って、そっちのスレタイに項羽と劉邦が堂々と入っている訳だが。
劉邦ってのは名前じゃないってのは本当?
邦は亭長、字の季ってのは末子って意味と聞いたんだが・・・
ってこれは質問スレかな?スレ違いだったらスマソ
あー名前じゃないはミス。。
正しくは名前が不明でした
司馬 遼太郎
邦は「くに」って意味があるくらいだしね。
季は末っ子もだけど、四男じゃなかったっけ…?
詳しい人、パス。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 09:56:09 ID:x/hU9IuZ0
>>3 そのドラマ見ているけど、
ドラマなのにスケールがめちゃくちゃ大きいよな。
映画並み。
NHKの大河ドラマで、あのスケールは考えられない。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 10:58:08 ID:ls0BDsa60
項羽の方がかっこよさそうだけど、友達になるなら劉邦だな。
>>3 劉邦が、虞姫と結婚しようと目論んで、結納を、愛人の料理屋のおかみさんから、
商売に必要だと嘘をついて借りるところが面白かった。
司馬さんの小説と横山光輝マンガのしか読んでない・・・
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 18:59:10 ID:BGPAANLb0
鬼謀の策士、陳平が好きだったな
>>10 それだけ読んでいたら、大体のところは掴めるし、十分。
ここは史学板じゃないんだし、堅苦しくする必要はない。
>>3のドラマ知らなくて3話分?見損なってるんですけど
いまどの辺までいってるの
蕭何たちが劉邦助けるトコとかやりました?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:51:05 ID:1mQzRoWo0
>>13 自分が見たのは、1話と2話で、3話目は見逃したんだけど、
劉邦はもう亭長になっているよ。項羽、虞姫とも出会った。
大漢風は20話バージョンと50話バージョンがあるようだけど、
日本で放送するのは、50話バージョンらしい。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:55:32 ID:EA2GaG9NO
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 23:14:57 ID:8s3jzaOwO
張良と陳平のコンビが好きだなあ
爽やかなイメージのある張良と一癖も二癖もある陳平
いろんな意味で対照的な二人だけど
17 :
13:2006/10/24(火) 23:29:07 ID:utIfb0xP0
>>14 サンクスです
そうですかぁ
沛の頃の劉邦&取り巻きがけっこう好きだから
最初ちょっと見逃したのは痛かったなぁ
でもまだ間に合うかな
>10
司馬遷の史記を読んでいるとは、なかなか通だね
>>8 そのドラマは映画館での上映版もあり、しかしそれを見た客が「チャチw」
たった1日でクローズとなりワースト記録を作った映画館もあったわけで。
しょせん映画「並み」でも「映画」にはなれないってこと。
テレビドラマはテレビドラマ。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 01:11:30 ID:7+WmGzwkO
司馬遷はなんか劉邦より項羽の方が好きそうだよね
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 01:55:10 ID:nCHNIrvc0
>>10 それ以外にも漫画版項羽と劉邦なら
本宮ひろ志の「赤龍王」が面白かったよ。
絵も迫力あるし、ドラマチックで読み応えがあった。
かなり昔の作品なので絶版になってるかもしれないけどお勧め。
司馬遷が一番敬っているのは記述からすると項羽でも劉邦でもなく冒頓であるように思える。
「帷幕の中で謀をめぐらし、千里の外に勝敗を決する男」―張良
「股夫」「国士無双」―韓信
他の武将にもキャッチフレーズがあったはず・・・
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 06:31:58 ID:Pe2ZwUoF0
肛門痒い
25 :
力抜山世 :2006/10/25(水) 19:59:18 ID:BHO7aNzQO
我が力は山を抜き世を征する力(by項羽)
自分は項羽が好きです。
※劉邦は何か家康みたいな何を考えているのか分からないタイプで凄く怖い!
実際に劉邦につかえた英雄的将軍のかんしん(漢字と正確な名前を忘れた)に謀反の罪を着せて処刑している!
かんしん(正確な名前と漢字を忘れた)以外にも劉邦の下で天下取りに協力した武将達を追放したり…領土を取り上げて僻地へ追いやって、自分の天下を盤石にした!
何か家康に似ている…劉邦は腹の中で何を考えているか分からないタヌキなので嫌い!
◆戦で勝ったのも劉邦が項羽と交わした協定(持久戦が数ヶ月に渡りお互い食料が無くなり…一旦、兵を引き上げて国に帰る事に合意した)を破って背後から奇襲を掛けたから勝てたんだ!
やり口が汚いぞ!
◆最後の戦よりかなり前の戦だが…
劉邦は項羽に大敗して捕らえられている!部下は劉邦の首をはねるように申し出たが…項羽の哀れな劉邦の姿や態度を見て逃がしている!
(項羽さん…何故?あの時に劉邦の首をはねなかったのですか?)
※一説には、己の寛大さを家臣達に示したと言われている
※項羽の強さを知った劉邦は数年間は大人しくしていたが…また兵を上げた
戦い方や考え方を見ていても、項羽の方が男らしくて好き!彼の短所は、気が短い事と自分が武功と戦術に優れた英傑なので、あまり家臣の言うことを聞かずに自分で全てを進めてしまうところ。
全てが完璧過ぎた故にまねいた悲劇!
お〜い。 韓信くらい覚えておいてくれ。
韓信言うたら股くぐりやな
国語の授業でも習うぐらいやし
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 00:15:37 ID:ObYOwHBt0
かんしん←なぜか変換できない
BSのドラマ劉邦と嫁さんのキャスティングは神
とゆうか嫁さんに惚れた。
趙高にヒゲって・・
劉邦は挙兵時〜項羽と争ってる時は名君主に見えるんだけど
高祖になってからは功臣を次々に処刑したりする黒い部分は好きになれなかったな。
そういうときに限って秦兵20万を穴埋めにして皆殺しにした汚点があるにも関わらず
項羽の一本気な生き方が清清しく見えてしまったりする。
項羽と劉邦
項羽は項(姓)+羽(字)
なのに
劉邦は劉(姓)+邦(名)
なぜなんだ?
名だったら 項籍と劉邦で
字だったら 項羽と劉季で呼ばないといけないんじゃ?
>>29 英布や韓信を討ったのはむしろ正しかったと思うけどね
漢にいつまでも忠誠を尽くすような連中じゃない
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 01:11:01 ID:2mLn6hUTO
劉邦は先入観捨てて見ると優れた将軍だし政治的にも的確だよ
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 22:46:28 ID:6iOTEXf90
>>29 > 高祖になってからは功臣を次々に処刑したりする黒い部分は好きになれなかったな。
それは皇后呂氏の陰謀じゃないかな。呂氏が影で糸を引いていたような気がする。
劉邦の死後は、自分の息子をさしおいて世継ぎの座を狙っていた愛妾の威氏親子を殺害しているし。
虞美人ってもう少しカワイイってイメージがあるけど
でも美しい(´Д`;)
楊恭如はもう30代だからね。ちなみにカナダ出身。
>>34 でも、劉邦だってそれなりに容認していただろう。
権力を手にした者は非情になるものだ。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 08:57:06 ID:BavDBui30
古今東西、どこの地域の誰であっても、創業の権力者は、
力を持った功臣の存在を恐れるからね。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:03:48 ID:0CnKDMPQ0
狡兎死して良走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵められ、敵国破れて謀臣亡ぶ
でも蕭何みたいな例もあるから
どうしても劉邦は朱元璋みたいのと同じふうには思えないんだよね。
晩年の詩も勘繰れば、かつての部下を淋しく思い出してる様にも読めるし。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:58:23 ID:q28Qj66t0
ガキの頃三国志しかしらなかったが楚漢の方が面白い
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 18:02:42 ID:PvIwg4JZ0
>>39 その言葉にどれだけ切なさを感じた事か・・・。
韓信は漢の重臣になる(天下統一後)、もしくは斉で第三勢力になって欲しかったよ。
張良の身の引き方は見事だったけど、乱世の功臣ほど治世では不用になるのも悲しいね。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 11:37:13 ID:26deI4230
>>43 >もしくは斉で第三勢力になって
上手く立ち回れば、天下三国鼎立を実現できたのにねえ。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 14:00:57 ID:Ys3lDyyvO
そういえば今日はBSで大漢風がありますね
見たくても見れませんが?
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:54:50 ID:0iiJGag70
tvとアンテナ買う価値あり。
あのドラマ
ないない。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 03:19:53 ID:2Ip29gndO
服部范増が50ゲット
史記では秦→楚→漢なのかい?
西楚でない
劉邦は漢中王名乗ってるし王・王で同格?
天下三分となってしまっては到底匈奴には対抗できず各個撃破されてしまう。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 18:15:00 ID:GOhR1eMxO
冒頓vs項羽を見てみたかった
あの時代の匈奴ってそんなに強かったっけ?
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 19:12:36 ID:bgDMqz6eO
皇帝即位後の劉邦があと一歩で敗死するまで追い詰められた事が有るし
強かったのは間違い無い
>>54 冒頓との正面対決を避けひたすら長城の増築にいそしむ項羽
項羽が兄で冒頓が弟の南北共存。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 20:00:04 ID:RUo4VJ6YO
匈奴は冒頓の時が最盛期。
軍臣単于の代に月氏を破って西方へ勢力を拡大していたし、
漢側にインパクトを与えたのは冒頓ではあるが、その後も匈奴は勢力を拡大している。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:16:08 ID:NC7ZiK7lO
それが百年後には漢に入朝するんだから世の中わからない
匈奴は軍臣単于の死後跡目争いの激化で分裂してしまい、
統率者不在で徐々に昔日の勢いを失っていく。
後のフン族やモンゴルも似たような衰亡をしていくのは遊牧帝国の性というべきか。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 00:42:13 ID:Mxq5a4G70
張良ってほんとパーフェクトな人間だよな。
こんな優秀な人物は古今東西中華の歴史上でも太公望と楽毅、光武帝くらいしか思い浮かばん。
始皇帝の暗殺には失敗したけどね
そのとき雇ったマッチョは、つかまって車裂きにされたの?
オレもマッチョの行方気になる。
戦術も悪くない名将で必死に戦ったのに、趙高に一族皆殺しにあった後に20万の部下を殺されて、しまいには秦人に一方的に怨まれた上に惨めな敗死をした章邯カワイソス。
んー、改行するよろし
>>68 項羽に立てて貰った韓王成と一緒に韓の故地・潁川で城を幾つか落としたけど、
秦軍にはあっさり負けて取り返され、その後は劉邦に平定してもらうまでは
ゲリラ戦でせいいっぱい
もっとも最初に乗り込んだ際の戦力が一千そこそこではあるが
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 10:40:32 ID:A/kIBOdD0
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 19:22:51 ID:Mxq5a4G70
張良は陳平のような謀略に満ちた陰のイメージがまったくなくて、
クリーンなイメージが強い。それでいて、世渡り上手。
学問云々を超越して、力の運用の仕方をしっていて、しかもそれが時勢を得てるところが凄いんだよ
こんな人物見た事がない
まさしく太公望・楽毅・光武帝に並ぶ人の鑑だよ
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 19:41:17 ID:vsNDbYOG0
黄石公に魅入られ、若い頃に太公望の兵法書を手にして王者の軍師になるっていう
エピソードも張良の英雄性を高めてる気がする。
韓王信(韓信と紛らわしいが韓王家の信という意味で韓信とは別人且つ遥かに毛並みが良い)
も劉邦の猜疑を受けたが、冒頓に帰順することで劉邦の粛清は免れた。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:58:18 ID:i5NbPt+/0
趙高が扶蘇と蒙篆を殺さなかったら彼らも世に
出てくることはなかっただろう。
始皇帝がちゃんと後継者を定めていなかったばかりに・・
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:03:10 ID:Z6DimOHr0
始皇帝も中国を最初に統一した英雄だ。
誰か始皇帝のスレ立ててよ。
そういや始皇帝スレまだなかったな。
俺は立てすぎて、今立てられないけど。
張良と劉基は甲乙付けがたいとよく言われるが
>>72 張良の身の引き方はハンレイに倣ったのかな?
>>80 劉基は終わりを全うできなかったからな。
その分マイナス。
83 :
SKUNK:2006/11/06(月) 15:42:19 ID:4+qxg48q0
項羽の人柄の魅力ってなんですかね?? ぜひ教えてください!
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 15:57:49 ID:V8MlL4X+0
傲慢さもまた魅力
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:09:34 ID:rz3usnsl0
>>83 味方となるものには寛容で慈悲深い。
ただ、その温情は冷めやすいので勲功行賞時になどに恩賞を出し渋る悪癖もある。
韓信曰く「婦人の情」
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:32:44 ID:1fYhM/hGO
ただ武骨者には理想だっただろうね。しかも王自ら戦場に出て一騎打もばかばか受ける。現代アメリカの元軍人政治家の人気なんて比にもなんないと思うよ。その辺が最大の魅力。
88 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 20:00:48 ID:AaFdn4fS0
>>87 寡聞にして項羽本紀忘れたんだけど、「史記」にはそんな一騎打ちの記述なんかあったの?
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の創作じゃないの?
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 20:21:40 ID:1fYhM/hGO
創作じゃないと思うよ。秦討伐時から何人もの将を討ち取ったっていう記述を始めに劉邦の足に矢を射る前とかガイカで破れて落ち延びる際とかいくつも将を討ち取ったらしい。王の顔前に将がくるなど王自ら呼び込まねばありえない
90 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 20:41:38 ID:AaFdn4fS0
>>89 ああ、そうですか。
今度家に帰ったら本紀読み返してみます。
ところで、秦討伐時のはじめの頃は項梁の親類ながら一部下と言うことだから陣頭指揮があってもおかしくないね。
また、ガイカ以降はしょうがないんだろうね。人数がいないんだから。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 20:47:18 ID:1fYhM/hGO
まぁまぁ。本当の事なんて誰にも分からないだから。でも司馬さんは創作だけど想像だけでなくリアリズムもあるよ。記述的な資料には矛盾も多い。そこを想像で繋ぐから歴史は面白いんだよ
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 20:53:17 ID:9AjiD4XmO
紀信と周苛が親友というのが司馬遼太郎の創作だと気付いたときは結構ショックだった
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:05:37 ID:1fYhM/hGO
でも資料の紀信って劉邦の身代わり部分と廟を建てたっていう記述しかないからね。でも可能性はあるんじゃない。コウモンの会からいたってことは古参だから沛県出身の可能性高いしあの連中は皆仲間みたいなもんでしょ
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 22:26:40 ID:flYi4C6RO
樅公=魯侯奚涓説を唱えてみゆ
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 23:02:25 ID:1fYhM/hGO
ケイヨウ守って陥落後殺された人という印象しかない・・・
>>94 もしかして、三戦板の楚漢スレでその説を述べた方?
功臣の序列で蕭何、曹参、張敖、周勃、樊カイ、レキ商ときて、次にくるんよね
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 23:53:50 ID:flYi4C6RO
>>96 そう。
奚涓と樅公は殉職しか共通点ないんだけど、
樅公という呼び名からして生前既に県令以上であった=ある程度高い地位=序列が高かったと考えられる点、
周苛や紀信(成)、レキイキの子は侯になっているのに彼の子孫等が侯になったことが明記されていない点、
それほどの序列でありながら本紀や列伝からはその名の活躍が見えない=別名で呼ばれていたと考えられる点
これらからの類推
これこれ
むつかしいことを
申すな
>>82 俺は普通に終わりを全うしたと思うが>劉基
張良は餓死という事実
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 16:40:08 ID:paAGZ4v9O
呂后「あーんして」
張良「あーん」
今のシーン。この一口で体調を崩して死んだと聞いた。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:30:20 ID:FwY71t+sO
断穀していた張良に呂后が無理やり飯食わさしたために
腸が破裂して死んだとかいう説を聞いたことがある。
>>103 断穀していた張良に呂后が無理やり飯食わさしたって
岩波の史記世家にも書いてあったな。
さすがに腸が破裂とは書いてなかった。ドイツの蛙みたいだな。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 12:23:19 ID:GvN71mSEO
張良が死んだのは呂后に食事させられた8年後だったと思うが、ずっと破裂したまま年月を越えたのか?タフガイだな
仙人だからな。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 00:22:40 ID:iACSOyOMO
それにしても漢初は黄老思想にかぶれた奴が多いね。
流行ってたんだろうか?
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:57:33 ID:TIwLxSCfO
春秋や戦国は五帝、虞、蕣の話しばかり。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 19:34:34 ID:0v7Dp0hv0
BSドラマの胡亥はナイスキャスト
あの間抜けっぷりはww
つーか、さまーずの三村に似てる
ほう
>>109 NHKでやってほしいなあ。
別に日本の大河ドラマなんていらんから。
DVD化したら見てみたい。
胡亥は鹿を知らなくて「角の生えた馬がいる」と言った事を皮肉り
頭の悪い人を馬鹿と呼ぶ言葉が生まれたって本当?
>>111 オレが知ってるのは
趙高「これは何の絵でしょうか?」
胡亥「馬だ」
趙高「いいえ鹿でございます」
胡亥「バカ言え、馬だよ。なあ?」
家臣「……し、鹿でございます」
というものだな。
馬と鹿が逆だったかもしれないが。
一応、「馬鹿」の語源とされるものの一つ。
他にも仏典にあるサンスクリット語の音訳が語源だという説もある。
史記だと始皇本紀と李斯列伝に載っている。
趙高が胡亥に鹿を献上する際に「馬でございます」と言って群臣を試した、という話。
つーか趙高って宦官ですよね、髭生えてるんだけど
横山版しか見たことなかったので知らない場面とかあって面白い。(BS)
劉邦の母の死のエピや色恋のエピ(これは削除されて当然だが)
別に傑作でもなんでもないけど。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 13:50:34 ID:Ih508dKX0
>>114 宦官だって、ひげが生える場合と生えない場合があるらしい。
まさに生命の神秘。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 23:56:15 ID:8V1Grk25O
髭が生えないからこそ付け髭をしていた奴も多かったという話もあるけどな
バカって、以前は「莫迦」だったような気がする・・・
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 17:02:58 ID:43edDkSb0
大漢風始まりましたよ
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:41:18 ID:+QvnC6Q40
大漢風のオープニング見ると
劉邦が黄旗で項羽が赤旗になってるけどあれ逆じゃないですか。
赤帝は劉邦のことですよね
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/19(日) 19:57:59 ID:xKQW+xFs0
張良、相思相手に勝つ
「見たかじじい」
by 本宮 ひろし
項羽の量産に成功すれば・・・
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 23:43:04 ID:fuUi1iovO
項羽は何故皇帝を名乗らなかったんだろうか?
まだ皇帝ができて間がなかったから、
あまり権威を感じなかったのかな
「皇帝」って称号を使い始めたのは始皇帝だからな。
秦に祖国を滅ぼされた項羽としてはそんなもん使いたくなかったんだろう。
帝号にそれほどの価値を見出していなかったのかもしれないけど、
最初はまだ義帝がいたから「西楚の覇王」に留めたんじゃないのかな?
加えて、義帝亡き後に帝号を称したら「項羽が義帝を殺した」という話が補強され、
敵対諸侯の大義を助けてしまうことになるし。
劉邦は何か陰険なイメージがあるけれども
儒学コンプレックスとか周昌とのエピソードとか見ると、思わず笑ってしまう
項羽と劉邦の知識をちょっとだけ入れたが呂后ってひどいな、
子の恵帝が仲良くしてた趙王と戚氏を殺して戚氏に関してはその無残な
姿を恵帝に見せるんだから。多数の美女を知ってる劉邦が惚れ込むくら
いだから恵帝もかなり好意を持っていたに違いない。それだけにショックは
計り知れない。それにしても人豚のむごさはバイオレンスジャックの人犬っ
てレベルじゃねえな。
これだけ黒いと韓信のクーデターの件も呂后の自作自演じゃないかと疑って
しまう。
韓信と義経がなんか被る
>>131 韓信の件も呂后が主犯だろ。
#劉邦の暗い部分をなすりつけられたのかも知れないが。
大漢風面白かったが字幕なので一瞬も目が離せない
しかし日本語の発音に近い単語があるとニヤニヤしてしまう。
最近、嫁もつられて見だしてるんだが何かの度に聞かれると説明するのがウザイ
つーか説明しずらいのが多い。
例えば、
Q主人公 A劉邦とは答えずらい
Q悪役 A初期は秦だが項羽は?
Q呂雉はヒロインか Aさすがに今週で嫁も引いてしまった。
>>134 > Q主人公 A劉邦とは答えずらい
> Q呂雉はヒロインか Aさすがに今週で嫁も引いてしまった。
www
先週某電気店を訪れたついでにテレビ売り場でドラマを立ち見していたら、
虞姫と項羽がいきなり一緒に風呂に入ってラブラブし始めたので
目のやり場にコマタ・・・。
項羽主役で美化してもいいから徹底的な悲劇描いたら
案外、日本人受けしそうな気がするんだけどなぁ
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 00:57:31 ID:MtkV9W6j0
項羽って八十余りの戦いで一回も負けなかったって死ぬ間際に言ってた気がするけど、
韓信の戦車戦術で負けたことあるよね?
司馬だけでは遼太郎か司馬遷かわからん
司馬江漢 (1747〜1818) って絵師がいたけど、日本人の「司馬」姓はどれくらいの人数がいるのだろうか?
福田定一 (1923〜1996) さんはペンネームだし。
章邯は名将と称されるが、項羽や韓信の将才を引き立てるかませ犬として、
名将の称号を与えられてるように思う。
つまり、名将の章邯を打ち破った項羽や韓信は奇才の持ち主なんだと印象付ける為に
名将の称号を与えられてるってことだが。。
でも章邯が出るまでは秦の軍隊は反乱軍に押されっぱなしだったことを考えると名将と呼んでも差し支えないと思うけど?
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 11:25:26 ID:KSnBOM3h0
おそらく秦の天下統一に向けての戦いでも戦果を上げていると思う。
>>144 おそらく陳勝の叛乱までは実戦経験のない人物。
秦では統一戦争で功績を挙げた軍人に恩賞を与えたり列侯に封じても、
基本的には中央で政治に関わる職には就けてない。
章邯は周文が函谷関に迫るまでは秦帝国では山沢池の税を管理する少府で
あり官僚。
朝廷でそこまで高い官職を与えられた人物なら統一戦争でも王翦や蒙恬に
及ばないまでも史料に事績が残る程度の働きをしているはず。
>>145 文官から将軍に任じられた経緯ってどうだったんだろうな
元々軍隊指揮で名が通っていたのか、秦がよほど人材不足だったのか
多分、じゃあ言いだしっぺのおまえがやれろ、だったんじゃないかと。
二代皇帝と趙高の政治で、みな責任を追及される仕事を受け持つのを嫌がった。
白起、王翦、蒙恬といった秦の歴代の名将に比べると、
同じ名将でも章邯は見劣りするのは否めない?
>>148 結局敗れて、秦の滅亡に繋がっていくからね。
しょうがないんじゃない?
他は粛正されてるし。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 22:14:50 ID:rZrj24N/O
ファッショが栄えた試しはないからね…。焚書抗儒などはナチスそのものみたいだ。
焚書抗儒もナチスも、誇大に悪くいわれているという意味か?
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 22:07:19 ID:Mpgx8UWOO
ホロコーストについては誇大も何も、これ以上に乱暴で卑劣な行為はこの世に無いと考えています。
乱暴な史観を信じてるのね。
普通に考えてありえなすぎなんだが…
#全てを否定するわけじゃないけどね。
>>147 囚徒に武器を持たせて迎撃させるなんて、本来は物凄く危険な賭けだったから、
責任負いたくなくて誰もやりたがらなかった、というのはあるかもしれない。
(むしろ、切羽詰っていたとはいえよく二世皇帝や趙高が許可したものだと思う)
章邯が評価されないのは、秦を救えなかったこと以上に、秦を裏切ってしまったこと
(どのような経緯があるにせよ)が響いていると思う。
>>153 そう思わせた方が都合が良い場合ってのもあるもんだよ。
例えば、
項羽がものすごく強かった!と「設定」すると、項羽を破った劉邦はさらにすごい人物になるわけだし。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:07:09 ID:wT6Gv2/zO
本当に後世のプロパガンダだけの都合で記録の改竄をしたのだろうか?
いや誰も陰謀史観を語ってないだろう。
記録を改竄したとも言ってないし、プロパガンダだけの都合とも言ってないぞ。
横山、本宮、久松の漫画を持っているが、ほかに漫画でてないんでっしゃろか
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 16:29:23 ID:bauOi/Yw0
ところで、
史記だと、コウ門の会でハンカイに豚の生肉が
与えられたと書いてあるらしいんだけれども、
あの当時って豚の生肉は、宴会に普通に出すもんなんでしょうかね?
