三国志二十四大英雄

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1名無しさん@お腹いっぱい。

三国志に登場する数多くの人物たちの中から、特筆に値するであろう英雄二十四名を選ぼうというスレです。
各人それぞれの評価によって、三国志二十四大英雄に入れるべき人物を推挙して下さい。

・推挙する人物については、その理由を述べること。
・対象となる人物は、三国志で扱われている範囲の人物とする。
(暫定的には、黄巾の乱から呉の滅亡まで。要議論)
・対象となる人物については、特定の時期、地域に偏らないように配慮する。

以上の三点に留意して、三国志二十四大英雄を決めましょう。

関連スレ
【確定は】 中国名将百選 其ノ参 【誰だ!?】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170812626/

2名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 06:09:11 ID:YWoPjDRS0
英雄の定義を決めないとな

goo国語辞書によると

えいゆう 【英雄】
才知・気力・武力にひいで、偉大な事業をなしとげる人。

とある
では偉大な事業とは何か

いだい 【偉大】
優れて立派なさま。優れて大きいさま。

じぎょう 【事業】
仕事。特に、社会的意義のある大きな仕事。

となっている
以上のことから英雄とは
「社会的意義のある優れて立派な、あるいは大きな仕事をなしとげた人」
と規定できるだろう

あとはよろしく
3名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 08:13:36 ID:05omaE1q0
携帯会社だろ>エーユー
4:2007/04/03(火) 10:20:39 ID:L/JUw1yu0
おいこら!!
ID:hLnQoVG30は名将百選で俺になりすますな!!!
あっちにも書いたが三戦版に同じ様なスレたってるじゃんwww
普通にいらんだろこのスレ!!!(ry
5名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 10:49:23 ID:zAFfeCHo0
三戦板のスレは、範囲が三国志に限られているのに、
名将百選スレをそのまま真似て、百人を選ぶスレにしちゃったものだから、
主立った者は全員入ってしまって、何の面白みもないスレになった。

ここは24人に限っているから、
入るかどうか微妙な人物がたくさん出て、面白くなる。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 13:19:50 ID:EZmiygYlO
三国志に英雄二十四名を選ぶにも英雄ってそんなにいるか?
曹操・諸葛亮と関羽の三人でいいよ

これでこのスレ終了だなwww
7名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 13:43:39 ID:ivNMjjoU0
>>4
どこを略したの?
8名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 16:30:32 ID:fEoyY9Xj0
李カク、袁術あたりは最後がダメだっただけでかなり偉大だと思うんだが。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 17:03:19 ID:EZmiygYlO
李カク、袁術辺りより董卓の方がまだマシだと思うが…
俺は三人とも落選だな
やっぱ曹操・諸葛亮と関羽の三人でいいよ
三国志に二十四大も英雄いるとは思えないし…
10名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 18:07:36 ID:HIw3B0D/0
そもそも24人もまとめたくないよネー
10人でも喧嘩するのに
5人くらいが限度
11名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 18:18:30 ID:3t3Eq6/jO
そもそも英雄と呼ぶに値する人物がいたら三国鼎立しないで統一してるだろ。
でも曹操は微妙だな。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 18:54:02 ID:upRYM+YG0

        ,r、
       / ̄ヽ ヾ`ヽ
     r ー,,,;'´ ̄ ̄`ニ,=-
     7 ;;;;;  __ヽ ( _ヽ
     / i'ヽ! ニ二ヽlr,ニl
    7 lヾ,   ー‐' ヽー.l
    `ー' >!|   ノー‐'ヽ!
    _,,.-! `'、ヽ  ゙≡' /
   /  l  ヽヽ `ーi‐'`iー 、
 /    ヽ  ヽヽ, l  l   ヽ
/    | |ヽ  ヽ冫  l ヽ ヽ ヽ
      l l ヽ  /  / ヽ ヽ l , ヽ
   l   l l | >'   / ri、ヾ、l∠_
   l  ヽ l |ノ   /r/lヾヽ ヽヽヽ
   ヽ ヾヾ、  _/ /  l | l l ゙ー' `
    ヽ `ー─''´ /  l l  l l

     空宋皇帝 示寧 [くうそうこうてい しねい]
      (前562-前504 春秋戦国時代)

 中国春秋戦国時代に興った「空宋」の初代皇帝。即位後、好んで領内のあちこちの
 村・町を巡回したが、領民の声を無視したため領民から忌避され、後に退位させられた。
 示寧の後を継いだのが宇贅(うぜい)である。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 18:56:38 ID:m26eVHKO0
曹操
袁紹
董卓
劉備
孫堅
孫策
孫権

確定組
14名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 19:04:24 ID:rtGwnu5o0
>>11
後世の評価、成し遂げた功績などを踏まえれば
曹操、孔明ぐらいは英雄と呼んでも差し支えないんじゃねーの?

しかし>>1は他人のコテ(?)を使ってカキコするとは
かなり痛い野郎だなw
15名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 20:11:10 ID:g7m1796nO
>>14
曹操・諸葛亮に司馬懿は鉄板
呉の四大都督も魯粛以外は入るだろう
難しいのが魏と蜀の五将軍の扱いだと思う
16名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 20:31:14 ID:aH0cJ5X80
エポックメイキングな事をなした人だと考えれば、
人材登用制度を変えた陳羣や詩人としての曹植は入って当然だろ
17 ◆RQdk7scN8s :2007/04/03(火) 20:32:24 ID:P41V3Neb0
張遼入らなかったら、ちょっと辛いものがあると思うけど…
三国志は演義くらいしか知らんけど、他の史書にも張遼の名前はでてくるから
きっとすごいんだろう。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 20:38:09 ID:NFxtChba0
宗教家からは張角よりは張魯を推す
19名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 21:38:16 ID:EZmiygYlO
>>14
司馬懿はちょっと違うかな・・・
≫呉の四大都督も魯粛以外は入るだろう
周瑜も呂蒙も陸遜も違うかな・・・
呉からあえて推すなら孫堅だな
孫策は早死にがマイナス
孫権は消極的だし・・・
≫難しいのが魏と蜀の五将軍の扱いだと思う
関羽ぐらいかな辛うじて・・・
>>17
張遼はすごいことはすごいんだけどそれはあくまで武将としての話
英雄というか三国志の中のスーパー武将ってところかな
>>18
≫宗教家からは張角よりは張魯を推す
でも黄巾の乱を起こす元となったほどの宗教家としてのカリスマ度を
加味して張魯より張角のほうを推す
だって張魯へタレだし・・・

劉備ははっきり言って英雄とは思えないし、
やっぱ関羽を外し、曹操と諸葛亮の二人でいいや
20名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 21:51:00 ID:g7m1796nO
>>19
24人ってくくりじゃないのか!?
軍事面での功績だけならトウ士載なんかは相当いい線いってるはずなんだけど、残念ながら地味だし死に方がなぁ・・。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 22:08:32 ID:NFxtChba0
周瑜は入るだろ
中原勢力による南下統一への対立軸としての
江南勢力を確立させたといっていいんじゃないか

英雄というとどうしても名将系を連想するけど、
軍事だけでなく政治・経済・社会・文化も考慮すべきじゃないの?
>1はどうだか知らんが>2>や16はそんな感じぽいぞ
そうすると華佗も入れたいけど後世に残せなかったのが痛いな
22名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 22:44:01 ID:EZmiygYlO
悪いが俺個人の場合は曹操と諸葛亮以外は英雄と呼ぶには及ばないつーだけの話 
どの人物も偉大だとは思うけどね(念の為言っとくよ)
俺の個人的意見なんだから別にスルーしてもらえばいいよ
23名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 23:52:11 ID:zAFfeCHo0
あまり英雄という言葉にこだわらなくても、

三国志を代表する人物を24名選ぶと考えればいいんじゃないか。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 01:07:48 ID:2XiKi8ncO
曹操・劉備・孫権・諸葛亮・司馬懿・司馬昭・司馬炎・周喩・陸遜・陸抗
筍イク・曹仁・張遼・関羽・トウ艾・羊コ・杜預…
パッと思い付いて躊躇無く選出できるのはこのぐらいかなぁ?
思い付いても、うーん…と悩んでしまうのは
袁紹・張角・賈ク・曹丕・孫堅・孫策・呂蒙・魯粛・張コウ・徐晃・夏侯惇・張飛・筍ユウ・張昭……
この辺か…他にもまだいるだろうけど…
二十四人選出だと下のメンバー全員入れるとはみ出すし
25名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 03:31:37 ID:rrayyxQX0
孫策はともかく、孫堅がいないと歴史が大幅に書き変わった
可能性があるから、24人なら入れるべきだと思うな

知名度で言えば張飛や呂布は圧倒的なのだが
実績を残してないから上の定義だと入らないかな

逆に後世への影響で考えるなら陳羣みたいな制度を作った人が入ってくるかもしれない


……ところでこのスレって正史ベースで選べばいいんだよね?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 07:29:45 ID:SPtH5jxs0
>>24
司馬炎、張遼、関羽、羊祜らが入って呂蒙、袁紹、孫策がもれるっておかしいだろ。
どの功績を見て躊躇無くなんだ?
27名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 14:54:43 ID:HQ4HywGKO
張遼だけはガチでよろしく
28名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 15:53:19 ID:fWYfI4Xy0
劉備は確定、関羽も入れられそうだけど、張飛は苦しいかな?
29名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 16:17:28 ID:qOg3MDPK0
張飛・張遼・馬超あたりは厳しいな。
ただ強いだけだろあいつ等。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 16:40:46 ID:rrayyxQX0
演義ベースなら張飛を入れてもいいけれどね
数万の大軍を1人で止めたりしてるから
31名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 18:47:19 ID:dvc6rWst0
劉備 曹操 孫権 孫策 孫堅 袁紹
袁術 呂布 陶謙 公孫サン 厳白虎 劉ヨウ
張魯 劉表 王朗 劉ショウ 韓複 諸葛誕
馬騰 韓遂 董卓 李カク 楊奉 公孫淵
32名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 19:03:36 ID:G6yu3vml0
趙雲と王平も入れて欲しい
33名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 21:11:48 ID:abWmtZ5TO
正史基準なら
武勇 関羽 >> 張飛
将軍としての力量 張飛 >>> 関羽
だと思うが
張飛と関羽の比較ならこれは確定では?
34名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 21:15:36 ID:HbjR2A9J0
後漢
皇甫嵩 朱儁 袁紹 公孫サン 呂布 張角


曹操 賈ク 司馬懿 ケ艾 羊コ 張コウ 張遼


孫堅 孫策 孫権 周瑜 呂蒙 陸遜 陸抗


劉備 諸葛亮 関羽 張飛
35名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 21:21:12 ID:qOg3MDPK0
呂布入れるくらいなら李カクか袁術
36名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 21:38:11 ID:SPtH5jxs0
>>34
軍人に傾きすぎじゃね?
37名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 23:38:08 ID:2Ns7fSNd0
>>36
つ無双厨
38名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 00:38:44 ID:6xVSp5dV0
個人的には英雄って呼ばれるために必要な条件は
記録される功績<同時代においての声望
だとおもうから乱世ならどうしても武官系に偏るのは無理もないと思う
逆にその中に混じって名前が挙がる文官・文人は相当なもの
39名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 00:55:18 ID:H9XH0T7U0
<武侯祠>
先主、後主、関羽、張飛、諸葛亮、諸葛瞻、諸葛尚
馬良、程畿、秦宓、楊洪、董允、蒋琬、ケ芝、陳震、董和、費褘、孫乾、呂凱、龐統、簡雍
馮習、張南、張嶷、馬忠、傅僉、向寵、廖化、黄忠、姜維、王平、馬超、張翼、傅彫、趙雲

まあ↑の面子で入選確実なのは、先主と蜀漢三傑の四人で十分だし、それ以上の枠はいらんだろ。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 00:57:42 ID:obJvc6RP0
馬超は入ってもよくね
41名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 01:09:45 ID:vWnViLgK0
確かに趙雲や黄忠を入れるくらいなら馬超を入れたほうがいいな……
42名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 01:16:00 ID:0EYDyxI90
「三国名臣序賛」
魏:荀イク、荀攸、袁煥、崔エン、徐バク、陳群、夏侯玄、王經、陳泰
蜀:孔明、ホウ統、蒋エン、黄権
呉:周瑜、張昭、魯粛、諸葛瑾、陸遜、顧雍、虞翻

一応これも参考にはなると思うが
43名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 01:54:29 ID:H9XH0T7U0
権臣:曹操&(vs)荀ケ、曹爽vs司馬懿、司馬師vs夏侯玄、司馬昭&賈充
謀士:賈詡、鍾会が特に優れている。
文化人:陳群(選挙)、鍾繇(書)、曹植(詩)、華陀(医)、何晏(儒)、阮籍(道)など。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 03:58:41 ID:zHeZGNUK0
呂布は菫卓殺害とかエン州襲撃、袁術との戦など、
主に乱世の混迷を深めるという意味で重要な人物だろ。

呂布がいなかった場合、菫卓があと数年長生きした可能性あるし、
トウケンと曹操の戦の帰趨が変わって勢力配置が変わるとか、
劉備や袁術勢力のその後の変化等、いろいろおかしなことになりかねない。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 05:18:45 ID:vWnViLgK0
とりあえず確定組を少しずつ増やしていこう
間違いなく入ってくるのは
曹操・劉備・孫権

次点は?
46名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 06:51:05 ID:y5YWmMvq0
征蜀のケ艾、征呉の杜預
47名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 08:27:51 ID:sn0JXUF+0
呂布と袁紹、張角、董卓
48名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 09:16:41 ID:+BfwA/qI0
鐘会
49名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 09:49:13 ID:waFbF5qR0
魏(9人)…曹操 司馬懿 夏侯惇 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 張コウ 徐晃  
蜀(8人)…劉備 諸葛亮 関羽 張飛 黄忠 趙雲 魏延 王平
呉(7人)…孫堅 孫策 周瑜 太史慈 黄蓋 甘寧 朱桓 (計24人)

馬超は蜀での功績が少ない、陸抗は一発屋なので除外
50名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 09:56:25 ID:zlFDKdh20
楽進や王平のどこが英雄なんだ?ただの使える将軍だろ。
割拠して大勢力を築いた劉焉とか劉表、公孫サン、反乱勢力の顔だった
馬超とか韓遂の方がまだしも英雄っぽい。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 10:04:57 ID:waFbF5qR0
いや、やっぱり三国から選んだ方が良いかなと思って
もっと枠が大きければその辺の群雄も入れたかもしれない
52名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 10:05:35 ID:1ZeALRQWO
皇甫嵩は?
なんか名将百選とかぶる
53名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 10:11:20 ID:A6wShUCx0
孫堅が入ってるのもおかしいな。こいつはただの袁術の子分だろ。
確かに強い将軍ではあるが、勢力を興したのは息子だ。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 10:23:03 ID:waFbF5qR0
でも孫堅が華雄を倒さなかったら董卓が
ずっと居座ってたかもしれないんでしょ
だから董卓を倒した英雄って事で
55名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 10:41:33 ID:A6wShUCx0
華雄を討ち取ることにどれだけの価値があったんだ?

孫堅軍と戦った董卓軍の大将は胡軫(その指揮下に呂布・華雄)だし、
胡軫が負けたのは呂布が胡軫を憎んで意趣返ししたから。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 10:56:15 ID:A6wShUCx0
そして、
戦略的に胡軫を退けて洛陽に進み董卓を長安に追いやった…という功績を見るなら、
孫堅じゃなくて派遣主の袁術が評価されるべき。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 10:56:37 ID:waFbF5qR0
じゃあ孫堅を外して孫権を入れるって事で
58名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 11:02:35 ID:9LDPzGde0
うん、何はともあれ呉を興したのは孫権の方だしね。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 13:09:33 ID:G9JIochdO
王平は無いだろ、入れるなら法正だろ。

張コウより楽進のほうが魏に貢献してる気がする。


太史慈って何?
60名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 13:31:02 ID:QFtsIS980
英雄ってのは割拠勢力の長ぐらいでないと駄目だろ。
三国で体制が固まった後なら、皇帝以外の最高権力者レベル。
法正とか張コウあたりはとてもじゃないが認められん。

しかし、太史慈は意外といいかも試練。
太史慈って孫氏の配下じゃなくて群雄らしいし。
事跡はよく知らないが…。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 13:32:48 ID:oP7HmPqa0
呉は 孫策 孫権 周瑜 呂蒙 陸遜の5人はどう考えても絶対はずせない。
あとは戦局を左右したというなら孫堅 魯粛 徐盛
猛将なら黄蓋 甘寧
太史慈がはずれるのは馬超と同じ理由。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 13:37:03 ID:9LDPzGde0
呉だけで5人以上の枠が確保できるかな?
63名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 13:40:20 ID:oP7HmPqa0
>>62
呂布など三国以外もいれるなら5人が精一杯のとこ
64名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 13:49:28 ID:JP6OuwoL0
正直3国の5番目の功績位の奴集めたら24人とか越えそうだがな

3〜4人が打倒
65名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 14:04:03 ID:oP7HmPqa0
4人だと三国あわせても12人しかいないぞ。
先に群雄枠どうするか決めとけばいいんじゃね。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 14:04:16 ID:8vzW8vxr0
ちくま正史で、際立って伝が長い人たち。

魏書 曹操 曹丕 曹叡 董卓 袁紹 劉表 公孫瓚 呂布 荀ケ 荀攸 鍾繇 ケ艾
呉書 孫権 孫堅 孫策 孫晧 周瑜 呂蒙 虞翻 陸遜 陸抗
蜀書 劉備 諸葛亮

大体20ページ弱くらいの長さで入れてます。
大抵予想は出来てたけど、虞翻の伝が192〜212ページとかなり長いのには驚いた。
これに、三国時代前半の皇甫嵩・張角あたりと、
西晋の司馬懿・司馬師・司馬昭・杜預あたりを入れて、
これを基準に決めていくといいと思う。

蜀の関羽なんかは、伝は10ページにも満たないけど、
他の人物の伝にもたびたび名前が出てくるし、吟味の必要があるね。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 14:04:26 ID:oNKnSG3l0
馬騰がいても韓遂は入らんか?
68名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 14:06:26 ID:oP7HmPqa0
蜀志は注が極端に少ないからページ数だけで決めちゃうとかわいそう
69名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 14:17:01 ID:xoC9eUSi0
太史慈は呉史だと群雄扱いなだけで群雄とはいわない。
呉史に箔をつけるため名声のある太史慈を群雄枠に置いてるだけ。
>>49
長安以西で本物の群雄クラスに暴れまわったが蜀漢での功績が少ない馬超が外れて、
大したこともないのに群雄に祭り上げられ、呉での功績が少ない太史慈が入るのはそもそもおかしい。
趙雲 黄忠 王平 甘寧 黄蓋 朱桓 この辺入れだしたらきりがない。
こいつら24傑の候補にもならないでしょ。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 14:32:08 ID:8vzW8vxr0
>>68
ページ数で決めると、群雄と、何かとおしゃべりな人達(主に戦略家)がかなり有利になってるね。
逆に、「〜を攻撃してこれを打ち破り、〜に任ぜられた。」
で終わることの多い軍人は伝が短いことが多い。

注の長さは考えてなかった。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 15:17:09 ID:oP7HmPqa0
>>70
虞翻が長いのはたぶん表文が全文載ってたりするからだ。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 15:17:20 ID:T4FP0UIVO
アケ板の大戦関連スレへのマルチから大戦厨が流入しているなんて言えない
73名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 16:15:55 ID:VIO/7JB+O
よときみだ
74名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 16:30:46 ID:qBQjQhEB0
劉禅 孫晧

あと22人だれにするかな
75名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 17:52:16 ID:gmQSwDzk0
マイナスの意味で歴史を変えたやつかよw
76名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 18:45:56 ID:/J9OMy1p0
>>75
そっちのほうが見てみたい気がするw
77名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 18:46:44 ID:sn0JXUF+0
袁タン

孫堅は英雄というか袁術配下の強い大将ってとこだな。演義紀霊とか孫策(独立しなければ)みたいな感じ。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 18:52:27 ID:1RT3dVOv0
マイケル・ジャクソンさんも付け加えといて
79名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:11:59 ID:FJdCTLbN0
何進、郭、袁譚、劉禅、孫晧あたりはマイナス英雄だなw
80名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:46:07 ID:NFxi8jls0
屠殺業者から外戚、大将軍だなんて出世幅では当時ナンバーワンではないかとw
81名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:55:33 ID:FJdCTLbN0
出世幅なら、賊から車騎将軍&大将軍になった楊奉・韓暹も忘れちゃならんなw
82名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:59:48 ID:vJbI33Ve0
屯田制の韓浩を推してみる
83名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 20:10:10 ID:waFbF5qR0
魏(7人)…曹操 司馬懿 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 徐晃  
蜀(6人)…劉備 諸葛亮 関羽 張飛 馬超 魏延 
呉(5人)…孫策 孫権 周瑜 魯粛 陸抗 
他(6人)…呂布 袁紹 張角 董卓 袁術 劉表 (計24人)

批判があったのでちょっと変えてみた
84名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 20:51:49 ID:oP7HmPqa0
>>83
魏延が一番?だな。漢中太守という重責を担ったけど
漢中奪回で目立つほど大きな戦功を立てたわけじゃない。
諸葛亮時代は兵力与えられずにずっと干されてたわけだし。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:06:59 ID:zA3ZxK2w0
>>83
楽進→夏候惇
馬超→趙雲
陸遜、呂蒙追加
董卓 袁術除名
こんな感じは?関羽を倒した二人を外すのはどうかと、陸遜は長く都督だったわけだし。
董卓や袁術って英雄にはほど遠いと思うんだが。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:07:28 ID:m0q1fbO80
陸抗は一発屋なん?
87名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:23:47 ID:obJvc6RP0
張角と劉表は英雄には入らないと思う。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:25:24 ID:EixGT4Xy0
英雄ってのは必ずしも世のため人のためになった人じゃないから
菫卓とか袁術もおk


>>83
司馬懿 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 徐晃
張飛 魏延

こいつらは部将クラスだから英雄っぽくない
とくに魏は最強なのに天下を統一できなかったので、各部将は
むしろ低く評価したいところだ。
おれだったら魏は曹操 司馬師・昭 鐘会を推したいところ。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:30:15 ID:sn0JXUF+0
えいゆう 【英雄】
才知・気力・武力にひいで、偉大な事業をなしとげる人。

趙雲は並の将軍
楊・荊・予州一帯に勢力を広げた袁術の方が成し遂げた事が大きい
魏と敵対したから悪く書かれてるだけ
90名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:38:43 ID:ttzT8JlB0
>>87
腐敗しきった悪の大漢帝国を打倒するために、
虐げられた民達は率いて立ち上がるも志半ばで病に倒れた天公将軍・張角。
しかし彼の死後もその志を受け継いだものたちは次代の英雄曹操の下で新時代を切り開く原動力となったのである。

…という風にとらえると英雄になる。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:48:41 ID:BQkr7MXJ0
張角・董卓は十分英雄と呼べる活躍をした

呂布はただ強いだけの馬鹿だから英雄と呼べるかどうか
…ってか、ただ強い奴は英雄とは言えないなぁ

神様になってる関羽位なら入れても良いと思うが
92名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:50:13 ID:vJbI33Ve0
張角は民衆反乱の指導者としては優秀だと思う
事前に発覚と早死にでgdgdになったけどね
宗教指導者なら政権に入り太平道信者も取り込んだ五斗米道の張魯が上かなー
93名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:56:34 ID:BQkr7MXJ0
確かに張魯は張角と同じ宗教系でも国も起こしてるし
ちゃんと宗教で統治もしていたし英雄と呼べると思う
94名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 22:12:36 ID:oP7HmPqa0
魏 地方司令官経験者

夏侯淵(ヨウ州、涼州平定)
曹仁(荊州都督、ハン城守備)
司馬懿(荊州、ヨウ州都督、諸葛亮撃退、遼東攻略)
張遼(揚州都督、合肥守備)
95名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 22:46:00 ID:FJdCTLbN0
袁術・李カクは普通に英雄じゃね?
勤皇派盟主で、朝臣から慕われ、洛陽奪還の功がある袁術。
長安奪取後に袁術と結び、一年で中華の三分の二を影響下に置いた李カク。
共に外交戦略に長け、朝廷への貢献度が高い指導者だと思うが。
96名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 23:02:09 ID:jkZqaY6T0
馬超を入れることに反対はしないが、蜀枠よりは群雄枠でお願いしたい。


英雄かは疑問だけど、時代を代表するって意味で
仏教枠でサク融
文化人枠で曹植、孔融

97名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 23:03:10 ID:niXavbEBO
実績はあっても名声の無い奴は英雄と呼ぶにふさわしくない
だから魏延は駄目だな
98名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 23:36:47 ID:vWnViLgK0
悲劇の英雄ってのもいいじゃないか
99名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 23:55:08 ID:9LDPzGde0
史実を最優先にするか、
演義の影響も受けた後世での評判も取り入れるか、
そのあたりでも変わってくるね。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 00:09:28 ID:JeYIpakc0
英雄の見方は個人差もあるからねえ。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 01:08:07 ID:CZ/S3kTT0
>>98
馬騰とか?
漢王室を尊重するあまりあきらかに罠とわかる曹操の呼び出しに答えたら見事に馬岱以外の一族を殺されたみたいな。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 01:13:00 ID:257+QlBJ0
演義じゃん
103名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 01:41:00 ID:RjO9KwS50
呼び出しも何も馬騰は朝臣として普通に朝廷にいたんだが
馬超が反乱したから馬騰は処刑された
104名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 01:51:53 ID:aI9hSW6s0
とにかく基準を演義か正史かはっきりして欲しい
105名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 02:21:55 ID:RjO9KwS50
正史基準の方がいいと思うが
いっそのこと両方のバージョンで24人選ぶのもアリかも
106名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 03:03:46 ID:sX7+s7JB0
それがいいな。
正史の方は純粋に功績だけを見るとして、
演義の方は後世に残した評判なども取り入れよう
107名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 09:20:42 ID:mkDCKYi+0
難しいのう
108名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 10:50:25 ID:Sxkepj3B0
評判・・目立つ人物なら
劉備・曹操・孫権(主役)
諸葛亮・関羽・張飛・趙雲・司馬イ・じゅんいく・郭嘉・許チョ・張遼・周ユ・呂蒙・陸遜(派手な群臣)
董卓・呂布・袁術・カク・太史慈・馬超・孫策・黄祖・周泰(その他の派手な人)
109名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 13:26:30 ID:ArY36Jve0
俺が選ぶと

魏 曹操 曹丕 曹叡 荀ケ 鍾繇 ケ艾
呉 孫権 孫策 周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜
蜀 劉備 諸葛亮
晋 司馬懿 司馬昭
他 皇甫嵩 袁紹

とりあえず18人。

たなぼた感のある司馬炎・董卓はとりあえず抜いた。
実力あるけど報われない陸抗もとりあえず抜いた。
陸抗入れちゃうと田豊らも考えなきゃなんなくなるね。
関羽は伝短すぎて未知数。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 14:16:13 ID:CN1s8gtp0
俺も選んでみた

魏晋 曹操、曹丕、夏侯淵、曹真、司馬懿、孟達、ケ艾、鍾会
呉   孫策、孫権、周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜
蜀   劉備、諸葛亮
他   皇甫嵩、朱儁、李カク、楊奉、袁術

21人。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 15:34:45 ID:2gDdXO/Q0
あと難しいのは軍師でない純粋な文官の評価。
中国の史書の基準で言えば、
後方支援や人材発掘で蕭何に匹敵する功績を残した荀ケははずせない。
九品官人法を整備した陳羣は世界史の教科書にも載ってる。文化面なら曹操父子。
ただ、こういうのは普通英雄とは呼ばないかも。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 15:49:36 ID:3m+vyDQ50
たしかに言わないな。蕭何も英雄とは言わないし。
なんかスレの流れが優秀な人全部いれとけみたいな感じになってるが、
文官だの軍師だのは勇将だのは普通それだけでは英雄とは言わないだろ。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:18:42 ID:PKThkMhj0
そもそも“英雄”という言葉を、便宜的なものとして使っている面があるから、
難しいね。

“名将”にすると、よりいっそう武将に限定されるし、
“人物”だと、イマイチぱっとしないかな。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:21:50 ID:ZcLmZx3o0
皇甫嵩を入れる理由は何??
115名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:37:24 ID:sX7+s7JB0
黄巾の乱を治めた功績じゃない?
116名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 17:17:21 ID:i0zX16fc0
全ての面に優れていて初めて英雄といえるのか。
それとも、一部分に特化して優れていれば英雄になるのか。

ここら辺の定義が曖昧で判断しずらい。
全ての面に優れている人って余りいないんだよなー……。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 17:22:20 ID:A/EfLLAs0
じゃあ英雄じゃなくて偉人にしたら…文系に偏るか
118名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 17:46:33 ID:HVyvqaPhO
>>116
曹操、周瑜・・・
武勇はあるが、戦は下手で微妙だが曹丕
ぐらいか
119名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 17:57:56 ID:7EaAFX/P0
袁紹も政治・戦の面で十分優れてるな。
曹操には負けたが。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 18:02:36 ID:7c11lv090
関羽を除外する奴は池沼だろ。
世界中の中華街に関帝廟が作られて、信仰されているだぞ。


121名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 18:03:18 ID:2gDdXO/Q0
劉表は文に偏りすぎか。濡れ手に粟で荊州占拠したあと
決戦らしい決戦はしていない。統治領域は広いんだけど。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 18:15:41 ID:yehrBxxE0
紙を発明した蔡倫は中華では文句なくトップクラスの偉人とされてるよな
そういった面から、文化面での英雄を考えると
現在に至るまでずっと中国の民間宗教の祖にされてる張魯や
古代の医学の象徴である華佗は英雄といえるんじゃないだろうか
123名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 19:25:10 ID:JeYIpakc0
>>120
よく分からんが2chには何故か関羽の偉大さを認めたがらない連中は多いからな。
関羽を独尊として祭っている「関帝廟」こそ英雄としての確固たる証拠だろうに。
たった一人の人間が神とまで呼ばれ、様々な逸話までもが誕生し終いには何世紀も隔てた
後世から国家認定の護国神とまで称えられた英雄中の英雄。
広い世間では一般的にこう伝えられてるよな。
俺もその通りだと思う。




124名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 20:46:04 ID:T85QE0ws0
影響力って言い換えるのはどうかな

当時への影響力、後世への影響力
それぞれにきちんとした根拠があれば演義正史分ける必要はないと思う
125名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 21:01:44 ID:Ai3/AHWx0
関羽ってケンカしたらリョフより強いの?
126名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 21:34:39 ID:0MfumsVV0
呂布なんて雑魚殺しまくって武勇を上げただけの馬鹿
喧嘩しても関羽の頭脳プレイにたじたじだろうね

同じパワー馬鹿の張飛なら素で勝てるんじゃないか?
127名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 21:49:40 ID:iKiYWJKt0
業績だけで言えば関羽はたいしたことは無い。
風評による後世への影響でいえばまさに英雄。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 23:18:03 ID:FU4B27sg0
じゃあ演義と民間信仰の知名度を考慮して関羽確定でいいんじゃね?
129名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 23:28:49 ID:PKThkMhj0
主要人物という観点からは、献帝はどうなんだろう。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 23:31:50 ID:JeYIpakc0
正史でも関羽は大物扱いだけどね。
性格的な欠陥から自滅を招いたことも書かれているが
当代きっての猛臣、国士の風格あり、万人敵など
褒め称えられてる部分も多い。
関羽、諸葛亮は圧倒的な知名度+人気度で確定じゃないかな。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 00:37:11 ID:r8/16pj60
才能関係なしで本人はたいしたことしてないだろうしし、
献帝はアウトじゃね?
同様に司馬炎もアウト
132名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 01:01:16 ID:FKhbm63hO
関羽って商売の神様だっけ?
133名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 01:08:41 ID:r8/16pj60
うん
134名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 08:59:19 ID:ggqU/Xvm0
献帝より楊奉・董承のほうががんばってた
135名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 09:08:49 ID:neOBtDwl0
でも董承が楊奉をけ蹴落とした
136名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 10:39:17 ID:6HCWuTg50
諸葛亮、関羽は確定でおk?
137名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 11:11:45 ID:B+B+aB+P0
うむ。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 15:41:02 ID:6JrbGdQd0
正史でも張飛って強いの?
139名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 16:00:40 ID:inLcLwXUO
于禁は正史じゃ女なんだね
140名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 16:22:57 ID:FfZrLkm00
>>127
顔良切りは?
141名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 16:42:08 ID:DWupJIcS0
顔良自体が大した事無いし。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 16:45:47 ID:6HCWuTg50
関羽でなければ倒せなかった猛将でもある。
徐晃、張遼、夏候惇あたりではお手上げ状態の猛将。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 17:13:52 ID:0noNdWZP0
顔良・・・官渡で徐晃らを破ったあと関羽に切られる
文醜・・・官渡で張遼の顔面に矢傷をつける、界橋の戦いで趙雲と互角の勝負
二人とも結構な武将だと思う、だがそれ以上に関羽は思った以上に大したことはない。
軍をまとめるという意味においては魏の夏候惇や呉の程普のほうが評価は高い、演義のせいで過剰に劉備軍が強くなってるだけ。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 17:56:40 ID:cYw1jlVl0
夏候惇はコレといった戦跡が無いな
145名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 18:22:51 ID:DWupJIcS0
>>127の業績って、正史の話をしてるんじゃないのか? 風評=演義とか伝承ってことで。

