を有していた。それは秦の制度を概ね踏襲した漢帝国の中央集権化を邪魔するものであり、新王朝の制度基盤確立のために韓信は粛清されたと考えることができる。

逆に言えば光武帝がしたように権力を有さない名誉職みたいなのにつければ粛清が起きない可能性もあるんじゃないの
495名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 16:39:51 ID:tEJ4actqO
曹操なら空気読んで対処できないかな? 
韓信自身も空気読んでたらちょっとは違う事になってたかも
(少なくとも死ぬ羽目にはならなっただろうに)
496名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 18:27:12 ID:JVbEMFRs0
袁紹の部下も曹操の部下も劉表の部下も劉しょうの部下も言ってるとおり、
劉備自体が人の下につく人物ではなく、必ず独立しようとする人物だったんだ
でも君主達は全員だまされて裏切られた
497名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 20:20:16 ID:f9fJS6Tr0
騙されたとかどんだけ間抜けなんだよ
498名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 02:04:04 ID:E7j6v6gr0
そこで「大徳・劉玄徳」って事になる訳だ
499名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 08:45:15 ID:rVtFnv7L0
>>497
みんな、「俺なら使いこなせる。裏切りを考えるような隙を作らない」と思ってたんだろうね。
袁紹のことは裏切ってないよね、実際。
500名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 10:08:30 ID:S51E8u7uO
いや、みんな劉備の事は傭兵屋程度にしか思っていない
501名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 10:15:31 ID:K7XuyaVY0
劉備戦上手すぎ
502名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 10:21:19 ID:KIHH5C7A0
前半の劉備軍=流浪の傭兵団か。
なんかカッコイイな!
503名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 20:18:52 ID:6FMzdnIj0
なんかこの板では曹操過小評価されすぎだな
統一を達成したか否かなんて個人の能力とは関係無いじゃん
504名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 20:46:24 ID:0Y/GRO8F0
歴史上の人物の能力なんて結果でしか計れない
505名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 21:09:39 ID:siSZvp+w0
>>503
中国史全体で見れば相対的に低くなるのはしょうがないだろ
つか、統一の可否が個人能力に関係ないとかって・・・
506名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 23:57:55 ID:hCzVXpdR0
>>503
曹操は寧ろ過大評価されすぎなんだよ。
彼の場合、失敗は過小、成功は過大。
これが最近の曹操評では通説となってるから
誤解を生みやすくなってる。
それに天下統一の大事業は君主の偉業において
最も評価すべき点だと俺も思うな。

507名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 00:14:37 ID:WxolQ1Fz0
>>506
ということは曹操は劉邦や司馬炎より劣るってことかい?
508名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 00:28:31 ID:6b+MU4rc0
例えば統一した司馬炎は曹操より評価が高くなるのか?
509名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 00:29:58 ID:u81oFH560
劉邦よりは劣るね。
劉邦は人を使うのが上手い。
それでいて天下を取ったんだから
珠玉の人材を使いこなし天下を取る事が
出来なかった曹操よりは総合的に上になるだろう。
漢朝400年の祖というのも大きな特徴だと思う。
まあ、これは完璧に結果論だけどね。


510名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 02:53:46 ID:97NNj3C80
>>505
散々既出だが、統一の可否「だけ」で判断することが問題視されてるわけで

結果論、成果主義で全てを決めるとすれば
人物個々の掘り下げた分析なんて、全くの無意味になるよね。
議論の余地なんてないんだから、このスレの存在も不要になる。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 07:48:32 ID:mIT2tcyT0
>>509
>>漢朝400年の祖
だから、前後で違う政権を一緒くたにして、その功績を劉邦一人に帰させる言い方は妥当ではないって。
劉邦の業績というのは、一旦統一されたものが強く分裂しようとしたものを、集合する方向に方向付けたもの。
あくまで彼の世代では、まだ完全なる統一には至っていなかったから。
でなければ、彼の後に続いた賢君はおろか、光武帝がその後の中国の方向性を決定したことさえ無視していることになる。
512名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 11:20:19 ID:PrylUn0u0
曹操は、後に何度も繰り返される長江防衛の基礎を築いた人間として、
中華の歴史に燦然と輝く
513名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 17:37:21 ID:hQ6pJsAyO
曹操が他の統一王朝創始皇帝(曹操自身は皇帝じゃないけどさ)より功績をあげた・優れていたとすれば、詩かな?
514名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 18:57:11 ID:u81oFH560
段階評価にしてみたらどうだろう。

10 李世民
9  始皇帝、康熙帝
8  劉邦、漢武帝、光武帝
7  李隆基、武照タン、朱元璋
6  石勒
5  曹操、苻堅
4  煬帝、趙匡胤
3  司馬炎
2  劉禅
1  王莽

とりあえず大雑把に人選を集めて見た。
こうすれば曹操の格も分かりやすくなるかなと。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 19:29:44 ID:jKjCpwzs0
趙凶陰が煬帝と同じとか楊堅様がいないとかなめてんの?
516名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 19:36:22 ID:mIT2tcyT0
>>武照タン
ここだけ萌え要素w
>>趙凶陰
ものすごく凶悪そうなんですが…
517名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 19:47:23 ID:yRZUkuWJ0
10 康熙帝
9  劉邦、朱元璋、
8  光武帝、李世民、永楽帝
7  趙匡胤
6  漢武帝、始皇帝、楊堅
5  曹操、苻堅、武照タン、石勒
4  李隆基、梁武帝
3  煬帝
2  劉禅そのた幼帝廃帝
1  王莽、司馬炎そのた暴帝

俺はこんなとこかな
518514:2007/08/22(水) 19:54:11 ID:u81oFH560
>>515
すまん、大雑把に決めてみただけなんだよ〜。
趙匡胤をごっつあん天下の皇帝扱いしてごめんよ。
519名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 02:05:57 ID:e123UOyi0
>>514
その面子の中だと4か高くて5ぐらいか
520名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 10:15:33 ID:eSU31KduO
朱元璋や清の頃はモンゴルの経済遺産の残りカスを朝貢貿易とかで食ってた没落三流厨国じゃん。
チャイナの威厳がなくなった時代が春秋戦国や三国志のチャイナ発展期に敵うわけない。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 14:30:13 ID:bRJ/gu5WO
>>520
寧ろモンゴル(元)は江南の生産力で養ってもらってた様な…
チャイナの威厳がなくなったのは清の後半だし。
それに永楽帝、康熙帝の立場が…
522名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 19:47:49 ID:UqY6EKbD0
朝貢貿易から植民地経営に舵取りできなかったのがなあ
523名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 19:55:31 ID:1i7Tcmpd0
>>521
三国志の時代は強大な異民族が存在しなかった運のいい時代でもあったけどな。
だからこそ、のうのうと自国のみの内輪もめに集中できたんだし。
524名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 20:13:43 ID:bRJ/gu5WO
>>522
無理。自国に併合する理念はあっても植民地とする理念がない。
(従順な奴には朝貢を認め従わない奴は討伐する)
周辺国には己が施してやってんだって気でいる訳だし。
(自分が世界の中心=中華思想)         
スペイン・ポルトガルは領土拡大するには外に求めざる状況だった。
他の列強諸国はスペイン・ポルトガルに右に習えしただけ。
(対抗意識もあったんだろう)
525名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 20:51:22 ID:oZtPJHoZ0
>>517
納得。ちなみに貴方の意見だと、宋太宗はどの辺?
俺ならこのランクだと6くらいに置くかな。
526名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 00:09:47 ID:n4sP6uuwO
ソウソウを含めた戦争を行った者達は愚かだ
私は尊敬出来ない
例え百戦練磨であっても同じだ

なぜその才能を本当の平和の為につかわなかったのか?
なぜ解りおうとない

何の為の知能か
何の為の理性か
何の為の言葉か

結局みなは、時代の流れに逆らえず
表層の目をうばれ死んでいったんだろう…。

誰もがたいした事無いって事だ。

現状の中国も含めた人間社会がそれを示している。


本当の自分さえ見失って
本当に伝えるべきものを伝えれず
表層の物事しか受け取れ無い

弱い自分を守る為に
偽り
騙し
疑い
傷つけ合い
心を閉ざす…

そんな世界を根本から変革し、皆を幸せに導く者が本当の一流だと思う
527名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 00:14:09 ID:zcZhAGe+0
>>526
つ老荘思想
528名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 00:18:34 ID:ZZmIZTaA0
8.0:鉄木真
7.5:贏政、朱元璋
7.0:劉秀、趙匡胤
6.5:劉邦、楊堅、李淵、柴栄
6.0:石勒、拓跋Z、努爾哈斉
5.5:曹操、苻堅、蕭衍
5.0:司馬炎、劉裕、蕭道成、陳覇先、李存勗、劉知遠、郭威
4.5:司馬睿、朱全忠、石敬瑭、趙構
4.0:項羽、王莽
529名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 01:04:34 ID:TK5pHg6/0
>>525
宋太宗なら俺はあえて兄と同じ7かな
千載不決の疑を差し引いても政治や国土を安定させたのは評価できると思う
530名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 01:17:46 ID:TK5pHg6/0
そこまで中国史に詳しくないから>>528に出てくるような皇帝のわけかたはできないが
大体こんな基準
7〜10あたりは難しいけど
10 言葉では表現できない神君
9 長期大帝国を作り上げほぼ完成させた
8 長期大帝国を安定させた(全員初代ではない、光武帝も劉邦の子孫である)
7 8、9と同様だが皇帝個人の能力が少し劣る
6 大帝国を盛り上げたが死後に国が傾いてる
5 地方、短期政権を盛り上げたが死後に国が傾いてる
4 1代で興隆と衰亡する(老害)
3 暴君だが功績もある
2 無能で国を滅ぼされた(専横や外敵などに)
1 無能で国を滅ぼした(ほぼ自分が原因)
531名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 01:18:01 ID:n4sP6uuwO
>>527
根本的に違います。

全てを否定する老荘思想とは反対の意見です。

あんまり書くとスレチだから言わないけどね。
532名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 01:23:12 ID:1d9yaBmG0
俺ならこんな感じかな

10 始皇帝、康熙帝、フビライ
9  劉邦、李世民
8  光武帝 、朱元璋、趙匡胤
7  楊堅、王莽
6  石勒 、曹操、劉裕、蕭衍
5  苻堅、司馬炎、司馬睿、陳覇先
4  劉備、項羽

533名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 01:39:51 ID:ZZmIZTaA0
>>532
冒頓にボロ負けした劉邦が何故そんな評価なのか?
後継者たちに半世紀も匈奴への土下座外交を強いた大失敗を考えればありえん。
無用の高句麗遠征でメッキが剥がれた唐太宗も同上。
王莽は簒奪者としては超弩級だが天下とってからアレ過ぎる。隋文帝と並べるのはおかしい
534名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 02:34:53 ID:CSPzTfUF0
>>533
お前の見方が正しいわけでもないがな。
535名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 02:49:52 ID:ZZmIZTaA0
そりゃそうだ。おれは完ぺきに選り好みで決めたし。
536名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 02:55:44 ID:K21bCf+y0
2007年08月23日
信号
天を見よ。
雲は危うきを伝えし。
月はオレンジ色に光り、太陽の光はますます強きなり。
虫が異常発生するは気を付けよ。大量死もまた然り。
海の大きなる生物方向間違えしも危うきなり。
海の温度にも気を配るべし。
海の温度異常に高くなるも危うきなり。
季節はずれの桜もまたあやし。
熊が人里に降りるも山の形態富みに乱れしゆえ。
温暖化の現象、人が思うよりはるかに早く進行す。
のんきに構える間に人の知らぬ場所、人智の及ばぬ場所にても静かに早く進行し、突然牙を剥くなり。
自然は様々な形にて地球の危機を告げん。
空を飛ぶ生物も危機を告げたる。
蜂の減少には特に気を付けるべし。
自然界の動植物は危機を察知する能力あり。
人間のみがそを失いゆく。
自然界のありとあらゆる生物からの警告を真摯に受け止めよ。
遅れはならず。
瀕死の地球を救うには、地球上に生きし者の清き魂にて、地球の波動を美しくさらに高めて、共に力を合わせ、知恵を出し合い、地球の再生を祈りて手を取り合う事が必要なり。
今、人間が地上にて争い続け、戦争続けるならば、波動はさらに悪化するばかり。
遅れはならず。
今、心を一つになさねば間に合わぬ。
まずは地震にて狂いし地軸を、人間の美しき波動にて元に戻すが大切ならん。
537名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 19:10:32 ID:zcZhAGe+0
>>533
そんな辛口評価したら
曹操なんて1〜2レベルになっちまう!
538名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 19:23:34 ID:0nWhF8OI0
自分はこうかな

10 康熙帝、李世民、朱元璋
9  劉邦、光武帝、趙匡胤、フビライ、
8  柴栄、永楽帝、始皇帝、雍正帝
7  楊堅、趙匡義、乾隆帝、朱全忠
6  苻堅、武照、石勒、曹操(文化面を考慮)
5  劉裕、慕容垂、桓温、李克用、梁武帝、漢宣帝
4  劉備、李雄、孝文帝、李隆基、 漢武帝、漢文帝
3  項羽、司馬懿、孫権、趙構、煬帝、石虎、王莽、袁紹、曹丕
2  司馬炎、司馬睿、李治、唐徳宗、宋神宗、西太后
1  劉禅など凡君・暗君
0  孫晧など暴君

こうみるとみんな曹操の評価は、結構高いね。
漏れているのもいるけど、中国史で大体、20〜30位ぐらい?
後漢末〜三国時代でダントツ。100年に一度の英雄は名乗ってもいいかな?
539名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 19:53:34 ID:HxGClt5f0
だめ。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 22:44:55 ID:Uij9F1pt0
始皇帝、漢高祖、光武帝、晋武帝、隋文帝、唐高祖、宋太祖、元世祖、洪武帝、順治帝

統一の成否で指導力を計るのは、それなりに妥当な手段じゃなかろうか。
何しろ、前221〜1912年の帝政時代にたったの9人しかいない訳だし。
魏武帝、後周世祖はそれらに準じる手柄と見ていい。
541名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 00:12:11 ID:78HyonTO0
>>538
あくまで皇帝もしくは王のみの評価だからね。
思想家や武人の英雄も加えると、曹操は中国史で50〜60位くらいだろう。
542名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 00:41:04 ID:I/zFOIUY0
>>540
どう見ても10人いる件
543名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 01:41:03 ID:fU+YpTRXO
フビライは統一とみなしてないんでしょ?
あくまで元は領土の一部としてカウントしてるんじゃないの?
544名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 01:47:30 ID:I/zFOIUY0
1:女真が明を吸収=清
2:蒙古が金&南宋を吸収=元

でいいだろ。似たようなものだ
545名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 07:20:27 ID:fU+YpTRXO
じゃあ>>540は趙匡胤は燕雲十六州を回復出来てないから
9割しか統一出来たとみなしてないんじゃないの? 
(もちろん宋代では誰も燕雲十六州は回復出来てないけど)
司馬炎は父、伯父、祖父
、順治帝はドルゴンの存在も無視出来ないよな
魏武帝、後周世祖はそれらに準じる手柄って苻堅は無視されてるし
546名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 09:15:34 ID:WyCaSYuI0
>>538
確かにそうなのだけどね、ただ、孔子・老子や李靖らと偉大さを比べようがないので
基準はあくまで皇帝・王との比較に絞りたい

>>540
統一をある程度考慮にいれるのは賛成だが、
一族から受け継いだものと、スタート時点の差(これで石勒が高い)
また、統一した後、紆余曲折があっても平安に導いたことをポイントに入れたい
曹操・司馬懿・司馬炎は様々な事情があったにせよ、自分たちの死後、内紛や異民族侵攻を招いた
歴史の流れともいえるが、それを跳ね返すのが英雄ともいえる
(唐や宋の時でも内紛→異民族侵攻→敗北→大混乱はありえた)
だから、9割しか統一できなくても、劉邦や趙匡胤の自分の評価は高い。
柴栄は統一への基礎をつくり、それは生かされた。
楊堅は後継者とせいといえるが、(選んだ責任はあるが)曹操はその言い訳はできないだろう
だから、魏武帝が統一者に準じるというのはどうかと思う。
曹操は傑出した英雄不在の光武帝死後、石勒出現までの二百年以上に生きているのが
得している原因ではないか(レベルが低いのではなく、この間は飛び抜けた存在がいない)
547名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 12:14:21 ID:78HyonTO0
曹操は立場的には結構恵まれた地点からスタートできたのに
天下統一までたどり着けなかったからね。
やはり、中堅クラスに甘んじるのがそれっぽいなあ。
548546:2007/08/26(日) 12:36:36 ID:mYm4+ez90
ごめん。
自分のは>>538ではなく、>>541ね。訂正。
でも>>540に王莽と武照は入らないの? 一応、統一した創業皇帝ではあるのだけど
549名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 12:46:58 ID:fU+YpTRXO
>>548
自分はアホなんで教えていただけると有り難いのですが、
他人からパクっただけの奴は一応、統一した創業皇帝になるのでしょうか?
550名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 14:22:39 ID:jPh80R5W0
パクったとは、簒奪のことを言うのだろう?
権力を得るのと、中国圏をその威命のもとに従わせるのとでは違うぞな。
中央で権力を得ても、それに従おうとしない勢力が多ければ、天下統一とは言わない。
551540:2007/08/26(日) 17:11:07 ID:I/zFOIUY0
なんか曹操だけ異常に要求が厳しくないか?
「恵まれたスタート」といっても反董卓同盟結成時には太守ですらなかったのに。
当時は自分以上に恵まれていた袁兄弟がいたし。
劉備とか三国鼎立まで生き延びたのが信じられない男と比べるのはちょっとおかしいと思う。
まあ俺は血筋による遺産も本人の実力のうちとして換算し、
部下の手柄は責任とともに上司に帰すように計算してるから、
異論があるのは当然なんだが。

>>545
もちろん苻堅とか石勒も入れていいだろうけど、
一応は北半分を統一し、相続が上手くいった曹操をイタチのいぬ間のネズミ扱いは酷い。
552名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 17:30:11 ID:N7bV9KGR0
楊堅が7って高過ぎないか?
553名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 17:35:44 ID:U9nxhu//0
このスレ、やたら石勒の名前が挙がるが
実際、曹操とどっちが上なんだろうな
三国ヲタだと曹操で、五胡ヲタが石勒で平行線辿りそうだ

子孫の代で異民族に打撃を受けている、を減点項目に入れてしまうと
洛陽に都を置いたせいで、長安含む関中を諸羌に蹂躙されまくった光武帝も
かなりの国防センス皆無だと思うんだがね
(両都議論自体は昔からあった上での判断だったわけだし)
国を傾けるくらいの国防費の膨張って、実は結構珍しいパターンじゃね?
554名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 18:09:04 ID:QuQbbwKe0
>>552
楊堅は確かに比較的楽に天下をとっているが、内政面ではすごいぞ
まだ、獲得して間もない旧北斉領土を離反させていないし、生前中に陳の討伐に成功させている
また、長年、弊害となっていた貴族制度に切り込み、冗官整理にも成功させている。
明・清には弊害となりイメージは悪いが、西洋でさえ絶賛された科挙制度を始めた。
法制度は唐に受け継がれ、戸数を倍増させることに成功した。
曹丕から司馬炎までの魏・晋の皇帝・権力者の役割を一人でやったのだ。

それに対して、曹操の九品官人法は曹操の生前はある程度機能していたかも知れない
が、貴族制度がいきすぎ(これも時代の流れかもしれないが)王朝の機能を低下させ
寒門層の不満がたまり、魏・晋の衰退を招き、調整型政治しかできなくなった。
この差は大きいと思う。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 18:29:41 ID:fU+YpTRXO
>>553
石勒の名前が挙がるのは比較的功績とかが似てるからだろ?
時代もメチャクチャ離れてる訳では無いし。
あと実際どっちが上とか実にくだらないと思うが…
そう言う発言するから影で批判されるんだよな。
三国誌も五胡もスキーだがあえて意見を述べさせてもらえば、
石勒の方がスタートの時点でのハンディが大きいと思う。
曹操は大宦官の孫で裕福な家柄だし、裸一貫の石勒と比べれば、
曹操の方が遥かに有利じゃないかな?
既存の政権も利用出来た訳だし。
556名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 18:44:01 ID:78HyonTO0
仏教文化の繁栄に広く貢献したという功績も含めれば
石勒を高く評価するのも分かる気がする。
仏教はキリスト教、イスラム教に匹敵するほど規模の大きい宗教だからね。
詩を広めた功績も並ではないが、それでも曹操では並べないだろう。

>>551
劉邦は自作農でなんとか食える程度の農民から
朱元璋はその日の食扶ちにも困る極貧階層から
のスタートに比べたら曹操は恵まれていたじゃないか。
それでいて、上記の両者は天下統一。
曹操は地方君主で終わり。
まあ、この差をなど考えていただければ
別に厳しい目で見てるわけでもないかと。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 18:57:45 ID:U9nxhu//0
>>556
劉邦の身分に誤解があるなあ
都市国家の農地を持った市民階級てことは、その気になれば官僚目指せなくもないぞ
そりゃ士大夫階層から見れば下賎の身分だが、奴隷や労役に駆り出される下級民が
たくさんいた秦代で、劉邦の身分は恵まれていた方だ
後世の時代の激流に翻弄される悲惨な零細農民と思わないほうがいい
(西アジアやローマ的な市民のイメージに近い)
558名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 19:03:32 ID:78HyonTO0
>>556
なるほどご指摘ありがとう。
劉邦はそこそこに恵まれていたんだね。
559名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 19:04:49 ID:QVcwjeZO0
曹操は劉秀より有利だし、李世民と比べても有利じゃないかな
(次男だから、発言権は弱かったろうし。父と兄の存在はプラスばかりでもないだろう
 足を引っ張られた話は本当かも知れないし)
趙匡胤、柴栄と比べても微妙なような。
楊堅や始皇帝と比べるのはおかしいしょ。この二人が高いのにはちゃんと理由がある
司馬炎は全員、曹操より下にしているし
560名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 19:27:10 ID:YMFub8ymO
>>554
> それに対して、曹操の九品官人法は曹操の生前はある程度機能していたかも知れない
九品官人法は曹操の息子の曹丕が採用した法だぞ
そもそも九品官人法を曹丕に進言した陳羣自身は名士(貴族の原型)で、恐らくは名士層の既得権確立のための法。
> が、貴族制度がいきすぎ(これも時代の流れかもしれないが)王朝の機能を低下させ
九品官人法を改悪したのは司馬懿、州大中正の制によって、
従来の郡中正の上に州大中正をおいた。
名士による既得権の確保をより容易に、またより強固にさせた。
561560:2007/08/26(日) 19:30:12 ID:YMFub8ymO
ごめん。州大中正の制は司馬懿生前は棄却され西晋の代になって採用されたのか。
立案者は司馬懿でかわりないけど。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 19:52:40 ID:jPh80R5W0
趙匡胤の趙家は唐の時代には下級官吏などやってたから、零細な農民出身ではない。
ただ、世の中が安定した地位を約束できない状態だったから、過去に中央の役人を輩出していても
(全然高官ではなかったが)趙匡胤の父の代では、節度使の私兵として雇われたりする状態だった。
それでも、たまたま後唐が華北を治めたので、その皇帝親衛軍の一将として、他の地方軍将兵より
一段上の地位となれた。
しかし趙匡胤はその父の恩蔭を受けず、自らの裁量をもって後周の親衛軍に編入され、
特にその力量を公子・柴栄に認められたのが幸いして、立身して行けた。
自身で軍閥を形成せず、朝廷内での地歩を固めたので、地方から独立して乱を納めた朱元璋や
劉秀あたりに比べると、あるいは恵まれた環境と言えるかもしれない。

柴栄は地主層出だから、叔母が故郷への帰路、郭威とすれ違わず、また突拍子もない結婚申し込みを
しなければ、世に出ることはなかったかもしれない。
幸運が幸運を呼んだように見えるが、各地に行商に出たりと、そっち方面での苦労人ではある。
独立や皇帝の地位を特に望んだ野心家という感じではないが、その責任を負うとフルに活かした感じ。
早世しているので、評価は二分されるだろう。

李世民の場合は、幸運というのは父・李淵にあって、李世民は実は実力を発揮すればするほど
危険な立場であったと言える。
自身がおとなしく飼い殺されれば、あるいは悶着も起きなかったろうが、自ら望んで帝位を狙った。
責任を負うたあとも、なるべく善政をと意識しているので、感情はともかく評価が低くなる要素とも思えない。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 22:01:41 ID:al2ENdd80
>>551
曹操は「反董卓同盟結成時には太守ではなかった」だけで、自分の私財や縁を総動員すれば独力で軍閥の端くれになれるだけの財力や影響力があった。
曹氏はすでに多数の高官を輩出する権勢家だったからね。
袁紹は逆に冀州という彼の地縁や自身の財力をどこまで有効活用できたか分からない場所から覇業を興しているわけで、その時の有利不利自体は一概には言えないと思う。
それに「より恵まれていた○○がいた」などと言い出したら、劉邦や朱元璋の評価は天井知らずになってしまうよ。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 22:28:15 ID:CHmhhp7H0
>>560

>九品官人法は曹操の息子の曹丕が採用した法だぞ
>そもそも九品官人法を曹丕に進言した陳羣自身は名士(貴族の原型)で、恐らくは名士層の既得権確立のための法。

ごめん。そうだったね。勘違いしていた。
でも、曹操よりも司馬懿の方が(実像より)過大評価をうけている気がするなあ
(最後の勝利者とか、晋朝百年以上の基礎を築いたとか、本当は魏の忠臣とか)
曹操はなんだかんだいって間違いなく英雄だけど、
司馬懿って軍才と謀略だけの軍人じゃなくね? 諸葛亮のライバルってのも怪しいような・・
565名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 22:42:55 ID:I/zFOIUY0
司馬懿もそうだが司馬師、司馬昭が省かれる。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 23:01:52 ID:A187cMUb0
>>563
さすがに、曹操より袁紹が不利とかはありえないだろう。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 01:57:18 ID:+q5kvhPh0
曹操は軍事評価のマイナスが大きい
568名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 03:50:14 ID:eBd9Tgf70
常識的に考えて一州切り取れるだけで軍人としての実力は相当なもの。
エン州、予州、徐州、司隷、冀州、青州、ヘイ州、幽州、涼州と九州も切り取った曹操の実績は破格としか言えない。
本当の問題は自分自身に手柄と精鋭部隊を一極集中してしまったシステム上の偏りにあるのではないだろうか?
呉蜀に統一の目など無いが、曹操死後は魏でさえも現状維持が手一杯だった。
まあ、曹操存命時は反乱続出で何時大崩壊してもおかしくなかったというのもあるが。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 05:54:36 ID:+841nnan0
>>560
九品官人法は土豪から既得権益を奪い取る法律なんだよ
名士層の取り込みってよりは戦時だし中央集権国家による国力増強が目的だろう
漢の郷挙里選は人事の権利が完全に豪族の物だった(推薦しなけりゃ任用もされないから)
後漢崩壊の最大の原因は地方が力を付けた事によるものだから地方の力を削ぐ事が重要になっている
そこに中央の手を入れる事によってなだらかに人事権を奪取するのが目的
運用時には「これじゃ中央の権限が強すぎる!」ってな批判もあった
570名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 18:56:38 ID:kWOU7/I60
曹操もやはり人の子か。
なんだかんだでやっぱり自分が一番なんだな。
その精鋭の一部でも西部の夏候淵に回せれば
漢中戦の情勢も変わったかな?
まあ、結局はその直属の精鋭を要した曹操正規軍でも
正面から劉備軍に叩き潰された戦だったけど。
571名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 19:02:44 ID:pqvu+kFI0
なんで完璧超人のはずの曹操が万全の常態で負けたの?
572名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 19:58:28 ID:kWOU7/I60
ネプチューンマンと武道も完璧超人なのに負けたじゃないか。
それと一緒。
優位に立ってる人間ほど油断もしやすくなるもんだよ。
曹操は結構隙を見せる人物。
573名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 20:40:20 ID:hrIdbUET0
>>571
完璧超人じゃなかっただけ
574名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 18:09:39 ID:ObPWLBaM0
赤壁であっさり撤退したり、「ろうを得て蜀を望まず」という言葉があったりするのをみると、
西方や南方へはあまり関心がなかった、統一の意思自体あまりなかったのだろうか。
575名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 20:04:41 ID:eCYs1oFcO
結果的にそうなったからで統一の意志はあっただろう
576名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 20:48:42 ID:iIZZ0HC00
曹操は遠征で不利になるとさっさと撤退する。河北戦でもそうだった。
それが曹操のえらいところだな。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 21:28:55 ID:eCYs1oFcO
大体は自軍の方が勢力が大きかったりすると自惚れて、
どうみても不利な状況にも関わらずそのまま進軍したりして自滅するパターンが多いよね。
状況を判断し、撤退という選択肢をちゃんと選んだ曹操は確かに偉いと思う。
578名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 22:01:58 ID:pKI70ZX30
ヘタレだっただけかもしれん
579名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 23:40:05 ID:2cvzht8w0
撤退を選んだのは偉いがそうなると
所詮はそこまでの器だったということにもなるな。
やっぱり中堅どころなイメージが強い。
580名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 01:11:46 ID:J3sSvhaS0
三国時代って傑出した人物がいなかったんだな……。
一応、君主でも個人でも曹操がトップだよね。
581名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 13:23:45 ID:+UvWioMm0
いや、傑出した人物は居た。
ただ君主が扱えなかっただけだろ。
賈詡とか荀ケとかね。
582名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 18:46:02 ID:wc93m4Bp0
>>580
まあ、それでもドングリの背比べってくらいの差しかないけどね。
中国史全体から見れば。
>>581
賈詡+荀ケの二身合体をすれば劉基クラスの大物になれたかも。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 18:57:55 ID:35CErxhh0
時々、曹操を中国史上では二流、三流としながら、
荀ケはじめ、その部下は一流ランクのようにいう人を見るが、
その根拠がわからん。
584名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 19:16:31 ID:wc93m4Bp0
曹操のことを調べれば普通に分かると思うが
曹操は彼を支えた名臣なしでは
戦場で何度命を落としたか分からないくらい追いつめられている。
そして起死回生の機略を産み出したのも曹操ではなく曹操の名臣達。
ゆえに曹操は2流扱いでも、臣下は1流扱いされるのかも?
個人的はそこまでとは思わないけどね。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 19:20:22 ID:+dsMuz4B0
尻の締まりだけは一流
586名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 21:18:33 ID:35CErxhh0
>>584
いや、今さらそんな当たり前の話じゃなくてね。
そんなの曹操に限らず、ここで上がっている、歴代の英主にも、優れた部下がいて
彼等の果たした役割は多かったわけだし。