それとも単にハンカイへの嫌がらせのために出したのでしょうか?
誰か当時の食事に詳しい人教えて。
>>160 いやがらせ。
普通に豚の生肉食ってたら
大変なことになる。
あの部分は司馬遷の誤字だとか肩の肉のことだとか
色々な解釈がある
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:30:25 ID:v1qdtGQGO
酒は一気で瓶ごとだったかな…。
誤字もそうだけどあらゆる面で誇張されてるのは間違いないのでは?
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 23:24:08 ID:CkDGKh8p0
20万だか40万の捕虜を生き埋めにした戦いってなんでしたっけ?
んな戦いはねぇ。
40万のほうは長平の戦いだと思う。
楚漢戦争より50年以上前で、戦国時代の話だが。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 04:39:44 ID:09cmozbWO
鉅鹿の戦いで章邯とともに投降した秦の兵卒を、項羽が新安で穴埋めしたことかいな?
項羽すなわち黥布・蒲将軍を召し、計りて曰く、
「秦の吏卒なお衆(おお)く、その心、服せず。関中に至りて聴かずば、事必ず危うし。これを撃殺して、ひとり章邯・長史欣・都尉翳とともに秦に入らんにはしかず」。
ここに楚軍、夜、撃ちて秦の卒二十余万人を新安城の南にあなうめにす。
(史記 項羽本紀)
蒲将軍が謎すぎる
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 19:38:44 ID:mekCrCqwO
あの時代、樅公だの共尉だの謎な奴だらけさ
>>168 鍾離昧のことだって言ってる小説があったような
こじつけっぽいし、専門書じゃないから信憑性ないけど
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:12:26 ID:KViIa30iO
当時の楚を知る家臣や将軍はほとんど殺されてるからね…。
又聞き情報くらいしか残ってないのかも…。
特に章甘が水攻めに遇ってから死ぬまでの期間の長さはひどい…。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:36:38 ID:09cmozbWO
蒲将軍って対劉邦戦の頃には消息不明だよね。
その頃にはもう死んじゃったのかな。
英布と並べて名前が出てるから、それなりの人みたいなんだろけど。
>>168 黥布と並んで活躍してるのに、論功にも名前が出てこないし、たしかに謎が多いな。
黥布と同時期に項梁に合流したことや、黥布とセットになることが多いから、
最初は番君の将軍梅ケンあたりかなとも思ったが、高祖本紀だと梅ケンは劉邦と
南陽ルートで合流しており、ちょっと違うっぽい…
話変わるが鍾離眛って具体的に何をした人なんだ?
横山光輝の漫画しか読んだことないんだけど、いつも項羽のそばにいるくらいだ
さぞ軍功でも立ててるんだろうと思えばそうでもないし
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 23:43:04 ID:VtmQQZUoO
>>174 項梁の旗揚げから項羽の滅亡まで仕え続けた宿将なのに
この名前を見るだけで笑いがこみ上げてくる2chに毒され過ぎな俺
大漢風の動画を見たら、呂雉が項羽を誘惑してるね・・・w
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:56:34 ID:3TnlxDLSO
季布なんかも具体的なこと言えば分からないとこ多いよ。
なんか中国英雄板にいる人って、かなり詳しいのかと思ったけど、
知識レベルが俺程度の人もいて安心したようながっかりしたような…
ドラマの大漢風
項羽の人って今ビーエスジャパンでやってるこうきていの13王子とおなじひと?
違うよ。名前調べリャすぐわかるだろうがな。
)
( ̄!ー─--、 ) お. こ
〉 /\__/ヽ`i ). や れ
. / 〉 || ) じ
|: /__ __|_ )
(^Y ━` i´━'| ´Y⌒Y⌒Y⌒
ヽ_, __ 」__ |
/'ヽ ┠─┨/
/\.,,ヽ┃ ̄┃、
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 21:37:23 ID:WIyJg1C80
項羽と虞姫の間に子供がいないのが不思議
あれだけやりまくってるのに、種か畑かわからんけど重臣達は世継ぎの心配は
してなかったのかな、項羽も一穴主義だろうし妾もいなかったんだろうな
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:47:19 ID:Rj+QDQca0
張良、ショウカ、韓信という、中国史上でもまれな傑物が
劉邦の陣営にいたんだから、いくら項羽が暴勇を奮っても
勝てないだろう。いや、劉邦の下だったからこの3人も
思う存分才能を発揮できた、というべきなのか。
あんなえげつない策を思いつく陳平も、一銭の得にもならないのに
劉邦の身代わりに虫のように殺される事を選んだ紀信やら、
とにかく劉邦の下にはなぜかしらんが人物がいっぱい集まってる。
劉邦が普通のワクを超えた得体の知れない人物であったことだけは
間違いないだろう。
だけど、これは劉邦の個人的魅力だけで説明がつくのかなあ
劉邦は信陵君を尊敬していたそうだが
やはり戦国四君のような客を大事にし、その才能を思う存分発揮させれる環境作りということを
若い頃から漠然と脳内妄想していたんじゃなかろうか?
無論、身分は貴公子と一市民ということで月とスッポンなのは見るからに明らか
それでも、「俺ならこうやる!」という酒場で理想や愚痴を撒き散らすようなオッサン気質が
良い方向で開花したのが劉邦だと思うよ。
陳平の人間の心理を巧みについた権謀術数と
高祖も政治家としての素質を見抜けなかった才能が好き。
兄嫁キラーだけどそこも一つの魅力かと・・・
>>184 劉邦の人間的な魅力が大きく影響したとは俺は思わない
云われる様な劉邦のカリスマ性に惹かれた連中なんて最古参の近親者が殆どで、
夏侯嬰の様な例が奇特なだけ
劉邦の陣営に加わった人物は項羽の残虐的な性質や情実人事が過ぎる政策を
見限ったり、劉邦のもとで働く方が自分にとってメリットが高いと見いだしたって
ところ
固陵で敗れた後に韓信や彭越の様に恩賞を約束されてやっと腰を上げる様な例も
あれば、趙王の家臣たちの例もある
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:30:57 ID:Rj+QDQca0
俺も陳平好きだけど、とんでもないヤツだったんだろうね。
あんなえげつない策は、まっとうな人間なら思いつかないだろう。
まあ、あのえげつなさが好きなわけだが
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:34:25 ID:Rj+QDQca0
187>そうか。反項羽ということで、みんな一致団結したのかもしれないな。
だとすると、実は項羽が中国統一を裏からすすめたわけで、
彼は自業自得とは言え、貧乏くじをひいたわけか
だから逸話があるでしょうに。
王は美徳の士をご所望ですか?謀策の士をご所望ですか?
謀策はえげつないものだから…。
軍師としては寧ろ利点となるべき性格では?
>>183 > あれだけやりまくってるのに
「お前見たのか???????」
英雄板を読むにつけ言ってみたくなる言葉ナンバー1
項羽と虞姫は毎日仲良く雪合戦毎晩仲良く一緒にお風呂。
子供のいないふたりは可愛的白兎の繁殖飼育に励み、
楽しく楽しく暮らしましたとさ。
====== 完 ======
>>188 陳平の策略は確かにえげつないけどそれだけでは無いよ
でも匈奴に囲まれてピンチに陥った時、
美人画の策で高祖を窮地から助けてるし。
楚から亡命して来た彼を厚遇するは策略は自由にやらせてくれたし
かなり恩を感じていたのだろう。
周勃と一緒に呂氏一族から社禝を守り
最終的には右丞相にまで上り詰めてる訳だから。
彼も張良と同様、老荘の徒だったみたいだし。
えげつないと言うか強かなんだよな。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 07:53:29 ID:WK66irhq0
>>187 劉邦には堅臣が揃ったというより、
人材登用の能が有ったと見るべきなんだろうね。
項羽にも人材はいたと思うが、日の目をみることはなっかたのだろう。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 21:43:31 ID:RShMVg6LO
>>195 確かに項羽って血縁の者しか重要なポストに就けないし、
殷王司馬を下した陳平をすぐ都尉に就けた割には司馬があっさり寝返ったら責任を激しく追求したり、
笵増を亜父とか呼ぶ割りには献策とか積極的に取り入れないし、
有能な人間がやる気をなくさせるような環境だよね。
その点劉邦って素直というか気前がいいというか
その人物の前歴など関係無しに寛大に受け入れるよな。
献策とかも良い悪いに関係無く取り敢えずは採用するし、
(後先考えないから張良にすぐ諫められるのだが)
任せたら自由にやらせてくれたりするし、
そこらへんが人を寄せ付ける要因ではないかと思うな。
韓生って何した人なの?
殺されるときだけに急に出てきたんだけど
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 22:50:44 ID:RShMVg6LO
確かに諫議大夫だったような気がしたが
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 09:11:28 ID:exREvjBYO
項劉記の続編ってもう出ないのかな?
なんだ続編て?ゲームの話か?
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 21:49:33 ID:v4R2rU0Y0
雎水の戦いで56万漢連合軍が大敗しましたが、雎水が
赤く染まり、流れが止まる・・・・・
どれくらいの大きさの川なんですか?
>25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/12/18(月) 01:56:53 ID:HSHYRbWS0
>「覇王」って王号は劉邦側の人物(張良?)が項羽の名声を落とすために名乗ることを勧めたんだっけ?
>それを見抜いた部下(范増?)が「覇とはあくまで王の臣下です。その字を王の上につけるのはおかしい」
>と言って諫めたが、当の項羽がこの名を気に入ってしまい結局聞き入れられなかったと。
これ別のスレに書いてあったんだがマジな話?
もともと“覇王”と言う称号は“武力で諸侯を従えて天下を治める人”と言う意味で、
孟子など儒家は徳で天下を治める“王道”こそが尊くて、覇道は卑しいものという考えがあるらしい
だから、私見だけどその説はけっこう在り得るんじゃないかな
まぁ、当時は王の臣下だったし。
>>202 江戸時代の講談本では
張良に名前を考えさせ難癖を付けて抹殺しようとしたが
それを察知した張良が逆に項籍に過去の尊号を説明しますから
それを参考に自分で考えてくださいと、
三皇、五帝、三王、五覇の事を説明したところ、
項籍は王と覇の定義を自分に準え、
>「覇とはあくまで王の臣下です。その字を王の上につけるのはおかしい」
と言って笵増が諫めたにも拘らず項籍は
自分は王と覇を併せもった人物、だからのその両方合わせて覇王とするのだと譲らなかった。
と描かれているよ。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 02:40:24 ID:kRQQCd2iO
>>206 横山光輝の『項羽と劉邦』にも、そんな風に描かれててたね。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 15:30:14 ID:gHgeeWPxO
>横山光輝の『項羽と劉邦』にも、そんな風に描かれててたね。
そりゃそうだろ、前出の講談本をネタ元にしてるんだから。
横山光輝氏があとがきで、そう書いてるぞ。
マルチだけど、
横山光輝の史記は何を元にしてるの?
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 22:33:09 ID:gHgeeWPxO
鍾離眛って劉邦を狙撃してを負傷させた為に恨まれていたって話だけど、
それって何の合戦の時の話?
季布も鍾離眛と同様、漢が天下統一後、指名手配されてたけど許され、
そのうえ、漢に仕え河東郡大守にまで出世してるのに、
鍾離眛は親友の韓信を頼ったばかりに悲惨な結果に・・・orz
>>210 そんな話は無い。
劉邦が鍾離眛を殺そうとしたのは、
さんざん苦しめられたから。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 01:45:39 ID:xXDa2IYVO
>>211 だからその具体例を詳しく知りたいのだよ。
>>212 具体例は無い。
史記に「散々苦しめられたから、鍾離眛を殺そうとした」とあるだけ。
漫画か小説か知らないけど、そっちをネタに質問されても答えようがないしね
じゃあ、鍾離眛に苦しめられた可能性があるのはどこら辺の戦い?
明日は通常通り「大漢風」です。
忘れるな。
あー審食其が羨ましい。
呂雉に惹かれる自分が怖い
あれ?一月九日じゃなかったっけ?
よーせーおーちょーとごっちゃにしてた?
ドラマ見てる人がここにいるとは思わなかった。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 02:40:33 ID:WVzrCWPP0
陳平はどんなえげつない計略を用いたんですか?
学校の古典の授業で鴻門の会を読んで項羽と劉邦に興味を持ち横山光輝の史記を読みました。
とても面白かったので他にも項羽や劉邦などに関連した本や漫画を読みたいんですが、何かお薦めはありますか?!
教えて下さい。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 21:01:50 ID:XUYkbBSjO
>>224 司馬遷の史記。高祖本記などをまずは嫁。
小説なら司馬遼太郎の項羽と劉邦 全三巻。
漫画なら横山光輝の項羽と劉邦。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 22:41:42 ID:XUYkbBSjO
>>180 遅レスだが、古代史は参照できる史料が限られているのでそうなるのはしょうがない。
史料が豊富で、どれを読んだらいいのか迷うほどの明代になると、
どこまでもディープな会話が出来るんだけどな。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 15:40:06 ID:q9Pb6Xi+O
>>229 アホが約1名、紛れ込んでるだけ・・・
あと資料の所為では無く只の勉強不足では?
知識がなければ参加してはいけない趣味板ってすごいな。
まあ、「○○の顔は劉邦に似ている」とか言っちゃえる板ですし。
お前写真でも見たのかと。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:39:22 ID:AiH33f2vO
>>234 伝記では劉邦って太股に七十二のホクロがあったことになってんだろ?
>>
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 23:24:54 ID:V1tKDssO0
横光の三国志→項羽と劉邦を読んだのですが
第1巻で関羽が自分のことより国のことを考えろだの
略奪、命令不服従とかはすべて死刑ということ言っていたのですが、
曹操とか孔明も失敗したり敗北した将軍を軍規がありながら
温情で許していたりするけど、韓信が元帥になっとき
錬兵所で昼からやってきた将軍を打ち首にしたり、
張良が罪人の首を策略の出汁にしたり、配下の武将
に劉邦の身代わりになってと頼んだり、20万を谷から
突き落とすだの、10万を川で溺死させるだの、要人の
謀殺や暗殺が多くて、三国志ってファンタジーな英雄活劇
なんだと思ってしまう。
生きた人をすぐ穴埋めだの大釜で素揚げにしてびびっちゃう。
背景が違うから、同一には語れないのだよ。
でも実情では三国志の時代のほうが一般人にとってはよっぽど苛烈な時代だったんだよ
>>240 楚漢時代はまだ短いからね。
後漢末〜三国は分裂抗争の時代で、その期間も長いから民にとっては迷惑極まりないことだったろう。
三国演義でファンタジーなんか言ってると、水滸伝、楊家将演義などまともに読めないわなw
三国演義は他の演義より、軍記よりの物語。 他にはそういうのがないからね。
三国演義の延長で、他の演義ものを見ると、たぶん失望するだろう。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 12:53:22 ID:HiuphFCxO
三国時代は中国史の中でも特に庶民がどのような暮らしをしていたかが分からない時代らしい
>>241 後漢末から続く分裂状態は晋になっても大して良くならず、
仕舞には異民族がなだれ込んできて五胡十六国南北朝になったからな
それに比べれば、秦が滅びても安定王朝の漢が成り立つことの出来た楚漢時代は随分ましだっただろう
だからこそ、漢の時代は特別なんだろうね。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 20:38:32 ID:TZ6tL5Ss0
明日は見逃さないようにしよう「大漢風」!再放送もしてほしいな
まあ録画忘れても日本語ソフト化が決定しているから安心汁。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 18:01:09 ID:OlZ+qIiV0
今日も大漢風面白かった。
虞姫のメイクとピアス良いわ。
それにしても劉邦の女たらしっぷりにはもうね。
虞姫かわいいよ、もたれかかるところが、項羽ってなんか微妙だけど(強そうに見えない)
昔うちのおかんが悲劇のヒロインでタイタニックのケイト・ウィンスレット
はデブだからあんまり可哀想いそうじゃなとか言っていたけど
虞姫をやっている女優さん痩せてて悲劇のヒロインぽくてはまっているな。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 21:49:38 ID:i+LOGWaC0
懐王のバカ殿ぶりがすごい、秦の胡亥といい
これでは時代が荒れるのもしゃあない
呂不韋って奇貨居くべしとか言っていたけど、呂雉の親父は
娘二人を皇帝と諸侯の妻にしたのだから、奇貨居くべしを体現
したのは同じ姓の呂雉の親父だろうな・・・・
虞姫は可愛い美人だけれど大根女優。
いわゆる「花瓶」というタイプね。
中国人視聴者の評判は概ね不評。
クリスティ・ヨンは古典美女の役にはモダン過ぎるんだお。
脚本で強調されている無垢なお姫様をやるにはちと年食ってるし。
でも綺麗はやっぱり綺麗なんだよなあ。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 22:43:27 ID:m2gMnqEW0
へぇ・・・
中国人が大河ドラマ見て「石○さとみや仲○由紀江かわいい」
みたいなもんか、
「大漢風」では、呂雉より呂須。妙弋より君児。
でも一番は曹姫。かっわいぃー。
あんな大っきな息子が居るようには見えないのは問題だけど。
呂后の陰謀により、もう視られないかも知れんのが残念。
(現代劇の沈傲君はイマイチなんやけど…)
「大漢風」最後まで見たけど安心しろ
このドラマ死んだとか描写がない限りは
ぎりぎり最後まで出てくるよ。
個人的には張良と蕭何がたまらん。
張良でかいよー
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 23:20:06 ID:Vz2SIUbvO
子房はもうちょっと華奢で中性的な人が良かった…
今日はなんかドラマ視聴者の書き込みが続いてイイ!
冒頓単于>劉邦>項羽
でおk?
>>257 結構観てる人いるんだねぇ。
大漢風が始まってから、日曜のテレビが楽しみになった。
張良は特別出演でジェット・リーとか持ってきて欲しかったな。
サイテー
ドラマ見ていない俺が問う。
穀物庫の取り合いって、この後になると
あんまりクローズアップされていないと思う。
この時代だけなのか?
隋末唐初の群雄のひとり李密が洛倉(隋の大規模な穀物庫)攻略に失敗して没落している。
五代〜宋にかけての時代は、最終的に大規模な穀物集積地となった開封を首都にしていた
宋が天下を獲ったわけだから、やはり穀物庫の取り合いは非常に大切だと思う
と言うか、項羽の失敗は補給線や兵站の軽視なのか疑問が
項羽は一人で頑張りすぎなんじゃね
部下の実力を評価しないから結果部下がどんどん無能になる
范増は去ってしまうし
仮に項羽が劉邦に勝っても第二の「始皇帝」になるだけだと思う
そして流れを読まずに一言。
紀信て最強ランクのツンデレじゃね?
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 13:09:58 ID:iy2w6cIIO
>>262 曹操なんて兵糧に対する執念は凄まじいけど。
敵方の兵糧はもちろん、敵に利用させない為に穀物庫なんか平気で焼き払うし。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 14:34:13 ID:4mWy4K9b0
恥を忍んで教えて欲しい
ツンデレって何?辞書を引いたけど載ってない。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 14:51:01 ID:MVkFL2ZDO
気候区分の一つ
>>262 講談とかの観点から見ると、三傑のうちに補給担当の蕭何が居るから
補給線やら兵站関係がクローズアップされてる、とかは無いかな?
黙って調べておしまいにすればいいのに。ここで話題にするほどのことか。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 19:56:20 ID:MVkFL2ZDO
結論
范増はツンデレ
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 20:29:55 ID:LkB34aah0
亜父がYahoo、Yahooと聞こえる。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 20:40:41 ID:iy2w6cIIO
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 20:42:05 ID:iy2w6cIIO
>>271 釣りだろ、釣りw
ツンデレが辞書に載ってる訳ねえだろがww
いや、wikiならありえる。
あれはそっち方面に強い辞書だから。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 18:12:23 ID:FK81l8F00
劉邦がアレなのは事実だがちょいと不謹慎かもしれん。
>>278 そうだな、すまんかった。反省しています。
このニュースを見て劉邦の事を思い出してしまったものだからつい・・・
わが子を馬車から突き落とし夏侯嬰にお説教される。
全然追手なんて問題ないじゃんとは言え・・・・
皇太子を廃嫡しようとしたり、長男好かれて無いのか?
なんか始皇帝暗殺だっけ?城壁から泣き喚く子供を
ぼんぼんブン投げるシーンがあったけど、あれは
邯鄲かどこかのシーンだったけ?
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 16:05:16 ID:HqgbfZLJO
大漢風って項羽死後の話もやるのかな?
あるよ。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 19:27:43 ID:7DTXcp8Y0
明日は大漢風です。お見逃しなく!
ドラマ見てないのでついていけない。
楚漢抗争終結後の話は見たくないなあ〜。
権力者と化した劉邦の粛清劇を見ると「コイツ、項羽にやられてれば良かったのに」と
何故か項羽が生きてた頃とは反対の印象を持ってしまう。
反乱要素を持つ存在も居たけど、そこはお得意の大徳政策でなんとかして欲しかったなあ。
劉邦没後にしゃしゃり出てくる牝鶏もウザいし。
斉で韓信が独立すれば、更に面白くなったと思うんだけどね〜。
大漢風は項羽が死んだあとも面白いよ。
脚本もちゃんとしているし、
劉邦役の人が上手いからその辺全然気にならん。
ただ、やっぱり雰囲気はだいぶ暗くなっているけどね。
>>285 光武帝の様な例もあるが、漸く苦労して強敵を倒し、動乱期を生き抜いて建国に
こぎつけた創業の君主が聖人君主でいられるとでも思うか?
不穏分子を片付けておくことは後々を思ってのことだし、牝鶏などと言っているが
戦後の漢の摂政として平和を齎した功績は呂后に帰される点も多いのだし、
物事の一面しかみてない感じ。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 10:09:56 ID:Zp4Q/w/VO
呂后の治世は民衆にとっては非常に良い時代だったらしいね
ただ人豚はやり過ぎだよな…
そりゃ息子もおかしくなるわ
聖人君主ってなに?
>>287 >不穏分子を片付けておくことは後々を思ってのことだし
寧ろ不穏分子を作ったのは高祖本人じゃん。
謀反を起こした多くは高祖の異常な猜疑心で追い詰められやむなく背いたケースが大半。
>戦後の漢の摂政として平和を齎した功績は呂后に帰される点も多いのだし、
呂后より蕭何、張良達の働きの方が大きくないか?
(彼らはわざとしたがってた感が強いし)
呂后は自分の一族の勢力を拡大、漢王朝を乗っ取りかねなかった訳だし。
貴方こそ物事の一面しかみてない感じ。
>>288に同意。
漢帝国の治世の骨組みは内政担当、名宰相蕭何の努力の賜物。
呂后は高祖の妻というだけでおいしい部分を持ってこうとしてただけ。
その上、呂后の専横政治は漢帝国のことなどまるで考えてなかったしな。
不要に宮廷を騒がせ、外敵の匈奴には全く頭が上がらない。
強いものに媚びを売り、弱いものを徹底的に弾圧する姿はまさに牝鶏というべきだろう。
292 :
291:2007/01/21(日) 12:04:23 ID:IQiM9rJX0
匈奴の単于に侮辱的な手紙を送られて、怒って出兵しようとしたけど
群臣に強く諫められて思い止まったってのは呂后だっけ?
294 :
291:2007/01/21(日) 12:19:11 ID:IQiM9rJX0
まあ、劉邦軍でも完敗だったんだから
冒頓単于から見れば、呂后程度なんぞ赤子の手を捻るようなもんだしな。
そりゃ、群臣も止めるわ。
匈奴に頭が上がらなかったのは名君とうたわれる文帝も同じだったわけで、そこは非難されるような所じゃあない
漢としては時間をかけて実質的な郡県制を定着させるため、
漢に従う諸侯→劉邦恩顧の将→劉氏の血縁→皇帝の直系子孫→領地の分割削減
と段々と諸侯王を従順にし弱らせていった
劉邦時代の諸侯王潰しは諸侯に劉氏を送り込むのに必要だったわけで、国家百年の大計のためには是非とも必要な措置だったと言える
かつてのあちらの世界じゃあ、女がしゃしゃり出て政治を動かしたってだけで、
それだけでもう悪とみなされるから、呂后も実際以上に悪人扱いされてる面は大きいと思う。
色々マイナスの面もあっただろうが、もめたのは基本的に朝廷内で、
民にまで害を与えることなく、善政が行なわれてたってことが史記にも書いてある。
それこそ、この人も一面だけ見て悪女とかたづけるわけにはいかないと思う。
>>295 まあその百年の大計はすぐ頓挫する訳だか・・・
寧ろ漢王朝を衰退の原因となったし、諸王侯潰しはやり方がよろしくない。
宋の大祖・趙匡胤が明君中の明君と呼ばれるのは
功績があった諸将軍を平和的に引退に導いた為である。
>>297 百年の大計がすぐに頓挫ってなにをさしてるの?