顔良と文醜は特に目立った功績・活躍がない。
文醜に至っては、撒き餌に引っ掛かって戦死した愚将(これは関羽が殺したわけじゃないが)。
そもそも関羽は顔良を斬ったけれど、郭図・淳于瓊に押し返されて結局白馬津を失ってる。
顔良・文醜は名将だって(孔融に)呼ばれているけど、
呼ばれただけでいいなら劉璋軍の楊懐・高沛だって名将って呼ばれた(しかもホウ統に)。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 18:43:12 ID:cei/QObt0
活躍の記述がないのと実際に活躍してないのは意味がまるで違う。
例えば何らかの理由で活躍していない人間を無理にピックアップしたなら
ともかく、そんな証拠もないのに名将扱いされた記録が残っている人間を
実際は名将でないとは簡単には言えんだろ。

とくに関羽については曹操がほれ込んでるし
弱小劉備勢力の中で全国クラスに名が知られてるし、やっぱりなんか
あったんだろ。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 18:57:39 ID:DWupJIcS0
いや、関羽が英雄じゃないとは言って無いよ。

ただ、顔良斬りに関しては、大したことじゃないし、
戦術・戦略的になんの業績にもなってないってこと。
顔良を斬ったことが戦局を大きくひっくり返したとか、
曹操軍の勝利に繋がったとかいうなら別だけどね。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 19:37:58 ID:FHvNncoN0
とりあえず荀攸は凄いってことで
149名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 20:15:59 ID:Vto10Vvg0
確定

曹操 劉備 孫権 諸葛亮 関羽
150名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 20:35:59 ID:AHHM5FV+0
関羽って地方軍閥の重鎮で、同僚に見捨てられて死んだ将軍だろ
戦闘指揮は巧みだったかもしれないけど空回りだからねぇ。
史書の評伝なんて、大袈裟に書くのが当たり前、だしね
151名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 20:37:22 ID:AHHM5FV+0
だから、業績としてはたいしたことは無い。
でも尾鰭が付いたかも知れんけど後世への影響力で言えば英雄というに足る。
猛将の代名詞にまでなってるもんな。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 20:41:07 ID:dvBPrJ0Y0
まず英雄の基準
演義・史実どちら?それとも合わせて
このスレでの英雄の定義等先にはっきりと決めたほうがいくね

史実では演義ではーてのが続くなら
153名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 21:03:30 ID:oCivkUhr0
ここで話題の史実顔良のステータス
武帝紀によると文醜とともに名将とされる。
荀ケ伝によると孔融が袁紹軍の強さを言い立てる中で『顔良・文醜の武勇は三軍に傑出している』と言っている。
それに対して荀ケは『顔良・文醜は匹夫の勇を持つに過ぎぬ。一度の戦いで生け捕りにできるだろう』と言っている。
袁紹伝によると、沮授が袁紹を諌め、『顔良は短気偏狭で、驍勇があるといっても単独で任用してはならない』と言っている。

曹操と対立してた孔融が袁紹との戦いを諌めるために褒めちぎってただけで大したタマじゃない。
ただわざわざ孔融が引き合いに出したってことはそれなりの将軍ではあるんだろうね。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 21:13:10 ID:oCivkUhr0
演義と史実両方決めるって流れだったようだけど、
史実限定の方がいいんじゃないかな。
関羽・馬超までなら史実でも候補として挙げるのは有りだと思うけど、
張飛・趙雲・魏延・黄忠クラス入れだすときりがない。
張飛は魏・呉での高評価で一線を画すけどそれでも一将軍だしなぁ。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 21:13:33 ID:XlrYd8tF0
とりあえず三国志と言う物語を代表する人物を挙げるのを
目的とするなら>>149の5人は外せないだろうな。
三国志の中で最も能力の高そうな24人を挙げるスレ としてなら
関羽は外れそうだけど>>152同様そこら辺の定義は決めるべきかもな
156名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 21:19:44 ID:1T5Uoym90
正直、孫権と孫策はワンセットで考えたい。
どっちかがいなくても呉はありえないし、
孫策が長生きしても逆に呉は潰れそう。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 21:39:41 ID:Vto10Vvg0
英雄の定義は>124がいいと思う(影響力ってのもまぁ曖昧だけどな)
演義基準か正史基準か付記しておけば、
気になる人はあとで演義24人、正史24人をあらためて選ぶってのもできるんじゃない?
158名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 21:41:37 ID:KTd3p4ky0
史実、史実言うと変なのが沸いてくるから
正史ってしといたほうが○
159名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 21:50:01 ID:AHHM5FV+0
そうすると、南北隋唐五代宋元時代に対する影響はどう考えればいいんだ?
160名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 22:13:55 ID:Vto10Vvg0
風評じゃなくて直接的な影響なら正史基準での功績と考えていいんじゃないかな
161名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 23:00:49 ID:p2NDOgsq0
また24人という枠が、入るか入らないか微妙な人物が多くて、
揉めるなw
162名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 23:06:12 ID:N36CcAaV0
sage
163名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 23:59:23 ID:6HCWuTg50
>>149
禿同。
この五人は確定だな。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 00:19:48 ID:QY3BEi+60
詩の曹植
九品官人法の陳羣
屯田制の韓浩

屯田制は韓浩だけでなく棗祗も尽力したみたいだけど、
二人ともってのはあれなんで代表で韓浩を

世界史レベルの偉人だと思うんだけど、ダメ?
165名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 00:30:50 ID:8kT1njG00
なんか文官=英雄ってのに違和感を感じるんだけどどうなんだろ
166名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 00:45:38 ID:9fyaK1shO
劉備 曹操 孫権 孫策 孫堅 芝居 馬騰 公孫さん 諸葛亮 劉表 董卓
167名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 00:47:03 ID:lVL5s3+x0
文官って言う響きがダメなら
政治家とか思想家って言えば英雄が出てきてもアリでしょ。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 00:53:53 ID:ux2Wp4ll0
三国志成立のきっかけを作った諸葛亮が人気

古代中国を舞台に、天下統一を懸けて三つの国が争った興亡の歴史絵巻「三国志」。
 史実と物語が入り交じった逸話の数々が今日に伝えられています。勇猛無双の武将
たちが登場するエピソードは日本でも人気が高く、人生の手引き書として愛読している人もいるようです。

「あなたが憧れる『三国志』に登場する武将ランキング」で最も人気が高かったのは《諸葛亮(孔明)》。
 三国志随一の軍略家で、「彼が“天下三分の計”を唱えなければ、三国志は成立しなかった」とまで言わ
れています。また政治の面においても、蜀の丞相として多くの制度や法律を整えたことが知られています。
ちなみに“まんじゅう”も孔明のアイデアから生まれたものだそうです。

 この《諸葛亮(孔明)》を“三顧の礼”で迎え、蜀を繁栄させたのが2位の《劉備(玄徳)》。3位に入った《関羽
(雲長)》、6位の《張飛(益徳)》と“桃園の誓い”によって義兄弟となったことをきっかけに、その後も多くの優
秀な人材を得て活躍したとされています。一騎当千の武人として知られる《関羽雲長》は、中国では商売の
神様“関帝”として親しまれています。横浜の中華街にも、関羽を祭った“関帝廟”があるので、一度訪れて
みてはいかがでしょうか。

 蜀の武将たちが上位の人気を誇る中、4位にランクインしたのは魏王《曹操(孟徳)》。優れた武人であった
のと同時に文筆家でもあった曹操は、兵法書『孫子』を現在の形に編纂し直したことで知られています。
また、“赤壁の戦い”の際に詠んだ“短歌行”は中国の南北朝時代にまとめられた『文選』にも残されています。
「三国志」を大衆向けの文学作品としてまとめた『三国志演義』では悪役とされる《曹操(孟徳)》ですが、その
功績から近年では優れたリーダーというイメージが強いようです。「三国志」の世界を描いた小説やコミックは
数多く発表されているので、機会があれば触れてみることをお勧めします。

http://news.goo.ne.jp/article/gooranking/business/20070407-grnk.html
169名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 00:58:22 ID:FarNFkn00
神扱いされてる関羽はやはり別格
馬超なんて候補に入れるなら王異のほうがまだ入りそうなくらいだ
170名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 01:35:20 ID:R72of5SU0
はぁ?
神威大将軍なめんな
171名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 01:40:23 ID:QY3BEi+60
そもそもこの時代に英雄と呼べる人物なんて少ないんだからさ、
24人も選ぶなら英雄を拡大解釈するしかないだろ
だから>>2でいきなり英雄の定義を提起してるんじゃないの?

基本は「何を成し遂げたか、何を残したか」じゃないかな
172名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 01:43:41 ID:XOSBuArZ0
後の道教集団の核となる物を作りあえた張魯は確実に入ってくる
173名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 02:07:05 ID:QY3BEi+60
それには同意
174名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 03:59:07 ID:D0rLshDl0
英雄だからとりあえず武勇だけでなく名声とか伝説もいると思うんだよね
だからやっぱ「遼来遼来」の合肥の伝説がある張遼は欲しいでしょ
175名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 04:01:54 ID:qGe7CQtM0
中国人が日本の軍記物を崇拝してたら下に見るよなw
つまりそういうことだ
176名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 04:44:20 ID:K+k2c+jG0
>>166
馬騰よりは韓遂、韓遂よりは馬超の方が正史では優れてるように俺には見える。
離間の計を貰う大元も韓遂が馬超の補給路を断つ案を採用せず、形勢が不利になったことからだし、
潼関の敗戦後馬超が蛮族を仲間に引き入れながら敗走し、後に再起したのに対して、
韓遂は西平を抑えた閻行を仲間に引き入れるのに失敗し蛮族に保護された。
>>169
演義ならともかく正史だし、当時なら関羽は馬超より格下っぽいけどな。
諸葛亮にヒゲは馬超より上だ、お前は凄すぎると手紙送られておおはしゃぎして見せびらかすくらいだ。
これじゃ天下での名声が馬超の方が上ってことを示してるようなもんだろ。
劉備も惜しみない期待をかけていたしな。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 11:18:59 ID:l0M7pGjZ0
関羽が入るなら周喩も入るだろうな、赤壁で負けてたら終わっていたし早死にしなかったら劉備の出る幕はもうなかったからな。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 12:05:42 ID:lVL5s3+x0
ベタなラインで言うとこんな感じじゃないかな。

魏晋:曹操、曹丕、司馬懿、曹植、ケ艾、杜預

蜀:劉備、諸葛亮、関羽、姜維、

呉:孫堅、孫策、孫権、周ユ、呂蒙、陸孫

群雄:張角、董卓、袁紹、袁術、劉表、公孫サン、張魯、呂布


「誰々は〜」って1人2人だけ名前挙げる人は、24人ちゃんと考えて枠があるかを
考えてから言って下さい。

次点・・・馬超、李カク、サク融、司馬師、司馬昭、孔融、

張飛とか張遼とかは難しいと思う。もし誰か入れるなら上に挙げた中で誰が要らないか
言ってみて。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 12:05:59 ID:9fyaK1shO
割拠してた群雄みんな英雄じゃね?と思った

だから張角や張燕だって英雄じゃないかという気がします
180名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 12:09:50 ID:9fyaK1shO
>>178
生姜維……

陳寿なんかはどうかなと思ったけどやっぱダメだな
181名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 12:10:32 ID:Z66brOwn0
陸孫

オリキャラか?
182名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 12:14:30 ID:KW5filkU0
いきなり24人に絞るのは大変だから、まずは100人の候補を選んでみない?
それから100人を50人に絞り、
更に50人を24人にまで絞る。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 12:24:43 ID:KbINfNCaO


曹操、曹丕、ジュンイク、司馬懿、司馬昭、トウガイ、鍾会

ショク(なぜか変換できない)

劉備、諸葛亮、関羽、張飛、馬超、姜維



孫策、孫権、周瑜、陸遜、呂蒙、

その他
董卓、袁紹、張角、杜預、呂布、韓遂




ああ字が怪しいな。でもこんなもんじゃね。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 13:03:41 ID:bxVEwLLe0
三国の祖
曹操 劉備 孫策 孫権

その名臣
荀ケ 陳羣 司馬懿 周瑜 陸遜 諸葛亮 関羽

後漢末期の有力勢力
張角 董卓 袁紹 公孫サン 馬超

文化人、宗教人
曹植 陳寿(特別枠) 阮籍 張魯

むさいのばっかりは嫌だから女性枠
蔡文姫

漠北の覇者
檀石槐 軻比能

海の彼方の王
卑弥呼
185名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 13:34:33 ID:zxoijmKC0
華雄
186名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 13:52:17 ID:xuEcoSxc0
相国にまでなって伝の長さも君主並の鍾ヨウははずせないんじゃないか
187名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 14:13:20 ID:sqYkD69p0
群雄は評価してもいいと思う
張飛・張遼・司馬イなどが黄巾直後あたりで割拠して勢力伸ばせたかかなり疑わしい
188名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 15:17:12 ID:tF5kyoet0
>>178
呂布と李カク入れ替えたら?
李カクのほうがずっと力量も業績も上だろ。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 15:38:19 ID:R72of5SU0
孫策、孫権を入れて良い物か迷う
劉備、曹操と違って2人でやっと呉を作ったから
活躍としては劉備、曹操の半分と見て良いだろう
190名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 15:54:46 ID:/v/LzJsE0
孫堅∩孫策∩孫権で一人としてカウント。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 16:10:38 ID:R72of5SU0
それが妥当だね、24枠に半分ずつの活躍の2人が埋まるのはおかしいし
『孫家』とかの表記のほうが良いだろう

孟獲はどうよ?支配領域、南蛮での権力
ただの猛将とは比べ物にならない活躍だぜ
192名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 16:24:03 ID:bxVEwLLe0
猛穫の支配領域とか権力とか、どこを見ればわかる?
孫家に関しては2人入っていても問題ないと思うよ。それぞれ単体でもトップ24に入るだけの活躍はしている。
一代であれだけの国を作った曹操の活躍が飛びぬけているだけでしょ
193名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 16:30:14 ID:YCaeOnDP0
>>191
猛火区はきちんと正史にのってるんだろうな?
そこらへん確認してるんだろうな?
194名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:03:44 ID:c6xFWUt00
孫権の業績ってなんだ?
部下を危急の際に信任したことぐらいしか思いつかないが、
それなら劉禅だって同じだろ。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:08:10 ID:bxVEwLLe0
孫権 部下を任用して勢力を拡張し、皇帝に即位。彼の都した建康はその後南朝の都として繁栄を極めることとなる。
劉禅 部下を任用して勢力を縮小させ、皇帝から退位。その後四川は再び辺境となる。
196名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:14:06 ID:YCaeOnDP0
俺男の子が産まれたら名前は「玄徳」か「鴻章」ときめている。
もちろん劉備玄徳と李鴻章からきている。あざなと名のちがいはあるけどいい。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:16:46 ID:tF5kyoet0
俺は「公路」がいいな。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:17:34 ID:c6xFWUt00
>>195
その差は部下の差ではないのか、と言っている。
勢力を拡張したのは部下の周ユおよび、呂蒙と陸遜なわけだし、
呉の民政とかは記録があんまりないから誰がどう
発展させたのか分かりにくい。すくなくとも、孫権の手柄に
するのは無理がある。

劉備は自分で戦争にも出かけて勢力拡張させたりしてるし、
曹操も歴戦な上に文化の向上にも寄与している。
それに比べれば孫権同じ土俵に乗せるのにははあまりにも小粒だ。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:32:37 ID:bxVEwLLe0
>>198
おいおい、周ユ、呂蒙、陸遜を任用できたってのが偉いんじゃないか。
君主ってのはそれでいいんだよ。優秀な部下を適所に使うのが君主の務め。その意味で孫権は成功してる。
一方で劉禅は誰を任用してた?

ゲームじゃ登場している部下の質が重要かもしれんが、現実はその「登場する部下」を発掘して
使いこなすのが重要になるんだよ。孫権はそれに成功し、劉禅は失敗した。
君主としての業績が雲泥の差であることは明らかだろ。

ある程度の勢力になったら、君主は自ら戦闘に出る必要なんてどこにも無いってことも考えておこう。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:34:57 ID:FOH6MPFEO
>>198
生まれた年代とか考慮してますか?比べる相手の世代が違いすぎると思うのです。
そのうえで比べられるのならば、孫権はその土俵に立っただけで、
じゅうぶん偉大だと思うのですが。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:37:38 ID:tF5kyoet0
黄皓って案外凄いんだよな。
姜維を漢中に釘付けにしたりして。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:43:57 ID:c6xFWUt00
>>199
あたかも劉禅を無能者のように語るが、劉禅はきちんと
諸葛亮以下出来のいい奴らを信任していただろう。
結果についての責任をとるのは君主でいいが、ここは英雄を
決めるスレだ。部下の功績を君主の英雄性として語るのはどうか、ってこと。

>ある程度の勢力になったら、君主は自ら戦闘に出る必要なんてどこにも無いってことも考えておこう。
じゃあ曹ヒは英雄たりえるか?
孫権は当たり前のように名が挙がるが、このスレで曹ヒの名を挙げた
人間は多くない。孫権より文化的、政治的業績が明らかに大きいのにだ。

孫権を英雄として定義すると、微妙なやつらが悩ましくなる。
初めから確定の人間に入れるのはどうかと思うが。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:49:21 ID:H9qf/KQV0
>>202
204名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 17:55:24 ID:YCaeOnDP0
曹操も言っていただろう。
この世に英雄と呼べるのは自分と劉備だけだと。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 18:11:28 ID:bxVEwLLe0
>>202
将の将たる君主には英雄性がないのかな?

曹丕は確かに漢に引導を渡し、新王朝を建てるという大仕事をやっているから数えられてもいいだろうね。
ただ、皇帝即位も父親の路線をほぼ引き継いだ物であること(父の死後一年で皇帝即位している)、
即位期間が8年しかなかったこと、文化面においては弟に劣っていることから、推す声が小さくなるのもやむを得まい。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 18:12:42 ID:Lyfw3Ybu0
曹丕の詩かなりいいと思うんだが
評価の問題か・・・
207名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 18:21:15 ID:xuEcoSxc0
軍団を指揮する能力やら政治実務能力やら色々あるけど、
一番重要で評価すべきなのは人を使いこなす力なんだよな。
孫権は、周瑜・呂蒙・陸遜らを信任して皇帝にまでなった。
その孫権の部下の周瑜も黄蓋らを、呂蒙も虞翻らの意見を容れて戦いに勝っていった。
英雄は英雄を知るって奴かね。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 18:32:39 ID:YCaeOnDP0
損件は贈り名が「大帝」だからな。
そうひの詩は知らないが曹操の短歌行はいい。
秀吉の辞世の句にも使われているよな。

人生幾ばくぞ、例えれば朝露の如しとか。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 20:06:44 ID:4RIaqbvC0
曹丕も優秀だし、確定でも文句はないなー
曹親子で3人枠使うってのがちょっとどうかなとも思うが、
それぞれ個別に見た上で英雄と言えるならOKじゃないか
210名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 20:50:50 ID:FYb7urjfO
親子三人なら司馬懿のトコも優秀だと思うんだけど…

なんとなく親子・兄弟間の連携はこっちの方がとれてる気がする
211名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 21:32:05 ID:l0M7pGjZ0
>>204
孫堅のことも曹操は認めてたから生きていたらその中に入っていただろうな。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 21:44:34 ID:rBGns71X0
うm
213名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 22:27:34 ID:aWqldCBTO
孫堅は董卓と単独で戦ったり洛陽の復興への貢献など評価するべきところは多い
214名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 22:49:59 ID:4RIaqbvC0
曹操・丕・植
孫堅・策・権
司馬懿・師・昭

これで枠9個埋まるのか?w
215名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 22:59:23 ID:4E/eykRp0
>>214の奴らと劉備三兄弟は1枠ずつにしようぜ
216名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 23:16:05 ID:sqYkD69p0
劉禅の時は配下にいい人材はいなかったんじゃない?だから孔明も苦労したんだろうし
ただ1群雄の呂布でさえ陳宮・張遼・高順らがいたことを考えると、埋もれてるとは思うがな。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 23:25:58 ID:zPGz7Fh7O
袁術は確定だろ…常識的に考えて…
218名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 23:38:58 ID:hHA9crCA0
袁術は一応皇帝名乗ったしねw
219名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 23:40:53 ID:FOH6MPFEO
詩人などの文化人を偉人と呼ぶならともかく、
英雄だなんて私は呼ばないし、そう感じることもないですね。

そうなると武人、文人とでは、武人が有利すぎるので、
三国志の重要人物を24人あげるこのスレは、
かなり面白いものになりそうです。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 23:59:46 ID:/v/LzJsE0
<第一期24年>
184年:
185年:
186年:
187年:
188年:
189年:
190年:
191年:
192年:
193年:
194年:
195年:
196年:
197年:
198年:
199年:
200年:
201年:
202年:
203年:
204年:
205年:
206年:
207年:
221名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 00:00:47 ID:A23WAS7C0
<第二期27年>
208年:
209年:
210年:
211年:
212年:
213年:
214年:
215年:
216年:
217年:
218年:
219年:
220年:
221年:
222年:
223年:
224年:
225年:
226年:
227年:
228年:
229年:
230年:
231年:
232年:
233年:
234年:
222名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 00:02:55 ID:rTbI/Ux70
<第三期27年>
235年:
236年:
237年:
238年:
239年:
240年:
241年:
242年:
243年:
244年:
245年:
246年:
247年:
248年:
249年:
250年:
251年:
252年:
253年:
254年:
255年:
256年:
257年:
258年:
259年:
260年:
261年:
262年:
263年:
223名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 00:04:45 ID:/v/LzJsE0
<第四期17年>
264年:
265年:
266年:
267年:
268年:
269年:
270年:
271年:
272年:
273年:
274年:
275年:
276年:
277年:
278年:
279年:
280年:
224名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 00:08:27 ID:rTbI/Ux70
>>220-223の枠にその年もっとも輝いていた人を割り振る。
その入選回数が最も多い人間を順に認定。
規定路線がどうとか先任者の遺産がどうとかいうのはどうでもよい。
政治>経済>文化で決めよう。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 00:14:56 ID:guSWVC3/0
なかなか興味深いな
でも活躍が同年にかぶることもありえそうだ
とりあえず初っ端184年は張角か皇甫嵩の2択じゃないかな
226名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 02:03:03 ID:tBGFrQDH0
劉備・曹操:何も無い所から戦って国を作り、その後維持させた
--------------------------------------------------------------
孫策:何も無い所から国を作り死ぬ
呂布:ちょっとだけ国っぽいのを作ったが死ぬ
--------------------------------------------------------------
孫権:兄から貰った国の維持
劉禅:父から貰った国の維持
曹丕:父から貰った国の維持

やはり孫家は劣るなぁ・・・
227名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 05:40:23 ID:JWNLSX6R0
劉禅は維持できなかっただろw
228名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 11:07:30 ID:55nsiH3Q0
とりあえず貞観政要読もうか
229名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 11:11:38 ID:+H+jrleA0
>>226
孫策は国作ってないだろ

孫策:何も無いところから領土を増やす
孫権:兄からもらった土地の維持・国を作る・領土の拡大
230名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 11:13:31 ID:CGWQs5IS0
劉禅は在位長いから維持できなかったってのは可哀想。
30年も一代で維持すれば立派だろ。魏のほうが早く潰れてるし。
231名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 12:08:21 ID:bJKSmvZd0
ん?蜀より魏の方が長いぞ。
司馬に専権はされてるが・・呉蜀のような国力の衰えは無い。
むしろ司馬炎が魏を簒奪しなければ呉はもっと速く滅びてた。

劉禅は暴政も無いが統治能力を見せるような実績は何も無い。
人材が生きないような統治。
諸葛亮死後に李バクを斬ったって信憑性の無い逸話が残る程度。
劉禅と同時代の曹叡は諸葛亮死後に覇者気取りの暴政はしたが、
そのときでさえ明帝の名に相応しい統治能力も健在だった。
若死しなければ幼帝は続かなかったはず。
>>229
呉の孫権は国を潰した大元でもある。
重臣の専権とそれに対するクーデターを招いて呉をボロボロにした。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 12:46:18 ID:EjoDjtnE0
鼎立してなければ袁紹みたいになってたかもな>孫権
233名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 12:49:41 ID:pOag7Fkq0
孫権は結構坊ちゃんな感じだよな。
234名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 12:54:48 ID:+z8DQoy5O
赤壁〜皇帝になる前までの孫権は劉備曹操と渡り合える英雄だったけど皇帝になってからカスだな
長男孫登がまだ生きてたうちにとっとと死ねば良かったのに
235名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 13:01:25 ID:CGWQs5IS0
袁紹は曹操に匹敵する英雄だと思う。

曹操に勝てずに死んで息子たちが勢力を滅亡させてしまったため
評価が低いが、袁紹一代で考えれば相当なものだぞ。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 17:23:46 ID:Z5BJuLy7O
通りすがりだがちょっと言わせてくれ。

三国志から英雄だけで24人選ぶには、人間が広すぎる。
そこで、
『名将24撰』
『軍略家24撰』
『政治・文化24撰』
を選んでそれから『英雄24撰』を絞ったらどうだろう?

曹操とか『軍略』『政治・文化』どっちも入りそうな奴は、どっちにも名前を入れていいことにして。
じゃないとまとまらない気がする。

携帯から長文スマン。
237236:2007/04/09(月) 17:28:14 ID:Z5BJuLy7O
度々すまん。

× 人間が広すぎる。
    ↓
○ 人間が多すぎる。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 18:34:12 ID:uFWRSf7y0
戦後の日本における三国人たちの蛮行
http://www.youtube.com/watch?v=96iLGJ26kxA
239名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 18:37:23 ID:fv3IKtIa0
<第一期24年>
184年:張角(黄巾の乱)、皇甫嵩(黄巾の乱)
185年:
186年:
187年:
188年:霊帝(西園八校尉設立)
189年:何進(宦官粛清)、董卓(皇帝廃立)
190年:
191年:孫堅(反董卓連合軍)
192年:呂布(董卓暗殺)、麹義(界橋の戦)、曹操(青州兵接収)
193年:
194年:曹操(徐州虐殺)、曹操&荀ケ(呂布討伐)
195年:呂布(射戟)
196年:曹操&荀ケ(献帝推戴)
197年:袁術(皇帝僭称)
198年:
199年:袁紹(易京の戦)
200年:曹操&荀ケ(官渡の戦)
201年:
202年:
203年:
204年:曹操(袁氏討伐)、曹丕(甄氏強奪)
205年:
206年:
207年:曹操(丞相就任)

ぱっと思いつくのでこんなとこか。
240名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 18:43:08 ID:JWNLSX6R0
192と193に李カクが入るだろ。
192年は長安奪取。193年は袁術派諸侯と同盟して中華の三分の二を影響下に。
241名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 18:49:25 ID:fv3IKtIa0
こうして見ると劉備は第一期は影が薄いな。
孫策の活躍も中原の死闘に比べると、相手がしょぼいので印象的にはイマイチ。
呉蜀勢の活躍は二期以降に持ち越しだろう。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 19:14:29 ID:+H+jrleA0
>>239
官渡の戦いは荀攸の方がインパクト大きくないか。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 19:18:36 ID:87xDHJuE0
成都武候祠に置ける各勢力の人気ベスト10

蜀・・・ 劉備 関羽 張飛 諸葛亮 趙雲 馬超 黄忠 鳳統 蒋琬 孫夫人

魏・・・ 曹操 夏候惇 張遼 徐晃 許楮 典韋 蒋幹 曹丕 曹洪 左慈

呉・・・ 孫権 周瑜 魯粛 張昭 呂蒙 陸遜 徐盛 丁奉 喬国老 孫策

詰め合わせの切り絵ではこのセットで売られてるらしい。
ちなみに関羽と諸葛亮は親しみを込めて「関公」「孔明」という名になってる。
現地人の贔屓っぷりは日本人の想像を遥かに上回ってるなw


244名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 20:07:02 ID:R6Dzu4UV0
>>243
魏の「蒋幹」つーところに「オメーなんでいるの?」と物凄く違和感を感じる
俺でございます。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 20:22:20 ID:Npql6DEd0
俺も思った
246名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 20:37:45 ID:1sjY2uS70
>>235
俺もそう思う、二度負けたと言えど領土を失ったわけではないから敗戦後急死しなければまだどうなったかは分らない。
敗戦後の領内の統率なんかかなりの物だった、曹操もそれを認めてたからな、守るのは得意だが攻めるのは苦手だったんじゃないか?
247名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 21:51:34 ID:ekfAr/mT0
>>246
二度目というと倉亭の戦いか?
それなら軍を動かしただけでぶつかってすらいないという説がある。
それに官渡もかなり曹操奇跡の逆転勝利だから、
別に攻めが不得手とも言い切れないと思う。
248名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 21:57:55 ID:JWNLSX6R0
官渡の曹操はまぐれ勝ち
249名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 22:49:59 ID:/FrJHXbq0
まぐれ勝ち>>>>僅差負けだろどう考えても
そもそも兵力差圧倒的なんだぜ。袁紹が袁(笑)だっただけだが

>>243の左慈も演技ベースだからありだが普通はないな。そして蒋?に負ける魏延と姜維・・・
孔明万歳の漢人め・・・魏延廟潰しやがって・・・
250名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 23:31:23 ID:fv3IKtIa0
官渡戦の描写はうそ臭いけどな。
兵力差の記述を真に受けるのはお勧めしない。
251243:2007/04/09(月) 23:50:10 ID:87xDHJuE0
孫夫人、喬国老も劉備繋がりでランクインらしい。
漢人凄いな・・・いろんな意味で。
関羽、諸葛亮は分かるがその他が日本人には?な部分は多いな。



252名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 00:39:00 ID:DoqCcg2b0
>>247
だが袁紹自身が出陣する戦は大抵長期に渡ることが多い。
一番惜しいのは公孫瓉への攻め、もっと工夫して短期間で攻めれば呂布がやられる前に曹操をやれたのにな。
それまではこれでもかってくらい時間をかけてじっくり攻めていたのに顔良・文醜が討ち取られたあたりからなんか余裕がなくなって決戦を仕掛けたのに兵糧は焼かれるは官渡の本陣は落とせないは散々。
以上これが俺の袁紹は攻めが下手だと思う理由、自ら指揮して見事な勝利を得たというのを知らない。
界橋は麹義が指揮してたしね、まあ俺は袁紹がお気に入りの武将であることは変わらない。
253名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 00:44:44 ID:AjVf5mLq0
じゃあ袁紹は政治家・統治者としての領地経営を評価するべき?
254名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 02:12:10 ID:6tRQezYc0
呉なんて赤壁で見事大勝利を収めた周喩以外英雄はいない
孫権や陸孫なんて考えがセコイし
考え方が保守的過ぎて詰まらん
255名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 02:27:16 ID:c+6TMVC/0
あなたの目にはそう映りまするか
だが万里を駆ける大鵬の気持ちは小鳥にはわかりますまい
256名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 02:58:52 ID:N3jkGdmP0
個人的には都督四人だと周喩・陸遜>>魯粛・呂蒙だと思うんだが
呂蒙を左二人と同格扱いする人がやけに多いんだよな
名将には違いないとは思うんだけどねぇ・・?
257名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 03:20:02 ID:1ati5QH10
第二期
208年:周瑜(赤壁の戦)
209年:周瑜(江陵攻略)
215年:魯粛(荊州分割)
219年:呂蒙(荊州攻略)
221年:陸遜(夷陵の戦)
228年:陸遜(石亭の戦)

は確定だろうなあ。
山頂布陣は無しで。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 07:26:02 ID:P6nu3ncW0
>>256
何で?それ家柄ランクじゃないよね?
陸遜>周瑜=魯粛=呂蒙というのであればまだ分かる、活躍期間の長さから。
周瑜=呂蒙=陸遜>魯粛というのもまだ分かる、軍事面での活躍の有無から。
周瑜=魯粛=呂蒙>陸遜というのもまだ分かる、孫権に戦略を語っていることから。

周瑜=陸遜にして残り二人のランクを落とすってのは、孫権の評以外に根拠がないと思うんだが…?
実績に比べると説得力に欠けるんじゃないか?
259名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 08:03:13 ID:h5K1U9N5O
>>258
呂蒙は他三人のような『○○が孫呉に付いた』って事だけで意義を持つような
政治的バックボーンが無いような気がするが
尚且つ軍事面での功績について(異論はあるかもしれんが)赤壁&夷陵>荊州奪還として
周喩の参入時期の早さ、陸遜の活躍期間の長さを考えると
どうしても周喩&陸遜より一枚影響力落ちない?
260名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 08:04:30 ID:hPZd8le20
>>252
袁紹は曹操よりずっとすくない戦で曹操よりずっと巨大な勢力を
作り上げた。これは袁紹の攻めの下手さの証左ではなく、
戦略の妙として捉えたいところだ。
じっくりと腰を据えたほうがよい効果を生むなら、だれでもそうするだろ。
官渡だって、曹操との決戦以外に圧倒的軍容を見せ付けることで
周辺諸侯に戦わずして恭順を呼びかける効果があった。
261名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 08:10:24 ID:P6nu3ncW0
>>259
確かに政治的バックボーンは無いね。
軍事面での功績で赤壁夷陵>荊州ってのは異議がありすぎるし、
呂蒙には濡須で曹操を退却させた功績もあるよ。
政治的な影響力の話をしたいのか、軍事面での功績の話をしたいのかどっちなの?

