>>728 軍事知識のないもれにも
わかりやすくタノム。
当方にはそのための知識も能力もありませんが・・・
カエサルやローマファンがふえるかもしれんからがんばってみますか。
当時の地中海世界において
少数が大軍をやぶる有効な戦法に
【騎兵の機動活用による包囲殲滅作戦】
というものがあります。
これはアレクサンダー大王が創作し、
ハンニバルが応用してローマ軍を撃破、
そして
ローマ軍のスキピオ・アフリカヌスが
そのハンニバルを、同じ戦法をつかって
打倒することによって戦法の有効性を証明し
完成させたものであります。
【包囲殲滅作戦】は
アレクもハンニバルもスキピオも
軍が少数とはいえ騎兵の数では
敵に優っていたため使用できた
戦法だったのです。
しかし
ファルサルス会戦では
軍全体の数も、騎兵の数も
カエサル軍に対して優勢な
ポンペイウス軍が
この戦法をとっていました。
この条件でカエサルが勝つには
騎兵無しで
アレクXハンニバルXスキピオ
以上のこと
をやらねば不可能、ということになるわけです。
それが当時の軍事常識というものでした。
それなのに勝利したカエサルはどういう秘策を
炸裂させたかというと・・・
うわっじかんがないのでまたかきこさせてください
759 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/16(金) 20:42:26
そんな塩婆そのまんまの説明をせんでも・・・w
元々地中海世界では重装歩兵が軍の主力であり、長槍と大きな盾で武装した歩兵が方陣を組んで
敵軍に突撃する戦法が基本であった。(これがファランクス、なんでこんな戦法が確立したか?につ
いては割愛。地中海の土地事情のためなんだけどね)
で、ペルシャ戦争にて多兵種混合の戦争を初めてギリシャ人は経験するわけだが、ここから
騎兵、軽歩兵を有機的に運用するマケドニア式ファランクスができあがる。
父フィリッポス2世の元で騎兵を指揮していたアレクサンドロスが、即位後、包囲殲滅戦法を確立
するわけだね。
マケドニア式ファランクスでは重装歩兵は突撃しない。重装歩兵を中央に配して、騎兵を右翼と
左翼において、騎兵が敵の後背に回りこんで包囲する。
760 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/16(金) 20:53:53
ローマも初期にはマケドニア・ファランクスを採用していたんだが、ガリア人相手の会戦で大敗する・・・
というポカをやらかして、ファランクスを廃してしまう。
ファランクスに変わってレギオンという、小剣と投槍を主兵装とした重装歩兵が散開して方陣を組む
持久力に優れ混戦に強い歩兵部隊を採用した。
スキピオの時代にスペイン剣という短めの鉄剣を採用し、ここでレギオンは完成する。
レギオンに置いても、重装歩兵を中央に、騎兵を左右において敵を包囲する、という多兵種混合戦術
は変わっていない。
で、ファルサルスでは・・・
ポンペイウスは重装歩兵、騎兵ともに十分な量を持ち、騎兵の指揮官はラビエヌス
カエサルはというと、事実上重装歩兵しか(それも比率だけでなく、数においてさえ劣る)使えなかっ
たのですな。
しかもファルサルス直前にドゥラキムという所で戦っていて、ここでカエサル軍は負けていたりする。
どう考えてもカエサルに勝ち目は無さそうなんです
761 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/16(金) 21:21:27
曹操は晩年猜疑心の塊みたいだったと言うのを小説に書いてある、というのを読んだ。
不確実な情報で当てにならないかもしれないが曹操のほうが悪質な独裁者のイメージと被るかもしれない。
そもそも「姦雄」だし(w
762 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/16(金) 22:14:10
それってむしろ孫権・・・
当時の漢とローマではどちらの方が戦術装備が優れていたの?