結果的に、郡国制から郡県制に移行することに成功し、
百年以上続く中央集権の統一帝国を作ることが出来たわけだが。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 14:54:49 ID:3jZN/82mO
>>297 君の脳内の歴史年表は一般のものとかなり違うのではないかな?
漢当初のように巨大な異姓諸侯王が各地にいる状況のままでは項羽の失敗の再現か、もしかすると血で血を洗う戦争の連続であった戦国時代に戻る可能性すらあったと見るべき
俺がさっき書いたような手順を踏んで旧六国(旧秦以外)を直轄下したからこそ、秦の失敗も項羽の失敗も犯さずに漢四百年の支配を成し遂げられた
当時の諸侯は哀れと言うしかないが、劉邦や呂后は大局的な観点から正しい事をしている
同じ建国の功臣でも、斉や楚全土を支配するような大諸侯をどうにかしなければならなかった劉邦らと、功臣粛清をしなかったと誉められる光武帝やら宋太祖なんかでは状況が違いすぎて比較にはならないんだよな
呂后は漢の皇族である劉氏を廃そうしたんだから
大局的な目線なぞ備わっちゃいなかっただろう。
亡き劉邦の目から見れば、とんでもない裏切り行為。
始皇帝(劉邦)張高(呂后)みたいな間柄になってるな。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 03:11:52 ID:G8YnJe05O
劉備がもし生きながらにして全国制覇していたら粛正劇していただろうか…
脅威になるとして義兄弟まで粛正したりしたら今までの劉備のイメージが変わったろうなぁ
まあ統一政権には功臣粛清が付き物だしなあ。
>>301 まーやるとしたら諸葛亮の方が先にだろうな
仮に天下統一を果たしたら、荊州組とそれ以外の軋轢が表面化していくだろうから
孔明は張良よろしく、さっさと表舞台から身を引きそうだ
表舞台から身を引いたと見せかけて裏から手を回しているんだよ
306 :
子房:2007/01/23(火) 16:46:48 ID:chwlD3EDO
ちげえよ、俺は隠居して仙人になりたいんだけど、
百姓夫婦が何かと面倒なことに俺に持ちかけてくるんだよ!!
劉備は劉備たるが故に天下人になれなかったのだろう。
308 :
劉邦:2007/01/25(木) 19:25:35 ID:iMr0qOrP0
>>306 子房さんよ、妻からオナ禁喰らったんだけどどうすればいい?
309 :
子房:2007/01/25(木) 20:45:36 ID:gFjGI32XO
そういうことは俺より陳平に聞いてくれw
310 :
陳平:2007/01/25(木) 22:54:02 ID:7glbjR3P0
韓信どのにコツを教えてもらえばいいじゃないですかw
311 :
劉邦:2007/01/26(金) 00:05:17 ID:zgEXVysf0
あ、やべえ!蕭何が来た!
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 23:53:28 ID:2qZgLV6hO
項羽は子供はいたんだろうか?
後の時代ではほとんど項氏を見かけないけど、項羽の一族は絶えてしまったのかな
項伯は漢で候にしてもらってたな。
名前は劉氏に変更してもらって
項羽子供居なかったのか。
子孫を残すことが氏の大きな役目って感じの古代じゃ珍しい気がするけど。
ドラマの項羽と虞姫はいつまでも純潔みたいな雰囲気だにゃw
そりゃ子供なんて出来んだろな。
先週のドラマでは
『もしもの時は清いまま死なせてください、お義姉様 by虞姫』って言ってたな。
項羽の妾とかいないのか?ご落胤の噂すら聞かない・・・
宴会好きのわりには
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 23:18:53 ID:+XFXl8zw0
ところで、大漢風で陳平ってまだ出てきてないみたいですが...
ドラマの項羽虞姫は確実にHしている。だってry でも ・゚・(ノд`)・゚・
劉邦は孫が居てもおかしくない歳だったけど
項羽は若かったもんな。
チャチ
大漢風って単独スレはないんだよね?
>>325 テレビドラマ・大河ドラマ・海外テレビをざっと見てきたがなかった。
ドラマ総合スレもあるしここもあるし、別に不満はないだろ?
単独スレを立てても閑スレになるだけ。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 12:49:14 ID:PVet+kzxO
項劉無双とか肥は作る気無いんだろうか
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 12:58:09 ID:c1IMQQnD0
劉邦、字は季、父は大公と言い、母は劉媼と言う。
劉兄ぃ、字は末っ子、父は爺様と言い、母は劉婆様と言う。
太公て劉邦の皇帝即位後まで生きた割には本名すら伝わってないな。
ただ庶民の礼で息子と話してて、それを群臣に咎められた事くらいしか
エピソードが無い(あとは項羽に煮られそうになった事くらい)
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 20:52:07 ID:T0PvKRUv0
劉伯(劉長男)、劉仲(劉次男)という兄も居たなあ
劉仲は諱「喜」
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 00:01:59 ID:ss6AHGVA0
明日は恒例の大漢風です。お見逃しなく!
見ません。
ていうか見れません
DVD化は今夏予定(伝聞)。
今日の君児強姦は無理あったなあ。
いくら暗がりでも泣き声とかでわかるだろうし、虞姫もコトが終わるまで失神って
後遺症でないのか。
大丈夫。
妙弋は曹姫にでっかい石を投げつけられて昏倒しても
すぐに治ってしまったやうな不死身の方。
曹姫は当分見られないみたいで残念だけど、
代わり?に月姫が出そうで、彼女も結構イイかも。
しかし、虞姫に今回のことをチクられたら、劉邦は鴻門の会で項羽に殺されそうだな・・・
>>339 月姫いいよね。あの憂いを秘めた純粋そうな表情がイイ。
韓信とよく似合ってる・・・
韓信?江川だろ。
なんか劉邦より項羽を応援したくなった
つか呂雉の女優ハマリすぎ
ドラマ見てないと、着いていけないスレになった。
ついていけないほどスレは進行してません。
と、スレの乱立防止の意味で言ってみる。
いつから大漢風スレになったんだか
別に専用のスレでも立てて語れば?
コーエーは無双の新作として漢楚無双出してくれんかな
四面楚歌シナリオの項羽とか面白そうだと思うのだが
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 17:41:16 ID:MYB6HXlNO
呂雉役のン・シンリンちゃん可愛いよ。ハァハァ
「大漢風」見ていると呂雉に同情したくなってくる。劉邦ヒドス。
>>346 ドラマな屑共がそこに移れば丸く収まる。
さすが思い通りにやってる奴が言うだけのことはある
悪いが自分はドラマを見る環境には無いし。DVD化待ち。
ドラマの話がつまらんのなら、352の好きなネタを自分で提供したいとは
思わない?そういう気はさらさらなさそうだね。
てか、正直に言えばいいのに。
「ドラマが見れなくて悔しいからここで話すのはやめろ」って。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 23:53:29 ID:aUi93BeQO
周殷の末路は謀反により処刑
俺みたいに、見れるけど見ないやつもいる。
ドラマの話は該当スレへ行けと思う。
居座りうざい。
2chでは、
スルーできない人は素人
と言います。
海ドラ板にスレを立てましたからどうぞ棲み分けて下さい。
ヒステリーは収めて、そのエネルギーでどんどんこのスレを盛り上げて下さい!!
>>355 ハゲド
>「ドラマが見れなくて悔しいからここで話すのはやめろ」って。
バカだろこいつ
痛すぎる思い込みもいいとこ
プ
曹参は斎にいたときに、
援軍に行こうと突き上げなかったのかな?
大漢風見て思う事:後宮の美女三千人…は何処に?
ま、ドラマはともかく、項籍軍が咸陽で略奪をした際、
後宮のコや官僚(秦はまがりなりにも統一国家なんで
数百人規模で残ってた筈)は如何様になったのですかね。
男や、元男?はやっぱ坑されたのかなぁ。
ドラマの話はぜったいしないように。
前から思っていたことなんだが、
チャンコロって3000って数字が好きだな。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 13:57:39 ID:1Vn4T2CC0
君児が熊谷真美に見えて仕方がない。どうしても笑ってしまう。
ドラマの話はぜったいしないように。
怖い怖いおじさんが怒り出しますよ。
映像にしてもらわないと、
頭に入らない屑なんだろうさ。
ほらお怒りですよw
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 11:41:14 ID:Lh77IJw0O
張良と陳平ってどっちが名軍師なの?
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 15:09:11 ID:L1tXkrVtO
タイプが違うので、好みによる部分はある。
ただ、張良は後世の「軍師」「王佐の才」の典型的なモデルとされ(太公望は過分に伝説化してるので、より歴史的な人物の中では)、もっともメジャーな存在。
陳平の策は謀略っぽいが、高い成功率を誇るので危機的状況の時には心強い存在。
陳平は日本的に言うと名前で損してるよね。
>>368 張良には張良の陳平には陳平の得意分野があるし、
両人とも政治手腕・韜晦術も超一流だし甲乙付けがたいね。
まあ漏れはどちらも名軍師だと思うよ。
つ 張良、陳平共に大好きだし。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 06:42:31 ID:tASOL6J+0
張良、陳平のどちらを欠いても漢帝国誕生は無かっただろうなぁ
そう考えると二人を手にした劉邦はすっGEEEEEEEEEE!
劉邦はん、あんたに貸した張良、耳そろえて返してもらまっか
>>372 更に軍略の韓信、内政の蕭何という至宝の群臣まで備えてるからなあ。
説客のレキイキ、醜聞のシンイキもいる
醜聞なら陳平だって負けてないぜ!
他の配下もかなりの面子が揃ってるな。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 11:17:55 ID:IuGYyMIIO
陳平って「背徳の名軍師」って感じだよね。
儒者のレキイキや陸賈あたりはどう思ってたんだろうか・・・
陸賈と陳平は仲が良かったよ。
多分その辺は割切っていたと思う。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 12:42:42 ID:Oa7fZ7T1O
レキ食其って儒者と言われてはいるけどやってることは縦横家とかと同じだよね
孟子みたいな遊説の徒の流れだったんだろうか
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 13:46:32 ID:IuGYyMIIO
レキ食其を儒者って書いたけど、まだこの頃の儒者達は戦国時代の遺風が残ってて、まだ諸子百家の説客っぽいよね。
儒教がメジャーになってからの儒者とちょっと気風が違う感じがする。
なんか、布教と宣伝に情熱を燃やす宗教家に通じる物を感じるのよね。
儒者って弁が立ち説き伏せるのが得意だから乱世では説客として活躍したんじゃない?
そして成功報酬として布教活動を後押しして貰ったのではないかな?
酈食其なんぞ只の腐れ儒者。
此奴の所為で田横が斉を失う事に成ったのかと思うと、
今にも反吐が出そうに成る。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 18:41:25 ID:uZ4n2OF80
↑アンタその勢いだと香乱記読んだね。
どっちっかっつーと斉侵攻の正犯は劉邦と韓信だからレキ食其よりこの2名怨みなよ。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 22:34:47 ID:DS0hlKbVO
横山の項羽と劉邦を今日読み終えた
最後の項羽はすごい、圧倒的少数の兵なのに項羽の武力でもって漢の包囲網を突破
項羽のやってきた残虐行為には嫌悪するが英雄らしい最後だね
ヒント:南京大虐殺の犠牲者数がどんどん増加する国
項羽ってなんだかんだ言って時々気まぐれだけど
基本的にはスゲーいいヤツで敵には容赦ないけど
味方や部下には畏怖されて尊敬されてたんじゃないかな
垓下であんだけの状況になっても、逃げ出すヤツは居ても、
張飛みたいに裏切られて寝首かかれなかった訳だし
いくら項羽が鬼神の強さでも泥酔したり寝込んでる最中は無防備だからね
韓信に揶揄された女性のような情がそうさせたんだろうな
>>386 項燕の末裔で自身にカリスマがあり確かに部下には優しいんだけど、
范増が言ってる様に中身は子共なんだよな。
だから陳平や范増は愛想尽かしたが、
龍且や周殷とかの武人や兵士は項羽に欠点が有っても心底慕っていたんだろうな。
だから殺意までは抱かなかったんだろうね。
宮城谷の香乱記も読んだほうがいいんですか?
内容を全然知らないので歴史のお勉強として読んでいるんですが、
こんな嫌なヤツらが主人公をやってる小説の国がますます嫌いになりました。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/23(金) 22:47:36 ID:E/itt9iB0
海ドラ板の大漢風スレや中華ドラマスレ落ちた?あそこ懲罰鯖だからなぁ
別にこっちでやっても構わんだろ?3日もカキコのない過疎スレなんだしさ
394 :
393:2007/02/23(金) 23:30:14 ID:bVFDWPrF0
ただの鯖移転だったわ、スマソ
つか、二度とくるな。
ヒスおじさん反応はやっ!
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 19:21:42 ID:/EX6Wzll0
章邯はたすかるのかな?
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 21:47:04 ID:WZOM7kHb0
虞姫のかくれんぼ能力は異能
失せろ塵虫
話題転換する気はないんだな、やっぱりな。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 15:17:43 ID:6WJmPv8XO
ドラマのスレはここですね?
違います。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 20:58:49 ID:EwJ1vUEF0
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 18:16:56 ID:YK+w3Q040
教えてください。
横山項羽を読んでいるのですが、7巻だけありません。
詳細を教えていただけるとうれしいんのですが・・
お願いします。ちなみに文庫じゃないですよ。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 18:01:24 ID:pT5WDR/R0
>>404 7巻だけ無いなら 何の話と何の話の間が無いんだ?
407 :
寳寳BABY:2007/03/06(火) 18:59:33 ID:noz1Ccez0
408 :
寳寳BABY:2007/03/06(火) 19:00:10 ID:noz1Ccez0
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 09:04:13 ID:76VhplAeO
漢文の授業で鴻門の会をやったんだけど、おもしろすぎ!!
このスレに名前の出てる人はあまりでてこなかったんだけど、
項伯 ハンカイ 虞姫 ハンゾウ
が一番有名なの?
せめて劉邦、できれば張良、欲をいえば項伯・項荘の名前も覚えて。
陳平もぜひ覚えてくださいな
腐女子クサイ。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 21:27:11 ID:f1WxhqC10
>>409 おや、君のトコの教科書には鐘離昧という名前は無かったのかい、
そんな本焼いてしまえ
それに文句いう先生は埋めてしまえ。
と、政クンがいってたよ。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 16:00:07 ID:gInJOBEz0
三国無双人気で呂布や関羽張飛の武勇が注目されてるけど、
正直言って項羽の鬼神っぷりには足元も及ばない
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 17:41:01 ID:765F8J340
韓信の名前さえ知っていれば良しアルよ
他の時代の将を引っ張り出して貶める奴は三流
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 21:23:04 ID:t3hCxQcH0
横山光輝は「項羽と劉邦」「史記」の二つを漫画に描いてるけど
韓信の記述に関してはお互いに多少差があって面白い。
前者は原作が司馬遼太郎の「項羽と劉邦」で小説を読んだ人にはなじみが深いけど
後者は史記が原作でなじみのない人は「へえ、実はこうだったのかぁ」と思わされる所が多い。
特に項羽を追い詰めるシーンでは前者は項羽の帰り際に裏切って追い詰める形だが
後者は項羽が一旦帰国してから韓信が項羽をおびき出すために策略を張り巡らす。
でも後者は漢の正史だから劉邦の悪口を書く事が出来ず
あえて裏切らなかったと念を押したかったのかもしれない
さらに後者の高祖本紀では劉邦が子供達を馬車から突き落とすという有名なシーンが収録されてないらしい。
司馬遼太郎のよんでるんだけど
紀信(何故か一発変換)が劉邦に言った、
豊邑の人間のすべてが〜、ってとこで泣きそうになった。
つーかツンデレっぷりが泣けた。
今まで吉川三国志しか読んでなかったけど凄いおもしろい。
あぁ、あと一冊で終わりだ・・・。
チラ裏でごめん。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 17:31:59 ID:fPztzaoH0
>>418 司馬遼の一流作家たる所以だね。
でも紀信の話は事実ではない。
元々将軍だった。
また、周苛と一緒に紀信が劉邦軍に参加したのは創作だろうね。
周苛は周昌とともに劉邦軍に参加した。
周昌(中尉)、周苛(御史大夫)のコンビは活躍し出世した。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 17:38:53 ID:fPztzaoH0
紀信はケイ陽城での劉邦の身代わりになる前に鴻門の会で活躍をしてた。
劉邦の身代わりの条件として劉邦のために平気で命を捨てられる人間というのが
絶対条件で樊噲・夏侯嬰・靳彊などでも構わなかったが
背格好が劉邦に最も似てるのが紀信だったので紀信が選ばれた。
また彼の子孫は漢帝国成立後も活躍をしている。
項羽と劉邦に関して分りやすいサイト
『大脱出』
ttp://kanso.cside.com/dassyutu.htm
やっぱ最強のえげつない策士だな陳平
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 23:51:10 ID:LugSts/L0
陳平を尊敬してる俺が通りますよ
陳平スキーは皆ナカマー
上のほうにもあるが
項羽は豪快な武将であるけれど
ある種子供っぽい頑迷さもあって、それが欠点でもあり魅力でもある
才があっても彼の美意識に合わない者は疎んじられる
自分で敵を増やしている面もある
劉邦は男気もあるが
結果を出しさえすれば認められるから色々な人材が集まる ( 項羽が追い出した人材を拾っていけばいい ? )
自分の抱負を実現するために劉邦を担ぐ者もいる ?
最近こんな風に考える
考えるも糞も…
>>452 ハゲドー
つーか劉邦のとこに居る奴の大半は自分の抱負を実現する為に所属してるんだよな
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 20:44:29 ID:eD1wgc/V0
劉邦の器の大きさはホント驚くものがありますね。
晩年はちょっと自暴自棄になってましたけど・・・
会った事があるみたいですねw
>427
>劉邦の器の大きさはホント驚くものがありますね。ねえよそんなもん!!
ただのお調子もんだろが!!!
>晩年はちょっと自暴自棄になってましたけど・・・最高権力者になれば大体の奴は陥るぜ
まあ俺は劉邦に合ったことないけどw
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 00:35:34 ID:p+/KiVNe0
劉さんはホクロが多かった
スーパー銭湯で見かけた時は体中ホクロだらけなんで驚いたわ
劉邦って、自暴自棄になったっけ?
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 01:17:21 ID:sJPY+AOw0
晩年は猜疑心の鬼というより少し呆けも入ってたかも。
幼馴染のロワン討伐や義弟のハンカイ処刑を命じるなど
もう凶器の沙汰。秀吉の晩年に似てる。
自暴自棄というのとは少し違うかも。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 14:17:14 ID:KfWiV9wXO
元の人間関係から見たらそう感じるが、
反乱者や匈奴と通じた疑いのある諸侯を潰したり、
自分の死後に皇太后の縁戚として権力を握り国を乱す恐れのある奴を先に消しておくのは、
為政者としては常識的な判断
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 14:51:07 ID:AYoMs4DO0
王陵か誰かに「陛下は桀紂のごとき暴君でございます」とか言われて自暴自棄になってなかったけ?
>433
>反乱者や匈奴と通じた疑いのある諸侯を潰したり、
疑いというか寧ろ謀反を起こさざるえない状態に追い詰められたのが大半じゃねえの
(英布・韓王信とか)
>自分の死後に皇太后の縁戚として権力を〜為政者としては常識的な判断
それは分かるが粛正の仕方が異常というか半分ヤケクソに思われ…
(似た様な境遇の明の太祖とかも)
>>434 別に自暴自棄になってないよ
寧ろ苦笑いしてたw
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 15:02:41 ID:hsvGi9Te0
>>434 周昌にだな。劉邦のその後が知りたくて横山史記の「後継者争い」
を買って知った事だけど知らない方が良かったな。皇帝になる前から
ショウカを疑っていたなんて。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 15:13:21 ID:AYoMs4DO0
>>436 ああそうだ周昌だったねサンクス。
そいで劉邦は「ショウ何は偉大な宰相で、自分はその宰相を獄に繋いだどうしようもない暴君だよ」とかヤケクソ気味に言ってたよね。
何で皇帝になってないのに項羽「本紀」なんだろう
>>434 王陵は確か項羽と比べてボ劉邦の事をボロクソに言ってたよ
その時は苦笑いしてた
(念の為)
>>438 擬いなりにも西楚の覇王だから司馬遷は項羽に敬意をはらったんだろうな
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 16:47:50 ID:sJPY+AOw0
しかし劉邦は良い時期に死んだ
あと数年寿命が延びたらハンカイのチュウサツは免れなかったし
ショウカや陳平をもヌッコロシテタかもしれん。
死後、呂氏に天下を簒奪されたけど
生きて自ら漢帝国を崩壊させるよりはるかに良かった。
項羽と上杉謙信って戦術面、性格、思想など結構似てる様な気がするんだけど…
項羽はノーマル、謙信はホモ。
項羽はヒゲ、謙信はおにゃのこ
ロリコン項羽が、一目惚れ謙信と
互いに惹かれあったら最強。
なにこの腐臭
テレビドラマの話をすると即レス状態でうざがっていた御仁は
この腐女子脳な流れには寛容らしいなw
>>446みたいに、嫌味言わないし、
嫌がられているのに粘着したりしないからな。
ほらキターw
腐女子はこの世から絶滅していいよ。
臭いから。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 15:43:15 ID:8ch11Iki0
楚漢に腐女子ファンなんているの?
普通に住み分けのできないおかしな子がいるだけ
腐女子だのアホくさいレッテルもいらんよ
>>450 居ないだろうね。
あれだろ、僻みって奴だよ。
おれ
なんかやったらしいのう
>>452 あんた初心だねw
それとも腐った本人?w
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 04:03:34 ID:Bg+IHpHcO
んもう
そうはい神崎
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 21:51:14 ID:vBddwzcz0
既出かもしれんが、4月から月曜夜7:00再放送してたね
自分は初期見逃してたから丁度よかった。
↓↓ お決まりの展開
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 22:37:58 ID:0Pwcz+oJ0
武功少なき臆病者、自分の子供を投げ落としてまでトンズラしようとするほどの
情愛の少なさ、男と男の信義を簡単に破り捨てて背後を襲うあまりに少ない騎士道精神。
その生涯の負け戦数を知らず、実質ほとんどただ1度の勝利だけでなぜか大帝国の皇帝に
なってしまった無学蒙昧なドン百姓。
そんな劉邦がなぜか好きだ。
対項羽戦なら「実質ほとんどただ1度の勝利」だが、
他を入れるとそれなりに勝ってると思うんだな。
張良先生のお陰ですな
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 14:43:50 ID:6xkIEBzj0
徳川家康の人生も圧倒的な勝利は最後の関ヶ原と大阪の陣くらいで
それまでは結構、引き分けや負けばっかなんだよね。
生誕時には今川家と戦う力すらないので人質となり
今川家の武将として初陣だった尾張攻めでは、ほとんど戦わずに負け
織田家と戦うのは分が無いとして6:4くらいの条件で講和同盟し
三河内の一向一揆では負けたが講和により引き分けに持ち込み
三方ヶ原の戦いでは信玄に惨敗し、高天遠城の戦いでは勝頼に負け
続く勝頼との小競り合いでは遠州三河の支城をいくつも取られても小敗し続けても我慢し
武田信玄が病死して長篠の戦いで勝つも、信長死後の天下取り合戦では
光秀討ちに関し秀吉にスピード負けし、天下獲り合戦も秀吉に戦略負けし
結局、信玄・信長・秀吉という天敵が病死するまで華々しい大勝に恵まれず
どちらかといえば小競り合いの引き分けばかり繰り返してた。
>>460 ひどい言い様だな。ほとんど良い所がないじゃないか
>>460 >男と男の信義を簡単に破り捨てて背後を襲う
項羽に押し付けられたんじゃなくて双方納得の上で交わした和議を一方的に破棄して
追撃かけるって、儒教道徳普及以前の当時でもカナーリ卑劣なやり口だと思うんだが、
この件で劉邦を非難してる人って古今の有名どころじゃちょっと思い当たらないな。
何故だろう?