ちなみに張昭に推挙され、甘寧・虞翻・蔡遺ら重用されるように取り計らったりと、
潤滑油的な役割も果たしてることをお忘れなく。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 08:24:30 ID:h5K1U9N5O
>>261
功績は軍事・政治両面併せて語るべきでしょ
ってかそうしないと魯粛が……
荊州攻略が赤壁や 夷陵より功が大きいってのは説明が欲しいところだが
他はだいたい異論ないね、たしかに呂蒙は仲介役や仲裁役としての出番多いね
でも僚将達への配慮とかの話は周喩や陸遜にも色々あった気がするが
263名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 08:35:22 ID:P6nu3ncW0
>>262
赤壁や夷陵より功が大きいとは言ってないよ、それに劣るのはおかしいって言いたいだけ。
ほぼ兵を失わずに荊州を獲た、これが赤壁夷陵より劣るの?

周瑜は、魯粛・甘寧らを推挙したり、程普を懐柔させたりそういう役割あるね。
264名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 09:21:24 ID:35MLDS0z0
このスレは伸びるな
265名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 11:34:23 ID:AlbdsYw50
つかスレタイが「英雄」だったのが失点だな。
大人しく二十四人物とかにしときゃ良いのに、英雄って言葉に引っ張られて人の下に付いた
偉人どうするかがかなり困る。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 13:05:39 ID:jE8QO10a0
>>259
そのレベルの政治的なバックボーンは呉では周瑜と張昭しか持ち合わせていなかったよ。
(特に張昭の影響力と人脈は群を抜いていた事が史料から伺える)
陸遜は陸氏とはいっても傍流で嫡流は陸績だし、
後漢において陸氏の名声で他国がどうこうしたという記述はない。
魯粛はあくまでも富豪の出で豪族ですらない。

魯粛、呂蒙、陸遜は当人たちの能力で天下に威名をしるした連中で、
趙咨が曹丕に対して魯粛や呂蒙の名を出し、陸機が弁亡論で周瑜ら四人を股肱腹心と評したのも
当人らの生前の功績名声が他国に知れ渡っていたことの証左といえ、
『○○が孫呉に付いた』というのは魯粛ら三者ともに持ち合わせていないが、
『○○が孫呉にいる』『○○が孫呉にいた』といった影響力は三者ともに持ち合わせていた。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 14:10:45 ID:cZAZxC7v0
裴松之が指摘しているけど
曹操vs袁家の記述は不自然な点多いんだよね

青州兵を吸収し、司隷、雍州、豫州、南陽などの過密地域を支配する曹操と
袁紹の兵力にあんなに差があったとは思えない。

領土だけ見るとむしろ曹操の方が多くてもおかしくないくらい。
袁紹の領土の[千千]州と幽州は田舎だし。
268名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 14:40:52 ID:+gzXfD6g0
乱世で人口が減った(含流民)ために本来人口が多い地域から人が
いなくなったんだろ。実際中華の人口十分の一だっけ?
アホみたいに減ってるし。

あと、仮に総兵力にそんなに差がなくても戦場に出張った人数はやはり
差が大きいと思われる。袁家は異民族を懐柔し、近場の敵は
269名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 14:41:36 ID:+gzXfD6g0
失礼。
近場の敵は押さえ、あるいは滅ぼしてるのに対し、
曹操は敵が多いからな。
270名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 16:59:27 ID:P6nu3ncW0
弁亡論とか名前しか知らねえ…
271名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 17:18:53 ID:DoqCcg2b0
>>269
あと袁紹は自国内に敵を入れなかったし損耗の激しい戦をしなかったことも挙げられると思う。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 17:44:39 ID:YBlMbYDP0
病んだ大人なら健やかな子供に負けることはある。
田舎の州でも都会の州より相対的に価値が高まることは有るだろうよ。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 18:17:06 ID:FbwJwP/l0
袁紹は入って当然だろうな
274名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 19:14:34 ID:v7GuUfZb0
>>267
并州?と幽州が田舎ねぇ。
この頃はそうなのか…
晋陽なんて、「険にして粟多し」と言われる王城の地で鉄の産地
幽州近辺は、遊牧民との戦いから比較的強い騎兵部隊が配備されていることが多いという認識…
袁紹の戦術って、趙武霊王や劉秀、李世民、李克用あたりのような、
騎兵戦術を得意としていたわけではないんですね。


275名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 19:36:40 ID:C142WX8B0
并州はシバイが芝居中に夷が住む土地で大変だと言ってるから
田舎でいいだろ。
幽州はどう考えても都会。公孫サンが易京みたいな
ものすごい城作って大量の備蓄を蓄えるぐらいだから相当豊かだ。

>騎兵戦術を得意としていたわけではないんですね。

袁紹は騎兵戦術を得意とした公孫サンを破っているので、
むしろ対騎兵戦のスペシャリストだろう。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 19:41:14 ID:fYQsnZ5C0
辺境だけど人口は増加傾向にあったんだよな
逆に中原は流民出まくりで、
屯田制でようやく歯止めがかかり生産量が回復した
277名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 20:32:30 ID:YBlMbYDP0
麹義のことは眼中にないのか。
278名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 22:25:58 ID:s52ZLQHq0
この時代、既に華北の森林は大半が伐採されたようだけど、
それでも砂漠化が進んだ今と比べると、随分違う風土だったんだろうな。
279名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 22:45:30 ID:uKJ7U0/W0
并州、幽州は田舎というより辺境地域でしょ。
その荒々しいエネルギーを上手く取り込めたらいいけど、失敗したらもうだめぽ
280名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 23:31:32 ID:xW7e/ldRO
魏延さん
281名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 00:11:27 ID:HVrZ77ni0
正史って魏側の人が作ったんだよね?
だったらある程度過大に残されてるって思って考えたほうがいいのかな?
282名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 02:22:31 ID:y5V4QB5B0
>>281
それぞれの国の史官が書いた書物を陳壽がまとめた物
283名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 02:24:00 ID:Hx2IYoOV0
頭を張ってない奴らは英雄ではなく豪傑程度だろ?
頭や腕っ節が良かろうがトップに立つ程の徳がないんだから
284名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 05:37:31 ID:MB9ZuJMb0
皇甫嵩袁紹
曹操曹丕賈詡司馬懿司馬昭曹真郭淮陳泰ケ艾羊祜杜預
孫堅孫策孫権周瑜呂蒙陸遜陸抗
劉備諸葛亮関羽姜維
285名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 07:28:24 ID:M00Lh3mW0
>>282
一応元祖である魏についてはあんま都合の悪いことは残せないだろ
286名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 07:44:58 ID:VfclG5rN0
>>281
魏側というか晋の時代に書かれたもの。
司馬氏について悪く書くのはあぶないだろうが
けっこうストレートに書いてる。
記述そのものは特にどこかをえこひいきしてるようには見えない。
体裁としては晋が禅譲を受けた魏が正統だけど、
中身も偏ってるということはない。
287名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 09:14:14 ID:ol+06Ic80
晋書含めて陳寿の悪評は相当な物だよ。
正史三国志でも蜀漢の史料は見劣りするし贔屓があったと言われても仕方ない。
季漢輔臣賛で補足してるから故国顕彰の気持ちはあったらしいけどね。
288名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 11:48:44 ID:AfIvzxj90
蜀書が異常に薄いのは史官を置かなかったから。

>>283
米軍が表彰する「ヒーロー」は一般兵士も多いな。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 12:02:40 ID:LU5wks9p0
赤兎馬は英雄だろ
290名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 12:42:38 ID:pzmAw3RF0
>>283
つ関帝廟
291名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 13:05:25 ID:/NMJWVOr0
そもそも適当な>>1が適当に立てたスレなんだからさ
英雄って言葉に縛られすぎなんじゃない?
292名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 15:34:38 ID:PiIWoKDZ0
三国志の英雄なんて曹操くらいしかいねえよ

以降、二十四名将で議論ね
    ↓
293名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 15:55:57 ID:1NPuVchXO
甘寧
関羽
関平
周倉
294名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 16:10:40 ID:ol+06Ic80
将に限定するよりは今までの流れのほうが良くないか?
名将スレなら他にあるだろ
295名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 16:13:54 ID:q57vwDK50
>>292
劉備の間違いなく英雄の類。
曹操ですら領土を持たす髀肉の嘆をかこっていた劉備を重要視していたからな。
劉備の何をおそれていたのか?分からないけど。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 16:14:50 ID:DXZV8Eps0
そうだな
偉人でいいじゃないか
297名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 16:16:35 ID:e44wusui0
ぼくのかんがえた二十四名将
李カク 郭 張繍 楊奉 皇甫嵩 朱儁
夏侯淵 曹仁 張コウ 徐晃 朱霊 李典
曹真 司馬懿 郭淮 鍾会 ケ艾 周瑜
呂蒙 陸遜 甘寧 丁奉 沮授 郭図
298名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 16:22:17 ID:DXZV8Eps0
名将にこだわるなら別スレでね
299名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 16:57:40 ID:8G9FSoJW0
つうか、雷鳴のくだりで劉備が挙げた連中は確定でいいだろ。
300名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 16:59:02 ID:e44wusui0
>>299
すると、
袁術、袁紹、孫策、張繍、張魯、劉表、劉璋あたりか
301名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 17:46:28 ID:BYHu3PaM0
>>287
その陳寿の悪評ってのが
諸葛亮を悪く書いたからという理由に基づくんだから、
むしろ評価されるべきポイントではないかな。
記述の客観性という意味で、正史の中では漢書、後漢書、三国志は
昔から高い評価を受けている。
逆に晋書は、見てきたようなエピソードに偏りすぎていて、
史料としての評価ポイントは低いとされている。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 18:53:40 ID:FXlcrX3a0
俺には諸葛亮以上に評価されてるのはいないように読めるんだが…
303名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 19:42:58 ID:dM9FKLGw0
>>302
世間的には諸葛亮、関羽以上に評価されてる存在はいないな。
それでも個人的な拘りを語りたいから皆、ここに書き込んでるんじゃないか?
304名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 19:56:14 ID:FXlcrX3a0
>>303
いや陳寿の列伝の話。
「応変の将略はその長ずる所に非ざるか?」
の疑問を僅かに呈した部分以外絶賛じゃないか。
そこを削ったら単なる現実味のない厨キャラの誕生ですよ?
305名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 20:49:10 ID:jneFhV8/0
【調査】 “好きな「三国志」の武将ランキング” 
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1176114347/
306名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 23:58:57 ID:Ozf1ppMz0
>>304
法正の私的な復讐を見て見ぬふりをした点を非難されてなかったっけ?
307名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 02:05:50 ID:t9w6XGZN0
全然流れ読まずに個人的に三国志で凄いと思う人物24人
個人的趣味丸出しのオナニーですまん

魏(8人)…曹操 荀ケ 張遼 陳羣 曹植 司馬懿 ケ艾 杜預  
呉(6人)…孫策 孫権 周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜
蜀(5人)…劉備 諸葛亮 関羽 張飛 姜維  
他(5人)…呂布 袁紹 張角 董卓 馬超
308名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 02:31:23 ID:byW69hl/0
ペロ・・・これは三国志大戦!!
309名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 02:47:39 ID:wlw3mC7tO
陳羣と曹植いらね。だったら郭嘉とか曹丕のほうがいい。
310名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 02:48:16 ID:i3QFn1tN0
陳寿が非難されたのは、士大夫層で習慣になっていた付け届けをしなかったり、
服喪中にもかかわらず女に触れたり(といっても薬練らせてただけ)が原因じゃなかったか
311名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 02:48:42 ID:wlw3mC7tO
曹丕もいらんか。韓遂追加だな。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 02:49:31 ID:i3QFn1tN0
陳群はその後数百年続く人材登用法を確立した男ですぜ
曹植は唐以前において最大の歌人といわれた男ですぜ
313名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 02:52:15 ID:+OlLV7KY0
文人マンセーの俺としては陳羣と曹植は欲しい

郭嘉や曹丕がいなくても歴史は変わらなかっただろうけど、
陳羣と曹植がいないと、文化や制度面で歴史が大きく変化したかもしれない

まあ、バタフライエフェクトとか考えたらナンセンスな思考かもしれないけど
314名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 03:00:13 ID:wlw3mC7tO
陳羣はどう考えても英雄ではないだろ。偉人ではあるが。
韓遂は必須だと思うんだが。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 03:06:14 ID:dcpLVqAN0
韓遂より李カク
316名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 03:19:43 ID:7YP8lsIq0
韓遂って何した人?
反乱ばっかしてたイメージしかないよ
317名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 03:21:50 ID:wlw3mC7tO
反乱の期間がはんぱないわけで。
318名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 19:59:06 ID:EjBLWnx60
羌族に人気はあったし
涼州軍閥の一つの顔だったのは確かだけど
なんか釈然としないなー
319名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 23:52:36 ID:atgc4kEh0
馬賊の親玉みたいな感じかな。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 05:55:20 ID:KloI0nOr0
潼関以降の韓遂を潼関以降の馬超を比べるとなぁ。
もう完全に涼州内での力が逆転しちゃってる。
王脩伝によると韓遂は晩年保護羌族の部落を転々とし、そこで人々に捕まりかけたとある。
強かさまで失ったような感じ、まぁ年が年だし衰えがあったんだろうけど。

321名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 15:57:32 ID:e84VeZ/A0
馬超 >>> (超えられない壁) >>> 韓遂
322†ケン† ◆kiM4qXVHAg :2007/04/13(金) 18:50:35 ID:WlfcWzcv0
悪いヤツ好き

董卓
張角
張宝
323名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 20:08:16 ID:iHDfdsL50
李カク >>>>>> 馬超・馬騰・韓遂

暴れるだけだった馬一家や韓遂は、
政治手腕を発揮して外交的勝利を得た李カクに遠く及ばない。
同様の理由で呂布も李カクより遙か下。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 20:23:11 ID:s9fZL7Xb0
生きている間は大物だったかもしれないが2000年後には
三国志におけるアホどもの代名詞扱いのリカク
325名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 20:34:34 ID:eE0S1oK60
曹操 曹丕 曹植 陳羣 韓浩
司馬懿 司馬師 司馬昭 ケ艾 杜預
孫堅 孫策 孫権 周瑜 陸遜 
劉備 諸葛亮 関羽 袁紹 李カク 
張角 張魯 皇甫嵩 華佗 
326名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 21:11:25 ID:C4bYhywjO
韓浩と華柁はなに?
327名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 21:58:09 ID:eE0S1oK60
韓浩は屯田制
流民の定着と生産力の向上に寄与した

華佗は神医と呼ばれた医者
史上最初に麻酔手術した人
技術が受け継がれていれば東洋の医療技術は
かなり別なものになってたんじゃないかという予想と願望
328名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 22:21:20 ID:acp4XM4K0
第一発案者の棗祇が入ってないのに韓浩が入ってるのは変だし
関羽が入ってるのにそれを完璧に負かした呂蒙が入ってないのも変
329名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 22:24:38 ID:iHDfdsL50
李カクと袁術は確実に入れて欲しいところ。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 22:27:55 ID:eE0S1oK60
韓浩と棗祇の両者を24人に入れるのは無理があるので
知名度の差で韓浩にした
関羽は将としてではなく関帝廟に代表される民間の人気による選出だから
呂蒙が関羽に勝ったからといって入れる理由にはならない
331名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 23:21:35 ID:E/MoZc880
司馬炎が入ってないのは何故?即位時には大勢は決していたかもしれんが
中華統一した業績はでかいと思う。280年までなら劣化もしてないし。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 23:39:05 ID:/iMYcUQj0
>>331
一応三国志の総仕上げした人だし、
東晋まで結構長続きした王朝の開祖なわけだしねえ。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 00:10:49 ID:eKAomEuT0
司馬炎だからこそ統一できた
って感じしないなぁ
暴君でもない限り誰がトップでも統一できたんじゃないかと思うと、
統一事業を以って入選させるのは苦しいと思う
334名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 01:41:03 ID:GrPye5CH0
そもそも蜀滅亡以後の人物は
三国志の英雄といわれても違和感がある
335名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 01:52:47 ID:DH9tQryv0
厳密には「三国」じゃないからなあw
まあ正史&演戯三国志が一応孫呉の滅亡まで描いてるので許容範囲でないかな
といっても自分は杜預くらいしか入れる気は無いが
336名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 09:03:40 ID:UOKKH/xY0
それを言ってしまうと、厳密には曹操も「三国」の人ではないからなぁ……

しかし蜀滅亡後の三国志はどうも面白くない
なんか、大して苦労してない人間が活躍してる感じ
337名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 11:10:12 ID:6SFOoGsm0
個人的には諸葛亮が死んだ時点で色褪せるな。


338名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 14:21:36 ID:A3dQcjs10
皇甫嵩は後漢最後の名将というイメージだから入れるのには抵抗があるな
まぁ個人的に三国時代は赤壁〜蜀滅亡までだと思ってるから袁紹や李カクも抵抗あるわけだけど
339名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 16:51:50 ID:GrPye5CH0
たしかに霊帝の時代に活躍した皇甫嵩は、後漢の人間という気がする
しかし完全に傀儡となった献帝の時代の群雄
董卓、袁紹、袁術、公孫サンなどはやっぱ三国期の人間という気がするな
340名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 23:37:54 ID:G8tRg0hA0
一応時期的には、
>>1の通り、黄巾の乱から呉の滅亡までの時期に活躍した人物、
ということでいいんじゃないの。
341名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 03:18:17 ID:k9NPg/DdO
全くここのスレと関係無い話で悪いのだが
どなたか名将百選の次スレ立ててくれないかな?
カキコ出来なくなったんで新スレ立て様としたが無理だったorz
マジで誰か助けてくれないかな?
342名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 09:46:23 ID:Pj2Smi8z0
>>341
立てたよ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1176597949/l50
これでいいのかな?
343341:2007/04/15(日) 10:25:11 ID:k9NPg/DdO
>>342
親切にありがd 助かりました感謝感謝です
344名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 11:27:16 ID:VuQbhgXm0
厳白虎は三国志の人物じゃないとか言われたら行き場所がなくなるな
345名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:39:00 ID:m6ZS4eDy0
二十四人だと揉めて楽しいな。

三戦板は百選スレにしたから、主立った者は全員入ってしまって、
議論にならないw
346名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 09:27:00 ID:5oGc1+UI0
厳白虎(´・ω・`)かわいそうです
347名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 09:44:39 ID:9K/3izLQ0
やはり黄巾蜂起の184年を起点とすべきだな
厳白虎のためにも
348名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 23:34:06 ID:0nlyQ7GH0
厳白虎は人気あるな
349名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 09:31:38 ID:OH9zjZpQ0
厳白虎萌え
350名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 12:36:32 ID:k+XCOr2T0
女性武将の枠を作ったら面白いと思う
王異とか月英とかも入れたい
351名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 13:40:45 ID:0V8xVKtz0
当時の女性じゃ無理通して24人の中に
入れられそうなのはせいぜい蔡文姫くらいじゃないのか?
352名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 16:09:02 ID:jk9/mug80
蔡文姫でも無理だろう
353名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 16:33:27 ID:k+XCOr2T0
他にも辛憲英とか大虎とか張春華とか鄒氏とかも入ると思う
354名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 16:40:49 ID:OJ9fiF2sO
大戦厨自重しろ
355名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 17:41:01 ID:ipJlo3vi0
これはまさに大戦厨自重しろ
356名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 19:47:12 ID:lr/L8LpI0
無理しても女キャラなんぞ入らん
全くをもって大戦厨自重しろ
357名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 20:59:24 ID:2zi5p5C00
女キャラはガチでいらないが、なんで大戦厨って嫌われてるの?
358名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 21:06:03 ID:eb87wTsx0
>>353を見ればわかるだろ?
359名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 22:40:42 ID:IJ0KAidW0
つか、皇后や貴妃など以外の女性がいたことにびっくり。
蔡文姫は超有名としても、あとのは全然知らんし… 鄒氏は、まぁわかるか。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:11:07 ID:H3xP7Tf30
三国志で一番活躍してるのったらやっぱりチョウセンか孫夫人じゃない?
他はほとんど名前だけだろ
361名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:30:04 ID:19DZ9T4xO
>>360チョウセンさんは実在の人物ですかね?
362名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:37:32 ID:cn4Eo3Lj0
そもそも三国志では、演義においても、女性キャラクターは、
存在感が小さいね。

せいぜい貂蝉がそこそこ出番あるぐらいでしょ。

現実の歴史なら、なおさら女の出番はない。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:48:51 ID:k+XCOr2T0
>>361
そうだよ
364名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:49:12 ID:lr/L8LpI0
24人しか選べないんだぞ?
大した功績も残してない女キャラなんぞ入るわけないだろ。

365名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:52:50 ID:A+gjdhOW0
王異は馬超をボコボコにした女だが
366名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:54:12 ID:OtOQT7xx0
呂布が密通していた侍女がいるとかなんとか。
呂布がその女にそそのかされたのが菫卓殺害の直接的動機なら、
名を残す価値があるんだが、多分違うだろうな。
367名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:56:07 ID:T91euG7I0
世の中半数は女性なんだから、一つぐらい枠があってもいいとは思うよ
368名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:59:27 ID:k+XCOr2T0
連弩を発明した月英だけは入れて欲しい
369名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 00:13:30 ID:GFy/uM+l0
それは初耳ですね
370名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 00:16:20 ID:xuAvfhHI0
>>365
夫の軍あってこそだろ。
それに追従して馬超の猛攻を凌ぎきっただけの話。
厨臭い話で申し訳ないがタイマンで張り合ったら馬超の一薙ぎで王異など粉微塵に吹き飛ぶぞ。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 00:18:23 ID:b1HjG+gM0
つーか月英って誰?
そんな厨くさい名前の人物って三国志にいたっけ?
372名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 00:23:04 ID:xuAvfhHI0
黄月英はそれなりに有名。
不細工な女として。
373名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 00:26:11 ID:GFy/uM+l0
諸葛亮の妻か
374名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 00:28:17 ID:b1HjG+gM0
ぐぐってみた。
諸葛亮の黄夫人のことだったんだな。
にしても月英なんて名前、誰が考えたんだか…
375名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 00:38:24 ID:jJ2NVJDL0
たとえ皇后や蔡文姫クラスであっても、女は対象外。

儒教的な倫理に基づいた当時の社会において、
幾ら大活躍をした所で、所詮「男あっての女」に過ぎないのが現実。
蔡文姫ですら、曹操と言う後見人がいたからこそ女流文人として名を挙げられた
ような物だし、そもそも異民族のもとから戻れたのも曹操のおかげ。

黄夫人が連弩などを発明した件も、黄夫人の名前(月英、婉貞など)も、
後世の名も無き人間が作り出した民間伝承というフィクション上の物に過ぎない。
376名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 00:53:48 ID:GFy/uM+l0
女性だから対象外、ってのはないだろー
ま、24人に入るほどの人がいないのには同意
377名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 01:04:55 ID:UhreilvE0
英雄ってのは別に戦争が上手いのだけがなるわけじゃない。
想像を絶する苦難に打ち勝った者もいうだろう。
その意味では、あれほど悲惨な境遇を生き抜いて、
あれほど人の心に残る詩を作った蔡文姫は英雄というに足りると思うのだが
378名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 02:08:51 ID:p3ZIWCEiO
英「雄」
379名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 09:19:31 ID:nQ04dVQ70
異民族に連れ去られたのってカクもそうじゃなかった?
380名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 11:47:12 ID:RrTIM+xt0
七英雄にしとこうぜ
381名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 12:19:14 ID:AZceA0Fu0
>>380
縁起のいい数字だな。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 12:47:01 ID:yQet9jXY0
七なら
曹操・孫策・劉備・袁術・李カク・諸葛亮・司馬懿
383名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 13:09:31 ID:zwBs2ryx0
孫策より孫権、袁術より袁紹を入れて欲しい
384名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 16:17:21 ID:Hrf6fCpfO
七英雄
諸葛亮 曹操 劉備 孫策 孫権 董卓 袁紹
385名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 16:19:17 ID:yQet9jXY0
>>384
董卓より李カク
386名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 16:24:47 ID:T9FrouWD0
李カクって評価高いな。
何した人? で、その軍閥はどうなったの?
387名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 16:48:15 ID:yQet9jXY0
李カクは董卓の跡を継いで、いままで険悪だった袁術派と和睦。
袁術・公孫サン・陶謙・黒山賊を操り袁紹・曹操を圧迫した。
多分三国志の君主でトップクラスの外交能力だったんじゃないかな。

太師になっても劉表勢力以外の外部に何ら影響力を示せなかった董卓と違い、
李カクは権力や権威を上手く利用している。
恐らくは朝臣や名士たちの支持をうけていたのだろう。

確かに内紛によって政権は瓦解したが、
李カクの作った外交関係は張繍や楊奉に多少活かされた。
最後が悪かったら全部ダメって評価基準なら、
孫策もダメ、袁紹や孫権もダメ、諸葛亮もダメになるんじゃ?
388名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 17:23:15 ID:3OqL28KY0
でも周喩より幾分落ちるな
389名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 21:02:59 ID:DWM6F6Os0
>>384
孫氏から2人も入るのは納得できないな。
7人しか選べない中では。
390名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 21:26:41 ID:vCUplgL00
とりあえず24人選んでから7人に絞ったら?
391名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 22:04:19 ID:43aDLo4W0
最盛期の版図の大きかった順

1位曹操・2位袁紹・3位劉備・4位孫権

とりあえずこいつらは鉄板でいいだろ。晋の連中はちょっと外させて
もらいたいが。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 22:57:19 ID:vCUplgL00
その4人は異議なし
393名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 23:11:35 ID:Zcn2JMgw0
最後がどうこうという結果論よりその生き方が詩的であるか、
物語になるかどうかが英雄の条件じゃないか
ぶっちゃけ李カクは人気がないから駄目
394名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 23:17:24 ID:T9FrouWD0
三国志演義とか、コーエーの三国志とかで、李カクのイメージが固まっているから
とんでもない凶悪なヤツと思っていた。
外交手腕に秀でていたとは意外だったな。

それはともかく、やはり袁紹がすごい。
袁紹スレを読むにつけ、すごさがよくわかってくる。
黄河より北での抗争は、後漢末期と同程度の乱世である唐末の混乱期ではメインの戦場だったし
やはり重要な地域なんだろう。
曹操が勝てたのは、五代初期の晋と梁との立場が逆というのに似ている。
395名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 23:45:19 ID:RZNxnUn80
この時代の河北は、唐末より更に重要度が高かったと思う。
光武帝も、河北から興ったし。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:09:13 ID:p2sVty0l0
田豊の進言を聞かなくても許攸とか郭図とかがいなければ普通に官都勝ってたかもな、袁紹。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:09:46 ID://P9i8AL0
郭図は要るだろ…。
398名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:09:50 ID:jWUCdFRpO
このスレのレス見てるとかなり勉強になるな

399名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:13:55 ID:gPwxTik90
普通に勝ってたかもというか、曹操の勝ち方が異常すぎ
あれだけの劣勢をワンチャンスでひっくり返すというのは
そうあるもんじゃないぞ。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:22:19 ID:p2sVty0l0
>>397
すまん、郭図の優れたところ分からんのだけど教えてくれないか。
逢紀や審配なら欠点はあっても優れた才能はあるのは知ってるが郭図はどうも分からないんだ。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:25:17 ID:wUDu+SUA0
>>399
赤壁や関中での敗戦って曹操存命中に挽回できたっけ?
402名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:37:12 ID:QZMqize90
大勢力のなかで主流の派閥を占めるだけで大したものだ。
それが集団全体にどういう影響を与えるかは別の話。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:42:58 ID:AZYJaQyR0
>>401

赤壁漢中両方とも曹操は初めから優勢とはいえない。
呉は水軍が強かったし、蜀は夏侯淵倒して気勢が上がってる。

逆に官渡は明らかに袁紹優勢で勝利直前だった。
だからこそのワンチャンス挽回が光る。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:43:38 ID:Y6XMIfB30
鳳統が生きていたら・・・って妄想してたんだが
多分蜀が荊州を失うことはなかっただろう。
そして北伐も多分成功して呉も下して蜀漢帝国が
全土を掌握していたんだろうな・・・泣いて馬ショクを切らなくて済んだのに
405名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:44:46 ID:Y6XMIfB30
つか変換できん。だめだ98
406名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 02:41:40 ID:kXmCMMxl0
鳳統が本当に名軍師で、荊州に関羽と共に配属されてたら歴史が変わったかもな
407名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 11:28:30 ID:Os515gGj0
史実として龐統は死んじゃってあまり影響力残せなかったから、
24人に入れるのは無理だな。

三国志10大軍師とか選んだら選定候補だろうけど。
408名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 11:42:57 ID:XWmdctvj0
>>394
実際も李カクはとんでもない凶悪なヤツだったらしいよ。
実際の歴史では李カク軍は凄い強かったらしく、李カク軍の武の要は
カクシとハンチュウで、この二人が李カク軍から消えた後、李カク軍
は短期間で衰退し、李カクは三族皆殺しとなった。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 12:50:53 ID:yYseXZeQ0
今のところ諸葛亮、関羽、曹操、袁紹、劉備、孫権は確定か?
410名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 16:07:56 ID:grHUi9oJ0
>>409
孫権がやや流動的な気もするけど、まあ確定でいいんじゃない。
411名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 17:21:11 ID:iNKzCSBzO
シュウユは!ねえ
412名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 17:55:06 ID:paq20GULO
孔明や関帝は名声から入らないとおかしいが、同時に袁紹ほどの活躍ぶりか?とおもう!ふしぎ!
413名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 18:11:47 ID:PSBeRm4j0
孔明は間違いなく袁紹以上だと思うけどね
414名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 19:30:55 ID:Y6XMIfB30
孔明がいたからこその三国史じゃん?そもそも彼がいなきゃ蜀を奪うこともなかったし、
劉備は相変わらず勝ったり負けたりして放浪して生涯を終えてたかも。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 19:33:52 ID:wUDu+SUA0
>>410
孫権は孫策でもいいかなと思えるけど
戦乱の中にありながら、あれだけの長期政権維持を保てたという偉業もあるよな。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 19:43:23 ID:I9w1Tlat0
孫権も孫策も入れればいいじゃないか
個々に見ても十分な資格あると思う
417名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 20:34:56 ID:wqVXFtPM0
英雄というなら公孫賛と孔融もはいるな。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 20:53:12 ID:gE/k8jKP0
沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です)

沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。
民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄 三千万」で検索をお願いします。
この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから…

※一国二制度
 簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。
 (つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。)
 さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。
 3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。
 そして反日教育を受けた中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。

今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。
自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。
発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 22:14:19 ID:wAoADMfV0
>>414
その前に周瑜が死んでくれたから活躍できたわけだけどね。
死んでなきゃ周瑜が益州とって一気に曹操を押し込めたかもしれないからな。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 22:20:53 ID:qiAh49hp0
周喩は三国志の立役者だぜ?
赤璧がなければ三国時代は存在し得なかった。

