【維基】中国英雄wikiウィキペディアを充実させよう
1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
みんなで作るフリー大百科事典のウィキペディアですが、
それの中国英雄関連の項目を充実させようではないかという提案です。
日本史に比べると中国史はまだまだ弱い。
また水滸伝など中国文学関連の項目も充実させたい。
中国英雄板の住民の力を結集して、中国英雄関連項目を充実させましょう。
この項目がないよ。この項目の記述おかしいんじゃない?
この項目が充実していない。この分野の項目が少ないなどを書いて下さい。
ウィキペディア(Wikipedia、維基百科)
日本語版
http://ja.wikipedia.org/ 中国語版
http://zh.wikipedia.org/
とりあえず中国語版からの翻訳を、
といきたいところだけど、
肝心の中国語版wikiの充実度合いがいまいちなんだよな。
ただ中国の歴史資料は、かなりの数が、
ネットで読めるのが便利。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 23:50:31 ID:tbK0B4hv0
まずは既存の記事の校正だろうね
最近、中国のサイトじゃ、百度の百度百科というものが台頭しているみたいだな。
維基百科への対抗馬か?
どうも百度で検索した場合は、wikiが引っかかりにくくなっているようだし。
肝心の中国語版もあまり充実していないのだが・・・
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 16:05:11 ID:4+a9Ykwc0
中国語サイトで資料探すんなら、
中国語版wikiより、他のところが頼りになるかも。
やっぱり三国志関連の記事が突出して充実しているよね。
当然と言えば当然だろうけど。
アニメの記事が異常に充実しているのと同じような理由w
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 11:53:34 ID:v8j0VqbXO
確かに三国志関係はかなり充実してるね
とりあえず日本語版は、どの時代の記事が不足しているかな。
あ
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 14:48:58 ID:kSbauHEm0
一番下の・・・無双?
何だか、中国歴史を英語で読むと不思議な感覚だな。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 21:15:28 ID:qs15dPtQ0
日本語版で土木の変は、まだないんだな。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:53:25 ID:bAr99ni90
変にいたる背景とか、その後の英宗の送還なんかも、
きっちり書きたいね。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 11:01:28 ID:eqnoPpCV0
ついでに「奪門の変」もないね。
まずは関連した人物、于謙なんかの記事を充実させた上で、
挑むべきか。
範囲が多すぎて大変。
もっと同志が欲しい。
やってみたいけど何すればいいのかワカンネ
>>22 とりあえず欲しいけど、記事が見当たらない人物、出来事などを。
歴代の兵制の変遷についてもまとめてみたいものだ。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 14:23:31 ID:yB1rvAAK0
>>24 王朝ごとに官制の記事を作ればいいかもね。
>>25 ごめん、よく分からん。
>>25 ブラウザでアクセスしたらDat落ちしてると表示されたのだがどういうことだろう…
こつこつと記事を編集しているけど、
たくさんありすぎて、なかなか進まないなあ。
中国語版訳すのが一番楽だろうけど、
肝心の中国語版が貧弱な記事が多いし。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 13:53:51 ID:74slseESO
三国志関連はかなりマイナーな人物に関しても結構詳細に書かれてるけど
他の時代になると、結構重要な人物にも関わらず全く記述が無かったりするね
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 15:28:16 ID:g9fg7Y+G0
中文wikiがしょぼい理由は基本的に中国からは繋がらないからだ。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 19:14:50 ID:C3bDidZJ0
中国共産党が大陸からヴィキにアクセスできないように規制をかけてから、
ヴィキの中国語版の人口は半減し一気に更新の速度がおちてしまった。
中共としては、百度百科あたりを使えということなのかな。
>>35 でも、去年の11月頃に突然解禁になってたな。
その後再び禁止になったのか・・・
具体的な原因は、何なんだろうね?
共産党政権としても、統制が難しいネットは厄介な存在であり、
その対応に苦慮していると思われ。
>>37 正確に確認してはいないが解除になってたのは半月にも満たないんで、
おそらく何かの手違い。
まあ串させば読めるんで別に不自由はしてないが。
それより手違いのままずっと規制されてるっぽいinfoseekとかが困る。
>>39 一度解禁になったというのは、ニュースとかでも出てウィキ関連スレでも話題になっていたよ
>>39 手違い?
ニュースでは「中国の見解が書き込めないから、解禁した」と出ていたような
気がするけどな。
中国は公式にはネット規制を認めてないのでそりゃないだろ。
百度百科も勝手に訳して写してもいいのかな。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 23:59:57 ID:Kv0xm2bk0
age
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 15:28:27 ID:YRiHeE1N0
>>44 でも、一番の利用者である中国人は、
そんな禁止警告なんて無視しちゃうんだろうなあw
47 :
治郎右衛門:2007/03/14(水) 13:27:58 ID:Fsi4A6Mj0
ウィキペディアを日本語で正常に見るには如何したらいいの?。
>>47 はて?なにが問題?
ウィキペディア日本語版をI.E.なりFirefoxなりのふつうのブラウザでみればいいだけと思うけど。
ブラウザがいかんのか?エンコードがいかんのか?フォントがいかんのか?あんたの環境知らないから答えようがない。
マルポだからスルーでおk
ユダヤ系の百科事典に協力する貴様らは、
今、三洋を外資に売り渡そうとしている奴らと同種の
非国民、売国奴だな
不幸な死に方しろよ
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 23:42:52 ID:xGzfb26L0
>>51 そちらは近代史、こちらは近世以前の歴史中心だな。
後漢の劉秀の二十八将のあたりがひどいと思う
一人二人しか記事ないし
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:17:51 ID:8ch11Iki0
確かに光武帝関連はもう少し充実させたいね
光武帝の時期はどうしても注目度低いからなあ。
ぼつぼつ記事にしていこうか。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 13:38:43 ID:KW5filkU0
つーか、三国志関連記事の充実ぶりが異常だw
58 :
台湾のウィキペディアン:2007/04/14(土) 16:08:31 ID:v+Flww890
59 :
台湾のウィキペディアン:2007/04/14(土) 16:42:00 ID:v+Flww890
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 23:32:11 ID:G8tRg0hA0
>>56>>57 記事が充実している = 書き手が多い = 高いレベルの維持が難しい
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 00:20:16 ID:xShdotZn0
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 22:39:51 ID:RB1xs3d/0
wikiもいろんな人がいそうだなw
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 14:05:56 ID:2ikf761B0
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 23:48:51 ID:4GrdL3Tn0
>>64 中国で、舒城と言うと、安徽省六安市に属する県の名前になる。
そちをメインに記事を書くべき。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 12:02:02 ID:l2pWOHUo0
>>68 都市の涼州の方を中心に持って来た方がいいだろうねえ。
地誌をまともに書こうとしたら、二十四史で地理志の入ってる奴読んだり
地方志や読史方輿紀要とか見た上で、共和国の行政区分になってからのことも
押さえんと・・・
この前、中国史のある項目書き直した。前の記事は全部削除
編集バトルにwktkしながら3週間たったけど今のところ何もない
「一説では」で検索すると、三国志関係がいろいろ出てきて面白い。
この板の某スレとか某ブログで問題視されてる彼だね。
>>71 中国のサイトは日本よりはるかにコピペが多そう。
中国版訳す時は、中共色に気をつけないといけいないね。
一応あの国のネットは検閲下にあるわけだし。
ポスドクにすらならせてもらえない東洋史・中文専攻の無職ドクター修了者に
報酬付きで頼んだら良い記事書くだろうし、雇用の創出にもなる
と思ったけど、うさ晴らしに自説の大展開しそうだし出資者も要るわな
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 23:56:04 ID:ICjvRPT90
結構意見割れるからね。
政治関係の記事は酷いものも多いし。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 01:19:20 ID:loqzbh6HO
>>72 一人かどうか分からないけど、あれは本当に酷い。検証できないし。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 14:53:20 ID:7N51n33K0
雲台二十八将は何故か寇恂だけ記事があるんだね
要は、その時代に興味を持ってくれる、時間を持て余していて、
熱心な人がいるかどうかだな。
光武帝の頃には興味あるし、時間も持て余すほどじゃないがある。
でも人数が多過ぎて萎えるのは、熱心さが足りないからだな。
東洋史カテにありがちな、根拠なしの妄想系英雄譚になる前に
腕のいい書き手たちが全員分埋めてくれたらいいんだけどな・・・
王莽・光武帝のスレでまじめな話が続いてるので期待
>>76 Wikipediaの方針として「検証可能な内容だけを書く」ってのがあるから、
検証できないのは消しちゃっていいはず。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 23:55:43 ID:3gWhZThV0
編集の時はあまり気を使わずに大胆にやっていいそうだからね。
あまりにもだった何魏と董承を修正しますた
一度、1日でいくつの記事を新たに作れるかやってみたけど、
50件ぐらいが限界だった。
1日に100とか200とかの単位で編集してる奴に目ェ付けられたみたいで困る
おれが新規の記事載せるたび、1時間としないうちに改行を変えたり無意味なリンク張ったりする
改行には時系列を示す、ちゃんとした意味があるつもりなんだが理解されてない
20年、30年のタイムラグがある事件を同じ段落に入れるのがキモいと思うのはおれだけかも知れんが
投稿の30分後に編集しに来るのは誰が見てもキモいはずだ
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 14:03:56 ID:J1EeiIxM0
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
>>85 何か、常時監視しているような人がいるよね。
記事の文章スタイルとかが気に入らないのか、すぐに訂正しに来る。
あんまり害があるわけじゃないけど、不気味。
三国時代ばかりでアレだが、劉放の項で孫資の子孫を劉放の子孫に間違えとるの見つけて吹いた
お前は孫盛知らないのかと
追記
よくよく見たら「劉盛」とかアホな追加したのは例の奴だったよ
三国時代なんて書き込んでくれる人がいるだけまだいいよ
他の時代なんて…
92 :
85:2007/05/22(火) 20:05:43 ID:A0hmYg7e0
例の奴はIPだし、『三国志集解』『献帝春秋』とかを
根拠に見せかけるぐらいの知恵は働くから違うw
今絡んできてる奴はコテハンで東洋史の知識はなさそう
昨日1日の投稿記録みたら編集がマジで100件行ってて引いた
自分のHPにもリンク張ってるけど内容は痛い・・・
叩くのも可哀そうだし、キレられたら困るから放っとくわ
ちなみに今書いてるのはこのスレの趣旨に合わせて三国以外の時代です
そういうときって、どうしても粘着側の方が強いからなぁ・・・
>>92 どんな項目かヒントだけでも
劉放と劉永は要修正だな
95 :
85:2007/05/23(水) 19:05:56 ID:lYDs67vM0
ヒントにとどめるつもりだったけど、あんまり面白いから晒すわ
さっき新規で載せたら10分ほどで出て来たw
なんか、たまごっちにエサやってるような不思議な感覚に襲われた・・・
いま、雲台二十八将を集中的に書いています。例えば・・・
杜茂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E8%8C%82 旧版は年表みたいに時系列を視覚的に把握できるような体裁にしたつもりだが、編集でボツ
おれの書き方ダメですか?忌憚なきご意見をお願いします。体裁以外に内容のツッコミも可
ああ、自分のクソコテまで晒すハメになった・・・
兄貴乙
改行の修正は理由がわかりませんな
文句つけるような内容でもないと思うし…
なんか、利用者ページのノートの雰囲気が異様だな・・・
Wikipediaのノートであんな雰囲気なのは初めて見た。
>>95 雲台二十八将乙です。
なんかウィキペディアンにもいろんな方がおられるんですな。
この人、編集回数を増やすことにこだわってるっぽい(二万回越えなんて異常だろ・・・)ので、
この人にとって編集の余地のある記事を書いてくれるユーザーをストーキングしてるのではなかろうか。
単に編集回数を増やしたいんだったら、そういうやり方が楽だろうから。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 15:27:49 ID:6g0+3HYy0
>>99 編集回数を増やして、管理者になることを狙っているんじゃないかな?
たしか編集回数が多いことが立候補の要件だったはず。
二万は多いな。
数百回で立候補して余裕で信任される人もいるぞ。
何件か直してきた
どっからあんな妄説が出てくるのか謎だ
初めて歴史人物記事の訂正に挑戦したのはいいが、
送信してから30秒も立たないうちに常駐ご指南役のチェックが入って
なんか怖いなウィキとオモタ。
もう書かない。
今度は張安世とかも直した
完全に間違っててある意味ワロタ
なるほど
実は今日、
>>106の書き込み見る前にタグなしで1件載せた
早速飛んできてくれたので、まあ予想どおりかなと・・・
さすがに直しは減ってたな
ここで吼えてるほどには気にしてない(2getとか、ヤフオクの1円入札みたいなものと
思ってる)ので、これからも淡々と書いていきます
>>106みたいな理由があるのなら、編集内容の要約に書いときゃいいのにな。
と思ったら、一応書いてあった。
ところで杜茂って「とぼ」って読むのか
吉川忠夫先生が訓注つけた後漢書は茂が全部「ぼ」だね。
くさかんむり取って読んでるんかな?
王莽の部下の陳茂が・・・・・・
>>111 チンボクソワロタw
でも普通「茂」の読みは、「モ」か「ボウ」しかないと思うんだけど。
通鑑の胡注あたりを見ると、「音戊」とか書いてあるのかなぁ……。
渡邉義浩の汲古書院の方は?
諸橋か大詞典でも見てみるか・・・
黄承彦
黄承彦(こうしょうげん)は、中国・三国時代の人物。。字は阿承。
阿蒙は呂蒙の字で阿斗は劉禅の字で阿瞞は曹操の字と思ってるんだろうかw
またいくつか修正
なんで孔子のアレに今まで異論が出ないんだよ
いちいち指摘するには多過ぎるわな。特にルーツ系は勘弁して欲しい・・・
項燕は「周公旦の長子伯禽の後裔」らしい。
「項燕 伯禽」で検索して出てきたのは
http://hk.knowledge.yahoo.com/question/?qid=7006100202664 根本史料の「項氏宗譜」て何?
張翼が張良の子孫だとよく言われるが、
実は世代の数が合わないとか、張良の子孫である旨書くべきはずの
三国志が書いてないとかの理由で、否定説がある(狩野直禎先生)ことに
言及してもいいかも知れん。
個人的には、建国の功臣の子孫が漢の復興を目指す、てのにロマンを感じるけど・・・
趙高が趙の王族出身という説はあっさり蹴られてるが、宮崎市定御大が
綿密な検討の上でこの説を肯定してるので、挨拶ぐらいはあったほうがよさそうだ。
あらゆる文献読んでから書けってのも無理だし仕方ないけどね。
お前が書け?ハイ、おっしゃる通りです・・・
>>117 趙高が趙の王族出身で、宦官と言うよりは家内奴隷
だったんじゃないかって説は、結構有力だと思うんだが。
例のルーツバカは、変なとこでばっか慎重なのな・・・。
(まぁ、その項は奴が書いたんじゃないのかもしれんが)
トップページに新着記事で二宮の乱が来てた
「孫権の老害がこの事件の原因」
「孫登死後の治世は老害を終始撒き散らすのみであったといえる」
呉が好きな余り、晩年の孫権のグダグダが許せないことだけはよく判る
ルーツバカは決して本物の馬鹿じゃない
説のもっともらしさ、史料の使い方の巧妙さは
相当の知識があればこそだ
トップページの記事って投票や推薦で決まるらしいよ
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 01:54:16 ID:98yHU5s/O
ルーツバカも複数いそうだからな
でも根拠捏造する奴は知識微妙だよ
誤読も少なくないし
中国語版のwikiは、台湾や香港の人が中心?
中国本土からは規制されるって前に聞いたし。
台湾の人が熱心にWIKIやってたら、
>>68の「涼州」の
「チベットが中国に帰属する事の歴史的証明」みたいな文は
速攻消しそうだけどなあ
中国からの独立目指す点では、温度差こそあれチベットも台湾も同じだし
(台湾からのアクセスもブロックされてる?)
で、中国本土にもチベット族やリベラル派?で
チベット独立を主張する人はいるはずなのに、
>>68が残ってるのは
本土からのアクセスも規制されてるからと思えば筋が通るな
1項目だけじゃ何も分からんけどね
二宮を見てみた
例のルーツバカではないようだけど、内容がまだ甘い(評価面よりも史実の列挙が)気がするな
二宮事件なあ
江南貴族政権の特色のあらわれか?
この手の世継ぎ争いは、同時代なら袁紹・劉表・曹操と
最大手の軍閥はどこもやってるよな。激しさに差があるだけ
あと、江南豪族の勢力の強さが東晋に引き継がれた、みたいな事が書いてあるけど、
北から逃げて来た貴族のほうが優遇されたんじゃないの?
そういうのもあるけど陸遜が死んでから顧譚流罪や吾サン獄死みたいに書いてなかった?
だとしたら逆じゃね?
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 20:19:26 ID:+E+0cZlwO
陳勝の項酷くないか
またルーツ馬鹿?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 22:48:25 ID:+E+0cZlwO
>>129 陳羣とか追加したのはルーツバカ
陳書本紀や唐書宰相世系表見ても、陳覇先は祖先として陳寔と更に陳余と陳嬰を繋げてるが陳勝は入れてない
後世の陳氏が陳羣と陳勝を繋げたとしてもかなり疑わしいことが分かる
陳覇先の系図自体かなり怪しいがな
陳嬰と陳余はないだろ
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 22:57:16 ID:rK66h/z00
陳舜臣の部分にいたっては日本語自体間違ってるしな
>舜臣氏本人が懐疑している
って意味ワカンネ
吹いたw
インターネット板のウィキ本スレで三国志カテがいかに酷いか話して、
捏造常習者の記事は迷わず消せって言われたところだった
ただルーツバカの捏造具合には妙に味があって惜しい
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 00:07:43 ID:DtzqtOhsO
偽出典に三國志集解や水経注を使うあたりアホの子でもあるが
>>132 >ただルーツバカの捏造具合には妙に味があって惜しい
そうか?同じ氏を名乗ってる人物を片っ端から同族扱いしてるだけじゃん。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 01:40:47 ID:DtzqtOhsO
3、4年前かな
2ちゃん三戦板で、やけに「魏延は魏勃の子孫に違いない」と根拠もなく力説しストーリーをでっち上げてる奴がいたんだよな
ルーツバカと同一人物とは限らないが、妙に思い出す
それより王充は王莽と同族だったと思われることとかを指摘すればカッコイイのに
まあ基本は同氏に着目してるだけの単純思考なんだろうけど
ボロの出し方が何か可愛いというか・・・
あと、劉封をケ禹の子孫にしてたのには呆れ半分ながら感心した
別にあいつを擁護する気は全くないよ
>>136 劉封のやつはむじん書院で出してた仮説のパクリだよ
パクリか・・・
確かに毛色が違う感じだったな
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:06:56 ID:DtzqtOhsO
陳勝直した
「皇甫弼(魏)」とかやっちゃってる三国時代の項も直すかな
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:40:27 ID:XsAShjpN0
ファンタジーを歴史にしたらマズイだろw
>>135 何だかんだ言って、正史ファンは日本のネット上に
3桁以上いるとは思えないから、特徴ある主張を
繰り返す奴は、間違いなく同一人物と思われ。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 00:34:10 ID:2u5bjvkCO
>>141 まあ、せめて「一説には、件のルーツバカと同一人物」としとこうぜ
>>139のはヒツ違いか
こういう間違いはまだ笑える
二宮の話だが、「名君」だった孫権の「老害」とか、
「名将」の陸遜が三国志に単独で立伝されてるから
評価が高い、とかの主観的な意見や
事件の本筋と関係ない事が多くて気になる
孔明の「神算鬼謀」消したのスレ住人か?w
あと、江南豪族がどうたらの話がどうしても分からん
誰かの説か?