非難されないのは劉邦が勝ち組だからさ
司馬光あたりなら批判してもおかしくなさそう
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:42:05 ID:bSy/KcloO
儒者的な観点からは項羽は咸陽を破壊したり諸侯を乱立したりと乱の原因を作ったと解釈されてるみたいだから、
そんな暴虐の敵に対してはそれくらいの権謀はアリということなんだろう
つまり約束を守るに値しない相手だから裏切りではない、となるんだろ
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 21:34:54 ID:NC1Q5Sgl0
>>460 元々百姓なんだから、騎士道精神なんて期待する方がおかしい。
戦争だからきれい事だけでは済まないし。兵は欺道なり。
まあ、劉邦を批判する人って以外とあんまりいないけど。でも、項羽好きって人は結構
昔からいたようだね。"捲土重来"もその絡みで出てきたし。
批判はされないけど、一般的には好かれてるのかな?
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 19:02:54 ID:uz4RcLF90
正に判官びいきってヤツでしゅ。
弱っちくて、卑賤の者だから皆から愛されてきたのです
最初と最後だけみて中間は飛ばすと項羽も良く見える
なにを「みる」わけ?
騎士道精神ってあーた…
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 01:51:39 ID:ZCGkjTiu0
項伯なんか二股膏薬の裏切り者だけど
あまり悪く言われないね
項羽も項伯の事を責めてないし。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 01:57:06 ID:ZCGkjTiu0
>>468 批判はできるのか・・・・・
いや、記録に残すという意味でなんだが
島根県のみなさん、パチンコをするなら、
優良パチンコ店 エ○トワン
に行こう! 遠隔(※1)をやっていないパチンコ店は「エイ○ワン」だけ!
違法ロム(※2)を使っていないパチンコ店も「エイト○ン」だけ!
○イトワンでは、遠隔等が可能な設備は入れていません。 ロムも、警察がチェックしやすくしています。
詳しい方はご存知の通り、どんなにパチンコの遊戯人口が変動しても、その市場規模は変わりません(※3)。
要するに、客が減っても、残った客から絞り盗る量を増やして調整しているのです。
しかし、何故それが可能なのか?…ご理解頂けると思いますが、9割以上の店が確実に遠隔等を行ってます。
1万店以上のパチンコ店の中で、遠隔も違法ロムも確実にやってないのは「○イトワン」ただ1店です!
※1…遠隔とは
「お、あの客は新顔だな。勝たせて味を占めさせるか。遠隔操作で設定変更しよ」
「客が減ってきたな。ま、設定を絞めて(違法)、1人あたりから搾る量を増やせばいいか」
「あのオヤジ負け続けてるからそろそろ辞めるかもな。今日は勝たせてやるか」
※2…違法ロムとは
「うちのアタリ確率は、もちろん他と同じ『○○○分の1』ですよ!(ロムいじってるからウソだけど)」
※3 市場規模 遊戯人口
平成06年 30兆4,780億円 2,930万人
平成08年 30兆0,630億円 2,760万人
平成10年 28兆0,570億円 1,980万人
平成12年 28兆6,970億円 2,020万人
平成14年 29兆2,250億円 2,170万人
平成16年 29兆4,860億円 1,790万人
朝鮮玉いれやってるバカは死ねよ
韓信大元帥は韓国系だからあながちすれ違いでもない
>>479 なんでも韓国起源の電波野郎乙
韓の次使っただけで我らが祖先かよwwwww
韓非子や張良の故郷の方が歴史は古いな。
そもそも大元帥とか横山臭がして見てらんない
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 13:12:16 ID:PUJBkvJ00
項羽はイケメンの方がいいな
無双好き乙。
そもそも
大朝鮮帝国−−−【服属】→夏・殷
周がどさくさにまぎれて独立した
ネタが酷すぎ。
>>485 大朝鮮帝国?しらねえーなwww
秦から逃れて来た人々が朝鮮半島に馬韓という国を作ったつーのは知ってるが・・・
中国王朝の強大化により、朝鮮半島の原住民はその支配下に入ってゆくことと
なった。しかし、一部住民は南方へと逃れ、特に東方の倭人(後の日本)や南方の
越人などと連絡を保ち得る馬韓の地は、それら非中国北方系の文化も流入し、
朝鮮半島その他の地よりも繁栄した。この隆盛した地に赴くことは、多くの朝鮮
原住民にとっては最上の幸福であり、ここから遊行に赴くことを「バカンス」と言う
ようになったことは疑うべくもない。
しかし、史実が語るように、馬韓の地に成立した百済国は後に新羅国に滅ぼされる
こととなり、幸福な地に安楽を求めに来たのに、むしろ国は滅んで奴隷となってしまった
彼ら馬韓の人々の悲痛な叫び、「慰安(に来たのに、酷い目にあった)馬韓の地」という
言葉から「イヤン、バカン」という俗語が生まれたのも有名な事実である。
『やはり朝鮮は万物の発祥地だ』(民明書房刊)
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 01:33:48 ID:Y99rCGNS0
「韓信と蒯通」には感謝。
センター試験の漢文に出たよ。
おかげで、読まずに満点(50点)とれた。
十数年前の話だけど。
張良って女みたいな容貌だったんだよね?
そんな奴が、侠客とまともな交わりを持てたんだろうか。
劉邦は女好きなんで大丈夫だったろうけど、現代にも
ヤヴァイ男は多いからなぁ…。
侠客が荒くれものばかりとは限らんだろうに。
それに張良ほどの博識者なら寧ろ尊敬の眼差しで見られると思うが。
張良は始皇帝暗殺のために資金を沢山持っていたんだし、
以外と頭とかに据えられそうだが・・・
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 05:34:18 ID:N/HKAISy0
張良は劉邦・項羽よりも年上の爺さんだよね。
二人よりも長生きした事もあり漫画では若造のように書かれるケースが多いけど。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 05:37:47 ID:N/HKAISy0
よくよく考えたら項羽の伯父さんの項伯は項羽より20〜30歳年上だけど
その項伯と張良は秦末時代からの親友だったから若いはずもない。
>>493 項伯と張良は秦末時代からの親友だが項伯が罪を犯した時に匿ったのが縁で
親交が始まった訳で
項伯と年令が近いとは限らない。
まあ張良は若くないのは間違いないが・・・
劉邦と出会った頃って四十代後半ぐらいじゃない?
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 13:48:34 ID:MlaEg2fc0
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 01:06:05 ID:ICVqLJLd0
張良の異常な行動力も若いイメージを醸し出すよね。
韓が滅んだ後、全財産を売り払って始皇帝暗殺のために博狼沙まで旅し
その後、逃げ回って下邳にまで行き、陳勝が挙兵するや100人もの同士を集め
挙兵に参加しようとし留で劉邦に出会うや関中まで同行、その後も韓に戻ったり
劉邦に再度付き従って転々とし、また自ら使者となって魏に行ったり
梁に行ったり、斉に行ったり・・・
身軽で体を動かすのを少しも厭う事がなかったから
年寄りというイメージが湧きにくい。
497 :
劉邦:2007/04/27(金) 07:18:44 ID:r+N5t88O0
張良は私の軍師。最近会ってないので何ともいえないが、項羽に登用されたのだろうか?
・劉邦と項羽は5歳しか違わない
・曹無傷=曹参の一族
・蒲将軍=鍾離昧
ていう本がある。
東洋史学者が書いた本で、他にも通説を覆すことが載ってる。
ただ、筆者自身が「歴史学の手法から離れた部分もある」と断ってる。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 15:21:00 ID:yQu7xE73O
それは全く参考にならんね
佐竹靖彦『劉邦』だね
中国史を手掛けて半世紀、この本のために史記を読み返すこと十余年ということで
異説てんこ盛りだが説得力がある
ただ、「鍾離昧=蒲将軍」説の根拠として、鍾離昧が鍾離の出身であることなどを挙げてるが
史記の「鍾離昧の家は伊盧にあり」云々の部分をスルーしないと成り立たないんだな
著者がここを見逃すはずはないだろうから、出身地と住家を別物として捉えたのかも知れんけど
また、「国宝『史記』に従って鍾離「昧」とする」とも書いてあるけど、顔師古が漢書の註に
わざわざ「バツと読む」と書いてることからすれば、鍾離「目末」のような気がする
鍾離バツだとすれば、息子の發・接(新唐書に載ってる)と韻を踏んで座りが良くなるしね
チラ裏してしまったが、この本が最近読んだ中で一番面白く勉強になったし
おれが考えてるような区々たる問題を解くのはこの本の目的じゃなくて
秦漢についての通説的な歴史観にあえて挑戦することが著者の狙いだと思う
お勧め
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 10:37:50 ID:WEQ/dkDu0
張良がいなかったら歴史は変わっていただろうな。
だって最初の方の劉邦陣営の人材って、親分を筆頭として、肉屋、牢番、ごろつき、盗賊ととんでもない奴しか
いないもの。
張良一人が光輝いている。
肉屋とか牢番て、とんでもない奴なんだろうか
501はきっと大会社のエリートなんでしょう。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 20:49:35 ID:MvlP5RSw0
ドラクエ的に言えば
遊び人(劉邦)戦士(樊噲)僧侶(蕭何)御者(夏侯嬰)というパーティーだもんな。
ここに魔法使いの張良が加わり、賢者の韓信が加わったのはやっぱ大きいよ。
盗賊陳平は無視ですか?
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 00:15:40 ID:5WROgylk0
盗賊は彭越だろうな。陳平は魔法使いに近い。
盧綰は遊び人。
一方、項羽の武将は戦士、勇者、武道家ばかりだ。
唯一魔法系の范増は失脚するし。それで回復が効かなかった。
村から遠く離れる時は薬草をいっぱい持ってくというセオリーを無視したのがいけなかった。
>>504 兵力供給もだが、物資、台所事情を改善させた蕭何は商人と見ることも出来るような。
その場合、PTの構成は本当にorzだなぁ
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 17:12:12 ID:5WROgylk0
三国志はもっと分りやすいよね
劉備(勇者)関羽(商人→武道家)張飛(盗賊→武道家)
PT組む前に前職から既に転職した攻撃力抜群の部下が居ればそれは強い。
韓信が逃亡した時、劉邦は取るに足らない人間と馬鹿にして見過ごしたが、一人追い掛けていった蕭何の人物眼はガチ。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 19:45:21 ID:5WROgylk0
夏侯嬰って何気に重要な役割を数多く果たしてるよな
劉邦が単身で逃亡する際でも、いつも夏侯嬰だけは常に劉邦に付き添ってるし
秦時代に傷害容疑で劉邦がとっ捕まった時も
劉邦の命を守るために自ら進んで入獄し秦の獄吏の拷問を半死半生になって耐え抜くし
韓信を見出し蕭何と劉邦にしつこく韓信の採用を求めるし
漢からの漢中入りでは将軍として活躍するし
韓信が得意とした戦車戦の指揮は一手に任されるし
劉邦が死んだ後も呂大后からは自分の子供二人の命を
劉邦に歯向かってまで救ってくれたとして終生感謝されて特別な信頼を置かれるし
その後、後漢滅亡のその時まで夏侯一族は滅びる事なく延々と漢の名家として生き残ってるし。
韓信逃亡っていうと、どうしても横山のアレを思い出す自分がいる。
「なに 蕭何が帰ってきたと」
「んもう… わしにこんなに心配させおって」
(チラ)
↑どことなく冷たい廷臣たちの視線
これ今読んでもウケるんですがw
劉邦、蕭何に依存しすぎww
>>510 旗揚げ以前からの友達、幼馴染とかが最後まで第一線に立てた例ってまずないぜ。
遊び人の劉邦に過ぎたるものが二つ有り 夏侯嬰と竜顔の貴相
とか言われてそうw
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 07:28:23 ID:rhYqA3dV0
夏侯嬰のエピソードで好きなのは対匈奴戦だな
冒頓単于に取り囲まれ、陳平の奇策(得意なワイロ作戦)で一応の和平が成り立ち一息つくや
劉邦が夏侯嬰と二人で先に城を脱出し、講和したと言っても匈奴が気が変わって
攻めてくるかもしれないと恐怖にかられた劉邦が夏侯嬰に「急げ!」と
半狂乱になって命じ、終いには言う事を聞かない嬰に刀まで突きつけ
「急がなきゃ斬るぞ!」とまで脅迫されたが「・・(相変わらず兄ィは馬鹿だな)」と
無視を決め込み、悠々と劉邦の乗った馬車が通り過ぎたために匈奴側も何か
劉邦側に策があるのかもしれないと疑って手を出す寸前までいったが結局は思いとどまって
劉邦の命はギリギリの所で救われたとか。
>>510 細かいことだが、夏侯嬰の子孫は延々と漢の名家として存続はしてない
他の高祖の功臣の子孫と同じで没落してる
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 22:59:57 ID:rhYqA3dV0
>>516 曹操の実家とされる夏侯氏は曹騰の養子になるまで明らかに没落してるよ
少なくとも名家とはとても言えない
曹氏も曹騰が宦官として大成するまでは没落してた
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 02:54:42 ID:J+VkMS8S0
没落してたとして、全く関係無いと言えるかな?
400年の歳月を考えれば、カコウエイの子孫である確率は高くないか?
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 03:48:48 ID:/r2I4Ddk0
まあ、劉備んとこも没落してたしな。あれよりはマシだろう。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 04:21:38 ID:1oy0/Pgz0
文帝に仕えた袁央の子孫は名門中の名門として子孫代々まで名を残したけど
高祖に仕えた者の子孫で間違いなく名家だと言って良い一族は一つもないのか?
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 09:03:42 ID:Mi+sJO6UO
>>520 一つもない、とまで断言はしないが、高祖の功臣の子孫は武帝時代までに残らず列侯の位を失い、その子孫はほぼ例外なく没落していた
前漢末に彼等の子孫を探し侯位を復活させようとした時に、該当者はみな無位無官の庶民だった
その後の○○の子孫を名乗る者たちの初代は、地位をその先人から受け継いだわけでも、子孫だからといって特に優遇されたわけでもなく、自分で功を挙げ名を立てている
曹騰たちも同じで、そもそも曹参や夏侯嬰の子孫かどうか怪しいが、いずれにしても高祖の功臣だから地位を得られたわけではない
あと、曹参や夏侯嬰のような要人は長安で大臣をしたり、列侯の領地で暮らしたりしていたわけで、地元には戻っていない
その子孫なら、長安近辺か列侯の領地の近辺に住んでいる方が可能性が高く、出身地に残ってるのは関係者だとしても兄弟の末裔などの傍流の可能性の方が高いだろう
>>520 樊カイ→子供の代に呂氏と共に一族皆殺し
盧綰→子孫は侯に封じられる事は有ったが、歴史の表舞台には立っていない。
夏侯嬰→夏侯惇、淵の1代前の記録がワザワザ記されないくらい、妖しい出自に。
呂后をはじめ呂氏→一族皆殺しまたは廃嫡
蕭何→子孫は呂后や歴代皇帝によって保護された。しかし、早世が続き、やがて断絶を繰り返すようになった。
曹参→嫡流は絶え、宦官に。
張良→張翼は、祖父は司徒、父は広陵太守、本人は蜀漢車騎将軍。少なくともこの三代は紛れも無く名門。
周勃→呉楚七国の乱以降の記録見えず
陸賈→子孫の記録無し
レキ食其→弟のレキ商、その子のレキ寄までは記録が有るが、その後は分からない。
韓信→自身の代で一族皆殺し
カイ通→荊州の大豪族、カイ良、カイ越に繋がる。が、その後は洋として知れない。
彭越→自身の代で一族皆殺し
英布→そもそも、項羽を裏切る際、一族を皆殺しにされていた。子孫も絶えた。
陳平→曾孫の代に一度改易。玄孫が霍去病の義理の父となるが、結局絶えた。
項羽→伯父の項伯が漢代に残ったが、劉姓となったために項姓の記録は絶えている。
鍾離昧→子孫とされる魏の鍾ヨウ、鍾会、鍾イクは栄華を極め、呉には鍾離牧がいる。
季布・龍且・范増→子孫の記録は無い
まとめてはみたが、何かさびしいのぅ
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 12:15:25 ID:Mi+sJO6UO
韓王信の子孫は匈奴に逃れた後に帰順
以後、韓頽当が呉楚七国の乱鎮圧に際し騎兵を率い功を立て、韓嫣、韓説は武帝の寵臣となり、韓増は宣帝の時に領尚書事に至っている
とはいえ韓王信の場合本人は謀反人として匈奴に逃げているわけで、彼の地位が子孫に受け継がれたわけではない
>>522 魏書武帝紀注によると、曹参の子孫も嫡統は断絶しては再興を許されてたみたいだよ
宦官曹騰の血筋は曹参の系統に繋がるとしても傍流
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:00:14 ID:1oy0/Pgz0
劉備の子孫も名家として残ったとは言えなくない?
呂氏、王氏の時代に一度没落してるし
劉秀(光武帝)の場合、本当に劉備の子孫かどうか大分怪しいらしいし
親から地位を受け継がれたわけじゃなく本人の実力と努力で皇帝になったわけだし。
>本当に劉備の子孫かどうか
>本当に劉備の子孫かどうか
>本当に劉備の子孫かどうか
劉秀(光武帝)は劉備の子孫じゃないよな。
>>522 樊カイの子孫の樊他広が司馬遷の父司馬談と交流があったけど
景帝の時代に庶民に落とされている。
周勃は子の周亜父の時代に讒言によって絶える。
後に名誉が回復されているけど
傍流もなくて再興もできなかったはず。
項伯の子孫が漢の丞相になっているよ。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 22:22:20 ID:Mi+sJO6UO
>>530 丞相となった桃侯劉舎は項氏の末裔だけど項伯の子孫ではないよ
>>531 指摘有難う。
もっと後の時代になるけど項氏の詩人が唐代にいるよ
偶然見つけたけど、地元に残った項氏の子孫だと思う
中国のサイトで見た怪しい家系図によると
張良には孫が5人いて、子孫が結構繁栄していたよ
>>533 >張良には孫が5人いて、子孫が結構繁栄していたよ
確か張良も陳平も息子か孫の辺りで一回、取り潰され
後に再興されて子孫が命脈保ってたはずだったような・・・
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 07:05:20 ID:SDq7lu9C0
天皇陛下も継体天皇で一旦、血筋が変わった可能性が指摘されてるが
間違いなく世界一の名家だよな。
名家の定義自体が難しい。
孔子の子孫とか言う人が中国に住んでるが名家と呼ぶ人は少ないだろうし
愛心覚羅溥儀の弟の血筋とか名門中の名門だと思うが没落しらから名家と呼んじゃいけないんだよね?
細川護熙なんて間違いなく名家だと俺は思うが、このスレ的には
彼は家屋や骨董品などの資産を既に県や財団に寄付してしまい
現在は神奈川県の秦野だかで一陶芸家として細々と悠々自適な毎日をおくってるから
名家とは呼んじゃいけないんだろうね。
徳川義寛さんが以前、うちの御近所さんだったのだが別に名門ぶらず
家もいたって質素で特に金持ちでもないが、昭和天皇の侍従長をしてた事もあって
葬式では皇族や元皇族の人も大勢来てたようだが彼の家は名家と言って
差し支えないだろうか?
>>535 いやいや、
>>520の発言から袁央が基準になっただけで、それ以外は名家にあらずという主旨じゃないと思う。
で、
>>522が功臣調べてみたらたまたま末路がヒドイことになってたがための、今のこの流れだから。
歴史の表舞台に出てこないだけならOK。
前漢の名家と言うと張、韓、金、韋の4つ
張は実質的な祖を張安世とする河東の張氏
宣帝と深い関係にあった
韓は韓王信の末裔で、外戚以外で領尚書事になった数少ない氏
金は匈奴の王子だった金日テイの子孫
韋は漢で唯一、親子二代続けて丞相になるなど、高位高官を多数輩出した官僚の家
これら4氏の末裔は後漢でも没落しておらず、少なくとも後漢末までは名家と呼べるような家でありつづけた
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 02:46:04 ID:PN5h7FSQ0
北の将軍様の家柄って、やっぱり名家だったんだね
だてに南の酋長をアゴで使い、安倍たんを相手にせず、ブッシュに
いう事きかせてたわけじゃなかったんだぁ
日本の源平藤橘みたいに名家が四つというのは
なんか因縁を感じるね。
この板にもスレが立ってる南朝梁の韋叡は、確かこの韋氏の出身だったよね。
建国の元老が才を持っていても、
子孫は・・・だから没落していてもそれはそれでいいかと。
逆に、その方が国としてはうまくいくんじゃないかな。
ここで項劉記(KOEI)をやった事のある香具師いない?
>>542 もし建国の元老の子孫に中途半端に才がある奴がいて、要職についた場合、
変な政策とか打ち建てて来ても建国の元老の子孫だからとか言って、
誰も諫めたり出来なかったら悲惨な事になりそうだな。
>>544 景帝の時代までは、建国の功臣の子孫が丞相職を独占していたが、
これといった弊害は無かったようだ。
この砂漠面がまともに地面進むと一番難しいかな
誤爆
建国の元老をぬっ殺すのが早すぎて、国が立ち行かなくなった代表例は秦だな。
>>543 項羽強すぎ
>>549 なるほど。古ソフトを買ったんだが説明書がついてなくて
やり方が今一分らない。ソフトとしては面白い方でしたか?
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 07:37:42 ID:GP685Swm0
>>550 ありがとうございます。早速お気に入りにしました。
昔から疑問なんですが項羽って
項ダレの息子なのでしょう?
項梁の兄か弟…姉妹の可能性もあるか?
_、_
( ,_ノ` )沛公。咸陽を治める暫定法案です。御裁可ください。
(´・ω・`)いいね
_、_
( ,_ノ` )ではこれを占領後、民に向かってご布告くださりませ
(´・ω・`)いっぱいあるよ
_、_
( ,_ノ` )法律ですから。まずは刑法、それと情勢を考えて周辺事態措置法。全部お願い致します
(´・ω・`)1,2,3…たくさん
_、_
( ,_ノ` )*厭な予感*
(´・ω・`)秦の法を廃し、新たに法をなす
(´・ω・`)人を殺した者は死罪。人を傷つけた者、盗みを働いた者は罰する
(´・ω・`)…
(・∀・)3つだけですか?
(´・ω・`)そうかも
(゚д゚)おお
ヽ(´ー`)ノ劉沛公万歳!
(´・ω・`)えへへ
. .... ..: : :: :: /⌒ヽ :::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
⊂| ̄ ̄ ̄ヽ⊃ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::←張良
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
吹いたwwww
(´・ω・`)やった。和議だね。張良ぼく西の王さまになってがんばるよ。ほら項羽くんも帰ってくし。
_、_
( ,_ノ` )…
_、_
( , ノ` )
\,; シュボッ
(),
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~ 殺(や)るんです
(´・ω・`)え?
……ゴクリ
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 08:04:40 ID:4p4kONNo0
連休中は97年製作の「漢劉邦」のDVD全7巻をTSUTAYAから借りて、ずっと観ていました。
蕭何がいかにも長者の風があって良かったが、韓信を見殺しにした場面はちと後味が悪かった。
他に見た人がいたら感想を聞きたいです。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 10:29:00 ID:7VfZbQBbO
ドラマの話をここでしたらシバカれるんじゃなかったっけw
自分語り乙!
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 06:54:27 ID:O4ZKzo+L0
564 :
劉邦:2007/05/10(木) 15:12:34 ID:wVKciVuo0
私の知っている張良は、頭脳明晰で純粋。がさつで邪悪だけどね。彼の知力が中国史上NO.1。項羽は武力がNO.1.
君が生きた時代まではね。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 17:27:17 ID:O4ZKzo+L0
同じ農民出身でも朱元章や毛沢東は後に猛勉強して博学になったが
最後まで勉強らしい事もせず博識にもならなかった農民皇帝って劉邦だけかもね。
南朝宋の太祖劉裕もかなりの無学。
字もヘタクソで、見かねた部下が「大きい字を書けば見栄えがします」と言うと、
数枚の紙の上にデカデカと字を一つ書いてみせたというボケっぷり。
張良は兵法だけはきっちり授けたようだけど、それ以外は教えてなかったっぽいね。
無学な皇帝かぁ。
後唐の李嗣源も、その点では同レベルだな。
勢力の及ぼす範囲も、劉邦のころの前漢とほぼ同じくらいだし。
在位中は豊作もあって、荒れた分裂時代には特におだやかな時期だったという。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 01:12:53 ID:loqzbh6HO
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 01:23:49 ID:ksvJ7sie0
前線にいるイメージがあるな。> 劉邦
劉邦が皇帝になってから、矢石を冒して前線で督戦したのって、どんなのがありますか?