765 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/16(金) 23:39:20
戦術に関しては中国側の史家がロクに書き残してくれていないから解らない。
史記なんかだと、まぁまぁ記述あったりするのだが、三国志、後漢書の場合は絶望的
ローマ側は記録が充実。特にガリア戦役、ローマ内乱は当事者が書き残しているのでw
装備に関しては重装歩兵はローマが優秀、軽装歩兵は石弓を持つ漢だと思う。
騎兵は同等ではないかな? どっちにもまだ鐙はないし
しかし一番恐ろしいのはローマの兵站能力と工兵技術だと思われ
59 名前:名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中 [sage] 投稿日:2007/02/04(日) 15:30:26
既出だったら御免。
「曹瞞伝」によると曹操は腰には小さな皮の袋をぶらさげ、ハンカチや小物を入れていた、とか。
更に曹瞞伝には、普段の冠をつけたまま賓客に会う、とか
人と談論するときは冗談まじりにしゃべりまくって、思ったことはすぐ口にした、とか
上機嫌で大笑いしたはずみに頭を卓上の器につっこんで頭巾を食べ物でべとべとにしたり・・・・・w
確か、カエサルは癲癇もちで、演説の途中で泡吹いてぶっ倒れたりしたというが、
英雄は妙なところが似るんだな。
>>765 漢兵の工兵技術も相当だよ。
包囲された曹操軍が坑道を掘って見事逃げおおせたという記録があるし、
烏丸討伐の際には、一ヶ月かけて山塊を掘削し奇襲を行った。
袁紹が篭城する公孫サンを討ったときにも、坑道を掘って土台から城壁を破壊したというね。
兵站面での曹操は非常に優れている。
第一に屯田の創始者であること、
次に、輸送力を確保するために、牛を持つ農民には減税を施したこと、
さらに、運河の開削して兵糧輸送路として活用したことなど、
枚挙に暇がない。
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 00:33:34
屯田の創始者は曹操じゃないぞ
772 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 00:35:56
曹操が創始したのは「民屯」ね
773 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 15:29:59
カエサルが創始した政治制度って何かある?
774 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 16:11:29
武市瑞山先生に比べれば物の数でもない
775 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 16:34:34
王政と帝政の違いは?
777 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 21:30:14
ユリウス農地法 元老院議員定数の900人への増員
解放奴隷への公職開放 センプローニウス法の再興
778 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 21:35:23
属州の再編成 プラエトル、クァエストル、エディリスの増員
金銀の為替の固定化 ローマ歴→ユリウス暦への変更
小麦の給付資格者の半減 ローマ市の城壁撤去及び再開発
カルタゴとコリントの再興 ラテン市民権、ローマ市民権保有者の増員
等等・・・もっとあるな、たしか
779 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 22:03:49
チビとハゲですなー
780 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 22:14:59
チビ+禿げのナポレオンが最強
詩人英雄vs文筆家英雄
と考えればいいんかもなあ。
英雄なだけじゃなくて文化面にも才能持ってて女たらし(ここは関係ないか)。
前回までのあらすじ
カエサル軍を上まわる軍勢と騎兵をひきつれて
いまだなお地中海世界最高の武将、っていう名声に輝くかんじの
ポンペイウスさんとファルサルスにおいて戦うはめになっちゃった
カエサルさんですが・・・
(´・ω・`) ←たたかうはめになっちゃったカエサルさん。
ポンペイウス軍はカエサル軍の二倍以上の軍勢であり
おまけに騎兵の数の差は
カエサル軍騎兵約1200〜1300
ポンペイウス軍騎兵約7000
・・・これではまともにやったのではカエサルさんに
勝ち目はありません。
カエサルが並みの武将ならば
お互いの騎兵がぶつかりあい、
ポンペイウスの騎兵がカエサルの騎兵を
うちやぶり そのあとに
ポンペイウス騎兵がカエサル軍の
側面や背後にまわりこんだ時点でカエサル負け確定。
カエサルさんはなんとしても
【包囲殲滅の意図をもつポンペイウス軍の騎兵を無力化する】
必要があるわけであります。
【ポンペイウス軍の騎兵を無力化する】
・・・圧倒的な大軍勢も騎兵も無しにどうやって?
じつはこの時点においてカエサル軍がポンペイウス軍に対して
上まわる要素がひとつだけありました
それは八年にわたるガリア戦役をともに戦い抜いた
【ベテラン兵】の存在でした。
(わかりやすく、との注文ですし
私自身もめんどいし実はよくわからないので
前衛後衛、右翼左翼中央などの説明は省かせてください)
ファルサルス会戦のハイライトシーンはこうです。
ラビエヌスひきいる騎兵7000をカエサル軍は
騎兵1000とベテラン兵2000にて【逆包囲】
してしまいます。
騎兵のかわりを歩兵にさせたので包囲【殲滅】
とはいかなかったようで 大量の敵騎兵に
逃走を許してしまったのですが
【騎兵の無力化】
には成功します。
この時点でも騎兵の戦力差はともかく
少数(カエサル)と大軍(ポンペイウス)
の戦いであることにはかわらないわけです。
そこでカエサルは・・・
ごめんなさいいいとこなのですがやきんにいかせてください
ポンペイウスより、タブソス戦、ムンダ戦でのラビエヌスの方がよっぽど強そうに見えるのが不思議。
>>785の続き
騎兵がうちやぶれたものの、
ポンペイウス本体の軍はいまだに
大軍勢であり、カエサル軍に対して
健闘していました。
そこでカエサルはどうしたか?
