1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
魏朝の武帝曹操についてあれこれ語れ。
曹操なら、スレがあってもいいな。
中国史全体を見通しても外せない人物だし。
うまい酒の醸造法を秦上したり詩を詠ませたら最高だったり。
まさに東洋のダ・ヴィンチだな。
そうかな?
三国志においてなら主要人物の一人かもしれないが
中国史全体で見ると諸葛孔明、関羽雲長の名に及ばない気がする。
孫子と孟徳新書って、関係あったのですか?
事実だろ。
君主としてなら天下統一も果たせていない中途半端な存在。
後世への影響力も諸葛亮、関羽には遠く及ばない。
三国志の時代だけは特別だった。
なんて考えてるのは三国志しか知らない人間がよくいう台詞。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 19:34:39 ID:iACSOyOMO
関羽や諸葛亮が後世に与えた影響って例えばどんなの?
なるほど、名に及ばないという話ね。
人物ではなく後世の知名度。
>>8 諸葛亮の唱えた「天下三分の計」は後世の軍師が状況も弁えず実戦しようとしたほど。
関羽の影響力はもはや圧倒的。
関羽の出身地から商業者が神として崇めたのを皮切りにその影響が次々と伝播、ついには道教でも指折りの高位神となって崇められるほど。
仏教においては、道教よりも早い時期に彼を菩薩して崇めた。
彼らの影響力に立ち並ぶほどの君主といえばやはり最低条件で「天下統一」の偉業を果たしてることが条件なんじゃないか?
確か『聊斎志異』に、
天帝の罰を受け、犬に生まれ変わった曹操の出てくる話があったよな。
天下三分の計の元々の発案者は孔明じゃないだろ
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:34:53 ID:CIRw166c0
曹操が徐州で大虐殺をして孔明が劉備に仕えることになった。
曹操が捕虜にした関羽を劉備に帰してやったため関羽は義の人と呼ばれるようになった。
だから曹操はこの2人が神にになった影の立役者。
徐州大虐殺って実際はどれぐらいの規模だったんだろうね。
>>5 孟徳新書は魏武帝註孫子の事だと思われる。
曹操が孫子に注をつけたもんだな。
>>15 違うと思う。
孟徳新書は焼き捨てたんだべ?
いま書店で買える孫子は曹操の注釈が入ってるじゃないか。
いや、そういうことじゃなくて…
曹操が孫子に注を付けた事を、孟徳新書のエピソードにしたんだろうって事。
>>14 中国史全体から見たら、それほどの虐殺とはいえないかもね
項羽の大虐殺の方が曹操より上かもな。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 23:42:45 ID:/owm887r0
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 03:11:55 ID:xFgkzvfVO
映画ヒーローに出てた始皇帝を思い浮かべてしまう
諸葛亮は現在も過去も中国ではたいした扱いじゃあない。実際天下三分も本人の発案でもなく、
生前に失敗した策だしな。
関羽の場合は生前の功績というより死後のことだろ。
一方の曹操は、政治軍事詩音楽文芸にまで才を発揮し、それぞれの中国における歴史を語る上で
外せない人物。
それこそ後世に与えた影響力が違うよ。
曹操の死んだ長男、生きていたらどんな感じだっただろうね。
妾腹だし、後継者問題がややこしくなったかもな
>>23 曹操は悪玉としての知名度なんだが
>>23 蒼天厨の妄想がここまで酷いとは思わなかった・・・。
孔融と悶着起こすあの場面に洗脳されまくってるな。
それに政治的影響力に関しら始皇帝の方が上だろ。
あの人も悪行ばかりが目立ってるがしっかりと
国を統治するための基盤を考えた聡明な部分も備わってる。
うん。で、曹操を語るのはいいのよ。全然いい。
まぁさ。俺も曹操は嫌いではない。ただ……
何 故 そ こ で 袁 紹 が 出 て こ な い
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 23:52:41 ID:2KVJZBJD0
曹操はいい奴、善人
>>26 最も中国史に影響を与えた人物とは言ってないし、始皇帝なんて話題にしてないんだから問題ないだろ
よし、それでは政治、軍事、詩、音楽、文芸にどのような影響を与えたか語ってもらおう!
特に音楽のあたり。
煽りじゃなく本気で。
>>26 所詮三国志の中での有名人物にすぎないんだよ、曹操は。
中国史全体から見たら少し個性的な地方君主の一人という程度。
まあ、こんなスレは三戦板で立てろってことだ。
三国志の枠を超えないような奴をいちいち此処で話し合うこともないだろ。
音楽といえば李イクだな
魏志倭人伝って、曹操の頃?
正式には魏書東夷伝。
倭から使者が来たのは曹丕の時。
曹叡のころじゃないの?
237年だから曹叡の時だな
曹操はかなり好きで中国史規模で話しても良いと思うが
天下統一してないのが痛い
以下妄想
知名度は
孔明>関羽>曹操
能力は
曹操>>>>>>>>>>>>>>>>>ry
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:55:22 ID:fq83ccApO
曹操は仮に詩だけでも名を残したよ
天下統一できていれば文句なしだったのにな。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 01:05:56 ID:jKWmQNEb0
徐州大虐殺の時点で統一は無理。
それは儒教道徳的な見方だね
>>40 あの程度の虐殺、中国の戦乱期ではそう珍しくないのでは?
天下統一の可否とはあまり関係ないように思う。
スタートにもそこそこ恵まれ、寿命が短かったワケでもないのに統一できなかった
何ゆえかね?
才能がなかった。というしかないな。
そもそも、曹操はそこまでの大物じゃない。
中国史全体から見れば中の中程度。
曹操が作った制度は後々まで採用されたけどな
まあ、その程度だから中の中。
抽象的な表現ばっかだなw
>>44 それこそ育ちが良かったからじゃないか?
後漢貴族社会で育った曹操は、結局既存のものを否定しながらも
抜本的な改革は出来ず、妥協しながら進んでいった
何か新しいモノを作り出すにはもっとパワーがいるし、もっと一直線に進まなきゃいけないのだけれど
若い頃から中央政界に居たコトと、多才な才能を有したコトが結果的に足かせになったと
東晋の恒温も同じような印章をうける
天下統一するには程よく中央から離れてるコトと、兎に角統一を先に考える強いバイタリティが必要だったと
しかし後漢の末期の乱以降、そんなに長期に安定した統一国家の時代というのは、
しばらく無いような気もするが。時代の大きな流れからして、統一が難しかったのかもしれん。
いや、時代の流れから言えば五胡の台頭は必然だが
五胡が中原に流れて来たのは、完璧に中原の自滅によるものだと思う
五胡は曹操の政策によって内地に引き入れられた故に、中原指向を持つに至ったが
だからこそ、中原がしっかりとした国家体制であれば中原に入って国家を作るとまでは考えなかった筈
中原の外に一つの国家を作っていたと思われる(取り敢えず、匈奴と鮮卑、巴にテイの半自治区)
後漢貴族社会で育った限界か…
個人的にはそんな意見は初めて見たな。参考になるよ
>>49 まあ、パワーと言えば、朱元璋なんかの方が圧倒的にパワーがあっただろうね。
パワーとは言っても、どの方向へ使うかにもよるだろうけど。
>>49 他に中国を統一した政権は、隋の楊氏も唐の李氏も宋の趙氏も、貴族とまでは
いわんが社会の上層階級の出だが。後漢の劉氏もそうだね。
で、曹操が貴族社会出だからなんだって?
唐の李氏は八柱国の家柄だけど
本拠は晋にあったろ?楊氏や劉氏にも同じコトが言えて、基盤となる軍事力を中央以外に持ってた
趙氏は五代の軍事閥の中で台頭した家だし
一方の曹家は三代前が宦官として権勢を握ったことから力を得た
つまり基盤となる軍事力を持たず、中央政界、もっと言えば皇帝権力にぶら下がるコトで基盤を得た
これが主な違い
>>55 んなこといったら、曹氏の本拠だって中央以外の豪族だ。
曹氏はもとからして豪族(ただし規模は小さかったようだが)。例えば袁氏のように、
立身する以前は貧家だったなんてわけではないよ。
規模が小さいんじゃやっぱ李氏や劉氏と比べられないジャン
つーか曹操も袁紹もその意味じゃ元から軍事力を持ってなかったんだけどな
この二人は後漢末じゃ自力で勢力を切り開いたんだし
元手は中央での名声とか財力とかだけど
公孫サン、袁術、劉表、孫堅、劉焉などは後漢末の動乱の時点で
実動員力を持っていたという点に於いては二人よりリードしていた
曹操、袁紹は反面、中央への繋がりや政治力において他者をリードしてたから
反董同盟における中心人物足りえた
それこそ二人の貴重な財産であり、それを手形に人材や兵力を集めたわけだが
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:39:28 ID:Z+3QIUdNO
確か貝塚茂樹氏だったと思うけど曹操が統一を達成していれば
安定した長命王朝が成立していただろうって言ってたなあ
どうだろ?
むしろ曹丕が長生きしなきゃダメだと思うが
んで曹叡は早死にしないとな。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:06:28 ID:aa83NeyM0
統一を達成しても、その後の余命はあまりないし、
安定した政権基盤を作るのは難しいのでは?
曹操と司馬懿は政権奪取のやり口が似ているけど、司馬懿の方がずっと慎重。
曹操も結構姑息だけど、司馬懿ぐらい狡猾さが無いと乱世の姦雄と呼べない気がする。
曹操は魏の事実上の創始者と言えるけど
司馬懿の場合、晋の事実上の創始者とは呼べん
土台を築いたとはいえるが
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 06:04:32 ID:xlFKxEyi0
司馬懿はあくまで魏王朝内で最大の権臣にのし上がっただけだからな
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 11:07:03 ID:6ntpcs0pO
曹操によって統一が達成されれば軍事力はいずれ削減されるだろうし一人の家臣が絶大な権力や兵権を握るという異常事態は起こらないと思うけど。
で劉渕にアボン
>>63 たった45年しか続かなかった王朝をそこまで称えんでも・・・。
>>63 確かにそんな感じがするね。
晋の事実上の創始者は師・昭じゃないかな。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 20:55:09 ID:O59vmOA50
中国史学者の碩学、故宮崎市定博士は著書の中で中国は分裂傾向の時代と
統一へ向かう傾向の時代があると説いておられる。
まさに後漢末は分裂傾向の時代で曹操ならずとも統一には難しい時代であったと思われる。
また、曹操の兵力は中国伝統の歩兵であり、戦術で勝利するタイプであった。
そう考えるならば曹操のかわりに明の洪武帝であったとしても前漢の光武帝であったとしても
統一は困難であったと思う。
曹操は中国史上はずせない人物。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:11:49 ID:W2LnvDKrO
前漢の光武帝と言ってる段階で論じる価値なし
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:13:16 ID:O59vmOA50
血統と運と世渡りの上手さを持った光武帝や
野心と知力、時の運、大胆さと慎重さを併せ持つ洪武帝に較べると
曹操はどうしても小物。較べる相手を間違っている。
光武帝に運があるとは思えない
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:03:51 ID:ey5SslPaO
血統も大していいほうじゃないし
世渡りも上手というほどでもないしねぇ
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 05:45:30 ID:p7PhN3cO0
曹操は自前の地盤も持ってなくて、門生・故吏もいなかった曹操が
台頭したのはまず第一に曹操の知力・行動力のおかげ。
せきろくは曹操のこと悪く言ってるが曹操がたぐいまれな
人物であったことは確か。
曹操の一門衆はものすごく人材が揃っているだろ。
譜代の家臣は関羽と張飛だけで地縁血縁も皆無な劉備に比べたら恵まれすぎ。
分かりました。ある板の住人には、ちょっと申し訳ないですが、「三国志の
枠」の中で武将スレを立てて語ることの違いと「英雄の枠」の中で武将スレ
を立てて語ることの違いを具体的にお見せしましょう。
【治世の能吏】 曹操 【乱世の姦雄】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163313500/これが「英雄の枠」の中でしか語れないスレです。
三戦に行って「曹操」で検索して、このようなスレがあるかどうか確かめて
みて下さい。違いは一目瞭然です。
そして、三戦でも立てられると思ったら立ててみて下さい。
絶対に同じようなスレにはなりません。
何故なら、あちらでは「英雄の枠」としては三国志の武将は語れないからです。
必要があれば、その理由も言いますが、この「英雄の枠」として語らたスレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163313500/ まで専門板があるからといって排除していいのでしょうか?
排除され他に移った場合、特にそのスレに関しては、確実に「英雄の枠」と
しては語られなくなり「三国志の枠」として語られるようになります。
この二つが異質であることを、実際に三戦板の武将スレを見て、分かって下
さい。そして、「中国英雄板」から良スレを消さない為、そして増やす為、
板の利益を損なうような規制や制限は、是非とも思い留まってください。
さぁ誤爆と認めろ。
これが誤爆でないなら只の愉快犯と思う
失礼も何も、三戦板からの移住者が殆どじゃないの
>>77 一門衆を取りまとめたのも、一門から指導者と認められたのも曹操のちからだろ。
例えば曹仁なんかは最初は曹操に従わずに独自行動を行っていた。
劉備が一門の協力を得られなかったのは当人のせいだろうに。それから、劉備は
一門の援助は得られなかったが、侠社会の後援と商人の援助を受けている。全く
無援からのスタートなわけではない。特に馬商人鉄商人の支援って、これ現代で
例えれば軍需産業の支援を受けたようなもの。
曹操は西園八校尉であったことが後々美味しく響いてる気がするが
地方商人と中央の名門を同等だと主張されても…
別に同等だなんて主張してませんが。日本語読めてる?
人に日本語の読解力を問う前に、自分の文章を見直そうな
曹操が劉備より恵まれた環境にいたのは事実
>>82 劉備の一門衆に、曹操一門程の人材がいたとは思えんのだが…。
夏侯氏は元々上流階級だし、教育を受ける環境が劉備一門とは段違い。
それゆえに有能な人材も多く排出でき、その一門の力を曹操は最大限利用できただろうし。
つまり劉備がいくら努力して一門の協力を得たとしても、
曹操一門には及ぶべくもない、と言いたかった。
>>87 曹嵩の実家とされる夏侯氏は名門とは思えないが、曹氏は当時かなりの権門で財力も相当なもの
曹操は例えたら
祖父は政界の黒幕
父は大臣経験者
一族も政界財界の有力者揃い
劉備は田舎町では顔役の町会議員の孫がいいとこ
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:29:04 ID:p7PhN3cO0
>>89 曹操の祖父は宦官だろ。
その宦官の巨万の富で曹操の父に売官で大尉の位を買った。
その一族の正解財界の有力者とやらをあげてくれよ。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 21:06:11 ID:Y3ddZrgNO
例え話にそんな噛みつき方されるとは思わなかったよ
>>91 まぁまぁ。 話のわからんヤツもいるさ。
曹操の出発点は、劉備なぞに比べたらかなり上であるのは間違いないと思うのだが、
>>76>>90の人は、そうでなく曹操個人の資質のゆえんと言いたいらしい。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 22:15:02 ID:p7PhN3cO0
>>92 官位の出発点は曹操が断然上だけど、劉備だって
陶謙から徐州太守の後継人になっていただろう。
徐州は「州」だったら牧と言うべきか刺史というべきか?
ともかくもだ。
曹操にしたって軍事基盤なんてなかったんだよ。
その点は劉備と同じ。
軍事基盤が無くても
有力な友人も金も優秀な親族もいた曹操
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 22:42:55 ID:p7PhN3cO0
>>94 その有力な友人と優秀な親族とやらを名前上げてくれるかな?
それが恵まれていても劉備みたいな人物だと曹操みたいには中原に
覇を唱えることは出来なかっただろうな。
個人的な能力に結局は行き着くんだよ。
曹操には爆裂団、劉備だって鬼嚢って基盤があったんだぞ!
蒼天厨のまねをしてみるテスト
曹操は私財なげうって私兵を集めてる
自前の軍事的基盤があるじゃないか
資産の規模が違いすぎるわな
同じ私兵持ちでも劉備が刺史になるまでどれだけかかったか
…あと正直「徐州太守」は恥ずかしい
なんか可哀想になってきたよ
>>94 有力な友人 張? 袁紹 鮑信 など
優秀な親族 曹仁 夏侯淵 夏侯惇 曹洪など
劉備には、商人の張世平と蘇双くらいしかいなかったのかな?
>>90 曹嵩は確かに宦官だが、清流士大夫にも聞こえた人傑でもある。
正史でも彼のコネが若い曹操を救った。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 20:54:10 ID:e57J0lPc0
>>99 で、地盤の軍事組織、兵力はどうやったんだ?
曹操のみならず各太守・牧の実力が問われる所だぞ。
曹操と劉備じゃスタートで大きな差があるなんてわかりきったことだと思ってたけど、
そうじゃないと思ってる人もいたってことなんかな
協力者や財力やらよりも、門地やコネが大きくモンをいう時代のはずなのに…
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 22:49:48 ID:e57J0lPc0
>>103 劉備と曹操のスタート地点の違いなんて分かり切っている上で言ってるんだよ。
曹操はいわゆる命官の父親ではあったが売官であったため自分の幕府をもってなかった。
命官の特権である属吏の任命、「へきしょう」ができなかったんだから門生もいなかった。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 22:59:03 ID:wdXM6Oqh0
劉備と曹操を比べるのはいいけど、たまには孫堅の事も思い出してください。(´・ω・`)
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 23:08:32 ID:tFcpSSIHO
門生故吏関係がそこまで大きなウェイト占めてるなら、陰脩が天下取ってるよ
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 23:26:41 ID:e57J0lPc0
>>106 門生故吏関係はこの時代は非常に大きい。
役人にも三種類あって、皇帝から直々に任命される「命官」。
命官から「へきしょう」によって個人的に資質を認められて役人になる
「属吏」。現地採用で後のショリの元となる郷官があった。
また序列として「秩」と言う序列もあった。
トウタクが首都を占領したのも軍事的背景があったから。
当時、太守でも牧でもなかった曹操は自前で軍事的組織を作らねばならなかった。
また、三公で門生故吏関係で有名な袁一族の方が曹操よりもスタート地点は高かった。
それでも袁一族は曹操に滅ぼされる。
やはり、曹操の軍事的才能が一番大きかったのだろう。
軍事組織を最初から持ってたなんて誰も言ってないのに
曹操が持ってた軍事組織を上げろとか言う奴がいる件について
>>107 門生故吏関係が極めて大きいと言ってるが、門生故吏関係の無い曹操が袁紹に勝ったということは、門生故吏なんて乱世ではそれほど大きな影響でもなかったんじゃないのか?
曹操最強という結論ありきで語るから矛盾に気付かないのか?
あと、買官だと三公も府を開けなかったというソースきぼん
だいたい「幕府」は将軍の府なので三公の府には当たらないので使い方を間違えているが
>>103 誰もそんなこと言っていないと、以前から言われているだろうに。
そりゃあただ比べれば曹操>劉備なのは当然。しかし曹操は言われるほど恵まれていた
わけでもないし、劉備も演義で言われるほど無力徒手空拳から身を起こした訳ではない。
ただそれだけだ。
さらに言えば、途中では並んでいたこともある。むしろ曹操が呂布に本拠を奪われて苦闘
していた時期に劉備は徐州を手に入れていたのだから、見方によっては逆転したとも言える。
そこから再逆転されて引き離されたのは、結局劉備の問題でしょうに。
まあ本来そんな比較論は無意味なんだけどね。中国で皇帝にまでなりあがった人物は大なり
小なり大抵は裕福な階級出身で、洪武帝のように本当に無一文からのし上がった方がはるかに
少ない、というか皆無。曹操が恵まれていたからといって、「たいした存在じゃない」なんて
過少評価する理由にはならない。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 02:24:10 ID:MALIB1NN0
さあつっこみどうぞ↓
曹操がたいしたことないなんて誰が言ってるんだ?
劉備より恵まれたスタート地点だったのは確かだがそれで曹操の築いた勢力、政治文化に
与えた多大なる影響を否定する奴なんていねえだろ
113 :
曹操:2006/12/02(土) 05:43:44 ID:iUqCYUEZO
おれのために争うのはもうやめてっ!
114 :
朝鮮:2006/12/02(土) 05:53:09 ID:nBTiamG7O
黙れハゲ
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 09:27:31 ID:bQXJD6gU0
>>110 後趙皇帝石勒は?
栄皇帝劉裕は?
後梁皇帝朱全忠は?
漢高祖劉邦を忘れてもらっちゃ困る
えーと、発端は
>>76か?
「基盤も財力もコネも関係ねぇ!個人の資質だけでいいんだよ!」
と言うことか。
それを言ってしまったら、統一出来なかったことが曹操の能力の限界、
という結論になってしまうが、その辺はどう考えてるんだろ?
まさか「蜀、呉にも優秀な人物がいたから」とか言い出さないよねぇ?
散々劉備をこき下ろしてるんだから。
地盤もないのに自費で数千人程度の小軍閥を編成できるだけの財力を持ち、
曹操を評価した橋玄は曹騰の人脈に繋がる人物なのだから、
金もコネもずいぶん恵まれてるよ。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 16:17:59 ID:QJyppoCv0
>>117 宮崎市定氏もいってるが、中国史上は分裂の時代と統一の時代。
後漢末からはまさに分裂の時代の始まりだ。
大きな目に見えない分裂の潮流の中、個人の能力ではいかんともしがたい時代のせいで
曹操は統一に失敗したのだ。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 16:48:17 ID:KguBPMgSO
>>110 ある時点だけ取り出して並んだように見えても、背景にあるものが違いすぎるから、劉備が徐州を領した時のことを引き合いに出すのはどうかと思うが…
それに後のレスにもあるように曹操は劉備と比較するまでもなく恵まれてるよ、天下を争う者として
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 17:13:27 ID:QJyppoCv0
>>120 恵まれてはいても、曹操以上に恵まれていた袁紹に勝つんだから、曹操個人の力量がすごいと
素直に認めろよ。カス。ぺっ。
なんか変なの沸いてるなぁ…
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 17:21:08 ID:KguBPMgSO
>>119 時代の流れの存在は否定しないが、
ここでそれを言うと「袁紹が道半ばで負けて天下統一できなかったのは分裂の時代だったから」となるが…
曹操を称えるという目的ありきで都合のよい部分だけ取り出してくるのはやめなよ
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 17:41:53 ID:QJyppoCv0
>>123 そうはならないだろう。
名門袁氏は中央政界から逃げ帰って地元に戻ってきたが
そこで、門生をおそれるトウタクから太守の位を授けされる。
さらに太守・牧を4つ兼ねる大勢力に成長した。
それでも、いち早く後漢皇帝を曹操は自分の根拠地の許に
呼び寄せて、大義名分をもった。
エンショウでは能力的に曹操の敵ではなかった。
また江南地方は孫氏の基盤となったが、未だ未開で
山越などという異民族の侵略の方が曹操の圧力よりも
危なかったとも言える。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 18:02:04 ID:KguBPMgSO
そのレス前半から「袁紹では能力的に曹操の敵ではなかった」という結論に至るのが全く理解できない。
あと前半が袁紹のことを言ってるなら、袁紹は董卓の時に冀州に逃げたのであって地元には逃げてない。
俺では能力的に貴方の敵ではないらしいので、貴方はもうこのスレに来なくていいです。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 18:24:29 ID:yqW2FEfP0
ううああああ
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 18:28:00 ID:bQXJD6gU0
>>121 120は別に曹操の実力が無いとは言ってないじゃん。
天下を争う者として、恵まれてるよと書いてあるだけだ。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 18:40:21 ID:QJyppoCv0
>>127 曹操以上に恵まれていたのはエンショウもそうだしエンジュツもそうだし
荊州の劉表なんて恵まれまくってるぞ。コウユウもそうだし。
でも、結局は能力の差で曹操が勝ち残るんだ。
三国志あんま詳しくなくてすまんが、袁紹が死んで内部分裂したから、曹操が黄河を越えられたんじゃないのか?