だいたいの皇帝たちは、即位前は前線で槍とか振るって戦うけど、即位したとたんやらないもんだし。
あの趙匡胤でさえ、親征して前線の督戦には出るけど、自ら先頭に立つことはしなくなったようだ。
>>573 劉邦の死因は矢傷
少なくとも英布の乱の時に矢玉を冒す場所にいて指揮してたことになる
>>574 サンクス
そういえば項羽の対面のときも、矢に刺さったんだっけ。勇敢だ。
どうも項羽敗死以降を知らないから、劉邦のイメージは卑怯者なんだよな。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 13:37:19 ID:Fw/B7MCk0
初代皇帝の多くは皆、歴戦のつわもので
前線に出て指揮する者が多かったが
普通は皇帝に即位すると都を空けるのを自重して
将軍どもに遠征させるものな。
劉邦みたいに親征しまくるのは少ないよね。
でも、それが祟って呂氏に天下を奪われたんだから
自業自得と言えば自業自得だ。
遠征できる若い将校達を手許で育て
都の中枢で権力組織のバランスをとったり
どのように皇帝に権力の集中をはかるかに精力の大半を注ぎ込んでれば
呂氏に天下を簒奪される可能性は少なかったはず。
>>576 劉邦の場合、最大の敵項羽を倒して、皇帝就任したけど
実質は劉邦を宗主とした封建領主のあつまり、に近い感じだったんじゃないのかな?
そのへん、よくわからんのだけど、帝国として中央強化、周辺弱化はなされていないから
いわば死に際の劉邦もまだまだ建国途上だったのじゃないだろうか。
ふと頭をよぎったことなんで、たわごとだけどね。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 18:08:48 ID:Fw/B7MCk0
韓信を短気に罰しなければ匈奴征伐にとても大きな戦力として使えたかもしれないし
ゲイフの反乱も起きなかったのにね。
韓信は遠征先で王を名乗ろうとしたり、
肝心な時に軍を動かそうとせず、
加増の約束をしてようやく動き出すような危険人物。
早めに消しておいたのは正解だったと思う。
即興で作詞作曲するのはすげえ
旗揚げ時よりの功臣はほとんど潰してないし、危険どころを選んで消してるとも取れる
ショウカとかにでもカマかけてたみたいだし、大物外様はなお危険か
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 21:36:40 ID:hqpYvq8c0
韓信、彭越、英布の三人は遅かれ早かれ消される運命だったと思う
最下層から皇帝になったとこや功臣をやたら粛正したりしてるところが
明の朱元璋とだぶるね。
劉基が劉邦の真似をしろと言ってたんだけど、
粛正まで真似をするとは予想してたのかな?
張良は上手に切り抜けたが、劉基は切り抜ける努力をするも結局殺されちゃったし。
>>571 それはそうなんだが、兵法というと違うと思うんだがな。
韓信はもう少し政治の駆け引きを知ったほうが良かった。
(`・ω・´)韓信も彭越も英布も片付けたし、つぎどれやればいい?
_、_
( ,_ノ` )…
_、_
( , ノ` )
\,; シュボッ
(),
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~ だるいんで仙人なるわ
(´・ω・`)え?
>>585 知らなかったから強かったんだと思うよ。
最後まで武人で通せば、劉邦在命中は
ああはならなかったと思うんだな。
中途半端に欲を出したからいかん。
_、_
( ,_ノ` )いいですか。脳筋は240%の確率で一騎打ちを挑んできます。判ってると思いますが受けないで下さい。
(´・ω・`)うん
_、_
( ,_ノ` )返答は「君子は勇を競うに非ず、知を以て競うを選ぶ」ですよ。
(´・ω・`)わかったよ
_、_
( ,_ノ` )おすすめキーワードは「匹夫の勇」です。適当に挑発して引いてください。
(´・ω・`)まかして
( ゚Д゚)おい腰抜け劉邦。タイマンしろや
(´・ω・`)項王よ
( ゚Д゚)なんだ
(´・ω・`)なぞなぞしよう
( ゚Д゚)ハァ?
_、_
(;,_ノ` )y━., ポロッ
(´・ω・`)ヒップ
( ゚Д゚)おい
(´・ω・`)ユー
( ゚Д゚)なめてんのか
(´・ω・`)やーいやーい うんこちんちーん
(メ゚Д゚)やれ
∴ 。
..* ;:・
∵∴・ バィン_(__ Λ Λ
(´・ω ∵: ビシュッ .( щ(゚Д゚ )
_、_
( ,_ノ` )と(´・ω・`)のやり取り大好き。
自画自賛乙。
何か劉邦がかわいいなw
他の登場人物も見てみたい
垓下に先立つこと、ここは鴻溝。
楚漢の軍は対峙すること1年の長きにわたっておりました。
痺れを切らした項羽は劉邦に舌戦を仕掛けますが、
劉邦は場違いなボケをかまして狙撃され、大怪我をしてしまいました。
(´・ω・`)いたい
_、_
( ,_ノ` )はい、痛くない。ほら、立って。
(´・ω・`)え?
_、_
( ,_ノ` )総大将が動けないと判ったら兵が動揺します。歩いて元気なとこ見せて下さい。少なくとも全軍三周。
(´・ω・`)いや まじむり むりっす 張良さん まじで
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~ あなたね。あの脳筋とお話しようなんて時点でむりって思わなかったの。
(´・ω・`)…
(´;ω;`)ブワッ いたくないです
_、_
(;,_ノ` )y━・~~~ わかった。わかったから。一周だけね。
怪我にも動じぬ漢王の姿を見て、動揺は収まったと伝えられています。
張良さんこわい
いや総大将がヘタレ過ぎなだけかwwww
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 16:54:56 ID:f8TXmYJb0
(´・ω・`)さんって歴史パロディサイトの著者?
なんだか、台詞回しや話の持ってきかたが似てる
このサイトの話はどれも面白かったけどモルガンが一番勉強になった。
http://ariken.info/
↑消防キター
いま立ち読みで横山光輝版の最終巻21巻見てきた
最後の項羽つよすぎ。結局誰にも殺されず自害してた。
それにしても1人で武器持った相手200人とかにも負けない
って空想なんだろうか?いくらなんでも兵も訓練してるんだし無理だよね?
う〜ん。
訓練はしているし、場数も踏んではいるが、機械のように全員が全員、立ち向かうとも限らないからなぁ。
辟易。
敢えて正面に立つ愚を犯さず。
そんなところなんじゃないのかな。
ウィキペディアで曹参の字が敬伯になってるけど、史記や漢書にそんなこと書いてあったっけ?
今だから明かすが(´・ω・`)は801板からのコピペ
四面楚歌ってこの時代から出来た言葉だったんだって
ああっそうだよ。どの時代の故事だと思ってたんだ?
曹参の字は、南朝宋のときの史記の注釈が
晋代の説を引用して「敬伯」にしてる
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 05:13:37 ID:CBxzMJp00
ハンニバル=項羽
クィントゥス・ファビウス・マクシムス=韓信
思いっきり似てるなw
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 21:01:18 ID:/3djj2KE0
松井オデキは人類史上最低の屑
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 02:36:25 ID:VFAMVSC30
松井さんは陳嬰タイプだよね
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 00:31:00 ID:Ha3wZr7e0
俺なら項羽につくな
実力の無いオッサンの元よりも
そちらのほうがいい
実力がないから褒美を期待出来る訳だが。
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 10:26:21 ID:xAWRADcqO
項羽が四面楚歌された後にぐ(←字がわからん)の前で歌った漢詩を、白文のままで教えて下さい
書き下し文で『〜駿行かず ぐやぐやなんじをいかんせん』みたいなやつです。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 10:33:38 ID:dZZwXXND0
>>612 , イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゙、ノi!
{V /ミ三二,イ , /, ,\ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| >┻━┻'r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
ググレカス(Gugurecus, 生没年未詳) 古代ローマの思想家
帝政ローマの時代に現在のアルバニアあたりで生まれたといわれている。
父は役人で、家の巨大な書斎にはあらゆる本が並べられていた。
このため物心ついた頃から興味を持ったものは何でも検索する習慣がつき
13歳頃からはほぼ一日中図書館で過ごすようになった。
それ以来さまざまな発見をしては、それを地元の図書館で検索するという日々を続けていた。
だが20代になると、故郷の図書館の蔵書はすべて制覇したのか、図書館通いに飽きてしまいローマに移住する。
ローマでも毎日多くの事柄を発見しては図書館で検索しており、その探究心と教養を買われて役人として出世する。
何でも知っていたググレカスは人々の注目を集めたが
やがて図書館で少し調べればわかるような事柄を質問されると即座に「ググれカス」という返答をすることが習慣となってしまった。
このため人々の反感を買い、ググレカスはローマで孤独に一生を終えた。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:20:42 ID:ebckwxabO
>>612 力拔山兮氣蓋世。
時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可奈何。
虞兮虞奈若何。
力は山を抜き気は世を蓋(おお)う。
時、利あらず、騅逝(ゆ)かず。
騅逝ず、いかにすべき。
虞や虞やなんじをいかにせん。
『司馬遷 史記 4 逆転の力学』(徳間文庫)
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 10:23:57 ID:aYVs5R+JO
教えたがりがいるんだよなあw
>>616 2chのスレは、数多くの知りたがりと、希少種の教えたがりで成り立っています。
pu
この時代も光栄が無双化してくれたりしたらもっと人気が出るんだろうけどなあ
無双の設定を盲信するにわかが増殖したところで嘆かわしいことにしかならない。
蕭何が活躍するようなゲームになるんなら
興味ぶかい
しょうかしょうか。
いかにゲームとは言え、項羽とは戦いたくないな。
>>622 ビームは張良だろうから、
麦でも投げるのかな?
劉邦は朱元璋や毛沢東に近いらしいね
いやさすがに朱元璋、毛沢東よりはマシでしょう。
彼が行った粛清は必要最小限のものだったと思うし、
実際に粛清を指揮したのはほとんど呂后だし。
>>624 竹簡投げではいかがでしょう
南京玉すだれみたいに
陳平は葬式の肉をわけるのがうまかったそうだから
ナタと、あと効くのが遅いのが欠点の毒攻撃
「長城のかげ」みたいな、周辺の人々にスポットをあてた
作品をもっと読みたいなあ。ありませんかね?
中国人の知り合いから楚河漢界なるDVDが送られてきた
どんなもんなのか楽しみ
段ボール製のDVD。
またドラマヲタか。
涙目になるなよ
ネットに毒された影響されやすい子は涙目って単語をよく使うな
流行りだすとホイホイ喰いついていく姿が滑稽でならない
HOIHOI
上から目線で悟ったようなことを言うのはDQNの証。
>>620 そして三国志みたいに「無双厨氏ね」の流れに
今の歴史ゲーム板を見ると如何に悲惨なことになるかわからんでもない
>>634 :::::::::::::::::...... ....:::::::゜::::::::::.. ∩___∩ ::::。::::::::::::::::: ゜.::::::::::::
:. .:::::。:::........ . .::::::::::::::::: / ヽ:::::::::::::。::::::::::: . . . ..::::
:::: :::::::::.....:☆彡:::: /⌒) ● ● | :::::>>:::::::::: ::::::::::::。
:::::::::::::::::: . . . ..: :::: / / (_●_ ) ミ :::::::::::.... .... .. .::::::::::::::
::::::...゜ . .::::::::: ( ヽ |∪| .ヽ ....... . .::::::::::::........ ..::::
:.... .... .. . \ ヽノ | 〉:.... .... .. .:.... .... ..
:.... .... ..:.... .... ..... .... .. .:.... .... .. .... . .... . ..... .... .. ..... ............. ..
:.... . ∧∧ ∧∧ . ∧∧ ∧∧ .... .... .. .:.... .... ..... .... .. .
... ..:( )ゝ ( )ゝ( )ゝ( )ゝ ムチャシヤガッテ・・・......
.... i⌒ / i⌒ / i⌒ / i⌒ / .. ..... ................... .. . ...
:.. 三 | 三 | 三 | 三 |
:.... ∪ ∪ ∪ ∪ .∪ ∪ ∪ ∪
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 01:29:57 ID:Ffy7vUYZ0
史記漢書以外の史料から字が分かる人物って曹参以外にいないんですかね?
前漢時代は字はほとんど書いてないね。列仙伝に出てくる仙人や、それに
近い感じの王同(字は子中)くらいじゃないかな。
有名なヤツじゃ彭越(字は仲)しか分からん。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 16:24:33 ID:tUQpHMZJ0
項羽が強いのは分かるけど
弓で遠距離攻撃すればいいだけじゃないかな
>>641が言いたいのは何千人が一斉射撃するっていうことじゃないか?
でも運が良くないと当たらないしな
>>643 一斉射撃ですね
後半の少数の時などは一斉射撃すればいいのにと思うんですけどね
そんな命中率が悪いんですか
俺なら弓じゃなくて機関銃を使うが?
項羽を機関銃で殴り続けると死ぬ
>>644 一斉射撃じゃ誰が討ち取ったかわからんから
みんな首が欲しかったから無駄に殺され続けたのでは?
現代みたいに統制とれてなさそうだし
>>644 何千人と相手にするための武器を一人を殺すために用いるなんて経済性の無い事やってたら負けると思う。
孫ピン「………」
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 23:50:21 ID:RfDCKTbj0
彭越が日進戦争時代にいれば補給路を途絶えさせまくって防衛できただろうに
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 00:08:48 ID:NbKzCOdM0
>>613 たかがローマ時代の若造がこのスレに来ていいとでも?
652 :
劉邦:2007/09/07(金) 10:36:36 ID:7rxDcw3u0
劉邦は徳川 家康。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 11:14:56 ID:/wR44eGUO
家康というか秀吉?
秀吉・家康は本人の才覚で延びていないか?
比較対象外だろ。
後醍醐もちがうなぁ・・・
頼朝なんてどうだろう?恐妻家だし。
尊氏なんてのはどうよ
卑賤の出身と人たらしという点では秀吉か
秀吉は部下を使いこなしたというより本人が働いた。
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 13:14:41 ID:NSf3bGtf0
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 13:44:23 ID:gRVQsWR90
劉邦の場合、官僚制が進んだ段階での君主の資質は関係なく政治がまわる状態
というのとはまた違うもんね
なかなか日本ではない
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 14:36:37 ID:EuS1yaiC0
項羽と劉邦ってよく言うけど、
どうして項羽が先に来るんだろう
語呂がいいからでは
たぶん長与善郎の戯曲が初出
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 02:47:13 ID:HRshHgqV0
劉邦の邦は後から付けられた名前と聞きましたが
史記には名前がないんですか?
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 10:28:07 ID:1EpCdi8a0
母親も劉と呼ばれているということはその実家の姓もわからないってことだね
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 10:57:45 ID:ZyHeEo1IQ
邦=幇=兄貴説ってどこかのスレでとんでも扱いされていたが実際の所
どんなもんなんでしょ?
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 12:27:00 ID:k1cgi/YhO
>>765 霍光の妻も「霍顕」と夫の姓で呼ばれてるので、漢あたりでは妻を夫の姓で呼ぶこともあったみたいだよ
>>766 邦は国の意味だからね、当時の一般的な用法では
国家、相国は劉邦の諱を避けるまでは邦家、相邦って書いてた
「劉邦の邦はアニキと意味で、ちゃんとした諱がなかった」という説については、
・兄弟や親戚にはちゃんと諱がある
・同じ日に生まれた幼なじみ盧綰や友人たち(樊カイや夏侯嬰)にもちゃんと諱がある
・小作人陳勝にもちゃんと諱がある
といった点が疑問として挙げられるよ
劉邦の出自を実態以上に低く見ようとするあまりの珍説だろうね
レス番ミスったゴメン
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 22:12:50 ID:Z5hBdcCN0
劉邦は江湖の遊び人って感じだな
670 :
やったー項羽でケータイ小説できたよー(^o^)ノ:2007/11/25(日) 22:04:01 ID:jHELuloc0
───アタシの名前は項羽。心に傷を負った武将。コワモテマッスルで好戦体質の愛され覇王♪
アタシがつるんでる友達は楚の軍師をやってる范増、秦王朝にナイショで
楚で働いてる鍾離昧。訳あって額にイレズミをいれてる英布。
友達がいてもやっぱり楚はタイクツ。今日も亜父とちょっとしたことで口喧嘩になった。
ジジイ相手だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは一人で漢軍を蹴散らすことにしている。
がんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!
「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこい彭越を軽くあしらう。
「項羽ー、ちょっと和睦してくれない?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。
漢の武将はカッコイイけどなんか薄っぺらくてキライだ。もっと等身大のアタシを見て欲しい。
「すいません・・。」・・・またか、と国士無双なアタシは思った。皆殺しするつもりだったけど、
チラっと漢の武将の顔を見た。
「・・!!」
・・・チガウ・・・今までの武将とはなにかが決定的に違う。陰陽太極な感覚がアタシのカラダを
駆け巡った・・。「・・(カッコイイ・・!!・・これって運命・・?)」
男は劉邦だった。連れていかれて和睦した。「キャーやめて!」後背を突かれた。
「ガッシ!ボカッ!」アタシは死んだ。四面楚歌(笑)
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 23:12:22 ID:jkEowDZK0
遊び人じじぃが天下人なんて嫌だな。劉邦て卑劣な欲深じじぃてイメージがある。
若く覇気に溢れた項羽の方がいいじゃん。
章邯の軍って囚人中心の軍だよね
その頃に秦の正規軍ってなにやってたんだ?
中国のドラマの項羽と劉邦をちらっと見た。たしかむこうの正式なタイトルは大漢風。
大風の歌からつけたんかな?
でもいきなり項羽がカンフーアクションしてて萎えた
>>674 項羽が章邯に黒星つけた邯鄲包囲戦だと
秦の正規軍が章邯の指揮下に戦っているんだよな
この正規軍は今まで何やっていたんだろ
オルドスを放棄して回されてきた軍なのか?
>>677 それは邯鄲でのうて鉅鹿のような
正規軍は蒙恬の死後に王離に委譲された兵という推測も
>>678 邯鄲じゃなくて鉅鹿でした
初歩的なミスを犯すとは恥ずかしい。指摘ありがとう
680 :
劉邦:2008/04/25(金) 17:04:32 ID:yv9sgMwY0
項籍は影武者もいないとおもうので本人以外にきずかれなくていいとおもうが、ハン増だ あいつの存在だけが癌
俺は項羽派
実力があるほうが上司として尊敬できるし
黒い噂もあるが虞が最後まで愛した事を考えると
言うほど悪い人だとは思えない
韓信は項羽の事を匹夫の勇・婦人の仁と酷評をしているが、
出世出来なかった事、見い出されなかった事を恨んでいるだけ。
逆に言えば
項羽の才能一つがあれば韓信の存在自体が無意味だった。
凡才は天才を憎む。韓信のあの潔くない言動、最後を取っても
無頼の劉邦以下の人格・人凡であることは疑いようも無い。
さらには項羽にやけについて回る悪評自体がどうも胡散臭い。
漢朝が無理矢理に付加した可能性もある。史記の成立も、項羽の
死後すぐに成立したものでは無いせいもある。…歴史は王朝により
歪められるのは大陸の常でもある。(剛直な司馬遷の例もあるが)
忌々しいが、韓信の言葉『匹夫の勇・婦人の仁』を噛み締めて
みると、とても人間的魅力に溢れた英雄のような感が項羽にはある。
劉邦のバケモノ染みた不気味さなど微塵も無い。爽やかな若者なのだ。
31歳で死を迎えるに当たって、彼は満足して逝ったのだろうか?
自らの手で六国の天下を元に戻して、それを頑なに維持しようとして、
奔命し、ついに果てた。劉邦に付いた彼の元部下達は、泉下で彼に
顔向けが出来たろうか? …彼が戦国覇者の一部を取った『覇王』と
呼ばれた意味を深く考える時がきっと来るに違いない。
彼はただ、平和だった『古き良き時』を取り戻したかっただけなのだと。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 00:57:58 ID:K7LRoTMCO
漢の敵だから悪評が追加されてるのは当然だろうね
>>682 項羽は六国を戻してないよ
元の王族からは国を取り上げたり半分にしたりしてて、ほぼ全ての領域で争いや遺恨を生んでいる
爽やかだけど迷惑な若者だったろうな
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 03:53:39 ID:W2wpKBMd0
項羽が敵軍の兵数万人を生き埋めにしたって聞いたが物理的に不可能だよな
場所も時間も労力も掛かる
項羽に劣る実績しかない劉邦側のデマとしか思えないんだが
何回も負けて謝り生かされておいて不意打ちで殺し恩を仇で返した奴等だし
>>686 劉邦は項羽より実績もあるよ
項羽が結局一つとして反乱を潰しきることが出来なかったのに対し、劉邦は燕、呉、趙、代、楚の各反乱を全て平定している
穴埋めは項羽以前にも以後にも事例があるから、出来ないとは断言出来ないな
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 21:42:48 ID:ZwD3l4HW0
穴埋めって、黄土大地ならではの大技なんだろうなぁ。
日本のような地質では、まずできない。
冒頓>>項羽>劉邦
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 18:27:59 ID:+WPhyg7c0
結局、能力じゃなく勢いなんだろうね
それを作る、作れる人材を味方にできるのが才能と言えば
才能なんだろうけど。
劉邦は枕仕事でもしてたのでは?
そうでもしないとこんなグズに誰が付いて行く?
報酬目当てなら下克上した方が多く取れるし
人格も実力も項羽が上
>>691 下克上して上に立つのは危険だし、劉邦を担いでおいた方が得だったんだろ。
項羽は恩賞は出し惜しむし、自己中で他人を重用はしない。
>>692 項羽には項羽なりのビジョンがあったんだろうな。
漢朝の役人の下した評価を鵜呑みにしてどうする?
結局負けて死んだ人間は歴史を語れない。
義帝の死も項羽が命を下したかも怪しいものだ。
恩賞を出し惜しんだ =民衆の生活を重視した
自己中で他人を信用しない=見せ掛けの親愛など押し付けない
江南の子弟を引き連れて故郷を発ち、最後には自分ひとり。
故郷の人間に逢わす顔がないと落ち延びず、追手の前で潔く
死んでみせる。
項羽、いや項籍を知るには勝った後の劉邦陣営の嫌らしさを
知るより他は無い。……項籍は「侠」の道に生きる男だろう。
すくなくとも、後の劉邦よりも仁義に溢れた男だった。
気持ちの良い、爽やかな男らしい美学に溢れた若者だった。
悪評に塗れても、彼の放つ輝きは司馬遷の心を揺さぶるものだった。
宮刑を受けた司馬遷が何故わざわざ彼を本紀に入れたか考えると、
さらに哀惜が増す。
史記に書かれた批判も項羽のその苛烈な生を愛すればこそなのだ。
つーか劉邦に兄ちゃんがいたって初めて知った。
司馬遼の項羽と劉邦にも書かれてなかったのに。
兄ちゃんってどんな人だったんだろう。
項羽→初めはメチャクチャ優しい、情もあるが身内以外は決して重用しない。短気で意外に優柔不断
劉邦→人によって態度を大きく変える。立場が弱くなると優しくなるが、自らの保身のため。気前がいい
どちらかを選べといわれたらかなり悩む
強い奴、賢い奴、正しい奴が必ずしも生き残るわけじゃない。
いつだって要領のいい奴が生き残るし、それが生物としての強さ。
歴史の勝者になるのには、正義も任侠も仁義も美学も何ら意味はない。
結局はどれだけ嫌らしかろうが、醜態晒そうが、這い蹲って泥まみれになろうが
生き残ったもん勝ちなんだよ。
>>693 ごもっとも。でも
>恩賞を出し惜しんだ =民衆の生活を重視した
これは納得できない。仲間に分けてやるか自分の物にするかの違いでしかないでしょ。民衆からすれば一緒。
>追手の前で潔く死んでみせる。
死ぬ事は容易く、生きる方が難しい。春秋時代の超氏族滅のエピソードでも言われてる事です。刑死直前
まで身を惜しんだという石田三成の方が英雄と呼ぶべき態度では。
項羽は英雄よりも豪傑とか好漢のイメージが強いな
生き方や行動に何か独自の美学がある
確かに身を惜しんだら項羽は江南で王でいられた
江南の地で再起も可能だったかもしれない
しかし哀しいかな彼は当代一流の軍略家でもあった
天命とそれによる負けが見えていたんだろうな
何よりもあの四面楚歌が項羽の心を折ったのだろう
故郷を愛して突き進んできたはずの項羽の心を思うと
涙が止まらない
項羽にしか効かない戦術だが効果は絶大であった
>>698 >しかし哀しいかな彼は当代一流の軍略家でもあった
>天命とそれによる負けが見えていたんだろうな
諸葛亮批判か?