豪族の家臣が絡んだお家騒動が孫呉に特有の話とも思えん
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 11:49:11 ID:3jvaXHVpO
いくつか修正したよ。全部は無理でも少しずつやってかないと。
>>144 乙。なんか必要以上にリバートする人がいるなぁ。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 15:21:00 ID:3jvaXHVpO
>>145 うむ。二宮とか自分で書いたらしいのでカチンときたのだろう。
主観的なとこ削ったほうがはるかに判りやすいな
ただ、ノートにでも編集の理由詳しく書いたほうがいいよ
相手が納得するかはともかく正当性を示せるし
皇甫ヒツまで・・・
直した人にはお疲れさんと言う他ないな
元の版に戻すのは簡単だからな
皇甫謐みたいな明らかな誤りまで戻すのでは流石に恥ずかしいが
>>143 「老害」云々は参考文献参。東晋も含めた江南豪族の強さ、事件の影響についても同。
神算鬼謀はぶっちゃけ消されても仕方ないと思ったから直す気もない。推敲漏れ。
江南豪族云々については、外部リンク見てほしい。正直書いた側はこの見方で
見ていないからどういわれてもこういう見方があるとしかいえない。ただ、ネットで
見ると、豪族の非主流と主流の争いとかでの見方が異様に多くてな・・・
呉は豪族連合に過ぎないという見方は、参考文献でもしてはいるんだが、参考文献は
あの事件の原因については孫権の老害一本なんだ。本当はこれだけで書こうと思ってはいたが、
そうなるといくつかある見方の一説しか上げないことになるから
あんまり具合よくないんだこれが。
まあ、赤なのが気になって、だらけながら半日で仕上げたものだから
いい加減なのは認める。ただ、今まで赤だった原因は、見方がいろいろあって
書きにくいから、というのはあったんだと思う。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 19:30:09 ID:WRoOGWcSO
李陵とか丙吉とか成帝とか酷すぎて逆にワロタ
何を元にして作ってんだか
直さないとなー
前はちょこちょこ直してたんだけど、あまりの件数の多さにもう嫌になった。
後はマカセタ。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 21:47:10 ID:WRoOGWcSO
李陵を直した
最初気付かなかったんだが左賢王はないだろ
飛燕外伝の内容を注記もなくそのまま書いてる成帝もヒドイ
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 22:04:49 ID:rmAzvqLp0
直すなら早めに直してやれよ。
日本史板なんて「直してくれ」と他力本願な連中ばかりでスレそのものがかき乱されている。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 23:09:02 ID:WRoOGWcSO
成帝じゃないが、ある意味最高に酷かったシツ都を全面改訂。
多分横山の漫画だな、旧版の元になったのは
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 23:34:27 ID:cgOJIDoq0
誰か灌嬰の記事書いてくれないかな
劉邦陣営の武将の中では結構重要な人物だと思うんだけど…
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 00:32:59 ID:8yzAeoJDO
まだ新規に作ったことないんだが、いつかやるかも
まー魏相とか蓋寛饒とか王嘉とかテキ方進とか王音とか韋玄成とか田千秋とかもあるし、哀帝とか成帝も直さないとな
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 12:17:28 ID:8yzAeoJDO
哀帝直した
改行とかは必要なら誰かやって
また手を入れるかも
ケシツやケ太后や竇憲がないことには後漢の歴史は動かんわな
竇憲の前に竇融を書かんといかんが
両漢交代の頃の群雄で立伝されてるメンツは
天下取る可能性があった訳だし、書いてもよさそうだ
楊震の記事は仕事の内容が書いてなくてルーツの話ばかりだが
誰が書いたかといえば、案の定・・・
[[郡国制]]・[[郡県制]]も酷い。秦は独裁じゃねえっつうの。
>>159 >楊震の記事は仕事の内容が書いてなくてルーツの話ばかりだが
>誰が書いたかといえば、案の定・・・
ワロス
項目名は「楊震」じゃなくて「弘農楊氏」の方がいいんじゃないか?w
それこそルーツバカには[[琅邪王氏]]なんか作ってもらったほうが有益じゃないかね。
>>162 まぁウソ出典満載の信用できない系譜書かれても困るんだけどねw
>>163 そりゃそだね。結論として、アレに任せられる記事は何も無いと。
誰か作らん?今、六朝貴族の記事を書いている最中なんだけど、[[琅邪王氏]]や[[陽夏謝氏]]の記事があると凄く助かるんだよなー。
末裔が台湾に渡って王貞治を輩出したとかな
>>165 そのレスを根拠にマジで記事に書きかねないぞ、アイツは
とりあえず二十四史あたりはネットで調べられるんだからそれくらい調べて欲しい罠。
「であると言う。このことははっきりと記されている」なんてみょうちくりんな文章はホント勘弁してほしい。
>>167 資料として原文そのままコピペしといて「一説には〜であるという」をやるからどうしようもない
胡散臭い新唐書の宰相世系を元に片っ端から追加されてもウザイけどねw
孫武の息子の名前とかどうでもいいっつの。
まあそれでも追検証が出来る形で書いてくれるならまだマシよ。
「○○に書かれている」とか書いてるけどどこにも書いてないってのはもう手に負えない。
確認くらいしろっての。
孫武がそうだったな。
呂氏春秋やら春秋公羊伝やらに孫武が載ってるんだったら、孫武の実在が疑われる理由がないだろと。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:39:07 ID:8yzAeoJDO
ルーツバカの履歴見たら、ノートに凄いこと書いてあったよ
2ちゃんねるでぷらっとも言ってるから正しい、とか…
ゾッとした
[[利用者‐会話:203.205.154.41]]
これか?
>>172 何というか、もう少し外の世界にも目を向けろよと言いたくなるね。一回で良いから「回顧と展望」にでも目を通したら少しはましになるかも。
>>173 蚕と手んぼうとかのレベルじゃないでしょう
訳でいいから史書原文に当たる、嘘は書かない、から始めないと
いや、ぷらっとが言っているからとか言い出す思考形態がね。
この世の中には偉い学者さんが大勢いるんだよ。みんな一生懸命研究しているんだよ。
そういうことを知れば2ちゃんの素人の説を大真面目に主張するなんて恥かしくてできなくなるんじゃないかなと思ったんだけど。
恥なんて感じないからこそこれだけやってるんかなぁ。
本人は、少なくとも書いていた時は極めて真面目で、とても良いことをやっていると思ってただろうね
我々に出来るのはWikiは下手に信用してはいけないということを広めることと、出来る限り記事を良くしていくこと、それに尽き申す
昔はWikiの害悪というと、一部のトピックスの編集合戦が専ら問題視されてきたけど、
なんか最近は、このルーツバカみたいな特定のキチガイによる粘着の方が、さらに
手に負えなくなって来てる感じがする。不特定多数の悪意よりも恐ろしいというか・・・。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 11:36:42 ID:bi+TazBMO
劉旦(燕王旦)修正で疲れた
なんだあの勝手に作った台詞の数々は
何か元になる小説でもあるのか?
一言一句全て史書通りにする必要はないだろうが、要約するのではなくストーリーを創作というかでっち上げるのは反則だろ
熱いセリフは手軽な捏造の手段だから・・・
孫峻が夢で諸葛恪にボコられる話、
「『三国志演義』同様、『三国志』においても・・・」
って何で主従がひっくり返ってるんだよ
そもそも演義ものはいろんな時代に取材したのがあるのに
三国だけ「『演義』では・・・」と付記する必要があるか自体考えんとな
史書とフィクションの乖離が大きいところとかでは付記に意味もあるだろうけど
韋昭が演義に登場しないとか、正直どうでもいい
ただ、最近スレの流れが記事の批判続きでちょっと辛い
いくら正当な批判でもな・・・
新規で欲しい記事挙げたりしていければいいんじゃないか
ということで六朝貴族を一氏ごとにまとめるのに賛成
>>178 超GJ。お疲れ様。ていうか、前の版見てクソワロタw
「旦のたわけ者めが!」て、こいつ、辞書書く気ゼロだろ・・・。
>>178 乙です。何というかね、疲れるわ、本当に。
>>179 現状では六朝ではないけど[[汝南袁氏]]があるね。これは良い記事だ。
創作物になってる記事は少なくとも王温舒もあるからまたやらないとな
あと漢成帝の趙飛燕うんぬんは飛燕外伝の内容なので明記しないと…
建設的な意見としては、前漢後半の人物・制度を充実したいと思う
三公制や州牧制を語るのに何武とかの名前が出てないんだもん
領尚書事は専門家に任せるか
領尚書事とかよりもっと基礎的な事柄を書かねば・・・。[[少府]]とか。
オレは他の記事で忙しい。
[[利用者:ニセクロ]]って本人かな
すぐ活動やめてるみたいだけど
アカウント作って成帝とか董賢とか修正
シツ都ほどヒドイわけじゃないが誤認とかは直さないと
アカウント作ったらやる気なくしそうな気もするが
>>184 本人っぽいね
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:10:15 ID:3KtzNDzkO
>>186 作ったんだってば
成帝の履歴でも見てよ
188 :
186:2007/06/16(土) 22:08:22 ID:ZHDF4I0D0
おお、これは失礼。
今度新規ページも作るかな
王鳳とかテキ方進とか魏相とか
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 12:09:25 ID:IU4phvtfO
毎回言うのもアレだが、新規作成してみた
王鳳
多分今日はもうやらないが、新規を幾つかやらないとな
王音とか書かないと王氏の権力が一時衰えていたことが分からないし
あと蕭望之書いて、漢書注にあるルーツバカに宛てたかのような痛烈な一文を紹介してやるか
「流俗学者」てアカウントも毒があって面白いな
期待しとります
とりあえず洩れも三国志関係を何とかしてみます
>>193 三国関係では昨日臧覇を充実(半独立だったこと、泰山諸将のリーダーだったこと、青州兵をめぐり解任されたこととかろくに書いてないのは寂しすぎる)したのと、審配の謎の「五桁」にツッコミ入れたくらいだった
俺も少しはやるかもしれないがガンガレ
呂蒙の故事成語に「読書百遍、意おのずから現る」とか
「韋篇三絶」が入ってたから要出典貼ってノートに書いたけど
呂蒙と関係ある?あったら恥ずかしいが
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」は、
最初「後漢書班超伝が初出」て書こうとしたけど
三国志と後漢書の成立時期で噛み付かれたら困るから
「呂蒙のオリジナルでない」としといたわ
>>195 韋編三絶が孔子の逸話だというのは結構有名だと思う
呂蒙の史料で孔子の話を引用してるのがあるかも知れんと思って
要出典にしといたけど、多分出てこないだろうな
書いた奴はアク禁食らってるし・・
どの故事成語も入試や定期試験に出そうだし
小中高生らが真に受けて損するのが可哀そうだ
「呂蒙 読書百遍」で検索したら、鋼鉄三国志のブログが出てきて吹いた
>>195 それ書いたNakaoka7675って人、投稿ブロック3回くらい受けたりとか、複数アカウント使いだったりとかで
問題のある人みたい。
読書百遍って董遇じゃないの?
有害情報だし消して来たよ
こんな事に慎重になっても仕方ないし
無垢な青少年には有害だからな
>>201 ナイス
新規に記事書くのは大変だなあ
疲れたよ
変な内容の記事を修正するのは別の意味で疲れるしな
呂蒙の項目の「概要」のところ、子の名前だけかよw
ルーツ馬鹿の仕業がら誤情報を抜いたらこうなったのかwww
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 12:47:20 ID:fiLFkMcOO
三国志関係記事ではよくあること
おっと陳式が対呉戦にいたのは史実だったか
失敗したぜ
「俗に『三国志』の著者・陳寿の父と言われているが、『晋書』「陳寿伝」にはそのような記述がなく、俗説の範囲を超えるものではない」
だけ残して他の陳寿の父親説だとかの部分は削除で良いんじゃない?
呂蒙の項目の体裁直した
あと、紀信の旧版は、血縁ないはずの紀通を紀信の子に仕立てて
紀信とほぼ同じ分量の記事を載せる噴飯モノだった。ノート参照
そういえば、「略要」なんて言葉聞いたことある?ルーツバカが盛んに使っているが。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 21:05:30 ID:fiLFkMcOO
いや全然
紀信の修正乙
陳式再修正。李広も修正。
変な内容、変な日本語だと直すのも二倍疲れるよな
210 :
208:2007/06/20(水) 21:08:07 ID:6aVQzXtI0
あ、俺は207ではないよ。一応念の為。
そるは失礼した
黄忠にも手を入れてみた
字数だと同じ巻のどの伝も結構短いよな
多く感じるのは注だよね
訳だけだとわかりづらいかもしんないが
五人まとめだから諸葛亮とかと比べるとどうしても短くなるな。というか張飛伝ってエライ短いよな。
関平とか関索とかの字が「民間伝説では・・・」とか書いてあるけど、これ本当?
ウソ出典は論外としても、民間伝説ってのも検証不可能で厄介な代物なんだけど。
超三国志で設定されてる馬岱の字を「民間伝説では」として書いた馬鹿もいるし。
とりあえず保留でいいんじゃない
たぶん中文の先生の説がソースだと思うけど
それなら論文や著作を具体的に出せって話だな
今思い付いたが「略要」で検索すれば
直しの対象が絞り込めるw
>>215 「一説では」で検索するよりも使えるねw
で、検索してみたら149件もありやがる。暇だけはあるんだなぁ。羨ましいぜ。
一応確認しておくけど、孫ピンの元の名が濱(M)だったって誰か聞いたことある?
>>218 海音寺潮五郎の小説では嵌められたことをきっかけに自嘲的に改名したという設定だった。
改名前の「ひん」の漢字が何だったか忘れたけど。
ああ、それでか。[[孫ピン]]修正した。
郭嘉の最後の方の陳羣との話、余計な文多すぎ
足りない部分を補うのと勝手な創作(妄想)の区別をつけてほしいぜ
馬忠 (蜀漢)の最後の段落は何?
通志氏族略に
「狐氏:姫姓。周平王之子王子狐之後,以名為氏。
或言晉唐叔之後,世為晉卿。蜀有狐篤。・・・」とか
あるらしい(検索して出した。原文じゃない)が、
怪し過ぎるというか違うだろ
関平や関索の字は現地の関帝廟ではけっこう知られてる。
それをウィキペに採用するかどうかは別問題だが。
それ追加したのは一度削除された夏侯佐をわざわざ復活させたルーツバカだな(しかも内容めちゃめちゃだった)
>>222 ルーツバカの妄想ですな。消しちゃっていいかと。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 20:34:56 ID:26Ekoc8dO
関平・関索の字とかは、まあいいかと思うが
呂蒙とか馬忠の有害性はエロ本以上だな
教育上悪すぎる
「略要」の検索結果にフレッド・アステアが出て来て吹いた
趣味が渋すぎる、てか年いくつなんだよ
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 01:01:38 ID:duVtBf22O
ルーツバカはルーツバカの割に閻甫の子のこととか王吉が琅邪王氏の祖であることとかは書いてないのな
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 01:32:00 ID:QdaXGzeT0
ルーツバカが三国志集解や水経注をソースに挙げてる情報って全部削除していい?
劉禅の
>(諡が)一説に懐公とも。『三国志集解』・『水経注』より
とか
曹徳の
>なお、『三国志集解』・『水経注』によると、別名は「疾」で、字は「去病」ともいわれる。
とか
曹邵の
>また、『三国志集解』・『水経注』によれば、彼は曹操の父の曹嵩と同じ夏侯氏の出とされる。
とか。
曹徳は
>字は、一説では「秋徳」というが、真偽の程は不詳。
とか
>また、海陽哀侯との同人物説も有力で、その娘が夏侯衡の正妻となったともいう。
も胡散臭いね。というか、真偽が不明なら書くなと。
確かめようにも三国志集解なんて閲覧できる環境にないし、専門家じゃないので最終判断ができない。
そもそも曹徳や曹邵なんて単独で立てる必要性があるのか疑問を感じるが。
>>231 集解は読んだ事ないが、水経注は全部ではないが読んだ事がある。
水経注は河川の流れについて記したものだから、そもそも系図が載っているとは思えない。
自分が読んだ部分に系図や、それに類する記述は一切無かったし。
多分でたらめだと思うよ。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 12:14:30 ID:duVtBf22O
あれはたぶんむじん書院で「水経注」にうんぬん…って書いてた記事があったはずだから、その体裁だけパクってもっともらしく見せようとしたんだと思うよ
これに限らず、本人の伝本文以外からWikiに記載する場合はできるかぎり出所を明らかにするべきだと思うんだよな
もちろん集解なら誰の伝のどの注釈者の説なのか書かないと
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 12:41:06 ID:duVtBf22O
馬忠はルーツ以外もおかしかったから書き換えた
あと、寇恂の旧版で耿エンのリンク踏んだら
現代中国の政治家に飛ばされた
おかしいと思って調べたら、耿エンをわざわざ「耿ヒョウ」と読んで
リンク貼ってたことが判って爆笑した
そもそも、雲台二十八将のなかで寇恂だけが立ってたのは
あいつが寇恂→寇封のルーツ作るためだけに立ち上げてたかららしい
これもいずれ書き換えていいっすか?
吉平
何だこりゃ?
前趙が劉禅に懐帝と諡号を贈ってるのは事実だけど、水経注に載ってたかな。
魏晋的には安楽思公ということになってたはず。
曹徳が後漢書で曹疾と書かれてるのは事実。字は知らん。
曹邵が夏侯氏の出なんて聞いたこともない。集解にも書いてない。
水経注は川縁の石碑の主をだれかの子、とか祖父とか書いてる場合がある。
曹邵の項は「という」の連発でひどいなw
ノートもでたらめ。全面的に書き直すしかない。
>>237 劉禅の諡号は、前趙による懐"帝"とは別に捏造出典付きで懐"公"が併記されてるのが問題だね。
そうなんだ。。。
もうやつには関わってほしくないよな。
劉禅のは諡号の問題もあるが
後世の評価って、ほとんど書き手の独自の意見だろ?
しかも冗長というか散漫というか・・・
史家の評価、とりあえず陳寿の評を書いとけば足りると思う
ルーツバカ氏の好きな表現その一
「天性的」
「略伝」ってのも多用してるな。ルーツバカ検索キーワードとして使える。
略する余地がないくらいに情報がほとんど残ってない人物ばかりだがw
>>231に挙げたところは削除したよ。曹邵は別の人(
>>238?)が既に削除してくれてたけど。
>>241みたいな他の問題点は、俺は判断できる知識を持ち合わせていないので、他の人に任せる。
集解つながりでルーツバカが後漢書集解を出典としている(曹鼎の項目)のを見つけたんだけど、
これもどうなんでしょ?
書かれていることの中には集解まで見なくても、
後漢書の蔡衍伝や三国志の曹洪伝の注にある程度は書いてあるのは確認できたんだけど。
ただし、後漢書蔡衍伝に「鼎者,中常侍騰之弟也.」とあるのに対して
ルーツバカは「父は曹珀向(曹騰の長兄)。」と書いてる。というか、曹珀向って誰だ。
呉郡太守に左遷されたっての後漢書集解に書いてある?
曹休の祖父ということになってるんだけど、曹休の注に祖父が呉郡太守だった(名は書いてない)という記述だけが根拠っぽい。
ルーツバカは曹鼎に限らず曹操の一族の血縁関係についてやたらと詳しく書いてるんだけど、
かなり妄想が含まれてそう。
曹氏は水経注に碑文が引用されてるんで、
いちいちチェックするのがしんどいな。
とりあえずコメントアウトでいいんじゃないか。
みんな乙
俺は王温舒だけで疲れたよ
他のも直してくれたみたいで有難い
吉「平」なんか事実誤認以前に
どうしようもない悪文で目の毒だった
[[吉本]]なんて
*日本の姓の一つ。吉本隆明・吉本多香美など。
*吉本興業の略。
こんな内容イランから一旦削除依頼に出して、[[吉平]]を移動させようと思うんだけど、どうかな?
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 21:43:44 ID:ZZx71k2uO
>>249 それがいいかもシレンね
何魏みたいに誤解から生まれた存在しない名前も消してほすぃ
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 13:32:14 ID:By9zAaYTO
他に直すべき記事とかあるかな
曹豹をザックリいったよ
出所不明のルーツは要らんが
当人の略歴より長い肥の話も要らん
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 14:49:15 ID:By9zAaYTO
>>252 乙
結盟軍とやらの部分は、個人的感想としては完全に捨てるのは惜しいが、別に項を立ててやればいいことだわな
>>249 止めた方がいい
その手の曖昧さ回避は必要だって意見の奴は意外と多いし、
芸能関係が絡むととんでもないバカの愚痴に付き合う羽目になるから
>>254 なるほどね
まあ吉本は項目名は「吉平」でもいいと思うんだ
演義含めたら吉平の方が有名だろうから
予告どおり蕭望之を新規作成しますた
ルーツバカの人に是非みてほしい
乙
ルーツバカならずとも、信じやすい向きには警句だな
非常に乙!
「一説には」とかじゃなくてこういう風にどこの誰がそう言っているのかをきちんと記すべきだよね。
でないと読者の方は真偽判定が到底不可能になってしまう。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 12:44:30 ID:5CPAA38WO
張楊の内容がおかしいとは思ってたんだが、やっと理由がわかった
張楊伝を誤読して、「蹇碩に曹操たちが従っていた」という内容を「張楊に曹操たちが従っていた」と誤解してるんだ
…ちくま訳がそうなってるわけじゃないよな?
慕容垂の記事がすごい短いな…
やっぱ一般的な知名度は低いんだろうな
慕容垂は五胡の中ではメジャーなはずなんだが、誰も書かないな。
後秦あたりの詳細な記述と比べると、すごくアンバランス。
「煬帝」
「始皇帝と並んで中国史上最悪の暴君とされる。」
……誰が決めたんだよ、そんなこと。厨房評論文は除去していいですか?