時系列的にどうなの? 曹操は袁紹と激突したのか、それとも決戦は避けていたのか? そこのところがイマイチ知らない。演義では官渡の戦いが大々的ではあるようだけど…
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 20:00:49 ID:bQXJD6gU0
んな事言ったら、孫一族はどうなうのさ!
堅パパなんて劉備以下の環境からのスタートだぞ!
>>119 「時代のせい」に逃げるのか…
アレもコレも時代が悪いのさ〜って?
説得力の欠片もないな。
誰も曹操が無能と言ってるわけじゃなかろうに。
>>130 堅のお父ちゃんは結局ただの軍人で終わったじゃん。
地盤も無しで。
地盤てのが何を指してるのかはっきりせんが、孫堅は自分の兵をちゃんと遺しているじゃないか
織田信長の桶狭間みたいなものが曹操にもあったのだろうか
>>133 領土の事だよ。
ていうか、孫堅の兵は袁術に吸収されちゃってるだろ。
孫策が出仕してもなかなか返してもらえなかったし、
玉璽と交換でようやく返ってきたと思ったら1000人だけ。
譜代の有能な家臣は確かに財産だけどさ。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 00:13:05 ID:U8A2p6Bk0
まぁ堅ガ過大評価されてる点は同意しとこう
策に関しては画竜点睛を欠いた人生なのでなんとも
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 00:58:06 ID:K3j/CdUKO
玉璽と交換って三国志のどこに載ってたかな?
袁術が孫策に返した千人は、孫堅が死んだ後に甥の孫賁が率いた兵の残り。
孫賁の率いた兵も後にちゃんと孫策に合流してるから、袁術に吸収されたというのは誤りだな。
孫堅は死んでも彼の一族は袁術政権の中で一定の地位を得ており、これが孫策の挙兵にもプラスに働いている。
孫堅は華雄を討ち取って呂布を撤退に追い込んで、虎牢関(水関)を抜いて
独力で董卓を洛陽から追っ払ってるんだし、評価してもいいんでないか。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 15:41:38 ID:rm5pkE0d0
>>140 それ史実じゃないから。
三国志演義の脚色w
>>141 >それ史実じゃないから。
>三国志演義の脚色
孫堅は胡軫を討ち取るも袁紹によって食料を絶たれしまい、華雄に大敗した。
後に洛陽で玉璽を奪い、袁紹に破れ逃げ戻ったから評価されないんでないか。
・・・まあ、釣りだろうがな。釣られる方も釣られる方だが・・・
ちなみに虎牢関は三国時代には存在しなかったらしい
虎牢という地名はあったらしいけど
それから孫堅はその時は袁術の配下ね。
同時に洛陽も一番乗り。
多分、華雄を討ち取ったのは程普じゃないかと思うけど・・・
孫堅が長生きしていたらどうなってたんだろ?
孫策の場合その手のifは結構語られるけど
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 17:42:24 ID:rm5pkE0d0
>>144 華雄自体が史実上の人物じゃなくて
三国志演義のフィクションの人物なんだがな。
>>146 堅復相收兵、合戰於陽人、大破卓軍、梟其都督【華雄】等。(孫破虜伝)
>>147 そうそう。
それから、華雄は「三国志集解」では、正しくは葉雄で字は雄起だとか。
その葉雄を討ち取ったのは程普以外に黄蓋・韓当・朱治あたりも考えられるね。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 18:50:03 ID:U8A2p6Bk0
ID:rm5pkE0d0 は何なんだ?正史否定派なのか?
解らん…俺の記憶では、演義だと関羽が華雄を討ち取ったような…
>>138 蒼天ではそんな感じだったな
正史も演義も覚えてないが
もしかして列伝がなければ実在しないと考えているのか?
後漢書には「華雄」はないようで、三国志呉書の孫破虜討逆伝に
>>147のがあるのみみたい。
正史の記述だって結構間違いがあるからな。
むむぅ・・・
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 20:06:51 ID:rm5pkE0d0
>>149 いんや、俺は正史皇帝派。
俺の記憶違いだったな、華雄の件は。
>>151 俺の専門は後漢時代だった。特にトウケンの外戚時代。
後漢末は範囲外なのだ。
しかし、列伝がないと実在しないとは全く考えてないよ。
歴史の教科書では曹操の存在感ほとんどないな
曹丕の方が著名だ
やっぱ初代皇帝の肩書きはでかいな
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 20:21:33 ID:rm5pkE0d0
>>155 まぁ、歴史の教科書ではセキロクや劉裕すらのらないからな。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 20:30:41 ID:K3j/CdUKO
歴史の教科書に本当に必要なのは「どんな時代だったか」であって人名じゃないからな
後世の教科書に出てくるほどの知名度もなく
演義という物語の悪役に成り下がった人物、曹操孟徳・・・あわれよのう
>>155 後に繋がる制度作りということでは曹丕はかなりの業績残してるよな。
劉裕は土断法で載ってない?
劉裕は南朝の君主の中で唯一載ってたような。
教科書で習った九品中正法が陳羣の発案なんてコーエーの武将事典見るまで知らんかったよ
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 23:06:37 ID:XThKWEb00
>>157 西洋史だけは人名や細かい事件まで出てくる
世界史は西洋史とその他の地域史
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 09:06:31 ID:+6GPF9id0
>>162 九品中正法ってw
宮崎市定氏の「九品官人法の研究」読んだのか?
>>161 土断で少し出てくるね
>>165 宮崎先生の「大唐帝国」では
「九品官人法は宋代以後、普通に九品中正と称せられ、九品中正制度という名の書物や研究も
多く発表されたが、本来の名称にしたがって九品官人法と呼ぶほうが適当である」
とあるな
それつながりで質問なんだけど九品官人法って結局は後、南朝貴族政治の温床みたいになったけど
俗に五胡といわれる北朝側でもこの制度は生きてたのかな?
北魏なんかは曹魏の後継者を意識してたようだけど官吏登用システムも引き継いだのだろうか
詳しい人教えてください
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 14:42:41 ID:+6GPF9id0
>>166 北朝については忘れたが、宮崎さんの講談社学術文庫から出ている
「九品官人法の研究」に解説があるはず。
これには「漢代制度一班」と題されて、漢代の官吏登用法も詳しい。
絶版らしいがあるとこにはあるだろう。
また、宮崎市定全集が大きな図書館なら絶対にあるからそれでみてみろ。
誰だよそれ
九品中正法で何がおかしい?教科書に載ってるんだけど
インテリぶられても困るな
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 05:40:28 ID:acH/Dh+I0
>>168 おまえ、まさか。。。
宮崎市定博士知らないのか?
唖然。。。。
知るかよハゲw
そんなに尊敬してるなら師事でもしてろwww
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 05:56:14 ID:acH/Dh+I0
>>170 クズに教えてやるか。
戦後最高の中国史学者。
故人。京都大学名誉教授。
1901年生まれ。
専門は宋代経済史。
それにもかかわらず、一般向けの本もおもしろい。
「科挙」「九品官人法の研究」「雍正帝」など代表作。
とくに九品官人法の研究では他の追随を許さない。
宮崎氏を知らないで曹操語れるバカがいたもんだ。
いや知りたくも無いしw
俺学者でもないし学者志望でもない、一般人だからw
それとも何、一般人は曹操のソの字も語ったら駄目なのか?ん?
てか俺、ソの字も語ってないけどなwwww
さて、無知でクズな俺はゲームでもして糞して寝るかwwwww
おまえは一生小者相手にインテリぶってろハゲwwwwwwwwwwwwww
間違い指摘されただけでファビョッてる厨がいるな
歴ゲー板なら君のレベルにあったお友達がいるからそっちいこうね^^
>>167 >>166で質問した後で調べてみたんだがwikiによると北魏の孝文帝が部分的に取り入れて貴族層の形成を図っている
元々は門地に関係なく官吏を任用するために作られた法なのに皮肉だよなぁ
はいはい、こんな厨にわざわざ忠告あんがとさんw
ここって学問板じゃなくて趣味板だよな?
てか、九品中正法か書いてたの間違ってないてばよ・・・
あとは出版社にでも聞いてくれ!山川の参考書だ!
てか揚げ足取るの上手いなインテリどもはwwww
あんまり小者の相手ばかりしてるとおまえらの器も知れてくるぞwwwwwwww
じゃ!ハゲるなよ!ノシ
あ、そうそう。
曹操のちんぽってなんせんちだったんだろうね?wwwwwwwwwwwwww
じゃ!ハゲるなよ!ノシ
糞して寝るんじゃなかったのかよ
でも自分を小物と名乗ってる姿勢は謙虚だなw
んじゃ、お前も元気でな!ハゲるなよ!ノシ
いや、俺頭使わんからハゲんよw
頭よく使うおまえこそハゲるなよ!ノシ
て、いい加減寝させろや面白すぎて・・・ちんぽ
宮崎市定知らないのは、考察スレでレスするには問題ありすぎ。
著書を読む読まないにかかわらず、歴史に触れる機会があれば名前くらいはみるはず。
そこは謙虚な姿勢で先人の教えを聞くべき。
それが嫌なら、三国無双スレで語ってたほうが波風たたなくていいんじゃないか、>>USrSJt8i0よ。
>>180 頭使っても使わなくてもハゲる奴はハゲるから気をつけろよ!ノシ
>>181の三行目は歴史に興味あるんなら心得ておかないとな
スルーを覚えて欲しい
いちいち反応するから喜ぶのに
なんか伸びてるなと思ったら…
宮崎市定を自分も名前は知っている
でも具体的にどうな研究をされていたかな知らない
それよりも知らないからクズとかバカとか
もう少し受け入れる気持ちはないのか
知らなければ教えてくれればいいじゃない
>>185 だから
>>167で大きな図書館にあるから一度読んでみろって言ってるんじゃない?
それをインテリはどうのとか暴れだしたんだろ
ただ考察スレだから多少は調べるなりしてからじゃないと荒れるもとになるんじゃないか?
まぁ、あんま喧嘩はしないでまったりいこうぜ
調べる努力は必要と思うので大筋了解
ただ知識ない人間にもやさしくしてねというだけなので
お互い謙虚さをもてば、そう荒立たないから。
いかに2chとはいえ、排他的すぎると現実社会での品性も劣化してしまうと、最近ふと思ったり。
自己反省もしつつ次ぎ行ってみよう。
市定知らないのは問題だが
神聖視する必要も無いと思う
まあ、現在刊行されてる本にも名前が出てくるぐらいの人であることには違いないんだけどな
お互い導火線短すぎなのが問題だな。
というかそこまで引っ張るネタなのか?
中国史に於ける英雄のランク的には
中ぐらいというのに異存はないけど、
後世に与えた影響はそこそこ大きいよね。
>>192 例えば?
俺には全く思いつかんので。
仏教や道教の伝達にもカスリもしてないしな。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 21:03:04 ID:Ur4UZfrAO
>>193 孫権に負けて江南勢力の伸長を許したお陰で江南開発が更に進み六朝時代の基礎ができた
かなりの影響
ゴンタ教徒を産んだこと
凄まじい影響
魏武註孫子兵法 あとは文学史上、三曹の存在は抜きに語れない。
ああ、そう言えば魏志倭人伝があるから仏教や道教の伝達に僅かにカスるくらいは影響してると思うよ
どうでもいいけど、別に学者知らなくても語るくらいいいんじゃないの…
ここは院の研究室じゃなくて2chだぞ
知識を持ってることは素晴らしいことだけど、それを他人に強要したり
鼻にかけるようなことはいかんよ、歴史学んでるならそれが分かるはずだろうに
もうその話はいい
俺も学者とか知らないし、ここは趣味板だし、そういう連中は世界史板でやれよと思うが
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 22:13:12 ID:acH/Dh+I0
戦前は白鳥庫吉、内藤湖南、津田左右吉。
戦後は宮崎市定、西嶋定生、仁井田陞。
これくらいの名前は知っていて欲しい。
宮崎先生は日本の中国史学者の中では内藤湖南等と並んで最も著名な方だと思うけど
中国史を学んだことが無いって人は知らなくて当然でしょ。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 22:22:40 ID:acH/Dh+I0
>>201 一般向けの学術書たくさん書いてるよ。
これほど一般向けでありながら史学科の学生が勉強になる本はないよ。
かくいう私も史学科学生だった。
だから、そういう主張が良くないんだってば…
「曹操」について語りましょ?学者さんじゃなくて
「九品官人法」を語る上では宮崎先生は欠かす事のできない人だと思うけど
「曹操」について語るなら川勝義雄先生とかの方が重要だと思う。
石井仁先生を忘れないで
というか、新書とか講談社文庫とか読んでると嫌でも目に入ってくる名前だろう
それこそ趣味のレベルで読む本だし、それらって
いや、全然目にはいらんしw
まあ、インテリかぶれの連中が自分の土壌で話したい気持ちはわからんでもないがなw
俺ら一般人は一般人の立場で自由に語らせてもらうぜwww
ここ趣味板だしなwwww
ところで曹操のちんぽってなんせんちだったの?
209 :
193:2006/12/07(木) 23:45:05 ID:59amBW100
俺のID・・・デブの象徴みたいになってた。
三国志演義が庶民にも広く読まれたのはわかりやすく書かれてたからなんだろうな
インテリ向けに難解な文章で書かれてたら曹操もここまで有名にならんかっただろう
庶民を馬鹿にする無かれ
>>209 ドンマイ
>>210 あなたみたいな人にこそ宮崎市定先生の著作は合うんじゃないかな。
この人の書く本には学者にありがちな堅苦しさがあまりないし、
なにより小説家の方が向いてるんじゃないのと思うぐらい面白い。
俺、職業絵描きだけど曹操語ったらダメなのか?w
資料で三国志とか参考にすることはあるけど、学者の名前を知る必要も無いし興味もない。
純粋に曹操の見た目とか人柄とか語りたいんだけどな。
>>168も
>>169も2chによくいる偏狭な輩だ
いちいち相手にしてたらキリが無い
無視すれ
俺は宮崎といえばハヤオかツトムしかしらんなw
宮崎市定を知る知らないは
言わば民俗学で言うトコの柳田国男を知らないとか
歴史小説家の司馬遼太郎を知らないとか
そういうレベルであって
別にインテリじゃなくても名前だけ耳にした人は大勢いるし
趣味で囓っていれば名前ぐらいは知ってる人がいるのは当然で
「インテリ」と一括りにするほうが偏狭だと思うが
宮崎の話はもういいよ。
>>208 曹操のちんぽがあと1センチ長ければ歴史が変わっていた・・・ことはないかw
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:08:05 ID:NjoMQXft0
無知な豚どもは死ね
宮崎大先生を性犯罪者と同レベルで並べるな
世も世なら禰衡も2ちゃんねるで暗躍していたんだろうか…
>>217 あいつは1人でも面と向かって言える勇気を持っていた。
それもアウェーで、時の最高権力者に対してもだ。
2chネラなんか足元にも及ばんよ。
>>207 川勝氏の「魏晋南北朝」は読んだほうがいいと思うよ?
三国演義か三国無双の曹操の話がしたいなら、相応のスレッドがあると思うから、そこで語るといいけど。
ちなみに、宮崎氏も名将とか好きだったように感じるが、どうなんでしょうね。
>>212 おれは趣味の絵描きだけど、時代の背景知らずして人々の生活風景や服装や風俗は語れないでしょ。 リアリティを追求すればするほど…
まぁ、服飾図関連の本は日本には今ないから、本場のを参考にするだろうから、宮崎の「み」もかすることはないだろうけど、『宮崎市定全集』とか読んで、その当時の政治的背景を知るのも歴史モノの絵とかなら、それを描く上で大事と考えている。
でもいいなぁ、職業として絵描きかぁ。 プロだったらうpってわけにもいかんか。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 05:30:59 ID:VD1Njh/J0
>>219 川勝氏の貴族制に関する説は谷川道夫さんに否定されてるんだが。
著者は誰か忘れたが、「曹操研究ノート」読めよ。
学説史的整理がなされている。
趣味といっても、例えば将棋のように駒の動かし方だけ知って雑談の足しにする人もいれば
プロ並みにのめり込む人もいるわけで…温度差があって当然
知ってて当然なんて思ってる連中の続きは世界史板でやれよ
それと日本で誰もが知ってる宮崎と言えばハヤオかツトムで間違いない
温度差があって当然から
知らないことが当然にもっていく
アナタに呆然
知らない人もいっぱいいて
知ってる人もいっぱいいるのに
基準を知らない人にもってゆくのは
不思議でなりません
知らない人もいるから知ってるを当然みたいに言うな
という意見が妥当なのにねぇ。ドッチも自分本位すぎだわさ
あと、ここは趣味板だけど、設立の段階で
世界史板と三戦板の間ぐらいの板が欲しいというコンセプトがあった訳で
ある程度知識がある人で住人は構成されてることは否めないんだよ、現実
当然、とか、現実、とか
押し付けがましいんだよおまえら。死ねよ
>>220 「曹操研究ノート」、ヤフっても出てこなかった。 なんとか著者名思い出せないかな?
府兵制の原点が曹魏にあるってんで、ちょっと斜め読みしようかと思っていたから関連本を。
>>223 無知を正当化しちゃいかん。
無知は別に恥ずかしいことじゃなく、それを改めようとしないことが恥ずかしいことだぞ。
虚心に受け入れればいいだけじゃないか? それが大人ってもんでしょ。
いや、興味ないしw
まあまあ!みんな楽しく好きに語ったらいいじゃまいか(^-^)
揚げ足取りはなしよ☆
じゃあ、三国志のキャラをドラクエに例えてみないか?
曹操はゾーマかなあ。
ここのおぢちゃんたちカリカリしてて怖いな・・・
>>227 董卓は?
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 14:25:59 ID:iFfrKRC9O
五井直弘さんも曹操集団に関する考察してたなぁ。
内容忘れたけど。
230 :
曹操:2006/12/08(金) 15:45:54 ID:MmbaICla0
で、俺の話まだ?
>>226 いや、馬鹿とかいわれても見つけられなかったのだからしょうがない。 まぁ馬鹿なんでしょう。
>>229 一般書じゃないのかな? 川勝「魏晋南北朝」では李典の評価が高かったように記憶している。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 16:25:31 ID:XnRp5Z490
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 17:07:47 ID:iFfrKRC9O
>>231 確か五井さんの本にも豪族との関係で李典が取り上げられてた気がする。
李典って一般的には地味なイメージだけど学者さんの間では人気なのかもね。
>>222 >あと、ここは趣味板だけど、設立の段階で
>世界史板と三戦板の間ぐらいの板が欲しいというコンセプトがあった訳で
>ある程度知識がある人で住人は構成されてることは否めないんだよ、現実
これしか見つからなかったが、どこに申請したんだお前は
974 名前:動け動けウゴウゴ2ちゃんねる[sage] 投稿日:2006/10/23(月) 23:24:32 ID:7lpdKTaj0
たとえば、三戦や戦国時代がLRを変更して時代範囲を広げたとしても歴史趣味板(あくまで仮)には
多少スレの移動はあるかもしれないけど関係ない話だと思う。
単純に、学問ではなく趣味として歴史をか語り・遊ぶ板が欲しいだけなんだけど。
>>231 そっちの馬鹿じゃない
根拠もないのに大人と決め付けてるところが馬鹿だと言っている
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 18:55:03 ID:VD1Njh/J0
>>224 「曹操研究ノート」ってのは学術誌に載った論文の名前だよ。
名前は絶対でてこない。
川勝さんの本でもよんだら引用されてるかも知れないよ。
論文名もあやふや。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 19:03:04 ID:o3Ft7L8G0
曹操ってシリアスすぎてどうもお笑いネタにもっていきづらいな
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 19:04:55 ID:VD1Njh/J0
どうやらこれだったらしい。
『曹操政権論ノート』丹羽 兌子 1973 「名古屋大学東洋史研究報告」
>>235 つまり「自分は子供だ」と言いたいわけね。
>>238 うう、やっぱり研究論文ですか。 そうじゃないかとうすうす。 ともかく、情報ありがとう。
ま、思い込みと決め付けが激しいやつは学者にはなれんだろうな。
李世民を一回りちっちゃくしたイメジー
カエサルやアレキサンダーと比べるとかわいそうなくらい小者だよなあ
>>243 さすがにそこらへんの世界的英雄と比べるとねぇ…
>>243 それは比較にならんだろw
両者に比肩しうる人間は少ないぞw
中国の英雄ってスケール小さいな
乱世の姦雄って肩書き、日本だと斎藤道三クラスだよ
そらまあ曹操は統一出来なかったし
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 09:18:04 ID:zM+VjchU0
>>243 軍事史を一変したと言われる、ギリシアのポリス、テーバイのエパミノンダスとか
ペルシア戦争でサラミス湾にてペルシア艦隊を全滅させたアテネのテミストクレスとか
ハンニバル戦争でローマと戦い未だに軍事史上の完全な包囲殲滅のお手本とされるカンナエの戦いの
カルタゴのハンニバルだって、英雄だ。
アレクサンドロスの戦術も騎兵を中心に包囲殲滅をねらう戦術家。
カエサルの戦いはカエサルが軍事的に有能であったとは思えないのだが。
ガリアは征服したが、ローマ軍団が強かっただけではないかと思っている。
ローマの人でハンニバルにザマの戦いで勝ったスキピオも話題に上らないなぁ。
後年、ハンニバルは最高の将軍を問われて、アレクサンドロス・ピュロス王の名前を挙げ、
第三に私、ハンニバルであると言っている。
カエサル、アレキサンダーと肩並べする英雄として曹操を持ち出すから小さく見えるんだよ。
スケールの規模だと象とアリを比べてるようなもんだぞw
世界レベルの知名度となれば当然、華僑からの人気や海外にまで廟のある英雄を出すべきだろう。
分かりやすいあたりでは関羽。
コロンブスよりも早く大航海を成功させた鄭和とかもいいよね。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 10:49:52 ID:zM+VjchU0
>>250 非常に「アレキサンダー」という名前に違和感を感じる。
もし、ギリシア語を英語読みしたら「アレキサンダー^」になるがなぜ、カエサルはラテン語読みなんだ?
カエサルだって英語読みしたら「シーザー」になるわけだ。
統一しろよ。
カエサル、「アレクサンドロス」とな。
要するに『フリートリヒ』(またはフリードリッヒ)と『フレデリック』と
同じ。前者は独語読み。後者は英語読み。
『フィリップ』もそう。『フェーリーぺ』、『フィリッポ』などスペイン・
ポルトガル語読みなどがある。
国によって読み方が違うから、あまり気にしないほうがいいと思われ・・・
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 11:09:14 ID:zM+VjchU0
>>252 今はその国の言葉で読むことに流れがきてるんだよ。
英語で「マホメット」じゃなくて、イスラム読みで「ムハンマド」がいいだろ?
スペインのフェリペ2世をフィリップ2世なんておかしいだろ。
またイギリスのチャールズをフランス読みでシャルルなんておかしいだろ。
十分に気をつけるべきだと思う。
>>253 そこは難しいね。おかしいといえばおかしいけど・・・
それぞれ国によって認知される読み方の違いで面白いとこでもあるし。
>またイギリスのチャールズをフランス読みでシャルルなんておかしいだろ。
>十分に気をつけるべきだと思う。
ドイツ読みでは多分『ヒャルル』(Charl)になるのかな・・・(わからんけど)
フランス語では『ch』は原則として「シャ」と発音するから『Charles』は、
自然にチャールズ(またはチャールス)が「シャルル」なるけどね。
ドイツ語では「カール」になるそうだ。つまり、カール大帝だと。
あーそうか・・・『カール』ね。辞書でもそう記されてたね。
ちなみに『カール』はどちらかというと英語読みに近く、
実際、ドイツ本国では『カルル』(Karl)と発音するらしい。
でも『カール』のほうが有名らしいね。
その通りなんどろうけど、
そもそも中英的にいうと
じゃ劉邦はなんと読むの?と言う話なる
いや日本では古来から りゅうほう だ、でいいけど
当時の漢では?現代の中国語では?