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 13:55:17 ID:9XgYvoRf0
負けが見えて、潔く振舞ったのは、項羽個人の感性によるところが大きいわな。
「この敗北がこの項籍の責で無い所を見せてやる!」
「その証拠にこれから漢軍に三回突撃して三回破ってやる!」
とホントに三回突撃して三回とも勝って生き延びてる凄さですから。
まさに天が項羽を滅ぼそうとしたのです。あの和議さえ無かったら…。
若い項羽こそ天下に再び号令していたでしょう。
あれは司馬選の創作。
項羽って現代中国では関羽に次ぐ人気があるらしいね。
無双の猛者でありながら潔く散っていったってところが民衆に受けるのかな。
でも実際に楚漢の時代に生まれてたら、劉邦につく奴の方が多そうだけどな
自分に関わりがないからこそ好き嫌いで論じられる
>>704 兵士穴埋めしたりする殺戮者でもあるしな
尽くした後に裏切られるより最初から相手にされない方がマシ。
劉邦陣営には汚い打算が見え隠れどころかあからさまなので嫌。
閨閥に一枚噛んでないと終わりを全う出来ない恐れが濃厚なのが嫌。
項伯の厚遇が解せない。
なんかさらに劉氏か呂氏と取引があったか…それか中身が項羽と入れ替わってるか。
>>706 >劉邦陣営には汚い打算が見え隠れどころかあからさまなので嫌。
それが世の常じゃん。
>項伯の厚遇が解せない。
だって教えてもらわなかったら死んでんだから。生かしといても危険そうじゃ無いのも良かったんじゃね。
>>703 へー、そうなんだ。覇王別姫って虞美人との別れをテーマにした舞台が有るから民衆にもお馴染みなのかな?
綺麗だろうが汚かろうが、打算があるほうがある意味とっつきやすいけどな
個人の美学で動かれるよりは
>項伯の厚遇が解せない。
利害無関係で助けてくれた恩人なんだから厚遇するのは別におかしくないと思うが
もしかして、『尽くしてくれた相手は必ず粛清するはずの劉邦が何もしないのは解せない』って意味か?
劉邦は褒美をたくさんやってたそれが祟って
結局最後は疑心暗鬼になって味方が反乱を起こすと思って
殺しに行き何人目かで返り討ちにあって死んだんだよな
しかも意外と劉邦は項羽より20歳近く年上
年下相手に何度も命乞いし半分家来のように扱わる劉邦哀れw
最初から項羽じゃなくて劉邦が死んでれば良かったのに
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 15:37:57 ID:f+GoUzMX0
なんか劉邦に対して皆必要以上に悪く言いすぎだと思うな。
確かに蕭何や樊噲まで疑ったのは行き過ぎだったけど、
彭越英布の二人は性格的に見て後々漢朝にとって脅威の存在となるのは明白だし
あそこで始末しておくのも止むを得なかっただろう。
あと韓信に対しては劉邦は結構同情的だったような気がする。
同情してるのに車裂き
始めは同情してたけど、結局韓信の方が裏切ったからね。(少なくとも史書ではそうなってる)
>>709 >年下相手に何度も命乞いし半分家来のように扱わる劉邦哀れw
そこで頭を下げられるのが英雄たる資質。チンケなプライドで天下をフイにするようでは小物。
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 22:33:41 ID:X2cn/QkGO
年下の課長に媚びて、いつもペコペコ頭を下げ、
部下にはネチネチとイヤミを言いまくってるO係長は、きっと英雄。
周りからの信望は全くないが、きっと大物。
>>714 部下からの信望がないということは劉邦とは全く逆のタイプだな
劉邦の場合は「あの人なら任せて安心、大丈夫」な信望ではなく、
宋江さんみたいな「ありゃダメだ、俺が何とかしてやらないと」タイプだろう。
気前も良いから担ぎがいが有る。宋江は大義が先にくるからなぁ。その割にカッとなって女殺したりして・・・
>>713 それが仲間の為とかならまだしも
メインはやっぱり自分の為じゃ…
>>718 天下を狙うのは自分の野望でしょ。
>>713で書いたのは、大事の前の小事にとらわれないってこと。
仲間の為とか世の為人の為とは別の問題。
乗っかってるだけのクズより天災染みた天才が偉大過ぎてたまらない。
天才の心を知る者は天才のみです。張良は項羽を殺すことであの天才を自分のものにしたのです。
>>720 そう主張してる自分も天才だと言いたげですね
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 00:42:14 ID:1Qp7SZ7M0
y
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:17:12 ID:NRX1rppj0
項羽は、司馬遷や韓信も言ってるが、所詮匹夫って感じだな。
ただただ戦に強いだけ・・・・・・・・それが厄介なんだが、本当にそれだけの人。
自分を含めた物事を客観的に見られないってのは、本当に子供過ぎる。
劉邦が王の器かどうかは別として、項羽よりはマシだったという話だろうか。
この人、結局暴れるだけ暴れて死んだんだよなぁ・・・・・。
劉邦の裏切りもアレだが、反省という言葉を知らないクソ強いだけの人間を
これ以上生かしておくのは、中華の損失だったと思うよ。
楚漢関連の本(小説含む)を色々読んだけど本によって四面楚歌の発生原因が異なるけど
真相はどんな感じだったんだろう?
1、張良による策略説
2、陳平による策略説
3、韓信による策略説
4、楚兵達が自然に歌いだした説
5、項羽が風の音等を聞き違えた説
6、その他
以上のような色んな説があったんだけど真相はいかに
そもそもそんなものなかった
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:22:40 ID:0sKirFQAO
>項王の軍、垓下に壁す。
兵少なく食尽く。
漢の軍および諸侯の兵、これを囲むこと数重。
夜、漢の軍の四面、みな楚歌するを聞き、項王すなわち大いに驚きて曰く、
「漢、みなすでに楚を得たるか。これなんぞ楚人の多きや」。
項王すなわち夜、起きて帳中に飲す。
(項羽本紀)
真相はご想像にお任せします。
>>723 …匹夫? そりゃ士大夫教育受けてる奴に言わせりゃそうだろうよ。
だが市井の無頼やら武人の家系に生まれて揉まれた奴は独自の美学がある。
お高く気取ってんじゃねーよ、とか、戦人の志は戦人のみ知る、との二人の声が
泉下から響いて来るのを史書から雑音排除して聞き取れるかどうかだな。
美学もいいが人を殺すな。
大漢風見始めたが、いいねこれ。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 20:53:26 ID:KedsquDZ0
>>727 その美学に酔った結果がこれだよ・・・・
項羽の魅力でもあるんだろうが、現実を冷静に分析出来なきゃ。
とにかく、項羽は壊しまくりの殺しまくり。
周囲も、こんな奴とまともに話なんか出来んわな。
独自の美学ってのが実は一番始末が悪い
命かけてんのはてめーだけじゃねーんだよ
劉邦の唯一の利点は褒美を多く与えてくれる事
しかしそれが影響して部下を次々と殺す
残ったのはただのDQN駄目人間
なんか劉邦は若いとき読むと共感と言うか熱狂的に支持できるけど
調べていくうちに汚さに幻滅していく
逆に項羽は事跡を調べていくうちに語られない何かがあるんではと
ワクワクしてくるものがあるな
どっちも好きだけど
むしろ詳しく調べていくと劉邦の底力みたいなのがわかって面白いけどな
そうそう、若い時は「項羽カッケー!劉邦なんてタダのごろつきじゃん。」って思うけど、だんだん
御輿に担がれんのも器量だって判ってくる。
若いときに好きだった方の逆側を年取ってくと好きになるような気がする。
俺は逆で「劉邦の器は凄い!何でも入るし夢を託せる!」と絶賛してたけど、
今になって読み返して見たら「項羽は怪物で傑物だ」なんて思ったりするよ。
劉邦はかなり誤解されがちな人物だと思うようになった
実際にはかなり頭の回転が早いし常に陣頭指揮を執るバリバリな人物だよ
この点で項羽に引けを取らない
>>739 そう思う
部下の献言の良否を見極める知恵もあれば、臣下の性質や使いどころも
随分と心得てる
戦争手腕にしろ、韓信の業績の陰で項羽の主力を常に前線で引きつけた
ってもんがある
よくゲームで魅力を100にされるけど、古参の子飼いを除けば人を利益で
取り込んでいく人物だから、あれもおかしいんじゃないかとは思う
>>740 硬派なイメージのある始皇帝や漢武帝は自ら前線に出て軍を指揮したことないもんな。
部下や兵士を遠征させておいてテメエは安全な所でふんぞり返ってる奴って好きになれん。
異民族討伐の指揮も自身でしていたしなぁ
よく働くおっちゃんだこと
項羽若すぎ。そりゃ失敗するわ
項羽も劉邦も世間に誤解されてる部分が多くありそう
項羽に関しては偽造された部分もあるだろうしね
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 22:26:28 ID:6NeqFb1x0
項羽は、秦兵生き埋めや帝暗殺の件があるからなぁ・・・・
三代皇帝殺して、阿房宮焼いたし、始皇陵も荒らしたし。
当時も今も、これらは非難されて仕方ない。
逆に、項羽の秦に対する怒りも分かる話だけどね。
やっぱり、直情型だったんだろうか・・・・・側近で、身を挺して彼を諭せる
人物が少なかった気もする(殺されかねんが)。
>>740 劉邦は、魅力や利益もあったが、何より項羽の対極にいた所が大きいと思う。
そういう意味でも運命的な二人だな・・・・。
>>746 >人物が少なかった気もする
劉邦いわく亜父独りしか居ないのにそれすら使いこなせなかった、だからね。
748 :
劉邦:2008/05/28(水) 14:45:28 ID:hWWQ28qN0
劉邦は、マホメットに似ている。無学文盲なところが。
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 18:07:23 ID:aQt5ybtQ0
>>747 逆に言えば項羽一人いれば事足りた、ってことだろ。揶揄するところか?
無学文盲だから有象無象が騙せるだろうとよってたかって祭り上げられただけの奴の負け惜しみだよ。
>>749 無学文盲なのは「姓名を記すことができればいい」とうそぶいた項羽の方
劉邦は貴族でこそないが中流以上の家だし役人やってるから無学ってことはない
当時の役人は末端まで文書処理が必要だから、文盲には不可能
劉邦の弟の劉交は若い頃儒学を学んでいる。
劉邦の家は貧農ではなく、
学問をさせるだけの余裕がある家だったと思われる。
>>750 これこそ牽強付会過ぎるお笑い草だな!
その後の文で、兵法をしっかり学んだ項羽が無学なわけないだろうが!
>>752 しっかりは学んでないよ
兵法も中途半端で終わったと明記されている
中途半端と言うよりは、要点を掴んでしまったから、
あとはもういいやって感じだったと思う。
よく言えば「一を聞いて十を知る」天才
悪く言えば文字を学ぶことに始まり覇権争いに至るまで、すべて最後までやり遂げなられない半端者
天才VS凡才
颯爽と顕われた風雲児VS老練かつ老獪な壮年
司馬遷は項羽に絡めて武帝を罵ってたんだな
757 :
747:2008/05/29(木) 00:05:12 ID:BUYlQrsn0
>>749 事足りてないから天下を取り損なったんだろ。君主は賢者に知恵を出させて我が物として使えば
それで良いってのは韓非子の言葉だっけ?
御者が馬より速く走る必要はないからな
周りが全部馬鹿に見えたんだろうな<項羽
天才型によくあるタイプで
ものわかりの良くない奴や
気に入らない奴とは
口も訊きたくないってのだ
ただしウマが合う奴とは何処までも親しく付き合えるから始末が悪い
外黄を落とした時、13歳の子供に説得されて住民皆殺し命令を撤回したこともあったから、
キレたら誰が何と言おうと聞く耳持たないってわけでもないんだよな。
陣営にちゃんと諫言できる人がいなかったんだろう。范増も含めて。
するとあれか、初対面の相手にズバリ言われると素直に従うけど、親しくなると軽くみて従わない。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 18:37:53 ID:rXIF0hka0
人それ甘えと言ふ。
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 18:41:35 ID:xeQtE7MV0
「ニッコッコ掲示板」をヤフーで検索してみ!ひらがなで「○っこっこ」でOKだよ!
検索はひらがなでお願いします。(○は「に」)(カタカナでは引っかからないかも?)
まだ規制ないし、色々貼れる
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 19:14:18 ID:FXVKTWWO0
もう
男の子向け主人公→劉邦
腐女子向け主人公→項羽
でいいよ
項羽で801心を満足させよう!
801ってぇとこんな感じか。
幼少より叔父項梁に仕込まれてきた項羽は深い喪失感に苛まれた。
はるばるやって来た范増も期待とは違った。失望した項羽はやがて劉邦に惹かれていく。叔父
とは違うタイプ(腹も出てるしw)だが、親父臭さがなんだか気になる。
矢も盾も堪らなくなった項羽は思い切って鴻門で会った機会に告白する。しかし、劉邦はノーマル
だったので拒絶される。劉邦が一瞬見せた汚い物を見るような視線に絶望した項羽は劉邦に復
讐する事を誓い、町で拾った美少年(虞姫)抱く事で体の火照りを鎮めるのだった・・・
こんな項羽は イ・ヤ・ダ!!
劉邦にはお稚児さんがいたからもともと両刀なんだけどな
>>764 確かに劉邦は引き籠りニートってイメージだが
項羽はイケメンってイメージだな
むしろ劉邦陣営に走った奴とかが項羽にアッー!!な欲望を抱いていたとかなw
陳平 →汚い策なんぞ誰が使うかと言われ逆上(イケメン度で少し負けてるからなおさら)
韓信 →兵法の才能で負けて逆上(兵法の骨子を掴んでないだろと嘲笑受け才能に嫉妬)
張良 →喜んで王佐の才を使おうとしたがいらんと言われ逆上(その反動で駄目な劉邦に)
蕭何 →補給の有用性を項羽に直感で先に見いだされ意地になる(派手さと才能に嫉妬)
きらきら光っているものを見ると人間はそれを守ろうとする奴か汚そうとする奴に分かれる
>>768 蕭何の実務能力だけは、どう贔屓目に見ても項羽が持ち合わせていないものだと
思うんだよなぁ。
他の人間で、単体同士なら項羽の裁量のほうが上回っているので、項羽の陣営におれば
それぞれ死蔵されるだろうことは、ほとんど実証済み。
まぁ下衆な言い方をすれば、項羽一人に複数人でぼこった、ということになるが
それこそ脳筋の言い訳みたいなもんだけどね。
項羽一人倒すのに、
あれだけの人材が必要だったと思うと、
項羽のバケモノ加減が良く分かる。
ところで、項羽の分封策自体は別に間違っていないと思うんだが
強国の秦・斉を三分割して、後難を避けるようにしたりとか
身内に分け前多すぎとか非難されてるけど、譜代・縁族に領土をやって
自分の威権を高めるのは、どの時代の君主もやってることであって、
むしろ当然の帰結だと思えるんだよね
婁敬が、劉邦に対して
「旧六国の王族とか有力な貴族を旗印にしないと、人々はついてこなかった」
と言っているのは、裏を返せばそれだけ六国の旧勢力が隠然たる力を
持っていたってことだから、それを抑えるためにもあれが項羽なりの
ベストな封爵授与だったと思うんだけどなぁ…
個人的な「もしも」だけど、もし項羽が関中一番乗りの約束を守って
劉邦が天下を宰領することになったら、項羽みたいに叛かれまくって
自滅してたんじゃないだろうか
既成秩序を変える際の抵抗が、項羽を滅ぼしたひとつの理由にならないかなぁ
>>771 >身内に分け前多すぎとか非難されてるけど、譜代・縁族に領土をやって
>自分の威権を高めるのは、どの時代の君主もやってることであって
既に天下が定まったならそうだけど、早すぎたんじゃね?
>自滅してたんじゃないだろうか
その場合、項羽が大きな力を握ってて、劉邦の権力が絶対化しないから、
項羽を殺さないうちはおとなしくしてんじゃね?
項羽は劉邦いなくてもそのうち自滅しただろう。
単なる戦バカに過大評価しすぎ。
>>771 自分が関中に君臨しなかったのがミスだな
あと、強国の分割自体はいいんだが、すでにいた君主や実力者をおいやって自分の縁故を上位に置いたりしているのは、やはり各地に紛争の火種を残すようなものだよ
それこそ劉邦の初期のように全域をその地の実力者に委ねてしまう方がまだ落ち着いていたかもしれん
あと劉邦に約束どおり関中を与えたとしても、天下を宰するのは項羽でしょ
>>773 ならば貴方は項羽を過小評価しすぎです
彼にもう少し経験・穏やかさ・配慮・忍耐があれば滅びは無かった
若さ故の性急さと己の理想に殉じる青さが見え隠れするのが魅力ではあるのですが
>>774 それがなぁ。どうなのか判断に迷うところだけど、項羽の親族縁者優遇処置が不首尾に
推移したから、劉邦が別の手段をとって、それが当たった、ということにもなるしな。
どうしても結果を知っている分だけ、後付論理が先に来てしまうが、当時ではどうだったか。
>>776 旧七国の分割は漢でもやってるから、俺も項羽の分割封建は悪くなかったとは思うよ
最大の問題は漢のように反乱を力でねじ伏せることが出来なかった点
そしてねじ伏せるだけの力を得るには関中の王になるべきだった
兵の穴埋めや秦王殺害が響いていて関中の王になるのを避けたんだとしたら、項羽は初めから天下人の資格がなかったと言うしかない
>>775 >彼にもう少し経験・穏やかさ・配慮・忍耐があれば滅びは無かった
この「もう少し」がとてつもなく難しいんだよ。
特になまじ才能がある人間ほど。
>>775 「もう少し」が多すぎるよ
それじゃあ滅びは必然だったと言っているに等しいな
あとは漢の謀臣や参謀たちの謀略ですかね
義帝謀殺も楚の臣たる項羽には何のメリットも無いですし(宋義の誅殺には理由はありました)
もしかしたら裏で殺して置いて風評で項羽の仕業に仕立て上げた人間がいるかも知れません
覇王の称号も楚帝が存在しているから戦国覇者の役割を自認する形で名乗ったとも考えられます
六国の独立志向や人間は欲で動くものなのだと言う事実を読み切れなかったのが非常に残念です
>>779 では筆頭で経験を
若さからくる性急さが最終的に彼を殺したのですから
>>780 項羽を評価しようとすること自体は悪くないが、ここでそういう陰謀論を押し出すのはいただけないな
>>782 基本的に歴史は勝者のモノですからね(硬骨の史官はいるのでしょうが)
語られざる暗闘があったかもしれないという事です(でもIFで話をしちゃあいけないのはわかっています)
陳平を活用したりホウエツやゲイフ等に書状を送ったり使者を送ったりしているのが目立つ陣営ですから
ついそんなことまで考えてしまいます
>>783 それこそ勝ったから記録されただけで、項羽陣営ももっとエゲツナイ陰謀を巡らしたかもしれない
実際関中を劉邦に渡さないために約束を捻じ曲げ、親を人質に取り、韓信に誘いの手を伸ばしている
結局陰謀合戦でも負けたから項羽は負けた、という結論になるだけから、やめたほうがいいんだよ
そうですね
水掛け論になってしまって収拾がつかなくなりますね
関中はどのみち項羽は取れないですし(「穴埋」が効いているでしょうし)
秦に対する憎しみが彼の原動力でもあり同時に滅びの糸口でもありました
惜しむらくは経験による配慮の無さとその苛烈さです
聖帝、尭・舜の眼を持つ男と書かれた時もある項羽があと10年経験を積んでいれば・・・
その時宜を得ないのも魅力なのですがね
いっそのこと、関中を劉邦に全部くれてやって、
他の地域も地元の実力者にくれてやってしまったら、
安定したんじゃないかな。
項羽の支配力はかなり落ちるだろうが。
>>785 尭はちがくね?
>>780 >戦国覇者の役割を自認する形で名乗った
それは義帝に実権は無いと宣言する事で、義帝がそのまま黙ってるとは限らない。
信長と義昭の関係でしょ。
劉邦の侵攻を封じることができるとすれば、義帝を押し立てていくことくらいだろう
しかしそれは義帝の権威を認め権力を与えることになるから、いつか必ず項羽とは衝突する
楚として勝つことにはなっても、項羽はどうなってるかわからんなあ
>>787 史書を前提に話をするとしたら関中攻略の一件が試金石になってましたね
あそこで宋義と同じ卑劣な臭いを懐王に抱いてしまったのかも知れません
擁立したのは叔父であり王の命令を素直に受け入れられない分別の無さも
項羽のその若さからです
年月を重ね経験を積んでいれば…その王の立場を理解していたでしょう
もし項梁さえもう少し長生きしていれば
項羽の不運はそこから始まったのです
宋義が臭いと言えばそれまでですがね
>>790 それは逆かも試練
項梁がずっと健在なら、項羽は若くして死ななかったかもしれないがひと時であっても天下のトップに立つこともなかったかもしれないから
>>791 歴史が示す通り若い項羽には後漢の劉秀の堪忍自重は出来ないですからね
しかしどのみち懐王の側近の楚の旧貴族に除かれるのは確定事項でしょう
その時経験を積んだ項羽がどう出るかに個人的には期待したいのです
多分十中八九感情に任せて暴発必至ですが兵に人気がありますので勝つでしょうw
我慢してた頃の劉秀って項羽とあんまり年変わんなくなかったか
>>793 その通りです
若い項羽が持つ美学では絶対にそんな真似が出来ない
ならばもう少し歳を重ね分別がついていたなら―と言う事ですね
あの性格は年食っても変わらないような気がするけどな。
多少現実的にはなるだろうが。
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 13:09:14 ID:OdsjKfXR0
結局、鴻門の会で劉邦を殺さなかったのが大失敗。
劉邦という人物の危険性、范増の忠言を無視したのは、天命というよりも
項羽の先見性の無さを示していると思う。
戦に(異常に)強いだけで、人間的にも王になれる器じゃなかった。
項羽の戦の才能は、中国史上屈指だっただろう。
残念なのは、その才能が高すぎた事か・・・・・・・戦に明け暮れ、戦の強さに
世の中が重点を置く時代背景も、彼に戦以外の面を軽視させた気はする。
「力で解決」という思考の根幹というか。
>>794 やはりあんたは項羽を過大評価し過ぎている気がする。
例え、その経験とやらを積んだとしても、項羽は一生あのまんまだと思うけどね。
人間の気質や性格なんてよほどのことが無い限り、そうそう変わらんでしょ。
>>797 まあ、それは言いすぎじゃない?