「高句麗遠征は当時突厥を中心として形成されていた隋包囲網を打ち破るための必要不可欠な軍事行動」
……誰の説だよ、これは。
「別の説では、」
……たぶん布目説あたりだろうけど、これも誰の説かはっきり書けよ。ルーツ×カを想起させるだろ。
ノートでは大運河建設の評価が議論されているが、そのへんも含めてWikipediaの煬帝の評価は痛いように思える。
>>262 とりあえず上2つについてはかなり怪しいんでコメントアウトという形にしてみた
最後のは、どうも誰の説かはわからないんだが「そういう説があるらしい」という
のは見えたのでコメントアウトは避けた。この部分はほかの人に任せる
垓下の戦いがリバートされてる。要出典テンプレ剥がしこそないが
項伯・鍾離昧・季布がここで逃げたとか、韓信と張良が漢兵に楚歌を歌わせたとか
「春秋戦国時代の総決算」とか、どれだけ待ったら出典が示されるんだよ
項羽の最期のセリフも捏造だし
リバートした奴の履歴みたら項籍のノートで光栄「三国志11」を根拠に挙げてる
名前は項籍でもいいが、それが根拠にならんことぐらい理解しろよ
日中で「垓下」の場所について疑問が呈されている、
とかの話を書いてやろうと思ったが萎えた
まあ一般書ソースを嫌う人多いから
もともと書くかどうか迷ってたんだが・・・
ただ、一般書といっても東洋史の偉い先生が
10年以上かけて史記を読み返して書いた本だべ
それは宮崎市定かな?だったら別に問題は無いべ。
えーとさ、陳氏の『中国の歴史』はとても良い本だと思うし、俺も大好きだし、内容も十分に信頼できると思ってる。
でも参考文献に挙げるのは止めようや。やっぱり。
269 :
265:2007/06/25(月) 20:07:38 ID:N/OZTFwO0
こっちは佐竹靖彦の『劉邦』ね
一般書で、かつルーツ系のw異説が多目だから
参考文献にするのには躊躇した
ただ、垓下の場所の話は、当否はともかく
合理的だと思うよ
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 20:47:23 ID:5CPAA38WO
何魏に削除依頼出てたのね
出した人スンクス
敢えて残すという意見も分かるけど、間違ってる人は現代日本人のさらにごく一部だからなあ
ただその間違ってる人がWikiに書いてるから間違いが拡大するおそれが高いのが問題なわけで
>>267 うん。孫引きになる部分もあるから避けたほうがいいのはわかるんだが
なんだかんだいって一番見つけやすい本のひとつなんだよ・・中規模書店においてあるし。
まあ、深いところは検証できないにしても、ある程度検証可能性を満たしやすくなるとは思う。
少なくともアーサーの中古7000円よりは買う人が多いはずだし。
おれは陳先生のファンで、チンギス・ハーンや
六甲随筆は新聞連載の切り抜き持ってるし
『太平御覧』が引用する『英雄記』中のエピソードなんか
秘本三国志で初めて知ったぐらい勉強になった
でも、創作じゃない歴史の文章の参考文献として
著作を使うのは△というか、積極的に勧める事はできない
なぜなら孫引き云々以前に、先生は歴史家でなくて歴史「作家」だから
いかに客観的な筆致であってもね
東洋史の概説書でどれがいいかなんて、おれが指南する資格は無いが
とりあえず手元にあるのは・・・
岩波の宮崎市定『中国史』上・下、講談社の新書東洋史5冊、
山川出版社の世界歴史大系・中国史5冊
古本買ってもいいし、図書館で借りてもいいと思うよ
[[垓下の戦い]]リバートした奴の履歴見てきたけど
[[孫夫人]]の「新婚初夜の日、武装した侍女達を見た劉備は
仰天して寝所から逃げ出したという説もある」て何なんだよ
典拠を示せと言いたいところだが、示されたところで
その情報は誰のどういう関心にどの程度奉仕するのか、って問題もあるな
同じ閨房の話なら、劉関張が同衾した事とか、劉備と趙雲の同衾を
問題にする方が文化史・民俗学上の意義があると思うぞ
おれはやりたくないけど
こやつは秦漢・三国のところで主観的評価や
熱めの捏造セリフを書き散らかしてるみたいだな
ガノタはガンダムに専念してくれと言いたい
いやガノタを差別する気はないよ
多分同一人物の仕業だろうけど、三国では張嶷やら李簡やらの所が凄かった。
李簡の降伏の密書を、勝手に費禕が受け取った事にして、
そこから「費禕が読んでいるんだから254年じゃなく252年だろう」と、
これまた勝手に事件を三国志の記述と異なる時期に変えて、
更にお得意のルーツ話を交えて、張嶷の台詞を捏造。
あれを見つけた時は、ほんと勘弁してくれと思ったよ。もう直したけどね。
衆智を集めてみんなで共有する目的で作られた場所で
警察活動をしてるのが何より寂しいな
もちろん嫌ならやめてもいいんだが
問題のある文章見つけて放っとくのは
自分がそれを書いたのと同じ気がするんだ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 08:29:06 ID:loUxWBXAO
>>274 多分あれは「李簡は隴西李氏で十六国の李氏の先祖に違いない」という思い込みが高じて、本人の中で色んな妄想がスパークしたんだろうね
本人の中ではあの張嶷の内容とかが正しいことになっちゃってたのかもな
チラシの裏にryとこんなに言いたくなったのは初めてだよ
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 09:11:03 ID:4/1vzs4p0
とりあえず曹操ファンにありがちな主観的記述だけはやめような
垓下の戦いを読んだ。
「中国史wikiの悪弊の総決算」だな・・・
声涙下る名場面も安い演出で笑い過ぎて泣ける。
しかし項羽の身体を獲得した5人がなぜ出てこない?
あいつが出て来て楊喜−楊震−楊堅のホットラインを
真っ先に作るはずなのに。
ルーツバkも喰わん記事ってことだな。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 12:24:49 ID:loUxWBXAO
垓下の戦いの記事って横山漫画が元になってるよな
ルーツbkと同じ事をコテハンでやってるのが痛すぎ
あ、垓下を差し戻した奴のことね
概説書としては
講談社学術文庫のかつて「中国の歴史」シリーズで出た奴の文庫版が一番手に入れやすく、かつ値段も千から二千円と安めなので良いんじゃないかな。
山川は最低でも5千円とちょっと趣味で買うには躊躇するかも。ただし内容はこれが一番専門的で優れていると思う。
で、最近講談社から出た「中国の歴史」シリーズは時に内容が定説・通説から離れていることがあるのでこれを使う場合には他のと照らし合わせながらした方が良いと思う。値段は3千円前後。
どの本でも県内の図書館を探して一つも見つからないということはまずありえないと思う。参考までに。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 22:25:26 ID:YL65Zngr0
>>241 日本史でも人物評が必要なのかとしばしば揉めている。
山川の中国史に載ってる時代区分論の学説史は
そのまま[[時代区分論]]に書きたくなるぐらいだね。
黄権
妄想セリフや過剰な修飾に要出典貼っても誰も示さんよ・・・
剥がして妄想部分を消したいいけど、荒らし扱いされたら困るから手出ししにくい。
それに誇らしげに挙げられた参考文献を見て、微妙というか複雑な気分になる。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 12:39:04 ID:etjGWy0cO
二ヶ月放置されてる要出典なんだし消していいんじゃない?
ルーツバカほどではないが、海衛士も大概だよなー。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 19:31:00 ID:etjGWy0cO
合肥の戦いとかエライことになってるね
史実を語ってるように見せかけて創作が…
今までの三国志関係全体に言える問題だけど
「許敬宗」
「『旧唐書』・『実録』の著者とされる。」
おいおい…と思ったら、これもルーツバカの立てた記事らしい。
史書の編纂過程を理解してればこんな書き方にはならんし
そもそも許敬宗ひとりで実録書いた訳じゃないしな
で、「人となり」には例によって当人の事がほとんど書いてない
史書の書き換えは玄武門の変のやつも載せんとイカンと思うよ
房玄齢の項目にも載ってないけど
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:09:14 ID:njLjRRJP0
白波とか黒山賊の連中の生年はどうやって確定してるんだ?
同時代の大物でも生年の判らんのが大勢いるのに
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:12:20 ID:tBPsxsMR0
神のお告げ
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:58:56 ID:jr6hx93RO
>>291 コーエー、という証拠はないが、史実には全く基づかないのはまず間違いない
ガンガン直そう
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 12:15:11 ID:5N+wcWQGO
何魏を残すという意見もわかるんだが、そもそも実在してたとしても単独項目を立てるような内容じゃないからなあ
劉邦の父の名前(太公じゃなくて)って伝わってたっけ?
書いたのはルーツバカなんだけどさ。
一応中文版の方にも書いてあるのか。
ルーツバカが「後世の歴史家の注釈によれば」と書いていたのを、別の人がそれを消しちゃってるね。
この人、他の編集ではルーツバカの妄想記述を削除したりしてるのになぁ。
劉勝
「劉備らが漢の皇室に連なる宗族としての存在は、あまり価値はないと思われる」
さんざんルーツ捏造した奴の言葉とは思えん
日本語の乱れはいつもの通り
>>294 ええかげんな生年の出典は肥の武将ファイルが出典で間違いないよ
たいがいは[[利用者:シェーラ]]([[利用者:ドルチェット]])って奴がIPのときに書き散らかした奴
しっかし、Lonchiとかいうやつの
何魏は知ってたけど何晏なんて知らんかった、
というのはありえるのかね。
何魏の誤読の出典は三国志費イ伝の注でいいとして、
いつごろ誰が誤読してミーム化したのか、を書けるの
ならば単独項目として残すことになるかもしれないな。
誤読したやつを永遠に晒すことになってしまうので、
それはそれで単独項目の価値があるかもしれない。
何魏だけ知ってるなんてまずあり得んわな
削除派だが煽り文句考えるエネルギー無駄だし
晒し目的で残すならそれでもいいよ
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 18:42:24 ID:Or7t+ftjO
情報として正しいなら残ってもいいけどさ
削除ページの存続派ってなんか何魏のことよく知らないまま議論してる気がするのはたぶん考え過ぎだろう
いまさらなんだが、
何魏という人物がいることになったのは、肥えのせい?
だったら肥えのあほさ加減を晒す、肥えを出典にしてはいかん、
という見本として残す事を考えたいな。
肥えの捏造武将ってほかにもなかったっけ。
何魏は多少なりとも東洋史を知ってる者の手で葬ってやりたいとも思うが
余り執着はしてない
しかしロボット型検索エンジンと、有志がタダで手作業入力するWikiとを
比較の対象にするのは結構痛いよ
>>304 糞芸爪覧なら知ってる
>>304 どっかに「日本における三国志ブーム」みたいなこと書くスペースがあったような
曹豹血盟団とかと一緒にそこに放り込んどこうか?
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 21:49:25 ID:Or7t+ftjO
>>306 まずは光栄の仕業だと確認してからだ
上官桀の前半生は不明な点多くて困るぜ
[[三国志]]に書いても良いんじゃね?
>何魏は知ってたけど何晏なんて知らんかった
どう考えてもありえないよな。何晏は魏晋南北朝の思想史を語る上でかなり重要な人物だが、何魏なんて存在価値は欠片もないだろ
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 22:41:17 ID:8es+7buzO
何魏はどうなろうと構わんが、何か三国志をまるで知らなさそうな奴ばかりが存続票ってのがなんか…
しかし、どうも前漢後半の人物を新規作成するのは俺くらいらしいな…
作成してほしい人物あるかい?
前じゃなくて後だけど、[[李膺 (後漢)]]が欲しいな。
後漢は光武帝から三国までの間がほとんど真空地帯だね。
大物の官僚や外戚が全然足りてない。
28人そろえるよりこっちが先だ、と思いながらどっちもやってない。
結構飽きっぽいし。
[[三国志]]で家康が空城の計使った話が載ってるけど、
あれ創作だと思うよ。どこかで創作説読んだ記憶がある。
家康は史書・兵書の類の漢籍一通り読んでるはずで、
しかも天下獲りのために命のやり取りしてる最中に
小説元ネタの作戦使うなんて、あり得なくは無いが怪し過ぎる。
例えるなら藤川球児が日本シリーズで大リーグボール投げたり
フェデラーがウィンブルドン決勝で108式波動球打つようなもんだ。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 00:45:15 ID:MGLLn9BvO
まだ張湯とか潅嬰とかいないんだよね
Wikipediaってソースを記載してはならないってルールがあるのか?
おまえその話どこから引っ張ってきたんだよっていうような
出所不明のあやしげな説が多くて嫌になるんだが
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 00:59:04 ID:Z4wD6NDk0
>>313 そもそも三方ヶ原の戦いってどの史料に基づいて語ればいいの?
基本的に他人の著作の引用がアウトだから、著作権のある書物を
ソースとしてあげるのはけっこう微妙なラインだとは思う。
でも○○ではこう書かれてるという紹介ならOKだ。
>>317 基本が他人の著作○写しだからソース出せない奴とか、そもそもソースの必要性を認識してない奴とか、ましてやソースが脳内にしかなかったりする奴もいるみたいだから…
日本史は東洋史以上にド素人なので甲陽軍鑑ぐらいしか知りません。
同書に史料価値の問題があることは知ってますが、
三方ヶ原の根本史料たりうるかとかは全く判りません。
>>320 乙です。
中国じゃないけど[[武田狩り]]・・・、何じゃこりゃ。
日本史板のスレで武田狩りの告発ついでに
家康の空城の計のこと聞いてみたいが、
新スレでも訂正の仕事譲り合ってて雰囲気悪いというか
入りづらい
とりあえず内容の真偽以前に
「‥‥と織田信長ファンは根も葉も無い妄想をしがちであるが・・・」
ってのは勘弁してくれ。
例によってルーツバカの仕事なんだけども。
[[斡啜]]
「一説では金末の政治家で宰相でもあった完顔承暉(福興)と武将の完顔承裕(胡沙)は彼の末裔だという。」
[[福興]]
「同時期に活躍した将軍の胡沙は彼の異母弟とも従弟ともいう(中国名に同じ「承」がついてるために)。」
[[胡沙]]
「福興の異母弟とも従弟だともされる。一説では完顔宗弼(兀朮)の曾孫とされる。」
ここらへんのソースがわかるやついる?俺には全然分からないんだけど。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 07:57:26 ID:kQSMtEM/O
阿斗って演義だけじゃないっけ?
演義でも演義じゃなくても阿斗は阿斗っす。
劉封伝で、孟達が劉封に「阿斗を立て太子と為して自り已来、・・・」と書いてるわな
しかし劉禅の評価バッサリ行ってくれて良かった
金朝のルーツ関係で訳判らんの消していいと思うよ
偶然正しくても根拠なければ検証しようがないから
価値のある情報とは言えんわ
どうせ十中八九嘘だろうし
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 12:05:37 ID:kQSMtEM/O
>>327 ありがとう
あれ?つうことは北斗七星を夢に見てうんぬんは正史にはない?
劉禅の幼名書いた史料って意外に少なくない?
華陽国志の後主志あたりにはバッチリ書いてるだろうと思いながら
今まで確認もせずに放置してきたけど、書いてなかった・・・
という状態なので、北斗七星うんぬんの話は全然わかりません
それとwikiの記事で「楽しみて蜀を思わず」を
演義のところに載せてるのは何とも・・・
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 19:32:59 ID:eH/jsU/50
雲台二十八将の記事書いてた人はもう残りの二十八将の記事は書かないのかな?
呉漢とか耿弇とか結構重要な人物が残ってるんだけど…
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 19:36:11 ID:kQSMtEM/O
北斗七星は要出典かな
賈誼いないのな
曹無傷よりこっちが先だよなあ
何魏の削除問題だけどさ、何晏の項目の文中に「何魏」の文字が入ってれば、
たとえ「何魏」の項目を削除したとしても、検索で「何晏」の中の該当部分が引っかかるはずから、
リダイレクトの必要もないんじゃね?
それよりも、Lonchiとか言う奴に何晏をすっ飛ばしてどこで何魏の存在を知ったのか誰か突っ込んでくれw
恥ずかしくて言えないだろうけど。
>>331 ちょっと上の方でも書いたけど飽きっぽい性分だからw
それに、ここの人達のチェックに耐えるクオリティにしないといけないから
どうしても慎重になるんだよね。だからこそ大物が後回しになった訳で・・・
あと、この頃[[三国志]]に粘着してて、日本史や江戸期の軍記物を
調べてるのも28人から離れてる理由だな。
いずれ28人埋めるつもりだが、「お前いい加減やめろや」「俺に代われ」
ていう人がいたら代わってくれていいよ。
>>333 あいつは自称IQ160だから、常人とはアタマの構造が違うんだよ。
まぁまじめな話として、誤読を広めている根源を突き止めるのは重要だよね。
根源がわかれば、その誤読がどれくらい広まっているのかある程度推定ができる。
やっぱり肥かなぁ・・・
肥でなければそこまで広まらないだろうね。
ちくまという可能性もあるが。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 21:44:22 ID:kQSMtEM/O
何魏ってそもそもそんなに広まってないじゃん?
張楊の件のほうが怪しいよ
張楊・張揚は後漢書が元だから・・・リダイレクトで良いような希ガス。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 21:56:18 ID:kQSMtEM/O
俺が言いたかったのは張楊が曹操を指揮してたとかいう誤解
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 22:03:13 ID:NQSX9suV0
劉禅
司馬昭らとのやり取りを史実に格上げ
幼名の由来は演義のところに移した
ノートに「劉禅がはぐれた説を書くべきか」と提案されてたので
なくてもいいと書いといた
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 18:11:22 ID:GEm3VF+E0
張楊の序列の誤解は、西園八校尉の上に立つ者が
どれだけいるのか理解してれば、まず起こらんわけで・・。
劉禅の幼名の史料だが、おれも探したけど
劉封伝しか見つからんかったよ。
探し方の問題かな?
三国志の明帝紀にあるね。劉升之兄弟うんぬんっていうの。
升之というのが別字だという説、斗は升の訛伝だという説あるけど。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 20:02:47 ID:n170Ta2PO
劉備のとこ見て以来調べたりしてたが、劉氏を詐称したら
ワッフル・・・じゃなくて真面目に続きを頼む
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 20:24:58 ID:n170Ta2PO
途中送信すまん
劉氏(皇帝の血統)を詐称したら罪というソースが見つかるない
皇帝の血統は宗正という役所に「属籍」という戸籍があり、そこに載っている者だけが皇帝の血統としての免税その他の恩典を受けられる
処罰などで属籍から削られることはあったらしいから、皇帝の血統劉氏でも恩典を受けられなかった者はいたようだし、劉氏が全て恩典の対象だったのではなく属籍にある者だけが対象だったことになる
劉氏を詐称した時に罪になるというソースは見つからない
もちろん他人になりすますのは不味いだろうが、恩典を得られない単なる劉氏でいる分には問題ないかもしれない
すぐには判りかねるが、ノートの一番下にそれらしい話が載ってるな
雑誌論文や専門書に載せた説か、手すさびにムックにでも書いた説かは知らんけど
「劉氏を詐称したら重大な違法行為」と書いたのは
ノートで件の説を紹介してるコテハン氏だった
他人の投稿記録調べるのは何か嫌らしい気もするが
結構怪しい事書いてるな
疑問があるなら直接聞いてみたら?
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 21:35:03 ID:n170Ta2PO
山田先生そんなこと書いてたかなあ
劉備がのんびり勉強できたのは皇族の恩典を受けてたからかも、とは言ってた記憶あるが
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 12:57:37 ID:qV4y4u/j0
昔、三戦板で同じ様な話が出たとき、山田氏の「秦漢財政収入の研究」がソースだと言う話が出た記憶がある。
って、いうかソースを書かないからそういう事になるんだよなwww
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 14:59:24 ID:4/LoqKqZO
世代のこととか詐称が罪だとかは言って無かった気がするんだよね
俺は今は確認出来ないけど
いま件の本を読んでる
劉備が属尽である話はあるが、詐称うんぬんは書いてない
「劉姓を名乗る」ことと「皇帝の末裔を名乗る」ことの区別がいまいちわかりにくいんだけど、
皇族の恩典とか関係なしに「劉姓を名乗る」だけなら問題ないよね?
黄巾の劉辟とか皇族とは関係なさそうな劉姓の人物がいたわけだし。(まさか皇族じゃないよね?)
もちろん劉備は皇帝の末裔を名乗ったわけだから、劉辟とは事情が違うけど。
Wikipediaの記述だと「漢の皇帝の末裔の証しとも言える」と書いてあって、
劉姓を名乗ること自体に問題があるように読めるんだけど、どうなの?
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 18:56:22 ID:l170KnAw0
出典不明の時は「要出典」テンプレを貼ればいいのだが、中には「自分が知らない」という理由で少し調べればすぐ分かることまで貼る奴がいるから普及しないんだよな。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 20:11:28 ID:l170KnAw0
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 20:20:55 ID:4/LoqKqZO
漢の宗室は永遠に続くのではなく、宗室の属はいつか尽きる
つまりある世代からは皇帝の子孫であっても恩典などのないただの劉氏になるわけだ
劉備が恩典を現に享受している宗室だったのか、昔は恩典を享受していた元宗室だったのか、たまたま姓が同じだけで漢の皇帝とは違う氏族だったのかは判断しようがない
「秦漢財政収入の研究」持って帰ってきたけど、
wikiの記事みたいなことは書いてない。
wikiは単純に「皇族を詐称すれば不敬で、重大な違法行為になる」
ていう意味で書いてるんだと思うし、それは間違いではない
(というか、自明のこと)。
山田論文を不十分(不正確)に要約した上で、詐称が云々を
付け加えたから誤解を招くんかな・・・。
山田論文に触れられる状態で書いたんなら、余計な事は書かずに
論文を正確に要約して載せれば済む話だった訳だ。
ああ、自明かどうかは「皇族」の意味いかんにも拠るんか。
恩典の話はとりあえず措くとして、皇族を詐称することが本当に困難だったのか
実は判らないと思うんだよね。
中央政府の力も権威も地に堕ちて、各地の軍閥が部下を勝手に地方官に任命したり、
好きな将軍号付けてやったりできる時代だったんだから。
皇族を詐称するのが違法だとしても、実際に罪に問われるとは限らんかったと思うよ。
あと、上の話は劉備が嘘をついてたという趣旨じゃないので・・・。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:21:02 ID:4/LoqKqZO
例の箇所は直さないとな
あと何故かルーツバカは○夫人、○姫、○美人を○貴妃、○貴人と勝手に直してる
脳内官位かよ。
コメントアウト&董仲舒とかを漢代の人物カテゴリーにも追加したよ
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 12:58:30 ID:8iAllOhGO
今日は何の日
一番上に吹いた
>>日本史で頑張ってる人
偉いと思うがほどほどにせんと
相手するだけ損だよ・・・
劉備のところで出てる『三国志人物鑑定辞典』は
参考文献としてセーフか?著者は中文の研究者だが
書名がいかにもムックらしいのが気になる
中文の研究者が書く一般書はアウトの可能性がある。[[ノート:煬帝]]とかな。
[[ノート:劉備]]の議論だけど。
要するに皇族の劉氏に連なるかどうかは税制上の特権もあることだから国家からある程度の管理が為されていたというに過ぎないわけでしょ?だとしたら
>一般の住民が勝手に漢の皇帝の末裔の証しとも言える劉姓を名乗る事は重大な違法行為であり
はやっぱり言いすぎだと思うけど。
まあ問題の部分は今消えてるからいいじゃないか
劉備の腕の話は講談社の新しい概説書で
別の説明をしてるが、これも中文の先生が書いてて・・・
こっちはどうだろう?
>>364 渡辺精一氏のは、典拠としてはギリギリアウトでしょう。
井波律子氏あたりのならギリギリセーフだろうけど。
蒙古荒らしにモンゴリアンチョップをかましたいぜ
とりあえず3RRブロック食らってもバカらしいんで放置。後でまとめてリバートするよ。
あと、劉備の長腕・福耳に関しては、
満田剛『三国志 正史と小説の狭間』(白帝社 2006)に載ってた
「仏教(というか仏像)の影響なんじゃ?」という説が興味深い。
陳寿の時代にはまだそんなに仏教勢力は強くなかったはずだが。
>>367も仏教説だ
劉備のルーツや異形の話は重要だと思うし、関心を集めやすいから
情報は多くてもいいと思う反面、うかつなことは書けないな
まあ、出典併記してれば良いかな?