英語よみにしても、それなりの歴史はあるわけで、
寛容でいいじゃん
二箇所も誤字があった
う〜ん・・・そうね。
おれ的にはカール『Karl』→『Kerl』がしっくり来るけど・・・
『バイエルン』なんかも低地ドイツ語・オランダ語読みに近いらしい。
中部・高地ドイツ語では『バイアーン』(Bayern)と読むらしい。
ちなみに英語では『ババリア』。
ベルリンの西方にあるゴスラー(Goslar)の場合も、
何故か『ゴスラー』と『ゴスラル』と混同してしまう。
とうとう曹操のその字も見えない話になったな
無理やり戻せば、曹操はツァオツァオ(てきとー)と呼ぶことに流れがある、となるのか
話を
>>165まで戻そう。
>>165はただ「九品中正法」という言い方を笑っただけなのか?
それとも名前の問題ではなく法の内容についての言及なのか?
どっち?
それと教科書にはどっちで載ってるんだ?
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 14:07:27 ID:zM+VjchU0
>>261 教科書にはカッコがきで両方のっているはず。
宮崎市の研究を読めば「中正」なんて言わないのに
知ったか君かと思ったわけだ。
中国語名を発音まで中国読みにする必要まではいってない。
ただ、外国で言語が違う場合は固有名詞の表記自体が変わってくるので
それは母国語で読むべきだと。
内容の無いスレだな
>>262 ようは寛容で行こうよと言いたいだけで
>>257は自分で言うのもなんだけど、屁理屈といえば屁理屈だし
さあ曹操に話をもどそうよ
誰かと比較しないと話が出来ないわけじゃないだろう
曹操好きな人はいないのかな。
孫子の注が天然で笑えるとか遺令が細かすぎて面白いとか
彼の残した詩だとか、負け戦だとか
そんな話をしませんか?
揚げ足・屁理屈・傲慢(押し付け)
ロクでもないやつがいるもんだな
西洋厨はやたら曹操目の敵にしてんな
そりゃ、李世民とかだったら巨大すぎるからだろ。
曹操ならいなしやすいんじゃないか?
過度な曹操厨が、いつか「曹操は中華最大の英雄」とか抜かしはじめないか不安なんだよね・・・。
その手の痛いスレは三戦板だけで十分だからさ。
>>269 そんなの今から心配することじゃないと思うが
自分を何様だと思ってるんだ
>>269 おれの中では、曹操が最大の英雄とはなりえないな。
ご贔屓の人物がいるから。
それでも三国志はすきだから、目立つ曹操は気になる。
それに、ついこの前まで、曹操至上主義を自称するイタイ子がいたじゃないか。
>>271 たしかに
世界史にあまり関心が無い人や疎い人、中国史も後漢時代やその前後くらいしか
興味のない人には曹操を過剰評価する人は確かにいるよ
三戦板でも曹操を通史でも傑出した英雄とか言う人や、通史の中で数値化しても
高い評価をつけないとやたらと反駁してくる人とかいるもの
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:00:24 ID:zM+VjchU0
>>272 曹操は後漢末では傑出した存在だよ。
通史を通しても大人物には間違いがない。
ちなみに軍師と言えば孔明よりも明の劉基と漢の張良が定番だ。
道教的な目線から見ても文学の発展に貢献した三曹といっても
文昌帝君や蒼頡の威光には遥かに及ばない上
左慈のエピソードで曹操は笑い者にされてる。
やっぱりブルジョワなインテリなんて人気がないんだよ。
一部の日本人にはどうして曹操はウケがいいのかな?
とりあえず、三国演義で悪者にされている反動かな?
その反対で、諸葛亮は評価を落とされているように思えるし。
三国志というカテゴリーに、三国演義をもとにした小説から入った経緯から、曹操はその時代トップの傑物という認識が、いまだに濃厚。
他の時代をみて好きな人物を見つけたけど、後漢末期に果した曹操の業績にまでケチをつける気はさらさらない。
「時代に冠絶する」英雄なんてものは、実際には存在しないのではないかというのが、最近の持論。
あくまで、生きた時代であり果した役割であり。 他の時代、他の政治背景、他の地域で同じあるいはそれ以上の業績を残せるかは、想像・妄想の域をでることはないからね。
ただし、そういう想像・妄想を掻き立てさせられる、将来への可能性をもった人物は大好きだ。
短歌行だっけ?韻とかよくわかんないけどあの詩好きだ。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 06:08:27 ID:ROzl+g7W0
一部の日本人に曹操のウケがいいのは、演義と正史の対比の影響もあるだろうけど、
吉川三国志で魅力ある悪役として書かれてから始まったことだと思う。
あれに影響を受けて他の三国志小説でも、ただの悪役だった曹操に人間性を見出すようになったんだし。
現地では相変わらず蛇蝎の如く嫌われてるらしいな。
記念館とか作ろうとしても資金繰りに苦労するんだとかw
>>275 実際、後漢末〜三国時代に限定すれば、
曹操がその時代のトップだというのには異論はないよ。
他に曹操以上の業績を残した人がいたら教えて欲しいぐらいだ。
魏晋南北朝の貴族制および官僚制から、唐宋変革後の官僚制とでは、中国王朝の性質が一変している。
その変革の担い手であった後周の世宗は、曹操がかすむほどの苛烈、速度、断行をもって時代の舵取りをした。
曹操のように詩とか残していないが、普通にたしなんでおり(時代性か?)、風流もあったが、いかんせん短命。
織田信長の人生を5年でやったという感じ。
魏晋南北朝に興味があるのは、変革前主流だった貴族制と、それをぶち壊す土壌となった府兵制。
曹操の屯田策がそのパイオニアになるんだよね。
後世への影響力という点では漢宇だろうな
>>278 >現地
反対にインテリ層は魯迅の影響か曹操を再評価してる。
てか、曹操擁護するとインテリっぽく見られるw
庶民層では正史と演義の違いも知らない人が殆どだ。
それ以前に、三国志が日本ほど人気ないしね
後漢末〜三国時代に於いて一面で評価すれば曹操より上の人はいるんだけど
どの分野でもそれなりに高い結果を残す曹操が総合的にトップになるという感じ
>>283 曹操がトップてw
三国時代もたいしたことないな
つうかどの時代のトップであろうとそこに差はないぞ
極論を言えば北条早雲とチンギス・ハーンも同等の英雄と言えるわけだし
領土拡大の差は、個人の能力よりも周囲の環境と状況に依存するだろうからな
まあメッシだってマラドーナの時代に生まれてたらサブだもんな
287 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/12/10(日) 15:09:09 ID:7KLtiNI50
>>283 一面で評価すれば上の人って具体的に誰のこといってんの?
名前あげて。
取り敢えず軍事では皇甫嵩
あるいは皇甫規・張奐・段頃などの連中も後漢末の人材といえるだろう
289 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/12/10(日) 15:34:26 ID:7KLtiNI50
>>288 軍事でコウホスウあげるだけの人材かどうか、頭おかしいんじゃないのか?
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 15:37:37 ID:x0XvmRVNO
>>289 まあまあ落ち着いて。
軍事に関してなら孫策や周喩、司馬懿とかの方が上じゃないかな。
詩作に関しては息子の曹植の方が上だと思うよ。
291 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/12/10(日) 16:38:03 ID:7KLtiNI50
まず、言わせてもらうと役人にも三種類のタイプがあると言うことはどこかでいったよな。
@命官 皇帝直人の官僚
A属吏 命官が地元採用した役人
B卒 雑用をする期限付きの労役
コウホスウとかは当然、命官。
黄巾の乱の追討を命じられたシュシュンも同じく。そいつらは優秀な属吏の幕僚を抱えてるんだよ。
反乱を鎮圧したから軍事的に優れているとは決して言えない。
太平天国をみろ。
文人の曽国藩は自前で軍事組織を作り上げた。
俺が思うには曽国藩こそが中国史上の英雄の一人だと思う。
なぜにけんか腰なのだろうね
…あれ? 曹操原理主義者じゃなかったっけ?
たぶんネタなんだろう…
なるほど。
優秀な幕僚を多数抱えていた曹操の能力もさほどではないと。
対異民族戦の段頃や
黄巾戦での皇甫嵩の戦績知らないみたいだな
変なコテは相手にすんなよ
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 18:03:23 ID:7KLtiNI50
>>295 コウホスウがもしかして独断で軍事的に突出していたとでも言いたいのか?
軍事的に突出した人物というのはハンニバルとかアレクサンドロスのような人物だ。
戦術で劣勢を挽回するような人物。
コウホスウは戦術もなにもない官僚。
そう思いたけりゃそう思ってろよ…
「独断で軍事的に突出」という言葉の意味をだれか解説きぼんぬ
マジわかりませぬ
「不利な局地戦を、現場の独断で挽回できるほど軍略に優れていた」
とでも読めばいいのでは
>>300 ありがとう
本人の言葉だけでは理解できなかった俺は馬鹿なのかな
曹操原理主義者って、軍事にしか興味ないんかね。
曹操が後世にのこした業績を、とりあえず箇条書きにしてもらえんかな。
局地的な軍事勝敗にこだわってるのって、視野が狭いと思うがな…
そして中国ではたいがい官僚が軍事をおこなう。 将軍はその手先でしかないことを知っているのだろうか。
だいたい、軍人=武将(武官)が主導権をとって政治に関与するのは、唐末五代の特徴だよ。
それがないから、曹操信者はなんとか曹操を中国史の大物と肩並べさせたくて必死になってるんだよ。
そうなると、余計に曹操の中途半端さが際立ってしまうのにねえ。
アンチ曹操って身じゃないが、曹操の話題をすれば当然欠点を指摘されるのは仕方ない事だと思うよ。
大衆人気を得られていない時点で中国史の英雄としては語るには致命的な欠点。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 18:50:51 ID:7KLtiNI50
>>302 中国では文官が軍事を行うなんて当たり前。
軍人が活躍するなんて混乱期のみ。常識だろ。
宋代以降の科挙の完成でシビリアンコントロールが完成した。
漢代もそう。
将軍でも車騎将軍・ヒョウキ将軍・大将軍は別格。
こいつらは文官でもなる。あとは雑号将軍がたくさんいる。
>中国では文官が軍事を行うなんて当たり前。
>軍人が活躍するなんて混乱期のみ。常識だろ。
唐の節度使の権力増大が原因の例のあれね。
安禄山とかがいるから宋の軍人出身の趙匡胤も神経質になるわな。
>>304 自分も勉強中なんで先に断っておきますが、よくわかってませんので、かなり無茶なこと言うかもしれないので、知っている人はやさしく訂正してください。
宋代と魏晋南北朝隋唐とでは、王朝の基盤が全然違うんだよね。
本来、貴族制は官僚制と相対するものだけど、九品官人法などによって官僚とのつながりを保持したため、政治に関与もしてくる。
たいてい政治・軍事はそれら名門氏族が占めており、官僚といっても貴族出身者がほとんどだったという。
軍事に関しては曹操の屯田策(ここがよく知りたいところ。だからわかってない)から兵戸、府兵へ至る過程で、名望財産のある豪族をとりたてていくようになった。
唐の安史の乱以後から、国家の把握する戸籍が大幅に減少したので税収が儘ならず、また治安維持や徴税のためもあって内地節度使を置くようになったのは、周知のところ。
これは日本の戦国大名に相当するといってもいいくらいだけど、混乱期だから軍人が活躍するんじゃなくて、唐宋変革のこの頃は制度として軍人を起用するようになっていたというのが重要。
安録山がその前例であって、彼は貴族でも科挙官僚でもなく、ただただ実力と玄宗の情実によって三鎮を治める地位にまで上った。
武力こそが至高のもの、という風潮が世を覆ったのが唐末期であり、五代であった。
後周〜北宋は、そういった風潮へのアンチテーゼとして、君主独裁を打ち出し、シビリアンコントロールというより、皇帝以外の一人の人間に権力が集中しないような国家制度となったわけ。
そこには当然、軍事制度も多岐にわたり個人の独断や裁量で軍を動かせなくなった(そこらへんが宋兵弱卒の原因か)。
当然政治に関与する人材は貴族などではなく(すでに宣武の朱全忠に著名なのは殺されていたから)、形勢戸などの新興地主層から出るようになった。 ここで、国家と庶民との垣根がひくくなり、より開明的な社会へと以降することになった。
(唐末五代北宋が興味の対象だけに語ったけど、スレ違いもはなはだしいな… ただ、歴史ってそれぞれが独立しておらず連続したものなので、ある程度は許容するときもあるかと… すまん)
>>302 このスレくらいしか見てない板初心者だけど、
その原理主義者ってどこにいるの?
ここ見てるだけだと、アンチ曹操みたいなのが目立ってる気がするんだが・・
おとしめることなく語れないんだろうかとすごく嫌な気持ちになる。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 20:24:37 ID:EhFBTN6iO
>>298あたりをよく見てみるとよろしいのでは
その方は他のスレでも活躍されていた生粋の曹操原理主義者です
あと、マイナス面を語るのと貶めるのは違うと思うけど、ただ貶めてる人ってそんなにいるかね?
まあ、日本では三国志関係は一番メジャーで
・他の時代と比較しない(できない)故の過大評価
と
・それに反応しての行き過ぎた過小評価
の溝が一番深い時代だからな。仕方ないさ。
>>307 専制国家氏は自ら曹操原理主義者と言い切った上、曹操に対する反論、反証をすべてつっぱねると名言した傑物です。
自分の言が他人を貶めているように見えたのは誤りますが、それこそ上記のような歴史があったわけです。
理解できれば許容していただけると思いますが…
311 :
298:2006/12/10(日) 20:36:05 ID:radWj8u/0
>>308 は?意味解らんのだけど
俺のことを指してるんじゃなけりゃ訂正しといてくれ
専制ry氏と間違えて安価しちゃいますた
ごめんね
了解です
ID:7KLtiNI50さんのことね
>>283くらいから読めばいいかもしれない
>>283はそう見えてるかもしれないけど、結局、後世ではそれほど評価されなかったね曹操。
まぁ、欠点を指摘するからアンチ、という短絡思考もよくないな。
欠点や失敗を指摘する行為は、公平にみようとする姿勢であって、悪意が混じっていればアンチと言えるけど、専制国家氏は、マンセー側なのに語り口調からしてケンカ腰…
なんつうか、かえって反発心が刺激されますな。
詩の方面では評価されてないか?>曹操
まあ三国志で引用されるのは劉備がらみの方が多い気がする
符堅が王猛のことを孔明といったり、晋の皇帝が桓温に諸葛武侯のように支えてくれと遺言したり
簫摩可が関羽張飛の再来と呼ばれたりな
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:52:44 ID:x0XvmRVNO
関羽張飛に比されたのは蕭摩訶の二人の部下じゃなかったっけ?
知ったかぶりの馬鹿ばっかだなここwwwww
呉明徹が蕭摩訶を評して「関張」と言った筈だが
他時代や他人との比較はもういいから曹操の生き様そのものを語れや
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 08:23:55 ID:XL7bbA22O
他時代や他人との比較でもいいじゃん。こういうのは三戦板じゃ出来ないことだし。
他時代との比較なんかしてないやね。
後世に与えた影響と、変質した詳細は言ってるけど。
あと、他人との比較っても軍事が優れているとかは、他人とも比較しながらのほうがわかりやすくていいだろ?
皇甫嵩をただの官僚と切り捨ててるけど、作戦立案や取捨選択、統率に発揮された手腕ということで、白兵戦や実戦の中での機敏な動きを言っているわけじゃないと思うし。
ところで、曹操ってみずから武器を取って陣頭指揮したのかね?
若い頃はそうじゃないの
総大将が前線にいると士気も上がるだろうし
おまえの人生と曹操比較したろか?w
>>324 >おまえの人生と曹操比較したろか?w
痛いとこを衝いたレスにワラタ(笑い)
すげえ・・・ここの連中じゃ曹操のチンカスにも及ばないな・・・
歴史に名を残すビボウやフシジンとかさえすげえよ・・・ああ・・・
なんてーわかりやすい自演なんだろうなw
>>320 曹操の生き様のみを語りたいなら三戦板でも十分だろ?
中国英雄板なんだから、他の時代の英雄との対比や後世への影響を比べて見るのも
この板ならではの醍醐味ってもんだろう。
それでいて他の時代の英雄を押す人は、曹操を超えるスケールを感じてるんだよ。
三国志以外の時代に興味を持てば、お前さんも考え変わるかもね。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 20:48:12 ID:6cQaYZ4Z0
”真の”主人公というのがわからない
演義なら劉備と諸葛亮、正史なら各伝の主人公が主人公なのではないのだろうか
なんかもっとこう、落ち着いた表現にできなかったのかなぁ
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 20:57:01 ID:fCiVtr940
ようし!
>>328の人生と比較してみっか?ん?
興味ねーーーーーーーーーーーーーーーーーwwwwww
>>329 自分で曹操原理主義者と断言してるし、曹操と韓信が議論の余地無く
中国で最強だそうだし、批判的な意見は何を言っても受け付けないときた
これ、本気で冗談なしで言ってるのかね
また自分の都合よく勝手にルール決めようとしてやがるな
アホばっかじゃんここ
こいつらの小者ぶりが知れるな
はーい小物でーす
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 21:11:02 ID:6cQaYZ4Z0
>>331 読めば分かるさ。
この堀さんは非常に優秀でまともな研究者だった人。
おすすめ。
>>333 俺が専制国家様だ。
コテははずして潜伏している。
このスレでもずいぶんと書いたもんなぁ。
冗談なしでいっているよ。
批判的な意見はどうぞ。語るに足る批判があればね。
君らのは批判じゃなくて個人への非難。幼稚い。
ん〜。 専制国家氏の識度や矜持はおいとくとして
名無しから突然、コテに変えたところや、他の曹操以外のレスに煽りっぽいレスいれているヤツ(自称子供)とか
なんか全部が同一人物に見えてしまう。
そうでなくても、同一項でくくられると思うし… 専制国家氏って、今現在が学生さんなのか?
いや、答えなくともいい。
知識人ぶるのはいいが性格に難ありな連中が多いな。
ところで
>>1はいるのか?立て逃げしてたら許さんぞ。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 21:20:17 ID:6cQaYZ4Z0
>>337 答えるなと言えば答えたがるのが人情というものだから、答える。
国立大学文学部史学科東洋史コースの専攻は前漢から後漢末及び貴族制の解明。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 21:21:17 ID:6cQaYZ4Z0
肝心なこと書き忘れていたな。
卒業から10年たつ。
>>338 は?おまえが許さなかったらどうなの?あ?正義人ぶるのはやめろwwww
げぇっ、関羽!
ようし、俺がスレをまとめてやろう・・・
なんだかんだで曹操はすげい!(・∀・)
スレ違いながら専制さんには「汲黯墨家説」のソースをそろそろ出していただきたい
煽り抜きに待っているので
>>339 そうか! 卒業後の年数など関係ない。 今もってそれに興味があるかないかで、過去の経験が無駄にはなってはいないことが明らかだ。
なかには学歴を自慢しても、中身が伴わない人がいるからな。
で、その貴族制なんだが、今すぐになにかを読むってことができないので、教えてもらいたいところだが…
なぜ貴族は貴族として立脚でき得たのだろう?
初歩的すぎてあくびがと嘲弄が聞こえそうだが、マジで教えてほしい。
つーか史学科って時点で学力のレベルが知れてるよな
おまえらいちいち相手をこきおろさんと気が済まんのか…なんで常にケンカ越し?
IDが出るからだろ
何の話してんのかわからんw
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 22:12:20 ID:rrOd5uNgO
専制氏の華麗なる言動を知らないとこの反応は理解できないっしょ
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 23:09:32 ID:p8le5E3U0
コテハンウザ
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 23:28:30 ID:p8le5E3U0
曹操の話しろやハゲ
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 23:33:24 ID:rrOd5uNgO
多分、IDが変わったら再開するよ
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 23:43:14 ID:XL7bbA22O
魏晋南北朝時代で曹操に比肩しうる人物って誰がいるかな?
功績なら北周武帝や隋文帝の方が上?
結局比較せずにはいられないのかよ
ケンカ売っとんのか
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 05:26:32 ID:uSXz11pI0
>>344 みたんだがなぁ。今は論文探してはいない。
文脈としては後漢国家が国家宗教として儒教を決定したという文脈の中で
前漢には武帝期にも儒家以外の高官(汲黯)がいたという話や文帝が漢の統治は
法家と儒家を云々、から読んだ気がする。
汲黯自体の列伝には黄老の術と書いてるから前漢初期みたいな道家だったのかも知れない。
しかし、道家であれば民間で広く広がっていたのだから印象に残らない。
汲黯=墨家というのは強烈だから覚えている。
渡邉義浩「後漢国家の儒教」とか言う本で読んだ気がする。
>>345 貴族制が立脚できたのかは未だ解明の途中。大きな問題だよ。
知らない。
川勝義雄の郷論の重層構造と矢野主税の寄生官僚論の論争を読むべし。
確かに専制国家先生の史観はあまりに偏ってて難ありだがあまり人格攻撃する奴はどうかと思うな
俺も曹操原理主義発言にはワロタが・・・
叩くのは彼の言動に対してにして彼自身を叩くのは荒れるからやめようぜ
>>352 貴族制っていつの貴族の話か言っててくれんと誰も教えようが無い
王朝や時代によって貴族の性格も大なり小なり違うんだから
ってかスレ違いじゃね?
>>359 スレ違いのわけがない。 貴族は三国魏あたりの発祥だし、府兵制の根っこもそう。
曹操のひととなりを語るばかりというわけでもないでしょう。
>>358 そうか… サンクス。
曹操とアントニオ猪木と比較してみるのはどうだらう???
猪木の延髄切りで前歯を2本飛ばされてしまう曹操。
いや、戦う意味がわからんw
嫌いな親戚を避けるためにアックスボンバーで失神したフリをする曹操
関羽の髭コキで昇天する曹操
軍隊にレスラー軍団がいたら強そうだな。力士隊ってのはいたらしいが。
猪木率いるプロレス隊がいれば赤壁の戦いも変わっていただろうよ。
煽られたからか知らないが、無理に頑張りすぎ
これは… 例の自称「子供」たちの仕業だな?
曹操に雇われたのかよ!
しかしいずれ汝南あたりで独立して新日本プロレスを立ち上げるだろうよw
ネ申スレへと昇華しそうな予感w
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:21:28 ID:B78Y0LPH0
皆それぞれのレベルで書き込めばいいじゃない
色んな人がいるんだからさ
ここ趣味板で所詮2ちゃんねるだしな
煽りや揚げ足はなしよw
いいんじゃね?
自称「大人」と自称「子供」が混合するスレ
おおいに結構!
でもちんぽの話もありになるな
いいけど
小中学生も英雄好きが多いからけっこう見てるよ、ここ。
話してる相手が大人か子供かわからないなんてインテリの人って自分のことばかり(周りが見えていない)で必死なんだなあっておかしく見ています。
あっ、これって煽り(←読めない)っていうのかな?ごめんなさい・・・
あれ?猪木の話はもう終りか?
猪木のことを夜な夜な想いつつセンズリをこく曹操
きゃっ!言っちゃった!恥ずかしい・・・
で、何で猪木なんだ?
小学生の識る曹操って、三国無双の曹操なんだろうか。
自称「大人」としてはその辺が気になるところ。 インテリの人は…
インテリって何を指してのことなんだろうか… もしや専制国家氏のこととかか?
自称「大人」ならもっとハキハキ言え。回りくどい。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 00:42:03 ID:zaJNdCRq0
自称「大人」のインテリたちって他人の意見に振り回されて自分自身を見失ってると思うんです。
それってとてもつまらない人生ですよね。
学者に媚びるのは止めてもっと自分自身の個性を伸ばしたらどうでしょう?