ただ、項羽の欠点を「美学」とまで言ってしまうのはどうかとは思うな
劉邦が匈奴や項羽に負けたのを「美学が邪魔して」とか言ったら誰だって笑うだろうに
>>797 テメエのようなクズ野郎どもが寄ってたかって
どうしても項羽を殺したかったありさまが目に浮かぶぜ。
項羽嫌いは解ったから厨房口調はよしなさい、坊や。
まるで項羽見てるようでカワイイけどな。
>>798 くっだらない体面とか見栄とか面子とかにやけにこだわる所を「美学」と解釈したんだろ。
欠点と言い切るのは簡単だが、理屈だけでは人は付いて来ないね。
少なくとも最後まで行動をともにしようと言う粋狂な部下が項羽にはいた。
>>800 うん、いたね
劉邦にも身代わりを買って出たり煮殺されてまで項羽を罵ったりする酔狂な部下がいたようにね
見栄や体面にこだわる「美学」は、本人以外にとっては美点じゃあない
特に項羽についていき再起を信じてついていったであろう酔狂な部下にしてみれば、今まで散々逃げ続けて来て、更に逃げる余地もあったのに自殺なんて目が点だろ
本人以外にとっては欠点以外の何者でもない
>>801 >逃げる余地もあったのに自殺なんて目が点だろ
俺は前に石田三成を引き合いに出した者で、同意見なんだけど、四面楚歌で望みを失った
って事はあるのかなぁ。楚に帰ってももうダメポって。
項羽好きを装ったアンチ項羽が混じってる気がするのは気のせいだな。
>>799 あんたの方こそ顔真っ赤。項羽のことをあんたが大好きなのは分かったが、
そういたずらにマンセーするものではない。欠点は欠点として見ないとね。
どれほど項羽を擁護しても、やはり敗者は敗者。
>>802 四面楚歌の時点で望みを失ったなら、虞氏と共にそこで自殺か投降してりゃ将兵には被害が出なかったかもしれない
田夫に欺かれて望みを失ったというなら、そこで自害するべきだろう
逆に望みを捨てていなかったなら、どこまでも逃げて呉へ帰る船に乗っているべきだった
本当に潔く死ぬことも、最後まであがくことも、どっちも徹底できなかった
これは罪深いと思う
最後まで従った二十数騎や、そこまでに脱落した者たちは項羽の中途半端な自己満足のために命を張ったことになるのかと思うと悲しくなる
しかし命はった人らは、好きで項羽についていった者だけだから
その
>>805の同情っぽい言い草はかえって失礼だろうと思う。
いやいやついていかされた、というならそうなのだがね。そうではないといえるんじゃないか。
とはいえ、たしかに四面楚歌のときに絶望していれば、という気がしないでもない。
なんとなく悪あがきに見えるし、そして突然やる気を失ったようにも見える。
むらっ気というか。
>>806 そのへんのとらえかたは人それぞれだろうけど、好きでついていったといってもその目的は色々だろうからさ
項羽の行くところどこにでもついていくという狂信者状態ならいいんだけど、「再起を信じて」とか「生きて故郷の土を踏みたい」という目的があったとしたら、項羽はその想いを無視したことになる
主君だから結果的にどうなろうが責められる筋合いはないのかもしれんが、
故郷に戻り再起しようとして囲みを破り逃走したはず(少なくとも項羽以外はそう思ったはず)なのに呉行きを断った時は、
項羽本人以外は裏切られたと感じた者だって少なくなかったんじゃないかと思うんだよな
あそこまで追い詰められた状態の中までついていった人たちというのは
項羽の可能性を信じて自らの富貴をいたすような人らというのとは、いささか
毛色が違うと思うんだよな。
そりゃ人それぞれとか言われたら、それまでなんだけどね。
つまり、項羽という人格そのものに感じ入っていて、その思考、行動にすべてを
委ねてしまえるほど、その親密度が高い。
別に性的な意味じゃないぞ?w
最後まで残った人らというのは、それくらい項羽個人に対する信頼性が強い。
のではないか。そうでないとまわりがどんどん離反するのに残る理由がない。
故郷に戻りたいだけなら逃げる機会は山ほどあったろう。
ただし、主としての項羽は、そういう彼らを生かす方向に思考する責任が絶対ある。
とはいえ、世の中にはそうやってついてきた連中を半ば無理やり道連れにして
死のうとするアホな君主も多いので、項羽がことさら下劣なわけではない。
司馬遷の評価では、最後まで将としての責任すら自覚しなかったと手厳しい。
「自分は悪くない、天が自分を滅ぼす」という考えは、確かに成長のない考え方
かも知れないな・・・・・・。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 12:24:53 ID:gnGMp1mBO
一度は握った天下を失うのは天がそうさせたのだ、というのは超越的存在としての天を信じる古代人としては一般的な考えなんだが、この時代には同時に天人相関説と呼ばれる考え方が浸透していた
「天下人の行為を天が見ており、天はその行為が悪ければ天災等を下して罰する」というもので、これに基づくなら天が滅ぼすのはやはり項羽本人に原因があって天に見放されたことになる
しかし項羽は最後まで自分に問題があって滅んだと感じていないようであるから、司馬遷ら同時代人でさえ厳しい目を向けるのも当然だろうな
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 13:30:39 ID:r1/yHKFPO
どうかな?
欠点だらけで、成功したけりゃその逆のことしてれば、たいていはナンとかなる。
普通、こんな人物は人の上に立てないし、立たない。なのに項羽は違った。
劉邦は決して無能な人物じゃない。
彼の配下の韓信、張良、簫何と比べたら、それぞれの得意分野では遅れをとるが、
そのすべての分野で、彼らより劣ってるわけじゃなく、
トータル的に考えたら、彼らに勝りこそすれ、決して負けてはいない。
項羽は当時、超一流の人物が集結し、ようやく倒した人物だった。
匹夫の勇、婦人の情。そう揶揄された人物でありながら、そう評した人物が
単独で彼を倒すことは出来なかった。
彼の覇権が維持できなかったのは、彼の性格に起因する。
だが、なぜ彼が天下に名を轟かし、その名を歴史にとどめたかと聞かれたら、
それは項羽に天命があったから――としか言いようがない。
単独で項羽を倒せなかったってか、そもそも初期戦力がry
司馬遷も批判しておきながらも本紀に入れてるしな。しかも出来もいい。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 17:43:26 ID:EgRQjNIA0
項羽が天下に名を轟かせたのは、「強かったから」。
ただそれだけじゃないのか?
ただそれだけだったから、名を轟かせただけで終わった。
そもそも秦に対する基礎作りは、項梁の手腕。
項羽が人の上に立てたのは、この基礎があったからこそ。
配下も范増を始め、英布や鍾離昧など充実していた。
韓信も最初は項羽配下だったはず。
こういった恵まれた状況を天命と言うのなら、項羽は天命を
知らずに自滅して行ったとしか言えない。
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 22:11:04 ID:tZzd5ArgO
>>807 四面から楚の歌が流れてきた時に、すでに楚の領土も漢の手に落ちたと思われて望郷の念が強い配下は投降・逃亡したんじゃないっけ?
それでも付き従った最後の二十数名は、項羽と一緒に死に花を咲かせたかったのではと思いますが。
項羽を「将」としてクソミソにけなす奴いるけど
劉邦も美化されてること忘れてるかそれか余程表面しか見ない奴だろう
項羽は例えるなら水滸伝に出てくる「英雄豪傑」
項羽の生きざまに侠と仁義を見い出した人間が項羽を好きになっていくと思う
>>815 史記項羽本紀によると項羽は烏江を渡ろうとしていた、と書かれている。
なのに、亭長が船を出そうとすると「天が俺を滅ぼそうとしているのだから、渡っても仕方ない」とか言い出して特攻。
逆に言うとそこまでは死ぬための逃避行ではなかった。
>>816 劉邦にも項羽にも侠や仁義はないだろ
盟を破ってだまし討ちする劉邦も劉邦なら、
項羽は項羽で人の父母を人質にし、投降した兵士を穴埋めにした
部下にしたって亜父とも呼んだ人物と喧嘩別れ
あえて言うなら、項羽のいにしえの荒ぶる神のような良くも悪くも豪快さに惹かれる人はいるだろうしそれは分からんでもないけど、仁義や侠はないわ
おれは劉邦という人物はあまり好きじゃない。
けど、仮に好きだとしても、それで項羽を貶す理由にはならない。
それが理由になるやつは頭がどうかしていると思うぞ。
項羽の将として、というか人の上にたって、多くの人に対して責任ある立場
としての項羽のありようは、足らないところがあったとは思う。
人間的な魅力もあれど、万人がそれを慕わなければならないこともないし
欠点と美点は正しく見定めるのが肝心なんじゃない?
ここでいうのもあれだけど、どこぞの孔明スレみたいに、他方を貶したいがための
極端な持ち上げ、えこ贔屓は見てて気持ちのいいものではないのだから。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 23:28:22 ID:wur/NDrc0
魏晋南北朝あたりの華南では民衆の間で項羽信仰が流行ってたってどっかで見たな。
京劇で「覇王別姫」たり昔から項羽は何故だか民衆の間で人気が高いね。
逆に劉邦は現代中国では悪玉扱いらしいけど。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 23:43:34 ID:yxhwCE7uO
>>814 項羽は強さで覇権を握った。でも、韓信だって強かったが、覇者にはなれなかった。なぜ?
項羽にあって、韓信にないモノがあったからでしょ?
それを天命とか、天って呼んでんだよ項羽は。
項羽は死ぬまで、人間的な成長の跡が見られない。
狭量で、独善的。復讐心が強くて苛烈すぎる。
およそ人の上に立つべき人格とは思えない。
でも彼は覇王になる前からそうで、頂点に立ってから豹変したわけじゃない。
項羽は悪い意味で、何も変わらなかった。
たぶん、器量とか度量、そういった指導者としての資質的なモノが、概念ごと欠落してるんだよ。
そんな奴なら、天が俺を滅ぼすんだって言うのも、当然じゃないか?
だって知らないんだもん。人の意見を聞けば良かったと悔やむぐらいなら、
むしろ、天に罪を擦り付ける方が、理解できる。
しょうがないじゃん。人の上に立つために必要なことなんて、はなっから知らないんだから。
目の見えない人が、空の青さを知らないようなもんだよ。
で、結局、項羽は自滅したって言うんだろ?
劉邦が倒したんじゃなく、項羽が勝手に転けたんだって。
器量もないくせに天下を握り、勝手に奈落の底に落ちてったんだって。
それって逆に凄くないか?一時とはいえ覇権を握った男で、ここまで狭量な奴はいなくないか?
たぶん、項羽を悪く言う人の方が、項羽を評価していると思う。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 23:58:21 ID:tZzd5ArgO
>>817なるほど。
では、渡ろうとしていたのに渡るのを諦めたのは何故でしょうね?
渡ろうとしていたと言うのは行動を見てなのか、それとも項羽の言動にあるからなのかどちらでしょうか…
たまたま逃避行でついた先が烏江への渡し場(表現違うかな)だった為に、それを『烏江へ渡ろうとしていた』と記された…なんて、亭長が待っていたならそれはないかw
>>821 気が変わった。なぜなら気分屋だから。としか言いようが無い。
虞姫の不在に耐えられなくなった、ではロマンチックすぎ?
>>820 韓信は取り立ててもらった劉邦に恩義を感じてて、劉邦配下の斉王で十分と思ったから。
そのまま無事に王で居られると思ったところが甘さではある。
詳しくは知らないけどWikiを読むとスターリンも相当狭量だと思う。
項羽が覇権を握れたのは項梁が絶妙なタイミングで死んだおかげで言うなれば只のタナボタだし・・・
俺ならキョ鹿のタイミングで放り出されても逃げる。
項羽ごときでも勝てた、とかいうのは後知恵。
また、食わせられない捕虜を埋めるのが一概に断罪すべきこととも思えない。
項羽のミスは多いが、劉邦のゴキブリじみたしぶとさがなければ、
それまでにいつ破滅してもおかしくなかった。
勿論、項羽が統一王朝を築けるとも思えない。
下手すると北支那の大半が冒頓の匈奴に蹂躙されるんじゃないかと。
李広のエピソードなんかにも表れてるし、劉邦も罪状として数え上げていたはずだが、
食わせられないんだろうがなんだろうが、一度投降して受け入れておいて後から殺すのは当時の価値観から見て重大な不義理であり残虐行為
現代の価値観ではなく、当時の価値観で見ても民心を一気に失いかねない悪行だったと考えるべきだよ
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 03:05:00 ID:fhZ2cMLB0
>>820 項羽と韓信を比較しても仕方ない。
何故なら、戦の強さ以前に生い立ちや状況が全く違うから。
項羽の場合、項梁の擁立した帝や反乱軍などの下地を、そのまま継いでいる。
それが、「項羽にあって韓信になかったもの」。
帝の死も、元は配下だった劉邦を始めとする諸王の離反も、有能な部下との決別も
項羽の過失による所は大きい。
だが、項羽はそれを省みたのか?
覇王・項羽の誕生は、項羽自身の置かれた状況が覇権を握るに極めて近く、その道程を
切り拓くのに最も有効な手段が「強さ」だったから。
だから、項羽について評価出来るのは「強さ」のみ。
項羽は中国では人気がイマイチらしい
項梁が既に当時の反秦勢力の暫定トップみたいなもんだったからな
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 00:50:17 ID:s9TxG9yv0
劉邦陣営は、充実してるなぁ
項羽陣営で、これに代わる人材を上げても見劣りしそうだ
簫何:補給・兵站
張良:外交系戦略
韓信:戦争全般
彭越:ゲリラ戦
陳平:謀略系戦略
項羽陣営の方がかなりスタッフが優秀だったと言える。
スタッフはトップを立ててナンボの世界。
スタッフの方が有名になったら終わり。危険視されて粛清される。
項羽を全面に押し出しておけばスタッフは自由に活動出来た。
やはり項羽が覇王になったのが痛いかと。
(支えていたスタッフが目的を達成して抜けていく=六国・故国へ戻る)
もし項梁が定陶で討ち死にしないでそのまま秦を倒して楚を立てた場合
項羽は生涯そのまま仕え続けたのかな?
確かに項梁には子供がいなかったから自然と権力は項羽が引き継ぐんだろうけど。
あと、項羽の項梁に対する忠義心(?)ってどれほどのものだったんだろう
裏切る理由が存在しない。そして身内に対してはダダ甘。さらに黙って座っていれば後継者になれる。
ただ…思慮が足りない若者なので呂布のように謀略の餌食になること請け合い。
項梁が生きて秦打倒の盟主のままであったとして、本当に自然に権力を項羽が引き継げるだろうか。
子供がこれから生まれるかもしれない。それ以外にも、より大人しくて守成に向いていそうな甥がいたかもしれない。
更に言うなら、項梁よりも戦場では活躍するであろう項羽は、劉邦にとっての韓信のような立場となるかもしれない。
項梁健在のうちに項羽の方が功績をあげ人気が集まるという状況は、逆にとても危険。
項梁を項羽が引き継ぐような形になったのは、史実のような中道で横死したからこそ。
秦を倒し覇を唱えて以降まで項梁が健在だったら、骨肉の争いが起こる可能性のほうが高いと思う。
権力が肉親や友人の間でも破滅をもたらすのはよくあることだ。
項羽にせよ劉邦にせよ、
>>817の意見に賛成だ
だからこそ、田横のような好漢の存在を知ると、
「この男に天下を取らせたかった…」
という無念が湧き起こるんだよな
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 23:46:30 ID:8z0puVmR0
>>836 それは芥川がそう書いたってだけで、劉邦がそう評価した訳ではない。
歴史小説をもとに人物像をもっともらしく語るのがスタンダード。
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 22:06:36 ID:54+cKc5BO
ある作家が王の器だとか、そんな適当なこと言ってたら真に受けて、
ほかの作家の作品にまで、ある作家の人物評価を流用しだしたりして、
まったく世の中平和だなぁ。
>>834 田横だってはたして最後まで好漢だった保障は無い。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:16:04 ID:FER6iaKpO
>>832 まあ項羽が項梁を裏切る理由はないな
血の繋がった叔父と甥だし、項羽は肉親が大好き
ただ呂布如きと項羽を一緒にしないでください
呂布じゃ劉邦とその有能な臣下たちに簡単にやられてお終いだろう
部下に裏切られ曹操に捕まって斬首された呂布と、戦闘中、旧友に
功績を与えたくて自決した項羽じゃ余りにも違いすぎる
だいたい項羽が捕縛されて斬首される事なんて全然想像出来ないし
>>843 いとも容易く反間の計を食らってるから一緒にされてんだろ。
845 :
843:2008/06/23(月) 21:11:50 ID:rwqL8ri+0
>>844 確かに項羽は陳平の離間の計を食らって范増を麾下から失ったし
最期まで自分の間違いを認めず、敗北を天命のせいにした
それでも烏江の亭長ように項羽を見捨てず
江東王になるように勧められるのが項羽
それを謝辞して、亭長の好意に報いるように
名馬騅を与え、徒歩のまま漢兵数百人を
一人で討ち取った挙句、旧知に恩賞を取らせる為に
自刎なんて凄過ぎるの一語だわ
項羽が呂布に似てるとは4、5年ぐらい前に2chで初めて見て以来
時々見かける意見だが、その根拠を質すと猪武者なところだとか
(司馬遼太郎の影響?にしても単なる武辺者として描写されてる訳じゃなし)
横光作品で顔の造作がなんとなく似てるから、ということらしかった
かりそめにも天下人であって、舜と同じ眼の持主とまで言われた項羽と
方々で人に頼り頼られしながら一地方勢力に終始した呂布とでは
正直比較の対象にすらならないと思う
847 :
843:2008/06/24(火) 12:46:57 ID:KLn3bsSi0
>>846 司馬遷が項羽を列伝では扱わず
わざわざ本紀を立てたのだから
その天下は短いとは言え天下人
確かに地方勢力に終始して処刑された
呂布とは比較にならない
司馬遷の場合は私怨も入ってるからなぁ。
テメエがデカい顔してふんぞり返っているが、昔こんな奴がいてスゲェ事やってるんだぜ!
コイツが天下を維持してりゃあ劉氏なんぞクソ以下だぜクソ! わかってンのカよあああん!?
外征や戦争ばっかりしてると、項羽のようになるんだぜ! 俺を黙らせた気になんじゃねぇぞ!
てな成分で項羽本紀は書かれているように思う。
あと、どんだけ貶されようと項羽は偉大。
離反と為っているが范増の見識の古さを見限って許可したに過ぎない。
鴻門の会でもあそこで劉邦を殺しても項羽の名に傷がつくだけだった。
秦の捕虜殺しの件も、兵法命! の項羽では揮下の軍兵の結束の乱れは死活問題だった。
夢に敗れし理想家を鞭打つのは劉邦ファンだけでいい。項羽を哀惜を持って見守るのが男。
>>849 項羽の名に傷がついても劉邦殺せば上がりじゃん。そこを気にしないで攻勢に出た劉邦に、
結局はやられただけじゃん。宋襄の仁。
なんか知らんが
>>850のレス内容がむかついたww
宋襄の仁に婦人の仁でも項羽には仁があった。そして捕らえた劉邦の家族を殺さない義もあった。
劉邦には無い。劉邦の生き様を見よ。そこには爽快さも美しさも無い。あるのは欲望の残滓だけ。
項羽こそ己の欲望のみに従って生きた人間おおす!
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 18:33:12 ID:d/xKRzjx0
>>852 劉邦の成り上がりも、十分美しいと思うが。
項羽の屍に涙したし、虞を殺しもしなかった。
彼は臣下の意見を良く聞き、恩賞も惜しまず分配した。
武こそ項羽に及ばないが、こういう人間だからこそ天下人になり得たのだろう。
>>852 それこそ項羽が天下を取ってないから言えることだと思うね。
>>852 >宋襄の仁に婦人の仁でも項羽には仁があった。
荘子にいわく、「盗跖にも仁義あり」。それを仁が有れば良いという人はいないでしょ。
>>856 まさか中央集権してない=天下取ってないって考えてるかな?
>>857 劉邦のことですね、解ります
良弓を仕舞うことが仁で走狗煮ることが義ですね
ちゃんちゃらおかしいですよ
劉邦には婦人の仁や匹夫の勇すらないってことだわな
父親を人質にして、「食っちまうぞ」とか脅迫する奴が仁?
861 :
名無し様@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 18:23:01 ID:KyalstvY0
劉項記もいいけど、ウチは兄弟そろって三国志だなぁ。
なんたって、史記に比べると、影は薄いが女性が多い。男尊女卑のこの時代に。
二喬、甄氏、貂蝉、他に祝融夫人、孫夫人(尚香)などなど美女はこっちの方が多い。
一部、黄月英とかも。
史記は虞美人ぐらいしか知らない。ほんとはもっと居るのかもしれないけど。
この時代の女性の場合、名が残っているだけでも不思議だと思うのだけれども。
有名じゃなきゃいけない。ただの側室とか書物に名が残っているだけだし。
甄氏のように有名なエピソードがあれば話は別だけど。
高校の授業では、教科書に史記は載っているが、三国志がない。
どうして?三顧の礼とか、連環の計とかいっぱいネタはあるのに。
三国志は下克上と同じで裏切り、謀反、暗殺などがある。
それに劉邦李のように大義名分とかが無い。
ただ、元徳様は仁義とかほざいてるけど。
この乱世において、志を捨てなかった二人の英雄(邦・備)と一匹狼(籍)。
李は能力の無いものの、人徳と有能な家臣の言を聞き、きちんと実行したため、大義名分成功。
元徳はカリスマ性があり、持ち前の仁義と人徳で、民を欺き(笑)、水魚のなんたらとか言って、
臥龍といちゃついて・・・ この前友人に見せられたBL本は驚いた。
マジでいっちゃてるぜ。
そっちの方の趣味はないが、最近はそっち系の本が多くて困る。
真面目な話で続きを言うと、備は志半ばで倒れるがその後、孔明がその意志を継ぎ実行するも、
あの孫夫人との間にできちまった、バカ息子さえいなければ、大義名分できただろうに・・・。
子竜も、わざわざ、敵陣奥深くまで行って連れてこなくて良かったのに。
また、話が脱線してしまった。ついつい、この話をすると熱くなってしまう。
友達に話しても、皆興味ないって言うからさ。
あたりまえか。
どうも最近の高校生は日本史だけで満足している奴が多い。
自分は断然、中国派。まぁ、日本の戦国時代も好きだけど。
好きな言葉は四面楚歌と、是非に及ばず、ジャックポットかな。
JCはDMCの名言でした。知らない人はスルーで。
北米版のダイナスティウォーリアーズもとい、三国無双は三国志好きの兄弟がやりこんでる。
近頃、Dynasty OROCHIとか出てるな。再臨はDynasty OROCHI2
KOEIには史記とか封神演義、西遊記、水滸伝とかの武将もだしてほしい。
アニメの方で横光の三国志は見たことあるが、史記は無い。
まぁ、一騎当・・とかよりはましか(汗)・・。
>>958 え、まさかあれで天下取ったって考えてるかな?
大体あんた、ジンジン言ってるけど項羽に仁なんてあったけ?