ただそんなに仏教説ばかりを挙げてしまうとあたかも定説のように受け取られてしまってちょっとまずいかも。
できたらそれに反する説も挙げておきたいところだが。
中国英雄(笑)
[[将軍]]
「また、一定以上の地位にある武将を指して将軍と敬称する向きもあったようで、横山光輝の三国志など古代中国を扱った創作においてその例が見られる。 前述の作品では中堅武将が一騎打ちで負けて戦死する際に「ああっ将軍!」という台詞が頻出している。」
頼むからこういう厨な記事を加筆するのはやめてくれ。
Wikipediaは百科事典なんだよ〜
(;´ρ`) グッタリ
前近代を一様に「古代」にする時点で終わってるし、
皇帝・王侯から任命されない自称将軍をガン無視してるな
「将、外にありては君命も受けざる事あり」を
鉄則のように述べるのもアウトだし、
大樹将軍の説明も痛過ぎ
テンプレ貼ってノートで吠えてきたけど虚しいな・・・。
しかし10行や20行でどうやって中国の将軍を説明する?
参考−百度百科の「将軍」の項
ttp://baike.baidu.com/view/46545.htm 春秋時代には卿に軍を統べさせたので、卿を将軍と称した。一軍の帥を将軍と称する。『国語』晋語四と『左伝』昭公二十八年に見える。これはみな正式の官名ではない。
戦国時代が始まると、正式な官名となり、卿が将軍を称した。『史記』廉頗藺相如列伝に見える。また前後左右将軍を置いた。秦はこれによった。
漢は大将軍・驃騎将軍を置き、位が丞相に次いだ。車騎将軍・衛将軍・前後左右将軍は、位が上卿に次いだ。『漢書』百官公卿表上に見える。
前漢には「中将軍」があった。『漢書』衛青霍去病伝と『史記』衛将軍驃騎列伝に見える。
晋朝には驃騎・車騎・衛将軍があり、伏波・撫軍・都護・鎮軍・中軍・四征・四鎮・龍驤・典軍・上軍・輔国等大将軍があり、府を開く者は位が公に相当し、府を開かない者は秩二品に相当した。
三品の将軍は秩二千石であった。『晋書』職官志に見える。晋の諸州の刺史の多くは将軍として府を開き、軍事を都督した。
南北朝のときの将軍名号はきわめて多く、権位が一致しなかった。
唐より以後、上将軍・大将軍・将軍は、あるいは環衛官となり、あるいは武散官となった。
宋・元・明の三朝は、多くは将軍を武散官とした。殿廷の武士もまた将軍を称した。明清両代において、戦にあって出征するとき、大将軍と将軍を置き、戦争が終わると免じられた。
清朝では、将軍は宗室の爵号のひとつであった。駐防各地の軍事長官もまた将軍を称した。『通典』職官十・武官上・将軍総叙に見える。
『通典』を踏んだら唐の通典が出てきたw
それが普通だと思う。>通典
[[将軍]]
本当にちょっとだけ書いたけど、これだけでは・・・。しかし歴代の将軍号を書くというのは物凄く難しいね。ワシには無理。
百度の「将軍」の最後に貼ってある通典のリンクは
清朝通典じゃないとダメってことだな
中国語版Wikiの「将軍」にもcleanup貼られてて笑った
[[曹萌]]
子
* 曹珀向(伯興、一説では曹洪の祖父、曹休の曾祖父)
* 曹褒(仲興、曹仁の祖父)
* 曹淑向(叔興、曹冏の高祖父)
* 曹騰(季興)
珀向とか淑向とか何の冗談ですか?
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 16:54:03 ID:kEfA8tUf0
履歴見なくても誰の仕業かわかるな
ただ他人を口汚く罵倒しない分マシ
逢紀・胡車児・何儀の生年消してきた
「○○年?」とかにしとけば
根拠なしに書いていいと思ってるんか?
うはwww
[[武田狩り]]、[[武田征伐]]で暴れてるヤツのIPwww
>>387 なんすか?IPが何か?
韋玄成とかの記事書いても韋孝寛とか韋后とかとの関係はスルーするのが俺のジャスティス
そうか、そうか。
何ていうか、まあ、特定の宗教を差別する意図は無いし
近所に学会の人いてるけど、いい人には違いない
ただ選挙が近づくと「兄ちゃん入れてんか〜」と頼まれて困る
この話出たついでだが、
>>371の本がなぜ仏教説を出してきたか
いろいろ邪推できるのだ・・・
満田剛ってどういう人?よう知らんのよ。
ぐぐればわかる
ただ、この事をもって説の優劣を決めてはイカンよ
あー、そうかー。
でもまあ、宗教で研究内容にはあまり影響出ないと思うし・・・、多分。
宗教が影響及ぼすのはむしろ現実生活。
武田刈りで話題のあの人は現実生活でも問題ありそうな感じだね
武田家臣の子孫なんてイタイ妄想を持っている時点で、そうかーでも馴染めないイタイ子なんだろうと思われ。
実際に武田家臣の子孫であっても、大事なのは当人の人格や能力で
ルーツなんぞは全く重要でない。ルーツバカの記事にも言える事ね。
貴族 (中国) の査読をどうするか・・・。読み手も試されるんだよな。
あっしは好事家だが専門家じゃないのでうかつに発言できない。
>>385 [[曹萌]] の記事は、『武帝紀集解』って単体の本のように読めるのも問題ではないか?
『三国志集解』の構成を全く分かってないやつの仕業だろ。
もちろんルーツバ…。
「集解」しか書いていないのはそれだけで削除でいいとおもう俺。
「集解」の誰の説、どこから引いた記事なのか分からないなら事実であっても価値がない。
いま気づいたがなぜか中国からwikiがつながるようになってるわけだが。
本当にこの国のやることはよくわからん。
査読依頼は「ここの文章がおかしい」とか「ここは意味が通っていない」とかでも大変助かるのだけど。
豪族の記事もあればいい、というか要りそうだな
定義からして難しいけど
あー、確かに今の豪族の記事は日本の豪族しか書いてないもんな。
ただ・・・凄く書くの難しそう。うーむ。
郤正
蜀書に書いてある没年がなんで不明で、書いてない生年がなんで分かるんだよw
勝手に武将にされてるし。他に書くべき事が蜀書に載ってるじゃないか
全部書き直そうと思ったけど今日はしんどいから止め
生没年は全面的に見直さないとイカンよなぁ・・・
[[長孫無忌]]
「長孫氏は漢姓であり、一説には、北魏の拓跋氏(元氏)を改姓した姓氏とも言われるが、実際は鮮卑大野部だった唐の皇室の姻戚である鮮卑の有力部族の賀跋部だったようである。」
文がおかしいし、「鮮卑大野部」なんて勝手な語を作るな!と思ったら、これもまたルーツバカの仕業だった。
いったいどこまで根が深いんだろうな。( ´Д`)=3
うーん・・・
しかも二十四史テンプレがほとんど意味無し、というかウザい
ルーツ以外の誰かが親切のつもりで貼ったみたいだが
それ、俺が唐に書いた「大野が本来の姓(部族名)であり・・・」が元になってるんだろうな・・・。迂闊なことは書くもんじゃねえな。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 20:24:55 ID:fWexvb26O
楚漢〜前漢関係の漫画が出典と思われる記事
かんべんしてくだちい
直し切れません
横山光輝も書いてるから・・・なんてのたまうボケもいたなぁ・・・(遠い目)
直すのしんどかったら、ここで晒すだけでもいいのでは?
漢代中心にいじってるメンツも複数いてるみたいだし、その内誰か直すだろう
[[太史享]]
あえて記事にする必要もないと思うが・・・
どうやったら呉書の20字ほどの記事から187年生まれと判るんだよ
消したついでにドイツ語版見たら「187年生まれ」てなってて吹いた
多分日本語版見て書いたんだろう。外国語版いじりは貴重な体験だぜ
適当な事書く奴は、外国に間違った情報輸出してる事を認識せなイカンな
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 12:27:25 ID:hwLj//Y70
諸葛瞻
笑いの神がご降臨されたようです
ノートで一席ぶってから最初の段落CUしてやろうと思うけど、
何書いたらいいか自体判らんわ。
とりあえず、諸葛瞻と董厥が同時に平尚書事に就いたんだから
制度上は諸葛瞻ひとりで国政をどうこうできる状態じゃなかった、
位のことは指摘すべきと思う。しかし、あとはどっから突っ込むべきか・・・
おっとコメントアウトとCUを間違えた
[[長孫無忌]]
修正した。
>>415 ごめんやっちゃった。
アレだったら直してくれ。
皆さん乙
>>418 あれでOK。しかし目に毒な記事だ
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 18:49:18 ID:2vOmULGC0
劉勝を直した。
劉貞だって項目立てる必要なかった気もするんだが、他の連中は劉屈?以外はそもそも劉勝の中からも削除してもいいと思うのだが・・・
馬良
他の兄弟の話せんでエエっちゅうねん。
「一説によると馬良の亡骸を守りつつ自刃したとも言われる」
「荊州出身で呉に近いがそれだけに、孫呉との相性は良くない」
「馬良と諸葛亮は義兄弟のちぎりを結んでいたと言われており」
ホントかよ。義兄弟の重さがどんなものか想像も出来ん。
根拠もなく軽々に書けることじゃないはず。
最後はご丁寧に演義のバックストーリーまで推測してくれてるし。
>>421 義兄弟云々は、馬良が諸葛亮に送った手紙の中で、諸葛亮を尊兄と呼んでいる事から、
裴松之が注釈として、「馬良と諸葛亮は兄弟の契りを結んでたんじゃないだろうか?」
とは言っているけどね。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 19:32:07 ID:Yhg8f6C80
なんでウィキペディアって出典書くってルールがないんだ?
事実と捏造(あるいは妄想)の判別作業がおそろしく困難だ
なあ魏将のさいごを爆死、呉将のさいごを水死にしていいか?
出典を明記してくれればいいよ
「臣松之以為良蓋與亮結為兄弟,或相與有親;亮年長,良故呼亮為尊兄耳。」
裴松之自身が「単に年長だったから」ていう意見を紹介するぐらい
慎重な態度を取ってるんだから、裴注を明記してやっと△、
示さなければ×だと思うよ
しかしアレだね
中国史関係だと大胆な編集してもあまり編集合戦にはならんね
ホッとする反面少しだけ寂しくもあり
>>422のソースが「荊南諸雄記」・・・
『襄陽耆旧記』みたいな風情が感じられない
厨臭い書名だと一見して思ったが、やっぱり捏造か
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 16:44:51 ID:Mso/wN9N0
灌嬰を新規作成したよ
気に入らない点は直してくれい
乙
垓下の戦いにリンク張らないのは見識だ
乙。
郎中、中謁者、三秦などには説明が挟んであった方が良いんじゃないかなと思う。
>>433 よくわかっておいでだ
わざとリンクしなかったんだよね
>>434 確かにね
ここは今後の宿題ってことで
ついに「煽り君」氏が参戦したのか?お手柔らかにお願いしますm○m
両漢交代期に造詣の深い御仁で、某スレで活躍してた
活動範囲が儂と激しくかぶってる
まあ馴れ合う必要は無いし、ちゃんと直してもらえるのは有難い事だ
>>438 あああ、あの人のことか。
そしてWikiのどの人のことかやっとわかったよ。
さっぱりわかんね。ヒント。
おおー、すげえな。これってあの人?だよね。
>>442 あの人って?
夏侯嬰が漢代の人物に入ってないことに気づいた夕暮れ
カテゴリは生体ボット不在のジャンルじゃたいがい未整備
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 19:49:50 ID:ZvPiX+xMO
劉勝の項で子供らの諡が捏造されているのを今さら発見
前にいじったときに全部消せば良かったよ
今まで見つけられなかった自分が恥ずかしいが…
しかしやった奴出て来い!
ギャグだと思えば腹も立たない。ただ、書き方がもっともらしいのと
wikiが権威のような顔してるせいで、真に受ける人が多いのが問題
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:09:24 ID:Ns/0f2kb0
案の定というか諡捏造野郎はやはりルーツ君でした
ルーツバカの記事は修正じゃなくて全面改稿の方が良いね。どこにウソが混じってるか解らないから。というか全部ウソだから。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 17:46:40 ID:WuhV5Je4O
王平
「為人」は「ひとのために」じゃなくて「ひととなり」だね、たぶん
蜀将スレではじめ「ひととなり」て読んでみたが
「性狭侵疑、為人自軽」で、「性格は○○、人となりは××」と
性格を表わす語句を繰り返すのは不自然だと思って代えた。
きのう諸橋大漢和や漢語大詞典やら見て考えたが
やっぱり「人のため」だと思った。
併記した方がいいかも知れんね。
ただ、いずれにせよ「軽はずみ」じゃないはず。
猜疑心が強くて卑屈なやつ、の意。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 19:01:36 ID:WuhV5Je4O
それは失礼。シャカに説法だったね
だとしたら「人のため」は意味としては「他人に対して」かな
陸遜に言及する記事で、たいてい
「三国の皇帝以外で単独で立伝されているのは諸葛亮と陸遜だけで、
陳寿が高く評価している証左」みたいな事が書いてあるけど
ちょっと腑に落ちない。東洋史学者や中国文学者がそう言った?
単に「書く事が多い→他の人物と抱き合わせで書けない→単独立伝」
のようにも考えられる。
まあ「書く事が多い≒事績が多い」だからあながち間違いでもないし、
十把一絡げで列伝に押し込められたメンツよりは
高く買ってるんだろうが、形式を評価に直結させていいのかとも思う。
伝記の形式が評価に直結してるのは項羽本紀ぐらいじゃないかな。
>>450 「性格を表わす語句を繰り返すのは不自然」
そうか?対句や四六文を整えるために、同じ意味の別の語句を繰り返すのは、漢文の常套だと思ってたんだが。
まーでも軽率の意味では「自軽」の「自」がうまく訳せないから、ここの「軽」は(自らを)軽んじる、でいいとおもふ
>>454 後出しジャンケンみたいな話になるが、
いちおう対句などの可能性を念頭に置きつつも
ここでは律詩みたいな定型性は要求されてなさそう、とかの理由で
「性○○」と違う意味が「為人」に与えられた、と考えた。
今言えることはこれが限界。何にせよ、まともなチェックを受けるのはいい事だ。
ちくまでは「軽率」と訳してるんだったか?
それがかなり怪しいのは動かないと思うYO
為A所B(受身:AにBされる)の「所」が略された形とも取れるな。
「性格が偏狭で疑り深く、おのずと人から軽んじられた」
「自ずと人の軽んずるところと為り・・・」
意味が一番スッキリ通じるような
たった4文字なのに奥深いな
世間に流布する珍訳を衆智の力で覆したのが痛快だ
どっちが珍訳なんだか。
>>459 「自ずと人の軽んずるところと為る」と読んだら、
原文が「自為人軽」ってことになっちゃうよ。
(つまり、「自ず」が「為る」にかかっちゃってる。)
あくまで「自ず」は「軽んず」にかかってるんだから、
読みは「人の自ずと軽んずところと為る」でしょ。
現代日本語訳の意味自体は一緒なんだけどさ。
受身とすると確かにスッキリするけど
テキストをいじるのには若干躊躇する。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 20:57:46 ID:OxILqBLNO
張騫の息子が張朋って何かに載ってる?
見つからないんだがな
史記・漢書になければ、日中のグーグルで「張騫 子 朋」と検索して
日本語でしかヒットしなければほぼ捏造確定だと思う
それ以前に誰が書いたかで捏造確定か
[[張騫]]
履歴見ると、2006年6月25日につけ加えられた一文だね。
これは間違いなくルーツ君です。
124.144.50.174とか124.144.48.85の投稿履歴をみて、
こいつがかかわったページに全チェック入れたほうが効率いいね。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 23:42:02 ID:EGp783ju0
とりあえず張騫に要出典入れてきた。
>>466 ルーツ君と思われるIPって4つか5つあるよね
まあ別人もいるかもしれないけど
ルーツバカのIPは10個以上あるよ。
2006年4月11日まで
203.205.154.41
4月13日以降
124.144.45.181
.45.235
.47.149
.50.174
.51.205
.50.38
.46.242
.48.195
.46.45
.46.12
.51.205
.45.235
.45.235
.50.127
.48.85
.44.135
.45.129
そもそも「為人(ひととなり)」という言葉は、
外面的な、その人の行動や容姿まで含んだ言葉なので、
性と為人は必ずしも全く同じニュアンスの言葉が繰り返されているとはいえないのでは
集解の盧弼は、「為人自輕」の部分を、その前の「言不戲謔」と合わんから、
誤りがあるかもしれんといっているし、
『三国志校箋』(巴蜀書社、2001年)では、呉志の王蕃伝に、
「俗士挟(狭?)侵、謂蕃自輕」とあるのを引用して
やっぱり正しいかもと言ってる。
はっきりと結論が出んところは、そう注記した方がいいんでないの
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 13:16:26 ID:apnJzAMp0
劉裕の記事の誤字を直そうとしたら何故か投稿ブロックされてた……orz
>>471 回線切って繋ぎなおせば投稿できるようになるかもよ
>>470 王蕃伝の当該部分のちくま訳では
「万ケは(中略)俗物で自分の権勢をたのんで他人をなみすることが多く、王蕃が
自分を軽蔑しているだろうとかんぐった。」
これにならえば、王平伝の当該部分は
「王平は性格が偏狭で疑り深く、他人が自分を軽んじていると思っていた」
と解釈できるね。
ちなみに『二十四史全譯』による現代中国語訳は
王平伝:「認為別人輕視自己」
王蕃伝:「認為王蕃輕視自己」
となっています。(この本の訳も結構怪しいんだけどね)
「張朋」ってどっかの小説の創作なんじゃね?
以前の武帝の太陽王〜陽宗のときも伴野朗の小説が元ネタだったしな。
朋が月ふたつなんていかにも小説のネタっぽい。
誰か確認してくれまいか。
ルーツ君は善意の勘違い君なので、悪意の捏造はやらないと思うんだ。
ルーツ君のパターンとして、
歴史小説の創作部分を見つける
↓
ウィキペディアにはこのことが書いてないや
↓
書いておいてあげよう(善意)
↓
全くの大間違い
別パターンとして、
あるムック本にこういうことが書いてある
↓
正史の日本語訳しか読めないので元が確認できない
↓
きっと、僕の読んでない『××』が出典なのに違いない
↓
偽出典捏造
ほかにも2ちゃん情報を真に受けるとか、ネット上のアマチュアの仮説を取り入れるとか、同じ姓なら直系の先祖と子孫に違いないとか、パターンはだいたい決まってるよ。
>>474 確認したわけじゃないがそんな感じはするよね
まあ実際に確認するまでは確定したわけじゃないから、こっちは出典が出てこなければ削除するだけさ
>>476 ええまあ、実際に確認すryですが、呂氏春秋の話を出したとたんにWikiの例の項目に『呂氏春秋』が加わってますから・・・
すごく・・・ルーツ君です・・・
>>477 呂氏春秋は元々あったんだ。
それを46で指摘して、話の中で何故か公羊伝や穀梁伝が出てきて、
適当に話を合わせてたら、さらに公羊伝と穀梁伝が追加されちゃったという流れ。
>>480 はっはっは俺も入ってるのはご愛嬌
ルーツ君が2ch見てたのはWikiの会話から明らかだけど、最近はどうしてるのやら
今もこの板にいるのかねえ
とりあえずー、最近はルーツ君も控えているみたいだからね。少しずつ直していけばきっと最後には正常化するよ・・・。
と希望的観測を述べてみる。
ルーツ君は内容もさることながらその量が脅威だったからなー。
ルーツ君の人気に嫉妬…。
ルーツ君はとんでもないものを盗んでいきました
それは、あなたの時間です。
王平のノートは力作だな
兄貴乙
ルーツ君関連もだいぶ落ち着いてきたな。
[[崔立]]
彼の経歴は一切不明である。一説では寒門(貧家)出身だとされる。
余談になるが、崔立に対して根深い恨みの骨髄を刻んでいた元好問は崔立の惨殺の報を聞き、
[[呉起]]
劉向(前漢の宗室)の『別録』によると、子に呉期がいたという。
寒門と貧家は違うよね
経済的には裕福な寒門もありうるじゃん
>>489 逆に、鄭玄みたいな貧乏名士って例もあるしね。
権門でも貧乏だったという説もあるし。
[[秦檜]]
>また当時の南宋はいわゆる「抗金の名将」と呼ばれる有能な将軍が多数輩出しており(英雄・岳飛もそのひとりに過ぎない)、
>一方で金は軍事的限界点に達しており、両国の軍事バランスが南宋に最も有利に傾いた時期であり、その絶好のタイミングをみすみす逃しての和平だった。
>もちろん、それでもなお金の軍事的優位は揺るぎなかったかもしれないが、後に韓侂冑による北伐が失敗した事から、
>当時の人たちに「あの時北伐を行っていれば」という後悔の念を強く起こさせる事となり、それはそのまま秦檜への怨嗟となったのである
非常に胡散臭い記述だが、出典知っている人教えて欲しい。またぞろ田中芳樹あたりの小説からの影響じゃないのかなと危惧
ルーツ節入った文章にも見えるが、履歴には現れてないな。
関連書籍とやらで田中芳樹の小説「だけ」が堂々と挙がってるからには
多分これが出典だろうよ。
[[荀爽]]
さすがにこれは酷いのでは
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 12:14:17 ID:DNsTQAuSO
あれだけの記述なのに間違いがいくつもあるってのは凄いな
らりた乙!
>また『三国志』裴松之注に引く『襄陽記』によると、諸葛瞻以外に諸葛懐という息子と諸葛果という娘がいたとされる。
の要出典が外されたんだが、こいつらの記述が『三国志』裴松之注にあったっけ?俺は見覚えないんだが
メンドイから全部消した。
テンプレ外した奴は赤城農水相の記事で
中立性無視のネガティブキャンペーン張ったとかで
晒されてたな。
どうせ出典求めても出てこないんだから、見つけ次第
消した方が良かったんだよ。
しかし、ケッタイな子供の名前書いた奴もテンプレ外した奴も
裴注なんぞ見た事ないだろうし、一生見る事もないんだろう。
見ようと思えば、誰にだって見ることが出来るんだけどね。タダでしかもスグに。
「見ようと思わなければ目が開いてても見えない」とかいう言葉が何か無かったっけ?