しかし、曹操に限って、プラスの要素は部下のおかげ、
マイナス要素は曹操がヘタレだから、部下の問題は問わない
というような論調を時々見るが、曹操だけを故意に貶めたいように思える。

曹操の部下も、それなりに優秀だったけど、
天下を統一するほどの人材はいなかったと考えることもできるわけだし。

そこんとこの、
曹操自身に対する酷評と、その部下に対する甘い評価の温度差に疑問を感じたわけだが。
587名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 22:46:30 ID:0Lpiq5f90
そうだな。
そもそも曹操を危地に陥れたのは誰なんだよという気がするな。
謀臣どもが不甲斐ないから曹操が苦労したんじゃねえかと。
その失策を見抜けなかった曹操もまずいし、どっちがましとも言えんだろ。
588名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 23:09:21 ID:/pO91oa60
参謀や部将にどれだけアビリティがあっても、
大将の指導力の枠を越えた手柄は出せない。
589名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 23:16:36 ID:cbUeMlL00
だからこそ、将の将たる器の漢高祖や、
文武の名臣を自在に使いこなした唐太宗は
傑出しているわけだな。
590名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 23:19:03 ID:xWXC4ufb0
>>588
曹操の場合、赤壁前夜のカクの進言の件が全てを言い表してるよな
591名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 23:56:08 ID:wc93m4Bp0
>>588
漢高祖や明太祖の場合は張良や劉基を師父のように敬い
畏まってその献言に耳を傾けてたらしいな。
曹操はそういう謙虚さにも欠けていたんだろう。
だから最終的には自分勝手に突っ走って自爆とかも多かったのかもな。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 00:06:48 ID:Z2EUiSHP0
田豊を退けた袁紹と同レベル
593名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 03:22:04 ID:Cw4IYnpr0
演義と正史混同してるひとがいるな
594名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 04:00:39 ID:hahXvJig0
>>586
いや、曹操を持ち出して君臣の話は、話のすり替えだな。
580の意見からの答えだろ。一流の人物が居たのかどうかの。
まあどうでもイイけど。

賈詡に失策は無いと言われている。
ちなみに彼の助言を採用しなかった曹操は『統一』に失敗する。
どの時点か、調べれば解るだろうけれどね。

賈詡は、陳平に次ぐっと評される人物だよ。
一流でいいと思うけれど?
595名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 04:51:36 ID:qDKeGmES0
なんか賈詡は妙に過大評価されてる気がする。
「賈詡に失策は無い?一流?馬鹿じゃねえの?」
と裴松之先生なら激怒すんだろうなw

ま、そんな冗談は置いといて

>賈詡に失策は無いと言われている。
正史の列伝は、基本功績メインで書かれるんだよ。
失策無しの謀臣や不敗の名将がウヨウヨいることになるw

>ちなみに彼の助言を採用しなかった曹操は『統一』に失敗する。
賈詡の進言を聞いて、楊州侵攻を中止しても、
統一に成功した保証はないけどね。それはIF小説のお話。

>賈詡は、陳平に次ぐっと評される人物だよ
あちらの史書では、人物の評価に、古の人物を引き合いにだすのが常套。
曹操幕下でそういうポジションだったわけで、
実際に陳平並みの人物だったとはそれだけで言えるわけがない。

当時一流の謀臣ではあると思うが、
中国史上一流の謀臣に並べられるかと言われると、正直微妙。
596名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 07:14:27 ID:XOhCEvl60
>「賈?に失策は無い?一流?馬鹿じゃねえの?」
>と裴松之先生なら激怒すんだろうなw

激怒すんだろうな
なんて仮定の話をせずに、裴松之の論評をひけば済む話なんじゃないの?
この適当な代弁者ヅラって何処から出てくるの?
597名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 08:22:14 ID:KoqCNGOp0
曹操は最高でないだけで、一流の群雄なのは間違いない。
何でもかんでも「他>三国時代」とする風潮はどうにかならんのか?
また「使われる人間」は何時の時代も一流に成り得る一定数はいるに決まってる。
それを収集して、適切な機会を与えられないのは「使う人間」の責任。
まあ、曹操の場合集めるだけ集めて飼い殺しだが…
598名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 11:17:51 ID:uqVgADfU0
>>597
逆に曹操は何を持って一流なのか問いたいな。
歴史に残り延々と語り継がれるような政策を行なってでもなく
天才的な軍事能力を発揮し、戦を行なえば連戦連勝。
瞬く間に混迷の乱世を平らげ、太平の世を招聘したわけでもない。
乱世に揉まれなにをすることもなく終わった群雄の一人。
「三国志」の中のみでの話なら構わないが
中国史全体での話となれば当然、他の時代と比べれられてしまうはず。
そうなると自然と他時代の大人物に及ばない事実が浮き彫りになるわけよ。
「他>三国時代」という解釈を不思議に感じるのは三国志に対する贔屓目線が強すぎるからじゃないのか?

599名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 12:35:57 ID:i+tRInH80
三国時代は武将・軍師のレベル平均値がほかより高かったと思う。
600名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 12:47:17 ID:Z2EUiSHP0
一部の神クラス以外の軍人はどの時代でも変わらない
単に相対的なもの
601名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 12:49:32 ID:KoqCNGOp0
>>598
確かに中国史だけならそうかもしれんが、
世界史的に見れば曹操でも十分一流だろう。
統一をやるレベルの連中だと運とか実力が規格外の化け物ばっか。
同じ人間とは思えない。
まあそういう意味の一流だよ。
602名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 12:51:54 ID:6q5tVgbR0
まあ羅貫中がおもしろおかしく書き立てなければ、
単なる混乱した一時代に過ぎなかったかも知れない。
603名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 14:28:17 ID:uqVgADfU0
>>601
なるほどね。
一流の上に規格外の傑物というランクを設けるのか。
まあ、それでも一流かどうかは微妙だろう。
それに世界史的に見たら更に小さく見えるんじゃないのか曹操は。
604名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 20:54:14 ID:KoqCNGOp0
>>603
そうは言っても欧州や中東の連中は曹操より明らかに上と言い切れるのは少ない。
曹操の半分以下の土地を切り取ったり、せこい会戦で勝ったりしただけで稀代の名将扱いだぞ。
もちろん彼らが二流とは思わないが、曹操の過小評価の材料にはならんだろ。

欧州とかと支那は地政学的な条件が違いすぎるのは確かだが、
やせても枯れても中原という最先進地帯の一つを制覇した人間が一流以下というのは不可解。
605名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 21:51:15 ID:TwsPg1V60
>>601>>603
ならば、>>538の自分の評価でつければこうかな
(曹操の位置はみんなそう変わらないからいいだろ)

規格外
10 康熙帝、李世民、朱元璋
9  劉邦、光武帝、趙匡胤、フビライ

超一流の英雄
8  柴栄、永楽帝、始皇帝、雍正帝

一流の英雄
7(上) 楊堅、趙匡義、乾隆帝、朱全忠
6(中) 苻堅、武照、石勒、曹操(文化面を考慮)
5(下) 劉裕、慕容垂、桓温、李克用、梁武帝、漢宣帝

二流の英雄
4  劉備、李雄、孝文帝、李隆基、 漢武帝、漢文帝

三流の英雄
3  項羽、司馬懿、孫権、趙構、煬帝、石虎、王莽、袁紹、曹丕

秀才(ただし、一般人レベル)
2  司馬炎、司馬睿、李治、唐徳宗、宋神宗、西太后

匹夫
1  劉禅など凡君・暗君

凶人
0  孫晧など暴君
606名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 21:53:06 ID:1mTLDvSM0
「せこい会戦で勝ったりしただけで稀代の名将扱い」されてるのは曹操もじゃないか?
607名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 21:55:17 ID:Obq/o/uC0
>>605
あんな僻地で空中分解しかねないところに在位期間だけなら
中国史上で5本の指に入るだけ君臨し続けた劉禅が匹夫級は
違うと思う。最低一般人レベルだろ。

また、劉備が二流で袁紹が三流も違うのではなうか。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:05:54 ID:FZarxrrL0
>>605
統一しきれておらんのに、趙匡胤、柴栄が高いのは納得いかんなあ。
少なくとも楊堅を8クラスに上げるべき。

成都政権で、北伐を敢行し続けた勢力って蜀漢だけだよね
国力を顧みなかった云々は置いといて、気概だけなら十分に君主の器だよ>>劉禅
609名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:09:11 ID:wJ/ZFy/a0
>>608
統一のみを指標として、拘りすぎるのは視野が狭くなると思うのだ。
中国圏の統一といっても、唐以前と以後では周りの情勢が違いすぎているのだし。
610名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:21:44 ID:KoqCNGOp0
戦争をなくすには統一が一番手っ取り早い。
少なくとも同じ文明圏文化圏程度の統一はされてしかるべき。
人民の繁栄に平和以上の手段は無いし。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:28:08 ID:wJ/ZFy/a0
>>610
わからんでもないが、統一しても戦争は絶えないわけで…
分裂していても、外交折衝で他国間との妥協点を模索するという手段もあるし。
(それを怠ると、たいてい対外戦争にはしる)
まぁ、秦が規定した中国という枠組みにとらわれすぎるのはいかがなもんか、と言いたいあたり。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 23:11:46 ID:KoqCNGOp0
その強度が強力な指導者の有無によって違うだけで、遊牧文明圏からの外圧は恒常的に存在する。
内乱を収めてその被害を減衰するには、敵性の軍閥と折衝して協調するより、
配下の軍閥を監視しつつ制御する方が余程簡単だろう。
613名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 00:08:43 ID:bscBR4BM0
>>611
それは保守的すぎるだろ。
南宋の末期みたいな考え方だなあ。
巨大な指導者による貫徹した統治あってこそ
国も一枚岩の強国なんじゃないかな。
文化はその中で育てばいい。
現に中国は仏教と道教が両立していたことも考えると
文化の違いによる衝突はそうそうには起こらないはず。
やはり統一の事業はすべての文化を発展させる偉業だよ。
614名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 00:18:36 ID:IYFFyNW90
>>613
いや、わかっているよ。
基本、中国圏の統一は、文化云々の前に、経済流通の側面から支持されることが強い。
それが潤滑になることによって、文化発展を迎える、つまり交流が盛んになる、といってもいい。
だから、それはいいのだが、中国圏を統一したからといって、あるいは統一された体制の皇帝として
君臨したからといって、常に「巨大な指導者による貫徹した統治」があったわけではない。
だったら、「巨大な指導者による貫徹した統治」があった人物をこそ評価すべきなんじゃないのか、という感じ。
統一、統一といっても、そんなに長い間一色で染め抜かれた平和な状態が続いた試がないし、
ちょっと違和感を感じるのは、統一すればそれで良と思っているのかな?と見えるところ。
まぁ、ここで語った人にはいないだろうが、ちょっとそういう風潮があるように思えたからのおせっかい。
615名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 00:24:29 ID:xI2enojQ0
>>605
いくらなんでも司馬炎、司馬睿の評価低すぎじゃ・・・
616名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 00:39:15 ID:CSY5x+p40
司馬炎より北宋神宗を突っ込むべきだろ。
ありえないほど低くてワロタw柴栄は高いのに。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 00:43:13 ID:bscBR4BM0
>>614
そうなると唐太宗や清康熙帝のような人物が
やはり理想的な指導者像になるか。
古代でも現代でも創業か守成かは永遠の議題になりそうだね。
個人的にはほぼ創業の主格にでもあり、完全な守成の世を創りあげた
唐太宗が僅かながら清康熙帝よりも上に見える。
そこらへんは俺が単に創業の王を贔屓目で見たがるってことで勘弁しておくれ。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 00:50:12 ID:CSY5x+p40
>>614
馬上で天下を統一し、「巨大な指導者による貫徹した統治」までやったのは、
十人いる王朝創業者でも光武帝と洪武帝の二人しかいない。
大抵は数代かけて創業⇒守成を行うことから考えてもその二人は異常。
(唐太宗をカウントすれば三人だが、創業期の唐高祖や隠太子の手柄を無視してるようで敢えて除外)
619名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 08:39:08 ID:HrZM8GIv0
劉秀が9なのは何故?
班固に批判されたから?
劉秀は流石に10あげないと駄目でしょ。
滅亡した王朝を復興したのは、長い中華の歴史の中でも彼だけ。
つまり、それだけ滅亡した王朝の復興は難しいって事でしょ。
620名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 09:22:02 ID:IYFFyNW90
>>617
「創業と守成いずれが難きや?」は永遠の命題ですね。
分かたれたものをひとつにまとめるのも、並大抵な努力ではないし、
ひとつにまとまったものを、分かれないように維持するたゆまぬ努力もまた
並大抵なことではない(統一戦争における派手さがない分、マイナー化するのだろうが…)
そこでは「中興の君」というのも、取り上げられてもいいのじゃなかろうか。

>>618
一応、李世民は入るつもりでいる。
なので、その三人ってすごく別格と思っているよ。
とくに劉秀かな。
621605:2007/09/02(日) 09:56:22 ID:klFQiBPY0
別にあの表は曹操の大体の位置を計るものであとは人それぞれだと思うけどね。
一応、答えると、劉備、袁紹、劉禅は三・戦の大勢の評価に従ったつもり。
劉禅は2に入れてもいいと思うけど、気にいらないなら、司馬衷に変えてくれてもいい

楊堅は功罪を考慮した結果(上のレスでは「高すぎる」という人も)
統一してもじかに選んだ後継者が平安を乱したら評価は落ちる

司馬炎は司馬懿があの位置なら、2で充分。懿+師+昭+炎≒楊堅
(軍事面では左が上、政策面なら右が上)
司馬懿はアンチ曹操、アンチ諸葛亮のおかげでさりげなく過大評価を受けている男。
項羽と孫権と同位置で充分。
司馬睿は結構、金相手にがんばった趙構が3なら、2で充分。
祖逖を見捨て、解任で死に追い込み、王惇に反乱される経緯があれなら『暗君』といわれても
仕方がない。両趙に反撃を企てることもしなかったし、できなかった。これでいい。

劉秀は10でもいいのだけど、王朝を復興は統一できた形は彼だけだけど
劉備や李嗣源みたいにほとんど名を借りる例は多いので完璧な創業よりは楽かな、と
(曹操が劉操だったら、よくいわれるね)
あと、洛陽を都にし、異民族に攻められ、『天下』の範囲をせばめた点で一応、9にした

でも、>>616北宋神宗はどうすごいのか教えてくれ・・・。正直、適当だった。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 10:54:45 ID:+wyYpKDWO
名を借りたとしても劉秀自信の器量人徳を慕って多くの優秀な人材が集まった点。
前漢の劉邦や蜀漢の劉備に比べ、日本での知名度が低い点。
司馬光が、光武帝は教化を重んじ学問と道義を大切にし、
曹操すら恐れて簒奪できなかったと述べ、神話時代というべき、
夏、殷、周の聖王に匹敵すると評価してる点。
以上の点も考慮してもいいのでは?
それと楊堅自身は北周の外戚で重鎮、親父の楊忠は大将軍。

李世民は親父の李淵が隋の親戚、
しかも北周の八柱国の家系で、北魏で皇后を出す資格のある北朝の名門であった点。
これは考慮しないの?劉秀は名を借りてるから
完璧な創業よりは統一は楽ってことはないと思う。

神宗は王安石を任用し新法改革を行い宋を一時的に中興した点。
功罪両面はあるが司馬炎と同列ではないと思うが。
神宗の評価は4か5辺りじゃないかな?
623名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 11:12:10 ID:jr/jF3JQ0
劉秀は10クラスで、劉邦に明確に勝る点ってある?
624名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 11:41:21 ID:yvExIDLC0
戦争が強い
625名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 11:58:20 ID:jr/jF3JQ0
劉邦も戦争には強いんだが
項羽、冒頓単于相手に単独で勝てる人物を探す方が難しい
項羽に至っては連合軍で追撃・包囲からのフルボッコでようやく滅亡させれたのに
関中を史上初めて攻略した軍人であるし、さらに三秦攻略と二度も制圧に成功している
自ら軍を率いて天下統一した最初の人物が戦争に弱いって、過小評価すぎない?

劉秀にも負け戦はあるし、劉邦の魏豹を総司令官にするのと同じくらいケ禹総司令官任命は大ポカ
軍事面では明確に優劣つけれなくない?
626名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 12:15:18 ID:bscBR4BM0
>>625
項羽は過小評価かもね。
韓信曰く「匹夫の勇」「婦人の情」など
手厳しいことも言われているが、負け戦は最後の一戦のみ。
当時の大陸全土のほぼすべての勢力を一人で相手にし続け
垓下の戦いまで勝利を重ねたのは見事。
中国史上唯一「武」で持って席巻した王とも思える。
>>605の表でなら地味な活躍しかしていない曹操を5に格下げして
6くらいにノミネートしたい人物だね。
さすがに7以上は厳しいけど。
627605:2007/09/02(日) 12:30:30 ID:YlWmqF4e0
>>616>>622
ごめんごめん。神宗は壇淵の役と封禅の儀で有名な真宗と勘違いしていた。
確かに、神宗は漢文帝か漢宣帝と同じ位置だね。勉強し直す。

正直、自分の光武帝評価なんてどうでもいいと思うけど、スレ違いに近いし。
(光武帝がすごいのは本当だし、ファンが熱心なのも分かる)
確かに、劉秀はまさに完璧超人。
顔よし、頭よし、性格よし、戦争強い、政治よし、度量あり、ギャグ好き、
ついでに、奥さんが美人。
自分は、劉備が曹操につかなかった理由は、曹操を劉邦や劉秀と比べてしまい、
『器が小さい』と判断したためだと思っている。

でも、当時は漢王朝復興を赤眉、緑林、王郎も標榜していた。
易姓革命など、王莽のせいで誰も信じなくなっていた
そこに漢王朝の血筋を引いた完璧超人、劉秀があらわれたら、もう天下は決まった
も同然。たとえ、曹操や朱元璋が彼らのリーダーだったとしても勝負は見えている。
劉姓で優秀な人間は限られているのだから、天下取りは比較的楽だったと思う。
血だけとはいえ、先祖・劉邦から莫大な遺産をもらっていると思う。
だから自分の評価は劉邦>劉秀。劉秀が10なら、劉邦も10。
石勒の評価に従わせてもらっている。
さらに後漢は手堅いが外交面・経済面で、大繁栄って感じもしない。

李世民が10なのは、兄はともかく、父や弟に足を引っ張られたのはかなりの
部分は本当だと思っているのと、
後継者、李治(表弟子)+武照(裏弟子)コンビがすごかったこと
(武照はピンではいまいち)
結果オーライかも知れないが、乗っ取られても唐王朝は李隆基が復興し、大繁栄
安禄山の乱後、衰退してもすぐには東晋や隋末のような乱世にはならなかった。
唐の基盤の大部分をつくった李世民の功績だと思っている。
こんなところかな?
628名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 12:31:38 ID:+wyYpKDWO
>>625
項羽、冒頓単于相手に単独で勝てる人物を探す方が難しい点、
劉邦が対峙した相手が強大だった点、劉秀にも負け戦、人材配置に失敗してる点はわかるが、
劉秀は劉邦より遥かに戦上手なのは明らかだと思うけど。
あと部下の功罪も君主に全て還元するの?
もしそれなら甲乙は付けがたいだろうね。
劉邦の魏豹を総司令官に任命したのは家柄の良さだけなんだけど、
劉秀はトウ禹はそれと同様な判断で総司令官に任命したの?
(魏豹を総司令官に任命しようとした時は猛反対食らってたし)
629名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 13:14:34 ID:CSY5x+p40
>>627
ちょwwwおまwww

唐高宗(李治)が凄かったというのは無いだろう。魏王泰の方が資質自体は上だったようだし。
確かにその治世は唐の全盛期だったが、それこそオヤジの遺臣である李勣による部分が大きいだろ。
則天武后を立てたのも唐朝の社稷を守る立場の人間としては馬鹿としか言えない。
その後の中宗等も韋后に振り回される有様だし、武韋の禍の原因となった罪は極めて重い。

唐朝は玄宗による中興(と言っていいだろう)がなければどうなってたか判らん。
その玄宗も治績の大部分は則天武后の遺産が大きく、素の出来は司馬炎程度でしかない。
まあ太宗が凄いのは同意だけど。
630名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 13:14:53 ID:PK/Il0WN0
>>628
それはない。トウ禹は劉秀の片腕的存在。
あの時点での方面軍司令官としての役割をトウ禹が果たしていた。
方面軍司令官は、軍事ばかりでなく、政治、行政、外交などあらゆる分野に傑出し、
かつ全面的に信頼できる人材しかできない。
総合的に判断して、トウ禹が最も適していた。
トウ禹も信頼にこたえ、河北では勝利をあげていた。
ただ、トウ禹が勢いにのって関中に攻め入った時、赤眉の樊崇と延岑に連敗。
体勢を立て直した後でも樊崇に敗北している。
この後、劉秀直々に出陣。樊崇を降伏させている。

樊崇はただの馬鹿というイメージが強いが、名将100選スレで
岑彭、周瑜、馬援を押しのけて入選するほど戦争が強い男。
延岑も光武帝スレでなにげに人気のある猛将。
トウ禹には油断があったと思うが、魏豹と同列には並べられないと思う。
個人的には呉漢ではなく、トウ禹に延岑を倒して欲しかったな
631名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 13:26:33 ID:yzm1w+QnO
関帝が最強だと思われる
華僑あるところに関帝廟あり
関帝ほど世界中で評価されている武将はいない
まさに神
632名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 13:40:15 ID:CSY5x+p40
>>627 続き
それに光武帝に対する期待は挙兵当初はそんなに高いとは言えず、
アニキの劉縯の方が「高祖の再来」として衆望を集めていた。
高祖の遺産はある時期以降は有効利用しただろうが、最初から使えた訳じゃない。
王郎に賞金首として追いまわされている時期に死ななかった幸運はまあ天与のものだろう。
劉邦は一代の風雲児として、始皇帝のような生来の貴公子とは別の統一モデルを作った偉人であることは確か。
だが、完成度で後発の光武帝より上というのは無理がある。

また軍を割る際に指揮官を選ぶ上で重要なのは、能力よりも信頼の方が大事。
最初から馮異を使えよとは思ったけど。まあ後の造反騒ぎなどを考えるとそれも一長一短。
その意味でケ禹はそこそこの仕事はやった。
思うほどの活躍が出来なかったのは敵の延岑や赤眉軍を称えるところだろうな。
633名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 13:53:23 ID:9s/wesY30
関羽って商売の神様だから華僑が関帝廟建てるんだろ。
634名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 13:57:53 ID:+wyYpKDWO
>>630 d
同じ様な状況があったからって単純に引き合いにだしてたから疑問に思ってた。
トウ禹の場合はもはや相性としか言い様がないようなキガス
(こんな事言ったら怒られそうだが)
魏豹を任命したのはどうみても逃れられないポカだし…
出来れば>>629の様な比較論というか持論を展開してもらうのが望ましいんだけどなぁ。
(こっちの方がまだ納得出来る)
曹操は後漢末〜三国の中でこの位の人物だからこのランクって言うなら話はわかるし、
明君として歴史全体を見てもどうみてもすげぇだろコイツは、
つーう人物を最上級に置く場合のはわかるけど、

時代も立ち置かれた状況も違うのにAがこのランクだからBはこのランクに格下げとか、
余り意味がないと感じる。

ちなみに>>631みたいなのは論外というか論点がずれてるw
635名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 13:57:57 ID:jr/jF3JQ0
>>630
ケ禹の作戦頓挫をさらっと流すなよー
民衆を抱えすぎて食糧不足に陥るは、部将からの叛乱は絶えないわで
関中戦だけで捉えれば、愚将にしか見えんぞ
まあ、魏豹より器量が上なのは確かだが
任命責任は劉邦、劉秀とも回避できないが、明らかに家柄だけで魏豹を総大将に
任命した劉邦の方が救いようはない

それでも劉邦の人材登用は反則気味だから、この分野でも劉秀が上とはいかないんだよなあ
結果から見れば、傑物を上手く使いこなした印象になるんだが
張良の登用なんて、張耳・陳余のケースを知っていれば、いつ勢力乗っ取りが行なわれるか
分からないくらいリスクが高いものであっただろうし
(市民劉邦よりも、韓相の末裔である張良に衆望が集まる可能性もあった、事実趙ではそうなった)
楚から降ったばかりの韓信の能力が未知数なのに、いきなり元帥として一軍預けたりするんだから
魏豹の任命は、どちらかと言うと軍閥間の力学の結果だったようにも思えるが、やはり大ポカ
636名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:05:04 ID:HrZM8GIv0
楚から降ったばかりの韓信…?
ん?
韓信って、夏侯嬰が死刑囚の中から発掘した人材じゃなかったっけか?
637名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:06:03 ID:PK/Il0WN0
>>629
ここは中国の皇帝を評価するスレじゃないんだけどなwww

でも、部下の功績=主君の功績と認めるのもありじゃなかったけ。
統一見解とまではいっていないけども。
そうしなきゃ、曹操とかもっと評価下がるし
だとすると、武照と李勣の功績は李治の功績になる。
あれだけ広大な唐王朝を分裂させずに外戚(長孫氏)と功臣・皇族を排除し、
父すら失敗した外征を成功させている。これだけみれば名君に近い。
足もさほど引っ張ってないし。
ただ、基本的なところで馬鹿な点は認めているので、個人でみるとランク2にしているが、
李治+武照はランク7でもいいと思っている。
これはいれようがないので李世民に加算ということで。

>>626
項羽は自分も迷った。苻堅が6、始皇帝が8なら、5か6にすることも検討した。
改訂があったら変えるかもね。さすがにマイナスが大きいから曹操以上にはしないけど。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:18:14 ID:jr/jF3JQ0
>>636
んだ、時系列がおかしいな、訂正しておく
夏侯嬰もよくもまあ、発掘したもんだ

極論だが、人に任せれる(任せるに足る人材を有する)人間の方が天下統一の傾向が高い気がする
始皇帝なんて自ら軍隊率いて戦争なんかしとらんし
楊堅や司馬炎といったあたりも、江南を平らげるときは親征なんてやる素振すらない
逆に、俺が俺がタイプ(というよりも自分以外まともな軍司令官がいない勢力)の人間は
取りこぼしが多いと思う、まあ曹操だけど
派遣した軍司令官よりも劉備の方が強かったんじゃ、仕方ないっちゃあ仕方ないけど
639名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:21:02 ID:CSY5x+p40
>部下の功績=主君の功績

なんだそのジャイアニズムはw
いくら何でも比重というものがあるだろw
呂后や則天武后は事実上の守成の天子として扱うのが妥当で、
少帝や高宗の付録として扱うには大きすぎる。
640名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:28:40 ID:+wyYpKDWO
>>635
氏が既に述べてますが、魏豹の任命は明らかに大ポカというかアホとしか言い様がないです…
劉邦の人材登用についてはなんていったら良いのかな〜、素直と言うか、お人好しと言うか…      
でも劉邦が仕事の全てを任せたり、献策を良い悪いも一緒くたに取り敢えずは受け入れたから、
任された方は劉邦について行こうとしたんだろうね。
(陳平なんかが良い例だと思う)         
あとすいません韓信は楚から降っていきなりは元帥に任命してませんよ。
張良は一応、韓からの借り物だし、
張良は秦打倒と韓王の仇討ちに利用した部分もあるから乗っ取りの可能性は低いでしょう。
張良自身も担がれることに反対するだろうし。   
(張良についてはあくまで個人的な推測ですが)
>>636
取り敢えずは楚から漢の一平卒に知らない間になってた。
連座で罪に問われたのを夏侯嬰に啖呵を切って救われてる。
で後に夏侯嬰が蕭何に推薦してる。
経歴はこんな感じ。
641名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:35:42 ID:+wyYpKDWO
>>640に補足
韓信は夏侯嬰が蕭何に推薦後、何段階か役職を経てからようやく元帥に任命されてます。
しかも一度、漢から逃亡してる。
642名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 15:04:55 ID:PK/Il0WN0
まだやる?
>>635
劉秀は、その兄の劉縯の存在があるからねえ。
兄がいなけりゃ、元となる兵もいなかったかもしれないし
(正史にはそうはなっていないけど)
劉邦や朱元璋なら、泣いてうらやましがるでしょう

>>639
少帝はともかく、李治は完璧な操り人形かどうか分からないしな。
汚れ役を武照に引き受けさせて、功臣排除に動いたのかもしれない。
(長孫無忌の呉王恪殺害を見ても、彼の危険性は分かる。
 彼のいいなりになっている廷臣たちも同様)
上官儀の件も反則天武后派のあぶり出しとも考えられる。
唐王朝を乗っ取られる原因をつくった件は擁護できないが、比重は意外と重いかもよ
(証拠はないのでランク2は変えないけどね)

あと、李隆基は、武韋の禍を転じて福とした手腕はもっと評価されていい。
則天武后の遺産といってもほとんど韋氏と太平公主にもっていかれているし。
あの二度のクーデターは司馬炎では無理じゃないかな?
それに時代にあわない政策をすすめたわけではなく、統御の仕方を間違った面が大きい
宇文融、韋堅、楊国忠などは楊炎の出現につながる経済官僚。
彼の登用した人物は功罪はともかく絶対に見所はある。これは則天武后の遺産ではない。

司馬炎みたいな父祖からもらった人材しか使えない庸才とは同列には並べられないんじゃないかな?
643名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 15:39:35 ID:CSY5x+p40
>>642
実際には劉縯⇒劉秀と兵力が相続された訳でもなく、
兄の補正というより昆陽での奇跡的な大勝の方がはるかに人心を集める要素だったはず。
更始帝に河北へ寡兵で放り出され、二十八将や劉楊の帰服まで厳しい戦いを強いられていたのを考えると、
その評は随分不当なものではなかろうか?