もしくはすべての学者を論破して見下すくらいの気概が欲しいものですね!
ところで猪木の生き様はステキですね!僕も大好きです!
猪木ボンバイエ!猪木ボンバイエ!
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 01:51:24 ID:plUmeuei0
自演乙w
三国志ネタはやっぱどこでも荒れるなw
若い子が多いんだろうな
三戦でやれば無問題
荒れてるのか?
いつもこんなもんだろ
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 15:04:00 ID:dMv/OWJiO
確かに三戦板じゃこんなもんだな
曹操が曹参の子孫ってのと、
劉備が劉邦(劉勝)の子孫ってのは、
どっちが信憑性高い?
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 18:26:22 ID:r7+/FDxtO
>>390 どっちもどっちだが、敢えて言うなら劉備
曹参の直系の子孫なら平陽に住んでてしかるべきじゃないかね?
曹操って夏侯嬰の子孫じゃなかったっけ
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 20:14:52 ID:r7+/FDxtO
>>392 夏侯嬰の直系の子孫なら汝陰にいるはずだとか、そもそも孫氏に改姓してるとか問題がある
夏侯嬰と夏侯惇たち(曹操も含め)の先祖同士が親戚だった、くらいの関係はあったんじゃない?
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 20:22:19 ID:7NSAZyW80
宮崎市定・五井直弘・東晋次・川勝義雄・矢野主税くらいの論文くらいは読もうぜ。
孫資・孫礼 < 夏侯嬰の子孫
>>390 曹操は親父が養子なんだから、子孫であるはずがないような。
その家の子という意味では繋がりはあるかもしれないが。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 00:51:50 ID:159jguIG0
>>390 曹参の家系は他にちゃんとあります。ついでに言うと夏侯嬰の子孫も他にあって、
[言焦]の曹氏、夏侯氏は別ものです。ただあくまで家系の話なので、もしかしたら
庶系の流れなどがあるかもしれません、という程度であってその意味では劉備の
家系と大して変わらない。少なくとも、後漢末に曹騰が出てくるまではほとんど
歴史の記録に出てこなかった一族ですからね。
>>394みたいに読んでるから俺って偉いんだぜって言ってるような奴もアレだが
なぜ
>>397がこのスレに書き込むのかわからない
今の話題はある程度知識ないとついてこれないだろうに・・・
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 06:06:44 ID:Ck4MzJu10
自演乙
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 06:38:54 ID:0rLObqru0
>>400 うんうん、皆が戦争の話しないからつまらないんだね?
でも今大事な話してるから無双スレで遊んでおいてね(^ ^:)
大事な話をしていると思うなら黙れよ
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 08:50:47 ID:TN0HjYRu0
それなら、曹無傷の子孫じゃね?
>>403 根拠はないが、イメージ的になんとなくその可能性のほうがありそうだ
曹豹とか・・・
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 12:33:24 ID:Ck4MzJu10
無双って何?
陸無双っていう片足不自由だけど、古墓派の剣術使うカワイコちゃん。
>>407 陸無双は江南嘉興の陸氏出身で、実は三国時代の呉の武将陸遜の子孫
だったりして
まじで? じゃあ程英も先祖設定あり?
いや、冗談。
陸遜の子孫は確か断絶していたと思うし。
南宋の陸游
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 15:25:17 ID:Ck4MzJu10
おいおい…冗談は顔だけにしろよマジで
>>410 …だったりして 言ってるな。 ひっかけいくない。
あやうくマヂにとるところだったぜ。
周瑜の子孫を称している、周本という猛将はいたりする。 コッチは列伝があるけど。
おまえら全員・・・
がっぺムカツク!(江頭2:50)
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 19:33:02 ID:ocUQyvI60
少なくとも、小説じゃなくて正史くらい読めよ。
中華書局で簡単に手にはいる。
宮崎市定知らないで中国史語るのは毛沢東しらないで中国共産党語るようなもんだな。
宮崎市定なんかしらねぇよカスがwwwwwwwww
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 20:04:51 ID:ocUQyvI60
>>416 お馬鹿なやつめ。
曹操はどうやって朝廷に出仕したのか?
そのきっかけは「賢良・方正」などの制度のおかげであることも知らないとは。
これの制度一般も宮崎市定が「九品官人法の研究」で明らかにしている。
宮崎市定翁の著作を愛読しているほどの人なら
こんなスレの雑談に加わるとは思えんがな。
うーん、自演臭がする
ワザと知らねーよとレスし
知らない奴を馬鹿にするレスを自演することで
大多数を知ってる側に嫌悪をいだかせるという策か
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 20:12:14 ID:x0GFFXew0
/ ̄ ̄\
/ _ノ \
| ( ●)(●)
. | (__人__) 喧嘩すんなよぅ・・・
| ` ⌒´ノ
. | }
. ヽ }
ヽ ノ \
/ く \ \
| \ \ \
| |ヽ、二⌒)、 \
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 20:19:56 ID:ocUQyvI60
>>418 宮崎さんの本は中公文庫から大量に一般向けが出ている。
もちろん全集にも入ってる。
宮崎さんほど碩学で一般向けの本書くうまい人もいないよ。
宮崎市定なんかしらねぇよクソがwwwwwwwww
と、書いただけで「曹操はどうやって朝廷に出仕したのか?」を知らないことになるとは。
クソがwwwwww
ちなみに世界史の宮崎スレ過疎ってるんだからそこも利用したら
さすがに餓鬼過ぎるだろw一度煽られてどれだけ根に持ってるんだよ。
おいおい・・・まだやってるのかよw
宮崎だか勤だかしらんが他でやれよwww
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:05:57 ID:xD9T7Mxk0
以降、このスレで宮崎とかいう人物の話題禁止!!
↓
それじゃ曹操と功臣の粛清について論じるか。
却下
自演乙
>>370 劉備軍に雇われたら長坂坡の戦いも少し変わっていたかもな
長坂橋でひとりパンツ一丁で構える猪木に曹操軍10万のたじろぐ姿が目に浮かぶぜw
猪木「シャッ!!」
曹操軍10万「アワワ・・・。」
でも簡単に買収されそうにも思えるが <猪木
て、誰のスレだよw
ところで、曹操の負の側面とかないのかな?
適当に思いついたところでいくと、
・キョウドなどの華北定住化を促進し、五胡十六国の種を撒いた
・屯田制により農民の不自由民化を促進した
…とか。
いや、いずれも現代的価値観で歪みまくった評価(言いがかり)なのは分かってます。
あくまで、例として。
>>434 領内の統治が安定せず、反乱が絶えなかった。
(征服から十年以上経ち、本拠地に定めた冀州でも反乱を起こされている)
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:08:25 ID:4ym5pN1H0
曹操は明の洪武帝、中国共産党の毛沢東並みの大英雄ですよ。
>>435 魏フウの乱をいっているのなら、あれは民乱ではなかろう。
>>434 前も出たなコレ。すくなとも匈奴は後漢時代から長城内に定住している。曹操が
おこなったわけではないよ。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 15:42:17 ID:wftaGfPsO
>>437 匈奴は曹操が今までより一段と内部に近付けた
太原王氏と交流するほどご近所になったのは曹操による
組織の再編までやってるので完全に支配下におけた、と過信したのかもしれない
東北では烏丸を内徙
これは新興勢力鮮卑に南下による勢力拡大のチャンスを与えた
またテイも関中に内徙
いわゆる五胡の大部分は曹操が飛躍の機会や叛乱の芽を与えたようなもの
逆に言うと目先目先でやってかなければいけない苦しい状態だったとも言えるのではないか
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 17:01:19 ID:kz89ZwRj0
確か、部下が匈奴とか胡族を中原近くに置くのはヤバイ
って進言してるのに、曹操はその意見を取り上げなかった。
長坂をパンツ一丁で駆け抜ける猪木とかも想像したら吹いたw
曹操は乱世の雄だからなあ。
なにかと、争いごとになるようなことがあり
その中で活躍してる方が活き活きしてるように見える。
442 :
440:2006/12/16(土) 19:11:33 ID:kz89ZwRj0
確認したら
>>440は西晋武帝の話だった
すまない。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 20:45:55 ID:vGggT+oA0
歴史学的には、まず中国に於ける郭沫若らの曹操論争があって文学的な評価が進み、
その流れを受けて日本でも、京都大学の谷川道雄、川勝義雄が中心となって曹操の再評価が進んだ。
川勝らの曹操ないし曹魏政権、魏晋南北朝理解に対して、
長崎大学の矢野主税などが疑問を呈したが50年代から70年代の間に活発な議論があって、
80年代にはほぼ川勝氏の見解が支配的となった。
90年代以降、行き過ぎた曹操の再評価に対して抑制する動きが多く、
またあわせて川勝氏の理解に対しても修正する動きが見えている。しかし歴史学的に、
曹操の評価は高く中国古代中世史上、最も重要な人物の一人として理解されている。
あくまで、魏晋南北朝隋唐をひとつの塊としてみた場合、曹操の占めるウェイトが大きいというのは理解できる。
しかし誰かのように、中国至上最高にして唯一の傑物と見ることはできない。
唐中期以降は中国政権の様相が変わるので、曹操の歴史に果した役割は終わりを告げるから
どの時代でも同じことができただろうなどという想像は無意味。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:00:50 ID:vGggT+oA0
>>444 俺が専制国家だが、俺は中国至上最高にして唯一の傑物などと、
過大評価はしてないぞ。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:04:56 ID:rvZQ9bm9O
最初に曹操を再評価したのは李卓吾なのかな?
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:14:55 ID:vGggT+oA0
>>444 俺は京都学派だからな。
曹操の時代ははもちろん古代でその後の唐末までを古代の終焉とする
前田直典の「東アジヤに於ける古代の終焉」とは一線を画すからな。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 13:56:01 ID:e5S3BZ4sO
統一達成してたら中国史上でも屈指の皇帝と評価されてたかもね
>>445 でも曹操が一番だとは思ってるんでしょ?
最強の武将スレではさんざん言ってたし。 ま、それはいいとしましょ。
お互い、ご贔屓の歴史人物がいるってだけのことだから。
>>俺は京都学派だからな。
こちらはそもそも学歴ないので、その辺の論争は雲の上。
しかし個人的には、ここではタブーの宮崎氏の説をよく目にする上から、魏晋南北朝隋唐を中世、五代以降を近世とする考え方が定着してはいる。
なんか、貴族=中世ってのが、直感的にしっくりくる。 でもこれを討論するほど、持論があるわけでもないので、これ以上はご容赦。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 15:24:01 ID:MNSgUOqR0
>>449 曹操が一番だとは思っている。
バランスが取れている。
ご贔屓の人物は一番はカルタゴのハンニバル。
なんで宮崎氏の説がタブーなんだよ。東洋史の戦後最大の人物が。
宮崎市の宋代以降を近世の始まりとする近世説は宮崎氏の師である
内藤湖南の「概括的唐宋時代観」から流れてきている京都大学の学説で
東大の宋代以降を中世とする見方と激しく対立した。
宋代の佃戸を農奴と見なすのが東大の歴史学研究会派。
佃戸を契約自由の自由農民とみなすのが京都学派。
>>450 あんたも絡んでるでしょうに。
自称「お子様」が騒ぎ出すから、その名前をこのスレでは出してはいかんということになったんと違う?
自分の知識は、笠沙雅章、砺波護、栗原益男とかのふつうの一般書から出ているので、学派とかよくわからんところ。
そういう潮流があるんだねと、かすかに聞き知っていたという程度。
ヘンにおいしいとこ取りすると、自分の論説が怪しくなるという危険性は、その佃戸の区別でわかった気がする…
自分はそうなると、後者なんだな。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 15:59:00 ID:MNSgUOqR0
>>451 笠沙雅章、砺波護は宮崎市定の弟子だよ。
宮崎さんは一般向けの本もたくさん書いている。これがおもしろい。
読むことをおすすめする。
俺は文学部史学科だったのでその辺の学説、論争は頭に入っている。
一般人が中国史に興味を持つと、しぜん宮崎先生の著作が書架を閉めていくような希ガス
岩波全書の「中国史 上」を見ると、先生の曹操への評価はちょっとシビアなような感じですが
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 23:53:46 ID:zo5VhKRZO
曹操ほど時代によって評価が激変する人物も珍しいね
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 12:31:32 ID:QG0/wn/JO
いまさらだが
>>90は恥ずかしいな。
俺なら生きていけない…
まあ過ぎたことだし専制を叩くのはやめてやろうや
スレの序盤で、孔明や関羽と比較されていたが、
後世の人というものは、歴史に能吏・姦雄を求めるより、忠義の士や神格化された存在を求めるのかな。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 22:07:49 ID:PNWkqZNCO
曹操って人気あるの?
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 23:08:09 ID:Mv+d+tWZ0
堀さんの「曹操」読み返そう。
>>460 日本では再評価されて人気がある。
中国では相変わらず。
日本で曹操の人気が上がってきたのは、今の日本人の観念を理想化したような人物像だからじゃないか?
溢れる才能で他者を退け、出世道を駆け上がっていく姿は仕事重視な人にはまぶしく見えるんだろうな。
中国の場合は、曹操に限らず「不義不忠」な人間は忌み嫌われてるよ。
まあ、確かにそんなことする奴は人間として褒められたもんじゃないしな。
独特な仙人思想もあるような国だから感じ方も日本人と違うんでしょ。
曹操や上の王安石なんかが嫌われるのは、不義不忠というだけではなく、
歴史記録の担い手たる士大夫層にとってどうだったか?というのがある。
例えば、単純に不義不忠というのなら、ほとんどの王朝創始者はそうなる。
曹操などは不義はほとんどしていない。不忠な行為は表向きにはしていない。
むしろ袁紹や劉備のほうが、献帝に対してはよほど不忠だった。
屯田制なんかは豪族たちにはあまりウケが良くなかったもんな。
名門豪族の代表格である司馬懿が権力握ってからはすぐ廃止されたし。
つーか伏皇后廃したのは不義ではないのかな。
ほとんどの王朝創始者が不義不忠の輩というのは間違いないだろうね。
曹操も漢朝の臣でありながら、魏を建国し「魏王」などと名乗ってるあたり十分な不義を働いてるよ。
民衆人気を得て時代の英雄を神として称える道教では、王朝の創始者よりも庶民出の武将、知恵者、無欲な道士
などを神として崇めることが世の常になっていた。
英雄から神に昇華するような存在に王候貴族出身者がほぼ居ないあたりも
当時の中国の国民性が伺えるんじゃないかな〜。
日本での曹操の人気はやっぱり感性の違いじゃない?
臣下が王に冊封されるのって、曹操が最初の例なの?
後漢ってどうなんだっけ…
コレ以後は普通に王号授けられたりしているから、曹操が魏王に封じられた、社会的体制的意味が今ひとつ…
中国でも曹操の見直しは十分にされたけどね。
でも一般層は日本と違って正史はあまり興味ないらしく、
結局一般的な認識までは覆らなかった。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 23:01:32 ID:jRqo3ZjbO
>>468 「劉氏に非ざれば王たらず」という漢の金科玉条が出来て以降、漢の皇帝が異姓の臣下を王に封建したことはなかった
王莽も例外ではない
レス先を間違った
ごめん
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 00:26:39 ID:9uGMUB8N0
曹操の評価を押し下げてしまっているのは司馬イによるところもある
彼の一族がその後魏を奪い晋を建て三国を統一しているから魏のイメージ自体が強まらないからね
途中の通過点みたいに捉えられハッキリとした骨格がないためインパクトに欠ける
三国はそのいずれによっても統一されずというオチを付けるためとはいえ
また自ら皇帝にならなかったことも含め彼の第一印象にとってはマイナス材料だろうな
まぁ自身の生きている内に統一できなかったからだと言われればそういった点もあるが・・・
相手もレベルが高い時代だったからそれで評価を低くされるのはどうかなと思うよ
あの当時中国は世界でも一、二番くらいの競争社会というかハイレベルの戦いしてたと思う
ただ残念だったのは理系の分野では当時世界一のギリシャ・ローマに劣る部分が見られなくはないことだが・・・
あの後中国は時代の流れ、動きを無視して似たようなパターンを繰り返していて
はっきり言ってオレはその後の歴史にあまり興味を持てない
また中世以降、中国の歴史は異民族の台頭で漢民族が王朝作れなかったりしたから
劉備と相対的に、政治的に簒奪者側として扱われ曹操の評価はガタ落ちした
ホントは漢は既に有名無実で崩壊していたが名義、肩書きだけでも後世の評価ではそうなってしまう
まぁ日本もたしか遣唐使途中でやめてると思うがそれ以後は
中国から積極的に何か学ぼうという考えが日本人には見られないし
オレも含めて中国史で日本人が興味を持てるのはせいぜい唐までだと思う
ランキングするとすれば曹操と孔明はワールドクラスでも十分上位だろう
ただ世界には色々スゴイ奴もいることは確かだ
まぁ世界史みたいな分量で人物を比較しようとすることがやっぱ無理なことなんだけど
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 00:31:30 ID:9uGMUB8N0
曹操のエピソードで有名なヤツ
官渡の戦いで勝利した後に敵が逃げ去った陣地に残っていた、
袁紹への内通を約束した文書を中身を見ずに焼き払って
「戦中はオレでさえ袁紹に勝てると思わなかった・・・
他の奴なら尚更だろう」と言ったというエピソードからは
人物としてのスケールのデカさを感じるね
中国で後々そういったエピソードのある奴いるのか?
>>472 後々ではなく、後漢の初代光武帝が既にやってる
実はそのエピソードは光武帝からパクったのです
曹操は劉秀、というか先人に倣ったところが結構有名だよね
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 18:14:09 ID:8gMABH320
秀吉の辞世の句としている「人生朝露の如し」ももとは曹操の「短歌行」からきてるんだな。
酒にたいしては当に飲むべし、
>>472 文化開拓や人材登用の目利きといった部分も
漢の武帝(劉徹)に既に備わってた素質だからなあ。
英傑と謳われた皇帝達と比べると曹操はやっぱり見劣りする部分はあるよね。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:13:06 ID:6ZnMCvuYO
詩作が出来る君主ってのは曹操が初めてなんじゃない?
漢書には漢武帝作の賦があったことが記録されてるようだが
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 12:32:04 ID:GemR3Jg10
対酒当歌 人生幾何
譬如朝露 去日苦多
酒に対しては当に歌うべしだね。
どーかんがえても中国史上人材の質が高かった困難な時代は五代十国だろ
貴族制の崩壊、金で動く軍隊、乱入する異民族……etc
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 16:08:33 ID:IsqA6Z3DO
>>480 五胡十六国もなかなかの逸材揃いですぞ。
DQNも多いけど…
なんにせよ、それまでの価値観が崩れて、カオスな状態になっている時代は、おれらみたいなのにすれば面白い。
こんなこというのもなんだけど、後漢末って優等生の乱世って感じで、インテリ層が多いというイメージがある。
五胡や五代にDQNが多いのは、異民族の絡みもあるし、腕力でのし上がったヤツが、政治をするという側面が強いから。
実際に住むにはイヤな時代ではあるけど、階級の垣根がすっとんでいるのは、興味深いと思う。
そのインテリどもが歴史を書くから
階層の低い奴や異民族は必要以上にDQNに書かれやすいから割り引いて考えないとな
>>476 個人的な評価だが、漢の武帝を英傑と言われるとエラい違和感がある。
後半がダレてたからかな?
>>484 たぶん、漢武帝のことを英傑とは言ってないように思う。
他の英傑とあるし。
目利きは孝武帝にでも備わっていた、とか言いたいのではないかな。
漢武は現地じゃ、自ら理由なき戦争を始めた点で嫌われてるけど偉大な太陽王という評価だったはず
太陽王ってルイ十四世のことか?
この二人って随分と似てるというかカブってみえるよな。二人とも、その死のたいして
時間が経っていない頃にダメ評価をくらっているし。
漢武なんて、息子が賜号をどうするか諮ったら「先代は徳が無かったので必要ない」なんて
言われている。
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:09:11 ID:qlgOQugU0
何だかんだで、語るネタには困らないな、曹操は。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 17:22:35 ID:pij6VxTJ0
中国至上最高にして唯一の傑物だな間違いなく
蒼天航路読めよお前ら
あまりの魅力にメロメロのなるよ
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 17:43:10 ID:SgDHgY+GO
そうだね爆裂団だね
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 17:54:06 ID:pij6VxTJ0
曹操のこと語るのは蒼天航路読んでからにしろよ
かっこよすぎ
釣りは三戦板でどうぞ
そりゃマンガの主人公が魅力なきゃ話にならんわ。
蒼天厨=腐女子でおk?
おk
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 16:44:49 ID:nxn0swi7O
でも蒼天のおかげで日本での曹操人気に火が付いたのは否めないよね
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 16:58:31 ID:xyMn7jFbO
蒼天航路で曹操を主人公にしたおかげで、正史 三国志からのエピソードなんかが少し取り上げられたのが嬉しかったね。
まぁ、かなり美化された曹操には苦笑いしながら読んでたけど。
蒼天は呂布や五虎将の超人的な強さを更に引き立てた作品でもあったな。
曹操は蒼天前からも日本のみならそれなりの人気者だったんじゃないかな〜。
吉川栄治の頃からけっこうひきあげられてるけどね>曹操
むしろ中国における曹操の扱いが酷かった。京劇とかだと、まんま董卓で。
小説で曹操を主人公にしたのは三好徹の『興亡三国志』が初めてかな。これも
結構間違いや誤認が多かったが、演義から正史によろうとしていたな。
蒼天前も曹操はかなり見直されてたっしょ。
吉川英治と陳舜臣の功績は大きいと思う。
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 19:35:43 ID:bUgxyote0
昔は吉川の小説と言えば宮本武蔵だったんだが、最近は三国志らしいな。
俺は演義は読んでない。正史と吉川の三国志のみ。
冒頭に超笑った。お前は太公望かと。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 19:42:54 ID:Pj4E3QQV0
漢帝国400年の歴史を立て直そうという建前を持った劉備の前には
さすがの曹操でも貧乏籤を引かされるハメになったんだろう。
庶民性のないキャラは中国ではウケないみたいだしね。
曹操は亡命政権や、異民族に中華を席巻時代だと
やたら嫌われたみたいだな。
捲土重来、中原回復が国是となる場合、
自分らの立場と劉備を重ねたから、だそうだが。
朱子も蜀が正統だと言ってたし、この影響も強そうだ。
↑席巻時代ではなく、席巻された時代、な。
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 20:53:22 ID:v8j0VqbXO
もし劉備が統一を果たしてたら献帝の扱いはどうしてたんだろ
まあ統一の可能性はほとんど無かっただろうけど
蜀漢では献帝は殺されたことになっているのでスルー。
劉奇のように奉戴したのち、
自政権の基盤が整ったら病死したことになるのだろう。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 21:44:32 ID:76SSyhRpO
>>510 劉備が即位する前なら、「病死」したことにして次の皇帝に
劉備が即位していたら、保護した上で「病死」してもらう
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 22:09:05 ID:FB0Sb/Tb0
横山さんも宝島のムック本で曹操を凄いって言ってたよ
横山ノック
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 15:28:05 ID:DZp+vL+i0
>>507 もし劉備が統一を果たしていたら、
劉邦の王朝 = 前漢
劉秀の王朝 = 中漢
劉備の王朝 = 後漢
になったのかな。
首都を何処に置くかで変わるんじゃない
後漢って五代十国の後漢と判りにくいから
前漢後漢じゃなくて西漢東漢って呼ばれてる訳だし
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 18:14:32 ID:LFm0q9Q+O
前漢、中漢、季漢
となるだろ
>>514 曹操、つうか曹丕がおそらく史上初の禅譲という手段をとっていなければなったんじゃないかなあ?