賢明なるスレ住人のみなさまは察しがついているとおもいますが
この局面を打開したのもカエサル軍の誇る
【ベテラン兵】なのであります。
この局面においてカエサルが出撃を命じたのは・・・
・・・カエサル軍の勝利を決定したのは
カエサル軍の各軍団からえらびぬかれた
ベテラン中のベテランであり
(〜40歳位の『カエサルの老練』)
それゆえに予行練習等なしでも
カエサルの秘策を実現してくれる
なんともたのもしいやつらなわけであります。
カエサルは少数の騎兵のかわりに
『カエサルの老練』達に
ポンペイウス軍の側面や背後にまわりこみ
攻撃するよう命じたのでした。
−−−『カエサルの老練』達に 側面や背後にまわりこまれ
突き崩され 敗走していくポンペイウス軍。
こうして
ポンペイウス軍は
自分達がカエサル軍にしたかったはずの戦法で
逆に包囲されやぶれてしまったのでした。
(´・ω・`) ←したかったはずのwポンペイウスさん
790 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 21:08:53
∧∧∧∧∧∧∧∧∧
< >
< 曹 操 に 死 が >
< 訪 れ る !! >
< >
∨\ /∨∨∨∨
(/^ //
/(⌒^ ∨ ^\)
/ ノ) /| ∧ ^⌒)\
/ ./ ノ ____/ / ヽ\_ //ヽ\
/ ./( (. (_ __/ (^\ ) / / ) \
/ / ) \. ヽ ヽ_ノ .ノ⌒ ノ /\.. ) .\
// 〈/; `ヽ^⌒\.((´ ∀`))/⌒ ノ (⌒^ノ \_>
⌒/ \__:/:^⌒> ⊂ ⌒^⌒つ <⌒〜ヽノ^ ノ \
/ \ ) ノ /⌒|::::::|:::::|⌒\ヽ (^ ノ /⌒^
/ \)/ (__)_) \( ノ ./
/ /〜) \ ν ノ /
ν ⌒^〜) \ ノ/
⌒^〜) \ |\ ν
⌒^^) \ ∧| \∧∧∧∧∧
⌒⌒ヽ ) < >
ν < 決 し て >
< 逃 れ ら れ ぬ >
< 死 が !!!! >
< >
∨∨∨∨∨∨∨
>>789 それだけの戦力差がありながら敗れたラビエヌスはやはり往時の実力はなかったの?
あと騎兵を上回る速度で展開することができたのはなぜ?
経験で人間の走力が騎兵を上回るってことはないでしょ
地形の利があったの?
まとめ
・少数の騎兵の不利をおぎなうため 騎兵の役割を
ベテラン(重装、軽装)歩兵にさせた。
・ポンペイウス騎兵と本体の軍に対する二段構えの
包囲殲滅作戦がみごとにきまった。
その後地中海世界に唯一の存在となったカエサルは
デイクタトール・ペルペトウア(終身独裁執政官)
を名乗り
共和制のローマを帝政へと魔改造、
そのとちゅうで暗殺されてしまいますが
後をうけついだ
オクタウィアヌス(=初代アウグストゥス≒皇帝の代名詞)
が
さまざまな国家、民族、文化を含む
普遍的なローマ帝国を
きずきあげてゆくのでした。
めでたしめでたし。
※スレ住人のみなさまへ
あいまいな記憶にもとづいてカキコしてしまったため
さまざまな間違いがあることをおゆるしねがいたいのです。
とくに
生かじりの知識でしったかぶりをして
恥をかくなんてゼッタイ駄目。
おにいさんとのやくそくだよ!
(´・ω・`) ←あいまいな知識wのままカキコしちゃった・さん。
>>791 Q それだけの戦力差がありながら敗れたラビエヌスは
やはり往時の実力はなかったの?
A たぶんポンペイウスへの質問だと推測しますが
(ラビエヌスはカエサルの元部下で 内乱後は
ポンペイウスのもとで戦うことを決意
ファルサルス会戦では騎兵7000を指揮した)
ファルサルス会戦のまえにおこなわれた
ドラキウム包囲戦では終始ポンペイウス軍が
カエサル軍を圧倒していました。
(カエサルはあやうく死にかけました)
政治家としての才能はともかく
ポンペイウス・マニュース(偉大なるポンペイウス)
の名に恥じない武将の才覚、たたかいぶりで
『往時の実力』はあったとおもいますよ。
Q あと騎兵を上回る速度で展開することができたのはなぜ?
経験で人間の走力が騎兵を上回るってことはないでしょ
地形の利があったの?