司馬炎も統一まではマトモな方だった。
別に遺臣で用足りるなら抜擢して貴族間に余計な波風を立てる必要もないし。
玄宗の場合、安禄山に兵力を一極集中した大失策が八王の乱並みに痛い。
開元の治と安史の乱を差し引きで見ると司馬炎や煬帝同様微妙としか言えない。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 15:44:11 ID:jr/jF3JQ0
>>642
賈皇后の方が実りのある政治を施したと思うくらい、尻すぼみなんだよね>>司馬炎
しかし、泰始律令、戸調式、占田・課田制、軍屯・民屯の逐次廃止と政治実績自体はトップクラス
後継者問題での大失敗、名士層の意見を無視できない皇帝の専権制の脆弱さが弱点か

しかし、賈皇后は有為の士を登用して政権を安定させたり、文人を囲い込んで保護したり(これは謐がメインだが)
何気に女傑だわ、男に生まれてきさえすれば……大部分の惨劇を回避できた可能性高いなあ
645名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 16:03:57 ID:bscBR4BM0
>>637
項羽と曹操なら
項羽>曹操じゃない?
曹操の場合は石勒にも突っ込まれてるようにネチネチとやりすぎ。
項羽にはマイナス点も多いが、曹操程度にならプラス面で優位に立てると思う。
曹操の文化的功績もそこまで凄いというほどでもないからね。
646名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 16:28:11 ID:+wyYpKDWO
>>645
一武将としてなら項羽>曹操かも知れないけど、
トータルで見ると項羽のマイナスはプラスを越えてないかい?
自分勝手な事情で全てを無に帰してる様な気がするが…
曹操のマイナス面はあそこまでひどくないと思うけど。
文化面は風穴開けたということでまあ評価してもいいのでは?
647名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 16:42:02 ID:bscBR4BM0
>>646
それでも曹操以下はちょっと酷い気がするんだよね。
まがいなりにも天下を治めた功績は評価してもいいと思う。
しかも斜陽の弱小国相手ではなく強秦の正規軍を
真正面から相手にして完膚なきまでに叩き潰したのだから
それなりの評価は受けてもいいかと。
まあ、マイナス面も大きいから6くらいでいいと感じたんだけどね。
曹操はプラスマイナスも大したことがない無味無臭な香りがするから
5くらいが無難じゃないの?

>>630
関帝は後世では帝の位を追贈されてるね。
でもまあ伝説上の存在と化してるから中華の護国神であり
国を代表する英雄ではあっても実績を評価される存在ではないかも。
スレ違いの英雄じゃないかな?
648647:2007/09/02(日) 16:43:12 ID:bscBR4BM0
ごめん、関帝への意見は>>631宛て
649名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 16:48:03 ID:IYFFyNW90
う〜む。冷水かけるようなこと言ってすまないが再度認識した。
時代も状況も立場も違う人物を、どっちが上か議論はムリがありすぎる、と。
このあたりで、一度本題に立ち返って、後漢末に果した曹操の役割というのを
考え直した方がよろしくないか?
650名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 16:51:13 ID:lQy8iZJZ0
>>643
劉秀は近隣の小豪族と縁戚関係を結んでいる南陽劉氏なのは事実。
それに正史で創業者補正がかかるのは李世民だけではない。
兄や一族の功も劉秀に帰すのは自然。
昆陽の勝利の陰に兄や一族の与えてくれた兵があることも推測できる。
劉秀は地元で特別、人望があったわけではないことは正史からも読みとれる
劉縯の方が頼もしいと思われていたのは事実だよね?

643さんが、劉秀が好きなのは分かるが、むしろ兄や一族の恩恵を受けながら、
天下統一した劉秀だからこそ、誅殺などを行わず、戦争を極力避ける理想的な
政治を行えたのだと思う。
信じられる父や兄を持てなかった劉邦、李世民、朱元障こそ哀れ。
私が下した評価の上位ぐらいこいつらにくれてやれ

李隆基のやったことの罪は、八王の乱の半分以下。
反乱鎮圧はとりあえず成功。唐は一応、復活。藩鎮勢力は一応、服従。
功績は韋氏、武氏との政権抗争の勝利。
晋よりもはるかに領域の広い唐の四十年余の安泰

司馬炎は統一後、十年で死去。
司馬衷には責任能力すらない。
則天武后にはるかに劣る、賈南風の方が司馬一族より政治力は上。
賈南風死後は内紛。天下の半分以上を失い、そのまま晋は滅亡。

どっちがすごい? 馬隆の件がなければ、ランク2のどんじりにしたいところだ
651名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 17:16:35 ID:IYFFyNW90
>>650
議論を戻すと思ったが、聞き捨てにできない。

>>李隆基のやったことの罪は、八王の乱の半分以下。
>>反乱鎮圧はとりあえず成功。唐は一応、復活。藩鎮勢力は一応、服従。

だから、なんで有名人ばかりの功績にしようとするのか。
安史の乱鎮圧の功績を皇帝に帰すとしても、それを玄宗がやったかのようにする
その一文は誤解を招きすぎる。
それはあくまで粛宗の苛烈な指導力であって、呆けた玄宗など何もやってない。
しかも、最後まで頑強に抵抗していた河朔三鎮を抑え込んだのは(あくまで抑えただけだが)
憲宗の指導力によってのことだよ。

実質、周の簒奪から唐を復した功績は玄宗で、その前半の伸張期を鑑みて、マイナスばかりでは
むろんないが、自ら作ったものを破壊に導いた罪悪も同等に大きい。
藩鎮制度などは、唐律崩壊の苦し紛れ制度とも思えるし、両税法の施行も
藩鎮を抑えつける目的が多分にあり、第五琦の官塩復活とあいまって、
民衆を苦しめること甚大だった。
ただ、そのおかげで憲宗が藩鎮に捷つちからを手に入れられたし、
貨幣経済の浸透という恩恵もあるから、そう否定できない。
楊炎の建議を容れたのは、徳宗であるから、その登用の道が玄宗期にあったとしても
玄宗がそれを容れたわけではない。徳宗を軽んじる論法になってしまう。

つまり誰かいちにんの功績に集約しようとする論法は良くない、というところ。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 17:45:43 ID:+wyYpKDWO
>>647
まあ誰それがこのランクだから項羽はこのランクって言うじゃなく、
正負引っ括めてトータルで評価してほしいのだが…
(もちろんその人物の活躍した時代枠内での評価が望ましい)
自分は5か4辺りが妥当かなっと思うよ。
あと関羽を関帝として扱ってるのは信仰上の問題だからここでの論議とは別問題だよね。
老子や孔子、更には黄帝とかとをここで話合ってる君主達とを比べる様なものですから。

IYFFyNW90氏、モチツケ。
自分も>>634で補正掛けてるけど皆さん比較論が大好きみたいですな。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 18:04:53 ID:HrZM8GIv0
>>642
正史を無視するなら、それに代わる資料御願いします。

>>650
劉縯の挙兵のとき、彼は粗暴な振る舞いも多く市民に敬遠
される様な人物だった事もあり、中々人が集まらなかった
のは有名な話。
叔父の劉良すら、失敗に終わると思っていた矢先に
劉秀参加。
劉良は「お前が参加するのか?」と驚いた逸話あり。
そう考えると、劉縯だけでは人が集まらなかったと考える
のが普通。

昆陽は、劉秀でなければ勝てなかったと思うけれどね。
十三騎で脱出。その後、近隣で歩兵千余りをかき集めて
新軍の先兵を撃破し士気をあげて
3000の決死隊で、数十万の新軍に突撃、敵将撃破。
勢いに乗って仲間と共に殲滅。
例えこの時点で、親族の兵が混じっていても劉秀は、傑物
となるでしょう。
これは武将としての評価になっちゃうかもしれませんが。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 18:29:28 ID:HrZM8GIv0
スレの話に戻りますが、魏書を読むだけでは
私には、曹操が目指していたのは周の文王か
模範していた光武帝か、どちらか解らないんです。
詳しい方、お教え下さい。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 18:42:34 ID:jr/jF3JQ0
>>654
理想:劉秀
現実:王莽
結果:周昭王

いや、嘘です、冗談です
656647:2007/09/02(日) 18:43:37 ID:bscBR4BM0
>>652
よく考えて見たら俺とお前さんの意見も
創業重視か、守成重視かで分かれてるのかもね。
俺は俺なりに項羽の正負を考えて見た上での意見なんだけど
価値観の違いからそう思えてしまうのかな。
トータル的に拮抗してそうな英雄の評価ってのは難しいねえ。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 20:02:52 ID:8LCTLJQ90
項羽は一旦天下を取っておきながらすぐに乱れてしまったというのがむしろマイナスなような気がする
658名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 20:35:59 ID:IYFFyNW90
餅ついた。
ちょっと興奮したけど、よく見たら何も>>650氏が極端ないちにん功績論を唱えているわけではなかったですね。
どっちかというと、劉秀のそうでない面も指摘、あるいは探りを入れようとする姿勢だった。
申し訳ない、突っ走ってしまった。

>>656
創業の方が、今までになかったものを存在させた、という点でより労力を必要とするでしょうが、
一面で、既存のものの反対をいくことで、民意を集約して確立できることもある。
例えば、項羽のアンチ秦、劉邦のアンチ項羽、李淵のアンチ煬帝など。
守成も既存の体制に拠って為すので、人民の意志を集約しやすい面もある。
そういう意味で言うと、曹操や唐末の朱全忠などは、既存の体制に拠って
自らの勢力を高めたわけで、動機や野心はどうあれ中興の臣下と言えなくもない(こいつらが?w)。

でもやっぱりどっちが上かなんて、容易に判断つかない。
自分の中でも結局、堂々巡りしているのは自覚している。
ほんと、価値観の相違でしかないのかもしれん。
(述懐させてもらうと、それでもやめられないのは、こういう話が好きだからだろう)
659名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 22:05:21 ID:+wyYpKDWO
>>656
よく見たら項羽オンリーで評価してましたね…スマヌ 
項羽は全てがダイナミック過ぎるんじゃないかな?
せっかく成果を挙げたのに自らの手でその功績をぶち壊してしまった様に
感じてならないんですわ。
故に自分の項羽への評価も辛辣なものになってるとは思っている。
秦に恨みがあるとは云えやり過ぎた部分があるからね。
壊王殺害や劉邦左遷とかこれは私情を挿み過ぎって感じるし。
曹操は献帝を殺してはいないし、劉備とかに不当な扱いとかしてないでしょ? 
徐州のジェノサイドはあるけど比較的に大きく評価落とす様な行動には、
出てないと思うがいかがですかね?
(これは別に項羽、曹操比較論ではないからね…念のため)
>>658
>ほんと、価値観の相違でしかないのかもしれん。
>>656氏の言ってる様に自分もそれはあると思う。
>それでもやめられないのは、こういう話が好きだからだろう        
うーん、そうだよね。自分も何だかんだ言ってもやはりレスしてしまう…
660名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 22:08:14 ID:+wyYpKDWO
曹操の政策が叩かれてますが当時の人間からすると、
あれ以上のものを打ち出すことが出来たのだろうか。
次の世代は修正を後世の人間はその結果を知っているから批判出来るけど、
既存のものから新たな発想を打ち建てるのは凄い労力が必要だと思うのだが。
例えば平清盛は征夷大将軍にならなかったから失敗したと
後世の人間は判断出来るけど当の本人にはそんな発想はなかったんだよね。
その失敗を教訓にして源頼朝は同じ道を歩まなかった訳だし。
そこら辺は考慮にいれてもいいのではないかなと思うのだかがいかがですかね?
661656:2007/09/03(月) 00:01:45 ID:mZ0fBN2p0
>>658-659
まあ、各人が互いに意見を交わしたがってるってことでw
多少、対立的な意見があってもそれは自論があって言ってる事だから
劣悪な文句と化す事もなければ問題ないでしょ。
ヒートアップした際には諭す方、それにしたがって謝る大人な人も多く
博識な人も多いからこういう良スレは大切にしたいし
それゆえに腹中に秘めた本心も語りたくなるのは歴史好きの性じゃないかな。

>>660
スケールの問題じゃないかな。
時代の雄は何時に問わずスタートラインは同じだと思う。
だとすれば圧倒的な兵力さ、武力さを弾き返し漢帝国を築き上げた漢高祖。
冒頓単于時代からの匈奴支配を打ち破るため、大規模な掃討戦を繰り出した漢武帝。
漢帝国中興の祖、光武帝。
創業と守成の両面において完全な実績を残した唐太宗。
極貧の身から皇帝まで上り詰めた明太祖。
異民族出身のコンプレックスを物ともせず61年の永きに渡る治世を築き上げた清康熙帝。
など曹操よりグレードの高い実績を残した皇帝、君主は数知れない。
それに曹操の大きなマイナス要因として二度にわたる虐殺行為(徐州、荊州)なども
上の方で挙げられていたよ。どんな理由があれ、無辜の民に手をかけるのは酷い行為じゃないかな。

662名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 02:36:22 ID:HDwOJpzF0
一人の手柄に収束する場合、
諸葛亮付劉禅、李勣付唐高宗、張居正付万暦帝などなどは大したものになるよな。

まあ正確なランキングなど絶対に出せる訳が無いから、
話半分に熱くなりすぎないように注意したいと思う。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 08:23:26 ID:2NP4awXy0
>>660
言っていることは分かるが、それを話そうとすると難しい。歴史は一つしかないから
例えば、劉備や荀ケが主張した「漢王朝存続」がなされていればどうなっていたか
誰にも分かりようがない
(「漢王朝存続スレ」では否定されたが、曹一族の外戚化は充分ありえるケースだと思う)

ただ、曹操にいえることは後世に「おおっ!」と思わせるものが少ないということ
(時代の第一人者としてはだが)

石勒の胡人奴隷からの上昇。苻堅の民族融和。
武照の仏教と密告と利用した空前絶後の女性皇帝即位。
朱全忠の既存価値観の完全破壊。柴栄の時代の再生の提案。
趙匡胤の酒の席での節度使の兵権放棄敢行。
フビライの世界大帝国形成。
永楽帝の天下大逆転と大航海。まさに政治の鬼といえる雍正帝。

これに比べ曹操の残した実績は、
・天下の三分の二を支配(自分より有利な袁紹、騎兵戦法と得意とする呂布、烏丸を倒す)
・漢王朝、儒教の価値観をある程度破壊。(だが、代替となる価値観創造までいかず)
・酒、兵法にある程度功績。文化に風穴をあける(権力者がやらなくてもいいんじゃないの?)
・自分の死後、後継者が禅譲を受ける。魏はある程度存続。
(だが、統一する前に自分の登用した一族に乗っ取られる。豪族支配→貴族支配に移行。
 自分の目的とした才能重視の世界にはならず。漢、唐と違い復興はならず)

やはり他の6〜10の連中に比べパッとしない。
さらに残した言葉も漢の忠臣であるというポーズをとっていたため、嘘がある。
(李世民より曹操の方がよっぽど偽善者だと思う)
これでは後世の人から嫌われ、
『劉備が天下をとっていた方がよっぽどましだったんじゃねえの?』
って思われても仕方がない。

>曹操の政策が叩かれてますが当時の人間からすると、
>あれ以上のものを打ち出すことが出来たのだろうか。

こう言われること自体が曹操が規格内の人間であることを物語っていると思う。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 18:01:42 ID:NAQCKuyMO
「曹操は東漢末期においては最高の名将で、
最善の選択も出来た政治家ではあったが
破格の人とは言いがたい、なんかスケール小さいし驚かされない」ってこと?
確かに…
俺三国志しかろくに知らんが中国の他の時代の人物知ってびっくりしたもん。
奴隷から皇帝になったり乞食から皇帝になったりと、驚かされることの多いこと多いことw
如何に自身に行軍経験ないといえども…
あるいは亡国の遠因といえども…
魏武より漢武のほうが気宇壮大さがあって好きだなw
665659ー660:2007/09/03(月) 18:46:03 ID:Xf8SjgGgO
>>661>>663の両氏にお礼する前に>>664氏の意見にちょっとレスしてみようかな。
曹操はスケール小さいし驚かされないというか、後漢末〜三国の中では存在は大きいのだが
他の時代の傑物たちと見比べてしまうとどうしても見劣りしてしまうとは思う。
曹操は良く言えば優等生タイプでいろんな分野をそれなりにそつ無くこなす。 
悪く言えばずば抜けた部分が無い。
こんな感じに個人的には印象を受ける。
石勒にせよ朱元障や他のグレードの高い実績を残した皇帝、君主たちは
何かしらずば抜けた部分があるからね。
もちろん欠点もあるけど打ち建て業績の方がそれを被い隠してしまうほど凄いと思うし。
漢武は気宇壮大と言うより尊大で感情の起伏が激しい人だと思う。
確かに明君には違いはないんだけどね。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 19:05:37 ID:pPvWH4Sr0
>>665
漢武帝が「名君」とは思わんけど、「明君」というのは微妙な表現ですね。
漢武帝の功績というか、偉大さは前漢朝の支配領域を決定付けたことにあるように思えます。
匈奴戦ばかり目が行きますが、南方も支配域が充実したのはこの時期だったし。
シルクロードなどの交易も、絶対見逃せない事業であるから
結局、自分はどうしても、劉邦の統一事業というのを一過性のものとしか見れないでいるんですよね…
前漢の偉大さは、孝文、孝景、孝武によってなされたと思っていますから。
漢武帝の国費を傾けた事業は、当時では怨嗟ものだったろうけど、後代にはどうか?
この辺、煬帝の大運河と似ている。
煬帝の大運河も当時では怨嗟蔓延でも、後代すさまじい恩恵を与えていますからねぇ。結果論ですが…
667名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 19:47:07 ID:mZ0fBN2p0
劉邦の時代には中国史上で類稀なる闘争の天才、項羽がいたからね。
そんな中でも統一王朝を築き上げたのは見事なものだと思う。
特に劉邦の持ち味である人を活かすという能力で彼自身がなんども命拾いをし
ついには強敵である項羽も倒し言うならば、漢帝国の内患を排除するために
奮闘したようなものじゃないかな。
あのまま項羽を倒さなかったら、いずれは楚が独立し項羽の子孫が漢に反抗。
北からの匈奴の挟み撃ちになってた可能性だってあったかもしれない。
劉邦は創業時に苦労した君主の一人だと思うよ。
元がなければのちの大帝国もなかったわけだし。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 20:02:57 ID:zfBihv5F0
本当は中国皇帝の評価は、この程度で終わらせてもよいけど、そっちの方がスレが盛り上がる
ので続き行きますか。(663も自分ね。だから、本筋は曲げてない)
(新スレ立てたら話がばらばらになるだろうし、このままの方が盛り上がるだろう)

李治については納得してくれたかな?
>>653
658氏はある程度、理解してくれたようだが、他に資料がなくても、正史が絶対ではないと思うのだよ
例えば、>>632
>それに光武帝に対する期待は挙兵当初はそんなに高いとは言えず、
>アニキの劉縯の方が「高祖の再来」として衆望を集めていた。

とあなたのいう劉秀参加で人が集まった話はどちらも正史にあるが、
なんか矛盾とまでいかないがちょっとした違和感がある。
どうしても正史は捏造とまでいかなくても印象操作がある。創業者が相手ならなおさら。
それにこれを見ても劉縯でも、劉秀でもなく、劉縯+劉秀に人が集まった感がある。

それに正史を見ると、全く劉縯は活躍していないが、仮にも軍閥のリーダーになる
劉縯が無能だったとは思えない。それなら、一族や軍が劉秀を担ぎ上げているはず。
劉秀の天才的な軍略によるものだったと思うけど、劉秀個人だけの力なら、
兄とはいえ、いつまでも劉縯が大将づらできるはずがない。
また、劉玄とその配下が無能な劉縯だけを始末して、優秀で危険な劉秀を放逐して
よしと思うのも納得できない。(劉玄配下には戦友・李軼もいるのに)
だから、自分は劉縯は有能だった。少なくとも決起当初は劉縯の力が大きかった。
そう推測しても不当ではないと思っている。
だから劉秀はランク9にした。別に劉秀を貶めているつもりはない。
気にくわなければ、私の評価は無視していい。
だが、私は、自分たちよりはるかに劉邦や劉秀の事跡を知り得た時代にいた
石勒が下した評価を信じる。だから、私の評価はくつがえらない。

>>651
納得してくれたようだが一応、レス。
自分はその君主がじかに選んだ後継者の功罪をその人の評価に加点している。
だから煬帝の罪はある程度、楊堅のせいと思っているし、
粛宗の功はある程度、李隆基の力と思っている。
煬帝の部下は楊堅の部下が中心、粛宗の部下は李隆基の部下が中心。
後継者の資質と、先代の影響力は無視できない。

だから、司馬炎が低い。むしろ、司馬衷が可哀想だ。孫に期待する?政治を何と思ってやがる
669名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 20:18:28 ID:pPvWH4Sr0
>>668
ええと…
>>その君主がじかに選んだ後継者の功罪をその人の評価に加点
粛宗はむりやり玄宗から位を奪ったのですが…
緊急のときでもあるし、玄宗が責任放棄している以上、玄宗期の宿臣が粛宗の
臣下として動くのは当然すぎるほど当然で、そこであえて言わせてもらえば
先帝以来の重臣を、尚父とまで仰ぎ重用する度量が、粛宗にはあった、と言って良いと思いますよ。
まぁ、郭子儀のことですけどね。それだけですべてを評価するわけじゃないけど。一面として。
先代の影響力は無視できないのもわかりますが、当代の力量を無視するわけにもいきません。

まぁ、司馬炎に関しては論をゆずります。なんせ、自分はよくわかってないし。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 20:38:39 ID:HDwOJpzF0
>だが、私は、自分たちよりはるかに劉邦や劉秀の事跡を知り得た時代にいた
>石勒が下した評価を信じる。だから、私の評価はくつがえらない。

劉縯の件は下手すれば連座して巻き添えを食らいかねなかったことからメリットばかりではないんだが。

>自分はその君主がじかに選んだ後継者の功罪をその人の評価に加点している。
ただこれはちょっと翻意した方がいい意見だ。
先代の遺臣に頼るのも、それらを切り捨て斥けるのも最後は子の判断力、指導力による。
人材プールや既存の幕府を有効利用した康熙帝はやたら高いのにな。
親兄弟の遺産に頼るのが駄目なら、
そういうのを放棄して子飼いの部下だけで事実上の新王朝を開いた永楽帝なんかもっと高くないと不自然だな
まあ彼の場合、靖難の変でやりすぎて頼ろうにも頼れなかっただけだが。

康熙帝は守成の指導者として最高の評価で正しいが、
選定基準が偏りすぎじゃね?
671名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 20:50:12 ID:vyrLemos0
>>666
言いたいこともわかるけど、それは漢高祖の過小評価というものでしょ。
高祖が統一までに自ら身体を張って戦い、同時に一貫した戦略で項羽を滅ぼしたといった点は抜きにしても、一応の統一後に各地の諸侯を抑え、次第に漢の勢力を拡大していく政治戦略と次代をも見据えた大局的な政権運営こそが高祖の凄さだと思う。
諸侯王対策だけ見ても、従わない者の征伐、不満分子の排除、近親者の封建、自分の子の封建、と次第に与党を増やしていく様はなかなか狡猾。
高祖の時代だけで見れば確かにゆるやかな統一でしかないけれど、高祖がそういった戦略を採ったからこそ強固な統一へともっていけたと考えるべきじゃないかな。
もちろん呂后(諸侯王対策=強固な統一への方策という点では呂后は上手くやった)、文帝、景帝、武帝といった後の名君あってこそというのも事実だけど。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 20:55:33 ID:HDwOJpzF0
あと石勒は文盲で、その判断は耳学問による。
彼自身は原典を読んでないのだろう。
高祖本紀を全部読んでたらあんな評価にはならない。
俺だって最初は高祖>光武帝だったが、白登山の大敗はちょっと弁護しかねる。
光武帝なら冒頓に勝てるか?と言われると厳しいが、高祖の方が確実に上というのは無いだろ。
陳平の機転が無ければ、そのまま戦死か餓死だったし。
対遊牧民戦の似たような事例はダリウス1世のスキタイ遠征でもあったが、
あっちの方がまだマシな判断をしてる。
673名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 21:24:19 ID:pPvWH4Sr0
>>671
そう、劉邦の過小評価は、ある程度自覚しています。
なので、相対的に秦始皇帝や漢武帝… いや、景帝の評価が高まっているのです。
虚名にとらわれない見方を志してしるわけですが、これは李世民の名君宣伝打破と
同じことだと思っているのです。
李世民の名君像を虚構として打破する姿勢を、偉大なる漢朝の祖にして将の将たる劉邦という像を
打破とは言わんけど、冷静に見据えようとする姿勢にもってきているのみです。
唐書の厚化粧さほどではないにしても、正史はそういった大げさな表現が多いのは周知のことですからね。
そういう心情もあり、多少評価が辛くなっているのかもしれません(自己分析w)。

劉邦の統治政策について、秦の強硬すぎる集権化と、項羽の旧に復するやり方の
双方を踏まえての上での政策なので、当時では妥協点的なものだったろうと見ています。
それを採用した劉邦の状況把握力は比類なきにしても、手放しに誉めることにためらいがあること。
不平不満分子の排除が悪辣にすぎたこと。
皇室優遇措置の封国は、ちの呉楚七国の乱の遠因ともなっていること。
そうした封建を一部認めた統治は、劉邦が独裁権のある皇帝ではなく、
盟主的な存在に近かったのではないか、など。
劉邦の採択した方向性が正しかったからこそ、のちに段階を追って改善されていくのでしょうが、
なら、その段階を担った者も、同様に見るべきではないかと思っている。
ことに景帝の場合は、劉邦期のつけのようなものを処理しているあたりが、評価に食い込むところ。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 21:37:54 ID:HDwOJpzF0
高祖≒ヌルハチ、ホンタイジ
呂后&恵帝≒ドルゴン&順治帝
文帝≒雍正帝
景帝≒康熙帝
武帝≒乾隆帝

で似たような展開になってるな。
675名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 22:06:30 ID:Xf8SjgGgO
>>666
>>665の>確かに明君には違いはないんだけどね。
は確かに名君には違いはないんだけどね。
のイージーミスです。変換しそこねた…スマヌ
あと>>671氏が言うように氏は劉邦のことを過少評価してると思うね。
劉邦が楚を倒し、統一後に施した政策はもっと評価していいと思うよ。
張良が漢王朝の骨格を、蕭何が法を整備、次世代の為に臣下の誰を登用すれば良いかをきっちり配慮してた点。
>>671氏が挙げた事例以外にもこれだけのことをやってるんだし、
(張良、蕭何を上手く使いこなした点を配慮)
呂氏専横後に文帝→景帝→武帝と紆余曲折しながらも漢帝国が完成される為の礎を築いた劉邦は偉大だと思うけどね。
(陳平、周勃に後事を託してなければ文帝の代はなかっただろうし)
もちろん文帝、景帝、武帝は名君だと言うことには異論はないです。
>>673で既に意見を述べられてますが一応自分の意見を投下してみました。
676名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 22:07:31 ID:vyrLemos0
>>673
言わんとすることはわかるよ。俺だって、高祖だけ偉くて後継者は高祖の方針に従っただけ、とは思わない。

でも、
>不平不満分子の排除が悪辣にすぎたこと。
>皇室優遇措置の封国は、ちの呉楚七国の乱の遠因ともなっていること。
この評価は妥当とは思えないな。
高祖の時代の不満分子は、旧六国のように漢(旧秦)に軍事的に対抗しかねない存在だよ。というか実際に反抗してる。
方法が悪辣だろうがなんだろうが、手際よく排除または殲滅したことは天下の安寧、政権の安定、勢力の拡大という点でむしろ誉められるべきこと。
皇室優遇を後の乱の遠因というのも逆じゃないかと思うけど。
高祖以前はそれぞれ独立した君主がいた土地を力で征服していきなり代官を送り込んだ秦の失敗を鑑み、
 旧貴族以外の(漢に友好的な)群雄→漢シンパか高祖ゆかりの人物→高祖の血縁者→高祖の子
と、地元の反発を避けつつ慎重に旧六国の支配者を漢の側に近づけていった様子が見て取れると思う。
皇室優遇は、秦統一以前の完全独立君主が復活し割拠するのと比べたら何十倍も漢にしてみればやりやすい。
むしろ皇室優遇だからこそ反乱もあの程度で済んだ、といっても過言ではないと思う。