王莽。
もーとくかわいいよもーとく
曹操の悪口を書くつもりだった曹瞞伝では、
よく笑い、大笑いすると料理に顔を突っ込み、まるで風格が感じられなかった
(銅雀台に詩作ができる部下を集めたパーティでのことらしい)としているが、
却ってそれが現代人には庶民的に感じられ、印象のプラス方向の要因になっていたりする。
中国で、一番好きな歴史上の人物ランキングがあれば
曹操は100位内には入るんじゃねーの?
50位内は無理だと思うけど
1位は岳飛?
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 17:21:09 ID:EEfhJMGo0
>>515 劉秀の後漢は「ごかん」
五代十国の後漢は「こうかん」
と日本では慣用で読まれている。
>>521 老子、孔子、太公望、孫武、関羽、諸葛亮、李成民、楊業、鄭和、康熙帝
あたりも10位以内にランキングされるかもな。
中国では李逵とか張飛とかそういう人物が人気があるでしょ。
>>521 ちょっと前にテレビでやってた
日本人が好きな歴史偉人100人 って奴に
曹操入ってたよ。
三国志は他に孔明が入ってた
>>525 あれは酷かったな。
特に曹操の紹介時。
無双の画像が載ってたし。
世界の天才編では孔明4位、曹操90位だったよ。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 00:07:29 ID:6boRRbYa0
>>526 天才編の孔明の話って逸話じゃない。
一応ことわるべきだよ。
せめて正史にのっている牛車とかの発明にするべきだった。
次の英雄編こそ曹操の時代だ!
そう思いたいんだがあくまで「日本」でやってるから
きっと信長に負けるんだよな・・・orz
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 00:13:10 ID:6boRRbYa0
>>528 それより怖いのが劉備に負ける。
そんなことがあったら俺は発狂する。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 01:42:03 ID:P3vckP6uO
『曹瞞伝』で思い出したが、幼名の「阿瞞(ウソつきちゃん?)」みたいな意味の字を当時は平気で使ってたの?
あと、「吉利」って名前との関係は?
>>529 劉備は徳があるだけで才はないから大丈夫・・・だと思うぞ。
蜀オタの俺でも劉備を「天才」とは思えんしな。
これはひどい
劉備は戦上手
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 13:29:33 ID:Bt40axh1O
その才がない劉備に一度でも負けた曹操はどうなるんですか
劉備は諸葛亮よりは戦上手
曹操は大して戦上手じゃないよな
つか、曹操にアンチがついたのは、
曹操自身が北方異民族を南下させたために
中国内部に異民族入っちゃって、西晋になって連中が爆発して・・・・って感じだなぁ
陳羣の九品官人法、司馬懿による九品官人法改革が無ければ
爆発しなかったんだろうが。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 17:32:22 ID:KZRxfVqwO
>>537みたいなレスを見ると「匈奴は曹操以前から南下してた」と返す人が居るから先に書いておこう
南匈奴は確かにすでに後漢を通して内徙していたが、太原王氏が近所付き合いするほど接近させたのは曹操
またテイ、烏丸らを大規模に内徙させたのも曹操だし、曹操による烏丸や匈奴の内徙(南下)が北の最果の鮮卑が南下する契機だったのも間違いないだろう
>>538 後漢を通じて内徙させた結果、曹操の時代にはもうどうしようもないほど内に入り込まれていた。
だったらいつまでも異民族と排除するよりは、政権に組み込んで支配下に入れるようにする方が
政治というものだろう。だいたい匈奴はなんかは董卓の乱の時点で洛陽長安の政局に介入できる
ほど中にいた。これまで曹操のせいにするのか?
そうやってなにもかも曹操のせい、とするから反論するんだ。烏丸だって、じゃあどうするんだ?
勝った後、後顧の憂いないよう皆殺しにするか、もしくはまたこれまでどおり外地に支配を認めて
また反乱を繰り替えさせるのか?
少なくとも曹操と魏一代を通じて、北方でも西方でも異民族はおとなしく服従していた。外も内も
ね。それらの異民族が西晋になってから内でも外でも逆らい始めたというのなら、その責任は西晋
の政治に追求されるべきだろうに。
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 01:27:12 ID:oZWbtzXuO
東北方面については、劉虞・袁紹は烏丸を巧くコントロールしていた
叛乱が繰り返されるのはそれはそれで曹操の失敗と言わざるを得ない
先に書いたように烏丸の圧力が失せたことで鮮卑は勢力を伸長した
これは中国の伝統的な戦略「夷を以て夷を制する」に反するものだったと言える
匈奴にしても侵入していたことと公に太原定住を認めるのとは分けて考えなくてはならない
追い払ったり内徙を認めないという選択肢もあったのだから
あと魏の時代から既にトウガイが異民族を退けることを進言しており、晋になる前から一部で問題視されながら容易には手を付けられない状態になってしまっていたと見るべきじゃないか?
全面的に晋のせいにはできまい
勿論当時曹操にとっては兵力の補充や叛乱の防止に有効だったろうが、将来を見据えた策ではなかったのは否定できないと思うが
曹操は全体的に場当たり的なコトが多いよ
それが曹操の限界だったと思うし、曹操を取り巻く環境じゃそうせざる終えない部分ではあったろうとも思う
>>541 関中・涼州での大規模内徙などは赤壁の敗戦で軍事的に余裕が無くなっていたことが理由のような気もするしな
あと魏でも鮮卑は北辺唯一の異民族として叛乱を繰り返してるよね
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 23:50:56 ID:xaGbAMT10
姦雄と奸雄って使い方は同じなのかな?
曹操は上手くやってたが曹否あたりから怪しくなったってことで
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 03:20:06 ID:dmYidef0O
>>543 【奸雄・姦雄】
悪知恵を働かせて英雄となった人。
奸知にたけた英雄。
(大辞泉)
と、同じ意味として書かれている。
【奸】
よこしま。=姦。
(ア)悪い。ずるい。(イ)いつわる。わたくしする。(ウ)みだら。男女関係が正しくない。
【姦】
@よこしま。=奸。わるい。心がねじけて正しくない。また、その者。
Aいつわる。わたくしする。盗む。
Bみだす。おかす。
Cみだれ。内乱。また、外敵。
Dみだら。淫行。男女関係の正しくないこと。「姦通」
(漢語林)
以上、奸雄=姦雄で同じ意味としていいんじゃないかな。
どっちを使うかは個人の好みということで。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 13:48:27 ID:gbUr/f3P0
>>545 中国じゃ、「強姦」より「強奸」と使うことの方が多いみたいだし、
やっぱり同じ意味なのね。
現在の中国での諸葛亮の扱い
三人の靴屋>>>>諸葛亮
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 10:14:16 ID:iUtruTBq0
今風にいったら
平和のエリート戦争のヒーロー?
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 13:02:30 ID:+aw8P8460
>>548 違うだろ、乱世の油断ならない、狡猾な人物って意味だろ>姦雄
俺は、曹操の評価は【治世の奸臣乱世の英雄】って方が合ってると思う。
曹操は所詮混乱期のみの限定王者
安定期には弱い
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 09:16:56 ID:HyTz7q8c0
>>552 創業と守成の時代の君主で同じような名君っていないよ。
曹操はまだ分裂時代で功臣達を自ら粛清してない点が救われる。
漢の高祖、明の洪武帝見れば粛清のすさまじさが分かるだろう。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 12:28:36 ID:d/KUzCTxO
統一してないんだから功臣を粛清するわけにもいかんでしょ
>>553 荀彧、荀攸という「邪魔者」を粛清してますよ。
創業期で協力者を抹殺するのはどうかと。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 13:33:10 ID:vFu5uJllO
荀攸粛正は三国演義だけだよな?
>創業と守成の時代の君主で同じような名君っていないよ。
光武帝や唐の太宗は不満なのか?
>>555 荀ケでさえ、死因はいまいち不明だしな。
どうも後世、後漢書あたりの時代で、
後漢の忠臣として過剰に祭り上げられたようにも見える
>>530 なんか色々説があって、
1.幼名にいい名前をつけると悪魔に攫われちゃう(夭逝しちゃう)よ、だから幼名は
悪い名前をつけるんだよ説
2.夏侯家にまだ跡継ぎが生まれてなかったんで生まれたのバレたらそっちによこ
せって言われるからごまかそう→ウソっこの子なんだよと言う意味でウソっこって
呼んでたのがそのまま呼び名になっちゃったよ説
3.マンちゃん、って呼んでたけどマンに特別になんか字がついてたり意味があった
わけじゃなくて、後で曹操に悪意のある奴が勝手に瞞って字をあてた(日本語で考え
るなら、たとえば満とか万とかいい意味の字だって使えたのにというような)んだよ説
があるらしい。
吉利はワカンネだけど、阿瞞の方が「阿」って字使ってるとことか見ても家族の中とか
ごく小さい時の呼び名なのかなという気はする。
たとえば日本人なら吉川英治って名前として、阿瞞=えーちゃん、吉利=よっしー
みたいな。幼稚園ぐらいまでと小学校〜中学校ぐらいの呼び名というか。
まああくまで勝手なイメージだけどさ。
曹操には人間的な魅力を感ずるよ
慎重に見えて迂闊なところもあり
残虐に見えて情にもろいところもあり
希代の天才のひとりではあると思う
文学者、詩人としての顔を持つ英雄に自分は惹かれる
背が低く風采のあがらない男だったとか
一旦笑い出したら止まらなくて威厳がなかったとか
そういうのが真の姿だったとすればますます魅力は深まる
九ウン春酒法か。
献帝への上表文が現存しているらしいな。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 23:59:25 ID:Cq5Bp4paO
曹操って結構油断による失敗が多いけど、逆にそういうところが魅力になってるのかもね
>>540 鮮卑は檀石塊が亡くなって弱体化していた時期。
また袁紹の頃に中原から逃れた人が鮮卑について中国式の統率を教えてる。
つまり鮮卑が勢力を増したのはむしろ袁紹の責任が大きい。
五胡に関しては、どっちにしても西晋は弱体化して後漢同様異民族に侵掠される
のは変わらないから同じ結果になるだけ。
後、魏は異民族に対して優勢でその軍事力は歴代王朝に比べても高い。
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 01:39:08 ID:f+ZY2HHU0
age
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 03:06:28 ID:xGecmcvS0
曹操って自分の長男ヌッ殺したカクを重用してるんだねぇ
これ凄いな。こんな奴他にいたか?
>>566 自分を殺そうとした管仲を重用した斉の桓公とか
烈士暮年、壮心やまず
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 23:12:24 ID:0T4EAnmT0
短歌行
酒に対して当に歌うべし
人生 幾何ぞ
譬えば 朝露の如し
去りし日は苦だ多く
慨して当に以て慷すべし
幽思 忘れ難く
何を以て憂いを解かん
唯だ杜康 有るのみ
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 23:51:10 ID:xGzfb26L0
説曹操、曹操就到
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 23:16:25 ID:fWYfI4Xy0
>>570 郭嘉って長生きしていたら、どのように遇されただろうか?
宰相向きの人材じゃないんで、三公よりも特進や光禄大夫を加えられて
奉邑を奮発ってかたちになるかもしれん
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 18:54:08 ID:5MrNU0ok0
この人はよく織田信長的な人物像をつけられるけど、まぁいろいろ近いところはあるんだが、
どっちかというともっとひょうひょうとした人柄だったと思うね。
蒼天曹操までいかなくても
笑い上戸で惚れっぽくて小さくて首から袋ぶらさげてる楽しいおっさんですよ
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 13:45:48 ID:KW5filkU0
孫氏の影響力はそのまま曹操の影響力
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 15:08:38 ID:0nlyQ7GH0
曹操の子孫で、今も残っている人っているのかな?
>>578 1500人ほどいるらしい。
真偽のほどはわからんが一応村が丸ごとみたいな感じで。
>>579 なんか部落みたいな扱いになっちゃってない?
>>580 諸葛村とか住人の大多数が孔子の子孫の町知らない?
中国はそんなかんじですよ
>>580 とりあえず、いじめられるから怖くておおっぴらには言えなかったらしい。
今はもう大丈夫っぽいし、と別に特別小さくもない曹さんが言ってた。
演義でかなり悪役にされちゃったからな曹操も
最悪なのは秦檜の子孫だろうなw いるのか知らないけど
>>583 現在もいるらしい。かなり肩身の狭い思いをしているとのこと。
子孫に罪はないんだけどな…
「おたくの祖先って、あの売国奴でしょお?」
って話咲かせられたら、肩身が狭いなんてものではすまされんな。
気の毒だ。
今でも銅像につば吐きかけてるのかね?
昔世界丸見えかなんかで劉備曹操孫権と孔明の子孫の村特集みたいのやってたな
なぜか劉備の子孫は金姓だったけど・・・・・劉備はウリナラ起源ニダ?
連中が漢族風の姓名(金○○とか)名乗りだしたのは三国時代から数百年先だが。
あちらさんの統一新羅時代の頃か
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 12:17:32 ID:nJIYDMvA0
子供の頃の曹操に決定的な影響を与えた人っているんだろうか
祖父の宦官曹騰じゃない?
人間以下のカス寄生虫である(当時の中国の感覚ね)宦官でありながら政府を自由に動かすという立場になった祖父の影響は大きいと思う
曹騰は当時専権を振るっていた権臣梁氏一族を除いた大功労者ということになっているから
普通の宦官とは少し違い人望もある政治家だったというのがミソだな
曹騰と単超を間違えた、曹騰は時代を上手く渡り歩いた怪物政治家という感だな
治世の能臣または奸臣という評は曹操というより曹騰一族に向けられたものかもしれない
跋扈将軍
熱い情熱と冷たい合理性
矛盾する二つのものを持ってるところが好きだな
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 20:56:00 ID:LXxzI9QX0
曹操は
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 17:33:57 ID:wpgDuemV0
曹操に勝てる英雄はいない。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 19:00:11 ID:Z5B9cqwxO
曹操は英雄ではない!
あんな人間の生き様を数文字で表現する事が出来るんだろうかって思うんだが、他の曹操好きの皆さんはどうですか?
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 19:11:11 ID:UIzURTIe0
曹騰は太子ご学友で、しかもその中でも覚えめでたい人物だったから、
かなり厚遇されていたらしい。養子の曹崇(曹操のパパ)は平凡な
人物だけど、曹騰のコネとお金で出世できたらいしい。
曹操大好き。陳舜臣の「曹操」買って来た。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 10:21:17 ID:+Aa066bb0
感情の塊のような男で、天下に最も近づき、有能で豪放磊落な性格が基本だけど、
ときに弱気になったり、小人的な感情を抱いたり、臣や女に多情でしばしばそれで失敗したりと、
一個のキャラクターとしては最高に魅力的だな。完璧な覇王ではない人間で、歴史上、どんな英雄も
確かに何回も失敗はおかしているが、この人の場合結構それが目立つ。
それが人間的な感情のところからもたらされているのが面白い。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 19:20:14 ID:G56tLQiAO
曹操…中居正広
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 20:45:50 ID:FcXbwAwt0
劉備…木村拓哉
孫権…香取真吾
何進…稲垣メンバー
いくら旬のネタだろうがジャニーズに当てはめるのは勘弁w
>>599 つ 姦雄
がぴったりだと思うけどなー。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 03:06:32 ID:tiMDyn3y0
>>599 俺は『治世の奸臣乱世の英雄』がぴったりだと思うなー。
今頃
>>600が読破しているであろう陳舜臣の曹操とか読んでそう思ったわけだが。
だが数文字で表現するのは気が引けるって気持ちは解る。
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 10:25:19 ID:+/xh5wLh0
曹操の実家と、袁氏は経済力はどちらの方が上だったのかな?
名家より宦官の方が稼げる希ガス
曹操って袁紹の喪に服してるらしいぞ
曹操は河北を統一した後で袁紹の墓参りに行って、墓を抱えて夜通し泣き明かしたって記述もある。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 09:18:49 ID:lawEekZH0
劉備、曹操、孫堅の中で、出自が明らかでマトモなのって曹操ぐらい?
宦官の孫もマトモとは言いがたいだろ
曹操もよく夏候氏っていうけど魏の夏候氏って性格に夏候嬰につながるのか?
その夏候氏出身だって、「おそらくは」夏候氏の出身だろうみたいな書き方だしなあ。
エントンはじめとした夏候氏が尽力してるから、間違いだとも思わないけど、
はっきりしてない書き方がされているのは事実だ。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 09:17:12 ID:RhZ7W7190
>>615 曹操の父は、かなりの高級官僚だったらしいが?
>>617 義父が宦官権益でぼろ儲けした金で贖った有名無実の官だろ。
しかも曹操の箔付けの為だけだろーしな。
1億銭で買った大尉の位だっけか
相場は1千万ぐらいで名門だと500万ぐらいで買えたらしいな
>>618 曹嵩は司隷校尉、大司農、大鴻臚などの大官を歴任しているぞ。
家系を言う場合は夏侯氏の血統であろうがなかろうが関係なくなると思う。
(まあ頂点を極めた宦官の養子だからまともな家系から選んだはずだが)
まず言えるのは、曹操の家系は建国の功臣曹参に連なる名門という説もあるが、
それが宦官になるくらいだから、少なくとも祖父の曹騰の代では筵売り劉備の家より
ひどい状況になっていた可能性が高いね。
少なくとも曹騰には学校へ行く金を出してくれる親戚すらいなかったわけで。
誤解している人が多いようなんだが、建国の功臣の子孫はほぼ例外なく前漢末までには没落してて、地位や財力を維持していた家は無いと言っていいと思う
王莽とかが建国の功臣の子孫を探してまた爵位を与えようとかするんだが、その由緒正しい正当な末裔は爵位も無い民だったりしてる
だから曹参の子孫だろうが夏侯嬰の子孫だろうが、後漢末には実質的に関係なくなってる
そして曹騰の経歴とか曹嵩への中傷から考えると、彼らを輩出した曹氏も夏侯氏も曹騰と曹嵩が出るまで経済的に全く恵まれてなかった形跡が・・・
>>620 そりゃいきなり大尉なんて無茶なことはせんだろう。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 20:35:33 ID:5Aqimpyn0
なんでこんなに伸びないんだ
このスレが初期にかなり伸びたのは、専制国家氏という偉大なコテがおられたおかげ
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:12:48 ID:Go9jDLSl0
創価層化
>>625 活性化の影には大概カオスな香具師が関わってるからな。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 09:34:17 ID:wlKud+ct0
顔須
630 :
曹仁 :2007/08/14(火) 20:38:00 ID:83fCK3kX0
おっと・・・・
なんで日本人は曹操よりも劉備のほうが好きなんだろうな
どうみても曹操のほうが遙かに↑に感じる
演義
朱子学の時代の作品だからな
超端的にまとめたら
エリートのボンボンがほぼ天下とったって話だからな
日本人に人気出る話じゃないだろ
親父は大臣クラスのボンボン。実家は大金持ち。
おまけに勉強でも運動でも成績抜群。
そんなやつが順調に出世。
明らかに嫌なヤツじゃないかw
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 17:39:55 ID:yy3M7RDx0
それはひがみさw
でもそこにしびれる!
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 21:13:48 ID:kVXx33fOO
ボンボンつっても、袁紹みたいな良家のボンボンじゃなくて、宦官の孫で銭で太尉を買った奴の息子だから、コンプレックスを持って成長したことは容易に想像できるよね。
こうゆう陰が曹操になくて袁紹みたいな奴だったら、陳御大も興味をおぼえず、小説を書かなかったかもしれん。
>>638 袁紹も相当屈折した人生を送ってきてると思うが。
妾の子に生まれ、若死にしたおじの家に養子に出され、
長く仕官することなく侠客と付き合い、
反政府運動に協力し、一族の長老に叱られて、
やっと官僚への道を歩み始めたわけだからな。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 23:14:18 ID:kVXx33fOO
袁術との確執の遠因となったいきさつね。
それでも四世三公の袁家だもんなぁ〜
権勢はあっても侮蔑される宦官の孫ってのとは大きく違うと思うんだが。
宦官の孫って言っても、
爺さんは珍しく清流派名士にもうけがいい宦官で、
その人脈が曹操にもかなり生かされたようだし、
言うほどマイナスの要素だったわけではなさそうだよね。
総合的に見れば、プラスの面の方がはるかに大きかったように思える。
劉備や孫堅に比べると、恵まれすぎたスタートなのは確か。
「三国の祖が、それぞれ不利なスタート地点にもかかわらず
その実力で群雄割拠の中、頭角をあらわしていった」
なんて、物語的に綺麗に盛り上げるためにも
曹操も周りに合わせて、ハンデが大きかったかのように、強調されすぎているのでは?
と思った。苦労が大きいほど英雄性が強調できるという仕組み。
つまり、曹操も
宦官の孫という出自による、周囲の儒者官僚たちの冷たい視線に耐えながらも、
己の実力で乱世に頭角を現し、旧勢力を駆逐し、新時代を切り開いていった。
そんな分かりやすい、逆境に耐えた英雄の物語という設定のため、
宦官の孫と言うデメリットのみが大きく強調されすぎたのだと思う。
結局、曹操を英雄視する場合も、悪党として侮蔑する場合も、
どちらにしろ、宦官の孫という出自は過度にクローズアップしたほうが
人物描写が分かりやすく、面白いものになるということが考えられる。
>>638 男組の神竜剛次ほどに屈折してたからといって、それが何なんだ?w
コミックボンボン
しかし、曹操は実際はコロコロ派であったことが
近年の研究で明らかにされている。
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 20:52:09 ID:koO4LFwA0
まじでー
曹操曰く「アホーガンは我が子房なり」だからね。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 09:40:59 ID:LWcGjjIA0
層化草加
アホーガンはボンボンのみの登場人物で、最近はその発言は創作の可能性が高いと言われてるよ!
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 07:03:56 ID:JfQ4vmds0
普段は異常事態の中であれほど確信に満ち、危難の中であれほど悠々としていた彼が、
この度は戸惑いし、ためらい、粗暴から混乱へ、諦念の誘惑から最も強硬な暴動鎮圧の衝動へと移り、
余りにも大きな危険を賭けるかと思えば逃亡を云々し、逃げ腰になり、
絶えず居所を変えながら決して攻勢に出る事なく、老いて、老いぼれて、味気なく、
方向を見失って波のまにまに浮かび漂うだけの人間に成り下がり、
漸く自分を取り戻したのはラジオ放送の数分間だけと言う有様(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 11:21:34 ID:kAvO3Dn50
( ^ω^)( ^ω^)
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 13:57:45 ID:L80HozYB0
( ^ω^)( ^ω^)
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 06:47:39 ID:00NF4Ha50
655 :
ポントラーフ ◆rF3U/UzFSU :2007/09/10(月) 07:11:26 ID:GNFvYxbv0
曹操は偉い
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 23:08:23 ID:niwCuLQsO
やっぱアホーガンよ!には曹操が登場しないことから、最近の研究では曹操という人物の存在は架空ではないかという説が有力だよね。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 09:25:36 ID:SYT91mk70
あるあるw
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 23:23:58 ID:81RJdX7e0
こんなところに誤爆か?
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 09:43:38 ID:V6g+x5qa0
もっと徐行を重用せい
( ´w`)<そうそう
郭嘉「うんばらほ」
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 09:19:58 ID:c+dCuKaI0
ぶっころ
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 21:04:39 ID:wZ5Kg6Bb0
>>638 > ボンボンつっても、袁紹みたいな良家のボンボンじゃなくて、宦官の孫で銭で太尉を買った奴の息子だから、コンプレックスを持って成長したことは容易に想像できるよね。
>
> こうゆう陰が曹操になくて袁紹みたいな奴だったら、陳御大も興味をおぼえず、小説を書かなかったかもしれん。
>
>
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 23:47:08 ID:Bm640Xa40
コミックボンボン
ボンボンバカボンバカボンボン
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 18:31:45 ID:i6ch00ei0
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 00:31:38 ID:zYOp7M0M0
900get!