つまり周喩がいなければ、曹操がすんなり中国統一して終了
421名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 22:33:18 ID:ZHJC6ISB0
たらればの話なんぞまったく意味が無い
422名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 22:42:03 ID:jWUCdFRpO
>>421
あだち充?
423名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 23:42:08 ID:CNhQEzbs0
袁紹がいなければ曹操が5年速く河北制圧して終了
424名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 23:50:45 ID:McUJhLGq0
>>414
蜀を奪うのに関しては諸葛亮はそんなに貢献していないと思う
425名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 23:51:29 ID:wqVXFtPM0
>>423
袁紹がいなければ確実に公孫サンが華北の王者となっていただろうね。
一時は超有力な武将だった公孫一族なんだから。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:15:59 ID:LjaUi0gv0
公孫サンは空気読まずに皇族であり人徳者だった劉虞を残酷に殺して人望失って
没落する程度の人物だからたとえ大勢力を築いたとはいえ英雄とは言いがたい気がする。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:16:27 ID:yc33e/WW0
公孫サンは名士を敵に回しすぎだからおそらく
曹操陣営がとんでもなく厚くなる。
田豊とか皆曹操のところに行くだろ。
428名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:17:49 ID:yc33e/WW0
>>426
項羽だって食う気読まずに義帝をry
でも英雄扱いだし公孫サンだって別にいいだろ。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:34:49 ID:LjaUi0gv0
>>428
項羽はそういった短所も酷いけど長所はそんな短所すら消し去ってむしろ超人的な
伝説を生み出すくらい凄い人物だし短所が同じだけで公孫サンも英雄というのは・・・
430名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:36:11 ID:LjaUi0gv0
すまん、消し去ってはいないな。
それが原因で劉邦にやられたわけだし
431名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:39:41 ID:Ttry1Ze7O
項羽の話は主旨と関係ないので終了
432名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:46:36 ID:KpV0fPSA0
曹操も短所酷いけど、超人的な魅力でそれををかき消してるよな
433名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:53:19 ID:Ttry1Ze7O
董卓はガチ
434名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 01:48:56 ID:rhLqjmIp0
一時期は袁紹、袁術、公孫瓚の三大派閥だったからね
そう考えるとこの3人を候補に入れたいけど、
袁紹以外は本人の代で勢力滅んでるのがなぁ…
あと人気もイマイチなのが惜しい
435名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 02:02:20 ID:MHKydp+j0
袁紹より有利な立ち位置から始まったのに
自業自得みたいな感じで滅んだ袁術は不要だと思う

と言うか、少なくとも英雄って感じではない
436名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 02:04:20 ID:MHKydp+j0
>>421
たらればの使い方間違ってるぞ
437名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 05:01:02 ID:P18hq9Wt0
24『英雄』
曹操、曹丕、司馬懿、司馬師、司馬昭、司馬炎
劉備、関羽、諸葛亮、孫堅、孫策、孫権、周瑜
袁紹、公孫賛、袁術、李カク、董卓、劉表
張魯、馬超

候補、曹叡、姜維、孟獲、呂布、韓遂

漏れなり批判あったらヨロ。とりあえず英雄=独立勢力を前提にしてみた。
英雄って表現だとこんな感じかなぁ。

24武将
魏 許チョ、張遼、曹仁、張コウ
蜀 関羽、張飛、趙雲
呉 孫堅、周瑜、呂蒙、甘寧、陸遜
他 呂布、馬超、麹義、皇甫嵩

候補、多すぎるので省略
個人的に24武将のほうに姜維は入れたく無い。孫堅は袁術配下武将としてみた場合おkかと思い突っ込んだ。

文官は任せた。
438名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 05:04:22 ID:P18hq9Wt0
連書きスマン。
つか上での定義で英雄、武将、文官だと結局多すぎてつまらんから、英雄、武将、文官各8人にして計24にすれば盛り上がって面白いんじゃない?
439名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 07:30:44 ID:8t+xNfMw0
>>437
英雄の方は孫堅がかなり微妙なんじゃない?独立勢力じゃないし、それなら呂蒙陸遜入れたほうがまだいいような。
あと曹叡は入りそうだけど。劉禅もあるかも。

武将は統一感無いな。
正史なら正史、知名度なら知名度で統一したほうがいいと思う。
知名度抜きだったらケ艾陸抗は入りそうだね、満寵もいい線いきそう。
440名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 11:53:28 ID:93G9qhSL0
>>438
やっぱり乱世だから、文官比率は抑えた方がいいんじゃないかな
441名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 12:11:48 ID:P18hq9Wt0
>440
暫定で9、9、6くらいで組んでも面白いかもね。
数が不当そうなら後で組み替えてもいいし、周瑜なんかはどこの枠に入れてもいいから、そういうのを入れておいて数調整してもいいし。
442名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 12:25:36 ID:V4Gso2p80
英雄を語るスレでの文官とはどういう定義だ?
呂布とかも出仕は文官からなんだが。
443名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 13:58:16 ID:AgQwTp+z0
士大夫は原則的に文武両道。
戦争だけに特化したのは禽獣と変わらん。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 15:27:06 ID:VVhTjdec0
>>443
射撃が得意で雄略ありでも、経歴みるとおもくそ官僚畑、ってのも多いよね。
政治家と軍人なんていう人がいるけど、明確な線引きはこの時期では薄いのかな。
後に武人政治の時代が来たときでも、教養の無い人が一生懸命文章書いたりしているしね。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 17:24:27 ID:y7Z+UbcZ0
>>437
司馬師よりは曹操全盛期の参謀長ジュンイクのがいいな。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 18:48:56 ID:9WrrPlWGO
二十四大英雄
曹操、曹丕、荀イク、司馬懿、司馬炎
劉備、関羽、諸葛亮、姜維
孫策、孫権、周瑜、陸遜
張角、董卓、呂布、李カク、袁紹、袁術
公孫賛、劉表、劉焉、張魯、馬超
447名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 19:47:57 ID:R5t9i0d70
>>446
これで決定だとおもう。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 19:49:04 ID:P0kF9aPI0
>>446
いい感じ。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 19:53:14 ID:v+/+bsvr0
>>446
前期〜後期まで広くカバーしてるね。
この隙に入ってこれる人材も見当たらないな。


450名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 19:55:23 ID:P0kF9aPI0
この24人に焦点を合わせた本があれば、
初心者でも三国志について大体理解できそうだな。
馬超を蜀将と同列に扱ってないところに好感w
451名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 20:05:35 ID:V4Gso2p80
あえて>>446に異議を唱えよう。
後期蜀を代表する超人・ヒイや長く漢中を守ってきた魏延、
関羽と並ぶ勇名をもち記録に残る実績もそこそこある張飛をさしおいて
姜維を入れるのは納得いかない。
姜維はやめて他のひとにしようぜ。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 20:16:06 ID:B2zXFFIfO
英雄=独立勢力の長って定義付けてる人の考えがまったくわからん
別に日本国内でも世界史上でも誰かの臣下に居続けたまま英雄になった人なんていくらでもいるだろうに
453名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 20:22:25 ID:V4Gso2p80
独立勢力の長と臣下であることは矛盾しないだろ。
曹操だって劉協の臣下だ。
454名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 20:25:31 ID:VVhTjdec0
その場合の「英雄」は違う意味も含まれていたり…
そういう「英雄」には悲劇性もセットになる。
後漢末の乱において、独立勢力を確立した、というだけで実はすでに
真の意味での英雄と呼べるのだ。
もっとも、領内にあっては善政、外に対しては勁兵を連ねる
という態勢が整っていないと、強くは推せないけどね。
455名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 20:38:17 ID:B2zXFFIfO
>>453
誰も独立勢力の長である事と誰かの臣下である事が矛盾してるなんて言ってないが?

誰かの臣下になってる事で英雄の定義から外れるとも思えない
そうやって省かれてるメンバーがもっと入ってもおかしくないと思う
456名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 20:41:40 ID:tWN2dcC/0
袁術レベルが英雄になるんなら、中国史は英雄だらけだな
457名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 20:44:31 ID:V4Gso2p80
>>455
だから英雄を独立勢力の長として定義したとしても
臣下になっているという理由だけで英雄の定義から外れたりはしないし、
それによって入れるべきメンバーを省いたりもしていないってことさ。
要するに、メンバーに入れてないということはどこか足りないものが
あるってこと。

というか、君は誰を挙げたいのだ?それが無ければただの一般論で
終わってしまうぞ。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 22:06:21 ID:em3Z8PBs0
俺はこの時代は劉備と曹操しか英雄と呼べる人物はいないと思うけどな。
459名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 22:37:29 ID:B2zXFFIfO
個人的には『功績が世に広く評価されてる』ってのが 英雄の最低条件だと思うんだが
単に功績や影響力が強かっただけの奴は英雄と呼ぶにふさわしくないかと
同時代の人間からの人気や評価は必須、生前の影響力が強くてもクロムウェルみたいに死んだり
権力失った途端にボロクソ言われた連中も失格だと思う
460名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 23:07:01 ID:em3Z8PBs0
英雄の定義は>>2でいいと思うがね。

>>459
その条件に当てはまる英雄を具体的に挙げてみてくれよ
461名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 23:07:51 ID:xB/rS6nQO
司馬炎イラネ。左伝癖とか吃りの方がいい。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 23:09:12 ID:AgQwTp+z0
聖杯戦争に参加出来るかどうかじゃね?
正直な話、せっかくの乱世に態々、文弱役人に枠を割く必要は無い。
あと蜀ヲタの俺でもこの時代で統一の目が合ったのは曹操だけと思う。魏じゃなくて。
他のはどんなに贔屓目に見ても抵抗勢力に過ぎない。
そして曹操はその抵抗勢力を自らのミスで除けなかったかなり微妙な男。
その微妙なのより下っ端ばかりなのだから、この時代は該当無しが妥当。
蜀が持ち上げられるようになったのは朱子学の影響で過大評価にもほどがある。
呉なんかは六朝の始まりとしては意味が大きいだろうけど。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 23:22:45 ID:LjaUi0gv0
>>461
杜預やケ艾入れるのは同意。
特にケ艾は実績も能力も文句なしだと思う。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 02:10:35 ID:31BB0i7dO
トウ艾は最後があっけなさすぎるのがなぁ…
悲劇の英雄っぽくはあるけど
465名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 06:36:21 ID:XZUTkPXn0
そもそも英雄って言われるのは一時代に何人もいない。
群雄割拠状態に特別視されてたのは曹操と劉備の2名のみ。
そもそも「24大英雄」」ってスレタイ誰が考えたの?
それいうなら「24大英傑」だろ?
英雄って呼ばれた人間はそんなにいないぞ。
466名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 10:23:12 ID:hM2zWaEY0
それはみんなわかってるよ
「英雄」のハードルを下げるか、
拡大解釈して幅を持たせるしかない
467名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 10:54:34 ID:rSTO9K9+0
なんていうかこのスレでは有名な群雄=英雄な気がするな。
468名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 12:22:15 ID:w/mvnHvj0
このスレの場合、三国志の主立った人物を挙げるための言葉として、
英雄を使っているだけだよ。

あまり言葉の定義にはこだわる必要はない。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 13:09:06 ID:8Hy6170m0
>>220-223の枠だとでか過ぎるが、
一期:曹操
二期:諸葛亮
三期:司馬懿orケ艾
四期:陸抗or誰某

一期、二期の二人は確定だろう。
470名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 13:31:01 ID:qQkkiKDtO
じゃあ俺が選ぼう。


曹操、曹丕、ジュンイク、司馬懿、司馬師、トウガイ、杜預
劉備、孔明、姜維、関羽、馬超
孫策、孫権、周瑜、陸遜、呂蒙、張昭
張角、董卓、リカク、袁紹、ハチミツ、公孫サン



これでどうだ諸君。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 13:45:54 ID:XNiQoKCS0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
三国志大戦頂上対決議論専用スレ 武功x85 [アーケード]
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\(^o^)/
472名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 23:14:12 ID:wOdmEex50
有能無能はさておいて、
在る時期においてそれなりの勢力を保ったグループの君主、
もしくは、戦略家としてスキームを提示した人物(諸葛亮、周瑜等)をあげてみた

後漢末期:何進、十常侍(政治グループとして)、張角、皇甫嵩
群雄:袁紹、李カク、呂布、董卓、袁術、馬超
魏:曹操、曹丕、荀ケ、司馬懿
呉:孫親子、周瑜
蜀:劉備、諸葛亮、姜維
晋:ケ艾、司馬炎、鍾会
文官:陳羣、曹植

いかがでしょうか?
英雄というか24傑くらいのニュアンスで。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 23:21:38 ID:ouhgef9Z0
>>471
無双スレにでも貼ってこようか?w

つか三戦板のスレはないのかよw
474名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 00:17:48 ID:pfnQPEeQ0
曹操 曹丕 曹植 荀ケ 陳羣 
孫堅 孫策 孫権 周瑜 陸遜
劉備 諸葛亮 関羽 馬超 呂布
皇甫嵩 張角 張魯 袁紹 李カク
司馬懿 司馬師 ケ艾 杜預 

こんな感じかなー
呂布の代わりに呂蒙でもいいかもしれん
475名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 00:33:11 ID:QxrCP3n70
孫堅は微妙じゃないか?
呉を大きくしたのは孫策で、それを磐石にしたのは孫権。
まあ、生きてればそれなりの成果を残せたとは思うが
最後を見る限り英雄とは言いがたいような・・・。


476名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 00:44:41 ID:GttG4x0v0
>>474
曹植孫堅呂布は他に候補者がいるかもしれないけど
全体としてなかなか良い感じで綺麗にまとまってるな。
特に魏・呉・蜀・晋・群雄のバランスが良いあたりが好感もてる。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 01:37:20 ID:6Yhy6Ze30
候補を30人挙げてそこから24人に選定していくとかは?
30ならだいたいの人の候補をカバーできるんじゃないかな。
478名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 14:13:24 ID:UpfAOMqb0
それをやるくらいなら、一人から順当に増やしていくのが妥当。
一度出したのを削るのは難しい。
定員が三十人なら議論される候補は四十人以上出てくるだろう。そんなの無駄。

そこで出身地による選挙を提案したい。
一州二人枠なら強制的に定員分出せるだろう。
涼州とか交州の僻地は人口的に一人枠でおk。
479名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 15:48:52 ID:PUJBkvJ00
地域によって偏りが烈しそうなので、
出身地枠制には反対する。
480名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 16:18:07 ID:UpfAOMqb0
取りあえず叩き台。思った以上に偏ってた。

司隷:司馬懿、司馬昭
予州:袁術、袁紹、荀ケ、陳羣、張魯、曹操、曹丕
徐州:諸葛誕、諸葛亮
兗州:劉表
青州:
冀州:張角

幽州:公孫瓚、劉備
并州:呂布
涼州:皇甫嵩、董卓、張繍、馬超、姜維

益州:
荊州:劉焉、ケ艾、杜預
揚州:孫策、周瑜、孫権、陸遜、陸抗
交州:士燮
481名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 16:31:15 ID:aNxZZgqR0
出身地枠制はどうかと思う
482名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 17:01:21 ID:UpfAOMqb0
しかし時間的な枠も、空間的な枠も駄目とあらば、如何なる代案があるのか?
483名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 17:04:06 ID:GttG4x0v0
時間的な枠って駄目なの?
484名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 17:34:05 ID:nEjLa2yb0
ごちゃごちゃいってるがこれで決定でしょ。

二十四大英雄
曹操、曹丕、荀イク、司馬懿、司馬炎
劉備、関羽、諸葛亮、姜維
孫策、孫権、周瑜、陸遜
張角、董卓、呂布、李カク、袁紹、袁術
公孫賛、劉表、劉焉、張魯、馬超

異議のある人は理由を言ってくださいね。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 17:50:11 ID:GttG4x0v0
姜維を入れてケ艾を外した理由を是非教えて欲しい
486名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 17:53:40 ID:335rgyb20
司馬炎入れるなら司馬昭かなと思う。
地位も業績も昭の引継ぎ、時代的にも昭がいい。
晋王朝を立てたことによって呉への大軍南下が遅れたと言われるくらい呉は落日。
統一をしたと言っても分裂を引き起こす要因を作り、異民族に打つ手無し。
炎と比べりゃ三国時代の群雄の方がよっぽどパワーというかカリスマを感じれる。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 17:56:25 ID:qvU1uhXN0
張魯が外される理由がわからない。1800年に渡って絶大な影響を持った道教教団を形成した男は外し得ないはず。
488名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 17:57:18 ID:qvU1uhXN0
と思ったら入ってたごめんねハズカチー
489名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 18:00:46 ID:nEjLa2yb0
>>485
これはある人がつくって俺が概ね了解した人選だから詳しくはその人に聞かないとほんとのことは分からない。

三国志は事実上、諸葛亮の死亡で幕は下りたんだよ。
乱世で群雄が割拠し縦横に活躍できる時代は終わったのだ。
姜維をいれたのは落日の蜀にあって漢中を押さえ蜀を守り抜いた点。
ケ艾も蜀討伐以外は正史に見るべきものがない。

>>486
どの時代も王朝の創始者は英雄なのです。
司馬昭が禅譲に迫らなかったからはずす。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 18:17:42 ID:UpfAOMqb0
司馬炎は親父の側近連中のバランスオブパワーの上にいただけの神輿に過ぎない。
芽が合ったのは頷けるが花実を咲かせたかというと…

概して蜀は袁氏より弱小なのに枠が多すぎる。
劉備と諸葛亮だけでも多いくらいだ。

呉はまあ妥当。

群雄枠は張角が入って皇甫嵩が落ちるのは頂けない。

魏晋枠への再配分が必要だろう。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 18:20:23 ID:nEjLa2yb0
>>490
だから枠に捕らわれていてはいけないんだよ。
蜀から英雄がたくさん出ててもいい。
実際には劉備・諸葛亮・関羽・張飛は固いでしょう。
492名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 18:21:50 ID:qvU1uhXN0
関張は演義がなければまず候補に上がらないかと
493名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 18:41:06 ID:nEjLa2yb0
>>492
正史三国志にこうある。
陳寿の評価

関羽・張飛の二人は、一騎で万の敵に対する武勇があると賞賛され、
一世を風靡する剛勇の持ち主であった。関羽は顔良を斬ることで曹操に恩返しを果たして去り、
張飛は厳顔の義心に感じ入ってその縄目を解き、両者並んで国士と呼ぶに相応しい気風を備えていた。
しかし、関羽は剛毅が行き過ぎて傲慢であり、張飛は乱暴で部下に恩愛をかける配慮が無く、
これらの短所が仇となって、あえなく最期を遂げる事となった。世の理とは、こういうものなのだ」
(「關羽、張飛皆稱萬人之敵、為世虎臣。羽報效曹公、飛義釋嚴顔。並有國士之風。
然羽剛而自矜、飛暴而無恩、以短敢敗。理數之常也」『蜀志・関羽伝』)
494名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 18:43:32 ID:GttG4x0v0
>>489
漢中を押さえ蜀を守り抜いたと言って結局蜀は落とされたし
それ以前に姜維はケ艾以上の功績は見つからないし
姜維>ケ艾になる理屈には全然なってない気がするんだが・・・

それと守りきったって言葉は蜀以上に内部の腐敗が進んでいたのにも
関わらず西陵の戦いで獅子奮迅の活躍をみせ自分が死ぬまで魏(晋)の
侵攻を防ぎきった陸抗みたいな人の事を言うんじゃないのか?
495名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 19:46:56 ID:335rgyb20
>どの時代も王朝の創始者は英雄なのです。
>司馬昭が禅譲に迫らなかったからはずす。
司馬懿・司馬師・司馬昭が専権し司馬昭が晋王朝を建てる準備を完了させた。
司馬炎はそのレールの上での王朝の創始者。
英雄だと言う認識はほぼ同時代ですら無い。
根拠 
後に西晋を滅ぼした後趙の石勒、司馬懿父子を批判して司馬炎眼中に無しでこの発言。
「大丈夫たる者、磊磊落落、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、
曹孟徳や司馬仲達父子のように、孤児(献帝)や寡婦(郭太后)を欺き、
狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
魏を簒奪したのは司馬炎だと言う認識は全く感じられないよね。

他人に理由を求めて貴方は
『これは他人の意見で俺が概ね了解した人選、詳しいところはよくわからん』
これは正直どうかと思う。
496名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 19:49:12 ID:mEYXK0+q0
枠に縛られるのはいただけない
蜀からは劉備、関羽、諸葛亮が鉄板
あとは馬超が微妙なライン、
張飛と姜維がよくがんばったけど落選てとこじゃないか?
497名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 19:51:12 ID:qvU1uhXN0
馬超は蜀将としてではなく西北軍閥の長としてのカウントではないかと
498名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 19:52:37 ID:mEYXK0+q0
そっちの方がいいか
499名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 19:55:55 ID:nEjLa2yb0
>>495
あんたは石勒のいうことを真に受けるのか?
500名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 20:45:32 ID:335rgyb20
>>499
へ?この石勒の発言、真に受けるとかそんな問題か?と思うけどレス。
部下におだてられた石勒の自分はこんな人間だ!って自己陶酔話の一部であって、
実質的に簒奪したのが司馬仲達父子ってのを常識のごとく話の流れで喋ってる話。
>>495でも書いたでしょ、批判して、自分はこんな人間ではないと言いつつ、
曹孟徳や司馬仲達父子は天下を取ったと評している。
これは現代の大抵の人の認識は、『実質的』な晋王朝の創始者は司馬仲達だろうから間違いではない話だよ。
で、石勒のいうことを真に受けるのかと言う理由は何?
毒づいて悪いが三国スレなのに姜維とケ艾について自分の意見も持っていない貴方の言う事を真に受ける気のほうがしない。
501名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 21:44:49 ID:ZgzYIeOpO
三国志で女性代表は、

文昭甄皇后

男性運についてなく、あの曹植の「洛神賦」のモデルにもなった。
甄氏は幼い頃に親族に対抗し大勢の人命を救い類希な美貌かつ美徳を兼ね備えた人物で、魏二代目皇帝・曹叡の実母。曹丕が大胆不敵の郭貴賓に恋をし甄氏を疎んじて自害を賜った。
曹叡は即位し間もなく実母である甄氏を、甄氏のように人命を救った素晴らしい功績を讃え決して暗くはならない“昭”と諡号を加え≪文昭甄皇后≫と追贈した。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 21:48:28 ID:vdKIk+Dm0
SRナミのことか・・・。
確かに使えるが、英雄か?
503名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 21:49:59 ID:rzBbBrHp0
曹操、曹丕、曹叡、荀イク、張遼、司馬懿、鄧艾、杜預
劉備、関羽、諸葛亮、姜維
孫堅、孫策、孫権、周瑜、陸遜、呂蒙、陸抗
董卓、呂布、袁紹、劉焉、馬超
504名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 21:52:40 ID:0PTnmjgG0
姜維はねーよ
505名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 23:51:57 ID:QxrCP3n70
曹叡、孫堅もどうだろう?
この両名に代わって趙雲、張飛、馬超あたりの誰かは無理かなあ。
武人塗れってほどでもないと思うし。
曹叡は諸葛亮の死後の堕落ぶりと、この頃になってくると
司馬一族の方が曹一族より目立ってくる。
それに曹操、曹丕の名に比べるとかなり見劣りしてしまう気がする。
506名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 00:03:44 ID:ljhAX9io0
孫堅抜くならまだしも、曹叡相手だと五虎将軍全員合わせても勝ち目がない。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 00:18:50 ID:2nygztgm0
曹叡ってそんなに凄かった?
司馬懿頼りの君主っていうイメージが強いんだけどなあ。
独力で呉軍を撃退できたからってことかな。
メジャーどころはなんであえて避けたがるのかな。
五虎将も関羽の存在間に比べたら他は見劣りするが
それでも一騎当千の武を誇る英傑だったと思うよ。
演義評価はNGとも書いてないんだし、正史、演義の両面から見てもいいんじゃないか?

508名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 00:29:16 ID:5hiQb4BA0
演義を取り入れてしまうと蜀将や猛将系の武将が
多くなりすぎる予感
509名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 00:41:55 ID:9bMz0atE0
曹叡は司馬に大権を与えたとは言え、
身内の不幸と自身の若死がなければ幼帝は続きはしなかっただろうし、
暴政で内政面はマイナス評価大きいが統治・軍事・人事に関しては明帝の名に相応しい。
曹叡と変えて張飛は厳しいなぁ。
張飛クラスの魏・呉の将が入って絞りきれなくなるような・・。
趙雲は戦略眼も備わってる武勇の士で、姜維の諡号追贈運動もあるし尊敬されていた軍人なのだろうけど、
能力はともかく存命時の影響力・功績などでは問題にならないほど小さい。
張飛や馬超でさえ外戚関係を結んでたりするところ趙雲はそんなのも無く、
蜀内部での権力もあまり無かったようだしね。
馬超は元々ほぼ候補に挙がってる。
影響も大きく、いないと歴史がずれる位の人間だし候補として異論は無い。
510名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 00:47:50 ID:nnl37Zg00
とりあえず
曹操、曹丕、荀イク、司馬懿
孫策、孫権、周瑜、陸遜
劉備、関羽、諸葛亮
袁紹
の12人はほぼ確定でいい気がする。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 01:12:06 ID:KfkWBv/o0
うん、それは俺も確定でいいと思う
半分確定するだけでもかなりの前進だな
他の人の意見も聞きたいところだ
512名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 06:48:47 ID:z9DvVW9+0
姜維が入るならトウガイが入るってのは当然だと思うんだが、トウガイ、杜預辺りを入れるなら陸抗を入れたいってのは無理かねぇ。
蜀、呉の討伐の功績の大きさは良く分るんだが、当時の時代背景から見て、両方トウガイと杜預でないと厳しかったかとなるとそうは思わないが、
当時の呉を自身が死ぬまで守り抜ける者が陸抗のほかにいたかと言えばいない気がするんだが。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 07:54:26 ID:liXtxE3IO
趙雲、姜維はないと思う。
代わって張ギを推薦したいけど…ないな
514名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 12:47:35 ID:mDw3n1YP0
呂布を押すならほぼ同格の張飛も入るはずだけどね。
まあ、俺も>>510の意見に同意なんでそこからから再協議でいいかな。

515名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 13:58:20 ID:XP0MM5oG0
残り12人か…どうする?
勢力ごとに振り分けて考えるか、ひとりひとり取り上げて考察していくか。
どちらかにしないとまたごっちゃごちゃになる。
516名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 16:20:57 ID:liXtxE3IO
張悌
517名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 16:44:49 ID:Ae42EXRsO
>>510
これは動かなそうだな。
もう一握り加えるとしたら
張角、呂布、張飛、趙雲、張遼、夏侯惇、孫堅、
あたりか?
518名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 17:10:44 ID:yzdLigoP0
張魯たのむ
今まで反対意見ほとんどなかったと思う
519名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 17:32:28 ID:chRUtT4c0
んじゃ反対
520名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 18:39:18 ID:9bMz0atE0
曹操 曹丕 曹叡 荀ケ 司馬懿 司馬昭
劉備 関羽 諸葛亮 
孫策 孫権 周瑜 陸遜
張角 董卓 呂布 李カク 袁紹 袁術 公孫瓉 劉表 劉焉 張魯 馬超
521名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 18:57:15 ID:nnl37Zg00
>>520
それでも悪くないと思うがあえて公孫サン 劉表 劉焉をあたりをきって
皇甫嵩 ケ艾 杜預あたりを入れた方が時代による英雄が満遍なく行き通っていい気がする。
群雄ばかりでも悪くは無いが活躍時期の近い群雄に頼りすぎると時代が偏っちゃうんじゃないかな?
522名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 18:58:28 ID:chRUtT4c0
劉表や張魯なんていらねえよ
523名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 19:13:15 ID:2nygztgm0
董卓、呂布もいらん。
どっちも英雄というよりは奸物。
外道に武力馬鹿だからな。
鳳統を押したいが、孫堅と同じく未完の大器として終わってるから
残念ながら無理かな。


524名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 19:14:59 ID:3BXLRVwm0
董卓はむしろ智謀の人
525名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 19:28:19 ID:SPb86Klq0
皇甫嵩は当時の名声、功績から言って新王朝を立てていれば成功していたかもしれない人物
ケ艾は征蜀だけでなく運河整備事業や食糧増産も評価すれば十分に確定候補
526名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 22:36:49 ID:liXtxE3IO
張魯と劉表はアリだと思うのは俺だけか
527名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 23:23:00 ID:nnl37Zg00
張魯は賛成。
劉表は政治家としてなら非常に優れてるし二十四大政治家としてなら
是非挙げたい人物だが英雄としてだと特に特筆する点が見当たらないんで賛成できない。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 00:33:53 ID:TSl27nV60
張魯は後世の影響力という点では蜀の連中とタメ張れる貴重な人物
529名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 03:37:30 ID:SYpehAPS0
後世への影響で張魯とタメ張れる人材は同時代にはいなくないか?
あえて探すなら曹操か何晏ぐらいだろ
530名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 04:11:41 ID:oQFX1VMO0
そこで詩を文学に高めた曹植ですよ
531名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 05:12:26 ID:IpPcaQnKO
英傑24人
曹操、曹丕、荀イク、司馬懿、トウ乂
劉備、関羽、諸葛亮、姜維
孫策、孫権、周瑜、陸遜、陸抗
張角、董卓、呂布、袁紹、袁術
皇甫嵩、公孫賛、劉表、張魯、馬超

他に候補を挙げるなら、
曹叡、司馬師or司馬昭、司馬炎、杜預
魯粛、呂蒙、廬植、劉焉、馬謄、孫堅、李カク、張繍

選んだ基準は、

勢力新興(引継ぐ場合は評価が下がる)>統治>戦(作戦立案>実戦)≧外交>民政>その他

英傑を選ぶ場合、戦の勝敗よりも、自らの勢力を興す&統治という点に於いて群雄の評価が高くなるのは仕方が無いと思う。
次に有利なのが、大国で軍権を一手に引き受け、戦略・戦術に優れた司令官。戦の直接的な評価が出来るのは勿論、統治にも関わる事が出来る。
戦の評価だが、演義だと評価の高い猛将タイプの将は、上司の命令に従った上での戦績だと、上位24人に入るのは難しいだろう。
関羽がランクINしてるのは、神になってる事が大きい。
532名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 06:35:44 ID:wwi5qSiU0
何故陸抗?
533名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 07:52:37 ID:ST9/UGS4O
杜預なんてどーよ?
534名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 13:40:32 ID:OXCwJyZR0
姜維入れるくらいなら演義の活躍等で非常に人気の高い張飛や
目に見える成果を残した呂蒙・杜預。
魏簒奪の足場を作った司馬昭あるいは司馬師を入れたい。
535名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 16:31:37 ID:UCnEZI8l0
>>532
蜀が降伏して晋が呉を滅ぼせない理由の一つに陸抗がいたからという理由からもなかなかの人物だったからでは?
ただ俺としては陸抗入れるなら羊祜も入れて欲しい所。
536名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 19:15:43 ID:WZeEXWdF0
>>531
そんなお前の自論とは違い大人気の英雄と化した張飛とかはどうする?
537名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 20:21:39 ID:qnVSjgqw0
劉表なんてただ刺史として派遣されてきただけじゃん
538名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 20:24:40 ID:76mRhAzZ0
確かに蔡瑁の力量のおかげっぽいよな。
かといって蔡瑁は英雄然としてないし。
539名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 20:25:31 ID:2+koTBqG0
>>534
>魏簒奪の足場を作った司馬昭あるいは司馬師を入れたい

全然英雄じゃないじゃない。
英雄ってのは草木から立ち上がって自立した勢力を武力でうち立てた人だと思う。
司馬一族は政治力の強みで英雄にはとても呼べない。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 20:59:13 ID:OXCwJyZR0
>>539
>>英雄ってのは草木から立ち上がって自立した勢力を武力でうち立てた人だと思う。
初めて聞いた凄い理屈ですねw

そんな事いったら諸葛亮、周瑜、陸遜等も英雄じゃなくなるし
そもそもそんな英雄の定義聞いたの初めてなんですけど誰が決めた定義ですか?
541名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 21:21:08 ID:2+koTBqG0
>>540
俺が決めた定義。
草木からと言うのは何もないところからと言うことだが、司馬一族で司馬仲達以外は政治力で
権謀術数操るタイプだから英雄ではないよな。
英雄は政治家や文官よりも武官が多いよな。
古代ローマ共和国と戦ったカルタゴのハンニバルにしても軍事面での天才ぶりで英雄だし、
後にカルタゴ本国の政治家となったが政治家としても一流だったがやっぱ軍事面のカンネーの戦いに
代表される戦争で英雄なんだろう。
同じ理由で砲兵の使い方で諸国を圧倒したナポレオンも軍事面での活躍で英雄なんだな。
ナポレオン法典という法令集を編纂させた政治家としての評価も高いがやっぱ、軍事なんだな。
北方の流星王ことスェーデンのカール12世も軍事面の活躍で英雄なんだな。
542名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 21:29:53 ID:u5e5Rgbm0
>>541
ハンニバルもナポレオンもカール12世も既存の軍隊の中で頭角を現した人物であって、
草木から立ち上がった人物ではない。
543名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 21:44:46 ID:1y9OVwqn0
なんか山下清がいるな。