あと、
>劉邦期のつけのようなものを処理
というなら、むしろ文帝を評価すべきだろうね。
諸侯王の分割、削弱、いずれくる反抗への準備といった政策はほとんど文帝が用意していたと言っていい。漢書賈誼伝なんかを読めば分かると思う。
677名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 22:30:28 ID:Xf8SjgGgO
>>673
さっき書き忘れたんですが>唐書の厚化粧さほどではないにしても、正史はそういった大げさな表現が多いのは周知のことですからね。
史記も漢書も美辞麗句というかそんなに持ち上げて書かれてますかね?
少なくとも史記についてはそうは感じませんが…
678659ー660:2007/09/03(月) 23:00:42 ID:Xf8SjgGgO
>>661>>663の両氏にお礼が遅くなりましたが自分の愚問に答えていただき有難うございました。
曹操の一つ一つの業績はそう悪くないのですがトータルで考察すると
評価が下がるという不思議な現象が起きてしまいますね。
やはり>>665で述べた様にずば抜けた部分が無いのが原因でしょうか?
ちょっとレスとは関係無い話で恐縮なのですが、
曹操はあれだけの勢力を保ち、有能な人材を揃えながら天下の3/2しか治めれなかったのは、
ちょっと痛いだろと知人も言ってましたし…
679名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 23:09:12 ID:pPvWH4Sr0
>>676
>>皇室優遇を後の乱の遠因というのも逆じゃないかと思うけど
たしかにコレを劉邦の責任にしてしまうのは当たりませんね。
そこは撤回します。
もともと分かれていたものをくっつけて一色に染めようとする過程が、
秦〜漢高祖期ということになるのだから、緩急のある政策は特に目立つのは当たり前ですしね。

線路をこの方向に、こうやって組め!
というのが劉邦の代なら、それを過たず、また問題が生じても修正、あるいは別の方法をもって
くみ上げていっって完成させたのは後代。
そういった評価の仕方をしたいからの持論なわけです。

>>677
史書自体がその傾向にあるから、鵜呑みにするのは
正しい姿勢ではない、といったあたりに訂正しなおしておきましょう。
でも、史記って史書というより歴史小説じみていて…
680名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 23:21:22 ID:Xf8SjgGgO
>>679
確かに史書に書いてるから絶対だとは言えませんね。
氏の言うようにある程度は疑ってかかるのは自然でしょう。
史記はある程度、物語風に書かれてる部分はあるとは思いますが、
司馬遷が生き恥をさらすことを選んでまで完成させた努力も汲んでやって下さい…
681668:2007/09/03(月) 23:27:24 ID:h3e2JhRB0
>>669
レス、ありがとう。
でも、確かに粛宗は勝手に皇帝を名乗ったが、李隆基は皇太子として認めているし、
粛宗の皇帝就任に追認しているよ。奪い取ったは言い過ぎ。
後継者の分を加点するのは、後継者を見るもしくは育てる力をそこで計る意味がある。
結果論でしか語れないが、郭子儀・李光弼は李隆基時代に登用されていたし、
李隆基の功績に一部、いれてもいいんじゃない?
納得できなければ仕方ないけど
あと、顔真卿や張巡みたいに冷遇されていたのに大活躍は加点にいれていないよ
李隆基はしょせんランク4だし、そこまで拘る必要はないんじゃない?
個人的に司馬炎と同列とされるのは納得できないだけ

>>672
石勒が劉邦の白登山の大敗を知らなかったというのは考えにくいだろうね。
だって、親分だった劉淵やライバル劉曜の先祖(おそらく)だし。
匈奴の従属部族だった(と思われる)ケツ族もそこに加わっていた可能性は高い。
いくら劉邦ファンだからって、匈奴が漢に勝ったそこの部分を聞かないわけがない
もっとも興味がある部分だろうし。
その上で判断しているだろう。
というわけで自分の劉邦>劉秀は変わらず。
あと劉秀がランク9なのは、決起時に兄と一族の力があったからだけじゃないよ。
劉秀が、洛陽を首都にして異民族に攻められまくったことを批判する人は多い。
あと、劉姓のおかげで、当時の漢王朝復興の空気に乗れたことも考慮した結果。
劉邦も同ランクだから、そこまで気にする必要はないと思うのだけど
682名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 00:07:54 ID:eHVdTigs0
曹操すげえな
683名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 00:51:33 ID:ubMSyN+n0
>>682
一方は瑕疵をつついて落とし、一方は大失点を両目をつぶって見過ごすのは、おかしい。
高祖にしてからが関中と河南のいずれかを首都にするかで迷った。
彼は反秦ムードに乗っかっただけで、当時は人民の間に劉氏の恩恵による支持など無く、
反乱の種は高祖晩年まで残ってたから関中を選んだのであって、新末の事情とは異なる。

また、異民族対策は本来は二代目三代目以降の後継者たちの仕事だ。
長期的な国防を考えれば関中の方が良いに決まってるが、
赤眉軍の横行で荒廃した土地で兵を養えるとはとても…
そもそも四代目以降外戚に牛耳られて、マトモな指導者がいないのに、
首都がどうこう言っても的外れとしか言えない。

最後に一つ言わしてもらうと、
光武帝はあげなくても構わんが、高祖を贔屓無しで落とさないことには、
ダブルスタンダードのそしりは免れないだろう。
貴方の言うようにしたら洪武帝の方がよほど高祖より上になる。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 00:53:24 ID:ubMSyN+n0
↑のは>>682じゃなくて>>681ね。間違えた
685名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 04:03:08 ID:QGs2yom2O
>>683
あれ?高祖が関中か河南のどちらを首都にするかで迷ったは知ってるけど
決定した理由は張良に関中は王者の地、秦もここに都を構え、
周もここより興ったって一喝されて決まったんじゃなかったっけ?
(むろん防衛上の理由、土地が肥沃などもあるけど)
当時は人民の間に劉氏の恩恵による支持など無くってそうだったっけ?
子嬰を許し、秦の法を簡略化などして一応は支持得てたのでは?

言わんとしてることは十分分かるけどもう少し落ち着けば?
686名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 04:22:10 ID:t1A5wGnF0
>>681
そこで馬援の登場ですw

って、冗談ですけれど、河北転戦についての評価も凄いんですがね。
河北はもう兄貴が殺されているので劉秀単独。
劉秀が河北に飛ばされたのは更始帝による殆ど左遷状態。
河北で敵となる王朗と比較すると、初期劉秀軍団はあまりにもお粗末。
家臣と共に、豆粥を分けあいながら寒さに凌ぐほど。

河北では王朗も劉姓の威光があるので、劉姓の威光など通じないから苦戦の連続。
上谷と漁陽の烏桓突騎を配下にいれるまでこれは続く。上谷と漁陽を配下にするのは劉秀単独の魅力、
劉姓の威光は王朗も持っているので、関係がない。
上谷と漁陽の精鋭烏桓突騎により、王朗を倒す事に成功。
劉秀は王郎の持っていた劉秀に反旗が記されている、書類を読まずに全て焼却。
王郎に従っていた豪族たちを安心させ、味方に取り入れている。
これは曹操が官渡の戦いの後で、真似した出来事ですね。
この後も、梁王劉永などとの戦いが続くが省く。

なんだか中華の戦いより、外敵との戦いを重視しているようなので。
687686:2007/09/04(火) 04:22:59 ID:t1A5wGnF0
>>686の続き

異民族との関係は王莽の失政が原因。王号を取り上げ、侮蔑的な名称にしている点。
下句麗とか何考えているんだか。どう考えても劉秀の失策では無い。
これの尻ぬぐいをしたのは劉秀で、王号を再発行し、外敵との関係を修復。
また、南匈奴を降伏させている点も評価対象でしょう。

劉邦の白登山の大敗は統一後なので、劉秀と同じレベルで比べる事が間違い。
劉秀も、匈奴討伐の戦で大敗し、河北、陝西の北半を放棄しているが、
統一前の話で、まだ内に敵のいる状態。白登山の大敗と同列に語るべきではない。
洪武帝も、モンゴル高原に侵攻するが、ココ・テムルに敗北し、
山西北部まで占領される失策とかありますが、その点は評価しないのですか?

長安は確かに天然の要害ですが、交通の便が悪すぎる。
それに当時の長安は荒廃しているので首都には相応しくない。
統一後なら交通の便の良い、洛陽こそ首都に相応しい。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 05:43:23 ID:ubMSyN+n0
>>685 大まかにまとめると、

婁敬(関中派)
・河南は天下の中心で利便性はあるが、その繁栄が天子の徳に大きく左右される
・不徳の天子でも兵力と要害を頼みに号令出来る。
・戦乱が明けたばかりで、情勢が不安定。関東で反乱が起きたら面倒。

群臣(河南派)
・故郷に近いから河南
・たった二代で滅んだ秦の故地を首都にするのは反対

張良(関中派)
・河南は四方を敵に囲まれかねない。戦争に不利。
・天府の土地で大軍を大兵站で養える上、難攻不落の函谷関を盾に諸侯と対峙出来る。

「周の繁栄がどうたらで河南にしろ」とかは理解不能だから省いた。
成周って首都扱いだったのだろうか?
まあ戦いは終わったと思ってる連中が河南、そうでない二人が関中を推したのは確かだ。
あまり河南の利点は述べないのに、関中に本拠を置かない場合のリスクばかり煽り立てる助言でワロタw
高祖はともかく恵帝以後を信用してなかったのかもな。

>言わんとしてることは十分分かるけどもう少し落ち着けば?
脳内ランキングや価値観は人それぞれあるだろうし、それは尊重されるべきものだ。
お互いにそれを話し合って共感を得られずとも、一々腹を立てたりするのはアホだろうよ。
だがスレの話し合いの結果を私情で左右させないのはスレ主?としてどうかと思う。
>>605のランキングはもう貴方の手を離れているべきだろう。
それをごちゃごちゃ変えられるのがイヤなら、最初から出さないほうがいい。違うか?
689668:2007/09/04(火) 10:17:55 ID:FK0xl9da0
>>683,>>688
レスはありがたいが、685氏は自分ではないよ。大体、スレ主でもないし。
>>605が気に入らなければ、別のランキングを作ってくれてもかまわない。
ランク10と9は同じ『規格外』で大きな差はない。
10が3人、9が4人が座りがいいからしているだけ。
それに朱元璋は10にいれてて劉邦より高くしているしな。
なぜ、そこまで劉邦を落とす必要がある? 
劉秀>劉邦はこのスレの合意とまでに至っていないような気がする。

統一王朝は秦、前漢、新、後漢、晋、隋、唐、周、宋、元、明、清の12
新、周、晋は乗っ取りだから外れる。短命である秦、隋は少し落ちる。
残り七つの創業者(格)が10と9にいれている。
後継者の力も無視できないが、創業者の力がその王朝において重要な役割を果たしているのは事実
版図も広く、繁栄もした唐、明、清に甘くなり、
堅実だが、国土が狭くなった後漢、宋に辛くしている私の考えは、不当ではないと思っている。
(フビライはモンゴル帝国の遺産が大きいので9のどん尻にしているが)

特に後漢は前漢から有形・無形の遺産をかなり受け継いでいる。
前漢皇族の子孫、劉備が後漢存続に動いたのはいい例だ。
前漢はそのような勢力はいなかった。六国の子孫は反秦に動いても、前漢を助けてはくれなかった。
劉秀の出発点は劉邦に比してかなり高く、到達点は相当に近い。(劉邦は到達できなかったけど)

劉秀が規格外なのは知っているが、その規格外度合いは劉邦よりかなり小さく思える。
納得してくれと言っていないが、劉邦>劉秀の評価はそう不当じゃない。
もともと、比較するのがかなり難しい。偉業度合いと結果論で決めても仕方ないじゃないか?
決定打がない以上、石勒に従わさせてもらう。
ランク表はそちらで変えてもいい。
どうしても、自分に変えさせたいのなら、10を七人にして、残りは1つずつあげる。
(項羽はさらに少し上げ、宋神宗→宋真宗に変える)ただし、名前の順番は一緒。
それでよろしいだろうか?
690名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 12:34:31 ID:jv6evEj/O
単于が服属して何代も経っていた後漢初の匈奴と、匈奴の最盛期と言えそうな冒頓時代の匈奴とでは、比較対象にならない気がするんだが
691名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 15:02:46 ID:ubMSyN+n0
もちろん冒頓以後の匈奴と、呼韓邪以降の匈奴では比較にならないだろう。
だが、赤壁でカクの進言に従わずに統一を逃した曹操が低めに評価されるのに、
白登山の戦での劉敬の追撃中止の献策に従わないどころか投獄までした高祖が、そんなに高く評価される理由が思いつかない。
二人の韓信の将才を疑心暗鬼と冷遇で腐らせ、
親友の盧綰を追いやり、義弟の樊噲まで殺そうとする晩年の耄碌ぶりが、
色狂いの司馬炎や殺人狂の洪武帝ほどではないにしても酷い。
まあDQNの石世龍にはそっちの方が逆に評価に値するのかも知れんが。
乱世末世の最たるものとも言える五胡の混乱を生きた人間には光武帝はヌルいように思うのも無理はない。

ちなみに石勒の説に従うのは由としても、
馬援が隗囂に対して両者を比較した説は参考外なのだろうか?
そっちの方が説得力があると思うが。
何しろ片方は直にその是非を見ているしw
692ID:Xf8SjgGgO:2007/09/04(火) 18:50:06 ID:QGs2yom2O
>>688
最初に述べて置きますが自分もスレ主ではありません。
>>605のランキングに不満があるなら、
689で氏が述べてる様に貴方が考えるランキングを作ればいいのでは?
こっちはこっち、そっちはそっちでいいのでは?
氏も>>627で>正直、自分の光武帝評価なんてどうでもいいと思うけど、スレ違いに近いし。
(光武帝がすごいのは本当だし、ファンが熱心なのも分かる)とも述べていますし。
曹操が低めに評価されるから劉邦の評価も下げろというのもちょっと違うと思う。
氏の>>689でのレスを読む限りでは
その人物の功罪を考慮してランク付けしてると感じまた。
また自分は高祖が関中か河南のどちらを首都にするかの話に対して意見を述べたのと
貴方が熱くなり過ぎてる様に感じたからモチツケと言ったまでのことで、
>>605のランキングに異を唱えるなとは言ってませんよ。
(モチツケと要らぬ世話を焼くのはここに限ったことではないし)
他の諸兄は(自分も含め)意見をランキングに対し述べてますが
その順位を絶対変えろとは言ってる様には見えないのですが。
失礼ですが劉邦VS劉秀論に粘着してるのは貴方だけではないでしょうか?

あと馬援が隗囂と劉秀を比較した説は劉秀の評価の材料にはなっても、
劉秀と劉邦との比較する材料にはならないと思う。 
何しろ馬援は劉邦を見てない訳だし…(笑無)
693名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 18:56:00 ID:zA3qirKb0
>>691
評価が高いのはストレートに長命王朝の始祖という点もあるんだろう。
欠点のみを打ち上げて、統一王朝の創業という
大偉業の達成を置き去りにするもの良くないかと。
少しアンチ評価に偏り気味じゃない?
まあ、欠点を重視した評価になったとしても8くらいには留まるでしょ。
694686:2007/09/04(火) 19:16:03 ID:t1A5wGnF0
いやいや、新−初期後漢時代の匈奴は以外に侮れませんよ?
特に新時代は匈奴が復興したと言われる時代。
タリムを掌握し、中華北辺の勢力も吸収。王莽の失政で離れた少数民族も吸収。
烏桓、鮮卑なども支配下に入れています。
軍事力も、新軍30万を破ったりしてますからね。弱くは無いでしょう。

まあ、それでも冒頓時代と比べると、格が落ちるのは確かですが、
中華にとって、脅威的な勢力であったのは事実ですね。劉秀も消極策を取りますし。
これは前漢末から、人口が三分の一になった影響もあるでしょうが。

後漢明帝の時代に匈奴討伐が出来たのは、劉秀時代の治世の恩恵と、
明帝自身の施政のおかげ。
同じ様な功績でも、前漢武帝は文景の遺産を食いつぶしているので、後漢明帝以下は確実。
後漢明帝は、後漢全盛期を築いた人物なので漢武が4なら、6はあるんじゃないでしょうか?

施政の実績から見れば、劉秀は高祖以上の規格外の傑物だと思いますが?
武勇でも、才明勇略、非人敵也。勇略非人敵。其勇非人之敵。などの評価を貰っていますし。

馬援の評価は面白いですね。
高祖を孔子に比べ、高祖を持ち上げているのに、一つ一つのすべてが光武帝の方が上と言っているので、
結局は光武帝の方が上じゃないかと、隗囂に突っ込まれている点など。
原文だと解釈が私には難しいですがw
695名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:20:03 ID:eHVdTigs0
諸葛亮っぽい人も邦をけなして秀を持ち上げてたっけ蚊
696686:2007/09/04(火) 19:22:52 ID:t1A5wGnF0
アンカー忘れ
>>691
697名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:23:54 ID:ubMSyN+n0
>>692
>あと馬援が隗囂と劉秀を比較した説は劉秀の評価の材料にはなっても、
>劉秀と劉邦との比較する材料にはならないと思う。 
>何しろ馬援は劉邦を見てない訳だし…(笑無)

その通り。同様に石勒は両方とも見ていないというのが俺の考え。
ランキングの件は「そちらの都合で勝手に作ってください」と仰られたからこれ以上突っ込むことは無いけど、
何故、石勒の評が高祖と光武帝の評価の決定打につながるのかが、未だに理解出来ていないから気になる。
>>686氏にはよろしければそこをお聞きしたいのだが。

>失礼ですが劉邦VS劉秀論に粘着してるのは貴方だけではないでしょうか?
その通りの態を為しているね。
通りすがりの人に注意されるくらいだから>>686氏はもっと困ってるかもしれん。
迷惑だったらゴメン、と一応謝っておく。
698686:2007/09/04(火) 19:33:24 ID:t1A5wGnF0
>>692
ああ、スレ違いとかは、途中から違いますよ。
孔明アンチのスレの人が入ってきて、闇鍋状態になってますから。

まあ、元が孔明アンチのスレのスレ主が、曹操厨だった為に、
曹操をネタに作ったスレですからね。
曹操のここがスゲーって言うと、横槍が入って、この時代の、この人物の方が上だ。
てーのが続きましたからね。そうすると、そいつよりコイツの方が上だろう?
と、闇鍋に材料をポンポン追加されていった訳ですから、有る意味仕方ないかと…
699名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:46:11 ID:OHJ6cy3A0
劉秀の軍事能力の評価は、過大評価すぎると思うけどね
(昆陽の戦い自体は赫々たる武勲だが、軍人皇帝の中では必ずしも突出したものではない)
朱元璋や李世民も負けず劣らず、天下分け目の決戦を勝ち抜いているし
永楽帝クラスの世界史級武闘派皇帝から見れば、格は落ちざるを得ない
劉邦が逆に過小評価すぎる(難攻不落の関中を史上初めて制圧した軍人にもかかわらず)

前漢武帝時代は世界史的に見ても凄まじい時代
治世の間通して、ずっと匈奴を叩きまくっていたんだぜ
かつては、月支、東胡、漢といった東アジア〜中央アジアの三大強国を屈服させた超大国が
50年にもわたる連続攻勢を受け、その覇権が崩壊して、二度とその勢威を盛り返せなかったわけだ
北アジアに覇権が戻ってくるまで、その後500年以上も後、突厥まで待つしかない
(しかし、突厥は北斉、隋に撃破されるなどスケール的には匈奴と比べてずっと下がる)
爾後、漢はこの長期戦争の恩恵を受けて、外交的に匈奴に圧迫をし続けることが出来た
財政破綻一歩手前だったが、それ以上に北東アジアに新たな軍事秩序を齎すことができたのだから
漢武帝をただの暴君で片付けるのは、余りにも視野が狭すぎる意見だと思うんだが
700名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:48:27 ID:RXYbYDJm0
>>697
>>何故、石勒の評が高祖と光武帝の評価の決定打につながるのか
これは最近よく引き合いに出されていますね。
石勒個人の評価であって、絶対というわけではないと思うのです。
それになぜ、こればかり言及するのかも、ちょっと謎な部分はありますね。

例えば、劉邦らとは関係なくなりますが、宋太宗の評は影響するのか?
曰く
「徳においてなら、先帝(宋太祖)に羞じるものだが、勤勉さでは負けないゾ」
「聡明さにおいて漢文帝に及ばずとも、そうなろうと努力はしている」
「後唐荘宗は遊び人だ!」
「後周太祖は詐欺師だ!」
さらに
「唐太宗など虚名の皇帝ではないか!!!!!!!」
など。
701686:2007/09/04(火) 19:49:41 ID:t1A5wGnF0
>>697
ああ、私は石勒を余り評価していません。
曹操の話をしていたらいきなり石勒様信者に
曹操は石勒以下、「石勒評なら曹操は孤児を欺いた狐」に殴りつけられた感じですからw
だから石勒の評は、私は無視の立場です。
702名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:51:36 ID:AbKUvS+80
>>691
貴方の基準は「自分が仕えるならこの皇帝」「友達にするならこの皇帝」「カッコいいのはこの皇帝」という感じみたいだね。
それが悪いわけじゃないけど、このスレの他の人とは話が合わないかもしれない。
優秀な人材や親友や義弟を切り捨てようが、それが天下国家にとって明らかなマイナスでなかったなら、君主としての評価にはさほど影響しないでしょう。
むしろ、才能はあっても不穏な動きのあった楚王信、旧六国の王族である韓王信を冷遇し切り捨てたのは支配や統一という意味ではマイナスどころかプラスと言ってもいい。
親友盧綰だって義弟樊噲だって同じこと。どちらが原因であれ危険因子なら速やかに排除するのは君主としては優れている証拠でしょ。
諸侯王に対する冷酷とさえ言える仕打ちの数々が天下の安定や漢の統一にどれだけ寄与したか考えたら、耄碌どころか漢高祖は統一以後の方が冴えていると言っても過言じゃないと思うよ。
こういう、後を見据えて冷酷な手段さえ採り、それを成功させている点を評価している人もいると思うよ。
首都選びや後継者問題などの惑った事例にしても、ちゃんとベターな方を正しく選んでいるわけだし。
対匈奴の大敗を差し引いて余りある、と考えても不思議じゃない。

まあ俺も漢高祖を上司や友人にはしたくないけど、君主としての評価なら違ってくるな。
703名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:56:18 ID:ubMSyN+n0
>>701
そうでしたか…
なんか当方に色々誤解があったようで申し訳ない。m()m
704名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 20:00:34 ID:RXYbYDJm0
>>699
>>突厥は北斉、隋に撃破されるなどスケール的には匈奴と比べてずっと下がる
これは撃破した北斉や隋などがすごい、とはならないわけですか。
あと、武帝をただの暴君と片付けたのは、どのレスのことなんでしょう…
まさか、自分の「名君とは思わん」発言のこと?

>>702
そうか。そういう考え方だと、李世民とかの評価がいやがうえにも増すというわけですかね。
李世民を酷評する人って、だいたい兄殺しとか、無駄な遠征ももってしますが、
それで隋のように国がおしゃかになっていないのですよね。
突厥を滅ぼして北の脅威を取り去ったあたりが、やはり別格すぎる皇帝たるゆえんでしょうか。
705名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 20:03:38 ID:AbKUvS+80
曹操の評価は、江統の徙戎論を見た上でするべき
江統の言うとおりにはできないとしても、彼が指摘しているような極めて不穏な状態が生じている原因の大部分が曹操の採った政策にあるのは否定できないと思う。
だから曹操が全て悪いとか無能とか言うのではないが、君主として政治的な判断や政策面を評価するのなら、この点を避けて通るわけにはいかないでしょう。
706686:2007/09/04(火) 20:11:19 ID:t1A5wGnF0
>>699
武帝の評価は極端に分かれますから、落ち着いてください。
私は武帝を、文景の遺産を食らいつくし、財政を破綻させた君主と見るんですよ。
遺産がなければ遠征も出来なかった訳ですから。
それに施政が酷すぎる。造反は凄まじく、反乱も多数。
治世の君主の好きな私とは対局の位置の君主ですから、そのあたりはご勘弁を…
707名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 20:22:37 ID:AbKUvS+80
>>706
漢の文帝の匈奴に対する本心は知ってるでしょ?
武帝は父祖の遺産で遠征を行ったわけだけど、それは文帝たちが望んでいたことなんだよ。
あと反乱などについても、それまでの「黄老の道」による悪く言えば事なかれ主義の下でじわじわ進みつつあった兼併、官民癒着といった問題にメスを入れたためという面も大きいよ。
無論それだけじゃないけど。
武帝もまた俺は人格的には尊敬はしないけど、やはり君主としては偉大な存在だと思うよ。
708名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 20:26:24 ID:ubMSyN+n0
>>702
俺は額面通りの「冷酷」「残忍」な暴君でも、
その治績が評価に値するならば評価してるので、その厨二病的な基準は言い掛かりですね。

他の諸侯王二人はともかく、盧綰と樊噲の件ははっきり言って弁護不可能に近いレベルの内容です。
盧綰を自分で「信用できるから」と任命して、讒言を吹き込まれて裏も取らずに切り捨てようとするのは暴君以前に昏君としかいえない所業です。
また陳平は樊噲を捕らえましたが、内密に助命しています。
これは高祖の判断を不服とした証拠じゃないですか?
仮に統一後の高祖が冴えていたとしても、呂氏に対する処置には理解出来かねます。
どうも高祖は陳平の知恵に頼りすぎるきらいがあり、本人がそこまで先のことを見通していたとは思えません。
貴方の為政者観は完全に同意しますけど、高祖の肯定的な弁護としては納得できないですね。

>高祖の関中攻略
主攻は項羽40万で助攻は劉邦10万という布陣でした。
また項羽は鉅鹿の戦いで秦の主力部隊を壊滅し、新安で20万近い捕虜を穴埋めにして殺しています。
正直、初めて高祖が関中を攻略した指揮官云々と言われても、
秦の抵抗力の推移と項羽を完全にフェードアウトした意見ではちょっと無理があるかな、と。
もちろん高祖は優秀な指揮官でしょうが。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 20:51:19 ID:AbKUvS+80
>>708
うん、盧綰と樊噲にしてみれば高祖はとても酷いね。
でも盧綰の謀反が事実であろうがなかろうが反乱者として切り捨てたお陰で息子を燕王にできた。
群雄→高祖の縁故者→高祖の近親者と諸侯を漢側に近づけるのに見事成功している。この基本方針から軸は全くブレてない。
盧綰はハメられたようなもんなんだろうけど、こういう漢の統治方針から見たらあっさり成功させた高祖はむしろたいしたもんだ。悪辣だけど。

陳平が樊噲を殺さなかったのは「呂后の報復が怖いから」だよ。ちゃんと書いてある。
まあ「下手に殺したら俺まで死ぬだろ!」って意味では陳平は高祖の判断に不服だったんだろうけど。
もし馬鹿正直に樊噲を殺してたら、呂后や恵帝の後ろ盾の一人がいなくなった事で呂氏と功臣間のパワーバランス変化したかもしれんね。どっちに転ぶかはわからんけど。

恵帝を後継者とする以上、その母や後ろ盾呂氏一党をあっさり排除することもできないんだよ。
恵帝が孤立無援になれば今度は朝廷にいる功臣たちの存在が危険になってくる。
この点でも、どちらかに偏らせず、危ういながらも呂氏と功臣の間のバランスに配慮したのが高祖の最晩年だと思うよ。
後に乱があったからといって、呂氏を先に切っていれば万事OKってもんでもない。
710668:2007/09/04(火) 21:43:35 ID:831B0AUn0
>>697
>何故、石勒の評が高祖と光武帝の評価の決定打につながるのかが、未だに理解出来ていないから気になる。
>よろしければそこをお聞きしたいのだが。

ああ、それね。私が石勒が好きだからだよ。では納得しないね・・
ま、これが正しいというわけではないんだけど。理由は。

@曹操の評価が鋭い。劉淵ですら、『漢高祖、魏武帝を目指す』といってそれなりに尊崇を
 払っていた。だが、そのようなものに惑わされず、自分で曹操の本質の一面を的確に評価している。
 (現代ですら、曹操の能力にまどわされ、なかなかこの点には気づかない人が多いのに)
 それゆえ、劉邦評、劉秀評も信頼できる。(と自分には思える)

A視点が英雄観視点で判断している。馬援の評価はどちらが上かよく分からない。
 司馬光は儒教的聖人論で語っている。諸葛亮の評価は個人能力に偏っている。
 石勒の視点はこのスレの評価方法に近い。さらに石勒もまた英雄である。
 英雄は英雄を知る。

あと>色狂いの司馬炎や殺人狂の洪武帝
  >DQNの石世龍

こういう言い方はやめてくれないか。自分も司馬炎を庸才とはいっているが。
間違ってはいないが、これでは感情的な論争になりかねない。
劉邦派と劉秀派は拮抗していると思う(劉邦派は劉邦が上とは言っていないけど)
もし二人が生きていたら、絶対、劉秀が先祖に譲るだろうから、
やっぱり、劉邦>劉秀でいいんじゃないの?
しかし、劉邦の本領は政治にあるんだね。あらためて思った。
711ID:Xf8SjgGgO:2007/09/04(火) 21:51:05 ID:QGs2yom2O
>>697
さっきも書きましたが、ただ熱くなり過ぎてる様に感じただけであって、
自分は迷惑などとは全然思ってませんよ。
まあ他の諸兄も(自分も含め)この手の論議は好きみたいですからあまり気にしないで下さい。
ちなみに通りすがりの人とは自分のことですか?
あと>>708
>どうも高祖は陳平の知恵に頼りすぎるきらいがあり、
>本人がそこまで先のことを見通していたとは思えません。
まあそれは仕方ないのでは張良が表のコンダクターなら陳平は裏のコンダクターですからね。