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 00:07:05 ID:ov2plKaL0
誤爆は曹爽の罠
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 09:52:48 ID:1UwKM7fZ0
そうですね
なんという・・・・
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 09:33:45 ID:FsNTWEAd0
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 22:23:16 ID:XIijsoYR0
テンイは犬死
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 21:12:15 ID:7zIjHSF30
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 14:56:10 ID:Zk6yBOZZ0
あれ、魏の正式な首都ってギョウ・洛陽・許昌のどれ?
>>680 後漢朝の魏王府としての治所があるのが鄴で、大魏帝国の京師(みやこ)は洛陽。
曹操が丞相していた頃の後漢の京師は洛陽から遷都された許昌。
こんな感じ?
>>681 そう。
あと厳密には許昌っていうのは魏になってからで都だったころの名前は許。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 12:52:35 ID:/EPbIo350
( ^ω^)うむ
age
魏武註孫子とか和訳されて売ってないもんかな
自慢話が書いてあるやつだっけ
>>685 > 魏武註孫子とか和訳されて売ってないもんかな
売ってたよ。立ち読みしたけどほかにも欲しい本あったから後回しにした。
マルチでわるいが夏候惇てなんてよむの?
なぜ夏侯惇スレで聞かないんだ。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 10:47:55 ID:BgOxef+T0
>>686 魏武註孫子に曹操個人の自慢話は1箇所とかしかないんだけどな
あとは本当に真面目に註釈に徹してる
城攻めは10倍の兵が要る(俺は呂布攻めた時、2倍で勝ったけどなwwww)
こんな感じだっけか
で、勝ち戦で勢いが付いてるにも関わらず、負け戦で士気もたかが知れてる審配軍にボコボコにされる…と
>>691 赤壁では相手に完全に「廟勝」のお手本のような分析をされてたりな
接要は占いの話が載ってるんだっけ
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 09:39:04 ID:ORSe96sN0
夏侯惇は何もしていないw
魏武註孫子ってネットに転がってる?
魏武註孫子で検索汁
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 09:22:11 ID:elYehzgm0
夏侯充について語ろう
孫子はネットにもそこら中にあるっしょ。
現代に広まってる孫子って、普通に曹操が註を入れたやつなんじゃなかったっけ?
>>678 説曹操でなく、説着曹操って言い方もあるな。
四字二句になるから俺はその方が好き。
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 17:26:13 ID:Kiea7OG40
人生の後半は慢性的な頭痛に悩まされた曹操。
呂布との抗争の際、頭部を負傷したらしい。兜の上から鈍器で殴られたとか。
頭痛と関係あるのかな?
>>699 外傷性の慢性頭痛とかも、あるにはあるよ。
激しい脳震盪を起こすと、脳挫傷とかはないのに
頭痛とかがずっと治らない、脳震盪症候群というものもあるし。
曹操の場合、いつから頭痛があるのか分からないから何とも言えないけど。
きっと鉄アレイで殴られたんだ。
車に乗ってるときに追突されてムチ打ちにでもなったんじゃまいか
漢中攻略で前歯が欠けたのは演義だっけ?
うん
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 23:18:39 ID:cbIUbIi50
一門不遇策をとったのはソウヒから?
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 00:21:23 ID:EhS8lqyMO
父がいるのに徐州と事を構えた曹操以来
>>706 徐州と事を構えたのは、父が殺害されてからだろ
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 12:32:09 ID:EhS8lqyMO
違うっしょ
曹操と陶謙が交戦→瑯邪にいた曹嵩が逃げる→曹嵩が殺害される
だよ
いくら調べてもわからんので、誰か助けて・・
曹操が洛陽を支配したのはいつごろ?
書籍やwikipediaを散々みたが、どこにも書いてない。
「たぶん」でもおk。
196年7月から9月の間。
マジレスすると、氾濫してるガイドブックの類を20冊集めるより
ちくま三国志一揃えの方が10倍役に立つよ。
趣味のレベルならこれを片手にネットうろつくだけであとは何もいらない。
おおお サンクス!たすかる。。
感謝感謝。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 21:24:09 ID:QlsGWgPU0
このスレでまともなレスがつくとは・・・・
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 23:28:05 ID:6iojDlYO0
バカにすんでねぇ
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 09:21:36 ID:QNk1DcSq0
曹殖は優秀
それは知ってたw
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 22:12:01 ID:dZElMeGq0
( ^ω^)( ^ω^)( ^ω^)
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 21:57:55 ID:qBYHqWVj0
曹操の軍を代表する五将とやらは、一体どこから沸いた設定?
演義かいな?
李典、楽進、徐晃、張遼、張コウだったような気がするが。
三国志魏書張楽于張徐伝第十七陳寿評
于禁も入れてあげて下さい
これは失礼、李典じゃなくて于禁が入ってて、この5人で等格扱いだったのか。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 05:30:36 ID:bXPszgRr0
曹操はあるとき行軍の際に、麦畑の中を通りました。
そのとき
「麦畑を荒らしてはならない。違反者は死刑だ」
というお触れを出しました。
そのため、騎兵はみな下馬して徒歩で行軍しました。
ところが、曹操の乗っていた馬が跳ね上がり麦畑の中に踏み込んでしまいました。
曹操は自分が禁を犯したため、主簿にその罪を判断させたところ、
「尊貴な者には刑罰を加えないことになっている」
という答えが返ってきました。
「自分で定めた禁令を自分で犯しては部下の統御はできない。
かといって指揮官の自分が自殺するわけにもいかない。」
というわけで、曹操は自分の髪を剣で切ったのです。
さすがは曹操!
自分に大甘。
求賢令出してから実際に重く用いられるようになったのは親戚くらい、というのが曹操の正体ですから
良君の逸話なんだけどね、これ。
>>723 当時髪の毛をバッサリやるのは今で言うと、テレビで記者会見して土下座を何時間も放映するようなもんで
髪と言えど親から貰った体なので無闇に切るのは物凄い恥辱だった
>>724 実際に能力主義なのは曹丕だしな
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 13:59:11 ID:3Tr6tcHD0
その逸話を記述したのは、たしか曹操の悪口を集めた書だったはず。
篇者としては、曹操の悪知恵と詭弁振りを示す話のつもりで載せたのだろうが。
演義において、孟徳新書=魏武注孫子 だとか言う話を散見するんだけど
演義内に明確な設定としては存在しないよね?
曹操が孫子に注釈を加えた、っていう史実をヒントに
曹操が孟徳新書っていう兵法書を書いたっていうエピソードを作っただけで。
>>726 でも他の人なら死罪適用なんでしょ?
それを髪で済ますなんて明らかに甘すぎじゃないの。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 23:45:13 ID:IMxqGlQK0
>>730 コン刑っていうのが昔から中国にはあるんだよ
髪の毛を切って罰になる文化なんだから甘過ぎじゃない
陳寿が諸葛亮を『貶めて書いた』説の根拠になるくらいだから、
どんだけ屈辱的なのかは推して知るべし。
それから、当たり前だが封建体制下で法の下の平等なんてありえない、
ていうかそんなことをやるのは狂人の類なんだよ。
曹操ってのはその勢力にとって「替えの効かない人間」なのだから。
「尊貴な者には刑罰を加えない」という返答が道理的・法理的に正しいんだな。
ところが曹操は自らに刑罰を下した。この一事のみを取り上げれば
良君の行動ということになる。
なんだか曲解された儒教みたいな言い回しだなw
髪を切るのは意外と重い刑だったりする。
コン刑は一応肉刑の中では最も軽いが、他が左足切断とか目を潰すとかなんでなんとも。
上に「テレビで土下座中継」ってあったけどその通りで、髪は生えてくるまで時間かかるので結構恥は続くぞ。
ましで現場にいなかった人間にとってはただの罪人にしか見えないわけだし。
とにかく価値観が違う世界だから気軽に罪の軽重は語れないよ。
確かに現代の価値観では語れないが、
この話って呉起が病気の兵士を介護して兵の忠誠を得たエピソードの同類でしょ
儒教的理念で語るのは見当違いじゃないのか
>>736 勘違いしてる
儒教的背景を理解してコン刑が物凄い恥辱だから美談になるんだよ
髪を切るのは恥辱であり不孝(というのが一般の認識)
曹操が罪を犯そうが部下が言ったように自分を罰する必要はない
でも曹操は自分の髪を切って死罪の代わりにした
兵士「うわあ凄い曹将軍は法律をここまでして遵守するのか。俺たちもちゃんと法を守らねば」
このエピソードを収録した奴「曹操は兵士に法を守らせるためには親不孝なんてへっちゃら。ヒドイ奴」
こうか
>>738 そうですね、儒教的倫理の窮極からすれば「国法やら君命やらに背いてでも孝の方が大事」ですから。
とはいえどっちが大事とはいちがいにはいえんわな
映画「華佗曹操」での話。
曹操の軍事行動に同行するよう命ぜられた華佗は意図的にサボタージュ。
曹操から命令される筋合は無いという考えがあってのことだった。
閲兵中、遅れて来た華佗に、曹操は詰問する。
職務怠慢だと死罪に相当するが、お前はどうけじめをつける?と。
華佗は答える。
曹操殿は乗馬が麦畑を荒らしたことで自らが負うべき罰を減じ、髪を切りました。
私めも髪を切る罰に、甘んじて処されましょう。
これを聴いて、曹操の武将は色めき立つ。
荀ケ(ジュンイク)が進み出て、とりなす。
華佗は朝廷の臣なので、曹操殿の一存で罰することはできない、と。
まあ映画の脚本が書かれたのは現代なわけだから、挿話の意図も異なるかもしれんが。
映画の中の話だけど、これって軍務の一環になるよね。
だったら、曹操にも処罰の権限があるんじゃないかと思うんだが。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 10:51:20 ID:7VEdZDey0
なるほど。。。。
曹操もやっぱり儒教の徒なんだな。
あんまり突っ込んでも仕方ないが、
天子を握って独裁している曹操が非公式に意を通した結果の従軍なのか、
司空乃至は丞相の正式な権限下での従軍なのかによって異なるんじゃないかな。
まあ、曹操の権限から外れるってことになるとかなりの高位になっちゃうだろうけど。
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 19:56:15 ID:Nv1kRPCl0
後漢末期の儒教の根深さってのはハンパじゃないからね
儒仏道による三教同一の思想はいい考え方だよね〜。
う〜ん・・・なんか論点がズレてるような気がするが・・・
映画「華佗曹操」を引き合いに出したのは、
華佗が”曹操がかつてやったこと”を引き合いに出したことが一部の将の反感を買ったという演出が印象に残ったから。
怒り出した武将は「お主は曹閣下と同じ立場のつもりか!?」とか言ってたかな?
観直してみないと、よくわからんけど。
曹操が自らを死刑にする代わりに髪を切ったことを、部下たちはどう受け止めていたかが表れているかな、と。
荀ケがとりなしたことまで言及したのは、そこまでが一連の場面だったから、切りがいいと思って。
その場面の段階では、曹操は華佗を処刑したいなどとは微塵も思っていなかったけど、
軍律を守らせる立場上、叱責せざるを得なかった。
ところが華佗が空気読めないこと言ったおかげで、曹操本人よりもむしろ武将が怒り出した。
事態を収拾したい曹操の肚を読んだ荀ケが、うまいこと繕った。(曹操と荀ケがツーカー)
そういう流れだった。
ほー
その流れだと、史書の記載と結構噛み合うね。
曹操が自分を処刑しなかったのは、まさに「偉い人」だからだし。
まあそういう正当化が無くても、そんなこと言われれば股肱の部将はキレるだろうけどなw
華佗の言う事に筋が通ってるよな。
曹操にしてみれば、既に1本取られてるような状態だろう。
そもそも人間には誰かに命令する権利など持ち合わせてはいないんだし。
強引に出仕を命じられたのならそういう答え方もありだな。
映画「華佗曹操」は権力者達への皮肉も込められてるのかな?
あーごめん。録画テープを探し出して観直したら、内容の記憶がかなり違ってたわ。
・華佗の遅刻は、意図的なサボタージュではなく、手が離せない治療のため(患者はとりたて身分があるわけではない一般人)。
曹操が遣わした使者は、手術を中断してでも直ちに出立するよう勧告したけど、華佗は頑として受け入れず、治療を優先した。
結果、命令刻限に間に合わなかった。
・登場武将(夏侯惇・許チョ)は早い段階で、華佗の処分を緩くするよう請願する。
・曹操は、軍規を守らない者に甘くするわけにはいかないと言い、自分にもかつて髪を切って兵に示しをつけたことがあることを述べる。
・それを受けて、華佗は自分の髪をささげましょうと言う。
・ここで怒り出したのは曹丕だった。抜剣する構えをとり、「皮肉を言うのか!?」と。
ちなみに曹丕は、この映画における悪役的配置。
・曹操も怒っており、華佗の処刑を命じる。
・斬首の寸前、荀ケが駆けつけ、処刑をやめるよう嘆願する。
しぶる曹操に突きつけた切り札が「華佗は朝廷の臣でもあるから、みだりに殺しては人心を失います」といったことだった。
そうそう、この映画の中で華佗が曹操付きの軍医に任命されたという経緯は、
>>750氏が仮定した通りで、
華佗本人の同意を得ずに、曹操が一方的に決めたものだった。で、強引かつ一方的に出仕を命ぜられたという流れ。
今でも曹操はやっぱり悪役なんだなあ。
確かに髪を切って命の代わりに、というのなら
皆それを真似るのも道理。
下民がそれを真似たら、苦し紛れに処刑宣告とはね。
しかし荀ケのファインプレーは見事。
「朝廷の臣」という言葉で曹操の暴威に歯止めをかける。
この作品は荀ケがいい味だしてるねえ。
今でも、と言うか何と言うか。
演義辺りでこの話が採録されている時には既にコン刑は消滅し、
肉刑自体がかなり廃れているはずで、
1000年の間に髪を切るということの重みの認識が変わっている。
その差異を上手く利用して「曹操の詐術」に転化したのは
演義の巧みな点なわけだ。
こういう、史書からの逸話をかなり忠実に取材しつつ意味を
変えるという技巧が演義は全体的に非常に上手い。
この逸話は曹マン伝だっけ?
悪口が多く書かれている書だけれど、普通に美談もあったりするんだよ。
作者がどんな意図でこの話を収録したのかとか、
当時の兵士や士大夫の反応などは、まあ控えめに「判らない」と言っておくか。
>>750 >人間には誰かに命令する権利など持ち合わせてはいないんだし
………ナニを言っているんだお前は?
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 21:58:51 ID:5k49rBrH0
天和思想www
映画の中でですね、華佗が髪をささげることで謝罪しましょうと言ってのけると、
曹操は意表を突かれたのか、ポカンとなるんですよ。
で、曹丕が「図々しい! 皮肉まで言うとは!」と切り出すまでには数瞬の間があって、
役名不明のキャラ二人組みがニヤニヤ笑っているカットが挿入されているんです。
この二人組みは帷子を着けておらず、非戦闘員らしい長袍を纏った、軍官僚か軍医といった風情。
この笑みは、一体何を意味するのか・・・
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 09:50:58 ID:4jnL2tAf0
ウボアー('A`)
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 19:05:28 ID:qR6Wpucx0
>639
曹操スレなのに俄然袁紹に興味がわいてきた
流れきってすいませんが、人材マニアの曹操が誘いをかけて断れらた人材
って誰がいますか?
甘寧と諸葛謹は分かっているのですが。
沮授とか
>>760 甘寧と諸葛瑾ってそんなエピソード有るの?
太史慈の「当帰」を送られたエピソードとか。
司馬仲達にも断られたと言えるかな。
結局は強引に登用したけど。
張紘や関羽は、一時とは言え仕えたから
その範疇には入らないかな?
まあ両方ともその後すぐに帰ったけど。
投降を呼びかけたけど城を枕に討ち死にした連中も入るんだろうか。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 14:34:45 ID:gf865Bof0
いるでしょうね
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 16:43:00 ID:ZAQe8IGi0
義理堅いというか乱世には適さないな
感情的に、曹操には従えないということかもしれん。義理堅いというより。
まあ、そんな心情の結果かもしれない場合もあるかもしれんということで
諸葛亮が言ったみたいに「北には人が多いから出世できんよ」みたいな感じで
中原に戻ろうとしなかった連中とか。
呉とか結構多そうな気がする。
でも張昭とか北方名士連中は赤壁あたりまではいつか戻れるつもりでいたんだろうか。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 12:36:07 ID:n2t7rgO80
曹操が袁紹を打ち破ったとき、
袁紹の元に有った自分の部下の手紙を中身を見ずに焼き捨てた、ってエピソードが有るけど
光武帝にも後漢書にほぼ同じエピソードが有るんだよね。
状況も河北の王朗を倒したときだから似ている。
この手の手紙焼き捨てエピソードって名君にありがちなものだったのかな。
それとも范曄が(あるいは陳寿が)似たようなエピソードを仕立てた?
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 12:42:00 ID:4rIb4WO+O
曹操の方は手紙を検閲したという話も残ってるよ
李通伝注だったかな
曹操の光武帝オタっぷりは、今更言うまでもない位有名でしょ
つか、後漢の士大夫は程度の差はあれど、ほとんど光武帝オタ
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 15:07:48 ID:BBXQZWV/0
帝国主義時代の英国なら曹操大活躍だな、きっと
ゴードン以上に功をあげたに違いない
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 15:35:27 ID:mAHXw6Tc0
>>772 光武帝オタっていうか光武帝は後漢の創始者だから、後漢朝に仕えてる士大夫連中は
そりゃ光武帝に関して変なことは言えないでしょう。
曹操だけじゃなく後漢末の群雄達は皆光武帝のこと意識してたでしょうね。
後漢末の群雄争覇時代から見れば、新末後漢初の動乱は最も直近の参考例だから
その成功者である光武帝の事跡を真似ようとしたくなるのも仕方ないことかなと。
>>772>>774 まあ真似したってのが妥当なんだろうけど、
執筆時期自体は三国志→後漢書の順だということとか、
あんまりにもそのまんますぎる点が気になった。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 11:28:22 ID:sFRNBilN0
>>772 なんつーかなぁ、そういわれてもって感じだなぁ
みんな真似すんのも無理ないとおもうがなぁ
真似真似言うけど、真似して一定の成功を収めるってのもすごいことだよ。
猿真似って言葉もあるし。
独創ではないが、堅実な感じだわね。
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 21:07:42 ID:+Evo0wVu0
学ぶは真似ぶからきているらしいな
お前が楊松か
余は主君を売って出世を計るなど許せん
こやつの首をはねて見せしめとせよ
( ^ω^)( ^ω^)( ^ω^)
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 06:42:52 ID:EwfgClk8O
焼きすてい
>>781 206年までしか生きてない人物を語る状況で
「呉王だった孫権」とか真面目に言っちゃう人の話しには全く信憑性がないです まる
ついでに言うと孟徳新書=魏武註孫子というのは全くの間違い
魏武註孫子という題材を三国志演義で孟徳新書にして登場させたのは
曹操の優れた文学者、兵学者としての側面と否定しつつ
張松という人物を優秀な人間として登場させ、「蜀の人は子供でも皆こんなの知ってる」言わせることで
劉備がその後に逼塞するはずの益州を資源の山にして人材の宝庫という風に描く為の前振り
ついでに曹操は「接要」という過去の兵書のレジュメを自分で作っておりその中にほぼ確実に孫子は入っているわけで
曹操が孫子の註釈を行っていた事は間違いがないと考えていい
ただし現代に伝わる魏武註孫子が本当に曹操の註したものであるかはわからないのでURLの人の言うことも一理ある
基本的に現代に伝わる古典の文章は「〜が書きました」ってのは「〜が書いたとされてるらしいけど証拠はないです」ってことだから
何を今更という気もしないでもない
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 21:34:49 ID:SuEBTFZc0
>「呉王だった孫権」
\(^o^)/オワタ
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 02:15:30 ID:cLxkln8G0
孫子が魏武注というのは証明されてなかったっけ?
アッ―――――――!
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 16:05:46 ID:cQSGaT+/0
【タイトル】 氷雪氏専用スレ
【名前】
【メール欄】 sage
【本文】↓
氷雪氏の小説が苦手な人もいるようなんで隔離の意もあって立てた
むかしむかしスレの続きもここでやってくれればと思います
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 20:25:04 ID:hTTI/9+Y0
__,, , , , _ 、 ,,, ... ,, _ ..,_
ー=、 、ー-、`ヽ、、ヽ`!i' , ,i",r'",-'"=ミ
`ヽ`ヾ`、 ! ヽ ! l! i! !_i_/_<'"``
`,ゝ、iliー'" "、,"、', i, リ
!/!,li ,;;-=o=-,ッィ=。ゥィ
__ i、`!', '; `ー /;;!i、''; ,!
ー''`ヽ`,ーi'`''"!、ヽ , `一'、 / __
`il `i ! ヽ、  ̄ ̄ / iヽ、/ ,.ヽ_
i! !` `ーァ、-ー' ! ノ!トi,!'",ノ-、
,..=、i! iヽ-、 rィ',;'!ヽー-、! `/_,i' _,.!'、
ーニー-、._ `ヽゞニ-、.;' i! ! , `ト_ノ`x-'" ノ
=ニヽ、 , `, /ヾ=ソ ノ !/ !、`ー`''イ、
-ー-、 `i, / / ヽ `イ_, i -'" ̄`! ! ヽ
ゝノ /-'" ` ' ! ヽ !
そうそうの うごきは みきった!
おまえは おれに かなう あいてでは なかった!
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:44:08 ID:mhPlRsyb0
曹操=うんこ
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:44:29 ID:mhPlRsyb0
曹操=うんこ
さげ
793 :
劉邦:2008/05/14(水) 11:02:34 ID:u64Tg7540
曹操は、韓信や明智 光秀に似てるよ。
曹操孟徳
って名前のせいで勇猛なイメージが定着したんだと思う
実際はただの文弱な人材オタクでプライドが高いが人懐っこいオヤジだったんだろうよ
↑
で、お前は引篭もりながら歴史の本とパソコンばっか見てるオタク野郎?ww
と、信者に書き込まれても仕方のないようなレスだな
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 21:59:08 ID:Xa7HTVW70
どういうこと?解説よろ
>>794 BSドラマの「関羽」に出てくる曹操はまさにそんな感じw
本土でもそう思われちゃってるみたいだな。
たぶん本土でもイメージは分かれてると思うぜ
まー三国志自体日本ほど人気があるかわからんが
関羽、諸葛亮のみがぶっちぎりの人気なだけかもしれんしな
多分な。
曹操一派は日本で言う吉良上野介的な役回りだ。
実際には吉良上野介のが浅野より人格者で周りから慕われてたってのに赤穂浪士を忠臣にするために悪役にされたから。
しかし、三国志やその注なんかを見る限りでは、曹操(というか曹氏)は当時から既に多くの名士からは微妙な距離を置かれていて、司馬氏が天下を取ると早くもこき下ろされ始めている
(やけに醜聞が残っているのはそれが一因だろう)
曹操の扱いが悪いのは中国の伝統
まあ曹操もそのじいちゃんも要はなり上がりだからな。
やっぱ由緒正しい名士には煙たがられてたのかもね。
つーか正史のなかですら商鞅の如しとかって言われてるくらいだからなあ…
一時代の王としても領地が中途半端で不義簒奪の輩だしな。
しかも、漢朝といえば周朝に次ぐ超長期政権。
後漢末の時代が幾ら衰退した王朝の時代とはいえ、400年も続いた王朝に幕を
降ろしてしまったのだから取り返しの付かないマイナスイメージを残しちゃったな。
その上、自分の子孫達が立てた王朝はたったの45年で崩壊。
これじゃ後世でどうぞ叩いて叩きまくってください、と言ってるようなもんだな。
不義簒奪もクソも当時の群雄は漢朝に帰依しようとか思ってないし歴代の王朝みんな似たようなもんだけどな。
無能な皇帝に治めさせるくらいならYOU皇帝になっちゃいなよってのは儒教でも言われてる事だし。
グズグズに腐りきった王朝なんぞ滅ぶべくして滅んだようなもんだし。勝てば官軍だよ。
自分で獲得した領土だけだったら劉裕あたりと互角だし、歴代の王朝と比べてもなんら遜色ない。烏丸を始めとした北の有力な異民族も従わせてたからな
これで統一さえ出来てれば言う事無かったんだけどなあ。
赤壁でコケた親父もそうだが、息子ももう少し長生きしてれば呉を倒せてたかもしれない。かなり押し込んでたからな。後一押しが出来てねーんだよな。
曹氏は天下を取れない家系なのかねえ。
しかし、忠義の化身たる関羽や岳飛が尊崇される国だからな。
不義ってのは大きなマイナス要因でもあったんだろう。
関係ないけど、不義の時代五代十国の華北政権は
のきなみ偽王朝と、当時(北宋)から言われていたりするので
曹操などまだいい方だぜ。
なんてことをふと思ったw
>>805 尽忠報国の岳飛はともかく、関羽は別に漢に忠誠を誓ってたわけじゃないからな。劉備だから。
とにかく孫悟空が道教の神様になるような国の信仰心は日本人にはあまり理解できんからそんなに参考にならん。
>>807 関羽は劉備が漢帝国の再興を掲げてたからってのもあるだろう。
日本の人物の事を語りたいなら中国の文化は参考にはならなかったろうな。
しかし、中国の人物語ってるんだぜ?