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 22:19:59 ID:2NUxBUkL0
>>498 乙
>>499 確かにそうだったな
まああの名前はどっかに実際あるのかもしれないけど、出典が捏造である内はWikiの情報としては不適当だもんな
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 22:53:14 ID:hPZx/bXe0
中野英雄のスレてここか?
>>497の情報を最初に書いたのはやっぱりルーツバカだった。(2006年7月16日の編集)
ご丁寧にコメントで
>『襄陽記』を参照に諸葛瞻以外の諸葛亮の子を挿入
とか書いてやがる。マジで氏ね。
諸葛懐でググってみたら、mujinさんとこのサイトが引っかかったんだけど、
(ただし「未確認情報」として)
諸葛懐とか諸葛果ではなく、諸葛亮大姉のところに襄陽記が出てきていた。
捏造出典として襄陽記を出してきたのは、これのせいなんだろうな。
[[諸葛亮]]
2007年7月27日 (金) 12:47 Geso (会話 | 投稿記録) M (32,082 バイト) (→夷陵の戦い - こちらは完全にコラムなので消去します。)
多分エッセイと言いたかったんだろうな。消さないといけない内容とも思えんが。
[[殷本紀]]
>『殷本紀』は司馬遷によって編纂された中国の歴史書「史記」のひとつである
あのよ・・・、せめて推敲くらいしろや。
いや書いたやつ、『史記』の構成まじで分かってないんじゃない?
『史記』を群書だとでも勘違いしてるとか。それなら文意だけは通るけど。
どちらにしろ、『史記』がいかに重要な書物とはいえ、一巻ごとに項目立てされたらたまらん。
そういうのはウィキソースでやってほすぃ。
コテハンの人、削除提案してくれまいか。
たぶん何魏のときみたいに東洋史に不案内な反対派が現れる
不案内だから理を尽くして説いても通じない予感
雲台28将の記事を書いたお二方お疲れ様でした。
もしよければ李通等の記事も書いてあげてください・・・
鹿台
酒池肉林
どうしても本紀を史記の「1冊」として数えたいらしい。
しかし殷にここまで固執するのも珍しい。封神演義でも読んだか?
夏休みらしく新キャラ登場だな。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 01:22:46 ID:ileADBAfO
彼は漢書高帝紀も1冊と数えるのだろうか?
なあ、その馬鹿と直接話す手段は無いのか?
このスレに招待しろや
まずはノートで説諭するのが穏便なのでは?
あと、[[史記]]に本紀・列伝の無意味なリンクができてるのも
問題だと思うんだよね。ほとんど赤いし、埋まってる所は定義未満か
各人の伝記に飛ぶだけ。新キャラはその内の殷本紀を埋めようとして
あんなことになったんだろう。
史記の構造についての理解とはまた別問題だが。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 02:26:08 ID:ileADBAfO
駄リンク愚リンクバカリンク問題だな
劉勝の子供みんなにリンク張りまくりだったのには呆れた
諡捏造してたからまた呆れたがまたそれは別の話
おっと28人コンプリートに今気付いた。
>>509 ありがとうございます。
多分もう一人のひとが書いてくれるでしょう・・・。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 02:49:55 ID:ileADBAfO
実は平帝も酷いのさ
なんで前漢になかった貴人を勝手に使うのか
母と妻間違えてるし
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 08:05:40 ID:Hx37QLP80
test
[[妲己]]
こっちも酷いな。三大美女って誰がいってるんだ?
西施、王昭君、楊貴妃てのはどこかで読んだ
陳舜臣の十八史略だったかな
四大美女じゃないの?それに貂蝉加えて
妲己でソースに挙げられた外部リンク先って単なる素人の考察でしょ?
[[劉カイ]]
これもルーツバカの仕業かな
冷静さを保ってない者が冷静テンプレ貼ってるな
妲己の逸話を「全て記すのが当然」とな?怖いよ
いやあ周本紀がフィクションとはすごい新説だね。
酒池肉林もあいつが書いてるんだろ?IPだが。
殷本紀の引用がメチャクチャ、というか引用になってない。
「記述される語句・単語に関する「よみがな」に気を配っていただきたい」
とかどの口で言ってるんだよ。
526 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:40:36 ID:gMjTE/490
妲己関係少し直してきた。
反応が楽しみというかなんというか。
「妲己のために」ってのは俺が書いた部分だわ。修正アリガト。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/29(日) 23:08:27 ID:gMjTE/490
平帝
衛「貴人」だの「字」箕子だのインチキ書いてたのはやはりルーツバカだったか・・・
妲己
人格崩壊か?もう触らないほうがいいぞ
冷静に議論できる相手じゃないよな
あんなのにコテハンで相手できる人には頭が下がる
報復で荒らしに来られたらたまらんわ
あと酒池肉林のノートで爆笑させてもらった
好き勝手にやりたきゃドマイナな記事をせっせと育てればいいだけなのにねぇ
>>531 荒らしに来たら悪禁にしたるということなんでしょう
主知肉林はどっから文拾ってきたんだか
炮烙にも手を入れといた
>>532 それ俺
前漢の記事は誰も修正せんわ
面白そうだったから、「妲己」の史書ベースのとこを少し補強しといたわ。
あいつは封神演義に史実を見出したいようだが、それが簡単にできることなら
三代の研究者たちの仕事はまったく無に帰する訳で・・・。
ルーツの所業には中学生ぐらいの子が遊んでるような無邪気さがあったが
今度のはメンタル系統の危うさを感じる。クラッシュして何をしでかすか
分からん怖さがあるぞ。
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 12:06:54 ID:+82hcT8RO
妲己だが、燕脂と閼氏の関係は全く違うんじゃないのか?
最低でも要出典だな
絡んでこない分、ルーツ君の方がまだましだったか。
もう早いトコ、お引取り願った方が良いと思う。
>>535 殷本紀の妲己の言にこれ従う。の後に続く紂王の悪事に付いてだけど。
全部、妲己の言に従った結果としてしまって良いのかな?それがどうだか解らないので書かなかったんだけど。
>>539 劉向『列女伝』の記述に引きずられているかもしれないけど、
「於是使師涓作新淫聲」から「為長夜之飲」までは、紂王が妲己の言に従ったとみていいと思う。
手元にある山崎純一とか牧角悦子とかも、おおむねそういう解釈だったし。
(山崎は紂王と妲己の共同正犯的ニュアンスが濃厚だけども)
本当は下見隆雄『列女伝の研究』とかあればいいんだけど、手元にないからごめん。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 23:24:42 ID:ycucAvPc0
妲己
要出典を付けました。
妲己関連のバカってすごいね。何ら根拠の無いことを自信満々に書き連ねられるその神経は羨ましい。
要出典の宝石箱やー!って感じ。
酒池肉林の旧版にあった殷本紀の変な引用?をぐぐると
あるブログがヒットした。「妲己=三大美女」のオマケ付きで。
要するに例の奴もブログの主も史記なんぞ読んじゃいないということだ。
そのブログも「殷本紀にこうある」と紹介してる点では責任を負うわな。
例の奴に「好きにやりたいならWikiはやめろ、自分のHPでやれ」というのは
正論には違いないが、Wikiの外でやっても毒を撒き散らす危険は常にあるぞ。
>>543 うは・・・マジか
まあWiki外の毒はどうしようもない
Wiki内の毒は、Wikiが権威っぽくなってるから問題が大きいのだし、外で自由にやってくれる分には問題は少ないし、どうしようもない
まあ、ウィキ外でやっている分には口出しする権利は無いからねぇ・・・。
高い公共性が求められるwikiを自己表現のはけ口に選んだのが間違いだったのさ。
当人にとっては非の打ち所のない、完璧な論考のつもりが
あっと言う間に潰されたんだからおかしくもなるだろう。
あと、ここがヲチスレになるのもどうかと思うし、一通り添削したら
放置していいんじゃないか。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 19:53:09 ID:5Vi246okO
そのブログ見たよ
例の文はブログ主が書いたかただ盗用したか…
まあ、我々にできるのはWiki上の怪しい記述を潰して良い記事を増やすことだけ
とか言いながら冷静テンプレの人が冷静に論争してくるのを心のどこかで期待してる俺
>>540 教えてもらって非常にサンクス。
>>546 >ここがヲチスレになるのもどうかと思うし
そだね。後は放置しておくよ。あと、直さないといけない記事って何があるかな?
直しじゃないが曖昧さ回避のリクエストしとこう。
李通 後漢初と曹魏
以下は後漢初の記事がまだないからすぐには要らないが・・・。
劉永 後漢初と蜀漢
劉敞 後漢初と北宋
秦豊 後漢初と日本の「はた・ゆたか」氏
ああ、後漢初の李通もまだなかったわ。李忠と間違えた。
しかも李忠の曖昧さ回避はもうできてるし。
上のリクは無かったことにして下さい。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 22:07:11 ID:WrXNnXWT0
王商って同時期に二人いるんだがどうしよう
(大将軍)と(丞相)って分けるか?
そういう場合は出身地で分けるのがお約束だと思うが。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 22:19:23 ID:WrXNnXWT0
二字名前の同名の人物ってけっこういる
中国語版の方がその点は意外に整備されてるかな
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 12:33:04 ID:Xpyx3n86O
蘇武の内容ひどいや
さすがルーツ君の仕事だ
>>557 「杜陵(一説には京兆)の出身。」
あまりのことに吹いたwww
地理認識が全くないことを露呈ww
「京兆」と「杜陵」でググってみればいいのにな。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 17:30:13 ID:Xpyx3n86O
それ序の口
家族が讒言で殺されてるとか(妻子は武帝に殺されてはいないし兄弟は職務上の理由で死んでいる)、子供の名前(正しくは通国)とか、かなりひどい
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 21:09:05 ID:Xpyx3n86O
東方朔がカテゴリー:仙人にしか入ってなくて吹いた
[[曹植]]・[[曹志]]
ルーツ君が出典として挙げている陳審擧表って何?裴注には見当たらないみたいだけど。
陳審擧表はグーグルチャイナで検索すると
テキストが出てくる。曹植の作には違いないが
ルーツ話は皆無。
ルーツ君の作品に手を入れると疲れるぜ
蘇武の家族は殺されてないっての
単于に対しても謝罪どころか「俺殺したら匈奴は南越みたいになるけどいいの?」とか逆に脅してるし、抑留生活の肝心な(面白い)部分は書いていないし
とりあえずルーツ偽出典の「陳審擧表」は除去してきたぜ。
[[高歓]]
疑問。
高歓の貫籍が渤海郡蓚県の人とされてるのはたしかだけど、別に
「渤海郡蓚県(現在の河北省景県)に生まれた。」わけではないんじゃないか??
「出生」の節で最期まで言及してるのが何とも・・・
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 14:24:39 ID:JieKdUUL0
本貫を出身地と勘違いしてる人って結構多いよね。
西晋以前は本貫と出身地が一緒って人物がほとんどだろうけど、
五胡〜南北朝時代は本貫と出身地が異なる場合が多いので気をつけないといけない。
>>566 北斉書帝紀第一をちょっと読めばどこで生まれたか明記してあんのにねえ。
「白道の南」か。これって何処?
>>13 三国志研究入門に付いて。
構成は
1部 研究入門編
2部 研究動向編
に分かれる。
1部は三国志研究をするに当たり、どういった手順で進めていけば良いか。例えばCiNiiの利用方法とか論文の構成とか、あるいは三国志の基礎知識とかを説明してある。
2部は現時点で三国志に関する研究を分野別に逐一挙げている。網羅されているか、取り上げ方は公平か否かは俺には解りかねるが、とても詳細に挙げられているのは間違いない。
個人的には1部の論文の書き方が面白かった。論文の書き方に付いて解説している本はあったけど、中国史に関しては無かったような気がするので。
一つ注記しておく点は、三国志の基礎知識とか論文の紹介などはあくまで渡辺センセの考え、「名士」論に基づくものなのでそれを頭から鵜呑みにすると問題あると思う。
あと、序文で三国志学会から寄せられた言葉が印象に残った。
「中国に関する他の分野に比べて、三国志に興味・関心を持っている人々の知識レベルは高く、深いものがあります。われわれ研究者から見ても、納得できるような興味深い考え方を持っている人も多くおられます。
ただ、これまではせっかくの深い考えを研究レベルにまで高める方法を指し示す書籍がありませんでした。(中略)、
発表の場を提供したいと考えております。(後略)」
この版の住人から『三国志研究』に採用されるような人間が出たら痛快だなーと思う。
[[Wikipedia:削除依頼/史記の各節]]
を出したので賛否ヨロ
祖父の高謐が法に触れて懐朔鎮に移され、父の高樹は白道の南に住んだ、と。
「中国歴史地図集」で白道を確認したらいまの内蒙古自治区フフホト市の北あたりと
なってる。ただここだと懐朔鎮より武川鎮に近いことになるね。
575 :
574:2007/08/05(日) 10:30:01 ID:9AvcJjK60
いまwikipediaの高歓の記述を読み直してみたら
「武川鎮の軍閥に属する高樹の子として〜」
とか書いてあるし。なんぼ近くても明文で「懐朔鎮」と本紀にあるんだからさあ。
ふと思ったが、件のルーツバカ君って女のような気がする。何となくだけど。
王昶が重複してるね
王昶の項目の所の、丁奉に敗れてるってのは何の事だ?東興?
[[○○ (字)]]という区別の仕方はどうなん?という気がするけど。
[[劉岱]]の無様な分け方にくらべればマシ
ていうかアレは分ける必要なかったなあ
劉安とかエエ加減にせえや
劉岱んとこに書いてる「近年の研究」ってどの研究?
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 18:58:56 ID:n0uU0AvuO
書いた奴が念頭に置いてたのはむじん書院あたりだろうな
何魏といい史記といい、削除依頼の時だけ出てくる奴は
知識皆無のくせにやたら横柄だな
釣りですか。今日も暑いですね。
あー。いきさつも知らないのに、なぜかデマ記事擁護する人のことね。
了解っす。
削除依頼に中身に関係なく関与する人たちだね
三○板の○治みたうわなにをするやm
劉岱を出身地で分けたいと思うんだけど。どうかな?
>>588 おけ
中国の人物だと
時代>出身地>字、官職
って感じかな
時代>字>出身地>官職
じゃないかな?
[[連環の計]]
('A`)ナニコレ…
曹操の死因が脳腫瘍て何?開頭でもしたか?
司馬懿が軍師てのも微妙。軍師に就任した訳じゃ無し、
献策こそしてるが、あれ位の献策は他の者もしてるだろうし
参謀の仕事と言い切っていいのか?
出仕を拒んだ理由にしても普通に晋書見て書きゃエエもんを・・・
曹操の死因は偏頭痛が続いていたということからの妄想だろうな。
しかし脳腫瘍から来る頭痛なら薬でどうにかできるもんでもないと思うがねえ。
とりあえず、脳腫瘍っていうのは、頭痛が出たころにはもう相当進行している。つまりもう
すぐ死んでしまうと考えたほうがよい。[[脳腫瘍]]
曹操の場合、長期にわたって偏頭痛が起きていたとなれば、どう考えても脳腫瘍ではない。
というか、偏頭痛なんて肩こりでも起こるし、いまだ原因不明の部分もある。ただ、脳腫瘍
と偏頭痛はほぼ関係ない。
というわけでたぶん妄想。
もっとも、曹操の項目については外科手術が必要。それも脳外科。
ルーツ君なら「『傷寒論』『本草綱目』などによれば、・・・」とか
フェイクの根拠を示して、確認の労を負わせてくれるところだ
脳腫瘍とか書いた奴はまだまだ詰めが甘い
オペしてやろうと思ったが済んでた。乙
ところで史記の故事成語はちょっと多過ぎるし、秦末漢初に偏り過ぎ
ただ、どれも史記に載ってるから消しにくい
[[曹操]]
「そして三国志演義の悪役に」以降の文章も非常に怪しいというか。どこぞの三国志マニアの自説展開にしか見えないんだが。
>>597 たしかに多いな。考え方によるが、[[故事]]のほうが、3つのあらすじが載っているだけの
スタブ状態だから、あれをそのまま「史記による故事」とかいう節を作って
移すというのも手だと思う。
全部クォートに移してしまえば良いよ。
>>598 うん。だから外科手術が必要。それも脳外科。
史記の故事成語の出所をうるさい目に書き出したのは
実はリストラ候補をあぶり出すためだったのさ
時代の偏りとか、史記由来でないものの存在とかの問題もあるし、
そもそも成語として定着してるか微妙なのもあるな
あと自分で書いといて何だが、天皇ご進講の類の記録は
どんな読まれ方だったか分からんし
あんまり意味ないと思う・・・
>>592 いちおう華佗が曹操を針治療したときのツボというのがあることはあるが、
ありゃいまでいう肩こりから来る緊張性頭痛の治療ポイントだ。
(史料には具体的な治療法の記述がなくあくまでも民間治療のツボだけどな)
108 名前:名無しさん必死だな[] 投稿日:2007/08/09(木) 14:22:44 ID:vhfcm0Nv0
wikiに書いてあるんだけどマジかよw
組長涙目w
最近の趣味のひとつはPS3。リッジレーサーはベストタイムを叩き出す腕前。みんなのゴルフは6アンダーがアベレージ。
112 名前:名無しさん必死だな[] 投稿日:2007/08/09(木) 14:32:21 ID:7dsv0ojMO
>>108 視力落ちるのが嫌で、モニターすら見ない人間がゲームなどするか常考
118 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2007/08/10(金) 01:56:20 ID:oWxdcFtI0
>>108 ウィキペディアか?
あそこ実はガセも山ほど書かれてるぞ
119 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2007/08/10(金) 08:02:21 ID:iWF0bafb0
ノート、履歴までしっかり読むのが騙されないコツ
wikipediaを見れば工作員の有無が分かる
120 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2007/08/10(金) 19:25:12 ID:ZPboi7t00
むしろwikipediaを妄信しているヤツがいることに驚き
121 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 01:28:37 ID:ZtsABLf+0
ちょっと前までPS3やってるなんて書いてなかったぞ
ここみてwikiに書き込んで層だな
http://ex23.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1184460055/ どこの分野でも似たようなものだな
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 01:13:42 ID:SjHLqgJR0
さすがに盆休みつぶして記事書く奇特な人はいないみたいだし
ここも過疎ってるな。とりあえず将軍の加筆をリクエスト
ここにいるぞ!w
そのページの「明は明朝ともいい」って、おかしくない?
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 18:52:31 ID:C0I+5ox/O
劉ビ(呉王)のルーツ君汚染がひどいのを発見
ルーツバカのウォッチャースレと化してるな。
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 20:56:30 ID:C0I+5ox/O
別にヲチしたいわけでもないんだが、
たまたま見た記事が「ああ…だめだこれは…」って感じの時、履歴掘るとまず大抵はルーツ君なんだよね
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 19:47:47 ID:vGMC1P1lO
劉ビの子供三人、全員に間違いがあるのでワロタ
出典でガチガチに固めてもどうせ無駄になるからアホらしい
遊びのつもりでやってるから腹は立たんが萎える
英語版の理系記事がブリタニカ並みの信頼度らしいけど
書き込み自由のシステムでどうやってレベルを維持できるんだよ
>>614 >英語版の理系記事がブリタニカ並みの信頼度らしいけど
そう聞くけど、本当なのかな?俺はかなり疑ってるが。
まぁ、向こうは日本ほどIPユーザー多くないらしいから
その分だけマシなのかもしれんが。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 01:30:58 ID:al2ENdd80
>劉栄(りゅうえい、紀元前171年? - 紀元前147年)は、前漢前期の前皇太子。諡号は臨江閔王である。
但し、かつては太子の地位にいたこともあって(生母の姓を因んで)、栗太子、或いは閔太子と呼ばれることもあるという。
>彼は生母が憤死したこともあり、殆ど都に参内せずに王宮で側室と戯れているばかりか、また賓客とは天下国家の事項を議論したという。
臨江王の目付からこの報を聞いた父帝は眉間に皴を寄せて引き続き臨江王を厳密に監察するように命じたという。
そして数年後の紀元前147年に臨江の領外に祖廟を建てる法律違反を犯した。
また臨江王と対立していた大臣が景帝に讒言したことも含めて、長男の不孝行為に大激怒した景帝はついに臨江王を召喚して、腹心で“酷吏蒼鷹”(獰猛な猛禽類)と謳われた中尉の?都に自分の息子に峻烈な取り調べを命じたという。
また、『漢書』「衛綰伝」によると、景帝はその前年に外戚の禍を断つために、劉栄の母方の栗一族を?都に命じて全て誅滅させている。
臨江王は都に参内する前に、その途中で江陵に立ち寄って道祖神(道教の神)を祀り、それが終えて馬車に乗る時に突然その車軸が折れたという。
これを見た臨江王を慕う江陵の長老達は涙を溢れ出して「われらが王様はもう二度とこの地を踏まないであろう…」と号泣したという。
果して江陵の長老達の予見通り、臨江王は二度と江陵の土地を踏まなかったのである。
そして?都は噂通りに峻烈な酷吏として、臨江王の精神や神経をズタズタに引き裂いたのである。
これを見兼ねた魏其侯の竇嬰(竇后の従子)は臨江王が生まれた時からのお傅役でもあったために、家臣に命じて“刀筆”(刃物の筆)を秘かに手渡して臨江王の無実の釈明文の手助けをさせたという。
?都によって憔悴し切った臨江王はそれを記し終わると牢番役に渡して、その刀筆で悲惨な自決をして果てたという。
しかも、亡くなった劉栄には跡を継ぐ子がなく臨江国は廃されて、漢の直轄地となり南郡に改称されたという。
これはひどい
特に「刀筆」
三国志サポ板で話題出てる[[周瑜]]の「諡は'''忠侯'''。」って件だけど、挿入したのは自称中学生だな。
2006年3月11日 (土) 10:27の編集。
別に書くのはリア厨でもいいんだけどさ、史料なり研究なりの根拠さえあればね。
でも根拠ないよね。勘弁してよね。
シツ都でも刀筆がアレだな。1冊ものの漢和辞典にも「刀筆」の意味ぐらい載ってるやろ
wikiは信じるなとサポ板に書いてもいいんじゃない
まともな記事書いてきた人たちには申し訳ないけど
[[劉備]]
>また、中国大陸の劉氏の多くが劉備の子孫を称している(族譜によると劉永には劉晨という子がいて、劉備の血統を伝えたことになっているが、おそらく後世の偽作であろう)。
またまた胡散臭い記述だが。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 20:41:48 ID:AFmH7aQ2O
>>618 シツ都とかをいじった俺としてはその時に気付いて直せなかった不明を恥じるしかないな
にしても今は活動してないっぽいが色々やっちゃってくれてるなあ
俺の記憶が間違いでなければ劉賈とか劉交のところの呉と楚の位置関係も間違ってなかった?