>>698
ええ、このスレの派生の経緯はよく知ってます。
なんせ曹操厨である向こうの1と戦った?内の一人ですから…
ちなみに自分は三戦板の孔明VS法正スレの時代から参加してます。
故に大概のことは体験してますからw
それと自分は逆に石勒スレで曹操マンセー攻撃に遭遇したことがありますよw
712名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 22:19:25 ID:ubMSyN+n0
>>710
>ああ、それね。私が石勒が好きだからだよ。では納得しないね・・
いやそれで結構。
俺は石勒の方が凄味を感じるが、劉曜の方が好きなので貴方とは根から合わんのだろう。
長々と付き合わせて悪かった。

>>711
>ちなみに通りすがりの人とは自分のことですか?
失礼。レスが錯綜しすぎて混乱してたのです。
713686:2007/09/04(火) 23:05:55 ID:t1A5wGnF0
>>710
確かに劉秀なら、劉邦に譲るでしょうね。
そこが劉秀の魅力なんですよ。
功臣の粛正無し、反旗が記されている書類を読まずに全て焼却。
奴隷解放して農産力の向上により飢饉を無くす政策。
小国にも王号をだして懐柔して、戦乱を避け、国力を蓄える政策。

『天地之性人為貴』の言葉は素晴しすぎる。
まさに聖主。でも本人は聖主や聖王などと呼ばれる事を嫌って、聖と呼ぶのを禁止。
この点もまた魅力的。

私自身では、劉邦が劉秀に勝る部分は野心(悪い意味では無く勢力拡大の意志がある、そのポジティブな所)
位しか思いつかないのですが…
714名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 23:11:56 ID:AbKUvS+80
漢の高祖って王になってからたった12年しか生きてなかったんだよね。
とんでもない密度の12年だ。どっちが上とかじゃなく、この密度はとにかく尋常じゃない。
その12年間で項羽が立てた王がわんさかいる状況から「劉氏にあらざれば王たらず」までするんだからな・・・
715名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 23:52:21 ID:zA3qirKb0
白熱した高レベルの会話に割り込んですまないが
漢高祖、光武帝共に同格(8〜9)にランクさせるのはどうだろう。
極めて甲乙つけがたい大人物故に、議論も白熱すると思うんだけど
そろそろ話の内容そのものがループし始めたような気もする。
716名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 23:59:50 ID:OHJ6cy3A0
>>713
農業生産力を考えれば、労働集約性の高い、奴婢を多く抱えての荘園経営の方がずっと効率的。
そもそも、東アジア農業は労働集約性のメリットの追求に重点を置いて、爾後発展していく。
同じ面積の農地であれば、労働力を投下した規模が大きい耕地ほど収穫が上がる傾向にある。
(粟、稲等の穀物の特質も関係するが、何と言っても黄土という独特の土壌性質によるところが
大である、手間ひまかけないと収量が上がらない非常に農家泣かせな土壌なのである。)
農産力を上げたいのであれば、奴婢階級は解放せずに、豪族達のもとで小作させたりしておいた方が
ずっと生産力の逓増に繋がるのだ。
(戸籍を失った一般市民を奴婢階級同然で国家の農地で使役しようと考えたのが曹操、外道だ)

え、何で奴婢階級の解放なんかやったのかって?
税金納めてくれる一般市民が、王莽のアホな法令のせいでたくさん奴婢に落とされていたからでしょ。
非常に現実的な政策だ、さすが劉秀。
717名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 00:15:21 ID:5/D1gWqO0
>>716
だね。
荘園経営は効率的だけど経営する豪族が収奪することになり、奴婢にはもちろん皇帝にもその利益がない。
皇帝には税金があまり来ないで代わりに豪族が搾取しまくりんぐになるから、これを放置すると豪族がどんどん強まり皇帝はどんどんジリ貧になる。
というかこれが後漢200年に起こった事の実態。
前漢の皇帝たちが厳しい政策で地方を締め付けたのも、光武帝が奴婢を解放したのも、この辺に根本的な理由がある。

曹操の政策(屯田)はこれを逆手にとって国家自らが荘園経営するという荒技で、時宜には適っているんだけど、これは国家が豪族のレベルに堕ちるという意味でもあり、豪族連合政権とも言われる呉さえもなかなか滅ぼせないのも当然かもしれないね。
718名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 02:47:33 ID:hUwRUGQsO
>>715
元々>>605で漢高祖、光武帝共に同格の9にランクインされてるんじゃないの?
でなんで同格なんだよって騒いでたんじゃなかったかい?
(異を唱えてたのを責めてないよ)
719名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 03:19:21 ID:vKLH0M2k0
元からおかしいランキングだからだろ。
漢武帝、煬帝、孫権は低すぎ。
劉備、李雄、桓温は高すぎ。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 05:19:29 ID:frz28qW80
>>717
曹操の屯田制、酷評するとそういうことになるかもしれないが、
あくまで、戦時下の特殊な体制の制度であって、
献帝を擁しながらも周囲敵だらけでスタートし、
最後まで統一できなかった魏朝の状況を考えると、
常に臨戦体制的な、軍事国家的な性格のままだったことは仕方ない気もする。
晋朝も、統一のめどがつき、安定の時代に入ったからこそ、
屯田制の廃止を行なえたわけだし。

統一できなかったから、こうした体制だったのか、
その体制ゆえに統一できなかったのか、
卵と鶏的議論になりそうだがw
721名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 06:12:17 ID:frz28qW80
ついでに、ランキング議論で熱くなるのは、それはそれで結構だが
>>662
>まあ正確なランキングなど絶対に出せる訳が無いから、
>話半分に熱くなりすぎないように注意したいと思う。
は、とても大事なことだと思う。
722711:2007/09/05(水) 07:51:40 ID:hUwRUGQsO
あのランキングはあくまで目安の為に個人的な尺度で発表してるんだから、
俺は自分はこう思うって意見を述べるのはいいと思うけど、
そう肩に力入れなくてもいいんじゃない?。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 08:34:34 ID:vKLH0M2k0
呂后、文帝、景帝、武帝とその時々の権力者によって段階的に始皇帝なみに集権が強化されたのであって
すべての手柄が劉邦に帰されるような論調には信者乙としかいえん
冒頓を規格外の10とすれば二段くらい落ちる
戦乱で国力が〜とかはエクスキューズにはならん。
動員はしてたし、戦力を活用出来ないのは劉邦の用兵がクソだからだ。
平城の恥は劉邦の判断力の限界が露呈した瞬間。死ななかっただけマシだが
10、9クラスの連中なら勝てないまでも分けるくらいは出来て当然
曹操同様、過大評価だろ
724686:2007/09/05(水) 12:37:48 ID:nnwNpGxV0
716=717?
劉秀嫌いなんだねw
さて、見落としている点を言っていくか。
三十分の一の税、役所の無能幹部をリストラ、評価ポイント
地方の軍備を減らす。それでも反乱は起きていない点は、評価ポイント。
酷吏を増加させ、横暴な豪族を制圧し、犯罪数も前漢時代の五分の一。ここも評価ポイント。
勢力のある豪族はすべて取り潰したのも評価ポイント(班個には批判される部分だが)
その為商業が農業が発達し、総生産力は前漢以上。
また首都問題だが、班個は西の長安よりも、東の洛陽の方が優れていると評価している。
あの時代に長安を、首都とす事は匈奴等の夷族と大きな戦となってしまい、
その結果、官軍の力が弱まり、各地で造反、反乱が多発しただろう。と、言われている。


李世民と李靖の評
「劉邦や項羽を見るに、どちらも将の将たる君主とは言えない。
張良は韓のため仇を討とうとし、陳平や韓信はみな楚で用いられなかった事を恨んでいた。
蕭何や曹参、樊噲、潅嬰などはみな亡命者で、
楚が本来の形なら劉邦には使えなかっただろう。
六国の後継者をまた立っていたなら、みな昔を懐かしみ、将に将たる才能があろうが、
漢(劉邦)が用いる事など出来ない。
漢が天下を得たのは、張良の計略と、蕭何の補給の功績。
これをもっていえば韓信や彭越が殺され、范揩ェ用いられなかったのは同じこと。
ゆえに両者共に将の将たる君主とは言えない」
「光武帝は、ただ真心をもって人を待遇し、
柔軟に事を処理し、功臣にその生涯を全うさせた。
功臣にその生涯を全うさせたのは、高祖より遙かに賢いこと。
これを考えれば、将に将たる道を知っていたのは、光武帝こそが相当する」
725名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 12:49:34 ID:Qlfd6IxiO
>>723
そりゃ支配強化は以後の支配者たちによる部分も大きいけど、その論調こそ最初に企画し手を付けた者の功績を過小評価するものじゃないかな?
それに劉邦は自分の時代の内に諸侯王になれるのは劉氏だけというルールを作った
最初は異姓の王が沢山いたのに、たった数年で全土に劉氏を送りこむことに成功してるんだよ
これ以降は諸侯王の反抗があっても劉氏同士の内輪もめということだし、極言すればどっちが勝っても漢は滅びないという究極の護身を身に着けたわけだ
各地で異姓の王や戦国時代の王族がでかい顔をしている状態のままだったら呂后だって文帝だって簡単にはいかなかったでしょ

軍事的な面でもっと上手くできただろ、ってのは否定しないけど
726名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 15:42:49 ID:MTNHXRM30
727名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 19:21:40 ID:HRvJ5Xjs0
劉秀信者は腐女子
728716:2007/09/05(水) 19:35:23 ID:MuJbi98V0
>>724
すまん、地方の叛乱も何も、諸羌の叛乱・侵攻によって三輔地域の失陥という
国防の大失策が思いっきり見落とされているんだが、、気のせいか?
爾後、国家財政が破綻寸前になるまで反乱鎮圧に明け暮れることになるわけだが
結局、これらが黄巾の乱や董卓率いる涼州軍閥の台頭の引き金になっているのは否定できまい。

司馬炎にしたって本人が軍備縮小を推し進めたときは、禿髪樹機能の叛乱という
大規模な戦役ははあったものの、鎮圧には成功している。
(賈皇后の時代にも斉万年の乱を鎮圧できているから、軍縮政策そのものが決定的な失策
だったわけじゃあない。)
しかし、子孫の代の異民族侵攻によって、その軍備縮小政策の不備が責められるのであれば
劉秀も同様に、彼自身の政策が起因して引き起こった(子孫の代の)異民族統治問題の責任は
負わなければフェアじゃないだろう?
国防圏を洛陽まで引いてしまうことの危険性を認識できなかった時点で、劉秀はダメだろう。
ただし彼の政治的業績をわずかに傷つけているとは言え、名君の評価を下げる決定的な要素には
なってないけどさ。
729名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 19:40:07 ID:pPgxUZMg0
この調子なら次スレは漢高祖VS光武帝になりそうだね。
730名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 20:15:04 ID:LQD85HNe0
他サイトにこんなのがあった。

>正史に登場する英雄の喜怒哀楽のシーンを数えてみた。
>     笑う 怒る 泣く
>劉秀   20 14  3
>曹操   25 12 11
>劉備    3  8  6
>孫権   15 18 11
>李世民  10 19 16

能力や功績だけでなく性格等の面から英雄を比較してみるのもなかなか面白いね。
こうやって見てみると曹操って結構笑い上戸で感情豊かな人物だなと思う。



731名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 20:40:07 ID:HRvJ5Xjs0
こやつめハハハ!
732名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 20:47:50 ID:/g/M+g0KO
劉備って正史には「感情を表情に出さなかった」とある(本文とはニュアンス違うかな?)
重厚な感じなのかな。
(穿って見ると、キャラをつくっていた?w)
対して曹操は詩人ということで感性に優れていた、より正確にいうなら、激情家かな?
また一方で陳リンの檄文に「軽率だ」というような表現が何回かある。
なんか大勢力の主の曹操より小勢力の主の劉備のほうが重厚っていうのも面白いw
733名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 21:14:30 ID:VCDPhNva0
>>724
>李世民と李靖の評
その二人のビッグネームからの評は、それこそ石勒よりもよほど傾聴に値すると思うが、
でもこれってたぶん李衛公問対だよね?
後代の偽書だしなあ。まあそれでもあの本の価値はゆるがんだろうけどさ。
734名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 21:14:51 ID:hUwRUGQsO
>>729
>この調子なら次スレは漢高祖VS光武帝になりそうだね。
別に立ってもいいけど下記のスレを活用してあげてもいいかも。
 ↓
【王莽】新〜後漢初【光武帝】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1162029599/
▲▲   項羽と劉邦   ▲▲
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161621239/
【項羽】 前漢時代の英雄達総合 【劉邦】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161620217/
735686:2007/09/05(水) 22:21:47 ID:nnwNpGxV0
>>733
はい。李衛公問対です。確かに、偽書と言われてもしかたないですが、
兵法書として高い評価を受けているのは事実ですよね。
著者が誰なのか怪しい点が残念ですが…

>>728
えええ!?
黄巾の乱?董卓率いる涼州軍閥の台頭?
王莽の失政の諸羌の叛乱・侵攻まで、劉秀の失政になるのですか?

まず整理しましょうか。
黄巾の乱は、党錮の禁が大体の大元ですよね?時の皇帝の失政もありますが。
どう考えても、劉秀に直接的関係無し。
董卓率いる涼州軍閥の台頭は、何進が呼び込んじゃったからでしょ?
これも上に同じ。

諸羌の叛乱・侵攻は王莽の失政が大元。涼州の隴西は既に占領され荒廃。
劉秀が皇帝になる前から占領されているじゃないですか。
長安荒廃の原因も王莽。
第一、羌の反乱は光武帝の命により馬援が鎮圧している。
涼州も明章時代は確実に後漢管轄の領土だし、
タリム(中央アジア)までの夷敵を撃破し制圧している。

国防とか言っていますがあの当時の荒廃した長安で、
まともな国防は出来ない。ですから班個が二つの都を評したんでしょうに。

涼州軍閥の台頭なんて、その後の話…
黄巾?董卓?
そこまで防げたら、皇帝じゃなくて、天帝ですねw

あと司馬炎の話は、私は全く触れていないのでスルーパス。

そんな評価で考えたら…
皇太子に後を次げなかった、洪武帝や、石勒。
呂公時代を作っちゃた高祖なんか…どうするのさ…

こじつけが酷すぎますよ。本当に劉秀嫌いなんですねw
736名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 22:28:28 ID:hUwRUGQsO
劉秀討論にはもうお腹一杯なんですけど…
737686:2007/09/05(水) 22:30:44 ID:nnwNpGxV0
すみません、 班個じゃなくて、班固。もちついてきます。
738名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 22:41:09 ID:3UP9qW4s0
>>736
話題を変えようとしているところ恐縮だけど…
たしかにスレ違いではあれど、この場を借りての、
両極論はかなり興味深いと思う。

スレまで提示しているから、移住して再開するのがいいと思う。


739名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 22:58:21 ID:frz28qW80
いい加減ここでは曹操の話もしようぜ。
740名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:03:19 ID:HRvJ5Xjs0
そうそうってだれ?
741名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:43:29 ID:pPgxUZMg0
>>740
三国時代の1君主。
特徴は特になし。
742名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:50:53 ID:MuJbi98V0
>>735
司馬炎を引き合いに出したのは、似たようなケースの人物であったから、別に他意はない。

俺の立場は、「劉秀の洛陽奠都によって、相対的に三輔地域の重要性が低下し、結果として
諸羌の進入に対して、これを撃退するよりも三輔地域周辺へと内徙させ、その勢力を減衰させる
といった統治方針を後漢政府は採用してしまったが、これは明らかな失策である。」という点。
(三輔地域の防衛意識が余りにも脆弱、ほとんど放棄に等しい)
結局、馬賢の登場まで、この状況は好転しなかった。(いや、登場後も好転していないか)

その帰結が、内徙諸羌の叛乱へとつながり、国家財政の枯渇、反乱鎮圧による涼州軍閥の
地位の向上(及び自分たちの実力の自覚)を齎し、遂には黄巾の乱から続く、後漢末の動乱へ
と雪崩れ込んでしまった、別に特別なことは言っていない。

あくまで後漢滅亡の原因を対外的に求めるのであれば、少なくとも光武帝の関中経営
に遠因が求められるよね、といった話だ。
無論、三輔地域における「異民族問題」、「財政問題」、「軍事問題」それぞれの原因であって、
国家滅亡の直截的な原因であるとは思っていないし、言った覚えもない。

しかし、後漢における断続的な諸羌の叛乱の原因が、王莽に帰結させられるて説は初めて
聞いたけど、出典どこ?
743名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 00:13:00 ID:LvX/hFOH0
お前ら野球の話もしろ
744686:2007/09/06(木) 00:41:12 ID:pNFrH2/v0
>>742
>国家滅亡の直截的な原因であるとは思っていないし、言った覚えもない。

728より>結局、これらが黄巾の乱や董卓率いる涼州軍閥の台頭の引き金になっているのは否定できまい。
言ってるじゃないですか。董卓台頭なんて、後漢滅亡の大元。
言ってないとは言えませんね。

>後漢における断続的な諸羌の叛乱の原因が、王莽に帰結させられるて説
どこをどう読みましたか?私も書いた覚えがありませんねw

結果論ですが、首都を洛陽とした後漢は約200年続きました。
光武帝即位時点の長安を首都としたら、
後漢は200年続いたでしょうか?

国防論が、あなたとはかみ合わない様子。
もう議論する必要は無いでしょう。
745名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 01:03:47 ID:F/lBTXEw0
>>724
俺717なんだけど、別に貴方の大好きな劉秀を貶したつもりはないんだけどね。
ちょっと過剰反応じゃないかな。

>>720
酷評というか、当時を考えれば曹操の屯田はベターな選択だったと思うよ。
ただ、流民の受け入れという最初の目的を忘れ、荊州のように住民を拉致同然に連行して屯田に組み込むなど、理想を見失った運用をするあたり、本質的には長期的展望を持たない場当たり的な政策だったんだと思う。
屯田制自体はいいが、屯田制の暴走は異民族強制移住などと並んで曹操の失政と言わざるを得ないのではないだろうか。
746名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 01:31:03 ID:tBj6uOKS0
>>720
>本質的には長期的展望を持たない場当たり的な政策
というような評価が、やはり酷評じゃないかな?と思う。
繰り返すが、魏朝は常に外敵を抱えた分裂王朝であり、
長期的政策よりも、場当たり的といわれようが、
即効性のある政策をとる必要があったんじゃないかと思う。
三国最有力といっても、それほど経済的にも余裕があったとはいえない状態だし。
しかも、曹操死後数十年で、実質司馬氏にのっとられた短命王朝なんだし、
その先の長期的展望に基づく政策を求めるのは酷なんじゃないかな。
747686:2007/09/06(木) 01:34:47 ID:pNFrH2/v0
>>745さん、すみません。
716=717の、日付またぎのID変えと思いこんでしまいまして。
過剰反応はその為です。誠に申し訳ありません。
748736:2007/09/06(木) 03:10:39 ID:lZMFjrSnO
>>736で自分もそれに>>739氏も陳情してるのに、
686と>>742の両氏はわざとやってる?

>>747
716と717はどう見ても別人でしょw
749736:2007/09/06(木) 03:27:37 ID:lZMFjrSnO
追記
>>738も他へ移住してはと提案してたし。
750名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 04:06:10 ID:5I7KDjn30
高祖+三傑他>光武帝+二十八将なら分からなくも無いが、
単体で見れば冒頓にも項羽にも劣るのが高祖。
劣った力を利口な立ち回りで最大限に活用したのは評価すべきだが、
他の規格外の連中と肩を並べるほどじゃない。

>>745
一々「貴方の大好きな」とか「自意識過剰」とかいうキモい枕詞をいれて煽るのがうぜー。

>>739
飽きたなら書き込まなくて良いよ。
わざわざそんなことを書き込む必要はあるのか?

>>738
この手のくだらん比較論は荒れるのが必須。
ここはもう既に荒れているし、そうでないスレにわざわざ火種を持ち込むのだろうか?
751名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 06:39:14 ID:jGdC58NC0
>>750
>一々「貴方の大好きな」とか「自意識過剰」とかいうキモい枕詞をいれて煽るのがうぜー。
>>716>>717と読んでしまう程度の読解力あるいは歪んだ偏見の
持ち主はその程度言われても仕方あるまい。
752名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 07:40:26 ID:F/lBTXEw0
>>750
俺745なんだけど「自意識過剰」なんて言ってないんだけどね。
ちょっと陰湿じゃないかな。

>>746
言い方が少々違うだけで、俺と貴方の考えは大体同じような気がする。
ただ一つだけ、
>しかも、曹操死後数十年で、実質司馬氏にのっとられた短命王朝なんだし、
>その先の長期的展望に基づく政策を求めるのは酷なんじゃないかな。
これは変でしょ。曹操は魏が短命政権だと思っていたわけじゃないだろうから。
曹操としてはそれが自分の子孫になるかそれ以外になるかは関係なく、それなりに長期的な展望は持っているべきでしょう、為政者として。
(例えば始皇帝とか隋煬帝とかだって、短命政権になると思って悪名高い政策を展開したわけじゃないでしょ。本人たちは長期的展望から定めた政策だと信じていたはず)

まあ、まず統一を果たしてから長期的計画的な政策を展開するつもりだった、ということかもしれないが、それなら中途半端な状態のまま100年近くも統一できなかったこと自体が大きな失策ということになるなあ。

753名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 07:40:38 ID:10Zm4Yu80
・夏侯嬰に罪をかぶせなかったら獄中で死んでいた劉邦
・項伯、樊噲が居なかったら鴻門の会で終わってた劉邦
・韓信がいなかったら陳倉を渡れずに立ち往生して終わってた劉邦
・陳平と紀信が居なかったら滎陽でくたばってた劉邦
・韓信が兵をくれなかったら野垂れ死んでた劉邦
・劉敬を投獄して七日間包囲される劉邦
・陳平が居なかったら冒頓単于に滅ぼされてた劉邦

劉邦は単品だと本当に弱っちいな。
真に称えられるべきはこんな駄目君主を支えた名臣達だよ。
虚像が一人歩きしてる典型例だろう。

あと赤眉、緑林、銅馬の諸軍は別に漢朝復興の為に挙兵した訳でも、光武帝が劉氏(しかも傍流の傍流に)だから従った訳でもない。
それを無視して「高祖の遺産で得をしたので落ちる」とかそんな類の論旨はおかしいだろ。

>>751
議論の敗北は人格攻撃で回復する、荒らしの教科書どおりの行動乙。
754名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 07:56:30 ID:lZMFjrSnO
>>750
くだらん比較論とか言いながら劉邦>劉秀論に意見述べてたり、
人のこと、とやかく言う煽り文句をわざわざ書き込むり必要はあるのか?
それとも意図的に荒れる様に仕組んでる?
755名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 11:30:16 ID:tBj6uOKS0
>>752
始皇帝の諸政策は主に統一後のものだし、
煬帝も、隋の統一がなった後の二代目、
いまだ統一を果たしてない戦時下にあった曹操と比べ、同じ物を求めるのはおかしくない?
長期的展望も大事だが、まず目の前の問題に対処しなければならない立場。
俺が指摘し続けているのは、まさにこうした状況の違いなんだが。

>中途半端な状態のまま100年近くも統一できなかったこと自体が
>大きな失策ということになるなあ
まあ、統一できなかったことは事実で、曹操の限界とされるのは仕方ないが、
100年分も曹操に責任求めるのも酷くないかな?
正始の変以降の残り半分は実質司馬氏の時代だったわけだし。
それに、これは屯田制に対する評価とはまた別問題だよね?
その「統一できなかった」という現状を踏まえ、
屯田制の評価をしなければいけないと思う。

>>720でも言ってるが、鶏と卵的議論に持ち込もうとするなら
話が変わってくるだろうけど。
756名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 13:20:14 ID:lZMFjrSnO
確かに曹操が統一を果たせなかった点を叩かれるのは仕方ないとしても
>>752氏の言う>中途半端な状態のまま100年近くも統一できなかったこと自体が
>大きな失策ということになるなあ
これはちょっとおかしいでしよう。
曹操は次の代への配慮が欠けていたのを指摘されるならまだしも、
司馬氏の失策まで責めを取らなければならないのは酷と言わざるえない。
また短期政権だったからって短期で滅んだ経緯も立ち置かれた状況も違うのに、
単純に秦・隋を引き合いに出されてもなぁ。
757名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 16:50:47 ID:Ys/BZ2p8O
そうそうが最強ってキングゴンタが言ってた
758名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 17:15:51 ID:LIewY8KT0
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。

春秋時代は匈奴に負け続け
漢の初代皇帝劉邦は匈奴にぼろ負けして服属
その漢を倒した王莽は匈奴にぼろ負け
後漢の初代皇帝劉秀はき匈奴に敗北
三国時代の魏建国者曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
魏の方面司令官夏侯淵も戦果を挙げた。
後漢末時代の公孫伯珪は異民族を討伐した。
後漢末の袁紹は異民族を服属させた。
三国時代の魏はササン朝を服属させた。
三国時代の呉初代皇帝孫権は山越を討伐して服属させた。
三国時代李漢張嶷は南蛮を服属させた
西晋は異民族によって中原を追われた。
隋唐宋は異民族政権
宋は異民族によって陥落
明は日本にぼろ負けw
清、中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない

つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
759名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 17:42:50 ID:nX/Q3DG20
うわ、なつかしの1のコピペかね。
760名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 17:53:37 ID:lZMFjrSnO
>>758
コピペ乙
114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 14:35:37 ID:H9uACsw10李世民>>>>>>>>>>>>>>曹操

じゃね?        
曹操なんて過大評価もいいとこ
って続きはなってるw

ちなみに260年にはササン朝のシャープール1世がエデッサの戦いで、
ローマ帝国のウァレリアヌス帝を捕らえ、
同260年には魏皇帝の曹髦が司馬昭を殺そうとして逆に殺され、
曹奐が皇帝となる。
って歴史上ではなってる。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 17:57:32 ID:lZMFjrSnO
改行するの忘れてた…orz
762名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 23:35:27 ID:VNIH+oQP0
>>753
それらの人物たちを評価し、登用し、そして成果を収めさせたのも劉邦の能力じゃないの?
その連中の社会的地位を考えると、新末や後漢末ではとてもじゃないが歴史の表舞台に
登場してこれそうにない。(似たような有象無象が登場してきたのは唐末か元末ぐらいか)

歴史上の政治家、軍人連中を単品で評価する神経が分からない。
それらの人物たちは、自分の目的を達成するための幕僚(スタッフ)を組織するのが常態である。
それらの幕僚をどのように組織するかで、その人物の能力も分かるというものだ。
指揮官の能力に不備があれば、幕僚の活動でそれを補わなければ生き残っていけない。
たった一人の人間が、国家を運営できるか、軍団を指揮できるか、もう一度考えてみればいい。
そこら辺考えてみれば、劉邦の組閣センスが、なかなか味のある編成だと思えて来るんだけどねえ。

曹操の幕僚の編成、幕僚に対する態度も面白い。
肝心なときは自分が出張りたがるあの姿勢は、評価してよいのか悪いのか。
763名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 23:56:41 ID:pNFrH2/v0
>>762
最後に煮て食うを入れないと駄目でしょ。

正確にはこう。
「それらの人物たちを評価し、登用し、
そして成果を収めさ、最後に煮て食ったのが劉邦の能力。」

韓信辺りは、謀反されていた可能性があるから、煮て食って正解だと思う。
英布は煮殺して正解。野心の固まりの男だし。
ただ、彭越は高祖が疑心暗鬼になり過ぎ。彭越を煮殺したのは弁護出来ないなー。
樊噲も弁護不可ですね。

煮殺すべき相手を、見定められなかったのが、劉邦の限界なんでしょうなぁ。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:05:38 ID:dwvK7fM40
彭越を煮殺したのは呂后じゃなかったっけ?
765名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:18:53 ID:SFmdLajt0
彭越生ハム事件は夫婦共同作業。
766名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:25:46 ID:+a67BOJh0
>>763
現代ですら、毛沢東がうちらの目の前で功臣粛清を実演してくれたからな。
あれは最早逃れられない王朝創始者の宿命だと思うんだけどねえ。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:38:34 ID:SFmdLajt0
話を曹操に戻すけど、荀ケは憤死?それとも煮殺されたの?
曹操が九錫を受けようとしていた事に、猛反発しているし。
病気発症もその事を、憂慮した結果だし。その病で死去。自殺説もあるけど。
この場合の死は、憤死になるのかね?
768名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:40:29 ID:OBVMjZeG0
>>767
彼が死ぬ際の人事異動を見てただの病死と考えられる人はある意味幸せだと思う
769名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 09:44:05 ID:mlNgDzUc0
>>762
>たった一人の人間が、国家を運営できるか、軍団を指揮できるか、もう一度考えてみればいい。
>歴史上の政治家、軍人連中を単品で評価する神経が分からない。

確かに劉邦は十数人しかいない統一皇帝のうちの純正な部類ではある。
しかし同時に漢民族のプレステージを大失墜させた事件の責任者でもあるということだ。

犬戎の乱 周幽王
平城の恥 漢高祖
王莽の乱 王莽
永嘉の乱 晋懐帝
薩水の役 隋煬帝
安史の乱 唐玄宗
靖康の変 宋徽宗、欽宗
土木の乱 明正統帝
庚戌の変 明嘉靖帝
阿片戦争 清道光帝