中国の文化に従うべきじゃないのか。
>>808 その漢朝復興ってのがアンチ曹操の大義名分なんだよ。同じように曹操も自分等のこと「官軍」っていうけどね。
中国人と日本人の意識の問題なんだよ。
向こうは小説のヒーローさえ神様として崇める。勿論何人本気にしてるか知らんがね。
だから崇められてる=史上比類できないほど偉大な人物っていう風に単純には考えられないんだよ。日本人の感覚だとね。
後世のイメージに尾ひれがくっついてるってのが多分にあるだろうし。
まあ日本でも悪霊だったはずの菅原道真が学問の神様になってたりするからね。神様や宗教って人物評価ではあんまりアテにならん。
まあ菅原道真が学問一生懸命やってたのは本当みたいだし、関羽が劉備の忠臣だったってのは本当だけどね。
>>史上比類できないほど偉大な人物っていう風に単純には考えられないんだよ。日本人の感覚だとね
それ、日本人中国人という差ではなく、それに接する態度なのじゃないかと。
わかりやすく言えば、研究者とか歴史学者とか、歴史学愛好家とか。
より現実的な目線をもった感覚なのでは?
>>809氏がそうではあるけど、日本人すべてがそうとは限らないと思うけど。
それに、関羽は小説のヒーローとだから神となったわけじゃないと思うけど?
小説が完成したのも、南宋の蜀漢正統論以降のことだしね。
>>804 呉を押しているように見えても結局勝てず、それ以降は呉を攻めれば蜀が動き出し、蜀が引っ込めば呉が元気になる、の繰り返し
結局一瞬でも天下統一を果たせなかったんだから、魏は「勝てば官軍」の「官軍」になりきれなかったってことなんだよ
不義な簒奪だったことじゃなく、実力を示すことが出来なかった点が問題なんだ
>>811 ホントにねェ。結局勝ちきらなきゃ後世にはパッとしないイメージが付いちゃうからな。
統一してればそれこそ簒奪者とか冷血漢とか言われなかったろうし、マイナス部分もここまでこき下ろされる事は無かっただろうな。
でも統一されなかった時代だからこそ創作物とかの対象になってメジャーになったんだと思うと複雑だな。
>>810 要は中国の民間信仰ってそんくらい守備範囲が広くて曖昧ってことさ。
後世まで語り継がれるのはすごいけど関羽って史実の人物だから史実の関羽を語るときには関帝とは切り離して考えないとダメじゃないか?ってことだよ。
あと蛇足だけど関羽が信仰された初めは貿易の安全祈願だったらしいね。他にも諸説あるみたいだけど。
関羽の神格化へのルーツは正史からであることは間違いないとは思うけどね
万人之敵とまで称された持ち前の尋常ではない武力が
隋唐あたりまでは名将、勇将の例えともされ唐代あたりから神格化が始まってる
演義にさきかげて、相当早い段階で神になってたみたいだね
>>813 だから神様になった時点で史実とはかけ離れた偶像だから、劉備の臣として活躍した人間関羽とは分けて考えなあかんよってことだ
分けて考えたくない人が多いのじゃないかと。
>>814 当時評価で1人で1万人の敵を相手に出来る将
義に大功を持ってこたえ国士の風格を持つ とまで言われ
更に後世は武聖と言われたくらいなのだから、武将としても優秀だったんだろう。
だからこそ、護国の武神ともなりえたんだよ。
武将として中途半端な人物なら神になんぞなりえないってことだ。
>>816 人間として評価するのであって、神とか後世の評価を
それにプラスして考えては人物像を見誤るということなんだが。
誰も中途半端とか、そういうことは言っていないと思うぞ?
だから当時武将としても
「万人之敵」という最高峰の評価を得ているわけだが。
正史に置いても、関羽を名将と扱う項目はかなりある。
陳寿は劉備や関羽、諸葛亮など蜀の英雄、豪傑を他の人物の伝によって
褒め称えている。
よく読めば、正史も演義同様蜀マンセーだよ。
一部の失敗談を針小棒大に見てしまうことこそ人物像を見誤るだけだと思うが?
神になったのはその人物がその時代を代表する
稀代の英傑だったからという証拠のようなもの。
恒久に語り継ぎたい自国の誇りとしてね。
神という言葉を、現代語で解釈しすぎている。
当時の中国において、神にあがめられるのがどういう人物なのかをまず把握したほうがいい。
これは日本でも同じことだがな。
黄帝、顓頊、帝コク、帝堯、帝瞬、禹王
関羽、岳飛、太公望、孔子、老子、墨子、荘子、唐玄宗、秦叔宝、尉遅敬徳
張果、包丞、陳元光、伍子胥、葛玄、鄭和
有名な人物だけでも道教神に認定された人物はこれだけいるんだがなあ。
(まだまだ居るが)
各分野で一流の人物揃いだろ思うのだが。
当時の中国に置いてとか、何を言ってるのか意味が分からん。
とりあえず「万人之敵」などの評価を鵜呑みにしすぎだな
ハン城の電撃戦など実際の功績にかんがみて評価を下すならわかるが、
当時の評価の仕方はそれこそ「超世の傑」のようにオーバーなものが主なのであまり鵜呑みにしない方がいい。
あと道教神認定=優れているの考え方ならなぜ朱元璋などは道教神にならないのか、なんて言い方も出来る。あと項羽とかもか。
後世の人間の偶像崇拝ってのは本人の功績とは直接は関係ないから史実を語る上ではあまり参考にならない
まあ、品行もよくないと神にはなれないしな。
朱元璋も項羽もその程度と思われてるんだろう。
史実の延長線上にあるものとも思われてるのが道教神に祀られた英雄達。
と言っても、頭のお堅い人達には理解してもらえないかな。
史実も突き詰めれば歴史の事実にはたどり着けない言わば古い文学作品の一種。
史実への過度な妄信と神聖化こそ誤った認識じゃないの?
>>822 史実と神話を混濁しているなら残念ながらもう話す余地は無いな。
科学とオカルトくらい別のものだ。
確かに資料と言うものが人が作ったものである以上絶対の真実なんてものは無いが信憑性というものは存在する。
100%ではないから0と同じなんていう考え方のキミとは対立しても仕方がないな。
>>818 いや、だから… 自分で言ってるやんか
「一部の失敗談を針小棒大に見てしまうことこそ人物像を見誤るだけだと思うが? 」
それを敵将(参謀格の程昱ね)の評価を強調しすぎて、ほかのことに言及せず
大きくみせすぎようとするのは、偏ったものなんだよ。
この場合本当にすべきなのは、関羽のやったことを書き連ね、相対的にみることにある。
…と、言うのはもう
>>821が言ってるなぁ…
万人敵の意味するところも。
あるいは項羽のような武勇といった意味も、中には含まれているかもしれない。
なんにせよ、言葉のまんま「1万人をぶっ殺せる」わけではないよ。
神や賛辞をうけたからすごいに違いない、ではなくすごかったから神になった
とするなら、すごかった内容に言及するのが本当で、そこには成功もあれば
失敗もある、そしてそれを両方鑑みて、関羽という人物が社会や政治に果たした
役割はなにか、を探り出すのが「生の人物像」に迫る行為ではなかろうか?
そうすれば、より事実に近づくものと考えるがなぁ。
>>823 信憑性なんてもんはインテリが自論を確立させたいために
使ってるような言葉だよ。
>>824 関羽は劉ヨウ伝や周喩伝でも名将の誉れを受けてるぞ?
>>824 いや誰も関羽が「名将とか英雄なんかではない」とは言ってないんだが(汗
名将は名将でいいとして、神とか後世の憧れみたいな対象としての評価抜き
で、関羽を見てみませんか? つうこと。
それがひいては、実像に迫る行為だからね。
神や後世の評価なんてのは、それこそ後世の人らの都合で、関羽のしったこっちゃないでしょ。
これも多少語弊があるか…
>>826 いやその通りでしょう。ぶっちゃけ関帝には商売の神としての面を持つが、それが
生前の関羽となんの関係があるのか。
生前の関羽が名将やら英雄であったことまで否定している人はいない。しかし、単に
名将であるとか英雄であるとかなら、関羽と同等あるいは越えるような人はいた。
しかし彼らが神にならず、関羽が神になった点をみれば、必ずしも名将であることが
神になる条件ではない。逆に名将でもなく神になった人物もいくらもいるのだから。
関羽を名将として評価するのなら、生前の功績だけで議論するべきで、死後の名声とか
人気とかは関係ないってこと。
以前どこかのスレで同じようなこと言って、あげく達磨をネタにして馬鹿にされた人が
いたなあ。
>>827 ああ、それ自分も係わってたわ…
なんかデ・ジャヴな感じだったのは、それかw
>>関羽が神になった点をみれば、必ずしも名将であることが 神になる条件ではない
それだけ、関羽という存在が大きく、印象に残る人物で
なんか感情移入できるような存在だったからなんでしょう。
なんで神と祭り上げられたかについては、詳しくというか全然知らないし
実のところ興味ないんだけどね。。
現実世界で名将である関羽、これだけで自分は非常に悦に入れる。
一部の関羽好きな人は、それだけでは足りないようだけど。
敵陣の奥に陣取る名将顔良の旗印と車蓋を見るや否な特攻を駆け
群がる敵を蹴散らしてあっさり大将首を取ってきてしまう項王の如き武威や
関羽軍を討つためだけに大国の魏呉が同盟して事に当たるなど
正史を見るだけでも十分すぎるほどの名将っぷりだしね。
寧ろ、そういう実績を評価されたから後世武聖と呼ばれたり、神になったというべきかも。
関羽と関帝は確かに同一人物ではあるんだけど
史実の関羽と偉大な関帝を一緒にしちゃいけないと俺も思うかな。
義経が悲劇の英雄になっていった過程とか面白いのに。
関羽が何で神になったか、って面白い話題なのに。(スレ違いだけどさ)
その話題について語るときに史実、およびその後の時代への伝わり方ってあたりを考察したいのに。
なんか歪んでるだろ、
>>807とか。
>>830 まぁ、なんつうか。
ここは曹操を語るスレでもあることだし、関羽のことは端役に置いておこうじゃないか。
そもそも元の話題が
曹操が同時代人(あるいは比較的近い後世の)連中から評判悪いって話。
関羽が後世の人から「忠義の人」扱いされてるのはほぼ間違い無い話なのに
なんでいきなりそんなレスをするのか。
勝手に「中国人の信仰心なんか理解できないよ」とか言い出すし。そっちのが理解できんわ。
後世の評判の話をしたいのに「後世の評判」である神格化を話にしないでどうするんだ。
>>832 自分の知識をひけらかしたいだけの人は
偉人、英雄に尊崇の念を持たないのさ。
だから、自分の知識中心の話をする。
故に自分の価値感外にある「後世の評判」ってのは迫害対象でしかないのよ。
それがどれだけ重要な要素であっても狭量な自分の価値感だけで否定する。
まあ、そんな価値感の持ち主は世間では通用しないから安心しなさいな。
>>833 性格の悪さが滲み出たレスをよくできるな
おまけに決め付けや妄想まで交えて
そこまで変なことを言ってるかな。
寧ろ、中国の英雄なのに中国人の意識をまるで無視してる
>>807のような奴の方がどうかしてる。
>>833 随分な言われ様だな。その
>>807だが。
お前らの言う不義簒奪だの僭称だのってのはこじ付けみたいなもんだろって話だ。
何が正しいなんてないんだよ。戦争なんて皆自分が正しいと思ってやってんだから。
旧王朝に従わないと不義の輩ならそれこそ漢室復興なんて言いながら官軍に刃向かった劉備は最悪のテロリストだろ?
石ロクなんかは曹操や司馬氏を批判してるけどお前らの考え方だと石ロクは漢から天命を引き継いだ正統王朝である東晋に降らなきゃならないだろう。
要は見る側によっていくらでも変わるんだよ。言い方悪けりゃご都合主義ってヤツだ。
だからお前の言う所の不義が絶対悪になるわけではない。易姓革命の思想ですぐ変わっちゃうし。あくまで建前だよ。
曹操が評判悪いのって成り上がりだったり名士との摩擦にあったりするんじゃないかな?
そりゃあ関羽が「忠義の人」であることは間違いないだろうさ。俺は侠客としての忠義だと思うけど。
ただあくまで民間のヒーローであって言い方を変えれば「好き嫌い」による所が大きい。
そういう庶民の願いがたくされて大きくなっていった偶像崇拝だから実在した関羽っていう人物とは当然分けて考えなきゃダメだろ。そんなもん関羽の知らん所で一人歩きしてるだけだもの。
>>832−833
…という話ではなかったの?
いつから関羽の後世の評判の話や神格化の過程を考察する話になったのよ
>>833の言ってる事をまるで理解できてないのかな?
そんな風に自論を正統のように語るからキツい突っ込みを浴びせられるのでは。
関帝廟に行けばわかるけど、関帝と関羽を別人だ。なんていう珍奇な人はいないよ。
>>832 なにをそんなに怒っているの?
まぁ、曹操が既存の体制を建て直し、その過程でのやりかたなどで
政治的社会的に評判悪くしたのは、そのとおりで
関羽が当時から劉備という個人と、その掲げる理想に忠誠をもっていた
ことは誰もが知っていることだろう。
そこは了解しているよね?
で、この二人を引き比べて、政治的に果たした役割や結果を語らずして
一体何を比べているのか、ちょっと明瞭にしてもらいたいのだけど。
神とか、後世の民衆などの願望が混じった賛美は置いといて。
そして、このスレの主役はあくまで曹操のはず。
大体どう考えたって曹操の話をしてるのにいきなり「忠義の化身関羽」なんていってみたり
しかも関羽の功績には一切触れずに(というかこっちが触れてるにもかかわらず)後世の神格化や賛辞やらを強引に史実の姿に結びつける方がどうかしてるだろ。
それがまかり通るんなら始皇帝は信人だし曹操は超世の傑だろうが。
>>838 ああ、後世の「評判」あるいは「評価」の話をしたいわけか。
いつからそうなったかは知らないけど、そういうことなら
「評価」や「評判」はその政治的思惑によっても左右される
という人間社会の原則をまず踏まえての上ですな。
現代になってからの曹操再評価と、民衆にとっての財神となった関羽では
もはや同列に語るべき性格をもたないと思うよ。
曹操は歴史に果たした成果や意義を評価される、れっきとした政治史の学問と
しての評価がなされている。
が、神・関羽をこれに当てはめてもよいものか?
ある地方政権に与した武人・関羽ならむろん、当てはまるけど。
>>838 俺が自論を正統のように語ってるんじゃなくてお前らの意見と真正面なだけだろ?
俺からしたらガツガツ噛み付いてくるお前らだって似たようなもんだし悪口まで言われりゃあいい気持ちはせんね。
>>838 ちょっと言い忘れた。
そこまで関羽の神格化にこだわるなら、上で誰か言っていたように
関羽が神とされる過程を語ってもいいのじゃないか。
自分はあまり興味はないけど、ここまでくるとちょっと聞いてみたい。
どのように、人間の社会や政治史に関わっているのか、とかいうあたりも
言及してくれると、なおいいのだけど。
>>838 本当に、理解してないんですねあなたは。
ある人物の行跡を評価するのに、「死後の評価とその変遷」をどうして水増ししなければならないのか。
平将門の武功を評価するのに、死後生首が京から関東まで飛んでいったというからそりゃもう凄い、とか。
菅原道真の政治的業績を評価するのに、死後に疫病流行らせたりたたりで政敵を殺したり雷落としたり、
現代に参拝する人が何百万人にもおよぶから凄い、とか言いますか?
>>836 >お前らの言う不義簒奪だの僭称だのってのはこじ付けみたいなもんだろって話だ。
実際に曹操を後世簒奪者扱いされてるんだからさ、その事実を考察してネタにするんだろ。
曹操を簒奪者として非難してるのは俺らじゃなくて後世の史家だ。
なんで簒奪者扱いされてるのか、比較で言うならなぜ劉備一行は善玉扱いされるようになったのか。
そういう話題だろうになんでひたすら関羽の事跡を叩いてるのか分からん。
ついでに関羽はどう考えても張飛よりは知識人受けも良かったはずで。
そうでなきゃ平話から演義にまとめられる過程であんなにも神格化されん。
「忠義の人」は為政者から見れば政治的に称賛すべき立場の人間でもあるし。
諸葛亮なんかが比較的近い時代の人間から(才能はともかく)忠義は称賛されてるように。
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 13:08:25 ID:t88O3VIW0
>>841 極めてその方面には知識がないようだね。
道教という宗教がどれほど中華の文明に根付いていたか。
まずはこれを理解できないとね。
古来の老荘思想に加え、仏教や儒教などもあまねく寛容してしまい
孔子や釈迦さえもその尊格に取り込み、歴代の王朝も常々深く信仰していた。
皇帝は即位すれば泰山に封禅の儀を執り行いに行き、天上の神々への即位を報告する。
当然、政治にも深く関与し、国家主導の中心ともなりえるほど完成した宗教だった。
関羽はそんなドえらいスケールの宗教における天帝ともなったのよ。
それを迷信だ、世迷言だというようなら中国の文化を理解していないだけに等しい行為。
宮崎市定翁の説では宋代に財神たる毘沙門天に対する信仰が関羽信仰に置き換わったとされる
南宋・元では漢民族の間で士大夫側の朱子学に基づく正閨論と民衆側の素朴な蜀漢びいきとが
合わさって孔明や関羽が称揚される。正閨論と蜀漢びいきとは漢民族の民族主義を同根とする
明代に三国演義が流行する。満州人は入関前から満州語訳の三国演義を読んでいたが、同時期に主だった
経書・史書などを満州語に訳しているので、三国演義の摂取も入関後の統治政策と無関係ではない
清朝では順治帝が蒙古懐柔の手段として、桃園結義にならって満蒙を劉関になぞらえた
兄弟盟約を結び、関帝信仰を公認した。乾隆帝はジュンガルを制圧した後にイリに関帝廟を立てて
「関帝の祀りをさかんにせよ」と詔した。これらには対外政策的な目的がみえる
関帝信仰は民族主義の高揚や王朝の政策と切り離せる問題ではない
>>847 いや、勘違いなきように。
>>迷信だ、世迷言だ
>>841である自分はそれを言っていない。
ただ、生前の関羽の人間としての人生や、当時の政治的状況に
どのような影響を与えたか、人にとってどのような存在であったか
のみが興味の対象であって、死後、英雄の評判・評価・贔屓も入っている
かもしれない賛辞や擁護など、枝葉でしかないから、順番として後回しになる。
つまり今は興味がない。
とはいえ、考慮しないわけではない。第一ではないということ。
なぜなら、生きていた人間に、死後の云々は影響しないから。
神に祭られた死後の関羽は、その意味ですごいが、後漢三国時代当時であれば
神となった関羽がいたからすごい、では、後付の理論にしかならないわけだ。
どうすごかったのか、それがどう民衆に影響を及ぼしたのか、それを
そちらは解説していってもいいんじゃない?
ここまでくると、ホントに関羽が神になるその根拠に興味が出てきた。
民衆や政治的要素というありきたりな話は聞いているが、それをもって生前のすごさ
に直結するものを、そちらがどのようにとらえているか、も。
実際、関羽のような人生を送って、祭られている武人は多い。
よく知っているところで、王彦章などがあるだろう。
忠義の英雄、そして味方に裏切られた悲運の名将。
鉄槍廟などもあるが、関羽ほど著名ではない。なぜだろう?とか。
その辺の対比も含めて、聞いてみたいのだけど。
>>849 恐らくはいつの時代でも官民問わず
そのご利益に肖れる要素を備えていたからじゃかいかな。
民からは
算盤を発明したとも言われ、帳簿なども作っていたことから
商業の神として商売繁盛を願う面。
春秋左氏伝を愛好していた事から文章の神となり
合格祈願などを祈る面。
道教の最高神である玉皇上帝もオールマイティな面は
備えているものの神格が高すぎるのでそれよりも馴染みやすい関帝に懐いた。
国にとっては宣伝すれば
関羽が備えている硬骨な愛国忠義心を受けつける事も出来る上
大人気の民族英雄神を称えれば民から恒久の尊崇まで得られる。
一石二鳥どころか、国を一枚岩に固められるのでまさに関羽様々。
明末清初の争いでは明、清が互いに関帝に必勝祈願を願っていたとも言われているので
持ち前の無双の武威により武神としての神格も備えている。
文革期には多くの孔子廟は破壊されてしまったが、逆に多くの関帝廟は無事だったので
今では関帝廟の数の方が多い。
さすがの毛沢東でさえ護国神たる関羽には刃を向けられなかったのかもね。
中国にオールマイティな天才、英雄は数多いと言えど常にインテリでないと
その価値を認識できなかったのに対して、
関羽には官民問わず信仰できる面があったため
天下万民すべての英雄神となりえる事となりここまでの存在になったのだと予想してみる。
>>850 そうだね。それは聞き覚えのある内容でもある。
山西商人華やかかりしころ、山西(河東)出身の英雄、関羽をして
商売安全などの守護神としたことも。
でも、その予想では、個人の伝説が多くの人によってもてはやされ
一人歩きした、と捉えていいのかな?
「関羽」という名前の、これまでにおける意味の大きさは人の紡いできた社会の
一部として理解はできるのだけど、後漢三国時代の関羽は?
切り離して考えるを愚かと、関羽の後世の評価や神格化を強調する人は
上でそう書いていたけど、切り離さない場合の関羽って、どんな「人」だったのだろう…
別に粘着しているわけではなく、これまでの歴史人物に対する、自分のスタンスから
かなり離れた見方なので、知りたいと思ったんだ。
できる範囲でいいから、見識を拾ってみたい。
神格化も関羽の歴史の一つだからわざわざ切り離すとかするものじゃないと思うんだけどな。
そんなになんか神経質にならなくても、生きてるときはこうでした。
死んだあとこうなりました、ってだけの話でしょ。
>>852 それだね。
全く異論のはさみ様がない。
簡潔に纏めてくれたその才能に感謝。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 00:24:00 ID:Nvh/raTXO
でも何で関羽なの?
孔明だってかなり人気があり、演義における主役だったりするでしょ?
あんだけ神秘的な力を付加され、天才の代名詞にされたりしてる。
なら孔明でも良かったんでしょ?何で関羽なの?
関羽が選ばれた理由って、もっと根深いところにあるんじゃない?