あーもう荊(のちの呉)の都は呉、楚の都は彭城(諸侯王年表)なんだから、どっちが北かわかりそうなものだがな
とりあえず劉交劉賈劉栄を直した
シツ都も再修正するべきかな、あとで
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 18:04:15 ID:4kfwrZ5eO
夏侯威と夏侯称の生没年があやしいな
というわけで早速突っ込んでおいた
三国志の人物の生没年については昔Aboshiが調査してたなぁ
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 12:08:08 ID:od0dliNH0
遣唐使の廃止が894年だろ?その時点で唐はもうボロボロの状態だから影響を及ぼしたとは言えないんじゃない?
もちろんその後の中国王朝から日本への影響はあったけど。
典拠があれば解決すると思うが、せっかく挙がった典拠を
牽強付会とか抜かすアホが絡んでくるのは勘弁してほしい
それならまだしも典拠を示しても丸っきり確認せずに削除削除だけのバカ
自分は説得されるだけの価値がある人間だと思い込んでるバカは削除厨・出典厨になりやすい
曹霖(そうりん、? - 249年)は、魏王朝の王族。諡号は定王。
曹操の孫で、曹丕の子、曹叡の異母弟(『後漢書』によると、曹丕の庶長子で曹叡の異母兄とされる)。生母は仇昭儀。子に嗣子の曹啓と第四代皇帝の曹髦(高貴郷侯)がいる。
曹霖が曹叡の兄ってのは後漢書のどこにあるんだろうね
ルーツ君関連の嘘出典かと思ったら、ルーツ君が関わる以前から『後漢書』とか書いてるね。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 00:09:00 ID:vyrLemos0
>>632 いや、最初に書いたのもルーツ君でしょ
曹丕の后妃や子供の部分と併せて直しておいた。
東陽武懐王とかって・・・「東武陽」って地名を知らないの丸分かりです
曹丕
「肺炎で死んだ」てのを書き足したのは、見た事無いIDの奴だが
コメント欄に「大加筆」「訂筆」「新加筆」と書いてあって、多分・・・な
その前に「風邪をひいて死んだ」と書き足した奴はよくわからん
消しても残しても歴史は全く変わらんが勘弁してくれ
「訂筆」なんて面白表現はルーツ君しかいませんわ
楊業はないですね
拾遺記の原文載せているウェブってどこかないかな?
ウィキソースは漢文は比較的充実しているがなかった。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:28:34 ID:HH2anTDw0
拾異記って、こうやってまとまった形では初めて見たけど、すごい内容だな。
中国では、始皇帝が宇宙人と遭遇したという説?の根拠として
拾遺記が引用されてるらしい
日本史史料もネットで見られるのが増えればいいのに
その点では中国史は結構恵まれてると思う
底本との異同とかの問題もあるが
[[李驤]]
んー、ルーツ君の記事は非常にあやしい。
とりあえず『華陽国志』巻十一読んでみた。李驤の伝は、陳寿の伝に付されているもよう。
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hygj3.htm 「時梓潼李驤叔龍,亦雋逸器,知名當世。舉秀才,尚書郎。拜建平太守,以疾辭不就,意在州里。除廣漢太守。初與壽齊望,又相昵友。
后與壽情好攜隙,還相誣攻。有識以是短之。亦自列傳。」
本文はこれだけ。
梓潼の李福と李驤が父子だって話は、『三国志』蜀書楊戯伝裴注所引の『益部耆旧雑記』にしかないんじゃない?『華陽国志』がもとみた
いに書くのはアンフェアだ。
それに李驤は、「孝廉に推されて」じゃなくて「秀才」に挙げられたみたいだし、「郎中」のことは見えないし。
梓潼の李驤の子が李寿ってのも見えない。これこそ成蜀の王族(巴西の李氏ね)の話と混同しているとしか思えない。
「なお、彼の嫡子の李寿はチベット系の巴氐族の酋長の李雄が建てた成蜀の武将となった。後にかつての主君筋であった劉玄が
永嘉の八王の乱に巻き込まれて一族が全て殺され、命からがらに洛陽から亡命すると、李寿は劉玄の近侍になったという。」
なんて文章そもそもがおかしい。「永嘉の八王の乱」なんて語もおかしいし、永嘉の乱の前に「李雄が建てた成蜀の武将となった」なんて
タイムスケジュール的におかしいよ。
あと、成蜀の王族の李驤は、李特の弟(『晋書』巻120戴記20)だから、李雄の従弟ではなく、李雄の叔父ではないかと思うんだが。
>>642 自己訂正。
「永嘉の乱の前に「李雄が建てた成蜀の武将となった」なんてタイムスケジュール的におかしいよ。」とか書いたけど、これは間違い。メンゴ。
以前から問題になっていた[[垓下の戦い]]を修正。
しかしどこから仕入れたウソなのか。全く以って何といって良いのかワカラン。
乙
最近ルーツ君レベルの奴が増えてるな
>>641 日本史の資料は本当に少ない。ウィキソースにも全然ないし。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 11:55:41 ID:GZW/aosiO
光武帝の項の「30分の1」おかしくないか?
「税率を景帝時代と同じ、収穫高の30分の1に戻した」やね
もう書かんけど
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 19:44:03 ID:GZW/aosiO
ググってみると、どっちが先か知らないが「それまでの30分の1に減税」という珍説が広まってる模様
WikiScannerでIP Rangeを
124.144.0.0-124.145.255.255
とすると、ノイズもあるけどルーツバカの記事が探しやすいよ。
漢字の項目を流して見るだけでも、
簡単に中国史の人名(≒ルーツバカの編集)が見つかる。
ちょっと「鶏肋」について検索していたのだが、
Wikiでは『三国志』魏志 武帝紀の注に引用される『九州春秋』と
『後漢書』楊修伝の正史の記述をすっとばして
『三国演義』しか出典を説明していないのはどうよ?
Wikiの『三国志演義』の鶏肋についての説明の部分も、
曹操が「鶏肋…」と呟いていたのを楊修が直接聞いたと説明しているが、
手元の『三国演義』(岳麓書社からでている安物の簡体字本)では、
曹操の呟きを直接聞いたのは夏侯惇で、
夏侯惇の伝令を介して楊修に伝わったことになっているのだが
(第72回 諸葛亮智取漢中 曹阿瞞兵退斜谷)
『三国志』しか知りません。
[[李儒]]は演義だけの架空の人物です。
李儒は『後漢書』や『資治通鑑』に出てくるよね。
>>651 劉備が「蜀の前主」になってるのもどうかと思う。「先主」だろ。
>>652 後漢書や後漢紀、通鑑を知らないのはまあいいんだけど、
三国志に書いてないことをすぐに演義の創作だと言っちまう短絡性を
どうにかしてほしいよね。ウィキペに限らず。
[[少帝恭 (漢)]]
英語版や中国語版もそうなっているみたいだけど、恭の出所分かる人いない?
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 14:00:01 ID:lCGbXuXdO
出所不明と加えたのは俺なんだが、以前史記会注考証と漢書補注調べたときにはわからなかった
なんでみんな恭を無批判に使ってるのか理解できない
宮崎市定は名を不明としていたはず
明治書院の新釈漢文大系でも名は不明とはっきり書いてる。
少なくともまともな出所ではないだろうな。
西嶋定生の『秦漢帝国』でも山川の中国史でも恭にしてあるなぁ。何なんだろうか。
呂曠。演義ベースで書かれてる上、
正史では孔明が三顧の礼で迎えられる以前とか何とか、意味不明なことが書かれてる。
きもいよー。
劉恭って、劉盆子の兄貴だろ。
『後漢書』引けば、ほかにもいるぞ。
>正史では孔明が三顧の礼で迎えられる以前とか何とか、意味不明なことが書かれてる
それは恐らく博望坡の戦いのことを言っているんだろう。
[[夏候惇]]で記事起こしちゃうような奴が初版だからな
推して知るべし
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 12:40:45 ID:HX7IQ/npO
少帝「恭」、以前世界史板で話題にした時は、「某」の見間違えから始まったんでね?って話が出た
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 20:19:12 ID:pcKJKq0h0
>>652 そもそもここは「三国志板」じゃないんだから、一度くらい岩波か汲古の「後漢書」を図書館で借りてこい!
>>652は「李儒は架空の人物」と書いてあった初版を嘲笑ってるんだろう
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 12:20:47 ID:wdNrOMUfO
周勝之などに見える「文帝の双子の妹」、酷いな
まず史記・漢書では周勝之の相手は文帝の娘と書いている
また例え文帝の妹で薄氏の子だとしても、双子という根拠はない
(妄想者は高祖と同衾したのが一回だから双子と言いたいのだろうが、薄氏が幸されたのは「希に」であり、一回のみとは言えない)
編集合戦は勝手だがこういうところをそのままにするのはどうかと思う
wikipediaは自分が立てた記事に合わせて史書の文言を曲げる事もできる
極めて自由度の高い百科事典だからな
自由とは素晴らしく尊いものだ
陳余
「張耳と『刎頚の友を交わした』」・・・
「『儒者』のカイ通が」・・・
当時、双子なんてまともに生まれたかどうか。
当時の出産技術ってのはどうだったんだろうな。きっと乳児死亡率80パーセントとかじゃないのかな。
史記にも漢書にも公主としか無いから文帝の「妹」とは確定できないと思うんだけど。どうなのその辺。
間違い。文帝の娘とも高祖の娘とも、もしかしたら恵帝の娘かもしれない。ということで。
どれかを確定できないと思うんだけど。どうなんだろうか。
それ以前に双子だったらまともに双子として育てるはずは無いと思うんだが。
洋の東西問わず双子は嫌われる存在だったし。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 22:19:30 ID:wdNrOMUfO
>>674 いやいや、周勝之の嫁は史記・漢書の周勃世家(伝)に「孝文帝女也」と明記されてます
むしろ何故双子の妹説が生まれたのか…?
>>675 論語に列挙されてる謎の人名が双子だという説があるくらいだから断言はできんですよ
班固と班超は同年生まれだから双子の可能性があるし
>>676 あ、確かに書いてあった。すいません。大ボケ・・・。
個人サイトが出典か・・・
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 18:55:28 ID:futXYSnv0
そのサイトにも文帝の娘としか書いてないぞ。
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 19:09:51 ID:nx7+uM99O
双子説って他にどこにもないよ、多分
唯一あるのがWiki
何とかよ氏はルーツ君あたりが入れていた妄想をそのまま書いてるんじゃないのか?
この立つのかよって色々トンチンカンな編集やってるな。
[[諸葛亮]]でルーツ君が付けた諸葛亮のニセ子供の記述の要出典ハガシとか。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 21:04:01 ID:nx7+uM99O
周勝之が6歳で結婚って何がソース?
のかよ氏がソースに挙げてるサイト自体に不明な点が…
いや、六歳で結婚は周勃世家に書いてるよ。
外部リンク先のページはかなり信頼できるサイトと思うよ。
もちろん出典として挙げるのはどうかと思うがな!
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 22:00:28 ID:nx7+uM99O
>>683 ありがとう
該当箇所はわかったよ
でもこれ誤読でしょ
正しくは「勝之が侯になって6年後、勝之は公主と結婚していたが不仲だったため、殺人罪で(公主に庇ってもらえず)侯を罷免された」だと思う
年齢ではなく「○年後」の意味で「歳」を使うのは周勃世家だけ見てもわかるはず
ああ、そうか。確かにそうみたい。失礼しました。>誤読
・・・しかし新訳漢文大系もその間違いやってるな・・・。
張藐。またしてもルーツ君か。
だいたい魏の張緝の息子が後漢書に載ってるわけないだろう。
早く死んでくれと言いたい。
董卓。
父親の諱が出典不明。そんなの後漢紀にも後漢書集解にも三国志集解にも出てこないぞ。>222.147.8.132
董承を弟という説が出所不明。つかお前の妄想だろ。兄董擢の字も捏造している。
こいつルーツ君と行動パターンが一緒だよ。>大日本帝國海軍博物學大尉
>>687 要出典はって1週間応答なかったら消しちゃえ
どうせ根拠なんかないんだろうからさっさと消してきた。
某掲示板での依頼にもとづき、Wikipediaの「孫覇」と「孫壱」のページに要出典を貼りました。
「孫壱」=「孫懿」の出典が分かるかたがおられましたら、補筆訂筆お願いします。
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 01:02:45 ID:4d0WxavFO
訂筆とはまた特徴的なおことばですね
こりゃ失礼。「補筆訂正」でご満足ですか?
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 21:34:58 ID:4d0WxavFO
周勝之の「6歳」も直して欲しかったぜ
俺は今直せない環境なんよね
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 21:49:18 ID:4d0WxavFO
しかしアレやね
公主と仲が悪かったことまで消してしまうってのは、史記の訳本でもいいから直接当たってたらやらないんじゃないかね
まあ何かの間違いということにしておこう
日本史の事よう知らんけど、張飛と本多忠勝が無関係なのは確定?
だったら三国志や張飛から消していいのでは?
少なくとも誰も出典を挙げられないんだから消しても文句は言えんだろうな。
六歳に関して。漢文大系も間違いやってたんでばっさり切るのも躊躇われたんだよね。
一応註釈付けてみたけど・・・、何とも知れん文章やな。我ながら。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 22:31:55 ID:4d0WxavFO
>>697 乙
この件については、
・漢書周勃伝ではこの部分にそもそも「六歳」がない
・漢書侯表によると勝之が侯を継いで六年で有罪になっている
この二点も正しく読む上で大きなヒントになるはず
あ、確かに。しかも史記の表でもそう書いてるやん。
ハズカシー、金を飲んで氏んできます。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 22:52:02 ID:4d0WxavFO
残念ながら今度は間違いだよ
公主との結婚は周勃が生きている時からなのは明らか
公主との結婚のくだりは、「(元々)勝之は公主と結婚していたが仲が悪かったので〜」という内容であって、「六年して結婚した」という意味じゃあないんだ
でしたね・・・。焦ってやると碌なことが無い。
今度は焼身自殺の上に首を絶たれて氏んできます。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 23:55:22 ID:4d0WxavFO
>>701 乙っす
願いを聞いてくれて感謝
史記はマジで読み辛いから気にしなさんな
取り込み中みたいだが、
>>695の件はずっと要出典でいいと思う
根拠なしのままけっこう流布してる話らしいが
消してしまうと訛伝であろうという事すら本文からは判らなくなる
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 21:53:13 ID:MH0QKAGTO
曹叡の后妃
「廃皇后虞氏」って…
虞氏は皇帝になる前の王妃であって皇后になってないから「廃皇后」って表現は間違いです
追加したのは勿論…
それくらいなら可愛いもんよ、HAHAHA。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 23:26:06 ID:MH0QKAGTO
捏造の一種なのでまるで可愛くないです
一応、あったことを基にした捏造だろ?
丸っきりどの史料にも何の小説にもないようなことが唐突にポンと出てくる捏造に比べれば。
下を探せばそりゃいるだろうが、そんなのと比べても何の説得力もない。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 12:44:53 ID:ssOLGis9O
斉王芳、記事に「皇帝に即位する」が抜けてるな
そのせいでよく読むと内容が目茶苦茶になっとる
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 20:02:08 ID:ssOLGis9O
吾粲で本人が車騎将軍になったかのように書いてるが、車騎将軍になったのは孫権で吾粲はその主簿にしかなってないぞ
そんな記事を追加したのは誰だよ
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:11:02 ID:cihYbVK9O
劉備の「烈祖」ってどこから出て来たんだ?
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:12:32 ID:d+cO5ICYO
あと孫堅の始祖も
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:17:01 ID:cihYbVK9O
始祖は列伝注にあるんだけど劉備はないよね
>>711 晋書に見られる記述だな
たしか晋書王彌伝に匈奴劉淵が言った言葉として
元海謂彌曰:「孤本謂將軍如竇周公耳,今真吾孔明、仲華也。
烈祖有雲:'吾之有將軍,如魚之有水。'」
とある、大意は
「私は昔あなたを竇融のような人物であると評していたが、全く以って見当違い、
今や諸葛亮、ケ禹に比肩する王佐の才ではないか。
列祖(劉備)には青雲の志しがあったが、彼の言った「水魚の交わり」とは
将軍(王彌)と私(劉淵)のような関係のことを言うのだろうな。」
てな感じか?
他にも探せばありそうだが、同時代での表現は見つけられなかった
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:16:06 ID:cihYbVK9O
>>714 教えてくれてありがとう
無知を棚に上げて言うのもアレだが、やっぱああいう内容はちゃんと出典書いてくれないとなあ
件の記事を書いた奴はそれが出典なんて知らなくて、どっかのウェブに書いてあったのをそのまま移しただけと思われ。
一応間違いじゃない事になるけど、この一事をもって
「廟号:烈祖」みたいな全く慣用的でないものを
付け足すのもどうかと思うよ
>>717 同意、昭烈皇帝+蜀漢の祖というパーソナリティーから、「烈祖」という表現は妥当かもしれないが
廟号としては正式なものではないからねえ
世間では大っぴらには使えない呼称だな
[[子嬰]]
>実際には皇帝を名乗っていたのではないかとの指摘が為されている
誰が指摘しているのかなと。例の文帝の双子の妹と書いたバカの記述だからどうも胡散臭く感じる。
まあ罵倒語は腹に仕舞っとこうや
雲台二十八将が徳川二十八将の元になってるとかいう話は
江戸時代の文献を渉猟できる人に検証してもらえんかな
徳川二十八神将の元ネタは千手観音の二十八部衆あたりかも知れん
二十八部衆は護法善神だが、光武帝の部将は神格化されてないし
ただ、当時すでに後漢書や文選で二十八将論を読めたはずだから
光武帝が元ネタでも不思議は無いが
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 02:20:25 ID:akVhcN+zO
楚漢も酷い記事が増えてきたな
>>722 例えば?やっと書ける環境になったので出来るものから修正してく
カイ通が儒者になったりする複数の記事かな
既に要出典入ってるアレですな
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 23:15:53 ID:r+T9HOiOO
夏侯廉直したら大変なことになった
えとさ、淖歯の最後に付いて聞きたいんだけど。どうなったかはっきり書いている書物ってあるのかな?
とりあえず『史記』「田敬仲完世家」「楽毅列伝」「田単列伝」には書いてなかったみたいだけど。
しかし今さらながら思うけど、管仲と晏嬰が2人で一組なのに田単はなんで単独の列伝なんだろうなぁ。
資料が豊富だったんじゃないかと素人考え。
それだともっと時代の近い夏侯嬰や樊噲はもっと資料が多いと思うけど。
戦国策の斉策6に閔王の臣下の王孫賈と市人400人がトウ歯を殺した事がある
最期の様子が伝わっていない英布よりも凄まじい末路であったといえよう
確かに前漢は突っ込みどころが多いな。
内朝外朝は俺の手に余るが、いくらなんでもあのくくり方は乱暴すぎる。
そもそも内朝官(中朝官)といえば中朝に入れる侍中や中常侍のことで少府なども外朝に分類されるはずだ。
前漢において宦官の専権は宣帝・元帝2代のみで末期とはいえないから誤解を招く。
清朝の人物の記事がコンスタントに増えてるな。
ひとりでやってるみたいだが、良きかな良きかな。
俺は清代はダメだから嬉しいね。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 11:29:15 ID:MMVzox7FO
散々言ってきたことだが…
劉交が劉邦の従兄弟とかいう「一説」って誰の説なんだよ
教えてくれよホント
[[秦]]
>この殉死を防ぐために[[兵馬俑]]が作られることになったとされる
誰がそんなことを言ってるんだか。
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 00:27:18 ID:SiW958Uj0
戻太子
内容吟味してみたらかなり酷かった。
誰とは言わないが俺節で適当に語っていた奴がいたということだな。誰とは言わないが。誰とは。
「帰来望思之台」は戻太子伝にあって王子侯表にはないぞ。
中身見ずに「王子」という単語だけ見て「戻太子は王子だからこれが出典に違いない」とか考えたか?
なんで偽戻太子の姓名は雋不疑伝にばっちり載ってるのに間違えるんだろう?
官職間違えてるのはまだいいとしても。
項籍
本文中にあんなに漢文残すことはないと思うんだ
解釈が分かれるような部分なら原文を書く意義もあるだろうが
それ以外で逐一書いてたらキリがない
イスラム文字やモンゴル文字の史料を使う時にエライ事になる
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 22:46:40 ID:SiW958Uj0
夏侯嬰
なんだこれ
夏侯嬰の人、あちらこちらで揉め事起こしてるねぇ。なんだかなぁ。
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 23:14:59 ID:SiW958Uj0
>>741 俺がノートで突っ込んだ「出典」、曹嵩のWiki記事丸写しなのな
いやそうだろうと分かってて突っ込んだんだが案の定でワロタ
なるほど、それであんな名前になっているんだ。
ルーツ君の記事丸写ししてたらルーツ君の被害を更に拡大させるから勘弁して欲しいね。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 23:28:45 ID:SiW958Uj0
>>743 つまり某氏は原典(訳本含む)には当たらずWikiその他ネット記事だけで記事作成している疑いが強いというわけやね
英布の「出典の明記」も微妙っちゃ微妙だな
どこが要出典かわかりづらくなった
ネットにだって原典があるし、検索だってかけられるんだからスグに見つかるはずなんだが・・・。
他人の記述に要出典付ける前に、自分が書いた兵馬俑は殉死を防ぐためとかいう文章の出典を出してほしいんだけどねぇ。
さっさと消しても良いんだけどね。
まさか埴輪説話のパクリというオチは勘弁
>>747 そうなんじゃない?