この列に王朝創業者が並ぶのは不可解だが、劉邦一個人の人間性を史料から読み取ってみれば合点が行く。
最高責任者ともなれば一個人の判断が極大にまでクローズアップされる瞬間があるものだ。
勝てなくても大敗を防ぐ選択肢は劉敬によって用意されていた。
最終責任は攻撃を献策して処刑された十数人の幕僚ではなく、劉邦自身に帰結する。
光武帝も唐太宗も対外政策で異民族に遅れを取ってる部分はあるが、劉邦や煬帝よりもマシな方だ。
一応、功は功として捉えてるし、罪は罪として数えて、それであの評価。
馬援のように「可もなく不可もない」ではなく、「可もあれば不可もある」と言ったところか。
770名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 10:03:44 ID:y8jlYF2rO
>>769
劉邦の評価はお好きなようにとしか言わないが、その列に平城の件を混ぜること自体が微妙なんじゃないの?
屈辱外交を強いられたとはいえ政権が潰れたわけでも国内が決定的に混乱したわけでもない平城の大敗と他の事件は質が違うんじゃない?
771名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 11:50:10 ID:xc7Xa2kS0
どちらかというと、澶淵の盟に近いな。
772名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 12:11:01 ID:SFmdLajt0
>>769
光武帝も異民族政策は失敗してねーだろ。
洛陽で兵馬を鍛えて、金も貯蓄して、息子に討伐させたんだから。

あんた首都は長安、長安、三輔!三輔!騒いでた人?
773名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 12:32:11 ID:mlNgDzUc0
>>772
北伐の遠征軍団が大敗して仕方無しに焦土作戦を行った訳だが、
これのどこが失敗じゃないのだろうか?
膝を折らなかっただけで負けは負けだろ。
諫臣達の制止を振り切って高句麗を行った唐太宗も同様。
二人とも明帝や高宗の代でやり返したから目立たないだけでな。

>>770
そして膝を折る折らない以前の段階で既に頭が額づいてたのが劉邦。
白登山の戦は展開次第では政権が潰れかねなかったし、国内が決定的に混乱しかねなかった。
国辱級の敗戦と言わずに何と言うのだろうか?
774名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 13:17:31 ID:SFmdLajt0
>>773
じゃあ、洪武のモンゴル高原遠征失敗も入れねーとフェアじゃねーよなw
775名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 13:27:32 ID:SFmdLajt0
>>773
異民族対策は、本来二代目以降の役目だろ。
唐太宗は二代目、東漢明帝も二代目、唐高宗は三代目。
アホかお前はw
776名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 13:39:01 ID:c3+3qQrfO
>>773
武帝の代で屈辱を晴らしたから目立たないだけの話で
平城の恥は靖康の変や土木の乱よりややマシってとこじゃないの?
陳平がいなかったら拉致あるいは死んでたかもしれないし、
後の代で好転か悪化したかで個人的な評価は分かれると思う。

>>774
漢民族VS遊牧民じゃないけどフビライの二度の日本遠征失敗もねw
乾隆帝も十全老人とか自ら言ってるけどビルマとかで結構苦戦してるし…
劉邦とかばっかり責められるのはフェアじゃないよね。
777名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 13:47:56 ID:mlNgDzUc0
>異民族対策は、本来二代目以降の役目だろ。
こんな前提聞いたことないが説明よろ
出来ないならお前はアホだ。
778名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 14:21:14 ID:SFmdLajt0
>>777
フェアな評価も出来んアホに、説明する必要性が無いわ。アホ。
779名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 14:24:03 ID:xc7Xa2kS0
おれにはID:SFmdLajt0の方が(ry
780名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 14:25:15 ID:SFmdLajt0
あ、理由つけといたるな。曲解されるのがイヤだからだ。
お前のような、拗け者には無理やろーからな。
どう説明しても曲解されるのが目に見えてるわw
781名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 14:40:53 ID:mlNgDzUc0
>>780
「拗け者」というのは実に正しい指摘だ。
でその拗け者ごときに及び腰のまま逃げるのかね?
かっこわりーなあ、おいw

>>776
ランキング論争の流れで劉邦のアンチ評価を続けてるだけで、そもそも劉邦叩きなど俺の本意ではない。
俺は言われたら言い返してるだけで、フェアな評価とか、そういうものを気にするなら、
完全にスルーする方が常識的な貴方の精神衛生の為だろう。
782名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 15:06:28 ID:SFmdLajt0
>>781
>俺は言われたら言い返してるだけ
自分中心説の人間ですなぁwやっぱ、話し合いや、議論無理やないですかw
やーい、拗け者w拗け者w

じゃ、精神衛生上、スルーさせてもらうなw
783名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 15:19:36 ID:mlNgDzUc0
なんだとこの腰抜け野郎がw

じゃあ、俺もID:SFmdLajt0の無様な降伏宣言が撤回されない限り、
以後スルーさせてもらうおう
784名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 15:36:13 ID:NMFeSnxh0
ネタで漫才やってるのか、本気で逆上せあがってるのか知らんが、
どっちにしても目障りな応酬だな。
そのまま互いにスルーしつづけてくれ。
785名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 16:05:03 ID:c3+3qQrfO
勘違いされてたら嫌なので一応言っとくけど、自分はID:SFmdLajt0とは別人だからね。
携帯とPCを使い分けて自演するほどバカじゃない(ry
786名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 17:59:34 ID:c3+3qQrfO
>>777
>異民族対策は、本来二代目
まあそんな前提は別にないだろうけど
異民族対策は中華全土を統一して国内安定後に大体の場合行われてますよね?
統一してない状態での曹操による烏丸討伐や
初代だけどチンギスの西征もあることはあるけど
(こっちはモンゴル平原を平定してるけど)
普通は初代で中華全土を統一し国内安定させて
遠征出来る状況に持ち込める人物は稀でしょうね。
大体、二代目以降のケースが多いし。
だからID:SFmdLajt0は異民族対策は、本来二代目以降の役目だろ。
と言ったんでしょう。
一応、自分の意見を陳開してみた。
787名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 18:14:16 ID:c3+3qQrfO
訂正
×陳開してみた。
〇開陳してみた。
788名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 18:37:01 ID:v2ACrAwh0
曹操の話題に戻そうか。

異民族統治という意味じゃ、曹操は基本的に討伐に関しては負け知らずだよね。
烏桓、鮮卑、テイ、羌のことごとくを平らげているし、匈奴に対する分割統治態勢を完成させた。
内徙政策が後世の大禍根になったという評価もあるけれど、まあ、内徙政策のはしりは
劉秀と馬援の頃からやってたことだから、曹操ひとりに背負い込ませる問題ではないだろう。
後漢政権4:曹操6ぐらいの割合が丁度いいんじゃね?

解せないのは、この時期の異民族が有力な王権を維持できなかった点。
前後の時代と比べても、マジでまとまりがない。
789名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 19:01:49 ID:c3+3qQrfO
>>788
単純に諸部族を纏める器量を持った傑物がいなかったんだろ?
奴らは指導者次第で急速に大勢力になるし、その勢力は簡単に崩壊する。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:08:53 ID:SFmdLajt0
>>786
だいたいそんな感じ、初代はまず国内の安定させる事が、
第一の使命だと思うのですよ。
テムジンはモンゴル皇帝(ハーン)で、中華皇帝とは言えないような…

後漢末で暴れなかったのは、漢化していた為じゃないかな?
南匈奴の単于於夫羅は献帝を助けたりしてるし。
息子の劉豹は蜀漢に使えているし。
で、世が乱れ、劉豹の息子の劉淵みたいな英傑が出てくると、王朝を作っちゃうみたいな。
曹操みてーだな…
791名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:15:44 ID:wDCZh0k30
異民族に関しては三国時代は弱体機だよな
792名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:16:47 ID:SFmdLajt0
はいミス。劉豹は曹魏ね…
793名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:18:45 ID:v2ACrAwh0
>>789
逆の見方をすれば、有力な統率者が現れる、または成長する前に異民族の結集を叩いたと
言えなくもない。
トウ頓や軻比能みたいな有力な人物達もいたわけだし(軻比能は曹操とは若干時代がずれるか)。
でも、やっぱり内徙政策は減点項目だよなあ。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 21:58:26 ID:c3+3qQrfO
>>793
確かにそれは言えますね。
安定した王権を築くのは異民族側から見て外部勢力が(中華王朝、政権)
ゴタゴタしてる時ですよね。
曹操の場合は比較的、異民族討伐まで手を延ばすことが出来たからでしょうか?
『夷を持って夷を制す』この常套手段で互いに噛み合わせるのはいいのですが、
それにより諸部族が淘汰、吸収され偉大な指導者が表れた時に一番勢力が拡大するんですよね。
だから色々な要素が上手く噛み合った時じゃないと、
例え、拡大は出来てもその勢力は長続きしないんでしょう。
あとは漢人を政権に上手く取り入れるとかも要素の一つかと。

>>790
確かにチンギスモンゴル皇帝なのは分かってますよ。
あくまで初代で国内を統一、安定させ遠征した人物の例えとして出しただけでして…
誤解を招く書き方をしたのは謝ります。

自分に対してとモチツイてる時のレスから察すると、
ID:SFmdLajt0I・D:mlNgDzUc0の両氏は本来まともな人みたいだから、
今後は互いにあまりカッカしないでねw
795名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 22:31:56 ID:SFmdLajt0
>>794
すみませんでした。もちつきます。

初代で異民族政策に成功している人物で、まず思いつくのは、
始皇帝ですね。やっぱり。
でも皇帝としては初代でも、秦は王号の時代でも強国だった。
評価はやはり下がりますかね?

宋の太宗が統一から一代目と考えると、遼に大敗してますよね。
やはり統一から一代目の討伐は難しいのでは、と思ってしまいます。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 22:42:27 ID:WCJ8Iqpk0
後漢末〜三国にかけて、異民族が弱体期て>>791の発言に根拠ってあるのかな?
分裂期ていうのであれば、五胡時代も興安嶺からモンゴル高原にかけては鮮卑が分裂・割拠状態
だったわけだし、それならば、まだ大同団結していた軻比能の時代の方が強盛を誇っていたと考えて
もいいんじゃないのかなー。
鮮卑の人口や規模の推移が分かれば、比較できるんだろうけど……。
797名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 22:52:22 ID:OBVMjZeG0
>>796
その頃は烏丸がいたから・・・
大同団結というより分裂するほどの勢力じゃなかったのではないかと
798名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 23:13:13 ID:c3+3qQrfO
>>795
一応、レスに反応は致しますが、出来れば曹操の話題も、
絡めつつお願いしたいのですが…(8:2ぐらいで)

始皇帝は初の中華統一王朝樹立という偉大な功績、
為政者としても偉大な人物なのですが、
何せ厳格すぎる法、人民を顧みない苛酷さ、焚書坑儒、
趙高を信任し、結果的に秦滅亡の遠因(これは少し手厳しいかもしれないが)
を作ってしまった点など功罪見合わせると、
自分的には評価を辛くせざる得ないな。
秦の強大さは孝公辺りから積み重なってきた点も考慮に入れてます。
燕雲十六州回復は北宋(後周も)の念願でしたがついに果たせなかったですからね。
この問題を解決するのは相当難しかったんでしょうね。
極端な文治主義も原因の一つだとは思いますし。
799名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 23:57:21 ID:SFmdLajt0
>>798
いや、曹操の話はしたい。したいけれど、
異民族政策関係の話が主になっているから、あまり乗れないのが本音。
西園八校尉時代や、反董卓連合時代、張邈&陳宮の反乱の話とか、
対呂布、対袁術の頃の、初期の話をしたいのですよ。

でも、なんだか、その雰囲気じゃないので…別の時代に逃げてしまうと言うか…
800794:2007/09/08(土) 00:13:01 ID:BIdnJNO5O
>西園八校尉時代や、反董卓連合時代、張粋&陳宮の反乱の話とか、
>対呂布、対袁術の頃の、初期の話をしたいのですよ。
曹操の話題なら雰囲気なんか関係ないのでは?
そもそも劉邦、劉邦、劉邦って騒いでた人がいたから反応してただけだし、
(自分もその一人なのだが…)
別時代に逃避しなくていいんじゃないの?
貴殿の言ってる西園八校尉時代〜対呂布、対袁術の頃の話題を投下すれば
それに反応する人もいるばずだし。
自分も分かる範囲ならカキコするし。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 04:31:58 ID:5m12Gejk0
三輔地域が重要だと思っていない人が居るみたいだけれど、確かに重要な地区だと思う。
だが、三輔地域の重要性を説いている人も、後漢初期での支配に固執し過ぎじゃないかな?

確かに三國志の時代でも、涼州軍閥が力を持っちゃうし、曹操もカクの献策が無ければ、
馬超軍閥に負けていた可能性も有るわけだ。

でも、三輔地域その全ての責を光武帝に着せるのはどうかと思うな。
確かに長安を首都にすれば、三輔地域は防衛できるだろうけれど、
王莽や更始帝や赤眉に、ふるっぼっこにされ、荒廃した長安を再建する資金は、
建国初期の光武帝には有る訳が無い。前漢首都の長安は巨大な都だった訳だから尚更。
軍事力的にも光武帝の時点で三輔地域、つまり長安周辺に新たな都を構えるのも現実的とは思えない。
明帝の時点の遷都だと、人心は確実に離れるし、軍事力的にもその必要性は無い。
章帝は寿命が短いので遷都を考えるのはこれまた、現実的では無い。
軍事力的にも明帝と同じで、必要性は感じられない。
そう考えると和帝辺りの時代辺りの遷都なら、現実的で可能だったのではと思える。
ま、外戚その他で不可だろうが。

魏武は夏侯淵の死、その煽りを食らって三輔地域を破棄したようなものだな。
魏武にも重要な地域だった訳だから。後年、諸葛亮の北伐で使われる地域だし。
漢中防衛で、夏侯淵が踏ん張れなかったのが悔やまれてならない。
これに付いては、攻め落とした劉備軍閥を褒めるべきかも知れないが。
802名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 08:34:09 ID:angt+2ue0
  Oh!My Cock. Shu!Shu!Shu!
\____ __________/
        V
         -=-::.
  /       \:\  Gekyo、Gekyo!、
  .|  Sect SGI  ミ:::| HAAA・・・         巛
 ミ|_≡=、´ `, ≡=_、 |;/         ___|  |
.  ||..(゚ )| ̄|. (。) |─/ヽ        / ___丿   
  |ヽ二/  \二/  ∂        /  /
. /.  ハ - −ハ   |_/      /  /
 |  ヽ/__\_ノ  / | ___/  /  
 \、 ヽ| .::::/.|/ヽ  / /  |     /
.   \ilヽ::::ノ丿_ /_/   |  ∈3ノ =ミ  ∬ ∬ 
   / しw/ノ__  __ |   丿   ミ  ノ)
   (_ ∪ __| ミ   /  / ブリュッ  (;:.:.__)
               (    ̄ ̄\   (;;:::.:.__::;)
                 ̄ ̄ ̄\_彡 (;;:_:.__゚.:.:⌒)
803794:2007/09/08(土) 08:52:22 ID:BIdnJNO5O
>三輔地域が重要だと思っていない人が居るみたいだけれど、確かに重要な地区だと思う。
三輔地域の話や光武帝なんてもうしてないんだけど、なんでわざわざ蒸し返すんだい?
光武帝の論議は既に余所に移ってやってるし。
ひょっとして>>801=ID:mlNgDzUc0
804名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:03:12 ID:angt+2ue0
                          ,.、、.,_         座  ベ  ふ
      _,,.、、、、、.,,_             ,ハ爪、,::゙ヽ.          っ  ン  と
    /.:::::::::::::::::::..`ヽ、            `l 'i 'i'`ln:}           て  チ  見
   / .:::::::::::::::::::::::::::::::. '、            l ゙ァ 人{        い  に  る
   | :::::::::::::::::::::::::::::::::,ヘ{ツ          `コfェエlユュ         た  創  と
    | ::::::::::::::::::::::::,ィゥ ノ j           /;.;.ヽ   ヽ,        価
   |::::::::::::::::::::::( |.!  ;{           l;.;.;.;.;.|    i'、       学
   .|::::::::::::::::::rリ`l,〉   j}゙          '!;.;.;.;.;|     !;'!_        会
    }:::::::::::::::ノ゙  l  /            '!;.;.;.;.|    「 |||       員
   ,xァ''ー'゙'`    '、 /            ノ;.;.;.;..j     |,,|||     
  / ー`¨`''''ー-- 、」゙'′_ ..,;:';;'. ;:;:;:;..  /;.;.;.;/ __三」 |||      が
 ''^ーァ 、_____  ̄ /       __/;.;.;/lニl-'┴┴厂
  `>'、,     '''"´ ̄ ̄_二ヽ、 ,';';'; /  >'′ | | l`'Y'))i
  /           /    ヽ   `ー' :;:;: ,|-' 'ー'ニノノ,.,:,:,:
 ,'        ,   /      ゙、""''''''-= :,,_ /| l: : :"''|'′,.,.,.,.
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          l, l  く,_  、   |        /_:::| l: : : :|
 ''''ー--_  、、,,,_リ    `ヽ、ヽ, ,!     /   ̄`''ー'、
       ̄`¨`'''|!    _,,..、二,,_,〉'_ー_/    , ,、   `ヽ,
          |!   'ー''"´  '! /     /ニ''''ー ---'-


805名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:04:22 ID:angt+2ue0
       |  !                        |  |
      | │                   〈   !
      | |/ノ二__‐──ァ   ヽニニ二二二ヾ } ,'⌒ヽ
     /⌒!|  =彳o。ト ̄ヽ     '´ !o_シ`ヾ | i/ ヽ !    ウホッ! いい学会員・・・
     ! ハ!|  ー─ '  i  !    `'   '' "   ||ヽ l |
    | | /ヽ!        |            |ヽ i !
    ヽ {  |           !           |ノ  /
806名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:04:56 ID:angt+2ue0
ハッ

そう思ってると
突然その男は僕の見ている目の前で
お題目を
唱えはじめたのだ・・・!

            , '´  ̄ ̄ ` 、
          i r-ー-┬-‐、i
           | |,,_   _,{|
          N| "゚'` {"゚`lリ 
             ト.i   ,__''_  !
          /i/ l\ ー .イ|、
    ,.、-  ̄/  | l   ̄ / | |` ┬-、
    /  ヽ. /    ト-` 、ノ- |  l  l  ヽ.
  /    ∨     l   |!  |   `> |  i
  /     |`二^>  l.  |  | <__,|  |
_|      |.|-<    \ i / ,イ____!/ \
  .|     {.|  ` - 、 ,.---ァ^! |    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
__{   ___|└―ー/  ̄´ |ヽ |___ノ____________|
  }/ -= ヽ__ - 'ヽ   -‐ ,r'゙   l                  |
__f゙// ̄ ̄     _ -'     |_____ ,. -  ̄ \____|
  | |  -  ̄   /   |     _ | ̄ ̄ ̄ ̄ /       \  ̄|
___`\ __ /    _l - ̄  l___ /   , /     ヽi___.|
 ̄ ̄ ̄    |    _ 二 =〒  ̄  } ̄ /     l |      ! ̄ ̄|
_______l       -ヾ ̄  l/         l|       |___|
807名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:06:54 ID:angt+2ue0

    〃                 i,        ,. -‐
   r'   ィ=ゝー-、-、、r=‐ヮォ.〈    /
    !  :l      ,リ|}    |. }   /   .や 人
.   {.   |          ′    | }    l
    レ-、{∠ニ'==ァ   、==ニゞ<    |    ら 間
    !∩|.}. '"旬゙`   ./''旬 ` f^|    |
   l(( ゙′` ̄'"   f::` ̄  |l.|   |     な 革
.    ヽ.ヽ        {:.    lリ     |
.    }.iーi       ^ r'    ,'    ノ    い 命
     !| ヽ.   ー===-   /    ⌒ヽ
.   /}   \    ー‐   ,イ       l    か
 __/ ‖  .  ヽ、_!__/:::|\       ヽ
808名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:10:17 ID:angt+2ue0
 、        ヽ
 |ヽ ト、  ト、 ト、 、.`、
/|l. l. | |l l | | l |l.| |l. l
/' j/ ノ|ル'/レ〃j/l |
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 ̄   ./゙ニ,ニF、'' l _ヽ
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\   /  ├、
::::::` ̄´   /  !ハ.
809名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:11:30 ID:angt+2ue0
   ;ヾ、,.、,、.、rツ ッッシ、:':' r':' _,、-'゙_,  そういえばこの 創価学会 文化会館 は
 ,、,、,ミッン、,._        _,、-'゙_,、-'゙.   池田大作が出没することで
 、ィッ ,:、 ゙''ゞ=ミ、~.: _,、-'゙_,、-'゙  __,  有名なところだった
 }; ヾ ゙' {!li;:,. _,、-'゙_,、-'゙ _,、-'゙,::|_| 
 ゞァ''゙ぐ _,、-'゙_,、-'゙ _,、-'゙,、-''" .|_   ゲイのカルト狂信者に誘われるまま
 ,ヘ:'_,、-'゙_,、-'゙..::「┴_,エ ┴  ''"_|_|  ホイホイとトイレに
  └i'゙-ニ,ニエ,.:|ニ「 _エ ┴  ''"_|_   ついて行っちゃったのだ
    |エ | ニエ, |ニ「 _エ ┴  __.|_|_
    |エ | ニエ, |ニ「 _エ ┴ 「fj.||__|__| _|
    |エ | ニエ, |[8] _エ ┴ └‐_|_|__l__,|⊥ |__
    |エ | ニエ, |二 _.エ 二.._ |__|__| _|_|_
    |エ | ニエ, |┴ _.エ 二.._ |_|__l__,|⊥ |__|
    |エ | ニエ, |工 _.エ 二.._ |__|__| _|_|_
    |エ | ニエ, |工 _.エ 二.._ |_|__l__,|⊥ |__
  -,-=''┷━━|┬ニエ ┬--  .|__|__| _|_|_
   ''ーニ_''ー::、_ ゙┷ 工_二'‐-、,_|_|__l__,|⊥ |__
  二二二`''ーニ`_''ー-、_¨''━、L|__|__| _|_|_
  二二二二二二二`''ーニ_''ー 、_       |⊥ |__
810名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:13:25 ID:angt+2ue0
創. 折 か .俺 |  / つ ホ よ
価 伏 ま は |  l い イ か
な す わ ア  !  〉 て ホ っ
ん る な ン |  | き イ た
だ   い チ |  | て    の
ぜ   で だ |  ヽ       か
ヽ        っ !   l \    /
ノ!\__   て /   |  〃''7´
  {  l ̄`ヽ(  ヽ ! / ,;〈
     j| /     `ヽ;;,,   ヽ
  / / l!        ',;    ',
  / /         |
  /   l          !    l
,.イl!    l!         /,    l!
ゞ{l       , , ,;;;ノ、,,,
r''l      ' ' ' ' ''l;;;''''''
、 |           |;;
.ヽ!   !         |;
__」   l        |ヽ
<!  ヽ      | ヽ
811名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:14:48 ID:angt+2ue0
         ヽ、        /  思 い
  お ご お   !        !   .い い
  だ ほ. 前.   !       |   つ こ
  い. ん     |      !,  い と
  も. ぞ     ノ      l′ た
  く ん     ゛!  ___ 丶
  し. さ    ,,ノ' ´    ` ''ヾ、、_   _,.
  ろ ま   /            ヽ`'Y´
   に    }f^'^^了t^'^'`'ー1  l
       ノ|L_ ! ___ { ,..、|
'- 、.....、r‐''´  }f'tr'i  ''^'tォー` }j/i',|
     ヽ    l.| ´ |    ̄  vijソ.!
         丶 └、     Fイ l′
     /    ',  ‐--‐  ,イ ケ|
   , ,/.       ヽ `''"´,/ !  ^|ー、
  / /      _,,」、'....ィ'       '|. \、__
. /./  ,. ‐'''"´    ! /   ,  _」__ヾ',
.,'.,'  /´   └ 、_ ノi   ノ  (、_  ``ヾ!
,'/ /     ヽ、 ` ''ー 、ィ-─'' r`'^    `
l|  !            リ    `ぅ ー=、_
| |          サ     〉
  ト             ′    ./''ー- 、,.._
  |  ヽl            (B     /    ヽ、
  |     !,、      !     /     ∠_
  ,イ     ヾ'     ィ 、   . /   ,,ィ'´
812名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:17:35 ID:angt+2ue0

        \:::::::::/ ノリ::::i::リ:| l i::! ノ::ハ:::::ヽ. ─=l
  で  お  /:::::::::i ノィノイノノ:ノ/;イノ!、::::ト! =≡〉
  す  だ  l:::::/,ィィー=ニ_杉、彡彳ノノ }ハノ  −/   え
  か  い  \′ ,二=ニ、''"   ゞ_ー-ノj   ─ \    h
   ア  も  /    「リ ゙    i゙rュ `フ         〉   っ
  ?   く  \     ̄`      {ゞ、 i′ −=≡く    ! ?
           ) //////    )" l     ─=/
         (´    , - 、 ~゙,r'゙  !         〈_
        _丿 lj  /   `ー'7 ,'      −=≡丿へ    /
\_ へ , -、( ::ヽ.   ゝ、_   / /       ─=≡ニ\_/
    〉′ `  ::ヽ    _ `ー'゙ /    −=≡ニ二三_
   ./         ::\      /  −=≡ニ二三_
813名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:53:37 ID:angt+2ue0
_______________________________
|          ヽ  _,,.-‐――- 、      i        /              |
|  い   き     レ':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ.    |      /    み  お  人  |
|  い   っ      .|:.:.:.ト;.:.:.:.:ト;:.:.i:.:.i:.:.:ヽっ  |      |     る  だ  .間  |
|  気  と     |:.:.:i ノノ}レ' )ソレ'ノノ}:.}  っ .|;;      |     の  い  革  |
|  持        |;::;i -ァ-ト-' ーァェ-|"    |;;;:     〉    さ   も   命 .|
|  ち       〈:{fi! _旦  { 旦`{゙}    |     /        く  ! .|
|  だ        |ト、  """ _ ノ""".lノ     |     |        し       |
|  ぜ        |!:.〉.   ,--ェ  ,'      |     l         て       |
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814668:2007/09/08(土) 16:05:26 ID:qlXxAd8G0
>>802,>>804-813
荒らし、乙。

曹操の話をすると荒れるな。
曹操時代の異民族の話をすると、農耕民族である漢民族は言われるほど弱くはない。
訓練され、装備をしたある程度の数を揃えた軍を名将が(夏候淵クラスでも可)
率いれば、有力な騎馬民族にうち勝てる。
歴史書を見ると、「騎馬民族は不利とみると、さっさと逃げる」という描写がある。
歩兵がいない騎馬民族は意外に防御が弱い。
正規兵が、まとまって陣形を組んで戦えば、かなりの戦いができる。
杉山正明みたいな騎馬民族信者のいうことを真にうける必要はない。
戦闘に関する長い歴史を持ち、孫子の兵法をうんだ漢民族は充分に強い。

ただし、これができるのはかなりの統率力を持つ名将のみ。
凡将では蹴散らされ追撃をうけ、全滅になりかねない。
また、劉邦みたいに戦経験があっても騎馬民族用の対策が充分でない場合
一方的な敗北をうける。つまり騎馬民族との戦いは

勝利→追撃できず→再起される
敗北→追撃うける→全滅

となるので大きな差がでる。退路を断つのは難しい。
ただ、騎馬民族の本拠地を突けば別。
騎馬民族といえども、本拠地を失えば、他の騎馬民族との牧草地の争いになるため、
また、彼らの家畜を全て奪われれば、騎馬民族の打撃は計り知れない。
決戦を挑んでくる可能性が高い。

そこで曹操は烏丸の本拠地まで出向き、見事、破ったというわけ。
ここは(自分にしては珍しく)曹操を褒めるところ。
この時代の異民族が弱かったことは別にないと思う。
組織で見ると、漢化していた西晋のころの匈奴の方が弱いはず。
(ただし、この時の戦いの過程で漢民族の歩兵を手に入れ、
 戦法を学んでいくことで、騎馬民族が強くなるのだが)
その後の政策が云々はまた別の話だけど

しかし、劉邦と劉秀の是非の話は勉強になった。濃い内容だった。
自分が知る限りでは、(特に劉秀の)政策の是非についてここまで討論があったのは見たことがない。
結果的にとはいえ、>>605の私のランク表が呼び水になったのはよかった。

で、流れ変えるために質問。
陳勝、田栄、項梁、王郎、樊崇、劉玄、公孫述は
何ランクにすべきだと思う?2〜5で迷うのだが。諸兄らの意見を聞きたい。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 16:24:58 ID:dE474anH0
>>814
また、荒れそうな内容を……、好きだけど。

遊牧民族に関する一考察だが、ワグナー著の『中国農書』(第一次大戦期)に面白い記述がある。
モンゴルなどの漠北の草原地帯から騎馬として、多くの精悍な馬が華中地域に売りに来られた
らしいのだが、その大抵が華中に来ると、牧草が合わないのか、気候が合わないのか、はたまた飼育法の
問題か、精悍さが失われて徐々に、駄馬とは言わないまでもかつての面影はすっかり失ってしまったらしい。
(清末から民国期のかけての山東省あたりでの調査報告、詳しい原因までは調査できなかった)

遊牧帝国が中原を制した後、なかなか南方に打って出られない、打って出ても撃破されてしまう
理由に、こういった草原地帯と中原、江南の環境の違いってのも考慮すべきかもしれん。
特に、小氷河期みたいな寒冷期に突入した時代では、この遊牧の適用ラインが変動するので
何を以って、遊牧民族が弱体、盛況と判断するのは早計だと思う。(無論環境だけの問題ではないと思うが)
816794:2007/09/08(土) 16:25:15 ID:BIdnJNO5O
>>814
>杉山正明みたいな騎馬民族信者のいうことを真にうける必要はない。
杉サマは異常に偏ってるからよく叩かれてるよなw