みんなに聞きたいんだが、湯川秀樹は英雄かい?
544名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:00:35 ID:4CAHbbCB0
偉人と言うべきだが英雄でもかまわない
545名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:08:21 ID:UmFDYlht0
そもそも英雄とは大志を抱き
どんな時にでも備えられる計を持ち
行ってはひるまず、時代に遅れず、天地の理を知り
万民の指揮に臨む者でなければならん
546名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:27:47 ID:2+koTBqG0
>>542
ハンニバルは違うだろう、既存の軍隊じゃない。
信用ならない、傭兵の集まりをまとめ上げるカリスマ性。
スペインからアルプス越えてイタリア半島へ像を伴って進軍する前の大演説。
まさに英雄にふさわしい。

ドイツ30年戦争の皇帝側の傭兵隊長グスタフ・アドルフは英雄というよりも曹操と同じ姦雄と言う感じだ。
ナポレオンにしてもハンニバルにしても既存の軍隊じゃないんだよ。
そもそも軍隊なんかはなかった。
ハンニバルは傭兵をかき集め、ナポレオンは徴兵制を整えた。
547名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:34:46 ID:u5e5Rgbm0
>>542
ハンニバルの軍はゼロから編成したわけじゃない。
親父が作った軍閥が基礎になっている。

また、徴兵制を整備したのはナポレオンじゃない。革命政府のカルノー。
ナポレオンはカルノーの革命軍の中で頭角を現した。

君は英雄を云々する前に、歴史的知識を身につけたほうがいい。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:35:38 ID:u5e5Rgbm0
アンカーミス
>>547>>542じゃなくて>>546ね。
549名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:40:30 ID:4CAHbbCB0
もともと英雄が少ないってのはみんな解ってんだから
枠を狭めること言ってどうすんの?
550名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:45:27 ID:2+koTBqG0
>>547
ハンニバルについては親のハミルカル・バルカがカルタゴ本国から新しい根拠地を求めて
スペインにカルタゴノバをつくったが、その軍閥はローマのスラのような私兵ではない。
忠誠心の希薄な軍隊に傭兵の集まりだ。ハンニバルはその頼りない軍隊で天才的な戦術で勝利を重ねたのだ。
これはアレクサンドロスにも言える。父フィリッポスが暗殺されて王位につくが、その軍隊はとても
ペルシアに対抗できるものではなかったが、これまた騎兵を有効に使う天才的戦術でペルシアを破っている。
ハンニバル・アレクサンドロスは騎兵の包囲作戦で勝利を重ね、ナポレオンは砲兵の活用で勝利をかさねせた。
551名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:45:35 ID:ST9/UGS4O
[英雄]
・才知、武勇に特にすぐれた人
・偉大なことを成し遂げた人
[偉大]
・すぐれている、大きく、立派だ
[偉業]
・偉大な事業
[才知]
・頭の働き、知恵
[武勇]
・武術にすぐれ、とても勇気がある人
[事業]
・社会的な仕事。
・企業〜
[知恵]
・思考や判断などの頭の働き


辞書で調べたらこんなのでました。
552名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 22:47:13 ID:2+koTBqG0
>>547
で、北方の流星王、カール12世についてはしらないから言及しないのか?
ぐぐってるのか?
553名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 23:04:30 ID:IpPcaQnKO
>>536
張飛は人気もあるし、優れた将軍だと思うよ。ショクや漢中侵攻戦でも功があるし。
姜維の評価が高いのは、諸葛亮死後、トウ乂の成都侵攻まで司令官としてショクを守った事。
人材・国力の差を考えれば、もっと早く陥落していても不思議ではないと思う。
失敗には終わったけど、鍾会を謀反させてまで魏に屈しなかった事は評価できる。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 23:26:51 ID:ST9/UGS4O
それは蒋エンと費イのおかげだろ
555名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 23:28:27 ID:76mRhAzZ0
むしろ「もっと早く国を畳んだほうがよかった」だろ。末期の蜀は。
556名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 23:51:23 ID:WZeEXWdF0
英雄ってのは後世の人気も関係するだろ。
存命時に英雄なんて呼ばれてた人間はほとんどいないだろうし。
曹操はピザデブ説もあるくらいだからな。

557名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 23:52:01 ID:IpPcaQnKO
そりゃ政治も大切だけど、実際に指揮して戦ってたのは姜維だから、蜀末期で1番の功労者は姜維だと思う。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 23:52:18 ID:uA+Ym60B0
曹操がピザかは解らんが、
曹真はピザ
559名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 00:03:08 ID:DZJDpAj9O
姜維だけでってのはないんじゃないかな張ギとか馬忠、張翼がいたからだと思うのは俺だけか…
560名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 00:05:27 ID:Dbf7z2Qt0
無為に兵を動かして国をめちゃくちゃにして、
勝手にくたびれた専横者が功労者ねぇ……。
561名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 00:09:27 ID:NH7guvQ80
姜維は評価分かれるからな
愚直な闘将だった、でいいじゃないか
562名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 00:21:29 ID:iTyWMdsQO
末期の功労で姜維が1番とは言ったけど、姜維「だけ」なんて一言も言ってないんだが。
結果として見れば、約30年懸けて国を疲弊させての首都陥落→降伏だから、批判があるのは当然だろうね。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 00:28:00 ID:Dbf7z2Qt0
労はあったろうが、功はない。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 00:31:34 ID:DZJDpAj9O
うん。だから英雄と呼ぶにはふさわしくないかと思う。
姜維がランクインするんだったら諸葛亮防いだ郭ワイやらも英雄ってことになっちゃう気がする
565名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 02:59:08 ID:tM1PIxe70
難しいなぁ
二十四人って帯に短しタスキに長しだね
566名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 07:48:15 ID:JucGo5NQ0
>>559
>張ギとか馬忠、張翼がいたからだと
張ギョクだと思う
567名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 09:17:53 ID:DZJDpAj9O
>>566
あの武将の漢字は『ギョク』ではなく『ギ』と読みます。
読みが間違えられたまま、後世に伝えられた。
だかなんかだったと思うが?


知ったかだったらゴメンナサイ
568名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 14:29:59 ID:XpjuAn7w0
>>567
嶷って字はギョクって読めるからちょうぎょくで合ってる。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 14:30:48 ID:Dbf7z2Qt0
っていうか漢字で書けばいいじゃん。漢字で出るんだから。
570名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 14:50:50 ID:eCksWUrd0
変換が面倒なんだろ
571名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 21:10:57 ID:oq9sX/3C0
姜維「オメーは“っ子(戀母情結)”なんだよ
    ビビったんだ。甘ったれてんだ!分かるか?え?オレの言ってる事。
    “士載”のせいじゃねえ。心の奥のところでオメーにはビビリがあんだよ!
    反逆しろペッシ!“反逆”しなきゃあオレたちは“栄光”をつかめねえ。」
572571:2007/04/25(水) 21:13:08 ID:oq9sX/3C0
媽々っ子 で。
573名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 21:14:29 ID:Dbf7z2Qt0
ペッシも改変しろよ
574名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 21:15:40 ID:oq9sX/3C0
つうか、ペッシのままだな。改訂orz

姜維「オメーは“媽々っ子(戀母情結)”なんだよ鍾会。
    ビビったんだ。甘ったれてんだ!分かるか?え?オレの言ってる事。
    “士載”のせいじゃねえ。心の奥のところでオメーには司馬昭にビビってんだよ!
    反逆しろ鍾会!“反逆”しなきゃあオレたちは“栄光”をつかめねえ。」
575名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 23:38:47 ID:H+8M2bbH0
>>565
だからこそ議論が紛糾して面白くなるとも言えるね
576名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 00:56:46 ID:c0+t6Bdf0
合肥の重要性を説き合肥新城の建設を進言した満寵は入るべきだろ
樊城では関羽相手に曹仁に退くなと進言し守り抜いてるし呉の攻勢もよく防いだ
曹四代に仕え大司馬にまでなった奴だぞ
577名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 01:35:14 ID:JueR9kmH0
>>576
満寵レベルで入るとなると
魏の武官でいえば夏侯淵、曹仁、五大将クラスから検討することになるよね
枠が全然足りないし
そもそもこいつら良将ではあっても英雄と呼べるか?
578名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 02:10:52 ID:zEQWpwOp0
主役:円的。ストーリーの中心軸で人生の全てを描写されるべきキャラクター
脇役:半円的。主役に関わる部分のみ描写されるべきキャラクター
端役:扁平的。エキストラ

このスレの本質は二十四人の主演俳優だけで、
「三国志」という映画を作るって企画だと思う。
編集できる部分はギリギリまで削るってことだと思う。
579名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 07:05:33 ID:D4FT8iB80
>>576
満寵は伝の記述を真に受けない方が良い。言葉のマジックかかりまくってるからな。
満寵が朝廷でどのような扱いで、死後どのように扱われ、一族がどうなったかを考えれば、
満寵の実力はおのずと分かる。
580名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 08:24:19 ID:5nJkSC+g0
でも、そうなると関羽はどうする?
枠に入れるのは問題ないが活躍は部隊長クラスだけで
司令官の時はなし。神になったとしても黄蓋とかもなってるし
全世界に広がった事は英雄的な活躍とは別。
関羽が神補正で入れるなら他国で教科書にのる曹植もありだと。
581名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 09:03:44 ID:lOd2nAE00
>>580
于禁を降伏させたり、ホウ徳を斬った時って誰の指図で動いてたんだっけ?
582名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 09:29:49 ID:5nJkSC+g0
>>581
荊州戦の前哨戦には勝ってるが結局は負けて南荊州を失ってるから
むしろマイナス評価だろ。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 11:17:11 ID:k8UXqJqI0
いないと物語が成り立たない人
董卓、何進、袁紹、曹操、劉備
諸葛亮、馬超、孫策、孫権、劉表
劉ショウ、司馬イ、関羽、張角、李カク

15人でよかったっぽい
584名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 11:19:45 ID:iRSYFCey0
袁術も入るんじゃないかな。
ニ袁の争いも重要だし。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 11:26:17 ID:Kli7uFk7O
呂布もいないと物語が成り立たなく根?
586名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 11:35:08 ID:ogqxg5zs0
>>580
関羽は中国では岳飛に次ぐ人気を誇る人物だし
あそこまで人気が高すぎると活躍以上に
人気面を重要視して二十四人の中に入れてるんじゃないかな?

あと曹植・陳グンも後世に何かを残したという面では
張魯同様評価できる人物だし将軍じゃないから確定はできずとも候補には入れてもいいと思う。
587名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 11:56:06 ID:5nJkSC+g0
曹植も将軍なんだが
詩の評価が武よりも遥かに上回っているだけで
関羽は演義の人気が先行してるわけだし。
枠に関羽は入れるべきだが、入れる理由で他の人物の評価になる。
戦場での活躍なら呂布、呂蒙、トウ艾
後世の影響なら陳羣、張魯など。
588名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 12:04:53 ID:0zrHiArp0
呂布如きを後者二人と同列にするのは無理がありすぎるだろ…
589名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 13:25:28 ID:MlaEg2fc0
呂布ねえ
590名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 13:56:19 ID:DKDtyi6U0
呂布・・・
義理の父親を殺すこともしばしば有。
配下の武将の妻に手を出すこともしばしば有。
戦場の活躍よりステキな活躍てんこもり。
オレは呂布を英雄に祭ってもいいと思うんだけど・・・
591名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 13:59:23 ID:zEQWpwOp0
屯田とか中正法とか歴史的に重要な案件は上司の手柄ということで解釈。
上限が少なすぎる以上、それくらい削らなければならない。
首長が多すぎる、という批評はあるだろうがそれが当然。
しかし、このやり方だと孔明病死くらいまでしかもたないな。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 15:51:37 ID:VXi/gFxy0
官渡とか赤壁とか歴史的に重要な戦闘は上司の手柄ということで解釈。

としても全く問題ないわな。
593名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 18:59:01 ID:z7sJIoAA0
後世の影響だけで考えたら陳羣は外せないだろうけど、英雄では無いよな。
影響だけで考えたら駄目って事だな。張魯なんかも影響は大きいだろうけど
英雄になるんかな?
594名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 19:32:11 ID:SuJ/1YGJ0
まだ英雄談義してるのか
24傑にしたら?
595名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 22:42:47 ID:2r4v7/zoO
[英雄]
才知や武勇に特にすぐれ、偉大なことを成し遂げた人。



はい陳グンは充分英雄ですね
596名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 23:14:54 ID:xPy5K2DI0
>>595
陳郡が英雄であるわけない。
能吏と言う。
597名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 23:32:13 ID:VXi/gFxy0
どうして英雄といえないのか説明してくれないと
598名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 23:51:46 ID:Dyrv5FdO0
広義の英雄ってことでいいじゃないか
599名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 01:22:55 ID:DBcudG+p0
600名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 03:24:50 ID:vktFKpMQ0
孔明は主君になれない能吏こそ的確だが能吏の領分を越えた英雄ではあるわな
601名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 11:39:19 ID:8ZapJiWv0
>>594
24傑…歴史的事業ともなると、
呉蜀の人物はおろか有名な人物も武官は殆ど入らず、魏の官僚で埋め尽くされる罠。
602名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 13:26:32 ID:8ZapJiWv0
言うだけはアレなんで仮に纏めてみた。

三国志24傑大陸史への貢献度編(呉滅亡までに、三国志または三国演義に登場してる人)

<後漢>
 ・張角…黄巾党の謀主。黄巾党の乱は、中国史上最大の宗教戦争ともいわれる。
 ・張魯…五斗米道ひいては道教の祖。正一教として教えは現代まで伝わる。
 ・鄭玄…現在でも六経の経典解釈といえばこの人の説が元になってたりする。
 ・士燮…ベトナムに始めて政府を作った始祖的存在。ベトナム語を考案したという説も。
<魏>
 ・曹操…魏の太祖。戸調式(戸籍)、段掛け式酒造法を考案。孫家兵法を今日に残した。
 ・曹丕、曹植…曹操と合わせて、詩の三曹(杜甫、李白が現れるまでは、彼らが詩聖)
 ・棗祇、任峻…屯田法を発案、運用。また、新たな運輸法まで確立し、戦場の常識を一変させた。
 ・陳群…九品中正法を発案、運用(科挙が起こるまでは、これが中国人材登用のスタンダードになる)。
 ・鍾ヨウ…隷書→楷書体の中間を作った人。王羲之が現れるまでは書聖とされた。 
・劉靖…ダムを作り、北京周辺を現在に至るまで水田工作を可能にした。また、防御策と呼ばれる戦術を考案。
 ・司馬懿…晋の太祖。また、九品中正法に州中大正を加え、貴族制度の確立に一役買った。
 ・何晏…老子注を著し、論語集解を今日に残した。
 ・トウ艾、鍾会…蜀を滅ぼした。
<蜀>
 ・劉備…蜀漢昭烈帝。
<呉>
 ・孫権…呉の太祖。
 ・陸遜…江南の漢化政策を打ち立てた。この政策は羊コや陶侃なども引き継いだ。
 ・韋昭…現在に呉の記録が残ってるのはこの人のおかげ。
<晋>
 ・司馬炎…晋の武帝。占田・課田法を制定し、社会を封建制の黎明期に移行させた。八王の乱の元凶でもある。
 ・賈充…泰始律令を考案し、具体的な律令制度を初めて確立した。
 ・杜預・王濬…呉を滅ぼした。春秋左氏伝集解を今日に残し、また破竹の勢いという言葉を現在に残す。
 ・裴秀…司馬炎即位に尽力。賈充の政令制定にも協力。また、中国地図学の祖でもある。
 ・陳寿…いわずと知れた、我らの敬愛する三国志の編者。

<次点に甘んじそうな人達>
 ・遼東公孫氏…当時の韓半島、倭国を考えれば欠かせない存在なのだが…事績が。
 ・周瑜…赤壁は歴史の転換点なんだろうか
 ・孫皓…南朝の暗君の典型と言えばこの人
 ・諸葛亮…歴史的偉業と呼ぶべき益州学の肝心な中身が不明。
 ・関羽…現在は道教の最高神。しかし、本人の成した歴史的偉業が有る訳ではない。
 ・劉禅…実際はどうあれ、毛沢東に「人民は阿斗になってはならない」と言われる暗君の代名詞。

なんつうか、物凄い勢いで三国志らしさが無くなってるな。
603名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 13:30:57 ID:8ZapJiWv0
あ〜楽毅、張良の伝を今日に伝えた夏侯玄も候補かも。
むしろ、一部隊長に過ぎない王濬ではなく、夏侯玄を入れるべきだったかもしれない。
604名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 14:04:43 ID:8ZapJiWv0
後、ど忘れしてたが、正史ではビルマやカンボジア方面を制圧してのけた蜀の張嶷が有力な候補ですね。

んじゃ。失礼しました。
605名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 19:01:39 ID:luIVfkot0
英雄の意味を勝手に個人解釈してしまうと
8ZapJiWv0みたいな結論に達するわけか。
・・・気をつけよう。
606名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 19:38:16 ID:YjOXKDJ50
おまえら歴史事実知らないだろ。
歴史学者の書いた論文読んでないだろ。
「九品中正法」じゃなくて「九品官人法」。
京都学派の宮崎市定先生が研究された。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 19:41:04 ID:pSL84DNq0
急にスレのハードル高くなったな
608名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 19:46:09 ID:luIVfkot0
英雄と定義を狭めるようなことをしたからじゃね?
もっとおおっぴらの方が面白いのにな。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 19:55:53 ID:7hiTYa3o0
黴臭い研究室でしこしこ自慰してるキモヲタは論外。
戦場以外に英雄はいない。
610名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 20:00:23 ID:NaTJJYLoO
いや、それより、24人も選んで“大”英雄か?
611名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 22:01:16 ID:DpoSUH+H0
制度の名前としては九品官人法、しかし制度運用で中正が重要な位置を担ったために、実質から九品中正法とも呼ばれる。

という話を聞きました。ソース失念。
まあ、正確に九品官人法ってしといた方がよいかな。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 22:11:47 ID:YjOXKDJ50
>>611
中国史の泰斗であらせられる、京都大学名誉教授の宮崎市定先生が九品官人法の制度の謎を解きました。
宮崎先生の「九品官人法の研究」(講談社学術文庫)にもなぜ、「中正」ではなく「官人」と書いているのかも理由を書いてます。
それくらいは読もうね。
613名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 22:12:56 ID:YjOXKDJ50
>>611
宮崎市定先生、関連スレ。

宮崎市定
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1174314942/l50
【九品官人】宮崎市定すげえよ 其の貮【科擧】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1124707950/l50
614名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 22:38:11 ID:U6PjEPNRO
歴史的影響を与えた人物か
今の上海経済の繁栄は孫呉時代に行われた江南地域の開発があってのものと、
故バンヤロー大先生様がおっしゃってましたな
だとしたら、江南地域の発展に貢献した人も、
歴史に影響を与えた人物=広義の意味で英雄であると言えると思う
そこで、江南地域の発展に貢献したのは誰なのか、
詳しい人の意見が聞きたい
お願いします
615602:2007/04/28(土) 04:40:00 ID:C/pxkiN70
>>605
英雄じゃなくて傑にしたら三国志じゃなくなるって意味で>>602を書いた。
アレが正しいとも言って無いし、>>607さんみたいに、ハードルが高くなるって言ってる方も居られる。
趣味スレなんだから堅苦しくなくても良いと思う。

何にしろ、定義次第で無数に増えるし、多分万人の納得いく定義なんて作れないと思う。
それこそ1種だけの24英雄決めるんじゃなくて、馬鹿みたいに羅列しても言いと思うんだけどなぁ。

三国志24英雄 知欠編とか。
616名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 05:37:59 ID:Tk8ybinH0
そこをバランスとって多方面から入れるって趣旨なんじゃ?
617名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 10:32:56 ID:ROzZeY0S0
>>615
認知度の高い諸葛亮、関羽を次点におくのはどうかね〜。
誰からも認められてる英雄を個人的な主観のみで外すのは
単なる我侭だと思うよ。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 11:02:05 ID:FINOUhDY0
日本史24大英雄の中に山本勘介を入れるのが妥当かどうかというお話
619名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 11:09:58 ID:82LqkSYe0
>>615
俺はハードル高くなったとは言ったけど、別に否定はしちゃいないよ。
むしろこっちの方が勉強になっていい。俺は参加できないけど。
620名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 13:30:34 ID:1LO6xk2t0
>>615
この人良く勉強してるなぁ、とぶっちゃけ感心して見てた。
まぁ俺も参加できないけど。
621615:2007/04/28(土) 20:07:40 ID:C/pxkiN70
>>617
認知度は高いのだけど、記録が無いから、そうだとは証明しきらないのだよね。
言及されたら、そこら突かれて論破されるのが分かりきってる=荒れるので、あえて外しました。

>>619
>>620
ありがとうございます。
お気楽極楽で行く方が、裾野が広がって良いと思う。
一番困るのは、荒れる事な訳で。
わきあいあいと皆やってる方が書いてても見てても楽しい。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 01:35:13 ID:S3jsAeZ80
例えば中国史を知らない人に三国志を説明する際24人までしか用いれないという形式はどう?
それなら重要な人物のみしかピックアップできないし
もちろん武人だらけになる事は間違いないが
623名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 01:39:02 ID:KEDiawjZ0
それでもキャストが意外と足りてしまう不思議。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 01:59:08 ID:o7Ip7f2S0
>>622
武人なんて殆ど出てこないんじゃないか?
625名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 02:09:46 ID:S3jsAeZ80
>>624
そうかな?
戦の話が中心になるだろうから文官よりは武人の方が多くなると思うけど
626名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 02:23:49 ID:o7Ip7f2S0
歴史の教科書を見ればわかると思うが、時代の説明に出てくる人間は殆ど文官か文化人だぞ
627演義あらすじ:2007/04/29(日) 02:49:43 ID:KEDiawjZ0
01回:黄巾の賊が天下に大乱を起こし
  桃園で劉備、関羽、張飛が契りを結び、義兵を起こす 3人消費

02回:大将軍何進は黄巾党を破るも宦官に暗殺されて朝廷は混乱し
  董卓が洛陽に上洛し、兄帝に変えて弟帝をして献帝と成す 3人消費

03回:曹操の詔に諸侯集まり、袁紹を盟主として義兵立つも
   董卓抱える飛将・呂布の武勇が諸将を退け、敗れた曹操はエン州に逃るる 3人消費

04回:王允は美姫を使って董卓と呂布の間を裂き
   呂布は董卓を討ち、争い敗れて山東に出奔す 1人消費

05回:曹操の父を殺めた陶謙は劉備に助けを乞い
   父の仇を討たんがために曹操は徐州で殺戮を行う 1人消費

06回:陶謙は劉備に三度徐州を譲って倒れ
   曹操は呂布に留守を襲われエン州を失う

07回:呂布に逆襲した曹操は献帝を許都へ迎え入れ
   劉備の客となった呂布は、戟に矢を当て袁・劉の和を取り持つ

08回:呂布が軒下(小ハイ)を借りて母屋(徐州)を奪い
   小覇王孫策出陣し、玉璽によって袁術から亡父の郎党を取り戻す 2人消費

09回:袁術、皇帝を僭称して7軍をもって天下を併呑せんとし
   曹操は下ヒを水に沈めて呂布を討つ 

10回:曹操は献帝をまき狩りに誘い
   献帝は舅に皇叔劉備へ曹操誅戮の詔を送らせる。

11回:曹操と戦い敗れた袁術、蜜を求めて血反吐にまみれ
    劉備は曹操に背き、戦い敗れて袁紹のもとに落ち延びる

12回:関羽は劉備の夫人をともなって曹操にくだり
    赤面美髭の大男が、白馬で敵将を青龍刀の錆にする

13回:袁紹は戦に敗れて夢破れ
    ひとり関羽は千里の道を征き五関を抜いて義兄の下に立ち帰る

と、とりあえず官渡まではこんなもんか?
628名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 02:51:16 ID:KEDiawjZ0
まだ折り返し地点にも到達して無いのに、既に13人使ってるんだがorz
629627:2007/04/29(日) 03:00:24 ID:KEDiawjZ0
どう足掻いても赤壁までに24人使い切る。

アニメ横山光輝三国志的終了確定 オワタ\(^o^)/
630名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 03:08:48 ID:S3jsAeZ80
関羽、張飛は削れる
王允、陶謙も使わなくても説明できるだろ
これで4人削れる
24人内で収めようとしたら細かく説明なんてできないんだから大雑把でいいんだよ
631名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 03:53:29 ID:o7Ip7f2S0
「霊帝」があまりにアホンダラなもんで、世の中大混乱。
そんなもんだから「張角」がおこした黄巾の乱がえらいことに。
大将軍「何進」のもと、何とか乱は鎮めたものの、今度は「董卓」が「献帝」を擁立してやりたい放題。
「曹操」や「袁紹」といった軍閥が同盟して董卓と対抗し、これを関中に押し返すことに成功したが、
今度はこの同盟が大分裂して中国は地方軍閥の割拠する完全な乱世に突入した。
当初は「公孫サン」や「袁術」なども有力だったが、やがて華北は曹操・袁紹の争いに収斂される。
遂に、官渡で両者は対決し、曹操が勝利することによって新時代に突入するかに思われた。
しかし、漢皇室を自称する「劉備」や江南の豪族連合体に乗っかった「孫権」が同盟、
赤壁において曹操軍をけちょんけちょんにやっつけることで三国分立が成立する。
その後幾度もの小競り合いもあったが、曹操の死後、その息子「曹ヒ」が献帝から禅譲を受けて魏王朝を建国。
それを受けて蜀漢の劉備、呉の孫権もそれぞれ帝号を称し、完全なる三国時代に突入する。

その後十数年、蜀の丞相「諸葛亮」が何度も北伐を試みるものの目的は果たせず、
このまま魏による統一がなされるように見えた。
しかしながらその頃の魏の実権を握っていたのは「司馬仲達」やその息子たちであった。
やがて魏国は蜀漢を併呑するが、その実質は仲達やその息子たちの功績であったといえよう。
最終的には仲達の孫「司馬炎」が魏皇帝の禅譲を受けて晋を建国、その勢いのまま呉を滅ぼして遂に統一をなすのであった。

ところで、この時期は様々な文化が花開いた時期であった。文学で言えば曹操や曹ヒが活躍したが
それ以上に業績を上げたのが曹ヒの弟の「曹植」である。彼は唐代以前における最大の文学者として名高い。
また、思想面で言えば、前漢以降の儒教重視の風潮に対して、道教的な思想に基づいて清談にふける「阮籍」などが注目される。
それ以上に重要なのが、現代にまで続いている道教教団を形成した「張魯」であろう。
その道教の主要な神格となった「関羽」は、蜀漢の軍人として小競り合いに参加した程度ではあるが、
後世に於ける影響力は無視し得ない。
また、三国以後には貴族社会が花開くことになるが、それを保障したのが「陳群」による九品官人法であった。

さて、ここで中華の外部に目を向けてみよう。
かつて北方で勢力を振るった匈奴はこの頃にはすっかり影を潜めていたが、それでもちょくちょく登場するものである。
たとえば、長安から洛陽へ移動する献帝を助けたのは匈奴単于の子孫「於扶羅」であり、
彼の中華内への移住こそ後の五胡時代に活躍した異民族のはしりとなっている。
また、やや時代は遡るが鮮卑の「檀石槐」は北方草原を統一、この後数百年に渡って続く鮮卑王朝の大元といえるだろう。
また、我々日本人としては邪馬台国の女王「卑弥呼」の存在を看過することはできまい。

これらの事は、すべて「陳寿」による『三国志』に記載されている事項である。

とまあ、酔っ払った私に適当に書かせればこうなるわけですな。「」つきのが24人になってると思うけど。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 03:57:42 ID:S3jsAeZ80
>>631
文化云々のくだりはなしで24人使うとなると結構細かく書けそうだね
633名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 04:06:08 ID:o7Ip7f2S0
>>632
小競り合いで活躍した将軍よりはなにがしかの文化業績を残したほうが上だと考えてるんでこう書いてみた。
陳瞬臣のせりふでいう「南唐を滅ぼした将軍の名は伝わらないが、李イクの詩は現代にまで語り継がれている」って奴だね。
634627:2007/04/29(日) 04:15:20 ID:KEDiawjZ0
>>630
演義好きとしては、名場面は出来るだけ外したくないのじゃよ…。
登場人物の多すぎる宛城の攻防だけは外さざるを得なかったがorz
635名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 07:46:47 ID:W7C7Uym90
劉備なんか関張無しなら凄まじい豪傑になるな。
つーか劉関張で一人扱いにしないか?関張はスタンドということにして。
636名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 07:55:29 ID:vF82O+oSO
それは却下だ。すまない。
637名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 10:47:59 ID:W7C7Uym90
<年表>
220:漢魏革命
221:蜀漢建国
222:夷陵の戦、呉建国
223:第二次呉蜀同盟
225:南征
227:第一次北伐
228:石亭の戦、第二次北伐
229:第三次北伐
230:曹真の征蜀
231:第四次北伐
234:第五次北伐、魏延の乱

237:燕建国
238:司馬懿の征燕
244:曹爽の征蜀
249:司馬懿の乱
250:二宮の変
253:諸葛恪粛清
255:洮水の戦、毋丘倹の乱
256:段谷の戦
257:諸葛誕の乱
258:孫休の即位、孫綝粛清
263:鐘会の征蜀

264:孫皓の即位
265:魏晋革命
272:西陵の戦
279:杜預の征呉

<魏>
曹丕、曹叡
曹真、曹休、司馬懿、曹爽、夏侯玄、ケ艾
司馬師、司馬昭
公孫淵、毋丘倹、諸葛誕、鐘会
<晋>
司馬炎、羊祜、杜預
<呉>
孫権、孫休、孫皓
陸遜、諸葛恪、孫峻、孫綝、陸抗
<蜀>
劉備、劉禅、諸葛亮、姜維

まあここから絞るのが良さそうだな。
三国鼎立以前を入れると面倒すぎる。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 11:02:48 ID:5jIPwV+g0
>>637
お前馬鹿だろ。
三国志という物語は、曹操と諸葛亮の死を以て事実上おわってるんだよ。
群雄。英傑が活躍したのは動乱の時期。
いったん三国が定立すると英雄は出なくなる。
それに曹爽、夏侯玄、曹真、曹休、公孫淵、毋丘倹、諸葛誕など、すべてが器が曹操・劉備に劣っている。
仮にこいつらが動乱の時期に活躍していたら評価も変わっていたかも試練が、安定の時期にいたのだから
英雄ではない。
結論的には曹操がいってるようにこの世に英雄は曹操と劉備のみだと言うことだよ。
なんの勢力もなかった劉備がしきりに曹操に警戒されたように人傑というのがあるのだ。
639名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 11:17:23 ID:fBtAFqm70
悪政で黄巾の乱発生

鎮圧後、大将軍何進が宦官に殺される

混乱に乗じて西涼刺史董卓が政権を握る

袁紹を盟主とした反董卓連合発生

連合解散後、董卓が養子の呂布に殺される

皇帝を擁した曹操、河北の袁紹を破り天下に羽ばたく

南下した曹操、赤壁の戦いで劉備・孫権に大敗

放浪していた劉備、劉ショウの蜀漢を奪う

曹操の子曹ヒ、魏を建国。劉備も直後に蜀皇帝に

劉備の意思を継いだ諸葛亮が北伐を開始

諸葛亮、7度の北伐も利あらず死亡

諸葛亮の後継者のキョウ維、連年北伐を繰り返すが国力が疲弊、その頃孫氏の呉でも内紛が相次ぐ。

魏国内で司馬一族が権力を握る。晋王だった司馬炎が皇帝に即位。

その事件の前後、蜀が魏将ケ艾に攻められて滅亡。

暴君孫皓が支配していた呉も晋に攻められ降伏、三国統一

おしまい(14人)
640名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 11:20:11 ID:oDM2Vz7tO
てか姜維をいれるのは
641名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 11:24:26 ID:W7C7Uym90
>>638
>>638
三国時代は動乱の時代だろ。
小康状態はあったかもしれないが常時予備役総動員体制。
きみの意見はほぼ全てが同感だが、
このスレでは二十四人枠の為に自論のマイナーチェンジを心掛けている。
軽々しく人を嘲るなかれ。無礼である。
642名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 12:59:43 ID:B1WKdS9P0
黄巾から呉滅亡までの約100年を扱うべき
つーか>>510で12人決まったんじゃないの?
643名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 13:31:52 ID:W7C7Uym90
それだと二十四人枠に合わないと思うが。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 15:57:11 ID:K0bqqdt30
俺も>>637の中から選ぶよりは>>510前提に話を進めたほうが良いと思うぞ
純粋な功績で見た三国志なんて、歩のない将棋のようなものだから
645名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 16:25:34 ID:lOATOOaL0
三国志で過大過小評価されている武将 七人目
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1175223650/
646名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 23:33:19 ID:/eVtPcsH0
なかなか絞り込みが難しいねえ
647名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 23:35:14 ID:5jIPwV+g0
>>646
だから、英雄と呼べるのは曹操と劉備だけで十分。
あとは英傑・豪傑でいいだろ。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 23:43:27 ID:R84cwSbv0
>>510の上げてる英雄達は三国志を語る上で
誰の目からも納得のいく人選だからな。
俺も>>637の人選は文官、後期にかたまり過ぎてると思う。
武人を英雄と呼ぶのも関帝の例を見れば明らかなこと。




649名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 23:44:04 ID:zgyxPnN40
そのソースが曹操の言葉だけじゃな……>曹操と劉備だけ
650名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 23:54:07 ID:5jIPwV+g0
>>649
しかし、曹操はすごいよな。
地盤もなかった劉備の人傑さを見抜いていたんだからな。
劉備を自分の部下にしたかったが、劉備が人の下にたつ人物ではないことも見抜いて警戒してたんだからな。
651名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 00:22:38 ID:+3dwUyNR0
>>637
二十四英雄という言葉が気に食わなければ脳内解釈で
二十四英傑とかにでも変えてそれができないのなら
君はこのスレを立ち去った方がいいんじゃないか?