その手の問いの答えも
>>850のレスに集約されてるんじゃないかな。
曹操スレで延々と関羽マンセー続けておいて、ウザがられると逆ギレかよ。
いい加減空気読めや。
ここは関羽スレじゃねえんだ。
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 04:43:22 ID:Nvh/raTXO
>>855 > その手の問いの答えも
>>850のレスに集約されてるんじゃないかな。
孔明でも同じことが言えるのに、何で関羽だけがって話だから、全く回答になってないよ。
曹操が北からの脅威=異民族と同一視され、
さらに孔明の、無能な君主でも補佐する忠臣という姿が相まって、
過剰に憎悪を駆り立てたんだってのは分かる。
関羽が神になった理由は分かるが、最高神的な扱いになった理由が分からない。
他にも神格化された人物はいる。でも、関羽なみの扱いを受けてないでしょ?
その違いが出た決定的な理由が知りたかったんだけど。
てかいいかげん関羽スレたててそこでやれや
>>852 生きているときはどうだったんだ?
そっちの話、触れてこないね。なぜだろう?
関羽と諸葛亮の差といえば、武人だったか士大夫だったか、じゃないの?
神様としては武人のほうが魔除けとかの御利益が有りそうでしょ。
あとは非業の死をとげたかどうかの差とか。
日本でも天神さまとか、祟りがを静めるために祭ってたのが神様になるとか、そういう流れじゃない?
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 10:55:18 ID:QUVBRKS2O
結局関羽は都合のいいように造られた神なんだな
こんな事して関羽が喜ぶとは思えない
なんか可哀相だ
この板って、よそのスレでもそうだけど生前の事績を話題にしてても
したり顔で「神格化が〜」「伝承が〜」って乱入してくるのがいるよね。
どうも頭弱い人としか思えん。
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 18:09:23 ID:sLiWAN850
関羽信者はきもい
>>857 すまぬ。そっけなさすぎて気分を害してしまったようだね。
あまり目立ってないけど諸葛亮も諸葛武侯として台湾などにも祀られてる。
しかし、諸葛亮のような役割の存在は被りすぎてるのよ。
太公望や張良も神として扱われてるのでどちらかというとそれらの偉人の方が目立っちゃってるんだよね。
さ、それじゃあ曹操談義に戻ろうか。
結局、生の関羽は語られず終いか。
関帝を重視した人は、池田大作を盲目的に敬っているどこそこと同じような印象だな。
曹操談義に戻るはいいが、やはりこの流れでいけば
許都を大震させた、関羽の北上に焦点を合わせると…
いや、ごめん。それは違うスレがあったな。
曹操が嫌われ者なのって名士に嫌われてたり、政治的な背景とかじゃないか?よく言われるけど
上で議論されてた簒奪者どうこうってのは悪役にするための粗探しみたいなもんだろう。
石勒とかは人気あるけど彼は成り上がりそのものだからな。おまけに既存の王朝を直接倒した(正確には子孫が)んだからこの考え方で行くと大逆者だからな。
なのにいちいち言われていないのは石勒は後世にヒーロー扱いされてて、曹操はワルモノだから。別に簒奪者であることにたいした理由は無いと思う。
というか後世にワルモノにされてるのはどう考えても陳寿と羅漢中の影響だと思うけど…
今は三国志人気が出てきて再評価とかされてるからそんな横山三国志みたいな事言ってるヤツはあんまりいないと思うが。ヒーロー役の劉備だって今は全然違うイメージみたいだし。
まあそれが行き過ぎて世界史上最高とか過度なマンセー評価をされてるがな。
2ちゃんで嫌われるのは単純に曹操が嫌いなヤツが沢山いるせいだと思うけど。個人的な意見だが。
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 22:41:40 ID:Nvh/raTXO
纂奪者云々は微妙に意味が違うよ。
異民族によって王朝を倒され、中原を支配される。
コレが異民族じゃなきゃ、革命が起こったって認めてる。
でも、あんな獣にも等しい無教養な蛮族どもが、中華の主だなんて烏滸がましい。
たとえ形は禅譲という形式を真似ようとも、認めるわけにはいかない。
そんな彼らにとって、現実を受け入れなくてすむ魔法の言葉が『纂奪』だった。
この言葉を使えば、たとえ現実には王朝を滅ぼされ、中原を支配されても、
前王朝の縁者が、南方に逃れて建てた政権を正統王朝とする事ができる。
曹操と劉備の関係は、そのレトリックに当てはまりすぎた。
曹操は疑似異民族国家になぞられたんだ。
曹操を憎悪することで、間接的に、ときの支配者等を呪詛していた。
曹操が悪く言われるのは、必然性があった。
寧ろ、三国志アンチが多いんだよ。
だから曹操も諸葛亮も関羽も散々な言われようになる。
アレだ、コアぶった奴等がミスチルがヘタだとか言うのと同じだな
それだけ三国志は認知度が高いということだから、いいことだとは思うけど。
桜井さんは上手い
確かにクセはあるけど
日本で2番目にセールス記録してて10年以上一線にいる男性バンドをヘタとかw
石勒って人気者なのか?
一部マニアには
曹操よりも勢力が小さい事はワリとスルーされる
成り上がり度はナンバー1
みんなして劉裕さんをスルーするから嫌いだw
石勒が曹操キラー扱いされるのは単純に「曹操司馬懿なんて子供と女を使った話にならん男」発言のせいかしら
石勒や劉裕や尉遅敬徳は中英板では厨的なアンチ三国が曹操や関張を叩く時に引合いに出す割りに
当人たちの仕事振りがまじめに語られる機会は少ない。韓信や光武帝の扱われ方にもその傾向がある
そうかな?単純に彼らのスレにいってなくて、三国志系のスレばっか行ってるだけでは?
劉裕に関しては曹操の引き合いよりも、単純に桓温の方が人気があるようで哀しい
南にできた王朝の中ではかなり北に伸張した稀有な王朝なのに・・・>劉宋
個別のスレなら読んでるし、石勒スレの熱心な人には頭が下がるよ
だからこそ三国系スレでの扱いに不満があるということ
>>880 劉裕さんと曹操は勢力的には互角くらいだろ。
北伐ってところが凄いが。
石勒の「曹操司馬懿なんて子供と女を使った話にならん男」発言って自分が単純に晋に敵対してたからじゃねえの?
あの人劉邦はベタ褒めだし、単なる好き嫌いだと思う。
曹一族の悪名って西晋司馬氏の分もまとめてもらってる感も有るような気が
西晋はとっとと滅びたけど東晋は長持ちしたから
父が大尉だから袁兄弟よりは劣るけど
かなり裕福な家の出だよな
>>887 財力だけなら袁氏に勝っていた可能性もある
オヤジってかじーちゃんが金持ちだ。宦官だから成り上がりだけど。
成り上がりだから代々続く由緒正しい士大夫からは敬遠されたんだろうな。独立当初が貧弱だったのもそこら辺にも理由があるのかもな。
名門以前に旗揚げ時の官位の問題じゃないの?驍騎校尉だっけ。
○○太守とか牧じゃないんだから私財で兵を集めただけでしょ。
>>890 驍騎校尉は返上しちゃって、無位無官だったんでは?
>>889 じーちゃんは士大夫からかなり慕われているよ。
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/20(水) 13:25:19 ID:P6s438990
>>892 じーちゃんは慕われてたがいかんせんキナ臭いために敵も多かった
曹操も同じように慕われる派閥もあったが同時に敵が多かった
曹操が敵が多かったのは、本人の行動や性格によるところも大きい気がする。
若い頃からずっとだよ。
たぶん地方で汚職掃除やってたころからじゃねーかな
曹操はスタートに関しては恵まれてる方だろうね。
石勒、劉裕といった人物と比べればだいぶ有利なスタートだよ。
石勒が曹操と同じ立場だとして、奴隷のときと同じ思考に至るかどうか、だな。
そうなると、そもそもスタートすらしない選択肢もあるわけで。
そんなこと言ったら、曹操がもし石勒の立場で生まれていたら歴史に名を残すことも無いまま普通に野垂れ死んでいたかもしれないよ。
その可能性は高そうだけど。
だから、スタートラインが、誰それに比べて、ってのは意味がないってこと。
そりゃあ同時代、曹操が旗揚げしようかって時勢のとき、どこかで奴隷やってた誰か
よりは、むろん恵まれたスタートだけど。
スタートライン、にもいろいろな意味があるしね。
例えば生まれた環境、でいったら曹操は恵まれていた。
しかし独立勢力としてひとり立ちした時点とみると、曹操は余り恵まれていたともいえない。
(不遇だったともいえないけど)
逆に劉裕なんてこれほどめぐまれてていいのかよってレベルだ。
そうかな?劉裕が独り立ちした時点の状況も結構厳しい状況だったと思うけど。
っていうかこの人は独り立ちするまでがすごい大変だったんだけどね。
この板って昔から曹操嫌いの石勒オタが跳梁跋扈してるよな
違うと思う。
曹操を、おそらく自分では認識していないだろうけど、不必要に見下したがる人が何人かいて、
その人達がその都度石勒やら劉裕やら、今回は出てないけど
李世民やら光武帝やら洪武帝やらを引っ張り出してくる感じ。
いや、石勒は石勒による曹操評が有るから出てくるんでしょ。
言っちゃ悪いが李世民やらと比べりゃマイナーな英雄をわざわざ引っ張ってくるのは。
劉邦大好きな石ちゃんな。
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:06:03 ID:siAcUJuvO
>>905 いや、俺は『石勒オタ』がやっている、と言う考えに
「石勒を出してる奴の意図はそもそも見下すためにやってるんであって、
彼らにとって、石勒その他は見下す道具にすぎんよ。」
ってことを提示したわけで。
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 00:53:49 ID:LTm2I8n50
>>904 子沢山で粒よりなのはその三人より上……かも?
李世民以外は子宝には恵まれているだろ
特に劉秀は
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 19:44:48 ID:mcOuEgOH0
息子達の優秀さなら
劉秀>曹操>李世民>朱元璋
永楽帝はダメなの?
中国史なんてほとんど三国志しか知らない頃は
ネットのどこかで見た「曹操は中国史上最高の英雄!」なんて言葉信じてたけど
高校で世界史勉強するようになったら「曹操って実は大したことないんじゃね?」って思うようになった
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 21:21:41 ID:NQw36OqZ0
凄いが、もっと凄いのがいる
でFA
>>912 おれ、高校のころといったら三国志しか知らんかったけど
諸葛亮が最高にすごいと思ってたよ。
まぁ今でも、すごいと思っていることにはかわりはないんだけどね。
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 22:00:06 ID:JExq+Nol0
>>913 結局はそこに落ち着くんだよ
他の時代の人物が凄過ぎる
>>915 おい、もう一段階あるぞ。
意外と三国時代の人物も凄いことを再発見する。
「他の時代のほうが凄いやついるぜww」で止まられると困る。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 22:43:22 ID:JExq+Nol0
確かにそれはある。 でも違う時代も面白い
なんとなく、三国志は少し小粒だけど、凄いというより、優秀なのが多くて
(真のクズは孫皓くらい? 何進もせいぜい凡人程度)
他の時代は化け物みたいなのがいる代わりに信じられない最低人間が多いって感じがする
後漢初め 劉秀>(越えられない壁)>他の群雄 だけど
後漢末 曹操>劉備≒孫権>袁紹>>呂布など
ってのが、絶妙のバランス
国力差が能力の差ではなく、それほどの国力差がありながら、くい止められたのが、
それほどの差がないことを表している
(これを曹操信者は認めたがらないだろうけど)
まあ、後漢末、三国志が一般受けしやすいのは仕方ないだろうね
>>910 俺は劉秀信者だが、子供の優秀さなら朱元璋がトップだろ。
今はなき世界名将百選スレでは中国代表李靖と永楽帝だけが文句無し当確だったぞ。
つまるところ凄い人が居るから統一できるってわけじゃないってとこだよなぁ。
広げた領土、戦績だけで人間を評価できるものじゃない。
天の時が誰の元にも降りなかった悲しき時代
>>920 始皇帝ですら自分で軍を直接率いた事はなかったしな
中国は軍人皇帝が多いからこういうタイプはちょっと特殊かも
>>919 質より数って話じゃない?流れとして
まあ質でも数でもアレな李世民……(李淵は建成と世民で恵まれてるけど
廃太子承乾、魏王泰、高宗ならそこそこじゃね?
明帝&東平憲王蒼と永楽帝のどっちが上かによるんだろうな。
ただそれ差し引いても曹操の陣容の方が上じゃないかとは思うが
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 10:40:21 ID:ffSowVlV0
>912
凄いが、凄さの中身がわからんのですぐ忘れる
>>918 曹操>劉備≒孫権
ってことはないんじゃね?
曹操>>>劉備>孫権
だと個人的には思う。
この3人のなかだと曹操はダントツでしょ。
曹操の子供もそこそこ有能な人多いよね。
早死にさえしなけりゃな。結構早死にが多い
>>927 子供生ませた女の数でもダントツビリだな。
陰麗華と郭聖通ともう一人の3人しかいない。
それで男11人女5人だから、一人当たりだと結構多いかもしれないが。
でも数と質のかねあいだと
劉秀は優秀なのと、ごく身内だけの犠牲に留まるレベルの凡愚だから平均値は高いんでね
朱元璋は永楽帝一人が平均値上げてます
李世民は全体的に低いです。平均だしても低いです
曹操は一芸特化の息子が二人、優秀なのが一人、でも数が多いから平均値は……?
天才児の曹チュウは成人前に死んでるしな。
彰もヒも叡も植も優秀なのは軒並み早死にする曹家、曹操が66歳まで生きたのが不思議なくらいだ。
>>932 嫁さんの卞氏も長生きなのに、二人の間の息子は軒並み30〜40代で死んでるしな。
まあ当時40台は早死にとはいえないでしょ
>>935 50前は早死にだよ
ただ中国の歴代皇帝の場合早死にが多いから、食生活のほうにに問題あるんでない?
曹操は質素だったというし
五十までに死んでしまえば夭折(惜しまれる)
七十まで生きれば福死(よく生きたね)
50〜69が正死
皇帝の早死には道教が金飲ませるのがいけないんじゃね?w
>>935 パンピーならともかく官僚だからね。しかも公子。40代ったらこれから脂乗っていよいよピークだぜ!ってときだ。
>>937 それでも水銀飲んでたオッサンは50まで生きたぞw
曹叡の子供の死にっぷりは絶対に他殺だよな
>>939 そのあとたてられたのは皆幼帝で当然周りが権力を握る事に…出来すぎだよな
>>940 なんで三十代前半の若さで養子取ってるんだろうな
実子自体はどんどん生まれてたのに
>>941 権力に絡まない縁遠い皇族とか名前が記載されてないの一杯いるから
そいつらが病で死んだりして残された子供とかを養子にしてたんだろ
曹芳は親不明だったりするし
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 22:37:35 ID:Elm7+YsO0
ν速
ttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1225886689/ この話の出典誰か教えてくれ↓
14 名無しさん@九周年 New! 2008/11/05(水) 21:08:27 ID:KtIdKxW3O
とにかく政権交代を、という人は足を止めて聞いて欲しい。
三国志の曹操の話。
昔、魏の国に素行が悪いが楽器の演奏は国一番の宮女がいました。
ある日、その宮女が死刑に相当する無礼を働きました。
しかし、曹操はその宮女を処刑せず、他の宮女に楽器の演奏の猛特訓し、
無礼を働いた宮女以上の演奏ができるようになってから
その宮女を処刑しました。
曹操はこのように実力主義を貫徹することで
乱世を勝ち残ったわけだ。
この歴史的故事にならえば
日本が国際社会で勝ち残ろうと思ったら
自民党を代える前に、民主党を自民党以上に鍛え上げる必要があると思うんだがね。
>>943 世説新語
色々言いたいことはあるが。
とりあえず「そんな感じのエピソード」は有る。
>>自民党を代える前に、民主党を自民党以上に鍛え上げる必要があると思うんだがね。
関係ないが、自民党が民主党より「程度が上」である客観的な要因が示されていないので、
その論法は適当ではないでしょうよ。
ただ単に、いま政権にある、というだけにすぎないのだから、
自民党を「素行が悪いが一流の」とするにははなはだ説得力不足。
946 :
943:2008/11/05(水) 23:38:26 ID:Elm7+YsO0
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 00:37:41 ID:/OsGGGR+0
日本の土人国並の政治レベルは世界の笑われ者
(日本人はいつまで顔面身体障害者の麻生を総理大臣にしておくつもり?????)
アメリカで史上初の黒人大統領が誕生した!
人種差別が今なお色濃く残るアメリカだがそれでも現状を打破するために有権者は民主党への政権交代を選択した。
アメリカの民主主義の底力を世界に知らしめたと思う。
ところが日本では長年に渡って自民党が政権の座につき、
政官業が癒着していてもまともな改革が行なわれることは期待薄というお寒い政治状況だ。
それでも金と権力にまみれ顔面が麻痺した麻生は脳も侵されているのか国民の審判(解散総選挙)を仰ごうとしない。
日本の民主主義のあまりの低レベルぶりに世界中の人が失笑している!あ〜情けない!!
さあ!今こそ日本の民主主義の底力を世界に示すため草の根からの政権交代の声をあげるんだ!!!
日本の民主主義の底力を世界に示そう!!! 草の根からの政権交代の声をあげるんだ!!! 民主党にチェ〜ンジ!!!
日本の民主主義の底力を世界に示そう!!! 草の根からの政権交代の声をあげるんだ!!! 民主党にチェ〜ンジ!!!
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日本の民主主義の底力を世界に示そう!!! 草の根からの政権交代の声をあげるんだ!!! 民主党にチェ〜ンジ!!!
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どうもヘンなのを呼び込んだな。
945は無しということで。
世説新語といえば、寝たふりをして布団をかけにきた人を殺したり、
自分を暗殺する芝居をさせておいてそのまま殺したり
匈奴の使者と応対するときに身代わりを使って、バレたらその使者を殺したり
色々散々だよな、曹操。
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 18:44:15 ID:rOIZ66Zi0
曹操や三国志についての知識を深めるのに良い方法ってありますか?
呉書見聞・孔明死後の三国志に関する若干の考察・むじん書院などのサイトや
ちくま書房の正史三国志8巻、渡辺義浩の図解雑学三国志、三国志研究入門
石井仁の曹操ー魏の武帝などをよみました。
現在中2なので漢文は読めず、友達と遊んだりするので時間、金も限られています
なにかオススメな方法などありますたら教えてください。
甘えんなとしか言いようが無い。
>>950 あとは宮崎市定の「九品官人法の研究」でも読むといいよ
>>950 それだけ造詣が深いなら俺らの助けなんて要らないさ
ガンガン本読もうぜ
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 22:32:11 ID:rOIZ66Zi0
九品官人法の研究ですか。このスレでも何回か名前が出てるのでかってみます。
あと論文とかが掲載されてる物で良い物はありますか?
それと従兄弟が大学生なのですが大学て借りれるようなもので
良い本はありますか?
質問ばかりですいません
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 22:33:09 ID:rOIZ66Zi0
あ
とりあえず正史をじっくり読んで、自分なりの解釈をまとめること。
コレだけでも相当時間掛かる。他の人の考察とかを見るのはそれから
でいんじゃない?
自分の場合逆にあれこれ聞きかじったりしたから正史にかかれたものと
他の人の意見がごっちゃになってた部分とかもあったしね。
後、正史が全て真実とは思わないこと。個人の発言なんか当然脚色も
ある。それは史書では普通に行なわれていることであり、それ自体は
悪でもなんでもない。ただあまり脚色が過ぎると小説的になって歴史
考察に不適当って言われちゃうものも出てくる。
三国志は良書の部類に入るけど、それでもそういう可能性はある訳だから
そのことを頭の片隅に入れながら矛盾点等を考察していけばいいと思う。
なんかどこかのスレで渡邉氏の本に「三国志研究のススメ」みたいなのが有るって言ってた。
三国志研究入門だわ。
こういうのとか参考にしたら良いんでないかい。
オマイラもなんだかんだ言って優しいな。ツンデレ?
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 16:50:54 ID:Yyv7kuHM0
正史をじっくり読むのは大切だとおもって今でも読んでます
ただ後漢書とかが読めない分偏りができてそこが難点なんですよね
量の多い渡辺義浩の本を中心に三国志研究入門の文献録からいろいろ読んでみます
ありがとうございました
甘えんなとしか言いようが無い。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/11(火) 10:34:18 ID:gCjvuwyZO
>>960 後漢書は近くの大きな図書館行くのか一番。
国立大学で文系学科ある所ならそこの図書館も多少は期待できるはず。
私立でも有名大関連ならなんとかあるかもね。
ちょっとなれたら、近隣でハードカバーの漢文大系とかで、
三国時代の人が触れた学問の本を軽く流し読みするだけで、背景的な理解は深まるよ。
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/11(火) 16:41:08 ID:wIqeXRF50
中国文学大系なら墨子とか読んだんですが、それとおんなじ様な奴ですかね?
春秋の2つと論語とかも抑えときたいんですが、近くにいい図書館ないんですよね。
遠出するときに買ってみようと思うんですが特にこれは抑えた方がいいってのは
ありますか?
レッドクリフにガッカリした。
あの曹操はただのエロオヤジだろ。
>>964 公開前の情報でそんな雰囲気が出てたから見送ったけど
そんなにひどい?
966 :
董卓:2008/11/21(金) 15:56:36 ID:q2Ftc2Fj0
実際はあんな感じの人だったのかもしれん。
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 10:35:14 ID:TinuKk3X0
自分も三国志の世界を深く知ろうと思ってんだけど
三国時代以前の殷.周.秦.漢を追って入ったほうが深く読める?
>>967 当然
劉備の行動は劉邦や劉秀を思わせて人心を惹きつけようとしたものがあるし
諸葛亮は菅夷吾や楽毅のようになりたいと言ってるけど知らないと「誰だよ?」って思うだろ?
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 12:31:56 ID:K0cCcWwSO
>>967 お話として楽しむなら史記、漢書、後漢書の範囲で十分だと思うが、知ってると面白いよ。
>>968 劉秀をなぞろうとしたのはむしろ袁紹と曹操だな。
前者は長期戦略を、後者は対人心戦略などをなぞる形で優位を示そうとした。
>>969 昭烈帝なんて謚をやっといて光武帝の真似してるだろ
俺は「なぞろうとした」ではなく「思わせる」と言ってる
971 :
967:2008/11/23(日) 13:42:50 ID:yDR6Ey2kO
>968,967
サンキュー
三国前の王朝勉強してから、他の柱の官職や儒教勉強して正史読んでみるよ
まあまあ
三国の頃に中原をうろついてた連中はたいてい楽毅やら楚漢の興亡やら
光武帝の仕事やらを意識してると思うよ
荀ケは曹操に何かしら進言する時は楚漢や光武の話を引き合いに出したし
袁紹のところにいた頃も多分似たような話をしてるだろう
呂布ですら東海のザコキャラを脅す手紙で「おれは楽毅じゃないが君も田単じゃないだろ」と言った
シチュエーション的に楽毅の斉攻めと同じだし、謙遜しているようでいて
おれは楽毅だと暗に匂わせてるようにも読める
「マラドーナの再来」みたいな感じかね
形容詞としては
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 21:15:02 ID:rm3T4JyS0
自称ではなく、人からそう呼ばれたかったんだな。
謙虚と言うか、呂布らしくないというか
ところで、曹操が天下を統一する必要はあったのか?
976 :
董卓:2008/11/24(月) 19:59:29 ID:96X3RYZM0
流れ的にそーなっただけだと思う。書くのはめんどくさいから、正史読むなり、
いろんな本読むなりしてくれい。
曹操がいなかったら袁紹がその立場だったんだろうな
978 :
董卓:2008/11/25(火) 18:08:14 ID:obdfArpZ0
曹操がいなかったら董卓がその立場だったんだろうな
979 :
八戸勝頼:2008/11/27(木) 00:57:25 ID:OeCpkUfs0
曹操がいなかったら袁術がその立場だったんだろうな
曹操関連の本でおもしろいのありませんか?
>980
アレ国志