陳勝、田栄、項梁、王郎、樊崇、劉玄、公孫述を 何ランクに
すべきだという議論はもういいだろ?
折角、曹操の話題に流れを戻そうとしてるのにわざわざ
話を脱線させなくてもいいんじゃないの?
817名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 16:32:22 ID:Z7aHZe/i0
>>814
前漢では武帝以降は完全に戦場でも漢>匈奴だったからな
同数程度の漢の歩兵と匈奴騎兵が野戦でぶつかって漢が勝ったりしてる
どうやら匈奴の弱体化と装備の質の差があり、更に当時の漢の兵士の質が高かったからのようだ

曹操は確かに北方での戦績に優れてる
ただ文句つけるというほどじゃないが、曹操の側も異民族の側も動員した兵力などが秦や前漢や他の時代とは違っていたようだから、同列に並べた比較はできないんじゃないかな

あと数値化はあまり興味ないな。しかもその程度の人物は・・・
818名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 16:50:47 ID:5m12Gejk0
>>803
すまぬ、魏武時代の三輔地域の戦いについて語りたかったのだが、
殆ど前漢初期の話になってしまった様だ。
あとID:mlNgDzUc0は別人だ。

杉サマの南宋武将評価は冷めるよな…

ランクはもういいだろ。
魏武の話、曹操の話しようぜ。
819名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 19:58:27 ID:angt+2ue0
                -=-::.
            /       \:\
            .|  レ イ プ  ミ:::|                           
           ミ|_≡=、´ `, ≡=_、 |;/                         
            ||..(゜) .| ̄|.(。)|─/ヽ
            |ヽ二/  \二/  ∂>  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           /.  ハ - −ハ   |_/ < ID:5m12Gejk0が好きで好きでたまらんぞ、キンマンコッ!
           |  ヽ/ヽ/\_ノ  / |   \________
.           \、 ヽ二二/ヽ  / /   \
.             \i ___ /_/ /   \    
        ,.. -──- 、, |"    ""       \
      ,/        `''-、             \
     ., '            ``ヽ;‐‐-, _         |
    /                   ゙i'ヾ、|         | ドピュッ!
 煤@,!               、 i  |     /    |
    l               ┬-,.、, ヽ !. |    / /    |
イヤ・・| ,            |/ ヾ、|'  |   |  |      | ))
 ヤメテ・・| !  ,、 、      l     ! l |  |  |     |
    | |/ト, / ヽ lヽ l、i.   !    !  _|   |   |     | ))
    |  | `lヽ/////!|   l     |二_l  ,.゙r-‐'! |     |
    !  | `''=ニ三ヨ'"|   |三二三l | (((___|  !|     | ))
    ゙、  !   |  |  ,!   !"T'''''T" |.    !  ! |     \
    ヽ、l.   |  |  |  /  |   ! l.      ',.  |     /
            |  !  | /  ,|.  |`''}  (( ̄l,,__,i、_ /
      ,.:ェ''"  l   ´   `|   !''"     /  ノ
      "''='-‐'゙       /  ',      'ー''"
                 'イji,j、j,i
820名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 20:01:17 ID:angt+2ue0
ー- 、
;;;;;;;;;;;ヽ           ____
;;;;;;;;;;;;;;;|          /ヾ   ;; ::≡=-
;;;;;;;;;;;;;;;;|       /:::ヾ          \
;;;;;;;;;;;;;;;;;|      .|::::::|    キンマンコ  |      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
;;;;;;;;;;;;;;;;;;|     ヽ;;;;;|   -==≡ミ  ≡=-|ミ    |  おらおら、仕切り厨のID:BIdnJNO5Oがgdgd騒ぐから
;;;;;;;;;;;;;;;;;;|     /ヽ ──|  ∀ | ̄| ∀ ||   <  もうランキングはやめにしろって言ってんだろ? あ〜ん?
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;;;;;;;;;;;;;;;;;|     ヽ|       /(    い)\ ヽ      \_____
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;;;;;;;;;|   ´   `ー、    \|  ゝ、  ,〈  /       ゝ、,,_`´´ノ
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821名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 20:16:52 ID:1sa4cS5s0
なんっっっっじゃこりゃ!
822668:2007/09/08(土) 23:02:34 ID:J90Qd/ag0
相変わらず、荒らしがいるがまだまだ続けるってことで。
杉山正明は騎馬民族信者というより、騎馬民族『狂』信者だな。

あれだけの研究全てが騎馬民族肯定のためだけにある・・
彼が紫綬勲章というのは、今の学会がなあなあになっている証拠だろ。
研究そのものはすごいが、(自分もためになることは多々ある)
万里の長城がシンボルのだけのものという学説と
シルクロードは実体がなかったという学説で萎えた。
言っていることのレベルは田中某と五十歩百歩ということで
結論があって仮説があるの類だな

ランクの話はそれなら同意。
でも、数値化というより英雄談義と考えて欲しいな。
三国志の群雄達は三・戦板や多くのサイトで論議されているのに
彼らは触れられることさえ少ない。
実績だけを語ってもいいけど、それでは盛り上がりに欠けるのは事実。
やはり、評価と上下を決めようとするからこそ盛り上がる。
結論はでなくていいんだよ。知識と見識が豊富な諸兄に聞きたかった。それだけ

それに曹操の話はこのスレの序盤でしているけど、曹操は後漢末最大の一流の英雄。
失敗しているとしても、
・時代の流れに勝てなかった(変えられなかった)
・彼の失敗が死後、数十年後以降に大きな被害を生んだ
に集約できる。
凡人が明らかな失敗を指摘できるのは自分のいう3ランクまでだと思っている
苻堅みたいな大きな失敗の少ない曹操。語るのは難しいじゃないかな
823名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 23:22:41 ID:1sa4cS5s0
>>822
まぁ、まったく関係ない話をしてしまうが…
(嵐が吹いて、なんかみんな一時避難した感じだし)

お杉サマの騎馬民族擁護は、モンゴルにおいてキモイくらいだけど契丹(あえて漢字で)も
かなり肝いりでしたね。
中国の歴史シリーズで、契丹のことを熱く語るのはいいけど、耶律阿保機を称揚しすぎでちょっとひく。
耶律阿保機が山後の地を荒らし、幽州を攻めるのは、なんか阿保機のすごさをクローズアップするが
晋王が7万の兵を急遽援軍に向わせ、奇策をもって撃退すると、実は阿保機が率いていたのではなかった
とか。そんなに負けたとするのがいやか? とか思った。
そのとき、はなから撤退するつもりだった、ということらしいけど、南に後梁と戦いつつも
北に7万、しかも李嗣源、李存審という主力を振り向けられたことの方がすごいと思うのだが…

しかしその杉サマでも、柴栄について詳述したいと書いていた。
これはぜひやってもらいたい。
統一事業なかばに兵を北に向けて、北方の問題に進んで立ち向かい
史書の形容とはいえ、「一矢も一兵も損なうことなく」、瀛・莫を奪回し、幽州に肉薄した
この人をどう評するのか…

まぁたぶん、燕雲の兵は大半が漢人で云々、でしょうが…
(一応、援軍として契丹騎兵も来ていたけど、主力でなかったのもたしか。
つうか、その主力の展開よりも早く、幽州の咽元に迫ったのだけどね。「水軍」で)
824名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 00:07:07 ID:MGH/+QoY0
>>822
古代の長城は「時間稼ぎ」のために存在してるってのが定説なんだけど、スギーがシンボルだけっていってるのはいつの長城なん?
確かに長城は古代のなかでも前漢でしかまともに機能はしなかったんだが
後漢あたりになると財政悪化による軍縮の影響をモロに受け、のろし台による通信網が放棄されてしまった
後漢あたりから本格化し曹操が大規模にやっちゃう異民族内徙も多分関係してくるんだろう
つまり敵対したとしてもやってくるのを察知して叩いてやる、から、近くに置いて監視し利用する、方が効率的(内地が危険であるということを除けば)だということ
825668:2007/09/09(日) 01:45:19 ID:pnUt078U0
>>823
杉山の著作はなんだかんだで楽しみにしているよ。良い意味でも悪い意味でも。
どんな小説家より新しい発見があり、他の研究家・小説家への喧嘩も上等。この姿勢は立派だ。
森安孝夫の著書もよかったが、停滞している騎馬民族研究にさらに新しい風をもちこんで欲しい。
田中某・キングゴンタと精神構造は似ているが、地道な研究をしている分だけはるかに好感がもてる。
契丹・遼の研究はどしどしやって欲しい。

>>824
>スギーがシンボルだけっていってるのはいつの長城なん?

答え:いつの時代も
嘘だと思うのなら、『遊牧民から見た世界史』備忘録の長城のところを見なよ
『実際のところ、長城が役に立ったことは史上ほとんどなかった』とある。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 11:52:36 ID:EMxh7k7j0
曹操はまず同時代の関羽と比べてほしい
827名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 12:03:43 ID:14q6VXgaO
>>826
よく関羽、関羽って他でも見かけるのだが、
いったい関羽と曹操のなにを比較したいんだい?
関羽の方が神として祭られてるから偉大ってか?
828名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 14:36:25 ID:14q6VXgaO
【曹操】
・中国三国時代の英雄であり、文才でも史上誉れが高い
・魏の実質上の創始者
許子将に「治世の能臣、乱世の奸雄」と評される
・建て前の上では漢の臣下として仕える?
・酷薄で傲慢、しかし才の有れば人物は仇敵でも登用する器量があった
・自身に才能が溢れてると思ってるので凡ミスが多い
(幕僚に何度も死地から救われる)
・鄒氏に溺れて長男の曹昂を失う
・孫子に注釈を加え整理
・漢詩を芸術の域にまで昇華させの詩文の世界に新たな1Pを加えた
・新たな酒造法を確立し
日本の酒造業界に恩恵をもたらす
・演義・京劇では悪役に仕立て上げられて折りその為、人気がなく
不当な評価を受けている
・また逆にキングゴンタの『蒼天航路』などの影響で極端に評価がアップしている
・生涯通算、全67戦58勝9敗勝率8割
大敗は赤壁、漢中攻めのみ

【関羽】
・終生、劉備の弟として仕える
・仁義に厚く義理堅い
・袁紹配下の顔良、魏のホウ徳を討ち取る
・南部・武陵・零陵を取得
・部下には優しいが、同格の士大夫を見下すという悪癖があり
その所為で荊州でアボーン、呉に荊州を奪われる
・算盤を開発したとされている
・山西商人に神として祭られている
中国では人気がある英雄で、関帝聖君として道教の神に神格化されている

曹操・関羽ともに異常な信者が付いているw
(自分はどちらかと云えばややアンチ寄り)
829名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 16:52:41 ID:EMxh7k7j0
関羽は神だから凄いんじゃなくて神になるだけのことをしたから凄い
830名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 18:55:14 ID:AsNigzVj0
もう関羽信者の妄言はいいよ
831名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 18:55:46 ID:5qql2T0/0
信仰と評価は分けて考えろ
832名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 00:26:50 ID:+HcAqzYq0
>>829
関羽があそこまで偉大な神となったのは
主君への忠義を生涯貫いたあの鋼の紐帯を各王朝が重視したためとも見る学者も多いらしいね。
中国は分裂、統一を繰り返す歴史を持ってるから
新規王朝が国の統治を貫徹させるために関羽の「忠義」を国家全体で持ち上げ
それを国民にも上手く伝播させ統治の手段に一役買わせたそうな。
民衆側としても、寧ろ関帝は三国志の英雄でありそれを拒むどころか歓待して
崇め奉った。
官民、どちらにも有益な存在となっているからこそ関羽は中国において最も偉大な英雄と言われてるかもね。
完全な一人歩きだが、それでも関羽の生前の純真な性格が
後々の世代にまで与えた影響力は功績としても称えられていいのではと思えてしまう。
異民族王朝である清の時代に関帝信仰が絶大になったのを考えると
なお説得力があるね。
この時代には「三国志演義」が経典化していたという背景も追い風になったかもしれないが。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 05:03:45 ID:r5JUEN/G0
>>832
たしかに中・近代の中国で曹操を持ち上げちゃったらいろいろとまずいことになりそうだw
834名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 06:46:45 ID:00NF4Ha50
835ポントラーフ ◆rF3U/UzFSU :2007/09/10(月) 07:12:07 ID:GNFvYxbv0
>>1
そうだね。
836名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 12:16:02 ID:M46ZrYM1O
西洋列強にフルボコされたころに、関羽崇拝を更に強化してる清からして滑稽
儒学の統治システムを絶対化した中世思考のモンキーが理想視した蜀は糞
837名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 15:29:45 ID:xvmu6Nqn0
>>832
日本の大楠公に対する信仰も、似たようなものがあるな。
838名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 18:15:23 ID:NIK3zZEu0
というか、平将門や楠木正成への信仰自体が関羽信仰のぱくりじゃないかと思うよ。
839名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 18:47:47 ID:4UcMPLkZO
関羽もそうだが平将門、楠木正成は鎮魂の為の要素も含まれてるはず。
(非業、無念の死を遂げた人物は神として祭られる例は多い)
また関羽が山西商人に神として崇められてるのは関羽が山西の出身と二心を抱かなかったのを信頼のシンボルとしているだけ。

それよりID:EMxh7k7j0は 関羽のどこが神になるだけのことをしたのか、
具体的に説明してくれないかね。
他のスレでも騒いでいたし…
840名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 19:25:53 ID:kCOwmFBS0
>>839
>>159-160参照

荒れる方向に持ってかないように注意しようぜ
dでもな説明など聞きたくも無いし、そもそもスレ違い。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 20:24:04 ID:xvmu6Nqn0
関帝スレあるから、深入りしたい奴はそっちに行って語ってくれ

http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161914157/l50
842名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 21:55:23 ID:4UcMPLkZO
>>840
すまん。スレ違いは分かってるけど関羽信者は口先ばかりのくせに、
あちこちに顔出すんで、前々から不愉快に思ってたんだよ。
>>828で一応比較してるのにウダウダ言ってたし…

もうこの件は黙るから許して。
843名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 22:25:14 ID:SPy2zHXo0
ふーっ関羽め、首だけになっても三国を震え上がらせおるわ
844名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 23:36:06 ID:4mR2uYW00
グダグダ言うんなら最初から黙っておけばいいのに。
845名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 23:46:10 ID:+HcAqzYq0
>>842
余計な愚痴は付け加えないようにな。
そういうのがまた火種にもなる。
846名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 11:09:32 ID:1KFoxmUrO
中英板ってバカばかりなのなw
847名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 18:41:42 ID:1P4BEdvz0
曹操の軍略の稚拙さは李衛公問対でも存分に指摘されてるんだよな。
天下の李世民、李靖に言われたら説得力は十分すぎるほどだ。
848名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 19:15:18 ID:4L15WZ7qO
李世民、李靖の二人に指摘されたら、
曹操の軍略はかなりレベル低いってことになるけど、
確か李衛公問対って仮託だよな?
849名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 20:29:34 ID:ZFNwJZDA0
仮に実際2人がそう話したとしても、
この手の人物評なんて話半分で聞くくらいの参考にしかならんよな。
同時代の人でもなければ、史家でもなく、専門の研究者でもないんだし。
現代人が2ちゃんで、聞きかじりの半端な知識で「曹操の軍略は稚拙」と言うのと
たいして変わらんかったりする可能性も高いw
自分らの好き嫌いで話してる可能性だって同様に高いし。
「○○先生が言ったことだから絶対だ」なんて、単なる権威主義だし。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 21:00:36 ID:J/QGRe0F0
もし仮に『李衛公問対』が、当人たちの対談でつづられているとすれば
>>849の認識は当人たちを過少に見積もりすぎているといえる。
現代以上に歴史事件については熟知しているのが、皇帝であり宰相だから。
血統だけでそうなったのなら、その限りではないけど、この二人に関しては
実績で裏打ちされているから、2ちゃんとを引き合いに出すのは不見識ではなかな。
…しかし、2ちゃんの歴史に異様に詳しい人らの2ちゃん用語での対談というなら
想像してもいいかも… それでも聞きかじりはないと思う。

まぁ、一応、偽書とされているから、もっともらしい兵書、というところだろうか。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 21:41:59 ID:lwyvsho90
>この手の人物評

「どの手の」人物評なら信頼できるんだろう
852名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 21:51:00 ID:4L15WZ7qO
>>828に書いたが曹操は
>・自身に才能が溢れてると思ってるので凡ミスが多い
>(幕僚に何度も死地から救われる)
>・生涯通算、全67戦58勝9敗勝率8割
>大敗は赤壁、漢中攻めのみ
全戦績に欠点を踏まえて考察してみても曹操の軍略は稚拙とは言い難いだろうね。
孫子に注釈を加え、確か持論も加えてた様な気がしたし。
(理論だけは一人前だとか言われれるのかな?)
いくら曹操は戦下手って言われてるにしても、そんなに云うほどひどくないと思う。
(自分もよく曹操は戦下手って指摘はするけど)
まあ赤壁、漢中攻めが痛い云えば痛いのだが…   
(大体この二例を叩かれる訳だが)        
要するにせっかち?場合にも選るが熟慮が足りない?
853名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 21:52:15 ID:iy9ekJw90
そうそうなんてうそうそ。
854名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 22:54:34 ID:nJi7coDE0
曹操がすげーと言われたのは、袁術をこれでもかと言うくらい叩きのめしたのと、
蝗で補給すらままならない中粘り強く戦い呂布を駆逐したことだろ
呂布戦の例もあるから持久戦が駄目というわけでもない
やっぱ、赤壁とかは慢心が招いた結果
855名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 23:01:17 ID:4L15WZ7qO
赤壁と苻堅のヒ水での敗北が個人的には凄くダブる。
どちらも、もう少し時間を掛ければあんな結果に、
ならなったんじゃないのかと思ってしまう…
856名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 23:59:53 ID:1P4BEdvz0
曹操は傲慢な性格で単に配下を言い負かしたい一心で
独自に兵法の妙を語り、その浅はかさを李靖が指摘するような
記述もあったな>李衛公問対
曹操といい、関羽といい三国志の時代は自重が効かない傲慢な人間が多いなあ。
857名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 00:31:35 ID:KjjaE/Gj0
桓温とかもそうだけど、曹操って文人気質というかなんか感情任せなところ
があって隙が多いよね。
まあそこが魅力でもあるんだけど。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 01:46:55 ID:+Nyb27gB0
信と曹操の比較したら、いったいどっちが才能上だと言えるんだろうか。
どっちも天下に手をかけながら天下を奪えなかった
859名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 07:21:37 ID:2XM2Z1tO0
才能は測りかねるが、事跡ならあきらかに曹操の方が上だろ
宛城で死んでれば、似たような事績になるだろうけど
8601♯:2007/09/13(木) 23:54:47 ID:ObCqCjTwO
早くツギスレたてれ
861名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 13:48:03 ID:DA61cXYaO
赤壁のたたかいって、このスレでは演義基準でしゃべってるんですか?
862名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 18:02:33 ID:OcgDBEu70
各勢力を語るときに豪族云々がよく出てきますが二つ疑問があります

豪族がどこかの君主の傘下に加わるときに
私兵は君主に献上するのでしょうか?
それとも君主が戦の号令を出した時に戦力を提供するのでしょうか?

戦をすれば当然兵力は消耗します
臣下となった豪族は配下の兵を独自に補充してよいのでしょうか?
それとも君主から兵を借りる形が進んでいって結果ただの部将になってしまうのでしょうか?
863名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 23:00:40 ID:C39AMoOgO
>>862
基本的には君主が戦の号令を出した時に戦力を提供します。
豪族は家臣というより君主を盟主として推戴する代わりに、
権益、土地などを保護してもらってる関係ではないでしょうか。

その見返りに戦時には兵を差し出すと。      
(例えれば鎌倉武士(御家人)と将軍家みたいな感じ)
配下の兵を独自に補充してもいいと思いますよ。(自前の戦闘員なんだし)
864668:2007/09/15(土) 08:40:42 ID:kb/TREGg0
(番号をとっていた方が誰か分かりやすいんで続ける)

>>861は久方ぶりの曹操信者かな?
しかし、曹操信者はいったい何をやっているんだ。これではスレが盛り上がらんではないか
赤壁スレの時のように
三国志正史の都合のいいところをだして、赤壁や漢中の戦いを自主的な撤退と言い張ったり

あるいは、『蒼天航路』の解釈を研究書みたいに扱ったり、初めから天下統一する気がなかったとしたり、
小説や研究書の曹操神格化部分を持ち出して聖書みたいに扱ったりしないのか

三・戦板や多くのサイトではいつもやっているのに、こういう正面きって話し合う時は逃げるのか。
三国志関係のゲームサイトでは蜀ファンといっただけで、魏信者どもから正史を
持ち出され、『お前は演義に騙されている』と決めつけられると聞く。
それならここで曹操の偉大さ、神ぶりをとくと自分に教えて欲しい
865名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 09:05:00 ID:6ykY5/0BO
>>864みたいなのはアンチから見てもバカ
866名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 10:01:01 ID:y9lf24fA0
三国志バトルフィールドだと曹操はチンギス、李世民に次ぐ三番目の総合能力
867名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 11:25:16 ID:lK1u6IzI0
>>864
お。あの伝説の赤壁スレに参加してましたか。
武帝紀の記述読んで、周瑜はなにもしていないとか、なかなかの香ばしさでしたよね。
通称、呉書くんだった。いやなつかしい。
結局のところ、三国志しか見ておらず、大きな歴史の流れというものを感じられていないから
三国志という存在が大きく見えてしまうのでしょうね。
その時代専門にやってて興味深さをアピールするならいいが、他の時代を貶すのはやめて欲しいものだ。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 12:49:15 ID:sBAeegg8O
>>864
問い掛けても無駄だと思いますよ。
三戦板はIDでないから都合が悪くなったら他人になって逃げるし。
(三戦板でも、まともな人もいるけど)
まあID出ても電源切ってID代えることは出来るけど…
都合のいいところや小説や研究書の曹操神格化部分を持ち出して曹操マンセーって言ってた、
イカレ厨房は派生元のスレで捨てセリフ吐いて逃げてったしw        他の信者も正論に対してちゃんと反論出来ないみたいだし。
(都合が悪くなると誤魔化して逃げてく)
869名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 17:35:48 ID:1VI5KbZs0
なんか、この場にいない人間の陰口をするようになってきたな。
せっかく良スレになってきてるんだから、やめてほしいんだが。
870名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 18:56:51 ID:sBAeegg8O
>>869
>>864氏の疑問に対し見解及び過去に〇〇みたいな人がいたよ、
こんなんだから言っても無駄だよ述べただけでなのだが、
それが陰口になるのか…

この程度のレスに対して過剰反応過ぎ、耐性なさ過ぎなのでは?
871名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 19:03:11 ID:R1cyqMnb0
別のスレの話をいきなり言い出して、グダグダ文句言ってるほうが過剰反応だと思うが・・・
872名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 20:26:43 ID:1VI5KbZs0
過剰反応だか耐性なさ過ぎだか知らんが、
要するに、他スレの誰かの陰口なんか、俺には面白くも何ともないってことだよ。
当該スレ行けよ、目障りだから。
873名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 00:35:40 ID:VD5fv3X40
最近の研究だと関羽
874668:2007/09/16(日) 12:36:45 ID:EaZV0MHm0
叩かれるのを覚悟で曹操信者どもに呼びかけたのだが、ダメか。
867氏、868氏には迷惑をかけた、すまなかった。
>>867,>>868
自分は少しやりすぎだが、867氏、868氏はこのスレの方向的に間違っていないよ。
ここの1の内容と、その目的の一つである曹操信者の跋扈と歴史認識の誤りをあらためるという
ことには間違っていないはず。
特に868氏のいうイカレ厨房は前スレの1であり、話題の中心にいたのだから無関係ではない。
これで迷惑というのなら、今まで前スレ1を含む曹操信者が他の時代や呉・蜀を侮辱したりし
たことの罪はそれどころではない。別によいのではないか

しかし、曹操信者というのは本当に卑怯者の集まりだな。演義・横山・吉川・ゲームを読みたて、
やりたての初心者をねらい打ちし、蒼天と正史を持ち出し、呉・蜀を貶め、魏がすごいと思わせる。
他の時代を知っている人が少ないのと、良識がある人が比較的多いのをさいわいに、
曹操とその配下に比べれば、他の時代のレベルがはるかに低いとまで広言していた。
そして、このような正面から話し合う場では逃げる。
諸葛亮は思い切り叩かれたが、ファンはそれなりに誠実に反論した。
(また、このスレの曹操どころではないほど貶められていた)
ここの劉邦・劉秀論争も行き過ぎなところはあったが、実のある発言だった。
だが、曹操信者の反応はどうだ?
先の三人のファンは他の人物や時代を貶めることはほとんどしないのに、
(諸葛亮信者が『他の時代だったら勝てた』と言ったことはたまにあったが)
曹操信者はあまりにも汚い。

とにかく、この話はやめる。やめるが、曹操信者は対話相手として二度と認めない。
彼らは曹操を見てるのではなく、自分の作り上げた『曹操』という偶像をあがめてる
だけの存在に過ぎないのがよく分かった。
875名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 13:04:07 ID:Uvo0257Q0
>>874
もともとこのスレは曹操信者アンチスレだから、信者に対する批判がメイン。
悪口や陰口のつもりはないが、相手がいない以上そうもみられるわな。
自分はべつに迷惑かけられたとは思ってない。
>>867>>864に向けたただの雑談。意味が分かる人にしか分からなくていいもの。
赤壁スレを別スレというが、自分の中では一連の流れだな。
876名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 13:18:06 ID:yL6pW3BD0
こうなったら似非三国志儲アンチスレでも立てるしかないんじゃ?
3世紀:陳寿(三国志)
5世紀:裴松之(注釈)
14世紀:羅貫中(三国演義)
17世紀:湖南文山(翻訳)
20世紀:吉川英治(小説)、横山光輝(漫画)…etc
21世紀:三国無双シリーズ(ゲーム)

と媒体が変わるたびに色々と変遷してきたな。
どっちにしても「作者の演出」を「まぎれもない史実」のように言い出すあたりでアウト。
無双シリーズにいたっては畸形化しすぎで原型留めてない。

>>874
大部お怒りのようだが、落ち着かれるがよろしい。
このようなアンチスレが存在し、儲の彼らがろくに反論も出来ないという時点で、
当初の目的はほとんど果たされていることだろうと思う。
一部の厨をこの板から駆除することは最初から不可能なことだ。
877名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 14:17:18 ID:fPf7l9b3O
>>874
自分も別に迷惑を掛けられたとは思ってませんよ。
自分に対して批判のレスも別に気にしてないし、
それに悪口や陰口の叩いたいつもりもない。
実情を述べただけでそれが気に入らないのならそれはまあ仕方ないと思ってるし。
まあ>>876氏の提案に従うも良し、または良識な諸兄と討論を続行するでいいのでは?
878名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 16:52:59 ID:pJ+utSjc0
曹操信者が暴れなければ、平和で実のある話ができる良スレになるのに
何を煽ってんだか
勝手に曹操信者を叩くスレと決めつけてるけど、
ここのスレの1の意図は、本来真面目な曹操評価の見直しだし。
そんなに誰かを叩いて、自分の頭のよさを誇りたいの?
他人の「歴史認識を改める」なんておこがましいことと思わんの?
>>869に全面的に同意。
無意味な信者への悪口なんかで盛り上がって、
良スレにいらん火種を呼び込もうとしないでいただきたい。
>>874とか、この話をやめるというのなら、
グダグダいらんこと書き込まないでほしい。

そんなアホな話しこれまでにして、
>>862-863の流れで、曹操の豪族への対応でも語ろうぜ。
川勝先生の著作なんかでは、よく李典の例が話題にあがるよね。
879名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 17:12:48 ID:fPf7l9b3O
>川勝先生の著作なんかでは、よく李典の例が話題にあがるよね。      
>>863は自分で川勝先生の著作は読んだことないんだけど、聞くところによると
孫呉の場合は、地元の豪族が将軍や都督などの称号を貰って部下を統率していて、
当人が死亡したとき一族の中から後継の将軍などを任命することが多く、
また李典なんかは、代々有力な豪族で一族が指揮しており兵力を継承して将軍となっており、
魏の政権が安定してくると部下ごと都周辺に移住させられているほど、
将軍と部下との結びつきは強かったそうですね。
880668:2007/09/16(日) 17:28:49 ID:+5FMIzsq0
>>875-877
そうか。分かった。ありがとう。再開といこう。
今度は曹操の批判されている点から曹操を分析するか。
功績については>>663で自分なりにまとめている。
大体の意見は(時代のリーダーとしては)個々は悪くないが、全体で見ると大きな功績はない
という評価であった。自分もそう思う。

で、曹操の批判されている点は
@赤壁、漢中での敗戦(精鋭を自分に集め、都を長い間留守にできないのも原因?)
A天下統一できず(周瑜、劉備というそれなりの軍才、そして地の利の壁を越えられず
 劉邦、劉秀が比較的短期間で統一(恭順という形でも)できたのに対し、見劣りがする)
 ただ、石勒、苻堅、北魏もできなかったので時代の壁ともいえる
B魏、実質二代。長期政権ならず(外戚なら分かるが・・。これは曹丕と曹エイのせいだけか?)
C徙戎政策の失敗(後漢、晋の失敗も彼のせいにしてよいか)
D徐州、荊州の住民虐殺(モラルの問題にとどまらず。劉邦、劉秀の略奪を(できるだけ)しない
 戦い方とのかなりの落差を感じる。恐怖政策に頼る政治家は2流であることが多い)
E皇帝にならなかったこと。逆に息子に漢王朝を乗っ取らせたこと
 (中途半端な感じが否めない。効率的な名目獲得にはよかったかもしれないが。石勒からも批判
  また、朱全忠は同じ方法を使わず)
F内政的にこれといった政策がなく、曹丕の時にむしろ地盤が固まっていること。
 (ただし、曹操の本質は内政にあるという意見もある)