曹操・劉備がこの時代屈指の英雄というのは依存ないが
英雄は曹操・劉備だけで結構あとはイラネwとかいう
君の思考は俺等の英雄の解釈とは異なるしこのスレ向けじゃないんだよね。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 00:23:50 ID:+3dwUyNR0
あ、ごめん>>647だった
653名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 07:18:50 ID:j49/Q9p30
魏 曹操、曹丕、荀ケ、

呉 孫策、孫権、周瑜、陸遜

蜀 劉備、関羽、諸葛亮

晋 司馬懿、杜預

他群雄等 袁紹、張角、張魯、馬超

確定組はこんな感じでどう?
654名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 07:48:04 ID:Sry/U/kA0
>>631のでいいと思うが。
綺麗にまとまってるじゃないさ。
まーでも、三国志の英雄選ぶのに卑弥呼とか異民族はいらんかな。
3人入れ替えるとしたら、その代わりに赤壁で周瑜と
うーん。あと誰だろ。
あのスタンスで書くと、武将なんて入れる余地がないなあ。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 09:52:20 ID:4Il9hWZv0
英雄ってプラスのイメージのある奴じゃないとダメだと思う。
太平天国の洪秀全を英雄とは呼ばないだろ?
太平天国を独自の私兵とも言える軍隊を作り上げた曽国藩や李鴻章を英雄と呼ぶだろ?
だから黄巾の乱の張角や五斗米道の張魯は英雄とは呼ばないと思う。
コウホスウだろいれるとしたら。
656名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 10:11:58 ID:gEtaIv3H0
>>653
いいねえ。俺もその面子確定には激しく同意。
やはり、選出には正史、演義の両面から見てもいいと思う。


657名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 11:11:13 ID:m1QpZfzQ0
陸遜入れるなら呂蒙の方を入れたいな
軍事面での戦功ならこっちの方が上だしね。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 11:59:18 ID:957k49EUO
皇甫嵩は確定でしょ?
659名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 13:15:11 ID:+3dwUyNR0
>>653
そのメンツと比較するとやや馬超が弱いような感じがしないでもないけど
袁術や公孫サンなんかと比べると馬超には英雄としての華があるしそのメンツには異存ないな。

あとその中に追加加入できそうなのは皇甫嵩・ケ艾・呂蒙あたりが有力かと思う。
660名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 13:52:55 ID:5evbkO/+0
>>655
張角はともかく、張魯に何かマイナス部分は無いはずだが。

>>659
皇甫嵩は能力についてはともかく、閻忠の進言を断り、董卓を放置しているのが何とも。
何とかできる立場にあった唯一の人間だったというのに。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 19:07:23 ID:DjjNCj3K0
関羽が神様になったのは義侠的なもので英雄とは、ちと違わないか?
662名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 19:27:21 ID:gEtaIv3H0
>>661
正史評でも関羽はたった一人で万人の敵を相手に出来る猛将、国士無双など
武人として最高峰ともいえるほどの評価を受けてる。
曹操も関羽の立派な人柄を褒め称えたと、かの傑物からもまたお墨付きの評価までもらってる。
その反面、傲慢がたたって自滅を招いたなどの欠点もありありと指摘されてはいるが。
演義での鬼神っぷりは言うまでもないほど有名だよね。
中国の英雄が神になる性質に「義」は必須条件のようなもののようにも見えるよ。
大概の英雄神は義を重んじ、財貨を軽んじる。
とまるで水滸伝の好漢達のような連中が多いしね。
>>1の事項によれば、あくまでも三国志の中で扱われてる範囲とのことだから
恐らくそういった後世への影響力はこのスレでは論外になっちゃうと思うけどね。



663名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 19:31:33 ID:DjjNCj3K0
>>661
その評価も武人としてだし、将軍としての評価は弱くないかな?
英雄を決めるんだから将としての評価が重要かと。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 19:39:43 ID:4Il9hWZv0
>>663
そんなら将軍として韓信は中国史上最高ランクに位置すると思うけど、英雄って柄じゃないな。
665名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 19:57:35 ID:+3dwUyNR0
てか関羽が英雄なのは圧倒的な人気と神補正によるもんだろ?
英雄というのは将としての器も大事だけど
生き様や後世の人気・知名度も重要な要素だと俺は思うし
中国で最も人気のある英雄岳飛だってその口じゃないのか?

単に名将を決めるだけなら光栄三国志の能力値が高くそれでいて
正史でも十分高い評価を得ている二十四人を適当に選べばいいだけな気がする。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 01:44:55 ID:LZJIvjn+0
関羽は三国志の中で唯一メガテンに登場してるからな……
667名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 08:57:08 ID:+9MbCwbA0
この時代一番の英雄曹操に愛されてたんだから
関羽も入れてあげてください
668名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 10:17:08 ID:OIunVGL50
>>653の流れで異存なし
ただ、張角、馬超あたりは最終的には入れ替え候補になるかもね
とりあえずケ艾入れてくれよ
669名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 17:01:46 ID:EiyctoSx0
関羽が本当に優れていたなら江陵が呂蒙に奪われたとき住民は何と言われようと徹底的に抗ったはず、親族が軍に参加してるならなおさらね。
劉備に10万もの人が付いてきたのに関羽の時はすぐ取り込まれるってことは関羽自体は当時人気がなかったのかもしれない。
今の人気は小説のおかげだと思うが。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 17:09:25 ID:hH1WBaPs0
呂蒙が同じ様に優れていたからという解釈は出来ないかね。
美女(中原)に熱を上げて自分(荊州)を見失ってる男(関羽)より、
熱心に口説いてくる方(呂蒙)に靡くのも無理ないと思うが。
671名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 17:30:11 ID:RuGazFjB0
>>669
それ以前に、当時の感覚では「民」の文字は今で言う民衆を指すのではなく士大夫や豪族を差す。
士大夫層に人気の無かった関羽が、民に人気が有るわけがない。
そして、当時の民衆というのは、士大夫に対して隷属的であり、付属物でしかなかった。
民主主義国家じゃないから、民衆がどれだけ関羽慕ってようが、どうしようもないのよね。
兵士達も士大夫層が寝返った時点で、彼らによって家族を人質として取られて、どうしようもなくなった。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった関羽がアッサリ壊滅したのは、ここに原因が有る。

関羽は民衆と士大夫層とを同じように扱ったけど、勿論、それは当時の統治方針としては不正解。
しかし、これは政治能力として加味するべき部分であって、人気とは全く違う。
関羽死後、すぐに遺廟が建てられ、それを孫呉がアッサリ許したのが関羽が愛されてた証。
そして孫呉も、関羽を憎んで殺したのではなく、呂蒙も孫権も最大限の評価を与えたからこその騙し討ちだ。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 17:32:38 ID:06fYVnb70
呂蒙の努力家ぷりは故事成語にも残るほどだし
人格・将才・実績も優れてたんだから呂蒙も英雄に入れてもいい気がする。
673名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 17:34:39 ID:RuGazFjB0
>>672
刮目、男児三日会わざれば の故事は、古今東西の少年少女を奮い立たせる故事、名言だよね。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 18:07:19 ID:Nxw9NkB/0
>>671
でも、荊州の民は劉備を慕って土地を捨ててるほどで
士大夫層だけ人気が無い訳でもないだろう。
廟にしても関羽の死後次々と曹操、呂蒙と次々と死んで祟りを恐れた
原因もあり、愛されたり慕われたりとは言い切れないはず。
675名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 18:47:22 ID:RuGazFjB0
>>674
劉備に追従した民衆(こちらは紛れもなく民衆)は曹操に殺されて、追い散らされ、離散した。
それを関羽が保護して逃がす事に成功したのは演義だけの事。
よって、荊州における劉備人気というのは、その時点で霧散消滅している。

益州攻略の最中、荊州から諸葛亮・馬良などが纏めて去っている。
それでも荊州統治が瓦解しなかったのは、潘濬が行政の実権を握っていたからだ。
荊州における政治の声望というのは潘濬に対するそれであり、関羽はそこに関与していない。
その事は潘濬が孫権に召しだされると、いきなり荊州の統治を任された事と合致する。
では荊州における潘濬の声望はどうだったのかというと、劉表時代から非常に高かった訳で。

関羽は元々、兵士しか相手にしていない訳だが、兵士に対しては非常に慈しみを持って接していた。
農夫や商人が関羽と交流があった記録は存在しないが、元々管轄が違うのだから有るはずもない。
676675続き:2007/05/01(火) 18:59:07 ID:RuGazFjB0
関羽が兵力を失った事についての原因について説明する。

関羽は徐晃に敗北はしたものの、兵力の大半を保っていた事は関羽伝、徐晃伝に共通している。
また、呂蒙と関羽の間に直接の交戦が無かった事も、関羽、呂蒙、潘ショウの各伝で確認できる。

よって、関羽が兵力を失った原因は、呂蒙が士大夫を調略し、領土と人質を抑えた事による。
蜀書ではこれを人質と扱い、呂蒙伝ではこれを賓客として著しているが、これは記紀スタンスによるもの。
信頼の置ける記述としては、「呂蒙は、関羽の本拠地を落とし、兵の家族を確保してしまった」という事だ。

もう、この時点でどうしようもなく負けてるのだから、この状態で戦えるはずも無い。
劉備が江陵に逃げた時、荊州の人民にはまだ「江陵まで行けば何とかなる」という希望があった。
しかし、関羽が敗北にはそれがない。
ここから兵士を纏められるのは、それこそ神秘的な力でも無ければ無理だ。

古今東西において、本拠地を奪われた上、人質まで取られて兵力が存続した例は、ただの一例も存在しない。
677名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:11:44 ID:Nxw9NkB/0
なにを言いたいのか、よくわからんが
関羽の兵はあんまり関係ないだろ。
劉備の時は動いた民が関羽の時はまったく動かなかった
これは正史でハッキリと書かれてるはずだが?
678名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:14:03 ID:RuGazFjB0
>>677
劉備の時と関羽の時では状況が全く違うのだが…
679名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:18:38 ID:Nxw9NkB/0
状況は違うけど671のように愛されていたとは言い切れないと思うんだが?
680名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:21:53 ID:RuGazFjB0
>>679
反論の論拠が空転してるのに、その事をこちらが立証しなければならないのか?
681名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:26:41 ID:RuGazFjB0
あ〜纏めてみた。

劉備の時

 危機:曹操が南下してきた

 状況:当時劉備は民衆、士大夫ともに人気があった
    劉備は「無傷」の兵力を保有していた
    劉ソウ派が抑えていたのは「襄陽だけ」であり、江陵は政治的空白状態だった
    江夏には劉備派として劉キが駐屯していた
    民衆は妻子も引き連れてまとめて江陵への移動が可能だった
    曹操はまだ千里の彼方にいた
    曹操は色々な事も有って、人々から「曹操から危害を加えられるかも」と恐れられていた。

関羽の時

 危機:前方に曹操軍、後方に孫権軍

 状況:関羽は兵卒には優しかったが、士大夫層はおろか、同僚、現地の政治的指導者とも反目しあっていた
    関羽の兵は疲れ果てていた。(これは勿論、関羽の責任。
    落とすはずだった襄陽・ハン城は曹仁に守りきられ、南郡は呂蒙によって陥落している。
    援軍なし。上庸には見捨てられ、本国からは遠すぎる。
    すでに人質を取られており、士大夫層は皆敵側。この情報も呂蒙側によって流布されていた。
    目の前に徐晃軍。後方には呂蒙軍。挟撃。
    呂蒙は荊州を恩顧と仁愛をもって統治する事を表明していた。

この2つの状態が同じように切り抜けられると言うなら、本当に筋道立てて教えて欲しいですよ。    
682名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:31:12 ID:RuGazFjB0
劉備だって、関羽のような状態になったら見捨てられないハズが無い。
明確に、詰んでるから。
関羽の状態になってまだ兵力が瓦解しない例ってのは無いんですよ。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:33:27 ID:Nxw9NkB/0
>兵卒には優しかったが
これもちと違う、優しいのではなくよく待遇したのはず
名を恃んで猪突猛進してしばしば兵を失う関羽が兵に優しいとは言えないだろ。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:35:23 ID:bBZu3ViZ0
あれは呂蒙の作戦勝ちだろう。
誰だって肉親の情には勝てないもの。
いくら関羽に人望があろうとも荊州を再び奪還するという行為は
家族に刃を向けることにもなる。
こういう状況に持ち込んだ呂蒙もまた大物だったということなんじゃないか?

685名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:41:09 ID:Nxw9NkB/0
関羽が江陵を取られたこと信じられず、暫く江陵うろうろしたあげく
兵に全員逃げられてる。
江陵を取られたからすぐ軍が瓦解したわけじゃない。
686名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:48:47 ID:Nxw9NkB/0
>>684
劉備は劉璋から益州兵を借りてそれを益州攻略にも使ってる。
この当時、肉親の情は今ほどあるわけではないだろ。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:51:53 ID:RuGazFjB0
>>683
兵卒には優しかったというのは正史の記述からだ。
優しかったという事を、陳寿がわざわざ書き残してるからには、そういう評判が有ったという事になる。
つまり、関羽が「俺は兵卒に優しい」と喧伝して回っていた訳ではなく、
「関羽様は兵卒に優しくしてくれる」という事を兵士達が言っていた。そのような記録が有ったという事だ。

「名を恃んで猪突猛進し、しばしば兵を失った」という言葉は、一体何処に載ってるのだろうか。
孫権伝には「関羽は自分の武に恃んで、襄陽攻略を諦めなかった」とは有る。

戦史で見てみよう。

前半の関羽は基本的に劉備の副将だが、劉備が無駄に兵士を死なせた例は存在しない。

劉備が謀反し、徐州で曹操に囲まれた際には、大将として無駄に交戦せず潔く降伏する決断を下した。
官渡では、少数で多数に突っ込んだ記述は有るが、自身死なず、兵を損なったとは書かれていない。
(ここで死んだらどうするつもりだったんだろうな。

樊城では、どう考えても関羽は寡兵(荊州には3万しか兵が居ない)だったが、
倍以上(15000を宛から移動させているので、少なくとも3万は動員できた)の曹仁を撃破した。
この時点で大きく兵を損なっていたなら、作戦を継続しはしなかっただろう。
というより、ここであまりにも鮮やかに勝ってしまったために、増長したようなのだが。

関羽との戦いで無駄に兵士を死なせたのは、ホウ徳だが、彼の行為は上役から見れば忠義だった。

ウ禁は関羽に降伏したが、この行為は多くの兵士を救った。
彼の場合、周囲が「関羽に敗れたのではなく天災に敗れたのです」と弁護した様に敗北は不幸な出来事だったが、
その判断自体を不忠だと述べ立てたのはむしろ曹操、曹丕といった上役の方だ。
これは、組織の綱紀粛正を考えれば仕方の無いこと。

呂蒙によって兵力が瓦解した後、関羽が逃亡兵を粛清したり、咎め立てした記録は存在しない。
また、関羽の残党を、呂蒙が恩愛をもって待遇している記述が有ることを考えれば、生還した可能性が高い。

さて、何時、関羽が無駄に兵士を死なせているのだろうか?
688名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:01:54 ID:Nxw9NkB/0
なぜ官渡からいきなり樊城まで飛ぶのか?
>兵を損なったとは書かれていない。
あとこれも随分無理があるし。
第一、楽進に負けたことは無視だし。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:12:41 ID:UGr065C50
>>687
「関羽が勇名を恃んで、作戦もなく、気の向くままに軍を進めた為、前後数度にわたり兵を失った」
というのは、廖立伝にある廖立の言葉だね。

ただ、これは左遷された鬱憤晴らしに愚痴ったものなので、そのまま受け取らない方が良いと思うけどね。
690名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:16:23 ID:RuGazFjB0
>>688
その間の軍事活動は全部劉備が主体で、関羽の記録じゃないからだよ。
楽進に負けた時の敗北は、関羽に致命打を与えたとは書かれていないはずだが。
それに、あれは劉備が江陵逃がれるまでの殿行為であり、戦局がどのように展開したかも分からない。
そも、劉備が荊州でどれほど劣勢だったかについては、いみじくも貴方自身が言い出した事。
勝てるような兵力差ではなかったのはご存知ですよね。
劉備を逃す事が出来た関羽は、それでも惨めな敗北なのでしょうか?
(まぁ、江陵脱出で一番活躍したのは張飛と趙雲だけど。

そのように、良く理解もせずに、得意げになって揚げ足取りをするのはどうかと思う。

それに、もしも関羽が無駄に兵士を死なせていたなら、
程イク伝で程イクが呂布に対して述べたように、「匹夫の雄(ならず者の親玉)」と評されていただろう。

だが、関羽に対して「国士」だの「万人の敵」だのと言う評判は有っても、敵からすらもそれに類する悪評は無い。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:17:21 ID:RuGazFjB0
>>689
発見ありがとうございます。
史実に無いというのは取り下げ、その点について謝罪します。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:35:18 ID:hH1WBaPs0
手柄の薄い夫差や項羽を語るようなものだな。
当時の士大夫の評判を信じるなら図抜けて強かったのは確かだろう。
副将としては優秀だが、大将としては半人前。
軍を破るも全う出来ず、国策を破る原因になってるのは大失策。
693名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:44:14 ID:RuGazFjB0
ああ後、関羽の北伐についての廖立の指摘は正しいとも思うな。
関羽の潘濬、麋芳、士仁に対する扱いは不適当で、
孫権伝にあるように孫権の裏切りを曹操の矢文で知っていたなら、そこで引き返さなかったのはどうかと思う。

ただ、呂蒙が皆殺しにしていたなら、あるいはそこまでに無駄に負けてるなら兎も角…そうではないからなぁ。

>>692
関羽が二十四大英雄に相応しいかといわれると、そうだとは自分では言えない。
大将としてやっちゃならない事をやったとも思うので。
劉備の任命責任を問おうにも、益州攻略が相当きつかったのも事実。
関羽の敗北、それに続く張飛の死、夷陵での敗北、そして劉備の死は、蜀滅亡の遠因である。
と、諸葛亮の人材面での悩みを見てると推察出来るものねぇ。

罪科が大き過ぎるのはその通り。
694名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 21:34:53 ID:hH1WBaPs0
>曹操が二十四大英雄に相応しいかといわれると、そうだとは自分では言えない。
>英雄としてやっちゃならない事をやったとも思うので。
>赤壁の戦争責任を問おうにも、兵站が相当きつかったのも事実。
>赤壁の敗北、それに続くジュンイクの死、漢中での敗北、そして曹操の死は、魏滅亡の遠因である。
>と、司馬一族の専横を見てると推察出来るものねぇ。

こんな具合に改変すれば、この時代の第一人者にしてからがこの有様だからなあ。
関羽が重要な人間の一人なのは疑いないが、結末から逆算すると微妙。
名前を抜きに考えれば死に際のギャンブルに失敗した負け犬。
219年の時点ではかなりの高齢にも関わらず、長生きして領土を切り取りまくって貰わないと困るが、
失敗されるくらいなら直ぐに死んで貰ったほうがマシという微妙すぎるお方。
だから最後は主観の問題になる。
一度や二度の失敗で根本的に動揺するような戦略を立てる諸葛亮にも問題はあるけど。

ただ彼らを酷評し過ぎると、
蜀という弱小勢力にあそこまで梃子摺る魏が雑魚過ぎることにならないだろうか?
695名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 21:53:40 ID:RuGazFjB0
>>694
曹操の場合、それでも、詩才、屯田を本格的に採用した事、兵雇制、など他の要素でもプラスが有る。
青州で黄巾相手に武名を轟かし、呂布を討ち、運でだが袁紹には勝ち、涼州での鮮やかな勝利も加味できる。

関羽の場合、純粋に軍人であるのに、戦功が、蛮勇としてのみ記録に残り、マイナスが軍事的失敗。
それでも匹夫と呼ばれなかったからには、何らかの理由が有るのだろう。
と、思うしか無い辺りが微妙な行き違いを生む。

弱小勢力に魏将がてこずってるのはその通りなんだけど、戦術・戦略目標はきっちり遂げてるんだよね。
魏の五将は全ての命令を、そつなくこなした。
司馬懿は負けないという仕事を成し遂げた。当時、彼に漢中侵攻の勅は無かったから。
彼らの武名に汚点は無かった、と言って良い様に思う。

自分は事例からいって「自分は〜を二十四大英雄には推挙出来ない」とは述べたけれども、
>>694さんの方針によって他の人が誰かを推挙し、皆によって選ばれる事に対しては反論しない。

正確性を欠く非難によって、人物が中傷される事が不満だっただけなのです。
696名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 22:00:56 ID:Xf0ac7g90
>>695
おまえなにいってんの?
697名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 22:12:19 ID:Wz9d+Ggo0
関羽は軍事的能力ではなくその人気を評価してのランクイン
呂蒙を推すなら、「関羽に勝った」ではなく「荊州を得た」という表現が吉
698名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 22:22:11 ID:RuGazFjB0
>>696
書いたままを述べてるだけですよ
699名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 22:42:03 ID:06fYVnb70
関羽反対派で思い切り勘違いしてる奴がいるみたいだが
関羽ランクインに依存の無い俺とか他の人達は別に関羽の将才が
凄いからとかは思ってなくて単に三国志ファン全体の
人気が凄いから関羽ランクインに依存ないだけなんだよ。
700名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 22:44:02 ID:Xf0ac7g90
項羽と劉邦、漢と楚の戦いで英雄は項羽と劉邦だけだろ。
三国志では曹操と劉備のみ。
三国志は曹操死後は物語もおもしろくなく、事実上ここで話はおわってるから曹操、劉備死後の人物はいれなくてよい。
701名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 22:48:35 ID:06fYVnb70
>>700
またお前か……
本当に曹操と劉備大好きなんだね。
702名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 22:59:38 ID:XFPW191L0
>>700
そういう結論が自分の中にあるなら、
このスレに来る必要は無いんじゃないかな?
703名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 23:14:28 ID:RuGazFjB0
関羽については無理して入れようとはしないが、入ったからといって別に。
というのが自分の立ち位置だなぁ。

>>700
しかし、本当に曹操が好きね。
704名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 23:31:20 ID:hH1WBaPs0
孫策、馬超、劉備、呂蒙でさえ一州程度を切り取るのがやっと。
官渡戦以後に数州単位を征服する将器と軍隊をもっていたのは曹操だけ。
その曹操が死んだ時点で、当時の魏の国力では統一は先送りになった。
あとは戦線維持で一杯一杯。勝ったのはそれを崩せなかった呉蜀の自滅。
705名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 23:47:36 ID:RuGazFjB0
ふむ。
本当に身も蓋も無くなったな。
706名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 23:53:53 ID:eYZsfeAp0
曹操は魅力的
707名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 00:26:07 ID:/vDrfOhf0
魏 曹操、曹丕、荀ケ、ケ艾

呉 孫策、孫権、周瑜、陸遜

蜀 劉備、関羽、諸葛亮

晋 司馬懿、杜預

他群雄等 袁紹、張角、張魯、馬超、皇甫嵩


>>653にケ艾と皇甫嵩を足してみた これで18人
確定よりは暫定って言っといた方がいいかな
708名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 01:06:01 ID:gEbsqImq0
皇甫嵩は、どうなんだろうな。
夷秋・反乱者は打ち破り、作戦に対しては皇帝・宦官の介入を許さなかった。
韓遂・辺章の乱時点までは、職業軍人としては最高の仕事をしたと言って良いと思える。

しかし、社稷の臣として、となるとどうか。
閻忠の申し出を断るまでは良かったが、王国討伐戦では董卓の罠にはまって失脚した。
何進と宦官の争いを止められる立場に居ながら放置し、上洛した董卓を野放しにした。
反董卓の義兵が上がると、これを積極的に滅ぼすでも加担するでもなく静観。
朱儁が起こした義兵に対しても何ら行動を取っていない。
そして、李カクらが乱を起こすと、まもなく病死でフェードアウト。

矜持と国難に対する行動だけ見れば、まだ朱儁のほうがマシに思えるんだよな。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 01:32:02 ID:/vDrfOhf0
確かに皇甫嵩はいろいろ放置しすぎてるよなぁ…
それを差し引いても黄巾討伐の功は抜群だと思うんだがダメかなー
710名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 01:40:21 ID:gEbsqImq0
軍人としては、大げさかもしれないが、ベリサリウスにも匹敵すると思う。
もしも後漢王朝が落ち目ではなく、彼が死ぬまで全うされていたなら。
董卓に失脚させられていても、それは董卓の名を貶めるだけに終わっただろう。
そこから先の汚点を蒙る事もなく、無論閻忠に謀反を唆される事も無かっただろう。
太平の世に謀反を拒むのはむしろ美談でもある。

しかし、時は乱世の入り口。
閻忠の申し出を断ったからには、社稷の臣として生きてこそ、だったんだよなぁ。

…とは思うんだけど、やっぱりスゴイ軍人なのも本当な訳で。(演義じゃただの業つく爺だが)
成すべき事を成せる立場にありながら成さなかった…というのは、一体どの位減点されるのか、難しい。
711708.710:2007/05/03(木) 01:44:22 ID:gEbsqImq0
あれ。ID変わってら。
712名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 07:25:50 ID:8Q2gnHjw0
>>695
呂蒙に熊虎とか獣に例えられたり、
詐術と武力を自負し裏切り者と、道理をわきまえない匹夫扱いされてるが?

>>699
英雄ではなく人気があるのを決めるの?
713名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 09:33:17 ID:gEbsqImq0
>>712
すくなくとも、呂蒙伝原文に匹夫の文字は無いよ。

何伝の話なのだろう?
714名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 11:57:10 ID:8Q2gnHjw0
ひっ‐ぷ【匹夫】
身分のいやしい男。また、道理をわきまえない男。

ひっぷ‐の‐ゆう【匹夫の勇】
思慮分別なく、血気にはやるだけのつまらない勇気。

獣に例えられたりしてるし条件は十分満たしていますが?
715名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 12:22:28 ID:gEbsqImq0
>>714
君の脳内では匹夫である事が前提なのだろう。

呂蒙はむしろ

・知羽驍雄

 関羽が驍雄である事を私は知っている

・且羽君臣,矜其詐力,所在反覆

 関羽とその主君(劉備)は、詐術を駆使し力に訴えて 従えば背いてばかりいる

と、関羽の能力を正統に評価しつつ、危険性を説いている。

呂蒙が関羽を正当に評価していたからこそ、あの完全な勝利が有る。
関羽を貶めたいばっかりに呂蒙の人物眼まで勝手に貶めないで欲しいのだが。
716名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 12:48:44 ID:8Q2gnHjw0
魯粛に
・而関羽實熊虎也
関羽の実態は熊虎そのものです。

・梗亮有雄氣,然性頗自負
剛直で雄大な気迫を持っておりますが、
その一方で自負心が非常に強い性格で、他人の上に立つことを好みます。

驍雄とかも強く勇ましいとかの意味だし、名将とか英雄ではないよ。
717名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 13:01:39 ID:LQRRV+Ny0
どっちにしろただの匹夫とは全然表現が違うな
718名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 13:14:53 ID:7T/L5IDr0
関羽以外に ID:8Q2gnHjw0 が英雄に相応しい人物を二十四人選別して
なおかつ俺らが納得できれば関羽外しても異存ないよ。
無理だと思うけどw
719名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 13:29:00 ID:gEbsqImq0
>>716
ふむ。魯粛伝か。これは失敬。遺漏があった様だ。申し訳ない。

しかし、それは能力面というよりは、危険性を説いたもの。

孫堅は公孫度伝において魏国によって狼と呼ばれているが、匹夫だろうか?
曹操は後漢書袁紹伝で豺狼、鷹や狗のような奴と呼ばれているが、匹夫だろうか?
劉備は呂布から大耳児=ブタ呼ばわりされたが、匹夫だろうか?
許チョは虎に喩えられているが、匹夫だろうか?
司馬懿は狼のようにビクビクし、鷹のように目つきが悪かったとされるが、彼は匹夫だろうか?

ただの一度でも敵対手や政敵に野獣呼ばわりしたことで匹夫だとみなすなら、
上の人も全て匹夫とみなされなければならない。

それに周瑜は同じ熊虎の臣という言葉を引いて、

以梟雄之姿、而有関羽・張飛熊虎之将、必非久屈為人用物

劉備は梟雄であり、関羽、張飛のような熊虎というべき将が側にいる。
人に用いられる者として長く屈する事はありません。

としている。(呉書・周瑜伝
これは馬鹿にした言葉だろうか?

関羽に対する魯粛のそれは、呂布に対する匹夫の使われ方とは、明らかに違う。
あれは、ならず者の親玉、ただの蛮勇という意味だ。
解釈が穿ちすぎだと思う。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 13:44:09 ID:8Q2gnHjw0
>>718
二十四人もいない者を無理に決めて英雄では無い者も入れるよりマシだと思うが。

>>719
動物=匹夫とまでいかないが
中国で獣に例えられるのはマイナスイメージもあるはずだが?
721名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 13:49:13 ID:gEbsqImq0
>>720
少なくとも、ちくまでは「熊虎=勇壮無比」として訳してるよ。
それに、程普、韓当、黄蓋は「虎臣」と称されて称揚されている。
虎臣に悪いイメージは有るのだろうか?

孫堅は演義では江東の虎と呼ばれてるが、もしも虎のイメージが悪いなら、
羅貫中には孫堅を意図的に貶める意思があった事になる。

諸葛亮と諸葛キンと諸葛誕を比べて「蜀はその龍を得、呉は虎を得、魏はその狗を手に入れた」

とあるが、この例は諸葛亮と諸葛キンを貶めてるのかな?
貶められたているのは、狗に評された諸葛誕だけだと思われるのだが。
722名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 13:59:06 ID:8Q2gnHjw0
評価として上なのは昔の偉人に例えられることなんだが
それらに比べたらランクダウンの評価なのはわかるよね。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 14:01:34 ID:gEbsqImq0
>>722
それ=匹夫ではないでしょう…匹夫は取り消さないのかね?