A 漏れの解説がわるいせいでの誤解ですね。
騎兵に対する一度目の包囲作戦はこう展開したのです。
・カエサル軍騎兵(前衛)とポンペイウス軍騎兵の対決
・カエサル軍1000の騎兵、おそれをなしたように脇に
逃げる(もちろん偽装)
・ポンペイウスとラビエヌス、勝利を確信して騎兵7000に突撃を
命じる
・カエサルの秘策発動
『なにがあってもふみとどまり 騎兵にたいする人間の柵となれ』
と厳命されたベテラン歩兵2000(後衛)が
そのとおりにしてポ軍騎兵の運動性を封じ込める
・さきほどの騎兵1000と軽装歩兵400
ベテラン歩兵2000で連携をとって
ポ軍騎兵7000にたいする包囲完成
・ポ軍騎兵敗退
ポンペイウス騎兵にわざと突っ込ませてそこを包囲したって
かんじですかね。
796 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/21(水) 19:29:45
>>791 先にドゥラキムでカエサルを打ち破ったことは既出ですね。
ポンペイウスの布陣、戦術を見てもほぼ必勝できる体制でした。ラビエヌスも「この戦闘に勝利しない
限り、生きて帰らぬ所存です」と作戦前に宣言するくらい、真剣でした(実際敗戦後、彼は自殺している)
カエサルがそれだけ異常な戦術を取った、というコトでしょう。
まず「人間の柵」ですが、これはカエサルが乗馬の達人であり、馬の生態をよく理解していたからこそ
思いつくコトでしょう
また重装歩兵は通常ピルムという投槍を2本携行しているのですが、彼は柵役の兵士たちに、これは
投げずに直接騎兵に突き刺すように、と厳命していました。
要するに包囲された結果、疾走するスペースがなくなり、ポ軍騎兵がまったく役に立たなくなった、
というコトです。
騎兵は歩兵と異なり、突撃できないとまったく戦力にはならないのです
797 :
796:2007/02/21(水) 19:37:33
さて、馬に関する知識があれば(あるいはこの戦いを戦史として知っていれば)同じコトができるのか?
ですが、それは否です。
ローマ軍における百人隊長の発言力は極めて大きく、彼らに「そんなことできるか!」と拒否されれば
それで終わりです。
こんな前代未聞の作戦を実行させることができたのはカエサルならでは、でしょう。
カエサルはこの任務をかの第十軍団に任せました。
第十軍団はカエサルがもっとも頼りにしていた軍団で、彼らにも司令官にもっとも頼りにされている
という自負がありました。
実際、頼りにされているコトに奢り、内乱直前に給料値上げを狙ってストライキを起こした事件が
あったのですが、カエサルは巧みな人心掌握術で、この事件においてビタ一文給料を上げずに
彼らからより強力な忠誠を勝ち取りました。(この時のカエサルの対応は大変興味深い)
彼らはカエサルに再び頼りにされたいと、突進してくる騎兵の前に怯まず立ちはだかる、という
前代未聞の困難な任務を喜んで引き受けたのです。
中世のスイス傭兵の方陣とか
トゥール・ポワティエの戦いでの歩兵の密集陣形みたいな感じだったんでしょうか?
>>796 ラビエヌスって自殺したんだっけか?
その後もカエサルと戦い続けて 戦死したんじゃなかったっけ?
>>798 ・・・ポワティエの手前20kmの平原で両軍は遭遇し・・・
・・・正午から前面衝突が始まった。
正午、イスラム軍の騎兵隊が突撃を開始した。
重装歩兵を中心とするフランク軍は、密集隊形を組み、
前面に盾の壁をつくって防戦した。
イスラム騎兵は突撃を繰り返したが、
フランク軍の盾の壁はこれを支え続けた。この日、
【戦いは勝敗がつかず、日没で止んだ。】
カエサルがファルサルス会戦でやったことは
(カエサルが勝利しているので)
たぶんそれ以上かと思われ。
800 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 19:04:28
>>799 あ、ラビエヌスはムンダで戦死だ・・・勘違いしてた。
自殺はタプソス後の小カトーだな
ポンペイウスは逃走先のエジプトにて殺害される。
どんまい。
いいねこの流れ
あんまりローマのこと知らないおいらに
カエサル〜オクタヴィアヌスらへんがよくわかるオヌヌメの読み物ある?
塩婆の以外で
>>799 トゥール・ポワティエの戦いは騎兵の戦力差が10倍あった(フランク側の騎兵が下馬して戦った)
とかいう話を聞いたんでどうかなと思ったんですが
ガリアでの戦いの勝利はラビエヌスの助けが大きかったといわれ、
カエサルは実は最初の方は軍事的知識はなかったという話も聞きますが
どうなんでしょうか?
804 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 01:21:02
カエサルもアレクサンドロスも癲癇持ち
気性が激しいのかな