これぐらいかな? @、A、Cは多く語られているし、Dに対しては個人的感情が入るだろうし
評価しずらい。Eも歴史の結果が一つしかないので難しい。

というわけでBの魏はなぜ、短命で終わったかを語りたいのだが、どうかな?
これは結構、E、Fが関係すると思う。

曹操は軍事的にも政治的にも場当たり的な対応が多い。その時代ではそれが最善の判断
かも知れないが、これでは時代の壁を越えることは難しい。

大体、あんな糞忙しいのに、兵法の注釈だの詩だの酒だのに力を入れすぎのような気もする。
どうせ漢王朝を乗っ取るならば自分が皇帝になっていた方が基盤は固まったと思う。
曹操って、本当に自分の王朝に対する構想があるのが正直疑問。
これって、彼はかなり無責任なような気がするのだが、どうかな?
881名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 17:54:07 ID:K67EJ4n30
俺、劉邦は天下統一出来てないと思うんだけど。
反乱起きっぱなし、死因が、英布討伐の傷のせいだし。
実質、前漢を統一したのは呂雉だし、前漢劉氏を復興したのは、文帝だろ。

曹操は、呉を支配下に置いている。実権は無いけれど。
本格的に反抗していたのは劉備位のもんだろ。
英布を引き合いに出すと、曹操は天下の10の9は手中に入れてたんじゃないだろか?
882名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 18:22:52 ID:MR12ntA/0
>>881
蜀、呉併合時の戸数、人口(94万人、230万人)を考慮すれば、少なくとも
20%強(280年の晋の一般市民の総人口1600万人で乱暴に計算)は魏晋の勢力外にあった
263年の蜀を併呑した魏の人口540万人で考えれば(いや、民屯が入っていないから参考にはならんのだが)
30〜40%は魏の支配下に入っていなかったと言うことが……できることにしておこうw

劉邦は天下統一しているでしょ
郡国制を統治形態としての天下統一と認めないのであれば、景帝時代まで漢は天下を統一
出来ていなかったことになる(当然そんなことはない)
そもそも、秦は強引な郡県制による地方圧迫によって政権崩壊の憂目に遇い
陳渉らは、だれかれ構わず放埓な招聘、仲間集めしていたら、あっという間に配下の将兵たちに
独立されてしまって空中分解
正答ではないのかもしれないが、劉邦の採用した郡国制→功臣粛清こそ原案に近いんだと思うんだが
883名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 19:14:26 ID:Fh6EDvn40
>>874
恐らく曹操信者暴走の原因は
現代の伝え手にも問題がある
陳瞬臣は曹操への正当な評価を通り越し
完全なマンセー評価へと暴走+蜀漢を狙い撃ちにし
散々な罵倒に三国志演義も虚構だフィクションだと
正史>演義な目線をくどい位に宣伝。
守屋洋も幅広く中国史のことを伝えてはいるが
何故か曹操に対する評価は相当に甘い。
その上で諸葛亮、関羽の失態などはボロクソに叩いているので
魏贔屓が濃すぎると思われてしまう。
そんな連中がもりもりと本を出版、そして蒼天航路などのトドメの一撃。
上記の大物作家達も他時代の英雄達にはしっかりした観察眼と
それに対する正当評価を下してる気がするのだが、曹操はお気に入りなのか
マイナスイメージに繋がるようなことはほとんど記載していない。
こんな現代の状況で三国志に触れたら、ガチガチの曹操信者が完成するのも頷けるよ。
884名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 19:23:10 ID:R4V3Kdt40
曹操信者とか言って、アンチ活動続けてるやつらも
歴史を公正に見る目が失われていると思うがな・・・
評価者の主観の入った論評に踊らされていると言う点ではまったく同じ

信者に対するアンチ活動とか不毛としか思えないことに
やっきになってる様は異常としか思えない
885名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 19:32:53 ID:yL6pW3BD0
そういう不毛な活動をやらせるほどに
似非曹操信者の跳梁跋扈は目に余る。
886名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 19:37:54 ID:MR12ntA/0
>>884
議論煽りたいだけじゃないかな?
しかし、活動家(アクティヴィスト)って現実世界にしろ、ネット界隈にしろやっぱ胡散臭いもんだよ

>>880
曹操を擁護するならば、やっぱCかなあ
後漢においては劉秀、馬援の内徙政策まで遡れるんだから、曹操ひとりに責任負わせるのは可哀想だわ
西晋における匈奴の挙兵にしたって、あれはむしろジリ貧からの脱却を狙った観の方が強いんじゃないかと
最近思うようになってきた(国民皆兵とまではいかないが、人口における兵員率が高い遊牧民において
部衆合わせて100万近くまでになっていた匈奴の当初の兵力が5万は少なすぎる)
平時であれば、劉淵も斉万年や禿髪樹機能みたいに鎮圧されていた可能性の方が高かったと思う
劉淵に天佑が回っていたのか、それとも西晋が天から見放されていたのか
887名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 03:16:15 ID:XWNQ8qbC0
ここ最近の信者叩きはいい加減ウザイな。
そんなに自分と価値観の違う人の存在が許せないのか?
自分の価値観を他人に押し付けて、「歴史認識を改めてやってる」
なんて思い上がってるのは、どちらの立場にしろ醜悪だよ。

>>883
特定の作家、作品への悪意があふれているな。
小説や漫画で人物をどう描こうと、作家の勝手なんじゃない?
なぜ、自分の歴史観・人物観と異なるものが広まることが
そんなにも許せないんだ?
888名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 04:26:40 ID:6MXgLETMO
曹操信者云々の話題は終ってるのに数人の奴がなに蒸し返してんだ?
(とにかく、この話はやめる。と>>874で言ってる)
はいはい、そうですかとスルーするなり、なんなりしとけばいいだけだろ?
せっかく流れを戻そうとしてるのにまたループさせるつもり?
889名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 06:37:17 ID:zvZonXLA0
>>886
後漢や曹魏や晋の天下は中原に有ったと思うんだけれど?
曹操だって、長安以降は捨ててる。(徙戎政策は失策だろうけれど)

関中は秦や前漢時代は、穀倉地域だったらしいけれど、
赤眉がボロボロにしたから、生産力が低下してたでしょ。
曹操は捨てて正解だと思う。実際反乱とか凄いし。
五胡十六国時代時代はもっと酷い事になるらしいけれど…
あそこの地域の回復は、隋位まで待たなきゃならんからね。

やっぱ中原取った時点で、天下人は曹操だと思うな。
三國志で、天下分け目の戦いは官渡の戦いしか考えられないし。
中原の定義が曖昧だけれど…
890名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 10:11:29 ID:kYbUVs/s0
中原は慶州を制してた関羽が偉大
891名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 11:11:37 ID:6MXgLETMO
既に指摘されてるけど曹操ってちゃんとしたグランドビジョン持ってたのかな?
これは自分も疑問に思う。
流れというか、ただ統一をしてみたいという幻想だけで、
行動してたみたいにも見えないことはないような気がするし…


あと荊州なら知ってるが慶州ってどこ?って一応突っ込みいれとく。
892名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 11:48:20 ID:80ODB3Dx0
>>889
官渡までが曹操の限界だったとも思えるね。
それに三国志においての天下分け目と言えば赤壁の方が有名じゃないかな。
その戦い以降、曹操は南下を試みても大局を決するような戦では一切勝つ事が出来なかったし。
>>891
個人論だがグランドビジョンは持ちえてなかったように見えるよ。
どうも益州には興味がなかったらしいからね。

893名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 12:27:22 ID:6MXgLETMO
>>892 d
しかし赤壁は天下分け目どころか戦いらしい戦いはなかったって、
意見がよく出るのだがさすがにそれはないと思う。 
正史には曹操が負け惜しみで言った様なにも見える記述もあるし。      あと劉備にしてやられたって意見を見たことがある。
前にも書いたけどもう少し時間を掛けてから呉攻めは出来なかったのかな?
(まあ、あのタイミングじゃなきゃダメだった様な気もするけど)      
益州は興味がなかったんじゃなく、これまた劉備の所為で諦めざるえなかったってことはないの?
鶏骨の言葉なんかもこれまた負け惜しみに聞こえちゃうし。
原因はやっぱりグランドビジョンがなかったからってところに行き着くのかな?
(ノーグランドビジョンはあくまで個人論だけど)
894名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 12:57:11 ID:5QdgLxAC0
>>891
慶州ってのは、唐末に置かれた静難軍節度使(邠州)の支郡のひとつ。
場所は、後漢時代でいうと安定とかその辺だな。
…たぶん、荊州の間違いだろうが、一応解説しておく。
895名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 13:10:46 ID:6MXgLETMO
>>894
ご教示d
変換しそこねた(?)だけだとは思うけど、
たまに妙な当て字でカキコする人がいるからね。  (おそらくわざと)
一応突っ込みいれといただけだよw
896名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 14:28:05 ID:uBYOoll50
残り100ちょっとだけど次スレいるか?
このスレって中英板の中でも異常にレスの消費が早いけど。
897名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 14:33:00 ID:469AnmtCO
袁紹「俺なら河北制圧して南攻めて天下平定するよ」
曹操「俺はどこを地盤にしても上手いことやるよ」

どっちが計画性、グランドデザインという点で優れていたのか、という話だね

曹操はこの挿話が示すように、臨機応変または言い換えると行き当たりばったりでなんとかする能力は優れていたが、行き当たりばったり以上のものにはなれなかったんだろう
898名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 14:44:34 ID:McbQlIST0
899名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 14:55:26 ID:6MXgLETMO
>>896
もし立てるならもう少しあとでもいいんじゃない?残り50ぐらいとかで。
仮に次スレ立てるなら【曹操の虚像と実態】こんなタイトルでどう?

>>897
確かに立ち上げる能力はずば抜けてありそうだけど、
基盤が固まって次の段階からが先萎みになっちゃうって感じ?
一流の職人なんだけど一流の経営者じゃないと…
900名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 15:08:15 ID:viHoMG/20
虚像とか言っちゃうと信者の馬鹿さ加減を笑うだけのスレになりそうなので、
好ましくないような気がする。
史的イエスのパロで史的曹操なんてどうかな。分かりにくいかw
901名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 16:10:17 ID:uBYOoll50
職人という意味では司馬仲達は曹操を越えてるな。
孔明に苦しめられた訳だがきっちり守り倒したし。
経営者としては未知数だけど。
902668:2007/09/17(月) 16:43:30 ID:jFSR+p150
おおっ! なんか支持されているな。自分の場当たり説。うれしいっす!

確かに、曹操は劉邦、劉秀に比べ、グランドデザイン(ビジョン)が欠如していたように思う。
戦争の才能があるのをいいことに天下取りを楽しんでいただけのような印象さえある。
(その戦争の才能にしても劉秀より、かなり低いように思えるのだが)

ドキュン扱いの石勒でさえ、それらしきものがあり、天下取りができなくて悔しがる場面があるのに
曹操は気にしていないような顔をしてかっこつけ過ぎ。なんか中途半端。
しかも、荊州を奪え返せる場面で直属部隊を率いた于禁が全滅して、呉に美味しいところを
とられているのもミスに数えていいと思う。

曹操の場合は、漢の天下=曹操の天下、ではないからね。
本当に皇帝になっていた石勒に比べて領土の功は減らして考えるのが妥当と思う。
魏を分裂させなかった曹丕の功も大きい。
涼州の分だけ魏の方が大きいといって、領土の評価だけを見ても、曹操+曹丕>石勒>曹操 が妥当。
スタートラインの差を見れば落差は歴然だと思う。

さらに、劉備というかなりの基盤と後漢が認めていた正統な州を領土にもった敵がいる以上、
天下の十分の九をとった。劉邦が天下取りなら曹操も天下取りというのは無理があると思うのだが。
903名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 17:27:25 ID:zvZonXLA0
>>902
なら西漢は、正式な王位に付いていた英布の反乱鎮圧によって、
皇帝が致命傷食らってますな。
劉邦の治世だと、まだ内乱状態だろ。呂氏が居るから。

曹操は東漢をどう思っていたのかが解らん。
献帝の皇后にした、曹せつ(だっけ?)は
禅譲をしろって言ってきた実家の曹魏に切れるしなw
904名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 18:46:11 ID:80ODB3Dx0
>>900
ローカルという言葉は引きついでもいいんじゃないか?
結構、今のスレタイはしっくりきてる。
905名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 20:21:22 ID:XWNQ8qbC0
曹操については、別に個人スレもあるよね
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163313500/l50

まずは、こちらに移って、埋まるまで使い切ってしまってはどうだろう?
最近あまり有効に使われてないようだし。
特別住み分けしなければいけない理由も無いと思うが。
曹操スレの乱立はあまり好ましいとは思えない。
906名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 22:20:33 ID:uBYOoll50
>>905案に賛成。
スレ立てるにしてもネガティブな看板は外してかまわんだろう。
曹操を狂儲の孔明スレの1ももう完全消滅したっぽいし。
907名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 22:42:56 ID:6MXgLETMO
自分も>>905氏の提案に賛同するよ。
そこのスレを450辺りまで目を通して来たんだけど結構(?)白熱した論議展開してたね。
(荒れてる部分もあったけど…)
>>906
居ない人間の事言うと妙に過剰反応する人いるからあまり言わない方が…
908名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 22:46:55 ID:469AnmtCO
>>903
何を言いたいのかよくわからんのだが
909名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:03:56 ID:uBYOoll50
>>907
元々このスレは孔明アンチスレ>>1のダブルスタンダードを指弾する目的で、
曹操アンチの体裁を取って立てたものだから全然問題ない。
結局、そいつが一度も書き込まなかった為に当初の目的とは90度くらい違う方向にいったけどな。
910名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:06:47 ID:ZizRw6Lc0
つうか、個人叩きが目的でスレ立てたとかどんだけだよ・・・
911名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:31:07 ID:uBYOoll50
孔明アンチスレの惨状を知らない人間の戯言だな。
あれが代重ねするよりよほどマシな選択だった。
もっとも本当に曹操のアンチスレと化したのは予想外だったけど…
912名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:42:28 ID:80ODB3Dx0
>>905
基本的に賛成だが
なんか向こうのスレの荒れようが
三戦板並なのだが・・・。
913名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:58:31 ID:XWNQ8qbC0
>>912
それは俺も気になったことなんだけど、
単に真面目に話す人がいなくなっただけじゃないかな?
こちらのスレに場所を移した人もいるだろうし。
荒れてるというより、過疎ってるという感じ。
なので、次はあちらに移動したほうが有効利用にもなると思った。
914名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 00:02:47 ID:DHkXPWCo0
戦争は関羽が一番政治は曹操一番それでいいじゃない
915名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 22:57:15 ID:ipNAe+Sb0
スレも終わり間際だけどやっと>>1の意図がわかったよ

曹 操は 所 詮 ロ ベ カ ル レ ベ ル

つまりカフーかリザラズだったんだよ!
916名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 00:14:03 ID:3B1UMB0W0
>>915
いくら頑張っても評価されないってことですね!
917名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 19:02:50 ID:NwXxygEv0
その後の兄弟のやりとりとかもなさそうだな
兄貴可哀想
918名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 10:03:40 ID:BSuJ509v0
>>911
あの馬鹿はスルーしてればよかったのに、このスレ建てた奴は好き好んで同レベルにまで墜ちたんだけどな
919名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 19:57:23 ID:/BSXfxaO0
どうでもいい
920名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 05:57:22 ID:7TzNrLo+0
あげ
921名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 11:46:57 ID:LLn00aFi0
あげ
922名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 22:22:54 ID:UnrEbt350
曹操のスケールは他の中国英雄をはるかに凌駕すると言わねばなるまい
なぜなら、他の中国英雄はしょせん中国的(儒的)価値観の枠内にとどまるものどもにすぎんからだ
その点、曹操は違う
それを乗り越え、打破し、新たな創世をなそうとしていた
中国的(儒的)価値観から判断されることを意識し、
人生を芝居にしていた矮小なる道化ども(李世民、永楽帝など)とは、
最初から立つ位置を異にしている
次元が違うと言うべきであろう
923名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 22:26:40 ID:q1qDltyW0
でも結局能力が付いていかず何も成せなかったけどね。
924名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 22:43:42 ID:UnrEbt350
>>923
いたしかたあるまい
曹操も人間だ
それに、曹操をもってしても至難の技、ということなのだろう
ただ、
限界に挑戦した者と、
限界に挑戦することに怯え、竦んだ者どもや、
意識すらしたことがない者どもとでは、
差は歴然としている
925名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 23:39:11 ID:9rK5Pu530
>>922
新たなネタが投入されたな。
さて、まずはどこから突っ込んでいこうか?
926名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 00:44:54 ID:reT5yOk70
NHKカルチャーアワー歴史再発見 『皇帝たちの中国史』
NHKラジオ第2 毎週火曜 21:30-22:00
再放送      毎週水曜 10:40-11:10
927名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 03:12:47 ID:dlsne24lO
ID:UnrEbt350みたいな基地外を以前、他のスレで見かけたが同一人物か?
口調と切り返し方がそっくりだw

>>925
相手にしないのが吉かと…
928ZOIDS SAGA ◆///a//YNkE :2007/10/02(火) 09:54:08 ID:G3jJgUMz0
=^..^=
=^..^=
=^..^=
929名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 12:42:46 ID:bhyxiVyY0
せっかく過疎スレを盛り上げようとしてくれてるのに何たる言い草…。
930名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 13:14:08 ID:dlsne24lO
同じ盛り上げならまともな話題で盛り上げろ>929
ID:UnrEbt350みたいな基地外を増長させてどうすんだよ>929
931名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 14:08:01 ID:bhyxiVyY0
>>922は曹操が儒教の枠組みを超えたところに理想を置いていたと主張しているんだが、
その主張が妥当であるか否かを検討するだけでも有意義だと思うんだがね。
ちなみに俺はその主張に賛同できない。というか、根拠なさすぎ。
932名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 14:13:53 ID:bhyxiVyY0
どこに書いてあったか忘れたけど、曹操は老荘思想を批判して、
あんなのが流行してみんな隠者になったら
官僚機構いらなくなっちまうじゃねえか、みたいなこと言ってたはず。

ちなみに俺の目から見ると、>>922はネタで馬鹿を演じてるなって感じ。
で、>>927は本物の馬鹿に見えている。実際はどうだか知らんけど。
933名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 15:43:40 ID:lpZz3NfK0
ともかく、曹操しか知らんヤツの妄言には違いない。
934名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 16:04:59 ID:dlsne24lO
>>931-932
>>925氏がイジろうとしてるから制止しただけなのに基地外を養護する様なこと言うからさ…
あんなのは放置して曹操が儒教の枠組みを超えたところに理想を置いていたかどうかとかの
話をすればいいだけでしょ?
自分の主張間違ってるか?
あとね、ID:UnrEbt350は他スレで何度か見かけた奴にマジで性質が似てるのさ。
そいつも李世民とかを斬って捨ててたし…
935名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 19:08:32 ID:7QJiNwCW0
>>934
相手にするなとか言って直接的にスレの流れを自分の思い通りにしようとする様
他のスレで見たやつに似てるとか騒ぎ立てる

これを間違っていると認識できないなら
理解できるようになるまで書き込みするな
936名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 19:17:28 ID:aOpycWil0
ID:UnrEbt350

三戦板に現われた「ジャイアニズム」ってアホと
そっくりな書き方なんだよな。
やはり、同一人物臭いな。
937名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 21:17:19 ID:ZuGKem7z0
>>934>>936
「他スレで何度か見かけた奴」とか「三戦板に現われたジャイアニズム」とか言われても知らんがな
自分が体験したことは他人も体験してるとか考えてね?
頭冷やして来い
他の板や他のスレでの流れや温度をここに持ち込むな
938名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 00:08:16 ID:XKT6OgDE0
>>937
言ってる事はわかるが>>934>>936が言うような
迷惑野郎がいるなら本当に厄介だな。
害虫駆除みたいなもんだと思えばいいじゃないの。
釘をさしておけば出て行くかもしれないし。
939名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 07:47:14 ID:01+P82QS0
害虫駆除とかそういう考えをネットに持ち込むなよ・・・
小学生かよ
940名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 04:26:31 ID:88wwPkUo0
なんか、過剰反応して、過度な叩きをしようとしてる連中のせいで荒れてるが
>>922
「中国的(儒的)価値観を乗り越え、打破し、新たな創世をなそうとしていた」
というのは、典型的な蒼天航路史観で、結構そういうイメージ持った人多いと思うんだよね。

なので、それを間違いとするなら、具体的にその根拠を挙げ、
その、世間に広まった蒼天史観のどこが問題なのかをはっきりさせるのは、
このスレの本来の目的にも合致するものだとは思うんだよね。

せっかく結構良スレだったんだから、無駄に叩いて荒れさせるよりも
>>931の言うように、有意義な議論に持っていくべき。
941名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 04:37:14 ID:88wwPkUo0
ちなみに、一般向けの書籍にもかなり名が見え、
比較的影響力が強いであろう、渡邉義浩氏の名士論なんかだと、

儒教的価値観を根底に置く名士層を屈服させるために、
新たな文化的価値として文学を選び、
儒教的価値観を相対化しようとした。

てな感じでだよね。
942名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 11:01:11 ID:SEBnf+Se0
ゴンタは文学の政治的利用を作中でさらりと否定してたな
943名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 12:24:09 ID:wYb2YrgjO
いわゆる求賢令について、蒼天的解釈が腑に落ちない
実力主義で新たに採用された人物の例とか、その令が後世にまで引き継がれ与えた影響とか、どうも見えてこない気がするんだが

あの令は、曹操に従った諸将や一族などの、「当時の名士的規範では後ろ指さされそうな言動や出自」(例えば裏切りを重ねた徐晃、人を喰わせた程イク、宦官の縁戚荀イク、金に汚い曹洪、陰険な曹丕など)を実力主義の名の元に擁護するのが主目的だったんじゃないかとすら思うんだ
944名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 12:30:45 ID:wmyZ2T2W0
何よりも曹操自身が清流派からすれば正当性のない濁流だしな。
結局、自分と身内に都合の良い現状肯定の為の方便にすぎなかったのだろう。
945名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 14:25:47 ID:wmyZ2T2W0
-
946名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 14:49:36 ID:9NZEdgoBO
曹操は儒教規範と天命思想が嫌いな才能主義者に決まっとる。
947名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 00:14:43 ID:HRG2fxc/0
でも中国人には脈々と儒教や天命という言葉は受け継がれてきたんだよね。
そういうものを嫌ったから曹操は今でも悪役扱いなのかもね。
948名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 05:40:47 ID:fiZxDCCR0
_
949名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 08:09:56 ID:U50XVH+10
名士は儒家思想を自らの正統性の根拠としてるんだよな。
そのくせ政治的発言力はごりごりの政治リアリズムに基づいてたりするわけで、
その二重基準の使い分けが名士を理解するポイントになると思う。

それで言うと曹操もやっぱり二重基準の使い分けで、名士と同じスタンスなんだよ。
ただ権力者に上りつめたせいで、使い分けの場所とタイミングが違うというだけでさ。
だから蒼天みたいに儒家に挑戦したという見方をすると、
曹操が儒家思想でもって自己正当化したことを説明できなくなるんだよ。
950名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 11:31:39 ID:HRG2fxc/0
人間の美徳とされる行動、思想は老荘、孔子でほぼ完成されてるようなものだからな。
一時的な否定は可能でも、結局は無意識のうちにその中に深く埋まってることに気がつかない
人物も沢山いたな。
951名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 12:50:02 ID:PRLbsSZu0
蒼天航路を批判すると「自分は好きなのに、やめろ」という反論があるが、
あれだけ儒教や中国歴史について語り、大きな影響があるのだから無視はできないな
まあ、陳舜臣、田中芳樹からのアンチ蜀、曹操持ち上げの流れの延長上に過ぎないけど

ただ、蒼天航路は歴史漫画としてもかなり中途半端な感じは否めない。
なりよりずるいと思うのは、曹操の死で終えていること。
あそこまで、曹操について語っている以上、魏の滅亡まで(せめて曹叡の死まで)
描くのがあそこまで大風呂敷を広げ、演義の諸葛亮像や劉備像をけなしまくった
作家の責任とプライドだと思うけど、放棄しているから。

なんだかんだで、晋の統一まで書き尽くした羅貫中の足下にも及ばないな。
952名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 10:44:08 ID:lyKXHE+Q0
_
953名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 20:47:08 ID:3ewJansD0
とは言え、
李世民の聖君子演出や永楽帝と方孝孺が演じた茶番劇のような、
人を馬鹿にした猿芝居をやる人物ではないことも確か>曹操
954名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 00:17:38 ID:fYIfB1Is0
そういう配慮に欠ける当たりが曹操を今一歩、大人物とは呼べない理由にもなるな。
皇帝になれば終始、国や民のためを優先し自己犠牲とまで言えるほどに尽くしてこそ
ようやく後世に置いて名君と呼ばれるほどの存在になりえると思う。
自由奔放は構わないが、中国統一王朝の皇帝となれるほどの器ではなかったんじゃないかな。
955名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 15:26:07 ID:8+p4mrFA0
<統一系>
贏政:前221年に38で統一、即位
劉邦:前202年に55or46で統一、即位
劉秀:25年に31で即位、36年に42で統一
司馬炎:265年に30で即位、280年に45で統一
楊堅:581年に41で即位、589年に49で統一
李淵&李世民:618年に54で即位、628年に33で統一
趙匡胤&趙匡義:960年に34で即位、979年に41で統一
忽必烈:1260年に46で即位、1279年に65で統一
朱元璋:1368年に41で即位、1381年に54で統一
愛新覚羅福臨:1643年に6で即位、1650年に13で親政開始、1659年に22で統一
毛沢東:1949年に57で統一

<北朝系>
曹操&曹丕:207年の53に覇権掌握、220年に34で即位
石勒:329年に56に覇権掌握、330年に57で即位
苻堅:376年に39に覇権掌握、385年に48にあぼん
拓跋Z:423年に16で即位、439年に32で覇権掌握
高歓&高洋:532年に37で覇権掌握、550年に23で即位
宇文泰&宇文覚:543年に39で覇権掌握、557年に16で即位、直後にあぼん
李存勗:923年に39で覇権掌握、即位、926年に42であぼん
柴栄:954年に34で即位、958年に38で覇権掌握、959年に39で病死
完顔亶:1135年に17で即位、1141年に23で覇権掌握、1149年に31であぼん

<南朝系>
孫権:222年に41で政権安定、229年に48で即位
司馬睿:317年に42で即位、322年に46で政権安定
劉裕:417年に55で覇権掌握、420年に58で即位
蕭道成:474年に48で覇権掌握、479年に53で即位
蕭衍:502年に39で簒奪、即位、549年に87であぼん
陳覇先:555年に52で覇権掌握、557年に57で即位
徐知誥:935年に47で覇権掌握、937年に49で即位
趙構:1127年に21で即位、1141年に35で政権安定
朱由榔:1647年に25で即位、1661年に39で退位、翌年あぼん

<短命系>
項羽:前206年に27に覇権掌握、前202年に31であぼん
王莽:8年に53で簒奪、23年に68であぼん
武照:690年に67で簒奪、705年に81で退位、病死
李自成:1644に38で即位、覇権掌握、1645年に39であぼん
956名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 21:22:25 ID:OFRdVwsd0
永楽帝の五出三犂と鄭和艦隊の派遣ほど笑えるものもないよな
いくら甥から帝位を奪ったという事情があるとはいえ、
そうまでして、四夷が朝貢する聖天子、という図式にこだわりたいのかと
(劉徹とかいう阿呆も似たようなもんだが、コイツの場合は子供じみた欲求によるものだろう)
方孝孺(自分の言葉に酔っ払うろくでなし、道化)に代表される
腐れ儒者の評判をチマチマと気にしやがってよ
pgrもんの肝っ玉の小さな野郎だぜ
んなことだから、女に「テメーのチ○ポが役に立たないのが悪いんだ」とか言われんだよ
聖天子云々の前に、まずは自分の女を甸服させるところから始めろってんだ
まあ、この不能に比べれば李世民はまだましだわな
957名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 21:38:53 ID:0ZiCovGR0
>>956
…前世でなにがあった?
958名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 23:56:14 ID:fYIfB1Is0
>>956
少しくらいならお前の人生相談に付き合ってやるぞ
959名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 00:01:53 ID:54kEgLCx0
>>957-958
くだらねー煽りだなぁ
960名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 01:25:09 ID:Vm8CmC7S0
srb
961名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 01:31:41 ID:Vm8CmC7S0
srb
962名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 21:53:26 ID:f4Kd8aWB0
まぁ、永楽帝って結構病気持ちだったらしいから、身体面でのコンプレックスはあったかもな。
ひょっとしたら積極的な外征にも、即位事情の外に、
そういうコンプレックスの裏返しという面もあったのかもしれん。
曹操も身長コンプレックスだったっていうし、過去の偉人達をそういう方向から分析してみるのも一興か。
963名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 22:04:19 ID:ou8aEG1k0
ナポレオンコンプレックスってやつですね
964名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 08:12:56 ID:XTefT1tW0
age
965名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 10:12:16 ID:uR3zsT4e0
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966名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 13:51:51 ID:O9yK+7O90
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967名無しさん@お腹いっぱい。
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