別に関羽の事を古今東西最高の武将なんて誰も言ってませんって。
724名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 14:07:21 ID:8Q2gnHjw0
廖立伝に名を惜しみ兵を失うとか、他国でのマイナス評価がないとか、
それに呂布に対する匹夫と同類とか一言も言ってませんが?
725名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 14:15:33 ID:gEbsqImq0
調べてみたが、孔明は馬超、張飛を英布、彭越と比べながら、
関羽のことを絶倫逸群(そんなものとは比べ物にならない)としている
これは勿論、おだて半分だが。

劉備は廬植に師事したくせに、あまりたとえ話をしていないのも痛いな。

>>724
はぁ。そうですか。
726名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 14:26:32 ID:gEbsqImq0
>>724
呂蒙伝に匹夫の文字はなく、かならずマイナスの意味で解釈出来る文面ではない。
であるのにも関わらず、恣意的に解釈する。
この事は、別な見方が有るという点では間違いではない。

>>715で脳内呼ばわりした事でカチンときたのかもしれない。それについて謝罪する。申し訳ない。

そこを指摘して反論すると、魯粛伝の記述をまた恣意的に解釈して反論する。
之も間違いだとは思わない。そういう解釈も成り立ちうるからだ。

話を変えて古の名将と比べられるものではないと言いだすのもおかしいとは思わない。
何故なら、確かにその通りだからだ。
古の名将と比べて関羽が優れているとは言っていないと

しかし、匹夫の解釈論を持ち出すのはおかしい。
何故なら、辞書から引いてきた文面を持ち出したのは貴方だからだ。
また、こちらがレッテル貼りを行っているかのような印象操作を行うのはいただけない。
727名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 14:41:08 ID:7T/L5IDr0
でも周瑜とか孫権とかも古の名将に例えられてないよね。
英雄候補の中で例えられてるとしたら孫策(項羽)荀イク(張良)
劉備(劉邦)諸葛亮(管仲・蕭何)くらいじゃない?
728名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 15:27:48 ID:gEbsqImq0
>>727
一応、
ケ艾(白起、ケ禹)、司馬懿(伊尹)
孫権(越王勾践)
諸葛亮(管仲、蕭何、張良)
袁紹(郭嘉が項羽と同輩であるかのような表現をしている)、馬超(英布)

とあるから、向こうの言い分は一概に間違いじゃないんですよ。
729名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 16:04:42 ID:9NIl6Q1k0
だからといって、動物(?)に例えられるのが一段落ちるって
あんまり関係ないのと違うの?
730名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 16:11:28 ID:gEbsqImq0
>>729
龍虎は人傑を差し、も狗、狼、鼠、豚は罵る際に使われます。
その点で、熊や虎にたとえられる事は、匹夫であるという事には繋がらないと思います。

ですが、古の人に喩えられるのが最高というのは、儒教ではそうなんです。
関羽には古の人と比べての評は有りませんからね。
曹操のように超世の傑(比べようも無い人)という評もついていませんし。

こちらの言い分も、結局は決定打にはならないんです。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 17:21:22 ID:LQRRV+Ny0
実際に匹夫扱いされてる記述が無いならそれが決定打なんじゃないの?
廖立伝のアレはただの苦し紛れの嫌味なんだろうし
732名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 18:29:17 ID:qWqv0dqG0
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上二つとは正に雰囲気が一緒だなー、二度と見たくないという感じが。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 18:38:29 ID:KB6yZb7l0
関羽って将軍としての能力は楽進・李典なみだろ?
734名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 18:38:39 ID:Xn4uk00j0
皆、好きな人物が違うからこそ拘りのぶつけ合いなんだろうね。
単なる荒らしもいないし、良スレではあると思うよ。
735名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 19:36:56 ID:9NIl6Q1k0
>>733
李典ってかなりの重要人物じゃなかったっけ?
736名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 20:12:51 ID:KB6yZb7l0
>>735
楽進・李典・干禁は能力的には同格。
李典は一族の勢力みんな曹操に属したから重要人物だな。
737名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 20:23:22 ID:gEbsqImq0
>>731
人に説明するときに相手にそれを受け入れられなかったら、
または説明にアラがあったなら、
その時点で私自身は自分の意見を取り下げるべきだと思ってます。
場の雰囲気が悪くなっちゃいますからね。
自分では中々見極めが出来ないです。
738名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 20:24:50 ID:KB6yZb7l0
>>737
お前何言ってるのか分からないよ。
言葉は丁寧だけど、文章構成能力がないよ。
落ち着けよ。
お前の場合はアラビア語でOKだから。
739名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 20:27:47 ID:gEbsqImq0
>>738
以後発言は控えます。
740名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 21:04:15 ID:zNXEQ/PnO
>>738
そんなこというなよ
>>739だって一生懸命生きてるんだよ。
741名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 22:04:33 ID:+c9HQ1mw0
俺の場合はズーズー弁でもOK
742名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 23:17:25 ID:7T/L5IDr0
>>737
心配するな、俺には普通に通じたから。
743名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 09:33:22 ID:cJcjy/Os0
曹植いれてよ
744名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:07:05 ID:Rzy6M7lb0
魏 曹操、曹丕、荀ケ、ケ艾、曹植

呉 孫策、孫権、周瑜、陸遜

蜀 劉備、関羽、諸葛亮

晋 司馬懿、杜預

他群雄等 袁紹、張角、張魯、馬超、皇甫嵩


どうぞ
745名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:12:50 ID:cTAKmEzx0
当代に英雄は曹操と劉備のみで十分。
曹植が英雄なんてすごい違和感感じる。
英雄の定義はおいといても康煕帝や洪武帝。永楽帝当たりに匹敵する人物じゃないとな。
746名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:17:31 ID:aH7QghUN0
出勤ご苦労様です。

>>744
異議なし
747名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:25:07 ID:jU+kCFKz0
反対意見が出てるから関羽と曹植は保留にしとこうよ。
748名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:26:36 ID:Al3X9Phd0
康煕帝や洪武帝や永楽帝はどうすごいの?
749名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:36:41 ID:cTAKmEzx0
>>748
それくらいの知識もない人が出入りするなよ。
750名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:45:28 ID:aH7QghUN0
>>745
雑談スレで何を今更
751名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:59:02 ID:Al3X9Phd0
>>749がどうすごいと思っているか、知りたいだけなんだが。
752名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 22:45:26 ID:PBzVOoWI0
>>749
空気読まずに英雄は曹操・劉備だけで十分だとしつこい主張を続けてる奴が
このスレに出入りするよりかは遥かにマシだと思うがな。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 23:23:38 ID:vvskIzLl0
なかなか揉めますなあ。
次スレを立てるとしたら、24人のままでいいのかな?
754名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 12:58:16 ID:glK/vKIw0
>>747
曹植は議論だが、関羽はトップクラスの英雄だろ。
世界的にも中国が誇れる国の英雄なのにたかが一時代
三国時代という小規模な時代の観点からみたらそれこそ雲の上のような存在。
言いたい事が分からんでもないが、あれほどの大英雄を「三国志では〜」的な
目線のみで語るのは野暮ってもんだ。
関羽という存在のスケールそのものが三国志より溢れ出るほど偉大なのは
誰の目からも、そして現在に残る証拠としても明らかなので省いてしまうと
他国の文化に無頓着な日本人の恥を晒してしまうような気がするよ。
755名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 13:26:24 ID:M5lOiHZD0
換羽ってそんなすげぇ英雄だったのか

(; ´д`)ノシ∩ ウヘェー
756名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 16:22:24 ID:fCZPfLaC0
実際の事績はともかく
知名度、後世での影響力を考えると
関羽が三国時代屈指の英雄というのは間違いではないよ
757名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 18:09:32 ID:8s8wt9df0
でもなあ、三国時代の英雄ゆえに今の知名度があるわけではないからなあ。
後世での影響力も関羽ではなく関聖帝君、死後に活躍したわけだし。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 18:27:59 ID:CyInkGcw0
【みんなで】 戦国名将二十選 【決めよう】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178529892/

戦国名将百選が落ちたので、数を限定して立て直してみました。
759名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 18:32:52 ID:IEJHFNb10
でも実際無双厨と一部の正史厨は置いといて
そこそこ三国志知ってる人に三国志一の英雄って誰か?って質問したら
劉備・関羽・諸葛亮と曹操の4人がトップ4だろうな。
760名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 18:42:21 ID:8s8wt9df0
それは、有名だからだろ。
そこそこ三国志を知ってるのは演義系列の吉川系か漫画だからだろ。
英雄を決めるのに物語を出してもしょうがないし。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 18:51:19 ID:BqzziJkB0
関羽・諸葛亮・曹操は不動だろ。
一部のアンチ目線な厨房がそれぞれに
関羽は荊州敗戦の失態
諸葛亮は内政のみの人間
曹操は中国本土における低人気

などを指摘して叩きまくる醜い様を見せ付けてくれるが
この3人は三国志でも屈指の英雄だと思う。
別格とも言えるんじゃないかな?
762名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 18:54:43 ID:fCZPfLaC0
逆に知名度の低いやつを英雄とは呼べないしな
関羽は同時代の人間にも名を馳せていたし
信仰として根づき、後世での知名度なら圧倒的
単に物語で人気が出たのではなく
もともと民間で人気があったから物語なったわけだし
763名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 19:04:38 ID:8s8wt9df0
>>762
>関羽は同時代の人間にも名を馳せていたし
英雄として評価できるのはこれだけでしょ。
後世での知名度は何度も書くが関聖帝君、生前の関羽ではなく死後の関羽。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 19:40:24 ID:BqzziJkB0
正史でも関羽評は一英雄を思わせる書き方になってるよ。
関羽・張飛は一人で一万人の敵を相手に出来る猛将、国士の風格がある、当代随一の猛臣
その他、袁紹軍の顔良を討ち取った話、曹操軍の于禁を生け捕り、鳳徳を処刑した話
毒矢を腕に受け、それを治療する際麻酔抜きで腕を削られながらも談笑しながらそれを受けてた話
曹操にも立派な人柄を評価された話など。

のちに関羽伝説の幕開けとなるには十分すぎるほどの逸話だと思うが?
そもそも英雄として語られるのはそれなりの資質を備えているのが条件。
野良の凡人ならここまでの英雄神にはならないよ。
765名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 19:53:26 ID:9kCeXPPM0
良くも悪くも時代の中心にいた男には違いない。>関羽
766名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 20:37:48 ID:8s8wt9df0
プラスの評価は兵の将としてがほとんど。
マイナスの評価、行動になればむしろ英雄から遠ざかる。
プラスだけで語るならそれこそ呂蒙、贔屓目で呂布、董卓も入ってしまう。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:08:33 ID:IEJHFNb10
時代の中心という意味では李カク・袁術・公孫サンくらいは当時の影響力あったし
こいつらを入れるくらいなら関羽の方がまだまだマシだと思う。
魏 曹操、曹丕、荀ケ、ケ艾、曹植
呉 孫策、孫権、周瑜、陸遜
蜀 劉備、諸葛亮
晋 司馬懿、杜預
他群雄等 袁紹、張角、張魯、馬超、皇甫嵩
にプラス呂蒙陸抗くらいの一流の名将だけで済ますなら関羽いらねwとは思うが
関羽外すなら人気も無いし欠点も関羽以上に酷い奴等は絶対いれないでほしい
768名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:10:29 ID:x+g5dsZX0
>>767
なんで曹植なのか、全然分からない。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:11:50 ID:IEJHFNb10
あ、ごめんただのコピペだから曹植は外しといてw
770名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:13:39 ID:8s8wt9df0
関羽信仰が始まったのはまず唐から、そして明で一気に広まったわけだが
唐の前の時代にどこまで祭られていたのか?
そしてなんでほとんどの関帝廟に周倉爺がいるのか?

>>765
中心にいたとしても荊州戦の時だけでしょ。
あとは劉備軍では劉備が中心だし。
771名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:17:02 ID:M5lOiHZD0
>>770
どうも、このスレでは現代の評価で語られているようだ。
なので、

・唐以前の信仰
・周倉が関帝廟に奉られている

この二つを問題視するのかが分からん。
772名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:20:23 ID:8s8wt9df0
>>767
たしかに李カク難しいがそいつらに比べて群雄だから関羽を外して
英雄に無理があると思う。
むしろ、ケ艾、杜預、呂蒙、陸抗は名将枠で英雄に入れたくないし。
773名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:22:16 ID:8s8wt9df0
>たしかに李カク難しいがそいつらに比べて群雄だから関羽を外して
>英雄に無理があると思う。

たしかに李カクは難しいがそいつらに比べて群雄を理由に関羽を外して
英雄に入れるのは無理があると思う。
774名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:25:48 ID:qDhSTCzH0
人口800万人しかいない時代に24人も英雄なんているかよw
775名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:31:21 ID:8s8wt9df0
>>774
同意だな。
劉備と曹操だけとは思わないが三国時代だけで24人は多すぎる。
776名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:40:11 ID:x+g5dsZX0
>>774
後漢末から三国が人口800万人なんてマジで信じてるのか?
漢書よんでみ。州毎の人口が書いてあるから。
後漢末以降の人口は国家が人民を把握する能力が少なくなったから少な目に出るくらい
常識だろ。
777名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:55:02 ID:qDhSTCzH0
ツッコミどころはそっちかよw
24人には異論がないんだなw
778名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 22:08:59 ID:/O3D3Yoh0
じゃあ陸遜とかも名将枠でよくない?
779名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 22:11:48 ID:EQOIYKqB0
板名とスレ一覧見てたら、登場人物なら誰でも英雄でいい気がしてきた
780名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 23:57:25 ID:BqzziJkB0
>>775
不覚にも吹いたw
なかなか上手くなってきたな、お前!
781名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 11:10:28 ID:cvfw1Dhj0
陳羣!陳羣!
782名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 19:27:37 ID:tsqmGA+H0
荀ケ、ケ艾、周瑜、陸遜、杜預もよく考えたら審議だよな。
関羽でさえアレコレ言われちゃってるんだもの。
公平な目線で見て関羽以下の知名度、活躍度しかない連中を英雄と呼ぶわけにもいかないだろうし。
まあ、そうなると名前が知られすぎてる一部の存在に限られそうだけどね。
783名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 20:25:26 ID:dTea9mlf0
>>782
>荀ケ、ケ艾、周瑜、陸遜、杜預
>公平な目線で見て関羽以下の知名度、活躍度しかない

大体知名度だの知られすぎてるだのそんなの争うスレじゃないんだぜ。
関羽が可哀想になってきた。
784名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 20:26:47 ID:dTea9mlf0
書き忘れ
>>782
公平な目線ではない
785名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 20:46:15 ID:N/nnEC5W0
てかもう一度英雄の定義を決めなおして統一したほうがいいな。
群雄=英雄派と名将=英雄派の意見はかなり食い違ってるし
後世の人気も重視した方がいいと思う人とそんなもんいらねーよと思う奴とで
意見に相違があるしこのままじゃいつまでたっても決まらないと思う。
俺自身は>>510を土台に徐々に付け足していけばいいと思うけど
それだと嫌関羽厨が喚きだしたり議論にならないと思うな。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 20:59:31 ID:QF2IHl950
群雄も名将も文官もひっくるめてOK派
評価基準の違いで揉めそうなのが難点
787名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:03:35 ID:cM4xRBXf0
しかし、後世の人気も演義の影響が大きいし
ほとんどの人に関羽のイメージを聞いても演義を出すからね。
関羽を否定されたらすぐ嫌関羽厨とか決め付ける人もいるし。
788名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:08:28 ID:SaXCNw/n0
関羽は英雄だろ。
過去歴史上の人物で毀誉褒貶が激しかった人物として宋代、新法党の王安石と旧法党の司馬光、南宋の
主戦派の岳飛と和平派の蓁檜がいるが、評価は揺れた。それに較べると関羽の評価は一貫してぶれない。
789名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:18:02 ID:jlb6Hrha0
演義と正史で評価違いすぎる人もなぁ。
張角や張魯に杜預なんて1回しか出てこない上、
袁紹は凡愚、皇甫嵩なんて奸臣扱いなんだぜ…
790名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:18:48 ID:jlb6Hrha0
>>789は、演義での話ね。
791名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:19:12 ID:cM4xRBXf0
ぶれるも何も、当時の正史でされる評価と後の評価は違うんですけど。
792名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:23:02 ID:QcE6+VlI0
>>789
なんの、皇甫嵩なんぞかの華キン王朗などの演義では極悪家臣に比べればまだましだろさ
793名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:25:31 ID:jlb6Hrha0
>>792
うん。その通りだね。

思うに関羽は演義、他は正史ってのは明らかにダブルスタンダードではなかろうか。
統一基準を作るよりは、正史と演義で2つ作れば良いんじゃないかと思うんだがねぇ。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:34:05 ID:5w/XAcSS0
関羽って正史でも周りの評価はやたら高いじゃん
795名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 21:41:50 ID:jlb6Hrha0
>>794
周囲の評価が高くいだけだと色々居るのよね。

名声だけで業績が伴ってないのは、許靖、孔融やらが最右翼だな。

正史基準だと、関羽は顔良切りの剛勇と、赤心だけが評価対象になってしまう。
兎にも角にも、記録が残ってないのが残念だ。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 22:36:05 ID:cz1TL/l40
関羽は演義できる前から大人気
797名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 23:33:25 ID:+R/dOYxl0
>許靖、孔融
こいつらは正史でも名声だけの人っぽく書かれてるから
関羽と同列には語れないだろ
798名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 23:50:56 ID:tsqmGA+H0
正史厨がまた悪い癖を見せてるな。
なんで正史=演義の目線で評価できないんだろうな。
中国だと演義の方がぶっちぎりの人気で三国志の話をする時も演義が標準なのに。
諸葛亮は字の孔明、関羽は関公という名で今だに敬愛と親しみを込めた言葉で
呼び続けられてる。
その内の一尊、関羽を軽視し、英雄から外すなんてのは考えるのは
現代にまで伝わる三国志というものそのものを理解できて証拠ないんじゃないの?
そもそも人気がなければ英雄とは呼ばれない。



799名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 23:53:07 ID:tsqmGA+H0
すまん。誤字。

×理解できて証拠ないんじゃないの?
○理解できてない証拠なんじゃないの?
800名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:00:25 ID:SaXCNw/n0
>>798
おいおい、正史って言うのは歴代王朝が記録にとどめた官定の歴史書のことだぞ。
そんなの読む人間なんていないだろ。
誰もが小説の三国志演義読むわな。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:03:35 ID:X+jNl1700
>>798
私が提唱してるのは、以下の2点。

統一規格を考えるなら、ダブルスタンダードではなく、どちらかに統一すべきだという事。

そして私自身の意見は、演義と正史に分けたほうが、扱いの違う人物についても公平になるという事。

現状、話の流れが>>785の以下の提唱に従っている。

・統一規格を作ろう
・意見の相互が有る
・定義から考えねば

というのが主題なのだから、
今、関羽の素晴らしさをここで語っても、あまり意味が無い。
802名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:05:01 ID:MVrC2V860
オリジナルと二次創作を同等に評価しろと言われても…
803名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:09:35 ID:X+jNl1700
>>802
そうは言っても、三国志というジャンルを考えれば、三国通俗演義も立派な一次資料なわけで…
804名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:10:48 ID:pP4FsBGt0
そうなると結局、後世の人気がものを言うような気もするけどな。
805名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:11:14 ID:uA/nVFNR0
演義部門・正史部門でそれぞれ24人選べばいいじゃん。
勿論両方に入るのもアリでさ。
806名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:12:32 ID:X+jNl1700
人気投票で決めるなら、どっかのサイトから資料持ってきて即終了する気がするな。
807名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:12:49 ID:+Yj6zssz0
正史で24人も英雄なんていない、曹操と劉備のみ。
808名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:15:00 ID:X+jNl1700
>>
と、思うのだが、複数ジャンルで24人を決めるってのは>>615時点で出てるが、今現在でもこれだしな。
しかも即撃沈だし。
809名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:15:09 ID:MVrC2V860
小説英雄板ではなかったよな、ここ?

このスレでは民間伝承や演義などを介した後世の人気、影響も考慮に入れつつ
正史を基準に選んでいけばいいと思うが。
810名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:15:09 ID:uA/nVFNR0
>>807
まだ居たのかw
811名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:15:35 ID:X+jNl1700
>>807
毎度、お勤めご苦労様です
812名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:18:32 ID:X+jNl1700
あ〜>>808のレスは>>805へのレスです。
813名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:24:08 ID:uA/nVFNR0
>>812
例えば関羽みたいな後世への影響力が強い奴も英雄足り得ると思うし、
逆に李カクのような当時の影響力が強い奴も英雄足り得ると思う。

でも、「演義人気だから」とか「今、人気ないじゃん」とかいう不毛な論議で、
24人選ぶ前にgdgdになるくらいなら……と思ったんだ。
言ってみただけ。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:25:39 ID:pP4FsBGt0
もう曹操・諸葛亮・関羽は下手に議論せず決定でいいだろ。
誰だって分かりきってる三国志を代表する英雄達なんだから。
演義=正史は対等目線でお願いしたいね。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:29:24 ID:X+jNl1700
>>809
複数基準での評価は、研究機関でもまず無理だと思うのだが。

演義補正と正史補正をどれだけの割合にするかでまずもめる。
両方に精通していないと会話にすら加われない。
後世の人気と影響なんて、資治通鑑やら晋書やらも読まないとソースが出せない。
現代での人気となると、もうソース次第でカオスだろう。
このスレで人気投票して速攻決めるか?って話になる。

現状、>>2しか定義無し、ソースの限定無し、だからなぁ。

>>813
その案にはむしろ賛成…なのだが、それで進まないのが、このスレのお約束。
威圧して萎縮させたい訳ではないんだ。

ここでのレスを見てもらえれば分かると思うけど、誰か特定の人間を推してる訳じゃないんだよね私は。
好き嫌いで言うなら、正史の562人も演義のメインキャスト183人全員好きだし。
816名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:48:22 ID:MVrC2V860
>>815
研究機関じゃないんだから肩の力ぬいていこうぜ
別にスレとしての見解を出す必要があるわけじゃない。ああだこうだ言い合うのが楽しいんだと思う。

であればこそ、自分の意見に合わない人間に「厨」ってレッテルは貼るべきではないよね。
817名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:55:13 ID:X+jNl1700
>>816
私は意見をもって無いので、レッテル貼りようが無いですね。
が、どちらかが好きな人はやはりどちらかで統一したがる物だと思うので、
分けてみたらどうか、と提言した。

決まる物が演義だろうと正史だろうと、何基準でも構わない。
むしろ一騎当千とかは禁句なんだろうかとか思ってる。
場に出された提言に乗っただけの、節操無しです。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 05:33:50 ID:Lka/LLex0
しかし、日本人は羅貫中演義より正史のほうが慕われてる事実。
日本はあくまでも演義の二次創作の小説で慕われたわけだし。
その証拠に孔明の死後を話題に出しても正史がほとんどで、演義は滅多に出てこない。
819名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 06:01:11 ID:dJIaVq9Y0
とりあえず適当にスレ埋めてしまおうぜ
次スレはいらない
24人の英雄なんて無理なんだよ
820名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 08:15:19 ID:+Yj6zssz0
英雄に値するのは曹操と劉備二人のみです。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 10:04:46 ID:pTAIcVcW0
孫策や袁紹も英雄だろ
822名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 13:56:23 ID:PlES/Pv20
候補者一人一人の主な功績を羅列すればいいんじゃないか?
そうすればいくらか客観的にチョイスできるはず
823名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 19:58:50 ID:pP4FsBGt0
功績だけを挙げるとプラス評価重視になってしまうが
とりあえず・・・

関羽

正史評:万人敵、国士無双、三国志随一の猛臣と評される
    袁紹軍の猛将顔良を討ち取る。
    曹操軍の于禁を生け捕りにし、鳳徳を処刑する。
    毒矢を腕に受け手術をした際、麻酔なしで腕を削られながらも
    談笑していた。
    曹操にも立派な人柄を評価されてた。
    兵卒は厚遇するが、士大夫などには傲慢であり
    自身を持ちすぎていた性格が仇となり自滅を招く。
    
演義: 上記の剛毅な性格と義人としての性格が更に鮮明なものとなり
    一騎当千万夫不当の見本のような武将として語られる。
    三国志演義においては趙雲、張飛と並び圧倒的な一騎打ち記録を保持。
    董卓軍の華雄、袁将軍の文醜など一線級の猛将をも討ち取ったことになっている。



死後は暫く怨霊神として恐れられていたが
同郷出身の塩商人達から、同郷の英雄として神に祭られたのを皮切りに
後世での軍隊と塩商人の関わり、講談などを得て更に火神、水神、武神、財神、学問神など
オールマイティな神として道教に置いても有名且つ高位の神として称えられている。
清の時代には国家認定の護国神とまで呼ばれるほどになった。
ちなみに関羽を神として祭り始めたのは仏教の方が先と考えられ、隋の時代には既に菩薩として祭られた。


まあ、プチダイジェストみたいになっちゃったけどこんなかんじでどう?
    
   
    
824名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 20:01:12 ID:e6cmqwtN0
魏延
825名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 22:23:34 ID:/euitgfMO
やはり
女性代表として文昭甄皇后を入れるべきだ。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 06:06:27 ID:h4pfiQwn0
>>823
こうやって見ると関羽は大した功績があるわけじゃないんだよな
二十四大英雄に入れるか微妙な所だ
827名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 06:20:55 ID:NIj3OeVI0
>>826
じゃあ関羽以上といえる24人の名前を挙げてくれよ
しかし英雄であるかどうかと、功績があるかどうかはまったく別の話だと思うけどね
同時代、あるいは後世に英雄とみなされる行為があったかがポイントだと思う
英雄とはどのような生き様だったのかが問われるんであって
何の戦でどんな戦功があったとかの瑣末な話とは別問題なんじゃないの
828名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 08:59:22 ID:Kb8XIdhx0
24人ね…

魏 孔融、禰衡、呂虔、戯志才、公孫範、鐘ヨウ
呉 厳白虎、厳輿、サク融、孫皓、ギ覧、朱治
蜀 劉禅、魏延、糜芳、曹豹、張松、キョウ維
他 雷薄、何進、陽平、袁術、司馬炎、左賢王
829名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 10:09:35 ID:i0sbMORB0
ワロスw
830名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 11:09:05 ID:zRGr7sBz0
>>827
それだと結局主観での闘争になりまくりなんだけどね。
831名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 12:56:50 ID:RcrZxjox0
>>826
孔夫子(孔子)に対して関羽にも関夫子という呼び方まである。
関羽の地位は孔子と比肩するまでになっているのだが
それでも関羽の事を大したことがないと言えるのかな?
そもそも、>>823が書いた関羽評に並ぶことのできる英雄がいるというのなら
その人物と功績を書くべきだろう。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 13:36:18 ID:i0sbMORB0
魏 涼宮ハルヒ、長門有希、朝比奈みくる、鶴屋さん、こなた、かがみ
呉 シャナ、吉田さん、ルイズ、タバサ、シェスタ、三千院ナギ
蜀 真紅、水銀燈、翠星石、蒼星石、薔薇水晶
その他 ルルーシュ、なのは、フェイト、若本、モモタロス、ジャック・バウアー
この際24傑はこれでいいよもう
833名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 14:03:27 ID:qAStCr6p0
ハルヒは張飛だから蜀だろうが!
834名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 14:14:38 ID:V2THeJ0b0
ネタでもいいからさっさと埋めろよ
835名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 14:36:34 ID:zRGr7sBz0
>>826じゃないが…

杜預(元凱)

 政治的功績
  賈充と歴史史上初の律令制度である、泰始律令を制定に参与した。
  当時、黄河の橋は度々水没し、交通の便が悪かった。
  杜預は逆転の発想により、自身発明の浮き橋を富平津に建設し、河北と河南の交通の便を一気に解決した。

 軍事的功績
  征蜀戦
   蜀侵攻の際、参謀として従事し、蜀を滅ぼす功績に貢献した。
   後に鍾会が謀反を起こした際は、企てに加わらず、後に公の場に物証を並べ無実を証明して見せた。
  征呉戦
   羊コに後事を託され、征蜀戦の総司令官となる。
   広陵、寿春、江夏、襄陽、豫州、成都の6路からの侵攻作戦を計画し、全方面軍の司令官を選定した。

   総司令官として計画を立てるだけでなく、自ら襄陽から江陵に進出し、呉軍西方防衛の主力と戦った。
   配下の周旨らに命じて周辺の砦を撃破させると、全ての砦に一斉に端を立て、篝火を炊かせた。
   この光景を見た呉の江陵軍は士気を大いに挫かれ『晋軍は空を飛んでやってきた』と恐怖した。
   偽兵の計を周旨に授け、敗走する呉軍に潜入させていた。これにより西陵都督を捕獲した。
   一方、自身は呉将・伍延の偽降を見抜き、これを撃破していた。
   杜預の方面軍は広州・交州にも進出し、
   調略も含め、計14の将軍、120あまりの太守らを破り、彼らの治める郡県を攻略した。

   王濬が建業に迫った頃、天候不順から朝廷で厭戦の気運が高まった。
   杜預は楽毅の故事をひき、「破竹の勢い」の言葉を用いて王濬に進軍を支持し、かくして呉を滅亡させた。
   晋軍は6路全ての戦いにおいて、杜預の当初の計画通りに大勝した。

  杜預自身は馬に乗れず、弓も引けなかったが、本陣に座したままで全軍を指揮する事が出来た。

  彼が述べた「破竹の勢い」の言は、現在でも、敵手を圧倒する展開で宗派を問わず多用される。 
  『三国演義』ではその最終回を飾り、征呉戦のあらましと破竹の勢いの言がそのまま用いられている。

 文化的功績
  諸子百家に注釈をつけ、それぞれ『〜釈例』と名付け、研究の乱れを解決した。
  暦法『二元乾度暦』を著し、当時多発していた暦の狂いを解決した。
  『盟会図』『春秋長歴』の二著書は、いわゆる杜預学と呼べる物を学界に生み出した。
  中でも、春秋の左氏伝を愛し、『春秋左氏伝集解』を著し、学界の対立を解決した。
  これらの著書は、現代においても晋代研究の一次資料とされる。

  当時を代表する学者であり、軍事・政治(行政・経済・立法)・工学・史学・礼法全てに通暁した。
  この事から天下の人々は彼を帝国の武器庫に喩え「杜武庫」と呼び、称えた。

 諡号は成侯。諡法解:安民立政曰成 曰く、成は民を安んじる政を行った人。
 詩聖、杜甫の祖先でもある。
836835:2007/05/10(木) 14:47:23 ID:zRGr7sBz0
んがっ

誤:羊コに後事を託され、征蜀戦の総司令官となる。
 正:羊コに後事を託され、征呉戦の総司令官となる。

誤:配下の周旨らに命じて周辺の砦を撃破させると、全ての砦に一斉に端を立て、篝火を炊かせた。
 正:配下の周旨らに命じて周辺の砦を撃破させると、全ての砦に一斉に旗指物を立て、篝火を炊かせた。

誤:調略も含め、計14の将軍、120あまりの太守らを破り、彼らの治める郡県を攻略した。
 正:調略も含め、計14の都督・監軍、120あまりの太守・将軍らを破り、彼らの治める郡県・城砦を攻略した。
837名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 15:05:09 ID:zRGr7sBz0
ああ、もうひとつ間違いが

誤:賈充と歴史史上初の律令制度である、泰始律令の制定に参与した。 同法の附則は杜預による。

だった。以上、失礼。
838名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 17:57:02 ID:tyZ5cYRy0
>>826
猛将系の中では関羽以上の武将はいないんじゃない?
一流どころの武将を3人も斬ったり捕獲した武将は関羽以外いないだろう。
839名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:00:34 ID:HlfFyaDp0
>>838
関羽が斬ったり捕らえた一流武将っていうと、
ホウ悳・于禁と……誰?
840名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:13:08 ID:tyZ5cYRy0
顔良
841名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:14:15 ID:zRGr7sBz0
考えてみりゃ、陣没って異常に少ないからなぁ。
敵の名将を討ち取るとなると、更に少ない。
842名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:15:39 ID:HlfFyaDp0
顔良が一流?
郭図や淳于瓊のがまだ上だろ。
843名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:19:31 ID:DBvV0+1f0
>>838
そういう数え方すると潘璋なんかも、関羽、関平、趙累、馮習らを
捕られたり、斬ったりした関羽以上の猛将だな。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:23:38 ID:tyZ5cYRy0
>>843
関平、趙累、馮習は一流とは言えないし、内容が違うだろ。
845名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:25:00 ID:zRGr7sBz0
各部将の質を考えずに、ただいま各勢力猛将列伝の殺害、俘虜数リストアップ中
846名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:35:17 ID:DBvV0+1f0
趙累は関羽の都督だし、馮習は夷陵で指揮をしていたと書かれる人物。
蜀ゆえ記述が少ないが一流ではないという証拠にはならんだろ。
847名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:45:17 ID:m9cq0pwL0
今のところ関羽と杜預は納得のいく説明がなされてるな。
この二人は確定だな。
848名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 19:21:16 ID:zRGr7sBz0
一流の基準は考えずに、テキトーに正史の猛将っぽい人を列記。
暗殺ではなく、戦陣での敵将俘虜殺害数調べてみた。
以下列伝順、列伝内五十音順。何人かで殺されている人物もいるので注意。


・夏侯淵…(殺害)徐和、賊・宗建と官吏数人、梁興
・曹仁…(俘虜)呂布の大将劉何/(殺害)スイ固、侯音
・曹真…(殺害)謀反人・張進

・于禁…(俘虜)王摩・何茂ら袁紹の将二十数人/(殺害)楽就、橋ズイ、黄ショウ、昌覇、スイ固、李豊、梁鋼
・楽進…(殺害)厳敬、淳于瓊
・徐晃…(俘虜)趙庶・李雛ら人数不明/(殺害)商曜らの賊、スイ固、梁興
・張遼…(殺害)烏丸単于トウ頓、陳蘭・梅成らの賊
・朱霊…(殺害)謀反人・程昴

・張繍…(殺害)曹安民、曹昴、典韋
・ホウ徳…(殺害)郭援、陳武
・李通…(俘虜)黄巾の巨帥・呉覇/(殺害)陳恭・ク恭・江宮・沈成らの賊

・徐質…張嶷


・甘寧…(俘虜)魏の太守・朱光/(殺害)凌操、
・蒋欽…(俘虜)賊の呂合・秦狼
・董襲…(殺害)賊の黄龍羅・周勃
・潘璋…(俘虜)関羽、関平、蘇飛、趙累/(殺害)馮習ら劉備の護軍(傅トウ、張南のことか?)