手塚『火の鳥』が出典に違いない
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 18:39:50 ID:TUYolCeqO
「成帝楽胤騒動事変」って、よく見たら酷い言葉だな
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 19:42:28 ID:TUYolCeqO
誰がやったかは確認するまでもないな
事変は満洲事変と東京事変しか認めない
呂蒙の項に限らず、創作ものの内容を延々書かれてもなあ・・・
俺、曹豹のアレまでは許せたけど、呂蒙のはお腹いっぱいだわ
蒼天での呂蒙とかさすがにいらないだろ・・・
戚氏が兵士だの罪人だのに犯されたって、そんなのどこかに書いてあるか?
奴隷に落とされて米突きやらされたのは漢書にあるが・・・
そんな設定の小説でもあるのか?
孫権の項の
「赤壁の戦いの後の荊州に眠る人材(馬兄弟、龐統、黄忠ら)の争奪戦で、そのほとんどを劉備陣営に奪われた原因をこの性質に求める者もいる」
って陳舜臣だわ。確か秘本三国志でそんなこと書いてた。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 12:18:52 ID:eU59jXReO
>>753 「言っている者もいる」は間違いではないが、Wikiに書く必要も妥当性もないな
陳氏は嫌いじゃないが
後漢の少帝懿、廃位されたように書いてあるが、俺が後漢書見た限りじゃ廃位されてないんだが…
何が根拠なんだろう?
崔瑗列伝に書いてるッス。
あ、でもそれだとおかしいか。死んだ後に閻氏が殺されるんだから。
死んだ後に位下げされたのか。失礼。直しておく。
>>756 乙
王礼での葬儀は順帝紀にあったか
殤帝の即位年も間違えている悪寒
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 12:14:42 ID:WTUR1ui1O
英布などの編集したひと乙
そろそろ久し振りに新記事書くか…
戚氏のことは呂后の死体の話と混同してるのではないかなと思った。
張藐
また、[[継母]]の尚氏が産んだ異母妹が魏の第3代[[皇帝]]である[[曹芳]]の皇后となった。
「尚氏」の根拠って何だと思う?
俺は何かの誤読だと思うが。夏侯尚の「尚」とか尚公主の「尚」とか。
張放の項目に書きかけって付けてもいいけどさ、これ以上書くことあるのかよ・・・
知らないでテンプレ貼ってねえか?
いつのまにか[[何魏]]が削除されてた。
>>764 椎名林檎がボーカルじゃないから・・・
公孫賀作成。修正とかあとは任せた。
[[黄権]]
ここまでペタペタ貼らんでもw
要出典の使い方が分かってないんじゃないの。
みんなが事実だと信じてるのに出所が不明ってのに貼るんだよこれは。
まともな文献が出て来ないと知りながら貼る事もあるだろう
いい加減な事書いた奴の責任を問うためとか
とりあえずこうもたくさんは張らないで、全体に要出典。具体的な内容はノートで書いておくのが良いと思う。
それにここまでいちいち出典を付けることも無いと思うがねぇ。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 21:15:06 ID:blMD6KevO
審配が袁紹の親戚って何が根拠?
ルーツ馬鹿をヲチするのがwikiの充実に繋がるのだろうか?
彼をwikiから追放することが先決ではないだろうか?
かれ自身は退場したみたいだし、ここの人達もヲチだけじゃなくて手動かしてるが
汚していった跡が多過ぎて修正が追い付かないんだろう
いい加減な事書く奴はルーツ以外にもいるというか、むしろ増えた感じ
立つのかよみたいな汚染を拡大するヤツもいるしな。
というか、あいつはわかって無いくせに攻撃的だからタチが悪い。
「孫堅四天王」「孫堅旗本四天王」の元ネタは何?流布してるからには捏造なりに根拠があるはず
「史書にはないが、三国志演義に登場する」とかで笑ってしまったが
「登場する」なんて書かれてるから演義のテキストを「四天王」で検索するハメになった
さすがに「旗本」で検索する気にはなれんかったよ
あ、すまん[[韓綜]]でそれ書いちゃったのは俺だ
演義なんていちいち読み返さんからね
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 12:02:05 ID:HomO9XgB0
[[旗本八旗]]はアカンやろ。八旗の意味を知っていればなし得ない捏造
旗の字を重ねるセンスのなさ。存否を調べるのも無駄な削除依頼モノ
八旗は旗本八万騎の連想だろうから八騎の間違いなんじゃないかな。
手下八部を旗本八旗とするのはいたって適切な訳だと思うが、
それ以前にウィキペにそんな項目立てる意味がないと思うね。削除だな。
部ってのは集団という意味で
関中十部は小軍閥×10くらいのニュアンス。十把一絡げの泡沫勢力。
馬超が空気読んで曹操に膝をおってればゾウ覇くらいの諸侯格にはなれたかな?
>>780 どうだろうね。そうかもしれない。
けど、青州・徐州と違って関中・涼州はどうも荒っぽいから、馬超にしても関中を抑えられない→臧覇ほどにはなれない気がする
吉川三国志と知らずに「捏造」「センスなし」とは言葉が過ぎたが
演義の創作である手下八部をさらに翻案した点に触れていないし
「旗本」「八旗」の本来の用法と全く違うので誤解を招く
そもそも単独の項目としては瑣末過ぎる
当たっているかは知らんけど、吉川英治が14歳の時まで「八旗」制度を有していた清王朝は健在だった。
しまった、9歳だった。
だが、その後も満州国があったわけだし、清朝の満州八旗のイメージに引きずられたのでは?
ひきずられたというか、創作物だしそんな厳密にする気がなかったということでしょうな
で、当時の吉川的にはなじみのあった「八旗」と日本でなじみのあった語である「旗本」をくっつけてみました、と
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 19:24:44 ID:MSD7bb81O
王翦に相変わらずな捏造と誤読が…
太字になってるのは笑うところですか
ホウ徳の改悪を続けるクソコテがいるな
要注意だ
今思ったが新唐書では太原王氏の祖も王翦だな・・・
瑯邪王氏だけ書いてるのって公平じゃないな
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 19:22:18 ID:k1cgi/YhO
なんか、理由説明も何もなく要出典やコメントアウトを復帰してる奴がいるな
そのせいで孫権のとこがエライことに…
Kooonはバカで有名だからな
前の方でも話題になってなかったか
>>790 理由も説明せず要出典とコメントアウト無くした奴を堂々スルーってのは確かにバカ扱いされても文句言えないかもな
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 20:46:03 ID:KE1FMVSiO
司馬朗の諡義陽宣王って根拠見つからないなあ
[[孫子 (書物)]]にやっと削除が入ったか
大抵のヨタ記事には驚かないつもりでいたが
赤兎馬の生没年が書いてあったのには絶句した
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 21:59:18 ID:uURc7e9lO
あの張済の妻「鄒氏」ってさ、史実で姓出て来てるか?見つからないが
曹上(臨邑殤公子)
ちょっとまて
臨邑殤公 子上
じゃないのか?
「所謂典型的な暗君」なんて勝手に評価すべきじゃないし
「その他8人の男子が多数」みたいな不自由な日本語を太字にするとは・・・
曹操みたいなメジャー人物の記事にこんなにインチキがまかり通っているとは・・・
曹昂の封号(宛に封建されたなんて三国志にないと思うが)
丁夫人が養っていたのは確かだが、「養子」って表現はどうなんだろう
>>796 献帝の後宮に入った娘のうち、皇后になったのは節だけだと思うのだが
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 22:57:13 ID:9vVXYK8C0
曹操みたいなメジャー人物の記事だからインチキが蔓延するんだと思う。
マイナーな人物記事なんて作って三年くらい放置プレイが良くあるorz
>>800 それは記事内容が完璧だからだよ、きっと
メジャー記事内の大間違い放置は、目にしていながら気づかないでいた俺らの問題でもあるけど、
それらしい体裁でありもしないことを平然と書いているルーtryみたいな問題のある編集者の存在が一番痛い、と思う
>>799 そもそも日本語で言う養子概念が固まったのが鎌倉時代ですから、現代日本語で表現するとおかしなことにといってみる。
思いっきり怪しい[[孫武]]の三人の息子についてなんていちいち書く必要ないと思う。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 19:08:04 ID:2E0IBS1gO
孫武の項はそこよりも孫堅の父親云々の方が問題じゃね?
>>803 以前出典の捏造で問題になったやつだね。
ルーツ君は最近みないし、消していいんじゃないでしょうか。
いや、一回消したんだけどまた付けられたので。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 22:13:22 ID:2E0IBS1gO
最近付けた奴がルーツ君くさい件
らりたはここの常連だよ
鍾離昧のスレッド
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161684018/ 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 06:29:20 ID:Gil4vayM0
>>68>>69 サンクス!
ただ、
>>69のリンク先が見れない・・・
あの後もうちょっと調べて、新唐書の宰相世系の鍾氏のところで見つけたよ。
やはり、二人の子のうち弟の接の代から鍾氏を名乗ったとなっていた。
で、その次は鍾皓まで記述がとんでる。(間に何代いるのかは記述なし)
Wikipediaの
>鍾離昧のひ孫の鍾離皓は姓を鍾に改め、
という記述は「ひ孫」ということと、姓を改めたのが鍾皓の代ということがガセネタっぽいね。
72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 14:42:13 ID:Gil4vayM0
Wikipediaの記述、鍾離牧の先祖の鍾離意が鍾離昧の孫になってるけど、
鍾離意は後漢書に伝の立ってる人物だから、孫ってことはありえないよなぁ。
鍾皓といい鍾離意といWikipedia滅茶苦茶だな。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 18:48:49 ID:gvVUETCRO
晋書の張軌伝に「常山景王」張耳の子孫と記されてる
でもね、張耳って史記・漢書では「趙景王」なのよね
常山王は項羽に封建された時の号なのよ
つまり晋書の記述自体がこんな初歩的な事柄も誤っている適当な系図がソースなわけ
晋書は間違いが多いことで有名だからね
わざわざ後漢書の「巻○○」を削除した意図が分かる奴はなかなかいないものだね
教授から教わって以来常識レベルだと思ってたんだが
コメント欄が微妙にルーツ入ってるような・・・
ちくま三国志は唯一の訳書として価値はあると思うが全幅の信頼を置いていいものか・・・
ましてWセンセイのナントカ事典は権威あるものといえるか・・・
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 08:50:22 ID:M+JJHqZLO
どこのコメント?
李蒙の履歴で「没年について推測年を追加」なんていかにもそれらしい
確かに
俺の好みの問題かもしれないが、出典や参考文献としてちくま三国志を挙げるのはどうかと思う
「何とか人物事典」の類は言うまでもない
出典はなるべく原典(解釈の類は初出の文献)を挙げるべきだろうね。
というか、Wikipediaじゃなくて論文だったら
「何とか人物事典」なんて挙げたら他人には笑われるだろw
Wikipediaの出典もそれに準じた扱いをすべきだと思うけどなぁ。
独自研究やっちゃいけないって建前があるから原典だけ出典ってのはまずいだろうね
それ以前の記事が大半ってことはまあおいとくとして
そのための言い訳として人物事典あげとくってのもアリかな
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 18:08:53 ID:M+JJHqZLO
事実関係だけ書いてるなら原典だけで良いと思う。
そこに「一説には」とかが付いたら必ず「研究者の手による」出典が必要になる。
>>824 まあ、そんなところだろうね
原典の翻訳、要約も独自研究では出版された訳本のない時代のことは書くこともできないし
昌?
なお、『三国志』武帝紀は昌?を泰山の将としているが、昌?は東海を根拠地としており、臧覇らとは直接の主従関係は無いと見るべきであろう。
東海郡出身でも臧覇らと合流しひとまとめに扱われていないとは限らないと思うのだが。
臧覇伝は反乱者となった昌?との関連を意図的に抹殺してる気がするな・・・
執筆者の独善的解釈だな。だいたい臧覇にしても琅邪人だよ。
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 12:24:38 ID:L3Tscc3SO
臧覇の出身地は泰山郡華県じゃなかった?
昌キは先主伝に「東海昌覇」と書いてあるんだけど、これは割拠してる土地を書いてるだけかもしれないしな
泰山人于禁と友人だったそうだし、出身地が泰山だった可能性も捨て切れない
とにかく臧覇たちと無関係とするのは根拠に乏しいな
独自研究にも満たないルーツ節だ
ルーツ復帰?と無関係だが、満州人が三国演義を武官向けに訳した事のソースは何?
精強な満州人が幾多の兵法書を差し置いて、わざわざ通俗小説を軍事に使うかって話
例えるなら、アメリカ空軍がエースコンバット6をフライトシミュレータとして導入するようなもん
wikipedia内外のネットに垂れ流されたヨタを見てると
裴松之が馬超伝のところで怒りを露わにした事を連想する
832 :
台灣:2007/11/08(木) 16:11:31 ID:paCmC8as0
関係ないけど楊昂は楊白と同一人物っぽいって話をどっかで聞いたことがあるな
>>830 当時のナマの風聞(デマ)ですらないぶん、
『献帝春秋』や『山陽公載記』よりもだいぶタチが悪い。
楊白(楊伯?)と楊昂の同人物説?
白≒昂・・・
「日偏」の共通があるからかな?
またホウ徳がおかしくなってる
恥かくのはテメエの勝手だしもう相手はするまい
こいつを〆たい人は存分にやってくれ
「歴史マニア」?
初めて聞いた名・・・
会話ページを見る限り、厨房か消防みたいね。
思いっきりダメ出ししてやろうかと思ってたら誰かが先に修正してた。乙
〆てくれたのは有難いが、自分の何が間違ってるかすら理解できないだろうから
これでトラブルが止むとは思えん。さっさと永久アク禁されとけ
>>842 あれだけやっとけば、またやりやがったときにはこちらも堂々と強硬な手段に出れるんじゃないかしら
相手の精神年齢が子供でも、このストレイツォ容赦せん!
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 13:37:43 ID:helRuMIV0
ここに招待すればいいじゃん。
いかに自分が未熟なのか分かるだろう。
その熱意をそこなうのは惜しい気もする。
まあ今のままなら銃殺もんだが。
>>829 三国演義の満洲語訳の話はどっかで聞いたことがある。少なくとも妄想とか小説とかではなかったと思う。
ソースは忘れたので、探してみるよ。
その件は三国志演義のノートで大見得切ったので
平謝りの用意をしながらソースお待ちしています
ルーツ君復帰?
ルーツ君はいなくなったとしても、第2、第3のルーツ君が現れるさ
[[三顧の礼]]
またなんか頓珍漢な編集が・・・。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 18:43:39 ID:oB+MWAzU0
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 19:19:59 ID:oB+MWAzU0
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 19:41:37 ID:c4d5KY2E0
明の宰相が95人もいたとは
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 22:06:04 ID:oB+MWAzU0
俺は人物事典は参考文献には要らない派
Wikiの方針的に正しいかは知らないけど
鍾離関係で捏造を発見
あまりレッテル貼りたくないが、最近ルーryぽい人がいるようないないような
アジア歴史事典や東洋史辞典ならいいと思うが
そういうのにアクセスできる人は根本史料なり論文なりにもアクセスできるし
結局調べ物のとっかかりだけに使うのが普通で、参考文献には挙げないでしょう
そもそも・・・人物事典を工具書と呼べるかが問題
諸葛懐や諸葛果やらが復活してるが、清代の撰者の文章だけを根拠に
得体の知れん人物を足していくのもどうかと思う
小生と似たIPの仕事だがアカの他人です
>>860 清代の撰者の文章の中での「○○」の引用によると、みたいな書き方にしないといかんよね
あれではその清代の人物が勝手に言っているのと変わらん
言いたくないんだけどあれやったのってルーtじゃないだろうなあ
ああ、朝真観記とやらは宋代の文章か
とりあえず[[諸葛懐]]とかを単独記事にするのはいくらなんでもペケだろ。
鍾離牧の項に捏造出典書いた奴ってやっぱ・・・
復活したのかねえ
自分で貼っといてアレだが、下のリンクの朝真観記は
清代の撰者の文章と別物じゃないのか?懐、果が出て来ない
そうだとすれば、まさに「清代の人物が勝手に言っている」事になる
まあ清代には何らかの別の根拠があったけど、現在は散逸したのかもしれない。
ただどっちにしてもそれが確認できない以上は胡散臭いものとしか受け止められないな。まったく必要ない情報だ。
連投スマソだけど
[[呂尚]]で「「望」は元々『呪いの眼で見る』という意味を含むため」
っていうのは白川静かな?あの人の論説を批判なしにそのまま載せるのはどうかと思うんだけどなぁ。
今回の諸葛の胡散臭い情報入れた奴と鍾離牧の項に捏造出典入れた奴は同一人物か・・・
劉盆子のとことかルーツ節っぽくもあるのだが
[[張ジュ]]
コーヒー吹いた
孫武の子供の名前追加した奴なわけで・・・
もうルーツ君としか思えない
ホウ徳の最近の履歴でおれと新ルーツ君が歴マニを挟撃している様子は
蜀呉が協力して魏に当たっているようでもある
モーニング系の漫画の編集もやってるあたり、
ルーツ君確定でしょ。
うわあああ。
おれが修正したやつもごっそり上書きされてるよ…orz
頼むから死んでくれ。。。。
劉盆子
ルーツ君の仕事なんだが、盆子が羊飼いやってたってどこが出典?後漢書劉盆子伝じゃあないよね?
あと最後に列侯には封じられていないと思うんだが・・・
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 07:23:27 ID:ScuWC9du0
張ジュは清史稿に立伝されてた
あの記事は清史稿には目もくれず、張ジュの名前を検索して出て来たものを
適当に訳しただけらしい
単独の記事立てるほどの事績が清史稿に書いてあるわけでもないけど
細かい事だが、「編輯諸葛忠武侯文集自序」は『諸葛忠武侯文集』の中味なんだから
併記する意味なし。しかも「編集」になってるし
ただ、皆さんヲチもほどほどに
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 12:17:25 ID:xUo4NTiiO
ルーツ君だから目を付けて編集してるんじゃなく、目につく変な記述の生み手にルーツ君が多いんだよ
ルーツ君でも問題ない内容なら直さないよ
ルーツ君も多少は成長してるみたいだし
>>874 後漢書本伝と後漢紀に、赤眉軍のなかで牛を育てる仕事をしていたとあるね。
あと、封侯はされてないけど滎陽の市場をもらって、その税収で暮らしたとのこと。
鍾繇って一般的には書家として通ってるのに、説明なくいきなり「演義では…」っておかしいね。
書家としての記述がほとんどないのに、小説でどう書かれてるか詳しく書いても意味ないよ。
それに弟の鍾演って何一つ事績が伝わってないのにいちいち言及する必要あるの?とか。
あとルーツ君のいたずらで、諸葛均の父と兄の名が矽や謹になってると言ってるけど、
それ単に簡体化しただけかスキャンの誤りとかじゃね?ほんとにチョウジュ読んでんの?とか思ったり。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 16:22:48 ID:yye59gcc0
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 18:35:03 ID:xUo4NTiiO
劉盆子のとこの出典が極めてうさん臭い件
というか蔡さんは現代語訳者ですので誤りです
柳毅伝中に羊飼い云々あるんだろうな?
唐宋伝奇集・・・
盆子直してきた
さっそくやってくれましたねえ
劉屈?んとこで戻太子の乱を一切書かないというのはルーツらしくないな。
「君侯」を「諸侯」と訳して意味がメチャメチャになってるのは彼らしいが。
魏の世祖文帝(または太宗)(曹丕、在位220年 - 226年)
これはなんだ?
曹丕の廟号は高祖だろ?
886 :
風待草:2007/11/14(水) 09:32:13 ID:VzZjDPzt0
三国演義の満洲語訳の話はいちおう自己解決したつもりなので
良かったらノートを見てやって下さい。誤らずに済むかも知れん
ああ、字を誤った
うは、彼からお返事が来た
日本史にシフトしたらしいが相変わらずルーツ作りか
「一説には」「新田次郎によれば」のルーツ節は健在だが
書き込みペースが異常さを増した
>>892 ぜんぜん理解してなかったから言ってやったらもののみごとに逃げたな
まあそれはいいけど
予言しよう
彼はIPが変わったらまたやってくる
このカシオミニを賭けてもいい
>>893教授
吹き矢でルーツ馬鹿くんをやっつけちゃって下さいよw
日本史カテもこれ以上汚されるのはご免だ
hi-hoプロバイダの投稿ブロックでもいいぞ
俺ごと刈れ状態になるけど
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 00:54:55 ID:LLCL9eTG0
狄青の項目ないんだよなぁ
前秦苻氏の項目が異様に整っているのに(微妙に怪しいが)
王猛がないのは何故だぜ?
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 10:15:47 ID:LLCL9eTG0
[[韓忠]]
そうだったか?
後漢書の朱雋伝に黄巾の韓忠が出てくるよね
「李儒は演義だけの架空の人物」と似た現象が起こってるんやね
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 02:38:45 ID:Q6YkEom80
>>899 苻融の記事はあるのに王猛の記事は無いんだね。
功績から言えば前秦最大の功臣だし魏晋南北朝の中でも1、2を争う名軍師
と言っても過言では無いほどの逸材だけに、記事が無いのは惜しいね。
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 02:58:54 ID:c0Gl+UP8O
苻融といえば、ヒ水の戦いでは死なずに生き延びて・・・
というのは何に見える話なんだろうか?
>>901を処置しました
しかしスタブ並みの情報量しかない人物ばかりチマチマと・・・
>>906 乙
夏侯廉とか夏侯充とか夏侯佐とかいいかげんにしろと
しかも間違った内容だったし
李儒もなんだかなあ…
「曹全碑」に出てくる李儒(字文優)が「後漢書」の李儒だっていうはっきりした根拠は
ないはずなんだけどねえ。
>>908 なぜ、そこまでハードルを上げんの?