ジンはジンでも塵の塵ならあるけどねw
今日の中英板は曇りのち晴れ
時々電波が降るでしょう
>>862 韓信が項羽の仁は「婦人の仁」だと言ってたw
いや〜もう一ヶ月ぐらい前から大荒れだよ。
項羽の狂信者さんのおかげでw
いや〜もう一ヶ月ぐらい前から大荒れだよ。
項羽の狂信者さんのおかげでw
項羽を狂信するのは分かる
俺も項羽狂信者だからw
おれは劉邦が嫌いなだけで、項羽信者というほどではない
>>858 天下が治まれば安定を目的に走狗を煮るのはやむを得ん。そうされんように、身の処し方に気をつ
けるべきだし、劉邦自身は韓信を証拠も無く討つ事に心苦しさを感じていた。それは他の者たちにつ
いても同様だろう。
項羽は天下取ったとは言えんでしょう。もうちょっと上手くやれば三日天下くらいには成ったのに、そこ
まですら行ってない。
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 00:29:52 ID:u+Gi2HfX0
正直韓信が粛清されたのって自業自得だよね
>>869 ここは春秋・戦国時代を知らん莫迦が寝言を吐くインターネッツですね
あと劉邦フィルターがかかりすぎな二回投下な
>>865の劉邦狂信者がうざいです
>>869 後世の歴史家(司馬遷)が項羽を
天下人として認定してますからw
その証拠が「項羽本紀」
文句があるのなら、項羽を列伝にいれず
本紀を立てた司馬遷に言ってね
そして呂太后の本紀も立てちゃいました
司馬遷にとっては呂稚も天下人
>>870 韓信は斉王として天下の覇権を
項羽や劉邦と争わない限り
あの死に方は当然の結果
と言うより股くぐりの件からして将器ないだろ
決断を先延ばしにしてるヘタレが韓信の正体
呂雉はあれだけど恵帝っていい奴だったんだな
異母弟の如意ををおっかさんの暗殺から守ろうとしたりな
だけど威夫人の成れの果てのアレをおっかさんに見せられて
それで全てが嫌になって酒びたり女びたりになって死んじまった
項羽が黄泉で笑ってるだろうな
今度は韓信アンチか。
韓信を過大評価する風潮はあんま好きでなかったから、こういうのもたまにはいい。
韓信の背水の陣の故事でも項羽が同じ様な事を先にやってる
何より項羽陣営で縮こまってたのがいい証拠
決断力が決定的に無いせいで項羽に軍を任されなかっただけなのに
用いられなかったことを逆恨みに恨んで将の将だと劉邦にへつらっている
こいつの御蔭で外交交渉やってる最中に煮殺された奴は死ぬに死ねないだろうな
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 00:04:37 ID:wgFIxSPf0
>>879 その割に、漢の別働軍として最高の働きをしている訳だが。
范増も推挙していたのに、用いなかった項羽が節穴だったというだけ。
酈食其についても、韓信への連絡を怠ったという非はある。
韓信が軍事的天才だったのは、認めざるを得ない。
おしゃべりクソ野郎の蒯通に出会ったのが、運の尽きだった。
才能故に、天下への夢を見たのが人間らしい気もするが・・・・・・
統一後の運命からして、処世術は下手だったんだと思うよ。
おしゃべりクソ野郎てw
蒯通に出会ったのが、運の尽きだったんじゃなくて、
蒯通の天下三分の計を採用する度胸が無かったのが運の尽き。
>韓信の背水の陣の故事でも項羽が同じ様な事を先にやってる
たしかに両方とも背水の陣だけど、中身はかなり違うよね
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 14:06:36 ID:Sxt/jult0
>>881 でも、クソ野郎の進言を実行してもどうなってたか・・・・
確かに劉邦は窮地になるかも知れんが、韓信に蕭何・張良はおらず、
勢力が三分される事で余計に混迷した可能性は高い。
そうなると、謀略に長けた人材の多い劉邦軍が気になって来る。
劉邦も、単に猜疑心だけで韓信処刑に至った訳じゃない。
仮の斉王の件を始め、戦中の韓信の態度に苛立ちはあったと思う。
それが韓信の忠誠心への疑惑に変わり、韓信が鍾離昧を匿った事で
露呈したんじゃなかろうか。
韓信自身、自尊心の高い人だった事も災いしたとは思うが。
>>881 韓信指揮下の将軍は、曹参、灌嬰など、
劉邦恩顧の武将ばかりだから、
独立したら従うかどうか怪しいもんだよ。
軍事力の根幹を劉邦に握られてる。
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 21:03:59 ID:ES4566W50
>>884 その二将も、劉邦が韓信への目付役として派遣した可能性は高いかもね。
でも、韓信軍の大半は趙兵だから、軍事力の根幹を握られてるというのは違う。
漢軍の正規兵は、劉邦が取り上げているはず。
>>885 兵はそうでも、兵を率いるのは将
その将の多くが劉邦シンパで監視役だとしたら、韓信が兵を全て握るためにはその将たちを排除するしかない
でなければ将たちに反抗される
しかし、曹参ら将を排除してしまったら今度は自分が手足として使う将に困る
>>886 募兵した若者を短期間で錬兵、斉を滅ぼしている。
将に関しても、短期間で育てられそうだ(韓信なら)。
確かに将がいないと戦は困難だろうが、韓信にとって致命的な
障害になるような気がしない・・・・・過大評価かも知れないが。
>>887 排除といっても、それは殺すことを意味する
劉邦の方になびきそうな将たちを全て、一気に殺して兵は取り上げる、という神業が出来るかどうかも問題
一人、二人と残してしまったら、韓信はまず劉邦シンパの軍を倒すことから始めなくてはならなくなる
そうしたら斉を抑え続けることさえ困難になるのではないだろうか
結局、斉で劉邦に反旗を翻すというのは実現性が薄かったのではないだろうか
そういや韓信って項羽をみんなで滅ぼした直後にも
劉邦にだまし討ちみたいな感じで軍の指揮権奪われてなかったっけ
斉に行く前にも修武で同じことやられてたと思うけど
>>888 斉で反旗を翻す場合、確かに劉邦軍は敵に回すかも知れないが、項羽の存在が
ある以上、三つ巴の状態になって劉邦も単純に報復は出来ないはず。
将だけを殺す方法なら、幾らでも計略練れると思う。
別に軍隊同士で戦うわけじゃなく、暗殺とか毒殺とか。
>>889 項羽討伐の時点で、すでに劉邦は韓信を信頼してなかったかもね。
斉に行く前の徴収は、確か項羽にボコボコにされて、劉邦の兵が無くなった
からだね・・・・・それから急遽募兵した兵士で、斉を滅ぼす韓信はスゴイ。
でも、韓信も劉邦が項羽を引き付けていたから戦えた訳で、項羽と渡り合い
続けた劉邦も普通じゃないのは確かだな。
>>890 それはそれで韓信は経験豊富な将たちを一気に無くすことになるんだよ
全く不可能とは言わないけれど、到底楽観できない
ましてその計略がはまらななかったら、まさにその軍隊同士の戦い(内乱)が待っている
今度は滅ぼしたばかりの政情不安な斉の人間が敵に回る可能性さえ考えられるわけだ
>>891 例えば、趙で将軍に見合う人材を選抜出来ないだろうか?
斉の政情不安は斉王になる事で落ち着いた訳で、解消は難しくないと思う。
劉邦派の将の数は、それほど多くも無いと思っているのだが・・・・・
あとは、独立するタイミングかな。
斉攻略して王になっておけば、かなり楽になると思う。
ところで皆さんはこの時代の勉強に何を使ってますか?俺は岩波文庫の史記なんですが、
本紀が出なかったので困ってます。お薦めが有ったら教えてください。
済みません。日本語訳でお願いします。
劉邦と韓信と張良と蕭何は誰が年上で年下なのか知りたい
ゲームで生年決めるのに困る
最年長は劉邦。50代。
次に蕭何。役人で劉邦とは顔なじみ。劉邦よりやや下か?
次に韓信。若い頃に股くぐりやってる逸話がある。30後半?
最年少は張良。何せ女みてぇだこいつの顔、なんて言われてる。
項羽は31歳でお亡くなりに。そりゃ男伊達を気取って失敗するわ。
ウソ教えんな
最年長は劉邦若しくは張良。
劉邦の年齢は諸説あるが、若い方は鴻門の会のときで40代前半
年取っているほうだと50代前半
張良は逆算して若く見積もっても劉邦(40前半)より上か同じくらいになる
蕭何は不明だが、劉邦と同年代っぽい
一番若いのは韓信
>896
図書館で探してみたら?
韓信って大将軍になったとき30前くらいじゃなかったっけ?
>>900 韓心そんなに若いのかよ!
近代の軍隊では考えられない出世だな。
しかしともあれ、韓信が警護役人のときから、項羽、劉邦含め何故か皆
股くぐりの話を知っているんだよな。たかが小役人の話を。
中国は日本の数十倍も広いのにこの情報伝達力は
すごすぎる。
願望が入ってるな
>>899 婦人好女の如しと言われた張良の容貌のことを完全に無視している
ちょっとキレイ目のおばちゃんっぽいおっさんってことで何の矛盾も無い。
>>902 若いころの肖像画じゃねえの?
張良は韓の滅亡時(紀元前230年)には既に成人していた。
(父の張平は韓滅亡の二十年前に死亡している)
おそらくは紀元前250年ごろの生まれと考えられる。
一方、劉邦は紀元前256年生まれと247年生まれの二説がある。
どちらの説に従っても、張良は劉邦とは同世代か、やや上と思われる。
>902
女顔で荒木飛呂彦のように老けなかったとかじゃね
史記の劉邦が張良に項伯の年齢をたずねる会話で
劉邦「君とどちらが年上だ?」
張良「(項伯が)私より年上です」
劉邦「では項伯殿に兄事したい」とある
この会話が事実なら
劉邦と張良は同世代で確定になると思うんだが
張良が劉邦と同じかよりちょっと上の世代らしいことは佐竹靖彦の『劉邦』にある
学術的な考察に読み物風の部分が混じってるが、考証の部分は説得力がある
劉邦が項羽と5歳ぐらいしか違わない計算になってて、「老獪な中年VS血気盛んな若者」という
巷間に流布する楚漢の戦いのイメージを覆しにかかってる
絶望した! マジで成人が20だと思ってる奴がいて絶望した! 加冠は13〜15でないのか?!
>>907 もうちょっと考えてみよう。
父は韓滅亡の20年前に死んでるのに滅亡時に13とか15歳だったら色々まずいと思わないかw
張良には若いイメージがある 何故だ
司馬遷が肖像画を見て「婦人好女の如し」って評したからじゃね?
後世の軍師・知恵者のイメージにも大きく影響してるな。
司馬遼太郎の張良の容姿についての書き方も凄いな
女装すれば類の無い「美少女」になるってやつな
虞姫やナンの描写も凄い
他作品では許嫁をお兄様と呼ぶ10歳とかいるし、
司馬遼太郎って今でいう萌えオタ…
おまけに病弱で風邪ばかり引いていたとゆう
張良に指揮任せたら数ヵ月で目が飛び出そうなくらいに痩せてしまったってところに不覚にも吹いた
嬰の奥さんってどうなったっけ?
確か項羽に呂后と劉太公と一緒につかまって、それから出てこない…
(´;ω;`)ウッ…
ツンデレ嫻嫻
健気な奴隷少女喃
それなんてエロゲ?な虞姫
メイド隊隊長少娥も追加
范増ってあほだよな
あふじゃないの?
范増はあほじゃない。項羽がアホ。
陳宮は曹操が惜しむ程の人材だが呂布を御する事はできなかった。それと同類。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 20:53:36 ID:0DTRhYt70
亜父(あほ):父に次いで尊敬すべき人物。
横山光輝のマンガではなぜか「あふ」
「あほ」だとどうしても「アホ」っぽくなっちゃうからなw
御大は空気読めるな
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/01(金) 23:22:43 ID:Oea22DA3O
『赤龍王』では「あほ」だったな
ガキだったオイラは「あほ」と呼ぶ項羽を見てワロタ
「赤龍王」は虞を序盤に劉邦とくっつけて、後から項羽と
取り合う設定にしたのが余計だったな・・・・・
まぁ、「天地を喰らう」も際物だったから何も言わんが。
赤龍王懐かしいな
項羽の強さが尋常じゃなかったなw
確かに虞の取り合いは俺も正直いらんかったと思う
赤龍王は劉邦が若すぎ&いい人過ぎたな。
でも項羽のマジで山を引っこ抜きそうなパワフルさは好きだった。
あと呂后と趙高がインパクトありすぎて怖い。
ガチャ
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バタン
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赤龍王の彭越や英布は渋かった・・・・
韓信は、横山版の方が好き。
赤龍王の魅力は、あの迫力だったんだろうな。
今まで、この漫画より迫力のある函谷関の絵は見た事がない。
赤龍王は韓信の活躍ほとんど書いてないからなぁ。
ほんとそだね
見せ場の「背水の陣」すら描かれてなかったから、赤龍王しか知らない奴にはただの大ぼら吹きの股くぐりにしか思えんだろな
最終回の打ち切りっぷりもスゴかったな。
陳平が名前だけ出てたり・・・・
鐘離昧が最初の方で少し出ただけとか、キャラを持て余してる
感じもして勿体無かった。
ちゃんとしたブレーンが原案やってりゃ、マシだったかも。
亜父
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 17:20:15 ID:b5uf6xIR0
ニュース速報 - 諸葛亮孔明より周瑜公瑾のが上
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1218088991/ 891 名前: 美極(アラバマ州)[] 投稿日:2008/08/09(土) 10:28:06.37 ID:ppTZWU8g0
>>889 脇役じゃん イラネ
925 名前: 美極(アラバマ州)[] 投稿日:2008/08/09(土) 23:59:37.43 ID:ppTZWU8g0
蕭何なんて脇役以外の何者でもないわ 脇役ありがたがって俺って個性的!ってか? 馬鹿じゃねおまえ?
蕭何の役割を理解出来ないゆとりがスレで難癖付けているので
彼を言い負かせる事が出来る人はどうか懲らしめてやって下さい
ニートかひきこもりの発想だろ。
衣食が足りているうちは、そのありがたさもわからず供給されて当然と思ってしまう。
あるいは、旧日本軍の牟田口と同じともがらかも。
こういうやつらを、今の現状では思い知らすことはできないな。
飢えを知らん奴に飢えの怖さはわからんだろうしね。
項羽好きの俺でも劉邦陣営の蕭何だけは言葉を尽くしても貶せない。
だから覗いてくる。
劉邦が蕭何を功第一とした時の言葉
あれだけでも十分に説得力は感じられるもんだが
彭城で惨敗してからは基本的に守勢続きの劉邦が何故に戦線を維持できたかを考えんとね
お子様頭脳は、最前線とかでアムロばりの活躍するとか
大兵力を率いて大勝するとかじゃないと、エクスタシーを
得られないからな。
補給や兵站、戦争の前準備や後始末を軽視するのは
頭が幼稚なゆえんでしょう。
935 名前: 吉野屋(アラバマ州) [sage] 投稿日: 2008/08/10(日) 12:21:06.11 ID:PpV3rQLb0
>>935 昔、項羽と言う軍事的天才がいた。戦術でも個人的武勇でも、並ぶものが居なかった。
まだ30にも満たぬ若さで、彼は当時、覇王と号し天下を牛耳った。その彼が、負けた。何故か?
劉邦陣営を項羽が打ち破っても打ち破っても、立ち上がって来たからだ。70余度叩き潰しても
軍勢を建て直し、決戦を挑んでくる劉邦陣営。それを可能にしたのは誰の御蔭か?
蕭何。
この優秀な後方官僚が常に物資の補給、兵士の増員を欠かさず整え、送り続けた御蔭だ。
どんなに強くても、軍は疲労し、物資の補給は欠かせない。システムの無駄が多いところから
組織は綻び、負けて行く。
この人物を評価しない人間は、『俺は無恥で無知なマヌケな餓鬼です』とプラカードを首から
下げているに等しい低脳である。
どうやって物資を補給し、兵員を欠かさず整えて送り続けたんだ?
>>943 地道で合理的な内政努力の賜物でしょうが。
極度の民衆徴発とか、そういうのは大いにありそうだけど。
むかし、誰かが考察していたが
蕭何が秦の行政文書、地勢資料等をいち早く押収した際の
文書の中に、旧六国併合時の、秦軍の後方兵站体制の資料が
存在していて、そのシステムを活用したのではないか、という説を
見かけたな
とは言え、いくらシステムが存在しても、それを使うのは所詮人間だからな
やはり、蕭何が異常に優秀だったとしか思えない
敵国であっても、その習うべきところを用いた、という点でも
凡庸でもカスでも脇役でもないのだけど、若い人にはそれがわからんのです。
ましてや単なるルーチンワークではなく、有機的に運用するということが
どれほどのことか、想像することくらい容易だと思うんだけどね。
一騎当千の主人公が精神力や限界突破で活躍する少年漫画の世代の人たちは、
前線で一人奮戦し、大勢を覆して一発逆転するような豪傑や
神算鬼謀で敵の裏をかき、鮮やかな策で少数で多数を翻弄する天才みたいな
分かりやすい活躍が本当の戦上手だと思うのも仕方ないさ
孫子の戦上手とは勝ちやすきに勝つものという言葉も理解できないだろう
具体的にどういう風に運営したか教えてください。
重要な地の関中を運営したのは単に蕭何がもっとも高祖の信頼が厚かったからかも知れないじゃないですか。
多くの兵を送れたのは単に関中が人口が多くて、蕭何のポストになれれば誰でも出来たかもしれないじゃないですか?
他の凡人とはどう違うやり方をしたのかを教えてほしいのです。
さぁ? 具体的なシステムや運用方法までは知らないけど
そういうの、研究しているのもあるかもしれないなぁ。
単に一般論として、補給ことに後方の備えが重要だ、っていう話で
これに失敗して敗退した軍隊のなんと多いことか。ナポレオンとかそうだよね。
なので、どの軍隊でもある程度マニュアル化、システム化されたであろうけど
それをソフトウェアで効率的に運用できると、その属する軍隊は非常に強い、といえる。
強いってのは、単に衝撃力とかではなくて、粘り強さとでも言うか。
ただ、地理的な要因もむろんあるよ。関中に機能を集中して、人員、物資などを
集中的に集め、そこから合理的に割り振る。
甬道とか、秦の整備した兵站路を使って、各地に最短時間で必要分送る。
それができたのは、まさに過去に秦が統一したという実績があるからでしょうね。
似たように、補給を重視したものの、地形的条件から失敗した例もありますわな
諸葛亮の北伐とか。項羽はそもそも補給を軽視していたきらいがある。
項羽は補給を軽視してないよ。
鉅鹿の戦いでは敵の補給線を絶って、
勝利のきっかけを作った。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 23:06:12 ID:aQ06foXV0
項羽陣営に、蕭何並みの能力と役割を持つ人物がいなかったのは事実。
彭越のゲリラ活動があったにせよ、楚軍の兵站線は貧弱だったと思う。
咳下の戦いでは、百万の漢軍よりも先に兵糧が尽きるという状況。
転戦続きの楚軍にとっては、蕭何の能力が漢軍以上に重要だったかも知れん。
楚軍の人物を考えると、張良に対する范増くらいしか思い浮かばんなぁ。
蕭何は元より、韓信に匹敵する人物もいない気が。
まぁ、戦に関しての楚漢最強は項羽だろうけど・・・・・・
項羽の強さが異常過ぎるんだが、彼は一体何者だったのだろうか?
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 01:24:21 ID:g7hfqpSi0
兵力は兎も角、食料は敖倉が供給源とちゃうの?
だけど、沸いて出るものでもなし。
蕭何が本拠地で後方管理運営した制度が合理的かつ効率的だったから
という面が強いのじゃないかな。
蕭何のそういった実務能力は、旗揚げから見知っているということで
十分その任に耐え、また信頼できるからこそ、だろう。
>>949 諸葛亮は補給を結構重視していたと思うが。
そりゃ蕭何には及ばないが、彼も元を正せば後方の補給役。
木牛や流馬の開発なども、兵糧をより大量に運ぶための彼の思案。
第二次北伐では確かに二十日ほどで撤退しているけど。
また、北伐の撤退理由が兵糧不足というのも、認識不足によるものというよりは、当時の蜀という地域の地理的な限界や、兵糧輸送技術の限界なのではないかな。
補給を怠った李厳を罰しているし。
(これに関しては政治的な思惑があるとも言われるが)
>952
寧ろ項羽自身が韓信ぽくない?
>>955 だから、「地形的条件での失敗」例として挙げているわけで。
人間のちからが及びのつかない一例でしょう。
そういえば、牟田口中将のインパール侵攻作戦中の、ジンギスカン作戦も
地形によって挫折させられた一例にはなるけど、あれ、補給を軽視した将軍として
諸葛亮といい対比になると思わないか?
なにしろ、補給困難とわかっても作戦を強硬したのだから。
どう考えても、補給兵站を重視していたとは言い難い。
だから、補給が切れた上で、兵に被害が出る前に、目先の勝利を放棄しても
軍を撤退させた諸葛亮は、一般に言われるように軍才は最高ランクに届かない
かもしれないが、将として統率者として、衆を預かる責任者として、超一流であり
信頼の置ける指導者だったといえるでしょうね。
補給が困難なことは出陣前からわかってたのであればはじめからその方面から攻めないのが当然ではないでしょうか。
劉邦が負ければよかったのに
鍾離昧乙
>>959 劉邦はさんざん負けたじゃん。それでも何とも出来なかった項羽がヘタレ。
いやだからこそ蕭何さんの価値があるんじゃないっすか。
>>961 何も出来なかった、じゃなくて出来るチャンスが何度かあったのに全部自分で潰した。
ヘタレとは言わないが天下取る器じゃないわな
>>961 さんざんというほど負けてない
というのは、最初の大敗以外は劉邦が敗走している間にも韓信が趙、斉、燕を侵食しているから、劉邦としては死にさえしなければ戦略的には勝っているようなものなんだ
>>958 困難を承知の上で攻めなければならん場合もあるんだよ
>>965 進撃路が豊富というわけでもないからね。
後蜀期でも、子午谷ルートで強襲したことあったけど
出口抑えられて関中に出られなかった、という…
同時期に陳倉には本隊主力が進んでいたけど、やはり頭抑えられた。
劉邦、蕭何、曹参、夏侯嬰、周勃、樊カイ、盧綰……。
沛県には人材揃いすぎじゃね?
>>967 劉邦側が勝ったからそれらの人材が有名になったってのもあるだろうな
負けてたらもっと無能に書かれてたか、名前すら残らないで終わったと思う
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/20(水) 00:17:16 ID:QTDy0Q9F0
>>967 正直、蕭何以外は普通だろ。
彼らの将器や武は、長い戦で培われ磨かれたものだと思うが、飛び抜けた
才能だったという感じはしない。
劉邦と同郷で、古参故の経験や地位が良い方向に動いた結果かと。
樊櫂は、ガタイの良さもあったんだろう。
とは言え、劉邦に従い続けた忠誠心は本物だと思うが。
周勃、灌嬰なんかも地味に良い武将
灌嬰は派手な部類に入ると思うが。
漢軍初の騎兵指揮官だし、
項羽の本拠を陥落させているし、
項羽を追撃して自殺に追い込んでいるし。
項羽の死体ばらばらにした5人が灌嬰の部下の騎兵だったことはあまり知られて無い感じだな
周勃はいい意味で平凡なイメージ
夏侯嬰って生涯役職が太僕のままなんだよね。
同僚の周勃や灌嬰は漢統一後どんどん出世していったのに、夏侯嬰は死ぬまで太僕のまま。
夏侯嬰は出世欲とは無縁の男だったんだろうか。
灌嬰は五千の兵を率いて平原で戦えば、同じ兵数を率いた韓信に勝てると思う
>>975 太僕って九卿じゃなかったっけ
普通に高位じゃないのかな
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/21(木) 22:06:47 ID:ZZU4LW9f0
飛仕影音の大型古装連続劇 「楚漢風雲」のDVD10枚組を買ったが、全巻揃で
なんと2000円だった。航空便で送料が700円。値段の違いに驚いた。
もっとも中国語の字幕しかないが、結構、それで話は分かる。
>>975 太僕ってのは皇帝の御者であると同時に、国有の馬全ての育成から管理までを扱う
地位では丞相とかの方が上だが、ステータスは太僕も十分高い
それに、もしかすると物凄い利権が集中しててウハウハだったかもしれん
ほんとに馬好きだったんだなあ
すごい腕力があり、いくさをさせれば剛力無双、でもみずから好んで自分を御者だと思っているというイメージがある
ホウ城の戦いって今日の野球日本対韓国みたいな感じだったんかな
いやなこと思い出させんな
>>982 烏合の衆だったのは確かだな・・・・・。
という事は、星野が魏豹か。
そもそも項羽は天下を統一する気なんてあったの?
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 03:21:57 ID:lNRUqGCX0
>>985 中華を一国にまとめるという構想なら、なかったと思うが。
>>985 劉邦(とブレーンの張良)以外、誰も再統一なんて考えていなかった。
あったとしても、旧六国の子孫を温存しての春秋の覇者のような政権運営か
新たに、漢による諸侯の封建か、項羽は前者に近かったように思う。
劉邦は、秦の失敗を鑑みた上で、再統一を志向したんだから
ある意味、先見性・戦略眼は項羽なんぞ足元に及ばなかったわけだ。
(ただ統一すりゃあいいやというレベルではないから)
>>987 そういう見方でいくと、劉邦陣営が再統一ってのを本気で考え出したのはいつだろうね。
三秦倒したあたりから?
>>988 一度項羽にボロ負けする前から殷王を廃して河内郡を直轄化とかしてるから、かなり早い段階から考えてただろうね
項羽は秦を倒した後に自分が主導して国を配分してるから、この段階で項羽にとっての「天下統一」は終わってるんだよね
諸侯の支持を受けた周王のような存在であればいい、と思っていた(ただし、国を細分化しているので項羽が主導権を握りやすくしている)
だがこの国分けが諸侯の支持をまるで得られないもので、不満が爆発し各地で反乱・紛争が勃発し、そこに劉邦が突け込めた
「彭城の戦い」って中国史上においてかなり絶望的なシチュエーションだよな
本拠地は落とされて、士気は下がるわ、補給は断絶だわ、手持ちの勢力以外
中原諸国は完全に敵側だわ、滅亡寸前の群雄でもここまで酷いのはなかなかないぞ
ここから、戦局を引っくり返して逆に関中を圧倒するんだから、
項羽は化け物扱いされるわけか
少なくとも、春秋戦国期でここまで速攻・流動的な指揮采配を振るった将軍はおるまい
>>990 まったく。
かろうじて追従するのは李存勗くらいだな。
本拠地の失陥は免れているので、状況はまだまだだが。
>>990 おおむね同意だが、項羽は関中を圧倒はしてない。
劉邦たちは常に関中から進出しており、項羽はそれを退けているが項羽から関中に進出してはいない。
しかも、代趙燕斉を韓信に平定されながら有効な対策を打てず、楚にまで劉邦の調略の手が伸びた。
絶望的なところを五分近くまで持っていたとは言えるんだろうが、防戦一方で実際には優勢になったことはない。
ちょっくら、新スレたててくるわ
項羽と劉邦、時々韓信
やっぱり、項羽あっての劉邦だよな・・・
項羽という一代の怪物がいたからこそ、韓信始め多くの人物も才能を
発揮したという感じがする。
良くも悪くも、項羽中心の時代だったんだろうなぁ。
項梁存命なら、どうなっていたかな・・・
韓信って、確かに軍事の天才だが劉邦と項羽に並ぶほどだったかね?
彼も結局は将の一人でしかなく、欲を出したり中途半端な態度だったのが
破滅の始まりだったんだろうな・・・・
「中華の運命は、あんな股夫などに好きにさせるものではない。
全ては我々楚軍と貴様ら漢軍とで決着を着けるものだ。
違うか!違うか!違うかァ!!
なぁ、劉邦。」
1001 :
1001:
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