・関羽…(俘虜)于禁/(殺害)顔良、ホウ徳
・張飛…(俘虜)厳顔
・馬超…(殺害)閻温、韋康
・黄忠…(殺害)夏侯淵
・趙雲…(俘虜)夏侯蘭
・張嶷…相手は全て南蛮。(俘虜)魏狼/(殺害)劉冑

殺した人物の質・過多は読む人に委ねる。訂正もヨロシク。
849名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 20:12:56 ID:zRGr7sBz0
ちなみに、同列伝で上がって無い人物は、俘虜、殺害の記述が無いとので記さなかった。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 21:01:04 ID:tyZ5cYRy0
>>848
追加

曹純…(俘虜)烏丸単于トウ頓/(殺害)袁譚

851名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 21:39:21 ID:IZp4PV7pO
俺は姜維を推したい。完結編での悲劇っぷりがなぁ
852名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 21:47:31 ID:uVX+k/lX0
この時代で英雄と呼べるのは曹操と劉備のみだろ。
853名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 22:42:52 ID:LVd/0sDZ0
>>848
追加

夏侯惇……(殺害)師匠を侮辱した男
854名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 23:08:07 ID:W7ceAo/l0
追加

張遼…(殺害)陳武
855名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 01:42:48 ID:9BBcpLdb0
>>854
演義と蒼天だな
856名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 03:25:30 ID:tuXsk1oOO
劉備と孫策は自分自身で何人か殺してる気がする
857名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 09:11:11 ID:2cRlsoCZ0
>>855
正史の陳武伝でもそうじゃなかった?
858名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 12:01:04 ID:FlJJVuop0
馬超 楊阜の一族7人(殺害)追加

番外
韓遂・・馬騰に敗走するが反撃し馬騰の妻子を殺害、そのころ馬超は閻行と一騎打ち

曹操・・曹操の漢中攻めに涼州侵攻の危機を感じた馬超・韓遂が乱を起こす。
これに勝利し、馬騰の一族を三族皆殺しにする。

楊阜・・不忠として殺された韋康に対し、韋康に対する忠義を馬超に賞賛され召し抱えられる。
韋康に対する忠義は死んでおらず妻の葬儀を理由に馬超の元から一時的に離れ味方と連絡を取り反旗を翻す。
その際、馬超が冀城に置いていた妻子一族全てを捕らえて虐殺。

張魯・・曹操に降伏後、曹操に馬超が漢中に残した子の馬秋を引き渡され自らの手で殺害。

馬超の策を聞いた曹操が『馬皃死せずんば我が葬地無し』と嘆き、
楊阜に韓信・黥布に例えられ、諸葛亮に黥布・彭越に例えたほどの武将であるが、
劉備の傘下に入った後は破格の待遇を受け続けるも、目だった功績はなく生涯を閉じた。
積み重なった悲劇によってその輝きは色あせたのか。

演義では悲劇を強調され、剛勇無双の悲劇の美将として描かれている。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 12:03:33 ID:9BBcpLdb0
>>857
正史はホウ徳
860859:2007/05/11(金) 12:09:49 ID:9BBcpLdb0
>>857
すまん、逆で覚えてたーw

確認、陳武は演義でホウ徳に殺されてるわ。
正史で陳武を討ったのは張遼だわ。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 13:08:06 ID:INXPhPLS0
劉禅は英雄じゃないの?
862名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 13:34:16 ID:YTdkZOlHO
誰が英雄じゃないと言った?
863名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 13:37:22 ID:YTdkZOlHO
ああ間違えた、劉禅ね、んなわけないだろ
864名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 19:53:01 ID:gQiK+ZBy0
推すならごく簡単でもいいから理由あげなよ
まぁ、40年間蜀を治めたってことなんだろうけど
865名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 19:59:08 ID:FeBHCg1W0
治世に生まれていたならば、平和主義の仁君となっていた。





・・・ごめん、精一杯にフォローしてもこれくらいしか思い浮かばない。
866名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 20:15:52 ID:LH60Rf2H0
恩倖政治の先駆けとして名を馳せただろうなw
867名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 22:38:10 ID:TeIa5kps0
彼が平和主義だったおかげで三国時代終盤の人口減少がかなり抑えられたと思われる
ノーベル平和賞ものだぞ
868名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 22:43:18 ID:us86tTn50
>>867
後漢末から三国期は戸籍上の人口が極端に減っているがこれは戦乱によるものではない。
国家の人口把握力が落ちたからだ。
例えば、豪族や貴族の私有地に小作として囲われていた人民は国家の干渉から完全に除外されていたし、
人口のカウントからもはずれていた。
869名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 23:06:18 ID:INXPhPLS0
蜀を無血開城したじゃん
むしろ北伐なんかしないで降伏してればよかったんだよ
870名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 09:25:38 ID:3si438vp0
それは結果を知ってる現代人だから言えること
871名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 09:54:11 ID:+7y0qX1B0
下手に降伏唱えたら反対派に暗殺か幽閉されるという危険もあるしな
872名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 10:18:12 ID:dvjYl3Ws0
当時の軍事力や権限の大きさは、漢中>成都だった。
その漢中府は姜維が専横していて、
成都が降伏でもしたら姜維は漢中の軍勢を率いて成都を制圧しただろう。

魏軍の方が、漢中の姜維より近い状況にならなければ降伏なんてできなかった。
しかし、成都は自然の要塞に囲まれてなかなか魏軍が近づいてくれない。

そこで活躍したのが黄皓&閻宇。
閻宇を姜維と同格の大将軍に任命し、
姜維が軍から離れた瞬間閻宇がその兵を動かせるようにした。
そのため姜維は漢中に釘付けとなり、無事劉禅は降伏できた……と。
873名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 13:40:18 ID:BJmgSOwH0
三国志・戦国板は、中国と日本の歴史という、異なったジャンルを合わせ持つ板。
歴史ジャンルというと男性が多いイメージですが、女性も多数参加しております。
さらに初心者にも優しく、真面目な議論スレ・ネタスレはもとより
801ネタから美少女ネタ・なりきりまで許容オケーの 素晴らしい板です。
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三国志・戦国
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874名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 16:20:26 ID:ZxOdJ0iF0
世の中で趙雲の評価がここまで低いなんて
今まで知らなかったよ。
英雄といえば趙雲って思ってた俺はOrz
875名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 16:29:31 ID:/Kp/NhMn0
世の中での趙雲の評価は低くないと思うんだ
三国志オタの中ではアレかもしらんが
でも趙雲てさ、演義や別伝込みでも微妙じゃね
何か具体的にコレっていう功績がないような気がする
876名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 16:35:34 ID:dvjYl3Ws0
低くは無いが、地味なんだよな。
李典とか楽進みたいなカンジ。
877名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 16:50:39 ID:5Ofb1ug40
陳寿も関張馬黄趙でひとくくりにしてるし、
別伝込みの時点で関羽や張飛を凌ぐんじゃないかって位書かれてるぞ。
ただいくら別伝が裴松之が注入れるより以前にあったとしても信憑性に欠けるのは確かなのでそこでマイナス
姜維の諡号追贈運動に関しても別伝からだが、これは流石に事実だろうし・・
趙雲評価低いか?
時代を左右するような大物ではならなかったが何かの漫画の勇者みたいに書かれてるぞ。


878名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 17:20:51 ID:h044xDrI0
そもそも何でひとくくりにされてんだろ
待遇も実績も他の四人より明らかに一段下に見えるんだが。
長さだけなら黄忠伝も似たようなもんだが
こっちは割かし大げさな表現とか凄さが分かるような書き方してるのに
趙雲伝はすげーあっさりした書き方だし
879名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 17:26:37 ID:uW8B7Grt0
俺は趙雲好きだけどな。劉備・諸葛亮に信頼された
かゆいとこに手の届く使い勝手の良い将だしどんな仕事でも確実にこなす”便利な”将だと思う。
ただやっぱり正史だと地味なのは否定できないし使いやすい”便利な”将ではあるけど
”強い”将とは言い難いから演義評価のみなら候補にいれてもいいけど
正史評価も加えると英雄と言うのは厳しいと思う。
880名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 18:26:06 ID:dAcf5U7L0
何将とか何傑といえば、候補に必ず挙がる人物だとは思うけど>趙雲
どこまでも駒というか、上に立って何かを成し遂げる器ではなかったんじゃないかと思う
そう望むタイプでもないような、能力云々以前に、英雄というには野心やら不可欠な要素に欠ける気がする。
881名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 18:47:52 ID:q+o2NJLI0
趙雲がどれだけの人気を誇ってるかは実際に成都に行ってみればわかるよ。
でも、武芸のみで上げてしまうと甘寧や張遼なんかも候補化するんだよね。
このスレはどちらかというとやや文官寄り部分もあるから、そういう意味でも候補化しなかったんじゃない。

882名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 00:54:13 ID:j4vhesNN0
そういう人気投票は成都に行ってやってくれ…
883名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 21:15:57 ID:sQfGr5rN0
人気も英雄にとって必要な要素な気がする
884名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 23:35:45 ID:C3rKqelB0
必要だろうね
人気がなかったら英雄として語り継がれることもないんだし
885名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 23:49:20 ID:ldVtl9W30
ただ人気一辺倒もいただけないのは確か
886名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 00:04:46 ID:bbICQ+Rh0
五虎将は人気、実力も申し分ないと思うけど?
887名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 00:09:39 ID:KnhILvGg0
地味な趙雲と匹夫の黄忠は実力面で微妙。特に黄忠。
888名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 00:24:47 ID:bbICQ+Rh0
それでも人気は引っ張りあげてるから問題ないでしょ。

寧ろ、中国では曹操なんぞを英雄視した日には今でも白い目で見られるよ。
3年前ほど友人と中国に旅行に行き、夜になり民宿に宿泊。
友人が曹操好きなことをそこの家人にうっかり話してしまったら
寝床は裏の物置で、明日の朝の飯は犬の残飯ね。といわれたそうな。
気に入らないなら出てけ。とまで言われたらしい。
友人は未だにそんなことあるんだとショックを受けてたな。
まあ、うちらはそこの宿には泊まらず朝まで延々と見知らぬ地を歩き続け
くたくたになりながら次の日に適当な宿に泊まり苦い経験をして帰国したよ。

それ以降、人気って重要なんだなとも感じたね。
関帝の話をしたら豪華な振る舞いでも受けたのかな?
889名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 00:42:24 ID:KnhILvGg0
>>888
「実力も申し分ない」に対する反論だけどな。

あと、そのエピソードは件の民宿やってる中国人がアレってことしか伝わらない。
その中国人がアレだからって、
皆が「曹操好きっていったら冷遇される」ってことにはならんでしょ。
890名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 00:45:54 ID:KnhILvGg0
ただ、「人を泊める」人が「曹操」を好きな人を嫌がるってのは面白いな。
呂伯奢にはなりたくない、ということだろうか。
891名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 01:02:48 ID:2KDrlr7Q0
>>890
正史曹操も大概に自己中だからな。
能力が伴ってるならともかく、そうでないなら友達にしたいって奴はそう居らんだろう。

日本人はTV番組なんかでは織田信長が好きみたいだけど、
織田信長みたいな奴と同席した行って奴もやっぱりいないと思うw
892名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 02:24:26 ID:EsrttAGl0
ではここで友達になりたい英雄、絶対に側に近寄って欲しくない英雄とかいってみるか
893名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 04:47:58 ID:2KDrlr7Q0
友達になりたい奴

 魏
  蒋済:失言癖はあるが、眼前の友人から寄せられた信頼は、絶対に裏切らない。
 呉
  孫権:酒の上の失態も稚気も、全てが真っ直ぐな気性から来ると思えば非常に愛らしい。
     演義じゃ裏切りの常習者だが、正史ではむしろ玄徳に煮え湯飲まされっぱなし。
 蜀
  楊洪(季休):公私混同はせず、友人の子であっても法に照らして対処した。
      その一時は恨む事になるかもしれないが、生涯全体を照らせば、その方が子の為になったはず。
      一時の損得で相手の事を扱わず、先を考えてやる所に友情の篤さを感じる。
 他
  何ギョウ(伯求):友人の仇を代討する程の義士。この人と友情を築けるなら、人生に悔いは無い。

友達になりたくない奴

 魏
  鍾会:気に入らない奴への態度、謀略が酷い。一時の友情も壊れた後の事を思えば、関わらぬが吉。
 呉
  顧譚:弟守りたさから、重臣の全ソウ・全寄親子を事実を捻じ曲げてまで批判し、讒言合戦を展開した。
     この事が原因となって、結果、親友の張休も巻き込んで流刑になった。
     情は厚いのかもしれないが、後先考えずに瞬間沸騰する輩とは友情を育みたくない。
 蜀
  劉備:親しくとも、本人の都合次第で、何時かは切り捨てられる。周囲に居る信者も怖い。
 他
  張バク(孟卓):曹操から寄せられた無償の信頼を、謀反で返した。これほど酷い裏切りも無い。
894名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 12:53:58 ID:HN6ZOsIz0
>>889
それでも迂闊に曹操の偉業がどうのこうのとか
中国で声高らかに言わないほうがいいってのは分かったけどな。
すべてがそうでないせよ、悪印象の方が目立つのだろう。
民間人にまでそこまで嫌われてるってことは
中国史で英雄と呼ぶには程遠い人物なんだろうな曹操。
日本人には信長と似たような人物に思えるから英雄のように見えるんじゃないかな。
895名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 13:23:46 ID:kW4SBvoJ0
西羅馬を滅亡させたオドアケルとかと似たような感情を持たれてるんじゃないの?
献帝を良い様に振り回して、大衆はゴミのようにSATUGAI。
これじゃ、あんま良い気分しないもんな。
ただ強いだけでケダモノと一緒。
呂布と違うのは狡猾さだけ。
その心根で詩がどうたらと言われてもハァ?という感じ。
896名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 16:37:12 ID:uzXWn8fY0
要は曹操は詩とか文学功績に残してるし魯迅はじめインテリ層にはとてもウケがいいが
大衆層にはあまり受けない英雄ということだろな
この辺知識人の教養儒教と数多の民衆信仰が乖離してる中国らしいといえばらしいか
897名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 19:23:37 ID:bbICQ+Rh0
インテリなんてごく一部の層。
総人口10億人のほぼすべてに忌み嫌われてる曹操が「英雄」とは言いがたいね。
仮に中国で好きな英雄アンケートとかを取ったら、本国でさえ60位くらいが関の山でしょ。
それに比べ、関羽や孔明は1〜10位内には入ると思う。
実績のみで人気が皆無な存在を英雄と呼べるかなぁ?
特に人気の著しい英雄を神として祭る中国の風習においては。
>>894のようにコピー信長として考えれば確かに日本人には人気でそうだけど。
898名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 19:36:29 ID:bhtTmI8G0
少なくとも神になって祀られるというタイプではないな曹操は
そういう意味ではよくも悪くも民衆に嫌われやすい現実的な政治家か
しかも現実での勝ち組だし

この現実での勝ち組か負け組というのもいわゆる英雄かどうかに関わる資質という気もしないでもない気がする。
899名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 19:50:16 ID:bbICQ+Rh0
それはないw
政治家なんて常に大衆の目を気にして
叩かれたら何も出来なる最も惰弱な存在じゃないか。
900名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 21:04:19 ID:kW4SBvoJ0
激しい注目という悪条件の中、
不○の類を行うのに無上の自己肯定感を感じる人もいる。
901名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 21:40:52 ID:YjHsgW3J0
まず定義をはっきりさせないと
>>2を定義と仮定すると
人気はあまり関係ないしね
902名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 23:25:38 ID:3gWhZThV0
>>897
最近はやや復権の兆しがあるようだし、
将来的には変わることもあるのでは?
903名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 00:02:17 ID:3IZ0W7Ik0
文化大革命のときには始皇帝と並んで積極評価の対象になったことは聞いたことがある
その後どうなったかまでは知らないけど
904名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 01:08:24 ID:/nUmM0P70
曹操って歌が大流行りしてるしなぁ
905名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 09:24:50 ID:uypl+1Hi0
これまで諸兄らが様々な論議をしてきて、横やりをいれるようで申し訳ないが、
叩かれる覚悟でいいたい。
なんで、関羽、趙雲、諸葛亮の評価がここまで低いんだ?

どうみても、損得から言えば曹操に仕えた方が得なのに、流浪中の劉備をしたい、
彼の妻子を守り送り届け、死ぬまで忠誠を尽くした関羽。
その劉備を仕えてから、一回も見捨てず、長坂の危険な状況から彼の妻子を救い、
地道な功績を立て、さほども出世しなくても不満を漏らさず、それでいながら、
名分の立たない呉出兵には反対し、死ぬまで闘い続けた趙雲。
一万対一とさえ、言える曹操と劉備の国力差に絶望せず、幸運もあるかも知れぬし、
彼だけの力ではないかもしれないが、それを十対一ぐらいにまで引き上げ、
失敗したとはいえ、広がる国力差を見逃せず、安逸をむさぼらず、戦いを 挑み続けた諸葛亮。
(司馬懿なら『自分が死ぬまでもてばいい』と考え、ただ、守りをかため 独裁政治を行っただけだろう)

なぜ、千年以上も中国人だけでなく、我々日本人の心も感動で打ったこの三人が
英雄じゃないんだ?(張飛も含めたいがこれは後世の創作が多いだろうから置いておく)

あと、関羽をやたらと功績がない、愚将だと貶めたがる人がいるが、
無名で軍人でもなかった関羽が、当代の猛将・名将を何人も倒し、
魏・呉の君主からおそれはばかれる存在にまでなるほどの偉業をなしたのに、なぜ英雄でない?
演義とまでなり、『関公』と敬われる存在になったことにちゃんと根拠があるのになぜ 英雄でない?

司馬懿・司馬炎などが後世の人になにか感動させるものを残したか? ない。
姑息に立ち回って『ずるがしこい奴が結局、得をする』というくだらない教訓を残しただけだ
しかも、自分らの一族の繁栄とひきかえに、一族による無益な殺し合いと異民族襲来を呼び込み
中国を暗黒におとしいれた。結果的に良い部分もあったで済む問題ではない。
なぜ、こいつらが英雄なのだ。

能力や功績、そのような数字で計れるものだけで『英雄』が決められることに断固、反対したい
もちろん、それは無視はできないので曹操は英雄でいいとは思う。偉人も英雄に含めるならば
文化、文学、文明に貢献した人物をいれても異論はない。
また、諸兄らがいままで話し合ってきたことをくつがえすこともしない。
ただ、その点を留意していただければ幸いだ。司馬懿・司馬炎は断じて英雄ではない。
906名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 10:00:19 ID:eXkWJhM/0
>>905
まあ、まず趙雲から。
長坂で妻子を救ったのは戦略的に何の価値も無い行為。
また、貴方自身言っているとおり趙雲の功績は「地味」。
つまり趙雲は偉業を為したわけじゃない。それは英雄とは呼べないと思う。

次、関羽。
彼が演義で関公と敬われ神として崇拝されるまでになったのは事実だが、
その理由が「当代の猛将・名将を何人も倒して他勢力から恐れられた」ことであるって根拠は無い。
その理屈で言えば、郭シ・李カクを退け呂布や曹操をビビらせた楊奉も英雄になれるね。
(別に関羽が英雄に入ることを否定しているわけではない。むしろ賛成)

最後、諸葛亮。
彼は英雄と呼ぶに相応しい存在だと思う。
ただ、残念ながら彼が行なった政治は独裁政治だよ。
董卓や李カクが行なっていたように諸葛亮は帝を蔑ろにして国を専横していた。
その政治方針が董卓は「恐怖政治」、李カクは「外交政治」、諸葛亮は「内政+外交政治」だっただけ。

おまけで司馬懿。
司馬懿はそんなに姑息に立ち回った印象は受けないんだが。
曹操に冷遇される屈辱、自分を信任してくれた曹丕の早世、諸葛亮のしつこい北伐、曹爽一党による監視。
そういうものを耐えてあの地位を手に入れたんだろう。「忍耐すれば報われる時が来る」……立派な教訓だと思う。
俺は趙雲・関羽・諸葛亮のエピソードには微塵も感動しないが、司馬懿の最後の逆転劇には非常に感動する。

司馬炎が英雄じゃないってのは同意。あれはねーわ。
907名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 10:31:35 ID:BkO2HYMR0
そりゃ、単なる個人論だな。
中国から見た英雄の概念をまるで無視している。
神聖化すべき英雄というのは
「義を重んじ、財貨を疎んじる」部分より始まっている。
そもそも演義を軽視している時点で中国人の中にある
三国志を否定してしまっているのだがら失笑を買うような
馬鹿馬鹿しい話題をしているようなもの。
>>1のレスでも、演義は省く。とも書かれていないんだし
演義の中での活躍もまた十分な評価対象になりえるはず。
よって趙雲、関羽、諸葛亮は英雄として認定してもらわねば
どこまでの厚顔無恥かと思われ、日本人として恥をかく。
それでも分からないのなら一度でいいから成都にでも足を運んでくれ。

908名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 10:43:41 ID:eXkWJhM/0
ここは日本だし、多分スレ住人も日本人じゃないの?
だったら日本人から見た三国志24英雄でいいんじゃないの?
この場にいない中国人の感情を考慮する必要は無いだろ。

「中国人の中の三国志」とか言って説得力を他に依存しないで、
自分で「趙雲が英雄である」って根拠を上げて説得力を出した方が良いと思うが。

あと、多分厚顔無恥の使い方間違ってるよ。
厚顔無恥な人間は恥をかきません。
909名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 10:54:12 ID:fJUcXEu70
中国人の好みや英雄感なんて考慮する必要ないだろ
趙雲が英雄じゃないなんて許せない、司馬懿が英雄だなんて許せない
なんて言うならむしろ器の小ささに呆れるっての
910名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 10:58:58 ID:CCkpphVH0
>>907
演義無視してないから関羽が入ってるんだろ
911名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 11:46:03 ID:BnYRkngQ0
正史でも関羽の影響力は相当なもんだと思うけど
そういう意味で趙雲と同列には語れないと思う
912名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 12:18:12 ID:x1t4V0lb0
>>903
中共のやった事を考えれば、虐殺をした始皇帝や曹操を評価したのも
わかる気がするw

>>905
冷静に考えてみると、北伐はする必要がなかった気もするが
北伐しなかったら、ここまで有名になれなかったかもしれないな。

>>906
李カクは「恐怖政治+外交政治」じゃない?
司馬懿は残忍すぎ、曹家に対する忠誠が足りない気がする。
そこがマイナス評価につながってる気がする。
913名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 19:29:18 ID:OZ6iW3Cg0
あほの鸚鵡返しみたいに成都の人気投票を出す奴がいるが、
大阪で秀吉が英雄なのを日本人の総意みたいな意見と一緒にしてないか?
あと、関羽は曹操の所に居たとき女をほしがったり、劉備妻子を置き去りに
して、自分の子供は連れ帰っているはずだが。
914名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 23:54:58 ID:BkO2HYMR0
分かりやすい証拠として関帝廟が存在するのだが?
それだけでも関羽は他の存在とは桁違いの英雄だろ。
三国時代に限定しなければならないということはつまり
三国志の枠を超えるほどのスケールがない存在ということか。
中国史全体から見てたった一時代の小粒な24人を決めるってことね。
それじゃあ、確かに関羽や孔明は対象外になるわな。

915名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 00:01:31 ID:NRQwelR20
英雄とはなんでしょう?
916名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 00:18:42 ID:SZZXdJ100
>>914
趙雲が英雄って根拠はどうしたw
917名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 00:51:29 ID:kO7ztBQE0
英雄の定義と言われても難しいとは思うけど
やはり人気は欠かすことの出来ない要素なんじゃないか?
後世になって様々なエピソードが追加されたりもするが
それはそれでその人物を敬う行為として作られた話でもあったりするわけだ
いつの世でも尊敬の対象として見られてる証拠とも言えるんじゃないかな
風化することのない人気を誇る存在というのも英雄と言えそうな気がするなあ

>>916
まあ、馬鹿の一つ覚えみたいに連呼してすまないが
やはり個人的には成都武侯祠の存在からそう思ってしまうところがある
ひょっとしたら俺の知識、旅不足で知らないだけなのかもしれないが
魏や呉の将を成都武侯祠のように今でも祭り奉ってるような場所はあるのかな?
そうなれば、趙雲くらいならそれほどの将ではないように見えるかもしれない
それでも演義ではトップレベルの一騎打ち回数を誇り、長い間諸葛亮の懐刀として数え切れないほどの
勲功を立てた猛将というイメージがあり、何よりも知名度が高いというのも英雄に挙げたい候補かな
918名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 01:04:17 ID:w4IHISqO0
趙雲の具体的な知名度をあげてくれよ。話はそれからだ。
919名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 01:13:15 ID:sWKkHQjV0
枠を50人くらいに広げたら周倉も入るとか言いそうだな
920名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 01:18:12 ID:SZZXdJ100
人気も演義も「無視できない要素」ではあるが、
>>917は「重視しすぎ」だと思うのは俺だけ?
921名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 01:35:01 ID:1yUzJMVp0
袁紹
922名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 04:05:21 ID:aY64Pf2/0
曹操、司馬懿、周瑜、公孫サン、盧植
劉備、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠
徐庶、ホウ統、馬良、馬謖、法正、姜維
劉封、関平、周倉、王平、ケ芝、夏侯覇
かな
923名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 05:36:47 ID:m3ju9EucO
曹操、荀イク、賈ク、曹仁、張遼、司馬懿、鐘会、トウ艾
劉備、関羽、張飛、超雲、諸葛亮、姜維
孫策、周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜、甘寧、陸抗
董卓、呂布、袁紹
924名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 06:09:25 ID:+IWml/Vc0
どうでもいいんだけど、三国志の登場人物は諸葛公明も曹操含めて、
全員頭が足りないと思う。アジア人だから武将も貧弱。
俺がいたら、農民から、15年で中国全土統一できる。
925名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 09:25:40 ID:0yzqkrnI0
やはり蜀ファンはろくなのいないなあ。。
三戦板でもこの種のスレで暴れていた
926名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 10:08:22 ID:EeptXFAC0
かかかかかか甘寧????
927名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 10:44:50 ID:m3ju9EucO
じゃあ甘寧out張昭inで。これで完璧だ。
928名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 11:20:56 ID:CMmfs2ls0
>>925
やたら、正史、正史いいたがる魏ファンも似たようなものだよ。いや、もっとひどい。
三国志正史は魏の歴史書がベースなのを忘れないでくれ。
そのまま読んだら魏が強くなり過ぎる。
929名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 11:31:52 ID:m3ju9EucO
三国志正史は晋時代の編纂なわけで、魏にとっては不利とは言えんの?
まして陳寿は蜀に思い入れタップリだし、
呉志は呉編纂の呉書が元ネタだし。
930名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 11:37:00 ID:kO7ztBQE0
正史マンセーな魏ヲタの妄信も確かに酷すぎる。
蜀、呉、後漢連中を見下すなんてレベルじゃないからな。
上の方で何故かマイナーな曹叡は加えて、メジャーな関羽を外すとか
言い放ったアホもいたよな。
正史と演義の両面で活躍した英雄を挙げるべきだろう。
どちらも軽視するわけにはいかないし、どちらに偏りすぎてもいけないと思う。
931名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 12:28:02 ID:iP8z0Icq0
関羽を外してみろと言ったやつの挙げた24人を見てみたいw
多分24人も挙げられないぞ。
932名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 12:29:10 ID:ngHt3mZC0
それで結局趙雲は入るの?
933名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 12:44:33 ID:GHRcvn7d0
考えてみた
曹操、曹丕、夏侯淵、荀イク、司馬懿
劉備、関羽、張飛、諸葛亮
孫策、孫権、周瑜、陸遜
張角、董卓、李カク、楊奉、袁術、袁紹
公孫サン、劉表、劉焉、張魯、馬超
934名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 13:03:37 ID:EeptXFAC0
>>602の流れでよろ
935名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 14:04:32 ID:U4srbB6/0
しゅうそうはすいちゅうせんさいきょうなのでふつうにはいるとおもいます
ほうとくもつかまえました 
936名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 14:55:58 ID:CMmfs2ls0
>>929
反論があり、納得されないかも知れないが。一応。

三国志正史は確かに晋時代に編纂されたものであるが、晋は(建前上)魏から正式に禅譲され
天命を正統を受けついだものであり、それほど悪くいう必要はない。
また、司馬一族はかつて魏に仕えており、晋の重臣も同じく魏に仕えていた。
あまり悪くいうと、仕えていた奴らの問題にも発展しかねないし、不愉快に思う
晋の重臣もいるかも知れない。

ただし、禅譲を受けた以上、少なくとも『徳はなかった、もしくは失われていた』的な
表現は必要であり、また、あまり過大な粉飾までは要求されなかった。
(ただし、不名誉な事件は抹消された。赤壁しかり、漢中しかり)
この点を魏信者はおおげさに語り、
『晋は成立上、どうしても魏を悪くいう必要があった。
 魏は正史に書かれている以上に優れていた』
 と言うわけ。
しかし、基本は魏を優遇しており、陳寿が個人的に蜀の扱いを悪くしなかっただけ。
(そればかりでなく、蜀は漢の後継者で正統はそっちかも知れないと考えるものが
 晋にいたと思う。そうでなくてはあの書き方は許されるとは思えない)

だから、三国志正史の扱いは晋>>魏>後漢=蜀>呉となる。
ただ、陳寿は非常の良識のある歴史家であったこともあり、中国史正史にしては
珍しく魏、呉、蜀の扱いに大きな差がない質のいい正史ができた。
また、後に裴松之の注が加わり、さらに扱いに差がなくなった。
(ただし、小説的で信憑性に本文より欠けるのは間違いない。
 これを、魏信者は裴松之が蜀ファンでアンチ魏なのもあわせて、
 逆手にとって不都合な裴松之の注を無視しようとするわけ)
でも、ベースはやっぱり魏優遇。

陳寿を責めるわけではないが、三国志正史も絶対というわけじゃない。
民間に伝わった三国志伝説を基にした『三国志演義』の方が記述が正しい
部分がある可能性さえも否定はできない。
937名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 16:24:17 ID:GHRcvn7d0
魏や蜀や呉なんざ扱い良いほうだろ

李カクや袁術とかヒドイぞ。
938名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 18:10:43 ID:2pkS5dxn0
>李カクや袁術とかヒドイぞ。

そりゃそうだろ
たいした実績ないんだから
939名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 08:35:15 ID:BnMG3c1Z0
劉虞、劉焉、劉協、盧植、
劉備、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠
徐庶、ホウ統、馬良、馬謖、法正、張松、姜維
ケ芝、蒋エン、費イ、董允、王平、魏延
かな
940名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 12:43:40 ID:b3zhI3pQ0
中国目線だと恐らくそんな感じだろうなw
941名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 14:49:15 ID:MJdA3FbfO
中国目線だと魏延は厳しそうだな
942名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 14:51:31 ID:39xed/XKO
綺麗に義経正成蜀漢贔屓するのは専制君主への奴隷精神を受容してた昔のチャンコロとジャップだけ
943名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 16:13:53 ID:6U1QHGFF0
魏延のかわりに李厳で。
944名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 19:09:10 ID:rw8bAbx90
>>942
つ関帝廟の前で1万回土下座+差別用語満載の汚い言葉使いを直してこい
945名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 19:11:49 ID:qUrcXeby0
>>944
なんだこいつ。
946名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 19:16:14 ID:j3ShH3P20
いいから早く埋めようぜ。
947名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 21:14:16 ID:LzQynuY20
>>942
おめーのいう「専制君主」の定義を言ってくれよ。
日本と中国は全く真逆の社会構造なんだぞ。
948名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 07:50:24 ID:B4UnWXsV0
次スレいらんぞ
949名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 18:52:12 ID:3TEYjNE60
こんな無理難題なスレでよく1000近くまで議論したもんだw
950名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 19:45:41 ID:hIfRVL6D0
英雄の定義決めようぜ
もしくは別の適切な言葉に代えようぜ
951名無しさん@お腹いっぱい。
本紀級、世家級、列伝級の人間をいっしょくたに語るからおかしくなる。