それを言い出したら収拾がつかなくなると思うよ。
この張飛とあの張飛は別人だ、この呂布とあの呂布は別人だという泥沼になりかねん。
そういうことだよ。
たとえばだな、劉備が博望で防いだ夏侯惇が大将軍の夏侯惇と同一人物だという
確固たる証拠はないんだわ。
>>908が言ってることはそういうこと。
曹全碑李儒:中平2年に博士だったことしか分からない
後漢書李儒:初平元年に弘農王郎中令だったことしか分からない
確固たる証拠どころか「姓名が同じである程度近い時代の人物である」以上の共通点もない
大将軍夏侯惇:曹操の親族で曹操の後詰
博望の夏侯惇:于禁・李典を率いるほどの人物・・・曹操の後詰
ただ姓名が同じなだけではなく、状況証拠からまず間違いなく同一人物と言える
違うよ。ぜんぜん違うよ
後漢書百官志によると博士の定員は14名。
曹全碑に列名してる李儒は184年当時博士の職にあった。
弘農王を弑殺した李儒は192年当時博士の職にあった。
これだけの短期間に同姓同名の博士がいたと想定する方がよほど無理があるよ。
博望の夏侯惇が魏の大将軍と同一人物だと見なすならば、
それと同じ程度には曹全碑の李儒も弘農王を弑殺した李儒も同一人物だろうと言える。
俺が言いたいのは歴史に確固たる証拠なんか求めても徒労に終わるだけ、
史料全体を俯瞰して総合的にみて蓋然性の高いものに依拠するしかないってことさ。
>>913 その蓋然性があんま高くないと思うんだけどね、李儒
蓋然性で語らざるを得ないのは当然なんだけど、程度ってもんがあるじゃん
例の夏侯惇と状況証拠の質が違いすぎる
ところで後漢書何皇后紀によると弘農王に毒を進めた李儒は郎中令なんだけど、博士っていうのはどこに書いてあるのか教えてください
事故解決
でも、同一人物だとすると
博士→郎中令→博士ということになって逆に少々不自然じゃない?
逆に184年の博士李儒と192年の博士李儒は別人っぽいような
前漢には近い時代、同じ易学の専門家に京房って人物が二名いたからねえ
そんなのと比べたら李儒なんてありふれた名前なら10年程度の間に博士に同姓同名がいてもそんな不思議に感じないな
三国時代に王双が何人もいたのと同じことでさ
袁宏の後漢紀の初平三年に書いてるよ。
李カク舉博士李儒為侍中,詔曰:「儒前為弘農王郎中令,迫殺我兄,誠宜加罪。」辭曰:「董卓所為,非儒本意,不可罰無辜也。」
>>915 だから、蓋然性なんだよ。わずかな可能性をことさらに取りあげても仕方がない。
それこそ張飛や呂布や夏侯惇が同姓同名の別人の可能性を示唆するようなもんでさ。
呂布にしても夏侯惇にしてもありふれた姓名なんだから別人だとしても不思議じゃない。
ちなみに郎中令ってのは弘農王国の官なんだから、国が除封されれば当然、郎中令も解任される。
博士はそれぞれ専門分野を持っていたから、その分野の第一人者として復職したとしても、
取りたてて不自然とは感じられないな。この辺はおのおのの主観による部分が大きいだろうけどね。
>>917 908です。
結局は蓋然性の問題ってことは十分承知してます。
そもそもwikipedia上の記述で両方の李儒を同一人物であると明記しているのは
どうなの?って問題提起であって。
つまりあなたは李儒の件は注記なしに同一人物と断言していいレベルの蓋然性の
高さであるとお考えってことですか?
同一人物と断言できるかどうかというより、
同時期に同姓同名の人物が同じ役職についていた蓋然性を考えた方がいいと思うよ。
「李儒」に対してそれだけ高いハードルを要求するなら、
ほかの項目についても全て見直す必要がある。でないと二重基準じゃないかな。
しかし、そうするとあれもこれも同一人物だと言えなくなってしまうんで、
最終的にどの項目にも手を付けられない状態になるのは予想されるね。
俺が思うに、もし曹全碑の記載が後漢書にもあったら、そこまで疑念も持たず、
わりとすんなり確定的なことを書いちゃうんじゃないの?
石刻史料に対して過剰に不信感をお持ちなのではないかと邪推するけど。
920 :
908:2007/11/17(土) 18:15:04 ID:iSsfh1Jq0
いや、別に石刻史料は信頼できないから両者は同一人物ではない、というつもりは
ありませんけどね。
そもそも別の史料三つにそれぞれ一か所の記述しかない人物についての話なのだから
立伝されていて他の箇所にも頻出する人物とではハードルが異なってくるのはしかたない
と思うんですが、どうでしょう。
もう一度言いますが、自分の気持ちとしては同一人物と言うことにそれなりの蓋然性は
あると思うけど、百科事典の記述として同一人物と断言するのには躊躇する、ということ
です。
このスレッドはあくまでwikipediaの記述としてどうか、という観点から話し合われるものと
考えておりますので、再度お尋ねしますが、李儒の記述についてはあれでよろしいと
お考えですか?
記載の多寡によってハードルの高さは変えられないですよ。
記載が多ければ多いほどハードルを越える力が増すというだけで。
立伝がなされず記載が少なくても同一人物として断乎扱われてる例なら、
それこそ山ほど挙げられるけど、その必要はありますか?
最後の問いについてですけど、まあほかの項目の基準を採用するならば、
当然あの李儒に関する記述も妥当だろうと思いますね。
>>919 石刻史料と史書の問題じゃないでしょ、李儒の件は
曹全碑から分かるのは李儒という人物が中平2年に博士だったことだけ
後漢書・後漢紀の李儒と同一人物かどうか判断できるかどうかが問題なんだよ
曹全碑の内容が後漢書だろうが木簡だろうが同じこと
で、博士が共通しているといっても、8年の間がある上に一度郎中令になっているからねえ
「同時期に同じ官なんだから同一人物」っての自体が崩れてるじゃない
923 :
908:2007/11/17(土) 18:34:16 ID:iSsfh1Jq0
>立伝がなされず記載が少なくても同一人物として断乎扱われてる例なら、
>それこそ山ほど挙げられるけど、その必要はありますか?
後学のためにぜひとも。このスレッドの趣旨にも合致しますしね。
>>922 では、ほかの人物では姓名が同じというくらいで同一人物として扱われているのに、
なぜ李儒に関してのみハードルを高くしてるのか?と聞いてるわけですね。
二人の李儒が別人だと考えるのは結構なんだけれども、それなら、
いま同一人物として扱われている人物も別人で扱わなければならないだろうと。
石刻史料を軽視しているなら上の二重基準にも説明が付けられるので、そう推測したわけ。
>>923 いちいち挙げていては切りがないし、本当にばかばかしい事態になるので、
遠慮してほしかったんだけどw
たとえば、曹操と戦った陶謙の将曹豹と張飛に殺された曹豹が、
同時期に同じ州にいて同姓同名という以外に同一人物であることを裏付ける根拠はありますか?
于禁に部曲を奪われた朱霊が後将軍朱霊と同一人物である根拠は?
曹仁の部曲であった牛金と司馬懿の将牛金が同一人物である根拠は?
廬江太守劉勲と娘を華佗に治療させた劉勲が同一人物である根拠は?
孫策を救った宋謙と夷陵の戦いに参加した宋謙が同一人物である根拠は?
太平清領道の干吉と孫策を呪殺した于吉が同一人物である根拠は?
西園八校尉の淳于瓊と袁紹の将淳于瓊が同一人物である根拠は?
どうですか。ばかばかしいと思われませんかね?
925 :
908:2007/11/17(土) 20:26:53 ID:iSsfh1Jq0
何べんでも言いますけど、別に二人の李儒が別人だと主張したいわけではないです。
李儒の件を指摘したのもスレッドの流れで李儒が出てきて、たまたま李儒の項目を見て
問題を提起しただけで、別に李儒だけを特別視しているわけではありません。
石刻史料だから、というわけではなく、単に史料をまたいでの人物同定であるがゆえに
百科事典の記述としては断言せずに同定の根拠を丁寧に注記するべきでは、と考えた
までです。
もちろん逆に同一史料に記述があるからといって無条件に同一人物とするわけでもない
ですしね。
夏侯惇伝における摩陂で撃破された呂布のことが五原九原の呂布のページに書いてあれば
それはおかしい、ってことになりますし。
>>925 いや、それは承知してますよ。
俺が言ってるのは、なぜ李儒の場合だけ基準を変えているのかってことなんで。
たとえば
>>924で挙げた于吉の例なんかは特に顕著なんですけど、
時代も明らかに違うし、よく見りゃ姓も微妙に違う。けれども特に注記はない。
なにも于吉が駄目とか目くじら立ててるわけじゃなくて、ほかの歴史上の人物は総じて
その程度の緩やかな基準でしか書かれてないのに、なぜ比較的蓋然性の高いと思われる
李儒に対してはそれだけ視線が厳しいのかってことです。二重基準ではないかと。
んで、もしかしたら石刻史料を軽視してるんかなーとか思ったり。
927 :
908:2007/11/17(土) 21:03:55 ID:iSsfh1Jq0
>>926 「なぜ李儒なのか」は上で書いたとおり「たまたま目に付いた」からです。
石刻史料を軽視するつもりはなくて、正史の記述を補足修正する石刻史料はいくらでも
あることは十分承知しています。
ただwikipediaの記述としては正史準拠で、これを補足する史料があれば石刻に限らずに
フラットに記述はしないで、うるさくならない程度に注記であつかう、というのがよいのではと
思ってます。個人的意見ですが。
逆に
>>924で挙げてもらった曹豹とか朱霊については、同一史料で近時の同一名ということ
から同一性の推定を働かせても違和感のそれほどないケースですね。(この二人の記述の
内容が全て問題ないとは思いませんが)
もう一度言いますが、主眼は「李儒だから」「石刻史料だから」ということではないのですよ。
歴史なんて100%確定した事実なんて誰にも到達できやしないんだから、
すべて蓋然性の高そうなものから順番に盛りこんでいくしかない。
しかし執筆者によって、どこから載せるかハードルの高さは違っていてもいいんだわ。
俺のハードルと
>>908氏のハードルの高さが違ってもそれはそれで全然かまわない。
ただ俺が疑問に思ったのは、
>>908氏が対象によってハードルの高さを変えてんじゃねえかってこと。
それぞれの執筆者の設定するハードルの高さが違うんじゃなくて、
一人の執筆者が書く対象によってハードルの高さを変えている。そう感じられるんだよ。
ちなみに
>>922氏のしてる主張は、それとは別件の、
蓋然性を高く見積もられるかどうかという問題なので、俺的にはあんま関心ない。
> もう一度言いますが、主眼は「李儒だから」「石刻史料だから」ということではないのですよ。
だから承知してますってば。
俺から見て不可解な判断なので、その不可解さの原因として石刻史料を軽視してるんじゃないかとか
邪推してるだけであって、そうでないなら判断基準を明らかにしてくれれば理解できるんですよ。
ちなみに曹豹と朱霊は同一史料じゃなくて、一方は武帝紀、もう一方は英雄記や魏略っす。
もうそろそろ俺の存在がウザいんで消えときますわ。では。
930 :
908:2007/11/17(土) 21:18:36 ID:iSsfh1Jq0
まあそもそもの問題提起がよくなかったんですかな。ああ書いたら李儒だけ蓋然性を疑って
いるみたいにとられても仕方ないわ。
931 :
908:2007/11/17(土) 21:29:21 ID:iSsfh1Jq0
言いたいことはありますが消えられるならいいです。おいらも消えます。
>さらに『三国志』にも、後漢末期の武将に紀霊の名が見られる事から、
>紀氏が渡来人の出であった、とする説が持ち上がっている
かんべんしてくんないかな
>>931 消えるなら言いたいことがあるとか言わずに消えろよ。
中途半端な捨て台詞は不快感が増すだけだ。
>>932 「紀」なんて春秋時代の諸侯にもあるのに、
なんで紀霊なんだ・・・
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 10:32:34 ID:X+yo+rcq0
紀信とかもいるのにな
紀氏のところで紀霊の代わりに紀信を挙げても結果は同じやね
献帝→東漢氏→坂上田村麻呂→丹波哲郎のルーツの方があり得る話
紀霊の子孫が渡来したとは流石に書いてなかったか。誤読した
ぼくらのアイドルルーツ君なら「紀信の子孫紀霊の末裔が日本に渡ったのが紀氏の先祖である」と堂々と言っているところさ
『封神演義』か『武王伐紂平話』あたりに太公望の次男が
紀の国を封じられたという話がある。
もちろん、紀信(紀成?)・紀通、紀霊とは全然関係ないけど・・・
>>934の話だと紀は姜姓になるけど、『武王伐紂平話』あたりが出典だから。
紀氏渡来人説のところでまともなのは蘇我氏渡来人説だけで後は誰の説かも判らない
紀氏の例として紀霊を挙げるなんて稚拙過ぎるし、どうせテメエのヨタ話だろう
こんなのでも消すためには一通り調べないといけないとはアホらしい
いちいち調べなくても有力な説でないかぎりじゃんじゃん消していいと思うよ。
丞相車千秋の項書こうかと思うんだが、「田千秋」と「車千秋」どっちで作るべき?
決めるのは書く人の特権
てか、史記・漢書で表のところだけ田千秋なんだね
[[胡軫]]
「判明」とか書いてるけど・・・
漢代の人物に三国志上の人物があふれ出してるのはなんとかならんのか
>>946 孫堅伝集解に「胡軫の事は張既伝注の三輔決録注に見える」とは書いてるけど、
同一人物だという証明がされてるわけではないね。
まあ、十中八九同一人物なんだろうけど。しかし集解を読んでも「判明」はしない。
あと同じIPの人が夏侯傑の項目で、吉川英治が夏侯覇と書いてるなんて言ってるけど、
これはたしか演義の版本によって夏侯傑になったり夏侯覇になったりしてるはずなんで、
以前の版に比べて情報が劣化してる。
あげく、実在する夏侯覇とは無関係などと根拠のないこと書いてる。
この人じゃないけど、ゲーム中での扱いなんか百科事典に書くなよと思ったりした。
同一人物でいいんだろうけど、さも自分で新事実を発見したように
「判明」とか書いてるのが可笑しい
○×人名事典や訳書しか読まない(読めない)上に
愚にも付かん間違いばかりなのに集解を使いこなせるかが疑問
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 12:15:13 ID:KSV4N2lVO
集解が引く誰の説とか書の題名とか書かないなら意味がないと思うんだが
この場合はそもそも集解の名を出す必要がないみたいだけどな
呉匡の項、「囁かされて」って何だよ・・・。
たぶん「唆(そそのか)されて」って書きたかったんだろうが、
この特異な言語感覚、やはりルーツバカの仕業か?
て言うか、「呉匡を唆して何苗を殺させた犯人は袁紹」って説、
これ、陳翁の『秘本三国志』あたりがソースなんじゃないのか?
呉匡のささやかされて君も、光武帝の兄を劉喜としたおバカさんも、どっちもまごうことなきルーツ君です
>>952 >この特異な言語感覚
おそらくルーツ君、あんま偏差値の高くない
文系アスペルガーなんじゃないのかなぁ・・・。
官渡や夷陵の人数いじり続けてる奴は何がしたいんだ
袁紹は主力を分散させたくなかったとか自分で書いて引っ込めてるし
なんかわざわざ新旧暦とかいれてまで曹操とかの死亡年月日書いてる人いるね
この調子でいった場合、魏は曹叡のときに暦改めて1月ふっ飛ばしてるわけなんだが、この辺ちゃんとなるんだよね?
次スレの季節かな
テンプレにはルーツ君のことでも入れとくか
あいつ(ら)の尻拭いだけがここの目的じゃないんでどうだろう
中研院とか中文ウィキソースみたいな漢籍サイトはテンプレ入りかな
大抵の人には今さらかも知れんし底本との異同も気になるけど
日付を執拗に入れようとする人はナニを思ってやっているんでしょう。
しかも西暦しか書かずに日付だけ旧暦だったりするから訳が分からない。
ちくま三国志を日付の根拠にしてる所は
ちくま三国志自体が暦の新旧を考慮してないとか?
持ってないから分からんけど・・・
>>946、
>>948-951 胡軫の項を書いた者です。
確かに先走りすぎな書き方で申し訳ありません。
修正を施しますので、さらにご批判いただければ幸いです。
>>961 いや、なにも別人の可能性を示唆してるわけじゃないのね。
集解が同一人物の証明をしてるわけじゃないのに
「集解により」と書くのはおかしいんじゃないのっつーだけのことです。
ルーツ君をテンプレにいれるのは俺も反対。
ルーツ君のことはあくまで仕方なくやっているだけだから。
テンプレはとりあえず二十五史の原文にリンクかな。
[[三国志]]
何じゃこりゃ。
[[三国志]]か
ウィキペディアの歴史記事が存在するためには
圧倒的多数の一般人の前に涙ぐましい妥協をしなきゃいけない
いい見本だな
次スレたつまでは膠着状態がつづきそうだな
>>936を見て献帝と丹波哲郎を相互リンクする奴が現れないか心配になってきた
前にも書いたけど、[[漢代の人物]]に[[三国志の登場人物]]大杉
後漢末にいたからって誰でも彼でも漢代の人物に入れるのはどうなのよ
10年ぐらい前の何でも鑑定団で丹波哲郎がお宝を持ってきたついでに
家系図を公開した事があったが、献帝を堂々と始祖に挙げていた
当時厨か高校生だったおれは驚きはしたがそれなりに信じた
当時ウィキぺディアがあれば恐らく献帝と丹波哲郎が相互リンクされただろう
というか、おれがリンク張ったかも知れん
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 02:05:39 ID:kB6rRKJw0
>>971 その驚きを悪い意味で忘れずにいるのがルーツ君なんだろうな
>>970の件は漢代と三国を振り分ける基準でも作った方がいいんかな
たとえば「お」
王威 三国
王允 三国
王温舒 前漢
王嘉 前漢
王楷 三国
王匡 三国
王子服 三国
王修 三国
王充 後漢
王昌 (後漢) 三国
王昭君 前漢
王覇 後漢
王方 三国
王鳳 前漢
王莽 前漢(新)
王梁 後漢
於仇賁 後漢
後漢末、つまり実質三国時代の人物が多すぎだよ
しかも王威とか王修とかは漢代の人物にいらないだろ
王匡なんて後漢末の人物よりずっと重要な新の王匡と誤解されかねない
たとえば後漢末群雄の配下程度の人物は[[三国志の登場人物]]だけにして[[漢代の人物]]は外すとかしてほしいものだ
明確な基準は考えないといけないんだろうけど
三国志の登場人物のカテは架空人物有りだからややこしい
王匡に重要度に差があるなら「(後漢)」つきに移動すればよさそう
>>974 『後漢書』に記載が無い人物の場合は、「漢代の人物」カテゴリー削除として、
私が以前編集したことがある数十記事は、処置しておきました。
どうも、申し訳ありませんでした。
後漢書に載ってるかが基準なら変な事も起こる訳よ
例えば黄巾の韓忠なんか後漢末群雄の配下程度以下の存在だと思うし
三国志の登場人物にカテゴライズするだけで足りるはずだけど
後漢書に載ってるから漢代の人物になってしまう
全然関係ない話だが演義の手下八部を湖南文山は
「馬超が旗本に八人の大将あり」て訳してるんだね
旗本は吉川三国志が初出じゃなかった
案
1後漢書に立伝されてるか、後漢書の方がその人物について詳しい:(例)呂布、審配
2後漢末の群雄である:韓遂、張燕、張魯
3後漢末の朝廷の高官(三公九卿や州牧、四方将軍クラス)に登った:董昭、華キン
このどれかに該当すれば漢代の人物にも含む
1群雄の配下である:紀霊、王威、楽進
2後漢末に小規模な反乱をおこしただけで独立した勢力を保てなかった:侯音、魏フウ
このあたりは三国時代の人物だけにしてほしい
まずはこの案をたたき台にしてもらえるとありがたい
[[Category‐ノート:漢代の人物]]で意見を集めた方がいいかな
日本史の[[Category:幕末]]みたいな隔離カテが必要ってことかな
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 02:21:54 ID:NxPsOcrTO
三国志の登場人物って隔離カテゴリーでしょ?それでいいんだよ
実在の人物と架空の人物のちゃんぽんカテだから
実在した人用にもう一ついる
>>980 てか、それで解決じゃね?
ただ「三国時代の人物」じゃなくて「三国志の登場人物」ね
>>984 歴史上の(著名な)三国時代の人物は、
魏晋南北朝の人物に入れれば良し
987 :
ルーツ君:2007/11/30(金) 02:41:21 ID:dA/1ZWrP0
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 12:17:47 ID:RSS+P/LwO
一説にはスレ立て乙と囁かされている
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 18:10:25 ID:8JGRF9zO0
2 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2007/11/30(金) 03:38:27 ID:lS5srTVg0
初代スレを立てた者として、2スレ目の誕生は感慨深い。
最近、Wikiの編集からは離れていた……
[[諸葛亮]]
>なお、しばしば日本のネット上などでは『襄陽記』に息子の諸葛懐、娘の諸葛果がいたとする記事が見受けられるが、
>実際には『襄陽記』にそのような記述はない。この二人の名前は清の張澍が記した『諸葛忠武侯文集』の文中で「『襄陽記』によると」と言う表現で登場しており、2007年現在調査できる資料の上では清の時代に突然現れた名前である。
だったら最初からそんな記述は必要ない。というか「2007年現在調査できる資料の上」なんて良く断言できるなおい。
うめとく
「日本のネット上で〜」って・・・
ほとんどはWikipediaが元だろ。
しょうもない注釈つけるくらいなら、元の記事の削除をすべきだな。
[[孫休]]
陵墓が定陵じゃなくて宣陵になっているのは
何か根拠があるのかいな?